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パネルディスカッション

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パネルディスカッション
3-4.パネルディスカッション
コーディネーター
久世
建二(金沢美術工芸大学学長)
パネリスト
宮田
亮平(東京藝術大学学長)
磯見
輝夫(愛知県立芸術大学学長)
鶴田
憲次(京都市立芸術大学副理事長)
北村
義典(沖縄県立芸術大学美術工芸学部長)
西垣
司会:
克 (宮城大学学長)
それでは、定刻となりましたので、ただいまからパネルディスカッションを開始いたし
ます。
パネルディスカッションのコーディネーターは、金沢美術工芸大学の久世学長です。
では学長、よろしくお願いします。
久世:
それではパネルディスカッションを始めます。よろしくどうぞお願いします。
それではパネリストの先生方をご紹介いたします。皆さまから向かって一番左から東京藝術大
学、宮田学長先生でございます。(拍手)
続きまして愛知県立芸術大学、磯見学長先生です。(拍手)
次に京都市立芸術大学から鶴田副理事長です。(拍手)
続きまして沖縄県立芸術大学でありますが、本日ご出席予定でした佐久本学長先生が、急の業
務が入りまして、代わりに北村美術工芸学部長先生にご参加いただくことになりました。(拍手)
それから先ほど基調講演をいただいた宮城大学、西垣学長先生です。(拍手)
私は金沢美術工芸大学の学長、久世で
ございます。どうぞよろしくお願いしま
す。(拍手)
次に本日の議論の進め方を若干、お伝
えしておきたいと思います。二つに分け
たいと思っております。最初に、先ほど
の活動報告でもございましたように、私
たち芸術に関わる者がこの震災復興にど
のように関わっているのか、また関わっ
ていけるのか、それぞれの大学のお考え
をお話していただきたいと思います。既
パネルディスカッション 出席者①
― 35 ―
に表明されたところもございますが、補足も含めまして、順次、一言ずつお願いしたいと思って
おります。それが一つであります。
もう一つは、五芸大として、これから5年、10年、20年、長きにわたって、息の長い活動をし
ていくために必要な条件や前提についてお話しいただきたいと思っています。最後に五芸大がそ
れぞれの得意技を生かすような具体的活動、それから支援の方法についても討議をしていきたい
と思っております。
まずは最初のところの問題でありますが、今までの経過、それからその中身について、少しお
話を伺いたいと思います。
宮田学長先生には先ほどの何か、引き続きのものがありました。それも含めてよろしく、まず
は口火を切っていただきたいと思います。
宮田:
ありがとうございます。お時間をちょうだいいたします。宮田でございます。先ほど北
郷理事から説明がございましたが、私は文部科学省の文化審議会会長をさせていただいておりま
す。私は国の仕事に対しても積極的に参加させていただいております。というのは、大学、ある
いは地域という部分のコミュニティだけでは、せっかくの素晴らしいエネルギーを、国単位でしっ
かりと見据えるという考え方、当然そこには予算もついてくるわけですから、そういうものがちゃ
んとできていないと大きなムーブメントが出来ないと感じ、積極参加をさせていただいておりま
す。文化審議会というのは、文部科学省の文化に関するトップ会議の場所でございますが、文化
財レスキュー事業という、特化したレスキュー事業をやらせていただいております。その中には、
提言をいっぱい出させてもらっているのですが、最近の情勢と今後の文化政策ということで文化
庁長官に提言書を出させていただきました。
この中で言えることは、実際にやったこと、それから私たち、今ここにいる金沢の場合もそう
なのですが、現地でないときに、仮想で、こうあるだろうということで動くと、とても無駄が多
い。現地は一体何を考えているのかということと、逆に現地にいることによって、非常に安定性
を欠いた思想が出てきたときに、現地でないところで冷静に考えたときに、こうある未来という
ふうなこと、その両者をいろいろな有識者からいただいたものを提言させていただきました。大
変な災害であったわけですが、日本の今後の時代をつくるためのきっかけづくり、そしてページ
の変革ができるということを考えて制度化しました。それが対外的なところでございます。
学内においては、ほとんど北郷先生にお話しいただいていますが、あとは個々に、非常に私が
印象深かったのがあるのですが、福島原発よりの31キロで何ができるかということを学生たちが
やりました。30キロまでは入れないのです。だけど31キロは入れるのです。そこに何があるのか。
線を一体、人間はどこに引いているのかというときに、体験をした学生からお話を聞き、そして
何をすべきかというようなことが、私の中ではいまだに頭に残っておりますし、今後の31キロは
どうなるのか、もしかしたらその線はなくなるのか。当然なくなってもらいたいわけですが、そ
ういうリアリティのあるところでの話というようなこともやらせていただきました。まだいっぱ
― 36 ―
いありますが、また次の方へ移してください。
久世:
それでは引き続き、磯見先生お願いいたします。
磯見:
愛知県立芸術大学では、被災の直後から、人が集まるところ、例えば入学式であります
