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大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生
大阪経大論集・第53巻第3号・2002年9月 337 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 池 1. はじめに 長谷川さん 野 高 理 長谷川さんと私 お互いに「∼さん」と呼んでいました と私との付き合いは,じ つはそれほど長いものではない。専門が違うこともあって,長谷川さんが赴任されて 暫くはどんな人となりかも分からずに話すこともなかった。そのうちに長谷川さんが 教授会で舌鋒鋭く多数派の「改革」論に異議申し立てをしたり,しんどい同僚をお互 いが助け合うのは当然だということをしっかりと発言し,いわゆる個人ごとの能力主 義という風潮にも批判的だったことに私が彼に仲間意識を感じたところから,私との 付き合いは始まった。 その後,講義の行き返りなどで会ったりすると,次第に立ち話をするようになり, 次々と強行される大学「改革」が目の前の学生たちのことを全然分かっちゃいない, と長谷川さんが盛んに憤るのに私は意を強くしたものだった。 「目の前の学生たちのこと」についての教員としての関わりを模索していた長谷川 さんに,ここで私なりの実践報告をしたい。あの,ひとなつっこいぎょろ目で,ウン ウンと長谷川さんは聞いていてくれることだろう。 さて,十八歳人口の減少による“大学冬の時代”の到来,受験生確保(=経営)と 出口偏差値(就職偏差値)引き上げを狙った“社会(→会社)のニーズへの対応”を 謳った大学「改革」が,全国的に強力に現在進行中である。その中で具体的な教育面 での特徴として突出しているのは,資格取得の奨励であり,とくにコンピュータ機器 の熟練である。私はそうした流れへの違和感をこれまでいくつもの論稿で表明してい るので,ここでは繰り返さない。代わって本稿では,ひとりの学生の卒業論文を紹介 することで,そうした流れへの異議申し立てをしたい。 今春に卒業したH君の卒業論文「働くを考える」(四百字詰原稿用紙百三十枚) の 338 大阪経大論集 第53巻第3号 構成は,「はじめに」でH君自身の問題意識が展開され,「1.リストラ」では一般的な 今日の経済情況が,とりわけリストラについて叙述され,それを踏まえて「2.父」で 「合理化によって,大手七社の一つである◇◇◇◇を去ることになった一人」である 「ぼくの父親」の聞き書きをしている。そして,以下で詳しく示すことになる「3.ア ルバイト」では,「就職できない若年層の行き先として,最近問題になっている」フ リーターの急増を取り上げ,その一例として自分の具体的なアルバイト労働の実態を 描き出し,続いて,ある日突然自分が解雇された場面を「4.解雇」で,そして「5.ユ ニオン」ではその解雇に納得できずに自分でどうしたらいいかを考えて,労働基準監 督署やいくつかの労働組合と相談したことを具体的に振り返る。ここまでの部分を以 下に本稿で示すのだが, じつは, それらに続く後の章もしっかりしていて,「6. ワークシェアリング 分かち合い」 と「7.オランダ・モデル」で不況・解雇の今日的対策として打ち出され ているワークシェアリングを説明し,同時にその問題点を指摘している。そして最後 に「おわりに」で,H君自身の生き方を提示している。 以下では,こうした構成の論文のなかから,「3.アルバイト」「4.解雇」「5.ユニオ ン」の具体的な叙述と「おわりに」を紹介する。 2. H君の卒業論文「働くを考える」(一部) ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ (「はじめに」・「1.リストラ」・「2.父」省略) 3. アルバイト 労働白書ではフリーターを,15∼34歳の「現在就業している者については勤め先に おける呼称がアルバイトまたはパートの雇用者で,男性については継続就業年数が1 ∼5年未満,女性については未婚で仕事を主にしているもの」とし,「現在無業の者 については家事も通学もしておらずアルバイト・パートの仕事を希望している者」と 定義しています。その数は2000年の労働白書で151万人,民間企業では300万人を超え ると推計しているところもあります。フリーターというと,好きなことをしている自 由人なのだから放置しておけばよいという見方がありますが,しかし,日本労働研究 機構が行ったヒアリング調査では,全体の約三割が,本当は就職したいのだけれど就 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 339 職できなかったので,やむをえずフリーターをしている人たちでした。 フリーターの仕事は基本的に補助業務であり,だから,いくら勤めていても,年を 取るともっと若い層に置き換えられてしまいます。一見お気楽に見えるフリーターで すが,将来についての大きな不安という共通の悩みを抱えています。なんらかの訓練 を受けるか,一度就業しなければ技術は身につきません。今までは各企業が訓練費, 教育費を負担していましたが,それはその人が生涯,企業に勤めることで回収できる であろうという見込みで払っていたものです。低迷する経済状況と労働の流動化によ って訓練を受ける機会は限定的なものになり,その投資の回収は不可能になってきま す。高い失業率を示している若年層の場合,就職の機会がまったく得られないために 技術がない,今度は技術がないから就職できないという悪循環に陥ります。 また,「ブルーカラーに関する議論が一切なく,ホワイトカラーでエリート層のた めの雇用状況に関する議論だけが深まってくるにしたがって,国民の意識の中に自然 と能力主義や成果主義が染み込んでいったとき,すごく簡単に管理がおこなわれるよ うになるだろう」という意見もあります。 ブルーカラーとホワイトカラーの定義は曖昧なものとなっていますが,それを非熟 練労働者と熟練労働者,非正規従業員と正規従業員に置き換えてみても,同じことが 言えると思われます。 現在のフリーターの労働現場とはどのようなものなのか。以下は,ぼくのアルバイ ト記録です。 ぼくが働いていたのはサンドイッチが主力品のファーストフード店です。弁天町に あるその店は,店長と,副店長である店長の奥さん,正社員はおらず,ほとんどが学 生のアルバイトが15人くらいの小さな店舗です。8時開店,22時閉店。アルバイトの 勤務時間は朝,昼,夕方からの3交代制でした。店長と副店長は主に昼の時間帯に出 勤してきて,閉店時間まで店にいます。アルバイトがいない日は朝から来ることもあ るし,夕方に帰る日もあります。もちろん,開店から閉店まで1日中店舗にいること もありました。 ぼくは,おもに7時30分からの勤務でした。預かっている鍵で扉を開け,開店時間 に間に合うように急いで準備をします。慣れると15分ほどでできる作業なのですが, 慣れるまでが大変でした。店に入るとまず電気をつけ,食材を入れておく冷蔵・保存 ケース,コーヒーマシン,パンを焼くためのオーブン,有線放送の電源を入れ,レジ 340 大阪経大論集 第53巻第3号 を立ち上げ,店内を軽く掃除します。そのあと,前日の夜に切ってある野菜を冷蔵庫 からケースへ移し,暖かいままで提供する食材やスープをレンジへ入れ,冷凍されて いるパンを熟成させるために加湿器の中へ入れるのですが,食材を触る前には必ず手 を洗うことになっています。 肘の近くまで液体石鹸で洗ったあと,アルコールを擦り込み,調理用のグローブを 付けて,さらにアルコールで消毒します。一度グローブを外してしまうと,これを再 度行なうことになるので,一日に10回も20回も手を洗います。肌の弱い人は当然荒れ てしまいます。食材を用意し,漂白剤の中に手を突っ込んでダスターを準備し,レジ にお金を入れ,コーヒーマシンの動作確認をして,その美味しくはないコーヒーを飲 んでいると,アルバイトが二人出勤してきます。一人はカウンターでの接客,一人は 厨房でその日一日の野菜を用意して,もうひとりはカウンターと厨房の間に立って, 二人をサポートします。