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12 オーストリア派遣報告 - 33 - - 34 - オーストリアで学んだ事 東大原小学校 井上 煌也 当日の朝、スーツケースを運んでいる時に、あと数 時間後には日本を離れると思うと、ふしぎな気持ちで した。オーストリア行きの飛行機に乗ると外国人のキ ャビンアテンダントの人に、僕のイヤホンが無い事を ジェスチャーで伝えようとしました。僕のジェスチャ ーを分かろうとしてくれた事がとても嬉しかったで す。言葉が上手に話せなくても、気持ちや考えを伝え る方法はいくらでもあるのだと思いました。 ザルツブルクの郊外には高い建物が無いので、夕日 がきれいで、世田谷区では見れない景色でした。日本 の食事とは全然違うので、おどろきました。僕が一番 心に残ったのは、シュテファンス教会です。シュテフ ァンス教会は、すごく高くて大きい建物でした。上か ら下まで細かいもようがあり、ひとつひとつを見るの が楽しかったです。中もちょうこくの作品があったり、 天井には、絵が描かれていました。4日目に行った世 田谷公園は、ドゥブリング区との姉妹都市としてつく られました。世田谷公園ではもみじやいちょうが紅葉 していました。それに、竹も植えられていました。東 京にある世田谷公園より日本らしいと思いました。シェーンブルン宮でんにも行きました。丘を 登りグロリエッテから見たシェーンブルン宮でんとその奥に見える町並が印象に残りました。学 校訪問では、オーストリアの中学生に折り紙を教えるととても喜んでくれました。カメラの折り 紙が好評でした。写真をとるまねをして楽しみ日本の伝統の一部を知ってもらえたと思いました。 オーストリアでは、ホテルの部屋のベッドメイキングをしてくれる人に、1ユーロのチップを置 く体験をしました。そして、同室の友人と話し合い、その体験とは別にチップの代わりに折り紙 を置くこともしました。僕たちはカメラ、カブト、ピアノ等8個ほどていねいに折り「Danke schön」と書いて置きました。帰って来ると折り紙がすべて無くなっており、次の朝鍵を返す とフロントの人が「キャメラ・Danke schön」とほほえんでくれて嬉しかったです。学校訪 問の時にも感じましたが、言葉が通じなくても工夫すれば伝える事ができるのだと思いました。 4年後には、東京オリンピック・パラリンピックがあります。大勢の海外の国の人達が日本を 訪れます。困っている人がいたら、たとえ言葉が分からなくても助けてあげたいと思いました。 もちろん英語は、もっと話せるようになっておきたいです。僕は、このはけんで「言葉は通じな くとも工夫すれば心を伝える事ができる。そうすれば、色々な人を助けたりつながる事ができ る。」そして先生が教えてくれた「楽しくない事や悩んでいる事があったら自分で大きな事でも 小さな事でもいいから何かを変える」という事を学びました。学校の先生方や同行してくださっ た方々、応えんしてくれた家族に感謝したいです。 - 35 - オーストリアでの私の成長 太子堂小学校 熊野 仁花 10月31日に15人の仲間と 共に成田空港を出発し、8日間の研 修を終えて無地日本に帰国しまし た。 オーストリアでは、前半を世界遺 産にも登録されているザルツブル クで過ごし、後半はオーストリアの 首都であるウィーンで過ごしまし た。この時期のオーストリアはとて も寒いのですが、私たちが訪れた時 はラッキーなことに晴天が続き、例 年に比べかなり過ごしやすい天気 だったそうです。まずザルツブルク では作曲家モーツァルトの生家や大聖堂などを見学しました。また、恋人の名前を書いたカギを 橋にかけて、そのカギを川に捨てて永遠の愛を誓うアカルト橋などもあって面白かったです。ウ ィーンへは、かわいらしい真っ赤な列車で移動しました。大都市と大都市をつなぐ列車なのに、 車窓から見える風景は農村や豊かな自然が多く、とても見応えがありました。ウィーンではシェ ーンブルン宮殿やベートーベン博物館など、たくさんの施設を見学しました。別の日には39年 もの任期を務めているドゥブリング区長を訪問させていただき、たくさんの貴重な経験をするこ とができました。 様々なイベントの中で一番印象に残ったのは、ウィーンでの学校訪問です。折り紙や歌などを 通して交流し、出発前に仲間と一緒に練習したドイツ語や歌、リコーダー演奏などを披露でき、 大きな達成感を得ることができました。 またこの交流を通じて、自分から積極的にコミュニケーションをすることの大切さに気づくこと ができました。自分からあいさつし、心を開いて接すれば、たとえ相手が外国人でも気持ちはき ちんと伝わり、相手もとても友好的に接してくれます。言葉が通じなくても、ジェスチャーや笑 顔でも気持ちを伝えることができることに改めて気づき、心を通い合わせることができたことは、 私の自信にもなりました。またオーストリアでは、家族と離れ一人になってさみしさとも向き合 うことになります。その分15人の仲間たちが家族のように感じられ、お互いに励まし、助け合 いながら生活したことで、私たちの間には強い絆がうまれました。迷惑をかけないように、少し でも力になってあげられるようにと考えることで、今、自分が何をすべきかを意識するようにな り、整理整頓、スケジュールの管理などの自己管理などがきちんとできるようになりました。こ れは周りの仲間に刺激をうけた結果だと思うのでとても感謝しています。