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人生の記録 - Researchmap

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人生の記録 - Researchmap
人生の記録
こんな人間です

墓碑銘は、ある人間が生きた記録である。そこには古代ローマを生きた、さまざまな人間の
生き様や姿が記されている。
その名声と人生は世界に知れ渡る
冥府の霊魂へ。
プブリウス・アウフィディウス・エピクテトゥス。
享年 77 年 5 カ月 15 日。
アウディウスの霊へ。
今はもう、彼はここに眠っている。
かつては素晴らしく、すべての土地でその名声と人生で証明されたひと。
彼は天上の神々のもとで幸運だった。
彼より幸せに生きた者はほかにはいない。
彼は素朴で善人で美しかった。
かつては悲惨だったが、何処にいても喜び楽しんでいた。
老人たちとは違って、死に立ち向かうことを求めていた。
しかし、死を恐れ、自分が死ぬことはありえないと考えていた。
妻はこれを大地に建てた。
その傷に悲しくも涙を流した。
彼女は愛する夫と死別した。
(イタリア第 1 レギオ オスティア)
『ラテン碑文集成』第 14 巻 636 番=『ラテン語韻律碑文集成』487 番
私は勉強熱心でお茶目
冥府の霊魂へ。
ペトロニウス・アンティゲネス。
確かな足取りで小道を行かれる旅人よ、私の銘板のまえで立ち止ってください。ど
うか無視しないでください。
2 度の 5 年と 2 つの月、2 度の太陽を、私はみました。
優雅に育てられ、愛されながら。
ピタゴラスの教説と賢人たちの知恵を歩み、詩人たちの歌も読みました。ホメロス
の敬虔な歌も詠みました。エウクリデス (ユークリッド)が算盤で指示したことも。茶目っ
けも図々しさもちょっとはありました。
私にこれを捧げたヒラルスは父ヒラルスです。
彼はパトロヌスでもあったはずです。
もし私が不幸でなく、反対の運命をもっていたなら。
しかし今、冥府の座、アケロンの水辺へと、闇深いタルタロスの不吉な星々を越え
て向かっています。
鼻高々の人生を逃れた。
希望と幸運よ、お元気で。
私と無関係ならば、ほかのひとを騙してください。お願いです。
これは永遠の家。
私はここに安置され、ここにずっと安置されているでしょう。
(イタリア第 6 レギオ ピサウルム)
『ラテン碑文集成』第 11 巻 6435 番=『ラテン語韻律碑文集成』434 番
努力と友情
アレラテのファブリ・ティグヌアリィ組合構成員、クイントゥス・カンディディウス・ベニグ
ニウス(の墓碑)。
彼には至高の製作技術あり、熱意、学識、名誉心があり、職人らはいつも偉大な先
達だと称えるなり。彼より熟練したる者なし、彼に勝りうる者なし、水流を成し、あるい
は導くことを知るオルガンにおいて1。
彼は会食にて好ましく、友らを楽しませることを知り、天性の熱意をもち、向上心に
充ち満ちた者なり。
カンディディア・クインティナが最も優しい父へ、ウァレリア・マクシミナが最も愛しい
伴侶へ。
(ガッリア・ナルボネンシス アレラテ)
『ラテン碑文集成』第 12 巻 722 番=『ラテン碑文選』7715 番=『ラテン語韻律碑文集成』483 番
私はローマで認められた医師
ガイウス・カルプルニウス・アスクレピアデス、オリュンポスのプルサ出身の医師は、
両親、自分自身、兄弟のために、7名分の市民権を神君トラヤヌスから獲得した。
ドミティアヌス帝が 13 回目のコンスルを務めた年、3月ノナエの3日前に生まれた。
同じ日に、彼の妻ウェロニア・ケリドンも生まれた。妻は夫とともに 51 年生きた。
学究心と生き方ゆえに、クラリッシムス級[元老院議員身分]の人びとから認められ、
ローマ人民の公職者たちを看病し、属州アシアでもそのほかの場所でも裁判壺の投
票板の見張りを務め、70 年生きた。
(イタリア第 7 レギオ カペナ)
『ラテン碑文集成』第 11 巻 3943 番=『ラテン碑文選』7789 番
1
つまり、ベニグニウスは、水オルガン職人であった。水オルガンについては、スエトニウス「ネロ
伝」第 54 章を参照。
女の一生
私はここに眠る貴婦人。
氏族と名前はウェトゥリア。
フォルトゥナトゥスの妻。
父ウェトリウスから生まれた。
3度の9年は哀れな娘で、2度の8年は妻だった。
同衾した相手は一人だけ。結婚も一度だけ。
6回出産して生き残ったのは一人だけ。
私は死んだ。
ティトゥス・フラウィウス・フォルトゥナトゥス、アディウトリクス・ピア・フィデリス第二軍
団の百人隊長が、かけがえのない、そして夫への優しさを示した妻へ。
(下パンノニア アクィンクム)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 3572 番=『ラテン語韻律碑文集成』558 番
最高のヌミディア人女性
ヌミディア女性のなかで最高のプランキナは王家の生まれ。
良き母であり良き妻だったが、私はここに埋められた。多くの涙に見送られ。
ほかの女性にも勝る誠実なマトロナ。私はここに埋められた。
王家に生まれ、3 度の 10 年と 3 度の 3 年、良きご婦人たちへの気遣いを果たしつ
つ。
クィントゥス・アッルンティウス・マスケル(が建立した)。
(アフリカ・プロコンスラリス シッカ・ウェネリア)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 16159 番=『ラテン碑文選』858 番=『ラテン語韻律碑文集成』1554 番
ティブルの名物女将アネモネ
夫に甘く愛されしアネモネ、この墓所で静かに暮らす。
パトリア(父なる都市)を超える名声、飲み屋の可愛らしい名物女将。
彼女を求めて多くの人がティブルに足を運んだものだ。
最高神はもろい生命を彼女からもう奪ってしまわれた。
アエテルとアウラへ、慈悲深い光は精神を迎え入れた。
フィロテクヌスは、神聖な妻のためにこの墓所を作った。
なぜなら、名前を未来永劫留めることは、正しいことだからだ。
(イタリア第 1 レギオ ティブル)
『ラテン碑文集成』第 14 巻 3709 番=『ラテン碑文選』7477 番=『ラテン韻律碑文集成』603 番
陸に上がった船乗り
もし面倒でなければ、お客人、立ち止り、ご覧になってください。
私は船に帆を張り、何度も偉大な海を駆け巡り、とても多くの大地に行きました。こ
こが終着地点です。パルカエが(運命の女神)、私が生まれたとき予言していた場所で
す。
大切なものと稼いだものをすべて、私はここに置きました。呪われた星巡りも、雨雲
も、荒れ狂う海も、私はもう恐れていません。支払いは怖くないですが、利益を得るこ
ともできません。
豊満なフィデス(信用・信義の女神)よ、私は汝、至聖なる女神に感謝します。幸運が
破れて弱った私を、3度もお救い下さいました 2。汝は死すべき者すべてが望むよりも
威厳あるお方です。
お客人、健康に過ごされよ。支出はいつも汝に残る。
あなたはこれを無視しなかった。
この石碑がすばらしいと述べて下さった。
(イタリア第 2 レギオ ブルンディシウム)
『ラテン碑文集成』第 9 巻 60 番=『ラテン語韻律碑文集成』1533 番
海難で財産を3度も失ったが、そのたびに友人や商売仲間からの信用のおかげで立て直
すことができたことを意味すると思われる。
2
早世した天才少年
冥府の霊魂へ。
計算係メリオルは 13 年生きた。
彼はすばらしい記憶力と知識をもち、古の記憶から自らが死ぬ日まで、すべての事
柄の記録を網羅しているほどであった。さらに、彼が知っていた出来事は、記録よりも
書物に記されうるものである。なぜなら、彼が残した自らの才能に関する備忘録を最
初に作ったのも、もし彼を不公正な運命が人間の事柄に関して嫉妬していなければ、
模倣することができたのも、彼だけであったのだから。
セクストゥス・アウフスティウス・アグレウス、とても不幸な教師が、自らの養い子に
建てた。正面幅 2 ペデス、奥行幅 6 ペデス。
都市創建から 897 年経った。
(イタリア第1レギオ オスティア)
『ラテン碑文集成』第 14 巻 472 番=『ラテン碑文選』7755 番
芝居では何度も死にましたが
冥府の霊魂へ。
ここにはミムス劇役者の長レブルナが安置されています。
彼は 100 年ほど生きました。
私は何度も死にましたが、こんなふうなのはありませんでした。
天上の神々のもと、皆様方がご壮健であることを願います。
(上パンノニア シスキア)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 3980 番=『ラテン碑文選』5228 番
100 歳まで生きた銀行家
私はここで沈黙していますので、詩で我が人生をお示しします。
明るい光と最高の時代を享受した私、プラエキリウスは、キルタのラル(家の守護神)
のもと、銀行業を営んでいました3。
私に対する信頼はいつも驚くほどで、正直さも完璧でした。
だれに対しても愛想の良かった私が、だれに同情をもたないというのでしょう?
