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2002 年 8 月∼ 2003 年 8 月:ロンドン観劇覚え書
矢 島 直 子
前書き
ほぼ一年間留学した間に見た芝居は百二十本弱である。数がはっきりしない
のは、短い芝居を二本立てで一晩に見たのを二本と数えた場合もあるし、研究
中のマイケル・フレイン作 Noises Off のように、地方巡業のとロンドン公演を
見たが、それを一本とするか二本とするか、決めかねた場合もあるからだ。ま
た、本格的な上演とは言えない場合もあった。ベア・ガーデン(グローブ教育
センター)で、シェイクスピアのグローブ座の俳優たちが、台本を片手に所作
を交えて、少し小道具を使いながら、シェイクスピアと同時代のトマス・ヘイ
ウッド作 Edward Ⅳ, Part 1 を演じたのだが、それを数に入れるべきか判断がつ
かなかった。という次第で、あいまいな本数になっている。
芝居を見るのを中心に留学したなら、もっとフリンジ(実験的演劇)も見た
だろう。一年間留学して、百五十∼百六十本くらい見た日本の学者がいたそう
だから、観劇中心ならもっと見られたと思う。が、わたしの場合、一方でジョ
ー・オートンとマイケル・フレインの勉強もしたから、百二十本近く見られて
よしとしなければならなかった。
一年間通して見たかった理由は二つある。一つはロンドンに演劇シーズンが
あるのか確かめたかったこと。もう一つは──こちらが主なのだが──ロンド
ンの演劇がどのようになっているか把握したかったこと。
演劇シーズンについては、先に結論を言えば、シーズンがないことが判明し
た。そもそもわたしがシーズンがあるらしいと考えた事情は、十年くらい前の
留学時にさかのぼる。日本人で英語学研究をなさっている先生から、夏休みの
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間にロンドンの演劇学校でトレーニングの様子を見たいので、どこかの演劇学
校と話をつけてもらえないだろうか、と頼まれたことがあった。留学してすぐ、
当時の指導教官に、ロンドンの演劇学校の名前を四、五校教えて頂いた。細か
いことは覚えていないが、多分電話帳『イエロー・ペイジズ』で住所を探した
のではないかと思う。教わった演劇学校を訪れたのだが、そのうち一校の担当
者から、「夏はドライ・シーズン(不活発な時期)だから」というような話があ
った。でも、その方は「ヴォイス・トレーナーと会えると思う」と言って、お
名前を紹介して下さった。それで、日本の英語学研究者にお便りしてお知らせ
した。後に知ったのだが、その先生は結局、夏休みには教われないと分って、
演劇学校にはいらっしゃらなかったそうだ。学校であるから、夏休み中だった
訳で、無理もない。ともあれ、その時の話──「夏はドライ・シーズン」──
で、わたしは漠然と、ロンドンの演劇にはシーズンがあるらしい、と思いこん
だのである。その後、毎年夏休みにロンドンに出かけて、三十本近く芝居を見
るようになったのだが、何となく、夏場は不活発なのだろうと考えていた。今
回、通年でロンドンに滞在してみて、夏から秋になった時、ロンドンの演劇に
はっきりした区切りがないことに気がついた。そして、夏にも新作が発表され
ることにも気がついた。もっとも、夏休みの間だけ滞在した時にも気がついた
が、新作の本数が少ないのではないか、と思っていた。今回この覚え書を書く
にあたって、ノートに書きとめた作品のメモを整理してみて、秋から冬にかけ
ては夏場よりは新作が多いようだと思う。だが、留学中は、自分でははっきり
したことが分らなかった。それで、留学の終わり近く、友人のキャロル・ A ・
モーリーと御指導いただいたロンドン大学キングズ・カレッジのジョン・スト
ークス教授の両方にお尋ねした。両者とも「ロンドンの演劇にはシーズンはな
い」と言っていらした。その時キャロル・ A ・モーリーが指摘してくれた。
「リージェンツ・パークの野外劇場とシェイクスピアのグローブ座では、夏だ