とか、そういうところで最初は義援金を集めるというところから始めました。その後、音楽学部
の教員によって、チャリティーコンサートを名古屋市内で開催しております。これは名古屋市内、
それから我々の大学がある地元の長久手町というところでやりました。大変先生たちの熱が入っ
た、いい演奏会だったと思うのですが、チャリティーコンサートということで、ある意味、芸術
的にも高いものが示せたのではないかと思います。それを昨年、今年と続けておりまして、これ
は10年、10回は最低続けようということでやっております。それとは別に卒業生、あるいは現在
活躍しているアーティストによるチャリティーコンサート等も開催しております。それから、こ
れは岩手県ですが、学生ボランティアに少数ですけれども、参加をしているということもありま
す。
それから現地での何か支援というのが、まだできていないだろうと思いますが、その中で、デ
ザイン専攻で、いつも授業の中で、大きな段ボールの遊具を作っております。それは例えば、
「水
都大阪」のような、そうしたフェスティバルなどにも提供して、子どもたちが喜んで遊んでくれ
る遊具です。それを福島に持っていきまして、放射能の関係で外で遊べない子どもたちに、それ
で室内で十分に遊んでもらうというような試みもしております。
しかしいずれにしても、我々の大学としてはまだまだ、そういう意味での支援活動は足りない
だろうと思います。そのために、この五芸大での方針といいますか、そのことが何か柱になって、
これからますます大学としてできることを拡大していきたいと思っております。簡単ですが。
久世:
ありがとうございました。それでは京都芸大の鶴田先生、お願いいたします。
鶴田:
京都芸大でも震災直後から、教
職員や学生、卒業生など関係者の心の中
に、何かできないかということが渦巻い
ておりまして、最初に実施したのが美術
学部でのチャリティーオークションでし
た。ただ、これは従来のやり方ですと、
高名な先生方から作品を寄贈していただ
いて、オークションにかけて、それを寄
附するのですが、そういうのでは学生が
全く参加できないので、何か学生が参加
パネルディスカッション 出席者②
― 37 ―
できる形でということで、
「サイレントアクア」という名前を付けたのですが、全員、学生も教員
も、卒業生の高名な作家の方も、皆同じ、はがき大の作品に大きさも制限しまして、しかも名前
を出さずに匿名、全部番号を振るだけで、それでオークションをしました。もちろん作品の裏に
はタイトルと、それぞれの作家のサインが入っているのです。ですから落札して、手元に届くま
で、作家が誰であるか分からないという、そんなふうな仕掛けでやりまして、非常に高名な、人
間国宝の方の入札がなかったとか、学生のが非常に高額で入札されたとか、いろいろな面白いこ
とが起こったのですが、それで市民の方にも非常に楽しんでいただきましたし、またネットでも
入札できるようにしましたので、日本中から入札いただきました。それで市民の方にも楽しんで
いただいた結果、その収益の全額を京都新聞社会福祉事業団を通して被災地に寄附させていただ
きました。それが京都芸大の最初にやったことです。
その次に、夏休みを利用しまして、本学の教員4名、学生が女川町の仮設住宅に、
「手遊び(て
すさび)カフェ」という、ものづくりをするようなカフェを作りまして、いろいろなものづくり
を通しながら、そんな簡単に心の傷がいやされるわけではないですけれども、対話をしながら、
お話をしながら、少しでも心のケアに役立ったのではないかということをやりました。今年も夏
休みに実施しました。
音楽の方では、京都市交響楽団、京都市立堀川音楽高校、京都市ジュニアオーケストラなどが
結集して行った震災チャリティーコンサートに本学も参加しまして、今年も全学で参加する予定
ですが、音楽の力による復興センターに寄附しました。あとは本学独自のチャリティーコンサー
トも行いまして、京都新聞社会福祉事業団に寄附しました。
アートで震災復興、一体何ができるのかというのは本当にいろいろあるとは思うのですが、こ
の3・11を機会に、今まで、第二次世界大戦後、復興の中で、全てゼロから始まったようなとこ
ろがあるのですが、経済大国にもなって、今はやや、中国にも抜かれるというような状況ですが、
これからアートの力、また文化の力で、日本のそれぞれの皆さんの今後の生き方といいますか、
今後の物の考え方なども考え直す機会になったら、またいいのではないかと思います。
久世:
ありがとうございました。それでは沖縄芸大、北村先生お願いいたします。
北村:
沖縄芸大では、地震があった1カ月後に、復興支援チャリティーコンサートを開きまし
た。600名近くの方が来られまして、大成功をおさめたのですが、その後、文化交流のスタディツ
アーに学生を派遣したりしていますけれども、大学全体として大きな方針を決めて動いていると
いうことは、まだございません。どちらかというと研究室、もしくは専攻単位で各地域の大学と
連携をしているというところです。
今回、五芸大が集まって一つの流れをつくろうということで、沖縄芸大でも、先生方、学生を
含めて、何度か協議をいたしました。その中で、興味深いのが、話していくうちに、だんだんと
沖縄の復興の話になっていくのです。これはどういうことかと言いますと、今から66年前、戦争
― 38 ―
のお話がありましたけれども、沖縄戦がありまして、ほとんどのものが破壊し尽されました。そ
