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パンフレット
第 302 回企画展示
絵入り本の東西
会期:平成 25 年 6 月 5 日(水)~29 日(土)
会場:慶應義塾図書館1階展示室
主催:慶應義塾大学絵入り本プロジェクト
(私立大学戦略的研究基盤形成支援事業(平成 20 年~平成 25 年))
共催:慶應義塾大学三田メディアセンター展示委員会
監修:石川 透(慶應義塾大学文学部)
展示にあたって
慶應義塾大学絵入り本プロジェクトでは、「15~17 世紀における絵入り本の世界的
比較研究の基盤形成(戦略的研究基盤形成支援事業)」という課題のもとに、世界の
絵入り本を収集し、研究しています。既に、2011 年に慶應義塾大学アートスペースに
おける「東西の絵入り本」展、2012 年に丸善名古屋栄店における「古典絵入り本の東
西」展を開催し、東西の絵入り本の比較展示を行っていますが、今回はこれまで展示
していない作品を中心に、「絵入り本の東西」展を開催いたします。
慶應義塾は、昔から絵入り本の研究が盛んで、慶應義塾図書館にも多くの絵入り本
が所蔵されています。本展示室においても、絵入り本プロジェクトの各担当者により、
日本や西洋の絵入り本の展示が既に行われています。しかし、やはり、世界全体の動
きを知るには、各地の絵入り本を並べる必要があるのです。特に、15~17 世紀という
時代は、大航海時代とも呼ばれるように、世界的に文物が交流しました。絵入り本に
ついても、この時代独自の美しい作品が多く残されているのです。
あまり堅苦しく考えずとも、同じ時代に作られた各地の絵入り本を見るのは楽しい
ことです。この絵入り本の世界を、ぜひお楽しみください。 (文学部 石川透)
<展示ケース1>
俵藤太
[江戸前期]写 元絵巻カ 屏風 1隻
[133X@142@1]
[内容]朱雀院の時、俵藤
太秀郷が瀬田の橋に横たわ
る大蛇の上を歩くと、大蛇
の変化した女が現れ、三上
山の百足を退治してほしい
という。三本目の矢で急所
を射て退治すると、大蛇の
女がお礼に俵等を持って来
た。
[特色]御伽草子『俵藤太』
は、絵巻や奈良絵本として
数多く制作された。俵藤太
の子孫と称する家も多く、その周辺に現存している伝本も多い。本屏風は、もともと
の絵巻か絵本であったものを屏風に仕立て直したもの。絵巻は、のりしろが 3 ミリ程
度しかないためにばらばらになりやすく、その絵の部分を豪華に見せるために、よく
屏風に仕立て直された。本屏風の鋲に
は葵の紋が見られることから、徳川家
か松平家の所蔵品と考えられる。
(文学部 石川透)
物くさ太郎
[江戸前期]写 元奈良絵本 屏風 1隻
[133X@141@1]
[内容]信濃国の物くさ太郎は、仕事もせずに養
われていたが、ある時、京へ行くと、一生懸命働
くようになった。そして、嫁とするために一人の
女を追い回し、問答の末、女と暮らすことになっ
た。やがて和歌が上手なことにより帝にも認めら
れ、信濃の国司に任じられ、死後は、おたがの明
神となった。
[特色]室町時代
か ら江 戸時 代に
か けて 流行 した
読 み物 であ る御
伽草子の一作品。
『物くさ太郎』の内容は、「三年寝太郎」等の名前
で現在の昔話にも残っている。この話も、昔から有
名で、絵入り本として数多く制作された。本屏風は、
もともとの奈良絵本であったものを屏風に仕立て
直したもの。『大織冠』と同じく、奈良絵本も、挿
絵の部分を中心に屏風に仕立て直されることが多
くあった。(文学部 石川透)
<展示ケース2>
伊勢物語絵巻〔断簡〕
84紙 [江戸時代前期]写 高さ16.3糎
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
平安時代の歌物語の代表作である『伊勢物語』は、絵入り本制作の対象としても人
気があり、鎌倉時代から江戸時代に至るまでの数多くの絵巻や絵入り冊子本が現存し
ている。
本資料は、絵巻を細かく分割して屏風に貼り込んでいたものを近時に剥がしたもの
であるが、保存状態は悪くない。絵巻としては、通常のものの半分の高さの料紙を使
用する「小絵(こえ)
」に属するものである。小絵は室町時代に流行した形式であり、
江戸時代になると高さを同じくする横型冊子本の奈良絵本に取って代わられることと
なる。本資料は小絵としては最末期の作例となるものであり、小絵が廃れた理由など
を検討する上でも貴重な資料である。
どちらかと言えば稚拙で老齢を思わせる震えた手による本文は、流布本である定家
