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― 印 象 派 へ の 誘 い ―

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― 印 象 派 へ の 誘 い ―
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
―印象派への誘い―
< 学 習 を ふ り か え る >
①オーギュスト・ルノワール
シート利用の案内
*必要な内容を下項目を見て、クリックして下さい。
*配点は、生徒の実態に応じて変更して下さい。
*利用の際は、必要枚数を印刷しましょう。
*注意
このシートは、情報管理のため各シートを保護し
てあります。
シート項目
1.案
内
2.感想の記入
3.画家の生涯(10問)
4.画家を囲む人々(6問)
5.GALLERY①
パリスの審判(5問)
6.GALLERY②
ぶらんこ(5問)
7.GALLERY③
うちわをもつ少女(5問)
8.GALLERY④
ムーラン・ド・ラ・ギャレット(5問)
9.愛するアリーヌへ(10問)
10.裸 婦−女体美 (10問)
11.3∼10まとめテスト(全56問)
12.3∼10解答(全56問)
沖縄県立総合教育センター IT教育課
〒904-2174 沖縄県沖縄市与儀587番地
TEL098-933-7572
FAX098-933-7592
平成18年度教材開発プロジェクト
Copyright(C)2004 Okinawa Prefectual General Education Center. All Rights Reserved
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材>
印象派への誘い
―オーギュスト・ルノワール― 【 感 想 】
年
組
番・氏名
1.本日、あなたが、学習した「作家・作品名」を記入しなさい。
①作家名・・・「 」
②作品名・・・「 」
2.本日の「鑑賞」の学習を通して、あなたが学習したことは何ですか。
(作家・作品について)
*作家について
*作品について
3.作品制作に対する「作家の思い」と「あなたの思い」の違いは、何でしょう。
4.あなたの素直な感想を書きましょう。
(本日の学習をとおして、あなたが《今、感じている事・考えている事》何ですか。)
5.本日の授業について、また、これからの授業に要望等がありましたら記入しましょう。
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール― (画家の生涯)
10
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、「ルノワールの生涯」についてまとめたものです。( )の中にあては
まる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。(1点)
ルノワールは、1841年2月25日中部フランス(①)で、5人兄弟の第4子として生ま
れた。13歳の時に、陶磁器工場の(②)になり、19歳の時に画家になる決心をする。
21歳の時、(③)の絵画教室に入る。バジールや後の印象派仲間(④)・シスレー達
と出会い、(⑤)でモネと共に制作をする。24歳の時に、モデル兼恋人であったリーズ
と出会い、制作に励む。ルノワールは、29歳の時に普仏戦争に徴兵されるが無事帰還、
しかし、頼りになる友人バジールが戦士する。
1874年、33歳の時、(⑥)に参加する。38歳の時、サロンに「シャルパンテェ夫人と子
供たち」を出品し認められる。社交界の(⑦)として生活する。
39歳の時、将来の妻(⑧)と出会う。40歳の時に、代表作「舟遊びの昼食」を制作。
た、アルジェリア・スペイン・イタリアを旅行し、昔の巨匠たちの作品に触れた。49歳
で正式にアリーヌ・シャリゴと結婚する。56歳の時に、(⑨)の最初の発作が起き、62
歳には療養もかね、リヴィエラ海岸に移転した。手足が不自由になり、車椅子になって
も絵を描き続ける。66歳の時、最後の住居「(⑩)」を購入する。74歳の時に、妻アリ
ーヌ死去。 1919年、ルノワール死去(78歳)。
(語
群)ア、肖像画家
オ、グレール
ク、リモージュ
イ、フォンテンブローの森
カ、アリーヌ・シャリゴ
ケ、第1回印象派展
ウ、筋肉リューマチ エ、モネ
キ、絵付け工見習い
コ、レ・コレット邸
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール― (画家を囲む人々)
6
年
組
番・氏名
