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戦前期わが国農村における共有資源管理・利用の実態 :「農家経済調査簿」

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戦前期わが国農村における共有資源管理・利用の実態 :「農家経済調査簿」
滋賀大学環境総合研究センター研究年報 Vol. 6 No. 1 2009
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研究ノート
戦前期わが国農村における共有資源管理・利用の実態
:「農家経済調査簿」を用いたケース・スタディー
藤栄 剛
A Case Study of Rural Common-Pool Resources Management
in Prewar Japan: Evidence from Rural Household Sur vey
in the Early Showa Era
Takeshi FUJIE
Research Center for Sustainability and Environment, Shiga University
Using rural household-level survey data in prewar Japan, we shed light on the labor supply of rural households
for the management of common-pool resources, such as community forest. We examine the labor supply
records of four rural households as representative cases. Our findings provide evidence that(i)labor for the
management of community forest is mainly supplied in agricultural off-season,(ii)adult males in rural
households engage in the management of community forest, and other labor forces, such as adult women in
rural household engaged in light labor,(iii)some rural households earn living from the management of
community forest in the early Showa era.
Keywords: rural common-pool resources, community forest, early Showa era
1 .はじめに
や規制に関するケース・スタディーは数多く存在する注 1)。
よく知られているように、Hardin〔7〕による「共有地
また、共有資源管理に関する研究のなかには、ルールや制
の悲劇」の指摘以来、森林、放牧地、灌漑用水をはじめと
度が共有資源管理に果たす役割を検討するとともに、管理
する共有資源の管理に関する問題が多くの研究者によって
される資源システムのパフォーマンスの成否について検討
世界的に議論されてきた。そして、こうした共有資源に対
した研究もある。たとえば、Bardhan〔6〕はインド農村
して「共有地の悲劇」を回避するための制度やルールが定
の灌漑管理に関するミクロデータを用いて、灌漑管理の成
められ、長期的かつ緊密な人間関係の下で、共同体によっ
否の決定要因を計量的に検討し、村落における民族の異質
て管理されていることが多い(速水〔8〕)。
性や土地所有の平等性などをその決定要因としてあげてい
わが国の共有林、入会地や灌漑制度(McKean〔11〕、
る。こうした資源システムのパフォーマンス成否の要因に
Kijima et al .〔9〕、Aoki〔2〕)、インドのラジャスタン地方
関する研究は多数存在するものの、集落で形成された一定
における牧草地の管理(Shanmugaratnam〔16〕)、スリラ
のルール下での、共有資源の管理・利用のための家計の労
ンカ漁村における海へのアクセス規制(Amarasinghe〔1〕)
働供給の実態を整理した研究は少ない。共有資源への依存・
をはじめとして、共有資源管理のために形成されたルール
関与やルールを破った際の罰則の大きさなどに応じて、家
滋賀大学環境総合研究センター環境経済研究部門