本に属しており、幸いなことにほぼ完存している。挿絵は 42 図あり、シーボルト旧蔵
で大英図書館に所蔵される室町時代後期写の小絵(現状折本)と構図的に高い親近性
を示しており、3 図の欠落が想定できるが、逆に大英本の欠落部復元の資料となる箇
所もある。彩色や細部の表現には両者に違いがあり、本資料の方が濃彩で描写が細か
く、特に水流の細かな描き方に特徴がある。
近時『伊勢物語』の絵入り本研究は盛んであり、本資料も大英図書館本とセットで
小絵の作例として活用されることが期待される。
(斯道文庫 佐々木孝浩)
【参考文献】羽衣国際大学日本文化研究所編『伊勢物語絵巻絵本大成』
(角川学芸出版、2007)
源氏物語〔抄出〕
特小奈良絵本 2帖 [江戸時代前期]写 6.0×4.6 糎
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
室町後期から江戸時代前期にかけて流行した絵入り本である「奈良絵本」に属する
写本であるが、これだけ小さなものは珍しく、大きさ等から、「雛本」等と称される、
人形用の飾り道具として制作されたものとおぼしい。『源氏物語』全 54 帖の奈良絵本
もいくつか知られているが、本書は 2 帖のみで、抄出された本文も僅かであり、やは
り読むことを目的としたものではないことがわかる。
装訂は綴葉装
で、表紙は鳥の子
色 地水 浅黄 色七
宝 繋文 雲母 刷金
小 切箔 散し の豪
華なもの。表紙中
央 の素 紙題 簽に
本文同筆で「けん
し物語 上(下)
」
とある。見返しは
魚 鱗文 空押 しの
銀紙。料紙は楮打
紙。半葉 6 行書き
で、字面高さは約 4.6 糎である。料紙の折数と墨付き、また挿絵の数は、上帖が 3 折・
13 丁・3 図、下帖が 3 折・14 丁・3 図である。上では「きりつほ・夕かほ・若紫・花
のえん・すま」から、下では「橋姫・あけまき・さわらひ・うき舩・かけろふ」から
本文が抄出されている。奈良絵本類の挿絵に特徴的な天地のすやり霞は、墨線で区切
り金小切箔を散している。小ささ故にぎこちない点もあるが、奈良絵本的な彩色がさ
れ、衣装の文様や御簾などまで細かく描き込まれており、通常の大きさのものに近づ
けようとする努力
が感じられる。
本文と挿絵は、文
学部石川透教授に
より珍しい女姓の
奈良絵本作家であ
ることが明らかに
なった、「居初(い
そめ)つな」の手に
なるものである。
ニューヨーク・パ
ブリックライブラ
リーのスペンサー
コレクションには、彼女の手になる奈良絵本『源氏物語』54 帖が存在しており、その
比較材料としても興味深い。
またこの本は、徳川幕府高家であった前田家に伝来したもので、5 代将軍綱吉より
拝領との伝承を有しており、書誌学的のみならず文化史的にも価値の高いものである。
(斯道文庫 佐々木孝浩)
【参考文献】石川透『奈良絵本・絵巻の展開』
(三弥井書店、2009)
<展示ケース3>
『ロンドン、ウェストミンスター、サザーク市街図』
(ロンドン、1746 年)
A Plan of the Cities of London and Westminster, and Borough of Southwark; with
the Contiguous Buildings; from an Actual Survey, Taken by John Rocque,
Land-Surveyor, and Engraved by John Pine, Engraver of Seals, &c. to His Majesty
(London: John Pine and John Tinney, 1746)
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
イギリスの地図製作は
1660 年から 1760 年にかけて
大いに進展したとされる。
それに大きく貢献したのが
フランスからロンドンへ亡
命してきた測量技師で地図
制作者ジョン・ロックであ
る。ロックは最初、貴族の
地所の図案などを作成した
が、1737 年から 1751 年にか
けて、ブリストル、ロンド
ン、エクセターなどのイン
グランドの諸都市、さらに
はパリ、ベルリン、ローマなどの詳細な地図を次々と製作した。このロンドンと周辺
地域の地図はなかでも代表作で、ロック自身が測量をして紋章官のジョン・パインが
彫版を担当するかたちで、10 年近くの期間をかけて 1746 年に刊行された。縮尺は約
2436 分の 1 という大型地
