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事前復興から発想する南海トラフ地震対策

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事前復興から発想する南海トラフ地震対策
事前復興から発想する南海トラフ地震対策
中林 一樹(明治大学政治経済学研究科・教授)
私はプランニングが専門なので、エンジニアリングの素養はありません。今回の研究には、
「国難」と言
われる大災害の防災、減災という視点のほかにも、「国難から国をどう復興させるか」が大問題だと考え、
事前にどのように復興していくのかという視野が必要だと、研究に取り組んでいます。
1. 被害想定
2012 年 8 月末に、内閣府から南海トラフ地震の被害想定が出されました(図表 1)。震度 7 の揺れにより
160 万棟が破壊され、その後、火災により 75 万棟が焼失し、津波により 15 万棟の建物が全壊し、住宅に一
番人がいて、避難が最も困難である深夜に 32 万人の死者が発生するのではないかという最悪のケースが想
定されています。
首都直下地震については、現在、内閣府で新しい被害想定をしていますが、2005 年の被害想定では、火
災が一番大きなハザードで 65 万棟の家屋が焼失し、20 万棟が全壊するという、計 85 万棟の建物被害が想
定されています。東日本大震災や阪神・淡路大震災に比べ、格段に大きな被害です。特に南海トラフの最悪
ケースは“けた”が違います。東日本大震災の復興がままならぬまま次の地震に襲われると、それが本当の
国難になります。
南海トラフ地震の被害の特徴は、広域で巨大な災害だということです。南海トラフ地震における陸域側の
最悪のケースを考慮すると、日本の三大都市圏のうち大阪大都市圏、名古屋大都市圏が揺れによって非常
図表 1
図表 2
‐ 25 ‐
図表 3
図表 4
に大きな被害を受けてしまいます。首都機能については長周期で揺すられますが、その影響以外に、日本の
経済活動の半分を失ってしまうかもしれないという大都市災害になっています。
非常に広い範囲で震度 7 が発生します(図表 2)。東日本大震災では、揺れによる建造物被害の大部分は
全壊ではなく半壊程度以下にとどまりましたが、南海トラフ地震では揺れによる全壊被害が圧倒的に多く
想定されています(図表 3)
。そこを津波が襲います。津波による全壊は 15 万棟で、深夜に平均 1 棟に 2 人
が閉じ込められている。避難できないまま 5∼10 分で津波が来てしまうと、それで 30 万人の方が命を落と
す可能性があるということなのです(図表 4)
。
災害とは、バルナラビリティ(脆弱性)とハザード(外力)が露呈したときに被害が起きると概念定義で
きますが、被害を減らす基本の一つはハザードとバルナラビリティを切り離すことです。東日本大震災の
復興では住まいの高台移転が最大の課題になっていますが、これは津波のハザードから住まいを逃がすこ
となので、まさにハザードとバルナラビリティを切り離す安全化で「回避」なのです。ただ、その考え方だ
けで全ては収まらないので、ハザードを避けることができなくても、バルナラビリティを減らすことによ
り被害を減らしていこうというのが、従来の「防災」の発想です。
また、ハザードを小さくできれば被害も減りますが、自然災害ではハザードを減らすことは困難です。唯
一「免震」は建物下の外力を小さくする技術ですが、一般には地震を止めたり揺れを小さくしたりはでき
ないので、取るべき方向性としては、基本的には、脆弱性を小さくする防災か、ハザードから隔離する回避
(移転)の二つがあると思います。
南海トラフ地震に対して 100 %耐震改修を行った場合、つまり現在の新耐震基準に合わせて建物の強度
が増したという前提で対策を考慮した場合でも、最悪ケースである 240 万棟の全壊が 80 万棟の全壊に、32
万人の死者が 10 万人に軽減されるだけです(図表 5)。確かに建物被害は減りますが、80 万棟の建物が失
われ、10 万人の人が亡くなることは大変なことで、阪神・淡路大震災、東日本大震災の被害の規模をはる
かに超えることに変わりはありません。さらにこれを減らしていくことが本当の国難を乗り越える方法だ
とすると、防災という枠組みを超えた展開を考えておく必要があります。
もう一つ頑張らなければいけないのは、日本の人口に対してです。中越地震、阪神・淡路大震災、東日本