同時に遠く離れた日本 から見守ってくれている家族や友人、先生方への感謝の思いも強くなりました。この8日間で、 私の心は大きく成長し、これからもチャンスがあればたくさんのことに挑戦し、前進していきた いという気持ちが強くなりました。このような機会を与えてくださったみなさんに感謝します。 ダンケシェーン。 - 36 - 多くを学んだオーストリア訪問 桜小学校 伊藤 諒太 世田谷区の小学生海外派遣の代 表に選ばれた後、ぼくはこの貴重な 機会を使って何をがんばろうか考 えました。そして、「オーストリア の友達にジェスチャーを使いなが ら折り紙を教えること」と「オース トリアと日本の違いを見つけるこ と」という二つの目標を決めました。 一つ目の目標については、ツルと 飛行機を教えたのですが、身ぶり手 ぶりで何とか伝えることができ、う まくできました。オーストリアの友 達からは、リンゴパイの作り方を教 えてもらい、とても楽しかったです。 二つ目の目標は少しむずかしかったですが6つの違いをみつけました。 一つ目は、信号の長さです。東京では短くても5秒はあると思いますが、ウィーンでは3秒あ るかないか位早く感じました。二つ目は、トイレです。日本は無料ですがヨーロッパは有料で少 し不便でした。三つ目は、水道水です。日本の水はやわらかくておいしいですがヨーロッパの水 は少し違和感があり、硬い水で、初めて飲む人はおなかをこわすこともあるそうです。四つ目は、 電車の開け方です。ザルツブルクからウィーンまで移動するために電車を使ったのですが、日本 ならドアが自動で開くのに対しボタンをおさないと開きません。ボーっとしていると発車してし まいます。五つ目は、自然の多さです。ぼくたちが行ったドゥブリング区は、区の中の60%が 緑です。それに比べて世田谷区は少ない気がします。もう少し緑を増やしてもいいのではないか と思いました。六つ目は、交通機関です。東京の主な交通機関は地下鉄ですが、ウィーンでは電 気で走る路面電車で、びっくりしました。 この海外派遣で一番楽しかったことは、学校訪問でオーストリアの友達と交流したことです。 いっしょにドッチボールをしましたがルールがわからない時、ジェスチャーでうまく伝えてくれ ました。その時、ジェスチャーを使うことで、心が通じ合うことが分かりました。 ぼくは、オーストリアがどんな国か聞かれたら、美しくあたたかい国と答えようと思います。 美しいというのは、街並や建物、豊かな自然です。あたたかいというのは、この国の人達のこと です。優しい区長さんや親切にしてくれた人達のことは忘れられません。ドゥブリング区にある 世田谷公園という日本庭園をとてもきれいに大切にしている事も、とてもうれしかったです。 ぼくは、実際に見て来たオーストリアのすばらしいところをたくさんの人達に伝えて、みんな にオーストリアに興味をもってもらえたらうれしいです。今回の派遣でお世話になった先生方、 教育委員会の方々、家族、そして派遣団のメンバー全員に、本当に感謝しています。 Danke schön…Tschüβ - 37 - オーストリアで学んだこと 代沢小学校 阿部 弥生 わたしがオーストリアへの派遣 で学んだことは、五つあります。 一つ目は、建物が大きく、古い 建物も残っていました。建物と建 物の間はすき間がなくぎっしり建 っていました。ウィーンには路面 電車が道路の近くをはしっていて おどろきました。オーストリアの 景色はとてもきれいだなと思いま した。 二つ目は、ウィーンの町にはW の形をした旗があり、その旗は文 化財を表していました。文化財の 中には、音楽で有名なモーツァルトの生家やベートーベンの住んだ家がありました。モーツァル トの生家にはモーツァルトのひいたピアノがありました。ベートーベンの住んだ家にはベートー ベンのデスマスクや遺書がありました。オーストリアで活動をした音楽家の家に行くことができ て良かったなと思いました。 三つ目は、オーストリアの食事です。オーストリアではお米がほそ長くぱさぱさしていてお米 はあまり料理にでませんでした。オーストリアの名物はヴィーナーシュニッツェルとザッハート ルテです。ヴィーナーシュニッツェルは日本ではカツレツのような食べ物でとてもおいしかった です。ザッハートルテは、もともとはホテルザッハーというところでつくられていたチョコレー トケーキです。とてもあまかったです。オーストリアにはおいしい食べ物がたくさんあるんだな と思いました。 四つ目は、オーストリアには意味がある建物がありました。例えば、シェーンブルン宮でんは、 シェーンは「美しい」、ブルンは、 「いずみ」という意味で、美しいいずみがあったのでシェーン ブルン宮でんという名前になったそうです。オーストリアの建物の由来はおもしろいなと思いま した。 五つ目は、学校訪問で行った学校の授業がとてもにぎやかで楽しかったです。授業のほかにも ドイツ語のよろこびの歌やリコーダーのエーデルワイスをひろうしました。折り紙のつるを教え ることができてよかったです。言葉は通じなかったけど折り紙の折り方は通じたのでとてもうれ しかったです。 オーストリアに行ってたくさんのことを学ぶことができてよかったです。オーストリアには日 本とはちがうところがたくさんあることが分かりました。わたしが一番楽しかったことは、学校 訪問です。なぜなら、現地の子と友達になることができたからです。派遣された16人でいい思 い出ができたのでよかったです。