【1】次は、「ルノワールの生涯を支えた人々」についてまとめたものです。画家を支え
た人々①∼⑥の説明として適当な内容を下記のア∼カより選択し、記号で答えなさ
い。(1点)
①リーズ・トレオ
②アリーヌ・シャリゴ
③ガブリエル・ルナール
④クロード・モネ
⑤フレデリック・バジール
⑥シャルル・グレール
ア、ルノワールより20歳年下で、「田舎の踊り」など作品のモデルになった。
3人の息子に恵まれ、晩年までルノワールの人生を支えた。
イ、アトリエを経営するスイス生まれの画家。画学生の「個性」を引き出そうとする彼
の指導方法は人気が高く、ルノワールにもフォンテンブローの森でスケッチする
ようすすめた。
ウ、グレールのアトリエで出会い、フォンテンブローの森で共に制作に励み、「印象
主義」の基礎的な考え方や作風をつくり出していった。
エ、グレールのアトリエで知り合った画家。裕福な家庭に生まれ、医学を志したが画
家へ転向する。ルノワールやモネと共同生活をする。
オ、アリーヌの遠縁にあたる。15歳の時に、お手伝いとして同居をはじめ、家事・子
育てを手伝い、一家を支える。ルノワールのモデルにもなった。
カ、友人画家の恋人の妹であった。20代のルノワールは、彼女の浅黒く可愛らしい顔
立ちにひかれ、20点以上制作した。
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
⑥
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール―(パリスの審判)
5
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「パリスの審判」の解説です。作品を鑑賞
しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。
(1点)
<パリスの審判>
1914年:油彩:73×92.5cm
(日本:ひろしま美術館(レプリカ))
(①)より、美女選びの話である。トロイアの王子パリスが3人の女神の中から、彼
が最も美しいと思った女神に「最も美しい女神に・・・」と彫りこみのあるリンゴを与
える一コマである。パリスは、アフロディテ(ローマ神話ではビィーナス)にリンゴを
与えた。
多くの画家たちに取り上げられたこの(②)に、晩年のルノワールも挑戦した。お手
伝いの(③)をモデルにし、制作に励む。ルノワールは、神話の解釈には、興味はなく
、豊満な(④)の肉体をのどかな情景の中で(⑤)することに終始した。
(語
群) ア、女性 イ、テーマ ウ、ガブリエル エ、表現 オ、ギリシャ神話
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール―(ぶらんこ)
5
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「ぶらんこ」の解説です。作品を鑑賞しな
がら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。
(1点)
<ぶらんこ>
1876年:油彩:92×73cm
(フランス:オルセー美術館)
ルノワールは、この作品を、(①)の自宅外の木陰の多い(②)で描いている。芝生
・草花・並木道と続く庭には、ブランコがさがっていた。ダンスホールに通う娘や友人
たちをモデルに使い、(③)が人物や地面に及ぼす効果を彼は追求する。彼は、(④)
を表現するのに黒ではなく「青」を用いた。娘が着ているピンクのドレスの影、さらに
ドレスのリボンにも青を使い、背景では小道の青い影の上で(⑤)が散らばり、複雑な
模様をつくり出した。
(語
群)
ア、モンマルトル
イ、光の点
ウ、広い庭
エ、影
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
オ、木漏れ日
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール―(うちわをもつ少女)
5
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「うちわをもつ少女」の解説です。作品を
鑑賞しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えな
さい。(1点)
<うちわをもつ少女>
1881年:油彩:65×54cm
(アメリカ:クラーク美術研究所)
この作品は、当時のパリの大流行(①)を示す作品である。ルノワールの日本美術に
対する関心の高さを伺うことができる。
日本絵画、いわゆる(②)に魅せられ、自己の画風を追求しているルノワールは、人
