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Ⅱ 各回講義感想

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Ⅱ 各回講義感想
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
Ⅱ 各回講義感想
【第1回】
歴史に学ぶ広島大学(ガイダンス)
(講師:小宮山 道夫)
医・ 1 ・女 広島の歴史から様々なトピックがあり本当に興味深いも
のだと思いました。また講師の先生方も 3 人であるので様々な観点
からの授業が期待でき面白そうだと思いました。自分としては特に原
爆のことや、広島大学の卒業生というトピックに興味を持ちました。ま
ずは次回の講義である 歴史に学ぶ広島大学 という内容からしっ
かりと勉強していきたいと思いました。小宮山先生は楽な授業だとお
っしゃいましたが、妥協せずに毎回出席して頑張ります。
医・ 1 ・男 広島大学の歴史といってもたくさんのトピックがあり、一つ
一つに対して大変興味がわきこれからの授業がとても楽しみになった。
とくに『原爆と広島大学』は元々戦争や原爆に興味があったので、そ
れと広島大学が絡めてありとても興味がわいてきた。この講義を受け
終わったあとにしっかり胸をはって広島大学の歴史を語れるように頑
張りたい。
医・ 1 ・男 広島大学の歴史について三人の異なった講師の方から
違った観点で学べることができると聞きとても興味がわきました。特に
広島は世界で初めて原爆の被害あっており、その広島にある広島大
学の歴史について学ぶことは平和に対する考え方を見直すよいきっ
かけになってくれるのではないかと思いました。これからしっかりと広
島大学の歴史について学びその広島大学の学生の一員として学生
生活をおくっていきたいと思います。
医・ 1 ・男 はじめは楽勝だという理由でこの講座を取ったが、ガイダ
ンスを聞いていくうちに先人達が積み上げてきた広島大学の歴史、
伝統の重みをひしひしと感じた。終戦直後、原爆に焼き払われた焼
け野原からこの大学を創立したことはものすごいことだ。私は広大に
入って間もないが、これからは広大生としてその誇り高き歴史に恥じ
ることなく、よく勉強し、学生生活を楽しみたいと思う。これから色々な
先生達が講義をしてくださるそうだが、一回一回の授業を大切にして
いきたい。
教育・ 1 ・女 まず、広島大学がまだ創立 60 年だということで、思っ
ていたよりも若い大学であったことに驚きました。また、各地に点在し
ていた広島大学が西条に移転する際のことは昨年調べる機会があり、
なんとなくは知っていましたが、それ以前の大学に関しては何も知り
ませでした。したがって、まだまだ知っているというには知識が全く足
りませんが、広島大学が戦後の混乱のなかでたちあがり、今に至ると
いうことを知り、教育学部をはじめとするさまざまな分野で優れている
理由がわかったような気がしました。
教育・ 1 ・男 講義中に「広大に入学してよかった」と思える講義を展
開するとおっしゃっていたので、一体どういう点で広大は優れている
のか非常に気になった。私なりにいろいろ考えてみたが明確な答え
が出せなかった。一刻も早くその答えを見つけ出したく思い、これか
らの講義がとても楽しみになった。また、講義自体も楽だと明言して
下さったので少し気が楽になった。そして、授業担当者の講義に対
する熱い思いを感じたので、楽だからといって気を緩めることなく私も
真剣に取り組みたいと思う。
教育・ 2 ・女 これから講義に出て、広島大学の歴史について詳しく
学んでいきたいです。
教育・ 2 ・女 今日のガイダンスを受けて、ただ広島大学の歴史を学
ぶ訳ではなく、様々な方面かの講義が聞けるということが分かって、よ
り一層楽しみになりました。個人的には広島大学の入試と学生の授
業が気になっています。
教育・ 2 ・女 これから講義にきちんと出席して、広島大学の様々な
歴史について学んで、先生がおっしゃっていたように「広島大学に来
て良かった」と思えるような時間にしたいです。
教育・ 2 ・女 広島大学について知れば少しは見方が変わることもあ
ると聞いて、自分は歴史とかあまり好きではないけど、楽しみに思える
ようになった。これから受ける講義を通して自分にプラスにしていけた
らいいと思った。
教育・ 2 ・女 授業の予定を見て、私が思っていたよりの幅広く、また
多様な視点から講義を受けれるのだと思った。広島大学といえば、や
はり原爆を抜きには語れないものである。そのような視点からも私たち
が通う大学をもう一度見直してみたいと感じた。また、私語などは思っ
たよりも少なく、良い環境なのではと感じた。ただ、今回のような理由
で講義から溢れてしまう人たちが気の毒だと思うので、できるだけ講
義を受けれるように配慮していただけたらなぁと思う。
教育・ 2 ・女 これから毎回の講義で毎回違うことを教えてもらいます。
いろんな人からたくさんのことを学ぶので、私語をしないなど最低限
のマナーをしっかりしていきたいと思った。親戚にも広島大学卒業生
がいて広大に入る前に、たくさんのことを聞いていたけど、入学して前
の歴史からだんだん変わってきているのでどのようにして変わったの
か、なぜ昔よりよりよくなっているのかなど興味があるのでたくさんのこ
とを学んでいきたいと思った。また、より積極的に授業に参加していく
ためには、分からないところや疑問に思ったことがあったら、質問して
いこうと思った。
教育・ 2 ・女 これからさまざまな講師の方に広島大学について、い
ろいろな側面からお話を聞くことができるのをとても楽しみだと感じま
した。 1 番たのしみにおもっているのはやはり弟 3 回に予定されてい
る原爆と広島大学という内容の講義です。原爆投下されてからの広
島についてもとても興味があるし、そこにある大学がどのように復興し
ていったかなど知りたいと思いました。
教育・ 2 ・女 私たちにお話をしてくださる先生方は、私たちのため
に準備をされてくれるのでしっかり聞いて少しでも自分のためになる
ように学んでいきたい。また広島大学の歴史を知ることで、大学に対
して考え方がかわるような気がしたからです。広島も私の出身長崎と
同じ被爆地でそのことも考え、知りたいと思いました。
教育・ 2 ・女 たくさんの人がいたので、かなりびっくりしました。今日
のガイダンスを受けるまでは、正直、古い感じで単調な授業かもしれ
ないと思っていたのですが、先生の話がおもしろくて、これからの授
業がすごく楽しみになりました!広島大学は高校 1 年生のときからの
第一志望校だったので、先生が今日、この大学にきてよかったです
ね!とおっしゃったのですごく嬉しくなりました。もう 2 年生なのに、自
分の大学のことがあまりわかってないっていうのは、なんだか悔しいの
で、この授業うけたいです!大きい教室になってほしいです!!
教育・ 2 ・女 広島大学について多方面から学べる授業内容だと思
いました。歴史といっていたから今までの話ばっかりなのかと思ってい
たけれど、国際化社会と照らしあわしたり、学生たちの時代ごとの様
子なども学べると知って楽しみです。また、広島大学の立派な教師が
たや卒業生の方々の話をきくこともできるので、今後の自分の大学生
活にとても役に立つと思いました。原爆の甚大な被害があったのにも
かかわらず大学を立ち上げた初代学長森戸さんの話が特に興味深
いです。
教育・ 2 ・女 今回はオリエンテーションで詳しい内容の授業ではあ
りませんでした。最初は「絶対広島大学の歴史を受講したい!」とま
ではいきませんでしたが、これからの授業計画をみて、そして先生か
ら内容を聞いて広島大学の歴史についてとても興味がわきました。特
に、広島大学の教師たちや卒業生たちは今までどのような人がいる
のか考えたことがありませんでしたが、考え始めたらとても興味がわき
ました。これからの授業をとても楽しみにしています。よろしくお願いし
ます。
教育・ 2 ・女 今日は最初の講義ということで、講義の説明や注意が
主で、広島大学の創立した年や、教員の数などの簡単な話しかなか
ったので、広島大学の歴史についてはまだほとんど考えていません。
でも、今日講義室に入って、受講希望者の多さに驚いたと同時に、こ
んなにたくさんの人が受講したいと思っているということは、それだけ
おもしろい、価値のある講義なんだろうなと思って、少し期待していま
す。次回からの講義を楽しみにしています。
教育・ 2 ・女 自分が広島大学に通っているのに,大学について知
らないことが多いのだと感じた。新制広島大学が今年で 60 周年だと
いうことも出てこなかった。興味本位で受けようとした授業であったが,
ガイダンスで授業の予定を聞いて,知りたいことが増えたように思う。
特に,ずっと広島に住んでいることから,原爆と広島大学の話は聴い
ておきたいと思うし,また,大学に入るためにくぐり抜けてきた入試に
ついても聞いてみたい。このように,様々に興味を引く内容であると期
待している。広島大学の学生として,この講義にきちんと取り組んで
行きたいと思う。
教育・ 2 ・女 今回は最初の講義だったので、あまり内容には入りま
せんでしたが、広島大学は他大学とは異なる特徴を持つ大学だとい
うことが分かりました。広島は世界初の被爆地ですが、その地に存在
する大学であるということには、とても大きな意味があると思います。
国内に国立大学は他にもたくさんあるけれど、広島大学は日本だけ
でなく世界の中でも稀有な特徴を持つ大学だと思いました。その大
学の学生であるということに誇りを持つと同時に、広大生として何が出
来るかを考える必要があると思いました。次回からの講義がとても楽し
みです。
教育・ 2 ・女 わたしが広島大学を進学先にしたのはやはり教育学
部が有名であったからで、なぜ教育学部が有名であるかは全然知ら
ない。その知らないことを教えていただけそうで大変嬉しい。電子辞
書等でどのような学校が元になっていたかは調べたが、もっと詳しく
知りたいと感じた。広島大学の学生である以上、大学の歴史につい
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てはある程度知っておくべきであるとわたしは考えている。そのため、
それを知らしめる授業があってくれてよかったと思う。次回からの講義
が大変楽しみである。
教育・ 2 ・女
広大がなぜ移転統合したのかが純粋に気になりました。
教育・ 2 ・女 広島大学は今年で創立 60 周年になり戦後からこれま
で色々と変化をしてきた。所在地も広島から西条に移り変わり、学生
が暮らす西条は昔に比べてだいぶ店も増えた。広島大学のあり方な
どは他大学とは違っており、また他大学も広島大学とは違った特徴を
持っているのである。広島大学が出来るまでの流れや、大学の理念、
また国際化社会の中での広島大学など広島大学の特徴というのを学
びたい。更に広島大学の学生生活という内容にも興味を持った。これ
から半年間頑張って学びたい。
教育・ 2 ・女 私はもともと広島大学に入学しようと思っていなかった。
実際初めて広島大学にきたのは入試の時であるし、広島大学の歴史
以前に場所さえ分かっていなかった。しかし、広島大学に入学したか
らには、学校ができた経緯、歩んできた歴史をきちんと分かろうと思っ
た。今回の授業では、ガイダンスが行われたが、原爆と広島大学とい
う授業に興味がわいた。入学当初に原爆や平和について考えさせら
れたのも、広大生としての使命であると思う。この授業で歴史につい
て学び、今後の学生生活に役立てていけたらと思った。
教育・ 2 ・女 広島大学は多くの国立大と同様に、今年で創立 60 周
年だと聞きました。しかし、広島大学の前身校も含めると、長い歴史を
持つ大学の一つだといえると思います。私は教育学部なのもあって、
広島大学の前身校についてとても興味を持ちました。次回の授業が
楽しみです。外国人にとっては「ヒロシマ」は日本で有名な都市である
という話を聞いて、なんだか変な感じがしました。というのも、私は昨
年から 1 年間ここ広島に住んでいながら、広島は日本の地方都市だ
という認識はあったものの、平和都市としての「ヒロシマ」をあまり意識
せずに暮らしていたからだと思います。この授業を通して、広島大学
や「ヒロシマ」についても考えていきたいです。
教育・ 2 ・女 広島はかつて原爆が投下された場所であることから、
外国の方にもよく知られているということを知った。私は大学生になっ
てから広島で暮らし始めたが、広島に住む者として、原爆については
よく知っておかなければならないと思った。今では当時の様子は想像
もつかないほど復興し、栄えているが、焼け野原だった時のことは、
決して忘れてはならない。この講義では、広島大学に関してさまざま
な内容のお話があるが、広島大学の歴史を学ぶことをきっかけに、広
島の歴史も一緒に学びたいと思っている。さらに、歴史を学ぶことにと
どまらず、現在の広島大学についての知識を広げ、広大にきて良か
ったと思えることをたくさん見つけていきたい。広島大学の卒業生に
ついての話もあるようなので、その話を聞くことで、自分の将来にもつ
なげていきたいと思う。これからの講義が楽しみだ。
と思った。それ以上に受講生の数に驚いたが。
教育・ 2 ・女 小池先生の講義を受けたくて受講したので今年度講
義されないということで残念でした。しかし、講義内容が面白そうだっ
たので興味を持ちました。もともと歴史的なことを学ぶのが好きなので
講義を受けるのが楽しみです。他の領域科目や専門科目では学ぶこ
とができない「広島大学の歴史」について広大生として知ることは将
来役に立つのではないかと思えました。受講希望の方が多かったの
で、人の多さに少し辟易しました。次回からはぜひ広い講義室で開
講していただきたいなと思います。
教育・ 2 ・女 中学生の頃から初等教員になりたいと思い、広島大学
に合格することを夢見て、今まで受験勉強を頑張ってきました。よく親
や担任の先生にも、「教員を目指すなら広島の教育に行け」と言われ
ていました。実際、周りからの評判や広大のブランド性に惹かれて、
志望していた部分は大きかったです。今日の講義を受けただけであ
まり学ぶことはありませんでしたが、これからの講義を通して、広大に
関する知識をつけていきたいと思います。
教育・ 2 ・女 今回はほとんど授業の説明をされていたのであまり広
島大学の歴史などについては触れられませんでしたが、ガイダンス資
料や説明が分かりやすかったです。また、広島大学には 1000 人以
上の教職員の方々がいると知り、驚きました。広島大学が 60 周年を
迎えているという事は知っていたのですが、 1 年間通った大学の事を
あまり理解できていないのだなと感じました。今後の授業で広島大学
について学び、自分の通う大学にもっと関心が持てるように頑張りた
いと思います。
教育・ 2 ・女 広島大学はわりかし新しい大学だということを知り、驚
いた。国立大学の歴史というと、大体明治、大正まで遡るものだと思
っていたが、昭和の時代であったので意外だった。もちろん、戦前の
原爆で焼けてしまう前にも広島大学はあったのかもしれないが、現在
のもととなっている体系ができたのは昭和というそう遠くない昔である
ことは衝撃を受けた。原爆を受けても復興することができた広島大学
は改めてすごいと感じた。広島の人々の努力を感じたし、何よりも自
分が通っている大学なのでより興味が湧いた。これから、授業を遠し
て大学の歴史を学んでいくのが楽しみである。
教育・ 2 ・女 小池先生の講義を受けたいと思い受講したので、今
年度小池先生は講義をされないということを知り、少し残念でした。し
かし講義が思っていたよりも歴史的な内容だったので興味を持ちまし
た。私自身歴史的なことを学ぶのが好きですが、今まで大学でそのよ
うな授業を受講したことがなかったので今回の講義がとても楽しみで
す。また広大生として自分の大学について学ぶことは必要なことだと
思いました。受講希望者がとても多く、少し息苦しさを感じました。次
回からはぜひ広い講義室で開講していただきたいなと思います。
教育・ 2 ・女 私は現在広島大学に在籍していながら、広島大学が
どのような大学なのかあまり知りません。この機会に自分の通っている
大学について詳しく知りたいです。そして、先生が言っていたように広
島大学の周辺は山で、特にこれといった店などがあるわけではありま
せん。大学周辺の環境以外の広大の良いところをもっと知っていけた
ら良いと思っています。また、私は特に 5 回目の授業の「広島大学の
入試と学生たち」が気になりました。私は AO 入試で入学したので、
AO 入試のことやどのような経緯で AO 入試が始まったのか、また過
去の入試方法等を知りたいと思いました。講師の先生方の真剣さに
応えて、私も真剣に授業に取組みたいと思います。
教育・ 2 ・女 確かに何百年,何十年という歴史があるということだけ
がその大学の価値を決めるものではないし,その記述ですらこじつけ
である場合もあるけれども,その歴史の中で「何が起きたか」「何をし
てきたのか」という事柄を学ぶことで,どういう時代の流れの中で今の
広島大学が生まれたのか,そして,これから広島大学がどのようにな
っていくのかが分かるのだろうと思う。私は,広島大学に所属している
のに,広島大学についてほとんどと言っていいほど何も知らないし,
考えたこともなかった。しかし,授業を聞いてみて,広島大学がなぜ
今の広島大学としてここに存在するのかということに少しずつ興味が
湧いてきた。この授業を通して,今まで知らなかった広島大学の一面
を見ることができたらと思う。
教育・ 2 ・女 今まで広島大学についての知識がほとんどない状態
で大学に通っていたけれども、今日の講義でこれから学ぶ予定のこと
を聞いて、多くのことを知れば知るほどさらに大学が好きになれそうだ
と感じました。また、大学の歴史について知っていくことで、単純に知
識が増えるだけでなく、これからの自分の大学生活がより楽しく有意
義なものになるのではないかという期待がとても持てました。できる限
り多くのことをこの講義で学び取って、大学生活の中でそれを生かし
ていきたいと思います。よろしくお願いします。
教育・ 2 ・女 名のある国立大学でも、まだ 60 年の歴史しか持って
いないことに驚いた。しかし授業で先生がおっしゃっていた通り、歴
史は長さではなく、その内容の濃さにこそ意味があるのであり、重み
があるのだと思う。私が大学に進学する前、祖父が戦時中の話をする
際に広島師範学校について教えてくれたことがある。その話に興味を
持ったことから、今回の授業の受講を決めた。この授業を通して、自
分の通う大学についてもっと詳しく知り、広大生として誇りを持てるよう
になりたいと思う。
教育・ 2 ・女 今日の第一回目の講義は教室に入りきれないほどの
人の多さにまず驚きました。もともと広島大学の歴史にとても興味があ
るという理由でこの授業を受講するわけではないのですが、受講する
からにはそれも何かの縁だと思って講師の方々のお話は真剣に聞き
たいと思います。今日のガイダンスでは、広島大学の入試と学生たち、
広島大学の学生生活が興味深いテーマだなと思いました。
教育・ 2 ・女 ガイダンスだったのであまり深くはやりませんでしたが
この授業の目的、内容といったものを見て非常に興味を持てました。
特に僕が興味をもったテーマは「広島大学はこうして生まれた」と「広
島大学の教師たち」です。広島大学はどういう目的で日本の社会に
どうやって貢献するために作られたか気になり、また教育に力を入れ
ている広島大学を卒業した教師たちはどのような教育をして生徒たち
と接しているのかが気になりました。資料やビデオ使ってくれるので分
かりやすくまなべるのだと思った。
教育・ 2 ・女 西条は田舎だが、広島大学が西条に移転してきた頃
に比べると開けてきたといっていたので、移転してきた頃はどれほど
田舎だったのか気になった。たしかに西条の街は、ブールバールな
どの道は全て新しく、アパートにしてもまだ 10 年そこそこのところが
多い。古いものより、まだ新しいもののほうが多い気がする。また、国
立大学の多くは 60 年だということを聞いて驚いた。言われてみると戦
争が終わってから大学が普及していったのだからそのとおりなのだが、
特に考えたこともなかったので全く気付かなかった。しかし、そんなに
一斉に大学が建てられたのにはとても驚いた。講義内容とは関係な
いのだが、講義の定員の決め方がとてもめずらしく、いい決め方だな
教育・ 2 ・女 これからの授業内容についての話を聞いて、私は全
然広島大学について知らなかったなぁと思いました。様々な内容の中
で私が気になったのは、入試についてや市内からの移転についてな
どでした。確かに、学部ごとや前期・後期ごとに試験は違っているは
ずだし、自分の受けたものについてしか知らないと思いました。また、
移転については、「なぜわざわざ移転しなければならなかったのか」
や、「移転によりどんなメリットみたいなものがあったのか」などがすごく
気になりました。これから自分の通っている大学について学んでいき
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
たいと思います。
教育・ 2 ・女 授業予定を見て、私が一番気になったのは入試制度
のことです。特に AO 入試への関心が強いです。なぜ AO 入試とい
う制度が生まれたのか、 AO 入試で注目しているのはどういった点な
のか、 AO で入学した生徒はどういった点で一般入試生よりも優れて
いるのか、などが気になります。私自身はあまり AO 入試をよく思って
いないので、わざわざ一般入学者数を減らしてまでも AO 制度を取り
入れた経緯がとても気になります。この回の授業をとても楽しみにして
います。
教育・ 2 ・女 全体的に好印象だった。今回はオリエンテーションが
主であったので、本格的な内容というものはよく分からなかったけれど
も、自分が今かよっているこの学校のことを学ぶ、ということで話を聞
いていると授業以前に思っていたよりも興味が湧いた。また私が他県
出身であるため、広島・長崎の両者特色である原爆の経験が、どのよ
うに活かされているのか、どのような活動が必要だったのか、とても興
味深く感じた。また授業の進め方や先生の話し方も聞きやすかったよ
うに思った。次の授業も楽しみに思う。
教育・ 2 ・女 この授業は授業名とシラバスだけを見て受講を決意し
たのですが、実は楽そうな授業だと聞いてとても安心しました。ただ人
の多さにはびっくりしました。それでも抽選もなさそうでよかったです。
自分が去年から通っている広島大学ですが、まだまだ分からないこと
だらけなので、これを機に広島大学についてもっと知り、今後のせい
かつにいかしていけたらいいなと思います。新学期ということで、決意
も新たにまた夏まで頑張っていけたらいいなと思います。
教育・ 2 ・女 私は結構授業が始まる直前くらいにきたので、プリント
をもらえたのもすごく後だったし、授業を聞くのも教室からはみでる形
で受けていたので、聞こえにくい部分はあったのですが、私が思って
いたように、広大の歴史を深く知れそうな授業内容だなと思った。多
分、教室が L102 にかわらない限り私がこの講義を受けるのは無理
だけど、ぜひこの授業を受けてみたい、と思うようなガイダンスだった。
教育・ 2 ・女 私は、結構プリントをもらえたのが遅くて、教室がかわ
らないと 300 番以降の人は受講できないということを言われてショック
だった。しかし、教室をかえてもらえるよう交渉するということだったの
でよかった。この授業のガイダンスを聞いて、さらに興味が深くなった
ので、毎週この授業が楽しみになると思う。
教育・ 2 ・女 自分が入学した学校について何も知らないのはとても
恥ずかしいことであると思うので、これから授業を受けていく中で、自
分が在籍する学校について意欲的に学んでいこうと思いました。また、
広大生としてどうあるべきかについて改めて考えるいいきっかけにな
ると思います。将来、自分の母校となるであろう広島大学を誇れるよう
に、まずは大学の歴史からしっかり学ぶ必要性を感じました。多様な
角度から、広大生の一員である自分というものを考えていきたいと思
いました。
にある広島大学の歴史について理解を深めることで、広島大学の学
生としての誇りをもち、日本の、そして大げさかもしれませんが世界の
未来のために少しでも役立つことを学んで生きたいと思いました。
教育・ 2 ・男 授業の予定を見ると、広島大学の歴史について様々
な角度からアプローチする内容でとても興味深く、また飽きることなく
講義を受講できるし、さらに広島大学についてより理解を深めること
ができると感じた。また広島大学について聞かれたりしたときに自ら所
属する大学について聞かれて答えられないのは恥ずかしいので、広
島大学の一学生として誇りを持って答えられるように、この科目を通じ
て広島大学について理解を深めていきたいと考えた。そのためには
きちんと毎回出席して、集中して講義を聴きたいと思う。
教育・ 2 ・男 なぜ広島大学が市内から西条へ移動したのか前から
不思議に思っていて、キャンパスの広さの問題かな?と個人的には
考えていたのでそれ以外の理由があるなら知りたいと思った。授業担
当者が変わりながら授業を行うのでいろんな知識を取り入れることが
できるであろうと考えた。そして内容をみると原爆と広島大学、国際化
と広島大学と歴史もあれば現代の国際化についても授業は行われる
のでとてもさまざまな広島大学を知ることができるのであろうと考えた。
広島に生まれ、広島に住む者としてこの授業をしっかり受けようと考え
た。
教育・ 2 ・男 この講義を受講登録する前に、シラバスを見たときから、
自分の所属する大学の歴史を知ることの面白さや重要性を自覚して
いましたが、実際にガイダンスを受けて、その意識がますます高くなり
ました。総合科目でこの講義を選んでよかったと思いました。ただ、第
2 セメスターで文書館長の小池先生の授業を受けて、とても面白かっ
たので、この授業でもまた小池先生の話がお聞きできると楽しみにし
ていたのに、授業担当から外れられてしまったことが残念なところで
す。それに伴い、「総合科学の光と影」の授業内容が消えてしまった
のも、総科に知り合いの多い自分には残念です。受講者数があまり
に多く、今日はあまり落ち着けなかったので、 L102 への移転が採用
されることを期待しています。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて 1 番はじめに考えたのはまだま
だ広島大学について知らないことが多いと感じた。また、時代の変化
やニーズ、そして現代の国際化社会にあわせていろいろな変化をし
ていることに驚いた。今回の授業の概略をきいて、広島大学について
知るべきことがまだまだたくさんあると思った。この授業で広島大学に
ついて知ることで広島大学の特徴やこの大学で学ぶことの意義を知
りこれからの学生生活をもっと有意義なものにしていきたいと思う。
教育・ 2 ・男 とにかく人数があんなにも多かったことに驚きました。
今日は簡単なオリエンテーションだったので、次からの授業に期待し
たいと思いました。
教育・ 2 ・女 全国の国公立大学が 60 周年だということは初めてしり
ました。歴史が長いだけが大学の良し悪しに関わることではないと考
えました。、 60 年という期間の中で、広島大学は移転、被爆地ヒロシ
マとしての活動などさまざまなことに取り組んでいたということがわかり
ました。
教育・ 2 ・男 今回は講義室に入りきれないほどの受講者がいてあま
り身動きが取れないため、講義そのものは授業全体の概略的なもの
にとどまっていた。しかし、それでも広島大学の大きな特徴とも言える
点が明言されていた。それは、源流からたどると約 140 年の歴史が
あること(ただし、新制大学としては 60 周年)、原爆の被害から復興し
たこと、大規模な移転を経験したことなどである。私はこれからの授業
を通して、これらの事項に関してしっかりと考えて、我が母校である広
大を見つめ直してみるきっかけとしたい。
教育・ 2 ・男 今回はガイダンスだけだった。しかし、その説明を聞く
と自分が受講する前に考えていたよりも興味深かった。原爆によって
戦前と戦後で歴史が大きく分かれてしまったことや、統合移転をした
国立大学は筑波大学と広島大学だけだということ、歴代の学長につ
いて、は特に興味をもった。興味をもった分、授業に出来る限り欠か
さず出席をするようにししっかりと学習していきたい。
教育・ 2 ・男 自分の通っているこの広島大学についての歴史を知
っておくことは、大変重要なことだと思う。今の段階では広島大学に
ついて知らないことが多すぎる。広島大学で学ぶ者としては、その歴
史を理解していることもむしろ一つの義務のようなものだと思う。なの
でこの講義を受けて、世界でも有名な被爆地広島に建てられたこの
大学について今よりも理解を深めていきたい。
教育・ 2 ・男 ガイダンスを受けてみて、戦後にできた広島大学の歴
史が様々な観点から知ることができる。また、国際的に有名なヒロシマ
の大学としての役割についても学べる。そういった講義内容だと知り、
ますます興味がわいてきた。大学内の教師や学長、卒業生について
の講義もあり広島大学に関わる人たちの考え等を知りたい。自分の
大学についてこれからの講義を通して学び、また、自発的に調べて
他大学に誇れる大学だという事を認識していきたい。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受ける前から、広島大学の総敷地面積
が全国の国立大学の中でも有数の広さであることや、世界でも珍しく
原爆被害にあった地にあること、この西条に広島市内からキャンパス
が分けられたことなどは知っていたが、今回のガイダンスを聞いただ
けでも、新制広島大学になって、創立 60 周年になること、原爆被害
からの復興にもさまざまな歴史があり、キャンパスの移動にも知らなか
った理由があるなどといろいろなことを知ることができた。これから先
の講義でもいろいろ知らなかった広島大学の歴史がしることができる
だろうという期待を持つことができ、自分の学生生活にも生かしていけ
ると思った。
教育・ 2 ・男 今回はガイダンスだけであったが、資料に書かれてい
る講義の内容を見ると、おもしろそうな内容の講義が多々あった。戦
争と広島大学がどのような関わりを持っていたかにも興味がわいたし、
また、「学長の横顔」ではどのような内容をするのか、ものすごく気に
なった。自分は広島出身の人間で、過去に様々なかたちで戦争につ
いて学んできた。この「広島大学の歴史」を受講することで(人数の関
係でまだ決定ではないが)、改めて戦争について学びたいし、広島大
学の歴史も知っていきたいと思った。
教育・ 2 ・男 今回は説明だけでしたが、授業内容の予定を見てみ
ると、広島大学の歴史について様々な視点で捉えていて、次からの
講義にとても興味を持ちました。なかでも第二回、第三回の予定講義
内容である「原爆と広島大学」「国際化社会と広島大学」の講義はと
ても楽しみです。世界で唯一の被爆国である日本の、被爆した都市
教育・ 2 ・男 楽に単位が取れると聞いて来た人が大半を占めると思
う。その証拠にプリントをもらってすぐに帰る人が多々いた。とても腹
が立った。授業内容としては、とても興味をそそるものばかりが予定さ
れていて、とくに原爆関係の授業は真剣に学んで帰ろうと思った。先
生方もおもしろそうな先生方ばかりで、受講できて本当に良かったと
思う。この授業を通して、広島大学について深く知れたらいいなと思う。
これから夏までよろしくお願いします。
教育・ 2 ・男 最初の授業ということで、あまり詳しく授業内容に触れ
ることはありませんでしたが、授業予定を確認したところ、ベテランの
方から講義をして頂くということで質の高い内容が期待でき、大変楽
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しみです。とりわけ後半の講義内容、「国際社会と広島大学」などは
青年海外協力隊などの海外ボランティアに興味を持つ私としては楽
しみな内容です。第 14 回講義「広島大学とはどういう大学か」につい
ては本来一番最初に配置しそうな内容なので一体どのような内容な
のか、講座を締めくくる内容として何がくるのか楽しみです。ただ、一
つ懸念があるとすれば学生の問題です。評価基準につられてあまり
考えることなく登録してしまった意識の低い学生は必ず講義の妨げに
なると思います。一応講師の方々が釘を刺してくださったものの、今
までの他の講座を思い出すと少し憂鬱な気分です。
教育・ 2 ・男 私は、今回の講義ではじめて広島大学や他のほとん
どの大学が創立 60 周年であることを知りました。また、広島大学が法
律の範囲内で最大限に移転や改革をした大学であるということを知り
とても驚きました。私はそのようなことを何も知らずに、広島大学に進
学してきたので、これから、この講義を通して広島大学の様々な面を
知りたいと思いました。抗議内で小宮山先生がおっしゃっていたよう
に、某旧帝国大学に来るより広島大学にきて良かったと思えるように
なるためにこの講義をしっかり聞きたいです。
教育・ 2 ・男 この講義を受ける前から、広島大学の総敷地面積が
全国の国立大学の中でも有数の広さであることや、世界でも珍しく原
爆被害にあった地にあること、この西条に広島市内からキャンパスが
分けられたことなどは知っていたが、今回のガイダンスを聞いただけ
でも、新制広島大学になって、創立 60 周年になること、原爆被害か
らの復興にもさまざまな歴史があり、キャンパスの移動にも知らなかっ
た理由があるなどといろいろなことを知ることができた。これから先の
講義でもいろいろ知らなかった広島大学の歴史がしることができるだ
ろうという期待を持つことができ、自分の学生生活にも生かしていける
と思った。
教育・ 2 ・男 自分は今広島大学に通っているんですけどその広島
大学についてあまり深く知らないと思います。授業の内容の予定の説
明を聞いただけで全く知らないことがたくさんあったし、興味深いもの
もたくさんありました。自分が通っている大学のことはある程度知って
いないといけないと思うし、自分の通っている大学にもっと誇りをもつ
ためにもいろいろ深く知りたいのでこれから積極的に授業に取り組ん
でいきたいと思います。この講義はとても楽しみです。
教育・ 2 ・男 受講者がかなりの人数だったが、小宮山先生はそれを
理由に教室内がざわつかないようにまず最初にきちんと忠告してから
講義に入られた。それによって、私の周りは立ち見の人が多かったの
だが、周囲の雑談・私語等で集中力を欠かれるようなことはなく、充実
した時間を送れた。授業予定では、原爆関連の講義に非常に興味を
惹かれる。直接の被爆者の高齢化が進み、原爆の記憶が風化しつ
つある中で、縁あってこの広島で学ぶことになったのだから、少しでも
原爆を後世に伝えることに貢献できるよう、広大との関わりという視点
からではあるが、意識や知識を深めたいと思った。そのほかにも多様
な講義項目が設定されており、今後の講義が楽しみである。また、成
績評価も基準が明確であることが分かり、より一層受講に対して意欲
が湧いた。
教育・ 2 ・男 今回の授業は人数が大変多かったこともありきちんとし
た講義ではなかった。しかし話を聞き、今年は 60 周年らしく広島大
学がどのような歴史を歩んだのか節目の年でもあると思う。そのような
時期にこの授業を受けることができるのでますます興味がわいてきた。
この授業はオムニバスとういうこともありいろいろな先生の話を聞くこと
ができ多くの考え方や知識を吸収できるのではないかと思う。この授
業をうけることで自分の知識や考え方を見つめ視野を広くしもっと多く
のことに目を向けることのできる人になりたいと思う。
教育・ 2 ・男 ガイダンスで話されていたこれからの授業内容を聞い
て、とても興味深いものが多く、これからの講義をしっかり聞いて多く
のことを知りたいと思いました。特に「広島大学の源流」や「新制広島
大学はこうして生まれた」といった内容にはとても興味がわきました。
自分が通う大学について学ぶことは、とても大切なことだと思うし、自
分が通う大学について学ぶことによって、よりいっそうこの大学を誇り
に思えるようになるのではないかと思いました。ほかの大学の人に広
島大学についていろいろ教えられるぐらい広島大学のことを知るため
に、講義をしっかりと聞きたいと思います。
教育・ 2 ・男 今回の講義で、今後やる内容の中に「原爆と広島大
学」というものがあることを知り、とてもこの講義を受けてみたいと思っ
た。日本で原爆を落とされた唯 2 つの都市の 1 つである広島におい
て、原爆がどのような影響をこの広島大学に与えたのかがとても興味
がある。原爆が与えた被害と引き換えに、広島の人々が得たものが少
なからずあると思う。それを知ることは、今広島に住んでいる私たちに
とっても非常に有意義なものであると思う。この講義を受けることで、
広島大学に行くことでしか得られないものを知ることができたらいいと
思った。
教育・ 4 ・男 今日の授業は、広島大学の歴史について詳しく学ぶ
のではなく、これからの授業についての説明や概要説明であったの
で、理解に苦しむことはなく、授業を受けることができた。今日配布さ
れたプリントの、これからの授業計画の各授業の見出しを見ただけで
も、自分が所属している広島大学について知らないことのほうが多い
と感じたので、これからの授業に出席し、広島大学に在学しているこ
とを誇りに思えるように知識を深めていきたいと思う。これからの授業
で疑問に思うことが多くなるように積極的に授業参加したい。
経済・ 2 ・女 今後の授業内容がわかってよかった。これから真剣に
授業の望みたい。
経済・ 2 ・女 広島大学は、今年で 60 周年ということを知って、私た
ちの前に何人もの先輩たちが作り上げてきた広島大学の歴史につい
て深く知りたいと感じました。次からの授業がとても楽しみです。また、
この授業では講師の先生たちが 3 人いらっしゃるので、さまざまな知
識をより得ることができることが、この授業の魅力であると感じました。
そして、個人的には長崎出身であるので、原爆の被害を受けてから
の新しい歴史を積み上げてきた努力を深く学んでいきたいと思いま
す。
経済・ 2 ・女 講師が三名いるというところに感心した。 1800 名いる
教員のなかでも、この大学に誇りを持ち、よく知っておられる先生のは
なしはとても興味深い。広島大学の歴史を学ぶことで、自分も広島大
学の学生であることにより誇りを持って社会に進出することができるよ
うになりたい。また、社会に出て、自分の大学がどのような歴史を歩ん
できたか、広島という特殊な歴史をどう説明していくか、これから考え
たいところである。そしてこれからの学生生活がどう変えていけるかが
楽しみである。
経済・ 2 ・女 今日の講義はガイダンスということで、全 16 回の大ま
かな授業の流れをきいたのですが、そのなかで一番面白そうだと思っ
たのは、統合移転の回でした。統合移転した国立大学は、筑波大学
と広島大学のみだと聞き、どうして広島大学がこのような大きな統合
移転をしたのか知りたくなりました。また、広島大学の卒業生たちとい
う回も楽しみで、どのような卒業生がいるのか、そして今どのような仕
事に就いているのかなど、とても興味があります。
経済・ 2 ・女 創立から最近のことまで幅広く取り扱うという点に魅力
を感じました。また、先生が 3 人もいるのでそれぞれの回を、詳しく取
り扱って頂けるだろう事に期待がもてました。大学に入ってからは生
徒の人数が多いこともあり、ほとんどの授業がゆるいことを感じていま
した。しかし、この講義では、遅刻や私語は厳しく注意されるので、静
かに受講できることが嬉しいです。また、専門的な勉強だけでなく、広
島大学の歴史を学ぶ事で、胸を張って「広島大学の生徒です。」と言
えるようになりたいと思いました。
経済・ 2 ・女 今日の講義はガイダンスということで、全 16 回の大ま
かな授業の流れをきいたのですが、そのなかで一番面白そうだと思っ
たのは、統合移転の回でした。統合移転した国立大学は、筑波大学
と広島大学のみだと聞き、どうして広島大学がこのような大きな統合
移転をしたのか知りたくなりました。また、広島大学の卒業生たちとい
う回も楽しみで、どのような卒業生がいるのか、そして今どのような仕
事に就いているのかなど、とても興味があります。
経済・ 2 ・女 毎回教えてくださる教授が変わったり、多面的な講義
内容など、変化や工夫に富んだ講義だと思います。広島大学に入学
したからには、やはり広島大学の歴史について知っておくべきだと感
じました。この講義を通して、様々なことを吸収していきたいです。教
授の人数が約 1800 人もいることや、創立 60 周年目であることなど、
広島ついて大学についてまだまだ知らないことがたくさんあるので、
毎回の授業を積極的に取り組んでいきます。半年間よろしくお願いし
ます。
経済・ 2 ・女 今日の講義はガイダンスということで、全 16 回の大ま
かな授業の流れをきいたのですが、そのなかで一番面白そうだと思っ
たのは、統合移転の回でした。統合移転した国立大学は、筑波大学
と広島大学のみだと聞き、どうして広島大学がこのような大きな統合
移転をしたのか知りたくなりました。また、広島大学の卒業生たちとい
う回も楽しみで、どのような卒業生がいるのか、そして今どのような仕
事に就いているのかなど、とても興味があります。
経済・ 2 ・女 今回はガイダンスのみの内容でしたが、授業の予定か
ら見て、大学の移転、歴代学長、入試、理念と象徴など 3 人の先生
方からご指導いただくということで、大変期待しています。なかでも、
広島は原子爆弾の被害を受けた地でもあるので、 4 月 27 日の「原
爆と広島大学」の講義はとても楽しみにしています。受講者の人数が
多く、席に座りにくそうで心配していますが、最後のレポートまでしっ
かりがんばりたいと思います。
経済・ 2 ・女 今日の講義はガイダンスということで、全 16 回の大ま
かな授業の流れをきいたのですが、そのなかで一番面白そうだと思っ
たのは、統合移転の回でした。統合移転した国立大学は、筑波大学
と広島大学のみだと聞き、どうして広島大学がこのような大きな統合
移転をしたのか知りたくなりました。また、広島大学の卒業生たちとい
う回も楽しみで、どのような卒業生がいるのか、そして今どのような仕
事に就いているのかなど、とても興味があります。
経済・ 2 ・女 今日のガイダンスでこれからの流れを聞いて、特に興
味をひかれたのは第 10 回の「統合移転でつづる広島大学」です。私
- 521 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
は、移転をしたのはただ広い土地が必要だったからなのだと思ってい
ました。しかし、本当は広島大学の中身自体も新しく改革していくもの
であったということに驚きました。しかも、この移転が全国でも数少な
い事例であるということでもさらに興味を持ちました。他にも、今まで
何気なく過ごしていた広島大学についていろいろ学んでいけたらい
いなと思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学を含め多くの国立大学が、今年で 60 周年を
迎えることを初めて知り、戦前・戦後においてどのような変化があるの
か、長崎とともに世界的にも数少ない原爆地であるという特異な歴史
から学ぶことに大変興味を持ちました。また、これからの講義で、広島
大学の歴史について学び、その知識をこれからに生かしていくことに
対して、意欲がわきました。特に、原爆やその後の復興の歴史につい
て、多くを知りたいと思いました。
経済・ 2 ・女 今日の講義はガイダンスということで、全 16 回の大ま
かな授業の流れをきいたのですが、そのなかで一番面白そうだと思っ
たのは、統合移転の回でした。統合移転した国立大学は、筑波大学
と広島大学のみだと聞き、どうして広島大学がこのような大きな統合
移転をしたのか知りたくなりました。また、広島大学の卒業生たちとい
う回も楽しみで、どのような卒業生がいるのか、そして今どのような仕
事に就いているのかなど、とても興味があります。
と思います。広島大学の歴史を学ぶことで、学校生活がもっと濃く、
印象深いものになればと思います。ガイダンスによると、数名の講師
の方々が講義してくださるということなので、色々な話を聞くのがとて
も楽しみです。特に、広島大学の学生たち、卒業生たちがどんな暮ら
しをしているかというのが興味があるので楽しみです。
経済・ 3 ・男
ガイダンスがメインだったので特にありません。
経済・ 3 ・男 今回はガイダンスが主だったので広島大学の歴史に
ついてはあまり聞くことができなかったけれども、これから自分が知ら
ない広島大学の歴史について詳しく知りたいと思った。
経済・ 3 ・男 戦後に広島大学が設置されたということは初めて知っ
たし、教員の数が 1800 人程度ということも初めて知った。正直言って
僕は広島大学のことを何も知らなかったので、この授業を通じて少し
でも得られるものがあることを期待したい。日本でも有数の広い大学
であったり、パソコンとかのシステムの充実や、田舎へ移転したことな
ど、なんだかんだいって特徴の多い大学なので、学ぶべきことは多い
気がする。広島市自体、原爆などで世界的に有名だしそこに置かれ
ている大学となるとかなり興味深い。
経済・ 2 ・女 この授業をとって、自分の通っている広島大学につい
てたくさん学ぼうと思っていたので、もし教室の変更ができなかったら、
この授業がとれないと分かってとても残念でした。原子爆弾の被害を
受けた数少ない地域なので、その後どのようにして大学ができ、また
なぜ移転したのかなど、興味のある内容ばかりだったので、是非講義
を受けたいと感じました。毎回出席して、多くのことを知りたいと思いま
す。また、学んだことをいろんな人に伝えたいと思いました。
経済・ 4 ・男 今回は人数が多かったために、ガイダンスというかたち
で終わってしまいましたが、これからの講義予定には興味深いところ
もありました。特に、私は長崎出身ということもあり、歴史的にも大きな
出来事である原爆の被災地の両方の土地にかかわりを持つに至って
います。ですから、第三回目の講義テーマである「原爆と広島大学」
には、多大な興味を寄せています。そして、今回の講義で思ったもう
一つのことは、先生方がこの講義に対してとても真剣な態度で取り組
んでいるのだろうということです。先生方のその姿勢に失礼にならな
いよう、それ相応の態度で講義に参加したいと思います。
経済・ 2 ・女 自分の通う大学について知りたいという、ごく単純な理
由からこの授業を履修しましたが、今日の授業で早速広島大学が創
立 60 周年であることを初めて知ることができ、これからの授業が楽し
みになりました。「原爆と広島大学」や「広島大学の卒業生」という授
業に特に興味がわいたので、意欲的に取り組もうと思っています。あ
とは、私語をすることに対してとても厳しいと感じたので、気をつけよう
と思いました。
経済・ 4 ・男 今日の講義はガイダンスしか行われなかったので、あ
まり深く入り込んだことはかけませんが、本日配られた資料の講義予
定を見ていると第 14 回目の講義に「広島大学とはどういう大学か」と
いうテーマがあり、私がこの講義を受けて一番知りたかったものがそこ
にありました。私はこの回をとても楽しみにしています。そしてまた、こ
の講義を受けて広島大学のすばらしさを認識し、この大学にきてよか
ったと思えるようになれたらいいなと思っています。
経済・ 2 ・女 広島大学の東広島キャンパスは周りに出かける場所も
ほとんどないし田舎で東京や大阪、京都に行った友達の話を聞くと
少し残念な気持ちになるときがよくあったけど、広島は原爆のことで有
名なので、東京や大阪のことは知らなくても広島のことは知っていると
いう外国人の人がいると聞いて、やっぱり広島ってすごいんだなと思
いました。また、今年が創立 60 周年ということをはじめて知りました。
今の時点では広島大学についてほとんど知らないけれども、これから
広島大学の歴史についていろいろと教えていただき、知識がどんど
ん増えていくのかと思うととても楽しみです。
経済・ 4 ・男 今回は人数が多かったために、ガイダンスというかたち
で終わってしまいましたが、これからの講義予定には興味深いところ
もありました。特に、私は長崎出身ということもあり、歴史的にも大きな
出来事である原爆の被災地の両方の土地にかかわりを持つに至って
います。ですから、第三回目の講義テーマである「原爆と広島大学」
には、多大な興味を寄せています。そして、今回の講義で思ったもう
一つのことは、先生方がこの講義に対してとても真剣な態度で取り組
んでいるのだろうということです。先生方のその姿勢に失礼にならな
いよう、それ相応の態度で講義に参加したいと思います。
経済・ 2 ・女 広島大学は地方の国立大学で、特別自信をもって言
えることもないと思っていたけれど、広島は国際的に有名な都市で、
そこにある大学に通っていると言われ、もっと詳しく広島大学につい
て知り、自分が広島大学に在学していることに誇りがもてるようになり
たいと思いました。
工・ 1 ・男 あまり興味を持って授業をとったわけではなかったが、今
回のガイダンスを聞いて、興味がわいたテーマもいくつかありました。
その中でも特に「広島大学の入試と学生たち」と「広島大学の学生生
活」と「国際化社会と広島大学」がきになりました。理由は、全て学生
である自分にとても関係があるまたは、あったテーマだからです。入
試は自分が過去に受けたものですし、学生生活は、移転する前との
違いや、時代による違いなど気になりました。国際化社会は、今後社
会に出て行くうえで非常に重要なことだと思ったからです。
経済・ 2 ・女 今回はガイダンスのみの内容でしたが、授業の予定か
ら見て、大学の移転、歴代学長、入試、理念と象徴など 3 人の先生
方からご指導いただくということで、大変期待しています。なかでも、
広島は原子爆弾の被害を受けた地でもあるので、 4 月 27 日の「原
爆と広島大学」の講義はとても楽しみにしています。受講者の人数が
多く、席に座りにくそうで心配していますが、最後のレポートまでしっ
かりがんばりたいと思います。
経済・ 2 ・男 広島大学と長崎大学には原爆投下により戦前と戦後
では大きく違うとおっしゃっているのを聞いて、どんな違いがあるのか
とても気になった。だから、その講義が早くこればいいなと思う。また、
第 10 回の統合移転でつずる広島大学で、このとても田舎な東広島
に広大がある理由を知りたいと思った。歴史に学ぶ広島大学の講義
が人数が多くてできなくなったのが、残念に感じる。僕は、広島大学
に滋賀県から来たので広大に来てよかったと、思えるように広大の良
い点をしっかりと学んでいきたい。
経済・ 2 ・男 広島大学の歴史は 60 年ぐらいというのをきいてもう少
し長いと思っていたので、驚きました。世界でも唯一原爆の落とされ
た都市広島の大学がどのようにそのことについて考え、また世界に訴
えていくのかなどを考えるいい機会ではないかとおもいます。講義予
定 3 回目の原爆と広島大学では広島大学の原爆投下後の歴史やそ
の対応などを深く学べたらいいと思います。またそのほかの講義でも
その講義の要点をしっかりと教授から学び取ること意識して授業にの
ぞみたいと思います。
経済・ 3 ・女 今回の講義は人がとても多くて最初講義室に入れな
かったので残念出した。私は普段毎日広島大学に通っているけど、
この学校についてよく知らないしなんとなく通っているので、この授業
を通じて学校のことを知り、広島大学の学生としての意識を高めたい
工・ 1 ・男 今回の講義はガイダンスだったので、大学の歴史につい
てはあまり触れられなかったけど、授業の出席方法でキーワードを使
うところや、これからこの授業でどんなことを学べるかがわかっておも
しろそうだと思いました。今回の講義を聞いて、広島大学は原爆も経
験しているし、東広島に移動したりと、他の大学ではなかなかないよう
なことがあるんだなと改めて思いました。だから、これからこの講義で
学んでいくことがとても興味深いなと思いました。また、この講義は他
の授業とは違って、ほんとに身近なことだなと思いました。
工・ 1 ・男 広島大学も昔は、戦後からの苦労が見られると感じた。
やはり、原爆が落とされた地であるから、様々な困難を通過してきた
のだと感じ、一つの大学としてここまでこれた価値を考えさせられた。
昔は広島大学も学生運動が盛んで、授業をまともに受けられない学
生もいたという話も聞いたことあるけど、そのような話を詳しくしって、
広大に少しでも興味を持つことが出来たら、学生生活もさらに楽しく
なるだろうし、充実した生活を送ることが出来たら素晴らしいと感じら
れた。その中で、幾多の教授たちや関係者が経験した苦労や困難に
どのようにして立ち向かっていったのかを調べてみて、この大学のす
ごさをもっと感じることができたら、この授業の価値がさらにあがるので
はないかと考えさせられた。
工・ 1 ・男 広島大学は今年で創立 60 周年を迎えるということを学
びました。創立当時は戦後ということで広島は復興の最中だと思いま
すが、その中でこの大学がどういう経緯で設立され、市民にどういっ
た影響を与えたのかがとても気になりました。原子爆弾が投下され荒
廃した広島で広島大学は平和を追求することも目標の一つとして設
立されたことと思います。 60 年経った今も平和に関する広島大学の
- 522 -
研究は絶えません。この「広島大学の歴史」について学ぶことにより、
単なる歴史についてだけでなく、各講義に関連する事柄についても
学ぶことができると思うので様々な視点から講義を受けようと思いまし
た。
工・ 1 ・男 今回の講義ではこれからの講義の内容のことがわかり、
これからのことについて興味がもてた講義だった。私としては「広島大
学の入試と学生たち」という内容に一番興味が出ました。昔の人はど
のような試験を受けて大学に入っていたのか、今のようなセンター試
験みたいなものもあったのかなど疑問や興味も出てきました。これか
ら「広島大学の歴史」を受講できることになったら、広島大学について
知識を深めていきたいと思いました。 L102 の教室が取れるようにが
んばってください。
工・ 2 ・女 授業の予定を見て、一言で広島大学の歴史といっても、
大学のルーツだけでなく、原爆のことについてや、入試、学長につい
て、学生生活、総合移転についてなど広範囲について学べることが
わかり、興味がより深くなった。また、国立大学が戦後、一新して、今
年 60 周年を迎えたことを知り、意外と短い歴史なんだなとも思った。
今の大学と戦前の大学はどうのように違うのかすごい知りたいと思っ
た。また、小宮山先生が広島は特徴のある土地で、授業を受講すれ
ば、広島大学に来てよかったと思えるとおっしゃっていたので、是非
受講したいなと思った。
工・ 2 ・女 まさかあれだけの受講希望者がいるとは思いませんでし
た。講義室がパンパンになっているところをはじめて見ました。国立大
学のほとんどが創立 60 周年であるということを初めて知りました。旧
帝大といわれるほどだからもっと前から今の大学の形として存在する
ものがあると思っていたので意外でした。戦後の改革によって今の大
学制度ができたということも(言われれば納得しますが)初めて知りまし
た。今日一日だけでも広島大学についてぜんぜん知らないことだら
けだったと感じました。
工・ 2 ・女 あんなに多くの人が受講を希望するとは思っていなかっ
たので驚きました。講義はガイダンスだったので、軽くこれからの授業
説明を聞いただけでしたが、それでも広島大学が創立 60 周年だと
か、教員が 1800 人もいるとか、よく知らないことが聞けたのでおもし
ろかったです。 1 年間通って来ているのに、本当に全然広島大学に
ついて知らないなとしみじみと感じました。きっかけは出席重視でした
が、広島大学の歴史にだいぶ興味がわいてきました。授業の雰囲気
もよさそうなので、遅刻・欠席には注意して、しっかり講義を受けたい
と思います。
工・ 2 ・女 広島大学の歴史を学ぶということは、ただ単に年表通り
に出来事を知っていくということだけではなく、広島大学に深く関わっ
てきた学長などの意向や、広島大学を取り巻く社会や世界などすべ
てを知ることなのだと感じた。そして、地元の大学だというのもあって
か何の変哲もない大学だと思っていたが、学長の意思や移転、原爆
の経験など他の大学には無い特色があるということに改めて気づかさ
れた。また、学生や教師にまで視点を置いた講義があることにも驚い
た。 14 回という限られた回数ではあるが、この講義を通して普段の学
生生活からでは知ることのできない広島大学の姿を垣間見ることがで
きると思う。
工・ 2 ・女 広島大学には歴史があるとは知っていたが 60 周年だと
は知らなかった。前のキャンパスは広島の市内にあって 外観もすご
く風格があるのを知っています。西条にキャンパスが移ってきてから
あまりまだ経っていないけれど 前のキャンパスで築いてきた広島大
学の歴史や考え方は受け継がれていると思います。私はまだ広大に
通い始めて 2 年目なのでまだまだ広大の歴史を知りません。この総
合科目の広島大学の歴史を受講してさらに広島大学について知り
広島大学生としての誇りを持ち学んでいきたいと思った。
工・ 2 ・女 この講義を受けるまで、今年で広島大学が 60 周年であ
るということを知らなかった。さらに、昭和の大学改正によって、ほとん
どの他大学も同様に 60 周年であるということに驚いた。私のなかで
広島大学は、東京大学や京都大学といったような有名な大学に比べ、
歴史が浅いものだと思い込んでいたところがあった。今日の講義では、
日本でもかなり大規模なキャンパスの移転があったことや、外国人に
とって「ヒロシマ」は、世界で始めての原爆被害を受けた都市として、
よく知られているのだということが分かった。
工・ 2 ・女
今回のガイダンスを聞いてますます興味がわいた。
工・ 2 ・女 広島大学は今年で 60 周年ということで、深い歴史があり
ます。私は生まれた時から西条に住んでおり、小さい頃は大学という
ものは広島大学しかないと思っていました。それが 19 年前であって、
広島大学はそのまた 41 年も前からあったということになります。昔は
広島市に大学は位置しており、何時からか東広島市に移動してきま
した。何故、西条に移動してきたはなぞですが、小さい頃から広島大
学を外からですが見てきたこともあり、どんな歴史を持ち今にあたるか
を講義を受けれることはとても楽しみです。
工・ 2 ・女 広島は原爆が落とされた街でもあり、国際的にもよく知ら
れていて、その土地にある大学に通ってることを誇りに思えました。今
日は受講者が大変多く、立っている人もいて講義を行わずこれから
の講義の内容のあらすじを少しずつ説明したのですが、とても興味深
くて、これからの授業が楽しみになってきました。広島大学の教授の
数が 1000 人を超えると聞いてとても驚きました。私は大体 2 ~ 300
人位かなと考えていたので、予想をはるかに上回る数字でとてもびっ
くりしました。後、興味がわいたのは広島大学の移転のことです。市
内の方が便利そうなのに、市内から東広島に大規模な移転をした背
景がきになりました。
工・ 2 ・女 広島大学は今から 60 年前に建てられたということを今日
知りました。 60 年前というとちょうど戦争が終わり、広島のまちは焼け
野原になってしまった頃だそうです。そこからどのようにしてこのように
立派な広島大学が建てられたのか知りたいと思いました。多くの外国
人が広島というまちを知っていると聞いてとてもうれしく思いました。原
爆が落とされたあとでもこのようなすばらしいまちになるということを世
界の人々に知ってもらいたいです。そしてもっともっとすてきなまちに
なってほしいです。
工・ 2 ・女 広島大学が創立 60 年で東大などの大学と一緒とはまっ
たく知りませんでした。戦後の大変な時期に創立されたのはすごいこ
とだと思います。またキャンパスの移動はほかの大学でもよくあること
だと思っていたけれど、実際には広島大学のような大規模な移動は
広大以外に筑波大学しかないということを聞いてすごく意外でした。
今日の講義はガイダンスということであまり詳しく広島大学の歴史に
ついて講義を受ける時間がなくて残念でしたが、自分の大学を知ろう
と興味がもてました。次回からの講義では今日聞けなかったことを含
めて更に深い話が聞けることを期待しています。
工・ 2 ・女 今回は講義はありませんでしたが、これからの授業内容
の各テーマについて軽く説明してくださって少し興味がわきました。
広島大学が今年で創立 60 周年だと聞いて、もうそんなになるのだと
少し驚きました。でも、戦後から考えたら 60 年だけど、戦前のころか
ら考えればもう 140 年ぐらいにはなると先生がおっしゃっていて、広
島大学ってそんなにも歴史が深いところなのだなと思いました。講義
では戦前の大学のことの話もするといっていて、その辺では聞けない
貴重な話も聞けるのではないのかなと少し楽しみにしています。広島
は原爆が落ちてしまったのに、今現在のようなきれいな町と自然が戻
って、そして大学が建つまでにもなるなんてすごい復興力だと思いま
す。戦後どのようにこの広島大学が建てられどんな歴史を刻んできた
のか、これからの講義を通して学べていけたらいいなと思います。
工・ 2 ・女 私がここ、広島大学へ入学した理由は、偏差値が自分の
成績と合っていたからだとか、周りに勧められたからだとか、そのよう
なもので立派な理由などではない。だが、 1 年間ここで過ごしたこと
で広島大学のすばらしい所をたくさん知っていき、今では胸を張って
広大生であることを誇れるようになった。入学前に、親や高校の先生
などからここを勧められた理由の 1 つに、広島大学は立派な歴史が
あるから、というものがあった。今回の講義では少ししか分からなかっ
たが、私はそのような立派な歴史をこの授業を通して学んでいきたい
と思う。
工・ 2 ・女 広島は世界でも東京、大阪と並ぶような有名な都市で、
広島大学は他の国立大学と同様 60 周年を迎えることがわかった。 6
0 年前といえば広島が被爆して数年しかたってないというような時期
なのに、大学という教育機関ができ、さらに現在では中四国の中で一
番という称号を得ており本当にすごいと思ったし、当時の人たちの
様々な努力があったんだろうなと思った。今回の講義で、どうして広
島大学がそのように戦後にすぐ発展でき、他の国立大学と同じくらい
の伝統を持つことができたのか、原爆が広島大学にどのように影響を
与えたのか、ということを考えるようになった。
工・ 2 ・女 広島大学などの国公立大学は、今年で 60 周年をむか
えるということで戦争が終わってすぐに設立されたことがわかりました。
原爆を落とされて焼け野原となった広島が他の県と同じ時期に大学
を設立させるまでにいたったのには、特別な計画や援助があったから
なんじゃないかと考えさせられました。また、都会である広島市内から
何もない東広島の西条に大学を移転させたのは、西条に広い土地が
あったからだけでなく西条を発展させ活気づけるためなど広島県全
体に関わる何年にもわたる計画からきてるのだと思います。今回の講
義では、広島大学をはじめ国公立大学と戦争の関係、外国から見た
広島という存在、西条に移転した理由など考えさせられました。
工・ 2 ・女 この講義を受けるまで、今年で広島大学が 60 周年であ
るということを知らなかった。さらに、昭和の大学改正によって、ほとん
どの他大学も同様に 60 周年であるということに驚いた。私のなかで
広島大学は、東京大学や京都大学といったような有名な大学に比べ、
歴史が浅いものだと思い込んでいたところがあった。今日の講義では、
日本でもかなり大規模なキャンパスの移転があったことや、外国人に
とって「ヒロシマ」は、世界で始めての原爆被害を受けた都市として、
よく知られているのだということが分かった。
工・ 2 ・女 広島というところが世界でよく知られていることを知り自分
が就職して仕事で海外に行ったり、旅行で海外に行ったりしたときに
現地の人との話題作りにもなると思いました。しかし、話題にするため
には今自分が持っている知識だけでは足りないと思い、この授業で
- 523 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
先生方が話されることを一つでも多く自分の知識にして話題を盛り上
げられるようにしたいと思いました。また、そのことによって新たな知り
合いなどが出来ると思うとすごく楽しくなってきました。また、広島大学
だけでなく国公立の大学はほとんど同じ時期に設立されたと聞き、そ
のことにも興味をそそられました。
工・ 2 ・女 とても人が多くて簡単なガイダンスだけだったのだが、授
業では私語を注意するなどしていて良いと思った。またそれが評価に
もつながっていて厳しくされているということも知った。これからの授業
の予定を説明しているときに聞いた話で、広島に原爆が落とされたこ
とによる広島大学の地位的なものについて知りたいと思った。また、
広島大学には 1800 人もの教師がいるということについては私的には
もっと少ないと思っていたので驚いた。文書館というところで教授たち
が頑張っていることも知った。
工・ 2 ・女 広島大学というひとつの国立大学についても、一言で言
えるような歴史ではないことが今回の授業だけでも少し分かった。ま
た、広島大学は世界でも他にないような、戦争と深いつながりをもっ
た大学であるというのを聞いて、その大学に通えていることを誇らしく
思えたのと同時にだからこそ、大学の起源や大学と戦争とのつながり
などを少しでも知る必要があると思った。今までの大学の学長や教員
の方々がどのような努力をしてきたのかにも興味がわき、そのことにつ
いて学べることを嬉しく思った。これから大学について、できるだけ多
くのことを知りたい。
工・ 2 ・女 私の出身高校は古い歴史があって、それについての本
を読んだり、どんな人たちがどんな信念のもとでその学校を築いてき
たかということを伝えられました。そのことを知ってからは、この伝統を
私たちの代で途切れさせちゃいけない、先輩方が守ってきこられたわ
たしたちの高校に誇りを持ちました。「広島大学の歴史」を受講すると、
高校と同じように広島大学を愛し誇りをもつことができそうです。人生
の先輩であるたくさんの講師の先生方の話を聞かせていただくことで、
さまざまな考え方をしりたいです。そして、今よりももっと充実した中身
の濃い学生生活が送れるとおもっています.
工・ 2 ・女 今回の講義はガイダンスを兼ねたものだったのでまだそ
こまでどんなものなのか分かった気がしませんが、戦後からの新しい
スタートの話や大学には 2000 人近くの教員がいらっしゃると聞いて
まだまだ広島大学について知らないことがたくさんあるのだということ
を感じました。自分の大学について何も知らないなんて悲しいことだ
と思います。せっかく広島大学に来たのだからこの講義を通じでそれ
をもっと知っていけたらと感じました。そうすれば、もっとこの大学が好
きになるであろうし、他の人に広島大学の素晴らしさを伝えることもで
きると思います。
工・ 2 ・女 今回の授業を受けてみて思ったのがまず広島大学の歴
史はいまだ紡がれ続けていくだろうこと。それは発展または改善の余
地があること。朝向かった駐輪場でインフレ状態がおきていた。今回
の授業は履修期間内のため授業は主にガイダンスであったが、それ
でもなお収容人数の倍ほどの人が講義を受けようと詰めかけていた。
これがその大きな要因だと思われる。そして、出席点が大きいといえ
ど手の抜いたレポートなどは一切許されないため、講師・生徒ともに
有意義な授業にできるのではないかと思った。
工・ 2 ・女 一口に広島大学と言っても、その歴史は古く今日の姿に
至るまで多くの教授の力添えがあったとういうことを、今回の講義を受
けて初めて知った。またその教授たちがどんな人間象だったのかとい
うことに興味をもった。さらに、広島県は原爆投下された国であるので、
私たち広島大学の学生が原爆の怖さ、恐ろしさ、悲惨さを授業などを
通して学び、各国々に伝えるべく、国際化をはかる必要があると思っ
た。そのために広島大学ではどの大学よりも国際化が必要である。
工・ 2 ・男 今日は授業のガイダンスとの事で深い内容までは触れら
れませんでしたが、これからの講義内容に期待できそうです。前にも
述べたように、親族が広大の関係者であったことからこの授業に興味
をもちました。その広島大学に入学したのも何かの縁だと思うので、こ
の大学の歴史について調べてみるのも良いと思いました。
工・ 2 ・男 去年広島大学に入学して、もう 1 年がたちましたが、自
分自身広島大学について知っていることは広島大学 60 年の歴史の
ほんのわずかなひとかけらだということを実感しました。また、講義で
広島大学は本当の意味で戦後に生まれ変わった数少ない大学と話
されていたが、本当にそのとおりだなと思いました。そのような大学に
いるということを誇りに思えるようになりました。これからの講義予定に
も、私たちに興味深いような内容があったので、楽しみにしています。
工・ 2 ・男 今回はほとんどガイダンス的な内容だったので講義自体
は、受けていないのですが先生が何回目には何をやるみたいなこと
を言っていて、興味がわいた。世界で 2 つしかない原爆が落とされた
広島という焼け野原となってしまったところに大学を創設するというこ
と、またそのことに対して尽力してくださった方々、初代の学長さんつ
いての努力、信念、どのような行動をとったかなどについて知りたいと
感じた。自分が通っている大学のことを知って勉強することは、改め
て意義のあることとだと感じた。
工・ 2 ・男 国立大学の歴史は基本的には戦後から始まったというこ
とは知らなかったので新たな発見であった。また広島大学は他の国
立大学とは異なり、戦前と戦後で分断されているということに興味を持
ったのでどのように違うのか講義を通して学んでいきたいと思った。さ
らに自分は工学部であるが大学がこの地に移転するにあたってまず
工学部が移転してきたと聞いたことがあるがなぜこのような土地に移
ったのか、なぜ工学部がはじめだったのかなどいろいろと興味があっ
たのでぜひ聞いてみたいと思った。
工・ 2 ・男 今回の授業を通して初めて知ったことは、広島大学およ
びその他の国公立大学が創立して 60 年しかたってないことや私立
大学が歴史を誇示しているなどです。また広島大学が急にポンと建
ったのではなくそれ以前からあるものから先人の人たちが苦労して今
ある広島大学を建てたんだと知りました。またぼくはそれらの情報から
広島大学が立つ以前の歴史をしりたいと考えたし、その先人たちがど
のような過程や努力をふんで今ある広島大学を建てたとかそれから
のことも知りたいと考えました。
工・ 2 ・男 去年広島大学に入学して、もう 1 年がたちましたが、自
分自身広島大学について知っていることは広島大学 60 年の歴史の
ほんのわずかなひとかけらだということを実感しました。また、講義で
広島大学は本当の意味で戦後に生まれ変わった数少ない大学と話
されていたが、本当にそのとおりだなと思いました。そのような大学に
いるということを誇りに思えるようになりました。これからの講義予定に
も、私たちに興味深いような内容があったので、楽しみにしています。
工・ 2 ・男 最初の授業ということでこれからの授業の流れを説明し
てもらって、講師の先生方が多くの労力を費やして授業をしてくれる
ということで失礼のないように、また自分自身のために授業の内容を
しっかり理解しようと思います。あと、レポート 1600 字というのは僕に
とってかなりきついですが、これも自分のためと思って頑張ろうと思い
ます。
工・ 2 ・男 これから始まるこの授業をしっかり出席して広島大学のこ
とについてもっと知り、原爆とのつながりなど自分の興味を持ったこと
について理解を深めたいと思いました。
工・ 2 ・男 今回のガイダンスで講義の予定を見ると、思っていたより
たくさんのテーマが設定されていて驚いた。特に興味深いと思ったの
は、原爆と広島大学について、広島大学が生まれた経緯について、
以前の学長について、統合移転についてだ。原爆が投下されたとい
う歴史を持つ広島にある国立大学ということで、やはり他の大学とは
違う特徴があるんだろうと思う。また、なぜ広島大学が東広島に統合
移転したのかということも気になっていたので知りたい。整理番号が
大きく受講できるかわからないが、ぜひ受講したいと思う。
工・ 2 ・男 思った以上に人数が多くて驚いた。それに伴い、第一回
の講義がガイダンスだけになってしまったのは非常に残念。また、終
わりそうな雰囲気になった瞬間片付け始める学生が多く、今後そうい
う学生内での私語や遅刻が多くなり、講義に集中できなくなる可能性
があり心配。授業の内容だが、ガイダンスだけだったとは言え授業内
容についての説明だけでも、広島大学がどんなところなのか、どんな
特徴があるのか気になり、今後の講義が非常に楽しみになった。テキ
ストは絶対購入しなければならないものではないそうだが、ぜひ購入
して卒業してからでも手元において置きたいと思う。半年の講義を受
け、広大生としての誇りを持って勉強し卒業できるようになれたらいい
と思う。
工・ 2 ・男
特にない。
工・ 2 ・男
今回のガイダンスを受けて、ますます興味がわいた。
工・ 2 ・男 運よく受講できるようになったので、これからの授業をまじ
めに取り組みたいと思います。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学は原爆を受けた大学で
あるという点や、キャンパスの統合移転をしたという点などから、他の
地方大学とはかなり特色が違った大学であるというとことが分かった。
また、外国人の知っている日本の地名で広島が東京続いてよく知ら
れているという点からも、広島大学は国際的に見ても注目の高い大学
であるということも分かった。まだ広島大学で授業を受け始めて 1 年
しか経っていないし、広島大学で授業を受けて、他の大学との特色
の違いもあまり実感できてはいないが、この授業を通して広島大学の
歴史的な背景や、広島大学がどういう人材を求め、輩出してきたのか
ということをまなぶことで自分の入った広島大学を再確認したいと思っ
た。
工・ 2 ・男 シラバスで調べた通り、出席しレポートさえ提出すれば、
単位はもらえそうなので取れて良かったと思いました。
工・ 2 ・男 よくよく考えると、もう広島大学に来てから 1 年たつのに
自分は広島大学のことをまったく知らないと思った。これからの授業
で少しでも知ることができればよいと思う。講義も面白そうだし、これか
らの授業を楽しんで受けられればいいと思った。
- 524 -
工・ 2 ・男
レポートと出席をがんばろうと思いました
明を聞いたので今後の授業も聞いてみたいと思いました。
工・ 2 ・男 進学したい大学を決めるとき漠然と広島大学を選んだが、
この講義を受けることによって広島大学の良さや特徴を知ることがで
き、本当に広島大学に進学して良かったと思える気がした。特に今回
の授業では、知られている理由は悪いにしろ世界的に有名な「ヒロシ
マ」の地で学べるということはとても素晴らしいことだと思った。この広
島で学ぶ以上避けて通ることのできない原爆との関係も考えながら広
島大学の歴史について学んでいきたいと思う。
工・ 2 ・男 昨年度の 180 人から、今年度の 500 人以上への著しい
増加から、前回の講義が生徒に、何らかの良い評判があったことが想
像できる。それが自分にとってプラスであり、自身の知識がより深まる
ことを願いたい。自身が自宅からの通学で、広島大学の近辺を良く知
っているので、講義中の何気ない地名でさえも楽しく感じることができ
ると思う。その他の人に対するアドバンテージをもって、十分な理解を
得るために、意欲的に講義に望んでいきたい。
工・ 2 ・男 今回のガイダンスで広島大学の歴史についてよりいっそ
う興味を持った。原爆による被害を受けた後の広島大学誕生までの
経緯や、他の地方の大学との特徴の違いなど知りたいことが多くあっ
た。また、外国人の中で日本の地名の中でどこがよく知られているか
という質問に対して東京や大阪よりも広島を知っている外国人の方が
多いという話を聞き、改めて広島という都市の魅力を実感じた。これま
で広島大学でどういった先輩方がどういう活動をしてきたかを知り、こ
の場所でより多くのことを学びたいと思う。
工・ 2 ・男 今日の講義では全体の授業を通したシラバスについて
の説明であったが、それなりに興味がもてる内容であるように感じた。
あまり堅苦しい話は期待していないけれども、広島大学について知識
をある程度身につけていけるような授業であると感じたので、これから
の授業が楽しみである。自分は他県から広島に来ているので基本的
に広島の知識はほとんどないが、広島大学だけでなく広島について
も知ることができればいいと思う。次の授業が楽しみになるような面白
い授業がなされることを期待したい。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて思ったことは、以外に日本の国立大
学の歴史は浅いということです。自分はもっと昔から設立されていると
思っていたので、ビックリでした。 60 年というと、そこまでたっていな
いんだなと思いました。なので、東広島キャンパスができたのはとても
新しいんだなと思いました。これから先の講義で、もっと広島大学の
歴史を学んでいくと思うので、それがとても楽しみです。人数がとても
多いので、毎回の講義には早く行っていい席をとって、万全の状態
で講義に望みたいと思います。
工・ 2 ・男 今日の授業を聞いて興味を持ったことは、小宮山先生が
広島大学と長崎大学には原爆が落とされていて戦前と戦後で大きく
歴史が分断されいて普通の国立大学とは一味違った歴史を持ってい
てまた世界中の多くの人でも大阪や東京に並ぶくらい広島という土地
は有名であると言っていたところに嬉しく思いそして僕はとても趣き深
く歴史のある良い大学に入学したと思いました。また授業の方では第
三回に予定されている「原爆と広島大学」の授業と第 13 回に予定さ
れている「広島大学の卒業生たち」の授業にとても期待しています。
工・ 2 ・男 最初は広島のことなど知らず、まさか自分が広島大学に
来るとも思ってなかったので、広島について考えたことがなかった。で
もよくよく考えてみると、自分は広島だけではなく出身地長崎の歴史
もしらなかった。だからもし外国の人に日本の歴史を聞かれたとき、は
いなにもしらないですとなってしまうので、この授業を通じで少しでも
歴史を勉強しようと思った。特に今日の授業の話によると外国の人は、
東京よりも広島のほうを知ってるかもしれないということなので、広島
について知ることで外国の人との話の幅が広がるかもしれないと思っ
た。あと今自分は広大にいるので知る必要があると思った。
工・ 2 ・男 今回の授業を受けてみて、今日はガイダンスという形で
はあったけれどこれからの授業が待ち遠しいと感じた。広島大学はと
ても古い歴史を持っている大学と思っていたが、今年創立 60 周年と
聞きとても驚いた。そして、今年がちょうど広島大学創立 60 周年とい
うことで自分が日ごろ学んでいるこの大学がどうやって発展してきたか
を知りたくなった。そして、原爆やこの広島という土地がもたらした他
の国公立大学とは違う歴史を持つ広島大学で自分が学べていること
の素晴らしさを感じた。
工・ 2 ・男 去年が 180 人だったということにびっくりした。それが今
年突然 500 人超となったことにも驚いた。確かに受講する総合科目
をみんなで相談した時、まっさきにこの講義の名前が挙がり、シラバス
を見た瞬間に受講を決めた。出席が成績の 7 割を占めると聞けば誰
だってこの授業を受講するから今年の数字は納得だが、なぜ去年ま
では少なかったのだろうか。まさか十数分のガイダンスでこのように 2
00 文字以上の感想を求められることになろうとは夢にも思わなかった。
次週からは授業も始まり書くネタが増えるため楽になるだろう。
工・ 2 ・男 今の広島大学東広島キャンパスはさまざまな地域にあっ
たキャンパスがひとつに統合されたものだと初めて知りました。今回の
授業はガイダンスということで各授業でどういった内容であるかの説
工・ 2 ・男 広島大学を希望する時は広島大学の歴史のことなど考
えてなかったので、この講義の中で少しでも広島大学がどうやって誕
生したのか、どんな流れで統合移転したのかなどの歴史について知
ることができたら良いと思う。また広島大学には教員が約 1800 人い
て、ぴんからきりまで居られるみたいなので、広島大学の教師につい
ての回も興味がでました。原爆により、その前の歴史と完全に分断さ
れたと話していたので、その前後に広島大学がどうなったか知りたい
と思う。
工・ 2 ・男 広島という町の国際的認知度の大きさには驚きました。
日本でのイメージと世界とのイメージは違うんだなと感じました。広島
大学は他の大学と異なり、歴史的背景に戦争という一面を持ってい
たことは知っていましたが、そのことが教育にも形となって、現れてい
ると、この講義を受けて、強く感じました。僕も広島に来たので、広島
と広島大学について世界など色々な視点から学んで行きたいと思い
ます。複数の講師から講義を受けられるのも楽しみです。
工・ 2 ・男 最初は広島のことなど知らず、まさか自分が広島大学に
来るとも思ってなかったので、広島について考えたことがなかった。で
もよくよく考えてみると、自分は広島だけではなく出身地長崎の歴史
もしらなかった。だからもし外国の人に日本の歴史を聞かれたとき、は
いなにもしらないですとなってしまうので、この授業を通じで少しでも
歴史を勉強しようと思った。特に今日の授業の話によると外国の人は、
東京よりも広島のほうを知ってるかもしれないということなので、広島
について知ることで外国の人との話の幅が広がるかもしれないと思っ
た。あと今自分は広大にいるので知る必要があると思った。
工・ 2 ・男 私は広島に住んでいるので広島大学には、中学生のと
きに見学のために来たことがあります。その時の第一印象は広島大
学はとても広く開放的だということです。実際に入学してみてもその印
象は変わらず、のびのびした空間です。この講義では広島大学のさ
まざまな歴史について学べるので、楽しみにしています。自分のいる
大学について詳しく知っていることは大事だと思います。特に広島は
原爆によって大変な被害を受けたので、広島大学はどのような理念
に基づいて設立されたのかということ興味を持ちました。
工・ 2 ・男 今日はガイダンスだったということで広島大学の歴史に
関係する内容の話はなかったのであまり意欲がわかなかったです。
教室に入ったときにこんなにも人が多いのかとびっくりしました。でも、
多くの人たちが講義を受けれると聞いて安心しました。この講義では、
毎回違った先生たちが話をしてくださるみたいで、どれも興味がわく
内容だと思ったけど、その中でぼくが一番聞きたいなあと思ったのは、
酒井教授の原爆と広島大学です。だから、この授業には毎回ちゃん
と出席して広島大学についてもっと深く知れたらいいなと思いました。
工・ 2 ・男 今日はガイダンスだけだったので、あまり深くは考えてい
ませんが、これからどんな講義を受けれるのかなどを知って、これから
も講義をうけてみようかなぁと思いました。おもしろくて今後の役に立
つ講義になることを期待しています。僕は岡山県の出身だし、広島県
や広島大学のこともまったくわからないので、少しだけですが興味が
あるような気がします。戦争のことには興味があるので、「原爆と広島」
などの講義はとくにちゃんと聴こうと思います。単位おとさないようにが
んばります。
工・ 2 ・男 今回の授業はガイダンスみたいなかんじで授業内容はな
かったのですが、今後の授業予定を見て歴代の広島大学の学長の
紹介の講義があったのでそれぞれの学長は着任時にどのようなこと
をやろうとしたか、またどのような実績をあげたかを知りたいと思いまし
た。そして是非現学長の浅原学長はどのようなことを目標として、仕
事をこなしているのか知りたいです。また広島大学は統合移転した大
学と聞きましたがなぜそのようなことをしたのか、なぜ 2 箇所のキャン
パスに学部を分けたのかをきいてみたいです。
工・ 2 ・男 最初は広島のことなど知らず、まさか自分が広島大学に
来るとも思ってなかったので、広島について考えたことがなかった。で
もよくよく考えてみると、自分は広島だけではなく出身地長崎の歴史
もしらなかった。だからもし外国の人に日本の歴史を聞かれたとき、は
いなにもしらないですとなってしまうので、この授業を通じで少しでも
歴史を勉強しようと思った。特に今日の授業の話によると外国の人は、
東京よりも広島のほうを知ってるかもしれないということなので、広島
について知ることで外国の人との話の幅が広がるかもしれないと思っ
た。あと今自分は広大にいるので知る必要があると思った。
工・ 2 ・男 今回の授業はガイダンスのみだったので、感想というの
は難しいですが、広島大学にまつわる歴史って先生の話していた感
じでは、結構深いんだなと思いました。僕が一番興味があるのは、広
島市内にあったキャンパスをどういう経緯で西条に移転したのかです。
みんなはどう思ってるか分からないけど、僕的には西条に移転してく
れてよかったです。理由は無駄遣いしなくてすむからです。これから、
まったく知らなかった広島大学の歴史を学べることを楽しみにしてま
す。
工・ 2 ・男
- 525 -
今日はガイダンスだったので、あまり深いところまで内容
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
はわかりませんでしたが、広島大学が創立 60 周年ということを知って、
広島大学に長い歴史がいままでにあることを知りとても興味がわきま
した。全国的にも有名な広島大学はどういう期待をもって建てられた
のかも気になりましたし、またこのとても広い敷地を持った大学はすば
らしいと思います。もともと大きかった敷地の市内から移設されさらに
大きくなったことも広島大学の誇れるところだと思います。教授の方の
考えや卒業生の方の考えなども知ってみたいです。全国からたくさん
の人々がこの大学を希望して進学してきたので、自分の母校になるこ
の大学の歴史を知ることは必要だと思います。
の復興途中できっとバラックもあったんだと思います。そして 30 年ほ
ど前からの東広島市への統合移転を経て今とほぼ同じ形になったこ
とを考えるとずっと同じ場所にある他の国立大学に比べて変化が大き
かったといえます。広大の歴史は統合移転だけではないと思うのでこ
れからの授業でいろいろ知ることができたらいいなと思います。
工・ 2 ・男 実はもともと広島大学の歴史の授業にそこまで積極的に
取り組もうとは思っていなかったのですが、今日のガイダンスを聞いて
少し興味を持つようになりました。まず、広島大学や他の国立大学が
今年で 60 周年ということで、どれも戦後すぐにできて思ったより歴史
があるんだな、と思いました。それに、広島は原爆が落ちてすぐなの
にすごいなと思いました。後、聞いた話で、理学部の扉で原爆を受け
た時あった扉があると聞いたのでその辺についても聞いてみたいで
す。
工・ 2 ・男 自分は広島出身ではないのであまり広島県や広島大学
のことは知らないが、この授業を受けることで、どのように今の状態に
なっていったかを知ることができると思うのでこれからの授業がとても
楽しみである。広島大学を創始者たちがどのような思いでこの大学を
作り、何を学ぶべきかを知り、そのことをこれから実行できるような大
学生活にしたいと思った。午前中の授業だけれども、かならずすべて
の講義に出席して多くのことを学びたいと思う。
工・ 2 ・男 今回の授業では、ガイダンスということでこれからの授業、
レポート、成績などの説明で終わってしまいましたが、「広島大学の歴
史」という授業の断片を知ることができて自分としてはこの授業を受け
て良かった!と思うことができました。これからの 14 回の授業で、僕
は広島大学を歴史から知る広島大学生になりたいと思います。です
ので、講師の先生方にはわかりやすく、興味深い小話もたくさん盛り
こんだ講義を展開して欲しいと思います。あと、やはりもう少し広い教
室で講義を開いて欲しいです。
工・ 2 ・男 第 1 回目の講義で広島大学について少しだが知ること
ができた。これを期に、もっと広島大学の歴史、理念、象徴、の成り立
ちについてもっと知りたいと思うようになった。それに、今までチュータ
ーなどからいろいろな面で広島大学は、有名であり就職にも有利で
あると聞いていたので、その理由ももっと詳しく知りたいと思った。広
島大学だけじゃなく国際化についても学べそうなのでこれからの授業
が楽しみです。これからよろしくお願いします。
工・ 2 ・男 入学して一年間様々な講義を受講してきましたが、どの
講義においても私語や遅刻に対してだいぶ穏便な処置を下すことが
多くありました。その為、こちらの集中の妨げとなることも多々あり、講
義中に苛々させられてばかりでした。しかし、ここまで授業態度を徹
底して見てもらえるとコチラも授業に専念でき、うれしい限りです。歴
史はあまり得意ではありませんが、 90 分間集中した中で話を聞くこと
で少しでも苦手と感じる部分をカバーして、今自分が所属しているこ
の広島大学について多少なりとも見聞を広げていきたいと思います。
工・ 2 ・男 今日はこの講義の最初の授業ということでガイダンスだっ
たわけですが、やっぱりというかなんというか立ち見の人がでてしまう
程受講希望者がいて驚きました。 500 人超もいる授業はなかなか受
けたことがないので、後方やサイドにびっしり人が詰まっている光景
は圧巻でした。ところで、実際ガイダンスを聴いてみて僕が興味を抱
いた講義内容は「統合移転でつづる広島大学」です。街中から今の
立地に至るまでの過程については前々から興味があったのでこの講
義を受けてみたいです。
工・ 2 ・男 今日はガイダンスだったのであまり詳しい話は聞けなか
ったが、今後の授業で学んでいく内容について説明があった。広島
大学が今までに歩んできた歴史の源流や原爆と広島大学との関わり
といった歴史の中心的な部分から、学長や教師陣、卒業生など、歴
史の側面の部分まで様々な要素が取り入れられていて、これからの
講義に期待が持てるガイダンスだった。このような事を学べる機会は
あまり無いと思うので、興味を持って積極的に学ぶ姿勢を大切にした
いと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けてこれからの授業日程について話を
聞き、広島大学の歴史についてさらに興味が湧き、広島大学が設立
された過程から広島県と大学との関係性など、もっと詳しく知りたくな
った。特に、授業内容の中でも、「原爆と広島大学」で、原爆が落とさ
れた県である広島という都市と広島大学にはどのような関係があるの
か?また、広島大学の学生生活とほかの大学との学生生活には違い
があったりするのか?
工・ 2 ・男 今日はこの「広島大学の歴史」の講義内容についてのガ
イダンスを受けた。まず驚いたことは、受講する生徒の多さにも驚い
たが、授業の講師が何人かいるということだ。小宮山先生だけが授業
をするものだと思っていたので少し驚いた。様々な先生から、多くの
刺激を受けていきたいと思った。それと、これから受けていく授業の内
容にも興味を持った。特に、 4 月 27 日にある第 3 回目の授業内容
の「原爆と広島大学」の講義に目がひかれた。世界で唯一の被爆国
である日本、そして広島のことを、広島大学を通して学んでいきたい
と思った。
工・ 2 ・男 今回の授業はガイダンス的な内容だったので、まだまだ
わからないことばかりですが、正式に広島大学となってから今年で 60
年がたつということを今日知りました。この 60 年間でもっとも変化した
国立大学は広島大学だと思います。創立したことろはまだまだ戦後
工・ 2 ・男 広島大学も昔は、戦後からの苦労が見られると感じた。
やはり、原爆が落とされた地であるから、様々な困難を通過してきた
のだと感じ、一つの大学としてここまでこれた価値を考えさせられた。
工・ 2 ・男 大学の制度が変わったことで、ほとんどの大学が今年で
60 周年だというのはちょっと面白いと思いました。広島は世界的に知
名度が高いということでしたが、これは昔自分が実感したことでもあり
ます。以前通っていた高校の先生はアメリカ人で、やはり原子爆弾の
ことで広島を知っていたと話していました。生まれも育ちも広島なので、
原子爆弾と広大の関係については興味があります。戦前なので今の
広大とは別物になるのでしょうが、今とどう違うのかについても知りた
いと思いました。
工・ 2 ・男 人数が多すぎて、授業になるのか心配に思った。大きい
声で私語をする人は絶対にいるし、ましてあの広い教室であの人数
なので、最初のほうは静かにならないと思う。ガイダンスのみだったの
で、 200 字以上もかけません。すいません。
工・ 2 ・男 今日はこの授業を受けに教室に来てみてびっくりしまし
た。あまりにも人が多かったので。教室変更してくれるとうれしいです。
今日は、ほとんどガイダンスだったので、あまりたいしたことはしなかっ
たのですが、広島大学を含む国立大学が 60 周年であることや、広
島大学は原爆のことが深く歴史にかかわっていることなどが分かりま
した。これからの授業で、広島大学のことについて少しでも知りたいと
思います。話のタネになるかと思います。(親戚の人とかに対して)
工・ 2 ・男 広島大学の歴史についてある程度の興味はあったもの
の今回のガイダンスの講義を終え、より今後の講義に対して興味を持
ったように思う。また、講義はとても受けやすい環境で内容もわかりや
すく楽しんで受講できたように感じた。今まで自分の大学生活に対し
て取り組んでいる姿勢についてあまり深く考えたことはなかったのだ
が、この講義で広島大学の歴史を学び、昔の広島大学に関わってき
た人たちの広島大学に対する思いやそれに対する努力を見習いな
がら自分の大学生活を見直し改善していくいい機会にできるようにし
ていきたい。
工・ 2 ・男 今回の講義はガイダンスだけだったので考えたことなど
は特になかったが、広島大学が今年で 60 周年を迎えたということを
聞いて、思っていたほど新しいと感じた。新制広島大学というのがま
だピンとこないのでそこを詳しく知りたい。授業の予定表を見て興味
を持った内容は特に、「原爆と広島大学」「広島大学の入試と学生た
ち」「国際化社会と広島大学」の 3 つだった。他の大学の知り合いに
広島大学を自慢できるような知識をこの授業で身につけたいと思う。
工・ 2 ・男 今日の講義(ガイダンス?)では広島大学にというよりかは、
広島にとって原爆との関わりというものがやはり重要な部分を占めて
おり、広島大学の歴史を学ぶにあたって原爆との関係を学ぶことは
避けることのできないものだと感じました。しかし、そういう原爆との関
係があるということによって、今の国際的な社会から一目おかれてい
るという部分があるのだと感じました。しかし、一目おかれているといっ
ても、それは現状のことではなく過去のことということから、広島の歴
史は大部分が原爆というものに縛られているのだと感じました。
工・ 2 ・男 ガイダンスで配られた資料や先生の話から、単に広島大
学の歴史といっても、連綿としていて、そしてその時代ごとの出来事
などに何らかの形で影響していて広いのだなと、私は思いました。特
に第二次世界大戦という出来事は、広島大学のみならず広島県、ひ
いては日本全体や世界にまでも影響するもので、その重要性は計り
知れないものだと私は思いました。広島大学の長い歴史の中で、広
島大学をまとめてきた学長たちの話は、とても深く、面白いヒューマン
ドラマらしい話が聞けるのではないかと期待しています。
工・ 2 ・男 私は今まで何気なく広島大学に通ってきました。私が知
っている広島大学の歴史は広島に原子爆弾が投下されて大きな被
害を受け、そこから発展していったということぐらいです。しかし今日の
ガイダンスを聞くとこの講座では、広島大学の歴史を原爆や入試、今
までの学長、卒業生、教師、移転、国際化などいろいろな視点から学
ぶことができるらしいので、とてもこの授業を受けるのが楽しみになり
ました。この授業をきっかけとしてこれから広島大学についてもっと深
く知り、この大学に入ってよかったと思えるようになりたいです。
- 526 -
工・ 2 ・男 人の多さに驚いた。この授業を受けることができてうれし
く思う。遅刻は絶対にしないようにしたい。今回講義を受けて、ますま
す広島大学の歴史について学びたいという意欲が湧いてきた。広島
大学の一員として伝統や特色を知ることで現在の自分の学生として
のあり方や学問に対する姿勢を見つめ直すことができるのではない
かと思う。広島はやはり原爆を落とされたことで全国的にも有名な都
市である。大学の歴史を学ぶと同時に、平和についても理解を深め
ていけたらなと思う。
工・ 2 ・男 広島は原爆の被害を受けたにも関わらず、街を復興させ
るためにいろいろ努力してきて、さらに大学を作り直してここまでの大
きさにまでしたことはすばらしいことだと改めて思った。私は広島県内
出身だけど、広島大学についてはあまり知らないので、これからこの
授業を受けていく中で、広島大学がどのようにしてできて、どのように
して発展して、どのようにして今の広島大学があるのか知りたいと思っ
た。また、普通に大学生活をしていても知ることができないような設備
やすごいところなどいろいろ知って、卒業した後でも、広島大学はこう
いう大学だ、と言えるようになりたい。
工・ 2 ・男 広島という都市は原爆が落とされたということで世界的も
有名であるので、広島大学の歴史を語る際原爆が大きく関わってい
るとは思っていたが、今日のガイダンスを聞いてそのことに大変興味
を持った。シラバスを見てテストがなくレポートと出席だけで単位が取
れるということだけで履修することにした授業だったが、今日のガイダ
ンスを聞いて自分の通っている大学がどのようなものかをよく知ること
は大事なことなんじゃないかと思うようになり、今後の履修が少し楽し
みになった。
工・ 2 ・男 予想以上の受講者がいたため、びっくりした。もう通い始
めて 1 年たつが、広島大学について何も知らないのはちょっと恥ず
かしいと思い、受講しようと思った。原爆と広島大学や、初代学長に
ついてなど、講義内容の中に自分の知らないことが多々あり、興味を
持てた。また、講師も複数おり、さまざまな話が聞けるところもよさそう
だと思った。この講義を受けて、少しでも広島大学について知れると
いいなと思った。受けるからには全て出席しようと思う。
工・ 2 ・男 これからの講義への期待が高まるようなものになりました。
私自身一番興味のある「東広島への大学移転」も詳しく話が聞けるよ
うなのでよかったです。またこれまでの大学そのものの歴史もあります
が、やはり国際的にも名の知れたこのヒロシマの地での原爆と大学の
関わり合い、そしてそれが今の広島大学にどのように関わっているの
か、またその点で国際的にも広島大学はどのように見られているのか。
「広島大学」となって 60 年、この歴史をこれから学べることがとても楽
しみに思えた今回の講義でした。
工・ 2 ・男 広島大学に入学したとき、その歴史を振り返ることは全く
ありませんでした。私が卒業した高校は創立 130 年の歴史や伝統が
あり、高校生活では常に先生や先輩たちから母校の歴史や伝統を聞
かされていました。そのことがあって、私も自分の母校に対して強い
誇りを持っています。この広島大学で学生生活を送っていく中でも、
その歴史を知っておくことは、国際化が進む現代でも必要なことだと
考えています。今日のガイダンスで先生は外国人にとって広島の存
在は広く知れ渡っているとおっしゃいました。負の遺産を唯一もつ「ヒ
ロシマ」で学ぶからには時代の中で広島大学はどうあったのか、そし
てどうあるべきなのか考える必要があると思います。
工・ 2 ・男 これから授業を受けていくにあたって遅刻はもちろん私
語もしないように気をつけ集中して授業をきちんと受け、広大生として
より自覚を持てるようになりたいと考えています。またこの授業を受け
ることで自分の入学した広島大学がどのような歴史を辿ってきたかと
いうことや原爆と広島大学の関係、大学の特色、歴代の学長たちがど
のような人であったかなどを知ることができるということで、これから授
業を受けていくのが楽しみだなと思いました。
工・ 2 ・男 私が今日のガイダンスを聞いて興味をもった講義は、 3
回目の原爆と広島大学、 8 回目の広島大学の学生生活です。この
二つに興味を持ったのは、広島といえば頭に浮かぶのは原爆だと思
うし、これを機にもう一度平和について考えるのもいいかなと思ったか
らです。そして、原爆を受けてから大学ができるまでどんな過程があ
ったのか気になったからです。それから、学生生活では私自身あまり
有意義な学生生活を過ごしてる気がしないので興味を持ちました。
工・ 2 ・男 非常に希望生徒数が多くて漏れてしまう人がいたらかわ
いそうだと思った。広島大学の歴史は今年で 60 年とのいうことで、思
っていた以上に長い歴史があって、東広島市に引っ越してきてから
の歴史はまだ浅いのだと知ってすこしびっくりした。講師陣の先生方
が文書館の方々とあったが文書館というのは初めて聞いたのでこちら
の方にも若干興味がわいた。これから毎週講義を聞くにあたって私語
や遅刻に注意して受けようと思った。講義内容についても広島大学
の歴史をただ漠然と聞くのではなく、いろんな側面から勉強できるの
もこの講義の魅力だと感じた。
工・ 2 ・男 講義の内容は明るい感じで、聞いているほうは飽きなく
最後まで集中して聞けました。また、配布された資料も見やすくわかり
やすかったし、ネットで感想文を提出するしくみは自分で意見をまと
め、好きなときに提出できるのでいいと思いました。広島大学にさまざ
まな講師を呼びそれぞれの人から講義を聞くことはあまり機会がない
ので楽しみです。講師の人もその 90 分のために約 10 倍もの時間を
ついやしているので、一回一回眠らずに最後まで聞こうと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けてみて、広島大学が創立 60 年に及
び、他の大学と比べて歴史ある国公立大学のひとつであることを学ん
だ。また、筑波大学と並んで「教育」を目標とした大学として設立され
た。自分の通っている大学のことを学ぶということは、自分について知
るということの内なので、せっかく「広島大学の歴史」という授業を履修
したのだから、これを機に進んで広島大学について調べ、学んでいこ
うと思う。この授業を通して広島大学についての正しい知識を深める
ことができればよいと思う。
工・ 2 ・男 意外と受講者が多かった。楽そうだからという理由で受け
る人も多いだろう。しかし、私は広島市出身で、もし広大が移転しなけ
れば自宅から通えたので、なぜ移転したのかについて興味があった
ので受けようと思った。今回は説明だけだったが、来週からの講義が
楽しみだ。広大跡地に行ったこともあり、参考書の「広島大学の五十
年」も少し読んだことがあるので、予備知識は十分だと思う。人数が多
く抽選になるかと思ったが、受けられるようなので安心した。
工・ 2 ・男 私は、日本で有名なところといえば東京、大阪、京都だと
思っていました。しかし今回の講義を聴き、広島は意外にも世界から
見たら有名なところだと初めて知りました。広島について改めて考え
直させられました。広島について、原爆以外で有名なところも、もっと
知りたいと感じさせられました。広島についてあまり知らないともだち
に、広島の誇れる点を、たくさん教えたいなと思いました。広島大学
の歴史を学ぶことで、広島の誇れる点を見いだせるのではないかと考
えた。
工・ 2 ・男 話のなかに何度も原始爆弾投下の件が出てきて、その
苦労がしのばれ、どのようにして再建されたのかについて興味をもっ
た。大勢の研究者が亡くなっただろうし、研究施設、資料、蓄積され
たデータなどのどれだけが失われたのだろうか、などを知りたいと思っ
た。
工・ 2 ・男 今回のガイダンスを受けて、いちばん興味をひかれたの
は広島大学が西条に移転された理由とその経緯です。自分も西条の
第一印象は思ったより田舎だったからです。また、配布されたプリント
からは「原爆と広島大学」、「広島大学の入試と学生たち」、「広島大
学の卒業生たち」という項目です。評価方法にあるように平常点が 7
0 %程度占めているので、真面目に授業に出席して、自分の所属す
る大学についての理解がより一層深めることができるように頑張りたい
と思いました。
工・ 2 ・男 今回のガイダンスを聞いてこれからどのような授業をして
いくかを聞いただけで、今まで自分が自分の大学についていかに何
も考えていなかったのかがわかったし、何も知らなかったのかに気付
かされました。さらにこの大学がいかに特徴ある大学かというのも考え
たこともなかったしこの大学の約 60 年の歴史にも興味がもてました。
また特にこれからの授業で興味を持ったのは「新制広島大学はこうし
て生まれた」でどういう経緯でこの田舎に移転となったのかが知りたい
と思いました。
工・ 2 ・男 今回の授業はガイダンスだけであまり深い内容の話は聞
くことができませんでしたが、授業予定の内容を見る限り自分の興味
ありそうな内容がいくつかありました。自分は特に広島大学はどういう
大学か、のテーマに惹かれました。広島大学をあまり知らない人たち
に自分の大学はどのような大学であるか説明できることはとても大事
なことだと考えているので、この回の講義はより興味を持って講義を
受けれることだと期待しています。他のテーマの講義でも、今日のガ
イダンスを聞く限り自分の知らない広島大学の素晴らしさが見えてき
そうでとても楽しみです。
工・ 2 ・男 授業の予定をみて思ったことなのですが、ただ広島大学
の歴史を勉強するだげではなく、他にも“広島大学の卒業生”や“広
島大学の学生たち”などとても興味深く、講義を受けたくなる様な内
容だと思いました。また自分の所属する大学の歴史を学ぶということ
はとても大切なことだと思いますし、世界で初めて被爆した都市として
世界に知られている広島にある広島大学の学生として、世界におけ
る広島大学の役割を理解し、世界の発展における担い手としての知
識を広げたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学は、原子爆弾の影響によって、戦前と戦後で大
きく変わったということを知りました。戦争や原爆の影響が大学にまで
及んでいるということは知らなかったので、とても興味深かったです。
広島は世界で 2 つしかない原爆の被災地なので、それと大学の関係
などがどうあるのかなどが気になりました。原爆と広島大学の関係に
ついては特に興味を持ったので、第 3 回の講義がとても楽しみになり
ました。広島大学の東広島キャンパスは、筑波大学に次ぐ大きさだと
いうことも今日知りました。なぜ医学部や薬学部を除く全学部を統合
したのかなどの背景についても知りたいと思いました。歴史について
は好きな方ではないですが、自分の所属している大学ということもあり、
興味を持てそうな気がしました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 まず、受講者の人数の多さに驚きました。先生が楽な授
業と言っていたのは正直うれしいし、ラッキーと思いました。しかし、せ
っかく自分自身が通っている大学の歴史を学べる機会があるので、
手抜きせずに、しっかり取り組んでいきたいと思います。写真やビデ
オなどを活用する授業だと分かり、さらに楽しみになりました。個人的
には 5 回目に予定されている授業が楽しみです。
工・ 2 ・男 三人の先生により、広島大学について誕生から現在まで、
詳しく知ることができそうなので楽しみだ。今回はガイダンスだけだっ
たので、次回からの授業に期待したいと思った。映像や写真、資料な
どで、飽きずに広島大学についての知識を深められたらなと思う。
工・ 2 ・男 講義の内容に関しては面白そうなものが多かった。今回
が初めての授業だったため、具体的にはやってないが原爆と広島大
学という講義に一番関心を惹かれた。やはり、広島に住んでいるもの
としても、原爆については知っておかなければならないし、出身も広
島なので、知っておくべきであるからだ。それから僕たちも大学入試
を合格して広島大学に来たため、入試と学生たちというものも面白そ
うだ。今回はガイダンスであったため、次回の講義が楽しみである。
工・ 2 ・男
広島大学についてもっといろいろなことを学びたくなった。
工・ 2 ・男 とりあえず想像以上の人数に驚きました。実際だいぶ早
く来たつもりなのにすでに人数がいっぱいでこの講義はそんなに人
気があるのか、と思いました。今日の講義はガイダンスということでし
たが、プリントがあってなおかつ説明が丁寧であったため理解ができ
今後もたいした支障もなく講義を受講できそうだったのでとても助かり
ました。今回は人数が多すぎて最初の講義がなくなってしまう形にな
ってしまいましたがまた今後の講義を期待していようとおもいます。
工・ 2 ・男 今回の講義をうけて最も印象に残ったのは、外国の人が
知っている日本の都市に広島があり、広島しか知らないという人さえ
いるというところでした。広島を知っていて、京都や東京を知らないと
いう人がいるなど考えたこともなかったです。原子爆弾を落とされた都
市というのは世界の歴史としても重要なことなのだということを再確認
しました。広島大学は大規模な統合移転をした数少ない大学だという
ことにも関心をもちました。統合移転をするにあたって大変だったこと
などを知りたいと思わされました。今回の講義であと一つ印象に残っ
たことがあります。それは、この講義を聞いていれば広島大学に在学
していてよかったと思うようになるぞという言葉です。非常に興味があ
るのでこれからの講義が楽しみです。
広島という場所は世界的に有名であるということを感じた。今後も広島
大学について知っていきたい。
工・ 2 ・男 まず、僕は広島大学に入学してから 1 年余り経過してい
るにも関わらず、自身の大学についての知識がほとんどありませんで
した。しかし、今回の講義では広島大学が、戦後にどのように形成さ
れていったか、また、前身校のことなどおおまかにですが多くのことを
知りました。そして、それらの話から広島大学は、他の大学に比べて
様々な歴史や伝統を持っていて、それらは誇れるものであると考えま
した。今後の講義では、さらに詳しい話を聞き、広島大学について学
んでいきたいと思いました。
工・ 2 ・男 このたび広島大学の歴史を受講して、今まで何気なく通
っていた広島大学には実は深い歴史があるのだと認識した。これから
この授業を受講することを通してさまざまな広島大学の歴史の背景を
学んでいきたいと思った。私が特に興味を持てそうなのが、第 7 回と
第 9 回にある学長たちの横顔である。歴代の学長がどのような信念
の元で広島大学の学長を勤めたかは非常に興味深く、これらを知る
ことで今までの広島大学の性格、様子の変化を知ることができるので
はないかと期待している。
工・ 2 ・男 先輩から楽だと聞いて受講したので、広島大学の歴史な
ど全く興味がなかったのですが、授業の内容の説明を聞いて、少し
興味を持つようになりました。今まで大学の歴史など考えたこともなか
ったのですが、説明であったとおり、広島大学ができたときに活躍し
た人の思いや願いがどんなものであったのかが気になりました。また
歴代の学長について、それぞれの学長がどんな信念を持っていたの
かなどとても興味深い内容だったので、楽しみにしています。また、個
人的な意見なのですが、教室は広い教室で受けたいです。
工・ 2 ・男 全部の授業に出て、きちんとレポートを出せば、単位は
なんとか取れそうです。・冗談で生徒に本音を聞くくらい、ユーモアの
ある先生だったので、これからの講義も期待して参加していきます。
工・ 2 ・男 今回はガイダンスだけでしたが、初めに教室に入って人
の多さに大変驚きました。そんな中でも番号が早ければ授業が受け
られると聞きとても安心しました。受けたかったのに受けられなかった
人がいる中で自分は受けることができとてもラッキーに思いました。ガ
イダンスではこれからの講義内容と講義にあっての注意でした。講義
内容はほんとうに身近なことをするなと思い、理解しやすそうでした。
広島大学のことはわかっていないことの方が多いので広大生としては
もっと自分の通う学校について学んでいきたいと思います。
工・ 2 ・男 ガイダンスを受けた段階でもうすでに広島大学について
詳しく知りたいと思ったことが 3 つもありました。まずは、原爆と広大の
関係についてです。原爆が投下されたことによって広大のカリキュラ
ム等にどのような影響を与えたかということに関心が湧きました。次に、
学長たちの横顔です。自分が通う大学の学長はどのような方だった
のか、どのような意図を持ってここまで大学を作り上げてきたのか非常
に興味があります。そして最後に、広島大学の卒業生にはどのような
方がいらっしゃるのか知りたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学に入学して 1 年が経った現在、広島大学に入
学してよかったのか、別の大学のほうがよかったのかと考えるようにな
りました。そんな中、先生がおっしゃった広島大学に入学したことはよ
かったと思うべきという言葉を聞いてほっとしました。広島大学は第 1
志望の大学ではなかったし、調べたりしたこともほとんどないので、広
大の歴史やどういう大学なのかなどまだまだわからないことが多いで
す。この講義を通して、自分が所属する大学の価値を見出したいと思
いました。
工・ 2 ・男 ガイダンスを受けるまでは自分の学部のことだけ参考に
しようと思っていましたが、原爆や統合移転など、広大独特の歴史を
学んでおくことも重要ではないか、と感じました。広大はほかの大学
にはない歴史を持っているので、学生としては絶対に知っておくべき
だと思います。特に原爆(戦争)のことは絶対に伝えていくべきことだと
思います。入学してすぐに平和学習として原爆に関わる場所に行き
感想を書きましたが、そうではなく、広島大学という立場から見た原爆
を学生に伝えるべきではないでしょうか。この講義を、とは言いません
が、これに似た講義を必修科目として設けるべきだと思います。自分
の学部のことはもちろんですが、その他の歴史についても詳しく学ん
でいけたらと思います。
工・ 2 ・男 世界から見たとき広島がどんなイメージをもたれているの
か興味がわきました。確かに広島は有名だし、その中にある大学なら
ば関心がある人も多いと思います。そんな大学に通えていることを少
しは自覚していきたいと思いました。一番先生が語られた内容の中で
知りたいと思ったのは、大学の先生たちのことです。 1000 人以上も
いるなんて正直驚きましたが、講義を 1 年間だけですが受けていっ
た中で、いろんな人が居られるなと感じています。それはいい意味で
も悪い意味でもそうです。先生方が授業に対してどのように取り組ま
れているのか、どこまで投入しているのか知りたいと思いました。
工・ 2 ・男 入学したときに広島大学の歴史についての小冊子をよん
だことがあり、それまでの歴史や広島大学ができるまでの過程がかか
れてあってとてもおもしろかった。そして広島大学が昔、学生運動が
とても活発だったという写真をみてすごいなとおもった。学長のそれ
ぞれの考えかたなどにも興味をもったので、それらについての講義は
とても楽しみにしている。また、今までの歴史だけでなく、これからも広
島大学がどのように変わって行くのかということにも興味をもっている。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて感じたことは、講師の先生がとても
熱心に広島大学について語っていたなと思いました。広島は数少な
い被曝都市で、その経緯をふまえてどのようにしてできたのか、また
世界に知られる広島としてどのような活動をこの大学が行ってきたの
かに興味をもちました。講師の先生方の講義を聞けば、より広島大学
のことがわかり、よりいっそう広島大学のことが好きになれるのではな
いかと期待しています。この講義を受講して広島大学に入学して良
かったと思えるようになりたいです。
工・ 2 ・男 今回の説明を聞いて、次回からの講義を受けるのが楽し
みになりました。
工・ 2 ・男
今回の授業を聞いて広島大学はその他の大学とは違い、
工・ 2 ・男 広島大学が広島市内にあった頃と現在の東広島にある
広島大学はどのように違ったのかとても疑問に思いました。そして、な
ぜ東広島に移動したのか知りたいと思いました。また歴代の広島大
学学長の話についても興味をもちました。どのような人たちが広島大
学の学長になったのか知りたいです。私は広島大学が戦後の広島に
どのような影響を与えたのかという疑問をもちました。広島大学は若
者の目標になり、学習意欲の向上につながったと思います。
工・ 2 ・男 広島大学について、様々な事が学べそうだと感じた。せ
っかく広島に来たので原爆との関係についても知りたかった。なので、
このような機会を得られてうれしく思った。また、広島大学は今年で六
十周年と聞き、歴史ある大学で勉強できる事もうれしいことである。広
島大学は以前のキャンパスから移転してきているので、今後の講義
予定にある総合移転の回が楽しみだ。いずれは広島大学を卒業する
ので、社会に出たときに、自分の母校となった大学を他の人たちに教
えることができるような教養を身につけたいと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義はガイダンスのうえ、人数が多く早くおわった
のであまり講義という講義ではありませんでしたが、この授業の簡単な
流れがよく理解できました。人数制限が気になりますが、もしこの講義
を受けられるなら、広島大学の知ることができるので楽しみです。広
島大学は戦後に 3 つくらいの大学が合併してできたものであると聞い
ていたので創立 60 年くらいだとわかっていましたが、他の国立大学
- 528 -
も同じであるとは知らなかったので驚きました。また、教員の数にも驚
きました。このように、この授業で知らないことをたくさん知れればいい
なと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義は受講希望者が多すぎてなくなった。まさか
こんなに希望者がいるとは思わなかった。話を聞いていて、教官は本
当に広島大学が好きなんだなと感じた。旧帝大よりもある意味君たち
は幸せかもしれないと言われた時はびっくりするとともにこの授業に対
する期待も大きくなった。たしかに原爆被害から立ち直った広島にあ
る大学ということではかなり特色のある大学だと感じる。受験当時はま
ったくそのようなことは考えなかったが。とりあえず次からの講義を期
待して待っています。
工・ 2 ・男 まず、僕は広島大学に入学してから 1 年余り経過してい
るにも関わらず、自身の大学についての知識がほとんどありませんで
した。しかし、今回の講義では広島大学が、戦後にどのように形成さ
れていったか、また、前身校のことなどおおまかにですが多くのことを
知りました。そして、それらの話から広島大学は、他の大学に比べて
様々な歴史や伝統を持っていて、それらは誇れるものであると考えま
した。今後の講義では、さらに詳しい話を聞き、広島大学について学
んでいきたいと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義はガイダンスでこれから学ぶことについてわ
かり、広島大学が筑波大学を除き唯一の統合移転した大学であるこ
となど知らないことが多くあることがわかりました。なぜ、統合移転した
のか講義を通して学びたいと思いました。また、歴代の学長や教授方
がどのように広島大学を発展させたり、どのようなことをしてきたのかも
知りたです。広島・長崎は原子爆弾の被爆地で、国際的にも注目度
が高いので国際関係や、被爆から現在までどのようにして回復し発
展することができたのか学びたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学に入学してまだ 1 年しかたっていなく、広島大
学についてわからないことがたくさんあるときで、ちょうど知る機会にい
いと思った。これからのこの講義を受けて、自信をもって広島大学の
学生だといえるようになりたいと思った。また、私は長崎の出身であり、
原爆の被害にあった地としても共通点があったので、その当時はどん
な様子だったのかも知りたいと思った。広島での原爆の被害やその
後の人々や広島大学の様子や活動を知ることで、広島のことを知ると
同時に平和への意識も高められると思う。
工・ 2 ・男 今回は初回でガイダンスのみの内容だったが、五回目の
「広島大学の入試と学生たち」という授業に非常に関心を持った。私
は平成 20 年度の AO 入学生である。よって受験はいわゆるペーパ
ー試験ではなく面接や小論文によるものだった。受験要項にも書か
れてはいたが、広島大学は AO 入試によってどんな学生を獲得しよう
としているのか、また私を含め合格した学生には他の学生となにか違
うものを求められているのかを知りたい。広島大学での学生生活がよ
り有意義なものとなるようこの講義を熱心に受けたい。
工・ 2 ・男 講義をしてくださる先生方が三人もいらっしゃるのでほか
の講義よりも得だと思いました。この講義では広大が昔と何が違い、
どう変わってきたのか知りたいと思いました。また、普通に生活してい
てはわからないことも知りたいです。講義内容も興味深いものが多く、
中でも「広島大学の入試と学生たち」「国際化社会と広島大学」「広島
大学の卒業生たち」は特に受けてみたいと思います。卒業生たちが
国際化社会においてどのように貢献しているのか学びたいです。
工・ 2 ・男 今回の講義では、「広島大学の歴史」のこれからの毎週
の授業計画を 1 つ 1 つ説明を受けて、講義の進め方などを学んだ。
また授業の評価方法が平常点が 70 %程度ということで、自分の授業
に対する姿勢などが評価されるというのが個人的にはうれしかった。
また講師の話を聞いて、自分の所属している広島大学についてより
深く知っていくことでこれからの学生生活や卒業してからの人生も有
意義に過ごせるのではないかと思った。なので、 15 回程のこの講義
をしっかりと受けて広島大学の歴史に関する知識をもっとつけていき
たいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学で学んでいるのに、広島大学自身については
あまり考えたことかったので、広島大学の歴史や広島大学で学ぶ意
義を考えるきっかけになったと思います。広島大学は広島市から今の
東広島市に移転していますが、そのメリットとデメリットについて考えま
したが、まずメリットとして、広い土地が確保できるので、大規模な研
究施設等が立てやすい。デメリットとして、アクセスの問題等があると
思いました。他にもあると思うので、これからの講義でいろいろ考えた
いと思います。また、国立大学の法人化などにも興味があるので、深
く学習したいと思います。
工・ 2 ・男 あまり興味があったわけではなかったが、聞いてみると自
分の大学のことでもあるし知りたくなった。特に何でこんな僻地に移転
したのか、移転した当初の大学の周りの状況、広島大学の卒業生な
どは特に興味があり知りたいと思った。また、外国で日本の都市はと
聞くと広島が上位に入ってくるのは意外であり驚いたが、それほど原
爆が世界的な意識として捉えられていることがわかった。同時にそん
な場所にある大学でもっとこのことについて学んでもよいと思った。
工・ 2 ・男 講義の説明を聞く限りでは先生も「楽です。」とぶっちゃ
けたことを言っていたように、なかなか簡単そうな講義だと思いました。
授業の予定を見てみると面白そうなテーマのものやどうでもよさそうな
ものもあったので、先生たちの話に期待しています。しかし、人数が
多いのが正直なところ面倒なのと、ひとつ前の講義が工学部棟である
ので延長などをされたら遅刻してしまう可能性があるのでそこに注意
をしなければならないと思いました。
工・ 2 ・男 あまり興味があったわけではなかったが、聞いてみると自
分の大学のことでもあるし知りたくなった。特に何でこんな僻地に移転
したのか、移転した当初の大学の周りの状況、広島大学の卒業生な
どは特に興味があり知りたいと思った。また、外国で日本の都市はと
聞くと広島が上位に入ってくるのは意外であり驚いたが、それほど原
爆が世界的な意識として捉えられていることがわかった。同時にそん
な場所にある大学でもっとこのことについて学んでもよいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学など、多くの全国の国立大学が今年創立 60
年であると知って、古い国立大学は 100 年位歴史があると思ってい
たので、思ったより歴史が浅くて意外だった。「広島大学の歴史」とい
う授業名を見てどんな授業内容になるか想像がつかなかったけど、ガ
イダンス資料で各回の授業内容の予定を見て広島大学の 60 年の歴
史の中で学ぶことがたくさんありいろいろあったんだなあと思った。とく
に「学長たちの横顔」ではどんな講義内容になるかとても興味があっ
た。
工・ 2 ・男 これから始まるこの授業をしっかり出席して広島大学のこ
とについてもっと知り、原爆とのつながりなど自分の興味を持ったこと
について理解を深めたいと思いました。また自分がこれから後 3 年は
通う学校はどういった大学でどのような道を進んできて、どういった理
念を持ちやってきたのか、そして自分が広島大学でどういった気持ち
でどう進んでいけばいいのか考えるきっかけになればいいと思いまし
た。そしてこの国際化社会の中、広島大学はどういった役割を果たし
ていくのか、自分が知りたいことが多くなりよかったと思います。次回
以降の講義をしっかり受けようという気持ちになりました。前回送信し
たのですが、 200 字以上というのを見落としていたのでもう一度送信
します。申し訳ありません。
工・ 2 ・男 広島大学の歴史については、本当に知っていることが皆
無なので一体授業でどの程度深く学ぶのかがとても不安でした。今
回の講義を聞いて初めて『文書館』という存在を知りました。『授業の
予定』を聞いているとなんだかとても堅苦しそうな内容の回もありまし
たが個人的に楽しみにしているのが授業後半にある『広島大学の教
師たち』・『広島大学の卒業生たち』です。自分の学部にどんな先生
がいるかすら全く知らずにいるので、これを機に少しばかり知りたいと
思いました。受講生が多くてビックリしました。早い番号が取れてよか
ったです。
工・ 2 ・男 今回のガイダンスによってこれからの授業のスタイルや方
針をよく理解することができた。この講義を受講することによって広島
大学の一員としての自我を確立していけるように感じた。次回は初め
ての講義なので「歴史に学ぶ広島大学」ということなので広島大学創
立からの歴史について知識を深めていけるように積極的に取り組み
たいと思う。
工・ 2 ・男 今回はガイダンスだけだったのですが、これからの授業
予定を聞いて、この授業について興味を一層抱きました。今のところ
一番面白そうだと思ったのは、学長たちの横顔です。芸能人や政治
家のような有名な人や偉い人の素顔というのは気になるものです。ど
んなにすごい人でもやはり結局は 1 人の人間ですので、内面を知れ
ば親近感がわいて、身近に感じられるかもしれないからです。他の項
目も面白そうなのがいくつかあったので、早くこの抗議を受けてみた
いと思いました。
工・ 2 ・男 僕は広島大学に通ってまだ 1 年にしかたっていないが、
にもかかわらずいまだにこの学校の校風(?)、歴史というものがいま
いち分かっていない。今年、この大学も創立 60 周年を迎えることに
なるらしいが何となく他人事のように考えていた。だがこの機会にこの
大学についてもう少し考えてみたいと考えた。自分が通っている大学
についてなので少しくらいは知っておくべきなのかなと感じた。国立
大学であるので歴史そのものはさほど長くはないと思うがこの歴史の
なかでどんなことがあったかをしり、最終的にはこの大学がどのような
大学であるかを感じられるようになりたい。
工・ 2 ・男
受講者のあまりの多さにびっくりした
工・ 2 ・男
思っていたより広大の歴史は深そうだった。
工・ 2 ・男 今回の授業を受けてみて思ったのがまず広島大学の歴
史はいまだ紡がれ続けていくだろうこと。それは発展または改善の余
地があること。朝向かった駐輪場でインフレ状態がおきていた。今回
の授業は履修期間内のため授業は主にガイダンスであったが、それ
でもなお収容人数の倍ほどの人が講義を受けようと詰めかけていた。
これがその大きな要因だと思われる。そして、出席点が大きいといえ
ど手の抜いたレポートなどは一切許されないため、講師・生徒ともに
有意義な授業にできるのではないかと思った。
- 529 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 自分はまだ広島大学について全然知っている事が少な
いと思った。これからの講義で知って行きたい。
工・ 2 ・男 今回の講義も印象的でしたが、今後の講義もすごく気に
なりました。今後の講義は原爆と広島大学がどのような関係があるの
か、また、この広島大学がどういった経済状況で、どのような行動をし
たために、このような広島大学になったのか気になりました。なぜ広島
市内にあった広島大学を西条に移したのか興味深々です。
工・ 2 ・男
驚いた。
思ったよりもこの講義を受け様とするひとが多かったので
工・ 2 ・男 広島大学の歴史や、広島大学がどういう大学であるかを
より知ることができそうだと思い、自分の通っている学校なので知って
おいたほうがいいと思った。
工・ 2 ・男 工学部が東広島キャンパスに移転されて間もない頃の写
真を見て、本当に何も無く、山の中にぽつんと建物が建っていると思
った。当時の学生は勉学に集中できたであろう。今でもかなり田舎だ
と思うが、 10 年ほどでここまで発展したかと思うと、大学の影響は大
きかったのだと思う。また、広島大学がほかの市町村ではなく、東広
島に移転した理由を知りたいと思った。また、広島大学の教員の数に
驚いた。私は数百人ぐらいだろうと思っていたが、 1900 人もの教員
が居ると知って驚いた。
工・ 2 ・男 広島大学は平和都市広島にある大学ということもあって、
創立に関しても非常に高い志を持っていそうだということは前々から
感じていた。この講義を受けてその思いは間違っていなかったように
思う。今年は創立六十周年だそうで、そんな時期にこの講義を受ける
ことも何かしらの縁を感じる。歴代の学長たちがどういうことを思い、度
のような大学にしようと志したのか。東広島に移転してきた過程はどの
ようなものだったのか。興味があることは意外と多い。この講義を通し
て、広島大学のことを聞かれても興味深い話と共に答えられるように
なれればと思う。
工・ 2 ・男 「講義をする先生は一人ではなく、ある程度の人数が割
かれており、多くの人の目を通した広島大学の講義を受けられること」
が魅力的に感じました。・今回の講義を担当した先生は、生徒に皮肉
のこもった質問を浴びせるなど、ユーモアのある先生だったので、こ
れからの講義も期待して参加していこうと思いました。・広島大学は出
来て 60 年ということを今回の講義ではじめて知り、自分の母校となる
大学のことをあまりにも知らないということを痛感しました。
工・ 2 ・男 僕は広島県出身なのですが、改めて考えると広島大学
について他県の人や外国の人にきちんと説明できるほど知らないこと
に気づきました。第 1 回の時に配られた資料を見て、この授業を受け
れば今までの広島大学の歴史だけではなく、平和都市広島としての
知識を得られるのではないかと思いました。そうすることで広島のイメ
ージは原爆だけではないことをいろんな人に教えていけるとも思いま
した。この授業を通して広島人として広島の自慢できるものを今以上
に知れたらいいなと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義はほとんどがガイダンスだった。しかし、配ら
れた資料の授業予定を見てみると、広島大学のことに始まり、教授や
学生についてもふれており興味深く感じた。また、大学の学長につい
ては日常の学生生活ではほとんど交わることがないためこの機会に
学ぶことができるので有意義だと感じた。自分が通っている大学なの
でこの「広島大学の歴史」という講義を通していろいろな角度から広
島大学を見つめて、これからの大学生活にいかし、また誰にでも自身
をもって紹介できるようになりたいと思う。
工・ 2 ・男 今回は、ガイダンスでした。ガイダンスでこれからの講義
のことの概要を聴きました。その中で興味を持ったのは、やはり原爆と
広島大学です。世界に 2 つしか落とされていない原爆で大きな被害
を受けたあと、どうやって今の広大のような機関になることができたの
か、といったことを知ることができればいいなと思います。外国の人が
日本で知っている都市のベスト 3 に広島が入っているのも原爆の被
災から立ちなおることができた思います。それを支えた人たちのことも
知れたらいいと思っています。
工・ 2 ・男 今回は一回目の授業ということでとても多くの受講者がい
たことに驚いた。やはりみんなも広島大学の歴史に興味があるのだと
思った。自分としては広島大学というとやはり原子爆弾との関わりを考
えてしまうので、そこの分野をよく知りたいと思った。また、これからの
時代ということで広島大学と国際社会の関係もよく知りたいと思った。
そして個人的にも広島大学にはいろんな国からの留学生が多いので
広島大学は国際社会とのつながりが深いのではないかと思う。このよ
うに自分の興味を引く部分中心にして広島大学の歴史を知っていけ
たらよいと思う。
工・ 2 ・男 今回はガイダンスということで、あまり詳しいお話はしても
らえなかったが、授業を通して広島大学の歴史について知識を深め
ていけると感じた。特に、写真やビデオなどを通して、視覚的に知識
を増やしていけることに魅力を感じた。さらに、原爆と広島大学という
講義については、先輩からも「真剣に聞くといい」と言われているので、
今から心待ちにしている。だが、あれほどの人数で後ろに立っていた
り、がやがや言っていると授業に支障が出ないか心配だ。しかも、原
爆についてなどの真剣な内容のときにざわついていることがあれば、
本当に申し訳ないと思う。人数が多いのがプラスに働くような授業展
開をしてほしいと思った。
工・ 2 ・男 今回受けた講義は雰囲気も明るく、最後まで集中して聞
くことができました。広島大学以外のさまざまな講師の話が聞けるめっ
たにない機会なので、楽しみです。またそれぞれの講師はこの 90 分
の講義のために、 10 倍以上もの時間をかけて準備してくれているの
で眠ることのないよう最後までしっかりと聞きたいと思いました。このネ
ットを利用して感想文を提出する仕組みも自分の意見がまとまってか
ら好きな時に出せるので便利だと思いました。
工・ 2 ・男 最初はとても楽だと思っていましたが、講義を受けてそこ
まで楽ではないのかなぁと少し不安になりました。特に最後のレポート
は書く量が多く大変そうだと思います。でも他の講義はテストがあった
り課外授業があったりと、その点を比べると楽なんだと思います。せっ
かく受講できるのだし、何かの縁だと思い興味を持ってこれから講義
を受けていきたいと思ってます。授業の予定を見て原爆と広島大学と
いう回が気になっています。僕は広島出身ではなく、原爆ドームにも
まだ行ったことがなくて原爆というものを詳しく知らないのでこの際詳
しくなろうと思います。
工・ 2 ・男 今回の講義はガイダンスだっただけれども、どんな雰囲
気かわかった。それに、講義の予定表を見るといろいろなことを学ぶ
ことが分かり、結構おもしろそうだった。学長たちの横顔という講義も、
歴代の学長たちがどのような理念でこの広島大学を変えていこうして
いたかに興味がある。また、広島大学をしることにより、大学生活をよ
り楽しく暮らせることができると思いました。これから、講義を受けること
によりもっと深く学べたらなとおもいます。
工・ 2 ・男 より一層広島大学の歴史について興味を持つとともに、
これからの授業に期待が持てるような内容だった。これからの授業で
どのようにして広島大学が現在のようになったのかなどを詳しく学ん
でいこうと思う。今回の授業では、広島大学が今までの長い歴史の中
でどのように変わり、それぞれの時代でどのような役割を持っていた
のかが分かったように思う。さらに今回の講義では、広島大学の歴史
を学ぶと共に広島大学に通っているということに誇りが持てたと思う。
今後も広島大学の歴史を学ぶことによって、自分の大学に誇りが持
てるようにしていきたい。
工・ 2 ・男 広島大学は広島が誇る国立大学であり、全国的にも有
名な大学のひとつですが、これだけの大規模な大学がどのようにおこ
り、成長してきたのか学びたいと思い受講しました。配布されたプリン
トの授業の予定を見ると、原爆と広島大学という講義が目に付きまし
た。原爆は広島にとって大きな忘れられない出来事ですが、その原
爆と広島大学がどのように関わっているのか関心を持ちました。また、
千田から西条へのキャンパス移転の経路についても深く知りたいと思
いました。
工・ 2 ・男 今回講義を実際に受けてみて、僕は広島県出身にも関
わらず広島大学について意外にも知らないことが多いことに気がつき
ました。歴代の学長のことはもちろん大学の歴史についても自信を持
って説明できないと思いました。この講義を受けることで大学につい
ての知識を増やし、他県や外国の人々に広島大学について説明で
きるようになりたいです。この講義をすべて受け終わった頃には、広
島のイメージは平和だけではなく広島大学もあるんだと思えるように
なっていたいと感じました。
工・ 2 ・男 今回の第一回目の授業、というよりは最初のガイダンスを
受けて思った事は、自分が広島大学生であるのにもかかわらず、広
大のことをほとんど知っていないということがハッキリ分かった。広島
大学の昔の学長ならまだしも現学長の名前も知らず、そして今年が
創立 60 周年であることなど気づきもしなかったことが恥ずかしいと思
えるようになった。次の授業も受けれることができたのならば、この授
業通して広島大学の歴史について少しは学べるように頑張り、広大
生としての自覚をハッキリと持ちたい。
工・ 2 ・男 これからの講義でさらに広島大学の歴史を知れるのだと
思うと毎週の講義が楽しみです。
工・ 2 ・男 現在、日本にある国立大学は戦後に制度が統一されるこ
とによって存在していて、創立年数はどこでも変わらないと言うことを、
授業を受けて初めて知った。旧帝国大学と広島大学もさほど差はな
いということを実感した。むしろ広島大学は戦後の荒れ果てた広島の
地でよく学校を築くことができたと感心した。今回の講義で先生が、広
大は他の大学よりもよっぽど良いとおっしゃていたので、これからの講
義でそのことに関しての理由などが見つけられると良いと思った。加
えて、なぜキャンパスを千田町から西条へ移したのか、その理由も広
島の人間として聞いてみたいと思った。
工・ 2 ・男 僕が広島大学にきたのは、正直センター試験で良い点
数がとれなかったためで、最初はあまりこの大学について興味を持っ
- 530 -
ていませんでした。しかし、今回の講義で、「下手な旧帝国大学に行
くよりは広島大学のほうがよっぽど良い」と先生が断言されていたのを
聞き、どこにそこまで断言できる理由があるのか気になりました。広島
といえば原爆の被害にあった数少ない県であり、そこに大学を作ると
いうのは先生もおっしゃったとおり並大抵のことではなかったと思いま
す。そのために尽力した方々の思いを僕は知りたいです。せっかく広
島大学にきたのだから僕はこの大学のことを知り、ここの学生であるこ
とを誇りにも思いたいです。今後の講義でそういうことを学んで行きた
いとおもいました。
工・ 2 ・男 今回のガイダンスは人数がとても多くて普通に先生の声
を聞く、また席につくことすら困難でした。次の講義からは抽選があっ
て人数も減ると思うので広島大学の歴史について知ることができるの
で楽しみです。今後は積極的に講義にとりくみ、よりいっそう広島大
学の、そしてこの西条という町の歴史について知っていければいいと
おもいます。
工・ 2 ・男 自分が選んだ、この広島大学についてもっと詳しく知りた
いと思ったから。例えば、原爆は長崎とこの広島にしか落とされておら
ず、それが外国人にもよく知られており、広島大学生である私が、こ
のことについてもっとよく知るべきではないかと思ったため。ほかにも
広島大学の学長の理念が現代にも受け継がれていることがすごいと
思い、興味を持った。また、この大学の歴史にも興味をもちもっとしり
たいと思った。この学校の学生であることに誇りを持っているから。
工・ 2 ・男 ここれから授業を受けていくにあったって、広島について
更なる知識を深めるとともに、自分の通っている大学がどのような人に
支えられなりったているのかをかみ締めながら授業に参加したいと思
った。また広島大学の生徒が広島の人々にどれだけの期待を持って
いるのかを感じ日々の生活の向上に専念したいと思った。広島は世
界で初めて原子力爆弾が投下された都市として有名だが、世界の筆
頭になってその悲惨さをつたえてきている広島大学の平和の理念に
授業を通して触れていきたいと思った。これからも積極的に参加して
いきたいです。
工・ 2 ・男 広島大学に来てから約一年がたったけど、まだまだ知ら
ないことがたくさんあると実感した。これからの講義を通してもっと広島
大学についての理解を深めていきたいと思った。まだ自分の知らな
い広島大学について学べるのでとても楽しみになった。自分の通っ
ている大学についての講義はとても珍しいのでとても興味が湧いた。
これからがんばって講義をうけようと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて私はまず日本の大学の歴史が意外
にも新しく驚きました。どのような経緯を経て今の広島大学のような学
校が出来上がったのか、また広島大学はどのような学校で卒業した
先輩たちはどう活躍しているのかなどこれからの授業で勉強すること
にとても興味を持てました。
工・ 3 ・男 学内でパソコン端末がそろえたのは大学には普通のこと
だと思いました。でも、今回先生から国立大学有数の設置した大学と
聞いて私は自分が通っている大学に初めて興味深いです。今後の
講義も楽しく受けられそうですごく期待しております。
工・ 3 ・男 学内でパソコン端末がそろえたのは大学には普通のこと
だと思いました。でも、今回先生から国立大学有数の設置した大学と
聞いて私は自分が通っている大学に初めて興味深いです。今後の
講義も楽しく受けられそうですごく期待しております。
工・ 3 ・男 日本は唯一の被曝国で、広島・長崎は被曝地として世界
的に重要な都市だと思います。そこにある国立大学として広島大学
の役割は他の大学とは違ったものがあると思います。ただ単に学問・
研究の場としての役割だけでなく、世界に平和を訴えていく場として
の役割は他の大学とは意味合いが違ってくると思います。ただ最近
でも劣化ウラン弾が使われていることを考えると、唯一の被曝国という
ことを主張することは、今でもそういった被害を受けているかも知れな
い人々を否定しているのではないかと思います。
生生・ 2 ・女 私は当初、広島大学の持つ原爆にまつわる歴史など
も意識せず広大を志望しました。しかし広大の入学式で、広島は原
爆の炎からよみがえった都市であり、それゆえに不死鳥のフェニック
スが広島のシンボルとしてよく使われるという話を聞いた時に、広島と
フェニックスを掛け合わせた発想に感心したのがきっかけで広大や原
爆について興味を持つようになりました。今までは地元が広島でなか
ったので原爆に関わる機会も少なかったのですが、広島大学に進学
したということで、原爆について詳しくない人などに詳しく説明できる
ような知識をこの授業でつけていけたらいいなと思います。
生生・ 2 ・女 教室にはいりきらないほどの受講者がいて驚きました。
教室変更が可能なのか早く知りたいと思いました。
生生・ 2 ・女 今日は主にガイダンスでしたが、思った以上に人が多
くて、正直驚きました。私は広島大学を受験した際、第一志望ではな
かったので、あまり広大について詳しく知らなかったので、この授業を
通して広大の魅力をもっと知っていきたいと思います。
生生・ 2 ・女
受講者が多そうなので受けれるか不安である。
生生・ 2 ・男
ますますこの講義を受講したいと思いました。
生生・ 2 ・男 今回の講義では、内容について簡単にしか触れなか
ったが、なかなかおもしろそうな講義だと思った。今の時点では広島
大学が、どのように他の国公立の大学と異なっているのかは、わから
ないが、講義を重ねるにつれてわかるようになれば良いと思った。広
島は世界の都市の中で、数少ない原子爆弾が落とされた都市である
から、その都市にある大学の学生として、将来、社会に出たときに、自
信を持ってそれらについて意見できるようになりたいと思った。
生生・ 2 ・男 今日の講義では人数上の問題で講義に入ることがで
きず少しがっかりしたがガイダンスで全講義の内容を聞いてみると学
長の話から原爆の話まで非常にバラエティーに富んでいて非常に興
味深いものから実際あまり興味がわかないものまでいろいろあった。
自分が最も興味をもったものは第 3 項に行われる「原爆と広島大学」
である。広島大学の歴史を学び自分自身が広大生としてさまざまな
広島大学のよいところをまわりの人に教えていこうと考えている。
生生・ 2 ・男 想像以上に受講者が多くて、今回の講義ではあまり大
学の歴史には、ふれられなかったので残念に思いました。戦後に大
学の制度が変わり、新制の大学になり、国立の大学の大抵の大学が
今年が創立 60 年の記念の年になったとのことですが、旧帝大の大
学の戦前の前身の大学はわかりやすいですが、広島大学は旧帝大
ではないので、その前身がどのような学校であったのか興味がありま
す。なので、第 4 回目の授業の「新制広島大学はこうして生まれた」
の講義をはやく受けたいとおもいました。
生生・ 2 ・男 思ったより人が多くて驚きました。早めに来てプリントを
もらえたのでよかったです。広島大学の歴史については全くといって
いいほど知識がないのでこの授業で広島大学の歴史について勉強
し、大人になって自分が卒業した大学を人並に語れるようになりたい
です。広島大学が市内から東広島市に移転した理由や、それまでの
経緯、またオリキャンが始まった理由や経緯も聞いてみたいです。ま
た広島といえば原爆を受けた地として有名なので、原爆のことも勉強
していきたいです。
生生・ 2 ・男 自分の母校となる広島大学の歴史を学ぶ講義だと聞
いて若干重苦しくかたい内容の講義を覚悟していたが、今日のガイ
ダンスで配られた資料と先生の話を聞いてこの講義に対するイメージ
が変わった。単に創立からこれまでの大学の歩みを学ぶだけでなく、
入試や学性生活にも目をむけると書いてあり、なんだかこの講義を身
近に感じられそうだと思った。これから毎週の講義をきちんと受け、広
島大学のことをもっと知っていくチャンスをいかしていこうという意欲が
湧いた今日のガイダンスだった。
生生・ 2 ・男 今回ガイダンスを受けてみて自分が思っていた以上に、
深く歴史を学べるのではないかと思いました。これからの講義が楽し
みです。
生生・ 2 ・男 この講義を受けた理由は、サークルの先輩に勧められ
たからであり正直そんなには興味がありませんでしたが、今回の講義
を聞いていて、原爆が落とされてからの大学の様子や、その周辺に
おいて住居や店が増えて行く様子が知りたいと思いました。僕は広島
大学に入学しましたが、よくよく考えるとなぜ入学したのかの考えがよ
くぶれてしまいます。広島大学に入学したことを誇りに思っています
が、この講義においてその誇りに自信が持てるようにしたいと思って
います。
生生・ 2 ・男 広島大学の入試の面接の対策としてパンフレットなど
から広島大学の理念や自分の学部について勉強していました。今実
際に広島大学で学生生活を送ってみて、入試の頃に勉強して分かっ
た広島大学と今分かっている広島大学とではいい意味でも悪い意味
でもかけはなれていると感じるようになりました。そこから広島大学とは
どんな大学なのかという疑問がわいてきました。この授業を通してそ
の疑問を明らかにしていきたいです。まずは次の授業をがんばりたい
です。
生生・ 2 ・男 今日のガイダンスを受けることによってこの授業への意
欲が増した。なぜなら、このガイダンスを受ける前、つまり「広島大学
の歴史」という授業のタイトルしか情報がなかったときは中学や高校の
歴史の授業のように、時代の流れを変えた偉大な人物がとりあげられ
て、その人の生涯やその変わった時代の流れについて学習するとい
う、私があまり好きではない内容であると思っていたからである。だか
ら、今日のガイダンスで大学と原爆との関わりや昔の広大生の学生生
活、広大の卒業生は今どうなっているかなどを学ぶということを知って
かなり意欲がわいた。
生生・ 2 ・男 受講希望の人数がとても多くて驚いた。それと、授業を
受講できるのが先着順であるということにも驚いた。これから広島大学
がどのような学校で、どのような特徴をもち、どういう立場であるのかと
いうことや、教師や生徒、入試のことなどさまざまなことを学んでいき
たいと思った。授業は私語などををしないように真面目に出席して、
レポートもしっかり提出しようと思う。
- 531 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
生生・ 2 ・男 今回はまだ内容にはふれていなかったが今後の授業
の予定についてひとつずつ丁寧に解説を加えられていたので、これ
からの授業も丁寧そうで、期待が持てた。ただ、 14 回目の講義の広
島大学とはどういう大学かというのは始めの講義で扱ってもいいので
はないかと思った。また、とても受講希望者が多く、驚いた。多くの人
が広島大学についてもっと深く知りたいのだと思った。今回は教室に
はかなり早くいったにもかかわらず、諸事情で抜けたためプリントを早
くとりに行けなかったのが残念だった。
生生・ 2 ・男 今回の授業は人数も多くガイダンスであったが、この
講義を今からしてくださる先生がたは熱心に教えてくださると言う話し
を聞き楽しみに思いました。広島大学は原爆が落ちたという過去を持
ち、そのことによって世界的にも有名な都市である広島にある大学で
ある。その観点から考える広島大学というものを学んでいきたいと今
日のガイダンスをきいて思いました。それと、広島大学がどのような理
由、過程を経てこの西条に移転してきたかが興味深い内容であると
思います。
生生・ 2 ・男 今回のガイダンスを聞いてみて、この授業に携わる先
生方の熱意がものすごいものだと思った。ひとつの授業をするのに 1
0 倍以上の時間をかけて準備していると聞いて、授業を受ける私たち
も心して授業を受けなければならないと思った。授業の構成に関して
は、学長のことから入試、卒業生など幅広い分野のことを学べるので、
この授業を履修すれば広島大学の歴史を十分に知れると思った。
生生・ 2 ・男 今回の講義はガイダンスということで人数も多く、なか
なか席に座ることも困難でしたが、この講義を通して広島大学の歴史
について学べるということを聞いて大変うれしく思いました。また、先
生方が熱心に講義をして下さるということなので、大変楽しみに思い
ました。今日のガイダンスを聞いてみて、広島には原子爆弾が落とさ
れた過去を持っていますが、その出来事と広島大学がどういう関わり
を持っているのか、現在の広島大学になるまでどういう歴史を歩んだ
のかということを学びたいと思いました。
生生・ 2 ・男 広島大学の歴史を知ることで、さらに広島大学が好き
になれると思いました。自分の通っている学校の歴史を知る機会はめ
ったにないことなのでこの機会に広島大学について知ろうと思います。
これからの授業で広島大学の歴史を知って、しっかりレポートを書い
ていこうと思いました。
生生・ 2 ・男
今後の講義も積極的に取り組んでいこうと思った。
生生・ 2 ・男 まず始めに人が多かったことにびっくりしました。こん
なにも人気な講座だとは思わなかったです。授業予定を見るといろい
ろな内容があり、面白そうだと思いました。せっかく広島大学まで来た
ので、しっかりと学びたいと思います。個人的には、国際化社会のとこ
ろにものすごく関心があります。
生生・ 2 ・男 自分の所属する広島大学について知識を持つことは、
学生生活を良くすることにつながることだと思った。原爆の被災地で
ある広島で、どのようにして広島大学が作られてきてのかとても興味を
持った。そもそも、今の広島大学があるのは過去の学長や広大に関
わった人たちが積み上げてきたもののおかげなので、歴史を辿ること
は広大に込められた先人の思いを知る大切な手段だと思った。また、
広大以外の人に広大のことを胸を張って語るためにも、歴史を学び、
自分の学校に誇りを持って生きたいです。
生生・ 2 ・男 広島大学は原爆の被爆地にある大学であり、日本に
数多くある大学の中でも特別な存在の大学なんだと実感させられた。
戦前と戦後で歴史が完全に分断されているなど、聞けば当たり前だと
思えることでも自分では気づけていなかったんだと思い知らされた。
先輩に受けたほうがいいと言われたという軽い気持ちで受けに来たが、
真剣に授業を聞いて広島大学の歴史を学んでいきたいと思った。そ
して広島大学の歴史を学んだうえで、今現在勉強できていることによ
り一層のありがたみを感じることが出来ればいいと思った。
生生・ 2 ・男 広島大学の歴史という講義を受けて、自分は広島大
学についてあまり知らないことにあらためて気づきました。もしこの講
義を受講しなければ、これからも学ぶ機会はなかったかもしれません。
しかし、広大なキャンパスや自然豊かな環境など広島大学ならでわの
他の大学の学生に自慢できるようなことがたくさんあると思います。こ
の機会に今の広島大学にいたる歴史や他の国公立大学にない魅力
などを学び、大学生活をより充実したものにできたら良いと思います。
生生・ 2 ・男 今回の講義をうけて、まだ初回はガイダンスの段階で
したが、広島大学について詳しく知ることができそうだなと感じました。
私は、広島大学に AO 入試で入学し、しっかりとした将来の目標を持
って入学したと思うので、広島大学について今回の講義をいかしてし
っかり学んでみようという気持ちにもなりました。シラバスの中では、広
島大学の学生生活というのが個人的に興味のあるテーマだと感じま
した。歴史は、学ぶことによって、今や未来をつくっていく参考にも糧
にもなるので、この講義の雰囲気をしっかりいかして学んでいきたいと
思います。
総科・ 1 ・女 人数が多かったので、あまり集中して講義が受けられ
なかったが、(もし抽選に漏れなかったら)次回の授業から、広大の歴
史について深く知ろうと思った。
総科・ 2 ・女 広島大学について勉強しようと意気込んで受けようとし
ているが、正直内容が自分にとって興味深いかどうかは不安だった。
しかし、今日ガイダンスを受けて、興味を持った内容がたくさんあった
ので授業が少し楽しみになった。特に期待しているのは「広島大学の
入試と学生たち」と「広島大学の教師たち」。どちらのテーマも今の自
分にとって身近なテーマなので、早く内容が知りたいと思った。けれ
ど、この授業では自分の興味がある分野だけでなく、「広島大学の理
念」など現在の広島大学を作り上げている要素についても、積極的に
学習したいと思う。
総科・ 2 ・女 今回の授業は最初のガイダンスで、あまり深い内容で
はなかったし、短く、さわりだけでしたが、やはり私にとっては今まで
知らなかった内容で、興味がわきました。教授が 1800 人はどいると
いうことは、特に驚かされました。しかし、その中には授業をもってい
ない教授もいるというかとでしたが、事務の仕事をなさっている方など
でしょうか。研究をなさっている方でしょうか。そして、私は長崎出身な
のですが、どうして同じ被爆都市なのに、日本の都市をあげたときに、
「広島」がでてきて、「長崎」がでてこないのだろうか、と疑問に思いま
した。
総科・ 2 ・女 今回はガイダンスだけだったが、そのなかにも知らな
いことはいっぱいあった。まず、広島大学は戦前と戦後で歴史が分断
されているということだ。広島大学と長崎大学だけが戦前と戦後で歴
史が分断されているそうだ。私はそんなことを何も考えずに、創立何
年か考えていたが、戦前の歴史を合わせると、 140 年近いということ
には驚いた。他にも広島大学には 1800 人の教員がいるらしい。 500
人くらいかな、と軽く考えていたのでこれには特に驚いた。これからこ
の授業を受けていくなかで、広大のことをいっぱい知っていきたいと
思う。いいところは、自分の誇りにしていきたいし、悪いところはこれか
らいかに改善していけるかを考えたいと思う。
総科・ 2 ・女 私たちは、日頃の生活の中で広島大学の歴史につい
て考える機会はあまり無いので、この講義を通じて、様々なことを学
び考えたいと思いました。特に、広島大学の歴代の学長が、どのよう
な大学、また、学生の育成を目指し、取り組んできたのか、ということ
について詳しく知りたいと思いました。私たちは、当たり前のように大
学へ毎日来て、講義を受けているけれど、この講義は、私たちが広島
大学で学ぶことの意義を考えるいいきっかけになるのではないかと、
強く感じました。
総科・ 2 ・女 今日のガイダンスの内容では、詳しいことはわからなか
ったが、実際に自分が通う大学の変遷を、授業で知ることができるな
んてユニークだと感じた。広島は原爆の被害にあった地であり、そこ
でここまで発展した総合大学ができるとは、先人の相当な努力があっ
たからであると感じる。また、授業内で少し触れられた移転の話だが、
確かに広島市内にキャンパスがあるほうが、便利も良く充実していると
も思える。しかし、この西条にあるからこその広島大学の特徴やメリット
をこの授業を通して学び、それを大いに活用したいと考える。
総科・ 2 ・男
特にない。
総科・ 2 ・男 広島大学の歴史や成り立ちについてはまったく知らな
いことばかりなので、今回の授業を通して少しでも理解できたらと思い
ます。特に興味を持ったのは、原爆と広島大学と広島大学の学生生
活についてです。原爆とは広島に住んでいる以上考えないといけな
い事実だと思います。私は広島の出身なので原爆についてはいろい
ろな機会が数多くありました。そんな中もう一度原爆について考えるこ
とが出来るのでしっかりと考えたいと思います。学生生活については、
自分がしている学生生活と他の大学での学生生活での違いについ
て知れる機会になったらと考えています。
総科・ 2 ・男 ガイダンスだったので、なんともいえないんですけど、
広大の歴史を知ることは、今後卒業した後でも、自慢したりするときに
使えると思うので、しっかりと聞いておきたいと思います。
総科・ 2 ・男 春休みに 1 ヶ月間の短期留学で中国に行っていたが、
広島大学の学生であることを紹介するのに中国語の「広島」より普通
に「ヒロシマ」というほうが通じた。それは、原爆を受けた世界で初めて
の年であることに由来すると思う。だから、小宮山先生が話された、日
本の都市で広島が東京に次ぐ知名度であるということには納得がい
った。これからの講義では、広島大学がどのように原爆の被害から立
ち直ったかを知りたいと思った。
総科・ 2 ・男 広島大学には長い歴がありますが、広島の街に原爆
が投下され、荒廃してしまった中でどのような経緯をたどり、現在のよ
うな形になってきたのか、また、どうして東広島にキャンパスが設置さ
れたのかなど興味深い内容が含まれていて、次回からの講義がとて
も楽しみに思えてきました。履修希望者の人数がとても多いようで、実
際に履修できるかどうかはまだわかりませんが、この授業を通して、広
島大学のことをもっと理解できれば良いなと感じました。
- 532 -
総科・ 2 ・男 「広島大学が新制大学として設置されたのは何年か」
や「教員が何人在籍しているか」などの質問は、キャンパスガイドの私
にとってはごくごく基本的なものだった。しかし、そうでない学生にとっ
ては、考えたこともない、全く想像のつかない質問であったかもしれな
い。そう考えると、例えきっかけが「『楽勝科目』とのうわさがあるから」
などであれ、この授業を受講して「広島大学の一員としてのアイデン
ティティーを確立してもらう」ことは大変有意義なことなのではないかと
思う。今後の授業も楽しみにしています。
総科・ 2 ・男 自分は現在の広島大学しか知りませんが、戦後から現
在にかけて広島大学がどのように変化していったのかを学べる授業
内容になっていたので、とても興味がわき、早く色々と学びたいと思
いました。授業の中で 1 番勉強してみたいと思ったのは、統合移転
でつづる広島大学という内容の授業です。広島大学が、なぜ人々が
多く便利な市内の土地から、この少し田舎な東広島に移転したのか
の理由をとても知りたいと思いました。広島大学の歴史を学ぶことによ
って、より広島大学が好きになれそうです。
総科・ 2 ・男 私は広島大学の学生であるのは 4 年間という短い期
間だけど、約 60 年も前から、何万人という人がその短い学生生活を
すごされており、その積み重ねが今の私達の世代へと受け継がれて
いるのだと思うと、この講義に少し興味が湧いてきた。また、小宮山先
生が話されたように、原爆の被害を受けた数少ない都市の大学に通
えるということは、とてもよい経験になるはずだと思うので、そのような
事も頭に置きつつ、授業に望んでいこうと思った。
文・ 1 ・女 今回の講義で、広島大学が創立されて 60 年だということ
を始めて知りました。さらに、他の国立大学のほとんどが創立 60 周
年だということを知って驚きました。戦後に大学制度が大きく変わった
ことなど、初めて知ることばかりで、自分はまだまだ大学の歴史につ
いて知らないことばかりであるということを痛感した講義でした。しかし、
そう感じたからこそ、この講義を受講して良かったと思いました。この
講義を通してもっと大学の歴史についての理解を深めていこうと思い
ます。
文・ 1 ・男 広島大学の誕生やその内情、つまりは学生生活など多
岐にわたる広島大学の情報を知ることで自分自身の中に独自の広島
大学像が構築されていくのだなと思いました。まだ、ガイダンスの段階
なので具体的なイメージよりは多少漠然としたイメージの方が大きい
ですが、 1 年次の教養科目便覧を見たときからずっと受けたいと思っ
ていた講義だったのでガイダンスとはいえ個人的には非常に満足し
ました。また、第四回の新制広島大学の誕生は非常に興味深いので
楽しみにしています。
文・ 2 ・女 広島大学が学部を増設できた理由、戦後の立ち直りの
過程について知りたいと思う。また、講義の内容からは外れるが、広
島が地方都市として発展できた理由についても知りたいと思う。正直、
広島は大阪のような物流の中心でもなく、京都・東京のような首都圏
でもない。一地方に過ぎない広島がなぜ、人口百万の、さらに北海道
大学についで面積最大の大学となりえたか。この疑問も考慮に入れ
て、今の広島大学がある理由を、今後の講義を通して知りたいと思う。
文・ 2 ・女 一年間広島大学に通ってきましたが、通うだけでは知る
ことができない広島大学の一面というのがあると思うので、全 14 回の
講義を受けて昔のことから今のことまでこの大学について知っていき
たいなと思いました。特に第 3 回の「原爆と広島大学」という講義を早
く受けたいなと思いました。広島は世界的にも、もしかしたら東京より
も有名かもしれないとおっしゃってしたので、そんな都市の大学で学
んでいるという自覚を持って、原爆とこの広島大学との関係などにつ
いて知っていきたいと感じました。
文・ 2 ・女 今日の講義で、今年ほとんどの大学が創立 60 周年であ
ることと戦後に大学制度の改変があったことを知りました。広島大学
の統合移転のことや教師の多さにも興味を感じました。以前、中坂先
生の日本国憲法の講義で初代学長の森戸辰男氏のことを少し知っ
て、とても偉大な方だなと思い、この講義でもその内容が含まれてい
るので、もっと深く知りたいと思いました。自分が思っている以上に今
の広島大学に至るまでには様々な背景があることを今日改めて感じ
たので、これを機会にもっと広島大学のことを知りたいです。これから
よろしくお願いします。
文・ 2 ・女 いままで戦争と大学を結びつけて考えてみたことがなか
ったが、言われてみれば確かに、原爆投下後の悲惨な状況の中から
大学を立ち上げるのは容易ではないと思う。今自分たちがこうして広
島大学で勉強できているのは当時の人たちの苦労の結果であり、感
謝したいと思う。広島大学の歴史の中で、キャンパスが移転したこと
は知っているものの、いつごろ、どういう意図があって移転したのかは
全く知らないので、学んでみたい。また教師の数を何百人くらいだと
思っていたが、 1800 人ほどもいると聞いて驚いた。こんなにたくさん
の人々がこの大学の教育に携わっているとは想像しなかった。
文・ 2 ・女 広島大学ができて今年で 60 周年だということを初めて
知りました。この 60 年間の歴史の中で、時代の移り変わりとともに広
島大学もさまざまに変容してきていると思うので、創設当時と今との違
いなども学んでいきたいと思います。また、広大を卒業した先輩方に
ついても興味があります。自分が通っている大学の歴史を知ることは
非常に大切なことなので、これまでの広島大学の歴史を学んだ上で、
新しい歴史をこれから自分たちが作っていかなければいけないなと
感じました。
文・ 2 ・女 広島が原爆を落とされた地であるにも拘らず、広大のよう
な大学を設置したことに、当時の人々はとても真似できないような努
力を重ねたのだろうなと思った。授業予定を見て、特に 5 回目の「広
島大学の入試と学生たち」に興味がわいた。 2 年前に自分達の受け
た入学試験がどのような考えに基づいて作られているのかなどの疑
問に答えてくれるような内容だと面白いと思う。また、私語や遅刻に対
する厳格な処置について、このように大勢が受講する授業では特に
他人の私語でイライラすることが多いので、真面目に受講したい学生
とってとても良いと思った。
文・ 2 ・女 まさかこんなにこの授業を受講しようと思っている人がい
るとは思いませんでした。メールで出席確認だとうっかりして忘れそう
なのでがんばろうと思います。大学 60 周年というのも初めてしったの
で、この記念すべき年にこの大学の歴史が学べるということが、なん
だかうれしいです。これまでこの大学を築き上げてきた学長や教授、
先輩たちの偉業を知り、またそれに刺激を受けて自分もがんばりたい
です。自分の大学に誇りを持てるように、またちゃんと語れるように、し
っかりとこの時間を大切にして学んで生きたいと思います。
文・ 2 ・女 今回の講義を受けて、多くの国公立大学が今年で創立
60 年と言うことを知り驚きました。今回の講義はこれからの授業のガ
イダンスでしたが、原爆と広島大学との関係について興味を持ってい
たので、詳しく知っていらっしゃる先生から学べる良い機会と思い、授
業を頑張りたいと思います。原爆が実際に落とされた広島と言う土地
にある大学だからこそ学べることや、他の大学にはない歴史もあると
思うので、広島大学ならではのことを数多く学んでいけたらいいなと
思います。
文・ 2 ・女 一口に大学といっても、戦前・戦後でも大きく異なるし、
私立や国立などでもあり方は異なるだろうし、大学にはさまざまな役
割があると思った。広島大学は、統合移転をして、どのようなメリットが
あったのか、卒業生にはどのような人がいるのかなどについて、もっと
詳しく知りたいと思った。被爆を経験した大学としても、果たすべき役
割は大きく、世界に向けて発信する力も大きいと思った。また、自分
が貴重な時間を過ごす大学について知ることは、私がこれから広島
大学で学んでいく上でも、とても大切なことだと思う。
文・ 2 ・女 ガイダンスを受けてみて、先生の広島大学に対する熱意
のようなものが伝わってきました。そして、戦後、焼け野原から広島大
学がどうやってゼロから構成されていったのか、広島大学の教師人の
ことなど、広島大学に毎日通っていても知ることができないであろうこ
とを学べるということが、舞台裏を覗くようで楽しそうだと思いました。ま
だこの授業を履修できるのかわかりませんが、講義をうけてみたいと
思いました。
文・ 2 ・女 「広島大学の歴史」というこの講義を受けることによって、
自分が広島大学に一員であるという自覚を持てるようになるといいな
と思った。複数の先生方が講義を行ってくださるということで、さまざま
な視点からの広島大学の歴史を学ぶことができると期待している。筆
記試験ではなくレポートでの評価なので、ただ講義内容に納得する
だけという受講姿勢でなく、自分なりの意見や考えを持ちながら授業
に臨んでいきたいと思う。
文・ 2 ・女 正直この授業を最初に受けた理由は、先輩からこの授業
は楽だと聞いたからであって、広島大学の歴史にはあまり興味はなか
った。しかし授業を受けてみて、案外面白いのかもしれないと感じた。
今回の授業は、主に来週からの授業のおおまかな説明であったが、
私がいちばん興味を抱いたのが、広島大学の源流であった。今のこ
の広い広島大学の形は私にもわかるが、この大学がかつてどんな形
をしていたのかはとても気になった。また広島大学がこんな田舎に移
ってくるまでの姿もとても気になった。もともと歴史学専攻でもあるため
歴史には興味があり、広島大学という自分の身近な場所の歴史という
ものを学ぶのもおもしろいのではないかと考えた。
文・ 2 ・女 小池先生の講義がないと聞いて残念でしたが、ガイダン
スを受けて、広島大学ってどんな特徴がある大学なんだろうと興味が
でてきました。特に原爆の被害を受けたという体験が、広島大学を再
建していく上でどういった影響を与えたのか、森戸辰男初代学長の
理念はどういうものだったのかということに興味があります。この講義を
通して、広島大学とはどんな大学かを知り、自分が広大生であるとい
う自覚を高め、この大学をもっと好きになれたらいいと思います。
文・ 2 ・女
今回は特にありません。
文・ 2 ・男 初代学長の森戸辰男さんの名前は、高校のときに日本
史の授業で習って覚えていた。その人が原爆によって荒廃した土地
で、いかにして広島大学を立ち上げていったのか非常に興味が湧い
た。また、現在自分が通っているキャンパスは、どういう目的で、どうい
う過程を経て完成したのか知りたいと思った。近年ますます核拡散の
問題が議論される中で、世界最初の被爆地広島で学ぶ人間として、
- 533 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
その歴史をしっかりと知っておき、今後の人生の中での指針を見つけ
たい。
文・ 2 ・男 上記 Q1 .とも関連するが、戦後 65 年が過ぎ、日本は
「平和ボケだ」とまで言われている現状のなかで、私たち学生が「平
和」についてどこまで関われるかが問われるのでは、と考えた。
文・ 2 ・男 東京ドーム 53 個分という広大なキャンパスを有し、充実
した施設のもとで約 1800 人の教員と約 1 万人の学生が日々教育・
研究活動を行っている。私は、このような素晴らしい環境で学べる事
を大変喜ばしく思う。そして、自分が毎日通っている大学がどのような
歴史を歩んできたか、特に人類史上最大の被害である「原爆被害」を
乗り越え、新制広島大学が開学することができた経緯を学び・考える
ことは、広大生としてとても大切なことと思う。特に「原爆」というテーマ
は広大生である以上、絶対に見過ごすことのできないテーマであると
思っている。私は、この 14 回の講義で広島大学のあゆみを学ぶと共
に、さらに自分が広大生としてどうあるべきかを考えることができれば
と思っている。
文・ 2 ・男 今回は初回のため、ガイダンスでしたが、下記のようなこ
とを考えました。平和を基調とする広島大学・建学の精神を底流にし
た「広島大学の歴史」から、時代の構造や変革のあり方、人々の営み、
コミュニケーションのあり方など学びたいと思います。これによって、物
の見方・考え方が必ず醸成されるに違いありません。現代は、高齢化
に起因した社会構造や産業構造が激しく変化していくことは必至で、
これに呼応した大学のあり方も問われ続けると思います。このような流
れの中で私は、本講義を受講したいです。
文・ 2 ・男 広島大学の歴史といっても最初はどのような内容なのだ
ろうとピンとこない部分がありましたが、ガイダンス資料や 1 回目の授
業、シラバスなどを見て、広島大学の歴史といっても様々な内容があ
ることを知り、やはり自分が広島大学について知らないことが多々ある
のを実感しました。私もキャンパスが広島市内にあればなぁ、とたびた
び思うこともあるのでどのような理由で移転したのか知ることができる
のも楽しみです。歴史を知ることで自分の考え方がどう変化するのか
興味があります。
文・ 2 ・男 ガイダンスで広島大学の統合移転に関する講義があるこ
とを知り、とてもうれしく思った。広大の歴史を知ることで「広島にある
大学」としての存在意義と学園都市を形成するという特異さやメリット
を考えたいと感じた。また、同時にデメリットを知ることで今後の大学
生活に生かすとともに、学園都市に住む広大生ならではの独自の視
点やモノの見方を享受できたらと考えた。ただ、人数が多すぎて本当
に受講したい人と軽い気持ちで受講した人がいると思うので、その間
に開きがあることが少し残念に思う。
文・ 2 ・男 まず、自分は自分が通っている大学について何も知らな
いんだなと痛感させられました。もう通い始めて 1 年も経っているのに、
これだけ自分の大学について無知だということは恥ずかしいことだと
思うので、この授業をきっかけに広島大学について知っていけたらい
いな、と考えました。やはり、社会に出た時に自分が通っていた大学
について何一つ知らないようではいけないと思うので、広島大学につ
いて知ることのできるこの授業はとても有意義なものだと思います。
文・ 2 ・男 広島大学に入学してはや 1 年、しかし自分は大学のい
きさつや過去に何があったかなど、まだまだ知らないことが多々ある
のだなとこの授業の 1 回目を聞いて実感しました。また普段当たり前
に生活している背景にも興味を持ちました。だから 2 年生の前期自
分がいつも通っている大学について少しでも理解を示していけたらと
思っています。これからの大学生活で自分の学校について何も知ら
ないのはもったいないじゃないですか。まだ部屋の関係でこの授業を
受けられるかわかりませんが、取るからにはしっかり出席をして学んで
いきたいです。よろしくお願いします。
文・ 2 ・男 Q2 ~ 6 を全てどちらでもないとしているように今後の講
義の説明だけだったので何とも言いようがないけれども、強いて言うと
なればひとつ──教授の説明されていたこれからの講義の一つ一つ
の概要について、 Q1 に書いたように己のついている任に役に立つ
知識の得られる可能性のあることをあらためて確認できたように思う。
あと、ついでに書いてしまえば──いくらかの学生の間でこれが「容
易に単位の取れる」講義だという共通認識があるようだが、これに甘
んじることなく締めるところはきっちりと締めて確かなものを得られる環
境にある講義になるよう期待させて頂きたい。以後、これが聞きごたえ
のあるものになることを期待し、講義に望ませて頂きます。
文・ 3 ・男 広島大学の歴史が 60 年であると聞いて、「意外と短いん
だな」と一瞬感じました。なぜなら僕の出身である高校が今年で創立
124 周年(のはず)だからです。でも、よくよく考えてみると確かに大学
で 60 年以上続いてるなんて普通おかしい。僕の母校だって旧制中
学やら、得体の知れない藩校にまで由来を広げて 100 年なんて主
張している。当時から胡散臭いと思っていたが、学校の歴史をかさ増
しするのではなくきちんとした年数を数えてほしい。この授業では広
大の良いところを色々知ることができると思いますが、変なこじつけの
名誉にすがらない本当の意味で誇れる広大像を示していただけたら
なあと思います。
文・ 4 ・女 私は広島大学に入学して 4 年目になりますが、よくよく考
えてみると自分が通っているこの「広島大学」という学校についてあま
り詳しくはありません。前年度の「広島大学のスペシャリスト」という授
業で、広島大学と地域との連携,広島大学には敷地を覆う堀や壁の
様なものがない理由を聴講した回があり、その当時東京の方で大学
教授が外部からの侵入者と思われる犯人に殺害されるという事件が
あったため、授業中に何ともいえない気持ちに襲われたことを覚えて
います。私は西条下見に住んでいますが、市や町との連携について
を聴講してから、この広島大学に通えることは地域の面から見ても幸
せなことなんじゃないかと思うようになりました。広島市内の学部に通
う医学部生等を時々羨ましく感じることも正直ありますが、広大生のた
めに尽力してくださった東広島市の地域のみなさんのことを忘れては
いけないなと思います。そう思うに至るまでにかなり時間がかかってし
まいましたが、本年度のこの講義で自分が卒業するまでに少しでも広
島大学について語れるようになりたいです。
法・ 2 ・女 広島大学キャンパス移転の経緯など、私の解き明かした
いテーマや疑問点がいくつかありますので、これから講義を受けるに
あたって、しっかりとそれらを学んでいきたいと思います。
法・ 2 ・女 広島大学が特色ある学校であるということについて、講師
の熱意の伝わってくるような講義内容でした。戦後の大学改編につい
てはなんとなく知っていたものの、より詳しい説明を聞き、まだまだ知
らないことがたくさんあるように感じました。原爆投下後の廃墟から広
島がいかにしてよみがえり、またそれに伴って大学という学びの場が
どのようにして発展していったのか、時代の流れとともに深く理解して
いきたいと感じました。特に昔の大学が今とどう違うのかなどをこれか
ら知っていきたいと思います。
法・ 2 ・女 人数が非常に多く、ガイダンスのみで終わったのでまだ
本講義がどのようなものかはっきりとは分かりませんが、最後にちらっ
と話してくれたことや、配られたレジュメの授業予定を見ていてもすご
く興味深いです!広大生であっても普通なら知ることのないまま終わ
るであろうことまで細かく学べそうで、楽しみです。なかでも、「国際化
社会と広島大学」はこんな時代だからこそ、また、私の学部の友人に
韓国からの留学生がいるということで すごく興味を持っています。
定員をオーバーしているそうなので、大きな教室にうつって何とか抽
選などにならず受講できればいいなと思います。
法・ 2 ・女 これからの 14 回の講義はいろいろな分野に及んでいて、
様々な視点から広島大学について考えられるのでおもしろそうだと思
った。広島大学の理念や学長についてといった真面目なトピックから、
広大生の学生生活といった親しみやすい気軽なトピックまであり、楽
しく受講できそうだと思った。今まで、そもそも広島大学を学ぶという
発想すらなかったので、これを機に自分が学び舎とするこの広島大
学について知識を深めたいと思う。そしてこの授業が終わったときに
少しでも大学について理解が深まって、誇りが持てるようになってい
ればいいなと思う。
法・ 2 ・女 まずは受講生の多さにびっくりしました。去年は 180 名
程度ということだったので何故こんなに増えたのか興味があります。
広島大学の歴史ということを学んで、自分が広大に来て「よかったな」
「広大ってええんちゃうん」と思えるような気がしてきました。今日の話
はざっとしたところでしたが、原爆と広島大学の関係や新制大学の誕
生の軌跡などを学んでみたいです。また、広島大学が東広島に移転
してきたことに法が関係していると聞き、法学部としては詳しく知りた
いと思いました。
法・ 2 ・女 まだ詳しいことは学んでいないけれど、講義内容を見る
限り広島大学について様々な視点から知識を得られそうで、とても興
味深いと思いました。広島大学は自分の第一志望の大学で、ずっと
前からここで学びたいと希望していた大学なので、これから講義を受
けるごとに、ますます入学してよかったと思えるようになるのかなと期
待しています。全国的に見て広島大学は今どのような位置にあるの
か、卒業生はどのように活躍しているのかなど、色々な話が聞けること
を楽しみにしたいと思っています。
法・ 2 ・女 講師の教授の話が親しみやすく、わかりやすかったので
良かったです。ガイダンスで、これからの講義の大まかな内容を聞い
て、前よりも興味が湧いてきました。特に、「学長たちの横顔」の講義
や、「広島大学の卒業生たち」の講義が楽しみです。あと、教授が所
属しておられる広島大学の文書館にも興味が湧きました。一年生の
後期に、小池聖一先生の、「政治の世界 B 」を受講していたので、そ
のときから気になっていました。ぜひまた、文書館の話も聞きたいなあ
と思います。これから 1 セメスター、しっかりと講義を聞いて、広島大
学についてさらに詳しくなり、広島大学に誇りをもって、がんばってい
きたいです。
法・ 2 ・男 今回の講義から、まず私は歴史を広く深く知ることにある
ひとつの視点から考えさせられました。それは、歴史を知ろうとする意
欲の大切さと歴史に対する無関心のデメリットです。普段何気なく暮
らしている地域の歴史や諸事情は意外となかなか知らないものであり、
自らそれを意識して知ろうとしなければ、その機会を逃してしまいます
し、実際にその歴史を体感したとしても忘れ去ることは多々あると思い
- 534 -
ます。しかしながら、私は自分の関心の薄さがもとで恥ずかしい経験
をしたことがあります。例えば、日本に興味のある外国人や、留学生
に日本の現状やもしくは歴史などを質問されたとき、答えられないこと
があります。ましてや、それが自分にとってとても密接した事柄ならば、
自分の知識不足を露呈してしまい非常にはずかしいものです。私は、
高校生の頃、自分達が住んでいる県の現知事の名前を、知合いの外
国人に聞かれ答えられなかったという、かなり恥ずかしい経験をした
ことがあります。ある意味これは、私の社会や地域に対する無関心ぶ
りを自分自身を痛感する結果となり、深く反省しました。そして、これ
から私は広島大学生という立場から、他の大学生からもその特色を聞
かれたり、就職面接のときにも何をそこで学んだかを質問されると思
います。また、社会人として将来的にも広大出身者として責任を背負
わなければなりません。ですので、私は高校生のときと同じ轍を踏ま
ないように、そして広大生として誇れるような学生となるため、努力し
ていきたいと思いました。
法・ 2 ・男 今回の授業は、まだガイダンスだけで、少ししか話は聞
けていませんが、自分が思っていたよりも広島大学にさまざまな歴史
や事情があることと広島市が世界的に知られているということに驚きま
した。これから、いろいろな先生方の話を聞いてもっと広島大学につ
いて学んでいきたいです。特に原爆関連の広島大学の平和活動に
ついてと国際化社会には個人的にも興味があるので、これに関する
講義はとても楽しみにしています。これから半年間よろしくお願いしま
す。
法・ 2 ・男 初回の授業ということでガイダンスでしたがとても受講希
望者が多く驚きました。広島大学の歴史き関心がある人が多いのか、
私と同じように先輩のアドバイスの効果のおかげなのか。シラバスに
は講師として小池先生が入っていましたが、授業の予定で外れてしま
ったようで少し残念です。 2 セメスターでの小池先生の授業は面白か
ったので。ほかの三人の講師陣の先生方の講義に期待しています。
出席に関しては毎回のレポートと期末レポートということで期末試験
がないので試験勉強の負担が減る点ではいいと思いましたが、私は
レポートを書くのが苦手なので気合を入れて書かなければと思ってい
ます。
法・ 2 ・男 「この授業を受ければ他の地方大学ではなく広大に来た
ことを幸運に思える」と小宮山先生がおっしゃっていたので、今後の
授業が楽しみになりました。出席の取り方も、このようにパソコンで取
るようにしてあるのはいいことだと思います。受講生の側としても手間
が多少省けるし、なにより代返のような真面目に出席している人間に
とっては迷惑な不正も起こしにくくなっているように感じたからです。
ただ、小池先生の授業が受けられないのは少し残念です。
法・ 2 ・男 今日の講義のガイダンスでは、広島大学の歴史を学ぶ
意義や今後の講義の内容などを話していただいて、とても興味深か
った。特に講義でも言っていたが、広島は原爆を落とされた数少ない
都市だから、広島大学と原爆の関係は大変興味深いと思った。広島
大学の歴史を学ぶことは広島大学の生徒として大切で、今後の大学
生活にきっと役立つことだから、単位を取れればいいという気持ちで
なく、広島大学についてより知るという気持ちで今後の講義を受けて
いきたい。
法・ 2 ・男 今日は、教室の収容人口に対して受講希望者数が多す
ぎたため、最初のほうはアナウンスなども聞こえずに状況がつかめず
混乱した。教室に入れない間は授業がいきなり受けれないのではと
心配したが、ガイダンスのみであって助かった。ガイダンスを聞いた限
りでは、今後の授業でやる内容にも興味を持てて、なおかつ授業に
まじめに出てれば単位の心配もしなくてよさそうということでさらに受
講意欲が高まった。なので後半番の人間も受講できるように教室移
動の実現を強く祈る。
法・ 2 ・男 今回はガイダンスのみでしたが、今後の抗議に期待が持
てるような話を聞くことができ、とてもよかったと思います。毎回講義内
容が変わり、講師の先生も変わるので、新鮮な話を聞くことができるの
がとても魅力的でした。また、 14 回にわたる抗議テーマの内、第五
回目のテーマである「広島大学の入試と学生たち」は自分が受験を
経て入学したのでそのはなしについて実際に教授の方から話をきけ
るのは滅多にないことなので楽しみです。
法・ 2 ・男 広島という土地にあるということでやはり、広島大学は被
爆からの復興ということに大きく関連しているのだと思いました。世界
で知られている日本の都市で京都より広島のほうが有名なのかはか
なり疑問ですが世界史の教科書にまで入っていることは知らなかった
です。個人的に面白そうだと思ったのは広島大学の入試と学生たち
で自分が受けた以外の入試方法についてや学生がどう見られている
のかは知りたいと思います。あと東広島に移転した経緯についてもき
ちんと知りたいです。
法・ 2 ・男 「広島大学の歴史」という科目名から、過去のことだけを
見ていくのかなと思っていたのですが、現在、さらにはこれからの広
島大学についても触れられていきそうなのでさらに興味がわきました。
個人的には、「広島大学の教師たち」・「広島大学の卒業生たち」の
講義が楽しみです。大学では高校時代よりも先生と関わる機会が少
なく感じるので、広大の教師の方々についてもっと知りたいと思いま
す。また、卒業生の方について話を聞き、自分の進路等についても
考えたいと思います。
法・ 2 ・男 この大学は古くからある学校であり、昔は実家の近くにあ
ったのですが移転してしまってこの西条にあるわけでそういった地域
と関係した歴史をもっと知ってみたいです。正直に書かせてもらうとま
だ「歴史」と言われても漠然としか感じられず、どういったものなのかは
っきりとはつかめてません。ただ、先生や授業の雰囲気は聞き取りや
すいし分かりやすそうで親しみがもてそうで、受講してみたいと感じま
した。まだこういったことに関してはほとんど何も知らないのでよろしく
お願いします。
法・ 2 ・男 まずはじめに、受講者の数が多いことに非常に驚いた。
1 コマめに授業がなかったので早めに教室に行ったのに、すでに教
室の外にまで行列が伸びており、全員が教室に入れるのか心配した
が、案の定立ったまま講義を聴く人が多数いた。講義内容は、先生
の話がとても聞きやすく、また歯に衣着せぬという感じで聞いていて
楽しかった。今回はガイダンスのみで、これからの講義予定について
の話だけだったが、広島大学のキャンパスの移転の話は特に興味が
もてた。というのも、私の地元に広大の OB がいて、よく広大が東広
島に移転したばかりの時の話を聞いていたので、学生視点からの当
時の話だけでなく、大学側から見た当時のことを聞いてみたいと思っ
た。
法・ 2 ・男 今回の講義を受けてみて、まだガイダンスだけなのでお
おまかな感じだけれど、とても広島大学というものに対して興味がわき
ました。今考えてみると、僕自身が広島大学について知っていること
は高校の時に調べた、主に入試に関してのことだけだなとおもいまし
た。今後の授業を通じて、広島大学の学生として、自分の母校につ
いて学んでいきたいと思いました。それとガイダンスを聞いて、個人的
には、特に、授業の 4 , 5 回目の授業を聞いてみたいと思いました。
法・ 2 ・男 今回はガイダンスということで、特に講義という感じではな
かったですが、これからの講義で広島大学についてどのような観点か
ら見ていくのかというのが何となくわかった気がします。せっかく広大
に入学し、この講義をとったからには、自分のものにして卒業し、今の
広大はどんな背景をもとにして築かれてきたのか言えるようになりたい
と思います。さらには、今後の広大の発展についても自分なりの考え
を持てるように興味、関心を深めていけたらいいなと思います。
法・ 2 ・男 今回の講義を受けて、授業予定などのガイダンスを聞い
てこれからの講義について興味を持つことができました。大学の移転
した理由や、戦後どのようにして大学ができたのかなどの疑問が生ま
れそれがこの講義を通じて知ることができればと思います。個人的に
は学長たちの横顔とゆう講義がどのようにして展開していくのかが非
常に気になりました。あと受講人数が多すぎて教室が非常に狭く感じ
たので、できれば教室変更していただくとありがたいです。
法・ 2 ・男 正直にいいますと授業のガイダンスの内容について考え
たというよりも、教室変更が行われて自分がこの授業の単位を取得で
きるかどうかについてばかり考えていました。この授業は「楽勝」とのこ
とだったので成績があまり芳しくない私にとっては死活問題です。「広
島」というまちについて私は何もないというイメージが先行しているよう
に思います。しかし海外の人に対しての知名度が高いことやその理
由をきいて眼から鱗のでる思いでした。確かに広島と長崎は核兵器
による攻撃を受けた都市として世界的に有名でした。その地にある大
学に通う私は実は幸せなのかも知れないと思いました。
法・ 2 ・男 教室に入りきらないほど受講希望者がいて、非常に人気
がある授業なんだと驚かされました。小池先生のお話が聞けなくなっ
たのは少し残念ですが、この人気の高さを見てますます受講したくな
りました。私たちが入学してから今まで過ごしてきた広島大学という学
校が、一体どのような背景・理念のもとに創設され、今日までどのよう
な時を過ごし発展してきたのか。広島大学で学んでいるにもかかわら
ず、知らずにいたことを改めて学びたいと思います。
法・ 2 ・男 まだ始まったばかりで、今回はイントロダクションの部分だ
けだったので何ともいえない。今回一番強く感じたのは、受講する人
が多かったので、早めに教室に行って聴きやすい席を確保したいと
いうことだった。また、配布されたレジュメを見る限り、興味のある項目
がいくつかあったので楽しみである。とくに、原爆や国際化社会との
関わり、広島大学の学生生活や卒業生の項目は私たちに直接かか
わってくることなのでしっかりと受けたい。
理・ 1 ・男 今回の講義を受けて、本当に広島大学の歴史を学びた
いと感じました。高校時代に頑張って入学した広島大学の歴史を学
んで、これからの勉学の糧にしていきたいと思いました。また、私は将
来先生を目指しており、配られたプリントによると、様々な先生から講
義を受けることができ、私にとって、良い刺激になるのではないかと思
います。今日の講義で受講態度の悪い人は即時退席となるということ
を聞いたので、もし私がこの講義を受講することができたなら、真剣な
姿勢で広島大学の歴史を受講します。
理・ 1 ・男
- 535 -
次回からもまた受講したいと思った
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
理・ 1 ・男 私は広島出身なのですが広島大学の歴史についてはま
ったく知りませんでした。今回の講義を受けて広大がどのような学校
であるかについて興味がわいてきました。子供のときから原爆につい
ての学習をしてきたのですが、 3 回目にある原爆と広島大学につい
ては聞いたことがなかったので特に詳しく知りたいと感じました。小さ
なころから広大に行きなさいと言われており歴史のある学校だと聞い
ています。なのでどんなに素晴らしい学校なのか早く授業を受けてみ
たいです。
理・ 2 ・女 私は出身が広島県外なのですが、広島大学自体の設備
や制度、そして「原爆から立ち上がってきた都市」という土地の両方に
興味を持って入学してきました。 1 年間広島大学で学んでも、なかな
か大学自体のことを知る機会はなかったですし、単に文章を読むだ
けで理解できることではないと思っています。そんな中、この授業は
私が気になっていた広島(土地)と広島大学(大学)の両方について考
えられる授業だと期待しています。広島大学がここまでの大学になる
ことができた時代的背景や、広島大学で働く教師陣とここから巣立っ
た卒業生、そして広島大学が社会の中でどのような位置づけにある
のかなどについても学ぶことができるようで、今後の授業が楽しみで
す。
理・ 2 ・女 今回はガイダンスだけで、人も多かったのであまり話を聞
けなかった。だが、今後やっていく内容を聞いてとても興味を持った。
今後、広島大学のことについてより多くのことを学んで行きたいと感じ
た。
理・ 2 ・女 今日の授業で、広島は世界的に知られている日本の都
市であるということを知りました。わたしは、世界的に有名である日本
の都市は「東京」、「大阪」、「京都」だと思っていたので広島が入って
いることに驚きました。よくよく考えてみれば、広島は原爆が投下され
たからまだ 70 年たっていないぐらいです。なのに、このように復活を
し、広島大学という知名度のやや高い大学までできて、すばらしいと
考えました。そんな広島大学の歴史についてこれから深く学びたいと
思います。
理・ 2 ・女 まず受講生の多さに驚きました。抽選になるかと思いまし
たが、定員内に入れてよかったです。早めに教室に行ってよかったで
す。今日は授業のガイダンスと各講義の簡単な内容説明でしたが、ど
の授業もおもしろそうでした。原爆で世界的に有名な都市「ヒロシマ」
にある大学ということで、他の学校とは一味違った生い立ちを期待し
ています。レポートの文字数が多くて大変そうですが、広島大学に入
学してよかったと思えるようになれるといいと思います。
理・ 2 ・女 今日の授業で、広島は世界的に知られている日本の都
市であるということを知りました。わたしは、世界的に有名である日本
の都市は「東京」、「大阪」、「京都」だと思っていたので広島が入って
いることに驚きました。よくよく考えてみれば、広島は原爆が投下され
たからまだ 70 年たっていないぐらいです。なのに、このように復活を
し、広島大学という知名度のやや高い大学までできて、すばらしいと
考えました。そんな広島大学の歴史についてこれから深く学びたいと
思います。
理・ 2 ・女 今日の授業で、広島は世界的に知られている日本の都
市であるということを知りました。わたしは、世界的に有名である日本
の都市は「東京」、「大阪」、「京都」だと思っていたので広島が入って
いることに驚きました。よくよく考えてみれば、広島は原爆が投下され
たからまだ 70 年たっていないぐらいです。なのに、このように復活を
し、広島大学という知名度のやや高い大学までできて、すばらしいと
考えました。そんな広島大学の歴史についてこれから深く学びたいと
思います。
理・ 2 ・女 今日の授業で、広島は世界的に知られている日本の都
市であるということを知りました。わたしは、世界的に有名である日本
の都市は東京、大阪、京都だと思っていたので広島が入っていること
に驚きました。よくよく考えてみれば、広島は原爆が投下されたからま
だ 70 年たっていないぐらいです。なのに、このように復活をし、広島
大学という知名度のやや高い大学までできて、すばらしいと考えまし
た。そんな広島大学の歴史についてこれから深く学びたいと思います。
理・ 2 ・女 今日の授業で、広島は世界的に知られている日本の都
市であるということを知りました。私は、世界的に有名である日本の都
市は東京、大阪、京都だと思っていたので広島が入っていることに驚
きました。よくよく考えてみれば、広島は原爆が投下されたからまだ 7
0 年たっていないぐらいです。なのに、このように復活をし、広島大学
という知名度のやや高い大学までできて、すばらしいと考えました。そ
んな広島大学の歴史についてこれから深く学びたいと思います。
理・ 2 ・女 私は今年で 2 年生になるので、もう 1 年間は広島大学
に在学していることになりますが、今日の講義で先生のお話を聴いて、
広島大学についてほとんど何も知らずにいると反省しました。だから、
この講義を受講することによって、自分の在学している広島大学につ
いて、その歴史を通して、たくさんのことを学びたいと思いました。私
はもともと広島大学が第一志望ではなかったので、本当は不本意で
の入学だったので、この講義を通して「広島大学に入学して良かっ
た。」と思えるように、広島大学の素晴らしさを出来る限りたくさん学び
たいです。
理・ 2 ・女 今日の授業で、広島は世界的に知られている日本の都
市であるということを知りました。私は、世界的に有名である日本の都
市は東京、大阪、京都だと思っていたので広島が入っていることに驚
きました。よくよく考えてみれば、広島は原爆が投下されたからまだ 7
0 年たっていないぐらいです。なのに、このように復活をし、広島大学
という知名度のやや高い大学までできて、すばらしいと考えました。そ
んな広島大学の歴史についてこれから深く学びたいと思います。
理・ 2 ・女 今日の授業で、広島は世界的に知られている日本の都
市であるということを知りました。私は、世界的に有名である日本の都
市は東京、大阪、京都だと思っていたので広島が入っていることに驚
きました。よくよく考えてみれば、広島は原爆が投下されたからまだ 7
0 年たっていないぐらいです。なのに、このように復活をし、広島大学
という知名度のやや高い大学までできて、すばらしいと考えました。そ
んな広島大学の歴史についてこれから深く学びたいと思います。
理・ 2 ・女 今回の講義で、これからの授業内容についての説明を
聞き早く学んで見たいと思いました。時代は、とどまること知らず常に
変化します。昔と現在では、価値観も何もかも変わってきたと思いま
す。そんな中で、どのように広島大学が変化してきたかとても興味深く
思いました。また、自分の母校となる大学の歴史を知ることで今以上
に広島大学の良さを知ることができると考えます。私は、教員志望な
ので将来指導する生徒達にこの広島大学の素晴らしさを一人でも多
くの生徒に伝えていきたいと思いました。そのためにも、ぜひこの講
義を受講してしっかり学んでいきたいと思いました。
理・ 2 ・女 正直に言うとシラバスに成績評価基準が『レポート 30 %、
出席などの平常点 70 %』とあったので絶対に楽そうだと思って軽い
気持ちで受講しました。しかし、予想以上に受講希望者が多いことと
講師の方の熱意のこもった話し方に圧倒されました。もっと気持ちを
引き締めていかなければと思いました。世界的にヒロシマは有名です
が、そのヒロシマにある広島大学の一員として自分の大学について少
しはまともに話せるようになりたいと思います。講義室変更ができて定
員が増えることを切に願います。
理・ 2 ・女 受講希望者が多くて驚きました。授業が始まる 5 分前に
教室に着きましたが、座る場所がなかなか見つからず困りました。 16
00 字のレポートを 2 つ提出ということで、文章を書くことが苦手なの
で、少し不安になりましたが、授業をよく聞いて、その日のうちに授業
内容をまとめておこうと思います。是非、母校となるこの広島大学のこ
とを知っておきたいと思うので、 L102 に教室変更が可能であることを
願います。
理・ 2 ・女 広島大学のことを知ることで自分の学生生活の中に、な
にか得るものがあればいいなと思いました。広島大学に入って自分の
大学のことを知らないのはとても損だと思うし、私は広島県出身なの
で中高の平和学習の経験を踏まえ、大学の平和への考え方を学び
たいと考えました。また、授業にまじめに出席することで単位がもらえ
ると知って、頑張ろうという活力が芽生えました。歴史を学ぶということ
は、過去を踏まえたよりよい未来につながることだと思うので抽選に落
ちないで授業を受けることができることを願います。
理・ 2 ・女 教室に入ろうとしたら想像以上に受講者数が多くて驚き
ました。席も既にあいていなくて教室の後ろで立って授業を受けるこ
とになりました。番号からして授業を受けることができないかもしれな
いけど、もし受けることができるようになったら、そのありがたみを忘れ
ることなく広島大学の歴史について真面目に授業に取り組みたいと
思います。一生懸命受験勉強して入学できた広島大学だったので、
もう一度そのことを思い出して歴史を学んでいきたいです。
理・ 2 ・女 今回の授業を受けて、広島は世界的に知られている日
本の都市であるということを知りました。そんな広島にある、広島大学
で学ぶことができているということは、とても誇り高きことであると思いま
した。広島は、第二次世界大戦において原爆を投下されてから、まだ
70 年たっていません。それであるにもかかわらず急激な復興と発展
を遂げている広島は、本当に素晴らしいと思います。そんな広島にあ
る広島大学の歴史についてこれから学んでいきたいです。
理・ 2 ・女 私は、おもしろそうな科目名だと思い、ただなんとなく最
初のガイダンスに来たのですが、受講希望者数が意外にも多くて非
常に驚きました。講義が始まるまでの間、他の人は一体どのような思
いでこの講義を受けようと思ったのかとても気になり、ずっとそのこと
ばかりを考えていました。受講理由の第 1 位はなんとなく見当がつき
そうなものですが。講義が始まってからは、この中の何人が広大の歴
史について興味をもっているのだろうと考えていました。多分円グラフ
にしたらおもしろいだろうなと思います。今度ぜひアンケートをとって
みてほしいです。私の予想では「少し興味ある」と回答する人が一番
多いのではないかと思います。
理・ 2 ・女 受講者がとても多かったことに驚いた。全員が講義を受
けられればいいなと思う。広島大学には期せずして入学したので、全
く興味もなく歴史もほとんど知らない状態である。これから 4 年間過ご
すキャンパスであるし、新たな発見もあるかもしれないので、この講義
- 536 -
を真面目にきき、自身の知識も深め、これからいろいろな人に広島大
学の良さや特徴をしっかりと伝えられるようにしたいと思う。また、広島
大学だけでなく、地域や学生生活との関わりも考えながら講義を受け
たいと思う。
理・ 2 ・男 「海外でも広島が有名である」と言う話を聞いて、広島大
学に通っていることを誇りに思うと同時にもっと広島大学の学生として、
広島大学について知らなければならないことがあるのではないかと思
い学ぼうと思いました。私は生まれも育ちも広島なので、ものごころ付
いた時から教育上、戦争や原爆関係のことに関心を持って生きてきま
した。そのことを大学のプロの講師の方に教えていただけると言うの
で、全出席でがんばりたいと思いました。
理・ 2 ・男 今日は授業の説明だったので、次回から遅刻しないで
講義をしっかり聞こうと感じた。
理・ 2 ・男 広島の歴史といえば、原爆を含めた戦争がすぐにでてき
ます。さらに今日の授業で配られたプリントによると戦争の話だけでな
く、広島大学そのものの歴史、つまり広島大学とその周辺との大学と
の交流の仕方の変化や、毎年入学してくる新入生の考え方や卒業し、
どんな志を持ってどのような道を歩んでいったかというのが学べ、自
分の将来のためになるのではないかと思いました。そして過去だけで
なくこれからの広島大学の歩んでいく道についても考えて生きたいと
思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて自分の予想しているものと大概はか
ぶっていたので、ひとまず安心した。長い歴史のある広大の一員とし
て自分はいるので、その広大の歴史や文化を学べることは喜ばしい
ことである。予想とは違っていたことはオムニバス形式で授業を進める
ことである。様々な先生方の話を聞くことで、様々な考え方や感じ方
を自分の中に吸収できるので、この形式はこの講義には一番適して
いると思った。自分自身も考え方を一つや二つに固執することなく、
柔軟な心をもってより広い視点でこの講義を受け、知識を身につけた
いと思った。
理・ 2 ・男 統合移転などで様々な面で変わった広島大学の歴史で、
自分が知りたい学長たちのことや移転のことについて学ぶことができ
るということで今後の講義が非常に楽しみである。 1 セメスターで学ん
だ日本国憲法でも生存権を発案した森戸辰男初代学長の話がでて
きて、広島大学が設立された源流がとても知りたいと思っていた。全
国の大学でも数少ない総合科学部という文理の両方を扱う学部があ
り、「西の広大・東の筑波」といわれるくらい教員育成が盛んな本学は、
他にはない数々の特色をもっている。なぜここまで発展できたのかと
いうところは、誰もが気になるところだと思う。広島大学が初代学長の
どのような理念のもとに設立され、発展していったかという疑問を頭に
浮かべつつ、これからの講義をうけてみようと思う。
本大学の歴史を学習できることをうれしく思っている。世界中で原子
爆弾の被害を受けたのは広島と長崎だけである。それゆえ、広島と長
崎には世界中のどこにもないような歴史がある。そんな場所にあるの
が広島大学であり、さらにこの大学は 1970 年代からの大規模な移転
を経験している。このような規模の移転をしたのは筑波大学と広島大
学だけである。以上の意味だけでも、広島大学は特徴ある大学であ
ることがわかる。これから、そのことをもっともっと詳しく知りたいと思う。
理・ 2 ・男 これからどのような授業が行われるのかよくわかった。戦
後から今までで広島大学がどのような経路をたどってきたのかに興味
がわいた。
理・ 2 ・男 今回はガイダンスだけということで特に感想もないが、地
元の国公立大学に入学できたのだから、少しはまじめに学んでみよう
かと思った。シラバスを見ると興味を示せるような内容もあるから、この
講義を受講できてよかったと思った。地元の大学でありながら、創立
60 年であることや、大規模な移転があったことなどまったく知らなかっ
たため、少しばかり知識が増えたのでないだろうかと思う。全 15 回程
の授業でああるが楽しい授業を受けれればいいと思う。
理・ 2 ・男 今回はこれから受講する授業のガイダンスだったのでま
だ広島大学の歴史をそんなに学んではいませんが、これから広島大
学の歴史を学んでいくことにより、広島大学生としてのアイデンティテ
ーを確立したいと思っています。また、広島大学は、教師を養成する
大学として有名です。私は、広島大学がどのようにして有名になった
か、またなぜ他の大学と教育の差がついたのか、さらには、なぜ広島
大学が東広島キャンパス、霞キャンパス、東千田キャンパスに分かれ
たかなどを知りたいと思っています。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて特に印象に残ったことは、広島大学
が長い歴史を持っていることです。戦後から、今年で 60 周年だと聞
いて少し驚きました。また、僕らの感覚とすれば日本の 3 大都市とい
えば、東京・大阪・名古屋ですが世界から見ての日本は違うということ
に関しても、なるほどなと思いました。やはり広島の原爆被害は世界
的に見ても大事件だったのだなと感じました。そういったことも含めて、
広島大学の歴史を知ることは大事なんだなと思いました。なぜこの東
広島キャンパスの周辺には遊べる所が少ないのか、という点について
今後の授業で楽しみにしています。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けての感想は、広島大学がとても古くか
ら歴史がある学校だと思いました。だからこそ、広島大学のいろいろ
な歴史を知ることは、これからの大学生活を送る上で何らかの形で、
自分にとってプラスの面があると思いました。原爆を落とされた悲しい
過去を持つ広島の中でも、広島大学は広島を代表する学校だと思い
ます。その点から国際交流も盛んな学校でもあると思うので、広島大
学の歴史からさまざまなことを知っていきたいと思います。
理・ 2 ・男 国立大学が 2004 年に独立行政法人に変わるということ
は高校生のときにある程度知っていましたが、筑波大学と広島大学
が戦後に大きく変わっていたという事実にすこし驚きました。しかしこ
の 2 つの大学の変化の仕方に違いがあり、筑波大学は今ある法律を
変えて大学を新たにするという方法であったが、広島大学は今ある法
律の範囲内でできるだけ新たにするという方法で、それぞれの方法
の良い点と悪い点は何だったのだろうかと思いました。
理・ 2 ・男 最近アルバイトが忙しかったり、専門の科目の勉強が難
しくなったりして大学生活を楽しむ余裕がなくなり、広島大学に入学し
たことに疑問を感じるようになった。そこで、入学したときの気持ちを
新たにするという意味で、広島大学の歴史を知ることによって、自分
の進むべき方向性が見えてくるような気がした。今回の話の中に広島
大学独自の点があると聞いたので入学したことを誇りに思えるようにこ
の講義を生かして今後の学生生活につなげて生きたいと思う。
理・ 2 ・男 原子爆弾により戦前、戦後が完全に分断されている日本
で二つの大学のうちのひとつであるというのは今日聞いて初めてそう
いえばそうかと思いました。また、キャンパスの移転に関して当時の法
律の範囲でのことというのはまったく知りませんでした。ただ、広島大
学が初めてなのか、他に例がないものなのかということも知りたいと思
いました。広島大学の卒業生たちに関する軽いイントロダクションがな
かったので、そこも少し気になりました。個人的には入試の変遷、難
易度などについて学びたいと思いました。
理・ 2 ・男 広島大学のことを学べて、なおかつ単位も獲得できると
いうのには、やはり魅力を感じた。広島大学に所属しているということ
は、自慢できることだと思うので、次回からの講義でもしっかりと学び、
大学のことを理解し、周りの人たちにも教えていけるようになりたいで
す。
理・ 2 ・男 キャンパスの移転が素直に行われたのではなく、法律の
枠組みの中で文科省や多くの人々の努力により実現したのだというこ
とがわかりました。そして、どこまでの能力を持ったキャンパスなの
か?などの詳細は今後の授業をしっかり聞いて理解したいです。平
成 16 年の国立大学法人化により多くの大学の理念と象徴が曖昧に
なってしまった中、初代学長森戸辰男さんが原爆投下に基づいた理
念を 60 年前から掲げておられましたので、広島大学はしっかりとした
理念を持ついい大学だなと思いました。僕は下宿で広島に住んでい
るわけですが、外国の方が日本といえば…「ヒロシマ」と答えてくれる
ということを知って、この大学に来たことを誇りに思いました。
理・ 2 ・男 原子爆弾により戦前、戦後が完全に分断されている日本
で二つの大学のうちのひとつであるというのは今日聞いて初めてそう
いえばそうかと思いました。また、キャンパスの移転に関して当時の法
律の範囲でのことというのはまったく知りませんでした。ただ、広島大
学が初めてなのか、他に例がないものなのかということも知りたいと思
いました。広島大学の卒業生たちに関する軽いイントロダクションがな
かったので、そこも少し気になりました。個人的には入試の変遷、難
易度などについて学びたいと思いました。
理・ 2 ・男
今年が広島大学 60 周年ということで、この節目の年に
理・ 2 ・男 今回の講義では、授業の目的、この授業に対する認識
ができるような講義であった。小宮山講師からプリントが配られ、大ま
かではあるがこの広島大学の歴史という授業の予定を確認でき、さら
に講師が補足していくような授業だったのだが、ひとつ確認できたこと
が広島大学に誇りを持っているということが分かった。私もこの授業を
終えるころには今まで以上の広島大学に対する誇りを持てるよう、講
師の一言一句を漏らさずよう授業に取り組もうと思った。
理・ 2 ・男 今回の授業で今後の講義の流れがわかった。特に聞い
ていて興味を持ったのは「なぜ今の広島大学が東広島市に移ったの
か」と「戦後の広島大学について」である。 64 年前原爆が落とされて
から市街地をはじめ大学にも大きなダメージがあったと思う。そこで広
島大学はどうやって復興したのかを今回のガイダンスを聞いて知りた
いと思った。昔と今の広島大学を比較することで今まで知らなかった
大学のことがわかるので毎回授業に行き、有意義な時間を過ごした
い。
理・ 2 ・男 あらかじめシラバスで授業内容などを確認していたが、
今回の講義内容、または資料などで授業内容・授業の目的がより分
かった。私は教員志望として広島大学に進学を決意し、高校 3 年の
ころは、広大ってどんな学校なんだろうと考えていたのを思い出しまし
た。今回の講義では広島大学を歴史という観点から知ることができる
ので、大変興味深いです。「広島大学の源流」から始まり、「広島大学
とはどういう大学か」というのを早く聞いて、親や後輩に伝えていきた
- 537 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
いと考えました。
理・ 2 ・男 僕は今年 2 年になったが、今までの授業は教養であっ
たり専門だったりしたので広島大学の歴史みたいな授業を受けるの
は初めてだったので新鮮な気持ちだった。他の大学には、このように
大学自体のことを学ぶ授業はあるのか分からないけど、広島県出身
である僕でも、歴史なんてほとんど知らないので楽しめそうだった。原
爆と直接関係がある大学は広島大学くらいだと思うので内容も濃いと
思った。個人的には 11 回目に予定されている広島大学の教師たち
というテーマが楽しみになった。個人的には、何人か前の学長が確か
地球惑星システムの人だったと思うのでその人の話も聞いてみたい。
理・ 2 ・男 今回の講義は、イントロダクションということで大まかな広
島大学の歴史について学んだわけですが、これからこの講義を受け
る上で、自分なりの目標みたいなものを考えてみました。まず、広島
大学へ入学した理由の一つとして「広島大学は教員免許を取る上で、
全国的に見て非常に高い評価を得ている」があげられるが、それは
広島大学がどのような歴史を経て、どのような努力、運営がなされてき
たのかを知りたいからです。そしてもうひとつ、今自分は実際に広島
大学の一員として、勉学にいそしんでいるわけですが、もっと広島大
学のことについて知りたいという好奇心が芽生えたからです。だいた
いこの二つの目標をメインにこの講義に取り組んでいきたいと思いま
した。
理・ 2 ・男 受講理由にも書きましたが、今私は心から広島大学に誇
りを持つことができていません。それはやはり広島大学について何も
知らないせいだと思えるのです。今回はイントロダクションではありまし
たが、これから半年間広島大学につてどんなことを学ぶのかを見て、
自分が今抱いている広島大学に対するイメージを変えることができる
かもしれないと思えました。特に興味を引かれた項目が、原爆と広島
大学でした。戦後の広島がどのようにして広島大学を立ち上げられる
までに成長したのか、そして当時の人々がどのような気持ちで大学を
築き上げたのかを知りたいと思いました。
理・ 2 ・男 今回初めての講義がこんなにも人が多いとは思わなかっ
た。最初は講義を受けることができるのか不安だったが、自分と同じよ
うに大学について知りたいという人が多かったのがうれしかった。さら
に、広島が世界的にも有名な都市であることが衝撃だった。私は、 1
01 番で授業をうけることができる。なのでこれからの講義は、単位を
取るという目標ではなく、自分の出身校となる広島大学についての知
識を深めるという目標をもって頑張っていきたいと思う。
理・ 2 ・男 小池先生のお話を聞きたかったですが、残念です。でも
広島大学の歴史は広大生なら知っていたいことだなと思っていました
ので今後も積極的に授業に臨みたいと思いました。広大のことを深く
知ることでもっとこの大学を好きになれたらいいなと思います。個人的
には広大の理念と象徴、学長たちの横顔、学生生活、統合移転など
に興味があります。僕もこの講義は楽だと聞いていた一人ですが、難
易度に関係なくしっかりと吸収して実りある受講にしたいと思っていま
す。
理・ 2 ・男 取りあえず、ものすごい人の多さに驚きました。出来るだ
け多くの人が受講出来る様に、 E102 の教室に移動できると良いで
すね。授業のガイダンスの最後の方の時に、先生は、「楽です。」と仰
ってましたが、レポートはすごく大変そうなので、きちんと授業を受け
て、頑張っていきたいと思います。また、話が面白い先生で良かった
な、と思います。これから先、楽しく授業が受ける事が出来そうで、良
かったです。これからの授業に期待しています。
理・ 2 ・男 今日はガイダンスだったため、講義内容等で終わったが、
やはり自分の思った通りの講義内容でよかった。他の受講生等もたく
さんいて、わからないところや考え方などを聞けるのもよいと思った。
それに何よりも広島大学にはとても深い歴史があるので、私はそのこ
とをもっと知っていきたいです。さらに、広島大学は教育に関すること
が有名だと聞いていたのでその経緯についても聞いてみたいです。
さらには、広島という地にはアメリカから原爆を投下された場所なので、
その時の広大もきになります。来週からの講義がとても楽しみです。
理・ 2 ・男 今回の授業はもうひとつ興味がある授業があり、そちらの
講義に行っていたため、参加できませんでした。すいません。一度講
義を受け、「広島大学の歴史」の講義に行った人の話も聞いて、こち
らの授業の方がより興味深いと感じたため、こちらの授業を受けること
を決めました。よろしくお願いします。
理・ 2 ・男 受講者がたくさんいておどろきました。興味のある講義な
ので抽選によって受けられなくなることが心配です。広島大学の歴史
を学ぶことで広島大学の強いところや弱いところなどの広島大学のオ
リジナルな部分を知ることができると考えています。そして、それを知
ることでこれから大学のことや、その中で学んでいる自分自身をはじ
めとする学生のことを考えることができるのではないか、と思います。
この講義を受けることで今の自分がどのような位置にいるのか、そして
どうすべきかを考えることができればいいな、と思いました。
理・ 2 ・男 今回はガイダンスということだったが、ますます広島大学
についてとても興味をそそられた。これから広島大学がいかにして創
設されたのかや、どのような経緯で西条や広島市内にキャンパスがで
きたのか、またいかにして日本でも有数の総合大学になったのかのど
詳しく知りたいと思った。また広島大学は教育関係が有名なので、自
分が教師志望というのもあり、詳しく調べていきたいと思った。あと広
島は原爆が落ちた県ということもあるので、どのような平和との関わり
があるか等も知りたい。
理・ 2 ・男 初回の講義は授業のガイダンスでした。その中で興味を
持ったのは授業の予定にある、統合移転でつづる広島大学です。僕
は以前から、なぜ都会にあった大学が、この他に比べて都会ではな
い東広島に場所を移したか疑問に思っていました。その疑問を第 10
回目の講義で解説してくれると思うのでこの授業は特に集中して受け
たいと思います。また僕は広島大学に在学しているのに広島大学に
ついて何も知らないということが分かりました。だからこれからの講義
は意識を持って受けなければならないと考えました。しかし大変人数
が多いので集中して受けられるか不安です。
理・ 2 ・男 私は、広島大学の規模の大きさにとても興味を持ちまし
た。広島大学は日本の大学で最大級の広さを有し、有数の総合大学
でもあります。この現状に至った過程や、歴史的背景をとても知りたく
なりました。広島大学は私の所属する理学部に非常に力を入れてお
り、歴史的にも深いことを知りました。この広島大学で学び、創り上げ
てきた先人たちの歴史を知ることによって、今後の自分の学生生活を
より良くしていけると思いました。
理・ 2 ・男 第一回の授業を受けて、広島大学の歴史を受講する人
数の多さに驚きました。多くの学生が広島大学について興味や関心
を持っているのだと思いました。広島大学はキャンパスの大きさ等の
様々な特徴をもった学校だと思っていたので、もっと広島大学の歴史
についてよく知り、社会に出た時に広島大学とはどのような学校であ
るかを言えるようになりたいと思いました。また、この講義を通じてもっ
と広島大学という大学を楽しめたらいいなと思いました。
理・ 2 ・男 受講者は抽選で決まると思っていたので、先着順と聞い
た時はショックでした。仕方ないことなのですが、ぜひ受講したいので
大教室になってほしいです。授業内容については広島大学の入試と
学生たち、学長たちの横顔などに興味があるので楽しみにしていま
す。あと卒業後のことも知りたいので、広島大学の卒業生たちという授
業もぜひ積極的に取り組みたいと思っています。僕もこの授業は楽だ
と聞いていましたが、授業中にしっかり取り組んで、とても濃い時間に
したいです。
理・ 4 ・男 自分は、広島大学に入学してからあまり広島大学の歴史
などについて、目を向けることがなかったので今日この授業に興味を
もって受けてみました。今日、授業を受けてみて教師の方の授業に
関するガイダンスを聞くとわかりやすい説明だったので、これから半年
間この授業を真面目に受けてみようという気持ちになりました。成績
は出席率とレポートから決めるということで、まだこれからだけど、毎回
授業に出席して良いレポートが書けるようにがんばろうと思いました。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第2回】
広島大学の源流原爆
(講師:酒井
医・ 1 ・男 今回の講義を受けてまず、戦前の進学率についてある
程度低いということは知っていましたがまさか 1 %未満ということには
本当に驚きました。広島大学の前身である 9 つの学校についてです
が、広島高等学校について非常に興味を持ちました。というのは、卒
業生の多くが今で言う東大、京大に進学していたという事実におどろ
いたからです。それだけ戦前の教育というものは受けられるのもほん
のわずかな人間であったのに対し、現在では当たり前のように教育を
受けている自分は恵まれていることを肝に銘じてこれまでよりいっそう
頑張っていきたいと思います。
医・ 1 ・男 広島大学は教育で有名というのは高校時代から耳にし
知っていたが、その理由までは知らなかった。でも今回の講義を受け
て広島師範学校からの流れを引き継いでいるという事実を知り納得
真)
できた。そしてほかにも 9 校の学校が集まって出来た学校であり歴史
も深く各分野でも精通している大学であるとわかった。僕はこの広島
大学に入るにあたってこの大学が旧帝国大学でないことが気にかか
っていたが今回の講義でその思いはなくなった。
医・ 1 ・男 広島大学の歴史を戦前まで遡り広島大学となるまでの歴
史を知ることができとても勉強になりました。広島大学は自分が想像し
ていたよりはるかに多くの学校が前身にあったので、驚くと同時に広
島大学の学生であるということに誇りを持って行動しなければいけな
いと強く感じました。また、今は大学に進学するのが当たり前というよう
な時代になっているけど、昔の大学進学率の低さを改めて講義を通
じて教えられたときに今の恵まれた教育の環境に感謝しなければなら
ないと思いました。
- 538 -
医・ 1 ・男 広島大学は教育で有名というのは高校時代から耳にし
知っていたが、その理由までは知らなかった。でも今回の講義を受け
て広島師範学校からの流れを引き継いでいるという事実を知り納得
できた。そしてほかにも 9 校の学校が集まって出来た学校であり歴史
も深く各分野でも精通している大学であるとわかった。僕はこの広島
大学に入るにあたってこの大学が旧帝国大学でないことが気にかか
っていたが今回の講義でその思いはなくなった。
医・ 1 ・男 広島大学は自分が思っていたよりもかなり多くの前身校
が母体となってできているのを知って驚きました。また、教育学部の
構成母体となった学校は明治の初めからすでに存在していたことも
初めて知り驚きました。それから、医学部は比較的新しく、前身校は
戦後にできたことも意外で、印象に残りました。最初の授業を受けて、
広島大学について、教育内容やキャンパスについてはある程度知っ
ていても、その歴史についてはあまり詳しくは知れてなかったなと思
いました。
医・ 1 ・男 広島大学には様々な前進校があり、それぞれが今の工
学部、生物生産学部、教育学部、医学部などにつながっていることを
知った。その前身校の数は旧帝国大学にも匹敵するもので広島大学
にはかなりの歴史と伝統があることを学びました。その中には広島女
子高等師範学校のように、授業開始を待たずに原爆の被害にあった
ものもあり、あらためて原爆の被害から立ち上がった広島大学の創設
者たちの努力に感銘を受けた。
教育・ 1 ・女 まず、広島大学は自分が思った以上に歴史のある学
校だと思いました。最も多くの前身校をもつ大学であることに驚きまし
た。ほとんどが教員養成を主とした学校で、中でも広島高等師範学校
や広島師範学校は授業料なしで、さらに卒業後の就職(教員としての
服務義務)も安定しているということを知り、本当に教員を目指すため
の学校として優れていたのだということを感じました。しかし、広島大
学は教員養成だけでなく、様々な分野で実務家を輩出し、戦後、帝
国大学相当の総合大学としての地位を獲得したということを聞いて少
し誇らしげに思いました。現在広島大学は、まさに実務家養成の教育
機関であります。私は優れた教員を目指すとともに、一人の日本人と
して日本社会の中堅的人材、実務家としての能力に優れた人材にな
りたいと思いました。
教育・ 1 ・女 今は入ろうと思えば(あとお金があれば)誰でも大学に
入れる時代、とよく聞くけれど、昔は思った以上に大学進学というのは
難しいことだったのだなと思いました。経済的な理由もあるだろうけれ
ど、大学自体がわずかしか存在しておらず、需要を満たせていなかっ
たのだから、多くの人が大学に進学することは物理的にも不可能だっ
たのだと改めて思いました。そして、広島大学の前身校には教育系
のものがあまりにも多くて驚きました。そこから発展して、現在も「広島
大学といえば教育」と言われているのだと思いました。
教育・ 1 ・男 昔の大学は官僚養成+研究者養成だと聞いて、昔の
大学も今の大学もあまりたいした変わりはないだろうと考えていたので
とても驚いた。しかも帝国大学への進学率は一番高かったということも
ありとても優秀な大学だったことを知った。今は普通に小学校から中
学校に進学できるが、昔は中学校に進学することが難しかったので、
大学にいくことすらとても難しいことだったんだと考えた。広島大学教
育学部は歴史あるものだと聞いてはいたけど、今回の講義を聞いて、
自分がこの歴史ある教育学部で学べるので、しっかり講義を聴いてい
い教師を目指してがんばろうと考えた。
教育・ 1 ・男 今回の講義を受けて、印象に残ったのは広島大学に
は多くの前身校あることでした。また昔と現在では教育システムがず
いぶん違うということにも驚きました。広島高等師範学校、広島文理
科大学、広島工業専門学校などの多くの学校がそれぞれ現在の広
島大学の方針などのモデルとなっていることを知り、広島大学の歴史
の深さと壮大さを改めて認識しました。昔と違い、自分は恵まれた環
境の下で学ぶことができているということを実感し、またこのことに誇り
を持ってこれからの学生生活をすごしていきたいと思います。
教育・ 2 ・女 戦後,拡大発展し総合大学となった広島大学ですが,
文理科大の「教員養成」のイメージを重ねられるために,世間一般に,
広島大学が実務家養成の教育機関として位置づけられているという
講義を聴いて,歴史というものは私が思っている以上に大きな意味を
持つものだと思いました。今まで私は,歴史というのは単なる過去の
出来事くらいにしか捉えられてなかったかのように思います。しかし,
教員養成機関を前身校に持つ広島大学は,教育学部という形で,教
員養成という特徴や流れを汲んでいるし,今でも世間一般からは,
「広島大と筑波大の教育が有名」といわれています。それが,明治時
代に作られた高等師範学校時代からのことであってもです。歴史が
未来を方向付け,過去のイメージが現在まで残り続けるというのは,
大学の歴史に限ったことではないと思います。第二次世界大戦での
日本軍の横暴のイメージは,今でもアジア諸国の人々の間に残り続
けているし, 60 年前の原爆の傷跡は,今もなお残っています。今日
の授業でも少しだけお話がありましたが,戦時中は学校もほとんど機
能せず,しかも原爆の投下された広島,ダメージは相当大きかったの
ではと思います。次回の授業では,原爆が広島大学に与えた影響に
ついて考えていけたらと思います。
教育・ 2 ・女 広島大学の前身校がこんなに沢山あるとは思っていな
かった。広島大学は総合大学で,多くの学部学科がある大学である。
しかしそれは大学が出来てから学部が増えていったのではなく,もと
もと母体となる学校があって,その上で大学の学部として設置された
のだと言うことがわかった。総合科学部は比較的最近出来た学部だと
思っていたが,広島高等学校という前身があったからこそ今広島大学
にこの学部が存在するのだと思い,感動を覚えた。広島大学は教育
学部が有名である。それは,前身校のほとんどが教職につくための学
校であったからなのだという。それも,授業料を免除してまでも,教員
を養成しようとしている学校まである。そのような学校を集めて大学に
しようとしたということは,戦後,「教育」が大切だという意識があったか
らだろう。未来を作るこども達を「教育」することこそが,戦後の日本の
復興の大きな鍵であり,その教育者たる人材を教育することに重きを
置いたのだろうと思われる。大学自体の歴史は戦後からではあるが,
その元となる学校の歴史も含めて,今の広島大学があるのだと改めて
認識することが出来たように思う。
教育・ 2 ・女 この講義よりもだいぶ前に電子辞書等で広島大学に
ついて調べて、どういう学校が元となったかを知った。しかし、その学
校がどのようなものであったかを知ることはできず、やきもきしていた
ため、今回の講義で知ることができてとても満足している。また、「広
島大学(と筑波大学)は教育学部が有名である」というのは周知の事実
であったが、なぜそうであったかは知らなかった。高等師範学校が有
名であったから、その延長で教育学部も有名だと知り、納得がいった。
わたしもその有名な教育学部の一員として精進していきたい。
教育・ 2 ・女 私は広島県出身なので高校で広島大学に行く機会が
たくさんあったし、調べる機会も多かったので、広島大学についてあ
る程度知っていると思っていた。でも、今日の講義を受けて、私が知
っていることは広島大学の歴史のごく一部に過ぎないことに気付かさ
れた。広島大学は今、帝国大学相当の総合大学としての地位を確保
していると聞いて単純にうれしく思ったが、広島大学に在学している
私たちがもっと意識の高い行動をしなければいけないと感じた。
教育・ 2 ・女 まず最初に感じたことは、大学のありかた自体が戦前
と現在とでは大きく異なっていたんだな、ということでした。戦前は今と
違って大学の数も少なく、大学進学率も今とは比べものにならないく
らい低いということに驚きました。また、広島大学には多くの包括校
(前身校)があり、その中でも、広島文理科大学では卒業生には高等
学校高等科、師範学校、中学校、高等女子学校の教員資格が与え
られ、卒業生の多くは教職に就いた、ということや広島師範学校では
卒業生は広島県の教員となる服務義務があったことを知って、こうい
ったところから今の広島大学の教育学部ができたことが分かり、とても
歴史を感じました。
教育・ 2 ・女 広島大学が様々な包括校が母体となって設置された
ことに大変驚きました。広島大学は何もないところから新しくできた大
学であると私は考えていました。したがって広島大学の教育は全国の
中でもトップクラスだ、などとよく聞いてはいましたが、その実感もない
し、そういわれる所以も何も知りませんでした。 9 校の中で、教員養成
のための学校が多くを占め、さらには高い割合で教職についているこ
とを知り、教育学部が優れていると言われるのには長い歴史があるの
だなと思いました。そして包括校 9 校全てにおいて、教育面で優れ
ていたり、帝国大学へ進学するものも多かったりと様々な分野におけ
るレベルが高く、そういった学校が集合してできたこともあって、今の
広島大学があるのだなと実感しました。また、戦前、ほとんどの人が学
びたくても行くことのできなかった大学に私はいるわけで、そう考える
とこの設備や勉強する環境が整った広島大学でしっかり学び、現場
を担う実務家として優れた人材になっていかないと行けないと思いま
した。
教育・ 2 ・女 広島大学の前身校に広島高等師範学校や広島文理
科大学があるのは知っていたが 9 つもの学校を包括して広島大学が
つくられたということに驚いた。また広島女子高等師範学校が戦争の
影響を強く受け、講義も満足には行えず、校舎が原爆によって全焼
したということには衝撃を受けた。自分自身、広島の人間ではないの
で原爆は遠いところで起こった事として受け止め、自分の生活には直
接関わらない問題のような気が今までしていた。しかし今日の講義を
受けて自分が今、原爆の被害を直接受けた学校を前身校とする広島
大学に在籍しているということをはっきりと知り、原爆の問題が自分に
も大きな影響を与えているのだと言うことを再確認した。
教育・ 2 ・女 今回の授業を通して、広島大学はさまざまな分野の学
校があわさって出来たのだとわかった。途中には、戦争や原爆などの
影響を受けたりしていて、歴史も大きく関っていて伝統ある大学なの
だと改めて思った。また、帝国大学などほかの大学についても知れて
よかった。帝国大学が長い歴史を持つのはわかるけど、どうして今で
もそんなによいと言われているのか知りたいとおもった。少しだけど、
広大について分かることが出来て、よかった。
教育・ 2 ・女 まず、広島大学には、東広島キャンパスや霞キャンパ
スなど、何箇所かにキャンパスが分かれているが、それぞれに前身校
となる学校があることに驚いて、改めて歴史の深さに気付かされた。
福山にもキャンパスがあったことにびっくりした。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
教育・ 2 ・女 広島大学には 9 つの包括校(全身校)から構成されて
いった歴史を持っている。全国でもこの数は最も多い。戦前の大学は
基本的に帝国大学を指していて官僚養成と研究者養成の機能を持
っていた。広島大学は文学部、理学部、教育学部の構成母体となっ
た「広島文理大学」を中心にいまや全学部に博士課程を持つように
なり研究者養成の大学へと繋がっていった。また他の構成母体となっ
た包括校は各学部に大きな影響を与えた。こうした包括校を基に出
来た広島大学の学生には、日本社会の中堅的人材ということと、実務
家としての能力に優れた人材ということとが望まれているのだ。戦前か
ら伝統を受け付いてきたこの大学でしっかりと学んで社会に役立つ人
を目指したい。
教育・ 2 ・女 広島大学の前身高が九校もあると授業で聞き、とても
驚いた。あるとしても二,三校だろうと思っていたからである。広島大
学は、戦後日本の大学の中で、最も多くの前身高を持つ大学である
という。日本で三番目に設置された中等教員養成機関である広島高
等師範学校、東京文理科大学とあわせて日本に二つしかない広島
文理科大学など、数多くの学校が合わさって広島大学ができたと聞
いて、誇らしい気持ちになった。様々な学校が合わさってできた、歴
史ある広島大学の学生であるということを誇りに思い学業に励んでい
きたいと思った。
教育・ 2 ・女 現在の大学と戦前の大学を比較してみると、進学率や
システムがここまで違うものなのか、と大変驚きました。また、広島大
学が前身校を 9 つも持っているのだということにも驚きました。これま
で深くは考えたことがなかったけれども、改めてすばらしい大学なの
だということがよく分かりました。広島大学を実務家養成の教育機関と
みて、会社が求めるような日本社会の中堅的人材、実務家としての能
力に優れた人材たる人となれるように、私も一生懸命勉学に励みたい
と思いました。広島大学の教育学部は良いところである、と今までず
っと聞いてきていたので、この恵まれた環境下で、できる限り学び取
れることを学び取っていきたいと思いました。
教育・ 2 ・女 第一に、広島大学の歴史は本当に深いのだと感じた。
9 つもの学校が母体になっているとは知らなかった。このようなそれぞ
れの分野において特徴のある学校が集まって今の広島大学があるの
だなあと感じた。また、広島大学の複雑な立場を知ることができた。広
島大学の実情と外部の認識が必ずしも一致していないということであ
る。外部の期待に応えつつも、実情に合わせた特徴を伸ばしていくこ
とが大切だと感じた。このような価値ある歴史を持つ大学に所属して
いることを忘れず、それに恥じることのない活動をしていきたいと思っ
た。
教育・ 2 ・女 広大の前身校が 9 校もあったことに大変驚きました。
「教育の広大」と言われていたり、日本史の教科書に載っていたりした
ことから、教育関連の大学であることは想像できましたが・・・驚きです。
また、広大を昔からよく知る人の広大へのイメージが、「実務家養成の
教育機関・日本社会の中堅的人材を輩出する大学」であることにも驚
きました。私の中の広大のイメージは教育だけだったので、今回の授
業で初めて知ったことがかなりたくさんありました。また、多くの前身校
があったから、様々な学部を持つ総合大学になったのだと考えました。
教育・ 2 ・女 今まで他の授業などでも広島大学の前身校について
学ぶことはありましたが、こんなに詳しく習ったのは初めてでした。そ
して、広島大学の前身校が 9 つもあったということも今日の授業で初
めて知りました。やはり、評判の通り教育学部の構成母体となった学
校が多くありました。私は授業を受けた今、このように歴史があって、
評価も高い広島大学の教育学部に入学できたことをとても誇りに思い
ます。
生として見た広島大学は、学部数が多く総合大学というイメージが強
かったのですが、それは、それぞれが実績を持った前身校が九つも
集まった大学であるということも、理由として挙げられると思います。ま
た、なぜ広島大学の教育学部が有名なのか少し理解できました。広
島大学は、研究者や教師などの様々な分野で人材育成を評価され
ている大学だと思うので、広大生としてそれに恥じない人間になりた
いと思います。
教育・ 2 ・女 一番驚いたのは、戦後すぐの日本にあまりにも大学が
なさすぎたことです。多くの大学は普通に何十年も歴史があるのかと
思ったらそうでもないんですね。そのなかで広島大学が 9 つもの学
校が集まってできたものだと知って誇らしい気持ちです。特に教育学
部のもとになった学校がおおくて、私がいる学部は多くの学校の文化
が集結してるんだと感じました。教育の広大と言われるのも分かった
気がします。(もちろんそれだけではないんでしょうけど…)
教育・ 2 ・女 教育学部生の私は、教育学部の基になった学校をい
くつか知っていたけれども、他の新制広島大学の基礎になった学校
は知らなかった。すべてで 9 つの学校の特色。戦前の学校制度の中
でのそれの立ち位置などを知るのは、現在自分が通っている学校の
基礎であるというだけで興味深く感じた。それぞれに歴史があり、どの
学校も誇るべき何かを持っているような気がして、尊敬のようなものを
感じたと思う。現在の教育学部生として、新制広島大学ができてから
だけではなく、それ以前からの基礎にかかわっていた人々の誇りを傷
つけないような学生の心構えを持っていきたい、と考えさせられる授
業だった。
教育・ 2 ・女 広島大学の前身校の歴史を見ていくと、現在の広島
大学のイメージにつながっていると感じる部分があった。私は教育学
部に在学中だが、「広大の教育」だと言うと、すごいねと言われること
があり、なぜだろうと感じていた。特別に他より入りにくいわけでもない
のに、教育といえば広大だと、高校のころにも聞いていた。その理由
が、今回の講義で広島大学の前身校を見ていくことでわかってきた。
まず、前身校には、教育学部の構成母体となった学校が多かった。
またそれが、当時にしては日本で数少ない教員養成機関であった。
広島高等師範学校が「教育の西の総本山」と称されていたのを知り、
驚くと共に、誇りに思った。広島大学の教育学部で学んでいるからに
は、過去の長い歴史を忘れずに、先輩方に恥じないような行動をとろ
うと決心した。広島師範学校では卒業生は必ず教員になることが決ま
っていて、将来が確定しているという点ではいいと思ったが、入った
後でも将来について自分で選択できる現在の制度の方が、私はいい
と思っている。あと、広島大学の特徴として印象的だったのは、研究
者の養成というより、実際に仕事をこなす実務家の養成に力をいれて
いるというところである。私も将来、社会に出て求められる人材になる
ために、この広島大学で自分を磨きたいと思っている。
教育・ 2 ・女 今の広島大学が想像以上にたくさんの学校からなって
いったことに驚きました。 60 年以上もの歴史の深さに感心しました。
それに広島大学は国公立なのにもとは帝国大学ではなく高等師範学
校だったということにも驚きました。帝国大学は官僚などの政府の中
枢になることが主なのに対し、高等師範学校は教師などの専門職の
なるということで広島大学のイメージが実務家を養成する大学だという
ことに私は少し誇らしくなりました。私は教育学部で教師になろうと思
っています。広島大学の源流に教職の教育の西の総本山と称される
ぐらいの学校があったということは私はとても高度な質の高い教職に
ついての教育が受けられているのだなと前よりももっと教師になるた
めのやる気が出てきました。こうして大学の歴史を知ることは自分がど
のような教育をどのような方針で受けているのかわかり、さらに学ぶ意
欲が出るのだなと思いました。
教育・ 2 ・女 わたしは、勉強を頑張って広島大学に入れたのでは
なくてスポーツを頑張っていたのでこの広島大学に入学するとなった
時、周りの人はとても喜んでくれました。なんとなく広大って頭のいい
学校とは聞いていたんですが、この講義を聞いてわたしは、スポーツ
をしていなっかたら自分には縁がない場所なんだと感じました。大学
のできる少しの歴史を知っただけで、広大で過ごす 1 日、 1 日を大
切に過ごそうと思いました。
教育・ 2 ・女 今回の講義で私が一番興味深かったのは、広島大学
の前身校である、広島師範学校についての話でした。私は教育学部
なので、自分の学部の構成母体となった学校ということで、すでに興
味があったのですが、やはり惹かれたのは、授業料がかからなかった
こと、 10 年間教職に就かなければならなかったことでした。教員にな
るか迷っている人にとっては、強制的に教職に就かされるという条件
は大変かもしれませんが、教員になることを心に決めている人にとっ
ては、すごくいい条件の学校だと思いました。
教育・ 2 ・女 私は、今まで広島大学の昔について学んだことがあり
ませんでした。ですから、今回の授業で広島大学が帝国大学ではな
かったということ、もともとは多くの学校があり、それらがまとまって広島
大学ができたことを知り、各学部にはそれぞれのもととなった学校の
特色が生かされているのではないかと思いました。さらに、私は、教
育学部ですので、広島大学が研究者を育成するのではなく、実務家
養成の教育機関であったことを知り、広島大学は私の求めていた学
校であると思いました。そして、ここで学ぶことにより、良い教育者とし
て成長することが私の目的であると考えました。
教育・ 2 ・女 広島大学にはまだ 60 年ほどの歴史しかないが、広島
高等師範学校を始めとする様々な包括校の上に、今の広島大学が
成り立っているということを改めて感じた。そしてその結果、私が通うこ
の広島大学は今や旧帝国大学相当の総合大学としての地位を確立
し、実務家養成の教育機関となっている。そのため広大生は社会か
ら日本社会の中堅的役割を果たすことや、実務家としての能力に長
けていることを望まれている。私も広大生として、社会に出た時にそう
なれるように、今のうちに大学で様々なことを学び、広大生としての誇
りを持って生活していきたいと思った。
教育・ 2 ・女 まず、広島大学の前身校の多さに驚きました。九つも
の学校が一つになり、帝国大学に近い大学になるまでに発達すると
いうことはすごいことだと思います。広島大学は今年創立六十周年を
迎えますが、以前はあまり歴史が深いというような印象は持っていま
せんでした。しかし、講義を受けて見ると、広島大学は他大学にも負
けない実績を持つ、有数の大学であるということが分かりました。受験
教育・ 2 ・女 今回は広島大学の全身校についての内容だったが、
今の広島大学の学部の成り立ちの基礎になっており、重要な歴史だ
と感じた。広島大学が出来る前の学校なので、関係ないことなのでは
ないかと考えていたがそれは全く違っていた。今回の講義の先生が、
教育学部に入学した人がとりわけ偏差値が高いわけでもないのに、
教育学部だと言ったら賢いと言われていた。とおっしゃっており、私も
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それは違うと思ったが、「教育の広島大学」というのは聞いたことがあ
った。広島大学が出来る前の全身校のときから教育学部の母体とな
った学校が多くあるので、広島大学の教育学部の質が高いといわれ
ているのかなと感じた。
教育・ 2 ・女 今回の講義で、戦前にあった 9 つの教育機関を前身
校として広島大学が成り立っているという事が分かりました。広島文理
科大学が広島大学の前身校であるという事は知っていたのですが、
その他にも多くの教育機関が広島大学の基盤となっていたことを知ら
ず、まだまだ勉強不足だったと感じました。私は教育学部に所属して
いますが、特に教育学部は 9 つの前身校のうち 5 つの学校から様々
な特徴や伝統を受け継いでおり、授業でもお話されていましたが『広
島大学教育学部』にはそういった経緯からも多くの場面で高く評価さ
れるのだという事が分かりました。私もその歴史に恥じぬようにしっか
りと学んでいかねばならないと感じます。
教育・ 2 ・女 今回の講義内容は予想していたものとほとんど相違な
かった。広島大学は、今のかたちになるのに、広島高等師範学校を
はじめ、広島文理科大学、広島高等学校、広島女子高等師範学校
などさまざまな学校を経て、または統合してきたことがわかった。私が
在籍している教育学部が一番伝統があり、それが今広島大学教育学
部がすばらしいと言われることにつながっており、とても誇らしい気持
ちになった。これから先も私たちがこのすばらしい伝統を継承してい
かなければいけないと思った。
教育・ 2 ・女 教育学部に所属しているため、入学時のガイダンスで
「伝統のある教育学部」と先生方が繰り返しおっしゃっていた。その時
はその伝統がどういったものなのかわからなかったが、今回の講義を
聞いて、広島大学の元となった学校がどのようなものか、特に教育学
部が元をたどると長い歴史をもつものだということがわかった。広大と
言えば教育学部、と高校の時によく言われたが、その意味も頷ける。
また、教育学部のみの話ではなく、他にも多くの学校が統合して総合
大学としての広島大学ができたものだということもわかった。この深い
歴史を知った上で広大の学生である自覚を持つべきだと思う。
教育・ 2 ・女 広島大学の包括校の存在について初めて知りました。
教育学部の構成母体となった学校が多く、しかも広島師範学校に関
しては、授業料が必要なく、 10 年間の服務義務が与えられていたと
いうことを知って、驚きました。今では教員採用もきびしく、教員にな
ってからも大変だと聞くので、少しうらやましく思いました。過去には
「教育の西の総本山」とまで呼ばれ、歴史を誇る広島大学に合格した
からには、勤勉を怠らず、努力し、立派な教員になりたいと思います。
教育・ 2 ・女 私は、教育学部生です。私はこの授業をうけるまで、
広島大学は教育系の学校が前身になっていると思っていました。私
の学校の先生も広島大学卒の方が多かったし、広島大学の教育学
部は有名っていうのを聞いたことがあったからだと思います。今回の
授業でそれぞれの学部の前身になった学校があったということを知っ
てほんとうに驚きました。自分が行きたくてようやく入れた学校のことな