8時の開店から9時頃までは,すぐに使う野菜を切ったり, 熟成させているパンの様子を見ながら接客しなければならないので,慌ただしい時間 帯です。出勤前に食事をしたり,コーヒーを飲んでいく人はほとんどが常連なので, 忙しいときは静かに待ってくれたりします。 この時間を過ぎると,客はほとんどいなくなります。パンに挟むハムを用意し,ポ イントカードやチラシに店名のスタンプを押し,店内を掃除するなど,アルバイトが しなければいけないことはたくさんあるのですが,のんびりと前日のテレビや学校の ことを話しながら仕事を進めていきます。10時になると厨房の一角にある事務机で, 順番に30分ずつ休憩を取ります。11時30分頃に店長か副店長が出勤してきて,店は少 しずつ忙しくなります。一人がレジ,一人がサイドメニューやドリンクを用意し,二 人が一人ずつ客の要望を聞きながらサンドイッチを作るのですが,このランチタイム は朝の1時間よりも慌ただしい時間帯です。忙しさが一段落する13時になると,交代 のアルバイトか,ランチタイムに来ていなかった店長か副店長の一方がやってきて, 朝のアルバイトは終わります。 ぼくは厨房で一人,10時の休憩時間までに終わらせることを目標にして野菜を切る のが好きだったのですが,ほとんどはカウンターで接客をしていました。表に立つ人 は接客と同時にパンを焼かなければならなく,それを失敗すると,最悪の場合その日 は営業できなくなるので,この仕事は敬遠されているのです。 ニュージーランドから冷凍状態で輸入されるパンはパン生地を成形しただけのもの 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 341 で,それを各店舗で解凍,熟成しオーブンで焼くのですが,ロットごと,1箱ごとに 形や熟成時間が微妙に違います。時間を見極めてオーブンに入れ,きれいな色・形に 焼き上げることができた日は一日気分よく過ごせるのですが,提供はできるものの失 敗してしまった日には落ち込んでしまいます。最後まで好きになれない仕事でした。 3月25日。「これからAさんとお茶するけど,来ます?」と,13時にアルバイトを 終えて帰ろうとしていたら,Oさんからお誘いがあったので,一緒に近くの喫茶店へ 行くことにしました。Aさんは開店当初からアルバイトをしていた人です。 「久しぶり。なんでバイトやめたん? ていうか辞めさせられたって聞いたけど」 「うん。店長と喧嘩した。遅刻のことで一時間くらい説教されて, 辞めてしまえ』 って言われたから,じゃあ『辞めます』って」 「それって,いつの話なん」 「2月末にそんなんがあって,それで3月のシフトから入ってなかった」 「ふーん。でも,6年くらいバイトしてたんやろ? それってどうなんやろな」 「6年も働いてたら,なんかこう,店長とも奥さんとも仲良くなるやん。私もこん なふうに辞めるとは思ってなかった」 「うん。ひどいと思うわ。最近あの人らって,ちょっとおかしいやん。なんかギス ギスしてるし」 「難波の店でも,買い取る前からいた正社員の人を全員辞めさせたって言ってます よね」 「オーストラリアに行ってる息子が帰ってくるって話やろ。2店舗目を買い取るく らい儲かってるんなら,時給上げてくれたらええのになあ」 「R君が時給上げてくれって,店長に言ったらしいですよ。でも,新人さんと差が あったら,新人さんが働けへんからって,断られたらしい」 「はあ? なに,それ。Aさんは750円もらってたんやろ?」 「うん。でも,10月にTさんが結婚して辞めたやん。それで,私だけ高いのはあれ やからって,700円に下げられた」 「はあ? ゃう? どういうこと? それは知らんかったわ。やっぱ,店長,おかしいんち 最近,なんか厳しいし。R君も言うてたやん,やること全部,奥さんに注意 されるって」 「私は,最近,朝から入るようになったでしょ。夕方から入ってたときは店長か奥 342 大阪経大論集 第53巻第3号 さんと一緒のことが多かったけど,私が朝のときはバイトだけやから,なんか最近, ラクやなって。朝は,野菜の準備が忙しいけど」 「ふーん。ぼくはバイト始めたころは店長と一緒に入ってて,暫くしたらバイトだ けになったから,ここってラクやわ∼て。普通は一人くらい変な奴おるもんやけど, ここってみんな仲いいやん。だから,2年半も続いてると思うけど。で,最近,奥さ んと一緒に入ることが多いんやけど,ウダウダ言われんねん。でもな,今までバイト だけでやってきて,それで問題なかったんやから,今までのやり方でええやんけーて 思う。うっさいねん,ババアって感じ」 「いやー。R君と同じこと言うてる。ははは」 「そう。で,最近ちょっとしんどいなって思ってる。新しい人が入ってきて人数が 多いとかで,希望通りにバイト入れてくれへんこともあるし。去年の今ごろやったっ け? Mさんが辞めさせられたころから,なんかおかしいねん」 「奥さんの制服を黙って借りてたのに激怒して,説教して,泣かせて,辞めさせた ってやつでしょ」 「それ。あのころまでは,店長もいい人やし,奥さんもいい人やし,バイトも仲い いし,時給は低いけどいいとこやなって思ってたんやけどね」 「H君,言ってましたよね。店長,尊敬できるかもって」 「ああ。言うてたかもね。脱サラして会社起こして,フランチャイズやけど自分で 商売して,それって結構すごいんかなって。指切ったことあるやん。あれって全部労 災で処理してくれてんな。で,小さいけどちゃんとしてるとこやなって。でも,Mさ んのことがあってからは,ちょっとね。一昨年の夏は残ってくれって言われたら平気 で夕方まで働いてたけど,去年は全部断ってたし」 「そういえば,去年って夏の焼肉も忘年会もなかったですね。Mさんのことがあっ てからっていうのは,なんとなく分かる気がする」 「そうやろ。ていうか,みんなで集まるのって,しばらくなかったんや。じゃあ, 近いうちに,A君追い出し会と新人歓迎会セットで飲みに行こっ」 「行きたい∼。にんにく屋がいいかも」 「じゃあ,言いだしっぺのH君,幹事決定」 5月2日に決まった飲み会が,自分の追い出し会になってしまうとは,このときは 全く考えていませんでした。 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 4. 解 343 雇 突然の解雇を言い渡されたのはゴールデンウィーク前の金曜日,少し浮かれた気分 でその日の勤務を終えた後でした。4月27日。毎月25日には決まっているはずの,来 月前半の勤務表が所定の場所に置かれていなかったので,その日の勤務を終えてから 副店長に尋ねました。 「来月のシフト,まだ決まってないんですか」 「うん,まだ。店長に,Hは入れるなって言われてて。店長も言うてはるけど,開 店業務を任せてるのに最近遅刻が多すぎる。もっと責任持ってもらわないと。正社員 であれば許されることではないし」 「どういう意味ですか。辞めろってことですか」 「うん,まあ。これだけ遅刻が多いとねぇ。店長も言うてはるし」 「はぁ,そうですか。分かりました」 アルバイトとはいえ,約2年半週平均30時間働いている会社から,来月から来なく てもいいと言う旨のことを言われるのは納得の出来るものではありませんでしたが, あまりにも突然のことに唖然として,この日はこれで店舗を離れ帰宅します。帰宅し てから,バイト仲間にメールで連絡を取りました。 「遅刻が多いので辞めてくれって言われた。こんどはぼくの番やで。うう……泣き そう」 「ええ? 誰に言われたん? ほんとに?」 「ひどいなあ。朝できるの,キミとSちんしかおらんのに,どうする気やろ」 大学へ行き,所属ゼミの先生にこの日のことを話しました。 「はっきりとは言われてないんですけど,遅刻が多いから辞めてくれみたいなこと を言われたんです」 「誰の話や」 「ぼくです。今日,さっき言われたんです」 「それで,おまえはどうしたい」 「まだはっきり言われたわけではないんで分かりませんけど,とりあえず解雇予告 手当は言ってみようかなと」 「ああ,それは知ってるんか。うん,まあ,言うべきことは言わなあかんで」 344 大阪経大論集 第53巻第3号 「はい。