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日本史ノート 日本史ノート <はしがき> このノートは、 1998 年 4 月から 2000 年 1 月までの日本史の授業 をテキスト化したものです。その理由は後に書いておきました。 先生の板書を写しただけの物なので 、「はしがき」などを書くの は心苦しいですが、とりあえず、このノートを見るに時に、注意 して頂きたいことを書いておきます。 文化と第一次大戦・第二次大戦は授業での都合上(日本史演習 だった為 )、テキスト化できませんでした。そして、このノートに 完成は無いらしく、いつも「間違い」が含まれています。最善の 努力で訂正をしたつもりですが、これだけは勘弁してください。 このノートが何かの役に立てば幸いです。 2000/1/20 <参考文献> 山川出版社 〃 語学春秋社 「詳説 日本史 」(教科書) 「詳説 日本史 B 用語集」 「菅野日本史 B 講義の実況中継(上・中・下 )」 日本史 ABCDノート since 1998.9 ■目次 第1部 第1章 原始・古代 日本文化のあけぼの 1.文化の始まり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.農耕社会の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.古墳と大和政権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第2章 1 2 4 律令国家の成立 1.推古朝と飛鳥文化・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 7 2.律令国家の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 8 3.平城京の時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 12 5.平安初期の政治と文化・・・・・・・・・・・・・・・・・ 14 第3章 貴族政治と国風文化 1.摂関政治・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 16 3.荘園と武士・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 18 4.院政と平氏の台頭・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 20 第2部 第4章 中世 武家社会の成立 1.鎌倉幕府の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 22 2.執権政治・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 23 3.元寇と幕府の衰退・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 25 第5章 武家社会の成長 1.室町幕府の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26 2.幕府の衰退と庶民の台頭・・・・・・・・・・・・・・・ 29 4.戦国大名の登場・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 33 第3部 第6章 近世 幕藩体制の確立 1.織豊政権・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 35 2.幕藩体制の成立・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40 第7章 幕藩体制の展開 1.幕政の安定・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 45 2.経済の発達・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 47 第8章 幕藩体制の動揺 1.幕政の改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 51 2.幕政の衰退・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 53 第4部 第9章 近代・現代 近代国家の成立 1.開国と幕府の動乱・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 2.明治維新と富国強兵・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 3.立憲国家の成立と日清戦争・・・・・・・・・・・・・ 4.日露戦争と国際関係・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第 11 章 55 58 62 68 現代の世界と日本 1.占領下の改革・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 76 文化と第一次大戦・第二次大戦は授業での都合上、 テキスト化できませんでした。ご注意ください。 第1部 原始・古代 原始・古代 第 第 11 章 章 日本文化のあけぼの 日本文化のあけぼの 1.文化の始まり 1.文化の始まり ◇人類と日本人 (1)人類の特性(サルからヒトへ) 四足歩行→二足歩行 脳の発達、手が歩行から解放 ↓ ・ ・ の使用(製作) (2)人類の進化 猿人 原人 旧人 新人 日本の更新世人骨 旧人~牛川人(愛知 ), (栃木) 新人~ ,浜北人(静岡 ), (沖縄 ),聖岳人(大分) (特徴)古モンゴロイド(広い顔、低身長)⇒縄文人 日本人の形成……縄文人+弥生人(新モンゴロイド)との混血 ◇旧石器時代(無土器・先縄文文化) (洪積世) 1 万年前まで (1)文化の段階 旧石器時代~ のみ 石器時代 中石器時代~細石器(細石刃)の使用 新石器時代~ の出現 金属器 同時期に伝来 (2)文化の発展 発端~ ( 1946 群馬,相沢忠洋) 関東ローム層から、打製石器発見 現在 3000 余ヶ所より発掘 馬場壇 A 遺跡・座散乱木遺跡(宮城) 早水台遺跡(大分) 生活~狩猟採集生活 道具~打製石器(ナイフ型石器,尖頭器) 住居~ (洞穴) 社会~小集団( 10 人前後)→大集団へ 石器の発達(狩猟技術の進歩) 楕円型石器 ナイフ型土器 握斧・握槌 石刃(切断用、 ( ) 尖頭器( 刺突用 、 -1- ) ) 石 槍 細石器 ( ) 9000 年前~ BC30 頃) ◇縄文文化( (1)土器 早創期 早期 (無文) 前期 深針型 (平底) 中期 文様複雑 後期 注口土器 晩期 弦付土器 (2)石器~ と打製石器の併用(新石器時代) (3)生活~湧水地付近の台地で生活 住居~横穴式( 洞穴 ) 平地式 敷石式 高床式 (楕)円形⇒強度、火の効率の平均化 家族(数人~十数人)→共同体(狩猟・採集生活) 原始農耕~八ヶ岳山麓の焼畑農業 福岡、板付遺跡の水田址 原始信仰~ (万物に霊魂が宿ると考え、その霊魂を崇拝進行の 対象とする) 呪術的行為~ (成年式 ), ・ (死霊のよみ返り防止) ~安産・豊穣祈願←母系制社会の反映 縄文人の平均寿命 岩手県~岡山県出土の 15 歳以上の人骨( 235 体) 男子 31.1 歳、女子 31.3 歳 < 15 歳以下も含めると、平均寿命は 20 歳以下> (4)遠隔地との交易 ① (ガラス質の火成岩)→ 250km の同心円内より出土 (北海道 )、 (長野 )、 (熊本) ②硬玉( )~ (新潟)付近→ 500km ③讃岐石( )~ (奈良) (5)代表的遺跡~ (縄文時代人の生活を知る手がかり) ~ E. モース( 1877 東京) 2.農耕社会の成立 2.農耕社会の成立 ◇弥生時代( BC3C 頃~ AD3C 頃) 稲作 原産~インド、アッサム地方,中国、雲南地方 伝播の経路~中国→朝鮮半島→西日本 縄文 狩猟 採集 (移住) 弥生 米作 共同作業の必要性 (宗教的指導者)→ (定住) 階級社会の出現(貧富の差) 埋葬法~ ・ ・ ・ (←屈葬・抱石葬) -2- (支配者) (1)文化の伝播 中国系統~青銅器,鉄器,織物,石器(石包丁,磨製片刃石斧 ),高床倉庫 朝鮮系統~支石墓,磨製石鏃,青銅武器,上器 ~薄手、赤褐色(←高温焼成) ← 新技術の伝来→( ) 高坏(盛付用 ),甑(蒸器 ),壺(貯蔵用) 時期~前期・中期・後期 (2)金属器 ~瀬戸内沿海 、 ~北九州 ~畿内……宝器・祭器 鉄器~腐食し、遺品少なし 青銅器 出土 (3)水稲耕作 遠賀川遺跡(福岡 ), (奈良) (静岡)水田址、竪穴住居、高床倉庫 農具 鍬~木製→鉄製( ), (穂首刈) ◇小国の分立(中国史料に見る大陸交渉の歩み) (1) ( BC1C )〔後漢・ AD1C〕 倭国、 100 余国に分立、楽浪郡に遣使 BC108、漢の による朝鮮支配 < ,真蕃郡,臨屯郡,玄菟郡> (2) ( 1 ~ 2C )〔宋・ 5C 〕 AD57、奴国王の遣使(後漢・洛陽) → 、金印授与 ( 1784 福岡県志賀島) AD107、倭国王の遣使、生口(奴隷 160 人献上) 社会 王 大夫( 大臣 ) 生口(奴隷) (3) ( 3C )〔晋・ 3C 末〕 239 、倭への遣使→ の称号+銅鏡 100 枚 ~ 30 ほどの部族国家のリーダー ~鬼道政治,租税制,身分秩序 卑弥呼の死→男王による支配(国内混乱) → (卑弥呼の宗女 13 歳)即位により治まる <男子王権の世襲制未確立> 社会 女王 大夫 大人 下戸 奴婢(奴隷) (衣服)男子~袈裟衣 女子~貫頭衣 中国史書における日本関連記事の空白部( 266 ~ 413) 大和政権の統一進行形 -3- 3.古墳と大和政権 3.古墳と大和政権 ◇大和政権の成立( 4C 半,奈良盆地) (4) 〔梁・ 5C 〕 478 、倭王 武(雄略天皇)の上表文 →南朝(宋)より、 の称号 豪族の強大化⇒ 半島での有利な立場 南朝(宋)に確認 既得地位の確保 倭の五王 ~ 15 ~ 18 ~ 19 ~ 20 ~ 21 応神天皇 反正天皇 允恭天皇 安康天皇 雄略天皇 16 仁徳天皇 <朝鮮半島情勢> 中国 前漢 (北部) 楽浪郡 朝鮮 (南部)部族国家 ◎ 17 履中天皇 ※数字は「第」数 後漢 帯方郡 馬韓 辰韓 弁韓 三国時代 ( 313 ~ 668) ( 346 ~ 660) ( 356 ~ 935) ( 369 ~ 562) (任那) 高句麗 百 新 済 羅 加羅 ( 4C 末 )〔 (好太王の子) 414 年建立〕 391 、日本の出兵(朝鮮の先進技術や鉄資源を求めて) <中華人民共和国吉林省集安市丸都> 鴨緑江(ヤールー川)中流 ※大和政権~王位の男系世襲制の確立 宗教的権威→政治的君主(+軍事力) の称号 □□鹵大王(熊本、江田船山古墳出土太刀銘) 加多支鹵大王(埼玉、稲荷山古墳出土太刀銘) 癸未年八月日十大王年(和歌山、隅田八幡神社人物画像鏡銘) -4- ◇大陸文化の受容 (1)楽浪郡の滅亡( 313),朝鮮出兵,南朝(宋)との交渉 (2) ( ) の来日〔応神天皇の時代〕 ① ~秦氏の祖先(機織の技術) ② ~ の祖先 文筆により大和政権に出任 ③ ~ の祖先 「論語 」「千字文( )」を伝える <漢字の使用例> a.熊本、江田船山古墳出土太刀銘 b.埼玉、稲荷山古墳出土太刀銘 c.和歌山、隅田八幡神社人物画像鏡銘 d.奈良、石上神社蔵七支刀銘(百済王より寄贈) (3)鍛冶,製陶~ , (須恵器) (4)機織~ (5)儒教~百済、 医学,暦学,易学などの博士の来日 〔仏教の伝来〕 ①私伝(個人ルート)~『扶桑略記 』(天台宗、皇円) 522 年 による個人信仰 ②公伝(国から国へのルート)~百済、 → 552 年 『 』 538 年 『 』(天興寺縁起) ◇古墳文化~ ( 3C ~ 6C 頃) ①亡き首長の墓 ②亡き首長を祀る富と権力を持った新首長がその地に君臨したことを示すシンボル 分 布 形 態 石 室 副葬品 埴 輪 その他 前期( 3C 末~ 4C) 丘陵・台地( 畿内中心 ) 首長の墓 (円墳・方墳) 小型の前方後円墳 ( ) 中期( 5C )大和政権全盛期 後期( 6C ~ 7C) 平野(全国的) 山間部にも分布( 全国的 ) 大規模な前方後円墳 ( , ) (中小の方墳・円墳) 家族墓的存在 (仁徳天皇陵古墳) 百舌鳥古墳群↑ (馬子の墓?) 吉見百穴 (応神天皇陵古墳) 古市古墳群↑ 竪穴式 竪穴式 横穴式 呪術的(王・鏡) 呪術的+日用品,武器 日用品 (馬具、甲冑) (馬具、甲冑) 次第に減少 古墳の表面に植林せず( ) cf.五色塚古墳(神戸市) -5- 〔古墳時代の信仰、習俗〕 ※ (太陽神)崇拝 (祈年祭,新嘗祭) ~真偽の審判のため、熱湯に手を入れる ~鹿の骨を焼いて吉凶を占う ~水を使って身を清める ~水を使わず身を清める 歌垣~男女が春、山などに集まり飲食などをする求愛の儀式 ◇大王と豪族 (1) 5 世紀の情勢 国内~ ・部民制整備 男子王権の世襲制確立(王権の強化) 国外~倭の五王(讃・珍・済・興・武)の遣使 倭王武の上表文( 478)→安東大将軍の称号 (中国皇帝の権威を借りてより有利に朝鮮経営を進めるため) (2)氏姓制度 ~血縁的共同体(家族) 氏上( リーダー ) 氏人 ~身分を称する称号 大王 [中央 ](大)臣・連 [地方]国造 伴造 県主 私地私民制 私有地 私有民 皇 族 豪 族 <姓の階級> ~大和の有力豪族 [葛城臣・平群臣・蘇我臣] 地方の伝統的豪族 [吉備臣・出雲臣] ~特定の職能で朝廷に使える豪族 [大伴連・物部連・中臣連] ~地方有力豪族 [筑紫君・毛野君] ~一般の地方豪族,帰化人 [河内直・倭漢直] ~地方の小豪族,部民の統率者 [文首・鵜養部首] (3)支配機構 国政担当(大臣・大連)~臣・連の有力者が就任 実務担当(伴造)~品部(技能集団)を率いて奉仕 弓削部(武器の調達 ),錦織部(織部) 韓鍛冶郎(鉄製武器・馬具) ( ・埴輪) ( ) -6- 品部 稲置 第 第 22 章 章 律令国家の成立 律令国家の成立 1.推古朝と飛鳥文化 1.推古朝と飛鳥文化 ◇中央集権への歩み 大和政権の動揺 ①大伴金村の失敗( 512)……加羅4郡の百済への動揺⇒失脚 ②筑紫国造 の反乱( 527)⇒加羅の滅亡( 562 新羅) ③仏教崇拝問題(物部、蘇我両氏の対立) (崇仏)蘇我稲目 ◎ × × 物部氏打倒( 587) (排仏)物部尾輿 × ④蘇我氏の専制[ ・ ・ ] 崇峻天皇の暗殺(馬子の命令) (犯人)東漢直駒 ◇推古天皇の政治~天皇中心の国家体制の樹立 の即位( 593 最初の女帝) ( )( 593 ~ 622) (1 )「 」・「 」の称号 (2)仏教興隆の詔( 594)~国民精神の統一 (3) ( 603 )~人材登用、世襲制打破 ・ ・ ・ ・ ・ (大小) (4) ( 604 )~役人の心構え ①和の尊重 ②三宝(仏、法、僧)の尊崇 ③詔(天皇)への服従 (5) ( 607)~小野妹子 朝鮮に対する有利な立場確保、文化の輸入 の憤慨(対等外交)→答礼使 来日( 608) 裴世清の帰国( 608)~小野妹子同行 留学生~ ・ 学問僧~僧 -7- 2.律令国家の成立 2.