のに、何も知らないんだなと改めて気づかされました。昔の学校体系
の図を見ていくのも非常に興味深くて楽しかったです。
教育・ 2 ・女 広島大学の前身になった学校はとても多くあったため
驚いた。教育学部が有名なのは知っていたが、なぜそうなのかがわ
かって面白かった。広島と筑波大学の関係などからも教育学部のブ
ランドは強いものだなと実感した。広島大学に在学していて感じること
はやはり教育学部の充実しているカリキュラムはすごいということだ。
他の学部はどうか知らないが充実した学生生活をおくれているため
私は満足している。昔の大学は教員に必ずならないといけなかったこ
とを知って驚いた。就職先は決まるが人生が定まってしまうため良い
ところもあるが悪いところもあると感じてしまった。今後も大学を見直し
て考えていきたい。
教育・ 2 ・女 広島大学は、帝国大学相当の総合大学としての地位
を確保しました。すなわち、実務家養成の教育機関です。広島大学
はたることを望まれていて、日本社会の中堅的人材事務化としての能
力に優れた人材を求めている。昔の広島大学を聞いて初めて知った
ことや、驚いたことがたくさんありました。帝国大学を目指していたこと
も知ってびっくりしました。
教育・ 2 ・女 広島大学に 9 つもの前身校があったと聞き、その数の
多さに驚きました。どの学校も日本でも有数の学校だったということで、
由緒ある大学にやって来たのだなと思いました。学部によってはいく
つも前身校があって面白いと感じました。
教育・ 2 ・男 広島大学の前身ともいえる 9 つの学校について講義
を受けたが、知っているものは広島高等師範学校ただ 1 つだった。
ほかの学校を知って思ったことは、やはり師範学校が多いなあという
ことだった。広島大学は教育学部が有名とよくいわれるが、その所以
が改めてわかった。また、今回は戦前の帝国大学や大学令、教育制
度など知識面でも教育学部生として知っておくべきであろう内容も出
てきていたので、その面もきっちり吸収して知識をつけておきたい。
教育・ 2 ・男 今回の講義をうけて広島大学の源流を知ることにより、
現在自分の所属している教育学部の歴史がたいへん深く伝統のある
学部であり、多くの教員を送り出してきたことを知り改めて驚きました。
さらに、広島高等師範学校だけでなく広島文理科大学などの多くの
学校がそれぞれの歴史を持ちそれが現在の広島大学に受け継がれ
ており、そこで学ぶことができるという現在の環境に誇りを持つことが
でき、その歴史を受け継いでいけるように努力したいと思いました。
教育・ 2 ・男 広島大学についてはかつて「高等師範学校」であった
こと、広島市内から移転したことくらいから知らなかったが、その歴史
を紐解けば実に 9 つの学校が統合されて生まれたという。そのいず
れの学校も今では広大を構成する大切な要素となっているのだが構
成校のなかで唯一大学であった「広島文理科大学」が広大の方向性
を特徴づけたということだ。この学校こそが広大=高等師範のイメー
ジを作っているのだろう。そして世間からは広大では中堅的な立場人
材を育てるイメージを抱くという。これは大体私の考えと合致した。現
場で中核となって働く中堅的人材、の意味するもの。私は教育学部
であるのでやはり教師を連想した。果たして将来私が周囲から期待を
され、またその期待に答えうる人材になることができるのだろうか。今
後の自分の身の振り方を考えさせられる講義内容であった。
教育・ 2 ・男 広島大学の包括校が 9 つもあったことには驚いた。や
はりその中でも教育に関する学校が多くを占めていることに、改めて
教育の広大と言われることを認識した。私は教育の初等教育教員養
成コースなのだが、初等教育教員養成コースの前身である広島師範
学校が、広島大学の前身校で最も歴史のある学校であると聞いて、
伝統あるコースに入ったなと感じた。けれど、そのことを誇りに思い、
自分の小学校の先生になるという夢に向かってより努力していかなけ
ればとも思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義においては、広大が戦後日本の大学の中
で最も多くの前身校を持っていることやその前身校の多くが実務家養
成の教育機関であったことなどを学んだ。それで、私は教育学部に
属しているので、やはり多くの(高等・青年)師範学校が前身としてある
ということに注目して、これからの自分を考えてみたい。教育学部も師
範学校も授業料や服務義務の有無といった違いはあれども、教員養
成が主たる目的であることは間違いない(もっとも、教育学部内で教員
を目指さない学生もいるが)。それで、師範学校は、数多くの教員(つ
まり実務家)を輩出してきた。そして、その流れを汲む教育学部に今
所属している私も、今まで培われてきた歴史や伝統に恥じないような
学生生活を送る必要性があるのではないかと考えている。思えば、広
大は第二希望だったので、広大の深い歴史など知ることなく入試を
受けて入学をした。だが、一年経ちこの講義を聴いてみて、もっと深
い志を持って勉学に励まなければと思った。私は将来、実務家(教員)
になるのか、研究をするのかはまだ分からないが、どちらにしてみても
社会に出て、広大の出身者としての名に恥じないような人材になりた
い。
教育・ 2 ・男 去年も、他の講義や教授の話などで、広島大学の昔
のことについては聞いたことはあったが、今回ほど、具体的なことを聞
くのははじめてだったので、前身となる教育機関が 9 つもあったこと
や、その教育機関らそれぞれに歴史があり、目的も様々であったこと、
また、広島大学の歴史の話だけでなく、 1897 年に京都帝国大学が
できるまで、東京帝国大学が日本で唯一の大学であったこと、官僚養
成と研究者養成の機能を持っていたことなど戦前の大学についての
話などには驚いた。
教育・ 2 ・男 広島大学が旧帝国大学でないことは知っていたが、そ
うではなくても世間からはそれに近い評価を受けているということを痛
感した。広島大学の母体となった学校は教育系の学校が多いと聞い
ていたが、それ以外にも広島市立工業専門学校や広島県立医科大
学などの学校のことについても知ることができた。また、広島女子高
等師範学校の短い歴史には驚いたが、時代の流れを感じたし、今日
の講義の中でも特に印象深かった。講義の最後の方に出た広島大
学卒業者の社会での役割についても考えさせられたので、もう少し考
えていきたいと思う。
教育・ 2 ・男 今回講義を受けて、大学というものの機能が現在のも
のとは全く異なり、講座制や先進諸国の学術文化のの収集と蓄積を
行い、その卒業生のほとんどが官僚になっていたことを知り、せっかく
高等教育を受けておきながら、戦争へと向かう日本を止められなかっ
たのは残念に感じた。また、現在の広島大学が九つの前身校から生
まれたということが予想を大きく上回っていて驚いた。各々の前身校
は教育や工業、一般教養といった様々な分野があり、理念も様々で
あるが、実務家養成の教育機関としての役割を持つ広島大学となり、
世間からは日本社会の中堅的人材であることと、実務家としての能力
に優れていることが望まれているので、そのニーズに応えられる人間
になるにはどうすればよいか、しっかりと考えて学び、生きていきたい
と思う。
教育・ 2 ・男 広島大学の前身校の名前だけはすべて知っていたが、
具体的に何学部の母体なのか、何処に位置して何を目的に教育を
行っていたか、などは全然知らなかったので、とてもタメになる講義で
した。自分の学部の歴史を知ったことで、自分の学部に対する愛着
がより深まりました。また、教育学部の人間生活系コースが「家政」と
称される理由が、まさか 80 年も前にあった前身校の名残だなんて全
く知らなかったのでとても驚きました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
教育・ 2 ・男 広島大学の基礎を作った学校が 9 つもあり、それらを
まとめてひとつの大学を作ったというのは、すごいことでもあり、また大
変な苦労を費やしたと思います。原爆という困難も重なり、これまで何
人の人たちが復興に参加したのか、想像もつきません。今の広島大
学はいろいろな学部に分かれて見事にひとつの大学として機能して
います。このように広島大学の基礎を知ることで、自分の学部である
教育学部は伝統の長い素晴らしい学部であることを知ることができま
した。広島大学は全国的にみても、誇れる部分が多いなと感じました。
教育・ 2 ・男 やはり、自分は広島大学に所属しているにもかかわら
ず、広島大学について何も知らないなと思った。広島大学があんなに
いろんな、そしてたくさんの学校から成っていたこと、さらには、いかに
教員養成に力の入った学校であるかが少しわかった。教育学部生と
して、とてもすばらしい環境で学んでいるということや、今までそのこと
に気づいていなかったことがどれだけ恥ずかしいことかということもす
こし分かった。これからは教育学部生としての誇りを持って行動した
いと思う。
教育・ 2 ・男 まず、広島大学が最も多くの前身校をもつ大学である
と知って驚きました。それだけ伝統のある大学なんだなあと思いまし
た。また、自分の所属する教育学部の構成母体である広島高等師範
学校が、東京高等師範学校と並んで、「教育の西の総本山」と呼ばれ
ていたということをはじめて知りました。広島大学といえば教育学部で
有名ということは知っていましたが、それが教育学部の構成母体の存
在に起因するものだとは知りませんでした。今回の講義でそれを知る
ことができてよかったです。
教育・ 2 ・男 広島大学の前身校はどれも素晴らしい理念の下で、
秀逸な人材育成に尽力していることがわかった。特に師範学校の数
が多いのは教育学部在籍中の私にとって非常に誇りに感じた。広大
が教育で有名な由来の一つはこのことからきているのではないかと考
えた。正直に言って、広大の歴史を知らなかった私は、広大を地方の
田舎学校だと思い少し馬鹿にしていた。今回の講義を通して自分の
考えががらりと変わった。今度本講義を聴講していないコースの友達
や他大学に通う友達に会ったあかつきには、今日の広大が誕生する
までのルーツを語りたいと思う。今回の講義は実に興味深かった。
教育・ 2 ・男 まず、戦前の進学率の低さに驚きました。今では、中
等教育進学率、高等教育進学率は、かなり高いです。また、僕は教
育学部生なので、教育学部の構成母体となった学校である広島高等
師範学校の話はとても興味深かったです。日本で 3 番目にできたと
いう事や、「教育の西の総本山」と呼ばれていた事から、今の広島大
学の教育学部が良いと言われている理由が分かった気がしました。こ
の授業は、広島大学のすごさを実感することができた授業でした。
の日本の大学の中で最多であることを初めて知った。「西の教育とい
えば広島大学」というのは何度か聞いたことがあるが、教育学部の構
成母体となった学校が多いことから、歴史の面からみても「教育」に多
くの力を注いでいるんだと感じた。
教育・ 2 ・男 まず、戦前と戦後の進学率を実際の数値で目の当たり
にして、改めて現代に生きる私たちは恵まれた環境に身を置いてい
るんだと実感した。高校・大学という段階を踏めていることを当たり前
だと思う部分が多少なりともあった自分自身を、見直すことができたよ
い機会だった。資料を見て驚いたのは、広島大学には 9 つもの前身
校が存在したということだ。これだけの規模を持つ大学なので、ある程
度は多いだろうと予測していたし、入学時のガイダンス等でそれなり
の知識はあったつもりだったが、それを超える数だった。同時に、各
学部ごと、各分野ごととも言えるほど多彩な前身校があるということが、
現在の広島大学の広く深い専門性を創り出しているのだろうと思った。
教育・ 2 ・男 広島大学は広島高等師範学校は、 1902 年に日本で
三番目に設置された中等教員養成機関である。広島高等師範学校
は東京師範学校とならび、「教育の西の総本山」と称され、 1920 年
に広島高等工業学校が設置されるまで広島県の唯一の高等教育機
関であったというのを学びこの今自分が通っている広島大学のすば
らしさを改めて実感した。この広島大学が積み重ねてきた歴史を学び
そして理解しこれからの授業に力を入れていこうと思った。また授業
にはちょっとはずれているが歴史だけにこだわるだけでなくこれから
の広島大学の未来にも興味を持った。
教育・ 2 ・男 講義を受けて思ったのは内容が単調すぎたと思った。
戦前の大学とはどのようなものなのかを聞くまではよかったがその後
は広島大学の前身校をひとつずつせつめいするだけだった。内容も
レジュメに書いてあることだけを言っているように思えた。広島大学の
教育学部は歴史があると高校のときの担任の先生にいわれており広
島大学の入学を決めたのもそこの部分が重要であった。今回の講義
を受けて広島大学の教育学部は歴史があるといわれている理由がわ
かったことはとてもよかった。その歴史のある教育学部にきたというこ
とでしっかりとこれから学んで生きたいと思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けてまず 2008 年の大学進学率が約
50 %もあるのにびっくりしました。今の日本がそんなに大学進学率が
あるなんて知らなかったです。また教育学部の構成母体である広島
高等師範学校は東京高等師範学校と並んで「教育の西の総本山」と
称され、 1920 年に広島高等工業高校ができるまで、広島県唯一の
高等教育だったということを知って、自分は現在教育学部に通ってい
るのでもっと誇りを持とうと思いました。またそういう歴史がある教育学
部なのでもっと責任を持った行動を社会に出てもやっていきたいです。
教育・ 2 ・男 今現在の広大はもともと 9 つの学校だった事が印象
的だった。教育学部、文学部、理学部、総合科学部、工学部、医学
部ごとの学校があり、それぞれが統合して広島大学となった。その事
は知らずに、広島大学ができて、それから各学部に分かれていったと
思っていた。また、旧帝国大学ではない広島大学だが、広島高等師
範学校として有名であったということで今でも教育機関として全国的
に有名である事は知っていた。そんな大学の生徒であることを自覚し
て、日々の生活を送りたい。
教育・ 2 ・男 まず、広島大学の前身校がこんなに多いとは本当に
予想外の事だった。教育学部の前身である広島高等師範学校の名
前くらい聞いた事あるくらいで、あとの学校はまるで聞いた事のない
学校ばかりであった。また、広島大学が、 1949 年に出された国立学
校設置法に基づいて設置された学校であり、決して帝国大学を目指
して設立された大学ではないということに大変驚いた。戦前の大学が
帝国大学を目指す事を基本とする一方で、広島大学は新しい大学
作りを目指したんだなぁと感心した。改めて、『東の筑波、西の広大』
と言われるだけはあるなと思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義で、広島大学の前身校がたくさんあること
を知り、とても驚いた。それぞれの学校に特色があり、その特色を生
かした学部へと変わっていったことも面白い変化だと思った。特に、
広島高等師範学校が非常に古くからある教育機関であることは知っ
ていたが、「教育の西の総本山」と言われるほどの高等教育機関だっ
たというのを知り、広島大学の凄さを再認識することができた。広島大
学といえば教育学部という認識はそこからきたことも分かってよかった。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学にはたくさんの前身校
があることを初めて知りました。それぞれの前身校に特徴があり、それ
を見比べていくのが面白かったです。今の広島大学はそれらを受け
継いでいるのだと思いました。過去の功績があってこそいまの広島大
学があるのだと思います。また、今は中学校や高校に進学することは
当たり前だけれど、昔はとても進学率が低くて驚きました。昔の学校
体系を見るのも面白かったです。
教育・ 2 ・男 今広島大学か巨大な大学となっているのは、あらゆる
学校が構成母体となっているのに驚いた。また、広島大学が世間か
ら非常に立派な学校として認められているのは、広島大学がつねに
帝国大学の夢を持ち、そして今や全学部に博士課程を持った。そし
て、帝国大学相当の総合大学の地位を確立しているからなんだと知
った。現時点ではこういう印象がもたれているが、今後私たちが卒業
していったとき私たちをみて良くも悪くも印象が変わると思うと、非常
に重要な役割をもっているんだなと思った。
教育・ 2 ・男 私は、旧広島師範学校である広島大学にあこがれて、
広島大学の教育学部に入学しました。広島大学の前身は旧広島師
範学校だけだと思っていた私は、今回の講義を聞いて、初めて広島
大学にはたくさんの前身校があることを知りました。ほかに前身校が
あることなどまったく知らなかったので、とても驚き、また、広島大学生
であるうえでそのことを知れてとてもよかったと思いました。今後も広
島大学の歴史の講義でさまざまなことを知っていきたいです。
教育・ 2 ・男 今の広大はさまざまな学校が母体となって出来ている
のは知っていたが、その数は想像以上だった。母体となった学校そ
れぞれに歴史があり、その母体となった学校の数だけ今の広大に歴
史があるのだと考えると、いまの自分では予測もつかないほど莫大な
歴史があるのだと思った。これでは何のため広大に来たのかわからな
い。どれだけ歴史について知識を深めれるかはわからないが、広大
生の一人として恥じないように、この講義を通してその歴史に触れて
みたいと思った。
教育・ 2 ・男 大まず、「現在と戦前の大学進学率」について資料か
ら、今の進学率は過去最高であり、戦前では 1 %も満たないことを知
って、大学進学が衆化しているということを実感した。「広島大学の包
括校」の内容では、広島大学が九つもの前身校を持ち、それは戦後
教育・ 4 ・男 現在ある広島大学の前身が広島師範学校や広島高
等師範学校であることは知っていたが、他に広島高等学校や広島工
業専門学校も広島大学の前身であったことは、今日初めて知った。
全部で 9 つの学校が統合したわけであるから、広島大学が総合大学
であり、キャンパスも日本で 1 , 2 を争うくらい広大であることに納得
した。自分は大学院にまで進学しようと思っているが、「広島大学の源
流」を知っている社会から想像されている人材以上の人材になるため
に、より一層の努力をしようと思った。
経済・ 1 ・女 戦前は限られた人たちだけが大学に通うことができ、
卒業生の大部分は官僚となり、大学とは官僚養成と研究者養成の機
能を持つものとされていた。その後、法律が変わったことにより大学は
増えていき、 1902 年、今の広島大学の教育学部の構成母体となる
広島高等師範学校が設立された。そのころはまだ中等教員養成機関
- 542 -
であり、卒業生も中学校、師範学校、高等女学校や産業教育、高等
専門教育、教育行政職に就くものが多かった。そして文学部、理学
部、教育学部の構成母体となる広島文理科大学、総合科学部の構
成母体となる広島高等学校が、工学部の構成母体となる広島工業専
門学校、広島市立工業専門学校、教育学部の構成母体となる広島
女子高等学校、広島師範学校、広島青年師範学校、医学部、同付
属病院の構成母体となる広島県立医科大学が次々と創設されていっ
た。それでも、始めのころは大学に通う女子生徒の割合は少なく、増
えてきたのは最近である。男子、女子ともに大学に通うものの割合は
大幅に伸びた。学びたい学問を学びたい学部で学べることができる
私たちは幸せだと思う。また中堅レベルの優れた卒業生を生む広島
大学で学るのだから、精一杯勉学に勉めるべきだと思う。
経済・ 1 ・女 今回の授業は、広島大学の源流ということで、広島大
学の包括校について特に詳しく知ることができた。それで、今ある学
部の源流はそれぞれの包括校にあることがわかった。その中で気に
なったのが、自分の属する経済学部の源流である。包括校の中に、
経済学部の由来となった学校がなかったので、どういう風にして経済
学部が設置されたのかとても気になった。また、戦前の大学進学率が
1 %未満という低さに驚いた。現在は 49.1 %で、時代の変化のすご
さを感じた。
経済・ 1 ・男 まず、戦前と現在では経済的な面や社会的なことを考
えると当たり前といえば当たり前だけど大学進学率がほぼ 50 %も違
っていて、その果たす役割が全く違うことを改めて感じ、興味深かっ
た。昔は官僚、研究者養成の機能がメインだったけど、今ではとりあ
えず大学に進学しようという考えを持った人も多いと思う。一概にそれ
が悪いとも言えないけど・・・。広島大学の前身校は、広島高等学校を
筆頭にどれも平均以上に優秀な学校で少し凄みをかんじた。自分も
そのような凄い学校にいるのに恥じないような人物になりたい。広大
生として一般的にもとめられている実務家としての能力に優れた人に
なれればいいと思う。前身校の紹介で経済学部がなかったのが残念
だった。ガイダンスの資料 538 を持ってます。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学が教育学部で有名で
あるということに納得しました。高校時代から、「教育学部といえば、広
島大学」ということをよく聞いていましたが、理由はわかりませんでした。
しかし、今回の講義で、広島大学の前身校のほとんどが教員養成の
ための学校であったことを知り、広島大学の教育学部の歴史は非常
に深く、そのため全国でも有名であるんだなと実感しました。また、今
回の講義で、戦前の教育制度についても学ぶことができました。戦前
に比べ、今の教育制度は、ほとんどの人が望むように学問できるシス
テムであり、今の時代に生まれて自分は幸福だなと思いました。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受けて一番印象的だったのは、広島大
学の前身校の数の多さです。私は、いくつかの学校が合わさってい
たことは知っていましたが、 9 つもの学校が合わさってできているもの
とはまったく知りませんでした。だからこそ、このように多くの学部が揃
った総合大学になることが出来たのだと聞くと納得できました。そして
私は、このように様々な学部の人と同じキャンパスで勉強できているこ
とがなんだかとてもすごいことのように感じられました。これからはこの
ような環境で学べることに感謝し、様々な人と接する仲で多くのことを
学んでいきたいと思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学には 9 つもの前身校がある事を知り驚きまし
た。各学部がそれぞれ長い歴史を持っているので、総合大学として
誇れることだと思います。また、広島大学は教育学部が有名ですが、
戦前からの歴史を経たものだとは知りませんでした。他大学でも有名
な学科は広島大学のように歴史があるのだろうと思います。また、戦
前と比べると現在は進学を望めば誰でもできる時代です。戦前は進
学のチャンスは今よりかなり希少な事で学生の意識ももっと高かった
のではないかと思いました。今時分が大学で学べていることに感謝し
たいと思います。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受けて私が初めて知ったことは、広島大
学は帝国大学ではないということです。講義では、現在は多くの人が
知っていることだとおっしゃっていましたが、私は今日初めて知りまし
た。おそらく私の周りの友人や家族にも知らない人はいると思うので、
伝えたいと思います。また、現在の広島大学になるまで拡大発展を続
け、真の大学となったということも伝えたいと思います。そんな広島大
学に入学して今さまざまなことを学んでいるので、講義でおっしゃって
いた通り、実務家としての能力を身につけたいと感じました。
経済・ 2 ・女 戦前の大学進学率の低さに驚きました。当時はまだ勉
学の意識が薄かったのだと思います。広島大学は戦後まもなく設立さ
れ、 60 周年を迎えています。広島大学は、広島文理科大学や広島
高等学校など、各学部の母体となる学校が合併したのだと初めて知り
ました。私立大学によく見られるように、広島大学は時間を経て学部
がどんどん新設されて大きくなってきたのだと私は思っていました。そ
れぞれの学校の特色を織り込んだ広島大学の教育を受けれることを、
誇りに思っていきたいです。
経済・ 2 ・女 今回の講義は広島大学の源流でしたが、前身校 9 つ
のうち、教員養成系の学校が多いことに気付きました。これは、現在も
名高い広島大学教育学部の根源なのではないかと思いました。さま
ざまなジャンルの学校があるのも、総合大学としての広島大学に大き
な影響を与えていると思います。私たちは日本社会の中堅的人材お
よび実務家としての能力に優れた人材たるための教育を受けている
ことをわきまえ、勉学に励むべきだと考えました。
経済・ 2 ・女 教育実習で広島大学の先輩と交流をもったり学校や
塾の先生の話を聞いて、広島大学の教育学部は有名であることは知
っていたが、その教育学部の構成母体となったのが広島高等師範学
校で明治 35 年に日本で 3 番目に設置された中等教員養成機関で
あり東京高等師範学校と並び「教育の西の総本山」と称されているこ
とはしらなかった。私が広島大学附属福山中・高等学校の学生であ
ったとき毎年 8 月 6 日には山中高等女学校慰霊祭式典があったの
で少しは当時のことについて知っていると思うのですが、次回の講義
でより詳しく教えていただけるのを心待ちにしている。
経済・ 2 ・女 広島大学について知りたいと思い受け始めたこの授業
ですが、今回は戦前までもさかのぼって今日の広島大学がどのように
成り立ってきたのかを知れてよかったと思う。
経済・ 2 ・男 広島大学の前身校を見ていって広島文理科大学を除
いてほとんどが教員養成のような学校で、教育の広島と言われるだけ
はあるなと思った。それが今にまで受け継がれているというのは、広
島大学がきちんとした実務家養成を目的として指導ができているとい
うことだから、過去をしっかり受け継いでいることはすばらしいことだと
思う。僕は教育学部ではないが、しっかりと専門的な知識を吸収し、
蓄積して、社会に出て広島大学の名に恥じないようにしないといけな
いと思った。しかし、僕は経済学部生だが、経済学部の歴史が予想
通り浅くて少しガックリだった。
経済・ 2 ・男 広島大学といえば教育学部が質が高くて有名、という
世間の目はある程度わかっているつもりでいましたが、その理由まで
は考えが及んでいませんでした。長い歴史を持つ広島高等師範学
校が源流を汲んでいて、さらに 1920 年までは広島県唯一の高等教
育機関だったと聞き、誇らしい気持ちになりました。しかし、似た名前
の広島師範学校での、「授業料を支払う必要がないが 10 年間広島
県教員を勤めることが強制された」というエピソードを聞き、強制という
昔らしいワードから漠然と悪いイメージを持ってしまいました。
経済・ 2 ・男 広島大学の前身は、広島高等師範学校だけだと思っ
ていたが、ほかにも広島文理科大学や広島女子高等師範学校など 9
つもの学校がとうごうしているときいておどろいた。しかし、そこに経済
学の前身となる学校がなかったのでこの講義が終わるまでに経済学
部がいつできたのかなど自分で調べたり聞いたりしていきたいと思い
ました。大学進学率が戦前の 1 %未満に比べ現在の約 50 %は今
の高学歴社会を象徴する数字だと感じ大学を卒業する人数も昔とは
比べ物にならないのだとわかりました。誰でもいける大学だからこそみ
んなに負けないように勉強していかないといけないと感じました。
経済・ 2 ・男 戦前の大学進学率が 1 パーセント未満というのは覚え
やすいので知っていたが、中等教育、高等教育の進学率までもが 5
パーセント未満という事実は、初めて知ったように思う。学問をしたく
ても学校に行けないという状況だったということだと思うので、戦後の
教育制度の大幅な改善に感謝しなければならないと感じた。広島高
等師範学校というものの存在を本日の講義で知って、 1902 年からと
いうのは極めて歴史が古い。教育学部の母体になったと資料にはあ
ったが、広島大学と聞いて教育学部を第一に挙げる人間を結構見る
が、これを知るとそれも解るような気がする。
経済・ 2 ・男 僕は、経済学部の生徒なんですが経済学部の前身と
んあた学校がなくてちょっとテンションが下がった。また、前身となった
学校がないならどのような経緯で経済学部また法学部などのその他
の学部ができたのかが気になった。広島大学といえば、教育学部と
いわれているがなぜそうなったのか知れてよっかった。広島大学は中
堅で堅実な人材を輩出し続けているといわれたが、僕はそんな人に
なるつもりはないないので、このいろんな学部のある広大で多角的に
物事を見れる大人になって大学を出て行きたい。
経済・ 3 ・男 統合される前の九つの教育機関のうち、教育に携わる
機関が数多くあったということで、広島大学といえばまず一番に教育
学部の名前が挙がる理由がよく分かった。旧帝国大学にひけを取ら
ないほどの進化を遂げたことは大変素晴らしいことだと思うし、その大
学に入学できていることを誇りに思うようになった。原爆被害によって
本来の目的を達成できなかった教育機関があることも今の広島大学
の繁栄を確固たるものにしている要因の一つなのかもしれない。
経済・ 3 ・男 現在では、大学進学率が 50 %近くあるのに、戦前は
1 %未満しかいなかったことは高校時代に日本史を受講していたの
で知っていたが、卒業生のほとんどが官僚になっていたのは知らなか
ったので驚いた。広島大学の少尉区が有名なのは、やはり前身校で
ある広島文理科大学の影響が強いのではないかと感じた。経済学部
や法学部などの母体となった学校が紹介されていなかったので、そう
いった学部は広島大学として統合されてからできたものなのかと疑問
に思った。
経済・ 3 ・男
- 543 -
広島大学には、昔にさまざまな分校がありとても歴史
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
がある大学だと思い、興味がわいた。
経済・ 3 ・男 今回の講義を受けた上で、今まで私が抱いていた広
大のイメージとほとんど同じだと思いました。社会に出たときに、実務
者として期待されるであろうということを先生がおっしゃっていましたが、
私は実務者として、社会に順応する能力を身につけたいということを
理由に広大を受験しました。これから残された大学生活では、広大に
対する世間のイメージに反しないだけでなく、新しい広大卒業生のイ
メージを作り出していけるような社会人になれるように勉強を続けて生
きたいと思います。
経済・ 3 ・男 二年前、広島大学を受験した際、私はただ単に受かり
そうだからという理由だった。広大のここがいいから という理由は全
く無かった。しかし、今回の講義を受けて、こんなにも深い歴史があり、
伝統ある広大で今学べていられることを本当に嬉しく思った。広島大
学と言えば教育学部 というくらい、教育学部は有名だが、僕達経済
学部生も頑張って、教育学部に負けないくらい有名にしていきたい。
また、卒業後は胸を張って広大卒と言えるように、今後も悔いのない
学生生活を過ごしていきたい。
経済・ 4 ・男 一時はゆとり教育という方針が採られたものの(私の世
代)、昔に比べ、時がたつにつれて次第に高学歴社会となっています。
大学にいくのなんて当たり前というような時代ですが、昔はそうでなか
ったことは、多くの人が知っていることでしょう。そんな中で私たちが今
通っている広島大学の前身には全国でも数少ない大学があったとい
います。そのような歴史的背景からか、広島大学生に求められる人物
像として「堅実な実力を備えた人材」を挙げられていました。私は今
公務員を目指して勉強をしていますが、公務員になるにあたりぴった
りの人物像であると感じました。卒業するころには、そんな人物になり、
仕事に励んでいければよいな、という風に思います。
経済・ 4 ・男 まず、広島大学の前身校がこんなにもたくさんあること
にびっくりさせられました。そして今では、教育の広大といわれている
源が分かったような気がします。私も教育者を志す一人であるため、
この広大の看板を背負っているという自覚をはっきりと持たないといけ
ないと感じました。また、本講義でもいわれた、日本社会の中堅的人
材・実務家としての能力に優れた人材たることを望まれていることも自
覚しないといけないと思いました。
経済・ 4 ・男 時々、広島市内に車で出かけるのですが、その時に
旧キャンパスのある道を通ります。その時、広島大学の歴史を肌で感
じることができ、また、それより以前の、広島大学という名を持つ前の
歴史は、大変興味深いものでした。たくさんの歴史を持ち、伝統があ
り、その歴史に応じたたくさんの人間を社会に輩出してきており、また
自分もそのような人間の一人にこれからなります。その時に、広島大
学の名前の重さを考えて、社会に恥じない自立した人間でいられるよ
うに努力したいです。
工・ 1 ・女 現在では約半数の人が大学に進学しているが、戦前は
大学へ進学する人はほとんどいないというのは意外だった。それに比
べ、現在では進学率も飛躍的に向上し、また大学の乱立も進んでい
る。以前では大卒は一つのステータスであったと考えられるが現在で
はそうも言えないであろう。そんな世の中であるので大学の選択には
よりいっそう神経を使う必要が出てきた。企業も大卒という資格だけで
なく、出身校をよりいっそう重視してくるだろう。そんな中、広島大学に
入学できて良かったと思う。
工・ 1 ・男 大学の歴史とは社会的な歴史に非常に適合しているも
のだ。戦前、敗戦した日本は驚くべき速さでその復興を遂げた。その
ためには先進諸国からの学術文化の収集・蓄積が何よりの急務だっ
たに違いない。しかしそれだけでは一時の発展にほかならず、将来
的に考えると必要なことは多くの若年代の学力の向上であった。そこ
で小学校、中学校は義務化され、大学は多くの高等・師範学校を包
括した。現在では高等学校、大学の進学率は戦前では考えられない
ほどあがっている。この戦後からの大きな教育転換が日本の素早い
復興を遂げただけでなく、現在も先進諸国の中で非常に大きな立場
を持つ存在になったのである。
工・ 1 ・男 僕が一番今回の講義で驚いたのが、広島大学の包括校
がこんなにたくさんあったことです。確かによくよく考えてみれば、広
島大学は全国でも有数の大学かつ、かなり大規模な総合大学です。
だからそれなりの包括校の数は予想できますが、ここまでとは・・・。僕
が前から気になっていたのが、教育学部のことで、他の旧帝大など全
国の大学では教育学部を完全に切り離し新たに別大学を設立しまし
たが、広島大学は教育学部を今でも広島大学の中の学部として位置
づけていることです。やはりそれは、他大学の教育学部に比べて高
いレベルで維持できてるからのかなだと思いました。
工・ 1 ・男 今回、「広島大学の源流」という講義において、戦前から
戦後くらいの時代には広島大学という大学というものではなかったと
いうことを聞いたとき、まず驚きました。工学部の元となった広島工業
専門学校など、現在の各学部にはそれぞれのもととなる学校があった。
しかし、研究者を育てる学校は、広島文理科大学のみであったことに
も驚かされました。講義の先生が、広島大学の教育学部に入るとすご
いって世間の人が言う由来かもしれないとおっしゃっていたので、納
得しました。また、工学部として広島大学は実務者を育てる場所だと
聞いたとき、誇らしく感じました。
工・ 2 ・女 私は AO 入試で入学したのでそのときに少し広島大学
の歴史を調べ前進校についても調べました。しかし、私の調べたのは
前進校の名前だけでその学校が出来た背景や目的などはまったく知
りませんでした。それが、今回の授業で分かり、それぞれの学校には
それぞれ目的があり、実際はどのような働きをしていたかも知れて面
白かったです。また、広島大学の前進校には成績優秀な大学が多か
ったことには驚きました。また、広島にも帝国大学を作りたいと思って
様々な種類の大学があり、帝国大学を作ることはかないませんでした
が、現在、総合大学として活かされていると思いました。
工・ 2 ・女 今回は戦前の大学について学びました。現在の大学進
学率は 50 パーセント近いのに対して、戦前は 1 パーセント未満だっ
たということを知って驚きました。私は今親のお金で当たり前のように
大学に通っているけれど、戦前の子供たちからすると大学に通えるこ
とはすごい幸せなことであり、感謝しなければならないことだと思いま
した。広島大学には構成母体となった包括校があり、それぞれの歴
史について学びました。それぞれの大学には教育方針や卒業後の
進学に特徴があります。また、広島大学は帝国大学ではなかったとい
うことを今日知りました。しかし今では総合大学に数えられるようになり、
すごいと思いました。これからも広島大学が日々成長していくことを望
んでおります。
工・ 2 ・女 今回は広島大学の戦前の包括校の歴史の話が聞けてと
ても興味深かったです。まず話を聞いて驚いたのは、広島大学の前
身校が 9 個もあったことです。そしてまた、その前身校の中にある「広
島文理科大学」という学校が、当時、東京文理科大学とあわせて日本
に 2 つしかない大学に含まれているということを知って、広島大学は
昔からすごい地位にあった学校だったのだなと感じました。そして広
島高等学校の卒業生の 75 %の人が大学へ進学していたなんて、私
たちの先輩はものすごく賢い方々だったのだなと誇らしく思いました
し、そんな先輩方に続くように私も広島大学生としてしっかり学問に精
進しなければならないなと改めて思いました。資料を見ていると昔の
広島大学というのはほんとにレベルの高い学校だったのだとわかりま
したが、帝国大学ではなかったのが不思議に思います。そして自分も
広島大学が帝国大学ではなかったのだと今日初めて知って驚きまし
た。ですが、帝国大学ではなくても、どれもすばらしい学校が複合し
て現在の広島大学が出来上がりましたし、そんな歴史のある広島大
学に自分も入学できて、本当に良かったなと思いました。今日の講義
を通して広島大学の歴史を知ることができてとても良かったです。現
代社会から今広島大学に求められている「日本社会の中堅的人材」
になれるよう、日々頑張っていきたいなと改めて思いました。
工・ 2 ・女 今日この講義を受けて、広島大学が日本で一番多くの
前身校を統合してできたのだと知りました。様々な分野の学校が統合
したのでこんなにたくさんの学部があり、そしてそれぞれに歴史が深
いので研究内容も充実しているのだなと思いました。広島大学は教
育学部が看板だということをよく耳にしたことがありましたが、東京高
等師範学校とならび、「教育の西の総本山」と呼ばれていたことを知り、
その歴史の深さを知りました。私が通っていた高校に、 2 年間交換制
という形で広島から先生が来たことがありました。お互いの県で先生
を交換して派遣しその県の教育の現場を見てきて、自分の県の教育
に活かすものだったのですがそのときに広島の教育は進んでるという
話を聞きました。広島大学だけでなく広島全体で教育が発達している
のだなと感じました。最初は、研究者養成機関は広島文理大学だっ
たのに、拡大発展をつづけ今は全学部に博士課程を持つまでになっ
たのがすごいと思いました。広島師範学校は授業料がかからない上
に教員になれることが保証されていて、今こんな学校があったら大変
人気になるだろうと思いました。広島大学は旧帝国大学ではないけ
れど、同じくらい歴史も実績もある大学なんだとこの講義をうけて改め
て感じることができました。
工・ 2 ・女 今年で広大生として 2 年目になるのにもかかわらず、こ
れまで一回も広島大学がどのような経緯で今のような姿になったのか
ということを考えることがありませんでした。でも今回の講義を受けて
広大の歴史のことを知ることができ、ようやく広大生としての一歩を踏
み出せたような気がします。広島大学は 9 つの学校から構成されて
いたということを聞いたときは驚きました。とくに教育学部については
構成母体になった学校が 5 つもあって、広大の教育学部が有名な理
由がよくわかりました。また広島は原爆が落とされた都市でもあるのに
昔からの学校の特色が今まで続いていてすごいと思いました。こんな
深い伝統のある大学に入れて本当によかったと思います。これからは
自信をもって広大生であることを自慢できます。また、講義中に言わ
れたように、広島大学を卒業してからは「日本社会の中堅的人材」そ
して「実務家としての能力に優れた人材」たることを社会から望まれて
いるので、その期待に応えれるような社会人になりたいと思いました。
工・ 2 ・女 広島は原爆を落とされた場所なので戦後に最初から広
島大学として建てられたと思っていたがいろいろな大学、専門学校、
高等学校と併合して今の大きな大学になって、思ったよりかなり歴史
があることがわかって、自分が広島大学にいることにほこりを持てた。
また、広島大学が帝国大学を目指すほど規模が大きく、優秀な大学
であったこともわかり自信がもてた。だから、この偉大な歴史を持つ広
- 544 -
島大学に恥じないようにこれからもすばらしい歴史を刻んでいけるよう
勉学にはげんでいこうと思った。
工・ 2 ・女 まず戦前と現在の高等教育、大学進学率の比較を聞い
て今では当たり前となっている高校進学や大学進学は戦前 5 %未満
だということを知って驚いた。さらに、戦前の大学とは官僚養成機関で
あり、研究者養成機関でもあった。いまはそのような役職につくことは
まれで、戦前では限られたとても恵まれた環境にある人たちのみが大
学に進学していたことがわかった。わたしは工学部に所属している。
その工学部の構成母体となったのは広島工業専門学校で 1920 年
に設置されたという。今、わたしは 90 年続く伝統の中で勉強をしてい
るのだなと思った。広島大学は 9 つの前身校があり、旧帝国大学に
続く大学として設立されたことがわかり自分はすごい大学にいるのだ
と誇りを持って学生生活を送ろうと思った。
工・ 2 ・女 今の広島大学の前身となった学校が、それぞれの学部
についてあり、それらが合わさってできたのが今の広島大学であると
いうことを初めて知った。今は半分近くの人が大学に進学するそうだ
が、戦前では大学に進学する率は大変低かったことに驚くと共に、前
身となった学校の中では、原爆のために数年しか授業を行うことがで
きなかった学校があることには、戦争における悲しさを感じた。また、
昔における進学のコースは、今の小学校、中学校、高校、大学といっ
たある程度決まったコースがあるのだが、昔はいろいろな進み方があ
ったことに面白さを感じた。
工・ 2 ・女 今回で、広島大学の包括校を初めて知ることができ、良
い知識を得ることができたと思う。だが、一番印象深かったのは、戦前
は現在と違って大学への道は本当に狭き門だったということだ。今で
は大学進学率は高く、多くの人が当たり前のように大学へ進学してい
る。しかし、戦前は限られた人しか大学で学べなかったのだ。だから、
今当たり前のように大学で勉強をしているが、それをきちんとありがた
いことだと考えてきちんと学んでいきたいと強く思った。
工・ 2 ・女 広島大学のもとになった戦前もしくは戦後すぐの大学に
ついて学んで、まず戦前の大学は官僚養成もしくは研究者養成の機
能が基盤で大学進学率が約 1 %未満ととても少なかったことから、現
代よりも戦前の人の方が勉学に貪欲だったのかなと思いました。また
個人的に興味があったのは、私は工学部なのですが、広島市立工業
専門学校が時局の要請に応え、土木科が無くなり機械科と航空機科
の 2 学科になっていたことです。やはり戦争によって、大学の学科も
左右されていたんだと改めて感じました。現在の広島大学は在校生
に対して、日本社会の中堅的人材、もしくは実業家として優れた人材
を望んでおり、ただ単に授業を聴いているだけでなく自分から意見を
主張したり質問もしていく積極性が必要であると学びました。
工・ 2 ・女 中学校などで歴史を習って、戦前には学校に行ける人
がほとんどいなかったことは知っていたが、今回の講義で本当に少な
かったんだということを実感した。 1 年で 274 人しか大学を出ないと
いうのは本当に驚きだ。また、広島大学は戦後日本の大学の中で最
も多くの前身校をもつ大学ということで、様々な学校があり、またそれ
が今の広島大学の母体になっているということには少し感激を覚えた。
前身校から考えると、本当に多くの人が広島大学を卒業していて、
様々なところで活躍していると思うと、自分が広島大学に入ってよか
ったなと思える。広島大学の源流を知っている社会からは、日本社会
の中堅的人材、実務家としての能力に優れた人材たることを望まれて
いるとあったが、自分もそうなれるよう努力しようと思う。
工・ 2 ・女 広島大学の源流の講義を受けて、今の私たちの大学進
学率はすごいことなんだと改めて思った。戦前は 1 %未満であったこ
とや、大学は官僚養成と研究者養成の機能を持っていたことを考える
と今の私たちは学ぶ機会も、職業選択の自由も与えられていて恵ま
れているのだろうと思った。でも、講義を聴いて、学校に入学するのが
難しいことや帝国大学までの長いみちのりがある分、今の私たちより
もずっと勉強をすごい熱心にしていたのだろうと想像した。帝国大学
を卒業する人の大半が官僚となっていたことなど考えると大学に行く
ことの意味が今とはずいぶん違うのだと感じた。また、広島という土地
に日本で 3 番目の高等教育機関があり、教育熱心であったことを初
めて知り、なぜ広島に置かれたのだろうかと思った。昔は学校ごとに
専門とする教科が分かれていて、その後の職業が決まっていたり今と
は違いすぎて、正直どちらがいいのか、教育は発展しているのか決
められることではないのだろうなと思った。
工・ 2 ・女 。広島大学の元となった学校で知っていたのは広島高等
学校だけであったので 9 つもの学校が前身校であったという今回の
講義はとても興味深いものでした。そのなかでも教育学部が有名であ
るということは知りませんでした。確かに全身校の中でも師範学校の
数は多いし教育学部の基礎が徹底して形作られていることは今回の
講義で知りましたがはたしてどれくらいの人がこのことを知っているの
でしょうか?広島大学には旧帝大に劣らない素晴らしい歴史があるの
にきっと学生のほとんどがこのことについて知らないと思います。教育
学部の学生も入学するまで知らない人ばかりなのではないでしょうか。
このような誇れる源流はもっと多くの人に知ってもらいたいと思いまし
た。また教育学部だけでなく全体を見た中でも広島大学=実務家養
成のイメージであることを自覚し就活などで広島大学の印象を悪くす
るようなことをしないようにしなければと思いました。
工・ 2 ・女 今回の講義で、それぞれの学部がどのような前身校から
できていったのか学んだ。私は工学部だが、前身校が「広島工業専
門学校」であるということは知らなかった。この学校の卒業生の進路先
として、多くが大企業や広島を中心とする中堅企業とあった。この学
校は、大企業にも通用するような技術を教えていたのだろうかと思うと、
その学校を構成母体にする「広島大学」は、昔よりも、より質の高い教
育をしているのかなと思った。
工・ 2 ・女 まず、現在大学進学率が約 50 パーセントなのに対して、
戦前は 1 パーセント未満であることから、自分たちは今は昔とは違っ
て将来のことを考える余裕をもつことができる贅沢な生き方をしている
んだと実感しました。次に、広島大学はもともとさまざまなジャンルの
専門学校を集めたような学校であり、戦後の日本の中で最も多くの前
身校を持つ大学と言われています。この前身校の多くは私が見る限り、
教員を輩出する学校が多い気がします。やはりその当時最も必要とさ
れていたのは、研究者でも技術者でもなく、より多くの子供たちに勉
強を教えていくための教員だったのだと思います。広島大学はいくつ
もの前身校を持ったため、帝国大学相当の総合大学としての地位を
確保しみんなが満足のいく教育を与えることができるのだと、この講
義を聞いて感じました。
工・ 2 ・女 広島大学、というものはただただ国が建てたというだけで
はなく、もともと 9 つの前身校があって、今の総合大学のスタイルにな
るということを今回の講義を聞いて初めて知った。 9 つの前身校の一
つに私の所属する工学部の元となる広島工業専門学校があり、そこ
から多くの中堅企業に就職する人や官公庁の技術者になる人がいた
と知って、誇り高く思い、そのような素晴らしい先輩が今後広島大学
にもっと誇りを持ってもらえるよう、自分もより一層努力しなければなら
ないと思った。
工・ 2 ・女 戦前の大学が今とは違う認識にあったことを知ってはい
たが、改めてその役割を知って、今現在とのギャップに驚いた。特に
目に留まったのが進学率の低さである。どれだけの人間が進学を諦
めたのかと思うのと同時に、周りに流されて大学へ進学する人の多い
現代の私達の勉学への志の低さを痛感した。戦前の大学卒業生の
大半が官僚となったのも、きっと彼らが学ぶことが出来る喜びを知っ
ていたからだとろうし、中学校まで義務教育で、その上容易に高等学
校や大学などへ進学できる現代人にはない感覚だと思われる。そし
て、広島大学が日本に 2 つしかなかった文理科大学を包括している
ことに驚き、帝国大学相当の総合大学としての地位を確保しているの
にも納得できた。私達はそういった地位の大学に通っていることに誇
りを持ち、世間が望む“中堅的人材”や“実務家としての能力に優れ
た人材”をなれるように尽力する必要があると思わされた。広島大学
について深く知っていくことで、これからの学生生活を見直すきっか
けになりそうだと改めて感じさせられた講義だった。
工・ 2 ・女 広島大学について何も知らない私は、色々な私立大学
がそうであるように広島大学も長い歴史があるのだと勘違いしていま
した。今回の授業で特に驚いたのは広大はたくさんの学校が統合さ
れてできたのだということです。話をで、教職につくための学校が多か
ったということを聞いて、なぜ広大の教育学部がこんなにも有名なの
かということを知りました。また、それらの事をふまえると、広大生は
「日本社会の中堅的人材」であり、「実業家としての能力に優れた人
材」であることが望まれると聞き、そのような人物になれるようこれから
も努力して学習していきたいと考えました。
工・ 2 ・女 広島大学は戦後日本の大学の中で最も多い 9 つの前
身校を持つことを知って、その多さに驚いた。それぞれの学部には構
成母体となる学校があることも始めて知った。戦前の大学は帝国大学
といって、官僚の養成や研究者養成の機能を持っており、広大は帝
国大学ではなかったこともわかった。また、広島文理科大学は文学部、
理学部、教育学部の構成母体となった学校であり、広大の方向性を
特徴づけた教育機関であり、卒業生は教職につくことが義務づけら
れたということを知り、広大の教育学部には伝統があるということの意
味がわかった。
工・ 2 ・女 広島大学のもとの学校が教育学部系で、非常に有名だ
った(広島高等師範学校)というのは聞いたことがあったのですが、あ
んなに師範学校が多かったとは知りませんでした。かつての師範学
校は授業料がかからず、就職先が安泰という所があるというのはいい
なと思いました。今と各家庭の経済状況が違うせいというのもあるので
しょうが、お金がなくても意欲があれば勉強できたならそれはいいこと
だと思います。今は、冒頭の資料でもあるように就学率も上がり、男女
差別も減ってきて本当に良かったと思います。男女差別といえば、広
島女子高等師範学校というところがあったのは意外でした。広大出身
の人は社会に、中堅的人材であり、実務家としての能力に優れた人
材たることを望まれているというお話でしたが、私も社会の期待に応
えられるよう努力していかなければならないと思いました。
工・ 2 ・女 学力と希望をもとに広島大学に入学したのですが、この
授業で世間からは広島大学の学生たる者常に堅実な行動を求めら
れているということを過去の栄華と共に学ぶことができたように思う。授
業では昔は西に広島の大学や高校あり。といった風なことを言ってい
たが、それを考えるとその華々しい状態を維持できていない現状がと
- 545 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ても悲しく思えてならない。以前は行った学校などにより卒業後の進
路がほぼ決定してしまうことや工学部の基となったところでは倍率が
今とは比べ物にならないほど高かったことが驚きでした。最後に、堅
実に生きたいです。
大学が、それらに匹敵する教育水準を得て新制広島大学となったの
だということがわかった。また、実務力に優れた学生を多数輩出する
という広島大学の特色は社会にとっても必要不可欠なものだというこ
とがわかった。
工・ 2 ・女 市内にあった広島大学が今の広島大学の始まりかと思っ
ていたが この講義を受けて,広島大学は広島高等師範学校をはじ
めとする 9 つの学校を包括していたことを知った。私の所属する工学
部は広島工業専門学校が母体となっていたことを知り驚いた。このよ
うな点で広島大学の歴史を考えてみると 包括された大学にも個々に
歴史を持っていたのであろうから広島大学はその歴史からみても総
合大学であると考えた。レジュメの日本の教育機関を時代ごとでみて
みると,昔と今ではまったく異なっていたし、生産年齢人口の学歴構
成の変化においては,不就学の割合は年々減っていて,日本の教
育に対する考えが高まったからではないかと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校としてはおもに広島の大学・専門学
校など 9 校があり、それぞれが現在の広島大学の各学部の構成母
体となった。たとえば文、理、教育学部の構成母体となった広島文理
科学校は東京文理科学校とあわせて日本に 2 校しかなかった大学
であったなど、それぞれが当時日本に誇った学校であった。そのため
現在の広島大学の学部はその数の多さもさることながら、各学部に広
島大学としての歴史と前身校から続いてきた長い歴史のを併せ持っ
ているのだと私は感じた。
工・ 2 ・女 広島大学が今の広島大学となるためには、こんなにも多
くの前身校があったということをしって驚きました。
工・ 2 ・女 今回の講義では、広島大学のこれまでの新制広島大学
の構成母体となった包括校の歴史について振り返るという講義でした。
私自身は、広島大学が少し前まで広島市内の方に設置していたとい
うことしか知っておらず、今回は初めて耳にしたものが多いと感じる講
義でした。その中で学部ごとに包括校が異なっていたことに驚きまし
た。自分が所属している工学部も、元は広島市立工業専門学校とい
うものであり、化学・バイオ・プロセス系の学科はなかったということも
知り、どういう過程で設置さいれたのかという疑問も持ちました。今回
の講義は自分が知らなかったことも多く興味を持って受けることがで
きました。
工・ 2 ・男 戦前の大学は帝国大学であり、 7 つしか設置されていな
かったことに驚いた。この大学の少なさでは、大学進学率が低いこと
に納得できた。戦前では、大学進学率が 1 %未満であったのに比べ
て、今では 50 %近くもあるので、学歴社会になってきていることを感
じた。広島大学の前身校には広島高等師範学校や広島文理科大学
など、初めて耳にする学校名がほとんどだった。広島大学の歴史にま
た 1 つ興味を持つことができたので、また新たに調べてみたい。
工・ 2 ・男 高等教育・大学進学率が戦前は約 5 %・ 1 %に対して
今は約 77 %・ 49 %であり、昔は本当に一握りの人たちだけしか大
学に進学することができなかったと知り、広島大学というより日本の大
学は現在と戦前とでかなりの違いがあると実感した。広島大学は日本
で最も多くの前身校をもつ大学と書いてあった。僕は前身校とは一つ
だけだと思っていたので、最初はよく意味がわからなかった。前身校
は教育学部や工学部などの学部の源流でもあると知って、なぜ前身
校がたくさんあったのか理解できました。源流だけでも深い歴史があ
り、その後から、今に至るまでの歴史も知りたいと思った。
工・ 2 ・男 まず戦前の大学進学率などの学校に対する進学率が桁
違いに低いこと、現代の高校進学率も思いのほか低いことに驚いた。
戦前はなんとなくわかるような気がするが、現代のが低いのはなぜだ
ろうと思った。それと、今時分が大学で勉強していることは、時が違え
ば大変ありがたいことだと思うと同時に、いい加減な大学生活を送ら
ず充実したものにするべきだと思った。大学の源流については高校
から大学になったことは知っていたが、大学で学部がそれぞれあるせ
いか、ひとつの高校からできていないことにちょっとだけ驚いた。あと
それぞれの卒業生がそこで学んだことを生かして就職していることに
広大生として誇りに思う。自分も専門知識を生かした仕事に就きたい。
工・ 2 ・男 まず最初に驚いたことは、戦前の大学進学率の低さです。
今でこそ大半の高校生は大学に進学できます。しかし戦前ではごく
限られた人しか進学できず、もし自分が戦前に生きていたら絶対に大
学にいけるような人間ではなかったと思います。現代は日本の発展と
共に大学進学率も上がりとても幸福なことだと思いました。また広島
大学の前身校となったものの多さにも驚きました。この様に多くの学
校がひとつになったなら、現在の広島大学の規模の大きさにも納得
がいきます。旧帝大の人の様に官僚になることは出来ないかもしれま
せんが、広島大学のその規模の大きさを生かして、実務をやっていけ
る知識と技能を取得していきたいと思いました。
工・ 2 ・男 私はこの講義を受ける前は、広島大学になる前の大学は
一つしかないだろうと思っていた。講義を聴いて、広島大学の前身校
がこんなにあったのかと驚いた。またそれぞれの学部でそれぞれの前
身校あったことはまったく知らなかった。それぞれの前身校はそれぞ
れの役割を担い、日本の戦前の技術者や研究者、官僚、教育者など
を輩出し日本を支える多くの人材を育てた歴史を感じ、自分も広島大
学生として誇りに思う。これからも広島大学が多くの優秀な人材を出
し、自分もその中の一人として活躍できるように、努力し広島大学の
名に恥じないような人間になろうと思った。
工・ 2 ・男 戦後に制定、公付された学校教育法、国立学校設置法
という 2 つの法によって現在のような形態をとるに至った新制広島大
学が、どのような包括校の統合によって形成されたのかがわかった。
広島高等師範学校や広島文理科大学、広島工業専門学校など、そ
れぞれに特色のある学校の統合によって、帝国大学で無かった広島
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、現在と戦前との大学における違い
を詳しく教わった。ほんの数十年前のことなのに、私たち学生の進学
状況は大きく変化していた。現在では高等教育まで受けるのがほぼ
当たり前のようになっているし、大学まで進学する学生もとても多い。
しかし、戦前では高等教育は愚か、中等教育の進学率でさえ 5 %ほ
どしかない。ましてや大学なんか 1 %とほんとに一握りの学生しか進
学してないのだ。現在のように教育が当たり前に受けられる時代から
してみると、この数字は驚くべき値である。また、さまざまな学校が集
まって現在の広島大学が出来上がったことがわかった。私が所属し
ている工学部は広島工業専門学校や広島市立工業専門学校が構
成母体となっている。このように、いろんな分野の学校が集結して広
島大学ができたということを、初めて知った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、まず広島大学はたくさんの大学や
高等師範学校が合わさってできていたというのに驚かされました。と
いうのも、自分が思っていたのは、せいぜい 2 ~ 3 校のものだろうと
思っていたからです。また自分は工学部の学生なのですが、工学部
の前身校に広島工業専門学校があったということが、とてもうれしく思
いました。さらに、今回の講義では、日本自身の教育の変化について
も触れていましたが、今現在のもととまったく異なるものであると、強く
感じることができました。今回の講義で、広島大学の片鱗を知れたよ
うな気がしてよかったです。
工・ 2 ・男 広島大学は戦後にできた新制大学で旧の帝国大学のよ
うに官僚養成や研究者養成の機能を持っていたのとは違い、主に民
間に人材を輩出してきた高等教育機関からできていて旧帝国大学か
らできた大学とは違った成り立ちをしているのを知った。広島大学は、
9 つもの構成母体となった包括校からできていたのは驚いた。工学部
の構成母体である広島工業専門学校は大正 9 年に 7 番目の高等
工業学校として設置されていると聞き自分が思っていたよりも早くでき
たのだと思った。また広島市立工業専門学校もあり戦後土木科がで
きたとなっていたので自分のいる 4 類はここが前身なのかと思った。
しかし広島大学は「教育の西の総本山」と言われた広島高等師範学
校などがあったことから世間から見ると教育の大学といわれることが多
い、その中で自分は世間に必要とされる実務家としての能力に優れ
た人になりたいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学は多くの前身校を包括して出来たということは
大学生活が始まってからの一年間でなんとなくは知っていたが、まさ
か、九つもの前身校があるとは驚きだった。また、いくつかの前身校
の説明文の中に「日本に 2 つしかない内のひとつだった」というような
記述もあり広島大学はかなり凄い源流を持っているのだと思った。僕
は工学部第四類なのでおそらく「広島市立工業専門学校」という学校
が前身なのだと思うが、この講義を選んでいなければこんなことには
全く触れず、また、興味も持たずに生活していたのではないかと思う。
そう思うと、今回の講義で前身校がいつ設置され、またどのような役
割を果たしていたのか知ることが多少なりとも知ることができたのでよ
かった。卒業後に、日本社会の中堅的かつ優れた実務家になれたら
いいと思う。最後に、「広島高等師範学校」などの、授業料がタダでそ
の後、何年かの勤務義務があるという仕組みは、今の社会からすると、
かなり「おいしい」と思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受け、現在の広島大学が創立するまでに、
百年以上の歴史を持つ様々な前身校がかつてあり、また広島の、そ
して日本の教育を変えていこうという教育界の偉人たちの創意があっ
たということを知ることができた。また、それらの様々な前身校には多く
の誇れる歴史があり、ハイレベルな教育をひとつにまとめた結果がこ
の旧帝大に次ぐレベルの広島大学だということをひしひしと感じた。さ
らに、被爆という衝撃からどのように復興、誕生したのか、ということも
知りたくなった。
工・ 2 ・男 広島大学はずっと前の歴史を持っている。最小は camp
us がばらばらにあります。しかし、時間にとともに東広島に全部でお
いといてあります。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校、当然だがそのどれもがそれぞれ歴
史を持っていて、尚且つ広島大学にも歴史があるのだから、トータル
したら相当長いものになる。長ければいいというわけではないが、信
頼のおける学校であることには間違いない。いろいろな分野のエキス
パートを育てる学校が統合していて、それはとても良いことだと思う。
それぞれの学校は倍率の点でも、今よりずっと高く、授業料が安い、
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または免除というのはあるが、意欲の点においては、今よりずっとあっ
たのではないだろうか。そんな先人たちが作り上げた学校を、よりよく
できるよう、個人で取り組めることは、なるべくやっていきたい。
工・ 2 ・男 前身校についていろいろ話を聞くと、広島大学が実務家
を養成し、日本の中堅企業へと人材を送り出していくという考え方に
納得できるように思った。今は総合大学として大学院をもつ研究機関
として存在しているけれども、前身校では実務関連学校として歴史を
重ね、そのノウハウ、知名度として世間に知られているからにはやはり
その特徴を生かしていく必要があると考えた。工学部である自分にと
ってはこの考え方は重要であり、スキルを身につけたエンジニアとなり
活躍していきたいと思った。
工・ 2 ・男 思っていた以上に前身校が多く、そして多種多様にわた
っていたことに驚いた。てっきり 3 , 4 校程度だと思っていたので、 9
校もあるとは予想の倍以上なので驚きは大きかった。講義を受けてい
て、前身校について「日本で第何番目」や「西の」等の表記があり、自
分の通っている大学の前身校はそんなにもすごいのだなぁと誇らしく
感じるとともに、あくまでそれは前身校であり、今の広島大学ではない
こと、また所属している自分自身が頑張らなければ意味がないことを
改めて実感した。確かに歴史的に見ればそういった優れた面もある
のかもしれないが、それにうぬぼれず、今ある広島大学で、今の特色
の広島大学で学んでいき、そして広島大学をより一層いい大学にし
ていけたら、と思った。
工・ 2 ・男 現在と戦後の大学についての話で、現在大学進学率が
49.1%、高等教育進学率 76.8%で、戦前の 1%未満や 5%未満から
大きく変わっていることを改めて数字で見ることで、今の自分の置か
れている状況を考えさせられた。また、今自分が所属している工学部
の前身の広島工業専門学校について初めて知れてよかったと思う。
この学校は戦前の日本における高級技術者養成の機能を果たして
いたということなので、自分も胸を張って優れた技術者になれる環境
があるのでがんばろうと思う。
工・ 2 ・男 今まで大学の源流などについてまったくの無知だったの
で今回の講義をきいてよかったと思う。今は半数程大学進学している
が戦前は 1 %未満というのを知り今の社会と戦前の社会では大学の
存在理由やありかたが変わったのではないかと思う。広島大学は教
育学部が有名というのは知っていたが広島大学が設置されたときの
包括校に師範学校が多いという理由からなんだと知って驚いた。なに
ごとにも理由があり、その歴史を知るというのはとても大事なことなん
だなと再認識した。
工・ 2 ・男 広島大学に入学して一年がたち、たくさんの人と特色あ
る学部にも慣れてきたところである。そして今回の講義を受けて歴史
ある総合大学の広島大学に入学してよかったと思った。広島大学は
帝国大学ではないけれど、それと同じくらいの規模を持ち歴史を持っ
ていると思う。広島大学がたくさんの前身学校から成り立っているとい
うのは知っていたが、こんなにも古い歴史があるとは知らなかった。こ
れから広島大学で学び、就職するにあたって歴史ある大学で学ぶこ
とを誇りに思いたい。
工・ 2 ・男 冒頭での良い例の様な体験は無いですが、出来る限り
それに近づける様に努力してみようと思います。今回は広島大学の
前身校となる九つの構成母体の学校について本当に触りの部分の
みの紹介だけでした。入学当初に受け取っていた冊子にもある程度
記載されていましたが、興味関心がなかった僕としては、真新しい知
識に多大とまではいえないものの、相応の意欲をもって臨めました。
反面、身近に知る機会があるにも関わらず、知ろうとしなかった無気
力さに反省させられました。今回は表層のみだったので、次回詳細が
聴けなければ自分で色々調べてみようと思います。
工・ 2 ・男 戦前の広島大学は師範学校として有名だったということ
は知っていたが、工学部にはその前身とよべる学校があって広島工
業専門学校というものだったということなど初めて知った。各学部ごと
にその前身である学校があってそれらがまとまって広島大学になった
ということもはじめて知り広島大学に入ってもう一年がたつのに広島
大学のことで知らないことはまだまだあるんだなと驚きの連続だった。
また広島大学教育学部の前身である広島高等師範学校は東京高等
師範学校と並び、「教育の西の総本山」と称されるほど名高い学校で
あったことも今回の講義で驚かされたことのひとつだった。
工・ 2 ・男 私自身広島大学に入学した時は、この大学のバックヤー
ド等についてはまったく知りませんでした。ですが今日の講義を受け
てみて、私達広島大学の学生に対してどのようなイメージを持たれて
いるかや、どのような人材が欲されているかなどを知って今後の自分
の学生生活に生かすことができるのではないかと感じました。せっか
くこの大学は多くの前身校を持っている日本の中でも数少ない貴重
な大学なのだから、その各学校一つ一つの歴史や理念等を理解して、
これからの広島大学の歴史を刻んでいこうと思います。
工・ 2 ・男 個人的には、広島大学は一つの高等学校から発展して
総合大学になっていったと考えていたが、学部ごとに専門学校や高
校などが違うことには、長年の苦労があると考えさせられた。工学部
の構成母体となった広島工業専門学校の卒業者は、大企業や中継
企業に就職しているのが多い事実には、同じ工学部として誇りを感じ
た。そして今、社会がこの広島大学に求めているもの実務家としての
素質を研いていくなど、大学中に出来ることには挑戦していきたいと
考えた。広島大学も旧帝国大学のように歴史が深いというのに気づ
いた。
工・ 2 ・男 いままで、広島大学がなぜ教育学部が有名なのかがよく
わからなかった。ただ単に大学入試における偏差値が高いからなどと
思っていたが、高等師範学校や文理科大学のように日本でも有数だ
った学校が教育学部の母体となっているとゆうことが理由だと知って、
偏差値の問題だけでなく、昔からの伝統などがあってのものなんだな
と想った。もし工学部が昔の有名な学校が母体となっていたなら、工
学部はもっとレベルが高く、入学が難しいものとなっていたので、そう
じゃなくてよっかたと安心した。前回心配していたが、授業が以外に
静かだった。
工・ 2 ・男 現在では進学するのが当たり前になってきている大学も
戦前はごく限られた人々しか進学できないもので、さらに官僚や研究
者の養成機関であったというのを今回初めて知りました。そして広島
大学はそのような大学をもとにしているのではないものの高等師範学
校や文理科大学など全部で九つの学校が前身ということも分かりまし
た。またそれらの学校は難関校であったということで広島大学はもと
はすごい学校だったのだろうと感じました。広島大学は社会的には実
務家を多く輩出する学校であると見られていることなど初めて知ること
も多く、自分の大学についての知識が少ないということを痛感しました
今後の講義を通して知識を深めていきたいです。
工・ 2 ・男 高校のときから、「広島大学と言えば教育学部」と先生か
らいわれ続け、また、僕が「松江高校」が源流である松江北高の出身
で源流が師範学校である教育機関を調べた経験があるということもあ
り、広島大学はもともと高等師範学校であると言うことは知っていまし
た。そのため、自分が所属している工学部はあまり歴史も伝統もない
浅い学部なんだと勝手に思っていました。しかし、今回の講義でその
考えは誤りだということがわかってとても嬉しくなりました。今回の講義
で僕は、広島大学(あるいはその源流となった教育機関)が日本の中
堅となる人材や、能力のある実務家を輩出する機関であったというと
ころにとても感動しました。たしかに帝国大学のように卒業生の半数
が官僚や研究者となることはすごいことだと思います。しかし、それだ
けでは国は動かせないし発展もありえません。現場で働く有能な人材
が絶対に必要なのです。その人材を育て、輩出してきた教育機関や
それに所属した人々を僕は尊敬したいです。また、いま自分がそこに
いるのだということを肝に命じて自分も社会の役にたてる人材になら
なければならないと改めて思いました。
工・ 2 ・男 今と戦前の教育制度は全然違うことがわかった。特に戦
前の進学率の低さには驚いた。広島大学は 9 つもの学校が包括して
できたことを知った。そして、広島大学の包括校のひとつである広島
師範学校では、授業料が無料なかわりに教師の服務義務があったと
聞いて就活氷河期の今では、考えられない制度だと思った。戦前は
大学とかに行かずに就職している人がほとんどだったと聞いて今の社
会は本当に学歴社会なんだと実感した。今回の講義で自分の学び
の場である広島大学について詳しく知ることができてよかった。
工・ 2 ・男 広島大学の教育学部がなぜ特別視されるか分かった。
生物生産学部が広島青年師範学校の源流だとわかった。しかし、な
ぜ広島大学に、農学部がなくて生物生産学部という特異なものがで
きたのかということについて今回の講義を聴いて考えるようになった。
今の大学進学率や、高等教育進学率は戦前よりも極端に上がってい
る。これより、いまの若い世代はいかに教育に恵まれているか改めて
考えさせられた。勉学を怠ってはならないと思うようになった。広島大
学は、戦前の多種な学校を根源に成り立っていることが分かった。
工・ 2 ・男 現在と戦前の大学とではかなり違ったものであり、戦前の
大学とは帝国大学のことを指していて、それは官僚養成と研究者養
成を目的とされていた。現在の大学は戦前でいうところの専門学校に
近いものだと思った。また、広島大学は自分が予想していたより多く
の前身校から成っていることに驚いたが、その中に師範学校が多くあ
ることが広島大学の教育学部の源流になっているということことを聞い
て納得できた。
工・ 2 ・男 戦前の大学は帝国大学の 7 校しかなく、広島大学は戦
後に設立されたのでその時点で帝国大学とは大きな差があることが
わかる。しかし現在では、多くの広島大学の卒業生が中堅会社で活
躍しているということなので、僕も帝国大学に負けないように学業に励
み就職先で活躍できるように努力していきたい。
工・ 2 ・男 広島大学はずっと前の歴史があります。広島大学になる
前に、別々な学校があります。例えば広島上司女子大学、広島医者
大学、広島市立工業大学。この全部の大学時間にとともに一つにな
りました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の歴史の規模の大きさ
を実感しました。今僕たちが通っているこの広島大学がこれほどの歴
史をもっていると、僕たちのこ歴史をつなぐために頑張らないといけな
いんだ、と強く感じました。これから自分がやらなければいけないこと
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
をしっかり考えて大学生活を送りたいと思いました。それと、自分がし
たいことややろうと思っていることがやっていいことなのか、その言動
は必要な言動なのかを二度三度考えて、自分のとる行動や発言に責
任を持って大学生活を送っていきたいと感じました。
名で、工学部は後付けのようなものだと思っていたので、自分の学部
の歴史を正しく認識できてよかったと思います。世間的にはどういう人
材となることが求められているかも学べたので、今後は世間の期待に
そえるような人間になれるように勉強していこうと思います。
工・ 2 ・男 戦前の大学進学率が 1 パーセント未満だというのは予想
がついていたが、現在はだいたい二人に一人が大学に行っているの
は驚きました。広島大学の前身校はたくさんあることを知りました。特
に、広島大学の教育学部が有名であることを象徴するように、前身校
にはたくさんの師範学校があることに感心しました。僕の所属する工
学部の前身校は官立と市立があり、これらが合併して、現在の工学部
になっていると思いました。戦後、現在の広島大学に統合していく過
程について詳しく知りたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学はずっと前の歴史を持っている。この時に,広
島大学と言われない、色々な学校があります,例えば広島理科大学、
広島女子大学、広島市立工業。時間にとともにゼンッブの大学はひと
つになりました。それと東広島においってあります。
工・ 2 ・男 広島大学の前身となる学校は 9 校あり、いずれも倍率が
高く限られた人しか入れなかったので、格のある学校だと思った。そ
の 9 校のほとんどは今の広島市内にあり、広島の教育の中心だった
ことがうかがえる。歴史も古く、文理科大学の建物は広大の理学部に
引き継がれ、移転した今でも残っている。また 9 校の中には師範学
校が多かったことから、その影響で現在でも広大は教育学部が有名
なのだと思った。広大ができる前の時代は高等教育を受けられる人
は少なく、現代とは大きく違っていると思った。
工・ 2 ・男 今回は広島大学の元となった学校の紹介であった。広
島大学といえば有名なのはやはり教育学部。教育学部はその学部内
での活発な交流と文化祭の最中に行われる学部内のイベント等で広
島大学内でも有名である。教育学部の前身となった広島高等師範学
校が西の総本山と呼ばれていることを知り、教育学部が世間に対して
有名な理由を知ったように思う。我が工学部も歴史のある学校が前身
だったようだ。最後に話された全体というよりは現場の指揮を取る存
在になることが望まれているということはとても同感したが、やはり旧帝
国大学との差を感じた。望まれているような人材になれるよう努力しよ
うと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受講して、広島大学の過去を詳しく学べた。
今現在、広島大学はひとつであるが昔には前身校といわれる学校が
いくつかあったことが不思議だと思った。さらに、今の広島大学の構
成母体となった前身校の歴史を知っていくにつれて、現在の学部や
学科についても知ることができたと思う。自分の属している工学部の
前身校だった学校が広島工業専門学校で日本に 7 番目に設置され
たことなども知れて知識が増えてうれしかった。さらに広島大学につ
いて関心がついた気がする。
工・ 2 ・男 実に色々な分野の機関から広島大学ができたんだなと
思いました。教育学部の前身が多いのはそういう事だったのかと知り
ました。自分の学部である、工学部の前身も多いなと感じました。今
日は確かに広島大学の源流を知ることができ満足な講義でした。
工・ 2 ・男 広島大学は多くの包括校から構成されていることがわか
った。その写真を見れたのがよかった。私は工学部なので、特に広島
工業専門学校などの工学部の構成母体となった学校について興味
を持って聞いた。広島大学は帝国大学としての地位は確立できなか
ったが、拡大を続け、全国有数の総合大学となった。また、広島大学
の卒業生は実際の現場の先頭に立っていると聞き、誇らしかった。
工・ 2 ・男 広島大学を作る基となった学校の多くが教育学系である
ことを初めて知り、驚いた。また、大学を作り上げていく際の努力の程
なども知ることができ、大変興味深かった。現在の広島大学は、国内
でも有数の規模を誇る総合大学へと成長しているが、その反面、本
来の持ち味であった教育系に対する強みがあまり感じられなくなって
しまったと思う。これからの広島大学を作っていくには、大学としての
個性を育て、広くアピールできる特色をもつべきであると思った。
工・ 2 ・男 広島大学の包括校にはやはり広島高等師範学校、広島
女子高等師範学校など教員養成系の学校が多かったのが特徴であ
ると思う。現在でも教育学部には優れた学生がいるのも昔から教員養
成に力を注いできた結果ではないか。広島大学は帝国大学相当の
総合大学であるが、まだまだ中堅的存在であり、個性の乏しい大学と
も言えると思う。今後は広島大学ならでわの誇れる特色づくりが必要
である。まだまだ有名ではない工学部に所属している私であるが将
来は広島大学の名を世に広げるほどの活躍をしたいと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義は広島大学の前身校ということで、広島文理
大学については聞いたことがあったし、それによって広島大学が教育
の分野において全国的に有名になったという話も聞いたことがあった
のである程度の知識をもって受講したつもりだったが、まさか 9 つも
の学校が広島大学の前身校となっていたとは思わず驚いた。またそ
の 9 つの学校もそれぞれが全国的に見てもその時代において有名
であったものが多く、それらを元にしてできた広島大学のすごさが少
し分かったような気がした。
工・ 2 ・男 広島大学の母体となる学校がこんなにも多いとは知らな
かったので、とても驚きました。さらに、その中には広島工業専門学校、
広島市立工業専門学校という工学専門の学校があるのは予想外でし
た。講義の中でおっしゃられていたように、広島大学は教育学部が有
工・ 2 ・男 私は今まで広島大学がいつできたのかさえ知りませんで
したが今回の講義を受けてよく知ることができました。また、広島大学
は教育学部が有名だというのは、包括校に広島高等師範学校や広
島師範学校など教育学部の構成母体となった学校が多いからだとわ
かりました。私の在籍する工学部の構成母体の広島工業専門学校は
日本で 7 番目の高等工業学校と知って少し嬉しかったです。講義の
初めの感想の通り、この講義は広島大学について聞かれたときに正
しくこたえられるようになれると思いました。
工・ 2 ・男 僕は工学部に在籍しているのですが、その工学部の構
成母体となった学校のことを知れたのはよかった。広島大学といえば
教育学部が有名で、工学部はあまり歴史がないイメージと世間一般
では捉えられていると思うのですが、実際今日の講義を受けてみて
僕が思っていたほど浅くはなく、むしろなんにも恥ずかしくないくらい
の歴史が工学部にはあるということが分かって自信がついた。特に、
広島工業専門学校は当時は全国的にも有名だったということを聞い
て、自信とともに広大生としての責任も感じた。これからも、広大生とし
て恥ずかしくないような学生生活を送りたいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校として学校が九つもあるということにお
どろきました。自分は工学部なのですが、工学部の前身には広島工
業専門学校と広島市立工業専門学校の二つの学校があり、歴史が
ながいことがわかりうれしく思いました。広島大学は帝国大学相当の
総合大学としての地位を確保していることに感心しました。高校時代
から広島大学といえば教育学部だよな、と自分の祖父もいっていまし
た。しかし、今日の講義をうけて広島大学は教育学部だけではない、
工学部だって負けてないとおもえるようになりました。
工・ 2 ・男 講義のなかで教授が広島大学の前身の学校を説明する
と聞いたときは、せいぜい 2 、 3 校だろうと思っていた。しかし実際に
は 9 校もあり衝撃を受けた。それ以上に勉強になったことは、それぞ
れの前身の学校が今の広島大学の学部とリンクしていることだった。
専門的な分野のそれぞれの前身の学校が今の大学の基礎を築いて
いるので、どの学部もより詳しく、より深く学習、研究ができるのだと思
った。また、このようなことがより高い評価を広島大学が受けている所
以だと思う。
工・ 2 ・男 広島大学は戦前からある歴史ある大学であるといことを
改めて感じました。そして、戦前では大学というものはとてもレベルの
高い教育機関だったということをしりました。いまでは、何千人何万と
言うひとが大学に進学していますが、当時はほんの限られた者だけ
が学び、そして日本を動かすために学んでいたと考えると、広島大学
はとても重要な役割を担っていたと考えました。また、戦後の日本の
教育にもおおきく貢献していると感じました。
工・ 2 ・男 配布プリントと資料が片方しかもらえず残念でした。大学
進学率が年々増加していることは以外でした。戦前よりはさすがに増
えているのはわかるのですが、少子化が進んでいるので最近は減少
しているのかと思っていました。高校も広島大学と繋がりのある高校
が多くて、広大の大きさに改めて気づきました。
工・ 2 ・男 以前に入学のときにもらった広島大学の歴史という小冊
子を読んだことがあり、色々な学校が集まって一つの大学となったこ
とは知っていたが、具体的にどのような学校だったのかが知れてとて
もおもしろかった。特に、教育学部の前身が結構すごい学校だという
ことにおどろいた。また、入学したときから、総合科学部というのがほ
かの大学にはなくて、とても気になっていたが、その前身となる学校
が広島大学に統合されたから総合科学部があるということがわかって、
とても勉強になった。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の前身校は戦後の日本
における研究者や官僚養成などの大きな機能を果たしていたと感じ
た。また、広島大学の教育学部は他大学と比べて優れていると講義
中に言っていましたが、一年間過ごしてきてそう感じたことはありませ
んでした。私は工学部なので工学部の母体であった学校の卒業生が、
大企業や官公庁の技術者となったという話や広島市立工業専門学
校には機械科と航空機科の 2 学科しかなかったという話は今の広島
大学と比べてみたときにとても興味深いことだと思った。
工・ 2 ・男 最初に現在の大学に比べて戦前の大学に進学する人が
とても少ないことに驚きました。また広島大学がいくつかの大学や学
校がくっついてできていたことなどを知りました。広島大学の教育学
部は頭が良いというイメージは持っていましたが、それは広島大学の
前進校である広島文理科大学が、当時東京文理科大学とあわせて 2
つしかない大学であったことや、卒業生の多くが教職に就くなどの背
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景がからできたイメージということを知りました。
工・ 2 ・男 戦前と現在の大学の進学率の違いは予想以上に大きく、
非常に驚いた。このことについて、戦前は大学に通うにはお金がかか
り、裕福な家庭でないと、進学するのが難しかったのではないだろう
か。また、大学の数も少ないので、非常に狭い門であったことが原因
になったと思われる。現在は、大学の数も多く、経済的面でも奨学金
等の制度もあるので、金銭的問題は戦前ほどでは無い。また、高等
学校だけの卒業で、就職するのは厳しく、たとえ就職できたとしても、
大学卒の給与と比べると少ない場合もある。これらのことにより、大学
等へ進学する人が増えているのではないだろうか。さらに、「大学進
学がステータス」という風潮もあるのではないだろうか、しかし、自分は、
そういったことではなく、自分の学びたいことを学びに来ているという
ことを忘れないようにしたい。広島大学の前進校は多く、師範学校が
多かった。しかし、これらに関係なく、広島大学の出身であることを、
誇りに思えるように頑張りたいと思いました。
工・ 2 ・男 まず、一番最初に驚いたことは、広島大学の前身校が全
部で九校もあったということです。それは、自分の予想していたのより
も非常に多く、また、それぞれの学校が異なる役割を果たしていたと
いうことも初めて知りました。中には戦争などの影響でその価値を十
分に発揮できなかった学校もあったようでしたが。その他に、現在と戦
前の大学進学率の大きな違いにも驚きました。もちろん、教育制度や
社会情勢が現在と大きく異なることを考慮すれば、当然なのかもしれ
ませんが。この進学率はこれからも増え続けることが予測されますが、
そこで、自分はなぜ大学に入ったのかということを今一度考えたいと
思いました。
工・ 2 ・男 私が卒業した高校は、 2 つの学校が合わさってできたと
いうことでした。しかし、広島大学は、 9 つもの学校が合わさってでき
たと知り、とても驚きました。その中でも、教育学部の構成母体となっ
た広島高等師範学校は、東京高等師範学校と並ぶほどの高等な教
育機関であったということだったので、我が大学の教育学部は非常に
優れているのだと思いました。帝国大学相当の総合大学としての地
位を確立しているということだったが、本当にそのとおりだと思いまし
た。私も、高校時代大学を選ぶ際に、広島大学は旧帝大ではないけ
どそれに匹敵するレベルと思い選びました。当時は、このような歴史
があるとは知らなかったですけど、知った今は、さらに誇りを持ちたい
と思います。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校について学んでみて、講義を受ける
前に予想していた前身校の様態よりとてもしっかりした学校で驚いた。
戦後の学校のイメージとしては、教育に対して身をいれた体制でない
といったものがあったので今回の講義によってそのイメージが間違い
だと気付いた。広島大学の歴史について把握できてないことがまだま
だ多いと感じられたので次回の講義でもさらに広島大学についての
知識を吸収していきたいと思った。
工・ 2 ・男 戦前はで大学や高校の進学率がかなり少なかったにも
かかわらず、学校が 9 校もあったことに驚いた。全校生徒はかなり少
なかったのではないかと思った。しかし、大部分の学校が空襲や原爆
で機能しなくなっており、勉強したくてもできない状況を気の毒に思っ
た。また、広島大学の包括校が 9 校もあったことを初めて知った。今
は高校に行き、大学に行くことが当たり前になりつつあるが、昔は行き
たくても行けなかった人がたくさんいたと思う。 9 校が合体した広島大
学で勉強できることにもっとありがたさえを感じないといけないなと思
った。
工・ 2 ・男 現在は戦前と比べて高等教育進学率が約 70 %以上高
くなっており、学歴社会といわれる所以が垣間見れる。そんな中、広
島大学は 9 つもの前身校を背景に新制大学として設置された。今回
の講義を聞いて印象が深かったのは、前身校の一つである広島高等
師範学校である。広島大学と言えば教育学部が全国でも有数である
ことは聞いていたが、そのわけは「教育の西の総本山」と言われた前
身校にあったのだ。そして残りの 8 つの前身校を元に現在の広島大
学へと前進するのである。正直、こんなに前身校が多いとは驚いた。
広島大学の社会から求められる役割についても学ぶことができ、これ
からの学生生活の過ごし方についても考える機会になった。
工・ 2 ・男 今回の講義で、広島大学は想像していたよりもたくさんの
学校が集まってできたことがわかった。広島大学が帝国大学ではな
かったのは知っていたが、前身校の特色にもそれが表れていたことに
驚いた。研究者を養成するよりも教員など実務家を養成する学校が
多かったことが、現在の広島大学の中堅的な立ち位置に関係してい
るという話は興味深かった。また、現在と昔では同じ名前の学校でも
学校教育システムの中での位置づけが違うことなど、今と昔の違いが
おもしろかった。
工・ 2 ・男 広島大学はなぜ教育学部が有名であるのかと思ってい
ましたが、今回の講義を受けて広島高等師範学校といった多くの師
範学校を統合して教育学部また広島大学ができたのだと知った。な
ので自分も広島大学の一員として教育ということについて考えながら
日々の授業を受け生活していこうと思いました。また自分が今所属し
ている工学部は広島市立工業専門学校が母体であり、卒業生は高
い技術をもっていて国のために活躍していたと知ったので自分も広
島大学の残りの生活で高い技術を持って卒業し、就職した企業で中
心となっていきたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学の前進校にほとんど知りませんでしたが、講義
を受けてどうして広大の教育の評判が高いのかがわかりました。広島
高等師範学校が「教育の西の総本山」と呼ばれるほどの歴史があり、
又、ほかの前進校の多くの卒業生も教員となっていることも現在の教
育学部の元になって今の広大があるのだとわかりました。また、所属
している工学部の前進校、広島工業専門学校高い技術力を学び、中
堅企業などで様々な分野で活躍していていたことを知り、僕自身も就
職後、広大生として誇れるようがんばりたいと感じました。
工・ 2 ・男 私は今回の講義を受講して広島大学は日本の大学の中
でも歴史のある大学だと知り、この大学の在学生の一人として誇りを
持つべきだと思いました。また、広島大学の名前を掲げている限り責
任ある行動を取り、世間に恥じない行いをすべきだと思いました。広
島大学の歴史を学ぶことで、自分が何を学び、これからの学生生活
をどのように豊かにしていくか自分の考えを確立していくことができる
と思います。広島大学の前身校である数々の学校について学ぶこと
で、それぞれの学部、学科でさまざまな歴史があることが分かりました。
工学部の前身である広島工業専門学校は高級技術者養成の学校で
あったという点で工学部は日本の中でも有数の教育機関だと思いま
す。私はそのような工学部に所属できることを誇りに思うとともに、良
質な教育を受けることができる責任を持ちこれからの学生生活を送り
たいです。
工・ 2 ・男 自分は今まで一年間もこの広島大学でいろいろなことを
学んできたのに広島大学が 1949 年に 9 つの学校からできたことさ
えも知らず広島大学について全く無知なんだと改めて思いました。ま
た世間一般からは昔の名残もあり実務家養成の学校と思われている
んだと知り広島大学の世間にをける位置づけをすこし理解することが
できました。それをもとに世間が求める実務家として高い能力をもち
優れた人材となれるようこれから残りの 3 年間一生懸命勉強に励ん
でいきたいと今日の講義を受け思いました。
工・ 2 ・男 戦前の大学進学率が 1 %未満であることに改めておど
ろいた。帝国大学しかなかった時代に比べて今の教育がいかに広く
浸透しているかがよくわかる。多くの包括校の話のなかで、戦争のな
か役割を果たせなかった学校の話を聞き、戦争による教育事情の悪
化について初めて考えさせられた。また一方で、僕自身が工学部所
属であることから、広島高等工業学校が多くの優秀な人材を輩出して
世間に貢献してきた実績があることを非常にうれしく思った。
工・ 2 ・男 現在の広島大学はたくさんの学校が集まってできている
ものだというのは知っていましたが、その学校については何も知らな
いのも同然だったので今回の講義は興味深いものでした。自分の所
属する工学部に関する学校のことや昔の学校教育や進学のことにつ
いての話は特に面白い内容だと感じました。工学部の構成母体とな
った学校の卒業生は官公庁の技術者になっているなど、そんなに当
時立派だった学校が元になっているとは思ったことなどなかったので
驚くとともに、広大の歴史の深さを実感しました。
工・ 2 ・男 広島大学はずっと前の歴史を持っている。この時に,広
島大学と言われない、色々な学校があります,例えば広島理科大学、
広島女子大学、広島市立工業。時間にとともにゼンッブの大学はひと
つになりました。それと東広島においってあります。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の前身校の数が思って
いたよりも多かったので驚きました。前身校の中には全国的にも有名
な大学があることを知り、それぞれの学校が教員などの人材を輩出し
ていたことを知りました。また、戦前の大学等の進学率がとても低かっ
たことも学びました。戦前では帝国大学の卒業生の多くが官僚になっ
ていたのをしり驚きました。戦前の進学率などを考えると、今の教育機
関はとても充実していると思い、恵まれているなと感じました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、まず戦前の大学の形態がよくわか
りました。配られた資料にとても詳しくデータが掲載されていて、戦前
はもちろん明治の学校の事まであったので非常に興味深かったです。
講義を聞いていて、戦前の大学の進学率が、自分の予想していたも
のよりも非常に低かったのに驚きました。次に広島大学がどのような
学校から成り立っているのかが理解できました。広島大学は、教育の
イメージがありましたが、やはり歴史と関係しているんだなと思いまし
た。自分は工学部ですが、他の学部のこともわかってよかったと思い
ます。最後に、この講義を聞いて、広島大学は帝国大学ではなかっ
たけども、それに劣らないすばらしい大学であるんだなと思い、広島
大学に通う学生として自分もがんばろうと思いました。
工・ 2 ・男 まず広島大学が戦前の、さまざまな高等学校や高等師
範学校が統合されてできたということすら知らなかったので、それが意
外でした。そして、世間一般のイメージである、広島大学が教育に強
いという理由も、元の師範学校の歴史が長いということがわかったの
で納得ができました。さらに、旧帝国大学に劣ることもない立派な歴
史や背景を知って、広島大学に来てよかったと思えるような内容でし
た。あと、広島大学だけでなく、日本全体の教育事情も学ぶことが出
来ました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 まず最初の昔と今の大学への進学率の違いを知り、ビッ
クリしたと同時にこの講義に引き付けられました。昔の大学進学率は
低すぎて、今自分たちが大学にいることが当たり前と考えていた僕は
自分が幸せであるんだとあらためて感じました。そして源流の部分で
は、この学校の学部の多さと同様、それの母体となるいくつもの学校
があったことを初めて知りそうした元となるものを調べることもおもしろ
いなと感じました。これからの講義がますます楽しみです。しかも次は
僕が一番楽しみにしている原爆の事なのではやく来週になってほし
いです。
工・ 2 ・男 今まで自分の知らなかった歴史について知ることが出こ
いてよかったと思っている。戦前にあった広島文理大学、広島高等学
校、広島工業専門学校、広島女子高等師範学校、広島師範学校、
広島青年師範学校、広島市立工業専門学校、広島県立医科大学と
いう多くのれきしある学校が合併してできたことに対して広島大学に
誇りを感じたし、どうしてキャンパスが西条になったのかとかんがえま
した。特に自分は工学部なので工業専門学校に関してレベルがたか
かったんだと思った。
工・ 2 ・男 講義を受けて、予想は大体あっていましたが、昔の学校
の構成にはびっくりしました。昔は今と違い、学校に行ける人も限られ
ていて、なんかかわいそうだなと思いました。今は大学までは代替の
人が行ける世界になっています。それが当たり前と思ってはいけない
のかなと、考え直すところがありました。今大学に通えていることに感
謝したいと思います。次回の講義の内容も、かなり深い内容を学べる
と思うのでとても楽しみです。もっと広島大学について学びたいと思
います。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いてまず驚いたことは、広島大学の前身
校の多さでした。前身校は 1 つだと思っていたのに実際には 9 つも
あり、その一つ一つが今の学部の元なっているものもあると初めて知
りました。また、師範学校の中には服務義務があるものもあり、卒業後
は教職につくというのを聞いた時、勉強もでき就職も安定していて羨
ましいと思いました。このようなところから今の広島大学の教育学部の
イメージができたのではないかと感じました。昔の大学は実務家の養
成が重視されていて、今の大学との違いを感じました。今は教養科目
など様々な勉強もしなければいけないが、以前はその道のエキスパ
ートを育成しているという印象を受けました。
工・ 2 ・男 戦前の大学とはなんぞやということを講義で説明してくれ
て、初めて知ることがたくさん知ることができました。大学令にのっとり、
厳しい環境の中で学んできた昔の人たちにくらべて、今の学生はな
んだか緩い感じがしてならないです。また、広島大学の包括校につ
いて学び、教育学部の前身ともいえる広島高等師範学校や、文学部、
理学部の前身である広島文理科大学、さらには広島大学特有の総
合科学部の前身の広島高等学校などが合体して今の広島大学があ
るとおもうとすごく偉大に感じてしまいます。これからも広島大学を学
んでいきたいです。
工・ 2 ・男 僕は、広島大学がどういう形で出来てきたのかほとんど
知りませんでした。広島大学が旧帝国大学ではなく、旧師範学校で
あるというのは聞いたことがありましたが、こんなにも多くの学校が一
緒になってこの多くの学部学科がある総合大学ができたということにと
ても驚きました。自分は工学部に属しているので、特に工業専門学校
についてが印象的でした。戦時中に戦力の強化のためにつくられた
学校が、平和を主張する大学の工学部のルーツということに日本が
歩んできた歴史を感じました。
工・ 2 ・男 まず何よりも広島大学の前身校が 9 つもあったということ
に驚かされました。今自分が在籍する工学部も工業専門学校というも
のがもととなってできたものだと今回知ることができた。現在と同じよう
にあらゆる学部のようなものがはじめから集まっていたものだと勝手に
思っていたが、工学部も教育学部もそのほかの学部もバラバラだった
ことに驚いた。この広島大学の始まりは、これから広島大学の歴史を
学ぶ上でもとても重要なことだと思うし、広大生として知っておくべきこ
とだと思う。僕はこれまで全くこのことについて知らなかったので今回
知ることができてよかったです。
工・ 2 ・男 2008 年度現在日本の大学進学率は 49 1 %、高等教
育進学率は 76 8 %と戦前の 1 %未満、 5 %程度と比べ極端に低く、
当時の教育機関があまり発達していなかったことがわかる。それに私
もかなり驚いた。広島大学は複数の学校が統合され、昭和 4 年設立
された。筑波大学と並び、教員育成を目的に多くの学生を輩出して
いる。また、戦前の高等教育進学者はかなり限られているが、ほとん
ど大学に進んでいる。広島大学も当時倍率も高く、卒業したら教員と
して 10 年勤めることができる。広島大学卒業した先輩たちに恥じぬ
よう、充実し、良識ある学生生活を送って行こうと思う。
工・ 2 ・男 戦前では民間に人材を輩出していた高等教育機関は専
門学校であり、大学は官僚養成と研究者養成の機能を持っていると
いうことを知り、現在の大学との違いに気づかされました。また、広島
大学の包括校は各学部の構成母体となっていることから、今の広島
大学が総合大学である所以ということがよく理解できました。特に広
島高等師範学校はこの大学の方向性特徴づけたということから教育
学部が広島大学の中で有名な学部であるということが納得できました。
さまざまな包括校からなっていますが、それらが広島大学という一つ
の大学になるこにより、教育・研究などの分野で発展してきたように思
えます。
工・ 2 ・男 教育学部は東日本では筑波大学、西日本では広島大学
が有名だとは知っていたが、それが 100 年ほど昔の広島高等師範
学校の時代から続いていると知って、私は全く教育学部とは関係な
いがなんだか嬉しく思った。工学部の歴史は、過去に広島大学の歴
史を受講した先輩方も意外に浅くて残念と思われていたそうだが私も
そういう印象を受けた。また、昔は大学に進学する人は 1 %しかいな
くて、行きたくても行けない人はたくさんいたと思う。今では 2 人に 1
人が大学に進学しているがあまり勉強していない人がたくさんいるよう
に思える。大学に行けることを幸せと思い、しっかり学びたいと思った。
工・ 2 ・男 私は地元が福山で、福山にも広島大学教育学部の前身
校があったのというのは聞いたことがあったが詳しいことは知らなかっ
たので今回を機に知ることができて良かった。他にも日本で最多の 9
校も前身校があったということ、その中で広島高等師範学校は日本で
3 番目に設置され、さらに東京帝国大学の前身校である東京高等師
範学校と同等の学校であることには非常に驚いた。自分の通う大学
がそういった学校の集まりであること、そこで学べることに誇りを持てる
と思う。もっと、この大学の歴史が知りたくなった。
工・ 2 ・男 まず始めに思ったことは、自分が在籍している広島大学
の前身校などを全く知らないということだ。現代では毎年のように新し
い私立校や専門学校が誕生していて、前身校などがない学校が増え
てきているのに対し、広島大学は多くの前身校により成り立ったことを
知り、大学ができるまでの深さを考えさせられた。自分のいる工学部
は二つ前身校から成っているなど、どうしてこんなにも多くの前身校
があるのかと思った。また他の総合大学なども同じなのかと思った。ま
た、戦前の大学などの社会的役割は今のものとは大きく違っていたこ
とに驚いた。
工・ 2 ・男 昔は大学への進学率がとても低かったことは知っていた
が、私が今まで思っていたよりもかなり低かったことに驚いた。そのこ
とを考えて現在の大学進学率が 50 %近くあり、専門学校なども含め
ると 80 %近くあるということはすごいことだと思った。戦前の旧帝国大
学のことも知ることができてよかった。官僚や研究者の養成をのみ目
的にしていたことは当時の年代をよく表していると思う。そのころの大
学から今の大学のように自分のやりたい勉強をできるようになったこと
は、いい変化だと思う。広島大学が 9 つもの大学や高等師範学校が
一緒になって誕生したことにとても驚いた。それらの学校があって今
の広島大学があるのだなぁと思った。
工・ 2 ・男 やはり現在と戦後では大学などの進学率がかなり違うと
改めて再確認できた。戦後すぐできた広島大学には様々な学部の構
成母体となった学校がいくつもあり、よりいっそう広島大学の歴史の
深さを感じることができたのでよかった。特に自分が工学部というのも
あって、工学部の前身校が広島工業専門学校であり、そのころから
多くの技術者などを輩出していたということを知って、誇らしく思ったし、
工学部に入ってよかったと感じた。
工・ 2 ・男 まず多くの大学がいくつかの大学を統合してできていた
ことを知り、学部ごとに同じ大学でも場所が非常に離れていることが
多々あるというのは、ほかにも理由はあるだろうが、一つの因子になっ
ているのかなと考えた。広島大学の工学部は二つの元になった学校
があり、それぞれがその時代において重要な役割を果たしていたこと
が分かったが、今の工学部はそれと比べると見劣りしてしまうように思
える。これからは昔の工学部の先輩に負けないように頑張りたいと思
う。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校がこんなにたくさんあったなんて、初
めて知りました。少しだけ前身校については聞いたことがあったので
すが、僕が聞いたのは広島高等師範学校だけでした。なので、次々
といろんな学校が出てきて驚きました。また、戦前の学校のシステム
が現在ととても違っていたのに関心がわきました。昔は小学校の上に
さまざまな種類の学校があり現在のようにみんなが中学校へ進学しな
いというのに驚きました。テレビなどで聞いたことがあったのですが、
あまり詳しく学校のシステムなどを説明していたわけではなかったの
で今回の講義でそういったことが学べてよかったです。
工・ 2 ・男 今回の講義で広島大学の前身校の歴史がよく分かりまし
た。一年の時に広島大学の歴史について少し聞いたことがありました
が全く分かったいなかったと改めて思いました。私が所属しているの
は工学部でその構成母体となったのが広島工業専門学校や広島市
立工業専門学校であるということを初めて知りました。また、広島大学
といえば教育学部というイメージがこれまであったのですが、それが
前身校による影響であったということもよく分かりました。しかし、これ
からは教育学部だけでなく工学部や他の学部も広島大学の顔となれ
ればといい思います。
工・ 2 ・男 広島大学の教育学部は昔からとても有名と聞いていまし
たが、今回の授業で「広島大学の包括校の一つである広島高等師範
学校は日本で 3 番目に設置された中等教員養成機関で東京高等師
- 550 -
範学校と並び教育の西の総本山」と聞いてとてもすごいことだと思い
ました。そして広島大学は「前身校が広島県の中に 9 つもある」という
ことを聞いて多いと思いました。また「広島大学は旧帝国大学でない
けれども、帝国大学相当の総合大学である」と教授が言っていたのを
聞いて改めて出身校によりいっそう誇りをもちました。
工・ 2 ・男 今回の講義で広島大学だけでなく、日本全国に分布す
る大学がどのような目的で設立されたかを知ることができた。戦前の
大学は今の大学とは違い、各学部が数十人で構成されており、卒業
後も大部分が官僚となっていた。このことに関しては今との一番の違
いだと感じた。また、広島大学の前身校で教育学部の構成母体とな
った師範学校が 9 校中 5 校もあることを知り、なので広島大学の教
育学部が優秀なのだと思った。このような教育機関の充実した広島
大学で勉強できることは自分にプラスになると思うので、これからも勉
強をおろそかにせず、努力していこうと思う。
工・ 2 ・男 戦前の大学進学率や高等教育進学率に比べて現在は
多くのひとが進学できる環境になったので、戦後の法律の制定など
により日本の教育が進歩したと思う。広島大学の教育学部は全国的
にも有名だが広島大学の前進校のうち教育学部の構成母体となった
学校が多くあり歴史もほかの学部の前進校に比べて深い、教育学部
が有名なのはこのような歴史があるからなのだと思った。また他の学
部も優秀な学校が構成母体となっていて、広島大学は様々な歴史が
一つになった大学なのでそういう歴史を大切にしていきたいと思った。
工・ 2 ・男 実際やってみると一つ一つが(前身校の)歴史があったり、
珍しかったりと、そういうものが集まってできている広島大学はやはり
大きくて有名性のある大学なんだなということが改めて確認させらた
講義時間でした。広島大学の源流を知っている社会は日本社会の中
堅的人材や実務家としての能力に優れた人材たることを僕らは望ま
れてる、と最後にあったので今後これらのことを今から送る大学生活
のなかですこしでも培うことのできるように日々を送り、社会に貢献で
きるようになっていきたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学がいくつかの学校が統合されてできた学校だと
いうことを知識としては知っていましたが、思っていたよりも多くの学校
が統合されてできたのだと初めて知りました。昔の学校の制度、旧制
の学校について、昔(明治時代)からあるような学校など、今まで知ら
なかったけれど、知って面白いと思える資料を見ることができてとても
よかったと思います。歴史について興味はあまりありませんし、文書と
いう仕事も興味は持てませんが、古きを知ることは面白いと思いまし
た。
工・ 2 ・男 広島大学がいくつかの学校が集まってできた大学なのは
知っていたが、これだけの数の学校が合わさっていたのは知りません
でした。中でも、日本に 2 つしかない部門の学校や、「教育の西の総
本山」と称されるような誇るべき学校がこの広島大学の源流であった
ことを知り、ますます母校に誇りを持てるように感じました。あと、講義
のはじめにあった、現在の大学進学率と高等教育進学率の値を知っ
て、意外に低いと感じました。どちらも過去最高の値だとなっていたけ
ど、これからも毎年更新していくのだろうと思いました。
工・ 2 ・男 大学に学生達や、世間が求めているものが違うことは予
想はしていましたがそれ以上でした。そこまで違っていると、その時代
の学生達の雰囲気も知りたいなと感じました。進学率にここまで差が
あると昔のほうが意欲が高いだろうし、先生方も熱心だったのではな
いでしょうか。自分たちの世代は進学率が相当高いので一人ひとりの
意識が低いのが接していて感じます。そんな環境に左右されないで
自分の目標を見据えて生きたいと思いました。
工・ 2 ・男 今回の広島大学の源流についての講義を聞いて驚いた
のは前身校の多さです。それとともにこの大学の歴史の深さです。た
だ教育学部が歴史が深くまわりの人からも広大教育学部がほかの学
部より高く見られているというのを聞い工学部の自分からしたら悔しか
ったです。しかし、それでもこの大学の歴史を知ることで知らないとき
よりも、自分の大学に胸もはれるようになった気もするしまた誇りを持
てるようになったきがします。
工・ 2 ・男 今日の広島大学の源流の講義を受けて、今まで疑問に
感じていたことが少し解決した気がした。まず、広島大学がなぜこん
なにも教育学部が有名になっていたのかという疑問について、広島
大学の母体の一つだった広島高等師範学校が「教育の西の総本山」
と呼ばれていたためだと知った。やはり、昔から有名だった学校の影
響というのは現在でも大きいと感じた。また、広島師範学校が授業料
がかからない上に、就職を必ずするということもあり人気が高かった学
校も広島大学の母体だったと知った。このように現在の広島大学は
以前の有名な学校が集まってできた大学なんだと実感した。
工・ 2 ・男 現在の大学の制度と戦前の大学の制度を知り、戦前い
かに大学というものが普及してなかったのかをうかがえた。そして、現
代の大学制度がいかにこの社会においてじゅうようなものかということ
についてとても考えさせられた。戦後この大学制度の普及のおかげ
で、やっとのことでさまざまな研究、一般教養の普及など人間性をあ
げることができた。もしこの大学制度がなければ日本はまだ発展途上
であった t かんがえられる。いまわれわれ大学生がやるべきことはい
かにおおくのことを学び自分のものにすることであるかであるとわたし
はかんがえる。
工・ 2 ・男 戦前と戦後の大学進学状況についての説明を聞いた際
は、やはり戦前の大学進学率には、驚きました。その後の講義の内容
でとにかく広島大学の前身校の数が多すぎて、何が何だか整理がつ
かないのが、正直なところです。前身校の説明の中でやたら多く『教
員・教職』のコトバが使われているのを聞いて、なんとなく広島大学の
教育学部が有名である理由が分かった気がしました。講義の最後に
広島大学は、一般的に実務家養成の教育機関としての印象があると
いうのは、少しだけ理解できる気がしました。
工・ 2 ・男 戦前の大学と戦後の大学のちがいがよくわかった。広島
大学のイメージと言ったらやはり教育学部で有名だというイメージであ
る。そのとおり広島大学の包括校は教育学部の構成母体となった学
校が多いということがわかった。包括校のなかでも、広島文理科大学
というのは耳にしたことがあり、設置された当時は東京文理科大学と
あわせて日本に 2 つしかなかったというのは広島人として少し誇りに
思えた。自分が広島大学の学生の一人として将来貢献できるように
努力していきたいと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義の内容は「広島大学の源流」ということで、昔
の、広島大学の前身となったいろいろな学校を知ることができた。ま
ず、広島大学の前身となった学校の多さに驚いた。この資料に書い
てあるだけでも 9 校ものがっこうがあった。自分は工学部第四類に属
しているので、やはり気になったのは工学部の構成母体となった広島
市立工業専門学校と広島工業専門学校である。当時広島市立工業
専門学校は機械科と航空機科しかなかったというのにも目を引いた。
工・ 2 ・男 今回、現在と戦前の広島大学についての講義を受けまし
たが、まず戦前の大学進学率が 1 %未満だということを知り、驚愕で
した。少ないだろうとは思っていましたが、まさかここまでとは予想して
いなかったからです。工学部の母体となった広島工業専門学校を始
め、現在の広島大学の構成母体となる学校が数多く存在するのを知
ることができ、とても感心しました。ただあくまで広島大学は中堅的な
位置に格付けされているという事実を改めて今回の授業で思い知り
ました。
工・ 2 ・男 広島大学をはじめほとんどの国立大学が今年で創立 60
周年を迎えているのは、国立大学は戦後に設立されたためであるの
だとわかりました。また、広島大学の母体となった広島高等師範学校
などの学校は別々の場所でそれぞれの歴史を持っていたということも
知ることができました。講義の最後、学外の人からみる広島大学の特
色が「エリートというよりも中堅の現場でしきる実務家を育てる大学で
ある」ということを知り、自分もそういう人間になれたらいいなと思いまし
た。
工・ 2 ・男 戦前には大学は基本的に帝国大学しかなくて、広島大
学もその当時はなかった。そして、帝国大学に対する印象は今現在
でも残っていると思う。そんな中でも広島大学は、帝国大学と遜色な
いように思うし、広島大学の源流を知ることによりより母校に対する誇
りなども強くなった。社会で活躍する先輩方も多くおられると思うし、そ
んな方々のように社会で活躍したいと思った。工学部の源流となった
学校は 1920 年に設置されていて、当時から優秀であり恥じないよう
にこれからがんばりたい。
工・ 2 ・男 今回の講義のテーマは「広島大学の源流」とあったので
今回の授業の内容は少なからず予想したものであった。しかしながら、
大学受験において第一志望校でないこの大学に通っている私の心
の隅にあった「ホントにこの大学に来てよかったにだろうか?」という気
持ちを少なからずすっきりさせてもらったように感じる。この大学が日
本社会において中堅的人材や実業家として能力の優れた人材を育
成しているという事実はこの大学に通うものとして非常にモチベーショ
ン向上になったと思う。また、今回講義において広島大学の前身校を
知ることが出来たのでいま自分がやりたいことを見つけるきっかけに
なればいいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の母体になった包括校がとても多くて少し驚い
た。それらの学校がいまの多くの学部の構成母体になっていることが
わかった。また、広島大学は、教育学部のイメージが強いが、それは
母体となった師範学校の影響であることがわかった。僕も広大生だと
言っただけで教育学部だと思われたことがあったので、その強いイメ
ージのもとを知れてよかった。また、戦前の進学率が非常に低かった
ことや、現在の進学率が過去最高であることなどが知れて勉強になっ
た。
工・ 2 ・男 色々知らないことだらけでたくさん驚いた。さまざまな数
字が出たりして驚いたが、中でも「教育の西の総本山」、「日本に 2 つ
しかない」など、広島の学校が教育の中心にあったことに驚いた。こ
んな言い方は失礼かもしれないが、広島大学は旧帝大ではなく、私
が入学できるくらいでありそんなにすごいところだとは知らなかった。
また授業料を免除する代わりに何年かは教師をやらなくてはいけな
いという制度があると知って、先生も言われていたが私も一石二鳥で
あり現在の大不況の中では夢のような話だと思った。次回の授業も今
回みたいに期待したい。
- 551 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 今回の授業のテーマは広島大学の源流、ということで、
広島大学の起源についての話でした。大学全体での話なのですが、
戦前の頃は日本にはほどんど大学というものが存在しておらず、初め
は東京にある東京帝国大学だけが唯一の大学であったという話は知
らなかったので、この授業で初めて聞きました。さらに、現在の日本の
教育システムに沿って教育を受けると、小学校を卒業した生徒はその
まま中学校へ進学するのが普通ですが、戦前の頃は全員が行けるわ
けではありませんでした。養育費が高く、お金のある家の子しか進め
ず、さらにその中の数名だけしか大学に進学することができません。
しかし、大学に入ったもののほとんどが官僚になるといったように、今
のように職業などの選択に自由があまりなさそうだったのが難しいとこ
だな、と感じました。
工・ 2 ・男 広島大学の包括校である広島高等師範学校や広島高
等学校では戦前から高等教育が行われ、教員養成や大学進学生の
輩出が行われてきた。その伝統は現在の広島大学に受け継がれ、日
本社会における中堅的人材の育成に取り組んでいる。私は中堅的人
材という言葉に否定的な意味を感じていた。東京大学や京都大学な
どの旧帝国大学と呼ばれる大学の卒業生の多くは官僚やいわゆるエ
リートとして日本社会のトップに君臨するわけだが、広島大学はじめ
地方大学の卒業生はその下につくしかできないからだ。だが辞書で
中堅と引いてみると、 社会や団体の中心となって活動する人の意で
あった。ということは実質的には私たちが日本社会の中心となるわけ
だ。そのことを考えると私は、伝統ある学校を包括する広島大学で学
び、やがて社会に出ていくことに誇りを感じた。今回の講義を通して、
改めて現在と戦前の大学の在り方の違いに気づくことができた。そし
て今自分に何が求められているのかを痛感し、今後の大学生活にお
いて常日頃から意識していきたいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学はずっと前の歴史を持っている。はじめは、広
島大学ひとつ出ではない。色々な学校があります。例えば広島女子
大学、広島工業大学。しかし、時間にとともに全部ひとつにらに増す。
それで東広島においってあります。
工・ 2 ・男 歴史的な観点から見るとやはり、旧帝国大学と呼ばれる
7 つの大学にはまだまだ敵わないと思わざるを得ないと思いました。
しかし、前身校を見てみると思っていた以上に古い歴史を持つ、当時
から有名であった学校もあるようで、正直驚きました。また、前身校の
多くが○○師範学校と呼ばれる教育学部の構成母体となっているも
ので、広島大学が教育学部だけが優れていると言っても否めないの
ではないかと思いました。
工・ 2 ・男 今回は広島大学の前身校について学べることができた。
前身校が 9 つという数であったが私が知っているのは広島師範高等
学校、文理科大、工業専門学校、医科大くらいであった。私の祖父が
高等師範学校出身者であったので私が広島大に受かった時によろこ
んだ意味が今日、改めて知ることができた。私自身は工学部に所属
しているのでやはり一番工業専門学校のところに興味がもてた。先生
が歴史は深くないが名門校であったと言ってくれたことが素直にうれ
しかった。また現在の工学部は倍率が二倍程度なのに対して昔は 8
倍も 10 倍もあったことに大変驚かされた。
工・ 2 ・男 今回は広島大学の前身校について授業するのではない
かと予想はしていた。しかし、広島大学の前身校が広島高等師範学
校をはじめ 6 つもあるとは知らなかったのでとても驚いた。授業のな
かで広大は中堅的人材を派遣し、その卒業生は実務家としての能力
にすぐれた人材たることを望まれているというのを聞いて、しっかり授
業に取り組み広大生として恥ずかしくない人材にならなければならな
いと思った。また、広島大学が教育学部が’強い’というイメージは広
島大学の前身校に実務家養成という特徴があり、その流れから現在
にいたるまでそのようなイメージがあるのだというのは非常に興味深い
話だった。
工・ 2 ・男 新制大学として設置されたものの、 60 年ではまだ包括
校(~師範学校として)の歴史が世間ではまだ有名で、ちゃんとした総
合大学である広島大学が教育大学と世間で言われている理由がな
んとなく分かったような気がします。また、戦前と現在の大学進学率や
高等教育進学率の比較は想像以上の差があり、驚いたとともに当時
から官僚を輩出してきた帝国大学の現在の世間からの評価の高さに
納得させられました。しかし、広島大学も旧帝国大学に匹敵するほど
優秀らしいので、残りの 3 年間をがんばろうと思えました。
工・ 2 ・男 僕が、知人に広島大学に通っているという話をすると自
分は工学部なのにいつも教育学部が有名だとかレベルが高いだとか
いう話をされて疑問に思っていたのですが、今回の講義を受けてそ
れは広島高等師範学校が教育学部の構成母体になったからであると
いうことがわかり先生の講義を聞いて知人がなんでそんなことを言う
のかが理解できた。また他にも広島大学の構成母体となったのは、師
範学校や広島文理科大学などさまざまな教育機関が母体となってい
ることを知った。恥ずかしい話ではありますが今までは法律が制定さ
れてなんもないところから大学ができたと思っていたのでどうやって大
学ができるかを知れた点についてとても意義のあることだと思った。
工・ 2 ・男
まず戦前と戦後の大学について戦前の大学進学率が 1
パーセント未満ということには非常に驚かされました。それ以外の進
学率も低かったので教育というものがあまりなされていなかったんだな
と思いました。また現在でも大学進学率が 50 パーセントに満たない
のは知りませんでした。今の自分は教育の面ではかなり恵まれている
んだと考えさせられました。次に広島大学が 9 もの学校からできてい
たことを知り、今我々が幅広い学問研究を行える礎になっているんだ
と思いました。今後はこのことを頭においてさらに深く学んでいきたい
と思いました。
工・ 2 ・男 戦後にいくつかの大学が合併して、広島大学ができたの
は知っていましたが、授業を聞いて、あんなにたくさんの大学が合併
してできたと知り、とても驚きました。現在は高校や大学の進学率は
高いけれど、戦前は高校や大学への進学室がそれぞれ 5 %だった
ことにも驚きました。それだけ進学する人が少なければ、国にとっても
まずいのではないかと思います。当時は教育制度があまり充実してい
なかったのだろうと、わかりました。自分達は教育制度にめぐまれてい
るのだと思いました。そのような、恵まれた環境にいるのだから、存分
に学問に励みたいとおもいました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、戦前の大学と戦後の大学の役割
は違うということがわかった。今は大学を卒業した人は企業に就職し
たり、学校の先生になったり、公務員になったりしてさまざまな職業に
就いている。しかし戦前の大学は官僚養成、研究者養成を目的とし
ていたことにおどろいた。また広大には数多くの前身校があり、今でも
前身校の歴史の影響を広大が受け継いでいることは大変興味深かっ
た。広島大学は教育学部が有名ということは聞いていたが、それは広
大の前身校には有名な師範学校があったからとは知らなかった。
工・ 2 ・男 戦前の大学はその目的から違っており、完全に別物なの
だと感じました。官僚や研究者の養成をするのが以前の大学だとする
と、今の大学は大部分の人にとって企業に就職するための踏み台の
ような場所でしかないと思います。戦前に比べると進学率も上がり、た
くさんの人が学べるようになったのはいいことなのでしょうが、本当に
勉強するために進学する人は、現在ではたった一握りだと思います。
今の大学はいい意味でも悪い意味でも相当敷居が低くなっていると
思い、複雑な気持ちになりました。
工・ 2 ・男 戦前の教育は、帝国大学に入って、ほとんどが官僚にな
るといったとこから、戦前の政治への関心の強さが大学の教育システ
ムからもみてとれた。その反対とまでのことではないが広島大学の包
括校の中には教育者の育成を進めていたといとこから、今、広大の看
板が教育学部である気がした。広島大学がいろんな専門学校の集合
体であることは知っていたが、今回詳しく聞いてみてとても多い数の
大学が集まってできたのだなと改めて驚いた。
工・ 2 ・男 広島大学が日本屈指の総合大学と呼ばれる理由が今日
の講義でわかりました。広島大学は広島県にある複数の専門学校が
合併してできた大学だったのですね。専門学校が大学になることにど
んなメリットがあるのかはわかりませんが、師範学校や工業高校や女
子校などがひとつになるのだから、当時の学生たちのなかには大学
設立を喜んだり、逆に戸惑ったりする生徒がいたんだろうなと考えて
いました。
工・ 2 ・男 広島大学の包括校の多さは、広島大学の全敷地面積の
広さからもうかがい知れるとおり、かなりたくさんの大学が統合して誕
生したように感じましたが、落ち着いて考えると、市内の方にも医学部
側の広島大学があるので、それも考慮するとあながち多くはないのか
もしれないです。昔から教育に重点を置いた大学として有名である広
島大学では、大学祭などの行事を教育学部では別に行っていること
があるのも、その名残なのではないでしょうか、とも思いました
工・ 2 ・男 今は半分ぐらいの人が大学に進学しているが、戦前は大
学の数も少なく、大学進学率は 1 パーセント未満であった。さらに、
大学に入るには決められた学校に順々に入っていかなくてはならず、
今の制度とは違うと感じた。また、広島大学は教育学部が強いといわ
れているが、なぜそうなのかは知らなかった。今回の授業を聞いて、
広島大学の前身に広島高等師範学校、広島文理科大学などがあり、
広島高等師範学校においては「教育の西の総本山」と言われるほど
であったからだと知った。
工・ 2 ・男 広島大学の元になる学校がこんなにも多いとは知らなか
った。私は広島大学附属福山中学校と高等学校の出身なのですが、
その元でもある広島女子高等師範学校の名前は知っていましたが、
その学校についてあまり詳しいことは知りませんでした。今回広島大
学の源流ということで講義を聴いていて、私の出身の中学校と高等学
校の始まりでもある学校のことを聞けてよかったと思っています。あと、
私は工学部ですが、工学部の構成母体となった学校の話も聞けてよ
かったです。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校である 9 個の学校のうち教育学部の
構成母体となった多く、一つの学部に対して、一つの前身校しかない
と思っていたので自分の認識が間違っていたことを知りました。自分
の通っている学校のことを正しく、もっと深く知っておきたいと思いまし
た。自分は工学部なので、工学部が二つの工業専門学校を前身校
にしていたということが、一番意外に思いました。また、戦前にあった
- 552 -
前身校とは学校の目的が違い、時代によって変わって行くんだなと
思いました。
工・ 2 ・男 戦前の大学は数えられるほどしかなく、大学に進学でき
る人もほとんどいない、それに中学や高校に進む人数もとても少ない
と聞き、今では考えられないと思う。広島大学は九つの前身校の集合
として創立されたと聞き、正直驚いた。九つの前身校は、それぞれの
分野で立派な成績を収めていて、大学の前身としては十分な実績が
あると思う。その中で、自分が気をひかれたのは工学部の前身である
広島工業専門学校と広島市立工業専門学校だった。二つの学校が
広島大学工学部として立ち上がったおかげで自分たちは広島大学
の生徒となることができた。
工・ 2 ・男 広島大学が 1 つに統合される前は多くの分校であったこ
とについては知っていたのですが、その詳細までは知らなかったので、
今回の講義そして配布された資料は大変勉強になりました。また、戦
前の学校制度についても聴くことができ、現代との違いも知る事がで
きました。正直なところ、帝国大学と現在の大学の違いがよく分からな
かったのですが、今回の講義を聴いて、前者は主に国家に直接関わ
る人材を育むことを機能としており、民間に輩出する人材を養成する
のは専門学校であったという大体のイメージは持つことができました。
現在の大学はそれはを 1 つに統合したといったところでしょうか?第
4 回の授業でまた詳しい内容が聴けるという事なので楽しみにしてい
ます。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて感じたことは広島大学は、とても多く
の前身とも言える学校から成り立っているんだなということです。特に
全国的にも有名な教育学部は、 2 つの学校がもとになっているという
ことには、驚きとともに、納得できた部分もあった。スライドや配られた
プリントでは、グラフなどのデータが小さくて見えにくいところもあった
ので、できたら次回からはもう少し大きく作成してほしい。先生の言っ
てたように人に言われてではなく、自ら愛校心を抱けるように、この広
島大学でしっかり学んでいきたい。
工・ 2 ・男 大阪大学には教育学部がなく、別に大阪教育大学があ
る。これは、大阪大学のレベルについていけなくて、分かれたものな
んだとわかり、その点、広島大学はまだちゃんと教育学部が残ってい
るので、こういう点で広島大学の教育学部は有名なんだなあと思った。
またこの教育学部は 2 つの学校がもとになっているということを知り、
改めて広島大学というところは全国的にもレベルが高いところなのだ
とわかった。
工・ 2 ・男 現在では高校を卒業し、大学に進学する人は珍しくもな
んともありませんが、戦前には大学に進学する人は 1 %にもみたない
ことにとても驚きました。ましてや中等教育を受ける人も 5 %程度しか
いないことは知りませんでした。大学に行ける人がそんなに少ないな
ら、大学卒業後の進路はそれぞれの分野で即戦力になるのかと思っ
ていましたが、卒業生の大多数が官僚になることも意外でした。広島
大学は 9 つの前身校をもち、広島大学は教育学部が有名という話は
「教育の西の総本山」といわれた広島高等師範学校が前身校になっ
たからだということが分かりました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて教育学部がなぜ盛んなのかわかっ
た気がします。それは広島大学ができる前に多くの教育学校や工学
学校や医学学校が統合してできたのが広島大学であり、そのなかで
も教育学部は 5 つの教育学校が統合されたから教育学部が盛んな
んだなと思いました。その教育学校は小学教論の育成や中学教論の
育成や高校教論を育成する学校であるため、広島大学の歴史より現
在の広島大学は教育学部が盛んなんだなと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義では、各学部の前身校がどのようなものであ
ったかという講義でした。広島大学は、こんなにも多くの学校からなっ
ていたことには驚きました。僕は工学部ですが、工学部は 2 つの学
校からできていて関心しました。ただ、昔の工業学校は戦時中だった
こともあり戦争に関する研究であった点が残念でした。講義自体は、
少し時間に押されていて早かった気がしますが内容は、よかったです。
もう少し、プリントには載っていないような情報が聞けたらうれしかった
です。
工・ 2 ・男 広島大学の前にいろいろな専門的な学校があり、統合さ
れることで広島大学が成り立っていたと知り、やはり広島大学は総合
的な大学だなと改めて感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、戦前の進学率の低さにまず驚かさ
れた。当時は大学進学率が 1 パーセント未満で、卒業生の大部分が
官僚になっていたというので、そのあたりも現在とはかなり事情が異な
っていると思った。また、広島大学の前身校のことについてだが、広
大は戦後の大学の中で最も多くの前身校をもつということを学んだ。
前身校の中で印象に残ったのは、広島高等師範学校と広島女子高
等師範学校だ。講義で先生がおっしゃていたように、世間には広大
は高等師範のイメージが強いという事は周囲の大人との会話でうかが
える事実だと思った。そして、広島の人間として広島女子高等師範学
校が、真の価値を発揮することなく役目を終えた話は、改めて胸にと
どめておこうと思った。
工・ 2 ・男 現在では高校または大学に進学するのが当たり前となっ
ているいますが、昔はほんの一握りの人しか進学しないと聞いて驚き
ました。また学校に通っている学生たちの意識も異なり、かつては勉
学を一生懸命に学ぼうとする者たちで構成されていましたが、学生の
数が大幅に増えた今とは勉学に対する心構えがかなり違っています。
広島大学の前身校が 9 つもあったことにも驚きました。それぞれの学
校がそれぞれの役割を果たし、それが広島大学の各学部の母体とな
り、今の広島大学ができたことを知り感心しました。これだけでも広島
大学の歴史を語っているのに、まだこのような密度の授業がたくさん
残っていると思うと、広島大学の歴史の深さを感じさせられました。
工・ 2 ・男 まず、一番印象に残ったのは、広島大学がいくつもの大
学が併合してできた大学だということである。入学する前の広島大学
に対しての個人的なイメージとしては『広島大学はずっと昔から 1 つ
の大学としてある』というものだった。広島大学は国内で面積が 2 番
目に大きい大学だというのを聞いたことがあったが、そのような理由か
ら大きくならざるを得なかったのだなと思った。前々から思っていた、
広島大学は何でこんなに学生が多いのかという疑問も少しは晴れた
ような気がする。また、戦争前後における広島大学についての話は、
非常に興味深く、もっと詳しく聞いてみたいと思った。広島大学でなく、
広島という町自体に『戦争』、『原爆』というイメージがあると思う。広島
大学に入ったからには、授業や日々の生活を通して、平和に関して
の考えをより深めていきたいと思った。
工・ 2 ・男 戦前の大学進学率は結構低いかなと予想していたけれ
ども、現在の大学進学率が思ったよりも低かったことにまずおどろい
た。戦前では大学の意味が現在とは違うことも知らなかったし、卒業し
た人たちの多くが官僚になるということは今ではぜんぜん考えられな
い。広島大学がいくつかの学校が合体してできたということはなんとな
く知っていたが具体的に見ていくと想像よりもずっと多かった。ぼくが
所属している工学部に関しては母体が二つあったなんてまったく知ら
なかった。
工・ 2 ・男 広島大学の長い歴史についての講義を受けて、広大生
である自分の責任について考えさせられたし、自分に与えられている
可能性について考えた。今まで自分の大学についてあまり知ろうとし
ていなかったし、自分がこの大学の一員であることを特に意識したこ
とはなかった。でも、これから意識することによって、自分の行動はど
んどん変えていけると思うし、そうすることで、自分は広大生だ、と自
信をもって言えるようになりたいと思った。
工・ 2 ・男 戦前と現在とでは、大学への進学率が大きく変わってい
るのを知って驚きました。私は、今回の講義を受けるまで、広島大学
が 9 個の学校が基盤となって作られていたことを知りませんでした。
その 9 個の学校にもいろいろな種類の学校があったために今の広島
大学のような数多くの学部を有する大学になったんだとわかりました。
広島大学は旧帝大ではないので中堅荻人材、実務家としての能力
に優れた人材になることを望まれている大学なんだと知り私も実務家
として活躍できるように頑張っていきたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校は戦前から存在していて、いくつかの
学校があわさって現在の広島大学ができたことを知り、歴史の長さと
規模の大きさに驚かされた。広島大学の教育学部はレベルが高いと
いうことは知っていたが、それが広島高等師範学校など多くが前身校
であったということが少なからず関係しているということで納得した。自
分の所属している工学部も広島工業専門学校という戦前から前身校
があった歴史あるものだと知り、誇りを持ちたいと思った。これからも広
島大学についての知識を深めていきたいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校は戦前から存在しており、歴史の長さ
に驚かされた。昔は東の東京、西の広島と呼ばれるくらいの全国有
数の教育機関であったことを知り、それゆえに現在の教育学部はそ
の長き歴史の中で培ったことを生かして優秀な教育者を輩出している
のだと思った。自分は工学部に所属しているが、 1920 年に前身校
が設立されていてその卒業生は日本中で活躍しておりそのおかげで
広大工学部は世間的に認められたおり、自分も充実した研究機器を
利用できるのだと考えさせられた。ほかにもたくさんの前身校があって
それらが集まって今の広大が存在している。広大は広島の教育機関
の最高峰であるのはそのためだと理解した。
工・ 2 ・男 今回の講義は新制広島大学の構成母体となった前身校
の歴史がテーマでした。その前身校の中で自分が今所属している工
学部の構成母体となった広島工業専門学校に関心を持ちました。広
島工業専門学校は日本で 7 番目の高等工業学校で戦前日本にお
ける高級技術者養成の機能を果たしていたというので驚きました。そ
んな歴史を持つ工学部に所属できていることをうれしく思います。ま
た、東京、奈良に次ぐ 3 番目の女子高等師範学校が私の地元の福
山にあったことには驚きました。次回も広島大学の歴史と自分との関
わりを考えていきたいと思います。
工・ 2 ・男 広島大学はもともと 9 つの学校が包括されて構成されて
出来ており、 1949 年までは今より多くの学校が存在しているのかと
思った。ただ、昔は 1 つの学校に複数の学部が存在しているというの
はほとんど無かったため、専門学校のようなものなのかと思った。私は
工学部であり、その学部の源流を見ても、 2 つの工業専門学校から
- 553 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
成り立っており、そのどちらともがレベルの高い教育をしていたように
感じた。師範学校が一番多く前身校に含まれていたが師範学校が教
育者を育てる学部だとは知らなかった。
かった。今の私たちの学問に対する自由さと比べてその頑固さに驚
いた。また、卒業生の大半が教員になるというのも今では考えられな
いことだ。
工・ 3 ・男 9 つもの学校を前身としてそれぞれの学部ができている
ので、学部間の意志の疎通が最初の方は難しかったのではないかと
思った。今でも学部によって教員や学生の雰囲気が全然違うと聞くこ
とがあるのは、その所為ではないかと思う。広島大学は教育学部が有
名というのは、教育学部の前身となった諸学校が有名だったことに由
来するというのは知らなかった。昔有名だったから今でも実力がある
かどうかは分からないが、今でも教育学部は西の広島、東の筑波と聞
くことがあるのは今でも実力が認められている証拠だと思った。
生生・ 2 ・女 今回の講義では広島大学の前身について知ることが
できました。その中でも私が所属する生物生産学部の前身となった
広島青年師範学校では男子は主に農業を学び、女子は家政科であ
ったという話はとても興味深く、もしも時代が違えば私は家政科にい
たのだろうかと考えると今と昔の大学の違いが強く表れていて面白く
思いました。またそう思うと同時に自分が進学したい分野へと進むこと
のできる今現在の恵まれた教育環境をありがたく思い、感謝しながら
学問に励まなければならないと感じました。
歯・ 1 ・女 私は、入学するよりも前から、広島大学はもともとは師範
学校であったということを何度も耳にすることがありました。そのことか
ら私は師範学校だけが広島大学の元になった学校だと思っていまし
た。しかし、今回の講義を受けて、広島大学は師範学校以外にもさま
ざまな学校が統合されてできた大学だということもわかり、さらにはそ
れ以後の広島大学の発展についても知ることができ、この大学に通
っている一人の人間として、広島大学について少しは理解することが
できたかなと思いました。
生生・ 2 ・女 広島大学が旧帝国大学と同じくらいすごいといったこ
とに関して、正直実感がわかなかったです。教育学部がすばらしい学
部であることを感じました。昔の師範学校の歴史はすごくしっかりして
いて今につなげていったらいいなと思いました。
歯・ 1 ・女 今回の講義で多くの大学から広島大学が作られたことを
知りました。しかし、それらの広島大学の包括校にはそれぞれの特色
があったと思います。にもかかわらず、一つの大学になることに抵抗
や反発などは起きなかったのか疑問に思います。また、それぞれの
包括校の特色は今でも少なからず残っているのか知りたいと思いま
す。最後に、今回の講義ででてきた『学校教育法』『国立学校設置
法』などについてもせっかくの機会なので、それらの法が制定された
理由やその法自体についても調べてみたいと思った。
生生・ 2 ・女 講義のはじめのほうで現在の大学と昔の大学につい
ての比較がされていましたが、昔は大学に進学する人が少なかったと
いう話は親から聞いていました。しかし、実際に数値で現在と比較し
てみると、予想以上に大学進学率が低くて驚きました。今では大学進
学というものが大衆化されているという事実にも納得できました。戦前
の大学は今とは異なる部分が多く、興味深いものでした。学費も不要
でかつ就職先も保障されているしくみは羨ましくもありました。しかしこ
のしくみは大学に通う人口が少なかったからこそ成り立っていたもの
ではないかと感じました。また、現在の広島大学はこんなに歴史と伝
統のある学校が前身となって生まれていたものだと知り、そんな背景
を持つこの学校に通っていることに対し、改めて深い重みを感じるこ
とができました。
歯・ 1 ・女 私は広島大学について何も調べたりしないまま入学して
しまったので、今回の講義の内容はどれも初めて知るものばかりでし
た。私の出身の高校は、共学化や特別クラスの導入などの活動が活
発な一方で、伝統を守りながら学校生活を送ろうという気持ちが強く、
いろいろな面で学校の歴史を考えさせられる機会が多い学校でした。
そのようなこともあり、学校の歴史や伝統について興味があったので、
今後この授業を通して、もっと広島大学の伝統を知り、さらには守っ
ていくことを考えていけるように学んでいきたいです。
生生・ 2 ・女 今回の講義を受けて、現在と比べた戦前の大学、それ
以前に高校・中学への進学率の低さに唖然としました。それと同時に、
自分が今どれほど恵まれた環境にいるのかをあらためて認識しました。
今の時代は、ほとんどの人が大学に行くのが当たり前になっていて、
それがどれほどありがたいことかを認識することが難しいと思います。
しかし、そんな中でも、親や家族などの周りの人への感謝を忘れず、
大学に来て学べるという貴重な経験を無駄にしないよう、自分自身が
心がけていくべきだと実感しました。
生生・ 1 ・女 私は今まで大学は始めから大学として作られたものだ
と思っていたので、現在の広島大学が多くの前身校が母体となって
出来たということを知って驚いた。大学が高等学校や師範学校などが
統合されて出来たものだということは初めて知った。また、戦前の大
学進学率が 1 %未満だったというのにも驚いた。その時代に大学に
行く事は本当にすごいことだったと思う。広大が実務家養成を特徴と
しており、実務家としての能力に優れた人材を輩出してきたということ
は、誇るべきことだと思った。私も広大を卒業し、広大の名に恥じない
ような人物になれたらいいと思う。
生生・ 2 ・女 高校の時から「教育学といえば広大で、教育学に関し
てとてもよい大学だ」と聞いていました。私はどうして広大の教育学部
が凄いのかずっと疑問に思っていて、入学してからもどうして親戚の
人たちなどは広大といえば教育学部と言うのか、理由がわかりません
でした。しかし今回の講義を受けて、広大は多くの前身校を持ち、そ
のほとんどが教員を養成する学校でした。旧帝大に歴史という点では
劣るものの、引けをとらないくらい魅力的な大学でした。また今回の講
義で広大がなぜこんなにも多様な学部をもっているか、というもうひと
つの疑問に対する答えも見つかりました。もう少し前から広大につい
て知っていればもっと違った視点を持てていたのだろうと思いました。
生生・ 2 ・女 今の広島大学は最初からこのようなものではなく、途
中で学部が新設されたり、他の学校と合併して現在のようなかたちに
になったと初めて知りました。広島大学と言えば教育学部。このような
ことは入学する前や、入学したあともよく耳にするが、このように言わ
れる理由が今日の講義で少なからず分かったと思います。また、最初
の方で移転をしたのは筑波大学と広島大学だけではないと言ってい
ましたが、最近移転した大学では、前の広島大学や筑波大学のよう
に自殺問題は起きないのか?その辺をもうちょっと聞いてみたいです。
生生・ 2 ・女 現在では大学進学は大衆化しているが、戦前の大学
進学率やそう卒業生の大部分の進路が官僚という事実を知って、い
かに進学が狭き門なのかを感じた。また広島大学が 9 つの前身校で
できており最多の数から成っているからこそ、今のような歴史ある総合
大学になったのだと感じた。さらに、卒業後に教師になることにより授
業料が免除されるといった制度は、金銭的な問題を取っ払い本当に
勉強をしたい人にも助けとなり、また次世代の優れた人材を輩出する
教育システムを構築する、効率的な素晴らしい制度だと思う。
生生・ 2 ・女 広島大学はもともと 9 個の学校がもとであると初めて
知った。そして生物生産学部はもともとは広島青年師範学校が母体
となっていることも知った。この授業で「世間は高師のイメージを広島
大学に重ねる」と言っていたが確かに広島大学は教育学部が有名だ
というイメージがある。わたしは入学するまで知らなかったが、多くの
人がそのようなイメージを持っているようである。わたしは大学が旧帝
大だろうとそうでなかろうとあまり気にしない。どの大学を卒業していて
も、社会で活躍する人とそうでない人がいるだろうからである。しかし、
広島大学を卒業した人間は日本社会の中堅的人材であったり、実務
家としての能力に優れた人材たることを望まれているのであれば、そ
うなるよう心づけたほうがいいのだろうと感じた。
生生・ 2 ・女 広島大学を受験する際に、現在の広島大学について
学習内容や研究室、部活のことなどを調べただけだったので、今回
の講義で学んだことは初めて聞くことばかりだった。なかでも一番興
味をもてたのは、生物生産学部の源流だった。もともとの青年師範学
校では男子部が農業科、女子部が家政科と限られた分野しか学べな
生生・ 2 ・男 今の広島大学は最初からこのようなものではなく、途
中で学部が新設されたり、他の学校と合併して現在のようなかたちに
になったと初めて知りました。広島大学と言えば教育学部。このような
ことは入学する前や、入学したあともよく耳にするが、このように言わ
れる理由が今日の講義で少なからず分かったと思います。また、最初
の方で移転をしたのは筑波大学と広島大学だけではないと言ってい
ましたが、最近移転した大学では、前の広島大学や筑波大学のよう
に自殺問題は起きないのか?その辺をもうちょっと聞いてみたいです。
生生・ 2 ・男 今回は広島大学の源流ということで、広島大学の前身
校となった学校のことを学びましたが、広島大学は前身校の校の包
括で生まれたものであるということすら知りませんでした。僕は生物生
産学部に所属しており、その構成母体となった広島青年師範学校に
ついて今回初めて知りました。当時は教員を養成することを目的とし、
そのための知識や技能を身につけていたようですが、現在とはかなり
違いがあるように思いました。この学校の理念も現在の広島大学の理
念と関連性があるようには思いませんでした。そこは残念でした。
生生・ 2 ・男 一番に考えたことは、戦前の人たちに比べて自分たち
がいかに恵まれているか、ということでした。戦前には大学進学率は
1 %未満だったのに現在では 49 . 1 %と非常に高い数字を示して
おり、これは若者のために先人たちが、学問を学ぶ体制を整えてくれ
たからだと思いました。先人たちの努力に応えるためにも、一日一日
を大切にし、感謝の気持ちを忘れずに勉学に励まなければ、と思い
ました。また、広大の教育学部が評価されている理由は歴史にあった
のか、と感心しました。
生生・ 2 ・男 今の広島大学は最初からこのようなものではなく、途
中で学部 が新設されたり、他の学校と合併して現在のようなかたち
になったと初めて知りました。広島大学と言えば教育学部。このような
ことは入学する前や、入学し たあともよく耳にするが、このように言わ
れる理由が今日の講義で少なからず分かったと思います。また、最初
の方で移転をしたのは筑波大学と広島大学だけで はないと言って
いましたが、最近移転した大学では、前の広島大学や筑波大学のよ
- 554 -
うに自殺問題は起きないのか?その辺をもうちょっと聞いてみたいで
す。
生生・ 2 ・男 広島大学に 9 校もの前身校があるということに驚きまし
た。もともと私は、前身校という存在をしらず、広島大学がゼロからい
きなり設立されたものだと思っていました。また、広島大学の教育学
部が有名であるということは親などが言っていて知っていましたが、そ
の由来が広島高等師範学校であるということは知りませんでした。授
業料がかからずに教師になれるのであれば、自分もそこを狙うだろう
と思います。しかし、前身の学校には師範学校が 4 つもあるということ
に、そんなに先生を増やして何の意味があるのかと疑問が残りました。
生生・ 2 ・男 広島大学がいくつかの大学の集まりであることはある
程度知っていましたが、 9 つもの大学が集まってできたものだとは知
りませんでした。そんなさまざまな大学の集まりだったから広島大学は
非常に計画的に作られた大学なのだと思いました。また、授業の最
後に広大生について実務家などになることが期待されるといったよう
なことを言っていたのですが、自分にはまだそのようなところまでたど
り着けるような気がしないので、これから広島大学の歴史を学ぶととも
にしっかり勉強して立派な社会人になれるように努力しようと思いまし
た。
生生・ 2 ・男 今回の「広島大学の歴史」の講義を受講して、テーマ
が広島大学の源流ということで、多くの前身校の紹介がありました。九
校の前身校の一つ一つが今の広島大学の学部や大学の元となって
いると考えると、一つの学部の意義や存在の大きさに驚くとともに、こ
れからの自分が学びの場としてしっかり活用していきたいと感じました。
今日の講義で一番印象に残ったことは、広島青年師範学校です。そ
れは、今いる生物生産学部の構成元となっただけでなく、私の母校
である県立西条農業高校が関係していると知って、とても身近に思い
ました。広島大学の源流をしっている社会からは、日本社会の中堅
的人材・実務家としての能力に優れた人材を社会から望まれていると
講義の最後に聞きました。広島大学は、教育機関として優れた多くの
前身校からできていたのことを知ったので、私もしっかり大学の環境
以上のものを身につけていきたいとかんがえました。
生生・ 2 ・男 今回の講義で広島大学は様々な学校が合併した新制
大学ということがわかった。特に自分が興味をもった合併以前の学校
はやはり自分が生物生産学部ということもあり広島青年師範学校であ
る。この学校がなかったらもしかしたら自分は広大生じゃないかもしれ
ないと思った。また昔は男子より女子のほうが少ない年数で社会に出
ていると知った。今日の講義の最後で広島大学は世間から「日本の
中堅的人材」「実務家としての能力に優れた人材」たることを望まれて
いると聞いたのでそれに応えれるような人材になりたい。
生生・ 2 ・男 広島大学の前身校が 9 校もあったとは知らなかった。
それらの学校の良いところが集まって構成された大学なので、各学部
で質の高い授業や研究が行われているのだと思った。また自分の所
属している生物生産学部の起源が水畜産学部であったので、今でも
水産・畜産系コースが有名で、歴史があることの理由がわかったよう
な気がする。ただ、水畜産学部の卒業生の多くが教員になっているこ
とには驚いた。イメージでは、多くの人が農家として働いているものだ
と思っていた。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて、かつての広島には日本を代表
する人材育成のための学校が多かったという事実に驚いた。広島大
学の教育学部が全国的にも有名であるということは何となく聞いてい
たが、その根拠を知ることができてよかった。しかし広島大学が帝国
大学になることを目指しつつもそうなれなかったことに疑問を感じた。
北海道、東北、九州にもそれぞれ帝国大学が存在していたのだから、
中国四国地方にもあってもよかったのではないかと思う。旧帝国大学
に次ぐ大学と位置づけられている広島大学の学生として誇りをもって
これからの大学生活を有意義に過ごそうと思った。
生生・ 2 ・男 広島大学の前身校について知ることによって、その前
身校が世の中にどういう人材を送り出そうとしていたかを知ることがで
きた。そういう昔から送り出してきた卒業生の歴史があることで私が広
島大学に在学している現在も、卒業してからも世間からはそれなりの
知識がある人と思われるので今は広島大学の在学生であるということ
を意識して行動をしないといけないと思いました。バイトでパートのお
ばちゃんに「広大生なんじゃけー・・・」とよく言われるのを思い出しま
した。これも世間からの広大を見る目なんだと思います。
生生・ 2 ・男 戦前の大学進学率が現在とは比較にならないほど低
いこと、ならびに帝国大学の卒業生の大部分が官僚(国家公務員)に
なることは初めて知る内容であった。また、広島大学の前身校は 9 校
と、日本で一番多く、そのそれぞれが各学部の前身の役割をして、学
ぶ分野が細分化されていたことは非常に合理的で感嘆した。師範学
校については、卒業後の教職服務義務の代わりに授業料免除という
仕組みがあったということだが、学びたくても学資がない、意欲ある学
生への措置が当時から行われていたことは非常に注目すべき点であ
ると思った。いつの時代でも、資産の有無で学ぶ意欲を潰してはいけ
ないという意識が根付いていたのは有益であると感じた。
生生・ 2 ・男
こんかいの講義をうけて、広島大学のイメージを、教師
をしている親に「広島大学は教育学部がすごいイメージがあるよね。」
と言われたことを思い出しました。旧制度では、高等師範学校、文理
科大学だったことがまだ影響しているのでしょうか。昔は大学への進
学率が少なく、帝国大学なら官僚、文理科大学なら教師のように決ま
っていて、わかりやすいけど、大学への進学率が増えた今、総合大
学になって選択肢が増えたので、自分で進路を決めないとちゃんと
選択しないといけないと思いました。
生生・ 2 ・男 まず驚いたことは、広島大学の前身校が 9 校もあり、
そしてその数が日本で一番多いということです。受講前は、多くても 5
~ 6 校だろうと思っていました。また、講義後に特に強く感じたことは、
広島大学を卒業するということは、それだけ周りからの期待も膨らむと
いうことです。そのことを考えると少しプレッシャーに感じることもありま
すが、逆にそれを自らの刺激にして、これからの学生生活を歩んで行
こうと思います。早く次回の講義を受けたいです。
生生・ 2 ・男 広島大学は教育学部が有名であるということをよく聞
いていました。それと同時に筑波大学も教育学部が有名ということを
よく聞いていました。その理由に、それらの源流になったものとして、
文理大学があるということをしりました。他にも教育学部の源流となる
学校が複数あり、教育学部が有名であるということに納得することが
できました。基礎的な学校があったからこそ今のような総合大学がで
きたのだと思います。大学にはある程度の歴史が必要になってくると
考えます。自分が行く学校が歴史のある学校であると感じました。
生生・ 2 ・男 まず最初に、昔の大学と今の大学の役割が全く異なっ
ていることを知り、自分が大学生として何を求められているのか考え
直してみようと思った。また、昔と違って進学率が高く、勉強の場を与
えられている立場の者として、意味のある大学生活を送らなければい
けないと使命感を覚えた。また広島大学が、多くの前身校の礎のもと
に成り立ったという事実に歴史の重みを感じ、それと同時にこの広島
大学を後世に正しく残さなければならないと思った。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の教育学部が有名な
理由がわかった。 9 つあった包括校のほとんどがいまの教育学部の
母体となっていて、それが教育学部の知名度につながっているのだ
と思った。また、広大生の望まれている姿は、実務家として優れてい
て、日本社会の中堅的人材であることだと学んだ。社会の中で身分
が上の人と下の人を結ぶのは、中間に位置する人だと思うので広大
生は社会にとってかかせない人材だと思った。自分もしっかりと勉学
に励んでいればそのような人材になれると思うので頑張りたいと思っ
た。
生生・ 2 ・男 戦前の帝国大学が官僚養成と研究者養成という二つ
の機能を持っていたという話を聞いて、以前から僕は昔の大学は研
究者養成のためだけに存在すると思っていたので、とても驚きました。
今の大学に進学する主な理由は就職するためとなってきているので、
大学の在り方も時間とともに変わっていっていると思いました。また広
島大学に九つもの前身校があることにも驚きました。生物生産学部に
もその母体となった学校がありました。その当時には生物生産学部の
元となった学校でどのような研究や教育がされていたのか知りたいと
思いました。
生生・ 2 ・男 まず戦前と現在では、大学に対する考え方の違いが
あることにとても驚きました。私は人生における目標をこれといって持
たずに大学生になりました。それは私の通っていた高校が進学校で
あり、大学に行くのが当たり前の環境だったので違和感を感じること
は別にありませんでした。しかし戦前においては大学進学率は 1 パ
ーセント未満であったので、官僚養成と研究者養成の機能がメインだ
ったとはいえ、選ばれた人しか行くことのできない貴重な学びの場だ
ったのだと思いました。それを受けて、大学は学ぶことができる喜びを
感じて日々を過すべきなのだと思いました。そして広島大学の前身校
の多さにも驚きました。
生生・ 2 ・男 この第二回の広島大学の源流という授業で、私が一番
印象にのこったことは、今や大学に進学することが当たり前になって
きていて、大学進学率がほぼ 50 パーセントと半数の人が大学に進
学するようになったが、戦前は大学進学率が 1 パーセント未満であっ
たということであった。このことを授業で聞いて私の祖父が成績優秀
で大学に行きたかったのに親に行かせてもらえなかったと言っていた
のを思い出して、当たり前のように大学に通わせてもらっている自分
はものすごく恵まれているのだとあらためて感じ、親にもっと感謝しな
ければならないなと思った。
生生・ 2 ・男 授業を受ける前までは広島大学は元々ひとつの学校
からできたと思っていたので、九つの学校が併合して出来たと聞いて
大変驚くと同時に、九つの学校の伝統を引きついでいる広島大学の
学生であることに大変誇りを持つことができました。それぞれの学部
に母体となる学校があったということは、どの学部もすごい伝統を持っ
ているということになります。その伝統に恥じないように、生物生産学
部の学生としてもっと学業に励まなければならないと思うようになりま
した。
生生・ 2 ・男 戦前と比べ大学への進学率が大きく上がってきており、
大学が持つ意味も変わってきているのだと知りました。これからも進学
- 555 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
率は上がっていくと思われ、大学を卒業すること自体に意味はなくな
り、大学でなにを学んだのかを社会で重要視されるのではないのかと
思います。私は生物生産学部なのですが、この学部で学んでいるこ
とをこれから社会に出てからどう活かしていくかを考え、自分の将来と
結びつけながら学生生活を送っていきたいと思いました。
生生・ 2 ・男 広島大学は 1 つの学校ではなくいくつかの学校が集
まってできていることを初めて知った。また前身となった学校がそれぞ
れ広島大学の各学部の構成母体となっていることも初めて知った事
実だった。私の所属している生物生産学部や教育学部の構成母体と
なった広島青年師範学校について、当時の学生はどのようなことを学
びどのような生活を送っていたのか、またどのような成果を出した学校
なのかなど様々な興味がこの授業を通して湧いてきた。またこのこと
について調べてみようと思う。
総科・ 1 ・男 今回の講義を通して、戦前の進学率が非常に低かっ
たことを初めて知り、何の障害もなく、大学教育を受けられる自分がと
ても恵まれているのだと改めて実感した。大学の果たす役割や責任
にも違いがあって学生それぞれが向上心を持ち、今の学生とは顔つ
きも違っているなと思った。広島大学は教員など実務化養成を目的と
した大学だと聞き研究職を志望する僕にとっては少し物足りないと思
ったが、日本の戦後教育を担ってきた人材を数多く輩出している点で
は誇れると思う。
総科・ 2 ・女 今回の講義では、広大の九つの前身校について学ん
だ。まず驚いたのが、戦前の進学率の低さである。低いのは知ってい
たが、今と比べてここまで低いとは思っていなかった。帝国大学の卒
業生の大部分は官僚になったというのは、まあ必然であるなと思った。
先生は、広島文理科大学が広島大学の方向性を特徴づけたので、
それを強調していたが、私はやはり自分の学部の母体である広島高
等学校に注目した。成績がよい優秀な学校と聞いたので嬉しかった。
あと、広島師範学校が、中等教育機関でありながら、広島県の教員
養成を担った学校であり、就職先も安泰で超難関校だったという話が
印象に残った。他にも、戦前の教育機関のしくみが理解するのに難し
く、何も自分は知らなかったので、もう少し日本の教育について学ぶ
必要があるなと思った。
総科・ 2 ・女 広島大学の歴史的背景を知らない私も、広島大学は
中堅大学とゆうイメージがありましたが、今日の講義で、なんとなくで
はありますが、その理由が分かりました。広島大学の前身校が、各専
門分野の技術者を養成するとゆう特徴を持った学校が多いなか、
様々な分野の視点をえることのできる総合科学部はあまり知られてい
ないのかと思いました。総合科学部というのは、あまり社会に知られて
いません。広島大学に入学した学生でさえ、総合科学部の存在を知
らない人は多いです。広大の教育は良いと聞いていたので、その理
由も知れて納得できました。
総科・ 2 ・女 私は今まで広島大学の前身について聞いたことがな
かったが、 9 つもの学校が元になって出来たものだとは思わなかった。
しかもその学校どれもが良い結果を残していて(広島高等師範学校が
「教育の西の総本山」と称されるなど)素晴らしいと感じた。ありがちな
意見かもしれないが、このような歴史を持った大学に通えて嬉しく思う。
また、広島大学の前身校(高等学校とつくところ)は、帝国大学への登
竜門的存在と聞いて、今もそうかも知れないと思った。大学受験でも、
「とりあえず広大の問題が解けたら阪大の問題に挑戦できる」などとい
う意見を聞いたことがあり、広大は全国の大学の中で(入試において)
ある程度上のレベルの大学を目指すうえでは外せない存在であると
思う。昔のなごりだろうか。そしてこの感想は、この講義の趣旨に関係
ないとは思うが一般的に戦前の大学は「研究者養成機関」だけでなく
「官僚養成機関」でもあったが、今も一部の大学ではその傾向が強い
ので、やはり大学は政治に関係が深いのかなと思ってしまった。
総科・ 2 ・女 今回の講義を受けて、当時の大学と現在の大学との
違いや、当時の大学の機関としての役割を知ることができました。ま
た、現在、世間の人々が広島大学生に対して、日本社会の中堅、実
務家としての能力に優れた人材、というイメージを抱いているというこ
と、そして、それは、実務家養成の教育機関である、広島高等師範学
校や、広島文理大学のイメージを広島大学に重ねているからというこ
とを知ることができました。周りから思われている印象どおりにならなけ
ればいけないという訳ではありませんが、広大生として、そのような印
象を抱かれているということを心に留めて、これからの大学生活を送
っていこうと思いました。
総科・ 2 ・女 大学に入る前に広大の前身校について、少し調べた
ことがあったが、それを詳しく知ることができた。戦前の大学進学率が
1 %未満だということは知らなかったのでとてもびっくりした。それに、
帝国大学は官僚の養成と研究者の養成が主な機能だったことにも驚
いた。私は、大学に来て多くの友達と出会い、多くの先生から刺激を
受けている。戦前には果たすことのなかったこのような機能を存分に
活用するとともに、今大学に通えていることが、幸せなことであり、あり
がたいことなのだと強く感じた。
総科・ 2 ・女 広島大学には長い歴史があり、前身校も数多いことを
改めて知りました。総合科学部は比較的新しく、昭和の後期にいきな
り出来た学部だと思っていたけど、大正 12 年創立の広島高等学校
のころに既に構想ができあがってたのかと思うと、ますます自分の属
する学部に愛着が沸くように感じました。また、広島大学には旧帝国
大学にも劣らない歴史と知性を兼ね備えているのではないかとも思い
ました。自分の通う大学の歴史を学ぶことは、ただ歴史を知っておく
ためだけではなく、自分の大学の歴史の長さを知り、誇りを持つ上で
も大切なことだと実感しました。
総科・ 2 ・男 総合大学である広島大学が、特に教育関係で名を知
られている理由が前身校の高等師範学校にあるとわかり納得した。包
括校の様々な教育機関が合わさって現在の広島大学を形成している
中で、自分はどういう人材になろうとしているのかもう少し深く考えたい
と思った。
総科・ 2 ・男 今の広島大学は、さまざまな種類の前身校が構成母
体となっているということを知った。構成母体の中に師範学校が多数
あり、広島大学は高等師範学校というイメージが強いといわれたが、
否定はできないと思う。自分も西日本では教育といえば広島大学とい
うふうに考えていたからです。実務家養成が主だった広島大学の前
身校。これは今の広島大学にもいえる。なので、そこで望まれている、
実務家としての能力に優れた人材となれるように日々頑張っていきた
いと思う。
総科・ 2 ・男 私は広島大学の前身は師範学校であるというのは耳
にしたことがありました。しかし、現在の広島大学に存在する各学部
のもととなった学校があることは知らなかったので、その内容が大変
印象深かったです。私は総合科学部なので、その母体となった広島
高等学校のことが最も気になったのですが、この学校の卒業生は、帝
国大学に進学したとのことで、まさに、今の高校のようなものでした。
広島大学が総合科学部で教養の授業を行っているのは、そういった
歴史的な背景があったからなのかなと感じました。
総科・ 2 ・男 今回の授業を受けてみて、自分の大学の歴史を知る
ことは重要であると改めて思いました。なぜなら大学の過去を学ぶこ
とによって、その学校の特色を知るだけでなく、その学校の理念や目
標を知ることができるとおもったからです。広大の前身校はとても多く、
広島高等師範学校は教育の西の総本山と称されるほど有名であるこ
とを初めて知りました。現在、広大は世間から実務家養成の教育機
関と評価されていると聞きました。よって私は、社会に出るまで、基本
的なことをやりこなす力を完璧にやりこなす力を学生時代に身に着け
ていこうと思います。
総科・ 2 ・男 広島大学は広島文理科大学がそのまま広島大学にな
っていたと思っていましたが、そうではなく、広島県立医科大学など
多くの学校と合体して現在のような大きな総合大学になっていること
がわかりました。広島大学の教育学部が凄いことは以前からしってい
ましたが、今日の講義を聞いて、なぜ教育学部がそんなに凄いのか
を改めて知ることができました。全国でも 1 、 2 を争う教育学部がある
ことは、広島大学生として少しうれしかったです。現在と戦前では大
学進学率などに大きな差があることもわかりました。大学に通えること
を感謝しなければいけないと思いました。
総科・ 2 ・男 広島大学は多くの学校から出来ている事を知りました。
また、私が所属している総合科学部は広島高等学校が構成母体に
なっている事も知りました。さらに、広島大学は教育学部が有名です
が、その教育学部は広島高等師範学校が母体となり有名になったん
だと思います。この話を聞いて教育学部が伝統あるすばらしい学部
になった理由を知ることが出来てよかったです。帝國大学ではなく、
広島大学を選んだことがよかったと思える大学生活にしたいと思う授
業になったので満足しています。よかったです。」
総科・ 2 ・男 授業のはじめに現在と戦前の進学率についての説明
を受けた。現在の大学進学率の 49.1 %と比べて、戦前は 1 %未満
だったということを聞き、昔は自分たちの歳くらいの人達はすでに社
会で働いて生活していたということを改めて知った。時代の流れや、
価値観の変化などもあるが、今や大学に行くのは特別な事ではなくな
ってきている。昔の勉強したくてもできなかった人達のことを考えると、
今の自分の時間をもっと有意義に使おうと思った。
総科・ 2 ・男 今年度で 60 周年を迎える広島大学にはもちろん貴
重な財産がたくさんあると思う。そして、その前身校が 9 つもあるとい
うことは、それぞれの学校の歴史をさかのぼってさらに考えることで、
今の広島大学が持つ財産以上にすばらしいものを発見できそうな気
がする。私の出身高校は今年度で 139 周年になる。高校・大学と続
けて長い歴史を有する学校に通えるということは、誰にでもできる経
験ではない。そんな経験ができていることを誇りにし、これからの大学
生活を送っていきたい。
総科・ 2 ・男 現在と戦前の大学について、現在の大学進学率は過
去最高で 49 . 1 %、高等教育進学率は過去最高で 76 . 8 %なの
に対して、戦前の大学進学率は 1 %未満、高等教育進学率・中等教
育進学率ともに 5 %程度だと知って驚いた。それと同時に大学に通
えるありがたさをしみじみと感じた。戦前、帝国大学は 7 校しか設置さ
れておらず(台北、京城をあわせると 9 校)、世間一般の量的需要を
満たすことは不可能であり、卒業生の大部分は官僚となったと書いて
あり、自分が勉強の出来る環境にいることに感謝の気持ちでいっぱ
- 556 -
いになった。
総科・ 4 ・男 まず私が、今回の講義を受けて驚いたことは、広島大
学という大学がはじめから、あったわけではなく、いくつかの大学や学
校(文理科大学や師範学校など)が集まり、統合されてでき現在の広
島大学になったというところである。私の今までの考えていた広島大
学とは、はじめから、広島大学という一つの大学が作られ、現在の大
学になったと思っていたので、まさか現代の会社統合のようにしてで
きてきたとは思ってもいなく驚いた。
総科・ 4 ・男 昔と現在の大学のあり方の違いについて、広島大学を
中心として学べました。現代では大学へ進学することが当たり前であ
る時代ですが、戦前では限られた者だけが行くところであり、いわゆる
エリートコースであった中、広島大学では 9 校を包括し、総合大学と
しての地位を確保したということで、社会から望まれる、日本社会の中
堅的存在であり、実務家として優れた能力を持てるよう、残り少ない
大学生活で身につけられるようになりたいと思いました。
文・ 1 ・女 今回の授業は広島大学の源流であったが、広島大学の
前身校となるものはそんなにたくさんはないのではないかと考えてい
た。そのため前身校が 9 つもあるというのにはとても驚いた。さらに 9
つもあるのでそれぞれ文学部、工学部、理学部の母体となったものが
ひとつひとつあるのかと思っていたら、教育に関する大学が前身校の
中の多くを占めていて、広島大学といったら教育学部、というイメージ
は、この前身校をみてもよくわかるなと感じた。広島大学は帝国大学
ではないというのはよく知っていたので源流といってもたいしたことは
ないのではないかと考えていたが、講義で、広島大学は日本社会の
中堅的人材を育成するのに重要な役割を果たしているのだと知った。
文・ 2 ・女 講義を受けるまでは、広島大学の前身校は師範学校だ
と聞いていたので、教員養成の教育機関だけだと思っていましたが、
今日の講義を聞いて、広島大学の前身校は実務家養成機関がほと
んどであることに驚きました。また、それぞれの前身校が現在の広島
大学の学部に繫がっていることも初めて知りました。私は文
学部なので、文学部は広島文理科大学が構成母体であることを知っ
て、広島文理科大学に親しみを感じました。広島女子高等師範校は
授業の初日が原爆投下の日だったという事実がとても印象に残って
います。ここでもやはり原爆が関わっていて、広島大学とも原爆は切り
離せないものなんだと改めて実感しました。こんなにも多くの前身校
からできている広島大学に多くの可能性を感じました。
文・ 2 ・女 広島大学は九つもの前身校を基盤として今の形を成して
いるということを、私は知りませんでした。しかもどれかひとつの前身
校が今の広大に大きな影響を与えているのではなく、その前身校一
つ一つが広大の存在を特徴付けたもの、広大の方向性を特徴付け
たもの、広島県の教員養成を担ったもの、といった点で影響を与えて
いるというのはすごく興味深いものだと感じました。また、今までに広
島大学といえば教育学部だ、という意見を到る所で聞いたことがあり
ましたが、世間がいまだに広島文理科大学のイメージを広大に重ね
ているから教育学部のイメージが強いんだということも知ることができ
て納得しました。友人が塾講師のアルバイトの面接で、大学と学部を
聞かれたときに広島大学教育学部と答えただけで面接に合格した、
という話を聞いたことがあって、そういう身近に広大教育学部を特別な
ものとして見る例があったので、今回の講義のその文理科大学のイメ
ージの話は私にとってとても納得できて頭に入ってきやすかったです。
文・ 2 ・女 広島大学は学部全体の規模が大きいが、実際は統合前
の大学は広島文理科大学のみである。確かに統合前の大学は一つ
だけだが、広島文理科大学以外の学校も機能として優れていた。し
かも、そのような学校が 9 校もあり、それらを統合したのが広島大学
であった。また、それらは実務家養成学校としても日本で指折りの有
力校であると今回の講義ではじめて知った。それを聞いて、広島大学
が全国的にみて広大な敷地を有するほどの大学であると納得した。
文・ 2 ・女 広島大学は九つもの前身校を包括してできた大学だっ
たとは想像していなかった。そしてそれぞれの学校は異なった特徴を
持っており、それが今の学部構成につながっているのだと感じた。広
島大学はなぜ教育学部が有名なのか不思議に思っていたが、それ
だけ世間の人々には高等師範学校のイメージが強いことが分かった。
また戦争の影響で授業ができなかったり、時局にあわせて機械や航
空機といった学科があったりと、広島大学の歴史を語る際にやはり戦
争は欠かせないのだなと感じた。
文・ 2 ・女 以前から、広島大学は学部の数が多く、また総合科学部
といった、ほかの大学ではあまり見かけないような独特の学部もあるな
と思っていました。今日の講義で、広島大学は戦後の日本の大学の
中で最も多くの前身校をもつと聞き、多くの学部を持っているのもそ
のためだろうと納得できました。広大の卒業生は、日本の中堅的人材
となることと実業家としての能力に優れた人材であることが望まれてい
るということでしたが、私が日本史学という、「実業」とは少し距離のあ
る学問を専攻しているせいか、後者のほうはあまりぴんときませんでし
た。しかし、実業家としての能力は社会に出て仕事をしていくうえで必
要な力だと思うので、これからの大学生活でのさまざまな経験を通し
て身につけていきたいと思いました。
文・ 2 ・女 私は入学する前から、「広大と言えば教育学部」と言われ
るのはなぜだろうとずっと疑問に思っていたので、今日その理由を知
ることができて良かった。前身校の多くが教員養成を行っていたという
なら納得である。また、広大出身者には日本社会の中堅的人材にな
ることが求められるというのも入学時からよく言われていたことであっ
たが、広大の源流を知ることでより深くその言葉の意味が理解できた
と思う。
文・ 2 ・女 現在の広島大学に至るまでの前身校として、いくつもの
教育機関の説明を聞いて興味深かった。それぞれの教育機関の特
質が現在の広島大学の特徴づけに多大なる影響を与えていることも
理解でき、また、そのように特徴づけられた広島大学に対する世間の
イメージにふさわしい人物に近づくための努力をすることが必要だと
感じた。それに加えて、現在と戦前の大学の意味の違いを知ると同
時に、大学という機関で学んでいる自分の恵まれた環境に感謝の気
持ちを覚えた。
文・ 2 ・女 広島大学の源流ということで、その前身校についての話
をされるというのはある程度予想していたことだったが、前身校の特色
を知る中で、世間が広島大学をどう見ているかということについて触
れられていたのが興味深かった。これまではただなんとなく毎日を過
ごしてきたが、世間が広島大学に求めているものを知ったことで、もっ
と社会が必要としている能力を身につけていけるよう、一日一日が有
意義なものになるように過ごしていきたいと思った。
文・ 2 ・女 広島大学には多くの前身校があることを初めて知りました。
広島高等師範学校が教育学部の前身校で、そのために広島大学は
教育学部が有名だということは知っていたのですが、他にもあること
は知りませんでした。それにしてもやはり、広島女子高等師範学校だ
とか、広島師範学校、広島青年師範学校といった、教育学部の構成
母体となった学校が多いなと思いました。私が所属している文学部に
も前身校があったことは初耳でした。ただ、法学部や経済学部はそう
いった前身校がないのでどのように出来上がったのかが気になりまし
た。
文・ 2 ・女 まず広島大学の包括校の多さに驚きました。何校かあっ
た包括校の中でも特に、広島女子高等師範学校に興味がわきました。
東京、奈良に次ぐ 3 番目の女子高等師範学校ということですが、当
時の女性の学力、社会における地位の向上に非常に役立つことだと
思ったからです。また、その他の学校もふくめ卒業生が教職関係に
就いていたことが多かったのはやはり現在の広島大学と通ずるものが
あるな、と感じました。今回の講義を受け、広島大学がいかに社会に
貢献してきたかを知れてやはり自分の大学の歴史を学ぶことは大切
だと感じました。
文・ 2 ・女 大学に前身校というものがあり、一から大学が作られたわ
けではないということを初めて知りました。しかも、それぞれの学部一
つ一つに前身があり、とても興味深かったです。自身の学部の前身
校についてもっと知り、先輩方がどのように学び、どのような進路を辿
ったのかなど、自分で更に調べてみようと思いました。広島大学が実
務家養成の教育機関のイメージを社会に持たれていることもとても嬉
しいことだと思います。
文・ 2 ・女 今回の授業を受けて、広島大学は、戦後の新制大学の
中で最も多くの前身校を持つ大学だと知って驚きました。授業の説明
を聞いていると、教育学部の前身校の数の多さや、昔から多くの教員
を出していたので、広島大学の教育学部が全国的に有名な理由が
わかった気がします。私は文学部ですが、これからも、広島大学の教
育学部がすごいという評判を大事にしていきたいです。今回の授業
は、広島大学の学生として、社会的にどのように行動すべきかを考え
る良い機会になったと思います。在学中の今も、将来卒業してからも、
広島大学の良い伝統が途絶えないように行動していきたいです。
文・ 2 ・女 今回の講義では、広島大学が出来る前にあった 9 つの
学校について細かく説明され、広島大学の前身校には、国内で二つ
しかない学校や、成績優秀校など、特徴的で優秀な学校がいくつも
あり、それがまとまって、帝国大学に並ぶような大学が構成されていっ
たということがよくわかりました。
文・ 2 ・女 広島大学は、とてもたくさんの学校が統合されてできたも
のだということに驚いた。師範学校だけではなく、専門学校のようなと
ころも広島大学の一部になっていることが興味深かった。また、広島
大学ができた経緯から、社会にでると、現場に強くて、中堅的な役割
が求められるということがわかって、将来の参考になった。広島大学
が今の形になるまでには、多くの人々の努力と苦労があったのだと思
う。自分も広島大学の一員として、その人たちに恥じないような学生
生活を送ろうと思った。
文・ 2 ・男 ただ一つの大学が、これほどの前身を持つことは過剰な
のではないかと少々の疑念を抱いた。専門の各分野が集合して一つ
の共同体を組み上げるという体制は確かに理想的──というよりも、”
聞こえがいい”という程度のものだろう──だが、ひとつの分野の専
門家のみの体制を築かぬことによって鋭く研ぎ澄まされていた専門家
的意識に鈍さが生じてしまうという弊害も多少あると考えられる。いや、
冷静に実利的に考えれば、これはイチャモンに過ぎないだろう。現実
- 557 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
として広島大学は各専門家が集うことにより、専門がそれだけではそ
れぞれ独自の視野狭窄に陥りがちになるという短所を和らげているよ
うに思う。また、現在も広大に対しては文理大の印象が強いというの
は新しい発見であった。以前にサークルで外部業者と交渉ごとをする
ことがあり、自分の未だ知らぬ広大のイメージを外部の人々が抱いて
いるという感覚を得たが、その源流がここにあったのだと知れたことは
今回の講義の最大の収穫のように思える。
文・ 2 ・男 私は戦前の大学の制度についてはあまり詳しく知らなか
ったので、講義の冒頭にあった、広島大学だけでなく、日本の旧制大
学の説明があったのはありがたかった。また、戦前は今と違い、大学
への進学率や、卒業後には官僚になる者がほとんどなど、大学にお
ける存在意義が現在とはずいぶんと違うことに気がついた。その後、
広島大学の前身の諸学校の説明があったが、広島大学とひとことに
いっても、多種多様な形式で存在していることを改めて知った。次週
に、更なる知識の獲得に期待したい。
文・ 2 ・男 時代を経て他校と統合されていったとはいえ、それぞれ
の学校の特色やイメージは、その後も色濃く残っていくものなのだと
分かった。長年に渡り培われた大学の強みや持ち味は、例えば高校
における伝統校の特徴とはまた違い、ある分野においてその教育を
国全体から委ねられているという感じがした。また、教育システムは、
国の要請に応えるべく作られていることから、その時代を非常によく
反映したものであると思った。
文・ 2 ・男 広島大学が戦前、県下にあった 9 つの学校(広島高等
師範、広島文理科大学等)を基礎にして出来たものであることがわか
りましたが、 戦前と戦後では学校(大学を含めた)の設立目的や、環
境は大きく変化しました。戦後、どのようにして広島大学が現在の形
になってきたか、そこが知りたいと思います。
文・ 2 ・男 「広島大学の源流」を受講して。原爆によって廃虚となっ
た広島の地に、九つの戦前の旧制学校を母体として、 1949 年に新
制広島大学が設置された。これは、戦前において、教育県としての努
力と実績からもたらされたものであることは言うまでもない。なかでも広
島高等師範学校、広島文理科大学などを筆頭に、それぞれの前身
校は多くの困難を克服しながら学校のあり方を確立して行った。一方、
新制広島大学の建学の精神は、「自由で平等な一つの大学」のもと
に、理念五原則が掲げられている。この母体となっているのが戦前の
旧制学校で、営々と積み重ねていった多様な伝統を見逃してはなら
ないと思う。第 3 回以降の講義においても、旧制学校の精神がどの
ようにして新制大学へ受け継がれ、また発展して行ったのかに注目し
たい。学校運営において、難解な問題の発生やその対応など、学ぶ
べき点が多々あるに違いない。次回以降、このような講義が展開され
ることを予測しています。
文・ 2 ・男 戦前から「教育の西の総本山」と呼ばれていただけに前
身 9 校のうち、やはり師範学校が最も多い。その流れは、現在も広島
大学教育学部として、毎年優れた教員を世に送り出している。戦前、
高等教育はごく限られた人が受けることのできるものだった。その中
で、質の高い教育を受けられた人は幸せだったと思う。広島大学は、
戦前、帝国大学への夢を断念している。それは、資金の問題や戦局
の悪化など当時としてはやむを得ない事情が重なってのことだが、現
在に至るまでも広島大学は、かつて果たせなかった帝大の夢を忘れ
ていない。それは、新制広島大学が数々の発展を遂げ、今に至って
いることからもうかがえる。私は、この姿勢に大きな感銘を受けた。そ
して、広大に学ぶ者としてあるべき姿勢とは何かを考えさせられた。
文・ 2 ・男 現在の広島大学にたどりつくまでの流れだけでなく、戦
前の広島大学はどのようであったのか、どのような大学を包括しなが
ら現在の広島大学になったのかということまで知ることができたのがよ
かった。また、戦前の学校数や就学率が記された資料も一緒につい
ていたため、当時の時代背景も考えながら講義を聴講できる形となっ
ていて理解しやすかった。そして、現在の広島大学の世間からの見ら
れ方を聞き、広島大学生としての自分自身の在り方を考えさせられた。
文・ 2 ・男 私は AO 入試で広島大学に入学したので、入試の段階
である程度は広島大学の歴史を知っているつもりでいました。しかし、
講義を受けていて、広島大学はもっとも多くの前身校をもった学校で
あったことなど全く知らないことが多く紹介され、知ったつもりでいるこ
との危なさを感じました。また、広島大学も熊本大学同様に帝国大学
を目指したという過去があったという事実は、やはりどこの地方でも帝
国大学というネームブランドは強力なのだなと改めて思いました。
文・ 2 ・男 前回がガイダンスが中心だったので、今回初めてこの授
業の内容に触れてきたわけですが、今まで以上に広大のことを知るこ
とができました。上で述べましたとおり僕は少しは知っていましたが、
あまり自分の大学のことを知っていなかったんだなと実感しました。た
とえば、広大で学校の先生になる人が多いというのが師範学校がル
ーツになっているからというのは聞いていましたが、教育学部の母体
が複数あったことは知りませんでした。このように、これからもこの授業
ではさらに自分の大学について知って生きたいです。
法・ 2 ・女 今日の講義を聞いて広島大学の前身校に教育系統の
理念をもつ学校が多く含まれているということに気づかされました。私
の祖母も昔、大学進学の夢を持っていたようなのですが、島根大学
では教育学しか学べず、教員養成が主だったということです。志す薬
学の勉強をするには京都大学へ行かねばならず、親に反対されたた
めとうとう大学へ行くことは叶わなかったようです。今日の講義を聞い
ていて祖母の話が思い出され、研究者や官僚の養成と同時に、日本
が後進国から脱するためたくさんの教育者を必要としていたのではな
いかと考えさせられました。それと同時に昔の高等教育機関は学べる
分野が学校によって限られていたこと、学校に進学できる人間も限ら
れていたことなどが問題点だったように感じました。今でこそ総合大
学が増え、ある程度生地から近い場所で自分の好きな学問を学べる
環境があることが普通になっていますが私はこの環境をありがたく思
って勉強しなければならないことに気づかされました。今日の 9 校の
前身校の中に、法学部の前身が含まれていなかったことが残念でし
た。法学部の歴史にはほかの流れが含まれているようなので、それが
何なのかを知りたいと思います。
法・ 2 ・女 戦前の大学はかなり進学率も低く、官僚養成と研究者養
成を目的としていたと知り、現在は一般の人でも大学進学しやすくな
り、勉強する機会がこんなに自由に与えられているのだから、それを
活用してしっかり勉強するべきだなと改めて感じました。また、現在の
広島大学が完成するまでにあんなにもたくさんの包括校があったなん
て知りませんでした。やはり昔から教育者養成には力を入れていたか
らこそ、広大=教育学部のイメージが強いのかなと思いました。早い
段階から広島には様々な教育機関が設立されていて、少し誇らしく
感じました。
法・ 2 ・女 戦前の学校制度の在り方を全くと言っていいほど知らな
かったので、今回の授業内容はいい勉強になりました。広島大学の
母体となった学校が 9 つもあると思わなかったので驚きです。やはり、
教育学部の源流となる学校が多いことは予想通りでした。広島大学
の母体となった学校をみると、戦前の高等学校は「~~のような人材
を育てる!」といった明確な目的を持っていたのだなと思います。そ
れらが集まって今の広島大学があるので、この一つの大学に様々な
夢・目標を持った人が通っていることになり、とてもおもしろいと思いま
した。
法・ 2 ・女 戦前の古い時代から戦後まで、実に多くの様々なデータ
をよくぞ集めて来て下さいましたね。本当にお疲れ様です。お陰様で
新制下での広島大学となるまでのプロセスがよく理解できました。しか
し、ただ一つ個人的に欲を申し上げるならば、我が学部・法学部の成
り立ちをご教授頂きたかったです。大学全体だけでなく、己の学部を
より深く知ることで、法学部生としての自覚を再認識するとともに、より
一層広大法学部の誇りを持つことが出来ると思います。それだけに、
講義中一度も法学部については触れられず終いで、非常に残念で
す。レジュメに載せずとも、詳細が分からなくとも、一言言及して頂け
れば…と思いました。勝手を承知で申し上げさせて頂きました。お気
に障ってしまったなら申し訳ございません。
法・ 2 ・女 広島大学は旧帝大ではないけれども、それに匹敵する
総合大学であることを広大生として誇りに感じました。また設立までに
いくつもの学校の歴史があったことを初めて知りました。私は広島大
学に一年ほど在籍していますが、そのような設立の過程について今
まで深く触れることも考えることもありませんでした。しかしこれから広
島大学を卒業してから大学のことを尋ねられたときや大学のことを話
す機会がおとずれた時にはちゃんと説明できるようにこれからの授業
でも広大について、吸収していきたいです。
法・ 2 ・女 私は、広島大学に入学して、二年目に入ったところなの
ですが、周りの人に、広島大学だと言うと、みんなに、教育学部が有
名な大学だね、と言われます。私は、それがなぜなのかわかりません
でしたが、今回の講義を聞いて、よく理解できました。これから後、社
会に出たときに、母校ということで、広島大学について質問される場
面が多々あると思いますが、しっかりと自信を持って答えたいと思いま
す。そういう意味でも、今回の講義は、大変役に立ちました。あと、私
は法学部なのですが、案外歴史は浅いのだなあと思いました。そこは
残念でしたが、これから歴史が深まっていけば良いなあと思いました。
次回の講義も、楽しみにしています。
法・ 2 ・男 まず思ったことは、前身校の中で自分の学部である法学
部の母体となった学校がないことです。聞き漏らしただけかもしれな
いですが、すべての学部の母体がプリントに書いてあるのに法学部
が書いてなかったので少し寂しく感じました。例え前身校がなかった
としても、その旨を知らせて欲しかったです。聞き漏らしたのなら本当
に申し訳ありません。しかし、広島大学には多種多様の学校の重さを
背負っているのだな、と実感しました。
法・ 2 ・男 戦前の大学は進学率が低いということなどは知っていた
が、官僚養成と研究者養成の機能を持っていたとは知らなかった。何
より驚いたことは、広島大学の構成母体が数多くあったことと、歴史が
あったことだ。広島大学が旧帝国大学ではないことは知っていたが、
帝国大学を目指していたことは知らなかったし、何より母体が戦前か
らあったとは思わなかった。しかも、広島高等師範学校は東京高等師
範学校と並び、「教育の西の総本山」と呼ばれていたのは驚いた。自
分は鳥取の小さな町の出身だが、広島大学に合格したとき、年配の
人の反応が良かった理由が分かった気がする。広大生である自分が
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少し誇らしく思えた。
法・ 2 ・男 まず、広島大学が他の有名大学に勝るとも劣らない歴史
を持っていることを改めて実感しました。前身校の設置や特色、また
は現在の広島大学ができるまでの経緯から、前身校を含め、広島大
学が多方にわたって重要な役割を担っていることを考えさせられます。
例えば、かつての広島高等師範学校が教育の西の総本山と呼ばれ
ていたり、「教育」において中心的な存在であったことなどから見て取
れます。次に、広島大学の歴史は、明治時代における教育法令であ
る学制、大正時代における大学令、第二次世界大戦降伏後 1947 年
の学校教育法などを色濃く反映していると思いました。そのことは、換
言すると、「変化への対応を迫られ、現にそれをなしえた」ということだ
と思います。つまり、時代の変遷とともに広島大学も様々な問題を抱
え、制度改革や国や地域のニーズに応えてそれらを乗り越えてきて
いるはずなのです。私は、その激動の時代を生きた当時の広島大学
の前身校に関わった人たちがどのように学校の運営や改革、または
教育や研究に行ってきたかに非常に興味が湧きました。また、大学
全入時代や国立大学の法人化など、大学は今新たな時代を迎えよう
としています。その中で広島大学がどう対応し、私も含め、「広大」に
関わる人たちの課題だと思います。最後に、講義中にも触れられてい
ましたが、原爆による被害が広島大学の前身校にどのような影響を与
え、その後、倒壊からの復旧活動を経て現在に至るのかなどを、第三
回の講義にてその詳細に触れられると思うので楽しみにしています。
法・ 2 ・男 広島大学が広島高等師範学校の流れを受けていたこと
は知っていたが、その他に 8 校の学校が広島大学の母体となってい
たことは全く知らなかったので、自分は広島大学のことを少しも知らな
いのだな、と思うと同時に、広島大学がどういう経緯を経て今の広島
大学になっていったのかについて非常に興味がわいた。あと、自分
は法学部に所属しているのだが、授業を受けた限りでは、法学部の
構成母体になった学校が見受けられず、残念に思った。
法・ 2 ・男 各学部のまさに源流となった学校がそれぞれに中国・四
国の教育機関の中心であり、全国でも想像以上に大きな役割を果た
していたことを知った。私は広島大学という「器」があり、そこに付随し
て各学部が発展してきたものだとばかり考えていたが、全く逆で、そ
れぞれに特色をもった学校が広大の各学部の源流であったのだと知
り、総合大学としての広大の魅力の一つはこの点にあるのだと感じた。
法・ 2 ・男 広島大学の源流についていくつかの前身校の話が出て
くることの大方の予想はできていました。しかし、なかには自分が予備
知識として知っていた学校の他にも知らない学校の名前が挙がりそ
の点はとても興味深かったです。各前身校は今現在の広島大学の学
部とリンクしていることがわかったのですが、自分は法学部生なので
すが、法学部の前身校となった学校が見当たりませんでした。法学部
はどのようにして誕生したのでしょうか?その点が唯一疑問に残った
ところでした。
法・ 2 ・男 広島大学というものがいくつもの前身校が統合してでき
ているというのは知らなくて驚きました。広島大学は教育学部が有名
ということは聞いたことがありましたが、前身校の多くが師範学校だっ
たということに由来していたというのは初めて知りました。法学部に身
を置くものとしては法学部関係の前身校がなくて少し残念な気もしま
すが、大学発展の過程で世の中の需要に合わせて新たに多くの学
部が設けられたのだろうと思います。前身校が多いということはそれだ
け歴史が深いということであり、原爆の被災から復興中に創設された
当時は苦労も多かったのだろうと思います。創設当時は帝大ではな
かったものの今や相当の地位にあり、私もその歴史の中の一人という
自覚をもってこれから大学で生活していく必要があると感じました。
法・ 2 ・男 今回の講義を聞いて感じたことは、広島高等師範学校を
はじめとしたいくつかの広島大学の前身校は当時の日本でも有数の
学校機関だったんだとゆうことを知って率直にいって驚きました。また、
講義を受ける以前から明治や昭和の時代には大学に進学する人は
少ないというのは、なんとなく知ってはいたけど、今回の講義の中で
具体的にパーセンテージや図を見ることによって、改めて進学する人
の少なさを感じ、また現代の社会では大学進学ができやすい社会に
なっていてよかったとも感じた。しかし、その分自分の将来について
考える時間も増えたということなので、まだ具体的に将来の見えない
自分はもっとその時間を利用し、将来について考えていかねばなら
ないと思った。
法・ 2 ・男 戦前と現在での進学率の違いは、予想以上のもので驚
きました。しかし、現在の就職などのことを考えれば必然のようにも感
じました。広島大学にも前身校があるというのはわかっていましたが、
こんなに数があるとは思っていませんでした。また、数が多い割に研
究者養成目的なのは広島文理科大学のみというのは意外だった。現
在の広島大学が目的としている社会の中堅の一角を担えるように勉
強していきたいです。
法・ 2 ・男 広島大学の元となった、戦前のさまざまな種類の高等教
育機関について詳しい説明をきき、広大の看板学部である現在の教
育学部がどのようにして形成されたかがよくわかりました。ただ、もとに
なったその高等教育機関の話に終始してしまっていて、少し退屈に
感じました。退屈に感じてしまったのは事実ですが思っていたのより
興味深い内容でもあったので、この授業を受講する意義を見出せた
気がしました。
法・ 2 ・男 今回の講義は広島大学の源流ということで、昭和 24 年
に新制大学として広大が設置されるまでの流れについてでした。私
は広大に入学にするにあたって、以前広大について少しだけ調べた
ことがあり、師範学校がおもな前身だったということはなんとなく知って
いました。今日はそのほかにも工学部等の前身も知ることができまし
た。けれども、時間の都合もあり、ほとんどが紹介に終わった感じがし
てもっとどういう経緯で教育に力を入れていったかが知りたかったで
す。
法・ 2 ・男 今回授業を受けて、広島大学がいろいろな歴史を持つ
教育機関を母体にしていたことを知った。それと同時に、日本の教育
機関の変遷も見ると、それぞれの役割・機能が明確になっていて今
の教育機関につながる土台がしっかりできていたのだと感心した。特
に教育に特化していたという広島の教育機関は、よく県内各地でそ
の教育を展開していると思う。それが現在の広大付属校という形で残
っていることに歴史の重みを感じる。今回の授業では、あっさりとそれ
ぞれの教育機関が広島大学に移行したように見えたので、なぜ移行
したのか・その際の問題点はあったのかという点をもっと聞きたいと思
った。また、現在でも全国的に大学統合が行われているが、当時広
島大学に集約した利点は何だったのかということも知りたいと思った。
法・ 2 ・男 法学部の構成母体となる学校がなく、新しい学部なんだ
なと思った。広島大学は教育学部のレベルが高いと聞いたことがあり、
今回の講義で出てきた広島高等師範学校や広島文理科大学などの
歴史をみて、納得した。
法・ 2 ・男 広島大学の源流については多少の予備知識を持ってい
たつもりでしたが、今回の講義ではその知識を上回る情報を得ること
できました。広島大学の前身校としていくつかの学校があげられまし
たが、それぞれが今現在の広島大学の学部とリンクしていて、その点
は驚きました。しかし、自分は法学部生なのですが、挙げられた前身
校の中に法学部の源流となった学校が見当たりませんでした。法学
部はどうやって誕生したのですか?その点については疑問が残りま
した。
法・ 2 ・男 今回の講義の内容は知っていることも多かったが、初め
て知ったことも多々あった。特に意外であったことは、広島の旧制高
等学校の設置が隣の山口、島根、岡山と比べた中で一番遅いという
ことだった。しかし、中国で一番先に高等学校ができたのが岡山とい
うことを考えると(そもそもその経緯も気になるが)、立地条件的にこの
順序になるのは確かに妥当であるとも思えた。また、広島には高等師
範学校や高等工業学校が設置されていたということを踏まえて、高等
教育機関という括りで考えると広島の高等学校の設置が遅れたのも
ある程度納得できた。
法・ 2 ・男 今回の抗議テーマである、広島大学の源流については、
いくつかの前身校の名前が出てくることはだいたい分かっていた。し
かし、中には自分が知らなかった学校の名前も出てきてとても興味深
かった。各前身校は今現在の広島大学の学部とリンクしているみたい
であったが、自分の学部である、法学部の前身となったであろう学校
の名前が見当たらなかった。法学部はどのようにして誕生したのです
か?教えてください。その点が唯一疑問に残った点でした。
法・ 2 ・男 自分は正直今まで広島大学の前身校など全く知らず、
今回の講義で、現在の広島大学が高等師範学校や文理学校などが
集まってでき、またそれぞれ学部ごとに母体が違うということを知り、
大変驚きました。またなぜ教育学部が突出しているのかという理由も、
母体が違うことを考えれば当然のことなのに、それを知らずに今まで
ずっと疑問に思っていました。今回の講義で疑問は解けたのですが、
そんなことも知らずにこの 1 年間広島大学で過ごしてきたことを思うと、
恥ずかしいというよりも何故今まで知らなかったのかという疑問がわい
てきました。
法・ 2 ・男 自分の所属している法学部の前身がなかったのはショッ
クでしたが、広島大学の文学部と教育学部が有名である理由はわか
りました。あと三原や福山に分校があったことについては全く知らなか
ったので驚きでした。大学の進学率が近年非常に高くなっているとい
うことについては高等教育を受ける人が多くなっていいことであるとい
う反面、やはり過去の旧帝大生と比べると能力が劣っていると思うの
で、広島大学が社会に求められている中堅の能力は最低限身につ
けて卒業できるようにしようと思いました。
法・ 2 ・男 私は広島県出身ということもあり、広島大学が日本でも有
数な教育部門で有名な大学だということは知っていました。しかし、広
島大学に数多くの前身校がある中で、こんなにも多くの教育学部の
前身となる学校があったことはまったく知りませんでした。教育で有名
たるゆえんはその歴史によるバックボーンがあってこそなのだと感じま
した。あと私は法学部なのですが法学部の前身となる学校が紹介さ
れていなかったのでどのように法学部ができたのかがとても疑問です。
法・ 2 ・男 自分が予想していた講義とは少し違う内容だったが、広
島大学の前身校が九つあったことには驚きました。教育学部が有名
- 559 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
な学校であるので教育学部の構成母体になった学校が多いのはわ
かりますが、法学部の構成母体となった学校がなかったのが少し残
念でした。自分は広島の百年くらい歴史のある高校の出身なので自
分の母校と同じくらい歴史のある学校がいくつかでてきて興味深い講
義であり、また自分の通っていた高校の歴史についても学んでいきた
いという気になりました。
法・ 2 ・男 僕は今回の広島大学の歴史の授業を受けて、改めて広
島大学というのは、伝統と歴史のある大学なのだなとおもいました。も
ともと、文学部、教育学部、理学部は母体が広島文理科大学だったと
いうことを今回、初めて知ることとなりました。また、教育学部はもともと
は、しはん学校だったということを知って、広島大学の教育学部は下
手な旧帝大のよりもレベルが高いということは聞いていたので、ここで
も改めて納得しました。そして、広島大学は改めて、すごいところなの
だなと思いました。
法・ 2 ・男 広島大学の前身校には教育学部の構成母体が多くあり、
そのために広大の教育学部は有名なのだとわかりました。講義の中
で広島に帝国大学設置の夢は実現せず、と何度も出てきて、広島県
の帝国大学への情熱がうかがえます。資料から広島県は全国の中で
も学校設置への取り組みが早いようで、教育に対する意識が高いよう
です。さらに、進学率を上げるため広島師範学校での授業料を服務
義務で補うという制度は画期的だと思います。多くの学校 1 つ 1 つ
の特色が今の広大にあると考えると、自分達はとても恵まれていると
思います。
法・ 2 ・男 広島大学の前身は師範学校であったと聞いたことがあっ
たが、その源流はひとつだけではなく、いくつもの学校が集まってで
きたものであるということがわかった。広島高等師範学校などの教育
系の学校だけでなく、広島工業専門学校など工業系の学校も広大の
源流となっていることに驚いた。文学部や教育学部、総合科学部に
工学部の源流となる学校はあったようだが、私が所属する法学部の
源流となる学校はなかったようである。戦後、広島大学が今の形にな
ってから新しくできた学部なのだろうか。
理・ 1 ・男 広島大学は昔から教育学部が有名であると聞いていた
ので、広島高等師範学校という中等教育の学校が元となっていること
を聞き納得しました。広島大学が総合学校であると聞いていたのです
が大元となる学校までもが別々に専門的な学校であることを知り、改
めて歴史の古さを感じました。私は理学部なのですが広大の中でも
歴史の長い学部だと知り誇りを感じています。これからより詳しい歴史
を知ることにより広大の良さを感じたいと思います。
理・ 2 ・女 まず、広島大学の前身校となった学校が九つもあったこ
とに驚きました。それらの前身校がそれぞれ歴史のある学校であり、
役割をきちんと持っていたことが分かりました。それから、戦前におけ
る帝国大学の卒業生が現在に比べてかなり少なかったことにも衝撃
を覚えました。その卒業生たちの進路から考えても、当時の日本にと
って欧米先進国に追いつくための近代化がいかに大きな課題であっ
たかが分かりました。尋常小学校卒業後の進路によって行ける学校と
行けない学校が出てくるなど、戦前は小学校卒業時にもう自分の将
来のことについて考えなければならないのだと思いました。男子と女
子で学校が別れていたり例えば青年師範学校において男子は農業
科、女子は家政科であったりと、当時の文化が教育制度にも色濃く出
ていると感じました。
理・ 2 ・女 今回、広島大学の源流を知るとともに、戦前の大学や、
その前身などについても学習することができたので、よかったと思い
ます。また、広島大学の前身となるものが、ひとつではなかったという
ことにも驚きました。学部別に前身があるということは、わたしにとって
は、一番興味深かったです。また、私は帝国大学というものについて、
あまりよく知らなかったので、今回の授業で帝国大学について、深く
学ぶことができて、よかったと思います。
理・ 2 ・女 私は、広島大学がたくさんの大学を統合して作られたこと
は知っていたのですが、それらがどんな大学なのかは知らなかったの
で、今日の講義を聴いて、それが分かって良かったです。自分の所
属している理学部は、広島文理化大学という大学がもとになっている
そうで、その大学は「広島が誇る高等教育機関」と言われていて、す
ごいと思いました。広島大学が帝国大学の夢を果たされなかったとい
うことをすごく強調されていて、すこし寂しかったです。ただ、私は下
手な旧帝大に入るより、この広島大学に来て良かったと思います。広
島大学の学生であるという誇りをもって生活したいと思いました。
理・ 2 ・女 戦前にも官僚や研究者、そしてそれを養成する教育者た
ちがいたことは知るまでもないことだが、彼らを養成する機関がどのよ
うなものであったのかまでは考えたこともなかった。現代の日本では
高校を卒業し、大学へ進学することを望む人たちは受験さえ乗り越え
ればほとんど大学へ行くことができる。家庭に経済的困難な問題があ
ったとしても奨学金や授業料免除などの制度のおかげで大学進学は
先生のおっしゃったとおり大衆化を遂げたと思う。受験こそぎりぎりで
はあったが、今当然のように県外の大学に通い、一人暮らし用のアパ
ートに住ませてもらい、高校の時に興味をもった分野について多くの
教授の方々から学ぶことができることはとてもありがたいことであるとい
うことを実感した。日本社会の中堅的人材とまではいかないが、自分
が興味を持っていることをしっかり学び、少しでも大学で学んだことを
日本社会に活かせるような人になれるよう努めたい。
理・ 2 ・女 今回の講義を受けて、改めて広島大学の素晴らしさを知
りました。広島大学は、戦後日本の大学の中で最も多くの前身校を持
つ大学でその各々から多くの人材が輩出されています。そんな広島
大学の源流を知っている社会から、私達広大生は日本社会の中堅
的人材、実務家としての能力に優れた人材たることをのぞまれている
と知って、私はプレッシャーとともに今まで先輩たちが培ってきた社会
からのイメージ守り続けたい、応えていきたいと強く思いました。その
ためにも、勉学に励むことはもちろんですがどのようにそのイメージが
培われたのかなど広島大学の歴史をしっかり学び、伝えていきたいと
思いました。
理・ 2 ・女 私は現在理学部の化学科に所属しています。よく他の学
部の人から工学部の第 3 類(化学系)とどこが違うのかと聞かれ、答え
ることができずにいましたが、今日の講義を聞いてなるほど、と思いま
した。理学部と工学部はそれぞれ、学部を構成するにあたり母体とな
った学校が違うのですね。理学部の元となった広島文理科大学が教
員や研究者を養成するための機関であったのに対し、工学部の元と
なった広島工業専門学校は技術者を育成するための機関である。一
見、理学部と工学部はやっていることが同じであるように見えるけれど
も、目指す目的地が違うのだなと思いました。これから、他学部の人
に理学部化学科と工学部第 3 類の違いを聞かれることがあったら、き
っと私は自身を持って答えることができると思います。
理・ 2 ・女 20 日の講義を聞いて、広島大学はたくさんの包括校を
融合してできた総合的な大学であることを知りました。その中で私が
一番興味を持ったのは、私の所属している理学部のもとになった広
島文理大学です。当時、研究者養成機関はここ 1 つであり、文理大
学は東京と 2 つしかなかったということに驚き、自分の学部が長い歴
史を持っていたことを知り誇りに思えました。世間的には広島大学は
教育の大学という印象が強いですが、研究者の大学でもあったんだ
なと自信が持てました。実務家養成の教育機関という社会の期待にこ
たえられる研究者になりたいと思いました。
理・ 2 ・女 スライドの切り替えが早くてノートが間に合わなかったの
が残念でした。また、プリントの資料の学校の制度の図の文字が潰れ
ていて見えなかったのが残念です。しかし、内容はとても興味深く、ま
たひとつ広島大学について知れて良かったです。
理・ 2 ・女 広島大学の源流を知ることにより、広島大学の学生として
社会に出たときにどのような力が求められているかがわかった。また、
私は教員になりたいので、今回の講義を受けて広島大学が教員養成
に力を入れているかがわかった。今回の講義で広島大学出身の人々
は、中堅的な役割が求められていると聞いた。それを聞いて私は、社
会に出たときに即戦力として頑張りたいと思ったが、広島大学出身が
トップとしてがんばることは難しいのかとも感じた。
理・ 2 ・女 前身校が多いのは聞いていたが、戦後日本で最も多く、
また、現在では大学進学、高校進学はとても一般的だが、戦前では
中高大学の進学率が 1 ~ 5 %程度だったということに驚いた。包括
校も非常に多種多様で、研究者・官僚・教員・技術者など社会に貢
献できる人材が育成されているという点で、大学発足当時から現在ま
でその方針が変わっておらず、多くの先生方のご尽力の賜物である
と感じた。私は研究者を目指しているが、日本社会の中堅的人材とな
れるよう、研究だけでなくいつも視野を広げ、実務家としての能力に
優れた人材になりたいと思う。
理・ 2 ・女 広島大学ができる前の広島文理大学のころから、自分が
所属している理学部があったということを今回の講義ではじめて聞き
ました。そして、広島大学の理学部の歴史の長さに驚いたし、同時に
誇りに思いました。高等教育進学率が現在、過去最高だということも
初めて知ったし、自分の知らなかったことばかりで、今回の講義はと
ても楽しかったです。
理・ 2 ・男 広島大学はいくつかの学校が合わさってできたことは知
っていたけど、資料にあったように多くの学校からなっていたことは驚
いた。あと、教育学部は昔からの流れで優秀だといわれていたことは、
自分もそう思っていたので勉強になった。
理・ 2 ・男 まず、広島大学の前身校が 9 つもあり、戦後日本の大学
の中で最も多くの前身校を持つ大学であるというのは初めて知りまし
た。正直に言って、理学部のガイダンスで聞いた広島文理科大学し
か名前を知らず、さすがに前身校が 1 つではないだろうと思っていま
したが、 9 つというのには驚きました。前身校の歴史を聞いていると、
優れた経歴があり、帝国大学相当の総合大学としての地位を確保し
ているとあったけれど、私の高校ではさほどそういった認識がなかっ
たので、なんだかどういう風に見ればいいのかわからなくなりました。
今の広島大学が優れていないとは思わないけど、原爆の歴史が、こう
いった認識を作り出しているのかもしれないと思いました。また、昔の
大学の講座制システムは、現在も採用すれば、特に研究関係の学部
にとって優れた研究者の輩出によいのではないかと感じました。
理・ 2 ・男
- 560 -
今回は「広島大学の源流」という事で、現在と戦前の大
学について学習した。まず、現在の大学進学率は 49.1 %と 2 人に 1
人は大学に行っていることになるが、戦前は 1 %未満と大学は特別
な人が行くような学校であった事に驚愕した。私の父は高卒であり今
まではなぜ大学に行ってなかったのかと思ったが、このデータを見て
それは当然な事なんだと思った。広島大学は 1949 年に新制大学と
して設置され歴史も自分が思っていたより深く、今までは中国地方で
一番偏差値の高い大学としか思っていなかったが、歴史の深さでも
広島大学に行っている事は他大学の人に誇れる事なんだなと実感し
た。
理・ 2 ・男 広島大学が「教育における西の総本山」と呼ばれている
と聞いたことがあり、その理由がわかった講義であった。広島大学の
前身 9 のうち、卒業後教育関係に就職などの前身校が 5 校もあった
ことに、少し驚いた。特に広島師範大学の、「卒業後 10 年間教職に
就く服務義務」というのに、少し興味をもった。今、教員免許を取るた
めにさまざまな講義を受けたりしているが、卒業後教師になろうとは、
はっきりと決まってはいない。それなのに強制的にと言われると、嫌悪
感を持つが、確実に就職できると取れば、それも悪くはないのかもし
れないと思った。
理・ 2 ・男 広島大学はたくさんの学校が合体して今の状態にあるこ
とを初めて知った。広大に対して、やはり広大は教育学部が盛んな大
学なのだという印象を受けた。私は理学部に所属していて、教育学
部に嫉妬心を持ったことは否めないが、理学部は理学部で素晴らし
い学部ではあるので、誇りを持っていきたい。理学部にも教員免許を
志望している学生が多いのもこのことが関連しているのであろう。来週
は原爆と広大ということで、平和とも密接に関わる広大について学ん
でいきたい。
理・ 2 ・男 広島大学はもともと 9 つの学校が集まって創立されたこ
とを今日の講義で学びました。それを聞いて、広島大学の教育分野
の広さや、なぜ広島大学の教育学部が有名かということがわかりまし
た。今回の講義で広島大学の卒業生が企業や就職先で、より高い技
術や仕事を要求されているということも学びました。私は理学部の学
生で、将来教師をめざしています。社会にでて広島大学の名に恥じ
ない教師になれるようにこれからもがんばっていきたいです。
理・ 2 ・男 今回おもに広島大学の前身学校を調べることにより、広
島大学の成り立ちを知りました。私は、理学部のものなのですが、理
学部の構成母体が広島文理大学であることを知り、授業外でも広島
文理大学について学びたいです。さらに日本に二つしかなかった大
学と知りとてもほこりに感じています。また、昔の大学への進学率が今
と比べてとても低いのを知り、今はとても恵まれていると思いました。
理・ 2 ・男 私は今回の講義を聞いて、広島大学は、複数の学校が
集まって創立しているということを知った。広島大学がいろんな専門
分野に富んでいるのに納得した。やはりいろんな学校が集まっている
だけあって、優れた学問、すばらしい教授の方々も集まるというのは
当然のことである。理学部である自分が理系分野以外の学問を学べ
るということは、貴重なことであるということを視野にいれ、今後もいろ
んな学問に勤しんでいきたいと思います。また、この感じたことなどを
後輩にも伝えていけたらいいと思います。
理・ 2 ・男 前回にも記述したとおり、広島大学といえば広島にあり、
よって必然的に戦争について詳しく学べるとおもいました。現在の広
島大学は例えば理学部は広島文理大学が母体であるように、さまざ
まな大学がひとつとなってできた大学であるということを知りました。よ
って、理学部なので数学や理科だけしか勉強しないはけでなく、英語
や国語もような美学部とは一見関係のない教科まで学べすばらしいと
思いました。さらに人間の道徳的なことまで、熱心に授業してくださる
のでとても誇りに思いました。
理・ 2 ・男 私は昔の大学と今の大学のあり方についてあまり違いは
ないであろうと思っていたが、今回の講義を受けて目指すものが違う
ということがわかった。これまで日本の歴史を学習してきて、ごく一部
しか学校に通っていなかったということは知ってはいたが戦前に大学
への進学率がここまで低いとは思わなかったし、役割として官僚を養
成することであることに驚いた。また、広島大学は前身校を多く持って
いてその中でもやはり教育分野に力を入れていたことがわかったの
で現在でも教育に力を入れているんだなと思った。
理・ 2 ・男 戦前の日本は帝国大学に官僚養成と研究者養成を求め
ていたことについて、必死に国作りを進めていたのだなと思いました。
その点において、大まかに言えば広島大学(9 つの前身校)はいい仕
事をしたなと思いました。教員養成、高級技術者(管理職)、医学、進
学のための予備教育機関のような多数の分野で戦前の日本はもちろ
ん現代の日本にも大きく貢献したことを誇りに思いました。世間から見
れば広島大学は東大や京大に多い高級な人材をコンスタントに輩出
できないが、日本を担う中堅的人材を輩出している点で、漠然とです
がやっぱりすごいなと思いました。そして、自分も日本の役に立ちた
いなと思いました。
理・ 2 ・男 現在では当たり前のようにたくさんの人が通学する大学
が、戦前では限られたごくわずかしか通うことができなかったということ
は初めて知りました。またそのため、昔の学生は官僚や研究者、教師
など自分の目標、高い志をもって勉学に励んでいたのだろうなと考え
ました。他にも広島大学の前身校が、西日本でかなり上位の学校だ
ったということに驚きました。これから広島大学の学生として、明確な
目標や意識を持って、大学生活を過ごしていく必要があると感じまし
た。
理・ 2 ・男 戦前の日本は帝国大学に官僚養成と研究者養成を求め
ていたことから、必死に国作りを進めていたのだなと思いました。教員
養成、高級技術者(管理職)、医学、大学進学の予備教育機関などの
多数の分野で戦前の日本に対してはもちろん、現代の日本に対して
も大きく貢献していることを誇りに思いました。世間から見れば、広島
大学は東京大学や京都大学ほどのエリート的人材をコンスタントには
輩出できないが、日本の中堅的人材を輩出していることについて、漠
然とではありますが素晴らしいことだなと思いました。僕も日本に貢献
できるように頑張りたいです。
理・ 2 ・男 講義の内容とは違いますが、まず今回の講義で使われ
たプリントおよび資料に関して、資料の量が多すぎて本当に必要な
情報がどれなのか、というのが分からなかったです。授業の形式とし
ては、箇条書き程度にプリントを作ってもらって、それに先生が説明し
たことを自分で書き加えていくというスタイルにしてもらえると嬉しいで
す。広島大学は新制大学として設立したが、その包括校にも歴史が
あったということにまず驚きました。その前身校としての広島高等師範
学校が、「教育の西の総本山」と称されていることに感銘を受けました。
だから今でも教育といえば、広大というジンクスがあるのだろうなと思
いました。また「実務家養成の教育機関」という言葉も印象的でした。
理・ 2 ・男 今回の講義で戦前の広島大学はどのような形態だった
のかがわかった。私は、戦前から広島大学は大きな 1 つの学校であ
ると考えていたが、実際、いろいろな大学、師範学校が組み合わさっ
てできたものだと初めて知った。また、以前から広島大学は教育分野
で有名だということは聞いていたが、それは戦前からある広島高等師
範学校が影響していることも知った。将来、教員を目指している私も
実務家養成に力をいれている広島大学で思いっきり教育について学
びたい。
理・ 2 ・男 今回の講義で広島大学の教育学部がなぜ有名であるの
かが理解できた。前身校の大半が教育学部の構成母体となった師範
学校であり、中には東京高等師範学校と並ぶほどの学校もあり、各前
身校の特徴を寄せ集めた今教育機関ではエリート中のエリート校だ
ったのがうかがえた。旧帝国大学ではないことがほとんどの人に知ら
れていながらも、ここまで高い評価をされているのには戦後から現在
までの実績があったからこそだといえるだろう。また、その中でも広島
文理科大学が東京文理科大学とあわせて日本で 2 つしかない大学
であったことは、理学部の自分にとっては大変名誉なことで誇りであ
る。理学部のパンフレットを見て思ったのが、卒業後に研究職や企業
に就くものの他にも教育機関へ就職する者も多いことである。これは
教員養成の実績が広島大学にあるからこそ教育学部からではなく理
学部からでも教育関係の職に就きたいと思うのではないだろうか。
理・ 2 ・男 広島大学の前身の一つである、師範学校では、授業料
を取らないなど、一般の人々にとって、非常に身近な学校であったの
だと思った。また、広大には、「広島に大学を」と願った人々の思いが
詰まっている事を初めて知り、その人々に感謝したいと思った。戦前
までは、本当に一握りの人間しか通う事の出来なかった大学に、今、
自分たちは通っている事を誇らしく思うべきだし、また、社会の役に立
てる様に、社会が自分たちに何を求めているかを感じ取り、これから
の勉強に励みたいと思った。
理・ 2 ・男 大昔の大学生の人数を知って驚きました。大学生は本当
のエリートだったんですね。昔「末は博士か大臣か」と言われていた
そうですが、そこまで言われていたわけもわかる気がしました。中等、
高等教育の進学率についてみても今の時代は昔よりもはるかに勉強
に理解があるあるんだなと思いました。広島大学の前身校の話では、
その多さに驚きました。教育における東の筑波、西の広大と言われて
いるゆえんはこんなに昔からあったことがとても興味深かったです。広
島大学の総合大学に至るまでの歴史がわかって面白かったです。
理・ 2 ・男 私は広島出身ということもあり、昔から父や祖父と広島大
学について話す機会が幾度かありました。その中で、現広島大学の
前身についても話すこともあり、私が理系ということも合わせて、現広
島大学の前身が文理大や師範大学校であることは知っていました。
なので、全国的にどうして広島大学が教育学部で有名なのかもある
程度知っているつもりでした。また、私が広島大学理学部に入学した
時、理学部としては広島大学の歴史は一番古いと聞き、そのことは文
理科大学からの歴史があるからだろうと思っていました。このことから、
広島大学は全国的に理学、文学方面においても高く評価されてもお
かしくはないと思ったのですが、今回の講義において、どの前身校に
おいても卒業生の多くは教職に就いたという言葉を見て、なぜ教育
学において特に有名なのか納得させられました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて僕が印象に残ったことは、広島大学
の前身校となった 9 校のうち 5 校が教育学部の構成母体となった学
校であるということです。入学前から、広島大学の教員の養成につい
ては定評があると聞いていたので、僕はなぜそのように教員養成機
- 561 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
関として有名になったのか疑問でした。しかし、前身校の半分以上が
教育学部の元であったことを知り、何年もの月日を経て現在の評価を
得ていると理解しました。これから広島大学は教員の養成だけでなく、
研究者の養成にも力を入れると、さらなる飛躍を目指せるのではない
かと思いました。
理・ 2 ・男 広島大学は、広島高等師範学校、広島文理科大学、広
島高等学校など 9 校もの前身校があってびっくりしました。教授が言
っていた通り、広島大学は教育学部が有名と祖母も言っていました。
世間一般というか、僕の入試のときも広大の教育学部は、全国的に
教育学部の中では偏差値が高かったので今でもそうなのかなと思い
ました。祖母からも聞いていたのですが、僕の所属している理学部の
前身校は、広島文理科大学なので、すごく興味を持ちました。文理
科大学のときには、どのようなことをしていたのかなどもっと詳しく知り
たいなと思いました。
理・ 2 ・男 まず、今の形(国立学校設置法後の形)での広島大学が
今年で 60 年であるというのを初めて知ったのと、広島大学の本当の
元の学校の歴史が 135 年であるというのを知ってすごく驚きました。
自分の出身高校も今年創立 114 年になる伝統のある高校なので、
大学でもこのように歴史のある大学に入ることができてすごく良かった
なと思っています。自分も広島大学といえば、教育学部がすごいと思
っていたし、おじいちゃんとかおばあちゃんにも「広島大学に入った
んかぁ、すごいなぁ」とよく言われていました。前身校の中に授業料が
かからなくて、卒業してから服務義務があって教員になるということを
聞いて、すごくいいなぁと思った。
理・ 2 ・男 戦前の教育制度を知ってとても驚きました。本当にわず
かな人間しか大学では学べなかったし、大学自体が本当に少なくて、
昔の大学生というのは超一流のエリートだったということにショックを受
けました。今の時代は大部分の人が大学で学問ができるということで
とても幸せな時代だと思いました。広島大学の前身校のお話では、今
の広島大学の性格(学部)の成り立ちがわかってとても面白く感じまし
た。広大の教育学部の強さ、知名度の理由がよくわかりました。正直、
受講前には前身校なんかを知ってどうするんだと思いましたが、受講
してみていま通っている大学の歴史を知ることの楽しさを知りました。
理・ 2 ・男 広島大学は古くから日本の主要な教育機関であり、その
前身には様々な包括校があったことがわかった。戦前からかんがえる
と、大学への進学率があがり、広島大学の人材も社会により優れた人
材を提供する場となっていると実感した。自分も「実務家としての能力
に優れたる人材」となれるように残りの大学生活を生きていきたい。
理・ 2 ・男 広島大学は戦前の進学率の低い時代からある学校が集
まってできたということで、とても歴史の深い大学であると再認識する
こととなった。自分が最初想像したのは大きな 3 校程の学校が合併し
てできたと思っていたが、 6 校もあることに驚いた。またそれぞれの前
身校が各々の専門があり、広島大学が中国最大の総合大学となれた
ことも納得することができた。また教育系の大学が多いことで、「広島
大学といえば教育」という言葉も納得できた。ただ広島大学は帝国大
学を目指してかなりの学部学科を増やしたことでこれといった特色が
なくなてってしまった気がする。
理・ 2 ・男 戦前は進学率がとても低く、その中でその時代のニーズ
に合った教育をしていた(卒業後ほとんどが官僚になっていた)ことは
知っていましたが、広島大学の前身である広島高等師範学校や広島
文理科大学については全く知らなかった。特に、広島文理科大学が、
研究者を輩出する唯一の大学であったことは驚きであった。それと同
時に、その流れをくんでいる広大の理学部で自分が学んでいることを
すごいことなんだと感じた。前身校があったから今の広大があるのだ
と思うと、過去に行われていた教育は形を変えながらしっかりと現代ま
で受け継がれているのだと感じた。
理・ 2 ・男 今まで広島大学はまず広島市に広島大学として設立さ
れて、今のように東広島市等にも移転されているのかと思っていた。
しかし今回の講義で大学が設立されるまでに 9 校もの前身校と言わ
れるものがあり、それらがひとつとなることで今の広島大学が設立され
たということをはじめて知った。今回の講義で旧帝国大学は前身が存
在したのか?ほかの大学にも前身校としてどのような学校があったの
かに興味を持った。
理・ 2 ・男 広島大学が九つの学校を源流に持つことに驚きました。
これは逆に考えると、大学という形にしなければ九つもの学校がつく
れるようなものを広島大学がもっていることになるので、広島大学の規
模の大きさを感じました。元になった学校の中でも複数の師範学校が
見られるので、やはり大学からしても周りの社会から見ても現在の教
育学部の位置づけは高いのではないかと思いました。講義終盤で言
われたように社会は広島大学を実務能力を備える日本の中堅的人材
を養成する大学ととらえていると思うので、教育学部の位置は高いか
もしれませんが、それ以外の学部も同じ広島大学として一緒にやって
いくことが大事だと思いました。
理・ 2 ・男 今回は「広島大学の源流」について学びました。まず最
初に、広島大学の前身校は一番多いということに驚きました。前身校
が多いということは、それだけ多くの思いがこの広島大学には詰まっ
ているのではないかと考えました。また、広島には原子爆弾が投下さ
れすべてなくなったはずなのに、またこの様にすばらしい大学を作り
上げれるということはすごいと思いました。そして、今、広島大学は全
国有数の教育大学であり、前身校にも教師を育てるための学校があ
り、やはり昔から広島大学は教育に関してすばらしい学校だったとい
うことが言えると思います。
理・ 2 ・男 今回、広島大学の源流の講義を聞いて広島大学は帝国
大学ではないが、それ相当の総合大学としての地位を確保している
というところが一番印象に残っていて、広島大学のレベルの高さを感
じた。また、広島大学は戦後日本の大学の中で最も多くの前身校をも
つ、(9 校)というところにも驚嘆したし、さらに成績が優秀なものばかり
であったことに感心した。広島大学は 9 つの前身校があって今の姿
になったのであり、自分がこのような歴史深い広島大学に在学してい
るということに誇りを持つことができた反面、自分の行動に責任を持っ
て、決して広島大学の名を汚してはならないと改めて思った。この講
義で広島大学について知っていくことによりいっそう興味を持った。
理・ 2 ・男 広島大学のブランド、イメージは長い間かかって積み上
げられたものであることを改めて実感した。教員養成の高い実績を上
げている理由も、歴史の講義を聴くことで納得できた。印象に残って
いるのは、戦前の進学する人がとても少なかったことだ。祖父は地元
の師範学校に在籍していたらしいが、それがとてもすごいことだと気
づいた。これかの授業で広島大学の歴史を知っていくともに、先輩で
ある祖父の時代のことも理解していきたい。
理・ 2 ・男 今回この講義を受講して、広島大学について知らないこ
とがたくさんあるんだなぁ、と思いました。広島大学は小さな大学や専
門学校などが一緒になってできたことは知らなかった。興味深かった
のは、広島高等師範学校が日本で 3 番目にできた学校だったりなど
昔から広島大学は日本の主要な教育施設だったということです。広
島大学は帝国大学ではなかったけれど、帝国大学相当の総合大学
だったこともすごいことだなと思った。今回の講義では、いろいろな歴
史を知ることができ、良い勉強になったなぁと思ったこれからも楽しみ
にしている。
理・ 2 ・男 資料にある現在と戦前の大学、高等教育への進学率の
違いを知って、ものすごい差がることに驚くとともに、戦前の進学率の
低さの主な要因として戦争に行く兵隊としての訓練などが明らかに影
響していることが考えられ、残念に思われた。また自分の通っている
この広島大学に関してははさまざまな学校〔いろんな専門の学校や
女子高など〕が合併してできていることを知った。そのことだけでも広
島大学は長い歴史の上にあるのだなと改めて関心した。ただ今回の
講義は予想していたものと若干のギャップがあったので次の講義を楽
しみにしています。
理・ 2 ・男 教授が話されていたように、世間一般での広島大学のイ
メージとしてはやはり教育大学としてのイメージが強いと思う。実際に
自分もそのイメージを抱きつつ、入学した。広島大学の全学部に博
士課程があるということは知らなかった。これはとてもすごいことだと思
う。広島大学は帝国大学ではないが、それ相当の大学なんだと感じ
た。広島大学にはいくつかの前身高があったということは知らなかっ
た。文理大学は理学部の前身、市立工業専門学校は工学部の前身
など、 1 つの前身高が 1 つの学部の前身になっているから専門的に
研究がすすんでいるのだと思った。自分も話にあったように、実務家
としての能力に優れた人物として社会に進出したいと思った。
理・ 2 ・男 僕は理学部に所属していて、理学部には広島文理科大
学から続いているとても古い歴史があると聞いていました。でも今回
の授業を聞いて、広島大学自体がたくさんの前進校から構成されて
いるのを知りました。各学部ごとに前進校があり、より専門の知識を持
って合わさっていました。そのため広島大学は学部ごとにレベルの高
い学校になったのかと思いました。高等学校や工業学校を前進校と
していることも驚きました。広島大学はたくさんの歴史があるので、そ
れを学ぶことは新鮮なことだと、今回の授業で感じました。
理・ 2 ・男 第 2 回の授業を受けて、広島大学の源となった多くの学
校がどのようなものなのかをおおまかに学んだ。広島大学は包括され
た個々の学校が個々の学部になっていたりと、その学校の独自の特
徴をいかしていて、うまくできていると思った。また、私の所属している
理学部は広島文理科大学が構成母体であり、官立学校としては 11
番目の大学でとても古い伝統があったことを知った。広島大学が西日
本の大学で教育が有名である所以を知ることができてよかった。
理・ 2 ・男 今回の講義で広島大学の源流となった前進校のことに
ついて知ることができた。そこで、理学部の構成母体となった広島文
理科大学のみ大学で、あとは高等学校や、専門学校ばかりだったこ
とに驚いた。私自身理学部所属で、志望理由は広島大学理学部の
専門性の高さだったので理学部の強さはそこから来ているのかと思っ
た。さらに構成母体となった学校の内、教育学に長けていた学校が
多いので広島大学は教育学が有名であると言う事実に納得した。
理・ 2 ・男 自分は広島大学の歴史を、今の広島大学に発展させる
べく、生かしていこうと思い、この講義に臨みました。しかし、実際には
広島大学の源流を、前身校である広島大学の包括校からとらえ、今
- 562 -
後の広島大学の発展に生かすべく対応もとくに見つからず、自分の
中での今回の目標はあまりかなわなかったように思います。では、今
回の講義は意味のないものだと思われるかもしれませんが、そうでは
ありません。今の広島大学の現状把握くらいには役に立ったと思って
います。
広島高等師範学校は「教育の西の総本山」とよばれていたらしく、現
在もその風潮が残っているということがわかった。自分の大学が非常
に誇らしく思えた瞬間だった。これまでに、非常に優秀で、社会で活
躍してきた人材を排出した大学に私も今在籍しているのだから、広島
大学の名に恥じない人間になりたいと思った。
理・ 2 ・男 上でも述べたとおり、今回の講義は予想したように、現在
と過去の比較であった。戦前の大学では進学率や、教育進学率がと
ても低かったということにとても驚いた。広島文理科大学が当時の呼
び名で、自分が所属している理学部の構成母体となっているというこ
とだということ上でも述べたとおり、今回の講義は予想したように、現
在と過去の比較であった。戦前の大学では進学率や、教育進学率が
とても低かったということにとても驚いた。広島文理科大学が当時の
呼び名で、自分が所属している理学部の構成母体となっているという
ことだということ、また今と変わらずそのときも変わらず卒業生の多くが
教職になるというのも興味深かった。、また今と変わらずそのときも変
わらず卒業生の多くが教職になるというのも興味深かった。今回は戦
前の大学、つまりは自分達の学部のもととなっている大学の話であっ
た。当時の写真などもいろいろみたいと思った。
理・ 4 ・女 今回の授業を受けてみて気にかかったのが、広島大学
の前身校はたくさんありそのほとんどが、教員の指導に力をいれてい
たことです。そのため卒業生のほとんどが教職に就いていました。ま
た、自分は理学部なのですが、広島大学の理学部は広島文理科大
学からできたことがわかりました。今回の授業で知ったことはたくさん
あり、自分の大学を知ることもとても重要なことだなと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義の題目は「広島大学の源流」ということで、新
制広島大学の前身校の歴史を知った。ここで私の疑問が一つ解決さ
れたのだが、その疑問と言うのは、「なんで広島大学は教職の方面で
強いのだろう?」というものだった。答えとして、 1902 年に設立された
理・ 4 ・男 今回の授業は学校教育法に基づき設置された広島大学
の、構成母体となった様々な前身校について、大まかではあるが学
ぶことができた。広島大学は旧帝大ではないのは知っていたが、今
現在の総合大学としての広島大学がいきなり設置されたわけではなく、
各学部に対して様々な前身校があったのは今回初めて知った。その
前身校の数の多さに、単純ながら驚いた。自分が所属している理学
部の前身校にあたるのは、広島文理科大学という学校で、官立大学
としては東京とあわせて日本に 2 つしかないということ。この事は自分
が広島大学理学部に来て学んでいるということに、今以上に誇りを持
ちたいと思うこととなった。と同時に、今後もこの授業をより深く学びた
いと思いました。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第3回】
原爆と広島大学
(講師:酒井
医・ 1 ・男 原爆被災の手記からは悲惨な状況が身にしみました。広
島大学と原爆投下がどのような関係があるのかということを予想してい
たのでまず最初に原爆被災そのものについて本当に考えさせられま
した。原爆被災のあとの広島大学の運動にはびっくりしました。特に
森瀧一郎さんの 476 回の座り込みというのが印象に残りました。広大
に来るまでは原爆について深く考えていませんでしたが今回の講義
を機にこれからはちゃんと考えて行きたいと思いました。
医・ 1 ・男 原爆がどれほどの被害をもたらしたかなど、原爆の被害
に関しては小学校のころから学んでいて大まかな知識はあったけど、
今回は広島大学と原爆という小さな視点から詳しく学ぶことができてと
ても勉強になりました。広島大学は原爆の被害を受けた県にあるとゆ
うことで積極的に平和に対する取り組みが行われているし、原爆の悲
惨さをまのあたりにさせるものもあるのでしっかり平和について考え原
爆の恐ろしさを語り継いでいかなければいけないと思いました。
医・ 1 ・男 戦時中には、広島大学の前身となる学校がたくさんあっ
て、それらの施設を教員や学生もろとも破壊してしまった原子爆弾の
恐ろしさを改めて感じました。また、それらの学校施設には日本の政
策によって留学してきた東南アジア系の人たちがいたということは、今
回の講義を聞くまで知らなかったことなので、戦時中の日本の負の面
を新たに考えさせられました。あと、広島大学が、戦後すぐにには慰
霊を行っていなかったことは意外でした。でも教授たちが自分の得意
分野で貢献しようという態度には感服させられました。
医・ 1 ・男 今日の講義で前々から興味のあった戦争、とくに原爆投
下のことを学べてとても有意義だった。広島の原爆投下にあたる背景
もしっかり理解できた。また原爆の被害からの広島の復興や広島市
民の苦しみや頑張りに心がうたれた。また今後大学を卒業し、社会に
出た後に全国の色々な人に出会うと思うが、この講義で学んだことを
話し、この事実をしっかりと伝えていきたいと思った。この機会に長崎
の原爆投下についても勉強してみたいと思う。
医・ 1 ・男 原爆が落とされた土地に一番近い大学であるのに、あま
りそれに関する行事などを広島大学が行ってこなかったことには驚き
ました。今回の講義は大学の歴史に加えて、平和学習のように戦争
についても考える機会になったように思います。中国新聞で批判され
ていたような、お金だけを出す大学と思われないように、平和に関す
る活動にも関心を持ち、行動していかないといけないんだなと思いま
した。
医・ 1 ・男 広島大学の前身の学校が多大な被害を受けたことにつ
いて少しは想像していたが、原爆後にも多くの被害があったことを初
めて知った。それにもかかわらず慰霊碑がなかったことについておか
しいことだと思った。まず、そこに重きを置くべきであると思った。しか
し、原爆が起こってから数々の広島大学の関係者がたくさんの活動を
していることを知って、広島にある大学としての役割を果たしていると
思った。これからもたくさんの活動をして、平和について世界に訴え
続ける大学であって欲しいと思った。
教育・ 2 ・女 まず、広島大学の前身諸学校の被災状況について知
ってやはり原爆というのはとても恐ろしいものだ、ということを改めて感
じました。広島大学の前身校の生徒でも被爆死した生徒や留学生が
いたことを知って少しショックを受けました。広島大学関係者で原爆
問題・平和問題に取り組んでいる方がいたり、広島大学にも原爆の跡
を残している建造物(門など)があることを知って、せっかく広島大学に
真)
来たのだからもっと原爆について学びたいと思いました。また、入学し
てすぐ平和学習をしたのでそのような機会がもっと多くあれば良いの
ではないかと思います。
教育・ 2 ・女 広島大学が平和問題について今までどんなことをして
いたのか何も知らなかった。原爆死没者慰霊碑の文章は広島大学の
教授が考えたのにはとても驚いた。広島大学は平和問題に対しての
研究は盛んでも、大学全体で平和について何か取り組んでいるとは
言えないと思った。大学には県外の人もたくさんいるので、広島の原
爆について学ぶ機会がなかった人もいるのではないか。大学全体で
平和問題に取り組むためには、まず、たくさんの人が原爆について知
ることだと思う。今日の講義を受けて、私たち学生一人ひとりが平和
に対してもっと考えなければいけないと思った。
教育・ 2 ・女 原子爆弾が投下されたとき広島大学は現行のもので
はなかったが、被害状況等気になっていたので知ることができてよか
った。歴史の授業等である程度の知識はあったものの、実際にデー
タ等を見ると、自分が今通っている大学の前身校という身近なもので
あったため、より深刻に感じられた。また、被爆後の広島大学の活動
があまりないことにとても驚いた。被爆地にある学校で、実際の被害も
あったはずなのに、大学の教授や個人による活動しかされていない
のはどうかと思った。しかし、被爆したレンガや当時の建造物の一部
を再利用していることはよいと思う。
教育・ 2 ・女 広島大学において原爆死没者の慰霊行事を行ってい
ない(または大々的に行ってはいない)ということを聞いて、確かに今ま
でそんな行事を聞いたことがなかった。広島大学なのに。私が唯一広
島大学らしいと思ったのは、入学当初に「平和レポート」の課題が出
たことくらいである。前身校の学生や教職員も原爆によって多く亡くな
っている。前身校があってこその広島大学であることを考えると、原爆
死没者のために慰霊行事を大学の行事として組み込んでもいいので
はないかとも思う。ちゃんと慰霊碑もあるし、原爆死没者の追悼式も
行われている。ただ、その行事をほんの一部の人だけで行っていると
いうことに私はとても違和感を感じる。広島大学の中でも、原爆につ
いて積極的に取り組んでいる人もたくさんいる。原爆死没者慰霊碑の
碑文を考えた人も原爆ドームを直したのも広島大学出身であると聞い
て誇らしくもある。しかし、やはり、広島大学全体で、一丸となって原
爆に・平和に取り組むべきなのではないかと思う。
教育・ 2 ・女 広島に原爆が投下して広島大学にものすごく影響を
及ぼしたんだとびっくりしました。写真とか資料とか見てすごく驚きまし
た。広大の教職員や学生も死亡されたかたが多く毎年、広島大学原
爆死没者式が行われていることを今日の講義で初めて知りました。そ
れからいろんな方たちのおかげで、今の立派な広島大学があるんだ
と思いすごいと思いました。私が生まれる前のことで、原爆のことや広
大のことをほとんど知らなかったので今回たくさん学べてよかったで
す。
教育・ 2 ・女 今回の授業は,原爆についてであり,私は福岡県の小
倉出身なので,原爆については多くのことを学んできました。しかし,
今回は,今まで学んできたこととは違い,広島大学と戦争とのかかわ
りや,広島大学の平和への取り組みについて学習しました。そこで,
戦争時は学校の取り組みとして,修業年限を短縮したり,学生を戦争
のために動員したと知り,その時の学生は現在の私よりも幼い人たち
も動員されており,よくそのような環境で生きていけたなと思いました。
私がそのような場面に遭遇したら働けないと思いました。また,その動
- 563 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
員でも文系の人から動員するなど,戦争に対して,効率のよい方法を
政府は取っていると思いました。
教育・ 2 ・女 原爆と広島は、広島に来たからには絶対に学びたい
内容でした。私のまわりには、実際に戦争を経験したことがないのだ
から(自分自身が)、勉強しなくてもいいのではないか。という意見の人
がいます。私は逆に、実際に戦争を体験していないからこそ、知って
いかなくてはいけないと思うんです。戦後 60 年を超えて、実際に戦
争を経験し、語り聞かせてくれる人が少なくなってきてしまっています。
小学生のころ私は実際に被爆経験者の方からお話を聞かせてもらい
ました。同じような経験を私が先生になってから生徒にさせてあげた
いけれど、難しいと思います。それでも、私は語り継いでいくべきこと
だと思うので、今日の講義だけでなくもっと学んでいきたいと思いまし
た!