じゃあ,言ってみます」 4月28日。7時30分からアルバイトでした。ランチタイムの12時前に副店長が店に 来ましたが,忙しい時間帯でもあり,前日の話の続きはありませんでした。この日に きちんと確認をしておくべきだったのですが,疑心暗鬼になっており,こちらから話 を切り出すのも気分が悪かったので,13時に勤務を終えてそのまま帰宅しました。 4月30日。29日は以前からとっていた休みでした。この日は7時30分からのアルバ イトで,祭日だったこともあって朝から忙しい一日でした。開店準備をしているとき に,来月前半の勤務表が所定の場所に置かれているのに気がつき,見ると,ぼくの名 前はどこにもありません。こんなに簡単に辞めさせられてしまうのかと,腹立たしい というよりはむしろ空しい気分でした。 12時前に副店長が店に来ましたが,ランチタイムで忙しかったので話しかけられる ことはなく,こちらからも話しかけることはできませんでした。13時に勤務を終えて 説明を求めるために厨房で待っていると,副店長がやって来て言いました。 「ごめんな,がんばってくれてたのに。長い間お疲れ様でした」 有無を言わさず,という感じでした。「ごめん」とはどういう意味なのか。がんば っていたのは認めているのに,なぜこんな形で辞めさせられなければならないのか。 副店長からのいきなりの一言で,かなり頭に来ていたと思います。 「こんなんされて,これからもやっていく気はないし,首切りならそれでもいいで す。でも,月末になっていきなりっていうのはおかしい。20日に希望を出したときに 言うこともできたはずやし,理由が遅刻であれ,解雇予告手当は出して下さい」 「それは店長に聞いてみるけど。でも,遅刻はねぇ」 「理由はともかく2月のAさんのこともあるし,そんな簡単に首切りできると思っ てるんかと思って。判断するのは誰か知りませんけど,ぼくの考えは伝えときます」 「でも,遅刻多かったしね」 店が混んできて,副店長がカウンターの方に接客に行ってしまったのでこれ以上の 話はできませんでした。給料日の15日に伺います,とだけ言い残して帰宅しました。 5月2日。新人歓迎会兼AとH[筆者]の追い出し会。創作料理屋で食事をして, 2次会の居酒屋を出て解散。3次会は,R君,Uさん,Oさん,ぼくの4人でカラオ ケでした。 「Hよぉ,最後なんやから全部喋ってまえ」 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 「は? 345 何を?」 「ほれ,好きな奴とか嫌いな奴とか,えぐい話」 「はは。R君,酔っ払ってるでしょ」 4人ともかなり飲んでいます。 「じゃあ,嫌いな奴は,嫌いっていうか,合えへんだけやけど,Xか?」 「ああ,分かる。あいつ,俺らのこと店長に売りよるやん。遅刻とか無銭飲食とか」 「ふ∼ん。怪しいとは思ってたけど」 「私はあの新人さんが嫌。店長とか奥さんがおるときだけ真面目にしてる」 「私もああいうのは苦手。それで,好きな人は?」 「私,知ってる。H君の好きな人」 「俺も何となく」 「はあ? 誰のこと言うてるん。もしかしてAさん?」 コク 「やっぱりそうなんや∼。 告れ∼」 「ちゃうで。そんな意味じゃなくて。話が合うから好きやけど,だってな,寝たい とは思わんし」 えぐい話は朝まで続きます。 「それはそうと,奥さんから直接聞いたんやけど,奥さんは,ちょっとくらい遅刻 してても8時に店を開けれてるんなら別に問題ないと思ってたんやって。H君が辞め たら朝が困るし。でも,店長がねって」 「ふーん。今さらそんなん聞いてもなあ」 何日かして,ゼミの先生に経過を話しました。 「でもね,遅刻が多いのはホンマやし」 「それに対して,注意とか警告はあったんか」 「いえ,ないです」 「注意なり警告なりがあって,それでも改善がなくて解雇なら,まだ話はわかる。 でも,それがなくていきなりは,おかしいで」 「ですよね。でも,店長は新しい店に掛かりっきりで,最近会う機会ないんです」 「それは理由にはならん,あっちの都合なんやから。前にも同じようなことがあっ たって言うてたな」 「そうです」 346 大阪経大論集 第53巻第3号 「今まで何の問題もなかったもんやから,それで簡単に首切れると思うてるんや。 おまえは納得してないんやろ」 「はい」 「それなら,言いたいことは言わなあかんし,別に間違ったことしてるとは思わん」 5月13日。昼過ぎに店長から電話がありました。 「15日は新しい店に来てくれ。4月の給料用意して待ってるから。いろいろ話もあ るし,電話ではできひんやろ。とりあえず新しい店の方に来てくれるか。ユニフォー ムと,店とロッカーの鍵も持って来てくれ」 とても事務的な電話でした。 5月15日。ユニフォームと鍵を持って,15時ごろ店へ行きました。あきらかに難し い顔をして出て来た店長ときちんと向かい合うのは,1カ月振りでした。 「久し振りです。すみません,忙しいのに」 「久し振りやなぁ。これ,4月分の給料な。それで,話は聞いたけど,解雇予告手 当なんて出す気はないで」 「そうですか。でも,出して下さい」 「あのな,3月,4月は3分の1くらい遅刻してるやろ。ちょっと多すぎやねん。 その謝罪もなかったやろ」 「でも,店長と会う機会なかったですよね。奥さんからも,注意とか警告はなかっ たし」 「かみさんとの話がどんなやったか分からんけど,売り言葉に買い言葉やろ。それ とな,判断するのはわしやで。わしや。わしも感情的なもんあるし」 「ぼくは感情抜きで話してるつもりですけど」 「そうか。短い付き合いちゃうし,わしのこともようわかってるはずや。卒業した ら祝い金出してるし,長い奴が辞めるときにはそれなりに出してる。今までそんなん してきてんねん。それは知ってるやろ」 「いえ,そうなんですか」 「遅刻の制裁の意味で前半シフト入れずに,きっちり謝罪があったら入れるつもり やった。就職活動のこともあるし,引退せえって言おうとは思ってたんや」 「会う機会もなかったし,それは別の話でしょ。まったく入れてもらえないのは, おかしい。解雇予告手当ぐらいは出して下さい」 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 347 「出す気はない。どうしても言うんなら,やり方は色々ある」 「そうですか」 「裁判とか。言えへんけど,他にもあるやろ。わしは逃げも隠れもせえへん,受け て立つ。やったらええがな」 「そうですか。そしたら,また連絡します」 「分かった」 「失礼します」 この日ですべて解決するだろうと期待して出向いたので,こんな思わぬ結果になっ てしまって落胆しました。頼れるのはゼミの先生だけなので,その足で大学へ行き, 話を聞いてもらいました。 「だめです。出してもらえませんでした」 「そうか。賃金は」 「それは,もちろん。なんかね,すごい醒めて喋ってる自分が怖かったです」 「はは,すごいやんか。それで,どうする」 「逃げも隠れもせえへんからやってみい,とかって言われたんです。わしは受けて 立つ,って」 「言うなぁ。あの時代の人やわ」 「なんかムカつくでしょ,感情抜きで話してるとは言ったけど。せやから,やって やろうかと」 「うん。選択肢は三つある。一つは労働基準監督署。それと,弁護士。あと,個人 加盟の組合。その三つ」 「はぁ」 「簡単なのは弁護士通して話してもらう。ちょっと金は要るけど,時間も掛からん はずやで。二人ほど知ってるから,今,電話してみるわ」 「あ,いえ。いきなり弁護士は,ちょっと」 「そうか。そしたら,おまえパソコン使えるな。それと,電話帳にも組合のページ あるらしいから,調べてみたら。労基署に行くのもひとつやし」 「はい。調べてみます」 348 大阪経大論集 第53巻第3号 5. ユ ニ オ ン 5月16日。 タウンページ の労働組合の一覧のところに,「パート・派遣労働者の 雇用・賃金・労災他のお悩み相談」とある,ユニオン☆☆☆☆労働相談の番号へ電話 しました。 「アルバイトを突然解雇されてしまって,そのことで相談したいんですが」 「はい,どうぞ。