律令国家の成立 ◇大化の改新( 645 ) 推古( 33 ) 小墾田宮 ( 34 ) 岡本宮 ( 35 ) 板蓋宮 ( 36 ) 難波・長柄豊碕宮 (1) 朝( 629 ~ 641) 派遣( 630 )~ (正使)← 614 遣隋使の経験 260 年間, 18 回計画, 15 回実施 (廃止) 894 の建議 cf. 最後の遣唐使( 838) 藤原常嗣、円仁 (2) 朝( 642 ~ 645) 聖徳太子の死( 622)→蘇我氏の横暴( ・ ↓ 山背大兄王の自殺 ( 645,6) (天智 )・ 蘇我氏打倒~入鹿暗殺・蝦夷自殺 ( 37 ) 筑紫 朝倉宮 ) (藤原) 天皇( 645 ~ 654) (遷都) ( 645,12) a. ( 646,1) ① (天皇中央集権国家の樹立) (上級貴族) (下級貴族)布帛 ②行政区画の整理 ( )* ( 50 戸を 1 里) (国司) (郡司) (里長) ( 畿内 ) * 701,大宝律令 以前:評 以後:郡 ③ ~唐の均田制模倣 6 年 1 班( 6 年毎に実施) (班田台帳)~ 6 年毎に制作 (租税台帳)~毎年制作 ④税制~ ・ ・ b .改新政府の構成 (天皇)孝徳天皇( ), (左大臣)阿部内麻呂 (国博士) ,僧 (右大臣)蘇我(倉山田)石川麻呂 ※皇太子・中大兄皇子中心の政治 c .東北経営~蝦夷討伐… ( 647 ), ( 648)〔新潟〕 (3) (4) 朝( 655 ~ 661)~皇極天皇重祚 国内~ の討伐( 658 日本海側)…東北の蝦夷、北海道の粛慎 国外~百済王室の家臣(鬼室福信)来日( 660) 日本亡命中の皇太子(豊璋)の返還 百済救援軍の派遣要請→快諾 日本の派兵~ ( 663) 唐・新羅軍に大敗,朝鮮経営の放棄、国内統治に専念 -8- ◇律令国家の形成 ( 38 ) 近江大津宮 ( 40 ) 飛鳥浄御原宮 弘文( 39 ) ( 41 ) 大和藤原京 ( 42 ) 元明( 43 ) 大和平城京 朝( 668 ~ 671) ~斉明天皇(皇極天皇重祚)にかわり、政治担当( ) ( 663)での敗北 →九州、対馬、壱岐の防衛強化( ,烽) 筑紫国に 建設 近江 ←淡水 (遷都)難波・長柄豊碕宮→ 都に近い湖( -琵琶湖) 都に遠い湖( -浜名湖) ② ( 670 )~日本最初の全国的戸籍 ( 671)~日本最初の令 (中心人物)中臣鎌足 鎌足の死( 669 )→大織冠(最高位)の称号,藤原姓の下腸 (1) ① ( 672 ) ~古代宮廷内における、皇位継承を巡る最大の事件 天智 × (+大豪族) × ◎ (+中小豪族) 朝( 673 ~ 686) 部民制の全廃~改新の詔にそった政治 の編集( 681 ~)~ ( 684)~ , , , , , , , 皇親政治の断行~政治担当者は全員皇族(皇太子) 『 』(皇室関係の系譜) 『古事記 』,『日本書紀』の原点 『 』(神話、伝承) cf 推古朝~『 』『 』→大化改新に焼失 天武朝~『 』『 』 現人神思想~天皇は生きた神だという、天皇を称え、天皇に神秘性を 与える思想 (3) 朝( 690 ~ 697) 飛鳥浄御原令の ( 689) 遷都( 694 )~唐(長安)の都城制を模倣した最初の都 ( 690)~最初の律令制的戸籍 (2) (4) 朝( 697 ~ 707) ( 701)~律令とともに完全にそろった最初の法典 (総裁) (副総裁) (行政法・民法)~善を勧めるための基本的法典(勧誠) (刑法)~悪を懲らしめるための基本的法典(懲粛) -9- ◇律令法と政治機構 官制(行政組織) (1)中央( , , ) ~ (祭祀、神社行政) (一般行政) 太政大臣-左・右大臣-大納言-少納言 ~ (詔の作成) (大学、国学などの文部行政) (僧侶、外交) (民政関係) (軍事) (刑罰) (財政関係) (宮中の庶務) ~官吏の不正取り締まり (宮中の警備)~ ,左 (右 ) ,左 (右 ) (2)地方 (要地) (京 ), ( 諸国 ) (国 ) 4 ~ 6 年任期 (中央から派遣) (3) (難波 ), 左弁官 ※左弁官~ 右弁官 ※右弁官~ (九州、遠の朝廷) (郡) 有力豪族 (世襲制) (里) 50 戸を 1 里 (国司の場合) 国司の任命式~ ~位置に応じた官職に就任できる制度(官吏任用の際の原則) ~親の位階に応じて朝廷のポストに就任できる特権 (4)行政区画(五幾・七道) 幾内 東山道・東海道 北陸道・山陰道 山陽道・南海道 (例外)西海道→ ( 794 以後) - 10 - 畿内と境界を接する (遠の朝廷) ◇班田収受と農民 (1)土地制度( の支給) = 〔約 11.7a〕 10 反= 1 < 1 = 10 = 3600 > 良民 男子~ ( 720 歩) 女子~ ( 1 反 120 歩)←男子の 2/3 賤民 男子~ ( 240 歩) 良民の 女子~ ( 160 歩) (2)身分制度( ) 国家所有の奴隷 (良民と同じ) 官吏私有の奴隷 (3)税制 ~ 1 反につき (収穫の ) →地方政府(郡役所)の財源 ~年 10 日の歳役⇒布、 代納 中央政府の財源、 ~地方の特産物 都へ運搬( ) ~年 60 日限定、国衙での労役 ~凶作に備え粟を備蓄 ~種籾の貸付け ( 5 割 ), ( 10 割) ~ 50 戸につき正人 2 人徴用(都での労働) (4)軍制~正丁 2・ 3 人に 1 人徴発 の制 (宮中警備) 1 年 (北九州警備) 3 年 ※ ( 21 ~ 60 歳 男子) ( 61 ~ 65 歳 男子) ( 17 ~ 20 歳 男子) (5)刑罰( 5 刑 八虐) 五刑~ ◇白鳳文化(天智・天武・持統朝) 大化改新( 645)から平城京遷都( 710)までの藤原京を中心として、 栄えた文化 (1)建築~ (フェノロサ「凍れる音楽」と形容) (2)彫刻 薬師寺金堂 薬師寺東院 (金銅像)←もと山田寺 (3)絵画 壁画 壁画 (4)万葉歌人~額田王,柿本人麻呂など - 11 - 3.平城京の時代 3.平城京の時代 ◇政治の流れ (43) ♀ 707 ~ 715 (44) ♀ 715 ~ 724 (45) 729 ~ 749 (46) ♀ 749 ~ 758 平城京( 710) (47) 758 ~ 764 (48) ♀ 764 ~ 770 仁京 ( 740)・紫香楽宮 ( 744)・難波宮 ( 744 )・平城京 ( 745) 天皇( 43 代, 707 ~ 715 ♀) 鋳造( 708)~最初の宮銭 銀貨か銅貨→翌年、銀貨鋳造禁止 元号、 と改元 和同開珎( 708 )~ ( 711)~貨幣経済促進 当時のお金は、布帛と稲 cf (役所)令外官 ② 遷都( 710 )←藤原京 ③ ( 712)神代~推古 ,帝紀,旧辞,誦習 ,筆録 ④ ~国の地名の由来、産物 風土記撰上の詔( 713) (現存) (完本) (1) ① (3) ( 958) 天皇( 44 代, 715 ~ 724 ♀) 編纂( 718)藤原不比等 ( 720) 神代~持統朝(漢文,編年体) ( 723 ) 口分田の不足(←人口増加) (良田)百万町歩開墾計画( 722) → (条件・期限付土地私有令) 自から水路を開き開墾→ 3 代私有 他人の水路を利用し開墾→ 1 代私有 (2) 天皇( 45 代, 724 ~ 749 ♂) 社会不安の増大 疫病が流行、戦乱(藤原広嗣の乱 740) ① a. 国分寺( 国分尼寺( (49) 770 ~ 781 ( 741 恭仁京で発布) )⇒ )⇒ - 12 - b. ( 743 紫香楽宮で発布) 盧舎那仏・ の尽力 →開眼供養( 752 孝謙朝) 菩提僊那 ,仏哲(仏教音,楽奏者) ②遷都 (遷都順) 平城京 ( 710) 平城京( 745) ( 740) (宣言順) ③ ( 744) ( 743)公地公民制の動揺 人口の増加→口分田の不足 (良田)百万町歩開墾計画( 722) 農民の負担増大→逃亡 → ( 723)<養老七年の格> ( 743)⇒大貴族(寺院)の開墾〔 〕 (4) 天皇( 46 代, 749 ~ 758 ♀) 養老律令の ( 757) の台頭→橘奈良麻呂の乱 大仏開眼供養( 752) (5) 天皇( 47 代, 758 ~ 764 ♂)藤原仲麻呂の娘婿 孝謙上皇+藤原仲麻呂(⇒ の称号) × (愛人) ( 764)の敗北 →妻子とともに斬死 淳仁天皇配流(淡路) (6) 天皇( 48 代, 764 ~ 770 ♀)←孝謙天皇重祚 道鏡寵愛→由解宮造営 大臣禅師→太政大臣禅師→ ⇒皇位をねらう →和気清麻呂,藤原(百川,永手)阻止 称徳天皇の死( 770) →道鏡の失脚(下野国、薬師寺別当に左遷) (7) 天皇( 49 代, 770 ~ 781 ♂)天智系の天皇 藤原百川らの擁立 律令制の再建(政教混同の政治の修正) 仏教勢力の排除 東北経営(蝦夷討伐)~ (陸奥国府+鎮守府) 九州~ - 13 - 東北~蝦夷 北九州~熊襲 南九州~隼人 5.平安初期の政治と文化 5.平安初期の政治と文化 ◇平安遷都と令制の再建 ( 50 ) 781 ~ 806 長岡京( 784) ( 51) 806 ~ 809 平安京( 794) ( 52 ) 809 ~ 823 ( 59 ) 887 ~ 897 (50代、 781 ~ 806)律令制の再建 (1) 遷都 遷都( 784、山背国) (造営長官) (式家)→暗殺 早良親王(桓武の弟)憤死 ( 794、山城国)和気清麻呂の建議 政教分離政策、人心の一新 山背国→山城国と改称 政策 ① ( 792)~軍団の制(徴兵制)廃止 郡司の子弟採用 《農民の負担軽減・兵士の質の向上》 ②班田収授の励行 6 年 1 班→ ③雑徭の半減~年 60 日→ ④(公)出挙の低率化~ 5 割→ ⑤東北経営(蝦夷の征伐) (征夷大将軍) 鎮守府~多賀城→ ( 802) ( 803 、前進基地) ( 805) 藤原緒嗣 菅原真道 (2) (蝦夷征伐)→ 810 で中止 (平安京造営)→中止 中止 (52代、 809 ~ 823) 平城天皇(兄)病気のため、譲位(→平城上皇) ①( ) ( 810)~藤原氏内部の対立(北家 VS 式家) 嵯峨天皇 + × (北家 )・巨勢野足 × 平城上皇 + ◎ (妹 )、 (兄) 藤原種継の子(式家) 平城上皇の重祚・平城京への遷都 - 14 - ② ~令制に規制されていない、新しい官職 ~天皇に近待し、機密文書の取り扱い (藤原冬嗣、巨勢野足)⇒北家の権力増大 ~国司の不正監督(解由状の監察) ~京の治安維持 中納言(文武) 鋳銭使(元明) 参議(聖武) 征夷大将軍、勘解由使(桓武) 蔵人所、検非違使(嵯峨) 押領使、追捕使(朱雀) 関白(光孝) ③格式の編纂(法制の整備) ~律令の補足・修 ~律・令・格の施行細則 三代格式 (嵯峨) ↓ (清和) ↓ (醍醐)完本 cf. ( ( )~養老令の )~大宝令の - 15 - 第 第 33 章 章 貴族政治と国風文化 貴族政治と国風文化 1.摂関政治 1.摂関政治 平安時代 太上天皇 の政治 律令制の再建 (令外官) (外戚) 良房、基経 ・・・道長、頼朝 (上皇) 侍 白河、鳥羽 後白河(上皇) (平清盛) ◇藤原氏の発展(北家の台頭)←薬子の変( 810) 藤原氏の他氏排斥 ① ( 842)~伴健岑(隠岐 )、橘逸勢(伊豆)配流 ② ( 866 )~伴善男(伊豆 )、紀豊城(安房)配流 →「伴大納言絵詞 」(絵巻物) ③ ( 887 ~ 888) 藤原基経・関白就任の際 、「阿衡」の文字に憤慨 →橘広相(文章博士)更迭(宇多天皇) ④ ( 901)~右大臣、 左遷(太宰府権師) 時平( 左大臣 ) ⑤ ( 969)~藤原氏の他氏排斥の最後の事件 源高明左遷(太宰府員外師) 実頼( 摂政 ) ※これ以後、摂政・関白は、常置の職 摂政と関白( 人巨で初 ) 摂政 良 房 基 経 関白 858 摂政の実(清和) 866 正式の摂政(〃) 884 関白の実(光考) 887 正式の関白(宇多) <延喜・天暦の治> 897 ~ 930 三善清行( 914) 最後の班田収受( 902 ) 古今和歌集( 905) 朱 雀 930 ~ 946 承平・天慶の乱( 935 ~ 941 ) ( 935) ( 939 ) - 16 - 946 ~ 967 ( 958) 皇朝十二銭の最後 の活躍、浄土教 ◇摂関政治( ・母方の外祖父) ~順子(仁明女御:文徳母) ~明子(文徳女御:清和母) →人臣初の摂政 ~穏子(醍醐后、朱雀 村上母) →人臣初の関白 ~彰子(一条中宮、後一条・後朱雀母) 妍子(三条中宮) 威子(後一条中宮) 嬉子(後朱雀妃、後冷泉母) 『小右記 』(藤原実資) 「此の世をば、我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」 内覧( 995 ~ 1016)摂政( 1016 ~ 1017) 一条・三条・後一条( 23 年間) 「 」と称す 法成寺造営→道長のこと ~寛子(後冷泉皇后)男子誕生せず →後三条天皇の親政(院政) 摂政( 1017 ~ 1019 )、関白( 1019 ~ 1068) 後一条・後朱雀・後冷泉( 52 年間) 宇治 造営( 1053) <平安時代の女性名> ~他人には知らせず ①与えられた後宮の名前 弘徽殿女御 ②父・夫の官職 赤染衛門~右衛門尉、赤染時用の娘 和泉式部~式部丞大江雅到の娘 夫が、和泉守橘道貞 紫 式 部~式部丞、藤原為時の娘 「源氏物語」の紫の上にちなむ 清少納言~清原元輔の娘 少納言、藤原信義と再婚 - 17 - 3.荘園と武士 3.荘園と武士 ◇国司の地方支配 摂関政治の全盛期( 11C 前半、道長・頼通) →地方政治の混乱 国司などの売官買位( ) →再任( ) 国司任命 ~ ( 赴任せず ) 在京国司( 代理人派遣( ) ) 国司不在の国衛を (赴任国司)= の貧欲さ 「 」( 988 31 カ条) (国司) 「受領ハ倒ルル処ニ土ヲツカメ 」(『 今昔物語集 』) (信濃国司) ◇荘園の発達 口分田の不足 (良田)百万町歩開墾計画( 722) ( 723) ( 743) 荘園 < 荘園 (墾田地系荘園) 輸祖田(課税対象の荘園) ↓ 獲得(検田使の立ち入り拒否) (手続き) (太政官民部省により免租) (国司により免租) > 寄進+金 A 開発領主 ( ) 寄進+金 B 開発領主 C 開発領主 保 護 保 護 実質的支配権掌握( 鹿子木荘(肥後国)~東寺百合文書 寿妙(開発領主) 400 石 ( ) 中原高方 藤原実政 ( ) 願西 200 石 - 18 - ) ( ) 高陽院内親王 ◇武士の台頭~二大棟梁( 、 ) ①荘園~不輸・不入の権→荘園自衛の必要性 ②地方政治の混乱 武装化(地方の治安維持) 国司の腐敗、盗賊集団の横行 横領使( 9 C) ③健児の形骸化 追捕使( 10 C ) 武士団の組織 武士団の 棟 梁 小武士団の棟梁 ( 一族 ) 郎党 家子 郎党 家子 ( 従者 ) 下人・所従 下人・所従 下人・所従 ( 935 ~ 941) ( 935 ~ 940)鎮守府将軍平良将の子 東国武士団の成立(蝦夷征討の基地) 一族の内紛( 935 ~ 938)→平国香(将門の伯父)殺害 常陸国府襲撃( 939)→関八州の支配( と称す) 940 (国香の子 )、 らによる鎮圧 ( 939 ~ 941)旧伊予椽(国司)→土着 伊予、日振島を根拠地 伊予・讃岐国府・太宰府襲撃 941 、 らによる鎮圧 ↓ 武士の中央進出( ) 朝廷~ (宇多 )、 (白河) 政府~検非違使、押領使、追捕使 ◇武士団の成長(源氏) 清和天皇 (賜源姓) ( 摂津 ) ( 大和 ) ( 河内 ) 貞純親王 藤原純友の乱 ( 939 ~ 941) 東北の支配権確立 陸奥守、鎮守府将軍 ( 1028 ~ 1031 ) ( 1051 ~ 1062 ) ( 1083 ~ 1087 ) 東国での支配権 安倍頼時 清原氏一族 安和の政( 969) の反乱 の内紛 藤原氏と接近 (摂津、多田荘に土着) 奥州藤原氏の発展(平泉中心) 藤原清衡、奥州の支配権確立 ( 3 代 100 年間) 中尊寺・毛越寺 - 19 - 4.