Comments
Description
Transcript
ドイツ現代史にみる ≪普遍的価値≫の再生
Akita University 4 8 0 ドイツ現代史にみる ≪ 普遍的価値≫の再生 封 馬 達 雄* ナチ国家 に否定 された普遍 的価値が反 ナチ運動 において、いか にして本来 の意味 を も ち えたか、 さらに戦後史 のなかで いか に展 開 したか を究明す るこ とが本稿 の主題 で あ る。 これ について以下 の三点か ら明 らか にした。その- は、反 ナチ思想 を教育実践 に込 めた ライ ヒヴ ァイ ンの事例 か らである。つ ま り彼 の活動 の主眼が開かれた世界像 の認識 に裏づ けられた 「 主体 的 自己」の基盤 を育 む ことにあった ことである。 その二 は、市民 的抵抗者 た ちの反 ナチズムが基本 的 にキ リス ト教 ヒューマニズム に拠 って ドイ ツ人 を ヒ トラー崇拝 の蛎 か ら解放 ( 覚醒)す ることにあ り、 ドイツ とヨー ロッパ との和解 を追 950年代 に 「良心 の蜂起」として復権 をみた反ナチ 求 していた ことで ある。 その三 は、1 運動 にたい して、「レ-マ-裁判」の判決が決定的 な役割 を果 た し、そ こに提示 された「 抵 抗権」の思想が後 の政治教育 に重要 な位置 を占めた ことである。 は じめ に 念 は、少 なか らず立憲国家の基本的な価値 として ドイツ現代史 を特徴づ ける《国家的価値≫と《 普 守護 され、《国家的価値≫もそ うした理念 を擁護 し 遍的価値≫ の相克 とい う事態 を、反 ナチ運動 に焦 実現す ることに向 け られてい る。義務教育 を中心 点づ けて考察 してみ よう とした公教育整備 の過程 に して も、国家意識 の強 。 ここにい う 《国家的価値≫ とは、 さしあた り国 化 ( 国民的統合) とい う政策意図が基調 にあった 民国家が形成 され るなかで人民 の共属意識 を挺子 にせ よ、 その一方で人権 の系論 として学習権 と政 に、種 々の営為 に国家 の権威 とそれへの忠誠が刻 治的 自己解放 の思想 を浸透 させてい る。二 つの価 印 され ることととらえる。《 普遍的価値≫について は、人間の尊厳 に もとづ く人権理念 お よび市民的 値 はむ しろ混在 してい る。 さらにまた、人間の発 な 自由 と平等 に典型 を兄 いだす ことに したい。 し 達 において価値 の内面化 をうながす営為 を人間形 成 の論理 とみ るな らば、 そ こにはおのず と両価値 たが ってそれ らは近代以降意識 され るようになっ が 内包 され ることに もなるだ ろう 。 問題 は、2 0世紀 1 0年代 を起点 とす る現代史 に た価値 である。 これ を人間形成 の視点か らい うと、 前者が国家 目的への奉仕 を個 としての人間 それ 自 目を転 じる と、両価値 の相克が鮮明な形 を とるば 身 に優先 させ るのにたい して、後者 は国家的役割 か りか、高揚す るナ シ ョナ リズムの もとで 《国家 に先 ん じて人格 の 自由な発展 を最大限保全す るこ 的価値≫が人間生活全面 を圧倒 し、ついには個人 とに力点が ある。 もちろん これ ら二つの価値 は、ただ単 に二項対 の最小限の 自由な発達 を も排除す る事態が生 じて い ることである。周知 の ように、 ワイマル民主制 立的 に理解 され るもので はない。 ドイツ ・ナ シ ョ を全面的 に否定 し人 間存在 を トータル に支配 しよ ナ リズムの原像 を 『ドイツ国民 に告 ぐ』 のなかに うとしたナチ独裁 に、行 き着 いた姿がある。 それ 描 いた フィヒテが、 反王政 の姿勢 を とりなが ら「 祖 は 《国家的価値≫ のいわ ば極限の表現形態である 。 国愛」 と ともに 「自由 の精 神」 を強 調 した こ と 本稿 が問 うのは、 こうした国家権力が神化 された に1 、その端 的な例 がある。げんに自由 と平等 の理 事 態 において 《普遍的価値≫ はいかなる形 を とっ *つ し ま たつお 秋 田大 学 キ ー ワー ド :反 ナ チ運 動 / 覚 醒 / 政 治 的歴 史 教 育 / レ- マ -裁 判 / 抵 抗権 -5 4- Akita University 4 8 1 ドイツ現代史にみる 《 普遍的価値≫の再生 てその本来 の意味 を持 ちえたのか、 さらに戦後史 のなかでいか に展開 したか とい うことである。 と I ナチス教育の対抗思想- 《世界開放性≫ 1)郷土か ら開放 された世界へ ベル リン近傍 テ ィー フェンゼ-村小学校 ( 単級 い うの も、 この価値 はナチ支配 によってたやす く 葬 り去 られたわ けで はな く、同時期 に ドイツ国内 8年 制 国 民 学 校)で の ラ イ ヒ ヴ ァイ ンの 活 動 にあって もナチズムに抵抗 し、 さらにはそれ を理 ( 1 9 3 3 1 9 3 9年)について は十分 な研究 の蓄積 があ 念 的 に も克服 しようとす る動 きが厳然た る事実 と り、筆者 もいわ ゆる教育的抵抗 の視点か ら言及 し て きた4。ここで はテ ィー フェンゼ-教育が追求 し してあったか らである。 このばあい、ナチズムへの対抗論理 を教育実践 Re i c hwe i n, その もの に託 した ライ ヒヴ ァイ ン ( A. 1 8 9 8 1 9 4 4刑死)の存在 は比較的知 られている。だ が さらに注 目すべ き事例 に、体制への非 同調的態 度や受動的な反抗 に とどまらない反ナチ運動 とり た 《 世界 開放性 ≫5に焦点づ け、 ナチズムへの対抗 思想 を抽 出 してみ よう 。 ナチ教育 は 《 血 と土》の教義 に知 られ るように、 フェルキ ッシュ ( 狭陰 な民族至上主義) を具体化 わ け左右両翼 に及ぶ市民的 な抵抗者 たちの思想運 す る農村学校教育 に力点 をお き、政権奪取直後か らその教授改革 も優先的 に企 て られてい る。 中心 動がある。理 由は こうである。 自らを政治宗教 と 課題 は農民子弟の郷土意識 を人種論的な民族意識 す るナチズムに、彼 らが唯一守 られ る組織 を離れ、 に収赦 させ ることにある。 もっ とも、2 0世紀初頭 国家反逆 の断罪 を も辞 さない確信 によって抵抗 し ようとす る と、その行動 に 《 普遍的価値≫ につ ら 以来民族性 と文化 の基礎 として郷土的世界 を教育 理論化す ることは教育界 の趨勢であって、 と くに なる論理 を込 めざるをえないであろう。人 口に胎 2 0年代 には講壇教育学 のテーマ に浮上 していた6。 1 9 4 2年の第 灸す るシ ョル兄妹 らの『白バ ラ通信 』( 合科教授 の方式が初等教育界 に推奨 され導入 され るの も、 この動 きと連動 している。 ナチ ・イデオ ローグたちはこうした動静 を とら 1の ビラ)が 「 人間の尊厳」を謡 い、「自己 目的 と しての国家」 を否定 して 「 人間の諸力 の完成 ・進 歩」 とい う目標 に奉仕す る国家 の役割 を強調 す る え、農民子弟 に郷土 を起点 にフェル キ ッシュな価 のは2、端 的な例 である。 この基本姿勢 は、体制打 倒 とい う政治的抵抗 にまでつ きすすむ種 々の市民 値観 を注入す る教授計画 を構想 し実施 した。 その 的 グループに も通底 してい る。 しか も重要 なのは、 彼 らの行動が ヒ トラー独裁制 に拝脆す る ドイツ人 ( 1 9 3 6年)によれ ば、農民層 を 「民族共同体」へ編 入すべ く、郷土 と民族 との媒介概念 として「 地方」 大衆 にたいす る 《覚醒》 の訴 え となる とき、 そ こ に反 ナチ的 な価値 の内面化 とい う意図が含 まれて 別 の血統 の生活共同体」た る 「 種族」の 「 入植圏」 代表 と目され る 『 農村学校上級段階用教科課程』 と「 種族」が設定 されてい る。「 民族 を構成す る特 い ることである。戦後 ドイツにおいて彼 らの運動 として 「 地方」があ り、 その全体が 「 祖 国」 であ が復権 す る過程 は、 それが遺産 として評価 され受 る、と。ここで描 かれ るのは、子 どもの思考 を「 土」 冒頭 にい う二つの に根 ざす 「 生活共 同体」た る 「 郷土」か ら 「 地方」 容 され る過程 ともなっている 。 価値 の相克 にまつわ る教育研究 として、一見無縁 とも思 える市民的 な抵抗者 たちの思想 と行動 の意 味 を明 らか にしようとす るの も、 こうした理 由か 「 種族」を経 て閉 ざされ完結 した「 民族共同体 」 ( 「 全 体性 の意識」 を体現 す る)へ導 く合科教授 の形式 である7。 ライ ヒヴァイ ンが社会民主主義者 のか どで教授 らである。 の実体 を明 らか にす る見地か ら、本論への導入 と 職罷免後、 6年余の教育活動 を もって対決 したの は如上の フェル キ ッシュな農村教育 である。彼 は 以下、 ナチズム に対抗 し浮上 した《 普遍的価値≫ して まず元ハ レ教育 アカデ ミー教授 ライ ヒヴ ァイ 教授在職 中主宰 した研究会 を通 じ、 《集団化≫や《 作 ンの教育活動 を とりあげる。次 いで彼 も与 す る市 民的抵抗 グループのナチズム克服 の基本思想 に言 業化≫ な ど改革教育 の方法的成果 を摂取 してお り、 及 し、最後 に、旧西 ドイツにお ける 《レ-マ-戟 判≫ を事例 に した反 ナチ運動 の復権 と、 その系論 界の ( 孤 島) としてテ ィー フェンゼ-の活動があ る。 そのため彼が民主主義、平和 主義の信念 を教 として戦後歴史教育 が担 った政治教育 の役割 につ 0 育者 として堅持 しつづ けようとした とき、学童 4 いて検討 しよう3。 名 ( 1 9 3 7年) をナチ世界 観 か ら守 り育 て る こ と その成果 を駆使 した独 自の、 いわ ばナチ支配教育 は、困難 だが必須 のテーマ となった。 ナチ教授改 -5 5- Akita University 482 「 教育学研究」第 7 4巻 第 4号 2 0 0 7年 1 2月 革 に強調 され る 「 郷土」 とそ こに生 きる学童 の生 思想 として も 「 世界 へ の開放 」 の視点 と論理 を遂 活世界 を彼 自身 も学習指導計画 の起 点 としなが ら、 に構築 で きなか った。付言すれ ば、 こうした蛎 が 彼 らの生活 を 「 世界 への開放」 とい う文脈 のなか 一 因 となってナチ ス支配 に講壇教育学 が終始沈黙 で展望 したの も、 そ うした意 図 に拠 ってい る。 こ し、 さ らには人事粛正 された教育 アカデ ミー、教 の と き彼 が 哲 学 的 人 間 学 に い う 《 世 界 開放 性 員 養成大学 の教授達 が積極 的 にナチズム に加担 す We l t o f f e n h e i t ≫( M.シェ- ラー)の概念 を意識 し る結果 11を も招 いた ので はないのか。 