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日本倫理思想 ~ 聖徳太子・十七条憲法に源流を

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日本倫理思想 ~ 聖徳太子・十七条憲法に源流を
2011 年 5 月 16 日
理念哲学研究部会各位
日本経営倫理学会
西藤 輝
~
日本倫理思想
聖徳太子・十七条憲法に源流を求めて ~
Japanese Ethical Thought
-Seeking Its Origin in the Seventeen Articles
of the Constitution of Prince Shotoku, 604 A.D-
はじめに
倫理思想とはなにか、それは倫理とどのように関係し、倫理学とどのように
相違するのかについて、和辻哲郎の研究成果を参考にしながら考察してみたい。
和辻は著書「日本倫理思想史」上巻 岩波書店 1986 年)のなかでつぎのよう
に云う。
「倫理」とは、個人にして同時に社会であるところの人間の存在の理法である。
従って、人間の存在するところには、すでに倫理は働いている。 人間はただ
社会においてのみ個人たり得るとともに、また個人を通じてのみ社会たり得る
のである。そうしてこの構造の原理が「倫理」である。
古代、原始社会にあっても、風習、制度、儀礼などが、個々の個人の行為の仕
方を決めている。風習や儀礼を持つ限り、原始社会においても一定の様式にお
ける倫理の実現が見られると云える。 原始社会以上に発達した社会構造にお
いては、そのことは一層顕著であると云える。
人間の意識は、人と人との主体的な接触において始まり、表現や応答において
発展する。 従ってそれは言語と絡み合っている。そうした言語的表現は例え
ば原始的社会にあっては、神話、呪文、神の命令、格言、誡めなどの形で表現
されている。
しかし、原始社会にあっては、まだ「学」と呼ばれるほど整ったものではない。
それをわれわれは「倫理思想」と呼ぶのである。 すなわち倫理思想とは、人
間存在の理法たる倫理が、その実現の過程たる特定の社会構造を媒介として、
そこにおいて規定せられる特殊な行為の仕方として自覚せられるものである。
倫理学を呼び出したものは、教えに対する懐疑である。 理性的な根拠の追
求は、懐疑心に打ち克ち得るだけ周到に、綿密に、行われなくてはならない。
ここにその時代の倫理思想や賢者の教えの根源に遡って、普遍的な倫理を把握
しようとする無限探求の努力は始まってくる。 こうした努力は、その時代に
おいては倫理思想の特殊的限定を超えて普遍的倫理を捉捉したものとしての倫
理学を形成する。
人間の普遍的な倫理が、歴史的社会的な特殊条件のもとで、どういう倫理思
1
想として自覚されてくるか。それぞれの時代は、その独特な社会構造の形成を
縁として、それに即した倫理思想を生みだすものであるが、しかしかって自覚
したものを捨て去りはしない。 それぞれの時代は、その時代の創造的な面と
伝統的な面とを重層的に持っている。 その両面の区別と絡み合いとを明らか
にするのが研究の意図であると和辻は云う。
ヨーロッパにおいてはギリシア、ローマの文化、キリスト教に倫理思想の源流
が求められるが、日本においては神道を根幹においた上代文化と儒教、仏教の
習合に倫理思想の源流を求めることが出来る。
古代の日本人は清き明き心を重視した=清明心。良き心とは清き明き心であ
り、私のない心である。聖徳太子はそうした古代日本人の清明心を根幹におい
て仏教、儒教他の倫理的精神を受容、習合し、十七条憲法を制定したがその今
日的意義を考察するのがこの度の研究の目的である。
1. 聖徳太子(573~621)は第三十一代、用明天皇の第二皇子で、御母は
穴穂部間人皇后(あなほべはしひと、二十九代欽明(きんめい)天皇の皇女、
用明天皇の異母妹)である。 第三十代敏達(びだつ)天皇の三年(574)降誕、
豊聡耳皇子(とよさとみみのみこ)と呼ばれ、又、厩戸皇子(うまやど)と呼
ばれていた。後世、その徳を讃えて聖徳太子とお呼びするようになった。
西暦 592 年 12 月 8 日第三十三代推古天皇が即位せられ、翌元年四月皇太子とな
って摂政とせられ万機を委ねられた。 時に太子は二十一歳であった。
高句麗(こうくり)僧恵慈(または慧慈、えじ)は推古朝三年に来朝、帰化し、
太子は恵慈に師事して仏教を学び、さらに高句麗僧について儒学を学ぶことに
精魂を傾けられた。
(出所:
「聖徳太子」 特に和の憲法を中心として 里見岸雄著 里見日本文化
学研究所 昭和 49 年)
。
当時、朝鮮は三国時代(新羅 しらぎ、高句麗 こうくり、百済 くだら)の戦乱期で
