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マーガレット・ラスティン【マーサ・ハリスへの哀悼】

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マーガレット・ラスティン【マーサ・ハリスへの哀悼】
【マーサ・ハリス(Martha Harris)(1920-1986)への哀悼】
(1987)
Margaret Rustin
マティ・ハリス(Mattie Harris)は去る11月にオックスフォードのご自宅でお亡くなりになりました。
彼女は2年半前に悲惨な事故に遭い、それ以来闘病生活をしておられたのです。この痛ましい彼女
の最晩年そしてついには死に到ったというこの喪失に、家族は勿論、友人の誰しもが皆、甚大な心の
痛手を受け、打ちひしがれております。
彼女は幼少時、スコットランドの農場で生い育ちました。スコットランドへの愛は彼女の生涯をとお
して決して消え失せることはありませんでした。ヒース(桃紫)色は彼女の身に付けるもの、あるいはご
自宅のあちこちにもよく見掛けられましたが、それは彼女が愛したスコットランドの風景への深い愛着を
示すものでありました。彼女は4人きょうだいの長女です。そして2人の妹たちそして弟と一緒に子ども
時代を大いに愉しんだようであります。後に彼女に親しく接する人たちには、彼女の語る美しく柔らか
なスコテッシュ風の声音は彼女のとても魅力溢れるアクセントとして記憶されております。彼女の言葉
遣いが時折ちょっと吃ったふうに崩れることがありましたが、それはMattieに漲る活気をむしろ印象づけ
たのであります。彼女の心には語りたいこと・理解したいことがいっぱい溢れていて、大概の物事はさま
ざまに興味が尽きず、考えるに値するといったふうなのでした。(※Mattie は Martha の愛称。)
彼女が8歳のとき、家族はイギリス・サッセックスへと移住し、そこのスコットランド系の入植地である
酪農場のコミュニティで子ども時代を過ごしました。彼女は学童期を存分に楽しんだといえましょう。学
業は勿論、スポーツにも熱心であり、そして演劇活動にも精力的に没頭しました。それに学校当局
(※頑迷な保守主義者の校長)との衝突も、個人主義的な見地から(※彼女固有の権利を守るため
に)断固闘うといったこともあったようです。彼女の学業成績はすばらしく、大學進学を何としてもめざそ
うと決意したのです。(※そこで校長は妨害工作に出たわけです。)そのため入試に向けて彼女は発奮
し、ラテン語を独学で、それもたった数ヶ月という短期間でどうやらマスターしたようです。やがて彼女は
London Universityで英文学を専攻いたしました。そして、彼女の英文学についての知識及びそ
の培われた観賞力は、その後児童サイコセラピスト並びに精神分析家といった職業に携わる上で絶
えなる創造の源になったものと思われます。Mattieは文学に親しんだことがそうした専門性には大い
に役立ったということを深く実感しておられました。そして後に彼女は心理学の学位を取得いたしまし
たけれども、英文学徒としての経歴は彼女がもっとも尊んだものといえましょう。(※は訳注。)
彼女は何年かを教師として働き、それから1950年にタヴィストック・クリニック(The Tavistock
Clinic)にまいりました。まだ当時はBeaumont Streetの古いビルでしたが、そこでEster Bick
並びにJohn Bowlbyによって新しく組織されたトレイニング・プログラムの中の児童サイコセラピスト
のコースに訓練生として彼女は参加したわけなのです。彼女は第二期訓練生になります。同期には
Dina Rosenbluth 並びにFrances Tustinがおられます。
当時彼女にかかわった2人の指導教官たちは、児童および家族への精神分析的な臨床において
かなり相違する見解・アプローチを持っていたといえますが、どちらもがMattieのサイコセラピストとして
の類い稀なる資質を見抜き、彼女をとても気に入られて、その将来を大いに嘱望なさっておいででし
た。彼女は資格を取得したすぐあと、タヴィストックのChild Psychotherapy Trainingの責任者
に抜擢されたのであります。このタヴィでの地位が彼女のその後の経歴のなかでも主たる位置を占める
ことになります。かつての彼女の2人の指導教官、Ester Bick並びにJohn Bowlbyですが、彼ら
は果たしてMattieがその後の25年もの間にタヴィトックのトレイニングを舵取りし発展させた、そのダイ
ナミックな信念 conviction をどれほど予想しておられたものやら、さてどうでしたかしらと思われます。
1960年の後半以降、Mattieがタヴィストックの未来図として志したことは児童サイコセラピストの
トレイニングの拡張でありました。NHS(National Health Service/健康保険制度)という支持基盤で
のクリニック運営となり、そのことが訓練生たちに大いなるチャンスと責任をもたらしたことになりますし、
それで精神分析的理解をより幅広く一般に向けて浸透させてゆく展望が開けたと目されました。こう
した試みがMattieの気質やら才覚にぴったり合致したといえましょう。それはその後何年にも亘る驚
異的なハード・ワークを彼女に強いたことになるわけですけれども・・。トレイニングへの訓練生の数も
徐々に増してゆき、それもMattieの楽観、仕事への情熱、そして誰も拒むことのできないような彼女
の魅力的な説得力といった、諸々の彼女の特質に負うところが大いにあったのは間違いありません。
