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- 219 - 38 日清・日露戦争 1 藩閥内閣と政党との対立(明治時代後半の
38 日清・日露戦争 1 藩閥内閣と政党との対立(明治時代後半の内閣) (1)藩閥内閣と政党の接近 《背景》 ・資本家、地主の要求が政党に反映 ・政府は軍拡(軍備拡張)の必要から政党に接近 ・政府は議会、政党を無視しては政治を行なえない 《経過》 1895 第二次伊藤内閣、自由党に接近 ・板垣退助の入閣 ・自由党は軍拡予算を承認(日清戦争と三国干渉のため) 1893 天皇の詔書 「軍艦建造のために議会も政府に協力してほしい」 宮廷費を 6 年間、毎年 30 万円を下付 文武官の俸給の 1/10 を軍艦建造に出させる ↓ 1896 第二次松方内閣 ・大隈重信の入閣(外相) 別名:松隈内閣(しょうわいないかく) 進歩党(1896、旧改進党との結びつきを強める) ・軍備の拡張へ ↓ 1898 第三次伊藤内閣の総辞職 対露軍拡(陸海軍の拡張)のための増税案が議会で反対 される・・・内容:地租、所得税、酒税の増徴案 ⇔ 憲政党と対立 ↓ 1898 第一次大隈内閣 ・最初の政党内閣(陸海相以外は憲政党員で構成) ・首相:大隈、内相:板垣(隈坂内閣・わいはんないかく) ・憲政党の結成(1898・6) 進歩党、大隈(1896 旧改進党を中心に結成) + 自由党、板垣 ・しかし内部分裂によってわずか 4 ケ月で倒れる 憲政党(自由党系)と憲政本党(進歩党系)に分裂 - 219 - (2)藩閥内閣による政党への対抗 1898 第二次山県内閣 憲政党(旧自由党系)と組んで地租増徴を実現 1899 文官任用令の改正 ・官僚の任用資格を制限し、政党の政治への影響を切 り離した(有資格者のみが高級官僚になれる) ・官僚制の強化を図る ・政党員の官界への進出を防ぐことが目的 1900 治安警察法の制定 ・民主的思想運動の取り締り ・集会、結社、言論の自由を抑圧 ・労働団結権、罷業権を否認 1900 軍部大臣現役(武官)制 ・政党の軍への影響を切り離すため ・軍部大臣(陸相、海相)を現役の大将、中将に限る 内閣における軍部の発言力が増す 軍部は大臣を推挙しないことによって内閣を 崩壊させることができる ↓ 1913 山本権兵衛内閣の時に廃止 ↓ 1936 広田弘毅内閣の時に復活 1900 第四次伊藤内閣 ・立憲政友会を結成 憲政党(旧自由党系)が中心・‥伊藤を総裁に迎える 政府も議会政治を円滑に進めるためには政党が必要 ・憲政党の党首:板垣退助 → 伊藤博文 ・山県有朋の政策には批判的 ・北清事変(1900)などの為に増税案を国会に提出 → 可決 ↓ しかし貴族院の反対を受けて退陣 - 220 - 1901 第一次桂太郎内閣 ・山県系(元老、山県の推薦によって) ・官僚、貴族院を背景の勢力に持つ 1906 第一次西園寺公望内閣 ・伊藤系(元老、伊藤の推薦によって) ・政友会を背景の勢力に持つ 《桂園内閣という・・・政界を二分した》 元老の山県有朋、伊藤博文が背後で政治を動かす 1908 第二次桂内閣 ・戊申詔書(ぼしんしょうしょ) 地方の改良運動(町村の租税負担力の強化) 青年会の再編成、在郷軍人会の組織化 ・1910 大逆事件 1911 第二次西園寺内閤 1912 第三次桂内閣 2 帝国主義の発展 欧米列強は資本主義経済が進展し、金融独占資本主義の段階に入る 金融(銀行)がすべての産業を支配する 対外時には原料獲得や商品の輪出だけにとどまらない資本を輸出する (工場の経営、鉄道の敷設、鉱山の開発など) ↓ 植民地獲得のために軍備の増強へと進む ↓ 日本においても『国権論』(国家主義)が盛んになる ・不平等条約からの脱却が国民的課題である ・弱肉強食の国際政治(帝国主義的な)の現実から ・欧米列強の東アジア進出という国際環境から ↓ 政府はこうした風潮を背景に天皇制国家を構築し、対外進出を図った - 221 - 3 東アジアヘの不平等条約の押し付け (1)対中国外交 1871 日清修好条規 清との対等条約 → しかし日本はこれに不満で、批准は 1873 年 1874 征台の役(台湾への出兵) ・きっかけは台湾で琉球漁民が殺害された ・軍人、士族らの強硬論に押されて ・駐清英公使、ウェードの仲裁で清は日本に賠償金を支払う (2)対琉球外交 1871 琉球諸島を鹿児島県に編入(琉球処分という) ↓ 1872 琉球藩を置く ・琉球は島津氏(薩摩藩)の支配下にあったが、名目上清にも属する ・藩主:尚泰(しょうたい)を華族に列した ・清とは対立した関係になる ↓ 1879 沖縄県の成立 (3)対朝鮮外交 1873 征韓論起こる 大院君(李氏朝鮮の王族)は鎖国政策に固執 ↓ 1875 江華島事件 日本の軍艦(雲揚)が朝鮮の江華島付近で砲撃される (背景は、開国を拒む朝鮮への威圧のために朝鮮沿岸で演習) ↓ 朝鮮側はこれに応戦し、日本軍は陸戦隊が上陸、砲台を占領した ↓ 1876 日朝修好条規(江華条約)の締結 朝鮮へ開国を強要、大陸進出の足場をつくった 《内容》 ・朝鮮が独立国であることを清は承認する (朝鮮の清への従属(宗主権)を否認し日本の勢力下に置く) ・釜山、仁川、元山の開港 ・日本の治外法権を承認させる ・関税の免除 - 222 - (4)対露外交 1854 日露和親条約 国境:択捉(えとろふ)まで(日本領)、得撫(うるっぷ)以北(露領) 1867 日露樺太仮規則 樺太は日露共有の地とし、両国民の雑居を認める 1875 樺太・千島交換条約 ・榎本武揚(駐露公使)とゴルチャコフ(露首相、外相) ・樺太で南下してくる露人との間に紛争が起こったため ↓ ・樺太(露領)、千島列島(日本領) 日本はオホーツク、カムチャツカの漁業権を得る (5)小笠原諸島 1853 ペリーが占領を宣言 1861 幕府は日本の領有権を米に承認きせる 1876 内務省は小笠原の領有を宣言し、内務省の直轄とする 1880 東京府の管轄下に入る 4 日清戦争 (1)意義 ・朝鮮半島をめぐる日清両国の攻防 (朝鮮市場をめぐる日清両国の争い、 ) 日本:朝鮮半島に対する清の宗主権を否定し、朝鮮へ進出したい 清:朝鮮半島を属国視し、市場の独占をはかりたい ・日本国内の政治的危機を回避したい ・英国の支援という国際的背景 (1894 日英通商航海条約の調印) 【背景】 アジアに利権を持つ英は露の南下政策を喜ばないから (2)朝鮮の国内情勢 親日派と親清派の対立 1882 壬午事変(壬午軍乱) 保守派(国王の父、大院君) VS 改革派(王妃閔氏一族) (大院君は日本への接近には反対) (親日派) ↓ 保守派(大院君)は改革派(閔氏)追放のクーデターを企図 王宮と日本大使館を焼き打ち - 223 - ↓ 日清両軍が出動し、鎮圧 ↓ 閔氏政権の復活(親清派) 大院君は失脚、清への依存が強まる ↓ 済物浦条約(さいもっぽじょうやく)の締結 日本への賠償金の支払、日本の朝鮮への駐兵権 1884 甲申事変 独立党(金玉均、朴泳孝ら親日派)が事大党政権(閔氏政権、 親清派〉を倒そうとする ・板垣(自由党)は独立党(改革派)を支援 ・日本公使館の援助によりクーデターを起こすが、清軍に 鎮圧されて失敗に終わる ↓ ・事大党政権と清との結び付きが強くなり、朝鮮における 日本の勢力(特に貿易の比重)が低下する ↓ 1885・1 京城(漢城)条約 ・朝鮮側の日本への謝罪 日本への賠償金の支払い(13 万円) ・井上馨(外務卿)VS 金宏集(朝鮮側全権) 1885・4 天津条約 ・甲申事変後の処理策 ・伊藤博文(日本側)VS 李鴻章(清側) ・日清両軍の朝鮮からの撤兵 ・出兵の際の相互通告 ↓ 天津条約後の日・清・朝鮮の対立 日・・・山県は軍備拡張を建議 1878 陸軍参謀本部を新設し統帥権を強化 1882 軍人勅諭(軍人の政治関与を戒める) 天皇の軍隊としての独自性を強調 