大震災の三つの災害でも、被災地人口には随分差がありました(図表 6)。被災地は連続するので、どこで
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図表 5
図表 6
線を引くかということは難しいのですが、災害救助法が適用された自治体を被災地と考えると、被災地へ
の応援団の数に随分差があることも分かります。
首都直下地震、南海トラフ地震の最大ケースだと、国民の 5 分の 1、4 分の 1 が被災地域にいます。非被
災地からの救援による減災にも限りがあることを考えざるを得ません。
南海トラフ地震の減災対策の課題を考えると、揺れによる対策はもちろんですが、火災による対策をどう
展開するかということも重要です。津波による被害をどう軽減するかということはなかなか難しい問題で
す。最悪ケースなので、いかに命を守るかという津波避難に課題があります。さらに広域分散型の災害で、
多くの負傷者が発生するので、負傷者に対する医療に限度があるかもしれません。また、南海トラフ地震で
は、名古屋や大阪などの大都市圏がかなり揺れて大きな被害を受けるので、都市災害としての対応も考え
ておかなければいけません。発災後もさまざまな大きな課題があります。
これらを細かく一つずつ想定していきながら、シナリオとして練り上げていかなければいけないと思っ
ています。その後の被災地復興に関しては、被災地ではなく国をどう復興するかという発想に立たなけれ
ば対応できないのではないかと思っています。
2. 東日本大震災の被害
東日本大震災は津波災害でした。南三陸町では、海岸沿いの平場に住んでいた 8 割の町民が津波にさら
され、6 割の人が家を失いました。津波を受ける前の中心市街地、志津川は素晴らしい場所でしたが(図
表 7)
、ここが全て水をかぶり、高台のもの以外は全て失われました。防潮堤なども設置されていましたが、
防災センターを超える 14m ぐらいの高さで津波が入ってきたのです(図表 8)
。引波によって防潮堤が内側
から海側に破壊され、陸地も消えてしまいました(図表 9)
。地籍上は全部陸地ですが、
「海に戻ってしまっ
た」と表現できます。
その後、被災地で生き延びた方、早めに避難された方が避難所へ行きました。少子高齢化のために小中
学校統廃合があってクラス数が大きくなるということで、大きい校地を求めて高台を切り開いていたため、
避難所を確保できました。多くの人が避難所に行くしかなく、避難所からはなるべく早く人間らしい生活
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図表 7
図表 8
図表 9
図表 10
をという声が上がり、仮設住宅の建設が急がれましたが、リアス式の地域では土地が足りなかったため、隣
町にも仮設住宅を造りました。それでも足りず、民間の賃貸住宅を借り上げて、国の負担で家賃を払いまし
た。ただ、これらの「みなし仮設(借り上げ仮設)
」にする民間賃貸住宅は被災地に少なく、多くの被災者
が内陸の都市部、仙台都市圏などへ移動しています。6 万 8000 戸中 6 万 3000 戸のみなし仮設が利用され、
応急仮設住宅は 5 万 3000 戸にも上ったため、被災地からどんどん人がいなくなっています。さらに、そろ
そろ 2 年がたちますが、宮城、岩手でもいまだに県外避難が終わっておらず、福島では実に 6 万人が県外
へ避難しています。
昨年の夏過ぎごろから、被災地にもようやく仮設の店舗や作業所ができてきて、被災者がいなくなってい
る状況の中で復興をどうするかという話し合いが進められるようになりました。
「復興を待てない」という
ことで、年が明けて、住宅の個別再建の動きが少しずつ出てきています。被災者生活再建支援の申請が出て
きている要ですが、現地にはほとんど住宅は建っていませんから、人口流出に繋がっているといわざるを
えません。
さらにこれからどうなるのかということが重要になっています。現在地元にとどまっている人たちは地
域の復興が進んでとどまりつづけるはずですが、外へ出てしまっている多くの人たち、若い人が多いので
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図表 11
図表 12
すが、が今後、どのように復興に取り組んでいくのか。長い復興の取り組みの果てに、被災地はどうなるの
か。被災地は高齢化の限界自治体になってしまうのか。被災地復興でどのような地域をつくっていくのか。