の中で復興していったのですが、まず、経済力というのはどうしようもありません。米軍の統治
下ですので、その中でしか経済力は発展できません。ただし、文化芸術については、誰が支援す
るということなく、地域の中から、元の、自分たちが楽しんできた伝統文化を復活しようという
動きが出ていました。そういう昔話がずっと出ているわけです。そして今を見ますと、例えば古
典芸能においても、それから伝統工芸においても、非常に高いレベルに沖縄は今あると思います。
ただし、経済性については日本で一番下、ビリなのです。ですから経済を整えられなかったけれ
ども、芸術文化の面では、それなりの復興ができたのかなと。その基盤にあったのが、多分、地
域の連携、それから生活者としてそういうものを楽しんでいきたいという願いだったのではない
かと思います。そういう精神性の話で全てが解決できるとは思っていませんけれども、今からの
復興の中に、沖縄がそうやって培ってきた、心の領域のことですね、心のことが、きっとどこか
で役に立つのではないかなという気がしています。以上でございます。
久世:
ありがとうございました。それでは西垣先生はまた後ほどお願いいたします。
引き続きまして金沢美術工芸大学から報告といいますか、ご意見を申し上げたいと思っていま
す。
まず金沢美大では、先ほど、冒頭の私のあいさつのところでもお伝えしましたが、学生たちの
発露といいますか、最初に、ちょうど時期が入試のときだったこともありまして、学生たちは授
業がありませんでした。大学に届け出を出した学生もいれば、直接、突っ走って行った学生たち
もいました。そういうボランティア活動が自主的に始まったことが大きいことだったと思います。
当然私たちも、教職員そろって募金活動を直後に開始しておりますが、それ以上に、何よりも学
生たちが自主的に参加してくれた、それから帰ってきて、いろいろ報告会、もしくは具体的な報
告の例を見せてくれたことが、大変私たちにとって心強いものだったと思います。
そのほかに動きというのは幾つかあるわけですが、先ほど来お話がありましたように、大学と
して大きく取り組んだということはございません。主に学生たちの自主的な動きを広めるという、
一緒になって考えるという、そういう体制を取ったわけであります。今日、たまたま見て気が付
いたのですが、ボランティアのセンターを作って、VICSという、Volunteer Information Center
だったと思いますが、立ち上げた大学院の修了生が来てくれていますので、その辺の報告を突然
ですが、経緯を説明してもらえますか。私がしゃべるよりも、その当時の責任者が来ております。
石川雄太氏であります。本学の修士課程、彫刻専攻で、今は東京のあるメディア系の会社で仕事
をしております。突然で申し訳ないけど、よろしく。
石川:
ご紹介ありがとうございました。突然振られて、とてもびっくりしているのですが、先
ほどご紹介のありましたVICSという団体を立ち上げた経緯に関しまして、簡単にご紹介させ
ていただけたらと思います。
― 39 ―
まず立ち上げ当初は、私ともう一人、
立ち上げ人がいまして、6月当初、私
ともう一人の方が岩手県に、実際にボ
ランティアとして入って、メディアで
取り上げられていて、いろいろな状況
は入ってきたのですが、テレビを見て、
ニュースを見て、新聞を読んでいる中
でも、全然リアリティがわかないとい
うのが実感としてありました。3月11
日から時がたつにつれて、学生の中で
パネルディスカッション 一般参加者(石川)
も、やはりそのことに関しての会話が
少なくなってきているなというのを感じまして、実際に行って、体感しなければいけないという
のを感じて、実際に岩手の方に入らせていただきました。
そこで美術に何ができるかというのは、全く当初は考えていませんでして、本当に今、現代に
生きる若者として、そこで体感する必要があるなと感じたので入ったのですが、思った以上にス
ケールが大きかったというのがありました。いつもはテレビの箱の中で見ている震災の風景とい
うのがあったのですが、実際に入って、そこからの広がりだったり、これが海岸線上、ずっと続
いているということを、本当に肌を通して感じて、これは学生には伝わっていない、他者の、遠
い地域の方には全く伝わっていないなというのが実感としてありました。
帰ってきたときに、この体感したことを学生に知ってほしいというのがあったのです。もう一
人の震災被災地に入った先輩と一緒に、僕らは何かしなきゃいけませんねということで、何かで
きることを、別にアートとしてということではなく、本当に、実際に僕らが見てきた映像であっ
たり、そこで聞いてきた話を、まず金沢美大の学生に知ってもらおうということで、久世先生の
ところにすぐ行きまして、まず掲示板を二つもらい、そこで僕らが撮ってきた風景の展示だった
り、映像の展示、また、それ以降も実際に、僕ら以外にも学生が何名か行っていましたので、そ
こで招集して、VICSとして報告会をしようということでやらせていただきました。その後も、
シンポジウムとしてこういう報告会の後に、美大生として何ができるかということもやらせてい
ただきましたし、その後にボランティアとして学生に対して、学校側が日当を付けてくれるよう
な支援もしてくださいました。
簡単ですが、以上、VICSの経緯とご報告です。
久世:
どうもありがとうございました。突然で申し訳ない。(拍手)