私はどこでも微笑みを浮かべ、愛する友たちと贅沢を味わいました。
女主人ウァレリアの死後、私はあれほど慎み深い女性の人生はみつけられません
でした。できるときには、私は聖なる妻に感謝しました。
私は誇りをもって、100 回目の幸せな誕生日をお祝いしました。
しかし、最後の日は訪れました。精神が肉体を空っぽにしていったのです。
あなたがお読みの銘板を、私は生前から死の日のために用意しました。
フォルトゥナ(幸運の女神)がそうお望みだったのです。
彼女は決して私を見捨てませんでした。
あなたがたがこれをお手本としてくださいますよう、私は望みます。
さあ、お発ちなさい。
(ヌミディア キルタ)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 7156 番=『ラテン韻律碑文集』512 番
ノメがノメン
ノメは 1 年 8 カ月 12 日生きた。
彼女はここに眠る。
大地があなたに軽くありますように。
ノメがノメン(名前)だった。生まれたとき、クスッキアがくっついた。
どちらの名前もこのお墓に記されている。
私はちょっとだけ生き、生きているうちは、親に愛された。
私はこの銘板に覆われている。義務を果たした。
だれでもこの銘板をお読みの方は、私の人生がどれだけ短いものだったのかを感
じます。私は今ここで、あなたがこう仰ることを求めます。
「大地が汝に軽くありますように」。
(バエティカ ヒスパリス)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 1235 番=『ラテン語韻律碑文集成』1316 番
3
Cirtensi Lare argentariam exibui artem.
子孫繁栄
冥府の霊魂へ。
そして、ユリウス・アレクサンデルの永遠の記憶に。
生まれはアフリカ、カルタゴ市民。最高の人物、ガラス職人。57 年 5 カ月 23 日、精
神を損なうことなく、貞淑な妻(ウィルギニア?)とともに生きた。彼女と暮らすこと 48 年。
この妻から 3 人の息子と 1 人の娘を設けた。
彼ら全員から生まれた孫たちをみて、彼らが自分よりも長く生きたまま残した。
この墓所を設置するように監督したのは、妻ヌモニア・ベッリア、息子ユリウス・アレ
クシウス、息子ユリウス・フェリックス、息子ユリウス・ガッロニウス、娘ヌモニア・ベッリ
オサ、そしてまた、孫である、ユリウス・アウクトゥス(?)、ユリウス・フェリックス、ユリウ
ス・[アレク]サンデル(?)、ユリウス・ガッロニウス、ユリウス・レオンティウス、ユリウ
ス・ガッ……、ユリウス・エオニウス……。
(ガッリア・ルグドゥネンシス ルグドゥヌム)
『ラテン碑文集成』第 13 巻 2000 番=『ラテン碑文選』7648 番
無謀極まる
冥府の霊魂へ
そして、ルキウス・セクンドゥス・オクタウィウス、トレウェリ人、とても痛ましい死を迎
えた故人の永遠なる記憶のために。
彼は、火災からほとんど裸のまま逃げ出したが、その後の安寧を気にかけて、炎
から少しでも助け出そうと無茶をした。壁の倒壊に押しつぶされ、自然の友たる魂と
肉体を、始原に戻すことになってしまった。
財物の損害以上に深刻な罰である、彼の死によって打ちのめされた、彼の被解放
者仲間であるロマニウス・ソッレムニス、セクンドゥス・ヤヌアリウス、セクンドゥス・アン
ティオクスは、万人への模範として、自分たちに対する非常に高貴な功績を、墓碑銘
によって聖なるものにした。
そして、兄弟愛と同じように、学校仲間であることを始めた年齢から、すべての良き
学科でとてもしっかりと結ばれた友エロフィルスも。
斧のしたで献呈した。
(ガッリア・ルグドゥネンシス ルグドゥヌム)
『ラテン碑文集成』第 13 巻 2027 番=『ラテン碑文選』8520 番
両親はふつうの平民です
冥府の霊魂へ。
エスクィリナ区所属、皇帝の被解放者、ティベリウス・クラウディウス・ティベリヌス。
彼はここに埋葬された。
母タムピア・ヒュギアが最も思いやりある息子のために建てた。
汝、私の墓の入口に近づく者はだれであれ、旅人よ、願わくは急ぎの旅を止めなさ
い。(そして)じっくり読みなさい。かくて汝が無情の死ゆえに苦悩しないように。汝は
私の碑銘により名が残されているのを見るであろう。
私のパトリアはローマであり、中庸な平民に属する両親がいる。
人生はいかなる不幸にも汚されなかった。私はかつて人びとに人気があり、称賛に
より認められた。
私は今、悲嘆の墓所のわずかな灰である。何者が良き会食で陽気な顔を、そして
私の仲間が私とともに場所を寝ずに番するのを見ないというのであろうか?
かつて私は、白鳥の流儀に精通し、ピエリウス(ムサエ)の歌で詩人らの記念碑を数
え上げ、マエオニウス(ホメロス)の韻律に精通した私は息づくような歌章を述べ、カエ
サルのフォルムで有名な歌章を捧げた。
今や愛情と名声は身体中から発散し、悲嘆に暮れる両親は涙を注いだ。私に花輪
と新鮮な花を、私の大好きなものを捧げた。
エリュシオンの谷に落とされた私は彷徨している。海豚座を歩き回る、有翼のペガ
ススが歩き回るゆえに、生まれの星巡りはかくも多くの運命を私に委ねたのである。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 10097 番=『ラテン語韻律碑文集成』1111 番
正しく生きた人びと

墓碑銘が語るテーマの一つは、故人の徳である。そして、どのような徳目が記されているの
かをみることで、ローマ人が理想とした生き方を窺うことができる。
出生自由人にふさわしい生き方をしてきた
プブリウスの息子、ステッラティナ区所属、
プブリウス・クロディウス・ピウス。第 30 軍団所属。
私は生きているあいだ、出生自由人にふさわしい生き方をしてきた。
自分に充分なだけ、食べかつ飲んだ。
(イタリア 第 2 レギオ ベネウェントゥム(?))