清・・・海軍力を誇示 1886 清の軍艦が日本を訪問 (長崎清国水兵事件) - 224 - 朝鮮・・・1889 防穀令(日本への米穀(大豆など)の禁輸) → 日本によって廃止させられた 1885 大阪事件 ・自由党左派が朝鮮の内政改革を企てる (朝鮮の保守派政権を倒す計画) ・大井憲太郎、磯山清兵衛、景山英子ら → 大阪で発覚し事前に検挙される 1894 東学党の乱(甲午(こうご)農民戦争) ・圧政に苦しむ農民の反乱 ・東学党=宗教団体 (キリスト教の排斥、儒教、仏教、道教を折衷) ・国内改革をめざし、外国勢力の排斥を目的とした ↓ 反乱鎮圧のために朝鮮政府は清に出兵を要請 ↓ 天津条約によって日本も出兵 (清軍の出兵に対抗して,日本軍も出兵し鎮定) ↓ 東学党の乱の鎮圧後、清は早期の撤兵を主張、日本は朝鮮内の内政 改革を主張して対立 ↓ 日清戦争に発展 (3)経過 1894.7.25 豊島沖海戦 日清両海軍の衝突、日本海軍は近代的装備 兵の訓練、規律、兵器で日本が勝る 7.29 成歓の戦、 7.30 牙山の戦、 9.16 平壌の戟 9.17 黄海海戦、 11.7~21 大連、旅順の占領(清領:遭東半島) 1895.2.2 威海衛の占領(清領:山東半島) 清の北洋艦隊の降伏 日本側の戦費は 2 億円(当時の国家歳入の 2 倍強) 政党は政府批判を中止し、議会は戦争関係の法案・予算をすべて承認 - 225 - (4)下関条約 ・1895.4.17 調印(下関・春帆楼にて) 日清戦争後の戦後処理 ・全権:伊藤博文、陸奥宗光(日本)、李鴻章(清) 《内容》 (a)清は朝鮮の独立を承認する (b)遼東半島、台湾、澎湖諸島を日本へ割譲する (c)賠償金 2 億テール(3 億円余り)を日本に支払う (d)沙市、重慶、蘇州、杭州の開港と開市 (e)揚子江(長江)の航行権の許可 (5)三国干渉 ・1895.4.23 露、独、仏の三国は遼東半島の清への返還を日本に勧告 (清の首府が危険に晒される、朝鮮の独立が脅かされるという理由で) <列強の思惑> 露・・・極東への進出のために独、仏に働きかけた (満州に利権を持っていた) 1853~56 クリミア戦争で敗北した後、極東へ進出 独・・・ヨーロッパにおいて露の勢力を極東に向けておきたい 仏・・・1891 露仏同盟によって ↓ ・日本は三国の勧告を受け入れる 三国に対抗するだけの軍事力・経済力がなかった ↓ ・代償として清から遼東半島返還代金 3000 万テール(5000 万円を得た) ↓ ・『臥薪嘗胆』(がしんしょうたん)の風潮 ・露に対する敵愾心から軍備拡張へと向かう ・1895 樺山資紀が台湾総督に(もと海軍軍令部長) - 226 - (6)日清戦争の影響 (a)日本の国際的地位の向上 (b)軍需産業の発達 賠償金のうち 62%が軍備拡張費に使われる (特に露に対する敵悔心が増大する) (c)大陸の市場獲得へと進む (d)資本主義の発達 (e)国家主義の台頭 (f)清の弱体化が列強に暴露された 『眠れる獅子』から『死せる豚へ』 5 列強の中国分割と日英同盟 (1)列強の中国分割 日清戦争によって清の弱体ぶりが露呈された ↓ 列強による中国分割が始まる(それぞれの拠点から鉄道を建設) ・独・・・山東半島の膠州湾を租借(1898) ・露・・・遼東半島の旅順、大連を租借(1898) ・英・・・九竜半島と威海衛(山東半島)を租借(1898) ・仏・・・広州湾を租借(1899) ↓ 1899 米国務長官ジョン=ヘイは三原則を提唱 (清の門戸開放、機会均等、領土保全) ・各国勢力範囲内での通商の自由を要求する (米はそれまで 1823 モンロー宣言によって対外干渉を拒否していた) ・1898 ハワイ併合、フィリピン諸島の領有 ↓ ・列強の中国侵略に歯止をかけた (2) 1900 北清事変(義和団の乱) ・義和団=山東省を中心とした白蓮教系の信仰集団 ・ 「扶清滅洋」を唱えて北京の各国大使館とキリスト教会を襲撃 ↓ 