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ESRI−経済政策フォーラム 日本21世紀ビジョンシリーズ 「2030年の国と地方」

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ESRI−経済政策フォーラム 日本21世紀ビジョンシリーズ 「2030年の国と地方」
ESRI−経済政策フォーラム
日本21世紀ビジョンシリーズ
「2030年の国と地方」
平成17年3月30日
経済社会総合研究所
ESRI−経済政策フォ−ラム
日本21世紀ビジョンシリーズ
「2030年の国と地方」
議事録
-----------------------------------------------------------------------------------経済社会総合研究所
ESRI−経済政策フォ−ラム
日本21世紀ビジョンシリーズ
「2030年の国と地方」議事次第
日時:
平成17年3月30日(月)14:00−16:30
会場:
アークアカデミーヒルズ36
1.開
アカデミーホール
会
2.基調講演:
西尾
勝
国際基督教大学大学院教授(第27次地方制度調査会副会長)
3.パネルディスカッション
(パネリスト)
西尾
勝
国際基督教大学大学院教授(第27次地方制度調査会副会長)
古川
康
佐賀県知事
森
貞述
愛知県高浜市長
藻谷
浩介
日本政策投資銀行地域企画部参事役
[日本21世紀ビジョン生活・地域ワーキング・グループ委員]
NPO法人地域経営支援ネットワーク理事
土居
丈朗
慶應義塾大学経済学部助教授
内閣府経済社会総合研究所客員研究員
(モデレータ)
杉田
伸樹
内閣府経済社会総合研究所総務部長
4.会場との質疑応答
本議事録は、フォーラム事務局の責任において作成したものであり、ありうべき誤りはフ
ォーラム出席者に属するものではない。
−1−
○司会
本日はお忙しいところをお越しいただきましてありがとうございます。
ただいまから、ESRI−経済政策フォーラム
日本21世紀ビジョンシリーズ「2030年の国
と地方」を始めさせていただきたいと思います。
現在、経済財政諮問会議におきまして、2030年の日本の経済社会の姿を見据えました日本21
世紀ビジョンを検討しておりまして、今回のフォーラムはこの事業の策定作業の一環として行
わせていただきたいと、そういうものでございます。このフォーラムにおきましては、2030年
に向けて、厳しい環境が予想される中で、豊かな地域社会づくりに資する地方分権はどうある
べきか、真に地方が個性を発揮できるような効果的な地方分権のあり方について討議を行うも
のでございます。
それでは、議事次第に従いまして、まず基調講演から始めさせていただきたいと存じます。
申しわけありません。議事次第の肩書がちょっと間違っておりまして、国際基督教大学大学
院教授の西尾勝様から基調講演をお願いいたします。よろしくお願いします。
○西尾
ご紹介いただきました国際基督教大学の西尾勝でございます。
20分間というわずかな時間で基調講演をせよと言われたのは、今回が初めてであります。国
と地方のあり方という巨大なテーマを与えられているわけでありますけれども、この国と地方、
あるいは国と自治体と言うべきかもしれませんが、あり方ということになれば、地方自治制度
の問題でありまして、人口の予測とか技術革新の予測といったような話ではなくて、制度設計
の話でありますから、基本的にはいかにあるべきかという規範論的な立場から議論することに
なるんだろうと思います。
私は1995年から2001年まで、通算6年間地方分権推進委員会の委員といたしまして、いわゆ
る第1次分権改革の実現にかかわってまいりましたので、私の立場は依然として未完に終わっ
ているこの分権改革をさらに第2次分権改革、第3次分権改革という形で完成させ、日本の社
会を分権型社会にするというのが私の夢であるわけであります。したがって、きょうもそうい
う立場からお話しを申し上げることになります。
まずは、基礎自治体である市町村というのをどう考えるべきかというところでありますけれ
ども、ご承知のとおり現在平成の市町村合併と言われるものが進行中であるわけでありますが、
合併の第1幕の期限が1年延長されまして、明年の3月までがいわば第1幕ということになっ
ておりまして、今中間段階でのいろいろ予測が新聞などにも出ておりますけれども、恐らくは
来年の3月末の時点で1,900という数を少し割るようなところまで行くのかなというふうに思
っております。
−2−
しかし、当初社民党、共産党を除く当時の各党は市町村合併をいずれも与野党を超えて推進
論者でありまして、各党の政策綱領などにその目標を掲げていたわけですけれども、おおむね
1,000にまで統合することを目指すべきだというふうに各政党は言っておられたわけでありま
す。この1,000という数字から見れば、依然としてまだほど遠い段階にあるわけであります。
その問題もございますけれども、今進んでいる市町村合併につきましては、大ざっぱな言い
方として西高東低の傾向にあるという言い方がなされています。西日本の各県で比較的大まじ
めに進捗しているのに対して、東日本では動きが鈍いという、こういう意味であります。現に
北海道、東北各県、関東の各県の中には、余り合併が進んでいないという府県があるわけであ
ります。このままで市町村合併を終息させますと、東西非常にねじれた形のまま終わってしま
うのではないかという危惧がございまして、市町村合併の第2幕をやらざるを得ないのではな
いかという判断に立っております。したがって、もうしばらく第2弾、第2幕が続くのであろ
うと思います。
既に国会を通しましたいわゆる合併3法の措置に従って、今後も進められていくことになり
ますけれども、これまでのような合併特例債のような措置は一切ありません。したがって、そ
の第2幕でどこまで合併が進むのかは甚だ疑問のところがございます。ただ、地方財政は一層
厳しくなってきておりますし、地方交付税総額の縮小ということは起こらざるを得ないのでは
ないかというふうに思います。そうだとしますと、地方交付税総額の削減に伴って、小さな町
村に配られてくる地方交付税交付金が徐々に、徐々に縮小していくということになりますと、
これに耐えられないという町村がさらに出てくる可能性がございます。したがって、合併3法
による措置というよりも、財政状況からまた合併に踏み切っていくという町村がある程度は出
てくるのではないかという気がいたします。
しかし、第2幕まで終わったといたしましても、私は1,500という数を割ることはないので
はないかというふうに思っております。ここをどう考えるかというのが一つの問題であります
けれども、私は各党が1,000を目標にせよと言ったのがまた何の根拠もない数字でありまして、
無理やり1,000にする必要などはないのではないかというふうに考えております。1,500程度、
あるいは1,600程度で終わったのならば、それが最終の姿だと理解すべきではないか、それ以
上市町村合併を強行する必要は全くないのではないかと、こう考えております。
当時、自由党は第1段階ではおおむね1,000、第2段階に300というラディカルなことをおっ
しゃっていたわけでありますけれども、その種の発想は私は無理だというふうに思います。全
く賛成しがたいというふうに思います。したがって、1,500であれ1,600であれ、落ち着いた形
−3−
になりましたならば、当分日本の社会はその市町村を抱えて国民生活を維持していくという覚
悟を決めるべきなのではないかと思っております。
しかし、この1,500であれ1,600であれ、その中に人口規模が極めて少ない町村というのが依
然としてかなりの数残らざるを得ません。この中には、合併はしないと明確に宣言をして、そ
の道を選んでいる町村と合併を模索したのだけれども、どこにも受け入れてもらえないで孤立
しているという町村もありますし、まじめに合併を考えようとしなかったという町村もあるわ
けでありますが、ともあれ小さな町村が依然として相当な数残ることになります。片や合併を
どんどん進めまして、大体市並みの人口規模になったという町村と小さな町村といわば市町村
が二極分化をしていくという姿になるのではないだろうかと思っています。この小さな町村を
今後どうしていくのかということが基礎自治体においては最大の問題点ではないかと思います。
私はどんなに合併を進めるとしても、合併しても余り意味のない町村というのは現にあるわ
けであります。典型は外界離島のようなものでありまして、島ごとに一つの村を形成している
という姿、伊豆諸島でありますとか沖縄の先島諸島でありますとかというところが典型であり
ますが、こうした島を一つの町村にまとめ直してみたとしても、余り意味はないと私は思って
いるわけです。そういうところは自然に残るだろうと。そして、またそれとある程度近い姿と
して山奥の山村というものがあります。特に冬になり積雪状態になりますと、事実上外界から
孤立しているという、そういう山村もあるわけでありまして、典型は奈良県の十津川村みたい
な村ではないかというふうに思っているわけでありますが、その種の村というのも山奥にもあ
るわけであります。そこで、こうした町村というのはいずれにしろ残っていくわけでありまし
て、そこの自治というものをどう考えていくのかということが重要なことであります。私はそ
の町村の自治を大事にしていくべきなのではないかと思っています。
その際、これまでの論理は基礎自治体で市町村である限りはおしなべてこれだけの仕事はし
なさいと国の法令が義務づけてきているものがたくさんあったわけでありますが、それが処理
できないというのならば合併して体力を強化しなさいという論理で進められてきているわけで
すけれども、私は今回の合併でそういう論理は終わりにすべきではないかと思っています。
そこで、どうするかといえば、国が義務づけている事務を軽減していって、もう少しそんな
難しい仕事を小さな町村に課すという、義務づけるということをやめていくべきなのではない
か。自治体にはみずからの意思で自由にやれる仕事、任意的な事務と国から押しつけられて義
務的にやらなければならない事務とありますが、自治体がみずからの判断で任意にやる仕事は
何も削減するつもりはありません。自治権を完全に与えて、どうぞご自由におやりくださいと
−4−
いう世界になりますが、国が義務づけてやらせている仕事をもう少し軽くしていくべきではな
いかと、こう思っております。
しかし、そこに住んでいる住民から見れば、どこかからそのサービスを受けなければならな
いということでありますから、町村が担わないということになれば、それをさらに包括してい
る広域自治体がその責任を負うべきであるというのが私の考え方であります。そういう意味で、
小さな町村に対しては、現在であれば都道府県でありますが、さらにそれがもし道州というこ
とになるのならば、道州という広域的自治体が市町村部分を完全に補完していく責任があるの
ではないかと、こういう考え方をしております。
さて、次は広域自治体の話であります。
平成の市町村合併が来年の3月で一段落いたしますと、恐らく今度は広域自治体のさらなる
広域化という課題が登場することになるだろうと思っています。一般的に市町村合併が進んで、
都道府県の管内の市町村数が減っていくと、そのときに従来よりも数が少なくなった市町村を
包括している都道府県にどれだけの存在意義があるのかという議論もありますけれども、直接
の引き金になるのは恐らく政令指定都市や中核市というかなり県から大幅な権限委譲を受ける
大都市ですね。この大都市を県内に複数持つような県が出てくる。そうすると、そういう県で
は県庁に残る仕事というのがだんだん空洞化していくわけであります。典型は神奈川県である
とか大阪府であるとか、あるいは静岡県であるとかといったようなところかと思いますが、そ
ういう例が出てくる。そうすると、果たして神奈川県を依然として維持していく必要があるの
かとか、大阪府という存在を維持していく理由があるのかという問題が深刻な問題となって出
てきます。
全国47都道府県に一斉にそういう問題が起こるとは私は思っていないのですけれども、若干
のところでそれが深刻な問題になって出てしまいます。そうすると、そこをどうするかという
話から始まって、全国の都道府県体制を一体どうすればいいのという議論に勢いなるであろう
と、こう思っています。
既に2003年に行われましたさきの総選挙の際には、自由民主党の政権公約、民主党のマニュ
フェストにはいずれも道州制の導入または検討ということが明記されているわけであります。
国会議員の世界では、市町村合併の次は道州制という、こういう空気が既に充満し始めている
わけであります。そして、また経済財政諮問会議から地方制度調査会に対しては、都道府県の
再編成または道州制について今から検討せよというご下命を受けているわけです。したがって、
第27次地方制度調査会、第28次地方制度調査会と続けまして、この都道府県の再編成、あるい
−5−
は道州制という問題について今審議を続けているところであります。私自身としては、道州制
の実現というのは極めて困難な問題でございますので、差し当たりは都道府県の再編成という
ことを模索していくのが一番無難な道ではないかという考え方を個人的にはしています。
話は少し飛びますが、市町村間では広域処理、広域行政というのはいろいろな形で活発に全
国行われているのですけれども、都道府県間にはほとんどないんですね。不思議なぐらいない
んですね。もちろん首都圏サミットという場で、自動車の排ガス規制などということが1都3
県共通の課題として推進されておりましたし、北東北3県がさまざまな連携を始めておりまし
たり、それから最近は法定外目的税の創設ということで、産廃税を各県並んでやりましょうと
いう動きであるとか、あるいはこれからもっと広がりそうなのは森林環境税のようなものをあ
る地域一斉に足並みそろえてやりましょうといったような動きは徐々に出始めていますけれど
も、市町村レベルに比べれば都道府県間の連携というのは極めて立ちおくれているわけです。
まずはこの都道府県間の広域連携をいろいろな形で進め、必要ならば広域連合を都道府県で
結成するというようなことも試みる。そうしたことが行われていく過程で、だんだんに都道府
県の合併、統合という機運が生まれてくるというのが正常な無難な手順ではないかと私は思っ
ています。しかし、先ほども申し上げましたように、そんな悠長なことを待ってはいられない
という空気が政界にはあるわけでありまして、一挙に道州制の実現を目指すべきだという動き
があります。これが都道府県関係者の思いもよらぬ速度で一挙に政治課題になってくる可能性
もなきにしもあらずでありますので、地方制度調査会ではそのための準備をしていると、こう
いうことになります。
そこで、道州制という議論についてでありますが、私は道州制が分権改革をさらに促進する
ような形の道州制であれば、これを将来の目標とすることに反対すべき理由はないと考えてい
るわけです。しかし、やっかいなことに道州制というのは極めて危険な議論であるわけです。
これは戦前からあった構想でありますし、戦後も各種の審議会やら団体から提言がなされてい
ます。同じように道州制という言葉を使ってきましたけれども、一つ一つの構想の中身は全部
別物、違うものであったわけであります。したがって、道州制とは何かと問われて答えられる
人は1人もいないわけです。それぞれの方が勝手に自分の頭の中で描いていらっしゃる道州制
イメージに従って、道州制をやるべきだとおっしゃっているわけですね。したがって、道州制
というものの議論がなされていきますと、分権改革に逆行する逆コースの改革、もう一度集権
化をしようという改革になるおそれもありますし、分権改革をさらに促進する改革にもなり得
るという、そういうやっかいな代物であるわけです。
−6−
道州制を巡っては無数の論点があるのでありますが、一番大事なことは、新たにつくられる
道州というものの団体の性格が何なのかということであります。これまで出てまいりました議
論をかいつまんで整理すれば、連邦制国家を構成する単位としての州を念頭に置いている構想、
これが第1です。
第2番目は国の第一級地方統合出先機関のことを道州と呼んでいるという構想です。
第3番目は国の第一級地方統合出先機関プラス広域自治体という国と自治体の融合型のもの
を考えているという構想です。これは戦前の府県に近いものだとお考えいただければいいかと
思います。官治団体であるけれども、同時に若干自治体でもあるという、こういうものが戦前
の府県であったわけですが、そういうものを再現しようというのが第3番目の類型であります。
第4番目は既に都道府県という広域自治体があるのですが、これよりも管轄区域が原則とし
て広いもう一つの広域自治体として道州というものを設けようと、こういう発想です。フラン
スの場合はコミューンがあり、デパルトマンがあり、その上にレジオンがさらにつくられてい
るわけですが、このように府県というものをなくすのではなくて、その上に道というものを新
たにつくるという三層構造の自治構造、そういう構想が4番目の類型としてあります。
最後に5番目に、現在の広域自治体である都道府県を廃止をして、これにかえて新しい広域