その混乱から逃れて、優れた技術や文化を持った人々は日本に渡来してきた。
「帰化人」と呼ばれる人達だが、彼らが中国で発達した文化や技術を日本に持
ち込んだが、その一つに仏教があった。仏教の最初の公伝は欽明天皇の時代、
西暦 538 年と記録されているが、これは「朝廷が認めた」ということで、それ
以前から民間にははいっていたに違いない。
(出所 堺屋太一著「日本を創った
12 人 PHP 文庫 2007 年)
十七条憲法を貫く太い糸は「仁・義・礼・智・信」を主要徳目とする儒教思
想である。五つの徳は内面的仏教思想と法家思想によって裏づけられている。
更に云えば加えて老荘思想も採り入れている。
聖徳太子は十七条憲法制定に当たり、上記儒教の五つの徳目をそのまま採り入
れると儒教そのものとなることから、聖徳太子が学び信仰深い仏教の慈悲の心
を採り入れ、傍ら徳の順序を入れ替えて「和(仁)・礼・信・義・智」としてい
る。
儒教:日本の儒教史は元寇 げんこう(13 世紀後半)のころを境として、
2
中国古代(漢・唐)儒教を受けた前期と、中国近世 ( 宋(そう)
・明(みん)・
清しん)儒教を受けた後期に時代区分される。すでに早く4世紀の末から5世紀
初めころに(応神天皇=第十五代の天皇で、5世紀前後の王者の朝)、中国古代儒
教が伝来して、古来の神道 (しんとう)倫理を補完して、氏族共同体を単位とす
る氏族国家のイデオロギーとなった。
継体(けいたい)天皇の時代から欽明(きんめい)天皇のころにかけて(6世紀こ
ろ)、朝廷が百済(くだら)に五経博士の交替派遣をしばしば請求したことは、儒
教に対する古代国家の関心の強さを示している。
そうした時代を背景に、太子が描いた理想は、
(1)仏教の理想
仏教は太子にとって「四生の終帰(よりどころ)」であり、「万国の『極宗』
(おおむね)」であった。仏教を日本に弘めねばならぬ。それが太子の義務
であり、理想であった。
(2)太子のもう一つの理想は天皇を中心に一致団結した律令国家をつくる、
そして日本を国家として中国のような国家にすることであった。
「律令制度」、Legalism, the legal codes , the political system based on
the Ritsuryo codes である。
律とは刑法、令は国家の諸種の法令である。 律令国家にすることは日
本を近代化することであるとともに、日本を強国化することであった。
(3)太子の理想は仏教、儒教、法家思想を根幹において冠位十二階、十七条
憲法(604 年)で実現され、十七条憲法で呈示されて新しい国家社会の制
度は大化改新で実現された。
儒教の五つの徳は内面的仏教思想と法家思想によって裏付けられている。
第一条と左右に第二条、第三条、第九条を真中に第十条、第十一条を左
右に。 人間を根本的に改善するには仏教が必要である。しかし、国家
をつくるには仏教とともに法家が必要であることから、聖徳太子は儒教
思想を基本に、その左右に仏教思想と法家思想をおいた。
(出所:梅原 猛
「聖徳太子」② 集英社文庫 2007 年)
2.
冠位十二階、十七条憲法は一体として太子精神を形成
冠位十二階とは従来、出身階級によって=姓(かばね)によって差別されて
いた日本人に、徳と能力によって立身出世が可能となる社会、人間がどのよう
に生まれたかによってではなく、人間としてどうあり、また国家に対してどの
ように貢献するかによって評価されるという儒教、仏教思想に基づく官僚制の
理想を具体化したものである。儒教の徳の名前をとって官位とした。つまり道
徳的にすぐれている人間が国を支配しなければならないという哲人政治的な考
え方である。
冠位十二階:
大徳(だいとく)
小徳(せうとく)
大仁(だいにん)
小仁(せうにん)
大礼(だいらい)
小礼(せうらい)
3
大信(だいしん)
小信(せうしん)
大義(だいぎ)
小義(せうぎ)
大智(だいち)
小智(せうち)
上記で分かる通り、十七条憲法・第一条で謳われている「和」に代わって冠位
十二階では儒教の第一の徳目「仁」をそのまま使っている。
もとより、和は仁と矛盾しない。仁をふくみ、しかもそれは仁を超えている。
和の徳こそが、日本の歴史のなかで培われた徳であり、当時の政治的状況=氏
族の絶えない争いのなかで、聖徳太子は十七条憲法制定に当たり、まづ氏族の
争いを一掃することに注力し、儒教の主要道徳の筆頭に掲げられている「仁」
に代わって「和」の思想を基本においたことが考察出来る。
そして「和」が仁にかわって、徳のトップとなることによって十七条憲法は仏
教的色彩を濃くするのである。
尚、冠位十二階は 603 年に制定、604 年に実施され、次いで十七条憲法が制定
された(604 年)。
3.