どういったことですか」 「先月末のことなんですけど,来月から来なくてもいいみたいなことを言われてし まって,それで,解雇予告手当を要求したんですけど断られたんです」 「いつから働いてたん」 「2年半くらいになるんですけど」 「短期雇用ではないんやね。退職の証明はありますか?」 「いえ,ないです」 「退職証明書というのがあるので会社に言って出してもらって,それを持って労働 基準監督署に行ってみて下さい。だいたいはそれで解決してます」 「はい,わかりました。それと,遅刻は解雇理由になるんですか?」 「遅刻してるんかぁ」 「辞める前の2か月は三分の一くらい遅刻してるんです」 「んん,それはちょっと多すぎるわ。無理かもしれんなぁ。裁判でも無理かもしれ ん。まあ,退職証明書をもらって労基署に行ってみて下さい」 前日に調べてあったもうひとつの労組へ電話しました。 「管理職ユニオン関西です」 「解雇のことで相談があるんですが,こちらの番号でいいですか」 「はい。管理職ユニオンはどちらでお知りになりましたか」 「ホームページを見て電話させてもらったんですけど」 「そうですか。どのようなことですか」 「2年半くらいアルバイトをしてたんですが,先月末に来月から来なくていいみた いなことを言われたんです。それで,解雇予告手当を要求したんですけど,昨日断ら れてしまって。え∼と,遅刻が多いんですけど,それは解雇理由になるんですか」 「ちょっと待ってもらえますか。詳しい人に代わりますからね」 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 349 最初に対応してくれたのは受付の女性のようでした。しばらくして男性が電話に出 ました。 「お電話代わりました。アルバイトを解雇されたんですね」 「そうです」 「フリーターですか」 「いえ,学生です」 「はあ,学生さんですか。来月から来なくてもいいと言われて,もうちょっと詳し く教えてもらえますか」 「ファーストフード屋で2年半くらいアルバイトをしてたんです。4月の27日に来 月分の勤務表が出てなかったので聞いたら」 「来月分というのは今月5月のことですね」 「そうです。それで,遅刻が多いって言われて。どういう意味ですか,辞めろって ことですかって聞いたら,うん,まあ,遅刻が多いしって言われてしまって」 「遅刻は多かったんですか」 「はい。3月,4月は三分の一くらいしてるんです」 「はあ,それはちょっと多いですね」 「そうなんです。でも一分とか二分とかで,ひどくても五分くらいなんです」 「そうですか,それで」 「その日は,分かりましたって言って帰りました」 「解雇予告手当は」 「30日にバイトに行ったら勤務表が出てて,全然入ってなかったんです。そのとき に予告手当のことを言ったんです。昨日が給料日だったんで店に行ったんですけど, 出してもらえなかったんです」 「えっ,給料もらってないんですか」 「いえ,給料はもらいました」 「分かりました。解雇予告手当を出して欲しいということですね。えとね,27日の 『分わかりました』はまずいんですよ。その日に,きちんと抗議しておけばよかった んですけどね」 「そうなんですか。遅刻は解雇理由になるんですか」 「あんまりひどいと, あれですけど。労働基準法という法律があるのは知ってます 350 か? 大阪経大論集 第53巻第3号 たとえばね,会社のものを盗んだとか,人を殺したり,怪我させたりとか, そ んなんはしてませんよね。今聞いた話だけなら,出ると思いますよ。労働基準監督署 に行ってみてください。場所わかりますか」 「いえ」 「住所はどちらですか」 「◎◎区です」 「それやったら,◆◆◆の駅の近くに◇◇労基署があるんで,そこに行ってくださ い。労基署に行ったら,相談,申告の窓口があるのでそこに行きます。相談は初詣と か七五三とか神社にお参りして,良いお参りでしたと言うものなんです。ありがたい 場所によくおいでました。それではお気をつけてお帰りください,というものなんで す。分かりますか」 「はい。え∼と,笑うところですか」 「はは,うん。なので,申告で不当解雇の告発をしてください」 「分かりました。労基署には退職証明書とか要りますか」 「今,ありますか」 「いえ,もらってないんですけど」 「必要ないかと思うので,とりあえず,労基署で申告してください。それで解決す るはずです」 「はい。ありがとうございました」 その日午後から,◇◇労働基準監督署へ向かいました。地下鉄◆◆◆駅から大通り 沿いに歩くと,そのビルはすぐに見つかりました。エレベーターを降りて扉を開ける と,相談,申告の窓口は正面から右側の方にあり,しばらく待っていると50歳くらい の男性がやってきました。 「相談ですか」 「いえ,不当解雇のことで」 「どうぞ,座ってください。どういったことですか」 「アルバイトを解雇されてしまって,そのことで」 「フリーターですか」 「いえ,学生です」 「どんなアルバイトをしてたんですか」 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 351 「飲食店,ファーストフード屋です」 「会社の住所はわかりますか」 「港区の店舗で働いてたんですけど,会社は京都の方に住所があります」 「京都ですか」 「はい。店は弁天町と難波にあるんですけど」 「事業所は大阪にあるということですね」 「そうです」 「ここはどこかで聞いてこられたんですか」 「ユニオンに相談したら労基署へと言われたので」 「何ていうユニオンですか」 「え∼と, 管理職ユニオン関西 です」 職員の男性が苦笑したように見えたのは気のせいだったのかもしれません。遅刻を 咎められたこと,シフトを外されたこと,納得できないので解雇予告手当を要求した が断られたことを伝えると,メモを取りながら聞いてくれました。 「会社はタイムカードを持っているので強気に出ているんだと思います。一分でも 二分でも遅刻は遅刻と思ってるんやろね。遅刻は解雇理由になりうるんですよ。でも ね,今聞いた話が本当であれば手当は出ますよ。ただ,相手の言い分もあるし,君の 話だけでは分からんこともあるしね」 「はあ」 「それで,せっかく足を運んでもらったのに申し訳ないんですけど,勤務地の港区 は◇◇労基署の管轄外なんです。港区を管轄しているのは西労基署なので,そちらで もう一度相談してもらえますか」 申告という言葉を言うことはできず,管理職ユニオン関西への電話で言われたよう に,良いお参りになってしまったようでした。大阪労働局・管下労基署案内図をもら い,大阪西労基署へはJR難波駅から歩いて行けるようなので,◆◆◆駅から電車に 乗り向かうことにしました。西労基署のあるビルは◇◇労基署のような新しいビルで はなく,小ぢんまりとしたものでした。二階へ上がり扉を開けると5,6人の職員の 方がいて,カウンターのすぐ向こうの事務机で,少し遅い昼食なのかコンビニ弁当と カップ麺を食べていた30歳前後の男性が対応してくれました。 「今, いいですか」 352 大阪経大論集 第53巻第3号 「はい。どうぞ,相談ですか」 ◇◇労基署へ行ったが,管轄外なのでこちらへ行くように言われたこと,遅刻のこ とと解雇予告手当のことを伝え,職員の男性は相談を行なう時の所定の用紙があるの か,それらを書き込んでいました。ここでも申告であるとは言えませんでした。 「解雇なのか自己都合なのかが曖昧ですね。よく揉めてしまうケースです。解雇な のか,違うのであればどういう意味なのか,30日にきちんと確認すべきでしたね」 「そうですか」 「ええ。あなたの話がすべてではないでしょうし,会社の言い分もありますしね。 退職時の証明というのがあるんですが,それを会社に請求して証明書を交付してもら ってください。それを持ってもう一度来てもらえますか」 「はあ。えっと,申告はそれからということですか」 「んん。そうですね。労基署は穏便にという方針なんです。相手の言い分もあるし, 無料ですしね。他にも方法はあって,弁護士を通すとか,小額裁判という手もありま すしね。とりあえず,証明書を出してもらってください。これどうぞ」 大阪労働局が発行している,労働基準法のポイントという冊子をお土産にもらい, お賽銭でも投げつけてやろうかと思いましたが,そのまま帰宅しました。 5月17日。