自治体として道州を設けましょうというのが第5番目の類型です。最後の2つは広域自治体で
あるという位置づけです。
こういう5類型が過去ありましたけれども、これから道州制を実現するのであれば、道州は
広域的自治体であるべきであるということをまず明確にすることが大事だと、こう考えており
ます。しかし、この点に社会的合意は成り立っておりません。自由民主党の道州制議連などで
議論されているような私案の中にはこうではないものがたくさんまだ議論されているのであっ
て、これは当然そうなるという前提は立てにくいわけです。地方制度調査会が広域自治体でな
ければならないと強調しているのは、そうではない動きがあるから強調しているんですね。そ
の点はまず第1の大問題です。
第2番目は、これを都道府県制から道州制に移行していくにしても、どういう手続で進める
のかということであります。一方には、道州制設置法のような法律をつくって、ある年、ある
月、ある日に一斉に都道府県を廃止して、これにかえて道州を設置してしまうというようなこ
とを何となく思っていらっしゃる方がいらっしゃる。それは、憲法上許されることかもしれま
せんし、現在の地方自治法には都道府県の廃置分合は法律でこれを定めることになっているわ
けですから、これに従えばそれでいけるという話になるわけです。
−7−
しかし、こういう手続で国会の一方的な意思でつくられた団体が果たして自治体としての体
質と気概を持ったものになるだろうかということを私は問いたいわけです。絶対自治体らしい
ものにはならない。したがって、自治体らしいものをつくるのならば、現在の都道府県の人た
ちの協議と合意を基礎にして、新しい団体をつくっていくべきではないかと、こう考えている
わけです。市町村合併の場合も協議をし、合意書をつくって、そして合併をしていくわけです
が、類似の手続が踏まれるべきではないかということです。しかし、そうだとしますと、これ
はある日一斉に全国道州制に移行するなどということはあり得ない話になります。話がまとま
った地域から、順次条件の整ったところから道州制に移行するというプロセスにならざるを得
ないのではないか。むしろその方が分権的な道州制を実現していく道なのではないかと私は思
っています。
もう1点、3番目に重要な点は道州制といったとたんに全国どこの道州も全く同じ仕組みで、
同じ権限の範囲であるべきなのかという問題であります。私はそうはならないのではないかと
いうふうに思っておりまして、道州制を考えるときにはいわば標準型の道州制というものはこ
ういうものだとまず決めることが重要ですけれども、標準型にはより得ない地域が出るのでは
ないかと思っています。
これには2つのタイプがありまして、1つは現在の区域のまま道州制への移行を希望する北
海道という地域、あるいは沖縄県も同じことを希望するのではないだろうかと思うわけです。
その場合には、ここは特別今までも手厚い行財政特例をしてきている地域でありまして、道州
制に移るときにも特別な扱いが必要になる地域ではないかと思っているわけです。これが1つ
のタイプです。
もう一つは実は大都市圏であります。東京圏をどうするか。ひょっとしたら大阪圏もそれに
準じるかもしれませんけれども、少なくとも東京圏をどうするのかというのは巨大な難しい問
題でありまして、ここではほかの道州とは違う形態を考えざるを得ないのではないかというふ
うに思っておりまして、道州制というのは一律画一的なものではなくて、多様な道州制という
ことをあらかじめ考えておくべきではないか。広い意味では、一国多制度を実現するという観
点で考えていかないといいものはできないのではないかと考えている次第です。
ちょっともう時間が超過していますので、これで終わりにします。
○司会
どうもありがとうございました。
それでは、パネルディスカッションに移りたいと存じます。
パネリストの皆様はご登壇をお願いいたします。
−8−
まず、パネリストの方々のご紹介をいたしたいと思います。
今、基調講演をお願いいたしました西尾勝様には、このままパネリストとしてもご参加をお
願いいたします。
そのお隣ですが、佐賀県知事の古川康様でいらっしゃいます。
愛知県高浜市長の森貞述様でいらっしゃいます。
日本政策投資銀行地域企画部参事役の藻谷浩介様でいらっしゃいます。
慶応義塾大学経済学部助教授の土居丈朗様でいらっしゃいます。
モデレータは内閣府経済社会総合研究所の杉田伸樹総務部長が務めます。
それでは、杉田部長、お願いいたします。
○杉田
それでは、これよりパネルディスカッションに入ります。
パネルディスカッションの運びにつきまして、最初にちょっとご説明させていただきますと、
最初に古川知事、森市長、藻谷参事役、土居助教授、それぞれの方々からプレゼンテーション
をしていただきまして、その後西尾教授に簡単なコメントをしていただく、その後にテーマ別
にディスカッションを行うこととしております。最後に時間がございましたらば、フロアから
のご質問も受けて質疑応答というような運びでまいりたいと考えております。
それでは、早速でございますけれども、冒頭のプレゼンテーションで、まず最初に古川知事
様からよろしくお願いいたします。10分程度でよろしくお願いいたします。
○古川
改めまして皆さん、こんにちは。佐賀県知事の古川康でございます。
この中にも何人かいらっしゃるようなんですけれども、この季節になると花粉症というやっ
かいな病気があります。特に今年はそれが多いということで問題になっているんですけれども、
かつて今から数十年前にたくさんクスノキやヒノキの木を植えた時代があります。それがすく
すくと成長し過ぎまして、今や本当はそれをどんどん使っていく時代に来ているわけですけれ
ども、残念なことに我が国では今、外材の方がメーンになっていまして、なかなか伐採が進ま
ないということもあって、そういう状況になっているのかなというふうに思っております。多
くの自治体でもやっていることですけれども、今佐賀県でもできるだけ地元にある木を使って、
いろいろなものを作っていきましょうと、そういう運動を進めています。
例えば、そのような運動を進めていく中で、こんな相談がありました。「今度、補助金をも
らって特別養護老人ホームをつくるんです。県の方でも、できるだけ県産材、国産材を使おう
という運動をされているので、そういう木のぬくもりのする特別養護老人ホームをつくってみ
たい。お年寄りも、リノリウムの床みたいなものじゃなくて、できれば自宅の延長のようなホ
−9−
ームの方がいいのではなかろうかと、そんなふうに思って考えた」という話がありました。
大変いいことだと思いました。「いいじゃないの」といって調べてみたら、建築基準法上も
オーケーでした。これはいけるのではないかと思って相談しましたところ、実は補助金をいた
だく官庁側の方から「それでは困る」という答えが来ました。「木造建築は火事に遭ったとき
にお年寄りが逃げられない。だから、鉄筋にしなさい」という指導でした。「そのご指導に根
拠はあるんですか」と聞いたところ「法令に根拠はありません。もしつくるならつくっても構
いませんが、補助金は出ませんよ」ということでした。補助金の交付要綱に「鉄筋でなければ
いけない。どうしても木造にしたければ、1階にしか人を住まわせてはいけない。」こう書い
てあるんですね。そういうことで、結局はあきらめて、普通の鉄筋のものができました。
私たちが思うのは、こういうことまで果たして霞ケ関で決めなくちゃいけないんだろうかと
いうことなんです。私たちが思っている2030年というのは、こういう国による余計なお世話が
なくなる時代だろうというふうに思っています。また、一方で我々自治体側も罪なしとは言え
ません。何かあると補助金がつけばすぐに予算がつく、何かがあると市町村はとにかくすぐに
県に相談してみようとか、県は国にちょっと話をしてみようとか、何かあるとすぐにそんなふ
うにして頼ろうとする、そういうふうなことを我々も反省しなくてはいけないと思います。
2030年というのは、我々から見ても地方がすぐに泣きつくということをやめている、そういう
時代でぜひありたい、このように思いながら話を進めさせていただきたいと思います。
今、西尾先生から非常に刺激的な基調講演がありまして、私も聞きながら一生懸命いろいろ
メモをとりました。確かにこれから市町村合併の次に来るものは、広域自治体として都道府県
がどうなってくのかということが恐らく具体的な検討の俎上になっていくだろうと思っており
ます。2021年という年を我々はキーイヤーだと思っています。何のキーイヤーかというと、こ
れは1871年の廃藩置県から150年の節目に当たる年であります。廃藩置県以来、74年たって
1945年を迎えました。明治時代につくられた地方自治制度といいましょうか、内政制度がその
年をもって一つの区切りになりました。その同じく七十数年、その後に軸をずらしますと、そ
れが2021年になります。廃藩置県制度ができて150年たって、その時点でまた新しい制度が構
築され、スタートするということは、決しておかしくないのではないかと考えております。逆
に言えば、よくもまあ戦後つくった制度で六十数年もってきたなと思っています。
私はかつて自治省という役所にお世話になっておりました。当時地方自治法をつくった先輩
方のお話を聞けば、古い建物で、旧内務省以来の建物で、七輪でサンマを焼きながら条文を書
いていた。当時は進駐軍の許可がないと法律がつくれなかったから、条文をつくっては進駐軍
−10−
の方に協議に行っていたみたいな話を聞いています。いわばかすとりみたいな焼酎を飲みなが
ら、わずかな期間でわずかな人数でつくり上げた制度にしてはよくもっているというのが正直
なところではないかと思っています。
この2030年に向けて、我々はさまざまな改革を進めていかなければいけないと思っているの
ですけれども、そういうときにこの2030年の社会として私が描いているイメージは、これまで
のようなもっともっとという社会ではなくて、もういいだろう、もうよかろうという、足るを
知る社会、知足社会というイメージです。先般、この21世紀ビジョンの中の一部が事務局の方
のお話によると、漏れ出てしまったらしいんですけれども、私は大変いいことをされているな
と思いながら見ていました。そこにもとにかく右肩上がり信仰、経済一辺倒からそうでないも
のに価値観が移るのではないかという指摘がありましたけれども、私も全くそのように思いま
す。足ることを知る社会というのは、決して我々は経験したことがないわけではなく、かつて
の我が国というのは本質的にそういう文化を持っていた国であると思います。最近、もったい
ないという言葉を国際語にしましょうという運動がありますけれども、我が国の文化はもとも
とそういうものであったというふうに思っています。
これからのキーワードは「美和個」だと私は言っています。私は佐賀県知事であって、滋賀
県知事ではないのですが、ちなみに時々間違われるんですけれども、その「美和個」というの
は、「び」は美しさの「美」であります。これまで効率とか主権というものが先に立っていっ
てしまって、我が国は例えばものの姿にしても、景観にしても、とても美しいとは言えない状
態になってしまいました。幕末に開港した後に我が国を訪れた外国人の書物を読むことが何回
もありますが、一様に我が国の風景の美しさに非常に驚いています。それは、当時は法律とい
うものはなかったにせよ、地域での決まりの中で許される範囲で人々は看板をつくり、建物を
立て、そういうことをやっていったわけであります。それがその後非常に主権が強調される時
代になり、今ももちろんそうあるわけですけれども、そういう中で残念なことにパブリックな
美しさ、そしてまた我が国が我が国として家の中で持っていたそういう美しさ、こういったも
のを若干失っているような気がしています。2030年をめがけては、そういう美しさというもの
をもう一度取り戻す時代ではなかろうかと思っています。
「わ」というのは平和の「和」であり、調和の「和」であります。我が国はもともと大和の
国であります。大いなる和と書きます。17条の憲法にも第1条は「和をもって尊しとなす」と
あります。でも、これが残念ながら今の我が国は「和をもって」というよりは「われがわれが
をもって尊しとなす」といった風潮もあります。こうしたものを環境との調和、世界との調和
−11−
というものを含めて、どういう形で自分たちを溶け込ませていくかということが強調されてい
くのではないかと考えています。
最後の「こ」というのは個人の「個」であります。恐らくこれまでのように、国が大きな政
府として日本社会の隅々に至るまで国の財政資金を振りまくことができるような時代はもう遠
い昔になってしまったと思います。であるとするならば、これまで以上に地域間格差が出てく
るであろうということは、ある程度許容せざるを得ないと思います。しかしながら、私はその
地域間格差なるもの以上に、実は個人間格差というものがもっと出てくるのではないかと思い
ます。例えば、農業は厳しい、厳しいと言われていますけれども、一般的に見ればそういう厳
しい状態の中でも非常にいい農業の仕方で収益を上げておられる方も一定の数おられます。そ
ういうふうに農業だから厳しい、地方だからだめというのではなくて、この人はよくやってい
る、この人はあまりよくはやれていない、そういうふうなものが出てくるのではないかと思い
ます。
地方に仕事がなくなるんじゃないか、そういう不安は私の中にもあります。私も日々の仕事
の中では、どうやって佐賀県の人たちに将来性のあるいい仕事についていただくか、そういう
産業をどうやって振興させるかということに夢中です。しかしながら、佐賀県の人はまだ幸せ
です。仮に佐賀県に仕事がないと思えば、東京に行けば何とかなるかもしれない、そんなふう
に思います。でも、もしこれから先東京に住んでいる人が東京で仕事がないと思ったときに、
その方たちはどこに行けばいいんでしょうかというふうなことを考えれば、まだちょっと旅す
るだけで仕事があるという状態は幸せなのかなというふうなことを思ったりしています。
そういう私が思うところの2030年は、決して悲観的なものではなく、これからの頑張りよう
によってはいろいろな意味で全体ではなくて、一つ一つの地域や個人が輝いていく、そういう
時代になるのだと思います。
私からは以上であります。(拍手)
○杉田
どうもありがとうございました。
それでは、引き続きまして森市長様からお願いいたします。
○森
愛知県高浜市長の森でございます。愛知県高浜市といっても、皆様方は思い浮かばない
かもしれません。13平方キロ、4万1,161人という、とりわけもともとの地場産業であります
屋根瓦、そして今日本の代表的な企業であります自動車産業の関連企業が立地をする、そうい
うまちでございます。
その中で、実は昨29日、総務省によって地方行政改革の新たな指針というものが発表されて
−12−
います。そして、時を同じくして、私どもは昨日、本市の構造改革検討推進委員会でこの17年
度から5カ年の構造改革、いわゆる地域のありようというものについての報告書を委員長をお
務めいただきました千葉大学の大森先生からちょうだいをいたしました。そして、たまたま私
は3月18日が最終回でございましたが、総務省の自治行政局行政体制整備室が主催をされまし
た分権型社会に対応した地方行政組織運営の刷新に関する研究会というところでいろいろと勉
強させていただきました。
そこで、私はこれからの一つの方法というものは、持続可能な自立した地域というものが私
は先ほど西尾先生のプレゼンテーションをお聞きしまして、分権がどんどん、どんどん進化を
していくんだと、進化をしていくときに当然これは国があり、都道府県があり、あるいは先ほ
どの広域自治体ということも含めて、そして市町村、いわゆるある程度大きくなった市町村を
含めたそういう市町村がある、しかしやはりその根幹にあるのは私はコミュニティではないか。
その地域が足腰を強くすることによって、ある面では進化をした分権型社会の中でそれぞれの
地域が私は輝けば足腰の強い自治体、あるいはまたそれがひいては足腰の強い都道府県、ある
いは広域自治体につながっていくのではないかなというような思いを持っております。そして、
その行く先は私は2030年ということを考えましたときに、私はそういう足腰の強い自立可能な
そういう地域であれば、住民自治というものを私は自分たちの手にすることができるのではな
いかというふうな思いを持っております。
そういう中で、これから一番大きな力を発揮するのは、たまたま今よく言われます団塊の世
代の問題がございますけれども、2030年、今から25年先を見通したときにも、もっと高学歴な、
しかも能力を持ち、スキルアップをした、そういう方たちが地域社会の中に本当に力を得て、
そして活躍の居場所を持ってそれぞれの自分自身の自己実現のために働かれるとうふうに私は
思います。そうすると、高齢社会というものは私は悲観するものではない。これだけのすばら
しい人たちが地域の中に活躍をする。ある面では私どもは今課せられた役割は今のうちにそう
いう地域の中に居場所を仕掛け、こういうものもつくっておくことじゃないだろうか。そうい
うことが、今からどんどん、どんどん出てまいります。団塊の世代の人たちが地域の中で活躍
する、それはひいてはどういうことが起こるかといいますと、自分自身の生きがいを持ち、地