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計の労働供給のあり方は異なることが予想されるものの、
は農家に問い合わせたりしながら、集計を行ったもの」(荒
農繁期と労働供給との関係や家計のどの役割を担う者が主
木〔3〕)であり、農家が記入する簿記形式がとられている。
に労働を供給していたかなど、特定家計の共有資源の管理・
また、調査簿は財産台帳、家族台帳、日記帳作業帳、現物
利用の実態を整理した研究は少ない。また、共有資源管理
出納帳、現金出納帳の 5 つの記録からなり、これらの記録
に関する研究は途上国農村の事例を対象として論じられる
を確認することによって、調査農家の資産の動態、家計の
ことが多い。
家族構成、各構成員の属性、労働供給の状況や農家家計の
しかし、共有資源が重要な経済的役割を果たす途上国に
消費行動を日単位で把握することが可能である。
おいては、共有資源管理・利用のための労働供給に関する
調査簿の調査対象期間は 1926 年から 1933 年までの 7 年
詳細な記録が家計に残されていることは少なく、回顧
間である注 3)。調査対象は京都府、大阪府、奈良県、滋賀
(recall)によるデータは信頼性が低下する。このため、経
県の農家である。野田〔13〕によれば、調査対象となる農
済発展と共有資源管理との関係を検討する上で、家計によ
家は、府農会長から郡市農会長に「各郡市宛二戸」を目処
る共有資源の管理・利用に関する実態を整理し、労働供給
に対象農家の選定が要請され、それに基づいて選ばれた。
のための家計の対応を明らかにすることは難しい。
な お、 各 年 の 調 査 農 家 数 は そ れ ぞ れ 1926 年:16(0)、
一方、わが国には戦前期における詳細な農家調査記録が
1927 年:57(50)、1928 年:84(73)、1929 年:54(45)、
存在する。こうした記録はこれまでその存在が周知されて
1930 年:44(38)、1931 年:43(42)、1932 年:38(34)、
おらず、研究資料として利用されることも少なかった
注 2)
。
1933 年:46(32)である。なお、括弧内は京都帝国大学
わが国が途上国であった戦前の農家調査に記載されている
農学部農林経済学教室〔10〕に収録されている農家数を表
詳細な記録を整理することによって、共有資源の管理・利
す。
用に対する農家家計の労働供給の実態を明らかにすること
本稿では、上記調査簿に記載の農家データのうち、もっ
が可能になると同時に、経済発展と共有資源管理の関係を
とも調査農家数の多い 1928 年のデータを用いて、共有資
検討する上で、貴重な資料となる可能性がある。
源の管理・利用を目的とした農家家計の労働供給の実態を
そこで、本稿では戦前期のわが国における農家調査の個
整理することとする。調査簿において、把握可能な共有資
票データ、具体的には、京都帝国大学農学部農林経済学教
源として、村落の用排水路、村施設など多岐にわたる。こ
室発行の『農家経済調査簿』を用いて、農村共有資源の管
のため、本稿では共有資源として資源特性が比較的類似し
理・利用に対する農家の労働供給の実態を整理することを
ていると考えられる共有山林を主にとりあげることとす
課題とする。以下、次節では調査簿の概略を述べるととも
る。また、1928 年の農家データ 73 のうち、上記の 5 つの
に、本稿で用いる農家家計データの特徴を整理し、第 3 節
記録から、共有山林を利用していることが確認されたのは、
では『農家経済調査簿』の記録を用いて、共有資源管理・
京都府天田郡庵我村、京都府乙訓郡久我村、大阪府豊能郡
利用に対する各家計の労働供給の実態について、特に労働
細河村、奈良県生駒郡平群村、奈良県南葛城郡吐田卿村に
時間と出役者に着目して、整理する。そして、最後に結論
位置する 5 戸の農家であった。このうち、京都府乙訓郡久
を述べる。
我村の農家記録については、記録に多数の判読不明な点が
含まれ、整理が困難であったことから、本稿では久我村を
2 .データならびに対象農家の特徴
(1)データ
除く 4 村の農家記録を用いて、各農家における共有山林の
管理・利用の実態を整理する。
本小節では、本稿で利用するデータの概略を述べる。本
稿で利用するデータは、京都帝国大学農学部農林経済学教
(2)対象農家の特徴
室発行の『農家経済調査簿』(以下、調査簿)である。調
各農家による共有資源の管理・利用の実態整理を行う前
査簿は「当時京都帝国大学農学部農林経済学教室が農村の
に、対象とする農家の特徴を簡単に整理し、その位置づけ