院政と平氏の台頭 4.院政と平氏の台頭 ◇後三条天皇と院政の開始 の親政( 1068 ~ 1072) 登用 藤原氏との外戚関係なし (父)後朱雀天皇 (母)禎子内親王(三条天皇の娘) ① ( 1069)←延喜の荘園整理令(醍醐) a.寛徳2( 1045)年以後の新立荘園の停止 b.国務に妨げのある荘園の停止 石清水八幡宮所有地 c.券契不明の荘園の停止 13/34 ヵ所 所有停止 の設置( 1069) ② 統一桝 ◇院政~上皇(太上天皇)による政治 構造 ( 役所 ) 院の近臣( 中小貴族 ) 上皇の命令~ (公的 )、 (私的) (院庁の警備) (1) (政治担当者) ( 1086 ~ 1129、 43 年間、後三条天皇の子) 堀河天皇( 8 歳)に譲位、専制政治断行 神仏の加護~吉野・熊野参拝 六勝寺 (六勝寺の一つ)の建立 法勝寺・尊勝寺・最勝寺 北面の武士設置~平氏( )登用 円勝寺・成勝寺・延勝寺 <天下不如意> 白河上皇の嘆き 鴨川の水(洪水)→疫病 双六のさい→バクチ 山法師→延暦寺の僧兵 ~ (奈良法師)春日神社の神木(藤原氏の氏神) ~ (山法師)日吉神社の神輿 (2) ( 1129 ~ 1156、 27 年間) 平清盛登用~日宋貿易の開始 経済的基盤~ ( 1156)~鳥羽上皇死後の院(上皇)と朝廷(天皇)の確執 ◎(皇 室) (弟) × (摂関家)藤原 (兄) 藤原 (源 氏)源 (兄) 源 (父) (弟) (平 氏)平 (甥) 平 (叔父) ※貴族が主、武士が従の戦い (3) (武 (貴 ( 1158 ~ 1192、 34 年間) ( 1159)源平の対立 士) 族 )藤原 ( 信西 ) ※武士が主、貴族が従の戦い - 20 - ※ 藤原 ※頼朝池禅尼(清盛の継母)の助命 伊豆配流(北条氏) ◇平氏政権 ( 1118 ~ 1181)~ ( 1167) 娘・徳子、高倉天皇の中宮→安徳天皇 ( 1177 )→後白河法王幽閉( 1179) 平氏の全盛~知行国 20 余ヶ所の荘園 日宋貿易~ (摂津)修築 宋銭の輸入 - 21 - 第2部 中世 中世 第 第 44 章 章 武家社会の成立 武家社会の成立 1.鎌倉幕府の成立 1.鎌倉幕府の成立 ① ② ○ ③ ☆ ○ power 文永 弘安 の役 ( 1232) 成立 ○ 1192 ( 1185) 1121 1274,81 ( 1297) 滅亡 ○ 1333 time ①源平の争乱(源氏 VS 平氏) (浄土宗〉 (臨済宗) ②承久の乱(朝廷 VS 幕府) (浄土真宗) (曹洞宗) ③元寇(中国 VS 日本) (日蓮宗) (時宗) ◇源平の争乱 平氏政権( ) 武家政権→貴族化( 1167.清盛太政大臣就任) 地方武士の遊離 院・摂関家の反発→ ( 1177) 後白河法皇・藤原成親・成経・康頼・師光・西光・俊寛 幽閉 配流(備前 )(鬼界ヶ島) 死刑 殺害 (鬼界ヶ島) 1180 (後白河法皇の子)平氏追討の →源頼政(摂津 )、源頼朝(伊豆 )、源義仲(木曽)挙兵 頼朝 石橋山の戦い(敗走)→富士川の戦い(勝利) 1181 平清盛死去( 1179,平重盛死去) 1183 源(木曽)義仲、入京 1185 源範頼・義経、平氏打倒( ) - 22 - ◇鎌倉幕府~将軍、頼朝の独裁色の強い政治 (中央) ( 1180)~御家人の統率( ) ( 1184)~一般政務、財政( ) 1191、 へ吸収合併 ( 1184)~裁判事務( ) (地方)守護・地頭の設置( 1185)大江広元の建議 後白河法皇の認可(実質的幕府の成立) 惣追武士 (国)~ 国地頭 謀叛人・殺害人の逮捕、大番催促 (荘園・公領)~反別 5 升の兵粮米 〔政治基盤〕御家人制度( ) 将 (本領安堵・新恩給与) 軍 (忠誠「いざ鎌倉 」) 京都大番所・鎌倉番役・軍役 御 家 人 〔経済基盤〕 ~平家没官領(全国 500 余ヶ所) (関東知行国)~頼朝の知行地( 9 ヶ国) (関東御口入地)~頼朝が御家人などの諸役に任命できる 権限を有した国衙領や荘園 2.執権政治 2.執権政治 ◇北条氏の台頭 (1)北条氏の他氏排斥 1199 頼朝の死( 53 歳)→②頼家(~ 1204) 1200 梶原景時→③実朝(~ 1219) 1203 打倒→執権、北条時政 若狭局(頼朝の夫人、一幡の母)の父 1205 畠山重忠打倒 1213 和田義盛打倒→執権,義時、侍所別当兼務 1219 源実朝殺害( by 公暁) (2) ( 1221) ×(上皇側) ~北面 +僧兵( 2 万数千人) 北条義時 追討の宣言 京都へ ○(幕府側)北条泰時・時房(大将軍) 19 万人 (1ヶ月足らずで鎮圧) ① 3 上皇の配流~後鳥羽(隠岐 )、土御門(土佐→阿波 )、順徳(佐渡) ②仲恭天皇(順徳の子)廃止→後堀河天皇(後鳥羽の兄の子) ③京都守護→ ④公家所領の没収( 3000 余りヶ所) 関東御領への編入→ (土地台悟)作成 (⇔ ) 新補率法~反別 5 升の加微米、 11 町につき 1 町の免田(年貢免除) - 23 - ◇執権政治の展開 (1) (初代 1203 ~ 05 ) 比企能員( 03 )、源頼家( 04 )、畠山重忠( 05)打倒 (2) ( 2 代 1205 ~ 24) 和田義盛( 13 )、源実朝( 19)打倒 、六波羅探題( 21) (3) ( 3 代 1224 ~ 42)実質的執権政治の確立 設置( 1224)、執権の補佐役 六波羅探題、北条時房 就任 ( 1225) 11 名の重臣による合議機関 藤原(九条)頼経、 4 代将軍就任( 1226 ) 頼嗣( 5 代) (貞永式目、 1232) 51 ヶ条 評定衆、三善康連らが制作 最初の武家成文法(頼朝以来の先例と道理) 本所法(荘園 )、公家法(律令など)は否定せず ※執権政治の柱 a.評定衆を中心とする合議制 b.貞永式目という法典に従った政治 (4) ( 5 代 1246 ~ 56) ( 1247)~北条氏の他氏排斥(三浦泰村打倒) ( 1249)~評定衆の補佐役 裁判の公平と迅速化目的 、 6 代将軍就任( 1252) 九条頼経・名越光時、北条時頼排斥計画(失敗) →京都へ ( ) 創建(鎌倉五山第一位) 開山(臨済宗) 鎌倉幕府の将軍 ・ ~① ( 1192 ~ 99 )② ( 1202 ~ 03 )③ ・ ~④ ( 1226 ~ 44)⑤頼嗣( ~ 1252) ・ ~⑥ ( ~ 1266)⑦惟康親王( ~ 1289) (宮・親王) ⑧久明親王( ~ 1308)⑨守邦親王( ~ 1333) ◇武士の土地支配(地頭の荘園侵略) ~荘園の年貢を地頭が一括して取り立て、 荘園領主に納入→不履行 ~荘園領主と地頭による土地分割 和与中分~示談・話し合いによる場合 強制中分~荘園領主の一方的申し入れにより、幕府が決裁 - 24 - ( ~ 1219 ) 3.元寇と幕府の衰退 3.元寇と幕府の衰退 ( 8 代 1268 ~ 84) ( 1274 文永11)~元・高麗連合軍 博多湾上陸 ( 1281 弘安4)~元・高麗軍+南宋軍 (5) 『 』(肥後国御家人、竹崎季長) の制度化( 1275) 鎮西奉行→ と改称( 1293) 円覚寺創建~鎌倉五山の第二位 無学祖元(開山) (6)貞時( 9 代 1284 ~ 1301) ①霜月騒動( 1285)~幕府内部の権力抗争 ( 11 月) ○ ( のリーダー 御家人の内部対立 × × (外様の御家人) ② ( 1297 永仁 5) 元寇による御家人の生活苦→悪党の出現 借上(高利貸業者)からの借金帳消し→翌年撤回 ) ( 14 代 1316 ~ 26) ( 1317)~朝廷の皇位継承に関する幕府干渉 ~持明院・大覚寺両統が交互に退位 宗尊親王 惟康親王 後嵯峨 後深草 伏見( ) 亀山 後宇多( ) 後二条 ②御家人制度の動揺 後醍醐 ・元寇後の御家人の生活苦 ・悪党の出現 反幕、討幕気運の高揚 ・得宗専制政治への不満 ③ ( 1324)~討幕事件(失敗)…日野資朝(佐渡 )、日野俊基(処刑) (7) ① ( 16 代 1327 ~ 33) ( 1331)~討幕運動(失敗) 後醍醐天皇、隠岐配流 ②鎌倉幕府の滅亡( 1333 ) 鎌倉(新田義貞 )、六波羅探題(足利高氏) (8) ① ◇農業の変化(産業の発達) 農業~ (畿内・瀬戸内 米と麦) (牛は耕作用、馬は運搬用) 肥料~ (腐食 )、 (焼却) 経済(商業)←余剰生産物の増大 定期市( ~月3回開催) の流通 (常設の小売店)の出現 『一遍上人絵伝 』(備前国福岡) (運送業者 )、 (高利貸業 )、無尽・頼母子(庶民の金融組織) (遠隔地間の商取引の決済に使用) - 25 - 第 第 55 章 章 武家社会の成長 武家社会の成長 1.室町幕府の成立 1.室町幕府の成立 ◇建武の新政( 1334 ~ 36) (大覚寺統) 延喜・天暦の治(醍醐天皇)を理想 大内裏~足利尊氏の六波羅探題攻略の際に焼失 (仮の内裏、里内裏) 〔政治機構〕 (中央) (一般政務,最高機関) (恩賞事務) (京都の警備) (裁判,引付衆に相当) (地方) (東北地方の支配,多賀城趾) 義良親王,北畠顕家 (関東の支配) 成良親王,足利直義 ※全国的に守護と国司を併置 〔新政失敗の原因〕 ①恩賞の不公平(公家>武家) ②大内裏の建築費用を地頭(武士)に課す →武士の不満 ③公家・武家からの期待 →天皇が統一、調整できず ↓ 社会混乱 『 』( 1334 )(「 建武年間記」今様) ◇南北朝の動乱 (1) ( 1335)~北条時行(高時の子) →足利尊氏による討伐 先代( 高時 )→中先代( 時行 )→後代( 尊氏 ) (2)尊氏の制覇 尊氏の入京→ (持明院統)即位 後醍醐天皇、幽閉( 1336 6) (3) ( 1336 尊氏 17 ヶ条) 評定衆 政治綱領であって、法律ではない(基本法典は御成敗式目) (必要に応じた法令) (4)足利尊氏 征夷大将軍就任( 1338)←光明天皇 (5) ( 1336 ~ 92) 後醍醐天皇、吉野へ脱出( 1336 12 ) →南朝(大覚寺統)の正統性主張 - 26 - 〔南北朝〕 北朝( 京都 ) <光源~後小松朝> × (執事) 南朝( 吉野 ) <後醍醐( 1339 没)~後亀山朝> 〔重臣の死〕 楠木正成(湊川の戦 36) 新田義貞(藤島の戦 38) 北畠顕家(石津の戦 38) 楠木正行(四条畷の戦 48) 足利直冬 ( 1350 ~ 52 ) ( 1392) 〔南北朝対立の記録〕 『 』北畠親房(南朝の正統性主張) 『 』尊氏側近の武将(北朝の正統性主張) 『 』小島法師?(軍記物、南朝側) ◇室町幕府(政治機構)~鎌倉幕府の模倣 〔中央〕 (将軍の補佐)~ ( ) 侍所(京都警備)~ (長官) ~山城国の守護を兼務 政所(財政一般) 問注所(訴訟文書保管) 評定衆 引付衆 納銭方(税務専門機関) 氏( ) 〔地方〕 (関東の支配)~関八州+伊豆・甲斐 10 ヵ国を統轄 (長官) (尊氏の三男) (補佐) 上杉氏が世襲 奥州探題(陸奥支配 ),羽州探題(出羽支配 ),九州探題(九州支配) 守護 地頭 常陸・下野・上野・武蔵・相模・下総・上総・安房 - 27 - 〔経済基盤〕 室町幕府の経済基盤脆弱→課税中心 直轄地( )少→年貢,公事・夫役 商工業者 (土倉 ), (壺の数) ~庶民の家屋に課税 ~関所の通行税 ~港湾入港税 ~田畑に課税 ~輸入課税… 1 割 ~徳政令発布の際の手数料 ~死者の冥福を祈るために祠堂を修復する目的で寄進 →高利貸し 〔軍事基盤〕 (御馬廻)~将軍直属の軍隊 2000 ~ 3000 騎 ◇守護大名と国人一揆 守護(大名)の成長過程 ①(鎌倉) (大番催促、謀叛人・殺害人の逮捕) ②(南北朝) (裁判の強制執行権) (立稲刈取の実力行使)の取締り権 ③(室町) ( 1352)一国の年貢の半分を兵粮米として守護に給与する特権 のみ、一年限度 →全国的、永続的 ~荘園年貢の徴収を守護が請負う。 (守護による一国一円支配) ◇東アジアとの交易 (1)日明( )貿易~ 明~ により建国( 1368) (壱岐・対馬を根拠)による略奪行為 →倭寇禁圧の要求(中国・朝鮮) 1401 ③ : (博多商人 )・ (僧侶、通訳)を派遣 1404 〃 :日明(勘合)貿易開始〔最初の遣明船〕 1411 ④ :日明(勘合)貿易中止 1432 ⑥ :日明(勘合)貿易再会 <貿易品> 輸出~ ,刀剣,硫黄 原料の輸出 輸入~ ( ),生糸,絹織物 製品の輸入 ( 符 ) ~倭寇などの密貿易船と区別 字○○号(明→日本) 字△△号(日本→明) <貿易の実権> 幕府 ○ 氏〔+ 商人〕 × 氏〔+ 商人〕 - 28 - ( 1523) 大内氏による貿易独占(~ 51) cf.日元貿易 ( 1342)~足利尊氏(← ( 1325)鎌倉幕府 ) (2)日朝貿易~対馬・宗氏の中介 朝鮮~ 、高麗打倒→ 建国( 1392) ① 1419 (朝鮮の対馬来襲) ② 1443 (日朝貿易の統制) 宋船 年間 50 隻、米・豆、合計 200 石 ③ 1510 →日朝貿易の衰退 (釜山 ), (蔚山 ), (薺浦) 倭館 ~在朝日本人の住居地域 恒居倭 ~日明貿易の「勘合」に相当 輸出~ ,刀剣,硫黄,染料,香料(琉球貿易) 輸入~ ,朝鮮人参,経典(大蔵経) 2.幕府の衰退と庶民の台頭 2.幕府の衰退と庶民の台頭 ◇惣村の形成 (1) ( )~南北朝時代から畿内を中心として生まれた地域的・自治的 結合による村落 惣の集合体~ 代表者~ (乙名 ), 合議体~ (宮座・神社で開催) 農業用水の分配, の利用 (地下掟)~違反者は罰金 ~惣内部で独自の裁判権 (2)惣の連帯意識の強化 ~年貢納入を村が請負う ~「揆を一にする」要求貫徹運動 強訴・逃散→ - 29 - ◇幕府の動揺と徳政一揆 ~要求貫徹運動 兵農未分離→鍬+武器(運動の激化) ① ( 1428 正長元) 『大乗院白記目録 』(尋尊) 近江・坂本の馬借達の蜂起 (徳政令発布を要求) ②播磨の土一揆( 1429 永停元) ③嘉吉の土一揆( 1441 嘉吉元)京都 ( 1467 ~ 1477 ) ( 1485 文明 17) 『大乗院寺社雑事記 』(尋尊) 南山城で (在地土豪)が指導者となり展開 → 8 年間にわたる自治政治(~ 1493) a.両畠山軍の国外退去要求 「 」 (畠山 VS ) 月行事 3 人~ 12 ヵ月 b.新関(関所)の廃止 c.本所領の復旧 ⑤ ( 1488 長亭 2)『陰凍軒日録』 北陸(加賀 )、浄土真宗(一向宗)の門徒増加 上人、 (越前)での布教 (宗教上の横つながり)を利用 打倒 → 1 世紀にわたる自治政治(一向宗本山、本願寺の属領) ④ ◇守護大名の反抗と応仁の乱 (1) の政治思想(在位 1368 ~ 94) ①将軍権威の高揚→朝廷権威を利用 足利義満… 3 つの世界の最高位を極めた人物 征夷大将軍( 1368) → 太政大臣( 1394 ) → 法王( 1396) 「准三后」の称号宣下 ②全国統一の進行 室町幕府~有力守護との連合政権→有力守護の討伐 a. ( 1390)~美濃・尾張・伊勢の守護 一族の内紛に乗じて打倒 b. ( 1391 )~ ( ←「 」)( 丹波守護 、 11 ヵ国の守護 ) c. ( 1399)~ (周防守護、 6 ヶ国の守護) d.