域の中で尊敬をされる。尊敬をされるということは、そこに私は自分自身の尊厳を確立するこ
とができるのではないかと思います。
それは先ほど、古川知事は知足社会とおっしゃいました。私は持続可能というものもやはり
自分自身のある面では分をわきまえた、そういう自律という意味の社会でもあるというふうに
−13−
思います。そういうことからいって、これからそのような人たちが地域で活躍をする、そうい
う2030年代というものは私は捨てたものではない、そういうふうに感じます。そのために、今
私どもがやらなければいけないことは何だろうか。それはいかにして住民力、地域力というも
のを私どもが後ろから支えていくか、あるいはそういうことができやすい、そういう仕掛けを
つくることではないか。住民力というものは、私はその人たちが持つ能力というものによって、
大いなる力を発揮するというふうに思います。
そうすると、当然この住民力を一生懸命盛り立てていくためには、私ども自治体に関係する
職員は、その職員力をやはりレベルアップしなければなりません。私は住民の皆様方がさらに
力をつけてくる中では、職員がそれに対抗するだけのそういう力を持っていかなければならな
いというふうに思います。そういうときに、どういう社会ができるだろうかということを考え
たとき、私は地域協働ではないだろうかというふうに思います。分権型社会に対応した地方行
政組織運営の刷新に関する研究会で勉強させていただきましたことの中で、やはり協働、しか
もその中の地域というものの協働というものが私はすごい力があるんだというふうに思いまし
た。
ある面では、よく昨今「自助、共助、公助」というようなことを言います。しかし、そうい
うものが合体をした協働というものは、どれだけ大きな力を発揮するかということを、私ども
は地域福祉の取組みを通じていろいろな場面で経験をさせていただきました。そういうことの
中から地域協働を進めていけば、どういうことがこれから起こってくるだろうかといいますと、
私は今まで公共というものは官、あるいは行政が担っていた、あるいは、そういうとらえ方で
あったかもしれません。しかし、いろいろな担い手が地域社会の中に輩出をしてくると、交付
税の問題も含めてもっともっと厳しい状況の中で、しかし、そのときに自立をしていくために
は、地域の中でどのように税という仕組みの中で財源を確保し、そしてそこの中で協働するこ
とによって、地域住民が自分たちがどういう地域社会をつくっていきたいか、それによって求
めるサービス、あるいはそれによって自身が払う対価、こういうものがおのずと私は節度を持
って決まってくるのではないだろうかというふうに思います。
よく昨今モラルハザードを起こしているのではないかというようなことを言われます。しか
し、ある面では私はそういう社会になれば税というものに対するその存在というものをどのよ
うに考えて、そしてそれをどのように使っていくかということに対する住民自身が自分たちの
問題として考えるのではないだろうかというふうに思います。
長い間、私どもは、右肩上がりの経済の中で分配の論理、要望をすれば、要求をすれば分配
−14−
があるということだけで来たかもしれません。しかし、これから2030年に向かっていくときに、
特に私はそういうことではなくて、自分たちが知恵を、あるいは汗を流せばこのような社会に
なるということが分かる世代、そういう方たちが地域におられれば、私はモラルハザードを含
めて、要求型ではない、自分たち自身で事を考える、それによって地域経営をしていくんだと
いう時代が来るのではないかと思います。
あわせて少子の問題がございます。少子の問題も社会保障の問題の中でいろいろと今言われ
ております。しかし、別の見方をすれば、先ほど少し触れられましたけれども、私は外国人の
労働者の問題というのもおのずとこれは資格の問題も含めて、私どもの地域は先ほど申しまし
たように、ある面ではグローバル企業としてすごく大きな力を発揮しておられます。そういう
中で、恐らくいろいろな人材というものは、そういうところに職を求めてきます。しかし、地
域を支える、例えば福祉、保育、あるいは高齢の介護、こういう人材というものに対しては、
いろいろとやはり制約が出てくるというふうに思います。そうなると、そういう問題に対して
私は地域の中でどのように人材を輩出していくか、そういう問題を考えたときに、地域住民が
元気であれば私は例えば医療の問題、あるいは介護の問題に対してのお金が回らない、そうい
う心配というのが払拭できるんではないかと、そのように思います。
最後に、先ほど西尾先生が市町村合併第2幕によって、市町村が1,500から1,600程度になる
のではないかとおっしゃられました。私は長い間、日本の国は大きいことはいいことだという、
そういう神話の中でやってきた。しかし、もう一つ別の見方をすれば、小さいことによるその
よさというものをもう一度私は見直す、そういう中で地域がある面では地域間競争、都市間競
争、そういうことをやっていく、それが私は足腰の強い持続可能な自立した、そういう地域を
つくっていくことで解決できるのではないか、そんなふうに考えまして私からのお話を終わら
せていただきます。
ありがとうございました。(拍手)
○杉田
どうもありがとうございました。
それでは、藻谷様から次のプレゼンテーションをお願いします。
○藻谷
こんにちは、政策投資銀行の藻谷と申します。
ご存じない方がほとんどだと思います。なぜこんなやつがこういうところに座っているのか、
役所代表かなとお疑いかもしれませんが、そうではなくて私は年間365日のうち360日ぐらいを
どさ回りで講演して歩いております講演屋でございます。
合併に関しては、いろいろなところの合併フォーラムに行きました。絶対するなといってし
−15−
なかったところもあれば、即しなさいといって住民投票で負けたこともありますし、いろいろ
悔しい思いをしたんですが、西尾先生のお話を聞いて胸がすく思いがしました。つまり私が各
地で言っていたことは、おたくの事情と相手の事情を考えたら、普通は自治体の合理化をしな
きゃいけない。合併が合理化手段になるかどうか、普通はなるんですが、この相手だとならな
い。この相手であれば即あなたは合理化しなきゃいけない。その各論として考えるべきなのか。
中央からしろと言われている、するなと言われているというくだらない対決が地方に持ち込ま
れまして、いかにむだなエネルギーが。もう一つ申し上げたいのは、一番合併しなければいけ
ない首都圏の自治体、大阪圏の自治体、名古屋圏の自治体がどうしてこれほどまでに合併に対
する熱意がないのか、それは自分だけは大丈夫という物すごい誤解をしているからです。きの
うも松戸に行って市役所で2回目でしたけれども、いかに松戸市が危機的状況かということに
ついて、頼まれもしないのに資料をつくってお話ししてきましたが、相変わらず市長もいらっ
しゃらないし、ほとんど皆さんいらっしゃらないんですが、ただわかっている方から聞いてい
ただいて、少しでも事実を認識していただくのが私の仕事であります。
さて、ここにある資料はいずれ恐らくホームページなどで公開されると思いますので、きょ
うは全体の5分の1ぐらいしかやりませんが、一応一通りつけてあります。ごらんください。
ご興味のある方は地域に呼んでいただければ、おたくの地域ではという話にします。きょうは
2点だけ絞ってお話をします。
私はビジョンについて語る人間ではございません。これは皆様がお考えになるわけですが、
私はビジョンの前提になる現実認識が間違っていますよということを言って歩いています。現
実認識が間違っている限り、間違ったビジョンしか出てこない。おかげさまでこの委員会に加
えていただいて、いろいろな現実はこうなっているということで、私が知っている範囲のこと
を申し上げましたところ、全くご反論いただきませんでした。皆さんも実は薄々勘づいている
からご存じだったということです。
ところで、今からお示しするのは都市圏という単位で見たもので、ちなみに例示ですが、東
京都市圏というのはこういう範囲ですよということをあらかじめお断りしておきます。きのう
松戸で散々話した後で、あなたがやっているのは都市圏かといって後で質問が出たので、都市
圏ですよと、郊外のベッドタウンを入れた数字ですよと。
ここでクイズなんですが、ここに全国の5万人以上の都市圏をすべて網羅してございます。
ごちゃごちゃ名前が書いてありますが、お読みになれないと思いますが、赤いところ、名前が
ついてございません。これが東京、大阪、名古屋、札幌、福岡の5つでございます。どれが東
−16−
京でどれが名古屋でしょうというのを当てていただきたい。
このグラフはどういう意味かといいますと、国勢調査でつくってありまして、90年代の後半、
七、八年前というイメージですが、データが最新のが12年しかございませんので、90年代の後
半に仕事がありますと書いた人がふえたところが右側にあります。仕事がありますと書いた人
が減ったところが左側、国勢調査は3カ月以上働いていれば全部仕事ありになります。かつ外
国人さんも3カ月以上住んでいれば入ります。住民票を移してないフリーターさんも入ります。
それで、全員に聞いた調査で、仕事ありますと書いた人がふえたところは東京、名古屋、大阪、
福岡、札幌の5つのうち2つしか実はありません。そのうちの1つでは仕事が激減している。
2つでは仕事がちょっと減っている。説明しませんでしたが、この線より上にいる方々は人口
は流れ込んでいる。入ってきた人より出ていった人が多い。これまでの常識では、職場が減れ
ば人は出ていくだろう。職場がふえれば人口は入ってくるだろうと皆さん勝手に決めつけてい
ますが、東京、名古屋、大阪、札幌、福岡という日本の5大都市のうち2つは職場が減ってい
るのに人口が流れ込んでいるんです。
そこで皆さんに問題、どれが東京でどれが名古屋でしょう。周辺のベッドダウンは全部足し
た数字でございますので、東京から郊外に引っ越した人というのは関係ありません。全部中に
入っています。
答えはこれです。
いろいろな方に、ありとあらゆる方にこのクイズを出します。だれ1人正解した人はいませ
ん。するわけないんです。私もびっくりしました。福岡で雇用がふえている。あろうことか拓
銀が破綻した最中の札幌でふえている。あろうことか皆様が絶好調とほめそやす名古屋で雇用
が減っている。もちろん東京でも減っている。予想どおり関西では激減していると。ですが、
東京、名古屋で既に働いている人は国勢調査の就業者が減っていると、全員に聞いた数字が減
っているという事実を国民全員が認識してないというのはいかなることだろうか。皆さん有効
求人倍率と失業率ばかり見ていて、肝心なことに気がついてないんです。仕事を求めていない
けれども、仕事がなくなっている人が激増している事実、それは統計にこれだけはっきり出て
いるということを感知していない。有効求人倍率と失業率だけ見ていても経済の実態はわから
ない。
実は余談ですが、名古屋で経済人に会ったところ、7割の方がこのクイズでここが名古屋と
当てたという事実があります。つまり地域に根ざして肌感覚で消費が冷え込んでいるというの
を感じている経済人は実際に可処分所得がふえているとは思えないのでこれを選ぶ。今、東京
−17−
のマスコミが絶賛して名古屋はこれですよ、これですよとうそを言っているのと正反対であり
ます。やはり地に足ついて物を考えなくてはわからない。
それでは、一体バブルのころはどうだったでしょうか。バブル崩壊のころです。これはバブ
ル後の景気のどん底だった平成7年から、ITバブルの最盛期の平成12年にかけての動きでし
た。ですが、雇用は減っているんです。バブルの最盛期の平成2年とバブル後のどん底である
平成7年を比べたら一体どうなっているでしょうか。これまた多くの方にクイズを出すと、皆
さん軒並み日本全国で雇用が減っているでしょうとお答えになる。数字をごらんになっている
んでしょうか。当然、なってない。日本全国のほとんどすべての地域でバブル崩壊後の平成2
年から7年の5年間、不況が深まったこの5年間に働いている人は激増しておるんですよ。東
京、大阪、名古屋、福岡、札幌でふえたのはもちろん、北九州でもふえている。減っているの
は震災の直後だった神戸だけです。実は佐賀でもふえています。ちなみにこの時期佐賀は減っ
ていますけれども、ここにちらっとありますけれども、ここでは佐賀は東京の「都」の字の下
に入っています。
ということでありまして、ちなみに高浜は今でもふえていますけれども、これは一体何を意
味しているんでしょうか。つまり世の中を景気指標で論じていることに大きな欠落があるとい
うことなんです。一体何がこれを動かしているのか。人によってはこの数字が間違っていると
おっしゃるんですが、国勢調査で全員に聞いているんだから間違っているはずはないんですよ。
これを間違っていると言い出したら、これは世の中のすべての調査はすべて間違っていると言
っても過言ではない。これだけはっきり結果が出ている理由は明らかで定年退職です。大阪で
バブル崩壊後に雇用がふえて、ITバブルの時期に雇用が減っているのは大阪経済が景気が悪
いからだと、何で札幌でふえているんですか。それは札幌には田舎から集中したんだろう。東
京に集中しているじゃないか、どうしてだ。そういう理由じゃないんです。東京や大阪や名古
屋、広島では定年退職が新規就労者より多いんです。何で多いんですか、それはこれが理由で
す。
例えば、名古屋と福岡を比較すると典型的にわかるわけですが、今から40年前の昭和20年代
の後半に名古屋では繊維産業が活況を呈しておった。まだ自動車は立ち上がっていませんけれ
ども、ただ高浜なんていうのは当時まだ繊維の都でしたよね。醸造と繊維ですね。そのあたり
が非常に元気であった。そういうときに、人がどんどん流れ込んでいるために、今名古屋の人
口ピラミッドでは50代後半、60代前半が多いんですよ。それに対して、当時産業が全くなかっ
た福岡にはこの層がいないんです。筑豊や北九州に人を出していた。逆に今名古屋は大学が少
−18−
ないこともあって、若者が総体的に少ない。福岡は大学や専門学校がやたら多いですから若者
が多いわけです。何が起きるか。これから新規に就労する人が名古屋では今からやめる人より
少ないんです。福岡では逆にまだ新規就労する人がやめる人より多いんです。
これが景気にどう影響を与えるか。与えます。60歳でぴんぴんしている人が一時退職して可
処分所得が減るのです。そのことが消費に影響を与えないということはあり得ない。もう一つ
あります。退職者がふえてコストが下がりますから企業収益がよくなります。したがって、当
面平均した景気と称するものはどんどんよくなっていきます。企業収益がますます向上してい
きます。団塊の世代が退職しますから自治体の財政も向上します。ですが、消費はどんどん冷
え込んでいく。それを平均して総合した景気指標というものの意味がますます薄れていきます。
雇用と消費と企業収益が分離するんです。というふうなことを例えば私はビジョンの参考にし
てくださいということで申し上げて歩いているわけです。
この中で、この先にさらに実際この名古屋地域でまちづくりがどうなっているかと。例えば、
高浜の隣の刈谷が一体どういう状態になっているかということをあちこちで話して歩いている
わけですが、きょうはちょっとそれが時間がありませんのでやりませんで、実際には雇用が減
っても持っている所得をきちんと地域内で循環すれば幾らでも栄えるんですよという話をして
歩いています。それはちょっと飛ばします。
その次がそうはいいましても、これから日本の人口は減っていくわけなので、今まで既に働
いている人は減っているんですけれども、これからどうなるんでしょうかということを話して
歩いています。
そのときに一番気をつけなきゃいけないことは、これから人口が減るということはだれでも
知っているんです。皆さん、戦後に日本人が8割ふえたということをご存じだったですか。ほ
とんどの方がご存じないんです。なぜならば戦争のとき日本人は1億人いたと思っているから
です。あにはからんや、国のホームページを見ますと、終戦時日本人は7,000万人しかいない
というすごい数字が載っている。幾ら戦前の日本とて、7,000万人を1億人と誇張して言って
いたんだろうか、「1億火の玉」と。もちろん朝鮮、台湾の人を日本人にカウントしていたか
らです。だから、もともと日本人の本当の実力は7,000万人分しかないのに、人の力を借りて
1億人と言っていた。そこから実は日本人は1億2,000万人までふえたわけで、戦後に8割ふ
えているわけです。簡単に言うと毎年100万人ふえているわけです。毎年100万都市が1個ふえ
た状態で起きてきた戦後のルールを国の中位推計によればこれから毎年60万人減るという日本
に、転位推計によれば80万人減るとなっている日本で、そのまま使えばどうなるか。これは明
−19−
らかにうまくいかない。
実は構造改革を今やるべきかと、もう少しやらなくていいんじゃないかと。逆に何でもっと
早くやらなかったんだと、いろいろな議論があると思いますが、これはだれが見ても人口的に
言うと今やるべきなんです。今明らかに曲がり角なので、ここでタイミングでやっていくのが
一番効率がいいということであります。つまり100万人分のインフラを新しくつくらなきゃい
けない、とりあえず量を拡大してきた。だけれども、そのおかけで地震があれば一発でたくさ