実態を研究するため、近畿の農家に依頼して経営と生活に
を明示することにする。
関する収支の実態を手当金を出して記帳してもらった調査
まず、調査簿を用いて、対象農家が立地する村落をとり
簿で、教室の教官が年数回農家を訪問し、記帳の指導を行
まく社会経済条件を整理したのが第 1 表である。表をみる
い、年度の終わりに記帳された結果を持ち帰り、不明な点
と、各村落の山林率は 49%から 72%であり、おおよそ
戦前期わが国農村における共有資源管理・利用の実態:「農家経済調査簿」を用いたケース・スタディー(藤栄 剛)
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50%以上の値を示している。山林率の高い村落では共有山
いる。庵我村の地主には自作農でありながら、小規模の農
林を有するケースが多いと考えられることから、こうした
地を小作農に貸し出す地主が多く含まれると考えられる。
村落において共有山林の管理が行われていたことがうかが
また、5 町歩以上の大規模地主の割合が 0.2%と低いことか
われる。また、農家率をみると、農家番号 2 が立地する大
ら、庵我村の農地所有構造は、小規模の土地を貸し出す自
阪府豊能郡細河村(以下、細河村)を除けば、農家率はお
作農と小作農ならびに自小作農からなる不平等性の小さい
しなべて 56~76%を示しており、共有山林の管理を行う村
農地所有構造にあったことが推察される。
注 4)
落の農家率は高い傾向にあることがわかる
。
一方で、自作農の割合が低く、小作農の割合が高い村落
次に、市場までの距離と日雇労賃についてみると、市場
として、細河村や奈良県南葛城郡吐田卿村(以下、吐田卿
までの距離が比較的近い細河村の日雇労賃は 2.0 円であり、
村)をあげることができる。小作農の割合が半数程度の吐
他の村落の労賃と比べ、相対的に高い水準にある。つまり、
田卿村における地主割合は 12%であり、5 町歩以上の地主
市場アクセスの良好な村落ほど、労賃水準が高い傾向にあ
層の割合は 2%であることから、村落内が地主層と自作農
ることがわかる。農外労働市場の影響を強く受け、就業機
と小作農の 3 つの農家階層にわかれており、土地所有に一
会に恵まれた村落ほど、農外労働部門からの牽引力が強く、
定の不平等性が存在していたことが示唆される。また、細
農業部門への労働供給との間に競合の生じていた可能性が
河村は自作農割合が低く、地主割合も低いことから、自小
うかがわれる。
作農が多くを占める村落であったことが推察される。完全
村落内の農地所有構造を表す自作農割合、小作割合なら
な自作化が困難である一方で、労働市場へのアクセスが比
びに地主割合をみると、京都府天田郡庵我村(以下、庵我
較的良好であることから、土地の貸借を積極的に行い、農
村)の地主割合が 40%以上の値を示しており、突出して
業による生計維持を図るよりもむしろ、農外就業による兼
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業化によって生計の維持を図ろうとする農家が多く存在し
たものと推察される。つまり、小規模農家は農業による生
計維持よりもむしろ農外兼業による生計維持へとシフトし
つつあり、農業収入の基盤的資源である、村落の共有山林
に対する関心を失いつつあったものと推察される。その他
に、奈良県生駒郡平群村(以下、平群村)は自作農割合と
小作割合が庵我村と類似している一方で、地主割合は庵我
村よりも低いことから、自作農と小作農の規模間格差は小
さく、やや規模の大きい自作農が小規模の農地貸出を行っ
ていたことが推察される。
次に、産業組合と講の有無についてみると、産業組合と
講のいずれもが存在するのは細河村のみで、その他の村落
は、そのいずれかが存在する。講の有無は共同体の結束の
強さを表す一つの指標とみなせるだろう。先行研究におい
て、共同体の結束の強さが取引費用の削減を通じて、村民
の協力行動を促進する役割を果たすことが指摘されている
が注 5)、共有山林を管理しているこれら村落の中には、講
が存在しない村落も存在することがわかる。
次に、対象農家の農業経営の概況を整理したのが第 2 表
である。表をみると、経営主年齢はおおむね 50 歳代であり、
家族人数は 6~10 人で、労働力を周年で雇用している家計
は 2 番農家のみである。経営耕地面積は 7.5 反から 19.8 反
であり、面積の最も小さい 4 番農家は兼業農家であり、調
査簿の内容から林業経営によって所得を確保しているもの
第1図 労働日記帳の例
資料:京都帝国大学農学部農林経済学教室『農家経済調査簿』1928 年.