て いた か は不 明 だ が、少 な くと も同一 の言葉 を この よ うにみれ ば、 ライ ヒヴ ァイ ンの試 み は、 もって排外的 な 《民族 の生存圏≫ に対抗 しうる新 教育界 が無視 しっづ けた論点 を反 ナチ抵抗 の活動 た な学習論 的見地 を構築 す る ことが、実践上 か ら にいわ ば実践 内在 的 に示 した稀有 の例 となるで あ も必要 となっていた。 その姿勢 は、農村学校 にか ろう。 んす る初期 の論稿 ( 1 934年)がナチの検 閲 を念頭 に、慎重 な表現 なが らも 「 学校 が村 の窓 を民族 と 2)教育 メデ ィア と 《世界 開放性≫ 如上 の 《世界 開放性≫ の視点 は、映画 とい う最 世界 に開放 すべ き」役割 を強調 して い る こ と8 に 新 メデ ィア を活 用 したテ ィー フェンゼ-教育 の第 みて とれ る。 ライ ヒヴ ァイ ンの主 著 『 創 作 す る生 徒 た ち』 二 の報告書 『 農村 学校 にお ける映画二 観察 か ら造 ( 1 937年) はナチ用語 に倣 って偽 装言語 を多用 し 形 へ』 ( 1 938年) をみ る と、 よ り一層 明瞭 で あ る。 た実践報告 だが、 そ こで は上述 の立場 を学習活動 本書 は、到来 したマスメデ ィアの時代 にお ける の 目標 にす えて表 現 して い る。 「 現代 の我 々 もま ゲ ッベ ルス流 の大衆操作 とい う事態 をみす えなが た、わが農村 の教育共 同体 にあって、世界 とい う ら、直接 的 に は学 習 活 動 に導入 され る新 た な メ もの を ( 中略)互恵関係 にあ る全体像 のなかで と デ ィアの意味 と役割 について省察 してい る。 その らえよう」9 。この見地 か ら、彼 が「 生活共 同体 とし さい、 ライ ヒヴ ァイ ンのメデ ィア理解 には、子 ど ての村 」 のテーマ について地球儀 を用 い、 また学 もと教 師 の交わす 「 生 き生 き とした言葉」 こそが 習計画 に 「きわ めて遠 い学習対 象 くア フ リカ) 」の 「 精神 的交流」の最重要 の メデ ィアで あ る とす る基 題材 を取 り込 むな ど、郷土 と世界 の互恵関係 を具 本認識 が あ る。 メデ ィアの核心 を言葉 に求 め る彼 象化 す る とき、 そ こには排他 的 な 《生存圏≫ の教 の立場 は、教 師 -生徒 関係 を く学 びの関係 ) とし 義 とは対照的 に、「 未来 とい う青少年 自身が ともに て成立 させ るた め に人格 的 な共感 的交渉 を不可欠 耕 す開かれた大地 へ導 く」ね らい 10 が あった。それ とす る理解 に もとづ いてい る。画像 や映画 はその は単 な る同心 円的学習論 の思考 に とらわれての こ よ うな 「 精神的交 流」 の 「 補助手段」 として、 つ とで はない。学習 の動機 づ け とな る郷 土 は世界 に まり 「 直接 の観察 や言葉 での表現 で は得 られ ない 解消 されず、統一 あ る全体 として把握 す る力 を子 もの」 のた めに 「 補 完的」 に組 み込 まれ る もので どもに養 う見地 か ら、郷土への結 びつ き と世界 に あった 12。 開かれてい る こととが同等 に扱 われてい るか らで ここにい う補助 的役割 とは、肉眼 の 自然 な観察 で は把握 で きない微細 な、 あ るい は傭轍 的 な映像 あ る。 もとよ り体制 の敵対者 として生 きる彼 に とって、 によって育 まれ る、事物 ・事 象 の深 い理解 と洞察 著述 で は と りわ け ≪フォル ク≫や 《ナ ツ イオ- ン≫ とい う子 どもの「 見 る力」を訓練 し、 その力 を もっ さ らに 《ドイ ツ的≫ の語 がナチ世界観 との明 白な て生活世界 での体験 的接近 を 「 郷土 的世界」、 「ド 対立 を隠蔽 す る枕詞 となってい る。 だが それ らが イ ツ全体 」 さ らに 「ヨー ロ ッパ」 お よび 「 世界」 用 い られ るに して も、彼 に とって含意 は本来 的 に とい う広が りの なか に位置 づ ける こ とにあった 13。 生物学 的人種論 の規定 と異 な る文化 的共 同体 とい 視野狭 窄 と関銭性 の傾 向 を帯 びが ちな農村 的環境 う次元 にあ る。 しか も重要 なの は、 そ うした用語 に生 きる子 どものた めに、 「 動植物界 」の生態分布 概念が 自 ら世界市民 た らん とした彼 の思考 を制約 や 「 鉄鋼業」 にか んす る現代工業 の世界 な ど、各 す る もの とな って はいない ことで あ る。一方、先 種映像 を取 り込 んだ独 自の《フォアハ-ベ ン≫ ( 請 に もふれた ように、改革教育 の運動 を含 め ドイ ツ 教科横 断的 なプ ロジェク ト学習)が考案 されたの 教育界 の大勢 は伝統 的 に教育 的価値 として《民族≫ も、 その帰結 で あ る ≪国民》に無批判 に こだわ りつづ け、 そのた め教育 - 56- 。 注意 しなけれ ばな らないの は、 この ような教育 Akita University 4 8 3 ドイツ現代史にみる ≪ 普遍的価値》の再生 メデ ィアがその利用 にさい して 「 国策映画」 と意 識的 に区別 されてい るこ とであ る14。すで に学校 してみれ ば、映像 メデ ィアを活用 した 《 世界 開 放性≫ の視点 は子 どもの 《主体 的 自己≫への成長 1 9 3 4 には 「国策映画」の使用が課 されていたが ( の視点 とも表裏 の関係 にある。 それ はナチズムに 年 6月 2 6日の国策学校映画実施令)、 それ は啓蒙 宣伝省作成 によるナチ世界観 の普及 をめざす もの 対抗 す る教育的格率 を表現 している。以下 に言及 であった。だがテ ィー フェンゼ-小学校 は、文部 格率 とはけっして無縁で はない。 す る市民的抵抗者 の反 ナチズム思想 も、 こうした 省所管 だが ライ ヒヴ ァンの友人 ツイーロル ト所長 のベル リン授業映画全国セ ンターの実験学校 を兼 Ⅰ Ⅰ 市民的抵抗の基本思想 ねていたた め に、 この規制 か ら相 対 的 に 自由で 1) 《 覚醒≫ とキ リス ト教倫理 同志 のグループ とい う形 を とるにせ よ、暴力装 あった。つ ま り彼 自身 も制作 に関わ ったセ ンター の作品 を利用す ることがで きた。『 創作 す る生徒た 置 の行使 とは無縁 の一市民 の立場 にある人々がナ ち』以上 にナチ用語 を散 りばめなが らも、第二 の チ体制 を拒否 しさらにその打倒 を も願 うとき、 ま 報告書で彼 は 「 国策映画」の使用 を否定 しこう記 ず とりうる行動 は被迫害ユダヤ人 の国外逃亡 の支 している。「 教育映画 の課題 は、感情 を刺激 させ る 援 に とどまらず、 ドイツ人大衆 の内面 に働 きか け ことで はな く教授 す ることに、興奮 させ情動 をか き立 て ることで はな く、事実 に もとづ (慎重 な見 ることにあるだ ろう。強力 に統制 されたメデ ィア 情報 に幻惑 され、総統神話 に畏怖 す る大衆 の心理 方 を育 て る こ とにあ る」15。 この とき彼 に は ヒ ト 的契機 こそが問われ るか らである。 しか も戦時下 ラー神 化 の ナチ党 大会 記 録 映 画 《 意 思 の勝 利≫ ( 1 9 3 4年)に代表 され る、映像 メデ ィアを総動員 し のばあい、 占領地域 か らの生産物 の収奪や国内に た政治 プロパ ガ ンダに捕われた ドイツ人大衆 の存 0 0万以上 の人々や戦争捕虜 強制連行 された男女 7 たちの使役 によって、つ ま り反 ユダヤ偏見 に加 え、 この言葉 に込 めた思考 の誘 導 と幻惑への抵抗力 い 他国の侵略破壊 と他国民 の隷従 によって築かれた 自らの生活 に疑 いを もたない大衆意識が、ナチ体 わゆるメデ ィア ・リテラシーの意図 も十分汲 み取 制への忠誠心 を育 んでいた 在が念頭 にあった はずである。 それだ けに、彼 が 。 こうした状況 のなかで抵抗者 に残 された方途 は、 れ るように思 う。 しか も彼 は、 改革教育者ベル トール ト・ オ ッ トー の表現 に託 して、「 〈自ら考 えることので きる国民〉 ナチズムの犯罪性 とその事実 を暴露 し指弾す る印 刷物 の配布 とい う孤独 な秘密 の行動 だ けである。 とい う理想像」が 「 子 どもの発達途上 にある能力 共産主義者か らキ リス ト者 まで多様 な思想信条 と を自主性 の入 り口まで、で きれ ばその入 り口を越 社会各層の男女百名余か らなる 《ローテ・ カペ レ≫ える ところまで導 くような教育 によって、 は じめ 0年代初期 の最大規模 の市民 グループで あっ は4 たが、手段 はや は りそ うした ビラやパ ンフレッ ト て実現 され る」 ことを指摘 し、 その 「 唯一 の教育 形式」として映画の積極的役割 を組 み入れた《フォ アハ-ベ ン≫ の意義 を強調 している。つ ま り、 自 分 で立 てた計画 にそって学習 をすすめ、 な しとげ を広範 囲 に配布 し人 々 に知 らしめる ことにあった。 ライ ヒヴ ァイ ン自身結成 に与 った反 ナチ知識人 グ ループ 《クライザ ウ ・グループ≫がわずかに表面 た成果 を次 な る課題 へ と結 びつ ける この教授 -学 に現 した反 ナチ行動 に して も、「 抵抗運動」を呼 び 習方式 は、「 力量 への 自覚」 を生 み、検証 を促 し、 1 9 4 3年 2月) か け る 《白バ ラ≫ の最 後 の ビラ ( さらな る 「 創造への刺激」 と 「 達成 の喜 び」 を生 む、と16。しか もこの ような学習活動 は彼が学童た を、 「ドイツの青年が 目覚 めてい る」 証 として国外 に喧伝 す ることにあった 18。 ち とともに企画 した、上級学年生 の二週間 にわた この ような行動 は要す るに、 ナチ支配 に生 きる る東 プロイセ ンや シュレス ヴ イヒ=ホル スタイ ン ドイツ人 にナチ的価値 の呪縛 すなわ ち陶酔状態か な ど遠方への 「 夏の大旅行」と連結 していた17。 そ wac he n≫ す るよう訴 える ことに尽 き ら《 覚醒 Er れ は実地体験 による世界認識 の端緒 となろう。 ラ イ ヒヴ ァイ ンの意図がナチ体制 を支 える 《指導者 た。 しか し ドイツ教会闘争 を担 う告 白教会 をは じ 原理≫、要す るに自主的 な思考 と批判 力 の無化 に め とす る聖職者たち との連携 のほか支持基盤 のな い行動 は、それが露見 した とき、た とえば 《白バ よって成 り立 つ盲従 の原則 と対極 にあることは、 明 らかである。 ラ≫ をはじめ 《ローテ ・カペ レ≫ な どの諸 グルー プの ように、秘密裡 に壊滅 させ られてい る。《 1 9 4 4 -5 7- Akita University 484 「 教育学研究」第 7 4巻 第 4号 2 0 0 7年 1 2月 年 7月 2 0日事件 ≫( ヒ トラー爆殺 のクーデター未 H.B_ V. 