そしてまたこの時期、トレイニングの内容および構成に変化が起こっております。そもそもMrs.Bickの
実に秀でた革新的な創案であった《乳幼児観察 Infant Observation》にMattieは痛く魅力されてお
りました。精神分析的思考を培うにあたり「観察」が著しく重要であることに注目し、その結果さらにト
レイニングの構成にもう一つ《Work Discussion Seminars》が設けられたのであります。参加
者は教師、保母、プレイ・リーダー、教育心理学者といったぐあいに、それぞれ職業もセッテイングも異
なりますが、セミナーでの討議は、訓練生と子どもとの間の相互の交流が詳述された観察資料がもと
になります。それらをとおして、訓練生の動きが子どもの反応にどのように反映されてゆくか、子どもの
行動が吟味検討されるのです。さらにそれらの意識的および無意識的な意味、またそうした関わりの
中で養われる子どもの発達的な可能性についても考えをじっくり凝らしてゆくといったわけであります。
Mattieの指導は、それら観察素材を深く読み解き、筋立てを構成する力量に溢れておりましたか
ら、過去タヴィストックで訓練を受けた誰にとってもたとえようがない喜びをもたらしたのです。彼女は誰
とも問わず骨惜しみせず心を込めてじっくり傾聴する方でありました(時間もまた惜しまずに・・)。そし
て訓練生ならびにそのセラピイ患者のいずれに対しても絶えず希望的に語りかけ励まされる方であり
ました。また繊細な洞察力、そして克明な描写力の備わった方でもあり、それにどちらかというと精神
分析理論に遭遇していささか上滑りになりがちな訓練生に対してはむしろ現実的に対処する実際家
の資質(a down-to-earth quality)をもお持ちでした。学ぶことの苦痛というものを彼女はよくよく熟知
しておりましたから、それで訓練生にもまたセラピイ患者にも、不確実性および不安感を避けずにそれ
に直面し、かつじっくりと取りくむよう援助できたものと思われます。
そうしてタヴィストックの訓練に精魂を傾けている間にも、Mattieは彼女自身の精神分析家として
のトレイニングを Institute of Psychoanalysisで修了させております。やがて彼女はTraining
Analyst(訓練アナリスト)の一人となり、精神分析学徒たちにとって貴重なスーパーヴァイザーになっ
てゆくのです。彼女はまた、【Association of Child Psychotherapists】の創設にも携わり、
そのTraining Council(訓練協議会)に長年貢献なされておいでで、またそこで催される科学的
会合などでは人々の耳目を集める発言者の一人として大いにご活躍もされました。彼女の書かれた
論文は、その発表後に、ジャーナル誌に掲載されております。彼女の文章は、そのまま彼女自身の
‘肉声’と言えましょう。いずれ近々彼女の論文集が編纂され、【Clunie Press】から出版予定で
ありますので、とても待ち遠しく思われます。
Mattieの私生活は、とても充実したものでありました。あまりにも早すぎた最初の結婚が不幸に終
わり、それから、彼女は教師でもあり詩人でもあったRoland Harrisと出会い、再婚いたしました。
彼らの醸し出す人柄のあたたかさと活力とは、彼らを取り巻く友人たちとの間で豊かに惜しみなく共有
されたと言えるでしょう。彼らには2人の娘、Meg とMoragがおります。Mattieは、やがて孫たちの
誕生にも恵まれ、とても幸せであったものと思われます。彼女の夫のRolandの早すぎる突然死(※
大脳動脈瘤・1969)は彼女にとって尋常ならぬ痛哭でありました。しかしその後、MattieはDonald
Meltzerと結婚いたします。彼らは、個人的も仕事上でも絶妙なパートナーシップを結んだと言えまし
ょう。殊にMattieは、彼と一緒に海外講演活動を楽しみました。そしてヨーロッパ、アメリカそしてアジ
アを精力的に訪れ、各地でのさまざまな分析家そして心理臨床家たちと共に合同セミナーを催してお
ります。そこでは精神分析的な乳幼児観察というタヴィストックの伝統に端を発するところの母子関係
について多くの知見が披露されましたから、参加者の誰しもが大いに啓蒙され感化を受けたものと考
えられます。(※は訳注。)
Mattieはわれわれの内に精神分析への熱烈な愛 passionate love を吹き込んだ人であったと言っ
ていいでしょう。そうした彼女に深く魅了され、われわれは鼓舞され啓発されてまいりました。われわれ
各自それぞれに、教師・分析家・同僚・友人としての彼女に交わり、さまざまなかたちで彼女から恩
恵を得たわけです。そして今や、彼女の遺産を引き継ぎそして発展させるという責務がわれわれには
残されております。かつて嬉しくも享受したところの彼女の深い温情を偲び、それに応えるべく大いに精
進してまいりましょう。われわれの記憶には心的に苦悩し闘う人間が本来持ち得るところの底知れぬ
真価というものへのMattieの揺るぎない信頼が刻まれております。おそらくそれに支えられながら・・。
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※ 【原典】 Martha Harris(1920-1986)
by Margaret Rustin
Journal of Child Psychotherapy,1987,Vol.13 No.1
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