上杉禅秀の乱( 1416)~上杉氏憲(前:関東管領) e. ( 1438 ~ 1439)~鎌倉公方、 の反乱 (将軍)足利義教 VS(鎌倉公方)足利持氏 鎌倉府(鎌倉公方)の分裂 足利 (持氏の子)→ 足利 (義教の弟)→ 関東管領の分裂 氏 VS 氏 f. ( 1441 )~ (播磨・備前・美作の守護) 6 代将軍、 謀殺(下克上のはしり) - 30 - (2) ( 1467 ~ 77) ①原因 8 代将軍 の放漫政治→幕府敗政の窮乏 次期将軍後継問題(弟 義視 × 子 義尚) (管領)畠山・斯波両氏内部の対立 (管領) VS (宗全,四職) ②対立図 義政 1465 誕生 (後見 ) 日野富子 VS VS (後見 将軍家 総大将 畠山氏 斯波氏 ) 1464 将軍職譲位決定 西軍( 20 ヵ国・ 11.6 万人 ) 足利義尚(義政の子) 山名持豊(宗全) 畠山 斯波 東軍( 24 ヵ国・ 16.1 万人) 足利義視(義政の弟) 細川勝元 畠山 斯波 ③結果 両大将の死( 1473)~山名持豊( 3 月 ),細川勝元( 5 月) →自然消滅 京都の荒廃~公家・貴族、地方へ →地方文化の隆盛( ) 幕府権威の失墜 → の風潮(戦国時代) cf.「汝ヤ知ル都ハ野辺ノ夕雲雀アガルヲ見テモ落ル涙ハ」 (出典-応仁記,作者-飯尾彦六左衛門尉) ◇産業の発達 (1)農業 の普及(畿内では三毛作) 裏作~麦 or ソバ 稲の品種改良~ , , 特産物~ の輸入(朝鮮)→木綿の栽培(戦国時代、三河) 茶(山城 ),藍(四国 ),麻(北陸) (2)水産業 専業漁師(塩魚,干魚の流通)→ の魚市 製塩業~塩田(瀬戸内) →古式 (のちの入浜式塩田) (3)鉱工業~金山(越後, ,甲斐,駿河) 銀山( , ) 銅山(備前,備中,美作) ~銅・釜製作 職人 ~刀剣製作 - 31 - (4)繊維業~ (京都、絹織物) 木綿(三河 ),麻(北陸) (5)商業 流通の拡大~ (月 6 回) (鎌倉) 金融業者~ ・ 庶民金融→頼母子,無尽 運送業者~ ・ ,常設の小売店( ) ~室町時代、商工業の同業組合 保 護 本所 座 ①仕入れ、販売、営業権の独占 ②関銭(通行税)の免除 座役(利益の一部) 大山崎離宮八幡宮の( 本所は石清水八幡宮 朝廷を本所とする 北野神社を本所とする 祇園社を本所とする ) (※) (※)四府~左(右)近衛府 左(右)衛士府 駕輿丁~天皇などの輿をかつぐ人 (6)貨幣 商品経済の発達(年貢の銭納化) 遠隔地取引~ (割符)の普及 ,洪武通宝,宣徳通宝 (質・形一定) (流通阻害) (偽造貨幣) → の発布 ~土地の広さ(価値)を永楽銭で表示 (東国)~永楽銭で算定した年貢の収納高 (太閤検地) (7)都市の発達 ① ~寺社の門前に開けた町,宗派無関係, 経済的に豊か(流通性大 ),開放的 長野(善光寺 ),奈良(興福寺 ),宇治山田(伊勢神宮) ② ~一向宗寺院の境内に開けた町,一揆のため防塁、堀建設, 閉鎖的(武装的) 吉崎(越前 ),大坂(石山本願寺 ),富田林 ③ ~ ( ) 36 人の月行事 「耶蘇会土日本通信」ビレラ書簡 ~ (商工業者 )、日蓮宗に帰依 博多~ 12 人による年行事 - 32 - 4.戦国大名の登場 4.戦国大名の登場 (1)旧勢力の没落 将軍家~応仁の乱後、将軍権力は山城一国のみ 大名の政治干渉 10 代,義種(←大内義興 )、 11 代,義澄(←細川政元) 旧大名家の没落~斯波・山名・赤松・京極・一色 氏 幕府の実権 細川氏(管領)→ (家臣)→ (家光) 1565、将軍義輝殺害 (2)戦国大名の登場 ① ( ) 今川(駿河 )、武田(甲斐 )、佐竹(常陸) 大内(周防 )、大友(豊後 )、島津(薩摩) ② (その一族) 上杉(越後 )、織田(尾張 )、朝倉(越前 )、尼子(出雲) ③ など 伊達(陸奥 )、結城(下総 )、松平(三河 )、浅井(近江) 宇喜多(備前 )、毛利・小早川(安芸 )、長宗我部(土佐) 龍造寺・相良(肥後) ④その他 後北条氏(伊豆・相模 )、斉藤(美濃) (3)下剋上の実例 ①関東 鎌倉公方 (早雲,氏綱,氏康) 下総・ (成氏) 1538 後北条 伊豆・ (政知) 1493 関東管領 上杉氏 1546 上杉氏 1561 ②越後~長尾景虎( ) 家督譲渡 ③甲斐~ (晴信) ④越前・尾張~斯波氏→ 氏(越前 )、 氏(尾張) ⑤近江・出雲~京極氏→ 氏(近江 )、 氏(出雲) ⑥美濃~土岐氏→斎藤氏(守護代)→西村新九郎( ) ⑦周防~大内氏→陶晴賢(家光)→ 氏(元就) ⑧四国~長宗我部氏 ⑨九州~大友・龍造寺・島津氏 ⑩東北~伊達・南部氏 - 33 - (4)戦国大名の分国支配 ①家臣統制~家臣団編成( 大 名 、農民から徴用) 家臣団 <一族衆・国衆・新参衆> 小武士 <流浪武士,百姓> (軍奉行の管轄) 農業政策~土地・人民の一円支配、検地( ) 鉱業政策~佐渡、相川金山,但馬、生野銀山 商業政策~関所の撤廃,楽市楽座の制,度量衡の統一 城 下 町~領国の政治・経済・文化の中心地 領国単位 家臣団・商工業者の集住と城郭の建設 <小田原・駿府府中・山口・豊後府中・鹿児島・春日山> ② ~家臣統制のために領国のみに適用 a.家臣の城下集住 b.私信、私婚の禁止 c.喧嘩両成敗 〔違反者〕 (一族 )、 (村全体) 大 名 伊 達 今 川 武 田 北 条 朝 倉 結 城 六 角 三 好 長宗我部 大 内 相 良 領 国 陸奥・出羽南部 駿河・遠江 甲斐・信濃の一部 伊豆・相模 越前 下総北半分 近江南半分 阿波・讃岐・淡路 土佐 周防・長門・豊前・筑前 肥後南半部 法 令 結城氏新法度 六角氏式目 新加制式 相良氏法度 - 34 - 名 条 数 170 33 26 21 17 104 67 22 100 181 41 制定年 1536 1526 1547 不 明 1471 ~ 81 1556 1567 1562 ~ 69 1596 1439 ~ 1529 1493 ~ 1555 第3部 近世 近世 第 第 66 章 章 幕藩体制の確立 幕藩体制の確立 1.織豊政権 1.織豊政権 ◇ヨーロッパ人の来航 (1)要因~専制国家の発展、海外貿易の促進(イスパニア、ポルトガル) 知識~マルコ=ポーロ 『東方見聞録』 オスマン=トルコによる 技術~羅針盤、地図、地球球体説 ↓ 交通路遮断 経済~香辛料(胡椒 )、茶、生糸への関心 新航路開拓の必要性 ルネサンスの三大発明 羅針盤 地理上の発見 火薬 植民地政策 活版印刷術 聖書の普及 宗教改革( 1517)プロテスタント (2)東洋進出 ①ポルトガル(東廻り) バーソロミュー=ディアス、喜望峰到着( 1488) インド航路~ 、カリカット到着( 1498) ゴア→セイロン→マラッカ→マカオ(移住権 1557) ②イスパニア(スペイン西廻り) 、アメリカ大陸発見( 1429 イサベラの援助) 大陸征服~インカ(ピサロ )、アステカ(コルテス) マニラを根拠地( 1571 ) ◇南蛮貿易とキリスト教 (1)南蛮貿易の開始 ポルトガル( 1534 )、イスパニア( 1584 平戸)来航 中継貿易・・・・ゴア⇔マカオ⇔日本(一航海3年) 輸出品~ 、刀剣、海産物、漆器 輸入品~ 、 、絹布、火薬(硝石 )、皮革、鉄、 貿易港~鹿児島、防津(島津領 )、平戸(松浦領 )、府中(大友領) 長崎(大村領 )、口之津(有馬領) ※鉄砲の伝来( 1543)~『 』(南浦文之 1606) ポルトガル人漂流(種子島) 種子島々主,種子島時堯、鉄砲2丁購入 →鉄砲の製造 (近江国 )、 (和泉国 )、 、 (紀伊国) 鉄砲の影響 ①戦法~一騎打→集団戦法 ②築城法~山城→平城(機動性)⇒城下町(経済性) - 35 - (2)キリスト教の伝来( 1549) 宗教改革( 1517) M.ルター 新教( ) (英)ピューリタン 、(仏)ユグノー 、(蘭)ゴイセン 旧教( ) 新教徒に奪われた領土の回復 →アジアに信者を求める( ) マテオ=リッチ(中国 )、 (日本) ①F.ザビエルの布教( 1549 天文 18) (島津貴久) 宣教師の活動(教育,医療)→庶民への接近 大名の保護( ) ② の活動( 1581 巡察使として来日) 布教体制の整備~教会堂(南蛮寺)建設 教育機関の整備~ 、 (宣教師養成学校) (神学校) の派遣( 1588.2 ~ 1590.7) ローマ教皇、グレゴリオ 13 世に謁見 正使~ 、千々石ミゲル 14 ~ 15 歳 副使~中浦ジュリアン、原マルチノ の少年 ③キリシタン大名 (ドン=フランシスコ) (ドン=プロタシオ) (ドン=バルトロメウ) キリシタンの概数 1551(天文 20) 1570(天亀 元) 1599(天正 7) 1582(天正 10) 1587(天正 15) 1592(慶長 3) 1000 人 26000 人 100000 人 150000 人 200000 人 300000 人 - 36 - ◇織田信長の統一事業 中世から近世へ 織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食うは徳川 (1)天下統一の条件 ①軍事力(強い軍隊) ②経済力(米の生産) ③地の利(京都に近い) 軍事的エネルギーの消耗を軽減 ④支配者としてのパーソナリティー 人間的にユニークな個性 乱世を生きる男としての画期的人間性 鳴かぬなら○○○ホトトギス 殺してしまえ 鳴かせてみよう 鳴くまでまとう 織田信長(尾張) 濃尾平野を根拠地→京都に近い③ (経済的先進地域②) 強い軍事力① ④ 摠見寺建立 寺詣り→商売繁盛 (2)総一事業 ① ( 1560 尾張) (駿河) <信長台頭の突破口となる事件> 1567 斉藤氏(美濃)打倒 1568 足利義昭と入京 ② ( 1570 近江) (北近江 )、 (越前) 1570 ~ 80 石山戦争(浄土真宗、石山本願寺との抗争) 1571 比叡山延暦寺 焼き討ち 1573 ( 15 代将軍)追放→室町幕府滅亡( 1338 ~ 1573) ③ ( 1575 三河) (甲斐)騎馬隊 織田・徳川家康の連合軍 の威力 1576 安土城築城開始(天守閣は 5 層 7 重) ④ ( 1582) (近江) 天下統一の挫折 <政策> 土地政策~指出検地(制服領地の自領地への輸入のため) 交通政策~関所の撤廃 商業政策~ (座商人の特権を奪い商品の流通促進) (3)秀吉の統一事業 ⑤ ( 1582 山城) 明智光秀 <秀吉台頭の突破口となる事件> 1582 (山城) ⑥ ( 1583 近江) (越前) ⑦ ( 1584 尾張)→和睦 、織田信雄(信長の2男) 1585 関白就任 1586 太政大臣就任 - 37 - ⑧四国平定( 1585 ) ⑨九州平定( 1587 ) 1587 (宣教師) 1588 ⑩東北平定( ) 小田原平定( 1590) →全国統一の完成( 1560 ~ 1590) <政策> a . 経済政策 経済基盤~ (直轄地、 200 万石以上)からの収益 直轄都市( , , ) 鉱山(佐渡,相川,石見,大森,但馬生野) 統一貨幣の鋳造~ 流通せず(贈答用) b . 政治政策 ①朝廷権威の利用~ の造営(後陽成天皇) → ( 1585 )、 ( 1586)就任 ② ( 1588)~一揆の防止、 の確率 方広寺(京都)大仏の材料→大仏は木造 ③ ( 1582 ~、山城) 準備~土地測量単位の統一( , , , ) 1反= 1町= 10 反 1歩= 6 尺 3 寸平方(坪) 1反= 10 畝 に統一 1畝= 30 歩 内容~ に登録(面積,等級,石高,制作者) 上中下下々 米の生産量 貫高制(永楽銭による表示) → (米の生産量による土地表示) ⇒ 結果~ の原則(土地,人民 支配の確率) → ※太閤検地により荘園制崩壊 ④ ( 1591)~身分の固定化(兵農分離,商農分離) 近代的身分制度の基礎確立 ⑤ 五奉行(秀吉側近の武将、政務分担) , , , , 五大老(有力大名の合議制、五奉行の上位、政務総括) , , , , 小早川隆景, c . 宗教政策~信長の政策と正反対 仏教~懐柔政策 キリスト教~禁圧政策(弾圧までいかない) ( 1587) - 38 - d . 外交政策 ~ ( 1592), ( 1597) 明征服を目的とした秀吉が朝鮮に先導役を命じたが拒否 本陣~ (肥前) 加藤清正・小西行長 和睦(不成立)→慶長の役 (小西・沈惟敬) 秀吉の死 × ・李如松 1598 で撤兵 ※豊臣政権の衰退を促進する景気となる事件 - 39 - 2.幕藩体制の成立 2.幕藩体制の成立 ◇江戸幕府の成立 ~幕府(中央権力)と藩(地方大名権力)とが地方分散の形態で ありながら、しかし中央集権形態で結びついている体制 体制を支えた3つの柱(経済,社会,外交) ①経済的支柱~ (土地の広さを米の生産量で表示) ②社会的支柱~ (二者択一をせまる) 兵(武士)~都市生活者(消費者) 住居・経済 農(百姓)~農村生活者(生産者) 構造の分化 ③外交的支柱~ [商教分離] 「国家安康・君臣豊楽」 (1)江戸幕府の成立 秀吉の死 (淀君) ※ ( 1598,伏見城) × (五奉行) 冬の陣( 14) 関ヶ原の戦い( 1600) 夏の陣( 15) 美濃・小早川秀明の寝返り ※豊臣氏の滅亡 ( 1615) ○ (五大老) 征夷大将軍( 1603) ( 後水尾 ) 「 」 〔二元政治〕 ( 1603 ~ 05) 1542 1616 ( 1605 ~ 23 ) 1579 1632 ( 1623 ~ 51) 1604 1651 < 時代> 〔江戸幕府の職制〕 (大名監察) (江戸市政) ( 10 万石以上) ( 10 万石未満) (財政担当・天領の支配) 城代(駿府・二条) (佐渡・長崎・日光・山田) (旗本・御家人監察) (非常置) (政務総括) (将軍側近) 将軍 (老中補佐) (三奉行中最高格) (朝廷・西国大名) (大阪城警備・大阪町奉行総括) < 抜擢> < - 40 - 抜擢> (2)江戸幕府の職制 家康時代~「 」 三河の土豪時代の家政期間を拡大 3 代家光のとき確立 ~江戸幕府の最高合議機関 最低、老中 1 名と三奉行の出席で成立 重要案件は、老中,若年寄,三奉行,大目付の出席で合議 監察機関 老中‥‥‥ (大名監察) 若年寄‥‥ (旗本,御家人監察) (朝廷,西国大名監察) 職制 ~軍事関係の仕事 ~一般事務の仕事 三奉行 勘定・町奉行は が就任 寺社奉行は が就任 〔職制の特色〕 ①将軍を頂点とするピラミッド体制 ②要職には が就任 ③ ( 1 ヶ月交代)に基づく合議制 →権力の集中を防止 ④戦時(臨時)体制 (3)社会構成と統制法 ①大名~ 1 万石以上の知行地所有者 ~徳川の一門、御三家(尾張,紀伊,水戸) ~三河以来、関ヶ原以前に徳川臣従 ~関ヶ原以降に徳川臣従→中央政治から隔離 〔 (元和令 1615,寛永令 1635)〕 元和令( 1615, 13 条) 起草 一国一城令、大名間の私婚の禁止 寛永令( 1635, 19 条) 起草 五百石以上の大船の建造禁止 の制度化 ②旗本,御家人(直参) ~一万石未満, 以上 ~ 〃 , 〃 以下 〔 ( 1635, 23 条 )〕 ③朝廷~「敬して遠ざける」 〔 ( 1615, 17 条 )〕 金地院崇伝起草 ( 1627 ~ 29)幕府の朝廷への干渉 後水尾天皇→明正天皇即位 沢庵配流(出羽,上山) - 41 - ④寺社 ~寺院による民衆支配(キリシタン摘発、弾圧の機関) (宗教改帳)~一種の戸籍、 本山,末寺の制~寺院のピラミッド化 