十七条憲法考察 (十七条全文:添付別紙,、出所:里見日本文化学研究
所、創立五十周年記念)
以下、十七条憲法を「和」「礼」「信」「義」「智」の五つの徳目の視点から、梅
原の考察(梅原「聖徳太子」②)をベースに太子精神を纏めてみる。
第一条~第三条:「和」の徳
第一条から第三条までがいわゆる十七条憲法の総論であり、それは国の政
治の最高理念が述べられているのである。
第四条~第八条:「礼」
礼は仁と並んで儒教の政治理念の中心である。礼をもって国を治める、こ
れが孔子、孟子の理想であり、漢の武帝以後、この礼がもっとも大切な徳
であると考えられてきたのである。そして聖徳太子は、礼のない社会の悪
を述べ、それと対照的に礼のある社会の善(社会秩序がきちんと保たれ)
を説いている。
第五条では不正裁判と賄賂政治が糾弾されているが、1400 年前の日本社会
は先にも述べた通り、
「争い」の傍ら「不正、賄賂」政治が横行していたこ
とが分かる。 太子は老子の思想=欲望の否定、欲望からの脱却を求めて
いる。
第九条~第十一条:「信」
第九条に「信はこれ義の本なり」とあり、この条では信の徳の重要さが説
かれている。第十条は、怒りを抑制することを説いたものである。この怒
りは、なにより人間と人間の信頼関係、あるいは親愛関係をさまたげるも
のであるから、人間と人間との間の信頼関係をやぶる怒りを抑制しなくて
はならない。第十一条では「信賞必罰」が説かれているが、
「信賞必罰」も
信頼関係を強めることにある。つまり、第十条と第十一条は第九条の「信」
の徳と関係するものである。
4
第十二条~第十四条: 「義」
第十二条は、かの有名な「国に二君なし。民に両主なし」と君臣の義が語
られている。これは明らかに「義」の徳である。第十三条は、官吏がなん
らかの事情で職を留守にし、職場に復帰したとき、いつものように親しい
人間関係にもどれという実際的教訓である。つまり、公私のけじめをはっ
きりさせるという教訓ではないかと、梅原は云う。これも義の徳である。
第十四条は嫉妬について戒めたものであるが、嫉妬は人間関係の義をそこ
なわすものであると考えられる。 第九条から第十四条までを人間関係論
とみて、その前半は「信」の人間関係論、後半は「義」の人間関係論であ
る。
第十五条~第十七条: 「智」
梅原は第十五条~第十七条を「智」の徳にかかわるものと考えると云う。
「それ事はひとり断(さだ)むべからず。かならず衆とともに論(あげつら)
うべし」という十七条が、智の徳にかかわるものであることは疑いえない。
そして第十六条は、民を使う場合の官吏の心得を述べたもので智の徳にか
かわるものである。
第十五条は「背私向公」、私を背きて公に向くは、これ臣の道なりである。
聖徳太子はこの「智」の徳にあたる項で、官吏としての「背私向公」の精
神を強調しておきたかったにちがいないと梅原は云う。太子のそうした視
点の背景には、人民の上にたつ役人が高い地位を利用して私利をはかる慣
行があったと云える。賄賂についての指摘とともに 1400 年前の上代社会の
現実が窺えると同時に人の世界は変わらないと云える。
「滅私奉公」の国民性=心情倫理の尽忠の愛国精神、盲目の愛社精神の源
流とも云える。
4.日本倫理思想
~聖徳太子・十七条憲法に源流を求めて~
(1)太子の偉業、
① 仏教の研究、受容と日本における仏教普及の歴史
② 神道・仏教・儒教の習合思想
③「十七条憲法」制定と「冠位十二階制」を根幹に国家制度を定め、
日本を豪族支配の国から官僚制度の整った組織行政の国として導
いたこと。
④ 遣隋使派遣に象徴される外交 (第一回遣隋使派遣、推古八年(600
年)
⑤ 飛鳥の都に代わる文化首都構築
(2)日本倫理思想の源流:
神・仏教・儒教の習合思想=
武士道・商人道に考察される神道・儒教・仏教の三教一致の継承
“As observed above, Bushido is not a fixed idea, and there are various
teachings and interpretations related to it. As for the ethical
5
underpinnings of Bushido, the teachings of Confucius provided the
most significant foundation, while Buddhism furnished a sense of
calm trust in fate, and the tenets of Shintoism thoroughly imbued
Bushido with loyalty to the sovereign.”
