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アラブ首長国連邦概況
アラブ首長国連邦概況 平成 22 年 7 月 中 東 第 二 課 【基礎データ】 83,600km2(日本の約 4 分の 1。北海道とほぼ同じ大きさ) 491 万人(2009 年、IMF 予測) うち UAE 人は約 2 割 アラビア語 アラブ人 イスラム教 7 首長国による連邦制(首長国:アブダビ、ドバイ、シャルジャ、ラアス・ル・ハイマ、 アジュマーン、フジャイラ、ウンム・ル・カイワイン) 元首 大統領:ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン殿下 アブダビ首長 議会 連邦国民評議会(議員数 40 名、任期 4 年) 政府 首相:ムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下 ドバイ首長(連邦副大統領兼国防相) 外相:アブダッラー・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン殿下 GDP 2,489 億ドル(2009 年) 所得水準(一人あたり GDP) 46,857 ドル 面積 人口 言語 民族 宗派構成 政体 -1- 内政 (1)政治 (イ) 1971 年の連邦結成以来、卓越した指導力を発揮した故ザーイド大統領が 33 年間にわた り統治。各首長国は独自の行政府を持ち、独自性を保ちつつ緩やかな連邦を形成。96 年には、これまで暫定であった連邦憲法が恒久化されるとともに、暫定首都とされてい たアブダビが正式に連邦首都とされた。 (ロ) 2004 年 11 月 2 日、ザーイド大統領が逝去、長男のハリーファ・アブダビ皇太子がアブ ダビ首長となり、翌 3 日、7首長で構成される連邦最高評議会(Supreme Council)に おいて、アラブ首長国連邦大統領に選出された。また、ザーイド前大統領の三男で、ハ リーファ大統領とは異母弟のムハンマド・アブダビ副皇太子が、アブダビ皇太子となっ た(連邦軍副最高司令官にも就任)。 (ハ) 2006 年 1 月 4 日、マクトゥーム副大統領兼首相兼ドバイ首長が逝去、ムハンマド・ド バイ皇太子が首長となり、翌 5 日、連邦最高評議会によって、副大統領に選出され、首 相に指名された。同年 2 月 9 日、ムハンマド首相が組閣する内閣が発足し、アブダッラー 情報文化相が外相に就任した。08 年 2 月と 09 年 5 月に内閣改造が行われ、女性閣僚は 4 名となった。 (二) 2006 年 12 月、初の連邦国民評議会選挙が実施された。議員数 40 名のうち、半数の 20 名が選出され、女性も 1 名当選した。2007 年 2 月、各首長が議員 20 名を任命し、うち 8 名が女性。来年(11 年)2 月に任期満了の予定。 (2)経済(2009 年) (イ)GDP 2,489 億ドル(一人あたり 46,857 ドル) (ロ)総貿易額 輸出:2,096 億ドル 輸入:1,935 億ドル 主要貿易品目 輸出:原油、天然ガス、原油製品、再輸出品(電化製品等) 輸入:自動車、機械、電化製品 (ハ)原油 生産量:227 万 B/D(OGJ 誌) 確認埋蔵量:978 億 B(2009 年末、OGJ 誌) (世界第 5 位、7.2%) (二) 80 年代に脱石油の産業多角化に着手したドバイ首長国は、フリー・ゾーンの導入・運営 やエミレール航空の経営などに成功し、近年経済的に大きく躍進した。しかし、2008 年 秋以降、世界金融危機の影響を受け資金流入が停滞し始め、雇用調整や建設・不動産事 業計画等の見直しを迫られることになった。また 09 年 11 月には、政府系企業ドバイ・ ワールド社が債務繰り延べ要請の意向を表明したことから、いわゆる「ドバイ・ショッ ク」を引き起こした。