んの被害が出る。交通事故で毎年7,000人亡くなっているようなインフラはなかなか改善され
ない。これを逆に今度は交通事故でなかなか人が死なない、地震でも崩れない。そして、人口
は縮小していくけれども、非常に水準の高いものが後世に残せるインフラ構築に変えなきゃい
けない。そこで、またデジタル的にもうインフラは要らないとか言い出すと、これは全くすっ
とんきょうでありまして、戦後の50年急場しのぎでつくってきた安づくりのものがすべて壊れ
ていくのがこれからの50年です。今度こそあと100年、何百年ももつものをつくりかえる最大
のチャンスなのであります。だから、そのときに従来型のように人口がふえるのを前提に、あ
っちにもこっちにも同じものをつくるなんてことを言っている人がいたら、これは当然お金が
なくなってしまいます。つまり従来のデジタルなハード投資は要る、要らないという議論では
なくて、どういうハードが必要で、どういうハード投資は要らないのかという非常に申しわけ
ないんですが、具体的な議論が地域に特性に応じて必要になるわけです。
そのときに移民が来るから大丈夫という議論がありますが、アジア全域で既に出生率は日本
を下回っているわけです。特にアジアNIESは全部日本より出生率は下です。中国でも先進
地域の上海は何と日本で一番低い渋谷区より下にあります。中国全体ではどうか。いろいろな
諸説ありますが、最も楽観的に見て1.8、かために見ると1.3ということですから、公式の統計
は実は日本より出生率が既に低くなっております。つまり中国で人が余ってどんどん日本に来
るみたいなことを言っている人がいますが、そんなことはあるどころか、中国が世界じゅうか
ら移民を集める国に早々になるということは極めて明白です。
日本はどうするのか。人口が減る前に実は大問題があります。あと数枚で終わりますが、ご
らんのとおり2020年に実はまず高齢化の胸突き八丁がやってまいります。1億2,700万から1
億2,400万にほとんど総人口は減らない。2020年、15年後ですね。何が変わるか、人口の中身
が変わります。この象牙色の棒は今2000年の国勢調査で確定した数字で何歳の人が何人いるか
というグラフです。一番人数が多いのが当時50代前半の団塊の世代、2番目に多いのが団塊の
世代の子供、有名人がいっぱいいます。松井、イチロー、ホリエモン、このあたりはなぜかお
−20−
父さんが出てくるという、そういう方々ですが、ごらんのとおりこの団塊ジュニアさんが2020
年にはこの赤い線まで動くわけです。今の20代、40代、今の赤ちゃんが20代になる。だれがど
う計算しても、15歳から34歳が3割、1,000万人ぐらい減ることは避けられない。そこで移民
という話になるんですが、どこから1,000万人来るんですか。もし来たら日本人の若者の4人
に1人は移民になりますよと、本当ですか。できるものならやってみろということなんです。
全体を補うことは到底無理であります。
そこで、今の50代が70代になります。これが国の議論で私は言われないから本当に激怒して
いるんですが、70歳以上が8割ふえると国の研究所が言っているのにだれ1人言わない。年金
が破綻するのは子供が減ったせいだというめちゃくちゃな議論がまかり通っています。うちの
会社は来年退職金が厳しいんだよ。なぜですか。新入社員が減ってさ。関係ないです。来年退
職する人は何人ですかということしか関係ないです。今の人数の多い50代が70代になるから、
8割もふえる70歳以上の人はどうしましょうという議論が出てくるわけで、子供が減ったこと
は無関係だと、一切関係ない。少なくとも最近生まれていても2020年にはまだ年金を払ってな
いから関係はゼロです。そういう全然関係ないことを延々と議論しているというのはおかしい
ということをこのビジョンの委員会で言って、皆さんにご了承いただいたと思っております。
つまり8割ふえる70代の人にどう元気に生きていただいて、はっきり言って労働力は世界一
高いし、そのうちの9割以上はぴんぴんしていらっしゃるわけですから、この方々がどう活躍
するか。だから、書いていませんが、すごい能力を持ちながら企業社会からはじき出されて働
いていない優秀な女性の方々、元気な女性の方にどう活躍してもらうか、この2つで移民が仮
に入ってこなかったとしても、まだまだ2020年までに幾らでも活力が保てる。そういうことを
どう考えるか。
ところが大問題がありまして、最後にもう数枚だけ、一番この被害を受けるのが東京だとい
う事実です。それはなぜか。団塊の世代が集中的に集まっているのが東京だからです。そして、
日本で一番子供が生まれてないのが東京だからです。これは埼玉県ではプロジェクトチームを
つくって検討していますので、言ってもいいと思いますが、埼玉県、例えば単純に予測した数
字、当たるかどうかわかりませんが、そんなにずれません。2.5です。何が2.5か。今に比べて、
2000年に比べて2020年に70歳以上の人が何倍にふえていますか、2.5倍にふえています。東京
は平均で2.2倍、それに対して例えば私のふるさと山口県ではたったの1.4倍、これでも十分厳
しいと思いますが、佐賀県あたりは一番おいしくて1.3倍、ところが刈谷地域なんていうのは
実は2.2倍にふえます。
−21−
ところで埼玉県では2020年に70歳の方が人口の20%、5分の1ですと。それは5分の1かと、
田舎の山口県は25、ざまあみろ、4人に1人かと、おれたちは5人に1人だと言えるわけがな
いんです。今日本で一番高齢化している島根県が17.8%です。大都市圏は全部軒並み今の地方
圏を近い将来に上回っているわけです。既にこの道のりの5分の1来ていますので、埼玉県あ
たりでは基礎自治体の福祉負担が悲鳴を上げていまして、ようやくどうしようかという議論に
なったんですが、いまだに大手マスコミ、そしていろいろな知事の世界ではこのことが正面切
って議論をされたという話を聞かない。こそれは強大な不作為でございまして、だれがどう考
えても仮に地方交付税制度をきちんと維持できたとして、首都圏にたくさんつぎ込まないと普
通は無理です。ここに数字がありますけれども、いかに首都圏の自治体が財政破綻しかねない
かということがちょっと書いてありますが、ついでに言うと個別の自治体では70歳以上が5倍
増とか4倍増がぼろぼろ出てくるということになっているわけです。その一方で地方はオーケ
ーかと申しますと、実は絶対的な水準が非常に高くなるわけです。ですから、今の島根県がオ
ーケーじゃないのであれば当然今後の地方はオーケーでありません。つまり両方のことを同時
にやらなきゃいけない。
ただ、一つここで今回のビジョンでも大分争点になって、旧来型のモデルとしてはどうして
もそういうふうに解釈しようとしたんですが、私ども特に若い委員が反対しようとしたものに、
地方対東京というモデルに落とし込もうとする人を何とか抑えたいというのがありました。こ
れはタイタニック号の船首が先に沈むか、船尾が先に沈むかという争いの問題です。いかんせ
ん人間は動けますので、船尾が先に沈むだろうというとみんな船首に逃げるわけです。だから、
みんな首都圏に今お年寄りが集中していて地方に帰らないという現象が非常に顕著に出ていま
す。逆に首都圏の福祉がもたないとなればみんな地方に帰りますよね。地方がさらに厳しくな
る。そういうふうな不毛の押しつけ合いじゃなくて、今選んで住んでくださっているお年寄り
をどうやって楽しく暮らしてもらって支え合うかということの実践が先に高齢化しつつある地
域で先に生まれているわけです。それを学んできて、全部改善しなきゃいけない。ただ、その
過程で例えば合併をするか、しないかについても、まじめに考えた末に結論を出さなきゃいけ
ない。その結果、まじめにしないという選択をされたところはしなくても生き残るし、漫然と
ただ合併したところはつぶれると思います。逆もまたしかりであります。
とうふうなことが変わりますということをビジョンで一応申し上げて、どういうビジョンに
なるかということについては私は発言しませんでした。それはまた10年後、20年後につくり直
すときにもうちょっと私が偉くなっていればやりたいと思いますが、とりあえずは現状はこう
−22−
だということを申し上げる機会を言わせていただいたということで、大変ありがたいと思いま
す。
どうも失礼しました。
○杉田
どうもありがとうございました。
続きまして、土居先生からプレゼンテーションをお願いいたします。
○土居
慶応義塾大学の土居でございます。
きょうはこういう形でお話しさせていただくことを大変うれしく思っております。
私は経済学、財政学をベースにこれまで地方財政の問題を研究してまいりまして、きょうは
その立場からお話をさせていただきたいと思います。
今、いろいろ議論がありましたが、どちらかというと私は今の日本の国、地方あわせた政府
債務の問題に大変憂慮をしておりまして、その立場を踏まえながらお話しをさせていただきた
いと思います。
端的に申しますと、2030年の国と地方について、明るいイメージを描ければいいんでしょう
けれども、私が思うには、その明るい未来を描く前にまず目先の巨額に積もった債務を片づけ
るということから始めなければ、残念ながら次の新しい分権時代にふさわしい未来は開けない
んだろうと思っております。
皆様ご承知のように、小泉内閣は三位一体改革を進めておりますが、私が思うには今の日本
の地方自治体の主な収入源というのは実は4つあって、これが中央集権的だから三位一体改革
で解決しようと言っているんですが、おやおや一つ何か取りこぼしているというところがあり
ませんかというふうに思っておるところであります。
三位一体改革は、改革のパーツとして方向性は非常に正しいんですけれども、それをパッケ
ージにするところでいろいろミスマッチないしは取りこぼしのようなものがあるんじゃないか。
特に去年末から、恐らく今年もまた議論されることになると思いますが、国庫補助負担金の削
減を幾らにするのか、税源移譲を幾らにするのか、その中身をどうするのかという議論があり
ます。確かにそれは見合いの財源でどうするかということではリンクがあるんですけれども、
その2つをセットにしてやると思わぬ落し穴に陥るのではないかと考えています。
特にここで私が言いたいことは、先ほど申し上げましたように、この財政難の折、とにかく
国も地方もお金が足らない。それをどっちをふやしてどっちを減らすかという議論だけに終始
していると、思わぬところで体力のないところから破綻とは言いませんけれども、非常に苦し
い状況に追い込まれるでしょう。ですから、とにかくお互い国も地方も協力してこの債務削減、
−23−
巨額に積もった財政赤字をできるだけ抑制していくという協力をつくっていかなければいけな
いのではないかと考えております。
だから、分権時代、これから2030年ごろまでに首尾よくいけば明るい未来として、さあ、こ
の分権で勝ち得た自由を社会保障の充実に充てるのか、減税の自由に充てるのか、どっちにし
ましょうかと住民に問いかけるという非常に明るい選択が待っているのかもしれません。しか
し、実は、とりあえず目先は債務を抑制していかなければいけない。そのためには、社会保障
は本当は必要なんだろうけれども、泣く泣くそれを切るか、それとも増税によってそのサービ
スを切らないかわりに負担を強いるかという辛い選択をしていかなければならないんだろうと
思います。
そういう意味では、単に国から地方に税源を移しかえただけで問題が解決するかというと、
私はそうは思っていません。極端に言えば、地方自治体の方には単に棚ぼた式に国の税金がお
りてきたということだけで喜んでいただきたくない。むしろ増税する勇気を持っていただく。
それによって地元にもしかるべき負担を負っていただきながらサービスを維持するないしはや
めるならばやめるということでそれを債務削減の財源に使っていくということがとりあえず目
先必要なんだろうと思います。
それから、三位一体改革の中で先ほど申し上げましたように、国庫補助負担金と税源移譲と
いうパッケージで議論されているがゆえに、地方交付税をどうするんだという問題、これが中
身の議論になかなか深化していかないような印象を持っております。つまり交付税は今までの
ようには配れない、総額としては抑制していかなければいけないという方向だろうということ
は西尾先生もおっしゃったとおりだと思います。ただ、その中身、どういうふうによりよく配
っていくのかというところの議論、これがもう少し深めてもらうとよりよくなるのではないか
と思います。
それから、もう一つは地方債、まさに地方の借金ということですけれども、これが3という
数字の中には入っていない。できれば含み込んだ形で議論していただくということがこれから
さらに必要だろうと思います。ひょっとすると三位一体改革の後の西尾先生の言葉を借りれば
第2幕というところで議論されるのかもしれませんが、できるだけ早くこの改革の議論も必要
だと思います。
三位一体改革が昨年末といいますか、平成17年度予算の議論をする中で、さらにより顕著に
なってきたことは、地方自治体側からの悲鳴であります。要は補助金は削減されるけれども、
税収はそんなにたくさんないという自治体には、改革によって収入が減ってこれから一体どう
−24−
してやっていけばいいのかわからないじゃないかと。国は補助金給付を切るだけでいいけれど
も、全然収入がふえなくて地方は辛いんだと、だからこそ交付税で何とかしてくれという声は
決して小さくない。それで果たして分権改革の当初の目的を達せられるのだろうかということ
です。つまり要はお金が足らないから国に何とか助けてくれということであれば、結局分権と
いう話ではないのであって、分権というからにはちゃんと財政責任もセットで地方で完結して
負っていくという覚悟がなければならないというふうに思います。
三位一体改革の話ばかりしていますけれども、要は2030年を展望する上ではまず目先の三位
一体改革の話を通り抜けないことには、その次のフェーズの2030年がないということで三位一
体改革の話をしております。
私が思うには、やはりまず実際にはどういう形でよりよく税負担を地元住民に便益に応じて
してもらうかという説明と増税の努力を自治体にはぜひお願いしたいところであります。国も
国でお金がないわけです。国も増税しなければいけないということです。ですから、恐らくは
国は増税するでしょう。そして、それはある程度債務削減に充てなければいけないということ
になるわけですけれども、果たしてそれによって今でどおりに国から地方への補助金、交付税
は来るのかどうかということですが、残念ながら今までのようには潤沢には来ない。となると、
やはり地方の足腰、基本的なところである地方税をいかに着実にかつ妥当なところで取ってい
くかということが必要だと思います。そういう意味では、昨今住民税の均等割りの引き上げと
いうのがありましたけれども、これもいい方向なのでさらに積極的に進めていくということは
あるでしょうし、さらには固定資産税をよりよく取っていくということは必要だと思います。
それから、私が思うには都道府県の場合、固定資産税はありません。住民税と事業税、それ
から地方消費税というわけですけれども、市町村には固定資産税があるけれども、都道府県に
は固定資産税がなくて、景気に変動しやすい法人事業税と住民税が基幹税である下で、都道府
県は一体どうやって財政を立て直していけばいいのかということが厄介な難題になると思いま
す。
そのときに、私が思うには、法人所得課税は確かに目下必要でしょうけれども、これは国も
地方も含めてですけれども、日本の国際競争力を確保していく観点からすれば、法人課税を強
化していくという方向はグローバル化の中ではふさわしくない。むしろそれはできるだけ下げ
ていくかわりに、地方消費税を強化していくという形で、うまく移行して都道府県ないしは道
州のような広域自治体の財源を確保していくということはあってよいと思います。
それから、地方交付税の問題ですけれども、やはり中身の議論が必要だと思います。交付税
−25−
の総額はじり貧だということはあるかもしれないけれども、総額が減るということはあったと
しても、中身、配り方をより工夫していくということが必要だと思います。その中で、これは
90年代に約束したことだから反故にするなということで、交付税の計算の中で地方の借金の返
済、元利償還費を計上し、それがふえることによって交付税の配分がふえるという側面があり
ます。確かに、約束したことは反故にはできないということはあるにしても、今後も同じよう
なことを相変わらず続けていくのかというと、やはりそこは債務の増加を抑制していかなけれ
ばいけないという観点からしても、こういう措置はもっと積極的に抑制していくということが
必要だと思います。
それから、財源が足らない自治体が今後交付税が減っていく中で立ち行くのかと、ひょっと
したら破綻するんじゃないかというような話がありますが、今のところ法律的には破綻という
ことはないわけです。さらに言えば、財政的にも交付税やさまざまな措置を通じて自治体が露
骨に破綻するなんてことがないようにできています。確かに、それは非常にうまくいっていた
と思いますが、今後も果たして同じようにいくのかというと、私は不安を強く感じているわけ
です。ひょっとすると、新たな枠組みをつくっていかなければならないだろうと思います。
基本的には、債務を負う自治体が自己責任で返していくという方向だと思います。さらには