『ラテン碑文集成』第 9 巻 2114 番=『ラテン碑文選』8155 番=『ラテン語韻律碑文集成』187 番
私はだれの寝室も邪魔しませんでした
冥府の霊魂へ。
マルクスの被解放者、マルクス・プブリキウス・ウニオの(墓)。
そこ行くあなたにお願いします。
どうかお暇を作り、私が読み上げ、書くように命じた詩を読んでください。
功徳のおかげで大地は私に軽くあるが、私は大理石に収められ眠る。
私は預かったものは返し、いつも友人たちを集め、
だれの閨房も乱さず、だれも文句を言ってきませんでした。
私の愛しい妻は、私とともに良く、いつも誠実に生きました。
できるだけのものを私は与えました。いつも喧嘩することなく立ち去りました。
いつも誠実にすべてを私に提供してくれた友は、たった一人だけでした。
ティトゥス・フラウィウス・ヘルメス、クァエストル付布告吏のことです。
友よ、私の祭壇はいつもずっと良く明るく光っています。
ウニオが自らと最高の妻ガッリア・テュケ、彼の養い子アエミリウス・イシドルス、彼
らの子孫のために。そして彼とイシドルスの妻、彼らの子孫、アルムヌスであるマルク
ル・プブリキウス・フェリックスのために建てた。
(イタリア 第 1 レギオ トゥスクルム)
『ラテン碑文集成』第 14 巻 2605 番=『ラテン語韻律碑文集成』477 番
友に裏切られ、友を助けた生涯
マルクスの息子、ポリリア区所属、ルキウス・リキニウス・ネポス、その人生の功績
に、だれも文句をつけることはできない。
この男は、商売をして金持ちになろうと望んでいた。彼はその希望と多くの友人に
欺かれたが、友人たちには十分に尽くした。
このお墓を瞬く間に作り、そして最後のときを過ごす場所を、費用以上にたくさんの
手間をかけて作ることができた。
祖先の霊魂のために、隔たった場所にこの最後の石碑を設置し、そのしたには兄
弟ガイウスの骨と灰が安置されるように、そしてその遺骨がそこで安らぐようにした。
これによって、熱心に、かつ怠ることなく生きたと遺言を残すことができた。
彼は生前にも、将来にも、多くの友人に最上の歓待を与えた。
その歓待では、多くの恩義ある友人によって安らいだ。
その友人たちにお願いする。きみたちに残っているものを、売るのではなく、無料
で贈るようにと。
貪欲で無謀な人間はここを避けていけ。お前らは記念碑を汚す者であり、世を去っ
た者に決して安らぎを許さない。
死者の霊魂へ捧ぐ。
人間よ、もし汝もいずれ死ぬのであれば、侵害しようなどと思わないでくれ。
12 ペデス四方。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 9659 番=『ラテン碑文選』7519 番=『ラテン語韻律碑文集』1583 番
大地を称える
冥府の霊魂へ
マルクス・ムンディキウス・サトゥルニヌス
享年 95 歳
ここに眠る
遺骨が汝にぐっすりと安らぎますように。
冥府の霊魂へ
ウンブリア・マトロニカ
私は成熟した人間。ああ、このヌメン(神の力)への恐れと信心への長きにわたる隷
属、私はそれに 80 年、裸足、貞淑、純潔で仕えたが、熱心にすべての大地の町々を
称えた。
それゆえそこから、私には功績がありました。大地が私を寛大に受け入れてくださ
るほどの。
享年 115 歳。
ここに眠る。
遺骨が汝に優しく安らぎますように。
(ヌミディア キルタ)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 7604 番=『ラテン語韻律碑文集成』1613 番
私は満ち足りた人生を過ごした
冥府の霊魂へ。
詩文の頭文字でその名が明らかにされている者が 4、自ら生前に、自らと自らの全
親族、男女の被解放者、その子孫のために建てた。
私は今や心配事から解き放たれた。読み手よ、お考えあれ。
私は聖なる都市で、山羊の皮売りとして知られていた。私は人びとの需要に見合っ
た商売をやってきた。その珍しいほどの信頼の高さは、いつでもどこでも称賛されるも
のだった。
人生は苦労のないものであった。
自分のために大理石の寝台を建てて、私は安泰だ。契約者としては必ず税金を支
払ってきた。契約するときにはいつも、私は率直で、だれにでも公正で、できうる限り、
人助けの手を差し伸べてきた。
常に誉れ高く、友人たちにいつも愛想良くしてきた。
何より大きな称賛のより大きな名誉、何にもまさる名誉は、私の身体のため、自分
で建てたこの護り所だ。
このようなものを建てたのは、私一人のために備えたわけでなく、相続人にも配慮
したからだ。彼とともにすべてを保持した、所有物から放り出したものは何でも。
名声が私のために語る。称賛の模範を生きた。生命が留まっている限りは。多くの
ことに悩んだ私は、多くの人びとに安息をもたらした。
ルキウス・ネルシウス・ミトレス
(イタリア第 4 レギオ フォルム・ノウゥム)
『ラテン碑文集成』第 9 巻 4796 番=『ラテン碑文選』7542 番=『ラテン韻律碑文集成』437 番
原文のラテン語では、墓碑銘各行の最初の文字を拾うと、被葬者の名が現われることをさす。ロ
ーマの碑文でたまにみられる、いわゆる「縦読み」を利用した手法である。
4
短くて美しき人生
冥府の霊魂へ。
アンニア・アガトニケへ。
短い人生は、長い生涯よりも、死すべき人間にとって良い。
なぜなら、短い期間に、2 回の 10 年間、道徳の罪なく鍛えた魂が花咲いた。
人生は美しかった。魂はここで輝いた。
しかし、父たちの嘆くべき歳月は十字架にかけられ、長い時間に関する長い罪が与
えられた。
老いについて嘆き、老いが涙で新たにされる。
どちらも死の旅立ちより厳しいことだ。
パトロナのピエタスは誠実な女性の慰めを与える。
この墓所が大地に献じた数ユゲラ。
(イタリア第 11 レギオ コムム)
『ラテン碑文集成』第 5 巻 5320 番=『ラテン語韻律碑文集成』1203 番
人生を謳歌した人びと

墓碑銘は故人の生き様を伝える。生き様はいわゆる品行方正なものとは限らない。与えられ
た人生をいかに楽しく生きたのか。それも故人の徳とはいえるだろう。
我らは人生を謳歌した
友よ、そばにいてくれ。
我らは良き時間を楽しんだ。我われは陽気に宴を張った。
短い人生がある間は、バッカスに酔い痴れた。
仲良きことは楽しきかな。生きている間、みなが同じことを行ない、
与え、受け取った。享受しているように享受した。
我らは古の人びとの時代をまねたのだ。
生きている間は生きよ。心から楽しむことを拒否するな。
神がお与え下さったものは何であれ。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 30103 番(36645 番)=『ラテン語韻律碑文集成』190 番
人生は風呂と酒と愛だ
52 年生きた。
ティベリウス・クラウディウス・セクンドゥスの霊魂へ。
彼はここにすべてをもつ。
風呂、ワイン、ウェヌスは、我らの身体を損なうが、
人生を作るのは、風呂、ワイン、ウェヌスだ。
カエサルの奴隷、メロペが、親しい戦友のために作った。
自らとその子孫のためにも。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 15258 番=『ラテン碑文選』8157 番=『ラテン語韻律碑文集成』1499 番
私はバイアエで遊び尽くした
ここで私は、閉ざされた大理石から声なく語る。
私はアシアの素晴らしいトラッレス人のもとで生まれ、バイアエの街中で、しょっち
ゅう湯と海の愉悦のために遊び尽くした5。
その名誉であふれる人生を忘れることができない相続人は、私が残した5万セステ
ルティウスで、私の望み通りにこの建物を建て、マネスと遺灰と私の子孫のために、
最新の神殿を造り上げた。
ところで、これをお読みのあなたにお願いします。私に向けて、「大地が軽くありま
すように」と声をかけてくださるよう。
アストマコスの息子ソクラテス
(イタリア第1レギオ オスティア)
『ラテン碑文集成』第 14 巻 480 番=『ラテン韻律碑文集成』1255 番
牡蠣とワインを味わいに私は生き返る
ガイウス・ドミティウス・プリムスの霊魂へ。
非常に有名な私、プリムスは、この墓におります。
私はルクリヌス産の牡蠣で生き、しばしばファレルヌム産ワインを飲み、私はお風
呂とワインとウェヌスとともに年を取りました6。
もしも私がここにいられるのであれば、どうか大地が私に軽くありますようにと(声を
おかけください)。しかし、フェニクスが私を祭壇で何とかしてくれているかもしれませ
ん。私と一緒に自分を急いで復活しようとしてね。
ガイウス・ドミティウス・プリムスの葬儀のために、3人のメッスス、ヘルメロス、ピア、
ピウスにより用地が与えられた。
(イタリア第 1 レギオ オスティア)
『ラテン碑文集成』第 14 巻 914 番=『ラテン韻律碑文集成』1318 番
トラッレスはリュディア地方の都市。バイアエは、行楽地として知られ、ここに別荘を構える
ローマの有力者も多かった。
6
ルクリヌス湖は牡蠣で有名で、牡蠣の養殖も行なわれた。「ファレスヌム産」は、高級ワイン
の代名詞。
5
酒飲みの墓碑銘
享年 40 歳。
ここに眠るこの私、プブリウスは酒飲みだ。
私は父のコグノメンでバエビウスと呼ばれた。