《クライザ ウ≫ の一員 ・外交官へ フテ ン ( 000名以上 の人々の処刑 を 遂事件)は、社会各層 4 はあったが、 そこにいた るまで、市民的 グループ Hae f t e n,1905-1 944) によれば、隣人愛 の戒 めを 核心 にす え人倫 の基本体系 を象 るキ リス ト教 を、 かつての激 しい宗派対立 の長 い歴史 を乗 りこえて が総 じて行動集団で はな く思想集 団の性格 を強 め 人間蔑視 のナチズムの対抗軸 にお くことは、た と たの も、 こうした孤立状態 と苛烈 な弾圧が背景 に い世俗化 した現実世界 にあって も 「 時代錯誤」で ある。 はな く、破壊 と野蛮 の状態 を克服 す る方途 である 市民的 グループを代表す る《クライザ ウ≫( 主要 0名 ・全 員博 士号 取 得)の思想 と行 動 メ ンバー2 対外政策 を構想す る外交官 トロッ ト・ツ ウ ・ゾル は、拙著 で も詳細 に検討 してお り、 ここで は本稿 のテーマに関わ る論点 についてのみ言及 しよう。 ツ ( A. V. Tr o t tz uSol z ,1 909-1 944刑死) に して も、同様 に 「キ リス ト教的正義」 に 「 悪魔 的な現 まず彼 らに とって主た る課題 はナチ的価値 を否定 し、いか に して ヨー ロッパ のなか に新生 ドイツを、 状 を制圧」 し 「 平和 を構築 す るもっ とも重要 な直 とりわ けそれ を担 う人間 を形成す るか にあった。 相対化す る「 神 の国の尺度 」 2 3が、つ ま り権力 にた もってナチ指導部が応 えた抵抗運動 の最終局面で とい う21。 また密か にグループ内で戦後 ドイ ツの 接 の役割Jを兄 いだ してい る22。い まや世俗権力 を ここで は自己 目的化 した国家 とそれへの人 間の一 いす る倫理 の優位性 が必須 と認識 されたのである。 体化 は拒否 され、個 としての人 間の復権 こそが強 (フ リッツ・ バ 人権 の庇護者た りえない《不法国家≫ 調 され る 。 したが って国家 に優先 させて人間存在 が、つ ま りヒ トラーに体現 されたナチ体制 に自己 を同一化 させて生 きる ドイツ人 のあ り方 こそが、 ゥァ-)への反逆 も、これ によって(請首 筋篭 崇) に根 ざす く良心 の蜂起〉 として正 当化 され るであ ろう。 問題 となった。 グループ主宰者 の法律家モル トケ 伯 ( J.Ⅴ.Mo l t ke,1 907-1 945刑死)が 「 精神的覚 醒s pi r i t ualawake ni ng」を反 ナチ運動 のスローガ ン としなが ら、「 戦後 ヨー ロッパ」の中心課題 を「い か に して同胞 の心 の なか に人 間像 を復 元 で きる か」 に求 め、 それが まず もって 「 宗教 ・教育 の問 題」にある と強調 してい ることに19、この ような基 本姿勢が端 的 に表現 されてい る。 そ こで、《覚醒 ≫( モル トケのい う「 精神的覚醒 」 ) についてである。予 め指摘 してお きたいの は、市 民的抵抗者たちが基本的 に反 ナチズム を倫理上の 闘い とみな していた ことである。 それ はおのず と 彼 らの抵抗思想 に、宗教的な性格 と相貌 を付与 す ることに もなった。 この とき彼 らの現前 には、国 家が世俗主義 の徹底 を強 いてキ リス ト教会 を弾圧 しなが らもナチ世界観 を擬似宗教化 し、人権 の探 踊 のみか民族抹殺 にまでつ きすすむ極限の政治的 退廃現象が ある。モル トケの表現 を用 いる と、 そ 2 0にはか れは 「 暴虐 ・恐怖 ・あ らゆる価値 の崩壊 」 な らなか った。 もとよ り彼 らに とって宗教的信仰 は本来、内面 の敬度性 に とどめおかれ る ものでは あった。だが こうした事態 に直面 し、 あ らためて キ リス ト教 とその倫理がナチズム に対抗 しそれ を 克服 す る くよすが) として浮上 した。 ちなみに、 告 白教会 の急進的活動家か ら政治的抵抗者 となっ た親友 の神学者 ボ ンへ ツファー とともに刑死 した 市民的抵抗 が掲 げる 《覚醒≫ のスローガ ンも、 この ような文脈 のなかで理解 で きる。 それ はナチ 国家への盲従か ら目覚 めるだ けでな く、宗教倫理 Th, 的な要求 なのである。法律家 シュテル ツ アー ( St e l t z e r ,1 888-1 9 67. 45年死刑判決)は 《クライザ ウ≫ の生 き残 りのひ とりだが、彼 は人間の尊厳 を 神 との合一 にみ る 《キ リス ト教 ヒューマニズム≫ の立場か ら、これ について簡 潔 に述べてい る。「 指 導者 に帰依 し、 ( 中略)生 の不安か ら解放 され る」 とい う 「 幻想」 に葱かれた大衆 は、再 び 「 人 間」 となるために 「 全体 主義」 のなか に霧消す ること を拒否 し、 キ リス ト教倫理 に 「自 らを取 り戻 す心 の支 え」を認 めて、「 人 がひ とりの人間であること を もう一度学 び直 さね ばな らない」2 4 。市民的抵抗 者 に共有 された この要求 は、 さらにナチ国家 の犯 した蛮行 を 「 我々の生存 中 は償 い きれず、 けっ し て忘れ る こともで きない殺人罪」 とみる 「 麿罪 と 磨 悔 い改 め」の意識 25 ともつなが っていた。 この「 罪」 は 《白バ ラ≫ の最後 の ビラに も込 め られた訴 えだが 26、《クライザ ウ≫の人 々のばあい、戦後 に お ける ドイツ人 の 「 立 ち直 り」の原点で さえあっ た 27。 もっ とも 《覚醒≫ とは、 その本来 の意味か らす れ ば、 日常的生 を超 えるもの に打たれ 目覚 めるこ とであ り、相手 の内面的活動への期待 に とどまる もので はある。 この意味 に即 してい えば、市民的 - 58- Akita University 4 8 5 ドイツ現代史にみる 《 普遍的価値》の再生 抵抗 の運動 目標 は、未遂 に終わ った《7月 2 0日事 粋 な形 で、 『白バ ラ通信』の最初 の ビラが ドイツ人 件≫がむ しろ ドイツ人大衆 の ヒ トラーへの同情 を に 「キ リス ト教的西欧文化 の一員た る責任」 を問 たかめた ように、ナチ国家崩壊 を目前 にして無視 い34、また最後 の ビラで「 新 しい精神 の ヨー ロッパ された に とどまらず、終戦後 も依然 として 目標 の の建設」を男女学生た ちに訴 えるの も35、同様 の意 ままであ りつづ けた。 味である。 したが って、 ここにい う 「ヨー ロ ッパ精神」 な い し 「キ リス ト教的西欧」 には二重 の意図が含 ま 2)《ヨー ロ ッパ精神≫への回帰 と戦後教育 市民的抵抗者が ドイツ人同胞 に 《 覚醒≫ を訴 え れてい る。一 つ は、 ドイツ人 が 自らを同一化 させ た とき、 そ こにはナチ世界観 を全否定 す る基本認 識が ある シュテル ツ ァーの言 を借 りる と、ナチ たナチ的国家主義 を倫理的 に克服せん とす る意 図 世界観 は 「 歴史 と精神的伝統 をつ うじて指 し示 さ イツを再 び ヨー ロ ッパ との和解 に導 き、 さ らには れた ドイツ とヨー ロッパ の進路 を放棄 し、 ( 中略) 国民国家 の制約 を も超 えた ヨー ロッパ世界 を展望 。 であ り、 もう一 つは、西欧世界 か ら疎外 させた ド 他民族 とともに生 きることを不可能 に してい る」 しようとい う意図である。 それ は戦後 ドイツの再 か らである28。 ライ ヒヴ ァインが 《 生存圏≫の教義 建 とヨー ロッパ再 生 を表 現 す る理 念 に他 な らな に対置 させた 《 世界 開放性≫ は、 さらに全欧的枠 を も超 えていた とはいえ、 こうした状況認識 につ か ったのである。 らなる教育上 の対抗思想であった。 ル ツ アー をは じめ市民的抵抗者 たちがナチ支配 に 「 西欧的諸 国民共 同体への復帰」 とは、《クライ ザ ウ≫ の一員 ・憲法学者ベー タース ( H.Pe t e r s , 1 8 9 6 1 9 6 6 、ベル リン大学教授 を経 て ケル ン大 学 ところで 「ヨー ロッパ精神」の復興 は、 シュテ s s e n服 す る同時代 人 を特 徴 づ けた 「 大 衆 人 Ma 「自ら判断 し思考す る力 を欠 く人間 」 ) 36 me ns c h」( の克服 を前提 に してい る。 モル トケのい う 「 人間 長) に よって終戦 直 後 提 唱 され た ス ローガ ンだ 像 の復元」 とは端 的な表現 であったが、 それ はい が 29、 それ は市民 的抵抗者 の共有 す る強烈 な願 望 かなる戦後教育 の展望 と結 びついていたのか。 ラ で もあった。モル トケ夫人 として 《クライザ ウ≫ イ ヒヴ ァイ ンも加 わ って作成 された《クライザ ウ≫ の議論 と構想 の作成 に終始関わ った フライア ・モ 1 9 4 3年 8月 9日)に、 その の『 新秩序 の諸原則 』 ( ル トケ ( 法学博士)が、 グループの 目標が 「 国民 概要 をみ ることがで きる。 それ は こうである 。 国家の克服」 にあった と述べ、 また ライ ヒヴ ァイ まず 「キ リス ト教精神」が 「ドイツ国民 の道徳 ン未亡 人 ローゼ マ リーが 「ク ライ ザ ウの人々 は 的・ 精神的革新、憎悪 と虚偽 の克服」お よび 「ヨー ヨー ロ ッパ的 に物事 を考 えていた」 と回顧 す るの ロ ッパ諸 国民共 同体 の再建 の基礎」 と位置づ け ら も30、その ことを表 してい る。ナチ国家 に ドイ ツ・ れ る。 これ を前提 に、牒欄 された 「 人権 の回復 」 ナ シ ョナ リズムの最悪 の帰結 をみた抵抗者たちに すれ ば、少 な くとも全欧的次元 で思考す ることは 動 のスローガ ンともなった 《覚醒≫ について、 そ 「 人間の尊厳 」「 家族 の再生」が謡われ、 とくに運 当然 で あった し、理 念 的 に は 「ヨー ロッパ 精 神 の教育学的な系論が強調 され る。 つ ま り 「自分 に Eur opae r t um」が復興 されね ばな らなか ったで あ ふ さわ しい教育 を受 ける子 どもの権利」か ら出発 ろう31。 して、学校 は宗教倫理的 に定位 され 「 子 どもの道 しか もベー タースが総括す るように、彼 らは こ 徳的諸能力 を呼 び覚 まし強化すべ き」であ り、「 子 の精神 を象 る ものの根底 に 「キ リス ト教」 を認 め、 どもはその年齢段 階 に求 め られ る能力像 にふ さわ そ こに 「 西欧文化 の最重要の基礎」 も兄 いだ して しい知識 と力量 を身 につける」とともに、「 成長 し いた32。のみな らず それ は、グループの論議が到達 て 自らの責任 で決定で きなければな らない」37。こ した結論で もあった。つ ま り、近代以降の政教分 の文言 にはライ ヒヴァイ ンのい う 《主体的 自己≫ 離論 はナチ国家 の人間蔑視 と退廃 の政治現実 に直 面 して もはや擬制 として しか存在せず、代わ って の格率が投影 されてい る。 ナチの政治 プロパガ ン ダに翻弄 され る ドイツ人 の根強 い臣従意識 か らの 国家 に倫理的基礎 の必要性が確認 され るにいた っ 脱却 ( 政治的 自立 の意識化)が、最大 の戦後課題 た33。 