東日本を見ながら、巨大災害後の国づくりについて真剣に考えなければいけないと改めて思います。
3. 復興に向けて
事前に復興の準備をしても、被災するのを待っているだけでは何の足しにもならないので、もう一度、防
災の取り組みを見直す発想の転換にはできないでしょうか。事前のまちづくりとは、現実の生活や生業が
呪縛になっており、そこから抜けきれず、防災まちづくりが進みません。耐震化が必要なことは頭では分
かっていても、私の年齢の人だと後寿命の僅かなのだし、せいぜい 15 年持ちこたえればいい、という考え
になってしまい耐震化が進みません。また、生業などの問題があって移転もできません。そこをもう一度考
え直すきっかけとして、
「被害想定を前提に、今から復興を考えられないか」と思っています。
東日本大震災後、昨年 4∼5 月ぐらいから、東日本の復興はどのように展開するのかと考えはじめ、揺れ
による被害、津波による被害、放射能による被害、それからの復興を個人、まち、市町村(自治体)
、県、国
という立場で整理していきました(図表 10)
。実際の復興がこのようになるのか、あるいはこれをさらに超
えた素晴らしいものになるのか、というのはこれからの話です。
日本列島でみると、南海トラフ地震と東日本大震災は首都圏を挟ん点対称の位置になりますが、もし起き
たら被災後にどのように復興するか、東日本の復興を見ながら考えてみました(図表 11)。30 万人が亡く
なってから高台移転の復興を考えるのではないとすれば、今から何をすればいいのか。私は、この発想が南
海トラフ地震の事前復興の枠組みではないかと思っています。
阪神・淡路大震災の後、東京都は事前復興対策に取り組んできました。阪神・淡路大震災に送った東京都
調査団に、私も専門委員として参加し、当時、東京では約 5∼6 倍の区部直下地震の被害想定がされている
中、阪神・淡路大震災と同じスピードで復興するには、事前に復興まで視野に入れた取り組みをすておく
必要があると考えました。復興計画や施策の考え方とその準備をしておくこととともに、復興においては、
必ず合意が問題になります。つまり、
「どういう目標で復興するのか」という目標像が共有できるかという
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図表 13
図表 14
課題です。この事前の取り組みが「震災復興グランドデザイン」です。共有できたとししてもそれを実現す
る計画、施策を作る必要があります。今ある制度を前提にして、何ができるのか。それが「震災復興マニュ
アル(復興施策編)
」です。それを地域、企業とどのように連携しながら進めていくのか、それが「震災復
興マニュアル(復興プロセス編)
」です。さらに、その準備を今のまちづくりの中で思考実験をしてみるこ
とも必要です。今、東京では防災訓練ではなく、
「復興まちづくり訓練」をしています。
この図表 12 は、被害想定を基に東京が描いた一つのシナリオです。都心、副都心を取り囲む木造密集市
街地が焼失し、その後、どのように復興するのか、七つの「復興戦略プロジェクト」が公表されています。
復興の現場となる市区町村として、葛飾区は昨年 7 月、20 年先の都市計画マスタープランの中で「防災まち
づくりの方針」とともに、
「復興まちづくりの方針」として、どの道路を優先的に整備する必要があるのか、
地域特性、地域の整備状況に合わせて、大きな被害を受けたときにどんな街に復興していくのかということ
を取りまとめ、
「都市計画マスタープラン」として事前に公開し、区民に知ってもらおうとしています。現
在進めている防災まちづくりの中に、被災後のまちづくりも埋め込んでおこうという発想です。また、施策
編ではどのように復興対策本部を立ち上げ、どんな施策を展開するか、今から準備しておきます(図表 13)
。
復興プロセス編では、どのように復興を進めるか、原則や方針などを既に公表しています(図表 14)
。
その四つの冊子を作って棚に閉まって終わりではナウ、毎年棚卸する必要があるということで、2 種類の
訓練を行っています。一つ目はモデル地区を設定し、行政職員(区市町村職員)が、どのように復興を進め
るかをやってみる「都市復興図上訓練」です。今年で 15 回目の訓練で、これまで約 1400 人ほどの区市町
村職員が経験しています。二つ目に、それがきっかけとなり、区市の震災復興マニュアルや復興推進条例
などを今のうちに作りはじめています。特に防災まちづくりが必要な脆弱なまちでは、これまでの防災ま