私のパトリア(父なる都市)はローマ。私のノメン(名)は永遠にプリムスだ。
あなたがた、兄と姉はお墓に捧げ物をした。
彼らはそのピエタスで正当にも称賛を置いた。
プブリウスの息子、パラティナ区所属、プブリウス・バエビウス・ミュティルスと、ポン
ポニア・スピカは一緒に、最も値する、そしてやさしい弟のために建てた。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 13481 番(34066a 番)=『ラテン語韻律碑文集成』463 番
人生を悔いる

悔いのない人生を送ることは、心がけておくべき人生の目標だ。その目標を果たすことは幸
せであるが、だれしもその幸せを手にできたとは限らない。
むしろ品行方正に
人生が与えられている間、この者は、相続人に惜しみ、相続人に嫉妬し、ずっと貪
欲に生きていた。
彼は横たわっている自分の姿を、その運命を終えたあとで、熟練した技術で生き写
しに彫るように命じた7。せめて、仰向けに寝つつ死の床に安らぎ、横になりつつ静か
な眠りを味わうためだ。
息子が右手に座る。
息子は、自らの父の悲しい葬儀より前に、陣営を守って死んだ。
しかし、生き写しの肖像が死者に何をもたらすというのだ。
むしろ品行方正に生きなければならなかったのだ。
ガイウス・ルブリウス・ウルバヌスが、自らと妻アントニア・ドメスティカ、息子グナエ
ウス・ドミティウス・ウルビクス・ルブリアヌス、男女の被解放者とその子孫、マルクス・
アントニウス・ダフヌスのために建てた。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 25531 番=『ラテン語韻律碑文集』1106 番
7
この彫像は、欠けてはいるものの現存している。
何て愚かだ
奴隷商人ザブダの被解放者、
ルキウス・ウァレリウス・アリエス。
ああ、愚か者だ。狂気の沙汰だ。
名前だ。こんな心配から解放された。
我が配慮がすべてだ。私はモニュメントを作りあげた。自費でだ。
友たる大地よ、骨に安らぎを与えたまえ。
それは万人が懇願するが、幸福な人びとだけが叶えることだ。
自由の光を受け取ること以上に、何が素晴らしいというのだ。
あるいは何が欲しいというのだ。
老いさらばえた男の精神をどこに置くのか?
無垢の証は最高だ。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 9632 番(33813 番)=『ラテン語韻律碑文集成』89 番
新人騎手エウテュクスの無念
冥府の霊魂へ。
エウテュケス。御者。
享年 22 歳。
フラウィウス・ルフィヌスとセンプロニア・ディオファニスが、十分に値する奴隷のた
めに建立した。
この墓には、未熟な御者の遺骨が眠っている。
しかし、手綱を操ることを知らないわけではない。何とか四頭立て馬車に乗ろうとし
たが、二頭立て馬車から移れなかったのだ。
残酷な運命が私の年齢を羨んだ。
運命。
それに手を挙げることなどできないぞ。
死を迎えるまで、私には競技場の栄光は認められなかった。
優しい観衆も、私のために涙を流してはくれなかった。
灼けつく病気が私の臓腑を痛めつけ、医術の技量でもそれを克服することができ
なかったのだ。
旅人よ、どうか私の塚のうえに花をかけてくださいな。
私が生きていれば、きみもきっと私のファンだったのだから。
(近ヒスパニア タラッコ)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 4314 番=『ラテン碑文選』5299 番=『ラテン語韻律碑文集』1279 番
異郷に生きた人びと

人生は旅に譬えられることがある。たとえ遠方に旅をした経験が少なくとも。初めて生まれ落
ちた場所が旅のはじまりだ。ローマの人びとは、そこからさらに異邦の地へ足を運んだ。
私は旅をした
パピリア区所属、マルクス・フリウス・ヘレンヌス・アスティギタヌス、退役兵の息子、
ここに眠る。
バエティカの地が私を生んだ。リビアを知りたいと熱望した。カエサレアの果てに行
きたいと熱望した。
我が運命は私を奪い、私は自分を未知の岸辺に置く8。50 年生きた。生きることが許
されているあいだ、私は家族に愛され、家族を大事にしつつ、すべてのことに上手に
生きた。我が家族よ、行け。私がいなくとも、私の家族のもとに行け。
お願いだ、通りすがりのお客人。汝に大地が軽くあれ、遺骨が穏やかに眠りますよ
うに、と仰ってください。
(マウレタニア・カエサリエンシス カエサレア)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 21031 番=『ラテン語韻律碑文集成』479 番
プテオリ生まれのオスティア在住
冥府の霊魂へ。
私は祖国で生まれ、プテオリの血統から出てきた、
アントニウス。私に選ばれた家は幸運のオスティア。
私はオスティアの地区の大きなウェルナであった。
私が死に、のみならず安置されたのはまさにこの地であった。
かくも大きな愛が私にあった。人生が華やいでいるころ。
私がオスティアで良く生きたことを、汝が余人に証言する。
私はドムスから天上の神々のもとへ移った。これが今や永遠のドムスである。
汝は冒頭からはじめよ。私の署名は最初の文字である。
ルキウス・アントニウス・エグレクトゥスが自らと親族のために建てた。
用地はプブリウス・テレ[……]から譲渡された。
(イタリア第 1 レギオ オスティア)
『碑文学年報』1975 年 136 番
8
原文は iacio eidus ignotis。
属州ベルギカ出身、ローマで死去
冥府の霊魂へ。クラウディア・レピディッラ・アンビアナヘ。
属州ベルギカ出身。
彼女の息子レピドゥスとトレベッリウスが建てた。最高の母へ。
我われはここに母の遺灰を祭壇だけで奉納した。
大地が彼女を産み、遺骨は墓に覆われている。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 15493 番=『ラテン碑文選』7994 番=『ラテン語韻律碑文集成』1129 番
あなたはローマの一員です
冥府の霊魂へ捧ぐ。
ミニキア・プリマ。享年 26 歳。
皇帝の奴隷ニコドロムスが、やさしく十分に値する妻のために建てた。
プリマよ、きみはその歳にして奪われた。最愛の妻よ。
2 度の 10 年と 6 年にわたって、きみの人生は素晴らしかった。
きみの血統(ゲヌス)はローマにある。
きみはリビア人である運命だったが。
きみは嘆きつつ筏をステュギアまで運ぶだろう。
すると、きみの胸に残酷なレテ川が流れ込んでくる。
きみは嘆きつつ、やさしい私を分からなくなる。
フォルトゥナよ、汝の務めは貞淑な女性を守ることだった。
そして汝は、両イタリアに与えることができた。
多くの人びとから注がれた涙で元気になってほしかった。
ああ、善良で素朴なきみ。
伴侶であるきみを私はもう見ることがない。
ここに眠る。
(アフリカ・プロコンスラリス カルタゴ)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 12792 番=『ラテン語韻律碑文集成』1187 番
各地をわたり歩いた医者
ルキウスの被解放者、ルキウス・サビヌス・プリミゲニウス、イグウィウムの出の医
師。
イグウィウムで生まれ、医師として多くのフォルムを歩いた。
我は名人芸で、よく知られた信頼で誉められている。
立ち上がりつつある私を、力強きフォルトゥナが裏切り、荒々しい薪に置いた。
炎はクルシウムでお墓に遺灰を残したが、パトロヌス(保護者)は遺骨を故郷の地
に収めた。
(イタリア第 6 レギオ イグウィウム)
『ラテン碑文集成』第 11 巻 5836 番=『ラテン碑文選』7794 番=『ラテン語韻律碑文集成』1252 番
ラウェンナで生まれ、サロナエで死す
法律顧問ソッシウス・スッケッススがここに眠る。
ラウェンナで生まれ、サロナエにて死に奪われた。
自由な理性は彼をいつも公正へ導いた。
(ダルマティア サロナエ)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 8836 番=『ラテン語韻律碑文集成』589 番
伯父を尋ねて数千里
彼女は、彼女らの伯父、ペルフェクティッシムス級の人士、幕僚、フラウィウス・ゲメ
ッルスの望みゆえに、非常に遠方のガッリアから、いくつかの属州のさまざまな場所
をとおって、属州マケドニアに来て、そこで彼の抱擁を受けたあと、エデッサ市への愛
の欲求を抱いて、運命の義務を果たした。
彼女らによって記憶される人物は、称賛に値する人物として覚えられるように、彼
女らに記念碑の作成を命じた。
(マケドニア ベッロアエ)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 14406 番=『ラテン碑文選』8454 番
人生と死についての助言

墓碑銘は人生を終えた人びとの記録であり、声である。人生のすべてを見通した人びとは、
まだ人生の道を歩んでいる人びとのために助言を与える。
私の足跡
マルクスの被解放者、マルクス・マリウス・サ[……]が、マルクスの被解放者、マル
クス・マリウス・テ[……]
私たちが何者で、何を語るのか、それから私たちの人生はどんなものなのか?