け上演するでしょう」と。その通りなのである。グローブ座は夏よりも早く五
月はじめから上演をはじめるが、九月末には終る。リージェンツ・パークのほ
うは夏だけである。野外劇場(グローブ座には屋根つきの席もあるが、土間は
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野外だ)という性質上、よい季節でないと上演できないからであろう。従って、
夏は新作がやや少ないし、フリンジの劇団は大半がスコットランドのエディン
バラ・フェスティバル(演劇祭)に行ってしまうものの、ロンドンの演劇界全
体として考えると、決して不活発ではない。ロンドンの演劇にはシーズンがな
い、と分った次第である。ただし、ウェスト・エンドの劇場の中には、8月
10 日頃までに上演を終えて、秋まで劇場が休むところがあるのが分った(2004
年夏─ウェスト・エンドのある劇場で働いている日本人女性から聞いて、後に
‘The Official London Theatre Guide’で確かめた)。
もう一点の、ロンドンの演劇はどうなっているのか、については答えが出な
かった。最初のほうで書いたが、フリンジはあまり見られなかった、という事
情もある。見たのは、主としてロイヤル・ナショナル・シアター、ロイヤル・
シェイクスピア・カンパニー、ロイヤル・コート・シアターなどの Arts Council から財政援助を受けている劇場と、ウエスト・エンドの商業演劇だった。
その中でも、見たかったのに切符が手に入らなかったり、時間がなかったり、
で見落としたものもある。見てきた芝居だけを振り返っても、こういう傾向が
ある、とは言えないほど、多種多様だ。また、一年間見ただけでは、本当のと
ころ、ロンドンの演劇事情はつかめないのだろうと思う。
ただし、留学中にイラク戦争が起こったため、ロンドンの演劇が国際情勢の
影響を受けることもある、ということが分った。イラク戦争が始まったとたん、
テロを心配してであろう、イギリスを訪れる観光客が激減したことが、テレビ
のニュースで放送された。それからしばらくたって、借りていたフラットの家
主さんと電話で話していたら、「今、イラク戦争のせいで、ロンドンの劇場は
客足が落ちているんですって」と教えてくれた。自分が劇場に行ったときの実
感としては分らなかったので、ある時芝居の切符を買いに行ったウエスト・エ
ンドの劇場で、切符売り場の人に聞いてみた。その人の話では、「自分の劇場
では影響を受けていないけれど、他の劇場では影響が出ているところもある」
とのことだった。ロンドンの劇場で、アメリカ人らしいと思える観客を見かけ
ることがある。アメリカからの観光客も激減していたそうだから、アメリカ人
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の観客が減ったのであろうことは察しがついた。それ以外の理由はうかつにも
切符売り場の人に聞くのを忘れた。が、いずれにせよ、ロンドンの演劇界は、
客足が落ちるという形で、イラク戦争の影響を受けたようである。
もう一つ気がついたのが、ロンドンで芝居を見ていると、評判のよい芝居だ
と客席が混む点だ。これは当然のことだし、日本でも同じだろうが、イギリス
の場合、入りがよくなる原因の一つに‘grapevine’(「ぶどうのつる」が転じて
「口コミ」の意味)があるそうだ。もちろん新聞などの劇評にも理由があると
思う。そういう時うっかりして切符を買うのが遅くなると、手に入らなくなる。
‘grapevine’という言葉は、イギリス人の友人ステイシー・グリーンフィールド
から聞いた。ロンドンではよい芝居だと、とたんに客の入りがよくなる、と話
したら「‘grapevine’があるからよ」と教えてくれたのである。そう言えば、わ
たしも「今何かよい芝居ない?」とイギリス人の友人、知人から聞かれたこと
がある。そういう場合、たいてい二、三本はすすめたい芝居があるので、ロン
ドンの芝居好きは恵まれていると思う。
以前にもぼんやりと気がついていたことではあるが、今回あらためて痛切に