教育・ 2 ・女 戦時体制下の学校のはなしを聞いたが、今の学校生
活では考えられないようなことを当時の学生はしていたんだと非常に
驚いた。戦争のために早く卒業して、早く社会に出る。学校の授業が
1 年間休講になる。学徒出陣、学徒動員に借られるなど、戦争のため
に学校生活をやむを得ず制限されなければならないという事実は衝
撃だった。努力して入った学校なのに、入学してすぐ学業とは別のこ
とをさせられるなんて、戦争はなんの得にもならないと感じた。原爆を
落とされたという事実は変わらないけど、そういう事実を後世に伝え、
二度とこのようなことを繰り返さないことがわたしたちの出来ることだと
思う。戦争のことを深く考えられた 1 時間だった。
教育・ 2 ・女 広島で生まれ育ったので、平和学習は昔から何度も
やってきた。学校単位で慰霊祭も行っていたが、広島大学でも行わ
れている事は知らなかった。しかし、知名度が低いのでは、あまり意
味がないのではないかと考える。慰霊祭が形骸化してしまうのは避け
るべきことだが、教職員の間でもあまり知られていないというのは問題
があるのではないか。原爆によって受けた被害や広島大学の前身校
が多少なりとも戦争に関わっていた事を考えると、平和への意識を高
める場として慰霊祭などを利用すべきではないか、と思う。
教育・ 2 ・女 広島に原爆が投下されたことや、その被害がとてつも
ないものだということは知っていましたが、原爆と広島大学の関連に
ついてはほとんど無知だったので、今回の講義を受けることができて
とても良かったです。 1 年生のときに平和学習をして、さすが広島だ
なと思いましたが、広島大学が戦争に何らかの形で関与していたこと
を聞いて、そういった歴史があるからこその様々な平和に関する動き
が生まれているのだと感じました。原爆は実際に見たわけではなく、
想像してもしきることのできないものであるけれども、その被害が大き
く、かつ本当に多くの人に影響を与え、平和が大切であるのだという
ことを私たちに教えた原爆が広島大学にも関係していたのだというこ
とを念頭に置いておきたいと思います。
教育・ 2 ・女 当時、原爆を体感した方の手記を読んでみると、本当
に当時の状況が生々しく書き綴られていて、読んでいるだけなのに心
が締め付けられるようになり、読んでいられなかったです。しかし、こ
れだけの爪あとをのこした出来事だからこそ、それがどんなにつらい
出来事でも目をそむけず、向き合っていくことが大切だと思いました。
この原爆投下によって亡くなられた方、被害を受けられた方、そして
今なおその時の後遺症で苦しんでおられる方のためにもこの講義の
ように、 1945 年 8 月 6 日のことを後世に伝えていく必要が、義務が
私たちにはあると思いました。私は佐賀出身なので、原爆と言えば広
島より長崎というイメージがありました。でも今回この講義を受けて、広
島の原爆のことも詳しく知りたいと思ったので、夏休みにでも原爆ドー
ムや平和公園を訪れてみようと思いました。
教育・ 2 ・女 原爆が投下された広島は子供からお年寄りまで多くの
人の命を奪われた。原爆は人を無残な姿に変え、苦しめて殺していく。
その被害は広島大学も受けているのだ。世界で始めて原爆が投下さ
れた広島はこの悲しい現実を永遠に伝えていかなければならない。
その活動を広島大学は率先して行うべきであろう。原爆が投下された
広島を代表する大学は広島大学であるから、しっかりと戦争をなくす
運動や、平和を維持させる運動を続けていかなければならないと考
える。
教育・ 2 ・女 当時、原爆を体感した方の手記を読んでみると、本当
に当時の状況が生々しく書き綴られていて、読んでいるだけなのに心
が締め付けられるようになり、読んでいられなかったです。しかし、こ
れだけの爪あとをのこした出来事だからこそ、それがどんなにつらい
出来事でも目をそむけず、向き合っていくことが大切だと思いました。
この原爆投下によって亡くなられた方、被害を受けられた方、そして
今なおその時の後遺症で苦しんでおられる方のためにもこの講義の
ように、 1945 年 8 月 6 日のことを後世に伝えていく必要が、義務が
私たちにはあると思いました。私は佐賀出身なので、原爆と言えば広
島より長崎というイメージがありました。でも今回この講義を受けて、広
島の原爆のことも詳しく知りたいと思ったので、夏休みにでも原爆ドー
ムや平和公園を訪れてみようと思いました。
教育・ 2 ・女 今回の授業を聞いて私が一番驚いたことは、広島大
学が昭和 42 年まで原爆死歿者の慰霊碑、慰霊祭が無かったという
ことだ。前身校ではたくさん被害を受けた人がいたとういのに、やはり
大学の体制が変わるとそういうのも難しいのだろうか。嘗ては積極的
ではなかったものの、私の代の入学者(平成 20 年度入学)は平和の
施設(平和記念館など)を訪れ、平和に関するレポートを書いた。私は
入学した当時から広島大学は「ヒロシマ」にある大学として平和学習
にも力を入れているという印象を持った。慰霊碑や慰霊祭を行うことも
大切かもしれないが、雑賀さんの言葉ように「過ちは繰り返しませぬか
ら」と、これから生きていく人々が思うこと、そして平和について一人一
人が考えることが大切なのではないかと思った。
教育・ 2 ・女 私たちが知らないところで、平和について活動してい
ることを知りました。 2 度と同じことを繰り返さないために、だれかが活
動していかなくてはいけない。この広島大学に来れたのもなにかの縁
であり、原爆のことを知りこれからの人生に活かしていきたい。今の私
たちにできることは、この事実を忘れず教育を通して教えていくことだ
と思いました。
教育・ 2 ・女 講義を受けてみて、広島大学もまた原爆の被害を受け
た大学であるということを再認識することが出来ました。今日の広島大
学は移転により東広島市に存在するので、普段の生活の中で原爆と
広島大学との関連を考えることはあまりありません。しかし、爆心地か
ら比較的近い距離にあったため、多くの教員・生徒の命が失われて
いたことを初めて知りました。たとえ移転したとしても、広島県に存在
する大学として、忘れてはならないことだと思います。数十年経った
今でも、原爆症に苦しむ人はたくさんいるので、広島大学もまたその
ような人々に協力して支援していくべきだと思いました。また、留学生
などの日本人以外の人々も犠牲になったということを知り、日本だけ
でなく世界において、原爆について真剣に考えるべきだと思います。
その中で、世界初の被爆地に存在する大学として、広島大学が先進
的な取り組みをすることが求められるのではないかと思いました。私も
この夏休みに平和記念式典でボランティアをする予定なので、もう一
度平和について考えてみたいと思います。
教育・ 2 ・女 初めのほうにあった生々しい記述を読んで、当時の悲
惨な状態がかなり伝わってきて、本当に心が痛くなりました。やはり前
身校でも多数の被爆者がいらっしゃったのだなぁと改めて学びました。
また、はじめは広大で慰霊行事が行われていなかったことにも大変驚
きました。そこにも様々な歴史があったことが分かりました。今ではたく
さんの慰霊行事や研究施設、 OB たちの活躍があることから、広大が
原爆のことを真剣に考えていて、少しでも多くの人に原爆の悲惨さを
伝えようとしているのだと思いました。
教育・ 2 ・女 今回、この講義を受講して、原爆とはいかに酷いもの
なのかということを改めて学ぶことができた。広島大学の前身諸学校
での被害やその規模・様子、実際に原爆を体験した人々の当時の話
などを読んで、当時の広島がまるで地獄絵図のようであったということ
を感じた。それと同時に、二度とこの世界でそのようなことが起こらな
いようにするためにも、我々日本人はもっと積極的に原爆のことにつ
いて世界中の人々に知ってもらおうと努力する必要があると思った。
また、広島大学でも毎年慰霊祭を行っているということを知って驚い
た。
教育・ 2 ・女 今回の授業を受けて、原子爆弾が世界で初めて投下
された街の大学に通っているということを決してわすれてはいけない
と感じると共に教育者が生徒や児童に大きな影響を与えるのだと気
付かされました。現在どんどん被爆者が亡くなってきています。原爆
投下という事実は決して忘れてはいけない出来事なのでわたしたち
がお話などを聞き、それをどんどん次の世代へと伝えていく必要があ
ると感じました。間違ったことを教えてしまえばそれを信じて育ってし
まいます。洗脳ということが過去起きていたので教育者は間違ったこ
とを自分で見極める必要があると思いました。
教育・ 2 ・女 今回のプリントを見て、まず最初に驚いたのは広大に
は慰霊碑がなかっということでした。広大の前身学校は原爆によって
多くの被害を受け、亡くなった人も多いだろうから最初から絶対あっ
ただろうと思っていたので驚きました。でも、その後は慰霊碑もたてら
れ、慰霊祭も行われたということを知って安心しました。「安らかに眠
って下さい 過ちは繰返しませぬから」。平和公園の慰霊碑に刻ま
れたこの文に私は感動しました。いつかの社会見学か何かで平和公
園を訪れた時でした。とても簡潔で、「人間はもう大丈夫」だと言われ
ているようだったからです。この碑が傷つけられていたことを知って、
悲しくなりました。そんなことをする人がいることにショックでした。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、一番驚いたことは「安らかに眠
ってください 過ちは繰り返しませぬから」という有名な言葉は広島
大学の教授の言葉だったということです。私たちは、戦争当時のこと
を映像で見たり、本で読んだり、話を聞いたりと間接的にしか知ること
はできないので、言葉や映像で後世に平和の意志を伝えることはと
ても大切なことだと思います。今回の講義を受けて、広島大学は地方
国立大学であるとともに、平和について考えれる大学だと思いました。
教育・ 2 ・女 今回の講義を通して、私は改めて戦争のむごさを感じ
ました。たった一弾の原爆で何百人、何千人の命がなくなったことを
いまだに信じることができません。初めて原爆の話を聞いた時は、か
なりの衝撃を受けました。また、慰霊碑をたてたり、慰霊行事委員会
を設置したりすることは、今後の戦争放棄にもつながり、平和な世界
- 564 -
を描くことにもなると思いました。未来に生きる人間として、もう二度と
こんな過ちをおかしてほしくないと思いました。
教育・ 2 ・女 原爆による広島大学の前身校への被害が思っていた
よりも多かったことに驚いた。また被害の状況などを実際に数値で見
ることができ、原爆と広大の関係をとても強く感じた。広島大学の代表
的な前身校に師範学校が多いことから広島大学の戦争責任につい
ても考えることができた。自分自身が教育学部であるということで教師
として戦争時に国家権力に傾倒した教育を行ってしまう可能性につ
いて考えた。教育はいかなる圧力も受けるべきではないが、自分が教
師として適切な教育を行うことができるのだろうかと不安になった。
教育・ 2 ・女 広島大学の中にいると、とてものどかな気持ちになる
ので、昔原爆が落とされ悲惨な状態だったときがあったということ自体
が想像しにくい。しかし、被爆者の方の手記を読むと、細かく描写して
あるので、様子を想像してぞっとしてしまった。二度とこの過ちを犯さ
ないために、被爆者は戦争を知らない現代の世代の人々に、できる
限りこのむごさを伝えるのが役目なのだと思った。広島大学に通って
いる私たちは、慰霊祭などに積極的に参加し、戦争に反対し、平和
を願う活動を率先してやっていくべきだと感じた。
教育・ 2 ・女 原爆は広島大学の前身校に投下されており、多数の
死者がでたということをきくといたましい気持ちになった。原爆はすべ
てを焼き尽くしてしまう恐ろしい兵器であることを改めて再確認した。
教授よりも生徒の死者数が多く研究に没頭した生徒が原爆によって
かえらぬ身となってしまったということを思うとたいへん残念な気分に
なった。原爆の証人としての校舎をのこす運動は必要なものだと思っ
た。猛火に焼かれながらも残った建物を保存する必要はあると思う。
個人的には動かなくなった時計を保存してほしく思った。時間は確か
に動き出しているが、その事実を忘れないでほしいと思う。
教育・ 2 ・女 広島大学の前身校は原爆で被害を受けているのに広
島大学は創立されてから 5 年以上も経つのに慰霊碑や原爆の日に
何もしていなかったというのにとても驚いた。後付けのように慰霊碑を
作り、碑文を書いたというのもなんでもっと早くそういうことをしなかっ
たのかなぁと思った。私は広島出身じゃないけど広島の人ならみんな
平和活動に熱心だという概念をもっていたのでその事実を知った時
は驚いた。でも今は一年生の時に平和についてのレポートを課したり、
広島大学の歴史として原爆についての話をしたり、研究センターを設
立したりと熱心に活動しているように思われる。理学部の門は前から
どうして理学部だけあんなに豪華なもんなんだろうと不思議に思って
いた。けれどあの門は実は原爆の被害から残った門が理学部の門に
使用されているということですごく深い歴史のある門であったので本
当に驚いたと同時に大学のこと何も知らないんだなと少しだけ恥ずか
しくなった。広島大学にはいろんなところにそういう原爆の名残があっ
てそれを普通の門普通の柱など、普通のものとして生活している自分
はそれでいいのかと思った。いろんな場所に歴史を感じることのでき
るものが残っていることをもっと学生に知ってもらったほうがいいので
はないかと思った。
教育・ 2 ・女 今回の講義は広島大学にとってとても重要なポイント
である『原爆』に関わる講義でした。私は入学前まであまり広島大学
の原爆に関する活動などを知りませんでした。しかし昨年大学に入学
し、平和に関するレポートや施設見学、平和を考える為の講義のため
に生徒等から意見を募るなど様々な活動が行われており、さらにこの
講義で「広島大学と原爆」について学ぶ事で改めてこの大学が「ヒロ
シマ」にある大学なのだと自覚しました。前身学校も直接原爆の被害
を受けていると言う事もありますが、それだけではなく「ヒロシマにある
教育機関」としてもしっかりと原爆・戦争・平和に対しての強い問題意
識を持たねばならないと感じました。広島という土地にある大学である
以上、広島大学と原爆(戦争)は切り離す事ができません。また、私も
広島という土地で生まれ育ったので、このテーマにはとても関心があ
ります。戦後 60 年の月日が経っていますが、まだ世界からは争いが
なくなっていませんし、今後も原爆についてしっかりと一人一人が考
えていく姿勢が大切だと思います。
教育・ 2 ・女 幼い頃から平和教育を受けてきましたが、やっぱり被
災者の手記というのは生々しく、事実を淡々と述べた資料とは比べら
れないくらいに、重く心にのしかかってきました。私は小学校低学年
まで広島市内に住んでいて、その後他県に引っ越し、現在また広島
に住んでいるのですが、広島大学に通い始めて、広島に再び住み始
めてから 1 年間、平和について、とくに原爆について考えた時間とい
うのはそう多くはありません。ちょうど 1 年前、大学 1 年の最初に平和
記念資料館を訪れ、平和レポートを書いたときこそ深く考えはしまし
たが、それ以来はどうだろうかと考えてみると、深く考える機会はなか
ったように思います。小学生の頃は幼いころから平和教育を盛んに受
け、幼い心に戦争に対する恐怖心を植え付けられました。この恐怖心
こそが、醜い争いを避け、平和を愛する心に繋がるのではないかと思
います。今、戦後 60 年以上が経過し、生の体験として戦争を経験さ
れた方々も少なくなり、私も含め戦争についてよく知らない人々が増
えています。このままでは、戦争や原爆被害について、時間の経過と
ともに風化してしまうのではないかという危惧さえ感じます。戦争の恐
ろしさを知らないことは、再び戦争という同じ過ちを繰り返してしまうこ
とにも繋がりかねません。そのようなことにならないためにも、ヒロシマ
に住んでいる私たちこそが、戦争や原爆について知り、それを発信し
ていくべきだと思います。まずは知ることが大切だと思います。しかし、
知る場所や機会というものは提供されているのでしょうか。平和記念
資料館等を訪問すれば知ることはできます。しかし、もっと身近に、例
えば大学の講義で戦争や平和について考えるものがもっとあっても
いいように思います。平和レポートを書くだけでは足りはしないし、平
和関係の講義もありますが、選択した人しか受けられません。もっと多
くの人が平和について知り、考えられるように、大学として取り組んで
みてもいいのではないかと思いました。
教育・ 2 ・女 原爆被災者の体験記を読んで、私は原爆の悲惨さや
残酷さを改めて感じました。また、 1972 年~ 92 年に広島大学原爆
死没者慰霊行事委員会が発足されてから、被爆実態の調査・資料の
収集及び記念出版、慰霊碑の建立など様々なことが行われていたと
いう事を初めて知りました。現在も、平和科学研究センターや文書館
などで平和に関する取り組みが多くされいてるのだと知りました。だか
ら私は今回の授業を受けて、原爆についてもっと調べ、平和につい
て考えてみようと思いました。
教育・ 2 ・女 先週は、広島大学の源泉について学びましたが、今
回、その学校の多くが原爆の被害をひどく受けているということを知っ
て、ショックを受けました。戦争の恐ろしさはメディアなどでよく知って
いるつもりでしたが、広島大学で学ぶといっそうリアルな感じでした。
また、被害者の手記を読むことができて、戦争の悲惨さを実感しまし
た。戦争の恐ろしさを知っている広島大学だからこそ、平和について
もっと積極的になれればいいなと思います。
教育・ 2 ・女 ヒロシマを知っている大学だからこそ果たさなければな
らない責任があるように感じました。そして学生であるわたしたちは縁
があってこの大学に来たのだから、何かしらのものを学んだり、考え直
したりする機会にできたら良いと思いました。女子学生の手記がとても
心に残ると同時に悲しくもなりました。
教育・ 2 ・男 原爆の投下により大きな被害をうけた広島にある大学
として広島大学の持つ役割は大変大きなものであると思いました。た
とえ積極的ではなかったにしても結果として戦争へ大きな関わりをも
ってしまい、さらに原爆投下による大きな被害を受けた広島大学は、
やはり戦後日本の復興のための広島大学という立場からのアプロー
チを期待されたのだと考えました。そのためにも慰霊碑などの建造に
は大きな役割を果たすべきであり実際そうなりました。現在、広島大
学で学んでいるものとしてそのようなこともしっかりと知っておかなけれ
ばならないと改めて感じました。
教育・ 2 ・男 今回のこの講義を受けて、戦時中の学校の状況や、
その被災状況、また、自分のいる広島大学の前身の教育機関がどの
ような形で戦争に関与していたのかや、戦後の原爆死没者慰霊行事
がどのような人々により始められ、どのような変遷をたどって来たのか
について学ぶことができた。その中でも、雑賀忠義さんが原爆死没者
慰霊碑に書いた文に対してパル判事の疑問表明に対しての雑賀さ
んの自分たちを世界市民として見ているという答えに非常に感銘を受
けた。
教育・ 2 ・男 まず、今日の講義で広島大学の前身校が受けた被害
を知った。想像していたよりもひどく、と言うよりもむしろあまりそのよう
なことは考えたことがなかったので、その被害の大きさを知ってショッ
クを受けた。次に、広島大学内での慰霊行事の挙行がかなり時を経
てから行われたということも知っておどろいた。その理由は 2 つで、 1
つめは広島大学のイメージとして平和教育に力を入れているから、そ
のような慰霊行事もきっと早くから行われていたのだろうと言う単純な
予想があったからで、 2 つめは広島大学の講義でこういった広大のミ
スというか落度を公表するとは思ってなかったからである
教育・ 2 ・男 広島大学のメインキャンパスが東広島市にある今、被
爆都市広島と広島大学は、どことなく縁が遠い関係にあるように今ま
で感じてきました。ですが、今日の講義を聞いて、工学部や理学部の
モニュメントのように、今の東広島キャンパスにある広大にも、原爆に
関する遺物が存在することを初めて知り、やはり東広島にある広大も、
被爆都市広島との大きな関わりがある、ということが分かりました。今
の広大は、被爆地広島市にあるわけではないけれど、決して無縁で
はないということを意識して、これからの東広島での生活を送っていき
たいと思います。
教育・ 2 ・男 原爆死没者碑文については以前から深い言葉だと感
じていたが、まさかインドから抗議がきているとは思わなかった。日本
側の「世界市民として」という見解もなるほどすばらしいが、インドの言
うことも一理あると思う。私は岡山県の出身であり、原爆とは直接的に
は関わりのない人生を送ってきたが、やはり隣県ということもあり文献
や平和祈念館に訪れたりする機会はあった。とりわけ被爆者の方の
生々しい内容の手記は忘れられない。入学時に平和学習の一環とし
て学長から課題を出されたがあのころはあまり気にも留めていなかっ
た。しかしもう一度今自分がどこに立っているのか、またどんなことが
学べるのか、再び考え直すよい機会になったと思う。
教育・ 2 ・男 広島大学の前身諸学校は原爆が落とされた当時、ほ
とんどが爆心地に近い広島市内にあったということで、甚大な被害を
こうむった。それは、授業中に被害にあった学生ばかりではなく、学
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
徒動員されていた時に被害にあった者も多くいたという。しかしながら、
戦後広島大学として再出発した後、なかなか大学全体として原爆被
害者を慰霊したり、原爆のことを顧みたりするような動きは出てこなか
った。だが、それでも教員や学生個人として取り組むことは多々あっ
たという。そして、 1970 年代あたりからようやく大学全体として慰霊碑
を建てたり、慰霊祭を実施したり、平和科学研究センターを作ったりと、
原爆被害を顧みるような動きが出てきたということである。しかし、私自
身としては広大として行っている慰霊祭の存在は良く知らなかったし、
そんなに大学内で原爆のことについて学べる機会が多いとは思って
いない。だから、広大としてもう少ししなければいけないことがあるの
ではないかと感じた。でも、最近では原爆と平和に関する講義をする
ことができるように、私が入学したときには原爆に関する施設を見学し
た上での平和に関するレポートを書くといったようなことで、平和を希
求する精神に則ることができるように改善はされてきているとは思う。
勿論、私個人としても平和に関する学習は十分にできているといえな
いと思うので、これからしっかりと学ぼうと思う。
教育・ 2 ・男 広島大学の戦争責任として取り上げられた戦争協力、
国体論の宣揚、戦争に協力する教師養成は、当時の日本という国の
状況を考えると致し方ないと思った。学徒出陣は国からの命令である
し、広大の前身諸学校は教師の育成のための学校であり、その教師
が戦争に反発することなんてできるはずもない。けれど、それらの過
ちを認め、広島大学原爆死没者慰霊行事委員会の発足、式典の開
催、原爆放射能医学研究所や平和科学センターの設置などの原爆
問題、平和問題への広島大学の取り組みは素晴らしいと思った。
教育・ 2 ・男 原爆については過去に何度か学習したが、今回は「広
島大学が原爆や戦争とどう関わってきたか」を重点的に聞こうと講義
を受けた。前身諸学校の被災状況は、とてもむごいものばかりで、資
料を読めば読むほど切ない気分になった。特に山中高等女学校の
被害(最多の原爆死没者)は、とても驚かされた。広島大学の取り組み
としては、様々なことがあることを知った。慰霊行事委員会を設置し、
被爆実態の調査や慰霊碑の建立なども行っていることを知った。ただ、
大学全体としての原爆問題の取り組みが遅れていたことが少し気に
なった。
教育・ 2 ・男 原爆によって前身校は多大な被害を受けたが、中でも
高等女子師範と付属山中女学校の死没者の多さに驚いた。また、現
在に及んでも毎年原爆死没者が出ていることから、改めて原爆、核の
影響力を思い知らされた。当時の広島大学の原爆・平和問題に対す
る取り組みが社会的には批判されていたことが意外だった。また大学
という団体だけでなく、関係者という個人単位でも行われているという
ことは評価されるべきだと思う。そして今後も広島に存在するものとし
て広島大学が中心となって原爆・平和問題に取り組むべきであるし、
自分もその一員として何ができるのか、を考えていきたいと思う。
教育・ 2 ・男 まず、最初予想していた、「原爆と広島大学は、そんな
に関わっていないであろう。」というのは、全然違っていました。広島
大学の前身である諸学校は被害を受けたし、死者も出ました。そこで
僕が思った事は、配布されたプリントにも書いていましたが、広島大
学に、慰霊碑や集会などがなぜ無かったのだろう、という事です。最
近できたり、それを目的とした委員会はあると授業で聞きましたが、正
直それらに接する機会はほぼ 0 に近い気がします。このような事に対
して、もっと積極的にならなければならないと思いました。
教育・ 2 ・男 広島大学にも原爆の慰霊碑があるということをはじめ
て知りました。原爆の残酷さや、それがもたらした恐怖などを後世に
伝えていくことはとても大切なことだと思うし、慰霊碑の存在はとても
大きなものだと思います。今回の講義で広島大学と原爆の関わりを学
ぶことができてよかったです。また暇な時にでも大学にある慰霊碑な
どを見に行きたいと思いました。それから、原爆について自分でももっ
と勉強したいと思いました。
教育・ 2 ・男 今回の講義で初めて知ったことがある。それは原爆で
被爆したのが日本人だけではないということである。広島大学に留学
に来ていた学生や、日本の占領地から連れてこられた人など、様々
な理由で広島に来ていて被爆したということを知って驚いた。また、被
爆した人の手記を見ると、改めて原爆の恐ろしさを実感することがで
きた。そして、このような悲劇を二度と繰り返さないように、今広島大学
にいる私にしかできないことをやろうと思いました。
教育・ 2 ・男 戦時中の学校では、事実上戦争に加担していた。しか
し、このことは仕方のないことだったのではないかと思う。また、被爆し
たことについては日本人だけではなく、中国やモンゴルなども被爆し
ていたことは知らなかった。せっかく広島大学に入学したのだから、そ
のようなことも、もっと詳しく知っておくべきだと思う。また、現在も広島
の各地には広大理学部一号館のように被爆した建物が多くあるのは
以外だった。それらの建物があることによって、戦争を直接経験して
いない私たちにも戦争の悲惨さを伝えてくれると思う。だから、これら
を全て残しておくのは難しいとは思うがいくつかは残すべきとおもう。
教育・ 2 ・男 私は、今回の講義を受けて、あらためて広島大学はす
ごいと思いました。また世界中でたった二か所にだけに落とされた原
子爆弾のとても大きな被害の、その焼跡の中から復興し、そして大き
く成長することができたのは、たくさんの人々の努力のおかげであるこ
とがわかりました。私は、そのような広島大学、ヒロシマ、で学べること
を誇りに思い、これからもより一層しっかりと知識をつけていきたいと
思います。
教育・ 2 ・男 確かに広島大学は原爆死亡者が多く出たはずであり、
平和都市広島の大学として平和学習などを行ったが、慰霊碑がなく、
慰霊祭も行われたことも聞かないと聞いて正直なんでかな?と考えた。
1965 年 8 月 13 日の中国新聞で「二十年たった今になって慌てて
地元の原爆被爆問題・・・」と書かれた社説があったと知ってなんかと
ても難しい問題だなと考えた。広島大学には戦争責任があると聞いて
確かに今の私には関係ないがやはり広島大学の一員としていろいろ
と考えてしまうなと思った。
教育・ 2 ・男 とりあえず、広島大学創立当初には、原爆犠牲者の慰
霊碑が存在しなかったという事実にとても驚いた。世界に原爆の恐ろ
しさを示すべき広島県の中で、最も有名である広島大学に慰霊碑を
建てなかったという事実は、僕は許せない。近年、北朝鮮やインド、
パキスタンまでもが核保有国となっている中で、唯一の被爆国である
日本が原爆の恐ろしさを示さないで、一体どこの国がそれを示すこと
ができるだろうか。今現在、この地球上にある核爆弾の量は、この星
までも壊すほどだと聞いた事がある。そんな状況の中で、核の恐ろし
さを示せるのは我々日本人だけである。その事を踏まえて、もっと世
界に核の恐ろしさを訴えていくべきだと僕は思う。
教育・ 2 ・男 いままで広島大学で一年間学び、通い続けてきたわ
けだが広大に原爆死者の慰霊碑がないという事実に気づいたことが
なく、とても驚いた。これにはおそらく理由があるのだろう。資料のな
かには「『ヒロシマ』と広大とのかかわりを考える上で重要な意味を含
む」と書いてあったが、そこに触れていたが個人的にもっと深く知りた
い思った。このかかわりを考えれるのも広大生にしかできないことかも
しれないので、今後もこれについて学びを深めたい。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、改めて原爆の恐ろしさと、広島
大学をはじめ、広島市民にどのように影響したかを知ることができた。
実際に、学生が主体となって、被爆者の立場から、平和運動を推進
していこうという原爆被害者の会が立ちあげられ、もう二度とこのような
ことが起こらないように、また被害者として、唯一の被爆国である日本
の国民として、現実に起きたことを将来の人々に伝えていくような活
動がなされていることは、今まで知らなかったし、とても行動力のいる
すごいことだと思った。
教育・ 2 ・男 僕は、広島出身で原爆のことについて学ぶ機会がたく
さんありましたが、今回の授業を受けて知らなかったことも学ぶことが
できました。自分が幼いときに原爆に対して感じた気持とはまた違っ
て、いろんな気持がこみ上げてきました。ですが、今も昔も変わらなく
思えることは、戦争という過ちを二度と起こしてはならないということで
す。遺族や被害者のかたの話を聞くと僕らが想像してた以上に辛くき
つい体験です。僕ら広島に住むものだけでなく、全国のみんなにちゃ
んと知ってもらいたいです。
教育・ 2 ・男 世界で初めて原爆が投下され、今日、世界的に平和
都市として有名である広島。原爆投下は昔の出来事ではあるが、そ
の悲惨な出来事を未来にも伝えていかなければならない。それが、
広島にある大学の役割であると思っている。大学だけでなく、小・中・
高等学校でも平和学習をしたが、広島人である以上は、知っておか
なければならない事だ。原爆が投下され、広島という都市に緑は一生
広がらないと言われたが、今では、見事に復興を遂げた。若い力が
広島復興に尽力し、そうさせたのだ。これからも、広島大学は、有能
な若い力をどんどん輩出し、各地域の復興に努めてほしい。
教育・ 2 ・男 広島大学の関係者の中に佐藤重夫さんや雑賀忠義さ
んや森瀧市郎さんや長田新さんや川手健さんや東雲分校子どもを守
る会や平和と学問を守る大学人の会などのように原爆問題や平和問
題への取り組みを行っている人がたくさんいるとわかりました。原爆が
落とされた広島にある広島大学に通っている自分も原爆問題や平和
問題についてもっと考えるべきだと思いました。今までは原爆につい
ての知識は浅くしかもっていなかったのでこれから深く学んでいきた
いと思います。今回の講義はとてもためになりました。
教育・ 2 ・男 東広島にキャンパスを移して全てが新しい物になって
いると思ったが、戦争の爪痕的なものは今の東広島キャンパスにも残
っているのだと思った。理学部の扉は他の学部と何か雰囲気が違うと
思っていたが実は原爆との関係があるのだと知った。他にも工学部の
ところにも石碑があるのだと言うことを知った。この東広島キャンパス
にも原爆当時の悲惨さを物語っている資料などもたくさんあるのでい
くつか触れて広島に住んでいるのだから原爆はあってはならないもの
だということをきちんと伝えていくべきだと思った。
教育・ 4 ・男 今回の授業ではレジュメ最後の社説が大変興味深か
った。原爆から 60 年以上経過し、当時を知る人々はますますいなく
なっていくが、この悲惨さや過ちは繰り返してはならない。広島では
原爆や、原爆資料館などについてテレビや新聞、または本などでよく
取り上げられ、個人個人考える機会が多い。私自身も長崎出身なの
で原爆や戦争に対する教育が多く行われてきた。しかし、国としては
どうだろうか。悲しいことに我々の世代にも原爆や戦争の認識が甘く、
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無関心な人間がおり、この広島大学にも存在している。この碑文での
主語は全世界の全ての人々とあるが、現在では、この碑文の主語は
ごく限られた一部の日本人、を意味するものに見えてならない。
教育・ 4 ・男 僕の出身地が広島で生まれてから広島県以外の県に
住んだことがなく、原爆については相当学んできたが、広島大学と原
爆(戦争)を照らし合わせて学ぶということが今回が初めてで、新たな
視点から原爆というものを見ることができた。また、当時の広島大学の
様子や、原爆後の建て直しなどのことを考えてもやはり原爆というもの
は悲惨な事態を招き、様々なことに対して被害を与えるということが再
確認でき二度と起きてはならないことだと感じた。
経済・ 1 ・男 広島県出身ということもあり、原爆遺跡には他県出身
者よりも多く触れてきたつもりだったが、広島大学の構内にもそれがあ
るとは知らなかった。また、一番印象に残ったのは、「広島大学の戦
争責任」という言葉だ。今まで「戦争責任=国の責任」だと漠然と無意
識に考えていたためだ。広島文理大学で国体学講座が開かれ、国
体論宣揚の担っていたとは考えもしなかったので、教育のもたらす影
響の大きさに改めて考えさせられた。
経済・ 2 ・女 私たちは、原子爆弾の恐ろしさやもたらした被害の大
きさをこれまでの教育の中で十分に教わってきた。その過程で個々で
平和について考えることはあっただろう。しかし今回の講義で、先代
の広島大学の教授や関係者が原爆により命をおとしているにも関わ
らず、広島大学と原爆の関わりの薄さについて言われていたことは意
外だった。原爆について考えるのは、日本の歴史を考える上で、県な
ど関係ないが、原爆についての歴史や関係する建造物の保存など、
広島を代表する広島大学が積極的に取り組んでゆくべきだと思った。
広島大学の教授が考案したという「安らかに眠ってください 過ちは
繰り返しませぬから」という碑文が印象的だった。
経済・ 2 ・女 前回の講義で広島大学の前身校について学んだので、
それとの関わりを学び深められたらと思っていましたが、かなり期待通
りの学習ができたと思います。原爆慰霊碑文の考案や平和活動など
元教授の方々が熱心に行ってこられたから私たちの平和な日々があ
るのだと痛感しました。今回の講義は『広島大学の歴史』としての授
業ではなく、平和学習としての側面も重要だったと思います。リアルタ
イムで戦争を体験された方が減るこの世の中、私たちにとって大変有
意義な授業だったと思います。
経済・ 2 ・女 私は広島大学に入学して、原子爆弾による被害につ
いての学習が少ないように感じました。長崎出身である私にとって、
原爆の話はとても身近であり、今まで様々な被害やその後の取り組
みについて学習してきました。長崎と同じ被爆地である広島にある、
広島大学の学生は全員が原爆のことについて学ぶのだと思っていま
した。しかし、たった 1 回レポート提出があっただけで、原爆について
触れる機会は非常に少ないように思います。今回の講義の資料にあ
った、「広島大学の教授会や評議員会で、平和問題の研究が広島大
学全体の取り組むべき課題であるかどうかについて本格的な検討の
行われたことはただの一度もなかったようである」ということに驚きと悲
しさを感じました。世界でたった 2 ヶ所の被爆地、広島と長崎におけ
る国立大学で原爆について学ぶ機会が少なすぎるのはとてももった
いないことだと思います。せっかくさまざまな資料があるのだから、もっ
と原爆について学ぶ機会を増やしてほしいとさらに思うようになりまし
た。
経済・ 2 ・女 1945 年の 8 月 6 日に起こった広島の原爆について
は、中高時代に校長先生や担任の先生が毎年話をしてくださってい
たし、「はだしのゲン」を見たり、原爆ドームに行くことによって完璧で
ないにはしても、どのくらい悲惨でやるせない出来事であったのかを
想像することはできました。今回の授業を受けて、いろいろな人の思
いや行事を知って、改めて戦争とは誰も幸せになれないし、こんなこ
とはもう 2 度と繰り返してはいけない出来事であると実感しました。広
島大学は、原爆によって被害をうけたからこそより熱心に平和問題に
取り組んでいるのだと思いました。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受けて、原爆の被害から広島全体が立
ち直った経緯に広島大学が大きく影響していると思った。さらに、改
めて戦争は意味のないものだと感じることができた。この授業を履修
するきっかけにもなったこの講義を聞けてとてもよかった。
経済・ 2 ・女 今回、広島大学と関連した原爆の歴史を知ることで、
新たな視点で戦争について考えることができました。私は今まで、小
学生の頃から平和について学んできたにもかかわらず、広島という土
地に来て、原爆ドームや資料館を訪れても、頭のどこかで他人事のよ
うに考えている部分がありました。しかし、自分が今いる広島大学にも、
原爆やその被爆者たちに対して、尽力した人びとや機関があったこと
を改めて知り、 60 年という時が経っても、伝え続けること、考え続ける
ことの責任を、この大学の一員として果たすべきだという思いが生ま
れました。
経済・ 2 ・女 一番印象に残ったことは、やはり、原爆の残酷さです。
原爆被災の状況に関する手記を読み、そのときの情景が思い描かれ、
原爆のむごさと、原爆に関心のなかった自分自身に、悲しくなりまし
た。それと、広島大学の原爆問題、平和問題への取り組みについて
も学ぶことができ、さらにいろいろ考えさせられました。広島に位置し
ているからこそ、広島大学は、平和問題や、原爆問題の研究に、力を
注ぎ、他県や、世界に対して、平和に対するメッセージをより発信して
いくべきです。私も、広島大学の学生である以上は、無関心であるこ
とは許されないと思います。まずは、原爆について知ることからはじめ
てみます。
経済・ 2 ・女 世界で唯一原爆を落とされた広島と長崎。広島大学
の前身である諸学校も、もちろん被害を被った。教職員・学生・生徒・
児童のなかに被爆して亡くなられたか方は多い。それもむごい死に
方で。しかし広島大学内には慰霊碑や慰霊祭といったものが存在し
ない。広島では原爆資料館や平和公園などが造られ、慰霊のための
行事もある。なのに広島大学であまり積極的に行われないのはおか
しいのではないかと疑問に思う。原爆でむごい死に方をした人やその
家族、友人、恋人といった被爆者の周りの人の悲劇、そもそも原爆投
下の原因となった戦争そのもののことを後世に伝えるためにも、広島
大学でももっと原爆に恐ろしさを伝えていくべきだと思う。
経済・ 2 ・女 広島に原爆が落ちたのは今から約 60 年ほど前だが、
時がたっても、決して忘れてはならない出来事だと思いました。広島
大学の前身校の生徒があんなに原爆の被害で亡くなっていたとは知
りませんでした。私は地元が宮崎で、大学で広島に来るまで原爆ドー
ムも見たことがなかったので、今まで原爆を身近な問題として考えるこ
とができなかったのですが、今回この授業を受けて、とても身近な問
題としてとらえることができるようになりました。
経済・ 2 ・女 私が高校までに学んだことは、広島に原爆が落とされ、
たくさんの人が犠牲になったということだけでした。もちろん、あらゆる
機会で広島原爆投下については語られていたので、その悲惨さはよ
くわかっていたつもりでした。けれど今回の授業を通して、それで終
わらせてはいけないのだと強くおもいました。原爆投下から長い年月
がたち、戦争を経験した人々も少なくなり、現代の日本があまりに平
和であるがために忘れられつつある原爆の悲惨さ、それにより犠牲に
なったたくさんの人がいることを次の世代につたえ、二度と同じ過ちを
繰り返さないためにしていかなければならないと思いました。人間は
忘れた頃に同じ過ちを繰り返します。原爆が投下された広島にたてら
れた総合大学に通う学生として、これから何ができるか考えさせられ
る授業でした。
経済・ 2 ・女 私は広島県出身なので、小・中・高と 8 月 6 日が近づ
くと毎年のように平和学習を時間をかけてやってきました。写真や体
験記、平和を訴える歌や爆弾の資料など様々なものを見聞きしてきま
した。だから今回の「 3 .広島大学における原爆死没者慰霊行事」の
ところの話を聞いて、昭和 45 年まで慰霊碑一つなかったということに
驚きを隠せませんでした。昭和 47 年に広島大学原爆死没者慰霊行
事委員会が発足してから様々な取り組みが行われてたようですが、
私は広島大学には様々な県や国から勉強しに来ている学生が多い
のだから、もっと原爆や平和に関する授業や講演があればよいのにと
思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学は被爆の影響を受けたからこそ、平和や戦
争の問題に積極的に取り組んでいるように思えたました。広島大学関
係の被爆建造物などから、当時の悲惨さがうかがえます。世界で初め
て核が用いられた広島の人々は、国内の誰よりも戦争の過酷さや平
和の尊さを知っています。戦争を経験していない私たちのような現代
の子供にとって、戦争の事態を知ることは決して欠かせないことだと
思います。同じ過ちを二度と繰り返さないためにも、今回の講義のよう
に戦争についての講義は必要です。広島大学で入学当初に課され
る「平和のレポート」は、広島の地に足を踏み入れる人間にとって平
和の尊さを知る機会だと感じました。
経済・ 2 ・男 講義の途中で、「安らかにねむってください。過ちはく
りかえしません」という分の主語が日本人であって、それはおかしいん
ではないかという意見が紹介された。でも自分は、具体的に「過ち」が
何を表してるかを考えないと主語がおかしいとは言えないと思う。「過
ち」イコール原爆なら確かにおかしいかもしれないけど、「過ち」イコー
ル戦争だったら主語が日本人でも何もおかしくないと思う。広島大学
の戦争責任というのは、何か自分にとって新しい視点だった。具体的
には、科学協力や国体教養などの一種の洗脳的なこと。そういうこと
をふまえると広島大学にも戦争責任があるように感じた。
経済・ 2 ・男 資料の 2 にあった前身諸学校の被災状況には、事細
かに、生々しい実況のような記述があった。「ムゴイ、本当にムゴイ」と
いう表現が印象に残った。資料の 3 、 4 、 5 にあるように被爆者慰霊
行事や原爆問題、平和問題への取り組みも、組織や個人と規模に関
係なく行われており、原爆というものが人々の心に深く傷をつけており、
二度と起こらないように何かしなければならないという平和への意識も
強く残したのだなと感じた。数年前に碑文が壊された事件については
初めて聞いたが、心無い者がいるなと悲しく感じた。
経済・ 2 ・男 原爆については、広島大学に来る前から、修学旅行
や日本史などの授業があったので、多少の知識はあったが、やはり
それは目立った部分だったりしたので、今日の講義の内容というのは、
新鮮だった。広島の復興や平和に関して、想像以上に広島大学の教
授が関わっていて驚いた。雑賀教授のしたことのなかで、「過ちは繰
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
り返しませぬから」という碑文のことで、私が正直最初に思ったのは、
パル判事と同じことで日本人の責任じゃないじゃないかということだっ
た。だが、そんなせせこましい立場に立つ時は過ちを繰り返さぬこと
は不可能と書いてあり、すごく感心した。
経済・ 2 ・男 原子爆弾が広島大学に与えた影響がこの講義の中で
一番興味深いものだったのでそれをまなぶことができてよっかた。僕
が想像していたものとは少し違いいろんなことがあるんだと思った。広
島大学が原爆にたいして行ってきたものが世間ではあまり評価されて
いなかったことは、とても驚いた。広島大学は広島という原爆が落ち
た地にある大学なので、それに関連した研究または平和活動がより
活発にならなければならない大学なのではないだろうか、と感じた。
経済・ 2 ・男 資料を見て、現存する被爆した建造物が 29 個もある
のに驚きました。まだまだ広島や長崎に落とされた原爆についての知
識の浅さを感じました。世界に訴えていかないといけないこの広島に
住んでいる人間として戦争と平和、原爆の使用禁止について改めて
考えることができました。広島大学はたしかに戦争に協力した事実は
あるかもしれないが、その過ちを償うためにも戦争、原爆反対の第一
人者として原爆に苦しむ人たちを助けることができるようにしないとい
けない。
経済・ 3 ・女 私は原爆と聞くとおそろしいものというのが一番にあり、
なんとなく避けてきました。今回の授業で、広島大学の前身校でも多
くの被爆者がでたことを知りました。特に山中高等女学校での被害者
の数はとても多く、原爆により倒壊した建物の写真や、手記を読むと
生々しく、どんなに悲惨なものだったかが伝わってきました。それから
広島大学内の慰霊碑の意味も初めて知りました。また原爆死没者慰
霊碑の碑文の意味もとても奥深いものだと知りました。誰が原爆を投
下したかではなく、世界の一員として過ちを繰り返さないという言葉に
とても重みを感じます。それから私が一番怖いと思うものは、戦争遂
行の教育をし、国民に戦争は正しいという意識を植えていたことだと
思います。誤った教育をし、国民が個人の意見を主張できないような
政治をするのはこれからも決してあってはならない事です。そのことは
私たちが後世に伝えていかなければいけないのだと改めて思いまし
た。
経済・ 3 ・男 私は原爆について、あまり詳しくは知らなかった。起こ
ったのが 60 年以上前でもちろんまだ産まれてないし、山口出身とい
うこともあって、今までそんなに強く興味を抱いたことはなかった。しか
し小学生だった時、修学旅行で原爆ドームを観た時の衝撃は今でも
覚えている。今にも崩れるんじゃないかという建物が、まるでそれを誇
示しているかのように、悠然と建っていた。広大生は他県出身者が多
いのだが、『被爆した』広島(・長崎)と考える人が多いと思う。ただ、実
際はアメリカによって『被爆させられた』のだと私は認識した。もう二度
と、ドームを観た時の衝撃が新たに生じないよう、平和な世の中であ
ってほしい。
経済・ 3 ・男 配布資料の最初の文章を見て、原爆の被害は本当に
ひどくてむごいものだなと思いました。体験者が書いた文章で表現が
生々しく想像しながら読むとその被害のひどさがよくわかり、もう二度
とこんなことをしてはいけないし、世界でこんなことが起こるようなこと
をしてはいけないと思いました。原爆の被災地にある大学にせっかく
来たのでこの地で起こったことに関して行動を起こすようなことはでき
ないかもしれないが、よく考えることが大事だと思いました。
経済・ 3 ・男 私は広島大学に通うようになったため、原爆によって
亡くなった方たちの中に先輩たちが含まれていると気づき、今までは
昔の出来事としか思っていませんでしたが、原爆をとても身近に感じ、
とても恐ろしいものだと思いました。十万人以上の人々を殺した原爆
は絶対に世界からなくすべきだと思います。来月、広島市長がニュー
ヨークの国連本部で原爆廃止への演説をするみたいですが、実際に
被害を受けた市の市長が演説するのだからとても現実味があり、効果
のあるものだと思います。我々広大生も、積極的に核廃止を訴えるべ
きだと思いました。
経済・ 4 ・男 私の出身地は長崎であり、長崎は今回の講義テーマ
である「原爆」にも深いかかわりを持っている場所でもあります。小さ
い頃から毎年夏には平和学習ということで戦争、原爆について学習し
ていました。そういったこともあり、今回の講義には特に興味を持って
おりました。資料に載せてある体験記に目を通すととても悲惨な状況
が目に浮かんできます。実際はそんな想像をはるかに超えるほど悲
惨なものだったのでしょう。今回気になったのは広島大学の活動につ
いてでした。講義の中で個人や部局において活動しているところはあ
るが、広島大学全学としての活動はそこまで盛んに行われていないと
いうことをおっしゃられていました。確かに、広島大学に入って平和活
動をしていたり、そのような張り紙や話を見聞きしたことはないような気
がします。長い歴史を持つ大学であり、戦火を経験し、なおかつ原爆
の被災まで経験している大学が全体として平和活動を推進的に行っ
ていないのは少し寂しい気がしました。
経済・ 4 ・男 資料にある野間絢子さんの手記を読み、日常が原子
爆弾によって一瞬にして地獄に変化したことがよくわかりました。原爆
によって後遺症を残したまま生き残った人々は、常に死への恐怖を
感じながら毎日を生き抜いていったんだと思いました。原爆の恐ろし
さは小学校の頃から平和教育で学んできましたが、実際に今日のよう
な死没者数などのデータははじめて見ました。改めて原爆の恐ろしさ
を実感することができました。広島、長崎への原爆投下が引き起こし
たことを日本だけでなく世界中の人が意識し、今後、戦争を起こさな
いようにしていって欲しいと思います。
経済・ 4 ・男 原爆と広島大学ということで、その被害の大きさやその
後の取り組みについて紹介されていました。多くの前身校が焼け付く
し、教育というものが原爆によって失われたと私は感じました。だから
現在の広島大学は、この大きな悲しみを乗り越えて、教育の復興を
実現した象徴であると思います。前身校で教育を受けたくとも受けれ
なかった人たちを思うと、今の自分の勉学に対する態度を改めないと
いけないと心から感じました。そして、広島大学が平和教育の先頭に
立って世界に向けてさらに働きかける必要があると感じました。
工・ 1 ・男 戦時下における大学の存在をあまり把握していなかった
ので、今日の講義で知識を得ることができました。やはり学問を修め
る学校であっても戦争に駆り出され、授業を受けることができずにい
た人が多くいたことがあったということです。さらに学校の中で戦争に
対する肯定の意見を助長する講義も存在したと聞き、戦時下の大学
では自由な学問・思想がなされていなかったのだと改めて理解するこ
とができました。今自分たちが平和な日本の中で自由に学勉に励む
ことができることは喜ばしいことなのだと思いました。
工・ 1 ・男 改めて原爆の怖さを痛感したと共に、慰霊碑を壊した事
件についての奥深さを考えさせられた。多くの前身諸学校が被害を
受け、多くの死者を出したがそこから新たに復興してきたその背景に
は多大なる苦労があっただろうし、そこを乗り越えてきた教授たちの
人間の強さを感じた。特に、平和と学問を守る大学人の会というもの
に興味をそそられ、今なおそういった原爆に関するできごとを保存し、
責任を持とうという姿勢には、学ばされるものが多いと思う。工学部も
そういった背景があるということを念頭に置きながら学問に励んでいけ
ば、素晴らしい心情で勉強できると考えさせられた。
工・ 1 ・男 原爆により、広島大学前身校は多大な被害を受けたとと
もに、たくさんの生徒や教職員までもが亡くなられたことを思うと、いか
に自分が幸せに大学生活を送っているのかと気づかされた。勉強し
たくてもできない人がどれほどいただろうか。私たちはその人たちの
分までしっかりと生きる義務があると思う。広島大学はこれからも原爆
問題や平和問題に関する取り組みを強化し、後世に原爆の悲惨さを
伝えていき続けることが必要である。今回の講義を受けて、広島大学
の歴史をより詳しく知るためにも広島平和記念公園や原爆遺跡、慰
霊碑を巡ってみようという思いが生じた。
工・ 2 ・女 実際原爆を経験した人による話を読んで、原爆が投下さ
れたときの悲惨な状況が痛いほど伝わってきました。私は昨日原爆ド
ームを見てきたばっかりだったので原爆ドームを思い出しながら今日
の講義を聞いていました。ドームの上のほうは骨組みしか残ってなく、
壁は半分くらい崩壊しており、当時の町並みを物語っていました。広
島大学には 1972 年まで原爆死没者の慰霊碑がなく、慰霊祭も行わ
れたことがないということに驚きました。広島大学はヒロシマのことを全
国や世界の人々に伝える大きな存在だと思うので、ぜひいろいろな
活動をして伝えていってほしいです。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて、原爆の被害の重さを感じました。
野間絢子さんの文章を読んだとき、原爆を実際に体験した生々しい
話でとても大きな被害を受けたんだなということを改めて感じました。
工学部塔にある工学部と書いた柱と工学部の塔の間にある慰霊碑は
被爆したものだと、今日の講義を聞いて初めて知りました。それを見
たとき少しひびが入っていて古いなと思っていたけど被爆したものだ
と知って驚きました。広島女子高等師範学校の付属山中高等女学校
では 404 人もの人が亡くなって被害の大きさをうかがい知りました。
広島平和記念公園にある原爆慰霊碑の碑文が傷つけられたとありま
したが、許せない行為だと思いました。これを機にこの記念碑の重大
さにもっと目を向けるべきだと思います。
工・ 2 ・女 私は広島出身のなので、いままで学校で受けてきた『平
和教育』に通じるものを感じた。小学校のときに、社会見学で原爆ド
ームと、原爆資料館に行った。遺族からの寄贈品のなかに、血に染ま
ったブラウスや、焼け焦げた弁当箱があり衝撃を受けた記憶がある。
今日の講義資料の 2 .(1)にある野間絢子さんの手記を読んで、久し
ぶりにその記憶がよみがえってきた。いままでは被害を受けたのは日
本人だけ、というイメージがあったが、同(3)の留学生の原爆被災を見
て、原爆の被害を受けたのは日本人に留まらず、その土地にいたあ
らゆる国の人たちにも及んでいるのだなと思った。しかし、他の県より
も平和教育を受けているであろう私が、そのようなイメージを持ってい
ると言うことは、私の認識の甘さもあるだろうが、世界の「ヒバクシャ」に
対する日本の意識も低いのではないのかなと思った。
工・ 2 ・女 今回の講義はとても衝撃的なものが多々含まれていたよ
うに思います。私は広島県出身なので夏になると毎年小学校で原爆
被害に関する映画を見たり、他県よりも多く原爆被害についての授業
をしてきましたが、よりリアルな現実を知ったのが今日が初めてだった
かもしれません。まず、講義の最初に読んだ野間絢子氏の「原点」で
最初のパンチを食らいました。被爆者の記憶をそのまま自分が見て
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いるかのような表現と鮮明さは読んでいてとても恐ろしくなり一瞬胃が
ひっくりかえるような吐き気を感じるほどでした。「原爆は恐ろしいも
の」を小さい頃から教え込まれている私たちと同じように昔の子供たち
は自分たちが戦争をすることは悪いことではないと教え込まれていた
んだろうなと思いました。そうでなければ学校の修業年限を短縮したり
勤労動員させられたりすることにたいして違和感を持たないことはな
いと思うからです。でも違和感を持ったにせよどうにもならないとこま
で追い込まれた自国を見ていると反発できなかったのかもしれません。
学生たちがどんな思いで勤労動員していたのだろうかと思いをはせ
ながら受けた講義でした。
工・ 2 ・女 当時の被爆者が書いた文章を読んで、原爆の恐ろしさを
あらためて感じた。広島県出身なので小学校の頃から多くの平和学
習をしてきたが、この講義で初めてここまで詳しい被害状況を知った。
山中高等女学校の生存者 2 名に対して死没者 333 名という被害状
況を知り、現在の自分が小学校のころに原爆での生存者の話を聞い
たのにあまり内容を覚えていないことに対して、すごく後悔した。また
現在の広島大学の平和問題の取り組みについては、一年時に行っ
た平和についてのモニュメントを訪れるという取り組みは、とてもいい
ことだと思ったので、これからも続けていけばいいと思った。
工・ 2 ・女 私は広島出身で小学校の頃から毎年原爆について学ぶ
機会があり、他県の人より知識があるつもりでいました。実際、原爆被
災の状況などは何度か聞いたことがありました。しかし、広島大学に
おける原爆死没者慰霊行事や広島大学の機関や関係者における原
爆問題・平和問題への取り組みについては今まであまり聞いたことが
ない気がします。私は今まで原爆を落とされたこと、その被害状況を
過去の歴史としてとらえてきました。今も原爆の放射線が原因で苦し
んでいる人がいることは知っていましたが、身近に被害を受けている
人がおらず関わる機会がなかったため、現在の原爆問題について深
く考えたことがありませんでした。今回の講義で、原子爆弾の放射能
による障害の治療および予防の関する学理並びにその応用の研究
を目的とした原爆放射能医学研究所の存在を知り、現在の原爆問題
についてこんなにも身近な所で取り組んでいる機関があることを初め
て知りました。こういった現在の原爆問題・平和問題に取り組む機関
が増えて行けば、世界平和に一歩近づくんじゃないかと思いました。
工・ 2 ・女 戦争に行ったり、工場で働かされたりしたのは、文型の学
生であることを初めて知りました。のちに理系の学生も文系の学生も
関係なく戦争に従事することになりますが・・・。今回の授業で話され
た時期の学生は今の学生よりもしっかりしていたと思いました。戦後、
広島大学は原爆によって影響を受けた人々がたくさんいるにもかか
わらず、学校全体として原爆被害者のための慰霊碑や催し物がとて
も遅れていたことには不思議を感じました。その一方で、自分自身で
原爆を体験した教授などの働きにはすごく感心されました。しかし、
広島大学は復旧するのに精一杯なほどだったのかもしれないとも思
いました。
工・ 2 ・女 今回の講義では戦時中の広島大学のことが話されました。
今の学生生活とは比べ物にならないような苦悩があったと感じました。
学業に専念できないような昔の状況を聞いて今の自分はとても恵ま
れていると感じました。また、多くの学生と教師の方が原子爆弾の被
害にあっていたことも衝撃的でした。原爆は一瞬で多くの人を殺し、
その後にも後遺症としてさらにたくさんの人を苦しめます。今、世界的
に核廃絶の動きがあります。少しでも早い実現を願います。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて、原爆の被害を受けた人々の中に
は、自分と同じ位の年や、自分より幼い勉学に励んでいた少年少女
がいたということを改めて意識した。その子たちの恐怖や悲しみを少
し想像しただけでやりきれない思いになった。特に、生き延びた子は、
親や友人などを無くし、貧しい孤児となり、生活するのが大変で原爆
投下以後学校に通えなかったことを知り、可哀想でとても残念なこと
だと思った。被害者である広島の人々に対して、世の中が無関心だ
ったことや、政府の保障も足りなかったことなどはひどいと思ったし、
懸命に生きて広島を復興させた人々を尊敬した。また、新鮮だったの
は、教育者という立場から、被害者のためや世界平和のために立ち
上がった人々のことについて学べたことだった。被爆前、大学は学生
に天皇統治の国家体制のあり方について研究させる国体学講座を
開いたことや、戦争に協力する教師を養成したことなどから戦争責任
を負っているということも初めて知り驚いた。過去を振り返って、反省
して、平和のために訴えることはこれからも続けていくべきだと強く思
った。
工・ 2 ・女 広大の歴史は原爆と関係があることよく知っていた。例え
ば前になぜ工学部近くで石の記念物があるか分からないし、今もう分
かった。
工・ 2 ・女 授業の内容が分かりにくいと思います。しかし、少しずつ
分かるようになりました。私にとって、原爆のことが世界の大切な歴史
になっていました。私は、原爆ドームに行って、悲しいになりました。
なぜかというと、原爆が起こったら、人々が戦争の悪い点がよく分かる
ようになりました。
工・ 2 ・女 爆弾の時、広島大学はばらばらにあるのであるキャンパ
スがかなり影響を受けました。今まで何十立っても爆弾症で亡くなる
人がまだいる。残った遺跡を見ると、あの時の苦しさ感じられました。
夢にも思えない結果になりました。もう二度と起こらないように今まで
色々やってきました。我々はお互いに尊重したら平和を守るはずであ
る。みんな世界平和を望んで来ました。
工・ 2 ・女 当時学徒出陣や学徒動員が行われていたことや、しかも
動員されるのがまず文系の学生からという事実にとても驚いた。学校
の授業がまったく機能していなかったことは仕方なく当然のことだと思
うが、当時教育を受けられず、さらに動員されて戦士した人にとって
は、戦争は私たちが思う以上に酷い出来事であっただろう。そして、
広島に落とされた原爆というのはもっと酷いものだと思う。一瞬にして
人の命が消されてしまうのだから。被爆者の人の手記を見ても、その
景色は凄まじいものであっただろう。あちこちに死体があふれ、その
中を必至に逃げる人たちの気持ちというものはどのようであったのだ
ろうか。私にはとても想像できない。広島大学の前身校もかなりの被
害を受けたのに、広島大学に慰霊碑や慰霊祭がなかったというのは
かなり驚きであった。原爆が落とされてからかなりの月日が経ったが、
被爆者の遺族の方々の思いが消えることはないだろう。私たちも平和
問題に取り組んでる人々を見習い、原爆問題や平和問題についても
っと考えるべきだと思う。
工・ 2 ・女 今回の講義は原爆という重いテーマもあってか、非常に
考えさせられる興味深いものになった。特に、『誤ちは繰返しませぬ
から』という慰霊碑の言葉が適切でないと言ったパル判事に抗議文を
送った広島大学の雑賀教授の行動には大きくうなずけた。戦争の責
任は大小の差はあれど参加したどの国にもあるものであるし、広島は
原爆で多くの犠牲を出したからこそもう二度と同じ誤ちを繰り返しては
ならないと訴えるべきであると思う。そしてその原爆を落とされた地に
ある広島大学はもっと平和問題に早くから取り組むべきであったと思
う。
工・ 2 ・女 最も心に残った言葉は雑賀忠義さんの「安らかに眠って
ください/過ちは繰り返しませぬから」である。この言葉は”戦争”とうい
う単語はないのに、ずばりと戦争いかに人々を苦しめたか、いかに戦
争というものが悲惨だったか、そして、戦争という人類最大の過ちを二
度としてはいけないことを教えてくれるからである。私たち日本人は唯
一原爆の被害を受けた国の国民として、この素晴らしい言葉を心に
刻み、世界に平和を訴えていかなければいけないと思う。また、理学
部や工学部に戦争にまつわるものが展示されていると聞いたので、
広島大学の学生としてそれをまた見たいと思った。
工・ 2 ・女 私は広島出身で、小学校の頃から平和教育を受けてき
た。母校には慰霊祭も行われるところもあり、そのようなことが当然と
思っていた。しかしこのたびの授業で、実は広島大学には昔、慰霊碑
も慰霊祭もなかったということを聞いてかなり驚いた。これからの広島
大学には平和教育をより一層強化していくことを期待したい。
工・ 2 ・女 少し本題からは脱線すると思いますが、とにかく野間絢
子さんの「原点」で描かれた原爆の状況が文字ですら惨たらしく想像
できなかった程でした。改めて原爆の恐ろしさというか、二度と落して
ほしくないし落とさない世界になってほしいと思いました。また犠牲者
は日本人だけではなく、広島に来ていたたくさんの留学生や近隣の
国の身分の高い人々も犠牲になっていたというのは当たり前ですが
初めて習ったことだったので「そうなんだ」と実感じました。広島の原
型となった沢山の学校の生徒が原爆落下から間もなく死んでいて、
今の私と近い年齢の人々なのでふと私がこの時代に生まれていたら
死んでいたのかなと考えていました。「安らかに眠ってください 過ち
は 繰り返しませぬから」この言葉を全世界の人々が深く受け止めて
ほしいと思いました。個人的に一字一句意味のある素晴らしい詩だな
と感じました。
工・ 2 ・女 今回の講義で被爆者の手記や原爆孤児、原爆死没者の
数を見て、原爆や戦争のむごさを実感じた。そのような事件を乗り越
えて発展した広島大学は、今でこそ様々な平和への取り組み、学習
をしているが、戦後、原爆被害者に無関心であったと世間で言われ
ていたことにいた。また、平和記念公園の碑文の言葉が広大の雑賀
教授であることを初めて知った。この言葉は知っていたが、主語が誰
なのかなど考えたことはなかった。世界中のすべての人がこの文を読
み、理解してほしい。全世界の人が戦争や原爆という過ちを知り、核
兵器の悲惨さ、そして命の大切さについて考えるようになればいいと
思う。日本は本当に平和な国なので、これからは平和な世界が創ら
れればいいと思う。
工・ 2 ・女 原爆によって出た被害者はなんとなく日本人だけかと思
っていたが、中国やモンゴル、南方の国といったあらゆる外国からの
留学生も被害を受けていたと知って、自分の無知を恥ずかしく思った。
原爆によって被害を受けたのは自分たち日本人だけだと思い、原爆
を落とした国や人に憤りを感じていたが、日本が戦争をしていたこと
で他の国々に多くの被害をもたらしていることに気づき、今までの考
えを改めなければいけないと感じた。また、平和記念公園の原爆慰
霊碑の碑文、「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」
という言葉についての当時の論争については初めて知った。私は過
ちというのは、原爆を落とした国についての過ち、また日本の戦争を
続けた過ち、戦争をした多くの国々の過ちをすべて表しているのだと
考えていた。だからこの言葉は主語を明記していないからこそ、世界
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
の人々に訴えている表現になっているのだと思っていた。結果的に
その考えが多くの人に支持されているので良かったと思う。ただ、今
でもその碑文や慰霊碑を傷つける犯罪が起こることにとても怒りを感
じた。
工・ 2 ・女 私は広島出身で 小さい頃から原爆を身近に感じること
が多くありました。小学校 中学校では毎年平和学習を行っていまし
た。高校では平和学習を行うことが少なくあまり平和について考えるこ
とがなく 今回の講座により久しぶりに原爆について考えました。広島
大学と原爆について考えたことは 被爆者には外国の留学生もいるこ
とを知りおどろきました。やはり大学なので日本だけでなく海外の人も
いるからそのことは忘れてはいけないと思いました。私は広島大学に
来ている学生たちに広島大学と原爆についてもっと知ってほしいと思
いました。
工・ 2 ・女 今回は原爆がテーマということで少し気が重かったです。
私は昔から広島に住んでおり、小学校時代平和学習というものがあり
ました。そこで被爆者のお話をきいたり、原爆体験をしたり、原爆資料
館などに言ったりしたことを思い出しました。原爆の悲惨さは昔から知
っていたので今回の講義では気が重かったです。被害者には外国の
人もいると聞き、自分がまだまだ知らないことはたくさんあるんだと感じ
た。今回の講義で原爆の悲惨さ、平和をのぞむ心を学びました。
工・ 2 ・女 被災状況の様子を読んで、改めて原爆投下後の悲惨さ
を思い知った。原爆については、小学校で学んだり、原爆ドームに行
ってそれなりに知っていると思ったが、まだまだ知らない部分があった。
なぜ日本は多くの学生、女までも動員し戦争をしなければならなかっ
たのか、どうして負けを認められなかったのか。戦争の被害者となっ
た学生があまりにも多すぎ、とてもむごいことだとと思う。広島大学に
慰霊碑がなかった時があったと知り驚いた。しかし、今では原爆や平
和に関した運動をしており、これからも続けていくべきだと思った。
工・ 2 ・女 今はほとんどの学部が西条にあるせいか、広島市に投下
された原爆と広大の関連性を考えたことがありませんでした。考えて
みれば、前身校の大半が広島市内にあったので、関わりがないわけ
がないのですが。私は広島出身なので、平和や原爆に関する話は多
く聞いてきた方だと思います。そして、他県出身の人たちにはもっと
原爆について知って、考えてほしいと思っていました。でも、自分自
身が知っている、考えているという思い込みをしていたんだと気づきま
した。原爆は二度と投下されてはいけないし、戦争もしたくない、嫌だ
ということだけ思って満足していました。もっと原爆や戦争について調
べたり、考えたりしたいと思います。私は工学部なのに、原爆死没者
追悼の碑も気に留めていなかったことが恥ずかしいです…。あと、被
害についてばかり考えて、責任なんて考えていませんでした。やらさ
れたとはいえ、大学も戦争の補助をしてしまうんだと改めて気づきまし
た。
工・ 2 ・女 私自身広島が地元という事もあり、今回の講義の中で以
前に平和学習で学んだことも多くあったが、広島大学の原爆被害に
対する取り組みの遅れに関する話はとても興味深かった。私達の世
代は戦争を知らずに便利で平和な生活を送っているためか、戦争に
対する関心は低いと感じる。広島大学が 1974 年から現在まで広島
大学原爆死没者追悼式を行っていることも、学内に慰霊碑があること
も知らなかった。しかし、それ以前にそのような取り組みの開始の遅さ
に対するバッシングがあったという事実に更に驚かされた。広島大学
の前身諸学校には様々な点での戦争関与や責任があり、その上山
中高等女学校をはじめ多くの被爆者を出しているため原爆は無視で
きない存在であるからだ。しかし、大学としての取り組みは遅れていた
にしても、個人としても活動はあったということに少し納得できた。決し
て原爆を無視してきたのではなく、組織化しないだけで個別に活動
は会ったのだと考えられたからだ。原爆を体験した包括校をもつ広島
大学の学生であるからこそ、私達も原爆に対する意識を改めなけれ
ばならないと思わされた講義だった。
工・ 2 ・女 平和学習として小学校のころに原爆について学んだこと
がありましたが、今回の講義のように広島大学と原爆の関わりについ
て学習したのは初めてでした。広島大学の前身校が大きな被害を受
けて、多くの生徒が亡くなられたということを知ったときはとても心が痛
みました。今は学校へ行くのが当たり前になっていますが、戦時中の
学生はそうもいかなくて戦争へかりだされていたのはショックでした。
また東広島のキャンパスに原爆に関する物が残っているというのを知
ったのも初めてでした。慰霊碑や被爆タイルなどが残っていることで、
みんなの心に平和を求める気持ちがわいてくると思います。広島大
学の方々が原爆問題や平和問題へ取り組んできてこられたように、
私も世界の平和のために貢献できるようになりたいと思いました。
工・ 2 ・女 私は去年の入学式の次の日に市内の原爆資料館に行き
ました。私は佐賀出身でもう一つの原爆が落とされた長崎県のとなり
で、長崎の原爆資料館にも何回も行ったことがありました。写真や当
時の実物のものなどをみると恐ろしくて当時の惨劇が見えてくるようで
した。講義をきいて広島大学の生徒や関係者もたくさん亡くなってい
て残酷に思いました。今、広島大学にはたくさんの留学生がきていて、
日本のたくさんの大学の中でなぜ広島大学に留学をきめたかという
理由には原爆を投下された都市を知りたいということがあがるかも知
れません。原爆資料館で涙を流す外国の方をみて、みんな平和への
願いは同じなんだと思いました。広島大学の留学生の人たちと原爆と
いうテーマではなしができる機会があったらなと思います。
工・ 2 ・女 今回は原爆というテーマを中心に、原爆災害やその後の
大学にかかわってきた問題や平和に関して話を聞けて、そして改め
て平和について色々考えさせられる講義でした。原爆は本当に恐ろ
しいものだと、資料を通して改めてひしひし実感しました。資料の被
災状況の話を読んだだけでも心がズキっとしました。そして広島大学
の前身諸学校のほとんども、全焼や全壊ばかりで、ほんとにむごいも
のだと心が痛みました。広島大学の機関や関係者における原爆や平
和問題への取り組みも、ほとんど知らないことばかりだったのですが、
今回の講義でたくさんのことを知ることができて、ほんとによい機会だ
ったなと思います。現存の原爆遺跡もあってびっくりしたので、行ける
ところは見に行ってみようかなって思いました。貴重な話が今回もい
ろいろ聞けてとてもよかったです。
工・ 2 ・女 いかに原爆の威力が高くとも、爆発では人々を苦しめた
または苦しむ間もなく殺したという事実は破壊できない。現代におい
ても 5 人殺せば大きな事件となるのに、一瞬で数百人もの命を散らし
た原爆投下という事実にはさまざまな人々からのさまざまな観点から
の意見がある。時には過激派もいるが、当時の人の主流とされていた
のが文であった。今回の授業では短くも重い文字に代えられた想い
をいくつか紹介された。争いの醜さを知った。
工・ 2 ・男 今まで平和教育などで原爆の恐ろしさを学習してきて、
今回この講義を受けてあらためて戦争の残忍さ、愚かさを知った。当
時、広島大学は原爆被害者に対して何もしなかったことで、市民の不
満をかっていたことを知って驚いた。広島大学の戦争責任について
考えると、「戦争協力」、「国体論の宣揚」、「戦争に協力する教師養
成」があげられているが、あの時代では政府に逆らえないような状態
だったので、ある程度戦争に協力したのはしかたないと思う。
工・ 2 ・男 私は今までに何度か広島の原子爆弾についての話を聞
いたことがありました。今回の講義を受けて、原子爆弾による深刻な
被害についてより深く知ることができました。広島大学の前身校でも
かなりの被害があり、特に広島女子高等師範学校付属山中高等女
学校では死者 333 人生存者 2 人という被害が出てしまいました。大
変ひどいものだと思います。そして広島大学の各機関における取組
について詳しく知ることができました。原子爆弾の被害を受けた広島
大学だからこそできる取組みだとおもいます。今回の講義を受けて私
も平和について考える機会ができてよかったです。
工・ 2 ・男 原爆と広島との関係性は当然知ってはいたが、原爆と広
島大学との関わりについては特に考えたことも聞いたことも無かった
のでとても興味深く感じた。数多くの犠牲者を出している広島大学の
関係者が、被爆後に立ち上がって核廃絶への運動を起こしていたと
いうことは初めて知ったし、強く心を動かされた。特に、資料にあった
森瀧市郎氏の、『精神的原始の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応
に勝たねばならぬ』という言葉には深く感銘を受けたし、氏の活動の
力強さにも驚かされた。
工・ 2 ・男 先日、原爆ドームや平和記念資料館に授業で行く機会
があったのだが、そこでは平日にもかかわらず、ボランティアで清掃
活動する学生や、多くの外国人観光客、また修学旅行であろうか、た
くさんの学生が慰霊碑の前に参列していた。そういえば、広島大学は
広島県でも中心的な大学であるだろうに、これまで「原爆問題や平和
活動などの取り組みを行っている。」ということをあまり耳にしない。そ
こで考えたのは、広島大学は原爆問題に対して何か取り組みをして
いるのか、ということだ。しかし、本日の授業を受けて、広島大学は広
島県に原爆が落とされ、戦争が終わってから、さまざまな取り組みを
行っていることを知った。中でも、私たちが通っているこの大学内にも
原爆の被害を負った旧大学の一部が移転されているということには驚
いた。
工・ 2 ・男 思っていた以上に被害を受けた前身校が多いな、と思っ
た。というのも、私は東広島に移転した広大しか見たことがないので、
広大≠市内のイメージが強く、前身校も市内に多いとは想像していな
かったから。なのに、それだけ被害があったにもかかわらず大学とし
ての活動が遅かったり少なかったりすることに大いに驚いた。去年入
学した時に平和学レポートを出されたので、大学として取り組んでい
ると思っていたのだが、そう言えば「来年以降の平和学の参考に」と
言っていたことを思い出し、あぁ、広大はやっと今になってそういうこと
に本格的に取り組んでいくのかな、と思った。また、 8 月 6 日の追悼
式の存在を今日初めて知り、大学としてもっと教員や生徒に告知して
もいいのではないかと思った。追悼式に出る、出ないは個人の自由と
しても、自分の在籍している大学で原爆に関する行事が行われてい
る、そう知るだけでも原爆について何かしら考えるきっかけになるので
はないだろうかと考えた。講義でもあったようにこれまで個人の力で活
動してきた人が多い。なのでこれからも無理に平和について、原爆に
ついて考えさせるよりも、そういった追悼式の告知や知識の共有によ
りちょっとしたきっかけを作り、学生や教員自らが考え行動、勉強して
いける広島大学になっていければ、と思った。講義とはあまり関係な
いことだけど、今回の講義を受けて考えたのは上記のようなことでした。
工・ 2 ・男
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今回の講義を受ける前、僕は今回もよくあるような平和教
育のようなものだと予想していた。しかし、広島に来て実際に初めて
受けた戦争・原爆についての講義。終わって振り返ってみると、この
講義を心に留めておくことが、とても大事なことなのだとわかった気が
する。原子爆弾により、数々の前身校は校舎、教授、学生などすべて
と言っても過言ではないほど多くの財産を失ってしまった。しかし現在
僕らが通っているこのすばらしい広島大学はここ広島に存在している。
とても幸せなことだ、と感じた。
工・ 2 ・男 原爆は広島と長崎という 2 つの都市に大きな被害を与え
ました。その内の 1 つである「広島」にこの大学は立地していて、慰霊
行事を行ったり慰霊碑を建てるなど様々なことをしてきました。またこ
の大学に在籍した多くの先人達が原爆や平和に対する活動をしてき
ました。このような素晴らしい先人達の活躍があったのに対し、現在の
学生には原爆や平和に対する意識が無くなってきているように感じま
す。そもそも「原爆」に対する意識云々ではなく他者への意識が薄く、
自分さえ良ければいい、という風潮になっている気がします。これから
はその部分を意識して生活していこうと思います。
工・ 2 ・男 広島大学は世界で唯一原爆が投下されたところであり、
私はこの大学に来て今まではさほど意識していなかった「戦争」、「平
和」、といったものをよく考えることになった。そしてこの講義では広島
大学の関係者が行った「原爆問題」、「平和問題」で雑賀教授のパル
判事への抗議文の中で「過ちは繰り返しませぬから」というのは広島
市民であり世界市民であるわれわれが、誓う。全人類の過去、現在、
未来の広島市民の感情であり良心の叫びである。というのを見て世
界市民の一人である私も過ちを繰り返さないよう何かできることがあれ
ばしてみようと思いました森瀧一郎教授の座り込みは世界も核の恐ろ
しさを知ったはずなのに、再び核実験をし競争するようになった世の
中にそれをとめるために人間の思いを伝えなければならないとみんな
に伝えたかったのだと思う。他にもいろんな関係者が平和のために尽
力してきたのだと思った。それに最後に広島大学の戦争責任とあるが
戦争をしてしまった過去は変えられないが、これからの未来はそのつ
らさから学んだ「平和」を広めていかなければならないと思った。
工・ 2 ・男 広島に於いて原子爆弾とは切っても切れない関係にある
ものです。ですが、現状の広島大学における戦争及びそれに通ずる
教育や行事は果たして十分なまでになされているのかという疑問が
残りました。現在この東広島にキャンパスを移転させ、 1 国立大学と
して歳月を重ねていますが、それに反比例して平和に対する意識が
学生を中心に薄らいでいる気がしました。これでは現日本が平和ボケ
していると近隣諸国から非難されても仕様が無いと思います。この地
で学んでいる私たちがこの状態なのですから。なので、まずは私だけ
でもここに学ぶことに意識を持ち、平和への求心を忘れないよう心掛
けていきたいです。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、戦時下の日本というのはかなりむ
ごいという印象を受けました。中でも印象に残ったのは、講義でもい
われていた通り、日本に都合のいい教師を作り上げたり、子供に対し
てもそういった思想を植え込ませるといったことをしていて、まったく自
由という発想がないような教育だと感じました。また、前身校の大半が
広島市内にあって、多くの子供たちや自分たちと同じくらいの世代の
ひと、またその家族が多くいたんだろうと思うと、とてもつらく感じまし
た。せっかく広島大に入学したのでもっと原爆問題について考えてみ
ようと思いました。
工・ 2 ・男 自身が広島出身なので、平和学習はなんども受けている
つもりだ。それゆえに知っていたことも多かったし、何度も受けている
せいか、あまり関心を持てないことが何度かあった。だが、町の様子
や、被爆者の数、及びそれで亡くなった人のことを考えると胸が痛む。
今まで、どうしてこんなに被爆した建造物を残そうとしているのか意味
がわからなかった。広島大学に幾つかあるのは知っていたが、「ある」
と認識するだけで、それ以上何も感じなかった。だが今日、被害の状
況から、残そうとしている人の気持ちを考えてみると、軽々しいかもし
れないが、何となくわかった気がする。折角高等学校に入学した親の
気持ちを考えると、いたたまれない。学校は人が集まる場所ゆえに、
被害も大きくなり、自然と原爆に対するやりきれない思いも大きくなる
ものだろうか。
工・ 2 ・男 今まで広島県外でしか原爆を学ばなかったために被害
にあった人がどれくらい辛いのかとかはあまり意識していなかったけ
ど、広島にいることでより意識して学んだ。そして、自分たちとほとんど
年が変わらない人たちがたくさん亡くなったことを考えると、改めて戦
争や原爆の恐ろしさを痛感した。「はだしの元」で見た落とされた直後
の人たちの姿を気持ち悪いと同時にすこし大げさに感じたのを覚え
ているが、手記を見て全然そんなことはないんだなぁと思った。また広
島大学だからこそできる平和に対する取り組みがあるはずだと思うし、
それを実践してしてきたことを在学生として誇りに思う。
工・ 2 ・男 今日の授業で一番考えさせられたことは、雑賀忠義さん
の碑文『安らかに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから』についてで
す。この文章の主語が日本人を指しているという指摘は解らないわけ
ではありません。しかしだからと言ってこの文章を間違っているという
のはおかしいと思います。確かに日本は原爆を落とされた側の国家
です。しかし原爆を落とされる過程においては日本に責任がなかった
とは言い切れません。加えて平和は決して一人で達成できるもので
はありません。だから『 I 』ではなく『 WE 』でないといけないんではな
いでしょうか。
工・ 2 ・男 広島大学のそれぞれの前身学校の被害は多いと思った。
それから立ち直り広島大学ができたのはすごいことだと思った。今回
の講義で一番印象に残ったのは社説に書いてあった「安らかに眠っ
てください、過ちは繰り返しませぬから」という碑文の「過ち」を犯した
主語が誰なのかということだった。このことについて、原爆を落とした
アメリカが主語という意見もあったが、碑文を考案した故雑賀忠義は
原爆犠牲者に対して核兵器廃絶を誓うのは全世界の人々でなくては
ならない。としており、この考えを世界中の人に知ってもらいたいと思
った。
工・ 2 ・男 前回の講義で習ったように、広島に原爆が投下された当
時広島大学はいくつかの前身校となった大学や専門学校であった。
当時戦争の真っ只中だった日本では修業年限の短縮だけでなく、学
徒動員など学校での生活にも大きく影響を及ぼしていたということを
知った。その結果として山中高等女学校のように勤労動員されていた
ために被害をこうむった人が増えてしまった。原爆が投下されることは
予測できなかったでしょうが、学生まで巻き込んでしまったことは広島
大学の学生である自分たちは忘れてはならないと思いました。
工・ 2 ・男 原爆については小学校のときからさんざん学習してきた
が、今日学んだ内容は今までと違っていて、具体的な広大前身校ご
との被害状況やマイナーな原爆遺跡など、僕にとって新情報が多か
った。特に、いつも行っている工学部棟に慰霊碑があり、さらには、工
学部の校門が、広島工業専門学校の校門だと知り、やはり広島大学
は戦争や平和について、どこよりも考えられているんだと感じた。たし
かに校門には『廣島』と古い字で書かれていて、歴史が感じられたが、
工学部棟自体はもっと新しくて綺麗なほうがいいなと想った。
工・ 2 ・男 原爆は世界の歴史としてもっと人々に知られるべきであ
ると思った。野間さんの文をよんで想像しただけでさえ、とても恐ろし
い状況なのに実際に被害を受けて生き残れた人たちの恐怖は、一生
忘れることができないものだと思った。広島・長崎だけでなく、世界中
が原爆、戦争は悪いことしか残さないということを、大人たちがしっか
り理解し、子供たちに教えていくべきである。悲しい過去から復活した
広島・長崎は素晴らしいと思う。そして二度と同じことが起きてはなら
ないと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校は広島市内にあったために原爆の被
害を直接受け、具体的にどれほどの人が被害を受けたかを知り、そ
の数の多さに驚きました。またテレビなどでもいまだに原爆の後遺症
に苦しんでおられる方などを見ていたので原爆というのは本当にむご
い平気なのだと改めて思いました。広島大学の歴代の教授たちが原
爆問題、平和問題について積極的に取り組んでおられて具体的な活
動内容についても知ることができよかったです。
工・ 2 ・男 私は前回も書いたが広島で生まれ広島で育ってきたの
で平和学習は人よりしてきたつもりである。しかしそれで十分だとは思
わない。今回の講義でも今まで知らなかったことがたくさんあった。被
爆者の手記や慰霊碑などは、小中高の授業や個人的に平和公園に
行ったりして何度も見たことがあったが、広島大学については初めて
知ったことばかりだった。特にレジメにあった座り込みの話の中の「精
神的原子の連鎖反応が物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」
という言葉は印象に残った。座り込みが本当に大きな結果を残したの
で驚きである。今後も平和学習についてはとても興味があるので是非
続けていきたい。
工・ 2 ・男 私は長崎出身で、同じ原爆被災都市としてどのような被
災状況だったのかを知りたかった。特に被災後の復興の軌跡を知り
たかった。広島大学の前身学校は写真で見る限り、跡形ですらない
ものから跡形はあるが、黒く焼け焦げているものもあった。その写真を
見て改めて原爆の恐ろしさを認識した。長崎もそうだが、広島の人々
の相当な努力により広島は次々と修復して行ったように思われる。そ
の中でも広島大学の果たした役割は大きかったようだ。それは都市
復興の手助けとなるだけではなく、後世に核兵器の恐ろしさ、戦争の
酷さや悲惨さを伝えるという役割もきちんと果たしていたようだ。それ
は広島大学のすばらしい歴史だと思う。
工・ 2 ・男 今まで自分が知っていた以上のすさまじい被害があった
とこの講義を聞いてわかり、自分の無知がわかって日本人として絶対
に知っておかなければならないことなので恥ずかしかった。また、世
界にもっと核の恐怖を伝えていかなければならないと思った。広島大
学ではいろんな取り組みをしているのを今日まで知らなかった。広島
大学の一員としてもっと原爆問題、平和問題について取り組んでいき
たいと思うし、取り組んでいくべきだと思った。これから世界に原爆の
ことをどうやったらより多くの人に伝えていけるかを考えながら学生生
活を送っていきたい。
工・ 2 ・男 今日の講義で配られたハンドアウトの中に書かれていた
さまざまな人たちの手記を読んでいて、改めて広島に落とされた原爆
の悲惨さや恐ろしさを実感した。また被ばく大学としての広島大学の
果たす役割は大きく、原爆放射能医学研究所や平和科学研究セン
ターなどの施設を建てて、末長い平和への研究をしていることも知っ
- 571 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
た。先日、平和公園の慰霊碑に傷をつけた人がいるというニュースを
していましたが、本当に信じれない行為だと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受け私が今まで考えていた以上に原爆は
これから先たくさんの希望を持った若者を奪ったと知り怒りがこみ上
げてきた。そして改めて二度と同じことが起こってはならないと思った。
そして広島大学の平和への取り組みを聞きそういったことを自分もや
りたいと思った。そういった取り組みの中で特に広大の元工学部教授
の佐藤重夫さんが行った原爆ドームの保存と言う取り組みに興味が
湧いた。建物を後生にのこしていくことで原爆の恐ろしさをより多くの
ひとに知らしていくこともできるんだなと知り、工学部でも平和への取
り組みが可能なんだと知り自分もそういった取り組みを行っていきた
いと思った。
工・ 2 ・男 まず資料の最初の文を読んでそれだけで痛ましいような
なんとも表現できないような気持ちになった。原爆のことは原爆資料
館にはなんども足を運んだことがるし、原爆にかかわる資料や文章、
漫画もたくさん読んできたがやはり暗い気持ちになった。広島大学に
入学することができたのに、広島に投下された原爆のことについて今
まで詳しくは学ぶ機会がなかったのでこのような講義を受けることがで
きて必ず何か自分のためになったしいろいろ考えることができた。広
島大学は総合大学であるという強みをもっていて、平和問題への取り
組みとして原爆放射能医学研究所というものを設置して研究に当た
っているということは広島大学の学生として誇れるものであると思った。
工・ 2 ・男 広島に原爆が落とされたことによって広島大学の前身諸
学校は大きな被害を受けた。広島大学理学部 1 号館も現存する主な
被災建造物の一つだということを知って原爆投下という問題がさらに
身近に、また深刻なものに感じ、今まで他人事としか思えてなかった
自分の心に深く訴えてきた。また、被災地である広島ゆえに広島大学
は原爆死没者慰霊行事など原爆と平和の問題に対する取り組みもち
ゃんとなされているとゆうことに感心した。自分もせっかく広島という地
に関わっていろからには少しでも原爆と平和の問題に興味を持ち、
何らかの行事にも積極的に取り組んでいこうと思った。
工・ 2 ・男 戦争が終わった後に得に広島県弟、色々な戦争をふせ
ぐためにの活動が行った。それで、多くの学者、平和の本を書いてい
ました。だったら、今時代の子供たちは、戦争のくるしみとくろうがわ
かるくなった。
工・ 2 ・男 広島出身のため、原爆については昔から話を聞いたりし
たが、広大の原爆被害はなんだか身近な感じがして、決して聞き流し
ていい問題ではないと思った。現在は戦争はなく、何の不安もなしに
大学生活を送っているが、当時の学生を考えるとものすごくかわいそ
うに思った。勉強するために入っても、戦争の兵器を作らされ、しまい
には徴兵され、戦場に行かなければならなかった状況を考えたから
だ。今日のような話を聞かないと、戦争について考えないだろうし、時
代とともに原爆が風化してしまうのがもっとも怖いと思う。そのため、慰
霊碑を作ったり、原爆死没者慰霊行事をおこなうことはよいことだと思
った。平和に暮らしている自分たちが何か行動を起こさないと、原爆
で死んだ人に申し訳ないし、後世に伝えるのは義務だと思った。講義
で出てきた人物をみならうべきだ。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校のほとんどが爆心地の 3 から 4Km
付近にあり、死傷者も多数、校舎はほぼ全壊というあまりにも悲惨な
被害状況に改めて原子爆弾の恐ろしさを感じると同時に、どん底の
状況から復興させた人々のすごさを思い知らされました。ここまで悲
惨な被害を受けながら、広島大学に慰霊碑がつくられたり慰霊祭が
行われるのがおくれたことはとても意外でした。また、「広島大学原爆
死没者追悼式」が、なあなあな感じになっているように講義を聞いて
思いました。これは良くないと思います。原爆の被害を受けた大学と
してもう少ししっかりと取り組むべきではないでしょうか。広島大学に
関連する個々の人々の平和運動はとてもすごいと思いましたが、大
学全体として行っている運動はないように感じられました。新聞社が
批判する余地がないほどの素晴らしい平和に関する運動、あるいは
講義などを期待しています。また、「過ちは繰り返しませぬから」という
碑文の主語はだれか、という論争が起きたことに僕はがっかりしました。
そんなもの世界人類全ての人々に決まっています。切に平和を求め
る気持ちでこの碑文は刻まれたはずです。人種とか国籍とか、そうい
う次元の言葉ではないと思います。ですから、この碑文は日本人だけ
が知っていてもダメなのです。アメリカ人もフランス人も中国人も全て
の人々がこの言葉を受け止め、平和を願わなければいけません。ま
ずは僕がもっと広大で平和に関して学んで行こうと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義で改めて原爆がもたらした被害がいかに残
酷で恐ろしいかということがよく分かりました。印象に残ったことは野間
洵子さんの「原点」という手記です。その中でも、「そして逃げて行く誰
かが、その人の地面にまでひきずっている皮膚を踏むと、その人はそ
のまま倒れて動かなくなりました。」という一文が特に印象的で、想像
するととても恐ろしく感じました。また、社説に書いてあった原爆慰霊
碑の碑文が傷つけられたというのには腹立たしく感じました。私はもち
ろん原爆投下当時はまだ生まれていないし、戦争というものもどこか
遠く感じてしまっているけれど、それでも戦争がもたらすのは悲しみの
他の何物でもないということは分かっています。だからこそ、私たちは
戦争や原爆がもたらしたものを学び、後世に伝えていく必要があると
思います。
工・ 2 ・男 広島大学入学時に受けた説明の中に平和に対する考え
や活動を紹介する部分がありました。それによって『ヒロシマ』の大学
であることを強く印象付けられていたためか、昭和 45 年の時点で原
爆死没者の慰霊碑がなかったということが自分にはとても意外なこと
のように思えました。もちろん今では多くの学者の方々が平和につい
て研究されているようで、自分も広島の人間として原爆と平和、そして
長年それに関わってきた広島大学についてこれからの講義でしっか
り学んで生きたいと思います。
工・ 2 ・男 私の母校の広島国泰寺高校(旧広島一中)では原爆によ
って被災したは生徒、教員延べ 200 人以上にものぼりました。毎年
本校で生徒、教職員による慰霊祭をしており、正門には被災した
方々の名前が彫ってあります。全日制の高校としては爆心地から一
番近く、それだけ原爆によってなくなった方々を悼んでいるのだと思
われます。すぐ近くには被爆して廃墟と化した旧広島大学理学部(広
島文理科大学)があります。それをみるたびに原爆の恐怖を感じます。
今日の講義を受けて広島大学が被災した方々へ何の行いもしていな
かったことに驚きました。広島に位置する大学なら平和に対する行動
をいち早く形あるものにするべきなのではないのでしょうか。平和記念
公園も原爆資料館も人々が「ヒロシマ」を忘れないために作ったもの
だと考えます。広島大学も平和行動の先陣をとって国際的な広がりを
期待したいです。
工・ 2 ・男 広島大学関係の人々が多大な被害を受けたことを知り、
戦争というより、原爆、核兵器と言う物の、恐ろしさを感じ、現代でも、
その可能性について、考えさせられます。また、広島大学の東広島
への移転が原爆の被害によるものだと知ったことも勉強になりました。
工・ 2 ・男 高校までで平和学習はやってきたが、広大の前身校が
どんな被害を受けたかは今回初めて習った。原爆によって多くの死
者が出て、建物も壊された。にもかかわらず、広島大学では慰霊祭な
どは行われていないという。これは嘆かわしいことだと思った。今では
慰霊碑や平和学習があるが、もっと早く作られるべきだったと思う。し
かし、被爆建物である旧理学部 1 号館が保存されているのはいいこ
とだと思った。ただ、実際に行ってみると分かるが、本当に放置されて
いるだけで、何の説明書きもないというのは残念だ。
工・ 2 ・男 実際に原爆の被害にあわれた方の生々しい手記や実際
のすさまじい被害の状況をとらえた写真などを見て改めて原子爆弾
の恐ろしさを感じた。今までに聞いたことのある話でも時間がたってし
まって忘れかけてしまっていたものもあった。それが今回また心にとど
めておくきっかけになったと思います。今の若い人やこれからの世代
の人たちにもしっかりと伝えていかないといけないことを実感しました。
人類が犯した過ちをこれから繰り返さないように過去を知ること、そし
て未来に伝えることをしっかりとしていかなければいけないと深く考え
させられました。
工・ 2 ・男 1945 年の 8 月 6 日に広島市に原子爆弾が投下された
のは、自分が小学生くらいの頃から知っていた出来事であって、今回
の講義は受講する前から興味のあるないようだった。実際、今回の講
義を受けてみて、原爆による人的、物質的被害がものすごいものであ
ったということがわかったし、広島大学による原爆死没者慰霊行事が
行われていることやこれからの平和問題への取り組みを知ることがで
きた。講義は若干難しいと感じたけれど、改めて平和ということの重要
性を知ることができてよかったです。
工・ 2 ・男 平和について考えている、専攻されている学者の方がた
くさんいられるということを聞いてやはり原爆がこの地に及ぼした影響
はとてつもなく大きくてそれだけにその時の悲惨な状況があったのだ
と感じました。この講義を受けた後には、広島大学に通ったものとして、
また一広島県民としてこのことを胸にしっかりと抱き、社会に出てもこ
の習ったこと、考えたことを忘れずに頑張っていきたいと思いました。
そしてこの事をもっとこの地から離れた所にも知ってもらいたいと思い
ました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受講して、まず考えたことは「被爆時の広
島の状況はどのようだったか」ということである。配布された資料を読
むと当時の状況が蘇ってくるようであった。私は広島県の出身で小学
校に通っているときから、原爆の悲惨さについて学んできたが、まだ
まだしらないことがたくさんあった。他県出身の者ならなおさらだろう。
時がたつにつれ原爆のことは忘れ去られていくであろう。これを防ぐ
ためには、被爆した建築物を取り壊さず、また、それを通して後世に
原爆の被害状況、戦争の悲惨さを語りつないでいかなくてはならない
と思う。
工・ 2 ・男 広島大学は原爆の被害を受けた大学として、国内で数
少ない存在であると思う。原爆があったことで、戦後の広島大学は今
までとは全く違うものにリニューアルされ、結果的に歴史の新しい学
校になったかもしれないが、広島大学の学生として原爆によってなに
がもたらされ、何を失ったかを知るべきだと感じた。その一環として被
ばくした教授や学生の手記にふれるというのは方法のひとつであると
考える。今後も、原爆の被害を受けたということを忘れず、次の世代
に伝えていきたい。
- 572 -
工・ 2 ・男 広島大学の前身となった学校のほとんどが直接被ばくし、
多くの犠牲者が出たことを知り心が痛みました。授業中に、もしも西条
に原爆が落ちて広大が無くなって、友達が居なくなってしまうことを考
えていたらゾッとしてきました。たくさんの命と学生の明るい未来を一
瞬で奪ってしまう原子爆弾はとても恐ろしいものだと思います。その一
方で、何の苦労もなく、平和に大学生活できる今の環境と時代に感
謝しなければと思いました。また、日ごろ自堕落な生活をしているじぶ
んを反省しました。今日の講義は本当にいいものでした。ありがとうご
ざいました。今後もこのような有意義な講義になることを期待します。
工・ 2 ・男 今回の講義で原爆の恐ろしさについて再び考えさせられ
た。そして、広島大学の前身校の教員や学生にも多くの死没者がい
ることがわかった。被害者の立ち上がりの遅れた原因は原爆を平和
の立場から取り上げようとした人々の側が当の原爆被害者の中から
引き出そうとせず、原爆被害者の団結と被害者の組織的な平和運動
に対してはあまり関心が払われはしなかったということは初めて知りま
した。そして、原爆のことを考えると同時に戦争についても考えました。
僕が生まれてからずっと日本は平和でしたが、最近、北朝鮮のテポド
ン問題で戦争という言葉がちらちら出てくるようになって怖いと思う。
戦争で生まれるものは悲しみや憎しみしかなく、メリットがないので世
界全体で協力してとめなければいけないと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、改めて広島が受けた原爆被害の
悲惨さを感じました。広島大学の前身校も被害を受けていて生徒や
先生の多くが亡くなったことを知りました。また、その当時に広島に留
学生がいて、その留学生も被害を受けていて、中には亡くなった人が
いたことを初めて知りました。また、何気なく見ていた工学部棟の門が
被爆していたものだと知り、身近なところにも原爆の被害を示すもの
があるのだなぁと驚きました。今回の講義を受けて新しく知ったことも
あったので、良かったです。
工・ 2 ・男 やはり、広島の話をするうえで原子爆弾を投下されたと
いう事実は外してはいけないことだと改めて実感した。広島大学の前
身校のほとんどが広島市内に建てられていたということで、そのそれ
ぞれの学校に通学・通勤していた学生・教職員が 8 月 6 日に被害を
受けてしまったのは避けられなかったことだと思う。その被災者たちに
対して、広大の教授が慰霊碑を建てていたという話が聞けてよかった。
ただその反面、被ばくの話をタネに施設の建設の資金を稼いだという
批判も存在したというのは知らなかった。そして残念に思う。
工・ 2 ・男 前回の授業を受けて、広島大学は戦後に出来た事もあ
って原爆の直接の被害は受けていない。しかし、広島大学の前身校
はちょうど戦時中にあった学校なので原爆の被害を受けた。その話を
聞いて私は広島大学は社会に学生を送り出す立場として、もっと学
生に平和ということについて伝えるべきだと思う。これは、広島大学に
しかできないことだと思う。事実、私も広島大学にきて原爆の被害に
ついて深く考えなかったし特別気にしていなかった。だからこそこれ
からは、広島大学の特色として原爆を落とされた所だからこそ学べる
ものがある、と思われるような大学になってほしい。
工・ 2 ・男 講義の前に考えていたように、広島大学と原爆の関係は
とても考えさせられるものだった。原爆が投下された時に学内にいた
生徒や、周辺の一般人などが一瞬にして死んでいったと資料にも書
いてあり、とても悲しかった。生徒の中には今と同様に海外からの留
学生もたくさん来ていたようで、いろいろな期待とか夢をもって日本に
勉強しに来ていたはずなので、本来もらうはずのなかった被害を将来
のために頑張っていたことでもらってしまったと考えると、とても残念だ
った。しかし、戦後の広大ではこんな被害があったにもかかわらず慰
霊祭などが行われていなかったらしく、今の僕たちに戦争の記憶があ
まり伝わっていないのは、そういったこともその理由の一つなんだと感
じた。
工・ 2 ・男 広島大学関係者における原爆問題・平和問題への取り
組みの中で、想像していたよりも多くの広島大府学関係者がかかわっ
ていることに驚いたと同時に、原爆が落とされた土地の大学の大学と
して誇れる部分であるとも思った。中でも、雑賀忠義元教育学部教授
が考案された原爆死没者慰霊碑碑文の「安らかに眠ってください/過
ちは繰り返しませぬから」という文に込められた、広島市民であると共
に世界市民であるという意味に深く感動した。
工・ 2 ・男 広島大学関係者には反戦、平和運動への活動を行って
いる人たちがたくさんいたことを知った。「安らかに眠ってください。過
ちは繰り返しませぬから。」の碑文をみて、パル判事が大いに怒り大
いに悲しんだことは有名だ。私の個人的な意見としては雑賀忠義さん
よりもパル判事の言っていることのほうが正論であると思う。世界で唯
一原爆被害を受けた広島市民として核廃絶・原爆の被害を世界に訴
えていくことは非常に意味があることであり、また伝えることが一種の
広島市民としての義務であることのように感じる。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校の教授や学生が多く原爆によって被
爆した事実をしりました。尊い命が失われてしまったことを残念に思い
ます。その被爆者の中に留学生も含まれていたことから、戦争の残酷
さを再び感じました。慰霊碑にかかれた「過ちは繰り返しませぬから」
という文の主語のあいまいさで日本人があやまちをおかしたように聞
こえるこの文章。これに賛否がわかれて霊碑を傷つけたという事件に
ついて、論争が激しくなり一番大切な弔う気持ちを忘れてしまってし
まった結果ではないかと思う。そうでなければ、慰霊碑に傷をつけたり
はできないと思う。本当に悲しい事件だと思った。
工・ 2 ・男 小学生のころから平和についてはいろいろと学びました
が、原爆が投下した時の状況を書いた手記や写真は何回見ても悲し
い気持ちになると思いました。広大を批判している文章もありましたが、
原爆死没者慰霊行事委員会など、やはり多くの研究や活動があるよ
うなのでよかったです。
工・ 2 ・男 この講義を受けて、改めて戦争や原爆の凄惨さを認識さ
せられました。たくさんの命を奪い、今もなお人々を苦しめている原爆
を、私たち広島大学の学生は忘れてはならないと思いましたし、伝え
ていかなければならないと思いました。また、大学としての対応は遅
かったかもしれませんが、多くの大学関係者の努力によって復興がな
されてきたことを、一学生としてうれしく思います。そして今も残されて
いる原爆の遺産は、広島大学が守っていくべきだと思いました。今の
キャンパスにも慰霊碑や被爆した建物の一部が置かれていることは
ほとんど知らなかったので、もう少し学生に紹介する機会があってもよ
いのではないかと思います。
工・ 2 ・男 私は広島県内出身なので、原爆については小学校のこ
ろから学んできました。なので、広島大学が原爆の問題に対しての取
り組みを行ったのが少し時間が経ってからだったというのが、すごく意
外でした。やはり、自分は広島大学のことを結構イメージで見ている
んだと思いました。広島大学は広島県を代表する大学だと思うので、
今後ももっと平和に対する取り組みを行っていくべきだと思いました。
自分も広島県民として、そして広島大学生としての自覚を持って、平
和に対する取り組みを行って行こうと思いました。
工・ 2 ・男 私は佐賀県出身であり、県外から来ているので広島は原
爆のイメージが強く、広島大学も平和や復興をアピールしているもの
と感じていた。なので、西条キャンパスに移転してきた最初の頃は原
爆に関係する碑などがなかったというのには正直驚いた。入学したて
の時に大学で最初に出された課題が平和に関するレポートだったの
を思い出し、これについてはさすがだなと感心したが、その後につい
ては平和に関する講義や催し物がないので、ここは改善すべきなの
ではと思う。
工・ 2 ・男 いま我々が住んでるのは世界でもはじめて原爆がおとさ
れた場所であることを、改めて実感することができた。この広島に住ん
でることによりほかの地域にすんでるひとの倍戦争の悲惨さ酷さをより
理解し後にこのようなことが起きないように十分に心がけていかなけ
ればならないと思う。今日この授業をいけ大学にはいってからわすれ
かけていた、戦争や平和についての考えがより大切なものだとおもえ
た。
工・ 2 ・男 山中高等女学校に圧倒的多数の原爆被害者がでている
とは全くしらず、戦時体制の勤労の厳しさもそこからよく覗えた。また、
現在の学長は式典や資料の挨拶文にも盛んに平和研究、平和希求
の精神について話されているので、広島大学の方針として戦後から
行われてきたのだとばかり思っていたが、慰霊行事も長年行われてい
なかったことは意外だったし、新聞で大いに批判されており残念に思
った。平和研究については広島大学および長崎大学にしかできない
ことも多いだろうから、大変意義のあることだと思った。
工・ 2 ・男 今まで原爆についての話などは聞いたことがあったが、
広島大学とのつながりを意識しながら講義をうけれたので、とてもおも
しろかった。また、前身となる大学が全焼しながらも、ここまで復興す
ることができたのは、すごく努力が必要だったのだろうと思う。そして、
慰霊碑に刻み込まれている「安らかにお眠りくださいー」の文章が広
島大学の教授によって書かれたということをしり、とても驚いた。原爆
と広島大学は色々な面で密接につながっているということがわかった。
工・ 2 ・男 まず、野間さんの「原点」という文章を読んで改めて原爆
の恐ろしさを感じました。広島に落とされた原爆によって、広島大学
の前身校の生徒や校職員に死者が出ているのに、大学での原爆死
没者慰霊行事が行われていなかったことに大変驚きました。原爆が
落とされた大学である広島大学が、これから先も原爆死没者慰霊行
事を率先してやるとともに全世界に非核兵器を訴え、原爆の恐ろしさ
を若い人達に教えていって二度と同じ過ちをしないでほしいと思いま
した。
工・ 2 ・男 学徒出陣などでも、文型の生徒よりも理系の生徒の方が、
(兵器を作る技術者を生むうえで)価値が高く見られ、先に戦場に出さ
れる文系の生徒の人手としかみられていなかった。という事実を聞い
て、日本のそのころは、今では想像も付かないような思想で動いてい
たのだろう、と改めて痛感しました。原爆での死者の数の表を見てい
て、思ったよりも死者は出ていないように感じましたが、だいたい 5 %
の生徒や教員が死ぬ、ということを考えてみると、あながち少なくはな
く、むしろ多すぎるくらいだと感じました。朝方に原爆があったために、
生徒が登校をしていなかったといえどもこの結果なので、昼ごろに原
爆があればどうなっていたことか、というのを嫌でも考えてしまいました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 広島大は広島にあったからもちろん原爆の被害をうけて
いたのだろうとおもっていたが具体的にどのような被害を受けたかは
知らなかったので今回この機会に知れてよかった。昔の大学生は今
の自分たちとはほとんど年齢が変わらないのに勉強をすることができ
ず、戦争に行かなければいけなかったのはとても残酷なことだと思う。
広島大学は原爆の被害から立ち直り復興を果たしてきたことを広島
大学の学生として誇りに思った。
工・ 2 ・男 広島に原爆が落とされたことによって、広島大学は平和
活動を積極的に行わなければならないという責任があるのだと改めて
考えさせられた。僕自身もそのことを自覚して行動したい。
工・ 2 ・男 戦争や原爆によって、広島大学にどのような被害があっ
たのか知って、改めて戦争、原爆の恐ろしく悲惨であると思いました。
僕は岡山出身なので、広島に平和学習に行ったことがあったのです
が、広島大学の被害については全く知らず、学徒動員され、勉強、研
究させてもらえなかったり、戦争によって、学生たちは勉学できなかっ
たことについて初めて知りました。そのことを考えると、今広島大学で
平和に勉学に励むことのできる私たちは本当に恵まれているな、と思
いました。
工・ 2 ・男 広島大学もかつては広島市内にあったということでやはり
原爆の被害をかなり受けていた。正直な話今までにあんな大多数の
広大関係者が、原爆の被害を受けて亡くなってるとは思わなかったし、
原爆の残酷さを改めて痛感した。被爆地である広島の大学に通って
いる自分に何ができるのだろう?ふと考えてみても正直答えは見つ
からなかったし正解なんてないのかもしれない。それでも広大に通っ
ていることでこうして原爆についての講義を受けたり平和公園に行っ
たりして感じるものがあるので、原爆の悲惨さを地元の知人とかに伝
えることくらいはできるのではないだろうか。そんなことを考えさせられ
た講義でした。
工・ 2 ・男 広島は原爆が始めて使用され、その被害は非常に大き
なものだった。私は広島出身なので小学校、中学校、高等学校では
必ず平和学習はあった。平和公園や原爆資料館にも何度も行った。
その中では被害の実態や核兵器の廃絶、戦争の悲惨さを学ぶことが
多かった。しかし、戦争責任についてはあまり考えることは無かったと
思う。確かに、国の情勢を鑑みれば、仕方の無いことだったのかも知
れない。戦争に反対などしようものなら、非国民として捕らえられ、重
い罰があった。そういうことからも考えて見ると、一人の責任ではない
と思う。この責任は講義の通り、大学にもあったかも知れない。今日で
は、戦争反対を唱えても、罰せられることもない。この責任は、平和を
願い、同じ過ちを繰り返さないことで、少しは果たすことができるので
はないだろうか。今日の講義で、今までの平和学習とは違った観点か
ら、平和について考える事ができたので良かった。
工・ 2 ・男 広島大学の前身となる学校のすべてで原爆による犠牲
者を出していることには非常に驚いたと同時に原爆というものの恐ろ
しさがわかったような気がする。また雑魚場町学徒隊については本当
に言葉ではあらわせないくらい惨たらしい被害であったので可哀想で
ならない。さらに野間さんの手記にあるような光景を想像するだけで
当時がどれほど悲惨であったのかが痛いくらい伝わってきて、逆に今
の我々はなんと平和な時代に生きているのかということを実感させら
れた。このように考えると、講義の中にもあったが今の我々も何らかの
形でこの出来事を風化させないような時間を持つべきなのではない
かと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義では、戦争によって広島がいかに多大な被
害を受けたかということが感じ取られました。しかも、自分たちと同じぐ
らいもしくはそれ以下の年齢の学生たちの多くが「学徒出陣」などによ
って、戦争に動員され命を落としていることは少し想像しがたいことで
した。被害を受けた学生の中には留学生も含まれていたということは
今回初めて知った事柄です。このように勉学にも思うように励むことが
できないという状況は極めて悲惨であると感じました。広島大学には、
原爆で亡くなった人々への慰霊碑があり、また、追悼式なども実施さ
れているようですが、たしかに戦争を知らない自分たちの年代の人に
とっては、これらのことは当時のことを理解する上でかなり重要なもの
であると思います。そして、広島大学の関係者に平和問題について
懸命に取り組んできた人が多くいるということもまたすばらしいと感じ
ました。
工・ 2 ・男 今回の講義は広島に住んでいるからには詳しく知ってお
く必要がある原爆についての内容だった。私たちの先輩方もやはり原
爆の被害に遭われており、そう考えるととても身近なものに感じられた。
講義でも扱われた工学部棟の近くにある慰霊碑はたびたび目にする
が、詳しく読んだこともなければ原爆による死没者を追悼しているもの
とも知らなかった。この授業を機にもっと平和について関心を持ち、
深く考えていかなければならないと思った。
工・ 2 ・男 まず今回の講義では、写真や手元にある資料で、当時
の状況が詳しく伝えわってきたと思います。私は長崎県出身で広島と
同じ原爆の被害を受けた県で育ってきて、それなりに平和学習や長
崎の原爆について多く学んできたのですが、広島の原爆の話を聞く
ことでより考えさせられるものがありました。一番身近に感じるものとし
て工学部棟にある門が原爆遺跡だということです。原爆によって残っ
た遺跡ということで、門を目の前にすると複雑な気持ちになると同時
に、この忌まわしき現実を伝えていく具体的なものになると感じました。
工・ 2 ・男 私は広島出身なので何度も平和学習、原爆についてな
ど学習してきたが、大学の視点からの話はやはり初めてだったのでと
ても興味深かった。大学の学長、教授、学生などの活動や言葉、文
章を知ることができてよかったと思う。中には今までの学習で知ってい
たものもあったが、広島大学の関係者によって書かれていたことは知
らなかった。今私たちに何ができるのかわからないが、少なくとも過去
にあったことを知り、後世に伝えていくことは広島に住む私たちの義
務だと思った。
工・ 2 ・男 原爆により広島大学の前身諸学校も多大な被害を受け
た。資料にあった、当時文理大副手であった野間絢子さんの手記は、
原爆の被害が生々しく語られており、原爆について生の恐ろしさは知
らないけれども、原子爆弾の恐ろしさを感じることができた。決して繰
り返してはならないし、廃絶にむけて被爆地である広島から声をあげ
て取り組まなければならない。広島にあり、前身諸学校が原爆の被害
を受けている以上、広島大学は平和との関わりが他の大学より深い
はずであるし、これからも平和へのメッセージを伝えていかなければ
ならないと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて思ったとは自分は広島出身なのに
戦争のこと原爆のこと原爆での被害についてほとんど知らなかったこ
とを改めて知ったことです。戦争から約 60 年たっている今原爆を直
接体験した方が少なくなっているため講演会などを大学で実施して
原爆の怖さを次世代の人にも伝えていくべきだと思いました。またこ
の講義で初めて知ったことは広島大学の前身校が被爆したにもかか
わらず平和問題の研究が広島大学の取り組むべき問題として検討さ
れていないことです。この問題については広島大学の生徒は知って
おくべき問題であるとともに取り組んでいくべき問題であると思います。
工・ 2 ・男 私は地元が広島県ではないので、原爆について学ぶこ
とは学校の授業で数回あった程度であった。しかし広島大学に入学
して、一年次に平和学習というものがあり、私は原爆ドームと平和記
念公園を見学しに行った。その時初めて私はヒロシマにおける被害と
原爆が残していったものに衝撃を受けた。そして今回の講義を受け
て、原爆と広島大学の歴史について学ぶことができた。広島は人口
の多い都市でもあり、前回の講義で学んだように、広島大学となる多
くの前身大学があった。しかし原爆という悲惨な兵器により沢山の学
生が被ばくした。私は広島大学に入学しヒロシマのことを学ぶことが
できよかったと思うし、これからもまた学んでいこうと思う。
工・ 2 ・男 配布された資料の手記を読んで、原爆の残酷さが伝わっ
てきました。つい先日に、原爆ドームや平和記念資料館に行ってきた
ばかりだったので、よくわかりました。そこでも気になっていた、「安ら
かに眠って下さい/過ちは繰返しませぬから」という碑文が、広大の
教授の方が考えていることに驚きました。個人としては、いい文だと思
っていたのですが、その主語について抗議があったことも驚きでした。
今回の講義で、原爆や戦争のことに力を注いできた広大の教授や、
犠牲になってしまった人達のことについて知ることができました。広島
大学と原爆の関係は、やはり重要なものだと思うので、これからももっ
と積極的に取り組むべきだと思いました。
工・ 2 ・男 原爆の恐ろしさや悲惨さはこれまでも知る機会があった
ので、よく理解していたつもりですが、今回の講義でよりその理解が
深まりました。私は横山英氏が論ずるように慰霊碑や慰霊祭などの形
式的なことをやるそれ自体ではなく、ヒロシマとのかかわりを考えること
こそが重要であると考えます。中国新聞による広島大学への批判とも
いえる社説などもあって、今現在の広島大学は平和への研究がさか
んに行われています。しかし、原爆慰霊碑損壊という悲しい出来事が
起きているのを見る限り、原爆をはじめヒロシマを考えるという意識が
薄れているの現状であるように思えます。これらを踏まえて広島大学
は先頭に立って、新たにヒロシマの平和を考え、学んでいくことが大
切であると私は考えます。
工・ 2 ・男 私は、広島大学には原爆死者の慰霊碑が無いと聞いて
驚きました。被爆都市の広島にある広島大学には慰霊碑があると思
っていました。野間絢子さんの「原点」読んで、原子爆弾が投下され
た時のリアルな現状が想像できました。物凄い炸裂音とともに一瞬に
して火の海に変わってしまう悲惨な状況だったと思います。こんな悲
惨な状況を全世界の人々に知ってほしいと思いました。また、広島大
学は戦争に協力する教員養成をしていたということで戦争責任がある
と思います。だから広島大学は平和に対する活動を積極的に行うべ
きだと思います。
工・ 2 ・男 原爆を落とされた広島大学の前身校がおおきな被害を
受けたことがわかりました。日本人だけでなくたくさんの留学生が犠牲
になったことを知りました。工学部にある慰霊碑はよく見るので知って
いたが、理学部には原爆が落とされた当時の建造物の一部が保存さ
れていることを知りました。この講義を受けて僕は、戦争、原爆にたい
しての無関心をあらためて気付かされました。広島大学としてだけで
なく、広島大学関係者が一個人として原爆、平和問題に取り組んで
いることを知ったので、僕は原爆ドームなどの資料館で平和問題につ
いて理解を深めたいと思いました。
- 574 -
工・ 2 ・男 今回で一番印象に残っているのは、もらったプリントに書
いてある『野間洵子さん』が書いている文です。晴れわたった、いつも
の空が、原爆によって簡単に消されものすごい被害になっています。
漫画やテレビでこのような状況を何度も見ていますが、やはり実際経
験した人が書いているものは、とてもリアルに感じた。語り手はやはり
ひつようだと思います。原爆被害の大きさにもとても驚きました。その
被害の中には、留学生も含まれていると知って、とても複雑な心境で
す。戦争をしている国への留学なんて考えられないなと思います。原
爆や戦争、そして平和と常に考えていかなければならないことが、自
分たちにはたくさんあるなと思いました。
工・ 2 ・男 死者数や規模というものに着眼した講義ではありません
でしたが、この大学の教授たちが原爆ののちにどのような行動をとっ
たのかなどが知れて、なかなかためになり、おもしろい講義だったと思
います。僕は知りませんでしたが、「絶後の記録」などの本が出され、
この原爆について後世にまでのこす行為はとてもよい事だと思います。
今からの時代原爆の被害を実際に体験した人たちがどんどん減って
いく中、本を通し悲惨さを知り、僕たちがこれを後々まで伝えていくこ
とが大切だと思いました。
工・ 2 ・男 長崎や広島の原爆資料館には第 2 次世界大戦中の遺
品などの資料がたくさん展示されている。しかし、 1945 年 8 月 6 日
に広島に原爆が落とされたときの学校の様子を語った資料はそう多く
はない。今回の講義ではそういう部分を学ぶことができてよかった。野
間絢子さんの手紙の中にある言葉をみると、みなが水を求めているこ
とや、道が血の海だったこと、道に何人もの人が倒れていることなどそ
のときの情景が容易に想像することができる。また、原爆の被害が日
本人だけではなく、外国人にも及んでいることが印象的だった。そし
て何よりもこの広島大学東広島キャンパスに戦争当時の遺跡があるこ
とがわかった。日頃何気なく見ているものもあったが、今後はその見
方も変わっていきそうな気がした。
工・ 2 ・男 広島大学に前身校はとても多大な原爆における被害を
受けたということは広島大学にとってはとてつもない損害であったん
だろうと思う。だが、その後に原爆によって被害を受けた数少ない都
市「ヒロシマ」として、原爆や平和に対する取り組みは素晴らしいこと
であり、私もそのような行事があれば参加してみたいと思う。世界各国
で内紛や紛争が数多く起こっているが、やはり平和な世界が一番で
あると思う。広島に生まれて広島に育ったものとしてこれからも平和に
ついて考えていきたいと思った。
工・ 2 ・男 広大に対して戦争責任や平和への取り組みが求められ
ていると初めて知った。そこから、人々が広大に求めている役割につ
いて考えさせられた。その一方で、大学という単位で何か行動を起こ
すのは難しいとも感じた。何らかの活動を起こすにしても、個人や小
グループにならざるを得ない。世間はそれでは納得しないのだろう。
だが、大学は意思統一された機関では無い。むしろ「大学全体で平
和活動を推し進めよう」と一枚岩である方が不気味だと思う。現実に
起こったことの知識や情報を蓄え、広げることも平和への取り組みだ
と思うし、その結果平和に対する活動が起こったならば、それは広大
が行った平和への取り組みと言っても良いのではないかと思った。
工・ 2 ・男 これまでの人生で何回も何回も広島の原爆について学
んできたがこういう広島大学を中心にしてまなぶのは初めてでした。
当時は広島市内にあった広島大学の前身の学校の生徒の多くの数
の人が亡くなっていたり今でも後遺症に苦しんでいる人がいるってい
うことを知りました。そういうことを踏まえると、現在の広島大学に慰霊
碑がないことは問題だと考えました。また勉強したくてもできなかった
前身広島大学の学生の人たちの分も自分たちが頑張るべきだとも思
った。
工・ 2 ・男 原爆投下により、広島が多大な被害を受けたということは
誰もが知っている事実ですが、その問題解決のために誰がどのような
ことをしたということは僕は知りませんでした。当時の広島大学の前身
諸学校もその被害の例外ではなかったと聞き、手記・写真に見る原爆
被災の状況で書かれていたところでは、原爆投下時の状況が大変鮮
明につづられていたため、原爆の恐ろしさがひしひしと伝わってきま
した。自分が今いる場所でも被害があったと聞き、本当に他人事では
ないように思えました。
工・ 2 ・男 広島大学と原爆については広島が実際の原爆被爆地で
あることから密接に関係していることはわかっていたが、当時では広
島大学が行った原爆への行いが批判的に取り上げられていたという
ことを知って驚いた。原爆というものは広島にとって目を背けることの
出来ないものの 1 つであるので、今回広島大学と原爆といったテー
マで講義を受けることができ自分の知識を増やせたことは広島に在
住し広島大学に在学している私にとって重要な経験だったと思う。
工・ 2 ・男 戦時中は勉強をしようと思って学校に入っても、工場に
動員されたり、戦況が悪化し授業が中止になったりでまともに勉強で
きなかったようである。現在私たちは、自由に勉強できとても恵まれた
環境であると思った。広島大学の前身校は、原爆によって多くの被害
を受け、中には数百人もの学生が亡くなってしまう学校さえあった。私
の通っている東広島キャンパスにも工学部の門や、理学部の扉など、
原爆の被害に遭いながらも残存していたものが残されていると知った。
私たちは、人類が起こした大変な過ちを忘れてはならないと思った。
工・ 2 ・男 まず、配られた資料の最初にのせてある、原爆被災の状
況の手記を読んで衝撃を受けた。やはり、直に戦争の様子を見た人
の手記なのでとてもリアルにかかれていて、とてもむごいものだと思っ
た。それと、配られた資料にも、「広大には原爆で亡くなった方達の慰
霊碑がないし、また慰霊祭も行われたことを聞かない」とかかれていて、
たしかにそうだなと今更ながらに思った。そして、被爆した建物を保存
していこうとしていることが書かれていた新聞記事にも感動した。
工・ 2 ・男 資料最終ページでの『原爆慰霊碑損壊』の社説で犯人
は、『過ちを犯したのは、アメリカだからこの文字は、気に食わない』と
述べていますが、その意見がとても気に食わなかったです。確かに戦
争において唯一の被爆国が日本であり、加爆国は、アメリカです。し
かし、戦争において勝・敗があるのは、至極当然のことであり、太平洋
戦争において日本への決着のつけ方が残念なことに最も凄惨だった
だけの話です。しかも当時の日本(天皇神聖・軍国主義・神風特攻)は、
最悪の結末を回避する機会を持ちながら自らに固執してあの惨劇を
招き入れた、といわれても否定できない思います。僕としては、戦争
終了時において一方的な罪というのは、殆どありえないと思います。
各々が自分の利益のためならあらゆる手段を使ってでもそれを手に
入れる、というのは当時の一、二次世界大戦においては、外れた考え
ではなかったと思います。なので、いまさら日本だけが被害者顔する
のは、いろいろとズレテル気がします。碑文の『過ち』は、原爆・日本
人・アメリカ人なんて括りでなく、たとえ原爆が使われることがなかろう
と『戦争』そのものを二度と人類が起こさないということを誓った文だと
思います。
工・ 2 ・男 わたしは、広島で育ってきたので平和学習はほかの都道
府県よりも多く経験していると思っています。それでもやはり、原爆を
直接経験しているひとの話しを読むと毎回原爆のすごさをひしひしと
感じます。昔の広島大学には原爆死没者慰霊行事がなかったと聞い
ておどろきました。広島大学原爆死没者数調査の数字を見てたくさ
んの広大関係者の方がなくなっているんだと改めて認識した。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて改めて思ったのは、原爆の酷さであ
る。広島大学生の教員と学生の被爆者人数が 1602 名ということで死
者の多さに驚いた。また広島大学は国立大学初の平和問題研究施
設を設置している大学ということで僕は、広島大学の中にある施設に
行って原爆の被害についてもっともっと学びたいと思いました。そして
せっかく広島大学に入学したのに去年は広島大学原爆死没者追悼
式に参加しなかったがこの講義を聞いて僕は参加したいなと思いまし
た。
工・ 2 ・男 原爆について実際に残されている手記をみると、今まで
何らかの資料や学習で原爆について学んできたこととを重ねてさらに
重いものだと感じた。小さい頃に原爆について学び、その時だからこ
そ感じられなかったこともあるが、大学生だからこそ改めて考えること
で見えてくることもあると思った。また、広島大学の前身校にも多くの
被害が出て、純粋に学んでいた人たちの思いも一瞬で消え去ってし
まったんだと思うとしっかり頑張らないといかないとと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義は戦争や原爆がテーマだった。自分は広島
生まれの広島育ちで幼いころから平和学習をうけており、自分の祖母
は原爆手帳を持っている被爆者(厳密には被爆後の広島に行っただ
けだが)なので今回の内容はすんなりと頭に入ってきた。友人にきい
てみると毎年毎年平和学習をするのは広島と長崎だけのようだった
のでこのような授業をもっとするべきだと思う。しかし人類はこのような
過ちを何度も犯しているのに戦争がなくならないところを見ると、己の
「欲」を最優先するのが人間なのでいくら頑張っても戦争はなくならな
いのせはないかという空しいような悲しいような思いにかられた。
工・ 2 ・男 原子爆弾による死傷者の数などの詳細な被害について
改めて知り、驚異の程を思い知りました。そして、自分は広島大学の
学生にも関わらず、知らないことが多すぎたなと思い恥ずかしく感じま
した。例えば、留学生にも被爆者がいたなど考えたこともありました。
今回の講義で最も印象に残ったのは、被爆者の方の作文です。読ん
でいると当時の状況が鮮明にうかんできました。原子爆弾投下からし
ばらくをえがいたはだしのゲンというマンガを読んで感じたことと少し
異なる感じで胸にきました。広島大学の被爆者に対する取り組みに
ついては世間から白い眼でみられているとききました。この講義をき
いて自分にできることをやってみようと思うようになりました。そして
人々がどのような努力をしたかということをもっと知っていこうとかんが
えています。
工・ 2 ・男 広島大学は原爆の被害を受けたという歴史があり、原爆
被災問題の研究と平和問題の実践に尽くしていくべき大学である。
原爆の恐ろしさは、今まで小学校から中学校、高校と学んできたが、
自分では想像も出来ないほどの苦痛や悲しみを広島の人々に与え
てきたと思う。自分の祖父も原爆被災者であり、いろいろな話を聞い
ておどろかされた。広島大学に在学する学生の一人として、広島大
学と原爆の深い関係をこれからも学んでいきたいと思う。
工・ 2 ・男
- 575 -
今回の抗議は広島大学と原爆出であったが、今更ながら
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
今僕がいるこの場所が原爆が投下されたまさにそこ『広島』なんだな
と思うと、不思議な感じがします。広島大学の役割はとても大きいと思
います。もちろん広島大学もその全身校で原爆の被害をたくさん受け
ているわけです。広島大学が総合大学であることをもっといかして世
界平和へ貢献していってほしいです。今、世界情勢はよくありません。
残念ですが、これから僕は戦争反対を旗を掲げていきたいです。
工・ 2 ・男 原爆投下とその被害に関して、今までにほとんど調査・
研究機関が設けられていなかったのは初めて知った。僕も広島に住
んでおり、小さなころから原爆に関する教育を受けてきたが、過去の
こととしてあまり気にとめていなかったような気がする。この大学に入
学し改めて原爆について考える機会ができてよかったと思う。原爆投
下は次第に人々の記憶から薄れていくだろうが、多くの被害者がいた
ことを忘れず真剣に核廃絶を訴えていくべきだ。
工・ 2 ・男 今回の抗議は、戦争について考えさせられました。広大
の前身である諸学校の教師・学生・生徒・児童の中にも被爆して亡く
なった人は多いと聞きました。昭和 47 年に広大に広島大学原爆死
没者慰霊行事委員会ができるまで広大で原爆死没者に対する慰霊
碑がないと聞いて驚きました。戦争の処理でそれどころではなかった
のかもしれないけれど、それでも被害になった人々のためにもう少し
早く慰霊碑を建ててほしいと思いました。広島大学は、原爆被害地の
大学として先頭に立って平和について考えていかなければと思いま
した。
工・ 2 ・男 広島に原爆が落とされ、街だけでなく広島大学になる前
の諸大学は物理的にも大きなダメージを受けた。広島大学自体が戦
争に協力したりもしていた。今となれば大学が戦争に加担するなど考
えられない事態であるが、戦時の日本の考え方では国民全員が戦争
に協力しなければならないので当然のことかもしれない。そもそも原
爆というのが日本に落ちたことにより人類が学んだことは大きい。それ
以前に被害も多大であるが。戦争をすること自体おかしな話であるが、
原子爆弾というのは絶対に使用するべきではない。日本は原子爆弾
を落とされて戦争が終わったのでよかったという人もいるがそれは私
は間違っていると思う。原子爆弾の恐怖を一番よく知っている日本人
が世界の諸国にも平和の重要さを伝えていくべきである。
工・ 2 ・男 広島は長崎と同じように、原爆が投下された都道府県で
す。その被害は計り知れないものがあったでしょうし、後々大きな傷跡
ものこしました。自分自身、深く考えさせられる部分が多くありました。
戦時は修業年限が短縮されたり、学徒動員などが実施されたりして、
学問に励む余裕などなかったと思います。今の生活とは天と地ほどの
差があると思います。留学生の被害も多々あり、むごいエピソードが
たくさんあって、読んでいて切なくなりました。そんな人々の慰霊行事
は今でも行われているので、機会があるときはぜひ参加してみたいで
す。
工・ 2 ・男 唯一の原爆国である日本の、その中でも一番被害の大
きかった広島の当時の状況について改めて知ることができました。今
回配布された資料の中で、当時実際に被害を受けた人たちの言葉
があり、それをみて僕はとても想像のつかない恐怖と痛みを受けたの
だなと感じました。原爆の被害はこの先永遠に語り継がれるべきであ
り、被害を受けた日本の人々だけではなく、世界中の人々が覚えて
おかなければならいことである。そのためにも、唯一原爆の被害を受
けた広島大学が中心となって、全世界に向けて、二度とこのような惨
事を起こしてはならないと訴えかけなければならないと思います。
工・ 2 ・男 今回、平和ということで 1 コマの講義をうけましたが、広
島に落とされた原爆、平和ということについて深く考えさせられるもの
となりました。広島というのは世界でも有名な原爆ドームなどがあり、
平和象徴の原点でもある都市だと私は思っています。原爆被害という
ものを、身をもって体験し、世界に伝えていかなければならない義務
も背負っていると思います。今回の講義で、改めて原爆のこわさ、そ
して平和というものを学ぶことができ、広島大学に来てよかったなと思
えることができました。この講義を取ってよかったと思います。ありがと
うございました。
工・ 2 ・男 原爆がもたらした悲惨な事実について改めて考えさせら
れたとともに、そこから復興した広島という街の生命力が凄いと感じた。
そして、広島大学の原爆との関わりや考え方を知って、広大と原爆に
ついてまた新しい考え方ができた。
工・ 2 ・男 この講義を受けて一番に思ったことは、やはり原爆の恐
ろしさ、悲惨さを後世に残していくために、慰霊碑や被爆建物を大切
にしていくことが重要だなということです。昔の人たちは、座り込みな
どをして、政府に相反する態度をしめし、平和に対する意識をしめし
ていたことが、本当にすごいと思った。批判とかもあるはずなのに、そ
れらも気にせずに自分の意見を貫いたのが素晴らしかったです。自
分たちの代になっても、そのような気持ちを忘れずに生きていってほ
しいと思います。
工・ 2 ・男 広島で原爆といえば有名ですがそのときの広島大学に
ついては全く知りませんでした。広島の原爆の被害者の話は中学校
から聞いてきました。一瞬にして大勢の人々の命を奪った原爆はとて
も想像できないものだと思いました。そのことをこの授業で改めて認識
させられました。同時に少し不安にもなりました。北朝鮮のミサイル問
題や核の所持などまだ解決できてない問題を解決しなければ同じ過
ちは起きてしまうと思いました。今回の講義で今の平和について本当
にありがたく思えました。
工・ 2 ・男 今回は広島の歴史では忘れられない原爆投下により広
島大学がどのような被害を受けたか、また、その後の慰霊祭などの行
事についてや原爆問題・平和問題についてでしたが、自分は広島出
身だったので原爆の話はよく聞かされていましたし、平和記念公園や
旧広島大学にはよく行ったことがあったのでとても興味深く講義を受
けることができました。原爆を受け原爆症などで今も苦しんでいる人
がいる現世で、広島大学からも多くの関係者が原爆問題について多
くの取り組みをしてくださったりしていたり、たくさんの委員会や研究
所が発足した話を聞いて、自分も広島に住む者としてもっと深く原爆
のことを知り原爆の危険性を少しでも多くの人々に知ってもらわないと
いけないなと改めで実感しました。
工・ 2 ・男 今回の講義テーマである原爆と広島大学というのはやは
り広島大学の歴史において一番大きな出来事といってもおかしくない
ぐらいのもので、広島大学にいる人間としては知っておかなくてはい
けないものなのでこういう機会があって本当によかったです。広島大
学ではやはり前にこういうことがあったで終わらせることなくこれからの
平和についてもとりくんでいっていることも知れよかったです。また今
この大学にいる自分はこの問題にどういうふうにしていくべきかも考え
なくてはとおもいました。
工・ 2 ・男 自分は広島県出身なので、被爆のことについては小学
生のころからいろいろな勉強や講習会などを体験してきましたが、と
てもためになったと思います。今まででは、被爆者の方たちから生徒
の立場でのお話は何回か聞いたことがあってのですが、今回の講義
ではある程度特定されていたとはいえ学校からの視点という新しい観
点からの話を聞くことができました。また、広大で原爆の慰霊祭をやっ
ているというのは初耳だったので、今年は実家のほうに帰っていなけ
ればどんなものなのか見に行くのもいいのではないかと思いました。
工・ 2 ・男 講義を受けてなにより衝撃的であったことは、戦後 20 年
まで広島大学には慰霊碑も追悼式も行われていなかったことです。
広島で原爆を受け、そのときの広島大学の在学生も被爆しているとい
うのに、そういうことをしないというのは不思議でした。昔から私は、広
島に住み 8 月 6 日には 8 : 15 の黙とうをしていたので、広島大学が
何もしていなかったという事実は、悲しかったしプリントの中国新聞の
記事にもありましたが戦後 20 年からあせって地元の原爆問題を取り
上げることはよくないと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、まず原爆が落とされて長い間広島
大学に慰霊碑や慰霊祭がなかったことにとても驚きました。今でこそ
平和に関する授業やイベントが沢山行われており、更に原爆放射能
医学研究所や平和科学研究センターなど様々な原爆に関する施設
がある広島大学だったので、とても意外だと思いました。他に碑文に
書かれている内容も今まで注意して読んだこと無く、碑文の内容によ
り問題が起きたことも知りませんでした。今一度この授業を踏まえて熟
読しようかと思いました。
工・ 2 ・男 小学生の頃にはだしのゲンを読んだり、修学旅行で原爆
資料館をみたりして、原爆のひどさについては少し勉強していたが、
やはり多くの前身校の学生が亡くなっていることを、具体的な数字で
知り、新ためて原爆のひどさを再確認した。広島大学では、様々な平
和問題の取り組み、例えば東雲分校子供を守る会の原爆孤児精神
養子運動などの活動をしていて、平和への意識の高さがうかがえた。
これからは、平和であることの重要さをよく考えながら、大学生活を送
りたいと思った。
工・ 2 ・男 私は広島出身なので、何度か聞く機会はあったが、やは
り何度聞いても原爆で被害を受けた人たちの話はむごく耳をふさぎた
くなるようなものであるが、やはり戦争を繰り返さないためにも、その話
に目をそらさず、真摯にうけとめなければいけないと思う。広島大学は
原爆の被害にあった人たちを支援する運動をしたり、被害者の権利
を守るために行動起こしていることが分かり、社会の中で広大がはた
すべきことをはたしていることに感心した。
工・ 2 ・男 今回の講義を受講して、広島大学と原爆との関わりが想
像してた以上に深かったことに感銘を受けました。例えば、留学生の
原爆被害です。このような事実は今まで知らなかったし、考えたことが
なかったことなのでこの資料に関しては、やはり広島大学だなあと思
いました。また、広島大学の平和問題や、原爆問題への取り組みの
規模の大きさにも改めて感心しました。自分も広島大学の学生の一
人として戦争や、原子爆弾の悲惨さについて真剣に考えていこうと感
じた次第です。
工・ 2 ・男 平和問題への取り組みにおいて、医学的な面での取り
組みはもちろんあっただろうと予想していましたが、原爆ドームの保存
工事にも広島大学がかかわっていたことは知りませんでした。また、
教育的な面でも、元教育学部の教授が「原爆の子」という本をつくり、
世界十数ヶ国語に翻訳されるなど素晴らしい功績を残しており、少し
誇らしく感じました。僕は今回の講義をうけ、これから広島大学生とし
- 576 -
て、すこしでもこの平和問題への取り組みにかかわっていきたいと思
いました。
工・ 2 ・男 今回の講義で感じたことは、原子爆弾が広島大学の歴
史のなかでおおきなポイントなっているのは確実だった。他の大学と
は違い被爆した経験がありそこからの復興のシンボルとしての役割を
果たしてきたのだと感じだ。また、戦前でも日本の教育の中心的役割
も担っていたというもの印象に残った。多くの優秀な卒業生を輩出し
ていて、日本の繁栄に大きく貢献していたと感じた。そのような、歴史
があるなかで、これからは社会のために何ができるか考えたい。
工・ 2 ・男 地元にいたときはここまで原爆について学ぶことはなか
ったので、今回の講義でここまで色んな視点からの状況を知ることが
できて、とてもタメになりました。原爆遺跡として工学部や理学部にも
残っていることについて、やはり自分が被災地に来ていることを実感
すると同時に、原爆の悲劇を改めて実感しました。現在でも様々な慰
霊行事が行われているのを詳しく知り、私も一度は参加してみようと
思いました。これからも永遠に引きずる歴史となっていくのだなあと実
感しました。
工・ 2 ・男 今回の原爆と広島大学という講義を受けて考えたことは、
広島大学には原爆死歿者のための慰霊牌や慰霊祭がおこなわれて
いないということは、どうなんだろうって授業を受けて思いました。原爆
にあったこの広島は、官庁・学校・事業所などは原爆のため死歿した
人びとの慰霊や記念のために、数多くの牌が設けられている。しかし
この広島大学の前身である諸学校の教員や生徒の中にも被爆して
死んだひとも数大いはずなのに、その人たちのための慰霊牌や慰霊
祭がこの広島大学には存在しないということはどうなのだろうか。と思
いました。
工・ 2 ・男 僕はこの講義を聞いて最初に思ったことは、戦時中に原
子爆弾が落とされたことが今の広島大学に大きな影響を与えている
のではないかということです。僕が、入学したときから平和学習という
ものが始まり原爆資料館に行っていろんなことを見て感じてきました。
このような取り組みは、原爆が落ちた広島の大学だからこそできること
だと思うし、もっと平和学習に取り組むべきだと思った。 2 度と同じ間
違いを犯さないために原爆そして戦争を知らない僕達がこの悲惨さ
をしっかり学んでいかないといけないと思った。
工・ 2 ・男 ヒロシマと原爆は切っても切り離せない関係である。今回
の講義では、手記により当時の凄惨さを詳細に書き記すことによって
原爆の悲惨さを伝えるとともに、広島大学の原爆問題・平和問題への
取り組みを紹介することで、広島大学がヒロシマの国立大学として、
核とどう向かい合って行くかが我々学生に伝わったと思う。アメリカで
はオバマ大統領が、アメリカの大統領としては初めての核廃絶を訴え
るなど、核廃絶への進展も見られている。北朝鮮問題など、課題はま
だまだ残っているが、一日も早く核がこの地球から根絶されることを願
って止まない。
工・ 2 ・男 広島は世界で初めて原子爆弾が投下された都市である
ので大学でもその恐ろしさを多くの人に知ってもらうよう取り組んでい
くべきだと思う。なぜなら原爆の怖さを真に伝えられるのはその被害
者しかいないからだ。世界では原爆を保有することがさも軍事力の象
徴かのように思われているかもしれないが、これは間違いなく誤りだ。
もしそんなもので戦争でもしたら人類規模で多大な被害を被ることに
なる。もしものためにという考えで原爆を所持するのはやめてほしい。
今後、科学技術はさらに進歩していくだろう。もしかしたら原爆より凶
悪な兵器が生み出されるかもしれない。だからそういうもののあり方を
もっと真剣に考えていかなければならないと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて原爆による被害や恐ろしさについて
改めて感じました。前進校の先輩方や被害を受けた人々の安らかな
眠りをお祈りしたいです。広島大学全学としては原爆に対しての動き
は遅かったのに驚きを感じました、ですが、大学人として個人で多く
の方々が慰霊碑を建設したり、ドーム保存など様々な平和活動をして
きたことはばらしことだと感じました。私は県外出身ですが広島大学
の生徒として原爆のことをさらに学び、教訓としてこれから考えて生活
していきたいと思います。
工・ 2 ・男 今でこそ大学構内に慰霊碑があるのは至極当然だろうと
思っていたが、建てられた当初は、その時期について批判的な意見
が多かったという事実には驚いた。そのような中でも、個人による平和
への取り組みは、碑文への考察、座り込みなど、さまざまな形でなさ
れていたことを知り、広島に根付く平和を希求し、願う精神の深さを改
めて確認できた。確かに「広島大学」としての表立った活動はあまり見
られなかったかもしれないが、悲惨な状況から復興し、今現在の規模
へと成長を遂げた広島大学の姿は、少なからず市民の心の支えにな
ったであろうと思う。
工・ 2 ・男 僕は一度、平和公園に行ったことがあって、原爆がもたら
した被害を感覚的に知ることができました。その時は、何とも言えない
悲しみだけで、ただ気分が悪い感じでした。今回の抗議を受けて原
爆の被害を感覚的にだけでなく、いろいろな資料をみて知識的に知
ることで、被害の大きさ戦争の残酷さを知ることができ、この平和な世
界に生まれたことのありがたみをかんじました。
工・ 2 ・男 戦争や原子爆弾と聞くと、どことなく遠い存在のように感
じていたが、今回の授業を通して真剣に考えることができた。今、僕
は広島に住んでいるが広島の原爆ドームに 1 回しかいったことがな
い。あまりに身近なところにあると、逆に行こうという意識にはならない
のかもしれない。この大学生活で何度か足を運び、戦争と平和につ
いて考える機会を積極的に設け、原子爆弾の悲惨さを感じ、今後平
和とはどあるべきなのかを考えていきたいと思った。現在、他国で核
の保有についての議論がされているが、今回の授業をとおして、私は
世界が一斉に核を手放すべきだと痛感した。今後、世界が一日も早
く「平和」と自信持って言える日が来ることを期待する。
工・ 2 ・男 僕は広島出身で原爆や平和についての授業を多く受け
てきました。しかし、戦時体制下の大学の状況で修業年限が短縮さ
れたりしているとは知りませんでした。また戦時中の大学に留学生が
来ていることも初めて聴き驚きました。亡くなった人は日本人だけで
はないことをとてもショックでした。僕は工学部ですが、毎日見ている
はずの校門が被爆建造物だとは知りませんでした。こんなにも身近に
原爆に関するものがあるんだと感じ、講義を聞いた後からは以前と違
った目線で周りを見よう思いました。
工・ 2 ・男 全国でも原爆の被害を受けたのは広島と長崎しかなくて、
特に広島は最初に原爆をおとされたことで有名で原爆ドームや平和
資料館などの建物があるのは、ある意味いいことなのではないかと思
う。原爆が落ちたことは事実であり変えられることはできないので広島
は原爆のことを世界に広めていく必要があると思います。広島大学に
来たのだからそういった原爆のことに関して触れるいい機会だとおもう
ので、平和について考えることも大事だと思う。
工・ 2 ・男 今回の授業を受けて、広島大学の前身校が原爆によっ
て受けた被害について知ったのと同時に改めて原爆被害がどれほど
ひどいものだったかというのをを痛感した。さらに、広島大学関係者に
よって、被爆者援護運動や原爆による被害がいかにひどく、これが過
ちであることを未来に伝えていく活動が行われてきたこも知った。私
は、原爆による非常に大きな被害を受けながらどうやってで広島大学
が誕生していったのかしりたいと思った。
工・ 3 ・男 ほかの大学と比べ広島大学にとって原爆はとても関係の
深いものです。広島大学の前身諸学校は甚大な被害を受けた学校も
多く、そこで被害を受けた人も大勢います。広島大学にはそういった
歴史を受け継いでいく使命があると思います。もちろん広島大学に限
らず、日本や世界の人々にとって忘れてはいけないことだと思います
が、広島大学が世界の先頭に立って歴史を後世に伝えていってほし
いと思います。広島大学や日本、世界の一員として平和について考
えることがまずは第一歩だと思います。
工・ 5 以上・男 私たちは戦争の時代を生きていないので現実味は
ありませんでしが、原爆の被害はとてつもないほど大きかったことを、
今回の講義で感じました。最近では、北朝鮮の核ミサイルの発射実
験のニュースなどを見て、また同じことを繰り返すことになってしまうの
かと心配しています。原爆の威力は人間の手に余るものだと思います。
広島は被爆地として戦争のむなしさや原爆の恐ろしさについて後世
に伝えていくことが重要だと感じました。今後核が廃絶される日が来
ることを期待したいと思いました。
歯・ 1 ・女 私は静岡県出身で、正直に言うと原爆についてはほとん
ど何も知らないし、原爆が投下されたことと広島大学の歴史の間にど
のような関係があるのか疑問に思っていました。しかし、今回の講義
を聞いて、原爆が投下されたことと広島大学の歴史には深い関係が
あるんだなと感じました。授業を受けている最中に原爆の被害にあっ
たりと、今の自分にとってはとても現実とは思えないようなことばかりで、
ショックを受けました。しかし、そのような多くの壁を乗り越えてきた広
島大学に今自分が在籍しています。他の大学とは違う歴史を持つ広
島大学に誇りを持つべきだなと思いました。
歯・ 1 ・女 私は山口県出身で小学生の頃に修学旅行で広島にきま
した。そのときの事前学習として平和について学びました。まだ小学
生ということもあり大まかな事しか知識として頭に入ってなく、今回の
講義で細かいこと(各学校の死者数など)を学び、改めて戦争の悲惨
さを思いました。そして戦争が終わった後でも碑文などで様々な論争
などが起きたというのを知り、戦争はそのとき限りの問題ではないなと
思い知らされました。また、広島大学に入学したのも何かの縁だと思
うので時間があれば原爆の事について調べてみたいと思います。
歯・ 1 ・女 わたしは、歯学部に所属しているので、原爆放射能医学
研究所を見た事もありますし、広島大学のイメージとして、平和を大
切にしている大学という印象があったので、広島大学の無関心さのよ
うなものを中国新聞の社説で批判されていたということを講義で聞き、
資料にもその記事の文章が載っていて少しショックを受けました。しか
し、理学部などで、被爆した建物の一部が残されていたり、また、懸
命に残そうとした人がいたことを知って、少し誇らしく感じました。
歯・ 1 ・男 私自身が広島出身なので、平和学習ということで学校で
も広島と原爆についてはよく勉強してきたつもりだった。しかし留学生
が被爆していたことなど、今まで習わなかったし、知ろうと思ってもい
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
なかったことばかりで反省しなければいけないと思った。講義の中で
挙げられた「オマールさんを訪ねる旅ー広島にいたマレーシアの王
子様」は是非読んでみたいと思う。また、広島大学内に慰霊碑がある
ことも初めて知った。前身校には多くの同年代の犠牲者がおり、どん
な思いで最期を迎えたのか、残された遺族の気持ちはどのようだった
のか、私なりに考えて慰霊碑に黙祷しに行こうと思う。
生生・ 1 ・男 原子爆弾が広島の町に大きな被害を及ぼしたのは知
っていたけれど、広島大学にも被害が及んでいたことは知らなかった。
日本に留学していて被ばくした人もいて、戦争は本当に無差別に人
を不幸にさせるものなんだと思う。講義で戦争に向かう風潮に従った
大学にも責任があると聞いて、そういった風潮に異をとなえるのは難
しいが、従うだけではいけないと思った。
生生・ 2 ・女 広島大学で原爆死没者慰霊行事が行われていなかっ
たということは、とても驚いた。広島は世界で初めて核兵器が使われ
た場所である。広島大学はそのような場所にあるのだから、世界に平
和を訴えていく重要な役割を果たすべきだと思った。戦後六十数年
が経ち、私もだが今ほとんどの人は戦争や原爆についての知識が少
なく、過去のことだと思っている人も多くいると思う。しかし、二度と同
じことを繰り返さないためにも、戦争や原爆についての教育にもっと
力を入れて戦争のむごさ、無意味さを伝えていかなければならないと
思った。
生生・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学の生徒や教職員とは
言っても過言ではない人たちが被爆していることを考えて、私たち広
島大学の生徒は原爆について学び、平和問題にもより一層学ぶべき
だと思った。私は広島に長く住んでいるので原爆についての平和学
習を毎年受けてきた。だが、大学ではもちろん他県出身の人も多く、
原爆投下された日時、 8 月 6 日 8 時 15 分も知らない人が多数いて
驚いた。原爆や戦争が過去のものと認識され始め、無関心にならな
いためにも、被爆した県の総合大学である広島大学が、広島、長崎
での極まりなく恐ろしい惨状を、二度と繰り返してはならないという意
識を育むことに大きく貢献していかなければならないと思った。
生生・ 2 ・女 小学校の頃から平和に関する授業を受ける機会は
多々ありましたが、その度に広島に原子爆弾が投下され、大きな被害
を受けたという話は必ずといってよいほどされてきました。実際に修学
旅行で平和記念公園や資料館を訪れることもあったので、原爆の被
害の悲惨さは何度も感じてきました。当時、まさか自分が広島の大学
に通うとは思ってもいなかったので、原爆については以前よりも身近
なものに感じています。戦争は 60 年以上前に終わっているけれど、
戦争によりたくさんの犠牲者が出たこと、そして広島に原爆が落とされ
たという事実は消えません。そしてこの広島大学にも、そうした戦争の
被害を受けて、戦後も様々な活動を行ったりと先頭に立って平和も主
張し、亡くなられた方々の慰霊も進めていた教授たちがいらっしゃっ
たことを知り、誇りに思いました。私も戦争や原爆についてまだまだ知
らないことはたくさんあると思います。もっと知りたいと思うきっかけが
今日の講義でできたので本当に良かったと思っています。
生生・ 2 ・女 私は広島出身なので、原子爆弾については小さいこ
ろから毎年勉強してきたテーマだった。しかし、今まで広島大学を主
軸において考えたことはなかったので、また新たな気持ちで話を聞く
ことができた。被爆者の文章などは何度読んでもその痛々しさになれ
ることはなく、そしてなれてしまってはいけないものだと思う。また、興
味をもったのは留学生の人々についてだ。現在、海外から広島大学
に勉強しにきている留学生の姿は珍しくはないが、 50 年以上前から
のことだとは思わなかった。改めて広島大学の歴史にふれた気がし
た。
生生・ 2 ・女 私の出身は広島県なので、小学校・中学校・高校と平
和教育をずっとやってきています。その中でも、実際に原爆を体験し
た方のお話を聞いたことが、とても記憶に残っています。しかし、近頃
では原爆を体験した方がどんどんお亡くなりになり、若い世代に原爆
の恐ろしさを伝えることが難しくなっています。このことを改善するため
に、原爆資料館では、原爆を体験した方の話をビデオにとって自由
に見られるようにするなどさまざまな工夫を凝らしています。県外から
来たすべての人に、一度は原爆ドームや原爆資料館を訪れ、何かし
らを感じてほしいと思いました。
生生・ 2 ・女 私は広島県出身なので、今まで何度も原爆に関する
授業を受けてきましたが原爆孤児について、今回の講義で初めて知
りました。単に死没者の数や建物被害を取り上げてきた今までの授業
と少し異なっていたと感じました。広大は広島の大学として、県外から
来たがくせいやはもちろん、県内の学生にもっと深く知って考えてもら
うためにももっと原爆に関する平和学習のようなものが あってもよいと
思います。そして被爆タイルが東広島キャンパスにあることをほとんど
の学生が知らないと思うので、もっと積極的に取り組むべきだと感じま
し た。
生生・ 2 ・女 広島に住んでいて、また広島大学に通っているのだか
らもっと戦争のことについて考えるべきなのだと感じた。広島大学の
関連した原爆遺跡等は保存し続け、また悲惨さをつたえていくべきだ。
生生・ 2 ・女
書いた文を読んで、その時の状況を想像してみてぞっとした。実際の
状況は想像よりももっと残酷なものだっただろう。広島大学の全身諸
学校でも非常に多くの死没者が出た。当時わたしよりも若い学生たち
が勤労動員され、多くの命を落とした。わたしは今まで原爆投下のこ
とをどこか遠い昔の出来事のように感じてきた。今の日本は比較的平
和な状況にある。だからこそ当時の悲惨すぎる状況を想像することが
難しい。この講義を受ける以前から、原爆の被害について何度も話を
聞いたことはあるが、ここまで具体的な話を聞いたことはなかった。だ
から、この講義を受けて今までよりももっと身近なものに感じることがで
きた。広島大学は直接戦争に関わったわけではないだろうが、戦争
を協力するような教職者を送り出したのも事実だろう。そのことに関し
て私たちは忘れてはいけないと思う。このようなことがもう二度と起こら
ないためにも広島大学は平和問題について取り組んでいかなければ
いけない。
生生・ 2 ・女 今回の講義を受けて一番印象に残ったのは、戦争に
おける広島大学の責任のことについてでした。当時の風潮からして仕
方がないことではあったとはいえ、戦争思想を叩きこまれた教師をた
くさん育成したり国体学の講義を開講していたことは戦争を助長し、
間接的にではありますが原爆で多くの犠牲者を出す結果になったと
も考えられます。特に広島大学の前身となった学校の多くは教育系
に力を入れた学校でしたから他大学よりもその影響は大きかったかも
しれません。戦争における大学の責任という発想が今まで自分にな
かったのでこのことは大変衝撃的でした。また前回の講義での広島
大学の前身校についての知識が今回の講義の内容とも関連してい
てより理解しやすかったと思いました。
生生・ 2 ・男 配られた資料の始めに記載されていた女性の手記を
改めて読みかえしました。そしてまた、原爆のむごさを感じました。今
こうして私達が踏みしめている場所もきっと原爆投下時には少なから
ず被害を受けていたのでしょう。また、原爆によっていったいどれだけ
の私達と同世代の方々が犠牲になったのでしょうか。前回の講義で
広大は最も多くの前身校を誇る大学だと学びました。ということは、原
爆によって命を落とした先輩が非常に多いということでもあります。あ
りきたりですが私達はこのことを決して忘れてはならないと強く感じま
した。
生生・ 2 ・男 今までも平和学習等で原爆とその悲惨さについては
聞かされてきました。しかし、何度聞いてもその悲惨さになれることは
なく、聞くたびにぞっとします。また、広島大学に原爆被害者の慰霊
碑があるのだろうかなどと考えたこともありませんでした。原爆を落とさ
れたという日にはいわれるがままに手をあわせ、目を閉じ、黙祷する
だけでした。広島大学に入学し、平和学習を繰り返していても自分の
中で他人事になってしまっていることに改めて気づかされました。この
授業を通して少しは被害者の気持ちに近付くことができたような気が
します。
生生・ 2 ・男 原爆とは全くの無縁である私達が、原爆を体験した人
の体験記を読むというのは大変有意義であると思います。小さい頃か
らの平和学習により、原爆が投下されたときの状況やらその後の後遺
症の悲惨さなどは、聞いていました。しかし原爆孤児や投下後の生活
などがいかに大変で悲惨なものだったかは、今回の資料を読むまで
分かりませんでした。また広島大学に原爆死没者慰霊行事がないの
はおかしいと思いました。広島を引っ張っていく大学としては、必ず
必要なのではないでしょうか。
生生・ 2 ・男 今回の講義を通して、原爆の多大なる被害と広島大
学の学生の原爆に対する意識の低さに驚いた。私は長崎県の出身
なので、原爆の恐ろしさと悲惨さは分かっているつもりである。しかし、
大学では原爆について考える機会がないので、大学生になってみて
原爆について広島で初めて考えたが、広島大学、および学生はもっ
と原爆について関心を持ち、学校全体で原爆について向き合ってい
くべきだと感じた。大学という所はさまざまな地域、国の人々が混在し
ている。だからこそ、多くの人々に原爆の事実に向き合う機会が必要
だと考える。今回も講義はすごく重要な講義であったと思う。
生生・ 2 ・男 広島大学の関係者が、原爆を未来に伝えていくことや、
核廃絶のための運動に関わっていたことを学び、広島大学の学生と
してうれしく思った。また、自分は一年間、広島大学で過ごしているの
に授業で紹介された、大学内にある様々な展示品に気がつかなかっ
たのを、残念に思った。時間がある時にでも見に行こうと思った。また、
自分は原爆慰霊碑について何も知らなかったし、碑文の内容につい
てもはじめて知った。とても奥深い思想で、全世界の人々が核廃絶を
誓わなければならないという強い思いに共感した。
生生・ 2 ・男 私は小さいころから広島に住んでいたので、実際に被
爆者の体験を聞いたり学校で平和について学習する機会が多かった
が、広島大学の教授が碑文を考案していたということは今日の講義で
はじめて知った。その碑文には「安らかに眠ってください 過ちはもう
繰り返しませぬから」と書いてあり、このことが主語があいまいであると
いう理由で論争にまで発展したみたいであるが、私はこの碑文を考
案した故雑賀教授は核兵器の廃絶を誓わなければならないのは、原
爆投下にかかわった人々だけでなく全世界の人々であると考え、あえ
て主語を書かなかったのだと私は思う。
手記・写真にみる原爆被害の状況で野間絢子さんの
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生生・ 2 ・男 原爆被害の状況の手記や写真を見て改めて戦争のひ
どさやむごさが分かった。コンクリートの建物以外はほとんど吹き飛ん
でいて、荒野のようであり、一瞬であのようになるものを人類は作った
かと思うと、どうして途中でその恐ろしさに気がつかなっかたのか疑問
である。広島大学に来たからにはほかの学校よりも戦争や原爆につ
いて学ぶ機会が多いと思うので、これからの授業で一歩も二歩も進ん
だ知識をみにつけたいと思う。
生生・ 2 ・男 広島は原爆が落とされた地であり、広島大学の前身校
ではたくさんの犠牲者がいるので、それを基盤とした広島大学は原爆
のことや平和の大切さというものを強く主張していかなければならない
と思う。原爆放射能医学研究所や平和科学センターなどといった機
関や、広島大学関係者の取り組みについては具体的にはしらなかっ
たので、今日の講義で聞くことができて本当によかった。この講義を
受けてない人で、このようなことを知らない人はたくさんいると思うので、
そういう人に私達が知らせていかなければならないと思う。大学内に
さまざまな文献があるということなので、調べてみようと思う。
生生・ 2 ・男 今回の授業で思い出したのは不思議と受験期のこと
だった。自分は広島=原爆というイメージがあったため、どうしても高
校時代『原爆が投下され、何万人もの命が奪われた地で楽しくキャン
パスライフを送ること』に強い抵抗を憶えていた。だが、親に言われ、
この大学を見に来たときスッとイメージが変わった。今日の授業はそ
のときの気持ちに近かった。今日の授業の最後で平和についての取
り組み、考え方を紹介していた。自分が広大を受けようと決めたのも
広島のイメージが原爆から平和にかわったことだった。それを思い出
させてくれた授業だった。
生生・ 2 ・男 原爆投下時の広島大学は、現在と違って広島市中心
部に存在していたため、その被害は甚大であったと思う。また、広島
大学原爆死没者慰霊行事があったことを知らなかったことは、広島県
人として非常に恥ずべきことであった。僕の出身高校の前身校は原
爆の被害が特に激しかった学校の一つで、慰霊祭にも何度か参加し
ていた。それでも広島大学でそのような行事が行われていたことには
考えが及ばず(広島大学は東広島市というイメージがあったからだと
思われる)、考えを変えるいい機会になった。
生生・ 2 ・男 私は広島出身なので、小学生、中学生のときに原爆に
ついての学習はよくやっていたので、原爆についてはある程度知っ
ていると思っていました。ただ、今回の授業で原爆被災の状況などの
説明を聞いたりすると改めて原爆は恐ろしいものだと感じました。また、
広島大学が昔は原爆死没者への慰霊行事が行われていなかったと
いうのは意外でした。現在は原爆問題や平和問題に取り組んでいる
ということですが、広島にいる学生として、自分自身ももっと原爆につ
いて知り、これからの平和について考えようと思いました。
生生・ 2 ・男 自分は今漫然と学生生活を送っている。しかしたった
60 年前には自分と同じ学生が悲惨な経験をしていた事実がある。平
和について学ぶたびに思うことだが、今平和に生活していられること
のありがたみを噛みしめ、当たり前のように過ごさないようにしたいと
思う。今ある平和を享受するだけではなく、この平和をどう守っていく
かについても考えを深めていきたい。また慰霊祭等についてだが、一
部の大学関係者だけでするのではなく、もっと大々的に行っても良い
のではないかと思った。
生生・ 2 ・男 福岡県出身である自分は広島よりも長崎のほうが原爆
について触れることが多かった、しかし広島も長崎と同じようにとても
悲惨な状況になっていたことを改めて実感させられた。広島大学の
前身の学校であるさまざまな学校が原爆により多大なる被害を受けた
ことは自分の想像を絶していた。しかしこの不幸にも負けずにこのよう
な立派な大学をつくり上げたことを広大生として誇りに思う。これから
も原爆のようなものがない世界をつくらないといけないと強く考えさせ
られた。
生生・ 2 ・男 原爆に対するさまざまな人の意見や主張を聞くことが
できた。中でも特に印象に残ったのは、「中国新聞」 1965 年 8 月 13
日の社説である。「無関心は沈黙につながり、被爆者大衆の上には、
原爆の加害に次ぐ社会の無関心」という、第 2 の加害が生じたという
点に鋭く社会を見ていると思いました。私もその通りだと思います。と
いうのは、単なる大学研究所の拡大という目的のために何億もの予
算」をかけて建物を建てるのは、被爆者の辛い気持ちを考慮していな
いと思ったからです。被爆者のために、未来の平和のために研究所
を建てるのならば、市民の意見をもっと受け入れていくべきと思いまし
た。官僚だけで決議すべきでないと思いました。
生生・ 2 ・男 私は今回の原爆と広島大学というテーマの講義を受け
て、広島大学の学生としてもっと原子爆弾と広島大学の損害や背景、
出来事を詳しくしりたいと強く思いました。私は、幼い頃から広島での
原爆の被害について、祖父母の話や、小・中・高校での学習などで
知る機会は多かったのですが、広島で生まれ育ったのに、人に自信
を持って説明することは、できないかもしれません。私にとって広島大
学には、平和教育が盛んなイメージがあって、実際原爆は、広島大
学の前身校に多くの被害を与えていたことも知りました。そこで、もっ
と大学での平和や原爆についての知識に触れる機会を大学側からも
生徒側からも深めていけるようにしていければ良いなと思いました。
生生・ 2 ・男 わたしは原爆と広島大学の講義を受けて、今現在の
私たちの平和な状況のありがたみを再確認することができました。私
はこれまでの教育課程を通じて平和学習を受けてきました。しかし今
回の講義のように何かをクローズアップしてみたことはありませんでし
た。被爆者の手記からは原爆が落とされたときの生々しい感じが伝わ
ってきて原爆の恐ろしさを感じました。また広島大学の前身校の死者
数などの数字を見たときもぞっとしました。自分と同じ、もしくは年下の
人たちが何百人という単位で亡くなっているという事実はとても信じら
れないことでした。
生生・ 2 ・男 広島大学に通う者として、以前よりは戦争や原爆に関
心を持つようになっていた。けれど、今回の講義で原爆を受けた広島
の学生たちの地獄のような体験を知り、この広島の地で学ぶ若者とし
て、積極的に世界平和に貢献していかなければならないと思った。ま
た、広大には原爆の被害者の慰霊碑がなく、慰霊祭も行われていな
いとあるけれども、それ以前に人々の戦争に対する意識が薄れてい
っているように思えた。戦争の責任を問うのも大切かもしれないけれど、
日本が戦争に関わったこと、そして今も戦争が無くならないことは、決
して忘れてはならないことだと思った。
生生・ 2 ・男 この講義を受けて広島大学に、戦争の責任があるとい
われ、少し疑問に思いました。広島と原爆と聞くと私には被害者的な
考えが浮かんでしまうからです。しかしながら、講義を聴いているうち
にそうなのかなとも思ってきました。広島大学の責任として戦争協力、
国体論の宣揚、戦争に協力する教師養成ということを聞くと大学に行
っている人も今より少なかったので、大学という力が今より強く、強い
影響力を持ち、人々を戦争へと駆り立てていったのかなと思いました。
いまから、広島大学は原爆を受けたということを伝えていくことについ
ての影響力を持った大学であるべきではないかと考えました。
生生・ 2 ・男 今回の講義で、原爆によって広島大学の多くの前身
校が被曝し、多くの人々が犠牲になったということを学んだ。プリント
に記載されていた被災状況の記事を読むと、その当時の状況は凄ま
じかったものだと思うが、実際は私達の想像を遥かに超えたものだっ
たと考える。この悲劇を絶対に忘れてはならず、後世に伝えていき、
二度と起こさないように努めていくべきである。また、広島大学は積極
的に平和活動に取り組んでいて、このような大学に来れて良かったと
思う。身近に参加できるイベントがあれば、ぜひ一度参加してみたい
と思った。
生生・ 2 ・男 昔は大学でも戦争に参加できる人材を輩出していくよ
うになっていたのが無駄なことだなと思っていた。原爆での被爆者の
中には広島大学の前身校の学生や教師達が含まれているので広島
大学で原爆死没者に対する慰霊行事をするのは当然だと思った。原
爆問題や、平和問題はこれから日本では消えることは絶対ないし、広
島や長崎のような実際に原爆を落とされた地域の大学では、他の地
域の大学ではではできない授業、教育をできると思うのでもっとして
いけばいいと思った。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて、原爆の恐ろしさと原爆が人々に
どのような影響を与えたのかがわかった。戦時下では、修業年限が短
縮されていたり、学生がなんらかの仕事をさせられていた。現在よりも、
勉強できる時間が短いので、戦争はその当時の学生の人生に大きな
影響を及ぼしていただろう。今、平和に勉強できていることは当然で
はないと思った。また、慰霊碑などは原爆の恐ろしさや原爆の存在を
わすれないためにも必要であると思った。私も含め、現在の学生は原
爆についてあまり知らないので、もっと知る必要があると思った。
生生・ 2 ・男 今回の講義では、主に広島大学の前身校の被災状況
と、広島大学の原子爆弾や平和に対する取り組みについて学びまし
たが、やはり最初に印象に残ったのは原子爆弾を被爆した人の手記
でした。目に見える映像ではなく、文章で表現されていましたが、僕
にとっては頭の中で勝手にイメージができあがってくるほど衝撃的な
内容でした。原子爆弾が投下された当時には生まれていませんでし
たが、僕が生まれて今暮らしているこの広島県で、昔にはこのようなこ
とが現実に起こっていたのだということを、改めて実感させられました。
また原子爆弾を被爆した建物がいくつか残されていると聞いて、これ
からも残していくべきだと思いました。戦争の体験や傷痕を次の世代
の人達に伝えていくためにも大切なものだと思います。
総科・ 1 ・女 今回の講義は特に興味を持っていた内容でした。広
島大学が、最近まで慰霊碑をつくっていなかったり、慰霊祭を行って
いなかったことを初めて知り、意外に感じました。しかし、そおのような
形に見えるものは特別になくてもいいのではないかと思います。前進
校が被爆都市に存在し、多くの死亡者をだしていて、被爆について
考えないわけがないし、慰霊の気持ちは当然持っているものです。従
って、特に形に残るものは必要ないと思いました。また、森戸辰男初
代学長を始めとして、広島大学の教授や学生が平和を訴えてきたと
いう歴史は、その人の信念に敬して、伝えていくべきだと考えました。
過去の被爆を考え、平和を特に強く思い続けている広島の思いを深
く感じました。
総科・ 2 ・女 今回の講義は、広島出身で原爆について幼い頃から
学んできた私にとって、とても身近なテーマであったと思う。昔から、
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
国語の教科書などで原爆に関する話を読んだり、「はだしのゲン」や
「まちんと」などの原爆がテーマの本も読んできた。そのなかで、自分
の故郷である加計が出てきたり、おじいちゃん(加計で市内が光るの
を見たそうだ)の話を聞いたりすると、本当に広島に原爆は落ちたん
だなあと感じ、急に身近なものに思う。今回の講義ででてきた、広大
の前身校である山中女学校の生徒がざこば町で作業中に被爆し、大
勢の生徒が亡くなったという話はとてもショックだった。自分より年下
の女の子が勤労を余儀なくされ、さらにそのせいで亡くなってしまうと
いうのはとても衝撃的な内容であった。このように、今回の講義で、今
までよりさらに原爆のことや、広大との関係を知れた。これからもっとこ
れからの広島の原爆や平和に対する姿勢について、じっくり考えてみ
たいと思う。
総科・ 2 ・女 講義の中にあった原爆孤児の話に興味を持った。私
は小・中学校の総合の授業などで原爆についての授業を受けたこと
はあった。しかし,そこで原爆孤児について語られることはなかった。
そのため,原爆の悲惨さや戦争の悲劇を考えることはあったが,そこ
で親を失った子供について考えた事は,恥ずかしながらなかったの
だ。本授業で,何の罪もない子供たちからかけがえのない存在を奪う
ようなことは決してあってはならないと感じた。また,戦争を行った国
がどうして,そのような子供たちへの充分な支援を行わないのかに憤
りを感じた。無差別に人の命を奪い,残された者までもに悲しい思い
をさせるようなことは,今後絶対に繰り返してはいけないことだと思っ
た。
総科・ 2 ・女 被爆地・ヒロシマの地で学ぶ上で、戦争や原爆、平和
ということについて考えていくことはたいせつなことだと感じました。広
島大学の前身校に関わるたくさんの人々が、原爆の投下やその後遺
症で亡くなったことが事実であると同時に、さまざまな形で戦争に協
力していたというのも事実であるということを、しっかりと受け止めなけ
ればならないと思いました。そして、現在広島大学で行われている平
和に関する活動についても、きちんと知っていこうと思いました。
総科・ 2 ・女 講義を受ける前は、「広島大学は以下のように平和貢
献に尽力してきた・・・」というような話を永遠と聞くだけだと思っていた
が、実際は、もちろん平和への取り組みの話もあったが、意外と最初
から大学としては平和運動に参加していないことを聞いて驚いた。昭
和 45 年以前は、広大に原爆死没者慰霊碑などがなかったというの
はとても意外だ。しかし、教授や学生など、個人としての平和への取り
組みは顕著で、特に、計 476 回も座り込みをして核に抵抗した森瀧
さんは同じ広島人として尊敬に値する。『精神的原子の連鎖反応が
物質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ』は、初めて聞いたのだが、
とても良い言葉だと思った。私は、小学生の頃から広島で平和学習を
受けてきたのだが、今回初めて「原爆孤児」と言う言葉を知った。原爆
のために家族を失い、さらに満足した生活も教育も受けられず、原爆
症の恐怖におびえるこどもの存在があったなんて知らなかった。その
子どもたちを救おうとする試みが米国人によって最初に行われるのは
皮肉な話だが・・・。広大が学校として、原爆孤児に手をさしのべる運
動をしたことは、大学という教育機関としては当然であるし、外国の機
関よりも影響力が強いと思った。講義全体を通して思ったことは、確
かに大学全体としての平和運動の取り組みは遅かったが、個々人の
「広島大学」という原爆が投下された都市にある大学としての意識が
高く、それが結果として個人の優れた取り組みの結果に現れていると
いうこと。教授陣の、平和に対する思いが素晴らしかった。
総科・ 2 ・女 野間絢子さんの文章を読み、リアルに頭の中でイメー
ジできたのですが、とても恐ろしい光景でした。今はこうして平和に授
業を受けたりしているけど、もし原子爆弾や核爆弾などが降ってきた
ら一瞬でこの平和が無くなってしまうんだと考えたら、もっと恐ろしかっ
たです。広島は、第二次世界大戦時に原爆を落とされた 2 か所のう
ちの 1 か所であるので、どの先進国よりも平和学の研究を発展させ、
また、放射能医学研究所の設備もより最先端のものにし、今後、二度
とどの国も核爆弾や原爆を使用しないように訴え続けなければならな
いと改めて実感しました。
総科・ 2 ・男 広大入学時に原爆に関するレポートを書くために平和
記念公園の原爆資料館を訪れたことがあった。原爆については日本
史の授業や平和学習などで習ってはいたが、実際に資料館に訪れ
て学んだことははるかに多かった。また、今回の講義でも知らなかっ
たことを学ぶことができた。私はまだまだ原爆について知らないことが
多いのだと気づいた。今日では私のように原爆について詳しくなかっ
たり、或は全く知らない人が多いと思う。そのような人たちに一人でも
多く原爆の事実を伝えることが大切だと思う。
総科・ 2 ・男 私の母親は広島出身であり、祖父祖母ともに原爆を直
に体験している。昔、祖父から原爆のことについて聞かされたことがあ
り、心のそこから本当に怖いものだと思った。ただそのときは、何人死
没したかとか何人生存したとか具体的なデータがなかったので、これ
ほどまでひどいとは夢にも思わなかった。今の私と同じくらいの年齢
のなにも関係ない人が労働中、勉強中に死んでいる。建物もほとんど
が大破、全焼している。データだけでそのすさまじさがわかる。このこ
とは絶対後世に伝えていかなければならないひとつだと思う。
総科・ 2 ・男 広島大学が戦後すぐのころは慰霊碑がなかったという
ことに驚きました。そして中国新聞からのバッシングなどもあったとわ
かり、広島という土地の国立大学だから、平和に対して他県の国立大
学よりも高い意識を持たなければいけないんだと思いました。そして
1 番驚いたのが、森瀧市郎という元文学部の教授が核実験に抗議す
るために、教授を辞職してまで、座り込みをして、アメリカやソ連に対
して抗議したと知り、広大の教授は行動力があって凄いと感じました。
総科・ 2 ・男 私は富山県出身で、初めて原爆資料館に行ったのが、
町の小学生が平和記念式典に出席するという催しに参加したときの
ことだった。今でもそのときのことは覚えており、子供ながらに平和の
尊さや価値などを学んだ経験だった。そして今回、大学の授業という
形で改めて原爆について学んだ。授業の後に、自分と同じくらいの年
齢で原爆の被害にあった人達は、やりたいこともたくさんあっただろう
し、残された家族はひどく悲しんだだろうと思った。原爆が落とされた
広島だからこそ受けられる授業だったと思う。
総科・ 2 ・男 今回の講義は、前身諸学校の原爆被災の状況をふり
かえるとともに、その後の広島大学及び大学関係者による原爆問題、
平和問題に関する取り組みについてみていくということでしたが、改
めて戦争の残酷さについて考えさせられた。自分は広島出身なので、
何度も原爆ドームなどを見に行ったが、大学生になり、考え方が変わ
ってきた。また、野間絢子さんの「原点」を読んで、当時のことが想像
されてゾッとした。この機会に、平和に関する取り組みにもっと積極的
になろうと思った。
総科・ 2 ・男 広島大学の原爆死没者慰霊や被爆実態の調査が行
われたのが、原爆投下から約 30 年もの後になってだと知り、取り組
みの遅さに驚いた。広島大学が被爆を経験した数少ない大学である
ことを再確認しつつ、広島に生まれ育ったものとして平和の大切さを
改めて世界に伝えていかなければならないと思った
総科・ 2 ・男 広島に原爆が落とされてから、広島の町は復興を目指
した動きが様々な面で見られたであろうことは何となくではありますが、
想像していました。しかし、そのような活動を広島大学自体もおこなっ
ていたというのは非常に意外でした。私は、広島大学も原爆によって
完全に壊滅し、復旧活動を受けるばかりだと考えていたからです。と
ころが実際には、様々な行事をおこなったり、委員会を設置するなど
して、広島の回復や、被災者の思いを無駄にしないような活動を行っ
ていたことに深く感銘を受けました。
総科・ 2 ・男 広島に位置している大学なのだから原爆や戦争との
関わりが少なからずあることは予測できたが、その予測以上に関わり
が深かったことに驚いた。また、工学部前にある門柱が被爆建築物で
あることは知っていたが、知らない人も多くいるのではないかと思う。こ
のようなことは、何らかの機会に全ての学生が知っておくべきことでは
ないだろうか。被爆都市である広島の大学に進学した以上、原爆や
戦争について少しでも思いを巡らせてみることは私たちの義務である
だろう。
総科・ 4 ・男 今回の講義を受け、私は以前より、戦争ということにつ
いてや、原爆についての知識を、広島大学の歴史のみではなく得る
ことができたと感じる。また、当時の学生は戦時中であったため、学徒
動員などで勉強をするために学校に進学したにも関わらず、学習時
間の短縮や勤労奉仕のために、満足な教育が受けられなかったこと
を知り、今、普通に勉強することのできる自分を、その時代の学生と
照らし合わせ、自分の学習意欲のなさを恥ずかしく思った。
文・ 1 ・男 今回は、原爆と広島大学ということで、平和をテーマに話
が進むだろうと思い、期待していました。というのも、自分は長崎の出
身で祖母は被ばく者であり、平和について関心があったからです。そ
して、実際、授業を受けてみると前身校の被害状況などの資料はとて
もわかりやすく、ほかの資料もとても興味深いものばかりで、充実した
授業でした。家に帰って資料を読み返しても考えさせられることが多
く、さらに平和への関心が高まりました。
文・ 2 ・女 そういえば広島大学では大々的に慰霊行事などを行っ
ているイメージが無いなと改めて気づかされたので、広島大学におけ
る原爆死没者慰霊行事などについて聞けて、とても興味深かったで
す。中国新聞の批判的な記事にはドキッとしました。もっと広島にある
大学として、原爆について考えなければならないと思いました。かの
有名な「安らかに眠って下さい…」という碑文について論争があったこ
とも始めて知りました。確かに一見とてもわかりづらくて抽象的だなと
思いましたが、雑賀教授の意見には納得できましたし、原爆は日本
人だけでなく世界の人々が考えなければならない問題であると改め
て思いました。去年平和学習で原爆ドームに行きましたが、そこで見
たものは想像以上で、そこには学生の被爆写真や資料がたくさんあり、
自分と同年代の人たちがこのような経験をしたことを素直に受け止め
ることができませんでした。しかし被爆した学生の思いをしっかりとうけ
とめ次代に伝え、またその学生たちと同じように、学問に励んでいき
たいと思いました。
文・ 2 ・女 私は広島出身なので、今まで小学校から平和教育という
ものを受けてきましたが、何年何月何日に原爆が投下された、この地
域の上空に投下された、被害者は何人だった、など知識的なものを
多く学んできたので、広島に生まれ育ったものの私と戦争、あるいは
原爆との関係があまりはっきりと感じられず漠然としていました。今回
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は広島大学に関わる原爆被害やその後の取り組みの講義だったの
で、広島全体としての原爆被害と自分との関係を考えるのではなく、
広島大学前身校というピンポイントな部分と広島大学に通う自分との
関係を考えたのですごく原爆を身近なものとして感じることができ、真
剣に考えることができました。広島大学がどのように戦争と関わってき
たのか、とても真剣に聞くことができた講義でした。
文・ 2 ・女 原爆による広島大学の前身校の被害状況だけでなく、広
島大学の前身校で被爆した人達の手記や、広島大学が原爆に対し
てどのような活動をしているのかも扱われた。特に前者は、まだ私が
読んだ事はおろか、存在すら知らなかったものもあった。今でも読む
ことが出来るなら、図書館などで読もうと思う。中でも早川幸生編「オ
マールさんを訪ねる旅-広島にいたマレーシアの王子様」は、外国人
留学生から見た原爆を知ることが出来るかもしれない。これらの著書
で自分の原爆への視点が開ければ、と思う。
文・ 2 ・女 自分たちと近い年頃の人々がこの広島で亡くなったとい
う事実は悲しいことである。多くの学校で勤労動員が行われ、原爆で
建物が破壊され、多くの学生が被害に合うなど、当時の学生は全く勉
強どころではない大変な状況にあったのだと感じた。また、広島大学
関係者が原爆ドームの保存や慰霊碑など世間に広く知られているこ
とに携わっていたのはすごいことだと思う。広島大学のキャンパス内
にもいくつか原爆遺跡があるのは知っていたが、いままで意識したこ
とはなかったので、今度通りがかったらしっかり見てみたいと思う。
文・ 2 ・女 広島大学は被爆者の追悼行事をもっと積極的に行って
いると思っていたので、逆に行っていないことに対しての批判があっ
たと聞き、驚きました。特に地方の大学は、その地域との関わりや地
域に対する貢献も求められると思います。前身校も含めて、広島大学
に関係している被爆者はもちろん、他にも原爆で犠牲になった多くの
人々に対しての追悼行事を積極的に行っていくことは、被爆体験を
持つ大学として、重要なことではないかと思いました。
文・ 2 ・女 広島大学の前身校の多くが広島市内にあり、原爆により
多くの死者を出していることを初めて知りました。このような授業を受
けるたびにとても心が苦しくなります。自分と同年代、もしくはそれより
も幼い人たちが戦争という名によりたくさんの機会を失ったり、命を落
としたり。学校教育も戦争に向けて期間が短くなったり授業が行われ
なかったり、そんな中で原爆の被害にあった人たちの苦心ははかりし
れないものだと思います。戦争は、原子爆弾はいけないものだと思い
ます。私は広島に生まれ、この広島大学で学ぶ上で、世界に平和を
願っていきたいと思います。
文・ 2 ・女 広島生まれのため、小さい頃から平和ということについて
考える機会がたくさんありました。なので今回の講義内容はとても興
味深かったです。特に、当時文学部の学生だった川手健さんの活動
は本当にすばらしいと感じました。普段、平和について考えることは
あっても運動を起こしたり、訴えることはなかなかできないので同じ大
学生になった今、見習わなければいけないところが多くあると思いま
す。原爆によって多くの教師や生徒の方々が亡くなったということをい
つまでも忘れないで、自分にできることは何か考えていかなければな
らないと感じました。
文・ 2 ・女 今まで原爆に関する資料などを見ても、どこか昔のこと、
他人事のように考えていたところがありましたが、自分が今立っている
広島大学の前身校の人々も被爆したと考えると、とても他人事のよう
には思えなくなりました。また、戦争に導いていった危険な思想や有
能な戦争協力者を輩出してしまった責任も広島大学にあるのだと思
いました。大学は学問をしていく上ではとても大切な場所だけれど、
一歩間違えてしまうと、危険なところになりかねないと思いました。二
度とこんなことがないように、原爆の悲惨さを知っている大学として、
世界に向けて発信していかなければならないと思いました。
文・ 2 ・女 私はこれまで平和学習などを通じて原爆について触れ、
原爆によってもたらされた悲劇は何百人何千人が語ったとしても語り
つくせないようなものだと認識し、この先ずっと伝えていくべきことだと
思っています。当然広島大学はそういった活動を積極的に行ってき
ただろうと思っていたので、 70 年代まではそこまで積極的ではなか
ったというのは意外でした。現在までに様々な取り組みがなされてき
たようですが、それでも原爆慰霊碑の碑文の文字を削るという愚かし
い行為に走るような輩が出てきたのは、平和教育がしっかり行き届い
ていないという事を示しているのではないでしょうか。
文・ 2 ・女 どの学校も原爆による被害を受けていて、とくに山中高
等女学校の場合、死者の数が甚大であったことにショックを受けまし
た。また、勉強をするために学校に入っても、学徒動員や、工場での
労働のために勉強もできずじまいになってしまうのは、本当に悲しい
ことであったと思います。やはり戦争の理不尽さを感じました。
文・ 2 ・女 今回のテーマは原爆と広島大学であったが、広島で原
爆の話というのは、あまり珍しくもないので、大して期待はしていなか
った。また広島大学と原爆との関係性は普段広大で生活していてあ
まり考えられなかったので、実際あるのだろうかと少し疑っていた。し
かし実際に受講してみると広島大学の多くの先生や生徒が原爆と関
わっており、いろいろな運動を展開しているのだと知った。一方で広
島大学には、国の方針に従う教員の養成という戦争責任もあるのだと
知り、広島大学は原爆と深く結びついているのだと知った。
文・ 2 ・女 どの学校も原爆投下による被害がでていて、特に山中高
等女学院では死者がずば抜けて多く、原爆の威力、無慈悲さを強く
感じました。また、戦時中のため、勉強するために学校に入ってきた
にもかかわらず、学徒動員や、工場労働のために学校授業が受けら
れないなど、戦争とは理不尽なものだと感じました。
文・ 2 ・女 広島に原爆が投下されたという事実は良く知っていまし
たが、自身の中でその事象と広島大学が結び付いてはいない状態で、
『広島』と『広島大学』は別のものだという印象が、無意識のうちに頭
の中にあったように思います。現在広島に住んでいるにも関わらず、
県外に住んでいた時以上に『平和』について考える機会が減ってしま
った気がします。授業でも先生がおっしゃったように、自分を含め広
島大学の関係者が、追悼の行事など、広島大学がどのように『平和』
に関与しているかについて無知な部分が多すぎると感じました。広島
にある大学に入った一種の義務として、これから『平和』へのアプロー
チをしていきたいです。
文・ 2 ・女 今回の講義を受けて、原爆によって広島大学の前身校
の大勢の学生たちや教員の方たちのなくなってしまったということを
改めて感じました。私は広島出身ではないので、そんなに原爆につ
いて考える機会がなかったので、今回の授業で、もっと原爆の恐ろし
さや、平和の大切さを考えていくべきだと思いました。また、広島大学
に貴重な原爆に関する資料があるということを初めて知ったので、今
度見てみたいと思います。
文・ 2 ・男 広島と原爆のことは、県外から来た自分にとっては教科
書で読んだだけの歴史的事実でしかなかった。しかし、今回の講義
を受けて少しこの話題について考えてみると、実際には現在も原爆
が日本に、とりわけ広島に及ぼした影響は残っていることに気が付い
た。例えば先日の新聞で、被爆地へ救護に行き二次被爆に遭った人
達が、被爆者健康手帳の交付を却下された問題で、裁判所がそれを
取り消したことが書いてあった。このことから、実際には原爆に関わる
問題は解決しておらず、その傷跡はずっと残っているのだと思い知っ
た。これを機に、原爆被害に関する問題についてもっと注意深く目を
向けてみようと思った。
文・ 2 ・男 広島大学がどのように戦争に係わって加担してきたか、
「平和」にどのように向き合ってきたかがよくわかりました。ただ、願わく
ば長崎の大学と連携していく視点も重要だと思いました。
文・ 2 ・男 今回の講義で、いきなり”原爆”という言葉が飛び込んで
きた。これは、平和という言葉の裏返しとして、私は反射的に平和へ
の希求を強くしてしまう。人類が始まって以来、究極の破壊武器・核
兵器の使用によって最大の惨禍を経験してしまったのだ。いま世の
中の関心事は、端的に云って、物価や株価であって、日米同盟のあ
り方とか北朝鮮との明日ではない。生活に直結しているのは経済なの
だ、と思わず目先のことを見てしまう。何故、経済が人類の最大の関
心事であるといえるのか、それはあくまでも平和と安全が保障されて
いる前提においてのみである。突然それが脅かされることになれば、
平和と安全の確保が、全てに優先する問題になり、物価とか株価とか
云っている場合ではない。つまり我々の最重要問題は”戦争と平和”
にほかならないと思う。
文・ 2 ・男 広島高等師範学校も広島文理科大学も、またその他の
都道府県の多くの大学も、多様な学部を設置するなか、第二次世界
大戦の勃発によって大きく影響を受けざるを得なかったということを学
んだ。また、とりわけ広島の両大学は、原爆という、誰も想像しえなか
った悲惨な出来事によって、その校舎を全壊してしまい、一時的に大
学そのものの機能がストップしてしまうという事態が起きてしまった。私
はこの事に関して、広島大学の一員として、遺憾の念をもって、二度
とこのような事態を招かないような世界であってほしいと思うとともに、
この出来事を忘れず、後世に伝えていきたいと思う。
文・ 2 ・男 講義の大半は事実的な情報の開示にのみ費やされてし
まっていたが、その中にもひとつ、興味を惹かれる知識のひとしずくを
見出すことが出来た。それは学徒動員という制度がかねてよりの印象
よりも強制力のつよいものであったということである。お国のための勤
労ということで、学生の本分をまっとうさせるための糧となる授業を有
名無実的に閉鎖に追いやり、学徒らを国の労力の一部とする。この
他の国では学徒らにいかな扱いをしていたかは私にとっては未だ知
らぬことであるが、戦争という逼迫した状況は、若年層の知識的成長
を妨げることによる国力の低下という反省さえも留めさせてしまう程に
恐ろしいものなのだと感じさせられた。
文・ 2 ・男 世界で唯一、原爆が落とされた国、日本で落とされた地
である広島に来て大学生活を送っているが、原爆や戦争といった恐
ろしい事実から今まで目をそらして生活してきたが、今回の授業で向
き合うことが少しはできた気がする。目をそらしていてはいけないこと
だとは分かっているが、何かきっかけがないと向き合えないようになっ
てしまっていたのでよかった。学徒出陣や学徒動員が最初は文系の
生徒だけだと言うのを聞き、文学部の私としては他人事には聞こえず、
安心して勉強できる今を大切にしなくてはと強く感じた。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
文・ 2 ・男 やはり、広島にあるものについて語る上で原爆について
は避けては通れないものであると感じました。そして今回配布された
資料のように数字や当時の被害の様子を記したものを目にすると原
爆というものが本当にあったのだと改めて思い知らされます。私の地
元は東京で第二次大戦中に大空襲にあいましたが知っているのはそ
の事実だけでその惨状等についてはほとんど知りません。"東京大空
襲"という名称は教科書に載るくらい有名なのにその内容に関する授
業等はありませんでした。東京の大学の講義に関してもそのような話
は聞いたことがありません。それに対して広島は(そもそも物が違うの
で比べていいのかわかりませんが、)平和記念公園や原爆資料館、
原爆ドームや数々の式典で原爆について強くアピールをしていたり、
その被害について多くの人に知ってもらいたいという姿勢が見えます。
これは大学における平和学習についても同じことが言えると思います。
私は今後も原爆についてなどの平和教育を続けていくべきであり、ま
た日本中の教育機関で盛んに行われていけば良いなと考えました。
文・ 2 ・男 世界で唯一の被爆国である日本のなかで、その経験をし
た都市広島にある大学であるからこそ考えることができる、また触れる
ことができる、その機会を与えられるのかもしなれいと思いました。同
時に、この機会を与えられていることは自分にとって非常にプラスなこ
とだと感じているので今回の講義はとてもありがたかったです。ノーモ
アヒロシマという言葉のもとに反原爆の運動が起こり、戦争も原爆も知
らない私のような世代にまで深くその教訓を学ぶことができるのは先
人たちの努力の賜物であり、大変有意義なものであると強く思いまし
た。
文・ 2 ・男 広島市に原爆が投下され、一瞬にして多くの広島市民
が亡くなった。その中には広大前身学校の学生・教員らも含まれてい
た。勤労奉仕に出ていた女学生、日本に留学していた留学生もいた。
そして、私は戦後の広島大学の原爆・平和問題への取り組みの遅れ
があった事実を初めて知った。被爆都市広島において、原爆と向き
合うことはもっとも重要な課題である上、今後二度とこのような惨禍を
起こさない為にも、平和教育は大事だと感じた。これまでに、原爆・平
和問題に取り組んでこられた先生方、専門家の方々の活動を知るこ
とができたことはもっとも光栄なことであった。
文・ 2 ・男 広島大学の理念に大きな影響を及ぼしている点から、や
はり被爆地の大学としての特徴を大いに有していると感じました。私
の出身は長崎県ですが、長崎大学との相互連携を深めるとともに世
界に誇れる共同研究機関を創設すれば、広島大学の地位が上がる
のではないかと思います。ただ、東広島市に本部を置く広島大学生
は実際のところ「被爆地ヒロシマ」の意識が薄いのではないかと感じま
す。平和に関する講義に特化して東千田キャンパスでの授業・巡検
をすることでより効果的になるのではないでしょうか。被爆への学習に
関しては、実際にその環境に身を置き、何かを感じることが重要では
ないかと考えます。
文・ 4 ・女 私は高校 3 年の夏に初めて広島の地を訪れ、初めて原
爆ドーム・平和記念館を目にしました。中をじっくり見学し、出てきた
頃には 2 時間経っていて驚いたことを今でも覚えています。あの頃か
ら 4 年近くが経ち、思想等も変わりました。けれども、見て何を思うか
は個人それぞれにしろ、「ヒロシマ」という土地で原爆に関する資料を
見ることが大切なのだと思います。今回の授業のプリントに、パール
判事と雑賀教授の記念碑に関するやりとりが載っていました。社説と
も併せて、今授業の中で一番興味があった部分です。「安らかに眠っ
てください/過ちは繰返しませぬから」この文を見るたびに、私は自
分の中の何ともいえない、日本人としての自虐感情が刺激されて嫌
な気持ちになります。それは今まで詰め込まれてきた自虐史観のせ
いかもしれませんが。私がここで重要だなと思うことは、外国人である
パール判事が「記念碑の文の主語は日本人である・・・」と指摘したこ
とだと思います。雑賀教授は「世界市民・・・」と発言していますが、同
じアジア出身であり日本に友好的である判事にさえ伝わらなかった意
思・願いが、果たして欧米諸国やアメリカの人に伝わるのでしょうか。
二人のやり取りは 1952 年のこととプリントには記載さてますが、それ
から 50 年以上が経ちました。社説には「主語は『すべての人々』と解
説した説明板を慰霊碑の近くに置いた」と書かれ、対策が為されてる
ことが分かりますが、それが本当に功を奏しているのか知りたいところ
です。
法・ 1 ・女 広島大学が他大学と違った歴史をもつという点で、原爆
はその最たるものであると考えます。復興をメインにした授業であると
いう期待をしていたのですが、重に戦時下の大学と、原爆の被害とい
った内容であったのが少々残念でした。しかしながら、戦時下の学徒
動員に大学生が含まれていたこと、大学が 1 年間休校していたことな
どは初めて知った事実であったので、とても参考になりました。今回
の授業で一番感銘を受けたのは、森瀧氏の考える戦争抑止のため
の信念でした。私も、ただ座り込むだけでは実験抑止と直接関係を持
たないだろうと考えました。しかしその「反対」の精神を形にすることに
よって、強いメッセージを発信し、人々の精神に訴えかけることが戦
争解決のために一番必要なことであると改めて学ばされました。また、
「過ち」の主語についての論争ですが、誰が悪い、悪くないを議論す
ること自体が新たないさかいの火種になるのではないかと考えます。
よって、雑賀教授の示した一文は、非常に秀逸であると私は感じまし
た。
法・ 1 ・男 原爆や戦争の話だけでなく、その後の平和に対する取り
組みについても内容が多くあったので興味深かったと思います。広
島であるからこそ、原爆や平和についての研究を先導していくという
考えがわかりました。ただ、個人個人の原爆・戦争に対する行動と、
大学全体での行動では大学の方が遅れているのは残念でした。今
回は平和学習とも絡んでいる内容だったので、今まで戦争のことは何
度も学んできたのですが、定期的にこのような学習や講義を聴いて、
戦争という現実を忘れないようにしなくてはならないと感じました。
法・ 2 ・女 原爆投下といえば、世界でもこの広島と長崎しかない。
小さなときから、学校などでたくさん戦争について、原爆について学
んできたし、もちろん原爆ドームも見学に行ったことがある。しかし、そ
れらは表面的なおおまかな事実を知っていただけで、今日の授業で
学校別の原爆死没者、毎年増え続ける原爆死没者名簿奉納者数、
その他、いろんな細かい悲惨な現実を知り、新たな衝撃を受けるとと
もに、まだまだ何も知らないんだなあと痛感した。広島に来て 1 年が
過ぎた。やはり、広島は他県に比べて平和に対する意識が高いと思
うし、素晴らしいと思う。少なくともあと 3 年は広島にいるわけだし、そ
の間に少しでも多くその高い意識を継承することができ、また、様々
な知識を増やしたいと思った。
法・ 2 ・女 原爆というたった一つのものが広島の街全体を焼き尽く
した事実は、 60 年の時を経ても色褪せることはない。今回講義を受
けて、現代になって忘れ去られようとしている原爆のもたらした惨憺た
る光景がありありと思い浮かばれた。特に野間絢子氏の手記に書か
れていた悲惨な被害の実情には身が竦み上がるような思いがした。
数字だけのデータは確かに客観的であるが、見ていて実感がわきに
くいのもまた事実である。それだけに、あの手記に記されていた「リア
ル」さには読んでいてどんどん引き込まれていくと同時に大変痛々し
かった。だからこそ、我らはこの事実を見落としていては絶対にいけ
ないし、それを伝えていくのもまた、我等の役目ではなかろうか。以上
のように考えた。
法・ 2 ・女 広大が平和学習について力を入れ始めていることは知
っていたけど、原爆問題・平和問題に取り組むための機関の存在や、
広大関係者がこんなに平和問題について活動をしていたことは初め
て知った。原爆投下から約 64 年が経過しようとしている今、人々の記
憶は薄れていき、平和への関心が少し薄れているように感じる。せっ
かくこのような機関があるのだから、もっと公に活動を広め、広大生に
も身近なものになるようにすれば、実際の原爆を知らない若者たちの
関心も少しは高まるのではないだろうかと感じた。
法・ 2 ・女 広島の原爆による被害等に関しては、原爆資料館の見
学などで知っているつもりでしたが、学校という観点から考える原爆被
害についての授業は新鮮でおもしろかったです。世界ではじめて被
爆した都市の大学として、広島大学は平和に関する活動をする責任
があると思います。そしてその大学で学ぶ私たち一人ひとりが、原爆
のことについてきちんと知るべきだと思いました。まずは知ることが大
事だと思います。ほかの大学、他の都市、他の国の人に原爆につい
て尋ねられた時、広島大学生としてきちんとした知識と明確な自分の
意見を持てるようにしておきたいです。
法・ 2 ・女 私は、島根県出身なので、修学旅行は広島だったし、原
爆については、小学校のころから、たくさん学んできました。しかし、
広島大学という視点から学んだのは、初めての経験であり、とても興
味深いものでした。何度聞いても、原爆の体験談は、辛く悲しい気持
ちになります。耳をふさぎたくもなりますが、広島大学に通うものとして、
目をそむけず、しっかりと学んでいかなければならないと思いました。
そして、このような悲惨な出来事を二度と繰り返してはならないと思い
ました。将来、外国に行くこともあると思いますが、広島という地名を
口にしたら、必ず原爆について尋ねられると思います。そのときは、し
っかり答えたいので、今回の講義は、大変良い経験になりました。あり
がとうございました。
法・ 2 ・女 今回の講義は、戦争というテーマということで、私にとって
かなり興味があるものだった。せっかく広島大学に来たのだから、原
爆被災地であるここで、戦争の悲惨さをより深く学習したいと考えたか
らだ。しかし、戦争をテーマにした講義は多く存在するここ広島大学
において、原爆死者慰霊行事たるものがないことは驚くべき事実だっ
た。県内 1 の国立大学で名の高い広島大学なのだから、慰霊行事
によって学生が戦争について考える機会を与えるべきだと思う。
法・ 2 ・女 戦争と原子爆弾については、小学生の頃から数えきれな
いくらい学んできましたが、広島大学、あるいは特定の学校における
被害状況について調べたり学んだりしたことはなかったので、新たな
視点から戦争について考えることができました。中四国地方を代表す
る総合大学である広島大学は、原子爆弾による死没者への追悼の行
事等を積極的に行っていると思っていましたが、実はほとんど行って
いないと知り、非常に驚きました。過去を振り返り、そういったことをも
っと積極的に行っていけば広島大学はもっと発展するのではないか
と思いました。
法・ 2 ・男 野間さんの「原点」という手記を読むと、原爆の恐ろしさ、
酷さを改めて強く感じた。女学生がたくさん犠牲になったという話は聞
- 582 -
いたことがあったが、まさか広島大学の源流となった学校の生徒とは
思わなかった。また、被害に遭ったのは日本人だけでないことも分か
った。広島大学に関係のある人達が原爆に対してなんらかのアクショ
ンをとっていたが、広島大学としてはあまり分析などを行っていないと
聞き、いかがなものかと思った。やはり、被爆をした大学にしかできな
いことはあると思うし、しなければならないと思う。自分自身も広大生と
して、核兵器や平和についてもっと考えなければならないと思った。
法・ 2 ・男 手記や新聞記事などの資料が豊富で興味深かった。
個々の教授の原爆問題に関する活動に比べて、広島大学の活動が
消極的であったことは原爆死没者慰霊行事委員会や原爆死没者調
査委員会の設置が原爆投下から 20 年以上経過した後であることな
どからでも明らかである。私の友人で広島大学原爆死没者追悼式の
存在を知っているのは少数派であり、広報活動も不十分であると感じ
る。これからは私たち自身の手で反戦、反核の活動の輪を広げてい
きたい。
法・ 2 ・男 今までなんどか工学部の前の慰霊碑を見たことはあった
が、石が適当に積んであるなという程度の感想しかもたなかった。し
かし、講義後、たまたま慰霊碑の前を通りかかり、じっくり見ていると、
設計者の意図がなんとなくわかるような気がした。
法・ 2 ・男 戦争の悲惨さや原爆については、小中高の諸々の授業
にて学びましたが、広島大学の前身校の被害、また大学に関わる
人々が、核兵器についてどのような評価・主張をしていたか、平和の
問題をどのように考えるかなどについては今回の講義で初めて学ん
だと思います。今回の講義で、私が最も印象に残ったことは原爆投下
後の広島大学としての、組織としての態度に少なからずの批判があっ
たことです。大学という重要な機関であるならば、率先して地域支援
や研究活動に励んでいたものだと先入観を持っていました。しかしな
がら、必ずしも大学が人々の気持ちを反映できたわけではなかったこ
とを知りました。思うに、大学という特殊な空間はしばしば閉鎖性をも
つことがあり、また、巨大な組織体系故に、官僚主義に陥ることもあり、
地域との関わりを逸することがあるのだと考えます。講義で触れられ
た広島大学に対する中国新聞の批判は、まさに大学のあり方につい
てよい教訓を与えてくれたものだと思いました。勿論、私は広島大学
が当時の社会に何ら役目と責任を果たさなかったわけではないはず
だと思いますし、現在の周辺地域と大学が隔離されているものだとも
思いません。なぜなら、(これは、うろ覚えですが、)広島大学の敷地と
公道や住宅地と確たる境目がないのは、地域と密着した関係を築き
上げることを象徴しているのだと耳にしました。加えて、今回の講義で
も触れられたように、広島大学の関係者が様々な平和に関する活動
を一意専心に取り組み、国際的にも大きな影響を与えたものもあるか
らです。広島大学の五原則には「地域社会・国際社会との共存」とい
う理念があります。先に述べた広島大学の取り組みはこれを着実に
実行していると思います。そして、森戸辰男初代学長の建学の理念
である「平和で一つの大学」を地で行く大学であること、あるいは、そ
れを全うすることを心から望みます。
法・ 2 ・男 今回の講義を受けて、単に原爆というものが怖いかという
ことではなく、広島大学の原爆経験校としての「責任」について考えさ
せられる授業になったと思う。私が大学 1 年のとき、原爆についての
モニュメント・施設を見学しての感想を書かされた。その当時は、広島
はなんと言っても原爆が落ちた都市だしこんなレポートは当然かなと
軽く考えていた。すると、教養科目のある先生からこのようなレポート
を書かせるのは初めての取り組みであって、これからの広島大学での
平和教育を考える上での参考資料にすると言われたので、そのとき
思ったことは、こんな当然と思われることを今までしていなかったのか
ということと、結構広島はほかの県が思っているほど原爆に対して重
要に思っていないのかなということだ。しかし、実際に原爆の日に平
和記念式典に参加したとき、広島の人たちは原爆に対して強い思い
入れをもたれていると肌で感じ、それと同時に広島大学での平和教
育ってなんなのかなと疑問を感じていた。そして今回のこの授業を受
けてはっきりした。広島大学の平和教育は遅れていることを。授業で
取り上げられていた中国新聞の 1965 年の社説・金井利博氏の記述
が特に物語っているように思う。やはり、教育の場で戦争について語
ることはいろいろな問題を含んでいるし難しいことかも知れないが、大
学の教育機関という面も利用して平和というもののあり方を全学で考
えられたら、そして、広島大学は原爆経験のある大学として平和に対
していろいろなことを考えている学校だなという世界からの評価をえら
れることが理想かなと私は思った。
法・ 2 ・男 僕は今日の原爆と広島大学という授業を受けて、改めて
原爆の怖さとその悲惨さ、そして今の広島大学というものを知りました。
戦時下の学校の状況や、また前身の学校での被災者のことなどを知
っていくうちに、すごく悲しい気持ちになり、また学校で勉強ができる
状況にあるという自分はすごくめぐまれていて、しっかりしないといけ
ないなと深く思いました。そして、広島大学の教授の方々などが平和
のための様々な活動をしていたということ知りまたすごいと思いました。
今回の授業は、改めて平和というものを考えるいい契機になったと思
います。
法・ 2 ・男 私はこの授業を受けるまで、広島大学と戦争の関係につ
いて広島大学の被害側としてしか考えたことがありませんでした。もち
ろん、広島大学も原爆投下によって多大な被害を受けており、それか
ら学んだ教訓により様々な平和に向けての取り組みを行ってきていま
した。しかし、当時の流れからは仕方ないとはいえ広島大学も加害者
側として戦争協力や戦争に向けた人材育成を行っていたということは
この授業ではじめて考えた事でした。そのこともふまえたうえで平和へ
の取り組みが行われているのだと思いました。
法・ 2 ・男 広島大学の前身諸学校の多くは市内に位置していたの
で、原爆により多大な被害を被った。だから、広島大学は戦後、原
爆・平和問題に対して取り組んできたと思っていた。しかし、今回の授
業で、広島大学関係者の原爆・平和問題に対する取り組みは戦後早
くから行われていたが、広島大学としてのそれらの問題に対する取り
組みは遅れていたと分かった。広島大学関係者個人の取り組みは大
変すばらしいが、広島大学は広島最大の教育機関としてもっと積極
的に原爆・平和問題に取り組むべきだったと思った。しかし、私は集
団を動かすのは個人だとも思うので、広島大学生として原爆・平和問
題に対して考えて、行動していきたいと思う。
法・ 2 ・男 これまで平和学習のような授業は何度も受けてきたけど、
これまでの授業と同じように感じるところと、これまでとは全然違う感じ
方をする点がいくつかあった。私は沖縄県出身で、これまでにいくつ
もの体験談やコラムを読んできたけど、やはり根本的なところは同じだ
なと思った。せっかく広島の大学に進学してきたので、そうゆうところも
いろいろ吸収して卒業したい。これから個人的にも積極的に戦争や
平和について調べたりして学んでいきたいと思う。
法・ 2 ・男 今までにも原爆を通しての平和学習はしたことはありまし
たが、何度原爆の話を聞いても背筋が固まるような感じになります。
戦時体制下の学校では戦争のための学徒出陣や武器などの製造に
寄与していたということは紛れもない事実であり、直視しなければなら
ないと思います。当時の天皇を頂点とする体系のもとでは上層部の
意志により国民総動員で戦争に取り組んできました。私は現在でもこ
のことは起こりうるのではないかと思います。四人に三人が戦後生ま
れとなった現在では原爆の恐ろしさ、平和意識が薄れているような気
がします。そんな現状では再び悪夢を繰り返えす可能性はゼロでは
ありません。オバマ米大統領が被爆地の広島、長崎に訪問するので
はという計画があります。そういった活動を通して全世界規模で平和
意識を永遠に絶やさないようにするのが私たちの責務であると思いま
す。特に広島大学に通う身をとしてはその意識を強く持つ必要がある
と感じています。
法・ 2 ・男 原子爆弾が広島に及ぼした被害は計り知れない。一瞬
にして何十万人の命を奪い去り、広島を死の都市にした。その後も後
遺症などで苦しむ人もたくさんいたはずだ。そんな戦時中に広島大
学が積極的に学生を教育し、戦争に協力させていたという話には驚
いた。広島大学の戦争責任、そんな重いタイトルが事の重大さを語っ
ているように思えた。しかし、それは過去の話なのでいつまでも過去
にとらわれることなく、今度は広島大学が先頭に立って積極的に平和
の大切さを世界に広めていく必要があると思いました。
法・ 2 ・男 広島大学は、原爆について色々と関わっており、原爆に
関わった平和活動を多大にしていると思っていたが、講義のなかで、
広島大学がそういった活動をあまりしていないと言われていたので非
常に残念に思った。私は戦争を経験しているわけではないし、広島
の人ではないから、原爆について詳しく知っているわけではないが、
それでも広島大学はもっと原爆に関わっていてほしかった。戦争のこ
とを知る人間がこれからどんどんいなくなっていくこの状況で、広島大
学は後世の人々に戦争や原爆の悲惨さを伝えていくところであって
ほしかった、と強く思った。
法・ 2 ・男 前回もですが、広島出身なのに知らないことが多々あり
ました。私は市内の舟入高校出身なのですが、舟入高校は旧広島立
市第一高等女学校であり、 原爆により教師・生徒あわせて 676 名が
亡くなっています。これは、爆心地近くでの建物疎開作業中に被爆し、
市内の学校の中で最多の犠牲者数です。今回の授業でも広島大学
の犠牲者数が出てきましたが、犠牲者の方の手記が少なかったのが
残念でした。確かに投下後の活動(慰霊碑、保存等)も大事ですが、
そういう部分ももっと詳しく知りたかったです。
法・ 2 ・男 広島大学は、教育を中心とする大学であり、戦時下では
学生に対して「戦争はしかたのないこと。」などとおしえていたので、
いくらそれが国家の方針だとしても、許されるべきことではなく戦争に
対して重大な責任があると思い、なんだか非常にせつなく感じました。
しかし現在ではその反省もあってか『平和学習レポート』というものを
実施しており、戦争に関して今まであまり触れることのなかった学生た
ちに一度深く考えるための機会を作っているので、そのあたりは良い
ことだと思いました。
法・ 2 ・男 戦時下、広島大学の源流たる諸学校はその学校として
の機能をほとんど失い、戦争を続けていくための手助けをするための
機関と化していた部分もあったという。そのことについて広島大学にも
戦争責任はある、という言葉が授業で出た。私は今まで自分に関わる
ものに戦争責任があると考えたことはなかったし、自分の世代と戦争
はなんら関係のないものだと思っていたのでこの言葉には大きなショ
ックを受けた。広島ときいて原子爆弾が投下された町と連想する外国
人も多いと聞く。広島にある大学やそこに通う学生が戦争について何
- 583 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
を学び、何を思っているかを知りたくて広島大学に留学する人もいる
かもしれない。我々学生はもっと戦時下にあっての広島という都市に
ついて考えるべきなのかもしれない。
法・ 2 ・男 私の出身高校は爆心地から約 1 , 5 キロメートルの位置
にあり校舎は全壊し犠牲者も出ました。今は跡地となっている広島大
学はそこから爆心地から逆方向に 1 キロ程離れているが多くの犠牲
者がでたと聴いた。それなのに原爆投下から約 30 年間慰霊碑はお
ろか慰霊祭も行われていなかったことは正直非常に遺憾に思った。と
いうのも大学というところは多くの若者が集まるところである。原爆投
下は人類の負の歴史である。負の歴史であるからこそ風化させては
ならないはずだからだ。現在は行われているようだが、それを訊いた
時広島の人間として恥ずかしかった。
法・ 2 ・男 原子爆弾の投下は多くの孤児を生み出したという点で非
常に罪深いことであったと思う。はだしのゲンの登場人物のような思
いを多くの孤児たちがしたと思うと胸が痛む。そして広島にある広島
大学がどのような形で原子爆弾投下からの復興に関わっていたのか
は知らなかったので自らが所属する大学がどのように関わっていたの
かを知れたという点では非常に有意義な授業だったとおもいます。記
念碑を傷つけるといった行為は許してはならない行為であり厳罰に
処するべきだとも思いました。
法・ 2 ・男 原爆が投下されたのは広島大学が創設される以前の出
来事だったため、広島大学自身とはあまり関係がないのではないかと
思っていた。しかし、広島大学の前身となった諸学校が、人的にも物
質的にも甚大な被害を受けていたということを初めて知って、「原爆」
というものが広島大学に与えた影響はとても大きかったんだと考えさ
せられた。そして、「原爆」というものを実際に体験し、今もまだその被
害の爪痕が残る広島という土地にあるからこそ生まれる思いや考えが
あるんだと感じた。
法・ 2 ・男 広島が地元なので、平和学習の類には慣れていました
が、大学での研究として今まで見たことのない視点や意見はやはりそ
れまでの聞いたものとは少し違うものでした。学術的にしっかりしてい
る部分も大切ですが、当事者の人たちの視点でも物事をとらえなお
すこともできてよかったです。当時はまだ広大ではなかったとはいえ、
僕たちと同じ学校に通っていた遠い先輩が巻き込まれた状況は、決
して他人事として考えてはいけないと思います。当時は広島大学の
前身となった学校でも戦争に迎合していたときいて、そういう時代だっ
たのだと実感しました。
理・ 1 ・男 今回の講義を受けて、いかに原爆と広島大学が深い関
係にあるのかを知った。第一に教育、研究機関であるはずの大学が
軍事技術の開発研究に手を染めたことはその後の衛星技術などに
応用されたことを考えても嘆かわしいことである。僕も理系の学生なの
である程度は理解できるが自分の研究が戦争に加担したと考えると
いたたまれない思いだろう。戦争を知らない人間が半数を超えた現
在再び過ちを犯さないためにもその悲惨な過去を伝えていくのは
我々若い世代に課せられた責任だろう。
理・ 2 ・女 修業年限の短縮や授業停止、学徒出陣や学徒動員など、
戦争による影響を最も強く受けたのは学生であると分かりました。また、
山中高等女学校のように動員された先で原爆の被害を受けるなど、と
ても残酷なことだと思います。現在、戦争を実際に体験した方はどん
どん減ってしまっています。近い将来、後世に伝えていかなければな
らない体験談を聞くことができなくなってしまいます。戦争の悲惨さ、
また、殊に広島または長崎に関しては原爆の凄惨さを訴え続けるた
めにも、貴重な資料としても、体験談をまとめ保存する、ということはと
ても重要なことだと感じました。
理・ 2 ・女 広島に原爆が落ちたということは知っていたが、今回の
授業で広大の前身諸学校の原爆被災の状況や、広島大学による原
爆問題、平和問題に関する取り組みについて学び、改めて広島が原
爆の被災地であり、どれだけ被害が大きかったかということを実感した。
あらゆる原爆問題、平和問題に取り組んだ教授の方々はとても日本
社会に貢献することをされたし、広島大学は国際的にも重要な役割
をはたしていたんだなぁと思ったが、同時に戦争に協力する体制を見
せてていたことも否めない。一生懸命大学で学んだことを戦争のため
に使ってしまうのはとてももったいないことだし、残念だと思う。広島大
学の歴史とは関係ないことになってしまうかもしれないが、いくら大学
で素晴らしいことを学んだとしても、その知識をいかにうまく使うかでた
どり着く先は全然違うんだということを今日の授業をもって実感した。
大学を卒業し、社会に出た時に、人のためになることができる人にな
るよう、勉学に励みたいと思った。
理・ 2 ・女 今回の授業では、原爆の被害などにふれつつ、広島大
学における原爆の被曝死没者の慰霊や、原爆問題、平和問題につ
いて学習しました。今回授業では、広島大学の関係者が、原爆ドーム
の保存工事や、核実験を食い止めるような運動などの原爆問題、平
和問題にとりくんできたことを学習しました。それで私は、世界で始め
て被爆したヒロシマにいる限り原爆問題について、平和問題について
考えたりすることは、大切なのではないかと考えました。
理・ 2 ・女
今日の講義で、原爆について学びました。私は生まれも
育ちも広島なので、幼少のころから平和学習はしてきましたし、とても
興味がありました。が、広島大学と原爆という視点から初めて考え、驚
く点がたくさんありました。まず、広島大学の教授達が、思いのほか平
和活動に参加されていたことでした。大学に辞表を出してまで座り込
みをしたという人がいて、本当に驚きました。また、自分の所属する理
学部にある門が、被曝されたものだったということも初めて知りました。
合格発表のときに、素敵な門だと思っていたことを思い出しました。も
っともっと平和を希求する心を忘れずに生きていきたいと思い直しま
した。
理・ 2 ・女 私はこの講義を受けるまでは、広島と原始爆弾の関係し
か考えたことはなかった。つまり、広島という都市が、原始爆弾投下後
からどのように復興してきたのかという面からしか考えたことが無かっ
たのだ。しかし、今回の講義を聴いたことにより、この広島大学自体及
び前身校がどのような状態になったのか、そして、この広島大学にな
ってからはどのように原始爆弾の歴史と向き合ってきたのかを知ること
が出来た。一番興味深く思ったのは、広島大学での慰霊祭について
だ。確かに、この大学に入学してから丸一年以上経ったが、慰霊祭
の存在を耳にしたことは無かった。また、慰霊碑の存在も、あまり気に
留めたことが無かった。漠然としたイメージで、慰霊碑があるのは広
島市の川沿いという感覚があったからだ。しかし、被爆した学校であり、
犠牲者がいたのだから、移転しても慰霊碑はあるべきだと改めて実感
した。私は原始爆弾について知りたくて、この春休みに原爆資料館に
行ってきたが、今回の講義ではその時に知ったことにさらに枝葉を増
やせるようなものとなった。広島大学生として、しっかりとした原始爆弾
の知識を持っていたいし、知っておくべき歴史なので、今回の講義は
大変良かったと思った。
理・ 2 ・女 やはり、戦争や原爆の話は何度聞いてもなんとも言えな
い感情がこみ上げてきます。自分達と同じくらいの人が何人も被害を
受け、とても苦しんでいたことを想像すると、本当に胸が痛くなりまし
た。現在、広島大学では数々の平和活動を行っているのに対し、私
自身はそれに共感し、さらに今後も平和をもっと世界中に訴えていく
べきだと思いました。それが、現在生きている私達への使命ではない
かと思います。そして、一刻でも早く戦争をなくし、これ以上戦争で苦
しんだり悲しんだりする人が少しでも減少し、笑顔の溢れる平和な世
界が訪れることを心願いたいと思いました。
理・ 2 ・女 私は広島県出身なのですが、私のいた中学校では毎年
8 月 5 日に慰霊碑を掃除して慰霊祭をおこなっていました。また、高
校でも 8 月に慰霊祭があり、毎年慰霊碑に飾るための折鶴を生徒全
員で折っていました。ところが、広島大学では慰霊碑はあっても慰霊
祭のような行事はしていませんよね。県外から来ている学生も多いの
でしょうがない気はしますが、私はぜひ慰霊祭はやるべきじゃないか
と思います。慰霊祭をすることで「自分は広島県の学生」であるという
意識を持てると思うのでぜひやってほしいです。
理・ 2 ・女 小学校時代から平和学習で広島・長崎の原爆や戦争体
験を聞き、ある程度のことは知っていましたが、今回の講義であらた
めて戦争の悲惨さをしみじみと感じました。原子爆弾の開発に関して、
科学者が自分の研究しか頭になく、周りの意見を聞かなかったため
に、原爆が投下されてしまったことは、理学部に在籍する私にとって
しっかりと肝に銘じておかなくてはならないと思いました。また、学部
にある大きな扉が原爆にあっていたのを知らなかったので、今度じっ
くり見たいと思います。
理・ 2 ・女 広島の原爆による被害は小学校のころ学んで、実際に
原爆ドームや平和記念館を見に行きました。だから、あの悲惨な出来
事をこの広島大学は経験しているということを考えると、被爆した先輩
方を尊ぶ気持ちになりました。また、当時の広島大学の教師たちが、
戦争に協力的だったということを聞いて、とてもがっかりしました。そう
せざるをえない環境だったのかもしれないし、そういうふうに教育され
たのかもしれないけど、戦争はダメだといえる教師であってほしかった
と思った。
理・ 2 ・女 今回の講義を受けて、僕は改めて戦争の悲惨さと、原子
爆弾がいかに強大であったかを思い知ることになりました。被災者の
手記が大変臨場感に溢れていて、原爆は人々の心にやきついてい
るのだ、と感じました。また直接的な関係のない留学生も被災してい
ると知って心が痛くなりました。しかし、広島大学ではあまり大々的に、
被災者の慰霊行事を行っていない気がします。もっと行事の規模を
大きくして、原爆被災地の国立大学として、国民に知れわたるように
なればいいと思いました。
理・ 2 ・男 原爆に関する日本やアメリカだけでなく世界中の人の考
え方の違いによって引き起こされる問題はとても難しい問題だと思い
ます。しかし、原爆という非常に残虐なものが広島に落とされたという
のは事実で、やってはいけないことであり、広大生としても原爆の恐ろ
しさをこれからも伝えていかないといけないと改めて感じました。
理・ 2 ・男 私は広島出身なので原爆のことについてよく考えること
が多いのですが、今回の内容は広島大学の歴史という授業の枠の中
で考えるにあたり、広島大学が原爆というものとどのような関係がある
か分かることができました。実際は広島大学という大きな組織というわ
けではなく、大学の教授による平和活動・非核運動などによって世界
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に向けてメッセージをだしてきたのだと知った。広島大学については
はどうしても、一応やっている・広島の大学だから・・・というような義務
感の元で最低限のことだけをしているという印象が付いてしまった。
理・ 2 ・男 広島出身ということもあり、今回の原爆と言うタイトルに講
義前から興味をもっていた。毎年のように平和について学習していた
ため、講義の内容に難なく入っていけた。と言っても、今まで勉強して
いたのは戦争についてだけであり、広島大学についてはまったく触
れていなかったため、新たな知識が身についたと思う。原爆による広
島大学の前身諸学校の生徒、教職員の死没者の数を見ると、改めて
被害の大きさに唖然とする。広島大学にも原爆における資料があると
知ったため、機会があれば一度見てみたいと思った。
理・ 2 ・男 今回気づかされたのは、広島大学は単に原爆の被害者
であるだけではないということだ。 x 実は、広島大学にも、重大な戦
争責任があった。もともと、高等学校の教諭は師範学校を出ていない
となれないという決まりがあったようだ。当時の日本の教育は、戦争を
肯定する教育方針を徹底していた。つまり、広島大学では、戦争肯
定の思想を将来生徒に教えるように教育された。つまり、広島大学に
は、日本が戦争に突き進むのに加担していたことになる。個の事実に
は驚いたと同時に、納得した。たしかにそうだと思った。
理・ 2 ・男 私は、この前の日曜日に原爆ドームを初めて訪れました。
原爆ドームは被爆から 50 年経った今でも、私達に原爆の悲惨さを訴
えてきました。そのことを頭に置きながら、今回の講義を聞いていまし
た。被爆後の写真を多く見ることができました。その中に理学部門扉
の写真がありました。私は理学部の 2 年生で、ほぼ毎日その扉を目
にしていました。それは、被爆当時のものだと知ってびっくりしました。
知らないうちに、広島大学と原爆の歴史に触れていたのだと感じまし
た。
理・ 2 ・男 私は今回の講義を受けて、あらためて戦争(原爆)の悲惨
さを感じました。自分が広島大学への進学を決めたとき、広島といっ
たら『原爆』というイメージがありました。以前、『はだしのゲン』というア
ニメを見たこともあったし、なんとなくではありながら広島のことについ
て勉強はしていました。広島に来てからも『原爆ドーム』を訪れる機会
があり、よりいっそう原爆について知ることとなりました。私は、鹿児島
に住んでいますが、同じ日本でも戦争について学べることが違うので、
この広島でまなんだことはとても貴重です。そして、講義を通じてさら
に多くのことを知れてよかったです。
理・ 2 ・男 僕は広島県出身なので、小さい頃から原爆資料館に行
ったり、学校で平和学習があったりと戦争について学ぶ機会が多かっ
たのですが、広島大学の前身校の生徒がたくさん被害にあっている
ことは初めて知りました。また、理学部の正面扉やタイルが被爆した
当時のものということにも驚きました。当時広島市内で看護婦をしてい
た祖母は、戦争体験が風化していくことが恐ろしいと話していました
が、大きな被害を受けた広島の大学として、学び伝えていくことが必
要だと感じました。
