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他動性交替の地域特徴 佐々木冠(札幌学院大学) 1. はじめに 本稿は
他動性交替の地域特徴 佐々木冠(札幌学院大学) 1. はじめに 本稿は、他動性交替に関する日本語方言の類型論的多様性を明らかにすることを目指すもの である。この論考では、東日本の方言を考察の対象とする。扱う現象は、自他交替と可能構文 における非正規構文の生産性である。自他交替に関しては、語彙的な自他交替以外に生産的な 形態法による使役派生と逆使役派生を考察の対象とする。北海道と東北地方の方言が、他動性 交替に関して、中央方言とは異なる性質を示すことを明らかにしたい。 この論考では、マックス・プランク研究所の調査票を使って得たデータを中心に議論を進め る。この調査票は 80 以上の動詞とその派生形式が述語となる構文を記述することを目的とした ものである。80 以上の動詞で構成されているとはいえ、述語数に限定がある以上、各方言の性 格付けは概略的なものになる。 日本語方言に使役形態素の多様性や可能述語形式の多様性が見られる以上、自他交替と非正 規構文の生産性は、東日本以外の方言においても多様性が見られる可能性がある。 2. 自動化と他動化 この節では、東日本の方言における自動化と他動化について扱う。この節で自動化および他 動化と呼ぶ現象は、以下に図示するように意味の上だけでなく統語的にも項の増減を伴う現象 である。 (1) a. 自動化 彼が(A) b. 他動化 彼が(A) 枝を(O) 折る (or-u) ↓動作主の削除 枝が(S) 折れる (ore-ru) お湯が(S) わく (wak-u) ↓動作主の追加 お湯を(O) わかす (wakas-u) ここでは、自動化という用語は、動詞語根に語彙的派生接辞が付加されることに伴って他動 詞の主語が削除され、他動詞の目的語が自動詞となって現れる現象を指すものとする。ここで は受動文の派生や可能構文の派生は自動化に含めない。これらの構文では、対応する他動詞文 の主語が斜格の形でではあるが、現れ得る点で、ここで扱う自動化や逆使役とは異なる。 他動化という用語は、動詞語根に語彙的派生接辞が付加されることに伴って新たに主語が導 入され、もとの主語が目的語になる現象を指すものとする。 これらの現象は、方言によっては生産的な形態法によって担われる場合もある。生産的な形 態法による自動化および他動化は、それぞれ逆使役派生および使役派生と呼ぶことにする。 2.1. 先行研究 2.1.1. 語彙的自他交替に関する国内の研究 日本語標準語の語彙的自他対応については、早津(1989)および佐藤(2005)などにより、以下の ような意味的条件があることが指摘されている。 (2) a. 対応する他動詞が、目的語の状態変化を含意するものである。 b. 対応する他動詞の語彙的意味に動作様態が指定されていない。 以上の意味的な制限の両方を満たす場合に語彙的な自他対応が見られる。(2a)は他動詞の語彙 的アスペクトが完成であることを要求する。完成アスペクトの他動詞であっても、(2b)の条件を 満たさない場合は、自他対応が成立しない。「折る」という他動詞はアスペクトが完成であるだ けでなく、動作様態が指定されていないので「折れる」という対応する自動詞があるが、 「塗る」 という他動詞は(2a)の条件は満たすものの、動作様態が指定されている(平面に対する平行移動 のくり返し)ので、対応する自動詞が存在しない(佐藤 2005)。 上に上げた二つの意味的な条件は、Haspelmath (1993)によって指摘された逆使役派生の通言語 的な一般化とも合致する。 2.1.2. 類型論的観点から見た日本語の他動性交替 現代日本語標準語の語彙的な自他対応に限ってみると,双方向的(equipollent)な派生関係が優 位とする分析(Haspelmath 1993)と他動化が優位とする分析(Nichols et al. 2004)がある。 Haspelmath (1993)は 31 の動詞の他動性交替を 21 言語で対照した研究である。日本語に関して は、双方向的な派生が 22 例と最も多く、使役型の派生は 6 例、逆使役型の派生は 4 例、浮動(labile) 型と補充型はそれぞれ 1 例であった。 