またオーストリアに行ってみたいです。今回、オーストリアに 世田谷区の代表として行けてうれしかったです。この経験を生かしてがんばっていきたいと思い ます。 - 38 - オーストリアで生活して 駒沢小学校 本尾 るる 私たち16人の派遣団員たちは、10 月31日から11月7日までの8日間、 ヨーロッパにあるオーストリアに行か せていただきました。私は、駒沢小学校 の代表として行かせていただきました。 行く前には、8月の上じゅんから4回 ほど学習会がありました。私は、最初の 学習会の時はまだ「私がオーストリアに 行ける」という実感はなかったのですが、 2回目、3回目と学習することが多くな り実感がわいてきました。 出発する前に16人で決めたそれぞ れの役わりがありました。私の役わりは出発式で出発の言葉を言う役わりでした。しっかり練習 してがんばろうと思いました。本番はきんちょうしましたがしっかりと言えました。その後オー ストリアチームでよろこびの歌をドイツ語で歌いました。覚えるまでは苦労しましたが、大成功 でした。 そして10月31日午前8時30分頃、バスで成田国際空港に行き、午前12時ごろオースト リアへ出発しました。オーストリアは日本より8時間おそいので、オーストリアのウィーンにつ いたのは、オーストリアの時間で午後4時でしたが、そこからまたジェット機でザルツブルクに 行き、最終目的地のホテルについたのは午後6時でした。その日は観光などがありませんでした が、次の日は朝からミラベル庭園や、ホーエンザルツブルク城に行ったり、街中でお買い物もし ました。ミラベル庭園では、ドレミのかいだん、バラ園などに行き観光しました。ふんすいを見 ると小さい虹が出来ていました。その後はホーエンザルツブルク城に上りました。お城からの景 色は、色あざやかできれいでした。その後はモーツァルトの生家に行ったりしてザルツブルクで の2日目が終わりました。次の日は朝8時ごろから電車でウィーンに行き、そして少し観光して ホテルに行きました。そのあとは、食事をしたり、友達と話したりして3日目が終わり、4日目 も終わりました。そして5日目は、ウィーンの中のドゥブリング区の学校で、私たちと学校の生 徒さんと、おり紙や算数、体育などをして交流をしました。そして6日目には、5日目と同じよ うに区内の学校に行ったあと、ドゥブリング区の区長さんの所に表けい訪問に行きました。区長 さんのつとめているドゥブリング区は、世田谷区と姉妹都市である区です。区長さんはとてもフ レンドリーな方で、私たちの質問にもやさしく答えてくださいました。そして、次の日には日本 に帰国するために飛行機に乗りました。 あっという間の8日間でしたが、私は行く前に不安な気持ちもありました。バスで出発する時 に、お母さんや担任の先生が見送ってくださってとてもうれしかったけれど、その時も本当は不 安でした。けれどオーストリアに着いて一緒に行った団員やいんそつの先生方、オーストリアの 人達や風景などに出会えたり見たり感じたりした事は、本当に良かったと思いました。この派遣 団員になれて学んだ事や楽しかった事をずっとこれからも感謝して、大切にしていきたいです。 - 39 - 楽しかったオーストリア 中里小学校 田島 楓 私は、10月31日から11月 7日までの8日間世田谷区の海外 はけん団員としてオーストリアに 行ってきました。オーストリアの 11月は、平均気温が最高で8度、 最低が2度という寒い国です。日 本でいうと、北海道と同じ気候で す。 出発前の事前学習会では、はけ ん団の先生方より「目力、表現力、 笑顔」というしどうを受け、はけ ん団の15人の仲間と区長ほう問 や学校ほう問のあいさつ、演そう ひろう等、一生けん命練習しまし た。私はこの海外はけんで、世田谷区の代表として恥じなく学習すること、勇気をもって行動す ることを目標にしていました。 それは私自身、やらなくてはいけないときに、事前に努力してじゅん備していたにもかかわら ず、いざ本番になると、失敗したり言えずに終わってしまうことが多かったからです。ですから、 二つの目標をもって現地に臨み、その事を少しこくふくでき、前に進む自信がつきました。 現地に着いたときは緊張の連続でしたが、かん板に「No カンガルー」とかかれ、「オースト ラリアとまちがえられるのだなぁ」と思い、緊張が和らぎました。学校ほう問では、言葉が通じ ず、なかなかコミュニケーションが取れませんでしたが、折り紙や演そうを通して「いっしょに 何かをやりとげる」という目標を持ってやれば必ず結果がついてくると、肌で感じることができ ました。オーストリアの街並みや文化、歴史にふれ日本では味わえない空気や景色に感動し、ウ ィーンの森の景色は緑が青々として、さわやかな風が体をすりぬける感覚は、とても最高でした。 また、ところどころに教会や昔の建物がたっていることを目にして、「先ぞや先人を大切にする 国がらなんだ」と感じ、私自身を見つめ直す機会にもなりました。そして何より、知らない仲間 といっしょにすごし、いっしょに頑張ったことが一番の財産になったと思います。また短い期間 でしたが、父や母、家族とはなれてオーストリアという国ですごし、はけん中ばんに家族から手 紙をもらい、予期せぬ出来事におどろきました。家族のありがたさを実感しました。 私はこの海外はけんに参加させて頂き、一人では何もできない、周りの支えがあって学校にも 行ける、不自由なく生活できているんだなということを実感しました。