大学に行ってゼミの先生と話す。「先生,だめでした。昨日,電話帳に 載ってあったユニオンに電話したんですけど,ひとつは,遅刻は解雇理由になりうる し,ぼくの場合は多すぎるから解雇予告手当を出してもらえないのは仕方ないんちゃ うかって。裁判でも無理やろうって」 「そんなこと言うユニオンがあるんやな。どこや」 「ユニオン☆☆☆☆っていうとこです」 「どんなとこやろな」 「うん。ちょっと悲しかったです。それで,もうひとつ管理職ユニオン関西ってと こにも電話したんです。そしたら,手当は出るはずです,大丈夫ですよって。労基署 に行けば解決するって言われたんで行ってきました」 「どうやった」 「家の近くの◇◇労基署に行ったら,管轄外なので西労基署へ行けって言われたん です。難波の近くにあるんですけど,行ったけどだめでした。自己都合か解雇かが曖 昧で,会社の言い分もあるし,労基署は穏便にという方針なのでって。労基署は無料 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 353 やから,他にも弁護士とか裁判とか方法はあるし,って」 「そうか。まあ,そんなもんやろな。労基署ではだめやろなとは思っててん」 「えー,そうなんですか。それで,相談と申告というのがあるらしくて,管理職ユ ニオンの人にも言われたんですけど,相談は本当に相談だけみたいなんです。なので, 申告したいって言ったんですけど,なんか渋られてしまって。退職証明書を会社に請 求してから,もう一度来てくださいって言われました」 「うん。それは請求した?」 「いえ。雇用期間とか退職の事由とか,ぼくの請求したことだけを書いてもらうら しいですけど」 「おまえが不利になるようなこと書かれるかも知れんしな」 「ですよね。だから,どうしたもんかなって」 ユニオンによって対応が違い,労基署の職員によっても対応が違うので混乱してい たし,後は弁護士を通して話をしてもらうか,裁判を起こすしか方法はないと考えて いました。 「A先生,知ってるやろ」 「はい。講義受けてます」 「あいつがユニオンのこと詳しいみたいやから,今日は大学に来てるはずやし,研 究室へ行ってみるか」 A先生の研究室へ行って,相談にのってもらいました。 「ファーストフード屋でバイトしてたんですけど,解雇されてしまって」 「何ていうとこ。マクドナルドとか」 「えっと,◇◇なんですけど,知ってますか」 「うん。サンドイッチの美味しいとこやんね」 「おまえ知ってる? やっぱり若いなあ。あんなもん食べてたらアカンで」(ゼミ の先生) 「それくらい知ってるよ。でも, たまに食べるくらいやで。ヘップファイブにある やんな,あそこで働いてたん?」 「いえ,弁天町の店なんですけど。結構いけますよね。野菜もいっぱい入ってるし」 約2年半働いていたこと,遅刻が多かったこと,それを理由に辞めてくれと言われ たこと,解雇予告手当を要求したけれど断られ,ユニオンにも電話して, 労基署にも 354 大阪経大論集 第53巻第3号 行ったけれど解決しなかったことを話しました。 「電話帳で調べた一つのユニオンに相談したら,それは仕方ないって言われたらし いねん」(ゼミの先生) 「へえ,何ていうとこ?」 「ユニオン☆☆☆☆です」 「うん。どこやろね。まあ,ユニオンって言うてもいろんなとこがあるし。それで, 『分かりました』は言うたらアカンかったね」 「やっぱり,そうなんですか。ユニオンに電話したときにも同じこと言われました」 「同意してると思われてしまうからね。でも,納得した返事ではないんやし,それ をきちんと言えばいいと思う。遅刻は実際に多いけど,ひどくても五分くらいで業務 に支障をきたしたことはない」 「そうです, たぶん。7時30分に店に入って準備をして,8時に開店なんですけど, 開店時間を遅らせたことはないし」 「不利益になるようなことはしてないってことやからね。解雇予告手当は出すべき やと思うよ。それに,アルバイトであっても有給休暇はあるから,それももらってな いやろ」 「はい。でも,とりあえず,いきなり辞めさせられたのはムカつくし,解雇予告手 当はもらいたいんです」 講義のレジメとして用意してあるリストラ撃退法やユニオンのことを書いてあるプ リントと,コミュニティ・ユニオン関西ネットワークという団体が出しているリーフ レットをもらいました。 「これは, 関西の地域ユニオンがいくつか集まって作ってるネットワークなんやけ ど,ぼくはここの世話人みたいなことをやってるんです。大阪市内であれば, なに わユニオン かな。でも, どこに電話しても安心やと思うよ。大経大のAからの紹介 ですってぼくの名前出してもいいから,電話してみたら」 「はい。ありがとうございます」 「でも,大丈夫? 四回生やったら就職活動とか卒論とかあるやろ。解決するまで に時間かかるかもしれんし,精神的にもしんどいかと思うよ」 「はい,大丈夫です。納得いくまでやってみたいんです」 帰宅したら20時を過ぎていました。早めに動いた方が良いと考えたので,教えても 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 355 らったコミュニティ・ユニオン関西ネットワークの一つ,「ユニオンひごろ」 へ電話 しました。何回かの呼び出し音のあと,出たのは留守番電話でした。A先生の紹介で あること,不当解雇の相談をしたいことを言って電話を切り,続けて,「ユニオンと うなん」 にも電話をすることにしました。少し焦っていたのかもしれません。このふ たつのユニオンは,「北大阪ユニオン」 とともに 「なにわユニオン」 を結成して,コ ミュニティ・ユニオン関西ネットワークに参加しています。 「 ユニオンとうなん です」 「Hと言います。大阪経済大学のA先生に紹介してもらって電話しました。不当解 雇のことで相談したいんですが」 まず,ぼくの住所と電話番号を聞かれ,会社の住所と電話番号を伝えて,これまで の経過を話しました。 「7時30分の始業時間はフードサービスでは,まあ,普通やね。一,二分の遅刻は, もうちょっと頑張って,早く起きといたらなあ。まあ,それは何とかなります。終業 時間ぴったりにタイムカード押すことなんてまずないよね。大丈夫です」 「そうですか。よかったです」 「詳しい話は事務所の方で聞かせてもらいます。明日の14時に谷町線駒川中野駅へ 来てください。事務所が分かりにくいところにあるので駅まで迎えに行きます。駅に 着いたら電話して下さい」 「はい。宜しくお願いします」 「こちらこそ。私, ◎◎と言います。最後まで担当させてもらうことになるかと思 います。それと,お金のことやなんかは,ことが終わってからでいいので, 安心して ください」 明日の時間と場所を確認して電話を切りました。しばらくして,本人確認のための 電話がありました。 「今日はもう遅いので,ゆっくり風呂に入って,ビールでも飲んで,安心して寝て ください。明日,有意義なものにしましょう」 シャワーを浴びて,ビールを飲んで,寝ることにしました。 5月18日。昼前に 「ユニオンひごろ」 から電話がありました。留守電に伝言を残し たあとで,「ユニオンとうなん」 にも電話をして対応してもらっているということを 言うと,がんばってくださいと応援してもらえました。 356 大阪経大論集 第53巻第3号 駒川中野駅で 「ユニオンとうなん」 に電話をして待っていると,サングラスをして 自転車に乗った50歳くらいの男性が迎えにきてくれました。◎◎さんでした。 事務所は歩いて10分くらいのところにあり,そこは,古い民家をそのまま使ってい るようでした。 「改めて,初めまして。 ユニオンとうなん で書記をしています,◎◎です」 「Hです。宜しくお願いします」 4月27日に遅刻を咎められ,辞めてほしいというようなことを言われたこと,「分 かりました」とは言ったけれど,同意の返事ではなかったこと,30日には5月のシフ トから外されていて, 長い間お疲れ様でしたと言われ,そのときに解雇予告手当を要 求したが断られてしまったこと,ほかのユニオンや労基署にも行ったが解決できず, A先生に教えてもらい電話をしたことなどを話しました。 「うん。