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ロシアの動きを警 戒 していたイギリ スが,日本との関係を重視した
練習問題 答 え 1 (1)ウ (2)鹿鳴館 (3)陸奥宗光 (4)イ (5)(例)外国からの輸入品にかける関税を,自由に決めることができる権利。 (6)C ア D オ 採点の仕方 1 (5)「自主的に」「自由に」などの言葉がない場合は -4 点です。 「関税自主権がないこと。」では不可。 練習問題 考 え 方 けいかい 1 (1)日米修好通商条約などの不平等条約 いわ ・ロシアの動きを警戒していたイギリ スが, 日本との関係を重視したこと。 はい はん ち けん じっ し が結ばれたのは1858年なので,岩 なお,アの廃藩置県の実施,エの日 倉 具 視が岩倉使節団の代表としてア 清修好条規の調印は 1871 年のこと くら とも み こう しょう メリカと条約改正の交 渉 を行った 1872年は,その14年後となります。 い この不平等条約は,大老の井 い なおすけ ちょうてい ゆる 伊直弼が 朝 廷の許しを得ない で外国と結んだものだったね。 です。また,ウの日英同盟は 1902 年に結ばれました。 (5)輸出品や輸入品にかける税のこと を,関税といいます。外国からの輸入 品に関税をかけることによって,安 い輸入品が無制限に国内に流れこま (2)井 上 馨 は,1880 1880 年 代 に 条 約 改 正 ないようにして,国内の産業を守る の交渉を進めました。井上は日本の ことができます。しかし,幕末の不 近代化を外国人に知ってもらおうと 平等条約では,この関税を日本が自 考え,1883 年に鹿鳴館という洋風 主的に決める権利があたえられてい の建物を造り,外国人を招いて舞踏 ませんでした。 ぶ とう かい 会を開くなどの欧化政策を進めまし しょく さん 殖 産 興業を進め た。しかし, 領事裁判権の撤廃の代わ るためにも,関税 りに外国人の裁判官をやとうなど, 自主権の回復は何 条約改正の交渉の内容が明らかにな としても達成しな ると,国民の反対が高まり,交渉は ければならない目 失敗に終わりました。 標だったんだ。 (3)1894 1894 年にイギリスとの間で領事裁 てっ ぱい む つ むね みつ 判権の撤 廃 に成功した陸 奥 宗 光 は, (6)東アジアへ進出しようとしていたロシ 1895 年の下関での日清戦争の講和 アに対こうするため, イギリスは日本 (4)1894 1894 年に条約改正が実現したこと 年に条約改正に応じ,領事裁判権が 会議にも出席した外務大臣です。 に接近し,日清戦争の直前の 1894 にち ろ こ むらじゅ の背景には,次のようなことがらが 撤廃されました。日露戦争後, 小村寿 あります。 太郎が残りの条約改正交 渉 を行い, ・大日本帝国憲法の発布など, 日本が 韓国併合の翌年にあたる 1911 年に ていこく 近代的な国のしくみを整えたこと。 た ろう かんこくへいごう こう しょう よくねん 関税自主権を回復しました。