市場化です。ミニ市場公募債、それから2テーブル方式という新たな取り組みは既に総務省が
始めておりまして、これは非常にいい方向だと思います。けれども、これだけで十分かという
と、第2幕、第3幕の取り組みが必要だと思います。特に私が思うには、せっかく財政を健全
化したのに他の財政をあまり健全化していない自治体と同じような金利がつくというのでは、
せっかく財政を健全化した甲斐がないということにもなります。やはり財政が健全であれば低
い金利で借りられる。財政が健全でないならば、ある程度高い金利を払うということもやむを
得ない。もちろんその高い金利を見て、こんなに借金をしちゃいけないんだなということを学
びながら債務を抑制していくというプロセスが必要なんだろうと思います。
現在、私が内閣府の経済社会総合研究所の方で地方債の研究プロジェクトに取り組んでおり
まして、この観点から、これからの地方債制度どのようにすべきかを、今最終段階で取りまと
める段階になっておりますけれども、基本的には諸外国のケースを学べばそういう民間からの
ピアプレッシャーといいましょうか、必ずしも財政状況がよくなくても低い金利で貸すなんて
いうようなことではなくて、財政状況に応じて発行条件を変えながら貸す。それから、さらに
は破産法制とまでは言いませんけれども、債務処理の法律もある程度必要だろうと思います。
既に自治体では、本体ではありませんけれども、外郭団体(地方公社や第3セクター)では既
−26−
に破綻、まさに債務が履行できないという事例が出ております。こういう事例はしょせん自治
体本体の話じゃないんだから関係ないとは言わないでいただきたい。ぜひこれをこの教訓を学
んで、そういう債務処理の枠組みをアドホックな形でないルールを決めるということが必要な
んだろうというふうに思っております。
それから、最後に2030年、国と地方はどうなるのかということですけれども、先ほど藻谷さ
んからの話もありましたけれども、私が思うには高齢化が進むということで地方自治体が苦し
くなるということは、日本の財政制度に、よしにつけ悪しきにつけ2つの特徴があって、この
特徴が災いしている部分があるのではないかと考えております。特に他の先進国に類を見ない
形で地方自治体が社会保障政策に大きな役割を担っている、よしにつけ悪しきにつけですね。
例えば、医療保険の財源、介護保険の財源調達も自治体がそれなりに大きく担っているという
特徴を持っているわけです。果たして社会保障、つまり地域保障でなくて社会保障と言ってい
るのに、自治体が保険者として財源までも全部自分で工面しているわけですが、そのような形
でやっていくのがどこまで可能なんだろうかと考えております。
例えば介護保険はどうするか、質の問題については自治体の地域ごとの特性をかんがみなが
ら、いろいろ検討していくということは重要ですが、社会保障の財源は国全体としてどう調達
するかを設計するという役割分担は必要です。少なくとも何人の方が高齢者になり、何人の方
が亡くなり、何人の方が新たに被保険者になるのかというまさに人口動態的な話は、マクロ・
日本全体で十分つかめる数字なわけでありますから、それを踏まえながら国と地方の役割分担
を考えなければなりません。マクロの保険財政のところでは国が役割を引き取り、受け取った
財源をどういうふうに使うかは自治体に任せることが必要になってくると思います。
そうすると、2030年の国と地方の関係にからめて言えば、今私が思うには社会保障の財政負
担を自治体は過度に強いられている。その負担をある程度軽減してあげることによって、つま
り国が引き取ることによって、ある程度自治体は社会保障以外の分野にも目配せができるよう
になる。特に財政的な面で目配せができるようになると自治体の財政的自由度が高まると思い
ます。
それから、最後にもう一つ国と地方の役割分担を財政的に考えたときに、果たして今のまま
でよいのだろうか。極端に言えば、てこの原理といいましょうか、国は例えば義務教育費国庫
負担と言いながらも、例えば人件費部分で見れば半分ぐらいしか費用を負担していないのに、
総額で見てもほぼ30%ほどしかでていないのに、それをあたかも全権を握って、ああせい、
こうせいとすべてを司るというようなある意味でけち臭いところがある。それは、国は口を出
−27−
すなら金も出せと。その代わり、地方は自由にしてよいというところは厳しく国も金は出さな
いし、口も出さないというすみ分け、二極的なすみ分けをすべきです。ただ、必ずしもそれで
は割り切れないところは国と地方で費用分担するけれども、そこはできるだけ小さくして、で
きるだけ国が責任を持つところは口も出し、金も出し、地方で自由にというところは国は金も
出さないし、口も出さないという役割分担というのが必要だと考えます。
以上です。どうもありがとうございました。(拍手)
○杉田
どうもありがとうございました。
非常にたくさんの論点にわたって、さまざまなご意見をいただきました。
ここで西尾先生にちょっと本当に大変な役割でお願いをするんですけれども、ただいまのプ
レゼンを聞いていただきまして、簡単なまとめというか、あるいはその感想ということでして
いただければと思います。
○西尾
4人のパネラーたちの物すごく幅広い刺激的なお話に私が全部コメントをするなどと
いうことは到底能力がありませんので、一、二のことを申し上げたいと思うのですけれども、
私は道州制についての制度の枠組みの話しかいたしませんでしたけれども、道州制の場合には
都道府県の区域よりも原則として、より広域的な管轄区域を持った広域自治体が生まれるとい
う、都道府県の広域化という話と国の各省庁の地方支分部局が主として担っていたこれまでの
仕事の大半がこの道州の仕事に移譲されると、おろされてくると、この両方の上から下への流
れと下から上への流れが合致したときに始めて生まれるのが道州制というものだろうと思って
いるわけであります。
国の各省庁の地方支分部局といっても、担っていらっしゃる仕事はそれぞれ省庁ごとに違い
ますので、そのすべてというわけではないのですけれども、国土交通省の出先とか農水省の出
先が持っていらっしゃる仕事の多くは広域自治体の仕事に移して一向に差し支えないものでは
ないかと思っているわけです。そういう大前提の上で、一般論では済まない個別の政策分野ご
とにかなり細かな議論をしなければならないと思っている分野が2つあります。
その1つは森林です。林野です。これは古川知事がお話しになった美しい国土の問題と森林
保全、それから木材、国産材をいかに有効利用するかというお話をなさったわけですけれども、
国産材の有効利用の話はともかくといたしまして、その前提としての森林がどんどん荒廃をし
ているという、これが重大な問題だと私は思っているわけです。
かつては民有林の管理は悪くても、国有林の管理だけは何とかちゃんとしていたというのが
今やそうではありません。国有林の方も国産材は成り立たないので、そういう林業はだんだん
−28−
やめていこうと、国土管理だけにしていこうという名目のもとに、林野庁職員をどんどん削減
対象にして切ってきているわけです。その結果、今や国有林の管理も民有林よりも手抜きにな
ってきている部分があるわけです。そして、民有林の方は林業としては採算が合いませんので、
一切森林の施業をしないという森林所有者たちがどんどんふえている。そこで間伐もせずとい
うような、このまま森林が放置されているという森林の状態というのはふえているわけですね。
これは農水省、林野庁の白書も認めていますが、不在村地主というのがふえる一方である。
しかも規模の大きい森林所有者ほど不在村地主になっているわけですね。こういう人たちが一
切森林を放置しているという状況になってきております。この国土を保全していくという観点
から、国有林、民有林を問わず、森林をどういうふうにこれから管理していくのかという問題
です。
1つは民有林の私有権とどう調整するかという問題がありますが、第2の問題は圧倒的に人
手不足だということです。林業に従事する人たちの人間が不足しているという問題です。それ
から、放置される民有林は公費で国土保全をしていくのだと、していかざるを得ないのだとい
うことになると、公の費用が圧倒的に不足しているわけですね。この人材難、経費難という問
題をこれからどう解決するのか。その際、林野庁の出先である森林管理局、森林監督署といっ
た系統の仕事は、私は道州に移されても全く支障がないと思っているわけですが、国有林を移
すんですかという話になると思うんですね。国有林の管理なのに何で自治体がやるのという話
になると思うんです。大もとへ戻っていくと、なぜ国有林でなきゃならないのかという問題に
なります。道州林に変えたらいいじゃないかと、公有林に変えてしまったらいいんじゃないか
という問題になります。
しかし、そこでさらになぜこの問題が先送りされているかといえば、林野特別会計の累積赤
字の始末がつかないからですよね。国有林から公有林に持っていくなら、この累積赤字も都道
府県は引き継いでくださいと言われたら、多分どこも引き受けないと思うんですね。これを国
はどういうふうに始末をつけるのかということに決着がつかないから放置され、ますます悪い
循環に入っているわけです。この問題をどう処理するのかというのが都道府県制から道州制を
考えるときに引っかかる一つの大きな問題点だと私は思っています。
もう一つの問題点は全く性質が違うのですけれども、警察の問題です。これから警察をどう
考えるべきなのか。治安状況がだんだん悪化しているということは皆さん感じていらっしゃる
とおりで、警察の体制を何とか再建しなければならないのですけれども、現在は都道府県警察
という形になっていますが、都道府県が道州に変わったときにはただ道州警察にまとめるだけ
−29−
でそれでいいんですかという話ですね。恐らくそうではないんじゃないだろうかということで
す。
そうだとしますと、これまで機動隊に象徴されるような警備警察まで含めて自治体に担わせ
てきたわけです。経費の負担を自治体にさせてきたわけです。そのかわり、一朝事があったと
きには全国から機動隊を動員しなければならないものですから、都道府県警察の警視正以上の
高級幹部は全部国家公務員の身分にして、警察庁の指揮が行き渡るようにやっているわけです
ね。そして、都道府県警察の警察官定数は国の政令で決めているんですね。国が勝手に人数を
決めて、給与を払わされているのが都道府県なんですよ。こんなおかしな制度があるかという
ことです。これは義務教育費国庫負担問題どころじゃないんですね。大変に奇妙なことをやっ
ているわけですね。
これはどこかで解決しなければならないと私は思っているんですが、そのときに警備警察を
初めとして、経済犯罪とか政治犯罪とか暴力団絡みの犯罪とか、一定の範囲の犯罪に係る刑事
警察は国家警察がみずから扱うということにした方がすっきりしているのではないか。そのか
わり道州なり都道府県なり政令市なりが警察を持つという自治体警察の場合には、そこに国が
定数を決めてみたり、高級幹部を国家公務員にしたりするなどという変なことはやめていただ
くという、そういう警察の再編成が必要なのではないかと思っています。つまり国家警察は国
家警察としてきちんとやりなさい、通常の犯罪とか交通警察といったような任務は自治体警察
の方がむしろいい。そのときはこれまで市町村というものに対しては警察を持たせないで来ま
したけれども、最近のこの犯罪の状況のようなことから考えると、市町村にも場合によっては
警察権限を行使できる資格を持った人を置き得るというような制度を考えるべきなのではない
かというふうに思っていまして、いろいろな意味で警察制度を全面的に考え直すということが
大きな課題になるのではないかと思っています。お話が出なかったことなので、ちょっとつけ
加えたいと思っています。
○杉田
どうもありがとうございました。
皆さんお聞きになって、非常にたくさんの論点が出てきたというのはおわかりだと思います。
どういう形でまとめて議論するのがいいのかということを考えまして、まず最初に地域の活性
化というような話を考えたいと思っております。藻谷さん、あるいは森市長さん、人口の減少、
あるいは高齢化の問題というようなことを話されました。産業構造というようなものも恐らく
変化しているということなんだと思います。そういう中で、持続可能で地域の持続可能性とい
ったような問題をこれからまじめに考えなければいけないということなのかなと思っておりま
−30−
す。生活面でも、それがどういうふうに反映されているかというのが非常に重要な問題なのか
なと、こういうふうに思っております。
そういうことで、こういう問題に関してまず一番市民と近いところにおられる森市長様から、
そういう点に関してコメントをいただけたらと思います。
○森
与えられました課題、とりわけ地域活性化の問題の中で例えば、先ほど団塊の世代がこ
れから一斉に退職をしていくということも含めて、私ども自治体自体も同じように団塊の世代
の職員が一斉に退職をしてまいります。そういうときに、従来と同じ手法で新たにまた公務員
を採用していくということが果たしていいのかどうかということも含めて、先ほど少し触れま
したけれども、地域協働によって新たな新しい公共空間の担い手、こういうものを地域の中で
発掘をするということに私どもが取り組んでまいりました。これからもまたさらに進めていき
たいというのが、いわゆる公というもの、公共というものを行政だけが担うんじゃなくて外部
委託をしていくということによってもやっていこうと進めてまいりました。そういう中で、新
たに地域雇用を生み出してきております。とりわけその地域雇用というのは、60歳以上の高齢
者といわゆる子育てを終えた女性の方たちがその中でいろいろと担っていただくという、そう
いうようなことによって、例えば役所の公務員よりも3倍近い雇用が新たに生まれるという、
そういう考え方を持っております。
それから、もう一つ実はこれは住民に一番身近な問題であるというのは、私たちにとりまし
て福祉分野でございます。この福祉分野というのは、例えば高齢の問題というのは先ほど土居
先生から介護保険というようなもの、社会保障の問題というのは、いわゆる国、大きな方でと
いうような考え方をおっしゃいましたけれども、私はこういう問題こそ大変厳しいかもしれま
せんけれども、住民に一番身近で現場、現地、現物を持っておる基礎自治体がそれを担ってい
くことによって、そしてその中で自分のところの地域特性と申しますか、どういうような年齢
構成になっているか、いろいろなことを含めて、それに基づいてどういう施策をやっていった
らいいかというとこによって、私は福祉というのはある面では労働集約的なそういう役割を持
っておるということから、地域の雇用を生み出していくというふうに考えています。
事実、一つの例を申し上げますと、例えば特別養護老人ホームがあるとしますと、職員の人
員配置が2.5人に1人というようなカウントをいたしますと、そこで介護の役割の方が40人い
らっしゃる。それからまたそこには、いわゆる給食業務というのが朝・昼・晩3食あり、こう
いうところへも雇用がある。そして給食資材を入れるところでも地域でそれが賄えるというこ
とで、ある面で雇用も含めてこういう福祉というのは地域のお金の循環というものを生み出し
−31−
てきます。
そうすると、私どもの一つの考え方というのは、確かに例えば橋梁とか、あるいは道路とか
を含めたそういう公共事業というものも確かに地域の活性化の一つの大きな役割かもしれませ
んけれども、ある面で産業連関表を使いますと、例えば一次のものが二次、三次に回っていく
間に1.7倍ぐらい、公共事業ですと二次ぐらいで1.8ぐらいというようなことをよく言われます
けれども、しかしこれを継続して永続性があることにより私は地域の経済というものにとって
ものすごく大きな役割を担う、一つには地域に先ほど申しましたように雇用を生み出す、それ
からもう一つは地域の中でお金が回るといういわゆるお金の循環、この2つというのは私ども
によりまして、福祉というものはこれからの新しい大きな柱立てにしていく、そういうもので
はないかというふうに思っております。
ですから、私どもは産業構造の変化を一番心配しておりますのは、先ほど申しましたように、
例えば私どもの地場産業の瓦というものは、とりわけ阪神・淡路大震災以来いろいろな意味で
大きなダメージを受けております。また、いわゆる生活スタイルが変わってくる中でいろいろ
と戸建てでも洋風化とか、いろいろなようなそういう中で厳しい環境に置かれておりますけれ
ども、それから自動車産業の問題でも、私どもは一つ大きな心配をしていますのは、例えば今
は化石燃料を含めて、しかしハイブリッドカーということをやっていますけれども、さらに進
化をすると燃料電池自動車、そういう自動車に変わってくる。これはものすごく大きな競争の
中で今動いています。
こういうものがもし仮にというような、そんなことはないと思っていますけれども、しかし
何が起こるかわからない。そういう中で、次の手を考えておかなければならないというのは私
ども行政の役割として地域の中で次の柱立ては何かということを常に模索をしておかないとな
りません。地域の雇用を安定していくということは、最終的には税収というものによって必ず
そこについて回るということを考えたらば、私どもそういう点で地域の活性化のためにはいわ