(Quoted from “Bushido”, Akira Saito, Encyclopedia of Business
Ethics and Society, Sage Publications, Los Angeles, U.S.A 2008)
武士道(新渡戸稲造著、矢内原忠雄訳「武士道」 岩波文庫)
仏教:運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かな
服従、危険災禍に直面してのストイック的な沈着、生を賤し
み死を親しむ心、仏教は武士道に対してこれらを寄与した。
神道:仏教の与えざりしものを、神道が豊かに供給した。神道の教
義によりて刻みこまれたる主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、
ならびに親に対する孝行は、他のいかなる宗教によっても教えら
れなかったほどのものであって、これによって武士の傲慢なる性
格に服従性が賦与せられた。 神道の神学には「原罪」の教義が
ない。反対に、人の心の本来善にして神のごとく清浄なることを
信じ、神託の宣(の)べらるるべき至聖所としてこれを崇(あが
め)貴ぶ。
儒教:厳密なる意味においての道徳的教義に関しては、孔子の教訓
は武士道の最も豊富なる淵源であった。君臣、父子、夫婦、長幼、
ならびに朋友間における五倫の道である。
* 商人道(竹中靖一著「石門心学の経済思想」ミネルヴァ書房)
(3)太子精神・十七条憲法 ~「和」に焦点を当てて~
「和」を筆者は”Harmony”と英訳していたが、平松 毅氏は”Solidarity”, or
“Cooperation”と英訳されている。適切な英語表現である。 筆者の米国におけ
る友人の表現を借りれば、”The compassion and unity of the Japanese people
is indeed a lesson for the world”とするのも本質を突いた表現であると云える。
平松 毅は更につぎのように問いかける。
(The Seventeen-Article Constitution
of Shotoku Taishi (604 AD.).
“Wa” is that we can’t find a corresponding idea in Buddhism or in
Confucianismus. Therefore, it was not something imported from China or
India. It is another mystery to discern where he had come up with such an
idea.
フライブルグ大学の宗教史講座の研究者として長年仏教学の研究に取り組ん
でいるウド・ヤンソン博士はつぎのように云う。
(Hat das “Wa” in der heutigen
Zeit eine Chance ? Dr.Udo Janson, 翻訳、平松 毅 「十七条憲法の普遍的
意義」)
「和」の思想はキリスト教道徳においても、基本的な思想であり、その普遍的
意義は共同体における連帯の思想であり、
「十七条憲法」の普遍的な意義も「和」
6
の精神にある。
問題は西欧社会においては常に拡大され、好まれている個人主義である。西欧
における個人主義の視点からすれば、遠い東洋における 1400 年前の文章は、心
を揺さぶる。 ましてや宗教的及び道徳的な基礎をもたないところでは、尚更
のことである。
仏陀の徳と慈悲は、人間相互の交流のための規範であるだけでなく、それ以上
に社会の共同生活のための指針でもある。 これが行われるならば、人間理性
は、自ずから実現される。そのための保障が、鍵概念である「和」である。
西欧ではキリスト教の教義に基づいて、すべての人類の平等を教養及び規範と
しており、そこから公共の福祉への感受性が引き出されなければならない筈で
ある。にも拘わらず、極端な個人主義の思想が拡大し、それは今日的利己主義
と自己中心主義になり、多くの処理しきれない程の裁判上の紛争が生じている。
西藤注:ドイツの友人は 21 世紀現代のドイツ社会について次のように云う。
“Ich zuerst Kultur”、 米国の経営倫理研究者は同様に、”Me first culture”と米
国社会における利己主義を嘆く。 “Greed is good” culture, “Winner take all”
philosophy に象徴される米国社会の現実である。
十七条憲法第一条に掲げられている「和」の思想は 21 世紀の今日に至るまで
日本人の最も重要な国民性であり、
「和」の思想、”Solidarity”、連帯、上下一致、
団結は日本企業の経営理念にも考察される。以下、