図で、50×68.5cm の地図
24 枚からなり、これらを
縦 3 列横 8 列で並べると
路地一本に至るまで正確
に描いたロンドンとその
近郊市街地域の詳細な地
図になり、18 世紀中期の
ロンドンの様子が手に取
るようにわかるのである。
通りや広場、教会などの
建物を列挙した包括的な
索引が付随している。この地図が高い評価を得たことは、1763 年に再版されたのみな
らず、1878 年と 1913-19 年にファクシミリ版が刊行されていることからも明らかで
ある。(文学部 松田隆美)
ラテン語時禱書 写本
(トゥール、1480-90 年頃)
Book of Hours in Latin (Tours, c. 1480-90)
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
時禱書は、聖職者が典礼に用いた聖
務日課書を簡略化して、一般のキリス
ト教徒が祈祷や黙想に使用できるよう
に編纂した祈祷文集である。時禱書は
また、細密画や手書きの欄外装飾で飾
られた彩色写本であり、巻頭の 12 ヶ月
の暦のセクションや個々の祈祷文の区
切りには、月暦図やキリストや聖母マ
リアの生涯を描いた細密画が挿入され
ている。175 葉からなるこの写本には、
全部で 13 点の細密画が現存しており、
その内容は「受胎告知」
、
「エリザベト
ご訪問」、
「生誕」、
「羊飼いへのお告げ」、
「ペンテコステ」など時禱書の標準的
なものに加えて「聖女ベロニカの布」
や「三位一体」なども見られる。トゥ
ールを中心とするロワール川流域は 15
世紀にフランス王室の宮廷が置かれた
地域で、豪華な写本生産も盛んであっ
た。トゥールはまた、中世後期を代表する画家で細密画も数多く手がけたジャン・フ
ーケ(Jean Foucquet; 1415/20-1478/81)の出生地で、その後半生の主たる活躍の場でも
あった。本写本の細密画にもフーケの様式の影響が認められる。16 世紀の金箔押しの
装丁で、銀の留め金は後世のものだが、もともと同じような留め金がついていたと思
われる。このように小型(124×86mm)で繊細な装丁の時禱書を所有していたのはおそ
らく女性であったと推察される。(文学部 松田隆美)
『キリスト教祈祷書』
(ロンドン、1590 年)
A Booke of Christian Prayers, collected out of the ancient writers, and best learned
in our time, worthy to be read with an earnest mind of all Christians, in these
dangerous and troublesome daies, that God for Christes sake will yet still be
mercifull vnto vs (London: Richard Day, 1590)
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
本書は、冒頭にエリザベス 1 世の木版肖像画が挿入されているため「エリザベス女
王の祈祷書」として知られている。ロンドンのジョン・デイ(John Day)は、1569 年に
『キリスト教の祈祷と黙想』Christian Prayers and Meditations を刊行し、それを改訂す
る形で本書を 1578 年に刊行した。その後、1581, 1590, 1608 年に再版されている。本
書は 1590 年版で、息子で後継者のリチャード・デイ(1552-1607 年以降)による刊行で
ある。
本書の魅力は、全ページのボーダーを飾っている木版の版木を組み合わせた欄外装
飾にある。その内容は、キリストの生涯、黙示録、死の舞踏、悪徳に打ち勝つ美徳の
寓意擬人像などで、それぞれ数十点のシリーズとして、何ページにも渡って連続して
印刷されている。その多くは、15 世紀末から 16 世紀半ばにかけてパリやルーアンの
出版者(ティールマン・ケルヴェール、フィリップ・ピグーシェなど)によって次々
と刊行された時禱書のボーダー装飾に基づいていて、それらを写すか真似て制作され
たと考えられる。これらの木版画シリーズの作者は不明だが、恐らくオランダやドイ
ツで修業した版画家であろうと推察される。
プロテスタント
化が定着したエリ
ザベス 1 世の治世
化では、カトリック
の時禱書を彷彿と
させる、このように