物とうちわ、背後の壺に活けられた花を同等の存在感で表現した。ルノワールの絵画の
テーマは、常に(③)である。作品右側の緑色の垂直の色面(壁面)は、画面を必要以
上に縦長に見せ、さらに、モデルの下部を切り取った。この(④)は、やはり浮世絵か
らの(⑤)だと言えよう。
(語
群)
ア、ジャポニズム
イ、大胆な構図
ウ、影響
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
エ、人物
オ、浮世絵
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール―(ムーラン・ド・ラ・ギャレット)
5
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の解説
です。作品を鑑賞しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、
記号で答えなさい。(1点)
<ムーラン・ド・ラ・ギャレット>
1876年:油彩:131×175cm
(フランス:オルセー美術館)
ルノワールは、当時のパリ庶民の社交場であり、村祭りのような雰囲気があるこの田
舎風(①)を愛した。そして、そこをテーマにした絵を(②)で描きたいと思うように
なった。
近くの借家に住居を移し、友人たちに大きなキャンバスを現場に運ぶのを手伝っても
らう。モデルとしてポーズもとってもらった。ルノワールのテーマは人物、それも健康
的な若々しい娘たちである。
光を追求した他の印象派の画家達が否定した「(③)」を彼は、黒は色彩の女王だと
積極的に利用している。そして、後に「(④)ルノワール」と異名をとる。ルノワール
は、この作品を第3回印象派展に出品した。この作品は、後世まで印象派を(⑤)する
作品となる。
(語
群) ア、黒
イ、色彩画家
ウ、代表
エ、現場
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
オ、ダンスホール
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール―(愛するアリーヌへ)
10
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、「画家ルノワール」の人間性を感じる出来事(愛するアリーヌへ)をまと
めたものです。( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えな
さい。(1点)
ルノワールは、40歳まで(①)を通してきた。 画家を目指すルノワールは、結婚し
子供を授かるという事は、絵を描く生活から外れてしまうという考えを持っていた。
しかし、彼は(②)に出会う。20歳年下の彼女は、時々、彼の(③)をしていた可愛
い娘であった。「(④)」のモデルの1人をつとめた1881年の夏、2人は、恋人同士に
なる。けれども、ルノワールは画家としての生活を考え、(⑤)を決意をする。 その
後、イタリアに(⑥)するが、アリーヌを忘れることはできなかった。やがて、2人は
結ばれる・・・。正式に結婚したのは、ルノワールが(⑦)の時であった。3人の息子に
恵まれ、晩年まで互いを助け合う仲の良い夫婦であった。
下記の絵「田舎の踊り」は、2人が結ばれた当時、新妻アリーヌをモデルにして描か
れた作品である。アリーヌの上気した頬、そして(⑧)が幸せを物語る。また、右手に
もつ日本の(⑨)が19世紀ヨーロッパの「(⑩)」を表現している。
(語 群) ア、アリーヌ
カ、ダンス
イ、旅行
キ、別れ
ウ、独身
ク、扇子
エ、モデル
ケ、49歳
オ、ジャポニズム
コ、船遊びの昼食
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
<田舎の踊り>
1883年:油彩:180×90㎝
(フランス:オルセー美術館)
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い
―①オーギュスト・ルノワール―(裸婦−女体美)
10
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、「画家ルノワール」の人間性を感じる出来事(裸婦−女体美−)をまとめ
たものです。( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさ
い。(1点)
晩年、ルノワールが好んだテーマは「(①)」だった。豊かで輝くような色彩で、ま
ろやかで(②)な女体の作品を何百点も描いている。女性の美しさを光の表現と共に追
求したルノワールは、数々の言葉を残している。
