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くいちろう 加藤さんや五十嵐さんら は、昭和 年に南樺太から引 き揚げ、現在の豊岡地区に入 る良き思い出の地。それだけ に開拓期の大変な苦難を乗り 越え現在まで豊岡で暮らしな が ら、﹁ ず っ と 行 っ て み た い と思っていた﹂と言います。 訪問したのは、加藤さんと 長男の信一さん︵ ︶=滝沢 市=、五十嵐さん、豊岡出身 ︶、 妻 昌 子 さ ん で町ふるさと会会員の佐藤 勇 作 さ ん︵ ︵ ︶=大阪市=の5人。 一行は、千歳空港からサハ とよはら リンへ飛び、旧豊原市︵現ユ からふと 植しました。二人にとって引 き 揚 げ 前 の 南 樺 太 は、﹁ 木 材 ジノサハリンスク︶を拠点に、 豊岡地区の加藤九一郎さん しょうきち ︵ ︶と五十嵐正吉さん︵ ︶ が豊富で漁業も盛んに行わ 五十嵐さんの故郷旧小田寒 お だ さ む れ、 生活水準が高かった﹂、﹁人 ︵現フィルソボ︶、加藤さんの 日∼ 日、生まれ故 郷の南樺太︵現ロシア・サハ も家畜もたくさんいて、良い リン州南部︶を は7月 年ぶりに訪 故 郷 旧 真 岡 町︵ 現 ホ ル ム ス おおどまり ク ︶、 勇 作 さ ん の 母 親 の 故 郷 旧 大 泊 町︵ 現 コ ル サ コ フ ︶ などを訪ねました。 現在のサハリンは、 ﹁インフ ラや医療が遅れているようだ﹂ と加藤さん。五十嵐さんも ﹁日 本人がいたらもっと発展して いたと思う﹂と話し、日本領 時代の繁栄の名残や発展した 光景は見られなかったそうで す。それでも、当時住んでい た海岸沿いを訪れた加藤さん は、 ﹁海で泳いだことやニシン 漁でにぎわった様子を思い出 した﹂と話し、五十嵐さんも、 ﹁生まれ故郷の川にたくさんマ スがいるのが見え、マス取り をしていた当時のことを思い 出した﹂と懐かしい景色に万 感の思いを巡らせました。 帰 国 後、 加 藤 さ ん は、﹁ 故 郷に行くことができて満足し た。面白かった。今、紀行文 を書いているところですよ﹂ と 笑 顔。 五 十 嵐 さ ん は、﹁ 故 案内 日︵日︶∼ 日︵火︶ ●川口秋まつり 9月 ●岩手町秋まつり ∼沼宮内山車百年祭∼ 月 日︵金︶∼ 日︵日︶ 墓 前 に 報 告 で き た。 以 前 は、 の 写 真 展 な ど 関 連 行 事 を 開 催 す る 他、 100年以上の歴史を誇る沼宮内山車 こ と し の 町 秋 ま つ り は、﹁ 沼 宮 内 山 車 百 年 祭 ﹂ と 題 し て 開 催 さ れ ま す。 郷 の 土 を 持 ち 帰 り、 両 親 の よ く 樺 太 の 夢 を 見 て い た が、 手 は、 一 般 の 皆 さ ん か ら 募 集 し ま す。 日の夜間パレードに参加。山車の引き 実行委員会が新たな山車を制作し、中 帰ってからは見ることがなく なった﹂と故郷への思いを果 たした喜びを語りました。 お誘いあわせの上、ぜひ参加ください。 10 月4日㈯ 午後6時 プラザあい出発 ・ 町秋まつり実行委員会︵町商 工会内︶ ︲ 2760 9 月6日㈯∼ 10 月 17 日㈮ プラザあい 12 月6日㈯∼ 23 日㈫ 石神の丘美術館 暮らしをしていた﹂と振り返 れ、 東 日 本 大 震 災 の 折 に は、 日本人移民農家を中心に﹁豆 腐100 万丁プロジェクト﹂ として100㌧の大豆や製造 のパレードに参加する れ、当時を懐かしみました。 