Nichols et al. (2004)は 18 の動詞の他動性交替を 80 言語で対照した研究である。他動性交替の 例を検証した動詞は、‘laught’, ‘die’, sit’, ‘eat’, ‘learn, know’, ‘see’, ‘be/become angry’, ‘fear, be afraid’, ‘hide, go into hiding’, ‘(come to) boil’, ‘burn, catch fire’, ‘break’, ‘open’, ‘dry’, ‘be/become straight’, ‘hang’, ‘turn over’, ‘fall’である。日本語に関しては、これらに対応するものとしてどのような動詞 (とその対)が選択されたか、同論文では示していないが、使役型(Nichols らの用語では augmented)の派生が最も多いとされている。なお、Nichols et al. (2004)によれば,このような他 動化の優位は北アジアと北米で顕著な傾向であるという。日本と隣接する地域で他動性交替に 関して共通の傾向が見られるのは興味深い。 Haspelmath (1993)と Nichols et al. (2004)の分析が異なるのは、分析の対象とする動詞の選定方 法によるものかもしれない。ただし、通時的な観点で見ると他動化が優位とする見方に軍配が 上がる。ナロック(2007)は、歴史的に見ると他動化が優位であったとする分析を展開している。 その議論は次のように要約できる。二段動詞の一段化によって使役型の対(すぐ—すごす)で あったものが、双方向的な対(すぎる—すごす)に見えるように変化したことなどが要因とな り、他動化型の自他対応は減少したが、近世前期までは他動化が自他交替の半数を超えていた。 『日本国語大辞典』などを参照して行った全動詞を対象とする調査したところ、近世前期まで の比率は、使役型:51%、逆使役型:25%、双方向型:16%、浮動型と補充型の合計:9%であっ た。ただし、近世後期以降でも使役型が最も優位で 43%を占める。 つまり、語彙的自他対応において他動化の優位は弱まりつつあるものの、依然として日本語 は他動化が優位であるということになる。現代日本語標準語の生産的な他動性交替の形態法は 使役である。これも他動化優位の傾向に沿っている。 2.2. 方言における形態的他動性交替のヴァリエーション 筆者は、2010 年から 2011 年にかけて、マックス・プランク研究所の調査票を用いて東日本の 方言の他動性交替および態に関する調査を行った。マックス・プランク研究所の調査票は、80 (拡張項目を含む)の述語リストからなるもので、それぞれの動詞で可能な態の派生を記録す るためのものである。マックス・プランク研究所ではこの調査票によって世界の言語の他動性 交替や態のデータベースの構築を計画しているi。この節では、2010 年から 2011 年にかけて行っ た調査で得たデータを用いて、東日本の方言の中の他動性交替の多様性を示すことにする。 筆者がマックス・プランク研究所の調査票を用いて調査を行った方言は北海道方言、五所川 原方言(青森県)、寒河江方言(山形県)、水海道方言(茨城県)である。水海道方言に関して は、80 歳代の話者 2 名に調査に協力してもらった。1 名は男性、もう一名は女性である。それ 以外の方言は、各方言につき 30 歳代の話者 1 名に調査に協力してもらった。寒河江方言の話者 は女性、それ以外の方言の話者は男性である。 まず、四つの方言と標準語の語彙的自他対応の割合を示す。標準語のデータは、岸本秀樹氏 と影山太郎氏が中心になって作ったデータベースを参照した。他動化は、自動詞語根に-e を付 けて他動詞を派生するもの(ak-u — ake-ru)と-as を付けて他動詞を派生するもの(wak-u — wakas-u)の両方を含む。自動化は、他動詞語根に-e を付けて自動詞を派生するもの(or-u — ore-ru) と-ar を付けて自動詞を派生するもの(kurum-u — kurumar-u)の両方を含む。それ以外は双方向 的な対応関係と見なした。 表 1. 北海道方言 表 2. 