豪華に装飾された
祈祷書は他に刊行
されておらず、その
意味で本書は特異
な刊行物といえる。
版を重ねる過程で、
たとえば 1569 年の
『キリスト教の祈
祷と黙想』にはあっ
た「ピエタ」の図版
が 1581 年版では削除されているなど、カトリック的な図版のいくつかは改変されてお
り、プロテスタント化の痕跡が認められる。(文学部 松田隆美)
<展示ケース4>
『イギリス国王陛下のオランダ訪問および歓迎行事の記録』
(ハーグ、1692 年)
Relation du voyage de Sa Majesté Britannique en Hollande, et de la Reception qui
luy a été faite. Enrichie de Planches très-curieuses… (La Haye, Arnout Leers, 1692)
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
イギリス国王ウィリアム 3 世(在位
1689-1702)はオラニエ家出身で、オ
ランダ総督を兼任していた。王は、
欧州侵攻をもくろむルイ 14 世に対
抗するアウクスブルク同盟に参加し、
1690 年にはアイルランドに侵攻した
フランス軍を破り、翌 1691 年にはオ
ランダに戻ってフランス軍と戦った。
その後ウィリアムは、1697 年の戦争
の終結まで、春には大陸に渡ってフ
ランス軍と戦い(その間はメアリー
女王が代理で統治した)秋にイギリ
スに戻ることを繰り返した。本書は、
その副題が示すように、
「1691 年1月
31 日の国王陛下のオランダ到着から同
年 4 月のイギリス帰還までの主要事件
の概説と陛下の無敵の軍によって制圧
されたアイルランド遠征の成功」の記
録で、ハーグでの戦勝記念行事を描い
たロメイン・デ・ホーゲの大型のエッ
チングを随所に含んでいる。特に戦勝
記念の凱旋門の図版では、内側に描か
れた絵画や外壁を飾った彫刻やエンブ
レムも詳細に再現されており、図像学
的な資料としても貴重である。テキストは Govert Bidloo によるオランダ語を Jean
Tronchin de Breuil がフランス語に訳したもので、その内容が版画と細部まで一致して
いることから、戦勝記念行事に関する箇所は版画をもとに書かれた可能性がある。
(文学部 松田隆美)
<展示ケース5>
ピエトロ・ナターリ『聖人達とその業績のカタログ』
Pietro Natali, Catalogus Sanctorum et Gestorum
(リヨン、1519 年)
(Lugdni, 1519)
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
本書は、ヴェネチア出身のピエトロ・ナターリ(1330
頃-1406)の著作として知られるものである。ジェノヴ
ァの大司教ヤコブス・ア・ヴォラギネ(1213 頃-98)
の『黄金伝説』が作成されて以後、カトリック教会の
聖人伝を改めて纏めたものである。本書は、当初は写
本で伝わっていたが、1493 年にナターリの出身地ヴェ
ネチアで初めて出版された。本版は、初版と同じくヴ
ェネチアにおいて 1519 年に刊行されたものである。
各聖人伝の最後に木版の殉教図が挿入されている。二
段組みの本文に対して殉教図は一段に収まる大きさ
で、説明が主で画像が従の形態が採られている。同一
の画像が繰り返し使用されているので、画像は殉教な
どの様子を読者に示すために作成されたものであろ
う。本書には 1523 年版と 43 年版が存在するが、両版には挿絵は見られない。本書の
出版後、16 世紀中葉にヴェローナの司教ルイジ・リッポマーノ(1500-59)がラテン語
で『聖人伝』を作成した。同書は、かなりの大作であり聖人伝の決定版とも言われた
が、絵入り本としては出版されなかった。なお、ナターリの聖人伝は、16 世紀中葉に
日本にも齎されていた可能性がある。1554 年にイエズス会のメルシオール・ヌーネス・
バレートがゴアから
日本に齎した物品の
一覧表には
「Cathalogus
Sanctorum」という書
名が見られるが、この
時点でこの書名を持
つ聖人伝はナターリ
の著作である可能性
が高いのである。
(文学部 浅見雅一)
ペドロ・デ・リバデネイラ『聖人伝』
(ヴェネチア、1604 年)
Pedro de Ribadeneyra, S. J., Flos Sanctorum (Venetia, 1604)