そして世界は広いという ことも実感しました。 これからも、感謝の気持ちを忘れず、勇気を持って、このきちょうな経験を生かし、海外でも 活やくできる人になれるようがんばって行きたいと思います。今回、私にこのような経験をさせ て頂き、支えて頂いた方々に感謝します。本当にありがとうございました。 - 40 - オーストリアで学んだ三つのこと 駒繋小学校 渡邊 陽大 ぼくは、オーストリアに行 く前に三つの目的をたてまし た。 一つ目は、 「言葉の通じない 人々と、どのように接すれば 気持ちを伝え合うことができ るのか。」ということです。二 つ目は、 「オーストリアの人々 が思う日本人の良さは何かを 知ること。」そして三つ目は、 「オーストリアに来て改めて 知る日本の良さは何かを発見 する。」ということです。どれ もオーストリアに行って答え を見つけることができました。 一つ目の答えは、学校訪問で見つかりました。事前勉強会で引率の青木先生から、人の前で何 かを伝える時は、「目力」「笑顔」「ジェスチャー」の三つを大事にしなさいと教えてもらいまし た。それを生かして、オーストリアの子供達と折り紙を折っていると、言葉は通じていないのに 自然と気持ちが伝わっているように思いました。二つ目の答えは、区長訪問で見つけました。区 長さんは、優しくて面白くて、区民からの信頼が厚い方でした。ぼくは区長さんに、「区長さん が思う日本の良さとは何ですか?」とたずねました。すると区長さんは、「私の思う日本の良さ は、計画的に物事を考えることだな。」と言っていました。オーストリアの人々は、終わりよけ ればすべてよしという考え方で、日本人とはちがい、マイペースな性格だそうです。三つ目の答 えは、オーストリアでの生活をふり返っている時に見つけました。日本は「食」が安全で美味し く、楽しいこともいっぱいあり、そして何より日本の人達は優しくて温かいということです。2 020年には東京オリンピックがあります。その時に日本はその良さを生かしていけば良いと思 います。 また、オーストリアで学んだことはこれだけではありませんでした。それは、仲間との協力で す。オーストリアではどんな時でも、この16人のメンバーで支えあってきました。初めのうち は、お互いにきんちょうしていたので話をすることも少なかったのですが、オーストリアで一緒 に生活を続けていく中でお互いに理解し合うことができました。一緒にリコーダー演奏をしたり、 みんなでザルツブルクの町でドレミの歌を歌ったり、日本ではなかなかできないこともたくさん 経験することができました。どれも今思い返すと、楽しいことばかりでした。そして、この16 人でなければ、今回の海外派遣はやりとげることができなかったと思っています。だからぼくは、 仲間の15人全員にとても感謝しています。そしてまた、この経験をさせてくれた方々にも心か ら感謝しています。ダンケシェーン! - 41 - オーストリアで学んだこと 山崎小学校 富川 響 オーストリアへの海外はけ んが決まったとき、ぼくはと てもうれしくてワクワクしま した。 でも一日、二日とたつにつ れどんどん不安が高まってき ました。それは、オーストリ アのことがほとんど分からな かったからです。 実際にオーストリアに行っ て楽しかったことや心にのこ ったことがいくつかあります。 まず一つ目は、日本の気温 との差です。理由は、朝、ホ テルのまどを開けてみると、いきなり冷気がおそいかかってきました。そのときは、「開けなき ゃよかった」と思いました。それから、昼も外に出るとすぐにこおりつきそうになるから、「あ まり外には出たくないなぁ」と思ったけれど、空気はとてもきれいで今でもすごく覚えています。 二つ目は、建物です。日本の家はほとんど屋根が三角だけど、オーストリアの家や建物は、四 角い建物が多かったです。そして、ウィーンの有名な建物には、その建物の名前や情報などが書 いてあり、必ずあるマークがありました。それは、赤白の旗を四つでWの形をしたマークです。 ザルツブルクの大聖堂やウィーンのシェーンブルン宮でんなどの建物は、内側も外側もとても細 かい作りになっていて、日本の建物とのちがいを感じました。 最後に、ウィーンの学校ほうもんです。このことが一番、心に残っています。この小学校ほう もんでは、いろいろな授業に参加しました。 まず算数では、チームに分かれて計算問題の対決をしました。ルールが分かって正解すること ができて良かったです。体育では、体育館でドッジボールやおにごっこをしました。ぼくの学校 ではやっているドッジボールのルールをオーストリアの子が知っていたのでうれしかったです。 家庭科では、アップルパイのような「アプフェルシュトゥルーデル」を作りました。少しすっぱ かったけれどおいしかったです。音楽では、ドイツ語の歌にチャレンジしました。ドイツ語の楽 譜が読めなかったので、とても大変だったけれどまわりのオーストリアの子たちに合わせてがん ばって歌いました。図工の授業では、工作をしたり折り紙を教えたりしました。言葉は分からな くても、ジェスチャーで伝えることができて良かったです。 今回の海外はけんでは、たくさんの方にお世話になりました。感謝の気持ちを忘れずに、この 経験を生かして、これからもいろいろなことにチャレンジしたいです。 - 42 - 楽しかったオーストリア 代田小学校 中村 玲王 待ちに待ったオーストリア。