この基本認識 が あったか らこそ彼 らはナチ とされた ことか らも、 この格率 は何 よ り強調 され ズムへの対抗車 由にキ リス ト教倫理 を設定 し、 その ねばな らなか ったであろう。 また宗教倫理的価値 賦活 を も願 っていた。素朴 な表現 であるだ けに純 の再生 とい う基本的立場 か らすれ ば、 ナチ教育 に -5 9- Akita University 486 「 教育学研究」第 7 4巻 第 4号 2 0 0 7年 1 2月 おいて抑圧 された宗教教育 の復興 は不可欠で あっ とい う42。 た し、神話的 に脚色 された ドイツ史像 と総統礼賛 急速 な経済復興 に酔 い しれナチズムへの反省 を に彩 られた歴史教育 の全面的改編 も、政治的責任 失 った西 ドイツ社会 についてく 悲 しむ能力 の欠如) 意識 を育 む うえで必須 となった38。 を批判 し、「 記憶 を取 り戻 す」よう訴 えたの は精神 記憶 」 分析学者 A.ミッチ ャー リッヒ43 だが、この「 如上 の論点 は、市民的抵抗 において展望 された 戦後教育 の骨格 をな してい る。 と同時 にそ こに窺 われ るのは、賦活 したくキ リス ト教的伝統〉 ( キリ ス ト教的宗教倫理)といわゆる ( 近代精神〉 ( 個と しての 自律) とが掬 い交ぜ になって追求 され る戦 後 ドイツ像であ る。 それ はナチ独裁制 の深刻 な体 験が生 み出 した特異 な像である。 もっ とも、再 出 発 した戦後 ドイ ツ、 とくに前文 に 「 神及 び人間の 前での責任 を自覚 し、統合 された ヨー ロ ッパ の対 の抑圧が抵抗運動 に無理解 な態度 を も生 んでいた。 《7月 20日事件≫の遺族 たちの回想録 44 には、彼 ら の疎外感 と生 き残 った同志や友人 たちの援助 で切 り抜 けた窮乏生活、彼 ら遺族 に優先 させた一般戦 争未亡人たちの年金受給 が語 られてい る。終戦直 後各地 にナチ被迫害犠牲者 たちの 自助組織 がつ く 944年 7月 2 0日事件救援機関≫が代表的 られ 、《1 等 の構成員」た ることを宣言 し、第 1条 に 「 人間 組織 として活発 な活動 をお こな う背景 には45、 こ うした彼 らの逆境が ある。 それだ けにナチ国家 に の尊厳 の保護 を国家権力 の義務」 として養 う基本 法39体制下 の西 ドイツについてみれば、抵抗運動 私財 を没収 された彼 ら遺族 への公的補償、 とりわ け抵抗運動 の認知 は 《もう一 つの ドイツ≫ の証 と に唱導 された こうした理念 は孤立 して とらえられ して最大 の行動 目標 となった。彼 らが展示や記録 ず、む しろ戦後 ドイツのあ りようを先取 して さえ 文書 の刊行、 その他新聞雑誌映画 な ど各種 メデ ィ い る40。 アを通 じ不断 にその事実 を社会 に訴 え、政治 に も 働 きか けたゆえんである。 952年 3月司法が《7 この ような状況 にあって 1 ⅢⅠ 反ナチ運動 の復権 と政治教育 1)反 ナチ運動教材化への道 - 《レ-マ-裁判≫ 月 20日事件≫に下 した判 断 は、抵抗運動 の復権 を 1 945年 5月以降、英米仏 ソ 4カ国 占領軍政下 の 決定づ けるもの となった。《レ-マ-裁判≫として ドイツに課 されたテーマ は、 ナチ的国家価値 の否 知 られ る裁 判 の概 要 は こうで あ る。復 古 的 な ミ 定 と民主主義 の会得 にあった。だが ドイツ人が ま 949年 1 0月 に旧ナチ党員たちに リュ- を受 けて 1 ず直面 したのは、崩壊 した国家 において ( 生 き延 よ り結 成 され た ネ オ ナ チ の 「 社 会 主義 国家 覚 び る) とい うかつて体験 しなか った現実である SRP」 は、51年 5月 ニーダーザ クセ ン州 選 挙 で ハ イデルベル ク大学 に復職 したヤスパースが連続 11 % の票数 を獲得 し議会 の第 4党 になるな ど、支 持 を広 めていた4 6 。 しか も予 て よ り党首 へ ドラー 。 1 945/46年)の冒頭 で、「 ( 人々が極度 の生 講義 ( 活苦 のなかで)罪 とか、過去 とかい うことは聞 き た くない、 ( 中略)この上 なお罪 を着せ られた りす は抵抗運動 を非難 し、シュレスヴイヒエホルスタイ る法 はない、とで もいった気分が、む しろみなぎっ 標的 に裏切 り者 と侮辱 していた。加 えて二代 目党 てい る」41 と述 べてい るのは、そ うした現実の心的 首 レ-マ-はゲ ッベルスの下で 1 945-47年)シュテル ツ ァー を ン州首相 を務 めた ( 《7月 20日事件≫ 状況 を指 してい る。実際、 ナチス暴虐 を ドイツ人 を鎮圧 した功 によ り少佐か ら少将 に特進 した人物 の共 同責任 とす る 《 集 団の罪≫ の弾劾が大方の不 だが、彼 も抵抗者 たちを上述 の選挙集会 で 「 外国 満 と反発 を買 い、罪責問題 に背 を向 けた戦後初期 の ミリュ- は、 よ く知 られている。 しか も連合 国 か ら金 を もらった国家反逆者」 とまで激 し く誹誘 0月 20日には、ナチ 管理理事会指令 によ り 45年 1 この極右政党 の禁止 を決意 していた連邦 内相 ロベ CDU・戦時期抵抗 グループに参加) ル ト・レ-ア ( ス期 に政治的人種的 それ に宗教的な理 由で有罪 と なった人々の復権が措置 されたが、西側地 区のば あい、抵抗者や国外亡命者 を 「 裏切 り者」 とす る 見方が定着 していた。 ア レンスバ ッハ世論研究所 した。建 国 まもない西 ドイツの信用失墜 に連 なる と 《クライザ ウ≫ の遺族 ・関係者たちの告訴 を得 て、 ブラウンシュヴ ァイクの主席検事 フ リッツ ・ 1 949年 5月)以 の調査 によれ ば、西 ドイツ誕生 ( バ ウア-が 「 故人 の思い出の侮辱 と名誉穀損」 の か どで レ-マ- を起訴 し有罪 に持 ち込 んだのが、 95 0年代 を通 じて、ナチズムに理解 を示 し抵抗 降1 《レ-マ-裁判≫ である。 運動 に否定的で あった回答者 は半数 を占めていた ー6 0- 《クライザ ウ≫ の一員で連邦難民相ハ ンス・ ルカ Akita University ドイツ現代史にみる 《 普遍的価値≫の再生 487 シェク ( 1 885-1 96 0、44年逮捕、CDU)を含 む 23 冷戦 の最 中にあって末だ左翼 の抵抗運動 は無視 さ 名 の証言 と多数 の専門的鑑定か らなるこの非公開 れていたが、公式 に 「7月 20日の人々」は裏切 り の格印か ら解放 された。 もっ とも、ユダヤ系のた の裁判 47 は、内外 の注 目を集 めてい る。ここでバ ウ ア-が基調 にす えたのは 「7月 20日の人 々」の行 動が 「 真 のキ リス ト教的、政治的責任 の証」であ めナチによる判事職 の罷免 と北欧亡命 の経験 を も つバ ウア一についてみ ると、以後 の活動が 《アウ り、「 法 と政治権力 の限界 を新 た に熟慮す るよう促 シュヴィッツ裁判≫ に注がれてお り、彼 の真 の狙 してい る」 とい う道徳 神 学 的観 点 の鑑 定意 見 で いはレ-マ一個人 の断罪 にで はな く 「ナチ体制 を あった。彼 は論告 において、 まず ヒ トラーへの無 条件服従 の宣誓 は無効 であ るだ けでな くヨー ロッ 告発 す ること」 にあったであろう50。 パ の文化 と道徳律 に反 し、また 1 0年間の時限立法 た る全権委任法 自体 1 943年 3月 には失効 してい 形成 の啓発 をめざす政治教育 のあ りように も影響 当然 なが ら抵抗運動 の復権 は、国民の政治意識 を与 えてい る。1 952年か ら 54年 にか けてお こな 《7月 20日 われたテオ ドア・ ホイス初代大統領 の、 た ことを強調す る。 また国家反逆 とい う非難 にた い して「7月 20日には ドイ ツ国民 は完全 に自分 た 事件≫記念式典 や (良心の蜂起)の意義 を説 くベ ちの政府 に裏切 られてお り、 そ うした事態 のなか ル リン自由大学 での講演 な ど国民向 けの一連 の啓 で国民 は もはや国家反逆罪 の対象た りえない」 と い う。その上で、「 人権 が保 障 されている法治国家」 蒙活動 は、上記 の 《 救援機 関≫ と連携 しマスコ ミ では 「 抵抗権」は存在 しない にして も、「日々何万 的 な模範 として意義 づ ける端緒 となった51。 それ 」 を巻 き込 んですすめ られ、抵抗運動 を政治的道徳 正義が 日常的 に損 人 もの殺人 を犯 してい る国家 「 は反ナチ行動 を後世 に記憶 させ る 「 民主主義の教 なわれてい る不法国家」で は、誰 にで も- 当然 5 2となったのである。で はいかなる形 において 材」 被迫害ユダヤ人 に も- 「 正 当防衛 の権利 」と 「 抵 か。 月 20日の行動」 抗権」が あ り、 その限 りで は は 「国家反逆罪」で はなか った、む しろ彼 らが 「 国 2)政治的歴史教育 としての抵抗運動 「 7 まず指摘 してお くことがある。 それ は、西 ドイ 民 の名」 において 「自由権 の回復 と基本的人権 の ツの戦後 の政治教育が、ナチズム体験 に懲 りて政 ために闘 った こと」 を認 め るべ きであ る、 と。 レ-マ一に禁固 3カ月の有罪 を下 したブラウン 治的関心 を喪失 した国民 に啓蒙活動 をお こない政 シュヴ ァイク上級地方裁判所の判決 はい う。1 944 治参加 を促 すための政府機関 と、再建 された学校 年 7月の状況 はヒ トラー体制 の排除 を不可避的 に 教育 との両面か らなされた ことである。政府機 関 求 めていたのであ り とは、1 952年 11月内務省管轄下 に創設 された連 損 なお うとしたので はな く、救 お うとした。彼 ら 邦祖国奉仕 セ ンター ( 1 963年以降連邦政治教育 セ ンター と改称)で あって、活動 の中心 は民主主義 、「 7 月 20日の人々」 は国 を は 「 祖 国愛 と無私の 自己犠牲 に もとづ く国民への 責任意識」か ら行動 したのである48。 この ように見 て くる と、《レ-マ-裁判≫におい て強調 され る自然法的立場 か らの抵抗者 の宗教倫 理 的、政治的責任 の立論 は、≪クライザ ウ≫の反 ナ チ抵抗 の論拠 とほぼ同一線上 にあることが分 か る。 付言すれ ば、 ここで は自由 と正義 の理想 に献身す 普及 を目的 に時事 問題 や現代史 (とくにワイマル 期 とナチス期) をテーマ とした出版 ・広報活動 で ある53。 そのため 《レ-マ-裁判≫を契機 に 《7月 20日事件≫も、セ ンター発足時 には集 中的 に刊行 雑誌 の恰好 の題材 として取 り上 げ られ、重要テー マ となっている54。 ( M.ヴィロー リ)49 が、 ナチ 問題 は学校教育 とくに歴史教育 を教科 にお く中 独裁制 に代わ る戦後民主制 を基礎づ けるために援 等学校 である。先述 の ように 《クライザ ウ≫の構 用 されている。 