ゆる産業構造というものを常に視野に入れて、新しいもの、これが身近には私どもは福祉とい
う、そういうとらえ方をしたということでございます。
○杉田
ありがとうございました。
それでは、藻谷さん、人口構成の変化等も踏まえてお願いします。
○藻谷
ありがとうございます。
具体的に市長がおっしゃっていることを何か一般論で言っているようなことでお恥ずかしい
んですが、もし映れば先ほどの紙の中で一部ちょっともし切りかえが可能であれば切りかえて
−32−
ください。切りかえていただけなければ別に構いませんが、実はこういう地域振興をどうする
かという話のときに、出てくる議論が実は産業の話と所得の分配の話を混同した議論なんです
ね。私は森市長はずっと所得の分配のやり方をやることが逆に産業になるんだということをお
話しになっていて、最後に次の産業も考えておかなきゃいけない。ただ、それは逆に言うと今
の地域にあるお金をどう使うかということの中から次の芽が出てくるだろうということをおっ
しゃっていたと思います。
私は全くその意見に賛成なんですが、特に東京でこういう話をすると、例えば先ほどの私の
雇用が減っているという話も、それは製造業がリストラしているからだろうという話にすぐ行
くんですね。つまり何でも産業要因だと考えるんですよ。これが実は条件反射的な思考のマジ
ックでありまして、それは違うということを申し上げたい。人体に例えると、今機能不全を起
こしているのは消化器系ではなくて循環器系です。つまり栄養が外部からとれなくなっている
んじゃなくて、たまった栄養が回らなくなっているのが問題、ですからそのときに逆に外貨を
もっと稼ぐために国際競争力をやって中国に勝てという議論を幾らやっても意味がないという
ことです。つまり動脈硬化を起こしているときに、胃薬を飲んでもだめなんです。これは国全
体の基本的な統計ですけれども、ごらんのとおり輸出がどんどんふえているわけです。輸入も
ふえていますけれども、ご存じのとおり中国が日本の製品をどんどん買ってくれるので輸出は
ふえるわけですね。
そもそも実は地方に講演に行くと気がつくのは、多くの識者と言われている人が日本の輸出
がふえていることすら知らないんですよ。新聞に書いてあるんですけれども、気がついてない
わけです。要するに、構造的に物の輸出はふえている。それだけじゃないです。所得黒字が激
増しているわけです。所得黒字って何ですか。寝ていても入ってくる金利配当が年間9兆円ベ
ースで安定的に入ってくるわけです。一説にはこれで日本の必要なエネルギー、食糧は全部買
えると言われています。つまり日本史上初めて、計算上は全員が寝て鼻くそをほじっていても
食える社会になっている。ところがそうやって消火器が一生懸命稼いできたグリコーゲンが全
身に回る循環器系が崩壊しているので、旧ソ連が陥ったのと全く同じ病になっているんです。
だから、土居先生がおっしゃっていることを考えなきゃいけないわけですよ。これは循環器系
を最も機能不全にしているのがたまりたまった債務という動脈硬化のコレステロールですよね。
これを何とかしないことにはまずいけない。ですから、産業振興で金を稼ぐんだというふうに
戦後の方は全員自動的に考えが行くんですけれども、そうじゃなくて今ある産業が稼いだ金を
どうやって地域に落すかということにしか課題はないんです。
−33−
それで、考えていただきたいのが実は物すごくもうかっているはずの地域で全然お金が落ち
てないという現実なんです。それが私がいつも言っていることなんですが、このACBC比較
というやつです。これは実は森市長のすぐ横の町ですけれども、一部上場企業の本社を7つも
8つも持っている財政力指数が1.2とか1.3ある町で、市街地に1件も新しく新規の建物投資が
起きてないというのが日本の現実なんです。日本でエコノミストをやっている方々は皆さんこ
ういうのをちゃんと見てから議論してください。要するに、地域が圧倒的に黒字で、もし独立
国家であれば世界一の貿易黒字国家であり、そしてこの町に関して言えば人口高齢化率がまだ
1けた、人口構成に占める一般多い年代は20代です。失業率ゼロですよ。有効求人倍率は天井
に物すごい張りついています。その状態で、なぜこのとおり地域に稼いだお金が落ちてないの
か。
ちなみに、人口当たりの課税対象所得は日本で3番目に高いです。1番が豊田、2番目が東
京、3番目がこの町、ちなみに都市圏なので、高浜も入っている計算ですけれども、それに対
して九州にある町では絶望的に貧乏なわけです。これは高齢化率が25%を超えて30に近づこう
としている。主要産業は倒産寸前、起死回生でやったレジャー事業が民事再生、地域金融機関
は統合間近という中で、例えばこの町には長さ1キロのアーケードに空き店舗が1けたしかな
いという状態がここ数年間続いているわけです。昔はこんなことはなかったわけです。そして、
現実には月坪2万7,000円の賃料が取れているという公称ベースのうわさが流れているわけで
す。先ほどの町ではそんな賃金は取れてないですね。これは実は所得で言いますと、日本で言
うと岩見沢だとか、要するに非常に疲弊した地域の所得水準しかない。
何が言いたいか。要するに、日本で一番疲弊していると言われている地域でも年金とかの収
入も入れて物すごい金が余っているんです。佐世保です。ちなみに、佐世保の町をつくったの
は佐賀県人です。ちなみに佐賀との都市圏規模は全く同じというか、佐賀がちょっと大きいん
ですが、実は佐賀でいつも私は言っているんですが、すぐ横にこんなすごい事例があると、佐
賀より都市圏、商圏規模は小さい、そして豊かさに関しては佐賀の方が100倍豊かですよね。
ですが、実は先祖は関係者はみんな佐賀なんです。ですけれども、佐賀はごらんのとおりの状
態で佐世保がこうなっている。
それは一つに地形の問題だと言う人がいるんですが、同じような地形の呉はどうなっている
のか、横須賀はどうなっているかと比べてみると明らかなんですね。要するに、すべての人が
外部条件のせいにするんですよ。景気のせいだとか駐車場があるとかないとか、全部関係ない
ということを2時間ぐらいいただくと順番に撃破していくわけですけれども、それはそういう
−34−
のじゃなくて当たり前のことなんですが、そこにいる人間が金をどう使わせているかという経
営努力に尽きているんですね。そのときに、佐世保だとか生きている町には必ずセクターを越
えたネットワークがあります。ここの場合だと最大地権者と地元の商業者の今のトップが刎頸
の友です。そういうふうにして昔からいろいろなことをやってきた人たち、そういうネットワ
ークができているわけです。
余談ですが、佐賀でもまちづくりフォーラムをやりましたら、いろいろな人が一堂に会して
すごく盛り上がりました。だから、今地方に行けば行くほど煮詰まったところほど従来のセク
ト割りごとじゃないことが動いているわけです。そういうところの先に物が動いていくんです
が、これについて申し上げると、圧倒的に豊かでありながら、余りに豊か過ぎてセクト割りが
全く解消されてないために、あるセクターが全く何もやる気がない場合に、それを改善させる
方策がないんですね。かといって、別にこの町は合併しなくても食っていけるんですが、私が
申し上げたいのは、そうではなくて、次の世界に残す芽まで考えると、この状態は極めて不安
だということです。
まさに市長がおっしゃるとおり、自動車産業がなくなったときにどうするのか。それとも
400年続いた城下町として次の芽を打ってきたから、この町はトヨタ自動車を生み、物すごい
反映を生んだわけです。この50年間に逆に次のためにどういうエネルギーをためているのか、
ためてないんですが、この町は逆に江戸時代には全く存在しないただの浜辺であったところで、
神社も寺もないところにこれだけのにぎわいができている。今非常に産業が衰えているけれど
も、微力ながら次の時代へのジャンプをするためのエネルギーを一生懸命ためているところで
す。
だから、決して日本人は絶望する必要はない。要するに金は死ぬほどある。これで運営が失
敗して私たちはみじめですといったら、まさに古代ローマの次に初めて2000年ぶりに世界一の
金持ちにして滅びた国ということになります。そんなことがあるはずがないのでありまして、
要はある金をどう使うかということを工夫すれば幾らでも活路は開ける。ただ、そのときにも
う一度申し上げます。循環器系障害なので、胃袋が栄養を稼いできてくれないという言い訳を
言ってはいけないということです。今あるエネルギーをどう使うのかということだけ考えるべ
きです。そして、逆に言うと自動車産業はどう生き残るかは自動車産業の問題であって、地域
の人間はそんなことまで議論している暇があったら、目先の福祉のことを考えるべきではない
かと私は思います。
○杉田
ありがとうございました。
−35−
市長様とか、あるいは藻谷さんから財政の話もちょっと出たので、土居先生、何かございま
したらば。
○土居
ちょっと先ほど森・高浜市長からありましたけれども、私は社会保障を国がやるべき
だと言ったんですけれども、特に財政的な保障というところについてを述べたもので、個別の
サービス提供といいましょうか、対人サービスですとか、そういうところはもちろん地方自治
体が分権的にやっていくのが良いと考えております。
先ほど申しましたように、国と地方の財政的な役割分担が非常にあいまいになっているがゆ
えに債務も膨らんだし、今分権論が起こっているのも当然そこに根ざしていて、一体だれが責
任をとってくれるのかがよくわからない。お互いに悪いときだけは国が言ったからこうやった
んだとか、県がこうしてくれと言ったからそうしたのだとか、私はお金がないから単にやらさ
れているだけだとか、そういう言い訳をする。だから、うまくいけば共栄共存というか、お互
いに出し合ってお互いにちゃんとガバナンスをやってということなんでしょうけれども、財政
難があるがゆえに、金も中途半端。しかも個々によって優先度が全然違う、多様な時代を迎え
たがゆえに、国はこっちがもうちょっと重点的にやりたい、自治体はもっと別なところを重点
的にやりたいと、向いているベクトルが違うがゆえに余計変なことになってくるところがある
ので、再整理が必要なんだろうというふうに思います。
私は国は一銭も補助金を配るなとは全く申していませんし、地方交付税を全く一銭も配らな
いでよいと言っているわけではありません。ちゃんときちんとした財政調整とか、財源保障を
どうするかという問題もあるんですけれども、細かい話はさておき、少なくとも先ほど西尾先
生がおっしゃったように、離島だとか山奥の中小町村をどうするかということについては、あ
る程度国が財政的に支援していかなければいけないという部分は必ずや残るだろうと思います。
ただ、かといってほぼすべての自治体で、特に地方交付税では95%の自治体が交付団体、交付
税をもらっている団体であるという状態は、これは諮問会議もそうすべきだと言っているわけ
ですけれども、解消していくべきだというふうに思います。それとともに、国と地方の役割分
担を明確にして、国はお金を出すところはちゃんと口も出し、地方に任せるところは金は余り
出さないけれども、口も出さないというメリハリが必要になってくると思います。
○杉田
ありがとうございました。
今、財政の話で最後に土居先生が言われた国は口を出すなら金も出す、そうでなければ口を
出させないという、そういうあたりに関して、古川知事様は国との関係、あるいは反対に基礎
自治体との関係において、そういうような関係というのがどのように運ばれているか、どのよ
−36−
うな形で今進んでいるのか、それは理想的なものであるのかどうか、そういうあたりからお話
しをいただけますでしょうか。
○古川
今の現状から言えば、国と地方というか、国と県みたいなのは親子関係で、県と市町
村は長男と歳の離れて生まれた兄弟みたいなイメージがあるのかもしれません。年の離れ方は
地域によって違うのかもしれませんが、そうやってお互いに寄りかかっている関係からもっと
インディペンデントというか、あまり過度に依存しない状況にしていきましょうねということ
でありまして、そのためには相当お互いに努力が要るんだろうというふうに思っています。
国がやった方がいいことも世の中にはたくさんあると思います。私は何でもかんでも地方に
任せればいいとは全く思っていません。事柄の性質によって国がやった方がいいものもあるし、
地方がやった方がいいものもあります。それぞれにやった方がいいものを任せるべきで、あま
りやってない人間が口を出すのは、ゲームに参加してない人間がルールについてあれこれ言う
ようなものです。だから、ゲームに参加している人間がプレーしていて、やっぱりこういうル
ールでやろうぜと言うのはいいんですけれども、スタンドで見ている人間がルールブックをつ
くってはいけないというふうな気持ちを持っています。
例えば、何でも国がやればいいというものじゃないぞという典型例が国民年金の年金保険料
の徴収です。あれは地方分権一括法という大変地方分権を進めるための法律かなと思ってよく
見てみると、実はこの事務は国でやるからといって国に吸い上げた事務がたくさんありまして、
その中の一つの代表なんであります。「あんたたちに任せておくとろくに保険料も取れない、
取れないからおれたち国が取るよ。」ということで社会保険庁という役所が担当することにな
ったわけです。その結果、変化が如実に出ました。数年間のうちに徴収率が10ポイント下がっ
てしまいました。
彼らは年金の保険料を払うのは国民の義務なのだから、払ってない人がいたら納入通知書を
出して、それでもだめだったら催告をして、それで払わないならそれはその人が悪いんだ、け
しからんと言っていたんですけれども、世の中そんなことじゃ取れないのであります。特に佐
賀県のような地域だと、それは住民税であるとか公民館の会費だとか、そういったものと一緒
に地域で集めてしまう、本人が払えなかったらかわりの人が払ってでもして、とにかくきちん
と払うぞみたいなところで、何とか納入してもらえるんですね。そういう実態があって、よう
やく例えば80%だとか、地域によっては九十数%という高い納入率ができていたのを、全くそ
ういう人的な要素を無視して、守らないやつが悪いんだみたいなことでは実際はできないわけ
です。それが完全な典型例だと思います。
−37−
実は中途半端な形ではありましたけれども、職業紹介というか、職業安定業務というのも実
は県がやっていました。県がやっていたといっても、国の関与が相当強くて、県庁職員であり
ながら県庁職員でないような、そういうふうな立場の人たちがたくさんいました。そうは言う
ものの私は当時長崎県で商工労働部長をやっておりまして、当時のハローワークの人たちと話
をすると、「そうは言っても長崎県職員ですから、できれば例えば長崎県に何とか就職をして
ほしい」とか、「何とかこの地域の子供たちを就職させたい」というふうな気持ちを持ってい
たわけですね。
ところがこれが全くの国家公務員になると、地域に就職させようという意図が全然なくなり
ます。とにかくどこでもいいから、地元になければ、東京に行けばいっぱい仕事があるよ、地
元なんてぜいたく言うものじゃないという話で終わってしまうわけですね。ハローワークごと
に何とか就職率を高めようというインセンティブも決して働かないと私は感じています。それ
が原因だったかどうかは別にして、結果だけ見れば県が全くかかわらないようになってしまっ
てから失業率は1ポイント上がりました。
もちろんこれじゃだめだというので、「今度“一生懸命ジョブカフェ”をつくってくれ」と
か、急に今度は「自治体が絡まないとだめですね」と言われているんですね。本当は嫌なんで
す。あんたは一度たんか切って出ていったじゃないの、どんな顔してこの家に戻ってくるのよ
と、そういう気持ちがしています。私たちも子供たちの就職先がないのは困るので、協力はし
ていますけれども、気持ちはちょっと嫌です。
だから、そんなふうに自治体がやった方がいいこともあれば、例えばもっともっと我が国と
いうのは、これからいい意味でも悪い意味でも世界的な競争にさらされているわけで、我が国
の国民であるということがマイナスに働かないように、ぜひ我が国の政府には頑張っていただ
いて、とにかく国際関係の中で、例えば日本でとった資格がほかの国へ行ったら通用しないと
か、そんなことがないようにしてほしいわけです。そういうことは絶対自治体にはできないの
ですから。国がやらなくちゃいけない仕事は山ほどあります。特に国際関係はほとんどと言っ
ていいほど自治体はできません。だから、それはぜひ頑張ってほしい。霞ケ関の優秀な人たち
にはそういうことに頑張ってほしくて、そのかわり内政のつまらない補助金を出しますとか、
出しませんとか、おたくでこのあいだ農林水産の活性化のためにつくったところで物を売って
いる。展示品なんかサンプルを並べるのはいいけれども、それを売ったらいけないというふう
なことで、それでお金を返せと言われているんですけれども、そんなつまらないこと、どこか
の埠頭につくってあるそういう施設で物を売ろうが貸そうが、そんなことは任せていただいて、
−38−
本当に国として大事な仕事を徹底的にやっていただきたい、こんなふうに思います。
もちろん自治体も随分税収がふえた時代、交付税が比較的に潤沢だった時代にそれまでカバ
ーしてなかったサービスに随分乗り出したことは事実です。ですから、その点についての整理