行く 前から楽しみにしていました。 最初、校長先生に「中村君にお 願いします。」と言われた時は、自 分も友達もびっくりしました。 そして、いよいよ出発の日です。 ぼくは、緊張と楽しみが感じられ ました。成田を出発し、ウィーン に着き、すぐにザルツブルクに行 きました。ちなみに町の名の由来 は「塩の城」という意味です。 1日目、地元のガイドさんと共 に、ザルツブルクの町を見学しま した。ここで特に興味をもったのは、モーツァルトの生家です。モーツァルトは、有名な音楽家 です。この家は旧市街にあり、その後を過ごしたのは、新市街です。その他にも、スーパーに行 ったり、とても貴重な見学をしました。 3日目、電車に乗ってウィーンに行きました。3時間位かかりウィーンに着きました。最初に お昼ご飯を食べ、ウィーンのガイドのラート昭子さんと見学しました。ウィーンは人が多かった です。シェーンブルン宮殿は、とても立派でした。そして、ベートーベン博物館の前で、喜びの 歌を歌いました。その後バスで市内見学をしました。市内見学では、市庁舎や建物を見たりしま した。 4日目は、ウィーンの森に行きました。山の道は、ほとんどが「石だたみ」になっていました。 ウィーンの森では、霧が立っていてあまり景色が見えませんでしたが、ドナウ川が見えました。 その後もベートーベンの家や、ドゥブリング区にある世田谷公園に行きました。 5日目、この日は1回目の学校訪問をしました。ぼくたちは、準備していった歌を歌ったり、 リコーダー演奏をしたりしました。現地の学校の子どもたちからは、ダンスをひろうしてもらい ました。一番心に残ったのは、ケーキを作ったことです。アップルのケーキを、日本でいう中学 1年生の人たちと作り、そのケーキがとてつもなくおいしかったです。その後、自然史博物館に 行きました。日本の博物館とはあまり変わりませんでしたが、建物は違い、ごうかなつくりにな っていて、後ろにマリア・テレジア女王像も見れました。 6日目は、2回目の学校訪問をし、ドゥブリング区を訪問しました。区長の名前はティラー区 長です。区長はとてもおだやかな人で話しやすかったです。最後に買い物をして、帰国のとにつ きました。 ぼくは、この海外派遣で言葉の通じない相手にも気持ちが伝えられたことは、自信につながり ました。これからもいろいろな国の人たちとふれ合っていきたいです。そして、これまでいろい ろな準備をしてくださった先生方、区役所の皆様に深く感謝申し上げます。 本当に“Danke schön” - 43 - オーストリアに教えてもらったこと 赤堤小学校 井上 侑香 私は、第25回世田谷区小学生 海外派遣団の一員として、オース トリアのザルツブルクとウィー ン市ドゥブリング区へ行ってき ました。 そこで沢山のことを経験しま した。その中で、特に印象に残っ たことが三つあります。 一つ目は、ラムです。オースト リアでの食事には、度々、羊の肉 や羊の乳で作ったチーズが並び ました。オーストリアの人は、私 達がとり肉やぶた肉を食べるよ うに、ふだんの食事の中で羊の肉 をよく食べるのだと思いました。私は、日本ではあまり羊の肉やチーズを食べたことがなかった ので、最初の頃は食べるのに苦労しましたが、派遣の後半になると食べられるようになりました。 二つ目は、街の美しさです。シェーンブルン宮殿やミラベル宮殿も、豪華で素敵でしたが、私 はウィーンやザルツブルクの街そのものの美しさが心に残っています。ピンクや黄色や茶色の同 じ様な形の家が並んでいて、統一感がありました。クリスマスの頃になると、一部がライトアッ プされ、もっときれいだそうです。どのような景色になるのか見てみたいと思い、数枚、夜景の 絵葉書を買いました。昼間の街並の美しさとはまた違った美しさで、やはりその時期に訪れて、 自分の目で本物を見てみたいと思いました。 三つ目は、学校訪問です。ドイツ語は、あいさつぐらいしか話せないので、うまくコミュニケ ーションが取れるかどうか不安でした。しかし明るい笑顔で迎えてくれたオーストリアの子に会 うと、不安は一度に吹き飛びました。私は、日本で作っていった折り紙を並べて、ジェスチャー で「どれを折りたい?」と聞きました。すると、 「これがいい。」という様に紙風船を指してくれ ました。私が考えていたよりも、紙を折って型にするということは難しいらしく苦労していたの で、一つ一つていねいに教える様心がけました。でき上がった風船をふくらました時、とてもう れしそうな顔をしてくれたので、私もとてもうれしくなりました。また体育の時間は日本のドッ ジボールの様な遊びもしました。私は、折り紙やこの遊びを通して言葉が通じなくても心が通い 合えるということを学びました。 両親とはなれ、4人の先生方と15人の仲間と過ごしたこの8日間は、私に旅行ではできない 沢山の経験をさせてくれました。私はこの貴重な経験を、これからの生活に生かしていきたいと 思いますし、生かしていかなければならないとも思います。 私に、たくさんの思い出を作らせてくれ、いろいろなことを教えてくれたオーストリアに、心 から「Danke schön」 - 44 - 一生の思い出 八幡小学校 竹村 日奈葵 私たち、オーストリア派遣団は、 日本から飛行機で12時間という 遠いヨーロッパにあるオーストリ アへ行きました。 オーストリアの町並みは、まるで おとぎ話に出てくるようで、とって も建物が高く、広い教会やお城があ りました。