「和」の思想ならびに十七条
憲法で謳われている主要徳目の視点から日本企業の創業精神、経営理念を
考察して見たいと思う。
(4)創業精神、企業理念に考察される事例:
事例(1)トヨタ自動車:「豊田綱領」 (昭和 10 年 10 月 30 日)
* 上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を挙ぐべし
上下一致:十七条憲法・第一条 「和」を以て貴しと為し、忤(さから)
ふことなきを宗(むね)とす。
至誠業務に服し:十七条憲法・第九条 「信」(まこと)は是れ義(ことわ
り)の本(もと)なり、事毎(ことごと)に信(まこと)有れ。其れ
善きも悪しきも成るも敗るも、要(かな)らず信に在り。
産業報国:十七条憲法・第十五条 私を背きて公に向くは、是れ臣の道
なり。
* 研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし
研究と創造:十七条憲法・第七条 人各々任有り、掌ること宜しく濫
れざるべし。
十七条憲法・第十三条 諸(もろもろ)の任せる官者(つかさ
びと)、同じく職掌(つかさごと)を知れ。
*
温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべい
温情友愛の精神:十七条憲法・第一条 「和」を以て貴しと為し、・・・
7
*
神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし
十七条憲法・第二条 篤く三寶を敬え。三寶とは仏、法、僧
なり。
(出所:「日本型ハイブリッド経営」西藤 輝他著、中央経済社 2010 年)
事例(2)パナソニック 「信条」
向上発展は各員の和親協力を得るに非ざれば得難し、各員至誠を旨とし
一致団結社務に服すること:十七条憲法・第一条「和」
パナソニックの遵奉すべき精神、産業報国の精神、和親一致の精神:
十七条憲法・第一条「和」
瀧藤尊教氏は著書「聖徳太子の信仰と思想」のなかで太子精神の視点から二人
の経営者を挙げている。
丸田芳郎氏 (元花王株式会社社長)
*慈悲=太子精神の根本であり、仏教の根本精神である。
*平等=十七条憲法第一条の「和」と第十条の「相共(あいとも)に賢愚
(げんぐ)なること環(みみがね)の端(はし)なきがごとし」という凡夫(ぼ
んぶ)観・平等感が生かされたものである。
*真如(しんにょ)=聖徳太子、道元禅師(どうげんぜんじ)の教えのなかに述
べられている仏教共通の真理であり、主観的な「我」にこだわる心を捨て
て、天地の理法に溶け込むことである。太子はこれを「一大乗」(いちだいじ
ょう)、道元禅師はこれを「万法に証せらるる自己への修証(しゅうしょう)」
と呼んだ。これに達する道は、太子にあっては「帰依の心」であり、禅師
にあっては「参禅」である。
松下幸之助氏(松下電器産業・現パナソニック(株)創業者)
*産業報国の精神=第三条 詔(みことのり)を受けては必ず慎め
*公明正大の精神=第九条 信はこれ義の本(もと)
*和親一致の精神=第一条 和を以て貴しと為せ
*力闘向上の精神=第八条 早く朝(まい)りておそく退(さが)れ
*礼節謙譲の精神=第四条=礼を以て本(もと)とせよ
*順応同化の精神=第十三条=同じく職掌を知れ
*感謝報恩の精神=第二条=篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬え
(出所「聖徳太子の信仰と思想」瀧藤尊教著 善本社 平成 16 年)
むすび
(1)日本倫理思想の課題
十七条憲法(背私向公他)、武士道で特に重視されている徳目である忠誠心、
「君(くん)に仕え奉るには一命をおしまず、忠節を尽くすべし」という封
建倫理の絶対性がある。忠義を重視する武士道精神は太子精神を継承し、
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主従関係においてそれを更に強め絶対化し、心情倫理の愛国精神を生んで
きたと云える。 それは現代の企業社会においては盲目的愛社精神、Blind
Loyalty であ る。 Loyalty は社 会的責任を 根幹におい た愛 社精神、
Responsible Loyalty が重要であり、太子精神・十七条憲法に源流を求め得
る日本倫理思想を民主主義と接木することで 21 世紀の倫理思想を呈示した
いと思う。
(2)本文で言及した現代欧米社会で深刻な課題となっている「利己主義」, “Ich
zuerst Kultur” , ”Me first culture”は民主主義が生んだ「負」の側面である
が、幸運にも日本の場合、「利己主義」に代わる「和」=「連帯」の文化、
“Solidarity”, “Unity”, “Harmony”を根幹において、欧米で生まれ、発展し
