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街を囲む環 ローマとミラノを結ぶ飛行機がフィレンツェと ピサの間を通る
●街を囲む環 ●ロマネスクの細部 ローマとミラノを結ぶ飛行機がフィレンツェと ルッカのドゥオーモ(大聖堂)はロマネスク様 ピサの間を通るとき,晴れていれば眼下にくっき 式で建てられている。そのファサードは細い柱と りと緑の環を見ることができる。そしてその緑の その上の小さなアーチが連続し,透かしのスクリ 環のなかには建物が密集している。周囲とはっき ーンとなって,建物本体の大きなヴォリュームを りと区画され,明らかに密度の異なる図像の出現 分節している。この様式の例では,斜塔を従える は,機上の人に,これがヨーロッパの街だ,と感 ピサのドゥオーモがよく知られている。しかし, じさせるに十分である。さらに目を凝らせば,緑 ピサでは小さく密集した何本もの柱がほぼ同じな の環は市壁の堡塁であり,星形の稜堡を備えてい のに対し,ルッカの柱は,よく見ると実にさまざ るのが見え,市中には楕円形の広場があることが まな変化を見せているのである。 わかる。これがルッカの街である。 ルッカにおける都市・建築的な特徴は次の3つ だがルッカで柱の表現の多様さ,おもしろさを 見るならば,もうひとつの教会,サン・ミケー である。第一はルネサンス期に完成した市壁が完 レ・イン・フォロに行かなければならない。この 全な形で残っていること,第二は中世のロマネス 教会はバシリカ本体に対して,ファサードが不釣 ク期につくられたいくつかの教会の細部の豊かさ, 合に大きく,横から見るとおかしなプロポーショ そして第三は古代ローマ期の遺構が街の骨格にな ンをしている。またファサード頂部に載せられた っており,とりわけ円形闘技場が楕円形の広場に 大天使ミカエルの像も大きすぎる。全体的に不恰 姿を変えていることである。 好で洗練されているとは言い難い建物なのだが, ヨーロッパの街は多くが市壁に囲まれ,都市と それがかえって中世の素朴さを伝えている。そし その外側とに明確な境界が引かれるが,ルッカほ てファサードの柱は,あるものは色大理石の象眼 ど完全に市壁に取り囲まれた街はまれである。ル やモザイクで模様が描かれ,あるものは渦巻状の ッカは平野部に位置しており,自然の山や川を防 ねじれや怪物が彫刻され,またあるものは4本組の 御の砦とすることができず,街の全周を大きな幅 細柱に蛇が巻きついたようになっている。柱頭や の広い堡塁で固めたためである。現在はこの市壁 柱上の人や羊の顔の彫刻との組合せで,すべてが の上部を歩くことができ,街を一周するのんびり 異なる柱のバリエーションが生み出されているの とした散歩道となっている。 である。部分が全体に奉仕するのではなく,部分 の集積によってつくられるかたち,それがロマネ 図1 ルッカの地図 市壁が取り囲む,左中央に古代ローマ都市の長方形 の骨格がわかる,その右上に楕円形の広場が見られる(文献①) 図2 サン・ミケーレ・イン・フォロ 古代ローマのフォルム跡に建つロ マネスクの教会,ファサードが大きい *1 南北軸をカルド,東西軸をデクマヌスと呼ぶ。古代ローマの植民都 市の基本である。 *2 アンフィテアトロは円形劇場の意。メルカート広場とも呼ばれる。 これは19世紀から1972年まで公共市場,青果市場(メルカート)として 使われていたため。 *3 文献②p.299 *4 文献②p.301 *5 文献②p.302 ●参考文献 ①CartaturisticadiLucca,G.L.uccaeditrice(ルッカ市の観光パンフレッ ト) ②黒田泰介「都市形成史的観点からみた円形闘技場遺構の住居化の特質 について ルッカの古代ローマ円形闘技場遺構の住居化に関する研究 その1」『日本建築学会計画系論文集』No.517,1999 ③黒田泰介「円形闘技場街区を構成する建物単位と遺構の住居化の手法 について ルッカの古代ローマ円形闘技場遺構の住居化に関する研究 その2」『日本建築学会計画系論文集』No.548,2001 ④『イタリア旅行協会公式ガイド3 フィレンツェ/イタリア中部』NTT 出版,1995 スクの本質をなしている。だからこそ全体は不釣 ら,納得できる転用である。中世になって都市が 合になりもするが,次々と連続して見てゆくおも 拡大してくると,円形闘技場の位置は都市の内部 しろさと親しみがある。いわば建築の全体的な理 となり,その石材は都市建設の資材となった。特 解に対して,線的に部分を「読んで」いくことが, にすぐそばにつくられたサン・フレディアーノ教 ロマネスクを見る魅力であろう。 会では,その内部の円柱が円形闘技場から取られ ところで,サン・ミケーレが建っている場所を たものだといわれている*4。周囲に都市が形成され 示すフォロとは,フォルム,すなわち古代ローマ るとともに,円形闘技場はそのものが住居として 都市の中心広場を指している。ルッカの起源は古 転用されていく。円形闘技場の規則的な構造は, 代ローマの植民都市にあり,直交するふたつの軸 住居の区画単位として機能し,数スパンをひとま によって都市の骨格が決められた*1。都市全体は長 とめにして住居はしだいに複合・高層化していっ 方形の平面をなし,その中心部にフォルムがつく た。さらに時代は下り,一部が監獄,倉庫などと られたのである。今でもサン・ミケーレを中心と して使われた後,19世紀に調査・再生事業が着手 した長方形をたどることができ,古代ローマ都市 された。この事業によって建物や菜園で占拠され の骨格は明瞭に残っている。 ていたアレーナが復元され,楕円形の広場が生み 出されたのである。この再生事業を研究者黒田泰 ●楕円の広場ができるまで 介は次のように評価している。 古代ローマ期,都市のすぐ外側に円形闘技場が 「歴史的変遷の中で脈絡なく積み重なった遺構上の つくられた。今日のアンフィテアトロ広場である*2。 建築的堆積を体系化し,円形闘技場の建築的特質 この広場は楕円形で,その周りを住居が取り囲ん を損なうことなく,時代に要請された機能と役割 でいる。すなわち,楕円形の広場は古代のアレー の付加に成功した。 」*5 ナ(円形闘技場の舞台)であり,階段状の観客席 の上に住居が重ねられたのである。 今日の楕円形の広場は自然にできたものではな いのである。歴史的,都市的文脈を整理した上で, 円形闘技場の遺構の転用はイタリア各地で見ら 古いものを保存しつつ,その特性を浮かび上がら れるが,ルッカは最も闘技場の建築的特質を保存 せるような,新しい計画によって生み出されたの しつつ住居化された事例といわれている*3。古代ロ だ。歴史的,都市的文脈を的確に読み解き,回答 ーマが滅んだ後,闘技場はまず要塞として使われ を示すことは,古いものの保存と,新しいものの た。その堅固な構造と形態,都市に対する位置か 建設を,同時に両立させることができるのである。 図3 図4 サン・ミケーレ・イン・フォロのファサード細部 多様な柱のバリ エーション,色もさまざま アンフィテアトロ広場 古代ローマの円形闘技場の構造が視覚化さ れている,古代ローマの遺構はいわば住居の基礎にあたる