教会は、千年以上前に造 られたものもあり、とても古いもの が多かったです。教会のガラスも、 ほとんどステンドグラスで美しか ったです。特におどろいたのは、モ ーツァルトが弾いたといわれてい るパイプオルガンです。予想していた以上に大きくて、楽器とは思えないぐらいのはく力があり ました。また、大通りなどには馬車がふつうに走っているということです。日本の様子とは全く 違う景色であり、本当におとぎ話の世界にいるようでした。 少し心配していた食事ですが、オーストリア料理は、とてもおいしかったです。そして、料理 についてわかったことがあります。日本でいうお米の代わりにオーストリアでは、「ポテト」つ まり「ジャガイモ」がメイン料理にいつもそえられているということです。そのジャガイモは、 それぞれのレストランで、味が違うということもわかりました。 オーストリアの観光はたくさん行きましたが、世田谷公園が一番記おくに残っています。世田 谷公園は、オーストリアのドゥブリング区と世田谷区が一緒に作った公園です。公園の中には、 池や橋があり、周りには日本の木もたくさん植えられていました。また、その木々が紅葉してい たことや、そこで茶道体験ができると聞き、日本の自然や文化をしっかり取り入れられているこ とに感動しました。 とても楽しみにしていた学校訪問は、2つの学校に行きました。2つの学校とも建物が大きく どの生徒も私たちに笑顔でやさしく接してくれました。最初はドキドキしていたけれど、みんな が笑顔なので、私も笑顔になり不安などもなく、オーストリアの子どもたちと一緒に授業を受け られました。今回の学校訪問を通して、オーストリアの人たちのように私もいつも笑顔でいられ るようにしたいと思います。 私たちの派遣について協力していただいた方々に感謝の気持ちを伝えたいです。海外派遣で一 緒に過ごした仲間のおかげで、海外派遣は毎日が楽しくなり、たくさんのよい思い出をつくるこ とができました。最後に、私はこの派遣を通して日本のよさだけでなく海外のよさにも気付くこ とができました。そして、人との関わりを生かしていきたいです。そのために、日本人だけでな く、海外の人とも積極的に話をしていきたいです。そして学校生活でも、友達のよいところや、 がんばっているところを見つけ、伝えていくことで人との関わりを深めていきたいと思いました。 Danke schön!!(ありがとうございました!!) - 45 - みんなに伝えたいこと 東玉川小学校 西山 優一郎 ぼくがオーストリアに行ってみ たいと思った動機は、日本とオース トリアの違いを見てきたかったか らです。そしてそれをみんなに伝え たかったからです。そこで自分の目 で見て体験したことを報告します。 ウィーンでの学校訪問では20 人ぐらいの小学4年生に日本の文 化を伝えました。まず折り紙を教え ようとしましたが、言葉が通じませ ん。そこで、身振り手振りで何とか 伝えようと頑張りました。すると、 言葉は通じなくてもなんとか伝え ることができました。それから図書室で歌とリコーダー演奏を披露しました。オーストリアの小 学生たちも歌を2曲歌ってくれました。 次に算数の授業を見学しました。オーストリアのわり算の記号は日本と違い、「:」のような 形をしていました。最初はこの記号に慣れなくて、ひき算かわり算かよく分からなくなりました。 「81:9=」と書いてあるのを比と間違えて「9:1」に直したくなってしまいました。かけ 算は「×」と「・」とどちらの記号を使っても良いということでした。「5・4」と「4・5」 との大きさを比べる問題では「・」が小さすぎて見えませんでした。左の「54」と右の「45」 とどちらが大きいかと聞かれていると勘違いして、左が大きいと答えてしまいました。場所が変 わればいろいろと違うということを身をもって体験しました。ウィーンの街では、歴史的な建造 物に旗をWの字にして立てかけてありました。これは、ウィーン(wien)のWをかたどったも のだと分かりました。ザルツブルクのホーエンザルツブルク城からは、音楽祭劇場やザルツァッ ハ川がよく見え、とてもきれいな眺めでした。オーストリアには伝統的なものがたくさん残って いて、歴史的なものを大切にしているところがいいなと思いました。それもオーストリアの人た ちが伝統あるものを大切に残してくれたからです。日本にも伝統的なものがたくさんあるので、 ぼくもそういう歴史的に価値があるものを大切にしていきたいと思いました。 ぼくは、この海外派遣でオーストリアの文化や歴史、日本と違うところをしっかりとこの目で 見てこれて、とても嬉しかったです。仲間とも8日間協力し合って最高に楽しい時間を過ごすこ とができました。家族と離れていたのは少し不安だったけれど、区の代表なのだという思いを忘 れずにがんばりました。 オーストリアでの何日目かに家族からの手紙を渡されたときは、胸がじぃんとしました。家族 のみんなに支えられていることを強く感じました。そして、ぼくの派遣も多くの人たちに支えら れて実現したものであることに気づきました。区役所や教育委員会の方々、引率の先生、いっし ょに過ごした仲間たち、小学校の先生、クラスのみんな、そしてお母さんお父さん本当にありが とうございました。この貴重な体験を忘れず、みんなに伝えながらこれからも頑張っていきます。 - 46 - オーストリアで学んだこと 祖師谷小学校 山下 小春 私がオーストリアに行く前、 オーストリアで学ぼうと思っ たことは「食」です。