これに対し、石油収入を背景に比較的堅調な財政を有するアブダ ビ首長国は、同 2 月に連邦中銀が引受先との形で 100 億ドルのドバイ政府債購入を支援 し、同 12 月には更に連邦中銀等との連携でドバイ政府債を引受けドバイ財政支援基金へ の 100 億ドルの支援を表明した。これによりドバイ債務を巡る国内外の混乱は沈静化に 向かい、ドバイ政府機関ならびにドバイ・ワールド社や傘下のナキール社をはじめとす -2- る政府系企業は、債権団と債務整理に向けた交渉を続けている。 外交 (1)基本的外交姿勢 (イ) GCC(湾岸協力理事会)メンバー国をはじめとするアラブ・イスラム諸国及び西側諸国 等と穏健かつ協調的な外交を展開。 (ロ) 1971 年以来イランが占領している三島(アブー・ムーサー島、大小トンブ島)の返還 が重要課題の一つ。UAE は紛争の平和的解決を方針とし、国際司法裁判所への付託をイ ランに呼びかけているが拒否されている。 (2)近隣諸国との関係 【イラン】 連邦結成 2 日前の 1971 年 11 月 30 日、当時の帝政イランが、アブー・ムーサー島(シャ ルジャ首長国領) 、大小トンブ島(ラアス・ル・ハイマ首長国領)の三島を軍事占領。ザー イド大統領は 1980 年、本件を平和的に解決する旨宣言、1994 年には本件紛争の国際司法 裁判所(ICJ)提訴を呼びかけたが、イランはこれを拒否し、三島がイランに帰属するとの 立場を維持。他方、両国間での貿易は活発に行われている。2007 年 5 月にはアフマディ ネジャード・イラン大統領が UAE を訪れ、2008 年 2 月にムハンマド副大統領がイランを 訪れた。2009 年 12 月、アブダッラー外相が UAE・イラン合同閣僚委員会出席のためイラ ンを訪問した。 【イラク】 湾岸戦争に際しては多国籍軍の一部として対イラク参戦。ただし安全保障上、イランとの カウンターバランスとの観点から GCC 諸国中イラクに最も同情的であり、イラクが国連 諸決議を遵守すべしとの立場をとりつつも、国連制裁早期解除を訴えていた。2003 年の対 イラク軍事行動に際しては、フセイン政権指導部の退陣を求めるイニシアティブを打ち出 したほか、GCC 各国の軍により構成される「半島の盾」軍として軍隊の一部をクウェート に派遣した。バグダッド陥落前後から赤新月社等を中心にイラク国民に対する各種人道支 援を実施。イラク復興支援のため、UAE は 2.15 億ドルをプレッジしている。 【湾岸諸国】 UAE は、2005 年 12 月から 1 年間 GCC 議長国を務め、同月 GCC サミットがアブダビで 開催された。同サミットで湾岸諸国の FTA 交渉は、米国を除き GCC 全体で対応すること が決定された。08 年 1 月には GCC 6 カ国の共通市場が発足した。10 年 12 月から、再び GCC 議長国を務める予定。 (3)欧米諸国との関係 (イ) 湾岸戦争以降、米国との関係強化が進み、1994 年に防衛取極を締結した。UAE は、2005 -3- 年、米国のハリケーン・カトリーナ被災者支援のため、いち早く 1 億ドルを提供する等、 UAE と米国の関係は緊密。2006 年 2 月に、米議会がドバイの政府系港湾管理会社ドバ イ・ポーツ・ワールド(DPW)による米国の主要港湾施設の管理を担当する英国企業買 収を問題視し、DPW は米港湾施設管理を断念した。 (ロ) 1995 年の仏を皮切りに、1996 年には英とも防衛協力協定締結。2007 年 2 月にメルケ ル独首相が UAE を訪問、2007 年 7 月にハリーファ大統領が訪仏した。2008 年 11 月に ブラウン英首相が UAE 訪問。2009 年 1 月にムハンマド・アブダビ皇太子が訪独した。 2009 年 5 月のサルコジ仏大統領 UAE 訪問時、1995 年の防衛協定改訂版として防衛分 野に関する合意が署名された。 我が国との関係 (1)概況 我が国は、UAE 独立宣言発表翌日の 1971 年 12 月 3 日に同国を国家承認し、73 年 12 月 に在日 UAE 大使館が、翌年 4 月に在 UAE 日本国大使館が開設された。