私たちのもとでは人間として生きていた。
今は人間ではない。
石碑と名前は残るが、足跡は全くない。
人生はどのようなものであるのか?
あなたが手に入れようとしているものじゃない。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 22215 番=『ラテン語韻律碑文集成』801 番
死ぬときは裸
冥府の霊魂へ。
プブリウス・カウリウス・シュントロフス、ここに眠る。
人生の罪なく 50 年生きた。
私はあなた方に今、忠告いたします。
貪欲に生きるあなたも、母なる自然から裸で生まれました。
何の感謝なく死ぬのであれば、そのときも裸でしょう。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 14618 番=『ラテン語韻律碑文集成』1494 番
生きているうちに遊ぼう
グナエウスの息子、アニエンシス区所属、グナエウス・コルネリウス・バッスス。
生れてから 10 と 6 年、できる限りよく生きました。
親とすべての友人に感謝しています。
あなたが冗談をいい、遊ぶよう、お勧めします。
ここ(墓地)には最高の真面目さがあるのでね。
奴隷フォルトゥナトゥスが建立した。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 16169 番=『ラテン語韻律碑文集成』85 番
きみもはやくお墓を建てなさい
我らが皇帝の奴隷、飛脚ウィタリスは、まだ人生を楽しんでいる。
アンティゴナもまだ生きており、楽しんでいる。
私はウィタリス。まだ生きている。
私は自分でお墓を建てた。
自分の墓碑銘も作った。
ここを通り過ぎるとき、自分でも全部読んでいる。
命令書を携えて、自らの足で各地を歩き回り、猟犬でウサギを捕まえ、次いでキツ
ネも捕まえた。その後は溌剌として酒をやった。
私は青春の多くを謳歌した。
なぜなら私はいつか死ぬ定めにあるのだから。
あなたが賢いのであれば、若者よ、生きているうちに自分の墓を建てられよ。
(アフリカ・プロコンスラリス カルタゴ)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 1027 番=『ラテン碑文選』1710 番=『ラテン語韻律碑文集成』484 番
人間は生きて死ぬ
以前に華やいでいたものがいかに急速に衰えるのかをご覧あれ。
以前に立っていたものがいかに急速に倒れるのかご覧あれ。
我われ生まれ出でた者は死ぬ。そして終わり方は、始まりから重要である。
(近ヒスパニア タラッコ)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 4426 番=『ラテン語韻律碑文集成』1489 番
あなたも死すべき人間です
ここに安置されているのは、息子たちの2つの愛すべき身体、そして夫にいつも愛
された、哀れな母の遺体だ。
彼らの名前は銘板のしたに記録され、読まれる。
不幸な父、哀れな伴侶が自分で置いた。
どなたであれ、お読みのあなたにピエタスの名において忠告します。
あなたも死すべき定めですから、死すべき人間の問題を気にして下さい。
そしてパトリアに加わり、お墓を大事にしてください。
(ローマ)
『ラテン語韻律碑文集成』857 番
死はだれにでも迫る
冥府の霊魂へ。
ウァレリウス・マリヌスの息子、ウァレリウス・アウィトゥスへ。
享年 30 歳。
母ウァレリア・フスキッラが、最も愛する、そして最も心やさしい息子のために建てま
した。
私は銘板に、5行の小詩が上手に記されることを望みました。
コニンブリカで生まれた私ウァレリウス・アウィトゥスが書いた。
死が突然に奪い去った。
3 度の 10 年を人生の罪なく生きた。
生きていく者たちよ、生きよと私は警告する。
死は万人に迫る。
(ルシタニア コニンブリガ)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 391 番=『ラテン語韻律碑文集成』485 番
生きることを学べ
通りすがりにこの追悼碑をご覧になるあなた、
どれだけ適切な人生が私に与えられたのかご覧あれ。
15 年とても愛されて生きました。
16 歳になると、この魂を置きました。
私は今、留まっている。
ここにお越しのみなさん、生きることを学んでください。
ごきげんよう。
(イタリア第 4 レギオ ウェナフルム)
『ラテン碑文集成』第 10 巻 5020 番=『ラテン語韻律碑文集成』1084 番
旅人へ向けたメッセージ

古代ローマの墓地は街道沿いにあった。そのため、墓碑銘には街道を歩く旅人に向けたメッ
セージが記されることもあった。そこには人生の旅をつづける生者に、生きいきと語りかける
死者の言葉が記されている。
みなさんにお知らせください
ルキウスの息子、ファビア区所属、プブリウス・アティニウス、ここに眠る。
旅人よ、ひょっとして、もし泥が、もし塵芥が、あなたを留めているのであれば、乾
いた土地や日照りがあなたの旅路を楽にするまで、すっかり読んでいってください。
フォルトゥナ(運命の女神)の左手が9、あなたを生まれた都市に連れていったとき、
安らぎつつあなたの知人にこういうことができるように。
「イタリアの境界線、ウォベルナに、私はモニュメントをみました。そこにはアティニ
ウスの亡骸が安置されていました」と。
(イタリア第 10 レギオ ヴォバルナ)
『ラテン碑文集成』第 5 巻 4905 番=『ラテン語韻律碑文集成』982 番
お墓に小便をかけるな
冥府の霊魂へ。
十分に値する妻ユリア・フェリクラとその息子ネプトゥアリスへ。
父である公有奴隷エウァリストゥス・ユリアヌスが自らと親族、および子孫のために
建てた。お客人よ、この墓所に小便をしないように、遺骨がお願いいたします。
もしあなたが感謝の心をもつ人間であれば、お酒を混ぜて飲んで、私にも与えてく
ださい。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 2357 番=『ラテン碑文選』8204 番=『ラテン語韻律碑文集成』838 番
9
「左」は運の悪い方向。
悪さをしないでください
お客人よ、足を止められよ。ここで左側にあるこの塚をご覧あれ。
そこには良き人間、憐み深い人間、貧者を愛する人間の遺骨が納められている。
旅人よ、私はあなたに、この記念碑に悪さをなさらないようにお願いする。
セッラニウスの被解放者、ガイウス・アテイリウス・エウホドゥス、「聖なる道」沿いの
真珠商人が、このモニュメントに安置されている。
旅人よ、ごきげんよう。
遺言に基づき、このモニュメントにはだれも移送されない。
本遺言により私が与え、配分した被解放者を除き、何者も収容されないように。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 9545 番=『ラテン碑文選』7602 番=『ラテン語韻律碑文集成』74 番
お墓に選挙広告を書くのはおやめなさい
看板職人よ、あなたにお願いする。
その候補者の名前がこの記念碑に記されたなら、そいつが全くどんな名誉ある職
にも就けませんように。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 29942 番=『ラテン碑文選』8207 番
おいお前
マルクスの被解放者、マルクス・スタティウス・キロはここにいる。
おいお前、疲れた旅人よ、お前は私のそばを通り過ぎ、
ずっとうろうろしているのだから、お前はここに来るべきなのだ。
正面幅 10 ペデス。奥行 10 ペデス。
(イタリア第 10 レギオ クレモナ)
『ラテン碑文集成』第 5 巻 4111 番=『ラテン碑文選』8122 番=『ラテン語韻律碑文集成』119 番