自分でも動いてるんやね。遅刻は実際に多いんやなあ。まあ,人間,体調 の悪いときもあるし。昨日も言うたけど,終業時間でなんとかなります。タイムカー ドを持ってるから強気に出てるって言われたみたいやけど,それを見たら,逆に終業 時間ちょうどに終わってないことも分かるから」 持参していた給与明細書を渡して,解雇予告手当の額を計算してもらいました。 「去年,一昨年の夏はよう働いてるやんか。今年もこれくらい働いてたら, もっと もらえるのになあ。まあ,それは冗談やけど。間近の三カ月を基準に計算するので, だいたい7万円くらいになります。それと,有給休暇の未消化分を買い取って8万円 くらい。合わせて15万円くらい出してもらうようにしよか」 「有給休暇もですか」 「正社員とかアルバイトとか関係なしに,これは正当な権利やから。まとめて出し てもらおうや」 ◎◎さんは早速,会社へ電話してくれました。10分くらいの電話でした。 「おい,H君。社長さんな,自分はプロレタリアやからって言いよったで。人を使 って飯食ってんのに,あれはアカン。なんちゅうやつや。まあ,それはええけど。そ れと,仕事は真面目にするええ子やって言うてたで。きっちり仕事するのは認めとん ねん,ほな,なんで辞めさすねんって話やなあ。しかし,手強そうな相手やわ」 「そうなんです。ちょっと癖のある人なんです」 「今ので,よう分かったわ。そしたら,うちの組合員として扱わせてもらうし,組 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 357 合が会社と話し合いをしていきます。H君のとこに電話があっても,組合に連絡して くれって言うたらええから」 「分かりました。何とかなりそうですか」 「何とかさせてもらいます。がんばりましょう」 「はい,お願いします」 「それと,お金のことやけど,全部が終わってからでいいので安心してください。 普通は解決金として二割をもらってるんやけど,A先生の紹介やし学生さんやから, 一割にまけときます」 電話での話し合いだけで解決できるだろうということでした。その後,大学のこと や就職活動のことを少し話して事務所を出ました。 5月20日。◎◎さんから電話があり,何度か会社に電話したけれど話し合いがつか ないので直接会うことになったが,事務所に来るのを断られ,弁天町の店舗へ行くの も断られたので,本町の喫茶店で話し合いをすることになった,ということでした。 10時の待ち合わせなので,◎◎さんとは9時40分くらいに地下鉄の出口で落ち合うこ とになりました。 5月24日。本町駅で◎◎さんと合流して,店長との待ち合わせ場所だというドト ールコーヒーへ向かいました。時間は9時50分,店長はまだ来ていません。分かりや すいようにと入り口近くの席に座り,待ちました。外はどんよりとした曇り空で雨が ぱらつく,うっとうしい天気でした。 「電話で済むやろうと思ってたんやけど。事務所に来てもらった日に,H君が帰っ てからもう一度電話して, そして次の日にも電話したんやけど,出せへんの一点張り で。直接会わんことには,どないもできひんから。どうも,シフト制を,15日ごとに 決めてたんかな? それを短期雇用の連続やと考えてるらしいわ。でも,そんなこと ありえへんからね。労働条件の明示もなかったんやし」 労基法によれば,日雇いや二カ月以内の雇用等であれば,解雇予告を行なわずに解 雇することができること。ただし,ぼくの場合は2年半働いているので,それさえも 該当しないといったことを◎◎さんと話していると,20分ほどして店長☆☆がやって きました。 「◎◎です。今日はわざわざすみません」 「☆☆です。元気やったか」 358 大阪経大論集 第53巻第3号 「はい。久し振りです」 「電話してきてたんは,あんたか」 「そうです。◎◎です」 「あのな,わしも民商の先生やなんかに聞いてみたけど,やっぱり出す必要はない らしいわ」 「でもね,☆☆さん。労基法では」 「そんなもん知らんわい。有給のこと吹き込んだのもおまえやろ。そんなもん払え るかいな。10万20万の金が痛くて言うてるんちゃうで。これはな,けったくその問題 や。遅刻が多かったんは認めてるやないか。すんませんの一言もないんかいな」 「H君,仕事は真面目に頑張ってたって言うてはったじゃないですか」 「それは関係あれへん。あのな,◎◎さん,わしは組合と喧嘩することなんか何と も思うてへん。言うたろか。今な,もっと大きい喧嘩してんねん。京都の土地のこと で,コレと裁判起こしててな,一億二億の話や。こんなん,屁でもないねん」 「コレ」とは何のことなのか聞きたかったのですが,やめました。店長は店に入っ てきたときから不機嫌な顔で,半ば喧嘩腰なので話し合いという雰囲気ではありませ ん。◎◎さんはトイレに立ち,店長はコーヒーを注文しに行きました。 「なんやあれ,共産党系か」 事務所に貼ってあったポスターを思い出して答えました。 「いえいえ。はっきり知らないんですけど, 民主党系です」 店長は,ぼくに対してはごく普通の口調で話しかけてきます。◎◎さんが戻ってき ました。 「あんたのとこは,あれか。共産党系か」 「民主党と関係のある組合です」 「ふーん。まあええわ。あのな,H。わしは辞めさす気なんて,なかってん。遅刻 のことを謝罪したら,次のシフトから入れようと思ってたし」 「それは, この前も聞きましたけど,店長と会う機会もありませんでしたよね。そ れは」 「何や,それは。 それで遅刻のことは置いといてか」 「違いますよ。遅刻が多かったのは事実やし,申しわけないと思ってます」 「うん。そういう気持ちはあるんやな」 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 359 「はい。遅刻のことは謝ります」 「そうか,分かった。謝罪の気持ちがあるんやったら,それでええ。手当は出すよ うにするわ。ただ,有給休暇の未消化分は出す気はないで。解雇予告手当は出す。そ れか,またうちで働いてもええんやで。今回のことは何にも思うてへんし,これでわ だかまりもないし。弁天町に戻るのがあれやったら,難波の方でもええんやし」 「よかったやんか。社長さんもこう言うてくれてるんやから,職場復帰してみたら」 「ううん,それは」 「まあ,しばらく考えたらええ。わしはどっちでもええよ。どうするか決まったら, おまえがわしのとこに電話してこい」 店長は仕事があるとかで,店を出ました。 「社長さんもああ言うてるし,会社に残って頑張るのも,ひとつやで」 「はい。でも,またあそこで働きたいとは思えへんし,わだかまりはないとは言う てはったけど,それはないと思うんです。解雇予告手当は出してもらえるみたいやか ら,それでいいです。明日にでも電話しようかと思うんですけど」 「そうかあ,ああ言うてくれてるんやけどなあ。ちょっと上の人と相談してみるか ら,社長さんに電話するのはそれからにしてもらえるかな」 その日の夜,◎◎さんから電話がありました。 「上の人と相談して,H君が納得してるのであればこれで解決にしようってことに なったから。明日にでもH君の方から会社に連絡して下さい」 5月25日。15時ごろ,店長に電話しました。 「Hです。昨日はありがとうございました。それで,職場復帰の話は嬉しいんです けど,でも,前のようには働けないと思うんです。解雇予告手当を出してもらえるん であれば,そうしてほしいんですけど」 「分かった。昨日も言うたけど,有給分までは出されへんで」 「はい。それでいいです」 「そしたら,今回のことはこれで終わりということやな」 「そうですね」 「分かった。手当は税理士に言うて計算してもらうから。せやけど,すぐには出さ れへんで。15日になるけど,それでええか。振込みにしてもええけど,どないする」 「直接行かせてもらいます」 360 大阪経大論集 第53巻第3号 「そしたら,15日に用意しとくから。難波の方に来てくれるか」 5月26日。解決金の支払いのために,「ユニオンとうなん」 へ行きました。 「こんにちは。ありがとうございました。解決することができました」 「よかったなあ。せやけど,なんか困ったことがあったら組合に行ったらええわ, って思ったらアカンで。