ありがとうございます。彼たちの動きは今も継続されていまして、後輩たちが受け継いでくれ
ています。ヒマワリの種を栽培して、福島の方に送り返すというような活動も行っております。
その学生たちが自主的に、主体的に動いたことの大きな成果ということでお伝えしたいと思うの
― 40 ―
ですが、報告会がありました。ボランティアには多様なタイプがあります。それは声かけでお年
寄りたちと話し合って帰ってくるというようなこと、瓦礫の撤去、これは一番代表的なものかも
分かりませんが、我々が想像しないような活動の経過が述べられました。その報告会の後で、教
員と学生たちが一緒になって、数時間討論をして、最終的にグループごとに分かれて討議をした
わけですが、結論といいますか、その話題の中身を集約して、報告し合って終わっています。
要するに事の起こりの震災そのものの状況、情景を、いかに継承していくのか、伝えていくの
か。先ほども宮田先生の方からお話がありました。現地で空想すること、離れて空想すること、
いろいろなイマジネーションを描くのがアーティストの最も得意とするところでありますが、そ
の辺を、時間がたつとともに、当然風化していくわけです。それをどのように継承するのか。こ
の学生たちの動きに同調といいますか、バイブレーションを一緒にして、大学が持続する、そう
いうセンターがどこかに必要であろうと思っています。今は学生がボランティア支援センターの
ような、報告センターのようなものを持っておりますので、それを大学も共有するという意味で
継続、広げていく必要があるかと思っております。
それでは今ほどの、ざっと一通りの報告を聞きまして、皆さま、パネリストの中から何か追加、
もしくは問題点でお気付きのところがありましたらどうぞ。宮田先生。
宮田:
今、久世先生がおっしゃったように、人は忘れるのです。つらいことは忘れるのです。
忘却。それは一つの人間の生き方かもしれないのですが、だからこそ、どうやって残すかという
ときに、いろいろな知恵を絞る仕事が、僕らの一番得意とするところかなという気がしています。
それと同時に、あのことがあったことによって、違う扉を開くことができるというのもあるので
す。例えば、先ほど北郷先生がやったチャリティーで、高校生が瓦礫の前でトランペットを吹い
て泣いている姿があったでしょう。あれは、彼女はZARDの「泣かないで」を吹いていたので
す。それがとっても良かった。そういう素晴らしさがあるので、勇気を持って、クラシックだけ、
邦楽だけというのではなく、ポピュラーに踏み込むことによって、あ、何だ、ポピュラーってこ
んなに面白いんだというようなことも知ってもらった、そんな一つの体験ですね。
同時にもう一つなのですが、新潟の山古志村でちょうど7年前に地震が有りましたね。そのと
きに一番大変だったのは、水が出なくなったために、あそこの有名なコイがあっという間に死ん
でしまったのです。そのときに、こんな小さな稚魚を、何千匹かを、すごく頑張って関東の方へ
持ってきて、育ててくれた方々がいました。それを私の大学の防災池にボウフラがわいてしまう
ので、浄水してきれいにした、そこに持ってきてくれたのです。コイを見ること、美しいものを
見ることによって、あ、あのときこんなに辛かったんだというようなことが思い出されるのです。
ですから僕らの表現するものは、今、そしてその後に、どう伝えて、どう忘れないようにするか
というときに、そのきっかけづくりをいろいろなことで模索していくのがとても大事なことと思
います。
― 41 ―
久世:
ありがとうございました。そのほかに、今のお話の関連でもよろしいですが、ご意見は
ございませんか。鶴田先生。
鶴田:
久世先生の継続というのは本当に大事なことで、先ほど私が紹介しましたサイレントア
クアも、無理なことはなかなか続きませんので、本当にこれも京都市民をはじめ、ウェブでも入
札できるようにしましたので、全国の方から喜んでいただいて、しかもそれ自体が面白くて、ま
た結果が震災復興支援に役立つというような形を取っております。昨年度はこれをお金の形で被
災地にお送りしたのですが、どこに消えたのか分からないというような批判もいただきまして、
今年は現地で、アートを通して震災復興支援をしておられる団体に、全額を寄附したというよう
な形にしました。ですから我々にできる形で、それも皆さんに喜んでもらう形で続けていくこと
が大事なのかなと思います。
久世:
ありがとうございます。ほかにいかがでしょう。磯見先生お願いします。
磯見:
ちょっと私ごとで恐縮なのですが、先月スコットランドへ行く機会を得まして、北の方
のオークニーという島で展覧会をやったのですが、そのときにラジオのBBCの地方支局ですが、
短いインタビューを受けました。その中の質問として、東日本の震災が日本の芸術家にとって何
か影響を与えたかという質問を受けました。私は、やはりあの震災は、日本の芸術家にとっては、
あの前後、震災前と震災後という、大きな分け方ができるのではないか。私自身の制作において
も、震災を忘れて制作することはできないので、これからの日本の若者たち、芸術家はそれを前
提としてやはり制作を続けていくのではないかと答えました。
今回、この五芸大で震災の支援をするということは、ある意味では、もちろん被災者に対する
支援なのですけれども、実は我々芸術家にとっても非常に大切なことではないのか、私たち芸術