と推察される。また、全ての農家が山林を有していること
から、共有山林の管理・出役義務が生じているものと推察
簿が本来、農家簿記の改善を目的として実施されたことに
される。しかし、2 番農家を除けば、山林保有面積は小規
よるものである。記録の一例として、第 1 図に農家番号 1
模であり、木材販売を目的とした林業経営というよりもむ
の昭和 3 年 3 月 1 日の労働記録を示す。本稿では、各農家
しろ、薪等の生活資材の調達を目的とした山林保有であっ
の昭和 3 年 3 月 1 日から昭和 4 年 2 月 28 日までの労働日
たことがうかがわれる。さらに、主作目をみると、不明で
記帳の記録をもとに、共有山林や村道等の共有資源の管理
ある 4 番農家を除くと、全ての農家が稲を主作目とし、麦
とみなせる項目をピックアップし、その整理を試みた。以
栽培や養蚕を副業とする農業経営を行っていたことがわか
下、各農家の共有資源管理・利用の実態を検討する。
る。
(1)京都府天田郡庵我村(農家番号 1)
3 .調査簿記録からみる共有資源の管理・利用実態
京都府天田郡庵我村に所在する農家番号 1 の農家(以下、
次に、本節では調査簿の記録に基づき、各農家の共有山
農家 1)は、経営主(53 歳)、妻(49 歳)、長男(28 歳)、
林の管理・利用実態を整理する。整理に際して、調査簿に
次女(18 歳)、三女(16 歳)、三男(13 歳)、四女(11 歳)
ある日記帳作業帳内の労働日記帳に記載されている昭和 3
ならびに五女(9 歳)からなる 8 人家族である。調査簿に
年 3 月 1 日から昭和 4 年 2 月 28 日までの労働記録を用いた。
よると、経営主は大正 11 年より身体が不自由であり、昭
労働日記帳の記入様式は、労働の種目、摘要、労働力各人
和 3 年の 11 月に死亡しており、昭和 3 年の労働日記帳で
の労働時間、現物出納ならびに現金出納の項目からなる。
は労働を行った記録がほとんどみられないことから、実質
なお、現物出納や現金出納の項目が存在するのは、本調査
的な経営主は長男とみなすことができる。また、三女、三
戦前期わが国農村における共有資源管理・利用の実態:「農家経済調査簿」を用いたケース・スタディー(藤栄 剛)
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男、四女、五女は教育機関に在学中であり、補助的な労働
には季節性が存在し、3 ~ 5 月に利用のピークが生じてお
力としての役割を果たしていたとみられる。
り、1 ~ 2 月には下草刈りなどの管理が主に行われていた
農業経営の概況をみると、自作地等の経営状況の項目中
ものと考えられ、農繁期における利用頻度は低い。また、
の備考欄に「部落共有山林ヲ各個(ママ)ニ地上権の分配
ス」とあることから、村有の共有山林の存在が示唆される。
また、労働日記帳の記録より、村有の共有山林が「共有山」、
「相合林」ならびに共有山林の所在地と考えられる「狐塔山」
として記載されていることがわかった注 6)。そこで、こう
した記録に基づき、農家 1 の共有山林の管理・利用の実態
を整理したのが、第 3 表である。なお、薪山は 1 月 18 日
に五人の村民によって共同購入され、共有の私有林となっ
たが、ここでは当該日以降の薪山の利用についても示すこ
ととする。
表中の管理・利用内容をみると、長男と妻は共有山での
薪刈り、経営主は病弱のため、共有山林で筍堀を短時間行っ
ている。こうしたことから、農家 1 では共有山から薪や筍
を主に入手していたことがわかる。また、共有山林の利用
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村落の共同行動として 7 月、10 月、12 月ならびに 1 月に
理労働の中でも、木材の伐採等の重労働は長男と下男が、
部落道作り、草刈り、ため池管理、植林や雪かきといった
蕨取りや松茸取りなどの比較的軽度の作業については、妻
共同行動が行われており、こうした共同行動に対する出役