このばあい、国家 の役割 は ( 祖国 想 で は歴史教育 に政治教育的課題がつ よ く期待 さ 愛) に表現 された基本 的-普遍 的価値 の庇護 にあ れたが、 そ うした考 えは西側 占領軍政下で再開 さ れた各州 の歴史教育 に、濃淡 はあるにせ よ受 け継 るく 祖 国愛)の普遍性 り、 そ こにまた 《国家的価値≫ も収赦 され ること になるだ ろう。 がれている。 ここではその積極事例 として、ヘ ッ ところで この裁判 の判決 は、週刊新聞 『ツ ァイ ( 歴史教育 において)氏 セ ン州憲法 ( 1 94 6年)が 「 ト』 をは じめ として言論界 に肯定的 に受 け とめ ら 主的国家の基礎 を脅 かす考 え方が黙認 されてはな れ、世論形成 に も大 きな力 となった。5 0年代東西 らない」 ことを謡 い、同州 の 「 全学校用歴史教授 - 61- Akita University 488 「 教育学研究」第 7 4巻 第 4号 2 0 0 7年 1 2月 こうした変化 を先導 してい るの は 『 学問 と授業 要綱」 ( 1 949年)も「ドイツが新 ヨー ロ ッパ と諸 国 民 の平和的な世界共 同体 の一員 とな ることを妨害 す る一切 の傾 向」 を否 定 して い る こ とを挙 げ よ の歴史』であって、現代史教育 として とくに 《7 月 20日事件≫を授業 でお こな う意味 も検証 されて いる。た とえば 1 964年の同誌掲載 の論稿 は「国家 う55。 こうして歴史教師 には、新 たに政治的歴史教育 権力 にたいす る抵抗」 をテーマに、国家 とは何か の課題 が背負わ され ることになった。 自身反 ナチ 組織 に与 した ブラウ ンシュヴ ァイ クの S PD系歴 の問いを立 て 「 人間存在」があ らゆる国家的秩序 史学者ゲオル ク ・エ ツカー トを中心 とす る ドイツ 人間の尊厳 な どの諸原則 に拠 らない政治思想 を服 教員連盟研究会 ( 1 948年)や キール大学 のカール・ 従、秩序愛 な どと同様 に二次的な もの とす る。 こ を最終的 に意義づ ける ものであ り、正義 ・自由 ・ エル トマ ン らに よる ドイ ツ歴 史 教 員連 盟 ( 1 95 0 7月 20日の抵抗者たち」 は 「非人 れ を前提 に、「 午) は、 こうした要請 を受 けて活動 してい る。前 間的なる ものに反対 す る最終責任」に促 されて「 人 者 は歴史教育 が 「 効果的な政治教育 の必要条件」 権 の回復 のための良心 の蜂起」 として行動 した こ と、「 抵抗権」は こうした「 人間の道徳 的 自己決定 」 たる 「 政治的役割」を担 い、「 現代史」が その重要 な視点 となること、「 過去 にたいす る生徒 の開かれ お よび 「 責任意識」か ら論拠づ けられ るのであ り、 1 951年) に纏 めてい る。 論集 『 現代 の歴史教育 』 ( 「 正義 の実現 としての抵抗権」はけっ して 「 暴君 の 拭逆」で はない、モル トケが民族裁判所長官 フラ イスラーの判決 にあ くまで「ひ とりのキ リス ト者 」 また後者 も専門的機関誌 『 学問 と授業 の歴史』 の 定期刊行 をつ うじて自覚的 にナチズム を検討対象 徳的宗教的 に理 由づ けられた正義の実現」が重要 に し、政治的歴史教育 の実践的研究 を先導す る役 であった こと、 さ らに 「 西欧的民主主義」 は 「 服 割 を担 ってい く56。 従」 にで はな く 「 抵抗権」 の上 に構築 され るし、 た問題関心」 を援助 し 「自主的 な問い と思考 を育 て る教育」 を目標 にすべ きことを強調 し、 これ を として対略 した ように、「ドイツ抵抗運動」で は「 道 そ こでナチズム とくに抵抗運動 の位置づ けにつ それ ゆえ市民的 「 不服従」 ない し 「 市民的勇気」 いてである。 占領体制下 で認可 された 『 諸 国民 の の意味 を問 うことが政治教育 に意味が あること、 追- ドイツの諸学校用歴史教科書』( 1 948/49年) この ように強調 され る60。 上 に述べた ような 「 抵抗権 」の意味づ けは、検 は上述 の動静 を反映 した最初 のモデル教科書だが、 3頁 にわた って 「ナチ独裁」の章 同書第 4巻 には 1 事バ ウア-の論 旨に即 しさ らにそれ を展開 させた が立 て られ、強制収容所やユダヤ人 の迫害、教会 もの となっている。4年後 の 1 968年、基本法第 20 闘争、 さ らに 《7月 20日事件≫が記述 され て い る。だが 「ナチ独裁」がい まだ歴史学の研究 には 未熟す ぎ直近 の過去 のため もあってか、事実の列 「すべて ドイツ人 はこの 条第 4項 は規定 してい る。 秩序 ( 憲法的秩序) を排除す ることを企図す る何 挙 の域 に とどまってお り、 まして事件 の叙述 はわ ずか 1行 だ けである57。この軽視傾 向 は、1 951年刊 不可能 な場合 には、抵抗 す る権利 を有す る」61。 こ こにい う 「 抵抗権」がバ ウア-の論告 を起点 に し 行の 『 歴 史 の基 本 的特徴』 にお い て も同様 で あ てお り、 したが って反 ナチ運動 にその原像が ある る58。政治的歴史教育 の指針 が提 示 された に もか ことは明 らかであろう62。 人 に対 して も、 その他 の救済手段 を用い ることが かわ らず、5 0年代教育界 の実際 は復古 の ミリュ一 に埋 もれていた。 こうした歴史教育 のあ りかたが 見直 されナチ支配 の過去が本格的 に教材化 され る のは、ユダヤ人墓地荒 らしな ど若者 によるネオナ むすび 以上、教育 の歴史研究 の立場 か ら反 ナチ運動 に 焦点づ けて、《 普遍的価値≫の再生 について言及 し チ事件 が多発 し社会 ・政 治 問題化 す る 60年代 に て きた。反 ナチ運動 は現代史研究の領域 として旧 なってか らであ る ( 1 962年の常設全国文相会議 に 西 ドイツを中心 に彪大 な蓄積が ある。 ファシズム よる 「 授 業 に お け る全 体 主 義 の 取 り扱 い の 指 克服 の国家 として建 国 を宣言 した東 ドイツにたい ) 。反共的立場 に拠 って《7月 20日事件≫や《白 針」 バ ラ運動≫ にほぼ限定 されていた とはい え、抵抗 来 を防御 す る課題 を負わ された西 ドイツのばあい、 運動 もようや く政治的歴史教育 の対 象 として浮上 してい る59。 し、 ナチ独裁 の後継 国家 の事実 を記憶 させ その再 ナチズム研究 に加 えナチ支配 の対抗 モデル として 抵抗運動 を研究対象化す る必要が、 いわ ば歴史政 - 62- Akita University 4 8 9 ドイツ現代史 にみる 《 普遍的価値≫の再生 策 的 に も必要 になっていたか らであ る。本稿 は、 潮流 をなす世俗化 とは対照的 な、戦後西 ドイツ固 その蓄積 された成果 の一部 を、特集 テーマ にそっ 有 のキ リス ト教 ・キ リス ト教教育 の再生 の原風景 て きわ めて限定 した形 で言及 した もので あ る が ここにあ る。 。 こ 最後 に反 ナチ運動 の復権 についてみ る と、 それ の ばあい着眼点 にす えたの は、市民的抵抗者 た ち に とってナ シ ョナ リズム とミリタ リズムの伝統 的 を推進 したの は抵抗 グループの生存者や遺族 たち 系譜 が 《不法国家≫ に頑落 した事 態 を眼前 に して、 であった こ とで あ る。《もう一 つの ドイツ≫とはナ 国家 に優先 す る人 間的価値 をいか に復元 させ さ ら チ体制 に抵抗 し迫害 された彼 らの (生) を意義 づ に人 間形成論 的 に内面化 させ るかが、不可避 の行 動課題 となった こ とで ある。 こう着眼す る ことで が、占領期 は もとよ り 5 0年代 まで依然国民 の冷笑 け、 それ を戦後社会 に訴 えるス ローガ ンで あった ライ ヒヴ ァイ ンの実践 を嘱矢 とす る反 ナチ運動 と と無視 が根強 か った。 同時代 に生 きる者 として、 戦後 にお ける継承 の問題 は、教育研究 として三領 かたや死 を もって反 ナチ抵抗 に臨 み、 かたやナチ 域 に組 み立 て られた。 共犯 の罪責 を負わ され る とき、人 々 は自省 で はな そ こで、表題 にい う 《普遍 的価値≫ の実体 につ く( 忘却 す る こ と) に逃 げ道 を兄 いだ しただ ろ う いてで あ る。 これ を本論 の順序 にそって整理総括 か ら64。 したが って反 ナチ運動 の復権 は政 治 と司 しよう。 法 に よって先導 され るはかなか った。 この とき、 まず ライ ヒヴ ァイ ンの く 抵抗 の教育実践 ) につ ネオナチ政党 の躍進 を契機 とした《レ-マ-裁判≫ いてみ る と、 その主眼 は、 ナチ世界観 に安 易 に適 は、重要 な役割 を果 たす もので あ る。 と同時 にそ 応 しない子 どもの 自己形成力 をたかめ る ことにあ れ は抵抗運動 を公式 に 〈良心 の蜂起) と位置づ け る。 この とき真理感覚 の育成 は必須 の要素 とな る る、 のちの政治的啓蒙へ の転機 ともなってい る。 が、寒村 テ ィー フェンゼ-の狭 い生活圏か ら子 ど それだ けで はない。 そ こに提起 された 「 抵抗権 」 もを開かれた世界認識 へ と導 くことは、方法的原 は、戦後政治教育 の新 た なキー ワー ドとなった こ 則 で あった。 その意味 において、《主体 的 自己≫は とであ る。 これ をあ らた めて本稿 の主題 に即 して 《 世界 開放性≫を前提 に し、 また両者 は相補 的関係 表現す る と、「 抵抗権 」 とは 「 市民的勇気」によっ にあ る。 この教育 的格率 は、彼 が 《クライザ ウ≫ て裏 づ け られ、ナチ支配 の洗礼 を経 て再確認 され メ ンバ ー として戦後教育 の構想 づ くりに関わ るに た 《普遍 的価値≫ を闇明 した言葉 なのであ る。 お よんで、教育案 に繰 り込 まれ る ことになった。 証 と りわ け抵抗者 たちの共有 す る行動 目標 が ナチ的 価値 の呪縛 か らの 《覚醒≫ にあった ことか らすれ ば、 それ は当然 の帰結 となったで あ ろ う。 1 フィヒテ著、大津康訳 『ドイツ国民 に告 ぐ』特 2 に第八講 以下参照、岩波書 店 1 9 8 8年。 I ngeSc hol l :Di e We i BeRo s e ,Fr a nkf ur t / M. 1 9 5 5,S.7 7 つ ぎに市民 的抵抗者 の立場 につ いてい えば、反 ナチズム は彼 らに倫理 的闘 い として 自覚 され、 し たが ってその主張 もつ よ く宗教倫理 的性格 を帯 び てい る ことで あ る。 た しか に、 ナチ独裁 の体制 に 3 筆者 はすで に 『ナチズム ・抵抗運動 ・戦後教育 - 「 過去 の克服」の原風景』 ( 昭和堂 2 0 0 6年) 生 きなが ら自己 の確信 によって行動す るばあい、 それ を支 える究極 の規範 に信仰倫理 が あ った こと において、反 ナチ抵抗運動 を起点 に戦後教育 ま は、遺 された手紙 63 な どに も窺 い知 る ことがで き で を対象 とした包括 的 な ドイ ツ現代教育 史の再 る。 