家のためでもあるのではないかと思います。特にこれから育つ若い芸術家が、やはりこの震災を、
まず前提に置いて、これからの制作を始めていかなければまずいのではないかと、基本的に考え
ます。そういう意味で、これをぜひ実現させていきたいと思います。
久世:
まさに今回のシンポジウムの本質を突いてきていただいたという感じがいたします。ま
だ結論を出すのは早いですので、もう少し横幅広くご意見をいただきたいと思うのですが、いか
がでしょう、今の関連でも結構です。ございませんでしょうか。北村先生、お願いします。
北村: 先ほど宮田先生のお話で、
「忘れないこと」ということなのですけれども、再度戦争の話
で恐縮なのですが、沖縄は6月23日が、沖縄での終戦というふうに考えているのです。今まで長
く、全沖縄戦没者追悼式をやっていました。スタイルとしては、菊の花を祭壇に置いて、お祈り
をするという、国内で行っているものとほぼ一緒だったのですが、今から6年前に、美術と音楽
― 42 ―
をその中で入れられないだろうかという
問い合わせが県の方から芸大にありまし
て、参加することにしたのです。どうい
うふうにやったかといいますと、白い紙
の管を540本ほどずっと並べまして、それ
は紙でできていますから、風で揺れるの
です。そしてそこに森山良子さんの「さ
とうきび畑」の音楽を流す。首相が菊の
花を手に取った瞬間にその音楽が流れる
ように作ったのです。とてもこれは評価
パネルディスカッション 出席者③
が良くて、知事からも、それから亡くなっ
た方の遺族の後援会があるのですが、そこからもこれを続けてほしいということを言われて、6
年目ですが、それをまだ継続していく予定です。
ですから、そういうメモリアルの中に、やはり美術と音楽には何らかの役目を持たせることが
できるということです。ですからそういうことも、今回の震災に限らず、それが長い目で考えた
ときに、どういうことができるのかということは今から考えていっていいことだと思います。
久世:
アートというのは人間の心の奥底の叫び、悩みも苦しみも喜びも含めて、言葉に表せな
いことさえも表現ができる。もちろん言葉で表す仕事の人たちもいますけれども、目に見えない
ものを見えるようにする、聞こえないものを聞こえるようにする、そういう作業でもあります。
今ほどの北村先生のお話の、祭壇に並んだそれらの表現というのは、まさにアートといいますか、
それを見ることで6月23日の意味というのが、現地の人は特にそれを強く感じられたと思います。
それが波及効果といいますか、我々にも届いてくるという。今お話を聞いて、なるほどと思い出
すわけですけれども、これもやはり大きな技だなと思います。ありがとうございました。
ほかに今の件につきまして、ご意見ございませんか。どうぞ。
磯見:
西垣先生に質問させていただきたいのですが、被災者の皆さんは、例えば我々が何かも
のを作ったりということはあると思うのですが、被災者の皆さんを巻き込んでそれをやっていく
という可能性はどうなのでしょうか。皆さんに何かそこに参加して作品を作っていただく。
西垣:
私どもの気持ちとしては、私どもは必ずしもアートだけではなくて、今、支援だけでは
間に合わないので、雇用の促進ということで、今五つぐらい、実際の事業を大学として取り組ん
でいるところです。ところが一番我々が現場で悩んでいることというのは、担い手がいないので
す。先ほど言いましたように、限界集落をも超えているのです。ですから逆に、皆さん方の善意
に申し訳ないのだけれども、もう支援はいいよと言われてしまうのです。
― 43 ―
ですから今、僕らが考えているのは、とにかくアートというので、みんなを元気にするために
このアートをやりましたというと、多分現場では拒否されるのです。何となく、道端のお地蔵さ
んみたいに、すーっと立っていて、はっと振り返ったらお地蔵さんがあったというぐらいの感覚
なのです。ですからこの前も、僕などは大好きな方で、風を見るという新宮さんが、仙台の南の
名取で、風車をやったのですが、現場が全く盛り上がらなかったのです。
「このおっさん、何しに
来とるんだ」という感じです。
そこに今、すごくギャップがあって、ですから僕らは今、現場の人と共に汗を流すということ
を優先してやって、今はちょっとやけくそみたいなものなのですが、タコの養殖とか、それから
ソルティブッシュという塩害、塩漬けのところに生える草を食べるラムとか豚、ドイツとオース
トラリアでブランドなのですけれども、うちも食産業学部というので、マロン豚といって、イベ
リコの向こうを張ったやつを開発しているのですが、もうちょっとそれの品質を上げようとか、
お蚕をやっていたものですから、桑の葉をえさにしたニワトリを飼ってみようか、牛を開発しよ
うとか、古代の、宮内庁などが使っているという、ものすごく細い絹があるのです。それを復活
させようとか、何せやっぱり、日常の生活に関係しないと、どうも「震災で」という形容詞が付
くと、みんな引っ込んでしまうのです。ですから、ぜひ先生方にも、さりげない旅人で来てもらっ
て、あ、これがアートになるじゃないという形で、仮設なんかに何かほっと置いていってもらっ
て、集落の人々がそれを見て和むというのが、僕が今望んでいる一番大きいことなのです。
あとは申し訳ないのですが、チャリティーは、はっきり言って、お金はどこへ行っているか分
からないのです。これが日本の社会の貧しさで、政府にしろ、日赤にしろ、NHKにしろ。それ