根がなくなり、家の近くを新 幹線が通るなど、ガラリと変 わ っ て い た ﹂ と 驚 い た 様 子。 現地で農業を営む忠三さん 加工費を支援しています。 長男の忠利さん︵ ︶に農 業経営を譲り渡したことを機 に今回、初めての帰郷が実現。 両親が亡くなった際にも帰れ ず、﹁日本に来て一番したかっ たこと﹂という墓参りも果た 年ぶり し、﹁会えないと思っていた﹂ と話す忠士さんとも に再会しました。 忠三さん夫妻は9月中旬ま で日本に滞在予定。忠三さん は、﹁ も う 来 ら れ な い か も し れない。他のきょうだいたち にも会って帰りたい﹂と話し ていました。 ※参加者は、午後3時に稲荷神社へ集合となります No.663 9 /平成 26 年9月1日広報いわてまち け、太鼓を購入しました。 は、﹁ 初 め は 山 を 切 り 開 い て 「秋浦大名行列」や「きつね踊り」などの郷土芸 能と山車3台が地区内を練り歩く川口まつり 川口秋まつり実行委員会事務局 平成 26090年9月1日広報いわてまち No.663 / 8 5598-2719 コミュニティ助成を受 焼き払い、木がゴロゴロして 5 ◆一般参加型「沼宮内山車」運行 自治総合センターの一般 いるところにトウモロコシな どを作付した﹂などと当時の 年位前から生活基 苦 労 を 語 り、﹁ 農 地 面 積 を 確 保でき、 盤もできた。地球の裏側に来 て本当に良かった﹂と強く望 んだ〝成功〟の喜びを話しま し た。 民 部 田 町 長 は、﹁ 移 住 という大変な決断をして成功 した。 され素晴らしい﹂とたたえま で帰国。当日は、弟の忠士さ 年ぶり た秋浦出身の工藤忠三さん 長室を訪れました。 生産。大豆は日本にも輸出さ ん︵ ︶=東京都在住=と町 ︶が 日、民部田幾夫町長を表 の ふ る さ と は、﹁ か や ぶ き 屋 ◆写真展 55 21 3 ㊤故郷の海と大地に思いを寄せる 二人 ㊨ルーツを訪ね絆を深めた 5人。右が佐藤勇作さん夫妻、左 は加藤さんの長男信一さん 年 ぶ り に 帰 郷 し8 ︵ 月 敬訪問しました。 10 ㊤日本軍とソ連軍 との激戦地、熊笹峠 の記念碑を見学 ㊧ガイドと共に現 地のロシア人に聞 き込みしながら当 時の居住地を探す 61 23 町秋まつり山車百年祭 「沼宮内山車」は、(一財) 9 月6日㈯ 午後6時∼ プラザあい 62 ◆記念式典 22 忠三さんは、妻の利子さん ︵ ︶=玉山区出身=と二人 民部田町長を表敬訪問する工藤忠三さん㊥と弟の忠士さん㊨ 忠三さんは現在、460㌶ もの大規模農地で大豆などを 昭和 年に妻と2歳の長女 の3人でパラグアイへ移住し 20 「沼宮内山車百年祭」関連行事 コミュニティ 助成事業で 購入しました 59 五十嵐 正吉さん 加藤 九一郎さん 南米・パラグアイから 50 年ぶりに帰郷 秋浦出身の工藤 忠三さんが町長表敬訪問 50 71 49 80 工藤さんの長男忠 利さんが組合長を 務める現地のイグ ア ス 農 協50年 記 念誌を寄贈 73 23 67 19 39 50 50 豊岡入植から 67 年 夢に見た故郷・南樺太の訪問実現 86 18 74 写真提供:加藤九一郎さん