〔 ( 1615), ( 1665)〕 ⑤神社~ ( 1665) ⑥農民 農村の構造~ ( ) (庄屋・肝煎) (名主の補佐 (百姓の代表) (検地帳に登録) (小作農) 名子 被官 (隷属農民) ( 1643) ( 1643)~商品作物の栽培禁止 ( 1649 )~農民生活の干渉(観農精神) ( 1673)~本百姓の没落防止 →広さ 1 町歩・石高 10 石以内の土地の分割相続禁止 (4)農民・町人の生活~封建的身分制度( ) ①江戸時代の農村~全人口の8割が農民 (連帯責任制)~年貢滞納の防止・キリシタンの摘発 ~自然発生的な相互扶助組織 ②年貢~個人ではなく、農村単位で徴収 a. (本年貢)~田畑・屋敷に課税 (五公五民、四公六民) → (付加税) b. ~山野河海、副業に課税される雑税 c. (石高に課税) . (一国単位に課税)臨時税 d. ~人馬提供税、参勤交代時の不足分徴発 cf. ~人馬を提供する村 ③都市(町人の生活)→五人組 家持~地主・家主 借家・店借~屋敷を借用 町政治不参加 地借~土地を借用 - 42 - ◇江戸初期の外交 豊臣秀吉~強硬外交 徳川家康~善隣友好的平和外交 (1)中国(明)~海禁政策(鎖国状態) (非公式、領土外で取引)ルソンコーチ (2)朝鮮(李氏朝鮮)~ (慶長条約 1609)対馬 宗氏の仲介 来日( 1607)→日韓通交の開始 (3)琉球~ 1609 島津家久による武力討伐(日中両属) → 派遣 (4)英・蘭~ 、豊後臼杵湾漂着( 1600) (英:水先案内人)→三浦按針 (蘭:航海使)→耶 揚子 外交顧問 (5)ポルトガル~マカオ(中国南部)拠点 ① (中国産の生糸)の転売で巨富 ( 1604)~ポルトガル輸入生糸への統制 パンガド商法(一括購入)→ ※五ヶ所商人~ , , ,( , ) ②マードレ・デ=デウス号事件( 1610,長崎) オランダ朱印船に奪われた貿易の利益を回復するために長崎に侵入 →有馬晴信により撃退 (6)イスパニア(スペイン)~ (フィリピン)根拠地 ① (前ルソン総監 )、上総漂着( 1609)→家康厚遇 1610 (京都商人)をノビスパン(メキシコ)へ派遣〔ロドリゴ送迎〕 1611 〃 帰国→答礼使 来日→家康、冷遇 ② ( 1613)~ ←伊達政宗の命令 ノビスパン(メキシコ)→イスパニア→ローマ ~後期和冦と区別〔← ~前期和冦と区別〕 秀吉、開始→家康、整備 日本人の南進ブーム( ) (輸出) 、(輸入) (リゴール太守)タイ 〔貿易家〕 京都~ (国内河川の開発事業に成功) 大坂(平野)~ 長崎~末次平蔵 荒木宗太郎 - 43 - ◇鎖国政策 「 」~商教分離(貿易と宗教の切り離し) 『暦象新書 』(志筑忠雄 1802) ケンペル『日本誌』翻訳 、「鎖国論」と命名 (1)鎖国への歩み 年 号 1612 1614 1616 1623 1624 1633 1634 1635 1636 1637 ~ 38 1639 1641 内 禁教令( 容 )→ 1613 全国へ拡大 (高槻城主、キリシタン大名)マニラへ追放 中国船以外の外国船の寄港地制限(長崎・平戸) イギリスの日本退去←オランダとの貿易戦争に敗北 の来航禁止 鎖国令(Ⅰ) 以外の船の海外渡航禁止 (老中発行の海外渡航許可書) 〃 (Ⅱ) 日本人の海外往来禁止 〃 (Ⅲ) の海外渡航・帰国全面禁止 〃 (Ⅳ) 貿易と無関係のポルトガル人の追放 (益田四郎時貞) 鎖国令(Ⅴ) の来航禁止⇒鎖国の完成 オランダ商館の移住(平戸→長崎 ) (2)鎖国下の海外情報源 ①「 」 オランダ長崎通辞による海外情報の翻訳版 オランダ商館長( )→長崎奉行、幕府 ②漂流民~ 漂流、ロシア船に救助 エカテリーナ2世(女帝)の帰国許可→ 10 年ぶりの帰国( 1792) 来航 (3)鎖国の影響 ①幕藩体制の安定・強化 ②第2の国風文化(元禄・化政文化) ③世界の進展から遅れる ④島国根性の形成→「隠す」という発想 日本人~「恥」が物事の判断の中心 外国人~「罪」が 〃 (4)鎖国下の交渉国 ①通商国~ ・ (清) 1641 (長崎出島) 1688 (長崎) ②通信国~ ・ (商売抜きで交流) - 44 - 第 第 77 章 章 幕藩体制の展開 幕藩体制の展開 1.幕政の安定 1.幕政の安定 ◇文治政治への転換←武断政治 (1) ( 3 代, 1623 ~ 51) 幕政の方針(家康・秀忠・家光)→ 牢人の増加(社会不安)⇒ 4 代 家綱( ) ( 1637 ~ 38) 寺沢広高(天草城主) 圧 松倉重政(島原城主) 政 × (政易・減易) ( 1651) 〔原城〕 (天草四郎) 10 万軍の幕府軍(大将,板倉重昌の戦死) (老中)松平信綱、オランダ船による海上攻撃要請 →鎮圧 (2) ( 4 代, 1651 ~ 80) 前半~ (家光の異母弟会津) 後半~ (大老) 由井正雪の乱( 1651)→ 寛文の二大美事 ①殉死の廃止 ②人質制(大名妻子の江戸在住)廃止 <名君と学者> ①加賀~前田綱紀 ②水戸~徳川光圀 ③会津~保科正之 cf 徳川家綱 (牢人の増加防止) 木下順庵(朱子学) 朱舜水(朱子学 )『 』編纂 山崎闇斎(朱子学 )「重和神道」提唱 松平伊豆上信綱(知恵伊豆) ( 5 代, 1680 ~ 1709)←天和・貞享の治 前半~ (大老) 後半~ (側用人) ① ( 1685)→犬公方 ②聖堂の開設→聖堂学問所(昌平黌) 大学頭(幕府の文教政策)~ (鳳岡,羅山の孫) ③護国寺・護持院建立(仏教篤信)← の勧め ④天文方の設置~ (渋川春海) 宣明暦(中国・唐代)→ (日本人による最初の暦) ⑤和歌の研究(歌学方)~北村季吟(「 源氏物語湖月抄 」) ⑥ (赤字財政解決のため悪貨鋳造)→経済の混乱 (勘定吟味役)建議、 (貨幣解悪による差益金) (3) - 45 - (4)家宣、家継( 6・ 7 代, 1709 ~ 1716)← ( 1709 ~ 13) ①生類憐れみの令廃止( 1709) ②閑院宮家の創設(朝幕関係の融和目的) ③朝鮮通信士の待遇簡素化(将軍権威の高揚・経費の削減) ④ の鋳造(幕府信用の挽回: と同質) ( 1713 ~ 16) ( 1715 長崎新例,正徳新例) 対中国、オランダへの貿易統制 中国(清)~船は年間 30 隻、取引額 銀 6000 貫 オランダ ~船は年間 2 隻、取引額 銀 3000 貫 <新井白石の著作> ・『 』~歴史書(摂関政治成立~豊臣秀吉の天下統一) ・『 折たく柴の木』~新井白石の自伝書 ・『 』 イタリア人宣教師、 の尋問書 ・『 』 ・『 古史通』~古代史研究法 ・『 』~各藩大名の年譜・系図 - 46 - 2.経済の発達 2.経済の発達 ◇農業生産の進展 (1)農業 ①新田開発 農業の発達~幕府による勧農政策 耕地の拡大(新田開発) (享保期,町人出資の新田) 紫雲寺潟新田(越後) 江戸初期(慶長年間 17C 初) 160 万町歩 江戸中期(享保年間 18C 初) 300 万町歩 ②農具の普及 ~耕作用(深耕用) ~脱穀用(← ) 「後家倒し」 簁 ~籾粒の選別 ~もみ殻やゴミ取り ~灌漑用水車(揚水機) ③肥料の進歩 ( )~金を出して買う肥料 ④商品作物の栽培 四木 ~ ・ ・ ・ (和紙) 三草 ~ ・ (出羽 )・ (阿波) 染料 ⑤農学の発展 江戸初期~ 『 』 江戸後期~大蔵永常『広益国産考』 三大農政家~佐藤信淵・二宮尊徳・大原幽学 (2)水産業の発達~金肥(干鰯) 東日本は地曳網 西日本は定置網 捕鯨業の隆盛 製塩法 (中世)→ (潮の干満差を利用) (3)その他の産業 ①鉱山……金山(佐渡・甲斐・伊豆) 銀山(生野・大森) 銅山(足尾・別子) ②手工業…農村の副業(農村家内工業→ 絹織物~京都西陣・桐生・足利 綿織物~河内・尾張 麻織物~奈良・近江 その他~陶磁器・漆器・製紙・醸造業など - 47 - ) ◇交通網の整備 物資の輸送~「ものは水の上を人は陸の上を行く」 (1)五街道(道中奉行の管轄) 街道名 出発点~終着点 宿場数 江戸~京都 53 宿 江戸~草津 57 宿 江戸~白河 33 宿 江戸~日光 23 宿 江戸~下諏訪 49 宿 宿 場 品川~草津 板橋~守山 千住~白石 千住~鉢本 内藤新宿~上諏訪 助 郷 100 人 100 疋 50 人 50 疋 25 人 25 疋 25 人 25 疋 25 人 25 疋 ※東海道と中山道は草津で合流 奥州道中と日光道中は宇都宮で分岐 甲州道中は下諏訪で中山道と合流 〔関所〕 新居・箱根(東海道 )・碓氷・木曽福島(中山道 )・小仏(甲州道中 )・ 栗橋(奥州・日光道中) 〔宿泊〕 [大名の宿泊所 ]・脇本陣 〔 (屋 )[一般旅行客] 制度〕郵便業務を行う機関 (幕府専用 )、 (大名 )、 (町人) (2)水上交通 日本海側の都市 ( ) ※ 江戸 (津軽海峡・太平洋経由) ※ 大坂 (日本海・関門海峡・瀬戸内海経由) (江戸~大坂) - 48 - (国内河川) ※ ◇商業の発達(江戸時代の流通) 日本海側の都市(酒田) (西廻り航路) 上方農村 蔵屋敷 大坂 ( 本店 ) 江戸 江戸近郊農村 ( 支店 ) 藩 問屋 ( 庶民 ( 小売 積 荷 問 屋 荷 受 問 屋 問屋 小売 庶民 ) ) 南 海 路 蔵屋敷 ~蔵屋敷を経由する物資(米) ~蔵屋敷を経由しない物資(野菜・米 )(直接問屋に入る物資) ~蔵屋敷で蔵物の出入れをする商人(荷物係) ~蔵屋敷で金銭を取扱う商人(代銀出納係) ~旗本・御家人の米を換金する両替商的商人 (大坂)蔵元・掛屋=(江戸)札差〔蔵前商人〕 三大市 大坂 江戸 魚市~ 青物市~ 米市~ 魚市~ 青物市~ 〔江戸時代の経済〕 農村~ 都市~ (米) (金) 矛盾する経済圏の存在 〔江戸時代の豪商〕 紀伊国屋文左衛門~上野寛永寺根元堂修理 奈良屋茂左衛門~日光東照宮改築 三井高利~越後屋呉服店(呉服店+両替商) - 49 - 納 屋仲 物買 ) ) 幕府 旗本 御家人 ( ( 藩 仲 買 (東廻り航路) ◇貨幣と金融 三貨制度~ ・ ・ + (一藩のみに通用する紙幣) (1)金貨(金座にて鋳造)~慶長大判・小判 (一枚ずつ使用)大判は贈答用 単位~ ・ ・ ( 1 両= 4 分= 16 朱) ※江戸中心に流通(江戸は「金遣い経済圏 」) (2)銀貨(銀座にて鋳造)~ ・ ( cf 田沼時代、定位貨幣の鋳造 , 単位~ ・ ・分・厘・毛 ※上方中心に流通(上方は「銀遣い経済圏 」) (3) (銭座にて鋳造)~ 銅中心、鉄、真鍮などでも鋳造 単位~ ・ 〔三貨の交換比率〕 金 1 両=銀 50 ~ 60 匁=銭 4 ~ 7 貫 ~金・銀・銭貨流通の混乱を解決 有力両替商(大名貸し) (4) (一藩のみに通用する紙幣) 藩札の発行… 260 ~ 270 藩中、 が発行 1700 種類(福井藩がもっとも大量に発行) - 50 - ) 第 第 88 章 章 幕藩体制の動揺 幕藩体制の動揺 1.幕政の改革 1.幕政の改革 ◇享保の改革 <幕政の諸改革> ④ ( ⑤ 藩 政 改 革 ) ) ) ) ③ ( ② 田田 沼沼 政意 治次 ) ( ( ( ① 正新 徳井 の白 治石 ( 1716 ~ 45) 8 代将軍 (紀伊藩主) 徳川家康を理想とした改革(「 倹約」中心) ①新田開発( 年貢増徴策) 耕地面積の倍増( 160 万→ 300 万町歩) ② ( 1722)~大名対象( 1 %の米の上納) 1 万石につき 100 石の米( ) 参勤交代における江戸在中期間の半減 ③ ( 1722)~人材登用策(旗本対象) 在職中の差額の禄高を支給する制度(増加分は世襲せず) ④ の採用(年貢高の安定)← (天領)四公六民→ (税率 UP) (藩領)三公七民~七公三民(一定せず) ⑤ ( 1719)~旗本・御家人救済 金銭貸借の訴訟は当事者間で解決 幕府(奉行所)は介入せず ⑥ の設置( 1721)~評定所前に設置(町奉行、大岡忠相の建議) 小石川養生所、町火消の設置 ⑦ ( 1742) 大岡忠相(寺社奉行)編纂 過去の判別整理、裁判基準の明確化(刑法) ⑧漢訳洋書輸入の禁緩和 青木昆陽・野呂元丈らにオランダ語習得命令 (1) (2)田沼時代( 1768 ~ 86) 9 代 家重, 10 代 家治の時代 (側用人 1767 →老中 1772) 賄賂政治 ←商業資本への積極的政策 ①印旛沼・手賀沼の干拓→失敗 ② (中国向けの海産物 〔ふかひれ,いりこ,干しあわび〕)→金銀の海外流失防止 ③専売制の導入、株仲間奨励→ 徴収目的 ④「 」(工藤平助)献上→ を千島に派遣( 1786) ⑤定位(計数)銀貨の鋳造~ ⑥ ( 1782 ~ 87)←浅間山の噴火による冷害 若年寄 田沼意知、殺害( 1784 佐野政言)→「世直し大明神」 →田沼意次、老中罷免( 1786) - 51 - (3) ( 1787 ~ 93)老中 (白河藩主) ①(旧里)帰農令~農村復興策(農村人口の増加) ② ( 1789)~不作・凶作対策(玄米を備蓄) →社倉・義倉の設置 ③ ( 1790)~石川島(授産施設) 無宿(人)に職業技術を習得させ、正業に就かせる 長谷川平蔵(火付盗賊改) ④ ( 1791)~貧民への助勢、貸付、災害時の援助 (町で使う予算)の節約分 70 %を積み立て ⑤ ( 1790)~朱子学の復興 朱子学を正学とし、異学(陽明学・古学)の講義禁止 〔寛政の三博士〕 柴山栗山・尾藤二洲・岡田寒泉(退任後、古賀精里) 聖堂学問書を と改称( 1797) ⑥(蔵宿) ~札差しに対する旗本(御家人)への借金の帳消し命令 6 年以前の借金( 帳消し )、5 年以内の借金( 低金利年賦償還 ) ⑦思想統制 山東京伝『仕懸文庫 』(洒落本) 恋川春町『金々先生栄花夢 』(黄表紙) 林子平『 』(海防論) 処罰 (4) ( 1841 ~ 43)~老中 (浜松藩主) ① ( 1841)~商品の自由流通と、物価統制 ② ( 1843)~農村復興策(都市に流入した農民を農村へ) ③ ( 1843)~幕府が公金を与え(低利年賦償還)半分は帳消し ④印旛沼の干拓→失敗 ⑤出版統制 柳亭種彦「偐紫田舎源氏 」(合巻) 為永春水「春色梅児誉美 」(人情本) ⑥ ( 1843)~江戸・大坂の一定地を直轄地 失敗(→水野失脚) 10 里 4 方 (5)天保の藩政改革 ①薩摩藩( ) 琉球密貿易と砂糖の専売による藩財政の再建 「借金 500 万両, 250 年賦償還」 ②長州藩( ) 紙・蝋の専売、越荷方による運上金の徴収 借金「借財 37 ヵ年皆済仕方」の成功 - 52 - 2.幕政の衰退 2.