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私の脳は萎縮して
いるらしい
2秒ほど軽いショックは受けたもの
の、
5秒後には、
﹁なるほど﹂と思わず
モスクワの家は、冬になると川の水
が凍るため歩いて向こう岸に渡れるモ
スクワ川のほとりにありました。ホテ
た数々の失態は、この脳が原因だった
ますほどの、あちこちにばら撒いてき
れているようですが、自分でももてあ
心優しい方々は﹁百合ちゃんは、天
然だから﹂と苦し紛れに受け止めてく
ンさくらを含むいくつかのレストラン、
一度も行ったことのない日本レストラ
にされたことのある美容院、馬鹿高い
スーパーマーケット、前髪をチリチリ
は仏頂面のレジ打ちのおばさんのいる
頷いてしまう自分がいました。
のかと、なんだか合点がいって少し安
琥珀やマトリョーシュカなどが並ぶ土
ル併設のマンションで、ホテルの中に
心してしまいました。
産物屋、屋内プールなどの施設があり
ました。マイナス 度の真冬は、散歩
るという、
少し息苦しいものでした。
というとこのホテルの中をうろうろす
日頃この脳による一番の被害者であ
る母にこの事を報告したところ、
を生かしなさい ﹂
﹁あなたの他の全く使われていない脳
20
つの間にか付けたようです。
から仕方が無い﹂と受け流す知恵をい
と一掃されてしまいました。母は私
の理解不能な行動を﹁ゲイジュツカだ
KGBがいました。あれがKGBだよ、
娼婦と、新聞をまるめて突っ立ている
ホテルの一回のロビーには、宿泊客
のほかに、ケバケバしい厚化粧の高級
じさんで、高級娼婦の人達がドアマン
と教えてくれたのは確か朝日新聞のお
今こうやって、
この縮
しかしながら、
んだ脳で文章を書かなければならない
に賄賂を払ってホテルの中に入って来
ることも教えてくれました。それを聞
ので、
それはそれは大変なことです。
その言葉が蘇ってきました。
ことです。もう 年以上そのことは忘
の頃、拒食症という病を患ったときの
ソ連にしばらく滞在したあと、再びル
の日本人学校に入りました。両親は旧
口健さんもいたイギリスにある全寮制
で過ごし、高校生になると登山家の野
で有名な、ルーマニアという東欧の国
私は父の仕事の関係で、
小、
中学生を
体操のコマネチと独裁者チャウセスク
させました。
までも追いかけてきて息苦しさを増長
安香水のねっとりとした匂いは、どこ
いた、
鼻の粘膜に貼りつくような、
あの
た。ホテルの壁という壁にしみついて
ら吹き抜けのロビーを観察していまし
いてからというもの、私はよく階上か
﹁果たして、
縮んだ脳は元に戻るのか﹂
ーマニアに戻ったため、
私はイギリス、
れていたのですが、
最近になって、
ふと、
そく病になるらしいから娼婦には気を
父のもとに日本から出張でモスクワ
にやってきた若い男性に、
父は、
﹁ろう
旧ソ連、ルーマニアの3国を行ったり
べてみることにしました。すると、
とがあります。すると、真に受けた彼
い灰色の空とともに蘇ってきます。
一方、
私の暗黒の時代は、
旧ソ連の薄暗
になって帰国してしまいました。父は
は急に青ざめて、そのままノイローゼ
つけろ﹂と冗談まじりに助言をしたこ
ルーマニアでの生活は笑顔と緑と光
﹁一度縮んだ脳は元には戻りません⋮。
で満ち溢れてキラキラしていました。
残念ながら神経細胞は戻りません⋮。
認知症とおなじです﹂
来たりすることになります。
素朴な疑問が気になりながらも見て
見ぬふりをして過ごしてきたのですが、
と、ヘビみたいな目をした児童精神
科医に言われたことがあります。 歳
17
!
Ⓒ大森有起
松丸百合/少女時代ルーマニ
ア、ロシア、イギリスで過ご
す。1998年から6年間スペ
インにて多数のアーティスト
に学ぶ。2003年日本フラメ
ンコ協会新人公演奨励賞受賞。
『透明な怒り』
『混沌の朝』に
続き今年俳優座公演を行う。
ある日とうとうYahooの知恵袋で調
20
冷たい答えが羅列していました。
と、
(全 6 回連載)
13/04/11 14:23
076-077_道なき道を10月.indd 76
4.