だが さ らに重要 なの は、彼 らがナチズム に人 構成 を試 みてい る。本稿 は この叙述 をふ まえな 間蔑視 の絶対 的 な悪 を認 めた とき、 その克服 の方 が らも、 ナチズム克服 の視 点か ら「 普遍 的価値 」 途 をや は りキ リス ト教倫理 の復興 に求 めた ことで の再 生 とい う局面 を新 た な論点 として究 明す る あ る。本文 で言及 した ように 《覚醒≫ の要求 が根 もので菱) る。 底 において 《キ リス ト教 ヒューマニズム≫ に もと 4 詳細 について は、前掲拙著所収 の文献 目録、 お づ く人 間性 の回復 にあった こ と、 さ らにナチ に牒 よび同書 3 29 8頁。最近 ライ ヒヴ ァイ ンの思想 潤 された ヨー ロ ッパ との和解 を 「キ リス ト教 的西 と教育実践 の反 ナチの性格 を否定 し、彼 をナチ 欧文化 の一員」 としての復帰 に願 った ことは、 そ 同調者 とみ るホ-マ ン女史 の著作 が刊行 された。 うした彼 らの基本的立場 を表 してい る。現代史 の それ を ここで論評 す る余地 はないが、彼 の教育 -6 3- Akita University 490 「 教育学研究」第 7 4巻 第 4号 2 0 0 7年 1 2月 実践 に隠 された反 ナチズム的カム フラー ジュの 21 側面 にたいす る視点が全 く欠如 してい ることだ r i s t i neHo hma nn:Di e nけは指摘 してお く。Ch s t b ar e sBe gl e i t e nunds pd ' t e rWl ' de r s t and.De r nat i o nal e So z i al i s t Adol f Re i c hz t ) e i n i m Nat i o nal s o z i al i s mu s ,BadHe i l br unn2007. 5 23 24 媒体概念 を中心 に して - 」( 『 秋 田大学教育文 2集 2007年 3月所収)参 化学部研究紀要』第 6 照。 郷土 に 「 民族的連帯感」の源泉 をみるシュプラ 1 923年)は、 そ ンガーの 『 郷土科の陶冶価値 』 ( の代表例 である。 7 P.I ngwe r s e n:Bi l dun gs pl an a u fl and s c h a f t l i c he rGr undl a geundz ' m Ge s amt unt e r r i c htf i i r di eOb e r s t u fed e rLa nd s c hul e ,Be r l i n1936,S. 7. 上掲拙著 、7 7-7 9頁。 8 1 7 8-1 79. とくに この理念 の思想史的分析 として、池田全 ヴ ァル ター ・ベ ンヤ ミンの De ut s c heLands c hul e ,i n:Re i c hwe i n,Au s ge i e n, Pade r bor n wd ' hl t e pd ' da go gi s c he Sc hnj 1 978,S.97. Adol f Re i c hwe i n: Sc ha j f e nde s Sc hul u ol k, Br a uns c hwe i g1951,S.47-48. 10 d i t o.S.1 4. 11とくに この局面 の実証的叙述 として、 A. He s s e : Di e Pr o fe s s or en und Doze nt e n der Pr e u Bi s c he n PL i da go gi s c he n Akade mi e n (192611933) u nd Ho c h s c hul e nf i i rLe hr e r b i l dun g( 1933-1941 ),We i nhe i m1 995. 12 Ad ol fRe i c hwe i n:Fi l mi nde rSc hul e ,Br auns c hwe i g1967,S.25-26. 13 d i t o.S.24,S.37,S.50152.池 田前掲論文 、 3 9 - 33 39 40 高橋和之編 『 世界憲法集』 ( 新版)岩波書 店 2 007 年 、1 66-1 67貢。 この局面 は拙著 のテーマであ り、言及 を避 ける。 唯一宗教教育 の側面か らの新 たな研究成果 とし て遠藤孝夫 「ドイツ占領期 ライ ンラン ト・プフア di t o.S.1 8. 15 d i t o.S.64. 16 d i t o.S.22-23. ル ツ州憲法 と宗教教育 の復権 」( 弘前大学教育学 部紀要 7号 2007年 3月所収)が挙 げ られ 第9 る 。 Adol fRe i c hwe i n: Sc h a jf en T de sSc hul u ol k, S. 59. la w. E. Wi nt er hage r ( bear bei t et ) : De r Kr e i s aue rKr e i s .Po r t 7 1 d ' te i ne r Wl ' de r s t and s 17 20 拙著、第 Ⅰ Ⅰ章第 Ⅰ Ⅰ Ⅰ 節参照。 Ⅰ ngeSc hol l:α.α.0. ,S.77. 35 d i t o .S.95. 36 T h.St e l z e r :α.α.0. ,S.8 . 37 G e rvanRoo m:α.α.0. ,S.561 ,S.543. 38 d i t o.S.544. 34 14 gr u P Pe ,Be r l i n1985,S.1 41. M.Bal f our /J .Fr i s by:He l muty o nMo l t ke .A Le ade ra gai ns tHl ' t l e r,London 1972,p.1841 85. Ge rva nRoom:a.a .0. ,S.488. Th_ St e l z e r : Vo n de ut s c he r Po l i t i k. Do - k ume nt e ,Auf s b ' t z eund Vor t r l b ' ge ,Fr a nkf ur t / M.1 949,S.64. 25 B .R.vonOppe n( Hr s g. ) :He l mutJ ame su o n Mo l t k e .Br i e f eanFr e y a1639-1945.Mi i nc he n 1 988,S.278. 26 I ngeSc hol l :α.α.0. ,S.95. 27 B .R.Ⅴ.Oppe n( Hr s g. ) :α.α.0. ,S.278. 28 T h.St e l z e r :α.α.0. ,S.82. 29 H.P e t e r s :Zwi s c he n Ge s t e r n und Mor ge n, Be r l i n1946,S.46. SO X.H.Ro t h/ A.Ebbi ng ha us( Hr s g. ) :Ro t e Ka pe l l e n-Kr e i s a ue rKr e i s e -Sc hu ) we eKa Pe l l e n,Hambur g2004,S,231. 31 e b e nd a. 32 d i t o.S.54. 貢。 19 Wl ' de r s t and s b e we gun g,Mi i nc he n1 967,S.488. Cl ar i t av.Tr o t tz uSol z :Ad am y o nTr o t tz u r l i n1994, S. So l z .Ei neLe b e ns b e s c hr e i b un g,Be 之 「 1 930年代 ドイツにお ける ( 世界 開放性〉を め ぐる思想模様 - 6 22 Ge rvanRoo m:Ne uo r dmmg i m Wl ' de r s t and. De rKr e i s a ue rKr e i si nne r h al bde rde ut s c he n 41 カール ・ヤスパ ース、橋本文男訳 『 戦争 の罪 を 問 う』 ( 平凡社 1 998年)44-45頁。 P. St e i nbac h: Wi der s t andf or s c hung i m pol i t i s c he nSpa nnungs f e l d,i n, P. St e i nbac h/ ∫ . Tuc he l( Hr s g. ) : Wi de r s t and ge ge n de n r l i n1 994,S.5 97. Nat i o nal s o z i al i s mus,Be 43 A. &M. ミッチ ャー リッヒ、林 ・馬場訳 『 喪われ 42 た悲哀』河出書房 1 97 2年 、8 8頁。 di t o .p.1 84. - 64- Akita University ドイツ現代史にみる 《 普遍的価値≫の再生 44 45 た とえば A.De r t i nge r :He l de nt b ' c ht e r,Bonn 演説 ( いわ ゆる 「 荒れ野 の 4 0年 」 ) は、公民教 1 9 97 . 育 の読本 として使用 されている。 詳細 については Ch.To ykaSe i d:Gr al s ht i t e r , Not gemei ns chaf t oder ges el l s c haf t l i c he " Pr e s s ur eGr oup" ?Di e St i f t ung " Hi l f s we r k hkr i e gs j a hr z e hnt , 2 0.J ul i1 9 4 4"i me r s t e nNac i n,Ge r dR.Ue be r s c ha r( Hr s g. ) :De r20.Jul i 1944,KOl n1 9 9 4,S.1 5 7 f f . 46 ア メ リカ高等弁務 官組織 の世論 調 査部 が 1 9 51 年1 0月、西 ドイツ国民 1 2 0 0名 にお こなった面 3 %で あ 接 調査 に よれ ば、 この党 の支持 者 は 1 F.V.Ar e t i n:Di eEnk e lde s20.Jul i1 94 4, Le i pz i g2 0 0 6 ,S.6 5 . 53 詳細 については B.Wi dmai e r : Di e Bunde s 52 2 e nt 7 1 al ef i j rPol i t i s c heBi l dun g.Ei n Be i t y l a g z urGe s c hi c ht es t a at l i c he rpo l i t i s c he rBi l dun g i nde rBunde s 7 唾ub l i kDe ut s c hk z nd, Fr a nkf ur t / M.1 9 8 7 . 54 d i t o.S.4 4 f f . 55 る。