幕政の衰退 幕府衰退への歩み 年号 出 来 事 ① 1729 (露)根室来航 (大黒屋光大夫送還) (松前奉行発行の長崎回航許可証)授与 ② 1804 (露)長崎来航 北方探検~ (千島 )、 (樺太) <「大日本沿海輿地全図 」( )> ③ 1806 文化の撫恤令 ④ 1808 (英・軍艦)長崎侵入 松平康英(長崎奉行)引責自害 ⑤ 1811 ゴローウニン事件(国後島にて逮捕) → 1813,捕虜交換(高田屋嘉平衛) ⑥ 1825 ( ) 清国、オランダ船以外の外国船攻撃命令 ⑦ 1828 (長崎、 ) 独医師、シーボルトによる日本地図国外持ち出し発覚 地図提供者~高橋景保(幕府天文方)獄死 ⑧ 1837 (米商船,オリファント社)漂流民送迎 浦賀(相模 )、山川(薩摩)で撃退 ⑨ 1839 ← (蘭学研究グループ)の幕府批判 渡辺 山(「 慎機論 」)、高野長英(「 戊戌夢物語 」) ( 1840 ~ 42 ) ⑩ 1842 ⑪ 1844 ⑫ ⑬ 1846 1853 ( 嘉永 6) 異国船打払令( 1825)を、文化の撫恤令( 1806)に戻す オランダ国王 ウィルレム 2 世の開国勧告(公使 ) 「鎖国は租法である」と謝絶 ビットル(米 )、浦賀入港→平穏退去 (米 )、浦賀入港 (露)長崎入港 → 1854(安政元) 締結〔鎖国の終了〕 - 53 - ◇農村の荒廃と百姓一揆 農村の荒廃 租税の引き上げ、定免法の採用による領主の収奪 商品流通(経済)の流入 飢饉の続発 ( 1732), ( 1782 ~ 87 ), ( 1833 ~ 39) 小作人化、 都市への流入 百姓一揆 (都市)打ちこわし 初期~逃散・直訴→ 型一揆 (1)前期( 17C 中・後期)~ 代表者(名主など)が上訴 下総・佐倉 木内宗吾( 上野 磔茂右衛門( 1681) 信州・松本 多田嘉助( 1686) 1653) 義民 (2)中期( 17C 末~)~ (全藩一揆) 名主らを指導者として、全村で強訴・越訴(→ ) 伝馬騒動( 1764 )・信濃・上野・下野・武蔵( 20 万人) 伝馬・助郷役徴発 (3)後期(幕末)~ 中小農民層による打ち壊しを伴う百姓一揆 防長一揆( 1831) - 54 - 第4部 近代・現代 近代・現代 第 第 99 章 章 近代国家の成立 近代国家の成立 1.開国と幕府の動乱 1.開国と幕府の動乱 ◇開国 (1) の来航( 1853 嘉永 6) ( 1854 安政元 )(アオイロ条約)ペリー VS ① ・ の開港 ②難破船乗組員の救助 ③片務的 cf . ( 1854)プチャーチン ①日米和親条約 ②長崎の開港 ③日露国境~ ・ 間 ④樺太は日露雑居地 (老中) (2)安政の改革(阿部正弘)~対外防衛のため 海軍伝習所(海軍の母体 1855)長崎 講武所(陸軍の母体 1856)江戸、築地 (3)幕末の諸問題 諸大名に諮問(条約勅許論) ①通商条約調印問題 (明治天皇の父)反対 米総領事 来日 ( 1856 下田) 通商条約交渉 難航 老中 ② 14 代将軍後継問題( 13 代 家定) 21 才( 一橋派 ,徳川斉昭 ) 12 才( 南紀派 ,井伊直弼 、譜代大名 ) 、 就任 (4)井伊直弼の独裁政治 ① 14 代将軍決定…徳川慶福(→ ) ② (無勅許)調印( 1858) 安政の五ヶ国条約(アオイフロ条約)米・蘭・英・仏・露 T.ハリス VS 井伊直弼(通訳 ヒュースケン) 〔条約と関税率などを定めた貿易章程から成立〕 a.神奈川・箱館・長崎・新潟・兵庫の開港 b. 横浜中心 イギリス中心 ( 米国は南北戦争 ) なし(協定関税制) 関税率~輸入税( 5 ~ 35 %,平均 20 %) 輸出税(一律 5 %) 調印( 1866)関税率の改訂 c. (領事裁判権) 日米修好通商条約批准書交換( 1860) 新見正興(外国奉行)渡米、ポーハタン号に乗船 (ポーハタン号の護衛艦 )、艦長 (安房守安芳) - 55 - ◇開港とその影響 輸入品~ ( 80 % )・茶・蚕卵紙 輸出品~ ・ ( 75 %) ①初期は輸出超過 →のち、輸入超過( 1866)改税訳書 貿易による品不足(=物価高騰) →都市生活者の困窮(武士・町人) 農村(農民)~百姓一揆 都市(町人)~打ちこわし 武士~尊攘運動 ②金銀の比価 〔日本〕 G : S = 金 〔外国〕 G : S = 銀 ③流通経路の変更 在郷商人(農村在住の商人) →問屋の打撃 ( 1860)経済統制令 ・ ・蠟・ ・ ◇尊攘運動の展開 (老中) 阿部正弘 (越前) 松平慶永 (水戸) 徳川斉昭 (薩摩) 島津斉彬 (老中) ( 1845 ~ 57) (幕府) ⑬家定 ⑭将軍後継問題 (一橋派) (南紀派) VS (彦根) 井伊直弼 譜代大名 (老中) (大老) ( 1855 ~ 58) ( 1858 ~ 60) ◇尊攘運動から討幕への歩み (1)井伊直弼の独裁政治 14 代将軍決定~徳川慶福(南紀派) → ※ 日米修好通商条約無勅許調印 ※幕政批判 → ( 1858 ~ 59) (吉田松陰・橋本左内・頼三樹三郎・梅田雲浜) ( 1860) 尊攘派志士らによる井伊暗殺 - 56 - (2) ( 1861)~老中 ,久世広周 ①政略結婚~ 内親王(孝明帝の妹 )、降嫁〔→家茂夫人〕 → ( 1862)安藤信正襲撃、失脚 ②文久の改革(幕政改革)← (薩摩藩主)の上京 政事総裁職~ (越前藩主) 将軍後見職~ 京都守護職~ (会津藩主) 京都所司代 (3) ( 1863)~ 5 月 10 日攘夷決定日 (薩摩) ( 62)→ ( 63) (英・米・仏・蘭) 攘夷不可能 (長州)外国船砲撃( 63)→ ( 64) 認識 ヒュースケン襲撃( 60 薩摩) イギリス公使館焼討ち( 62) (4)公武合体派の反撃(薩摩) ( 63)尊攘派公卿の一掃 → (三条実美)長州へ ( 1864) 長州 VS 薩摩・会津・桑名 →第1次 ( 1864.8) (5) ( 1866) ( 66.1)~藩論の違う 2 藩の連合 ・中岡慎太郎(土佐)の仲介 武器(英国) 薩摩(公武合体論) (金不足) 武器 金 長州(尊王攘夷論) (武器不足) (6) ≪英仏と日本≫ イギリス=薩・長 駐日公使~ フランス=幕府 駐日公使~ ( 1867) ( 15 代将軍 ) ( 前土佐藩主 ) 後藤象二郎( 土佐藩主 ) 上士 坂本龍馬(土佐藩) 下士 ≪ 1867.10.14 ≫ ・ の上奏(徳川幕府の滅亡) ・ (朝廷→薩長) ≪ 1867.12.9 ≫ ・ ( 有栖川宮熾仁親王) 旧官職の廃止、三職設置( ・ ・ ) ・ (京都御所)大混乱 慶喜の冠位辞退、領地返上決定 - 57 - 2.明治維新と富国強兵 2.明治維新と富国強兵 ◇新政府の発足 改新の詔( 646.1) ①公地公民制 ②国・郡(評 )・里 ③班田収授法 ③租庸調 (1) ( 1868 )~新政府の基本方針 公議世論の尊重、開国和親 (2) ( 1868)~新政府の民政方針 一般民衆の心得~従党、強訴、キリスト教の禁止 (3) ( 1868)~新政府の具体的政権 三権分立導入、官吏互選制(→未達成) (米)モンテスキュー『法の精神』 ≪ 1868 1869 ( 1868 ~ 69)≫新旧勢力の交代 鳥羽・伏見の戦い,上野戦争(彰義隊壊滅) 会津戦争( 降伏)白虎隊自刃 五稜郭の戦い(箱館) 降伏 ◇中央政権への道 (1)官制 〔中央〕~ ( 1871) (最高官庁)~太政大臣(三条実美 ),左・右大臣 参議 (立法)~議長(後藤象二郎)議員は正院が任命 (行政)~ 8 省〔卿(長官 ),大輔(次官 )〕 8 省~神祗・外務・大蔵・兵部・文部・工部・司法・官内 省 ( 1872 教部省) ( 1872 陸軍省、海軍省) ※正院独裁体制,藩閥専制政治 〔地方〕 ( 1869)~版(土地 )、籍(人民)の返上 「薩長土肥」 4 藩主の先導で実施 藩主は に任命 ( 1871) (薩・長・土で構成された 1 万人の軍隊) という軍事力を背景に断行 3 府 302 県 3 府 72 県( 1871 末) 3 府 43 県( 1888 市制、町村制) (2)法制 ( 1870) (近代最初の刑法) ( 1873) (新律綱領の補足) - 58 - (3)殖産興業政策 富国強兵 ① ( 1869) ② ( 1870)~工業部門の育成 ③ ( 1873)~農業部門の育成 地方行政の中心、警察機構の中枢 大久保利通設置(内務卿就任) 〔金融機関〕 cf. (貿易のための資金調達) ◇明治初期の重要事項 (1) 1871( M 4) ① ~ 3 府 302 県→ 3 府 72 県( '71.12) ②田畑勝手作の禁 解禁 地租改正条例( 73) 田畑永代売買の禁 解禁 により制度的廃止 ③ ~最初の対等条約 ④岩倉遣欧使節団の派遣(~ 73 帰国) 特命全権大使… (同行)大久保利通、木戸孝允、伊藤博文、津田梅子 (留守)三条実美、西郷隆盛、板垣退助、江藤新平 ⑤ ~貨幣制度の改革 金・銀・銭→ ・ ・ ( 10 進法) ⑥郵便制度←飛脚制度 の尽力 (2) 1872( M 5) ①田畑永代売買の禁 解禁 ② …金融制度の近代化、新貨条例の実施 建議~伊藤博文、起草~ アメリカ、ナショナルバンクの制度模倣(民間銀行、公の銀行にあらず) ( 1873)第一国立銀行→( 1879)第 153 国立銀行 三井・小野組の共同出資 ③近代軍制~富国強兵の実現 国民皆兵 構想…大村益次郎、実現…山県有朋 …「血税」の用語→徴兵反対一揆 →徴兵令( 1873) ④学制… ( 1871)中心に教育行政の近代化 「 」の公布→学制の実施(フランスの制度) 全国 8 大学区制に分割→実際は 7 大学区でスタート ⑤官営工場の設立~殖産興業の一環 の開業~フランスの技術導入( ) ⑥鉄道開通(英国製の汽車・レール導入) 新橋~横浜(実際は汐留~桜木町) - 59 - (3) 1873( M 6) ① (国民皆兵)満 20 歳以上の男子 免役条件… a.身長 154.5cm 未満 b.家督相続者 c.官立学校生徒・ OB d.洋行者 e.代人料 270 円以上の納入者 ② ( 1873 ~ 81) 地租改正条例…「旧来の歳入を減ぜざる方針」→農民の負担変わらず 課税の変更点 改正前( 年貢 ) 改正後(地租) 課税基準 収穫高 地 価 ※ 天領は 5 公 5 民 税 率 ※一定せず 藩領は 3 公 7 民 納 税 者 耕作者 土地所有者 から 7 公 3 民 納 税 法 現物納 金納 (小作料は現物納) 問題点 地主は金納、小作料が現物納 農民の生活芳 →地租改正反対一揆(西 4 県、東 1 県) ・ ・ ・ ・ ③征韓論…対朝鮮政策をめぐる強硬派の敗北 西郷隆盛・板垣退助・江藤新平(参議)らの下野 →不平士族の反乱、自由民権運動の幕開け ④秩禄処分~士族に対する家禄の打ち切り政策 金禄公債証明書発行(恩給制度全廃のために数年分まとめた証書給与) →士族の商法(失敗) 士族授産(屯田兵の採用) ⑤明六社結成( 1873 = M 6)啓蒙思想団体の誕生 森有札(社長 )・福沢諭吉・加藤弘之・西周・中村正直 (4) 1874( M 7) ① ( 1 月、自由民権運動の開始) ( 1 月、東京で結成、最初の政治結社)<板垣・江藤・後藤> → ( 4 月、土佐で結成)<板垣・片岡健吉> ②不平士族の反乱…佐賀の乱(江藤新平)→処刑 ③征台の役(西郷従道、台湾出兵強行) →木戸孝允(台湾出兵反対)下野 ④『明六雑誌』刊行←明六社結成( 1873) 1875 年まで刊行 讒謗律・新聞紙条例により規制 - 60 - (5) 1875( M 8) ① 結成(東京)日本最初の全国的政党 自由民権運動~政治結社の結成( 1874 ~ 75) 立志社(土佐 )・嚶鳴社(東京 )・自助社(徳島) ②大阪会議~自由民権運動抑圧目的 大久保利通 ↓ 政府側への引き戻し 元老院(立法機関) 板垣退助( 征韓論で下野 ) 大審院(司法機関) 木戸孝允( 征台の役で下野 ) 地方官会議 (交換条件) ③外交問題 a. ・ (全権:榎本武揚、外務卿:寺島宗則) (ロシア領 )(日本領)⇒日露国境改訂 b. 鎖国政策の朝鮮に対する日本側の軍事的威嚇事件 の設立決定 (6) 1876( M 9) (日本にとり有利な不平等条約) 関税免除、片務的領事裁判権承認、 3 港の開港(釜山・仁川・元山) 廃刀令(旧士族の特権剥奪)←苗字・帯刀(武士の特権) 神風連の乱(熊本、大田黒伴雄 ),秋月の乱(福岡、宮崎車之助) 萩の乱(山口、前原一誠) 金禄公債証書発行(秩禄処分) 士族に対する家禄・賞典禄の打ち切り断行 (7) 1877( M 10) (西郷隆盛)~不平士族の反乱の最後 ( 3 %→ 2.5 %)←地租改正一揆の続発から 立志社建白(総裁、片岡健吉)国会開設要求 (8) 1878( M 11) 紀尾井坂の変(大久保利通の暗殺) 地方行政三新法の制定~府県会規則・郡区町村編制法・地方税規則 竹橋験動 <地方行政の近代化> モッセ(ドイツ人) 大久保利通(内務卿 )〔死後〕 山県有朋(内相) (9) 1879( M 12) 琉球藩廃止→ - 61 - 3.立憲国家の成立と日清戦争 3.立憲国家の成立と日清戦争 ◇自由民権運動 明治政府( )への不満 讒 の敗北(参議たち下野) ・ <武力派(不平士族の反乱)> ( 74 江藤新平) 神風連の乱( 76 熊本、太田黒伴雄) 秋月の乱( 76 福岡、宮崎車之助) 萩の乱( 76 前原一誠) ( 77 西郷隆盛) ( 75 ) <言論派( )> 提出( 74) 太政官左院へ,板垣退助 愛国公党( 74), ( 74) ( 75 ) ( 80 ) ( 80 ) 明治十四年の政変( 1881 ) ① (長官)黒田清隆 (政商)五代友厚〔薩摩〕 ②大隈 VS 伊藤 大隈の辞任、 <政府> 伊藤の渡欧(プロシア) ( 84)~公・侯・伯・子・男爵 ( 85)~初代 枢密院( 88) ( 1889.2.1) 第一回 ( 90) 第一回 ( 90) - 62 - <自由民権派> ( 81 板垣) ( 82 大隈) 自由党の暴動 福島( 82),高田( 83),加波山, 群馬,秩父,名古屋,飯田( 84), 大阪(85),静岡( 86)事件 ( 86) ( 87 ) ( 87) ( 570 名追放 ) ( 地租軽減 ,言論集会の自由 ,条約改正 ) ◇憲法の制定←国会開設の勅諭( 1881) (1)制定の準備~伊藤博文 渡欧(プロシア憲法調査) (ベルリン大学 )、 (ウィーン大学) 中心~伊藤博文 草案作成~井上毅・金子堅太郎・伊東巳代治 顧問~ (ドイツ人) (2)中央機関の準備 ( 1884)~公・侯・伯・子・男爵 貴族院(勅撰議員)開設の為 内閣制度( 1885)~初代内閣総理大臣… 藩閥内閣(薩 4,長 4,土 1,幕臣 1 ) ( 1888)~天皇の最高諮問機関、憲法審議 (3)地方制度の改革→ 3 府 43 県 ・ ( 1888 )、 (4) 、 ( 1890) ( 7 章 76 条、欽定憲法、プロシア憲法模倣) < 1889.2.11 発布 1890.11.29 施行> 天皇主権~神聖不可侵,統治権の総覧者,陸海軍の統帥 国民の権利~「臣民の権利」は、法律の範囲内で 議会(二院制)~ ・ (両院対等) 内閣(官僚内閣制)~首相は元老、重臣たちの推薦→天皇任命 衆議院議員総選挙法の変遷 公布年 内 閣 直接国税 1889 黒田清隆 以上 1900 山県有朋② 〃 1919 原敬 〃 1925 加藤高明 1945 幣原喜重郎 〃 年齢・性別 全人口比 以上・ 〃 〃 〃 歳以上・ 39 名の婦人代議士誕生 - 63 - 施行年 1890 1902 1920 1928 1946 ◇松方財政( 1881) (1)大隈財政の破綻( 1873 ~ 80 大蔵卿) インフレの進行(西南戦争)による不換紙幣・銀行券の発行 →通貨価値の下落(歳入の実質的減少、入超と正貨減少) 財政整理策…経費節約 ( 1880)、増税(酒税・地方税) (2)松方財政の進行( 1881 ~ 85 大蔵卿) (薩) 不換紙幣の整理→増税策(不換紙幣回収のため)⇔デフレーション 銀行制度の改革… ( ) 兌換銀行券の発行権独占( 1885) デフレ政策の影響→深刻な不景気(小農民の没落) 工場労働者・都市貧民→近代産業の労働力 農民の土地喪失・小作農化→寄生地主制の進行 ◇民権運動の激化…急進的自由党員による直接行動 ( )高田事件( 83.3)群馬事件( 84.5 ) ( ) ( )飯田事件( 84.12) ( )静岡事件( 86.6) 地主層・民権運動からの離脱 ( ) 運動の衰退 大隈、立憲改進党から離脱 ( 