や娘も行っていることがわかる。共有山林の利用・管理の
は実質的な経営主である長男が担っていたことがわかる。
ための労働時間は 12 月~ 2 月がピークとなり、農繁期に
表に示した共有山林の管理・利用労働が家計の総労働時間
は管理・利用をほとんど行っていないことがわかる。この
に占める割合を示したのが、第 4 表である。表より、農閑
特徴は、農家 1 と同様であり、この点をより明確に確認す
期である 1 ~ 3 月において、共有山林の管理・利用時間の
るために、総労働時間に占める共有山林の管理・利用時間
占める割合が高まることがわかる。また、農繁期に共有山
の割合を第 6 表に示す。
林はほとんど管理・利用されていないことも読み取れる。
表をみると、総労働時間のピークは農繁期の 4 ~ 7 月で
つまり、農家 1 の家計では、共有山林の管理・利用は農業
ある一方、共有山林の管理・利用時間の割合は 12 ~ 2 月
労働と競合しない形で行われていた。
にそのピークが生じていることを読み取ることができる。
つまり、農家 1 と同様、共有山林は農業労働と競合しない
(2)大阪府豊能郡細河村(農家番号 2)
大阪府豊能郡細河村に所在する農家番号 2 の農家(以下、
農家 2)は、経営主(57 歳)、妻(53 歳)、長男(27 歳)、
長男の嫁(22 歳)、次男(24 歳)、次女(21 歳)ならびに
経営主の母(81 歳)からなる 7 人家族である。この他に、
年雇の下男 1 名(18 歳)がいる。調査簿によると、経営
主は農事監督委員を務めており、「身体強健」とある。経
営主の妻は昭和 2 年 1 月に大病を患い、現在は全快してい
るが、以前ほどの体力はないことや長男は農林学校を卒業
しているが、体力が脆弱であることなどが記されている。
労働日記帳をみると、「共有山林」に関する記述が散見
される。そこで、ここでは農家 2 が管理・利用していると
考えられる「字荒毛河原」や「字東裏山」の共有山林の管
理・利用実態を中心として、農家 2 による共有山林の管理・
利用や村落の共同行動への出役等を第 5 表に整理した。
表をみると、長男と下男が中心となって、共有山林の管
理・利用を行っていることがわかる。また、共有山林の管
形で管理・利用されていた。
戦前期わが国農村における共有資源管理・利用の実態:「農家経済調査簿」を用いたケース・スタディー(藤栄 剛)
(3)奈良県生駒郡平群村(農家番号 3)
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おいても農家 1,2 と同様、共有山林の管理・利用は農閑期
奈良県生駒郡平群村に所在する農家番号 3 の農家(以下、
を中心に行われていたことがわかる。また、総労働時間に
農家 3)は、祖父(77 歳)、経営主(50 歳)、妻(46 歳)、
占める共有山林の管理・利用時間の割合を示したのが第 8
長男(25 歳)、次男(20 歳)、長女(15 歳)、三男(10 歳)
表である。表より、周年でみると、その割合は農閑期であ
からなる 7 人家族である。調査簿によると、祖父は教育委
る 1 ~ 3 月で高く、労働時間の 10%前後を共有山林の管理・
員を務めており、経営主も農事実行組合長を務めているこ
利用の労働に充当していたことがわかる。これらの傾向は、
とが記されていることから、地域の有力者であると推察さ
他の農家の共有山林の管理・利用行動と同一の特徴を示し
れる。長女、三男は教育機関に在学中であり、補助労働的
ている。
な役割を担っているものとみられる。
労働日記帳をみると、「村共有山大谷村山」、「大谷共有
山林」や「大字共有山(宮来山)」といった共有山林の表
記とともに、所有山林に含まれない「高石山」の利用・管
理に関する労働が散見されることから、ここでは大谷村山、
宮来山、高石山を共有山林とみなすこととした。そして、
労働日記帳をもとに、これら共有山林の管理・利用に関す
る労働記録を整理したのが第 7 表である。
表をみると、共有山林の管理労働である枝切りは 3 月に
行われ、松茸、柴や落ち葉を 10 月から 2 月にかけて収穫