五所川原方言 (語彙的自他対応:24、述語総数:89) (語彙的自他対応:17、述語総数:89) 他動化 37.5% 他動化 41.2% 自動化 37.5% 自動化 29.4% 双方向的 25.0% 双方向的 29.4% 表 3. 寒河江方言 表 4. 水海道方言 (語彙的自他対応:17、述語総数:90) (語彙的自他対応:23、述語総数:96) 他動化 41.2% 他動化 34.8% 自動化 23.5% 自動化 30.4% 双方向的 35.3% 双方向的 34.8% 表 5. 標準語 (語彙的自他対応:19、述語総数:80) 他動化 47.4% 自動化 31.6% 双方向的 21.1% 調査した方言によって追加した述語があるため、比較のための条件が完全に同じではないが、 次のようなことが言える。 水海道方言では他動化と双方向的な対応が拮抗しているが、他の方言では、他動化が双方向 的な対応より優位である。自動化と双方向的対応のどちらが多いかは、方言によって違いがあ る。北海道方言では、他動化と自動化が拮抗しており、双方向的対応に対して優位になってい る。標準語では自動化が優位だが、寒河江方言では双方向的な対応の方が自動化より優位であ り、五所川原方言では、自動化と双方向的な対応が拮抗している。 水海道方言で他動化の割合が他の方言に比べて低いのは、自動詞の語形の違いが一つの原因 と考えられる。標準語や他の方言で他動化型になっている語彙的自他対応が双方向的な対応関 係になっている場合がある。たとえば、「どく(自動詞)—どかす(他動詞)」は、水海道方言 では、doge-ru(自動詞)— dogas-u(他動詞)となっている(調査語彙には入っていないが、 「う く(自動詞)—うかべる(他動詞)」は、ugi-ru(自動詞)— ugabe-ru(他動詞)である)。この ような対応ではどちらか一方が無標の形式になっていると共時的に分析することができないた め、双方向的な対応関係と分類することになる。 次に使役接尾辞を用いた使役派生と自発接尾辞を用いた逆使役派生についてデータを示す。 四つの方言のうち水海道方言を除く方言には、自発接尾辞を用いた生産的な逆使役派生があ る。自発接尾辞は北海道方言と五所川原方言では/rasar/であり、寒河江方言では/rar/である。水 海道方言は、生産的な逆使役派生を欠く点で、標準語のベースとなった東京方言をはじめとす る中央方言と同様である。北海道方言、五所川原方言、寒河江方言の逆使役構文の例を以下に 示す。これらの構文では動作主が斜格の形であっても現れることがない。これらの方言でも標 準語と同様、(3)から(5)に示した他動詞「積む」には語彙的に対応する自動詞が存在しない。逆 使役派生による自動詞化が語彙的な自動化よりも広い範囲に及んでいることがわかる。 (3) 北海道方言 a. sono otoko=ga その男=主格 b. hosikusa=ga 干し草=主格 niguruma=ni hosikusa=o tun-da 荷車=与格 干し草=対格 積む-過去 niguruma=ni tum-asat-ta 荷車=与格 積む-自発-過去 (4) 五所川原方言 a. are 彼 niŋuruma=sa wara=ba tun-da 荷車=与格 わら=対格 積む-過去 b. niŋuruma=sa 荷車=与格 wara tum-asat-ta わら 積む-自発-過去 (5) 寒河江方言 a. sono odogo その男 b. wara わら niŋuruma=sa wara=ba tun-da 荷車=与格 わら=対格 積む-過去 niŋuruma=sa tum-at-ta 荷車=与格 積む-自発-過去 使役接尾辞も方言ごとに形式が異なる。標準語の使役接尾辞は/sase/である。北海道方言は、 伝統方言では使役接尾辞は/rase/である(石垣 1958)が、筆者の調査に協力してくれた話者の場 合、標準語化した形式/sase/を用いている。それ以外の三つの方言では、/r/で始まる形式になっ ている。五所川原方言の使役接尾辞は/rahe/であり、寒河江方言の使役接尾辞は、/rasje〜rahe/で あり、水海道方言の使役接尾辞は/rase/である。(6)から(9)が各方言の使役構文である。 (6) dareka=ga sono otoko=ni isi=o mado=ni nage-sase-ta(北海道方言) 誰か=主格 その男=与格 石=対格 窓=与格 投げる-使役-過去 (7) daiga=ŋa ai=sa 誰か=主格 彼=与格 (8) (9) mando=sa isi naŋe-rahe-da(五所川原方言) 窓=与格 石 投げる-使役-過去 n darega odogo=sa ma do=sa isi=ba naŋe-rasje-da(寒河江方言) 誰か 窓=与格 石=対格 投げる-使役-過去 ore 彼=与格 are=ŋe ka:=sa esjkoro bunnaŋe-rase-da(水海道方言) 誰か=主格 彼=与格 川=与格 石ころ=対格 投げる-使役-過去 以下に四つの方言における使役派生と逆使役派生の割合を示す。使役派生は、自動詞と他動 詞の両方に対して可能なので、使役派生のデータが得られた件数を動詞全体の件数で割ったも のを割合として示した。一方、逆使役派生は定義上自動詞からはあり得ないので、逆使役派生 が得られた件数を他動詞の件数で割ったものを割合として示した。なお、自他対応がある動詞 の場合、音節数の少ない方に自発接尾辞が付いて自発述語を派生する傾向がある。たとえば tat-u (建つ、自動詞)と tate-ru(建てる、他動詞)の場合、tat-がホストになって tat-asar-u が派生さ れる。こうした例も、逆使役派生の件数に数えている。なお、標準語に関しては、データベー スに使役派生の例がないため、表を示さない。 表 6. 北海道方言における形態的 表 7. 五所川原方言における形態的 他動性交替の生起率 他動性交替の生起率 使役派生 96.6% 使役派生 91.8% 逆使役派生 49.3% 逆使役派生 44.5% 表 8. 寒河江方言における形態的 表 9. 水海道方言における形態的 他動性交替の生起率 他動性交替の生起率 使役派生 98.9% 逆使役派生 53.1% 使役派生 84.4% 表 6〜9 を見ると二つのことがわかる。1 点目は、水海道方言における使役派生の生起率が低 いことである。これは、語彙的他動化のある場合と segi su-ru(咳をする)のような身体動作の 表現で使役派生を認めない傾向があったためである。 もう 1 点は、使役と逆使役の両方がある方言すべてで、使役派生の生起率に対して逆使役派 生の生起率が低い点である。これは、使役派生が意味的に「足し算」であるのに対して逆使役 派生が意味的に「引き算」であることと関係しているものと考えられる。 使役派生では、使役イベントが付加される。動作主(使役者)が新たに導入されるのは、そ の帰結である。一方、逆使役派生では使役イベントの削除に伴い動作主が削除され、述語は達 成(achievement, 状態変化)のアスペクト特性を持つことになる。どのような意味構造にでも使 役イベントを足すことは可能だが、使役イベントを削除することはどんな場合でも可能という わけではない。 完成述語は、以下に示す意味構造を持っているものと考えられる(Dowty 1979, Foley and Van Valin 1984)。x は動作主に対応し、y は対象などの内項に対応するものとする。 (10) 完成(accomplishment)動詞の意味構造 [do’ (x)] CAUSE [BECOME pred’ (y)] 使役イベント 状態変化イベント このような意味構造を持つ動詞の場合、使役イベントが削除されても状態変化を表すイベン トが残るため、意味的にゼロにならない。一方、同じ他動詞でも、行為性のイベントのみで成 り立つ動作動詞の場合、行為性のイベントの削除は語彙的に指定された情報が完全に失われる ことにつながるため、逆使役派生の対象とはならない(動作動詞でも「おす」のように逆使役 派生が可能な動詞もあるが、これは「判子を捺す」のように目的語との組み合わせで状態変化 を含意する場合に限られる)。 他動詞全体ではなく、完成のアスペクト特性を持つ他動詞に限定して逆使役派生の生起率を 示すと次のようになる。 表 10. 逆使役派生の数と完成他動詞の数の割合 北海道方言 82.5% 五所川原方言 68.3% 寒河江方言 82.9% 方言によって違いはあるが、語彙的アスペクトという意味的条件を考慮した上で逆使役派生 の生起率を見ると、使役派生の生起率に比べてやや低い程度であることがわかる。使役派生と 逆使役派生が同じ程度に生産的であることは、二つの点で重要である。