在ドバイ日本国総 領事館は 95 年 1 月に開設されている。 (2)要人往来 (イ) 1995 年 1 月、皇太子・同妃両殿下が日本の皇族として初めて UAE を御訪問された。ま た 07 年 4 月、安倍総理(当時)が UAE を訪問した。 (ロ) UAE からは 1990 年 5 月にザーイド大統領が国賓として訪日した。04 年 4 月に、ハム ダーン副首相兼外務担当国務相が外務省賓客として訪日。07 年 12 月には、ムハンマド・ アブダビ皇太子が公式実務訪問賓客として訪日した。 (3)その他の交流組織 1974 年、民間の交流組織として日本アラブ首長国連邦協会(会長:荒木浩東京電力顧問) が設立され、活動を続けている。また 02 年 6 月 7 日には日本・アラブ首長国連邦友好議 員連盟が設立された(初代会長:橋本龍太郎元総理、現会長:福田康夫元総理) 。 (4)経済 (イ) 我が国の対 UAE 貿易 ○ 貿易額(2009 年) 輸出:65.0 億ドル(前年比 39.8%減) 輸入:227.2 億ドル(同 51.0%増)(JETRO 貿易統計) ○ 主要品目 輸出:輸送機器、機械類、家電等電化機器、鉄鋼 輸入:石油、ガス、金属類 -4- (ロ) 原油輸入 我が国は、原油総輸入量の約 1/4 を UAE から輸入(1985 年から 00 年までは、UAE が 我が国への原油輸出国として第 1 位)。また、我が国の自主開発原油についても、UAE は 37%を占め、我が国にとっての安定的石油供給源としてサウジとともに最重要国のひ とつ。 2003 年:23.8%(第 2 位) 、2004 年:25.4%(第 1 位)、2005 年:24.5%(第 2 位) 2006 年:25.4%(第 2 位) 、2007 年:24.5%(第 2 位) 、2008 年:23.8%(第 2 位) (ハ) 2002 年に調印された大阪・ドバイ友好交流協定に基づき、2005 年 12 月に大阪でドバ イ大阪経済パートナーシップ・フォーラムが開催された。また、2007 年 4 月には東京 で UAE-日本ビジネスフォーラムが開催された。 (5)在留邦人 UAE に在住する邦人数は 3,486 名(アブダビ 670 名、ドバイ他 2,816 名)(2009 年 10 月 1 日現在) 。アブダビ、ドバイそれぞれに日本人学校があり、日本人会も組織されている。 進出日本企業数はアブダビ 37 社、ドバイ他 270 社(2009 年 10 月 1 日現在)。 (6)航空路 UAE の 2 大航空会社の一つであるエミレーツ航空は、2002 年 10 月にドバイ・関西国際空 港間の直行便を就航させ、10 年 3 月には、ドバイ・成田国際空港間の直行便を就航させた。 またエティハド航空も 10 年 2 月にアブダビ・中部国際空港間の直行便を、10 年 3 月にア ブダビ・成田国際空港間の直行便をそれぞれ就航させた。 (7)日本企業の大型投資案件(例) ●2004 年 タウィーラ発電所淡水化プラント買取り及び新設 (丸紅・日揮・BPU 社(米)) ●2005 年 ドバイ交通システム (三菱商事、三菱重工、大林組、鹿島建設、Yapi Merkazi(トルコ)) ●2007 年 発電・造水プロジェクト(フジャイラ) (丸紅・IP(インターナショナル・パワー)社(英国)連合) ●2008 年 ドバイ国際空港第 3 ターミナル内第 3 コンコース建設工事 (竹中工務店、ムーレイ&ロバーツ社(单ア)、 ハブトゥールエンジニアリング社(UAE) ) ●2009 年 統合ガス流通プロジェクト(ハブシャン No.5 ガス処理プラント (アブダビ首長国内ハブシャン地区(アブダビの单西約 150km) ) ) (日揮、テクニモント社(イタリア)連合) -5- <参考:近年の主な要人往来(肩書きは全て当時)> ア首連要人の訪日(1980 年以降) 