からかうなら、別のひとにしなさい
冥府の霊魂へ捧ぐ。
ルキウス・アンニウス・オクタウィウス・ウァレリアヌス
私とあなたがたは関係ない。
からかうなら、別のひとにしなさい。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 11743 番=『ラテン語韻律碑文集成』1498 番
もうだれも踏みにじるな
冥府の霊魂へ。
ここに眠るのは、ユリウス・バッススの息子バッシアヌス。
彼は 10 年 14 日生きた。
神々がこの養い子を奪ったように、踏みにじろうとするな。
この土地に悪さをするな。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 19874 番=『ラテン語韻律碑文集成』1224 番
悪さをしたら呪いあれ
冥府の霊魂へ捧ぐ。
息子カッリストゥスのために両親が(建てた)。
だれであれ、彼に危害を加え、あるいは罪のないセウェラに仇なす者はだれであれ、
主なるソルよ、私は汝に委ねます。
汝はその死を宣告してくれるでしょう。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 14098 番=『ラテン碑文選』8497 番
ご挨拶
ルキウスの被解放者、アンティスティア・タイスへ。
最高級に清らかな魂をおもちください。
どなたであれ、私にご挨拶して下さったあなた、お元気で。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 11938 番=『ラテン語韻律碑文集成』65 番
一言だけお願いします
ガイアの被解放者、マルクス・ヘルウィウス・マルスア、享年 60 歳。
ガイアの被解放者、マッリア・ガッラ、妻、享年 41 歳。
二人はここに眠る。汝らに大地が軽くありますように。
急ぐ足取りで道を進まれるあなた、旅人さん、
少し立ち止まるようにお願いします。私が求めるのは、ちょっとした時間です。
お願いです、通りすがりのあなた、「あなたに大地が軽くありますように」と仰ってく
ださい。
(ルシタニア エメリタ)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 558 番=『ラテン語韻律碑文集成』1451 番
「大地が汝に軽くありますように」
立ち止ってください。お願いします。
墓碑をちゃんとご覧になるよう、お願いします、旅人よ。
アンティスポルス。
享年 8 歳。
みんなに愛された。
ここに眠る。
アンティスポルスに向かって、「大地が汝に軽くありますように」と声をかけてくださ
いますよう、お願いします。
(ヒスパニア カストゥロ)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 5907 番=『ラテン語韻律碑文集成』1193 番
どなたかは存じませんが
若者よ、もしお急ぎでも、
ここで石碑があなたに、自分をみてくれとお願いしています。
次には書かれていることをお読みください。
ここにはマエキルス・ルキウスの遺骨があります。
私はあなたがどなたか知らないのにお願いしました。
ごきげんよう。
(ローマ)
『ラテン語韻律碑文集成』848 番
幸せな人よ、生きて涙を注げ
冥府の霊魂へ。
幸せな人びとよ、生きて我らの霊魂に涙を注げ。
妻セウィア・アクィリナへ。
恩給兵アウレリウス・マリヌスが十分に値する者に建てた。
(下モエシア ウィミナキウム)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 13809 番=『ラテン語韻律碑文集成』859 番
怒らないでください
スプリウスの息子、クィントゥス・カエリウス、船の設計師は生きています。
妻、マルクスの被解放者、カミディア・アフロディシアは生きています。
お客人、立ち止り、迷惑でなければお読みください。
どうかお怒りにならないでください10。
温かいものをお飲みになるよう、お勧めします。
死ぬことになっているのです。
お元気で。
(イタリア第 1 レギオ インテラムナ・リレナス)
『ラテン碑文集成』第 10 巻 5371 番=『ラテン碑文選』7734 番=『ラテン語韻律碑文集成』118 番
本稿では「享年」と訳していることが多いが、墓碑ではふつう、「(故人は)生きた(vixit)」と現在
完了形で表現されている。しかし、この碑文では「生きている(vivit)」という現在形が用いられてい
る。このような形式から外れた表現を使っていることを、墓碑をみた旅人に予め詫びている。
10
どうか幸せな人生を
冥府の霊魂へ。
このフルクトゥスの墓所は神聖なものです。
傷つけないでください、お客人。
お読みになって、同情しながら去りますか?
私はあなたに幸福な人生がありますように、死んだときには大地が軽くありますよ
うにと願います。
グナエウス・ポンペイウス・オリュンピクスが生前に、自らと妻ゲガニア・プリマ、娘フ
ェリキタス、被解放者フルクトゥスへ。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 5767 番=『ラテン語韻律碑文集成』1101 番
私にお花をくださいな
ペルフェクティッシムス級の人士、プロテクトル格、フラウィウス・ダルマティウス。
享年 60 歳。
そしてアウレリア・ユリア、最愛のつれ合い。享年 35 歳。
それゆえこの銘板を記した。
相続人はどなたであれ、私の死後、このラル(家の守り神)とお庭の主人はだれであ
れ、近くのバラを摘んで下さいな。
私にユリをたむけてください。真っ白なユリのお花を。それは緑で一杯の小さなお
庭に咲いていますから。
(上パンノニア サウァリア)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 4185 番
あなたもひとの親ならお分かりのはずです
冥府の霊魂へ。
どなたであれ、あなたが心やさしい父親であれば、あるいは子供を産んだ母親なら
ば、知って下さい。子供をもつことは良いことです。もし運命が嫉妬深くないならば。か
くして嫉妬深い死があなたからこんなにも早く子供を奪うことはないでしょう。私たち、
あなたたちの立派な子供らに、大地が軽くあれと祈りましょう。死んでも面影のなかで
生き11、そしていつもお参りされますように。
父アエリウス・マルケッリヌスが息子フェリキッシムスへ。
私はこれを十分に作った。もし地下の者たちがそれを知るのであれば。
彼は 10 年 5 カ月 11 日生きた。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 10731 番=『ラテン語韻律碑文集成』647 番
あなたはまだ生きているのだから、
可愛いロマナ。享年 20 歳。ここに眠る。
大地が汝に軽くありますように。
そこを行くあなたにお願いします。
あなたは生きています。
飲んで、遊んで、来てください。
(バエティカ ガデス)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 1877 番=『ラテン語韻律碑文集成』1500 番
もっと酒を、
私、パピリア区所属、グナエウスの息子、ルキウス・レンニウス・ポッリオは、自らの
埋葬施設でますます楽しんで酒を飲む。というのも、私はここで眠りにつき、留まらな
ければならないのだから。
(ガッリア・ナルボネンシス ナルボ)
『ラテン碑文集成』第 12 巻 5102 番=『ラテン碑文選』8154 番=『ラテン語韻律碑文集成』188 番
11
ut mors in voltum vivat.