てきた民主主義思想を受容し、接木してきた歴史であり、上記(1)でも
触れた通り、心情倫理の視点から考察される課題はあるが、慈悲の心、利
他心を根幹において日本倫理思想が醸成されてきた歴史であると云うこと
が出来る。
(3)傍ら、神道、仏教、儒教三教一致とその習合は政治・行政・司法制度の
根幹として位置づけられ、宗教信仰の心が希薄した現実がある。聖徳太子
は仏教を受容し、その普及に努めたことは認められるが、神道、仏教、儒
教の習合は日本の武士道で継承され、忠誠心を主要徳目としてきたことか
ら、神・仏に対する信仰心は第二義的になった歴史の現実である。こうし
た日本の歴史の現実に対し、高木 武は次のように云う。
「泰西武士道は騎
士基督教的軍制にして、武士はすべて基督教信者なりしを以て彼等は全く
宗教に隷属し、その支配を受けたりき。 彼等は神を信じ、神の命令と称
して基督教を擁護したりき(
「東西武士道の比較」高木 武著)。
“Reason” and “Faith”, 理性と信仰心を社会制度構築の根幹におき
、 資本主義、民主主義文明を生んできた西欧社会は、理性と信仰心を一人ひ
とりに生き方の基本としている。 日本、日本人にとって歴史が生んだ課
題と云える。
(4)グローバル時代、民族、歴史、宗教、文化を超えて相互理解、相互信頼
の強化が重要であるが、聖徳太子、十七条憲法についての研究成果を英
語で発表している事例が少ないことが挙げられる。武士道は新渡戸稲造
が 1899 年に英語で出版したことから、20 ヶ国語以上の言語で訳され、
日本の歴史、思想、文化の理解に大きな貢献をしているが、聖徳太子、
十七条憲法をテーマとする外国人による研究成果は稀有であり、対外発
信の意義を強調しておきたいと思う。
筆者もこの度の研究発表を契機として、主題の研究に引き続き取り組んで
行きたいと思う。
(参考文献)
9
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植手通有「日本近代思想の形成」岩波書店 昭和 49 年 3 月
Udo Janson、平松 毅 〈翻訳〉「十七条憲法の普遍的意義」
〈Translation〉Dr.Udo Yanson “Hat das “Wa” in der heutigen Zeit eine
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関西学院大学 The journal of law & politics Vol 50, No.2 (19990630)
pp. 461-472 1999 年
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昭和 12 年
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相良 亨「日本人の心」東京大学出版会 1996 年
里見岸雄 「聖徳太子」里見日本文化学研究所 昭和 49 年
鈴木文孝「近世武士道論」以文社 1991 年
高木 武「東西武士道の比較」通俗図書中央販売所 大正 4 年
高際弘夫 「日本人にとって和とはなにか」白桃書房 1996 年
瀧藤尊教 「聖徳太子の信仰と思想」善本社 平成 16 年
竹中靖一 「石門心学の経済思想」ミネルヴァ書房 1998 年
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Nitobe Inazo BUSHIDO, The Soul of Japan, The Leeds and Biddle
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橋本 實「日本武士道史」 地人書館 昭和 15 年
HIRAMATSU Tsuyoshi 〈Article〉The Seventeen-Article Constitution of
Shotoku Taishi (604 AD.)
武士道学会編「武士道の真髄」帝国書籍協会 昭和 18 年
山田恵諦「和して同ぜず」大和出版 1996 年
安岡正篤「儒教と老荘」 明徳出版社 平成 10 年
湯浅泰雄「日本哲学・思想史」(III) 白亜書房 1999 年
夜久正雄「聖徳太子・十七条憲法と神話・伝説・歴史」亜細亜大学教養部紀
要 Vol. 12 (197500000) pp 43-58 1975 年
渡部昇一「日本の歴史」①古代編 現代までつづく日本人の源流
ワック株式会社 2011 年
和辻哲郎「日本倫理思想史」上・下 岩波書店 1986 年
以上
10
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