理・ 2 ・男 原爆によって広島は大きな被害を受けたことはもちろん
知っていたし、広島大学の建物もたくさん破壊されたことも知っていた
が、 70 年代まで広島大学には原爆死没者の慰霊碑がなく慰霊祭も
なかったことを資料でみて驚いた。しかし広島大学は広島にある大学
として核兵器の廃絶や平和活動をもっと盛んに行っても良いのでは
ないかとも思った。また広島大学は戦前から教師になる人が多かった
ということもあり、ある意味戦争に協力をしていたという話に共感した。
理・ 2 ・男 僕が前々から授業を受けたいと思っていた広島の戦争、
つまり原爆について学べてとてもうれしい?興味深かったです。今と
なっては戦争はおもてだって起きてはいないが、それはアメリカの広
島や長崎への原爆がどういうものだったのか世界の人々の理解が深
まっているからだと思います。しかし、戦争はいまゼロかといえば違う。
それは人それぞれが思う平和が違うからだと思う。しかし話合いで解
決させるのがやっぱりいいのではないかと思う。
理・ 2 ・男 今回、原爆と広島大学について学んだのですが、この二
つは深く関係していることに驚きました。配布されたプリントにかいて
あった広島大学原爆死没者の表をみてつい最近まで原爆症に苦し
められている人がいるのを知って悲しくなりました。また、私の知合い
に広島の大学出身のおじさんがいるのですが、その人の話しをききま
した。おじさんが言うにはキャンパスが原爆の影響をうけてぼろぼろに
なっているのが原爆ドームのようにいまだに残っているそうです。この
ような戦争を戒めるものが残り続けることは後の世に残すべきものの
ひとつであり、そして戦争は絶対にしてはいけないものだと改めてお
もいました。
理・ 2 ・男 講義では広島大学の平和の維持の活動を、ありとあらゆ
る面から指摘されていましたが、自分なりに考えてみて、やはり、今の
現状から考えてみて、もっと積極的に平和の声明、原子爆弾の反対
すなわち非核三原則を掲げて、日本あるいは世界に唯一の被爆国と
して、うったえかけるべきだと思います。そして、核戦力撤廃に向けて
これまで努力してこられました、数々の偉大なる方々に感謝しつつ、
今の自分にできることをこれからもずっと考えて生きたいです。
理・ 2 ・男 私は広島出身なのでおそらく他県出身の人よりも戦争や
原爆、平和についての学習は多くしてきたと思う。しかしそれでも今回
の講義で今まで知らなかったことがたくさん発見できた。広島大学の
前身校での被害状況説明のときに、学校によっては 400 人近い死者
が出たと言うのを聞いて驚いた。そして自分達と同じ年代の人達がそ
れだけ被害にあっていると知って自分達が平和を祈る必要性をとても
感じ、次の世代にも受け継いでいかなければならないと思った。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、今の時代に生きる我々が学業や
日々の生活においてどれだけ恵まれているのかを感じさせられました。
戦時中、今私たちが普通に講義室に行き普通に講義を受けていると
いうことが普通ではありませんでした。多くの学生が戦争に駆り出され、
工場で働き、原爆の痛みを味わうことになったと思います。だから、広
島は、広島大学は原爆を味わったものとして、その痛みが後の世に
忘れ去られないために、積極的に平和学習を取り入れたり、大学内
で平和に関する式を開いたりするべきではないかと思いました。
理・ 2 ・男 当時は全国が「戦争のために」一丸となっていたために、
教育に関しても「戦争で使える人間育成」をモットーに進められてい
たという印象が大きかった。その時の学生はそれが当り前で国のため
に一生懸命頑張ることが大事だと思っていただろうということを今の世
代の私から考えると、何だか複雑な心境になる。一発の原爆で当時
の広大の理学部が一瞬にして大破されたことを想像するととてもおぞ
ましい。今とても平和な中私達はゆったりと勉学、青春に勤しめるの
でとても幸せ者なのだということを再認識した。この平和に対して平和
ボケすることなく、昔の人々が生きたかった 1 日 1 日を充実した実り
のあるものにしたいと思った。
理・ 2 ・男 広島大学の前身校は原爆の被害を受けたにもかかわら
ず慰霊碑がなく慰霊祭も行われたこともないと言う事実はとても驚い
た。しかし、実際に当時の広島大学は国体論の宣揚や戦争に協力す
る教師養成などの戦争協力をしており、その事が深く関わっているの
かと思った。大学というものはどこもそうだと思うが、在学している各個
人が自発的・積極的に活動をしないとあまり大学にきた意味がない気
がする。大学と言うのは、中学校や高校の様にあまり束縛しないから
だ。ただ広島大学は原爆を受けた大学として私達に平和活動の呼び
かけや平和学習の講義を増やすなどの行動をもっとして欲しい思っ
た。また自分も広島大学に来たのだから積極的に平和活動をしてい
きたいと思った。
理・ 2 ・男 去年から広島に住むようになった自分は、現在の広島県
は平和について意識を強く持っていると感じていた。広島大学でも入
学当時から平和についてのレポートの提出などがあり、自分も改めて
平和の尊さというものを感じた。今回の講義においても広島大学の機
関あるいは関係者による研究所の設置など、いかに原爆問題、平和
問題について取りくんでいるかがわかり、これから広島大学の歴史を
この講義で学んでいくとともに、もう一度平和について考えていきたい
と思う。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて印象に残っていたことは、広大には
原爆被害者の慰霊碑がないし、慰霊祭も行われたことがないというこ
とでした。これは、ヒロシマと広大の関わりを考える上で、重要な問題
であると私も感じました。広大の前身である諸学校の教職員・学生・
生徒・児童の中にも被爆して死亡した人が多い、その数は計 824 人
にものぼることを知り、不思議な気持ちになりました。やはり年に一度
は広大でも慰霊祭を行うべきなんだろうと思いましたが、実際のところ
私は岡山出身の身であり、正直慰霊祭と言われてもピンときません。
そんな気持ちで慰霊祭を行っても、実際に原爆の被害で苦しんだ、
苦しんでいる人たちに失礼なのではないかと思いました。今回の講義
を受けて、改めて原爆の恐ろしさ、被害にあった人の苦しみを痛感し
ました。
理・ 2 ・男 私はこの講義を受ける前に予想していた内容は、原爆が
落とされた後にいかに被害を受けた人々を助けたかというものでした。
しかし実際の講義は終戦後の落ち着いた後の追悼の仕方というもの
であったため、最も重要な戦後の被害を受けた人にどのように対処し
たかについて講義をしてほしいと感じました。私は広島にある修道高
校という学校卒なのですが戦争に動員されていた学校に入っていた
のに衝撃を受け、あまりの死者の数の多さに驚きました。今思い出し
たのですが母校に慰霊碑があったのはこのためであったのだと知り、
今まで知らなかったことが恥ずかしくなりました。
理・ 2 ・男 平和と広島は切っても切り離せない関係の中で、当時の
広大はどうであったのか非常に興味深かった。やはり講義を聞いてい
く中で広島大学はものすごい被害を被ったことがわかった。また、原
爆の遺跡がいたるところにあり、平和を考える会が催されていることも
今回の講義ではじめて知った。毎年、入学時に平和についてのレポ
ートを提出することになっているが、やはり広大生としてこのような取り
組みは必要不可欠だと思う。原爆と広島大学を考えることにより、いっ
そ平和への関心が高まった。
理・ 2 ・男 広島と原爆は切り離せない問題であり、その関係の中で
広島大学がどういう位置に、またはどういう取り組みをしているのかは
非常に興味深いことでした。資料を見てもやはり被害は大きく、当時
の広島大学の前身諸学校が酷い状況にあったことが伺える講義でし
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
た。生徒、児童が戦争に行かされ、多くの命が失われたことは非常に
辛い過去だと思います。現在の広島大学の平和への取り組みは、僕
自身学生としていくつか知っていることもありました。その一つに原爆
放射線医科学研究所があり、国立大学では特殊な施設だと認識して
います。また平和学習としてレポートの提出があるなど、多岐にわたり
その取り組みが見られると感じました。
して、もっと早くから平和活動に取り組めなかったのでしょうか?その
当時の時代背景では難しかったのかもしれませんが、このことは少し
驚きでした。今も、広島大学の学生より、平和に対する意識の高い学
生はたくさんいます。ひとそれぞれ、興味や関心が違うので仕方ない
ことかもしれませんが、もう少し大学全体として、平和意識を高める運
動をすれば、学生の平和に対する意識も向上すると思います。
理・ 2 ・男 原爆はやはり人間が行ったもっとも罪な行為だと思う。そ
もそも原爆の原理を考えたアインシュタインは悪くないととても思う。そ
してアインシュタインはとても広島が大好きだったと言ってる。広島大
学は原爆で壊れたにも関わらずよく立て直したと思う。やはり広島大
学の歴史は濃く、深いと思った。広島の今の発展は宮崎出身の自分
からしたらとても感動した。
理・ 2 ・男 1945 年に広島に原子爆弾が投下されたが、爆弾自体
の威力は長崎の方が強いとは知っていたが、原爆というと広島のイメ
ージがあった。長崎の方が被害が大きいはずなのになぜだろうと思っ
ていたが、それは地形の問題だということがわかった。広島の地形は
平らだが、長崎の地形はおわん形のようになっており、広島の方が被
害が大きかったのだ。今は時間がたち原子爆弾の記憶も薄れてきた
がこの恐怖はずっと語りつがなければならないと思う。
理・ 2 ・男 広島大学の原爆問題、平和問題への取り組みを知り具
体的な活動内容や、誰がなどということを知った。原子爆弾が広島に
落とされたという悲惨なことが過去にあったという事実はゆるぎないも
ので広島大学がそんな土地にあるということを現在通っているぼくた
ちは何かしら意識して、こういった講義をきっかけにして平和教育や
そういった活動に参加したりするべきなのではないかと思えたしいろ
いろ調べてみて、たくさんの知識を得ることも大切なことだと思えた。
理・ 2 ・男 原子爆弾が昭和 20 年 8 月 6 日に広島に落とされたが、
僕が予想していたよりも広島大学の前身校の人の被害者は少なかっ
た。とはいえ、原爆により多くの人が亡くなりました。僕の祖母のお兄
さんも原爆で亡くなったと聞いています。正直、なぜアメリカはそのよ
うな一瞬にして多くの人を殺してしまう爆弾を落としたのかすごく疑問
です。僕は、昔の広大の教授さん達がいろいろな活動をしていること
を初めて知りました。中でも森滝さんの「精神的原子の連鎖反応が物
質的原子の連鎖反応に勝たねばならぬ」というフレーズが印象に残
っています。日本に住んでいる以上、核兵器廃絶、平和への取り組
みをしっかりしないといけないと実感しました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けるまでは原子爆弾とはただ多くの人を
苦しめただけのものだと思っていました。しかし、実際は原爆によって
広島大学の発展を遅らせることにもつながったと知り改めておそろし
いものだと感じました。よくアメリカの人が原爆によって戦争を終わら
せることが出来た、よって原爆を使ったことは良かったなどと聞くこと
があります。確かに原爆が投入されなかったら戦争が長引き多くの死
者が出ていたかもしれません。しかし、そののちに原爆によってさまざ
まな進展が遅れたことを考えるととても原爆を投入したことを一概によ
かったとは思えません。
理・ 2 ・男 今回の授業は前の授業のように早足で歴史を解説して
いく感じかと思っていたけれど、ドキュメンタリーのような授業でとても
面白かったです。戦争の被害から立ち直り、早急に復興、またはその
惨状の伝承や核兵器廃絶を訴えていったのは大学当局よりも教授や
学生といった個人であったことがとても面白く感じました。何か厳しい
事態に直面した時に、組織を作って大きなことをなすことはもちろん
重要だけれども、 1 人 1 人でもその状況に対してやれることがたくさ
んあるんだなと思いました。確かに広島大学の前身校に戦争責任は
あるかもしれないけれど、広大だからこその働きもしっかりしていて、よ
り一層広大のことが好きになりました。
理・ 2 ・男 広島大学の前身校の被害者数には驚きました。原爆に
よる悲惨な被害を直接あらわしているように感じました。その被害から
立ち直り、核廃絶、平和研究の道を突き進んだ広島大学当局、教員、
学生の働きを知ってとても感動し、広島大学に在籍していることを少
し誇らしく感じました。またその運動をより早く引き起こしたのは当局
ではなく教授や学生などの個人であることが特に興味深かったです。
人一人一人が持つ思いの強さ、行動力の強さを強く感じました。今回
の授業では今の広大の性格をより深く理解できてとても面白い授業
でした。
理・ 2 ・男 広島県に引っ越してきてから約 1 年になるが、広島大学
のキャンパス内に原爆被害者の慰霊碑などがないのを見落としてい
た。実際今回の講義を受けてキャンパス内を見てみると本当にない
んだなと思った。また自分は理学部なので理学部棟にある門?はよく
見ていたがそれが戦後にこちらに持ってこられていたとは知らなかっ
た。今回の授業で自分の知らないこと、思い込みがキャンパス内にお
いてもあったんだなと気づかされた。
理・ 2 ・男 原子爆弾の被害を受けた県である広島の大学である広
大が原爆と深く関わる行事や慰霊碑を作っていなかったというのに驚
きました。今現在、広大で慰霊行事が行われているのがあまり知られ
ていない現実に驚きました。私は 6 歳から広島にいて、学校で平和
学習というものを受けてきましたが、広大での活動に関しては、この講
義を受けて初めて知りました。広島に住んでいてこの状況ではいけな
いと思うと同時に、この状況を知った私達が広大と原爆を受けたヒロ
シマとの関わりの正しい今を伝えなければならないと思いました。広
島でさえ平和学習が形骸化しているように思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義で驚いたことは、広大の前身校の多くが原爆
の被害にも関わらず、平和に関する大学としての取り組みが 1970 年
代までなかっということです。原爆の被害を直に受けた都市の大学と
理・ 2 ・男 今回の講義を受講して、原爆によって前身校がこんなに
被害を受けているとは知らなかった。今日の講義で最も興味を持った
のは、広島大学の機関における原爆問題・平和問題への取り組みで
した。原爆放射能医学研究所での放射能による被害の治療や予防
に関する研究です。このように大学が問題解決に貢献することはとて
もいいことだと思いました。原爆による被害で、広島大学の包括校は
多大な被害を受けていることを知って驚きました。今回の講義はとて
も勉強になりました。
理・ 2 ・男 講義でも取り上げられていたが、広島大学内に慰霊碑や、
世界平和に関するモニュメントなどがないことは、私も入学当初から
疑問に思っていた。入学時のレポート課題のため市内を訪れたことが
あるが、そこと比べると広大やこの付近には全くと言ってよいほどない
と思う。しかし放射線研究所などの存在を知るにつれて、さまざまな取
り組みがなされていることが、広大で過ごすうちにわかっていった。さ
らに今週の講義でも、前身学校の教授や学生が数々の平和運動に
貢献してきたことがわかった。これらのことは恥ずかしいことにほとんど
知らなかった。もっと興味を持って生活したい。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、僕は改めて戦争の悲惨さと、原子
爆弾がいかに強大であったかを思い知ることになりました。被災者の
手記が大変臨場感に溢れていて、原爆は人々の心にやきついてい
るのだ、と感じました。また直接的な関係のない留学生も被災してい
ると知って心が痛くなりました。しかし、広島大学ではあまり大々的に、
被災者の慰霊行事を行っていない気がします。もっと行事の規模を
大きくして、原爆被災地の国立大学として、国民に知れわたるように
なればいいと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受講して、広島大学に入学して 1 年にな
るのにまだまだ知らないことがたくさんあるんだなと思った。こんなにも
広島大学の前身校が被害にあっているとは予想できなかった。原爆
については小学校などの時いろいろ習っているけど、いつ聞いても
二度とこのようなことが起こってはならないと考えていたが、今回改め
て実感させられた。広島大学の研究機関による放射能の研究はとて
も素晴らしい事だと思った。もっとこのような機関や施設が増えればい
いなと思った。
理・ 2 ・男 戦争があった 1945 年には広島市内に広島大学のキャ
ンパスがあったので、大変などころでない被害が出てしまったがそれ
からの広島市民が一丸となって復旧活動に従事したことによって、今
自分がこの広島大学で勉学に励めることにありがたみを感じた。自分
は戦争を体験していないし、原爆の威力やそのおそろしさとかといっ
たものも当然のごとく体験していないので、うまく言うことはできないが、
やっぱり原爆のような大量殺人兵器は存在してはいけないと思うし、
そういう研究をしている人もいてはいけないと思う。この先このようなこ
とがおきず、平和な世界になっていけばいいと思った。
理・ 2 ・男 原爆について漠然とした知識しかありませんでしたので、
今回の講義を聞いて、さらに原爆投下の背景について知ることができ
ました。原爆は直撃弾のように跡が残らないということも、この講義で
初めて知ったくらいです。特に、文系の生徒を優先的に学徒動員し、
理系の生徒は今後の技術開発(当時は戦争のための技術開発)のた
めに教育させたことについて、学問の自由が保障されてなかったの
だなと思いました。だから、今、自由に学問を学ぶことができる時間を
大切にしていきたいなと思いました。
理・ 4 ・男 まず最初に思ったのは、原爆と広島大学の間に関係が
あるのかなと思っていたのだが、講義を聞いたところによると、広島大
学の前身諸学校は広島市にあり、その被害はすさまじいものでした。
また、現在も原爆の被害による死亡者は増加を続けています。しかし、
広島大学には原爆被害者への慰霊碑もなければ、慰霊祭も行われ
たことがないということで、その点については少し残念に思いました。
今年は被爆 60 周年という節目の年であるということなので、もう一度
原爆に目を向けるべきなのではないかと思います。
理・ 4 ・男 原爆被害者に対して、広島大学としての対応について、
無関心であるとして痛烈に批判されているのは驚いた。やはり広島の
国立大学として、広大には率先して平和に関しての取り組みを行うこ
とが求められているのだと思った。その後で、数々の広大の関係者の
方々が原爆問題、平和問題に取り組んでいる例を紹介していただき、
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指摘を受け実際に広大がどのようにこの問題に取り組んできたかを知
ることができた。特に、「安らかに眠ってください/過ちは繰返しませぬ
から」という碑文を撰述・揮毫したのが広島大学の教授の方だというの
は素晴らしいことと感じた。
理・ 4 ・男 今回の授業を受けてみて、広島に原爆が投下された時
のいくつかの広島大学の前身校の被害状況がいろいろとわかりまし
た。レジュメにある広島大学の原爆死没者数を見てみると、 800 人以
上の人がいました。また、広島大学にいくつか原爆遺跡があることが
わかったので、今度調べてみてもいいなと思いました。
理・ 4 ・男 今回の授業を受講して、原爆の被害にあった後に人々
がどれだけ一生懸命復興に取り組んだのかを感じることが出来ました。
そして、その凄惨な出来事を決して忘れてはいけないと思いました。
僕は「過ちは繰り返しませぬから」という言葉の「過ち」とは原爆を使用
した事ではなく、戦争自体の事だと思います。なので平和記念公園
にある慰霊碑が傷つけられた事は、とても悲しい事だと思いました。
犯人の供述からは戦争に対する反省が伺えず、原爆を落としたアメリ
カに対する憎しみしか感じられませんでした。こういった考えの人が
一人でも少なくなればいいと思います。
理・ 4 ・男 戦後 60 年を越えた現在、戦争というものを(当然)体験し
たことのない世代である自分。戦争や原爆を資料や体験者から聞くこ
とでしか知識をもってなかったが、今回の授業ではまた新たな自分の
知らないことが学べた。広島大学原爆死没者追悼乃碑や東雲分校
子どもを守る会の原爆孤児精神養子運動、数々の広島大学関係者
による原爆問題への取り組み。原爆により苦しんだ人々の思いや
様々な平和運動、広島県民として知らなければならないことはたくさ
んある。今さらながら改めて、原爆投下を絶対に容認してはいけない
と思った。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第4回】
新制広島大学はこうして生まれた
医・ 1 ・男 前々回学習したとおり広島大学は 8 校から成り立ってい
ることに他の大学の前身校の数を見て改めて驚かされました。広島大
学の設立において資金収集は原爆被害を受けた広島がどのようにし
ていったのかは前から疑問に思っていましたが今日の授業を受けて
やはり大変なことだったのだとわかりました。ポスターだけでなく野球
の公式戦でもって資金を集めていたというのは驚きましたし、それだ
け当時の人々のそこまでしてでも広島に国立の大学を作りたいんだと
いう思いが大きかったんだということを感じました。
医・ 1 ・男 新制の広島大学の成立過程を九州工業大学との比較か
ら考えていく講義は自分の予想していた講義とは異なっていたため、
興味も引かれたし、違った観点から広島大学の歴史を知ることができ
とても勉強になりました。特に興味を引かれたのは、広島大学が 8 校
から統合された大学であり、またこういったケースの大学は珍しいとい
う点です。このことを聞き広島大学の前身の学校についても興味がわ
くと同時に改めて広島大学の歴史の深さに驚かされました。
医・ 1 ・男 中国地方に総合大学を一校しかおかない方針の当時の
文部省と大学を委譲されてもそれを維持できない苦しい財政の県、
そして総合大学の誘致を熱望する地域の人々、さらに同じ思いを抱く
岡山や山口の運動など多くの人の思惑がぶつかって、今の総合大学
としての広島大学があるのだと思う。今回の比較対象であった九州工
業大学の例をみてもどれだけ大学関係者が総合大学への昇格を望
もうと、地域と疎遠であれば単科大学への昇格にとどまってしまうとい
うことは、地域と地方大学の関係性を明確に示していると思った。
医・ 1 ・男 広島大学ができるまでには大学関係者の活動だけでは
なく、市民の運動もかかわっていたことを始めて知りました。大学は、
学生や教職員だけでなく、その地域ともつながっているんだなと感じ
ました。また、同じ大学の中の学部間にも格差のようなものがあるとい
うのも興味深かったです。それから、九州工業大学の成立過程にお
いて、大学昇格に、なぜ五百万円集まらなくともよいとされたかの説
明がよくわかりませんでした。
医・ 1 ・男 今回の講義を受けて、戦後すぐに新制大学を立ち上げ
るにあたり、中国地方で 1 つの枠を争い、様々な誘致合戦が繰り広
げられたことを初めて知りました。九州工業大学との比較の中で、広
島大学は誘致合戦に際して地域と連携し、官民挙げて取り組んだ結
果誘致に成功したことから、特に地方においては地縁が大事であると
思いました。
医・ 1 ・男 広島大学ができるにあたって平たんな道のりではなく
色々な困難があって、苦労して広島大学がいまの社会的地位を手に
入れたということが非常に意外だった。また他にも広島大学のキャン
パス移行にあたってのいきさつや色々な苦労も知ることができ、非常
に有意義な時間だった。これからの講義がますます楽しみになってき
た。
医・ 2 ・男 マッカーサー率いる連合国軍が日本を占領し、それによ
って日本の教育が複線型から単線型の教育い変わったので教育を
受ける側の選択の幅が広がったと言う話を聞いたので占領下になっ
て悪いことばかりだったわけではないことがわかった。また、広島総合
大学設置において岡山県、広島県、山口県の間で誘致運動が展開
されたり、財源を確保するために地域と一体になった運動が行われて
いたと聞いて総合大学設置には地域の人々の理解が必要不可欠だ
と思った。
教育・ 1 ・男 広島大学のような前身校が多い大学は国立大学に多
いことは代替予想道通りだった。また、その都道府県が文化的に発
展するか否かが総合大学の設置にかかっており、広島も例外でなく、
隣接する県との間で熾烈な競争があったことに驚いた。こうした地域
間の対立が、総合大学設置のための地域による支援も生まれ、さま
ざまな工夫が凝らされていたことも驚いた。さらに九州工業大学との
比較によって、広島大学の誕生と地域とのつながりの大きさがよくわ
かった。しかし、キャンパスの分散や学部間の格差などのひずみが生
(講師:石田
雅春)
まれたことも事実で、いかにして解決していくかが重要であると思う。
教育・ 2 ・女 今まで広島大学についての話しか聞いてこなかったけ
れど、他大学の話を聞くと、また違った視点から広島大学を眺めるこ
とができるし、逆に、広島大学の視点から他大学について考えること
ができるのだと思った。広島大学の成立において、学校教育法がか
なり大きな影響を与えた。その学校教育法自体に影響を与えたのは
アメリカ軍であるが、それだけでなく、地域住民の意思とも合致する部
分、地域住民の意思も反映されているのだと聞いて少し驚いた。さら
には、国立大学の誘致のために多くの人が署名活動などを行い、そ
して、総合大学であるということで多くの学部を設置することになった
ことから、今の広島大学が成立していった。広島大学を作るというの
は政府や県知事などの偉い人だけで勝手に話を進めていったのかと
思ったけれど、地域の人たちも一体となって進めていったものなのだ
とわかった。ただ、これほど多くの人たちが一体となって運動したにも
かかわらず、キャンパスがばらばらで一体感がまったくなかったという
のが、ただ一緒にして大きくすればいいという考えだったからなのだ
ろうかと思うと少し残念に思った。
教育・ 2 ・女 新制広島大学が地域との連携をもとに作られたと知り、
地域に感謝するとともに、広島大学の地域への貢献度が気になった。
わたしが大学生活をしている中で、地域に貢献するような事例はあま
りない。サークルでの演奏会で貢献するくらいである。わたし一人しな
くても…とは思うが、もしかしたら他の人もそうかもしれない。わたしが
知らないだけかもしれないが、全学生に知れ渡るくらいの活動をした
らよいと思う。地域に根ざした大学作りを推奨するとともに、わたし個
人でも貢献できるようになりたい。
教育・ 2 ・女 今までの講義で広島大学の前身校の歴史などについ
て学んできたけど、現在の広島大学に到るまでは当時の時代状況や
様々な成立過程があったことを今日の講義を受けて知ることができま
した。また講義を受ける前は考えてもいなかったけど、大学の成立過
程において地域と一体になった運動が行われたかどうかによって、総
合大学になったり単科大学になったりと、地域と大学との関係が現在
の大学の姿に予想以上に深く関わっていたことも広島大学と九州工
業大学の比較によって分かりました。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学と九州工業大学の成
立過程の比較に興味をもった。広島大学は地域と一体になった運動
から総合大学になり、九州工業大学は地域との疎遠により、政治的に
動く余地がなく専科大学になった。大学の成立過程に地域との関係
が影響していることに驚いた。大学は大学がある地域の場所や土地
のことで地域と関係があるぐらいだと思っていたが、総合大学になる
かどうかまでも地域の支援が必要だということが分かった。
教育・ 2 ・女 まず、なぜ広島大学と九州工業大学を比較をするの
か疑問に思ったけど、講義を受けてみて、どちらも前身校の数に違い
はあれど全国的に珍しい大学であるということが分かりました。特に、
旧制高等教育機関を 8 校持つ国立大学が、本学を含めて全国に 4
つしかなかったという事実に驚きました。広島大学は他と比べても学
部数が多く、総合大学というイメージが強かったけど、受講してみてそ
の理由が少し分かったような気がします。単科大学と比べてどちらが
良いかとは一概には言えませんが、たくさんの学部を有し、各方面で
の専門分野の研究が可能であるという点は、広島大学の強みだと思
いました。ただ、今でも学部間で差異があると思うので、今後「広島大
学」という一つの大学として、さらに学部間で相互に補佐し合うことが
出来れば、総合大学の利点をより伸ばすことが可能になるのではな
いかと思いました。
教育・ 2 ・女 新制広島大学が生まれるまでの流れを成立過程の流
れが異なる九州工業大学と比較するというのは、面白いアプローチの
仕方だと思った。様々な学校の統合により新制広島大学が生まれた
ことは以前の授業でも取り上げられていたが、そこに地域の支援・対
立があったからこその結果であることがわかった。そうして生まれた総
合大学なのだから、学部間の格差があることやキャンパスが分散して
- 587 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
いることで同一の大学であるという連帯感が損ねられるというのは避
けるべきことだと思う。現在もキャンパスは点在している状況にある。
霞キャンパスの場合、大学病院は市内にあるほうが利用者にとって便
利であるため、それに付随してキャンパスも市内にあるのが都合がい
いだろう。また、東千田キャンパスは夜間ということで社会人が通いや
すい市内に置かれるのが妥当であると思う。しかし、このような状況が
学部間の連帯感を損ねているのもまた事実であろう。
業大学と比べて、地域の人々の熱意にまで差がみられ、その結果が
現在に表れているのだなあと感じました。広島大学設立のための
人々の行動にも驚かされました。様々な委員会などの設置や署名活
動など、大学設立の裏にそのような努力があったとは知りませんでし
た。逆にいえば、広島大学設立にはたくさんの障害やライバルの存
在があったからこそ、そのような努力や人々の結束が生まれたのだと
感じました。
教育・ 2 ・女 復興日本の新学制は今まであまり理解していなかった
けども、わかりやすく説明していただいたのでとてもためになった。広
島大学が総合大学としてできた影には多数の地域の人々の尽力の
賜物だということで、その努力はすばらしいと思われた。本当に広島
に誘致したい人々の努力のおかげで広島大学がここにできたのだろ
う、と思うと感慨深いものがある。出身が福岡であったために、九工大
が単科大学としてできたのも興味を持ってきけた。地域の信頼を得て
いた大学であったにしても、応援や寄付金が集まらなかったというの
はすこし寂しく感じてしまう。その点広島大学は協力の上なりたったと
いうのは魅力的だなと思った。
教育・ 2 ・女 何個もの大学が集まって、新制大学ができるのが当た
り前だと思っていたけれど、国公立や私立によって数にかなりばらつ
きがあることに驚きました。また、九州工業大学と広島大学を比較す
ることによって、より理解しやすかったです。私は、国公立大学は国が
運営しているのであって、地域がそんなに関係しているとは思いませ
んでした。せっかく同じ大学なのだから、離れてたり仲があまりよくな
いのは寂しいことだと思います。なので多少交通の便は悪いですが、
東広島に移転してよかったと思います。
教育・ 2 ・女 九州工業大学との比較により、広島大学が総合大学と
して成立した経緯がよくわかった。前々回の授業の際に、広島大学
の前身となる学校は 8 つあるということがわかり、その多さに驚いたが、
なぜそこまで多くの学校が統合されたのか、総合大学になったのかと
いうことまでは知らなかった。今日の授業で、地域間対立が起こおり、
また地元の人達の支援のおかげで今日のように多くの学部をもった
総合大学になったことがわかった。様々な問題の中で、広島大学は
大きくなっていったのだと思った。
教育・ 2 ・女 広島大学が総合大学として生まれたことはすごいこと
なのだと、歴史を知って改めて思いました。何よりも地域と一体になっ
た運動があったことは忘れてはいけないことなのではないかと感じま
した。大学をつくりだすというのは、事業計画を見ただけでも大変なこ
とであるとわかることができ、実際には想像以上に大変なことだったと
思うから、立派な大学があること・その大学に自分が通っていることを
当たり前のことと思わずにしっかり学習して、自分の今・そしてこれか
らに学んだことを生かしていきたいと強く思いました。これまでは思っ
たことがなかったけれども、大学を生み出してくれた方々に感謝した
いと思いました。
教育・ 2 ・女 広島大学が 8 校の包括校からできた大学であることは
最初の授業で習い、知っていましたが、これだけの前身校からできた
大学が全国で 4 校しかないことに驚きました。広島大学が総合大学
として、全国の中でも大規模な学校であることに納得がいきました。ま
た、広島大学の西条移転について調べたときには様々な場所に点在
していたそれぞれのキャンパスを統合し、総合大学としての発展を目
標にしているものであって、西条の開発は大学移転のためにあとから
付いてきたものと思っていました。しかし、最初から土地開発も目的と
して視野に入れられていたことを知り、また、地域と密着して話が進ん
でいたことに広島大学へさらに興味がわきました。
教育・ 2 ・女 広島大学と九州工業大学を比較すると地域と一体に
なれたかどうかという点が大きく違った。地域と一体になれた広島大
学は東広島に校舎を集め総合大学へとなり、九州工業大学は地域
から疎遠で単科大学となった。広島大学が転移し恵まれた環境で学
生生活を送れている背景には、県全体や地域の大きな支援が基にな
っていた。広島大学が成立されるまでに多くの著名や資金の協力が
なされていた。私たち学生はこの多くの支援や協力があることを忘れ
ず、学んでいく上で様々な情報が得やすいこの恵まれた環境でしっ
かり学習していきたい。
教育・ 2 ・女 広島大学は、地域の人々のおかげで、総合大学にな
ったと知り驚きました。国立の大学はすべて、国の予算で建設し、国
が建設する必要があると判断して立てると思っていたので、県民から
の寄付が、県費よりも低く、設置も誘致運動が行われて、やっとできた
ということで、広島大学が地域と一体になってできたことが理解できま
した。そして、現在のキャンパスの分散や学部間の格差がどうしてあ
るのかということもこれでわかりました。そこで、九州大学と比べると、
九州大学は、私のイメージしていた大学の成立に近いものがありまし
た。地域の力で大学を立てたのはすごいことだと思うけれど、現在の
状況をみると、単科大学である九州大学の方が学部に格差もあまり
見られず、良いのではないかと思った。
教育・ 2 ・女 新生広島大学の設立を計画していた際に岡山県など
の近隣の県との対立があったのは旧制の諸学校などのことを考慮の
入れるとしかたのないことだと思う。しかし、この対立が九州工業大学
の様に地元の反応が低調にならなかった大きな理由のひとつとなっ
ていたと思う。また、問題もあったと思うが、新生広島大学が総合大学
として設立されたのには多くのメリットがあったと思う。その具体的な例
のひとつに地域と一体となった運動の結果に総合大学となったことだ。
そのような運動があったことによって研究などの分野において地域か
らの多くの支援を受けることができたと思う。
教育・ 2 ・女 まず驚いたことは、 8 校を統合して新しく設立された大
学が 4 つしかないことでした。さらに広島大学の特殊さを感じました。
また、広島大学と地域の関係の深さも知ることができました。九州工
教育・ 2 ・女 昔の学校形態が非常に興味深いものであった。現在
の学校はどの学校に進んだとしても進路は後々に変えることができる
ため、もし、間違った選択をしてしまったと気づいたときもやりなおしが
きく。しかし、当時の学校制度ではどの学校を選んだかで人生が決ま
ってしまうようなものだ。その決まってしまう大事な選択をしなくてはな
らない時期が小学校卒業時の年齢であることを知り、たいへん驚いた。
小学生のときに将来の選択はできない。夢をもった子供がいたとして
も途中の段階で考えが変わることも十分有り得る話だ。学校形態が見
直しされて本当に良かったと思う。また、広島大学の現在には残って
いない学部も昔はあったことが分かり、広島大学の歴史に興味を改
めて持つことができた。
教育・ 2 ・女 学校教育基本法が成立し、六、三、三、四制が成立し
た。そこで義務教育 9 年生の確立した。複線型教育から単線型教育
へ変わったことを始めて知った。官立高校の地方委譲問題で、岡山
県、広島県、山口県において猛烈な誘致運動が展開されていたと聞
いて、国立大学にしないと本当に維持できないから、とても激しい戦
いだったんだと考えた。広島大学の小括は地域の支援と地域間対立
があったから総合大学になることができ、九工大は地域の支援がなく
そして十一原則の例外だったため、単科大学になったのが分かった。
教育・ 2 ・女 広島大学と九州工業大学の何を比較されるのだろうと
思っていたが、講義を受けて両大学には大きな違いがあるのだという
ことが分かった。広島大学も一般市民の後押しがなかったら九州工
業大学のように単科大学となっていた可能性もあるのだと考えると、
市民の声というのは非常に大きな力を持っているのだということが分
かった。また広島に国立の総合大学を招致することが広島の知的発
展に大きく関わるという危機意識を当時の多くの人々が持っていたこ
とを初めて知り、とても興味深かった。
教育・ 2 ・女 今回の講義は最初、私にとって今までの講義より少し
難しい内容だなというのを感じました。しかし史料や図を使いながら、
講義してくださったので理解しやすかったです。何より 1 枚目のプリ
ントの末尾にあるまとめがとてもわかりやすかったです。九工大と比較
によって、総合大学になるか単科大学になるかは地域との連携が関
係しているのではないかというのは、とても興味深いものでしたし、や
はり地域の色が出るんだなと感じました。
教育・ 2 ・女 今回の授業では前回までの授業とは違い広島大学の
ことだけではなく、他の大学と比較しながらの授業だったので、より大
学ができるまでは大変だったということが分かった。どの点が大変そう
だと思ったかというと、「中国地方に国立大学がひとつしかできない」
となり、広島大学と岡山大学どちらが国立大学となるかのバトルだ。
今では想像もつかないが、確かに県にひとつも国立大学がなかった
ら、国立大学に通いたいと思っていても県外に出なくてはいけないの
で、県に国立大学の無い所は人口的、経済的にも不利になるのでは
ないかと思った。そのバトルの内容で、岡山大学支持者が広島県内
の福山市にやってきてポスターを貼ったというのが、なんとも攻撃的
だと感じた。福山からしてみれば、市内より岡山県の方が近いし、板
ばさみ状態だが、ここでバトルをされるのは迷惑だろうなと感じた。結
果的にどの県にもひとつは国立大学があるのでよかった。
教育・ 2 ・女 広島大学と九州工業大学との比較をして大きく違うん
だと思った。いろいろ話を聞いてやっぱり、広島大学の方がすばらし
いと思った。広島大学は、地域と一体になった運動を行い、九州工業
大学は地域と疎遠していて、やはり今現代のことを考えると地域と一
体になった方がいいと思う。新制広島大学の話をたくさん聞いて、や
っぱり広島大学生として知っておかなければいけないことがたくさん
あったので、とてもよかったと思います。」
教育・ 2 ・女 以前祖父から、自分が所属する教育学部は広島高等
師範学校から成っているということを聞いたことがあったが、それ以外
にも他の学部にも、広島文理科大学や広島工業専門学校など、それ
ぞれ前身校があり、それらが合わさることよって立派な総合大学へと
成長していったことを知ることができた。また、同時期にできた九州工
業大学と比べてみても、地域との関わりがとても深い学校であるという
ことがわかった。特にキャンパスを東広島に移転してから、その傾向
がもっと強くなっている。そういうところが地方大学の魅力であると思う。
- 588 -
教育・ 2 ・女 やっぱりほかの大学とは生まれ方が違うと感じました。
国立大学は国に作られたものだから、大学も一斉に統一されて作っ
たものだとおもっていました。九州工業大学と比較してみるとやはり国
立と工業大学では違いがみられるものだと感じました。やっぱり自分
自身が通っている大学のことをもっと詳しく学んでみたいと思いました。
教育・ 2 ・女 九州工科大学と比べていることに驚きました。広大が
地域密着型で、地域にたくさん貢献していたから、今のような総合大
学になることができたのか。と、少し感動しました。ちょくちょく県内の
いたるところに校舎跡地があったのは知っていましたが、ここまで多く
あるとは思いませんでした。大学院やそのまたさらに上の施設を持つ
学部が多いのも地域の皆様のおかげだということを知って、地域との
交流・信頼は大事だなぁと思いました。私たちも地域の人と信頼関係
を築いていくために、勤勉に勤め、周りの人々の見本になるようにし
たいです。
教育・ 2 ・女 今回の講義で、戦後の日本の状態から現在のような広
島大学の形態をとるためには、私が思っていたよりも複雑で様々な問
題や困難があったことが分かりました。憲法の問題や実際の資金の
問題、地元の意見や支援など、多くの問題を一つずつクリアしていく
事で今の広島大学があるのだということを知り、単に新しく大学を合
併するだけではなく、いかにこの新制大学を作るのが大きな出来事で
あったのか分かりました。また、九州工業大学を比較対象として例に
挙げられていましたが、そうした例からも広島大学の前身校や地元の
人々がこの新生広島大学の設立に力を入れて取り組んでいたという
事実が読み取れます。出来た当時の広島大学にも多くの問題点があ
りましたが、現在ではその問題が少しずつ改善されており、だからこ
そ私たちはこうしてより快適な環境で学ぶ事が出来るのだなと改めて
実感しました。
教育・ 2 ・女 新制広島大学ができるのにこんなにいろんなことがあ
るとは思っていなかった。人に歴史あり、という言葉があるように大学
にも歴史があるということを再認識した。情報一つ、意識一つで大学
が総合大学になったり、単科大学になったりするのかと思った。あと、
最後にその後の影響で「キャンパスの分散」があったけれど、どうして
どこの大学も医学部だけ別のキャンパスがあるのかが不思議だと思っ
た。キャンパスの分散は「ひずみ」であるならどうしてキャンパスを分け
る必要があるのか知りたいと思った。
教育・ 2 ・女 今回は九州工業大学と広島大学の比較ということで、
九州工業大学は元々ひとつの学校から成る単科大学で、広島大学
は様々な種類の学校がひとつになった総合大学でどちらも日本の大
学においては珍しい成立過程を経てできているということだった。私
は今まで総合大学がどのようなものか知らなかったので、今回詳しく
知ることができ、勉強になった。また、広島大学ができる際、岡山県と
山口県をあわせた 3 県で猛烈な誘致運動がなされていたことも今ま
で知らなかった。この講義は、私がこれまで知らなかった広島大学の
様々な顔を見せてもらえるのでとてもいい勉強になります。
教育・ 2 ・女 今日の講義で最も印象に残ったのは、学校教育法の
部分だった。当時の時代状況のところで出た、 GHQ が学校教育法
を成立させる以前の日本の教育制度の図。「 12 歳で人生の選択を
迫られる」ということがひどく衝撃的だった。大学や高等学校などの学
校自体は数多くあるものの、初等教育後の進学先によってその先の
進学先が決まってしまい、実際に進学可能な学校は限られる。現代
の私達は、 18 歳というほぼ成人の年齢であっても大部分の人は自
分の将来、志望大学をなかなか決められないというのに、当時の子供
たちは本当にすごい。教育制度も大学も、当時の人々の多くの苦労
によって今があるのだと改めて感じた。
教育・ 2 ・女 授業を聞いて、教員のレベルによる、学部ごとのレベ
ルに差がでて、大学院の設置の時期がずれていると知り、私は今ま
で大学院は同時に設置されていたのだと思っていたので驚きました。
また、教員のレベルの違いによる様々な問題が何なのかすごく興味
を持ちました。さらに広島市は広島大学のキャンパス移転を引き留め
ず、結果的にキャンパス移転を促進させたと知りましたが、市内に大
学があるほうが学生がそこに住んで地域が活性化するように思えるの
になぜ引き止めなかったのか気になりました。
教育・ 2 ・女 昔は、小学生の段階で自分の進路を決めなくてはい
けなかったと聞いてすごく驚きました。ですが、小学校と中学校の先
生をしていたおばあちゃんとおじいちゃんに昔の話(どうやって先生に
なったか)を聞いていたので、師範学校などの言葉は知っていました。
私の地元である徳島は徳島大学が唯一の国立総合大学です。徳島
大学は昔、教育学部もあったと聞きました。いまは鳴門教育大学とし
て別々になっています。それらの経緯をこれから調べてみようと思っ
ています。
教育・ 2 ・女 広島大学は地域の支援と地域間対立の末、総合大学
になったのに対し、九州工業大学は地域の支援無く、十一原則の例
外として単科大学になったということを学びました。国立大学でもかな
り違う成立過程だと感じました。また、このことから、戦後に設置された
大学は、それぞれの大学をとりまく利害(地域との関係等)により編成
が決定されたのだと分かりました。今回の講義で、戦後の大学という
のは自分が思っていた以上に、環境により編成が左右されるのだと
思いました。そして、新制広島大学が成立するまでも、地域との関係
や占領軍にたいする陳情など、多くのことが積み重なってできたのだ
と感じました。どの大学もそうですが、この広島大学の今の編成がで
きたのも、いろんな要因を含んだ奇跡だなと思いました。
教育・ 2 ・女 国立大学設置の十一原則があることを初めて知った。
国立大学の名称がほとんど都道府県名であるのは、原則の一つに定
められているからだと知ると納得できた。しかし、福岡大学は私立で、
九州大学は国立だからややこしい。広島大学が東広島市に移転した
のは、東広島市を開発していくためにはよかったと思う。移転当時は
何もなかったと聞いているので、今は住みやすくてだいぶ良いと思う
が、もっと発展してほしいと願う。広島大学はまだまだ内部に問題を
抱えていると聞き、そのあたりについてこれから知りたいと思う。
教育・ 2 ・女 私は、新制広島大学は、前身校が統合してすんなりと
できたものだと思っていたので、岡山県や山口県の強烈な誘致運動
や、様々に工夫された大学設置募金など、多くの労力をかけてできた
ものだとは知りませんでした。また、九工大と比較したことで、大学と
いうものが地域の影響を強く受けるものだということもわかりました。そ
のぶん、大学は地域に強く根ざしたものでなければならないと思いま
す。今では広大のキャンパスは 3 つですが、当時はいくつものキャン
パスに分かれており、不便だったことはもちろん、第八の帝大を目指
して作られた総合大学にも関わらず、名前だけで、あとは前身校とあ
まり変わりがないように感じました。次回以降の授業で、その後どのよ
うな経緯を経て今のようなカタチになったのか知りたいと思いました。
教育・ 2 ・女 広島大学の成立や変化に第二次世界大戦の影響は
とても大きいものだと思った。また、これは広島大学というよりは国立
大学・総合大学にいえることかもしれないが、地域がその大学にもた
らすこと・求めるものがかなり大きいと感じた。そういう大学の学生であ
る私たちに求められているもの・出来ることは何なのか考えていかな
ければいけないと思った。
教育・ 2 ・女 これまで、広島大学の歴史について学習してきた。で
は、今の広島大学の体制に至るには、どのような過程があったのかと
疑問に思っていた。なるほどなぁと思った。もう一度、私たちの通う広
大を見て、広大に在学するにふさわしくありたいと思った。
教育・ 2 ・女 これまで授業を受けてきて、広島大学の源泉や原爆の
影響など様々なことを学びました。それを受けて今回の新制広島大
学についての授業を受けて、ある種の感動のようなものを覚えました。
広島大学の歴史という授業名では、本来広島大学ができてからの話
だと思っていたので、こうしてできる前の事を初めに学んだことは意外
でしたが、今考えると、これまでの授業は今回の授業に至るにあたっ
て、なくてはならないものだったんだと実感しました。
教育・ 2 ・男 今回の講義で、広島大学が総合大学を目指すために、
地域の人々が文部省、占領軍への陳情や、署名活動、募金などをし
て、地域一体となって、活動、協力して、いろいろな苦労をして、総合
大学になったのに対して、地元の十分な協力や募金などがなかった
ことなどから、当初目指していた総合大学ではなく、単科大学として
成立した九州工業大学という二つの成立の仕方が大きく異なる例か
ら、地域という集団の力というものの重要性を再認識することができた。
教育・ 2 ・男 戦後、連合国軍の教育改革の後、広島大学は地域の
支援の力や地域間対立をへて総合大学の国立大学として発展してき
たことを知り大変驚きました。今の広島大学が総合大学として存在し
ているのは地域と一体になった運動など地域の支援が大変大きい役
割を持っていたことを知ることができました。そのことを理解したうえで
広島大学の 1 人の学生として学んでいかなければならないと感じまし
た。また、授業で九州工業大学との比較があり、総合大学と単科大学
になったちがいをわかりやすく知ることができました。
教育・ 2 ・男 今回の講義は地域との関係から、広島大学と九州工
業大学のそれぞれの設立について比較して説明されたものだったが、
講義の中で言われたように、私も大学の設立においては地域の影響
が大きいと思う。やはり地域に見放されては、学校が良いものとなるこ
とは困難である。地域に見守られ、地域に密着した形となるとき、学校
というものはより良いものになり、それを自覚して学生が行動すること
が非常に重要だと思った。
教育・ 2 ・男 以前から医学部キャンパスのみ広島市内にあるのは
疑問に思っていた。今回の講義から戦後の復興時期における国立大
学の重要度と今日のそれは大きな差があるためすんなりと移転が決
まったことはわかったが、学生にとっては悪影響だったのではないか
と思う。というのも文化に触れる機会が西条に比べると若干劣ってい
るのではないかと考えるからだ。以前教育学部の教授も仰っていたが、
学生時代にたくさんの映画を見たり古本を探したのは今でも私の大
切な一部となっている、とのことで、西条で上記のことが不可能なわけ
ではないがやはりインフラやその他の面でも劣っているといいうる。こ
れが直接的な学部間の格差になりうるとは言い切れないが、同じ大
学ならばキャンパスは一か所に集中した方が良いと思う。さまざまな
学部生が交流を通じてお互いを啓発できるのではないだろうか。
- 589 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
教育・ 2 ・男 新制国立大学は、占領軍による押し付けによって編成
されたという説と大学を取り巻く状況(地域)によって編成されたという
説(羽田説)のどちらがより正しいと言えるのかというところから今回の
授業は構成されていた。そして、それを実証するために、広大のみで
はなく九工大と対比させることによって、羽田説のほうがより実態を反
映しているという結果につながった。それで、国立大学の編成や広大
の成立過程についても、深く追究してみればかなり学問的に価値の
ある研究ができるということに大変驚いた。正直なところ、私は戦後の
大学編成に関して、このように深いドラマがあったとは思っていなかっ
たからである。また、広大の成立過程において想像以上に紆余曲折
があったことが分かり、そのことを知れて有意義だった。
教育・ 2 ・男 講義を受ける前の予想と違い、前身校の統合が進む
様子を順を追って振り返り、その時その場所で起きていたことを細か
く知ることができる非常に深い内容の講義だった。九州工業大学との
比較によって、総合大学としての広島大学の価値や意義というものを
再認識する機会となった。総合大学と成り得るだけの環境があったか
らこそ、広島大学は生まれ変わることができたのだろう。そして、新制
広島大学誕生の影では、有識者の努力はもちろん、多くの県民市民
が故郷広島の再興のために立ち上がり、行動を起こしていた。そうし
たたくさんの支えがあって、今こうして私たちは広島大学の学生として
ここで学べている。
教育・ 2 ・男 新生広島大学の設立を計画していた際に岡山県など
の近隣の県との対立があったのは旧制の諸学校などのことを考慮の
入れるとしかたのないことだと思う。しかし、この対立が九州工業大学
の様に地元の反応が低調にならなかった大きな理由のひとつとなっ
ていたと思う。また、問題もあったと思うが、新生広島大学が総合大学
として設立されたのには多くのメリットがあったと思う。その具体的な例
のひとつに地域と一体となった運動の結果に総合大学となったことだ。
そのような運動があったことによって研究などの分野において地域か
らの多くの支援を受けることができたと思う。
教育・ 2 ・男 今まで新制広島大学は、他の新制国立大学と同じよう
に難なく出来上がったのだと思っていました。ですが、今日の講義を
聞いて、今の総合大学としての広島大学が完成するまでに、当時の
人々が知恵と工夫を凝らして国立大学設置に苦労していたことを初
めて知りました。今、広島大学が全国有数の大規模な総合大学とし
て、広島の地の学術文化の中心となっているのも、当時の人々の努
力があったから、国立大学ができたタイミングこそ他県の大学と同じも
のの、研究の質などは他の大学よりも前進しているのだと思いました。
はあったのか気になった。地域の協力や支援のおかげで総合大学と
して発展を遂げ続けている広島大学で勉強できることに感謝し、今後
ともますます努力を続けようと思った。
教育・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学を比較して説明されたので
わかりやすかった。そして広島大学がどんなに地域との結びつきが強
いかを一層知ることができた。こんなに様々な学校が総合大学のため
に合併したり、広島総合大学設立の会を結成したり、文部省、占領軍
への陳情、学生が署名活動を行ったりと地域の団結はすばらしいと
思う。その一方でキャンパスの分散や学部間の格差などの問題はあ
るが、そんなことは問題にならないほど広島に総合大学ができたとい
うことは、地域への素晴らしい貢献だと思う。
教育・ 2 ・男 戦争に無条件降伏をした日本は、連合国側の「日本
の弱体化」という目的をふくんだ教育制度を半ば強制的に作らされた
のだと思う。新制大学は旧大学、高等学校、専門学校、高等師範学
校、師範学校がその前身であることを初めて知った。今回の講義で
は、大学と地域との協力の重要性を感じた。単科大学でなく総合大
学になることができた広島大学を考えれば、やはり地域と一体になっ
て運動をすることは大学にとって大きなメリットになるのだろうとおもっ
た。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、戦後の学校教育法の成立によ
り教育制度が変化していく中で、広島大学がどのように成立したのか
を九州工業大学と比較しながら学習して、大学の成立には地域、政
治(法律)などが深く関わっていることを知りました。そしてそのなかで、
広島大学が誘致運動や学生による署名活動などをとおして、単に大
学としてではなく、将来の広島県の文化的発展を期待されて誕生し
たことを知り、広島大学の学生としての誇りを胸に、広島県だけでなく、
日本、世界の社会の中で活躍できるようになりたいと感じた。
教育・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学の成立過程の比較という独
特な視点で広大の成立を見ていき、すごくわかりやすかった。広大が
成立するにあたって、地域の支援があり、周りの県をも巻き込んでの
誘致活動があった。しかし、九州工業大学は地域の反応が薄く、単
科大学になってしまった。この二つの大学の違いは、地域の支援が
あるかないか。地域の支援の違いで、総合大学か単科大学かに分か
れてしまった。地域の結びつきはやはり大事であり、それだけ期待さ
れているという事である。そういったことを、頭に入れた上で、責任を
持って大学生活を送っていきたい。
教育・ 2 ・男 自分は福岡出身で九州工業大学の名前はよく聞くし
なじみ深いので広島大学と九州工業大学との成立過程の違いにはと
ても興味を持ちました。広島大学と九州工業大学の成立を比較する
と、広島大学は地域と一体となった運動で総合大学になり、九州工業
大学は地域と疎遠し、政治的に動く余地が無く単科大学になったこと
がわかりました。成立過程がこんなに違うのには驚きました。今まで広
島大学についていろいろ学習してきてとてもためになったのでこれか
らも興味深く学んでいきたい。
教育・ 2 ・男 私は広島大学に入学する前、広島大学が総合大学で
あることに誇りをもち、アピールしていることは知っていたが、総合大
学誘致の苦労は知らなかった。そのため総合大学になるためにあら
ゆる学校が集まっていたことに驚いた。それに広島県にとって将来、
文化的に発展するかどうかが、総合大学である広島大学設置に深く
関わっているとは思ってもいなかった。しかしそれだけに関係者はも
ちろん、あらゆる学校、広島県民のみんなが総合大学建設を強く望
み、協力してきたのだなと思った。なので広島大学の学生である私た
ちはその自覚を持って生活しなければいけないのだと思った。
教育・ 2 ・男 7 つの旧制帝国大学に加えて、四国、中国、北陸ブロ
ックに各 1 大学を新設することになったときに、岡山県、広島県、山
口県で激しい誘致運動が行われたことは知らなかったが、確かにそ
の県にできた国立大学は国の補助を得られるし、旧制の諸学校を大
学へ昇格することができるなどのメリットはたくさんあるので、三つの県
が躍起になるのは当然だと思った。さらに、九州工業大学と比較すれ
ば、広島大学の方は地域との連携によって総合大学になることができ
たのは何となく理解できることだと思った。
教育・ 2 ・男 僕は教育学部に所属していてちょっと他学部に対して
優越感を感じていて「大学もどうせ高等師範学校がもとになってつく
られたんだろう」と思っていたが、意外とそれぞれの学部のもとになっ
た学校もちゃんとあるということが分かって自分の考えを見直した。あ
と広島市民の人たちのおかげで今の広大があることも分かったので、
僕はアメフト部に所属していて、それで参加するボランティアがあるの
でそこでもっともっと一生懸命にボランティアをして広大の周りの住民
のひとに感謝したいと思った。
教育・ 2 ・男 新生広島大学の設立を計画していた際に岡山県など
の近隣の県との対立があったのは旧制の諸学校などのことを考慮の
入れるとしかたのないことだと思う。しかし、この対立が九州工業大学
の様に地元の反応が低調にならなかった大きな理由のひとつとなっ
ていたと思う。また、問題もあったと思うが、新生広島大学が総合大学
として設立されたのには多くのメリットがあったと思う。その具体的な例
のひとつに地域と一体となった運動の結果に総合大学となったことだ。
そのような運動があったことによって研究などの分野において地域か
らの多くの支援を受けることができたと思う。
教育・ 2 ・男 広島大学は帝国大学を目指して設立されたのではな
い、という事は以前この授業で習っていたが、それゆえになんの障害
もなく設立されたのだと思っていました。それが、官立学校の地方委
譲問題で、中国地方に 1 校を新設するという事で、広島、岡山、山口
の 3 県で猛烈な誘致運動が展開されていたと聞いて、正直とても驚
きました。特に僕の地元である岡山との対立が激しく、県境の福山で
は岡山側が張ったポスターを広島側が剥す、という地味な攻防をして
いたらしく、敵の陣地に踏み込んで来てまでポスターを張る我が故郷
岡山が恥ずかしく思えました。
教育・ 2 ・男 最初に、当時の学校の制度に連合国軍が大きく関わ
っていたことを初めて知った。そしてその関わりの中で、旧制の高等
教育機関(大学、高等学校、専門学校、高等師範学校、師範学校)が
新制大学へと姿を変えていったことを知った。講義では、広島大学と
九州工業大学との比較が主な内容となっていた。広島大学は、地域
と一体となった運動を繰り広げ、その結果総合大学へと進展していっ
た。それに比べて九州工業大学は、地域と疎遠となり単科大学へと
姿を変えたそうだ。それを聞いて、地域の影響力がとても大きいもの
であると感じた。
教育・ 2 ・男 今回は広島大学だけに視点を当てるのではなく当時
の時代の状況を踏まえた上での話であった。学校教育法が成立し義
務教育 9 年制が確立され、旧制の高等教育機関は大学へとかわっ
た。広島大学は設置の際に県費約 5 千 6 百万、一般県民の募金 7
千 8 百万が寄付されている。こうして考えると広島大学は地域の支援
があったから総合大学としてやっていけるのだと知った。しかし、九州
工業大学は地域の反応が低調であったために地域の支援がなく単
科大学となってしまった。大学設置には地域の影響力が非常に大き
いものであると思った。
教育・ 2 ・男 新制広島大学が誕生するのに八校の高等教育機関
が関わっていて、広島大学を総合大学として設立しようとした熱い思
いを感じた。設立に向けての寄付金の集め方、集まり方を見て、広島
県の県民性の意識の高さを実感した。しかし新制大学発足時のキャ
ンパスはバラバラだったので当時の学生には総合大学としての実感
教育・ 2 ・男 広島大学は今では歴史ある大学というイメージが強い
ため、創立の際は広島県の地元各地からの後押しがあったものと考
えていた。しかし、その考えに反して意外にも反対されていたこともあ
ったみたいで正直驚いた。また、いろいろな高等師範学校からなって
いる大学なだけに合併してもなかなか「ひとつの大学」にならない苦
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労には納得できたし、学部による学力の違いから学部を超えた関係
がなかなか築けなかったという名残は今もなお、根強くのこっている
のではないあかなと思った。今回は広大と九工大という両極端な条件
の下生まれた大学を比較して講義を進めてたので、理解するのにい
い手助けになった。
教育・ 2 ・男 九州工業大学と広島大学の違いに触れていきたい。
はじめに広島大学は地域と一体になった運動をし、総合大学になっ
たのにたいして九州工業大学は地域と疎遠しており政治的に動く余
地なしで単科大学になりました。広島大学と比べて九州工業大学は
創立した時の地元の反応が低調であり地域の支援が少なく、さらに 1
1 原則の例外があり単科大学となった。これを見てわかることは地域
の影響力が大きいのではないかということである。広島大学は総合移
転ができたのも地域の支援のおかげである。
教育・ 2 ・男 予想とは異なり、旧制といった言葉では片付けられな
いほど大学の成立やその学術的発展は入り組んだものであった。そ
もそも各学部からその成り立ちを全く異にしていたという事実に大変
驚かされた。しかし、地域にそういった学術面での体制や機関が存在
し根付いていたからこそ、現在これだけの規模を有する発展的、かつ
先進的な大学に成長できたのだと考える。また、そもそも大学でなか
ったのに広島大学が出来るにあたって数多くの大学以下の学校が吸
収合併されたという事実にも驚いた。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学が総合大学として認
められたのは地域の方々の協力のおかげだということを初めて知りま
した。国公立大学が県の中に何校かあることは当然のことのように思
っていましたが、よく考えてみると国公立大学の中でも広島大学は、
たくさんの学部がそろっているように思います。また、高校の時にいろ
いろ大学を調べていましたが、そのときに感じたそれぞれの大学によ
って特色が全然違うということは、新制大学になったときに合わさった
学校が関係しているのではないかと思いました。
教育・ 2 ・男 私は今まで広島に住んでいて、激しい戦争が日本の
敗戦という形で終わり、連合軍の占領下でいろいろな教育法がしか
れ、その中で広島大学が設立されたということは聞いていました。しか
し、設立される前の段階で、周りの岡山県、山口県と大学設立権をめ
ぐって争ったことは知りませんでした。さらに、広島大学は最初から今
にように大きな総合大学だったのではなく、県や一般市民の方々の
協力があって初めて成り立ったものだったということも初めて知りまし
た。こんなに知らないことだらけだとは思ってもいませんでした。
教育・ 2 ・男 まず始めに思ったことは各大学によって作られた理由
が異なるということです。広島大学が地域の協力を得て総合大学とし
て作られたのに対し、九州工業大学は地域が大学建設に消極的だ
ったために、単科大学にとどめられた。他の要因が重なったとはいえ、
大学によってここまで違いが出るとは思わなかった。しかし、その広島
大学も順風満帆ではないことにも驚いた。統合移転によってキャンパ
スが分散し、また学部間の格差も広まった。これでは総合大学の意味
が薄くなってしまうのではないだろうか。広島大学が本当の意味での
総合大学となるために、学部間の格差をできるだけ早くなくす努力が
必要なのではないかと思う。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、新制広島大学ができた時代背
景や他の新制大学との差異などを学ぶことができた。同じ新制大学
でも前身校が 1 つだけの九州工業大学と、前身校が 8 つもある広島
大学とでは、同じ新制大学でも、その成立の課程や、地域に果たす
役割といったものは、かなり違ったものになるということを知り、とても
面白いことだと思った。今回の講義を受けてますます広島大学につ
いて学びたいと思ったし、ほかの大学の成立の過程や、地域におけ
る役割なども知りたいと思った。
教育・ 2 ・男 今回の授業では、新制広島大学がどのようにつくられ
たのかが、よく分かりました。また、九州工業大学のつくられ方との違
いも学ぶことができました。広島大学が九州工業大学より、地域と一
体となってつくられたことや、九州工業大学が地域と疎遠であったた
め、政治的に動く余地がなく、単科大学になったことなど、大学設立
の背景について、詳しく知ることができました。この授業後、この広島
大学の、学部間の格差についても調べてみたいと思いました。
教育・ 4 ・男 九州工業大学は、地域と疎遠であり政治的に動くこと
がないために、単科大学になった。それに比べ、広島大学は、地域と
一体となることで、総合大学へとなった。今回の講義で、このように地
域との関係によって大学がどのようなものになっていくかはとても興味
深いものであった。この研究対象だ大学だけでなく、小中高等学校に
まで広がり、地域と学校の間に有意な関係があることが発見できたら、
学校経営に役立つのではないのかと思った。
教育・ 4 ・男 大学というものはやはり国やその施設だけでは設立で
きず、地域の関係が大きく関わっているものなのかと感じた。学生の
署名運動や莫大な寄付金が集まり、地域と一体となって総合大学と
なった広島大学と、一方で地域と疎遠になり、政治的にも動きの少な
かった九州工業大学。こういった動きから今日の中四国を代表する
広大が出来たのかと感心した。ただ、ひとつ気になる点が、広島大学
の東広島市移転の際に、広島市が引き止め工作を行わなかったとい
うことである。その理由とはいったいなんだったのであろうか。
教育・ 4 ・男 今回は広島大学と他大学を比較していて,現実味を
帯びていて想像しやすかったし,わかりやすかった。現在の広島大
学ができるのには,ただならぬ努力や地域の人々などの様々な人物
の協力があってからこそということがわかり,他の私立大学などにはな
い歴史や,充実した設備があるのもこのおかげだとわかり,感謝の気
持ちは忘れてはいけないと感じた。また,広島大学の歴史は他大学
に比べ奥深いものであり, 1 つ 1 つの出来事に様々な要因が影響し
ていることもわかり,もっと知りたいという気持ちもあった。
経済・ 1 ・男 旧制の教育では、小学校を卒業した時点ですでに将
来の進路が決まってしまうと知らなかったので、大変印象に残ってい
ます。現在よりも自由度の少ない昔の社会を象徴しているように感じ
ました。また、”国立大学は 10 校しか設置しない”といううわさによっ
て地域間で競争が生まれたため、大学の誘致のために地元で署名
などの表立った行動をしたり、黒いルートを使った贈り物などの裏工
作をしたりしていて、地元の支援はもちろん、広島大学を第八の帝国
大学として設置しようというかなりの熱意を感じることができました。
経済・ 1 ・男 九工大設立の際、地域とのつながりが疎遠だったが故
に政治的な補助が受けれず結局は一学部の専科大学になってしま
った。しかし、広島大学設立の際には地域の協力が大きく総合大学
を作ることができたという話があった。自分は福岡出身で広島にきて
最初に感じたのは、広島人の地元愛の大きさでした。それは、広島出
身の人とはなしててもわかるし、テレビをつければカープやサンフッレ
チェのことがどこかしらでながれてることから伝わってきます。だから、
この話には親近感がわいたし、納得できた。福岡はそんなことないで
す。
経済・ 2 ・女 第 2 回目の講義で、広島大学は様々な学校が集まっ
て出来た総合大学であると学びました。その時は、各々の学校が一
斉に広島大学という一つの大学になろうと行動してできたからである
と思っていました。しかし今回の講義を受けて、国立の大学が中国地
方に 1 つしか出来ないという情報から猛烈な誘致運動が展開されて、
その過程で政経学部などが新設されたのだという事を初めて知りまし
た。だから複数の学校が集まって一つの学部となっているのは、少し
ずつ基準を満たしていないのを補うためであるのだとわかりました。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受け、一番印象に残ったことは、大学の
設立には地域という要素が、非常に深く関係しているということです。
広島大学は地域の協力により総合大学に発展できましたが、九州工
業大学は、総合大学になれませんでした。このことを知って、私は地
域の持つ重要な役割について考えてみようと思いました。大学でなく、
他の国にとって重要な施設の設立についても、地域が密接に関わっ
ているのではないかと思い、そのことについても個人的に調べてみた
いと思いました。
経済・ 2 ・女 九工大は実家の近くにあるので、どちらも身近な大学
が取り上げられていたので親近感が沸きました。しかし、設立に関し
てどちらも珍しいケースであることを知らなかったので驚きました。 1
つの旧制高等教育機関から大学になれば、専門性は高くなるけれど、
多面的な見方がしにくいし、多くからなるとばらつきが出てしまう。互
いに極端なために問題点が明確であると思います。また、大学が地
域との関係によって体系が変わる流れが分かって面白かったです。
経済・ 2 ・女 前回の原爆と広島大学の内容とは違って、受講前に
どんな内容の講義なのかあまり見当がつかず、趣旨がつかみにくか
ったように思います。内容は広島大学がどのように誕生したのかを九
州工業大学との比較から探っていくものでした。広島大学は前身校
の学問内容を現在の学部に受け継ぎ、総合大学となりましたが、自
分の通う経済学部が新設の政経学部から成っていることには驚かさ
れました。学部間の格差が大きかったという話がありましたが、それに
加えて、学校間で雰囲気も違っていたと思うので学校としての一体感
がなかったのではないでしょうか。新制広島大学が誕生してから今の
広島大学に至るまで何度も転機を迎え、幾人もの人々の努力により、
今の私たちの学習環境が出来上がったのだと思いました。
経済・ 2 ・女 昔と今の教育体制の違いは大きく、 12 歳にして自分
の将来を決めなければならなかった当時の日本の制度は過酷だと思
う。連合指令軍によって改善され、学問の幅が広がったことはとても
良かったと感じた。敗戦直後の日本の旧教育制度から 1949 年ごろ
の新制度への移行の際は中学校と高等学校、高等学校と大学の間
の線引きが難しかったようだが、総合大学としての新制広島大学を設
立するに当たってもその点は問題とされたようだが、現在も総合大学
として多くの学部を持つ広島大学だが、この学部が新制広島大学を
発足させるときに岡山との対立の中でできた学部だと知って、少し衝
撃を受けた。九工大との比較の中で、九工大の発足時には地元の人
の協力が非常に少なく単科大学となってしまったが、広島大学の発
足時には地域の人々の協力があり、地域の人も中心となってできた
広島大学を誇りに思った。そのような歴史も大事にしていきたいと感じ
た。新制広島大学ができ、各学部の設備や教員の水準の差が問題と
なっていったようだが、どのように改善されていったのか、それについ
ても詳しく知りたいと思った。
- 591 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
経済・ 2 ・女 今回の講義では広島大学と九州工業大学との違いか
ら、地域と大学の違いについて説明された。広島大学は、地域と多く
関わりを持っているために総合大学へち移転していったということを
聞いた。もともと、この東広島キャンパスへ移転したのもこの地域を学
園都市として栄えさせようとしたものであるとも聞いた。実際、学生や
家族の共存できるよい都市になりつつあると思う。われわれ広島大学
生としては、離れた場所にキャンパスが点在していた昔よりも現在の
ようにまとまった形になったほうがありがたいと思った。
経済・ 2 ・女 戦後、学校制度が変わり、旧制の高等教育機関から
新制大学へと変換がなされる中で、昔の広島大学は、現在とは大きく
違っていたことを知りました。設置場所はもちろんですが、特に学部
ごとに大変な距離があったことには驚きました。そのため、どのような
経緯でこの東広島に移ってきたのかにも、興味がわきました。また、
大学の誘致に関しては、広島県だけではなく、岡山県や山口県でも
猛烈な運動があったことを知り、このような地元の市民の大きな反応
や協力があったからこそ、現在のような全国的にも巨大な総合大学の
設立につながったのだと感じました。
経済・ 2 ・女 広島大学と九州工業大学を比較すると、広島大学は
地域間の対立もあったが地域の支援により総合大学として創設され
た一方、九州工業大学は地域の支援がなく、新制国立大学実施要
綱にあてはまらなかったために単科大学になったことがわかった。広
島大学創設問題は、岡山、山口の猛烈な誘致運動があり、また、文
部科学省が中国地方には総合大学を一校しか創設しないという考え
もあり、各地域が県民一体の猛運動がおこなわれたことなど、まったく
知らないことばかりで驚いたが、そうした地域の人たちの協力を得て
創設された大学の学生として、地域ともっとかかわって、地域のため
になることを学んでいきたい。
経済・ 2 ・女 大学設立には億単位の資金が必要であることに驚い
た。九州工業大学と比較することで、広島大学の地域への結びつき
が強いことがより理解できた。地域の影響力が大きいと見られる地方
大学である広島大学は、地域と一体となった運動が起点として総合
大学となった。だからもし広島大学が地方大学では無かったら、九州
工業大学のように、現在単科大学だったのかもしれない。国立大学
設置の十一原則にのっとり、広島大学は今の名前を手に入れた。広
島に唯一無二であった国立大学として、広島大学は地域の人々の手
によって支えられて、現在のような充実した教育機関が整ったのだと
感心した。
経済・ 2 ・女 同じ新制大学でも、九州工業大学のように地域と疎遠
し政治的に動く余地がなく、また、十一原則の例外にあてはまり単科
大学になる大学も存在しているが、広島大学は地域の影響力が大き
い地方大学であるために地域の支援や地域間対立などの一体にな
った運動によって総合大学となった。そして、広島大学は東広島で再
開発し、総合移転して学園都市を形成したが、その後の影響で「ひ
ずみ」がおこり、キャンパスは分散し、学部間には格差が生じている。
経済・ 2 ・女 今回の講義では、新制広島大学の設立の仕方につい
て、九工大と比較して学習したが、地域の協力や、関わりでこんなに
大学が異なってできるのかと驚いた。幸いに広島大学は地域の協力
があったので、総合大学になることができた。総合大学になることで、
広い敷地がもらえたり、設備が整ったりなど、利点が多くある。逆に、
九工大は地域と疎遠な関係だったために単科大学になった。また、
私は経済学部で、どの学校が経済学部の由来なのか気になったが、
経済学部は新設されたものだとわかった。
経済・ 2 ・女 連合国軍に占領された後、日中戦争や太平洋戦争の
原因になった制度を改革した。そのときに学校教育法が成立し、義
務教育を 9 年とし、複線型教育から単線型教育へ教育の機会均等
を図り、旧制の高等教育機関から新制大学へと生まれ変わった。戦
後の大学編成は、一定の原理である新制国立大学実施要綱に基づ
く計画的編成ではなく、戦前の配置状況と高等教育構造を前提とし
て、個々の大学をとりまく利害の総和として決定されていった。文部
省、占領軍への陳情、学生による署名運動も行われ大学設置計画の
見直しが施され、医学部と女子運が構想から外れると、地域の支援と
地域間対立とで広島大学は総合大学として新たなスタートを切った。
今ある総合大学としての広島大学は、戦前では考えられなかったほ
ど自由で柔軟な発想から生まれたもので、それは戦後の新しい法律
のお陰であり、また地域の人々の支援で創設することができたもので
ある。私たちがこうして広島大学で学べるのも、過去の人々の試行錯
誤と努力のお陰であり、そういった人々に対して感謝しなくてはならな
いと同時に、将来広島大学に通う学生のためにも、現在学生である
私たちができることであれば、常に広島大学の改善に努めるべきだ。
経済・ 2 ・男 地域に影響され大学ができたが、広島大学は、大学と
地域が一体となった運動を展開した結果、総合大学となれた。九州
工業大学は、大学を作る際、地域の反応が低調で、政治的に動く余
地がなく、単科大学となった。地域に協力を求めたのはどちらも同じ
で、利点も同じのように思えるのだが、なぜ北九州では賛同が得られ
なかったのかと思う。同じ県に九州大学があるというのも関係あるのだ
ろうか。広大が広島市から東広島市に移転されたことでほとんどの学
部が同じキャンパスになれたことはよいことだったと思う。医学部など
は病院のあるので広島市のままで良かった。僕の地元の大学の島根
大学は少し前に島根医科大学を統合し、医学部を設けたが、せっか
く統合したところで、キャンパスは変わらないし、大学病院が県庁所
在地にできることもなかったので意味があることだったのかと思う。
経済・ 2 ・男 占領政策化の下にあって新制広島大学の成立を目指
すために九州工業大学とは異なり、たくさんの広島の一般市民の方
から援助されていることがわかり、広島大学は地域により密着していき、
大学内だけでなく地位社会に貢献していくことが大切だとかんじた。
また、旧制の学校制度がとても印象に残っています。今とは違い最初
からこの学校に行けばこの進路しかないという制度で複雑でありもし
も進路先の希望が変わった時にゆうずうがきかないので今のように自
分の行きたいようにできる社会はとてもよく感じられます。
経済・ 2 ・男 今回お話を伺った図書館の先生は、説明の際に例え
を多用していたけれども、途中そのせいでわかりにくい部分があった。
比較対象とされていた九州工業大学は、さすがに広島大学と顕著に
違う大学の成り立ちだった。しかし、当時の人々の挨拶文を読むと、
それぞれによりよい大学を作りたいという熱意が個人的には感じ取れ
た。しかしながら、様々な県から誘致運動がなされ、地域と一体にな
った運動で完成した大学の方が何となく愛されているような感覚で、
好感が持てる。
経済・ 2 ・男 広島大学は地域が一体となって作りあげたものである
ということはほんとうに誇るべきことでもあるし、同時にそれだけの責任
と自覚をもって地域に貢献していかなくてはいけないと感じた。その
後、総合大学としてキャンパスの分散や学部間の格差などの問題点
が浮上してきたが統合移転などにより解消されていってると思うので、
広島大学がこのままよりよい発展と進歩を広島というこの地域とともに
進んでいければよい。自分も広島に貢献できるような知識を広大で蓄
え、社会に出て行きたい。
経済・ 3 ・女 広島大学が 8 校の学校が合体した日本でも珍しい学
校と初めて知りました。最初の構想では経済学部にあたるものが無か
ったことにも驚きました。中国地方内のどこに大学を建てるかで対立
していた時の広島県の必死さがわかりました。占領軍にわいろ的なこ
とをしてまで建てようとしたところ、費用が最初の 9 倍にまで膨れ上が
ったことで、大学設立という目的だけでなく、面目をとても大切にして
いたのだなと感じました。大学を設立するには地域の住民の協力が
不可欠ですが、野球の試合などをしてその利益から大学の設立資金
を出すという考えはとてもいいものだと思います。九州工業大学との
違いについてもおもしろかったです。
経済・ 3 ・男 今回の講義を受講した上でまず印象に残ったことは、
広島大学という大学がどれだけ広島の人びとにいい印象を与えてい
るかということでした。大学を誘致するというだけで市民から多くの寄
付金が集まるほどのことはそうないことだと思います。それこそ九州工
業大学の例もありましたが、寄付金を思うように集めることができずに
大学側の思ったようなシステムにたどり着けないということになるのが
多いのではないでしょうか。また、そうのような背景から、地域の影響
力が強いということも理解が突きます。それは逆に、広大が地域に及
ぼす影響も非常に大きなものであるのではないかと考えました。これ
らのことも踏まえてしっかりとした学生生活を送ろうと思いました。
経済・ 3 ・男 今回の講義で一番驚いたことは新制広島大学はもと
はいろいろな大学が合体してできたんだというところです。そして総合
大学として設置された広島大学は教授のレベルが上がってくるにつ
れ、いろいろな学部での博士課程が採用されてきました。このような
歴史を経て出来上がってきた広島大学に通っているのだと思い、そ
の歴史に恥じないように勉学に励んでいかなくてはと思いました。そ
れと同時にこの広島大学に通っていることが誇りに感じることができま
した。
経済・ 3 ・男 GHQ による間接統治から、現在の広島大学に至るま
でを深く知ることができ、良かった。広島大学は、 8 つもの大学が統
合されて出来たという点には、その数に大変驚いたし、大学発足時の
キャンパス配置が、各学部がそれぞれキャンパスが離れており、今と
比べたら本当に不便だったと思う。また、九工大と比べて地域住民の
協力が大きな力となったというのが印象的だった。また、女子部という
ものが作られようとしていたあたりも、当時の男尊女卑という考えが強
く表れていたのだと思う。
経済・ 3 ・男 総合大学と単科大学との成り立ちの違いは地域との一
体となった運動の違いや、政治的な問題の違いによるものだと思った。
経済学部のもととなった政経学部は前身の学校がなかったことがわ
かった。
経済・ 3 ・男 私は北九州市の戸畑高校出身で近くに九州工業大学
があったので、この講義は親近感を持つことができました。また九州
工業大学が統合の話があったことは知らなかったです。もし統合が実
現されていたならば私は広島大学ではなく統合された九州工業大学
に入学していたかもしれないです。このことより何気なく接している日
常のどんなものにも歴史があるということと、それぞれの歴史を学ぶこ
とは楽しいことであるということに気付かされました。今度、北九州市
立大学についても調べてみようと思いました。
- 592 -
経済・ 3 ・男 地域と密着して設立された広島大学に通えて誇らしい
気持ちを持つことができた。
経済・ 4 ・男 今回の講義で、広島大学が成立する過程の中で、地
域社会との関わりが影響しているという話がありました。確かに現実的
に考えて、戦後間もない時期に数多くの学校を統合するに当たって、
地域の協力がなければそう簡単になしえることではないだろう、という
ことを今回の講義で気づかされました。今までは「いろんな学校が集
まってできたんだね。」という安直な考えしかしていませんでしたが、
そうではなく、その過程の中にはたくさんの物語があるのだと気づきま
した。そうした中で成立した広島大学は決してすべてがうまくいったわ
けではなく、県内に広く分散したキャンパスや学部間の格差により、
形の上では統合されても、内部の事情はそうではなかったのでしょう。
今ではそのような問題の多くは解決しているのだと思いますが、まだ
昔の名残があるのだろうなと思う面もあります。今後の講義でさらに詳
しく聞けたらいいなと考えています。
経済・ 4 ・男 まず第一にやはり戦後の日本という国がマッカーサー
を始めとするアメリカによって政治が行われていたのが実感できた。よ
く日本国憲法が「押し付け憲法」だとか言われているが、個人的見解
としてはいい憲法なら誰が創ろうがいいと思う。というより日本に生ま
れて幸せではないのだろうか。大学に関してであるが、やはり他の岡
山大学を始めとする近隣の大学とも激しい競争があったことがよくわ
かった。しかしそれぞれの強みというのがそれぞれの大学にあるので
そこを伸ばせばいいのではとは感じる。また今回講義を受けて 1 番
共感できたのが同じ大学でも学部によって職員の軋轢があるのには、
学生としては医学部の学生とかに頭が上がらない点で同じだと思っ
た。ただ、人間は学歴よりもやはり人間性だと思う。でなければ、就職
活動は東大やったらどこでもパスになってしまうのだから。
経済・ 4 ・男 今回の講義は新制広島大学の誕生を九州工業大学と
比較してその違いを強調していたように思います。九州工業大学と最
も違っていたところは、地域社会が協力的であったかそうでないかと
いうことでした。広島は、とても教育に対して協力的で、著名活動をす
るなど行っていました。そして、結果的に、単科大学ではなく総合大
学として設立することができたようです。この地域の協力があったから
今の西日本の教育の広大といわれるに至ったのではないかと思いま
す。しかし、その後も多くの問題を抱えたと講義の最後で言われてい
ました。来週はその「ひずみ」について理解を深めたいと思います。
経済・ 4 ・男 現在、ほとんどの都道府県には国立大学が 1 つしか
存在しないこと、またそのほとんどの大学が各都道府県の名称が大
学名に入っていることには戦後に各地の学校が統合されたという背
景があったことは全く知りませんでした。また戦前はどの学校に進学
するのかで将来がほぼ固定されてしまうということを講義の中でおっし
ゃっていましたが、 12 歳という年齢で自分の進路を決めなければい
けないということは難しいことだと思います。日本は戦後に驚くべきス
ピードで経済発展してきましたが、新学制への切り替えによって子ど
もの将来の進路の選択肢が広がったことが大きく影響していると思い
ます。
工・ 2 ・男 広島大学の誕生秘話についていろいろ聞けて面白かっ
た。大学設立に関しては様々な苦労があったと思うが、それらを乗り
越えて広島大学を作り上げた先人たちは偉大だと感じた。
工・ 2 ・女 官立学校の地方委譲問題によって 7 旧帝国大学+四
国、中国、北陸ブロックに各 1 大学を新設=国立大学が 10 校のみ
と定められていたということを初めて知りました。国立大学は各都道府
県に 1 校ずつあるのが当たり前だと思っていたので驚きました。国立
大学があるのかないのかはその県の人口や発展にも大きくかかわる
と思うので、広島県にとっても大きな問題だったと思います。それによ
り県同士の猛烈な誘致運動が行われており、広島県もその運動に参
加していたそうです。岡山県や山口県より秀でるために広島県は相
当努力したと思います。昭和 24 年の 5 月 31 日にやっと広島大学の
設置が認可されました。私は広島大学に通っているのに広島大学が
このように苦労された上で設立されたということを知りませんでした。
広島大学について知ることができる講義に参加できる喜びを感じて
おります。
工・ 2 ・女 広島大学と九州工業大学の比較で、今広島大学のほう
が有名で実績もあり何より総合大学であるということが九州工業大学
との大きな違いであると思います。昔はそこまでかわらなかったのに、
今どうしてこんなに差がついたかというと、大学を統合させようとなった
ときに地域と一体になった運動があったかどうかの違いだということが
わかりました。史料 1 に広島県が将来文化的に発展するか否かは実
に総合大学設置にかかっているとありますが、そうなってくると地域の
人々が総合大学設置に積極的だったのにも理解ができます。明専が
総合大学にならなかったのは、立派な学校だったので放っておいて
も大学に昇格するだろうと楽観視して寄付金があまり集まらず、その
ほとんどが卒業生や父母であることと十一原則の例外で単科大学に
なったのですが、地域の運動がもっとさかんであれば総合大学にな
れたかもしれないのに残念だなと思いました。
工・ 2 ・女 今回は広島大学の設置までのお話が聞けてとても良か
ったです。設立されるまでにとても様々な活動があったのだと今日初
めて知り驚きました。事業計画を見て驚いたのが、事業費 5258 万円
の半分以上が一般寄付や県費から出ていたことでした。また、昭和 2
7 年度までに一般県民の募金で 8 千万近くもお金が集まるなんて、
広島大学は相当の地域の支援があって設立されたのだなと感じまし
た。またすんなりと広島県に設立されたのではなく、他見との激しい
誘致運動がされていた背景もあったのだと初めて知りました。それに
比べて九工大は地域の支援がほんとに少なかったのだなと、広大と
は全然成立過程が違っていてびっくりしました。今回の講義を通して、
また広島大学の知らない歴史を学ぶことができてよかったです。毎回
広大生でよかったなと思えるのが嬉しいです。
工・ 2 ・女 今回の講義では、とても多くの地域の方の協力があって
広島大学が現在のような総合大学になったということがわかりました。
今日の講義を受けるまでは広島大学は広島という中国地方の中心的
な都市にあるからという理由で総合大学になったと思っていました。
ですが、実際には隣県との猛烈な誘致運動や、地域の支援もあって
今のような姿になりました。前進校を合併して広島大学が誕生したの
はちょうど前後にもかかわらず募金や野球の試合などにより地域から
多くの寄付が集まったのはすごいと思いました。九州工業大学の場
合では地域の理解が得られず、大学昇格期成会の会長が楽観的な
考えだったため単科大学にしかなれなかったという例もあったので、
広島大学の成果はよりすばらしものだったと思えました。今回の講義
を受けて、広島の地域の多くの方の理解と協力があって今こうやって
広島大学で勉強をすることができているのだとわかりました。講義の
始めのほうで先生がおっしゃっておられたように、高校とは違い大学
という場で勉強していることをよく理解し、大学を卒業したら勉強する
場をくれた地域の方に恩返しがしたいと思いました。そのために、社
会に貢献できるような人になれるように努力したいです。
工・ 2 ・女 今回の講義は、広島市内にちらばっていた広島大学を
まとめて西条キャンパスに移動した時の状況の説明といった講義だと
思っていましたが、そうではなく広島文理科大学や広島高等師範学
校や広島工業専門学校など昭和 22 年まで別々の学校だったものを
広島大学の各学部として迎え入れた当時の状況の説明などの講義
であり、講義が始まってから勘違いをしていたことに気付かされました。
広島大学はは昭和 27 年までに県から約 5 千 6 百万円、一般県民
から約 7 千 8 百万円が寄付されたということなどから、大学側の思い
が地域に伝わり理解され、大学と地域が一体になり、総合大学になっ
たのだといわれ、一方九州工業大学は地域からの支援がなく政治的
に動く余地がなくなり単科大学になったといわれていること話はじめ
て知りました。総合大学と単科大学との違いにこんなにも地域が関係
しているとは思いませんでした。このことから地域とのつながりは改め
て大事だと感じました。今回、自分の通っている学校の成立過程とい
った知ってるようで知らなかったことを学べてよかったです。
工・ 2 ・女 九州工業大学は福岡には九州大学という旧帝大のすば
らしい国立大学がすでに存在しているため地元住民のボルテージが
そこまであがらなかったのではないかと予想します。それに比べて広
島大学は原爆から不死鳥のようによみがえるという地元の強い希望を
背負っていたため旧帝大に負けず劣らずの総合大学に発展できた
んだと思います。しかし、図 4 新制大学発足時のキャンパス配置図を
見てみると本当に学部がちりじりになっており、一つの大学とはいい
がたい状態であったことがよくわかりました。これでは大学内の一体
感や協調性などが培われない疎遠な大学であったといえるでしょう。
今でも霞キャンパスや東千田キャンパスなど離れたキャンパスが残っ
ていますが、やはりキャンパスが違うと交流が無いように思われます。
今回一番心に残ったことは学部間の格差により大学院設立が学部ご
とで大きく遅れが目立ったことでした。各学部が設立されたときに大
学院もともにつくられていたと思っていたので自分の考えが大きく違
ったことに衝撃を受けました。大学教授は全員大学院まで教えられる
ことができると思っていたため院のレベルまで教えることができる教授
が不在だったためという理由がさらに驚きでした。
工・ 2 ・女 同じ国立大学であっても、地域といかに一体となるかによ
って、大学の今後の在り方が変わることに驚いた。九州工業大学と違
って、広島大学が地域と一体になった運動ができたのは、ある意味で
岡山県や山口県のおかげと思う。というのも、広島県と岡山県と山口
県で、大学の誘致運動を展開したことでより「大学」というものが地域
の人たちに身近なものになったためである。地域の支援というものが、
これほどまでに大学におおきな影響を与えるとは思わなかった。今日
の広島大学が総合大学であれるのも地域の方々の支援のおかげで
であると思うので、これからは今まで以上に地域の方々とのふれあい
を大事にし、感謝の気持ちを持っていきたいと思った。
工・ 2 ・女 総合大学になるために色々な贈り物等の取り計らいがあ
ったことが面白くとても興味がわきました。正規の方法ではないため
調べることはとても難しく知る人も数少ないと思いますが、たとえばど
のような人物に贈られていたのか、どのような物をどのくらい送り続け
た成果なのかなどが知れれば楽しいなと思いました。そのためには、
まず図書館に行って(個人情報なので不可能とは思いますが)広島大
学に携わった人人を調べ聞き込み調査をするのが、一番的確なのか
なと思います。
工・ 2 ・女 広大と九工大との比較はとても興味深いと思いました。
地域と大学の関係をあまり考えたことがなかったので、地域と一体に
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
なった運動で広大は総合大学になり、地域の人の反応が薄かった九
工大は単科大学になったのいうのは意外でした。今では各都道府県
に大体 1 校は国立大学があるので、広大を設立する時に岡山や山
口とそれぞれが誘致運動を展開していたなんて知りませんでした。ど
んな事も競争のようなものがあることで、発展していくものなのだと思
いました。(広大の例では、学部の候補が増えたように)
工・ 2 ・女 広島大学が生まれたきっかけとして、学校教育法の成立
が関係していたことを初めて知った。各地で国立大学の誘致運動が
盛んだったことも初めて知り、そのころ岡山と広島とが激しく対立して
いたことに驚いた。地域との関わりが深く、あらゆる高等教育機関など
を統合して作られた広島大学に対して、九州工業大学は地域とは疎
遠で、単科大学になったことが分かった。多くの学部を作ったほうがよ
り国立大学設立に近くなることを考慮したために、広島大学の学部数
は今の状態になったことが興味深いと思った。
工・ 2 ・女 戦後の日本において、「学校教育法」というものにのっと
って作られていたということを初めて知りました。又、今回は九州工業
大学との比較というところが大変面白く感じました。広島大学は大きな
総合大学を作るにあたって他県との間に争いがあり、九州工業大学
は地元からの支援不足などがあったなど、同じ「大学」でも、その背景
にはさまざまなことがあるのだということを再認識し、もっと知りたいと
思いました。広島大学は今のように西条にキャンパスを集めて正解だ
と思います。 1 つになったことで広大生という認識が強くなったのとと
もに、学部間での交流も増えたと思います。また、学部間の格差は、
今も少しですが残っているとは感じます。
工・ 2 ・女 今回の講義で一番感じたのは、広島総合大学は様々な
問題が起こりつつも地域に支持されての設置であり、私達は恵まれた
環境に今いるのだということだった。それを感じるにあたって九州工業
大学との比較はとても有効であった。広島では総合大学設立への寄
付のために野球試合や踊りの開催で資金を集めていたという事実に
驚いたのだが、反対に九州工業大学の前身校である明治工業専門
学校への寄付への消極的様子には衝撃を覚えた。しかし、広島大学
のように 8 校も総合した大学は逆に少なく、九州工業大学のように 1
校で新制大学となるのが普通だったのだから、当時の地域の消極的
反応は当然だったのではないかと思いつつも、広島大学が地域に支
援されての設立だったことに誇りを感じた。総合大学となる際に 8 校
も包括したために設立後の精神的まとまりに欠け、設備や教員間、院
の設立に関しての学部間での格差が生まれたことに関して当時批判
はなかったのかとすぐに考えたが、そのことよりも総合大学設置により
広島県が中国地方で中核となることの方が重要だったのではないか
と考え直した。総合大学となった背景にどんな事情があったにしろ、
地域に支えられて設立された広島大学は東広島市に移転後地域の
発展などに貢献し、そのことに私達学生の生活は支えられている。広
島大学において地域の支援は欠かせないものであると改めて感じた
講義であった。
工・ 2 ・女 まず思ったことは国立大学設置の裏にはいくつもの原則
があり、そんなものがあるなど知らず毎日通っていた僕にとってなかな
か新鮮な講義であったなということです。そして前にやった講義とも少
し重なるところもあり興味の湧く内容であったと思います。今では国公
立として当たり前ですが、もし昔に何か起きて九州工業大学のように
単科大学になっていたとしたら僕は確実にこの大学には来ていなか
ったです。それほど公立というだけで大きな魅力があり、そのため本
当にこの大学が公立で良かったと思いました。
工・ 2 ・女 私が広島大学を選んだ理由の 1 つとして総合大学であ
る、というものがある。それだけ総合大学であることは大きなことだから
である。そしてその総合大学になることができたのに、地域の影響力
があったからだということには、なるほどと感じた。単科大学となってし
まった九州工業大学との比較がとても分かりやすかった。確かに、大
学を設立するにあたっては莫大な資金が必要となるし、地域の支援
が大切である。現在の広島大学ができるまで、多くの地域の人々の
助けがあったのだと思うと、感慨深く感じた。
工・ 2 ・女 原則として 1 つの県に 1 つの国立大学があるということ
を先生がおっしゃっていて、今まで何も考えてなかったので、ああ確
かにと思った。 1 つの県に 1 つの国立大学があることによって、その
大学が特別感が出るので嬉しく思った。広島大学は地域と一体にな
った運動で、総合大学となったことが分かった。様々な学校が 1 つの
学校として統合されるのは簡単なことではなく、色々の問題があった
ことも分かった。今こうして勉強できていることも当たり前だと思わない
ようにしないといけないと思った。
工・ 2 ・女 今回の授業で広島大学と九州工業大学の比較で、地域
の人々の協力がその後の大学のあり方に大きく影響することが分かり
ました。また、それは大学などの学校だけでなく会社や色々な組織に
も同じことが言えると思いました。また、広島大学はたくさんの前進校
が一つの大学になったこともあり、学部間格差や場所が離れているな
どで団結できていないのは、今もまだ残っていると思いました。
工・ 2 ・女 日中戦争や太平洋戦争の原因となった制度を改革し 昭
和 22 年学校教育法が成立し義務教育が 9 年となり ほとんど今と同
じような教育体制が整ったことを知った。やはり 1 つの国として子供
に対する行き届いた教育は国の未来の発展にすごく影響すると思う
ので大切だと思う。また義務教育以外の教育機関も充実し 今では数
多くの国立大学がそれぞれの都道府県におかれている。私は 国立
大学を始めとする大学の設置は 勉学する人だけに影響するのでは
なく その設置された地域にも大きく影響すると考えた。たとえば西条
も大学が移転するまでは今よりさらに田舎であったと聞かされていた
が 今では結構開発が進んでいると思うからだ。東広島の人口が増加
しているのも ここに広島大学がやってきたからではないだろうかと考
えた。新制広島大学になり 学部の大学院(研究室)の設置に差があ
るが これからの新しい歴史作りに私たちが関与できることがすごく喜
ばしいことだと思う。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて、なぜこの広島大学は総合大学と
なっていったのか少し理解できたような気がした。今回は九州工業大
学との事例比較だったが、広島大学は県立の医科大学や師範学校
など、多種多様な学校を統合し、それ以外にも新設して今の体制を
整えていったのかと思うと、当時の設立委員会の苦労が伝わってくる
ような気がした。それに対し、九州工業大学は地元の反応が低調に
なったために、現在でも総合大学になりえなかった。大学はやはり主
に、地元の人々がかかわりを持つので、地元の人々の協力は大切だ
と思った。
工・ 2 ・女 内容を読んで、分かりにくいと思います。私にとって、広
島大学と他の大学に比べてもちろん違うことがあります。新制広島大
学と九州大学に比べて、違うことがたくさん並んでいます。更にまた事
務の強力な推進を図るため、広島総合大学設立推進本部を設けま
す。北九州の総合的文化の発達という問題よりして単科大学より更に
総合大学への推進を願うのである。
工・ 2 ・女 九州工業大学は地域の人々とのつながりがなく、総合大
学になれなっかたという歴史がある。一方広島大学は、地域の人々
のつながり、協力があり総合大学になった。そして今では協力し合い
ながらも県内だけでなく、県外のいたるところの人々に呼びかけ、広
島大学というものをつくっていっている。今回の講義で広島大学の総
合大学になるまでも道のり、そして地域の人々とのつながりを知った。
工・ 2 ・女 広島大学は戦争の後からいろいろな影響に与えられて
今のような広島大学になっています。工業九州大学と比較して、広島
大学は地域に大きな影響受けられて、総合大学になります。それは、
戦直後からかわって来ます。ひとつの例として、昭和 22 と昭和 23 の
設置計画を見ると変わることがわかりました。一方、工業九州大は、地
域と関係なく政治的に動く余地無し、単科大学になります。
工・ 2 ・女 講義では、多数の学校が合併して総合大学になった広
島大学と、単科大学へとなった九州工業大学とを対照的に取り扱い
ながら説明があったのでとても面白かった。また昭和 22 年の政府の
方針として、 7 旧制帝国大学と四国、中国、北陸地域に 1 大学を新
設して、国立大学を 10 校にしようとしていたことを初めて知った。もし、
現在も日本の国立大学が 10 校だったらと思うと入学するのが自分で
は大変そうだと思うけれど、昔の大学とはそれほど格式高い感じだっ
たのだろうなと感じることができた。また、そのように地域で 1 大学とす
ると、大学のある府県に学生や優秀な卒業生、会社なども集まるだろ
うし大学のある府県とない府県では格差が生まれてしまっていただろ
うとも考えた。実際、中国ブロックにおいては、岡山県、広島県、山口
県において激しい誘致運動があったことを学んだ。どの県だって自分
の県に大学を設けたいと考えるだろうと思った。でも、大学を設立する
ために署名活動や、募金、文部省・占領軍への陳情など広島の地域
の方々の支援があったことを知り暖かい気持ちになった。一般の方々
が努力してくださったおかげで大学ができて、勉強できているんだと
思うことができた。
工・ 2 ・女 今回の授業は新制広島大学はこうして生まれたについて
勉強しました。その通りに九州工業大学との事例比較からで見た。統
合された旧制高等教育機関数による新制大学分布をする。国立、公
立、私立から一つ一つ数がちがう。広島大学の成立過程は昭和 22
カラ始まる。旧学制から新学制へ切り替えするために、大学、高等学
校、中学校、小学校もっとも詳しく、きちんと分ける。また上と同じ広島
総合大学設置すること。全ての学部は集まるし、同じキャンパスでい
る。広大と九工大の比較がよく分かる。広大は総合大学へ、しかし九
工大は単科大学へである。
工・ 2 ・女 講義では、多数の学校が合併して総合大学になった広
島大学と、単科大学へとなった九州工業大学とを対照的に取り扱い
ながら説明があったのでとても面白かった。また昭和 22 年の政府の
方針として、 7 旧制帝国大学と四国、中国、北陸地域に 1 大学を新
設して、国立大学を 10 校にしようとしていたことを初めて知った。もし、
現在も日本の国立大学が 10 校だったらと思うと入学するのが自分で
は大変そうだと思うけれど、昔の大学とはそれほど格式高い感じだっ
たのだろうなと感じることができた。また、そのように地域で 1 大学とす
ると、大学のある府県に学生や優秀な卒業生、会社なども集まるだろ
うし大学のある府県とない府県では格差が生まれてしまっていただろ
うとも考えた。実際、中国ブロックにおいては、岡山県、広島県、山口
県において激しい誘致運動があったことを学んだ。どの県だって自分
の県に大学を設けたいと考えるだろうと思った。でも、大学を設立する
ために署名活動や、募金、文部省・占領軍への陳情など広島の地域
- 594 -
の方々の支援があったことを知り暖かい気持ちになった。一般の方々
が努力してくださったおかげで大学ができて、勉強できているんだと
思うことができた。
工・ 2 ・女 講義では、多数の学校が合併して総合大学になった広
島大学と、単科大学へとなった九州工業大学とを対照的に取り扱い
ながら説明があったのでとても面白かった。また昭和 22 年の政府の
方針として、 7 旧制帝国大学と四国、中国、北陸地域に 1 大学を新
設して、国立大学を 10 校にしようとしていたことを初めて知った。もし、
現在も日本の国立大学が 10 校だったらと思うと入学するのが自分で
は大変そうだと思うけれど、昔の大学とはそれほど格式高い感じだっ
たのだろうなと感じることができた。また、そのように地域で 1 大学とす
ると、大学のある府県に学生や優秀な卒業生、会社なども集まるだろ
うし大学のある府県とない府県では格差が生まれてしまっていただろ
うとも考えた。実際、中国ブロックにおいては、岡山県、広島県、山口
県において激しい誘致運動があったことを学んだ。どの県だって自分
の県に大学を設けたいと考えるだろうと思った。でも、大学を設立する
ために署名活動や、募金、文部省・占領軍への陳情など広島の地域
の方々の支援があったことを知り暖かい気持ちになった。一般の方々
が努力してくださったおかげで大学ができて、勉強できているんだと
思うことができた。
工・ 2 ・女 新制大学発足時のキャンパス配置図を見て、現在とのあ
まりの違いに驚いた。現在は医学部以外の学部は東広島にあるけれ
ど、当時は工学部や理学部など様々な学部が広島市内にあり、東広
島にある学部でさえ散らばって配置していた。そのような広島大学が
東広島で総合大学になったのは、東広島へ統合移転したからという
ことがわかった。また、九工大とは違い、たくさんの寄付や地域と一体
となった運動、東広島を学園都市にして再開発をするという試みがあ
ったことを知った。現在はほとんどの学部が東広島キャンパスにある
ので、統合されてよかったと思った。
工・ 2 ・女 当時はアメリカ軍を主とした連合国軍が日本を占領して
いた。今のわたしたちから考えもできないことだ。それにより、学校教
育法が設立され、義務教育 9 年制の確立と、教育の機会均等が与え
られた。旧制の高等教育機関は「大学」へと移行した。昭和 22 年、
広島総合大学設立促進委員会が設置された。同じように、岡山県、
山口県でも猛烈な誘致運動が展開された。昭和 24 年に広島大学の
設置が認可される。地域の支援と地域間の対立により総合大学が設
置されたのだ。一方、九州工業大学の設立過程は、昭和 22 年、明
専昇格期成会が発表される。広島大学設立の場合とは逆で、地域の
反応が低調だった。九州工業大学は地域の支援はなかったが、十一
原則の例外により単科大学として設立された。地方大学は地域の影
響力が大きく、それによりキャンパスの分散や学部間の格差に通じた。
大学によって設立の仕方が違うことを初めて知った。
工・ 2 ・女 新制広島大学の説明にまさか九州工業大学との比較が
出てくるとは思わなかった。広島大学が多くの前身校からできたのは
納得できるが、戦後も 1 つの学校のままであるところはすごいなと思
った。九州工業大学の設立のおいては、明治工業専門学校大学へ
昇格するのに、地元の人の寄附がものすごく少ないことに驚いた。総
合大学の広島大学と単科大学の九州工業大学では地域の支援があ
ったかどうかでこのような分類にわかれてしまったが、当時の人々にと
っては、とにかく大学がこうして設立できたことを何よりも一安心と感じ
たことだろう。広島大学もいろんな学校が集まって作られたので、まと
まりがなかったりしたようだが今はそんなことはないと思うので設立に
関わった人たちにはきっと喜んでもらえていると思う。
工・ 2 ・男 今日の講義を受けて、広島大学がいろいろな大学と統
合して総合大学になるときの、地域事情との関係についてさまざまな
ことがわかった。しかも、そのときに少なからず私の地元である山口県
も関係していることがわかり、少し興味深かった。同年代に設立され
た地域と疎遠した九州工業大学との比較において、広島大学がより
周辺地域との密接、かかわりが強く地域と一体にになっていることが
わかりさすが広島大学だと思った。
工・ 2 ・男 敗戦後のアメリカ・ GHQ 占領下における日本の改革の
一環たる教育界の再編につき、旧制の大学が次々に統廃合し、国立
の大学を設置するにあたって、国立の大学を招致したい各県の誘致
合戦があったことなどは初耳で、とても興味深く感じた。各県の政治・
経済の将来を大学の招致が果たせるか否かにかかっているという話
もどこかおかしな話ではあるように思えたが、私の郷里である福岡で
も、九大と九工大の設立においてかのような事情、いきさつが在った
ことはただただ驚かされるばかりであった。
工・ 2 ・男 まず最初にレポートの書き方について、料理にうまく例え
ていて分かりやすかった。レポートで他の文章から引用する時は、引
用先を忘れずに明記したい。広島大学の成立過程では、九州工業
大学と比較してどのような点が総合大学と単科大学に分かれる分岐
点だったのかを知ることができた。広島大学は地域に密着しており、
一般県民からの寄付金のおかげもあって総合大学に発展できたので、
広島大学に通えていることに感謝して過ごしていきたいと思う。ただ
一つ希望を言うなら、広島大学は広島市にあったほうが便利で良か
ったと思う。
工・ 2 ・男 授業のはじめの勉強を料理にたとえるのはとてもうまいと
思い、確かにそのとおりだと思った。今回の講義についてだが、現在
の国立の大学がどうして複数の学校が統合して成立したのかは分か
った。しかし少数だが公立や私立の大学にも複数の学校が統合して
成立した大学もある。これもやはり広島大学のような経緯でこのように
なったのだろうかと考えた。また、占領軍の人に対し賄賂のようなこと
をしたと聞いて、仕方がなかったとはいえ少し広島大学に対して不信
感を覚えた。
工・ 2 ・男 私は部活動で西条の酒まつりのスタッフをしたことがある
のですが、そのときに地元の人々が広島大学に大きな誇りを持って
いることに大変驚きました。今日の講義を聞いて、広島大学は戦後の
大きな教育の改革の中で学生の他にも多くの人々、広島県全体から
熱望されて生まれたことを知ることができました。だからみんなが広島
大学に大きな誇りをもっているとわかりました。また国立大学設置の十
一原則というものあってそれの内容も知れて面白かったです。
工・ 2 ・男 戦後の改革において、どのような過程を踏んで国立広島
大学ができたのかという流れがある程度理解することができました。各
都道府県に国立大学を作るという原則ができないうちに、広島に総合
大学を作るという活発な運動が行われていたことによってそれが現実
のものとなったことが理解できました。一方、地域の支援が大きくなか
った九工大においては単科大学となっており、広島大学との違いが
はっきりとしており、この事例に対するよい比較であると考えられまし
た。
工・ 2 ・男 広島大学の設立の経緯にまつわるエピソードを聞けてよ
かった。自分が思っていたよりも、まったく美談でなくて、最初は困惑
したが、先人達の広島大学に対する思いが伝わってくるにつれ、今ま
で大学を軽視していた自分を改めようと思った。岡山大学派との小競
り合い?は知らなかった。でもそのおかげでこの大学が大きくなった
のかとおもうと、うれしくもあるし、マイナスな感情も生まれてくる。それ
でもなんでこんなに大きいのかを知れてよかった。
工・ 2 ・男 今回の講義ではじめて知った、また学んだことは、戦後
に創立した多くの新制大学には、それぞれ異なった成り立ち、背景、
システムがあるということだ。今まで自分にはそのようなことを考える機
会がなかった。新しく大学を作ったり、大小様々な学校をまとめたりす
るには、その地の自治体、住民、色々な団体と深く結びついていくこ
とが大事だということも知った。その際に起こる対立にもうまく対処した
ことがこのすばらしい広島大学が創立した一つの大きな要因であると
思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、新制広島大学ができるまで、いろ
いろなことが起こっていたことがわかった。今回は広島大学と、九州
工業大学を比較しあっていたけど、まさか地域との一体化が重要だっ
たとはおもわなかった。また、戦後まもなくということもあり、資金集め
やその他の活動がとても大変だった中、工夫により解決していったと
いうのがすごいと思った。あと、広島、岡山、山口での誘致合戦の話
を聞いて、とてもすさまじかったんだろうと想像すると同時に、それだ
け地元への熱意があったんだろうと思った。
工・ 2 ・男 今でこそ、あたりまえのように各都道府県に 1 校はある国
立大学。しかしおよそ 60 年前の学校教育法ができた頃は、アメリカ
の占領軍の担当者の個人的な「旧帝大+四国、中国、北陸ブロック
に各 1 大学を設立」という考えにより、中国地方でも岡山、山口、広
島の 3 県で猛烈な誘致活動があったとは知らなかった。もしこの案が
採用されていたならば、大学誘致に成功した大学はそのブロックにお
いてかなりの発展をとげ、各都道府県は、現在とは全く違う状況にな
っていたのではないだろうか。ともあれ広島市内を中心として設立さ
れた広島大学。だが移転に際して全く引きとめなかったのはなぜだろ
うか。国立大学があるというだけで市は活性化されメリットも多くあった
はずなのに。
工・ 2 ・男 今ある新制の大学は旧制の高等教育機関が統合された
ことによってできているもあり広島大学もそのひとつである。広島大学
は中国地区に総合大学を一校創設するという計画が起こりその中で
県の財政では県下の学校は維持できずつぶれてしまうこともあり、全
県民を上げての誘致運動となった。岡山との対立は激しかったらしい。
しかし後に新制国立大学実施要網に一府県一大学となったので広
島にも大学がたつこっとになった。これは県民による寄付や誘致運動
によって得た大きな利益だと思う。しかし多くの学校を統合することで
問題も出てきた 1 つの大学であるのにキャンパスが学部ごとに離れ
ていること、また文理科大学があったため格差が出てきてしっまったこ
とだ。しかし今は東広島に移転することで 1 つのまとまった大学にな
って言っていると思う。
工・ 2 ・男 今回の講義で、広島大学が戦後からどのように成り立っ
ていったのかがわかった。また、九州工業大学との比較もあって、理
解しやすかった。広島大学は 8 校から、九州工大は 1 校から統合さ
れたというのが、国立は全国的に見ると少ないので、どちらも興味深
かった。広島大学は構成する学部の計画が大幅に変更され、それに
伴い事業費も 9 倍になったという点には驚かされた。(「授業配布資
料」より)資金を得るために野球などを利用して、やはり地域の支援が
重要なのだなと思った。岡山などの地域間での対立や、九州工大が
- 595 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
単科大学になったことも知ることができてよかった。広島大学が旧帝
国大学にも負けないようにさまざまな面で努力していることが理解でき
た。あとは学部間の格差などの問題が改善できたらいいと思った。
工・ 2 ・男 九州工業大学と比べてみて、広島大学は地域の人々の
大きなバックアップがあったと聞いてとてもうれしい気持ちになりました。
一広島大学の学生としてそのように思ってもらえていたのはとてもうれ
しいことですし、今自分達がこの広島大学で学ぶことができることをと
ても誇りにおもいます。今回の講義では改めて、大学という多くの人と
人とが関わりあうものは、やはり多くの人の手によって作られるというこ
とを再認識させられました。これからは、地域の方々の思いを忘れる
ことなく勉強していきたいと感じました。
工・ 2 ・男 国立大工を設置するに当たって、最初は帝国大学だけ
でその後にひとつの都道府県につきひとつの国立大学が創立された
と思っていたけどそうじゃなくて、四国、中国、北陸ブロックに各 1 大
学しかできなかった。なぜこんな手順をふんだんだろう。そして、自分
は今まで地域ごとの争いの意味がよくわからなかったが大学におい
ても争いが起こっていた。そして総合大学設置で広島県の将来的発
展がかかっていると言った人がいるが、それはちょっと大げさだと思う。
でも地域発展のために大学を誘致して一丸となって運動することは
いいことだし、結果として成功して広島県は政令都市となって発展し
ているのはすばらしい。逆に明治工業専門学校の例については一般
有志からの寄付が全然なくて地域の反応がいまひとつなことが残念
だ
工・ 2 ・男 今回の講義では、地域と大学との関係というのがテーマ
だった。そして広島大学と九州工業大学が例に出された。広島大学
は設立時に地域の協力が大きく戦後で人々の生活も苦しいのにもか
かわらず多くの寄付やお金を集めるための努力がなされていき、総
合大学として広島大学を立ち上げることができた。一方、九州工業大
学はその地域の人々の協力がなかなか得られず、卒業生や学校関
係者からの寄付はあったものの、一般有志は 4 人ほどであった。そし
て単科大学として九州工業大学は設立された。このように大学の設
立には、その地域の協力が大きな後押しになり、大学は地域と一体と
なった教育機関であるべきだと感じた。
工・ 2 ・男 戦争により多大な損害を被った広島が、いくら国立とは
いえ戦後数年で総合大学設立まで漕ぎ着けた背景が薄ぼんやりで
はありますが掴めた気がする。それは、市民によるこの広島という地を
少しでも良い方向へ復興させていこうとする民意の結晶として成就し
たものであり、またその行為を加速させた他地域の人各々の同じよう
な思いがあったからだと感じられた。それによる弊害も無かった訳で
はないだろうが、その辺りはまだ詳細に理解していないため、ここでは
明記しないでおくとする。ともかく、そのような経緯と背景があったと理
解した以上、今そこにいる我々がそれ同様の意識を持つ必要性はわ
ずかでも持ち合わせるべきではないだろうか
工・ 2 ・男 戦後の日本の教育改革で、地方に国立大学を設置する
と決まった際に、広島県は岡山、山口県と猛烈な大学誘致の争いを
繰り広げました。その際に、県は地域の人々に大学教育の大切さな
どを説明したりして地域との密着を図り、後に各都道府県に 1 つの国
立大学が置かれることが決まった際に、ただの大学ではなく総合大
学として設置されたことにつながりました。このように広島大学は地域
との密着をよく考えてきたわけですが、広島市から東広島市に移転す
る際にストップがかからなかったなど、県からの重要性が感じられませ
ん。もっと地域民との密着度をアップさせることが重要だと思われます。
工・ 2 ・男 現在の広島大学の大きな特徴のひとつに「総合大学」と
いうことが挙げられるが、今日の講義を聞いて広島大学が現在のよう
になるために、多くの努力があったことがわかった。当時九州工業大
学のように単科大学のままの大学もあったが、各地では総合大学の
誘致運動が激しく、県内外から多数の大学、専門学校と統合した広
島大学も例に漏れず岡山、山口両隣県からの猛烈な誘致運動があ
った。現在広島大学が日本に誇る総合大学となったのはこれらの運
動を耐え向いてきたからだと思う。また、レポートの書き方をわかりや
すく教えてくださったのが良かったです。
工・ 2 ・男 なぜ国立大学というものができたのか、ということをまった
く知らなかったので、当時の政治体制や、新制国立大学実施要綱な
ど文章で決められていたことがあることを知り、少しではあるが国立大
学がどうやってできたのか知ることができた。ただ、今回の講義やこれ
までの講義を聞いていて、国立大学とは言っているものの、設立に向
けて地域住民や広島の関係者が誘致署名活動などを頑張っていた
り、資金面でもかなりの寄付などをしていたり、旧帝大に追いつこうと
目標を掲げているところをみると、国が運営しているというよりは、広
島県民が運営しているといった方が正しいのかな、と考えた。九工大
の設立との違いを説明されたときに、地域の違いによってこんなにも
違う結果になったというようなことをおっしゃられていたので、この広島
県民による努力運営も広大特有のものだろうか、と考えた。
工・ 2 ・男 講義を受けて、一番に思ったことが、なぜ広島大学と九
州工業大学の比較をしたのかだった。九州大学とか岡山大学とかあ
るのに不思議だった。でも九州工業大学はかつて志望していた大学
ということもあり講義を楽しく聞けたと思う。まず、広島大学の成立過
程において、 7 旧制帝国大学+四国、中国、北陸ブロックに各 1 大
学を新設するということで、岡山県、広島県、山口県において猛烈な
誘致運動が展開されていたことや、市内から東広島市に移転するとき
に、東広島市は誘致をしてきたが、広島市は移転することを阻止する
引きとめを全くしなかったことなど初めて知ったことが多かった。九州
工業大学の成立過程においては、今は工学部と情報工学部で構想
されているのに、始めは外専や医科を名専に合流させようとしていた
ことなど知って驚いた。
工・ 2 ・男 戦後の状況、特に占領軍の間接統治などを学ぶとは思
ってなかった。確かに巧妙な統治のやり方で、興味深かった。大学の
成立過程にアメリカ軍が関係していたなんて少し考えれば分かったこ
とだが、今まで考えたことが無かったので知らなかった。また地域間
の対立によって総合大学の誘致が一気に進んだのも興味深い話だ
った。いろいろな要素が重なって、総合大学としての広島大学ができ
たことがわかった。逆の事例である九州工業大学との比較もわかりや
すくてよかった。
工・ 2 ・男 広島大学と九州工業専門学校とを比較して同じ国立大
学でもだいぶ違いがあることが分かった。特に大きなちがいは学部学
科の数でこれには前身となった学校の数が深く関係していることが分
かった。また、土地柄の違いで資金集めにてこずったり等、学校がで
きるまでのさまざまな背景が今の状況にも続いていることが分かった。
工・ 2 ・男 広島大学は旧帝国大学を目標に地域と一体になって、
総合大学となって、九工大は地域と疎遠になってしまって、単科大学
となって、後付けかもしれないけど大学と地域の関係も大事だと思っ
た。新制大学発足時の広島大学は学部などでキャンパスが離れたと
ころにあり、気持ちの面で同じ大学として一つにはなれてなかったの
かもしれない。また、教員や資金が足りていない学校も入れていった
ので、学部間の格差もうまれてしまった。その後統合移転が行われた。
そのことからも大学と地域はともに良い関係を築いていくことが必要だ
と思った。
工・ 2 ・男 今日の授業を受けて、昔の大学制度は複雑なんだと思
った。それを日本政府が簡易化して今の大学制度になったのはいい
ことなのか、悪いことなのかはわからないが、そこはちゃんとした協議
の上で成立したと思う。広島大学と九州工業大学との比較があったが、
大学によってかなりの成り立ちの差があったことを知った。自分の考
えとしては、広島大学の前身校は 8 校もあったのだから、いろんな考
え方や思想があり、派閥とかもあったと思う。それを乗り越えて今の広
島大学ができたのだから、それはすばらしいことだし、それによって広
大はとても面白い大学になった思う。学部間の格差は、それは自分
の進路であるし、そこがどうだからといって、自分の学部に対して懐疑
することは絶対にないと思う。
工・ 2 ・男 配布資料にある、統合された旧制高等教育機関数による
新制大学分布の表を見て、広島大学は全国でも稀の、 8 つの前身
校を背景に設立されたことに驚いた。 8 つの前身校を持つ国立大学
は 4 つしかなく、授業で上げられた九州工業大学と比較すると、大学
創設に関しては大きく異なる歴史を持っているのである。授業の中で
気になったのが、広島大学の広島市から東広島市への移転に関して、
広島市はそれを拒もうとしなかったということだ。もう少しそこの訳を知
りたいと思った。広島大学は地域一体となった、総合大学になり、九
州工業大学は地域とは疎遠の単科大学へと至り、さまざまな背景のも
と大学が創設されたことを考えると、広大の歴史についてもっと知りた
いという気持ちが強くなった。
工・ 2 ・男 僕はこの講義を受けるまでは戦後すぐ 1 府県 1 大学を
目標に日本政府が大学の設立をしてきたのだと思っていたので、官
立学校の地方委譲の案が始めにあったと言うのは驚きでした。ただで
さえ復興のために予算を費やしている地方自治体に学校の経営まで
丸投げすると言うのはなかなかひどい話です。これは GHQ の担当
者の個人的な意見だったそうですが、この当時の担当者はなにを思
ってこの案をだしたのか不思議でした。今回の講義は広島大学と九
州工業大学が成立するまでの過程を比較すると言うもので、この両者
の違いのひとつが「地域とのつながり」である、というものでした。この
結論はなかなか興味深かったです。地域とのつながりが地方大学の
性格に影響をあたえるとするならば、広島大学の性格はほかにどのよ
うなつながりによって生まれたのか、調べたりするのも面白そうだと思
います。講義で紹介されたのは一部だと思うので少し自分でも調べて
みようと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学ができてから今の広島大学の体制になるまで
には様々なことがあったんだと思った。九州工業大学との比較をとうし
て見てみるとより理解が深まった。広島大学ができるまでには、いろん
なひとたちのどりょくがあったんだとわかった。過去に問題になったこ
とが今どのように扱われていて、どのように解決されたのかということに
とても興味をもった。これから先も大学の体制は変わっていくと思うが、
今日学んだような事例を参考にしていけば、新しい体制も成功すると
思うし、そうすべきだと思う。
工・ 2 ・男 この講義を聞くまでは広島大学はただ単に終戦後、学校
教育法改正によって国が占拠軍のもとで多くの包括校をひとつの総
合大学にしただけだと思っていた。だが、実際は学生や地域の人々
- 596 -
の強い要望によって広島に誘致された総合大学だった。そのことに
驚き、地域の影響力はすごく大きいんだな思った。また、広島大学は
地域と一体になった運動によって総合大学になったのに対し、九州
工業大学は地域と疎遠だったことによって単科大学になったというの
を聞き地域の運動でそんな違いがおこるんだと初めて知り、衝撃を受
けた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受け広島大学が今の総合大学として創立
したのは市民からの多大な寄付などの地域との一体となっての運動
によるものだと初めて知りました。もしそうでなければ九州工業大学の
ように地域と疎遠で政治的に余地が無くなってできる単科大学になっ
ていたかもしれないと知り、やはりどの時代においても市民の影響力
は多大なものだと思いました。広島大学の移転においてもそういった
影響力が働いて行われたのかもしれないと知りさらにそういうふうに思
いました。
いて総合大学としての広大の誕生に大きな影響を与えていたことがよ
く分かりました。地域の協力が重要であったことは九工大の例をみる
とさらによく分かりました。また発足当初の広大はキャンパスが県内の
各地に分散してしまっていて現在のように一ヶ所に集まっていなかっ
たという問題を抱えてしまっていたこともわかりました。今は同じキャン
パスにほとんどの学部が集まっているので総合大学としての自覚が
持ちやすいなと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学は九州工業大学と比べ、総合大学として設立
されたのは、「新制国立大学実施要網」にも当てはまり、地域の指示
も得られ、なにより地域と密着くして運動したことがよかったのだなとわ
かりました。もし広島に総合大学がなければ、県の財政で維持しなけ
ればならなくなり、今のように発展しなかったかもしれません。昔のひ
との努力を無駄にしないように日頃の生活を見直し、学業もがんばろ
うと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学が統合され総合大学となるときに、山口県と岡
山県と広島県とで激しい誘致合戦があったのは、知らなかった。統合
に関しても、多くの国立大学が 2 ~ 5 校の統合で大学をつくってい
るのに対して、広島大学は 8 校と言う国立大学のなかでも数多くの大
学が統合してつくられたときいて、おどろいた。しかし一方で、いまの
ような大きいキャンパスを持っているのも当然だと思えた。そして、ここ
まで大きい総合大学としていまの広島大学があるのは、地元の人々
のおかげだということも初めて知った。
工・ 2 ・男 日本政府が大学を次々に誕生させてきたと考えていたが、
その裏にはアメリカの存在があったことを今回の講義で知りました。そ
の当時の時代背景というものなどこれまでは、それほど考えたことが
なかったので自分の中では新たな発見でした。今自分の在籍する大
学にあのマッカーサーが関わっていたことに驚きました。今となっては
広島にも岡山にも普通に国立大学が存在しているが、当時は猛烈な
誘致運動が展開されていたという話にも驚きです。当時はとても大変
だったのだろうと思います。
工・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学は、多数の学部からなる総合
大学とひとつの専門からなる単科大学であることは知っていたが、な
ぜそのような体制になったかということは疑問にも思わなかったため、
今回の講義ではいいところをとりあげてくれたなと思ったとともにとても
興味がわいた。講義の前になぜそのような体制の違いが生まれたん
だろうと考えて、前回の講義の内容から戦前細かく分かれていた大学
同士で合併しようという動きになったのではないかと推測したが本当
のところは地域とのつながりが一番の影響力を持っていたということを
聞いて驚かされた。
工・ 2 ・男 今回の講義により大学の設立にはその地域との関係が
重要であることを知りました。地域と一体になることにより広島県は岡
山、山口両隣県の猛烈な誘致運動を凌ぐことができたのだと思いま
す。初代学長の森戸辰男氏が述べたように、平和都市広島に平和と
協力の道を実践する場として大学を位置付けるとあるようにその点で
は広島総合大学が広島に設置されたのは妥当なことと思います。ま
た、統合された旧制高等教育機関数が 8 校あるということから、初代
学長を選ぶのに時間がかかったことも納得できます。最後に、県が東
広島市の発展を望んで、広島大学を東広島市へ統合移転することは
理解できますが、広島市は何の抗いもなく移転を承認したことが疑問
に残ります。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、広島大学は地域の人々からの支
持を受けて協力を得たので名のある大学として創立したのでと思いま
した。事例であかっていたように、九州工業大学はあなり地域の人々
からの協力を得られなかったので、広島大学のような総合大学ではな
く単科大学として創立したことがわかった。広島大学の創立は、地域
の協力があったからさまざまな旧制高が集まったのだと思いました。
今回の講義で驚いたことは、各地で誘致運動が起きたことでした。し
かし、そんな誘致運動が起きたことにもめげず、学生達が署名運動を
起こしたことがすごいと思いました。学生の熱意が地域に伝わったか
ら地域の協力を得れたのだと思い関心しました。
工・ 2 ・男 広島大学の歴史については前々回の講義を受けて、ど
のように成立したかを学んだ。そして今回の講義を受けて総合大学と
なった新制広島大学について学んだ。戦後の法律整備や大学改革
の中で広島大学が歩んできた道を学ぶことができ、そこにはやはり地
域との結び付きがあった。広島大学も九州工業大学のように地域から
の支援がなければ、総合大学としてのまとまりもなかっただろうし大学
移転もなかっただろうと思う。これからも広島大学は変わっていくだろ
う。そこには地域との結び付きがなければできないこともあると思うの
で学生としてできることがあればやっていきたいと思う。
工・ 2 ・男 『新制国立大学実施要綱』を見て、思ったよりも細かく決
められていたことをはじめて知り、驚きました。 8 つもの大学から統合
された大学はたった 4 つしかなく、広大は特徴のある大学だというこ
とがわかりました。また、九州工大との違いとして、広大は地元の人間
が望んでいる部分が多くあったようなので、広大生としては誇らしい
気分でした。周辺の地域でも対立があったようで、当時は大学が本当
に望まれていたのだと、教育に対する積極性を感じました。
工・ 2 ・男 広島大学ができるまでには多くの苦労があったんだと感
じました。岡山と山口との大学誘致に関する争いはまったく知りませ
んでした。 8 個の学校が合併してこの広島大学になったそうなので、
今の大学はそれら個々のいいところをうけついでいるのだと思いまし
た。また、設立に当たりおおくの寄付をいただいているところに驚かさ
れました。たくさんの人の広島大学にかける思いを知ることができまし
た。今の広島大学はこうした理由から地域とのつながりが深いのかも
しれないです。
工・ 2 ・男 九州工業大学との比較をして分かったことは、広島大学
の成立過程には地域の猛烈な支援があり、政府の方針にも沿ってい
たことが総合大学となる上で大きな要因だったということだ。中でも興
味を持ったのは、中国地方に総合大学を一校創設するにあたって、
両隣県と誘致合戦をしたことだ。財政的な問題なども含めて、広島県
が将来発展するかどうかは総合大学設置にかかっていた訳で、いま
自分が充実した学習を受けられているのも、当時の地域の支援があ
ってのことなので、さらに地域の歴史についても学んでいきたい。
工・ 2 ・男 戦後に新制の大学を設立するする際に最初は岡山や山
口などと誘致合戦を行っていて、そのことで地域一体となっていたこ
とが後に各都道府県に大学が置かれることが決まった後でも生きて
工・ 2 ・男 戦後、占領軍が 7 つの旧制帝国大学に加え四国、中国、
北陸に各一大学の計 10 校の国立大学を新設するとした際、岡山県、
広島県、山口県で猛烈な誘致運動が行われたが、その中でも広島県
民の総合大学を設置することへの熱意は凄まじいもので、後に大学
設立の際にも多額の募金が集まっており、県民の支援が広島大学を
設立の重要な要因になっていることが理解できた。
工・ 2 ・男 今日の授業を聞いて、岡山、山口の両隣県の誘致運動
が激しくなった時に広島県が設置に本腰を入れてなければ、もしかし
たら広島大学がここにはなかったということを知って、広島県民として
すごくホッとした。そしてカープのたる募金のように、大学設置の際に
7800 万という多大な募金額が寄せられていたことを今日初めて知っ
た。その内容も野球やおどりの見物料など、ユニークなところからから
捻出されていて、改めて僕たちは、たくさんの人たちのおかげでここ
に居れるんだなと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義で、一番驚いたのは広島大学を建てるときに
行った寄付金が 7800 万円も集まったということです。広島は当時原
爆の影響を受けて、大変な状態にもかかわらずそれほどの寄付金が
集まったのは、それほどまでにみんなの大学を建てたいという意識が
強かったのかなと思いました。広島で野球や踊りやいろんなイベント
をやったりして資金を集めたりなど、広島大学ができるまでの努力が
いろいろとわかりました。
工・ 2 ・男 今回の授業では広島大学と九州工業大学との成立過程
の違いについて学んだ。広島大学では地域と一体になった運動で総
合大学に発展していったが、九州工業大学では地域と疎遠になった
ため政治的に動く余地が全くなかったため、単科大学へとなっていっ
た。この結果からみると地方大学は地域との結びつきがかなり影響し
ていると思った。また、広島大学の移転前後の地図をみて、移転前の
各学部があんなに分散していたとは思わなかった。
工・ 2 ・男 以前の講義から広島大学がいつでき、どのような経緯か
らできたのかはわかったが今回の講義を受けてさらに広島大学が総
合大学としてどれだけの県民から望まれ県民からの寄付金など、どれ
だけの努力からできたかを知れ今自分がこの大学にいれることのあり
がたみを感じました。実際身近に大学がどのようにできるかなど知る
機会もないので今回の講義を経て大学にたいする勉強する場という
考えからいろんな人たちから勉強させてもらっている場という考えに
変わったきがしました。
工・ 2 ・男 新制広島大学が、多くの分野を学べる総合学校になっ
たのは広島に住む人たちの協力によるものが大きかった。広島大学
はとても地域の人たちとかかわりが深い大学であると考えた。九工大
も地域の人たちの支援を仰げていれば、九大のような国立の総合大
学になっていたのではと考えた。今回の授業で、やっとの思いで設立
した広島大学を、広島市は東広島市に特になにも主張することなく手
放したと聞いて疑問に思った。よくわからなかったので詳しく聞きたい
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
と考えた。広島大学がさまざまな学部を作った経緯は、ほかの県との
競い合いからであり、医学部をのちに作ったのもそのような経緯があ
るのではと考えた。
工・ 2 ・男 今回の講義は、旧制大学から新制大学ができる頃の日
本の政治形態から説明がされていたのだが、間接統治というよくでき
た政治形態で、連合軍は巧みに改革を推し進めていたのだと感じた。
新制大学を設立するにあたって、当初の案では地域に国立大学は
ひとつだけ設立することになっていたので、中国地方では岡山と広島
が激しい誘致運動を繰り広げていた。ということだったが、結局は県
に一つの国立大学を設立することとなったため、現在の広島大学が
存在しているのかもしれないと思うと、広大は歴史のこもった大学だと
思う。
工・ 2 ・男 戦争が終結し、日本では学校教育法が改革された。そ
れがいまの六・三・三・四制である。それに伴い、新制広島大学が生
まれた。各地域で大学が必要になり、中国地方にも総合大学が設立
さえることになった。岡山、広島などが候補にあがり広島に設立され
た。もしも他の地域に建てられていたら、今の広島大学はなかったに
違いない。九州工業大学と比べると、広島大学が地域の支持を受け、
政治の影響を経て誕生したかがよくわかった。この広島大学でいろい
ろなことを学び社会に貢献していきたいと思う。
工・ 2 ・男 新制広島大学は住民の協力と懸命な誘致運動の結果
生まれたことが分かった。新制大学が設立される際、九州工業大学
は一つの学校からできた一方で、広島大学は八校からできたので、さ
まざまな問題があった。キャンパスは点在していて、学部間の格差も
あったそうだ。文理科大学や師範学校の影響で理学部と文学部と教
育学部の力が強かったのは仕方がなかったと思う。その当時は総合
大学という実感がなかったと思う。また、昭和 28 年に併合されるまで
医学部がなかったのは疑問に思った。
工・ 2 ・男 前回の講義で広島大学の前身校がたくさんあったことを
学んだが、今回は九工大との比較で、同じ国立大学でも現在に至る
経緯は違っていて、地方国立大学で他に特殊な理由がある大学は
ないのか、と思った。大学の名称で、原則として都道府県名を用いる
とあるが、奈良県には奈良大学という私立大があり、国立大学は奈良
教育大、奈良女子大などがある。 Wikipedia で調べると、国立大の
女子大はお茶の水女子大と、この奈良女子大しかないらしいので、な
ぜ国立女子大は日本に 2 つしかないか、非常に気になった。
工・ 2 ・男 新制広島大学ができて、発展していった過去があって、
それを知ることが出来ました。広島という県は大学もそうですが、野球
など色々な事を地域で活性化させるというのが多いと思いました。そう
いうことを考えると広島というのは非常に地域密着をしていて、過ごし
やすい場所なのかなと思いました。あと、大学は一生懸命誘致運動
をしていたことも意外でした。昔では、よりよい大学を作ろうと本当に
色々と活動をしているのだなと改めて感じました。
工・ 2 ・男 第二回に受講した戦前の旧制の広島大学と今回の講義
の新制の広島大学の違いについてわかりました。旧制の師範学校や
専門学校などの高等機関がひとつに統合したとき当時は今のように
だいたいがひとつにかたまっていたのではなく、さまざまな地域にキ
ャンパスが分散していたり、各学部間の学力格差もあったと思うので、
当時は大きな混乱があったと思います。当時は中国地方にひとつの
大学の方針であり、岡山、山口と誘致合戦があったことを知りました。
これからの地域と一体となって発展していくんだと思います。
工・ 2 ・男 まず今回の講義で驚いたことは、新制大学の誕生にアメ
リカを中心とした占領軍が関係していたことです。アメリカ軍の指示を
日本政府が実行し、それにより大学ができたという話は初めて聞きま
した。また、国立大学設置の際の十一原則について聞いた時なぜ国
立大学が県名と同じになった理由がわかりました。僕はその原則はあ
とから作られたという説が正しいと思います。もし新制大学の誕生が
計画的なものだったら、最初から今のような形になっていたと思いまし
た。
工・ 2 ・男 広島大学は 8 校もの旧制高等教育機関を統合し、これ
は全国的に見てもとても多い数字だった。しかしそれは広島大学が
地域と一体となっていた証であり、まわりにそれだけ支えてくれる人が
いるとはとても素晴らしいことだと思った。そしてここまで協力してくだ
さった地域の皆さんに少しでも恩返しをしていかなければいけないと
思った。今回の講義は少し難しかったように感じたが、また 1 つ広島
大学のことが知れてとてもいい勉強になった。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、新制広島大学の財源のほとんど
が一般寄付や県費であると言っていたので、自分の予想とは大きく違
っていることがわかった。これと比較されていた九州工業大学は、広
島と違って寄付が少なく、一府県一大学という原則の例外であったの
で単科大学になったという話はとても興味深かった。さらに、この原則
の例外になぜ広島が含まれていないのか疑問に思った。また、修士
課程や博士課程の設立で工学系の設立が意外と遅いことを聞いて、
現在、工学部は修士課程や博士課程に進む人が多いから昔と比較
してみたくなった。
工・ 2 ・男 広島大学が当初は今の体制である総合大学とは異なっ
ていたことが興味深かった。大学設立の地域間競争、地元の住人た
ちによる協力の下、現在の体制になったことは驚きで、九州工業大学
との対照性が浮き彫りになっていたのも調べられていてすごい授業だ
ったと思う。奇しくも僕が後期に受けるはずだった大学が九州工業大
学だったのでちょっとおもしろかった。今回の授業から現在の移転ま
での過程にも興味が出てきた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて旧学制から新学制への切り替えで
広島大学ができるまでの背景がわかった。地域と疎遠で政治的に動
く余地なしだったため、単科大学に比べ、広島大学は地域と一体に
なった運動をした結果、総合大学になったことがわかった。官立学校
の地方委譲問題で国立の高等教育機関を公立にするとき、中国ブロ
ックに一大学だったため広島と岡山で対立があったことを初めて知っ
た。あと私は大学改革は GHQ の間接統治によるものだと思っていた
けど、そうではないということがわかった。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて広島大学が成立するまでの色々な
出来事がよくわかりました。中国地方に総合大学を一校創設する、と
言う発言に対し広島、岡山、山口県で誘致運動が展開され、学生が
ポスターを作ったりして呼びかけたり、時には岡山の人と喧嘩になっ
たりしたという話を聞いて、その大学を建てようという思いの強さがす
ごいなと思いました。今現在の学生の勉強に対する意識と比べるとす
ごいなと思いました。他にも国立だった高等教育機関を都道府県に
委譲されたことに対する財政面での苦悩や、地域の協力の大切さや、
逆に大学の総合移転後の問題なども知ることができました。
工・ 2 ・男 今回の講義では、九州工業大学との比較があったので、
広島大学が皆から広く支持されていたことが、よく分かりました。また、
国立大学を広島に作ろうという運動など、当時の様子がイメージでき
る詳しい説明で、昔の人々が、お金を集め、東広島に大学を作ってく
れたことに感動しました。
工・ 2 ・男 最初は帝国大学七つだというのは知っていたが、その次
にそれぞれの都道府県につき一つできたものと思っていた。でもその
間に、四国、中国、北陸ブロックに各一つもうけていたことは知らなか
った。なぜこのようなことをしたのだろうかと少し不思議に思った。また、
中国に一つ設置するにあたって猛烈な誘致運動があったと学んだが、
過激なまでにする意味がよくわからない。地域ごとに利権を争うのは
よく耳にし、かつ意味もわかるがなぜだろう。ある人が「広島県が将来
文化的に発展するか否かは実に総合大学設置にかかっている」とい
ったそうだが、自分としては大げさだと思う。しかし、市民一丸となって
一つの目標に向かうことは素晴らしいと思う
工・ 2 ・男 広大が生まれたのには、僕が講義前に予想していたより
も様々な状況が絡んでいたんだと感じた。九工大と比較されていたと
こから考えて、こういった大きなことをするのに地域の影響力の大きさ
が理解できた。結果的にも、新制国立大学実施要綱に従った機械的
な手法で広大と同じように総合大学の道を目指した九工大は柔軟な
対応をした広大に遅れた。これは、今の時代のどの分野にもだいた
い当てはまると思う。柔軟に世の中を歩いていく。それが、一般社会
で重要であるというメッセージが含まれているように感じた。
工・ 2 ・男 旧学制では小学校卒業後進む進路によってその後の進
路も自ずと決まっていたことに驚いた。小学生の時点で将来を決めな
くてはならないため廃止されてよかったと思う。新制広島大学は一般
県民からの募金など地域の協力があってこそ設立できたのだと実感
した。統合移転にも地域の実情が密接に関わっていたようである。し
かしながら計画を大きくし過ぎ、学部を多く取り込んだため、一つの大
学としてまとまりを欠き、特色が希薄になったのではないかと思う。設
備の充実や、教員の水準を上げるために多くの方々が努力してきた
はずである。今後の授業でそのことについて詳しく学んでいきたい。
工・ 2 ・男 まず広島大学が成立する過程で地域や学生たちから多
くの著名活動や誘致活動が行われていることに驚きだった。大学の
建設なんて国が決定するものだと思っていたので広島という地域の
力が大きく影響していること、また九州工業大学との比較から地域と
の関わりあいが単科大学と総合大学との違いに深く関わっているから
さらに広島大学に愛着のようなものを感じることができた。たくさんの
人の思いからできたこの広島大学に通うことができている自分はそう
いった経緯を知り、勉学などもっと有意義な時間をおくっていなけれ
ばいけないと思うことができた。
工・ 2 ・男 広島大学は成立するまでにまず旧帝国大+四国+中国
+北陸にそれぞれ大学を一つずつ作るという構想があり、広島県と
岡山県と山口県での地域間の対立があったということは知らなかった。
大学設立の総事業費が四億五千四百万円必要ななかで、一般県民
からの募金が七千八百万円も集まったということから、広島大学がい
かに地域の支援を受けていたかいうことが分かる。広島大学の学部
間に格差があったことはしらなかった。意外と工学部の大学院設置は
遅かったのだなと思った。
工・ 2 ・男 広島大学は地元の強い援護があって総合大学になるこ
とができたことをしった。大学とは地元と大きなつながりがあるのかと
感じた。また、広島大学は 8 つもの前身校からなっていてお互いの
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学校のプライドや対抗心がありひとつの学校としてうまくやっていくた
めにはそうとうなくろうがあったと思われる。この大学は成立するまで
いろいろな苦労があったからこそ、今地方大学のなかでも旧帝大に
ひけをとらない学校になることができたのではないかと思う。実は、第
二志望は九州工業大だったので、今回の授業で比較されて、地もと
につながりがある広島大学にこれてよかったとこの講義を受けて感じ
た。
工・ 2 ・男 九州工業大学は地域と疎遠になってしまって総合大学
になれず単科大学になってしまったが広島大学は地域と一体になれ
たからこそ総合大学になれたのだとわかりました。昔の人の努力があ
ったからこそ今の広島大学があるのだと思いました。私は前期で広島
大学に決まりましたが後期では九州工業大学を受験しようと思ってい
たので今回の講義は聴きやすかったです。この講義では普通に生活
していては知ることができない広島大学のことについて知ることができ
るのでこれからも受けようと思います。
工・ 2 ・男 広島大学のなりたちと九州工業大学の成立ちの違いを
知り、広島大学が総合大学への転換をきめたことは、いま在学生であ
る私において非常にたすかるものだとかんがえられる。広島大学が総
合大学になったことのより、他の学部との交流もできほかの単体大学
と違い、将来的にさまざまな分野の人間と関係性ができ自分の仕事
にやくだてることができるだろう。いまこの大学にはいったことにより他
の大学にはないさまざまな体験をできていることを、非常にうれしくお
もうとともに、いまの勉学に励みたいとおもう。
工・ 2 ・男 この講義で九州工業大学との比較ということで、僕は広
島大学に行けなかった場合、九州工業大学に行くつもりだったので
そういう意味でこの講義には関心があった。この講義を受けて、広島
大学は地域間の対立があったものの地域の支援を受けてできた大学
である一方、九州工業大学は地域の支援を受けずにできたということ
を考えると、広島大学は地域に認められた存在となっていると思う。
募金について不況の中なかなか集まらなったお金を工夫して集めて
いたことはすごいことだと思った。しかし、工夫したとはいえお金が集
まったのは中国新聞にあった「広島県が文化的に発展するかどうか
は総合大学にかかっている」という地域的に危機感を感じていたから
だと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義は予想していた内容とまったく異なっていた
のですごく面白かった。第二次世界大戦で日本が負けてアメリカをは
じめとする連合軍に支配されていたのは知っていたけど日本の教育
にどのような形で影響を与えてどのような形で支配していたのかという
話は知らなかった。七帝大のほかにも中国地方とかに帝大を作るとい
う話は初めて聞いたし、それ以外の大学を国立ではなく公立にすると
いう話も然りだった。今広島大学は旧帝国大学ではないから僕も入
試で合格することができたけどもし帝大になっていたらどうだった
か・・・と思った。けど、帝大になっていたら確実に人気も出るし広島に
できていたとしたら活性化にもつながり面白かったのではないかとも
思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学と他大学との関連性に
ついてよく理解することが出来た。広島大学の一員として昔の広島大
学と他大学との関係を知ることによって現在の広島大学と他大学の
関係の在り方について考えさせられた。これからの将来においても大
学に限らず他のグループとの関係や交流を重要であると考え、昔の
広島大学に習って大切にしていきたいと思う。
工・ 2 ・男 統合された高等学校がとても多くあって、幾多の苦労を
かいま見ることが出来、そこに多くの人の苦労があることが考えられた。
資金寄附の人数の割合が個人的には、比較的多いと感じ、やはり財
政上は、どこの家庭も苦労しながら学校に通っていたことが、考えら
れた。また、旧学制の場合、小学生のうちから、将来について考えな
ければならなく、専門学校に行ったら、やるべきことが変えられなくな
ってしまう制度に関しては、厳しいものを感じ、今の新学制への切替
えは良い案だと考えられた。新たに、総合大学が出来るまでの苦労を
考えさせられた。
工・ 2 ・男 第 2 回の授業で、広島大学は、多くの高等師範学校や、
専門学校があわさってできたということは学んでいましたが、今回の
授業でそれは、総合大学にするためだったということがわかりました。
また、九州工業大学との比較によって、地域と一体になった運動によ
って現在のような総合大学となれたということがわかった。また、新制
大学発足時のキャンパス配置図をみるとひとつの大学なのにばらば
らにわかれていたことがわかり、現在のようになるまでに多くの時間と
労力を費やしたのだなと思いました。
工・ 2 ・男 アマリカ軍を中心とした連合国軍が日本廣島総合大学の
創設問題は岡山,山口両県壮烈もあり、最近になった非常に緊迫し
て来たので、文理大を始め県下の関係学校当局では二重三日文理
大で緊急打つち合わせてを行い。九学部一年定員二千五百目を決
定するとともに施設に関する具体案については続ける。
工・ 2 ・男 今回の講義では、新制広島大学の成立過程について学
んでいくで、当時の時代状況などについても感じ取っていくことがで
きました。戦後、占領軍が日本を間接統治し、教育についての制度を
変えていったことは、現在に至るまでにとても大きな影響をもたらした
と思われます。また、昔の教育制度はとても複雑であり、小学校を卒
業後に自分の将来がおおよそ決まってしまうというのは少し違和感を
感じました。その他には、地域と大学の関係についても理解を深める
ことができました。その中で、特に印象深かったのは、大学設置のた
めに一体となって運動を起こした地域もあれば、そうでない地域をあ
り、それらの地域の大学はそれぞれ異なる方向性の大学を形成して
いったというところです。
工・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学の成立の比較において、県民
の関心次第で大学の姿が大きく異なった結果になるということがわか
った。そういった面でも大学と地域とは密接な関係にあり、前回の原
爆被災者に対する慰霊や原爆の学術的研究がなされていなかった
事にたいする憤りの声とのつながりを感じ、もっと地域との連携と協力
が必要なのだと思った。また、大学として最も多い 8 つの包括校を持
つということが、その卒業生の実績や県の学術の一切を担う大学であ
るということが分かった。
工・ 2 ・男 広島大学は旧帝大になりたかったとこれまでの授業で聞
いていたが、その詳細がとても興味深かった。中国地方に国立大学
を新設するという占領軍の担当者の個人的な意見を信じ、岡山や山
口と対立して、住民達も誘致運動を活発に行っていた。広島県は自
分の県に国立大学を誘致したかったために、強引に多くの旧制の学
校を統合し、とても多くの学部を作り、その結果、広島大学は総合大
学となった。全都道府県に国立大学を作ると決まっていて、住民の支
援がなければ、広島大学はそれほど多くの学部を持つことはなかっ
たであろう。それに対して九州工業大学は住民の関心が低かったた
めに単科大学となったと知った。
工・ 2 ・男 今回の講義では、国立大学設置のために地元が一丸と
なって、頑張っているところもあればそれほどでもないところあった。
特に、広島・岡山では設置争いが激しかったとのことだが、なんとなく
納得できるような気がした。現在でも道州制の州都につても争ってい
る。広島大学の設置の際には総合大学を目指していた為、いろいろ
な学校が母体となってできている。その為、いろいろな場所に校舎が
あり、まとまりに欠けるとのことだったが、確かにそれはあると思った。
そして、その時に東広島の開発したいということも手伝って、東広島
に移転した。この点について、私は広い土地を確保するためには、広
島市よりも東広島市の方が確保しやすく安くなると思うが、交通の便
を考えるとあまり便利ではないと思う。また、九州工業大学と比較する
と、やはり地域の影響力は大きいものだと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学が成立したときの時代背景などよくわかった。
広島大学は誘致運動や署名活動が活発で、総合大学として成立で
きたのに対し、九州工業大学はそのような運動が活発でなかったこと
は残念だと思った。当時九州にも大学に入ってさまざまなことを学び
たい人は多かったと思う。それが地域の影響力で叶わなくなるのはと
ても可哀そうだと思った。どの県にも 1 つは大学があるが、その一つ
一つが、市民の運動や学生の署名運動の上で成り立ったものだと考
えると、何かすごいことのように感じられた。当たり前のように思ってい
たのに、この講義で過去の苦労があったからこそ大学が成り立ってい
るのだということを認識させられた。
工・ 2 ・男 今回の講義でもっとも印象的だったことは昔の教育制度
の仕組みについてでした。現在の小学校・中学校・高校・大学と義務
教育を経た後自分自身の進路について決めれるようになってからと
いう猶予が与えられている仕組みに比べ、昔はわずか 12 ・ 13 歳と
いう年齢で将来について決定しなければならないなんてと思うと、日
本はある意味では戦争に負けて学んだこともたくさんあったんだなと
思った。たくさんの統合校からなり、全国有数の総合大学になった広
島大学でたくさんのことを学びたい。
工・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学を比較してそれぞれの大学の
目的がよくわかった。広島大学のように地域と一体になって総合大学
となったのに対し、九州工業大学は地域の支援がなく、政治的に動く
余地がない単科大学となることとなった。個人的には九州工業大学
は第 2 志望の大学であったが、このような政治的背景を持っていると
は考えたこともなかった。講義でも触れたように、広島大学は地域の
影響力が大きい。いい面も悪い面も兼ね備えているが、地域との連
携を生かしたすばらしい大学になってほしい。
工・ 2 ・男 今や日本国内でも有数の難関大学となった広島大学で
すが、これまでにいろんなトラブルがあったと思います。第一次、第二
次世界対戦の中での原爆投下による大被害は今でも引きずっていま
す。毎年 8 月 6 日に平和記念公園で開かれる、追悼の意味をもつ
式典は天皇陛下もお見えになっていて、すごく大規模に行われてい
ます。なくなった方のなかには広大生もいたでしょう。やりたかったこと
がまだ僕らのように山積みだったに違いありません。同じ広大生として、
なくなった広大生のみなさんの分まで頑張らなければいけないなぁと、
広大の歴史を学ぶ度に思います。
工・ 2 ・男 今回の授業を得て広島大学の新しいところや改めてすご
いなと思うところがでてきました。さらに九州工大でも技術のレベルが
高くすごいと思うところがたくさんありました。世界でも通じる技術を研
究し非常に高い就職率を知り、とても九州工大に興味をもちました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
キャンパスも 3 つに分かれていて、広島大学ほどではないにしろ大き
いところだと思いました。広島大学でも比較され改めてその歴史の古
さに驚きました。多くの人たちのおかげでいまの広島大学があるのだ
なと思い、そんな大学に通えて自分はとてもラッキーの思えました。
工・ 2 ・男 今の学生たちは大学にいってからでも幅の広い分野に
おいて就職できるのに対して、当時の子供たちは小学校を卒業する
12 歳という年齢で将来自分が就職したい職業を決め、その職業へ就
職するための学校へ行くということを決めなければならないことにはす
ごく驚きました。もし自分がこの時代に小学生だったら何を考えどう行
動していたか今考えてみるととても不安になります。各県の名前がつ
いた大学が多いのはなぜかと思っていましたが、今回の講義を受け
てその理由がわかりまた広島大学についてのことを知ったと思いまし
た。
工・ 2 ・男 講義を受けていて考えたことは、新制の広島大学が設置
されるまでにいろいろな計画やお金もかかり大変なことだったんだと
知った。けれど、一般県民の募金が約 7 千 8 百万円が寄付されたり
県費が約 5 千 6 百万円集められたりと広島人みんなが協力してでき
た学校なんだと学び、改めてこの広島大学に所属できていることに感
謝の気持ちを持ちました。またそれに反して九州大学を地域と疎遠
状態になり単科大学になったんだと知りました。地域との関係や影響
力は大きいんだなと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を通して、どうして 8 校もの教育機関が集まり
総合大学となったかわかりました。当時、中国地方で国立大がひとつ
しかできないと流れ、そのため岡山県との県を上げての競い合いとな
りかなり多くの教育機関数ができたのだと学び、そのせいで当時あま
り大学としてのまとまりがなくどうして、統合移転したり、医薬学部が離
れているかわかりました。地域と密接してこの広島大学が生まれたこと
はうれしく思いました。また、当時小学生など小さいころに進む道を決
めずにならず、現在のように高校から多くの道がないのは自分がもし
そのようだったらたぶん決めれなっかたと思いますし、あとから行きた
いと思った道に進めないのはつらいと感じました。
工・ 2 ・男 まず、旧制の高等教育機関の仕組みについて深く考え
させられた。旧制では、進学が積み上げ式であるので、若干 12 歳で
進路選択をしなければならないといけない。自分の場合ではもちろん
選択をすることができないだろうし、できたとしても思うような選択がで
きないだろうと思った。新制と旧制での責任の持ち方の差を感じた。
そして、広島大学の設立が地域や政治との結びつきによって単科大
学ではなく、総合大学になった。そのなかでの学部間の格差がなぜ
生まれたのか、その理由がおもしろかった。教師の力量の差が学部
間の格差に繋がっているということだった。このことは全く予想できな
かったし、教師が大学に与える影響も大きいものだと思った。
工・ 2 ・男 戦前と戦後では学校の仕組みや義務教育が大きく変わ
ってまったくの未知の世界だったと思います。また、広島大学と九州
工業大学のおいたちの比較では、国立大学が 10 校に限定されると
決まったときの広島県の熱烈なラブコールや地域の支援があったか
らこそ、今の総合大学としての広島大学があるのだということが分かり
ました。広島大学の学生は、両親や学校の先生などの期待だけでな
く、広島県の地域の人々の期待をも背負っているんだということを自
覚するべきだと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて一番興味深かったという点は岡山
県との総合大学をめぐる衝突の部分でこれは事前にテキスト「広島大
学の歴史」を読んで一番気になった部分でありそしてそれの内容に
ついて少し考えました。僕個人の予想ではビラ、署名を各県で行いそ
れを提出しているのかと思っていたのですが、実際には岡山勢が広
島に入ってきてビラをはったり署名活動をしたりときいて今では問題
が起きそうなことをやるというほど大きなことなのだと考えさせられまし
た。総合大学になるまでにこれほどのことがあったことを知らなかった
ので、今回知れてよかったと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義では広島大学と九州工業大学の成立過程
の違いについて学びました。まず、広島大学設置における誘致運動
が地域一体となって行われたのに対し、九州工業大学は地元の反応
が低調でこれが総合大学と単科大学の違いとなったということが分か
りました。私は、かつてこのように地域一体となって設置された広島大
学にいれるということを誇りに思いたいです。また、昔は小学校を卒業
の時点で進路が決まってしまうということがあったというのには驚いた
と同時に、どうしてそのような制度にしていたのかと、疑問に残りました。
工・ 2 ・男 広島大学が総合大学になったのは地域と一体になった
運動があったからだということを知り、とても地域に根付いた大学であ
ることを知り、とてもうれしかった。また、九州工業大学との比較で説
明されたので、とてもわかりやすかった。また、広島大学の統合移転
が、地域の影響力が大きいという理由でしたこともわかって、納得した。
そして、とても多くの学校が統合されて今の広島大学ができたこともし
り、とても驚いた。今に至るまでの歴史を知ることができてよかった。
工・ 2 ・男 今回の講義内容はある程度知っている内容がいくつか
あったので比較的理解しやすい内容でした。いくつもの大学が併合
して出来た大学というのは知っていましたし、昔キャンパスが広島市
内にあったということは知っていました。しかしながら、日本国内にこ
のような大学はあまりないという事実には正直驚きました。そして、僕
はこのような恵まれた環境において学ばせてもらっているんだと再認
識しました。今後はこのようなことを頭の片隅において大学生活を送り
たいと思います。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて広島大学と九州工業大学の創立ま
での流れが大いに違うことに驚いた。大学はできるしてできたもので
あり苦労することもなくできたものだと思っていた。広島大学は官民が
一体になって誘致したことがよくわかった。今日、私はこれまでの広
島大学創立の苦労も知らないで入学、そしてポリシーももたずに生活
していたが今回の授業を受けて少し広島大学に誇りを持とうかなとい
う思いになった。これからも市民のありがたみを感じて大切に大学生
活を送りたいと思います。
工・ 2 ・男 まさか『新制広島大学』の説明において九州工業大学の
成立過程と比較して説明するとは、思いませんでした。それにしても
広島大学と九州工業大学とで統合状態や地域状態においてこれほ
どまでに違いがあるとは、驚きました。現在と異なり情報体制がきちん
と整っていなかった当時においての『東京新聞』の記事は、面白かっ
たです。記事一つでここまで世の中が動くものだとは思えませんでし
た。当時の広島大学の分布図をみるとあまりにあちこちに広がってい
るので驚きました。『あんな状態だったら総合大学なんて名前だけだ
ろ』と思いました。
工・ 2 ・男 広島大学が市内から西条へいてんするとき市がそれを阻
止しようとしなかったのは気になるが、大きな大学を建てるのにはそれ
以前の歴史だけではなく、地元地域との関わりと応援がないとできな
いと考えました。また講師の人の話を聞いていると岡山の大学と広島
大学は仲が悪そうに聞こえました。もしそうならもっと協力すべきだと
思いました。また九州工業大学設立に地元の人たちのおうえんがな
かったのは、九州大学があるから別に要らないと考えたのではないか
と考えました。
工・ 2 ・男 広島大学が総合大学、国立大学となるために行ってきた
様々な計画や大学間の対立など知らない事がたくさんあり、今回の
講義は広島大学を知る上で非常にためになったように思う。大学内
の学部についても、ここまでの格差があるとは知らなかったので、知る
ことができてよかった。私が高校で大学を選択するときに、広島大学
と岡山大学の学部やイメージがとても似ていたことを不思議に思って
いた。しかし今回、大学の成立する過程でお互いに競い合う関係に
あったことを理解できたことで、そうならざるを得ない状況にあったこと
がわかった。このような、学校を特色づけるような経緯はどの大学にも
あるであろうから、機会があれば調べてみたいと思う。
工・ 2 ・男 最も印象に残ったことは、戦後にみながお金が無い時期
に、どのようにして広島大学設立に必要なお金を集めたか…というこ
とです。広島で、公式野球の試合を開いたり、祭りを開いたりと、広島
の人たちが考えたことは、すごいなと思います。また、広島大学設立
においての総事業費は 4 億 5 千 4 百万という数字には驚きました。
そのうちの 3 億に近いお金が一般から寄付されています。広島大学
が地域の人にどれだけ期待されていたのかわかる気がしました。今回
も自分の身近なことで知らないことが分かりました。
工・ 2 ・男 今回は九州工業大学と比較していたが、広島大学のほう
が圧倒的に地域からの支持を受けて成り立ったのはびっくりした。九
州工業大学あまり支持を得ていなかったので、この差は大きいし、そ
のせいで単科大学になってしまったのは、仕方がないことだと思う。も
し、広島大学設立当時、支持をあまり受けていなかったらどうなって
いたのだろうかと思う。受けていなかったら広島大学も単科大学にな
っていたのだろうか?でも支持を受けて総合大学になれたのはよか
った。そんな大学にこれてよかったと思う。
工・ 2 ・男 今の大学制度がアメリカ軍が占領していたときに作られ
たことにびっくりした。もっと昔からずっとあるものだと思っていた。広
島大学は 8 つの学校からなっている一方で九州工業大学のように一
つの学校がそのままなっていると聞いて、今のどの大学にもそれぞれ
いろいろな歴史があるのだと思った。広島大学は初め、県内のいろん
なところに散らばっていたが、それらを東広島に集めたことに対して、
やはり同じ大学なのだからいつの場所にあるべきだと思う。おかげで
ある程度の一体感はあると思う。
工・ 2 ・男 アメリカに戦争で負けて、今では当たり前になった、義務
教育 9 年生などの教育法が決められていく中で、総合大学としての
広島大学は、学生などによる署名活動や様々な人からの多額の寄付
などのいろいろな努力によって現在の大学に至っているということを
知って改めてすごい大学だと感じた。また、自分が予想していた以上
に歴史が深いのでより一層興味がわいた気がした。
工・ 2 ・男 国立大学であり、総合大学である広島大学はその大学
が存在する地域の支援があったためここまで立派に発展していった
のに対し、単科大学である九州工業大学はその地域の支援なしに成
り立っていったことにはとても驚かされました。大学がその地域にある
ということはその地域には学生がたくさん訪れる。これにより、地域が
より活性化する。このことも大学をその地域団体が置きたがる理由の
- 600 -
一つだと思い込んでいたからです。その地域と疎遠の関係であっても、
大学は成り立つのだということが今回の授業でわかり、とても良い勉
強になりました。
工・ 2 ・男 新制の広島大学が出来るまでに昭和 23 年 7 月にに制
定された「新制国立大学実施要綱」で中国地方にも大学を 1 校つく
るということで岡山県と山口県の 2 県も誘致運動をしていたということ
を初めてしりました。また広島大学が総合大学になるために一般の寄
付がプロ野球観戦で集めたお金を寄付するなど県一体となってお金
を集めたことが九州工業大学のような単科大学となってしまったのと
は対象的に広島大学という素晴らしい総合大学が出来たのどと思い
ました。
工・ 2 ・男 今回講義を受けて、広島大学の誕生の過程をいろいろと
知ることができました。まず、広島に国立大学がすんなり建ったと今ま
で思っていたのですが、やはり県の発展が総合大学設立にかかって
いるだけあって隣の岡山・山口と誘致運動があったことを初めて知り
ました。そのほかにも昔広大には女子部という学部があったことや、
新制国立大学実施要綱など国立大学を設置するための大きなルー
ルが 11 項目もあったときいてとても驚きました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて強く感じたのは、広島大学と地域と
の結びつきである。昭和 22 年から 23 年にかけ、中国・四国・九州各
地域において国立大学設立の誘致運動がされている。今回の講義
では中国地方において広島と山口・岡山との比較を詳しく取り上げて
いなかったのであくまで私の憶測だが、やはり広島県民の大学設立
への関心や熱意が強かったことが大きな要因だと思う。経済的背景
の影響もあるにしろ、戦前から教育環境の整っていた広島に大学が
できることは、第八の帝国大学を目指していた広島県民にとっておお
いに有意義であったにちがいない。現在広島大学は国際大学として
の一面を見せているが、やはりその根本にあるのは地域住民、広島
県民である。プロ野球唯一の市民球団広島東洋カープは、戦後から
現代に至るまで多くの市民に愛され支えられている。まさに地域密着
である。私は広島大学もそんな市民に愛される教育施設であってほ
しいと願う。
工・ 2 ・男 まずはじめに、新制広島大学ができるにあたって当時の
連合国軍からの改革に大きく影響されていたことには驚いた。高校ま
での知識でいろいろな改革を指示されたことは学んでいたが、今自
分がいる大学にもこのような形で関わっているとは思いもよらなかった。
しかし戦前は小学校くらいからもう進路を決めなければならなかった
ことを思うと今の制度は自分にとってはよかったと思います。また、広
島大学が中国地方にひとつの国立大学として他の大学と競っていた
ことには興味を持った。結局は各県にひとつということになったがその
ために学生や県民が努力したこと、また大学設立期成同盟会という
裏の部分でも活動を行っていたという話は実に生々しく今回の講義
で一番関心を持ちました。
工・ 2 ・男 新制広島大学が誕生した時代が、アメリカ軍に占領され、
学校教育法が成立された時代の最中だとは思っていなかったので驚
きがあった。戦争の影響について改めて思い知らされることになった。
しかし、地域と一体となった広島大学には感動した。それと比較し、
九州工業大学は地域と疎遠し、単科大学になったということで、やは
り原爆を実際に被爆したという点でこのような差が生まれたのではな
いかなあとも思った。今後さらに詳しい点を学びたいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学の成立を比較してそろぞれの
独自の歴史に触れていることがとても興味深かった。広島大学は始
めから総合大学にしようと誘致活動をしたが、九州工業大学は始めか
ら単科大学を目指したというところが面白く感じた。広島大学が成立
した当時、アメリカに占領されていたという大変な環境にありながら、
必死で総合大学を誘致しようとしたということに戦後の日本のすごさを
感じた。中国地方から、一つということで岡山、広島、山口という 3 県
の猛烈な誘致活動から広島が選ばれたというのは、やはりこの広島と
いう土地のすごさからだと思った。僕はこのような歴史を持つ広島大
学で学べることは幸せなことだと思った。
工・ 2 ・男 広島大学だけの歴史ではなく、九州工業大学の歴史と
比較することによって、より深く広島大学の、他の大学とは違う特別さ
が理解できました。広島大学と九州工業大学は、どちらのも普通の大
学とは違う両極端に珍しいパターンで合併した大学だということを知り
ました。広島大学が、地域と深く関わりを持って総合大学へと発展で
きたことはすごくいいことだと思いました。新制広島大学発足時のキャ
ンパスは各学部間の距離が遠かったので、学部間の格差もあっただ
ろうし、他学部との交流が難しく、総合大学であるけど、普通の大学と
あまり変わりはないんじゃないかと思いました。
工・ 2 ・男 今回、広島大学の成立過程を知るにあたって、九州工業
大学との比較がなされていて総合大学と単科大学の違いも同時に知
ることができたのでよかった。同じ国立大学でも、総合大学か単科大
学になるかでこんなにも地域の支援の有無が重要になるとは知らな
かった。新制国立大学実施要網(国立大学設置の十一原則)で、一、
国立大学は、特別の地域(北海道、東京、愛知、大阪、京都、福岡)を
除き、同一地域にある官立学校はこれを合併して一大学とし、一府県
一大学の実現を図る。とあるが、中国四国地方の県は特別な地域に
なぜ入らなかったのだろうと思った。
工・ 2 ・男 まず、今回の講義テーマの「新制広島大学」の意味を間
違えていた。てっきり、西条に移転してきた事に対して新制と言って
いるのかと勘違いをしていた。本当はそうではなくて、旧制の高等教
育機関から大学への変化のことを意味していた。中国・四国地方に
は旧制帝国大学がなかったために、この地区に大学ができる際岡山、
広島、山口の 3 県が自分の県に設立しようと必死だったことがわかり、
当時の大学の重要性がはっきりとわかった。また、九州工業大学の例
からもわかるように、大学ができることによってその地域が活性化する
とも言えるのだと思った。
工・ 2 ・男 新制大学発足時のキャンパス配置図をみてこれだけ各
学部間の距離が遠いと総合大学としてのまとまりもないだけでなく、学
部ごとに大きな格差ができてしまうのは明瞭のことであると思った。他
学部生や教授との交流もほとんどなかったのではないだろうか。また、
そのことによって当時の学生は精神的にも総合大学としての「新制広
島大学」としての認識も薄かったと考える。寄付などの地元の大きな
支援によって新制広島大学は成立したが、その後の「ひづみ」に地
元の人々はどう考え、意見していったのだろうか。九州工業大学の例
は広大の場合とまったく逆で地元の支援はなっかたが、単科大学に
することで、今でもそのままでありつづけている。大学の設置に関して
はその当時の背景もあるが、やはり地元の支援が必要になってくるこ
とは間違いないであろう。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて広島大学の成立過程を九州工業大
学と比較していたことにによりとても興味をもった。なぜならば、自分
は福岡県久留米市出身で九州工業大学は身近な大学であるからで
す。広島大学が総合大学になった一方で九州工業大学は総合大学
にならなかったといことや、その過程はぜんぜん知らなかったのでか
なりよかったです。また、そのように広島大学が総合大学になりえたの
は地域と一体化になったからであるという事実に驚きました。広大生
の一人としてもっと深く広島大学のことについて知っていきたいと思い
ます。
工・ 2 ・男 広島大学の設立において、岡山県と山口県との間で激
しい争いがあったと知りました。また、広島大学は地域と一体となった
設立運動で統合大学設立を成し遂げたことも知りました。だから広島
大学は広島県民に必要とされていると思いました。九州工業大学と
比較して県民の総合大学設立への熱意が違うと思います。総合大学
が設立されないと広島県の財政では大学維持が困難で文理大など
が潰れてしまうので広島大学が設立されて本当によかったと思います。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、まず、講義内容に他大学との比較
があったのは予想外でした。広島大学だけについて学ぶと思ってい
たので、びっくりしました。九州工業大学について。説明がありました
が、大学によってぜんぜん違うんだなという印象を持ちました。旧学
制から新学生への切り替えによる広島大学の設置もとても興味深いも
のでした。どのような学校が集まって広島大学ができたのかという内
容も予想どおり出てきたので、よかったと思います。
工・ 2 ・男 数多くの大学が合併して、大学になる場合には、それぞ
れ大学なりの教義ややり方があり、それをまとめて一つにすることが、
いかに大変なのかを考えさせられました。キャンパス等が離れたり、
学部ごとの不仲など、多くの問題を抱えたまま、合併していたのは、
その頃の大学にとっては骨の折れる作業だったように思えます。他に
も、占領軍が国に指示を出させて統治をする方法は、自国に敵意を
向けさせず、相手国を攻撃するにはとても良い方法だと感じました。
工・ 2 ・男 今回は戦争に左右された人々や社会にアメリカや原爆
などが絡んだ人々の動きを学んだ。こと大学建設においては、日本
においても徐々に進行を計画していた教育制度の改定がアメリカの
介入により一気に実行に移され、国立大学は地方に 1 つという方針
のために行われた争いについて人々の動きについて学んだ。手を汚
した努力も虚しくその末にその原案が改正されたために解決した。し
かし、原爆の被害を受けた広島はその復興に手一杯で大学運営にま
わす金銭的トラブルにより無理…かと思われたが、不幸中の幸い
人々の深刻であるという意識が高まったため無事事なきを得た。今回
やはり、嘘に方便を振りまいてもなお成し遂げねばならぬ存在がある
ことを認識した。また、九工大が単科大学に留まった理由を考えると、
アメリカが日本にもたらした民主制には賛成の意を示したい。
工・ 2 ・男 広島大学ができるまでには、県や住民の協力、支援によ
って、とてつもない寄付金で総合大学として創立できたが、逆に九州
工業大学は、地域住民との調和がうまくいかずに単科大学へとなっ
た。広島大学や九州工業大学に限らず、大学を上手に経営していく
ためには、教師や生徒だけでなく、地域の住民と一体になり、大学の
経営方針を決定していく必要があると思った。しかし、広島大学も、キ
ャンパスの分散や、学部間の格差等のちょっとした問題を抱えている
と思った。
工・ 2 ・男 広島大学が新制大学として確立した背景には、学校教
育法が成立したことが大きくかかわっている。学校教育法では義務教
育 9 年生となり旧制の高等教育機関(大学・高等学校・専門学校・高
等師範学校・師範大学)→新制大学となった。地域と一体になった運
- 601 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
動→総合大学となった広島大学は地域からの支援もあり、ここまで大
きくなることができたのだろうと思う。広島大学はその大きさや地域と
の連携などほかの大学には見られないような魅力があると思った。広
島大学に通っていることを誇りに思いたい。
工・ 2 ・男 広島大学はきちんと設立される前から各地域とのつなが
りを深く持っているというのは、今、または少し以前の市内に建ってい
た広島大学を見ていれば想像に難くないことだと思う。ただ、そういう
経緯で広島大学が総合的な大学になり、特殊な総合科学部というの
も発足されたという事実は非常に興味深いものがあった。現在、学舎
が西条に移されたことにより以前ほど広島市内の市民と密接に関わ
れなくなったことは少し残念ではある。また、九州工業大学が地域と
の関わりが薄いというのは、今の大学の位置、イメージなどから容易
に想像できることではあったが、それがそのまま事実だというのは面
白い内容だと思った。個人的に、工業大学の授業は広島大学などの
総合大学に比べて難しそうだと思う。
工・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学を比べると、広島大学は地域
社会と協力し、地域と一体になった運動をしたため総合大学として成
功したといえるが、九州工業大学は地域からの支援もなく地域と疎遠
になっていたため単科大学として成立していった。このことから考えて
大学が総合大学として成功するためには地域からの支援が不可欠で、
そのためには地域と協力して街を活性化していかなければならないと
思う。大学と地域が互いに協力して街づくりをしていくことで互いに良
き関係が保たれていくだろう。
工・ 2 ・男 今まで広島大学がどのようにしてできたかなんて深く考え
ることはなかったけど、今回の講義を聞いて広島大学というのは周り
から集めた募金によって建てられたことを知り、そんなに苦労して建
てられたとは微塵も思わなかったので正直驚いた。広大と九工大を比
べてみると大学ができるまでの過程の違い、地域と一体になったかど
うかの違いでその後の大学が単科になるか総合になるかに分かれて
しまうということを知り地域と大学との関わり合いがここまで重要なもの
になるとは思わなかった。
工・ 2 ・男 中国地方における、岡山県・広島県・山口県との誘致争
いは本当に大変なものだったと思いました。また、様々な要因で広島
県になった訳ですが、どの要因がもっとも誘致において重要視され広
島県が選ばれたのだろうかと思いました。広島大学が、総合大学とし
て成立したと言う結果から、当時から地域住民の方々に愛されていた
のだろうと思い、これからも地域住民の方々に愛され続ける大学であ
るために、地域ぐるみの活動などに生徒が積極的に参加していく必
要性を感じました。
工・ 2 ・男 広島大学は、地域と一体になった運動により総合大学と
なった。それに対して、九州工業大学は地域と疎遠の方向になって
しまったせいで単科大学となった。このことを比較してみると大学を総
合大学とさせる際に地域との結び付きが不可欠であることがわかり、
また広島大学は地域との結び付きが強い大学と印象が残った。いま
私が所属している広島大学は、東広島に移転した後であるが私なり
に地域との結びについて考えてみようと思う。そのことでふと頭に浮か
んだのは、広島大学主催の駅伝など地域に密接した行事が数多くあ
ることであった。そのことが、地域と広島大学の間を結び付けるひとつ
の要因と思っている。
工・ 2 ・男 広島大学が設立されたのには地域との関係が大きかっ
た今回の講義では感じました。広島大学を設立するのに地域の方の
運動は多大な影響を及ぼしたと思います。しかし、統合移転によるキ
ャンパスの分散や学部間の格差といった問題は学生もそうですが、
周りの人の見方というのが変わったのではないかと思います。ですが
移転した今そういう問題も無くなったように思えますし、これから時代
の流れだったり、いろんなことで問題はでてくるとは思いますが、今ま
でどおり解決しそして、よりよい大学へと発展していけるのではないか
と思いました。
工・ 2 ・男 九工大との比較でわかるように、広島大学は中国地方で
の代表的な大学であるため、広島という地域からの支援が多く、それ
ゆえに総合大学へと発展したということがわかった。九工大の場合は、
地域と疎遠しているので、広大と比べ明らかに財源の差が生じ単科
大学になることを余儀なくされて広大と対照的な例であった。地方大
学の地域からの影響力について思い知らされた。
工・ 2 ・男 広島大学ができるまでに広島総合大学設立促進委員会
の設置や、文部大臣への申請、たくさんのお金が必要であったことを
知り、大学は国がお金をだし、義務的にできるものだと思っていたの
で驚いた。また、岡山県や山口県と競って誘致していたことにも驚い
た。九州工業大学の設立課程と比較してみると、広島大学が地域と
の協力や支援によって設立したことがよくわかる。他の県よりも一足先
にできた広島大学に所属していることになんとなく誇りを持ちたい。
工・ 2 ・男 九州工業大学の成立過程と比較してみると、広島大学が
地域との協力や連携の下に成り立っているのがよくわかる。教育基本
法が改定される際、地元にある多くの学校が統合に向けて互いに協
力し合い広島にほかの県に先立って国立の総合大学が誕生したこと
は地元民として誇らしく思う。また、設立にいたるまでの多額の費用と
長い年月をかけた計画には国立大学が成立するまでの大変さが感じ
られた。その歴史を大切にしたい。
工・ 2 ・男 今回の授業をうけて今まで私は広島大学は国によって総
合大学として創立させられたと思っていましたが、市民からの多大な
る寄付や地域一体となっての運動によって今の総合大学になったと
初めて知りました。もしそうでなければ九州工業大学のような地域と疎
遠で政治的に余地のなくなってできる単科大学になっていたかもしれ
ないと知り市民の影響力はどの時代においても大きいと改めて思い
ました。そして、これから広島市民の一員としてこの広島大学をよりよ
くするために市民活動にも興味を持ちたいなと思いました。
工・ 2 ・男 今回は新制広島大学の生い立ちについてがテーマだっ
たが、国立大学が設立されるのにこんなに誘致運動が展開されたと
はしらなかった。なぜなら広島は政令指定都市があるほどで、中国地
方では一番人口が多いからだ。また、国立大学が創立するか否かで
広島にあるすべての大学と、将来広島が文化的に発展するかどうか
がかかっていたというのにはとても驚いた。それに伴い、たくさんのお
金が動いたことや大学誘致の運動がここまで激しいものだとはしらな
かったのでこれにもおどろかされた。
工・ 2 ・男 太平洋戦争に敗れた日本はアメリカに占領され、アメリカ
は戦争の原因となった制度の改革を図った。昭和 22 年に学校教育
法が成立し、新制大学が誕生することとなった。広島大学が成立する
にあたって、岡山県、広島県、山口県で猛烈な誘致運動が展開され
た。広島大学が地域と一体になった運動を展開し、総合大学へとな
ったのに対して、九州工業大学は地域と疎遠となり、政治的に動く余
地なしとみなされて単科大学となった。その後広島大学は統合移転
し、キャンパスの分散や学部間の格差を生み出した。
工・ 2 ・男 広島大の設立に多くの人の期待や思惑があったと知り、
大学と地域の結びつきとは思いの外強いものだと感じた。前回の講
義で地域が広島大学に期待している働きについて触れられていたが、
正直自分にはあまりピンと来ていなかった。だが、地域の支えによっ
て成り立った面が大きい以上、広大に働きを期待されるのもうなずけ
る。総合大学であり、内包する人間の数も非常に多いわけだが、何か
地域に還元できる働きをできないかとこの講義を通して思った。
工・ 2 ・男 占領軍の担当者の個人的な意見により、中国地方に国
立大学を 1 つしか設置してはいけないというかなり厳しい状況の中、
広島県、岡山県、山口県の猛烈な誘致運動が展開されたというのが
とても興味深かった。それらの県同士の激しいぶつかり合いや占領
軍の担当者へのわいろなどいろいろあったんだと思う。そんな中広島
は原爆が落とされたにも関わらず、見事広島大学の設置の認可を勝
ち取ったのはさすがだと思う。地元カープファンの愛国心が強いのは
このことが背景にあったりするのかなと思ったりした。
工・ 2 ・男 前々回の講義でも思ったのですが、新制広島大学がで
きるのにたくさんの学校が統合されてできたというのに改めてすごい
なぁ、と思いました。また、中国地方に新設する国立大学が 1 つだけ
とあって、猛烈な誘致運動がされていたと説明されましたが、国立広
島総合大学設立推進本部が県知事直轄だったというのを聞いて、当
時の誘致運動がどれだけ猛烈だったかがよくわかりました。設立する
のには金もかかるのにそれだけ誘致に積極的なのはやはりそれだけ
地域に影響を与えるのだなぁ、すごいなぁと思いました。
工・ 2 ・男 大学とは、資金や土地、人口数(学生数)などの条件さえ
整っていれば、設立でき運営していけるものだと思っていた。しかし、
実際には地域との結びつきがかなり大きいものだと知って意外だった。
特に単科大学ではなく、総合大学では地域との関わりが重要だと思
った。九工大のように広大も地域と一体ではなく、疎遠だったとしたら、
広島ではなく、中国地方のどこにはじめに国立大学ができていたの
だろうかと思った。総合大学などは単に人口増加などにより、専門学
校などたくさんの学校をまとめてひとつにしてできたものだと思ってい
たが、実際は大きく違っており驚いた。総合大学ができていなかった
ら、たくさんの学校が県に移譲され、維持できなくなりつぶれていたか
も知れないと知り、広島に総合大学ができよかったと思った。
工・ 2 ・男 広島大学が新制大学になるために大変な努力がなされ
ていたということをはじめて知りました。と、いうよりも、新制大学になる
ということがここまで重要だったということをしりませんでした。今回の
講義で最も驚いたのは総事業費の変化です。五千二百五十八万円
が四億五千四百万円という約九倍にはねあがっていることです。この
金額をみることで計画の大規模さと、ライバルにまけないようにという
必至さがうかがえます。今回で納得したことがあります。広島大学に
入学すろ少し前に祖父が「広大といえば教育が有名だな。」といって
いました。文理大が基本となり、文、教、理のみしか最初は博士課程
がなかったのであれば、そう言われるのも道理だと思いました。総合
大学と認めさせるために 8 校も吸収してしまっては、まとまりに欠ける
こともしかたのないことだと思います。広島大学は九州工業大学とは
真逆の道を歩んだ新制大学でその過程の違いがおもしろかったです。
工・ 2 ・男 大学の成立に関して地域とのかかわりが影響するという
ことに驚きました。今回、九州工業大学と広島大学を比較して、地域
と疎遠だった九州工業大学は単科大学に、地域と一体となって運動
- 602 -
を行った広島大学は総合大学になったと知りました。それは地域から
多くの要望があり、学んでいく上でさまざまな分野を選択できるように
という地域の人々の思いが感じ取れるような気がします。こんな地域
の中にある広島大学に通えていることをうれしく思います。
るまでの道のりにあった出来事が興味深かった。資料や授業内では
わからなかったが、現在自分が所属している歯学部も最近になって
四年制をつくった学部で、どのような経緯があって今の体制になった
のか知りたいと思った。
工・ 2 ・男 自分が進路決定の際に選択肢にあった九州工業大学と
の事例比較だったのでとても興味を持って聞くことができました。広島
大学は県全体をあげた協力によりできた学校だということが非常に伝
わってきました。県民の促進運動があってこそ今の全国有数の総合
大学としての広島大学があるんだと思いました。対して九州工業大学
は地域の支援が少なかったために単科大学になりました。この比較
によって地方大学が発展するには地域と一体になった運動が大切だ
とわかりました。
歯・ 1 ・女 今回の講義では、広島大学のことだけではなく、戦後の
日本の教育の体制が変わったことを話していただき、とても興味深く
思いました。連合国軍最高司令官であるマッカーサーについて、私
はまったくいい印象はなく、悪い印象しかもっていませんでした。しか
し、今回の講義を聞いて、彼らアメリカ人が日本の教育の体制をあの
時に変えてくれたからこそ、今私たちが受けている教育があるのかな
と思いました。また、今回の講義からも戦後の教育機関の復興の話が
ありましたが、そのころの学生は自分が学びたいことが自由に学べる
環境があったかといえば、決してそうではなかったと思うので、環境が
整った時代を生きる私たちはもっと意欲的に学ぶべきだと思いました。
工・ 2 ・男 昔の学校制度では、年齢的に幼い時期に将来の選択を
しなくてはならなく、しかも変更が可能でないことから国民の一人一人
の未来への多彩な可能性をつぶすことになり、すごくもったいないこ
とをしていたが、戦後のマッカーサー率いる連合国軍による革命によ
り日本の学生制度は変わり、国民の一人一人の能力を引き出せるこ
とが出来るようになったので大変有意義な改革であったと私は考えた。
工・ 2 ・男 新制広島大学ができた状況は学校教育法が成立したこ
ろで、その頃に義務教育 9 年制の確立がされ、複線型教育から単線
型教育へと改変された。広島大学は広島文理科大学から文学部・理
学部が形成され、広島工業専門学校から工学部ができ、広島県立医
科大学から医学部ができ、広島高師範学校や広島師範学校や広島
女子高等師範学校から教育学部ができた。これらの大学が地域の国
公立大学を作るために集まったということを初めて知りました。
工・ 2 ・男 前回の抗議から広島大学の創立は、単に今まであった
学校を合併させて作ったものだと思っていた。それが今回の抗議で、
中国地方に国立大学を作るためという理由で作ったものだとわかって
感心した。しかしその後、各都道府県に一校作ろうという方針に変わ
って、それまでの努力が無駄になったのは少し面白いと思ってしまっ
た。ただ、それまでの努力があってこそ、多くの学部が創立され、今
の広島大学があるのだと思う。そう考えるとこの結果は良かったと思う。
工・ 2 ・男 新制広島大学はこうして生まれた、という講義内容から、
広島大学がどのように設立していったのかの講義だと予想できたが、
九州工業大学の成立過程も今回の講義でもらった資料に書いてあっ
たので少し驚いた。九州工業大学は、自分の高校時代の友人も在学
しているので、若干興味を持って講義を聞くことができた。やはり、広
島大学の東広島への移転は、新制広島大学の重要なファクターだと
思った。あと、工学部や医学部、理学部、教育学部などは、前身とな
る学校が存在したことを知ることができた。
工・ 2 ・男 まず、広島大学の歴史についての講義が始まる前に石
田先生か大学というところと高校の目的の違いについて話されてたこ
とについて、今更ながら、高校と変わらない意識で私は学習をしてい
たことに気付き、今までの学習を見直していこうと思った。授業の内容
としては、多くの学校が統合されてできた広島大学については、ある
程度地域と国との意見を一致させた上で、計画的に設立しているた
め、地域との連携がとれ、総合大学になったが、九州工業大学は真
逆の道を進み、単科大学になっているため地域との関係が大学にと
っても大事なことが分かった。
工・ 2 ・男 広島大学を設立するに当たって、九州工業大学と比較
することでその当時様々な問題があったことを知る事ができました。ま
た、今回配布されたプリントの、史料 2 に載ってある知事の言葉で、
「事の成否は、広島県の面目にかかるもので、最大の努力と熱意を以
て、県民一体の運動となることを切望して病まない。」という、広大の
設立はもはや県民全体をも巻き込む大きな出来事であったのだと関
心しました。史料 4 の国立大学設置の十一原則に書いてあるようなこ
とだけではなく、こうやって周りの人々も一丸となることが大事なのだと
思いました。
工・ 2 ・男 内容的に難しかったが、広島大学の設立の歴史がよくわ
かった。これを踏まえて今後も広島大学について知っていきたい。
工・ 3 ・男 今回は九州工業大学との比較されていましたが、私は二
次志望が九州工業大学志望だったので、とてもこの話に興味を持ち
ました。今回の講義を聞いて、広島大学は地域にとても支援を受けて
誕生したことが分かりました。ただし、九州工業大学の事例をみると、
地方の大学は地域の影響がとても大きいことが分かります。それに広
島大学が総合大学となったのは、近隣の専門学校などの協力があっ
たからであり、私たちは地域の人たちのおかげで大学に通えるという
ことを感謝しながら広島大学の学生であるということをを誇りに思うべ
きだと思いました。
歯・ 1 ・女 昔は一度学校に入学したら将来が決まってしまっていた
ため、連合国軍が自由に学校を選べるように改革したと聞き、子供の
うちに将来を決めなければいけないことに驚いたし、今の広島大学の
体制になるまでには様々な道があったんだと思った。広島と岡山とど
ちらに学校を作るかの争いになったことや、文理科大学が前身ででき
た学部の先生と他の先生との間の関係など、今日の広島大学ができ
歯・ 1 ・女 日本が占領されたことが新制広島大学の設立に繋がっ
ていたとは思いもしなかった。その上、戦後は国内の経済状況も悪か
ったはずなのに、広島の人々の総合大学を創ろうという熱意には驚
かされた。前回の講義で学習した「原爆と広島大学」では多大な被害
が広島を襲っていたのに、この広島の人々の力強さや結びつきはと
ても素晴らしいものだと思う。しかし、地域の影響力が大き過ぎるのも
困るものだと思った。統合移転で新しい設備や環境になるのは賛成
だが、学校を統合・再編するために多くの問題を伴うのなら、ここまで
する必要はなかったように感じる。今も、医歯薬が霞キャンパスで他
は東広島キャンパスというように、もっと等しく学部同士のつながりが
欲しかったと残念に思っている。
歯・ 1 ・女 配られた資料の図 3 にも書いてある通り、もとの大学の
特色にあわせて学部が決められたんだなと改めて実感しました。しか
し、工学部は広島工業専門学校と広島市立工業専門学校の二つが
あわさり成り立ったみたいなのでお互いの教育方針など様々な面で
違うはずなのにうまく様々な面で一致できたのかと疑問に思いました。
また、広島大学の設立の際の財源が一般寄付・県費→国庫負担→
県債発行の順に多いことに驚きました。私のイメージとしては、国立
大学の広島大学なので国による負担がほとんだというものでした。今
後、機会があれば、様々な国立大学の設立の際の財源を調べてみ
たいと思いました。
生生・ 2 ・女 戦後の貧しい時代に、一般県民からの多額の募金な
ど新制広島大学ができるまでに多くの地域の支援があったことに感
動しました。私が今、このように色んな学部の人や講義に触れることも
当時の人々のおかげなのだと思いました。一方、九州工業大学は地
域の支援が得られなかったために単科大学になったわけで、総合大
学と単科大学とどちらがよいとはひとことに言えないけれど、地域の支
援のおかげで総合大学になれた広大はもっと地域に役に立つ、地域
に根ざした大学にならなければならないのだと思いました。
生生・ 2 ・女 九州工業大学のように、地域の協力がごくわずかだっ
たために工学部だけの単科大学になってしまった大学がある一方で、
地域の人々と協力し合って総合大学になることができた広島大学は
とても恵まれているのだと思いました。また、新制大学発足時のキャン
パスの地図を見て、あまりにも学部ごとに離れすぎているため、これで
は学部間のつながりがほとんどないに等しいのではないかと思いまし
た。今でも、霞・千田・東広島キャンパスに分かれてはいるけれど、昔
に比べるとずっと改善されてきたんだと思いました。
生生・ 2 ・女 広島大学設立の背景などを知ることができ、とても興
味深い講義だった。広島大学設立において地域間の対立があったと
いうのは初めて知った。当時の関係者の方々は、総合大学誘致のた
めにさまざな努力や苦労をされたのだと思う。連合国の人たちに賄賂
を渡したという記録が残っているのはおもしろいと思った。今回の講
義で、広島大学と九州工業大学の設立には全く違う背景がありどちら
もそれぞれ問題を抱えていたということが分かった。
生生・ 2 ・女 今回の講義では、新生広島大学についてだけでなく、
戦前の学校改革前の教育システムについても色々と知ることができま
した。私が一番意外だと感じたのは、中学校の時点で、その先の進
学先まですでに限定されてしまっていたということです。それでは学
問を学んでいくうちに生まれてくる可能性を十分伸ばせなかったので
はないかと思いました。それから講義の後半では国立大学の統合な
どについての話がありましたが、もともと一校の学校から現在に至る九
州工業大学と、 8 校もの学校が統合されて成立したこの広島大学の
比較はなかなか興味深いものでした。当初、広島大学のキャンパス
は学部ごとに随分と離れた土地にあり、しかも各々で教員や設備等
の格差があったことも初めて知りました。このような状況では、たしか
にそれぞれの学部間での結束を築くことは難しかったと思います。そ
れぞれの学部が点在する状況から、ひとつのキャンパスにまとまり、さ
らには今の東広島キャンパスに移転するという経緯を辿る中で、大学
の内部ではどのような変化や改善などがあったのか、今回の講義を
通じて興味をもつきっかけになりました。
生生・ 2 ・女 市内の自宅から通っているので、前々から広島大学が
どうしてわざわざ西条に移転したのか興味があったので、今回の講義
はなるほどと思った。広島大学自身だけで移転を決定していたものば
- 603 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
かりと考えていたので、広島市が大きくかかわっていることに驚いた。
でもやはり、移転してほしくなかったというのが正直な感想であるが、
広島市も関与しているのならばそう簡単な話ではないのだろうと考え
た。
生生・ 2 ・女 広島大学が東広島にキャンパスを移したことは、今ま
で通学が不便になったくらいで特別に考えたことはなかった。そのこ
との背景にみえる地域とのかかわりに興味をもった。また、大学院を
有することや教員のレベルについての学部の格差や優劣の意識が
おもしろいと思った。いまでこそそんな意識は薄れているが、もともと
大学院を設置していなかった生物生産学部である私には少し複雑だ
った。しかし、充実していなかった昔の状態から今の総合大学への成
長はすばらしいと思う。
生生・ 2 ・女 今回の講義を受けて、戦後の当時に大学を建てること
がこんなにも大変かつ人々に望まれていたとは、現在の社会からは
考えられないことだと思いました。それは当時では学問は裕福な者が
できることで自ら望んでするものであったのに対し、今の学問はどちら
かというとやらされているという感覚を持っている人の割合が多いので
はないかと地震と照らし合わせてそう思うからです。広島大学は、原
爆を受けて厳しかったはずの人々が教育を受ける場を失わなうまいと
運動や募金など活発に働きかけて国立大学を広島に誘致しようとし
たという歴史を持ちます。結局は大学設置計画の見直しで各府県に
一つ国立大学を建てることとなりましたが、それでも市民からの寄付
金は、市民が冷ややかだった九州工業大学に対して多く集まり、結
果広島大学は種々の学部を持つ総合大学となることができました。そ
れほどまでに望まれて設立したこの大学ですが、そのような事情を知
って通っている人は少なかったであろうと思います。しかし今回の講
義でこの事を知り、広島大学のことが少し好きになり、今まではなかっ
たありがたみがわいてきたように感じます。これからはただ漫然と講義
を受けるのではなく、意欲を持って学んでいでけると思えました。
生生・ 2 ・女 広島大学は創立時に多くの一般の人からの寄付があ
ったということより、地域の多くの人たちの支えにより広島大学ができ
たということに気づいた。新設広島大学ができる前、広島大学の前身
校であった文理大学などはつぶれてしまう可能性が非常に高く、広
島の将来が新設広島大学にかかっていた。このことを今回の講義で
初めて知り、いかに広島大学という総合大学が当時必要とされていた
かについて知ることができた。同時期に成立した九州工業大学と比
較して、広島大学は地域と一体となって総合大学となり、逆に九州工
業大学は地域となって、単科大学となった。どちらがいいのかは私に
はわからない。広島大学は発足時、同じ大学にも関わらず学部同し
が離れており、また当時、大学院まであった学部は教育学部と文学
部と理学部だけなどといった学部間の格差があったと知り、こんなの
で同じ大学なのかと感じた。せっかく同じ大学に通っているので違う
学部の人たちとふれあえるほうがいいと思った。
生生・ 2 ・男 今回の講義において広島大学と九州工業大学の成立
過程を比較してみて、大学を設立するには地域の協力が必要だとい
うことがわかった。地域の協力によって広島大学のような大きな総合
大学を設立することができることを知り、大学は地域の人々の期待を
背負い、責任を担っているのだと思った。しかし、地域の影響力が大
きくキャンパスの分散や、分散に伴う学部間での格差が生まれるとい
う側面を持つことを分かった。私たち学生は、広島大学というブランド
名を背負い勉学に励まなければならないと感じた。
生生・ 2 ・男 大学を新設するにあたって、岡山、山口、広島で熾烈
な誘致運動があったことに驚きを感じたのと、そういう経緯で広島大
学が作られたのかと思うと面白い気持ちになった。また学校の特色に
より、広大と九工大のように違ったいきさつをたどったのが興味深いで
す。どこも大体同じような経緯をたどってきたのであろうと予想してい
た私にとっては、新たな発見でした。また史料 4 であるように”大学の
名称は、原則として、都道府県を用いるが、その大学および地方の希
望によっては、ほかの名称を用いることができる。”っていう決まりがあ
ることにも驚きました。
生生・ 2 ・男 戦後まもなく中国地方において、国立大学を設置する
にあたり、広島県は岡山県と山口県と激しい争いをしたこと知りました。
地元住民の運動の影響もあり、総合大学設置の運動が激しかったと
いうのも、総合大学の設置を目指していた九州工業大学との決定的
な違いをしることができました。原爆で消失した広島市が将来の復興
を目指して、庶民が運動をしていたというのは、やはり地元を愛する
心が強いと思います。地方が活気がでるのは、やはり庶民の力が鍵
を握っているということを、改めて感じました。総合大学を設置するこ
とはいろいろな地域から人が集まりやすいと思うので、広島という土地
を活気つけるには絶好のチャンスであったと思いました。
生生・ 2 ・男 まず、レポートの書きかたについて勉強になりました。
料理人であるか、食べる側であるのかという例えは非常にわかりやす
かったです。まだまだ自分はきちんとしたレポートは書けないけど、努
力していこうと思いました。広島大学と九州工業大学という、前身校か
らみて両極端な比較によりさまざまなことがわかりました。国立大学設
置の 11 原則は大学設立が先で、後から文章をつくったものだという
こと、九工大は一般有志がほとんどなかったことなど勉強になりました。
生生・ 2 ・男 前回の講義で、広島大学の前身校が戦争や原爆によ
って非常に大きな被害を受けたことを知りました。それだけに今回の
授業ではその中からいかにして大学を復興させ、今の広島大学を造
り上げていく過程はなかなか理解しづらいものだろうと思っていました。
しかし九州工業大学との比較によって理解しやすくなりました。次回
の講義も今回のような工夫がなされていることを期待して待っていま
す。
生生・ 2 ・男 新制広島大学の誕生の裏には、広島の人たちの大き
な支援があったのだと聞き、地域と深い関わりにある良い大学なのだ
なと、改めて思いました。また、いろいろな大学を統合してできた総合
大学なだけに、学部ごとに格差があったというのは、思いもしなかった
ことで驚きでしたが、それだけ、その格差は現在には残っていないと
いうことだと思いました。広島大学の歴史について学ぶと、先人たち
の苦労がわかり、自分も頑張らなければ、と思わされます。
生生・ 2 ・男 広島大学は昔中国地方で唯一の国立大学であり、そ
の設立場所として岡山や山口県と対立し、文部省や占領軍への陳情
や署名活動によって説得されたことやなど、今回も知らないことばかり
でした。もしも広島以外の県に大学ができてしまっては文理大などの
学校は県に委譲され、県では維持できず一切の学校はつぶれてしま
い、広島が将来文化的に発展できなかったことを考えると広島に国立
大学が設立されたことは本当にありがたいことであり、広島大学にい
ることが誇りに思えます。
生生・ 2 ・男 広島総合大学の創設にあたって岡山県や山口県が誘
致運動を行っていたことは初めて知った。自分は岡山県出身で話を
聞いていてちょっと複雑な心境だったけれど、やはり総合大学を創設
するのには中国地方で一番人口が多い所に作るのが妥当だと思っ
た。地域と一体になった運動からできた広島大学はすばらしいと思う
が、広島大学の統合移転でキャンパスの分散や学部間の格差が生ま
れたことは反省するべき点であると思う。市街地から急に東広島に移
転したことで学生のバイト先、交通の利便さの問題、コンビニやスー
パーなど生活するうえでの必要最低限の環境や娯楽の少なさも問題
点であると思う。もう少し若者の立場に立って移転を考えてほしかった。
生生・ 2 ・男 今回の授業では、九州工業大学との比較だったため、
広島大学がいかに特別な大学かがわかった。特に、表 1 に示されて
いた新制大学分布を見て驚いた。今まで自分が思っていたのは九州
工業大学のように統合されていない大学がほとんどだと思っていたが、
意外と少なかった。統合大学が少ないことにも驚いたが、広島大学が
最も多い統合をしていることにもっと驚いた。これまでの授業で、広島
大学は多くの大学が集まってできたことは知っていたが、最も多いと
は思っていなかった。他大学と比較して、広島大学の特別さが改めて
わかった。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けてみて一番印象に残ったのは、国
立大学創設にあたって、県や市などにおいて猛烈な誘致運動が起こ
ったことです。本当は県に 1 校ずつ創るつもりであったのに、誤解に
よって中国地方に 1 校しか創られないという風に理解され、岡山や広
島ではいろいろな誘致運動がされたという話を聞き、広島大学には
昔、そんなことがあったのだととても驚かされました。また生物生産学
部の前身である広島青年師範学校が岡山の人達と対立し、激しい誘
致運動を展開していたという事実には少し複雑な気持ちになりました。
講義の終わりには無理にたくさんの学校を統合移転したため、学部
間に主に教員の実力などの面で格差が生じ、理不尽な扱いを受けた
人もいたという話を聞き、また別の統合方法もあったのではないかと
考えさせられました。
生生・ 2 ・男 戦争後の占領下にあった日本で、学校制度が整えら
れたのは素晴らしいことだと思ったけれど、大学が統合される一方で
力を失ってしまう大学も少なくなかったのではないかと思った。広大の
ように地域と一体になって作られた大学は、地域から信頼されるし、
影響も大きい。広島を代表とする大学として、広大は地域に貢献すべ
きである。また、数多くの学校が統合し、多岐にわたる研究分野を有
する広島大学は、かつて岡山と国立大学誘致で争ったような対立で
はなく、近隣の大学と協力した教育体勢を広げ、学習の場を互いに
共有すべきだと思った。
生生・ 2 ・男 かつて国立大学となるために猛烈な誘致運動がされ
ていたということにまず驚いた。教育というものにこれほどに関心を持
って積極的に活動していた人がいた反面、今の自分は何となく大学
に通い、当たり前のように教育を受けている現状に気づいて残念に
思った。また地域の大きな支援を受けて今の広島大学があるというこ
とで、自分自身も広大の一員として地域に貢献できる能力を身につ
けていきたいと思った。現在広島大学は東広島に多くの学部が集ま
ってかつてよりも総合大学としての一体感が生まれつつあると思う。ど
うしてわざわざ田舎に大学を移転したのかという意見もよく耳にするが、
僕自身は学園都市として発展した地域の中で幅広い知識が得られる
この環境を評価すべきだと思う。
生生・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学との比較についてだが、そ
れぞれの総合大学、単科大学、という違いは、地元の大学に対する
反応や支援といったことが関わってくるというのは、考えてみれば理
にかなっているのだが、実際にそういう事実が大学の形態に影響を
- 604 -
及ぼすというのは非常に興味深かった。また、広島大学のように、キ
ャンパスの移転や分散があり、大なり小なりひずみが出ている大学は
少なくないだろうが、医学部系の学部に求められる利便性と、農学部
系の学部に求められる敷地の広大さのバランスをとることは非常に困
難であり、致し方ないと思わなくてはならないとも感じる。
生生・ 2 ・男 今回の授業では、広島大学と九州工業大学との比較
について学んだが、総合大学になるには地域と密着し、また近くに多
くの学校がないと達成されないように感じた。ただ多くの学校を一つ
の総合大学としてまとめてしまうと、各学部間に研究や教師の質の格
差が生まれ、その問題を解決するのはとても難しかったと思われる。
他に、明治専門工業大学では資金集めに苦労していたことから、他
大学でも創設資金を集めるのは大変だったと考えられる。一般投資
が極端に少なかったのは、まだこの時代に大学が一般的ではなかっ
たことが原因と思う。
生生・ 2 ・男 今回は北九州の大学である九州工業大学が比較大
学としてでてきてそれだけで今日の授業に興味が深まった。昔の広
大は博士課程までない学部が多くまた学部が様々なところに点在し
ていたために大学としてはうまく機能しなかったのかもしれないと思っ
た。ただ東広島市に新しいキャンパスを造って移動させたというのは
地方の活性化にもつながりとても画期的なことだと思う。移動に対して
広島市がなにも苦言と呈さなかったと聞いたためそれは多少不思議
に思った。
生生・ 2 ・男 岡山県、山口両隣県の猛烈な大学の誘致運動があり、
文部省は中国地方に総合大学を一校創立する方針であり、広島県
が将来文化的に発展するか否かは総合大学の設置にかかっている。
というほど、広島大学の設置は重要なことであり、地域も総合大学誘
致の運動を盛んに行い広島大学ができたのであるが、九州工業大学
は地域の支援が低調で、単科大学となった。このように、何か大がか
りなものをつくるときには、地域の協力が重要なことであると考えられ
る。大学の設置のみでなく、道路や新しい施設を設置する場合もその
設置が成功するか否かは地域からの意見が重要である。
生生・ 2 ・男 広島大学の前身校は、何校もあることは知っていまし
たが、広島大学が八校もの前身校を持ち、それが全国有数の数だと
いうことは初めて知りました。たくさんの教育機関が統合されてできた
からこそ多様な学部、研究室があり地域と一体となったキャンパスに
なることができたのだと思います。私は生物生産学部ですが、自分の
学部に関係のない教養もたくさん身につけることができるので、幅広
い知識が得られる広島大学に入って正解だったとあらためて思いまし
た。
生生・ 2 ・男 私は、今回の講義を受けて、新制広島大学の生まれ
た経緯について知らなかったことが多くあったのでとても勉強になりま
した。特に個人的に今回の講義で好きだったのは、大学の学びやレ
ポートを料理に例えて言われていたところで、面白くてすごくわかりや
すかったです。テーマについての内容の面では、広島大学は、広島
市ではなく、東広島市にできた点について疑問があったので、少しそ
の疑問は解消できたのかなと思います。西条は、私にとってもはや第
二の故郷なので、東広島の再開発や学園都市としての発展を考えて
の試みは、とても良かったのではないかと思いたい反面、よい面悪い
面いろいろ現在の段階で出ていると思います。昔は、学生は、小学
校の時点で進路がほぼ決まってきていることを知って、今の自分に置
き換えてみて、もっとしっかりしなくてはと思いました。そして今後の広
島大学や東広島、もちろん西条の発展をもっともっとしていってほし
いと思いました。
生生・ 2 ・男 私が受講前に予想していた内容とは違い、おもに当時
の時代状況や地域と大学の関係についてであった。その授業の中で、
いちばん興味深かったことは、広島大学と九州工業大学は同じ国立
大学でも総合大学と単科大学という大きな違いがあり、その違いは、
大学成立の際に地域と一体になっていたか疎遠だったかで決まって
しまったということで生じ、そのことから広島大学も地域の支援がなけ
れば単科大学になっていたのか、ということを考えさせられた。
生生・ 2 ・男 広島大学が地域の人々から望まれてできた総合大学
だということがよくわかった。大学というのは勝手に政府のひとによっ
て決められてできたのかと思っていたが、地域同士で大学の設置を
競い合っていたということを初めて知った。その中で九州工業大学は
望まれていなかったわけではないけど、その地域での関心が薄かっ
たのが単科大学になった理由なので、地域と大学とのつながりが重
要になってくるのは地方大学に特有のものだったのだと思った。
また、広島大学が総合大学になるまでの過程を考えたことがなっかた
ので、その過程を知ることができて良かったです。何の問題もなく、広
島県に総合大学が出来たと思っていたので、広島県と岡山県、山口
県で激しい誘致運動が展開されたのは大変意外でした。
総科・ 1 ・女 まず、広島大学となるまえに、この総合大学がもしかし
たら広島になかったという話は初耳でした。「広島県が将来文化的に
発展するか否かは実に総合大学設立にかかっている」とありましたが、
これは広島県にとってだけ、こうだったのでしょうか。岡山県も候補だ
ったようですが、岡山県のとっては、それほど重要ではなかったので
しょうか。新制広島大学ができてから、文学部、教育学部、理学部だ
けが修士課程までとれるような体制ができており、大学内で格差が生
じていた、とありましたが、私が所属する総合科学部は院ができたの
は本当に最近の話です。最近まで自分の学部がそのようにみられて
いたのかと思うと、なんとなく悔しいような気がしました。しかし、はっき
りとした専門だけを学ぶ学部でないのに、総合科学部として院を持っ
ているということは、今、多分野にわたって、素晴らしい教育を受けら
れる体制があるのだと思えました。
総科・ 1 ・男 今回の授業を受けて、学校とその地域というのは思っ
たよりも密接に関連しているのだということを学べた。小・中学校まで
は義務教育であるから、ある程度は地域に学校を建てなければなら
ない。しかし高校や大学になると、生徒はその町の規模や雰囲気を
気にするので、町がよいと学校に生徒は集まってくるし、また逆に、学
校がよいと町に人が増えてくる。広大が移転してくる前の東広島市は
どうだったかはよく知らないが、広大の移転により、町の雰囲気や規
模はかなり変わったと思う。
総科・ 2 ・女 今回の講義で新制広島大学の設置には大変な苦労と
費用が費されたんだなあと思った。一つの学部が、一つの学校から
成り立っていると思っていたので、複数の学校が一つの学部になった
と知ったときは、とても複雑だと感じた。それから、自分の学部にはや
はり注目してしまったので気づいたのだが、やはり総合科学部は歴史
が浅いなあと思った。「ひずみ」によって生じた、学部間の差が明確に
表れているという、大学院の設置年月を見て特にそう感じた。教育・
文学・理学が御三家といわれているのに対し、総科はいつ設置され
たかさえも載っていなかった。少し残念だった。あと、広大の設立に
募金を募ったという話が興味深かった。戦後の貧困な状況で、試合
や踊りなどのイベントを利用して、あらゆる手でお金を集めたと言って
いたが、他にどのようなことをしたのかもっと知ってみたい。
総科・ 2 ・女 広島大学と九州工業大学の話の中にあった、地域と
の結びつきであるが、大学を築くにあたってこれほど地域の支援が大
切であるとは思っていなかったために驚いた。しかし、逆に言えば地
域活性化のために、東広島に移転したということを考えると、地域との
結びつきを一概によいものだということはできないとも感じた。大学院
の話の中で、ハイレベルな学部では昔から大学院があったということ
であったが、私の所属している総合科学部に大学院が設置されたの
は、最近のことであるので少し複雑であった。
総科・ 2 ・女 今まであまり大学と地域社会のつながりを考えたことも
なかったけれど、今回の講義を受けて、大学の成立には、地域社会
の実情が大きく影響しており、地域の違いが大学の違いを生み出し
ているということがよくわかりました。これらのことは、ただ大学で過ごし
ているだけでは知ることのない事柄であるけれど、私たちの学びの中
心である広島大学がどのようにして、また、どのような状況なかで成立
していったのか、ということは教養として知っておくべきことではないか
と感じました。
総科・ 2 ・女 最初に予想していた講義内容と正反対だった。しかし、
今日の講義を聴いて、広島大学がいかに地域に密着した総合大学
であるかが分かった。東広島キャンパスに移転したときも、大学の規
模の拡大だけではなく、東広島西条の地域活性化を目的としていた
ことが、地域の住民が大学移転を受け入れたひとつの理由ではない
だろうかと考える。九州工業大学が単科大学になってしまった失敗は、
どの大学にとっても教訓となりうる事例であり、地域の支援なくして大
学が成り立たないことはずっと忘れてはならないものだと強く感じた。
生生・ 2 ・男 旧帝大以外の国立大学の設置にアメリカの占領軍の
意見が関係していたことはしらなかった。広島大学は岡山、山口と誘
致運動するなかで、学部を増やし、地域と一体になったから、総合大
学に、九州工業大学は地域と疎遠だったため、単科大学になってい
て、地域の盛り上がりで政府が動き、大学の誘致自体や、規模が決ま
っていくのは興味深かったです。
総科・ 2 ・女 まず講義を聞いて嬉しかったのは、広島大学は、地元
の人々(一般人や学生)の支援や熱意によって広島に誘致されてでき
た大学であることだ。岡山県の学生との激しい誘致運動の争いは、目
に余るところがあるかもしれないが、広島の文化的発展や国際都市と
しての地位を高めるために、人々が協力したことは素晴らしいことだと
思う。それと対照的な九州工業大学は、地域の支援が不十分だった
ため、単科大学にならざるをえなかったのは少し残念に思えた。また、
新制広島大学に関する諸問題は、いまでは解決されているように見
える。統合移転も完了したし、学部ごともそれぞれ優秀な教授陣がい
る。時間はかかったが、結果としては広島大学は新制大学として成功
していると思う。最後に、地方大学は地域の影響力が大きいとプリント
にも書いてあったが、まったくそのとおりで、これから広島大学がます
ます発展していくには、地域の人々の理解と支援が必要だと思った。
生生・ 2 ・男 具体的に他の大学と広島大学を比べることによって、
今までとは違う視点で広島大学を見ることができました。九州工業大
学との比較によって広島大学のすぐれた点を見ることができました。
総科・ 2 ・女 今回の講義を通して、また新たに広島大学について
の知識が身についた。広島大学は始め、文学・理学・工学・工学の 5
つの学部から成っていた。昭和 23 年にはいろいろな学部が設置さ
- 605 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
れ、文学部・教育学部・理学部には研究科が設けられた。ここに、各
学部によってのレベルの差が見られる。当初、教育学部がなかった
のが驚きであるが、反対に今「広大の教育」とよばれるほど、実績を残
しているのがすばらしいと思った。広島大学に入学してよかったと思う
とともに、しっかり学習して、立派な教師になりたい。
総科・ 2 ・男 新制広島大学について、同時期に創立した九州工業
大学と比較した上での、授業展開になるとは思っていなかった。移転
前は、キャンパスが広島県内に点在していてとてもまとまりのある総合
大学とはいえない面があったと思う。自分は福山市に実家があるが、
広島大学のキャンパスがあったことはあまり知らなかった。
総科・ 2 ・男 広島大学の各学部は、もともとは違った個々の大学・
高校だった。政府の政策により旧学制から昭和 24 年に新学制へ切
り替わった。地域の支援があったり、反対があったりしながらも、総合
大学を作るために足りない金を集めたりして創設することができたの
はよかったと思うし、昭和 22 年には無かった教養部を昭和 23 年の
案ではもうけていて、もしそのとき教養部がなかったら、総合科学部は
ないのだから、今自分はどうなっているのかなと個人的な感情ながら
深く考えることができた。
総科・ 2 ・男 「なぜ広島大学が東広島にあるのか」というのが、私が
この講義に興味を持ち、履修したいと考えた理由のひつでした。今回
の授業の中では、広島市が大学の移転にそれほど否定的ではなか
ったという内容がありましたが、この疑問に対する明確な回答を得るこ
とは残念ながらできませんでした。しかし、九州工業大学との比較か
ら、広島大学は地域との関わりを持ったことで総合大学へと発展した
という内容については、私の地元が九州工業大学に近いということも
あり、比較を行ううえでイメージがしやすく、大変興味深いものでした。
総科・ 2 ・男 広島大学の成立の課程には、誘致運動が行われてい
たことが少しおどきました。中国地方最大の都市である広島県以外に
大学をつくるなんてとおもいました。また九州工業大学との比較が面
白かったです。広島大学は、地域と一体となった総合大学へと発展し
ていき、九州工業大学は地域と疎遠的な単科大学になりました。この
点に注目してみると、私は総合大学である広島大学に来て良かった
と思います。いろいろな考え方を持った学生や教授の方々と接する
機会が多く持てるからです。
総科・ 2 ・男 広島大学は僕達がいる理学部をはじめ、さまざまな大
学が併合した大学である。やはり、そうやってさまざまな学校が併合し
ていれば元の学校の理念や独特の考え方があって幅広くひとつのこ
とについて学べるのではないかと思う。今回は九州工業大学との関
係性や違いの説明は分かりやすく聞くことができた。そして広島大学
は地域と一体した運動をし、総合大学へ、九州工業大学は地域と疎
遠になり単科大学へ。僕としてはこの広島大学で正解だと思う。
総科・ 2 ・男 今回は広島大学の成立についてであったが、興味が
もてた。新制国立大学実施要網によると、国立大学は、特別の地域
(北海道、東京、愛知、大阪、京都、福岡)を除き、同一地域にある官
立学校はこれを合併して一大学とし、一府県一大学の実現を図ると
あり、驚いた。広島大学と九州工業大学を比較してみると、広島大学
は地域と一体になった運動を行い総合大学となり、九州工業大学は
地域と疎遠になったため、政治的に動く余地が無くなり単科大学とな
ったとあり、大学成立時には地域の影響力が関係あると知り、すごく
関心した。
じ大学内なのに、いろいろと関係が難しい時期が昔にはあったんだと
感じ、今の同じ大学内であればさほど優劣がない状況を感じなけれ
ばならないなと思いました。そして広大の教育学部が凄いことに改め
て気づきました。
総科・ 4 ・女 まず、旧制では師範学校と大学校とではいまの中学校
の段階で分かれていたことに驚いた。今の感覚から旧制の図を見ると、
かなり細かくなっているように思える。小学校の段階で将来の進路を
決めなければいけないというのは酷だと先生はおっしゃっていたが、
今働かない若者が増えている要因の一つに将来の職業について深
く考える機会が減っているからという面もあるのかもしれないと考えた。
今 4 年生でまさに進路を決める時期に来ているが、学部内の友人に
は就職活動を始めてから初めて職業について深く考えたという者も
少なくないので、今のように将来を決める時間が長くなったからといっ
て果たしていい事ばっかりなのだろうかと疑問に思った。
総科・ 4 ・男 今回の講義を聴いて、一番に驚いた内容として、広島
大学の設置費用が国や県からのみではなく、一般寄付から大変多く
の財源を得ていることであった。私は今まで、国立大学というだけに、
国や県からのお金で全てが行われているものであると考えていただ
けに、この話を聴いて、驚きを隠せなかった。また、この話を聴くこと
によって、自分たち学生が、多くの日本国民からの支援によって日々
の学習ができていると感じることができ、自分が社会に出たら、日本と
いう自分の母国をしっかりと支え、恩返しのような気持ちで社会に貢
献したいと感じた。
文・ 1 ・女 原爆投下による荒廃においてもなお、大学を復興しようと
した当時の大学関係者の方々の熱意に心から感服しました。敗戦直
後だったので、大学復興のための資金繰りは厳しかったのは想像に
難くないと思います。現在の広島大学があるのは、まさに彼らのお蔭
です。また、今回の講義で、広島大学と九州工業大学を比較した理
由は、正直自信がないのですが、広島大学が地域住民の支持と信
頼に基づいて設立されたのを強調するためだってと思います。いか
がでしょうか。
文・ 1 ・男 今回は新制広島大学の創立の話であったが、戦後のア
メリカ軍の占領による教育制度の改正によって、大学というものの存
在が大きく変わったということが、新制広島大学の創立にも大きく関わ
ってくるということが考えられる。また、九州工業大学の創立との比較
において、広島大学は地域との関係を円滑にしたことで、多くの力を
見方につけたことによって、九州工業大学とは違った、総合大学への
道を歩むことができたということが、広島大学の一員として、感謝すべ
き事柄であると思う。
文・ 2 ・女 私は大学が、文部省などからつくると言われてただ設立
