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7月 - Ne

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7月 - Ne
近 況 報 告(7月‘05)
夏休みが始まりました。例年、休み前に「夏期時間割」をお渡ししてきましたが、本年は、諸事
情によりこれから作成。それまでは一切個人間連絡(inter-personal contact)で済ましてをり
ます。事の発端は、ワープロの故障。「夏休み時間割」のやうに複雑な書式を持つた文書は、パ
ソコンに変換不能なのですね。致し方なく、さらに古いワープロを使はうとした所、機能に制約が
あり一部のフロッピー・ディスクが使へない。また、作動が鈍い。挙げ句の果てに、作成途中で
コンセントが抜け、データが全て消去されてしまひ、事実上、「ヤル気喪失」。その他諸背景もあ
るのですが、「補習」時間を細かく指定した時間割は、当座諦め、同時に当教室の夏休みの
短縮を検討してをります。(詳細は後日御連絡申し上げます)
さて、今月読んだ中で、最も痛快だつたのは、小谷野 敦『帰ってきたもてない男』(ちくま新
書)。1999 年に『もてない男』(同新書)を上梓して以来、6年ぶりに前著への反批判等を含め
再来。前著発行後、宮台真司が「性的弱者」なる言葉を創り、上野千鶴子等「フェミニスト」
の面々と大論争になつたのは記憶に新しい所です。
前著同様、小著とはいへ、扱つてゐる材料は多岐に渡り、ジェンダー、
日本文学における「恋愛」の歴史、所謂「ラディカル・フェミニズム」の主
張等々、各専門分野について最低限度の背景を知らないと、何が
「争点」であるのかすら解りづらく、簡単には要約不能なのですが、前
著と共通してゐる著者の主張の眼目は、男が女性に「もてる」といふの
は一つの「才能」であり、誰でも「努力」すれば「もてる」といふ主張は、自
己欺瞞に他ならない、とするものです。
この論点を、「教育」に当てはめると、文部科学省が定めた「新学習
指導要領」作成の推進者であつた寺脇 研の主張は「スターリニスト」
そのものであると著者は痛烈に批判を下してをります。
小学生であっても、能力差というものは、厳然としてある。あるに決まっ
ている。【中略】寺脇研の発想は、「全ての子供には無限の可能性が
ある」という、かつてヴァイオリン教育の世界でそういうことを言った鈴木
鎮一と同じなのである。【中略】そして実は、すべての子供に無限の可
能性がある、といった能力差を認めない考え方は、スターリンのものだった。(31 頁)
私が快哉を叫んだのは正にこの部分。寺脇自身「大衆にわからないものは文化ではない」
(『落語の世界2 名人とは何か』岩波書店)と言ひ切つてゐるさうで、「これはまさにスターリン
が言っていたことで、こう言いつつスターリンは、ショスタコーヴィッチなどの前衛芸術を弾圧したの
である」と。(32 頁)
-1-
『ヒトラーとスターリン 上・下』といふ大著(副題は「死の抱擁」)があり(みすず書房)「太平洋
戦争」だけでなく「第二次世界大戦」それ自体をもう一度復習しようと思つてゐた矢先、興味
深い本が出ました。ヨアヒム・フェスト(1926~)著『ヒトラー 最期の12日間』(岩波書店)。現
在、フェスト自身が制作した映画も公開中で、近々観に行きたいと思つてをります。
ヒトラーそれ自身については語り尽くされた感があり、政治・社会・歴史・文化的だけでなく、
精神病理学的研究も数多いのですが、1945 年4月20日より、30日のヒトラー自殺を経て、
5月8日の無条件降伏文書調印までを扱つたこの書物は、圧倒的な軍事力を誇るソ連赤
軍に包囲されたベルリンの地下要塞の中で、謂はば、「一個人」となつた-ヨリ正確には、全
ての希望を失ひ、部下の相次ぐ裏切りに遭ひ、少なくとも「神経」に異状を示してゐた事は確
かで、さうならざるを得なかつた、といふべきでせうが-ヒトラーの相貌を描いてゐます。それは、
、
孤独な独裁者の末路に相応しいものでもありますが、この人物が無
、、
目的な「破壊」のみに愉悦を見いだす文字通りの「超―能動的ニヒ
リスト」であつた事を例証してゐます
ヒトラーにせよスターリンにせよ、或る種のレッテルを貼ることで「納得」
するといふのでは、「歴史」に迫つた事にはならないでせう。解説者、芝
健介が例示してゐるハンナ・アレント(H. Arendt 1906~1975)の傑
作『イエルサレムのアイヒマン』(邦訳 みすず書房)のやうに、《悪》の客
観的分析を怠るべきではないでせう。「歴史」を「個人」に還元してし
まふのは余りにも安易と言はざるを得ないからです。(参照 大岡昇平
『歴史小説論』 岩波同時代ライブラリー 現在品切れ または絶
版)
重い話が続いたので最後に楽しい一冊を!
あらう
内藤 濯の名訳『星の王子さま』の版権が切れ、各種の訳書が出
てきました。真つ先に手を取つたのは、先日亡くなった倉橋由美子訳
(宝島社)。
倉橋には、元々童話の翻訳が幾つかありましたが、曰く、「この小説
は、子供が書いたものでもなく、子供のためのものでもなく、四十歳を過ぎた男が書いた、大
人のための小説です。これを読んで大量の涙が出てくるというのはちょっと変わった読み方で、そ
れよりも、この小説は、大人が自分の中にいる子供の正体を診断するのに役に立ちそうです。」
2005年6月の日付を持つこの「訳者あとがき」は、彼女の絶筆ではないかと思はれますが、
一読して、訳語に現代的センスを感じました。
今月一番のお薦めかも知れません。
7月28日 赤間 純一 拝
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