...

大学は勉強の場。社会でも活用できる調査発表の技術を鍛える。

by user

on
Category: Documents
13

views

Report

Comments

Transcript

大学は勉強の場。社会でも活用できる調査発表の技術を鍛える。
【研究者インタビュー No.097】
大学は勉強の場。社会でも活用できる調査発表の技術を鍛える。
立命館アジア太平洋大学 国際経営学部 准教授 轟 博志 (とどろき・ひろし)
専門: 歴史地理学(韓国交通史)。
折れる課題が多いと学生に評判です(笑い)。それは,
卒業するときにこの大学で勉強らしい勉強をして良
かったと学生に実感して欲しいからです。(写真と文
/安部博文)
▲丸い板は停留所の地名が書かれた韓国鉄道のプレート。
●歴史地理学とはどういう内容の学問でしょう?
歴史地理学は,研究対象とする地域の過去の姿を
誰もが見られるように図で復元し,今日までの変化
の流れを調べる学問です。私が専門にしているのは
道や鉄道など交通の歴史です。韓国に留学していた
時の例でご紹介しましょう。留学の 2 年目にソウルか
ら釜山まで旧道を歩きました。資料調査やインタビュ
ーも行いました。分かったことは韓国王朝時代の道
は首都のソウルを中心に周辺に向けて放射状に伸
びる形になっていたということです。しかし,日本の
植民地になった時代から,道は港湾都市を起点に内
陸部に通じる形に変わりました。つまり,統治の形式
によって道のあり方も異なってくるということですね。
歴史地理学の研究方法は,資料を調べること・実際
に現地を歩くこと・住民など関係者にインタビューす
ることの 3 つです。この手法で調べた結果を地図とい
う形に仕上げます。
例えば,耶馬溪という地域が景勝地として全国的に
有名になったのはなぜか。この背景には江戸時代
の日田は幕府の直轄地として政治的・経済的に九
州で重要な拠点であったことがあります。そのため
海岸都市である中津からのルートも重要で,当時の
土木工事の粋を集めた第一級の国道になっていま
した。そのような基盤があったので,多くの文人墨客
が訪れ耶馬溪の素晴らしさが全国に広がったので
す。過去を知ることで見馴れていた風景が違って見
える。これも歴史地理学の醍醐味です(笑い)。
●教育のポリシーは?
大学は勉強をするところです。歴史地理学の科目
履修生には,1 年からフィールドワークを経験しても
らい,2 年から先行研究の文献整理を通じて自分の
テーマを探して貰います。3 年で論文計画の議論を
します。このようなスケジュールで大学での勉強の
全体像を掴んで貰います。問題意識を持ったことを
自ら調べ,分かりやすくまとめて人に伝えるスキル
は,社会に出てからも役立ちます。私のゼミは骨の
【轟 博志(TODOROKI Hiroshi)プロフィール】
▼1971 年,神奈川県逗子市生まれ。父親
の転勤に伴い名古屋で過ごした後,幼稚
園~小学 2 年は仙台,2 年~5 年時は広島,
6 年時から逗子に戻る。転校は,新しい場
所を経験できるので苦にならず。好きな科
目は工作と社会,特に地理と歴史。苦手は
体育。算数は公文式でカバーし,父親から
英語を習う。広島時代,路面電車と出会い,
以来,鉄道ファンになる。逗子市立の中学に入学。工芸部に
所属し,技術科の延長のような部。顧問が教頭で,学校で使
うスノコや下駄箱などの製作とメンテナンスを担当し DIY技術
の腕を上げる。読書はもっぱら紀行文。休日は電車乗り,夏
休みはユースホステルを利用しながら広域で電車乗りに励む。
全国の鉄道を制覇。▼神奈川県立高校に入学。中学時代の
勉強不足を反省し勉強に力を入れる。2 年時は勉強の手を休
め,生徒会活動が中心の日々を送る。学校と交渉し,隔年開
催だった文化祭を毎年開催にしたのが成果。3 年は進学を考
え,一時期,理系科目を選択するなど試行錯誤を重ねる。好
きな地理と歴史を幅広く学びたいと考え,教員が充実してい
る地理学科を持つ大学受験を目指す。▼1990 年,立命館大
学文学部地理学科に入学。サークルは大学新聞社に所属。1
年時の専門科目で地理学研究の基礎技術や知識に触れる。
大学新聞の仕事が忙しくなるが専門科目の授業は欠かさず
出席。授業とサークル,アルバイト(書店の店員)で充実の毎日。
中国へ旅行。2 年時から歴史地理学の河島一仁(かわしま・か
ずひと) 研究室に所属。先行研究の整理,フィールドワークの
体験,資料収集法,統計分析などで鍛えられる。メキシコへ
旅行。3 年時は指導教員と議論しながら卒論の下準備。韓国
へ旅行,駅名の文字が読めるようになる。1993 年 6 月からア
メリカ・ネブラスカ州立大学に語学留学。韓国人留学生が多く,
互いに語学を教え合う。京都に戻り,祇園祭の担い手の変化
をテーマにした卒業論文をまとめる。歴史と地理の結び付き
を研究する面白さに目覚め,大学院進学を夢見る。▼1995
年 3 月,学部を卒業。同年 4 月,海外旅行の専門会社
JALPAK に就職。アメリカ・メキシコ方面担当として平日は深
夜まで仕事に励む。旅行主任者の資格も取得。休日は専門
と韓国語の勉強に充てる。米国留学時に知り合った韓国人
の紹介でソウル大学を訪問,同大学院志願を決意。▼1993
年 2 月,会社を退職。同年 3 月,ソウル大学校社会科学大学
地理学科修士課程に入学。地理学科 8 人の教員のうち 7 人
がアメリカで学位を取得。授業はアメリカ方式でテキストも英
語。韓国の鉄道史をテーマに修士論文に取り組む。並行して
韓国内の道を対象に歴史調査を進め,韓国語で著作を出す。
▼2000 年 2 月,修士課程を修了。同年 3 月から同博士課程
に進学すると同時にソウル市役所市政研究所に就職。▼
2004 年 2 月,ソウル大学校に提出した道路に関する歴史的
な研究論文が認められ学位取得。地理学博士。同年翌月,
市役所を退職,5 月から国立慶尚大学で研究教授となる。
2005 年からはソウルの崇実大学で日本語と日本文化の授業
を担当。▼2006 年 4 月,立命館アジア太平洋大学に着任。
平成 22 年度大学等産学官連携自立化促進プログラム / 地域連携研究コンソーシアム大分 / 取材時期 平成 22 年 12 月
Fly UP