をしなくちゃいけないことは事実でありまして、特に社会福祉協議会なんかは、去年から県や
市から出すお金は毎年15%減ぐらいなんですよ。15%減を4年続けると言っています。4年続
けるとどうなるかというと、4年後には恐らく事業費は半分になります。そういうふうな非常
に厳しい状況になっているんですね。
先ほど土居先生の方から、税源移譲をすると何か福祉の充実とかにつながっていくんじゃな
いかという話がありましたけれども、三位一体の改革の現状は、補助金を一般財源化した額は、
削減された額に全然届いてないわけです。多くのものはまず国が勝手に事業を廃止しています。
地方が要らないという補助金だったら国は出さないというのでゼロにしています。そして、こ
れは出してもいいよというやつは県としてもどうしようもない補助金です。一番の典型例が利
子補給補助金です。利子補給補助金というと、いくら出しますと初めから決まっています。で
すから、幾ら一般財源化しましたよ、ご自由にどうぞと言われても、初めから使い途が決まっ
ているお金ですから変えられないんです。それをご自由にどうぞと言われたって困る。こっち
は地方6団体として、この補助金はぜひ一般財源化をとお願いしました。でも、それに対する
国の打ち返しはこの補助金はだめ、あの補助金でというような花いちもんめみたいになってい
るんですね。あの子は要らん、この子が欲しいみたいな感じになっていて、挙げ句の果てには
全然議論もしていなかった国民健康保険の話なんかがいきなり出てきて、ちょっと何かとんで
もない形になっているというふうに思っています。
私は何も今の体制をとにかく維持させてくれなんてことは言いません。こんなしゃべってい
るうちに、恐らく1秒間に40万円分ぐらい国と地方で利払いをやっているわけですね。こんな
状況が長い間続くわけなくて、そこのところはとにかく痛みを共有してやっていかなくちゃい
けないというふうに思っているのですけれども、それは国のほうでも地方だけに押しつけない
でほしい。国の発表がいかにまやかしかという典型例に国による定員削減計画というのがあり
ます。これをひょっとして信じておられる方がおられたら、大いに反省をされた方がいいと思
うんですけども、国の定員削減計画というものによると、ここ数年間で国の公務員は25%減っ
たということになっています。うそじゃないんです、本当に減っているんです。何でこれだけ
減ったかというと、郵政公社に行ったり、国立大学が国立大学法人になったからなんですね。
そう言われればそうだなと思うけれども、実際には0.8%ぐらいしか減っていないんです。実
−39−
際に減っているのは、地方公務員の方が圧倒的に多いわけです。地方公務員は急速に減ってき
ています。
地方公務員は、先ほどお話があったように、警察官の定数はふえてきているわけですね。実
際の現場クラスは基本的に地方公務員カウントです。あと教員についても、本当は子供の数が
減ってきているんですけれども、その一方で教育を充実させなくちゃいけないとか、少人数学
級をやるみたいな話があって、さほど減っていません。この分については、国のしばりではな
く地方の判断ですので、これは文句は言いませんけれども、地方公務員の全体のうち、我々の
ようなというか知事部局にいる職員というのは全体の4分の1しかいないわけです。圧倒的多
くが、そういう国の配置基準で占められている公務員なわけですね。あと公営企業というのも
ありますけれども。そっちの方は、国が全体的に決められている中で、地方公務員の削減とい
うのは、その4分の1の枠の中で何%だといってやっているということなんです。これをぜひ
ご理解をいただきたいと思います。
そんなふうに、我々から見ると、国は上手に数字は出してきます。けれども例えば財政支出
にしても、今から10年前に幾らだったかというのと比べてみると、10年前に大体国の予算と地
方の地方財政計画と同じくらいです。ところが、その後、国は8%ほど比率がふえているのに、
地方の方は、1割以上減っていっています。こんなふうにやっぱり違いが出てきているわけな
んです。そうしたものを、我々地方側というのは、比較的おとなしくてまじめで地道な人間が
多いものですから、一々そんなこと言うことないよな、国も厳しいし、お互いに厳しいからと
思ってやっているんですけども、何か異様に財務当局とかが、あたかも国はまじめにやってい
るけれども、地方はそうじゃないような論調でずっとやってこられるものですから、何かそこ
のところにちょっと変だなと思っているんです。
確かに大阪市のおかしな手当問題だとか、あんなふうに反省すべき材料はいっぱいあります。
それは、地方ももっともっと情報を開示していく必要があるし、もっと納税者としての監視を
厳しくしていく必要があります。
その意味では、もっともっと議会にも頑張ってもらわないといけません。でも、そういう意
味でいくと、絶対自治体の方が住民の監視がきくんですよ。どこかの飲み屋でちらっと市役所
の職員が、「いや、おれたちは12時から1時まで働いていたら金がつくんだ」などと言ってい
たとなったら、すぐ通報が来たりするわけですよ。だからそういう監視が行き届いているとい
う意味では、はるかに自治体の方が目が届きます。
これまでそういう機能が比較的低かったかもしれませんが、ここ数年間というかここ10年ぐ
−40−
らい、情報開示と住民のタックスペイヤーとしての意識が相当高まっていて、自治体の経営の
透明度が非常に高まっていっています。その意味でいくと、私は、国の情報公開に対する態度
だとか、そういう説明責任というものが極めて遅れていると思っています。20年ぐらい前の自
治体のイメージです。
ですから、そういったものに学ぶ気は我々は全くないのであって、むしろ国の方が、きちん
とした説明責任なり、政策評価をどうやって予算編成に結びつけるかとか、そういったことを
的確にやってほしいと思います。
例えば、予算編成についても、我々は既に年度主義というのを半分やめてしまっているわけ
です。予算を使い残したら褒めたたえます。褒めたたえて、翌年半分使っていいというシステ
ムをつくっていっています。ある年にお金が足らなければ、次の年から借りていいよという仕
組みも取り入れています。借りて事業をやるし、そのかわり、もちろん何年間のうちにトータ
ルではきちんと帳じりを合わせてもらいます。そんなふうなことをして、四苦八苦しながら予
算編成をやっているんです。そういうふうな予算編成をやっていきながら、例えば私学助成み
たいに、ぜひ自治体としてはやっていきたいと思う部分でも、今回、どうしても削減せざるを
得ませんでした。
ところが、国はふえているんですよ、公務員1人当たりの予算額単価というものが。なぜだ
ろうと思っていろいろ分析してもわからないんですけれども、結局のところ思うのは、国は赤
字公債があるからだと思うんです。自治体は赤字の公債を出せません、地方が出せる地方債は
建設地方債しかありませんので、どうしても借金できる限度があるんです。国は、多分40数兆、
今回の予算でも借金していると思いますけど、恐らく建設国債は数兆円ぐらいでしょう。あと
の30数兆円は全部赤字国債なんですね。だから、土居先生も言っておられますけど、やっぱり
目標額だとか削減額だとか、本当に具体的に決めていかないと、その年の経済情勢とか政治情
勢の中で予算編成をやっていくと、なかなか健全化というのは難しいのではないかというふう
に思います。
その意味では、我々は非常に手足を縛られている形になっていますけども、赤字地方債が出
せない状態になっているということは、ある意味では、財政規律というものが破綻しないため
には、大変いいふうに働いているのかなと思います。だから結局、我々は、そういう、私学助
成なんか本当はもっともっとやっていきたいところなんですけれども、それをあきらめて、ち
ゃんと団体にも説明をして、こういう情勢だからということで説明してやっているというとこ
ろなんです。
−41−
だからこれからは、比較的裕福だった自治体も含めて、もっともっときちんとした説明責任
を徹底していって、これをやればこれはやれないということをもっと言っていかなくちゃいけ
ないと思います。私、私学助成のお金をもっとふやせといって担当の本部に言ったんですね。
佐賀県は全部本部制なんです。予算編成権は基本的に全部各本部に任せていまして、知事にも
ほとんど予算編成権がないんです。知事は予算編成前に言いたいことを言っていい会議という
のがあって、そのときにいろいろ言うんですけれども、それを聞くだけ聞いておいて、後は基
本的に本部が与えられた配分額に基づいて予算編成をすることになっているんです。「私学助
成をどうしてもあと1億か2億ふやせ」といったら、「知事さん、どこかの本部であと1億か
2億減らしてください」と言われるわけです。「我々に与えられた額はこれだけしかないから、
どこか別のところで減らしてください。そうしたら我々は予算編成できますけども、関係団体
とかにも20%減勘弁してくれとか、30%減勘弁してくれと言っている中で、とてもできないん
じゃないですか」と脅かされてあきらめたような次第でありまして、これが自治体の予算編成
の実態であろうと思っております。
いずれにしても、国も大変厳しい財政状況にあるわけですし、やっぱりそういったことをも
っともっと住民に対しても国民に対してもきちんと説明していくという努力を、少なくとも
我々トップというのは、責任として感じているところであります。
○杉田
どうもありがとうございました。
大分時間もたってきまして、最後にフロアからの質問も受け付ける時間もとりたいと思いま
すので、申しわけございませんけれども、最後に、西尾先生から、今までの議論を踏まえてと
いいますかお聞きになられて、もう少し大きな観点から地方制度の将来、道州制の話あるいは
グローバル化との関連ですとかですね、そういったものまで含めてお話しいただければと思い
ます。
○西尾
国と自治体の関係というのは意外に複雑な話でありまして、だんだん細かくなってい
けばなっていくほど、プロにしかわからない話になっていくんですね。地方交付税制度もわか
りませんし、地方債もなかなか難しい話ですし、土居さんみたいにこういうふうに議論される
と、だんだん何が何だかよくわからない議論になっていくわけですけれども、私は、もう一遍
単純な原点に戻るべきだと思うんです。
地方分権推進委員会を始めたときから申し上げているのですけれども、日本では、どこの先
進国よりも自治体にさせている仕事の範囲は広いんですよね。ここを間違えていただいては困
るんです。指標的に言えば、公務員の中で国家公務員は25%しかない、75%は地方公務員であ
−42−
る、こういう比率ですね、4人に3人は地方公務員である。こんな国、どこにありますか、な
いですよ。ものすごく地方公務員がたくさんいるということですよね。
じゃあ、財政ではどうですかというと、政府部門が国・地方合わせて歳出しているものの中
でどういう比率になっているかというと、大ざっぱに言えば3分の2は地方が支出をしている、
都道府県、市町村ですね。あとの残りの3分の1が国が直接支出しているものだと、こういう
比率になっているわけです。公務員の数で言えば75%が地方、歳出で言えば66%前後が地方の
歳出ということは、要するに行政というものが担当しているうちの7割前後の仕事は自治体が
担当しているということなんですね。この比率はどこの先進国よりも高いわけですね。
日本は地方自治の情けない国と思っていらっしゃるかもしれませんが、3割自治論などとい
う言葉が定着したものですから、そう思っている人たちが非常に多いのですけれども、たくさ
んの仕事を自治体にやらせている国なのです。ここをまず常識にしなければいけない、みんな
がですね、国民が。
それじゃあ、地方自治の最先端の国なのかというと、みんな首かしげざるを得ないわけです
よ、関係者だって。4分の3も持っているなんて言われても、そんな実感、都道府県にも市町
村にもないわけです。なぜならば、たくさんの仕事は負わされているけれども、それをどうい
う仕組みのもとでどういうふうにしなさいというのは、極端に言えば全部国が決めているとい
うことなんですね。国の決められたとおりに都道府県、市町村が仕事を処理していると、こう
いう仕組みです。
これを、財政学者の神野直彦さんは集権的分散システムと名づけていますが、非常に正しい
性格づけです。仕事が地方レベルにあるのなら分散型の国、国に集中していれば集中型の国と
いう意味で言えば、日本はどこの国よりも分散的な国ですと。しかし、その仕組みを決定して
いる決定権がどのくらい中央にあるのか、地方にあるのかという意味で言えば、日本は集権的
な国だと。だから集権的分散システムの国だと、こういうことなんですね。
したがって、分権改革以来やっていることは、国が集権してものを決めている程度を弱めて
いただく。実際に仕事をしている都道府県、市町村という自治体が、自分の判断でできるとい
う状況にもう少し戻す、ここを変えることなんですね。実を言えば、仕事をたくさん自治体に
移すことは、日本ではそれほど課題じゃないのです。国から移すものがあったら、また地方か
ら国へ返すものがあっていいんですね。これ以上欲しいと言っているのではないんですよね。
我々にやれといった仕事については、我々に決めさせてくださいということなんですね。これ
が改革の基本線です。そして、第1次分権改革でやってきたことは、これは国の事務ですと決
−43−
めて、国の事務だから、法令に細かく決めて、さらに解釈、運用をこうしなさいという通達、
通知を出して、このとおりやりなさいとやってきたのが機関委任事務制度ですから、これをま
ずやめていただいて、長年都道府県にやりなさい、市町村にやりなさいと言ってきたことは、
もう都道府県の仕事と割り切りましょうと、市町村の仕事と割り切って、余り国は細かな口出
しをしないように変えてください、ここまで何とかやったわけです。
しかし、もう一つ大きなネックは、財源問題なんですよね。ここで言いますと、先ほども言
いましたように、歳出の面では地方が3分の2を持っていて、国は3分の1でしかない。しか
し、国税、地方税の歳入の割合で見ると、おおむね全く逆なんですね。国税が3分の2を徴収
していて、地方税は3分の1しか徴収していない。地方の方にすれば、自主財源は足りないわ
けです。しかし、歳出はしている、この間を埋めているのが交付税制度であり、国庫補助負担
金という制度ですね。国は、国税として国民から集めておいて、その一部を今度は地方にもう
一遍配り直しているわけです。この配っていただいたお金で、やっと地方は3分の2の仕事が
できるようになっているんですが、このギャップ、歳入と歳出のギャップは、どこの国にもあ
る程度あるものなんですね。これがゼロなんていうことはないんですね。
しかし、日本のギャップはどこの国よりも大きいんです。そこが問題なんですよね。国がお
金を握っちゃって、お金を出してる。そのけちなちょっとのお金を出して、おれの言うとおり
やれとやっているという、この仕組みなんですよね。それを直していただかないと、この国と
地方の関係は変わらない、よその国並みにはならないということを問題にしているわけです。
それが、最近は「三位一体の改革」という名のもとに行われてきている。その進め方が十分か
うまくいっているかは別なんですが、ともかくそういうことが課題として意識され、進められ
ようとしている。私は、これが小泉内閣で3年間で4兆円と言いましたが、この第1段階だけ
で終わるのだとしたら、国と地方の関係はあまり変わらないと思います。私は、この三位一体
の改革は、必ず第2ステージをやるべきだと考えています。そして、国から地方へ出ている国
庫補助負担金は総額20兆近くのお金になるわけですが、少なくともあと4兆円を加え総計で8
兆円程度は国が放棄をして、地方の財源に変えるというところまで行くべきです。全廃ではな
いんですよ、国庫補助負担金を全くやめろなんてだれも言っていないんですよ。それの半分弱
はやめてみましょうよと。その分を地方に回してみたらば、この国と自治体の関係は大きく変
わるのではないですかということなんですね。その8兆円規模まで行けば、少し今までとは違
う姿になるのではないかというふうに私は思っていまして、細かい議論を限りなくやっていけ
ばいろいろな論点が出てくるのですけれども、大筋を間違えてはいけないのではないかと思っ
−44−
ています。
○杉田
ありがとうございました。
それでは、ここでフロアからご質問をお受けしたいと思います。ご質問のある方は手を挙げ
ていただきまして、こちらの方で指名いたします。マイクも持ってまいりますので、指名され
ましたらば、お名前と、それから所属、それからもしございましたらば、どの方にご質問をし
たいか、あるいはこういう意見があるということで言っていただけたらと思います。
いかがでございましょうか。ご質問ございませんでしょうか。
どうぞ。
○聴衆A
今日は、貴重なお話をありがとうございました。
私どもの局は、いわゆる全総計画をつくってきた局でございまして、ただ、歴史的に見て、
その全総計画みたいなものが地方分権の中で曲がり角に来ているということで、国総法を改正
して、国土形成計画ということで、理念だけを書いた全国計画と広域地方計画ということで、
地方と共同でつくろうという2本立てにしようという改革をしているところでございまして、
大変参考になりました。