「私が好む絵というものは、風景ならその中を(③)したくなるような作品だし、人物
なら思わず手をのばし(④)したくなるような裸婦だ」 ― ルノワール ―
「私は、裸婦を描くとき、それがまるですばらしい(⑤)であるかのように、いつも気
を配ってきた」 ― ルノワール ―
裸婦をテーマに「(⑥)」を色彩で表現したルノワール・・・。しかし、肌の上に(⑦)
の輝きを点々と散らした時、当時の(⑧)がそれを「光の変化」とは考えずに「その女
体の胴体は、死体の(⑨)・・・」と非難した。 下記の「陽を浴びる裸婦」は、第2回印
象派展に出品し、批評家たちに(⑩)された作品である。
(語
群)
ア、愛撫 イ、果実
ウ、裸婦 エ、散策 オ、腐敗状態
カ、豊満 キ、批評家 ク、紫色 ケ、酷評 コ、光の変化
(解答欄) ①
⑥
②
③
④
⑤
⑦
⑧
⑨
⑩
<陽を浴びる裸婦>
1875-1876年:油彩:81×65㎝
(フランス:オルセー美術館)
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)>
印象派への誘い (①オーギュスト・ルノワール:まとめ)
56
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、「ルノワールの生涯」についてまとめたものです。(
まる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。(1点)
)の中にあては
ルノワールは、1841年2月25日中部フランス(①)で、5人兄弟の第4子として生ま
れた。13歳の時に、陶磁器工場の(②)になり、19歳の時に画家になる決心をする。
21歳の時、(③)の絵画教室に入る。バジールや後の印象派仲間(④)・シスレー達
と出会い、(⑤)でモネと共に制作をする。24歳の時に、モデル兼恋人であったリーズ
と出会い、制作に励む。ルノワールは、29歳の時に普仏戦争に徴兵されるが無事帰還、
しかし、頼りになる友人バジールが戦士する。
1874年、33歳の時、(⑥)に参加する。38歳の時、サロンに「シャルパンテェ夫人と子
供たち」を出品し認められる。社交界の(⑦)として生活する。
39歳の時、将来の妻(⑧)と出会う。40歳の時に、代表作「舟遊びの昼食」を制作。
た、アルジェリア・スペイン・イタリアを旅行し、昔の巨匠たちの作品に触れた。49歳
で正式にアリーヌ・シャリゴと結婚する。56歳の時に、(⑨)の最初の発作が起き、62
歳には療養もかね、リヴィエラ海岸に移転した。手足が不自由になり、車椅子になって
も絵を描き続ける。66歳の時、最後の住居「(⑩)」を購入する。74歳の時に、妻アリ
ーヌ死去。 1919年、ルノワール死去(78歳)。
(語 群)ア、肖像画家
イ、フォンテンブローの森
オ、グレール
カ、アリーヌ・シャリゴ
ク、リモージュ ケ、第1回印象派展
ウ、筋肉リューマチ
キ、絵付け工見習い
コ、レ・コレット邸
エ、モネ
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
【2】次は、「ルノワールの生涯を支えた人々」についてまとめたものです。画家を支え
た人々①∼⑥の説明として適当な内容を下記のア∼カより選択し、記号で答えなさ
い。(1点)
①リーズ・トレオ
②アリーヌ・シャリゴ
③ガブリエル・ルナール
④クロード・モネ
⑤フレデリック・バジール
⑥シャルル・グレール
ア、ルノワールより20歳年下で、「田舎の踊り」など作品のモデルになった。
3人の息子に恵まれ、晩年までルノワールの人生を支えた。
イ、アトリエを経営するスイス生まれの画家。画学生の「個性」を引き出そうとする彼
の指導方法は人気が高く、ルノワールにもフォンテンブローの森でスケッチする
ようすすめた。
ウ、グレールのアトリエで出会い、フォンテンブローの森で共に制作に励み、「印象
主義」の基礎的な考え方や作風をつくり出していった。
エ、グレールのアトリエで知り合った画家。裕福な家庭に生まれ、医学を志したが画
家へ転向する。ルノワールやモネと共同生活をする。
オ、アリーヌの遠縁にあたる。15歳の時に、お手伝いとして同居をはじめ、家事・子
育てを手伝い、一家を支える。ルノワールのモデルにもなった。
カ、友人画家の恋人の妹であった。20代のルノワールは、彼女の浅黒く可愛らしい顔
立ちにひかれ、20点以上制作した。
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
⑥
【3】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「パリスの審判」の解説です。作品を鑑賞
しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。
(1点)
<パリスの審判>
1914年:油彩:73×92.5cm
(日本:ひろしま美術館(レプリカ))
(①)より、美女選びの話である。トロイアの王子パリスが3人の女神の中から、彼
が最も美しいと思った女神に「最も美しい女神に・・・」と彫りこみのあるリンゴを与
える一コマである。パリスは、アフロディテ(ローマ神話ではビィーナス)にリンゴを
与えた。
多くの画家たちに取り上げられたこの(②)に、晩年のルノワールも挑戦した。お手
伝いの(③)をモデルにし、制作に励む。ルノワールは、神話の解釈には、興味はなく
、豊満な(④)の肉体をのどかな情景の中で(⑤)することに終始した。
(語
群) ア、女性 イ、テーマ ウ、ガブリエル エ、表現 オ、ギリシャ神話
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
【4】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「ぶらんこ」の解説です。作品を鑑賞しな
がら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。
(1点)
<ぶらんこ>
1876年:油彩:92×73cm
(フランス:オルセー美術館)
ルノワールは、この作品を、(①)の自宅外の木陰の多い(②)で描いている。芝生
・草花・並木道と続く庭には、ブランコがさがっていた。ダンスホールに通う娘や友人
たちをモデルに使い、(③)が人物や地面に及ぼす効果を彼は追求する。彼は、(④)
を表現するのに黒ではなく「青」を用いた。娘が着ているピンクのドレスの影、さらに
ドレスのリボンにも青を使い、背景では小道の青い影の上で(⑤)が散らばり、複雑な
模様をつくり出した。
(語
群) ア、モンマルトル
イ、光の点
ウ、広い庭
エ、影
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
オ、木漏れ日
【5】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「うちわをもつ少女」の解説です。作品を
鑑賞しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えな
さい。(1点)
<うちわをもつ少女>
1881年:油彩:65×54cm
(アメリカ:クラーク美術研究所)
この作品は、当時のパリの大流行(①)を示す作品である。ルノワールの日本美術に
対する関心の高さを伺うことができる。
日本絵画、いわゆる(②)に魅せられ、自己の画風を追求しているルノワールは、人
物とうちわ、背後の壺に活けられた花を同等の存在感で表現した。ルノワールの絵画の
テーマは、常に(③)である。作品右側の緑色の垂直の色面(壁面)は、画面を必要以
上に縦長に見せ、さらに、モデルの下部を切り取った。この(④)は、やはり浮世絵か
らの(⑤)だと言えよう。
(語
群)
ア、ジャポニズム
イ、大胆な構図
ウ、影響
エ、人物
オ、浮世絵
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
【6】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の解説
です。作品を鑑賞しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、
記号で答えなさい。(1点)
<ムーラン・ド・ラ・ギャレット>
1876年:油彩:131×175cm
(フランス:オルセー美術館)
ルノワールは、当時のパリ庶民の社交場であり、村祭りのような雰囲気があるこの田
舎風(①)を愛した。そして、そこをテーマにした絵を(②)で描きたいと思うように
なった。
近くの借家に住居を移し、友人たちに大きなキャンバスを現場に運ぶのを手伝っても
らう。モデルとしてポーズもとってもらった。ルノワールのテーマは人物、それも健康
的な若々しい娘たちである。
光を追求した他の印象派の画家達が否定した「(③)」を彼は、黒は色彩の女王だと
積極的に利用している。そして、後に「(④)ルノワール」と異名をとる。ルノワール
は、この作品を第3回印象派展に出品した。この作品は、後世まで印象派を(⑤)する
作品となる。
(語
群)
ア、黒
イ、色彩画家
ウ、代表
エ、現場
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
オ、ダンスホール
【7】次の文章は、「画家ルノワール」の人間性を感じる出来事(愛するアリーヌへ)をまと