されるものだと思っていたがそれは違っていて、ぜひ国立の総合大
学を広島につくりたいという、当時の地域の人々の熱意が他県との誘
致合戦などからすごく伝わってきた。広島大学といえば教育学部だが、
昭和 22 年の設置計画には教育学部が存在しておらず驚いた。また、
広島大学が設置されてからも学部間で教員などの格差があったり、キ
ャンパスがバラバラに位置していたりと、大学設置は多くの学校をた
だ統合するだけではなくちゃんと調整もしなければならない大変な事
業だと感じた。
総科・ 2 ・男 上にも書いたが、「新制広島大学はこうして生まれた」
というテーマから、他大学との比較を交えながらの講義は予想してい
なかった。というのも、同じ「国立大学」の発足において、大学ごとに
大きな違いがあるとは思わなかったからである。地域とのかかわりによ
って、発足する大学の内容に大きな違いがもたらされていることに大
変驚いた。と同時に、広島大学が単科大学ではなく総合大学として
発足していてよかったなぁと思う。どちらの種類の大学にもそれぞれ
の良さがあると思うが、同じ学部では同じようなことに興味のある人と、
学部をまたげば自分にはない特徴のある人と出会えることは、単科大
学にはない魅力だと感じる。
文・ 2 ・女 新制広島大学の成立にこれほどまでに占領軍の影響が
あったとは知りませんでした。また、中国ブロックに 1 大学を新設する
という噂?のために、岡山や山口と猛烈な誘致運動が展開されたこと
も始めて知りましたし、福山では激しい運動があって驚きました。九州
工業大学との対比がとても分かりやすくて、誘致又は昇格運動の盛り
上がり方が地域の財政状況や十一原則などと関係していてとても面
白かったです。新制広島大学の設置に地域の財政状況が絡んでい
ることは予想外でした。また新制広島大学の学部間の格差などもはじ
めて知りました。文・教・理学部が設置当初から大学院があったことは
文理大の影響と、師範学校の影響を大きく受けているんだなぁと実感
しました。医学部の設置はわりと遅い時期に決まったのに、大学院の
設置は早かったのが不思議でした。急速に発展したのか?、またそ
れには何か理由があったのかなぁと思いました。
総科・ 2 ・男 今回、広島大学の成立過程と北九州工業大学の成立
過程を比較して、前身校の数からその相違を見ましたが、広島大学
は戦争というものが大きなポイントとなり、そこからの脱却、復興を理念
として県や県民が団結し、広島に総合大学を作り上げようとしていた
ことがみてとれた。しかし、その前身校の多さから前身校間の格差や、
それによる学部間の格差、ひいてはひとつの広島大学としての学問
に対する姿勢の相違を生じる危険性があったのではないかと考えた。
この点に関しては講義中に、確かにそのような格差や差別化が生じ
ていたということ、しかし組織を充実にしていくことで解決していったこ
とを聞いた。しかしながら、設立当初学部間で差を感じずにはいられ
なかった学生のことを思うと、現代の大学がいかに恵まれているか、
体制がしっかりしているかを改めて確信した。
文・ 2 ・女 広島大学が総合大学となり九州工業大学が単科大学と
なったその違いの理由が、今回の講義で一番興味深かったです。大
学を設立するにあたって、その地域からの支援、またその地域との密
接な関係はその大学にとってとても大きな力になるということを強く感
じました。びっくりしたのは、県負担費 6900 万よりも一般から募金さ
れたお金 7800 万の方が多額ということです。地域からの支援は本当
に大きな力だと実感させられます。そのほかに印象に残っていること
は、広大の移転についてです。新制大学発足時のキャンパス配置図
を見ると、学部があちらこちらに散らばっていてその地図を見る限りで
はなかなかひとつの大学と感じることができません。今のこのキャンパ
スになったからこそ、広大生としてまとまりを持つことができるんではな
いかと思いました。
総科・ 2 ・男 今回の講義を受けてわかったことは特に九州工業大
学と広島大学とを比較したときに顕著に表れてくる違いを認識するこ
とでよくわかりました。それと授業で驚いたことは、昔は大学院などが
限られた学部にしかなく、学部の優劣があったような話を聞いて、同
文・ 2 ・女 九州工業大学と比べることによって、広島大学の特徴が
よく分かりました。国立大学の設立を願って多くの人々が運動してい
たということから、広大は地域に密着した大学なのだと感じました。ま
た、このとき同じような運動が行われていた岡山県、山口県において
- 606 -
も岡山大学、山口大学はそれぞれの地域の人にとって親しみのある
大学になっているのだろうと思います。また、たくさんの学部を持って
いるということは、ひとつの大学にいながらさまざまな学問分野に触れ
る機会があり、いいことばかりだと思っていましたが、それだけ多くの
前身校を持っているためにまとまりに欠けるというデメリットもあるという
ことに気づかされました。せっかく地域に密着した大学なのだから、大
学自体も結束して地域に貢献していくことが大切だと思います。
文・ 2 ・女 はじめに、間接統治という当時の時代背景の解説があっ
たのち講義内容に入ったため、社会状況を理解した上で聞くことがで
きた。また、広島大学の成立過程にとどまらず、同じ時期に成立した
九州工業大学と比較することによって、地域社会が大学成立に与え
た影響をわかりやすく理解することができた。地域の影響により、総合
大学となった広島大学が統合され、多数の学部をもつ現在の形の歴
史を知ることができて非常に興味深かった。
文・ 2 ・女 広島大学を国立大学にするために、政治家や市民、学
生など、さまざまな人達が一体となって努力していたことに驚いた。 G
HQ や国に直訴するなど、活動が活発だったことがわかった。国立大
学として認めてもらうために、総合大学として、たくさんの学部を追加
していった結果、現在の広島大学のかたちになっているんだなと思っ
た。総合大学を設立するためには莫大な予算と人々の努力があった
んだなとありがたく思った。しかし、統合移転などによる学部間の差や
キャンパスの分裂など、問題も残っているなと思った。その問題にもも
う少し深く触れてみたいなと思った。
文・ 2 ・女 今回の授業を受けて広島大学は広島に住む多くの人々
によって支えられてできたのだと感じた。九州工業大学と比べて広島
大学は地域と一体となった運動でここまで大きな立派な大学となった
のだとよくわかった。北九州工業大は空襲の被害が少なく、日本初の
工業大学であり、当初広島大学より復興にかなり有利であったはずが
逆にそのせいで地域と疎遠になり、結局単科大学で終わってしまっ
たというのは何が功を奏すのかわからないなと思った。広島大学が東
広島に移った理由がよくわからなくて気になった。
文・ 2 ・女 かつては教育界で権威ある大学であったという広島大学
が、なぜ今のような全国でも有数の総合大学になったのか。今回の
講義でその理由が地域の強い要請によるものだと知り、とても驚いた。
九州工業大学との比較からも、選挙などと同じように地域の影響力は
とても重要なものだということがよくわかった。原爆で甚大な被害を受
け、それでも立ち直った広島だからこそ、ここまで大きな変革を成し遂
げたのではないかと思う。現在は総合大学になったがためにこれこそ
広大、という特色が薄れているとよくいわれているが、ひとつのキャン
パスに多くの学部が存在するということ自体が特色であると思うので、
そこからたくさんのものを得られるように幅広い視野を持って勉強して
いきたい。
文・ 2 ・女 九州出身である私にとって九州工業大学は結構身近な
存在であるが、なぜ単科大学であるかなどは全く知らなかったため、
驚いた。またその原因が地域の運動が活発か否かということによると
いうのも初めて知った。文学部がかつて御三家と呼ばれる学部の一
つであったということに関しては、今は全くそんなことはないし、むしろ
他の学部の方が目立っていると感じる。でもそれは格差がなくなった
ということで良いことなのだと思う。大学を造るのには本当にたくさん
のお金がかかっているのだと改めて実感した。
文・ 2 ・女 自分が予想していた内容とは少し違っていました。広島
大学と九州工業大学をなぜ比較するのかがよく分かりませんでした。
文・ 2 ・女 今回の授業のプリントを見て、最初はどうして九州工業大
学と広島大学を比較するのかが分からなかったが、授業を聞いて納
得できたし、比較対象があったので理解しやすかった。どこの大学も
なるべく総合大学になりたかったんだろうが、金銭的な面や、地域の
住民からの理解がないと、一つの総合大学としてまとまることは難しい
ことだと感じた。また、一つの大学としてまとまっても、学部間に格差
があると、精神的にまとまりにくいということもわかった。今の広島大学
が一つにまとまっているのは、長年の努力の結果であると思う。これか
らも一つの大学としてまとまっていられるように努力していきたい。
文・ 2 ・女 広島では、「我が県に国立大学をつくろう」という思いが
つよっかったのだということに驚きました。岡山との競争があったこと、
また、その競争心のおかげで現在あるように、学部数が多くなったこと
にも驚きました。しかし、なぜそんなに国立大学を作ることにたくさん
の人が躍起になっていたのかが疑問でした。
文・ 2 ・男 広島大学が総合大学として多くの学部を有しているのは、
県の規模によるものだとずっと思い込んでいた。しかし今回の授業で、
戦後すぐの広島は教育機関につぎ込む予算も十分でなく、東京新聞
の記事が出た時には何とかして大学を国立にしようと活発に運動して
いたことを知った。自分の出身県にある滋賀大学は教育、経済の二
学部しかないし、広島のような大規模な運動が行われたと聞いたこと
は無い。上の東京新聞の記事には近畿ブロックへの大学新設が書か
れていなかったこともあるだろうが、やはり現在の広島大学の規模の
大きさは、地域一体となった誘致運動によるところが大きかったので
はないかと思う。
文・ 2 ・男 この度の講義では広島大学ならびに九州工業大学の成
立を、両大学の比較を伴いながら解説してもらったが、大学一つの立
ち上げを取ってもこれだけのドラマ的な要素があるものかと楽しく聞か
せて貰った。地方・地域に期待される創立の展開を示していった広島
大学は最終的には幾らもの学校を取り込み、総合大学という形式ま
で上りつめ、これに対して九州大学の成立の過程では地域との連携
を取ることが出来ず単科大学に収まってしまったという事実は、道理
にはかなっているが、どうにも儚さを感じるところである。
文・ 2 ・男 敗戦により日本が新しい時代を迎えたとき、先人の教育
に対する熱意がとても熱かったことは私たちの誇りであり、これを受け
継いでいくことの大切さを学びました。特に戦争であらゆる物が不足
するなかで、広島県に新しい大学を誘致しようという県民の強い思い
があったことがわかり、大きな収穫でした。
文・ 2 ・男 現在では各都道府県に一つはある国立大学が、もともと
は旧制七帝国大学と中四国・北陸の各 1 大学の方針であったため
設立される予定がなかったという事を初めて知り非常に興味がわきま
した。今こうして総合大学として充実した教師や施設のある広大で学
生として生活していることも、先人たちの努力のおかげなんだなと思
い、少し感慨深くもなりました。また、広島大と九州工業大との比較が
授業でなされたましたが、個人的には福岡の飯塚出身だったので非
常に身近に感じて聞き入らせていただきました。
文・ 2 ・男 今回は、新制広島大学の誕生ということで、九州工業大
学と比較しながらの講義でした。自分は九州出身ということもあり、自
分の友人もたくさん九工大に行ったので、勝手に親近感が湧いてい
ました。それに、広島が広大を作るときにこれほど努力していたなん
てまったく知らなくて、ちょっと恥ずかしくなりなした。今でこそこんな
立派な大学だけど、原爆被害から立ち直りここまでのものを作るのは
とても大変なことだと思うし、僕も今日それを知ったからには、今まで
以上にこの大学で学べることのありがたさを感じながら学んでいきた
いと思います。
文・ 2 ・男 『広島大学の歴史』中;「当時、学校内に設けられていた
御真影奉安殿、英霊室、神社、神棚などを除去し、修身、国史、地理
も全て無くなった」と。これは占領下における GHQ 指令の一つであ
るが、これによって、全てが灰塵に帰したと言えるのか、むしろ教育の
新たな創設をもたらすことになった。それまでは、国家権力が介在し
て、歴史が書き換えられたということを、改めて悪夢であることを実感
する。私たちは、平和こそ教育制度の充実・再生のための必須要素
であることを肝に銘じなければならない。新制広島大学の礎になった
人々や、今日までそれを営々と受け継いできた幾多の人々の労苦を
忘れてはならない。ましてや学園紛争など二度と起こすべきでない。
文・ 2 ・男 昭和 22 年 12 月 4 日付の東京新聞の記事が発端とな
った中国地区での国立大学誘致合戦が、広島大学を多くの学部を
有する総合大学にしたきっかけであったことは初めて知りました。この
ことは興味深く、占領軍の個人的な意見であったとしても良い方向に
作用してよかったなと感じました。また、東広島に移転する際に、広島
市や市民が本腰を入れて反対をしなかったことは既知のことであった
ため、広島大学の存在意義とは何なのか、広島大学に対する地域の
目はどうなのかとたびたび考えることはありましたが、県や市といった
地域によるバックアップが強かったことが総合大学設置を後押しした
という事実には喜びを覚えました。地域に根ざした総合大学としてス
タートしながらも東広島移転という歩みをたどる経緯にはますます疑
問が膨らんだので、以後の講義でそのことを学びながら、広大生とし
ての誇りを自分の中に植え付けたいなと感じました。
文・ 2 ・男 広島大学が総合大学であるというのは知っていたが、そ
のことに何の意味があるかは知らず、また総合大学になるために多く
の人たちの努力があったとは知らなかった。ただ色々な学部があれ
ば総合大学を名乗れると思っていたので驚いた。九州工業大学のよ
うに総合大学を目指しても上手くいかない場合もあるので総合大学
への道のりはとても厳しいものだったと思うし、そのおかげで自分の専
門分野以外のことも学ぼうと思えば学ぶことができる環境があることに
感謝したいと思う。
文・ 2 ・男 広島大学が総合大学になる過程が決してとんとん拍子で
いったわけではなかったんだなと思いました。またその裏では、地域
では署名活動があったり占領軍への根回しがあったりといろいろなこ
とをしていたんだなと納得しました。そして多くの学校が集まってでき
たためにキャンパスが県のいたるところにできてしまっているのを聞く
と僕の出身県にある大学みたいで問題なども理解できました。次回に
その問題が取り上げられると思うので楽しみにしておきます。
文・ 2 ・男 私は何も知らずにただ単純に総合大学がこんなにも苦
労の上に出来上がったもとであるとは知りませんでした。例えば企業
が吸収合併してくようなもの程度だと思っていました。誘致合戦に関
しても大学が来るか来ないかによってその町の将来が大きく変わって
しまいますしそこに関しても私の想像以上のものでした。西条も未だ
に広島大学が来る前の風景を保っている所が多くありますが開発が
どんどんすすんでいるところと比べるとその差で大学が来るということ
がどんなに大きなことかどうかがわかりました。
- 607 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
文・ 2 ・男 広島大学は終戦を迎え、被爆地広島で新たなスタートを
切った。戦後行われた教育改革の中で国立大の地方移譲案が出さ
れると、岡山・広島・山口 3 県は激しい誘致合戦を繰り広げた。この
動きは「新制国立大学設置要綱」の発表とともに立ち消えになったが、
この件で私には当時の日本の教育改革への熱心さ、国立大学を是
非ともわが県に!という県の人たちの熱い気持ちが伝わってきた。し
かし、その資金を得るには大きな困難が待ち受けていた。野球の試
合などいろいろなイベントを開催してその資金集めに奔走した。こうし
て、昭和 24 年に新制広島大学が発足するわけであるが、私は、今
通っている大学がここまでの困難を乗り越えて誕生したものであると
いうことに深い感動を覚えるとともに、広大生としての意識も高まった
気がした。
法・ 2 ・女 法学部の前身は新制大学に移行する際に新設されたの
ですね。意外と歴史が新しかったことに驚きました。そして一地方国
立大学そして一総合大学としての広島大学が生まれるまでには、難
航を極めた旧制学校の統廃合や、白熱した近隣県との誘致合戦を
繰り広げたことを再認識できました。終戦直後の不安定な社会の中、
地域と学校が一体となり苦労に苦労を重ね、そうしてようやく築き上げ
たものが現在の広島大学であることを考えると、今自分の所属するこ
の大学が改めて誇りに思えました。大変詳細な講義をありがとうござ
いました。
法・ 2 ・女 広島大学は 8 校もの学校が統合されてひとつになったと
いう点に、私はとても感動しました。なぜならば、広島大学のように自
分の専攻以外の分野も学べるような大学は、様々な分野を学ぶ場を
1 つにまとめあげるという並々ならぬ努力の結果生まれたということを
知ったからです。こうして大学で法律学以外のことを学べることを当た
り前に思うのでなく、とても素晴らしいことなんだと自覚し、日々の勉学
に励まなければならないと強く思いました。
法・ 2 ・女 新制広島大学の変遷を九州工業大学との比較から説明
があったのは新鮮で学ぶところが多かったです。国立大学がいくつか
の学校の合併によってできたことは漠然と知っていましたが、今回広
島大学の詳しい構成の中身を学ぶことができて大変勉強になりまし
た。地域の影響力が大きく大学に関係してくるということも改めて意識
しました。広島大学が現在東広島に移転してきたことについて、広島
市側からなんの引き留めもなかったことには少し疑問が残りました。ま
た当初の広島大学が分散していたことにより当時の学生が持ってい
た大学としての組織的な意識が今とは相違があるのではと思いました。
そして今の形のような大学になるまでには、たくさんの人たちの努力
があったことも知りました。
法・ 2 ・女 広島大学が成立していく過程で、山口県・岡山県・広島
県が誘致合戦を繰り広げていたなんてびっくりしました。もし他 2 県
のどちらかに移転していたら、山大の歴史・岡大の歴史なんかが開講
されていたのでしょうか…。私たちは、生まれたときから大学が存在し
て、大学という観念もほとんどの人が同じような観念を持っていて。し
かし、こうして旧体制が崩れて新たな体制を一から独自に作り上げて
いく。それってなんだか凄いことだし、大変だったんだろうなあと思い
ます。
法・ 2 ・女 今現在存在する多くの大学の流れが、戦後に決まったの
だと思うと、その時代のちょっとした偶然によって今の大学の状況は
かなり変わったのではないかと思います。広島大学は現在、多くの学
部を抱える総合大学で、それらの学部がそれぞれ戦前の高等教育機
関の流れを汲んでいると思うと歴史を感じます。新制広島大学が総
合大学として誕生できたのは、地域の支援があったからと知り、大学
と地域との深い関連性を感じました。
法・ 2 ・女 戦前のような複線型教育から、現在のような単線型教育
に変わったことで、教育の機会均等が実現されたことはよかったと思う
が。その過程でいろいろな困難があったことを初めて知った。広島大
学の成立過程について、北九州工業大学との比較という、具体的な
事例があったのでわかりやすくてよかった。広島大学が現在のような
総合大学になるためには、地域の支援が必要不可欠であり、地方大
学には地域の影響力が大きく及ぶことがわかった。広島大学は、今
後一層地域に貢献していく必要があると思う。
法・ 2 ・女 今回の講義は、広島大学の成立過程ということで、キャン
パスの分散の話題は必ず挙がるであろうと予想していました。しかし、
この広島大学が、地域と一体となった猛烈な運動を通して、成立した
という事実までは予想がつきませんでした。多くの人々の努力の結果
として生まれたこの広島大学で学べることは、私が思っていた以上に
すごいことなのだと思いました。中四国ナンバー・ワンを誇る広島大
学に所属する生徒として恥じないよう、普段から日々勉学にはげみ、
社会に貢献していきたいと感じました。
法・ 2 ・女 今回はいつもに増して資料・史料が豊富だったので、と
ても興味深かったです。そして九州工業大学と比較することで、広大
がいかに地域の協力を得て成立したかということがよく分かりました。
しかも岡山・山口両隣県の猛烈な誘致運動が繰り広げられていたこと
を初めて知り、総合大学というのはやはりそれほど魅力的だったんだ
ろうなと改めて感じました。私は出身が山口なので、山口にもし総合
大学ができていたら、少しは地域の様子も変わっていたのだろうかと
すごく興味深く思いました。
法・ 2 ・女 広島大学と岡山大学は、ライバルというイメージがありま
したが、そういうイメージがついた理由がわかりました。歴史的なもの
だったんだなあ、と思いました。それから、総合大学にするため、少し
無理矢理に他の学校を吸収し、学部を増やした、ということをはじめ
て知りました。この話は少し残念に感じました。しかし、現在の広島大
学になるためには、多くの人々が、力を尽くされたということを知り、そ
の方たちに感謝するとともに、誇らしい気持ちになりました。特に地元
の方たちは、そうとう努力してくださったのですね。その広島大学に通
っているものとして、恥じない学生生活を送っていきたいと思いました。
ありがとうございました。
法・ 2 ・男 まず官立学校が例外を除き、一府県一大学をはかって
いたとは知らなかったし、言われてみれば今現在そうだと思った。今
回は、多くの旧制教育機関を統合した広島大学と一つの旧制教育機
関が単科大学として昇格した九州工業大学を比較した。広島大学も
九州工業大学も総合大学の設置を願っていたが、地元が総動員で
挑んだ広島に対し、地元が安心しきって、設置運動が盛り上がらなか
った北九州は単科大学にとどまらざるを得なかった。やはり何ごとも
チームで挑むと強いなと感じた。東広島に移転するのを広島市が引
き留めなかったのは、学生運動が激しく危険を感じたのではないかと
思う。
法・ 2 ・男 戦後の教育改革で広島大学ができたのは知っていたが、
当初は中国ブロックにひとつしか設立されない予定だったということ
は初耳だった。それに加えて、地域の盛り上がり方によって、大学の
性質が変わってしまったという、後半の九州工大との比較は興味深か
った。広島大学が総合大学であることは、なんとなく当たり前のことの
ように感じていたが、広島大学がこのような過程を通ったのなら、他大
学がどのような過程をとって現在の形になったのだろうか。各大学に
よっては学部などにも細かな違いが見られるので、それも歴史や地元
の考え方によって変わっていったのかなどのことにも興味がわいた。
法・ 2 ・男 まず、戦前の教育機関の仕組みは複雑で、それをアメリ
カを始めとする連合国軍が単線型教育へと改革したこと、森戸辰男
が当時の文部大臣だったこと、九州工業大学がなぜ単科大学であっ
たかという三点は全く知らなかったっため、新鮮な話で興味深かった。
広大の地域と一体となった運動が総合大学と昇華するのに大きな役
割を果たしたため、私は今広島で勉強させてもらえるということを考え
ると、昔の人に感謝したくなる気持ちでいっぱいである。移転前の広
大のイメージは、現在の九大のようなキャンパスであったのではない
かと思う。
法・ 2 ・男 地方大学は地域の影響力が強く、それによって大学自
体の進退が左右され得るものだと思います。例えば、私立大学ならば
その土地の知名度や経済力によって大学の研究力や偏差値にさえ
影響を及ぼすものです。また、大学を誘致することは、その地域の活
性化にも繋がり、特に原子爆弾によって壊滅的な被害を受けた広島
にとっては、広島大学の設置はまさに復興への大きな希望であり、地
元住民の強い支援があったものと思われます。これらのことから、地
方大学にとってその地域の影響力は強いものですし、地域にとっても
大学は自分達のニーズを応えてくれる機関として必要不可欠なのだ
と考察できます。ですので、私は、地方大学と地域は相互補完的な
関係性を有すべきだと考えます。そして、今後ますます地域との連帯
を強めて行く必要があるとも思います。もともと、大学は閉鎖性を帯び
た機関ではありましたが、大学法人化、物事の価値の多様化や地方
分権の推進から、大学も変革を求められております。よって、産業や
地元文化とのふれ合いは不可欠なものになっていくでしょう。さらに、
地域開発や公共事業、道路交通などの見直し、つまり、地域と大学
が相互に協力することから、キャンパス分散のような問題も解消される
ものではないかと考察します。次に、例をあげて広島大学のとるべき
舵を考えたいと思います。もともと大学は価値中立的な視点からアプ
ローチするため、世間とは離れた位置にて研究を行ってきました。そ
れ故、広島大学も、前回の講義から抜粋しますが、「俗臭ぷんぷんた
るエリート意識が、カラーの汚れた地元大衆に接触することをこば
み、・・・学界官僚的性格が最も露骨にでて”国民への服務”の良心
のない人人が好くなからず見受けられたのである。」『中国新聞』 196
5 年 8 月 13 日 のように批判を受けることもありました。これは飽くま
で一例でしかありませんし、価値中立的な見方も大切です。だから、
直ちに、広島大学が地域に貢献していないことを証明することにはな
りません。しかしながら、確かに、原爆被害者に対する広島大学の対
応が遅れたものだと思います。そして、このようなアカデミックの根深
いところを批判されたということは大学に何かが欠けているところがあ
ったのではないでしょうか。私は、広島大学は地元と縁の強い大学で
はありますが、大学という特殊ながらもなくてはならない機関が持つ固
有の悪い部分が露出してしまったのだと考えます。先述した通り、地
方大学は地方の影響力から目を背けることはできません。以上のこと
から、やはり地域一体としてつくられた広島大学だからこそ、先駆けて
地元と向き合う姿勢を持つべきだと思います。
法・ 2 ・男 今回は全く興味のない、自分にとっては聞きたいと思わ
ない内容だった・・・。九州工業大学と比較するのは良いことだが、プ
リントの半分近くが九州工業大学の内容でもう少し広大のことについ
- 608 -
て知りたかった・・・。すいません、今回は 200 字書けません。。。
法・ 2 ・男 戦後復興の過程の中で日本の政治がアメリカの間接統
治によって行われていたことは高校の授業の中で習ったので知って
いましたが、大学の統合までその影響を受けているとは思いませんで
した。広島大学の全身校が八校あることは前回の講義で聞きましたが、
同様に八校が統合した新制大学の少なさと一校からなる新制大学の
少なさに驚きました。その代表校として九州工業大学がありましたが、
そこと広島大学との違いにはもっと驚きました。大学を統合するには
公的な権力が大きく介在するものと考えていましたが、地域との密着
性、地元の反応が関与し、地元の寄付申し込みによって大学の運命
を左右するのは意外でした。しかし、広島大学のように多くの学校が
統合すると各学部間で物理的な距離だけでなく、心理的な格差も生
じてしまうというのは弊害なのだろうと感じました。広島大学は地域に
根差した大学になっていければいいと思いますし、そうなるべきだと
考えます。
法・ 2 ・男 戦後のアメリカの日本の占領体制や学校教育法などの
歴史的背景や九州工業大学との大学設立の事例の比較があり、わ
かりやすう講義でした。広島大学の設立においての一般の寄付金の
多さに驚き、広島大学が多くの広島県民に望まれてできた大学という
ことがわかりました。大学発足時のキャンパスのひとつひとつが非常
にはなれていたことを初めて知りました。今回の講義でなぜ大学が移
転したのか少しわかってきたきがします。次はなぜ移転先が西条だっ
たのかが知りたいです。
法・ 2 ・男 戦後のアメリカの日本の占領体制や学校教育法などの
歴史的背景や九州工業大学との大学設立の事例の比較があり、わ
かりやすう講義でした。広島大学の設立においての一般の寄付金の
多さに驚き、広島大学が多くの広島県民に望まれてできた大学という
ことがわかりました。大学発足時のキャンパスのひとつひとつが非常
にはなれていたことを初めて知りました。今回の講義でなぜ大学が移
転したのか少しわかってきたきがします。次はなぜ移転先が西条だっ
たのかが知りたいです。
法・ 2 ・男 講義が始まるまでは、単に第二次世界大戦の後に、どの
ように広島大学が現在の在り方になっていったのかという内容を予想
していたが、実際は、九州工業大学との比較などによって進めていた
のが少し意外っだった。また、現在の広島大学にはいろいろな学部
があるが、それらは以前、他のいくつかの大学が統合された結果なの
だとはじめて知った。ほかにも、 GHQ との関わりや、広島大学が広
島市から移転したことなどについても知ることができてよかった。
法・ 2 ・男 広島大学設置に際して、岡山・山口とこのような熾烈な争
いが繰り広げられていたとは全く予想していなかった。広島市と福山
市は仲が良くないというのを聞いたことがあったが、このようなことも原
因の一つなのかなと思った。
法・ 2 ・男 今回の授業の講義を受けて、特に思ったのが、九州工
業大学との比較を通して理解した地域と一体になって広島大学は総
合大学として成立したという点が今日の授業の中で一番印象に残っ
た。そこでふと考えたのは、当時の時代というと戦争が終わって連合
国が占領しているような時代であった。ということは、言わなくてもわか
るが、広島は原子爆弾が落とされてあまり時間は経ってないころであ
る。そのような経験のある県である広島は、まさしく県の命運のかかっ
た国立大学設置の話において地域としての運動が他の県に負けるこ
とはないだろうとも考えた。そのようにして作られたであろう広島大学
で学んでいることを踏まえてこれからも勉強していこうと思った。
法・ 2 ・男 国立大学が一地方に一つしか設立することができず、岡
山と山口と広島で激しい争いがあったことを知らなかったので驚きま
した。なぜ九州工業大学と比較をしたのか最初はよくわかりませんで
したが講義をきいていると広島のほうがずいぶん熱心に誘致していた
のがわかりました。旧帝国大学が近くになかったのが大きかったのも
あるでしょう。あと名前は国立なのに以前の講義で聞いたように本当
に国から資金がでていないのはなんだかなぁと感じました。
法・ 2 ・男 いろいろな大学の名前を見ていくと、広島大学など多く
の総合大学があるのに、どうして九州工業大学や大阪外語大学のよ
うな単科大学があるのか不思議に思ったことがあった。今回の授業を
受けて、当時の時代背景や、地域との関係の結果が大いに影響して
いたということが分かり少し疑問が解消された気がした。果たしてどち
らがどちらよりも優れている、などという比較はまるで意味がないであ
ろうと思うので、どちらの大学にしても、やりたいことをやれるのが一番
良いのだろうと思った。
法・ 2 ・男 今回の講義内容は、第二次世界大戦の終戦からたった
数年間の動きについてのことだけなのに、とても濃い内容に感じた。
まず、戦後の学校制度の再編成については、大学入試では世界史
を選択したのでほとんど知識がなかったので、、今回の講義で取り上
げてもらって大変興味深かった。欲を言えば、戦前の複線教育と戦
後の単線教育を比較した図を、スライドで映し出すだけでなく、レジュ
メとして配布してほしかった。日本史を詳しく勉強していない自分とし
ては、史料 4 にあるように、 1 都道府県に一つの国立大学を設立す
ることや、原則として大学名に都道府県名を使用することが明確に定
められていたということが(よく考えれば当たり前だが)驚きだった。講
義の本旨とはずれるかもしれないが、 GHQ の間接統治が、① GHQ
の負担を減らす、②民衆の不満の矛先を被占領地の政府に向けると
いう点で非常に有効な方法であるという話も大変勉強になった。
法・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学が総合大学としてできる
過程には地域の大きな支援があったとわかった。このことは募金が集
まらないなど、地域の支援があまりなかった九工大との比較によって、
より理解することができた。しかし、統合された旧制高等機関数が 8
校もあったために、キャンパスの分散や学部間の格差などの問題が
あり、ひとつの大学としてのまとまりがなかった。現在、東広島キャン
パスにはほとんどの学部があるので、そのようなことは考えたこともなく、
驚いた。だから、今後の講義でどのように広島大学がひとつになって
いったのか学びたいと思う。
法・ 2 ・男 広島大学の成立過程と九州大学の成立過程を比較して、
同じ国立大学でも地域との関係性が違うことで、思っていた以上にそ
の特色が変わっていたことが一番印象に残った。また、戦後にいろい
ろな制度が改革され、教育などについての制度も変わったのは知っ
ていましたが、私が考えていたよりも細かいところまでしくみなどが改
革されていて、「新生国立大学実施要綱」という原則がもうけられてい
るのも今回の講義を受けて初めて知りました。今の大学制度が成立
するのに様々な改革があったのだとわかった。
法・ 2 ・男 新制広島大学はこうして生まれたということで、総合大学
として複数の高等教育機関を統合していった広大と、もともと 1 つの
学校が単科の大学として成立した九工大とを比較してみていって考
えたのは、広島に総合大学をという県民の熱い要望をかなえるため
に一丸となったところに九工大との違いがあり、それに比べて北九州
はそれほど熱がなかったのかなと思う。しかし、福岡県には九州大学
があり、熱がなかったわけではないと思う。福岡県民として北九大に
ついて関心が持てた。
法・ 2 ・男 今回の講義では広島大学設立にまつわる大変面白いエ
ピソードが聞けてとても有意義でした。東京新聞の記事によって始ま
った、大学の壮絶な誘致合戦でしたが、後に新制国立大学実施要綱
が発表されたことにより無意味に終わってしまったことが少し滑稽に
思え、またその後に山口、岡山と気まずい関係になってしまったので
はないかと思うと気の毒に思えます。しかしこれも地域が一丸となって
広島大学の設立を望んだ故の結果であるということを考えると先人た
ちの熱い想いを感じずにはいられません。
法・ 2 ・男 広島大学がおおよそ各学部ごとに前身となる学校を持ち、
それらが集まって総合大学としての広島大学が出来上がったことは
前回までに見てきたが、その発展に地域との深いかかわりがあったこ
とを初めて知った。私は九州の出身で九工大についても多少知って
はいたが、大学として発展する過程において、広大と九工大とを比較
してみるとそれぞれの地域におけるその大学の位置づけや期待とい
う点で大きな差があったために現在のように違う展開をしてきたようで
ある。大学の発展に地域性が大きくかかわっているという点には意外
な印象を持った。
法・ 2 ・男 今回の講義でどちらも総合大を目指した広島大学と九工
大が、何故前者は叶い、後者は断念せざるを得なかったかの最大の
相違は、「地域の温度差」であることを学んだ。大学は地域の協力な
くして発展できないということだが、逆のケース、つまり大学が地域を
発展させることもありえる。たとえば、この東広島も広島大や国際大を
招致することで、徐々に発展している。逆に広大を失った広島市の東
千田は、倒産した店も多く、活気もない。身近な例をとってみても、大
学とその地域は重要な関係があることわかった。
法・ 2 ・男 九州工業大学の成立と比較しての説明だったので、非
常にわかりやすかったと思います。戦後の混乱の時代からどのように
して広大が形成されたかがよくわかったと思います。なんとなく第二回
目の講義のような内容に終始するのではないかと勝手に予想して、
正直あまり面白い内容の講義ではなくなるのではないかと思っていた
のですが、いい意味で期待を裏切られたと思います。資料の使い方
も、資料を別の紙にするなど工夫されていてよかったです。
法・ 2 ・男 今回の講義内容や配布資料などから総合大学としての
広島大学の設立は当時の人たちにとっては私の想像よりはるかに高
い望みだったことは驚きだった。その都道府県の繁栄に大きな影響
をもたらすとまで言われた総合大学の設置がたくさんの人の招致によ
るものだということも初めて知った。それだけになぜ広島大学の広島
市から東広島市へのキャンパス移転を広島市がなぜ拒否しなかった
のか。そこの部分をもう少し詳しく聞きたかった。
法・ 2 ・男 新制広島大学は、戦後の制度改革の中で数多くの旧制
の学校が統合されて設立されました。その設立の裏には、広島県に
国立大学を誘致しようとした人たちや、地域との結びつきを強くして、
より大きな総合大学にしようとした人たちの大変な努力があったんだと
感じた。その新制広島大学で今現在学んでいる私たちは、この広島
大学の設立には様々な人々の努力があったことを常に心にとめて、こ
れからさらに地域とのつながりを大切にしていかなければならないと
思いました。
- 609 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
法・ 2 ・男 今回「新制広島大学はこうして生まれた」の表題のもと、
話が進められたのだが、視点が私自身興味を引かれるものだった。
羽田先生の「戦後大学が地域社会の協力に依拠するとされたことに
よって、その編成が個々の大学を取り巻く利害の総和として決定され
ていった」という見解から広島大学、九州工業大学それぞれの設立に
注目すると、地域社会の協力という文言の重要さに気がつかされる。
まず、官立学校の地方委譲問題に端を発する、中国地方における国
立大学誘致運動を考えてみる。その背景にあったのは県財政での各
学校の維持の困難化から、学校がつぶれてしまい結局は広島県の
文化的・技術的発展が阻害されてしまうというものであったから、中国
地方それぞれの県が猛烈に誘致運動する理由もわかる。やはり、教
育・研究なくしては将来的な発展は望めないであろう。結局は、基本
1 県 1 国立大学となりその心配はなくなったが、そんな運動の最中に
おける各地域社会の協力は並外れたものであったのだなと思う。これ
は、地域社会の発展に大学という高等教育機関の存在が必要不可
欠であったと認識していたからだろう。この点を九州工業大学と比較
してみると、国立大学であることは叶ったが、地域の協力が得られず
総合大学となることはできなかったことからも地域社会の存在の大き
さは大学を語る上では無視できないことであるといえる。このことから、
現在大学が産学連携や地域交流に力を入れていることにつながるも
のがあると思われる。大学と地域社会のつながりは戦後の新制広島
大学・現在の広島大学を語る上で重要なキーワードになるのだと実
感した。
始めて知りました。講義で話していた通り、あれだけキャンパスが県内
にちりじりになっていたら、大学としてまとまらなくて当然だと思いまし
た。また、私は理学部なので、広島大学の大学院の歴史の中では、
理学部大学院が最も長い歴史をもっているということを今日聞いて、
誇らしく思いました。
理・ 2 ・女 広島大学を総合大学にするにあたってさまざまな学校を
取り込んだ結果、大学内でまとまりが悪く、広島大学としての一体感
をもつことが難しくなってしまったということを講義から学び、何事も多
くのものをまとめることは難しいことなんだなと思いました。大学院があ
るとかないとかでひずみができるなんて、悲しいことだと思います。次
回はそれをどう解決していくかの講義と聞いたので、早く聞きたいと思
いました。また、なぜ市内にあったのに東広島に移ってしまったのか
もすごく気になりました。
理・ 2 ・女 旧制から新制に変わるにあたり、中国地方で大変な運動
があったことに驚きました。 12 歳で進路を決めろと言われたらとても
ではありませんが無理であり、新制になってよかったと正直思いまし
た。現在、広島大学は全国でも有数の大きな総合大学ですが、最初
から成るべくしてこんなに大きな大学になったのではないということに
驚きました。そして、その大きさゆえに、特にキャンパスの分散という
点は大きな問題だと思いました。教養科目などはどのようにしていた
のか気になります。しかし、広島大学が大きな総合大学として成立で
きたのも地域の協力があったからこそのものなのだと感じました。
法・ 2 ・男 僕は、今回の講義では、もともと興味のある事柄だったの
で、いつもいじょうに楽しく聴けました。まず、当時の学校、教育状況
について学び、その後、資料なども交えながら広島大学の成立過程
と、九州工業大学の成立過程を比較しながらの授業でした。この比較
しながらという点がわかりやすくてよかったと思いました。そして、今回
のなかで特に思ったことは、広島大学は、特に地域間のつながりが強
いところなのだなということでした。これからは、そのことも考えながら
生活していきたいです。、
理・ 2 ・女 広島大学を総合大学にするにあたってさまざまな学校を
取り込んだ結果、大学内でまとまりが悪く、広島大学としての一体感
をもつことが難しくなってしまったということを講義から学び、何事も多
くのものをまとめることは難しいことなんだなと思いました。大学院があ
るとかないとかでひずみができるなんて、悲しいことだと思います。次
回はそれをどう解決していくかの講義と聞いたので、早く聞きたいと思
いました。また、なぜ市内にあったのに東広島に移ってしまったのか
もすごく気になりました。
法・ 2 ・男 今回の講義では自分が予想していた話よりももっとスケ
ールが大きくて壮大な話を聞くことができました。広島大学の生い立
ちについては以前の講義でも学んだとおり、原爆を機に平和活動を
展開し、世界に平和の大切さを訴えかけていた広島大学。その広島
大学が今度は新制の国立大学として教育に力を入れ、日本の教育を
担う人材の育成に努めてきたことは今現在の広島大学を見てもわかり
ました。改めて広島大学が日本の教育界に与えている影響の大きさ
を実感しました。
理・ 2 ・女 各都道府県に一つ国立大学が存在することを当たり前
のように考えていたが、それは戦後の占領軍と日本政府、そして地域
の人たちのいろいろな活動があってからこそできたものなのだ思った。
特に地域の人たちが大学設立に関して影響力が大きいということは、
広島大学と九州工業大学の例によって明確だった。何をするにあた
っても、やはり全体を統率するリーダーは重要だが、それを支える人
たちの動きによって達成度はかなり違うんだということをかなり実感さ
せられた。
法・ 4 ・男 新制広島大学の成立史ということで、学校教育法等々の
歴史を振り返るだけの単調な講義かと思って出席していましたが、
様々な視点からの切り口で歴史を振り返っており、大変刺激的かつ
興味をそそる講義内容でした。特に地方大学の重要な要素として、
地域の協力が不可欠との見方は斬新で興味深かったです。その折
の九州工業大学との比較は分かりやすく、説得力のあるものでした。
私も学期末のレポート提出に際しては、本講義のような新しい切り口
というものを意識しながら、クオリティの高いものを提出できればと思
い、また考えました。
理・ 2 ・女 広島大学設置にあたって、広島では地域を巻き込んで
の積極的な運動(署名活動や寄付金)があったのに対し、一方、九州
工業大学の場合は地元と市との間に温度差があるようだった。戦前、
大学を作り帝国大学の仲間入りをしたかった広島にしてみれば、や
はりなんとしても大学を設置し、広島を文化的に栄えた土地にしたか
ったのだろう。そのために、地元住民から寄付を募ったり、政府に訴
えったり、総合大学を設置しようと広島が非常に精力的に走り回って
いたことが窺えた。
理・ 1 ・女 前回の講義で、戦前では一部の限られた人しか大学に
進めず、将来が決められていたのに対し、現在ではほとんどの人が
大学に行き、自分のしたい勉強をできるようになったと学んだ。日本
が敗戦し、アメリカの連合国軍が現在のような大学制度を確立しなけ
れば、小中学校から自分の将来・職業が決まっていたなんて、今の
私にはとても想像がつかない。また、大学設立にあたって、地域の協
力が大きかったと聞いたが、地域の方の復興への思いと団結力の大
きさの表れだと感じた。
理・ 1 ・男 今回は新制広島大学はこうして生まれたということで広島
大学と九州工業大学の比較をされていたのだが、授業を聞き疑問に
浮かぶ点があった。広島大学は地域と協力して運動していった結果
総合大学に九州工業大学は地域と疎遠になり単科大学に、とあった。
まず一点に九州(福岡)にはもうすでに当時にとってはすでに将来的
な総合大学あるので九州工業大学のもとの学校が総合大学になりえ
るはずがないと思った。二つ目にはせっかく同じ地域なので九州大
学の地域密着の歴史も取り上げて欲しかった。聞き逃したのかもしれ
ないが、そこを取り上げないのは、広島大学にはない特性をもった大
学を上げることによって、広島大学の優位性をあげるためのものと感
じた。
理・ 2 ・女 今回の授業は、九州工業大学と事例比較をしながら新
制広島大学がどうできたかということについて学習しました。まず、始
めに成立当時の時代背景について見たのですが、戦後間もない日
本はアメリカ軍の統治下にあったということがわかりました。それを踏
まえたうえで、九州工業大学と比較をしました。今回の授業は、ちょっ
と自分には難しかったのであまり理解できなかったです。ただ疑問点
として、なぜ九州工業大学と比較したのかが分からないといったこと
が残りました。
理・ 2 ・女 マッカーサーによる、アメリカ合衆国など連合国軍の日本
に対する間接統治のしくみが、とても印象に残りました。連合国軍は、
日本の政府に直接指令を出し、日本政府が基本的には政治を行うか
たちにして、日本国民の反感や苛立ちは日本政府に向くように仕組
んでいたときいて、とても卑怯だと思いました。けれども、日本国民の
中には、それに気づいて連合国軍に対して抗議した人もいるときいて、
少し安心しました。そして、広島大学が総合大学になったということで
すが、地域と一体となった運動によって、九工大とは違って、総合大
学になれたというお話をきき、本当に、広島大学は素晴らしいと思い
ました。もっともっと広島大学の歴史について深く学び、広島大学を
好きになることができたら素晴らしいと思います。
理・ 1 ・男 今日の講義は広島大学と九州工業大学の比較により進
められ、分かり易かったです。地域と一体になった運動により総合大
学となった広島大学。地域と疎遠したため、政治的に動く余地が無く
なり単科大学となった九州工業大学。この 2 つの大学の例により、地
域の影響力の大きさを感じました。学生都市と呼ばれている東広島
市の所以が今日の講義で少し分かった気がしました。広島大学の創
立が東広島市に与えた影響は想像以上に大きいものだと感じました。
理・ 2 ・女 広島大学という総合大学ができるまでには多くの市民達
の努力があったことを初めて知りました。地域一体となったからこそで
きたこの広島大学、私は改めて入学できた事を誇りに思います。この
広島大学は原爆で多くの被害を受けた人々の希望であり夢であった
んだと思いました。そんな風にしてできた広島大学だからこそ、私達
は人々に恩返ししていかなくてはいけないと思います。そのためにも、
しっかり学んで今できることを精一杯頑張り、社会の役に立つ人材に
なりたいと思いました。
理・ 2 ・女 自分が東雲バスケットボールサークルというサークルに入
っていて、市内に東雲というキャンパスがあったからという話は聞いて
いたけど、それが教育学部だけのキャンパスだったということを、今日
理・ 2 ・女 広島大学の前身校については、前回までの授業で聞い
ていたため知っていたが、他の大学の前身校については知らなかっ
たため、 8 校もの前身校を持つということが珍しいケースだということを
- 610 -
初めて知った。また、イメージとして、今ある大学のうち歴史があるも
のは、複数の学校が合わさって発足したという考えがあったため、前
身校としてひとつの学校のみを持つケースがあることに驚いた。広島
大学の場合、集まった前身校のそれぞれの特徴を活かした学部が大
半であり、現在も学部の数は多い方であると感じる。一方で、九州工
業大学の場合は前身校がひとつで、「工業大学」という特徴を持って
いるので、やはり前身校がその後の大学に与える影響は大きいと感じ
た。
理・ 2 ・女 広島大学ができるまでにはさまざまな問題があったのだ
ということを知りました。総合大学にするためにたくさんの大学を取り
込んだのに、土地の問題などでそれぞれが分散してまとまらず、広島
大学という共通意識がもてないという問題。大学院があるかないかで
ひずみができてしまうという問題。多くのものをひとつにまとめるという
ことは本当に難しいことなんだと思いました。次の講義で、これらの問
題をどう解決していくのかを早く知りたいです。
理・ 2 ・男 広島大学が設立までという事はまったく無知なところから
だったので、いろいろと感心したりするところや、中国地区のどこに国
立大学をつくるか争っていたなど、かなり勉強になった。自分でも少し
調べてみようかと思います。
理・ 2 ・男 今回の講義内容は、あらかじめ僕が予想していたものと
結構位置していたので、その点ではうれしかった。そのなかで、広島
大学と九州工業大学との比較がなされていた点が非常に興味深かっ
た。広島大学は他大学に比べて、地域との結び付きが強いというの
は、はじめてわかった。その背景に、 8 つもの学校が統合して広島大
学ができたという事実があるのは、たしかにそのとおりだなと思った。
広島大学は、地域と密接に関わりあっている大学だとわかったのは、
非常に勉強になった。
理・ 2 ・男 今回の講義は聞いていてとても興味深いものだったと思
う。広島大学の成立までには様々な運動や地域との連携、政治的要
因が入り組んで現在に至っているのがよくわかった。また現行の大学
制度がアメリカ主導だったことも始めて知った。雑誌等で単科大や地
方大で助成金がかなり減らされていることを知りその中で広島大学は
かなり健闘しており、また地域からの信頼も厚い広島大学で学べるこ
とはとても貴重であると思った。
理・ 2 ・男 九州工業大学との比較で地域と疎遠になることによって
単科大学となってしまうのは予想できますが、総合移転によって学部
間格差ができるのかということについて自分で考えてみたのですが、
なかなか答えが見つかりません。ただ実際に、各学部の建築構造な
ども全く違うことや、学習支援室のサポート体制が違ったりということが
あるように思えます。これも、移転後にできてしまった違いなのでしょう
か。講義とはズレますが、学部間の関わりを深める行事があってもい
いのではないかなと個人的には思いました。
理・ 2 ・男 第 2 回講義「広島大学の源流」で、広島大学の前身校
についての話があったが、その前身校がどのように合併したのかとい
う疑問が残っていた。今回の講義で少しは疑問が晴れたように思えた。
広島大学が総合大学になるために広島県民から多額の募金があっ
たということを初めて知り、広島大学の期待の高さがあったのだろうと
思った。それに比べて、九工大の成立過程をみると少し哀れだと思っ
た。国立大学設置の 11 原則の例外地域で、さらに地域の関心が低
いなんて。と言っても専門的な勉強ができる単科大学を悪くは言えな
いが。総合大学にも「学部間の格差」などの問題があると聞いて驚き
があった。大学院を持っているかでその学部のレベルが決まるなんて、
今の僕にとっては全く関心のないことである。どの学部に入っても、広
島大学に入学したことに変わりないのだから、昔の大学に対する考え
方に納得はできないと思った講義だった。
理・ 2 ・男 「広大はこうして生まれた」というでっかい題目のもと行わ
れた今回の講義は漠然としていまいち分かりづらくなるであろうなと思
っていたが、広大と九州工業大学の比較など様々な工夫がこなされ
ていたので分かりやすく聞くことができた。広大は九工大とは異なり、
地域が一体となってできていることに大きな印象を受けた。今ではどう
なのだろう。西条、東広島と一体になれているのだろうか。今の学生
である僕等が常に意識して地域から孤立することなく、素晴らしい伝
統を引き継がなければと感じた。
理・ 2 ・男 自分の予想どおり、広島大学を造る際に、莫大な費用が
かかっている。この資料にのっている金額は当時の費用であるから、
相当な額になっているであろう。また広島大学が総合大学へと発展し
ていったのには、地域と一体となった運動を行っていたということで発
展していき政治的に動く余地があるとされていて、やはり地域とのコミ
ュニケーションが大事だと思った。今の自分達が広島大学で学び、暮
らしていられるのもその時代の人達の強力や考えがあったからだと思
う。
理・ 2 ・男 実際にこの講義を受けてみて自分は、マッカーサーによ
る日本の民主化により、旧帝国大学の創立はもちろん、この広島大
学の創立に深く関与していると同時に、広島大学は広島大学独自の
創立への歴史を経ているのだなと思いました。実際に広島大学は、
広島高等学校(広島女子高等師範学校、広島師範学校、広島市立
工業専門学校は含まない)といった、高等学校を経て、創立に至った
んだなと感じ、この授業の前に臨んだ課題を克服出来たのだと思い
ます。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学は地域の影響をかなり
受けていて、地方大学の特色がよくあらわれているなと思った。地域
が一体となって総合大学を誘致したおかげで、今のような西日本最
大級の総合大学になったことを思うと、地域との結び付きは互いに理
解しあい、支えあい、発展していくという意味でとても重要な事である
と思った。これからも地域との理解を深めるための活動を奨めて行き、
地域と一体となって大学、そして地域が発展していって欲しいと思っ
た。
理・ 2 ・男 自分は広島大学のことについては、この東広島市に移
動した歴史程度しか知らなかったので今回の講義にはとても期待し
ていた。実際この事実は広島大学の歴史の中では新鮮すぎる内容
であり、今回の講義の内容とは少し離れていた感じがした。しかし、自
分が生まれる前から広島大学は総合大学としてさまざまな変化をして
きたということがよくわかった。個人的な意見として、広島大学は広島
市内とこの東広島市に大きく二つに分かれていて学部間で距離があ
るように感じている。仕方のないことではあるが、できるだけ同じ大学
敷地に全学部が備わっていたほうがいいのではないかと思った。
理・ 2 ・男 今回の講義では広島内のことだけにとどまらず、隣県と
の関わりや、他大学との比較もあって、興味深く講義を聴くことが出来
た。総合大学としての広島大学を、国立大学として創り上げていく広
島の人々の活動はすごく、当時の熱意が伺えた。また戦前の学校教
育制度を知って、数多くの進路があるものの、選べる数はあまりない
状況が、自分だったら決めきれないなと感じた。それに比べて現在の
教育制度では、沢山の進路があり、それを時間をかけて選べるので、
とても充実していると感じた。現在の広島大学は広島市内のないもの
の、広いキャンパスに沢山の学部があり、充実したキャンパスライフや
教育が得られる素晴らしい大学と思います。
理・ 2 ・男 広島大学は地域に支えられてできた学校であると知り驚
きました。広島市が一体となり国立大学にしようとしていたことを知り、
こうして今広島大学があり、私が質の高い教育を受けることができるの
だと考えると広島に感謝しています。しかしあまりに地域の影響を受
けすぎたことにより大学が移転し、キャンパスが分散してしまったとい
う話を聞き驚くとともに残念に思いました。広島市と東広島市にキャン
パスがわかれてしまったために、各学部間の格差に繋がってしまうと
いうのは総合大学の強みが薄れてしまうのではないかと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義は、予想していたとおりの内容でした。広島
大学には、古い歴史があり、いろいろな過程があって設立されたとい
うことを知り、ますます広島大学への関心が大きくなると共に、広島大
学をリスぺクトし、ほこりに思うようになりました。今回の講義の中で、わ
たしが一番興味を抱いたのは、広島大学がいろいろな学校がくっつ
いて設立されたということでした。広島大学がいろいろな分野で、好
成績をあげている理由が分かったような気がしました。
理・ 2 ・男 今回の講義は広島大学と九州工業大学の成立過程を比
較しながら授業を進めていました。そのため、この両大学の違いが明
確になり、とても分かりやすかったのが印象に残りました。特に印象に
残ったのが地域と一体になった広島大学と、地域と疎遠になって政
治的に動く余地のなくなった九州工業大学が総合大学と単科大学に
かわっていったことです。また私の所属する広島大学理学部の前身
が広島文理大学と広島高等師範学校であったことが分かって良かっ
たです。
理・ 2 ・男 広島大学と九州工業大学との比較をすることで新制大学
の成立課程の違いがよくわかった。学校教育法や東京新聞の記事に
よって広島大学は中国地方で唯一の国立大学になるために地域と
一体となって運動をしていたが、総合大学を目指していく課程で 5 校
から 8 校に変わっていったことをはじめて知った。また、九州工業大
学も総合大学を目指すも地域の運動がそこまで盛り上がらず単科大
学のままでもいいという形に落ち着いたことにすこし驚いてしまった。
理・ 2 ・男 広島大学の成立はとても恵まれた環境だったと思いまし
た。建設促進委員会などが成立し、県知事の県をあげての協力など
地域一体となっていました。よって、たくさんの大学、高等学校が集ま
りより専門的な大学に成れたのだと思います。それに比べて、九州工
業大学は地域との連携がうまくとれず、支援がなかったので学校の統
合がうまくいきませんでした。民間の運動や支援はその地域で活動
する上でとても大切なものだと思いました。広島大学は大学ができる
ことで将来広島県が文化的に栄えるというメリットを地域にあたえ、地
域はそれをサポートするというような連携がうまくいったのだと思いまし
た。
理・ 2 ・男 新制の広島大学の成立過程にはさまざまな問題があっ
たと思いました。当時の時代状況は戦前まもなくで、日本は制度改革
をしていて、その中において、学校教育法の成立をすすめていって
いました。その法に基づき新制広島大学の事業計画をしていきました。
このとき私が興味をもったものは、新制広島大学を成立する際の総事
業費でした。最初は莫大なお金はどこから来るのか気になりました。
- 611 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
そして、財源の多くは一般県民の募金によるものだと知ったとき、とて
も意外でした。新制広島大学は国と県がお金を出し合ってつくったの
だけではなく、みんなでつくった大学なのだと思えました。
理・ 2 ・男 前回まで旧広島大学、平和について学んできたが今回
はその内容をふまえた新制広島大学についてのものだった。戦後に
9 つの学校が組み合わさって成り立っていることは知っていたが、創
立が昭和 24 年と原爆が落とされてからわずか 4 年で設立されたこと
に驚いた。また、旧広島大学から受け継いだ教育分野を生かし、さら
に発展した教育体制を追求していることがわかり、この大学でもっと教
育について学びたいと思うようになった。いよいよ新制広島大学の講
義内容に入ってきたので楽しみだ。
理・ 2 ・男 新制広島大学について、まず九州工業大学と比較して、
広島大学は地域と一体となった総合大学であるのに対し、九工大は
地域と疎遠な関係から単科大学となっているという違いを知り、驚い
た。自分が気づいた点では、どの大学もキャンパスの分散というもの
があるが、決まってそれは医・歯・薬系となっていることである。それに
よって他の学部との格差が見られるのではないかと思いました。講義
の内容として、自分たちの馴染みのある話となってきたので、これから
の講義がとても楽しみです。
理・ 2 ・男 二つの大学設立の理由について比較していったことで
授業に集中できました。一新聞記者の意見がこんなに世の中を変え
ることには驚きました。わが県に総合大学を、と県民による誘致運動
が盛んに繰り広げられたことを知り、いま当たり前のように通っている
広島大学はかつては県民の大きな夢だったんだな、と少し感動しまし
た。九州工業大学の生い立ちと比べますと、いかに地域との関係、協
力が大切かがわかりました。たとえ大学側に相当の余裕があっても、
資料 5 にあるように、地元の協力がなければ広大のような立派な大
学ができないんだなと感じました。広大と市民とは切っても切れない
関係なんですね。
理・ 2 ・男 今回の講義は広島大学と九州工業大学の比較であった
が、九州工業大学が元々一校からなる単価大学であるのに対し、広
島大学は 8 校からなる総合大学である事がわかった。この背景として
九州工業大学は地域と疎遠であったのに対し、広島大学は地域と一
体になった運動をしたという違いがあるのだと思う。また、広島大学は
昭和 24 年に設置を認可されたりと自分の親もまだ生まれていない戦
争の時代にできた事にものすごい感銘を受けた。授業での募金のポ
スターなどもものすごい印象に残った。
理・ 2 ・男 広島大学が総合大学になったのに対し、九州工業大学
が単科大学になったのは、地域との関係の違いからだということがわ
かりました。これは政治などにも言えると思いますが、何か大きなこと
を起こすには周囲の人との協力やそのための努力が必要だと感じま
した。新制広島大学は学部によって校舎が離れていて、それぞれが
違う学校のようになり、一つの大学として一体感がとれないように感じ、
どうしてこのようにしたのか疑問に感じました。また、これからは一つの
学部や大学にとどまるのではなく、地域とのつながりや他の学校との
関係を深いものとし、海外の大学とも交流しながら発展していく必要
があると思いました。
理・ 2 ・男 大学を設立することにこれほど地元の態度が違うことに
驚きました。地元の温度差も学校側の努力次第なんだなとも感じまし
た。広島の場合は誤報とはいえ市民と学校が一体となって学校設立
に向かう姿勢がすごく出ていて地元の熱意が大学を作ったんだという
感じがしました。九州の場合は、すごく地元の反応がさみしいように思
いました。寄付金が 3000 円というのは、学校側の努力不足もあった
んだと思います。学校が資料にあるように余裕を持たせていたら市民
の気持ちもさめると思います。地元との協力の大切さを学びました。
理・ 2 ・男 今回の講義では、九州工業大学との比較から始まり、戦
争後の広島大学の設立についての歴史についてであり、初めて知る
ようなこともあった。広島大学設立に、 SCAP が関係していることにび
っくりした。広島大学は九州工業大学との違いは、総合大学か、単科
大学かであることが分かった。広島大学は大きな大学であるため、
様々な誘致問題が昔あったということは初めて知った。
理・ 2 ・男 授業を受けるまでは国立大学の設立は国の決定で強制
的に決まるものかと思っていました。だから今日の授業はとても新鮮
な気持ちがしました。広島での猛烈な誘致は、市民の総合大学設立
に対する熱意がすごく伝わってきて今何気なく通っている大学は、か
つての市民の大きな目標だったんだなと思って、こんな大学に通える
ことをうれしく思いました。総合大学の設立は決して受身ではいい形
にはできないし、市民、学校が積極的に取り組まないといけないんだ
なと思いました。地元の大切さをこの授業で学びました。
理・ 2 ・男 九州工業大学と広島大学を比較することによって大学が
できるまでの過程や地元のひとたちの協力しようという体制をしること
ができた、また地元と大学側との連携をすごく大切にする必要がある
のではないかということを改めて考えさせらあれた。地元の人たちが
いろいろな思いを込めて積極的にとりくんだすえできたこの広島大学
に通うことができてよくよく考えてみればすごく光栄なことではないか
と思うことができた。やはりさまざまな過去の事情をしることで広島大
学の印象が変わってくるなと思った
理・ 2 ・男 他大学である九州工業大学をだして授業をするとはおも
わなかった。おかげで今までの講義の中で一番理解できたとおもう。
前回までの講義は広島大学単体の話のような気がしたが、今回は他
の地域が総合大学をつくる前に広島につくろうなどの単体だけの話
でなくなった。そこから、時代の流れや他の地域との争いのようなもの
を感じることができた。それに関して、いろいろな人々が努力し、完成
することができたことに心に響くものがあった。
理・ 2 ・男 総合大学誘致をめぐって、広島の福山で激しい誘致運
動があったことに驚きました。誘致運動には当時の学生も加わってい
てみんなの力で大学ができたのだな、と思いました。当時の知事挨拶
にみられるように広島県に大学をつくることはとても大きな事業だった
んだな、と思いました。そして、そうやってできた大学で今学んでいる
んだ、と思いました。九州工業大学は中心となった明専が昇格をでき
るものだ、という思いでやっていたから達成できなかったということが
わかりました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、いかに新制の広島大学ができるま
での過程が大変なものだったかを思い知りました。講義のプリントの
史料より、広島大学創設に向けて、広島県が猛烈に誘致活動を行っ
ていたことがわかりました。また九州工業大学との比較により、広島大
学が地域と一体となった誘致運動によって、総合大学となることがで
きたと理解しました。大学というのは地域の支援が必要不可欠だと感
じました。これから広島大学はより地域の人たちと交流を深める必要
があると感じました。
理・ 2 ・男 今回の講義で一番関心を持ったのは、広島の威信をか
けた大学設置運動や地域の協力に関してでした。特に、周囲の協力
の違いによる大学設置の違いが、九工大との比較によってよくわかり
ました。また、広大の中でも御三家といったように、格差や差別があっ
たというのには驚かされました。教育学部の前身校が西の教育の総
本山というのは習っていてレベルが高いのは納得できたけれど、文理
大からの文学部と、理学部の教授のレベルが高いというのは知りませ
んでした。総合大学として、そしてその成立への地域の協力を知って、
広大生としてちゃんと自覚を持たないといけないと思いました。
理・ 2 ・男 広大と九工大との比較から地域との関係の大切さについ
てとても考えさせられました。広島における熱心な学校誘致運動と入
念な大学設置計画、あの手この手の寄付活動によって、いま僕が通
っている広島大学は設立されたということにすごく感銘を受けました。
地元の協力なしには広大のような総合大学はできないんですね。九
工大の話では、学校側と地域との距離に驚きました。一般からの寄付
金が 3000 円というのはひどいと思いました。これは学校側の姿勢に
も問題があったのではないかと思います。学校、地域の連携の大切さ
を学びました。
理・ 2 ・男 広島大学は昔からあるものだと思っていたので、旧帝国
大学のあとに四国、中国、北陸ブロックに各大学 1 校ずつ創るという
取組みのもとで創られたと思っていなかったのでビックリしました。広
島大学ができるときの構想にある学部で女子部があるのにもビックリし
たし、一体何を勉強する学部なのかかなり不思議でした。今回の授
業で、広島大学がどのようにしてできたか知れてよかったし、九州工
業大学とは違って、地域の人々の運動のおかげで出来た大学とわか
ってよかった。
理・ 2 ・男 戦後、アメリカに占領されてから、学校教育法が成立し、
六・三・三・四制が成立し、義務教育 9 年制がかくりつし、旧制の高
等教育機関から新制大学になり、皆が平等に学問に専念できる時間
ができた。そのことによって、自分も勉強する機会があたえられ、いま
こうして、この誇り高き総合大学の一つである、広島大学の一員にな
れた。広島大学と九州工業大学の成り立ちの違いも興味深く、単科
大学と、総合大学の違いもよくわかった。
理・ 2 ・男 各地方に大学を創設するという取組みによって、旧帝大
の後にできたということを知りませんでした。昔からあるものだと思って
いたのでとても驚きました。また、それも地域の人々の運動によってで
きたというのにも驚いた。たくさんの前身校がある理由もわかった。し
かしながら、市街地にあった大学が、西条に移転した理由わからなか
った。
理・ 4 ・男 まず、国立大学の設置には 11 の原則があったということ
について驚いた。また、広島大学は 8 つの学校が統合されて、今の
広島大学があるということも初めて知った。今日の講義では、最後の
方に九州工業大学と広島大学の比較がされていたが、その点からみ
ると、広島大学は、九州工業大学と比べると、地域社会と一体になっ
て作られており、その結果、大きな総合大学へと成長していけたのだ
なと感じた。これからも地域社会となるべく密着していくことが重要な
のではないかと思った。
理・ 4 ・男 自分が予想していた講義内容とは違い、政治的な背景
などを詳しく紹介された講義であった。大学の設立がこれほどにも社
会に影響のあることだとは思っていなかったので、驚いた。九州工業
大学との比較で、地域とのつながりが強かったからこそ広大は総合大
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学となりえたという話から、地域とのつながりは考えている以上に重要
なものだと感じた。広島大学は広大に通う広大生だけのものではなく、
地域社会に貢献すべき義務があるのではないのかということを、今回
の講義を聞き、広大設立の歴史を知ることで、深く考えさせられた。
理・ 4 ・男 予想通り新制広島大学のできる過程を説明する内容だ
った。そして、九州工業大学との比較により説明されたのは、わかりや
すかった。話を聞いてみると、広島大学と九州大学とで異なる点は、
広島大学は地域と一体になった運動により総合大学になったのに対
し、九州工業大学は地域と疎遠で、政治的に動く余地が無く単科大
学になったことだった。今日の授業により、もっと広島大学に対する知
識を深めていきたい。
理・ 4 ・男 大学の成り立ちには、とても複雑な歴史があると感じまし
た。僕は、大学というものは、単に国が教育制度の充実を図るために
設立したものだと考えていました。しかし、 1 つの大学を設立するの
には様々な過程があるのだと知り、大学のありがたみを感じました。ま
た、広島大学の様な総合大学も国が最初から作ったものだと思って
いたので、地域と一体となった事によって総合大学と成り得たことにも
驚きました。自分の通っている大学が非常に歴史深いものだと知り、
とても誇りに感じました。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第5回】
広島大学の入試と学生たち
(講師:小宮山 道夫)
医・ 1 ・男 広島大学の入試の歴史を学んで、広島大学の入試問題
が定番問題が多く難問が少ないことの理由や背景が見えた。また広
島大学の学生の半数近くが中国地方出身であることにも驚いた。昔
の一期、二期に分かれていた時代のこともこの講義で知ることができ、
今と昔の入試制度の違いやそれぞれのメリットデメリットもよく理解でき
た。とても有意義な時間だった。
医・ 1 ・男 広島大学の入試と学生について学んで、まず中国地方
出身の生徒数が 50 %というのに驚きました。それとともに東京大学
がほとんど東京もしくは関東というのを聞いてまったく違う話ではあり
ますが、所得のレベルで進学先というのは大きく変わっていくのだな
と感じました。また広島大学の入試問題については自分が受験する
際にも基本的な問題が多いなと感じていましたが、その背景に広島
高等師範学校の入試のなごりがあるのだと初めて知りました。
医・ 1 ・男 今の入試制度と昔の入試制度とはことなっているのは知
っていたけど、その隔たりについて詳しく知ることができてよかった。ま
た、広島大学の入試問題には難問が含まれておらず、良問が多いと
いうことの背景や理由について知ることができた。広島大学の学生の
約 50 パーセントが中国地方の出身者であるというと割合には驚かさ
れると同時に、四国出身の自分にとっては、四国出身者とあう機会が
少ないことに少し納得した。最後に昔の広島大学の入試問題もつい
ていたので、時間があるときに挑戦してみようと思った。
医・ 1 ・男 まず、広島大学には全国各地から学生が来ていることに
今さらながら驚きました。また、戦後の教育制度の変遷について学べ
たこともよかったです。一部の大学が難問、奇問を入試に出題する中
で、広島大学は一貫して基本的な、本質的理解ができているかどうか
を試すような問題を出題していることから、広島大学が堅実な学力を
備えた人物を着実に選抜しようとしていることがわかりました。
医・ 1 ・男 まず入学者の出身都道府県を見て他の大学では所在地
方の出身者が多い傾向にあるが、広島大学では比較すると隣接する
近畿地方や九州地方などからをはじめ、全国的にまんべんなく入学
しているということがわかり、その広域的な知名度には驚いた。また、
資料の蛍雪時代はまず昭和 25 という戦後間もないころから発行され
ていて、そして当時から広島大学の試験問題が基本を重視していて、
それを今日まで維持しているということはさらに驚くべきことであった。
教育・ 1 ・女 高校時代に、広大の入試問題について、どの先生方
も「意地悪なひねりのない基礎を生かした良い問題だ」と言っていた
のを思い出しました。今回の講義で、広大の入試問題の意図として"
堅実な学力を備えた人物を着実に選抜する"という意味があったのだ
と思いました。また、現在様々な入試形式がありますが、これからの課
題として、個人の能力に応じた教育課程を確立するという課題がある
ことを学びました。入学前の選抜方式だけではなく、入学後の教育課
程についても、もっと幅広い視野を持って考えていかないといけない
なと思いました。
教育・ 2 ・女 広島大学は主に西日本を中心に、全国から学生が集
まっています。これは広島大学が総合大学であるからだと、私は思っ
ていました。しかし名古屋大学を見る限りでは決してそうではなく、広
島高等師範学校の入試制度の影響が今日にも残っているのだとわ
かりました。入試制度がここまで大きな影響を与えるとは思ってもみず、
歴史というのはただの年表ではなく大きな意味を持つのだと実感させ
られました。私は中国地方出身なので、教育学部なら広大というイメ
ージが地域的に強く根付いています。そういう意味でも大学の歴史や、
それにより培われたイメージというのは大切で、このことについて興味
深く感じました。
教育・ 2 ・女 大学の入試制度そのものの変容、そして広島大学の
入試がどのような歴史をたどってきたかがわかった。歴史だけではな
く、史料として用意された昔の入試問題と今の入試問題を比較してみ
ると面白いと思った。流し読みしてみたが、やはり私たちが受けたもの
と違うところがある。どうしてこのように変化したのか、というところを考
えてみたいと思った。いったん潜り抜けてしまえばよい、というのが今
の入試だと私は思う。今入試問題を解けと言われたら、私は一年前の
ように解くことはできないだろう。学力低下が叫ばれているが、こういっ
たところにも原因があるのではないかと考える。
教育・ 2 ・女 広島大学の入試は、堅実な学力うを備えた人物を選
抜するとしているが、初期の入試問題を見ても、本当に基礎・基本と
なる問題も多くあり、入試で求める人物像は以前から変わりはないの
かなと思った。また、試験の形式が多様なことで、授業のレベルも確
立することが困難なのでは、と思った。
教育・ 2 ・女 大学の入学試験は、大学などで学ぶ人が少なかった
以前より多くの人が大学まで進学するようになった近年とでだいぶ違
ってきているのだと思った。また、筆記試験だけでははかれない生徒
の力も視野に入れた推薦入試や AO 入試などの方法も取り入れてき
ていて、その時代の考え方がかなり反映されて移り変わっているのだ
と思った。自分も経験した入試についての講義でおもしろかった。
教育・ 2 ・女 センター試験の前は共通一次というものであったという
のは知っていた。マークシートでないから大変だったろうにと思った。
一期校・二期校という名称は聞いたことがあったものの、どういう意味
のものか知らなかったため、試験期間を分けるためのものと知り驚い
た。また、学力とは何であるかを考えさせられる授業であった。入学試
験はあってしかるべきであると思うが、学力があったとしてもやる気が
ない人がいては周りのモチベーションが下がるし、逆にやる気があっ
たとしても学力が対応していなければ本人のモチベーションが下がっ
たり知識が追いつかなかったりで大変だと思う。学力というものがいま
いち分からないため、これから卒業まで、そして就職してからもしっか
り考えていきたいものである。
教育・ 2 ・女 今回講義を受けてみて、まず「試験」の歴史が予想以
上に長いことに驚きました。今日では世界の多くの国で試験が行わ
れていますが、それぞれ試験の形態は多種多様だと思います。日本
では、一般入試とは別に推薦入試を実施していましたが、今日では
推薦枠の縮小の動きがあり、それは広島大学も例外ではありません。
そのため、 AO 入試で合格した私は、一般入試の学生に対して少し
劣等感を抱いていました。しかし、今回の講義を受けて少し安心しま
した。これからも学ぶことに対する意欲・関心を忘れずに学生生活を
過ごしていきたいと思います。また、私は広島出身ですが自分の意思
で広大への進学を決めたと考えていました。しかし、よく考えてみると
母校に広大出身の先生は半数近くを占めており、今考えると少なか
らず影響を受けていたのかなと思います。ただ、実際に広島大学に
来てみて、私の想像以上に広範囲から学生が集まっていることは驚
きでした。でも全国から人が集まるということは、それだけ価値のある
大学であるということではないかと思います。これからも、日本全国か
ら人が集まる大学でありたいと改めて思いました。
教育・ 2 ・女 私は今回の講義で初めて大学に入学するため試験が
法令では規定されていないことをしった。より良い人材を得るために
入試を行うのはわかるが、「入学者の選抜のために高等学校の教育
を乱すことのないよう配慮するものとする。」という入試制度の基本原
則は守られていないと思った。一番目立つのが史料六にもあった履
修漏れだ、私はその履修漏れが発覚して教育方針が変わったあとの
学生だったが、高校のとき歴史の先生が、昔はこの時間も受験勉強
に当てていたのに時間がないといっていた。さらに高校に入ったとき
にまず高校は受験のためにあるようなものだといわれた。このことから
大学入試はおもいきり高等教育に影響を与えていると思った。
教育・ 2 ・女 入試の内容だけでなく、入試制度の起源や流れ、原
則、他大学との違いなどたくさんのことを知ることができて、とても為に
なりました。昔と今の違いを比較することも大変おもしろいと思いまし
た。大学入試の歴史などについて学ぶことによって、自分が所属する
広島大学についてより深く知ることができ、また知識も身につけること
ができたので嬉しく思います。大学の歴史を学んでいくと、この広島
大学が多くの人たちの努力によってできあがってきたのだということを
改めて実感することができます。感謝するとともに、これからも更に広
島大学にて多くのことを学んでいきたいと思いました。
教育・ 2 ・女 私は一般入試で広島大学を受験したが、一般入試以
外にも推薦入試や AO 入試があり、どの入試制度で受験しようか迷
いました。小論文と面接が苦手だったので最終的に一般入試で受験
することに決めました。 AO 入試や推薦入試は何を評価して合格判
定を行うのかとても興味を持ちました。また、推薦入試制度は最近で
- 613 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
きた制度だと思っていたが、私が思っていたより以前からあったので
驚きました。一般入試制度は学力が測れる大事な入試制度だと思う
が、大学が入学してほしい生徒は学力以外の面を見ないとわからな
いと思いました。
教育・ 2 ・女 広島高等師範学校が選抜試験が主流の時代に推薦
制を導入したということを初めて知ったのでとても疑問に思ったが東
京高等師範学校に対抗し、優秀な人材を集めるためだったという説
明を聞いてとても納得した。明治から大学に優秀な人材を集めるため
の工夫がされていたことにとても驚いた。大学が工夫を凝らして人材
を集めるのは昔も今も同じなんだなと知りとても興味深かった。また、
広島大学の 2 次試験が比較的他の大学よりも簡単なことは自分の経
験上知っていたが、その目的が堅実な学力を備えた人物を着実に選
抜しようとしているということは知らなかったので、簡単な問題にも意
味があるんだなと納得した。
教育・ 2 ・女 今回の講義内容は、今まで入学試験に関わってきたと
いうこともあり、興味深いものが多かったです。かつて、旧制大学は原
則として、旧制高等学校の卒業者等を無試験で入学させていたとい
うことを今日初めて知って、衝撃を受けました。私は、大学が設けられ
た当初から、大学入試制度が導入されていたものだと思っていました。
しかし、無試験制は試験を受けなくても進学できるというメリットを持つ
とともに、志望校を選択できないというデメリットを持つことに気付きま
した。
教育・ 2 ・女 私も広島大学に入学するにあたってセンター試験を受
け、広島大学の二次試験を受けて入学できたけど大学入試自体に
ついて考えたのは始めてでした。試験制度自体の起源は私が思って
いたよりずっと昔のことで少し驚きました。ただ、センター試験の導入
においては想像していたよりかなり最近のことだったのでそれについ
ても驚きました。私達が現在、大学に入学するためには当り前のよう
に考えていた入試制度が様々な意見によって改革されてきたことが
分かってとても良かったです。私が受験生だったときに大学によって
一次試験と二次試験の割合がかなり異なることを少し疑問に思って
いたので、この講義を機会にそのことについても自分でも調べてみた
いと思います。
教育・ 2 ・女 私は、広島大学に入学した当初、中国地方出身の人
がほとんどだろうと思っていた。しかし、知り合った人は、四国や九州、
沖縄、一番遠くて山形の人まで、幅広い地域から来ていた。このこと
には多少疑問を抱いていたが、広島大学の前身校である広島高等
師範学校の入試制度の特徴が表れたものであると聞き、納得した。
現代では、様々な入試制度が利用され、生徒一人ひとりにあった方
法で試験に臨み、大学に入ることが出来る。しかし、今回講義で聞い
たように教育課程はどの方法で入った人も同じであるため、入試の多
様化は入るためだけになってしまう。改善される必要があると感じた。
教育・ 2 ・女 共通一次試験に対する批判があったことに驚きました。
私は「マークシート方式で楽をしている。」や「受験生を画一化してい
る。」とは思わなかったからです。それこそ、現在の AO 入試のほうが
きれいごとを並べているだけのように思えます。一般入試が偏差値し
か見ていないというならば、 AO 入試は一科目だけの知識しか見て
いません。専門科目だけでなく一般教養も大事というのならば、一点
のみを好んできた AO 入試組よりも、いろいろなことにしっかりと取り
組んできた一般組のほうが評価されるべきですよね。などと考えまし
た。現在は推薦も一般もそう変わらないというのには同意です。
教育・ 2 ・女 今回の講義の中で一番印象に残っているのは、国立
大学の入試が、第一期・第二期というように 2 回に分けられて実施さ
れていたということです。これについては初耳でした。この制度で入
試を行うと、第一期に入試を実施する大学が本命となり、第二期に入
試を実施する大学の価値が下がってしまうという話を聞いて、とても納
得したとともに、当初広島大学も第二期に入試を実施していたと知っ
て、少しショックでした。入試制度にも様々な歴史があることを知ること
ができ、とても興味深い講義でした。
教育・ 2 ・女 改めて入試の大切さを実感しました。大学の中身は生
徒によって規定され、その生徒を規定するのは入試であるのだと感じ
ました。また、ライバル校があるというのは、良い方向に向かえば自身
にも良い影響が生まれてくるのだなあと思いました。自分の入試時の
ことを思い出し、あの背景にはこのようなことが考えられていたのだと
気付きました。結論にもあるとおり、大学独自の学力観を問うことので
きる試験を行うことが大切だと感じました。入試はいつの時代も議論さ
れ、たくさんの受験生の今後を決めるものだけど、その分たくさんの
改良点が含まれているのだと思います。
教育・ 2 ・女 今回の授業を受けて、一番気になったのは、広島大
学前身校である広島高等師範学校の入試で、推薦制が実施されて
いたことでした。確かに、東京師範学校に行きたがるとは思いますが、
推薦制の適用により、学力の差が大きく出ることはなかったのかと思
いました。また、現在の入試において、 AO や一般入試があるのに授
業がすべて一緒ということを指摘され、確かに少し変だと思いました。
入試の方法が違うにも関わらず、その違いがどこにも現れないのは、
何のための入試の違いか分からないので、どこかでその違いが現れ
るべきだと思いました。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、まず出身地域の統計が心に残
っています。私は四国出身で入学するまでは四国の人が多いのかと
思っていたけれど、思ったほど多くなくてびっくりしたことを思い出しま
した。センター試験は実際に受けてみて、やっぱり記述の試験とは少
し違うし、正しい能力を公平に図れているのかと考えればやはり疑問
に思います。センターではすごくいい点がとれていても、記述は苦手
という人の話はよく聞きます。実際私もそうでした。 AO 試験は、確か
に学力以外の能力を見るという点ではいいと思うけれど、結局みんな
同じように授業を受けるのであまり意味がないのではないかという気も
します。
教育・ 2 ・女 広島大学の大部分の学生は広島県出身だと思ってい
たけれど、広島県以外の出身者を合計すると広島出身者を大きく上
回っていたことに驚いた。よく考えてみれば当たり前のような気もする
けど、広島大学なだけに先入観を持ってしまっていた。当時では推
薦入学者と一般入学者の学力はほぼ変わらないどころか推薦入学
者のほうが成績が良いが、現在は絶対に一般入学者のほうが成績が
良いだろうと思う。私は AO 入試で入学したのでなんとなく自分で分
かる。昔の入試問題の数学を解こうと試みたが、もともと数学が嫌いな
上に最近は全くやっていないので全くわからず、それなりにショックだ
った。あれが教科書レベルの問題だなんて信じられない。
教育・ 2 ・女 わたしは、 AO 入試で広島大学に入りました。バレー
ボールを 3 年間頑張り、いい成績を残せたのでここにいます。勉強で
入ろうと思っても入れないとこに来たと自分でも自覚しています。しか
し AO 入試があるおかげで、わたしはここで勉強をさせてもらってい
ます。この講義を聞いた時もすごく感謝し、このことを知ることで頑張
ろうと思えました。また大学という狭い世界にいろいろな人がいること
で刺激を受け、よりよい人間を作っていけるのではないかと思います。
教育・ 2 ・女 最初のほうに提示された各大学の学生の出身地域の
グラフがとても面白かったです。北海道大学や名古屋大学などを見る
と地元志向が顕著に現れていて、各大学の学生の出身地の構成な
んてあまり考えたことは無かったのですが、はっきりした差があること
に驚きました。私は教育学部の者なのですが、専門の授業で習った
こともあわせて考えるとセンター試験などのマーク方式の選抜の仕方
は決して悪だとは思いません。一発勝負で本当に実力が測れるのか
という疑問もあるとは思いますが、それだけで大学入試が終わるわけ
ではないしメリットもたくさんあると思います。私は広島大学の受験を
本気で考えたのは前期試験で受けた大学に落ちた後なのですが後
悔はしていません。何だかんだいっても今は広大生なので広大生を
全うしたいです。
教育・ 2 ・女 広島大学は地元から来ている人がほかの大学に比べ
て少ないということが興味深かった。比較対象に選ばれた名古屋大
学は自分の地元の国立大学なのでわかりやすいものだった。確かに
名古屋大学を目指している友人はたくさんいた。ただ単に実家から
通えるからということだけではなく、名古屋大学自体に行きたい望ん
でいる人が多かったような気がする。名古屋大学は地元ではかなり崇
拝されており、名古屋はつくづく地元志向が強いと当時私は感じてい
た。しかし、それはどこの都道府県でも変わらないのかもしれない。以
前、広大に通っていることを広島の地元の人に話したところすごいと
感嘆された。どこの県でも国立大学は優遇された反応を示されるもの
なのだろう。しかし、私は広大に魅力があるからこそ遠い県から入学
する者が多いのだと思う。自分は教育学部だが、充実したカリキュラ
ムに満足している。広大の魅力を実感した講義だった。
教育・ 2 ・女 広島大学の前身校である広島高等師範学校の入試
において、推薦制を実施していたことは、東京などと対抗するためだ
ということで、いい方法だったのだろうなと思った。各県の定員が少な
いから、広い地域から優秀な人材だけを集めることができただろうし、
そういう学校だからまた自然と競争率も上がったのではないかと思う。
わたしたちは、自分が受けた時の入試制度くらいしか知らないし、そ
れほど違うものではないと思っていたけど、今の入試制度も多くの変
化の中での結果なのだということ、そして、これからも大学の求めるも
のに合わせて変化していくものなのだと分かった。
教育・ 2 ・女 今まで入試の歴史については全く考えた事が無く、今
回の講義はとても興味深く感じました。私は AO 入試で広島大学に
入りましたが、今回の講義で様々な過程を経て現在の入試形態にな
ったと言う事を知ることが出来ました。旧制大学が無試験で入学させ
ていた事もあったと言う事には少し驚きましたが、入試にも様々な戦
略があり、それによって人々の広島大学に対する意識などを少しず
つ変化させることをも想定しているということが一番の驚きでした。こう
した戦略により、他の地方大学に比べ様々な地域から学生を集めら
れるような体制になっているのだと知り、入試制度も簡単に決められ
ているわけではないと言う事が分かりました。
教育・ 2 ・女 試験からみる広島大学の特徴や歴史がよく分かった。
広島大学には広島県、近県に住む人が通う率が、名古屋大学に比
べて少なかった。これを私は喜ばしいことだと思った。なぜならば、私
は広島県の出身で、他県の文化や人と関わることがあまりなかったか
らだ。だが、広島大学に通うようになり、さまざまな県の人と知り合いに
なることができた。学生の出身地域から見る大学の特徴を見ると 9 校
- 614 -
の中では真ん中くらいである。その割合は私が所属するコースでもそ
の割合は同じくらいであると思った。推薦入試者と一般入試者の学校
に入ってからの専門授業の成績はあまり変わらないというデータを聞
いて安心した。少し古いデータだったので、今は全てにおいてそうだ
とはいえないが、私も AO 入試だったので、一般入試の人との学力
の差はひしひしと感じていた。しかし、専門の授業になると全くそんな
ことは無く、 AO 入試者も対等、それ以上に頑張っている。これかれ
も自分のできる範囲で頑張っていこうと思えました。
どセンター試験の勉強ばかりしていました。そのため、個別試験対策
を意識した勉強はセンター試験が終わってから初めて本格的に始め
ました。にもかかわらず、センター試験が終わってから個別試験まで
のわずか 1 か月で第 5 類に合格できる力がついたのは、個別試験
がセンター試験と同じくらい基礎学力を重視している構成だったから
だと改めて実感しました。その構造の源流が、実は前身校にあったと
いうことを今日の講義を聞いて知り、今自分がここにいるのも、当時の
試験制度を整えた人たちのおかげなのかな、と思いました。
教育・ 2 ・女 授業の一番はじめに画面に『あなたたちはどのようにし
て、今、ここにいるか』とでたときから、すごく興味をそそられました。広
島大学は、私の地元の徳島からすると、すごく有名で、受かったと報
告するとみんなすごいね!!といってくれました。大学にはいると、九
州出身のこや、関西、北海道のこもいて、全国的にも有名なんだなと
嬉しく思いました。入試は大変でしたが、全国からたくさん人がきてい
て、楽しかったです。入試制度がはじまる前は、前回の講義でも教わ
ったとおり、旧制高等学校の卒業生は無試験ではいれていたときい
て今との違いに驚かされました。
教育・ 2 ・男 旧制大学は原則として旧制高等学校の卒業者を無試
験で入学させるが、入学志願者の多い大学や学部等においては入
学試験の実施が次第に常識化してと聞いて、このあたりから徐々に
入試制度が変わってきたんだなと思った。広島高等師範学校は選抜
試験が主流の時代に、推薦制度を導入した理由は人材を集めるため
だったので、うまく制度を導入したなと考えた。今の広島大学は堅実
な学力を備えた人を着実に選抜しようとしているということがとても興
味深かった。
教育・ 2 ・女 広島大学の入試制度を振り返ってみて、いろいろと変
化してきていることを知った。前身校の時代には、その時代には珍し
い推薦制を実施して、人材を集めていたことがわかった。現在は、 A
O 入試などもあり、入試制度がややこしく、私は正直あまり詳しく知ら
ないまま、一般入試で受験した。私の友達にも AO 入試で入学した
子はいるが、同じコースに入れば、どの方式で受かっても同じ教育課
程で卒業する。そう考えると、せっかく自己を存分に表現して認めら
れて合格したのに、あまりそれがいかされていないようにも思う。その
問題は講義でも言われていたが、個人に合わせた教育課程があると
おもしろいと思った。私は、最初から広島大学に行きたいと思ってい
たので満足で、今も入ってよかったと思っている。また、私の周りで、
第一志望は違う大学だった人も、広大に来てよかったと言っている人
が多い。他県出身の人も多く、いろんな出会いができて幸せに感じて
いる。
教育・ 2 ・女 今回のテーマは、入試制度ということで、私自身も広
島大学の入試を受けて大学に入学することができたので、興味深い
ものでした。一番講義のなかで印象に残ったのは、当時では少数派
だった推薦制を導入していたということです。現在は、やはり広島出
身の学生の方が多いと思いますが、推薦制であった頃は均等に全国
から入学してきていたので、今よりも更に色々な地域出身の学生がい
て、楽しかっただろうなと思いました。あと、 AO 入試は、最近始まっ
た入試制度であるということを知り、意外であった。広大では、現在 A
O 入試に加えて、社会人、帰国子女選抜、フェニックス選抜など、
様々な入試制度があり、年齢も国籍も多様な学生が在籍しているの
で、学生同士で交流を深めることによっても、良い経験ができると思う。
教育・ 2 ・女 もともと実家がある都道府県の大学に通っている学生
が多い大学は、田舎というか地方の大学が多いと思ってました。しか
し、私の予想とは反する結果だったので「なんでだろう?」と、初めの
導入のところでとても今回の講義に興味がわきました。大学の欲して
いる人材を選抜するためにこれからの入試は筆記試験だけでなく面
接などを取り入れる大学が多くなるのかなと思いました。これから入試
の形態がどう変わっていくのかとても楽しみです。
教育・ 2 ・女 今回の講義を聞いて広島大学は中国地方内だけでな
く遠いところは北海道や関東などから多くの学生が来ていることを知り
ました。それだけに広島大学のはとてもおおきな魅力があるのだと感
じました。わたしは広島県出身で広島大学に来て、中国地方だけで
なく関西、関東、九州など様々な地方の学生と交流することが出来て、
視野が広がってきたように感じます。
教育・ 2 ・男 今も昔も広島大学の入試は基礎的な学力が備わって
いるかを問う問題が多く、「堅実な学力を備えた人物を着実に選抜し
ようとしている」というところは入試問題をといていた高校生のころを思
い出してみると納得できました。また、広島大学の入試だけではなく
大学入試全体においていえることですが、現在の制度にはさまざまな
問題があると思います。広島大学に入学した学生の 1 人 1 人が意識
して広島大学の学生像を形成していかなければならないと考えました。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けてみて、広島大学の入試方法の歴
史だけではなく、入試試験自体の歴史について学ぶことができた。ま
ず、入試というものが、 6 世紀末頃からあったということに驚いた。ま
た、旧制大学においては原則として旧制高等学校の卒業者等を無
試験で入学させていたこと、入学志望者が多くになるにつれ、入学試
験をするようになったことに興味を持った。最後に述べられていた「入
試を選抜試験としてのみ利用する意識の限りこの問題は改善されな
い」ということを聞いて、入学した自分たち自身も入学して終わりでは
ないことを改めて考えさせられました。
教育・ 2 ・男 今日の講義を聞きながら、広大の個別試験の過去問
や実際の本番の入試、あるいは予想問題集のことを思い出していま
した。自分が受けたのは国語と英語だったのですが、広大の入試問
題はオーソドックスな問題が多かったように思います。というのも、自
分は今、教育学部の第 5 類にいますが、高校 3 年の秋まではずっと
実技系教員養成の 4 類を目指していたため、受験勉強時代はほとん
教育・ 2 ・男 まず、広島大学の学生の出身地域が全国に分布して
いる理由については、この講義を聴くまでは旧帝国大学に次ぐ規模
の大学だからであると勝手に思っていた。しかし、本当は広島高等師
範学校時代の全国から学生を集めるための推薦入試制度や広島高
師で学んで教員になった人たちが地元に戻って生徒たちに勧めたこ
とに由来するということに大変驚いた。また、広大の入試問題は堅実
な学力を備えた人物を着実に選抜するための問題であるということで
あるが、それに私は非常に納得できた。私は一年と少し前、別の大学
を第一志望としていたのであるが、センター試験の結果を受けて広大
に変更した。だから、センター試験の後に初めて広大の問題に触れ
たのであるが、非常にオーソドックスだと感じたし、それまでの勉強を
積み重ねれば結構解ける問題だと思った。このように、入試一つをと
ってみても、学問的に奥の深いことが考察でき、また自分の人生を振
り返ることもできるのだと考えている。
教育・ 2 ・男 広大は東大よりも他県からの入学者が多いことに驚い
た。それに加えて、東大は関東からの入学者が多いことを知り、関東
地方と中国地方との教育方法の違いがあるのかと疑問を持った。違う
のだとしたら、関東で教職に就く人は目標を高く持って指導に臨める。
中国地方で教職に就いたとしても、同じように高い目標を持っていた
い。今現在ある、センター試験は以前は共通一次学力試験という名
だった。入学試験方法が変われば、教師の方も教え方に影響が出て
くるだろう。将来、教職に就いた時、入試制度についてしっかり調べ、
生徒に正しい指導をしていきたい。
教育・ 2 ・男 今回の講義では、入学試験自体の起源や戦前の入試
制度、また広島大学の入試制度など様々なことを学んだ。特に印象
に残ったのがやはり、「広島大学における入試制度の変遷」である。
推薦入試や小論文の導入など様々な入試制度の改革が行われてき
たんだと感じた。また、 AO 入試を採用したのが 7 年前と、歴史的に
は意外と浅いんだなと思った。広大の入試問題は「基本的な問題」と
言われている。確かに自分が広大を受験する時も、基本的な問題を
重点的に解いていた記憶がある。基礎・基本を大事にしているんだな
と改めて感じた。
教育・ 2 ・男 広島大学は近辺の大学に比べて広島県出身の学生
が低い割合だということだが、これは競争率が高いために各地からの
出身者の割合が多くなっているかもしれない。私は地元の中学生や
高校生と触れ合う機会が多少あるのだが、彼らは私が広島大学生だ
ということを知ると大抵雲の上のような存在や、あるいはエリートとして
見てくれる。やはり地元の人々にとっては各地から学生が集まり競争
率が高まるため多少手の届きにくいレベルにあるのかもしれない。だ
からこそ、広島に住む人々にもっと広大の良さを知ってもらいたいと
思った。
教育・ 2 ・男 広島県出身の占める広島大学の学生の割合が意外と
低いことに驚いたし、北海道・名古屋大学の地元志向の高さにも驚い
た。個人的には共通一次、センター試験の導入はその後の一般入試
が少しは円滑に進むと考えるので賛成である。様々な入試制度があ
るのは結構だが、広島大学が AO 入試を採用しているのが少し疑問
であり、センター試験を課していないのが納得いかない。センター試
験を課して基礎学力のある学生を選抜すべきだと思う。そして個人の
能力に応じたカリキュラムの作成なども確立を急がなければならない
と考える。
教育・ 2 ・男 広島大学は地元出身者が結構いると自分のこの一年
間の経験から思っていたが、意外と他大学と比べて普通くらいだった
ので予想外だった。また僕はセンター試験しか知らないが、よく両親
が共通一次と言っていてよくわからなかったのだが、今日の授業を聞
いて理解できた。広大の入試問題は基本的なものが多いというのは、
今も昔もそんなに変わらないんだなあと思った。このような入試をクリ
アして広大に入学できたのだから、有意義な大学生活を送うと改めて
思った。
教育・ 2 ・男 今まで大学入試について深く考えたことはなかったけ
ど、今回の講義をきっかけに様々なことを考えるきっかけとなった。い
つも受験者側の立場から何点くらい取ればいいとかこんな傾向があ
- 615 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
るとかしか考えたことがなかった。試験実施者は試験から受験者を選
抜しなければならないので問題の構想をしっかりとする必要があった
のかと驚きを感じた。そんな苦労については全く知らなかった。各学
校が求める人材確保のために独自の試験や AO 入試が生まれたの
も納得できた。
教育・ 2 ・男 まず学生の出身地域から見る大学の特徴のグラフを
見て、広島大学は県外から来ている人の方がかなり多かったので驚
きました。広島大学は県内の人が多いと思っていたので意外でした。
また入試の制度がいろいろ変わっていたのを知ることができてよかっ
たです。最後に広島大学の入試問題は平易で基本的な問題を出題
するという評価で堅実な学力を備えた人物を着実に選抜しようとして
いるということを初めて知りました。広島大学の入試は難しいと思って
いたので意外でした。
教育・ 2 ・男 今回の講議を受けて、改めて、全国の国立大学の一
つの大学としての、広島大学の位置を考えることができた。特に興味
深かったのが、広島大学に在学している人の出身県は、中国地区の
ほかの大学に比べて、全国各地に及んでいるということだった。やは
り広島大学、特に教育学部は、西日本を代表するような充実した学
部であり、入学希望者も現在も多くいると感じた。その学部生の一人
としての自覚を持ち、広島大学のレベルを落とさないように頑張ろうと
改めて思った。
教育・ 2 ・男 まず今回の講義を受けて一番驚いたことは、広島大学
には中国地方出身者が全体の半分弱しかいないということだ。遠方
からわざわざ広島大学へ学びに来ているということは広大の伝統・歴
史があってのことではないか?とも感じられた。また、今回は中国・ヨ
ーロッパの歴史までさかのぼり試験制度の起源を紐解いて授業を展
開していてとても興味を引き付けらた。あと、生徒を指名して予想を述
べさせる方法は緊張感を持って授業に臨めたのでよかった。
教育・ 2 ・男 広島大学には AO 入試、前期入試、後期入試という 3
つの入試制度があることは、素晴らしいことだと思います。特に AO
入試は自分の専門分野をフルに活かすことができ、それを用いての
入試となるのでとてもよい制度だと思います。私は、広島大学の前期
入試を受験し、合格し、広島大学に入学しました。私は、数学と化学
を受験しましたが、あるひらめきを持てば、次々とつながっていって解
けるような、良い問題が多かったように思います。もう私は受けること
のない入試ですが、これから受験する未来の広大生のためにも、より
良くしていってほしいです。
教育・ 2 ・男 現在の広島大学の特徴は、入学者の出身県がいろい
ろなところに分布している。それは、入試改革や入試制度の多様化
や、「難問奇問」の解消、暗記中心の受験勉強の弊害を和らげるなど、
広島大学の魅力のほかにも、入試についても考えられている。しかし、
入試は多様化したが、大学の教育は同じ、個人の能力に応じた教育
課程をまだ確立できていないなどの課題が残されている。これは、入
試を選抜試験としてのみ利用する意識がある限り、この問題は解消さ
れない。広島大学が全国に先駆けてこの問題を改善できればいいな
と思う。
教育・ 2 ・男 今回の講義のテーマは「広島大学の入試と学生たち」
ということであって、受講する前は広島の大学のは入学試験でどのよ
うな人材をもとめているのかといった内容をすると思っていましたが、
講義を受講してみて、広島大学の入学試験の制度とその移り変わり
や今後の課題などを学習した。なかでも広島大学の学生の出身地域
の分布を見て、名古屋大学と違い、広島大学の学生が全国の様々な
地域からきていることは、入試制度が大きな関わりを持っているという
ことをしり、あらためて入試制度の重要性を認識しました。
教育・ 2 ・男 広島大学の試験がこんなにも難しいとは思わなかった。
また、広島大学の学生は他の大学に比べて、様々な地方から来てい
るということに驚いた。確かに僕の周りには、北は北海道、南は鹿児
島までと、広範囲から来ている。中でも、九州出身の友達が非常に多
い。九州の人が広島大学に集中するのは偶然なのだろうか、それとも
何か理由があるのだろうか。できれ次の抗議でそれを聞かせていた
だきたいと思う。昭和 26 年 1 月号の蛍雪時代、「教科書熟読で十
分」という記事には驚いた。あの問題を見て、そんなことはとてもじゃ
ないが思えないと思った。
教育・ 2 ・男 入学試験の起源が中国の科挙によることを講義で聞
いたが、これは中学生の時に習ったので知っていた。驚いたのは、戦
前の旧制大学の入試制度で、原則として旧制高等学校の卒業者は
無試験で入学出来ていたことである。現在の私たちからしたら、とても
うらやましいことだと思った。次に、長年疑問に思っていたセンター試
験の存在についてである。前進の共通一次試験には、高校教育の内
容を逸脱した難問奇問の解消などの理由があるが、実際にはマーク
シート方式が受験生の思考力の判定に役立たないなどの問題がある。
私もセンター試験の点数だけで進学したい大学に進学できなくなる
学生もいたので、センター試験は嫌いであった。今回の講義でその
理由がハッキリしたので、とても勉強になった。
教育・ 2 ・男 今回の講義では最初に大学とは離れ入試の根本的な
ところからの話であった。日本で最初の試験制度は 8 世紀はじめの
貢挙(くこ)の制」であるらしい。そんなに前から試験があるとは驚いた。
戦前の入試制度は旧制高等学校の卒業生等を無試験で入学させる
ものだ。広島高等師範学校は第二回から大正 10 年まで推薦制を実
施していた。今の試験制度では考えられないものであると思う。現在
は統一のセンター試験を受けそれから各大学の試験を受け合否がき
まります。そう考えると昔の方が簡単のように思えるが、旧制高等学校
に入るだけでも難しく莫大なお金がかかったのだと思う。今の大学入
試制度の方がある程度平等であるなと思った。
教育・ 2 ・男 僕は広島大学入学者の出身地について興味を持ちま
した。まず 1990 年は幅広い地域からきている。この表にも少し驚きま
した。僕は 1990 年頃はほとんどが中国地方、中でもやはり地元の広
島出身が多いと思っていた。その僕の予想になったのは 1950 年あ
たりからである。 1957 年には 7 割は中国地方出身である。しかし 19
80 年に入り、そこからだんだんとまた幅広い範囲で構成されるように
なってきた。たぶんこれからの広島大学も幅広い範囲からこの広島大
学に入学してくる人が増えるのだと思う。
教育・ 2 ・男 講義前の予想とは少し反して、各大学に生徒が集まる
兆候を地理的な側面から見るというとても面白い内容だった。特に驚
いたのは、自分の中では学術的、かつ学力的に優れた大学であれ
ばあるほど多地方から学生が集まりやすいだろうと思い込んでいたが、
実際はそうでもなく、やはり地方の人間に固まりやすいのだと驚かさ
れた。特に、東京大学のような例示では本当に驚いた。また、広島大
学の過去の入試問題を解いてみると、今で言うセンター試験のような
感じがした。普遍的な問題が多く、現在のような大学色の濃い問題と
はだいぶ異なるんだなあと感じた。
教育・ 2 ・男 入学試験の起源が 6 世紀末の中国にまでさかのぼる
ということが、とても興味深かった。また、戦前の入試制度と戦後入試
制度改革をうけた新制の入試制度ではかなり違うのだと知って驚いた。
また広島大学の入試の特色として、「基本的な問題」「教科書を熟読
するだけで十分」といった意見が上げられていたことで、広島大学の
入試は難しくないんだということをはじめて知った。僕自身は後期入
試で小論文だけだったし、赤本を見たこともなかったので、この機会
に広島大学の入試に触れることができてよかった。
教育・ 2 ・男 今回の講義で最初に思ったことは、入試制度が何回も
変わっているということです。私たちが当たり前にくぐり抜けたセンタ
ー入試制度も平成 2 年に導入されたものだと知って驚きました。そし
てそれは大学側の求める学生が変わっていったということの現れであ
ると思う。しかしその入試制度にも問題があることも知った。人気のあ
る大学には人が集まり、人気のない大学には人が集まらない。それゆ
えまたそれらの大学に人気が上がったり下がったりする。そうして人気
の格差が大きくなる。このことを改善するためには大学がどのような人
材が欲しいのかを明確にし、それを広めることが大切だと思う。言い
換えれば、どのような入学試験を学生に課すかだと思いました。
教育・ 2 ・男 広島大学の求めているものや大切にしていることがよく
わかりました。私は AO 入試で造形芸術系コースに入学しましたが、
AO 制度がなくなるという噂はつねづね聞いています。私としては、 A
O 入試を失くすことは止めて欲しいと思っています。 AO 入試という
のは人そのものを見てくれる、非常にいい制度だと考えるからです。
また、大学がよりいい人材を社会に送り出すために、よりよい学生を
探し求めていることに改めて気づきました。今回の授業は本当に興味
深いものでした。
教育・ 2 ・男 今回の入学試験というテーマの講義を受けてまず知っ
たことは、源流が中国の科挙であったということだ。それまでの旧制大
学の入試制度では、原則として旧制高等学校の卒業生は無試験で
入学できたという。つまり一から作り上げていったということだから相当
骨の折れる作業だったと考えられる。また、そこから各大学の試験作
り競争になり、試験問題のレベルが高くなりすぎるという問題が生じ、
共通一次試験が設けられ、今日のセンター試験となったとあるが、ま
だこのセンター試験にも問題点が見られる。将来のために今よりさら
に有意義な試験にしていきたい。
教育・ 4 ・男 はじめに先生が話されていた東京大学入学者の出身
地域が興味深かった。入学者の大半を関東出身者が占めており(も
ちろん人口の違いも大いにあるが)、「東大に入るならまずは関東圏に
引っ越さなければ」といい、教育環境の違いがある、といわれていた。
実際、教育格差は生まれており、『ひとしく』義務教育を受けていると
はいえないのかもしれない。(東京のある公立中学校では、授業後に
塾講師を招いての補習をするところもある。)とはいえ、東大のようない
わゆる一流大学に、関東圏以外からいってないわけではない。実際
にはどういった要因から差が生まれているのだろうか。
経済・ 1 ・男 学生の出身地域を記したグラフを見て、名古屋大学ほ
どの高いレベルならば、出身地域が満遍なく広がっているはずだと思
っていたが、広島大学よりも特定地域へ集中していて驚いた。広島大
学を受ける中国・四国・九州の人は、九州大学と比べて悩むことが多
いので、集中の度合いが小さいのではないかと予想していた。北海
道大学や名古屋大学の生徒に地元の人が多いのは、逆に比べる大
学が少ないからではないかと感じた。ただ逆に、出身地域が広いこと
で、全国へ広まった卒業生が広島大学の長所・短所を広めることが
- 616 -
でき、強い影響を与えることができる。
経済・ 2 ・女 広大に来て、広島出身の学生が少ないことは実感して
いたので、最初の分布を見たときに納得した。入試制度に関して、最
近ではマークシート方式で学生も大学側もだいぶ楽になったと思う。
しかしその反面、適正を判断しにくくなるのは大きな問題だと思う。実
際、私が受験をするときも大学で何が学べるのか、どんな特色がある
のかより、偏差値から自分の学力に見合った大学を受験したし、周り
もたいていそうだった。大学の中身を知った上で受験するような PR
をしつつ、それに見合った適正を判断できる入試制度が確立したら
いいと思う。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受けて、入試制度の目的や、課題につ
いて理解でき、私は、現代の入試について考えてみました。現在、入
試方法は多様化してはいるけれども、入試は選抜試験として用いるも
のであるという意識が根強いです。受験生は、その適正より、偏差値
により大学を選択し、高校も生徒の個性より学力を重視した教育であ
るように思えます。そのため現代では、努力して大学に合格しても、
入学した大学が自分にあってなかったり、大学生活に疑問を感じ退
学する人たちが増えています。私は現状に疑問を抱き、今後入試制
度は変わっていくべきだと思いました。
経済・ 2 ・女 時代が移り変わっていくなかで、入試の制度もその
時々にあったものに変わっているのだということがわかりました。例え
ば第二回から大正 10 年まで実施した推薦制度は、各県から推薦し
てもらえる学生の数が 2 人だったことが要因だったのか、学生の出身
県を全国に分布させることができたということです。他にも、競争率を
1.5 倍前後を維持させることが出来ています。またその後は、社会人
や帰国子女のための特別選抜制度や、 AO 入試など様々な方法で
同時に入試を行うことで色々な人が大学で学ぶことが出来るようにな
ったのだと思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学に通う学生は、所在地域外の出身が多い。
私もそのうちの一人だが、広島大学に来て津々浦々からきた人々に
めぐり合い、視野が広まったような気がする。父が、広島大学が一期
校だとよく口にしていたが、今日の授業を踏まえてその意味がやっと
わかった。広島大学は歴史ある学校だと思った。私は一年前にセン
ターに引き続き広島大学の入試を受けたが、昔の入試テストとな大幅
に内容が異なっていた。長い歴史の中で入試の内容や形式が移行
し、今に至ったのだと思う。その変更の経緯が今日の授業で詳しく学
ぶことができた。
経済・ 2 ・女 一年前私の受けた試験より、今年の入学試験の数学
の問題は簡単になっていたということを聞いた。入試が簡単になるこ
とで、大学に入りやすくなる。しかし、広島大学ではいろんな試験方
法があり、せっかく個人の能力やその能力の特徴を図ることができる
にもかかわらず、その試験の性質をあまり生かせていないように思え
る。さらに、入学後に受ける授業に相違がないということが問題だと授
業でおっしゃっていた。大学に入ること自体を目標としている学生が
多い今、広島大学に入ってから何を学びたいのか、自分のどの能力
を生かしたいのかなど、意識を変化させてゆくことが大事なのだと思う。
経済・ 2 ・女 戦前の広島大学では原則として旧制高等学校の卒業
者を無試験で入学させるものだった。広島高等師範学校では初年度
に競争試験を実施、第二回から大正 10 年までは推薦制を、それ以
降は選抜試験を取り入れた。試験制度により競争率は 1 . 5 倍前後
を維持し、学生の出身県が全国に分布するようになった。そして戦後
になり大学入試の法律が改められ、全国の大学で入試の基本原則
が生まれた。その後様々な改革が進められ、今のセンター一次試験
と筆記による二次試験が行われるようになった。入学する大学によっ
てその人の将来が決まるため、その入学試験は大変重要なものであ
る。入学試験により学生はふるいにかけられるのだが、希望通り合格
する人もいれば落ちてしまう人もいる。そんな社会の厳しさを知るため
にも、入学試験は人生のなかで必要不可欠な重要イベントだと思う。
経済・ 2 ・女 大学の入試がここに至るまで試行錯誤してきたことが
わかったが、共通一次試験の欠点である「マークシート方式が受験生
の思考力の判定に役立たない」ことは今のセンター試験に言えること
なのではないかと思った。また、広島大学においては推薦入試や A
O 入試など様々な入試体系を採用しており、受験生だった私からし
てみれば、理不尽なものだと感じざるをえなかった。学校の成績も重
視されるそれらは、公立校に優位なものであるのは確かなことであり、
大学にとってもどのようなメリットがあるかわからなかったからだ。今回
の授業でそれらの受験の意図が理解できたわけではないけれど、資
料にあるとおり、一般入学とそれらの入学に学力の差はなく、むしろ
出席状況など考えるとそれらの入学者の方が真面目だろうと考えた。
これからの受験において、様々な面でのデメリットがなくなり、受験生
にとって公平な試験となって欲しいと思った。
経済・ 2 ・女 今回の講義の内容は、まず広島大学の学生たちの出
身地から大学の特徴を分析し、大学入試そのものの歴史を振り返り、
今の大学制度にいたるまでの展開を学習しました。今回の講義の資
料には、過去の入試問題がついており、大変興味深かったです。推
薦入試やセンター試験の導入により、今の我々が受けてきたような入
学試験の形態になりましたが、入学してみれば大学で受ける教育は
まったく一緒であります。これは今後の大学入試の課題でもあるとい
えるでしょう。個性が問われる今日、各個人のさまざまな能力を生か
すことのできるさまざまな入試形態を生み出すだけでなく、大学でそ
の能力を大きく伸ばす教育が誕生しなければならないのではないだ
ろうか。
経済・ 2 ・女 今回の講義では入試の歴史を知った上で、現代にお
ける入試問題の課題を見ていった。これまでの入試制度の変遷を経
て、現在ではセンター試験と各学校で行われる二次試験があるが、こ
の二次試験が各学校によって様々でありレベルも大幅に違ってくるこ
とに対して、入学してしまえば大学の教育はほとんど同じだという課
題がある。実際に比較したわけではないが、確かに自分も少し感じて
いたことであり、とても興味がわいた。それぞれの大学において、その
場でしか学べないことがあり、その大学の特徴として挙げられる大き
な分野があれば、受験大学を選ぶことに対してもっと真剣になれたの
ではないかと思う。二次試験によって各大学の色を出そうとしている
のかもしれないが、入学後の各大学の違いをもっと伝えて欲しいと思
う。
経済・ 2 ・女 現在、大学に進学する際には、センター試験を受け、
各々の進学したい大学の二次試験を受けて合格し、入学するか推薦
入学する方法がある。入試問題は大学によって試験難問奇問な問題
を出題するところもあれば、教科数も少なく容易な問題を出題すると
ころ、など大学によって多様化している。だが、大学の教育は同じで、
個人の能力に応じて教育課程を確立できていないという問題がある。
そして、入試を選抜試験としてのみ利用しているという意識がある限り
この問題は改善されない。今、個別大学の学力観、あるいは人材観
こそが問われているのである。
経済・ 2 ・女 今回の講義内容は、自分も受けてきた入試について
だったのでとても興味深いものでした。私は一般入試を受けたのだが、
AO 入試が始まったのが平成 14 年だということに少し驚きました。も
っとずっと前から導入されている入試制度だと思っていました。また、
おわりにの部分で出てきた、入試センターとは何をするところなのかも
うちょっと詳しく知りたいと思いました。あと、入試の課題で、入試は多
様化しているのに大学の教育は同じというのに共感しました。でも、こ
んな大人数の教育を多様化させるのは難しいので、どうすれば少し
でも多様化できるのかこれから考えていきたいと思いました。
経済・ 2 ・女 入学してきたころから、広島大学は他県の出身者が多
いと思っていましたが、戦後の新制大学のころはもちろん、戦前の前
身校であるころから、全国から学生たちが集まってきていたことを知り、
大変驚いたのと同時に、昔からそのように大きく、志ある学校だったの
だと思いました。また、現在のような入試の形になるまでに、さまざま
な制度が導入されたり、方式が何度も転換されたりしており、その各
時代に合わせて、これからも入試改革がなされ、大学や学部ごとの入
試の多様化や個別化が進んでいくのだろうと感じました。そうなれば、
入試をただ選抜の手段としてみなすのではなく、それを生かした授業
作り・学習過程作りがより必要になってくると思いました。
経済・ 2 ・女 まず、入試の起源が何なのか考えたことなかったので、
科挙が試験制度の起源だと知ってなるほどと思いました。また、広島
大学の前身校である広島高等師範学校の入学試験がどのようなもの
だったのかや、推薦制度がどのようにして始まったのか、どのように競
争率を保つのかなど、とての興味深かったです。個人的には、同じ授
業を受けている人の中に北海道出身の人が 1 人いたこと、東北出身
の人が意外に多かったことにびっくりしました。今日の入学試験がど
のように出来上がったのかを知れてよかたです。
経済・ 2 ・男 大学入試制度の基本原則というのが、①公平に実施
すること。②受験者の能力を検出するにふさわしい方法で行うこと。
③高校教育に悪影響を及ぼさないように配慮する。という 3 つで、受
験生のときから広島大学の過去問だったり、オープン模試の問題は
すごく簡単というわけでもなく、すごく難しいというわけでもないという
印象だったから、上の 3 つをちゃんと守っているというのはすごく納
得できた。入試が多様化していて、 AO 入試と一般入試があるが、や
はり AO 入試の人のほうが、授業がつらそうに思える。それを助ける
なにかがこれからできるといいと思う。
経済・ 2 ・男 前の講義で習ったように高等学校進学率もかなり低か
ったとはいえ、旧制高等学校卒業者は無試験で大学に進学できると
いうのは驚いた。そして大正から昭和にかけて進学率が上昇し、試験
を採用するようになった、というのは自然な流れだと思った。歴史的だ
と思った。その後、段階的に入試制度は改革され、今に至るというの
がよくわかった。今日初めて知って一番驚いたのは、 AO 入試が 20
02 年から既に始まっており、もう七年もの歴史があることである。偏差
値制度に対する批判があるとあったが、ではもっと合理的にやる方法
はあるのか、一人一人面接して人間性と学風を照らし合わせながら
合否を決めるのかと思った。自己責任で行きたい学校を決め、多少
学力のいる所ならがんばって合格してそのほうが喜べるのではないか
と思う。
経済・ 2 ・男 戦前の入試制度では、原則として旧制高等学校の卒
業者等を無試験で入学させるという話を聞いて、今より子供の絶対量
が少ないということもあるけど、それだけ学校に行ける子供がかぎられ
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
るほど社会制度や教育制度が整っていなかったんだなと感じる。それ
故に、他国と比較しても、例えば科挙のような制度の整った入試制度
ができるのが遅くなったんだと思う。しかし今日では、日本では多様な
入試が行われているからこのような状況が続けばいいと思う。
経済・ 2 ・男 戦前の入試制度で広島高等師範学校が実施した推
薦制は、県知事にまで関連してくる大規模なものであるということに驚
き、またトップ大学へと流れがちな質のよい学生を”選抜枠を作る”こ
とによって獲得する、という戦略に工夫を感じ、感銘を覚えた。また、”
共通一時学力試験は受験生の輪切り選別だ”との批判があるとのこと
だが、ある程度は適正よりも偏差値に重きを置くのは当然だし、仕方
のないことだと思う。ただ思考力の判定に役立たない、という批判は
的を得ているように思う。
経済・ 2 ・男 僕は滋賀県出身なので、滋賀県出身者が何人いるの
かと表を見たら 26 人しかおらず予想はしていたけど、やはり少ない
なと残念であった。また関西出身者も約 12 %しかおらず残念であっ
た。しかし、広島大学は全国各地から学生が来ていると普段生活して
いても思っていたけど表を見てあらためて感じた。昔の過去問を見て
みたが、めっちゃ難しいとは感じなかった。広大の入試は平易と言わ
れ、確かに僕の受験のときもそこまで難しいとは感じなかったことを思
い出した。
経済・ 3 ・女 自分は正直滑り止めで広大に受かったのだが、意外と
上位の大学なのだろうかと思った。愛知出身の自分としては、ところど
ころで名大を馬鹿にしてそうな感じに違和感を持ってしまいました。と
はいえ、広大は地方にある大学のわりには北海道から沖縄まで幅広
い地域から入学しているのを知って、改めて驚きました。センター試
験以前の共通一次などの時代における広大に関する話はいまいち
わかりづらかったです。広大の試験は他大学に比べて難易度は易し
い気がしました。
経済・ 3 ・男 私が入学試験を受けたのは、今から 2 年も前のことで
あるが、当時思っていたのは「結構入試問題は簡単だな」ということで
ある。それは、今日の講義でもあったが大学側が「教科書熟読で十
分」など、平易で基本的な問題で受験生を判断しようとしていた昔か
らの慣習だったことがわかり、大変興味深い内容だった。また、課題
で挙がっていた、入口は多様化だが中は同じということには納得して
しまう。他にもいろいろ課題はあるが、今後少しでも改善され、より優
秀な学生に広大に学びに来てほしいと思う。
経済・ 3 ・男 私は広島大学経済学部の二次試験を受けて実際に
易しい問題が多いと感じました。他にも国立大学の試験を練習でたく
さん解いていたのでなおさらそう感じました。何でこんなにまで易しい
のかと疑問に思っていました。そしてこの講義を受けて広島大学の二
次試験を易しくしている意図が分かりました。確かに基本能力は大事
だと思いますが、センター試験で基本問題は十分に解いているので
二次試験くらいはもっと難しい問題を取り入れたほうが良いのではな
いかと思いました。
経済・ 3 ・男 まず一番最初に驚いたことは、戦前は大学に入る前の
入試がなかったということです。そしてだんだん入学志望者が多い大
学などに入試の必要性が出てきたのだろうと思いました。また導入さ
れた当初の大学入試は今ある自分が入試だと思っていたものとは少
し違っていて驚きました。そこからいろいろな変遷を経て、なるべく受
験者の能力をうまく試すものになっていったんだろうなと思いました。
そうしてできた今の入試にもまだまだ課題があり、これからそれらが解
消されていけばいいなと思います。
経済・ 4 ・男 今回配布された講義資料に載っていた試験問題をざ
っとみたのですが、国語に関しては文章こそいささか古臭く感じます
が、問題の出し方としては今と特に大差はないのかなという気はしま
した。英語に関しては、単語自体がすごく簡単な気がします。大学受
験に向けて覚えていた単語はもっと難しかったのではないか、という
気がしました。中学生の語彙力でも割と読み進めることができるので
はないでしょうか。数学も基本的な問題が多い気がします。しかし、人
間やらなければ忘れてしまうものです。特に数学は今はほとんど手を
つけていないので、「これってどうやって解くんだっけ?」と、少々情け
ない気持ちになりました。今、私は公務員を目指して勉強しており、と
うとうそのシーズンがやってまいりました。今二つ試験が終わり、一つ
はもう結果も出て一次試験ではありますが、よい結果をもらえました。
勉強のときは大学受験を思い出すことが多々あります。あの時はもう
こんなに勉強に励むことはないだろうと思っていましたが、間違いなく
今のほうが長く机に向かっています。最後は少し脱線してしまいまし
たが、今日の講義を聴いているうちに、なんとなく「あと少しだ頑張ろ
う。」という気がしました。高校のときも試験の話が出るたびに自分を
奮い立たせていたことを思い出します。
経済・ 4 ・男 広島大学の入試制度はやはり、私が予想していた通り、
入学志願者の増加によって実施されるようになったようだ。私が本講
義で最も考えたことは、入学試験は始まりであって終わりではないと
いうことです。近年、大学生は大学で遊びを覚えて社会に出てくると
いうようにいわれたりしてますが、この意識が薄いからだと思います。
この広島大学という狭き門を通過しているのだからそれ相応の能力は
みな必ず持っていると思います。もっとその力を伸ばすように大学と
いうものがあってほしいと思いました。そしてまた、私が広島大学に入
学してきた AO 入試というその選抜方法は平成 14 年度から実施され
ていたことを初めて知りました。
経済・ 4 ・男 今回まず思ったことは、名古屋大学と広島大学の出身
地域の割合の違いである。自分は岐阜県出身なので名古屋大学と
はそれなりに縁があったためやはり愛知・岐阜・三重出身の人間が非
常に多いようには感じていた。その理由が昔存在していた入試制度
によるものであるということにはとても関心が持てた。しかしながら結局
は東海地区の地元を離れたくない内向的な気持ちが他の地方より大
きいのではと自分は考えてます!!!それから現在の入試制度に関
してであるが、センター試験はなんとかすべきだと思う。偏差値 50 程
度の高校の授業を一生懸命受けても 6 割とれないのだから教科書の
範囲とかいってるが実際はそれなりの参考書じゃないと解けないあた
り疑問を感じてます。
経済・ 4 ・男 私達の世代は大学受験のためにセンター試験を利用
していますが、共通 1 次試験や一期校、二期校という言葉は聞いた
ことがありました。高校時代に年輩の教師達が「昔の共通 1 次試験に
比べたら今のセンター試験は楽。」などと日頃から言っていて、あまり
いい気持ちにはなれなかったのですが、今回の講義を受講して改め
て感じました。大学入試制度はその時代にあうように変化してきた。だ
から、「昔と今を比較して、今は楽だ。」などという考え方はよくないよう
に感じます。むやみに昔にこだわる大人は好きにはなれないです。
現代の高校生は現代の大学入試の勉強を行い、合格して、充実した
大学生活を送り、その後社会で活躍していけばいいと僕は思います。
工・ 1 ・女 一番に思うことが戦前に生まれなくてよかったな、というこ
とです。というのも、戦前の入試制度は旧制高等学校の生徒を無試
験で入学させる、という点から’選ばれた人’だけしか、大学での勉強
を行うことができなかったからです。一部の選ばれた人だけでなく、ひ
ろく受験を希望する人に公平に、学力試験を通して私たち学生を選
抜してくれる今の制度は、当り前のことでもあるけれど、これは社会が
公平になったことの証でもあるんだと思いました。また私は広島大学
の受験をするにあたって、広島大学の過去の問題を何年か分といた
けれど、「他の大学に比べて解きやすいな」と感じたのは広島大学が
基本的な問題を出題するという傾向にあったからだということを今回
の講義で初めて知った。しかし、それには意図があり、広島大学は
「堅実な学力を備えた人物を着実に選抜しようとしている」ということで、
広島大学に在学できている今、広島大学の期待にこたえられるように、
しっかりと勉強の基礎を固めていきたいと思います。
工・ 2 ・女 関西の大学は所在地域外の人数が多いと予想していた
けれど、東北大学の所在地域外の人数が 80 パーセントを越えてい
ることに驚きました。どこの県の人が東北大学に行ったのかが気にな
りました。広島大学は 70 パーセントくらいの人が県外の人でした。広
島大学は九州地方や関西地方の人が多いと思います。広島出身の
人が広島の大学に行こうと思えるのは、それだけ広島には魅力がたく
さんあるのだと思います。私は広島に来てまだ 1 年しかたっていない
けれど、これからもっとたくさん広島のいいところを見つけていきたい
です。大学入試は各大学がどのような人物をほしがっているのかによ
って変わってくると思います。私はいろんな大学の試験を受けて、同
じ理系の 2 次試験でもぜんぜん違うと感じました。広島大学は基本
的な問題が多く、あまりひねった問題はなかったので、堅実な学力を
備えた人物を着実に選抜しようとしているということに納得できました。
工・ 2 ・女 広島大学には様々な地域から生徒が来ていることがわか
りました。私は関西出身で、初め広島のひとだらけだったらどうしようと
不安に思っていましたが意外と広島の人はそこまで多くなく関西方面
の人も多く安心したことを思い出しました。グラフを見て、名古屋大学
はとても地元の入学者が多いことにびっくりしました。こうなると他県か
ら来た人が少し疎外感を感じることになるのではないのかなと思いま
した。入試制度の変遷で小論文や帰国子女の特別選抜や分離分割
方式や AO 入試を導入してきましたが、このようにして時代に応じて
幅広い人に入学の機会を与えるようにしてきたのだなと思いました。
昔の問題が載っていておもしろそうなので今と比べながら解いてみよ
うと思いました。
工・ 2 ・女 私は今まで入試とは大学に入るために受けなければなら
ないもので、入試そのものについては考えたことがありませんでした。
しかし、今回の講義を受けて入試という制度に少し興味がもてるよう
になりました。大学入試には法的根拠や基本原則があったとは知らな
くて驚きました。受験者に不利なことが生じないように工夫されている
のだと感じました。とくに広島大学は「堅実な学力を備えた人物を着
実に選抜しようとしている」(配布された史料より抜粋)ということがわか
り、自分がその選抜された一人であるということを考えると嬉しく思えま
した。また、配布された資料の中にあった史料 6 にも書いてあったよ
うに、高校での勉強は大学に合格するためという考えは間違っている
と思います。大学に合格するためには必要ないからといって関連して
いる部分の事柄を高校の授業から省いてしまうのは、大学の合格率
を上げるためには必要なことかもしれませんが、それでは学生のため
にはならないはずです。この状況を打開するには入試に関わる人す
べての意識を変えていかなければならないと思いました。これは大学
に入った今の自分自身にも言えることで、ただ単位を取るためという
安易な考えで勉強していてはいけないと思います。勉強方法は間違
- 618 -
っていたかもしれないけれど、広島大学に入学できたのだから、これ
から学ぶことや自分の将来のために積極的に大学を利用していこうと
思いました。これからの残された学生生活の中で少しでも多くのもの
を学び、身につけていきたいです。
工・ 2 ・女 今回は昔の入試制度から新制の入試制度の話まで聞く
ことができてとても興味深かったです。広島大学の前身校が初期に
推薦制度を設けていたということを初めて知って驚きました。選抜試
験が主流のときになぜだろうと思いましたが、人材を各地域から集め
るためだというお話を聞いて、なるほどだなぁと思いました。そもそも私
も広島大学に入学したときに、様々な出身の人たちが多くてとてもび
っくりしたのを覚えています。広島大学なのに、広島県出身の人が少
ないなんて広大の面白い特徴だと思ってましたが、こういう初期の人
材集めの背景も影響していたのかなと思いました。また、史料にありま
したが、「なぜ広大が毎年基本的な問題を出すのかというと、昔の高
等師範の流れを汲んで教育的見地に立っているからなのです。(高
橋正之教授)」という部分を読んで、なるほどと納得しました。自分の
受験時を思い出してみると、たしか赤本を解くたびに基礎固めを徹底
していた気がします。高校で、「応用問題が解けなければ力がついた
とはいえない」という見方をする先生もいましたが、私はこの広大の入
試傾向はとてもいいと思います。基礎はなにより大切なものだと思い
ます。基礎がある人こそ、それを基盤にして他のことに柔軟に対応す
る能力を備えていると思います。私の高校の尊敬していた数学の先
生は、広大出身の方でした。そしていつも「基礎が大切。教科書をぼ
ろぼろにするぐらい証明の過程を読み込め。結果よりもそこへ辿り着
く過程のほうが大切なんだ。」とおっしゃっていました。今思えば、先
生も基礎の大切さをわかって、私たちに教えてくださっていたのだな
と改めて思いました。広大の「堅実な学力を備えた人物を着実に選抜
する」(史料より)という入試方針はずっと変わらないでほしいなと思い
ます。東大京大などの応用問題が解ける生徒を集めるというのも、す
ごいと思いますが、私は広大のようにほんとに基盤力のある人を選抜
するという人材観も、これからの入試の多様化のなかで意味のあるも
のであり続けるのではないかと思います。
工・ 2 ・女 試験はその時代時代によって代わってきたのだと思いま
した。また、試験や制度はそれらを作成した側の意図とは別の形で認
識されたり、イメージをもたれたりするのだと思いました。また、広島大
学は色々な地域から学生を集めるために、最初の頃の入試形態は知
事の推薦があったことを初めて知り、そのことが上手く影響したおか
げで現在のように色々な地域からたくさんの学生が入学したいと入試
を受けに来るようになったのだと思いました。これからも色々な地域か
らたくさんの学生を集めることによって色々な観点からのものの見方
が出来る大学になって欲しいと思います。
工・ 2 ・女 昔、国立大学の入試に一期校・二期校があったことは知
っていたが第一志望が一期校で第二志望が二期校という感じでわけ
られ、広大は最初二期校でありまた、二期校コンプレックスなるものが
あるなど昔の制度について今大学で学んでいるものとしてこの講義で
奥深く知ることができてよかった。年を経るにつれて大学入試は共通
一次試験の導入からセンター試験の導入、さらに AO 入試や推薦入
試などが始まったことによる入試方法の多様化など過去の大学入試
とはかなりの変化を遂げた現在の入試は、学力でない部分で個人を
評価し志望校に入る確立を多少なりともあげることができると思うので
良い制度だと思う。あと、所詮どこの国立大学でも学生の地元出身者
の割合なんて大差ないだろうと思っていたが、大学ごとにかなりの差
があり各校の特徴づけていること、さらに法令上は入学の認定に試験
実施の必要がないことは驚いた。
工・ 2 ・女 広島大学と名古屋大学の入試の状況を比較しているの
がとても興味深かった。 2 つの大学は位置的には違うところにあるの
に、北海道などの北の方から来ている人が両方少ないことが不思議
に感じた。今でこそ入試の制度は当然のことのように思われるが、昔
は入試というものがなかったことを初めて知って驚いた。今では、親の
職業や地位などが関係なく大学や高校に行けるのでよかったと思っ
た。全体的に入試制度が昔と明らかに違うので、いろいろなことがと
ても興味深かった。
工・ 2 ・女 今回の講義は前に出されるスライドのプリントをくれてい
たので授業についていきやすかったです。また、広大と他の大学の
地元の生徒の人数を比較したのが面白いと感じました。入試制度の
歴史の話はもっとわかりやすいほうが良かったと思いました。広島大
学の入試の問題は基本に忠実だという話が出ていましたが、その通り
だと思いました。でも、この問題傾向は凄くいいと思いました。難しい
問題を解ける能力も必要ですが、基本がしっかりしていないと入って
からも伸びないかもしれないし、授業についていけないとなったらつら
いだろうと感じたからです。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学の入試には私の知らな
かった経緯や基準がいろいろあり、驚いた。この広島大学に入学した
以上、入試については一通り理解しているつもりだったが、やはり知
らないことが多かった。それは高校生が大学入試を受けるには知る必
要がないことも、必要となることもあった。今と創立当時ではやはり入
試を取り巻く時代が違うので、変化しているところもあった。それはこ
れからも続いていくだろうなと思った。
工・ 2 ・女 広島大学の在校生の出身分布に興味が湧きました。私
は兵庫県出身なので結構多い県だと思いますが、今週の講義を受け
た生徒の中にも人数は少ないけれど北海道出身の人や東北地方出
身の人もいて、「都道府県広域において生徒を取りたい」という学校
の思惑が上手に達成されているなと思いました。また日本全体が保
守的な態度をとっており、きれいな日本語を強調しすぎて、世界の共
通語である英語が遅れており、その体制が優秀な人間を海外にとら
れてしまう要因のひとつであると思うので、日本独特の考え方・言語・
動作を取り入れつつも、海外の奇抜な発想をも取り入れていけば、日
本の学生の学力がより向上し大学の「学力を兼ね備えた優秀な人
間」を取り入れることもできるんじゃないかと思いました。
工・ 2 ・女 学生の出身地域を見てみると各大学によって特徴が違
った。名古屋大学は学生の約半分が所在地域内の学生であるのに
対して、広島大学は約 3 割の学生が所在地域内の学生であり、 7 割
の学生が地域外から来ていることになる。これは広島大学が県外各
地で有名であり、人気なことが思われる。また広島大学の入試問題は
平易な基本的な問題を出題しているため、堅実な学力を備えた人物
を選抜していこうとしえいるため、様々な場所から支持をえているのだ
ともおもった。
工・ 2 ・女 現在、多くの高校生が大学に進学するため入学試験を
受けている。私も 2 年前は受験勉強に励んでいたなと懐かしく思う。
その現在の入学試験が、多くの入試改革を経てできたものなのだと
今回の講義を通して学ぶことができた。また、共通一次試験方式など
現在の入試制度に対する批判も紹介されたのでいろいろと考えさせ
られた。受験生だったころは何の疑いもなかったが、いざ大学に入っ
て勉強を始めてみると、偏差値だけで大学を考えさせていた高校の
考え方に疑問を持ったりしたので、これからもまだまだ入試改革は必
要なのではないかと感じる。
工・ 2 ・女 まず、最初の名古屋大学との入学者出身地域の比較に
興味を持った。自分自身広島出身で広島大学に通っており、周りに
も同じ境遇の人が多いので名古屋大学と同じくらいの割合だと思って
いたが、広島大学の持つブランド力に驚かされた。また、広島大学の
入試に対する姿勢にも惹かれた。東京大学や京都大学など各々に
個性のある入試を実施する大学があり、その大学へ入学することがあ
る種のステータスとなっている現代で、学問へ真面目に取り組んだ人
物を選抜しようとする広島大学の入試は素晴らしいと感じた。確かに
偏差値が高い大学への入学は難しいため誇りを感じるかもしれない
が、義務教育でない大学で学問を突き進めるには広島大学のような
学問に真正面から向き合った大学がふさわしいのではないかと考え
た。全体を通して、 8 世紀の初めから日本で試験制度が生まれてか
ら今に至るまで何度も制度の見直しや改定していったのにも関わらず、
現在でもあらゆる問題が残されているという事に、短い間の試験で人
間を見極め、それに準じた扱いをするという事の難しさを痛感した講
義であった。
工・ 2 ・女 今回の授業は広島大学の入試と学生たちについて学ん
だ。日本の全国で、たくさん大学がある。学生の出身地域から見る大
学の特徴のグラフから見ると、地域によって大学の学生の数がちょっ
と違う。例えば広島大学は中国でいる。中国で住んでいる学生は半
分ぐらい広島大学が入られる。あと半分はばらばらの地域からである。
戦前という旧制大学の入試制度と戦後の入学制度はかなり違う。資
格の学生だけ選ぶために、入学試験を受けなければならない。試験
を受けるときも違う。全て大学は二つのグループに分ける、第一期と
第二期だ。広大は第二期のグループで入る。
工・ 2 ・女 広島大学の入試と学生たちのテーマを学んでおもしろい
と思います。なぜかというと、学生の出身地域から見る大学の特徴が
あります。例えば、広島大学に対してほとんどの学生たちは所在地域
外です。しかし、名古屋大学の学生は所在地域内です。私にとって
入学試験は大切と思います。昔の広島大学入試の問題を見て、学生
の力が判断できます。
工・ 2 ・女 まず広島大学の学生は約七割が県外出身だということを
初めて知りました。京都大学や東北大学などの学生は八割以上が県
外出身ということにも驚きました。次に、大学の入試制度でに関して、
広島大学は推薦入試の導入や AO 入試の導入、一芸入試の導入な
どあらゆる方面から学生が入学できるように改良し続けていると思い
ました。少子化といわれている現在でも広島大学の倍率が高いのは、
いろんな入試制度を取り入れているからというのも一つの理由になる
と思います。また、昭和 59 年度、 60 年度の推薦入学者と一般入学
者の成績で専門科目に差がないというのには納得しました。なぜなら、
専門科目というのは、高校の頃とは比べものにならないくらい専門的
な科目であり大学で初めて学び始めるからです。みんなのスタートラ
インが一緒であるとも言えると思います。高校時代の知識より大学に
入ってからやるかやらないかが成績を大きく左右するということを昨年
の一年間で感じました。そして、広島大学は個別の能力に応じた教
育課程の確立などの問題を解決するために、これからも入試制度は
変わっていくと思います。
工・ 2 ・女 旧制大学は入試なしで入学できていたということに驚きま
した。今では入試があるのが当然なので、すごく違和感があります。
考えてみれば、入学希望者の数も少なく、本当に意欲がある人しか
- 619 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
進学を希望しなかったので不必要なのは当たり前という気がしますが。
しかし、もう入試なしというのは考えられません。希望者が定員を大き
く越えてしまう以上、実施しなければならないと思います。ただ、入試
を実施することで学力がある程度そろって効率よく勉強したりできると
いうような利点はありますが、確かに受験者の輪切り選別は間違いな
くおこっています。さらに、勉強の内容より点数をとることに重点がお
かれていくようで、何がしたいのか分からなくなっています。これはど
んな試験に関してもいえることだと思います。試験を狙い通り実施す
るというのは本当に難しいことです…。そういうことを避けるためにも小
論文や AO 入試が行われているのでしょう。しかし、これらもどのよう
に良し悪しを判断するかが大変だと思います。まだまだこれからも本
来の目的を達するために、入試制度は改良されなければならないの
だなと、入試制度の深さをしみじみ考えさせられました。
工・ 2 ・女 広島大学の特徴や学生たちの特徴を、入試という影響か
ら考えているのが面白かった。広島という地方都市になぜ所在地域
以外から人が集まるのか、大阪大学や九州大学という旧帝国大学が
近くにありながら競争率 1 、 5 倍前後を維持し、人気大学として存在
しているのか。これらの広島大学の特徴である二点は広島大学が推
薦入試を導入してきたからだということを知り、自分が今広島大学に
在籍していることが偶然に感じなくなった。昔の人々が優秀な人を集
めようと全国から学生を集めた影響で今も広島大学には、いろんな地
域から学生が集まり、いろんな人と違いを楽しむことができるのだと思
うとすごい感謝しなくてはならないと感じた。また、入試というのは学生
の集めかたを決めるもので、広島大学では師範学校の影響をうけ、
堅実な学力を備えた人を集めるために、基本的な問題が出題されて
いる。これらのことを学び、大学はたくさんあるけれど、過去から贈ら
れる影響は大きく、それぞれに特徴のあるものなんだなということをす
ごく感じた。大学の数に対して、少子化が進み、多様化する入試制度
の中でも、広島大学の多様な人が集まるという特徴がなくならないで
欲しいと思った。
工・ 2 ・女 無試験で入学できていたことは知らなかったです。今回
の抗議で思ったことは、入学試験は常に移り変わっていっているとい
うことです。推薦入試や AO 入試など新しい入試制度も加わって、い
ろんな形で入学できて、いろんな人が大学に集まってくるんだなと思
いました。昔の広島大学の入学試験は難しいと思いましたが、私が入
学した時も難しいと思ったので、今も昔も変わらず難しいです。今、入
試を受けても、広島大学に私は受からないと思いました。
工・ 2 ・女 現在の入試制度は昔とは異なることは知っていたが、一
期校や二期校の意味や、昔はどのような入試制度だったのかはよく
知らなかった。共通一次学力試験は今のセンター試験のようなものだ
が、なくていいのにと思ったことが何度かあった。共通一次学力試験
が導入された理由が、高校教育では習わないような難問の出題を解
消したり、暗記中心の受験勉強をなくしたり、試験日を統一することで
二期校のコンプレックスをなくすためだと分かって納得した。昔は一
期校、二期校とわかれていたため、学校間に優劣ができていたのか
なと思った。
工・ 2 ・女 現在,広島大学を始めとする大学の入試制度には様々
なものがあります。たとえば,推薦, AO 入試,前期試験,中期試験,
後期試験など。かつては,学力検査・身体検査・調査書・進学適性検
査で構成されていました。また入試制度は昭和 45 年の共通一次学
力試験で大きく変化し、平成 1 年にはセンター試験を導入しました。
年々進学率が上がり、女子学生数も増えました。今では、男女関係な
く普通に進学していますが、やはり昔は女の子より男のの方が進学率
は高かったんだと思った。時がたつにつれ、教育に対する男女間の
差別がなくなったと感じた。
工・ 2 ・女 旧制大学の入試制度は、原則として旧制高等学校の卒
業者等を無試験で入学させるものだった。東京帝大法学部から入学
試験の実施が開始され常識化された。広島大学も後に選抜試験が
実施されるようになった。共通一次学力試験は昭和 54 年から導入さ
れたらしい。しかし、共通一次学力試験には批判があり、大学の偏差
値による序列化につながった。確かに、わたし達も大学を選ぶ際に、
自分の偏差値と大学の偏差値を比較して決めた人がほとんどだろう。
平成二年にはセンター試験が導入される。意外にも最近に導入され
ていたことに驚いた。広島大学の 2 次試験は平易で基本的な問題を
出題し、堅実な学力を備えた人物を着実に選抜しようとしているという
ことだ。わたしたちが 1 年前に受験した時の問題も基本的事項をしっ
かり理解しておけば確実に解ける問題だった。
などで人を採用していたので最初の試験制度が定着しなかったとい
うことは初めて知った。それに比べたら中国の科挙は長く続いてて、
もう廃止されてしまったが歴史あるすごい制度なんだなと思った。広
島大学を受ける人数について、前身校の影響が大きいのには驚いた。
しかし、広島高等師範学校を卒業した人たちが地元に戻って教師に
なり広島大学の話をし、それに魅力を感じた生徒たちが受けに来ると
いうのは納得できた。推薦入学ができた当時の入学者の学力につい
て、一般教養の成績は推薦入学者のほうがよく、専門教育には差が
ないというのはなんだかおもしろい傾向だなと思った。でも、推薦入学
で入ったのだから、高校の成績と教養の成績がリンクしているというの
はわかる気がする。
工・ 2 ・男 広島大学に入学した生徒の出身地域は地元出身が多い
かなと思っていたが、全国から集まっていて驚いた。京都大学に入学
した生徒で京都出身の生徒はたったの 1 割しかいないのも意外だっ
た。大学に進学する生徒の割合は年々増えてきており、学歴社会に
なっている感じがした。センター試験ができなかった場合、自分の第
一志望校を受験することができなくなるので、センター試験はないほ
うが良かったと思う。(僕は失敗したので・・・)昔の広島大学の入試問
題は今よりも少し簡単な問題が多いと感じた。
工・ 2 ・男 今日の講義を受けて、試験制度の起源や、入試制度、
広島大学における入試についてなど、さまざまなことを学んだ。この
講義で戦前の入試制度についても学んだが、大正 4(1915)年時では、
高等学校卒業生数が 1831 人しかいなかったことにとても驚かされた。
このおよそ 100 年の間に教育制度が大きく変化したことを身にしみて
感じた。また、広島大学も、創立してからさまざまな入試制度を導入し、
いろいろと変えていったことで、現在の広島大学の入試制度があるの
だということがわかった。
工・ 2 ・男 中国の官吏登用試験に始まる人類の入試、試験の歴史
は 6 世紀にまで遡る。しかしその時代の移り変わりの中で、試験に問
われる内容こそ違えど、この、入試という制度の大枠は損なわれること
無く現在においても積極的に取り入れられているというのはすごいこ
とだと感じた。また、そのような歴史の中で、日本の大学受験は戦前と
戦後で大きく変革をした。現在では、推薦入試や AO 入試、センター
試験といった新しい制度も取り入れられ、入試は多様化しつつある。
私立の大学などではユニークな入試形式をとるところもあり、入試の
形態は多様化しつつあるといえる。これはより多くの才能に門戸を開
き学ぶ機会を与えることにつながる、いい傾向だと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の入試問題は確かに基本的な問題が多く、正
直言って非常に簡単とゆう印象だったが、やっぱりそうだった。工学
部第一類の場合、 2 次の配点が 1 600 点(数学 600 理科 600 英語
400)と高いので、センター試験がいかに悪くてもほとんど 2 次で決ま
ってしまう。実際、自分はセンターは悪かったが、数学と理科が 8 割
とれて合格した。ただ、英語は 2 割しかとれていなかった。なので、入
学しても TOEIC は非常に低い。基本的な問題にもかかわらず英語
2 割しかとれていないのに大学に合格しているのはやはりおかしい。
合否は合計でだすが、一教科あたり 4 割以上とれていないと不合格
とする、など、入試制度を変える必要があると思う。
工・ 2 ・男 広島大学に入学してから、この大学には非常に様々な
都道府県から人々が集まってきているなあと思っていた。今回の講義
を受けてさらにそのことを深く感じた。せっかく自分が今まで行ったこ
とのない地から来ている人がたくさんいるので、その人達から色々な
話を聞きたいとも思った。また、上流階級の意思に偏った戦前の入試
制度から、議論、検討を経て昨今のような万人に平等な制度になった
ことは、経済・技術大国に日本が成る為の基盤となり、無くてはならな
い変化であったのではないかと思った。
工・ 2 ・男 広島大学に限った話ではないのですが、実際に入試制
度には多くの問題があると思います。確かに推薦入試や AO 入試を
実施すると物事の考え方が柔軟な人を入学させることができて、一般
入試では安定した学力を持った人を入学させることができます。しか
し、大学に入ってから勉強していった時に、前者は授業についていけ
なくなったり、後者は暗記することに頼りきって頭が固くなってしまった
人がいると思います。両者それぞれの長所を伸ばすような授業をして
欲しいです。
工・ 2 ・女 入試制度は戦前と戦後を見ると違うがわかる。戦前の入
試制度は急性大学の場合では、卒業したら無試験で入学させた。一
方、広島大学前身校では、推薦を実施した。戦後、大学入試制度が
変わってくる。今回は、役に立された財団法人が作成といあわれた。
広島大学では、昭和時代から推薦入試を実施する。当時の推薦と一
般入学の学力を比較すると一般入学者の成績が良好。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、まず入試自体が昔から何度も工
夫されてできてきていたということを、改めて感じた。あと、特に日本と
いう国は、戦前と戦後では教育やその他の考え方や思想が大きく変
わっていったために、今回の内容のような入試についても大きく違っ
ているということがよくわかった。このことで特に変わったんだと感じた
事は、女性の大学進学が目覚しく増えていったことが挙げられると思
う。また今回入試のことについて取り上げていたが、こんなとこに注目
して、大学のほしかった人材や狙いが分かるなんて思ってもみなかっ
た。
工・ 2 ・女 名古屋大学との比較で、広島大学が中国地方出身の人
が半分以下に比べて名古屋大学は中部地方出身の人が約 4 分の 3
ということには驚いた。でも、私は名古屋に住んでいたことがあったの
だが、昔の友達で名古屋大学に行った人を何人かきいていたので、
わからなくもないなと思った。入学試験の起源について、日本が血縁
工・ 2 ・男 中部地方からの人ばかりでなく、全国から幅広くやってき
ているのはさすがマンモス大学のことはあるなと思った。旧帝大の名
古屋大学は東海地方出身の人が 70 %超えていて、一応全国幅広く
来ているけど偏った分布になっていて、その点でもいろんな地域の文
化を学んで自分の見識を広げるのに役立つので広島大学に来てよ
- 620 -
かった。入試問題は難問奇問がなく、平易で基本的な問題を出題し
て堅実な学力を備えた人物を選抜しようとする姿勢が中堅的な国公
立大学として頼もしいと思った。
工・ 2 ・男 どのような制度にしても必ず長所と短所が備わってしまう
のは何に対しても同じことではないだろうか。全国に数多と受験生が
いる以上、何かを犠牲にしなければいけないのは仕様の無いことだと
思う。だからといってそこに甘んじてはいけないのも事実である。ここ
広島大学でも様々な方法を模索してはいるが、今日の講義を聴講し
た上では、まだ教養だけでなく各学問に特化した優秀な人材を獲得
する術を確実に見出せてはいないと感じられる。現在の社会情勢に
おいて人材育成の場は経済危機の打破に最も重要点だといえる為、
少しでも早く良策を練っていかなければならないと焦燥感を煽られた
講できるのでそれぞれにあった教育課程を作ることができているので
はないだろうか。私は広島大学にはたくさんの学部がありその中でも
また複数の課程に分かれたりとできるので「入試の課題」は心配ない
と考える。
工・ 2 ・男 広島大学の入試問題は基礎的な問題で構成されている
という話は高校にいたころからよく聞かされていました。入試問題でよ
くある、誰も解けそうにない理不尽な問題とは違い、広大の問題は解
くのが好きだったのを思い出しました。広大のこの方針には非常に共
感します。難しい問題を解かせるより基本的な事項を多方面から理解
するほうがはるかに大切だと思います。基本ができてないと大学に入
ってからの勉強でも不自由しますし、その後の講義で吸収していくも
のも違ってくるはずだからです。
工・ 2 ・男 現在でも広島大学には全国から入学者が集まってくる。
これは広島大学の前身校である広島高等師範学校の特徴が受け継
がれているのだと思った。長い年月がたってもこのような伝統が続い
ているのは凄いことだと思った。また日本全国から学生が集まってくる
というこで、日本各地の文化に触れることができ、広い角度でものごと
を見ることが出来るようになると思った。そしてその経験をいかして、
日本社会の根底を支える中堅的な人間になりたいと思いました。
工・ 2 ・男 現在の入試のやりかたに至るまでに様々な入試があった
ことにあどろきました。広島高等師範学校の試験が選抜ではなく推薦
方式をとったことには感心しました。東京高師のあとにつづくのでは
なく、東京に負けない人材を確保しようとするその姿勢はとても素晴ら
しいとおもいます。現在の広島大学の入試もやはり「堅実な学力を持
った人材」を選抜するもので、広島大学がどのような学力観を持って
いるのかがわかってよかったです。
工・ 2 ・男 昔は広島大学のような国立大学は、学生を地元の地域
からだけでなく全国から集めるために選抜試験が主流の中、推薦制
度を導入していたということについて意外に思った。しかし、あまり効
果がなかったのか、大正 11 年からは選抜試験に変更してしまった。
やはり全国から学生を集めるためには長い年月が必要だと思う。また、
昭和 54 年から導入された共通一次学力試験はさまざまな批評もあ
ったが、現在まで続いているのは多くのメリットがあるからだと思う。大
学の入試制度は今後も変わっていくかもしれないが、制度が変わっ
たとしても学生の実力が活かされるようにあってほしい。
工・ 2 ・男 今日の講義で、広大と名古屋大の地方別出身者の表を
見て、広島は、全国の人に広く知られている大学なんだなあと考えた。
広大は第二期で、旧帝大は第一期の試験日であった。そのため、当
時の広大は、旧帝大から落ちた人が流れ込みやすく、以外に高レベ
ルな大学だったのではと考えた。広島大学の入試特性は、基本を大
事にした問題が多いと聞く理由は、広大が昔の高等師範の流れをく
んでいるからだとわかった。今もなお基本問題が多いと聞くが、これ
は、教授や学長が変わっても、この高等師範の流れが大事に受け継
がれているからだと考えた。
工・ 2 ・男 講義前にはどのように入試と学生たちが広島大学に関
係あるのかとまったくわからなかったので、今回の講義を受けてなる
ほど、そういうことなのかと考えさせられた。例えば他大との出身高校
の比較では、なぜ広島大学は広い地域から学生が来るのかということ
が、昔の入試体系や師範学校という教員を育成する教育機関が前身
校だったことによるもので、それが今も影響がある、ということで、改め
て前身校の影響の深さを思い知らされたとともに、日本は昔からの流
れを結構引いているものだなと思った。それは先生がしてくださった
日本の官吏や議員の話とも関係があるなと感じた。あと、共通一次の
試験について批判が出てきた、というようなことが書かれていたが、で
はセンター試験に変わったことでどう改善されたのか、マークシート方
式などあまり改善されていないのではないかなどと考えた。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校である高等師範学校の入試では一つ
の県につき二人しか推薦されないという推薦制度を使っていたという
ことを聞いて、とてもレベルの高い学校になっていたということに驚き
ました。また、広大の学生は中国地方出身の人が多いというのは自
分も中国地方の出身なのでよく分かりました。資料にある過去の入試
問題を見て自分の受けた入試問題と比べてみると英語はかなり問題
の傾向が変わっているというのがよく分かりそこに時代の変化を感じ
ました。
工・ 2 ・男 今回の講義は、いままでの講義の中でも特に自分と関わ
りがあったので、興味深かったです。まず、広大生の出身地について
ですが、県内からだけでなく、様々な都道府県から来ていることがわ
かりました。それはやはり、広島大学に行く価値があると考える人多い
からだと思いました。次に入試について、今までは、入試制度が変わ
ったのはセンター試験くらいだろうと思っていましたが、戦前からは大
分変わったなと思いました。特に、旧制の高等学校を卒業したら無試
験で大学に入れるということに驚きました。また、最後に広大の入試
は基本的な問題が多いとありましたが、僕としてはなかなか難しかっ
たと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学は中国地方の学生が多いけれども他に近畿や
九州からの生徒が多く全国各地から来ているのがわかるが名古屋大
は半数以上が地元出身となっていてそれぞれの大学の特徴を現して
いると思う。また入試は共通一次学力試験ができて入試期日が統一
されたり難問奇問が解消されたりしたが大学の序列化など多くのデメ
リットもあったようだ。広島大学でも入試制度は高校の調査書の重視、
推薦入試、 AO 入試など変化をとげてきていた。大学への入口を多
様化してはきているが、大学にはいっては、同じ教育を受けるので、
それなりの学力はどの入口からきたとしても必要とされる。いま、学力
が低下してきているといわれている、実際にそうだと思う。自分もその
世代だ、自分としては制度がいろいろと変わってきて、そのせいにし
たいが全てがそういうわけではない。しかしその時代に必要な筋の通
った教育制度が必要だと思う。
工・ 2 ・男 出身地域からその大学の特徴を探って行くのは興味深
かった。広島大学は割と様々な地域から人が集まっているので、全国
的にも多少は知られている大学であることが考えられた。昔の大学の
制度で、 1 期 2 期というのは知らず、入試の傾向にもそこから大きく
変化していたことが伺える。入試出題傾向で、広大は基本的なことを
熟知していれば大丈夫な問題が出ており、今とは、比較的、難関国
立と若干平易な国立大学の架け橋的な役割が果たされていたことが
考えられた。
工・ 2 ・男 最後の「入試の課題」について確かに入り口はたくさんあ
ると思った。高校の時に真面目にしていた人は推薦でも入学できるが、
そうでない人は厳しい。逆にテストにめっぽう強い人は一般入学で力
を発揮できるが、そうでない人はやはり厳しい。このようにそれぞれみ
んな違っていて、みんな同じ教育課程というのは最適ではないと思う。
しかし一人ひとりが違った時間割を組むことができ、好きな授業を受
工・ 2 ・男 まずはじめに、戦後の入試制度から説明があったので、
そこまでさかのぼって話が進められるんだということで驚いてしまった。
昭和 22 年にはじめられた進学適性検査や 48 年度に始められた能
研テストなど近年のセンター試験とは違ったまた別の試験があったと
いうことをはじめて知り、それらが改善されて共通一次試験になって
いったのだということも知り、今あるセンター試験はいろんな批判はあ
るけれども改善されて落ち着いた形なんだなと思った。広島大学の選
抜試験は教科書を完璧にすれば良いといわれるが、それは昔から言
われていたことであったということを聞き、昔から堅実な力をつけた人
物を選抜していたんだなと思った。
工・ 2 ・男 この講義を聞くまでは、入試というものはただただ受験勉
強し入学テストを受けて合格するためのもののような感じでしかなく、
何のために、どのようにして今の入試の制度ができたかなど考えもし
なかった。入試が 6 世紀末の中国であったなど、歴史が古いことを知
り驚いた。また、入試が今にいたるまでにこんなに変遷してきているこ
とを知らなかった。今では推薦入試やセンター試験など多様化してき
たが、まだまだ問題点もあると講義を受けて思った。今回の授業は全
然知らなかったことばかりだったのでとてもよかったと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受け戦前は大正 11 年まで旧制大学に入
学するためには旧制高等学校の卒業生でなければいけなっかったこ
とにとても驚きました。また受験方式も今の方法に至るまでさまざまな
方法を試しそして避難を浴びながらできたのだとよくわかった。そして
これからその入試の課題である入試は多様化しているのに大学の教
育は同じことや個別に応じた教育過程の確立などを入試を選抜試験
としてのみ利用するという意識を改めて行っていくことが今の大学に
求められていることだとわかった。
工・ 2 ・男 戦前は大学入試試験がなかったことに驚いた。今は 1
次試験があって 2 次試験があるので、二回も試験を受けなくてはなら
ない。その分、きちんと生徒の成績が客観的に評価され、より自分の
学力に見合った大学に行けるようになったと思う。最近は昔に比べて
難問・奇問は少なくなったように思われる。広島の大学試験も年々、
簡単になっているように思われるが、それは生徒がしっかりと基本問
題や知識等を把握しているか見ているのだと思う。国がゆとり教育を
行ったために、その影響が顕著になって最近現れていると思う。だか
ら私たちは学力とともに、自分の力で何とかする力を身につけなけれ
ばならないと思った。
工・ 2 ・男 一番印象に残ったのが、広大の入試問題はあえて基本
的な問題を出題しているという点である。実際高 3 のとき、多くの大学
の 2 次問題を解いたが、広大は基本的なことを問う問題が多く、感覚
的には解きやすい、とっつきやすいという印象があった。スタンダード
- 621 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
な問題を出題し、いたずらに受験生を困らせるようなことはしないとい
う広大独特の考えは、昔の高等師範の流れをくんで教育的見地に立
っていたのだということをはじめて知った。広島大学の長い歴史につ
いてもっと知りたいと感じるようになった。
工・ 2 ・男 入試試験の起源が中国の科挙にあるとは考えたこともな
かったが、そうだと聞くと理解できる。法的には入試は絶対必要という
わけではないらしいが、大学が求める人材を適切に見極めるのには
入試は欠かせないと思う。広島大学の入試について、「教科書熟読
で十分」、「やさしい入試問題」という評価もされているが、実際自分
が受けた感想はほぼそれに近いものだった。過去問にも悪問といわ
れるものはほとんどなかった。そのことから広島大学は基礎ができて
いる人を求めているのかなと思った。実際、基礎があれば応用はあと
からいくらでもできるはずである。
工・ 2 ・男 学生の出身地域で広島大学は 30 パーセント強あること
に驚いた。私の身の回りにはほとんど広島出身の学生がいないから
だ。広島大学の中でも、学部・学科によって出身地域が分かれるのか
もしれない。戦前の原則として旧制高等学校の卒業生を無試験で入
学させる制度は非常に甘いと思った。昔の広大の入試問題を解いて
みようとしたが非常に難しくて驚いた。僕たちの時には、基本的であり
比較的とくことが出来た。堅実な学力を備えた人物を求めているとい
うことに非常に納得がいく。広島大学は二次試験の方に力を入れて
いて、受験生の思考力を求めているのかなと考えた。だが個人的に
はもっと人格部分も尊重されるべきだと思う。私の周りには、入学当時
は優秀だったが現在は落ちこぼれがたくさんいるからだ。将来の子供
たちが現在抱えている入試の課題を克服したよりよい入試制度を受
けれることを願うばかりである。
工・ 2 ・男 旧制大学では、原則として高等学校の卒業者を無試験
で入学させると聞いてとても驚きました。これでは公平さに欠けると思
います。高等学校で努力した人と怠けていた人が同じ条件で入学で
きるのはおかしいと思います。また、その後の共通学力試験方式の導
入によってさまざまな意見が出されていました。私は共通学力試験に
対する批判がかなりあることに驚きました。確かに共通学力試験は大
学の序列化を促進すると思います。そして学生が偏差値を強く意識
すると思います。ただ共通学力試験が悪いとは思いません。自分の
入りたい大学があるのならそれに向けて努力する人もいるだろうし、
試練があるからこそ人は怠けずに勉強すると思います。
工・ 2 ・男 私はセンター試験を受け、二次の一般入試を受けて広
島大学に入学することができた。これは国公立大学であれば一般的
であるといえる。私が大学を受験しようと考えたとき、おおまかに分け
れば、推薦入試と一般入試の二つの選択肢があった。しかし私達の
親の世代くらいになると推薦入試なんてものはほとんどなく、大学が
施す一般入試のみであった。しかも共通一次試験ができる前は、自
分の学力でいける大学を目指すことしかできなかった。今、広島大学
にいることをほこりに思いこれからも勉学をがんばりたいと思う。
工・ 2 ・男 この講義を聞くまでは、昔の入試制度については全く興
味もなく知らなかった。しかし入試せいどは時を経るにつれ、より公平
になり、受け入れる生徒の幅も広がっていることを改めて知って、もっ
と知りたいと思うようになった。自分はセンター試験、二次試験を受け
て入学したが、戦前は高等学校の卒業者を無条件で入学させていた
ことを知って驚いた。とはいえ昔の高等学校入学者の数を見れば当り
前なのかもしれない。大学の入試形態も社会の変化に適応していくも
のなのだと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義で昔の国立大学には一期、二期校という区
切りがあり、その区切りをなくすのを一つの目標として共通一次学力
試験が導入されたことを初めて知った。このシステムの導入により高
校教育の内容を逸脱した難問や奇問の解消や、暗記中心の受験勉
強の弊害を和らげるといった期待がよせられた。しかし、受験生の思
考力を判断できないなどといった問題が起きた。それに伴って現在も
実施されているセンター入試の制度が変わる日が来るのも近いと私
は思う。こういった問題があるからこそ国立大学における二次試験の
役割は大きいと思う。広島大学の二次試験は基本的ではあるが堅実
な学力を備えた人物を着実に選抜しようとしているというのは支持で
きる。このスタイルを保持しつつ、未来の社会に役立つ人間の選抜が
できるような二次試験を作成してもらうことを期待したい。
工・ 2 ・男 まず、昔の入試問題は今と比べて問題数も少なく、簡単
なのかなと勝手に思っていたが、資料の過去問を見て問題数、難易
度も今と同じくらい、むしろ難しいのではないかと思った。それだけ、
過去から入試については厳重に行われていたのだなぁと感じた。昔
の中国のように、日本は科挙みたいな入試が続かなかったときいたが、
資料のグラフから大学に行く人は右肩上がりなので入試の制度や大
学の質が向上している証拠だと思う。僕も大学入試のときはこれまで
にないほど勉強したが、その出題問題のうらにはさまざまな先生によ
る試行錯誤や、会議での議論を通して成り立っているものだということ
を知った。
工・ 2 ・男 自分は実家が大学から一時間と近いこともあり、 2 年に
なった今でも自宅生です。高校時代、広島にある大学だからほぼ広
島県の人ばかりだろうと思っていたのですが、実際には 3 割にも満た
ないことを知り驚いたのを覚えています。自分以外の広島県民もほぼ
下宿しているので、自宅生が少なくて不安に感じていました。今日の
授業で、名古屋大学のように地元の人たちの割合がかなり多い大学
もあれば、京都大学のように他県からの学生でいっぱいの大学もある
と知り、各大学で特色が出るものだと思いました。
工・ 2 ・男 これまであまり深く考えたこともなかったが、今回の講義
を受け、そして自分でまた考えてみて、入試のような試験がごく最近
始まったことに気づき驚きました。それから、この短い間に推薦入試
や AO 入試、第一期や第二期、またセンター試験のような新しい試
験形式がどんどん出てきているということ、またそれによって特にセン
ター試験に関しては批判的な意見もあるということも分かりました。確
かにその意見も私にとってはよく分かるものでした。今の入試体制が
受験者の能力を判断するベストなものだとは思えません。けれどこれ
から先、まだまだ新しい試験が出てくるのかもしれないと思いました。
工・ 2 ・男 旧制大学の入試制度は入学志願者が多い学部以外は
旧制高等学校の卒業者を無試験で入学させていたことや、広島大学
の前身校である広島高等師範学校の入試が第二回からしばらくの間、
推薦制だったということは初めて聞いたので、面白く感じたと共に当
時と現在の大学ではかなり違うものだったのだと改めて思った。しかし、
現在でも法令上は入学の認定にについて試験実施の必要はないと
いうことなので、入試はあたりまえに行われるものだと思っていた分驚
いた。
工・ 2 ・男 入試制度の多様化によって大学に入る方法がひろがり、
勉学以外が長けてる人も広大に入れるようになったが、入った後がご
ちゃまぜになっており、なんのために推薦や AO 入試で入ったのか
分からないように思えた。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、広島大学は実践力のある人材の
輩出に力を入れていると、改めて思った。その理由としては、難問や
奇問が解けるような学生でなく十分な基礎力をもった学生を採ってい
ることや、入試において調査書を重視したり推薦入試を早くから実施
していることがあげられる。総合大学を目指している大学として、この
ような入試制度を採用してきたことはとても理にかなっているように思
う。だが逆に、 AO 入試の採用はただの人数集めの制度で、学生の
レベルが下がってしまうように思う。それならば、私は定員を減らして
でも学生の学力レベルを維持するようにしたほうが良いと考える。
工・ 2 ・男 大学入試というと、現代の感覚で考えるとセンター試験と
二次試験で行われる選抜試験だが、昔からそうというわけではない。
無試験で入学できた時代もあり、多様に変化してきた。本来入試とは
入学するのに適しているかを判断するものだが、推薦入試や AO 入
試では学力試験を課さないこともあり、それが問題となることがある。
授業で配られた昭和 40 年度の入試問題を見てみると、今と比べて
少し難しいと思った。ゆとり教育の影響が大きいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の入学者が県外から 7 割ぐらい来ていることを
知り、それだけ広島大学には魅力があるんだとあらためて感じた。ま
た昔の大学入試の制度に第一期と第二期があり、さらに広島大学が
第二期校だったということにはとても驚いた。また自分が高校 3 年の
時に読んでいた蛍雪時代が昭和の中頃からありその内容が、自分が
読んだのと似たようなことが書いてあってとても面白かった。また広島
大學が毎年基本的な問題を出している理由が書いてあってとても興
味深かった。
工・ 2 ・男 はじめは試験という物がなかったということに驚きました。
それから試験導入され共通一次が出来るなどし、それらに対し批判も
あり現在に至るということに納得しました。今、僕らは試験を受け、大
学に入学したので、ここで、ちゃんと勉強しなければと思いました。
工・ 2 ・男 大学入試を受けてまだ 1 年くらいしかたってないので、
プリントを配られたときは懐かしい気持ちになりました。受験した時は
無我夢中でしたが、試験を実施する側から考えたのは初めてだった
ので、それに複雑なものがたくさんあるんだろうなと感じました。それ
でもちゃんとした制度が整ってないと信用も失うし、時代に合った体
制なども考えていかないといけないんだろうなと感じました。何十年前
といっても年に一回の試験なので、最近のことなのにこんなに違うの
かといった印象でした。
工・ 2 ・男 昔の入試問題とはどのようなものなのかとても興味をひか
れ、資料についていた昭和 40 年の入試問題を解いてみたが、自分
個人の感想としては、今も昔も大した差はないように感じた。入試制
度はどんどん多様化されているのに問題自体には大した差がないと
いうのはなんだかとても不思議な感覚だった。自分は広島大学に前
期試験に通って入学したのだが、 AO 入試など入試制度の多様化
により学力について格差がうまれるというのはやはりナンセンスである
と自分も思う。今回の講義で大学の入試について深く学んだことによ
り、大学入試で勉学は終わりではなく、より今の大学生活における勉
強への取り組みが今後大事になってくるのだと改めて深く感じること
ができたと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義ではまず入試の起源から始まってなかなか
難しいと感じた。けれど、昔の問題を解くというところで昔の問題が全
- 622 -
然解けなくて昔はもっと難しかったのかと思った。また今回の講義を
通じて自分の大学入試の時期を深く考えた。高校 3 年生のときは自
分が広島大学に行き、学びたいことも決まっていて目標もしっかり考
えていたなと振り返ってみると、今の自分はきちんと行動できているか
というとそうではないと思うのでこれからは自分のしたいことをがんば
ろうと考えた 90 分でした。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、まず初めに試験制度の起源がと
ても古かったことに驚きました。昔の試験はどのようなことをしていた
のか知りたくなりました。また、国立大学の入試が第一期と第二期に
分かれていたことも初めて知りました。今現在の入試は、学生が大学
を選ぶ時代と言うのを聞くけれど、やはり旧帝大、中堅大学、その他
地方の大学と学力次第で入れる大学と入れない大学が決まってしま
っているのが現状で、推薦入試もあるけれど、受けれる人も限られて
しまうので、学力も大事だけれど、人間性ややる気や夢なども考えた
入試ができればいいなと思いました。
工・ 2 ・男 最初の各大学での出身地域のところからとても面白く、い
い知識が増えたなと思います。北海道からの人も講義の中におり、大
学の広さを知りました。僕は福井県出身で、周りにあまり同じ県出身
の人がいなかったので、その人と共感できる部分が多々あると思いま
す。また入試問題のところでは、やさしそうな問題を取り入れ、堅実な
学力を備えた人物を選抜しようとしているという大学側の意図も知るこ
ともできたのでよかったと思います。これからも変わらず、より大学のレ
ベルがあがっていくといいなと思います。
工・ 2 ・男 広島大学は全国各地から学生が集まってきていて、さす
がある程度名の通った大学だなと思った。入試については、応用力
や発想力も大事だが何事も基礎が大事だし、レベルの高い大学ほど
難問だというのはナンセンスだと思うのでしっかりと基礎問題を解かせ
るという広島大学の入試形態は良いものだと思う。資料にあった昭和
40 年度の入試問題を見たが、数学は今と同じくらいの難易度で英語
は英作文が 1 問しかなかったもののほぼ今と変わらないような気がし
た。
工・ 2 ・男 入試試験の起源はとても興味深かった。中国が起源であ
ることや日本では定着しなかった等の情報は新鮮であった。基本的
に戦前には入学試験があまり行われていなかったというのは正直少
しうらやましくもあったが、それは大学に行く人間が少なく特別な場所
という意味合いが強かったからなのだろう。そうなると大学に進学して
いたかどうかは微妙な気がする。入試制度改革については親の話な
どからなんとなく知っていた。当初廣島大学は二期校だったというの
は驚きだった。これから入試制度は再び変わることがあるのだろうか。
少し疑問に思った。
工・ 2 ・男 自分も広島大学の入試問題を受けて入学したが、「堅実
な学力を備えた人物を着実に選抜しようとしている」という評価は昔と
変わらず正しいと思う。広島大学は難関大学でもなく普通の公立高
校の学生でも目指すことができ、地元の広島人が進みやすいいい大
学である。しかし大学の講義を受けてみてもすべての学生が真剣に
授業を聞いてはいない。教授のなかにも学生たちに知識を伝えようと
する意欲がないのではないか、と思ってしまう人もいる。せっかくこん
なすばらしい大学に来たのだがら、もっと充実した大学生活を送りた
い。
工・ 2 ・男 遠方からの受験生、入学者が増えているのは納得です、
交通網の発達や独り暮らしの生活水準向上がそれを可能にしたので
しょう。いまでで一番興味深い講義でした。
工・ 2 ・男 私は広島県内出身なので、特に深く考えず広島大学を
受験したので、広島大学に入学してから広島県外から来ている人が
すごく多いことを知って驚きました。なんで何だろうと思っていたので、
高校の先生に広島大学の卒業生がいるのではないかというのは、確
かにそうかもしれないと思いました。また、共通一次試験方式に対す
る批判で偏差値によって序列化し、偏差値重視を招来してしまうとい
うものがありましたが、多くの学生の順位を一度につけることができる
ので、それはいいことなのではないかと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学の入学試験、及び歴史全体においての入学試
験について学ぶことが出来た。高等学校の入試で、推薦制度を用い
たのには驚いた。最初は各知事の利益にしかならず、学校の質が落
ちるないのではないかと疑ったが、いざ結果を見てみると、いい方に
転がり、戦略性の高さを感じた。広島大学の入試傾向については、
基本的な問題が多いことは知っていたが、それは何故なのか知らな
かったので、問題の出題者の意図を知れてよかった。
工・ 2 ・男 今回の講義は今までと少し違い現在の広島大学につい
て触れている部分が多いように感じた。広島大学に来て意外だったこ
とが、広島大学は広島県民およびその周辺の県の人の出身者が多
いのかと思いきや、九州・近畿地区の人がめちゃめちゃ多かったこと
です。広島大学に居ればさまざまな地方の人と触れ合えてすごい楽
しいと思います。名古屋大学は全国からたくさん人が来るのかと思っ
ていたので意外でした。今回の講義は僕の中では一番興味深くて面
白かったです。
工・ 2 ・男 広島大学は意外に他県からの学生の多さでは、上位の
ほうなんだと知って、とても驚いた。実際僕も他県出身だし、まわりの
友達も他県の子が多いから、納得した。そして、入試の変遷だが、昔
の入試問題のほうが難しいイメージがあったが、昔のほうが簡単で、
今のほうが難しくなっているというのも、意外だった。プリントの最後に
ついてあった昔の入試問題もみることができて、とても興味深かった。
資料を見る限り、試験の方法についても色々と変わってきているみた
いだから、これからの変化も興味深い。
工・ 2 ・男 中国と日本の試験制度の違いが理解できた。中国では
6 世紀末から試験制度が採用されていた。これに対して日本は 8 世
紀に採用されたがすぐに廃止された。これは国の政治の違いが反映
されているからであった。中国では国の支配体制がまるごとかわるた
め、そこで働く役人もまるごとかえなければならない。そのために試験
をするため試験が絶えることがない。日本は支配体制がある程度引き
継がれるため、試験という制度があまり必要とされていなかったのであ
る。たしかに現在でも試験に対する取組というのは違いがあると思う。
中国は試験は 1 度きりであるために受かるためにもう勉強をする。日
本は何度でも受けることができるため、どうしても中国よりは勉強に対
する熱というのは劣るような気がする。日本も中国ほどではなくとも、
同じ学校は受けることができないようにするなど何か新しい制度を導
入することで試験に対する意識が変わるのではないかと思った。
工・ 2 ・男 私自身、広大の入試を受けて今この大学にいるわけだか
ら、大変興味深かったです。名古屋大学との比較で、学生の出身地
域の違いを示されていましたが、広島大学は、主に中国、四国、九州
といった近隣の地域の学生が多いけど、北海道など広い地域の学生
が来ている事がわかりました。また、プリントの一番後ろの問題を見て
みましたが、広大の入試は平易で基礎的といわれていたけど、今の
私にはそうは思えませんでした。最後に言われていた、「個別大学の
学力観(人材観)こそが問われている」という言葉は、私たち学生が、
真摯に受け入れなければならないと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の入試の経緯について
知ることができました。広島大学の学力が年々下がってきていること
は他の教授の話できいていたので知っていましたが、配布された資
料をみると昔の方が入試試験は簡単だったように思いました。入試制
度や入試傾向は大学教育をうけるにふさわしい能力、適性等を備え
た者を選抜するために年々変化を続けていることも知りました。今後
は入試の課題を克服できるように改善していってほしいと思います。
工・ 2 ・男 広島大学の学生の出身地のほぼ半数が中国地方である
ことには自分のまわりを考えると妥当だなと思ったが、名古屋大学の
学生は多いときには 80 パーセントが中部地方の学生だということに
は驚かされた。ただ人口のこともあるので一概には言えないが、兵庫
出身の自分が高校生のとき旧帝大ではあるが名古屋大学に行きたい
という学生は他の旧帝大に行きたいという学生に比べて少なかったと
いうことはあった。また関西と関東にはさまれる中部地方にある名古
屋大学は関西や関東の学生にしてみれば自分の地元にもそれなり
の大学があるのでわざわざ入学しようとは思わないのだと考えた。
工・ 2 ・男 大学入試がいつから今と同じような形になったかというこ
とは、ぜんぜん知らなかった。大学によって始まった時期が違ったこと
は結構意外だった。プリントの最後についていた昔の大学入試問題
は言葉遣いが微妙に古いなとは思ったけれども、自分たちが受験勉
強のときにやったものとほとんど一緒だったと思う。広島大学は標準
的な問題が多いと書いてあったが、確かに受験勉強のときはちゃんと
勉強していればほとんど解ける問題ばっかりだという印象を持ったこと
を覚えている。
工・ 2 ・男 入試の変化や時代の移りによって学生もいろいろ変わっ
ていくと思うけど、自分たちは今いる環境のなかで最善を尽くしてい
かなければならないと思った。広島大学の入試はこれからも変わると
思うけど、入ってくる学生の本質は変わってわいけないと思う。
工・ 2 ・男 はじめに日本の入試制度がどのように確立されたかとい
うことがかなり興味深かった。以前は高等学校卒業者全員に大学に
入学することを許可していたので、高等学校卒業者は将来、職につく
のに苦労しなかっただろうし、逆に高等学校を卒業しなかった人はた
いへんだったのではないかと思う。そこで、人の格差が大きくできてい
たのではないかと推測される。そういう意味で現在は専門学校など分
野によってさまざまな道があっていろんな人が就職できるようになった
のはいいことだと思う。次に、広島大学と名古屋大学にくる現在の学
生の全国分布の比較をして、やはり大学のある地域からの入学者が
多いというのが共通点だと思う。しかし、広島大学は西より、名古屋大
学は中部地方の人がが多いなど大学の立地場所によって違ってくる
とも思った。今回は二つとも国立大学だったので、私立大学の場合は
どのような分布になるのかということが今回の授業を聞いて気になっ
た。
工・ 2 ・男 大学における、出身地域の差は非常に興味深かった。
人気大学ほど、地元以外の出身者が増えるものと思ったが、そうでも
ないので、驚きました。また、現在の大学の入学試験は多様化してい
るのはもっともだと思いました。特に私立大学にはそれが目立つよう
に思います。講義でも触れられていたように、入試制度の二極化が進
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
んでいるように思います。人気のある大学では、多くの試験科目があ
り、人気のない大学では、科目も少なく、易しいものになっていると思
います。また、推薦入試や AO 入試、一芸入試など多くの入試があり
多様化している。それが特に進んでいるのは、人気のない私立大学
だと思いました。理由として、人気のある国公立大学よりも早く推薦入
試等を行い、少しでも人員を確保したいのではないかと考えています。
また、今日の日本では、少子化が進み、生徒の確保が難しい状況と
なって来ていることもあるであろう。私立大学では、人員を確保しない
と経営が厳しく、人員確保の為には仕方の無いことだと思いますが、
やはり学力の低下を招きかねないので、もう少し慎重に行い、学校全
体の学力を向上させることで、人気も出てくるのではないだろうか。
工・ 2 ・男 今回の講義は入試についてということで、自分たちにも
おおいに関係があったことだったので、非常に興味深かったです。入
試制度の起源をたどってみると、それはかなり古いものであり、また、
国や時代によって制度の形がさまざまであったということが分かりまし
た。そこで、現代の制度について考えてみると、多様化により、推薦
入試や AO 入試などが以前より多く受け入れられています。今後も、
これらの入試制度はさらにメジャーになっていくのではないかと予想
されます。その他では、入学希望者数などを理由に、人気のある大学
とそうでない大学が両極化していっているということが気になりました。
工・ 2 ・男 広島大学の学生は全国のいろいろな県から来てます。
広島大学というのだから広島出身の人が多いと思っていましたが、実
際に来てみると広島の友達はそんなにいない気がします。ですがデ
ータによるとやはり広島出身の人が多いのでちょっと不思議に思いま
した。その大学の場所の人が圧倒的に多いのはあまりいい気がしま
せん。そういう待遇なのかそれともそこを志望する人たちが多いのか
わかりません。高校のとき香川大学のオープンキャンパスに行きまし
たが香川の人を待遇すると言ってました。そういうのは好きじゃありま
せん。いろんな県の人が来てる広大はいいところだと思います。
工・ 2 ・男 今回の内容は、自分も去年広島大学の入試を受けたも
のとしてはとても興味深い講義内容であった。どこの大学へ入るのに
も入試試験は欠かせない。それは、すべての人に対して公平でなけ
ればならない。入試試験は個人の能力を測るにはとても良い制度だ
と自分は思う。ただ、プリントでも批判としてありましたが共通一次試
験などで分かっていなくても 4 択のどれかが正解などとしてしまって
は、受講者の本当の能力を図ることはできない。さらに、リスニングで
は毎年さまざまなトラブルが見られ、とても公平に試験をいけられてい
るとは思えない。個人の能力を 1 度きりの試験ですべて把握すること
は非常に難しいと思うが、どこの大学や入試センターでもより公平に、
少しでも受講者の本来の能力が分かるような試験を施してほしい。
工・ 2 ・男 広島県出身の学生は他大学と比べると、多くもなく、少な
くもなく普通だと思いました。私は、兵庫県出身だが、広島県を除く中
国四国地方の県よりも兵庫県出身者が多いことに驚きました。広島大
学の入試方法には、前期日程、後期日程の一般入試のほかに推薦
入試や AO 入試といったさまざまな入試があることを知りました。広島
大学の入試制度は小論文、帰国子女の特別選抜、 AO 入試など時
代と共に変化していることを知りました。広島大学の入試は基本的な
問題が多く、努力すれば、誰でも入ることができると実感しました。
工・ 2 ・男 日本の教育 system はすばらしかったです。大学は入る
前に、ふたつしけんがあります。ますはセンタ試験、次が大学の試験
だ。トップな大學は例えば東京大学が試験の問題は絶対むずかし。
レベルを守るためにそんなことをやらないけないです。学生の出身地
域から見る大学の特徴見るとだいたい同じ県住んでいる学生は一番
近いな大学に入ります。例えば、広島大学をとって大学の仲に 4 人
を取って二人の中に中国出身です。近いのは便利です。わざわっざ
とい大学行かなくてもいい。
工・ 2 ・男 今回の講義で入試のことなどの話を聞いて改めて広島
大学に入学したときの初心を思い出せた気がします。またこの講義を
聞いてやはり一番に思ったのは、今さまざまな入試があり、推薦から
一般入試などいろいろなのに大学の中ではそれぞれが同じ教育をう
けていることには確かに疑問をもった。せっかくこの大学に入りたくて
人それぞれがそれぞれの努力で入ってきたのだから個人個人の能
力に合わせた教育課程があってほしいとおもいました。
工・ 2 ・男 今回の講義では大学に集まる学生の傾向など、興味深
い内容であった。このような情報を知って、やはり大学にはいろいろと
個性が存在しているのだと、改めて感じることができた。また、自分た
ちが受けた入試制度においても、基本原則を設けることによって、公
正な受験を受けることができたというのは特に意識していなかったけ
れども、とても重要なことであると気づかされた。受験生の輪切り選択
が進む中でも、最低限どの大学でも狙うことができるという点では、と
ても重要な内容だと考えた。
工・ 2 ・男 センター試験はかなり前から行われていたと思っていた
が実際は平成 2 年からとかなり新しい入試制度だということを知りまし
た。センター試験では毎年リスニングの機器の故障の問題があるので
すが、リスニング制度が導入されたときはそのような故障は起きなかっ
たのか、またリスニング制度はいつ導入されたかも聞けたらよかったと
思いました。最近広島大学では AO 入試の募集人数が少しずつ減
っていると聞いたがなぜ減らしているのかと疑問に思いました。
工・ 2 ・男 広島大学の試験では昔の流れを汲んで基本的な問題が
多く、昭和 40 年の問題も解いてみたら基本的なものが多く結構解く
ことができました。大学はやはりその地域の学生が多くいることを改め
て感じました。広島大学でも昔入試の不正事件があったことがわかり
少しショックを受けました。現在は入試制度が多様化されて、私も AO
入試で入ったのですが同じ教育課程で合格すると変わらないという
のは少しおかしいと感じました。そのため入試まではがんばって、大
学では少し手を抜くということがあると思うので入試制度のように教育
課程も多様化もしくは改善していく必要があるのかもしれないと今回
の講義を通して考えました。
工・ 2 ・男 私は兵庫県出身でこの広島大学に一般入試で入ったの
ですが、それは単なる偶然なのか、もしくは何かがそうさせたのかとい
ったようなことをこの講義を受けて思いました。実際、私の高校の担任
の先生も広島大学出身で、もしかしたらその影響を少なからず受けて
いるのではないかとも思います。また、広島大学の入試問題のイメー
ジとしては、難しすぎず簡単すぎずといった感じだったのですが大学
側で意図的にそうしているのだということがよく分かりました。近年は
学力低下が騒がれており、確かにその事実は否定することはできな
いと思いますが、それはゆとり教育や近年の子供が悪いというのだけ
ではなく、この便利で誘惑の多い環境が招いた副産物であるとも考え
られると思いました。
工・ 2 ・男 広島大学には、全国の様々なところから学生が集まって
いて、すごいと思った。中国地方は圧倒的に多いが、近畿、九州も近
いのでとても多い。確かに身の回りは九州、近畿地方出身の人は多
いような気がする。昔と今の入試制度を比べても、やっぱり違うなと思
った。今では当たり前のセンター試験や AO 入試のようなものがない
のは違和感があった。しかも当時は女子の進学者が少ないので、今
はだいぶ時代が変わったなと思う。入学問題を見たらやっぱり難しそ
うに思えた。
工・ 2 ・男 今の時代ではどこの大学や専門学校、短期大学でもな
にかしらの入試制度があるため、戦前の入試制度の旧制大学では無
試験での入学だったと知り、驚いた。当時は高等学校卒業生数が今
と比べ、格段に少なかったため、選抜する意味がなかったのではない
かと考えられた。共通一次学力試験の目的(期待)にはできたが、試
験内容がマークシート方式には期待はずれだった。最悪、何も考える
ことなく解答できるマークシート方式が適用されたのか不思議に思っ
た。なにも考えることなく受けた入学試験にも多くの変化があり今の形
があることを知れてよかった。
工・ 2 ・男 入試という仕組みは昔からあったんだと思った。ただ、中
国は 4 千年の歴史になかで、 1400 年前から始まったのは少し遅い
気がする。旧制大学では高校卒業者に対し、試験なしで入学できる
というのは意外だった。また、広島大学では長い間推薦入試を取り入
れていたことも意外だった。結構古くから、全国一斉の共通試験がさ
れていたんだと思った。
工・ 2 ・男 講義を受ける前から広島大学の学生が様々な地域から
来ているのは感じていましたが、今までは他の大学も同じ様な比率か
と思っていました。しかし、東大のように関東に集中しているところもあ
れば京大のように地元の生徒がとても少ない大学もあることに驚きま
した。また入試制度も初年度は今のような競争入試だったのに、第 2
回からは人材集めのために推薦制を取り入れたことに関してはよく考
えられた策だと思いました。意外だと感じたのは推薦で入学した人と
一般入試で入った人に学力の違いがあまりなかったことです。講義の
前は一般入試の人のほうが成績がいいものだと思っていました。
工・ 2 ・男 今回の講義で話されていたことは、受験を受けた生徒の
側からすると非常に納得のいく内容でした。自分は広島大学のほか
に関西大学などの私立の大学の入学試験もうけてみましたが、その
中には難問、奇問という感じの問題も出題されていました。しかし、広
島大学の入学試験は簡単だということはなかったのですが、基本に
忠実にいけば解けるかなという問題ばかりだったとおもいます。そして
一年間通ってたくさんの人としりあったのですが、県外から入学して
来ている人が多いなとおもっていました。余談ですが、自分の知り合
いには鹿児島のほうから AO 入試で合格して、化学Ⅱも数学Ⅲもあ
まりやっていなかったにも関わらず普通に授業についていけてる友達
がいます。彼は AO 入試がなかったらここにはこなかったと言ってい
ました。この例から AO 入試はきちんと機能しているのだなと思いまし
た。
工・ 2 ・男 まず、選抜試験が古くから行われてきたのは、やはり優
秀な人材を求めるためであるということを改めて感じた。しかし、驚い
たのは、日本でも大宝律令に日本最初の試験制度がかかれていたこ
とだった。広島大学の入試の歴史については一時違うこともあったが、
時代に合わせて変えていると考えた。また、国立大学の中堅的な存
在として堅実な学力を備えた人物を着実に選抜しようとしていたのだ
と知ってなるほどと思った。また、共通一次試験の導入後に大学の個
性を出しにくく、望む人材が入りにくくなっている今、どのようにして学
生をひきつける魅力を出していくかがこれから生き残れるかにかかっ
ていると考える。
- 624 -
工・ 2 ・男 大学入試を実施することが法的に定められていないとい
うことが意外だった。しかしほとんど全ての大学で入試は実施されて
いるように思える。たしかに大学に入学する人を選抜するのに入試を
するのは便利で簡単な方法であると思った。また、昔の広島大学の
入試は基礎学力の充実を確かめることに重点をおいてつくられてい
て、私も試験を受けてみてそういうふうに感じた。広島大学は他の大
学に比べて他県からくる人が多いので他県のことをいろいろ聞くこと
ができるので、素晴らしいことだと思った。
工・ 2 ・男 広大の学生の出身地域のデータを見ると広島以外の出
身者が全体の 7 割以上を示し広島出身者はだいたい地元を出てい
くという結果になっていてかなり意外であった。プリントについていた
過去問の数学をちょっとやってみたが、入学したときに受けたテストよ
りもかなり簡単だった。昔はお金の問題とかで大学進学する人も少な
かったので、もったいないなと思った。もっと他の大学の入試制度に
ついても知りたくなった。特に東京大学の入試制度を調べてみたいと
思った。
工・ 2 ・男 現在は、センター試験を受けて意中の大学の二次試験
をうけるという制度が確立されている。しかし、入試という制度があるた
め、どうしても行きたい大学に行けないという可能性もあると思う。先
生も言っておられたように、広大に入学に入学した人の中にも実際広
大が第一志望で入試を受けた人もいれば、センター試験の出来によ
って第 1 志望ではないが広大を受けたという人がいるはずである。も
ちろんみんなが意中の大学に行けて好きなことが学べるというのが一
番なのだろうがそうもいかない。昔あった貢挙の制にあったような位が
高い人に有利なことはあってはいけないし、入試制度は難しいと感じ
た。
工・ 2 ・男 広大の学生の出身地域のデータを見ると広島以外の出
身者が全体の 7 割以上を示し広島出身者はだいたい地元を出てい
くという結果になっていてかなり意外であった。プリントについていた
過去問の数学をちょっとやってみたが、入学したときに受けたテストよ
りもかなり簡単だった。昔はお金の問題とかで大学進学する人も少な
かったので、もったいないなと思った。もっと他の大学の入試制度に
ついても知りたくなった。特に東京大学の入試制度を調べてみたいと
思った。
工・ 2 ・男 日本の最初の入試制度は 8 世紀のはじめで政権が交代
するから長くつずかなかったことがわかった。広島大学の入試問題は
堅実な学力を備えた人物を着実に選抜するため平易で簡単な問題
を出題すると昭和のときの評価があったが、私は実際に広島大学の
入試を受けて入試問題をといてみて、今も比較的に基本的な問題が
多いと思った。でも、受験勉強で私は応用問題のほうに重点をおい
ていたので、入試を受けてちょっとがっかりした。もう少し難易度をあ
げてもいいと思う。
工・ 2 ・男 大学の入試制度が、昔と比較して大きく変わっていること
を知りました。やはり大学には実力のあるものが来るべきであり、推薦
などは少数でいいとも思いました。あとは入学者出身地の所在地域
内外別構成についてが面白かったです。規則とかはあるのでしょうか。
先生の話し方も僕は好きでした。気になったことというか前から思って
いたのですが、短期大学は大学の一部なのでしょうか。入試は昔の
ほうが簡単そうに見えるのは気のせいなのでしょうか。質問は以上で
す。
工・ 2 ・男 今では当たり前になっているセンター試験、二次試験と
いうやり方も大学ができた最初のころは、確立されていなく、各大学が
それぞれ独自のやり方で入学生徒を決めていたことには、驚いた。ま
た、当時の広島大学の入学試験を見たが、今でいうセンター試験の
ような感じだったので、全体的また広島大学の学力はかなり高くなっ
ているんだなと思った。
工・ 2 ・男 僕は、広島出身で広島に残りたいと強く思っていて広島
大学の受験を目標としていたので他の大学の入試問題と比べて広島
大学がどのような問題であるかということを比較したり、考えてみたこと
もありませんでしたが、今回この講義をうけて広島大学が基本的なこ
とを問う問題を基礎としているということを初めて知りました。それを受
けて考えてみると何となく基礎的なことをいろいろな角度から問うてい
る問題があったような気がしています。広島大学の地元の受験者と他
県からの受験者の割合を考えると、広島の雰囲気を保ちながら他県
からの文化も取り入れるというバランスのとれた大学であるという印象
を受けました。
工・ 2 ・男 広島大学は 3 人に 1 人が地元出身の地元志向大学で
ある。私も広島県出身なので広島大学が人気なのはよくわかる。なぜ
なら、国公立大学で学費も安く、かつ就職もよいからである。広島大
学の入学試験問題は今と同じく昔から簡単で、教科書レベルの問題
がよく出題されていた。この傾向は堅実な学力を備えた人物を着実
に選抜しようとしている姿勢がみてとれる。現在の大学入試制度は多
様化し、一般、推薦などいろいろある。しかし大学の勉強は同じという
問題をかかえている、という話であったが、まさにその通りであると思う。
能力に応じた様々の教育方法を確立していくのも大学の役目である
と考える。
工・ 2 ・男 今日の講義を聞いて、今までの広大入試の仕組みをしる
ことができた。最初のころは筆記試験ではなく推薦などの別の手段で
あることが一番意外だった。あと、昔の広大の問題を見たけど、今み
たいに共通一次試験がないので、最初の問題は結構簡単で普通に
解けそうでした。あと、広島大学は結構地元からの進学が多いと思っ
ていたけど、名古屋や北海道大学のほうが多かったことも意外でした。
これからも、やっぱり筆記試験が一番主流になるのかなと思った。
工・ 2 ・男 今回の授業を受け、入試にも歴史があり、その歴史が意
外にも深く内容の濃いものだと思いました。驚いたのが試験制度の起
源が 6 世紀末の中国だということでした。それほど前からのことが今
ではあたりまえのように使われているのだから初めに考えた人は偉大
だなと思いました。広島大学でも戦前は無試験での入学などがありま
したが、能研テストや共通一次学力試験、マークシート方式にセンタ
ー試験とありとあらゆるものを取り入れよりよい学校を目指したのだな
と思いました。自分が受けた者もそんな歴史の積み重ねなのだと思
いました。
工・ 2 ・男 広大には、主に中国・九州からの生徒が多いが、全国各
地から来ていたのはだいたい予想通りだった。しかし、名古屋などの
一部の地域が、極端に地元の出身者の多いことは驚いたし、とても興
味深かった。他にも、推薦入試のシステムや、留学生の入試システム、
などが意外にも昔から行われていて、より優秀な人材を獲得するため
の工夫が当時からなされていたのは、大切なことで今の広大にとても
有益になっているとおもった。
工・ 2 ・男 入試制度は何回も改善を繰り返して今の入試制度にな
ったということを学びました。また広島大学の前身の学校でも地方大
学にもかかわらず高い競争率を誇っていてレベルの高さを感じました。
またなぜ韓国では日本より大学による将来依存度が高いんだと思い
ました。また中国や日本などでは入試に依存してるのの対してヨーロ
ッパでは資格に依存しているのかという文化的背景が気になりました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、現在の入試制度と昔の入試制度
の違いについて学ぶことができた。今の一次試験と二次試験の一般
的なとらわれ方は、第一希望と第二希望というふうだが、昔は都市集
中を避けるために日程を調節するためだと聞いて、驚いた。また広島
大学の入試についての成り立ちや意図を学ぶことができて、広島大
学の一員として必要なものが少し理解出来たと思う。
工・ 2 ・男 試験とかテストの起源を考えると中国の科挙だと思ったら、
ずいぶん昔からこのような人の力を測るようなものがあり、そのために
たくさんの人が勉強してきたのだと改めて感じた。共通一次試験とい
うものを高校の時ときどき聞いていて何のことかわからなかったけど、
それはセンター試験が行われる前にあったすこしかわったシステムと
知ることができた。入試には課題があり、選抜試験とのみ試験を考え
るなら良くならないという話を聞き、その通りだと思った。学力のみで
人を区別すること自体そもそも違うと思った。
工・ 2 ・男 僕は広島大学に入った時に驚いたのは、県内の人が意
外に少なく、関西弁を話してる人が同じくらいいたことだ。この授業で
データとして改めて見てみると、県内出身者が約 23 %とやはりそれ
ほど多くはなかった。でも、そうやって県外(特に北海道)からこの広島
大学を選んできてくれたことは、地元の人間として素直にうれしい。入
試問題をざっと見てみたが、数学は今より明らかに簡単に思えた。セ
ンター試験で出そうな基本的な問題もあり、数学が苦手な僕にしてみ
れば、この時代にうまれたかった。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校である広島高等師範学校は、 2 番目
の高等師範学校ということもあって、戦略を立てて入試制度を変更し
たというのは、講義でも説明があったように優秀な人材を集めるという
点でものすごく効果があったのではないかと感服した。だが、生徒の
立場からすると、定員が限られるという点はやはり納得しがたいものが
あった。現在でも言えることだが、地元の大学に行きたいという人間は
少なくないので、泣きをみた人間はたくさんいたのだろうと思う。また、
広島大学の入試問題についてだが、基本的な問題が多く出題される
と高校の頃からよく耳にしていたが、それは大学側の意図があっての
ことだと認識できてよかった。広大の入試は簡単だからレベルの低い
大学と思う人は、この事実を知らないであろう。また、個人的なことだ
が自分の高校に広大出身の先生が多くいたので、自分も広大に来た
のだろうかと思った。
工・ 2 ・男 入試は、中国が発祥で、日本には長く定着しなかったの
は文化の違いのためであるとわかった。また、広大は名大に比べると、
県外からの入学者が多いことがわかった。
工・ 2 ・男 大学の入学者出身地の構成についての資料が興味深
かったです。名古屋大学や東京大学は意外に県外出身者の割合が
少なかったのが驚きました。広島大学は近年、九州出身者が増えて
きていたので、九州出身の自分としてはうれしかったです。なぜ推薦
入試や AO 入試があるのか疑問を感じていたけれど、入学して以降、
やはりそれなりの違いがあることがわかりました。大学間の格差が広
がったり、多様化している中で、広島大学が入試制度を通してよりよ
い大学になればよいと思いまいした。
- 625 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 今回の講義を受けてみて特に興味深かった内容は、日
本の各主要大学の入学者出身地の所在地域内外別構成のグラフで
す。広島大学ではやっぱり中国地方の出身者が圧倒的に多かった。
あと、九州地方の出身者も意外と多かった。また、京都大学は人口自
体が少ないので、京都府出身者が少ないのはわかるが、名古屋大学
における愛知県出身者が多かったのは興味深かった。
日を思い出しました。割と解けたので、受験のあと、すぐに入学式用
のスーツを作りに行った事や、結果は思っていた以上に悪く 1200 点
中 730 点ほどしか採れていなかったことなど懐かしく感じました。また、
昔の問題はずっと解いていない国語はもちろん、数学・英語もひどい
ことになり、なぜか勉強に対する意欲が少し湧きました。
工・ 2 ・男 『入学試験の起源』の説明において、中国の科挙が 120
0 年近くも存続しているなんてことに驚きました。科挙なんてものは、
昔の中国に宮廷があった時代だけのものだと思っていました。日本の
昔の入試体制が第一期と第二期に分かれているなんて知りませんで
した。なんだかとてもめんどくさそうに感じました。それにしても広島大
学の入試レベルが昔から一貫して『基本的な教科書問題』だったとは、
思いませんでした。少しずつ知名度を上げてたのではなく、ずっと居
座っているだけだったのは、残念です。
工・ 2 ・男 広島大学の入試だけじゃなく入学試験の起源までしるこ
とができて少しためになりました。試験制度によって現れた特徴に学
生の出身県が全国に分布とあるのを見て、たしかに入学試験があると
自分の学力にみあう学校を全国で探すだろうなと思いました。それを
知るまでは大学には全国から人が集まっているものだと思っていたの
で、覆されたような気がしました。昔の広島大学の問題を見る機会は
なかっただろうから、この機会に見れてよかったと思います。時間があ
るときに少し解いてみようという気になりました。入試に関して特に問
題はないと思っていたけれど、最後のスライドでまだまだ課題はあるこ
とに気づかされました。
工・ 2 ・男 今回の広大の歴史の講義を受けて、まず驚いたことは旧
制の大学は旧制の高校を出たならば無試験で大学に行けることです。
今に比べると大学に進む学生が全然少なかったからだと思いますが、
受験の時しんどい思いをした自分としてはとても羨ましかったです。あ
と現在の 1 次センター試験がかなりの批判を受けていたことにも驚き
ました。確かにマークシート方式の思考の判定に役に立たないという
ことには納得しましたが、多くの受験生を偏差値によって序列すること
には別にいいように思いました。
工・ 2 ・男 昔の広島大学の入試がどのようなものだったか知ること
ができてよかったです。この講義でしか聞くことができないものだと思
います。また大学の入試はよく考えられて作られていることがわかりま
した。私が広島大学を受験することを決めたとき、広大の入試には奇
問、難問は少ないからみんなが解ける問題を絶対に落とさないように
しろと言われました。この基本的な問題を出す傾向は昔からであり堅
実な学力を備えた人物を着実に選抜するという意図があったというこ
とに大変驚きました。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いてまず始めに思ったのは、旧帝大や
広島大学・岡山大学といった大学よりも地方国公立の大学の方がも
っと県内出身者が少なくて全国各地から人が集まっていると思う。な
ぜならどこでもいいからとにかく国公立に行きたいと思う人が集まるか
らである。次に広大の入試で受験生に求めている理想像であるが、
広大は高等師範学校の流れがあるから毎年しっかり基礎問題がとけ
る生徒が合格するようになっていると聞いたときに基礎がしっかりして
いる大学に入学出来たことにとても嬉しさを覚えた。このように基礎が
しっかりしているから広大は大学の中でも高い地位を確立できている
と思いました。
工・ 2 ・男 広大の入試制度と学生というテーマで今回の授業は進
んでいきましたが、かなりおもしろい内容でした。いつも通りスライドを
使い、授業していたんですけど途中でアンケートみたいなものを実施
して、出身地を聞かれました。さまざまな地方から入学していて、北は
北海道から南は沖縄まで、幅広いでした。自分は鹿児島出身で、少
ないかなぁと思ったんですが、そうでもなく九州で 3 番でした。広大に
は鹿児島人がたくさんいるとわかってすごく安心しました。この講義は
授業を聞く度に楽しくなっていくので、毎週すごい楽しみです。
工・ 2 ・男 広島大学前身校の広島高等師範学校では、初年度は
競争入試を実施していたが、第 2 回から 1921 年まで推薦制を採用
している。この制度により学生の出身県が一地方に片寄らず全国に
分布されることになったため素晴らしい制度だと思った。現在も AO
入試など多くの入試制度がある広島大学は個人の能力を多面的に
測っており魅力的である。今後も入試制度は見つめ直す必要がある
と思うが、各々の大学の特色が存分に発揮できるようにしてもらいた
い。
工・ 2 ・男 まず最初に広島大学は東京大学より所在地域外からの
入学が多いということに驚いた。東京大学は全国トップクラスの偏差
値なので全国から人が集まるのになぜ広島大学のほうが県外からの
入学者が多いのか。それは中四国地方での人気が高いからだと予想
される。また入試制度については様々な苦難と苦労があったと思わ
れる。マークシート方式は受験生の思考力の判定に役立たないなど
という批判を受け今の入試制度に改善されていったわけである。しか
し大学に入って全く勉強しない分野を入試で使うということに対して
私はまだ疑問に思う。
工・ 2 ・男 私は AO 入試を受けて広島大学に入学した。いわゆる
ペーパーテストは受けていない。最近、推薦入試で入った学生は学
力が低いといわれる。実際私もそのことが気がかりであり、コンプレッ
クスでもある。だが AO 入試の目的は、大学のほしい人材を学力で測
りきれないところで評価し獲得することである。だから私は高校時代に
積み上げてきたものや私の人間性などを学力と同等に評価してもら
ったものと考える。大学という教育施設に所属する以上学力が最重要
視されるのは間違いない。だがいかなる入試方法で入ろうと、一度足
を踏み入れれば、誰もが広島大学生である。大事なのは大学に入っ
てからだと思う。だから私は不安だけに駆られるのではなく、自分の
力を信じて大学生活を送りたい。全入時代と呼ばれる今、広島大学と
言う個性を前面に出していくには、 AO 入試は有効な手段だと思う。
若干の改良は必要かもしれないが、今後も続けていただきたい。
工・ 2 ・男 今回一番印象深かったのは広島大学の入試では他大
学で見られる、落としに行く入試ではなく、単純に力を見る、といった
ことをしているという点です。広島大学は堅実な学力を備えた人物を
着実に選抜しようとしている、とあり、たしかにそれが他大学にくらべよ
く見られるな、と思いました。気になったことは他にもあって、 AO 入
試が平成 14 年度から始まっていることに、自分も通った道だというの
に初めて知ったのでこんなに最近なんだなーと思わされました。今回
は勉強面で自分たちに非常に近い内容であったため非常に香味を
持てました。
工・ 2 ・男 まず、学生の出身地域から見る大学の特徴のグラフを見
て、自分のまわりには関西、四国、九州出身の友人がかなりいるので
実際に生活をしながら感じている以上に広島県出身の人の割合が多
い気がして驚きました。また、愛知県出身なので名古屋大学の愛知
県民の占める割合にも、やや驚かされました。そして、自分の入試の
工・ 2 ・男 入試の方法が、時代が進むにつれて、どんどん変化して
いることがわかりました。 AO 入試や一般入試など、今はたくさんのス
タイルがありますが、入試方法の違いによって、入学時の学力の差を
補う工夫などいろんな努力があることを知りました。私も AO 入試で入
学したので、他の一般入試の人の学力差に不安がありましたが、補
講などがあったのでなんとかなったことを思い出しました。今回の講
義で、昔の広島大学の入試問題をもらって軽く目を通してみましたが、
思っていたより難しいそうだったので驚きました。
工・ 2 ・男 今回の講義資料にもあったように、広島大学は地方大学
なのに全国各地から学生がやってきている。このことに関して私は
様々な情報や今までとは違った文化を学べるという点でいいことだと
感じている。今の広島大学の入試は極端に難しいということはないが、
しっかり勉強しないと合格はできないといったレベルである。入学制
度も過去のものから変わっていき、一般入試だけでなく AO 入試や
推薦入試もあることから受験しやすい大学と言えると思う。また、セン
ター試験に対して「思考力の判断ができない」や「大学の序列化の促
進」といった意見があったが、思考力はその後の二次試験で判断で
きるし、大学はレベル分けしてもかまわないものだと思うので、問題は
ないと感じている。
工・ 2 ・男 広島大学では、学生の 3 割が広島の人であることは知っ
ていて、自分は他県出身であるので「広島出身の人多いな」とおもっ
ていたけれど、名古屋大学の学生の 6 割が名古屋の人であることに
驚きました。京都大学は 1 割程度なのはわかるけれど、この違いには
驚きました。戦前の旧制大学では無試験で入学できたようであるが、
そのような制度では学生は勉強しないだろうと思う。今のような、入試
があって競争するからこそ勉強するのだと思う。共通一次試験の導入
で基本的な問題を解かせるようにしたことは正解だとおもう。難問は
基本ができていないとできないからである。
工・ 2 ・男 レジュメや前回の講義でも教わったように広島大学は中
堅的な位置にあることがわかった。そのため、堅実な学力を備えた人
物を必要としており、入学試験もそれに即した問題を出題していた。
このように大学が求める学生像が入学試験に依存しているので、他
県の大学入試を調べて比較してみるのも面白いと思った。また、入試
方法の違いにも学力差を補う工夫があることも知った。ただ、その反
面入学試験の多様化は学生の多様化にもつながり、大学としては学
力を統一した教育を運営していくことができるのかが問われる。
工・ 2 ・男 広島大学は、出身地別でみると意外に全国から学生が
集まってきていたことを知りました。これは、広島大学が地方だけでな
く全国的にも知名度がありそれなりの力がある証拠だと僕は考えまし
た。授業で広島大学に縁があったのかもしれないと講師の小宮山先
生はおっしゃてましたが、ぼくもそんな気がしました。高校のとき、尊
敬していた物理の先生は広島大学出身でした。その先生みたいな人
になりたいというおもいあって広島大学をめざしたというのもあるきがし
ています。だからこそ広島大学はいいイメージであってほしいです。
工・ 2 ・男
- 626 -
現在では中国、四国地方でトップクラスの大学である広
島大学です。僕は広島出身で、両親も広島大学卒だったので、親が
広大卒だというといつもすごいと言われていました。そのため広島大
学はすごいんだというイメージがあったため、二期募集校として入試
を開始していたということには少し驚きました。ですが、昭和 26 年の
入試より一期校に定着していったのでこのころから次第に知名度が
上がっていったのだろうなと思いました。これから、ぼくたちも広大生
としてがんばって、広島大学にはさらに有名な大学になってほしいで
す。
工・ 2 ・男 今回の講義は僕たちも広島大学にはいるために受けた
入学試験についての講義で自分にも関わりのあることだったので、非
常に興味深く聞くことができた。大学に入る際に法令上は試験をする
必要がないことを知り驚いた。しかしどの大学でも試験が行われてい
るように、やはり現在入学試験は必要なものだと思う。また共通一次
試験は 30 年前からあったことに驚いた。マークシート方式が受験生
の思考力判定に役立たないという批判は、受験生時代にマークシー
トに苦しめられた僕としてはたいへん頷ける。
工・ 2 ・男 日本最難関の大学といわれている東大や旧帝の北大、
京大、名大や広大など日本各地の大学の地域別出身者の割合を示
していたグラフがあったのですがそれが自分にとってとても興味深い
ものだった。特に名大はほとんどが愛知県などの東海地方出身で名
大がいかに地元に愛されている大学なのかと思った。また、自分は高
校時代に倫理をとっていたので中国の科挙の話は知っていたが、そ
れが世界で始めての試験だとは知らなくて、もっと言うと 6 世紀に始
まった科挙が 1905 年まで続いてたということは驚き以外のなんでも
なかった。僕らが受けた試験というものがいろんな歴史がある深いも
のなんだと思ってしまった。
工・ 2 ・男 入学試験そのものが始まったのが意外と最近だということ
に驚いた。旧制では、試験を受けることなく大学に入学できるというこ
とも知らなかった。入試改革が行われ広島大学もさまざまな制度を導
入したが、今の形に落ち着くのに長い時間を要しているのを考えると、
やはり人の技量を正しく見極めるのは大変なのだろうか。それでもま
だ問題点がある。全国から受験生が集まるこの大学こそいち早く問題
を解決して、学生に道を示す必要があるのではないか。
工・ 2 ・男 広島大学の入試は戦前の入試制度とせんごの入試制度
において大きな相違点があり、戦前は高校を卒業するだけで入学の
資格がもらえたことにおどろいた。確かに戦前は生活も苦しく教育制
度じたいあまり普及してなかったので当たり前のことであるとは予想で
きる。いまのような入試制度になるまでには、入学志望者のおおい大
学や学部などにおいて、入試の実施が次第に普及したものだとおも
われる。入試制度は今後技術を発展させていくためには、必ず必要
なものであるとおもわれる。
工・ 2 ・男 今回の講義で広島大学の入試と学生たちについて学ぶ
と知って入試は実際に自分が受けたきたことなので、結構関心が持
てた。そのなかで今の入試の形態になるまで昔からいろりろな試行錯
誤があったと知った。そして、このような試行錯誤があった背景にはそ
れぞれの受験生に対しての思いやりがあったのだと理解することがで
きた。今回この講義を受けたことで自分が受けた年度の入試問題をも
う一回見直したいと思ったし、昔の入試問題と比較して問題の変化を
見てみたいと思った。
工・ 2 ・男 入試からもう 1 年以上も経ったが、今でも試験のことは鮮
明に覚えている。広島大学は県外からの受験生が多い。僕もその中
の一人だったし、神戸から来た僕にとっては、西条は寒く、正直一人
で受験に来るのは心細かった。しかも当日余裕を持ってホテルを出
たと思ったが、バスが大混雑し、危うく遅刻しそうになった。今日の授
業では、テスト自体のことについてであったが、その大学の土地や気
候などまだまだ改善すべきことが山ほどあると思った。大学入試とは
ある意味その人の人生の大半が決まってしまう分岐点であると思うか
ら、皆がベストの環境でテストを受けること、その環境を作ることが大
学側にとっての義務と責任だと今日の授業を受けて思った。
工・ 2 ・男 センター試験が導入される前は共通一次と呼ばれる試
験で受験生の学力をはかっていたということを知った。共通一次が導
入される前や、戦前の入試のことを聞いたが、今も昔も、大学に入る
のは用意ではないことだと思った。特に昔の大学は合格するのが難
しく、今のようにさまざまな方法で入学することができなかったので本
当に一握りの人しか通ることのできない狭き門だったのだなと思った。
広島大学の二次試験は僕等も受けたけれど、しっかりと学習してきた
はずのことがうまく思い出せなくて、焦ったりしたのを覚えている。
工・ 2 ・男 広島大学は広島県外、中国圏外からの入学生の割合が
高いということは、学部やサークルで実感していた。北海道から沖縄
まで、加えて留学生など出身地に非常にバラエティーに富んでいる。
このことで様々な地方のことを聞く機会をもてたし、価値観の多様な
人間が集まりやすいのだと思う。そこには 2 番目の高等師範学校で
あったこと、推薦制を採用したことなど、歴史的な必然性があったこと
がよく分かった。また、高等師範学校の流れから、入試問題には難問
奇問は出題されないという話も実体験とよく噛み合った。
工・ 2 ・男
広島大学は広島県外、中国圏外からの入学生の割合が
高いということは、学部やサークルで実感していた。北海道から沖縄
まで、加えて留学生など出身地に非常にバラエティーに富んでいる。
このことで様々な地方のことを聞く機会をもてたし、価値観の多様な
人間が集まりやすいのだと思う。そこには 2 番目の高等師範学校で
あったこと、推薦制を採用したことなど、歴史的な必然性があったこと
がよく分かった。また、高等師範学校の流れから、入試問題には難問
奇問は出題されないという話も実体験とよく噛み合った。
工・ 2 ・男 戦前の入試制度は今とは大きく違うということが分かりま
した。多くの入試改革があって今の入試制度ができたのだとわかりま
した。センター試験はできてまだ 20 年もたっていないというのは意外
でした。広島大学においては AO 入試が実施されたのは 7 年前から
でした。昔の入試問題は今よりは簡単だろうと思いましたが昭和 20
年度の入試問題は思ったより難しかったです。
工・ 2 ・男 僕が、一番意外だと思ったことは広島大学が意外にも広
島県民ばっかりじゃなくて多くの都道府県から来ていたということです。
名古屋大学のような旧帝国大学とくらべても地元出身者がそんなに
多くないということから広島大学がいかに素晴らしい大学かということ
がわかりました。また、自分の出身地である兵庫県民がかなり多いと
聞いてそこもまた意外なことのひとつでした。入試で当初はほとんど
推薦で広島から 2 人と言ってたのもとても驚きました。今の入試制度
ではなかったらと思うとゾッとします。
工・ 2 ・男 広島大学が、旧帝大じゃないのにもかかわらず、県内か
ら来てる人が少ないというのはとても驚きました。それだけ、全国の学
生が注目しているということでしょう。兵庫県のひとが、多いというのも
とても以外です。入試制度に関しても、今とは違いすぎてとてもびっく
りしました。昔じゃなくてよかったと思いました。これだけ、注目されて
いる広島大学に通うことができて、とてもうれしいなと思いました。この
先まだまだ、この抗議が続きますが、どんどん知識を取り入れたいと
思います。
工・ 2 ・男 入試問題の難易度は年によってばらつきがあるが、自分
が受けたときの試験は易化したように感じました。昭和のときの入試
問題を見ると、かなり難易度が高く年々入試のレベルが下がってきて
いるのではないかと思った。また広大生の広島出身の割合が低いの
で、全国区型の大学であると思った。全国で広大の問題が解かれて
いて、分析されているので、これからの入試問題は受験生の力をしっ
かり計れる良問が望まれると思った。来年からの問題の変化も注目し
ていきたいと思った。
工・ 2 ・男 やはり試験となると各年度で難易度に多少の変動がある
ものだが、実際自分で広大を受けるにあたって赤本を勉強して広島
大学の入試について思ったのは、ゆとり教育に変わる前後での難易
度の激変だった。旧課程までは、広大の入試レベルは旧帝大にもひ
けをとらないもので、新課程になってからはずいぶんと難易度が落ち
着いたと思われる。しかし、やはり英語に限っては全国トップレベルに
変わりはないと思う。また、広大を受験する生徒で広島出身の人が少
ないことに驚きを感じた。
工・ 2 ・男 無試験制度から、入試制度になって全国から学生が集
まるようになったことは全国の人と交流できるという面でよかったと思う
し、入試試験であれば、勉強をすれば基本的には誰でも入学できる
ようになったので、学力向上にいい効果があったとおもう。しかし、現
在はこどもの数が減少し、大学進学希望者より全国の大学の定員が
上回ってきているので、大学は学生に魅力をより多くアピールしなけ
ればならないと思う。また、入学者は基本的に地域に密着している傾
向が最近顕著になってきているので、名門大学に行くには、より近い
ところに住んでいるほうが、環境的に有利であるということがわかった。
工・ 2 ・男 広島大学の入試といってもさまざまなことがあったんだと
思った。今でこそいろいろな方法で入試が行われているが、昔はもっ
と違っていて、現在は人のよいところを見て合格者を決めていると思
った。長い間、よりよい入試を目指して改良をしてきたし、これからも
いろんな入試の形ができていくんだと思った。入試の歴史はとても長
いということに驚かされた。入試が始まったときからだいぶ形式が変わ
ったと思ったし、きっとこれからも変わっていくんだと思う。
工・ 2 ・男 ここ何年かの広島大学の 2 次試験と比べると、昭和 40
年度の入学試験問題集は傾向がかなり違っていて、けっこう基本的
な問題が出ていたように感じた。マーク式である全国共通のセンター
試験は昔も現在も賛否両論あると思うが今後このような問題点がどの
ように改善されていくのかに興味を持った。
工・ 2 ・男 今回の授業で、広大を含めた日本の大学の入試形態の
過程について詳しく知ることができた。僕自身は賛否両論あるといわ
れる AO 入試で合格して入学しただけに、過去の試験などとは大きく
違うことを改めて感じた。入試の多様化を言われているが、それでも
未だに大学内では実力のみを重視しているように見える。最後のお
話にもあったように、それぞれの大学のよさを出していくためにも、幅
広い教育課程をいち早く確立し、多くの人のニーズに合わせた大学
作りをしていくことが大切だと思う。そして、そういった意味での日本の
トップを走っているのが広島大学だと自信もっていえるようになってほ
しいと感じた。
- 627 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、日本の最初の試験制度は 8 世紀
のはじめから始まったことがわかった。広島大学のように名のある大
学には、入学志願者が多くいます。それだけ世間から憧れられている
存在なんだと思います。僕も、受験に打ち勝った人間のひとりとして、