できれば、西尾先生、それから古川知事に特にお伺いしたいと思っておりますけれども、国
土計画の課題はいろいろありますけれども、県を越えたレベルの連携をどう進めていくかとい
うようなことが非常に大きな課題だと思っております。今までの全総計画で、例えば地域連携
構想というようなことで、今、地方でやっているような地域連携軸みたいなものを国としても
推進していくんだというようなことが書かれておりますけれども、そういったものを今後の地
方分権の中で進めていくということで、国が果たす役割というのがどの程度あるのかというこ
と。ある程度国として、例えばこの県とこの県は連携すべきではないかというようなことを言
うべきなのか、それとも、もうその辺は県の方あるいは市の方に任せて、連携したいところは
するし、しないところは勝手にすればいいというふうに考えればいいのか、その辺のことで何
かお考えがあれば、伺えればと思っております。よろしくお願いします。
○杉田
それでは、お願いいたします。
○古川
確かに、今、都道府県間の関係が一種の疑似国家間の関係みたいな感じになっていま
して、皆さんすごく遠慮がちにものを言うんですよ。市町村同士というのは、生活も割と一体
化していますし、しかも事務も一緒にしている例が多いので、お互いに割と自由な意見交換が
できているんですけど、何となく確かに県間の距離というのはありますね。
イメージとして思っていることを申し上げると、特に試験研究機関というのを県が結構持っ
−45−
ています。佐賀県の場合焼き物の産地ですから、窯業技術センターというのを持っていますが、
佐賀県の西の端っこにある有田町というところにあって、その隣町の長崎県の波佐見町という
ところにもあるんです。これは長崎県の窯業技術センターです。もったいないわけですよ。
また、各県の農業試験研究所みたいなところでは、各県競って新しいイチゴの開発の研究な
んかをやっているんですが、それはそれで競うことに意味があるのかもしれませんけれども、
実はそうやって各県単位でやっていると、なかなか競争力のある品種の開発が一世代でできな
いというふうなこともあります。
もうちょっとフォーカスから下がっていくと見えるものもありますし、一緒にやればいいの
になと思うものもあります。そういう分野について、遠い目で見ていただくというふうなこと
は意味があるんじゃないかということと、あと例えば、これは余計なお世話かもしれませんけ
れども、こんなことをやったらおもしろいんじゃないかという、何か遊びみたいな部分という
のは、非常におもしろいかなというふうに思います。私なんかは、2020年に北部九州でオリン
ピックをやったらいいんじゃないかと言っているんですけれども、例えば何か県単位でものを
考えずに、もうちょっと遠くでこんなことできないのみたいなことをちょっと言っていただく
と、それは非常に参考になる部分はあろうかというふうに思います。
○杉田
もし、よろしければ。
○西尾
私は、国が都道府県に対して、こういうことについて、この県と県の間で連携を進め
たらどうですかとかいうことを提案されたり、助言されたりすることはご自由だと思うんです
よ。ただ、それを強制することはよろしくないと。これは、市町村合併についても都道府県が
パターン図をつくって、これで考えてみてくださいというのを出したわけですけど、それはあ
くまで都道府県が参考のために出しただけのお話で、こうやりなさいと市町村に命じたわけで
もありませんよね。命じたとしたってそのとおりにならないんですから、そんなの無理なので
ありまして、実際に関係の都道府県がその気にならない限り、県に対してそういうことを命じ
ても無理だと思うんですけど、提案をなさったり、この内容はどうですかと投げかけることは
一向に自由なのでありまして、どんどんなさったらいいんじゃないかと思っています。
将来、都道府県の広域化にしろ、新しい道州制への移行にしろ、どういう区画ごとにまとめ
ていくんだろうという話がありますよね。これは関係都道府県の話、協議に任せておいたら進
むのか、町村合併と同じで、何十年待っても進まないのかもしれないですよね。そうすると、
町村合併のときに都道府県がパターン図を示したみたいに、国は一応パターン図を示すとか、
そういう話はあるのかもしれないですよ。しかし、それはあくまでパターン図を示すだけの話
−46−
で、それでやりなさいなんてことはできませんし、結果は、そのとおりには恐らくならないだ
ろうと。でも、そういうことを示すことが一つの促進になるかもしれないと。それは、あえて
否定する必要はないんじゃないかと思っています。
ただ、もし国がそんなパターン図を示せということを言われたら、多分、選挙区割確定審議
会みたいにね、何とか審議会というのが新しくつくられて審議するんでしょうけど、容易でな
いと思いますね。全国をどう区画割するかって案を出せって言われても、みんな困惑してしま
うんじゃないでしょうか。比較的北海道について、余り問題はないと思うんですね。東北も比
較的問題ないと思うんですよ。ただ、実際には、北東北3県と南東北3県でいいんだという人
もいますから、東北一本なのかどうかも合意は成り立たない。九州だって同じですよね、九州
を一つにするといっても、それほど異論はないんじゃないかと思うんですけど、北九州と南九
州なんだと。麻生大臣などは、あれはやっぱり9つの国だから九州なんだとおっしゃいますか
らね。もともと四国は4つの国だから四国なのであり、九州は9つの国だから九州という地名
になっているので容易じゃないよなどとおっしゃっていますが、比較的議論のないところだと
思うんですよ。
だけども、関東地方と言われる地域から近畿地方と言われる地域にかけての本州の中央部分
を、どういうふうに線引きなさるんですかと。これはだれが考えても頭を抱えてしまうような
話じゃないでしょうか。ここに全く社会的合意はないんですから、これをどうやってこれから
やっていくんだろうということは大きな課題で、国が案を示すということは、それはあるかも
しれないと思っています。
○古川
どうでもいいことですけど、私は道州制と言わずに道制と言えと言っているんですね。
州というのはもともと国ということで、本当は今の肥前とか肥後とか、そういったものが州な
んですね。だからそれをまとめてやろうとすると、九州州という言い方は変で、それはやっぱ
り九州道になるということなんだろうと、意味からすれば、本当は道制なんだろうというふう
に思っているのと、あとはやっぱり東京問題をどうするかというのが問題ですね。本当に道州
制にしていって独立性を高めることにすると、やっぱり首都であるという特殊性みたいな部分
において、その首都圏を含むところが優位性に立ってしまいます。そのバブリーな部分を首都
圏以外の州にきちんと分配すべきだという議論であって、やっぱり国家の中では、首都はニュ
ートラルであるべきだというふうに思います。例えばアメリカ合衆国のワシントンD.C.み
たいにどこにも属さないような、そういうイメージもひょっとしたら必要になってくるんじゃ
ないかなというふうに思っています。
−47−
○杉田
どうもありがとうございました。
そのほかにご質問は。後ろの方で。
○聴衆B
土居先生に1点質問させていただきたいんですが、先ほどの先生のお話の中で、こ
れから新規に地方債を発行していくときには、市場における公募発行をふやすですとか、ある
いは制度的な枠組みとして自治体の破綻ルールを整えるといったようなことで、その発行体で
ある自治体に対する規律づけを働かせていくというような方向性が示されていたと思うんです
けれども、私がお聞きしたいのは、既存の地方債務のストックということについては、今後、
どういうふうに対応していったらいいのかという点です。そもそも交付税措置等により、事実
上、国がその債務の償還を保証しているような状況になっているわけでして、その部分をどの
ように実際に償却していったらいいのか。もちろん地方がある程度努力をして、増税とかをし
て返していくという部分もあるでしょうが、それでもにっちもさっちもいかない部分について
は、どういう政策的なオプションが考えられるのかということについて、ご協議いただければ
と思います。
○土居
ご質問どうもありがとうございます。
少しテクニカルな話になるんですけれども、お答えさせていただきたいと思います。
私が思うには、既存債務については、これまで国がある程度コミットしてきたということが
ありますので、国の責任できちんと対処するという側面がやはり強く出ざるを得ないんだろう
と思います。ある意味で、今までのことは国が責任を負うかわりに、今後のことについては地
方がちゃんと責任を負って、借金するなら借金してくださいというすみ分けをして、そこで妥
結を図るといいましょうか、そういう方向性が考えられるのではないかと思います。
ただ、テクニカルに悩ましいのは、交付税で地方債の元利償還金を手当しているんじゃない
かというんですが、これは別に約束したのは、あくまでも計算するときにカウントに入れるよ、
つまり多ければたくさん交付税を出すよということまでは言っているけれども、幾らというこ
とを事前に厳格に金額が決定して覆らないというわけではないところですね。
そうすると、特に財務省は、そんなのは我々が約束したんじゃなくて総務省が約束したんだ
ろうとか、そういうような話になったりするという問題がありますので、そこはつまらぬ金額
の算定でもめて、債務の整理がきちんとできないということになることほどつまらぬことはな
いので、国のこれまでの責任をかんがみれば、極端に言えば、約束したことについては欠け目
なく全額国が引き取ると。そのかわり、あくまでも基本的にほとんどの例外なく今後はそうい
う措置は講じないという、そういうぐらいの過去との決別といいましょうか、それがとれるな
−48−
らば国が引き取ってよいだろうというふうに思います。
○杉田
ありがとうございました。
大分時間も最後になってまいりました。
ここで、各パネリストの方、どうしてもこれだけは言っておきたいというようなことがござ
いましたら、1人1分程度ですが、ございましたらばお願いいたします。
○西尾
では、1つだけ問題提起をさせていただきますが、義務教育問題をめぐってナショナ
ルミニマム論というのがまた改めて強調されていますが、私は、ナショナルミニマムというの
を安易に引き上げるということは、地方分権に反すると思っているですね。これまで以上にミ
ニマムを上げようなどという発想はまずやめること、それから、今までミニマムだとされてき
たことについて、ミニマムにしては高過ぎるんじゃないということを見直すべきだと、可能な
ものは引き下げるべきだと思うんですね。ミニマムと言う以上、どこの端の島に行こうと、す
べての地域、すべての国民に保障しなければならないということですけれども、これを引き上
げたらできないんですよ、町村では。ということは、全部国が財源を面倒見てくれない限りそ
んなこと不可能ですという話なんです。ますます国が交付税でたくさん配分してくれない限り
どうにもならないという話なんです。しかし、本当に隅々のどんな地域でもここまで守らなき
ゃいけないということがあるのでしょうか。私、それはもっとゆるめていいんじゃないかと思
います。
ですから、本当にミニマムなのか、できればこのくらいにしてほしいという値なのか、この
区別がものすごく重要だということを、全数値について考え直すべきだと思っています。
○古川
私は一言だけ。
こういう機会を通して、ぜひ2030年をいい日本にしていきたいと思います。
○森
分権型社会がさらに進化していくには、やはり受益と負担のバランスシート、これをや
はり私どもがきちっとしなければ、先ほどいろいろ皆様方がおっしゃったように、いい2030年
を迎えることはできないというふうに、今日、お話を聞いて確信いたしました。
○藻谷
私は、先ほど産業ではなくて分配が問題なんだと、消化器系でなくて循環器系だとい
うことを申し上げました。
ですが、聞くところによると、この委員会全体がそうだったんですが、やっぱり中国をどう
するみたいな話が非常にみんな好きで、そっちの方がずっと動員も多かったと聞いています。
そのこと自体が、例えばアメリカでも中国でも、韓国でも同じことが起きていると思うんです
が、内部に問題を抱えているときというのは、人のことを文句言いたくなるんですよね。です
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が、それが度合いが大きいか少ないかということがその国の健全性を示すんだと、僕は思って
います。だから外国のことに口を出している人が地方自治をやるとか、おかしいんですよね。
そういうことではなくて、自分自身の足元に問題があるということを見るべきで、その問題は
しかも首都圏に襲うのであるということですね。
皆さんもうお忘れになったと思いますけれども、もう一度申し上げておきたいと思います。
しかもその問題は、分配さえ何とかすればどうにかなるのであって、だから端的に言うと、財
政に出るわけです。今の変数として、首都圏の自治体が財政的に非常に苦しくなるということ
を折り込んだ上で、ますます改革が必要になる。ただ、じゃあ、そのことによってお先真っ暗
みたいなイメージを持たれると、これは大きな勘違いで、日本人は世界一の貯蓄を持っている
んです。計算すると300年分の資源をため込んでいるわけですよ。世界最大の金貸しであり、
金利配当だけで食糧資源が全部買えるという、世界史上初めての国。しかもそれを植民地支配
ではなくて正当な経済行為によって達成したという、胸を張って誇れる状況にあるわけなので、
それをどうやって使うかということを考えてみる。
そうすると、今、財政の話だけなんですが、皆さんおっしゃりたくてもトピックじゃなかっ
たので言わないと思ったんですけど、もうちょい一部しちゃうと、コミュニティビジネスです
よ。貯金をどうやって地域で使わせるかということは、財政プラスコミュニティビジネス。大
企業の規模の利益を追求する薄利多売の商売でなく、小規模、小売り、そして商売り上げのビ
ジネスです。これをどう振興するか。その最先端は福祉です。だれがどう考えても福祉なわけ
です。ということは、もうこのテーマに出ていたと思うわけですね。それから、自治体がやっ
ているところをPPPとして代替する。今、大手の企業がどんどこ入札していますけど、コミ
ュニティビジネスとしてのPPPみたいなものですね、パブリック・プライベート・パートナ
ーシップ、公民連携ですが、これはいっぱい出てくるわけなんです。
余談ですが、政策銀行としてはそういうところをどんどん掘っていきたいと思っているわけ
ですが、世の中全体としても、やっぱり皆さんが、財政がそういうふうになればこそ私のビジ
ネスチャンスだと思ってとらえていただきたい。財政は逆に言うと、それはビジネスチャンス
から落ちたところを救うんだと。
だから、全員の先生がおっしゃったナショナルミニマムは保障されるんだと。そっから先の
上乗せはおれたちが頑張ってもうけようじゃないかと、これだけ金があってそれができなかっ
たら、世界一の笑い者ですよ。私はできると信じているわけです。ただ、そのためにも早く中
国にどうするとか、そういうトピックじゃなくて、高齢化にどう対処するかということに全国
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民が目を向けるべきだと、私は強く申し上げたいです。中国問題がどうのこうのって、解決に
なりません。強く申し上げたい。ものづくりがどうのこうの、どうでもいいです。福祉をどう
するかということを考えてください。ものづくりはものづくりの企業が頑張ってやります。強
く申し上げたい。
ありがとうございました。
○土居
私は、古川知事、森市長のご発言を聞いていて、こういう知事や市長ばかりが日本の
首長であれば、日本の2030年は大変明るいと思いましたけれども、残念ながら私の印象では、
先進的な知事や市長さんは、まだ少数派と言ってはちょっと恐縮ですが、少数派といったとこ
ろでありまして、やはり何とか国に依存していれば2030年も何とか生き延びれるんじゃないか
と漠然と思っている自治体がまだ多くある。そういう人たちにできるだけ早く目を覚ましてい
ただいて、やはり身の丈に合った行政、それから過度に債務を負わないというところを徹底し
て、そうすれば、恐らく日本人はばかではないので、自分たちの身の回りのことは自分たちで
考えるということぐらいはきちんとできるはずなんです。
そういう意味では、できるだけ早く、2030年を、明るい未来を展望できるような、また、こ
ういう会合ができればというふうに思っております。
どうもありがとうございました。
○杉田
どうもありがとうございました。
おかげさまで時間もほぼぴったりに終わりまして、パネリストの方々、それからご来場いた
だきました皆様方に感謝したいと思います。
最後に土居先生が言われたとおり、2030年、明るく迎えられるようなことでできたらなと、
こういうふうに思っております。
本日は、皆様来ていただきましてありがとうございました。これにて本日の経済政策フォー
ラムは終了させていただきます。
最後に、パネリストの方々にもう一度拍手をお願いいたします。(拍手)
どうもありがとうございました。
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