ちづくりの活動に加えて、もし全部燃えてしまった場合にはどう復興するかという「復興まちづくり訓練」
も 40 地区以上で実施してきています。
一つの復興まちづくり訓練は、4 回ほどワークショップを行います(図表 15)
。まちを歩き「被害を想定」
し、
「避難所に入って復興の課題を考え」
、
「まちにとどまりながらの復興の方法」を考えます。街に留まっ
て復興するための鍵として「時限的市街地」方式を提案しているのですが、それは「復旧を急ぎ、その後
じっくり復興」するという発想です。そして、訓練の最終として、疑似的ですが、被災後に目指すべきまち
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図表 15
図表 16
はどんなものか、を考え「復興まちづくり方針や構想」を検討します。それを、
「まちの知恵」として残し
ておきます。
南海トラフ地震に関しても、こうした事前の復興の取り組みが何よりも重要ではないでしょうか。被害想
定に基づく復興を事前に考えて、地域特性に合わせた復興対策を講じておく。さらに、復旧・復興の計画を
作る手順を整理しておく。避難所からどのように連続的に復興を仕上げていくのか。さまざまな被災者の
思いをどのように復興にくみ取っていくのか。そうした一つの取り組みが、被災で地域を消滅させないまち
づくりにつながっていきます。それを事前の「防災まちづくり」につなげていくという「事前復興の発想」
が展開できないか、と考えています。
どういうまちづくりをするかという「マニュアル」は、基本的には地域防災計画に位置付けることにな
り、被災後、どういうまちづくりをするのかという「復興まちづくりビジョン」は都市計画マスタープラン
や長期総合計画に、今の段階から位置付けておく。さらに避難訓練の後にまちへ戻ってきて、
「どのように
まちを復興するのか」も地域の皆さんがシミュレーションし、考えておく。究極は、防災まちづくりの中
で、
「復興で目指すべきまちづくり」を組み込んで、
「事前にできることは進めておく」ところまで、何とか
持っていきたいと思っています。
防災、減災は現実の呪縛に縛られてなかなか動かない。進まない。発想が展開しないのですが、
「被災し
たら」ということを 1 枚のレンズとして挟むことにより、もう少し抜本的な社会のあり方、まちのあり方に
の取り組ンで行けるのではないか、展開していけるのではないでしょうか。これまでは防災、減災から防災
まちづくりや都市づくりを進め、その先で不連続に復興まちづくりが考えられ、地域防災計画の復興編に
は「大きな被害を受けたら、計画的に復興します」と書いてあるだけで、何の計画もありませんでした。こ
の図表 16 は「漁村整備のマニュアル」にある図ですが、従来の防災ですと現存する施設の強化にとどまっ
てしまいます。しかし巨大津波では、これらが全て壊滅してしまい多くの犠牲が発生するので、私が考える
発想の転換による「事前復興のまちづくり」の取り組みは不可欠だと思います。
‐ 31 ‐
図表 17
4. 南海トラフ巨大地震の事前復興
南海トラフの事前復興は、高頻度の津波に対してどこまでハザードで守るのかという防災を考え、それを
超える低頻度の津波に対して命を守ることが、今の取り組みとして考えられます。東日本大震災では 2 万
人の犠牲者が出て 13 万の建物を失ってから「高台移転」を考えましたが、地域を離れた人は、若い世代を
中心に二度と戻ってこないかもしれません。高台移転に関しても、家が建たない造成地がたくさんできて
しまうのではないかと危惧されています。従って、高台移転をするのであれば、今から高台移転を目指した
長期的な防災まちづくりを進める必要があるでしょう。
西日本の津波被災地では、20 年ほどの余裕があると考えて、一つの大きな方針として 20 年を目標に、ゆっ
くりとした高台移転を前提にしたまちづくりを今から掲げなければいけません。高台へ移転するかどうか
という決断に 5 年以上の時間はかけられませんが、20∼30 年かけて、さみだれ式に高台へ移転していく。
造成だけは早めにしておき、道路も造っておくと、移転前に巨大災害が発生したときの逃げ場や避難道路
になります。造成後には、公共施設を優先的に移転させ、順番に、住宅は建て替えの時に徐々に移転して
いく取り組みが、非常に重要ではないかと思います。災害後に 100 兆円を一度に出すのは大変ですが、30
年で 100 兆円だと 1 年で 3 兆円でいいので、緩やかな対策が極めて重要だと思います。従来の防災、減災、