めたものです。( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えな
さい。(1点)
ルノワールは、40歳まで(①)を通してきた。 画家を目指すルノワールは、結婚し
子供を授かるという事は、絵を描く生活から外れてしまうという考えを持っていた。
しかし、彼は(②)に出会う。20歳年下の彼女は、時々、彼の(③)をしていた可愛
い娘であった。「(④)」のモデルの1人をつとめた1881年の夏、2人は、恋人同士に
なる。けれども、ルノワールは画家としての生活を考え、(⑤)を決意をする。 その
後、イタリアに(⑥)するが、アリーヌを忘れることはできなかった。やがて、2人は
結ばれる・・・。正式に結婚したのは、ルノワールが(⑦)の時であった。3人の息子に
恵まれ、晩年まで互いを助け合う仲の良い夫婦であった。
下記の絵「田舎の踊り」は、2人が結ばれた当時、新妻アリーヌをモデルにして描か
れた作品である。アリーヌの上気した頬、そして(⑧)が幸せを物語る。また、右手に
もつ日本の(⑨)が19世紀ヨーロッパの「(⑩)」を表現している。
(語 群) ア、アリーヌ
カ、ダンス
イ、旅行
キ、別れ
ウ、独身
ク、扇子
エ、モデル
ケ、49歳
オ、ジャポニズム
コ、船遊びの昼食
(解答欄) ①
②
③
④
⑤
⑥
⑦
⑧
⑨
⑩
<田舎の踊り>
1883年:油彩:180×90㎝
(フランス:オルセー美術館)
【8】次の文章は、「画家ルノワール」の人間性を感じる出来事(裸婦−女体美−)をまとめ
たものです。( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさ
い。(1点)
晩年、ルノワールが好んだテーマは「(①)」だった。豊かで輝くような色彩で、ま
ろやかで(②)な女体の作品を何百点も描いている。女性の美しさを光の表現と共に追
求したルノワールは、数々の言葉を残している。
「私が好む絵というものは、風景ならその中を(③)したくなるような作品だし、人物
― ルノワール ―
なら思わず手をのばし(④)したくなるような裸婦だ」 「私は、裸婦を描くとき、それがまるですばらしい(⑤)であるかのように、いつも気
を配ってきた」 ― ルノワール ―
裸婦をテーマに「(⑥)」を色彩で表現したルノワール・・・。しかし、肌の上に(⑦)
の輝きを点々と散らした時、当時の(⑧)がそれを「光の変化」とは考えずに「その女
体の胴体は、死体の(⑨)・・・」と非難した。 下記の「陽を浴びる裸婦」は、第2回印
象派展に出品し、批評家たちに(⑩)された作品である。
(語
群) ア、愛撫 イ、果実
ウ、裸婦 エ、散策 オ、腐敗状態
カ、豊満 キ、批評家 ク、紫色 ケ、酷評 コ、光の変化
(解答欄) ①
⑥
②
③
④
⑤
⑦
⑧
⑨
⑩
<陽を浴びる裸婦>
1875-1876年:油彩:81×65㎝
(フランス:オルセー美術館)
<美術「鑑賞」ディジタル教材―副教材(項目別小テスト)> 解
答
印象派への誘い (①オーギュスト・ルノワール:まとめ)
56
年
組
番・氏名
【1】次の文章は、「ルノワールの生涯」についてまとめたものです。( )の中にあては
まる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。(1点)
ルノワールは、1841年2月25日中部フランス(①)で、5人兄弟の第4子として生ま
れた。13歳の時に、陶磁器工場の(②)になり、19歳の時に画家になる決心をする。
21歳の時、(③)の絵画教室に入る。バジールや後の印象派仲間(④)・シスレー達
と出会い、(⑤)でモネと共に制作をする。24歳の時に、モデル兼恋人であったリーズ
と出会い、制作に励む。ルノワールは、29歳の時に普仏戦争に徴兵されるが無事帰還、
しかし、頼りになる友人バジールが戦士する。
1874年、33歳の時、(⑥)に参加する。38歳の時、サロンに「シャルパンテェ夫人と子
供たち」を出品し認められる。社交界の(⑦)として生活する。
39歳の時、将来の妻(⑧)と出会う。40歳の時に、代表作「舟遊びの昼食」を制作。
た、アルジェリア・スペイン・イタリアを旅行し、昔の巨匠たちの作品に触れた。49歳
で正式にアリーヌ・シャリゴと結婚する。56歳の時に、(⑨)の最初の発作が起き、62
歳には療養もかね、リヴィエラ海岸に移転した。手足が不自由になり、車椅子になって
も絵を描き続ける。66歳の時、最後の住居「(⑩)」を購入する。74歳の時に、妻アリ
ーヌ死去。 1919年、ルノワール死去(78歳)。
(語
群)ア、肖像画家
イ、フォンテンブローの森
オ、グレール
カ、アリーヌ・シャリゴ