第一に、これら北海道・ 東北地方で話されている方言が、生産的形態法を用いた他動性交替において標準語(を含む中 央方言)と異なる性質を示している点である。第二に、これらの方言の逆使役派生の成立範囲 が、これまでに提案された逆使役派生の分析が予測する範囲を超えていることである。 標準語は、語彙的な自他対応においても生産的な形態法においても使役化(他動化)が優位 である。語彙的な対応においては、自動化(逆使役)も存在するが、生産的な形態法としては 逆使役が全く存在しない。一方、上にデータを示した三つの方言の場合、語彙的自他対応の傾 向は標準語と同様(他動化が最も優位であるか、最も優位なもののうちの一つ)だが、生産的 形態法を用いた他動性交替は、使役一辺倒ではなく、使役派生と逆使役派生の両方が生産的で ある。標準語を含む中央方言が、生産的形態法において一方向的であるのに対して、これら三 つの方言は双方向的である。生産的形態法における他動性交替の方向性の相違は、語族を越え た広い文脈で日本語の方言をとらえる上でも重要になってくる。この点については、後述する。 表 10 に示したように、これら三つの方言の逆使役派生は、非常に広い範囲の完成他動詞から 可能である。逆使役派生には、意味的な制限があることが知られており、様々な通言語的な一 般化が行われている。Haspelmath (1993)は、動作主指向の意味が指定されている他動詞が逆使役 派生のベースになりにくいことを指摘している。これは、標準語の語彙的自他対応には当ては まるが、三つの方言の逆使役派生には当てはまらない。これらの方言では「塗る」や「拭く」 のような動作様態が指定されている完成他動詞からも逆使役派生が可能である。 Koontz-Garboden (2009)は、外項として動作主が指定されている他動詞からの逆使役派生が不可 能であるとする一般化を提案している。しかし、Sasaki (2011)によれば、北海道方言では外的項 としてもっぱら動作主をとる他動詞からでも逆使役派生が可能である。以下の例が示すように、 「書く」は、能動態において、動作主以外の要素(道具、原因)が主語の位置に立つことがで きないと北海道方言話者によって判断されたが、逆使役派生((11a)がその例)は可能である。 (11) a. 何故か同じ記事が 3 つも書かさっていました...。 http://blog.livedoor.jp/nuvo/archives/2006-01.html b. 私は同じ記事を3つも書いてしまった(動作主主語) c. *自宅のコンピュータが同じ記事を3つも書いてしまった(道具主語) d. *不注意が同じ記事を3つも書いてしまった(原因主語) これまでに提案されてきた逆使役派生に関する分析は、ヨーロッパの言語を中心に再帰形態 素を用いた逆使役構文のデータに基づいて提案されたものがほとんどであった。そうした分析 によって予測される範囲を超えて逆使役派生が三つの方言に存在することは、これまでに提案 された逆使役派生に関する分析の通言語的な分析としての妥当性を検証する必要があることを 示唆するものと考えられる。 2.3. 他動性交替の多様性と地域的な偏り 生産的な逆使役型の自動詞化形態法が存在する方言は、主に東北地方と北海道に分布してい る(盛岡方言に関しては竹田 1998 を参照)。自発形態素を使った逆使役派生が見られる方言は 栃木県(加藤 2000)や静岡県の大井川流域(中田 1980)にも見られるが、これは東北地方と の地域な的な連続性の結果ととらえるべきだろう。 生産的な形態法において、標準語には「足し算」(使役)しかないが、北海道と東北地方で話 されている方言には「足し算」(使役)と「引き算」(逆使役)の両方がある。この違いは、他 動性交替に関する地域的変異と見ることができる。 2.1.2 節でも述べたように、Nichols et al. (2004)によると、日本列島を含む北アジアは北米と並 んで他動化が優位な地域である。しかしながら、北海道の周辺地域には生産的な形態法によっ て自動化が担われている言語が存在する。アイヌ語とニヴフ語は再帰形態素を用いた逆使役派 生を持つ言語である。北海道と東北地方で話されている日本語方言も、用いる形態素こそ再帰 ではなく自発であるが、逆使役派生を持っている。