我が国要人のア首連訪問 1980 年 1 月 7月 1981 年 10 月 オウェイス水・電気相 オタイバ石油相 オタイバ石油相 1983 年 1984 年 1986 年 1988 年 1989 年 ムハンマド国防相 オタイバ石油相 オタイバ石油相 オタイバ石油相 ムハンマド空軍司令官、 ヌアイミ外務担当国務相(大 喪の礼) ザーイド大統領(国賓)、スル ターン副首相、ムハンマド国 防相、ムハンマド空軍司令官 (随行) ムハンマド空軍司令官(即位 の礼) 11 月 3月 9月 2月 2月 1990 年 5 月 11 月 1994 年 11 月 ゴバーシュ経済・商務相 1996 年 4 月 アブダッラー情報文化相 1997 年 12 月 ミドファ保健相(COP3) 2001 年 9 月 2002 年 1 月 9月 10 月 2004 年 4 月 12 月 1973 年 5 月 12 月 1977 年 8 月 9月 1978 年 1 月 9月 1979 年 7 月 1980 年 2 月 12 月 中曽根通産大臣 三木総理特使 三宅衆議院副議長 石原環境庁長官 園田外務大臣 福田総理 江崎通産大臣 園田総理特使 田中通産大臣 1982 年 5 月 1983 年 5 月 安倍通産大臣 山中通産大臣 1986 年 11 月 桜内元外務大臣 1992 年 1 月 渡部通産大臣 1995 年 1 月 1月 1996 年 12 月 木部衆議院議員 皇太子同妃両殿下 高村外務政務次官 (建国 25 周年記念式典) 平林外政審議室長 (総理特使) 1997 年 11 月 1999 年 5 月 2001 年 1 月 シャルハーン教育・青年相 7月 カーシミー経済・商務相 10 月 ( ア フ ガ ン 復 興 支 援 国 際 会 2002 年 5 月 議) 6月 ナーセリー石油鉱物資源相 2003 年 4 月 (第 8 回国際エネルギー フォーラム) アハマド・ドバイ民間航空庁 長官(エミレーツ航空関西国 際空港就航) 2004 年 1 月 4月 ハムダーン副首相兼外務担当 11 月 国務相(外務省賓客)、セイフ 内務次官兼アブダビ警察庁長 官、ハーミド・アブダビ経済庁 12 月 長官、ナヒヤーン高等教育・科 学研究相、カーシミー経済・商 務相、タイエ交通相、ダーヒリ 2005 年 3 月 司法・ワクフ相(随行) 4月 ルメイシ・ハムダーン副首相 7月 府長官 -6- 与謝野通産大臣 河野外務大臣 平沼経産大臣 橋本元総理(総理特使) 中谷防衛庁長官 谷口財務副大臣 山崎自民党幹事長、 冬柴公明党幹事長、 二階保守新党幹事長、 中谷衆議院議員 (元防衛庁長官) 川口外務大臣 逢沢外務副大臣 川口特派大使 (総理補佐官、前外相。 ザーイド大統領逝去弔問) 逢沢外務副大臣、河井外務 大臣政務官、谷口日ア首連 友好議連幹事長 福島外務大臣政務官 逢沢外務副大臣 橋本元総理(総理特使)、谷 口日ア首連友好議連幹事長 2006 年 6 月 2007 年 4 月 11 月 11 月 12 月 2008 年 11 月 2009 年 4 月 アハマド・ドバイ民間航空庁 2006 年 1 月 長官(エミレーツ航空中部国 際空港就航) 5月 カーシミー経済相 スウェイディ・アブダビ計画 8月 経済庁長官 11 月 スウェイディ中央銀行総裁 2007 年 4 月 ムハンマド・アブダビ皇太子 2008 年 1 月 (公式実務訪問賓客)(アブ 5月 ダッラー外相随行) シャムシー国務相 アブダッラー外相(パキスタ ン・フレンズ/支援国会合出 席) 7月 10月 2009 年 3 月 10 月 -7- 金田外務副大臣(ドバイ首 長弔問) 福田元官房長官(友好議員 連盟会長) 中川農水大臣 浅野外務副大臣 安倍総理 甘利経産大臣 上川国務大臣(公文書管理 担当大臣、内閣府特命担当 大臣) 谷口総務副大臣 山本内閣府副大臣 奥田碩・内閣特別顧問(総 理特使) 額賀財務大臣 中曽根外務大臣 橋本外務副大臣 福田前総理(総理特使) 直嶋経産大臣