していたことがわかる。また、柴は村の共有山である大谷
村山から、落ち葉は高石山から主に調達していたことも読
み取ることができる。共有山林の管理・利用時間のピーク
は 1 月から 3 月にあり、6~9 月の農繁期にかけて、共有山
林は全く管理・利用されていない。このように、農家 3 に
(4)奈良県南葛城郡吐田卿村(農家番号 4)
奈良県南葛城郡吐田卿村に所在する農家番号 4 の農家
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(以下、農家 4)は、経営主(60 歳)、妻(57 歳)、長男(37
有山林として取り扱った。また、丹生谷山の管理に関して、
歳)、長男の嫁(32 歳)、次男(27 歳)、長女(21 歳)、孫
「(賃労働)」と記された労働記録が散見される。これは、
3 名(それぞれ 9,6,4 歳)からなる 10 人家族である。農家
他者からの依頼に応じて、有償で管理労働を提供したこと
4 は「自作、自作兼小作、小作の別」の欄に「小作兼自作」
を示していると考えられるが、賃金の出所が不明であるた
とあり、経営地としてほとんど農地を有さず、第 2 表に整
め、ここでは共有山林の管理に対する出役金とみなし、管
理したとおり、経営耕地面積の大半は小作地で占められて
理労働に含めた。
いる。このため、自給的な生産を除いて、農家 4 は農外就
表をみると、農家 1 から 3 までと異なり、7 月から 10
業によって所得を確保していたものと推察される。
月にかけての農繁期における労働投入が多い。また、労働
農家 1 から 3 までと同様、農家 4 の共有山林の管理・利
内容の多くは、
「山行き」とあり、その詳細は不明であるが、
用記録を整理したのが第 9 表である。なお、労働記録帳に
その他の記述から、植林・間伐・伐採や柴刈りであったこ
「村共有山丹生谷」との記載が確認できるため、丹生谷の
とがわかる。このように農家 4 は、共有山林に関する関与
利用・管理に関わると考えられる労働作業を全て共有山林
のあり方が他の農家と異なる。また、農家 4 は経営耕地面
の管理・利用とみなし、整理した。また、「預山」との記
積が小さく、農業のみによる生計維持が困難であったこと
録も確認できる。これは他の農家より管理を委託された共
を考えあわせると、共有山林の管理・利用を主な収入源と
有山林であるとみられることから、ここでは「預山」も共
する林業経営であったと推察される。作業内容と作業実施
戦前期わが国農村における共有資源管理・利用の実態:「農家経済調査簿」を用いたケース・スタディー(藤栄 剛)
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者との関係をみると、経営主は高齢のためか、ゼンマイ取
した成人男子労働力によって担われ、それ以外の労働力は、
りをはじめとする軽作業に従事しており、主な山林の利用・
薪の収集など、相対的に軽度の労働を行っていたことがわ
管理作業は長男と次男によって担われていたことがわか
かった。三つめとして、昭和の前期には、地域によっては、
る。また、他の農家で観察された 1 月、2 月の農閑期の労
農家 4 にみられたように、共有山林の管理・利用を主な生
働が全く観察されないことも特徴的である。
計手段とする農家が存在したことがわかった。これらの点
のなかには、先行研究においてすでに指摘されている点も
あるが、詳細な農家調査記録をもとに共有資源の管理・利
用の実態を整理した研究はほとんどない。その点に本稿の
オリジナリティーがあるといえるだろう。
しかし、本稿で得られた結果は、少数のケース・スタ
ディーによるものであり、その結果には地域性や対象とし
た農家の特異な要素が影響を及ぼしている可能性を否定で
きない。また、調査記録には読解不能な文字が多数含まれ
ていたため、作業内容を十分に把握できていないケースを
含む可能性が高い。今後は、より普遍的な結果を得るため
の定量的手法の適用可能性の検討や利用可能なサンプルサ
イズの拡張ならびにより綿密な調査記録の解読が必要とさ