これらの言語の間には語族を形成できる系 統関係は存在しない。それにもかかわらず、他動化が優位な地域の中にあって自動化が生産的 である点で北海道・東北地方の日本語方言とアイヌ語とニヴフ語は共通している。北海道と東 北地方の方言における生産的な逆使役派生は、語族を越えた地域特徴である可能性がある。 3. 斜格主語構文の生産性 日本語は、非正規構文が生産性をもつ言語体系と見なされている。しかし、その生産性は一 様ではない。この節では、可能構文に焦点を当て、非正規構文の生産性に地域的なヴァリエー ションがあることを明らかにする。 3.1. 標準語を対象にした先行研究 Shibatani (2001)は、日本語における非正規構文の生産性について次のように述べている。 Owing to the productive derivations of potential and desiderative forms, non-canonical constructions of the types being considered are very productive in Japanese. (Shibatani 2001: 314) 上の指摘は、標準語のデータに基づくものである。上の指摘で言及されている非正規構文 (non-canonical construction)とは、主語が主格以外の格で現れる、もしくは目的語が対格以外の格 で現れる、あるいはその両方の特徴を持っている構文を指す。述語が「〜たい」で終わる願望 を表す文は、目的語が主格で現れる点で非正規構文と見なすことができる。 (12) 僕が 焼酎が 飲みたい(こと) 可能構文も、主語が与格で現れ、目的語が主格で現れる場合があり、非正規構文と見なすこ とができる。 (13) 僕には 韓国語が 話せない(こと) 可能構文が非正規構文になり得るのは、他動詞文に対応する場合だけである。自動詞文に対 応する可能構文では、主語が与格になることはない。 (14) *僕には 働ける(こと) したがって、可能構文に関しては、上に示した Shibatani (2001)の指摘は述語の他動性に条件付 けられたものとなる。非正規構文の他動性による制限は、主格の義務性によるものと考えられ ている(Shibatani 1977)。 日本語方言の非正規構文の生産性にはヴァリエーションがないのだろうか。以下の節では、 可能構文において、標準語よりも非正規構文の生産性が高い方言と低い方言があることを示す。 3.2. 標準語以上に斜格主語構文が生産的な方言 標準語では他動詞文からしか非正規構文型の可能構文を作ることができないが、他動詞文と 自動詞文の両方から非正規構文型の可能構文を作ることができる方言がある。水海道方言では、 (15)のような他動詞文をベースにした可能構文だけでなく、(16)のような自動詞文をベースにし た可能構文でも主語が斜格で現れる。この場合、主語は標準語のように与格になるのではなく、 経験者格になる。経験者格(NP=ŋani)は経験者をマークする斜格である。この方言では与格 (NP=ŋe/sa)は経験者をマークしない。 (15) ano jarokko=ŋanja hebi=godo buttadag-e-ru あの男の子=経験者格.トピック 蛇=対格 たたく-可能-非過去 (16) are=ŋani=wa tskubasan=sa nobor-e-be=na 彼=経験者格=トピック 筑波山=与格 上る-可能-推量=終助詞 自動詞文をベースにした可能構文で非正規構文が可能なのは、この方言では主格が義務的で はないためと考えられる。この方言でも多くの文には主格主語が含まれるが、以下に示すよう に、心理述語文の中には経験者格名詞句だけをとるものもある(「困る」は感情の対象が現れる 場合は「主格(主語)—位格(補語、感情の対象)」という格フレームをとる)。 (17) ore=ŋani=mo komaQ=pe=na 私=経験者格=も 困る=推量=終助詞 水海道方言は動詞の自他に関わりなく斜格主語をもつ可能構文が可能である点で、標準語よ り非正規構文が生産的と言える。ただし、目的語に着目すると、(15)の例から明らかなように対 格のままであり、正規構文と同じ形式である。この方言の可能構文の非正規構文としての性質 は、主語にだけ表れる。