ク、リモージュ ケ、第1回印象派展
ウ、筋肉リューマチ エ、モネ
キ、絵付け工見習い
コ、レ・コレット邸
(解答欄) ①
ク
②
キ
③
オ
④
エ
⑤
イ
⑥
ケ
⑦
ア
⑧
カ
⑨
ウ
⑩
コ
【2】次は、「ルノワールの生涯を支えた人々」についてまとめたものです。画家を支え
た人々①∼⑥の説明として適当な内容を下記のア∼カより選択し、記号で答えなさ
い。(1点)
①リーズ・トレオ
②アリーヌ・シャリゴ
③ガブリエル・ルナール
④クロード・モネ
⑤フレデリック・バジール
⑥シャルル・グレール
ア、ルノワールより20歳年下で、「田舎の踊り」など作品のモデルになった。
3人の息子に恵まれ、晩年までルノワールの人生を支えた。
イ、アトリエを経営するスイス生まれの画家。画学生の「個性」を引き出そうとする彼
の指導方法は人気が高く、ルノワールにもフォンテンブローの森でスケッチする
ようすすめた。
ウ、グレールのアトリエで出会い、フォンテンブローの森で共に制作に励み、「印象
主義」の基礎的な考え方や作風をつくり出していった。
エ、グレールのアトリエで知り合った画家。裕福な家庭に生まれ、医学を志したが画
家へ転向する。ルノワールやモネと共同生活をする。
オ、アリーヌの遠縁にあたる。15歳の時に、お手伝いとして同居をはじめ、家事・子
育てを手伝い、一家を支える。ルノワールのモデルにもなった。
カ、友人画家の恋人の妹であった。20代のルノワールは、彼女の浅黒く可愛らしい顔
立ちにひかれ、20点以上制作した。
(解答欄) ①
カ
②
ア
③
オ
④
ウ
⑤
エ
⑥
イ
【3】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「パリスの審判」の解説です。作品を鑑賞
しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。
(1点)
<パリスの審判>
1914年:油彩:73×92.5cm
(日本:ひろしま美術館(レプリカ))
(①)より、美女選びの話である。トロイアの王子パリスが3人の女神の中から、彼
が最も美しいと思った女神に「最も美しい女神に・・・」と彫りこみのあるリンゴを与
える一コマである。パリスは、アフロディテ(ローマ神話ではビィーナス)にリンゴを
与えた。
多くの画家たちに取り上げられたこの(②)に、晩年のルノワールも挑戦した。お手
伝いの(③)をモデルにし、制作に励む。ルノワールは、神話の解釈には、興味はなく
、豊満な(④)の肉体をのどかな情景の中で(⑤)することに終始した。
(語
群) ア、女性 イ、テーマ ウ、ガブリエル エ、表現 オ、ギリシャ神話
(解答欄) ①
オ
②
イ
③
ウ
④
ア
⑤
エ
【4】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「ぶらんこ」の解説です。作品を鑑賞しな
がら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさい。
(1点)
<ぶらんこ>
1876年:油彩:92×73cm
(フランス:オルセー美術館)
ルノワールは、この作品を、(①)の自宅外の木陰の多い(②)で描いている。芝生
・草花・並木道と続く庭には、ブランコがさがっていた。ダンスホールに通う娘や友人
たちをモデルに使い、(③)が人物や地面に及ぼす効果を彼は追求する。彼は、(④)
を表現するのに黒ではなく「青」を用いた。娘が着ているピンクのドレスの影、さらに
ドレスのリボンにも青を使い、背景では小道の青い影の上で(⑤)が散らばり、複雑な
模様をつくり出した。
(語
群) ア、モンマルトル
イ、光の点
ウ、広い庭
エ、影
(解答欄) ①
ア
②
ウ
③
オ
④
エ
⑤
イ
オ、木漏れ日
【5】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「うちわをもつ少女」の解説です。作品を
鑑賞しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えな
さい。(1点)
<うちわをもつ少女>
1881年:油彩:65×54cm
(アメリカ:クラーク美術研究所)
この作品は、当時のパリの大流行(①)を示す作品である。ルノワールの日本美術に
対する関心の高さを伺うことができる。
日本絵画、いわゆる(②)に魅せられ、自己の画風を追求しているルノワールは、人
物とうちわ、背後の壺に活けられた花を同等の存在感で表現した。ルノワールの絵画の
テーマは、常に(③)である。作品右側の緑色の垂直の色面(壁面)は、画面を必要以
上に縦長に見せ、さらに、モデルの下部を切り取った。この(④)は、やはり浮世絵か