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
16 世紀から 17 世紀にかけて、スペインに
おいては、ヤコボ・ア・ヴォラギネの著作を
翻訳したとされるアルフォンソ・デ・ビリェ
ガス(1533-1605)の『聖人伝』のほか、イエ
ズス会士ペドロ・デ・リバデネイラ(1527-1611)
によるスペイン語の『聖人伝』が流布してい
た。リバデネイラの『聖人伝』は、1599 年に
マドリードにおいてスペイン語版が初めて出
版され、その後たびたび増補されている。彼
は、トレドに生まれ、イエズス会に入会後は
ローマやベルギーにも赴いたが、晩年には健
康上の理由からマドリードに戻って同地で没
している。本書には、本イタリア語版より以
前にスペイン語版やラテン語版が出版されて
いたが、これらには聖人の画像は収録されて
いない。しかし、ヴェネチアにおいて出版さ
れたイタリア語の翻訳である本版には、聖人
達の画像が収録されている。当時、イタリア
においては絵入りの聖人伝が流行していたの
で、翻訳版には底本にはない聖人の画像が収
録されたのであろう。本版には、リバデネイ
ラと時代的に近い 16 世紀中葉の聖人伝まで
もが収録されている。イエズス会創設期の中
心メンバーであるイグナシオ・デ・ロヨラ
(1491-1556)やフランシスコ・ザビエル
(1506-52)の伝記も収録されているが、本版
の作成時には彼らはまだ列聖されてはいない。
また、彼らの画像は、当時イタリアには存在
していたはずであるが、本版には収録されて
いないのである。(文学部 浅見雅一)
マティアス・タナー『隣人の救済のために絶えず労苦と死に立ち向かって働くイエズ
ス会』 (プラハ、1675 年頃)
Mathias Tanner, S. J., Societas Jesu usque ad sudorem & mortem pro salute proximi
laborans (Prague, c. 1675)
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
ポーランド出身のイエズス会士マテ
ィアス・タナー(1630-92)が作成した
イエズス会士の画像集である。初版は
1570 年頃のプラハ刊である。本版はプ
ラハ刊であるが、再版であると推定さ
れる。全部で 158 名のイエズス会士の
画像が収録さている。画像の下段には
当該イエズス会士についての短い説明
が記載されている。最初の項目は、イ
エズス会創設期の中心的存在であり、
初代総長を務めたイグナシオ・デ・ロ
ヨラである。以下、神学者や宣教師と
して活躍したイエズス会士達の画像が、
創設期から同時代に至るまで没年順に
収録されている。殉教者の画像も一部
には含まれており、本版の末尾には 17
世紀後半にフィリピン諸島をはじめ東
南アジア島嶼部において殉教したイエズス会士の殉教図が見られる。しかし、その一
方で、創設期の重要メンバーであったフランシスコ・ザビエルの画像は本書に収録さ
れておらず、巡察師アレッサンドロ・ヴ
ァリニャーノ(1539-1606)など日本に渡
った宣教師達の画像も収録されていない。
日本におけるイエズス会の殉教者は、ポ
ルトガル出身のイエズス会士アントニ
オ・フランシスコ・カルディン
(1595/6-1659)の『日本の精華』
(ラテン
語版:ローマ、1646 年。ポルトガル語版:
リスボン、1650 年)に殉教図が収録され
ているので、同書との重複は避けるとい
うことなのであろうか。
(文学部 浅見雅一)
<展示ケース6>
太乙移宮之図・鋭陣之図
(たいいついきゅうのづ・えいじんのづ)
作者不明 明時代(16・17 世紀頃)宮廷内府写本 白綿紙 1 冊
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
表紙の大きさは縦 32.5 横 18.8 糎。匡郭
内は縦 21.5 横 13.5 糎。文字の部分は、毎
半葉 9 行。
中国の絵入り本は、仏経絵画の歴史と
ともに古くから発達した。経典の扉絵を
中心として、書写されたもの、印刷され
たもの、これらが二つながらに発展を遂
げたのは、仏教や道教などの信仰を重ん
じた為政者の存在が大きかったと言える。
印刷技術が唐時代(8~9 世紀頃)には一
定の技術を獲得していたことは、版画隆
盛の年輪を重厚にした。しかし、この印
刷文化は、絵画等の書写文化とは別個に
発展したために、図書の中に図絵が含ま