可能構文の非正規構文としての性質は、標準語よりも弱い、あるいは 部分的と言えるかもしれない。 3.3. 可能構文で主語の斜格化が生じない方言 マックス・プランク研究所の調査票を使った調査で得たデータをもとに、北海道方言、五所 川原方言、寒河江方言の可能構文の格フレームを示す。これらの方言では、自動詞をベースに した可能構文だけでなく他動詞をベースにした可能構文でも格フレームが変わらない傾向にあ る。標準語では「与格(主語)—主格(目的語)」の格フレームが可能な下記の構文に対応する 文はいずれも「主格(主語)—対格(目的語)」の格フレームで現れる(五所川原方言に関して は主語が条件を表す=daba で表されることがあるが、これは格フレームの変化とは関係ない)。 五所川原方言と寒河江方言では、可能構文の述部が「動詞語根-{e/rare}」とは異なる形式にな る。五所川原方言では「終止形=ni i:」であり、寒河江方言では「終止形 i」である。北海道方言 も伝統方言の可能述語は五所川原方言と同様の形式だが、調査に協力してくれた話者は標準語 と同様の「動詞語根-{e/rare}」を用いる。 (18) a. その娘には本が盗める(標準語) b. sono musume=wa hon=o nusum-e-ru(北海道方言) その娘=トピック 本=対格 c. sono onaŋo その娘 d. hono onaŋo その娘 (19) 盗める subasikko-i=hande sense:={no/gara} hon=ba gir-u=ni i:(五所川原方言) すばしっこい=ので 先生={属格/奪格} 本=対格 盗む=位格 よい sense=no hon=ba nusum-u i(寒河江方言) 先生=属格 本=対格 盗む よい a. その少年には蛇がたたける(標準語) b. sjo:nen=wa bo:=de 少年=トピック 棒=具格 hebi=o tatak-e-ru(北海道方言) 蛇=対格 たたける c. sono warasi=daba hebi=ba その子供=条件 d. hono jaroko 蛇=対格 tadag-u=ni i:(五所川原方言) たたく=位格 よい hebi=ba その男の子=主格 蛇=対格 buttadag-u i(寒河江方言) たたく よい 五所川原方言と寒河江方言では可能構文が非正規構文になる例は見当たらない。一方、北海 道方言では主語が与格である可能構文が三つ得られた。以下の例はそのうちの一つである。な お、同じ意味の述語を持つ構文は、五所川原方言と寒河江方言では他動詞文と同様の格フレー ムをとる。 (20) danse:=ni=wa sjo:zjo=ga 男性=与格=トピック 少女=主格 (21) 助けられる sono odogo=daba, tikaramoti=da=hande, その男=条件 (22) tasuke-rare-ru(北海道方言) onaŋo=ba taske(-ru)=ni i:=jo(五所川原方言) 力持ち=コピュラ=ので 女の子=対格 助ける=位格 よい hono odogo hono onaŋo=ba taske-ru i(寒河江方言) その男 その女の子=対格 助ける よい 述部が「終止形(=ni) i(:)」という形式の可能構文を持つ方言では、可能構文が非正規構文とし て現れない。一方、「動詞語根-{e/rare}」という方言で標準語と同程度に非正規構文が生産的か というと、必ずしもそうではない。筆者の調査に協力してくれた話者の北海道方言では、可能 述語は標準語と同様の「動詞語根-{e/rare}」という形式だが、可能構文が非正規構文になること は、まれである。 すでに述べたように伝統的な北海道方言の可能述語は「終止形=ni i:」であり、五所川原方言 と同じである。新方言化した北海道方言において、非正規構文型の可能構文が標準語に比べて まれなのは、伝統方言の統語構造を引きずっているためと考えることができるのではないだろ うか。 可能構文に関しては非正規構文の生産性が見られない方言があることを示した。この節の冒 頭で示した日本語の非正規構文の性格付けは、地域限定のものである可能性がある。ここでは、 「終止形(=ni) i(:)」という可能述語を持つ方言を比較の対象にして議論を進めた。