なぜなら、 日本は米が主食だけれど、オー ストリアではどのような食事 か知りたかったからです。現地 につくと、主食はじゃがいもで した。さまざまな料理法で食べ たので、最後まであきませんで した。 私がオーストリアにきて一 番おどろいたことは、夜景や建 物がとてもきれいだったこと です。まず、夜景はウィーンか らザルツブルクへ行くときの飛行機でよく見え、ものすごく町がきらきら輝いていてきれいでし た。町全体が、星空のようでした。建物で一番心に残った場所は、「シェーンブルン宮でん」で す。そこは、家の色が黄色でかわいく、中はきらきらとゴージャスなものがたくさんありました。 天井にはマリア・テレジアの絵がかかれていて、すてきだなと思いました。また、ハプスブルク 家のマークはわしがかかれていてかっこよかったです。夜景と宮でんを見て、私は世田谷区との ちがいと共通点に気づきました。ちがったところは町並みです。建物の形や色、つくりがちがっ ていました。共通点は緑が多いことです。 私達とは言葉がちがってもホテルのフロントの方、現地の子ども達は私達にやさしくしてくれ ました。私は海外の子とあまりふれあったことがなかったので、今回を通して言葉はちがってい ても、身ぶりや手ぶりで相手に伝わることが良くわかりました。そのことを強く感じたのは、学 校訪問の時です。私達は現地の子たちに「折り紙」という文化を教えたり、現地の子たちといっ しょに授業を受けたりしました。一番むずかしかったことは折り紙を教えてあげたことです。私 はクローバーを教えてあげました。できあがるとみんな喜んでくれました。2校目の学校の子は スマホを使って日本語で「ありがとう。」をいってくれました。そのときはうれしかったです。 ホテルのフロントの方たちは、部屋の電気がつかなくて困ったとき、わざわざロビーから部屋に きて直してくれました。オーストリアの人はやさしいなと思いました。 今回私達オーストリア団は、「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップファミリーからと って、「世田谷トラップファミリー」として国境をこえて行ってきました。現地では、先生方、 友達のみんな、そしててん乗員さんが支えてくれたおかげで、不安もあまりなく、充実した1日、 1日をすごすことができました。今後オーストリアの方だけでなく、いろいろな人と積極的にふ れあいたいです。 - 47 - オーストリアの歴史と文化 砧南小学校 高橋 尚希 10月31日、ぼくはオーストリア に向けて15人の仲間とともに旅立ち ました。出発前ぼくは世田谷区の代表 として行くので、とてもきん張してい ましたが、学校の代表として来ている のでがんばろうと思いました。 ぼくがオーストリアで感じたことは オーストリアの文化が大事にされてい ることです。特に印象に残ったことが 三つありました。 一つ目はミラベル庭園できいた音楽 です。映画「サウンド・オブ・ミュー ジック」のぶ台となったところです。行く前にしっかりDVDを見たので特に印象に残っていま す。公園の中に、映画の場面で使われたものがたくさんありました。ミラベル庭園は映画の中で ドレミの歌が歌われている場所だったので、ぼく達も階段の前で「ドレミの歌」を歌いました。 他にも映画に出てくる木のアーチやふん水があり、映画のシーンをまねてアーチの中を走りまし た。出口のところでハープをひいている人もいて、音楽が公園の中にふ通にあるのを知りました。 本当にオーストリアは音楽の街だと思いました。 二つ目は、ウィーン市・ドゥブリング区の区長訪問です。区長のティラーさんはとても元気な 方で、にこやかに握手をしてくださいました。ぼくのきん張は一しゅんにしてとけました。ぼく が歴史的建築物を守るためにどのような取り組みをしているのか質問すると、 「保護するために、 議会で決めている。」とおっしゃいました。200年以上も昔から保護されているので、この街 は歴史的建築物を大切にしているのだと思いました。これまで見学してきた宮殿や庭園が美しい のは、保護するために何回も議論されているからだと分かりました。オーストリアの歴史を守っ ていこうとする姿勢に感動しました。 三つ目は学校訪問のおかし作りと演そうです。オーストリアの学校は小学校が4年間、中学校 が5年間で、ぼく達が会ったのは中学1年生でした。そこで歌とリコーダーをひろうしました。 発表するために学習会でがんばってきたので、しっかり演そうできました。2校の学校訪問の中 で楽しかったことは、料理をしたり、楽器をふかせてもらったりしたことです。料理はリンゴケ ーキを作りました。わからないところを教えてくれてとてもやさしかったです。楽器はフルート、 トロンボーン、トランペットなどです。最初は音をだすのが難しかったけれど、少しずつなれて 音をだせるようになりました。楽器は小さいころから教育されているようで、同じくらいの子ど もが上手に演そうしていました。 ぼくは今回の派遣で、オーストリアの文化や歴史が大切にされていることを、深く知ることが できたように思います。オーストリアと日本の文化の違いにも気付きました。それと同時に、文 化が違っても仲良くできることを知りました。 互いの文化を大切にし、今後も海外の多くの人と関わりをもっていきたいと思います。 - 48 - 初めてのオーストリア 武蔵丘小学校 赤羽 美珀 私が海外はけんで知りたかっ たことは、オーストリアの食事 や景色、オーストリアの小学校 の生活でした。