でうちの大学に、全く見ず知らずの人が義援金を送ってくるのです。その理由は何かというと、
政府に渡しても分からなくなるけど、おまえのところなら大丈夫だというので私どもの方はちゃ
んと寄附を取る口座を作ってありまして、お礼状と、何に使ったかというのまで全部明細書を、
送っていただいた方に、匿名であった場合には難しいのですけれども、メールにしろ、ホームペー
ジにしろ、公表しています。
そこが、僕が一番、今日申し上げたいことは、決して南三陸の問題ではなくて、今、金沢でも、
あした起こってもおかしくないのです。それで学生諸君のボランティアは、僕は非常に厳しく首
を絞めたのですけれども、ただ困っているから助けてやろう、この感覚はいいのです。それを社
会人として、ないしは金沢の大学生として、気仙沼に来なくてもいい。金沢の町の清潔とか、金
沢の町を良くするように、金沢の美大の学生がどれだけ日常的に、いわゆるユースサービスとか、
ソーシャルユースサービスのようなトレーニング、しつけができているかというのが、今の日本
の大学に課せられている一番の課題だと僕は思っています。
先ほど申し上げたように、危険が存在するときに素人が手を出してはいけないというのはそこ
にあるのです。それよりも学生は学生の本分に基づいた形で、だからうちは必ず単位をやると。
そのかわり学習だという規定をしているのです。それと我々はリスクマネジメント側からいくと、
二次被害を出さないこと。多分皆さん方はご存じないと思うのですが、阪神淡路の後、勝手な行
― 44 ―
政制度ができて、多分、久世先生は契約していないと思うのですが、今の日本の法制度だと、ボ
ランティアの動員はどうなっているかご存じですか。金沢市長なのです。要するに防災計画とい
うのは県知事がつくりますね。実行計画は首長で金沢市長の責務なのです。ですからわけの分か
らん小学校、中学校が避難所になるのです。学校区というものが厳然としてあるのです。ですか
ら生活環境とは全く違うところで行政が動いてしまう。そうすると市長が、先生のところに、学
生をボランティアで出せと言ったら、契約していると出さないといけないのです。指揮権が市長
に行くのです。学長なんて全然相手にされていないのです。うちなどは市長と年中話をしていま
すから、そんなわけの分からんところに預けるわけにいかないと言って、変な話ですが突っぱね
ています。実は、それぞれ今まで大学生がやってきたボランティアというのは、アナーキーな状
態で、めちゃくちゃな状態なのです。
ですからこれで、今回我々が何もなかったというのは実はうそで、一応向こうの総長も公表し
ていますから言いますと、東北の某大学の学生は3人自殺しているのです。ボランティアに行っ
て、バーンアウトで。というのは、先ほど彼が報告したように、余りの被害のでかさに。テレビ
の画面で見る範囲ではおさまらないのです。地球的規模なのです。被害にしろ、命の損失にしろ。
自分の善意はともかく、無力感の方が先に出て、バーンアウトして、3名が死んでいるのです。
これを我々は前から知っていたので、うちは先ほど申し上げたように、健康管理とかメンタル
チェックというのをものすごく厳重にやったわけです。それは僕は学長として、津波で亡くなっ
た学生の命以上に、それに関連してうちの学生の命は絶対失わせないという私の強い意志です。
久世:
ありがとうございました。また大変勉強させていただきました。お礼申し上げます。
それでは、気が付きますと、もう時間が大分迫ってきております。今後の展望につきまして、
皆さんいろいろとお考えだと思います。また西垣学長のお話を聞いて、ある意味では言葉にブレー
キがかかったかも分かりません。ぜひそれを乗り越えて、一言ずつお話しいただきたいと思いま
す。その後少しまとめたいと考えております。よろしくお願いします。
宮田:
ありがとうございます。やはりリアリティのあるところからの言葉というのは、先生の
話術を超えて心にしみました。と同時に、だからこそやらなければならないそれぞれの地域の違
い。ちょうど五芸大がそれぞれに点在していますから、言ってみれば、何か星座のような気がす
るのです。五つの星座がどういう星座として描かれていくか。それぞれがサテライトとしてきち
んとやることと同時に、例えば京都芸大さんが1枚の絵のオークションをやりましたね。あれな
どは五芸大全部でやったら、これはまた面白いと思うのです。それを文化庁や文科省で全面支援
をしていって、国が支援をしているというふうなことでやっていくとか、何かこう、そういう連
携を改めてこのシンポジウムで感じさせていただいたかなという気がします。
久世:
磯見先生、お願いいたします。
― 45 ―
磯見:
先ほども言いましたけれども、やはりこれからの芸術家にとってはとても大きな問題だ
ろうと思います。ただ、今の西垣先生のお話にあるように、こちらで勝手に物事を考えてやると
いうわけにはいかないだろうと思います。ただ、五芸大が一つにまとまって、そういう大きな方
針として、これからそのことを考えていくということ。これはやはり継続していくという、これ
を風化させないための一つの方向として、ぜひそれを考え続けていきたいと思います。
久世:
ありがとうございます。それでは鶴田先生、お願いします。
鶴田:
今、両先生がおっしゃったとおりだと思うのですが、本当に西垣学長がおっしゃったよ
うに、勘違いをしたような、こちら側の都合で支援をしても、全然意味がないので、本当にアー