お飲みなさい。
クィントゥスの息子、セルギア区所属、ティトゥス・キッソニウス、第五ガッリカ軍団退
役兵。
生きているあいだ、私は楽しんで飲んだ。
あなたは生きているのだから、お飲みなさい。
(ピシディア アンティオキア・ピシディアエ)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 293 番=『ラテン碑文選』2238 番=『ラテン語韻律碑文集成』243 番
死の時刻

人生は時間のうちに歩まれる。無色透明な時間に意味を添えたがるのが人間の習いだ。
サトゥルヌスの日(土曜日)に
冥府の霊魂へ。
サトゥルニナへ。
サトゥルヌスの日に生まれ、サトゥルヌスの日が命日になった。
享年 3 年 5 カ月 20 日。
(イタリア第 1 レギオ プテオリ)
『ラテン碑文集成』第 10 巻 2933 番=『ラテン碑文選』8526 番
ルナの日(月曜日)に生まれ、サトゥルヌスの日(土曜日)に死ぬ
ブラスティオへ。
6 年 9 カ月 14 日 1 時間生きた。
9 月カレンダエの 5 日前、昼の第 6 時、ルナの日に生まれた。
6 月イドゥスの 3 日前、昼の第 1 時、サトゥルヌスの日に死んだ。
彼の母親へも。
彼女は 20 年 20 日 10 時間生きた。
この息子を 12 カ月 20 日残した。
父ブラストゥスが、最も思いやりある息子のために建てた。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 13602 番=『ラテン碑文選』8528 番
結婚記念日に死亡
冥府の霊魂へ。
ガイウスの娘、レイアニア・マエキアナ、比類なき夫を一人とし、最も純潔な妻へ。
彼女は 2 月カレンダエの 3 日前に結婚し、2 月カレンダエの 3 日前に死んだ。
彼女とともに 18 年生きた。
ティトゥスの息子、ティトゥス・フラウィウス・リベラリス、夫ヘドニクスが建てた。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 25392 番=『ラテン碑文選』8527 番
死の理由

古代ローマで墓碑に死因を書き添えようとする人びとは少なかった。敢えて記されているの
は、それだけ印象的で、悲劇的だったからであろう。
あの女
冥府の霊魂へ捧ぐ。
ルキウスの息子、オウフェンティナ区所属、ルキウス・マンリウス・モンタヌスへ。
ルキウス・マンリウス・グライキウスが、自らと、ガイウスの被解放者、アニミシア・レ
スティトゥタ、妻と、ルキウスの息子、オウフェンティナ区所属、ルキウス・マンリウス・
アペルのために。
ここに眠るはマンリウス・モンタヌス。
女の邪な手で奪われた。若くして望みもしないのに死んだ。むしろ息子が私たちの
ために誠実な葬儀を催し、値するマネスと父祖たちを崇拝するのが当然だったのに。
もし運命が誠実に、両親の願いを聞き届けてくれていたのなら。
(イタリア第 1 レギオ アクィヌム)
『ラテン碑文集成』第 10 巻 5495 番=『ラテン語韻律碑文集成』376 番
強盗に殺された娘
冥府の霊魂へ。
不運な娘ユリア・レストゥタへ。
彼女は 10 歳にして、装飾品目的で殺された。
両親ユリウス・レストゥトゥスとスタティア・プデンティッリスが建てた。
(ダルマティア サロナエ)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 2399 番=『ラテン碑文選』8514 番
野蛮な奴らに
故ティティウス・ドムニヌスあるいはパッセリス、卓越した商人の追慕。
享年 26 歳。
蛮族に殺害された。
息子たちの不幸な父親、ティティウス・ドムニヌスが、この石棺に、2つの遺体を安
置。
ティティウス・ウルシニアヌスの追悼。
享年 18 歳。
ティティウス・ドムニウス、ブリゲティオ自治市の皇帝礼拝委員が、とても家族愛あ
ふれる息子のために、設置を監督した。
(上パンノニア ブリゲティオ)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 11045 番
産褥の死
ガイウスの被解放者、ユリア・ドナタの遺骨。
子供が生まれ、名をつけたあとで死去。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 20427 番=『ラテン碑文選』8480 番
墓所は永遠の家

古代ローマ人の関心事の一つは、ちゃんと埋葬されることだった。人生は短いが、死後にお
墓で過ごす時間は長い。ひょっとするとそれは悠久の時間。
墓所は永遠の家
ガイウスの被解放者であるガイウス・ホスティウス・パンフィルス、医師が、このモニ
ュメントを購入した。自らとマルクスの被解放者であるネルピア・ヒュムニス、男女のす
べての被解放者とその子孫に。
これが我らの永遠なる家、これが我らの地所、これらが我らの庭園、これが我らの
記念碑。
正面幅 13 ペデス、奥行 24 ペデス。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 1 巻 1059 番=同第 6 巻 9583 番=『ラテン碑文選』8341 番
あなたがだれで、どこで眠るのか
冥府の霊魂へ。
もし霊魂がおありであれば、こうお感じでありましょう。
お前は我らが人生の希望であった。
あなたがだれで、どこに眠るのか。
それを今示すのはこの石碑。
兄ルキウス・スプレンイウス・ヘルクラヌスと、母フラウィア・パウラが、ルキウス・ス
プレン二ウス・ルフス、20 年従軍したマッティアキ大隊のラッパ手、十分に値する者の
ために建てた。
ごきげんよう、旅人さん。
(下モエシア テンカ)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 12437 番=『ラテン語韻律碑文集成』1323 番
遺言状に書かれた辞世の詩
ガイウスの息子、ファビア区所属、ルキウス・ナエウィディウス、皇帝礼拝六人委員
が、自らと、被解放者であるウィタリス、ファウスタ、クノメン、フィダのために、遺言に
より建設を命じた。
次の短い銘(エロギウム)はそこから取られた。
長らく、たくさんの災難を忍びつ、私は生きた。
私は病み疲れ、ふさわしき永遠なる眠りに就いた。
(イタリア第 10 レギオ ブリクシア)
『ラテン碑文集成』第 5 巻 4445 番=『ラテン語韻律碑文集成』142 番
死後の名声
冥府の霊魂へ。
ルキウスの息子、スカプティア区所属、クィントゥス・ウィビウス・マクシムス・スミンテ
ィウス、アエラリウス、六人委員は、自らと、クィントゥスの娘、マエミニア・マクシマ、最
愛の妻と、クィントゥスの息子、クィントゥス・ウィビウス・ウェルス、息子、兄弟であるル
キウスのためにこれを建てた。
この石碑は永遠の守りとなろう。
ここに埋葬された死者を示す証となろう。
もし我らがマネスに何かがあると信じるならば。
もし我らが死後に気をつけないのならば、生きることは何の役に立つのか?