感じたことがある。イギリス現代演劇を学ぶ者にとって、厄介なのは、様々な
先行作品への言及である。特に喜劇では、過去のコメディアンが扱われている
戯曲があって、往々にして、何のことか分らないという事態になる。喜劇とシ
ョーが一体となったような作品 The Play What I Wroteがよい例だ。先に述べた
ステイシー・グリーンフィールドに、上記作品を見る予定だ、と話したところ、
即座に「それはモーカムとワイズに関係があるんじゃない」と言ったのである。
彼女の説明では、モーカムとワイズは二人組のコメディアンで人気があった、
とのこと。実際に、芝居を見に行ったら、芝居のプログラムに、エリック・モ
ーカムとアーニー・ワイズの説明があった。それによると、二人は 1970 年代
に活躍し、1977 年 12 月 25 日には BBC 1が二人のショーを放映したところ、イ
ギリス人の半分以上がそのテレビ番組を見たと推定されたそうである。The
Play What I Wroteはモーカムとワイズを下敷きにしたものだった。現代演劇を
知ろうとすると、軽演劇、テレビも知っていないとならない、ということだ。
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イギリス人なら、芝居の題名を聞いただけでピンとくるのに、わたしのような
外国人には分らないのである。二人のコメディアンについては、ロイヤル・コ
ート劇場でクリスマスの時期に上演したアンソニー・ニールソンの新作喜劇
The Lying Kind(この題名は二重の意味を持つと思う。一つは「嘘をつく類い
の人」、もう一つは「親切で嘘をついて」であろう)においても、「エリックと
アーニー」という形で言及があった。モーカムとワイズのことを知らなければ、
何のことか分らないところだ。イギリスの現代演劇を勉強すると、過去の目ぼ
しい作品はもちろん、現代の他のジャンルの作品、大衆演劇、大衆文学、そし
て文化にも目配りしなければならない、と痛感した。問題は、日本にいて研究
する場合、制限があることだ。イギリスのテレビ番組では、評判のよい作品は
後にビデオ・ CD ・ DVD 化される。映画もビデオ・ DVD になるものがある。
が、それ以外のテレビ番組はあきらめざるを得ない。映画は日本に来たら見て
おく、といった対策くらいであろう。そのような制限があることを自覚して研
究しないとならないのだと思う。
日本では見られないのではないかと思うが、イギリスの劇場の中には、劇場
の案内係などをボランティアがやっている場合がある。ウェスト・エンドの商
業劇場などではやらないだろうが、アルメイダ劇場、ドンマー・ウェアハウス
劇場、シェイクスピアのグローブ座などでは、ボランティアが切符もぎりをし
たり、席の案内をしたりしている。わたし自身が経験したのは、アルメイダ劇
場においてである。十年くらい前の留学時には、シェイクスピアを勉強してい
た。シェイクスピアと同時代のベン・ジョンソンの『ヴォルポーネ』がアルメ
イダ劇場で上演された。評判が上々で切符が取れなかった時、友人のキャロ
ル・ A ・モーリーがアルメイダ劇場でアルバイトをしているのを思い出し、電
話で事情を話した。するとすぐに「劇場にボランティアとして来ればいいのよ」
と教えてくれた。それで、一晩だけ切符もぎりのボランティアをして、そうい
う案内係の座席に座って見たものである。ドンマー・ウェアハウス劇場では実
体験はないが、今回の留学中に、同劇場で芝居の上演を手伝うボランティアを
募集するパンフレットを見つけた。シェイクスピアのグローブ座で留学後確認
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したところ(2004 年8月4日)、切符もぎりをしていた年配の女性が、「えんじ
色のエプロンを着ている人はみなボランティアだ」と教えてくれた。イギリス
の芝居好きの人たちはただ見るだけではなく、劇場の仕事の一部を支えてもい
るわけである。
もう一点感じたことは、イギリス現代演劇を勉強する場合、せめてフランス