トに何ができるという、ちょっと何かを飾るとか、そんなことを我々は当然考えていないのです
が、基本的に人間のするべきことというか、最終的に何が残るのかというような話を前に、うち
の元学長で、梅原猛と話をしたときに、最終的にはもう学問と芸術しか残らんだろうなと。その
学問というものも随分また人工知能でできるので、本当に最後に残るのは芸術だけだろうかとい
う話をしたことがあるのです。
ですから人間の生きる究極の目的といいますか、先ほど経済から、物から、人の心へという話
もありますが、本当にそういう観点で五芸術大学が協力して、いろいろなことを進め、文化庁も
文科省も、国公立五芸大、全部一致したら、かなりいろいろなことができるのではないかと思い
ますので、本当にこれからはそういうことを相談してやっていきたいなと思います。
久世:
ありがとうございます。それでは沖縄芸大、北村先生お願いします。
北村:
実は芸術分野以外の方と復興の話をすると、なかなか芸術系の支援の仕方について理解
を得られないことが多いのです。何ができるのと。実際に言われてしまうのです。ただ、今鶴田
先生が言われたように、本質、その長い歴史の中で、今から10年、15年、もっと先かもしれませ
ん。50年先かもしれない、100年先かもしれない。そこまで持っていけるのは技術ではないのです。
やはりその中にある哲学であり、芸術だと私は思っております。ですから普通の、普段の人に、
そういうことを理解してもらえるような動きを私たちがやはりつくらなくてはいけないのかと、
そういう責任も感じております。
久世:
ありがとうございました。それでは相当に時間も押してまいりましたので、ここで会場
の皆さんから、いろいろなご意見がおありだと思います。二つばかり、ぜひいただきたいのです
が、率先して手を挙げていただける方はいらっしゃいませんか。後ろの白いシャツの方、お願い
いたします。
― 46 ―
藤本:
貴重なお話をありがとうござい
ます。金沢美術工芸大学の製品デザイン
2年の藤本雅司といいます。
この五芸大が集まった、すごくいい機
会だと思います。これからの五芸大の活
動として、何か本当に震災の復興と×
アートについて考えて、今後何をしてい
くかという、具体的な何か企画やイベン
トなどを考えていくことはあるのでしょ
うか。お願いします。
久世:
パネルディスカッション 質疑(藤本)
では私の方から少し解説しておきます。実は今日、この会の前に、五芸大学長懇話会と
いうのがありました。継続で、これで3年目になるわけですが、震災支援というような形でいろ
いろなアイデアを持っています。今ここでは、具体的には全て話はできませんが、各大学ごとに
いろいろなアイデアを持っています。それは既に済んだものもございますけれども、主に制作を
通じて、現地で制作する、こちらで制作する、いろいろなタイプのものを持ち回りで展示をする。
もしくはそこで販売をして、その軍資金でまた次のことを起こしていこうというようなことも含
めて、おのおのの大学がいろいろな計画を練っています。
それから市民の皆さんにもちょっとお伝えしたいのですが、五芸大学長懇話会というのは年に
2回ございます。春と、今の秋ですね。春の場合には、これは学生たちが持ち回りで、どこかの
大学が当番校になるわけですが、そこに集まって、文化・スポーツのいろいろな交流会を開きま
す。その中で、学長会議も開かれます。それから教員のいろいろなFDという、自分たちの専門
領域の研究成果を持ち寄ったり、開発をしたりというような会合も行われています。そういう中
でのこの一つのテーマとして、継続して震災復興支援という形を取って、今、継続しているわけ
であります。ですから来年度は、後ほど申し上げますが、またお願いしますけれども、宮田学長
の東京藝大が主幹校になって、2回、そういう会合が開かれます。ですから、恐らく来年の春に
は、この継続の具体的な実現に向けてのお話し合いが開かれるということ。それからその秋には、
また会が開かれるということであります。そういう継続した計画が既にできているということで
あります。具体的な説明ができなくて申し訳ありません。
藤本:
ありがとうございます。
久世:
ほかにご質問はございませんか。ご意見はございませんか。石川雄太氏。
石川:
今日は貴重なお話をありがとうございました。先ほど紹介していただいた石川です。今
― 47 ―
日の感想なのですが、最後に西垣学長先生がおっしゃったような、現場とのギャップのことにつ
いて感じたことです。実際、私も岩手の方に入って、瓦礫の撤去を主にやったのですが、そこの
田んぼの持ち主と一緒に、やらせていただいた共同作業の中で、ものすごく貴重な話を聞けまし
た。まずものづくりをする人が、ものをつくろうと思わずに、まずそこで労働するということが
本当に大事だなというのをすごく感じたのです。最初からものづくりをしようとしなくても、普
段からものづくりをしている人たちというのは、どんな現場に入っても、いろいろな見方で見て
しまうというのが現実かなと思って、生活に根付いた労働を一緒にする中で、こうしたらいいん
じゃないかとか、ちょっとした視点というのが普段からものづくりをしている人にはあると思う
ので、一緒に労働するというのが、今回参加して、重要なキーワードになってくるなと感じまし
た。
今後今回のようなシンポジウムを開催していただく際には、ぜひ学長先生だけではなく、学生