残念ながら広島大学に入学できなかった人の分まで広島大学を楽し
み、広島大学でしか学べないことを身につけたいと思いました。
工・ 2 ・男 昔の広島大学の入試が割と基本的な問題が中心だった
ということに驚きました。現在の広島大学の入試問題もあまり難問奇
問はないけど、それでも、簡単で誰でも解けるようなものではないので
すが、当時の入試問題は今よりも簡単でした。講義で、広島大学の
入試問題が、基本的な問題を出題する意図が、堅実な学力を備えた
人物を着実に選抜しようとしている、というのにとてもいい考えだなと
思いました。難問奇問を出題して選抜しても、その入試を乗り越えて
入学してきた学生は、考え方がすこし変わっていたり、頑固な考えが
あったりして、大学に入って伸びないけど、堅実な学力を備えた学生
は大学へ入ってもまだ伸びていくと思います。そういった点で広島大
学の入試制度はとてもいいものだと思いました。
工・ 2 ・男 戦前の広島大学の入試制度は、今現在と違って原則と
して旧制高等学校の卒業者を無試験で入学させるものだと聞いて少
し驚いた。これは現代では考えられないことで、高等学校の進学率の
低かった戦前ならではのものだと考えられる。その後、高等学校進学
率が増加するにつれて入学試験の制度が変わっていくのは時代の
流れだと考えられる。いまや高等学校への進学が当然となった世の
中では一次試験、二次試験、面接等色々な方法で学生を篩いにか
ける必要がある。
工・ 2 ・男 自分が受けた広島大学の前期試験と比べて今回配布さ
れた昔の広島大学の入試とを比べてみて思ったのは、昔はセンター
試験がなかったから比較的やさしそうな問題も含まれていたが、それ
以外の問題は最近の試験の問題よりも難しいと感じた。昔より学生の
学力が低下していることが分かる。最近のゆとり教育により更なる学力
低下が目立っているため試験の内容も易化しなければならないかも
しれないが、広島大学の学生の質を落としてほしくないと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義において一番印象に残ったのは、はじめのう
ちは入試制度などなく、エスカレーター式に生徒を入学させていたと
いうことです。約一年前、私は必死になって鉛筆を握り、なんとか受
験戦争を乗りきり、この広島大学に入学できたのに対し、昔は入試な
どせずに入学していたというのには若干の憤りを感じますが。続いて、
推薦入試が以外に早く、 1922 年から始まっていたというのにも驚き
ました。このような入試制度の試行錯誤があって、いろんな地方出身
者が集まるいまの広島大学があるというのには少し感動しました。
工・ 2 ・男 今、僕がここにいるのは入試に受かったからであるが、あ
のころは大変だったなあということを思い出した。入試は広島大学と
いう個に限るものではなく日本全体として学んだほうが良かったとは
思った。広島大学の歴史ではあるが、広島大学のことだけ学んでも自
己満で終わりもったいない。入試というものは厳しいものではあるが平
等なものでもある。多分自分が一番はじめに行きたいと思った大学に
いける人は本当に一握りだと思う。これからは、どの大学に行くかでは
なく、大学で何を成すかということも大切だと思った。
工・ 2 ・男 自分も広島大学の前期の試験を受けて入学したので、
今回の講義内容には大変興味がありました。史料に載ってある昭和
40 年度の入試問題(数学)を見ましたが、難易度は低いかな?といっ
た印象をうけました。あまりこれと関連があるのかは分かりませんが、こ
の昭和 30 ~ 50 年あたりの出身地別入学者比率で大半が中国地方
から来ていることが目につきました。また、年が進むたびにその比率
の差が縮まっていることから、その研究内容や、進んだ教育などによ
って、より全国的にその名が浸透してるのではないかと思います。
工・ 2 ・男 授業を受けるまえに想像していた通り、中国地方・九州
地方出身の学生が多かった。しかし、全国各地から広島大学に入学
しており、他の大学と比べて所在地域からの割合は低いことに驚いた。
これは、広島大学の元となる広島高等師範学校が、全国の知事から
の推薦による入試制度を採っていて、学生の出身地が全国に散らば
っていたことも関係しているのであろう。新制の大学となってからは、
他の大学が入試に奇問難問を出す中、広島大学は基本的な問題を
出しており広島大学は基本をきちんと勉強している学生を求めている
とわかった。
工・ 2 ・男 入試の基本原則としての、公平に実施すること、受験者
の能力を検出するのにふさわしい方法でおこなうこと、高校教育に悪
影響を及ぼさないように配慮することとあったが、それにいろいろと思
想が浮かんだ。そうするのに様々な難しい問題がでてきただろうなあ
と思ったし、実際にわかった。やはりそのために様々な入試改革がお
こなわれていたが、マークシート方式は確かにあまり思考力を問われ
ないと思った。カンで答えられるからである。そのためにはやはり記述
式の今の方式が一番効率がよく、厳正であり、適正であると思った。
研究のたまものであると思った。
工・ 2 ・男
入試の起源が 6 世紀末の中国官吏登用試験である科
挙だということは知っていたが、日本では 8 世紀はじめからだというの
はしらなかった。戦前の入試制度については旧制大学は旧制高等学
校を卒業していれば無試験で入学できることなどや、昭和 29 年の入
試受験者数が三十三万八千人もいたことなど知らないことがおおくて
興味深かった。現在の大学入試については、マークシート方式が受
験生の思考力の判定に役に立たないというのはもっともではないかと
思ったが、受験生を偏差値によって序列化し、適正よりも偏差値を重
視しているという批判は大学という高度な勉強をする場において、学
生のレベルというのはある程度同じでなければならないと思ううので、
あまり賛成はできないと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義は入試についてでした。中学校の社会の授
業で科挙について学んだので入試の起源は知っていたが日本でも 8
世紀から試験があったとは知らなかったです。それと今の入試の共通
一次試験方式にたいする批判のところで、マークシート方式が受験
生の思考力の判定に役に立たないというのは、友人にマークシートの
かなりの数を勘で記入したにもかかわらず志望校に合格した人がい
たのでとてもその通りだと思いました。また、今と昔の入試問題があり
ましたが、現在のは結構できたのにたいして、昔のは難しくて全然で
きませんでした。
工・ 2 ・男 広島大学の学生の出身地域の特徴として、約 3 割ほど
の学生しか地元出身者がすくないことがプリントのグラフからわかる。
私は広島地元組で広島大学に入ったのだが、あまりにも多くの方言
に負けて 1 年の夏には地元の友達に「お前の広島弁変じゃね。」と
言われてしまいました。また広島の入試問題の選抜の目的として、堅
実な学力を備えた人物を着実に選抜とプリントに書かれていた。いつ
か前の講義で、広島大学は実務者を育てる学校であるとあったので、
選抜の方法はうまくいっているのではないかと感じています。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学における入試制度の変
還は年月が経つにつれ変化して行きいろいろな制度が導入され、な
ぜ導入したんだろうと考えたら、なるほどなと思いました。例えば、昭
和 45 年に高校調査書の重視をはじめた理由は、試験だけではその
人の学力しか問われないが、高校調査書の重視をすることによって、
その人がどんな人であるかを知ることができ、この人は世の中に貢献
してくれる人間だと判断する材料であったのか、とか考えられます。こ
ういった制度を導入することによって世の中に貢献する人を送りだす
ことができるんだなと考えました。
工・ 2 ・男 広島大学の入試傾向としては、割と二次試験でも基礎的
な問題が多く、それによって選ばれる学生は、学力の基礎的なところ
が、しっかりできており、さらに、ケアレスミスが少ない注意力のある学
生であると私は思う。このような入試体系がとられるのは、広島大学が
一つの事柄に関してのみ専門的に学習する単科大学でなく、広く教
養を身につける総合大学であるだけでなく、それぞれの学部で行わ
れる研究がほかの学部の専門にもリンクするようなものがあるとゆうよ
うな幅広い研究がおこなわれているからでもあると思われる。
工・ 2 ・男 新制広島大学ができた当初は、女子学生が少なかった
けども今では男子と女子ほぼ同比率であるのは、女性の社会進出が
影響していると思います。また、大学進学率も戦後まもなくは 5 パー
セント程度だったが現在では 50 パーセントを超えています。これらは、
その当時の社会情勢を反映したものだと思います。そして、入試制度
の変化ではセンター試験の導入が大きな変化だと思いました。自分
の両親のころはセンター試験が導入する前だったと聞いています。セ
ンター試験は今の学生にとって避けては通れないほどのものになっ
ており、センター試験が浸透していることがわかります。入試は年々
目まぐるしく変化しているんだと感じました。
工・ 2 ・男 まず感じたことは、前々から感じていたことだが、広大に
は県外出身の学生が多いということだ。自分が知っている友達でも鹿
児島から北海道まで広範囲のひとが広大に通っている。これもデータ
から全国の大学でも割合的に上位にあることから改めて知ることがで
きた。それと試験の起源として初めに行われていた共通一次学力試
験から、これに対する批判によって、分離分割制度やセンター試験を
導入され今の試験制度になったことをしった。また、現在の推薦入試、
AO 入試、一芸入試などの個人の能力を多面的に測る入試を行い大
学に必要な人材を選出していることがわかった。
工・ 2 ・男 今回の講義の内容が、「広島大学の入試と学生たち」と
いうものだったので、広島大学の入試の歴史などについて改めて知
ることができるいい機会だなと思った。まず、「学生の出身地域から見
る大学の特徴」の資料を見て興味が湧いた。北海道大や名古屋大な
どは所在地域内の出身者が多いのに対し、京都大や東大などは、や
はり県外からの生徒も他の大学に比べて多いことがわかった。ブラン
ドの高い大学には、やはり全国から生徒が集まることをあらためて知
ることができた。
工・ 3 ・男 広島大学の入試は高校のときに工学部の過去の問題は
実際に解いたりしましたが、過去はそのような入試を行っていたという
ことについてとても面白かったです。昔は学部の名前も少し違うもの
があったみたいですが、ある程度の勉強内容は一緒だったのだなと
いうことも感じました。あと広島大学の学生たちについては、今の学生
たちとは異質なものを感じました。今の学生たちは、将来の就職を見
- 628 -
越したり、とりあえず大学に行こうとする人たちが多いのに対し、昔は
やはり単純に勉強したい人たちが集まる場所だったんだなということ
を感じました。
工・ 3 ・男 大学入試に関わらず試験というものは受験者の能力を測
るものであるが、いろいろな制約上どうしても受験者の本当の能力を
評価できない部分があると思います。それを防ぐために例えば英語
の試験であれば、リスニングや英作文を課してできるだけ総合的な英
語の能力を測ろうとしているのだと思います。そんな中で広島大学の
入試問題はいわゆる難問・奇問がほとんど無く、基礎的な事項を理
解しているかどうかを測ろうとしているのだと思います。そこには将来
社会の中軸を担うであろう広大生にもとめられているものが表れてい
るのだと思います。
歯・ 1 ・女 まず、今回の講義のときに北海道出身の学生がいたこと
に驚いた。私は以前から地元の広島大学に通いたいと思っていたた
め、実家から遠く離れた土地に一人暮らしをしたいというその学生の
熱意に感心した。また、実際何ヶ月か前に入試試験を受けたため、
今回の講義は身近に感じられ、とても興味深いものだった。始まりの
理由は何であれ、中国の科挙やヨーロッパのギルドという風に、大昔
には入試制度が整えられていたことに先人の知恵と努力が感じられ
た。日本でも何度も入試方式が変更され、その度に受験者は苦労さ
せられたのだろう。しかし、より公平さを求めるなら今後も入試制度の
革命は必要なのだと思う。現役の高卒生や浪人生だけでなく、全て
の人が平等に大学入試を受ける機会があるような制度になってほし
い。
歯・ 1 ・女 今回の講義テーマは『広島大学の入試と学生たち』とい
うもので、私も広島大学の入試を経て、広島大学の学生となった今、
身近なこととしてとても考えやすかったです。そして、旧制大学のとき
には、旧制高等学校の卒業者等は無試験で入学であったとしり、驚
きました。やはり、当時は個人それぞれの学力の差は考慮されなかっ
たのであろうかと思いました。そして、昔の受験票や受験のあり方を学
び、今の考え方でいくと、偽装受験なども容易にできそうなので、そう
いうことがなかったのかと思いました。
歯・ 1 ・女 昔の大学は試験がなく、旧制高等学校の生徒が無条件
で入学していて、志望者の多い大学が入試を始めたというのには驚
いた。わたしの出身県では、高校受験で前期後期制を取り入れたり、
統一入試制を取り入れたりと、いろいろな入試制度を取り入れている
が、大学受験でも同じように、推薦入試や AO 入試、小論文の取り入
れなど、さまざまな入試制度の改革がされていると思った。推薦入試
と一般入試の入学者の学力の違いなどを見ると、一般教育の成績は
推薦入試入学者の方が成績がよいなど、各それぞれの入試制度に
は取り入れた意味があるのだとわかった。また、広島大学では基本的
な問題を出題して堅実な学力を備えた人を選抜しようとしているなど、
各大学の入試問題にも意味があるんだと思った。
歯・ 1 ・女 以前の広島大学の男女の人数の比を知って驚きました。
どのような学校にせよ、女子高でない限りほとんどの学校は、戦争の
時代は女子が少なかったという事実は、私は以前から知っていました
が、実際にスクリーンに映されたグラフを見て、昔の広島大学の女子
学生の少なさに驚きました。また、日本とは別に、中国や韓国の入試
制度についても話をしてくださって、日本は韓国とは違い、学力(1 流
の大学に入れるかどうか)でその後の人生が決まってしまうわけではな
いので、よかったなと思いましたが、せっかくこの大学に入れたので
精一杯勉強したいなと思いました。
歯・ 1 ・女 以前の広島大学の男女の人数の比を知って驚きました。
どのような学校にせよ、女子高でない限りほとんどの学校は、戦争の
時代は女子が少なかったという事実は、私は以前から知っていました
が、実際にスクリーンに映されたグラフを見て、昔の広島大学の女子
学生の少なさに驚きました。また、日本とは別に、中国や韓国の入試
制度についても話をしてくださって、日本は韓国とは違い、学力(1 流
の大学に入れるかどうか)でその後の人生が決まってしまうわけではな
いので、よかったなと思いましたが、せっかくこの大学に入れたので
精一杯勉強したいなと思いました。
歯・ 1 ・女 以前の広島大学の男女の人数の比を知って驚きました。
どのような学校にせよ、女子高でない限りほとんどの学校は、戦争の
時代は女子が少なかったという事実は、私は以前から知っていました
が、実際にスクリーンに映されたグラフを見て、昔の広島大学の女子
学生の少なさに驚きました。また、日本とは別に、中国や韓国の入試
制度についても話をしてくださって、日本は韓国とは違い、学力(1 流
の大学に入れるかどうか)でその後の人生が決まってしまうわけではな
いので、よかったなと思いましたが、せっかくこの大学に入れたので
精一杯勉強したいなと思いました。
歯・ 1 ・女 以前の広島大学の男女の人数の比を知って驚きました。
どのような学校にせよ、女子高でない限りほとんどの学校は、戦争の
時代は女子が少なかったという事実は、私は以前から知っていました
が、実際にスクリーンに映されたグラフを見て、昔の広島大学の女子
学生の少なさに驚きました。また、日本とは別に、中国や韓国の入試
制度についても話をしてくださって、日本は韓国とは違い、学力(1 流
の大学に入れるかどうか)でその後の人生が決まってしまうわけではな
いので、よかったなと思いましたが、せっかくこの大学に入れたので
精一杯勉強したいなと思いました。
歯・ 1 ・女 以前の広島大学の男女の人数の比を知って驚きました。
どのような学校にせよ、女子高でない限りほとんどの学校は、戦争の
時代は女子が少なかったという事実は、私は以前から知っていました
が、実際にスクリーンに映されたグラフを見て、昔の広島大学の女子
学生の少なさに驚きました。また、日本とは別に、中国や韓国の入試
制度についても話をしてくださって、日本は韓国とは違い、学力(1 流
の大学に入れるかどうか)でその後の人生が決まってしまうわけではな
いので、よかったなと思いましたが、せっかくこの大学に入れたので
精一杯勉強したいなと思いました。
歯・ 1 ・女 以前の広島大学の男女の人数の比を知って驚きました。
どのような学校にせよ、女子高でない限りほとんどの学校は、戦争の
時代は女子が少なかったという事実は、私は以前から知っていました
が、実際にスクリーンに映されたグラフを見て、昔の広島大学の女子
学生の少なさに驚きました。また、日本とは別に、中国や韓国の入試
制度についても話をしてくださって、日本は韓国とは違い、学力(1 流
の大学に入れるかどうか)でその後の人生が決まってしまうわけではな
いので、よかったなと思いましたが、せっかくこの大学に入れたので
精一杯勉強したいなと思いました。
歯・ 1 ・女 今回の講義では、大学入試の制度についてのいろいろ
な話をしていただき、日本のことだけではなく、中国や韓国のことも知
ることができましたが、それらの国の受験の体制について聞いたとき
はかなり驚きました。日本は、どこの大学に入るかとか、一流の大学に
入れるかどうかでその後の人生が完全に決まってしまうわけではない
ので正直少し安心です。しかし、せっかくこの大学に入学することが
できたので、卒業まで精一杯勉強したいなと思いました。
歯・ 2 ・男 大学の入試について、近年のことについては入試のとき
に学校で知ったのですが、戦後の改革などについてはまったくしらな
かっので、興味がわき集中して聞くことができました。センター試験の
よいところと悪いところなど受験期には考える余裕がなかったので、よ
い機会になりました。これからは、大学の入り方もいろいろあるので、
個性が伸ばせるように、もっとそれぞれにあった授業ができるようにな
ったらいいなと思いました。
生生・ 2 ・女 広大の入試の歴史について詳しく知ることが出来てよ
かった。広大は県外出身者が多いというイメージはあったが数値とし
てみるのは初めてだったので、約 7 割が県外出身者であるということ
は驚いた。全国から学生が広大に集まってくるとのは、やはり広大に
なんらかの魅力があるからだと思う。今回の講義を受け、現在は入試
制度が多様化し入試にも様々な課題があるということも分かった。こ
れからはこれらの課題が解決され、入試がその大学に本当に適した
人材を選抜するために行われるようになればいいと思った。
生生・ 2 ・女 大学全入時代といわれるこの時代に、入学試験を受
けて広島大学に入ってきたが、戦前における入試制度では、選抜試
験が主流のなか推薦制度を取り入れられた。こういった、都道府県別
に人数を決めて推薦をするなどの工夫によって、都会に集まり気味で
あった大学志願者を、全国から満遍なく広島高等師範学校に入学さ
せることができた。地方はやはり都会よりも人が集まりにくいので、早
期から推薦制度を取り入れたことは、全国からの優秀な人材が集まり
やすく現在の広島大学にもよい方に影響を及ぼしたのではないかと
考えられる。戦後には、公平さを求めて共通一次学力試験、今でいう
センター試験が開始された。この入試政策には長所も短所もある。セ
ンター試験のような選択形式のものでは自分の考えを述べる力が見
えない。だが、大学というのは自ら学習意欲を持って積極的に学ぶ場
所であるので、私は大学入試問題はもう少し受験生の追求力を図る
記述的な問題も増やしてもいいのではないかと考える。
生生・ 2 ・女 実家が広島であるので、広島大学はもとから第一志望
だったが、やはり周りの人で九州が多いのは九州大学と広島大学の
関連なんだなと思った。そして、意外にも広島出身が少なくて驚きだ
った。学部別にも出身地を見てみたいなと思った。旧帝大の意味が
未だによくわかってなかったため勉強になった。
生生・ 2 ・女 今回の講義で、広島大学の入試についてだけでなく、
入試の起源というもっとさかのぼった時代の試験制度そのものの成立
ちから学ぶことができました。今日では私たちの生活において、試験
というものはごく身近なものになっています。資格試験の種類は数え
切れないほどあるし、入試などの選抜試験は私たちが高等学校や大
学に進学するためには避けては通れない道です。また、学生の出身
県にスポットを当てて色々な大学を比較してみることは特に興味深か
ったです。東京大学などの難易度が非常に高い大学ほど、全国から
まんべんなく集まってきているのかと思ったら、現状としては都市圏に
住んでいるということが大学合格のひとつの要素と言える部分もあると
いうことに驚きました。やはり環境も重要な要素であるのだと思いまし
た。私は九州出身なのですが、高校時代を思い返してみると、たしか
に高校の先生に広島大学の出身の先生がいました。自分でも知らな
いうちにそのようなことも私がこの大学に入学した要因になっていたの
かもしれないと、今日の講義を聞いて少しうなずけました。今回の講
義は入試制度の歴史についても多く知ることができたので、私にとっ
- 629 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
て有意義なものとなりました。
生生・ 2 ・女 広島大学と他の大学について、学生の出身地やその
数がそれぞれの特徴がでていておもしろかった。有名大学の多くは
他県からの学生が多く、地方になるほどその県の学生が多いのはよく
考えれば当然のことだが、それが顕著に表れていた。ただ東京大学
に入学する人の多くが関東圏の人だったことに驚いた。日本を代表
するような大学なので、あらゆる場所から学生が集まってくるのだと思
っていた。高校生のころはただ面倒くさいだけだった入試も、今デー
タや歴史としてみるとさまざまなことが読み取れて興味をもてた。
生生・ 2 ・女 人気の大学は学生の学力を確保するために試験は 5
教科 7 科目方式をとり、人気のあまりない大学は入試問題を比較的
易しくして定員確保という傾向があると講義中にありました。私は自分
の通う大学が、全国から学生の集まる割と人気のある大学であること
を嬉しく思いました。私は生物生産学部に入学して思っていたよりと
ても勉強面で満足していて、楽しく過ごしているのですが、多くの人
に私と同じような楽しさを味わってもらうためにも、もっと入学前にどの
ような勉強をするどんな雰囲気の学部なのか積極的に大学側に発信
して欲しいなと思います。
生生・ 2 ・女 今回の講義を受講して、広島大学に県内もしくは所在
地域からから来ている人数と、名古屋大学に県内もしくは所在地域か
ら来ている人数の割合があまりに大きく違うため、なぜこんなに差が
出るのだろうと不思議に思いました。しかし、その県の人口の問題も
関係してくるし、広島大学にさまざまな都道府県から学生が集まって
くるのは、とても喜ばしいことだと思いました。また、現在では女子も男
子もそんなに人数は変わらないのに、昭和 24 年の入試合格者 127
9 名中女子が 88 名しかいなかったという事実に驚きました。戦後で、
男女差別がまだ大きくあった時代だったのだと思いました。
生生・ 2 ・女 今回の講義では広島大学の入学試験についてだけで
なく、入学試験の起源や戦前の入学試験制度について知れて興味
深かった。特に共通一次模試が地方に住んでいる学力のある人が都
会の大学へ行けるよう配慮したシステムであったという話が印象に残
っている。個人的にセンター試験は全国の入学試験の複雑さを解消
し、スムーズな運営をすることができる体制を作り上げるために存在
するのかと思っていたが、元は受験生をサポートするシステムであっ
たということに感動した。他にも入試制度の基本原則として高校教育
に悪影響を及ぼさないよう配慮するという項目があるなど、入試での
悪問の数を抑制していて、知らず知らずのうちに色々と制度に支えら
れていたことを知った。また私の高校三年生のときの担任の先生が広
島大学出身でだったので、私が広島大学を志望した理由にもなんら
かの影響を与えていたのかもしれないと思った。
生生・ 2 ・女 広島大学が大正 10 年まで、他大学が選抜試験を主
流の時代に推薦制度を取り入れていたのは人材を集めるためだと知
り納得した。勉強ができるだけがいいのではないと思ったからである。
選抜試験だけでは見抜くことができない、その人をより深く知ることが
できると思ったからである。入試改革を行われ、共通一次学力試験を
取り入れられるようになり、それにたいする批判に受験生を偏差値に
よって序列化し、大学の序列化も促進されたということに私も賛成した。
多くの受験性が偏差値が低いがために第一志望をあきらめている。
たしかに、自分の偏差値に見合わない大学に行くのはその人にとっ
てもあまりいいことだとは思わないが、偏差値だけで判断をするのは
どうかと思った。その後、推薦入試や AO 入試が取り入れらることにな
り、さまざまな面からその人を見ることができるようになりよかったと思
った。
生生・ 2 ・男 今回の講義を通して、現在の広島大学の入試形態に
至るまでの歴史が分かった。今となれば学力による選抜方式や推薦
入試があたり前だが、今の入試形態を作り上げるまでにさまざまな批
判がある中で確立し、あたり前の制度にしたことの凄さを、歴史を通じ
て知ることによって感じた。講義の最後に入試自体の課題について
触れた。入口は多様化している中で大学の教育は同じであるというこ
とにすごく衝撃を受けた。大学に入学して今だ勉強をさせられている
と感じる。やりたいことがあって入学したつもりであるのにやりたいこと
を見失いかけている。いまだからこそ、同じと言われる大学教育の中
で自分のやりたいことを見つけ、しっかりと取り組んでいこうと強く感じ
た。
生生・ 2 ・男 今回の講義では一年前の受験期を思い出させるよう
な講義だった。特に自分自身で一番興味をひかれた部分は寄り道で
書いてあった、推薦と一般入学の学力の差があまりないというところで
ある。現在はどうなのだろうか??推薦で入った人のほうが意欲があ
って、成績が良好ではないかと私は思います。大学入試が多様化す
ることは、良いことだと思います。人種、年齢、などの違ったバックグラ
ウンドの人がキャンパスにいることは良いと思うからです。あとは最後
の課題にもあったように、教育の過程などの確立がやはり必要だと私
も思います。
生生・ 2 ・男 今回の講義では、入試についてがメインでしたが、広
島大学と他大学の生徒の、出身県のデータがとても興味深かったで
す。広島大学は一人暮しの割合が多いとは聞いていましたが、他大
学と比べて、これほどいろいろな地域から人が集まっているとは、思
いもよりませんでした。個人的には、広島大学のレベルが九州大学や
神戸大学、名古屋大学、北海道大学に比べて、少し低いのも原因の
ひとつだと思いました。いずれにせよ、いろいろな地域から人が集ま
って、いっしょに勉強するのは良いことだと思いました。
生生・ 2 ・男 最初は競争入試を実地し、次に推薦、選抜となり、名
古屋大学とは違い、学生の出身県が全国に広まるという特徴を持つ
ようになり、平等なチャンスが与えられて学生が納得できるような形に
なっていった。これはいいことだと思う。高校を卒業してエスカレータ
ーで上がってくる人間だけでは高校で努力する理由がなくなってい
たと思う。なので、昔の形式から今の形式に変わってきたことは本当
にありがたいことだと思う。
生生・ 2 ・男 私は、今回の講義を受講して、広島大学の入試がど
のようにして決められてきたのかが、少しわかるようになって、高校生
の時とは違う視点で、大学の入試制度が見れたことがとても勉強にな
りました。出身地がみんな違う中で、広島大学で出会えたことは、本
当にすごいことだと思うけれど、九州大学や名古屋大学、北海道大
学など、もっと上を目指していた人や、広大で第一希望でもない人が
いるんだなと改めて感じました。いろんな話を聴く中で、特に心に残
ったことは、推薦入試で入った人は、一般入試で入った人より成績が
良いという結果がでているということです。僕も広島大学が平成 14 年
度から導入した AO 入試で合格した内の一人なので、少しプレッシャ
ーみたいなものを感じました。だけど、やりたいことや目指しているも
のがはっきりしているのは確かなので、この大学生活でどれだけのも
のやできごとを自分の力にできるか挑戦する気持ちでこれから過ごし
ていきたいと講義を受けて考えました。
生生・ 2 ・男 広大はいろいろな地域から学生が集まっていると思っ
た。 6 割以上が県外出身で、名古屋大学の県内出身者の 5 割の値
と比べると、かなり高い値であると思いました。私は北海道出身です
が、同じ学部、学年に北海道出身の学生がいて、案外広大目指して
来る人も多くいるのだと感じました。広島高等師範学校の入試が第 2
回から大正 10 年まで推薦制を実施していましたが、これは全国から
優秀な人材を集めるためにやっていたことを初めて知りました。どうし
ても東京の人材が集まりやすいのでなかなかいい制度を導入したと
感じました。広大の入試問題は基本的な問題が多いと聞きました。こ
れは堅実な学力を備えた人物を着実に選抜しようとしていると思いま
した。
生生・ 2 ・男 事前に予想していた内容と一致している部分もあり、
入試は私たちも通ってきた道であるため、非常に理解しやすく親しみ
やすい内容であった。名古屋大は旧帝大であるが、その入学者分布
は東海地方に偏っている。広島大は中堅大学であるが、その入学者
分布は中国・九州地方以外は全国的にそこまで偏っているわけでな
い。このような違いが毎年同じように起きているのは不思議であった。
大学のランクが上がっても分布が全国に散らばるとは限らず、むしろ
その大学の地元のほうが指導がより徹底していることが理由だと思っ
た。
生生・ 2 ・男 今回は現在の広島大学のことについて、上記のような
ことを学ぶと思っていましたが、やはり今日学んだことも歴史的に見た
広島大学の入試についてでした。しかし今日の授業で特に興味深か
ったのは、歴史とは少し離れるかもしれませんが、授業の初めにパワ
ーポイントで出された『学生の出身地域から見る大学の特徴』というと
ころでした。私が普段よく行動を共にしている友達約 10 人ほどの中
でおそらく広島出身者は 2 、 3 人くらいで気づけばグラフと同じような
比率でした。よく考えてみれば広島大学は本当にいろいろな地域か
ら人が集まる大学だと思いました。
生生・ 2 ・男 今回まず思ったことは確かに他県から来ている広大生
は多いが予想以上にほかの大学もそのような大学が多いと言うことで
ある、まさか京都大学が他県から来ている学生があんなに多いとは思
わなかった。あと名古屋大学にはあんなに愛知出身が多いことも驚い
た。また広島大学の入試は基本が多くとわれ、そこまで難しくないと
言われるために、有名大学と言うのもあるが毎年受験者がコンスタント
にいると知った。昔の過去問をやってみたがぜんぜん解けなかった
ため人は一年あったらほとんどのことを忘れるものだと思い知らされた。
生生・ 2 ・男 学生の出身地域で、名古屋大学は在学生のうち半分
以上が所在地域であることに驚いた。名古屋大学は旧帝大の一つで、
全国の様々なところから来ているイメージがあったが、そうではなかっ
たので、地元に根付いている大学だと感じた。また、広島大学の過去
の入試問題も実際に見たが、今と問題の出し方や出題範囲は多少
異なっていたけれど、難易度はそんなに変わっておらず、今も昔も基
礎を重視した良問が多く出題されていると思った。入試制度の原則を
守り、学生に信頼される学校づくりを心がけているように感じられた。
生生・ 2 ・男 今回の講義では、まず最初に全国の大学の学生の出
身地について学びました。僕は広島大学に入学してみて周りの友達
に広島出身者があまり多くないと思うようになりました。大抵は九州か
らきたという人でした。この講義で統計資料を見たときには、自分が感
じていたことは間違ってはいなかったということがわかりました。広島
大学は学生の七割くらいが他県から来た人でした。逆に北海道や名
古屋大学では地元出身者が多いことがわかり、大学によって集まる
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学生も違ってくるんだなと思いました。授業の後半では昔の学生と今
の学生では、今の学生のほうが学力が低いということを知り、最近い
ろいろな場面で言われている学力低下の問題は他人事ではないん
だなと思いました。
生生・ 2 ・男 旧帝国大学といった有名大学も学生の出身を見たとき
に結局近隣からの学生ばかりであることに驚いた。大学入試は通って
いる高校によって有利不利があるのではないかと思う。大学入試制度
の基本原則に高校教育に悪影響を及ぼさないように配慮するとある。
しかし現状では私立高校を中心に、高校の授業が大学入試を意識し
すぎている気がする。広島大学においては、全国各地から学生が集
まっているという点がすばらしいと思う。また入試問題も基本的な問題
が多いということで、塾等に頼らずに堅実に学業を身につけてきた学
生にもチャンスがあり、公平な入試が行われていると思った。
生生・ 2 ・男 広島大学の入試について、僕も一般入試で合格して
して入学したので講義を聞いていて興味深かった。僕たちの代は英
語の和訳が例年出題されていなかったのに出題されたり、化学の問
題傾向が少し変わっていて焦った。名古屋大学と広島大学の学生の
出身県の違いについては、思っていたほど単純なものではなく興味
深かった。今年の広島大学の入試問題はまだ見ていないので機会
があったらみようと思う。
生生・ 2 ・男 広島大学の学生の出身県が全国各地に分布している
のには、その学校にある魅力がそのようにさせたものであると思って
いたが、それだけではなく、昔の選抜試験が主流だった時代に、推
薦制度を導入することで、全国各地から生徒を集めるという工夫を行
っていたということに驚きました。現在子供の数は減り大学は優秀な
生徒を集める工夫を行っていかなければならない時代だと思います。
広大出身の先生の多さに驚きを覚えました。私の出身は広島なので
すが、広大出身の先生は多く、担任の先生も広大出身でした。友人
に聞いても愛知や福岡、兵庫にも広大出身の先生はいたらしく、先
生の影響力は大きいので、そこに広大の意義があるのではと思いま
す。
生生・ 2 ・男 この授業を聞いて私の祖父はやっぱり勉強して将来の
ことをいろいろ考えていた人なんだろうなと思いました。私の祖父は
京都大学に通っていたみたいです。祖父の時代、周りに大学に行く
人はそんなにいなかったと思います。そのような中で大学に行こうと
考えまたそれが一期校と呼ばれていた京都大学に入ったのはすごい
と思いました。また広島大学に入るとき父に、昔の一期校や二期校の
制度の話を聞いたことを思い出しました。
生生・ 2 ・男 私の地元は愛知なのですが、名古屋大学に行く人は
地元民が多いという話をよく耳にはしていました。そして今回の講義
でその裏付けが示されていました。それに対して広島大学は全国各
地からの入学者がいて、良い人材を広い地域から確保するという狙
い通りの結果になっていたと思います。そこで今からでも名古屋大学
は広島大学のように広く人材を集めることができるのかと考えました。
結論としては今すぐには無理だと思います。なぜなら広島大学が現
在のように全国から人材が集まるようになったのは、明治から大正ま
でという長い時間をかけて行われた推薦制の賜物だと思われるから
です。つまり成果が表れるには長い時間が必要だからです。私は広
島大学も好きですが、地元にある名古屋大学も好きなので、名古屋
大学にも広い地域から人材が集まるような大学になってほしいと思い
ました。
生生・ 2 ・男 以前から、大学入試に推薦枠があることで、成績が悪
くても入学できるという不条理なことが生じると思っていて、あまり良い
ものだとは思っていませんでした。しかし、今回この講義を受けて、大
学ごとに特色を作っていくには、ただ学力だけではなく、ある一分野
に秀でた才能を持つ人材も必要だと感じました。その面から考えると、
推薦入試によって、一般入試とは違う観点から学生を選抜するのも納
得できるものだと思いました。ただ、入試制度の複雑化は学生を混乱
させる可能性があるので、簡略化が望まれると思った。
生生・ 2 ・男 私もこの講義を受ける前からセンター試験のマークシ
ート方式に不信感をもっていたので、この講義をうけて私以外にもそ
う考えている人が大勢いることがわかり、さらに自分の考えが異論じゃ
ない事を知ることができてよかった。この制度には大学の二次試験の
難問奇問の解消ができるというメリットがあると思うが、やはり、マーク
シート方式は、受験生の思考力の判定に役立たないし、またこの制
度は大勢の受験者を偏差値によって序列化し、大学の序列化を促進
していると思うので廃止すべきだと思う。
生生・ 2 ・男 今回の授業を受けて、入試方法は様々な背景があっ
て変わってきたことがわかった。大学の求めている人材が単に頭のい
い人でなく、勉強であったり、スポーツであったり、何かがほかの人よ
りも秀でている人材を必要としているから、 AO 入試を始めたことを学
んだ。私も AO 入試で入学した。だから、勉強だけでなく AO 入試の
面接などで評価された部分を自分で何かを考えて、その評価された
部分も伸ばせるように努力したいと思った。
生生・ 2 ・男 今回の授業を受けながら自分が入学試験を受けたとき
のことを思い出しました。大学の入学試験がどのように変わっていっ
て、今のような受験制度になっていったのかを学習することが出来て
とても面白かったです。また、昔の入学試験はとても難しく感じられ、
昔も今と変わらないぐらい受験は厳しいものだと感じました。最後の
「入試の課題」というものは大変興味深く、今後も考えさせられるような
内容でした。
生生・ 2 ・男 講義中に、広島大学広島大学は他県からの入学者が
多いという話題がありましたが、僕の地元の岐阜大学では、 6 割が岐
阜、 2 割東海三県というように、地元色が強く、名古屋大学も 6 割東
海からの生徒らしく、広島大学はむしろ地元のほうが多いくらいで特
殊だと思いました。いろいろな地方の人が多いのは、方言とか習慣が
違って面白く、広島大学のように他県の生徒が多いことは素晴らしい
ことだとおもいます。
総科・ 1 ・男 自分が受験生の頃、広大の赤本をやっていたときに、
広大の入試問題は基本的な問題が多く、ひねった難問は無いと書い
てあった。今日の授業で、広大は常に文部省のスタンダードでなけれ
ばならないという昔の教授の言葉から、その理由がわかった。現在で
もその姿勢は脈々と受け継がれているのだと思った。昔の試験問題
も少し解いてみたい気分になった。
総科・ 2 ・女 広大に来ている学生は、広島出身が一番多いものだ
と思っていたので驚いた。入試の仕方にこんなに変遷があったとも思
っていなかった。やはり、昔の問題の方が少し難しい気がした。フェニ
ックス入試や、 AO などさまざまな方式があって、いろんな人が受け
やすくなっているんだなあと改めて感じた。全国の大学において、両
極化の話が印象的であった。一人のためにいろんな先生が入試問題
を準備して待っていたのに、結果来ないなど、すごい話だなと思った。
自分の学部のプログラムでも、やはり人が集中する、しないプログラム
があるので、こういった問題はどうやって対処していけばいいのかなと
思った。そのために今そういう大学がどういった対策をとっているのか
が知りたいと思った。
総科・ 2 ・女 私が広島大学に入学するための試験が、昔とは大きく
変わりそれぞれ大学独自の試験になってきていることに興味をわきま
した。昔は大学に入るためには試験だけでなく推薦も行われないと大
学に入学できないことには驚いた。また広島大学における入試変化
として昭和 24 年には第二期募集という制度にも興味が沸きました。
これを聞いたときに広島大学は旧帝大には負けるのかと思い少しショ
ックでした。しかし昭和 26 年には第一期になってよかったです。
総科・ 2 ・女 自分が AO 入試で広島大学に入学しているので、い
つからこのような推薦型の入学試験が導入されたのかが分かって興
味深かった。推薦の入試方法は予想以上に最近のもので、また、帰
国子女のための推薦入試にも柔軟に対応していることが分かって感
心した。しかし、近年の推薦入試では、合格の基準がよく分からず(指
定校推薦など)、また、国立大学の AO 入試においては、受験するに
あたって多くの時間と手間を費やすわりには、倍率が高すぎるという、
受験生にとってはあまり好ましくないものとなっているので、これから
の入試にはある程度、見直しが必要になってくるのではないかと感じ
た。
総科・ 2 ・女 大学の入試制度は,各大学によって様々だと受験のと
きに思っていたが,その入試にも問題があることが,今回の授業を通
して感じられた。私は AO 入試で入学したため,学科試験は受けて
いない。そのため,受験時に何を評価されるのかを不安に感じていた。
つまり,学科試験のような点数化が難しいため,本当に客観的な評価
ができるのかが問題ではないかと思われる。 AO 入試や推薦入試に
対して疑問視する声もあるようなので,これからどうなるのかを注目し
たい。
総科・ 2 ・女 広島大学といえば、広島出身の人が多いと聞いてい
たので(私自身、広島出身で広島大学に通っているので)広島大学は
地元学生が多いのかと思っていたら、名古屋大学の足元にも及ばな
いことに驚いた。しかも資料によると、広大学生のうちおよそ 4 割しか
中国地方出身者でないのにはもっと驚いた。学生の出身地があまり
偏っていないことは、全国から優秀な学生を集める点では喜ばしいこ
とではある。(とはいっても、中国四国地方・九州地方にある程度は偏
っているが)広大の入試問題については、高校時代にも「基本的な問
題を取り扱う標準的なレベル」とは聞いていた。確かに、実際すごく難
しい問題がでたことはないように感じるし(入試対策で数年間の過去
問題は解いた)、だからといって簡単ともいえないレベルである。そう
いう意味では、広大は国立大学の中でも難関とはいえないものの、こ
れが通らなかったら他の国立大学は挑戦できない、「基準」となる立
ち位置にいるといえる。だから、毎年ある程度の基礎力を備えた学生
は確保できるし、その上(言い方は悪いが)もっと上の難関校を目指し
ていた学生たちも拾うことが出来る。ある意味おいしい位置にいるの
ではないか? しかし、この学生の知能レベルしか問わない入試シ
ステムである限り、学生ひとりひとりの適正・個性に応じた大学教育は
難しい。なので、これまでどおりの入試制度(標準的な力を問う問題)
に加え、 AO 入試のような個人の興味・関心などをアピールする場を
利用するべきだと思う。他の大学との差別化のためにも、既存の入試
制度を基礎にした、個人の能力の多様化を測る方法が必要だ。
総科・ 2 ・女
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広島大学の入学試験は数回に及ぶ入試改革を経て、
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
現在の形になっており、戦後の法的根拠を伴った入試に始まり、進学
適性検査、能研テスト、共通一次学力試験、センター試験導入という
流れの中で、基本的な問題を出題し、堅実で基礎が固めがきちんと
された人材を受け入れようとしていたことがよくわかった。また、 AO
入試や、帰国子女の特別選抜など入学方法は多様化し、教育自体
は主に講義形式で個人の能力に応じたものにはなっておらず、今後、
大学の人材観がますます入試を通して問われていくのではないかと
感じました。
総科・ 2 ・女 入試はほんの一年ちょっと前に自分が向き合っていた
ことであるのに、すごく昔のことのように思いました。入試問題を見まし
たが、明らかに自分の学力が下がっていることに気づかされました。
私は総合科学部なので、小論文と英語で入ってきたのですが、小論
文が、私の思っていたよりも昔から使われている入試制度だったのだ
と知りました。教授がおっしゃっていたように、小論文というのは、判断
があいまいだと思います。なので、もっと現代になってから導入した制
度だと思っていました。昔は、県から一つの大学に決まった人数を推
薦して国立大学にいくことができたようですが、今は自分の学力や、
学びたいことに合わせて、自ら大学を選ぶことがでいます。今後、な
ぜ自分が広島大学総合科学部に入ったのかを思い返し、有意義な
大学生活を送ろうと思います。
総科・ 2 ・男 まず広島大学は、出身者に広島県以外の人が多く、
地元生が少ないなと感じていましたが、実際は全国的に見ると京都
大学や東北大学のほうが地元の学生は少ないということがわかっって
少し驚いた。広島大学が入試で堅実な学力を備えた人物を着実に
選抜しようとしている。という話を聞いて、自分が受験生だった時に、
確かに広島大学の過去問などは、基礎問題などをしっかりと理解でき
ていればとける問題が多く、他の難関大学に比べて、創造力を試す
ような試験問題ではないなと感じたことを思い出しました。
総科・ 2 ・男 広島大学の前身校の入試制度から現在の入試制度
についての説明に加え、入試制度の根拠規則や基本原則に関する
話もあった。広島高等師範学校の入試においても推薦入試がおこな
われていたというのが意外に思えた。今の広大は、選抜試験と AO
入試がおこなわれているが、入学志願者の幅を広げるという意味で
は、さまざまな入学方法があることはとてもいいと思う。特に AO 入試
は、学力だけでなく、人間力や社会性などの面を判断するには筆記
試験より優れている部分が多いと思う。
総科・ 2 ・男 入試制度は大学や、その前身校の誕生と同時に行わ
れていたと思っていたので、今回の講義で入試制度が導入される前
に無試験で大学に入学できると言う制度だったと聞いて驚いた。私は
一般入試でこの大学に合格したのだが、 AO 入試や推薦の制度に
はあまり賛成できない。それは、私の高校では「推薦さえもらえれば
勉強しなくても大丈夫」と推薦入試の存在意義をはき違えている人間
がたくさんおり、大学側が受検者にそれらの入試で求めるレベルも大
学のそれと比べて明らかに低い場合が多いからである。公平さを重
視する入試制度の中でそれらの制度は不必要だと思う。
総科・ 2 ・男 今回は「あなたたちはどのようにして、今、ここにいる
か」という入試に関してであった。学生の出身地域から見る大学の特
徴において、広島大学の方が東京大学より、所在地域が少ないこと
に驚いた。東京大学は全国から人が集まると聞いていたので、なぜ
だろうと疑問に思った。また、広島大学の所在地域については、周り
に地元の人が少ないので、経験から納得できた。共通一次試験方式
に対する批判において、マークシート方式が受験生の思考力の判定
に役立たないという批判は同感であった。やはり、記述の方が想像
力・思考力が顕著に表れるので、記述を優先した方がいいと思った。
総科・ 2 ・男 私たちが今ここにいるのは、センター試験を受けて、広
島大学の二次試験に合格したからである。センター試験は、点数によ
って合格可能性がわかるので、自分的にはよいことだと思う。また二
次試験とは、やりかたが違うので気分的にも変わってくる。広島大学
の出身者別のグラフも興味を引いた。名古屋大学と比べると、地方の
かたまりが少なく、各地域から来ているというデータが出ていた。確か
に自分の周りにも、中四国・九州が多いながらも北海道・北陸出身の
人がいるなと思った。意外と知らないことが多いので次の授業も楽し
みです。
総科・ 2 ・男 私は AO 選抜で広島大学に入学したが、「アホでもオ
ッケー入試」などと週刊誌で報じられるように、その実施については賛
否両論がある。正直を言うと私の高校時代の模試の判定は D や E と
相当ひどく、どう考えても一般選抜で広島大学に入学することは不可
能であった。まさに、とんでもない「アホ」が入学してしまったことになる。
ただ、入学して感じたのが、高校時代の成績はどうであれ(というのは
度が過ぎるだろうが)、一生懸命に取り組めば単位を落とすこともない
し、それなりにいい成績が取れるのだということである。初めのころは
自分が広大にいることをすごく不思議に感じたこともあったが、正しく
試験を受けて広大に入学したのだから、自信を持ってこれからも頑張
っていきたいと思う。
総科・ 2 ・男 入試制度に完璧なものなどないとわかった。時代に応
じて入試制度が変化し、それに伴い学生の学力や学生からの人気が
変化していると思った。しかし、小手先だけ改革では効果を発揮しな
いし、大学ごとに掲げる人材育成目標というものがないといけないと
思った。
総科・ 4 ・男 私はオーストラリアの高校に単身留学していたため、
広島大学には帰国子女枠入試で受験し、入学したため、一般の人た
ちが受けている一般入試の試験を受けてはいない。今回の講義を通
して、正直な話、帰国子女枠入試は英語での 6 対 1 の面接と日本
語での小論文の記述問題のみで、一般入試の生徒よりも簡単な内容
の試験で、本当に自分が、この広島大学に入ってしまっていいのか
真剣に改めて悩んでしまった。
文・ 2 ・女 広島大学に限らず、東大、京大も周辺地域出身者の占
める割合が高かった。それを聞き、人は育ちによるところが大きいと思
った。また、広島大学にも入学試験の漏洩事件があったと聞き、驚い
た。私の知る限り、広島大学に素行の芳しくない人がいないと思った
からだ。このような事件に限らず、広島大学がいつまでも不正のない、
公正かつ規律正しい大学であればと思う。そのためには学生に何が
出来るのかを考えるのも大学生の勉強と思った。
文・ 2 ・女 名古屋大学に比べて、広島大学は全国から集まってい
ることに興味がありました。私の知り合いで北海道から広島大学に来
ている人がいて、どうして広島大学を選んだのかを聞いたら、学部や
専攻が多彩だからといっていました。他にも遠方から来た人に話を聞
くと、前期を失敗したからとか、教育学部が充実しているからなどの理
由がありましたが、広島大学に全国から多くの人が集まっているのは、
他の大学に負けない学部の充実性が大きいと思いました。また他の
大学では選抜試験が主流であったときに、広島大学だけ推薦制を実
施している理由が、筑波大学へのライバル意識だということに驚きまし
た。また広島大学出身の教員の影響も大きいだなぁと思いました。私
の高校の先生には広島大学出身の先生がそんなにいなかったので、
私はそんなに影響を受けていないと思いますが、友達には先生に勧
められたという人も多く、教員養成の力は大きいなぁとおもいました。
文・ 2 ・女 広島大学は中四国地方や九州地方を中心にした出身の
学生が集まっているというのは、今まで一年間周りにいる人たちの出
身を聞いてきているからなんとなく分かっていましたが、それはどこの
大学も同じような状況かと思っていました。しかし、例えば名古屋大学
は 76.6 %もの人が東海地域出身ことを知り、だいたい近くの地域か
ら学生は集まるというのは当然ですが、あまりにも出身地域の特徴の
差が大きいなと感じました。そう考えると、広島大学は本当に近場の
中国地方だけでなく、様々な地域から学生が集まってきているんだな、
と思いました。また、全国的な大学の変化として志望人数の両極化が
進んでいる、というのは私自身も受験生のころ感じたことがあった議
題でした。しかし、推薦入試や AO 入試といった入試形式の多様化
も、人数確保という意味においてこの両極化に関係していたとは驚き
でした。
文・ 2 ・女 大学に通っているとさまざまな地方の出身者と出会うが、
学生が全国からまんべんなく来ているという傾向が広島高等師範学
校のころから続いているとは思わなかった。また、以前は大学を二期
にわけて試験を行っていたのは知らなかった。実際はそうではないの
に、広島大学が第一期の大学より劣ると思われていたのというのは少
しショックである。また、同じグループに入っている大学が併願できな
いというのは現在の制度と比べ学生が希望の大学に入りにくかった
のではないかと思う。
文・ 2 ・女 広島大学の入試体制についてあまり考えたことなかった
のでとても興味深かったです。広島高等専門学校が推薦制をしばら
くとっていたのが面白かったです。全国から優秀な人材を集めるため
にそういった方法をとるなんて大胆だなと思いました。そのおかげで、
今も全国のいろんなところから人が来ていて感心しました。友達に北
海道の人も東京の人もいるので、感謝したいと思います。あと、最初
の頃広島大学が二期校だったのもびっくりしました。そのあと一期校
になってたのでちょっと安心しました。文理科大との兼ね合いがあっ
たのもなるほどな話でした。
文・ 2 ・女 一期校や二期校という分け方は、私の大学入試の前に
父が「私たちの時代はそういう風に分かれていたんだよ」と教えてくれ
たので知っていましたが、広大が最初は二期校であったことは初めて
知りました。また、昭和 40 年の問題は私たちの入試の問題より難しく
感じました。学力が落ちているといわれるのもしょうがないと思いまし
た。実際父がよく話してくれたのですが、昔の大学入試は本当に難し
かったのだろうと思います。私は一般入試の前期試験を受けて広島
大学に入りましたが、一般教育において推薦入学の人の方が成績が
良いというのは面白い調査結果だと思いました。
文・ 2 ・女 現在のセンター試験に近いものとして位置づけられてい
た共通一次学力試験に対して、様々な批判があったことに興味を持
った。その中の大学の序列化という問題は、偏差値を基準に受験を
行う現在においても見られる問題だと思うし、今後の解消も困難であ
るように感じた。二次試験に関しても、有力な人材を全国に輩出しよう
という本来の意図にも関わらず、二期校コンプレックスの問題をはら
んでいたという事実に驚いた。また、偏差値ではなくその大学への適
性を問うという視点から考えたら、推薦入試の導入は非常に画期的な
出来事であると思うし、入試制度の多様化はあってしかるべき現象で
- 632 -
あると思った。
文・ 2 ・女 今回の、広島大学の入試と学生たちという講義を受けて、
広島大学の前身校の 1 つである広島高等師範学校の入試が県知事
からの推薦制であるということに驚きました。広島に住んでいる学生に
とっては不利な入試の方法ですが、人材を確実に集めることができ、
全国に広島高等師範学校の評判を広めることもできるので、今の広
島大学の教育学部がすごいという評判が全国で広まっていう原因の
ひとつなのではないかと思いました。また、授業の中で、個人の能力
に応じた教育課程をまだ確立できていないとありましたが、その通りだ
と思います。入試にも複数の種類があるとはいえ、やっぱりまだ個人
の能力を適切に測れるような入試方法ではないと思うので、まだまだ
改善できると思いました。
文・ 2 ・女 広島大学の入試と学生たちが今回の講義内容であった
が、入試に歴史を語るまでのことがあるのだろうかと思っていた。意外
だと感じたのが、広島大学生の出身地がさほど広島にかたよってい
なかったことだった。地方の大学なのでさほど他県からの生徒は多く
ないのかと思っていたが、五分の一くらいが他県出身であったため、
広大というのはまわりに結構知られているのかと思った。推薦入試が、
テストで受からなそうな人のためのものという認識が自分の中でもあっ
たが、それはやはり見直さなければいけない問題であるというように感
じた。
文・ 2 ・女 広島大学の学生出身地域のグラフから、広島県内の学
生よりも県外から来る学生のほうが多く、広く名前が知られていたこと
や、基本的なことをきちんとやっている学生を選抜しようというところ、
また、学力試験だけでなく、 AO 入試や小論文試験など、さまざまな
学生を選抜しようとしているのだなと思いました。
文・ 2 ・女 広島大学の前身校である、広島高等師範学校の入試制
度がいろいろと工夫されていたことが興味深かったです。人材を集め
るためには、入試制度も見直しながら行うことも大切なのだと思いまし
た。今は全入時代と呼ばれ、どこかの大学には入れるようになってい
ますがそれではやはり学生の質が落ちてしまい、真面目に勉強する
学生も減ってしまいます。広島大学の入試は難問・奇問を出すので
はなく、堅実な学力を備えた人物の選抜を目的としたものであり、す
ばらしいと感じました。
文・ 2 ・女 広島大学は主に中国・四国地方からしか人が来ていな
いのかなと思っていましたが、全国的に見てみても、割とたくさんの地
域から学生が集まっていることに驚きました。やはり東京大学や京都
大学は本当に全国から人が集まっているのだなと感心しました。広島
大学の入試制度についても、たくさんの改変のうえで、今の状況に至
っているのだなと感じました。現在は A.O.入試などさまざまな特色の
ある入試制度が導入されていますが、それぞれのメリットやデメリット
に興味がわきました。
文・ 2 ・女 学生の出身地から見る大学の特徴が興味深かったです。
全国的にも有名で中部にある名古屋大学よりも、広島大学のほうが
県外から来ている人が多いことは意外でした。広島高等師範学校を
前身とすることが、学生の出身地別の構成にまで影響しているという
ことから、学校の「伝統」とはこんな風に受け継がれていくものなのだ
ろうと思いました。一般入試のような試験形式では、受験者の個性を
見ることができないこと、 AO 入試では受験者のトータル的な学力を
見ることができないことが問題ですが、入学者選抜を行なう以上、この
ような問題が出てくることは避けられないと思います。時代が変われ
ば、入試制度も変えなければならなくなると思うので、時代に合わせ
て制度を見直していくことで対応するしかないのかもしれないと感じま
した。
文・ 2 ・女 講義中では共通一次試験に対する批判がいくつか挙げ
られていたが、私はこの制度は必要だと思う。国立大学を記念受験
する人も多いであろうから足切りも必要であるし、基本的な問題が多
いので堅実な学力を身につけているかが良く分かる。適性も大切かも
しれないが、それ以前に基本的な学力が無ければ話にならないし、
マークシート方式は確かに適当に選んで当たる事もあるかもしれない
が、採点者の負担を減らすためには欠かせない。これを受けた上で、
広島大学の問題のようにしっかりと書かせるものにも取り組むなら何
の問題もないと思う。講義の最後では入試の課題について触れられ
ていたが、確かに個人の能力に応じた教育課程が確立されないまま
AO 入試等で選抜しても、合格者は他の受験者よりも勉強から離れる
期間が長くなり、合格者にとっても学校にとっても良い結果は得られ
ないのではないだろうか。
文・ 2 ・女 広島大学の入学試験の傾向や、 AO 入試の導入につい
てなどの言及に止まると思っていましたが、現在の入学試験の問題
点なども聞けたので、色々と考えさせられる講義内容でした。自身が
試験の当事者である時とは違った視点で、入学試験について顧みて
考えられる機会は他に無いと思うので、良かったです。入学試験の内
容で、大学が入学者に求める人物像が表れているということに少し驚
きました。個人的に今回のテーマは考えさせられることがより多く、興
味深い内容でした。
文・ 2 ・男
学生の出身地域の分布図を見て、講義中にも説明があ
ったように、広島大学は全国から生徒が集まっていることが確認でき
た。その事実は以前から知っていたが、その理由はずっと分からずに
いた。しかし、広島大学の高等師範時代からの流れと性質に目を向
ければ、今回説明された広大卒の教員が地元の教え子にそこへの進
学を勧める、という話も納得できた。また、入試においてスタンダード
な問題を出す姿勢も、地域によって学習上差の出ない公平な選抜と
して受験者に認識されているのではないかとも考えた。
文・ 2 ・男 入試制度も時代とともに変化してきたことが分かりました
が、でも今の制度も決してベストではないと思いました。
文・ 2 ・男 今回の話は、前々年度には眼前の巨大な壁・障害物とし
て私を含む受験生らを苦しめた入試についての話であった。この講
義中に一つの発見となったことが──大学入試というものは法的な
規則によれば必ずしも行わなくても宜しいらしい。なればどうしていち
早くこの制度を止めないのだと思わぬでもないが、その代わりになる
新たな制度──入学後の個別の指導までを見据えたやり方──が
見つからぬ限りはどうしようもならぬと、また考えさせられた。
文・ 2 ・男 個性豊かな学生を選抜するために、大学入試制度の一
部について考えてみたい。大学受験は、掛けた苦労がある程度報わ
れる制度である。今日では、その大学の偏差値は、事前にすぐ分か
る。その意味では、その偏差値を目指せば結果は出てくる。一方、過
去・現在・未来へと継続している人格形成をどのように考えるのか、実
はこのことが最も大切な問題である。誰でも高校時代に様々なものを
見たり聞いたりする。例えば、人はどうしてこのような服装をしているの
だろかとか、メディアの映像を見ても不思議なことが一杯ある。見るこ
と、観察すること、これが見えないものとの対話に繋がっていく。換言
すれば、それは自分との対話である。この世の中でたった一人しかい
ない大切な存在であるということを自覚する。このことが個性の出発点
である。そこから他者のこと、異文化、自文化を捉え、個性の確立へと
進歩していくのだと思う。さて何が言いたいのか-受験生全員を対象
にして(小論文形式で)考えるところを吐露してもらえば、忽ち入学時
から個性豊かな学生を選抜し得ることになるだろう。
文・ 2 ・男 今回は広島大学の大学試験入試制度の話であるが、そ
の話の前、冒頭に話された大学別の出身地の割合に関してはなかな
か興味深い話であった。地方出身者が多い大学と、他の都道府県か
らの入学が多い大学とで思ったよりも大きな差があるのが意外であっ
た。さて、入試に関することについてだが、昔は、共通一次学力試験
というものがあることは、親からよく聞かされていたので名前は知って
いたが、どのようなものかはよく知らなかったので、大いに勉強になっ
た。また、プリントの末尾の、かつての広島大学の試験問題は、予想
していたものよりも基礎的な問題であった。
文・ 2 ・男 今回は高等師範学校の頃から現在にかけての入試につ
いて知ることができました。現在の入試については前期、後期、推薦
に AO などいろいろあるのは知ってましたが、以前は一期と二期で受
けられる大学が異なっていたことはぜんぜん知りませんでしたし、少し
意外だなと驚きました。あと思ったことといえば関西と中部を境に出身
者が大きく変わっていることでした。僕も兵庫出身で、サークルでも地
元の話もするのですが、やはり中部より東は少ないです。今回大勢で
手を上げたことにより改めて実感しました。
文・ 2 ・男 今回の講義で最も驚いたのが、入学試験制度を設ける
前は高等学校や高等専門学校の卒業生たちは自分の希望する大学
の学部学科に無試験で入学することができたということです。今現在
の日本でこの制度を実行すれば昔と同じように確実に国立大学へ人
気が集中するでしょうが、アメリカの大学のように卒業するのを難しく
すればやれなくはない方法だなとも思いました。一期校二期校の制
度は知っていましたが、広島大は最初から一期校だと思っていたの
で、文理科大の存在によって二期校だったことを知って非常に興味
深かったです。
文・ 2 ・男 入学試験もついこの間始まったわけではなく、学校制度
が始まってから連綿と続いているのだと特に考えさせられた講義であ
った。旧制学校では推薦制も存在していたことは私としては意外だっ
た。日本の学校は学力重視。だから推薦制なるものはつい最近始ま
ったものなのだろうと思っていたからである。たしかに、大学進学率が
一桁台であった当時の「大学」は日本国民にとって非常に意味のある
存在であったのだろう。戦後、入学試験も時代とともに変化した。「進
学適性検査」の実施、「能研テスト」から「共通一次試験」、そしていま
私たちが受けてきた「大学入試センター試験」である。受験学生の学
力、能力をいかにして視るかの努力がなされてきた結果である。さら
には、入学試験は学力検査のみならず学生の持つ才能にまでその
幅を広げている。私自身も AO 入試で入学した身であるが、学力検
査だけでは測れない学生の才能・能力を視ようとする動きには賛成で
ある。
文・ 2 ・男 今回テーマを聞いて、講義の内容は現在のことだけだろ
うと勝手に予測していました。しかし、今回の講義は、入試の起源な
どにも触れていて、とても面白かったです。そうして、広島大学の入試
と学生たちの特徴を見てみると、全国から学生が来ていたり、基本事
項を問う問題が中心で悪問のない問題構成など、いわれてみればそ
うだな、と言うことが多かったです。現在の入試は過去に比べると非
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
常に多様化していると言うこともわかり、社会、大学が求める人材の変
化に関係があるのか、と思いました。
文・ 2 ・男 自分自身の入試は 1 年以上前のことになるが、今でも友
達との会話の話題になることもある関心のある内容である。だが、入
試の始まった時期や入試制度の変化は知らないことが多々あった。
広島大学の前身校が推薦制を各県 2 枠と制限をつけ、人材を全国
から集めようとした制度は工夫がされていると思った。やはり大学のあ
る県や大学のある地域の人が入学することが戦前などは今よりも多か
ったと思うので、この推薦制度はよく考えられているものだと感じた。
文・ 2 ・男 まず、講義中に恥ずかしくて手を挙げられなかったので
すが、私は東京出身です。東京では広島大学についてはあまり受験
関係ではポピュラーではないので入試形態についてはあまり知られ
てませんでした。高校にも入試に関する資料はありませんでした。私
は浪人し全国展開している某予備校に通っていたのでそこの広島校
からいろいろなデータを頂きましたが、それ以外にはなかなか情報を
仕入れることができませんでした。広島大学も品川にリエゾンオフィス
がおいてあるので関東圏に対してもっと情報を提供すれば関東圏か
らの受験者ももっと増えると思いました。
文・ 2 ・男 まず、講義中に恥ずかしくて手を挙げられなかったので
すが、私は東京出身です。東京では広島大学についてはあまり受験
関係ではポピュラーではないので入試形態についてはあまり知られ
てませんでした。高校にも入試に関する資料はありませんでした。私
は浪人し全国展開している某予備校に通っていたのでそこの広島校
からいろいろなデータを頂きましたが、それ以外にはなかなか情報を
仕入れることができませんでした。広島大学も品川にリエゾンオフィス
がおいてあるので関東圏に対してもっと情報を提供すれば関東圏か
らの受験者ももっと増えると思いました。
文・ 3 ・男 当時と昔の入学試験を見て比べるだけでなく試験という
ものがどのようにして成立してきたか、その経緯を見ていくのも実に興
味深く感じた。いま実際に行われている試験の目的がどのようなもの
で、実行していく中でどのような問題点が生まれるか、など入学生を
募る以前に試験そのものに問題点が多くある現実を改めて認識でき
た講義だったように思う。授業の最後でも言及されていた通り、個人
の能力に応じた教育課程がまだ整備されていない現状があり、それ
ぞれの大学は各々の大学の特色をより前面に出していくべきではな
いかと考えた。
文・ 3 ・男 総合大学として多様な面のある広島大学ですが、試験に
ついても色々な歴史があり、様々な要因によって現在のような形にな
っていることが分かり面白かったです。また広大生が意外と全国各地
から集まっているのにも驚きました。たしかに私は入学前、中四国出
身者が多いのかなと思っていたら、九州の人もかなり多くびっくりした
ことがありました。やっぱり「総合」大学なのだしできるだけいろんな所
から人が来てくれている今の形をこのまま維持してほしいなと思いまし
た。
文・ 4 ・女 親や周りが「広島大学は第一期校だった」と言っていた
ので、初めの頃は実は第二期校だったというのは驚いた。また、全国
から広く人材を集めるために推薦制度を採ったのは、非常によく考え
られた案だと思う。今回不服に思ったことは、講義してくださった方が
AO 入試や推薦入試に対して馬鹿にしている様な、否定的にも取れ
る様な発言をしたことである。私自身、 3 年前に AO 入試で文学部に
入学している。そのため少々卑屈に、もしくは捻じ曲げて発言を受け
取ってしまったかもしれない。しかしそう受け取った人間が一人いるな
らば、私以外にも似たような感想を持った者もいるのではないか。もし
発言の真意を正しく汲み取れていないのであれば申し訳ないことで
あるが、あのような場で発言する時はもう少し熟考してからにしていた
だきたいと思う。偉そうな語り口になってしまいましたが、受講中に不
快感を感じたのでここで書かせていただきました。私の考えすぎだと
思いますが、そう感じる人間もいるということを知っていただきたいと思
います。
法・ 2 ・女 中国の選抜試験とヨーロッパの資格試験という概念は今
日はじめて聞いてとても感銘を受けました。一見同じように見える試
験が、その扱いや目的が微妙に違うということに気づかされました。ま
た日本では中国のような選抜制度の息が短かったという事実につい
て、逆に中国ではそのようなことをしていては様々な民族がひしめく
広大な国を治めることができないのではないかと考えました。その点
日本では少々無能な人間が政治を司っていてもなんとかなるような風
土だったのではないでしょうか。入学試験について、一期校二期校の
話題があがったときに、父が一期校の広大に落ちたことを思い出しま
した。当時の広大は今のように「堅実で、文科省のモデル」のような問
題ではなく、少々ひねってあったと聞きました。そしてやはり昔の制度
では同じ学校に再度挑戦するということができないので、不利な思い
をしたのではないかと思います。
法・ 2 ・女 講師の先生の声や話しかたがわかりやすかったためか、
終始眠たくなることはなく、興味深く聴講することができました。印象
的だった点は、以前は県知事の推薦で二人の入学が認められたとい
う点です。私がそのときの学生だったなら確実に広島大学には入学
できていなかったでしょう。大学入試が良家の男子のみだった時代よ
り学ぶ機会に恵まれた環境に生まれたことは素直に幸運だと感じまし
た。広大だけでなく、全大学にあてはまることですが、当時に比べて
現在の入試方式の方が優れているのは確かですが、まだ改善の余
地はあるはずです。知恵を出し合いよりよい方法を模索してほしいで
す。
法・ 2 ・女 私は近畿地方出身なのですが、広島大学に入学したと
き、知りあう人知り合う人みんな出身県が違って、こんなにもバラける
ものなんだ!やっぱり大学って凄い所だな!と驚きましたが、これは
広島大学で特別多くみられる現象なんだということが今日やっとわか
りました。確かに、地元の友達はみんな近畿地方の大学に進学して
います。広島大学は、本当に良い位置にあると思います。旧帝大は
ちょっとねらえない…だけど、伝統のある国立大学に行きたい…。実
際私はこう思って広島大学を受験しましたが、これが広島大学の狙い
だったというのは今日知りました。こういう位置づけになっている大学
は結構少ないから、広島大学には全国各地から人が集まるのだなと
思います。今回の資料ですごく嬉しかったのは、昔の蛍雪時代を読
めたこと。そんな昔からあったなんて驚きました。受験生時代は教室
に毎月新刊が置かれ、友達と読んでいました。そして、昔の入試問題、
早速解いてみたいと思います。
法・ 2 ・女 今日の講義は入試についてということで、私たちにとって
非常になじみ深い講義内容であったと思います。レジュメに昔の入試
問題がのっていましたが、今とは問題傾向が違っている部分も多数あ
り、とても興味深かったです。また、広島大学生の出身県の人数統計
のなかで、昔は関東出身者がいなかったのに対し、現在では少しで
はありますが増えているのを見て、広島大学の知名度が昔より高くな
っているのだと思うと非常にうれしかったです。
法・ 2 ・女 私がこの人生の中で最も大きな出来事となった大学入試
であるが、それにスポットを当てて広島大学およびその他の大学を論
じていく講義内容はとても面白かった。また、私の予想では、旧帝大
などの難関大学に入るためには大層難解な問題を解かなければなら
ないとばかり思っていたため、当初は無入試であったというギャップに
とても驚いた。しかし、それでも非常に狭き門であったことは確かで、
当時の世間一般の人々のうちのほんの一握りの恵まれた人々に限り
それらの大学の門をたたくことができたのだろう。それに比べ、私の生
きる現代においてはとても大学自体が広く人々に開かれた状態であ
ると思う。とても好ましいと私個人としては思う。
法・ 2 ・女 入学試験に関しての見方が変わった授業でした。入試
は、それぞれの大学の求める生徒像によってあり方が変わることに気
付かされました。確かに、さまざまな入試本に、広島大学の入学試験
問題には、難問奇問はなく、きちんと基礎を固めておけば解ける問題
だと評価されていたのを覚えています。それは、広島大学の求めてい
る生徒が、着実に基礎を身につけた人であることを意味しているのだ
と思います。入試をただの選抜の手段とみなすのではなく、大学の方
針との関連性を見出すことができた授業でした。
法・ 2 ・女 名古屋大学や北海道大学などのいわゆる旧帝大に行く
人たちのうちで、どちらともおよそ過半数の人たちが地元の人である
ことに少し驚いた。そして入試のことであるが、自分は広島大学に行
こうと思っていたので、広島大学の過去問をよく解いていたが、基本
的な問題が出題されていて、解説を読めば納得できるな、とよく思っ
ていた。今回の講義でも広島大学には悪問が少ないと紹介され、妙
に納得した。また、広島大学の入試不正事件についての社説を読ん
で、入試の問題や大学に入ってから何をしていくかをもっと考えようと
思った。
法・ 2 ・女 私は、現在二年生なのですが、今回の講義のテーマが、
「広島大学の入試と学生たち」ということで、去年を思い出し、とても懐
かしく感じました。「入学試験の起源」や、「大学入試制度の展開」な
ど、普段聞くことのできない話を聞くことができ、とても貴重な体験に
なりました。私の親は、共通一次試験方式だったので、話していても
わからなかったのですが、今回、共通一次試験方式の内容を理解で
きたので、よかったです。あと、私たちが受験のときに参考にした蛍雪
時代が、あんなに昔からあったと初めて知り、とてもびっくりしました。
でも、思ったより広島大学の入試は簡単だと周囲に思われているの
かなあ、と思って、少し悲しかったです。次回の講義も楽しみにしてい
ます。ありがとうございました。
法・ 2 ・女 今回の講義は自分たちも苦労して経験した入試につい
てなのでとても興味深かったです。自分が広大の入試を受けるとき広
大の問題はわりと基本的なものが多いからまずは教科書の内容を理
解しなさいと言われていたけど、それは昔から変わっていないことが
分かりました。でも昔の過去問を見てみると、今とはけっこう形式も変
わっていたのでやはり時代に合わせて問題の傾向も、求めるものも変
わっていくんだなと思いました。時間があればずいぶん前の過去問を
解いてみて、最近の問題と比べてみるのも面白いだろうなと感じまし
た。
法・ 2 ・女 今回の講義は、「入学試験」ということで、実際自分が経
験した事柄だけあって、とても興味がわきました。大学入試制度の基
本原則として、「③高校教育に悪影響を及ぼさないこと」は、非常に難
しい原則だと思います。実際、私が高校三年生のときは、定期テスト
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の勉強は二の次で、模試の点数を上げることに必死でした。だからと
いって、試験を易しくすると、大学入試として成り立ちません。しかし、
私が思うに、高校の授業で学んだことより、大学入試のために学んだ
ことの方が今の生活に役立っています。大学入試というハードルをな
んとか超えるために必死で勉強した方が、記憶に残っているのです。
だから、入試は高校教育への悪影響はそんなに気にしなくていいの
では?と思います。
法・ 2 ・男 今回の授業で驚いたのは、各大学の学生の出身地域か
ら見る大学の特徴についての考察である。私は有名大学になればな
るほど、学生の出身地域は多様化するものだと考えていた。しかし、
資料を見てみると旧帝大である東京大学や名古屋大学が広島大学
よりも地元民のしめる割合が多い。このことを考えると、地方と都市圏
では学力に差が生まれてのではないかと思う。実際に都市圏では、
偏差値重視の大学受験対策のために比較的早い段階から受験勉強
に取り組んでいることも多く、このことは現在の入試制度の問題点にも
つながっていると思われる。
法・ 2 ・男 広島大学の学生の出身地の話で、広島出身者が思った
より少なかったのには驚いた。中国の科挙が入学試験の起源だとは
知っていたが、それを日本の律令国家が取り入れていたとは知らな
かった。共通一次を導入するまでは一期校、二期校などというものが
あり、どの学校がどちらに属すかなど全然知らなかった。最近、 AO
入試などができたが、 AO 入試を廃止する大学が出てきたことなどを
考えると、もう一度、日本の入試の仕組みを考えた方が良いのではな
いかと思う。
法・ 2 ・男 日本においては、入試の制度は中国に比べて内容や歴
史が非常に浅いんだなと感じました。平安時代辺りの政治の形が整
っていた時代ならまだしも、戦国時代などでは試験は広まらないだろ
うなと思います。入試制度の歴史をみてみると様式や制度など様々
な変遷があったことがわかります。共通一次試験に対する批判の部
分で、マークシート方式では学生の思考力の判定ができないとありま
したが、私も若干そう感じます。やはり、自分で論理立てて文章を書
き説明する方が、大学での学習にもつながるのではないでしょうか。
法・ 2 ・男 今回、事前に予想していた内容とはほど遠い内容だった
ので、逆に興味深く講義を聴くことができました。はじめの予想ではも
っと具体的に各学部ごとの試験内容に触れたり、難易度や傾向の変
化などについて触れたりする講義だと思っていました。印象的だった
のは 2 点あります。 1 点目は日本の戦前の制度「蔭位の制」です。昔
からこのようないかさまのような制度があったのかと思うと日本も成長し
ていない部分もあるんだと感じました。 2 点目は試験制度により広島
高師が獲得した特長のについてです。学生の出身県が全国に分布
することで、教員になった人が各地にもどって広島の話をする、という
ことでしたが、まさしく僕もそのような先生の影響を受けてこの広大に
来ました。当時であればそのような影響はもっと大きかったのではな
いかと思います。
法・ 2 ・男 友達や先輩方に、自分がどのように広島大学に入学した
かの経緯を聞く機会は多々ありました。 AO 入試で合格した人、惜し
くも本命校を諦めて来た人、広島大学を目指して勉強して来た人な
ど、その経緯は様々でした。また、今日の講義で習ったように広島大
学の学生の出身地に関東圏の人達が少なく、関西圏に偏っている傾
向があります。思うに、これは予備校の講師や、高校教師、そして高
校生における広島大学が占める位置というのは、関西・関東間で認
識の相違があるものと考えられます。例えば、広島大学は有名校であ
るので、関西圏の進学校の学生や教師からすると視野にいれる考え
ることが多いはずです。また、関西圏の学生からすると、広島大学と
いうのは、偏差値で考えると九州大学や神戸大学の次くらいにあたり、
惜しくもその大学に届かず夢敗れて広島大学に来ている学生も多い
のではないでしょうか。実際、私が高校生の頃神戸大学を目指し、二
番手に広島大学や岡山大学を候補にあげる人が多々みられました。
一方、関東圏の人からすると偏差値からすると同ランクの大学は関東
にもあるわけですし、だから、広島大学を目指す人というのは少ない
のだと思います。静岡大学の友達の話ですが、「京都大学はともかく
広島大学、岡山大学?」と言った具合に偏差値的に関西の大学がど
のくらいの位置を占めるのか知らない彼の学友もいるようです。ところ
で、医学部の知合いは「将来、赤十字とかで国際的に活躍する医者
になりたい」と熱く言っていました。医学部なので医療関係の職を目
指すのは当然ですが、ここまで具体的かつ熱意をもって夢を作り上
げていることに大変感嘆しました。私はほとんど将来のことなんて考え
ず入学してきて、志望大学の順位は偏差値で決めていました。確か
に、偏差値も重要事項ですが、私のように入学してから将来の展望
や進路に迷ったり、不安を感じる人も少なくないはずです。夢を持っ
て行動を起こすことにフライングはないことを痛感せざるを得ません。
しかしながら、後悔先に立たずなので、私は広島大学の様々な講義
や活動に触れ、自分のやりたいことや立ち位置を見つけ、自らの夢を
形成してかなければなりません。ですので、受動的ではありますが、
広島大学の教育というものに大きな期待を寄せています。そして、広
島大学の入試が基本的で堅実な学力を要請しているのも、大学で夢
を見つけた人、または入学する前から夢を持っていた人のそれぞれ
の夢を実現するための教育を広島大学は理念とするものであり、その
ような人材を輩出するための基礎を求めているものだと思います。
法・ 2 ・男 まず、基本的なことかもしれませんが、広島大学通則に
試験について言及していることに驚きました。当たり前に受けてきた
入学試験は本当は(法的には)行わなくてもよいということにも驚かされ
ました。しかし、現在では入学試験を行うことが当たり前なのでそうい
う部分に気づかなかったのかもしれません。共通一次は父の話で聞
いたことがあったので、内容が理解しやすかったです。最後に…広大
の入試問題をやっていたが、今となってはもう数学などは手が出なか
ったです…。
法・ 2 ・男 広島大学の入試と学生たちというテーマについて自分で
考えた限りはただ入学試験の内容の変遷をたどるようなものしか思い
浮かばなかった。しかし今回のの講義を受けて時代とともに合わせて
入学試験内容は常に変わっていき決して不動の内容でなく、またそ
の時代の学生たちもまた受験勉強に取り組む内容も時代により全く
変わっていたのではないかと思った。自分が受けた入学試験だけが
普通の入学試験の方法、と漠然と考えていたが自分が受けたそれの
背景には広島大学独自?ともいえる歴史があることを実感した。
法・ 2 ・男 広島大学は他大学に比べて所在地県外の学生が多い
のは意外でした。私の所属する法学部はほとんどが中四国出身なの
で実感がありません。講義中のプロジェクターには私と同じ岡山県出
身の学生が 10 %程いるということでしたが私の周りにはほぼいなくて
不思議です。昔から変わらず全国から学生が集結するということは広
島大学が有数の大学であるからだと思います。けれど、入試の問題
点も昔からあるようで、それに合わせてセンター試験などが課されて
いることがわかりました。センター試験が意外にも最近できたものだと
わかって少し驚きました。大学側が学生により高い能力を期待するの
は当然だと思いますが、偏った試験ではなく公平で平等な試験を行
う必要があると感じました。
法・ 2 ・男 広島大学は中国地方随一の大学との呼び声が高いが、
学生も地元出身者が大多数を占めるわけでなく、総合大学として(とく
に教育学部の)評価が高いようだと思った。しかしかつての入試問題
の資料を見てみると、とくに難しい問題が出されているわけではなか
った。必ずしも大学に対する評価と難易度が比例しているわけではな
いという好例ではないだろうか。広島大学は教育学部に定評があるの
でその性格上超難問を出さないことは、他の学部の人間にとってある
いは幸運なことなのかもしれない。ちなみに私のセンター受験科目は
国語、英語、日本史の三つであったが後期試験に合格し、現在在籍
中である。法学部後期だけが受験科目が少なくても受験できる理由
は何なのだろうか。大いに疑問に思う。
法・ 2 ・男 私は前回の授業に出席したのにも関わらず、パソコンに
よる出席登録の必要に気付いたのは水曜日の午後 11 時になっての
ことであり、すでに手遅れとなっていた。が、授業に出席し一週間が
経過した今も講義内容は覚えているものであるので、一応報告してお
くものである。なお、これにより出席評価が向上するものであると期待
するものではない。断じて違う。前回キーワードは「 establish 」で相
違ないはずである。昭和 23 年 5 月に新制大学が発足するにあたっ
て、さまざまな学校が各学部の礎となっていったが、その中に法学部
の基礎となったものは以前学習したとおりに無いが、代わりに政経学
部が新設されたものであることがわかった。これが後の法学部となっ
たとのことだが、法学部になるのはいつになってのことだろうか。今後
の授業でこの謎が解明されることを期待する。新制広島大学設立の
資金にはプロ野球の利益金が含まれることには驚いた。広島カープ
が市民球団であったからこそできたことなのだなと思い、素直に感心
した。こんな大学は他には無いだろう。
法・ 2 ・男 まずはじめに旧帝国大学でも京都大学は地元の人がほ
とんどいないのに対し、北海道大学や名古屋大学半分あるいはそれ
以上のひとが地元出身者であることに驚きました。あと広島大学はも
う少し地元のひとが多いと思っていました。入試問題は今のほうが難
しい気がしました。特に今の英語は教科書の熟読だけじゃ絶対でき
ないと思います。あと推薦入学者の方が一般教養がいいというのは
高校時代に推薦で大学に行った人のことを思い出すと私大だったか
らかもしれませんが、信じられませんでした。
法・ 2 ・男 広島大学の入試と学生たちということで、自分は広島県
外出身者で、周りも同じ県外出身が多いという印象を持っていました
が、資料にもあったように広島大学は比較的に県外の学生が多くそ
の点では、一地域の大学としてではなく、全国規模の大学としてその
地位を確立しているとおもえる。これから、学力や偏差値を基準とした
入試だけでなく、学問への意欲、人間性といったところを評価してい
ける入試制度の確立に力を入れていってほしい。
法・ 2 ・男 今日の授業は広島大学の入試制度についてだったが、
制度についての情報だけでなく、なぜそのような制度になったか、ど
のように変化していったのかを話していただいたので大変わかりやす
かった。特に広島大学に入学して、県外出身の学生が多いと思って
いたが、それが全身校で戦前に行われた推薦入試によるものと知り、
とても興味深かった。入試制度は推薦入試や AO 入試なども加わり
多様化しているが、課題もあるとわかった。例えば、推薦入試や AO
入試で入学した学生の成績が一般入試で入学した学生より低いこと
などがある(確か最近、九州大学がその理由である学部の推薦入試を
廃止した)。今後、広島大学の入試制度の変化に注目し、それについ
- 635 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
て考えて生きたいと思う。
法・ 2 ・男 入学試験の起源が 6 世紀末の中国であり、日本でも 8
世紀はじめには試験制度ができていたということを初めて知って驚い
た。また、各大学の学生の出身地域にかんして、名古屋大学の学生
の半分以上が県内出身だということが意外だった。名古屋の地理的
位置やレベルなどから考えて、全国各地から集まってきそうなイメー
ジがあったが、広島大学の方が学生の出身地がバラバラだった。時
代が流れるに従って、入学試験の方法もさまざまで、その時代に合っ
た入試制度が面白いと感じた。
法・ 2 ・男 今回の講義で一番印象に残ったことは、旧制大学では
原則として旧制高等学校の卒業者等を、無試験で入学させていた、
ということです。だから広島大学にどうしても行きたいという人は、旧制
高等学校に進みたがるのだと思いました。また、入試問題をみると、
受験生のころを懐かしく思いました。実際に解いてみると、問題傾向
も違っており、解くのが難しく感じました。最後に、やはり広島大学は、
中四国の有名な大学であるため、広島県民の比率より他県民の比率
の方が約 4 倍であったのにも驚きました。
法・ 2 ・男 高等師範学校時代に推薦入試をとっていた理由は、今
のお世辞にも一流とは言えない私立大学が AO 入試や推薦入試で
学生を数多くとろうとしている理由に通じるものが少なからずあるので
はないかと思った。ただし、広島高師は推薦制を廃止し一般入試制
にしても全入状態にはならなかったが、今の私大がそれをやめるとど
うなるか想像するのは容易い。戦前の大学ほど設立基準や校数を制
限するのもどうかと思うが、やはり大学と名がつくからには一定水準以
上の研究者や学生のレベルは維持されるべきであると思う。実際に、
専門学校と同じかそれ以下の、本当にただモラトリアム期間を延ばす
だけの施設のような大学と、偏差値や歴史的に中堅以上とされている
大学を比較すると、戦前の大学と専門学校と同じように格差があるに
思える。それでは戦後の大学制度の改革の意義が薄れてしまうような
気がする。
法・ 2 ・男 授業予定で今回の講義は広島大学の入試と学生たちと
いうことだったので、とても興味深く、また割と身近な話として聞くこと
ができた。学生の出身地域から見る大学の特徴のところでは名古屋
大学と広島大学を比較したりして名古屋大学は東海地域の人口が多
かったのが印象に残っているが、自分の周辺の友達を考えてみると、
広島などの中国地域出身の人が結構いるので、数字上では大したこ
とないように見えるが実際にはかなり多くいるんだと思った。広島大学
の入試の特徴としてあまり難題はなく、堅実な学力を備えた人材を選
抜しているということなので、その入試を突破したものとしてこれからの
学生生活を有意義にしていきたいと思った。
法・ 2 ・男 自分自身も経験した広島大学の入試というものが、始ま
った当初から様々な改革を繰り返して今の制度になったということを
知り、その改革には、その都度社会や大学入試全体の変化に合わせ
ようとした人たちの努力や試行錯誤をあったことを感じさせられた。共
通一次試験やセンター試験の導入、推薦入試等による受験機会の
増加などいろいろな制度改革が繰り返されてきたが、それでも今の入
試制度に全く課題がないわけではなく、今後も変化が必要とされるの
ではないかと思いました。
法・ 2 ・男 まず、センター試験(前共通一次試験)は、以前は共通一
次試験の導入が「ゆとり教育への一歩」と聞いていたが、「大学の偏
差値による格付け」や「大学間の格差を助長」した等、それ以外の側
面ももっていることを知って意外に感じた。また、広大の 2 次試験が、
以前は「教科書に忠実」な問題で、比較的「平易」な問題だったことに
も驚きを覚えた。受験生にとって(私個人にとっても)の広大の 2 次試
験は、質・量ともにある難題だと評判である。これも、教科書の範囲や
高校で教える範囲が減少したことも影響していると実感できる実例だ
った。
法・ 2 ・男 自分は法学部だが、大学が入学者選抜入試を行う法的
根拠について、いままで考えたことがなかったので、意表を突かれた
ような気がした。また、自分が必死に勉強したセンター試験の基とな
った数々の統一学力試験を知ったことで、センター試験は沢山の人
の試行錯誤を経たうえで今の形式になったんだなあ、と思うと、なぜ
か感慨深かった。広大の二次試験は素直な問題が出題されると赤本
に書いていたし、塾や高校の先生からも言われていたが、そういった
傾向がずっと昔から続いていたということは本当に驚きだった。
法・ 2 ・男 自分は法学部だが、大学が入学者選抜入試を行う法的
根拠について、いままで考えたことがなかったので、意表を突かれた
ような気がした。また、自分が必死に勉強したセンター試験の基とな
った数々の統一学力試験を知ったことで、センター試験は沢山の人
の試行錯誤を経たうえで今の形式になったんだなあ、と思うと、なぜ
か感慨深かった。広大の二次試験は素直な問題が出題されると赤本
に書いていたし、塾や高校の先生からも言われていたが、そういった
傾向がずっと昔から続いていたということは本当に驚きだった。
法・ 2 ・男 広島大学だけでなく大学そのもの入試制度の歴史につ
いての講義だったという印象を受けたがそのなかで思ったことは確か
に各国立大学がはっきりとした個別性をもてていないだけに大学入
試の意義が単一化されてしまっていると感じた。また、資料の中で推
薦合格者と選抜合格者の入学後の成績の比較についてであるが、
両者の人数の差が歴然としており、平均を出せば少ない人数のほう
が平均得点は高くなるから、資料としては適していないのではと疑問
に思った。
法・ 2 ・男 今回の授業を受けて、日本全体の大学の入試の状況ま
た、変遷をとおして広島大学の入試というものを再考することが出来
たと思う。そもそも日本の入試制度自体が最近になってしっかりと確
立されたものであったことにまず驚いた。中国の科挙制度から考えて
みると、いかに日本の入試というものが甘かったのかということがわか
る。そんなの日本の入試が近年多様化している。広島大学も実施し
ている AO 入試というものがその代表であろうといえるが、私自身この
入試制度にははなはだ疑問な点がある。ついこの間まで高校生であ
った自分は、当時 AO 入試というのものの存在が勉強の邪魔になる
気がしていた。確かに高校時代は、偏差値を上げることに学校も自分
もやっきになっていて AO 入試の意義を理解しようとする態度がなか
ったかもしれない。しかし、 AO 入試で合格した人を見れば、基礎学
力+アルファーの存在ではないように思える。そこに一般試験を受け
てきたものとの違いが生じ、学力低下などの問題が起きてくるのでは
ないだろうか。大学で学ぶことは受験英語や数学ではなく、もっと広
い視野にたった学問であり、一概に入学当初の学力を問題にするこ
とはあまりよくないかもしれないが、ゆとり教育の導入や AO 入試の導
入などは非常に実験的で、実際に学んでいる自分たちは翻弄されて
いるような状態である。そして以前のような甘い入試制度に逆戻りして
いるように思う。そのような状態を打破するためにも以前のようながち
がちの入試がいいと思った。。
法・ 2 ・男 戦前の入試制度や戦後の入試制度改革など内容は難し
かったけれど、一期校、二期校という入試における分類があったこと
や、推薦入試はだいぶ昔からあったと思っていたのに広島大学で取
り入れられたのが昭和の終り頃だということに少し驚きました。入試の
合格発表で掲示板の前に集まって自分の受験番号を探しているスラ
イドはとても印象的でした。自分もインターネットの発表より実際に掲
示板で見たほうが嬉しさと実感がわくと思いました。過去問は英語や
国語はそれなりにわかりましたが数学はあんまりわかりませんでした。
法・ 2 ・男 まず、教授が静岡出身だということに驚きました。僕も静
岡出身なので・・・。授業の内容について特に興味を持ったのは、広
大ははじめ二期校だったということです。正直一期校とか二期校とか
の違いは僕にはよくわかりませんが、昔はそれでランク付けみたいな
のも行われていたということを聞いたことがあったので。それと、広大
の入試は昔から基本的なことの確認が中心だったことにも驚きました。
法・ 2 ・男 現在ではあまり評判の良くない推薦制度も、導入当時は
能力の高い学生を呼び込むのにかなり有効な制度だということを知り
少し驚きました。また共通一次試験に対して輪切り選別になるという
批判は、始めはそれの何が悪いのか理解できませんでしたが、言わ
れてみると自分も広島大学の特性ではなく偏差値で選んでいたので、
確かに個人の適正や各大学の強みを見落としがちになっているよう
な気がします。しかしセンター試験が主流になっている今ではその流
れを変えるのは難しいのではないかと思えます。
法・ 2 ・男 現在の国立大学の入試制度は基本的にセンター試験と
各大学の二次試験とで成り立っているが、最近では推薦入試や AO
入試など学力以外の点を重視した制度も多く見られるようになってい
る。センター試験では高校の教育課程における教科書を中心とした
基本的な知識を問われ、二次試験ではそれぞれの大学が重視する
科目や分野についての応用力が試される。私の個人的な考えでは
現在の制度は学力を図るうえではなかなか理にかなったものであると
思う。また推薦や Ao などでは学力以外の点、具体的にはコミュニケ
ーション能力や人間性が問われている。これは能力ある人材を確保
する点では優れた制度ではあるが、勉強しなくてもいいから、といった
ような理由でこれらの制度を利用する受験生が現れないような対策を
進めていく余地があると思う。
法・ 2 ・男 まずその大学がある地域からの出身者の話をきき、その
地域の人が地元から離れたくないかにもかかっているのでしょうが、
広島は思ったよりは少なく感じました。試験に関しては受験生の画一
化を防ぎつつ、公平であるという大前提を守るいい手段を模索しなく
てはならない、というのは大変な問題だと思いました。どうやら昔の広
島大学の試験は、「堅実」「着実」との評価を受けており、私自身の学
部がセンターが全科目でなかったり、 2 次で国語が現代文だけだっ
たり、 AO で入った友人や、帰国子女の先輩も知っていることから柔
軟な仕組みにしているのだと思っており、意外でした。
理・ 1 ・男 一番印象に残ったのは広島大学の入試の難関度につい
てです。広島大学の入試の難関度は他の国立学校と比較して、とて
も優しいことがわかりました。それは学校ごとの教えている内容の差を
考え、平等に学生に入試を受けてもらうようにしたものであり、都会の
学校や過疎化が進んでいる学校への配慮としてはとても良いことであ
るとおもった。また、実際に過去の広島大学の入試問題をといて、簡
単であるとおもった。名古屋大学のように有名な旧帝国大学よりも広
島大学のほうが地方から来ている割合が高いことに驚きました。
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理・ 2 ・女 広島大学に入学して、友達や先輩に出身県を聞くと広島
県出身という人が結構多くいて、やはり地元の大学に進学する人が
多いんだなと思っていましたが、名古屋大学生が東海出身者 76 %
という数値に驚きました。また、そうなった理由も講義で知ることができ
たので、この授業を受講していない友達にも教えてあげたくなりました。
センター試験が行われ始めたのは昭和に入ってからということは知っ
ていたけど、そこに至るまでの過程は知らなかったので、今日の講義
で初めて知りました。
理・ 2 ・女 中国にある科挙の制度が 14 世紀もの間続いていたとい
うことは個人的に驚いた。日本でもその制度も真似て取り入れてみた
が、当時の支配層に不都合だという点で蔭位の制というものができて
しまい、その結果貢挙の制の原型はなくなってしまったということは同
じ日本人として何かもの悲しいものがある。広島大学入学者の出身校
の全国分布には驚いた。私の通っていた高校に広大出身の教師は
いなかったが、先生のおっしゃっていたとおり、教師の影響はかなり
大きいと思う。自分が進路選択で迷っているときに相談に乗ってくれ
る信頼できる人は、過去に自分自身が大学受験をし、今まで何人も
の生徒たちを受け持ってくれた教師自身であることは間違いないだろ
う。
理・ 2 ・女 今回の授業について、入試制度の起源から入ったところ
がとてもおもしろいと思いました。また、旧制大学での無試験入学に
驚きました。しかし、当時の旧制高等学校卒業生数を考えると不思議
ではないと思います。また、わずか 15 年で高等学校卒業生数が 40
00 人近く増えたことに驚きました。当時の人たちの生活水準の上昇
を感じました。また、広島高等師範学校での推薦制がおもしろいと思
いました。広島大学の大きな特徴として県外出身者が多いということ
は知っていましたが、この時代からその傾向があったのかと思いまし
た。
理・ 2 ・女 私は去年 AO 入試で広島大学に入学しました。センター
試験を課さないため、入学してからみんなについていけるかとても不
安でした。まだ入試が選抜試験としてのみ利用されている点で、大学
にも学生にもプラスになるような改善方法があればいいなと思いまし
た。また、大学入学が大きな目標で、入学後次の目標が見つからな
いという人もいると聞きます。人気のある大学が人数を制限するため
に試験を実施するのは当然ですが、ある程度入学を自由にして、卒
業するための条件を引き上げるという方法で学力向上を目指すという
方法もいいのではないかと思います。
理・ 2 ・女 今回は広島大学の入試と学生たちについて、学習しまし
た。入試の起源と、現在の学生の出身地域が関わりがあるというのが
大変興味深いと思いました。また、それに関して、廣島高等師範学校
の過去の入試である、推薦制度〔各県に 2 人枠を作り、県知事に推
薦させるやりかた。〕が、現在の出身地域に少なからず影響している
のだということをしり、とても興味深いと思いました。また、そのようなや
りかたがあったことも興味深いと思いました。
理・ 2 ・女 今回の講義では、昔の大学入試について学びました。戦
後の入試は、共通一次試験という試験があって、それから第一期・第
二期という試験に分かれていて、それは今でいうところのセンター試
験、前期試験、後期試験にあたるものだと知りました。ただ、第一期
校・第二期校という様に分かれていて、今のように同じ大学を二回も
受験することはできなかったということに驚きました。しかし、私はむし
ろ今の受験方式に疑問をもちました。今では、 AO 入試、前期試験、
(中期試験、)後期試験というように、最大で 4 回も同じ大学に挑戦す
ることができるわけです。しかも、試験内容・配点などはだいたい全て
違っていて、自分の得意とする方式で受験し合格すれば、晴れてそ
の大学の学生になることができるのです。講義中に先生もおっしゃっ
てましたが、「入口はたくさんあるが、部屋はひとつ」ということだと思
いました。そのことに違和感を感じずにはいられませんでした。昔の
方がよかった、と言うわけではありませんが、もっと良い方式というの
があるのではないかな、と思いました。
理・ 2 ・女 今回の講義は、入試がテーマで自分も体験してきた事だ
から、受講前からとても興味があり、身近に感じました。入試とは、た
だ受検者の学力をはかるだけではなく、思考力なども考慮されて改
良されつつあると言うのを初めて知りました。しかし、未だに入試の課
題は多く、個人の能力に応じた教育課程を確立できないなど様々な
どが課題となっています。大学入試とは自分の人生を決めるのに大き
く関わる大学に入るための試験であり、受験者側もそれなりの決意を
し挑むものだから、選抜試験のためだけではなく、しっかりと個人の能
力を見据えたものであって欲しいと思います。これからは、いかに将
来有力な人材を選抜できるかが入試に関係してくるのではないかと
私は思いました。
理・ 2 ・女 私は大学を決める際、県内の大学にしたかったからとい
う理由で広島大学を選びましたが、入学してみると、県外生がとても
多いことにすごく驚きました。とくに九州や中国・四国地方など西日本
の県外生が多く、西日本の学生は西日本の大学に行きたがる傾向が
あるように思いました。また、入試形態の変化によりただ多様な県外
生が集まるだけでなく、多様な個性ををもった学生がより広大に集ま
るようになったと思います。 AO 合格者と前期合格者との間に学力の
差があるという問題もありますが、 AO 合格者に受かってから入学す
るまでの間に課題を課すなど、大学側も学力差を埋めようとしている
ようです。課題だけでは何か物足りないような気がするので、ぜひ A
O 合格者用の補講など設けてみてほしいです。
理・ 2 ・女 私は、はじめ単純に広島大学で実施される入学試験の
問題の内容や傾向の変化についての内容ではないかと思っていた
が、初めのスライドに「あなたたちはどのようにして、今、ここにいるの
か」という一文があり、とても興味を引かれた。また、出身県について
聞かれたりと、大いに自分たちに焦点が当たり、なぜ広島大学に自分
が居るのかなどを考える機会になった。入学試験の起源から始まり、
日本における入試制度の変遷をたどり、初めは旧制大学が無試験で
入学を許可していたという話に驚いた。しかし、よくよく当時の就学率
やその中の進学率などから考えてみれば試験の必要性は無いので
納得できた。時代や制度が変わり、進学希望者が増え、篩にかける
必要が生じてきたということなので、やはり学校も時代の変化とともに
仕組みを変えていくところであると改めて実感した。そして、一番興味
深く思ったのは「あなたの出身校に広島大学出身の先生は居ません
でしたか?」という問いである。私の高校には、教科担当やそれ以外
でも 5 名ほど思い当たる先生が居て、少なからず広島大学に対して
良いイメージを持っていた。広島大学を受験した理由は、文系だった
私が面接のみで理学部を受験する機会があったからというものだった
が、今思えば漠然と「先生たちが学んだ大学で学んでみたい」という
気持ちもあったように思う。いかなる理由であっても、広島大学に魅力
を感じ、縁あって入学が叶ったわけなので、これからもしっかり学び、
この講義では広島大学についてを知っていきたいと思った。
理・ 2 ・女 試験制度を取り入れることによって、全国から学生が集ま
り、大学のレベルを保つことができると思う。試験制度も年々変化して
いて、大学がよりいい学生を取り入れようとしていることがわかった。
広島大学の昔の問題を解いてみたが、本当に基本的な問題ばかりで、
ちゃんと基礎がしっかりできている学生をとろうとしていたのがわかっ
た。私は、 AO 入試で広島大学に入ったが、個人が得意とする能力
を活かすためには AO 入試は有効であると思った。しかしこれからは
少子化もあり倍率など下がっていく懸念があるので、レベルを落とさ
ない対策が必要であると思う。
理・ 2 ・男 いろいろな大学の学生の出身地域を見るとそれぞれの
大学の特徴が現れていて、意外と広島大学は県外から来る人が多い
ことに驚きました。広島大学の入試の形式については、各都道府県
からの推薦やいろんな方式の入試を経て今のようになっていて、今の
入試形式もいつかは変わるんだろうなと思いました。
理・ 2 ・男 広島大学の入試は基本的な問題で、教科書熟読で十分
とプリントにありましたが、それが大学のあるべき姿だと思います。試
験問題が難問ばかりになると、高校で勉強する内容だけでは間に合
わなくなり、学校よりも塾の勉強のほうが重要という風になりえるし、実
際高校でもそのような状況がありました。そのため、あまりに発展した
問題を入試にすべきでないと思います。また、ただ勉強や暗記ができ
るという人を採るのではなく、それぞれ大学の校風にあった人材を選
抜する方法を考える必要があると感じました。
理・ 2 ・男 自分は広島大学は全国的に見て、東京大学や、京都大
学には及ばないものの、偏差値が上層部に位置する大学であると思
っていました。やはり、世界的に見て日本の大学は歴史的な面から、
あるいは文明的な観点から見た上で非常に遅れているものであると、
この講義を受けて実感しました。大正時代には、高校からエスカレー
ターで大学に通えると言う事実に驚愕を覚えたと同時に、今の日本、
広島大学が成すべき義務意識というのは計り知れないものであると思
い、今後の日本の大学の発展と学術的な面から見た向上に大変な
興味を覚えます。大学入試の方法をどう変えていくかも、ひとつの課
題です。自分自身、このままの日本の入試での採用方法に不安と疑
問を感じていたものですから、世界を見据えた大学の発展を大いに
期待できるものだと信じています。
理・ 2 ・男 入学試験の起源は 6 世紀末の中国の科挙であり 1905
年まで続いたのに対し、日本の入学試験は 8 世紀のはじめ貢拳の
制というのがあったが律令国家とともに消滅した。それの原因として日
本の制度が安定していなかった事があげられる。また広島大学は名
古屋大学などとくらべると全国各地から集まっており全国的にも有名
である。それに比べ名古屋大学は東海出身の学生がほとんどを占め
ており、地方では有名といえる。
理・ 2 ・男 今の大学入試の大半を占めているのはセンター試験だ
がそれが最近になって導入されたのは h しっていた。しかし戦後に
おいては大学は、一期校、二期校にわけられていて、現在と大きく違
っていたことを初めて知った。自分は AO 入試で大学に入学したが、
それで自分の長所を活かして入学できたので、多くの入試制度が近
年用いられているのには助かる。
理・ 2 ・男 今回の講義で学生の出身地域から見る広島大学の特徴
に大変興味をもちました。名古屋大学では約 75 %の学生が東海地
方出身でしたが、広島大学は約 50 %に満たない学生が中国地方出
身で全国に学生が分布していました。それはなぜだろうと思いました
が、知らないうちに高校の広大出身の先生の影響を受けていることが
分かりました。考えてみれば私の担任の先生も広大出身で無意識の
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
うちに広島大学へ導かれていたんだと思いました。どこか不思議な感
じがしました。
理・ 2 ・男 そもそも入試制度ってどういうふうに生まれたの?というこ
とから始まり、広大の入試ってどういう感じなの?というふうに発展して
いく授業にとても関心が持てた。私は AO 選抜で入学したわけです
が、専門分野だけで勝負ができるこのような試験で合格できたことを
今でも嬉しく思ってます。入試の課題である、入試の形態は異なって
も授業は一緒ということに関しては、私は別にこれでもいいんではな
いかと思う。 AO だったわたし自身何も不便に感じてないからだ。そ
の他の課題に関しても何かしらの形で解決できればと思う。
理・ 2 ・男 今日の講義を聞いて、広島大学は、入試についてもよく
考えているんだということがわかった。私が、高校のときの担任の教師
が言っていたとおり、広島大学の入試というのは、基本的な問題しか
出していないというのを聞いて、納得しました。講義中に軽く講義プリ
ントの後ろの問題を解いたのですが、やはり基本的な問題で、各単
元のポイントさえ抑えていたら簡単だけれど、逆に抑えていないと解
けないと思った。あんまり難しい問題ばかり出しても意味がないという
ようなニュアンスのことを言っているのを聞いて、さらに納得しました。
理・ 2 ・男 今回の授業は、入試試験の起源を学びつつ、戦前の広
島大学の入試、戦後の広島大学の入試についてまなんでいきました。
センター試験以前に共通一次試験というのがあったのを知り驚きまし
た。広島大学の入試問題はやさしい問題で堅実な学力を備えた人物
を着実に選ぼうとしているところに全国的に教師を排出する大学とし
て有名になった理由を感じました。ゆえに私は広島大学に入学して
良かったなと思いました。これから広島大学生として恥ずかしくないよ
うにがんばろうと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義で広島大学の入試状況について学んだ。そ
の中でも特に印象に残っていることは、昔 AO 入試で入った人と一
般入試で入った人の学力を調査したときに、一般的な知識は AO 入
試で入った人の方が高かったが専門的な知識は両者さほど変わらな
かったことだ。今の自分の印象ではまったく逆の事を想像していたの
で驚きであった。また入試が一期試験、二期試験であった時代に有
名大学が一期試験に入る中広島大学は二期試験であったが、二期
試験の中で人気があったということは、他から一目置かれていたとし
てとても誇らしく思った。現在の入試はセンター試験を採用している
が、マーク方式であり、センター試験を実際に受けた者としてやはり
学力を正確に計れない気がする。センター試験だけで合否を決める
ような大学が存在するが、そういうギャンブルのような感覚で合否を決
めるのはいかがなものかと思った。
理・ 2 ・男 まず、共通一次試験という言葉だけは知っていたが、そ
のやり方や内容については全くと言っていいほど知らなかった。今回
の授業で、共通一時の目的と課題を知ることができ、センター試験と
の違いを知ることができた。また、推薦入試(AO 入試)のことについて、
昭和 60 年の段階ではあるが、入学後一般入試で入学した学生と推
薦入試で入学した学生の学力がそんなに変わらないということに驚い
た。この講義全体を通して、推薦や AO 、センターも含めて大学入試
にはまだまだ多くの課題があるのでと思った。特に、入試が多様化し
ているのに大学ではみんな同じ講義を受けていることなどを含めて、
個人の能力にあった教育の確立ということが必要になってくるのだと
感じた。特に AO に関しては、 AO 入試で計ったその生徒のその分
野における能力や可能性を、入学後どのように生かしていくのかが大
切だと思う。一般入試だけでは計れない、その人の考え方や専門分
野に対する熱意をせっかく見れるのだから、それを生かすべきだと感
じた。
理・ 2 ・男 自分はこの広島大学に前期入試で入ってきて、大学の
友達もでき時々入試のことをはなすが、前期、後期、 AO と入学の仕
方もさまざまであるが、特に思ったのが自分の代の広大生は広島県
外から来ている学生が多いと思った。また、今年入った新入生に出身
を聞いてみると、今年は広島出身の学生が多くて年によって違うんだ
なと感じた。今回の講義を受けてそのようなことは他の大学でも普通
に起こっていることだとわかったし、大学は高校と違って学問でも人と
人との交流でも広くそして深く追求できるものなんだと思い、一生懸
命努力して受験を頑張った甲斐があったなと思った。これからも入試
制度というものは変わっていくと思うが、自分は受験生には受験勉強
だけでなく、自分が本当に生きたい大学、進路を先に早く決めてから
勉学に励んでほしいと感じた。
理・ 2 ・男 広島大学の入試について考えることがあり、 AO 入試に
ついてよく考えていた。高校生(受験生)としては、本来はセンター試
験・本試験という流れなのだが、 AO 試験では早い時期から試験を
行う。センター試験や二次試験を受けるものはその時期は勉強に追
い込まれている時期なので、 AO 試験に落ちた場合は大きな時間の
喪失となる。それでも、同じ学校の二次試験をその人が受けた場合、
AO の評価を加えることはできないのだろうかと思う。受けてもいいけ
ど博打だよ。というのはどうも高校生にさせるべき選択ではないと思っ
た。
理・ 2 ・男 日本も昔、中国の科挙を真似して試験をしていたそうだ
が、地位によって出世できると考える日本では、その試験は定着しな
かったことは納得できました。今は、そのような、インチキな選抜(地位
などによる選抜)はされていないことになっていますが、果たしてそうな
のか疑問に思いました。ある大学の体育系では実技の点数が公表さ
れないので、不正が行われてもおかしくないのではないか ということ
を聞いたことがあります。そして、入試の多様化についてですが、講
義を聞く前までは推薦入試なんて無くなればいいのにと思っていまし
た。なぜなら実際、推薦入試は一般入試よりも早い時期に行われる
ので、早く入試から逃れたい人が受けたりすることもあるからです。そ
れに、最後まで頑張って勉強した人は、その後も成績が伸びると考え
ていたからです。推薦入試をやるなら一般入試と同じ日にやればい
いのにと思っていました。しかし、データ上では推薦入試で入学した
人のが成績がいいみたいです。なので、しっかりと審査がなされれば、
推薦入試も悪くはないのかなと思いました。
理・ 2 ・男 私は広島に住んでいるということもあり特に意識して広島
大学を選んでいなかったが、県外からの学生が多く他の国立大学と
比較してもやはりその割合が高いということがわかった。しかし、なぜ
そのような現象が起こるのだろうかとも思った。広島大学の試験問題
が難問を出題しないからだろうか。広島という街に憧れて来るのだろう
か。人それぞれの理由があると思うが、私はもっと広島出身の人が増
えてほしいと思う。また、今と昔の大学入試の選抜方法の違いや変化
を学ぶことでその時その時によって大学に対する考え方にも違いが
表れるものだとも思った。
理・ 2 ・男 今回は入試の話を話すと聞いて、おもしろくなさそうだな
と思っていましたが、昔の高等師範の入試方式からいかにして現在
の入試方式に影響しているかがわかって結構面白かったです。高等
師範の入試方式が特に興味深かったです。現在とは違ってなかなか
全国から生徒が集まらないとはいえ、その時代の主流の競争入試で
はなく推薦入試を採用したことが学力低下につながらなかったことが
とても不思議でした。学生の性格が今とは違ったのかな、と思いまし
た。現在の広大の基礎重視の入試傾向が高等師範の性格によるも
のだという話も面白かったしためになりました。
理・ 2 ・男 今回の講義は、自分の想像したとおりの講義内容だった
ためとてもいい話しを聞けた。自分が広島大学を受験するに当たって
調べたことは、広島大学が他大学に比べ特出した研究内容や専門
分野を調べた。大学入試の多くはそういった内容であると考えたから
だ。このことは特に数学によく表れる。去年私が受験したことを思い出
すと同時に広大に入学し、このような講義をうけている自分に誇りを
感じた。
理・ 2 ・男 学生の出身県が全国にあることは幅広い交流がもて、よ
いことであると思いましたが、実際には大半が西日本出身の学生であ
ると思います。広島大学は平成 14 年度から AO 入試を行っているの
ですが、確かに学力のみならず人間性や個性等を重視することは重
要であると思います。しかし学部や学科によっては一般入試に比べ
学力に差が出やすいため、もっと AO 入試にも学力テストを増やす
べきではないでしょうか。広島大学の平易で基本的な問題を出すとい
うやり方は実力が出やすいやり方であると感じました。
理・ 2 ・男 「学生の出身地域から見る大学の特徴」を見ることにより
4 人に 3 人は全国から入学してきた者であるため、幅広い交流が持
ててよい傾向だと思う。私は AO 入試で大学に入学してきたが、それ
は平成 14 年から始まった制度だと今回の講義で知った。こうした多
様化した入試制度は一般入試にはない人柄など人間性が見れるの
でこれからも実施すべきだと思う。入試制度はこれからいろいろと変
わっていくと思うが堅実な学力を持った人物、人間性に長けた人物が
入学できるような制度であってほしい。
理・ 2 ・男 広島大学には日本全国からたくさんの学生が来ているの
で、他県出身者が当たり前だと思っていたのですが、そうなった一番
初めのきっかけが広島高等師範の推薦入試だったことがすごく興味
深かったです。昔はそれほどしないと学生が全国からは集まらなかっ
たと思うと、当時は大学と学生の数の関係がすごくシビアだったんだ
なと感じました。あと、現在の広島大学の基礎重視の入試傾向は高
等師範の時の学校の性格を受け継いでいるものなんだという話はと
ても興味深かったです。単なる偏差値の問題ではなく、ちゃんとした
理由があったんですね。歴史の面白い面がわかる授業でした。
理・ 2 ・男 今回の講義では、広島大学の入試制度の移り変わりをた
だ勉強するだけではなく、入試制度そのものについてから始まり、広
島大学に入学してくる学生の出身地を、他大学との比較も踏まえな
がら話し、現在の広島大学の入試・学生の学力など、多岐に渡り講義
を聞くことが出来て、予想してた事よりも多くの内容を得ることが出来
た。広島大学は中国地方の学生だけでなく、他地域からの入学生が
多いのは、高等師範学校時代の特別な取り組みがあったことは驚い
た。全国における入試制度の変遷を基に、広島大学の入試というも
のを知れて、大変有意義な時間だった。
理・ 2 ・男 学校に入学するためには試験があるということに、今まで
一度たりとも疑問に思ったこともなく、特に考えもしなかった。入試が
あるのは当然だから。今回の講義で少し入試の歴史を理解できたよう
に思う。共通一次学力試験の導入に対する批判の話を聞いて、私も
批判の立場だろうと思った。マークシート方式では、サイコロを転がし
- 638 -
て 100 点取れる可能性もあり、ここで失敗すれば、自分の志望の学
校に挑戦できなくなってしまい、モチベーションも下がってしまうため、
この制度には今でも賛成はできない。私は AO 入試で合格したが、
AO 入試の導入がつい最近であることに少し驚いた。この制度には
賛成である。志望の学部に対する熱意を大学側に理解してもらえると
いう機会は、一般入試の記述試験では伝えることができない。その分
他の科目の勉強が疎かになるという欠点もあるが、 AO 入試はこの先
も続いていけばいいと思った。
理・ 2 ・男 今回の授業で私がなぜ広島大学に入学したのかというこ
とを考えさせられました。私は後期入試で合格して入学したのですが、
実は後期入試の判定はあまりよくありませんでした。高校三年生のと
き私は都会の大学を希望してましたが、先生に広島大学の受験を勧
められ受けることにしました。ですが、今思えば同じくらいの偏差値で
都会の大学は他にもあったような気がしまり私す。また、この授業で先
生が言われて気がついたのですが、当時の担任と副担任は広島大
学出身でした。そういう縁もあは広島大学にいるのだと思いました。
理・ 2 ・男 僕は名古屋の出身なので名古屋大学に地元出身者が
多いというのは身をもって体感していたわけだが、実際広島大学に入
学して地元出身の人が多いと思っていたので、それより名古屋大学
のほうが割合が高いことと知りとても興味深かった。過去問等資料を
見ていて基本に忠実な問題を出題しているところから広島大学の目
指すところが知識と常識を兼ね備えた人材を社会に輩出していこうと
いう姿勢に現れていると思う。
理・ 2 ・男 今回、入試制度について過去と現代のものとを比較した
ことによって、最近になって入試制度は学生の適性をはかることを取
り入れてきたことがわかった。その大きな理由としては、 AO 入試が挙
げられるが、今回の講義ではあまりそれに触れていなかったのでざん
ねんでした。過去の入試制度を見ると、学校単位で差が生じてしまっ
たり、暗記中心の受験になってしまったりと問題を多く抱えていたと思
う。最近ではセンター試験や、 AO 入試を取り入れそういった問題を
解決してきた。しかし、今回学生の適性ばかりを重視してしまう AO 入
試に私は問題があるのではないかと感じた。受験において適性という
のは大切かもしれないがやはり学力は無視できない重要な要素だと
思う。もし入試を AO だけで通してしまうと、適性ばかりを重視しすぎ
て、学生の入学後の学習面における成績に不安を残してしまう。なの
で、今の AO について不十分な点が有るのではないかと感じた。
理・ 2 ・男 今回の授業は入試のが話題になっていたので、あまりお
もしろくなさそうだなと思っていましたが、高等師範学校時代の入試
制度と今の入試制度、学生の分布の間にある関係について学び、歴
史の面白さを実例を通して感じました。当時の主流の競争試験では
なく、推薦入試をしてまで全国から学生を集めたいと考える広島高師
の姿勢を見て、学校間競争がいまよりずっとシビアだったんだなと感
じました。現在の基礎重視の入試傾向も高等師範の性格を反映した
ものであったことも面白かったです。入試問題にも過去との因果関係
があるという歴史の多様性を感じた授業でした。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、「入試」という歴史とはあまり関わり
がないようなことでも、しっかりとした「歴史」があるということを知りまし
た。僕が高校時代、広島大学の入試問題を解いたとき他の有名国立
大学に比べて比較的簡単な問題だったことに少し驚きました。なぜな
らその時僕は「有名大学の試験問題は難しい」という固定観念があっ
たからです。もっと難しい問題を出すべきだと思っていましたが今回
の講義を聞いて、基礎学力を重視した選抜を昔から行っていると知っ
て、考えを改めました。
理・ 2 ・男 実際にこの講義を受けてみて私が思ったことは、広島大
学は、全国的にみて高々な教育指針を掲げていると思いました。私
は、この事実を知った上で、改めて広島大学を受験して誇りに感じま
した。私は、広島大学で本気で教員を目指していて、歴史的背景か
ら見て非常に熱心で、豊かな経験を積んだ教授の方々から、貴重な
講義を受けていられるというだけで、私はとても恵まれていて、実りの
ある大学生活が送れることだと自負しています。
理・ 2 ・男 まず、全国でも有名な大学それぞれに在学する学生の
出身県の分布の話が印象的でたった。名古屋大学が 75 %、東京大
学が 50 %近く所在県あるいは周辺出身であるにもかかわらず広島
大学は 30 %にとどまっている。京都大学は所在県出身の学生がも
っと少なかったが、基本的に旧帝国大学には全国から学生が集中す
ることを考慮すると当たり前の数値かもしれない。その上近畿は大阪
大学も近くにあるため分散することも考えられるし、講義でも出ていた
元々の人口の問題もあるだろう。自分は AO 入試でこの広島大学に
入学した。広島大学の小論文・面接(さらにはセンター試験結果)の方
式は全国的に見てはさほど特別ではないのだろうが、自分としては知
っている理学部の入試方式や教育学部の方式はとても良いと思う。
理学部においては小論文という名の専門的な基礎問題が出題され、
同時に英文も読ませ英語力を見る。面接では 1 対 6 人の口頭試問
が 2 回行わる。会話能力が重要視されてきた今の時代においては、
学力だけではない様々な形で評価されるの AO 入試は画期的である。
旧帝国大学では AO 入試での入学者の成績不振により、 AO 入試
が廃止になりつつあるらしいが、広島大学は合格後も課題を課し、補
充教育などのオプションも整っているため学生の成績不振でなくなる
気はあまりしない。
理・ 2 ・男 私が今回特に興味深いと思ったことは、広島大学は全国
いたるところから学生が集まってきているということです。今回も他大
学との比較ということで、名古屋大学との比較がなされていました。私
の中では、名古屋大学といえば旧帝大の一つで、世界でも有名な大
学です。だから、日本各地から大勢の学生が集まってきているだろう
と思っていました。しかし、実際は東海地方の学生が多いらしく、なん
と広島大学の方が全国各地から学生が集まってきているというのが事
実でした。これには正直驚きました。今後も、このような意外な事実を
たくさん学んで、知っておきたいです。
理・ 2 ・男 広大の入試制度について、「教科書熟読で十分」など平
易で基本的な問題を出題して評価するといった堅実な学力を備えた
人材を着実に選抜しようとしているという形に広大の入試問題はなっ
ていることにとても納得しました。 AO 入試などが導入され、入口は多
様化したが、大学の教育は変わっていない。一般入試は所詮紙の上
での学力でしかその人を判断できないため、私は一般入試にも面接
を導入すべきであると思います。
理・ 2 ・男 広島大学は、もともと、師範学校からの色が強く、教員に
なるという目的の下、入試問題は基本的な事柄を問う様な問題が多
い。基本的な問題が多いというのは、高校生の時から感じていた事で
は有るが、それが教員を育成するという目的に添ったもので有るとい
うのは、今回初めて知った。自分は、前期試験で合格したので、他の
試験の事は分からないが、広島大学は、基本的な事柄を問いつつも、
それがきちんと自分の力になっているかどうかを試す様な印象を受け
た。今、広島大学は、 3 種類の入試制度を実施している。それぞれ
の入試に挑戦する人々は、その時点で、学力の差は確かに在ると思
う。しかし、大学の授業は、ほとんど全ての科目において、全く 0 から
のスタートである。入試の成績がどうあれ、その後、その人がどのよう
な成績を残すかは、本人のやる気次第である。現代社会では、 AO
入試や推薦入試で合格した人の学力低下が問題になっている様に
感じるが、一部のやる気の無い人たちの事例をあげて、それを全体
に適応するのは、失礼である様に感じる。結局のところ、大学では自
分のやる気次第でどうにでもなるのだ、と言う事を自分でも意識し、こ
れから、やる気を持って、努力を怠らずに大学生活を満喫していきた
いと思う。
理・ 2 ・男 広島大学は多分野について広く学べる大学であるが、や
はりその分だけその学習したいことに関して、あらかじめ知識を蓄え
ておかないといけないと思うし、それを深く理解しておかないといけな
いと思う。かつてセンター試験の前身である共通一次試験が存在し
ていたことを初めて知りました。広島大学の二次試験の傾向としては、
問題としてはやさしいが、堅実な学力の持ち主を優先的に合格にし
ていたことも初めて知りました。今もその傾向は変わっていないと思う
ので、堅実に学力をつけていきたいなと思いました。
理・ 2 ・男 戦前は学校に行く人も少ないと思っていたので、入試制
度があることに驚いた。さらに前身校である広島高等師範学校の学
生の出身が、全国に分布していることを知って今の広島大学に近い
と思った。広島大学の試験はたくさんの工夫の上で今の試験になっ
たことを知った。暗記中心の問題を減らしたり、マークシートをなくした
りなど、考えてあると思う。二次試験にも重点をおいて学生の考える
力をつけさせようと思っていることも驚いた。またさまざまな試験方法
も取り入れた。私自身 AO 入試で入学して、レベルの高い学習がで
きて満足しています。自分の性格ややっていたことを評価された気分
で、やる気が出ます。これからもいい方向に試験が傾いて、新しい考
えを持った学生が入学してくれば、広島大学はますますいい大学に
なると思います。
理・ 4 ・女 広大の入試問題が平易で基本的な問題だというのは、
自分としては入試に苦労したので少しショックだった。自分東北の仙
台出身なのですが、高校に広大出身者がいて、あの先生の影響で
広大にしたのかもと今日の講義を聴いて思った。入試問題にそれぞ
れの大学に特色があるのは知っていたが、それが大学側の求める人
材とリンクして考えたことはなかったので、非常に面白い内容だった。
僕は、 Raccoons の# 4 です。週末の九大戦、春初戦で不安もあり
ますが、 2 年前の平和台での借りを返したいと思います。がんばりま
す。
理・ 4 ・男 現在の入試制度が制定される前は、旧制高等学校の卒
業者を無試験で旧制大学に入学させていたとのことでした。当時の
時代背景から考えたら、このことは当たり前だったのかもしれませんが、
今となってはあり得ないなと感じました。現在は就職するためには専
門知識や学歴が少なからず関わってくるので、高校を卒業した後も
大学や専門学校に通うのは当たり前になっています。入学試験がな
ければ、県外からの入学者もだいぶ減っていたと思うし、その点では
何か不平等になってしまうと感じました。したがって、入試制度は、日
本全国の人々が平等に受験するために必要な制度だと思いました。
理・ 4 ・男 今日の授業はいろいろと入試のことがわかってよかった。
広大生として入試のことについて知らないのはいけないなと思いまし
た。
- 639 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
理・ 4 ・男 今回の授業を聞いて、入試というものが単に学力を測る
ためだけのものではないことを、改めて知ることができた。それぞれの
大学には求める人物像があり、その人物を選出するのに適した入試
を行っているということは非常に素晴らしいことだと感じました。そして、
広島大学が第一志望だった僕にとって、自分が広島大学の求める人
物像に当てはまっていたということは、とても誇らしいことです。これか
らも広島大学の学生として恥ずかしくない人物を目指そうと思いまし
た。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第6回】
広島大学の理念と象徴
(講師:石田
医・1・女 広島大学の基本理念や他大学の基本理念ができるに
あたっての経緯を知ることができて非常に有意義だった。また広島大
学のひとつのテーマとしてフェニックスがあり原爆の被害を受けても
灰の中から生き返る不死鳥をもとにしていること、東広島大学のシン
ボルである煙突ができた経緯や困難もしることができ、非常に有意義
な時間を過ごせてよかった。
医・ 1 ・男 今回の講義で僕は「桜、 1111 本」についての話が非常
に興味深いものでした。桜といえば学校という団体には切っても切り
離せないものではありますが、この本数はすごいと思いましたし、それ
だけ植えてでもこの東広島キャンパスをにぎやかで華やかなものにし
ようという原田学長の意思の固さを感じました。こういう細かいところこ
そ広島大学の象徴であると感じました。
医・ 1 ・男 広島大学の理念について今までほとんど知らなかったけ
ど、この講義を受けて知ることができてとても勉強になりました。広島
は世界で初めて原爆が投下された県であることから、広島大学の理
念には平和への思いが強く反映されていると感じました。また、広島
大学の建物の配置やシンボル塔にもそれぞれ意味があり、とても興
味を引かれるました。特に、シンボル塔はもともとは煙突であり、それ
を隠すために作られたものであるという内容にはとても驚かされると同
時に、よく考えたものだなと感心させられました。
医・ 1 ・男 日本の主要国立大学と比較して、広島大学は建学の精
神・理念がはっきりしており、また平和を希求する精神が中核になっ
ていることは素晴らしいと思いました。戦後、広島大学が焼け野原の
中から現在の緑あふれるキャンパスを作り上げたのは、世界中の大
学から植物の種子などの寄付があったからであり、広島大学は世界
に支えられていると実感しました。私もこの広島大学の緑を受け継い
でいきたいと思います。
教育・ 2 ・女 早稲田大学や慶応大学は、理念に基づいて、それを
実現するために大学が作られ、教育が行われており、今日でもそれ
は息づいているとのことでしたが、広島大学ではどうだろうと考えまし
た。「平和を希求する精神」を根底としている割には、大学生活を通し
てあまりそれが感じ取れないような気もします。理由としては大学の統
合移転が大きいかもしれないと思いました。移転前の東千田キャンパ
スでは校門の脇の大きなフェニックスや、その奥にある理学部 1 号館、
そしてそこに続く森戸道路など、視覚的に理念が感じ取れるようにな
っていると思います。学生が毎日大学の理念を各々意識しながら生
活するというのは難しいですが、こうして視覚的な効果があれば、平
和を希求する精神が身につきやすいかもしれません。ところが、移転
後の東広島キャンパスは、確かに緑がいっぱいで広くてのびのびとし
たキャンパスですが、大学の理念や象徴が反映されているかというと、
甚だ疑問です。形だけの理念では意味がないと思います。広島大学
の理念や象徴について、この講義を受けるまで私も良く知らず、また
知る必要性も感じなかったのですが、理念に基づいた大学を作って
いくには、その構成員である一人ひとりが、もっと大学について知る
べきであると思いました。
教育・ 2 ・女 現在掲げられている理念は、広島大学ができた当初
から設定されているものと最初は思っていたが、理念 5 原則である、
平和を希求する精神、新たなる知の創造、豊かな人間性を培う教育、
地域社会・国際社会との共存、絶えざる自己変革という、戦後の社会
よりは最近の現代社会のニーズにそったような理念であるとも思えた。
それにしても、平成 7 年になるまで理念というものが明確には設定さ
れていなかったことにはかなり驚いた。確かに、国立大学が政府への
人材を育てるためのものであったからというのはわからないでもない
が、ひとつの組織ができるのに、その組織の個性ともいえる理念が決
まっていなかったということに、当時の考え方が見えるようだと思った。
5 原則の中のひとつで、もっとも大切なのは「平和を希求する精神」と
されていて、「広島」大学だからそれはそうだとも思えるし、実際慰霊
碑なども建てられてはいる。だが、この大学としての理念が、大学の
教育に反映されているのかといったら微妙であると思う。 3 回目の授
業での話によると平和に関する行事なども広島大学全体として行って
はいないようだし、学生が参加する行事はないに等しいのではないだ
ろうかと思った。平和を希求する精神が思考と行動の根底にあるべき
とするなら、もっとその理念を取り入れて見える形でも行っていくべき
なのではないだろうかと思った。今の状態をみて、理念と象徴が一致
できていないのではないかという心配もうなずける気がする。平和精
神のために大学を緑化するという考えがあるから、広島大学の中はこ
んなにも多くの植物に囲まれているんだと納得した。今まで、やけに
いろんな種類の植物があると思っていたけど、理由を知ると、大学の
見方も変わるものなのだと思った。今の広島大学の木の全てがという
わけではないが、これからはその 1 本 1 本に思いがこめられているの
だと考えるようにしようと思った。
雅春)
教育・ 2 ・女 まず、広島大学の学章や大学旗が創立当時になかっ
たということに驚きました。フェニックスは、私の高校のでも象徴とされ
ていたので身近な感じです。やはり施設は建っても、象徴や理念が
あいまいなままだと大学としての機能は十分に果たせないのではな
いのかなと思います。それを考えると、今日広島大学に通っている私
も、広島大学にそんな理念があると分かって多少ながらも目的を持ち
ながら生活できるのかなと思います。これからも広島大学の象徴を大
切に守っていけたらいいなと思います。
教育・ 2 ・女 広島大学の「 h 」のようなマークが理想の人材像を表
すものだと知り驚いた。また学章とは何が違うのかを知ることができ満
足した。また、色が緑である理由には平和や希望などがあることを始
めて知った。大学ができて始めのうちから共通理念を作ったのは他の
大学と比べてすごいことであると思う。しかしその背景には数多くの学
校が統合されてできた、そもそも共通理念のないものの集合体であっ
たことがあり、それを考えると懸命な判断であったと感じた。統合され
た学校が少ない大学ではもともとある程度共通理解があったから必要
なかった、ということを考えると、どっちが優れているとか劣っていると
は言えないと思った。
教育・ 2 ・女 広島大学に入学し、フェニックスという言葉をよく聞くが
どういう意味があるのか知らなかった。フェニックス駅伝などフェニック
スという言葉を聞く度にいつも友達と「フェニックスって何?」と話して
いた。今回の講義を受けて、広島大学のシンボルであるフェニックス
とは、原爆からの復興という意味が込められていることを知った。広島
の原爆からの復興は、まさに、灰の中から新たな生命を更生する不
死鳥そのものだと感動した。フェニックスという言葉に今までにない重
みを感じるようになった。
教育・ 2 ・女 今回の講義では,象徴とは理念である目標や目的を
いつでも思い出せるように目に見えるもので表したものであると知り,
とても納得しました。そして,平和の象徴とされる原爆ドームの例で,
原爆ドームを維持していたり,千羽鶴を折って奉納するだけで,自分
が平和に貢献したように感じている人がいる,といわれ,自分も本当
にそうであるな,と思いました。広島大学の理念や省庁についても同
じことが言えると思いました。広島大学の離縁を知り,その象徴してい
るものを見ているのだから,これからは,それを見ること,保持すること
に目的を変化させるのではなく,自ら理念を思い出し,それに近づけ
るようになろうと思いました。
教育・ 2 ・女 おわりにの部分で先生が危惧されていた、移転による
希薄化だが、たしかに存在として理念や象徴は薄れてきているので
はないだろうか、と思われる。かくいう私も理念といわれてやっと思い
出す程度にしか覚えていず、何度か耳にしていたのにも関わらずま
ったく意識していなかった。広島大学はせっかくすばらしい理念があ
るのに、知られていないのはもったいないと思われた。初代森戸学長
の”一つ”の大学という高い理想も、廃れていくには惜しいと思われる。
原因は私たちの目に届く範囲に象徴が目立っていないというものもた
しかにうなずけた。言われてみれば森戸三原則のなかでも私が知っ
ていると思われるものは、中国地方の中心の大学。という 1 タイトルだ
けのように思われた。これは広島大学のネームバリューのようなもので、
むしろ広島大学自体がシンボルになることで多くの人に知られている
のではないだろうか。国際のシンボルもせっかく学内に設置されてい
るのならもう少し目立たせたなら興味を持つ人間も出てくるのかもしれ
ない。
教育・ 2 ・女 今回、主要国立大学の基本理念が、ごく最近にできた
と聞き、大変驚いた。理念というものは、大学設立と同時に作るもので
あるというのが私の考えであったからである。学校独自の特色がなか
ったことにはびっくりした。また、私は、今日の講義で初めて知ったこ
とのほうが多かった。例えば、学章や、フェニックスの木等についてで
ある。学章は、見たことはない、というわけではないだろうが、意識して
おらず、初めて見たに等しかった。コミュニケーションマークを学章と
思っていた。フェニックスの木については、その木が選ばれた事情な
んて知らなかった。各国から木を贈呈してもらったことから、各国が世
界の平和を望み、また、広島大学に期待しているのだと感じた。 5 原
則にある、平和を希求する精神、簡単なように見えて、平和というもの
は最も難しい課題である。私は一広大生として平和を願い、そのため
にできることをやっていこうと思った。
教育・ 2 ・女 今回の講義を聞いて、初代校長の森戸辰男先生はと
てもすばらしい方だと思った。原爆の被害にあった広島という地に大
学を設立するにあたって、常に「平和」というキーワードを意識しなが
ら学校作りに励んでいた当時の様子を知り、森戸先生の努力に感心
するとともに、そのおかげで今の広島大学があることに心から感謝し
- 640 -
た。特に「平和の戦士」という言葉がとても印象に残った。またフェニッ
クスの意味も知ることができてよかった。今広島大学に在学している
私たちも、初代先生方の意志を受け継いでいかなければならないと
感じた。
第一回卒業式で森戸辰夫学長が卒業する生徒を「平和の戦士」とい
う言葉で送り出したことである。広島大学の理念の一つである「平和を
希求する精神」が卒業生が平和な社会を実現するように期待したこの
言葉に込められているような気がして印象に残った。
教育・ 2 ・女 広島大学の理念五原則について、やはり原爆を受け
た被害地域であるがゆえに、平和を希求する大学であることを重要な
理念の一つにおいているのだなと感じた。しかし、私たちは広島にい
ながら、本当に平和について考えているのか。日々の中で、戦争に
ついて、平和について考えることはそんなに多くないように思う。入学
したころ平和学習をしたが、とても良い勉強になった。学年が進むに
つれても、そのような機会を設けてくださればなぁと思う。広島大学に
通うからこそ、平和について勉強するのは義務のようなことだと感じた。
教育・ 2 ・女 私は造形芸術系コースに所属しており、以前から學章
やシンボルマークがどのようにできたのかに興味があったのですが、
今回の講義でそれが分かりました。今まではなぜ広島大学を示すマ
ークが二つもあるのだろうと思っていたこともありましたが、大量印刷
するものにはコミュニケーションマークを使用し、学章の威厳を損なわ
ない為と知り納得しました。また、なぜ学内の桜の木が 1 111 本なの
かについても「 1 が好きだったから」という理由で、私の中ではもっと
何か深い意味があるのではと考えていたので、逆に面白く感じました。
理念についても他学よりも早く制定されており、広島大学の方向性が
しっかりとしているということに誇りを持てました。今後もさらに広島大
学について学んでいこうと思います。
教育・ 2 ・女 私は入学した当時から、なぜ「フェニックス」という言葉
がたくさん使われているのか疑問に思っていた。フェニックスが不死
鳥という意味は知っていたが、なぜなのかと思っていた。今回の授業
を聞いて、広島大学とヒロシマのことを考え付けられたと知り、納得で
きた。フェニックスのマークとコミュニケーションマークを使い分けてい
るということにも驚いた。何気なく広島大学で生活していて、目にした
り耳にしたりするものが、意外に重要な歴史があるので、授業を聞い
ていてすごく面白かった。今日の授業で出てきた「国際の森」を今ま
で何気なく見ていたので、今度しっかり観てみたいと思った。
教育・ 2 ・女 広島という地にある大学であることから、「平和を希求
する精神」は必要不可欠な理念であると感じた。また、緑と青が大学
のカラーであることを初めて知った。今後学校内の色やパンフレット
のカラーなどに注目してみようと思う。国際の森でフェニックスの木を
見かけたり、教育学部棟からシンボル塔を見たりする機会は多い。こ
れからは、ただなんとなく眺めるだけではなく、それらが広島大学の
象徴であることを念頭に置いて見てみようと思う。
教育・ 2 ・女 今回の講義は、とても興味深い内容のものが多かった
です。「自由で平和な一つの大学」という開学以来の精神を継承し、
平和を希求する精神を中核とした理念五原則を下に、国立大学とし
ての使命を果たすことが、広島大学の理念であると、今日初めて知り
ました。一人一人が平和を願うだけでなく、平和に対する大学の理念
を、また国の理念をいつも念頭において、生活することが大切だと思
いました。考えるだけでなく、自分に何かできることがあれば、してい
きたいと思います。
教育・ 2 ・女 今回の講義で最も印象に残ったのは、フェニックスに
ついてでした。「灰の中から新たな生命をもって蘇える」というのがまさ
にぴったりで納得したと同時に、「不死鳥」がすごくかっこいいなと思
いました。私は中央図書館へはよく行くけれど、図書館の南側に在る
というフェニックスの木を一度も見たことはありません。単に私が気づ
いていないだけかもしれませんが、講義でも言われていたようにもう少
し目立つ場所に植えるべきだったのではないかと思いました。せっか
くのシンボルの木なのに人に見られないのはもったいないです。今度
図書館に行った時には注意してみてみようと思います。
教育・ 2 ・女 私は、広島大学のシンボルがフェニックスであるという
ことは知っていましたが、その理由はフェニックスが「不死鳥」と訳され
るということで、決して死なない、なくならないという意味を重視してい
るのだと思っていました。しかし実際は、「灰の中から新たな生命をも
って蘇る」ということからだとと知って、驚きましたが、「広島」大学には
本当にぴったりだと思いました。また、在学中に一度は、東千田正門
前のフェニックスを見てみたいと思いました。
教育・ 2 ・女 今まで知らなかったけれども、広島大学の中でよく「フ
ェニックス」が使われていたことの理由が初めて分かりました。不死鳥
をシンボルとしているのには、原爆からの復興を示すものという深い
理由があって、感動しました。広島大学の理念がどのようなものである
かもこれまで知らなかったけれども、とてもすばらしい理念があるのだ
ということがわかってよかったです。私も広島大学の構成員の一人と
して、これからの毎日、理念の 5 原則を思考と行動の根底におきなが
ら過ごしたいと思います。また、理念と象徴だけでなく、建学の精神や
学旗や桜についても知ることができたので、広島大学のすばらしさを
また一つ理解できてよかったと思いました。
教育・ 2 ・女 たいていどこの大学にも理念というものがあるが、実際
に理念を意識したことはなかったので興味深い授業となった。大学の
校歌も資料に掲載されていたので驚いた。校歌は小学校、中学校、
高校とで歌ってきたものだが、大学に入ってからは歌う機会がなく、あ
ることも知らなかったのでどのような歌なのか気になった。校歌を作曲
したのも音楽コースの人であることも知り、広島大学の校歌にふさわし
いものだなぁと感じた。また、東千田キャンパスの写真を見て新鮮さを
感じた。現在東広島のキャンパスしか知らない自分にとって昔の大学
の様子はどのようなものだったのか思いをはせると同時にたいへん興
味深くなった。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けるまで広島大学の理念や建学の精
神を知らなかったのでとても興味深かった。特に、原爆被害を受けた
大学としての使命が理念や建学の精神に表れていることは広島大学
の大きな特徴の一つであると思う。今回の講義で印象深かったのは
教育・ 2 ・女 欠席届を出したように今回の講義は大会のため、欠席
させていただきました。友人に今回の講義の内容を見せてもらうととも
に、プリントも見せてもらいました。その内容のなかで目立つと感じた
部分があります。それは“平和”という言葉がたくさんあるということで
す。やはり広島大学は被爆都市広島に存在しているということで 2 度
とその過ちを繰り返してはいけないということを強調していると思いま
す。せっかく広島の大学に通っているのだから、戦争について、平和
についてしっかり考えていかないといけないと思います。
教育・ 2 ・女 広島には原爆が落とされ、今までの講義を聞いてても
ほとんどが原爆の関係によってこうなったということが多かった。今回
の講義は特に原爆の関係によって広島大学の理念や象徴に大きく
かかわっていると思った。理念は、自由で平和なひとつの大学として
あげられている。やはり、平和を意識していると思う。象徴としては、原
爆からの復興としてフェニックスがあげられている。アメリカからフェニ
ックスの木などを購入してキャンパス内にあるなんて知りませんでした。
今回の講義を聞いて知らないことがたくさんあったし、原爆と広島大
学がこんなに大きくかかわっていたなんて知りませんでした。とても興
味がもてていい講義だったと思います。
教育・ 2 ・女 今回の講義で感じたのは、広島大学は「平和」という言
葉をとても大切にしているということでした。理念、象徴いずれも「自由
で平和な一つの大学」を目指したものであり、実際に原爆問題等の
取り組みにも力を入れていると知り、とても誇らしく感じました。また、
広大卒業生=「平和の戦士」と森戸学長が告辞したように、在学中だ
けでなく卒業後の広大生にも、平和な社会を実現するように期待を込
めていると分かりました。私も、これからはもっと平和に対する意識を
高めていきたいと思いました。
教育・ 2 ・女 まず、広島大学の理念においては、今までの講義でも
出てきたように平和について述べられているところが広島大学ならで
はだと思いました。北海道大学などの理念をみてみても、各大学の理
念のなかにはその地域の特色や歴史が反映されているんだな、と思
いました。また、広島大学の象徴について、フェニックスという言葉は
大学の色々なところで聞いたことがあったのですが、原爆からの復興
=灰の中から新たな生命をもって蘇るということを意味していたことい
うことがとても印象深かったです。
教育・ 2 ・女 理念を見て、これからの社会にも必要な理念ばかりだ
と思いました。平和はずっと願っていくべきものであるし、地域を大切
にすることも重要であり、アイデンティティを見つけ、自分を変えていく
こても大切だからです。また、広大が理念をつくったのは、他国立大
学よりも早かったんですね。広大はそういうところを重視しているのが
いいと思います。広大の象徴には、やはり原爆関係のものが多いの
だなと思いました。緑に『生々・希望・平和』の意味があることを、今回
初めて知りました。制定までの資料がたくさん残っていることにも驚き
ました。
教育・ 2 ・女 今回広島大学の理念と象徴について講義を受けて、
理念にしても象徴にしても平和の希求が中心であることがわかった。
建学の精神「自由で平和な一つの大学」にあるように世界が平和に
なる事を願って、まずはじめに日本を民主的で平和な祖国にするた
め広島大学が先頭を切って行動している。シンボルとしても「フェニッ
クス」を掲げていて原爆の被害を受けた大学ならでわの一番適したも
のだと思う。そうした中で私たちができることとしたら、戦後から復帰し
てきたこの緑溢れる大学の歴史をしっかりと理解し、平和を願い学校
をきれいに大切にすることがまず最初にできることではないのかと考
える。
教育・ 2 ・女 まず、広島大学の理念を覚えていなかったので、広大
生としてこれらは知っておかなければならないと思いました。これらの
5 つの精神は、広大生に限らず人間としても、とても重要なものだと
思います。私はその中でも特に、「平和を希求する精神」という言葉が
とても印象的でした。私は広島出身で、小さい頃から平和学習を受け
てきているので、少しは平和について考えてきたつもりです。しかし、
大学生になって他県出身の人たちと関わる中で、原爆記念日や終戦
記念日に対する意識の違いに驚きました。広島大学が最初の被爆地
である広島県に存在しているということもあるけれど、それ以上に様々
- 641 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
な県から人が集まる中で、平和について考えるのはとても大切なこと
だと思いました。平和について考える講義を設けたり、平和施設への
訪問を推奨する取り組みはとても良いものだと思います。講義を受け
てみて、森戸辰男さんをはじめとする沢山の人々がどのような思いで
広島大学を創ったのか、少し理解することが出来ました。建学の精神
を理解しているのとしていないのでは、これからの大学生活が大きく
異なると思うので、今回の講義を機会にもう一度考えてみたいと思い
ました。
教育・ 2 ・女 初めて広島大学に来たときに目に入ったのは煙突み
たいな塔で、こんなのがあるんだと思った。けれどこれを見たことで広
島大学に来たんだと実感することができた。広島大学の理念とは、 1 .
平和を希求する精神 2 .新たなる知の創造 3 .豊かな人間性を
培う教育 4 .地域社会・国際社会との共存 5 .絶えざる自己変革
私たちはこの精神を踏まえて、学問と教育を学んでいく。
教育・ 2 ・女 今回の講義をうけて、広島大学と他の大学の一番大き
な違いはやはり理念の中に平和という言葉が何度か登場するところ
にあると思います。私も広島大学に入学して、以前よりも平和や戦争
という言葉に敏感になった気がします。理念にあることを、実際に達
成できるように広島大学で取組みが行われているからだと思います。
また、象徴の話しの中のシンボル塔のことですが、初めてシンボル塔
を見たときに「おお!広島大学すごい!」と思いました。というのも、今
まで私が見たことのあった大学でこんなにもわかりやすい目印はなか
ったからです。今でもブールを越えてシンボル塔を見ると帰って来た
~という感じがします。そして、私が住んでいるマンションの窓からシ
ンボル塔が見れます。私にとってシンボル塔は思い入れが深いので、
そんなシンボル塔のなり染めを聞けてよかったです。
教育・ 2 ・女 大学にフェニックスの木があるとは知りませんでした。
見た目が南国の木みたいでした。西条の寒い環境では育てるのが難
しいのにその木が植えられている理由がわかりました。これからも寒
い環境のなかでの飼育をがんばってもらいたいと思いました。あと、そ
ういえば広島大学に入学したときにもらったたくさんの資料の色が緑
や青が多かったなと今回の授業を聞いて気づきました。色にも理由
があったなんて驚きでした。
教育・ 2 ・女 やはり、広島大学は広島ならではの理念・象徴を掲げ
ていてすばらしく、誇るべきことだと思った。しかしそれは原爆があっ
た故の理念と象徴であるし、そんな簡単に軽々しく口にしたりすること
は」なかなかできないなと思った。実際、北朝鮮がまたしても核実験を
行い、広島市の原爆資料館にある地球平和監視時計を 960 日からリ
セットして 1 日になったこともあり、平和だとはいえない。日本国内で
も日々悪質な事件が多発しているといった情勢である。平和な世界
になる日は来るのかととても不安になった。
教育・ 2 ・女 大学の理念が制定されたのが、割と最近であることに
驚いた。広島大学の理念 5 原則のうち、最も大切だとされているのは
1 つ目の 平和を希求する精神であり、広島の大学だからこそ特に
重要視されているのだと思った。広島大学の象徴の一つがフェニック
スであることは以前から知っていたが、不死鳥以外にも、植物のことも
指すということは知らなかった。大学歌は入学式でしか練習していな
いし、今はもう覚えていないし、歌う機会もないので、もっと浸透させ
てもよいのではないかと思う。高校までは校歌は完璧に歌えていた気
がする。大学の理念と象徴について、他大学と比較しながらもっと調
べ、自分の大学の柱をしっかりと知っておきたいと思った。
教育・ 2 ・女 今回の講義内容では、特にフェニックスについてが印
象に残りました。広大ではどうして様々なイベントなどにフェニックスが
使われているのか知らなかったけど、原爆が落とされた広島にある大
学として、そこからの復興の意味が不死鳥であるフェニックスにあらわ
されているのだとわかりました。広島大学と原爆のつながりは深いの
だと改めて思いました。
教育・ 2 ・女 フェニックスに原爆からの復興の意味が込められてい
たことを初めて知りました。新入生のオリエンテーションなどでそのこと
についても説明したら良いのではないかと思いました。よく使われて
いる広大のマークもありますが、それぞれシンボルのマークの制定さ
れた経緯や意味をもっとアピールするべきではないかと思います。
教育・ 2 ・男 広島大学は原爆の影響を強く受けているとは考えてい
ましたが、それが他の大学と違って、設立当初から掲げられているの
は特徴的なことであるというのを聞いて驚きました。また、初代学長で
ある森戸辰男氏が広島大学の理想を高く掲げながら、それをもとに東
千田キャンパスを整備していったことをはじめて知り驚きました。広島
大学の理念や象徴について理解したうえで、地域や社会から大きな
役割を求められる広島大学の 1 人の学生として期待に応えていかな
ければならないと考えました。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学が原爆被害からの復
興を経て設立されていたということはこれまでの講義から知っていた
けれど、また、そのことが、大学の理念の基礎である、地域性や国際
性と結びついているということに興味をいだいた。また、象徴であるフ
ェニックスの木などの構内の植物が世界の大学からの寄贈や寄付が
基となっていたことに驚いた。また、最後に言われたように、自分もこ
れだけきっちりとした大学の理論や象徴があるのに、この東広島キャ
ンパスではそのことをあまり感じることができないのは残念だと感じた。
これからはそういうことをもっと意識しながら大学生活を送っていきた
いと思った。
教育・ 2 ・男 広島大学の理念はやはり「自由で平和な一つの大学」
とあるように、原爆の被害を受けたことからの平和が主であるのは予
想通りだった。しかし、理念五原則はあまり耳にしたことはなかったが、
広大生が目指すべきものとして非常に大切なことが述べられているの
で、しっかりと胸に刻んでおきたい。フェニックスが原爆からの復興を
願って広大のシンボルにされたということは、広大のものでフェニック
スが書かれているものなどを見たら、少しでも原爆のことを考えてみよ
うと思った。やはり広大の根本にあるのは原爆、平和であることを改め
て感じた。
教育・ 2 ・男 広島大学は大学審議会の答申が出る前から理念を決
めており、中でも平和を希求する精神が重要であると考えた。また開
学式の森戸学長の言葉で繰り返し出てきているように平和な一つの
大学からも平和を希求する精神を感じることができた。また世界中の
大学と提携して送られてきた木々が東広島キャンパスに植樹されて
いることを初めて知った。そしてフェニックスのシンボルには原爆から
の復興の意味だけでなく、自由で平和な一つの大学を建設し、国際
性のある大学をめざすという意味があると新たに認識した。しかし象
徴に対して理念と行動が伴わなければシンボルとは言えないので行
動が伴う事を期待したい。
教育・ 2 ・男 テーマが「広島大学の理念と象徴」という今回の講義
を受けて、広島大学の理念・象徴の誕生の時代背景、意味を学習し
て、そのどちらにも「平和」という文字があることに感銘を受けました。
世界で唯一の被爆国である日本の被爆都市である広島に誕生した
広島大学が平和の希求を基本理念とし、フェニックス(不死鳥)を象徴
とすることで原爆からの復興をあらわしていることを知り、この理念を
象徴を再認識し、広島大学生として将来何をやっていくべきなのか考
えさせられた講義になりました。
教育・ 2 ・男 今までの講義は歴史や創設背景などの内容が多くど
こか身近に感じにくい内容だったが、今回は校歌や校章といったごく
身近にあるものに触れておりいつもよりも興味が引き立てられた。広
大に初めて訪れた時、広い校内がたくさんの木々に囲まれている印
象があり、それは森戸学長の大学緑化計画の意志が含まれているこ
とを知り、私たちは広島大学の象徴とも言えるこの緑に誇りを持ち、大
切にしなければならないと感じた。また、校歌や校章は学生から生ま
れたものだと今回初めて耳にしてこんなところにも学生主体性が含ま
れているのだと思った。
教育・ 2 ・男 広島大学は国立大学の中でも理念の制定(理念 5 原
則)が早く、それは「自由で平和な一つの大学」という建学精神に基づ
いて作られたということであった。私はこれに関して、広大はヒロシマ
の精神が引き継がれるように努力しているということを感じた。次に、
広大の象徴であるフェニックスついてであるが、私はフェニックスが原
爆からの復興の象徴であるとは知っていたが、その背景にあるものは
今までよく知らなかった。しかし、森戸学長が海外の大学に寄付を求
めて、東千田キャンパス整備の一環として行ったという事実に大変驚
いた。それは、現在の東広島キャンパスにおいてフェニックスの木が
あまり目立つところに植えられていないからだ。だから、我々としては
森戸学長の遺志を忘れないように努力すべきではないだろうか。コミ
ュニケーションマークの導入により伝統ある学章の使用機会が減って
しまったことを鑑みても、東広島に移転して伝統の継承が難しくなっ
ているのかもしれない。
教育・ 2 ・男 今回の講義では、「広大の理念と象徴」がテーマだっ
た。まず広島大学の理念は、やはり被爆地広島の大学ともあって「平
和を希求する精神」が中核となっていた。その他にも、「新たなる知の
創造」、「豊かな人間性を培う教育」などといった理念五原則というも
のがあるそうだ。広島大学の象徴といえばフェニックス(不死鳥)である
が、それが「原爆からの復興」という理由が含まれていたことを知った。
他にも、大学旗や大学歌などにもそれぞれ深い意味があって、とても
興味深い講義だった。
教育・ 2 ・男 まず広島大学の理念五原則につてだが、五つの中で
平和の希求についてが中心になっているのは、昭和 25 年 11 月 5
日の森戸辰男による開学式での式辞からも分かるように、被爆した広
島ということからそうなると思う。次に広大の象徴になっているフェニッ
クスについてだが、原爆からの復興を意味しているのは理念五原則
からも予想することができた。また、大学内の緑化に関して、世界の
大学から多くの寄贈があったのは世界からしても広島大学を支援す
ることによって自分たちも平和活動をしているというのを証明しようとし
たのではないかと思う。また、大学移転に際して 1 が好きだという学
長の好みから桜の 1111 本の植樹を行ったのはユーモアがあって面
白いと思った。
教育・ 2 ・男 まず広島大学の理念が確かに他の大学よりも早く制定
されていたが、かなり近年制定されたのだと知り驚いた。およそ企業
や団体、公立や私立の学校(小、中、高)についてはそういうものが発
足とほぼ同意にあるものと認識していたためだ。とはいえ、目標など
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はきっちり正式に制定していようがなかろうが飽くまで制定が目的で
はないので各自の意識が大切であろうと思う。とりわけ広島大学は原
爆と深い関わりがあるが、他県出身者が多くを占めているため、そう
いった意識は大切だと思った。
教育・ 2 ・男 広島大学に理念が、しかも五原則というものが存在し
たことを知らなかったので驚いた。その中でも目を引いたのが「平和
を希求する精神」である。原爆を投下された広島ならでわのものであ
ると思ったし、他の大学にはあまり見られない理念であると思ったので、
広島大学の学生としてこの理念を誇っていかなければならないし、ま
た、この平和を希求する精神を広めていかなければならないと思った。
また、シンボルであるフェニックスにも自分が考えていたこと以外の意
味もあったので、今回の授業で知ることができた。
教育・ 2 ・男 フェニックス(不死鳥)は原爆からに復興という意味があ
ったことを始めて知った。広島大学の理念では、 5 原則があることを
知らなかった。この 5 原則はとても意味のある 5 原則だと考えた。広
島大学は中国地方の中心大学を目指し、県民からの寄付や県費の
投入、国際性のある大学といったものから設立されたことがわかった。
教育・ 2 ・男 広島大学 5 原則は、新制広島大学が完成した時には
もうできていたものとずっと思っていて、まさか統合移転が完了してか
らできたものとは思ってもいませんでした。なので、今回の講義を聞い
てとても驚きました。しかし、それでも、その 5 原則に込められた意味
は新制広島大学誕生の瞬間まで遡るので、やはり歴史ある理念なの
だな、と実感しました。また、今の広大にたくさんの外国からの植物が
あることは知っていましたが、その経緯は詳しく知りませんでした。こ
れからは広大の国際性について意識していきたいと思います。
教育・ 2 ・男 広大の初代学長の森戸辰男さんについて興味を持っ
た。森戸学長は『 1 』という数字が好きだったために、桜の木を 1111
本植えたり、平成 11 年に国際の森を創設したりと、今現在にもその
意思は受け継がれている。また、森戸学長は、広大を、他県にある旧
帝国大学に匹敵する総合大学に育て上げたいという理念をかかげて
いた。それは、現代で達成できているのではないか。広大は全国的
にも国際的にも有名な大学であるという誇りがある。森戸学長の意志
もしっかりと受け継がれている。創設時の森戸学長の思いを胸に生活
していたい。
教育・ 2 ・男 広島大学は歴史のある大学なので、もちろん授業中
に様々な考え方やその理念が出てきて興味深かったのですが、何よ
り印象深かったのは平和に対する態度の真摯さです。学校開設の際
の理念はもちろんのこと、普段何気なく通り過ぎてしまう学内の植物な
どにさえもその理念が象徴されていたなんて思いもしませんでした。
各国の大学等に呼びかけて寄付金を募り、原爆からの被害を乗り越
えて現在のような、美しく壮大なキャンパスになったことに驚きを覚え
るとともに、そんな屈強ですばらしい理念、力を備えた大学で勉学に
励める自分を嬉しくも感じました。
教育・ 2 ・男 広島大学の象徴であるフェニックスは原爆からの復興
を意味していることを初めて知りました。あと広島大学の基本理念 5
原則である①平和を希求する精神、②新たなる知の創造、③豊かな
人間性を培う教育、④地域社会・国際社会との共存、⑤絶えざる自
己変革を胸にこれからの大学生活を送っていきたいと思います。あと
今日の授業で広島大学に対する誇りが増したんでこれから今まで以
上に行動や発言に責任をもって生活していきたいと思います。
教育・ 2 ・男 戦時中に原子爆弾を投下された広島であるからこそ、
平和を願う精神を有する学生の育成に努めようとしたのだなと強く実
感した。広島大学の象徴がどうしてフェニックスなのか、そして広島大
学がこんなにも緑に囲まれている理由も知れてよかった。これからは
フェニックスを見かけるたびに国際平和を願う気持ちと、地域の人々
や世界の大学の協力のおかげで今日の広島大学があるということを
思い出すだろう。広島大学は私が思っている以上に素晴らしい理念
と象徴を掲げている大学だと思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて印象に残ったことは、やはり広島
大学の歴史と、第三回の広島大学の歴史の講義でも取り上げられて
いたが、原爆とは切って離せない問題だと改めて感じた。広島大学
の象徴でもあるフェニックス=不死鳥は、原爆という恐ろしい問題から
立ち直った広島の人々の強さをたとえるものでもあると思う。また、広
島大学の理念目標を読んで、全国の主要な大学であるための、自負
の強さを改めて感じた。そういった理念を一学生としても心に持ち、こ
れからも勉学に励みたい。
教育・ 2 ・男 今回の授業は少し難しいもののように思えました。広
島大学がどういう理念を掲げていて、どういうものを象徴しているかな
どいままであまり考えてこともなかったため、驚きと感心の連続でした。
しかし、その広島大学の理念は学生たちに伝わっているのかどうか不
安になりました。私自身その理念が伝わっていなかったので、もっとア
ピールしていくべきではないかと思いました。 AO 試験などもありその
理念にふさわしい学生を入学させているわけだから、かならず心に受
け止めるはずだと思います。
教育・ 2 ・男
今回の講義を受けてまず思ったことは、やはり原爆が
広島大学に与えた影響はとても大きかったということです。広島大学
の理念にはもちろん平和を希求する精神が含まれているし、大学の
象徴としてのフェニックスも原爆からの再生・復活を意味している。そ
ういうところが広島大学の他大学とは異なる特徴なんだろうと思う。た
だ、その理念を掲げながら、なぜ大学移転なのかとも思った。移転す
ることで被爆した都市の大学であるという意識が薄れるのではないか。
以前の講義で、統合移転による問題をいくつか知ることができたが、
今回の講義で新たに知ることになった。いかに今後、それらの問題点
を解決していくのかとても興味を持った。
教育・ 2 ・男 私が今回の講義、またプリントを見て感じたのは、この
広島大学設立は戦後日本の象徴としての意味もあるんだということで
す。広島は 8 月 15 日原爆によって一瞬にして数え切れないほどの
人数がなくなりました。それにより現在に至っても原爆の爪あとを直に
感じることができ、平和を心から希求することができる、このことは日本
だけでなく、今の世界中で求められていることだと思います。だから、
この広島大学をこれからも世界の平和の中心として大切にしていきた
いと思います。
教育・ 2 ・男 広島大学の理念には 1 平和を希求する精神、 2 新た
なる知の創造、 3 豊かな人間性を培う教育、 4 地域社会・国際社会
との共存、 5 絶えざる自己変革の 5 原則がある。広島大学はやはり
被爆された場所でもある広島ということもあり理念の中心は平和への
希求であった。また広島大学の森戸学長の第一回卒業式での告辞
は話を聞いたときとても印象に残り、いかに平和を大切にするべきで
あるかを伝えているように思えた。広島大学の象徴と言えばフェニック
スであるがこれも原爆からの復興といういみをこめて不死鳥であるフェ
ニックスがもちいられたそうだ。こう考えていくと広島大学は戦争から
立ち直り平和を求め学んでいく場であると思った。
教育・ 2 ・男 広島大学の理念がこんなにも深いとは思わなかった。
特に広島大学らしいと思ったのは、基本的理念に『平和を希求する
精神』という、被爆地広島ならではといえる理念である。また、初代学
長の森戸辰男氏の第 1 回卒業式での告辞に『平和の戦士』という言
葉は個人的にとても心に残った。やはり戦後ということもあり、学生た
ちは皆戦争経験者で、この広島から戦争というものがいかに馬鹿げ
ていて滑稽であるかを全世界に発信しようという意図が感じられた。
教育・ 2 ・男 広島大学の理念にとりあげられていた内容はすごく良
いものだったと思う。しかしその理念だけにとらわれてこれからの広島
大学がおかしくなってはいけないと思う。理念はあくまでも理念であっ
て絶対ではないのではないかと思う。理念を意識しすぎて指導等を
行うのは良いことではなく、時には変化も必要である。ぼくが一番いい
なとおもったのは人間性を育てる事と地域社会との共存でした。人間
性を育てるというのは地域社会との共存にもつながっていると思う。
教育・ 4 ・男 広島大学に来てからの 3 年間、大学の象徴として『フ
ェニックス』がよく使われていることは感じていました。構内の道やサッ
カーやソフトボールなどの学内スポーツ大会も多く行われ、何気なく
『フェニックス』を聞き流してきました。今回の講義で、なぜフェニックス
が、広島大学の象徴に選ばれたかが話されましたが、今まで私の中
ではフェニックスは不死鳥であるから、永く発展するように選ばれたも
のだと感じていました。しかし今日、講義によってフェニックスが、灰の
中から誕生する=原爆後の灰のなか復興する様子ときき、広島大学
にこめられた願いが感じられたと思います。
教育・ 4 ・男 原子爆弾の被害を被っている県にある唯一の国立大
学としての広島大学の存在の大きさを今回の講義で改めて実感した。
また、大学に 3 年もいながら、今までフェニックスという木や桜の木の
多さに気づいていなかった。そういった意味で今回の講義は自分に
とって広島大学に関して新しく発見する事が多かったと思う。広島市
から東広島市に移転した事によって、原子爆弾が遠のいたような気が
しました。
教育・ 4 ・男 広島大学の象徴であるフェニックスについて,不死鳥
から原爆からの復興を意味しているとは想像ができなくて驚いた。ま
たシンボルカラーである緑にも「生々の色,希望の色,平和の色」とい
う思いが込められていることも知り,奥が深いと感じた。また,広島大
学の理念五原則という今回初めて聞く言葉があり,広島大学は歴史
が深い分やはり調べてみると様々な真実だったり,繋がりが見えてき
て面白いものであるという風に感じた。
経済・ 2 ・女 原爆を受けた都市の 1 つである広島にある大学であ
ることから、理念に「平和への希求」が含まれるのはもっともである。た
だ、それを地域や、国内だけでなく、海外に協力を頼むところはすば
らしいことだと思った。今日まで自分の大学の理念も象徴も知らなか
ったが、歴代学長の言葉を知り、とても興味深く思った。他大学とは
違う環境ゆえ独特の理念をもち、フェニックスというシンボルがあること
を大切に思いたい。東千田キャンパスにも一度訪れてみたいと思う。
経済・ 2 ・女 広島大学の理念について、私が考えたことは、やはり、
「広島」という歴史的に特別な意味をもつ場所にあるからこそ、平和と
いう概念が大きな意味を持つのだろうと思いました。また、この理念と
大きく関係するのが広島大学の象徴である、フェニックスと緑であるこ
とにとても納得できました。大学内を緑化するため、世界の大学から
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
寄付を依頼し、国際性のある大学という理念を達成しようとしたことは、
安易な考えだと言う人もいるかもしれませんが、私は評価されるべき
素晴らしいことだと思います。
経済・ 2 ・女 広島大学の学校理念は途中で出来たものだということ
に驚きました。そういうものは学校が成立した当初からあるものだとい
う考えが私の中であったのですが、当時は国の方針=学校の方針と
いう風に自然となってしまっていたというのを聞いて納得しました。ま
た、広島大学の象徴がフェニックスの木だということを初めて知りまし
た。何かモニュメントのようなものがあるのだと思っていましたが、不死
鳥を意味する木であると聞いて初代学長の森戸先生の思いが伝わっ
てくるように感じます。東千田キャンパスに行ったことがあるのですが、
その時とても大きく立派な木であるなと感じました。
経済・ 2 ・女 「自由で平和な一つの大学」という建学の精神のもと、
広島大学は開学以来、平和を希求する精神、新たなる知の創造、豊
かな人間性を培う教育を目指し、地域社会・国際社会との共存、絶え
ざる自己変革という理念 5 原則を掲げ、国立大学としての使命を果
たすことを基本的な理念してきた。原爆を落とされたことある広島だけ
に、平和への信念は熱い。また、それだけに海外からの訪問者も多く
国際交流も盛んである。そんな広島にある国立大学に通うのだから、
建学の精神の意味をよく理解し高い意識を持ち続けたいと思う。
経済・ 2 ・女 やはり広島大学は、原爆を投下された広島にあるだけ
あって、理念のなかに平和を希求する精神というものが含まれている。
講義の中であったように、千羽鶴を折るだけで平和活動をした気にな
ることがあるというのには納得した。千羽鶴を折るのが目的となってし
まって、その先の平和に対する活動まで届かないことが多い気がする。
また、フェニックスが広島大学の象徴だと言うことをはじめて知った。
そして東広島キャンパスの桜 1111 本計画にも驚いた。そして現在何
本の桜がキャンパス内にあるのか気になった。広島大学は他の大学
に比べても広いほうなので、今のようにたくさんの樹木や花に囲まれ
たキャンパスのままであって欲しいと思った。
経済・ 2 ・女 広島大学の 5 つの基本理念のうち 2 つはやはり「平
和」という単語がでてきました。 1 つは「自由で平和な 1 つの大学」、
もう 1 つは「平和を希求する精神」。広島大学は今でこそ自由で平和
な大学であるものの、かつては 9 つの前進校間の学部間格差や対
立があったことをはじめて知りました。今でも何となく学部間対立があ
るような気がします。例えば、私たち経済学部が経食とよんでいる中
央図書館横の食堂を理学部は理食とよび、法学部は法食とよんで、
お互いの呼び方を激しくではないものの愚弄しあっているのは事実
です。平和かそうでないかと問われれば、とても平和な大学だと思い
ます。けれど、他学部を尊敬し合えるような関係を築けたならよりよい
大学が実現できるような気がします。また、広島大学生に対して、大
学が「平和を希求する精神」を育てようとしているのは入学してみて、
とてもよく感じました。そして私自身、大学に入ってから原爆ドームや
ヤマトミュージアムへ行き、「平和」とはどういうものか考える機会が増
えました。初代学長のいう「平和の戦士」として社会にでていけるよう、
これからも「平和」について考えていきたいです。
経済・ 2 ・女 広島大学には具体的な理念として 5 つの原則が存在
するということを初めて知り、その中でも、初代森戸学長が述べられた
ように、平和の戦士として行動する、つまり平和というものを希求する
精神を持つということは、非常に重要な信念であると同時に、その平
和実現のために、深く努力することが大切なのだと思いました。また、
今回の講義で、自分が今日まで何気なく通ってきた道にも、さまざま
な意味や願いがこめられた木々が植わっていたことを知り、これから
はそれらにも目を向けて行こうと思いました。このように、自分の通う大
学のことであるにもかかわらず、意味や理由を知らない人のためにも、
校章やマークのゆえんなど、もっと多くの人が知り、この理念について
考える機会を作ったほうがよいのではないかと感じました。
経済・ 2 ・女 私は高校時代に、日本史で森戸事件について学習し
ていたので、その森戸辰男氏が広島大学の創立者だと知って驚きま
した。こんなにも、歴史はつながっているんだと感心しました。広島は
原爆都市であるからこそ、戦後から他国との繋がりや接触が盛んにな
り、今のような国際性の強い大学になったのだと思います。入学当初、
広島大学東広島キャンパス内にある煙突に目を引かれましたが、そ
の設置理由や活動停止した理由など、今回の授業で知ることができ
ました。広島大学のシンボル(象徴)となっている煙突は、これからも残
し続けるべきだと思います。
経済・ 2 ・女 広大の理念の中で最も大事だとされるのは、平和を希
求する心だ。私たち広大生として、この理念を実現に向けて意識的
に行動するべきである。私たちは、初代学長から今にいたるまでそう
期待されてきたのである。以前の授業で、広大が原爆にあまり関心の
ないことが批判されたとあったが、私たちは具体的に何かをし、また
一つのことを成し遂げただけで満足するでなく、原爆ドームを大切に
する心を持ち続けていかなければならないのだ。私は五つの理念を
心に留めて、それを実現できる学生でありたいと考えた。
経済・ 2 ・女 広島大学開学当初は「自由で平和な一つの大学」とい
う理念を掲げていましたが、これを継承し、①平和を希求する精神、
②新たなる知の創造、③豊かな人間性を培う教育、④地域社会・国
際社会との共存、⑤耐えざる自己変革、という広島大学理念五原則
を制定しました。平和に関する原則が 1 番最初に掲げられているの
は、やはり被爆地として平和を訴える心を養っていこうという精神の表
れだと思いました。④の国際社会としての共存の精神は、被爆地を訪
れる海外からの観光者も多いために制定されたのだと思います。留
学生も多く、またその制度も発達している広島大学は忠実に理念を
守っているように感じました。
経済・ 2 ・女 広島大学の理念として掲げられている 5 原則は、設立
当初の学長森戸三原則に基づいており、国立大学は政府の理念に
傾きがちであるのに比べ広島大学の理念は明確であり独立していた
ようである。また、原子爆弾の被害を受けたことによってフェニックスを
象徴として用いたり、大学構内緑化の運動をしたりするなど、原爆を
きっかけとして理念の明確化が進んだ。これまでの授業や今回の授
業で学んだように、やはり広島大学は原子爆弾の被害を受けたことと
キャンパスの移転を転機として大きく変わったと感じる。また、先生も
おっしゃっていたように、被爆都市ヒロシマから現在の東広島に移転
したことによって原爆の被害を受けたという過去への思いの希薄化は
問題であると思う。もっと原爆について学び、過去の人たちの思いを
継承していくことがこれからの広島大学の課題ではないかと感じた。
経済・ 2 ・女 広島大学で生活していたらよく耳にする“フェニックス”
の意味がよく分かりました。また、広島大学と大きい文字で書かれた
塔がどのようにして誕生したのか知ることができました。今まで何を象
徴しているのか全く分からなかったので、今回の講義でそれが分かっ
て広島大学の謎がまた解決できたと思います。さらに、広島大学は他
の国立大学とは違って、平和を希求するという理念のもとに生まれた
ということを知って、広島大学の学生であることに誇りを持とうと感じま
した。
経済・ 2 ・女 象徴とは理念を忘れないために形としたものであるが
広島大学のシンボルはフェニックスである。そして、広島大学は、きっ
かけとして再設定して統合移転を果たし、「自由で平和な一つの大
学」の実現に向けて理念五原則を設定した。そんな明確な理念を持
つことになった大きな理由はなんと言っても原爆である。また、希薄化
の恐れや継承の重要性がある中、被爆都市広島から東広島へ移転
したのも原爆被害への思いの希薄化からのものである。広島大学は
原爆なしでは語ることができないのだと思った。
経済・ 2 ・男 広島大学に問わず、目標・理念というのは大学ができ
たときからあるものだと思っていたが、それが意外に最近できていたこ
とについて驚いた。そのなかでも広島大学は平成 7 年に理念五原則
を出していて、それでもほかの旧帝大より早い方であるのも驚いた。
東千田は理学部一号館を中心にキャンパスを整備したということで、
被爆都市ヒロシマをすごく表していたと思う。それが東広島市へ移転
したことで、確かにキャンパスは広くなって良いが、平和問題への意
識とかは薄れてしまうのも無理はないように感じた。だからこそ、この
講義を聞いている私たちはもう一度講義を聞きながら意識を再確認
するべきだし、したいと思う。
経済・ 2 ・男 各大学にそれぞれの理念があることを初めて知った、
何より広島大学の基本的な理念を今日始めて知ったことが恥ずかし
いと思った。せっかく五つの素晴らしい理念を知れたので、これから
はそういう人間になれるように生活していこうと思う。五つの理念の中
でも「平和を希求する精神」が一番重要視されているのは広島大学
だからこそなので、それをちゃんと理解してみにつけようと思う。キャン
パス内にある木々は国際平和的な意味を持っていることに感心した。
これからは、自分の見ている風景の意味が変わってくると思う。
経済・ 2 ・男 広島大学が創立された当初からこれまでのほかの大
学とはちがい、学校の精神となる理念 5 原則を持っていたことがわか
り、さすが平和に関する意識のたかい学校だなとかんじました。また
森戸辰夫前学長の戦士の門出平和の戦士を社会へという式辞には
感心しました。今回の講義でも広島大学がいかに平和をかんがえい
るか、また、世界に訴えかけている様子などがつたわりました。東広島
にキャンパスが移転して平和に対しての考えを希薄化させないため
にもいま私たちがそのような平和に関しての意思を継承していかなけ
ればならないと思いました。
経済・ 2 ・男 教授のお話の中にあった、”理念と行動の両立により
象徴が意味を成す”という言葉が印象に残ったのですが、例に挙げら
れた”千羽鶴を折っただけで平和のために何かができた、とは思って
いないか”というのが特に印象に残りました。また、私立大学は創始者
が理念を持って創設しているために理念が浸透しているが、国立大
学の方針は国の政策に影響されるため今まで理念を持っていなかっ
たという部分だけを見れば、国立大学は現実を見て、私立大学は理
想を追求しているように感じました。
経済・ 2 ・男 森戸辰男氏の広島大学に関する構想であった、中国
地方の中心である大学、地域性のある大学、国際性のある大学、とい
う考えを持っていた。自身が感じた大学受験における西日本でのニ
ーズや前講義で広島大学誕生における地域とのつながりの強さや、
事実西条町が広島大学を中心とした城下町と例えても過言ではない
ということ、そして被爆都市広島に学びに広島大学にやってくる外国
の学生あとを絶たない事から、彼の構想はほぼ完全に達成されてい
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るのではないかと思う。
経済・ 2 ・男 広島大学の学生でありながら、今まで広島大学の理念
五原則を全く知らずに 1 年間を過ごしてしまった。またシンボルとして
フェニックス使用している意味も深く考えたことがなく、この講義でとて
もいろんなことを知ることができたのででてよかったと思った。今後、
広島大学の理念を頭の中に入れてすこしでも意識して過ごしていけ
れば、広島大学が求めている学生像になれると思うのでそのように過
ごしていければほんとうにいいと思った。
経済・ 3 ・女 森戸三原則のうちの「国際性のある大学」というのは、
広島大学にとてもふさわしいものだと思います。率先して世界に平和
を訴えていくという面で、広島大学が国際性豊かであることは重要で
す。それからフェニックスの木も本当に広島を象徴していると思いま
す。灰の中から生き返り、生命力の強い木は広島に住む人々に勇気
を与えるものです。コミュニケーションマークの意味を初めて知り、広
島大学が育てる人材とはどのような学生かも知ることができて興味深
かったです。
経済・ 3 ・男 まず思ったのが、広島大学の理念が確立されたのが、
意外と最近だということに驚いた。というかほかの大学でもわりと最近
まで理念が明確に掲げられていなかったことにも驚いた。広島大学の
歌は入学式以来、存在を再確認した。フェニックスの木も、寒い寒い
東広島の地域性に合わないのに植林されているということに関しては
少し笑ってしまった。ともかく広島大学は高い理念が掲げられてしま
っているので、極力それに見合うように頑張ろうかなぁと思う。
経済・ 3 ・男 これまで、大学の行事で『フェニックス』と付くものがい
くつかあったが、なぜフェニックスなのかがよくわからなかったので、
今回の講義を受けてよくわかった。また、他の国立大学と比べても、
地方の協力が大きかったという点が印象深かった。原爆を受け、平和
を希求する精神が特に大事であるのも、よくわかった。市内から東広
島市へと移転はしてしまったが、今後も理念五原則を年頭におき、そ
の希薄化などはさせないよう、頑張っていきたいと思う。
経済・ 3 ・男 今まで理念や象徴についてこれといった考えも持たず
に学生生活を送ってきていたのですが、今回の講義を受けて、広大
にいる学生があるべき姿というか、学生生活を送る上で常にもってい
なければならない心構えを少し理解できたような気がします。また、行
事名などによく使われているフェニックスという単語がもつ意味を理解
することができました。原爆による被害から復興するために、広大にか
かわるすべての人の頑張りがあったのだろうと想像できます。これを
受けて、そのときに先輩方がもっていた強い気持ちを受け継いで、社
会に出てからのときのためになるように、毎日を充実したものにしたい
と思います。
経済・ 3 ・男 よく広島大学のイベントなどでフェニックス○○というフ
レーズを耳にしていたので、何でフェニックスなんだろうと思っていた
けど、原爆からの復興の意味を含めた言葉であることに驚いた。基本
的に平和を概念にしているところが原爆の被害にあったことを重く受
け止めているのだなと感じた。広島大学歌の歌詞をよく知らなかった
けれど平和について歌われているところが広島大学らしいなと思った。
大学旗が緑だということも初めて知った。
経済・ 3 ・男 いままで広島大学の理念について深く考えたことはな
く、ただなんとなくこんなものがあるんだなくらいでした。しかし、この理
念の 5 原則に込められた思いを今回学び、こんなにも深い意味があ
ったんだなと感じました。そしてこの 5 つを自分なりに解釈してこれか
らの学生生活に生かしていきたいと思いました。また、広島大学の象
徴のフェニックスが原爆からの復興を表すものだと知り素晴らしいたと
えだと思いました。広島大学の卒業生を平和の戦士だといったところ
には感動してしまいました。
経済・ 4 ・男 今回の広島大学の理念と象徴という内容の授業を受
けてみて、広島は原爆が落ちた地域であり、そのような点から広島大
学が他の大学にはない特有の理念と象徴を持っていることがわかっ
た。理念という面では、平成 7 年に制定された理念五原則からわかる
ように広島大学が、地域的にも社会的にも力を入れてきたことがわか
った。また、象徴という面では過去広島には原爆が落ちたということで、
広島大学は不死鳥という意味を持ったフェニックスを校章の中に入れ、
フェニックスという木を植えたということも分かりました。このような形で、
広島大学が理念と象徴を築きあげたということは今回の授業まで知ら
なかったことなので、これを機に頭の中に入れておこうとおもいました。
経済・ 4 ・男 広島大学は以前の講義でも学習したように平和の精
神とは切っても切れない関係のもとに成り立っているのだと改めて考
えさせられました。それは、基本理念の 1 番目にはやはり、平和を希
求する精神とあったからです。そしてまた、広島大学を卒業生はつま
り「平和の戦士」だという言葉がとても印象的でした。私たちが卒業す
れば、私たちには平和な社会を実現することが期待されているんだな
と自覚しました。広島大学の象徴のほうでは、フェニックスの話に興味
を惹かれました。私は大学に入った頃から行事ごとの名前やパンフレ
ットなどでよくその言葉を目にしており、なんでフェニックスというのか
とても疑問を感じていました。フェニックスつまり不死鳥が広島大学の
象徴であるとは知りませんでした。灰の中から新たな生命を持って蘇
るという。広島大学の歴史的にみれば本当にそのとおりだな思いまし
た。
経済・ 4 ・男 まず、広島大学のホームページなどでよく見かける大
学のシンボルマークである人と h をミックスさせたものはよく目にして
いるし意味合いもなんとなくはわかっていたので再認識することがで
きたと思います。ただ、広島大学旗の緑が意味する「生々の色、希望
の色、平和の色」そしてスクールカラーということまではさすがに知ら
なくて興味が持てました。そしてやはり広島県ということもあって平和
の戦士という言葉に重みを感じました。昨今の世の中は戦時に比べ
れば平和ではあると思いますが、北朝鮮や中東などまだまだ戦争は
終わらないので人間が生きている以上難しいとは思うけど、少しでも
安心できる国際社会になってほしいものです。
経済・ 4 ・男 やはり印象に残ったのは、広島大学に来て耳にするこ
とが多かった「フェニックス」という言葉についてでした。「フェニックス
通り」や「フェニックス大会」など、やたらと出てくるこの言葉、正直「広
大ってフェニックス好きだな...」ぐらいにしか考えておりませんでし
た。今回の講義でこの言葉を広島大学が使うようになった訳、そして
その思いを感じ取ることができた気がします。確かに、原爆というもの
により被災し、一瞬で目の前の景色が変貌し、まさに当時は地獄絵
図であったであろうその状況からの復興は、みんなの強い思いがあっ
てこそ。一度なくなっても、「もう一度」、「何度でも」そんな思いがあっ
たのでしょう。「フェニックス」という言葉は、まさに広島の過去と、そこ
からの思いをあらわしていると思います。今後私たちが卒業してもず
っと大事にしてほしいなと思いました。
工・ 1 ・女 フェニックスという単語は学校内だけでなく大学付近にあ
るアパートの名前としてよく目にしていました。「不死鳥」つまり何度で
も復興するという意味は知っていましたが、その対象が原子爆弾とい
うのは知りませんでした。広島大学の理念の中枢におかれているもの
それは原子爆弾によって知った命の重さや平和の素晴らしさ で
はないかなと思いました。また講義で初めて知った理念 5 原則はど
れもが簡潔であると共に学生の性分を十分に表しており、私も 5 原則
を頭において、これからの大学生活を充実に過ごしたいと思いました。
工・ 1 ・男 基本利増命確かの必要性につい適当するのは、現在か
らおよそ 7 年半前に発行されたこの小 1 回の自己点差。大学として
もだ 2 章回目の。(自己点差。評価上故障)。
工・ 1 ・男 自分は下見方面から広島大学に行く際目に飛びこんで
くる大きなシンボル塔がなんのために建設されたのがわからなかった
が、今回の講義を受けて初めてあれがもともと煙突だったことを知り驚
いた。あとから自分の恩師であり広島大学の卒業生でもある人に聞い
たら確かに当時は煙突から煙が出ていたらしい。また、広島大学のシ
ンボルマークについてフェニックスという植物の葉であるということしか
知らなかったが、あれが廃墟のなかから見事復興を遂げる広島をイメ
ージだと知り、ぴったりのシンボルマークだと思った。
工・ 1 ・男 広島大学の基本理念には、①平和を希求する精神②新
たなる知の創造③豊かな人間性を養う教育④地域社会・国際社会と
の共存⑤絶えざる自己変革、という理念 5 原則がある。この理念は、
平和の希求が中心理念である。このことは、やはり原爆の被爆地とし
て戦争の被害の残酷さをよく知っている地域なので平和の意識が高
いのだと感じました。広島大学の原爆からの復興を象徴しているのは
「フェニックス」という木です、学校にはたくさんのフェニックスの木が
植えられています。フェニックスとは、ギリシャ神話で出てくる鳥で、自
分の身を焼いて灰の中から新たな生命をも更生するものといわれて
いて、広島大学にはぴったりだったのです。この木は世界のいろいろ
な木と植えられていて、世界協力の象徴にもみえるとかんじました。
工・ 2 ・女 当時、しばらくはポンポン草一本も生えないだろうと言わ
れていた広島も世界各国より木が送られたり、なにより、美しい緑を取
り戻そうとした地域の人々のおかげであった。原爆投下後の広島が
目指したものは、清く美しい緑でありそこに根ざした彼らの心はまさに
フェニックスのように不死とも言えるものだったのです。また、東千田
キャンパスが原爆によってほぼ全壊したにもかかわらずそこを拠点と
して再建したという事実には、さまざまな問題からは決して逃げないと
いう強い意志の証明だと思った。
工・ 2 ・女 どの学校にも理念なんかはあっても当たり前だと思って
いましたが、最近になって、しかも国の政策によって作られたのだと知
って驚きました。もともと国立大学は国の政策の為に作られたのであ
るので、私立の大学とは違って理念などが無いと聞いて、理にはかな
っていると思ったのですが、学校の目的・目標がないのはやはり寂し
いと感じました。その中で広島大学は、他の国立大学に先立って理
念などがしっかりしていたとはさすがだと思いました。これも初代森戸
辰男学長の広島大学をすばらしいものにしようとする気持ちによるも
のだとおもいました。今の大学があるのは先人、先輩の方々のおかげ
であることを改めて心に留め、被爆都市ヒロシマから東広島にキャン
パスが移転したが、今までの歴史等の希薄化が進まないよう、継承の
重要性をしっかり理解していきたいと考えました。
工・ 2 ・女 今回講義を受けて、広島大学のものは確かに緑や青の
ものが多いと思った。これは希望や平和の色である言葉なことがわか
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
った。また、フェニックスという言葉をよく聞いていたが、この不死鳥と
いう言葉も原爆を受けたが、そこから蘇るという意味であったこともわ
かった。広島大学のシンボルは平和をモチーフにしたものを使ってお
り、平和を願い、どんなことがあっても立ち直ることができると思った。
また、国際の森というものがあることを初めて知った。普段何気なく通
るところに様々な思いを込めたシンボルがあることがわかった。今度
通るときはよく見てみようと思った。
知ることができてよかったです。これらの学章など広島大学のシンボ
ルが生徒自身にもあまり知られていないのは、中学校や高校のときと
違い、制服がないことや学年集会や全校集会などといったみんなで
集まる機会がなくなったことなどが原因だと思いました。広島大学に
通っていながら、自分の学校の象徴となっているものを知らないのは
恥ずかしいことだと思うのでこれから積極的に興味を持っていこうと考
えさせられました。
工・ 2 ・女 私は AO 入試で入ったので理念 5 原則については色々
調べました。しかし、調べ不足な事がたくさんありました。私が主に調
べたのは、 5 原則の意味だけでした。背景等についてはまったく調
べなかったので、今回の授業で背景などをこと細かく、分かりやすく、
説明してもらい、すごく奥深いのだと思いました。また、学章について
もコミュニケーションマークが広島大学のマークだと思っていた私に
はフェニックスのマークがあることを知り、驚きました。また、いつもな
んとなくフェニックスの前を通って通学していたのですが、この授業を
受けてからフェニックスの前を通るときの気持ちが変わりました。コミュ
ニケーションマークが普及するにつれて、フェニックスの入った学章
が忘れられていくことはないのかとすごく不安になりました。現に、私
はこの授業を受けるまでフェニックスのマークの意味を知らなかった
のですから。
工・ 2 ・女 広島大学の理念が、ほかの国立大学と比べて、古くから
あるということ、また、他の国立大学は国に言われて理念を作ったの
に対して、自発的に理念を作っていた広島大学は理念に対する意識
が高いと思い、それが今の広島大学につながっているのだと考えまし
た。
工・ 2 ・女 今回の講義は大学歌や校章など身近なものがテーマに
なっておりとても興味深いものでした。昔は学生服を着ていたという話
はよく聞くことだったのですが、皆が統一された制服なのではなく高
校の制服を校章のみ替えて使っていたと言う事は初めて知りました。
物資が不足していた時代に新しい制服を買うよりは高校の時のを使
った方が経済的であることは確かだと思いました。また、校章が生徒
から募集したものであったと言う事を知り、自分と同じ生徒が作ったの
かとなんとなく親近感が沸くようになりました。しかし、校章の質が落ち
るからとめったに使われないと言うのが逆にもったいないのではと思
いました。他大学に行った友達に広島大学の校章を見せると「あの人
の形のが校章じゃないのか」と言われた事があります。コミュニケーシ
ョンマークの方が浸透している為本当の校章が知られていないという
事は学生として少し悲しかったです。フェニックスの森をはじめて見た
時はまだフェニックスの木だけしか存在感がなかったように思えたの
ですが最近通りかかると他の気がだんだんと大きくなっているのに気
がつきました。せっかく歴史を習ったのでこんど注意深く木を見て見
ようと思います。
工・ 2 ・女 国立の大学と私立の大学で基本理念が大きく異なって
いることを知って、このようなところでも国立と私立というのは違いがあ
るのかと思った。早稲田大学が政府に反対していたり、慶応大学が民
間に役立つような理念をかかげていたということには驚いた。また、広
島大学においては、初代学長である森戸辰男さんの、大学設立に関
する思いが史料の文章よりよく伝わってきた。原爆という大きな被害を
受けた広島であるからこそ、平和に対する思いが強く、また、東西冷
戦があって森戸さんが「一つ」という言葉を多用したことに本当にみん
なが同じ気持ちで平和な世界を望んでほしいと思っていたのだなと
思った。そんな、平和を強く願っていた森戸さんだからこそ広島大学
の初代学長として務まったのだと思う。また、広島大学の象徴としてフ
ェニックスがある意味を初めて知った。フェニックスは、自分の身を焼
いて灰の中から新たな生命をも更生するもので、広島大学が緑の葉
を茂らせていることから原爆の灰の中から蘇る大学の新しい生命とい
うのは、少し感動した。
工・ 2 ・女 まず、広島大学が理念の点においても全国で珍しい大
学であることに驚いた。今まで建学の精神や理念は、国立大学ならど
れでも明確に持っているだろうと思っていたからである。その他の大
学が曖昧な状態で建学されたのか、それとも原爆による被害で広島
大学が特化しているのかは推測しかねるが、原爆被害地という特殊
な場所であるという点で国際的な広島大学が持つ“平和を希求する
精神”を中核とする 5 原則は他大学にもっと目標にされるべきである
と感じた。そして、今まで耳にしたことのあるだけだった“フェニックス”
という言葉に込められた意味も大変興味深かった。広島大学のどの
部分をとっても、原爆による被害は切っても切り離せないものなのだと
改めて感じたからである。それは万国共通の認識であることも苗木の
寄付などから感じられた。世界の中で、特別な位置に属する大学な
のだと感じた。原爆投下から長い年月を重ねてきたとはいえ、それに
よって生まれた精神や理念を現代の私達もしっかり受け継がなくては
ならないと感じさせられた講義であった。また、煙突の話や木々の話、
原田康夫元学長が 1 に執着する話など、面白い話題も多かった講
義であると感じた。
工・ 2 ・女 大学の理念といっても、広島大学などの各大学だけでな
く国公立大学法人のも理念があることを初めて知りました。また、広島
大学の理念が平和の希求が中心となっているのが、過去に原爆を落
とされたことからほかのどの地域よりも平和への意識が高い広島県ら
しいと思い、またその理念を大事にしていきたいと思いました。広島
大学に入学してから、どこかしらでフェニックスという単語は聞いてい
ましたが今まであまり気にしていませんでした。原爆の廃墟の上に建
設された広島大学と自分の身を焼いて灰の中から新たな生命を更生
する不死鳥のフェニックスを重ねてみたということで、とても納得でき
ました。他にも広島大学学章、広島大学歌、広島大学旗といった普
段あまり目にも耳にもすることがない物のできるまでの工程や歴史を
工・ 2 ・女 私が広島大学に入学して今年で二年になる。広島大学
のことがいろいろ分かってきたように思っていたが、今回の講義を受
けて、理念や象徴など基本的なことが何も分かっていなかったことに
き気付いた。だが、「自由で平和な一つの大学」という建学の精神は
非常に広島大学らしいものであると感じた。被爆地である広島だから
こそ、平和を訴える、国際性のある大学として存在することはとても大
事なことであるので、これからも訴え続けて欲しいと思う。そして同時
に私自身もそのような大学に通っていることを誇りに思って広島大学
で学んでいきたい。
工・ 2 ・女 今回の講議を受けたことで、大学というのは占領改革に
よる新制大学発足の時、理念も象徴もないところからスタートしたんだ
ということを改めて感じました。広島大学は、広島が被爆都市であるこ
とから、平和と国際性に重点を置いてあることを強く感じました。受験
生だった頃、大学を比較していた時も、’広島大学の平和を希求する
精神’というのはかなり印象が強く、そんな環境で勉強に励むのも素
敵だなと思ったことを思い出しました。平和という視点から、学校のシ
ンボルとしてのフェニックスや緑色を象徴として、原爆からの復興を表
現したり、原爆の被害にも負けないことを表現したり、世界に平和の
大切さを表現していると感じました。中でも、表現の難しい平和を森
戸学長が進めた緑化や東広島キャンパスの国際の森など広島大学
の象徴である緑を使って、世界にアピールするという方法は控えめだ
けどすごい素敵な方法だなと思いました。
工・ 2 ・女 理念五原則はともかく、象徴とは何のことなのか疑問に
思っていたのですが、フェニックスと聞いてなるほどと思いました。広
島大学の様々な行事名やモミュメントで見たことがありました。ただ、
フェニックスといえば不死鳥のことしか思い浮かばず、植物の名前で
もあるとは知りませんでした。また、世界各国の大学から植物の寄贈
をうけていたことも知りませんでした。今回の講義で理念や象徴にも
大勢のいろいろな思いが込められているのだということを知りました。
工・ 2 ・女 広島大学の理念は「自由で平和な一つな大学」を基本
的なものとして、この東広島市、広島県にとらわれず中・四国地方や
国際性をもつ学校を目指すというものだということを、今回改めて学ん
だ。また広島大学の象徴はフェ二ックスという植物ということを知った。
そういえば大学の煙突らしきものに緑にひかる校章のマークがあった。
「緑あり不死の樹」と言い表されとてもかっこいいと思った。これらのシ
ンボルにも「自由で平和な一つの大学」という意味がこめられており、
よく考えられてるなと思った。
工・ 2 ・女 国公立大学である広島大学の理念は、①平和の希求
②建学の精神「平和で自由な一つの大学」 ③広島大学卒業生=
平和の戦士 ④中国地方の中心大学となり、地域性、国際性も兼ね
備えた大学 ということだ。これからもわかるように「平和」というワード
が重要となっている。これは被爆都市広島の大学の特徴的な理念と
いえるだろう。広島大学の象徴は、①フェニックス(不死鳥→原爆から
の復興、木→世界の大学からの寄贈)②広島大学学章 ③広島大
学歌 ④広島大学旗 である。驚いたのは「フェニックス」である。毎
日通学していた道にあったあの木はフェニックスという木だったのだ。
フェニックスに込められた意味や世界の大学とのつながりを感じた。
今日からはあの道を通りあのフェニックスの木を見るたびに今回の講
義を思い出すだろう。
工・ 2 ・女 広島大学の「自由で平和な一つの大学」、東北大学の
「研究第一主義」は聞いたことがあったが、一般に国立大学には創設
理念が制定されていないことは知らず、そういった特色を持っている
点は広島大学の誇れる点だと思う。植物の寄付については一部を東
広島キャンパスでもみることができるし、また東千田キャンパスにも実
際に見に行ってみたが、非常に立派な木だった。広島市内には原爆
以来大きな木を失ってしまったと聞くが、こうして見ると海外の大学か
らの支援を感じることができ、いわゆる国際平和都市であることが納
得できた。
工・ 2 ・女 今回はあまり深くは知らなかった広島大学の理念や、建
学の精神、森戸三原則などのお話などが聞けてとても勉強になりまし
た。また大学のシンボルのフェニックスも、「灰の中から新たな生命を
もって蘇る」という意味を含めて考えられたのだと初めて知って、なん
て広島大学にぴったりのシンボルなのだろうと思いました。原爆を受
けて灰になってしまった街の中から再発足した広島大学と不死鳥の
フェニックスがとても重なりますし、何度も蘇るという点では、理念 5 原
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則の「平和を希求する精神」「新たなる知の創造」「絶えざる自己変
革」などともとても協調性があってすばらしいなと思いました。これから
何があっても、フェニックスのように何度も新しく蘇るような広島大学が
あり続けてほしいなと思いました。
工・ 2 ・女 大学の理念と象徴は大切だと思います。広島大学の基
本的な理念は「自由で平和な一つ大学」という、開学以来の精神を継
承する。平和を希求する精神、新たなる知の創造、豊かな人間性を
培う教育、地域社会.国際社会との共存、絶えざる自己変革、という
理念 5 原則である。さらに、広島大学の象徴はフェニックスであった。
このフェニックスは原爆からの復興である。それに、広島大学の旗緑
色が付いていた。緑は生々の色、希望の色、と平和の色という意味で
持っていた。
工・ 2 ・女 この講義を受けるまで、なぜ広島大学の象徴がフェニッ
クスが理解できなかったが、講義を受けてはっきりと理解した。広島は
原爆の投下により甚大な被害を受け、広島大学も壊滅的なダメージ
を受けたのだが、その被害をものともせず、見事な復興を遂げた姿は、
まるで不死鳥のようだということから広島大学の象徴はフェニックスに
なったとはっきり理解した。また、フェニックスという名の木を校内に植
えることによって、皆に平和に対する意識を持たせるとともに、校内緑
化にも貢献している。
工・ 2 ・女 大学を象徴するものは、学章・大学旗・大学歌と 3 つあり、
高校などを象徴するものと変わらないと思った。象徴となるものは最
初に作られるものであるのに広島大学は創立時にはこのどれもなか
ったと聞いて驚きました。学章にデザインされている不死鳥であるフェ
ニックスは原爆にやられて灰の中から甦った広島大学の象徴になりま
した。やはり、このような大学創立関係にも原爆というものとのつながり
は断ち切ることができないのだと考えました。
工・ 2 ・女 広島大学の 5 原則からなる理念に平和の希求が中心と
なっていたのは納得できました。やはりフェニックスという風にこの大
学の根本は平和の元ですべて構成されているということを改めて理
解しました。世界の大学から植物が寄贈されているのは知らなかった
ので驚きました。広島大学旗の緑も希望や平和の色ということもあっ
たりと、今まで何気なく見ていた広島大学の景色や広島大学に関わ
るものの意味が、今回の講義で全く違う目で見るようになれたことを嬉
しく思います。
工・ 2 ・女 広島大学は平和を理念としており、自然にあふれた構内
だと思います。大学の周りや、工学部棟と総合科学部棟えを結ぶ道
にある桜は広島大学の象徴であると思います。原爆の被害にあった
広島県だからこそ、平和や自然に対する思いは強いと思います。原
爆はとても悲惨な出来事だったけれど、その経験を忘れずに、広島
大学らしい「自由で平和な大学」という精神の下で大学を運営してい
ってほしいです。広島大学のシンボルが、灰の中から新たな生命をも
ってよみがえるという意味の「フェニックス」であるということをはじめて
知りました。私は広島大学は原爆で焼け野原になった広島をよみが
えらしたと思っており、このシンボルは広島大学に適していると思いま
す。フェニックスの樹のもと、広島大学が初心を忘れずこの理念を持
ち続けて発展し続けることを願っております。
工・ 2 ・女 広島大学は平和を第 1 にしているということがこの講義
をうけてよくわかりました。世界で始めて原爆を落とされた都市にある
大学ということで、より平和に対する意識が高いのだなと思いました。
その象徴として桜の木を植えたということは初耳でした。入学したとき
に学長からの、原爆ドームと平和記念資料館を見に行ってそれに関
するレポートを書きなさいという課題が出たことを思い出しました。私
はこれがきっかけで初めて原爆ドームに行き平和に関して興味を持
ちました。この課題は平和に関してもっと深く生徒に考えてもらおうと
いう、広島大学の理念に基づいたものだったのだなあと思いました。
私もせっかく広島大学に入学したのだからもっと平和に関することに
興味を持って知識を増やしたいと思いました。
工・ 2 ・女 今回の講義では、広島大学の理念と象徴について学ぶ
ことができた。広島大学は世界でも原爆を体験したことがある地域の
大学なだけあり理念や象徴の中に原爆に関連して形成されているも
のがあり興味深く講義を聞けた。広島大学の象徴とされているフェニ
ックスは本当に広島大学の象徴として最もふさわしいとぼくも思いまし
た。
工・ 2 ・女 広島大学の理念について私はこれまで考えたことがあり
ませんでした。失礼ながら入学式にそのような話をきいていたはずな
のにほとんど覚えていませんでした。広島大学の理念五原則を聞い
て、その中で「平和を希求する精神」が最も強調されていることにとて
も納得しました。世界で唯一原爆が落とされた国の都市のひとつであ
る広島の大学に来たのだから、平和について考えるいい機会だと思
います。また、広島大学は原爆で大きな被害を受けたということはこ
れまでの講義を受けて知っていましたが、そこから復興するのに世界
の大学から支援を受けていたということを初めて知り、とても感動しま
した。国や地方、地域の支援だけではなく、世界規模で協力して広
島大学が出来上がったというのはとても誇らしいことです。キャンパス
が移転して苗木などの一部は前のキャンパスに残されたままというの
は残念ですが、支援を受けた証がきちんと残っているのはいいことだ
と思いました。また、普段何気なく見ているフェニックスやコミュニケー
ションマークの意味も知ることができて本当によかったです。ただデザ
インされたのではなく、細かい部分にまで思いが込められていること
がわかりました。先生が講義の最初に言っておられたように、理念や
象徴は目的や目標に言い換えることができ、それを理解するだけで
はなくそこから行動することが大切です。だから、今回の講義でわか
ったことから自分で行動に移さねばなりません。理念の中核にある
「平和を希求する精神」より、原爆問題や平和問題に積極的に取り組
んだり、広島市内から東広島にキャンパスが移ったことで平和を求め
る気持ちが薄れないように努力をすることが必要だと思いました。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学は私たち学生にこのよう
な人間になってもらいたい、育てたいという思いをもって教育を行って
いるのかと、少し驚いた。普通に思えることもあったが、その一つ一つ
に高い理想や理念があって、それを象徴するものがあるんだなぁと感
心した。広島という都市に設立されたから、その理念や象徴が生まれ
たのだなぁと思えることもあった。その理念に沿えるような人間に近づ
けたらよいなと思った。
工・ 2 ・女 各々の大学は、自分の理念と象徴を持っている。広島大
学の名称は理念五原則である。「自由で平和な一つの大学」という開
学以来の精神を継承し、①平和を希求する精神、②新たなる知の創
造、③豊かな人間性を培う教育、④地域社会。国際社会との共存、
⑤絶えざる自己変革、という理念五原則だ。この理念の中から、平和
の希求が中心である。なせなら、原爆によるである。また目標は「世界
トップレベルの特色ある総合研究大学」になるほしい。『 21 世紀の大
学像と今後の改革方策について』においては、各大学が理念.-目標
を明確化し、それに向かって努力することを求めている。一方、広島
大学の象徴も興味になる。一番大事な象徴はフェニックスだ。フェニ
ックスは大学構内緑化の一環、世界の大学からの植物の寄贈。フェ
ニックスというのは鳥である、「不死鳥」だ。そのだけではなくや広島大
学歌や広島大学旗、パークユニバーシティやシンボル塔や commun
ication mark 、 IU などである。各象徴が意味があって、すごいだと
思う。
工・ 2 ・女 今回の講義で、広島大学の理念や象徴について学んだ。
目標として世界トップレベルの特色ある総合研究大学に望んでいる。
我々は、それを到達ようにお互いに頑張っている。広島大学の理念
の五原則では、平和の希求が中心にしている。ほかの大学と違って、
広島大学のすべての構成員の思考と行動の根底置かれるべき精神
といわなければならない。そして、広島大学の象徴では色々あるが、
有名なのはフェニックスそのひとつである。それは広島大学に一番い
いシンボルだと考えられた。
工・ 2 ・男 広島大学のシンボルがフェニックスだということを今さらな
がら初めて知った。原爆で破壊された都市にある広島大学にとてもあ
っていてすばらしいシンボルだと思う。広島大学のシンボル塔は最初
からシンボル目当てに作られたものだと思っていたが、実際はそうで
はなくこの塔は焼却炉用に設置されたもので、広島大学の象徴にし
ようとしてもなかなか受け入れてもらえなかったことも初めて知った。こ
の講義を聞いて広島大学について知らないことがたくさんあり、もっと
知りたいと思うようになった。
工・ 2 ・男 本日の講義で、広島大学やほかの大学の理念や象徴に
ついて学んだが、広島大学の理念はやはり原爆の影響を受け、平和
の念が強いことがわかった。また、広島大学のシンボルを不死を象徴
するフェニックスとすることや、大学内の緑化(世界の大学からの植物
の寄贈)をすることなどから、原爆からの復興を示し、平和の意識を強
く持っている。広島大学は、他のどの大学とも違い、原子爆弾を落と
され多くの被害をおった都市の大学である。その大学に在学する学
生として、この大学のりねんや象徴を大切にしようと思う。
工・ 2 ・男 まず最初に考えたことは「自分は広島大学について何も
知らないんだな」ということ。校章、校旗、校歌などの意味、背景にあ
ることをまったく知らなかったんだなと思い知らされた。また、いつもな
んでこんなにキャンパス内は植物だらけなんだ、と思っていたこともち
ゃんと理念の下に大学を運営した結果だと知ると、それまでまったく
考えずにただ多いなとしか思っていなかった自分が恥ずかしくなった。
理念さえ知らず、また他大学や地域との交流も知らず自分はこの大
学でなにを学ぼうとしていたのか、と考えると、今回の講義でそれらを
知ることができたことは自分の中では意義のあることだと思う。けれど、
そう考えると講義を受ける前の私のようにそういったものを知らずただ
受験で受かったからと広島大学に来ている学生も多いのではないか
と思う。そういった学生も含め、今一度広島大学の理念や象徴を再確
認し、勉学研究に励んでいける機会を大学側としても作っていくべき
ではないかと考えた。また、そういった上任せではなく、学生自らが理
念などを調べ知り、それに向かって努力していくことが学生本来の姿
なのかもしれない、と考えた。
工・ 2 ・男 戦後、広島大学を創っていくにあたって、教育・研究機
関としての充実が求められるのは当然のことだが、それ以上に戦後復
興・平和のシンボルとしての広島大学という存在意義が求められたん
だと思った。社会に貢献できるだけでなく、平和を希求し続けられる
人材を育てていくことは大きな意義があることだし、そうした理念の下
に集った教師・生徒によって優秀な人材を輩出し続けることが被爆都
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
市広島としての、更には日本の、戦後復興の何よりのアピールになる
のだろうと思った。そうした理念の象徴としてのフェニックスは広島大
学をより力強くシンボライゼーションするものだと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、やはり戦争での被害を訴え続けて
いる広島の大学らしく、平和の希求がもととなっていることになんか納
得したきがしました。そしてそれが前々から受け継がれていることにう
れしくおもいました。また象徴についてですが、今回フェニックスの事
と、木について言われていましたが、これに死からよみがえる的な意
味があったなんてぜんぜん知らなかったです。当時の学長たちはこ
れに平和や立ち直る精神をこめたというのが本当にすばらしいと感じ
ました。今回学んだ精神や考えを忘れずに学生生活をすごしたいと
思いました。
工・ 2 ・男 広島大学が自らをフェニックスと名乗る意味、広島大学
が取り入れた平和に対する理念、それに対する様々な国の様々な大
学・機関の賛同。今回の講義ではそれらのさわりだけではあったが、
広島大学の学生として知っておくべきことを学べたのではないかと思
う。現在の東千田キャンパスの正門前に茂っているフェニックスの
木々、各キャンパスにこれもまた青々と葉を日光に照らしている寄贈
された植物たち。これらに懸けられた思いを枯らさずにかつ育んでい
くには、平和への意思が大切なのではないだろうか。
工・ 2 ・男 広島大学の理念 5 原則について、やはり平和ということ
がテーマになっているのだなと思いました。これは、被爆した大学だ
からこその、最もよい理念だと感じました。次に、以前から広島大学が
なぜフェニックスを象徴としているのかを疑問に思っていましたが、原
爆からの復興という、とても重要な意味がこめられていたということを
学べました。あと講義をうけて最も感じたのは、東広島キャンパスにも
東千田キャンパスのように、もっと緑を全面的に出しすべきだというこ
とです。今日の講義を受けなかったら、東広島キャンパスの植物にも
意味があるとは気づかなかったと思い、それはもったいないと思いま
した。
工・ 2 ・男 広島大学の理念というのはこの講義をきくまで全然知ら
なかった。「平和を希求する精神」、「新たなる知の創造」、「豊かな人
間性を培う教育」、「地域社会・国際社会との共存」、「絶えざる自己
変革」という理念 5 原則があることははじめて知った。この 5 原則の
中でも広大の構成員の根底に平和を希求する精神はおかれるべき
だと書いていた。自分はこの広島大学に来て今までの短い人生の中
で平和という言葉を耳にし、考えるようになったと思う。そう考えると自
分の根底にも平和を求める精神はあるのだろうと思った。また、前の
講義でも言われていたように、この広島大学は地域に支えられてなり
ったっているのだと思った。そのため卒業して地域に奉仕できるような
人材を育てていっているのだと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の「理念五原則」、これは原爆を落とされた都
市にある大学として平和を第一に考えるという点や地域とのかかわり
を重視するという点で、しっかりとした教育の理念として存在している
と思います。しかし原爆が投下されて月日も経ち、それに加え被爆地
点の広島市から遠く離れた東広島市に大学を移転して、原爆に関す
る問題観や平和という理念が薄れてきていると思います。これからは
一広島大学生として今一度平和や大学の理念について考えてみる
のもいいと思います。
工・ 2 ・男 自分は広島大学に入学してきて、今日初めてあのシンボ
ルタワーと大学章の誕生を知った。一番最初に東広島キャンパスに
きた時一番最初に目に付いたのは大きな煙突でした。最初はなぜあ
のようなものがパーンとそびえ立っているか意味がわかりませんでし
た。しかし今日の講義を聞いて納得がいくようになりました。また入学
した当初からいろいろな所で『緑』を見るとは思っていましたが、このよ
うに深い意味があるとは、正直おどろきました。戦争での荒廃からの
復興のシンボルカラーを大学賞に用いるのはとてもすばらしいことだ
と思うし、自分達もその過去の事実を忘れないようにと再確認できるも
のだと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学の象徴がフェニックスということだが、なんかあり
ふれた感じがして少し残念だ。よみがえる象徴としては合っているか
もしれないが、広島大学の象徴は、例えば国際・平和だと思う。象徴
が「よみがえる」ことなのは変だ。「森戸道路」も復興の象徴的空間な
らこれこそ「フェニックス道路」がふさわしいと思う。また移転の際、植
物をあまり持ってこられず、かつ持ってきたとしても目立たないところ
に置いているのでは宝の持ち腐れだと思う。理学部と工学部の間に
あるという植木も今まで存在すら知らなかった。
工・ 2 ・男 広島大学の理念五原則の中で中核をなしている「平和を
希求する精神」という項目は、世界で初めて原爆の被害をうけた土地
として平和を望んでいることが切に伝わってくるものだった。しかもた
だ理念として掲げているだけでなく、広大に入学した新入生に平和
への意識を持ってもらうために「平和に関するレポート」を課題として
だし、理念を行動にうつしているのは感心した。またこういった理念が
他の主要国立大学よりも早期に制定されているのを知って驚いた。
自分も広島大学を卒業した後でも平和を願い、平和に貢献できる人
間になりたいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の理念が「自由で平和な一つの大学」ということ
は知っていても、フェニックスが原爆からの復興を表していることや、
そういう木があることも今回の講義ではじめて知った人は少なくないよ
うに思える。広島大学設立当初は大学は広島市内にあったので今よ
り平和の理念を学生や教員がそれを日々感じ、平和を深く考えること
もよくあったかもしれないが、現在、大学は東広島に移り平和のシン
ボルを見る機会は減ってしまったと思う。だから広島大学の学生はそ
れを自分から学ぶべきだと思うし、大学もそれを教えていくべきだと思
った。
工・ 2 ・男 これまであまり気にしていなかった[理念五原則]と、たび
たび耳にする[フェニックス]の意味、それを認識する良い機会になり
ました。しかしやはり気になるのは、現状学生や教職員にそれらが浸
透していないのではないかということです。他大学よりいち早く建学の
精神を掲げ、その明確な目標の下様々な実績を上げてきた諸先輩
方に対し、意識の希薄化が進行しすぎていると思います。再度この理
念を胸に講義・研究に臨む者が 1 人でも多くなることが今後この広島
大学が少しでも飛躍する為の起爆剤になるのではないかと感じます。
工・ 2 ・男 全国の国立大学が基本理念を制定する以前から広島大
学は理念五原則を定めており、広島大学が原爆の被害から平和を希
求する精神・理念が強かったからだと実感した。このことは広島大学
が全国の他大学に誇ることのできることだと思う。また、象徴としてフェ
ニックスが用いられた理由も原爆の灰の中から蘇るということもあり、
広島大学の理念・象徴に原爆の被害が大きく関わっているのはいうま
でもない。しかし、東広島にキャンパスが移転したことで、今回のよう
な講義がなければ学生の意識が薄れてしまうことが残念に思った。
工・ 2 ・男 広島大学には平和の希求を中心とする五つの理念があ
ることを知りました。広島大学は理念を制定したのがほかの国公立大
学よりも早かったことを知りました。五原則のほかに森戸三原則を知り
ました。僕は広島大学の生徒として平和を希求する精神や建学の精
神を培っていきたいです。フェニックスが原爆からの復興を象徴して
いるものだと知りました。原爆問題や平和運動への取り組みについて
少しずつ勉強していきたいと思います。
工・ 2 ・男 広島大学同様、日本の主要国立大学の基本理念はや
はりしっかりしているという印象を受けた。しかし、平和に対する思い
は原爆のこともあってか他の大学に比べて強い印象をうけた。実際に、
この大学の理念に基づくのにふさわしい大学生がたくさんいるかとい
うとまわりの環境を見てみれば、その印象は、薄く代々受け継がれて
きたこの理念は表面上だけで、大学生の中にはそのようなことはあま
り考えられていないのは残念かもしれない。せっかく広島大学に来た
からには、この大学が提供する様々な催しに参加しながら理念にふさ
わしい人格者になるのもやりがいのある考えかただと感じられた。
工・ 2 ・男 フェニックスという言葉を今までただ不死鳥という意味で
とらえて、フェニックス駅伝だとかフェニックスバレーだとか使っていた
が今回講義で本当の意味をしった。そしてあらためて広島と平和に
ついていろいろ考えた。なかでもおりづるをおることで終わりのような
考えかたは、被爆都市広島で生まれ育った私も今までしていたように
思えて恥ずかしく思えた。これからはおりずるをおることは平和につい
て行動を起こしたり考えたりするきっかけにしようと思った。また、フェ
ニックスという言葉はキャンパス内に木が植えられているのをはじめ、
前述の通りさまざまなところで耳にしたり見たりするので、もっと平和を
考えようと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念が制定されたのは広大が新制大学
になったころだろうと思っていたので、割と最近である平成 7 年に制
定されたと聞いて驚きました。また、旧帝大よりも先に制定されていた
ということにも少し驚きました。広大の象徴であるフェニックスには原
爆からの復興という意味が込められており、また学章に使われている
緑色の木のフェニックスにも平和への希望などとても深い意味がある
ということを知ることができてよかったです。
工・ 2 ・男 広島大学のシンボルマークが、フェニックスをあしらった
ものだということを、今日になって初めて聞いた気がします。東千田キ
ャンパスの現在の構成が、過去の原爆で唯一残っていた棟を残す形
で再構成、その棟を中心にして周りに他の棟を建てていることで、より
一層原爆について考えているように感じさせられ、少なからず感銘を
受けました。外国にまで手紙を送って、平和活動をする広島の一面
を知ることが出来たことが良かった。
工・ 2 ・男 広島大学の理念と象徴と聞いてまず原爆からの復興を
目指すという意味で、不死鳥(フェニックス)をシンボルとして掲げてあ
ることが思い浮かんできた。その取り組みとして大学構内緑化が進め
られ世界の大学から木を寄贈してもらっていると聞き、普段何気なく
見ている広大の木はそんな意味のあるものだったのだと驚いた。また
広大に掲げてある旗の色には、生々、希望、平和の 3 つの意味が込
められていることもまた初めて知り、新しく知ることばかりで広大につ
いてさらに理解を深めることができたと思うと同時に広大生であること
の誇りをまた少しもてたと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義はとても興味深い講義でした。フェニックスと
は不死鳥という意味でした。そしてフェニックスという広島大学の象徴
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には原爆からの復興という意味が込められていました。それとフェニッ
クスには広島大学構内緑化の意味も込められていました。広島県は
原爆の被害を受け、まだ完璧とは言えない復興の中で、広島大学生
である僕たちも復興の手助けとなる活動、例えばボランティア活動や
募金活動などをしていくべきではないかと感じました。
工・ 2 ・男 広島と言ったらやはり世界で二つしか落ちたことのない
原子爆弾が落ちた場所のヒトツで、そこから平和と言う言葉をよく耳に
する。そのせいあって、広島大学の理念として「自由で平和なひとつ
の大学」とか、平和を希求する精神などが当たり前のように挙げられ
ている。だから、こんなにも平和に対する思いが強い地でしかも原爆
の後がまざまざと残されているこの地でせっかく縁あって生活してい
るのだから、もっと広大の平和に対する理念に沿って平和について
今まで以上に考え行動していこうと思った。
工・ 2 ・男 今まで広島大学での学校生活の中で『フェニックス』とい
う言葉をよく聞くことがあり、なぜ『フェニックス』なのか不思議だったの
がこの講義を受け、この言葉には不死鳥のように原爆の被害から復
興しようという意味があるのだと初めてわかりました。そのほかにも広
島大学は原爆を経験した県にあるために学校の理念や精神にも平
和や自由を求める傾向があることを知りました。こういったことからも広
島大学で生活している以上普通の人よりももっと平和について考え自
分にできることをこれからしていくことが必要だなと思いました。
工・ 2 ・男 この講義があるまで、広島大学に理念の 5 原則や、象徴
があるとは知らず講義を聞いて驚いた。また、基本的な理念の平和を
希求するや、広島大学の象徴のフェニックスの意味である原爆からの
復興は広島大学らしいものですごくいいものだなと思った。広島大学
に入ったからには、この理念を大事にして学生生活を送っていきたい
し、被爆した広島で学んでいるのだから平和について今まで以上に
ちゃんと考えて、世界が平和になれるような活動をしていきたいしもっ
と世界に被爆の悲惨さや平和を発信していきたい。
工・ 2 ・男 広大の基本理念が他の大学よりも早くから制定されてい
たことは誇らしいことだと思う。その内容も広島の地にある大学として
相応しく、平和を希求する精神を根底とした理念となっている。これに
は広大を作り上げてきた森戸学長をはじめとする方々の思いが強く
感じられた。原爆に灰にされた街から蘇る広島大学の象徴にフェニッ
クスを持ってきたアイデアには感服せざるを得ない。これ以上のシン
ボルはなかったに違いない。できることなら森戸学長の言葉を直に聞
いてみたかった。
工・ 2 ・男 広島大学の象徴はフェニックスであることは知っていたが、
それが戦後からの復興を願ってつけられたことは知らなかった。原爆
によって木造の校舎が焼失するなどの多大な被害を受けた広島大学
ならではだと思った。
工・ 2 ・男 東千田キャンパスにある被爆後に残った建物中心の設
計で建造された大学の立地場のほうが、今の東広島市に立地するよ
り良かったのではないかと考えた。その方が、原爆を受けたという広
島県の象徴を表しやすいし、広島市の緑化にも大きく貢献できたの
ではないかと考えたからである。自然であふれていた東広島市よりも、
広島市に桜の木を 1111 本植えた方がよかったと思う。シンボル塔に
広島大学という文字を入れたのは良かったと考えた。シンボルマーク
だけでは、知らない人が見ると何のためにあるのかよくわからないと考