まあ,よかったなあ」 間近の三カ月の給与を平均すると6万5千円になるらしく,その二割,1万3千円 を組合交渉のカンパとして支払いました。 ゼミの先生の研究室へ。 「先生。解雇予告手当,出してもらうことができました」 「へ,もう終わったんかいな。えらい早かったなあ」 「そうですね。何か,あっさりって感じです」 「団交はいつやったん」 「一昨日です」 「ええ?,わしも一緒に行くって言うたのに」 「はい。え∼と,◎◎さんと本町に行くって言ったでしょ。あれです」 「はあ,そうやったんかいな。意思の疎通ができてなかったんやなあ。それで,ど うやった」 「職場復帰してもいいって言われたんですけど,それはちょっと」 「できひんわなあ」 「そうですね。有給休暇分は出されへんけど,解雇予告手当は出すって言うから, そうしてくださいって」 「もう,もらったん」 「いえ。15日にもらいに行きます」 「振り込んでもらったらええのに」 「はい。でも,直接会ったほうが,何か,あれでしょ」 「はあ,よう分からんけど。まあ,よかったんちゃうか」 「はい。ありがとうございました」 「今回はおまえが助けてもらったんやから,今度はほかの人の団交やなんかがある ときは,一緒に行ったりせなアカンで」 「はい。それなんですけど,紛争解決金として解雇予告手当の二割を払ってきたん 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 361 です。 A先生の紹介やし,学生やから一割でいいって言ってくれてたんですけど,で も,それってなんかアレでしょ」 「うん。それは, ちゃんとしとかなアカンことやからな」 6月15日。ゼミの先生と研究室で。 「解雇予告手当をもらいに行ってきました」 「ちゃんともらえた?」 「昼過ぎに難波に来てくれってことだったんで,2時くらいに行ったんです。でも, 店長はいてなくて」 「どういうことや」 「息子がいてたんですけど,今日は弁天町の方に行ってるからそっちに行ってくれ って。それで,弁天町に行ったんですけど,やっぱり店長いないんです。奥さんがい たんで,奥さんから渡してもらいましたけどね」 「なんやそれ。 きっと, 逃げてるんやで」 「そうなんですかねえ」 「そうやと思うよ。交通費も出してもらわなアカンなあ。わざわざ行ってるのに」 「でも,ちゃんともらえましたし,これで全部終わりです。いろいろとありがとう ございました」 ワークシェアリング (「6.分かち合い」・「7.オランダ・モデル」省略) お わ り に 厚生労働省の発表によると,01年12月現在の大学新卒者の就職内定率は76.7%で, 約9万1000人が未内定となっています。ここまで書いてきた文章は,全くといってい いほど就職活動をせず,卒業間近になっても就職が決まっていない,ひとりの学生の 言い訳でもあるんです。 満員電車に揺られて出勤し,ノルマに追われ神経をすり減らしながらも残業し,晩 酌をしながら唯一の楽しみであるプロ野球中継を見て,そして翌朝また満員電車に乗 り込む。春夏秋冬,朝から晩までネクタイを締めて家族のために働き続けてきた父親 の世代を,ぼくは尊敬します。就職が決まっていなくてもボケッとしていられる今日 の日本社会は,日本的な勤労主義なくしてはありえなかったからです。 362 大阪経大論集 第53巻第3号 でも,ぼくは,そんな生き方を拒否します。 到底まねできそうもない,ってこともあるんですけどね。 パートタイムというのは,フルタイムとの関係のなかで考えるべき概念で,フルタ イマー・正社員の働き方が,残業当たり前,日本中どこでも転勤当たり前というよう な,私生活をもてない働き方であるならば,パートタイマーがいる職場では,パート タイムというのはある種お気楽な労働者,責任の軽い労働者だとみなされる可能性が 高い。ということは,パートタイマーの労働条件を改善しようとすれば,パートタイ マーの労働条件それだけを考えるのではなくて,フルタイマー・正社員がもっとゆと りをもって働けるようになること,フルタイマー・正社員が今日抱えている過剰な労 働時間だとか過剰な責任を軽くしていくことも必要です。 これまで会社への帰属意識が強すぎたのであれば,これからは会社以外の,家族, 友人,地域,国家,さらには人類や地球といった共同体への帰属を強めて,バランス を回復する努力が必要です。希望が持てて毎日が楽しくなるようなバランスが必要な のです。 個人がどう生きるのか。体制が変わらないなかで,けれど社会とつながって,自分 なりにどう生きるのか。たとえば,学校に行って,資格を取って,ちょっとだけ良い 仕事につくというような,そんな方法も必要なのかもしれません。 労働経済学の最初の命題は,その人の価値観に基づいて自分の時間を余暇と労働に 配分することなんだそうです。必要な分だけ働いて,遊びたいだけ遊ぶ生き方があっ ていいし,遊ばなくてもいいから稼げるだけ稼ぎたいという人は仕事をすればいい。 それが個性だし,個人のライフスタイルに合わせて,いろいろな生き方を選択できる のが,本当に自由な社会だと思うんです。 (引用文献・参考文献一覧 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 省略) ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 3.H君へのエールと私(たち)の課題 じつは,H君の卒業論文全文を「池野ゼミ小冊子シリーズ」第八号(2002年3月発 行)として配布した。以下に,それを読んでくれた人たちの感想を示す。まずは,社 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 会人学生として私と知り合ったWさんから,次のような感想をもらった 363 , 文章の書き方が, 池野さんがいつも言われているように自分の言葉で書いてある のでとても読みやすく,それでいて考えさせられました。 お父様のことを書いておられましたが,若い時シンガポールで技術指導までされ ていたのに,人員削減となると会社は冷たいものだと憤りを感じました。定年まで 勤めようと思う気持ちは,この時代の男性はほとんどだったように思います。女性 は,今で言うセクハラみたいなものがあって,適齢期(その時代は24歳ぐらい)を 過ぎると,「いつまで勤めとるの?」「いい人いないの?」と嫌みを言われたもので すが……(今も変わりませんか?)。最近の傾向としては定年まで一つの会社で働 ママ こうと思っても出来ない状態ですが……。 でも,お父様の生き方を見て育ったH君だからこそ,アルバイトで解雇されても 自分の考えが貫けたのだと思います。何度も何度も納得いくまで足を運ぶH君,読 みながら思わず拍手を送りました。 学生たちのバイト先がファストフード店などサービス業が多いようですが,仕事 の内容がこれだけ厳しいとは思いませんでした。みんな頑張っているんですね! また,文章の中の友達との会話,上司との会話,ユニオンの方との会話がまるで 聞こえてくるようで,真剣な話なのに思わず声を出して笑ってしまいました(ごめ んなさいね,H君!)。就職してもいろいろなことがあると思いますが,頑張って ください! 陰ながら応援しています! もう一人は,私たちの研究会(現代社会研究会)の読者で,もう二〇年来の付き合 いのあるAさん(宮城県在住)からのものです , ……卒論は, さすがに池野先生の教え子さんですね。解雇されたいきさつ,解雇 予告手当を取るまでの苦労話のなかに,H君の不屈の人権意識や自由で真面目で誠 実な人柄がもろに出ていて感動しました。H君を支えて下さった人たちにも, 心か らお礼を申し上げたい気持ちです。生きた体験の中から具体的な結論が導き出され るんですね。二月末だったか,旧国鉄の解雇者の補償金獲得のニュースがありまし た。裁判では和解という名目でしたが,永い年月をかけてやっと勝利したわけです 364 大阪経大論集 第53巻第3号 ね。H君が予告手当をもらって,その二割をきちんと労働組合に払った後の,池野 先生との会話もほんとにいいですね。