復興という順番とは逆に、
「被害想定を基に復興から発想し、復興で目指すべきまちを今から防災として進
めていく」という発想で、巨大災害に対する取り組みを始める必要があります。
今回、漁村整備のマニュアルに「高台移転の図」
(図表 17)が載りましたが、これは被災後に行うことで
ないとすれば、
「事前に復興で目指すまちづくりを進めておく」ということです。そういう発想に立った事
業やシナリオが現実的に展開できれば、耐震化という防災によって 80 万棟、10 万人まで被害を減らした上
で、事前復興として高台への移転などを実践すれば、もう一段階、被害を減らすまちづくりに届いていくの
ではないでしょうか。
また、耐震補強ではなく、更新によって建物の耐震化を進めることも含めると、さらなる安全に向かっ
ていけるはずです。実際にそれを進める手法も考えなければいけませんが、
「南海トラフ地震による津波は
35m」と言われたときに、「何もできない」と諦めては、何も進みません。一方で、怖がりすぎることも問
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題です。正しく怖がるために、どうすればいいのか、何をすればいいのかを、正しく示していく必要があり
ます。災害は悲観的に想定すべきですが、そこから少しずつ被害を減らし、安全に向かっていくための国づ
くりは楽観的に取り組婿とが重要です。そして、東日本の災害復興とともに、首都圏と西日本の事前復興を
組み合わせた「二元復興による国づくり」が必要です。
東日本の復興を急ぐ必要があります。それも、ただ単に急ぐだけではなく、130 %ぐらいの復興にならな
ければいけません。首都直下地震、南海トラフ地震は東日本大震災をはるかに超える被害規模が想定されて
おり、事前復興、長期的な防災の取り組みで被害を減らしても、かなりの被害が発生します。現在、首都圏
と西日本で東日本を支えているように、例えば被災した首都圏を西日本と東日本で支え、被災した西日本
を首都圏と東日本で支えることができるような、それぞれの地域が相互に助け合えるような国土をつくっ
ていくことが何よりも重要です。
そういう意味では、これからは企業も一分の国づくりの役割を担う時代ではないかと考えます。海外に移
転するだけではなく、国内の力を高めておく企業の取り組みも必要です。それにより、東日本では 120∼130
%の復興を成し遂げ、首都圏と西日本の抜本的な防災への取り組みを継続的に進めて行けるのではないか。
私はこの研究を通して、防災、減災の後にいずれ復興を考えるという順番ではなく、復興から防災目標、
減災目標を捉え直して考える、という取り組みで、国難を乗り越えるシナリオを作りたいと思っています。
河田先生は被害のシナリオを作るということですが、私としてはそれを踏まえ、復興へ向けてのシナリオ
を作っていきたいと考えています。決意表明のような話になりましたが、東日本の復興を急ぐと同時に、西
日本、首都圏の事前復興をどう進めるかが、今のシナリオで、さらにその先に西日本、東日本の巨大災害の
復興シナリオもぜひ考えてみたいのです。
質疑応答
(細坪) 被害を想定してそのまま元に戻すのではなく、企業も 120∼130 %という発想を持ち、BCP と
して、国づくりとして役立つ仕掛けを準備し、まちと経済活動の両輪を走らせる必要があると思います。先
生の活動も、ぜひ民間向けに進めていただければ幸いです。
(中林) 私は昨日、内閣府の災害法制度再編の担当者と懇談しました。そこで話したのですが、多くの
自治体が災害対策条例を作っており、自分の自治体が被害を受けることを前提に、自治体の役割(公助)、
地域の役割(共助)
、民間の事業者や住民の役割(自助)を規定して、自助 7 割、共助 2 割、公助 1 割という
考え方が示されることが多いのですが、国難への取り組みはそんなものではないでしょう。国の役割、自治
体の役割、企業の役割、国民の役割、NPO・NGO など団体の役割の中で、国の役割は 3 割、5 割が必要にな
るでしょう。復興についての一般法は何もないのですが、そういうところから法制度を作っていかないと国
難は乗り越えられないのではないかという話をしました。そういう意味では、企業も一緒に国づくりを考
えていけるような仕組みを作っていかなければいけないと思います。またいろいろお力をお貸しください。
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