語、ドイツ語、ラテン語を知っておいたほうがよい、ということだ。ラテン語
が出てきたのがどの芝居だったか忘れたが(従って、今回の留学中ではないか
もしれない)、フランス語、ドイツ語、ロシア語が使われるのを経験した。Oh,
What a Lovely War の再演においてである。かつて評判になった芝居を見られ
たのはうれしかった。第一次世界大戦を背景にした話であって、戦場が出てく
るのだが、その場面でフランス語、ドイツ語、ロシア語が飛び交うのである。
わたしは、フランス語は少し分るが、ドイツ語とロシア語は分らない、という
有様なので、話の筋をつかむのがやっとだった。この作品を作ったシアター・
ワークショップを主宰したジョーン・リトルウッドたちは、どのような観客を
想定して書いたのだろうか、と思った。イギリスのインテリは大体ラテン語、
フランス語、ドイツ語ができるようであるが、シアター・ワークショップはそ
のような人たちを念頭に置いて当作品を作ったのだろうか、それとも三外国語
の部分は分らなくても、話は分るはずだ、と考えていたのだろうか。『コンテ
ィヌーム二十世紀演劇手引き書』によれば、ジョーン・リトルウッドは一般大
衆を対象に作品を作っていたようなのだが、上の疑問は疑問のままである。ど
ちらにしても、イギリスの芝居をよりよく理解するためには、フランス語、ド
イツ語、ラテン語を知っておいたほうがよさそうである。
ロンドンの大方の劇場において、観客は男女が混ざりあい、年代が様々であ
る。日本では、わたしの乏しい劇場体験によれば、どういう種類の演劇かによ
って、観客の年代が分かれる。若手の劇団であれば若い観客が多いし、商業演
劇であれば中高年が多い、といった具合である。それが、イギリスの場合、若
手作家の作品でも、ウエスト・エンドの劇場でも、観客の年代は混ざりあう。
これは羨ましいことだ。観客の年代が様々であれば、若手作家・俳優が成熟し
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ていく可能性が高くなるだろうから。でも、今回、ロンドンの芝居の中でも、
観客を選ぶ(逆に言うと、観客が選ぶ)作品が少しはある、と知った。一つは
アメリカのケネス・ロナガン作の This Is Our Youth である。この芝居はマチネ
ーで見た。ふつうマチネーはお年寄りの観客が多いのだが、この作品に限って
は若い観客が圧倒的に多かった。アメリカの若者の生態を描いた作品だったか
らだろう。もう一つは、カナダの女優、女性演出家が、自分たちの子育て体験
を基にして集団創作した Mum’s the Wordである。これもマチネーで見たのだが、
内容が内容だからであろう、客席には男性客が少なく、中高年の女性が多かっ
た。芝居を見てよく笑っていたのも、子育て経験がありそうな女性だったよう
だ。イギリス人の劇作家の作品で、観客に特徴があったのは、アフリカ系イギ
リス人と思われるロイ・ウィリアムズ作の Fallout においてである。ロイヤ
ル・コート劇場で見たのだが、客席にアフリカ系イギリス人、それも若い人が
多かった。当作品では、イギリスにおけるアフリカ系イギリス人の若者の生態
が主として描かれていたからであろう。以上の三作品が、観客を選ぶ作品とし
て、記憶に残った芝居である。
最後にお知らせ。御存知の方もおいでのようだが、ロンドンのシアター・ミ
ュージアム(演劇博物館)のスタディー・ルームは、演劇を研究する者にとっ
てはありがたい場所である。席が二十人分くらいしかないから、利用したい時
は一ヶ月程前に予約をする必要がある。その際、研究したい劇作家名などを伝
えておくようになっている。すると、当日、調べたい劇作家の上演プログラム、
新聞の切り抜き、などが入った袋を受付で渡してくれる。あとは、席を見つけ
て調べものをすればよい。
以上、留学中に知ったこと、気がついたこと、のあらましである。今回は
「前書き」しか書けなかったが、次回には見た芝居を御紹介したいと思う。
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