A.J.Me r r i t t / R.L.Me r r i t t( e di t ed) : Pub l i c( 妙i ni o ni n Se mi s o u e r e i gn Ge r many. The HI COG Sur v e ys ,1 94911 955.Ur bana 1 9 8 0,p.1 4 7. 47 裁判 の記録 については、H. Kr a us( Hr s g. ) :Di e i m Br auns c hu ) e i ge r Re me r Pr o z e Be r s t at t e t e n mo 7 1 al t he o l o gi s c he n und hi s t o r i s c he n Gut a c ht e nne b s tUr t e i l ,Hambur g1 9 5 3を参照。 48 裁半胴こかんす る以上 の叙述 はクラウスの裁半帽己 録 のほか、主 に次の著作 に拠 っているが、個別 s s e r mann: Re c ht , の 注 は省 略 した。R. Wa Ge wal t , Wl ' de r s t a nd.Vo r t y l b ' geund Au f s dt z e , Be r l i n1 9 8 5,S.3 6 6 4 .P.Re i c he l :Ve 7 gan ge nhe i t s b ewd ' l t i gun g i n De ut s c hl and , Mt i nc he n 2 0 01 ,S.97 -1 0 6.( 邦訳 『ドイツ 過去 の克服 』 八 朔社 2 0 0 6年) 49 Ma ur i z i oVi r ol i :Fo rl o v eo f Co unt 7 y.An Es s a yo nPat r i o t i s m and Nat i o nal i s m,1 9 95 . ( 邦訳 『 パ トリオテ ィズム とナ シ ョナ リズム』日 本経済評論社 2 0 0 7年) 50 4 91 R.Wa s s e r mann:Wi de r s t andal sRe c ht pr ob- 1 e m.i n,Ge r dR.Ue be r s c ha r( Hr s g. ) :a .a.0. , S.2 0 9. 51 P ,St ei nbac h:Wi de r s t andi m Dr i t t e nRe i c hhkr i e gs de mokr at i e ,i n/ . di eKei mz e l l ede rNac Ge r dR.Ue be r s c har( Hr s g. ) :a.a.0. ,S.9 0 f f . ホイス以降、国民向 けの広義 の政治教育 は歴代 大統領 の伝統的役割 となってい る。西ベル リン 市長時代ベル リン抵抗記念館 の拡充 につ とめた P.Har t i g:Ge s c hi c ht s unt e r r i c ht ,St aatund eSamml un g,5.J g.1 9 5 0, Wi s s e ns c haf t ,i n,Di S.1 8 5 . U. Maye r : Ge s c hi c ht s di dakt i kundGe s c hi c ht s unt e r r i c hti nde rNac hkr i e gs z e i t( 1 9 4 5 1 9 5 3 ) , i n,K.Be r gmann/ G.Sc hne i de r( Hr s g. ) :Ge s e l l s c h a f t ,St o at ,Ge s c hi c ht s unt e r r i c ht ,Gb t t i nge n 1 9 8 2 ,S.3 6 3 1 3 7 0 . 57 Ar be i t s ge me i ns c haf tBe r l i ne rGe s c hi c ht s l e hgede r Vb ' l ke r .Ge s c hi c ht s b uc h r e r( Hr s g. ) :We f i i rde ut s c he nSc hul e n,Be r l i n/ Hanno ve r1 9 4 8 1 9 4 9 . 56 H.Me ye ru.a. :Gr und z i i gede r Ge s c hi c ht e , Fr ankf ur t / M.1 9 51. 59 Ha ns J o c he n Mar kmann:De r2 0.J ul i1 9 4 4 und de r de ut s c he Wi de r s t and ge ge n de n Na t i o nal s oz i al i s mus i n de n Sc hul bt i c he r n 58 be i de rde ut s c he rSt aat e n,i n,Ge r dR.Ue be r s c ha r( Hr s g. ) :a.a.0. ,S.1 4 4 f f . 60 H. Mt i l l e r :De rWi de r s t andge ge ndi eSt aat s ge wal tal sGe ge ns t andpol i t i s c he rBi l dung, i n, Ge s c hi c ht ei n Wi s s e ns c h a j iund Unt e r r i c ht , Vol1 5 ,1 9 6 4 ,S. 4 61 4 71. 61 高橋和之編、前掲書 、1 8 1頁。 62 P .St e i nbac h:a.a.0. ,S.9 2 9 3 . 63 ここでは とくに H. Poe l c hau:Di el e t z t e nSt unr l i n1 9 4 9 .を挙 げてお く。 de n,Be 64 A. As s ma nn:De rl an geSc h at t e nde rVe 7 gange nhe i t _Er i nne r un gs kul t ur und Ge s c hi c ht s Pol i t i k,Mt i nc he n2 0 0 6,S.1 1 2 . 0周 年 ヴ ァイ ツゼ ッカー大統領 の有名 な終戦 4 一6 5- Akita University 492 4 9 2 The Japanese Journal of Educational Research 74 4.42007 Th e J a pa n e s e J o u r na lo f Ed u c a t i o n a lRe s e a r c hVol. Vo l .7 4No. No 2 0 0 7 Regeneration of f" "Universal Values" Regener at i ono Uni ver s al Val ues" ini Contemporary German History nC ont empor ar yG er manHi s t or y TSUSHIMA, Tatsuo (Akita University) TSUSHI MA, Tat s uo ( Aki t aU ni v e r s i t y) AANazi autocracy wasas born in n1 1933, and it t Naz iaut oc r ac yw bor ni 9 3 3 ,a ndi that the power of f the state was s isi well known s wel l knownt hat t hep o we ro t hes t a t ewa deified by yNazi ideology. unide i f i e db Naz ii de ol o gy.Nevertheless, Ne ve r t he l e s s , uni versal values were never abandoned, and we ve r s alval ue swe r ene ve ra bandone d,a ndwe cannot forget this. article isi going c annotf or ge tt hi s .This Thi sa r t i c l e sg oi ngtot o clarify how universal values that the Naziz c l ar i f yh owthe t heu ni ve r s al val ue st ha t t heNa i nation denied were able to have original meannat i onde ni e dwe r ea bl et oha veor i gi nalme anandndh how ing in nt thehea anti-Nazi movement i ngi nt i Naz i mo ve me nta o wthey t he y were revived after the war again in Germany. we r er e vi vedaf t e rt hewara gai ni nGe r many. The author clarifies this problem three Thea ut hor cl ar i f i e s t hi s pr o bl e mthrough t hr ought hr e e points throughout this article. poi nt s t hr oughout t hi sa r t i c l e. The first isi that the educational practice ofof The f i r s t s t hat t he e duc at i o na lpr a c t i c e thehee elementary Adolf Reichwein (1898-1944) ini Adol f Rei c hwei n( 1 8 9 8 1 9 4 4 ) nt l e me nt a r y school (Landvolksschule) Tiefensee isi perfor( Landu ol k s s c hul e ) Ti e f e ns e e sp e r f or s c hool with all basic thought centered on antimed medwi t hal lbas i ct ho ughtc e nt e r e do na nt i principal objective ofo his instrucNazism. Naz i s m.The The pr i nc i pa lo b j e c t i ve fhi s i ns t r uct i ona lac t i vi t i e s wa s or ai s e t he s e l f f or ma t i on was tot raise the self-formation tional activities (Selbstkraft) of the children who did not effect t( Se l b s t ky l a f t )oft hec hi l dr e nwhodi dno t e f f