らの(⑤)だと言えよう。
(語
群)
ア、ジャポニズム
イ、大胆な構図
ウ、影響
エ、人物
オ、浮世絵
(解答欄) ①
ア
②
オ
③
エ
④
イ
⑤
ウ
【6】次の文章は、ルノワールの代表的な作品「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」の解説
です。作品を鑑賞しながら、( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、
記号で答えなさい。(1点)
<ムーラン・ド・ラ・ギャレット>
1876年:油彩:131×175cm
(フランス:オルセー美術館)
ルノワールは、当時のパリ庶民の社交場であり、村祭りのような雰囲気があるこの田
舎風(①)を愛した。そして、そこをテーマにした絵を(②)で描きたいと思うように
なった。
近くの借家に住居を移し、友人たちに大きなキャンバスを現場に運ぶのを手伝っても
らう。モデルとしてポーズもとってもらった。ルノワールのテーマは人物、それも健康
的な若々しい娘たちである。
光を追求した他の印象派の画家達が否定した「(③)」を彼は、黒は色彩の女王だと
積極的に利用している。そして、後に「(④)ルノワール」と異名をとる。ルノワール
は、この作品を第3回印象派展に出品した。この作品は、後世まで印象派を(⑤)する
作品となる。
(語
群) ア、黒
イ、色彩画家
ウ、代表
エ、現場
オ、ダンスホール
(解答欄) ①
オ
②
エ
③
ア
④
イ
⑤
ウ
【7】次の文章は、「画家ルノワール」の人間性を感じる出来事(愛するアリーヌへ)をまと
めたものです。( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えな
さい。(1点)
ルノワールは、40歳まで(①)を通してきた。 画家を目指すルノワールは、結婚し
子供を授かるという事は、絵を描く生活から外れてしまうという考えを持っていた。
しかし、彼は(②)に出会う。20歳年下の彼女は、時々、彼の(③)をしていた可愛
い娘であった。「(④)」のモデルの1人をつとめた1881年の夏、2人は、恋人同士に
なる。けれども、ルノワールは画家としての生活を考え、(⑤)を決意をする。 その
後、イタリアに(⑥)するが、アリーヌを忘れることはできなかった。やがて、2人は
結ばれる・・・。正式に結婚したのは、ルノワールが(⑦)の時であった。3人の息子に
恵まれ、晩年まで互いを助け合う仲の良い夫婦であった。
下記の絵「田舎の踊り」は、2人が結ばれた当時、新妻アリーヌをモデルにして描か
れた作品である。アリーヌの上気した頬、そして(⑧)が幸せを物語る。また、右手に
もつ日本の(⑨)が19世紀ヨーロッパの「(⑩)」を表現している。
(語 群) ア、アリーヌ
カ、ダンス
イ、旅行
キ、別れ
ウ、独身
ク、扇子
エ、モデル
ケ、49歳
オ、ジャポニズム
コ、船遊びの昼食
(解答欄) ①
ウ
②
ア
③
エ
④
コ
⑤
キ
⑥
イ
⑦
ケ
⑧
カ
⑨
ク
⑩
オ
<田舎の踊り>
1883年:油彩:180×90㎝
(フランス:オルセー美術館)
【8】次の文章は、「画家ルノワール」の人間性を感じる出来事(裸婦−女体美−)をまとめ
たものです。( )の中にあてはまる語句を下記の語群から選択し、記号で答えなさ
い。(1点)
晩年、ルノワールが好んだテーマは「(①)」だった。豊かで輝くような色彩で、ま
ろやかで(②)な女体の作品を何百点も描いている。女性の美しさを光の表現と共に追
求したルノワールは、数々の言葉を残している。
「私が好む絵というものは、風景ならその中を(③)したくなるような作品だし、人物
なら思わず手をのばし(④)したくなるような裸婦だ」 ― ルノワール ―
「私は、裸婦を描くとき、それがまるですばらしい(⑤)であるかのように、いつも気
を配ってきた」 ― ルノワール ―
裸婦をテーマに「(⑥)」を色彩で表現したルノワール・・・。しかし、肌の上に(⑦)
の輝きを点々と散らした時、当時の(⑧)がそれを「光の変化」とは考えずに「その女
体の胴体は、死体の(⑨)・・・」と非難した。 下記の「陽を浴びる裸婦」は、第2回印
象派展に出品し、批評家たちに(⑩)された作品である。
(語
群) ア、愛撫 イ、果実
ウ、裸婦 エ、散策 オ、腐敗状態
カ、豊満 キ、批評家 ク、紫色 ケ、酷評 コ、光の変化
(解答欄) ①
ウ
②
カ
③
エ
④
ア
⑤
イ
⑥
コ
⑦
ク
⑧
キ
⑨
オ
⑩
ケ
<陽を浴びる裸婦>
1875-1876年:油彩:81×65㎝
(フランス:オルセー美術館)
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