この節の冒頭 で示した日本語の非正規構文の性格付けが有効な範囲を確定するためには、 「終止形(=ni) i(:)」以 外の形式の可能述語を持つ方言で非正規構文の生産性がどのようなものなのか明らかにするこ とが必要になる。 4. あることを示すこと、ないことを示すこと 2 節では生産的な逆使役派生という標準語(と中央方言)にはない文法特徴が北海道と東北地 方の方言に「ある」ことを示した。一方、3 節では、標準語で指摘されている非正規構文の生産 性が東北地方の方言の可能構文に「ない」ことを示した。 「ある」ことを示すことと「ない」ことを示すことには、二つの意味がある。一つは、日本 語の中の類型論的多様性を明らかにできる点である。もう一つは、これまでになされた日本語 の類型論的な位置づけの有効範囲を限定できることである。 日本列島には危機言語が八つあるという指摘がなされる一方で、日本語は類型論では一つの 均質な言語として扱われることが多い。2 節で示した生産的な逆使役派生の記述は、他動性交替 に関して日本語が地域的に均質的ではないことを示す上で重要である。また、語族を越えた地 域特徴の研究への足がかりとなる点でも重要である。 日本語方言の類型論的多様性は、2 節に示した現象以外でも見つかる。他動性交替に関しては、 琉球語の方言に見られる直接的な使役と間接的な使役の形態的な区別も重要だと考えられる。 當山(2011)によると沖縄首里山川方言では、二つの使役形態素を組み合わせることによって、 二人の異なる被使役者を介する間接的な使役関係を表すことができる(ただし、無対他動詞の 場合は asimijuN で間接的な使役関係を表すという)。以下の例は訳文も當山(2011)より。 (23) 沖縄首里山川方言 a. juuga wacuN. 湯が沸く。(當山 2011: 11) b. taruuga juu wakasuN. 太郎が湯を沸かす。(當山 2011: 11) c. taruuga (使役主体) hanakoNkai juu wakasimijuN. (使役あい手) 太郎が花子に湯を沸かさせる。(當山 2011: 12) d. ziruuga taruuni (使役主体) (使役あい手) (使役主体) ijaani, hanakooNkai juu wakasimirasuN. (動作客体=動作主体) (使役あい手) 次郎が太郎に言って、花子に湯を沸かさせる。(當山 2011: 12) (23c)と(23d)の訳文が示すように標準語では直接的な使役関係と間接的な使役関係を述語の形 態で区別することができない。このような使役関係のコード化の違いは他動性交替の類型を考 える上でも重要と考えられる。 有標主格型の文法関係のコード化(主語が名詞句+α で表され、目的語がゼロ格標示になる) は、WALS (The World Atlas of Language Structures)では対格とは異なる扱いを受けている。有標 主格型の格体系(主語=ga/nu 目的語=Ø)が琉球語諸方言に「ある」ことも日本語の類型論的 多様性として指摘される必要がある。 標準語で指摘された類型論的特徴付けが見られない方言が存在することは、その類型論的特 徴付けが無効であることを意味するわけではない。むしろ、どのような地域的限定を加えれば 有効なのかを知る上で役立つ情報なのである。 【謝辞】 調査に協力してくださった大貫司郎氏、川越めぐみ氏、眞田敬介氏、田附敏尚氏、野口かね 氏に感謝する。また、データベースを快く使わせてくださった影山太郎氏と岸本秀樹氏に感謝 する。本研究の遂行に当たっては、科研費(基盤研究(C)研究課題番号:22520405)の助成 を受けている。本稿における一切の誤りが筆者の責任であることはいうまでもない。 【参照文献】 Dowty, David (1979) Word Meaning and Montague Grammar. Dordrecht: Reidel. Foley, William and Robert Van Valin Jr. (1984) Functional Syntax and Universal Grammar. Cambridge: Cambridge University Press. 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