研しゅうのとき に引率の先生にすすめられて 「サウンド・オブ・ミュージッ ク」を見ました。「サウンド・ オブ・ミュージック」は歌がと て も き れ い で し た 。「 サ ウ ン ド・オブ・ミュージック」に出 てきている場所に行けるのか と思うと、とてもわくわくして いました。 オーストリアに行って、最初 に景色がすごいと思いました。日本とは町の風景が全然ちがいました。オーストリアは石だたみ の道が多く、たて物の色はクリーム色やピンク色、黄色が多くみられました。しかもオーストリ アは地しんが少ないので、300年も前のたて物が残っています。世田谷公園では、入ったしゅ ん間にオーストリアから日本へと一しゅんでワープしたように思えました。世田谷公園は、ドゥ ブリング区と世田谷区の姉妹提けいを記念してつくられた公園です。 次に食べ物です。私は「Haribo」のグミが好きで、日本には売られていない「Haribo」もあ りました。オーストリアの朝ご飯は、生ハムやサラミ、コーンフレーク、パンなどが多いです。 昼ご飯は、ロールキャベツやお肉が出ました。ロールキャベツは、羊の肉をつかっていました。 羊の肉を食べるのは初めてでおいしくないかなと、思ったけれどもとてもおいしかったです。夜 ご飯はお米が出たけれどインディカ米で、日本とはちがう種類の米でした。インディカ米はとて もパサパサしていました。私がオーストリアで食べた食事の中で一番おいしかったのは中華料理 です。ひさしぶりにお米が食べられたのでとてもなつかしく感じました。オーストリアはチョコ が有名です。オーストリアのチョコは、あまくて濃こうで種類もたくさんあるのであきません。 ザッハトルテはとてもあまくて、とてもおいしいです。 最後に、海外はけんで一番楽しく、心に残ったのは学校ほう問です。私は折り紙を教える時間 が楽しかったです。言葉は通じなくても身ぶり手ぶりをつかえば通じるんだと思いました。折り 紙の時間がおわったときに「ダンケ!」といわれて筆をもらいました。私が「ビッテ」と返すと にっこり笑ってくれたのでうれしかったです。一番おどろいたのは、小学校が4年生までで、中 学校が5年もあることです。私はこのことをきいたとき、日本の小学校とオーストリアの小学校 は少しちがうんだなと思いました。 私がオーストリアに行けたのは、家族、友達、校長先生、引率の先生方、たん任の先生などの たくさんの人の支えがあったからなので感謝しています。“Danke schön” - 49 - Schön「シェーン」 千歳台小学校 瀧口 莉生 「schön」は、ドイツ語で「美しい」という意味 です。オーストリアは、国中「schön」で埋めつく されていて、初めて見る光景に言葉を失いました。建 物は、バロック式やルネッサンス式などの建築様式で、 どれも芸術的で歴史を感じとることができました。 さて、ここからはオーストリアの思い出を話します。 僕は、出発前日に川場移動教室から帰ってきて、オー ストリアで熱を出さないか心配でした。でも、当日に みんなが声をかけてくれたお陰で、飛行機に乗る時に はそんな心配は消えていました。11時間という長い フライトでしたが、その中の1秒も無駄にせず過ごせ ました。 ザルツブルクでは、ミラベル庭園に行った事が1番 楽しかったです。特にあの「サウンド・オブ・ミュー ジック」に出てきた「ドレミの階段」で、ドレミの歌 を歌った事が心に残っています。超有名映画の超有名 シーンと同じことができ、しかも外国の人達から拍手 してもらったことが嬉しくて、「ここに来て良かっ た。」と思いました。ホーエンザルツブルク城は、少 し高い場所にあって、ケーブルカーで行きました。高い所からはザルツァッハ川が流れる芸術的 な街並み、その奥には、アルプスの山々がそびえ立ち、とても色とりどりの華やかな景色が広が っていました。ザルツァッハ川のマカルト橋は、たくさんの南京錠が掛けられていて、これは「2 人が恋人として結ばれてほしい」という想いがこめられているそうです。 ウィーンでは区長訪問、学校訪問が心に残っています。区長訪問では、僕はティラー区長に世 田谷区との交流のきっかけを聞いたところ、日本に行って知り合いになった議員さんに、「どこ かの区長に会いたい。」と言ったら、当時の大場世田谷区長を紹介いただき、姉妹都市になった と話してくれました。またティラー区長は、30年以上も区長をやっていて、みんなからとても 信用されていると思いました。学校訪問では、数学の授業を受けて、かけ算の「×」が「・」で、 わり算の「÷」が「:」だということを知って、とても驚きました。家庭科の授業では、日本の 高校生ぐらいの人達と、「アプフェルシュトゥルーデル」という、アップルパイのようなおかし を作りました。自分達で作ったということもあり、3個ぐらい食べてしまいました。 この派遣を終えて、僕の将来の夢である通訳士に一歩近づけたと思います。なぜなら、スーパ ーや学校でたくさん英語を話したからです。そして、世田谷区とドゥブリング区の交流が深まっ たと思います。この派遣に関わった教育委員会の人、先生、保護者の人、ガイドの人、そして交 流のきっかけを作ってくださった大場元区長とティラー区長に感謝したいです。 Danke schön - 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