名前と名声は過ぎ去る。
我らが焼かれる。
我らは永遠の住処を求める。
それが労苦の目的だ。
お読みのあなたも、ご自身に(石碑を)建てることを覚えなさい。
(イタリア第 7 レギオ フロレンティア)
『ラテン碑文集成』第 11 巻 1616 番=『ラテン碑文選』7683 番=『ラテン語韻律碑文集成』1190 番
死後の安楽と苦悩
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この世に死を経験したひとはいない。いないはずである。しかし、死はだれにでも訪れる。訪
れるはずである。だから死は、古代から今まで語られ、考えられつづける永遠のテーマであ
る。歴史に名を残す哲学者のみならず、市井の人びとも死について一家言もっていた。
もう何も心配ない
ガイアの被解放者、アンカレヌス・ノトゥス。
享年 43 歳。妻とともに暮らすこと 18 年。
遺骨が優しく眠っている。
すぐにお腹が空くんじゃないかという心配もない。
痛風も心配ない。
支払いへの保証金でもない。
ただで永遠なる歓待を受けるのだ。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 7193a 番(33241 番)=『ラテン語韻律碑文集成』1247 番
今は穏やかな安楽
病疾と人生最大の不幸から私は逃れた。
私は今、罰から逃れ、穏やかな安楽を享受している。
プブリウスの息子、オウフェンティナ区所属、プブリウス・アティリウス・セプティキア
ヌス、ラテン語文法教師の(墓)。
彼に対し、コムム参事会は参事会員標章を決議した。
彼は自らの全財産が都市に帰属することを望んだ。
(イタリア第 11 レギオ コムム)
『ラテン碑文集成』第 5 巻 5278 番=『ラテン碑文選』6729 番=『ラテン語韻律碑文集成』1274 番
いなかった、いた、いる
冥府の霊魂へ。
私はいなかった。私はいた。
私には思い出がある。
私はもういない。私は気にしない。
ドンニア・イタリア。享年 20 年。私はここに眠る。
スミンティウスとドンニア・カッリステが、
最も心優しい被解放者のために(建てた)。
(アクィタニア ラクトラ)
『ラテン碑文集成』第 13 巻 530 番=『ラテン碑文選』8163 番
我らは今も存在する
我らはかつて存在しなかった。我らは沈黙から生まれた。
今、我われは存在している。かつて存在したように。
ごきげんよう。あなたも。
冥府の霊魂へ捧ぐ。
ガイウス・トゥッリウス・エパフラと最高の妻トゥッリア・シュンフェルサへ。
(イタリア第 4 レギオ フォルム・ノウゥム)
『ラテン碑文集成』第 9 巻 4840 番=『ラテン碑文選』8166 番=『ラテン語韻律碑文集成』1496 番
あなたがいるから、私がいる
マルクスの被解放者、マルクス・ウァレリウス
被解放者プロクルスが自己負担で(建てた)。
旅人よ、旅人よ、あなたがいるから私がいた。
今私がいるから、あなたはいるだろう。
(イタリア第 6 レギオ フォルム・フォルトゥナエ)
『ラテン碑文集成』第 11 巻 6243 番
冥府の霊魂へ捧ぐ。
父アルテミウスが、最愛の息子アタルビウスへ。
旅人よ、あなたがいるから私がいる。
私がいるからすべての人びとが。
ここに眠る。
(マウレタニア・カエサリエンシス ポマリア)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 9913 番
何でだろうね
冥府の霊魂へ。
セクストゥス・ペルペンナ・フィルムスの(墓)。
私は望んだだけ生きた。
なぜ死んだかは知らない。
(ヒスパニア タラッコ)
『ラテン碑文集成』第 2 巻 6130 番=『ラテン碑文選』8160 番
死は真ん中にある
人生は良きものであり、人生は悪しきものである。
死は、これらの真ん中にある。
もしあなたが知りたければ、ご覧あれ。
それが何を解き明かすかを。
彼らはマネスなのだから、大地が汝に軽くありますように。
ティトゥスの娘、ユリア・ルキッラは、14 年 5 カ月生きた。
その時間のうち、約 6 か月を 3 度、その死の日までに、夫とともに過ごした。
ファビウス・エクスペランティウスが、無垢で思いやりある妻のために建てた。
(アフリカ・プロコンスラリス アンマエダラ)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 11665 番=『ラテン語韻律碑文集成』1497 番
人間の運命とはまるで果実のよう
友よ、私の運命を嘆かないで下さい。
死すべき運命だったのです。
人間の運命とはそういうものです。
まるで木に生える果実のよう。
未熟なうちに落ち、熟せば刈り取られるのです。
(ローマ)
『ラテン語韻律碑文集成』1543 番
彼女は蝶
スキタ、ここに眠る。
羽で飛び回る蝶が、クモの巣に縛りつけられた。
死が突然に与えられた。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 26011 番=『ラテン語韻律碑文集成』1063 番
地獄にいる私を助けよ
ガイウスとガイアの被解放者、ガイウス・ユリウス・ファウストゥス、ガイアの被解放
者、カエキリア・ユクンダ。
おお、運命が支配する人間の移ろいやすい幸運よ。
なぜなら、汝は私をユリウス・ファウストゥスから奪い去った。あずまやで食事をする
私に、彼はシンフォニーを歌ってくれたが、今ではケルベロスが不幸な女の可愛い両
耳をつんざく。
もし汝が少しでもご慈悲をおもちであれば、至聖なる母よ、タルタロスの境域に落ち
た私をお支えください。
古来の配慮と名声で飾られた彼が家で眠っていたが、今やケルベロスが私を破滅
へと導いています。愛しいファウストゥスよ、ごきげんよう。私たちは贅沢の閑暇を失
いました。母の喜びは憂鬱に、父の不平は陰鬱になり、しゃがれた角笛の音が早くも
私を遺灰へと呼ぶのだ。クロトは 26 年で私をこの結末に導いた。パルカエが私にこの
ような終わりを渡したのだ。
(ローマ)
『ラテン語韻律碑文集成』2121 番
明けの明星が輝くとき
ガイアの被解放者、エグナトゥレイア・ウルバナ、ここに眠る。
ああ、心地よい天からの光よ。ああ、心地よい人生の楽しみよ。
もしも花咲く者への嫉妬が降りかかりさえしなければ。
嫉妬深い明けの明星が、黄金の星から私のもとに現れた。
哀れな私を嫉妬が押しつぶしたとき。
歳月は 12 年をふたまわり。務めが私を光から追い出したとき。
けれど今、ピエタスよ、私はあなたを敬い、その功徳で元気な女を元気づけるよう
に願います。
彼女は私を奴隷として奪い、愛しき者と灰をともにする。
だけどあなた、フリュギアの大地が生んだ若者よ、嘆きで私を呼び起こすのはやめ
なさい。
なぜなら、汝の働きは、私にとって、光のなかでは好ましかった。今はようやく灰に。
プブリウス・クィリニウスとガイウス・ウァルギウスがコンスルの年、セクスティレス月
カレンダエの 4 日前。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 17130 番=『ラテン語韻律碑文集成』963 番
黄泉に眠る
冥府の霊魂へ。
私、ルキウス・ミンディウス・ゾシムス・セニオルが、生前に建立した。
私の死後、相続人が遅れて最後の塚を作らないように。
もしマネスが神聖なものであれば、私はここで、聖なる妻スッケッサとともに黄泉で
眠る。
私に大地が軽くありますように。
(ローマ)
『ラテン碑文集成』第 6 巻 22513 番=『ラテン語韻律碑文集成』1269 番
エリュシオンの野を歩む
不幸にも埋葬されて、プリンキピウスはかの永遠の墓所に住んでいます。
哀れな彼には人生の終わりは、3 度の 6 年と約 4 つの年を果たしたそのとき、過酷
なものでした。
なぜならローマでの勉学を楽しんでいる彼を、嫉妬深い運命は突然の葬儀で隠し
てしまったのです。そして遺体となった戻った彼を、残酷な葬儀で、お墓の理不尽な名
誉とともに父親が野辺に送りました。
彼の平穏な務めに喜んで、マネスはエリュシオンの野と甘い草原を彷徨っている。
(ダルマティア スカルドナ)
『ラテン碑文集成』第 3 巻 6414 番=『ラテン語韻律碑文集成』588 番
地下の王国
冥府の霊魂へ捧ぐ。
私の名前はプリムスだった。まだ人生があるときには。
地下の王国で、天空の光を奪われ、安らいでいる。
もう安らかな眠りがあり、もう人生には何の危険もない。
私には高潔な精神、偉大で保たれた意志があった。
(アフリカ・プロコンスラリス ザマ・レギア)
『ラテン碑文集成』第 8 巻 16463 番=『ラテン語韻律碑文集成』514 番
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