心温まる文章のなかから,現在の大学教育の なかに大切なものが失われずあることを知ることができました。 それから,リストラ∼解雇が正当化されている昨今でも,ちゃんと労基法は生き ている,それは護らなければならない権利意識であることを強く思いました。小泉 政権が次々と危険な法案を出してくるのですが,「法」は出来上がってしまえば有 無を言わせずというところがありますから,彼らが目指すものと全く反対の方向= 働く者の共生の道を探りたいとつくづく思いました。…… なお,この春に卒業したH君は,「とにかく一般の企業にだけは入りたくない」と 言って,この卒業論文を書き上げたあと初めてまともな就職活動を行ない,卒業式直 前に障害者介護の仕事を見つけてきた。そして今,元気に働いている。多くの卒業生 たちがサービス残業を強いられている実態を知る私からすれば,六時すぎには仕事を 終えるH君の働き方は稀なケースである。ただ,休みが日曜だけしかなく,あまりに 賃金が低いこと(手取りで十二万円)が気になるが,H君はそれを暮らしの仕方を工 夫することで何とかしたいという。そういえば,学生時代には「飲みに行こうや」と いう友人からの誘いにはほとんど断らずに付き合っていたような彼だったが,今後は この賃金額ではそうもいかないだろう。酒を飲めない私は,そのことが却って同君に とって自分の時間を確保できることになるのではないか,と密かに期待している。 それにしても,(所得)格差が拡大する社会のなかでお互いが足らざるを補い合う 関係を何とか構築できないか,とつくづく思う。これに関連して,片田幹雄「ステレ オタイプのイメージを疑うことのむずかしさ」(私たちの研究会の会報『現代社会研 究会』第29号 2002年5月発行)は,H君の論文についての感想を記すなかで,「現 実の限りない複雑さをそれとして認めて,『本当に自由な社会』を願って,そのため の条件を,その現実の中に探していきましょう」と提案しているが,じつはすでに私 たちの先輩たちはその先例として,他の企業での労働者のストライキ支援のために労 働組合が毎月天引きしてカンパを送るというシステムを創っている。働く者同士の助 け合いである。そして,もしそうすることができれば,(生命)保険という顔の見え ない者同士を営利企業が結び付ける“助け合い”なんかではなく,お互いが顔の見え る関係のなかでの相互扶助ができるのだ。 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 365 4. 労働者意識を欠落する大学の問題 さて,いま大学は競って起業家養成講座とかキャリアコース・資格取得コース,あ るいは, 産業界・政界トップを招いての講座などを開設している。それは,グローバ リゼーションのなかで生き残りを賭ける企業・国が要求する働き手を大学として送り 出すことで就職率の向上に結びつけ,ひいては十八歳人口減少期の大学経営にとって の受験生確保に直結するという狙いがあってのことである。ただ露骨にそうは言わず に,「社会のニーズに応える」と合唱するのである。 そんななかで,たしかに受験生は就職に有利と思える学部の選択をし,入学後は資 格取得に励む。それに勢いづいて,大学はさらにそうした方向への舵取りを進める。 そんな風潮を示す手紙を,H君の卒業論文を読んだ卒業生のひとりで,私の『さて, メシをどう食うか 池野ゼミ卒業生の現在』(技術と人間 2000年)にも登場 する堀口君からもらった。彼女の弟のひとりがいま就職活動の真っ只中にいること, そしてもうひとりの(上の)弟がキツイ労働のなかに自ら位置しながらもそれでも今 日的風潮を体現していることが次のように書かれていた , 先週,実家へ帰っていたのですが,今,一番下の弟は就職活動中です。私たちの 頃と比べて,ずいぶん時期が早くなっているのに驚きました。5月までに決まらな いとダメだ,と大学側から通知が来たとか。就職できそうになければアルバイト先 (ゴルフ場)にお願いするかも,と言っていました。アドバイスするといっても, 8年前のノウハウは役に立ちそうもありません。 その時に,上の弟(27歳)が仕事を選ぶにあたって,「よく土日の休みが楽しみ で働いているとか,給料のために働いているなんて聞くけど,おかしい。本当に楽 しめる仕事を見つけてこそ価値がある」と言っていました。彼は,3年働いた会社 から転職して,派遣社員になって2年目です。もともと芸術系の大学を出ているの で,今は某テレビ局のホームページをつくる仕事をやっています。いつも,自分は デザインするという好きな仕事をやってこれたので,自分が嫌な仕事でも仕方なく やっている人の気持ちは分からないし,自分の仕事にすごくプライドを持っていま す。私から見ると,毎日残業残業で夜中の1時頃にしか帰ってこないし,休みの日 も部屋のパソコンでずっと仕事してるし,挙げ句,派遣の会社から働き過ぎで残業 366 大阪経大論集 第53巻第3号 が多いので「仕事を減らしてくれ。そうでないと基本給をカットするぞ」とまで言 ・・・・・・・・・ われても残業を続ける彼は,今の仕事(とても満足している)を守るために必死に なって働いているようにしか見えないんですけどね。 その次の日,彼は過労で39度の熱を出して,会社を2日休みました。彼が2日休 んでも仕事は回っていくし,彼が本当に体を壊してしまえば,会社は彼を辞めさせ てしまうでしょう。会社ってそういうところだということを,もっと冷静に見てほ しいです。 (文中の傍点は原文のまま) 「5月までに[就職が]決まらないとダメだ,と大学側から通知が来た」という大 学の学生へのハッパのかけ方 それはあまりに無意味であるし,それどころか当事 者への余計なプレッシャにしかならない に驚かされるが,それが今日の大学の姿 を象徴している。そして,もうひとりの弟の働き方と意識のありようもまた,今日的 な大学が学生たちに指図し求めるものでもある。そして,上のH君のような,自分に 納得できない解雇に抗議するというような心のありようは,そうした大学教育からは 生まれようもない。というのは,自分ひとりの優位な就職のための資格取得にひたす ら励む姿勢からは,働く仲間同士の助け合いという精神は生まれようもないからであ る。大学が奨励し育成しようとしている起業家・企業経営者の精神・発想と労働者の それとは,それこそ天と地の違いがある。後者が蔑ろにされている。 たとえば,私たちが編集した「シリーズ・変貌する大学」第二巻の『国際化と「大 学立国」』(巨大情報システムを考える会編 社会評論社 95年)のなかで,吉田智弥 「大学・七つの欠落講座」は,大学には「講座の数が多すぎるくせに,いま市民社会 の人間が最も必要としている講座……当たり前の生き方を選ぶのに役に立つような講 座が非常に少ない」と嘆き,「では市民社会の側からみて『必要な』 役に立つ』講座 とは何なのか」と問い,「今日の大学は最低限次のような講座を開設するべきではな いかという提案」を行なっているが,その筆頭にあるのは,「 労働者の権利』概論」 である(ちなみに他の講座を掲げておく 「高齢社会・在宅介護」論,「性と文化」 論,「かしこい消費者」論,「体育(からだそだて)論」,「日本に住む外国人・少数民 族」論)。 実力主義,能力主義,自助原則,競争社会……とにかく個々人が頑張って生きてい くことばかりが強調される今の社会のニーズに,このところの大学「改革」は応じて 大学が迎合する競争社会に異議を申し立てる学生 367 いる。しかし,みんながみんな成功してトップ(いわゆる「勝ち組」)になることな どできない。とすれば,トップになれなかった人々を「負け組」として終わらせてし まうような社会を前提にした大学「改革」など,市民社会のニーズには相応しくない のである。「本当に自由な社会」を希求するH君のような存在を今の大学は「負け組」 にしてしまうとすれば,私はやはりそんな大学のありように異議を唱え続けなければ ならない。 そのことを,H君の卒論と彼の生き方は私に再確認させてくれる。そして, そんな 学生(たち)の存在が私を教員として頑張らせてくれているのだ。長谷川さんもそうだ ったのだ,と私は今あらためて思う。 [本稿は二〇〇二年度特別研究の成果の一部である]