1886.10)反政府統一戦線の結成 ・ ら) ( 87)~地租軽減,言論・集会の自由,条約改正 ( ↑ 発布( 1887.12.25) 570 名追放 ◇諸法典の編纂~ (仏)顧問 (1)刑法~ ( 1870)→ ( 1873 ) (明・清律、律令、御定書百箇条) (フランス刑法加味) ・治罪法公布( 1880)→治罪法廃止、刑事訴訟法公布( 1890) (2)民法~ ・ ( 1890)→「民法典論争( 91)」 (反対)東大教授 穂積八束「民法出テ忠孝亡ブ」 (断行) 〃 梅謙次郎 「フラノス法学の立場から家長制は封建制の虚物」 ( 1898.7)ドイツ民法参考 (3)商法~商法公布( 1890 )→改正商法施行( 1899) - 64 - ◇初期議会…第 1 回帝国議会( 1890)~第 6 回帝国議会(日清戦争直前) 政府と政党(民党)が軍事予算をめぐり対立 → (議会運営にあたり政党に基礎をおかず無視) 黒田清隆(首相)の地方長官への演説 …超然主義の下に独走体制をとる政府に対立 「 ・ 」をスローカン(軍事予算が争点) 第 1 議会( 1890 ~ 91)…第 1 次山県有朋内閣 衆議院 300 議席中、民党 171 議席(自由党 130、立憲改進党 41) 自由党土佐派買収(竹内網、林有造、植木枝盛ら) 第 2 議会( 1891)…第 1 次松方正義内閣 海相、 (薩)による薩長擁護の蛮勇演説→最初の衆議院解散 第 2 回衆議院総選挙( 1892)…内相、 の選挙干渉 第 3 議会( 1892)…第 1 次松方正義内閣 選挙干渉の責任追求→松方内閣総辞職 第 4 回議会( 1892 ~ 93)…第 2 次伊藤博文内閣(元勲内閣、山県・黒田・井上) 民党、軍艦建造費削減要求→詔勅(和衷協同)で乗り切る 皇室費から建造費への転用 第 5 議会( 1893)…第 2 次伊藤博文内閣 政府と民党との妥協 自由党(政府与党的性格へ) 立憲改進党~対外硬派連合(国民協会との連合 )、衆議院の解散 第 6 議会( 1894)…第 2 次伊藤博文内閣 日清戦争勃発 - 65 - ◇条約改正 不平等条約の撤廃(日米修好通商条約) 治外法権の撤廃、関税自主権回復 (1) (右大臣 1872)岩倉遣欧使節←治外法権目的 最初の条約交渉、内治の必要性痛感 (2) (外務卿 1878) 税権回復目的(米 同意、英・独反対) (3) (外務卿、外相 1882 ~ 87) 時代(欧化政策) 法・税権の一部回復目的 外国人の内地雑居、外国人判官の任用 ( 86)→三大事件建白運動( 87) (4) (外相、 1888 ~ 89) 外国人判事を大審院に任用 →違憲問題で遭難(右翼玄洋社のテロ) (5) (外相、 1891 )~英 同意・ で引責辞職 ロシア皇太子のニコライ、津田三蔵巡査襲撃 大審院院々長、小島惟謙無期懲役 →司法権の独立 (6) (7) (外相、 1894 ) (⇒法権の回復)調印 改正条約施行( 1899、青木周蔵外相のとき) (外相、 1911) 調印(⇒税権の回復) - 66 - ◇朝鮮問題 清 =朝 - 日 ( 1894 ~ 95) 清 朝 宗主権 ( 1904 ~ 05 ) 日 清 ↑ 英 ←露 伊藤暗殺( 09 ) 清 朝←日 ( 1910) 露 ↓ 朝←日 ( 1902) 清 朝 日 ( 1910 ~ 45) (1) ( 1882)→ ( 82 )、犯人の処罰、賠償金 55 万円 日朝修好条規( 76)→日本公使館設置( 80 京城) (国王・高宗の実父、守旧党)親清派 × (国王・高宗の王妃、開化党) 日本政府の援助→混乱激化 大院君一派による日本公使館襲撃 民衆・軍隊 ( 1884) (2) 日本の支持 クーデター(失敗)→日本に亡命 、親清派に転向) VS ( ・ ) 日本公使館焼討 ( 1885)~伊藤博文・李鴻章 ①日清両軍の撤兵 ②朝鮮出兵の際の相互通告 閔妃( ( 1894 ~ 95) ( ) 西学(欧米文学)に反対 「斥倭洋倡義」をスローガン 朝鮮、清国に援軍要請 →日本に出兵要請( 日本の出兵) ②開戦~豊島沖海戦( 1894.7)北洋艦隊敗北 陸軍~成歓・牙山・平壌の戦い→旅順占領( 1894.11) 海軍~黄海海戦( 1894.9) ③結果~ 調印( 1895.4.17)、春帆楼 〔全権〕日本~伊藤博文(首相 )、陸奥宗光(外相) 清国~ a.清国は の承認 b.賠償金 (邦貨 3.1 億円) c. ・ ・澎湖諸島の割譲 d.沙市・重慶・蘇州・杭州の開港 ④ ( 1895.4.23)ロシア・ドイツ・フランス 遼東半島の返還要求~賠償金 4700 万円と引き替えに要求 「 」(史記)ロシアへの敵愾心高揚 (3) ①発端~ - 67 - 4.日露戦争と国際関係 4.日露戦争と国際関係 ◇立憲政友会の成立 (1)伊藤博文①(長, 1885 ~ 88)大同団結運動←保安条例( 87) (2)黒田清隆(薩, 1888 ~ 89)大日本帝国憲法発布( 89)→超然主義 (3)山県有朋①(長, 1889 ~ 91)第 1 回衆議院総選挙・帝国義会(蛮勇演説) (4)松方正義①(薩, 1891 ~ 92) 第 2 回衆議院総選挙→(内相)品川弥二郎の選挙干渉 (5)伊藤博文②( 1892 ~ 96)日清戦争・下関条約 +自由党(内相、板垣退助)戦後の軍拡予算支持 (6)松方正義②( 1896 ~ 97) +進歩党(外相、大隈重信 )} ※ ~立憲雑費+小政党の連合 (7)伊藤博文③( 1898) 地租増徴計画→自由・進歩党の反対( (8) の発足 98.6)、伊藤内閣退陣 (肥前, 1898 )憲政党が与党 日本最初の政党内閣 ( 4 ヶ月の短命内閣) 内相、板垣退助 (文相、 辞任) 憲政党の分裂( 98.10)→憲政党(自由党系)憲政本党(改新党系) (9)山県有朋②( 1898 ~ 90)←憲政党の分裂(星亨派と連携、地租増徴案可決) a.文官任用令改正( 99)→政党政治の阻止 b. ( 1900)→改正( 1913 山本①)→復活( 1936 広田) 現役の大将・中将より、陸・海軍大臣就任 c.衆議院議員選挙法改正( 1900)直接国税 10 円以上(人口比 2.2 %) d.労働運動・社会運動の高揚← ( 1900 ) e.憲政党を母体に 結成( 1900.9) 伊藤(総裁)西園寺公望・星亨・尾崎行雄・原敬 ( 10)伊藤博文④( 1900 ~ 01)←山県系・貴族院の反対 立憲政友会内閣(民党の自由党が政府側へ) ⇒桂太郎①内閣( 1901.6)山県後雑者(陸軍 )、西園寺公望(伊藤の後継者) と対立 【桂園時代】 「自由党を焦る文(幸徳秋水・万朝報 )」 ・・・星忽焉(こつえん)として墜ちて声あり、鳴呼自由党死す実」 - 68 - ◇資本主義の成立 1880 年 (軍事工場・鉄道を除く鉱山・造船所などの払い下げ) (1) ~日清戦争( 1894)前後、中心産業~ ①紡績業 技術…手紡→ガラ紡→機械紡績 紡績会社…大阪紡績会社( 1882 渋沢栄一) 紡績業の確立(綿糸の輸出高>輸入高)→金本位制度( 1897) ②製糸業 技術…挫繰製糸→機械製糸(水力利用) 製糸会社…片倉組・群是製糸( 1894) ③織物業→マニュ経営 ジャガード・バッタン両機の輸入 (2) ①造船業… ②鉄鋼業… ~日露戦争( 1904)前後、中心産業~ →鉄鋼の需要増大 ( 1901) (3)その他 ①貿易~日清戦争頃より増大 金融…横浜正金銀行( 1887) 海運…日本郵船( 1885 )→遠洋杭路の開拓 ②鉄道 (民営) ( 1881) (官営) ( 1889) ◇社会運動の発生 ①資本主義の発達(労働者の増加)→社会問題の発生(ストライキの増加) ②労働組合の結成→ ( 1900) ( 1897 高野房太郎)→ ( 97 高野・片山潜) ③ (渡良瀬川・古川市兵衛)→ の直訴( 1901) ④社会主義政党の成立 1901.5 (日本最初の社会主義政党) 片山・幸徳秋水・安部磯雄→治安警察法により即日解散 1901.6 (安部・片山) 1903.11 (幸徳・堺利彦 )「平民新聞」日露戦争非戦論 1906.2 (日本最初の合法的政党) - 69 - ◇政党変遷表 1881 1882 板垣 84 大隈 解党 84 大隈解党 立憲自由党 91 大隈復党 90 91 96 自 由 党 98 (隈板内閣) 98 憲政党( 自由党系 ) 1900 98 憲政本党( 進歩党系 ) 1910 伊藤 立憲国民党 22 22 年解党 革新倶楽部 13 加藤高明 立憲同志会 16 < > < 24 27 政友本党 - 70 - > ◇中国分割と日英同盟 (1)列強の中国分割(租借地) ①イギリス~九竜半島(香港) ②フランス~広州湾 ③ドイツ~膠州湾 ④ロシア~旅順・大連 ⑤日本~台湾・福建省 ⑥アメリカ~ ( 1823) →ジョンヘイの門戸解放宣言( 1899) 国務長官 ,(門戸解放・機会均等) (2) ( 1899)←中国への外国勢力の侵入 (中国民衆の排外思想の高揚) 山東省中心の発生、北京へ(「 」をスローガン) ( 1900)~義和団鎮圧のための戦争 日本の派兵( 22000 人の軍隊)→「極東の憲兵」としての自覚 調印( 1901)~列国の北京駐在権認可 (3)日英同盟( 1902) 北清事変→ロシアの満州の事実上占領⇒対露政策の対立 a. (日露協商論 ),伊藤博文・井上馨・尾崎行雄 日本の韓国、満州におけるロシア権益の承認 (日露韓の緊張緩和目的) b. ~山県有朋・桂太郎・小村寿太郎 英国との同盟締結により、ロシアの南下政策阻止 日英同盟締結( 1902)、桂太郎①内閣 一国(日または英)対 一国の場合: 一国(日または英)対 複数国の場合: - 71 - ◇日露戦争 (1)日露戦争をめぐる論争( 1903 ~ 05) 非戦論 a .「 」( 1903 平民社,幸徳秋水・堺利彦) 社会主義の立場から戦争反対 b.内村鑑三~キリスト教的人道的立場から戦争反対 c. ~「君死にたまふことなかれ 」(明星) d.大塚楠緒子~「お百度詣で 」(長詩) 主戦論 a. (近衛篤麿) b.東大七博士(戸水寛人) (2) ( 1904 ~ 05) ①開戦~仁川沖海戦( 1904.2) (陸軍)遼陽・沙可・旅順の戦い→ ( 1905.3) (海軍)黄海海戦( 1904.9 ウラジオ艦隊) → ( 1905.5 バルチック艦隊) ②結果~ ( 1905.9) 全権 日本~ (仲介) ロシア~ 米・大統領 「連合艦隊」 東郷平八郎,三笠 ③内容 a. における日本の一切の ( 1897 朝鮮は国号を「韓国」と改称) b.旅順・大連の租借権 ※ c.長春以南の鉄道敷設権と付属鉱山の採掘権 d.北緯 50 度以南の (サハリン)の割譲 e.沿海州、カムチャッカの漁業権 ※国民の条約への不満(権限のみ) 「東京朝日 」・「 大阪毎日」戦争継続を主張 → ④戦費の調達 日清戦争( 2 億円) 8.5 倍 a.国内における増税と国内債( 10 億円) 日露戦争( 17 億円) b.外国債(外国からの借金) ロンドン・ニューヨーク( 7 億円) - 72 - ◇日露戦後の国際関係 (1) ( 1910) ①日韓議定書( 04)~韓国併合の第一歩となった条約 ②第一次 ( 04)~韓国政府内に財政・外交顧問 (財政)目賀田種太郎 (外交)スチーブンス(アメリカ) ③第二次 ( 05)~ 韓国の外交権を日本の外務省が吸収 設置( 06 初代 、伊藤博文) ( 07) 第二回、万国平和会議(オランダ、ハーグ) 韓国の密使派遣・暴露 ④第三次 ( 07)~韓国の内政権掌握、 の解散 ( 07 ~ 14)・韓国の排日運動 激化 伊藤博文暗殺( 09 ハルビン駅)~ (⇒翌年死刑) ⑤ ( 1910)~日本による韓国の植民地化 寺内正毅(第三代統監) VS 李完用(首相) 設置(初代 、寺内正毅就任) 天皇直属の機関、朝鮮国内での武断政治の断行 「地図の上、朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつつ秋風を聴く 」(石川啄木) (2)満州 ① ( 06 旅順)~日本の大陸侵略の足場 関東州、満鉄の監督(軍事力⇒ ) ② ( 06) ( 06 半官半民) 「満鉄」満州経営の拠点(初代総裁、 ) (3)アメリカ~対日危機観「 (黄禍論 )」 ( 05)~フィリピン(アメリカ)と朝鮮(日本)の 優越権の相互承認 満鉄問題 (鉄道王)の満鉄日米共同経営提案( 05) 拒否 (満鉄の中立化案 06) 日本人の移民排斥運動→日米関係の険悪化 学童排斥( 06),在カルフォルニア州の日本人の土地所有禁止 ( 17)~中国の領土保全、日本人の権威尊重 石井菊次郎(前外相 )、ランシング(国務長官) (4)イギリス 〃 ①( 1902) ②( 1905)~協約の範囲をインドまで拡大 ③( 1911)~協約の対象からアメリカを除外 日英関係冷却化 (5)ロシア 〃 ①( 1907)~南満・韓国(日本 ),北満・外蒙古(露)を領土範囲 ②~④( 1910,12,16)~日本の利益線を内蒙古へ - 73 - ◇ ( 1901 ~ 12) (山県有朋の後継)と (伊藤博文の後継)の内閣交代 (1)第一次桂太郎内閣( 1901 ~ 05) ( 02), ・第一次日韓協約( 04) 桂・タフト協定,日英同盟改訂, 第二次日韓協約〔 〕( 05) (2)第一次西園寺公望内閣( 1906 ~ 08) 総裁 日露戦後経営~軍備拡張、鉄道国有化、増税継続( 06) ( 06)~日本最初の合法的社会主義政党 片山潜・堺利彦・西川光二郎 鉄道国有法( 06)→ ( 06) ( 06 旅順)~大陸経営の拠点 日本人の学童排斥( 06)~サンフランシスコ ( 07)→第三次日韓協約( 07) ( 07 室蘭)←八幡製鉄所( 1901) (3)第二次桂太郎内閣( 1908 ~ 11) ( 08)~朝鮮経営の経済的拠点 ( 08)~国民教化のための詔 ( 1890) ( 10)~無政府主義者( )による天皇暗殺事件 →社会主義・労働運動の「冬の時代へ」 → ( 10 寺内正毅) 公布( 11)~日本最初の労働者保護立法 →施行( 16 大隈重信②内閣) (4)第二次西園寺公望内閣( 1911 ~ 12)立憲政友会 の発足( 12 ) 日本で最初の労使協調的労働組合 第三次日露協約、 崩御( 7.30 61 歳) 陸軍による二個師団増設問題→内閣拒否 「陸軍のストライキ」陸相 、帷幄上奏として、単独辞職 内閣総辞職 ☆労働組合 ( 1912 鈴木文治)≪労使協調的≫ ( 19)改称 ( 21) (先鋭化,本格的労働組合へ) - 74 - (5)第三次桂太郎内閣( 1912 ~ 13)内大臣兼待従長から横滑り 第一次 (スローガン「閥族打破・憲政擁護 」) 軍閥・特権官僚の支配排除、政党内閣による立憲政治の実現 中心 立憲政友会 - (憲政の神様) 立憲国民党 - (憲政本党から 1910 分離) 結成( 13 桂) ※組閣後 53 日の短命内閣 (民衆の力が内閣を倒した最初の事件) (6)第一次 内閣( 1913 ~ 14)薩摩・海軍+政友会の連携 a. ( 13)~軍部大臣現役武官制の改正 軍部大臣~予備役・後備役まで任用範囲拡大 b. ( 14)~海軍内部の汚職事件 海軍首脳部が、ドイツ、シーメンス社より収賄→総辞職 第二次 ( 1914 立憲同志社~憲政本党+非政友会派) 第一次世界大戦の勃発 ここから、終戦まで、日本史演習の為、抜けています。 (本当は作りたかったのですが・・・)注意してください。 - 75 - 第 第 11 11 章 章 現代の世界と日本 現代の世界と日本 1.