清政府も義和団を支援し、列強に宣戦布告 ↓ 連合軍 3 万 2 千によって鎮圧(米英仏露独日墺伊) - 227 - ↓ 1901 北京議定書の調印 ・清は列強に賠償金の支払いを承認させられる ・各国公使館の治外法権を認める ・各国公使館守備隊の駐兵権を認める (3)日英同盟 1902 日英同盟の締結 (a)意義 英と同盟を結び、露の侵出から韓国の利益を守る (1897 から国号が李氏朝鮮から大韓帝国へと変わる) 露の南下を恐れる英と日の利害が一致したため (b)背景 露は北清事変後も満州を実質時に占領し(満州に進駐して兵力を 増強),韓国にも圧力をかけてきた 西アジア,インドヘも進出する気配 ↓ ・対露協商派(日露協商論) 伊藤博文、陸奥宗光、井上馨 伊藤は『満韓交換』の案を持つ ・対英協定派・・・露と対立する ⇒ こちらが主導権を握る 山県有朋、小村寿太郎、桂太郎 (c)内容 ・日英のどちらか一方の締結国が他国と交戦した時は、他の同盟 国は参戦義務を負う(露を対象とした攻守同盟) ・英の中国における、日の中国、韓国における利権を相互に支援 する ・英は「栄誉ある孤立」を破る (d)その後 1905、1911 に改定延長、1921 四か国条約によって廃棄 - 228 - 6 日露戦争 (1)開戦に至るまでの経過 露の満州駐兵が続く ↓ ・国民の大勢は開戦論に傾く 1903 対露同志会の戸水寛人(ひろと) (東大教授)ら七博士による意見書 露への即時開戦を進言 軍部は軍拡と韓国と満州の支配を要求 国民には三国干渉以来の露に対する敵愾心がある ・一方で非戦論、反戦論がある 内村鑑三(キリスト教徒) ・・・人道主義の立場から( 「万朝報」にて) 幸徳秋水、堺利彦(社会主義者)・・・ ( 「平民新聞」にて) 平民社(1903) 与謝野晶子(歌人) ・・・『君死に給うことなかれ』 (2)経過 ・1904 日露交渉の決裂 → 19.4.2 宣戦布告 ・戦局は日本に有利に展開 三国干渉以来の露に対する国民の敵愾心 米英は露の満州占領に反対し戦時外債に応ずる 露国内の混乱 ・1904.8.30~9.1 遼陽会戦、1904.10.10~17 沙河会戦 1905.1.1 旅順占領(露の根拠地)、1905.3.1~10 奉天会戦 1905.5.27~28 日本海海戦(バルチック艦隊を打ち破る) ↓ ・終結へ 兵器、弾薬、兵士の補給が限界(戦死傷者 37 万余、戦費 17 億円余) 軍事費 17 億円の内、外債 7 億、内債 6 億、増税 3 億 2 千万円 露国内に革命の気運 ↓ 日露ともに条約締結のための斡旋を受け入れる - 229 - (3)ポーツマス条約 ポーツマス・・・アメリカ東海岸の軍港 1905.9 セオドア=ルーズベルト米大統領の斡旋 全権:小村寿太郎(日本) 、ウィッテ(露) 《内容》 (a)韓国に対する日本の指導、監督権を露は全面的に認める (b)旅順、大連の租借権を日本に与える (c)長春以南の鉄道とその付属利権(炭坑など)を日本に譲渡する 清は後に日本と条約を結んでこれを承認(北京条約) (d)北緯 50 度以南の樺太と付属諸島の日本への割譲 (e)沿海州、カムチャツカの漁業権を認める 《日本国内の反応》 ・賠償金が全く取れなかった・・・国民は大増税に耐えてきた (露は敗戦国であると認めてないから) ↓ ・条約の内容に不満 → 「日比谷焼き打ち事件」へと発展 (報告の国民大会が暴動に発展) ・内相官邸、警察庁、交番を襲撃 → 政府は軍隊を出動きせて鎮圧、東京に「戒厳令」が布告 (4)内外への影響 (a)日本 ・日本の国際的地位の向上 ・資本主義経済の発達 ・軍国主義、国家主義思想の台頭 (b)海外 ・帝政ロシア(ロマノフ王朝)の衰退 ・露はバルカン半島へ進出 → 第一次世界大戦に発展(1914) ・弱小民族の独立運動にきっかけをつくる - 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