e c adapt tot theheNa Naziz view ofof the world easily. adapt ot ivi e w t he wor l de a s i l y.InI n br i e fi o s t e rame nt alb as ef rt brief it tw wasast to of foster a mental base foro thehe Selbstjormung). independent self (subjective i nde pe nde nt s e l f( s ubj e c t i ve Se l b s t f or mun g) . Therefore, he fostered this ini children living in n The r e f or e ,hef os t e r e dt hi s nc hi l d r e nl i vi ngi the small sphere of f the village of f Tiefensee by y t hes mal ls phe r eo t hev i l l ageo Ti e f e ns e eb them to the very large outside world inviting i nvi t i ngt he mt ot heve r yl ar geout s i dewo r l d them thehe recognition of f anano open and leading andl eadi ngt he mtot ot r e c o gni t i ono pe n The independent self and the existence world. wor l d_ Thei nde pe nde nts e l fa ndt hee xi s t e nc e tot thehe world ( Weltoffenheit) are not ofof openness l Ve l t o j f e nhe i t )ar e not ope nne s s ot wo r l d( only principles ofof anti-Nazi education, but also onl yp r i nci pl e s ant i Naz ie duc at i o n ,but al s o important in the present age. i mpor t anti nt hepr e s e nta ge . The second is s that the anti-N aziz thought ofof The s e condi t hat t he ant i Na it hought the resistance movement ofof the citizenry took t her e s i s t anc emo ve me nt t hec i t i z e nr yt ook ononthe religious t hebasic bas i ccharacter c ha r ac t e rofof r e l i gi ousethics. e t hi c s . When thehe thinking of f the civil resistance recogWhe nt t hi nki ngo t he c i vi lr e s i s t a nc e r e c o gthat the Chrisnized absolute evil, they realized ni z e da bs ol ut e e vi l , t he yr e al i z e d t ha t t he Chr i s t i ane t hi cw t heme t hodn e e de dt ve r c ome tian ethic wasas the method needed to oo overcome tried to oa awaken theheG Germans Nazism. Naz i s m.They The yt r i e dt wake nt e r mans who hadadb become believers ini Nazism whoho whoh e c omeb e l i e ve r s nNa z i s mand andw theheNa Naziz system the spell of Nazi obeyed o be ye dt is ys t e munder unde r t he s pe l lof Naz i values, and at the base of this effort was the val ue s ,anda tt heba s eoft hi se f f o r twast he human nature based Christian revival of fh r e vi valo uman na t ur eb as e donon Chr i s t i a n toward a Ger-e humanism. addition, huma ni s m.InI na ddi t i o naiming ,ai mi ngt owa r daG r 一 man nation after the Nazi collapse and Eurma nnat i o naf t e rt heNaz ic ol l aps ea ndEur they raised thehe concept ofof opean reconciliation, ope anr e c o nc i l i at i o n , t he yr ai s e dt c o nc e pt "European mind" (Europaertum) and an ni idea of f ( Eur o pd ' e r t um) anda de ao " Eur ope a nm i nd" "Christian Europe". " Chr i s t i anEur ope" . Thet hi r di hat t hea nt i Naz i mo ve me nt The third is st that the anti-Nazi movement was finally reevaluated after the war in the wasf i nal l yr e e val ua t e daf t e rt hewa ri nt he 1950's 1 9 5 0 ' sand a ndreinstated. r e i ns t a t e d.InI nthe t hebackground, bac kgr ound, there were manynya actions tot demand this recogt he r ew e r ema c t i o ns od e ma ndt hi s r e c o gthe movement by German society nition of ni t i on oft he mo ve me ntby Ge r ma ns oc i e t y f r omthe t he s ur vi vor s and be r e a ve df ami l i e s ft he from survivors and bereaved families ofothe resistance groups. ItI wasa an na action to op prove tw sa c t i o nt r o ve r e s i s t anc eg r o ups . the existence of another Germany (das andere t hee xi s t e nc eo fano t he rGe r many( da sande r e thehej judgment of f Deutschland). De ut s c hl and) .Furthermore, Fur t he r mo r e ,t udgme nto the "Remer trial" of f1 1952 hadadd decisive influt he" Re me rt r i al "o 9 5 2h e c i s i vei nf l uHereby the anti-Nazi movement was ence. e nc e. He r e by t he ant i Naz imo ve me ntwas finally officially a "Revolt of f f i nal l yrecognized r e c o gni z e d of f i c i al l yasa sa " Re vol to Conscience". Co ns c i e nc e" .The Theprinciple pr i nc i pl eofo flaw l awtheory t he or y referred to as the "right to resist" which proser e f e r r e dt oa st he" r i ghtt or e s i s t "whi c hpr os ecutor Fritz Bauer (1903-1968) propounded ata c ut orF r i t zB aue r( 1 9 0 3 1 9 6 8 )p r opo unde d t this trial became the keyword of political edut hi st r i albe c amet heke ywor do fpol i t i c ale ducation the c at i onafter af t e rthe t he1960's. 1 9 6 0 ' S .Furthermore, Fur t he r mor e, t he "right tot resist" isi aa word to o express the univer" r i ght o r e s i s t " s wo r dt e xpr e s s t he uni ve r sal values reaffirmed through the experience of s alval ue sr e a f f i r me dt hr o ught hee xpe r i e nc eof Naz i r ul e. Nazi rule. Key words: anti-Nazi / political Ke yw or ds : a nt i Naz imovement move me nt/ pol i t i cal history / spiritual / hi s t or yeducation e duc a t i on/ s pi r i t ualawakening awake ni ng/ Remer trial/right tot resist Re me r t r i al/ r i ght or e s i s t -66ー6 6