れるものが現れるまでは、相当の時間を要した。
結局、次に示す『西廂記』のような明・清時代(17・
18 世紀以降)の絵本として完結するが、一方で、書写文
化としての絵本は、宮中の内府に於ける皇室の読み物や
参考図絵として、美しい献上本を、明・清時代に作製し
ていた。本書は、こうした背景にある一書で、厚手の綿
紙と言われる高級用紙、朱で引かれた匡郭(これは刷っ
ている)等はこの事実を如実に示している。朱色は皇帝
の象徴。字体も明朝風である。
本書は、太乙という中国古代の占術による国家の災福
や軍事を記した書である。太乙は、漢時代以降の陰陽道
や道教など様々な思想が織りなす一種の哲学大系で、明
朝では太史局という役所で、それを運用し施政のあり方
などを研究いていた。皇帝に献上報告するものであるか
ら、贅を尽くした絵図が添えられる。同様の写本が、北
京の故宮博物院図書館に所蔵される。
(斯道文庫 高橋智)
雅趣蔵書 不分巻
唐本 2 冊 清 銭書 撰
清 康熙 42 年(1703)序刊 後修(崇文堂蔵板)、朱墨套印、図 20 幅
淡茶色表紙(23.9×14.8cm)、線装、竹紙
白口、四周単辺(20.0×12.3cm)、無界、毎半葉 9 行、毎行 25 字
[慶應義塾大学絵入り本プロジェクト]
本書は雑劇『西廂記』題材とした八股文の選集
に図を附したものである。撰者銭書の事跡は未
詳。四つある序が無記年の一つを除いていずれ
も康熙 42 年(1703)の秋に書かれているので、
その直後の刊行であろう。但し、掲出本は第 32
葉を補刻した後修本で、初印本は国立国会図書
館などが所蔵する。掲出本は封面に「崇文堂藏
板」とあるが、初印本はそこが「四徳堂梓行」
となっている。初印本も掲出本も朱墨套印で、
各序末・毎図裏・巻首にそれぞれ添えられる印
文と、本文に附された句点・圏点などが朱刷り
である。初印本は更に毎図中に遊印を実捺する
が、掲出本では省略されている。
『西廂記』
は唐代の元稹の伝奇小説『鶯鶯伝』
の筋に基づいて元代の王実甫が戯曲化したもの
で、清代には金聖歎(1608~1661)が『第六才
子書』として改訂したテキスト(金聖歎本)が
通行本となり、その系統だけでも数十種の版が
今に伝わる。
八股文は時芸・時文・制義・制芸などとも呼ばれる。本来は四書五経の原文中の一
句または一節が問題として出され、その真意を四組の長い対句を使いながら解き明か
すもので、明清を通じて科挙の
必修科目であった。そのような
お堅い八股文を、敢えて恋愛も
のの戯曲である『西廂記』の歌
詞を題として作るという趣向は、
明代中期には既に現れており、
『西廂記』の現存最古の完本で
ある弘治 11 年(1498)金臺岳家
刊本(北京大学図書館蔵)に早
くも二篇が収められている。明
末清初にはそれなりに流行した
ようで、各種の金聖歎本も多く
が附録として数篇から二十篇ほ
どの八股文を収録している。
雑劇は通常一本四折(一折は一幕に相当)からなるが、
『西廂記』は五本二十折の長
編で、本書は一折ごとに名文句を一つ選び、それを題とした計二十篇の八股文を収め
る。全てが銭書の自作というわけではなく、金聖歎本の附録を見た上で、良いと思っ
たものは字句に少しく手を入れた上で採録し、気に入らなかったものは自ら作り直す
か、或いは別人の作を採るかして、各折一篇の体裁を整えたものと思われる。
また、八股文各篇の前にはその折
の見せ場を描いた図を配する。各
一葉で、表半葉が単面一幅の図、
裏半葉はその場面を題材とした詩
詞となっている。一般に挿図の版
刻技術は明末清初が最盛期でそれ
以降は衰えると言われるが、本書
の図は明末の妙には及ばずとも十
分に精緻な彫りである。残念なが
ら画工や刻工の名は記されていな
いが、18 世紀初頭には高い技術を
持った刻工がなお存していたこと
を窺わせてくれる。なお、金聖歎
本の中には本書と同じ図を持つも
のがあり、どちらが先行しどちらが覆刻なのか、今後の研究が俟たれる。
(慶應義塾大
学訪問研究員 上原究一)
(本図録の作成は、私立大学戦略的研究基盤形成支援事業(平成 20 年~平成 25 年)「15~17 世紀における絵
入り本の世界的比較研究の基盤形成」の一環である。)
学生のための
文学部教授 石 川
透
2013年6月12日(水) 13:00~
文学部教授
松 田隆美
2013年6月19日(水) 13:00~
(各20分)
慶應義塾図書館 1階展示室
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