も一緒の輪になって参加できるような場になれば、もっと有意義な、本当にアクションに結び付
くような会になるかなと思いました。本当に今日はありがとうございました。
久世: こちらこそありがとうございました。一つの提案としていただいておきたいと思います。
ありがとうございます。
それではもう時間が過ぎましたので。ごめんなさい、では。
西垣:
ありがとうございました。これは私どもの大学としては、現場のお世話係を任じている
わけでありまして、五芸大がこういう形で、日本の大学の歴史の中でも初めてだと思います。こ
れはぜひ宮田先生も含めて継続して、日本の国公立の五芸大が、日本の芸術を動かしていく原動
力になってもらいたいと思っています。それで先ほどご報告しましたが、幸い私どもの方も復興
のための活動資金というのを持っておりますので、これは異論が後で出てくるかもしれませんが、
今、宮城大学で考えていることは、五芸大の学生の皆さん方を春休みに、南三陸でも、宮城県、
どこでも結構なので、二泊三日ぐらいで空気を吸いに来ていただきたい。そのための経費を負担
するというつもりでおります。
ですから、これはもう学長先生方との信頼関係ですので、独断と偏見で、各大学から4名ずつ、
どんな専門の学生の皆さんでも、選んでいただいて、それで私どものサテライトキャンパスや宿
泊施設がありますので、そこで、さっき石川君が言ったとおりなのです。我々は復興という言葉
ではなくて、その土地に生きていく基盤をつくるという目線で今やっているものですから、半農
半漁プラスアートだよという提案をしているのです。ですからそういうような形で、ぜひこれは
五芸大の学長先生方のご同意が得られれば、宮城大学としては、現場での受け入れを含めてお世
話をさせていただきたいと思いますし、また私どもの学生と教員が一緒になって、五芸大の皆さ
ん方と学び合える場ができるのではないかと考えています。
そういう意味で、そういう予算化をしておりますので、春休みぐらいに来ていただいて、多分
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まだ雪が残っているかもしれませんけれ
ども、夏ぐらいまでに何か構想をまとめ
て作品を作っていただいたりして、来年
の秋には、そういう作品を囲んで、この
シンポジウムが具体的にまた、一つ前に
進めていただければ、少なくとも予算の
続く限り、宮城大学としてはそういう
チャレンジをしていきたいと思っていま
すので、ぜひ五芸大の学長の先生方のご
支援をよろしくお願いします。
久世:
パネルディスカッション(全体)
西垣先生、どうもありがとうございました。
その他の五芸大にも、おのおのの目標があるということを申し上げましたけれども、それと同
時に、やはり社会からのいろいろなアプローチもあります。例えばメディア系の大きな企業が、
ある資金を得て、自分から供出をしてくれて、金沢美大、もしくは五芸大と共同で、いろいろな
ことが起こせないかというようなアプローチなども、今現実に来ております。そういうものも、
大いに外部資金という形で活用できたらと思います。まだ具体的に会社名等は申し上げられませ
んが、そういう可能性が、やはりアピールすることによって出てくると言えると思います。
それでは時間が過ぎてまいりました。ここで私どもの五芸大プラス宮城大学の会を終わるに当
たりまして、声明文を発表したいと思っています。今、画面に出ますでしょうか。私の方から読
み上げさせていただきます。
声明文
私たち国公立五芸術大学協議会は、東日本大震災の記憶を風化させず、
「文化芸術」の
力を生かし、今後の活動を行っていくことを宣言する。
一つ
「文化芸術」の力を活用して、被災地の地域創成に尽くすこと
一つ
「文化芸術」を通じて、被災地の方々の想いに寄り添う行動を目指すこと
一つ
「文化芸術」によって、「ものから心へ」を実行すること
宮田亮平
東京藝術大学学長
磯見輝夫
愛知県立芸術大学学長
久世建二
金沢美術工芸大学学長
建畠
京都市立芸術大学学長
晢
佐久本嗣男
沖縄県立芸術大学学長
以上であります。司会にバトンタッチをして終わりたいと思います。
司会:
非常に充実したディスカッション、ありがとうございました。皆さま、もう一度パネリ
― 49 ―
ストの方々に拍手をお願いいたします。(拍手)
3-5.閉会あいさつ
司会:
それでは最後に、東京藝術大学宮田学長より閉会のあいさつをお願い申し上げます。
宮田:
貴重なお時間をありがとうございました。とても今うれしいです。若者がここに大勢い
る。この場には活気がある。次世代の諸君らに期待を寄せる、そしてこのシンポジウムの意味を
そのまま受け止めるのではなく、あなたたちがまた醸成をして、次のこの3・11を知らない人た
ちに伝えていってくれ。そのまま伝えるのではなくて、あなたたちが醸成する仕事、これをやっ
ていただきたい。必ずそうすれば、日本にはまた新しい未来が開けるのではないかという気がし
ます。
本日はありがとうございました。
(拍手)
司会:
ありがとうございました。
以上をもちまして五芸大震災シンポジウム「東日本大震災復興における芸術の果たす役割」を
終了いたします。
本日は長時間にわたりご参加いただきまして、誠にありがとうございました。
(拍手)
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