えてしまうと思ったからです。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念は他の主要大学のものより 5 ~ 8
年ほど早く作られており、ここからも広島大学が早い段階から世界のト
ップレベルを目指してやってきたことがわかった。特に理念五原則で
もっとも重きを置いている「平和を希求する精神」は正に広島大学に
相応しい理念だと思う。またシンボル塔だが、入試で初めて広島大学
を訪れた際、遠くから見てもはっきりと「広島大学」の文字が見えて緊
張した覚えがある。あの塔がもともと煙突だと知って少し衝撃だった。
しかし、あの塔はしっかりと広島大学の顔となっており、「広島大学」の
文字が不細工とあったが私は逆に誰が見てもわかるので素晴らしい
と思う。
工・ 2 ・男 広島大学の理念で特徴的なのはやはり「平和を希求す
る精神」でしょう。原爆の被害をうけた学校の理念が「平和を希求する
精神」を中核として構成されているのは納得です。広島大学における
この理念はやはり重さが違います。原爆や戦争という過ちを二度と犯
さないようにしようという意志を感じました。また、世界各国の大学から
植物が送られていたと言うのは始めて知りました。そのほとんどが東
千田キャンパスにあり、見られないのがとても残念です。大学を緑化
し、スクールカラーを緑にしたのは、広島大学を生命力溢れる大学に
したい、という森戸初代学長の強い思いからでしょう。この広島大学に
かける思いの強さに、僕は改めて尊敬の念を抱きました。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念の制定は平成七年とあるが、主要
国立大学の制定が想像以上に最近のであったことには驚いた。初代
学長の森戸辰男氏がつくられた建学の精神である「自由で平和な一
つの大学」のためにもこの理念五原則はとても重要だと思う。また、こ
の理念の原型になった森戸三原則のなかで平和について最も関係
のある「国際性のある大学」という考であり、平和と協力の道を実践す
る場として大学を位置づけるためにも広島大学でこの理念が制定さ
れた意味はとても大きいと思う。「国際性のある大学」の実現のために
も、大学の緑化も欠かせない。学章であるフェニックスは原爆での悲
惨な状況のなか、再び不死鳥のようによみがえるという意味がこめら
れたことから、これは広島の人々にはとても関心が深い意味だと思わ
れる。(参考文献:広島から世界の平和について考える/広島大学文
書館編)
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の初代学長の森戸氏は、
広島大学を自ら誇れる大学にしたいと思っていたんだと思いました。
被爆後の何もない状態から、森戸三原則にみられるような「中国地方
の中心大学」「地域性のある大学」「国際性のある大学」を目指し、尽
力されたのだと思います。その信念は受け継がれて、今の広島大学
があるのだと思います。しかしながら、建学の精神にある「自由で平和
な一つの大学」に関しては、キャンパスが原爆の被害地である広島市
から東広島市に移転するなど、希薄化しているのは確かで、広島大
学の学生であるうえで、平和を希求する心は常に持つべきだなと感じ
ました。
工・ 2 ・男 広島大学の中には寄贈品のフェニックスの木や 1111 本
もの桜の木ど、いたるところにそのような象徴とされるものがあるという
ことにきづかされた。いままで意識して見たことがなかったので、少し
反省した。大学内にある道や木の一本一本が歴代の学長や様々な
議論を通して存在していることに感慨深さをもった。そのようなシンボ
ルや理念は戦後の広島復興時のみんなの願いだったのだろうから、
今広島大学で学んでいる一人の学生だということを意識して大学生
活を送りたいと思う。
工・ 2 ・男 やはり、広島大学は原爆が落とされた数少ない都市とし
て、基本理念も平和を訴えるものなんだと思った。広島大学の象徴で
あるフェニックス(不死鳥)も復興を意味しているんだとは知らなかった。
よくよく考えてみれば、大学内の一部行事にもフェニックスって使われ
ている。理念 5 原則も他の主要大学よりも先にされていることはとても
誇らしいことだと思う。そのような大学に入学してきた私たちも、そのよ
うな基本理念をきちんと頭に入れておきこれからも学んでいこうと思う。
工・ 2 ・男 僕は広島大学に入った時、なんでフェニックスなんだろう
と思いましたが、そこに原爆から立ち直ろうとする意味があることを今
日知りました。また、それらのマークなどが学生からの応募だというこ
とは、非常に大切なことだと思いました。
工・ 2 ・男 私は広島大学に入学した当初、フェニックス奨学金やフ
ェニックスソフトボールなど、広大の行事や団体の名前にによくフェニ
ックスとついているのが不思議だった。まあこれが広大のシンボルな
んだろうと、理由を深く考えることはしなかった。ところが今日のプリン
トで、原爆の廃墟の上に新設される新大学のシンボルとかいてあった
り、さらに史料にあった初代学長森戸先生の「灰の中から新たな生命
をもって蘇える」という言葉は印象に残った。まさにフェニックスは広
大のシンボルだと感じた。
工・ 2 ・男 今回は広大の理念が中心の講議だった。理念といわれ
ても知っている学生はあまりいないだろう。歴史的には、初代学長の
森戸辰男が定めた三原則がもとになっていて、平成 7 年に理念が制
定されている。それは平和の希求が中心で広島ならではだと思った。
広島大学の象徴がフェニックスだというのは知っていた。旧東千田キ
ャンパスのフェニックスから続く森戸道路はまさに原爆から復興した広
島大学を象徴していると思った。それに比べ、東広島キャンパスは象
徴するものが少なく嘆かわしいと思った。
工・ 2 ・男 冒頭で原爆ドームが平和に関する理念の再確認の役割
があるという話を聞いた時、今の自分はそのような意識で見ていなか
ったことに気がつきました。原爆の被害を受けた建物として見ていた
だけでした。平和に関する理念が広島大学の理念の一つであるだけ
ではなく根底にあることは、広島にある大学としては当然のことだと思
いました。また、建学の精神として一つというキーワードがあるいうの
を聞き、広島大学は今も昔も国際的な大学であると感じました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて考えたことは、広島大学の理念は平
和を中心として成り立っているのだなと思いました。原爆被害を受け
ただけに、その平和への思いは強いのだなと感じました。また、象徴
としてフェニックスの不死鳥としての意味は知っていたのですが、植
物にもフェニックスがあったのは初めて知りました。中央図書館の裏
にある国際の森のフェニックスの木や海外の大学から寄贈された木も
見てみようと思います。また何気なく見ていた広島大学のマークにも
広島の頭文字の「 H ・ h 」という意味があったのは知りませんでした。
工・ 2 ・男 戦後、広島大学が復興する過程においてさまざまな大学
の支援を受けていることを初めて知り、国際性というものが重要である
と感じた。大きな寄付金というわけでもなく、ただ木を送ると言うだけで
も精神的に復興する過程においては大きく貢献していたのだろうと想
像できる。しかしながら、現在ではその木などがあまり良い待遇を受け
ていないことについて、これはやはり大学の理念の希薄化が進んで
いることを示すものであると感じた。広島大学が移転することによって
広島市から遠くなったことが主な原因であろうが、広島大学全体の特
徴、理念を考える上では、戦争、それからの復興についてもっと考え
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ていかなければならないのではないかと思った。
工・ 2 ・男 大学ごとに基本理念というものはあるが、広島大学には
理念五原則というものが、平成七年に制定された。 5 つの理念がある
わけだが、その中で「平和を希求する精神」に重きを置いているという
ことは、被爆都市広島にある大学としてふさわしく、全国でも珍しい大
学だと感じた。広島大学が平和をどれだけ重要視しているかがうかが
える。ただ東広島キャンパスに移転したことで原爆に関して希薄化す
るおそれは十分あると思う。だからこそ平和についてもっと関心を持
ち、思考と行動の根底におかなければならないと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義で、まず広島大学の理念や目標について詳
しく学んだ。さまざまな理念があるけれど、広島大学の理念の中心は
やっぱり平和の希求であることを知り、原爆の投下されたこの広島に
ある広島大学の平和に関する重要性を学んだ。また、広島大学の象
徴がフェニックスというのは初めて知った。フェニックスというのも原爆
からの復興という意味合いも含まれていてやはり平和が重要なことだ
と改めて認識することができてよかった。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念は平成七年に制定されたが、他の
主要国立大学ではごく最近であることにまず驚いた。初代学長である
森戸辰男がつくられた建学の精神の「自由で平和な一つの大学」の
実現のためにもこの理念の制定というのは必要不可欠のように思える。
この理念の原型ともなったのが森戸三原則であるが、このなかでも
「国際性のある大学」というのは平和を考える上で重要であり、世界の
先頭に立って平和を追求するためにも欠かせない要素であると思う。
このように社会においても大きな意味をもつ広島大学の理念五原則
は存在するのだが私をはじめ、学生のそれに対する意識が高いとは
思えないので、今回の講義で理念の存在する意味などを考えつつ勉
学に努めるのが必要だと思った。(参考文献:広島から世界の平和に
ついて考える)
工・ 2 ・男 旧帝国大学でさえ基本理念を制定したのは、かなり最近
で、ここ 5 、 6 年である。創立 100 年におよぶ大学もあるのになぜ
か?それは政府が促したからである。しかしながら、これに対し広島
大学が制定したのは 10 年以上前であり、しかも大学創立時に決め
ていたものを形式的に定めたにすぎずない。つまり広島大学は一早
く、わが大学の進むべき道を決め、日々向上し今の大学があるので
ある。これは素晴らしいことであり、誇れる点である。原爆都市広島か
ら発進した大学だからこそ、平和を大学の理念に取り込むことができ
たのである。
工・ 2 ・男 やはり平和ということをかなり意識しているなと感じた。特
に、卒業生=平和の戦士と表現しているとこは、広大生は特にこれか
らの社会をより一層平和な社会にしていくようにというメッセージが感
じられた。広大ならではの表現のしかたで、とても興味が持てた。シン
ボルについても新たに分かったことばかりだった。普段何気なく見て
いた人が寄り添ったようなマークの他の意味や、もうひとつのシンボル
の差別化のこと、生命を代表する緑という色へのこだわりなど、聞けば
聞くほど興味が湧いてきた。
工・ 2 ・男 原子爆弾の被害も被り世界的な平和都市である広島に
おいて灰の中から新たなせいめいをもって蘇るというフェニックスが広
島大学のシンボルになっていることを知りました。またその原子爆弾
の被害からできた広島大学の理念が市内から東広島に移転したこと
によってその理念が少し薄れているときいて少し心配になりました。と
いうか自分も初めて知りました。フェニックスという樹も見たいと思いま
す。
工・ 2 ・男 私は恥ずかしながら広島大学の学生であるにもかかわら
ず、今まで広島大学の理念の五原則を知らず、今日の講義で初めて
知った。あと、広島大学の卒業生は「平和の戦士」であると聞いて、私
は大学卒業までにその期待にこたえられる人間に近づくために一日
一日を大切に過ごそうと思った。そして、広島大学の象徴のフェニッ
クスはぴったりだと思った。大学の敷地内にフェニックスという木があ
ることを初めて知った。メタセコイヤも植えてあっていろんなところに意
味を持たせてあることがわかってよかった。
工・ 2 ・男 全国の各国立大学の基本理念が正式に制定されたのが
ごく最近であることに驚きました。やはり理念というものは昔から受け
継がれてきたものであると思うからです。それでもやはり制定はされて
いなかったものの広島大学にはやはり昔から平和に関する精神があ
ったことで安心しました。また当時の時代背景にも触れて「一つの大
学」「一つの国」「一つの世界」のような言葉にもまた「平和」というもの
を考えさせられました。講義の最後にもありましたが、ヒロシマから東
広島への移転によって平和理念の希薄化が危惧されるのではない
かということに関して僕もそのように思いました。広島大学に入学して
も実際東広島キャンパスの周りにはあまり原爆や戦争、平和に関する
ものは見かけません。こちらに移ってしまった今、広島大学生としてこ
の理念をしっかり心にとどめておくことが大切だと感じました。
工・ 2 ・男 やはり平和について言及されているというか、理念として
平和というものがあるんだなと思った。理念とゆうか、キャッチフレーズ
っぽいが、広大のホームページに書かれている『学問は最高の遊び
である』というのがあるが、意味がいまいちわからない。いい意味でも
悪い意味でも、どこかで聞いたことがあるようなベタな表現だなと想う。
学科を間違ってて受けてしまった自分にとっては特に意味がないなと
感じた。また、目標は世界トップレベルらしいが、漠然と思うことだが、
絶対に無理だと思う。
工・ 2 ・男 まず講義前から疑問に思っていた広島大学の象徴がフ
ェニックスであることに驚いた。それも不死鳥のフェニックスとかけて原
爆からの復興を意味しているなんていかにも広島らしいいいものだと
思った。広島大学のマークが二つもあるなんて思わなかった。てっき
り簡単なマークのほうが正式なものだと思っていた。今回の講義を受
けるまで広島大学の理念や象徴について知らないことが多すぎたし、
広島大学の学生としてそれを知らずに大学生活を過ごすことはちょっ
と恥ずかしいことだと思う。今回の講義を終えて、広島大学に対してよ
り愛着心のようなものを持つことができたし、本来の広島大学の理念
などを知ったことでもう一度今の自分の生活を見つめ直し改めていき
たいと思う。
工・ 2 ・男 大学の理念というもの自体が制定され始めたのは意外と
最近であるということを知った。それは、社会の流れであるとかいった
大学を取り巻く周囲の影響によって決められていったのだというのを
聞いて、各大学はとりあえず理念を作り上げたのかと思った。そうした
中で広島大学は国立大学の中では早いうちから理念を作り上げ、掲
げたのは立派だと思った。また、フェニックスが学章などに用いられて
いる理由が、焼けた広島の大地から生まれかわって再び学校を再開
するといったことがあったのは知らなかった。初代学長の大学に対す
る熱い想いが感じ取れた。こうして、戦争の悲劇を忘れないようにする
試みもむなしく、キャンパスが東広島市に移転してしまい、広島の地
から離れることによって、戦争に対する人々に思いが希薄化してしま
う恐れがあるのは残念で仕方がない。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念が「平和」であることは、入学式で
聞いた記憶があるので覚えていた。大学にそれぞれ基本理念がある
ということは知らなかった。大学の基本理念はそれぞれの地域での歴
史や環境によってできていた。広島大学の象徴がフェニックスである
ことは原爆からの復興の意味がこめられているのだろうということは簡
単に想像できた。あとあの煙突みたいなのが冬場の暖房用ボイラーと、
焼却炉用として、設置されたものだったとはぜんぜん知らなかった。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念が制定されたのが自分が思ってい
たよりもずっと遅かったのに驚きました。大学の設立などに理念の制
定が遅くなった理由があると講義で言っていましたが、やはり、学生を
きちんと育てるためにはある程度の理念を立てておくべきだと思いま
した。広島大学の基本理念の中で平和に関するものに重きを置いて
いるのは被爆都市広島ならではだと思いました。私はこの講義を受け
るまで広島大学の理念を知らなかったので、自分の通っている大学
の基本理念くらいは知っておかなければならないと思いました。今後
は自分も広島大学生として、大学がどのような理念を持って講義をし
ているのかを考えながら勉強していこうと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて他の大学とは違う、理念において平
和を希求する精神と言うのは、やはり広島大学生としてもつべきもの
だとおもいました。この広島大学独自の理念を大切にして平和を大
学という立場から守って伝えて行くべきだとおもいました。また広島大
学の象徴としてフェニックスというのはまさに広島大学にふさわしいも
のだとおもいました。あくまで原爆からの広島大学というのをアピール
することで広島大学の強さを出しつつもやはり原爆というものを永遠
に忘れることなく広島大学から原爆と言うものを切手も切り離せないも
のとしてとてもいいシンボルだとおもいました。
工・ 2 ・男 広島大学に一年間通っていると、フェニックスという単語
をよく耳にしていました。これまで、不死鳥にはどのような意味が込め
られているのだろうかと考えていました。今回の講義でそれをしること
ができました。不死鳥とは、灰の中から新たな生命をもって蘇るという
ことでした。確かに原子爆弾の被害をうけてそこから復興してきた広
島大学には適しているなと感じました。おまけにフェニックスという木
があるのはしりませんでした。しかし、その木はいままで何度も見たこ
とのある木でした。今後はこの木を見るたびに広島大学の理念を思
い出すでしょう。広島大学の理念五原則のうち、ひとつは知っている
ものでした。それは平和を希求する精神というものです。この理念を
忘れずにこれからも過ごしていこうとおもいます。
工・ 2 ・男 今回の授業を聞いて、広島大学は国立大学の中でも特
殊な方だと気づいた。広島は原爆被災都市なので、平和に対する思
い入れが他の大学と比べて強いように思われる。しかし広島大学の
理念五原則にある平和を追求する精神は、やはり時間とともに薄れて
いってるように思われる。先生がおっしゃるように、広島大学を広島市
から東広島市に移動したことは、目に見える原爆ドームという戦争の
悲惨さを物語るもの、もしくは被災都市から離れてしまうことであるの
で、だんだんと平和に対する考えが薄くなるのは必然であると思われ
る。だから今に生きる我々広島大学の生徒が、平和とは何だというこ
とを考え続け、学び伝えなければならないと思う。
工・ 2 ・男 広島大学に入ってからよく「フェニックス」という言葉をよく
聞くなと思っていましたが今回の授業でその理由がよくわかりました。
原爆からの復興を目指す広島だからこそのこの言葉が広島大学の象
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徴となり、植林された樹にもこの名前がつけられたという背景がわかり
ました。しかし、被爆都市の広島から東広島に大学が移転したことに
よって理念が希薄になりつつあると聞き、個人個人が考え直さないと
いけないと思いました。
工・ 2 ・男 大学が掲げている理念があるということを考えてみたこと
もなくて、それも少しは問題なのかなとも思いますが、理念 5 原則を
生徒、国民に知ってもらえるようにしたほうがいいのかなとも思いまし
た。ひり島大学のシンボルであるフェニックスの意味や大学内の植物
など、小さいことかもしれませんが知れてよりこの大学の生徒であるこ
とに自覚を持てた気がします。大学はいままでの高校などとは違って、
生徒が大学のことを何一つ知らないことも珍しくないほど接点がない
ので、今回のような内容は聞いていて楽しかったです。
工・ 2 ・男 今回のテーマの一つでもある、大学の基本理念につい
てですが、まず、ほとんどの主要国立大学においてそれらが制定され
たのがごく最近であるということに驚きました。その中でも、広島大学
は比較的早い方ではありますが。しかし、それらの理由も何校もの学
校が統合され、形成されていった国立大学の発足事情などを考慮す
ると、納得のいくものでもありました。また、広島大学の象徴であるフェ
ニックスについてですが、これには自分が考えていた以上にさまざま
な意味が含まれていました。その中には、原爆からの復興などの思い
も含まれていますが、これは被爆都市である広島だからこそだと感じ
ました。そのシンボルは建学の精神や理念を明確にするという点にお
いて、大きな助けになっているとも思いました。
工・ 2 ・男 広島は世界初の被爆都市であり、現在は平和都市であ
る。やはり、そういう背景もあり、広島大学でも、理念の根底に平和の
希求がおかれている。また、広島大学の象徴がフェニックスというのも、
この原爆のことが影響しているのには、とても興味深かったです。講
義で先生が言っていた、「象徴はあくまで、理念を確認するものであり、
行動することが大切」といった趣旨のことについて、非常に考えさせら
れました。確かに、平和公園に行ったり、千羽鶴を折っても、その先
の行動をしないと、何も変わらないような気がします。しかし、自分に
できることはあるのだろうか?大きなことはできないかもしれないが、
鶴を折ったりすることで、平和への関心や願いを再び確認しているの
だとと思いました。広島大学の理念の制定は他の国立大学に比べる
と早い。これも、平和に対する関心等が影響したのではないだろうか。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念はのひとつに平和を希求する精神
とあるように、被曝した大学として、平和というものを強く理念にしてい
るということがよく分かった。また、原爆から復興した広島を不死鳥の
フェニックスで象徴するところはうまいなと思った。
工・ 2 ・男 入学のパンフレットなどにかかれていたと思うのだが理念
というものは正直いってそこまで知らなかった。今回の講義で広島大
学の理念、特に平和については重要視しているということを改めて実
感した。さまざまな資料を通して森戸辰男初代学長の考え方もかいま
見ることができたように思う。海外の大学に手紙を送り植物を送っても
らったエピソードは興味深く、ほとんどがまだ市内のキャンパスにある
らしいので是非一度いってみたいと思った。他大学が意外にも理念
を設定したのが最近であるのに対し、広島大学が設立当初から明確
な目的を持っていたというのは驚きで、少し誇らしい。広島という都市
と合間って、歴史の深さに感動した。
工・ 2 ・男 広島大学での学校生活の中でフェニックスという単語を
よく聞くが、今まではどういう意味か知らなかったけど、フェニックスと
いう植物が関係していることや、原爆からの復興といった意味があるこ
とを聞き、素晴らしいとおもった。これからの生活でフェニックスという
単語をまた聞くと思うけど、次からはこういったことが関係していると思
えると思う。また大学の理念は高校までの校訓などより難しく感じるけ
ど、その理念に少しでも近づけるように努力したいと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義では広島大学の基本理念について触れれ
たと思う。やはり初めて広島大学に来たとき一番目についたのはブー
ルバール終点から見えるあの大きな煙突です。広島大学のキューピ
ーにも使われているあの煙突、正直謎でした。今回の講義でその存
在意義を知れてよかったです。昔はあそこから煙がふきでていたので
すね。今では立派な広島大学の象徴となっています。それと広大の
マークにちゃんと広島大学の頭文字 h が入っているのに少し感動し
ました。今回の講義も面白かったです。
工・ 2 ・男 森戸学長の第 1 回目の卒業式での告辞で、広島大学の
卒業生を「平和の戦士」と例えていらっしゃったのがとても印象的であ
り、感動を覚えた。広島大学ですごしているといろいろな所で目にし
たり耳にしたりするフェニックスという単語の由来を初めて知った。聞
けばなるほどと思っても、ここ広島が被爆地であることを忘れかけてい
た自分がとても恥ずかしかった。原爆の被害からまさに不死鳥のよう
に復興を遂げたこの広島の大学で学べていることを誇りに感じて、勉
学に励みたい。
工・ 2 ・男 第 1 回の卒業式で森戸学長が言った「武器を持った兵
士を戦場に送るのではなく、平和の戦士を生活の場に送るのです。」
という言葉に戦争は絶対に起こしてはいけないという想いがつたわっ
てきていい言葉だなあと感じました。また、今回の講義を受けていて、
広島大学は原爆の被害を受けた広島の大学ということで、地域との
関連を保っていき、さらに世界の諸大学とのつながりを強めることが
平和につながっていくのではないかと思いました。そのため、森戸学
長の時代に世界各国より多くの木が贈られてくるというのはすばらし
いと感じました。
工・ 2 ・男 今日の講義を受けて、広島大学の理念として、自由で平
和な一つの大学というという開学以来の精神があるということを知った。
しかし、広島が原爆を落とされた数少ない地域であることから、平和
に関しての理念があることは想像できた。また、森戸学長についての
話が大変印象的で、他大学に手紙を送った話や、国外の大学にまで
援助を申し出ていたことから広島大学をこよなく愛する人なんだと思
った。そして国外の大学から森林を植えるための援助をしてもらいそ
の木が現在も残っているという話は驚いた。普段、気にすることもなか
ったような木にもそのような事情があるんだとしみじみ思った。
工・ 2 ・男 広島大学の理念と象徴というテーマで、結構難しい内容
を学ぶのではないかと予想していましたがそこまで難しくなく、さらに
興味をそそる内容となっていたので理解しやすかったです。まず広島
大学の理念ですが 5 原則という決まりのもと、トップレベルの大学目
指してきたのだと思いました。他にも建学の精神だとか、広大の卒業
生は平和の戦士だとかいう理念も学びました。さらに森戸学長が定め
た大学構想といって、中国地方中心の大学、地域性のある大学、国
際性のある大学の三つの構想に基づいた努力も見られました。広島
大学の象徴に関しては、まずフェニックスというワードが挙がりました。
不死鳥という意味をもつフェニックスには、原爆からの復興という願い
が込められていることを学んで、さらにフェニックスに親しみを持てた
気がします。さらには大学歌、大学学章、大学旗についていろいろ知
ることができました。楽しく授業が受けれて良かったです。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けてもっとも考えたことは広島大学の理
念五原則の 1 番の平和を希求する精神についてです。まずこれが 1
番に挙げられているということはまず第一にかんがえなければならな
いことだと思いました。広島は世界で初めて原爆が投下されたところ
であり、今も平和記念公園には世界中から多くの人が訪れて平和を
願っています。なので自分も今後あのようなことは起こさしてはいけな
いと思いました。また今、北朝鮮での核実験が問題になっていますが、
広島大学の一員としてそのことにより興味を持ち、そのようなことにお
いての世界の現状を把握しておくべきだとも思いました。
工・ 2 ・男 広島大学は 9 つの前進校を持つために学部間で格差
があり、また原爆の被害を受けた場所なので、「自由で平和なひとつ
の大学」という理念を持ったということを学び、広島大学の生徒として
もっと平和や戦争などの争いについて考えなければならないと改め
て感じました。新大学のシンボルとしてフェニックスが選ばれたことは、
戦後から成長し続ける広島としてもとてもいいと感じました。また、ほと
んど緑樹のない、焼け野原だった広島が、周りの国や県の助け県民
の努力によって現在は広島大学の中でも他大学に対しても誇れる多
くの自然があり、 1111 本の桜はすごいと思いました。しかし、統合移
転や原爆から時間がたつにつれて希薄化してるのは事実なので、平
和について再度考える必要があると感じました。
工・ 2 ・男 広大の基本理念には、「平和を希求する精神」があること
を知った。やはり、平和についての思いが他地域とは違うと思った。ま
た、広大の象徴であるフェニックスのほかにも、木々やシンボル塔な
ど、さまざまなものに思いがこめられていると思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて一番強く思ったことは、その時代時
代における広大を取り巻く環境、景気、メディアの変化とともに広大生
の生活状況も変わってきたということだ。その時々に合わせた(流行も
含め)服装や食、住居があるというのは当たり前のことだと一見思いが
ちだが、そこから私は広大生の状況適応能力の高さを見出した。また、
何より驚いたことは、大学が設立した当初は「角帽に学生服」の男子
学生や、「ブラウスにロングスカート」の女子学生ばかりであったという
ことだ。その格好そのものに驚いたというよりも、ほぼみんなが同じよう
な格好をしていたということに驚いた。今となっては想像が付きにくい
広大の光景であろう。
工・ 2 ・男 もう広島大学へ入学して 1 年経つが、今日この授業を受
けるまで、広島大学の象徴とも言える煙突がなんのためにあるのか、
ただのシンボルではないか、などよく知らないことが多かった。しかし
実際には冬場の暖房用ボイラーと可燃物焼却する焼却炉用に設置
されたものであり、きちんと役割を持っていたことを知った。原爆から
の復興と発展を意味したフェニックスのマークの入った煙突は広島大
学のシンボルにふさわしいものであると思うし、その歴史について勉
強できたことはよかったと思います。
工・ 2 ・男 広島大学の理念としてはやはり平和を中心としたものだ
ろうということはある程度予測はしていたものの、これほどまでに分かり
やすく理念として掲げているとは知らなかった。さらに目標として掲げ
られているトップレベルの特色のある総合研究大学をかなえるために
はもっと学生達の努力が必要だと思った。象徴としてのフェニックスは
広島の大学としては非常に似合っているように思える。学内で行われ
る大会などの名前にフェニックスが使われている理由を初めて知った。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 入学したときからフェニックス奨学金というものがあること
は知っていたが、まさかフェニックスが広島大学のシンボルだというこ
とはいままで全くしらなっかった。フェニックスとは不死鳥を意味する
言葉で、寄り合い世帯である大学の精神的な一体化を実現すること
が目的だという。また広島大学は原爆問題平和問題にも取り組み、
在学しているわれわれにとっては、非常に誇らしいものであるとかんじ
た。
工・ 2 ・男 広島大学の基本的な理念である「自由で平和な一つの
大学」というのは知っていたが、平和を希求する精神、新たなる知の
創造、豊かな人間性を培う教育、地域社会・国際社会との共存、絶え
ざる自己変革の理念 5 原則をはじめて知り、共感した。平和を希求
する精神という理念は広島大学らしいと思った。また、広島大学の象
徴がなぜ、フェニックスなのかと思っていたが、フェニックス(不死鳥)に
は原爆からの復興の思いが込められていたこを知り感心した。
工・ 2 ・男 やはり広島大学の基本的理念には平和の希求が盛り込
まれてあった。これは原爆を受けた市としては世界に伝える義務があ
り当然のことだと感じる。フェニックスソフト、サッカーなどのフェニック
ス~という大会が広島大学にあるのは知っていたが、フェニックスとい
う言葉が広島大学の象徴になっていることを今回の授業を受けるまで
知らなかった。フェニックスという言葉は日本語に直すと、「不死鳥」。
自分の身を焼いて灰の中から新たな生命を更正するものということで、
これ以上広島大学にぴったりな言葉はそうそうないのではないかと思
った。実際問題、広島大学は灰の中から立派に立ち直り、そのことは
世界に大きな勇気を与えていることだろう。
工・ 2 ・男 広島大学の基本的な理念には国際性や平和への願い
が込められていることは知っていました。しかし、この講義を聞いて改
めて当時の平和への願いがどれほど強かったか実感しました。おそ
らく、どの大学よりも平和というものを大切にしていると思います。広島
大学の学生であることに誇りを持ちたいと思います。また、シンボルで
あるフェニックスには原爆からの再生という強い思いが込められてい
たんだと感じました。今まで、大学歌の存在をほとんど知りませんでし
た。でも、学生が作詞し、広島大学音楽科が作曲したことを知り、一
度きちんと聞いてみたくなりました。
工・ 2 ・男 今回の講義のテーマは広島大学の理念と象徴というもの
だったが、自分はそもそも広島大学に象徴というものはないんじゃな
いかと思っていた。でも今回の講義を受けて、広島大学には、フェニ
ックスと名のつく行事がたくさんある意味がわかった。また、広島大学
には桜が 1111 本植えられておりさらにそれらもまた、広島大学の象
徴であるという話はとても興味深かったし、一年以上広島大学で生活
していたのにそのことに気付かなかったのは、とても残念だった。過
去の学長の方々が作り上げてきたそれらの象徴を大切にしていきた
い。
工・ 2 ・男 広島大学の理念や象徴なのに、知らないことばかりで少
し驚いた。理念五原則やフェニックスのことなど、広島大学の学生とし
て知っておくべきことを学べてよかったと思う。特に、理念五原則にあ
る「平和を希求する精神」は、私たち学生が必ず持たなくてはならな
い精神であっただろうと思う。つい先日北朝鮮が核実験を行ったとい
う報道があったが、この講義を聞いてから、これに対して私たちは絶
対に反対できるような人間にならなければならないし、核の恐ろしさを
伝える立場に立たなければならないと思った。また、残り 4 つの理念
についても、私自身が持たなければならないと思うものがあったので、
これから実践していきたい。
工・ 2 ・男 まず広島大学が全国的に早い段階で理念を設定してい
たことに驚いた。国立大学の大半はたくさんの学校が一つになってい
るから理念の設定が遅かったということに納得するとともに、やはり広
島県は原爆の被害があったということが、「平和を希求する精神」につ
ながったのだろうと思った。また、広島大学ではいろいろなところで
「フェニックス」という単語を聞くので何だろうかと思っていたが、学校
の象徴になっていることを初めて知った。私が通っていた中学校のシ
ンボルもフェニックスだったので、象徴として何を表わしているかはす
ぐにわかった。不死鳥を意味するフェニックスがよく象徴になるのも、
原爆の被害を受けた広島ならではなのだろうかと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の理念を聞いて思ったことは、長崎と唯一の被
爆県ならではな感じがしました。平和について強い意識を感じている
のがよくわかりました。やはり平和を思う気持ちは大切ですし、何より
被爆県ということもあって言葉に重みを感じます。さらに、地域性があ
るというのもやはり広島の大学なのだなと感じもしました。さらに、国際
的にも広島県は有名なので、国際性があるのもうなずけます。このよう
な理念ももつ広島大学は素晴らしいと思いました。
工・ 2 ・男 大学の大きなシンボルとしてフェニックスを置き、被爆か
らの復活と平和への願いとともに広島大学を設立した先人たちの思
いは、今も脈々と受け継がれていると感じた。また、キャンバス正面に
立つ塔が作られた過程も知ることができ、興味深かった。他大学など
と比べても、広島大学の理念は早くから建てられていることからも、こ
の理念なくして広島大学は設立しえなかったのではないかとさえ思う。
先人の想いを受け、平和の精神をのちの世代にも伝えていきたいと
思う。
工・ 2 ・男 広島大学の理念と象徴というこの授業の今回のテーマを
みてまず、僕は「平和」というものを第一に想像した。誰もが知ってい
るとおりこの広島という都市は世界で第一に被爆した都市であるがゆ
えにこの土地に設立された広島大学は当然ながら平和教育を理念
に取り入れているものと思ったからである。わが大学の象徴がフェニッ
クスというのはこの 1 年通ったおかげで容易に想像することが出来た。
このような理念を念頭において今後の大学生活に生かせたらいいな
と思います。
工・ 2 ・男 大学などの学校といえば、どこにでもそれぞれの大学の
基本理念があると思っていたが、制定年がほとんど平成 10 数年で、
広島大学が平成 7 年で一番早かったことにとても驚いた。やはり、広
島といえば、過去に原爆の被害にあった県だけに、フェニックス(不死
鳥)のようにどんな困難な状況でも乗り越えていくということが、広島大
学の理念や象徴に反映されてるんだなと思った。
工・ 2 ・男 今回は、大学の『理念』についての講義でしたが、初め
の出だしの理念、象徴の定義の部分の話が理系の僕にとっては、混
乱してしまいました。内容については、『フェニックス』は、きっと字面
のよさだけからつけたのだと思っていましたが、まさか『原爆からの復
興』とも通じているとは、思いませんでした。それと、各々国立大学の
理念が文字として存在しない時期があったことに驚きました。そういっ
たものは、設立計画段階から決まっていてそれに基づいたカリキュラ
ムなり教員などを構成していくものだとずっと考えていました。
工・ 2 ・男 広島大学の理念に関しては、広島が唯一の核爆弾の被
害を受けた都市ということで、平和に関する理念が強いだろうというこ
とは、なんとなく想像がついていた。しかし、授業で本格的に 5 つの
理念を読んで、知ることができてよかった。そして広島大学の象徴が
フェニックスだということも知って、納得することができた。また、不死
鳥という意味だけではなく、大学構内緑化の、植物としてのフェニック
スの意味をもっていることも知って、おもしろいなとおもった。
工・ 2 ・男 原爆といった過去を持つ広島にある広島大学が平和と
いうことをキーワードとした理念を持っていることはもちろん知っていま
しが、具体的にどういったものなのかということは知りませんでした。理
念五原則から明確に知ることができてよかったです。また、広島大学
のシンボルであるフェニックスは灰の中から新たな生命をもって蘇ると
いう意味からぴったりだと思いました。また、先日には北朝鮮の核実
験などかつての原爆を思い起こさせるようなことがあり、広島大学だけ
でなく世界的にも平和に対する取り組みがもっと積極的に行われるべ
きだと思います。
工・ 2 ・男 入学して 1 年立つけど、正直今回の講義を聞いて初め
て広島大学の校歌の歌詞を知った。思ったことは歌詞の中に原爆と
広島大学のシンボルであるフェニックスに関連した内容が含まれてい
て、大学の精神的な一体化を実現したいという気持ちがよくわかった。
フェニックスが戦争と関連してシンボルになったのはだいたい予想で
きたけど学園騒動等も関連していたということは初めて知った。今回
の講義を通じてもっと広島大学について細かいところまで知りたいと
思った。
工・ 2 ・男 今回の講義内容は「広島大学の理念と象徴」ということで、
単純に広島大学の理念の紹介や、広島大学の象徴のことについて
の講義だと考えていた。自分にとっては、広島大学の象徴ってなんだ
ろう、と思い、興味を持って講義の内容を聞いていた。広島大学の象
徴は「フェニックス」、つまり不死鳥だった。フェニックスは灰の中から
新しい生命を誕生させることができ、その姿はまさに、原爆によって被
害を受けた広島のようだ、ということでフェニックスになったのだという。
自分はとても納得した。これ以上の象徴はないだろう。いつか、市内
のキャンパスに植えられているフェニックスの木も見てみたいものだ。
工・ 2 ・男 広島大学の理念の 5 原則で平和を希求する精神と新た
なる知の創造と豊かな人間性を培う教育という項目は、明らかに原爆
を受けたことによる影響が表れていると思ったしこの理念は広島大学
生の思考と行動の根底に置かれるべき精神であらなければならない
というのも納得だ。次に象徴であるがフェニックスという不死鳥のよう
によよみがえるという特色である。この特色について僕はぴったりだと
思った、なぜなら原爆で埋もれた広島大学はまた新たにその灰の中
から生命を見出して復活するという点で当てはまっているからだ。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、普段はいままではあまり気にした
ことがなかった広大の理念と象徴について学びました。意外と私が思
ったより理念の制定がつい最近でとても驚きました。しかし、資料を読
んでいき森戸初代学長の式辞や広島大学の構想をみる限り、昔から
広大は変わっていないのだと安心しました。象徴であるフェニックスは
なぜそれが選ばれたのかはうすうす感じてはいたが、校章のデザイン
や校歌が広島大学の学生によって作られたということを初めて知った。
工・ 2 ・男 今回の講義はあらかじめ予想していた授業に近い部分も
多かったので興味を持って聞くことができた。この大学に入ってフェ
ニックス通りなどの名前はよく聞いていたが、名前の由来やなぜ象徴
とされているかなどはあまり知らなかった。また、さまざまな史料から、
この大学の理念や象徴に基づいた国際的な取り組みや平和を意識
- 652 -
した大学であることなどがよく分かった。今回の講義から、広島大学
が平和の希求を理念として建設されたことを知り、また、フェニックスを
象徴としていることなどについてより詳しく学ぶことができたので、改
めてこの大学の素晴らしさを実感した。
工・ 2 ・男 象徴というものは初めからあるものだと思っていたため、
広島大学の学章は創立した時にはなく、学旗や大学歌も後になって
からできたことに驚いた。フェニックスに関してもこれまで深く考えたこ
とがなかったが、原爆からの復興を目指し、自由で平和な一つの大
学を意味しているのだと知った。多くの人々の思いが詰まっている歴
史ある学章や学旗、大学歌を誇りに思い今後も大切にしていかなけ
ればならないと思う。理念の実現に向けて大学が一体となって行動し
ていく必要がある。
工・ 2 ・男 まず、フェニックスというのが広島に原爆を落とされてそ
のあと残った灰から復活する広島・・・を象徴しているということは広島
県民だったにもかかわらず知らなかったことであったため驚きました。
それにそのあとの学長の話であってもほとんど知らないことばかりでな
んとなく耳にしていてなんとなく口にしていた単語にこんな意味がある
のだなーと改めて考えさせられました。今回のことをきっかけに広島
大学の象徴や理念をもっとしり広島大学生として何を聞かれても答え
られるようにしていきたいです。
工・ 2 ・男 広島大学に入ってフェニックスという言葉をたまに耳には
することがあったが、それが広島大学の象徴であることは知らなかっ
たので驚いた。また、 5 つある理念も知らなかったのでこの講義を通
して知ることができてよかった。その理念の中に広島にある大学なら
ではの理念である「平和を希求する精神」という項目があるのは特徴
的だと思ったし、広島大学で勉強している以上、平和に関する考えを
世界に広めていかないといけないと思った。
工・ 2 ・男 東京大学、京都大学、大阪大学、北海道大学などの旧
帝国大学と比べても、広島大学は基本理念の制定が早かったことに
驚いた。また、広大の 5 原則の中のひとつである、平和を希求する精
神これについては自分を含めたすべての広大関係者が持たなけれ
ばいけない精神であると思う。核の恐ろしさを知っている広島という土
地にある大学に通う人間として、他の大学ではない広島大学に通っ
ている人間として、制定されたこの理念を改めて心に刻んで大学生
活を過ごして行きたい。
工・ 2 ・男 国立大学の理念というものの制定が意外と最近であった
ことには驚いた。しかしよく考えてみると、今大学に通っている我々で
も大学の理念というものについて意識したことはほとんどないに等し
いのでなかなか意識されにくいものなのかもしれない。今回の講義で
広島大学の基本的な理念が「自由で平和な一つの大学」であるという
のは耳にしたことがあったが、その背景には世界的な対立、また日本
国内での対立、さらに広島大学内での対立があったために一つとい
うことを意識されていたことに感銘を受けた。理念とともに象徴というこ
ともなかなか我々の中に根付いていないように感じられるが大学旗や
構内にもフェニックスの木が植えられ、なんといっても大学歌に学生
が関わっていた事を聞くと、象徴として認識されてはきているのでこれ
からは我々が伝えていかなければならないと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学の理念についてあまり意識したことはなかった
けど、広島大学の一員であるからにはそれが何なのか考え理解する
必要があると思った。広大のシンボルであるフェニックスがどのような
意図で決められどのような思いが込められているかをもう一度考えて
みようと思った。
工・ 2 ・男 基本的な理念の一つ目に平和を希求する精神とあるの
を見て、やはり広島という世界ではじめて原子爆弾の被害にあった都
市につくられた大学であるが故だろうと思いました。フェニックスが広
島大学のシンボルであるのは知っていたが、フェニックスの自ら炎の
中に飛び込んでその炎の中から再び生まれ変わるという不死の意味
を知ったとき、この再生、復興のイメージがなるほど広島大学にはあ
っているなと思いました。また、フェニックスという同名の樹があること
も初めて知りました。シンボル塔も作られた目的がそのままシンボルと
しての塔だと思っていたのが、実は黒いすすまみれの煙突が不気味
だという理由で改装された物だと知り驚きました。見栄えが大きく変わ
ったのだろうと思います。
工・ 2 ・男 私は部活に所属しているのですが、大会の時に来てくれ
た応援団の人達の太鼓には大きく不死鳥と書いてありました。広島大
学のシンボルはフェニックスですが、これは原子爆弾による深刻な被
害から見事に復興を果たした広島大学ならではのシンボルだと思い
ます。また、他の大学と比べても広島大学は平和を重んじていると思
います。広島、長崎の原子爆弾のような悲劇はもう起こってはなりませ
ん。広島大学のこの理念をしっかり私も守っていこうとおもいます。
工・ 2 ・男 広島大学の基本理念に「平和を希求する精神」とあり、こ
れは予測できていたが、「地域社会・国際社会との共存」についての
地域の部分が意外に感じた。以前の講義でも地域との関連を深める
ことを重要視していたのは、理念に則ったことなのだとわかった。また、
広島大学が平和を意識するように、他大学も独自の理念をもっており
それぞれの特徴が見られおもしろみを感じた。象徴に関しては本当
に「フェニックス」は適切だと思っている。被爆地広島はもちろんのこと、
不死鳥の煌びやかに飛ぶ姿は広島大学が未来に向かって行ってい
るようだ。シンボルマークにもフェニックスの葉を用いて一貫性がある。
工・ 2 ・男 広島大学の理念で「平和を希求する精神」といううのは知
っていたけれど、 5 つもあるとは知らなかった。第 1 回卒業式で森戸
学長が広島大学の卒業生は「平和の戦士」だと述べたのは、素晴らし
い表現だと思う。森戸学長が卒業生に平和な社会の実現を期待して
いるのがよくわかります。広島は戦争で原子爆弾を落とされた都市で、
そのひどい状態からの復興が他の県に比べても、難しい都市でした
が、その復興という意味で、広島大学の象徴をフェニックス(不死鳥)
にしているのは、とてもふさわしいように思えました。入学して「フェニ
ックス会」など、「フェニックス」という言葉をよくききますが。その意味を
知らなかったので、とても驚きました。
工・ 2 ・男 プリントの書かれている広島大学の基本的な理念のなか
に、平和を希求する精神という文章が書かれていたのだがやはり世
界で初の原子爆弾を落とされた都市として当然の理念は入っている
のだと思った。また、地域社会、国際社会との共存という理念にかん
しては、前回の講義での地域社会との強い結び付きや広島大学には
多種の国の人が留学されているので、国際社会との共存という理念
にも則っているのではないかと思う。広島大学の象徴としてフェニック
スという不死鳥が象徴であり、そのことから原爆からの復興という意味
が込められている。平和の象徴として、世界の大学から植物の寄贈と
いう面に関しても広島大学は素晴らしいところだと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、広島大学が開学以来基本理念と
していた、「自由で平和な一つの大学」というものについて学ぶことが
できた。自分の考えとしては、大学は勉強し、社会へ出て行く準備を
する場所とかんがえているので、理念の中に「平和」という言葉が入っ
ているのに興味を持った。シンボルとしてフェニックスが用いられてい
るように、これは広島が原爆から復興し、平和な街になることを願って
つけられたのだと思う。地域に密接した歴史ある大学について、より
理解を深めていきたいと思った。
工・ 2 ・男 自分は広島大学の学生なのに広島大学の理念 5 原則
も知らなかった(知っている人も少ないと思うが)。一つ目の「平和を希
求する精神」というのは、戦争で原爆をおとされた広島ならではの理
念だと思い納得した。それ以外の基本理念はどの大学でもありがち
で、無難なものだと思った。広島大学の象徴であるフェニックスが被
爆からの復興を意味するものだと知り、なぜ不死鳥が象徴なのかと疑
問に思っていたので、これからの大学の象徴の見方がかわるなと思う。
広島大学の学生として、これからも平和を大切に思う人間でありたい
と思う。
工・ 2 ・男 広島大学へ入学するときに理念の一つとして、”平和を
希求する精神”があることは知る機会があったが、ほかのものについ
てははじめた聞くものだった。初代学長の森戸辰男氏とは出身校が
同じだが、やはりその高校にも似たような校風が受け継がれているよ
うに思う。広大を象徴するフェニックスや大学旗にも平和への強い願
いが込められているのだと改めて感じた。また、中四国のリーダーとし
て地域を引っ張っていこうという強い意志も感じられる。
工・ 2 ・男 広島大学は広島が戦後の原爆からの復興ということの影
響をうけてフェニックスを象徴にしたことは、広島にぴったりで、平和
を希求する精神は入学したときに出した市内の平和に関する施設を
訪れてレポートにまとめることからみても、今も続いていると思いました。
また、世界の大学から多くの植物が寄付され、今も現存している国際
性のある大学ということは初めて知りました。理念が明確な大学なの
で、僕もこれから理念を持ってがんばりたいです。
工・ 2 ・男 広島大学はやはり戦争で原爆の被害を被った数少ない
学校ということもあり、理念や象徴は平和を意識したものが多いと感じ
た。普段何気なく歩いている学校の構内にもさまざまな思いがこめら
ていることに関心をもった。国際の森は、平和の意識してフェニックス
の木が植えられていたり、昔、各国からの援助で支給された外国の木
が植えられていて、理念が感じられた。また、これらの木は温暖な気
候の木であって東広島の気候にあまりあってなく発育が悪いために
管理するのが大変にもかかわらず植えているところに、平和に対する
強い意思が感じられると思った。
工・ 2 ・男 正直この講義を受けるまで広島大学の理念というものを
知らなかった。多分他にもこういう人はいると思う。入試のときに偏差
値を意識することが大きく、こういったことを気にしている人はまだまだ
少ないんだろう。そんな中で授業を受けてやっぱり平和のことを重ん
じているんだなあと思った。しかし、振り返ると平和のことについて学
んだのは、入学してすぐの平和レポートだけである。この先に学べる
機会があるのかはわからないが、これが果たして理念といえるのだろ
うか。広島だからという安易な理由でとってつけているように思えた。
理念を掲げるのはいいことだと思うが、それを果たさないのなら曖昧
な理念なんていらないと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の理念として「自由で平和な一つの大学」とあり
ます。これは開学以来の精神であり、この下での理念 5 原則があるこ
とを知りました。平和を希求するという点で、広島にある大学として欠
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
かせないものであり、これからも考えていかなければならない理念だと
思いました。また、広島大学の象徴であるフェニックスは原爆からの
復興を意味していると知りました。灰の中から新たな生命をもって蘇る
という意味は原爆を体験した広島にとってぴったりだと思いました。広
島大学の理念と象徴は共に平和について重視していると思いました。
私も広島大学に在学してる責任があると思うので、これからも平和に
ついて考えていきたいです。
理念が制定されていないことは知らず、そういった特色を持っている
点は広島大学の誇れる点だと思う。植物の寄付については一部を東
広島キャンパスでもみることができるし、また東千田キャンパスにも実
際に見に行ってみたが、非常に立派な木だった。広島市内には原爆
以来大きな木を失ってしまったと聞くが、こうして見ると海外の大学か
らの支援を感じることができ、いわゆる国際平和都市であることが納
得できた。
工・ 2 ・男 広島大学の理念は正直なところ今回の講義を聞くまで知
らなかった。そして平和の希求が中心である広島大学の理念(5 原則)
を知ってとても素晴らしいものだと思った。私はこの広島大学の理念
が制定されたのが平成 7 年ということを知ってすごく最近のことである
と思った。しかし主要国公立大学の制定年月と比べると早かったこと
に驚いた。また広島大学の象徴であるフェニクスが不死鳥のことであ
り、原爆からの復興を願っているものということは知っていたが、世界
の大学から植物の寄贈があったことは知らなかった。私は広島大学
の学生として広島大学の理念と象徴を大切にしながら学生生活を送
っていきたいと思う。
工・ 2 ・男 広大の歴史において、様々なものがシンボルとして成り
立つまでの生い立ちやそのシンボルについての意味について学ぶこ
とができて勉強になった。今まで一年間広大で大学生活を送ってき
たが、シンボルについて考えることがなかったが、この講義を受けて
みてシンボルについて興味を持てるようになったと思う。大学生活を
送る上でもっと広大のシンボルの意味や理念に着目していきたいと
思う。
工・ 2 ・男 森戸辰男さんの広島大学構想はおおむね達成されてい
て、大学が建ってから常にこの構想の基に運営がなされてきた事に
驚きと嬉しさを感じました。また、大学に入学してからずっと気になっ
ていた、フェニックス奨学金、フェニックスサッカーなどなど・・・『なぜ
フェニックスなのか?』という疑問が解決することができ良かったです。
そして今回の講義で大学の歌に関しても初めて知りました。思った以
上に新しいと言う事に驚きました。それでもやはり今回の講義で最も
記憶に残る言葉は「広大卒業生=平和の戦士」でした。被曝地という
辛い過去から学んだものの大きさを感じ、平和の戦士として恥じない
よう、これからの大学生活を変えていかなければと感じました。
工・ 2 ・男 自分が講義前に考えていたものと同じような方向に内容
が進んでいったのでよかったと思います。さすが原爆の被害にあった
大学だけあって、平和に関する理念はすばらしいと思います。またフ
ェニックス(不死鳥)という考えは、僕の地元福井県でも、福井大震災
があって、そこから町を復興させたことから同じように不死鳥の町と呼
んでいて、この大学と同じ理念があることに共感を持ちました。やはり
広島大学である以上平和に対する強い理念を持ち、それを追求する
講義などを増やし、広島大学の特色を全国に出していってほしいなと
思いました。
工・ 2 ・男 今回の授業内容は難しくてあまりわからなかった。この授
業でわかったことは広島大学の象徴がフェニックスということです。フ
ェニックスというシンボルには原爆からの復帰への思いがかかわって
いることも初めて知りました。新しく生まれ変わる不死鳥また更新とうこ
とで、大学旗にそれを意識した緑色が使われていることも新しい知識
でした。こういったことは広大生としては知っておくべきことだと思いま
した。
工・ 2 ・男 広島大学の象徴がフェニックスであるということは、今ま
で聞いたことがあったけど、詳しく知ることができてよかったです。広
島大学の理念については全く知らなかったので、今回の講義をきっ
かけにして頭に入れておきたいと思いました。特に「平和を希求する
精神」という理念は、原爆被害を受けてそこから立ち上がってきた広
島の大学であるということが伝わってきて、平和を願う思いがこめられ
ていて、とても広大らしい理念であると感じました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の理念という点に関して
いえば、やはり平和を求めるという方向であることを認識したし、そこ
の部分がほかの大学とは少し違うとこだと思った。広島が初めて原爆
が落とされたということをやはり象徴していこうという取り組みも納得で
きた。また、広島大学の象徴に関していえばかなり興味深かったと思
う。フェニックスが原爆からの復興を表していたり、広島大学旗の緑が
生々の色や、希望の色、平和の色を表してたりと知らなかったことな
ので聞けてよかったと思った。
工・ 2 ・男 第 1 回卒業式で森戸学長が言った「武器を持った兵士
を戦場に送るのではなく、平和の戦士を生活の場に送るのです。」と
いう言葉が、これから戦争を絶対に起こしてはいけないという想いが
伝わってきて、とてもいい言葉だなあと思いました。また、森戸学長の
時代に世界各国から多くの木が贈られてきたというのを聞き、とてもす
ばらしいことだと感じました。今回の講義を受けて、広島大学は原爆
の被害を受けた広島の大学として地域との関連を保ち、さらに世界の
諸大学との関係を深めていけたらより良い大学になると思いました。
工・ 2 ・男 広島大学に入学して一年、いたるところで「フェニックス」
という言葉を耳にしてきたが、広島大学とフェニックスにはどういうつな
がりがあるのかよくわからなかった。しかし今回の講義を受けて、フェ
ニックスが広島大学にとってどれほど大きな意味を持つのかがわかっ
たと思う。広島大学は原爆被害地にできた大学として平和について
学んでいかなければならないし、原爆被害からの復興を遂げなけれ
ばならないということに、フェニックスは確かにぴったりの象徴だと思っ
た。
工・ 2 ・男 広島大学の「自由で平和な一つの大学」、東北大学の
「研究第一主義」は聞いたことがあったが、一般に国立大学には創設
工・ 2 ・男 広島大学の象徴としてフェニックスがあるとは知りません
でした。不死鳥という意味で被爆国に位置する大学にはふさわしく、
それだけ責任も重くのしかかってくるなと感じました。私が広島大学入
学して一番最初に目に飛び込んできたのは、シンボル塔でした。夜
にはそれはライトアップし、正直あまり必要のないものかとも思ってい
ましたが、広島大学をアピールするにはもってこいだなと思いました。
個人的には平和に関するシンボル塔にしてもよかったと思います。コ
ミュニケーションマークに関しても亜もマーク一つにあれだけの意味
が入っていることを知ると広島大学の理念もわかってくると思います。
工・ 2 ・男 講義を受けて一番感じたことはそれぞれの大学の創設
者の理念が大学の理念になっているということだった。広島大学に関
しては理念五原則という存在を初めて知った。それぞれの分野で大
切な理念が記されていた。特に広島ということで平和に関してはより
細かく、深く触れられていた。広島大学の理念を通して、平和というこ
とを日本だけではなく、世界に向けて訴えているように感じた。フェニ
ックスという一見戦争とは無関係そうなものを原爆からの復興とかけて
広島大学のシンボルとしていることも今回初めて学んだ。また、学長
によってそれぞれの考えがあり、それが大学に影響を与えているよう
だった。
工・ 2 ・男 今回の授業を受けて、改めて広島大学の“平和”に対す
る強い思いが伝わってきました。またこの大学の象徴である“フェニッ
クス”は、森戸初代学長の言葉通り、「戦争の灰から蘇る」という最も相
応しい意味が込められたシンボルだと思いました。この理念と象徴か
ら伝わる強く平和を求める意思があったからこそ現在の広島大学があ
るのでしょう。いつも目に入るものだからこそ、理念や象徴というものの
重要性に改めて気づくことができました。
工・ 2 ・男 私は理念や象徴についてあまり意識しておらず、今どの
ような理念を大学が持っているのか、どんな象徴をかかげているのか
知りませんでした。今掲げられている理念は 5 つあり、平和を希求す
る精神、新たなる知の創造、豊かな人間性を培う教育、地域社会・国
際社会との共存、絶えざる自己変革であることを知りました。広島大
学に入り、生徒として生活しているのだから、理念を知っていなけれ
ばならないと反省しました。さらにそれに沿っていく努力をしなければ
ならないと思いました。
工・ 2 ・男 自分は前期試験でこの広島大学に入学したので、理念
五原則というものを入学後に AO 入試で入学した友達との会話で初
めて知りました。なので今回の講義でこの 5 原則が作られた背景や、
象徴であるフェニックスの木について詳しいことが聞けてとてもよかっ
たと思います。そして、原爆の被害というものがかかわっていて、原爆
の悲惨さと復旧のための当時の人たちの努力を知ることができてとて
もためになりました。
工・ 2 ・男 理念、象徴が自分が思っていたよりも深く考えられており、
意外と最近できたものなのだと知りました。森戸辰男初代学長の建学
の精神、森戸三原則を読んでまさにそのとおりだと思い、彼の人物の
すばらしさが感じられました。桜 1111 本についてですが、春になると
理学部前や、ローソン付近、そして陸上競技場へと続く道に咲く桜並
木の景色を思い浮かべました。今となっては立派に成長しています
が、植樹したての時はそうではなかったのでしょう。
工・ 2 ・男 広島大学の理念は、やはり世界で 2 つしかない原爆を
落とされた町ということで、「平和」が中心になっていることがわかりま
した。やはり広島という町と、原爆というのは関係が強いということを改
めて認識できました。平和を真に第一と考えることができるのは、広島
だからこそだと思うので、私もこの理念を大事にしたいと思いました。
他の大学でも、地域特有の理念があったりと、その地域の影響を受け
ていることもわかりました。フェニックスという言葉と、原爆からの復興と
いうつながりは知らなかったので、とても興味深かったです。
工・ 2 ・男 私は、長崎出身で小学校のころから原爆についてなによ
り平和についてよく学習しました。大学生になってもうひとつの原爆地
である広島に来てまもないですが、長崎とはまた違った原爆・平和と
いうものを考えさせられました。今回の講義で広島大学の理念「平和
の希求が中心」だとかさまざまなところで「平和」という二文字をつかっ
ていたのを知ってとても感動しました。フェニックスというのも原爆から
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の復興を意味していたのにも悲惨な歴史を忘れないように、そして苦
しいときを越えて前に進もうというような気持ちを感じました。
工・ 2 ・男 広島大学の象徴がフェニックスであり大学構内緑化であ
ることをはじめて知りました。 2 つの象徴は原爆によって生み出され
た。それは、原爆にあった広島が平和を象徴するために、フェニック
スと緑化を象徴した。フェニックスはハリーポッターにもあるように一度
死んでも生き返るという意味を持つために選ばれ、緑化では緑という
色である。日本では平和を象徴する色は緑といわれているために、広
島大学ではフェニックスと緑化が象徴とされている。
工・ 2 ・男 「広島大学の理念と象徴」について私は受講前に知りま
せんでした。広島大学の校章がフェニックスという植物であることもしり
ませんでしたし、コミュニケーションマークについても知りませんでした。
今回の講義を聞いて広島大学が全国の大学の中でも早くに大学の
理念を作っていたことや、広島が戦後からの復活を目指して不死鳥
のフェニックスをモチーフにした校章を作っていることを知りました。
私はまだ、東千田キャンパスにいったことはがないのですが、今回の
講義を聞いて、一度いってみたいと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学が平和を目指す大学だとは知っていたけど、
目標として明確に平和を希求する精神とかかれているとは知らなかっ
た。そして、その象徴として原爆からの復興の意味をこめて不死鳥と
したこともやはりこのような理念と関連づいているのだと感じた。また、
僕がいちばん印象に残った言葉は森戸初代学長がおっしゃった広
大の卒業生は平和の戦士だということだった。とても素晴らしいことだ
と感じ、自分もそうなれるように頑張ろうと思った。
工・ 2 ・男 やはり日本において原子爆弾の被害を受けた都市であ
る広島にある大学なので理念として「平和を希求する精神」を掲げた
ことはとてもいい考えだと思います。広島にある広島大学にしか掲げ
ることのできない理念で、また、他の都道府県の大学とは異なった個
性的な大学だということをアピールできていると思いました。また、大
学の象徴を、原爆からの復興の意味を込めたフェニックス(不死鳥)と
していることも広島大学が平和について積極的に考え、平和運動に
取り組んでいることをアピールしていると思うのでとてもいい考えだと
思いました。
工・ 2 ・男 予想に反して、広島大学設立時の数多の素晴らしい理
念に感心しっぱなしでした。特に感心したのは、原爆からの復興の決
意をはらんだ理念のところです。授業資料を引用すると長くなるので
細かいところまでは書きませんが、原爆による甚大な被害を受け、ま
だ完全に立ち直れていなかった広島に大学をつくることがどれほど意
味のあることだったか想像に堅くありません。
工・ 2 ・男 広島大学が戦時中に被爆し、荒れた地に新しくできると
いうことで、ギリシャ神話では不死鳥と呼ばれているフェニックスが象
徴に決まったと知った。キャンパスが東広島に移転し、広島大学の象
徴が失われつつあると知った。今でも、工学部にはフェニックス工房
があり、フェニックスソフトボールなどの大会も主催されているけれども、
これから何十年もたつと、昔、広島大学が焼け野原から復興したとい
うことは忘れさられるかもしれない。それを防ぐためにも、私は、この東
広島キャンパスにも広島大学の象徴を増やさなければならないと思っ
た。
工・ 2 ・男 今回の授業を通して日常ではなかなか知る機会のない
広島大学の基本理念に触れることができ、広島大学についてより知る
ことができたと思う。資料にもあった「自由で平和な一つの大学」という
ところに広島の色がうかがえる。原爆についても先日学んだが、やは
り広島と原爆は切っても切り離せない関係であり、これを積極的に教
育理念に組み込んでいく姿勢は、他のどの大学にも負けないものだ
と考える。また、世界トップレベルの大学と聞くと一見大きく聞こえてし
まうが、これを目標としていくだけの実績があるからいえるのだと思う
ので、大学全体のレベルの高さを改めて知った。こういう大学で学べ
ていることを誇りに思い、私自身も日本や世界で活躍できるような研
究者になりたいと考えた。
工・ 2 ・男 予想通りで広島大学の理念 5 原則には平和が含まれて
いた。その平和に基づいてシンボルはフェニックス(不死鳥)が採用さ
れた。大学ではこのフェニックスという言葉がよく使われているが僕は
なぜフェニックスなのか分からなかった。フェニックスとはギリシア神話
に出てくる鳥の名で、自分の身を焼いて灰の中から新たな生命を更
生するものと言われているそうで、それを聞いて原爆の灰の中から蘇
るという意味で似ているのだなあと納得した。科学技術はいろいろな
面で人々を助けてきたが原爆のような恐ろしいものになりうるということ
をしっかりと認識し正しい使い道を教えていってほしいと思う。
工・ 2 ・男 広島は過去に原爆を落とされたことがあり、戦争の被害
をとても受けた場所なので、広島大学の理念に「平和を希求する精
神」というのが含まれていることにとても納得した。そしてシンボルであ
るフェニックスは、原爆からの復興をとげた広島の大学にふさわしいと
思う。広島大学の理念 5 原則には、さまざまな願いがこめられている
ようなきがする。理念を制定することによって、大学としての将来ある
べき形や目標が明確になっているような気がする。
工・ 2 ・男 広島大学の 5 原則からなる理念に平和の希求が中心と
なっていたのは納得できました。やはりフェニックスという風にこの大
学の根本は平和の元ですべて構成されているということを改めて理
解しました。世界の大学から植物が寄贈されているのは知らなかった
ので驚きました。広島大学旗の緑も希望や平和の色ということもあっ
たりと、今まで何気なく見ていた広島大学の景色や広島大学に関わ
るものの意味が、今回の講義で全く違う目で見るようになれたことを嬉
しく思います。
工・ 2 ・男 広島大学の各キャンパスに多くの平和の象徴があること
を知った。被爆都市広島から東広島にキャンパスが移転したことで被
爆都市であるという認識が希薄化するというおそれは確かにあるが、
新入生が入学して一度平和資料館にいくようにするなど積極的にそ
のような参加を促しているので、そこまで希薄化する恐れはないと思う。
ただこれからもよりいっそう平和活動を行っていってほしい。
工・ 2 ・男 広島大学はほかの国立大学と違い、桜 1 , 111 本を寄
付してもらうなど、地域とのつながりの強い大学だとわかりました。また、
平和や国際性への取り組みも強く、象徴がフェニックスというのはそ
れをうまく表現していると思いました。
工・ 2 ・男 この回の講義を聞いて、広島大学の理念の形成には森
戸初代学長が本当に尽力されたことがわかりました。広島は原爆が
落とされた数少ない都市ということで、大学の理念のなかにはしっかり
と平和を希求する精神の項目が入っていました。これからもその精神
は守っていっていかなければならないと感じました。また、広島大学
の象徴であるフェニックスは、植物のそれと不死鳥との両方の意味が
あることを初めて知りました。大学内には世界中の大学から植物の寄
贈があるとのことなので、今度注意してみてみようと思いました。
工・ 2 ・男 広大の理念には理念五原則に基づいているが、平和を
希求するということが中核になっているが、その背景には原爆の被害
があるということがわかった。また広大の象徴としてフェニックスを掲げ
て、原爆からの復興を目標とし、大学構内の緑化を計ったということが
わかった。またこのような傾向は校歌の歌詞にも表れていて、広島大
学がどれだけ平和という概念を重んじているかが伝わってきた。今現
在北朝鮮の核実験問題が世間を騒がせているが、広島がこの問題
解決の糸口になるよう世に原爆の恐ろしさをこれからも配信していく
べきだと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の理念、特に比較的新しめのことについて学ん
だ。広島大学の理念の中で、主に「平和」という言葉が重要なものに
なってくるということが分かった。その理念を実行するために国内外問
わず数多くの大学に協力を求めたというのは、理が通っていて、双方
に有意義なものであると感じた。東千田キャンス、及び西条キャンパ
スに、その海外から送られてきたものがあると知り、もっと広報してい
いのではないかと思った。
工・ 3 ・男 広島大学と原爆との関係についてより興味深くなり、広島
大学は原爆の原因でとても特別だと感じます
工・ 3 ・男 広島大学の象徴がフェニックスなのはとても共感を持ち
ました。実際に広島は原爆の被害に遭い、焼け野原になってしまいま
したが、そこからここまで復興させたことはほんとに不死鳥のようだと
感銘を受けました。理念としても、「自由で平和な一つの大学」からわ
かるように平和に重きを置いていることがわかりました。原爆の被害に
あったことから、広島大学が平和のシンボルとして日本だけではなく、
世界にも影響を与えていることに、とてもすごいと思います。これから
も平和の象徴として世界の平和を守ってほしいと思いました。
工・ 3 ・男 広島大学の理念で最も重要視されているのは、やはり、
「平和」だった。戦時中、被爆をしたという経験からきており、また学生
たちを戦地に送り出していたということからこのような理念のもと戦後
の教育に携わってきたのだと考えた。それは森戸辰男初代広島大学
学長の開学式式辞の中にも「自由で平和な一つの大学」とあるように
「平和」のメッセージを世界にむけて発信しようとしていたのだと考え
る。また、象徴のフェニックスについても、炎の中から蘇る不死鳥のイ
メージと被爆した広島の人々の復興のイメージを重ね合わせており、
非常にあっていると考えた。いままで、広島大学の象徴がなぜフェニ
ックスなのか知らなかったが、今回の講義を聞いてその理由を知れて
よかった。
歯・ 1 ・女 今まで学校の理念については全くと言っていいほど考え
たことがなかったけれど、私立大学は目標や理念を持った人が学校
を設立するなど、大学の設置の仕方などによって異なることに驚いた。
国立大の中でも、広島大学は理念の制定時期が早く、早い時期から
平和の精神を大事にする大学だったのだと思った。フェニックス、サ
タケ、シンボル塔などに関するいろいろなエピソードがあり、自分が通
っている大学について改めて知ることができた。
歯・ 1 ・女 私は、広島大学の教育理念などは以前から知っていまし
たが、今回の講義を聞いてさらに詳しく知ることができました。私は以
前から広島大学の教育理念に関心がありました。大学受験の際にも
広島大学が掲げている教育理念を見て、自分が目指している将来像
とそれがあっているからこの大学を希望して受験をしたということもあり
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ます。なので、今回の講義は私にとってとてもためになる講義となりま
した。教育理念を考えた人についても知ることができ、以前とは異な
った視点から教育理念について考えることができるようになったと思
います。
歯・ 1 ・女 広島大学の象徴がフェニックスということは、大学に入っ
てから何度か耳にしたことがありました。しかし、何でなのかは知りま
せんでした。この講義を受けて、世界の大学が植物を寄贈してくれた
りという事実を知り、なんだか心あたたまりました。そして、原爆により、
あれはてた地にこんなに緑の多い大学がうまれた要因などを知れて
良かったです。つらい歴史があるからこその緑あるあたたかい大学な
んだなと思いました。また、環境にも配慮していてとても良いと思いま
す。
歯・ 1 ・女 今回の講義で一番印象に残ったのは、広島大学が世界
中の大学から植物の苗木や種子を寄贈してもらっていたことだ。講義
を聞く限り、どれだけ森戸学長が平和と大学を結びつけたかったが伝
わってくる。大学内緑化の一環とはいえ、海外の大学に依頼するとい
う大がかりな計画を遂行した学長は本当に立派な人だと思った。今で
は以前と同じように理学部一号館周辺に全ての植物があるわけでは
ないそうなので、すごく残念だ。私は元々植物や自然が好きなので、
機会があればまだ現存している植物や、特に東千田正門前のフェニ
ックスは一度でいいから見てみたいと思う。広島大学の学生として、
私も森戸学長の意思を引き継いでいきたい。
生生・ 1 ・女 私が初めて広島に来たとき広島に住んでいる人たち
の平和や原爆に対しての意識の高さに驚きました。そして、広島大学
にも、復興の象徴フェニックスなどの広島ならでわのシンボルがたくさ
んあることを知りました。現在広島市は原爆の投下など嘘のようにい
復興していますが、平和記念公園や、人々のいしきなど、平和に対
する願いはずっと残り続けると思います。私も広島に住んでいるから
にはそういった意識をもち続け、学んでいきたいです。
生生・ 2 ・女 広島大学の塔が昔は焼却炉の煙突だったとは知らな
かった。今まであの塔は、もともと広大の象徴の塔として作られたもの
だと思っていたので少し驚いた。今では広大の象徴として多くの人に
知られ、定着しているので、あの塔は広大に欠かせないものだと思う。
また、広島大学に学旗があることも知らなかった。広島大学の理念は
やはり原爆が落とされた地であるので、平和というのが強調されてい
るんだなと思った。森戸辰男初代学長の思いを受け継いで、素晴らし
い大学にしていかなければならないと思った。
生生・ 2 ・女 国立大学の理念を制定するにおいて、理念・目標に
照らし各大学の努力を評価するので、基本理念制定はとても重要だ
と理解できた。また、私立大学と比較した際に、理念制定は大学の創
設者の意図とも深く関係しているのかな、と感じた。広島大学は、「平
和の希求」を中心に理念が制定されたが、被爆都市であることをうまく
活かして、自由で平和な大学としての使命を果たしている。それを証
拠に、今まではフェニックスの意味を深く考えたことはなかったが、シ
ンボルとして不死鳥という持つことで、原爆から復興しようと積極的に
一体化を図ろうとしていることがとても感じ取れた。今回、マークやシ
ンボルひとつから様々なことが読み取れることを感じ、これからはそう
いった象徴的なものに注意して考えてみようと考えた。
生生・ 2 ・女 今回、興味深かったのは、煙突の話だ。生物生産学
部とは真反対にあり、近くでみたことはないながらも、広島大学を訪れ
ると必ず目をひくものだ。どの学部生でもその存在をしっているだろう。
しかし、その機能について考えたことはなかった。昔、まだ下見地区
の学生街もないころからあり、当時は火葬場ではないのか、と思われ
たというのが面白かった。いまでは広島大学のシンボルとなった煙突
を機会があれば近くでみてみたいと思った。
生生・ 2 ・女 フェニックスとよく聞くけれど、一体何を意味するのか
ずっとわからずに気にかけてて、家族や友人に聞かれても答えること
ができず、恥ずかしく思っていました。今日の講義で不死鳥と植物と
二つの物を意味していることを知り、驚き、またこれで誰かに聞かれて
も堂々と答えることができるようになりました。また、開学されたころは
原爆都市広島にある大学としての自覚が大いにあったのだと知り、感
心したのですが、統合移転にともないそのような自覚が薄れてしまっ
たことがとても残念に感じられました。
生生・ 2 ・女 広島大学の理念五原則について、やはり原爆を落とさ
れた県で、実際にその被害をこうむっているため、平和を希求する精
神というものに一番重きを置いているんだなと思いました。また、広島
大学の象徴であるフェニックスは、原爆からの復興を意味し、大学構
内の緑化のために、海外を含めた他大学から寄付されたものだという
事実には驚きました。日本国内からならまだしも、遠い外国からでも
支援してくれる人たちはいるんだなとあらためて、世界中の人に平和
を求める意志はあるんだと感じました。
生生・ 2 ・女 私が象徴としてのフェニックスの意味を初めて聞いた
のは、この広島大学の入学式でのことでした。前々から広島市内での
電飾イベントなどでもフェニックスを模したものがいつもあり、なぜフェ
ニックスをそんなに使うのだろうと疑問には思っていました。しかし炎
の中からよみがえるというフェニックスと原爆の炎から再生した広島の
町をかけていると知った時、これほどピッタリな象徴はないと思いまし
た。私個人のイメージとしてのフェニックスは「炎の中から蘇る」ではな
く「不死である」だったので、この発想にはいたく感動した覚えがあり
ます。そして同じ名前を持つ木としてフェニックスが学内には植えられ
ています。よく通る道なのですが集中して見たことはなかったので今
回の講義を受けた後にフェニックスを見てみたのですが、下のほうの
葉が枯れかかり全体的の元気のない印象を受けました。西条の気候
は厳しいのでしょうが、細々とでもいいので枯れることなく育ってほし
いと思います。
生生・ 2 ・女 原爆が投下された数少ない県にある大學として、“平
和”について重視していると感じた。このようにほかの大學と比べて
“平和”ということに大きな意味を感じる。広大卒業生=「平和の戦士」
と第一回の卒業式でと当時の学長が述べているように、平和に貢献
できるような人間になりたいと思った。森戸初代学長がかかげた広島
大学構想で地域性のある大學というものがあったが多くの県民の寄
付のおかげで大学が維持されているということや地域に密着したさま
ざまなことを行っているので十分地域性はあると思う。広島大学の象
徴であるフェニックスや大學歌、大學旗にも平和や原爆被害から立ち
上がった思いが強くこめられているのを感じ、本当に広島大学は戦争、
原爆被害といった多くの問題や困難を乗り越えてきたのだと思った。
私も広島大学生の一員として平和な社会を守れるように心がけたい。
生生・ 2 ・女 今回の講義では、この広島大学のキャンパスを設立す
る際の学長のこだわりなどを多く知ることができました。国立大学とい
うものは私立大学に比べて、しっかりとした理念を持って設立したとい
うよりは国から言われるがままに創ったというのが比較的多い傾向だ
ったようですが、広島大学は原爆からの復興ということもあり、平和と
いう理念を第一に、はっきりとした目標を掲げていました。特に心に残
ったのは、大学内の緑化です。広島大学に通った約 1 年間、何気な
く通っていた道にも世界の大学から寄贈された植物やフェニックスが
植えられていたことを知り、これからは大学内の木々を見る目が変わ
るだろうと思います。それから、広島大学のシンボル塔ができるまでの
過程も初めて聞くことで、とても興味深いものでした。これからは広島
大学の学生であるということによりいっそうの誇りを持って、充実した
生活を送りたいと思いました。
生生・ 2 ・男 今回の授業を受けて、また改めて広島大学と原爆は
切っても切れない関係にあることを思い知らされました。まず、広島大
学の理念が平和の希求であること、そして卒業生が平和の戦士であ
ること。このような大学が他にあるとは思えません。これらはやはり私
達の先輩の方々が戦争を忘れてはいけない、原爆の恐ろしさを後生
に伝え、いつまでも記憶を色あせさせてはいけないというメッセージを
こめての事だと思います。私達も広島大学に入学したからには戦争・
原爆のことを改めて理解し、これから伝えていく義務をはたしていきた
いと思います。
生生・ 2 ・男 広島大学の理念や象徴などは受験する前からパンフ
レットで知っていたが、今回講義を受けてそれがどんな意味をもつの
かなど深く知ることができた。広島大学歌や、広島大学学章はいまま
で全くふれたことがなかったので、今回それを知ることができてよかっ
た。これからはもっとそういうことにも関心を持っていこうと思う。自分の
通っている大学がどんな理念を掲げ、何を象徴としているのかについ
て知ることは自分の将来を考えるうえで重要であると思う。
生生・ 2 ・男 この講義を受ける前は、広島大学に理念があることす
ら知らなかったので知ることができてよかった。そして、私はその 5 つ
理念の中で大学は勉強をする場所であるのでまず最初に学問に関
する理念を掲げるのが当然だと思われるが、「平和を希求する精神」
を掲げているということにとても驚いた。そのことから、やはり広島は原
爆の被害を受けた数少ない大学であるので平和に対する思いが他
の大学より強いのかなということを考えさせられた。
生生・ 2 ・男 今回の講義を通して広島大学の平和に関しての意識
の高さに驚いた。森戸学長の卒業式においての告辞が表すように、
広島大学を創設以来、卒業生が平和な社会を実現するように期待さ
れていることを知った。また、広島大学の象徴がフェニックスというもの
であることは知っていたがフェニックスの意味までは知らなかったので、
ましてや、なぜフェニックスがシンボルに選ばれたのか知らなかった
ので、今回知ることができて広島大学の学生としての自覚と責任を強
く感じた。広島大学の理念にも触れ、「五原則」について学んだ今、
広島大学の学生としての自分を見直すいい機会を手に入れたと感じ
た。
生生・ 2 ・男 広島大学の 5 つの理念については入学パンフレット
等によって知っていましたが、正直意識していたことはありませんでし
た。しかし、広島大学にいるということで、少しは頭において意識しよう
と思いました。広島大学の象徴がなぜフェニックスなのかを今まで全
く知りませんでしたが、原爆投下後の復興を表しているということで、
広島大学だけでなく広島全体を表してもいいのではないかと思いまし
た。
生生・ 2 ・男 やはり広島は原爆の投下された県であるため、広島大
学が理念に、平和をもりこんでくるものだとは思いました。けれど、理
念 5 原則に、平和と同等に自由という言葉がでてくるとは思いません
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でした。また森戸学長の言葉で、”平和の戦士”という言葉は印象に
残りました。戦士という言葉は、やはり戦争などを想像させるワードで
あるため、使い方が難しいのに、きれいにまとめてきているからです。
あと、大学旗の色に、”希望の色、平和の色、”などの意味がこめられ
てるとは知りませんでした。シンボルとしてのフェニックスには、国際性
のある大学を意識して、不死鳥ではなく、フェニックスにしたのだろうと
思います。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて、国立大学と私立大学の建設目
的の違いにまず驚きました。国立大学は、官僚を育てるために国が
お金を出して建設した大学で、私立大学は、早稲田大学であれば大
隈重信、慶應大学であれば福沢諭吉など確かな理想というか建学の
精神がはっきりしていたので、現在は、あまり関係ないのかも知れな
いけれど心に残りました。広島大学の基本的な理念である「自由で平
和な一つの大学」という言葉は、とてもシンプルで深みのある言葉だ
と感じます。理念 5 原則のなかの平和を希求する精神と絶えざる自
己変革という言葉は、初めて知ったときから好きな言葉です。原爆を
経験した広島の唯一の国立大学として、平和について考えられる大
学というのは、当り前なようで、ものすごく大事なことだと思います。こ
れからもそんな広島大学で学べることにもっと意味をもって勉学や研
究、部活動に励んでいきたいです。
生生・ 2 ・男 広大の理念の 1 つに「平和を希求する精神」がある。
これは原爆を落とされた広島の地において重要な理念であると思い
ます。過ちを二度と繰り返さないという精神を大学の理念とすることは
自分もそれを意識して、将来少しでも世界平和に貢献できるように勉
学に励むべきだと思いました。また、森戸三原則 1 において広大が
地方との関係を保ちながら、国際的な協力もしていくことも重要だと書
かれてあります。私も地域にとどまらず、外部と交流していくことでさま
ざまな知識や知恵や哲学を学べて、大学発展につながると思います。
そしてその交流から平和を訴えていくべきだと思いました。
生生・ 2 ・男 今回の講義をうけて、広島大学を支えてきた過去の
人々の理念が、広島大学の理念となり、現在でもいたるところに様々
な形で残っていることを知り、とても感動しました。また広島大学のコミ
ュニケーションマークに、あのようにいろいろな意味が込められている
と知り、また一つ見方が変わりました。広島大学は、いろいろな人々
の思いをうけて、現在の広島大学となったのだから、自分達もその流
れを汲みつつ、広島大学をより良いものにするべく、努力していかな
ければ、と思いました。
生生・ 2 ・男 世界中の大学から寄付された木が広大にたくさんあっ
たとは知らなかった。中央図書館近くに植えられた木にも理由があっ
たことにも驚いた。広島大学の理念といわれても広大生のほとんどが
ピンとこないと思う。いろいろな場面で理念を目にする機会があるが、
そこに込められた意味を考えたことは今までなかった。僕も含めた多
くの広大生の中で理念への意識の希薄化が起きているのは事実だと
思う。だが、理念を掲げてもそれに向かって何をすれば期待される人
材が輩出されるのか具体的なイメージが持てなかった。
生生・ 2 ・男 広島大学の理念について、今までほとんど意識したこ
とがなかったが、自分の通っている大学の理念について考えなかっ
たというのは非常に惜しいことであり、折角広島大学に在籍している
のだからその理念を理解することで、より意味のある大学生活が送れ
るようになると感じた。広大の国際性は大きな魅力であり、最近も鏡山
公園で楽器を吹いていると、ポーランドからの留学生の人に話しかけ
られた経験をしたが、そのような広大のよさをもっと生かして、地域と
の共存や人間性の成長をしていきたい。
生生・ 2 ・男 やはり広島大学は広島という、原爆を落とされた被爆
地という特殊な環境の中にあるので教育の理念やシンボルにはその
ような原爆に関わったものがまずはあるんだなと思いました。広島大
学の大学歌を見たのは入学式以来なので忘れていましたが、広島大
学に贈られた樹のことを初めて知りそのことが大学歌に含まれている
ことが大きな意味があると感じた。シンボル塔は初めて広島大学に来
た時にまず最初に何かなとめにはいったものでした。
生生・ 2 ・男 広島大学の理念の一番目にあるように、この大学が平
和への強い思いを抱いていると改めて感じた。卒業生に平和な社会
をつくっていってほしいという期待もこめられていて、その期待に応え
られるようにこの授業で様々なことを吸収していきたいと思った。この
大学の象徴であるフェニックスは「不死鳥」という意味から、ふさわしい
ものだと思った。原爆により一度壊れてしまった都市を再び蘇らせ、こ
れからは不死鳥のように二度と壊れることのない平和な世界を続けて
いくべきであることを暗示しているように思われた。
生生・ 2 ・男 ①平和を希求する精神②新たなる知の創造③豊かな
人間性を培う教育④地域社会、国際社会との共存⑤絶えざる自己改
革という理念 5 原則のもとに国立大学としての使命を果たすために
自分ができることを考えてみるとまずは様々な知識を身につけること
だと思った。なぜかと言うと何事にも正しい知識がないと何も始まらな
いからである。この理念の中で自分が最も大事にしたいのは「絶えざ
る自己改革」であるやはり自分を成長できない人は何も始められない
と思うからである。そしていつかはこの大学を世界トップレベルの特色
ある総合大学になれるように自分も少しは貢献したい。
生生・ 2 ・男 広島大学の特徴でもあるあの円筒みたいな物の正体
が 1 年経った今でもはっきりと分からないままだったけれど、あれが
昔は暖房用ボイラーや可燃物を焼却する炉に使われていたと知って
良い勉強になった。また、広島大学や、学校周辺でよくつかわれてい
るフェニックスという言葉の深い意味やそれが使われるようになった経
緯、平和との深い関連性も初めて知ったので興味深く、もっと話が聞
きたいと思った。この講義を受講してない人はこれまでの知識を得て
ないと思うので、もったいないと思う。
生生・ 2 ・男 今回この広島大学が、やはり平和につながる大学だと
いうことを改めて実感しました。特にそれを感じたのは広島大学のシ
ンボルのマークの色についての説明を受けたときでした。そのまわり
の色を決める時に緑にした理由は『原爆から立ち直っていく緑の草木
のように』という意味を込めてということでした。本当に広島大学は全
国で一番平和について考える大学だと思いました。自分も平和を願う
人の一員としてこの大学に来れて本当に良かったと思いました。
生生・ 2 ・男 広島大学の象徴については、原爆が落ちたことと何か
関係があることと考えていましたが、それが何であるかは知りませんで
した。灰の中から新たな生命をもって蘇るというのは、再建を行ってい
く象徴としてはとても良いものだと感じます。象徴というものは実際に
何か直接物理的に関係するものではない。しかしながら、精神的に
人々に影響を与えて、その人々に行動を起こさせる効果がある。その
イメージをわかりやすく人々に与えるものであると思います。
生生・ 2 ・男 「自由で平和な一つの大学」という開学以来の精神を
継承し、①平和を希求する精神、②新たなる知の創造、③豊かな人
間性を培う教育、④地域社会・国際社会との共存、⑤絶えざる自己
変革、という理念 5 原則の下に、国立大学としての使命を果たすとい
った国立大学法人広島大学の中期目標に挙げられた広島大学の理
念。また原爆被害からの復興を願い灰の中から新たな生命をも更生
するギリシャ神話に登場するフェニックスを掲げた広島大学の象徴を
学んで、自分の今の学生生活において少しはこれらのことを意識して
生活したいと思った。
生生・ 2 ・男 広島大学開学当時の理念については全く考えたこと
がありませんでしたが、今回の講義では広島大学が何を目標にして
作られたのか少しわかったような気がします。特に平和に関すること
が広島大学の理念に含まれているということは広島が原子爆弾を投
下されたということからも納得できると思いました。広島大学のシンボ
ルとして架空の生き物であるフェニックスが用いられていたことは知ら
なかったのでとても驚きました。また大学旗の緑という色にまで意味が
込められているとは思っていませんでした。広島大学が東広島へと移
転したことによって、平和への考えが希薄化する恐れがあると聞いて
確かにそうだなと思えました。やはり、忘れていってはいけない問題
だと思います。
生生・ 2 ・男 自分の所属する大学の理念についてあまり考えたこと
がなく、知識もなかったけれど、今回の授業で広島大学が世界に誇
れるような平和を理念としている大学だと知り、自分もその理念を心に
おいておこうと思った。学校のシンボルであるフェニックスは、かっこよ
くて前から気に入っていたのですが、その背景には原爆から立ち直る
広島の不屈の心と平和の精神があると知り、感銘を受けた。広大の理
念と象徴については、もっと多くの学生に知ってもらいたいと思いまし
た。
生生・ 2 ・男 広島大学の理念には、広島大学ならではのものがあっ
た。「平和を希求する精神」という理念は、原爆の被害を受けた広島
にある広島大学だからこそ説得力があると思った。これからは 5 つの
理念を頭に入れて勉強に励みたいと思った。また、広島大学の象徴
であるフェニックスも原爆の被害から立ち直るという意味で使われて
いて、原爆のことをいつまでも忘れないという広島大学の考えがみえ
た。今回の授業を受けて、広島大学は原爆被害から立ち直った広島
の象徴的な存在の一つだと思った。また、地域に根付いている大学
でもあると思った。
生生・ 2 ・男 まず、広島大学の象徴や、学校のマークにフェニック
スが使われているということが知らなかったです。たしかにフェニックス
○○って名前がついていることが多く気になってましたが、広島大学
を表しているとは思いませんでした。その由来が不死鳥→原爆からの
復興というのからきているというのを知って、やはり広島大学と原爆は
切り離せないものであると改めて思いました。森戸道路を見てみたい
と思いました。また、今は広島大学のシンボルのひとつである煙突が、
施設整備委員会が不細工という理由で認めなかったということにおど
ろきました。
生生・ 2 ・男 今回の授業で広島大学の理念や象徴について知るこ
とができ、大変勉強になりました。広島大学に入学するときからフェニ
ックスについては何となく知っていました。ただ、それが原爆からの復
興を意味するものだとは知りませんでした。校歌についても入学式の
とき歌ったきりで、その歌詞の意味などを考えたこともなかったので今
回の授業で知ることが出来てよかったです。改めて、広島大学に誇り
を持つことのできました。僕は東千田キャンパスに行ったことがないの
で、一度行って、森戸道路を歩いてみたいです。
- 657 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
総科・ 1 ・女 私は今回の授業を通して、広島大学のシンボルがフェ
ニックスということを初めて知りました。フェニックスは不死鳥ということ
で、広島大学にはとてもピッタリで、すごく素敵だと思いました。広島
大学の理念も知らなかったので、知れてよかったです。自由で平和な
一つの大学という精神は開学以来ずっと継承されているというのは誇
れると思いました。この原則がわかって、気持ちが引き締まりました。
広島大学を発展させるためにこの原則をずっと心にとめておきたいと
おもいました。
総科・ 2 ・女 広島大学の学生であるのに、大学の理念五原則を把
握していなかったことが恥ずかしく思いました。平和都市広島らしく、
平和を希求する精神を一番に掲げていることに大変納得しました。今
日の話で一番興味を持ったのは、世界各国の大学へ、の依頼状で
の、緑化計画はの協力の御願いでした。私は、東千田キャンパスに
行ったことがないので、その多くの贈られた木を実際に見ていないの
ですが、前々から、理学部から総科に来る途中にある、海外から贈ら
れた木のことは気になっていました。国際的な支援やつながりによっ
て、今の緑豊かな東広島大学があるのだと感じられました。いつか機
会があれば、東千田キャンパスを散策してみたいと思います。
総科・ 2 ・女 広島大学のあらゆるところで見られる「緑」がこんなに
意味のあるものだと思っていなかった。緑は、広島大学の楽章や学
旗、大学歌にも使われていて、大学のところどころに木々が植えられ
ている。この緑は、「生々の色、希望の色、平和の色」として使われて
いる。大学内にある木々の中に、フェニックスとメタセコイヤの木があ
る。この二つはどちらも初代学長森戸学長によって植えられた意味を
持つものである。フェニックスは、原爆から復活するという意味を持ち、
メタセコイヤは滅んだと思われたが、中国の奥深くで二千年前と同じ
状態で残っていたという不死の意味を持つそうだ。この二つの木と、
唯一原爆の中残った理学部一号館、そして学長がこれらの象徴を配
置した森戸道路だけが、広大の移転後においても残っている。広島
大学の理念は、森戸三原則、建学の精神が色濃く表れているが、広
大は他大学よりも理念の設立が早かったそうだ。
総科・ 2 ・女 今回の講義の担当であった石田先生は、「象徴とは、
理念と行動がひとつのセットである」とおっしゃっていたが、広島大学
はその意味で象徴を持っていると思った。広島大学は、その土地柄、
「平和を希求すること」は理念としては外せない。「フェニックス」という
想像上の鳥と、原爆による灰の中から蘇った大学をうまくかけて平和
のシンボルとしたのはとても相応しい。それと同時に、世界各国の大
学へ平和に関する図書の寄付の募集や木々の寄付の募集も行って
いたことは、初めて知り、あれにも平和の願いが込められていたのだ
なと知った。しかし、東広島キャンパスでは、実際にフェニックスやメタ
セコイヤの木々を見る機会は少なく、移転前よりも平和の象徴を見る
機会が少なくなったのは残念だ。象徴は、やはりいつも目につくとこ
ろにあるからこそ効力を発揮するのだから。それと同じ理由で、広島
大学の学章があまり使用されないのもとてももったいないことだと思う。
せっかく先代が築きあげた、広島大学の理念を継承していくには、
「象徴」をもう少し前面に出すべきだと思う。
総科・ 2 ・女 本授業で一般に象徴がどういったものであるのかがよ
くわかった。広島大学では,フェニックス入試やフェニックス駅伝など
「フェニックス」という言葉をよく耳にすると感じていた。私は,フェニッ
クスは不死鳥という意味から,原爆で大きな被害をうけた広島である
からこそ,不死鳥のようによみがえるという意味でつけられていると思
っていたが,植物のフェニックスからもきているとは知らなかった。また,
普段目にしている広大の塔の完成までにあった紆余曲折についても
初めて知った。
総科・ 2 ・女 国立大学の基本理念が最近までなかったのは、国立
大学が国策の元で設置され、私立大学のように明確な理念が必要な
かったことや、新制大学が発足して統合が進み、ひとつの学校として
のまとまりに欠けていたことがあったということをはじめて知って驚きま
した。また、森戸辰男の建学の精神における、「ひとつの世界」という
言葉の背景に、東西冷戦によって当時の世界が二分割していたこと
を示していていて大学の理念の形成に、当時の時代背景が影響して
いるのが興味深かったです。
総科・ 2 ・男 理念の 1 つに平和を希求する精神が含まれているの
は、被爆を体験したからに他ならない。しかし、東広島へ統合移転を
果たし、被爆建物や樹木から離れてしまい、平和を考える機会が減っ
ていると思う。一年生に平和レポートという課すことが、私たちの学年
から始まったが、一人ひとりの意識が高くないとどんなに高い理念を
掲げても言葉だけのものに終わってしまうと考えた。
総科・ 2 ・男 広島大学の象徴であるフェニックスが原爆でぼろぼろ
になってもそこから復活して発展していったことを表しているというの
は以前聞いたことがありました。また、それを掲げることが、戦争の悲
惨さを後世に伝え、平和に対する意識を高く持ち続けることにつなが
るといった目的もあるのではないかと感じました。広島大学はフェニッ
クスだけでなく、基本理念としても「平和」というものを重視していまし
た。それは、戦争の被害を受けたからこそ生まれたものであり、きちん
と伝えていくべきことなのでこれからも大事に持っていてほしいです。
総科・ 2 ・男 やはり広島と言うことから、広島大学の理念は「自由で
平和な一つの大学」と言った平和が重視されていると思う。このことは
広島で忘れてはいけないことだと思う。広島大学の象徴のフェニック
スはとても印象的だった。不死鳥とは広島にはぴったりのことばであ
る。今日の授業を聞いて感じたことは、広島大学の学生として、平和
への意識を高く持ち昔のような過ちには絶対に協力しない人になろう
とつくづく考えさせられたじゅぎょうでした。
総科・ 2 ・男 広島大学の目標において、「世界トップレベルの特色
ある総合研究大学」を到達目標とするとあり、大規模なことに驚いた。
また、理念には理念五原則があり、「平和を希求する精神」が大事と
あった。広島は原爆による被害をよく知っており、自分もよく平和につ
いて考えさせられた。広島大学に通えることは、平和を深く考えること
ができるということなので、平和運動への取り組みなどを積極的にや
っていきたいと思った。森戸学長は、広島大学の卒業生は「平和の戦
士」と述べているが、自分も卒業後には、平和な社会を実現できるよう
に少しでも努力したいと思った。
総科・ 2 ・男 学校の理念とかは、今まであることさえも知らなかった。
広大の基本理念は、理念五原則というものであり、帝国大学より制定
年は、早い。原爆被災地ということもあり平和が強く掲げられている。
また広大の象徴であるフェニックスは、不死鳥の意味合いをかけての
ものだそうで、一度灰になって復活するというものが広島と同じだとい
う。これを聞いて、すごい考え方だと感心してしまった。フェニックスを
学校内でみたことがないので今度探して、今自分がいるのは、広大な
んだと実感したいと思う。
総科・ 2 ・男 「キャンパスガイド」の活動をしているので、広島大学
の理念は何十度とお客さんの前で読み上げた。そして、今回の授業
を受けたことで、これからは単に読むだけでなくもっと中身のあるガイ
ドができそうな気がする。また、国際の森やシンボルタワーに関しては
今までガイドできる知識を持っていなかったのだが、それらについて
も知ることができてよかったと思う。この授業は、キャンパスガイドの活
動に大いに役立っている。
総科・ 2 ・男 広島大学は、平和を希求する精神といった、 5 原則の
理念の下に国立大学としての使命を果たしているということがわかりま
した。やはり授業が始まる前に考えていたとおり、被爆した土地の国
立大学の使命を理念として考えているんだと思いました。フェニックス
という言葉が象徴となっているのは、凄く深い意味があるということを
認識できました。ただ不死鳥のように粘り強く勉学に励むということか
なと思っていましたが、原爆からの復興と言う深い意味が入っている
というのを今日の講義で知ることができました。そして広大発足時に
は学章も学歌もなかったということが衝撃的でした。
総科・ 2 ・男 原爆の被害を受けた広大にとって、フェニックスという
シンボルはとてもぴったりだと思った。何もかも灰になってしまった中
で、フェニックスのように、新たに広大も生まれ変わるという意味だとは
知らなかったので、この授業を受けてよかったと思う。東千田キャンパ
スに植えられているというフェニックスの樹も、機会があれば見てみた
いと思った。
総科・ 4 ・男 今回の講義のタイトルは「理念と象徴」ということであり、
自分の中では「平和」というものしかイメージが湧いてこなかったのが
正直なところではあるが、その「平和」という言葉の中にでさえ、森戸
初代学長が第一回卒業式で告辞したように、広島大学の卒業生とし
て、社会にどのように貢献していくのかを明確にしていることが分かり、
自分を来年は卒業なので色々と考えさせられる講義であった。
総科・ 4 ・男 広島大学の歴史と照らし合わせながら、広大の理念と
象徴を学べたと思います。他大学とは違う広大の理念を心に留め、
初代森戸学長の三原則と現在の五原則に恥じない広大生というもの
に、これから社会に出てからも目指していきたいと思いました。
文・ 2 ・女 今回の講義で、私は広島大学の理念の方ではなく特に
広島大学の象徴のほうに興味を惹かれました。フェニックスという語が
広大ではよく使われており、何か重要な意味がそこにはあるんだろう
なとは思っていたのですが、これが被曝都市ヒロシマの原爆からの復
興・再生の象徴として扱われていたとは知りませんでした。広島大学
とヒロシマ・原爆との密接な関係を強く感じました。またフェニックスが
構内緑化計画の一部・国際化計画の一部でもあるなんて、フェニック
スというのは広島大学にとって欠かせないものなんだなぁと改めて実
感することができました。また、シンボル塔についての話は今までにも
なんとなく聞いたことはあったのですが、史料 11 に載ってあった『広
島大学を語る』を読んで、火葬場に見える問題やらダイオキシンの問
題やら「広島大学」の文字の問題やら、あの塔を建てるに当たって
様々な問題がそこには存在していたんだということを初めて知ったの
で驚きでした。
文・ 2 ・女 今回の授業で、広島大学は由緒ある大学だと思った。東
京大学とも京都大学とも異なる、確固たる理念が築かれているからだ。
戦争の負の遺産を肯定するかのような記述を恐れずに言うと、原爆か
ら立ち直った、まさに”不死鳥(フェニックス phoenix)”のごとく力強さ
が、広島大学の最大の魅力のように思えた。原爆復興当時の学生た
ちは、どのような気持ちで勉学に励んだのだろうか。豊かではなかっ
- 658 -
たものの大学に入学・卒業する機会を与えられた彼らは、現在の私た
ち以上に未来に希望と使命感を抱いていたかもしれない。
文・ 2 ・女 まず最初の、先生の理念とは何か?という考え方に興味
を持ちました。原爆ドームを大切にすることは直接平和行動につなが
るわけではなく、理念を再確認することであるという例えにとても納得
しました。ただ何気なくいわれている理念や目標も中身の詳細やそれ
が制定された経緯を知ると、理念や目標を見つめなおしもっと考えな
ければならないと思いました。広島大学の基本理念が制定されたの
が早いことに驚きました。またそれには初代学長である森戸辰男氏の
考えが根強く受け継がれており、設立当初の考えがずっと受け継が
れていることは現在の学生の立場からするとうれしく思うし、私たちも
受け継がなければならないという責任も増しました。また建学の精神
に東西冷戦のような当時の情勢が大きく関わっていたことを初めて知
りました。私は当時の情勢などを詳しく知らないので、当時の様子を
把握して想像するのは難しいですが、「 1 つになる」ということが希求
されていたことを痛感しました。
文・ 2 ・女 大学の理念は古くからあるイメージだったが、平成 7 年と
新しく制定されたもので意外だった。しかしこの理念五原則は突然で
きたのではなく、大学設立当初からあった建学の精神、森戸三原則
を継承したものであり、広島大学は一貫した理念のある大学なのだと
わかった。また被爆都市ということで、フェニックスを植え、それを学章、
学旗、学歌などに取り入れる、被爆した理学部一号館をキャンパスの
中心にするなど、平和を常に意識できるような象徴が印象的だった。
文・ 2 ・女 広島大学は、かつて国の官人を育てるためにあった国立
大学の中でも、とても早い時期に大学の基本理念を制定していたこと
に驚きました。また、やはり、第二次世界大戦のさい、原子爆弾の被
害にあったという事実から、平和を希求し、原爆問題に積極的に取り
組んでいくという姿は、とても大切なものだと思いました。しかし統合
移転によって、広島から東広島に移ったことで、この精神が希薄化し
ていかないように、意識していかなければならないなとも思いました。
文・ 2 ・女 広島大学の理念(5 原則)が平成 7 年に制定されたという
のがまず驚きました。前身校もたくさんあり、教育に力を入れてきた大
学だと思っていたのに意外に理念を言葉にして定めるのがごく最近と
いうのは、それまではどうしていたのだろうかと少し疑問に思いました。
『平和を希求する精神』を一番尊重するというのが、被爆都市ヒロシマ
としては背負っていかなければならないものだと思いました。森戸辰
男初代学長がおっしゃられた『平和の戦士』という言葉は素晴らしいと
思いました。フェニックスには木の意味もあったことは初耳でした。ぜ
ひこちらにもフェニックスを植えてほしいものです。
文・ 2 ・女 「フェニックス」という言葉の意味と、広島大学を象徴する
植物だということを今回の講義ではじめて知りました。また、フェニック
スには不死鳥という意味もあり、原爆の被害から立ち直った広島大学
には本当にぴったりのシンボルだなと感じました。「自由で平和な一
つの大学」とあるように一つという言葉に、森戸学長の平和を強く希
求する精神が見て取れました。今まで何も考えずに見ていた広島大
学のシンボル塔ですが、今回の講義を受けたことで完成までにさまざ
まな苦労があった事が分かり、また違った視点で見ることができるよう
になったと思います。
文・ 2 ・女 今回の授業を受けて、広島大学の理念は平和の希求が
中心であるということを知りました。初代広島大学学長である森戸辰
男は、平和の大切さを世界中に訴えるために、世界各国の大学に依
頼状を出したように感じました。広島という原爆の悲惨さを知っている
土地にある大学だからこそ、平和の大切さを世界に伝えていかなけ
ればならないと思いました。また、先生が授業のまとめで、原爆のこと
が東広島キャンパスだと伝わりにくいというようなことをおっしゃってい
ましたが、その通りだと思います。私も、普段の学校生活で、原爆被
害のことを考えるようなきっかけを与えてくれる場が学校にはあまりな
いと思います。これから改善されるといいとは思います。
文・ 2 ・女 広島大学の理念については、やはり受験前に目にするこ
とも多く、新たな発見を望めないかと思っていたが、森戸辰夫初代学
長までさかのぼって見てみると、当時の時代背景や「建学の精神」と
いう理念など、非常に興味深い内容だった。また、その内容が現在の
理念にも反映されているという事実を知り、広島大学の一員としてこ
れらの受け継がれてきた理念を学ぶことができてよかったと思う。それ
に加え、平和の希求を中心に据えているところに、広島という都市の
歴史的な意味を感じることができた。
文・ 2 ・女 まず、大学の理念を決定することをだいたいどの大学も
最近になってされていたことに少々驚きました。大学の理念というもの
は、大学創立時に決められるものだと思っていたからです。そして、
広島大学は世界で初めて原爆が投下され、大勢の犠牲者が出た広
島にあることから、その理念にも、象徴にも、学歌にも平和に対する思
いが込められていて広島大学の学生や社会に対する思いを感じまし
た。また、現在のシンボル塔の裏話のようなものはおもしろかったです。
文・ 2 ・女 今回は広島大学の理念ということだった。やはり広島大
学といえば平和というイメージがあるため平和を大きく押した理念にな
るのではないかと考えていた。実際に授業を受けてみると広島大学
の基本理念は、自由で平和な 1 つの大学であるということだった。確
かに広島大学の雰囲気は自由であるなと感じた。また広島大学の象
徴であるが、あまり意識していなかったが、実はフェニックスなのだと
今回初めて知った。コミュニケーションマークは結構目にするのだが、
フェニックスはあまり見た覚えがない。最後に理念、象徴が希薄して
いるのではないかと危惧していたが、あながち間違ってもいないかも
しれないと感じた。私は今回この授業を受講したから理念を知れたが、
多くの広大生が広大の理念をよくわからないまま学校生活を送ってい
るのではないかと思う。
文・ 2 ・女 「平和を希求する精神」をはじめとする理念の 5 原則が
あることは知っていましたが、今改めてこの 5 原則を読んでみて、学
問や教育といった内容よりも、平和がまず第一になっているところに
広島大学の特徴があると感じました。広島市のキャンパスにはフェニ
ックスの木が植えてあったり、森戸道路があったりなど、建学の精神が
目に見える形で表れているのはいいことだと思います。しかし、東広
島キャンパスには建学の精神を感じさせるものが少なく、残念です。
実際、毎日の大学生活の中で大学の理念などを思い出す場面はほ
とんどありません。せっかく、他の国立大学よりも明確な理念を持って
いるのだから、学生はもちろん、大学を訪れた外部の人からも分かり
やすい象徴を目に見える形で残していくべきではないかと思いました。
文・ 2 ・女 前にも書いたとおり、広島大学の初代学長の森戸さんの
ことは日本史の授業でも少し習ったので知っていましたが、今私達が
学ぶ広島大学の理念である、平和都市広島にある大学としてのあり
方や平和を希求する精神が森戸学長によるものだということは今日初
めて知りました。私は長崎県の出身で平和については小学生の頃か
ら毎年学んできたこともあり、平和を希求する精神はいつになっても
忘れないようにしたいと思いました。社会に出る前の大学生がそういう
精神を学び、社会に生かしていくことが必要だと改めて感じました。
文・ 2 ・女 今回の講義は今まで抱えていた疑問がいろいろ解決さ
れ、とても有意義だったと思う。中でも関心を引かれたのが学章につ
いての話だった。広島大学の学章はフェニックスを図案化したものと
いうことは知っていたが、フェニックスといえば不死鳥のことしか頭に
浮かばず、何故植物なのかと不思議に思っていた。講義を聴き、原
爆の被害から立ち直り、生まれ変わった生命の象徴としての不死鳥
になぞらえ他国の大学から寄贈されたフェニックスという木を学章に
取り入れるというのは、「再生」だけでなく「平和」をも同時に表してい
て、とても素晴らしい案だと思った。
文・ 2 ・男 広大の基本理念である「自由で平和な一つの大学」は、
長年に渡る努力の賜物であり、これからも守っていかなくてはならな
いと思いました。しかし目的意識を持たず、ただ唱えていれば理念は
守られるのではなく、大学の全ての構成員が共有して初めて生かす
ことができるものだと痛感しました。
文・ 2 ・男 「広島大学の歴史」の講義を受けている中で、幾度となく
でてきた帝国大学となることへの願いは、初代学長の森戸辰男のころ
から在った考えなのだなと知り、広島大学の情熱のようなものを感じま
した。また、長崎と並ぶ世界で唯一の被爆都市としての意識が非常
に高く、平和を希求することや、不死鳥のフェニックスをあしらったり、
学内を緑にいっぱいにしている点は他の大学にはあまりない特徴的
なことだなと思いました。個人的にですが、大学歌を聴く場面を多く
設けてほしいなと思いました。
文・ 2 ・男 平成 7 年に新制広島大学の建学精神が「理念 5 原則」
として制定された。その背景について考えてみたい。第 2 次世界大
戦において原爆を投下された広島(長崎)は、どこよりも強く平和を求
めていた。 1950 年、新制広島大学の開学式で森戸辰男学長の「自
由で平和な一つの大学」という思惟が発表された。当時の国際情勢
は米ソ 2 軸の対立という危険な状態にあった。それに朝鮮戦争、東
西ベルリンの壁、東南アジア、中近東の紛争など戦火は絶えなかっ
た。また日本の場合は、明治の戦争にフロックの勝利をし、その後国
を挙げて狂気に走り、無謀な戦争と原爆の被爆という最悪の事態をも
って、敗戦に及び、そこでやっと理性を持つに至った。この時期に照
らして、森戸学長の日本を思う心は崇高である。即ち「……で平和な
一つの大学」という思考に象徴されている。平和を希求する私たちも、
この精神を受け継ぎ、これから、何かしらでも社会に貢献するという気
迫を持ち続けたい。
文・ 2 ・男 フェニックスという植物が広島大学のシンボルとされた理
由を知り、この大学は本当に原爆の被害によって生まれ、発展してき
たのだと、改めて感じた。基本理念の一番重要なものとして平和を希
求する精神が挙げられているのは、それを端的に表している。また、
新制大学を設立する際に地域と一体になってそれに取り組んだ経緯
を考えると、地域社会との共存もまた被爆の惨禍の中から立ち上がっ
た広大の姿をよく表していると思った。原爆によって全てを奪われた
からこそ生まれてきたのが今の大学の形であるのだということがよく分
かる講義だった。
文・ 2 ・男 基本理念みたいなものはどこの大学にもあるだろうと思っ
ていたが、広島大学の理念五原則も知らなかったし、基本理念自分
の勝手なイメージで昔からあるものだと思っていたがどこの大学もか
なり最近にできたものだと知って驚いた。世界の大学からの植物の寄
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
贈は 1 年生のときからあることは知っていたが国際性のある大学とい
うのを目指したのと関係があったことを知ると、次に世界の大学からの
植物の寄贈を見たときは今までとは違う感覚で見るんだろうなと思っ
た。
文・ 2 ・男 まず、自分はこの講義を受けるまで、広島大学に五つの
基本理念があるとこすら知りませんでした。平和を希求する精神、新
たなる知の創造、豊かな人間性を培う教育、地域社会、国際社会と
の共存、絶えざる自己変革という五つの中でも自分の目を引いたの
はやはり平和の希求です。広島は長崎と共に世界で二つしかない被
爆地の一つであり、そこの大学生であるからにはそれこそ平和の戦士
として自覚ある行動を取らなくてはいけないなと思いました。
文・ 2 ・男 官民主体総出で新制広島大学が発足し、被爆地広島に
宿った平和の精神を受け継ぎ伝えることを期待されたにも関わらず、
なぜ、広島大学はあっさりと市外の東広島市に統合移転されたのか
疑問に思うと同時に、理念五原則の中でも重要な「平和を希求する
精神」にはそぐわない環境が現在形成されていると感じた。私自身長
崎出身であるが、やはり、被爆地の中に身を置いて学ぶのと市外で
学ぶのでは、原爆や平和へのとらえ方や感じ方が全然違う。 1 年の
教養教育に関しては、東千田キャンパスで行い、 2 年次以降に東広
島キャンパスで学ぶことでより効果的であると同時に、「広島大学」と
いうものをあらゆる角度から眺めることができ、幅広く多角的な視点を
私たち自身享受することができるのではないだろうか。また、講義の
中で先生がおっしゃられた、現東広島キャンパスにはメインストリート
や全学生が集う場がない点は僕自身以前から感じていたことであっ
た。地形的な点から、いわば「ドーナツ型」の建物配置となっているが、
なおさら学部間交流やにぎわいの創出のための創意工夫をする必要
があるだろう。政令指定都市と学園都市が近接している事案は、広島
大学が先駆けだと思う。相反する二つの環境を学生自身知ることが
できれば、それもまた、広大のアイデンティティーになるのではないだ
ろうか。
文・ 2 ・男 講義の中で、大学歌に触れた部分があった。これは入学
式で一度歌ったきりでそれ以後どうにも縁のないものであったが、改
めてこれの歌詞を見る機会を得られ、加えてこれが学内の公募によっ
て有志の手で作成されたものだと知り、多少ながらこれを身近なもの
に感じた。何気なく文字数を合わせるだけに作られたような歌詞も、こ
れの意味を再び考察してみるとそこにかつての同士たちの志あること
を感じると、不思議とこれに好感を持ってしまった。
文・ 2 ・男 1949 年に新制広島大学が誕生し、 1953 年に初の卒業
生を送るに際し、初代森戸学長は「平和の戦士」を生活の場に送る心
持であると述べた。そのわずか 8 年前に原子爆弾により「壊滅状態」
となった広島市で新制広島大学は新たなスタートを切ったのであるか
ら、学長のお気持ちは計り知れないものがあったと推察する。「自由
で平和な一つの大学」を建学の精神に掲げ、大学の象徴を不死鳥フ
ェニックスとしたのも、被爆都市広島の広島大学だからこそ伝えてい
かねばならない平和・自由のメッセージを世界に発信する為のもので
あると感じた。今後は「平和の戦士」としての広大生としての自覚を持
って学生生活を送りたいと思う。
文・ 2 ・男 学内だけでなく、日本国内や世界的な時代背景を以て
建学の精神が述べられており、なるほどと思いました。また、世界各
国から植物が寄贈されていたのがずっと前からあったんだなとも思い
ました。合唱のサークルに入っているので入学式等で大学歌を歌っ
てきましたが、はじめは学歌なんてなくてそれに学生が作ったのをき
いて、とても意外でした。これからもこの授業を受けていき、広大の知
らないところをいろいろと聞いて、知っていきたいと思いました。
文・ 3 ・男 授業中「平和の戦士」という言葉がやや過激である、と先
生はおっしゃられましたが、僕はぜんぜんそんなことはないと思いま
す。戦争の時代を生き、だからこそ本当の平和の意味を知っている人
だからこそ言える言葉だなと感じました。昨今、鸚鵡のようにただ「平
和、平和」と繰り返すだけの人が多いなか、この言葉には非常に感動
しました。確かに東広島にいたのではこうした意味を考えるのは非常
に難しいと僕も思います。ただ、このキャンパスにも多くの木が植わっ
てますから一度木を見るために構内を散策してみて、広大の歴史に
思いをはせてみるのも面白いかもしれません。
文・ 3 ・男 広島大学は、かつて原子爆弾が投下された被災地・広
島に設立された大学という事もありその創設理念には、特に平和につ
いての記述が印象的に感じた。平和とは誰もが願う望みである事に
間違いないが、広島という地で学んでいく中では大学が打ち立てる
理念の中核を担う「平和」そのもののその大切さが実感できるように思
えた。また、他の大学が掲げる学校自体の基本理念と比較していく事
で、どのような特色ある大学を作ろうとしているかが窺えて、大学に対
する理解が深まった。
法・ 1 ・女 広島大学がどのようなことを考えてこれまでやってきたの
かが詳しくわかってよかったと思います。そして今まで主張してきたこ
とがどのように影響を及ぼしてきたのかも分かったことで、より広島大
学が目指してきているものが分かり、学生としてそのことを知っていて
よかったと思います。
法・ 1 ・男 広島の大学ということで、創設時の理念に平和を求める
精神が組み込まれていました。そして今まで象徴とされていたフェニ
ックスの存在は知っていましたが、それが「灰の中からの再生」を指し、
さらに木のフェニックスとも掛けてあるとは思いませんでした。国際性
も目指している、というのもたくさんの留学生や帰国子女を受け入れ
ていたり、色々な国際的な授業があったりで着実に進んでいると思い
ました。地域性も、非常に密着しているし、学生にとっても住みよい地
域でありがたく感じています。
法・ 2 ・女 今回の授業の全体的な印象として、学校の方針などとい
ったことから森戸学長の人間性といったものが随所に感じられるよう
な講義でした。広島大学が辿った独特の運命が、特色として十分生
かされるためにはどうしたらよいのか、先人の創意工夫が伝わってき
ました。特に、植樹について世界各国の大学から木の寄付を募ったと
いうところに独創性を感じました。ただ単に緑化という観点から考えれ
ば国内から寄付を募れば、木も風土に合うためそれほど問題なく容
易に植樹することができるのではと思ったのですが、この運動の本質
は緑化というよりもむしろ各地から力を合わせて再生へと歩むというプ
ロセスを象徴的に表すという意味がこめられているように感じました。
森戸学長の平和の願いや、地域の力が今の広大を形作っていること
を、今日の講義で学ぶことができました。これほど学校の象徴やスク
ールカラーに大きな意味がある学校はほかにないと思います。そして、
このような大学で学べていることを誇りに思えるような講義でした。
法・ 2 ・女 今日の講義の中で最も印象に残っているのは、フェニッ
クスについてです。広島大学に通う中で、「フェニックス」とはとても聴
きなれた言葉ではありますが、それが植物の名、あるいは不死鳥とい
う意味であることは、今日の講義で初めて知りました。「フェニックス」と
は灰の中から蘇る鳥のことであると説明がありましたが、それはまさに、
原爆で多大な被害を受けながらも、現在の緑にあふれるすばらしい
大学に復興した広島大学にぴったりの素晴らしいシンボルであると思
いました。
法・ 2 ・女 広島大学のシンボルや大学歌、大学旗、大学内の自然
などについてそれぞれ深い意味が込められていることを知り、意識し
て見てみるのも面白いなと思いました。特にフェニックスというシンボ
ルは、単に用語としての意味は知っていたけれど、原爆からの復興と
いう意味を含んでいると知りなるほどと感心しました。また、大学緑化
という目標はとてもいいことだと思います。現在は前にも増して花も綺
麗に咲いていて、学生だけでなく広大を訪れる人みんなが癒される
気がします。これは広大が誇るべき特徴の一つであると私は感じまし
た。
法・ 2 ・女 今回の講義を通して以前からの疑問であったフェニック
スの由来について詳しく学ぶことができて、とても興味深かったです。
不死鳥というのが何故広島大学の象徴になっていたのか原爆が関係
していると知り、私の故郷である神戸も不死鳥を象徴としたマスコット
がいる事を思い出しました。神戸では阪神大震災があったことから不
死鳥のマスコットが生まれました。なにか大きなダメージを受けた後に
人々は立ち直ろう、そのことを忘れないで頑張ろうという気持ちを持つ
という点では広島と神戸は共通しているのだなと感じ、広島大学にま
た一つ親しみを感じました。
法・ 2 ・女 普段、大学に通い勉強している中では意識しなかった、
広島大学の持つ理念や教育方針について、改めて考えるよい機会
になりました。やはり、原爆被害を受けた都市の大学として、平和を希
求する精神を重んじた理念なのだと思いました。自分の通う大学が、
平和に対する役割を担い、国際的にもそのような役割を求められてい
る大学なのだと再認識しました。東広島キャンパスに通っていると忘
れがちなことですが、様々なシンボルに込められた意味を知っていれ
ば、それを見るたびに理念を再確認できるのでは、と思います。
法・ 2 ・女 広島大学の象徴が「フェニックス」だとは思いもしなかっ
た。しかし、原爆の被害に遭った広島大学が現在のような姿になるま
で復興したことは、まさに「フェニックス」の生き様と同じだと思った。ま
た、大学がシンボルなんかを考えて立てられているとは思いもしなか
った。だから、普段キャンパスを歩いて教室に向かうときも、景色がき
れいだな、くらいにしか思っていなかった。私はとても物事を観察して
考えることが少なかったように思う。これからは、この広島大学のひと
つひとつのつくりを少しでも立ち止まって観察し、意味なんかを考えら
れたらいいなと思う。
法・ 2 ・女 市内から広大まで出ている高速バスの「グリーンフェニッ
クス」という名前は、広大の象徴である「フェニックス」に由来している
のだと思った。他大学と比較して、元々建学の精神・理念が明確であ
ったのは、有意義なことであり、誇りを持っていいことだと思う。今日の
講義を受けて、被爆都市ヒロシマの歴史や思いを後世に伝えていく
ために、広島大学が果たしていくべき責任は大きいとますます感じた。
法・ 2 ・女 広島大学における、最大のテーマは「平和」であるし、も
ちろんそれを理念としてかかげている。これは、やはり原爆を経験す
る広島だからこそしっかり考えるべきテーマであり、深い理念であると
思う。そこが、また他大学とは違う独自な感じがします。広島大学の象
徴はフェニックスなんだろうなというのは前々から思っていました。学
内でフェニックスという単語を頻繁に耳にするし、所属するサークルの
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学内大会もフェニックスと呼びます。しかし、その決定の経緯や理由
は知らなかったので、今日それを聞き、はっとしました。フェニックス、
不死鳥が灰の中から蘇るという話は知っていました。そして、だからこ
そ、原爆投下後の悲惨な街から、焼け焦げた灰だらけの街から不死
鳥のように蘇ろうというぴったりなシンボルだと感銘を受けました。桜 1
111 本計画や、世界からの植物寄贈。単に山を切り開いたから自然
いっぱいの大学、ではなく、たくさんの方の協力の元に出来上がった
緑あふれる大学なんだとわかりました。今日の講義のお話は、他の学
校の子にすごく自慢できる、胸をはれるお話でした。
学があるのも森戸辰男を含め、先人の取り組みのおかげだと思って
います。次に、今回の講義から、普段何気なく見ていた桜やその他の
木などもより深く考察すると、その奥に隠された、激動の時代を経て
託されたメッセージを見つけ出せることを知りました。改めて、歴史を
学ぶ意義を思い知らされる気がします。加えて、これはある一人の人
が独断で作ったものとは限らず、いろいろな時代の人が、その思想や
時代の情勢、理想を積み重ねていることもわかりました。また、学章や
学期など意味はあることはわかっているけれども、深く知らないものも
多々あります。物事に関心を持つことは大切だと思いました。
法・ 2 ・女 私は、法学部内の多目的サークルに所属しています。実
際には、ソフトボールをやっているのですが、年に二回、フェニックス
のソフトボール大会があります。そのことをいつも、「フェニックス」と呼
んでいるのですが、そのたびに、「なんでフェニックスなんだろう」と思
っていました。ソフトボール以外にも、さまざまな大会が、「フェニック
ス」という名前で、開催されています。今回の講義を聞いて、その意味
がやっとわかり、とってもすっきりしました。「フェニックス」は、広島大
学の象徴だったのですね。広島大学に通っているものとして、その意
味がわかってよかったです。
法・ 2 ・男 私は今回の講義を受けたことで、今まで何気なく見てい
た大学構内にものに、様々な思いが込められていたことを知りました。
例えば私は今まで、フェニックスという植物はどのようなもので、それ
が植えられているのにどんな意味がこめられていたかはもちろん、フ
ェニックスという植物があること自体知りませんでした。しかし、今回の
講義をうけたことで戦後という時代にそれを植えることにたくましく生き
るという思いが込められているのを知りました。そのほかでも配布物の
色が緑が多いことなど様々なところで広島大学の平和への理念が込
められているのだと気付かされました。
法・ 2 ・女 日ごろ私たちが何気なく見て、何気なしに知覚している
現在の広島大学の象徴には、実は思っていたよりも深い意味や切な
る願いが込められていたのに気づいた。ただ単に「大きい」としか思っ
ていなかったあの木々にも、しっかりと「フェニックス」という名前が付
けられ、大学のシンボルとなっていた。平和、そして広島の再生への
願いは大学関係者のみならず、地域の人々の心にもしっかりと根付
いていることだろう。正直私は、大学を包括する理念というものについ
てあまり深く考えたことがなかった。これからは今までの無頓着を反省
し、大学そのものの目指す方向をより深く知り、将来社会に飛び込む
自分への糧、誇りにしていきたいと思う。
法・ 2 ・男 正直言って広島大学の理念は講義を受けるまであまり知
りませんでした。講義の最初にいきなり提示され面食らってしまいまし
たが、他の主要国立大学に比較して歴史があるのだと知りました。被
爆地である広島ということで平和の希求に重きをおいた理念はもっと
もだと思います。象徴であるフェニックスには植物の名前という意味も
あるというのは知りませんでした。東千田キャンパスの外観も象徴に
沿って考られて配置されていることには驚きました。シンボル塔やコミ
ュニケーションマークなどは毎日無意識に目にするものですが、それ
ぞれ意味があったことには広島大学の細部までへのこだわりを感じま
した。
法・ 2 ・男 広島大学の基本理念が、他の大学より早く制定されたの
は、広島大学が原子爆弾の被害を受けて、「平和を希求する精神」と
いう特徴ある基本理念をたてやすかったという説明は非常に分かりや
すかった。シンボルとしてのフェニックスが原爆からの復興という意味
を持ち合わせているとは知らなかったし分かりやすかった。シンボル
塔がいったい何なのか気になってはいたが、煙突だったとは知らなか
った。今まで広大生として何をすべきかなどということは考えもしなか
ったが、広大生として、平和問題などにもっと関心を持ちたいと思う。
法・ 2 ・男 正直、広島大学に入学してから(もしかすると受験生だっ
た頃から)これまでずっと、広島大学の理念などについて調べたり考
えたりすることはなかったので、今回初めてフェニックス(不死鳥)が原
爆被害からの復興を意味しているということなどを初めて知った。また、
広島大学の他、東京大学や京都大学などの旧帝国大学も基本理念
を制定したのがごく最近だということを知って驚いた。今回の講義を
受けて、せめて自分が通う大学の理念や象徴についてくらいはちゃ
んと知っておかなければいけないと思った。
法・ 2 ・男 今回の授業は、大学内のさまざまな施設やマーク、フェ
ニックスの由来などが聞けて非常に興味深かった。自分が普段通り
がかったり、利用したりしている場所が、さまざまな理念の象徴として
作られているとは知らなかった。特に平和に関する理念や象徴は、こ
れからの後の世代にも伝えていかなくてはならないことであるから、よ
り学生たちにその存在を知ってもらう必要がある。そしてそのことを知
った自分たちはそれを回りに広めると同時に、具体的な活動を行って
いくべきだと思う。
法・ 2 ・男 広島大学は、ほかの総合大学が目標や基本理念を定め
かねている中でも、開学当初からの精神を継承しつつ、広島という土
地がもつ歴史や背景を考慮して理念五原則を制定したと聞いて、明
確なビジョンのもとに広島大学が創設されて今日まで継承されてきた
んだと思いました。特に、象徴が原爆からの復興を意味するフェニッ
クスであると知って、被爆地という過去を強く意識しているんだと思い
ました。しかし、キャンパスが東広島市に総合移転したことで、その理
念や象徴が希薄化してしまうかもしれないと聞いて、今現在広大生と
して学んでいる自分たちが、そのことを強く意識しないといけないと思
いました。
法・ 2 ・男 森戸初代学長が情熱的で、建学時の理想を体現しようと
尽力していた点、広島大学復興のために世界中の大学が協力してく
れたこと点が印象的だった。今後中央図書館の裏を通ることがあった
ら、そこに植えてある樹木にも注目し、そのことについて思いを馳せて
みようと思う。今の私達は大学の求める人間像からかけ離れているよ
うな気がする。先人の思いを踏みにじるようなことをしないためにも、
目的意識をもって学生生活を送っていきたいと感じた。
法・ 2 ・男 広島大学の理念を確認することで、広大生としての自覚
を再確認することができました。よく広大の中でフェニックスの文字を
見ていたのですが、意味を考えたことはなく今回講義を聞いてその考
えなどに納得しました。大学の敷地内に多くの植物が植えられている
のもただ環境を考慮してのことではなく、大学緑化という目標のため
だとわかってよかったと思います。初代学長をはじめ、この大学は
様々な方が高い志を持って作り上げてきてくれたんだなと考えると、
自分達もその精神を見習って努力しなければと思います。
法・ 2 ・男 今回の授業を受けて、まず実感したことは、広島大学は
平和に対する意識が高くて今の広島大学にもその精神が数多くちり
ばめられているということである。初代学長の森戸先生をはじめ、各
先生方の広島大学に対する理念の中にやはり平和というものに対す
る強い思いがあったのだと思う。また、今回の授業で感心したことは、
広島大学の各国大学の対する広島大学再生への寄付の呼びかけに
対して、数多くの各大学が賛同して協力してくれたことである。やはり、
世界の人たちは平和を希求することを忘れていなかったのだと思い、
その思いをもってこれからの広島大学はますます成長していかなけ
ればいけない思った。私自身、この広島大学の理念の歴史的経緯を
念頭にもっと広島大学のことについて学んで行きたいと思う。
法・ 2 ・男 初めに、私は特に、この「広島大学の歴史」に、初代学長
である森戸辰男が戦後の広島大学の運営にどのように取り組んだの
かに興味があったので、今回の講義はとても参考になりました。広島
という歴史的にも大きく意義のあるこの地域にて、彼がこの大学を出
発点に世界に向けてどのように平和を叫んだのかに関心があります。
戦後という非常に苦しい時期に多大な努力を以って広島の復興に尽
力を果たしたものと思われます。また、紆余曲折を経て、今の広島大
法・ 2 ・男 これまでの講義にもあったように広島大学は国立である
にも関わらず地域からの援助で多くが造られた為地域貢献を多く行
っていたのは知っていましたが、出張講義までおこなっていたのは知
りませんでした。理念の一つである国際性のある大学というのは、留
学生が多いという以外あまり身近では感じない気がします。広島大学
のシンボルとしてのフェニックスは樹木であることを全然知らず不死鳥
だけをシンボルとしていて校章にある葉っぱがなんのことだかわから
なかったのでそれだけで勉強になりましたし、その背景の森戸学長の
願いを頭においておこうと思いました。
法・ 2 ・男 講義前に予想していたとおり森戸辰男先生の話が中心
だったと思いますが、僕が今回興味を持ったのは広大のシンボルとな
っている煙突の話です。史料の 11 を読んで、西条に大学が移転し
てきたばかりのころについていろいろ考えることができました。
法・ 2 ・男 広島大学の理念において、平和の希求が中心とされ、ま
た、広島大学のシンボルは原爆からの復興という意味で、フェニック
スとされている、と紹介されていたが、第 3 回の「原爆と広島大学」に
おいて、広島大学はこれまでに原爆に対して特筆すべき行動をして
いなかったと紹介されていたように感じていたので、いささか疑問を感
じた。自分は広島大学が原爆に対してしてきた行動を知らないので、
果たして広島大学が自身の掲げる理念やシンボルの通りに行動して
きたのか詳しく調べてみたいと思った。
法・ 2 ・男 今回のテーマは広島大学の理念と象徴についてだった
けど、まず基本的な理念のところで平和を希求する精神を中心とする
点がいかにも広島大学っぽいのが印象に残りました。また、地域社
会・国際社会との共存という点も地域に根差している広島らしいし、国
際性を理念に挙げていることも良く考えれば、被爆都市としての経験
からであるのだなと思いました。また、広島大学の象徴としてのフェニ
ックスとゆうのも意味から考えると広島大学らしいと思った。このように、
広島大学は、戦争の経験が生きている大学だと思った。
法・ 2 ・男
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広島大学の 5 原則のなかにある、「平和を希求する精
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
神」と「地域社会・国際社会との共存」について考察してみる。まず、
前者についてだが、平成 20 年度の新入生から、入学後に「平和に
ついてのレポート」を提出することになったが、個人的にはまだまだ不
十分な気がする。具体的には、 1 年生の教養ゼミで、平和について
の授業でのプレゼンテーションを行うなど、平和学習についてより積
極的になる必要があるように感じる。そして後者については、東広島
の中だけではなく、広島市あるいは他の市への行事に積極的に参加
することが重要であると思う。たとえば、フラワーフェスティバルに参加
した学生に単位を与えるなど、より地域に密着するためにも、学生を
意欲的にする方法を、大学側も検討するほうがベストだと感じた。
法・ 2 ・男 広島大学に理念五原則というものがあったことを初めて
知りました。校章や校旗のマークにつかわれている植物も今まで気に
したことはありませんでしたが不死鳥のように焼け野原から再興した
広島の街とフェニックスという植物をかけていたことも初めて知り、深
い意味があったことに非常に関心を持ちました。そして旧広島大学に
ある植物が海外の大学の寄付によるものであったことにとても驚きまし
た。今まで何回か行ったことがあるのにまったく気がつきませんでした。
法・ 2 ・男 広島大学の理念と象徴ということで、平和の希求を中心
とする理念の 5 原則から、建学の精神である「自由で平和な一つの
大学」まで、今までほとんど意識していませんでしたが、この講義を機
に少し考えることができました。また、広大の象徴であるフェニックスは、
原爆からの復興の象徴であり、大学構内緑化の事業にも表れている
ように、人々が何もないところから立ち上がっていく不屈の精神を象
徴しており、今なお学章に用いられ、その心を忘れないようにしてい
かなければならないし、後輩にも伝えていかなければいけないと思い
ました。
法・ 2 ・男 以外に知らないことが多く聞けました。〝フェニックス〟
の由来はずっと不思議に思っていたので、聞けてよかったです。さら
に、シンボル塔に関する昔の話(文章)が印象的でした。昔、ボイラー
や焼却炉として使われていたのは知っていましたが、こういう経緯で
現在のきれいな見た目になったのかは知らなかったです。まだまだ知
らないことが多いので。他にも自分が在学している学校のことについ
て知ることができたらいいと思います。
法・ 2 ・男
一度すべての植物を見に行ってみたいと思った。
法・ 2 ・男 今回の講義では、まず主要国立大学の基本理念が平成
15 年ぐらいまで定められていなかったということに驚いた。そして、そ
のなかで平成 7 年にいち早く基本理念を定めた広島大学を少し誇ら
しく思った。その基本理念はもちろんすばらしいが、私は建学の精神
である「自由で平和な一つの大学」という言葉がとても印象深い。な
ぜなら、広島大学が平和で一つになることで、日本そして世界を平和
で一つにするという考えがとても壮大ですばらしいと思ったからである。
今回の講義を聴いて、広島大学は世界平和を最も目標としていると
再確認した。本学で学びながら、平和について考え行動していきた
いと思った。
法・ 2 ・男 今回の講義でもっとも印象深かった点は、広島大学のシ
ンボルが不死鳥= PHOENIX であったことだった。自分が今住んで
いるアパートの名前にもフェニックスという言葉が使われているし、そ
れ以外にも西条では大学内も含めてよくこの単語を目にしてきたが、
なぜこんなにも頻繁に用いられているのかずっと不思議に思っていた。
その理由が、原爆の被害から復興を遂げた広島に建つ大学のシンボ
ルであると言う点には非常に驚かされながらも、自分の中ではかなり
納得がいった。戦後力強い復興を見せた広島の「平和を希求する精
神」を自らが学ぶここ広島から発信していかねばならないのだなと、こ
の講義を通してあらためて平和について考えさせられたように思う。
法・ 2 ・男 サークルなどのカップ戦でフェニックス杯というのがありま
すが、フェニックスってなんだろうと日頃思っていましたが、それが広
島大学の象徴であると知ってびっくりしました。フェニックス(不死鳥)
→原爆からの復興 ということで、まさに広島大学にふさわしいもの
だなと感じました。それと、広島大学には塔があるのは知っていました
が、いったい何のためにあるんだろうと思っていました。それが焼却炉
の煙突だとわかって驚きました。生協に広島大学限定のキューピー
ちゃんのストラップが売っていたので買ってみたいと思いました。
法・ 2 ・男 東広島キャンパスの象徴は文学部付近にある広島大学
と書かれた塔のようなものであると自分は思っていたが、東千田キャ
ンパスの旧理学部一号館が、それ自身歴史的に大きな背景を持ち、
それを中心に学内の建物が建てられていたということを知ると、象徴と
しての重みに欠けるような気がしてしまった。しかし、やはり歴史的な
重みがあるほうが象徴としての重みも増すということは当然のことであ
るし、また原爆の投下という世界レベルでも重要度の高い出来事と深
い関係にあるものと比べるのも酷であると思った。
法・ 2 ・男 まず授業の最初の方で言われた、千羽鶴を折るだけで
それ自体が平和につながると勘違いをしているのではないかという言
葉に非常に心当たりがあり恥ずかしく思いました。広島大学の理念に
ついては、自分が入学したとき「学問は最高の遊びである」という言葉
を何度か聞かされたので、まず勉強が第一と思っていましたが平和を
希求する精神がまず第一の基本原則ということを知り改めてここが広
島であるということを認識しました。平和である状態を当たり前のように
受け止めてしまっているという現状に少し危機感を覚えます。
法・ 2 ・男 今回の講義は、広島大学の理念と象徴というテーマで行
われたわけですが、広島大学が基本的な理念として五つの原則を掲
げ、世界トップレベルの特色ある総合研究大学を目指していつことを
聞いた時はそのスケールの大きさには驚愕しました。また、初代学長
である森戸辰男先生が、現在の広島大学の礎を築くのにいかに尽力
されたのかということに関してもとても感心しました。自分も広島大学
の一員として、この理想と目的を達成できるように努力していきたいと
思いました。
法・ 2 ・男 今回の講義内容は広島大学の理念と象徴という内容で
した。初めに理念と象徴という言葉の意味を再確認し、その後に広島
大学の理念ということを資料などをまじえながら学びました。またその
講義の中での原田康夫元学長の桜の植樹の 1 のエピソードというも
のを知って、すごくおもしろいと感じましたが、一番おもしろいと感じた
のは広島大学の象徴でもあるフェニックスというのが不死鳥という意
味だけでなく、実は木の名前でもあるということでした。今回の講義を
通じて、広島大学というものが身近に感じれるようになったと思います。
法・ 2 ・男 今回の講義で特に興味深かった内容は広島大学の教
育学部棟の前にあるシンボルタワーの建設についての経緯だった。
私は今まで、あのシンボルタワーが最初から作ろうとして作ったものだ
と勘違いしていたが、実は見栄えの悪い煙突をどうしようかと議論の
末、周りに鉄板をはり広島大学の象徴となるタワーにしたことは私に
は何か皮肉のように感じた。また、広島大学に中心となるような道路を
あえてつくらなかったということに関して大学の見栄えとしてとても斬
新に思えてとても感心した。
法・ 2 ・男 今回の講義で学んだ、フェニックスや、理念 5 原則など、
入学時には何度か耳にしたものの、その意味について深く考えたこと
がなかった事柄について、そのちゃんとした意味や、創設された歴史
を教えてもらい、ハッとすることが多かった。また、広島大学の敷地内
には、緑が多いことや、沢山の桜が植えてあること、他大学に比べて
図書館が多いことなど、この広島大学で 1 年を過ごしてきたからこそ
実感できることに、先人たちの多大な努力があったのだと思った。ふ
だんあまり接することのない広大校歌や学章が、学生によって作られ
たものだと知ったときは感動した。広大の理念や象徴は、普段身近に
あるものの、ほとんど意識したことがなかった。そういった意味で、確
かに風化しつつあるかもしれない。しかし、身近にあるものだからこそ、
今回講義で学べたことによって、自分の中には深く刻まれたと思う。
法・ 4 ・男 受講前は広島大学の理念の成立という一見特に関心が
持てなかったがテーマだと思っていたが良い意味で裏切られた講義
だった。大学の理念とは一見存在意義が余りないものと私も含め考え
がちであろうが、学内の方向性を明確にし、学風の創造といった意味
でも非常に大切なものであることに気づいた。特に本校の広島大学
のような数校の前身校の集合体の場合は特に重要である。講義を受
ける中で本校の理念を再確認すると共に、平和都市広島に相応しい
理念であることを好ましく思った。また、他校に比べ制定が早かったこ
とも本校の視野の広さ、取り組みの早さを誇りに思えた。講義で何より
もよかったのは参考資料の多さである。貴重であろう森戸学長の資料
を見れたことは大変良かった。
理・ 1 ・女 今回の講義を聞き、フェニックスが植えられている理由、
それに込められた願いを初めて知った。原爆からの復興、構内緑化
活動の一環ではあったが、現在季節ごとに様々な景色を見せてくれ、
我々に癒しを与えてくれる、なくてはならない存在である。これからは
もう少し注意深く観察しながら、大事に守っていきたいと感じた。原爆
による被害から、「平和を希求する大学」に在籍する学生として、今回
学んだことをしっかりと定着させ、大学の理念を多くの人に伝えられる
ようこれからも学習を続けたいと思う。
理・ 1 ・男 広島大学の理念は原爆の被害にあった広島ならではの
「平和を希求する精神に加え、知の創造、豊かな人間性、国際交流、
自己変革と、とても様々な理念を持っていると思いました。平和につ
いては、授業の前から知っていましたが、他の 4 つの理念は正直知
りませんでした。また、到達目標として「世界トップレベルの特色ある
総合研究大学」を掲げているのは、とても良いことだと思いました。な
ぜなら、そのために広島大学には国際的な研究があるのだと思った
からです。
理・ 1 ・男 広大の基本理念である「平和を希求する精神」というのを、
初めて見たときのことを思い出しました。他大学にはなかったためか
目を引かれ、やはり広島は違うとそのとき思いました。今日の講義で
それらの制定となった経緯を知ることができてよかったと思います。ま
た構内の緑が豊かで、記念樹が多い理由も納得できました。これから
の構内移動時に、注意深く見てみようとおもいました。イメージカラー
も緑であることも、歴史的背景を考えると非常に重要なことだとおもい
ました。今部活で使うユニホームを考えているのですが、赤や黒を基
調にしたものが候補に挙がっています。緑も候補に挙げようと思いま
した。
理・ 2 ・女
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パワーポイントで原爆が落ちた後の広島を見て、現在そ
ごうやバスセンターなどで栄えている市内が荒れ果てた焼け野原だ
ったということを改めて驚かされた。現在立派に多くの卒業生を出し
ている広島大学になったのも、多くの方々の努力によるものであること
に間違いはないが、フェニックスという原爆からの復興を志した言葉
のおかげであるようにも感じる。普段何気なく聞いたり見かけたりして
いたフェニックスという言葉の意味が予想以上に深く、しっかりした志
のもとで作られたものであったということを実感した。
理・ 2 ・女 今日の講義をうけて、それぞれの大学の理念の違いで
学生の方向性も変わってくるのだと思いました。この理念や象徴を確
立した森戸さんのことを今日知ることができて本当によかったと感じま
した。今日一番印象に残ったのは、原爆投下直後の米軍がとった広
島市内の写真です。あの状態から現在の状態によく復興できたなと
思います。あの写真を見たら、森戸さんの平和=緑という発想がよく
わかりました。やはり、「平和」を意識した理念や象徴は広島大学なら
ではの特徴であります。広島大学の緑を大切にしていかないといけな
いと感じました。
理・ 2 ・女 今日の講義を通して、現在広島大学にいる自分がどのよ
うに学び、どのように社会貢献するべきかわかった気がしました。そし
て初代学長の平和に対する大きな願いが分かりました。そして、原爆
からの復興に対する情熱はとてもすさまじいものを感じました。また、
広島大学の学章および大学歌が当時の在学生のアイデアを起用し
たということにも驚きました。私は今まで学章や大学歌にはそんなに
興味はありませんでしたが、私の先輩方が作られたと知り、少し気に
なりました。機会があれば調べてみたいと思います。
理・ 2 ・女 私は広島大学に AO 入試で入学したため面接があり、
ほかの人よりも広島大学の教育理念などについて入学前から考える
機会が多かったと思う。しかし、これらの理念がいつからどういった理
由で決められたのかは調べたりしたことが無かったため、今回の講義
も興味深く思った。ひとつ意外に思ったことがあったが、それは広島
大学の理念五原則のうち、「平和を希求する精神」がもっとも大切で
あるということだ。私はこれら五つの理念はどれも同程度に大切にさ
れているものだと思っていたが、やはり原爆の被害を受けた土地にあ
る大学ということもあり、「平和」というものに一際強い願いがあると感じ
た。私が入試前にこの五原則を知ったとき、広島大学理学部という科
学による傷を負った土地の大学で科学に携わる学部を受験すること
もあり、科学技術を人を傷つけるために発展させるのではなく、人の
幸せのために発展させたいと感じたことを思い出した。もうひとつ考え
たことがある。それは広島大学の校章にもあるフェニックスについてだ。
単純に原爆被害からの復興という意味からのものだと思っていたが、
国際性にも関係するさらに奥が深いものだとわかった。今の広島大学
の姿があるのは、日本だけの力でなく、他国からの力もあってのことだ
ということを知り、とても嬉しく感じた。広島大学に国際性があるという
ことは、他国から被爆都市広島への思いがあるということなので、私も
ここで学ぶ一学生としての自覚をもっと持ちたいと思った。
理・ 2 ・女 今回の授業は、今までの「広島大学の歴史」のなかで、
一番興味深かったです。広島大学の理念については何を学習する
のか検討がつかないままきてしまいましたが、広島大学の方針や、過
去に広島大学を創立するにあたって、携わったひとの広島大学への
想いなどが理解することができたのでよかったです。また、最も興味
深いと想ったのは、フェニックスについての話でした。不死鳥が、肺の
中から再生することと、原爆からの復興を重ね合わせているということ
を初めて知りました。とてもためになる授業でした。
理・ 2 ・女 原爆からの復興を象徴したフェニックス、平和を希求する
精神が中核となった理念から、広島大学への原爆の影響は大きいと
思いました。自由と平和な「一つの世界」、これが私達の中で確立さ
れたとき世界は大きく変わるだろうと思います。誰もが自由と思う世界
は、そう簡単には作れません。また、何年も平和を訴えかけてきてい
るのに未だに宣そうなど絶えない事から、平和な世界を作ることは困
難のことだと思います。今の私達は、マスメディアを通してしか戦争と
言うものを知らず、平和と言う言葉の重さを理解仕切れていないと思
います。だからこそ、今の時代を生きるものとしてもう一度広島大学の
理念をしっかり見つめ直し、絶えざる自己変革の努力を怠らないよう
にしていかなければならないと思いました。
理・ 2 ・女 広島大学が他の大学よりも早いうちから基本理念を掲げ
ていたことに驚きました。大学設置当初から、理想の大学像や広大の
学生に対する明確な理想像を描いていたおかげで、広大はただの地
方大学ではなく、地方から様々なタイプの人が集う国際的な大学にな
れたのではないかと思います。また、私は今回の講義でフェニックスと
いう名の木があるということをはじめて知りました。学章に描かれてい
る植物の意味を理解することで、改めて自分が被爆都市・広島の大
学にいることを実感できました。
理・ 2 ・女 今日の講義をの中で、「フェニックス」が広島大学の象徴
になった由来を聴いて、とても感動しました。フェニックスが不死鳥と
いうことは知っていましたが、何故広島大学の象徴としてもてはやさ
れているのか、何故それがフェニックスだったのか、ということまで考
えたことはなかったので、とても衝撃を受けました。フェニックスが灰の
中から生まれ変わるということも知らなかったのですが、それを聴いて、
本当に広島大学にぴったりな象徴だ、というような印象を受けました。
というか、広島そのものの象徴でも良いのではないか、とまで思いまし
た。広島大学は本当に平和学習について力をいれていて、平和につ
いて深く考えさせられる機会が多くあります。わたし自身も、広島大学
に入学したからには、平和についてたくさん考え、自分なりの思想と
言うものを持っておきたいと改めて思い直しました。
理・ 2 ・女 森戸辰男初代教授の理念が、今の広島大学に反映され
ていることに感心しました。現在の広島大学は、多くの緑に囲まれて
いて、確かに平和を感じられるなと思いました。また、広島大学旗が
緑である理由も今回の講義で知ることができ、他の大学の同級生た
ちに自分の大学のシンボルについて話すことができるなと思いました。
広島は原爆が落とされた街として、平和を重んじており、また広島大
学にもそれは反映されているので、自分も平和についてもっと関心を
持つべきだと感じました。
理・ 2 ・男 原爆被災地であり、国際的にも重要な場所である広島の
大学ということで、さまざまな特殊な経緯があることがわかった。まず、
平和ということがまず念頭に置かれていて、理念や象徴にもそれが顕
著に現れており、国際的にも、寄贈や寄付によりそれらが形作られて
いたことが良く分かりました。僕は今まであまりそれらのことについて
深く考えたことがなく、自分以外の人もそう思っている人が多いように
思います。なので今回の講義をきっかけに改めて理念などを見直し
て大学生活をおくれたらいいと思います。
理・ 2 ・男 今まで何で広島大学で行われる行事にはフェニックスと
いう言葉が付いているのかと思っていた。しかし、今回の講義でそれ
にはきちんとした意味が込められていることがわかった。原爆被害を
受けて、その灰の中から不死鳥のように大学が甦るようにという初代
学長の考えは凄い良いなと思った。これからは行事などで”フェニック
ス”という単語を聞くたびに今回の講義を思い出すと思う。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて考えたのは、広大が平和というもの
を重く考え、理念や象徴を築いてきた割に、現在の広大が平和学習
に関して重きを置いていないのではないかと言うことです。ただ理念
があるだけでは平和を希求する精神は養えないと思うし、受動的な平
和学習ではなく、学生の自主的、積極的な学習でないと、希求するこ
とにはならないのではないかとも思いました。何故フェニックスが広大
の象徴なのかと思っていましたが、不死鳥のフェニックスの灰からの
再生が広大に合っているという説明にはとても納得させられました。
理・ 2 ・男 今回の授業で初めて広島大学の理念を知りました。戦争
の被害が大きかったこともあって、平和を希求する精神が核となって
いることがわかりました。建学の精神にあるように、平和な一つの世界
の基礎となるのは自由で平和な一つの大学だ、ということにはとても
共感できました。広島大学の学生として、この理念を持ちながら勉強
やいろいろな活動をしていかなくてはいけないと考えますが、それに
はこの講義のように広島大学のについて学ぶ機会をもっと持つ必要
があると思いました。また、サークルやアルバイト、ボランティアなどの
様々な経験ができるのが高校との違いだお思うので、理念にある「豊
かな人間性を培う」ためにも大学のうちにたくさんの経験を積んでいこ
うと考えます。
理・ 2 ・男 広島大学でよく聞くフェニックスとは原爆の廃墟の上に建
設される広島大学のシンボルの事である。フェニックスは不死鳥と訳
され灰の中から新たな生命を持って蘇るので広島大学に一番良いシ
ンボルという事で選ばれた。また広島大学建学の精神である「自由で
平和な一つの大学」の実現に向けて学問教育の府として使命を果た
すための 5 原則があり、その中に「平和を希求する精神」とある。僕は
これは広島大学ならではの事だなと感じた。
理・ 2 ・男 広島大学の理念の 5 原則の中の 1 番初めに平和を希
求する精神とあるが、全国的に見ても「平和」ということを第一に掲げ
るのは広島大学だけでやはり地球初めての核被害地域という背景が
にじみでているなと感じた。広島大学は旧帝大に匹敵するような大学
にしたいと先代学長がおっしゃっていたそうだが、そのような大学を造
っていくのは何者でもなく、今の我々学生なので、そのことをしっかり
意識して勉学を初めとする学校生活や地域との連携をこれからも充
実させていかなければと改めて実感した。
理・ 2 ・男 広島大学に入学してすでに 1 年以上の時間が過ぎたが、
今まで一度たりとも広島大学の理念なんぞに触れもしなかったし、興
味もなかった。広島は平和都市であるから、平和というのが理念に入
っているということすら予想できず。しかし講義を聞いて、広島大学が
どれだけ平和を求めているのか考えさせられるきっかけとなったように
思う。入学したばかりの時の平和に関するレポートにも納得ができた。
理念と同様に、象徴についても無知であった。フェニックスという木が
大学構内に「原爆からの復興」という重たい意味をもって植えられて
いることを知り、他の大学よりも平和に対する意識が強く、それを行動
に移しているということが、少しうれしいところもあった。
理・ 2 ・男 まず理念のことについてですが、主要国立大学の中でも
広島大学は制定年月がとても早かったということが分かりました。その
背景に原爆の被害があるようでした。広島大学の理念そのものは東
西冷戦の 2 つの世界を意識したものでした。また象徴のことについて
ですが、最初はなんのことか分かりませんでしたが、それが学章とコミ
- 663 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ュニケーションマークのことで何度も目にしていました。また、前から
気になっていたフェニックスの意味も分かりよかったです。
理・ 2 ・男 広島大学の基本的理念として様々なものがあるが、第一
に「自由で平和な一つの大学」というものがあり、やはり広島は原爆の
影響を受けた県であるために、その「自由」と言う言葉を根本とした、
大学作りをしていて「自由」で「平和」的な勉学をすることが大事なん
だなと思いました。さらに広島大学は理念 5 原則は他の大学に比べ
てはやく定まれており、それは原爆の影響であるということを考えると
「平和」や「自由」に関しての考えが違うんだなと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義では、広島大学の理念と象徴についてのも
のだった。私が驚いたのは、広島大学のシンボルは、とても考えられ
て作られているということだった。あと私は、フェニックスといったら『不
死鳥』というイメージだけがあったのですが、実は、『灰の中から新た
な生命をもって蘇る』という意味があるというのを知って驚き、また広島
大学のシンボルとして使用されていることに納得した。この講義を聞
いて、私もこのシンボルにのっとった学生になりたいと思った。
理・ 2 ・男 今回は広島大学の理念と象徴を学びました。大学のある
場所が広島だけに基本的理念のなかの平和を希求する精神にとても
強い印象を受けました。また、広島大学に入学したてのときに外国人
がおおいいという印象を受けたのは、地域社会、国際社会との共存と
いう理念があったからなのだと思いました。広島大学のフェニックスと
いう象徴は広島大学校歌の「緑あり つよき不死の樹」からきていると
いうことにとても驚かされました。またひとつ広島大学について知れて
良かったです。
理・ 2 ・男 自分はこの講義を受けてみて、やはり基本的な理念の一
番はじめにある、”平和を希求する精神”に興味を持ちました。広島は
原子爆弾の被害を受けた数少ない都市のひとつで、それ故に平和
に関する言動や歴史的行動意欲などが、他県に比べて非常に多い
ように思えます。実際に広島大学の象徴とされるシンボルで”フェニッ
クス”とありますが、原爆から不死鳥のごとく復興し、世界を誇る研究
技術を手にいれるとは、まさに今の広島大学にある、誇るべき達成の
ひとつであることを今の段階で自覚し、さらなる発展を求めるべきだと
思いました。
理・ 2 ・男 はじめに広島大学発足時には学章や学歌がなかったと
いうことは驚きでした。なぜなら、学章や学歌が先にあり、そして学校
があると考えていたからです。そしてシンボル塔完成の経緯について
ですが自分もこの講義を聞くまではあまり知らなかったのですが、学
生やキャンパスを訪れる人々にシンボル塔についてもっと知って欲し
いなと思いました。個人的意見ですが、あのシンボル塔にフェニック
スのマークが入っており、平和を表しているということを実は知りませ
んでした。なので、もう少しわかりやすいシンボルのがいいのかなとも
思ったりしました。
理・ 2 ・男 これまでの講義で広島大学は 9 校が統合して総合大学
になったということをならったので、前身校にそれぞれの理念がありそ
れをひとつにしていくことは大変困難なものであると思ったが、広島に
原子爆弾を落とされたという悲惨な事実を背景にして平和を中心にし
た 5 原則になったということに納得の思いをした。私は大学生活にお
いて、大学の理念を気にしてはいないけれどもこの講義を機会にして
少しでも頭にいれておこうと思うが、大学キャンパスが広島から西条に
移転したことで平和を中心とした理念の意識が薄れていっているので
はないかとも思った。
理・ 2 ・男 今回の講義は入学前から大学のパンフレットで見て知っ
ていた内容だったのでもう一度確認をこめてのいい時間がすごせた。
さらに、フェニックスを広島大学が象徴しているのは、原爆からの復興
の意味をこめているからなど新しい事実も聞けてよかった。配られた
史料 6 に広島大学のシンボルをフェニックスにした理由が書いてあっ
たが、「不死鳥」としてフェニックスは一度灰になってまた新たな生命
をもって蘇るとされていて、それが広島大学に似ているという文章がと
ても印象に残っている。講義に少し外れるが、この文章を書く前に「も
みじ」を閲覧して検挙される生徒が多発しているという情報をてにい
れた。広島大学に思いをこめて今まで多くの人々が卒業したのに、こ
のような事件があったらとても失礼だと感じた。自分が広島大学に在
籍しているという自覚を自分を含めてもっと持つべきだと思う。
理・ 2 ・男 広島大学の象徴となっているフェニックスは不死鳥を意
味し、原爆からの復興をも意味するのだろうということは想像がついて
いた。入学前に読んだ広島大学のパンフレットにも「平和」の文字が
強調されていた。世界で初めて被爆した地に建っていた広島大学だ
からこそ理念の中に「平和」の文字を盛りこむことは重要だったと考え
る。そのためには広大生である以上、より平和について考えなくては
いけない。しかし、ここへ来てからの 1 年を振り返ると、特別何か平和
のことを考えたことがなかった。何かの行事に参加することもなかった。
講義でもあったが、東千田キャンパスに大学があったころよりも平和
に対する気持ちが希薄化してきているのではないだろうか。私は長崎
県出身だが島に 18 年間いて、まともに長崎市内を回ったのは 1 度
しかなかった。しかし小学校~高校まで平和学習がない時はなかっ
た。やはり原爆資料館を見学したときは想像をはるかに越えたものが
そこにはあったが、平和に対する強い気持ちはそこへ行く前から十分
自分の中にはあったと思う。他県ではどれだけ平和学習というものが
今まで行われてきたかわからないが、私が今まで学んできた平和に
関することは広島の人以外の人よりかは多いと思う。今の自分でさえ
平和に対する気持ちが薄らいでしまっているのに、元々平和に関す
る知識が少ない人たちであったらどうだろう。きっと人ごとだろう。外国
人が日本人についてまず残念に思うのが、「自分の国の歴史を全然
知らない」ことだそうだ。平和を世界に訴えていかなければならない日
本人、まして理念にも盛りこまれている広大生ならなおさら、人ごとの
ようなことではいけない。今東広島キャンパスにあるフェニックスやそ
の他数百本の木々が外国の大学から寄贈されたものだということには
驚いた。「焼け野原に緑を」と行われた大学構内緑化だが、これは暗
に原爆のことを忘れるなというメッセージも込められていると思う。これ
らから一人一人なにかをそれぞれ感じとって、平和に対する気持ちを
持っていかなければならない。
理・ 2 ・男 理念五原則の中心に平和を希求する精神とあり、これを
大学の理念として掲げている大学はほかにはないと思うが、それを前
面に出しているにもかかわらず、特別にそのような雰囲気があるわけ
でも、平和に関する講義の単位が必修になっているわけでもないの
で、結局広島にある大学というだけの飾りに過ぎないのかと思う。現
在の状況で平和の戦士を送り出しているとはとても言えないと思う。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて広島の復興として創造や再生を意
味するものとして広大のイメージカラーが緑や青が使われていると聞
き、これまで何も知らなかったので納得させられました。私は広島市
内に住んでいたのでよく広大跡地を通ることがあったので、被爆した
建物が残っているのは知っていました。しかしあそこに植えてあるフェ
ニックスを代表とする木々が他大学との友好であったり、創造や復興
の意味をこめているのを聞き感動しました。あの土地は現在何に使わ
れるのか決まっていませんが有効な使われ方をされ、フェニックスな
どが残るような形で使ってほしいと感じました。
理・ 2 ・男 私は今回の講義があるまで広大の象徴である「フェニック
ス」がどういう意味であるのか知らなかった。プリントには「フェニック
ス」=「不死鳥」という意味で、また、平和という理念をも含んでいるシ
ンボルだと記載されていて今まで疑問に思っていたことが解決された。
また、学旗にも「更生する清新な生命を代表する緑の色」をとり得た学
旗だとはじめて知った。広島大学が原爆・平和という概念をシンボル
や学旗に含めている点は非常にすばらしいと思う。
理・ 2 ・男 広島大学の理念に、開学以来の精神(平和を希求する・
新たなる知の創造・豊かな人間性を培う教育・地域社会、国際社会と
の共存・絶えざる自己変革)を継承していくというものに僕は心打たれ
ました。特に、平和を希求するということは広大ならではの精神であり、
原爆からの復興を不死鳥のように遂げたということで、当然継承され
るべきことであると思います。そして、「世界トップレベルの特色ある総
合研究大学」を到達目標としているということに、僕は広島大学に入
ったことを誇りに思いました。
理・ 2 ・男 広島大学のホームページに「自由で平和なひとつの大
学」という基本理念が書かれていることは以前から知っていました。で
すがなぜ、わざわざ「ひとつの」という言葉をつけたのか不思議でした。
その理由を今回説明していただいて、すっきり理解できました。大学
設立当時のまさに分裂の時代において森戸初代学長がおっしゃった
基本理念には当時の日本、世界の願いがこめられていたという話は
とても印象深かったです。フェニックスは原爆という悪夢から見事に生
き返り、平和を希求する精神を持って世界に飛び立つ(交流していく)
広大に本当にぴったりのシンボルだと強く思いました。この授業は広
大の歴史という授業の一環ではなく、広大生全員が受けるべきもので
はないかというのは言い過ぎかもしれませんが、本当に得るものが多
い、納得の授業でした。
理・ 2 ・男 国立大学が設立当初、それぞれの理念や目標を掲げて
いたわけではなかったことに驚きました。学校に入学するとまず校訓
や校歌を教わったりするから(この授業ほど詳しくではありませんが)設
立とともに作られるのが普通のことかと思っていました。大学では理念
や校章などの説明があまり詳しく教わらないので、今回の授業はとて
も面白かったです。基本理念、森戸三原則と中間目標の強いつなが
りやその内容はまさに広島という土地で原爆被害から地元、全国、そ
して国を越えて助けられながら復活を果たした広大ならではなものだ
と思いましたし、その象徴のフェニックスやほかの外国からの木々を
取り寄せた経緯もとても興味深かったです。広大のために本当にさま
ざまなことを考え実行された森戸初代学長は本当にすごい方だなと
思いました。ほかにも校章とコミュニケーションマークの違いなど、い
ろいろな広大についての話がわかってすごくためになりました。
理・ 2 ・男 以前この講義において、広島大学は多くの前身校が統
合されて設立されたということを知りました。そのため、その事実を学
んだときは、大学でかかげる理念は学部間に格差が生じている設立
当初では、一つにまとめることができないのではないか、と感じていま
した。実際、今回の講義でそうであったということをしりました。本講義
を通して、「平和の希求」を中心として立てられた理念は、戦争を体験
していない現代の若者には少しばかり手の届きにくいものではないか
と感じました。そのため、広島大学は積極的に学生に対して平和学
習を行うことで、改めて平和の希求の意識を高めるべきではないかと
- 664 -
考えた。
理・ 2 ・男 広島大学の理念や象徴は見たことは何回もあるけど由来
やそれに込められた意味はあまり知らなかったので、五つの理念や
基本理念、森戸三原則の間にしっかりとした流れがあったということに
驚きました。冷戦など、その当時の現状を理解し、それを解決してい
く姿勢を基本理念に表わし、その一方で国際社会を見据え、設立に
あたっての地域への感謝も忘れない、とてもよく考えられた、広大だ
からこその理念だなあと感じました。これだけのことを考え、また大学
緑化などの行動に移された森戸初代学長はすごい人だと思いました。
今回の講義を受けて、さらに広大が身近になりました。
理・ 2 ・男 広島大学のシンボルとして、フェニックスの樹があるのは、
初めて知った。たしかに、言われてみれば、広島には、 phoenix clu
b などというものもあるし、校章にも、フェニックスの葉がモチーフとさ
れている。そのフェニックスというシンボルにも、原爆で破壊された街
からよみがえるという思いや、平和への思いが込められているのも、
今回知った。初代学長の森戸辰男学長が、世界中の大学に手紙を
出して種や苗木、寄付金を募って、広島大学を緑化しようとした事は、
本当にすばらしい事だと思った。世界中から取り寄せた種、苗木は、
復興の道を歩む広島の街とともに成長し、確かに人々とともに歩んだ、
歴史の証人だと思う。樹木は言葉を語れないが、それを見て、人々は
過去に思いを馳せ、忘れてはならない記憶を再確認する。そういう意
味で、これらの樹木は歴史の歴史の証人であると自分は考える。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けるまで、広島大学の理念をほとんど知
りませんでした。今までの大学生活の中で理念を意識するような出来
事がなかったためだと思います。講義を受けてやはり広島大学は「平
和」を追い求めている大学であり、非常にわかりやすい理念だと感じ
ました。また、中央図書館の南側にある国際の森など、普段大学内を
自転車で移動している中でも広島大学の理念を見ることができると教
わって、今まで何も知らなかった自分を恥じました。これからは広島大
学の理念や象徴を心にとどめておきたいと思います。
理・ 2 ・男 今回の講義で、私はいままで何にも知っていなかったな
と痛感した。広島大学の象徴がフェニックスであることを私は知らなか
った。私は次の日曜日に、サタケメモリアルホールで行われるフェニッ
クスコンサートに出るのだが、以前から「フェニックスコンサートって、
なんでフェニックスなんだ?」と疑問に思っていた。しかしよくよく考え
てみるとフェニックスという名前が付くのはもっともで、実際、この疑問
は講義であっさりと解決されてしまった。原爆から奇跡的に復興した
広島大学は、まさに不死鳥と呼ぶにふさわしい。この原爆からの復興
から、フェニックスが象徴になったのは確かにもっともだ。今後、意外
にも知らなかったことを知ることができたらいいなと感じた。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けてやはり一番に印象に残った広島大
学の理念と象徴は平和を希求する精神である。これは広島大学なら
ではの理念であるし、また広島大学をもっとも象徴しているものである
と思う。広島は原子力爆弾の被害を最も受けた地域であり他の地域
よりもより平和を求める意思が強くなるのは必然のことであると思う。や
はりこのような大学があるために後世まで平和の尊さを伝えていける
という点において非常に誇るべき理念であり象徴であると思う。
理・ 2 ・男 フェニックスについてだが、原爆からの復興という点につ
いてとても感銘を受けた。だが、広島大学は広島にあるいじょう平和
を象徴するべきである。そのことを考えると死んでも生き返る~のよう
なイメージを持ってしまうフェニックスはどうなのかな…と思ってしまっ
た。広島大学の理念については世界トップレベルの特色ある総合大
学を目標に掲げていて、実際に総合的に研究を行っている大学なの
で感心した。自由で平和な大学を目指している点では、広島の独自
性をちゃんとあらわしているなと思った。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広大の理念にはやはり「平和を希
求する精神」が入っていて、被爆地の大学として広大が果たさなけれ
ばいけないとこが理念に含まれていることを知りました。ただ、その理
念がつい最近制定されたというのは少し驚きでした。他の国立に比べ
たら早いですが、もっと前から理念があったのかと思っていました。も
うひとつ気になったのが、初代学長の森戸氏が第一回卒業式で卒業
生を「平和の戦士」と表現したことです。当時はまだ理念がなかったの
ですが、森戸学長は広大が平和教育の先端を行き、卒業してからも
平和を希求する心を忘れないでほしいと考えてこの言葉を送ったの
だと、私は思います。今の理念に森戸学長の願いはしっかり引き継が
れているのだと感じました。
理・ 2 ・男 広島大学の理念の中にある「平和を希求する精神」という
言葉は、入学前からオープンキャンパスなどで耳にしたこともあるし、
やはり広島大学には「平和」は欠かせない重要なキーワードだなと感
じた。また第一回卒業式で、卒業生のことを「平和の戦死」としている
項目には、とても当時の学長の想いが伝わりました。広島大学の象徴
であるフェニックスの話を沢山聞いて、やはりそこには原爆からの復
興という想いが強く込められているんだなという印象を受けました。こ
のように広島大学は、建学の精神や理念がはっきりしていて、学生に
何を望むのかがすごく考えさせられる大学だと改めて感じました。
理・ 2 ・男
理念と象徴なので原爆からの復興が大きな要素を占める
と思っていた。森戸辰男初代学長が卒業式の告辞で述べた「平和の
戦士」という言葉がこの講義のなかで重く心に残っている。それは 1
代目の卒業生だけではなく、今も受け継がれているのだと思う。広島
という特殊な地域にある大学なので、私が地元に戻ったときもこの精
神を持たなければならないと思う。シンボルのマークについても興味
ぶかい話が聞けたと思う。ただ、 H と人のマークより葉のマークが力
あるのは初めて聞いた。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、昔、世界各国から木々を寄付して
もらったり、広島大学歌、大学旗の制定などさまざまな現在の広島大
学の象徴となるものが作り上げられた。森戸学長を意識して桜の木を
1111 本植えたのはとても興味深かった。広島大学の基本理念である、
理念五原則はとても興味深かったのでこれからも調べたいなと思った。
広島大学のシンボル塔はゴミ焼却炉の煙突であるということは分かっ
ていたが、それができるまでにいろいろな出来事があったことを知っ
て面白いなぁと思った。
理・ 2 ・男 今回の講義で、広島大学の象徴はフェニックスであると
初めて知った。その由来は死に近付いたフェニックスは灰の中に飛
び込み、また新たな生命として何度でもよみがえると言うところが原爆
で町を灰にされても建てなおして今の姿がある広島のイメージとぴっ
たりあうからと言うものだった。私の予想とは若干外れていたが、被曝
地ヒロシマと言う観点から生み出された点では近かった。この象徴は
たしかに広島の象徴としてはよくできているが、広島大学に当てはま
っているかどうかは微妙だと思った。
理・ 2 ・男 広島大学の象徴がフェニックスであることは前々から分か
っていたのだが、由来までは考えたことがなかった。広島に原子爆弾
が落とされたときに、灰から生まれるフェニックスを当てており、フェニ
ックスは不死鳥であることから、もうこのようなことは繰りかえさせないと
いう断固とした意志と平和の祈りが込められていると思う。このことから
もやはり、広島大学は平和活動に力を入れていると思う。まだまだ広
島大学について知らないことがあると思うので、疑問点を見つけ、理
解し、広島大学についての知識を深めていきたい。
理・ 2 ・男 広島大学の理念も象徴も原爆被爆の経験をもつ広島と
いう土地からできているのだと思いました。広島大学は原爆から切っ
ても切れない関係にあるんだなと思いました。広島大学の象徴である
学章や大学歌が大学ができたときにはなかったと聞かされたときびっ
くりしました。しかも学生の作品からできたとはじめて知りました。キャ
ンパスが東広島に移転したことによって大学が広島市から遠ざかって
理念とか象徴が希薄化してしまうなと思いました。なぜ移転したのか
なと思いました。
理・ 2 ・男 次期広島大学の卒業生として、平和について考えていき
たいと思った。象徴フェニックスについての意味はある程度予想でき
たが、改めてきいてみたら納得できた。学期、学科、そしてシンボルと
しての、寄り合い世帯である大学としての精神的な支えは絶対に必
要であると思う。また、原爆からの復興に全力でとりくんだ結果、今の
広島大学があるのだと思う。国際性のある大学として、もっとじぶんも
国家単位で活躍できる人間になりたいと思った。国際交流も盛んなこ
の広島大学で自分のスキルをもっとのばしたいです。
理・ 2 ・男 今回の授業をうけて、広島大学の創始者である森戸さん
はすごいと思った。森戸 3 原則をはじめ、様々なことを考え広島大学
を中四国の中心大学にし、旧帝国大学に追いつこうと頑張っていた
ことを知った。また原爆にもまけずずっと生き続けるという意味でつけ
られたフェニックスという言葉を選んだのはすごいあっていると思う。し
かしキャンパスを東広島に移したこともあり広島大学の良い理念が希
薄になってしまっていそうなことが残念であると思った。
理・ 2 ・男 広島大学の基本的な理念の 5 原則は、世界の平和に対
する考え方として本当に必要だと考える。広島は、原爆の落とされた
世界で 2 つしかない町の一つである。広島大学はその広島にある大
学だから広大生は皆、この 5 原則をしっかり自分の心の底に秘めて
行動すべきだと感じた。広島大学の象徴は、フェニックスであるが、フ
ェニックスの意味が原爆からの復興という意味であることは初めて知
った。僕は体育会系の部活に入っているのですが、何かとスポーツ
大会があるとそのスポーツ大会はフェニックス~~という名前になって
いて不思議に思っていた。この意味を知れてよかった。
理・ 2 ・男 広島と理念と象徴このテーマを聞いて上記のとおり自分
は校歌や校章の話だと思っていたまあ完全にははずしていないにし
ろ詳しい話が聞けておもしろいと思った。広島はアメリカに原爆をおと
されてほぼゼロからのスタートだった。そこから再起動というか復活と
いう思いをこめた不死鳥(フェニックス)を大学のマークとしてチョイスし
たのはなかなかすばらしいものだと思うし、考えさせらるものがあると
思う。現在広島大学にはたくさんの人が通っているし自分自身もそう
である。大学のことをもっと知ってきちんと生活すべきだと改めて考え
させられた。
理・ 2 ・男 広島大学は「自由で平和な 1 つの大学」という開校以来
の精神をあげています。それはやはり、広島が原爆の犠牲になった
県だからよりいっそう平和への願いが強いんだと思います。さらに正し
い学問を習うことで、世界的にも優れた人材に育って、平和で住みよ
- 665 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
い世の中を作って欲しいという願いがこめられてるのかと私は思いま
した。また、広島大学の象徴のフェニックスも原爆からの復興を表して
いるそうです。広島は国際的にも有名です。そこの名前のついた学
校の生徒として、平和や国際交流についてきちんと考えられる人間
になりたいと思います。
理・ 4 ・男 基本的な理念である「自由で平和な一つの大学」という
のは自分も知っていて、建学の精神がしっかりと残っていることは素
晴らしいことだと思った。被爆地である広島の国立大学として広大は
平和というものを世界中に発信していく義務があると思う。広大の象
徴のフェニックスもまた、復興した広島にふさわしいと思う。大学歌は
入学式で一度聞いただけで歌詞も知らなかったが、ここにもしっかりと
した理念が示されているなと感じた。
理・ 4 ・男 広島大学の基本的な理念として、「自由で平和な一つの
大学」という理念を継承して、現在に至るということであった。広島県
は原爆の被害にあっているということもあり、その理念としてはやはり、
平和を求めるということが第一にあるのではないかと思われた。そこで
その象徴としてフェニックス(不死鳥)が掲げられており、この広島大学
のシンボルは広島大学の理念にふさわしいものだなと感じた。現在
広島大学は中国地方を代表する大学に成長しているので、今後はこ
の理念のもとに精進していきたいと思う。
理・ 4 ・男 各学校に理念があるように広島大学にもあるのだろうとは
思っていたが、それを知ることができてよかった。特に、平和を希求す
る精神というのは、広島ならではの理念ではないかと感じた。広島大
学は、戦争によって忘れられない記憶の残った場所にある大学なの
だから、平和を望む心を他のどの場所にある大学の生徒よりも考えな
がら生活していかなければいけないと感じた。僕は、大学に入学する
まで、大して平和について考えたことは無かったが、広島大学に来て
少しずつ考えるようになった。それだけでも広島大学に通って良かっ
たと感じる。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第7回】
学長たちの横顔(1)
-初代学長森戸辰男から川村智治郎まで-
医・ 1 ・女 今回の講義を受けて僕自身医学部に属しているというこ
とで呉キャンパスから現在の霞キャンパスに移転する過程に非常に
興味を持ちました。地元の人たちの霞への移転を阻止するためのビ
ラは衝撃でした。特に学生たちとの衝突が激しいものであったという
のが両者のビラを呼んで伝わってきました。自分がこの先 2 年生以
降霞キャンパスで学んでいきますが、今日その背景が知ることができ
て本当によかったです。
医・ 1 ・男 森戸校長が決まるまでにさまざまな出来事を経ていること
を、当時の残っている文書を見て、そのときに森戸氏がどのように考
えていたのかまで知れて面白かった。長田氏の後援会が朝日新聞に
情報を流したり、文部省に陳情書を出したりするなど、校長を決める
ために工作をしていたことから当時の校長になるということがとても大
きなことだったんだと感じました。それから、皇至道と川村智治郎は、
広島出身ではないにもかかわらず、広島大学の校長になっていたこ
とも意外でした。
医・ 1 ・男 歴代の広島大学の学長の経歴についての講義を受けて、
まず初めに初代学長の森戸氏が広島大学とはなんの関わりもなく厚
生労働省の役人であったことに非常に驚いた。そしてその森戸氏の
影響が歴代の学長のなかでも飛び抜けていることについても驚いた。
次に歴代の広島大学の研究者の中で一番ノーベル賞に近かった人
物がおりそのひとも学長になったようだ。今回の講義を受けて今まで
に自分の持っていた広島大学への思いがすこしかわったような気が
する。
医・ 1 ・男 現在の広島大学になるまでには今回紹介された学長た
ちの大きな尽力があり、またそれぞれの学長がどのような働きをされ
たのかを詳しく知ることができてとても勉強になりました。特に講義を
聴いていて森戸学長の働きが大きいように感じました。大学の復興と
いう 1 からのスタートで大変だったことも多かったと思いますが、それ
を成し遂げた森戸学長の働きがあったからこそいまの広島大学があ
ると思います。
医・ 1 ・男 第 1 代目の学長が選ばれるまでの過程には紆余曲折が
あって、大学というものを新しく設立しようとすることは、学長のポスト
一つとってもドラマがあるくらい巨大なプロジェクトなのだと思った。森
戸さんは衆議院議員という恐らく世間的には地方の新設大学の学長
よりもよいと思われるポストにありながら、郷土の声に応えたい、日本
の再建を担う若者を育てたい、平和主義に立つ大学を作りたいという、
確固たる信念をもって議員を辞職されたことは、なかなか他の人には
できないことなので、その態度には深く感銘をうけました。
医・ 1 ・男 今回の講義を受けて、戦後間もない大変なときに学長就
任のオファーを受けた森戸辰男氏はすばらしいと思いました。やはり
森戸辰男氏は広島出身であり、郷土のために一肌脱ぎたいという思
いがあったのだと思います。また、森戸辰男氏の「日本の再建は青年
の向背にかかる」、「平和都市広島にふさわしい大学を作りたい」とい
う信念はまさに今ある広島大学を象徴するものだと思います。また、
皇学長、川村学長も在任期間は短かったものの、その後の広島大学
の発展に重要な道筋をつけたのだと思いました。
教育・ 1 ・女 フェニックスを作ったのは森戸さんなのですね。初めて
知りました。また、今までもさんざん地域との関連性のことを学びまし
たが、今回の資料を見て、改めて地域における重要性を感じました。
たとえ一部しかなくても、大学があればそれだけで街は活性化します。
経済的問題にも関連してきます。唯一の大学がなくなってしまえば、
確実に経済的ダメージを受けますものね。大学を移すということは、
簡単そうに見えて、さまざまな利害が絡んでくるのだなぁと改めて思い
ました。また、皇学長と川村学長がどちらも滋賀の人であることに驚き
ました。なんで滋賀なんだろうと。
教育・ 1 ・女
今回は、学長たちの略歴や功績について学んで、自
(講師:石田
雅春)
分の在籍する学校がどのような人物によって建てられたかを知りまし
た。そこから、学長たちの広島大学に対する思いを感じることができま
した。また、その思いは今でも大学の緑や平和関連の図書に残って
いると思いました。そして設立までの経緯を知って、「自由で平和な一
つの大学」という建学の精神を受け継いでいかないといけないと感じ
ました。感謝の意を常にもって、広島大学を受け継いでいく者として、
また、これからの日本を担う者として、より一層勉学に励みたいと思い
ました。
教育・ 2 ・女 広島大学開学から 3 代目までの学長について学んだ
が、ほかの学長はどういう人たちなのか知りたいと思った。大学を統
合・移転するのに政治問題になるほど大学は地域に影響しているの
かと思うと大学の地域経済に対する効果はどのようなものか知りたくな
った。確かに今東広島にある大学の周辺は今でこそいろんなものが
あるが昔はもっともっと田舎だったそうだ。呉市民が反対するのもわか
るような気がする。いまここから大学が移転したら東広島はどうなるの
か。大学生がいるのといないのとではぜんぜん違うだろう。レジュメや
史料の年表ではさらっと書いてあるが、容易ではなかったことは想像
に難くない。しかも初代の森戸学長は給料が前よりも減るのに生活が
苦しくなるにもかかわらず学長に就任し、キャンパスの集約・整備をし
てきたことに尊敬の念を抱いた。
教育・ 2 ・女 まず、広島大学は多くの他大学の寄付・寄贈なくして
は成り立たなかったんだろうなと思いました。原爆の直後だったにも
かかわらず、その被害から立ち直るのが早く、また平和と自由の大学
として今日まで広島大学が発展し続けているのは初代学長その他大
勢の人のおかげだったんだと実感しました。これからも、中国四国地
方の中心大学、地域性のある大学、なおかつ国際性のある大学とし
て長くその構想が大切にされればいいなと思います。
教育・ 2 ・女 初代学長である森戸辰男が選出された経緯を知り、驚
いた。そもそも、建学当初に学長が存在しなかったという事実をはじ
めて知ったため、驚いたが、数多くの学校が合併されてできた広島大
学ならば、あっても仕方のないことだとも感じた。当時の学長には「大
学を一つのものとする」という明確な使命があり、それは建学の精神
にまでなったわけであるから、もちろん学生たちも学長が何をしている
人であるかは知っていたのであろう。しかし、わたしは今の学長が何
を使命としてどのように活動しているか知らず、それは大学の情報が
学生に十分に伝達されていないということなのではないかと考えた。
もしくは、ただわたしが情報を手に入れようとしていないだけでしょうね。
教育・ 2 ・女 テーマは歴代の学長についてだったので、名前だけ
でも全学長について触れるのかと考えていましたが、予想とは違って
講義で扱ったのは 3 人の学長だけでした。その 3 人の中でも、やは
り最も印象的だったのは、初代学長である森戸辰男です。私は高校
で日本史を履修していたので、「森戸事件」については知っていまし
たが、初代学長の森戸辰男という人物像とは一致していなかったの
で驚きました。また、今回の講義の中で最も関心を持ったのは、誰を
広島大学の初代学長に選任するかということでかなり試行錯誤してい
たという事実です。当初、森戸辰男さんが候補から外れていたことが
意外でした。投票数の漏洩によりかなり混乱しましたが、最終的に、
文部大臣をも経験していて全国的に著名な森戸辰男さんが学長にな
ったことは良かったと思います。総合大学である広島大学にとって、
森戸さんが掲げた「自由で平和な一つの大学」というのはとても重要
で適切な精神ではないかと思いました。また、私は教育学部の教育
学系コースなので、投票数が 1 位であった長田新さんについて少し
は知っていたのですが、さらに詳しく調べてみたいと思いました。
教育・ 2 ・女 今回の講義で、広島大学がすんなりと始動したのでは
ないことが意外だった。確かに森戸学長は広島大学とはあまり関係の
無かった人であるが、地域住民が力を合わせた広島大学のことだか
ら、一団になって望んだのだろうと思っていたからだ。確かにそれは
一部真であったようだが、一筋縄ではいかない事情があったというこ
- 666 -
とが新鮮だった。もしあのまま長田さんや羽田さんが就任していたら、
少なくともフェニックスのシンボルは無かっただろうし、こんなに開けた
広島大学は無かったかも知れない。どのような姿になっていたのか、
ということに多少興味はあるけれど、広島大学はこの形でよかったと
思っているほどには思い入れがあるので、就任してくださった森戸学
長には感謝をしなければならない。
教育・ 2 ・女 今回学長たちの横顔ということで、森戸学長、皇学長、
河村学長の 3 人の経歴や学長への成り立ちが分かり、学長に就いて
からの活動も学べた。主に、森戸学長が施設の充実に力を入れ、建
学の精神である「自由で平和な一つの大学」を掲げて、学校を緑溢
れるようにしキャンパスの集約・設備をはかった。そして皇学長や河村
学長は組織の整備に力を入れた。大学院の設置ということで多くの研
究科を設置した。私たちはこのようにして造られた大学で勉学に励み、
平和を唱え、世界に多くの分野で進出していけるように頑張っていく
ことが大切だと思う。
教育・ 2 ・女 私がこの講義で楽しみにしていたテーマだったのでと
ても面白かった。高校の時「森戸事件」で知っていた森戸辰夫初代
学長を別の視点から見ることができたと思う。私は森戸辰夫が広島大
学の初代学長であるということを知ったときとても驚いたことを思い出
した。それまで森戸辰夫は歴史の中の人物で自分に関わりがあるよう
な人ではなかったのでとても違和感を覚えた。しかし今回の授業で森
戸辰夫が学長に就任した経緯や植樹の話を聞き、とても身近に感じ
た。
教育・ 2 ・女 さまざまに分かれていた学部を今の状態にされるのに、
多くの困難があったのだなぁと思いました。そして、私は今のように多
くの学部が一つのキャンパスにまとまって、お互いに良い刺激がある
のではないかと思います。それぞれにそれぞれの雰囲気、考え方が
あり、部活や授業などを通して、お互いに意見交換をし、友人にもな
れます。実際、私が広島大学を受験しようと思った理由の一つは、総
合大学であるからです。これは、広島大学の大きな魅力一つだと思
います。
教育・ 2 ・女 広島大学の学長となられた方は、みなすごい方々ば
かりだと思った。広島大学という規模の大きい総合大学すべてをトッ
プに立って取り仕切るのは大変なことだろうなと思う。日ごろ、自分の
大学生活の中で学長という方の存在を感じることは正直ほとんどない
けれど、当たり前のことながら、大きく関わっているのだと感じさせられ
た一時間でした。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて森戸辰男学長、皇至道学長、川
村智治朗学長の主な略歴やどのようなことをそれぞれの学長がされ
てきたのかがよくわかりました。それぞれの学長が広島大学が現在の
姿にいたるのに大きく影響しているんだな、と感じました。また、学長
についてだけではなく、学長選考の経緯についても初めて知ることが
できました。今回の講義を受けて、普段なかなか身近に感じることの
ない学長さんの姿をより身近に感じることができた気がします。
教育・ 2 ・女 私が通っているこの広島大学は、どんなひとたちによ
って作られたのだろう?学長になるということは、大きな責任と行動力
が必要だと感じました。広島大学が日本で有名な学校になったのも、
今までの学長たちの努力の中で今日の広島大学があると思います。
そのようなひとが大事に大きくしてきた学校にいるっていうことに感謝
して毎日を意味のあるものにしていきたいと、強く感じました。
教育・ 2 ・女 今回の授業の中で私が一番心に残ったことは広島大
学の医学部が呉市阿賀にあったことです。私は呉市の広の出身です
が、広島大学と呉市にそのような関係があるとは知りませんでした。呉
市には今はいくつか大学がありますが、移転問題があったときは大学
がなかったということも分かりました。この問題の解決策に呉市の広に
医学部の分校(?)を置くという形で和解したとおっしゃっていましたが、
その分校は今でもあるのかなと疑問に思いました。今回紹介された 3
人の学長さんはいわば広島大学の基礎になった方々で、今でも残る
物の歴史の始まりが分かりました。森戸学長の話は何回かこの授業
で出てきていましたが、川村学長が両生類のかえるの研究をされて
いたから、現在でもかえるのキャラクターが多く使われていることを知
り、納得できました。日ごろ何気なく目にしたりするものの歴史や始ま
りや関連性が分かるのでとても、親密感がありなるほどと思うことが多
くありました。
いて驚きました。そんな偉い人がいろんな経験を経て、この広島大学
の学長になったんだと思うとなんか誇らしい気持ちになりました。そし
て、広島大学がこうやってできた、というのを聞くたびにやはり広島大
学の教育学部はすごいんだなと感じます。
教育・ 2 ・女 講義を受ける前までは、どうせ国立大学だから創立も
国がほとんど手がけたのだろうと思っていたが、今回の講義を受けて、
その考え方は間違っているということに気づいた。広島大学創立の裏
には、広島県や初代学長・森戸辰男先生をはじめとする歴代学長の
方々の多大なる努力があったことを知ることができた。特に、前回の
授業でも習った、森戸辰男先生の「自由で平和な一つの大学」という
建学の精神や、森戸三原則などは本当にすばらしいもので、そのよう
な思いのもとに生まれた大学で学べることを誇りに思うようになった。
教育・ 2 ・女 森戸辰男氏は、広島大学の理念についてだけでなく、
大学をよりよいものにしようと様々な工夫を凝らしてきたということがわ
かった。広島大学の初代学長が決まるまでの経緯を学んで、もし朝
日新聞が長田氏についての記事を載せなければ、森戸氏が広島大
学の学長になることはなかっただろう、と考える。森戸氏以外の人が
広島大学の学長になっていたら、今の広島大学とは全く違うものにな
っていたかもしれない。そう思うと、不思議な心持になった。今回の授
業は、高度経済成長に向けて課題が残ったまま終わったので、これ
からどのような変化が訪れるのか、講義が楽しみである。
教育・ 2 ・女 広島大学の歴代の学長がどのような人だったのか、ま
た、どのようにして学長になったのか知らなかったが、今回の講義か
ら分かったことがたくさんあった。森戸辰男元学長についての史料か
ら、衆議院議員を辞任して学長になったとあり、驚いた。私は大学の
学長は教授の中からが選ばれてなるものだと思い込んでいた。森戸
元学長の聞き取りの史料は森戸元学長のことばがそのまま書かれて
いたのでとても読みやすく、面白かった。
教育・ 2 ・女 今回、授業を受けて、森戸辰男さんについて、また、
広島大学の学長就任の背景について知りました。まずはじめに、私
は誘われてすぐに引き受けたと思っていたので、森戸さんがはじめは
学長就任を断っていたことや、大学側が森戸さん以外の何人かの人
に学長就任を求めていたことに驚きました。また、衆議院議員という
政界の場から、広島大学の学長という教育の場へ移るという、人生に
おいての大きな変化をきちんとそれぞれの中から共通の目的や思い
を見出して、さらに広島大学をよりよくしていくために様々な目標を見
つけ実行していったことは本当にすごいことだと思いました。
教育・ 2 ・女 広島大学を創立した森戸辰夫氏のことがよくわかった。
森戸氏以外の学長のことも詳しく知ることができ、興味深い授業だっ
た。あまり、学長のことを考えたことはなく、学校の成り立ちのようなこと
を正直全く知らず日々を過ごしてきたので面白く聞けた。面白いとい
うような内容だけではなかったが。例えば、大学紛争などに巻き込ま
れた学長は気の毒に思えた。連日の生徒との交渉に見舞わ精神的
疲労で倒れ辞職した事実には衝撃を受けた。学長という職の重大さ
と大変さを感じた授業だった。また、昔のキャンパスには付属高校や
中学が隣接していたことには驚いた。
教育・ 2 ・女 今回の講義を通して、初めて知ったことがたくさんあり
ました。さすが、学長になられた人ということだけあって、歴代の学長
は素晴らしい学歴をお持ちだなあと思いました。特に、初代広島大学
学長である”森戸辰男さん”は、建学の精神「自由で平和な一つの大
学」を目指し、森戸三原則を設けられ、とてもすごい人だと思います。
また、その理念を下に立っている広島大学もまた、素晴らしい大学だ
と思います。
教育・ 2 ・女 自分の通っている大学だけれど、初代学長が誰かな
んて全く知りませんでした。今日初めて森戸元学長のことを知りました。
「森戸事件」は中学校の少々マニアックな日本史の授業か、もしくは
高校の日本史の授業のどちらかで聞いたことがあったので驚きました。
初代学長を決めるのに物凄く揉めていて、こう言っては失礼ですが楽
しかったというかはらはらしました。特に、長田氏の投票数がトップだ
ったのを公開されたり、学長になってほしいと願う人々がそう思うあま
りに余計に長田氏を学長から遠ざける結果になってしまったりしたとこ
ろです。他にも川村元学長が優秀すぎていじめられて居場所を失く
してしまったり、人間は恐いと思いました。
教育・ 2 ・女 今回の授業で、広島大学の学長にどのような人がいた
のかを学ぶことが出来ました。そして、歴史の用語で見たことのある、
「森戸事件」は、広島大学の学長であったことに驚きました。さらに、
広島大学の象徴であるフェニックスや森戸道路も制作し、キャンパス
の整備もしていた。森戸学長は、広島大学の理念だけを追求したの
ではなく、現在の広島大学の礎を築いていたのだと思った。そして、
皇学長や、川村学長も大学の大きくしていった人の一人である。その
結果、より優秀な人材を育成するための大学院もでき、たくさんの人
が学べる環境となっているのだと思った。
教育・ 2 ・女 まず驚いたことは広島大学学長選考の経緯です。
様々な事情があるとは予想していましたが、ここまで深い事情や歴史
があるとは思いませんでした。今まで森戸辰男氏のお名前だけは拝
聴していましたが、その実績には詳しくなかったので、今回の講義は
とても興味深いものでした。また、他の学長については全く知らなか
ったので、今回の講義のおかげで、より広大の全貌に近づいた気が
します。広大の歴史に詳しくなることで、より自分の広島大学生として
の自覚を持てるようになりました。建学の精神に基づき、初心を忘れ
ず、このような歴史の上に今の自分があるのだという気持ちでこれか
らの生活について見直していきたいと思いました。
教育・ 2 ・女 この広島大学に入学して、何かしら耳にしていた森戸
辰男学長についての話をこんなに詳しく聞いたのは初めてでした。ま
ず、学長になるまでに衆議院議員や文部大臣をしていたというのを聞
教育・ 2 ・女 森戸事件という出来事は、日本史の授業で習っていた
ので、知っていたが、広島大学の初代学長の森戸辰男氏であるとい
うことは知らなかったので、歴史に出てくるような有名な人だったのだ
- 667 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
と驚いた。また、最初に森戸氏に初代学長として勧誘したときは断っ
たが、結局学長を引き受けている。その時、森戸氏は、就任の理由を
三つ述べているが、そのことは現代にも伝わっていることだと考える。
今でも森戸氏の意志が残っていることは素晴らしいことだと感じた。
教育・ 2 ・女 この広島大学に入学してから、何かと耳にしてきた森
戸辰男学長のことについてこんなにもくわしく話を聞いたのは初めて
でした。森戸辰男学長が衆議院議員、文部大臣という経験を経て、
広島大学の学長になったと聞いて驚きました。そんな偉い人が自分
の通ってる大学の学長だったなんてすごいなと思いました。そして、
広島大学はこうやってできたという話のときにやはり教育学部が基盤
になってるんだなと思い、自分がそんな教育学部に所属してることを
誇りに思います。
教育・ 2 ・女 初代の学長を決めるとき、森戸学長が初め削除されて
いて、最終選考にすら通っていなかったことに驚いた。しかも、ほぼ
広島大学にゆかりがなく、東京帝国大学の学長であったり、文部大臣
でもあったという。私は、森戸学長は普通に広島ゆかりの人だろうと思
っていて、自分自身のイメージとはかけ離れた経歴を持っていた。し
かし、例え広島にゆかりはなかったしても、森戸学長の持つ信念は確
固たるものであり、その信念に基づいて、多くの労力とお金を惜しま
なかったことが、今の広島大学の基礎になっているのだと感じた。
教育・ 2 ・女 森戸辰男という名前は聞いたことがあったけれども、ど
のような人であり、またどのような課程で広島大学の学長となったのか、
学長になってからどのようなことを行ってきたのかは全く知らなかった
ので、今回の講義で詳しく知ることができて良かったです。大学が多
くの問題などを乗り越えて今の広島大学として成り立っているというこ
とが改めてよく分かりました。こんな風にしてできあがった大学とそれ
に関わってきたたくさんの人々をすばらしいなと思いました。形は違う
かもしれないけれども、私も目指すもの(夢や希望や信念など)を築き
上げるために努力を続けられるような人になりたいと思います。
教育・ 2 ・女 今回の講義では、森戸学長、皇学長、川村学長につ
いてが主な内容でしたが、私が一番印象に残っているのは、川村智
治郎学長がカエルの研究で世界的にとても有名だということでした。
そして広島大学のマスコットにカエルが多く用いられているという事実
も初めて知りました。それらを聞いて私は、カエルの研究とは具体的
にどんなことをするのか少し気になり、見てみたいと思いました。森戸
学長も皇学長もすばらしい経歴をお持ちですが、私はカエルの研究
が最も印象に残りました。また広大についての知識が増え、嬉しく思
います。
教育・ 2 ・女 今まで初代学長の名前は知っていたものの、何をした
人なのか、どのようにして学長の座についたのかなど全く知らなかっ
たのでとても興味深く受講できました。個人的に、なぜ広島大学のパ
ンフレットなどの中にカエルがいるのか不思議に思っていたのですが、
それが川村学長の影響と知り、入学当初からの謎が解決しました。学
長の横顔を見ていくことで、やはり広島大学について大きいことも小さ
い事も理解が深まったように思います。次回も楽しみに思いました。
教育・ 2 ・女 やっぱり今までの広島大学の学長さんの話を聞くと個
人個人それぞれにしっかりした考え方を持っているとおもえる人ばか
りでした。これだけ大きな日本有数の大学に成長したのはいままでの
学長さんあってだと感じました。このような大学にこれたことを幸せに
感じます。また今回に楽長さんについての話を聞いて、いつか今の
学長から次の学長に代わるときがくると思います。次の学長にかわる
とき、広島大学はどのような変化があるのか気になります。
教育・ 2 ・女 私は広島大学の学生であり、広島大学を構成する一
員でありながら、そのトップである「学長」という存在をあまり意識せず
に生活してきました。これは大学という性質や人数的な問題から、当
然のことかもしれません。しかしながら、今回の講義を聞いて、学長選
考も大変であることや、学長としての責任の重さなどを少し知ることが
できました。 3 代目の川村学長が大学紛争による疲弊のため学長を
辞められたとのことですが、次回はその大学紛争についての講義な
ので、しっかり講義を聞きたいと思います。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、森戸学長の話が特に興味深か
ったです。森戸学長は森戸事件からわかるように自分の意見を持っ
ていて、自分のやったことや言ったことには責任を持つ人なのだと思
いました。大学をひとつ作り上げるということは、自分だったら想像も
つかないし、見通しもつかないです。何からやればいいのか分からず、
あたふたしてしまうと思います。けれど森戸学長は総合大学として広
島大学を順を追って作り上げていきました。ほんとうにすごいと思いま
す。そして私はそんな広島大学で学べることを嬉しく思います。
教育・ 2 ・女 私が今回の講義で一番印象に残っったところは、東広
島キャンパス以外のキャンパスの昔の写真が出てきたところです。広
島大学に入りたいと思うようになった高校一年生のときに、はじめてオ
ープンキャンパスにきたんですが、間違って霞キャンパスにいってし
まい、とても驚きました。私の出身は徳島で、徳島大学も総合大学で
すが、キャンパス同士がそんなに離れたところにあるわけではないの
で、こんなに離れている広島大学にすごく驚きました。それでも今ま
での学長が整備してきた結果だと聞いてさらに驚かされました。
教育・ 2 ・女 今回の授業はわたしたちにとってはあまり身近な存在
ではない学長についての講義でしたが、この授業を受けて、学長は、
わたしたち広島大学の学生のために学校運営を行って下さっている
のだな、と気づくことができた。今は学生デモや大学紛争もないです
が、大学紛争が過熱していた時代に学長に命じられた方はとても大
変な思いをされたと思います。この授業を通して、歴代の学長たちは、
昔からの広島大学の伝統を受け継ぎ、時代に応じてキャンパス移転
などの決断を下し、今日の充実したキャンパスライフを提供している
広島大学を作り上げた中心人物なのだ、ということを改めて認識させ
られました。
教育・ 2 ・女 初代学長の森戸辰男さんの名前は何度も聞いたこと
があったので知っていたが、どのような経歴の方かは知らなかった。
衆議院議員に当選し、文部大臣までされた方だと知り、驚いた。最初
は広島大学には学長がいなかったというのも衝撃だった。森戸学長
は広島出身の人だが、学長はみんなが広島の人ではないということ
が分かった。それぞれの学長で、やってきたことも違っていて、学長
の思いによって大学も変わってくるのかなと思った。学長の専門分野
によっても、大学の色が違うのだろうと考えた。
教育・ 2 ・女 森戸さんを始め、スムーズな流れで広大の学長になれ
たわけではないんだなと思いました。たとえば森戸事件など。また一
時学長がいない時期もあったということにとても驚きました。紹介され
た 3 人はそれぞれ違った道を歩んできていて、魅力的な人生だなぁ
と思いました。今の学長さんについても知ってみたいと思いました。
教育・ 2 ・男 森戸辰男氏は戦後に中四国一の新制大学としての発
展を目指す広島大学に初代学長として赴任し、数々の政策を進めて
いった。特にキャンパスの集約・整備は続く皇・川村学長にも受け継
がれていった。後の学長にも影響を与えた森戸学長の方針の正しさ
とすばらしさを感じることができた。この 3 人の学長により施設の充
実・組織の整備が行われ、今の広島大学の基礎ができたといっても
過言ではないと思う。学部間の格差解消は不十分であったとしても 3
人の学長が基礎を作ったからこそ、今の広島大学があると思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受ける前から、日本史で習うような森戸
辰男という人物が、当時、地方の一大学でしかなかった広島大学の
初代学長になぜなることになったのか気になっていたので、今回、そ
の経緯を知ることができ、よかった。また、森戸初代学長をはじめ、皇
学長、川村学長らのたゆまぬ努力と尽力により、現在の広島大学の
原形がつくられたということに感銘を受けた。このような、先人たちの
残してくれた、広島大学とその理念、文化ということを、これから先、よ
り、考えながら生活していき、後に伝えていきたいと考えた。
教育・ 2 ・男 初代の学長はこんなにすごい人物であったのかという
ことを今日の授業で思い知らされた。衆議院議員に当選していて国
の政治にかかわっていたというだけでもすごいことなのに、文部大臣
にもなったことがあり、日本という国の中枢を担っていたとは驚いた。
また、森戸事件というのがあったことは高校の日本史で教わり知って
いたが、あれがまさか自分が今通っている大学の初代学長の事件だ
ったとは思わなかった。次の授業でも他の学長の功績についてもっと
知りたいと思った。
教育・ 2 ・男 広島大学の初代の学長がなぜ森戸辰男だったのかず
っと疑問に思っていたが、実は投票によって大方決定していた学長
をマスコミスキャンダルによって取り消しとなって森戸辰男に白羽の矢
が立ったと認識を新たにした。また森戸辰男の衆議院での演説で広
島に対する思いがすごく伝わってきて感動した。そして皇至道や川村
智治郎の学長時代に現在広島大学に存在する各学部が新設され、
大学院も設置されたと知った。高度経済成長の時期に入学試験が激
化したのはなんとなく理解できる。
教育・ 2 ・男 まず、森戸学長の選考に至るまでの経緯については、
長田氏を巡る相当な紆余曲折があった後での就任であったということ
であった。長田氏を巡る混乱については、今でもきちんと解明されて
いないということにびっくりした。ところで、森戸学長はキャンパスの集
約と整備に尽力したということであったが、その中でも医学部の広島
市への移転を巡るドラマに興味を持った。移転反対派の呉市と賛成
派の学生の間という明確な対立があったが、それをどうにか決着させ
た学長の力はすごいなと感じた。そして、森戸学長の後を受けた皇・
川村両学長ともに大学の整備に尽力したということであった。しかし、
二人とも任期途中に志半ばで学長を辞任せざるをえなかったところに、
人間のドラマを感じた。
教育・ 2 ・男 以前から初代学長である森戸辰男さんの事を講義で
話していたが、今日の森戸事件の事を聞いて、少し驚いた。周りから
阻害され、孤独になったにもかかわらず、広大を創立し、信念を貫い
た森戸学長は素晴らしい人だと思った。森戸学長の後を継いだ皇学
長や、川村学長は森戸学長の意志を受け継ぎ、広大を全国規模、国
際規模で有名にしようと尽力され、その結果今の広大があると思うと、
感謝の念でいっぱいになる。長田・安部・羽田さんの学長争いには政
治的な思惑も入っており、学長を決める事はとても大変な事だと、実
感した。
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教育・ 2 ・男 今回の「学長の横顔」というテーマは、いちばん最初の
授業のときに知らされた内容の中で最も興味を持ったテーマであった。
広島大学初代学長の森戸辰男氏の名前はいろんな講義でよく耳に
するが、あの森戸事件との関わりを聞いたときはとても驚いた。また、
日本において代表的で、平和主義に立つ立派な大学をつくりたいと
いう森戸氏の言葉に、とても深みを感じた。森戸学長の後を引き継い
だ皇学長や川村学長は大学の整備・拡充に尽力されたそうだ。多く
の方々のおかげで、今の広島大学がかたちづくられていると考えると、
とてもすごいことだなと感じた。
教育・ 2 ・男 テーマが「学長たちの横顔(1)」という今回の講義を受
けて、まず印象に残ったのは広島大学の初代学長があの森戸事件
の森戸辰男氏であることでした。自分の研究の信念を曲げずにつら
ぬいた森戸氏には高校で学んだときから素晴らしい人だと思ってい
たがその森戸氏が自分が今在学する広島大学の初代学長であること
を知り、驚きとともにとてもうれしく思いました。それぞれの学長たちが
広島大学の発展のために尽力してきたということを認識し、その努力
によって発展してきた現在の広島大学の学生であることを誇りに思い、
これからの学生生活を有意義なものにしていきたい。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて改めて、今の広島大学は歴代の
三人の学長らの想いがいまも継承され続けているのだなと思った。は
じめに森戸学長が東京帝国大学にいたころの話に触れ、森戸学長
は自分が信じ学びを深めているものに対して否定などしないとして国
内トップの大学に向かっていくほどの強い信念の持ち主であることを
知った。その強い信念があったからこそ森戸三原則は今も生きている
のであり、また、以後の学長にも「大学整備計画」という方針が継承さ
れ、いまでは全国でも有名な平和都市にふさわしい大学の景観を保
っているのであろう。いま私たちが学んでいるこの場は森戸学長らの
強い願いと想いのおかげであるのだということを忘れてはならないと
思う。
教育・ 2 ・男 初代学長の森戸辰男氏について、森戸事件は私が高
校生の頃に歴史を学習した際に聞いたことがあった。そのような、歴
史上の事件に関わる人物が広島大学の初代校長だというのには驚
いた。また、森戸氏の遍歴が他の歴代の校長たちとは異なる点が多
いが、そのことが広島大学を他大学とは異なる個性を生み出したので
はないかと思う。大学の復興を担うことになり世界各地の大学に復興
再建の協力を要請したりしたことは森戸氏だからできたのだと思う。ま
た、川村学長が両生類の特にカエルについての研究に関してノーベ
ル賞に近いほどだったのは知らなかったので驚いた。広島大学内で
カエルがデザインされることが多いのも納得できた。
教育・ 2 ・男 今回の授業を受けて、改めて自分の知らなかったこと
がたくさんあったのだと気づきました。それはやはり自分が毎日生き
ていく中で「広島大学」という枠組みを意識することが少ないからでは
ないかと考えます。ただ大学という場所はあまり「大学」という組織を全
面に押し出して活動を進める、というよりは学生の意思を尊重してボラ
ンティアなり学習なりを進めていくのが一つの正しい姿ではあると思う
ので、そういう意味では良いことなのかも知れない。責任問題などに
ついてはそういうわけみはいかないと思いますが。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けるまで広島大学の歴代の学長は森
戸辰男さんしか知らなくて、皇至道さんや川村智治郎は初めて知りま
した。しかも森戸辰男さんも名前しか知らなくてどういうことをした人な
のか全く知りませんでした。森戸辰男さんが衆議院議員だったことや
文部大臣だったことも初めて知りました。広島大学の歴代の学長はす
ばらしい人が多いなあと思いました。そういう偉大な方々が学長をさ
れている広島大学に在学している自分は幸運だなあと感じました。
教育・ 2 ・男 今回の講義で、初代から 3 代までの歴代の学長のこと
を知ることができた。特に興味を持ったのは、初代学長の森戸辰男氏
です。広島大学の理念の一つである「自由で平和な一つの大学」を
作るなど、広島大学の基礎を作った人だと思う。他にも、キャンパスを
集約したり、大学の象徴であるフェニックスを作など、積極的に自身
の理想を実現しようとしているところがとても印象的だった。しかし、大
学開校時に学長がいないということ、その時の学長の選考に非常に
苦労していたことに驚いた。もしかしたら、学長が変わっていたかもし
れないし、その場合、今の広島大学は存在しなかったかもしれない。
そう考えたら、学長が大学に与える影響は大きいと感じた。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けるまで広島大学の歴代の学長は森
戸辰男さんしか知らなくて、皇至道さんや川村智治郎は初めて知りま
した。しかも森戸辰男さんも名前しか知らなくてどういうことをした人な
のか全く知りませんでした。森戸辰男さんが衆議院議員だったことや
文部大臣だったことも初めて知りました。広島大学の歴代の学長はす
ばらしい人が多いなあと思いました。そういう偉大な方々が学長をさ
れている広島大学に在学している自分は幸運だなあと感じました。
教育・ 2 ・男 初代広島大学長が東京帝国大学の卒業者であること
に大変驚いた。しかもその経歴をたどっていくと、衆議院議員にも当
選しているし、広島大学長になる前には文部大臣にもなっていること
にはさらに驚いたし、同時に大変立派な人物であったんだろうな、と
思った。また、私は教育学部の人間なので、個人的には初代教育学
部長の皇至道学長の経歴を知ることもできたので、大変興味深かっ
た。やはり教育学部の人らしく、教養部を設置したり、附属幼稚園を
設置したりなど、現在の教育学部の土台を築いた方だったんだろうと
思った。
教育・ 2 ・男 まず、歴代の学長で知っていたのが初代学長である
森戸学長だけであったので知れて良かった。そして、改めてその偉
大さを認識した。文部科学大臣でありながら平和を象徴する都市とし
て広島で開学、そしてそこから日本を再建すべく若者を育てていくと
いう発想。自らを安泰とする職に在りながら先を見据え、広島という土
地だからこそ出来る教育を、という考えに深く感動を覚え、自分がそ
の大学で学べる喜びを実感しました。そして、そんな大学の中に在っ
て人にそれを伝えることの出来る将来のある教育学部という場でさら
に多くを学び、今度は自分がこの地やそういった精神を後の世代へと
必ず伝えていこうと考えました。
教育・ 2 ・男 僕がこの授業で一番興味深かったことは森戸辰男さん
の理想の広島大学についていった言葉です。森戸さんは「日本にお
いて代表的な、そして今や世的に見ても重要なこの平和都市は、そ
れにふさわしい平和主義に立つ立派な大学を持つべきです。」と語
っていました。また、平和都市にできた広島、平和都市の文化的精神
な中心地となるような性格を持つべきとも語っている。この言葉から平
和を概念としていることがわかった。また、森戸さんは地域性も重要に
している。前の授業でもやったように地域の援助があったからこそ広
島大学はここまで大きくなれました。森戸さんの演説からは地域性の
重要性を大事にしていることもわかった。
教育・ 2 ・男 今回はどの学長の時にどのようなことが行われたのか
を知れて勉強になった。総合大学であり、また中四国の大学の中核
である広島大学が段階を経て発展してきたいきさつが実に興味深か
った。中でも初代学長の森戸辰夫は出身が広島県ということもあり、
今後広島大学が発展していくための基礎作りを特に頑張ったのでは
ないかと思った。その結果皇学長や川村学長が後に続き、大学の整
備と充実を図ったのだと分かった。どの学長も素晴らしい実績を残さ
れていて感動した。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けるまで、広島大学の学長について
森戸辰男さんが初代学長であるということくらいしか知りませんでした。
皇さんなどは全く知りませんでした。しかも、森戸辰男さんについても
どういう人なのかなど詳しくは全然知りませんでした。森戸辰男さんが
衆議院議員だったことや、文部大臣だったことなども初めて知りました。
広島大学の学長は偉大な人が多いと思いました。そういう広島大学
に在学している自分はもっと誇りをもつべきだと考えました。
教育・ 2 ・男 当時の時代背景も絡めて学長についての話をされて
いた今回の講義は大変興味深いものであった。歴代の学長にはそれ
ぞれ特色があって、それぞれ大学の発展に大きく貢献していることが
わかった。中でも、初代学長の森戸辰男さんは、「平和都市広島にふ
さわしい大学を作りたい」という思いの元、世界各地の大学に広島大
学の復興再建への協力を依頼したり、平和関連の図書を寄贈したり
と、大変貢献していることがわかった。また森戸学長が元文部大臣で
あったということに驚いた。次回の講義も学長についての話なので、
しっかりと講義の内容を聞きたいと思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義で今までよりも、もっと深く広島大学の歴史
について考えることができた。広島大学の初代学長が森戸辰男という
ことは今回の講義を受けて初めて知った。私は、高校の歴史で日本
史を専攻していました。なので、とても身近に感じられました。彼は文
部大臣や衆議院議員をした経験があり、そういうところで得た深い知
識をもとに門戸を開いたという偉大な人物である。また、森戸事件に
もあったが、彼は自分の意見をとても尊重しており、そういった面が素
晴らしいと感じた。広島大学の学長が作り上げてきたものを継承して
いきたい。
教育・ 2 ・男 あらゆる学長が、広島大学の発展と帝国大学として認
められるように人力を尽くしたのにすごく感動し、驚きました。なかに
は体調を崩してまで広島大学のために働いた学長や、先生の責任を
管理不足として一緒に辞職した学長など、自分の身や地位を削って
まで広島大学のために尽くしていて、非常に感動しました。また広島
大学が帝国大学にこだわりを持ち、そのために努力し続けてきたのも
知り、広島大学の一生徒として、恥じることのない生活をおくらなけれ
ばならないとおもいました。
教育・ 2 ・男 広島大学の学長というくらいだから、広島県出身の学
長ばかりだと思っていたが、皇至道氏や河村智治郎氏などは、滋賀
県という、広島にはなんら関係のない県出身であることに驚いた。し
かしながら、両者とも広島高等師範学校卒業ということで、全く広島と
かかわりがなかったわけではないようだ。あと、森戸初代学長が元文
部大臣ということにかなり驚いた。そんな方が学長をやっていたのだ
から、広島大学はすごいんだなぁと改めて実感した。
教育・ 2 ・男 広島大学の初代学長の森戸さんは広島県出身であっ
た。森戸さんは文部大臣という国の役職にも就いていた。それだけで
もすごい人であるようにおもえた。森戸事件というがあり森戸さんは起
訴され禁固 4 ヶ月に処せられている。この事件の話を聞いたとき森戸
さんの行動はすごいと感じた。圧力をかけられたにもかかわらずそれ
- 669 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
に屈せず自分の考えを貫いたことは見習うべきことだと思った。先週
にも話されたが、「自由で平和な一つの大学」の建学の精神、森戸三
原則など森戸さんが広島大学の基礎をきちんと整備したように思える。
教育・ 2 ・男 今回の講義では、これまでの広島大学の学長につい
て学びました。そこで感じたことは、すごい行動力だな、ということです。
戦争が終わってこれからの日本は絶対平和的な国にするという希望
を持って大学設置を行ってきたわけで、森戸三原則などとても平和に
貢献していると思います。また、広島大学をいろいろな苦難を乗り越
えながらも総合大学として発展さてていったりなど、本当に尊敬できる
人ばかりが学長として頑張ってたんだなと思うとこれからの大学生活
にさらなる希望が持てました。
経済・ 2 ・女 初代学長である森戸辰男について、いろいろ学ぶこと
ができた。知識としてはまだかじった程度だが、今日を機に森戸辰男
について詳しく学んでいきたい。森戸事件について高校のとき日本
史で習ったが、今回の講義で森戸辰男氏について興味が深まった。
もっと探求したいきたい。森戸氏の広島大学初代学長を務める理由
のひとつに、平和とし広島にふさわしい大学をつくりたい、といものが
ある。私たち現代を担う広島大学生は初代学長の意思を継ぎ、この
理念を達成すべく日々精進していかなければいけないと思った。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受けて、これまでは、学長といってもひど
く遠い存在で、あまりよく知らないことが多かったのだと改めて感じま
した。特に初代学長である森戸辰男氏に関しては、学長就任までに
さまざまな問題があったり、大学休職処分となった森戸事件といった
ことが起きたりと本当に大変な苦労を強いられてきたのだと思いました。
しかし、そのような状況下においても、広島大学としての理念を確立
したり、点在していた各キャンパスを集約・整備したりと、大学の復興
や発展に尽力なさってきたことを知り、大変感銘を受けました。
経済・ 2 ・女 広島大学にとって大きな節目となった、原子爆弾が投
下された後に学長になった森戸学長は広島大学の復興再建に大きく
貢献した。大学内の緑化運動や象徴として定めたフェニックス、現在
の広島大学の理念の元となった森戸三原則などがその例である。ま
た、学部間の格差を埋めることは、様々な努力が必要だったのでは
ないかと思う。しかし、このような偉大な先生が論文を批判され、大学
を休職処分になったことは驚きであった。当時の学生は大きな戸惑い
を感じたのではないかと思う。
経済・ 2 ・女 森戸学長が以前、衆議院更には文部大臣まで務めて
いたなんて知りませんでした。そして最初は学長がいなかったという
事にも驚きました。森戸学長は周りからの強い要請のもと、学長へと
なったのだと知りすごいなと思いました。そしてその時の考えが、前回
の講義でも習った、色々な所に点在している学校を地理的にも、精
神的にも一つにする事や、地域に根付いた大学にする事などです。
私は無理やり一つにするのではなく、何回も議論を重ねたうえで、少
しでもそれぞれの学校の伝統を大切にしようとしていた森戸学長の考
えはやはりすばらしいと思いました。
経済・ 2 ・女 今回取り上げられた学長は全部で 3 名です。森戸辰
男先生、皇至道先生、川村智治郎先生の 3 名です。元文部大臣と
いう偉大な経歴を持つ初代広島大学長の森戸先生は、建学の精神
「自由で平和な一つの大学」の下、キャンパスの整備や広島大学の
復興再建に努めてらっしゃいました。皇先生や川村先生は広島大学
の大学整備計画の推進に携わっていらっしゃいました。私たちが現
在通う広島大学のかつての先生方の事を学ぶのは大変趣深く、大事
なことであると思いました。学長先生方が築き上げてこられた大学や
先生方の教えを大事にしていきたいと感じました。
経済・ 2 ・女 広島大学の初代学長の森戸辰男氏は、明治 21 年に
広島県で生まれ、東京帝国大学法科大学経済学科を卒業し、その
後大学助教授、衆議院議員、文部大臣を経て広島大学学長に就任
した。大学に在学中、森戸氏は学科の機関学術雑誌に「クロポトキン
の社会思想の研究」を寄稿しそれが無政府主義を鼓吹する論文とし
て批判され、大学を休職処分とされ、また新聞に取り上げられたこと
で問題が大きくなり禁固 4 ヶ月に処せられたこともあった。広島大学
の初代学長が自分と同じ経済学部だったということを初めて知った。
また、独自の考えを持った熱い人で、起訴されたこともあると知り驚い
た。しかし、彼の掲げた建学の精神や大学キャンパスの集約・整備は
ととてもしっかりしたもで、大変感銘を受けた。
経済・ 2 ・女 今回の講義で最も興味深かったのは森戸辰男学長に
ついてです。私は、高校時代日本史選択だったので、森戸辰男学長
が無政府主義を鼓吹しているとして政府から処せられた森戸事件に
ついてはしっていました。しかし森戸事件の森戸辰男が広島大学の
初代学長であったとは知らず、驚きました。今回の講義を受け、森戸
学長が現在の広島大学に与えた影響は多大であることを感じました。
過去に森戸学長が平和ということをテーマに大学を建学したことは非
常にすばらしいことであり、現在そんな大学に通えていることを嬉しく
思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学は、森戸学長の大学復興によって学科の新
設や増設、大学院の設置など組織の整備を行い、その結果、中国・
四国地方の中核大学として、学部間の格差を解消した。また、 1960
年代の高度経済成長期の時代には、志願者の数が急激に増加して
入学試験が激化したために学生定員の数が増加し、施設の不足や
不備が問題となったが皇学長と川村学長によって大学の整備や拡充