れるだろう。
次に、家計の総労働時間に占める共有山林の管理・利用
時間の割合を示したのが第 10 表である。ここからも、他
注
の農家と異なり、共有山林の管理・利用時間のピークが
注 1)例 え ば、 そ う し た 研 究 の レ ビ ュ ー と し て Baland and
Platteau〔5〕がある。また、Ostrom〔14〕は世界中の共有
資源に関する事例をもとに、持続可能なコモンズの存続条
件を提示している。
注 2)研究資料として利用した研究として、わずかながら、荒木
〔3〕、水田〔12〕をあげることができる。
注 3)当該期間中に昭和恐慌が発生しているため、本調査簿は経
済ショックが家計の消費や労働供給行動に及ぼす影響を検
討するための資料として活用することも可能であろう。ま
た、尾関・佐藤〔15〕は、こうした農家経済調査の意義を
詳細に論じている。
注 4)なお、調査対象となった農家が立地する村落の平均農家率
は 66.8%である。
注 5)たとえば、有本〔4〕。
注 6)ただし、狐塔山については、年度途中より「薪山」として
記載されている。
10 月にあり、その割合も農繁期に高いことが確認できる。
つまり、林業収入を中心とする家計にとって、共有山林の
管理・利用は生計維持の重要な一手段となっていたことが
示唆される。また、経営耕地が少なく、農業労働との競合
が生じないことから、戦前期の林業経営においては、共有
山林の管理は農繁期に活発に行われていたものと推察され
る。
4 .おわりに
本稿では、戦前期の農家調査の記録(『農家経済調査簿』)
を用いて、共有資源、とりわけ共有山林の管理・利用に対
する農家家計の労働供給の実態を整理し、その特徴を検討
〔引 用 文 献〕
した。検討に際しては、調査記録に残されているサンプル
〔1〕 Amarasinghe,O. "Technical Change, Transformation of
Risks and Patronage Relations in a Fishing Community of
South Sri Lanka." Development and Change , Vol.20( 4),
1989, pp.701~733.
〔2〕 Aoki,M. Towards A Comparative Institutional Analysis .
MIT Press, 2001(青木昌彦『比較制度分析に向けて』瀧澤
弘和・谷口和弘訳,NTT 出版,2001.).
〔3〕 荒木幹雄『日本蚕糸業発達とその基盤』ミネルヴァ書房,
1996.
〔4〕 有本寛『発展途上期日本の地主小作関係と村落-開発ミク
ロ経済学的アプローチ-』東京大学博士論文,2006.
〔5〕 Baland,J.M. and J.P.Platteau. "Economics of Common
数の多い昭和 3 年において、共有山林を管理・利用してい
たと考えられる 4 つの農家を対象として、それら農家によ
る共有山林の管理・利用の実態を調査記録の労働記録帳に
基づき、整理した。
その結果、一つめとして、林業経営を主な生計の手段と
する農家 4 を除いて、共有山林の管理・利用のための労働
は農閑期を中心として行われていたことがわかった。二つ
めとして、共有山林の管理・利用は、主に経営主を中心と
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滋賀大学環境総合研究センター研究年報 Vol. 6 No. 1 2009
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〔付記〕本研究は、
(財)クリタ水・環境科学振興財団研究助成(萌
芽的研究)による研究成果の一部である。なお、データ
の整理に際して、里上三保子氏(京都大学大学院経済学
研究科)ならびに鎌谷佑子氏(滋賀大学経済学部)にご
協力を賜った。記して謝意を表します。
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