﹁あなたの脳は萎縮しています﹂
「道なき
道を
這う」
文/松丸百合
texto por Yuri Mastumaru
foto por Yuki Omori
76
た。栄養失調の脳は思考も止まり、感
の無気力で我儘な自分を省みて、とて
芽生え始めました。そして、それまで
でも、本当に大変だったのはこれか
らでした。一度ボロボロにしてしまっ
情もなくなるようで、脂肪も筋肉もな
た心身は、そう簡単には言うことをき
のか、脳のろうそく病になってしまっ
がフワフワと生えてきたのをぼーっと
いてくれる筈もなく、拒食症の次は予
たのか、自分のことながら未だなぞの
眺めていました。このまま放っておく
想もしていなかった過食症がやってき
申し訳なさそうにしていましたが、私
今でこそ拒食症は思春期のまじめな
女子にありがちな精神的な病として広
とどうなってしまうんだろうと、どこ
はこの男性の不甲斐なさに呆れ、どこ
く認知されていますが、当時はあまり
か他人事のように思っていたのかもし
も恥ずかしく思いました。
聞いたことがなかったので、
﹁私もい
なくなり、
一切の運動は禁止され、
小走
痩せてふらふらになってしまったた
め、大好きだった乗馬もテニスもでき
とでした。ゴルバチョフのペレストロ
起きた、ルーマニア革命に遭遇したこ
そんな長い夢遊病から覚醒させられ
たのは、2度目のルーマニア滞在時に
になりたい。それだけが、私の願いで
普通の感覚で普通に食事ができるよう
した。普通の人が普通にできるように、
が抜け、
歯が抜け、
その代わり背中に毛
周りを牧場と森に囲まれたイギリス
の寮生活は厳しかったけれど、世界各
よいよクルクルパーになってしまった
て、
私の脆い神経をさらに弱めたし、
体
くなって関節がとび出た手足、髪の毛
国からやってきた日本人の級友たちは
れません。
ままです。
みんな少し風変わりで、どこか心に余
か﹂と思い込んでいました。
かでざまあみろと思っていました。
裕のある優しい人たちばかり。先生も
わけでもなく、一体何が原因だったの
りするだけでも先生が飛んでくるよう
は依然おばあさんのそれと同じようで
か、私は次第に食べ物を受け付けなく
一人を除いては特に嫌いな先生がいた
なっていきました。何に反抗していた
した。
そういえば、 キロの体重しかなか
った夢遊病真っ只中、私はなぜか突然
イカ、冷戦時代の終焉、
、ベルリンの壁
母に、大学ではなくスペインにフラメ
が崩され、私が冬眠している間にその
波がルーマニアにも
になりました。そして、とうとうモス
やってきて、時代は
したことがあります。すると母は、
ンコ留学に行きたいと夢見事を言い出
クワの自宅で療養することになりまし
大きなうねりの中に
のか、大人になるのを拒否していたの
ありました。
詳しいことは次号
に書くつもりですが、
流れ弾がガラス窓を
﹁自分の体を鏡で見なさい。その体で
一体何ができるというの﹂
自分自身を立て直そうと心に決めた
時、ふと、このことを思い出しました。
とすごい剣幕を見せ、私はハッとし
ました。
やがて、フラメンコを踊れる体にする
割って家の中に飛び
カラカラと転がる中、
りに費やされることになりました。
必死に家族4人で隣
﹁人生はクローズアップすると悲劇だ
ことを目標にしてみようと思うように
ルーマニア人の自
由を求める必死の行
が、遠くから眺めると喜劇だ﹂とはチ
なり、
大学生活は勉学よりも、
体力づく
動にガツンと頭を殴
ャップリンの名言ですが、まさに言い
国のブルガリアに脱
られたような衝撃を
えて妙。私の暗黒時代も今となっては
出できました。
受け、死というもの
ちょっとしたアクセントに見えるよう
です。
を 実 感 し て 初 め て、
ゃ﹂という気持ちが
﹁ ちゃんとしなくち
こみ、足元に銃弾が
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13/04/11 14:23
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か、先の見えない未来に絶望していた
Ⓒ大森有起
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