占領下の改革 1.占領下の改革 ◇連合国軍による日本占領( GHQ) <連合国軍による日本占領機構> ( Far Eastern Commission) (議長・アメリカ) 米・ソ・英・仏・カナダ・インド・オランダ・ オーストラリア・フィリピン・ニュージーランド 米国政府(承認) 諮問 (指令) General Head Quarters D.マッカーサー元帥 日本政府 国 答申 (議長・アメリカ) ( Allied Concil of Japan) 米・ソ・中・英 民 ◇アメリカの日本占領の意図(日本の非軍事化と民主化) 「アメリカに再び脅威を抱かせない国に改革する」 GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の統治 間接統治~北海道・本州・四国・九州と付属諸島 直接統治~朝鮮半島 北部( ソ連 ) 直接軍政下 南部( アメリカ ) ソ連の直接軍政下地域 朝鮮北部、北緯 50 度以南の樺太、千島 アメリカの直接軍政下地域 朝鮮南部、琉球諸島、奄美を含む南西諸島、小笠原 →小笠原( 1968 )・沖縄( 1972)返還 ◇ (1) (マッカーサーから幣原に口頭で伝達) ~婦人参政権・男女差別の撤廃 1945 年、衆議院議員選挙法改正(新選拳法の公布) 20 歳以上の男女に等しく選挙権を与えた 同年、総選挙(第 1 回)→ (代議士)誕生 1947 年、民法改正(翌年施行) 法の下での平等 戦後をのぞき女他の政治的・社会的地位が高かったのは鎌倉時代 →女性の所領相続、地頭就任 明治・大正期、女性が役割を担った職業は a.製糸工女のような女子労働力として日本の資本主義を支えるタイプ b.文学、特に反戦文学などに自己の思想を表すタイプ (2) ①治安維持法の廃止 ②公職追放 ③ ④特別高等警察の廃止 ⑤枢密院の廃止 - 76 - ⑥天皇の人間宣言( 1946) (3) (民主化) 教育勅語(皇国史観に基づく歴史・地理・修身授業)の廃止 アメリカより教育使節団の来日(教育の民主化促進のため) (義務教育 9 年) (六三三四制) 教育委員会設置(教育の地方分権化) 教育委員会法公布 ※教育委員の選任法は、初め公選制、のち( 1956)任命制 (4) 労働三法~ (労働界の民主化) ( ) ( ) ( ) (5) ファシズムの温床とされた (都市)財閥の解散(財閥解体) (農村)寄生地主制の解体(農地改革) ◇財閥解体 組織~ 法律~ ( 1947.1)公正取引委員会が監査 過度経済力集中排除法( 1948)~巨大企業の分割目的 325 社がこの法律の対象になったが、実際は 11 社のみ 同趣向の法律だが、大手銀行が解体の目をくぐり抜けてしまったため、 財閥解体は不徹底のものとなる ◇農地改革~寄生地主体制の打破 第 1 次( 1945.12)~①自作農の大幅な創設 ②小作料の金納化 法律~ (在村地主~ 5 町歩まで) 組織~農地委員会(地主:自作:小作= 5 : 5: 5) 不徹底→改革徹底の勧告( GHQ ) 第 2 次農地故事( 1946.10) 法律~ ~在村地主 (内地) (北海道) これを超える農地は、農地委員会を経て、小作人に安価で売却 構成比率(地主:自作:小作= 3: 2: 5) 小作料(金納)の最高限度額 田の場合は収穫の 25 %まで、畑の場合は収穫の 15 %まで ※これにより日本中の、 しかし、山林・水利権には手がつけられなかったが、全体としては、 まあまあの成果をあげた ◇戦後経済の再建 ① ( 1946)幣原内閣 (インフレ抑止 )、同時に預金封鎖の措置 ②傾斜生産方式(吉田①) 旧来の重点産業であった石炭・鉄鋼などの特定産業部門に集中的・重点的に 資金を投入し、その増産を図ろうとする新しい生産システム 石炭・鉄鋼・電力・肥料 - 77 - ③ガリオア・エロア資金(アメリカより) GALIOA 資金(占領地域救済資金)占額直後から EROA 資金(占領地域経済復興援助資金) 1949 年から ④経済安定九原則( 1948) 傾斜生産方式の決定は吉田①内閣→実施は片山・芦田内閣 実施のための特別金融機関の設立(復興金融金庫)重要産業の増産 融資の結果生じたインフレを「復興インフレ」という ドッジの来日~ドッジプラン(構想)ドッジライン(政策路線) 復興金融金庫の廃止 税制改革使節団の来日( 1949)団長シャウプ 経済安定九原則、ドッジラインにそって 税制改革についての提言(シャウプ勧告) 間接税中心主義から直接税中心主義への移行 青色申告制度の導入 固定相場制の導入( 1 ドル= 360 円) ◇戦後の歴代内閣 (1)吉田茂(第 1 次 1946 ~ 47) ①本格的労働組合の誕生 日本労働組合総同盟(総同盟 ),全日本産業別労働組合会議(産別会議) ②新憲法の起草(日本国憲法) 松本蒸治(国務大臣)案、 GHQ により否定 GHQ 案を修正・改訂し 1946.11.3 公布、 1947.5.3 施行 ③二・一ゼネストの強行( 1947)総同盟・産別会議 GHQ (マッカーサー)の中止指令~労働運動の衰退 (2)片山哲内閣( 1947 ~ 48) 1947 年の総選挙で日本社会党第 1 党 党委員長、片山哲が総理大臣就任(民主党・国民共同党との連立) 社会主義政党が政権の座についた最初の例(歴史的意義) 警察法( 1947)警察の地方分権と機構の民主化 警察機構~ 1954 年の新警察法誕生まで、 a.自治体警察と、 b.国家地方警察の二本立て ※片山内閣は、民主党(保守党)と連立したため、独自の社会主義政策が とれず退陣 (3)芦田均内閣( 1948) ①政令 201 号(マッカーサー指令に基づき) 国家公務員法改正(公務員から争議権と団体交渉権を剥奪) 二・一ストの主要勢力が官公庁の公務員 ②昭和電工疑獄事件( 1948)連座して芦田内閣退陣 復興金融金庫からの不正融資をめぐる汚職事件の発覚 昭和電工(化学肥料会社)日野原節三社長による贈収賄事件 - 78 - (4)吉田茂(第 2 次 1948 ~ 49) ①極東国際軍事裁判(東京裁判)結審( 1946.1 ~ 48.11) 起訴者 28 名のうち、東条英機ら 7 名に死刑判決 ②国鉄をめぐる不思議な事件( 1949 年夏に集中) a.下山事件~国鉄総裁下山定則、列車による轢死体で発見 b.三鷹事件~三鷹駅構内で、無人電車の暴走により死傷者を出す c.松川事件~東北線「松川~金谷川」間での列車転覆事件 人為的にレールの大釘が抜かれていた記録 国鉄の大量人員整理,労働組合運動の激化 疑惑を受けた共産党員に対する風当たり のちに「レッド=パージ」という風潮へ( 1950 年の共産党員の職務追放) 戦後政党の変遷 幣原内閣(日本進歩党)吉田①内閣(日本自由党) 片山内閣(日本社会党中心、日本民主党と国民共同党との 3 党連立内閣) 芦田内閣(日本民主党中心、日本社会党と国民共同党との 3 党連立内閣) 吉田内閣②~⑤(民主自由党→自由党) 1950 年自由党と改称 【革新】 日本共産党( 45 ) 旧日本共産党を再建 (徳田球一) ( 48 ) 日本社会党( 45 ) 旧無産政党各派を 糾合(片山哲) ( 50) ( 55) 主流派 国際派 (憲法改正 (西尾末広) 問題) 民主社会党( 60) ( 55 ) 【 民社党( 70 )】 日本社会党 社会市民連合( 77 ) 【社会民主連合( 78)】 公明党( 64) ※① サンフランシスコ平和条約の調印方法をめぐる分裂 社会革新党 右派 ( 51)※① 左派 労働者農民党 【中道】 日本協同党( 45) 労使協調の協同組合主義(千石興太郎) 国民協同党( 47 ) 国民民主党( 50) 【保守】 改進党( 52) 日本進歩党( 45) 旧民政党系( 町田忠治 ) 日本民主党( 47 ) 日本自由党( 45 ) 旧政友会系( 鳩山一郎 ) 民主自由党( 48 ) 自由党( 50 ) - 79 - 新自由クラブ( 76 ) 日本民主党( 54 ) 自由民主党 ( 55 年,鳩山一郎) 日本自由党( 53) 保守合同 55 年体制 ∥ 保守派の自由民主党による 長期単独政権の続く体制 ◇戦後史「軍事化への逆コース」 二大陣営~第二次世界大戦後、ドイツの戦後処理をめぐる対立が端緒 資本主義陣営(アメリカ) 「 」演説(チャーチル) 社会主義陣営(ソ連) 社会主義陣営の排他的性格を批判 第 2 次大戦後、ソ連の東ヨーロッパ諸国の共産化、西ヨーロッパに対しての 国際封銀 社会主義陣営 資本主義陣営 コミュンフォルム 〔 (共産党の情報交換のための中枢部) ( ) 冷たい戦争(冷戦)~全面戦争には至らず緊張状態 ( ) ◇朝鮮戦争( 1950 ~ 53) 朝鮮分裂( 1948) 北部~朝鮮民主主義人民共和国(金日成首席) 南部~大韓民国(李承晩大統領) ソ連 朝鮮民主主義人民共和国 中国 (金日成) (人民義勇軍) 大韓民国 (李承晩) アメリカ 代理戦争 中国 共産党 中華人民共和国 (毛沢東) 国民党 中華民国( 台湾 ) (蒋介石) 日本~「反共の基地」として再編成の必要 再軍備政策 1950 警察予備隊 1952 保安隊 1954 自衛隊(防衛庁の傘下) 「逆コース」 朝鮮戦争による日本経済の復興 「 or 」 ◇サンフランシスコ平和条約調印( 1951)~ 48 ヵ国と調和 全権~吉田茂(単独講和諭) 全面講和論~交戦国全部と講和条約を締結すべき(革新系諸派支持) →社会党の左右両派分裂の原因(社会党・民社党) 単独講和論~ソ連などの社会主義国を除いた国々と講和条約を締結すべき (保守系譜派支持) 【 3 タイプ】 非招待国(招かれなかった)~中華人民共和国・中華民国 不参加国(参加しなかった)~インド・ビルマ・ユーゴスラビア 非調印国(調印せず)~ソ連・チェコスロバキア・ポーランド - 80 - ( 1951) S.F.平和条約と同一日調印 米軍の日本駐留承認 1952 日台平和条約(中華民国と単独締結) 未調印国と個々に締結 1952 日印 〃 (インドと単独締結) 日米行政協定( 1952)調印~日米安全保障条約の施行規則 〔逆コースの例〕破壊活動防止法( 1952)制定~治安維持のため 米軍基地反対闘争 ①石川県の内灘 ②東京の砂川 ③山梨県の北富士 < 1952 年の重要事項> ①日米行政協定(日米安全保障条約の施行規則) ②日台・日印平和条約 ③メーデー事件 ④破壊活動防止法成立 ⑤保安隊設置 ⑥米軍基地反対闘争広がる ◇その他の重要事項 ① MSA(日米相互防衛援助)協定加盟( 1954.3) 朝鮮戦争休戦協定(板門店、 1953.7) 反共・反ソの立場で、アメリカは日本を支援するから、その代償として 日本も軍事力を強化せよという協定 ②アジア・アフリカ会議( 1955.4) A.A 会議、バンドン会議 第 2 次世界大戦後、世界の植民地で独立の気運高揚 参加国 29 ヵ国 ③ジュネーブ四巨頭会談( 1955.7)米・英・ソ・仏 世界的緊張状態の緩和「雪どけ」 ④日ソ共同宣言( 1956.10.19 )鳩山一郎とブルガーニン首相 国際連合加盟( 23 年ぶりに国際社会へ復帰) (ここまでです) - 81 - < MEMO > - 82 - < MEMO > - 83 - <日本史 ABCD ノート> ver. 1085 (更新回数) 1.このノートについて このノートは日本史の授業の板書きを一太郎で入力した物です。なぜこ のような事をするかと言うと、一番の理由は、自分の記憶力があまりに も悪いからです。これを使って少しでも覚えられたらいいなぁと思って 作りました。少しはアレンジしていますが、ほとんどは先生の書いたも のをそのまま使わせてもらっています 。(ただの写しですね ^^;) 2.サポートページ 次のホームページで、このノートの最新版の公開・お知らせなどを行っ ています 。( 2001 年以降の更新はないと思いますが・・・) http://www005.upp.so-net.ne.jp/premio/ また、質問、意見などは次の E-Mail アドレスにて受け付けています。 (ホームページ内の掲示板でも結構です 。) [email protected] ※このノートは写し間違い・タイプミスなどにより、多くの間違いが潜 んでいます。ご注意ください。また、間違いなどを発見された方は、 掲示板やメールでお知らせくださると助かります。( ^^;) 3.配布について 個人的な手渡しによる転載に関しては内容の改変等が無い限り制限は、 ありません。できるとは思いませんが、商用目的は禁止ですよ。 4.動作確認・動作環境・制作環境 <動作確認> Windows98 と一太郎 10 がインストールされている PC-98 V200/S7C。 <動作環境> 確認はしていませんが、 PC/AT 互換機・ PC-98 共に、 OS が、 Win95・ 98・ NT4.0・ 2000 であって、一太郎 10 が快適に動作しているパソコンでは正常 に動作するはずです。 ※一太郎 8・ 9 だと、読み込みはできますが、ページ数がおかしく表示さ れます。一太郎 10 を使用することをお勧めします。 ※このファイルにおいて、 HD のクラッシュ、パソコンの故障等が発生し た場合、責任を負えませんのでご了承ください。 - 84 - <制作環境> 機 種 O S CPU Mem HDD G A スキャナ プリンタ CD-R M O ソフト 製品名 PC-98 V200/S7C Windows98 + SP1 K6-2 366Mhz 128MB 10.1GB GA-VDB16 GT-7000 WIN S BJC-420J CRW4260tx TURBO MO 1300 一太郎 10 読ん de!! ココ OCR メーカー NEC Microsoft AMD Melco・ Green House IBM DJNA-351010 I・O DATA EPSON Canon YAMAHA OLYMPUS Justsystem A.I.SOFT 5.更新履歴 1998/09/0? 1999/08/22 1999/09/05 1999/10/30 1999/12/14 2000/01/13 2000/01/20 ver.1 ver.762 ver.764 ver.884 ver.960 ver.966 ver.1085 ・制作開始( ^o^ ) ・ネット用リニューアル公開開始 ・目次分のスペース改訂 ・全体的にページの見直し ・再編(ミス有り) ・ミスを修正 ・製本用改訂 7.編集後記 このノートの制作を始めたのが高 2 の 2 学期。始めたのが遅かったの で、追いつく事だけでも必死でした。今、無事に、ここまで完成する ことができ、ほっとしています。 日本の歴史は、たった 80 ページの 文章で片付けられる訳ではないですが、こんな量になるとは思いませ んでした。そのおかげで、タイピングが早くなったみたいです 。(笑) また、時間があれば、日本史演習の抜けている部分を埋めたいと考 えています。 山上俊樹 8.最後に・・・ 私にとって 、「濱先生の日本史の授業を受けたこと」そして 、「このノ ートを作れたこと」は、高校生活の中で大きな思い出になりました。 PS.これを 20 年後に見て、みんなで笑う事ができたらいいですね。 - 85 - - 86 - ~ 日本史 ABCD ノート Ver.1085 ~ 2000 年 1 月 21 日 初版第 1 刷発行 All rights reserved© 1998-2000 Yamakami - 87 -