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お国自慢 コスタリカ 尾本ジゼルさん

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お国自慢 コスタリカ 尾本ジゼルさん
お国自慢
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コスタリカ
自然と平和を愛する、軍隊のない国
尾本ジゼルさん コスタリカ
アレナル火山
メキシコの副王領下にあったため同時に独立しました。
1821年9月15日は、コスタリカ共和国成立の日で
す。軍隊を設け、ほとんど戦争がなかったコスタリカに、
ぼっぱつ
1948年、内乱が勃発しました。コスタリカの若手知
識人が寡頭制の政府に反対して、本当の民主政治を望ん
で起こしたものです。翌年、1949年に新憲法を作り、
その憲法に軍隊を機関として設けないことを決定したの
は、南北2つ
です。内戦で友人、知人が殺し合うような恐ろしい経験
のアメリカ大
を二度と引き起こさないためです。以後、国の未来は国
陸を結ぶ中米
民一人ひとりの責任であり、目標を達成するには、積極
に位置します。
的に選挙に参加をすることが重要だと自覚したのです。
“豊かな海岸”
結果、コスタリカの選挙の参加率は90%以上です。問
という意味の名前を持つこの国は、太平洋とカリブ海に
題を話し合いで解決する、コスタリカに軍隊を設けない、
面した、九州と四国を合わせたほどの小さい国です。国
このことは私たちコスタリカ人の誇りです。軍事費をな
土は5万1千平方キロメートルで、人口は約400万人
くし、教育(識字率は95%、中米では群を抜く。)や
(98%はスペイン系)、4分の3が首都のサンホセに
福祉などに使われるこの平和理念が注目を浴び、198
住んでいます。気候は日本の初夏に似ていて、1年中気
3年、ルイス・アルベルト・モンヘ大統領が「永世非武
温は20度前後です。季節は、“乾季”(現地で夏と呼
装中立」を宣言しました。その志をオスカル・アリアス
ばれ、12月から4月まで雨が降らない時期。)と、“
・サンチェス大統領が受け継ぎ、長い間内戦を続けた中
雨季”(現地で冬と呼ばれ、5月から1
1
月まで雨が降っ
米各国に停戦を呼びかけました。こうした平和運動が認
て少し湿気がある時期。)に分かれています。
められて、1987年、サンチェス大統領はノーベル平
主要生産物はコーヒーとバナナ、次いで砂糖とカカオ
和賞を受賞しました。
です。数十年前から自然保護に力を入れて来た結果、現
教育の普及や生活水準の高さは、自然を守る意識をも
在、エコーツリズム等の観光産業がコーヒーを抜きつつ
高めました。太平洋とカリブ海の両沿岸には、とてもき
あります。
れいなビーチがたくさんあり、ヨーロッパ、アメリカか
コスタリカは1502年にコロンブスにより発見され、 らの観光客の人気のスポットの一つ
スペインの植民地となりました。当時、コスタリカには
になっています。また、熱帯雨林と
数千人ほどの先住民がいて、素朴な生活をしていました。 三千メートル級の火山が連なり、国
富と権力を求めて大陸に渡ったスペイン人は、金銀がほ
の4分の1以上が国立公園や自然保
とんどない上、少ない人口(
奴隷としても使えなかった。)
護区に指定されていて、年々その範
のコスタリカに関心はなく、メキシコやペルーに向かい
囲は拡大しています。現在、エコツ
ました。結果、コスタリカに残った人々(自由な生活を
アーで観光客が必ずと言っていいほ
求める人や宣教師)は、先住民と同じように自分たちの
ど訪れるところが、モンテヴェルデ
力で農業や狩りをする道を選び、平等な社会基盤が築き
ケツアール
国立公園です。サンホセから車で約1時間半の所に位置
上げられました。
し、世界でももっとも美しい鳥と言われる「ケツアール」
平和な生活を送っていたコスタリカの人々に、突然ス
を見ることができます。また、ヴォルカン・アレナルツ
ペインから独立の知らせが一か月遅れで届きます。メキ
アーでは温泉も楽しめます。この火山から流れ出る川の
シコではメキシコ人たちが激しくスペイン軍と戦った末、 水が暖かいので、いつでも川ぞいで露天風呂気分を味わ
独立を勝ち取ったのでした。当時、中米の国々は、全て
えます。もちろん水着を着ることが原則です。
国際交流センター有料施設のご案内
ホール(264名),会議室7室(1
0名∼36名)
レセプションルーム(1
50名),料理室(24名)
等があります。どうぞご利用ください。
あ
B1Fレストラン(
平日)
9
:
0
0
∼2
0
:
3
0
@044−435−7000
5
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