が行われ、現在では施設も充実しており、日本の国立大学のなかで
は 1 番広い大学となっている。
経済・ 2 ・女 この授業を受けるまでは、広島大学のこれまでの学長
がなんという人でどのような経歴をもつかなど少しも知らなかったので、
興味をもって取り組むことができました。私は、森戸辰男学長が、森
戸事件という自分の名前がつくような事件を起こしたり起訴されて禁
固四か月に処せられたりした人だったことに最も驚きました。また、森
戸学長が議員を辞職して広島大学学長を引き受けるにあたって、世
界の平和を祈っていたことも知って、偉大な人だったのだなぁと思い
ました。
経済・ 2 ・女 初代学長が森戸辰男氏であったのはもちろん知って
いましたが、森戸辰男氏の経歴や、その後の学長のことはまったくし
りませんでした。森戸辰男氏が、東京帝国大学の経済学部を卒業し
ていらっしゃったことや衆議院議員や文部大臣をなさっていたことは
とても驚きましたが、 1 番驚いたことは、「森戸事件」についてです。
東京帝国大学経済学部の機関学術雑誌に森戸氏が寄稿した「クロポ
トキンの社会思想研究」というものが経済学部であるにも関わらず、私
にはまったくわかりませんでした。どういった点が無政府主義を鼓吹し
ているとみなされたのか、また、森戸氏はどういう意図で寄稿されたの
か、もっと詳しくしりたいとおもいました。
経済・ 2 ・女 今回の講義では主に、森戸学長と皇学長、そして川村
学長について学習しました。私はこの講義を取るまでほとんど学長に
ついてしらなかったので、初めて知ることばかりでした。森戸学長は広
島大学の初めての学長で、とても大変だっただろうなあと思いました。
だけど、森戸学長の経歴をみたら、さまざまな経験をお持ちで、大変
な職についていたりもいたので、その経験が生かせたのだろうと思い
ました。今の学長についてももっと詳しく知りたいと思いました。
経済・ 2 ・男 初代学長である森戸辰男氏は、新渡戸稲造と所縁が
あったり、研究が当時の法に引っかかり逮捕されるなど、変な言い方
だがバラエティに富んでいた。いきなり別の土地からやってきて学長
になったとの話だったが、それで前回の講義で聞いたような見事な理
念を立ち上げたのは、さすがと感じた。辞任演説にも目を通したが、
文部大臣も務めただけあって立派な人物だと感じた。広島大学の学
生としては誇りに思える学長だと思う。ほかには、川村学長が優秀す
ぎて妬まれ、辞任した結果原爆をまぬがれたのも、稀有なエピソード
だと思った。
経済・ 2 ・男 かつて広島大学創設当時、学部間の格差が問題に挙
がっていたが、皇学長や川村学長によって、学科の新設・増設や大
学院の設置がなされて、法律政治学科と経済学科が設置され政経学
部、政経学科を分離したように学科が充実し、優秀な教授を招くこと
により、ほとんどの学部に修士課程ができ、学部間の格差の問題はな
くなった。私は最初の学部間の格差があったからこそ、下とみなされ
ていた学部が上と思っていた学部に認めさせるため頑張ったことこと
で、今の広島大学があるのではないかと思う。
経済・ 2 ・男 大学を作るにあたり、キャンパスことやカリキュラムのこ
とを考えなければならないというのは、常に頭にあるけど、学長の選
出というのは新しい視点だった。広島大学はいくつもの師範学校や
大学から成っているがゆえに、その選出も簡単ではなさそうに感じら
れた。その苦労のおかげで素晴らしい人が学長に選ばれて、素晴ら
しい大学ができ、そこに入学できたことをうれしく思う。初代学長はい
ろんな広島大学の前身校の教授をしており、また、議員とかの経歴も
あったえ、尊敬できる。
経済・ 2 ・男 森戸辰夫初代学長の生い立ちがわかりました。森戸
辰夫学長は私が思いもしないほどすごい人でした。衆議院や文部大
臣など日本の政治などにとても深くかかわっているのだなとおもいま
した。また、森戸事件など高校の日本史の授業でもならった有名な人
だと今日きずきました。その時代に自分の意見を持っていて勇気のあ
る人だとかんじました。学長となってからも森戸 3 原則など大学設置
当初からほかの大学にはない理念を持つなど平和に関してもものす
ごく関心のある立派な人だと思いました。
経済・ 2 ・男 森戸辰男学長をはじめとする年表をそれぞれ見ると、
広島大学のいろいろな学部教授に就任した、との記述が多く、大学
設立初期の変化の多様さを感じた。さらに、森戸学長が議員辞任を
された時の演説をみると、青年の教育について語る部分からは教育
に対する熱意を、そして学長就任に対する各方面からの影響にも屈
服せずに自分の考えを貫きとおしていることからは、広島の地に対す
る思いの深さがそれぞれ感じられた。また、議長が幣原喜重郎氏であ
ったことから広島大学の歴史の深さを改めて再確認できた。
経済・ 2 ・男 僕は滋賀県出身なんですが、 3 代までの広島大学の
学長が 2 人も滋賀県出身のかたがいてとても驚いた。現在の広島大
学でも、滋賀県出身の人を 5 人しか知らないから、なおさら驚いた。
森戸学長にいたっては森戸事件がとても印象的であった。自分の意
見を戦前にしっかりと持っていた森戸学長は素晴らしい人だと感じた。
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僕も自分の意見をしっかりと持って生きていきたいと思った。川村学
長のカエルの研究が個人的にとても印象に残った。どんな事をしたん
だろう。
経済・ 3 ・女 森戸学長は多数の広島県民の要望で学長に就任した
ことがわかりました。学長を決定する際にいろいろもめていたことが意
外でした。森戸学長が目指した平和主義に立つ大学というのは広島
大学に大変ふさわしいと思います。これから広島大学は平和都市とし
てもっと平和学習をするべきだと思います。呉市で移転反対の運動
が起こっていたことも初めて知りました。呉市も引留めるのに必死だっ
たことが伝わってきました。それだけ大学というのは市民にも大きな影
響を与えているものなのだなと思いました。
経済・ 3 ・男 今までは地域密接を重視していた広島大学は医学部
を呉から広島市内に移転する際に呉市の多大な援助にも関わらず
移転したことや、森戸学長などの功績など広島大学の歴史について
より詳しく学べたと思いました。
経済・ 3 ・男 私は入学してから、これまでただ単に日常を過ごし、
大学のことについて深く考えたりしたことは無かった。しかし、これまで
の数回の講義で本当に多くのことが学べて良かったと思っている。初
代学長である森戸辰男氏については、「森戸事件」という単語を知っ
ているくらいの知識しか無かった。しかし、元は政治家で文部大臣に
までなられたというのを知り、本当にすごい偉大な方なのだと改めて
実感した。今後も、この初代学長の森戸氏の思いを受け止め、充実し
た学生生活を過ごしていきたい。
経済・ 3 ・男 私は初代学長が広島大学を設立したことはとてもすご
いことだと思います。なぜなら教育方針などを決めるということがとても
大変そうだからである。ゼロから大学を作る場合は自由に決めること
ができそうである。しかし、広島大学のようにいくつかの学校を一つの
大学にまとめると、いろいろな考えをもった各学校の教師たちをまとめ
なければならない。初代学長がそうしたことを乗り越えて今の一つの
広島大学があるのだと思う。だから初代学長森戸辰男は偉大な人だ
と思う。
経済・ 3 ・男 いままでは、イメージ的なもので広島大学の大学長は
広島県出身の人がやっているものだと思っていましたが、今回の講
義で他県出身の人もやっていることを知りました。そしてそのようなこと
に関係なく、これまでの広島大学の大学長は広島大学のことを一番
に考えてよりよくなるように努力してきたのだなと思いました。特に最
初の大学長の森戸学長は大学の復興を目標として相当な苦労した
のだろうと思いました。
経済・ 4 ・男 講義のはじめに紹介された初代学長森戸辰男氏、二
代目学長皇至道氏、三代目学長川村智治郎氏の三人ですが、いず
れもすごい方達だったのだと思いました。特に、三代目の川村氏はそ
の当時において動物学の権威であり、広島大学の歴史上もっともノ
ーベル賞に近かった人物であったことは驚きでした。このような話を
聞くと、今広島大学に在学していることを、誇りに思えてきました。そし
て次に驚いたのは、前回の講義で初代学長が森戸氏であることは聞
いていたのですが、当時の学長候補としては名前が挙がっていなか
ったということです。詳しい経緯は本人たちが口をつぐんで記録に残
ってないようですが、さまざまな事情が絡んで森戸氏が学長になった
経緯を聞き、とても興味を持ちました。広大にいるといってもこの大学
については知らないことのほうが多いのだということを強く思い知らさ
れた講義でした。
経済・ 4 ・男 今回の講義で、広島大学の初代の学長を決めるにい
たっては、さまざまな事情と権力関係が渦巻いていたのかということを
思いました。今の大学にもこういったことはあるのだろうという感じはし
ます。一番興味深かったのは森戸辰男が給料が下がることを承知で、
人に教える道を選んだことです。私は、教員を目指しており、資料に
載っている「私は、青年とその教育に対して特別の情熱と関心を持つ
て参りました。しかも、それは個人的なすき好み以上に、日本の再建
は青年の向背にかかるという私の確信からであります。」という森戸学
長の言葉に感銘を覚えました。そのとおりだと思います。当時に限ら
ず、現在においても世の中を変えていくのは教育に対する姿勢だと
私も考えています。
経済・ 4 ・男 森戸事件というものは聞いたことがあったのですが、ま
さか広島大学の初代学長が関与としていたとは正直知らなかったで
す。やはり思想の自由とは言え許されない部分はあるんだろうなと考
えたりしました。それから皇至道学長の手によって教養部や歯学部と
かも作られ、川村智治郎学長によって付属病院などが設置されて今
の多くの広大生が楽しくキャンパスライフを送っていくことができてる
ので感謝しなければならないと思います。やはり学部間の格差は僕
は今でもなくなってないと思うのでまだまだ改善していく必要性がある
と思いました。
経済・ 4 ・男 森戸辰男という人物について、高校時代に少し学んだ
覚えがあります。たしか政治経済の授業だったと思いますが、森戸事
件についてでした。森戸辰男については森戸事件のことを少し知っ
ている程度でしたが、今回の講義を受講して様々なことを学ぶことが
できました。森戸辰男が学長になるにあたってたてた目標(中四国の
中心的な大学、地域性を豊かに持った大学、平和的な性格を持った
大学)は現在に活きており、私達はその素晴らしい恩恵を受けること
ができています。そういう点で森戸辰男学長に感謝したいと感じまし
た。
工・ 1 ・女 今回の講義を受けるまでは森戸辰男の名前すら知らな
かったが、この講義を受けて、森戸辰男がどれほど強い思いで広島
大学の学長を勤め上げたかが強く伝わってきた。ほかにもいろいろな
方の努力によって広島大学の学部が創立され今の広島大学があると
いうことが今まで以上に強く理解された。もっと深く学んで私の所属す
る広島大学工学部一類がどのような経緯で創立され、学部長をはじ
め多くの人々の思想を学んでみたいと思った。そしてその思いをつい
で広島大学の学生をやって生きたいと思う。
工・ 1 ・男 広島大学の初代学長である森戸辰男がいくつにも分か
れていた大学をひとつにしようとしたと知った。その学長が就任中に
論文が問題となって、逮捕されていたということにも驚いた。この後の
学長がどのようなことをしてきたのかも知りたいと思った。あと、論文の
数で、その大学に大学院を設置することができるかどうか決まるという
ことにも驚いた。そのためにこれまでの学長はいろいろ努力して設置
させるに至ったことも知ることができてよかった。
工・ 2 ・女 今までの授業でも何回も名前が出てきた森戸辰夫元学
長は学長になりたくなかったと知りすごく驚きました。森戸元学長が学
長になる前に、長田さんという方が学長になるかもしれなかったことも
この授業を受けなかったら分からなかったことです。森戸元学長は初
めの話し合いでは早々に名前を削除(学長の候補から除外)されてい
たことはすごく意外な事実でした。森戸学長は学長に半ば嫌々なっ
たのにもかかわらず、広島大学を一つの大学にするためにキャンパス
の集合化やそれに伴う地域住民との衝突などを丸く収めるなど多くの
働きをしました。それらの働きはその後の広島大学にいい影響をたく
さん与えていると思いました。また、初代学長森戸氏が広島大学の大
まかな流れを形成したのに対し、二代目学長の皇至道氏や三代目学
長の川村智治朗氏は森戸氏が形成した流れに即した内部の細かな
整備をしました。しかし、どちらの学長も思い半ばで学長を辞めないと
いけない事態に陥り無念だったと思います。
工・ 2 ・女 私は日本史で学んだので森戸事件について知っていま
したが、その森戸さんが広島県出身であり、広島大学長だったという
ことは知らなかったので驚きました。森戸さんは学長に就くにあたって
「自由で平和な 1 つの大学」という精神のもとで広島大学の復興再建
に力をそそぎ、森戸道路と呼ばれる緑を植えたり平和関連の図書の
寄贈をしたりしました。森戸さんは「クロポトキンの社会思想の研究」が
批判され大学を休職処分となりましたが、平和都市広島にふさわしい
大学を作ってくれたのは紛れもなく森戸さんであると思いました。
工・ 2 ・女 今回は歴代の学長さんの話も聞けましたが、特に森戸学
長さんの話を詳しく聞くことができてとても興味深かったです。長田さ
んをめぐる問題がいろいろあったとありましたが、その詳しい話があや
ふやに言及されていただけにとても気になりました。結局、第三者で
ある森戸さんが学長として選ばれたのは良い解決策ではなかったの
かなと思いました。森戸さんはあまり学長になる気は無かったみたい
ですが、それでも史料 2 にあるような「日本の再建は青年の向背にか
かるという確信」や「平和都市広島にふさわしい大学をつくりたい」と
いうような気持ちをもって学長に就任してくれたことはほんとに国会に
いた森戸さんにとっては勇気のいることであっただろうに、踏み切った
ところがすばらしいなと思いました。しかし、「森戸事件」というのが起
こり休職処分になったということは、初めて知ったのですが、まことに
残念なことであると思いました。
工・ 2 ・女 初代広島大学学長を選出するにあたって、予選委員会
を行い、長田氏が初代学長にもっともちかかったはずなのに、本人の
意思なのか周囲の人たちの勝手な行動なのかはわからないが、不正
によってそのチャンスを失ってしまっていたことには落胆した。まるで
汚い政治家のようなきがしてならない。最終的に初代学長に就任した
のが、予選で票を獲得した人ではなく予選に落ちてしまった森戸氏
であったことには驚いた。また森戸氏の自分の研究を無政府主義を
鼓吹する論文として批判されたときに権力に負けず、自分の意思を
貫いたという経歴には意志の弱い私としては考えられない行動でもあ
り、見習いそして身に着けたい行動でもあるように思えた。
工・ 2 ・女 広島大学の森戸辰男初代学長は本当に偉大な方だと思
った。なぜなら、戦前に天皇制の危険性を唱えたことによる東京帝国
大学や国のバッシングにも耐え抜き、考えを曲げなかったからだ。学
長が建設した理念や象徴を基に、広大は一大学としての方向性を確
立したのだと思う。その学長を支えた皇至道 2 代目学長も、偉大な方
だったんだと思う。試験が洩れて道徳的にとお辞めになられたことは、
不遇だとも思うし、心の度量も大きい御方だったと思う。呉市との医学
部移転問題でも、大きな沙汰なく解決した森戸学長の力量はすごい
と思う。このような偉大な学長たちの賢明な努力があって今の広島大
学があると思う。よって我々広大生が努力し社会に貢献することは、
義務であると思われる。
工・ 2 ・女 森戸事件という事件にものすごく興味を持ちました。天皇
を批判し、無政府主義を鼓吹する論文を書いたというもので、一番感
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
銘を受けたのが起訴される前に論文にある主張を取り消せば不起訴
処分にするという取引に断固として応じなかったことです。自分の研
究を信じ通すというのは、勇気のいることで私も論文を書くときは自分
の興味のあることを他者の意見を取り入れつつも、自分の思うとおり
に書き自信を持って大衆に発表できたらいいなと思います。あと、広
島大学が広大な土地を持つ総合大学であるのは、森戸学長による
「自由で平和な一つの大学」というスローガンに基づいており、誇りに
思います。が、東広島キャンパス、霞ヶ関キャンパスの人びととは交流
が少ないのが現状であり、何か関われる行事があればいいなと思い
ました。
工・ 2 ・女 今回の講義では三代目までの学長のことをよく知ること
ができました。森戸学長は広島生まれだけど、広島の学校に通って
いたわけではないのに広島大学の学長になるなんてすごいと思いま
した。森戸事件は高校の日本史の授業で習っていたので、さらに関
心しました。また、自分の生活が苦しくなるにも関わらず広島大学の
学長になることを決意されたのは並大抵のことではないし、そんな立
派な方が創り上げてきた大学に入ることができてとても誇りに思いま
す。森戸学長は先週の抗議でお話があったように、今の広島大学の
理念のもとになった「森戸三原則」や「自由で平和な一つの大学」とい
う建学の精神を考えただけではなく、キャンパスの整備や平和問題な
どといった様々な分野のことまでこなされていてとても信頼できる方だ
ったと思います。私も森戸学長のように様々な視点から物事を考え、
それを行動に移せるように努力したいと思いました。
工・ 2 ・女 広島大学の初代学長を決めるのにさまざまな議論があっ
たことに驚いた。その議論の結果選ばれた森戸学長は広島という地
に、そして広島大学に縁があったということなのだろうと思った。また
森戸学長は、広島大学の初代学長の選考会議によって二つに割れ
てしまった学長たちの中に入っていき、その職務を務めあげたところ
から、森戸学長の偉大さを知ることができた。さらには、広島大学医
学部が呉市から広島市へ移転する時も、呉市民の方々から多くの批
難があったあったが(広島大学医学部は呉市の財政の力を借りてい
たため)、市民、そして市長からの合意を得ることができたのは森戸学
長の人柄や知恵があってこそではないかと思う。何事も“最初”を務め
あげることはとても難しく、さらには、広島大学にはさまざまな問題が
加わっていた状態で、その問題をうまく解決し、初代学長を務めあげ
た森戸学長はほんとにすごい方なんだろうと思う。
工・ 2 ・女 今日紹介されたのは、森戸辰男さん、皇至道さん、川村
智治郎さんの 3 人でした。この中でも森戸さんの名前は有名ですし、
「森戸事件」なども聞いたことありましたが、なぜこの人が学長になっ
たのかを知ることができて良かったです。また、他の二人も大学の整
備や統合を積極的にされたのだということを知ることができました。授
業の終わりに他の人と比較してみても、森戸さんの業績はすごいこと
だという話を聞きましたが、他の学長さんたちもより広島大学が一つ
になるように努力されたのだということをしっかり頭に入れておきたい
です。又、学部間の格差解消など次の学長たちにかせられた問題な
どもあったので、引き続き来週の授業も楽しみにしています。
工・ 2 ・女 私は、学長とは人気職で何人かの立候補者から選挙み
たいなことをして選んでいるのだと思っていました。しかし実際はそう
ではなく、広島から要請し周りの人たちがいろんな方法で学長に就任
させようとしていたことを初めて知りました。また広島大学が今と比べ
ようがないぐらい倍率が高かった時代、入試が漏れてしまうという事件
がありましたが、そういう事件もたどっていけば学長の責任となってし
まう可能性が高いので、常に気が抜けなくて私が想像していた以上
に大変だったと感じました。学生運動が激しく、学生以外学校には入
れないようになっていた時期も過去にあったようですが、その状況が
現在の大学からは全然想像できなくて驚きました。学生運動が起きる
たびに当時の学長はできる限りのことをして抑えようとし無理がたたり
体を壊したという話を聞いた時、当時の学生運動の圧力を感じました。
私は、今まで広島大学の学長のことをあまり気にしていなかったんで
すけど、今回の講義を受けてもう少し学長に関心を持とうと考えさせら
れました。
工・ 2 ・女 今日の講義で森戸辰男がどのようにして広島大学の学
長になったのかをよく知ることができた。まず、学長を決めるのにかな
り大がかりな選考などをしていたということに驚いた。なぜなら、私は
広島大学の学長として最初から森戸辰男が選ばれていたと思ってい
たからだ。しかも、検討の結果削除されていたとは。投票の結果、長
田さんが 1 番であったが、誰かが点数をもらしたためにいろいろ経て
森戸さんが学長になることになったということを知って学長というもの
は大変なんだなと思った。確かに、大学にはとても多くの学生や教授
などがいて、それの長であるということはものすごく大変であると思う。
森戸事件というものがあるのも初めて知った。他の学長の話もあった
が、みんなそれぞれ苦労して学長になったのだなと思った。
工・ 2 ・女 森戸辰男学長は初代学長ということでよく名前は聞くこと
があるのですがその他の皇学長や川村学長の名前はあまり聞いたこ
とがありませんでした。川村学長は理学部のカエルの研究で以前聞
いたことがあるような気がします。広島大学でいちばんノーベル賞に
近い存在であったということまでは知りませんでした。また、森戸学長
が禁固処分になった森戸事件という出来事があったということも知ら
なかったので驚きました。今は表現の自由が保障されているためそこ
まで大問題になるようなことではなかったのではないかと思うことがで
きますが昔ではあってはならない思想だったのかと違う点で時代の違
いを感じました。特にメディアの力は大きいのは今と変わりがないのだ
なぁと感じました。やはり大衆に一番影響を与えやすいのはメディア
であるため使い方を間違えると大変なことになるのだということが森戸
事件でよくわかりました。
工・ 2 ・女 今回の講義を聞いて、私は今の広島大学の学長につい
て何も知らないと思いました。会ったことも、話したこともないので学長
というものがすごく遠くに感じました。しかしこの講義で、森戸学長は
生まれ故郷の広島にとても愛情があったんだと思いました。教育には
もちろん熱情をもち、平和都市にある広島大学を発展させて青年を
育成し、日本を再建するという試みはとても大きく感じました。この機
会に今の広島大学の学長が広島大学とどのように関わっているのか
知りたいと思いました。
工・ 2 ・女 まず、森戸辰男元学長が想像していたより波乱万丈な人
生を送っていることに驚いた。しかし、逆にその経験から広島大学復
興をうまく導けたのではないかと思う。また、広島大学に接点がなく各
学部間において中立の立場で統制できたという点で、分散していた
学部間の不十分な精神的まとまりをうまく補えたのではないかと思っ
た。呉市から広島市へ医学部を移す際に生じた地域との問題も、森
戸元学長がいたから事が運んだのではないかと思う。その後の皇元
学長や川村元学長が行った施設や組織の整備も素晴らしいと感じた。
旧帝国大学に近づくには必要なことだったのだと思う。そして、院設
立により中四国の院が無い大学から優秀な学生が集まるというのは
容易に想像できたが、それによって学部間の格差が解消されるという
利点には気付かなかった。初期の学長達が遂げた行動は、どれをと
っても広島大学を素晴らしい学校へと導くものだったのだ。彼らがい
なかったら今の広島大学の地位はなかったかもしれない。私達現学
生は、現学長だけを敬うのではなく、これまでの前学長に敬意を示さ
なければならないのだと強く感じた講義であった。
工・ 2 ・女 今回は歴代広島大学の学長を初代学長森戸辰男、 2
代皇至道、 3 代川村智治郎の 3 人について講義を聞きました。初代
森戸辰男は広島県生まれであり、東京帝国大学法科大学卒業して
おり、まず私は学長が広島大学出身ではないことに驚きを感じました。
また初代が文部大臣というすごい方だったことにも驚きました。 2 、 3
代は、滋賀県出身であり、教授・学部長を経て学長になっており、学
歴がやはりすごかった。 3 方とも眼鏡をかけておりやさしそうなかただ
と思いました。
工・ 2 ・女 今回の講義を聞いて、 1949 年に新制広島大学ができ
たときに初代学長は決まっていないと聞き、前の講義の話もふまえる
と、新制広島大学ができたときには何も決まっていなかったんだなと
考えた。初代学長の森戸氏は中国・四国地方の中心大学、地域性の
ある大学、国際性のある大学という構想をもちそれを目標にした整備
を行い、やはり被爆都市広島として自由と平和なひとつの大学という
想定も持っていたようで、この講義で広島大学はやはり平和というキ
ーワードがあるなと思った。広島大学を西条に統合移転した学長は
飯島宗一です。統合移転をした理由のひとつには大学紛争が関係し
ていると考えられます。私は、西条に広島大学が統合移転して良かっ
たと思います。なぜならば、いろいろな学部の生徒が同じところで勉
強することで、お互いの学問を尊重し合えるからです。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて、今私が通っている広島大学の歴
代学長をはじめて知る事ができた。初代学長の森戸辰男氏から第 3
代学長の川村智治郎氏は、初代学長を除けば出身こそ広島県では
ないが、その後は広島にある学校に通っていて、広島大学の学部長
を経て、広島大学の学長になっていた。それぞれ 3 人は専門が違う
が、どの方も広島大学の学長足りえる素質や品格があったのだろうな
と思う。今回は初代から第 3 代までの学長についてであったので、次
回の講義に期待したい。
工・ 2 ・女 広島大学は現在の形で存在しているのが当たり前のよう
に感じていましたが、学長を決めるときも、複数の学校を統合するとき
も、移転するときも、いろんな問題があったということを知りました。学
長を決めるにも、こんなにいざこざがあると思いませんでした。この講
義では毎回何か初めて聞く事柄があります。森戸学長についても、
名前を聞いたことがある気がする…という程度の認識でしたが、今回
いろいろなことが分かりました。あと医学部移転に絡む問題について
もまったく知りませんでした。呉市にあったことが初耳でした。
工・ 2 ・女 今回の講義では 3 人の学長の横顔を学んだ。 3 人の中
で、二人が滋賀県に生まれたが、広島大学の卒業生であった。最初
の学長として森戸辰男であった。森戸先生は森戸三原則を紹介して、
自由で平和な一つの大学を作りたい。森戸辰男の時期でキャンパス
の整備が行われた。昭和 26 から 48 までを見るといくつか学部を整
備した。次の学長、すめらぎしどうとかわむらとしじろうも大学を整備し
進んできた。昭和 52 までは大学院の整備ができてた。
工・ 2 ・女 今週の授業のテーマを見て、学長の略歴を知りたいです。
なぜかというと、もう 1 年間広島大学に勉強して、広島大学の学長は
知りませんでした。広島大学の第一学長は森戸辰男です。明治 21
年 12 月広島県に生まれる。二番目の学長は皇至道、明治 32 年 6
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月滋賀県に生まれる。三番目の学長は川村智治郎も明治 39 年 3
月に滋賀県に生まれる。森戸事件は東京帝国大学経済学部の機関
学術雑誌に森戸が寄稿した「クロポトキンの社会思想の研究」が、無
政府主義を鼓吹する論文として批判され、大学を休職処となった。私
にとって、すごいな人ですようね。
工・ 2 ・女 森戸辰夫学長のことを初めて知った。広島で生まれ東京
帝国大学法科大学経済学科を卒業し、同校の大学助手、助教授を
へて、衆議院議員、文部大臣を務めたのち、広島大学長に就任した
という。素晴らしい経歴だ。広島大学長への就任の理由は①郷土広
島からの要請 ②「日本の再建は青年の向背にかかる」 ③平和都
市広島にふさわしい大学をつくりたい、ということからだ。前回の講義
でもあったように、大学内の道が自然と森戸道路と呼ばれるように、森
戸学長はとても影響力のある存在なんだなと思った。
工・ 2 ・女 広島大学はさまざまな学長の意向によって変化を遂げて
きて、いまの広島大学があるということがわっかった。森戸学長はさま
ざまなキャンパスの設置や広島大学の精神である自由で平和なひと
つの学校をつくるため、大学の緑を増やした。皇学長はさまざまな学
部の設置をし、川村学長も大学施設の充実をはかった。このような行
いによって、高度経済成長期の入学志願者の急増に対応でき、広島
大学は現在まで中四国の中核の大学として存在してきたということが
わかった。
工・ 2 ・男 これまでに三人しか学長がいなかったと言うのは、少し意
外で、特に、森戸学長が長く広大を支えていたんだなと思いました。
その森戸学長は、理念などを打ち立て、広大の基礎を作った人だと
知りました。広大を支えた人として、一人が注目されるのは、今回の
講義が初めてだったので、より広大の歴史が鮮明になりました。
工・ 2 ・男 今回の講義で、自分は森戸学長について何も知らなか
ったのだと認識させられました。政府の権力に迎合せず禁固された
偉大な人物は歴史の教科書に何度も登場しましたが、広大の学長が
まさかそんな人だとは思ってもみませんでした。自ら進んで学長にな
られたわけではなくても、就任されてからは本当に広大の復興のため
に尽力されていたようで、改めて尊敬の念を抱きました。自分は工学
部のキャンパスが東広島にあることに若干不便さを感じていましたが、
医学部の移転時の話を聞いて、この東広島キャンパスも地域住民が
望んだ結果としてここにあるのだと思うことにしました。
工・ 2 ・男 今日の講義では、広島大学の歴代の学長について学ん
だ。この「広島大学の歴史」の授業で大学についていろいろ学んでき
たので、森戸辰男さんが広島大学の初代学長だったことは知ってい
たが、さらに今日の講義で、とてもすごい人だということがわかった。
歴史に名を残すような事件を起こしていたり、衆議院議員、文部大臣
を経たのちに広島大学長となっていることを知ってとても驚いた。今
日いろんなことを学んで、広島大学は本当に素晴らしい学長のもとで
作り上げられたのだなぁ、と思った。
工・ 2 ・男 広島大学の初代学長の森戸辰男に森戸事件があったこ
とを初めて知った。「クロポトキンの社会思想の研究」が無政府主義を
鼓吹する論文を出しただけで、起訴されたということに驚いた。森戸
学長は広島大学を平和主義に立ち、地域性を大事にし、平和都市
の文化的精神的な中心地となるような性格を持つような大学にしてい
こうと考おり、広島大学にぴったりの思想だと思う。森戸辰男に次いだ
のが、皇至道、川村智治郎で、大学の設備・拡充をしたので、広島大
学の発展に力を注ぎ、大きく貢献した方々だと感じた。
工・ 2 ・男 これまで学長について全くといっていいほど知らなく興味
もなかったが、今回の講義でそれが変わった。講義を受けていてまず
思ったのが、森戸さんの経歴の中に森戸事件というのがあってなぜ
問題を起こした人が学長なんかになったのだろうということだ。だが森
戸事件は彼が悪いのではなく当時の政府が悪く、間違いであったと
謝れば許してもらえたのにもかかわらず自分の考えを枉げなかったと
知り、彼が学長になったのも当然だと思った。また彼が学長になる際
の長田さんのいざこざについて、当時を知るみんなが口を割らなかっ
たと聞いて、真相は何だったのだろうと思った。もしかしたら森戸さん
を学長にするために誰かが朝日新聞にリークしたり、陰で長田さんを
も操っていたのかもしれない。あるいは森戸さんが自身が学長になる
ためにすべてを仕組んだのかなどと考えてしまった。全く根拠はない
が。とにかくとても今回の講義は興味深かった。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、今までの講義によく出ていた、森
戸辰男という人物についてよく理解できた。特に新渡戸稲造と同じ写
真に写っていたのには驚いた。また森戸事件の内容を聞いて、自分
の信念を簡単に曲げないような人物だとわかった。あとの皇学長、川
村学長についても学部の設置など大学に大きく貢献していることがわ
かった。そして、森戸学長をはじめとする 3 人の学長なしには、今の
広島大学はありえなかったと思った。あと今回の授業資料について、
史料 4 の移転反対、史料 5 の移転促進ビラをみて呉市民、学生の
お互いの考え方が如実に表されていて大変興味深かった。
工・ 2 ・男 今回の講義で、学長が就任するだけでも学内で大きな
運動や意見が飛び交うものであったということがわかった。学長が広
島大学の各学部の統合の活動に積極的であったことからもわかるよう
に、学長という立場が大きな権力をもつものであったように思われる。
学長に就任するということはそれだけ責任があり、その分大学の方向
性を決めることができる立場であったのではないかと考えた。
工・ 2 ・男 森戸学長の広島大学に対する功績から、広島大学は森
戸学長あってのものだと感じた。広島大学を大きく、より発展させるた
めに、多くの設備の設置を重ね、 1 部の地域住民の反対がありなが
らも、 1 つにまとめようとした志は、強いものであると感じた。なぜここ
まで広島大学を発展させようとしたのか?一般的な大学の学長よりも
強い思いを感じる森戸学長が広島大学を発展させようとした考えを想
像することによって、広島大学で何をしていけばいいのか、という疑問
に対しての指針になるかもしれない。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、まず広島大学ができていくまでに
いろいろな学長たちが尽力していたということを感じた。戦後特に日
本の中でも被害の大きかった広島でここまで大学を創設することや、
移転問題などに取り掛かってきたことに驚かされた。特に最初に紹介
された森戸学長は、その思想から新聞沙汰になり逮捕されたりしたの
もあったけど、平和都市広島を実現させるために大学にもその考えを
入れて作り上げたことはすばらしいことだと思った。医学部の設置で
は地元呉市での反対運動などに対して冷静に対応していったことも
のちのちにわだかまりが残らないようにしていたのもよかったのではな
いかとおもった。
工・ 2 ・男 森戸学長が広島大学の学長に就任するまでいろんな困
難があった。時代が時代だからだろうか、今では起こり得ないであろう
禁固処分になった。表現の自由が認められず、無政府主義を鼓吹す
る論文が出てそうなるのは大変だったと思う。大学院を設置すること
で中四国の大学生が広島大学にやってきて、より中四国の中心とな
る大学に成長したのは広島にとっていいことだった。あと、学長の横
顔とは関係ないが県立広島医科大学が医学部となって移転するとき、
なぜ東広島市にならずに広島市になったんだろう。国立の総合大学
の医学部ともなれば大都市にあって患者をたくさん見る必要があった
のだろうか。
工・ 2 ・男 森戸学長の名前は以前の講義で聞いていたけれど、どう
いった経緯で就任されたのかは知りませんでした。それに、森戸事件
というのも初耳で正直少し驚きました。しかし、森戸学長の行った事は
今の広島大学にとって欠かせないことだったと思うし、彼の存在は今
の私たちにとっても大きい存在だと思います。また、広島大学が中四
国の中核大学として位置づけられたのには大学院の設置が関係して
いるということや、それには教授の論文の数などに関連しているという
こともはじめて知りました。将来、この広島大学がどのように変わって
いくかは、学長や教授にもかかっていることはもちろんだけど、私たち
が変えていくという気持ちでいることが大切だと思います。
工・ 2 ・男 広島大学には創立から今まで何人の人々が務めてきた
のか、またどのようなそれぞれの時代(今ではもう歴史といったほうが
良いかもしれないが)を創造していたのかなんて僕は今まで知ろうとも
思わなかったし、知ったとしても何のプラスにもならないだろうと思って
いた。しかし、創立からたった 3 代目までの学長の略歴、エピソード
を聞いて、学長というものは大学を根本から変えることのできる唯一の
ポストであるということを知った。学長になりたいとまでは思わなかった
が、そこは偉大な席である、と深く感じた。
工・ 2 ・男 森戸氏が広島大学の学長に就任するにあたる経緯に、
さまざまな出来事があったことを知って私はとても驚きました。森戸氏
は、最初の投票で落選してしまったにも関わらず、最終的には一番
票をえた長田氏ではなく森戸氏に就任が決まったところからして、彼
は何らかの重要な要素を持っていたに違いないと思った。また森戸
事件のようなことが過去に起きていたことを知ってとても吃驚いた。そ
して禁固四ヶ月という罰を受けていたことは衝撃の事実でもあり、そし
て新たな一面を知った気がした。
工・ 2 ・男 今回の講義では、森戸辰男、皇至道、川村智治郎の三
人の学長の業績などを見ていったが、森戸辰男は広島大学の建学
の精神、森戸三原則などを掲げたことや、現在、森戸道路と呼ばれて
いる道路を設置したりしたなど現在の広島大学のあり方の根本はこの
ときにできたのだと感じた。ほかの皇至道や川村智治郎は広島大学
をのレベルを上げるために、学部を充実させたり、すべての学部に大
学院を設置できるように勤めたりした。このように広島大学の復興には
この 3 人の学長の功績が大きいように思った。
工・ 2 ・男 今回は広島大学の学長であった森戸辰男さん、皇至道
さん、川村智治郎さんの生前の活動についての講義でした。新制広
島大学ができた当時学長はまだ決まっていなかったが、世話人会の
話し合いにより昭和 25 年に初代学長に森戸さんが就任した。森戸さ
んは広島の復興も兼ねて大学の整備に勤しみ、同時分散していた大
学を東千田地区に移転させることに成功しました。原爆の被害から大
学を再建できたのは森戸さんの努力の結果だと思う。また皇さん、川
村さんも森戸さんの後を引き継ぎ、大学の整備計画を進めてきました。
現在のような広島大学になるまでにこれらの人の活動があったことを
忘れないようにしたいと思った。
工・ 2 ・男
- 673 -
今日の授業は森戸氏をはじめ 3 人の広島大学長の話が
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
あったわけですが、 3 人の成した行動にはそれぞれ意味があったと
思います。特に「自由で平和な一つの大学」という建学の精神を掲げ
た森戸学長は、大学キャンパス内にフェニックスの木を植えて緑を増
やしたり、平和について考えるために平和問題研究所の設置を目指
したりするなど、広島大学を復興・整備するのにとても貢献した人だと
感じました。また、他の 2 人も、新たな学部・学科を新設したり大学院
を設置するなど多大な影響を残したと思います。この先人達の努力
によって今の広島大学が創られていった、ということを知れて良かっ
たです。
工・ 2 ・男 今回の講義では初代学長の森戸辰男さんの話がほとん
どだった。広島大学は開学するときになっても学長が不在といいう状
態だったとは知らなかった。誰を学長にするか史料によると多々問題
があったようだ。長田さんは元広島文理科大学の学長で押す人もい
ただろうし自分も学長になりたいと思っていただろう。しかしはじめの
決定が破られたため辞退を強いられることになってしまった。そこで森
戸さんに白羽の矢が立ったのだ。森戸さんは好んで広島大学に来た
わけではないけれども、広島大学を中国四国の中心的な大学にしよ
うとと尽力なされ、世界各国に復興再建への協力を依頼するなど、広
島大学を「自由で平和なひとつの大学」へとしていく礎をつくっていた
だいたすばらしい人だと思いました。
工・ 2 ・男 学長それぞれの大学をこうしたいという思いが今の大学
を形作ってきたんだと感慨深くなりました。特に初代学長の森戸氏の
意思が後の皇氏や川村氏にも強く反映しているのがとくわかりました。
しかし、理想半ばに辞職となった 2 名には強く同情するとともに、どち
らも学生が深く関わっている事件によるところが原因なので、現学生
として 2 名の意思を少しでも実現させたいと思いました。ですが、この
大学は初代学長の意思を強く受け継ぎ過ぎてはいないでしょうか。そ
れが悪いかというと一概にはそういえませんが、もっと時代やその時
の大学関係者の意向を汲んで視野を広げてみても良いのではない
かとも感じます
工・ 2 ・男 まず講義の前半部分で、森戸辰男初代学長のことにつ
いて講義を聞いた。森戸学長は東京帝国大学の教授だったときに森
戸事件が起きてしまうほど自分の信念みたいなものを貫きとおす性格
だったんだろうと思った。また、学長として広島大学と平和との結び付
きを強めるようにもして今の広島大学のの理念の元になっているんだ
とも思った。また皇至道学長や川村学長も大学整備計画の推進を行
い今の広島大学があるのはこの方たちの功績があるからなんだろうと
考えた。
工・ 2 ・男 新制広島大学の話のときから、森戸辰男は文相なのにな
ぜ広大初代学長の名前と同じなのか、同姓同名なのか、それとも文
相から学長になったのかなどいろいろ考えていたのだが、今回の講
義を聞いてやっとその謎の一部が解けた。そしてその理由を聞いたと
き、広島の教授内での学長の座争いというか、そういったことがあった
と聞き驚いたとともに、森戸辰男さんが学長になったことに納得できた。
考えたことは、原爆の子といった素晴らしい本を出した人が、なぜ学
長の座争いのようなことをし、学長になれなかったのか、ということを考
えた。普通に行けば得票数も一番多く、学長になれたであろうのに得
票を公表してしまったのはなぜなのだろうか。何か意図があったのか、
それとも周りの人たちが勝手にやってしまったのか、それとも資料の
森戸さんの話の中であったように多くの人が長田さんが学長になるの
を困っていたということに原因があるのか……と、そちらのほうが気に
なってしまった。もし、森戸さんではなく長田さんが学長になっていた
ら広大は今どうなっていたのだろうか。そう考えるだけでも、違った広
島が見えてきそうで興味深かった。
工・ 2 ・男 今回の講義は比較的予想通りの講義だったと思う。広島
大学の初代学長など自分は全く知らなかったし、どういった経緯で学
長になったかなどとても興味深かった。森戸辰男さんについての話で、
東京帝国大学経済学部の機関学術雑誌に載った「クロポトキンの社
会思想の研究」という論文が、新聞によって大きく取り上げられたこと
で、事が大きくなり危険な思想だと判断されたことで、起訴され、禁固
四ヶ月に処せられたことがとても心に残っている。当時は天皇が絶対
的な権力を握っている時代で、危険な思想が出た場合はすぐに消さ
れるという事実は衝撃だった。だがそういった時代が終わると思想を
もっている人があがめらると言うことも昔から変わらない時代の移り変
わりの大きな特徴なんだと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて初代学長が森戸さんになるのには
様々なことが起こっていたということがわかりました。長田さんが投票
で最高点になり、本人もなりたかったにもかかわらず、なぜ多くの人が
それでは困るということになるのか知りたいと思いました。しかし地元
出身の森戸さんになることで地域性のある大学になったのでその点
はよかったと思います。呉市民の医学部移転反対のビラは地元の人
からすればあのように思うのは当然かも知れませんが、医学部の発展
のためには仕方のなかったことだと思います。
工・ 2 ・男 広島大学の歴代の学長、森戸辰男、皇至道、川村智治
郎について学んだ。いずれも広島に縁のある人で、学長としての役
割を果たしていたと思った。特にキャンパスの移転については地域住
民の反対があり苦労したそうだが、結果的に主に広島市内にキャン
パスを集約したのは正解だったと思う。今回学んだ 3 人のうち、森戸
辰男については広島大学に詳しい人なら誰もが知っている人だろう。
まさに初期の広島大学を造った人であり、今でも彼の植えたフェニッ
クスなどの植物は旧東千田キャンパスに残っている。森戸辰男は広
島大学の英雄だと思った。
工・ 2 ・男 広島大学には、当初、文学部・教育学部・理学部しか大
学院がなかったと聞き、意外に感じました。博士課程を設置するため
には、優秀な教員が必要になるため、あちこちから優秀な教員をつれ
てきたということを聞いて、今のような充実した施設を作るのには大変
な苦労があったということがわかりました。そのような変化を広島大学
に与えた森戸辰男元学長は、広島大学を語る上でなくてはならない
人だということがとてもよくわかりました。
工・ 2 ・男 森戸学長は、原爆があったという歴史的事実を皮切りに、
広島県で、広島県と平和とを繋げて考えて、授業を受けていこうという
ことを含ませる意味で「自由で平和な一つの大学」としたことを考える
と、起こったこととしては、取り消すことの出来ない最悪な事実なので
すが、その事実を元に大学の考え方に入れることにより、世界の中で
も平和についてのウェイトを占める大学になれたのではないかと思い
ました。平和について考えなければいけないことを、もっと未来にも続
けて生きたいです。
工・ 2 ・男 まず、学校を開始した時点で学長が不在であったという
ことに驚いた。こういう大所帯では中心人物がいつの間にかその辺の
役割に割り当てられているというのが普通だと思い込んでいたが、政
府に何人かの候補を出して決めてもらったようだ。だとしても、学長に
なった人は決して他人事ではなくそれぞれの人が自分の理想と社会
の兼ね合いを基に広島大学の発展に貢献してきた。とりわけ広島だ
けあってやはりフェニックスという理想は確固たるものだったようだ。こ
れからもさらにこの大学を高みへと進めたいものだ。
工・ 2 ・男 今日の講義では、森戸学長が広島大学に残した偉大な
功績を知ることができた。森戸学長は、建学の精神として「自由で平
和なひとつの大学」を掲げ、平和都市広島にふさわしい、世界に平
和をアピールできるような大学を創設しようと、学長としてその仕事に
及んだ。広大を中国四国の中心的な大学にし、旧帝大に準ずるよう
な大学にしようという構想があった。さらに地域性ということも重要視し
た。そんな広島大学に入学したからには、「平和」というシンボルを掲
げ、平和都市の文化的精神をもつことが、役目であり義務であると感
じた。
工・ 2 ・男 広島大学の学長として広島大学をどのようにしていくかと
いう思いや取り組みを知ることができた。森戸辰夫元学長は平和都市
広島にふさわしい平和主義に立つ立派な大学をつくるべきだと言っ
た。僕もそれには同感するし、平和都市という名がなくてもどの大学
にもあっていいと思う。また、地域性というものを重要視していかなけ
ればならないともある。やはり地域とのかかわりを大切にし信頼し合え
る関係であってほしいと思う。学長が目指した大学に近づくことを願
いそれに準じた行動をしていこうと思う。
工・ 2 ・男 明治 24 年に広島大学が開学した時、学長が不在であ
ったことに驚いた。学長を決定する際に、こんなにも揉めたのかと思う
ほどのトラブルが起き、その解決を任され、広島大学の初代学長にな
ったのが元文部大臣の森戸学長であった。問題を解決しなければな
らないという重圧は、彼を相当に追い込んだであろう。彼は大学の整
備に力を注ぎ、この考えは次期学長の皇学長へと受け継がれた。森
戸学長の意志を継いだ皇学長は、入試問題流出の責任を取り辞任
するまで学校の整備を推進していった。この 2 人が今の広島大学の
基盤を体を張って作ってくれたのだと思うと、その上であぐらを掻いて
いる自分は申し訳なく思う。広島大学のために何かできることを考え
ることにした。
工・ 2 ・男 恥ずかしながら私は自分の大学の学長のことについての
知識はゼロに等しかったので、今回の講義で自分の大学の学長のこ
とを知ることができてよかった。初めの学長の森戸辰夫元学長は広島
大学の卒業生ではないし、広島大学に全く関わりがないことを知って
驚いた。しかも、当時、他に例がない文部大臣から広島大学学長に
なったり、経歴をみてすごい人だと思った。あと、ごたごたして学長が
間に合わず、学長不在だったと聞いてそんなことありえるのかと不思
議に思った。三人の学長が行ったことをみると広島大学が素晴らしい
大学になったのはこの学長の方々のおかげだと思った。
工・ 2 ・男 森戸前学長の「クロポトキンの社会思想の研究」が、無政
府主義を鼓吹する論文として批判され逮捕された事件の話を聞いた。
それにより、世論の影響力がいかに大きいか改めて考えさせられた。
今回の講義を聞いて、改めて学部による学力差について考えさせら
れた。カエル、両生類の研究に広島大学が力を入れていることを初
めて知った。広島大学の様々な学部が今までにどのような研究を行
っていたか、また行っているか知りたいと考えた。
工・ 2 ・男 広島大学の歴代の学長がどのような人かというのはまっ
たく考え付かないようなことだったので、広大生として知っとくにこした
ことはないと思い、興味をそそられた。まず森戸学長が平和都市を目
指す広島にふさわしい大学を作るということを目標に、世界各地の大
学に復興の協力を依頼したということを知り、前回の授業とつながる
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部分があって関心が持てた。他にも大学の集約化や整備など整って
いない大学の体制を整えたということも知り、はっきりとは想像できな
いが大変素晴らしい人であったんだと思った。
したりと、平和について本当によく考えて、それを目指していたのだと
思う。いまこの広島大学があるのは、これまでの学長の努力が必要不
可欠だったのだと感じた。
工・ 2 ・男 歴代学長の中でも初代学長である森戸辰男氏は少し特
別な感じがした。「初代」というだけで特別な感じはするが、今日紹介
された 3 人の学長の中でも彼だけが東京帝国大学を卒業し、政治家
としての経験があるからだろう。また森戸三原則や森戸道路といった
森戸氏から名を取ったものも存在し、非常に影響力のあった人物のよ
うに思える。新渡戸稲造と写真を撮る機会があったというところからも
その偉大さはわかった。次の学長たちの横顔(2)もとても楽しみにした
いと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義では広島大学と初代学長である森戸辰夫氏
との関係がとても興味深かった。東京帝国大学の助教授でありながら、
自分の思想を新聞にのせたため逮捕され、そのあと衆議院に当選そ
して文部大臣に就任、そして広島大学の学長と波乱万丈の人生を送
ってきた森戸辰夫だからこそ、現在の平和大学となっている広島大学
の基礎となる核を築いていけたのだと思った。その意思をずっと守っ
てきた皇学長をはじめとした歴代の学長もとても素晴らしい方々だと
感じた。こんなに素晴らしい学長たちが守ってきた広島大学で学ぶこ
とができ、本当に幸せなことだと思った。
工・ 2 ・男 広大の初代学長の森戸学長が広大の学長に就任するま
でに、いろいろな苦労があったことが分かった。同時に、初代学長に
就任されたということもあり、考え方のしっかりした人物であったことが
うかがえた。なんでも初めてということはとても大変なことだが、森戸学
長はしっかりとした考え、信念をもっており、それが今日の広大まで伝
わっていると感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受け今の自由で平和な一つの大学という
建学の精神は森戸学長の森戸三原則に基づくものなのだと初めて
知りました。また森戸学長のあとの後任であった皇学長や川村学長
により森戸学長の目指した大学にするため森戸学長の方針を引き継
ぎ大学整備計画を推進したことにより今の、施設が充実し中四国の
中核大学としての広島大学ができたのだとしりました。この三人の学
長がいなかったら今のような総合大学である広島大学は生まれなか
っただろうなと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて一番印象に残ったことは、広島大学
は発足当時は学長がいなかったということだった。また、初代学長を
決めるためにいろいろな選挙をしたり、初代学長である森戸辰男さん
と学長候補だった長田新さんとのやりとりはとても面白かった。今回の
講義では三人の学長についてしか触れられていなかったが、その三
人のなかで、森戸学長が果たした役割が一番大きいように感じた。ま
た今まで大学の学長というのはなにもしていないようなイメージだった
が、試験の不正問題や大学紛争などの対応でとても大変なものだと
思った。
工・ 2 ・男 広島大学の初代学長である森戸辰男は最初は学長の候
補から外れていたということに驚きました。そして、学長を選考する際
に問題が起きたために森戸学長が学長をされるようになったというの
は初めて知りました。また、皇学長によって学部についての大学整備
が行われ、川村学長によって学科の新設・増設や大学院の設置が進
められたということがよく分かりました。大学院の設置が広大を中四国
の中核大学としての意味を持たせる為のものであったということも初め
て知りました。
工・ 2 ・男 今回の講義で、初代学長が決まるまでに様々な問題が
あったことを知って驚きました。長田先生を学長に押すグループとそ
れを阻もうとするグループでかなり激しく対立していたようですが、な
ぜそこまで対立が激化したのかとても気になります。史料 3 の森戸学
長に対する聞き取りにおいても、森戸学長は明言を避けておられて
おり理由はわかりません。もうすこし調べて自分なりに考えてみたいと
思います。また、森戸初代学長が文部大臣に就いていたということや、
議員を辞めるための演説をしていたことなどもとても驚きました。また、
今回あまりふれられていませんでしたが、両生類の世界的権威の川
村先生という方のことなど初めて知ることばかりでした。広島大学はほ
んとうに偉大な方々によって作られたのだと改めて感じました。
工・ 2 ・男 初代学長である森戸学長が決まるにあたって少しもめて
いたことを知って驚きました。森戸学長は当初、広島大学の学長とい
うポストにつくことに対しあまり乗り気ではなかったそうですが、建学の
精神を考えたり、キャンパスの整備などを通して、非常に尽力された
ことを感じました。皇学長と川村学長は、広島大学の整備や拡充を進
めました。大学院の設置など、施設を充実させることで、中四国の中
核大学としての位置を確立していったことは大きな功績だと思います。
工・ 2 ・男 初代学長を決める際、相当ないざこざがあったことを初
めて知り驚いた。本来初代学長になったであろう長田氏も「原爆の
子」編集刊行された方であり、新設される広島大学の学長になること
に相当な意気込みを持たれていたようであった。また、前回の授業で
森戸学長が世界各地の大学に広島大学の復興再建への協力を依
頼したことなど学長になってからのことは聞いていたが、戦前に、無政
府主義を鼓吹する論文を書いたとして起訴され、禁固 4 ヶ月に処せ
られていたことは、改めて当時と今世の中のありようが違うのだと思っ
た。
工・ 2 ・男 戦後から復興していく時代の中、この広島大学を再建し
ていくのに学長のはたらきは大きかったと思います。初代学長が立候
補者からではなく、第三者であった森戸氏になったことはすごく驚き
ました。文部大臣にもなった衆議院委員の森戸氏が広島大学の学長
になることは、すごい決断だったと思います。広島大学は中国四国地
方で一番早く大学院を設置したことを知りました。再来週の授業に出
てくる学長達がどのような人物か興味深いです。
工・ 2 ・男 今回の講義は予想していた内容と大きく違っていたので、
興味をもって臨むことができた。何人かの学長だけを取り上げ、それ
ぞれの学長を深く学ぶことができた。なかでも森戸学長には感銘を受
けた。大学の助教授にまでのぼりつめ、違法により禁固刑を受け、国
会議員になり、大臣まで務めそして広島大学長の職に就く。まさに波
乱万丈の人生である。現在では一度刑を受けると簡単に職を失い、
再就職というのも難しくなってしまう社会である。その当時の社会はよ
くわからないが一度刑を受け、再び職をもつ。しかも国会議員だけで
なく、大臣にもなった。ここから、他人に流されない強い信念を持ち、
仕事を全うするといったような人柄が見えてきた。次回の講義でも学
長の素顔をとらえていきたいと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、初代学長である森戸辰男さんに
ついていろいろと知ることができました。私は高校で日本史を受けて
いなかったので森戸事件について知りませんでした。学長になるよう
な人がまさか逮捕されていたなんて驚きました。それにその後衆議院
議員に当選されていたことを知り、また驚きました。広島大学の学長
になられた経緯も、すっと学長に決まったわけではなかったのにも驚
きました。森戸学長の広島大学を平和にふさわしい大学にしようとい
う思いや、中・四国の中心大学にしようという思い、故郷の広島に対
する思いがよくわかりました。
工・ 2 ・男 当然森戸辰男さんはいい大学をでて素晴らしいキャリア
を積み、順調に広島大学の学長という座に就いたものだと思っていた。
しかし、確かに高学歴ではあったみたいですが、森戸事件のようなこ
とがあり大学の休職処分や起訴までされていたという事実に非常に
驚きました。大学長になった経緯にも国会議員から文部大臣も経たこ
とがかかわっていたことからなぜ森戸さんが選ばれたのかを知ること
ができました。議員を辞める時の挨拶、平和に関する森戸さんの考え、
そしてそこからの建学の精神につながるあたり、広島大学のスタート
までのまさに「歴史」が大いに感じられた講義でした。
工・ 2 ・男 今回の講義は学長たちの横顔というテーマで、広大の学
長についていろいろ学ぶことができました。歴代の学長は現在の学
長を除いて 3 人います。初代が森戸辰男という人で、学長になる前
には衆議院議員に当選して、文部大臣にまでなっています。学長を
辞めた後も中央教育審議会会長をつとめるという経歴を持っている
すごい人なのでとても感銘を受けました。二代目は皇至道という人で、
広島文理科大学の教授などを経て学長になりました。皇学長は教養
部や歯学部、附属幼稚園を設立するなどの活躍を見せました。三代
目は川村智治郎という人で、東京帝国大学理学部講師などを歴任し
て学長になりました。川村学長は大学整備計画の推進に努め、数々
の努力をした人です。国内でトップクラスの大学に育て上げてくれた
歴代学長の功績はこれからも僕らが語り継いでいきたいと思いました。
工・ 2 ・男 森戸学長が広島大学の学長に就任するまでには、いろ
いろな人の思惑が働いていたのだと感じた。そもそもの学長候補から
は外れていた人間が、結局は学長に就任したというのは、個人的に
は偶然とは思えなかった。反対に、広大の医学部については、不運
であるとしか言いようがない気がした。そもそも戦後は呉にキャンパス
を構えたという事実は全く知らなかったのだが、昔の呉の人間が広島
にキャンパスを建て直すというのを、町の半数の人間が認めなかった
というのは、当時の街の復興にかける思いが半端ではないと思った。
工・ 2 ・男 広島大学ははじめは学長不在のまま開学していたと知り、
とても驚いた。学長がいなくても開学できるというのは、学長のポジシ
ョンはあまり大事ではないのかと考えてしまいざるを得なかった。森戸
学長はその就任理由からもわかるように、広島を「平和」の都市として
ふさわしい所にしたかったのだと思う。大学の緑として、フェニックスを
植えたり、平和関連の図書を寄贈し、平和問題研究所の設置を目指
工・ 2 ・男 この授業を聞いて、三人のみですが、学長になった人た
ちの経歴や、学長になるまでのいきさつを知ることができました。一番
偉大だと思ったのが、やはり初代学長です。特に学長になるまでのい
きさつが一番異例なこともあり、一番広島大学に貢献したと思うからで
す。さらに、広島大学の基盤を作った人でもあるからです。この授業
で広島大学の基盤を作った学長たちの努力を知り、この努力を無駄
にしないようにこれからもっと広島大学をよくしていきたい
工・ 2 ・男 私は広島大学をめざし、入学し、今に至るまで広島大学
の歴代の学長のことなど一切知らなかった。いや、考えたことすらな
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
かった。しかし、今回の授業のおかげで、いくらか知ることができた。
例えば、広島大学第一代学長は森戸辰男氏であり、東京帝国大学
の雑誌に「クロポトキンの社会思想の研究」を寄稿しだが、批判され、
休職処分となってしまった。さらに、新聞に大きく取り上げられ禁固四
か月に処せられてしまった。自分の通っている大学についてのことを
ひとつでも知ることができ、よかったと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の初代学長である森戸氏が事件を起こし逮捕
されたという事実は在学生として非常に残念で悲しく思う。しかし森戸
氏は初代学長として「自由で平和な一つの大学」という建学の精神を
挙げ、広島大学の立派な礎をたてた。皇至道学長は森戸路線の思
考を引き継ぎ、大学整備計画の推進を行い、教養部の設置や歯学
部の設置などおこない、川村智治朗学長は広島に原爆が投下された
ことと関係して、原爆放射能医学研究所付属原爆医学標本センター
の設置をおこなった。この二人は広島大学の整備・充実のために大
きく貢献したことだろう。これからも何代にも学長は交代していくわけ
だが、それぞれの学長には広大の歴史に残るような功績をのこしてほ
しい。
工・ 2 ・男 この講義を聞くまでは大学の学長について一切知らなか
った。森戸学長が平和都市広島にふさわしい大学を作るために、森
戸三原則を作ったり、平和関連の図書の寄贈をしたりなど学長として
平和に取り組んできたのを知り、今の大学があるのはそういった人達
のおかげなのでありがたいと思った。急に今のように大きな規模の大
学ができたのではなく森戸学長や皇学長や川村学長などの努力によ
り少しずつ拡充、整備されていったんだなとあらためて実感した。また、
この講義を聞いて前回の講義とのつながりも見えてきて前回の講義
がよりいっそう理解できた。
工・ 2 ・男 初代学長が森戸さんに決まる過程で、長田さんに決まり
かけていたのに長田さんを学長にしたい人たちとしたくないと考える
人たちによって、結局長田さんに決まらずに森戸さんに頼むことにな
ったという話を聞いて、広島大学の学長はやはり名誉な仕事であると
共に、大変重要な職であると再認識しました。森戸学長はその後の
二人の学長と違い、広島大学と関係が薄いにもかかわらず学長にな
ったのは、何か縁のようなものがあったのかなと思いました。今回の講
義の三人の学長達によって、広島大学が中四国の中核大学となった
んだと思いました。その広島大学の学生として、これからも学んでいき
たいと思いました。
工・ 2 ・男 自分の通っている広島大学の学長第一人者が森戸辰男
氏であるとゆうことを初めて知った。就任の理由が郷土広島からの要
請とゆうことで、やはり東京帝國大学卒で助教授までやったとゆう素
晴らしい経歴の持ち主だからこそなんだなと納得できた。しかし、学
長に選ばれるまでにもいろいろ経緯があり、予選選考だとかほんとに
ふさわしい人を見極めるため審査をしているとゆうのが自分的には驚
きだった。学長などの決定はもともと決まっておりすんなり決まると思
っていたので予想外だった。今まで現在の広大の学長の名前も知ら
なかったので、自分の大学の学長の名前はもちろん略歴などくらいは
大学に誇りをもってしっかり把握していこうと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義では 3 人の学長たちについて紹介されたが、
どの学長も広島大学の発展には欠かせない人物であったと思う。彼
らが広島大学に来た経緯などはどうでもよかったが、学長になられて
からの活動はとても素晴らしかったと思う。各学部の整備がなされてき
たおかげで私たちはこうして大学で学べていると思うので、彼らの活
動には感謝したい。また、広島大学の発展の指針を示された森戸学
長は特に素晴らしい人物であったと思う。理念や開発計画が最初に
示されたことで円滑に計画が進み、その結果広島大学は今の地位に
あると思う。
工・ 2 ・男 森戸学長についての話は、以前「自由で平和な一つの
大学」という建学の精神を掲げ、原爆の被害を受けた広島に大学を
立てる上で多大なる努力をされた方だと考えていた。だから、起訴さ
れていたというのは意外なことだった。でも、これはこの時代だからこ
そで現在の観点から行くと特別悪いことをしたわけではないと思う。ま
た、森戸学長は議員辞任演説のときの発言で、広島への思い入れと
教育に対する情熱を感じた。森戸学長は学長にほんとにふさわしい
人だったんだなと感じた。
工・ 2 ・男 今まで何回か講義を受けてきた中で初代の学長さんで
ある森戸辰男という名前は何回か聞いたことはあったがどういう人物
かであったりどういう経歴の持ち主であるかであったりとかはあまり詳
しくは知らなかった。高校のときに森戸事件という言葉は聞いた事が
あったがその人物が自分の通っている大学の初代の学長さんである
とは思わなかった。学長選考の難しさであったりとかおそらくおもてに
は出てこない裏で何かいろいろなことがあったりとかしたりするんだろ
うなと思いました。
工・ 2 ・男 まずは広島大学の大学院が文学部と教育学部と理学部
にしかなかったことに驚きました。工学部の自分としては工学部のレ
ベルが低いといわれているようで残念でしたが、自分がどうがんばる
かによって変わると思うんでがんばります。また入試問題を受験生の
親に売ったくそ事務員が過去の広島大学に在籍していたことが残念
でなりませんでした。またその事件後どう処理されたか気になるところ
ではありました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学は開学当初学長がいな
かったことを知ってびっくりしました。森戸さんは『自由で平和なひと
つの大学』という建学の精神を持って森戸三原則を発表し、さらに、
広島大学の緑化として森戸道路をつくり、森戸さんの平和都市広島
にふさわしい大学を作りたいという熱い意志が伝わってきました。僕も
広島大学の学生として、平凡に毎日を過ごすのではなく、何か役に
立てる存在になれるように日々学んでいきたいと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義では、学長選における論争や、今までの学
長、特に、森戸学長のことについて学びました。先生の話を聞いてい
ると、森戸学長のすごさが、とても伝わってきました。今の広島大学の
基礎を築いたのは森戸学長といっても過言ではないのではないでし
ょうか。しかし、これも長田氏と三村氏の争いがあって、二人とも候補
辞退を宣告されなければ森戸学長に話は行かなかったわけなので、
偶然ともいえるかもしれません。長田氏や、三村氏のどちらかが学長
になっていたら、今の広島大学とは全く違うものになっていた可能性
は十分あり得るのかなと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義は来る前から少しお難い話かなと推測してい
ました。講義では特に森戸学長についてでした。学長が逮捕されて
たというのに少し驚きましたが、大学という場所は自由のようで個人の
意見や学生の自由な思想は無視や弾圧される傾向にあるような気が
前からしていました。森戸学長もまたその一例でしょう。森戸学長のよ
うな有名な学長、また偉大な学長が広島大学にたくさん居るんだなと
思うと、この歴史ある大学選択はよかったなと思います。
工・ 2 ・男 森戸事件は聞いたことがあり、それが広大の初代学長だ
とは驚きであった。やはり学長レベルになると自分の考えをしっかりと
もっており、それが純粋に尊敬出来た。蛙の研究をしていた学長もお
り、それに伴う施設まで出来ていることから、実力があることが伺えるし、
広大までくると政府の目が意識しやすいのではと考えられた。キャン
パス移動に伴う施設の増加が自分の中でスムーズに行われている気
がして、それも学長の推進によるものだと考えられると広大の学長は
誇れる人達であると考えられた。
工・ 2 ・男 まずはじめに資料をみて思ったのは、森戸辰男さんはす
ごい経歴の人なんだなぁと思った。衆議院議員や文部大臣にまでな
ったなんて驚きでした。また、森戸、皇、川村の 3 学長とも広島大学
創世記の学長として、他大学を統合したり、新たな学部を設置したり、
さまざまな研究施設を作ったりとまさに広島大学の根幹を作ったとい
っても過言ではないと思った。また次の講義では他の学長たちの経
歴や広島大学への功績などを知りたいと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義では、三人の学長についての内容を主に取
り扱いましたが、その中で、それぞれの学長が専門としてきた分野は
経済学、教育、動物学などさまざまであり、また、それぞれが研究に
おいて成功を収めているということが分かりました。特に、初代学長で
もある森戸学長はもともと広島大学にゆかりがなかったそうですが、学
長を引き受けた理由が故郷からの要請であることや、平和都市広島
にふさわしい大学を作りたいなどの建学の精神からくるものであったと
すれば納得がいきます。また、学長たちが行ってきた、学部や学科、
大学院の設置などの研究を充実させるための大学整備計画の推進
は現在の広島大学にも多大な効果を与えていると思われます。
工・ 2 ・男 初代学長を決定するにあたっての抗争があったとは思い
もしなかった。それも、かなり大きいもので、学長を決めるのも大変だ
った。その中で、初代学長に選らばれた森戸学長は、キャンパスの集
約や、森戸三原則、森戸道路など様々なことを目指してきた。これを
進める中でも、様々な問題が起こり、非常に大変ではなかったかと思
う。現在に至っては、この東広島に集約され、森戸学長の大学整備
計画を継承した。初代学長が森戸学長だったから現在の広島大学が
あるのではないだろうか。「自由で平和な大学」に少しでも近づけるよ
うに自分自身も頑張りたいと思う。
工・ 2 ・男 森戸学長は広島大学設立に際して、平和との結びつき
を強く意識していたのだなと感じた。そしてそのあとをついでいった学
長たちが各学部や大学院そして研究所を設立していき、今現在にあ
るような広島大学が完成していったことがわかった。正直過去の学長
たちがなんという名前でどのようなことをしたかということを知らなかっ
たのでこの機会に知ることができてよかったと思う。そのなかで皇至道
学長と川村智治朗学長が自分と同じ滋賀県出身であることにはとても
驚いた。
工・ 2 ・男 一番に思ったことは大学を管理・運営していくことはとて
も大変なことだと思った。最初に広島大学の学長となった森戸さんは
すごいと思った。医学部が呉市にあった当時、医学部は呉市によっ
て支えられてきてそれを広島市に移す時はかなりの反対をされたと想
像できる。そんな中、医学部の移転に貢献した。また大学にある数多
くの設備についても誰がどのような目的で作ったのか知りたいと思っ
た。その意図を自分の考えと比べ、理解していきたいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の学長という大きな母体の上にたつ人にはや
はりそれなりの度量が必要なのだなと思った。やはり大学を運営する
- 676 -
上で学術の向上をおろそかにしてはならないと思う。その団体がどう
あるべきか、そのトップが今どうするべきかを常に考えなければならな
いと思う。このようなことは何も学長だけにとどまらず、団体の大小に
かぎらず、なんらかの団体を取り仕切る人々にとって重要なことであろ
う。大学生にとってこのような状況でもっとも身近なのがサークルや部
活であると思う。自分が上の立場になっていくにつれて、どうあるべき
かを考えていきたい。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、はじめは学長について紹介してど
うするんだと思いましたが、聞いているうちに、歴代の学長がどのよう
に考え、どのような大学を目指していたのかを知ることができ興味を
持つことができました。森戸学長が目指した平和都市広島にふさわし
い大学を作りたいという考えはとてもすばらしいとおもいました。また、
皇学長・川村学長は大学の整備、施設の充実をめざしさまざまな研
究ができるようになりました。このように現在の広島大学は歴代の学長
の努力のおかげでできあがったのだと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義では普段広島大学に通ってはいるものの考
えたりはしない学長について知ることができた。普段生活しているこの
大学の施設など不足や不備を訴えている人もいると思うが自分が何
不自由なく勉学からサークルまで充実した生活をおくれていることに
感謝の気持ちをもてた。また学長がどんな考えを持っていて広島大
学をどのようにしていきたいかなどもしれた。今広島大学が中四国を
代表とするような大学になれただけでなく、地域ともつながりを持って
広島県の特性の平和というものも考えられていてすごいとおもった。
工・ 2 ・男 今回の授業を聞いて自分の出身である呉市に広島大学
の医学部があったことに驚きました。昭和 30 年のことであるので知ら
なかったのかもしれませんが、呉市にとっての大きな出来事であった
らしいので浅くてもこの出来事を知っておくべきだと思いました。配布
された史料を見ると呉市民と医大生の間に直接ではないですが、争
いがあったらしく当時の呉市の状況はどのようなかんじだったのだろう
かと思いました。自分も当時の呉市民と同様広島大学医学部を呉市
に残してほしいと思いましたが、医大生の言うとおりやはり医学の発
展を優先すべきだと思い移転は妥当な提案だと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いてまず最初に感じたことは、森戸辰男
元学長はたいへんな苦労をなされていたのだなということでした。広
島大学にあまりゆかりがなく、集団としてまとまっていないところに飛
び込んで、それをまとめなければならないということは想像しただけで
も大変なことだとわかります。そのうえでキャンパスの集約や整備、大
学の緑化などの大変な功績を残されてきたことにすごいことだと思い
ました。最も興味を持ったことは、元々学長になることを拒否されてい
た森戸元学長をどのように周りが説得したのかということです。そのあ
たりは詳細に知りたいなと思います。
工・ 2 ・男 今回の講義を通して初代の学長の選考の際に投票数の
洩れなどの協定破りがあり広島大学とはあんまりゆかりがなっかた森
戸辰男学長が初代学長になったということをはじめて知ることができま
した。森戸学長が広島大学をひとつの大学にするため建学の精神や、
キャンパスの集約・整備を行ってきたことによりまとまりができてきたの
だと感じました。皇学長・川村学長がたも大学の整備・拡張に尽力を
注ぎ現在の広島大学の基盤、発展を行ってきたおかげで今の広島
大学ができ、中四国の中核大学となるよう努力してきたことはすごいこ
とだと思いました。学長方や教員・先輩方が育ててきた広島大学の生
徒として恥じないよこれからがんばっていきたいと感じました。
工・ 2 ・男 今回の講義で初期の広島大学が学長によりものすごい
成長を見せたことがよくわかった。初代学長の選考とき、森戸学長が
選考されたのだと思ったが、そうではなかったことが意外だった。しか
し、戦後の広島大学の施設を充実させ、復興再建できたのは、森戸
学長の強い広島への思いがあったからだと思う。その後、皇学長や
川村学長が、大学整備計画を進められたのも、森戸学長のおかげと
いっても過言ではないと思う。今自分が広島大学で学べているのも過
去にそういった大学を復興させようという努力があったからだということ
を忘れてはならないと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を通して初代の学長の選考の際に投票数の
洩れなどの協定破りがあり広島大学とはあんまりゆかりがなっかた森
戸辰男学長が初代学長になったということをはじめて知ることができま
した。森戸学長が広島大学をひとつの大学にするため建学の精神や、
キャンパスの集約・整備を行ってきたことによりまとまりができてきたの
だと感じました。皇学長・川村学長がたも大学の整備・拡張に尽力を
注ぎ現在の広島大学の基盤、発展を行ってきたおかげで今の広島
大学ができ、中四国の中核大学となるよう努力してきたことはすごいこ
とだと思いました。学長方や教員・先輩方が育ててきた広島大学の生
徒として恥じないよこれからがんばっていきたいと感じました。
工・ 2 ・男 今回の講義の内容は「学長たちの横顔」ということで、自
分は、広島大学の歴代の学長たちの紹介という感じだろうとおもって
いた。森戸辰男という人が初代の学長だということを知った。そして、
森戸事件というのも存在したことを知り、驚いた。第二代目の学長が、
すめらぎというひとで、すごい立派な名前のひとで、先生が皇族の人
だろうと言っていたので驚いた。なんか、大学の学長は小学校や中
学校の校長とかより遠い存在な気がするので、多少学長たちのことを
知れてとてもよかった。
工・ 2 ・男 広島県は特かいなところで平和都市にできた広島、平和
都市の文化的セ心的な中心地となるような政策を持つべきであると、
こういうう三つのことを間考えたわけないです。つまり。中国四国の中
心的な大学になるということ、それから地域性を歌かに持った大学に
なること。最大には、国際性といいますか、あるいは平和的な性格を
持った大学になるということ、そういうことを基本的な目標にしてやって
いうこと。
工・ 2 ・男 広島大学の学長について学び、特に、森戸辰男学長に
ついて詳しく学びました。森戸辰男という名前はたびたびこの講義で
耳にしていた名前なので、身近ではないけれど、身近な感じで講義
を聞くことができました。森戸さんは、広島大学のために、森戸三原
則を作ったり、緑を増やしたり、平和関連の図書の寄贈をしたりなど
多くの活躍をしていました。川村学長は森戸学長の後を継いで大学
整備計画を推進したりの活躍をしてくれました。このふたりの学長の
活躍があったからこそ、今の自然に囲まれたキャンパスがあるのだと
思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義で、あの広島大学の学長を務めた森戸辰男
さんが森戸事件という事件で禁固刑に罰せられていたのを聞いてと
てもビックリしました。大学長にまでなる人でもそういったことがあるの
だなぁと少し新鮮な感じがしました。今回の講義は今までの歴代の大
学長たちの偉業などプラスのことを紹介されるのだと思っていて、まさ
かマイナスのことがあったとは少しも考えていませんでした。しかし森
戸さんは衆議院議員に当選したり文部大臣になったりと広い分野で
活躍していたことも改めて知り、やはり偉大な人だったのだなとも思い
ました。
工・ 2 ・男 森戸辰男氏が広島大学の初代学長に就任するまで、森
戸事件という全国的にも大きな事件を起こした森戸氏本人を学長に
迎えるということに対して反対する者がいなかったのかどうか、そこを
まず不思議に思う。しかし、教育や平和に対し強い熱意をもっていた
森戸氏が初代学長となったことは間違った選択であったとはとても思
えない。多くの前身校を抱えている大学の統合というのはとても難し
いことであり、学部間の格差をなくすなど森戸氏には想像もつかない
位の量の課題があったと思う。その森戸路線を継承した皇前学長や
川村前学長の大学の整備や拡充もあって、大学院や研究所が設置
された。私たちはこういった前学長などの努力があって、充実した施
設に囲まれてで勉学できているのだと感じた。
工・ 2 ・男 森戸事件というのは聞いたことがあったが、内容は全く知
らなかった。今回の授業でその内容を知って、広島大学の学長森戸
辰夫の意志の強さを知ったと同時に、とても偉大な人物だったんだな
と思った。また、森戸三原則、医学部の設置、その後の学長達も様々
な学部、学科を設置するなど、現在に至るまで学長達の様々な努力
があったんだなと再確認できた。
工・ 2 ・男 広島大学の初代学長が誰かなどとは、今まで考えたこと
も無かったけど、今回の講義を受けてみてそういったことを考えるのも
大事だと気がつきました。学長ひとりひとりが、それぞれの考えを持っ
ており、大学に新しい風を送ってきていたのです。広島大学をいろい
ろな地方に移転させる事を考えたのも一人の学長であるし、今の教
育方針も学長があってこそであり、その学長について少しでも知って
おくことは、これからの大学生活を送るにおいて大切であると感じまし
た。
工・ 2 ・男 まず今回、初代学長の森戸先生の学歴を見たとき、東京
帝国大学を卒業し、しかも同大学の助教授、さらには文部大臣でもあ
ったということに驚いた。しかし、森戸事件についてはじめて知り、森
戸先生が起訴され、監獄に入っていたという話にも同時に驚いた。と
ころが、この事件について調べてみると、無政府主義を鼓吹すると批
判されている一方で、学問の自由を守ろうとしていると、擁護する声も
あり、労働者教育・社会運動に寄与した人物として評価される面があ
ったことも知った。こういった学歴に偉大さを感じた。
工・ 2 ・男 私は今回の講義を受けて、森戸学長の広大に関する
様々なことを知ることができました。森戸学長が学長不在の広島大学
に入るため議員を辞任する際の発言や就任の理由では、森戸学長
の広島に対する特別な思いとこれから教育により日本を変えていくと
いう思いがすごく感じ取れました。今の広島大学の考えには森戸学
長の考えた 3 原則が少なからず盛り込まれているような気がします。
他にもさまざまな学校を統合し、各学部を設置した森戸学長はすご
いと思いました。
工・ 2 ・男 これまでの何人もの学長たちが今の広大を作ってきたの
だと思った。また、学長が一人選ばれることにもストーリーがあるのだ
と思った。
工・ 2 ・男 やはり、広島大学の学長たちは広島とは深い縁がある人
でないとなれないのかと思った。森戸辰男さんは、やはり広島大学創
設期を語るためには欠かすことの出来ないすごい人物なんだと思っ
た。森戸さんが頑張ってくれたので私たちは充実した有意義な大学
生活を遅れているのだと思う。皇学長、川村学長も、学部の新設や整
- 677 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
備をしてくれたり、大学院を設置したりと、すごい貢献しているなと思
った。本当にこれらの学長たちのおかげで広島大学は中四国で中核
をなす大学にまでなれたのだと思う。
工・ 2 ・男 歴代の広島大学学長の中でもっとも有名なのはやはり森
戸辰男初代広島大学学長だと感じた。広島大学の歴史の話をする
上で決してはずすことができない重要人物であることを再認識した。
森戸辰男氏の名前は森戸事件として習ったことがあったが、広島大
学の学長としての顔を全く知らなかった。今日の講義でどのようなこと
をしたのか分かった。そのほかの歴代学長たちも広島大学の発展の
ために尽力していたことも分かった。今の広島大学があるのはそのひ
とたちのおかげであることをひしひしと感じた。
工・ 2 ・男 一番印象に残ったのは、やはり森戸学長で、広島大学の
ために様々なことをし、大学に尽くしてきたのだと思います。「自由で
平和な一つの大学」という精神の下、大学の緑を増やしたり平和関連
の図書の贈呈を世界各地の大学へ依頼したり、尽力しているし、本
当に広島大学のことを誇りに思っていると思うし、愛着を持ってやって
いるのだと思います。僕も自分が通っている大学に誇りを持って通い
たいと思うし、愛着をもてるようになりたいとおもいます。
工・ 2 ・男 初代学長である森戸は元文部大臣であり、その地位から
広島学長になった。森戸学長が就任した理由は郷土広島からの要
請や、また平和都市広島にふさわしい大学を作りたいという理由など
あった。森戸学長が学長になって森戸三原則である自由で平和な一
つの大学という建学の精神が確立された。さらに東千田キャンパスの
整備が始まった。 2 代目、 3 代目の皇学長や川村学長が後任にな
った後も、キャンパスの整備や拡大が広がっていった。
工・ 2 ・男 一番最初に学長になったひとがどのような人かを知ること
ができてとても興味がわいた。元文部大臣の人が広島大学の学長を
やっていたというのは、とても意外だった。そして二代目の学長が広
島大学の出身だというのはよかった。そして三代にわたって学長が変
わっていく間に、とても施設が充実していったことに対して、とても感
謝したいと思った。また、学長選出の経緯の資料などが見れて、おも
しろかった。そして、学長の演説の資料を見て、とても感動した。
工・ 2 ・男 今回は学長達の横顔ということで、森戸辰男学長と川村
智治郎の二人の人物に着目した授業であった。森戸事件は今回初
耳であった。元衆議院議員であり、広島大学の学長でもあった森戸
氏がこのような事件を起こしていたのはとてもショックであった。広島
大学が建学当初から自由、平和を象徴していることはとても素晴らし
いことであると思う。この建学当初からの目標がこの先ずっと続くこと
を心から願っている。この目標は広島大学だけでなく世界中の人々
の目標であってほしいと思う。
工・ 2 ・男 今回は学長の横顔としておもに森戸さんについての話で
した。わりかし趣味の話などが講義では話されててどのような人物で
あったのかある程度想像がついておもしろかったです。またその森戸
さんの一生をみて一番印象に残っているのは警察沙汰になっている
ことがあったということです。このことは学長であるのにそんなことがあ
ったのかと驚きましたし、新聞についてで捕まるというのはなんか珍し
いというかあまりないのではないかと感じました。
工・ 2 ・男 それぞれの学長たちが広島大学の発展のために何をし
てきたのかを知ることができた。やはり広島だけあってどの学長も平和
の精神にのっとった施策を中心におこなってきていると思う。キャンパ
ス内の豊かな緑も、初代学長の意向によるものだが、学生の豊かな
心をはぐくむうえでは大変重要なものだと思う。かつてはそれぞれ独
立していた各学部のもとになった学校も、中四国の中心大学として他
をけん引したいという学長たちの強い思いのもとに実現したのだろう。
工・ 2 ・男 歴代の学長森戸辰男・皇至道・川村智治郎の 3 人の中
で森戸学長だけが広島大学に全くと言っていいほど縁がなかったと
いう事実が意外であった。次に初代の広島大学長を決めるときに森
戸学長は、候補者でなく投票する側だったのでもし長田氏が学校長
になることの懇願を払い下げしなかったならば、後にも先にも森戸学
校長が広島大学の学校長になっていなかったのだろう。けれど長田
氏が学校長になることを辞退したので森戸氏が学校長になり今でも
歴史ある名門の広島大学が存在していると僕は思います。
特に平和都市として世界的にも有名な広島の大学の学生として、もっ
と自覚を持って行動しなければならないと、この講義をうけて感じた。
また、医学部の呉市から広島市への移転について呉市民と医学部生
の意見が対立していたが、医学部を地元の誇りとしていた呉市民に
は残念だっただろうが、研究の発展のためにも移転は仕方なかった
のだろうと思う。
工・ 2 ・男 全体的に講義の内容がムズカシイというより理解しにくか
ったです。講義を受けての感想は、『森戸辰男学長がとにかくすごい
人物だったんだろうなぁ』ということだけです。それにしても初代学長
が広島大学にあまり関係ないだけでなく、衆議院委員や文部大臣な
どの経験がある人物だったことだけで十分驚きですが、まさかの『森
戸事件』・禁固四か月・・・。実際問題、中学校や高校の頃とは違い学
長や教師方との関わりがほとんどゼロなので今回の講義がなかったら
たぶん大学生活で『森戸』という言葉を聞かなかったと思います。
工・ 2 ・男 初代学長の森戸辰男は、その選考にやや複雑な経緯が
あるものの、昭和 25 年から 13 年間も学長職を務め、その間広島大
学のあるべき姿を示し、現在の広島大学の基礎を着実に作り上げた
多大なる貢献者であると私は考える。私が特に注目したのは彼の平
和に対する取り組みである。彼が唱えた建学の精神で「自由で平和
な一つの大学」とあるように彼の平和に対しての思いが強かったこと
がうかがえる。東千田キャンパスの正門には灰の中から新たな生命を
もって蘇る不死鳥を原爆からの復興を目指す広島と結びつけてフェ
ニックスを植樹、また昭和 26 年には、世界中の大学に平和に関する
本の寄付や、大学緑化のために苗木を寄贈してくれるよう自ら手紙を
書くほど、広島大学には徹底して平和を求めた。それから 60 年がた
ち、世界ではいまだに戦争や紛争が絶えない。平和を希求する精神
は私たちが受け継ぎ、さまざまな問題に対し関心を持ち、解決へ取り
組んでいかねばならない。
工・ 2 ・男 広島大学の成長、発展に学長たちが多大に貢献してい
たことがよくわかりました。特に森戸学長の広島と広島大学に対する
思いには感心させられました。広島大学はただの地方大学の一つと
してではなく、平和都市広島の文化的精神的な中心としてなど特徴
的なすばらしい大学づくりを行っていただいていたのを知って、広島
大学生としてより広島大学に誇りを持つことができました。
工・ 2 ・男 学長というのは、その大学の顔でもあるので、華やかな仕
事ばかりだと思ったが、実は地味な仕事もやっており、学長というもの
の側面が見えました。
工・ 2 ・男 まずはじめに思ったことは大学というものは学長が不在
でも開学ができるということに驚かされ、しかもそれがわが広島大学で
あったということで少々残念な気もした。なぜなら学ぶのは我々学生
であるが教育というものは先生あっての我々であり、その先生のまと
め役とも言える学長が不在というのは生徒にとっていろいろな意味で
不安を与えるからだ。しかしそのような中で元文部大臣であった森戸
辰男氏が紆余曲折を経てではあるが学長に就任され、「自由で平和
な一つの大学」という精神のもと平和活動やキャンパス統合に向け尽
力されたことに感銘を受け、やはり学長によって大学の方向性という
ものは大きく変わるということを改めて感じた。
工・ 2 ・男 初回の講義からたびたび名前が出てきていた初代学長
の森戸学長が広島に関係のなかった人だと聞いて驚きました。実際
には推薦されていた方々ができなくなったからその代わりとして来たと
はいえ、想像もつかないぐらい大きな仕事をやったんだと感じることが
できました。現在の大学院の博士課程設立などの活動がなければ今
の広島大学はなかったと思います。大学院の整備をしたことでその他
の周辺大学に差をつけ、多くの入学生が入学することにつながったと
思います。
工・ 2 ・男 森戸学長は、広島大学を平和を念頭に作り上げていっ
たのがよくわかった。皇至学長も川村学長も平和という考えは変わら
ず、それを基盤として大学を大きくしていった。この時期にもうすでに
化学工学科が新設されていて、翌々年には工学研科も設置されこの
工学部の歴史の深さに誇りを感じた。この三人の学長の間に大学の
かなりの部分が完成したように思える。来週はこれ以降の学長がさら
に大学を発展させるためにどのようなことをしたかが楽しみだ。
工・ 2 ・男 私は今回の講義を受けるまで森戸辰男という名は聞いた
ことがなかった。開学当時に学長が不在であったということに私はとて
も驚いた。そこで森戸学長が選ばれたのであるが、就任の 3 つの理
由に私は広島大学をすばらしい大学にしたいという思いがつたわっ
てきた。学長といえばその学校のリーダーである。開学当時に学長を
つとめるということはとても大変な仕事であったのではないだろうか。
また歴代の学長が行ってきた数々の改革は広島大学にたいする思
いなくしてはできなかったと思う。私ももっと学長を尊敬し学長の意見
や理念に注意を注いで大学生活を送っていきたいと思う。
工・ 2 ・男 広島大ができたときに、学長がいなくて、広島大学を作ろ
うとしている人達はどのように動いていたのかと疑問に思った。森戸
辰男氏が、初代学長になったけれど、森戸氏は給料のことなどいろい
ろあったようであるが、学長就任を決意し、衆議委員辞任を国会の場
で森戸氏の考えを述べている文は素晴らしいと思いました。広島は
原爆が投下された特別な地といううことで、森戸氏が述べたように広
島大学は平和主義の大学にするべきであって、日本の再建には青
年の向背にかかります。このような強い意志をもった学長たちがいた
からこそ、今の素晴らしい広島大学があるのだなと、改めて思いまし
た。
工・ 2 ・男 以前の広島大学の学長であった森戸辰男氏が衆議院を
やめて郷土広島のために大学長になったことを知り関心した。「日本
の再建は青年の向背にかかる」という彼の言葉から、日本の社会のた
めに大学での教育がどれだけ重要なことなのかを改めて痛感した。
工・ 2 ・男 森戸辰男は「自由で平和な一つの大学」の精神で建学し
ました。広島にある大学として平和というキーワードは外せないと思い
ました。森戸学長は平和に対して熱心だと思います。平和関連の図
書の寄贈や平和問題研究所の設置を目指すなどの活動が見られる
- 678 -
からです。また、森戸学長は大学の緑地化を推進しました。広島大学
には他の大学と比べてたくさんの緑があると思います。これは森戸学
長の思いからだったと知ることができました。緑のある大学は環境にも
優しいし、そこで勉強する学生も気持ちがいいと思います。後の皇学
長と川村学長も森戸学長の思想を継承し、大学整備計画の推進を
図り、学科の充実や大学院の設置を実行しました。この二人の学長
が広島大学で学べることを広げたと思います。学長の努力が無けれ
ば今の広島大学はないと思いました。
工・ 2 ・男 まさに、普段では知ることはできなかったであろう広島大
学の大学長たちの苦悩や選ばれる際の背景を今回学ぶことができま
した。森戸辰男元学長への聞き取りで、学長に選出されたときの裏話
のような話が書いてあって、自分たちはこのようなことを知ってよいも
のだろうかと一瞬戸惑いました。自分の中では学長とは大学の頂点
に立つ人物で、華やかな存在でありつつ、大学の責任を背負う重大
な役職だと思っていましたが、それに伴う悩みも多く、おいそれとでき
る仕事ではないのだと改めて思いました。大きな覚悟、大学運営に対
する熱意と学長を支える人たちからの信頼も必要なのだとわかりまし
た。長田氏は一番多くの票を獲得したにもかかわらず、学長になれな
かったのはなぜだろうと思いました。選挙の意味がないような気がしま
した。
工・ 2 ・男 まず、学長の経歴を知ることができてよかった。大学の学
長になるような人は、やはりその前もどこかの学校で教授をしていた
のだろうと考えていたが、森戸学長は議員でしかも文部大臣をしてい
たということに驚いた。また、現在の医学部が昔呉市にあり、移転のこ
とでもめていたことなども初めて知った。やはり大学があるということは
都市の発展につながるし、大学病院があれば医療的にも安心だと思
うので、医学部の移転を呉市が引き止めたかったのも分かる。
工・ 2 ・男 森戸学長は日本のために、また地元広島のために世界
各地の大学に広島大学の復興再建への協力を依頼したり建学の精
神をうちだすなど、広島大学の復興に大きく貢献したことを始めて知
りました。また医学の発展のために呉にあった医学部を広島市に移
すなど大きな決断をし、実行した人だとわかりました。その後皇学長と
川村学長の努力により大学の整備、拡大が行われ今の広島大学が
あると知りました。
工・ 2 ・男 初代学長が森戸辰男が刑事告訴されたにもかかわらず、
学長になれたことはよほど市民からの人望が厚かったのだと考えられ
る。森戸初代学長は平和主義者であり、広島大学のコンセプトにマッ
チしていたのであろう。資料を読んでみると、森戸さんは本当に青年
に対して期待を持っていて、広島の地を愛し、広島大学を帝大では
ないけれどそれに準じる中四国の中心の大学にしたいという気持ち
が伝わった。それに伴い、森戸・皇至道・川村学長の時代に様々な
学部の補充を行い、大学の整備・拡張に努め、現在には名声、実力
ともに中四国を代表する大学になった。ここまで頑張ることが出来た
のは、広島に、また広島大学に対して深い思い入れがあったからで
あろう。工学部の生徒で将来研究者になる者として、見習うべき点が
数多くあると感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義では森戸学長についての話を聞くいい機会
だったように思います。森戸学長は自由で平和なひとつの大学を目
指しておりそれが今の広島大学でも受け継がれているということがと
ても興味深かったです。また森戸学長の衆議院辞任演説からもわか
るように森戸学長は広島が大好きで、また日本の再建のためには青
年の教育が大切だとおもっていたことがわかりました。そして森戸学
長は今までにない地域に密着した大学をつくられたことはすごいと思
いました。
工・ 2 ・男 先週の講義でも学んだが、森戸初代学長の建学の精神
とした「自由で平和な一つの学校」というテーマが以来受け継がれ、
皇学長、川村学長がそれに基づき学校を発展させていった様子が、
新たな学部や施設を創設したり規模を増やしていくのを背景に知るこ
とができた。川村学長が学長をしていたころには、ほぼ今の大学の形
になっていたことを見ると、 3 人のがした功績が伺える。森戸学長を
はじめ三人の学長高い意識によって、平和都市広島にふさわしい今
の大学の基盤となるものが形成されたのだと思った。
工・ 2 ・男 まず、広島大学の開校当時に学長がいなかったという事
に対してだが、そんな事が可能なのかと疑問に思った。初代学長に
森戸氏が就任したわけだが始めはあまり乗る気がなかったという事で、
様々な動きがあっていた。学長選出の選挙もいろいろと決まりがあっ
たが情報が漏れてしまったり、最高得票の長田氏が結局就任しなか
ったりと大変な苦労があっていたことを知る事ができたのはよかった。
また、続く皇氏・川村氏も広島大学の発展を目指して新たなる学部を
設置したり、呉市の人々と対立してしまったり、頑張っていた。今回の
講義は特に興味を持てた。
工・ 2 ・男 文部大臣の職を辞してまで初代広島大学学長に就任し
た森戸辰男氏には、今もなお受け継がれている広島大学の原型を形
作りうるだけの熱意と力量があったのだろうと思った。各国の大学に
寄付、寄贈を要請した結果として、平和図書の充実とキャンバスの緑
化が実現したのも、ひとえに森戸学長の思いのなせる業であったと思
う。学部の初期移転の際には、多くの関係者、地域住民の助力があ
ってこそ完了したことも考えると、広島大学は、本当にたくさんの人々
に支えられて今に至るのだなと実感した。
工・ 2 ・男 普段広島大学で大学生活を送っている私たちでも学長
と接点を持つことは少なく、先代の学長たちに至ってはこういった講
義がない限り知ることがなかった可能性もあると思う。この講義をうけ
てみて、学長のことを知ることによってどういった思いで広島大学を受
け継ぎ伝えてきたか考えさせられた。広島大学大学の一員としてその
ことを心に置いておくことがとても大切でないだろうかと思った。
工・ 2 ・男 学長たちの人間性が見れるだろうということで今回は少し
いつもと違う期待があった。広島大学創設者森戸辰男さんの話が聞
けるというのは、広島大学がどういうものを目指そうとしているかを知る
ようで興味深かった。ただ、学長になるのはすんなり決まったわけで
はなく、人間社会のいろいろなしがらみがあったり、当初の予定と大き
くくるっていたりと、どろどろしたドラマを背景に見て大変さが伺えた。
さまざまなトラブルを乗り越え、広島大学は今あるのだなぁと感慨深か
った。森戸さんにばかり目が行きがちだが、その後の皇さん、川村さ
んとも土台を作っている。多くの人に支えられ今日の広島大学は存
在していることを実感した。次回も楽しみである。
工・ 2 ・男 これまで広島大学で誰が学長をして、何をしてきたかとい
うことに特にきにしたことはなかったけれど、今回の講義を聞いてやっ
ぱり、広島大学の戦後からの復興には学長たちの努力なしではあり
えなかったと思う。初期の学長が目指したものを今も受け継いでいる
から現在の広島大学があると思うし、それをこれからも守っていく必要
があると思う。今回の講義でその必要性について考えさせられた。
工・ 2 ・男 森戸学長がしたこととして、やはり平和都市広島にふさわ
しい大学を作りたいということで大学に緑を植えたり平和問題研究所
の設置を目指したりしたところとして森戸学長は興味深いです。そし
て、皇学長・川村学長によって大学の整備をすることで今の広島大学
の形になったことを知った。施設の充実として、大学院を設置すること
で中四国の学問間の格差を解消したことはすごいと思ったし、広島
大学は誇らしい大学であるということを再確認できる講義であった。
工・ 2 ・男 キャンパスの統合、学部・研究科の増設、学生運動との
戦い、キャンパス移転反対への説得など学長たちは大変な仕事をし
てこられたことが分かった。あらましは知っていたが実際問題としては
大変な努力が裏にあるのだと思った。また、学長選出に際して相当な
陰謀渦巻いていたことが分かるが、もし長田氏が当選していた場合に
は教育学部の圧倒的優位が続き、施設・設備・研究への資金投入の
偏向などの弊害が起こっていたのではないかと邪推してしまう。結果
的に公平な立場であり、かつ勤勉熱心な森戸学長が選出されたこと
が広島大学の将来を良い方向に導いたのではないかと思う。
工・ 2 ・男 森戸辰夫学長は、広島大学の初代学長ということでいろ
いろな苦労はあったと思うが、平和都市広島にふさわしい大学をつく
りたいということで「自由で平和な一つの大学」という建学の精神をも
って学長としての活動をおこなっていたというのは戦争の被害を多く
受けた広島にもっとも必要とされていた精神であったと思う。また森戸
事件といった地域の反対により政治問題にまで発展した事件もあっ
たが、皇学長にしても付属幼稚園の設置など行動力がとても高い方
が多いように感じたし、地域の方から批判がきたりするという点でも広
島大学の発展に期待をしている方がおおかったのだなと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義で森戸学長の偉大さが、自分の中に強く感
じた。衆議院議員に当選された方で、文部大臣にまで上りつめた方
が大学の学長になることは、僕の中でとても意外で新しかった。森戸
学長は学内の緑を増やしたり、平和に関する図書を寄贈したり、とて
も平和を重んじる印象を受けた。森戸学長の「平和都市にふさわしい
大学を作りたい」という望みは、僕たちの先輩方によってかなえられて
きたと思う。これからもそれを維持していくのは、これからの僕らなんだ
という自覚が生まれた。
工・ 2 ・男 今回の授業は、広島大学の学長の人たちがやってきたこ
となどの話かと思っていたけど少し違った。森戸辰男という人が昔に
広島大学の学長をしていて、その人が大学にいろんなものを残して
いったということがわかりました。フェニックスや森戸道路など、自由で
平和なひとつの大学ということなどすばらしいと思います。無政府主
義を鼓吹するような論文による、森戸事件ということが起こってその当
時には大学を休職処分になったということもびっくりした。まだ広島大
学について知らない歴史がたくさんあると思った。
工・ 2 ・男 今まで学長についてたいして興味をわくことことがなかっ
たが今回の講義を通して歴代の学長の功績について知ることができ
て初めて興味を抱くことができた。とくに森戸事件はかなり衝撃的で
学長が休職処分になるなんて正直今では考えられないと思った。こ
の人が掲げた「自由で平和な 1 つの大学」という建学の精神は今でも
引き継がれていてこの言葉を機軸とした結果今の広島大学があると
思うと本当に森戸学長が偉大な人に思えてきた。こういう機会がない
限り学長に関して知ることはなかったので今回のような講義がうけれ
て非常にためになった。
工・ 2 ・男
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今回の講義を受けて、広島大学の学長の大学への信念
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
のようなものを感じました。森戸学長は、青年への教育や地域と密着
した大学を作るるめに、おおくの努力をされたんだと感じました。特に、
戦後いう時代に日本の再建は青年の向背にかかっていると述べられ
ました。今、日本は未曽有の不況のま只中にいます。この言葉は、今
の自分達んもつながるところがあるように感じました。現在の広島大学
は、国際性、地域との交流などほかのどの大学に負けないほど進ん
でいます。また、日本で 1 番平和色の強い大学だと思います。森戸
学長は、これらの礎を作ったんだと感じました。
工・ 2 ・男 広島大学が出来てからいま現在までに、大きな問題とし
て、大学紛争とキャンパス移転の二つが挙げられます。一つ目の大
学紛争は 1969 年頃に最も激しい時期を迎え、東千田地区や霞地
区の建物が封鎖されました。そんな中に任ぜられた第四代広島大学
長が飯島宗一氏でした。大学紛争や建物封鎖により発案されたのが、
広島大学のキャンパス移転でした。 24 箇所あった移転候補地から
最終的に西条が選定されたのは 1973 年でした。 10 年で完成させよ
うという当初の予定とはほど遠く、全て完了したのは 22 年後の 1995
年でした。しかし、このような大きな問題をなんとか乗り越えられたの
は広島大学のことを第一に考えてくれた学長がいたからだと言っても
過言ではないでしょう。
工・ 2 ・男 森戸辰男さんという人物は、今まで名前すら聞いたことが
なく、このように、すばらしい学長を知れて誇りに思いました。彼の歴
史は衆議院議員に当選するなどかなりすばらしい功績を残しているこ
とから、やはり広島大学は昔からすごかったんだと改めて思いました。
また、森戸事件など今でも事件として知りわたっているのでやはり驚き
ました。さらに、皇学長の川村学長は教育学部や歯学部を設置する
など今の大学の設備の原点がここにあったのを知れて関心しました。
今回の講義は今の広大の原点を知れた講義だと思った。
工・ 2 ・男 歴代の学長についてのお話でした。森戸辰男初代学長
は今までの講義でも紹介されていましたが、経歴をしっかりと見たの
は今回が初めてで、国会議員や大臣など面白そうな人生を送ってい
たのだなと感じました。森戸学長、皇学長、そして川村学長によって、
学部・大学院の設置、学校の移転がなされていたこともはじめて知り
ました。呉市にあった医学部の移転には市民が反対し、それでも無
事に移転できたのはほんとによかったと思います。
工・ 2 ・男 大学の学長となると自分にとっては入学式に見るぐらい
で普段学校では見ることのない特別な存在だと思っています。ただ、
その時々の学長の理念や方針によって大学の価値は大きく変わって
きているのは今も昔も変わらないことだと思います。個人的には広島
で生まれ、広島まで、学んだ人間こそがふさわしいとも感じます。その
点では現広島大学学長の浅原利正学長は広島に対しての想いなど
が強いのではないかと思います。初代学長であった森戸辰男学長も
広島出身でした。講義を重ねて聴いていくうちに、この森戸学長とい
う名前をたびたび聞くようになりました。広島大学にはこの人の存在が
非常に重要なのでこれからの講義もこの名前をキーワードとして聞い
ていきたいです。
工・ 2 ・男 今回、学長の横顔ということで授業で学長について学ん
だ。そうすることで、私自身は今の学長しか知らないが、過去の学長
がどのようにして広島大学を導いてくださったのかが、少しだけれども
知ることができた。そして、やはり立派な方々ばかりだと感動した。新
しい学部を設立したり、何かを改革するなどということは、容易にでき
ることではない。しかし、過去の学長さんをはじめ、当時の広島大学を
支え、引っ張ってきた方々がおられるから今の僕らがいることは紛れ
もない事実だ。私たちにできる恩返しは、こうした今まで築き上げてこ
られた広島大学で精一杯学び、遊び、そしてたくさんの思い出を作る
ことだと思う。これからも今までの学長さんなどに感謝の気持ちを持ち
ながら、充実した大学生活を送っていきたい。
工・ 2 ・男 普段私たちが大学での生活を送るにあたって、学長と何
らかの交流をもつ機会もなければ、どういう業務を行っているのかも
具体的にはわかりません。そういう点で、今回はその学長にスポットを
当てた授業で興味がありました。初代学長を決めるにあたって、色々
問題があったことに驚きました。しかし、最初の候補にも挙がっていな
かった森戸前学長でしたが、明確なビジョンを持っていたことで、現
在の広島大学は旧帝大に並ぶ総合大学になったのでしょう。
工・ 2 ・男 今回のテーマを見る限りではあまり興味のわくものではな
かったのですが、初代学長の就任の話を聞いてみるとその背景では
まるで漫画に出てきそうなドロドロした話になってきて、現実にこんな
ことっておきるんだなと驚きました。正直なところ学長になれるかどうか
でマスコミを使うなんて話を大きくしすぎだろと思いましたが、当時だ
ったらこれほどのことをする価値があるほど注目されていたことだった
んだなと思いました。
工・ 2 ・男 森戸学長は、広島大学の初代学長として、平和都市広
島にふさわしい大学を作ろうとしたことは、すばらしいと思った。建学
の精神である「自由で平和なひとつの大学」は、広島大学にふさわし
い精神だと思う。フェニックスを広島大学の象徴としたのも森戸学長
であり、森戸学長は広島大学と広島の復興と復活を願っていたことが
分かる。皇学長・川村学長は、学科と大学院整備をすすめ、しかも、
その学部間の格差も解消したのは、とてもすばらしいことだと思う。今
私が広島大学で勉強できるのも、森戸学長などの歴代の学長のおか
げだと思います。
工・ 2 ・男 広島大学の初代学長を決めるのはとても大変だったと分
かった。学長候補だった長田氏が選ばれたという情報が新聞社にな
がれたことにより、長田氏が学長になるというのは白紙になってしまっ
た。これは、長田氏を応援している人たちが情報を流したのであるが、
今でもはっきりしたことが分かっていないことには驚いた。そして、どち
らの候補者にも関係ない森戸学長が選ばれた。給料が下がり、単身
赴任しなくてはならないのに森戸辰男が学長になったのは、森戸辰
夫が本当に平和都市広島にふさわしい大学を作りたかったからであ
ろう。
工・ 2 ・男 森戸辰夫学長は、広島大学の初代学長ということでいろ
いろな苦労があったと思うが、平和都市広島にふさわしい大学をつく
りたいということで「自由で平和な一つの大学」という建学の精神をも
って活動を行っていたというのは戦争の被害を多く受けた広島にもっ
とも必要とされていた精神であったと思う。また学長の行いについて
地域の反対があり政治問題にまで発展したこともあったが、皇学長が
付属幼稚園の設置など行動力がとても高い方が多いように思いまし
たし、地域の方からの批判がきたりするという点でも広島大学の発展
に期待をしている方が多かったのだなと思いました。
工・ 2 ・男 森戸辰男氏が議員を辞めてまで広島大学の学長に就任
された理由を、衆議院議員辞任演説でのべたように、広島は森戸氏
にとって育ちの地であり郷土であった。また、日本の再建は青年の向
背にかかっていると、政治家らしい理由により青年とその教育に特別
な関心をもっていた。また、平和都市広島がある日本が、いや世界が
平和であるように惨劇のあった広島がこのような事が二度とおこらな
いように努める糧になるためである。
工・ 2 ・男 森戸辰男が広大の学長をつとめられたということは去年
政治学か何かの授業で聞いたことがある気がした。自分が広大に通
っているなかで広大の学長については今まで無かったので少しは興
味を持つことができたので良かった。これからはこの広島大学の事を
もっと知れたらなと思う。
工・ 2 ・男 新制広島大学ができた当時、学長が決まっていなかった
ことに驚いた。初代学長の森戸氏は衆議院議員を辞めてまでして日
本の再建に尽力してきた姿は立派だと感じた。自由で平和な一つの
大学を目指し平和関連の図書を充実させたことで現在でも平和研究
に大いに役立てられているのであろう。皇学長や川村学長も学科・大
学院の充実を果たしたが、学生増加による施設の不備の問題など多
大な苦労があったと思う。今の大学を取り巻く環境は、学長をはじめ
多くの方々の努力のたわものであるということを忘れないようにしたい。
工・ 2 ・男 今回のこうぎのテーマは学長たちの横顔ということで歴代
の学長について知ることができた。自分は今の学長でる浅原学長し
か知らなかったのでいろいろ知れてよかった。今回の講義で目をひ
かれたのは何といっても「森戸事件」だろう。明治、大正、昭和時代と
いうのは自分の意見や考え方を自由には言えない時代だったという
のを再認識させられたと同時にそんな時代の中で自分の意見を積極
的に世間に発信していった森戸学長はすごいと思った。
工・ 2 ・男 新制広島大学ができた当時、学長が決まっていなかった
ことに驚いた。初代学長の森戸氏は衆議院議員を辞めてまでして日
本の再建に尽力してきた姿は立派だと感じた。自由で平和な一つの
大学を目指し平和関連の図書を充実させたことで現在でも平和研究
に大いに役立てられているのであろう。皇学長や川村学長も学科・大
学院の充実を果たしたが、学生増加による施設の不備の問題など多
大な苦労があったと思う。今の大学を取り巻く環境は、学長をはじめ
多くの方々の努力のたわものであるということを忘れないようにしたい。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の学長の大学への信念
のようなものを感じました。森戸学長は、青年への教育や地域と密着
した大学を作るために多くの努力をされたんだと感じました。戦後とい
う時代に日本の再建は青年の向背にかかっていると述べられました。
いま、日本は未曽有の不況の真っただ中にいます。この言葉は今の
自分たちにもつながるところがあるような気がしました。現在の広島大
学は、国際性、地域との交流などほかのどんな大学に負けないくらい
進んでいます。また、日本でいちばん平和教育に力を入れていると
思います。森戸学長は、これらの礎を作ったんだと感じました。
工・ 2 ・男 歴代学長たちの横顔を知ることができてとても興味深か
ったです。今回のテーマに上がった森戸学長の経歴には特に興味を
引かれました。東京大学助教授、衆議院議員、文部大臣を経て学長
に就任、国立大学の学長になることは想像以上に難しいことに驚きま
した。
工・ 2 ・男 現在の広島大学の基本は森戸学長の時代に考えられた
ものだということを知って、すごい人だと思った。皇学長のときに、森
戸学長がつくった基礎を元に広島大学の設備が充実していった結果、
今の広島大学のようになってよかったと思う。学長というのはとても大
変な仕事だと思った。学長がしっかりしていなければ大学そのものが
発展していかないので、学長の選出はとても重要な作業だったんだと
- 680 -
思う。これからも学長にがんばってほしいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の学長ともなるとなれる人なんて限られているし、
特に大きな問題やいざこざがあるわけではないだろうなどと勝手に思
っていたのだが、初代学長の森戸辰男が就任するまでのいきさつを
知り、とても驚いた。なにより就任までにはいろいろな人の対立や意
見の相違、争いがあってしかも就任した森戸辰男氏はいわば争いが
起きないように選ばれた第三者的存在だったなんて、そういった複雑
な経緯に本当に驚きの連続だった。初代森戸学長のことばもあった
が、歴代の学長を学ぶことでその時代の広大が求められていたもの
を理解し、今の自分の生活にも活かしていけたらいいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の学長は、自然と大学の中で偉いような人が成
り上がるような一般の会社の様に選ばれているとばかり思っていたの
で驚きました。森戸学長は郷土広島から要請を受ける程の人物であ
ったということと、森戸三原則等、様々な功績を残したのを見て感心し
ました。その後、皇学長や川村学長が大学整備計画を推進し、現在
の広島大学が在るということを知り、非常にためになりました。また、学
長の選考方法に関して、委員会で決まっていたことや、選挙で決まっ
ていたことを知らなかったので、勉強になりました。
工・ 2 ・男 私は今の学長でる浅原学長しか知らなかったのでいろい
ろ知れてよかった。今回の講義で目をひかれたのは何といっても「森
戸事件」である。森戸さんのすごさがわかった。
工・ 2 ・男 多くの学長たちが学生の見えないところで苦労されてい
るということを知った。とくに森戸さんは「自由で平和な 1 つの大学」、
森戸三原則など平和活動を積極的に行っていたのに森戸事件で処
せられたのがほんとに残念だった。
工・ 2 ・男 まず広島大学は開学当初、学長がいない状態が 1 年ほ
どつづいていたということに驚きました。開学したばかりでまだまだ決
めるべきことも決まっていなかったであろうこの時期に長がいなかった
というのは大変だったと思います。また、その状態を打開すべく学長
に就任した森戸先生は、旧千田キャンパスに「森戸道路」の名がつく
ほどの偉大な先生で、名前には聞いていたけれど今回の授業でいか
にすごい先生だったかということがわかりました。森戸先生が中心とな
って築きあげられた広島大学をよりよい大学にしていけるといいと思
いました。
工・ 3 ・男 広島大学は優秀な学長たちのおかげでここまで成長して
きたんだなということを今回の講義で感じました。正直、学長といわれ
るとあまり関わりもなく、会ったこともおそらく入学式のときだけですし、
ほんとのところ今どなたが学長をやっておられるかわからないぐらい
ですが、今回の講義で興味を持ちました。一番すごいと思ったのは
やはり森戸学長です。広島大学を支えてきた素晴らしい学長だと感じ
ました。わたし将来人の役に立つ仕事をしたいなと心から感じました。
工・ 4 ・男 森戸辰男元学長はすごい経歴の持ち主だなと思いまし
た。理由は、戦前は研究論文が、無政府主義を鼓吹するということで、
起訴され禁固四ヶ月という処分を受けたり、戦後は、衆議院議員にな
りその翌年には文部大臣、その 3 年後には広島大学の学長になるた
めに、衆議院議員を辞職。そして学長になった後もさまざまなことを
行っています。とても波乱万丈な人生を送っているんだなと思いまし
た。また、散らばっていた大学のキャンパスを次々と移転、統合してい
ったり、理学部へのメインの大通りを作ったり、沖縄で広島大学の復
興への協力要請と、どんどんと復興を行っおりほんとにすごい人だと
思いました。
歯・ 1 ・女 やはり学長という方は、偉大な方ばかりだなと思いました。
しかし、その裏で数々の困難があったのだろうと思います。森戸学長
にいたっては、森戸事件を起こしてしまい、思想の自由がまだ浸透し
ていないこの時代において大変な人生であったのだろうと思います。
また、森戸学長は学長として、戦後の大変な時期に広島大学の復興
のために世界の大学に協力を依頼したりと、大変顔の広い方であっ
たのだろうと思います。そして、この講義を受けて修士課程を設けるこ
とも容易でなかったのだと思いました。
歯・ 1 ・女 森戸学長については、だいたいどんな人で、どんなこと
を目指して大学つくりをしていたのかたいうことがわかってきました。
今回の講義では、医学部の移転についてなどの話があり、昔医学部
は呉市にあったと聞いて驚きました。私は呉市出身ですが、自分の
出身地域に昔医学部があったことなど思ってもみませんでした。そし
て、広島に医学部を移転するときの呉市民の署名活動や、逆に医学
生の署名活動のことを聞いて、やはり移転についてはいつの時代も
さまざまな意見があって、さらにいろいろな問題を抱えながら移転は
行われるのだなと思いました。
歯・ 1 ・女 「学長」という地位についてあまり考えたことがなかったけ
れど、今回の講義を聞いて学長を決めるまでや決めてからの経緯を
知ることができた。文部省出身の人がいたり、学長を決めるまでにい
ろいろな論争があったりと、自分が考えているよりもずっと「学長」とい
う仕事には重みがあるんだなと思った。また、それぞれの学長さん一
人一人がさまざまな学校改革をしていて、そのような努力によって今
の広島大学があるんだと思った。その中でもやはり、森戸学長が平和
都市にふさわしい大学をつくりたいという目標をもっていたことが一番
印象に残っていて、その精神が今でも広島大学に残っていることに
歴史を感じました。
歯・ 1 ・女 前回の講義により、森戸道路、平和関連の図書の寄贈な
ど、森戸学長の思想や行ったことしか知らなかったので、学長が元文
部大臣であったり、森戸事件が起こっていたりと思ってもいなかったこ
とばかりだった。特に良いイメージしかなかったから、休職処分、起訴、
禁固 4 か月と聞いて驚かされた。自由に思想・発言できない世の中
なんてとても考えられないし、今の時代に生きていて本当によかった
と思う。また、史料 5 にあるように、「大学の病院は教育と研究と治療
の三本立て」というのは、実際医療系の学部に入ってすごく実感して
いる。私達も十年後位には大多数が教員や、研究者、医師の道に進
んでるだろうし、その中で広島大学病院をもっと発展させて守ってい
く義務があると思う。そして伝統を繋げてくれた先輩方に感謝し、支え
てくれた地域の人々に貢献しなければいけないと思った。
生生・ 2 ・女 学長を決めるときに対立があったということは初めて知
った。森戸学長は広大の学長になったことで収入が減り、生活が大
変だった時期もあったと知り、とても苦労されたのだと思った。また、
学長の選考で内部が対立している状況で、東京から広島にやってき
て学長に就任するのは、精神的にもつらかったと思う。しかし、当時の
森戸学長の努力によって広大の基礎が築かれ、現在の広大があると
思うので、森戸学長の果たした役割は大きく、様々な対立があったか
もしれないが、その結果森戸学長が選考されたことは良かったのだと
思った。
生生・ 2 ・女 今回の講義は学長たちの横顔、というテーマでしたが、
特に初代学長の決定をめぐっての話は意外でした。学長の立候補者
が他にいたにも関わらず、対立等が激しかったために第三者を学長
にしたのは、一見するとそれで良かったのだろうかと疑問に思うところ
です。もともと森戸学長はご自身が学長になることに気が進まなかっ
たということを知り、複雑な気持ちになりました。しかしその半面、東京
大学の教授であったり、国会議員であったりと、非常に多くのことをし
ておられ、また自分の意志を曲げない強い信念を持った方だというこ
とも、森戸事件などを通じて垣間見ることができました。学長とは普段
私自身が関わる機会はあまりないけれど、今日のような講義でいろい
ろと知ることができて、良い機会だったと思います。
生生・ 2 ・女 森戸学長は、学内の緑化や平和都市広島にある大学
としてふさわしい大学にするための基礎を固めていったと知り、今のこ
の広島大学はこの学長がいなければもっと違った大学になっていた
のだろうと思いました。もともと広島大学の学長になりたかったわけで
もなく、お給料も下がってしまったのにもかかわらず、広島大学とその
学生・地域のために、尽力した森戸学長に感銘を受けました。私は広
島市内に住んでいてよく千田キャンパスのそばを通るのですが、次か
ら今回の講義で知ったことを踏まえて見てみようと思いました。
生生・ 2 ・女 今回の講義を受けて、初代学長の森戸辰男先生は、
長田先生が違反をしたことによって広島大学の学長になったこと、ま
た、森戸前学長はなりたくて広島大学の学長になったわけではないと
知り、とても驚きました。また、森戸前学長が国会議員であったことも
初めて知りました。やはり、学長に推薦されるとなると、以前に高い地
位にあった人でないといけないんだなと思いました。さらに、博士課
程と修士課程を教える教員には格段の差があるんだと、研究科の設
置年度の表を見て思いました。
生生・ 2 ・女 今回 1 番記憶の残ったのは初代学長の森戸辰男さん
だった。衆議院議員という、教育からかけはなれた経歴が印象的だっ
た。恥ずかしいことではあるが、私は広島大学の代々の学長の名前
を今回初めて耳にした。各学長がなしてきたことは陰なり日なたなりで
今の広大を支えている。今では大学院が設置されていることや広島
大学の仕組みなどは当たり前で、普段そのありがたみを感じることは
ないが、今回の授業を通してそれを考えることができてよかったと思う。
生生・ 2 ・女 広島大学の学長がどのような経路だったか今まで考え
たことがなかったので、今回の講義で考えさせられた。学長によって
の広島大学が存在していることを感じた。あと、いかに大学の学長に
なることが難しいことであり、誇らしいことであることを思った。
生生・ 2 ・女 森戸辰男初代学長がさまざまな仕事をへて広島大学
の学長になったということを今回の授業で初めて知った。広島大学の
精神である「自由で平和なひとつの大学」というのを掲げるということ
は、彼が原爆が投下された広島で生まれ育ち、戦争を経験したからこ
の考えが生まれ、いまもなおその精神が受け継がれているのだと思っ
た。森戸学長が設立した広島大学を皇至道学長や川村学長たちが
大きく発展させたのだと感じることができた。現在にいたっては施設が
充実し学部間の格差が解消され、中四国の中核大学にまでなること
ができたのは彼らが広島大学の発展のためにがんばってくれたから
だと思った。
生生・ 2 ・女 今回の講義では「学長たちの横顔 1 」ということで初代
から三代までの森戸氏、皇氏、川村氏についての話でした。この間私
は文書館編の『広島大学の五十年』を購入して読み進めていたので
すが、ちょうど学長の話のあたりを読んでいたので講義がより理解し
- 681 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
やすかったです。また高校で日本史を選択していた私は森戸事件で
逮捕された人と広大の初代学長が同一人物であったという発見があ
って少し驚きました。そして学長に誰がなるかもめたり、秘匿情報が流
出したり、医学部の移転にあたり呉市民が猛反対したりといろいろな
問題に直面していたことも知り、今安定した学校生活が送れるのは学
長など様々な人の尽力によるものなのだなと思いました。
生生・ 2 ・女 まず考えたことは、開学したときに学長が不在だったと
ういことに対する驚きである。学長不在の状態から今の広島大学に成
長したのは、その後就任した初代学長の森戸学長が大きな貢献をし
たのだということは、詳しい説明を聞かずとも考えることができた。また、
建学の理念として「自由で平和な一つの大学」というフレーズを聞い
た際は、平和都市広島にふさわしい大学を復興したいという強い思
いを感じ取ることができた。そして、広島大学発足当初、レベルの高
い学部低い学部が混在していた状態だったが、川村学長が理系を中
心に学科を充実させた。今、私が広島大学の生物生産学部で、豊富
な研究設備に囲まれながら勉強できるのは、こういった施設の充実が
歴代の学長によって成されたからだと考えて、深く感謝することができ
た。
生生・ 2 ・男 意外にも歴代の学長の数が少ないことに驚きました。
広島大学の歴史の当講義で、学長のことをこんなにも大々的に取り
上げるなんて思いませんでした。それほどに学長の影響は大きいの
だと知りました。タイトルが学長たちの横領なんで、横領触れてくると
思いました。次の講義に期待したいと思います。初代学長の森戸は
いろいろな経緯(よくないこと)もあるのに何で学長に選ばれたのだろう
と今でも不思議に思います。あと就任理由がとてもきれいなことを言
い過ぎていてうさんくささを感じてなりません。けれども大学の学長な
んて大役を引き受けるなんてすごいと思いました。最後に医学部は今
では市内にあるのが当たり前の考えですが、呉から、いろんな思いを
はらませながら移転したのだと知ることが出来ました。
生生・ 2 ・男 今回の講義をうけて、過去の学長たちがどのような経
歴を経て、広大に来られたのかを知り、とても興味深かったです。特
に森戸学長は、過去に起訴され、日本史にも出てくるような人物だと
は知らず、とても驚きました。しかし森戸学長の建学の精神は、過去
の学長達に受け継がれ、現在の広島大学を作り上げたのだから、優
れた人物だったのだと改めて思いました。次回の講義では、残りの学
長たちの話も出てくると思うので、森戸学長の建学の精神がどのよう
に受け継がれてきたのかに注目して、講義を受けようと思いました。
生生・ 2 ・男 広島大学の初代学長になることをめぐって、さまざまな
闘争があったことは、政治の世界と似ていると思います。それぞれの
派閥がトップにしたい人をさまざまな手段を使ってそうさせようとする。
しかしながら、広島大学の場合はその行いが逆効果になってしまった。
その逆効果が起こってしまったことが広島大学にとってはいいことに
なったと私は考えます。それぞれの派閥と関係がない新しい流れが
入っていくことによって、広島大学の整備はうまくまとまっていったの
ではないかと思います。
生生・ 2 ・男 今回の授業で広島大学の歴代の学長たちがどのよう
な人だったのか知ることができて、とても良かったです。今回の授業
の中で、一番印象に残ったのは森戸事件の内容のところでした。森
戸学長が寄稿した論文の内容で森戸学長が処罰されたと聞き、昔は
研究内容を発表するだけで処罰される厳しい時代だったんだと改め
て知ることができました。また、今回の授業で改めて森戸学長が広島
大学に果たした功績を知ることができてよかったです。森戸学長がい
たからこそ、その後の皇学長や川村学長も大学整備をしやすかった
のではないかと思います。
生生・ 2 ・男 今回の講義では学長の中でも初代の学長である森戸
辰男氏についての話がほとんどでした。広島大学生であるのに初代
学長が森戸辰男氏であることを知らなかったのでとてもためになりまし
た。まず最初に印象に残ったのは広島大学の初代の学長が国会議
員をしたりして、とても有名な方だったということです。また 2 代目や 3
代目の学長とは違い森戸氏は広島大学に何の関係もないのに学長
になったということも興味深かったです。広島大学で学長の座をめぐ
るトラブルが起き、そのせいで第三者の森戸氏が選ばれたというのは
なんとも情けないものだと思ってしまいました。今までの講義からも言
えることですが、開学当初の広島大学はこういったもめごとが多いよう
な気がします。
生生・ 2 ・男 歴代の学長の写真を見ることで、どのような人物が学
長を務めていたのかが少しわかったような気がした。現在の学長にも
大学自体の理念とは別に個人の考えがあり、これまでの学長にも
個々の考えがあって、大学をいろいろな精神のもと築いてきたように
思えた。また初代学長の森戸辰男氏の精神であった「自由で平和な
大学」というのは、 60 年近く経った現在でも引き継がれているので、
すごく意味のある精神だったと思われる。これからこの大学がどのよう
な大学になっていくか、ますます興味深くなってきた。
生生・ 2 ・男 最初にプリントの初代学長の森戸辰男さんの説明を見
たとき、かつて逮捕されたことがあったという記述に驚いてしまった。し
かし、その背景を学ぶうちに森戸さんの偉大さを理解し、自分の誤解
に気づいた。文部大臣を務め、衆議院議員として活躍していた森戸
さんが、その地位や安定した暮らしを手放してまで若者の育成に乗り
出したことは、とても尊敬でき、自分達がその意志を継がなければな
らないと感じた。当時、四方に散らばっていた広大キャンパスをひと
つにまとめたことは、広大が中四国を代表する大学になることができ
た大きな要因であり、森戸さんの偉大な功績だと思った。僕達が何気
なく学んでいる広島大学が、どんな人達の活躍の上に成り立っている
のかということは、広大生としてしっておきたいと思った。
生生・ 2 ・男 大学の学長はどのような人がなるのかなど講義を受け
る前は少し興味があったが、講義を受けていくうちに興味がなくなっ
ていってしまった。ただ、広島大学の最初の学長である森戸辰男さん
が広島県出身であること以外に広島大学と縁もゆかりもない人と聞い
て驚いた。さらに衆議院議員になっていたり、そのうえ文部大臣をも
務めてから広島大学の学長になったと聞いてさらに驚いた。 2 代目、
3 代目の学長は広島大学の前身校の出身とのことだったのでそこは
予想通りだった。なので今後も広島大学出身の方が学長になってい
くのだと思う。
生生・ 2 ・男 初代学長である森戸辰男氏は、本来なら就任する予
定ではなかったが、外部に学長選考投票数が漏れたことで、最終的
に森戸氏が選ばれたことを知りました。森戸氏が学長就任要請を受
け入れた理由の 1 つとして、日本の再建は青年の向背にかかってい
るというものがあります。わたしもそう思います。現代、高齢化になりつ
つある日本社会は青年の力が重要であると思ったからです。森戸氏
は社会の再建には青年の力が必要であることを認識していたことは、
社会情勢をきちんと見ているなと思いました。いつの時代でも青年に
力は重要で、その青年をきちんと育てることが、大学の使命であると
思いました。
生生・ 2 ・男 今回の講義では学長の中でも特に初代学長森戸辰男
学長についての内容が濃かったように思いました。印象的だったのは
森戸事件でした。今の時代では一度騒ぎを起こしてしまうと二度と栄
光はつかめない感じなだけに、より驚きました。そしてそのような事を
起こしてしまった後に大学をつくるという偉業を成し遂げた学長の努
力や苦労は半端なものではなかったと思います。素晴らしいことだと
心から思いました。
生生・ 2 ・男 今回の講義で学び主に初代学長である森戸学長のこ
とについて学び、広島大学はものすごく偉大な人物によってつくられ
ているということを実感した。私も森戸学長のように国会議員をやった
り教授をやったりといったように、将来は転職することによっていろい
ろな職業を経験してみたいし、みんなに尊敬されるような人物になり
たいと思った。そのために大学に通っている今、もっと勉強しておけ
ばよかったと後悔しないように今のうちに勉強していくつもりだ。
生生・ 2 ・男 最初の森戸学長は今の広島大学の元となる人物であ
り、また森戸事件を起こし存在感のある人物だと思った。皇学長と川
村学長の時には歯学部や工学部や理学部や今の学部の元となるも
のがたくさんできてきて今の広島大学としての形に近づいてきたと思
う。森戸辰男衆議院議員辞任演説を読んだ感想は、地域性や平和
についての考えが強く戦前の考えを引っ張らず当時では新しい考え
を持った人物だと思った。やっぱり学長となるような人は考え方や行
動がすごいと思った。
生生・ 2 ・男 今回の授業は、森戸学長、皇学長、川村学長の人生
についても学ぶことができました。学長はみんな波乱万丈な人生を送
っていると思いましたが、僕を特にそう思わせたのは川村学長でした。
広島に来て、追い出されて、そのおかげで原爆投下を免れ、そして
最後は過労によって体調を壊し、本当に忙しい学長だったのだと思
いました。それでもこの人たちのおかげで今の広島大学があるわけで、
この学長さんたちには本当に感謝しなければならないと思いました。
生生・ 2 ・男 森戸学長は原爆からの復興っていう意味で不死鳥=
フェニックスを広島大学の象徴にしてのは、この前ならったけど、それ
以外にもさまざまな重要なことをしていたというのに驚いた。森戸事件
というのは初めてしったけど、森戸学長は新聞沙汰になったり逮捕さ
れたりするような影響力のある方であったのだと思った。広島大学設
立してからすぐに学長になった人たちなので、大学の基盤・基礎をつ
くったり、学部・学科を新設するなど、本当におおきな仕事をしていて
すばらしいと思う。
生生・ 2 ・男 広島大の医学部、すなわち大学病院がもとは呉市に
あったということは初耳であった。大学の医学部は教育・研究・治療で
成り立っていることを踏まえると、いい先生はいるが患者の少ない呉
市よりは、広島市に移転したほうが、より研究機会が増えるので妥当
な判断であったと思う。それでも移転に反対する呉市民の必死のビラ
配りなどの行動も、気持ちはわかるのでなかなか中立的な判断をする
ことは難しいと思った。しかし広島大が東広島市に移転するとき、大
学病院も移転しなくて本当によかったと思う。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて、学長が過去どのような人であっ
たのかがすごくよく分かって、広島大学についても一段と詳しくなった
ような気になりました。今の学長が医学系が専門の先生であるというこ
とは、少しだけであるけれどしっていたけれど、過去の学長の方々が
教育系が専門であったり、文部大臣を経験していたり、蛙の研究に力
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をいれていた人だったり、広島大学に関係あったり、今まで関与した
ことがなかったりとその時代によって多くの学長の特徴があったのだと
思いました。やはり学長あっての広島大学なので、学長のことを知る
機会があったことは、とてもよかったと思いました。
生生・ 2 ・男 私の祖父も元大学教授で、その大学の勉学の発展と
学生の育成におおいに貢献してこられました。祖父はその教え子の
方たちからとても愛され、尊敬されていていました。お葬式のときには
たくさんの教え子さんが参列してくださったと親からききます。今回受
けた講義で広島大学の発展と学生の育成に貢献してこられた初代学
長さんをはじめとする多くの方々がいてくださったから今こうして自分
は勉強することができているのだと思います。私も祖父やこれらの
方々のように大学に貢献できるよう勉学に励みたいと思う。
生生・ 2 ・男 今回の講義では初代の学長や数人の学長について
学んだ。森戸辰夫さんは悪い歴史だが歴史にの残っているのでとて
も偉大な学長であることがわかった。「自由で平和な一つの大学」とい
う建学の精神があったため今のような大学があるのだと思う。また医学
部の移転などさまざまな移転を行うことはきっとたいへんのはずたが
それは必要なことだったと思う。またこのほかにも様々な学長の話をき
いたがどの学長もさまざまなことをやっていてどの学長も偉大だと思っ
た。
生生・ 2 ・男 以前からこの授業の中で森戸辰男という人物はよく取
り上げられてきたが、この人物の業績は量、質ともに偉大なものである
という印象を改めて受けた。また当時複雑な事情がある中で森戸が
学長として選ばれたということであったが、その詳しいいきさつが明ら
かになることを期待したい。今まで校長や学長といった人たちはただ
その立場として存在しているだけで、実際学校の行方を左右するよう
な影響力はないという印象を持っていた。しかし今回の講義を受けて、
それぞれの代の学長の人柄や考え方がその後の大学に大きな影響
を与えているということがわかり歴史の大きさを実感した。
生生・ 2 ・男 今回は広島大学の学長の略歴から聞きましたが、三
人紹介された中で二人が滋賀出身であることにまず気付きました。僕
は滋賀出身なのですが、このことを全く知りませんでした。自分の今
いる広島大学を良くしていただいた学長たちについて知ることができ、
広島大学にいることの感謝の念がより大きくなりました。歴代の学長に
恥じないように勉学に励もうと思います。
生生・ 2 ・男 森戸学長がどのような目標を持って広島大学の学長
になったのかがわかりました。広島の人たちに学長になることを期待
され、その期待にこたえられた森戸学長の立てた目標・方針が今の
広島大学を作っていると思いました。また今もその目標・方針を広島
大学はたどっていると思います。目標の中でも特に、地域との関わり
というのは今も大きく残っていると思います。私が生物生産学部という
こともありますが、授業でもフィールドに出て地域の人と関わっている
ので地域とのかかわりを強く感じました。またこの授業でも広島大学
が地域の人たちに愛されていることがよくわかります。
生生・ 2 ・男 広島大学の学生として歴代の学長のことを知ることが
でき、非常に興味深い講義であった。森戸学長については前回の講
義でも「森戸三原則」で触れる機会があったが、今回の講義で詳しく
知ることできた。また、歴代の学長のことを知り、全ての学長によって
今の広島大学があるということを知った。森戸学長の森戸三原則など
による大学の復興、第二代目学長である皇氏の森戸学長の継承や
医学部の設置などによる大学の整備・拡充などである。これまでの学
長が築き上げてこられた広島大学の歴史を知ったので、大切にして
いき、私たちが後世に伝えていかなければならないと感じた。
生生・ 2 ・男 広島大学の初めのほうの学長は、今の広島大学の基
盤をしっかりと作っていた。大学の理念などを作ったり、どんな学部や
学科が必要か、どんな研究施設や大学院が必要かを考え、新設して
くれたから今のような充実した広島大学があると感じた。私は今回の
講義を受けるまで、歴代の学長の名前すら知らなかった。歴代の学
長がいたからこそ、いまの広島大学があるので、学長のことをちゃんと
知っておくべきだと思った。
生生・ 2 ・男 広島大学の最初の学長が、元文部大臣だったなんて
しりませんでした。給料が政治家の時の 3 分の 2 になって、お金をか
りた話とか、学長の選挙で名前がもれたせいで、突然選ばれた話とか
を聞いて、よく学長になっていただけたなと思いました。しかも、 13 年
も。ほかの二人の学長についても、いろいろの経緯で学長になって
おられるんだなとおもいました。
総科・ 1 ・女 まず初めに、初代の広島大学の学長となった森戸辰
男学長は輝かしい経歴を持ちながら、自分の立場を顧みずに政府に
反抗するようなことまでもして問題点をしめすような人で尊敬できる人
だと思った。さらに、森戸辰男学長は広島大学の様々なものを築き、
今の広島大学の礎を築いたといっても過言ではないと思う。さらに、
皇至道学長、川村智治郎学は森戸辰男学長の築いたものをもとに、
学部や施設の設置を進めていった。このような立派な学長が広島大
学にいたということをはじめて知った。
総科・ 1 ・男
森戸辰男氏は最初から学部長に就任するわけではな
く、投票によって学部長を決めるのに朝日新聞に投票結果をもらすも
のがいたため、急に森戸辰男氏に変わったということを聞いて驚いた。
しかし森戸氏をはじめ学部長たちがキャンパスを変えていってくれた
ので森戸氏が学部長になってよかったと思った。施設の充実だけで
なく、大学院の設置や学部間の格差解消そして志願者が急増したの
で学部長は本当にすごいと思った。
総科・ 2 ・女 長田新氏については少し興味が湧いた。広島大学の
歴代学長たちの陰にこんな人物もいたとは思わなかった。前回の講
義で森戸辰男学長については、たびたび登場してきたのでわりと知
っていたが、その他の学長については全然知らなかったので今回の
講義はよい機会だったと思う。第二代学長皇至道氏が日本学士賞を
受賞するほどすごい人物だったことや、第三代学長川村智治郎氏が
周囲に妬まれて広大に居れなくなり、京都帝国大学に行ったことなど
は衝撃の事実だった。森戸事件も詳しく知ったのは初めてだったの
で驚いた。広大にいるのにこうした学長たちのことを自分が全然知ら
なかったんだなあと思ってちょっと恥ずかしく思った。
総科・ 2 ・女 私は広島大学が創立されたと同時に森戸氏が学長に
なったのだと思っていたので、今日の講義を聞いて驚いた。しかも、
政治家を引退した後のことだと思っていたが、学長になるために政治
界から身を引いたことを知り、故郷広島に対する愛情がとても深いよう
に感じられた。また、広島大学は再三、キャンパスの移転を行ってい
る。このことは、移転先の地域の活性化に繋がる面もあるが、キャンパ
スがなくなってしまった地域(呉市など)の住民の不満などはどのように
してもぬぐえないものだろうと思う。大学を運営することは、非常に大
変なものなんだなと改めて実感した。
総科・ 2 ・女 初代学長の森戸氏は、広島大学の学長としては異例
の経歴を持ち、広島大学の発展に尽力した方だが、学長になった経
緯には驚いた。史料 3 の学長への聞き取りからも分かるように、ある
意味不本意な選ばれ方で学長になったとは・・・。若干ショックである。
しかし、彼は研究者・そして教育者としても優秀な方だったので、森
戸三原則など広島大学のあるべき姿を指し示し、また平和都市の大
学としての働きも促した。これは、これまでの授業でも学んできたこと
でもある。また新制広島大学キャンパスの集約・整備については、呉
市民と少しいざこざがあったようだが、これも森戸氏は大学内の精神
統一のために取り組んだようである。彼のおかげで、今日の広島大学
は形作られたのだと実感した。研究者として、政治家として、そして学
長としての顔を持つ森戸氏は、彼の歴史について研究するだけでも
興味深いと思える人物だ。
総科・ 2 ・女 これまでの広島大学の歴史の授業内で森戸学長の名
前は頻繁に耳にしていたが,森戸学長がどのような人であったのかを
ようやく知ることができた。森戸学長は森戸事件をおこした本人であり,
独特な考えを持っていた人であったことから,もし違う人物が広島大
学の初代学長になっていたならば,森戸三原則は存在せず,また違
う顔をもつ大学になっていただろうと感じた。初代学長がまさか,広島
大学とまったく関係のないところから就任したのは意外であった。統
合前の学校に属していた人など,何らかの関連がある人が,学長に
なるものと思っていたが,そうではなかったことを知った。広島大学か
ら,ある程度の距離があった人であるからこそ,コンサバティブになら
ず,他の大学と違うカラーを出した新生広島大学を築くことができた
のだろうと思う。
総科・ 2 ・女 森戸辰男初代学長は、この授業でよく名前が出ますが、
あまり、本人について、どのような経緯で、学長に就任したのか、また、
その実績は、知らなかったので、今回の講義で知ることができて、とて
も良かったです。森戸辰男初代学長の熱意に、心打たれました。衆
議院議員という肩書きを捨ててまで、この広島大学の初代学長に就
任し、平和都市広島を背負う大学を、創造しようという、心意気が、素
晴らしいと思いました。また、紹介された他の学長も、広島大学を、よ
り良い新制国立大学にしようと努力してきたことが見受けられ、この広
島大学に在学できていることを幸せに感じます。
総科・ 2 ・女 森戸辰男学長は質、量ともに広島大学にとって大きな
仕事をしたと言え、広島大学の礎を築いたといっても過言ではないの
ではないかと思いました。また、皇学長、川村学長は理系の学部を中
心に整備や充実を急速にすすめ、現在の広島大学の方向性を作っ
ていったのではないかと思いました。この 3 人の学長の活躍で、広島
大学の学科は充実したといえるが、まだまだ発展途中であり、各学部
で格差があることは認めざるを得ない事実だと感じました。
総科・ 2 ・男 今回の講義で、数人の学長たちの名が上げられてい
て、どの学長も、広島大学の復興や整備・拡充などに力を入れてい
た。これら歴代の学長たちの活躍があったからこそ今の広島大学は
あるのだと思う。その中でも私が特に印象を持ったのは、大学の復興
を目指した森戸学長であった。学長が不在だった広島大学に三つの
理由をもって就任し、世界各地の大学に働きかけて大学の整備を進
めていったこの人物の功績はとても大きいものだと思う。このような歴
代の学長たちのおかげで私たちは充実した学生生活を送れていると
思うので感謝の気持ちを忘れないようにしたい。
総科・ 2 ・男 広島大学の初代学長である森戸辰男氏が高校の OB
だということに広島大学に入学してからはじめて知った。森戸氏が、
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
当時の時代の風潮にもかかわらず自分の考え方を曲げなかったのは
勇気ある行動だと思った。学長は広島大学の教員、職員、学生に大
きな影響力を持っているが、その責任はとても重いものだと感じた。
総科・ 2 ・男 初代学長がどのように決まったのかは、非常に興味が
あった。ただ授業を聞いたうえで思ったのは、決まるまで相当大変だ
ったのだなということだ。情報漏れとか不正らしきことがおこったりして、
なかなか決まるにいたらなかった。決まってからも森戸学長は、論文
問題などあり大変だったと思われる。しかし、 3 代の学長についてし
か講義は受けていないが、 3 人とも広大を大きくしようとしたり、平和
の象徴の大学にしようとしたり、よく大学のことを考えている人たちだ
なと感じた。
総科・ 2 ・男 今回は、森戸辰男学長について学んだ。建学の精神
である「自由で平和な一つの大学」を目標に掲げ、森戸三原則などを
提唱したという説明を聞いて、まさに学長にふさわしい堅実な人だと
いう印象を受けた。また、学部間の格差解消のため大学院を設置し
たことにも感銘を受けた。 1960 年代の高度経済成長期では、志願
者数の急増もあり、入学試験の激化がおき、施設の不足・不備という
マイナス面も生じてきている。自分はこの激戦区を勝ち抜いたことを
誇りに思っていきたい。
総科・ 2 ・男 今回のテーマは、個人的には、今までの中では難しい
方の部類に入るように感じた。ただ、広島大学の歴史を語るのには、
やはり歴代の学長の存在は避けて通れないと思う。また、前身校の多
さやキャンパスが県内各地に点在していたことは広島大学の特徴だ
が、呉市にあった医学部を広島市に移すことについての住民側と学
生側の意見の交わし合いが、どちらの主張も的を射ていて、自分がど
ちらかに署名しなくてはならない立場だとしたら悩むだろうなぁと思っ
た。
総科・ 2 ・男 まず初期のころの広島大学には学長が不在だったと
いうことを聞いて驚きました。学長がいなければ誰が統制をかけるの
だろうと思い、創立当初の広島大学は大変だったんだなと思いました。
入学当初から、いろいろな教授から森戸学長は凄かったという話を聞
いていたけれど、今日森戸学長についての話を聞いて、森戸学長の
理念や考えは本当に現在の広島大学にも受け継がれていることを感
じ、基本姿勢はこの人が打ち立てたものなんだなと改めて実感し、森
戸学長の偉大さを実感しました。
総科・ 2 ・男 初代学長である、森戸辰夫氏を学長不在の中、学長
になったことが印象的でした。森戸氏は文部大臣にもかかわらず広
島大学の学長になったことです。授業を聞いているうちに給料が減っ
たなどの話を聞くと何故学長にと言う疑問もありました。授業を聞いて
いるうちに森戸氏の理念や信念について聞けたので良かったです。
私は今の学長である浅原氏についてもっと勉強できたらと思います。
もっと多くの学長についても勉強できたら私の考えがひろがるのでよ
り多く学びたいとおもいます。
総科・ 4 ・男 今回の講義を通じて一番驚いた内容は、初代広島大
学長が休職処分にされ、かつ禁固 4 ヶ月に処せられていたことであ
る。また、かつて入試の問題が漏れていたことや、教育学部が有名と
思われていた広島大学は実は理学部の両生類の点においては日本
で有名であるという話を聞き、今回の講義の内容には驚かされてばか
りであった。
総科・ 4 ・男 初代森戸学長が広島大学を創立された時に作った基
本理念等、様々な考えがあり、今の広島大学が在るのだと思いました。
まだまだ未熟な私ですが、自分で考え行動できる人になり、広島大
学の名に恥じないような人になりたいです。
文・ 2 ・女 今回の講義で初めて知ったのではないけれど、かの有
名な「森戸事件」の森戸辰夫が広島大学初代学長というのが意外だ
った。広島大学を侮辱する意図はないが、一地方大学の学長に歴史
的に有名な人物が就くとは思わなかったからだ(どの人物がどのように
して歴史的に重要人物になるかは、後世の人間が決めることである
が)。また、長田新氏のように、森戸学長のほかに歴史に名を残す人
物も広島(文理)大学学長であった。長田氏は広島県出身でないにも
拘らず、平和研究で多大な功績を挙げた。今回の講義で、只の地方
大学と見てはならない、広島大学の魅力を垣間見ることが出来た。
文・ 2 ・女 いままでの講義で、森戸学長は熱心に広島大学の基礎
作りをしておられたことを学んだので、彼は最初からやる気をもって学
長に就任されたのではないかと思っていた。しかし初代学長を決める
際に揉めごとがあった、森戸学長は最初学長になる気がなかった、な
ど今回の講義は意外な事実を知ることができた。また大学が地域と密
接に関わっているがゆえに、学部の移転の際には地域への影響を心
配した人々により強い反発が起きたという考えさせられる話もあった。
文・ 2 ・女 まさか初代学長が決まるまでにこのような争い?があった
とは知りませんでした。今日の話を聞く限りでは長田氏は頑固でわが
ままで相当学長になりたかったんだろうなぁと思いましたし、相当な権
威があったんだろうなぁと思いました。今は有名な森戸氏も最初は全
く候補にも挙がってなかったことも意外でした。また森戸氏の戦前と
戦後の扱いがころっと変わってしまったことも驚きました。しかし森戸
氏は自分の考えを貫くところや(森戸事件のときに)、また地元の要請
に応えて給料が低くなるであろう学長への就任を OK したところは尊
敬しました。このように見てみると今の広島大学があるのは、歴代学
長が大変な思いをして広島大学のことを考えたり、他にも市町村など
の運動なども盛んに行われたりと、多くの人々の頑張りのおかげなん
だなと改めて思いました。
文・ 2 ・女 広島大学の初代学長が森戸学長だということは今までの
講義でも何度も出てきたので知っていたのですが、まさか初代学長を
決めるにあたって多くの問題があったとは知りませんでした。そして、
最初の候補者を決める段階で森戸学長の名前が削除されていたこと
が大きな驚きでした。森戸学長は文部大臣だったというので、まさか
そんな早い段階で削除されるとは思いませんでした。長田氏グルー
プの争いを考えると、学長という国立大学のトップを決めることがどん
なに重要で大変かがよく伝わってきます。ひとつ疑問だったのが、森
戸学長は最初の段階で名前を削除されたのにどうして羽田氏・長田
氏の次に名前がまた挙がったんだろうということです。投票数が高か
ったほかの安倍氏や永井氏の名前よりも先に森戸学長の名前が挙
がったことが不思議でした。
文・ 2 ・女 広島大学の初代学長が森戸辰男ということはいろんな場
面で聞かされてきており、森戸事件で捕まったなど、戦前から自分の
主張を変えない信念の強い人が初代学長だったなんてすごいなと思
っていたが、今日初めて森戸辰男が初代学長になったいきさつを聞
いた。やはりどこでも権力が絡んでくると不正が起こったり問題が起こ
るのだなと思った。しかし森戸辰男の働きを見ているときっと彼が初代
学長でよかったなと思う。今でも彼の信念は広島大学に受け継がれ
ていると思う。そのあとの学長が生え抜きの人物であったのもうまい人
選だなと思った。
文・ 2 ・女 今回の授業は、私にとってとても興味深いものでした。な
ぜなら、高校の日本史の授業のときに森戸事件について教えてもら
っていたので、どのような経緯で森戸辰男が初代広島大学学長。に
なったのかがきになっていたからです。今日はそのことについて知る
ことができたのでよかったと思います。でも、どうして学長になったの
かの説明を聞いていると、次々にそんなことがあったのかという驚きが
あった授業でした。しかし、森戸辰男初代学長の意志は今も受け継
がれていると思うので、私もその意志を受け継いでいきたいです。
文・ 2 ・女 広島大学の学長といわれて、私は初代学長の森戸辰男
さんの名前しか知りませんでした。今回の講義を受けて一番に思った
ことは、学長は特別に優秀な人がなるんだなということです。しかも今
回紹介された学長たちは、広島大学の学長になるまでにたくさんのと
ころで様々な役職についていました。やはり国立大学の学長になろう
と思ったら、多くの経験値がいるのだなと思いました。また、学長の選
出の方法は、とても興味深かったです。マスコミに漏れるなど、やはり
国立大学の学長は注目度が高いのだなとも思いました。
文・ 2 ・女 森戸辰男氏は最初から広島大学の学長として推薦され、
就任したのだろうと思っていたので、講義で紹介されたような紆余曲
折があったと知り、意外でした。しかし、前回の授業であったような大
学の理念や象徴といった精神面だけでなく、キャンパスの整備などで
も功績を残されていることを知り、森戸辰男という人は広島大学にとっ
て本当に大きな存在なのだろうと思いました。また、医学部が呉から
広島へ移転する際の人々の動きが興味深かったです。大学病院に
残ってほしいという呉市民の署名が多く集まったということから、大学
が地域にとっていかに大切なものであるかということ、また大学と地域
が密着した関係にあったことがよく分かりました。
文・ 2 ・女 森戸学長が広島大学の初代学長になるまでにさまざまな
苦労をされており、常に努力をされてきたのだということがよく分かりま
した。学長になってからも、生活面や精神面で苦労されたのだという
ことが当時の広島大学選考経緯からも見て取れました。私は森戸学
長が対談において言っていた、広島大学を帝大に準ずるような大学
にしたいという言葉に感銘を受けました。やはり広島を代表する国立
大学として、学力レベルを上げることも含め、平和都市の広島という
地をよく知ってもらうために全国から多くの人がこの大学に来ることを
望んでいるからです。そのためには帝大と同じくらいの知名度が必要
であり、匹敵するような信頼性が重要になってきます。現在、広島大
学が帝大に準ずる大学であるかは分かりませんが、またひとつ大学
の歴史を知ることができ非常に勉強になりました。
文・ 2 ・女 私は今まで歴代の学長のことを全く知りませんでした。歴
代はおろか、現学長のことさえ名前ほどしか知りません。そういう理由
もあり、「学長」という視点から広島大学の歴史を探るのはとても興味
深かったです。やはり、それぞれの学長が広島大学の発展につなが
るような功績を残されており、素晴らしい方々だと思いました。また、
医学部移転において学生と呉市民による衝突があったことも初めて
知りました。昔は大学と市民というのは一体であったんだと感じました。
現在もそのつながりがあるかと考えたとき、昔ほどではない気がします。
文・ 2 ・女 まず、広島大学が開学された段階に学長が不在だったと
いう事実に驚いた。選考経緯の中に(6)投票数は洩らさぬこと。とある
のにも関わらず、長田氏が最高点という獲得票の情報が漏れてしまっ
たことが、学長決定に影響を与え、森戸辰夫就任のきっかけとなった
- 684 -
と知り、学長不在も仕方のないことだと思った。また、大学の整備・拡
充についての解説を聞き、自然豊かな現在のキャンパスは誇るべきも
のだと思った。
文・ 2 ・女 今回の講義を受けて、初代学長が決まるまでにはいろい
ろな経緯があったのだなあと思いました。初代学長の森戸学長の功
績は本当にすばらしいと思います。私が大学生活を楽しめているのも、
今までの学長たちのおかげなのだと思いました。また、広大の医学部
が呉から移転する経緯のお話が面白かったです。でも広大は発展の
ために広島市に移転したのに、なぜまた東広島のようなところに移転
してしまったのだろうと思いました。
文・ 2 ・女 何故広島出身というだけで広島大学と縁のない衆議院
議員の森戸氏が学長に就任し、様々な業績を残したのか、私は前々
から不思議に思っていたし、前身校である高等師範学校の学長が引
き継いだ方が話が簡単に済むのではないかとも考えていた。しかし資
料を読んでいて、もしそうなっていたとしたら今の広島大学は無かっ
たということがよくわかった。もともと広島大学と関係が無く、常に日本
のことを考えて動く衆議院議員を経験していたからこそ、森戸氏は従
来の考えにとらわれず、これからの大学に何が必要なのかということ
を広い視野で考えることができたのだと思う。
文・ 2 ・男 広島大学の学長としてよく名前が挙がるのは森戸辰男さ
んであるが、それは初代学長であるからだけでなく、新制広島大学の
基礎を築いたことが一つの大きな理由であることが分かった。また、
自分が今回の講義で最も驚いたのは、初代学長を決める際、最初か
ら森戸氏が求められていたわけではなかったということだった。長田
氏を推すグループとそれに異を唱えるグループがあったように、やは
りその規模に関わらず人の作る組織では、多少なりとも派閥のようなも
のができてしまうのだと思った。
文・ 2 ・男 衆議院議員であり片山哲・芦田均内閣では文部大臣を
務めた森戸辰男が新制広島大学の初代学長に就任する過程は今回
詳しく知ることが出来た。森戸学長が誕生するまでは、教育思想史の
権威であり『原爆の子』を監修した長田新氏をめぐる様々な問題があ
った。森戸学長の就任後は「自由で平和な一つの大学」を建学の精
神とし、広島大の復興・再建にいっそうの努力を投じられた。世界各
地から平和関連の図書の寄贈を受け、平和問題研究所の設立を手
掛けられたり、それまで各地に分散していたキャンパスを一つに集約
し整備されたりと、森戸学長は新制広島大学の基礎づくりをされた。
続く皇・川村両学長は森戸前学長の意思を継承する形で、キャンパ
スの更なる集約・整備に努められた。その後も、広島大学は学部学科
の整備、大学院の設置、と研究の面で大きく発展してゆくこととなる。
広島大学がこのようにして発展していく過程には学長のご尽力という
ものがある、ということを私は改めて知ることとなった。
文・ 2 ・男 広島大学が「駅弁大学」状態から、名実ともに総合大学
に進化していく中で、地域との関係を重視する路線でありながらそれ
まで各地にあった学部、病院(呉市)などを地域の反対があったにもか
かわらず、移転させようとしたことは理念と矛盾しているのではと思い
ました(私は今日の資料を見る限り、呉市のほうに理があると思いまし
た)。大学として学部の移転が必要なら例えば病院なら県に働きかけ、
総合病院を誘致するなど提案し、その運動の中心になるくらいの心
構えが必要だったのでは、と思います。
文・ 2 ・男 新制広島大学の初代学長である森戸辰男を学長として
むかえるまでに、広島文理科大学長の長田新らの思惑が交錯したり
するなど大学にもかかわらずさながら政治家のやりとりのような感じを
受けました。大学であろうと会社であろうと、国会であろうとやはり権力
を巡る争いというのは必ず巻き起こってしまうものであることを改めて
認識させられました。また、今回紹介された学長達は国立大学という
限られた資源と環境のなかで、懸命に整備拡充に努めていた点を県
民も認めたり反発したりするなど、広島大学は地域と共に歩んできた
大学であることも実感しました。
文・ 2 ・男 新制広島大学の初代学長として、森戸辰男氏が就任さ
れたということは、他の人材・候補者の中からベストの選択であったよ
うに思う。ただ釈然としないことは、長田氏の候補辞退に関わる一連
の動きの中で、長田氏本人や支持者の受容の仕方であるが、今これ
を推量するすべはない。さて森戸学長は、新制広島大学の草創期に
政界から学長へと転進したことについて、森戸氏の判断の妥当性を
当時の政界の状況を見ることによって、引き出してみたい。森戸氏の
転進は、当時の芦田内閣にとって惜しい人材を失ったことになる。森
戸氏は片山内閣(1947.5.24 ~ 48.3.10)、芦田内閣(1948.3.10 ~ 4
8.10.15)の両内閣で文部大臣として活躍していた。当時両内閣の強
みは世論の広範な支持と GHQ の絶大な政治的支援を得ていたこと
が大きい。マッカーサーはこの中道連立政権の誕生を祝福した。しか
し片山内閣崩壊の原因は、社会党の党内事情にあった。また芦田内
閣は、修正資本主義を標榜し、中道政権として誕生したが、度重なる
疑獄によって倒壊してしまった。森戸氏が辞任した直後であるだけに
皮肉である。文部大臣として戦後の教育改革に携わる情熱は、 GH
Q との折衝もさることながら、その一貫性、持続性にあり、万人の認め
るところである。森戸氏の当時の心の中を類推するに、一方では、や
り切れないものを感じていたに違いない。国会での辞任演説の中
に、”…感慨無量のものがある”と言ったのは象徴的である。(以上)
文・ 2 ・男 今日は主に森戸学長、皇学長、川村学長についての講
義でした。自分は森戸学長については名前だけ、ほかの学長につい
ては何も知らないという状態だったので、今日聞いたことはどれも新
鮮でした。三方ともとても素晴らしい実績を持っていて、さすがだな、
と思いました。しかし、森戸学長が文部大臣をやっていたということは
特に驚きでした。学長が選出される経緯も、聞いていてとても面白く、
新しい発見でした。
文・ 2 ・男 学長がどうしたこうしたなどということは全くもって興味の
範囲外であったが、──やはり人に歴史ありということだろうか──い
くつかの話しを聞いてみるとどこかしら関心を生ずるような部分もあっ
た。特には、森戸学長についてだろうか。「森戸事件」とまで名の付い
てしまう歴史をあとに残しながらも、教育者として第一線を引っ張って
いく立場にまで登りつめることになったこの人物の遍歴はバイタリティ
に満ちており、否応なしにこちらの関心を引き寄せるような部分のあっ
たように思う。
文・ 2 ・男 森戸氏就任はすんなり決まったものだと思っていたが、
実際その経緯には、学長選考における問題の勃発による紆余曲折
があったことを知り大変驚いた。平和の希求心の高さと平和の実現の
ための大学経営・建学の精神と三原則・キャンパスの集約整備による
学内の一体化・学内の緑化による環境整備というように、双方向から
の取り組みが行われたことで、より旧帝大に近い形の大学院を据えた
今日の広島大学があるのではないかと考えた。その点森戸氏の功績
は今回の講義を受けた上では大変評価できると感じた。次の皇学長
だが、教育学が専門であり森戸路線の継承者であったため、広島大
学の方向性の確立化や高等師範・文理科大から続く教育に強い広
島大学の存在がより強固なものとなったのではないかと感じた。ただ、
皇学長の入試問題漏えいによる道義的責任での辞任や両生類研究
の世界的権威であった三代目の川村学長の学生紛争さなかでの辞
任は、任期わずか三年と短くかつ歯切れの悪いものであり、おそらく
充分な取り組みが行えなかったのではないかと感じた。これは広島大
学にとって大きな痛手であると同時に、一つの岐路だったのではない
かとも思った。学生紛争の経緯や当時の学生たちの様子を知ること
ができれば、より当時の状況が鮮明に浮かび上がってますます興味
深いものになるのではないかと感じた。
文・ 2 ・男 今回は冒頭初代学長の森戸辰男学長についての説明
をしていただいたが、私はこの学長は森戸事件という名称でその人
物を聞いたことがある。その事件の内容についてはそこまで詳しくは
知らなかったのだが、この講義においてその詳細を知ることができた。
無政府主義を助長するかのような記事を新聞に載せたことにより休職
処分、禁固刑にまで処せられたそうだが、時代のせいもあるのだろう
か、かくなる人物もこのような仕打ちを受けるのに関して、遺憾の意を
禁じ得ない。しかし、それらの苦難も乗り越え、広島大学の初代学長
として、今ある広島大学の礎を築かれたことに関しては尊敬に値する。
文・ 2 ・男 初代学長である森戸辰男学長のことは広島大学に入学
するまでは広島大学の初代学長としてではなく研究者として日本史
の授業で聞いたことがあるだけだったが、入学して学長であることを
知り、今回の授業で広島大学の復興のために大変な苦労をしたこと
を知った。研究者として生活することも可能だったと思われるが、学問
への思いが広島大学の復興へとつながったのだと思う。そして、森戸
学長のあとを皇学長らが整備し、今の広島大学へとつながっているの
だなと感じた。
文・ 2 ・男 正直なところ、現在の学長(浅原氏)についても、入学式
や学位授与式くらいでしか見かけたことがなく、具体的に学長って何
をするんだろうかと思っていました。しかし今回の講義を受けてみて、
広大初期の学長たちがやってきたことなどについて、いろいろと知る
ことができました。森戸辰夫ら学長や教授たちのおかげで今の広大
が成り立っているのかもしれません。また広島大学学長についてはま
たもう一度くらい話があると思いますのでのでいろいろと聞いてゆきた
いです。
法・ 2 ・女 授業の最初に当時の時代背景に触れてくれたため、内
容が頭に入りやすかった。初代学長の森戸辰男氏は学長就任に積
極的でなかったわりに、学長になると大型予算を引っ張ってくるなど、
広島大学の礎を築くのに多大な努力をしている点が好感を持てたし、
その責任感は尊敬に値すると感じた。長田新氏の「原爆の子」は私も
知っているほど有名なのに、なぜ学長になれなかったか、なぜそのこ
とについて森戸辰男氏が多くを語らないのか大変気になった。
法・ 2 ・女 今回の講義を受けてとても驚いたことがあります。それは
広島大学の学長選考にあたって諸問題が起きていたことです。また
私が漠然と持っていた森戸氏のイメージもがらりと変わりました。広島
大学の学長選考において長田氏という人物がいたことも今日初めて
知りましたが、学長選考という大変重要かつ正式な選考得票が洩れ
て、事態が悪化したところで森戸氏へと要請があり、学長が決定した
ということが驚きでした。私の持つ森戸氏のイメージは意欲的に広島
大学の学長に就任したというものでした。しかし実際は森戸氏には多
少のためらいと政界を退くことへの少なからずの心残りがあったので
す。でも資料を通して革新を進めた森戸氏が学長を務めたことは、広
島大学にとってとてもプラスになったのではないかと思いました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
法・ 2 ・女 学長たちの話や、広島大学長選考経緯など、普段聞くこ
とができないので、大変貴重な体験になりました。今回は、初代の森
戸辰男さんから、三代目の川村智治郎さんまでの話でしたが、とても
興味深く聞くことができました。広島大学の学長というだけでなく、ひ
とりの人間の人生を聞くというのは、とてもおもしろいなあ、と思いまし
た。これからもっと、たくさんの学長たちの講義を聞くことになると思い
ますが、楽しみにしています。
法・ 2 ・女 森戸辰男が広島大学長になるまでに、あんな熱い要請
があったなんて知りませんでした。森戸辰男は、将来の日本の再建の
ために青年を育てる・平和都市である広島に存在する大学の地域性
を重視するなど、広島大学の存在意義を具体的に示しており、学長
にふさわしい人物だったと思いました。キャンパスの集約・整備に関し
て、医学部が呉市から広島市へ移転する際に、呉市民からあんな反
対があったことも初めて知りました。呉市民にとっては残念だったとは
思うけど、研究や技術進歩のためにも移転して良かったと私は感じま
した。
法・ 2 ・女 初代学長・森戸辰男氏の学長就任までには本当に長く
困難な道のりを歩んできたのかと思うと、どのような物事も創始するの
は困難が付き纏うものであるなと改めて感じた。だからこそ、歴代学長
達が中心となってそれらの紆余曲折を乗り越えて今日の広島大学を
作り上げ、私達の学びの場を提供してくれて、誠に感謝の念に堪え
ない。特に森戸氏に至っては議員の道を絶ってまで学長としての道
を選んでくれた。彼らの尽力あってこそ現在の立派な広島大学が成り
立っているといっても過言ではないだろう。
法・ 2 ・女 前回までの講義を受けてきて、私は広大の学長と言われ
ると初代の森戸氏のイメージがとても強く、今回の授業を受けてその
人物像がよりはっきりしたような印象を受けました。森戸事件は昔習っ
たような覚えがあるのですが、その時は聞き流す程度の扱いをしてい
たようです。今、あの事件を考察すると、思想と時代背景というものは
非常に皮肉に満ちている関係だと考えました。人殺しが英雄になり、
政府への反抗が罪になる時代から、それがまったく覆されてしまう時
代へと移ることで、同じ人物に対する評価が裏を返したように変わると
いうことは、どうしようもないことなのかもしれませんが、一方で少し恐
ろしく感じました。
法・ 2 ・女 今日の講義は森戸辰夫学長をはじめとする、広島大学
を作り上げてきた数多くの学長に関する講義ということで、学長の名
前は知っているけれど業績はあまり詳しく知らなかった私にとって非
常に興味深いものでありました。一番驚いたことは、森戸辰夫初代学
長が、学長に就任することにあまり意欲的でなかったということです。
それだけを聞いたとき、正直すこしがっかりしましたが、しかし、資料 3
を読み、なったからには広島大学を素晴らしい大学へ復興しようとい
う強い志を感じ、やはり初代学長の力量はすごいと改めて思いました。
法・ 2 ・女 今ある広島大学の、理念や精神などは、森戸学長によっ
て作られたことを知り、今まで名前しか知ることのなかった森戸辰男氏
への興味が深まりました。そして今回一番印象的だったのは、川村学
長の話です。川村智治郎氏は、名前すら聞いたことがなかったけれ
ども、今在る広島大学の学部や大学院のほとんどを作り上げた、業績
のある学長だと知り、自分が学ぶ大学の歴史についてひとつ知識が
増えました。
法・ 2 ・女 高校のとき、日本史選択だったこともあり、森戸事件を軽
くは知っていました。入学してしばらくして、初代学長があの森戸事件
の森戸辰男さんだというのがわかり、びっくりしたのを覚えています。
やはり、伝統ある国立大学だなあと実感しました。広島大学長といっ
たら初代から数えて何人もいるけれど、やはり初代学長のイメージが
強いなあと思いました。そして、広島大学をつくりあげ、発展させてい
くためにはやはり学長の力が大切で、必要なんだなと改めて感じまし
た。
法・ 2 ・女 今まで名前だけしか知らなかった森戸辰夫について、詳
しく学べたのがよかったと思う。初代学長が決まるまでに、あんなにゴ
タゴタした経緯があったのに驚いた。ただ、長田氏の学長就任に、あ
そこまで強い反対勢力が存在した理由がはっきりわからなかったのが
残念だった。議員から学長になれば給料が三分の二になる上に、家
族とも離れて単身赴任をしなくてはいけないというのに、高い理想と
信念を持って学長という仕事にあたられた森戸辰夫は、すごい人だと
思う。
法・ 2 ・男 まず、こんなことを言ってはなんだが、そんなにもめるほ
ど、広島大学の学長のポストがそんなに重要なものだとは思わなかっ
た。森戸辰男は日本史でも習ったし、広島大学の学長を務めたことも
知っていたが、このような経緯で学長になり、このような功績を残して
いたことは知らなかったし、歴史の教科書に載るような人物が学長だ
った大学に通っていることを誇らしくも思った。それぞれの学長が
色々な理念を持ってつくりあげてきた思いを無駄にすることなく、勉学
に励みたい。
法・ 2 ・男 今回、改めて広島大学の歴史を学長という個人の視点
から見ていくことで、その時代のリアルな雰囲気を感じることができた。
特に森戸事件は日本史の授業で知っていたので学校で習った歴史
と広島大学の歴史がつながって時代背景をつかみやすくなった。今
までの授業で広島大学には他の国立大学に比べて平和理念と地元
意識を強く持っていたことを習ってきていたが、学長たち、特に森戸
学長の時期から、その意識を強く持っていたことには驚いた。森戸学
長についてはもう少し掘り下げてみたいと感じた。
法・ 2 ・男 まず、現在の学長が 10 代目であるということが個人的に
少ないと感じ、驚きました。学長はもっと多くいらっしゃると思っていた
からです。広島大学の初代学長を決定する際に、政治的問題や候
補者たちの考えなど様々な要因により広大の組織の基盤が決定され
ていることが今回の講義でわかりました。今回は 3 人の歴代学長だけ
でしたが、残りの学長についても調べてみたいと思いました。大学で
は学長とはあまり接する機会がないですが、学長のことをいろいろ知
っておくことは重要だと感じました。
法・ 2 ・男 私は森戸辰男について詳しく知りたかったので、今回の
講義は私の中では非常に充実したものとなりました。前回の講義にて、
広島大学初代学長就任後の森戸辰男の取り組みは触れていました
が、改めて三原則に則ったその活動に感嘆させられます。しかし、与
えられた結果だけ見れば、一貫しているように思えますが、実際は、
例えば、大学運営や復興再建に難航して、三原則からぶれることもあ
ったかもしれません。何も知らずして、勝手に固定観念を作り上げて
いることも多々あるかと思います。教科書などに簡潔に記されているこ
とだけでは、彼の素顔や広島大学に、また、広島大学から外部へど
のようなアプローチをとったか精密に知ることは難しいと思います。で
すので、専門的な文献などでさらに詳しく学びたいという意欲が湧き
ました。ところで、森戸辰男が学長就任への依頼に難色を示していた
ことも驚きでした。「平和」というイメージが強くあってか、二つ返事で
依頼に同意したものと思っていましたので、先ほど述べた通り、完全
に固定観念に縛られていました。また、彼が社会党出身で、当時政
党が危機に瀕していたということを失念していました。後者から、当時
の社会情勢を知ることの大切さを改めて実感しました。前者から、固
定観念を払拭して、目から鱗な新たな知識を身に付けることの爽快さ
を知りました。歴史・人物を深く詳しく学ぶことによってどんどんとその
素顔を知ることができます。そして、自分が抱いていた認識と違った
本当の素顔を知ったときのを衝撃、驚き、爽快さを感じとれるというこ
とは、私なりの人物および歴史を学ぶことの一つの意義だと考えてい
ます。
法・ 2 ・男 広島大学に入って二年目になりますが、この授業がない
と学長について知る機会はありませんでした。実際、この授業をとるま
では過去の学長はもちろん、現在の学長の名前もしりませんでした。
この授業で過去の学長についての話を聞いて一番感じたことは、自
分が思った以上に学長というものが大変なものだということです。正直
今日の講義を聞くまでは学長は飾りみたいなものだと思っていたので
反省しました。過去の遍歴などにも驚かされました。
法・ 2 ・男 日本史の教科書の中に森戸辰男という名前は見たことが
ありましたが、どんな経歴を辿ったかは全く知りませんでした。政治家
として衆議院議員、文部大臣の職を経たのちに広島大学の初代学長
になるほどのすごい人物だとは思いませんでした。新制大学として地
域住民の反対もあった中でキャンパスの整備集約を行ったのは、単
に初代学長としてではなく、以後の学長に比べても業績の質・量とも
に大変なものだろうと感じました。二代目の皇学長は初代に続き整備
をしていましたが、入試問題漏れで辞任するのは人々の生活水準の
向上などの当時の状況も反映されているのだろうと思いました。まだ
各学部間に格差があった当時は現在よりも苦労があったと思います。
今ではそんなことは感じませんが改めて広島大学の歴史について思
いました。
法・ 2 ・男 学長たちの横顔ということで、私は広大に入学して以来、
学長といってまず思いつく名前というと、現在の学長よりも、初代学長
である森戸辰夫学長である。実際に、今回の講義でどのような経緯を
経て学長に就任したのかを知ることができ、特に、広大の前身校とは
関係がない人物として白羽の矢が立ったというところに驚いた。他に
も 2 人の学長についても紹介があったが、やはり森戸学長が特にイ
ンパクトが強く、印象に残った。
法・ 2 ・男 自分はセンターで日本史を選んだので森戸事件という用
語は聞いたことがありましたが、広島大学の学長の森戸辰男のことだ
ということは知りませんでした。森戸辰男と言えば憲法 25 条生存権
の提案者というイメージが強かったので、色々な場面で有名な方だっ
たということに驚きました。その他、森戸辰男が学長になる前の長田
氏一派と反対派による権力抗争などは長田氏の真意が不明で、その
他関係者も口をつぐんだということで大変興味が湧きました。森戸氏
だけでなく長田氏の広島大学に対する思いも聞いてみたかったです。
法・ 2 ・男 日本史で知っていたので初代学長の森戸辰男学長があ
の森戸事件の森戸助教授だったことに非常に驚きました。そして片
山内閣、芦田内閣において文部大臣を務めていたことや、学長の候
補として依頼されたのは三番目だったということは意外で驚きました。
また皇学長や川村学長の大学の整備や拡充による新学部の設置や
修士課程までの学科も多く残ったけれど、各学部間の格差の縮小な
どその取り組みのはやさにとても感心しました。近年の広島大学の取
- 686 -
り組みなどについては次回学べるといいなと思います。
法・ 2 ・男 今回の講義では歴代の広島大学学長についての話でし
た。初代学長である、森戸辰男先生に始まり、その後継者たちが広
島大学を国の中心となる大学に育て上げるためにいかに尽力されて
きたかがわかりました。広島大学の移転問題から地域住民との話し合
い。そして原爆被害からの復興といったとても大変な問題に正面から
ぶつかり、さまざまの困難を乗り越えてくださったおかげで今現在の
広島大学がなりったっていると思います。歴代学長の偉大さがわかっ
た講義内容でした。
法・ 2 ・男 広島大学ほどの学長ともなると、政治的の話とは無縁で
入られなくなるのだということがよく分かりました。初代の学長が森戸
辰男氏になったのにも、その当時の広島の政治背景・時代背景が密
接に関わっていたことが分かりました。また、川村智治郎氏のように世
界的に有名な学者が広大の歴代の学長の中におられたのだというこ
とを始めて知りました。
法・ 2 ・男 広島大学の歴代学長は人格者として知られているが、特
に初代学長の森戸辰男学長は、広島大学の初代学長として、広島
大学のメルクマールを定めるなど、多大な尽力を図られたと聞いてお
り、広島大学の 5 原則を始めとして、現在でも受け継がれている。現
在の浅原学長まで 10 人の学長が、各々広島大学の発展のために
尽力されたことで、広島大学が全国でも有数の総合大学として成り立
っていることを思うと、これからも学業にいそしんで、「社会利益に還
元できる」広島大学生でありたいと考えた。
法・ 2 ・男 今回の講義は、歴代の学長たちのプロフィールや生き方
などについての内容を予想していたので、正直あまり積極的に受講
する気持ちではなかったけど、それぞれの学長たちが生きてきた時
代の生活の在り方や街の動き、さらにはどのようにして学長が選ばれ
たかなど、資料とも照らし合わせながらの講義で、いい意味で予想を
裏切られた。これまでは初代学長の森戸さんの名前を知っているだ
けで、どのように広島大学と関わってきたかなど全く知らなかったので、
今回の内容も広島大学を知る上で大事なことだと思った。
法・ 2 ・男 初代学長の森戸辰男氏は今まで知らなかったけど、有
名な人物であることを知りました。〝森戸事件〟について少し調べた
ら、この事件で言論界に多大な影響を与えたことが分かりました。後
の内閣総理大臣岸信介もこの騒動において、関わりがあるということ
も知りました。森戸氏は文部大臣にもなった経験があり、経歴的にも
広島大学の初代学長にふさわしい人物であったと思います。
法・ 2 ・男
それぞれ学長の歴史を感じた
法・ 2 ・男 今までこれまでの歴代の学長がどのような人かよく知らな
かったので今回の講義を受けて少しでも歴代の学長のことを聞けてよ
かったです。さらに歴代の学長を学ぶことで広島大学がどのようにし
て今のような大学になったのかを知れたので今回の講義は自分が広
島大学に入れてよかったと思えるようになった講義でした。なぜなら
やはり広島大学は平和を重んじる学校であり日本や世界の平和の文
化的、精神的な中心地であることが再確認できたからです。これから
も広島大学の歴史について深く学んでいきたいです。
法・ 2 ・男 まず最初に思ったことは、森戸初代学長が東京帝大の
出身だということで、やはりそういった超高学歴の人がそういった高い
地位に就くのだと思った。さらに元文部大臣だということで、そんなに
すごい人が学長であったなんて、少しうれしくなった。自分は滋賀県
出身だが、 2 代目、 3 代目の学長がどちらも滋賀県出身だということ
で、本当に驚いた。とくに有名人も特産品も滋賀県にはないと思いこ
んでいたのに、そういった人を輩出していると知って、少し誇らしく思
った。また、皇学長と川村学長をすごく身近な存在に感じた。
法・ 2 ・男 広島大学の過去の学長の中から、 3 人の学長の紹介が
あった。最初の学長である森戸先生は、広島出身で広島大学の学長
になるまでにさまざまな経歴を経ていた。また、私は日本史を勉強し
ていたので、有名な森戸事件の当事者が広島大学の初代学長にな
っていたことを知り驚いた。そして、これら 3 人の学長にはそれぞれ
に目標とするものがあり、それに基づいて今の広島大学ができている
ことが改めてわかった。今回は、 3 人の学長に焦点をあてていたがほ
かの学長のことについてももっと知りたいと思った。特に私が興味の
ある時期の学長として、大学が法人化した時の学長のことについて・
大学の動きについて知りたいと思った。
法・ 2 ・男 森戸学長の名前は入学前からどこかで見たことがあると
思っていましたが、森戸事件のことが教科書か資料集に載っていた
からだとやっと思い出せました。広島大学は国がお金を出さず地域
の寄付が大半であり、戦後で日本が復興にむかって歩んでいたとい
う時期的に学長もすんなり決まったのだと思っていましたが、森戸学
長の後の学長を決めるのにいざこざがあったので驚きました。そして、
この大学は東広島に移転したことも含めて建前はどうであれ、政治家
と絡みすぎな大学だと思いがっかりしました。
法・ 2 ・男 今回の講義では、初代から 3 代学長の略歴とその業績
について話をしてもらったが、初代学長の選考経緯がもっとも興味深
かった。森戸辰夫は文部大臣を勤めたほどのすごい人物なので、最
初から学長に強く推されていたと思っていた。しかし、大学の分裂を
避けるために呼ばれ、森戸自身も乗り気でなかったことはかなり意外
だった。このような経緯で森戸は学長になったにもかかわらず、大学
を復興し、皇学長・川村学長は森戸路線を継承し、大学の整備を推
進した。これらの業績は大変すばらしいと思う。しかし、話の最後に大
学院は増えたが、博士課程がないなど、当時はまだ整備が十分でな
かったと聞いた。だから、次回の講義でどうやって大学の整備が進ん
でいったのか学びたいと思う。
法・ 2 ・男 今回の講義、特に初代広島大学学長森戸学長について
の講義を聴いて森戸学長が残した功績はさることながら、その半面で
私は広島大学において学長が持つ権限というよりその学長がその大
学に対して持つ思いは後世にきっちりと各大学の特色として表れてき
ていることに少なからずかなりの感動を覚えた。それは何より初代森
戸学長の大学へのレベルの高い要請があったからだと私は考える。
自由で平和な一つの大学という建学の精神こそが今の広島大学を支
えていると私は思う。
法・ 2 ・男 今回の講義では、広島大学の学長ということについて学
びました。僕は、広島大学を開設したのが森戸さんということは知って
いたのですが、その経緯や他学長についてはあまり知らなかったの
で勉強になりました。授業の中で、学長たちが学校を開設したり、学
部の設置など多大な努力をしてきたということにすごい感心を覚えま
した。また森戸辰夫さんが学長に就任する過程で得票数のろうえい
によるいざこざがあったということに驚きました。また、今回の授業で特
に森戸さんや他学長についていえるのは、皆広島が好きで地域や未
来のことを考えていたのだと思いました。
法・ 2 ・男 今回のテーマは学長たちの横顔その 1 とゆうことで、初
代学長の森戸辰夫から川村智治郎までの話を聞いて考えたことは、
学長が変われば大学はかわっていくのかなと思った。また、学長は責
任のかかる地位だと思うのでなにか問題が起こったときには責任をと
ってやめたりすることがあると思うけど、代表者だけ変わっただけで意
味はあるのかなと思ったりした。そんな感じで今回の授業内容を通じ
て、組織についてのことを考えたりした。
法・ 2 ・男 森戸辰男のクロポトキン事件に関してはある程度知って
いたが、社会党に属していたことや文部大臣に就任していたことはは
じめて知った。また確かに森戸氏が学長に就任した時期は社会党や
民主党などの左派政権が終了して間もないころであった。自分だけ
その劣勢な政界から手を引くということは苦痛であっただろうし、また、
単純に議員のほうが所得が多かったということもあり、就任する決断を
下すのはかなり難しかっただろうと思った。また、元々あった文理科大
や高師関係の文学、理学、教育学関係の人物ではない者を学長に
選任したということもなかなか良かったのではないかと思う。もし上記
三学部の教授が学長になると、人間どうしても自分に近いものについ
てひいきしてしまうということもあり、それらの学部の発展ばかりを指導
し、他学部の整備が中途半端になってしまうということも全く考えられ
ない話ではないし、「御三家」と呼ばれていいるそれらの学部の教授
陣の権威が余計に誇張されたかも知れないからである。
法・ 3 ・女 森戸学長が選任されるに、あのような複雑な経緯があっ
たことは知りませんでしたし、最初はその理由が解せませんでした。し
かし、広大内部での対立や統合してできた学校ゆえの学部間の根深
い溝の事を聞き、森戸氏の目指した統合は単なる利便性によるもの
でないことに感動しました。初代の学校長といわれてもたいした感慨
も無くいた私にとって育てたいという教育的な考えのみならず広島の
学校としてまとめたいという気持ちを持って広島にいらっしゃった森戸
氏の思想は衝撃的でした。こうした志をもつ方がいらっしゃったことを
もっと学校としてアピールされてもよいのではないでしょうか。
法・ 4 ・男 学長の横顔ということで、学歴やキャリアの紹介が中心か
と予想していましたが、講義ではそれよりより広く深いところまで突っ
込んでおり、非常に興味深い講義だった。中でも、初代広島大学学
長の選出にあたり様々な事情があったことは初めて聞く内容でとても
関心がもてた。歴史の年表を見る限り障害なく森戸氏が学長に選ば
れたと推測できるが、実際には文理大の長田氏と京都大の羽田氏を
巡る事件があり、双方が不選出になった結果として森戸氏になったこ
とにはとても意外なことだった。また、呉市の医学部を巡る市と学生の
対立も難しい問題で、結果的には移転となったが、考える点は多くあ
ると思う。この講義より、歴史資料の重要性を再認識することができた。
理・ 1 ・男 広島大学の学長について、特に開学時期の頃の歴史を
聞いて、ほとんどが知らないことばかりで驚きました。特に森戸学長の
森戸事件には驚きました。言論の自由が保障されていない時代があ
ったことを改めて感じました。学長選考についても、複雑な選考方法
があり意外に思いました。初代の森戸学長も様々な経緯を得て、就
任されているということを全く知りませんでした。すんなり就任したとい
うイメージを勝手に持っていたため、今日の授業は驚きの連続でした。
理・ 1 ・男 今回の講義をうけて、やはり広島大学は素晴らしいと思
った。この学長あっての広島大学であり、我々学生がキャンパスで学
ぶことができると思う。この大学が存在していなかったら、私には他の
大学は考えてなかった。だから広島大学、理学部があってよかったと
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
思うとともにとても誇りをもった。他の学生や、教授の方々も同じ意見
ではないかと思う。広島のよさや東広島キャンパスの緑豊かで学ぶの
にとても効果をもたらすであろう授業形態、これからも勉学に励もうと
思う。
理・ 2 ・女 学長というのは大学があってそれを管理する人のように
思っていたが、初代学長の森戸辰男さんが自分で広島大学を開学さ
せるためにさまざまな困難を乗り越えて学長になったことを知り、学長
という存在があってこそこの広島大学があるんだなぁと改めて考えさ
せられた。私にはリーダーシップも責任感もないので、何人もの学生
を教育し、社会に立派に送り出すために養成するという重大な責任を
負った学長たちがいてこそ今の私もいるんだと実感した。平和という
モチーフを大切にし、現在のような過ごしやすい広島大学を創ってく
れた学長たちに少しでも感謝の意を表すためにも、自分の選んだ道
をしっかり再認識し、日々学問に励んで社会に貢献できる広島大学
卒業生になりたいと思いました。
理・ 2 ・女 今回の講義を通して、初代の森戸学長を始めとする初期
の学長たちの苦労が分かりました。特に森戸学長は、ばらばらで対立
のあった広島大学をまとめるのはとても大変なことだったと思います。
また、最初に新制広島大学ができたときに学長が不在だったというこ
とにも驚きました。学長というポストをめぐる争いがあったことも知りま
せんでした。時代を経るにつれてキャンパスが大きく立派になってい
く様子が、まるで日本の戦後復興そのもののようで感動しました。
理・ 2 ・女 森戸学長についてが、何より一番印象的であった。日本
史をしていたときに聞いたことがあって、当時は余裕が無くて深く知る
ことはできなかったが、今回の講義で概要はつかめたように思う。資
料に紹介してあった本を、機械があったらぜひ読んでみたいと思った。
広島大学は、戦前・戦時中・戦後のすべてにおいて大きな事件という
か、解決し乗り越えるべき課題に直面してきたので、学長たちの苦労
も大きかったように思う。キャンパス移転についても、特に医学部は大
きくもめたという話を聞いたことがあった。勉学や技術の発展という意
味では移転すべきであるが、やはり地域住民にとって病院は大事な
ものであり、反対の意見にもうなずける。このような場合こそ、学長の
力がより問われるように感じた。普段出会わないだけに存在を意識す
ること自体が少ない存在ではあるが、これからはもっと彼らの積み上
げてきた歴史を感じながら学校生活を送ろうと思う。
理・ 2 ・女 私達は広島大学に入学しているからと言って、学長の事
はよく知らない。だから、今回の機会に学長たちの横顔を知れて本当
によかった。森戸元学長は、政界を離れてまでも広島大学を平和主
義に立つ立派な大学にするという強い意志をもって学長になられた。
しかし、そんな大学の学生である私達はどうだろう。かつて、日本一の
軍都であり市民の力によって平和都市を作り上げてきたこの広島に
在住しているというのに、多くの学生が自主的に意欲を持って平和に
ついて学ぼうとしていないのが現実ではないだろうか。そして、私もそ
の一人であることは否定できないと思う。せっかく絶好の場所で学べ
るというのだから、もっと平和活動に意欲を持ち様々な形でもっと貢
献していきたいと思った。
理・ 2 ・女 今日の講義では、初代の森戸学長から 3 代の川村学長
までの経歴や、それに伴う広島大学の発展について学習しました。そ
の中でも、私が一番印象に残ったのは、広島大学が開学した当初
は”学長不在”という状況だったということでした。入学許可宣言も代
理の方が務めておられたそうで、とても衝撃を受けました。その後、初
代学長である森戸辰男氏に白羽の矢が刺さったということでした。森
戸学長は、広島大学が広島にあるからこそ、「平和」をとても強調して
おられたようです。そんな流れは今でも受け継がれていますし、私は
そんな学長を尊敬しています。今回の講義で、広島大学の基盤を作
った方々について学習することが出来て、とても良かったです。次の
講義では、 3 代以降の学長さん達についても学習できるので、とても
楽しみです。
理・ 2 ・女 今回の授業では、過去の学長について学習しました。森
戸辰男や、皇至道、川村智治郎、また長田新という人について学習
しました。今回の授業はあまりに身近なものとはいえないような内容に
取り組んだので、少し理解しずらいところもありました。ひとつ思ったこ
ととして、昔医学部の前身が呉にあったことについてなのですが、私
は、そのことを、今回の授業で初めて知りました。また、呉から市内に
医学部の前身を移動させるときに、市民の反発があり、それと学生が
署名運動をするなどして戦ったことがあるということも初めて知りました。
医学部と私は何の関係もないですが、広島大学にそんな歴史があっ
たのだということを知り、とても驚きました。
理・ 2 ・女 森戸辰男さんは初代学長であったにも関わらず、それま
で広島大学と何のゆかりもないことに驚きました。何故森戸さんが初
代学長に選ばれたのか不思議ですが、私は森戸初代学長が広島の
出身であり、広島大学(前進校も含む)の出身でなかったことも選ばれ
た要因ではないかと思います。広島の出身であるために故郷の大学
に対して主観的に行動を起こしてくれるうえ、広大の出身でないため
に広大をより客観的な視点で見つめることができる森戸さんは適任だ
ったのではないかと思います。
理・ 2 ・女
森戸さんがどのような経緯で広島大学の学長になったの
かという講義でしたがとても興味深かったです。やはり学長など、名誉
ある地位は誰でもほしいものなのだと思いました。やはり、広島大学を
設立するにあたって、たくさんの人の思惑があったことを知り、人をま
とめることの難しさをひしひしと感じました。森戸さんはその中でも、自
分の信念を曲げずに生きておられて、学歴も生き方も尊敬できる人
だなと思いました。私も森戸さんのような人になりたいです。
理・ 2 ・女 前回に引き続き、広島大学初代学長の森戸辰男につい
ての講義で、森戸学長が初めは学長になる気はなかったという話を
聞いて、少しショックでした。でも、学長の給料が国会議員のときの 3
分の 2 の給料で生活が苦しくなることを承知で、学長になって、今で
も森戸学長の理念が広島大学に反映されているので、森戸学長は周
りから信頼されていた学長だったのではないかと思いました。
理・ 2 ・男 最初の学長を選ぶにあたって、広島という土地に合った
人を学長として選ぶのは分かるけど森戸学長が広島にあまりゆかりの
ない人だったというのは驚いた。だけど、それだけ大学を良くしようと
する気持ちが強かったから選んだのだと感じました。森戸学長は平和
を強調した大学再建などさまざまなことし、皇学長や川村学長は学部
の新設や、大学整備などをして、各々が大学の特色を形作ってきたと
いうことが分かった。
理・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、初代学長の森戸学長が今の広島
大学の基礎とも言える部分をしっかりと築いたから今の広島大学があ
るんだと思った。今まで、学長になっている人はその大学の教授など
をしている人が学長になるのかと思っていたが文科省によって決めら
れているとは知らなかった。また森戸学長が広島大学にたいして特に
関わりがなかったのに、学長になっていたというのには驚いた。
理・ 2 ・男 今回の講義では、ただ単に広島大学の学長を紹介して
いくだけではなくて、学長たちがどのようにして選任されてきたのかと
いう歴史を知ることができ、個人的にはこの話にとても興味を抱きまし
た。特に広島大学初代学長である森戸氏が、文部科学大臣から広島
大学学長になるまでの経緯はスムーズなものではなく、紆余曲折して
きた過去があったことは驚きであった。資料の中にもある森戸氏の国
会での辞任の挨拶は、森戸氏の平和都市・広島とそこにできる広島
大学に対する強い想いが込められていて、読んでいて非常に感動し
ました。これから機会があれば、まだまだ多くの学長についての勉強
をしたいなと思いました。
理・ 2 ・男 今まで森戸学長の話は授業で出てきましたが、広島大学
のために様々な働きをしておられて、てっきり学長就任に積極的だっ
たのだと思っていましたが、最初はその気が全然なかったことに驚き
ました。森戸氏に白羽の矢が立った経緯は大変興味深かったですが、
少しわかりにくいところもあったのでまた調べてみたいと思います。基
本理念の「一つの大学」に隠された事情がこんなに複雑だったとは思
いませんでした。学長になってからは理念設定だけでなく、キャンパ
スの整備などをされてまさに広大の父のような存在だな、と思いました。
二代目三代目の皇学長と川村学長のなされた仕事からは、まさに中
四国の中心大学広大をコツコツと完成させていく過程が見えようで、
たとえ国立大学とはいえ、こんなに大きな研究機関うを作り上げるの
は大変な作業だったんだなと思いました。今回の授業は呉市のビラ
など、人々の動きがとても目に見える授業で、生きている歴史を学ん
だ気がします。
理・ 2 ・男 森戸学長の経歴がすごいもので驚きました。戦前と戦後
の価値観の逆転が森戸氏を初代学長の道に近づけたことに歴史の
面白さを感じました。森戸氏の学長になった経緯がちょっとわかりづ
らかったですが、やっぱり学長ともなるといろいろな因縁があったんで
すね。でも学長になった後は理念を立てるだけでなくてキャンパスの
整備などいろいろな仕事をされてて、初代学長がこの人でよかったと
感じました。次の代や第三代の学長の人たちも積極的広島大学の整
備、拡充をされていて広大が国立大学ということで勝手に与えられた
ものではなくて、こつこつと大きな努力を積み重ねることによって、で
きたものなんだということがわかりました。いろいろな裏事情もわかっ
て楽しい授業でした。
理・ 2 ・男 学長一人一人に歴史があるのだと思った。まず森戸学長
について述べたい。戦争が終われば英雄扱いされ、それまでは犯罪
者扱いなのだから驚きである。しかし、それは一つの意思を貫き通し
た結果であり、広島大学を創るうえで大きな要素になったと思う。平和
関連の図書の寄贈など広島大学の復活に貢献などもこの人の尽力
だと理解できる。次に皇学長と川村学長について述べたいと思う。こ
の二人は大学の拡張に尽力を尽くしたと思う。歯学部や大学院の設
置など今となってはなくてはならないものばかりを創り大学の基礎を
作った。以上のことから私たち広島大学生は環境に非常に恵まれて
いる。
理・ 2 ・男 今回の授業は広島大学の学長達の横顔というものだっ
たのですが、森戸辰男学長や皇至道学長や川村智治郎学長の行っ
て来たことを学んでいきました。その中で森戸辰男学長の行ってきた
ことに強い印象を覚えました。それは就任理由の中にあり、平和都市
にふさわしい大学を作りたいというものでした。世界各地の大学に広
島大学の復興再建の協力を依頼したところもすごく斬新だなと思いま
した。やはり大学というものは自発的に出来たものではなく、誰かが進
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んで作っていったものなんだなと改めて感じました。
理・ 2 ・男 今回の講義で触れる学長が 3 人だけということに少し驚
いた。広島大学ができて 60 年ではあるが、それに対して学長の人数
が少ないと感じた。初代学長の森戸辰男については、高校の日本史
の授業で「森戸事件」として触れていたため、名前だけは少しだけ覚
えていた。初代学長が広島とまったく関係のないところから学長に要
請されていたことは知らなかった。高校時代に広島大学について調
べていたときに、キャンパスが 3 つもあるということに疑問を持ってい
たが、少しは理解できた。まさか大学内で生徒が移転を促進するビラ
を配ったりしていたとは。今回の講義は結構ためになるような感じだっ
た。
理・ 2 ・男 様々な学長の素顔というものを、昨日の講義でイメージを
膨らましていたわけだが、やはり第一に思ったことが、みんな何かしら
成果をあげて日本の学問の発展に大きな影響をもたらしているなと尊
敬の気持ちが生まれた。最初のころは学長とかあんまり興味なく、学
長のことを知ったからって何にもならないであろうとか思っていたが、
やはりそれぞれの学長の経歴には深みがあり、昨日をさかいにますま
す興味をもつことができた。森戸さんが亡くなった月に僕が生まれた
にはなんだか不思議な気持ちがした。
理・ 2 ・男 僕達 1 学生からすると、学部長ですら会って話をする機
会がなく具体的な仕事内様があまっり分からずきっと難しい役職なん
だろうなくらいにしか思っていませんでした。ましてや、学長なんて遠
い存在です。この広島大学という大学の礎を作った(作って行く)役割
を担った人であります。森戸元学長は広島大学というものを創り、今こ
うしてこのように学習幅の広く学びやすい大学で僕は入学したことに
後悔していません。教科を学ぶだけじゃなくて、広島大学も学んで行
きたいなと思いました。
理・ 2 ・男 自分の中で森戸辰男についてさまざまな誤解があったよ
うに思いました。まず、森戸さんが広島の学校ではなく東京の学校(東
京帝国大学)卒業であることを知りませんでした。また、最初の広島大
学の学長の候補者は森戸さんではなく長田さんであったということも
知りませんでした。なので、この講義を聞いて、ちょっと常識知らなさ
過ぎだなと思いました。そして、医学部キャンパスが呉から、広島市に
移転した背景に反対運動があったことについてですが、医学部が呉
にあれば呉市にとっては大きな存在だとは思いますが、やはり、他学
部と離れているため研究の進みがよくならないのかなと思いました。
実際、今医学部が呉にあったら交通的にも不便なので学生もあまり
集まらないと思いますので、広島市に移転してよかったのかなと思い
ます。
理・ 2 ・男 今回の講義は、「学長たちの横顔」というものでした。私
は、これまでの講義で広島大学のいろいろなことを学びました。その
中で、いちばん見落としがちな学長について学んだわけですが、今
回は森戸辰男、皇至道、川村智治郎の 3 人の学長についてでした。
中でも私が印象に残ったのは、「森戸事件」でした。東京帝国大学経
済学部の期間学術雑誌に森戸が寄稿した「クロポトキンの社会思想
の研究」が、無政府主義を鼓吹する論文として批判され、休職処分、
起訴されたというものですが、そのようなことがあったとは知らなかった
ので驚きました。
理・ 2 ・男 今回の講義で森戸辰男さん、皇至道さん、川村智治郎さ
んがどのような経歴で広島大学の学長になったのかや、どうして広島
大学が中国四国の中心的な大学となったのかがよく分かりました。森
戸学長の広島大学を中四国の中心的な大学にしたいという思いがい
まの広島大学を作り上げたのではないかと感じました。そのため学科
の充実や大学院の整備が急速に行われたのではないかと思いました。
そのような広島大学の学長の思いを胸にこれからの学校生活を歩ん
で行きたいと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義は、学長たちの横顔というテーマの一回目で
あり、現時点の学長のことがまず初めに知りたかったが、自分が全く
生まれていないころの時代の学長らだったのであまり実感がわかなか
った。ただ、森戸学長が大学を休職処分となって、法的に処分された
事実を知ったときは驚いた。広島大学の歴史というのは数多くの学長
らが深くかかわっていると思うし、それだけ重要な方々なので、じっくり
知ることができるこのような機会があってよかったと改めて感じた。この
テーマは来週も続くと思われるので、しっかり出席して講義を聞きた
いと思った。
理・ 2 ・男 初代学長が決まるまでにいろいろとゴタゴタがあるとは思
わなかったし、当初は森戸辰男ではなかったということを初めて知っ
た。また、森戸辰男という名前は高校時代の日本史の授業で耳には
したことがある名前で森戸事件と呼ばれるものがあったということはす
でに知っていた。今回の講義で話にでてきた長田新の「原爆の子」と
いう作品は聞いたことはなかったけれども、教職関連のテキストには
たびたびこの名前があることに気がついた。私は学長なんて誰がなっ
てもあまり変わりはしないだろうと思っていたが、学長によってその大
学の方向性も変わっていくものだと感じた。
理・ 2 ・男 まず、初代学長の選出に様々なことがあり森戸学長に決
まったことに驚きました。森戸氏がはじめから学長になると決まってい
たと思っていたので。森戸学長は広島の大学として「自由で平和な一
つの大学」を建学の精神にされ、平和問題に取り組まれました。その
精神は今でも広大に受け継がれているのだと感じました。森戸学長
以降の皇学長と川村学長も、森戸学長の意思を引き継ぎながら、そ
れぞれの色で広大をやりよくしようと努力されました。その努力が、現
在の私たちが通う広大の基盤となっているのだと思いました。
理・ 2 ・男 あれだけ積極的に寄付を募って金を集め、大学のハコを
作った割りに、その中で新制大学の学長すら自分らで決められないと
は情けないと思う。人選についても、最高得票を得た長田氏を降ろす
ような動きがあったというのは結局自分らの都合のよい形を作り上げ
ていった事は言うまでもなく、理念を並べたのもうわべだけのものに感
じさせる。ただし、学科、大学院の拡充を進め、教育、研究の質を高
めたのは評価できると思う。
理・ 2 ・男 この講義では 3 人の学長の横顔について学んだ。その
内の一人森戸辰男は昭和 21 年に衆議院議員に当選し、昭和 22 年
には文部大臣というすごい職歴をもつ人であった。しかし機関学術雑
誌に森戸が寄与した「クロポトキンの社会思想の研究」が、無政府主
義を鼓吹するものと批判され大学休職となる。また川村智治郎元学
長は生物の研究の第一人者であり、特にカエルの研究では世界的
に有名であるということを知った。私は、やはり広島大学の学長になる
ような人は有名な人ばかりであり、広島大学に在学していることにもっ
と誇りを持とうと思った。
理・ 2 ・男 今回の講義の話は歴代の学長のものについてでしたが、
単に大学のことを進めるだけでなく地域との兼ね合いも考慮しなくて
はならなかった話を聞いて、大変なことをされたと思い今こうして広大
で勉強できるのも先代の学長のおかげだと思い尊敬します。特に森
戸学長の行った呉にあった医学部を広島市内の霞キャンパスに移転
させたことは大変であっただろうと思います。今まで助けていただいて
いた呉市の猛反発を受けながらも移転を行ったことは良心や、批判
などもあったと思い苦労なさったと思います。しかし利便性や医学に
必要な患者の数などから正しい決断であったのではないでしょうか。
理・ 2 ・男 今回の講義は広大の学長という今までと違った観点から
広大の歴史を学ぶこととなった。学長の中でも森戸学長という大学の
緑に取り組んだり、東千田キャンパスの整備を行ったりと今の広大の
礎を築いた方がいたことを知った。そして、私が一番意外だと感じた
ことは、医学部キャンパスは元は呉市にあったことである。今までは私
は医学部キャンパスは市内にあったものだと思っていたからだ。また、
呉市から市内に移転されるまで呉市民の強い反対があったことも学
んだ。学長というテーマで歴史にはあまり関係がないと思っていたが、
講義を受けていると学長と広大の歴史は大きく関係していることがわ
かった。
理・ 2 ・男 今回の講義で医学部キャンパスの移転の話があった。私
は実家が呉だが、昔広島大学医学部が呉にあったと言う話を聞いて
驚いた。大学の存在というのは町が発展することができるとても大きな
要因のひとつであるが、たしかに呉は市内に比べるとかなり田舎なの
で医学の発展と言う観点から見ると移転は仕方がないことだったと思
う。実際広島大学病院に以前行った時に設備がかなり整っていたし、
交通の利便性などを考えると呉より広島に移転して正解だと思う。
理・ 2 ・男 初代学長である森戸学長が広島大学に縁がなかったと
いうのは意外でした。就任の理由や森戸事件、憲法制定への関わり
を見ても平和というものを非常に重要視していたのだなということを感
じました。ただ、キャンパスを集約していったのは中核大学として必要
なことだとは思ったけれど、地域性を重要視するという考えから少しず
れる気がしました。そして、この期間の大学整備がなかったら今の広
大は大きく違っていたのではないかと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義では、主に、初代学長の森戸学長の事につ
いて学んだという印象である。これまでにも何度も、森戸学長の名前
は講義の中で出てきており、その時の印象は、広島大学を発展させ
るために身を粉にして働いた人であり、広島大学にとってなくてはな
らない存在だったのだろうと言う印象を持っていたが、今回の講義で、
ますますその思いが強くなった。今回の講義で最初に驚いた事は、
森戸学長が広島大学の出身では無かった、と言う事である。本来なら、
広島大学の学長に就任するのに、機会がないはずの森戸学長が広
島大学に就任した際のいきさつ。長田を学長にしようとした親長田の
さまざまな策が裏目に出て、結局長田は学長に就任できず、森戸が
就任した出来事など、非常に興味深かった。また、初めは渋々就任し
た学長であり、さらに国会議員の頃より給料も安いのに、それでも広
島大学の発展の為に尽くした森戸学長には、敬意の念を感じずには
いられなかった。
理・ 2 ・男 大学が開学した当初、学長がいなかったということを聞い
て驚きました。学長という存在は、学校とともにあるものと思っていた
からです。でもそんなに大切な学長問題さえ後回しにしなければいけ
ないほど、開学当初は様々なことを考えなければいけなかったんだな、
とも感じました。また、学長を決める際のやり取りはまだ明らかになっ
ていない部分もあり、歴史の不確かさを学んだ気がします。ぜひもっ
と詳しく知りたいと思いました。今回の授業では森戸学長をはじめと
する初期の時代の学長たちがなしてきた仕事がいかに大きなものだ
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ったかを習い、広大が少しずつ大きく成長していくのがわかるようで
楽しく過ごせました。
理・ 2 ・男 今までの講義の内容を含めて、やはり森戸辰男初代大
学長は広島大学を平和の中心に置きたいのだと強く感じました。フェ
ニックスの木々を植えた森戸道路や、平和関連の図書の寄贈などか
らそう感じられます。そのことを思うと、やはり平和問題研究所の設置
が実現されなかったことは、森戸学長にとっても、原爆の被害にあっ
た広島にとっても非常に惜しいことだとおもいます。もし、これから先
研究所の設置が実現されるのであれば、この広島大学は世界でも有
数の平和関連の大学となり得たでしょう。
理・ 2 ・男 森戸初代学長が広大の基本理念や森戸三原則を設定
されたことはこれまでの授業で知っていましたが、キャンパスの集約
や整備、そのほかにもさまざまな大きな仕事されていることを知り、森
戸学長はまさに広島大学の父的な存在だと思いました。学長選出の
折は長田氏を巡るいろいろな問題を通して、最終的に森戸氏が学長
になったことがとても興味深かったです。この選出にはまだ明らかに
なってないことも多いという話からは歴史の奥深さ、難しさを感じまし
た。二代、三代と学長が変わっていくにつれてキャンパスがどんどん
成長していく写真には広島大学という総合大学を作り上げていった
学長、関係者たちの壮大な熱意、努力が感じられました。広島大学
は人が創り、育てていったものだということを学んだ授業でした。
理・ 2 ・男 大学が発足してすぐのころは学長が不在だったことが意
外でした。初代の学長である森戸辰男がした仕事がかなり大きいなと
思いました。森戸辰男がいなければ今の広島大学はないといっても
過言では無いくらいのことをした人だな、と思いました。そんな人が初
代なので、僕はつい森戸学長との比較で学長を見てしまう気がしまし
た。さらに皇学長や川村学長も森戸学長を継承して大学の整備に携
わって組織を細分化したり、充実化したりして大事な仕事をした人だ
とおもいました。
理・ 2 ・男 この授業を受けるまで、広島大学の学長の歴史を学習す
ることは、広島大学の歴史を学んでいく中で必要なのかと疑問に思っ
ていましたが、今回の講義を受けて歴代学長を見ていくことは、広島
大学の歴史を学ぶことに直結すると感じました。今回は 3 人の学長
についての講義でしたが、この広島大学の創世期を作った 3 人は全
講義のうちでもっとも重要ではないかと考えました。特に戦争の動乱
の中広島大学の基盤を作り、支えた初代学長森戸辰男氏について
は今回の講義だけでは触れなかったようなことについても調べてみた
いと感じました。
理・ 2 ・男 初代学長を選ぶ選挙の結果、投票数が最も多かった長
田さんが学長になりたいという気持ちもあったのに選ばれなかったと
いうのは、それ相応の理由があると思うので、そこがすごく気になりま
した。また、僕の住んでいた呉市に医学部ががあったことにまず驚き
ましたが、呉市と学生が対立しあっていたことや、森戸学長によって
広島市に移転されたことも初めて知りました。森戸学長の言葉に「一
番大事なのは精神的に相互の理解を深めること」とありましたが、その
ためには広島大学のことをよく知り、一人の学生として自覚を持つ必
要があると感じました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて学長に対するイメージがずいぶんと
変わりました。今まで学長とはあっさり決まるものだと思っていましたが
学長を決めるのにもいろいろと事情があって、さらに学長に勧誘され
た人にも事情があるため学長を決めるというのは非常に複雑で難しい
問題なのだなと感じさせられました。さらに史料の森戸元学長の聞き
取りでは広島大学を今までの国立大学とは違うような大学の再建を
目指していたことに非常に感銘を受けました。これからは今までの考
え方にとらわれないような大学づくりが大事なのだと考えさせられまし
た。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて考えたことは、広島は原爆の被害が
甚だしいなか、広島大学の創立を考え、実行に移すまでに、いかに
広島大学生、あるいは未来を担う若い人たちに対する、強い想いと期
待が強かったであろうかがわかり、現在、広島大学で学んでいる自分
にはそれ相応の責任がかかっているのであるということです。広島大
学の学長である、森戸辰男氏がいうように「日本の再建は青年の向背
にかかっている」とはまさにその通りだと思います。学長以外の人たち
もまだまだ広島大学に通じる努力の結晶を理解していない部分が多
いことであろうと思いますが、自分なりに教養を深め、未来に向けて、
精一杯努力していきたいと思います。
わらないと考えると共に運動する動機がない・今の状況に満足してい
るのだと思う。それは、まわりの状態を知れてないことにあると思う。関
東・関西では大学が集まっているところが多いので、学生の環境をよ
くしようとして学生が運動しやすくなっているのだが広島大学はその
点すぐれてないのかもしれない。しかし、これまでの学生運動の結果
が今日の広島大学を形成しているのかもしれない。本題にそれたの
かもしれないが、史料 4 ・ 5 をみながら、そういうことを考えた。
理・ 2 ・男 初代学長である、森戸辰男さんについてよく分かりました。
この授業で、初代学長を決める時にさまざまな争いがあったことを初
めて知ることができました。羽田さんと長田さんが争って、両方ともが
就任できなかったことはとても残念な結果で、広島大学も後味の悪い
スタートになったと思います。また、森戸さんは森戸事件や国会議員
を辞めてまで広島大学の学長になったことから、自分の志や信念、責
任力がある人のように思えました。だから、学長の話が来たのだと思
いました。
理・ 2 ・男 正直、講義の前学長たちの横顔というテーマを聞いて、
全く興味を持てませんでした。森戸学長は、平和都市広島にふさわ
しい大学をつくりたいという理由で学長になったのはすごいと思いま
す。森戸学長・皇学長・川村学長は、キャンパスの整備など様々な今
の自分たちに関わることをしてくださったことを初めて知りました。各
学長達のおかげで今の広大があると思うと本当にすごいなと思いまし
た。この講義を受けていろいろなことを知ることができてよかったです。
理・ 2 ・男 森戸氏が広島大学初代学長に選ばれた経緯がこんなに
も複雑だったとは思わなかった。各学校からの候補で森戸氏は支持
を得ていたはずだが、検討の結果候補からすら外れてしまった。それ
にも拘わらず、最終的には森戸氏が適任だとなりそのまま学長に決
定された。自分の中では森戸氏が進んで学長になったものだと思っ
ていた。それが森戸氏自身は気が進まない時に、広島県民の支持を
はじめ、社民党や文部省の協力や支持によって決心がついたという
ことだったので驚いた。しかし、学長に選ばれてからの森戸氏の決意
はとても素晴らしいものだと思う。平和都市広島と大学の地域関係を
強くしたいというものや中・四国で中心的な準帝大を目指すという目
標は広島だからこそたてられることであり、今の広島大学の土台を形
成しているものだと思う。統合移転を果たし、各学部の結びつきは強
くなった。しかし、森戸氏が語っているように、一番大事であるのは精
神的に相互の理解を深めることである。近くにあっても互いの理解を
深めないかぎり、密な研究協力は不可能である。学術の進歩におい
て、広島大学が目指している「総合的な大学」という言葉は重要な鍵
を握っていると思う。
理・ 2 ・男 初代学長の森戸辰男さんは初代の学長であるにもかか
わらず、色々な改革をしているところに、興味がわいた。特に昭和 32
年の、医学部の広島市への移転は地域の反対によって政治問題に
なりつつも、強行した行動力はすごいとおもう。実際に行動を起こすこ
とは、とてもリスクを伴う。しかし、誰かがしなければいけないことなの
で森戸さんはゆうきのあるひとだと思う。そして、川村学長がいたから
こその今の理学部が存在するのだと思う。当時は物性学科として新
設されたらしいが、それがあったからこその今の自分が所属する化学
科が存在する。この講義を聴いて、広島大学長は、伊達ではないと
実感した。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、まず大学長ともなる人はすごいな
と思いました。森戸先生・皇至道先生・川村先生の三人とも教師・大
学助教授を経て大学長になっておられ、優秀な方たちであると分かり
ました。森戸学長の広島大学建学の精神で「自由で平和なひとつの
大学」とあるが、それが前回習ったフェニックス、森戸道路に現れてい
ると知り、その影響力に驚かされました。皇至道学長も森戸学長の路
線をしっかりと継承していくところは継承し、さらなる広大の発展に貢
献していたということでとてもなるほどなと思いました。
理・ 2 ・男 広島大学の初代学長である森戸辰男さんは経済学部出
身のもと文部大臣ということで、やはり最初の学長は政府との関わりが
強いと感じた。また、 2 代目の皇至道学長は教育学部長から学長に
なっていて、そのことが広島大学の教育額部を有名にした所以にな
っているのかと思った。また広島大学ができた頃は移転や統合などが
あり、市民の反対もありとても大変だったんだなと思った。歴代の学長
のおかげで今の広島大学があると思うので、感謝しなくてはいけない
なと思った。
理・ 2 ・男 初代学長、森戸さんは広島大学卒業でもないことを初め
てしり、驚いた。その森戸さんには、森戸事件という事件があったこと
も初めて知った。二代目の皇学長は入学試験問題でや辞めさせられ
るなど、そういう事件があっていたことに驚いた。三代目である川村学
長は理学部なので少し知っていたので、川村学長についての時は特
に関心を持てた。カエルの研究などで有名な人だった。皇学長と川
村学長による大学の整備や拡充の中で原爆放射能医学研究所附属
原爆医学標本センターの設置では、広島大学らしいなあと思った。
理・ 2 ・男 今回の講義で学長のやってきたことや役目についてわか
りました。学長はその時代ごとに必要な大学を支えることをやってきた
と思います。森戸学長は、広島大学の復興に力を入れられて、基礎
をつっくってきました。その当時作ってきた道路などの整備も大切なこ
とだと思いました。皇学長や川村学長は、学部や施設を増やしてより
高度な学習ができるようにしました。大学の設備や学科が増えること
で、より多くの学生が学習できるようになったと思います。いろいろな
考えをもった人が集まることで大学はよりよいものになっていくと思い
ました。そのための基盤を作り上げる学長はすばらしい仕事だと思い
ました。
理・ 2 ・男 呉市の移転反対の話を例にとれるように、昔は学生の運
動が多く時代を感じてしまった。つまり、今の学生は運動しても何も変
理・ 4 ・男 今回の講義で紹介された三人の学長は、今ある広島大
学の基盤を形作ったのだと感じました。まず、第一大学長の森戸学
- 690 -
長は文部大臣だったにもかかわらず、学長になり広島大学の理念と
象徴を作ると共に、キャンパスの集約を行い大学の復興を成し、続く
皇学長、川村学長も森戸学長が築いてきた道を継承してきたというこ
とでした。また、川村学長は大学院を設置することで広島大学を中四
国の中核大学に成長させました。たった三人の学長だけで(約 6 年
間)今の大学の姿とほとんど変わりない姿を形成したということで偉大
さを感じました。
理・ 4 ・男 今回の授業では、森戸さん、皇さん、川村さんの三人の
学長について主に説明があった。特に森戸さんは前回の授業でも出
てきたので少し知っていたが、広島大学の学長になる前、森戸事件と
いう事件があり、禁固四ヶ月に処せられたことなどは知らなかった。学
長について知っておくことは、大切なことだと思うので心にとめておき
たい。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第8回】
広島大学の学生生活
(講師:小宮山
医・ 1 ・男 今日の講義で興味深かったのは旧制広島高等学校に
ついての昔の写真でした。学生みんなでの授業風景や僕が特に印
象に残ったのはうどんをみんなで食べている写真でした。あの写真を
見るとやっぱり学生は現代と同じようにご飯の時にみんなでわいわい
楽しく食事していたんだとわかり、少し安心というか昔の厳しいイメー
ジの中にもそういうこともあるんだと思いました。
医・ 1 ・男 昔の広島大学と今の広島大学を様々な観点から比較す
ることによって、今まで知らなかったことが見えてきて、今の学生の昔
と比べると恵まれている環境など感謝しなければいけないなと思いま
した。また、個人的には衣食住の変遷と大学祭の変化についてとても
興味を引かれました。特に大学祭の変化は昔どのようなことが大学祭
において行われていたのかについてしることができ、とてもおもしろか
ったし勉強になりました。
医・ 1 ・男 今回の講義を聞いて、昔の学生と今の学生はずいぶん
気質が違うことがわかり、大変驚きました。ただ、一部の授業がつまら
なく感じるところなど、今の学生と大して変わっていないところもあり、
少し親しみがわきました。また、映画「北辰斜めにさすところ」を見て、
昔の学生の大学同士の対抗戦にかける思いなどを目の当たりにし、
当時の学生の考え方などを知ることができ、大変よかったです。
医・ 1 ・男 広島大学の学生による活動などについての授業だと思
っていたが、そうではなくて当時の学生たちの雰囲気であったり、大
学自体の雰囲気を知ることができて、面白かったです。「北辰斜めに
挿すところ」に描かれていた学生たちの気質の激しさには驚きました。
先輩と後輩の関係は今も昔もかわらないんだなと思いました。かなり
脚色されていましたが、実際に映像で見ることで、当時の様子がイメ
ージしやすかったです。
医・ 1 ・男 今回の講義をうけて広島大学の学生の大学での過ごし
方や学園祭の風景や他の大学との関わりかたなど普段簡単には知る
ことができない情報を知ることができ非常に有意義だった。また昔の
大学生は熱く、無茶をしても許され非常に楽しそうな日々を送ってい
るなという感想をもった。
教育・ 2 ・女 時代の違いもあるのだろうが、学生のあまりに自由奔
放な姿に驚いた。高等教育機関を卒業した後は日本の将来を担う存
在となるのだから、遊べるときに遊んでおこう、という考え方なのだろう
か。現代の学生である私から見れば、寮での生活やビデオの様子な
ど、到底信じられないものばかりである。しかしそれが自分にとって有
意義であるなら一見おかしな様子でもいいのかもしれない。なんにせ
よ遊ぶときと勉学するときのメリハリはつけるべきだと思った。
教育・ 2 ・女 「第一高等学校」などのナンバースクールの名前は知
っていたが、それらのことを今まで詳しくは知らなかったため、所在地
のこと、どの大学に通じているかなど知ることができて満足である。な
ぜ中四国に当初はナンバースクールがなかったのか気になる。中四
国からでは京都にある三高にしろ熊本にある五高にしろ、通うには遠
いのに配慮しなかったのか。中四国には優秀な人材を期待していな
かったのか。また、六高が岡山にできたのは連絡船の都合や位置関
係的にも納得であるが、当時の広島人たちは広島でなくて非常に残
念がっただろうと思った。広島は当時から教育に対する意識が高かっ
たようで、なんとなく誇らしく思う。私も教育の盛んな広島の一員として
勉学に励んで生きたいと感じた。
教育・ 2 ・女 今回の授業では今までに習った広島大学の前進校の
特徴なども含めて、その時代の学生の生活について学べました。私
が特に興味を持った箇所は大学生の生活で広高生やビデオで出て
きた高校が「ストーム」をしていたことです。私は教育学部生で文化祭
では「 E-ストーム」という名の教育学部祭があります。ストームって何
でいうのだろうと疑問に思っていたのですが、ここから来たのかなと思
いました。写真やビデオのストームはとても激しく、喧嘩っぽかったの
で、今でいう体育祭の方が近かったのかなと思いました。ビデオを見
て、上級生の方がデパートのエレベーターガールさんにお金を渡し
ていたシーンがいったい何が言いたいのか私にはよくわかりませんで
した。本当にわからずに渡していたわけではないのですか?昔は大
学の授業は先生の研究の結果の報告であり、その報告を話しだけで
し、それがテスト範囲になるという話で、一見大学生全体がまじめに
授業を聞くようになりそうですが、聞く人は聞くが、聞かない人は聞か
ない、とはっきりと 2 分され、差が広がりそうに感じました。生徒に知
識がつかなくてもいいという考えが先生の方にもあると思うので、今の
ような学びたい、教える、の関係が作れてよかったと感じました。
道夫)
教育・ 2 ・女 広島大学の歴史とは関係ないのかもしれないが、映像
の中の「バカの天才になれ」という言葉が胸に響いた気がした。バカ
の天才とはいえ、大学生活に何らかの意義や目標を見出している人
がたくさんいる。旧制学校の生徒たちは、目標や目的がはっきりして
いたり、人数も少ないため、密度の濃い生活、授業ができたのだろう。
しかし今は、マスプロの授業であり、プロジェクターもあって授業環境
も良く、生徒数も多く、大学の門戸も決して狭くない。これといった目
標などがなくても入ってすごせてしまう。生徒が努力するということが
必要なくなってしまう。「なんとなく」で大学生を終えてしまう人が多い
とも思われる。今、広島大学・広島大学の回りは発展し、過ごしやすく、
勉強し安い環境であると言える。大学の授業自体の密度は衰えてい
るわけではない。私たち学生自身が、どれだけ一生懸命取り組むか
によって、旧制学校をしのぐほど、得られるものがあるはずである。
教育・ 2 ・女 今回はこの 50 年間の広島大学の生活状況の変化に
ついて学びました。スライドでの写真や映画を見て、今の生活との差
を感じました。映画にもとても興味が湧いたので、ぜひ借りて最初から
見てみたいと思いました。生活や学びの姿勢を見ると、今は昔よりも
学生の学びの意志が希薄になっている気がします。私自身も、 1 年
生の当初に比べると、学業に対して疎かになっている気がします。自
分がこの大学生活を価値あるものにできるかどうかは自分自身にかか
っていると思うので、毎日を一生懸命に過ごしていきたいと思いました。
教育・ 2 ・女 旧制の広島高等学校時代の、蛮柄と呼ばれる制服や、
寮の厳しい掟など、驚くことがたくさんあった。当時と比べて、今は、
自由な服装に、一人部屋の寮、あるいは、下宿と、比べ物にならない
ほど、自由で規律もゆるくなっている。しかし、よく考えると、昔よりも、
学生の自律性が求められていると考えられる。また、昔は、先生の言
っていることを、ノートに書き写すことが授業だったらしいが、今では、
実験、実習、討論、発表など、様々な形態から授業が成り立っている。
このことからも、自律性が求められていることがわかる。服などと同じよ
うに、授業も、社会のニーズに合わせて変わっていっていることがわ
かった。
教育・ 2 ・女 旧制の学校という点が興味深かった。やはり文化も制
度も変わっているし、話を聞ける近親で高等学校や、大学まで通って
いた方は無かったように思うので、純粋に興味深かった。今のように
全入時代であるわけもないし、生徒の気構えや意欲もまたちがって、
生徒一人ひとりが勉学への自発的欲求が強いとおもっていた。確か
にそうに違いないが、遊び心もあるというか、まったく根っからの真面
目学生というだけでなく、生活の中に娯楽があり、また娯楽にも一生
懸命であると言うのは正直あるべくして合ったような気もする。常時気
を張るというのもまたそっけないし、続けられないという気質のはある
意味昔から変化していないのではないかと思えるからだ。旧制の時代
から戦争を経て、体制が変化していくうちになくしているものも多いと
は思うが、変わらないものがあるということは、日本人の気質とも言え
るのではないのかな、とも思える。さしずめ、真面目で勤勉ではあるけ
れども遊び心を重んじるといったところだろうか。
教育・ 2 ・女 旧制高等学校のすさまじさを知った。昔の大学生は自
分の学校にプライドを持っており、試合においても学校を背負って出
場しているのだということを実感した。映画の映像は非常にわかりや
すかった。特にストームの様子がよくわかった。新入生と先輩とのやり
とりはリアルなものであり。先輩の言うことは聞かなければならないとい
う空気も昔ならではのものだと感じた。現在でも先輩を重んじることは
たびたびあるが、当時の厳しさと学校を愛する生徒の様子が伝わっ
てきた。
教育・ 2 ・女 個人的に、広島大学に限らず昔の学生の生活には興
味があったので、最後のビデオは真剣に見させていただきました。今
も昔も、お酒を飲んだり学生同士でたわいのないおしゃべりをする点
では全然変わらないんだなと思いました。昔の学生はこういう服を好
んで着ていたとか、こういう歌が流行っていたということを聞いて、今
の学生と比べるのはとても興味深く、こうして学校を形成する学生の
雰囲気や精神も移り変わっていくんだと感じました。
教育・ 2 ・女 広島大学の昔の写真を見て、昔の姿はどこの学校もあ
まり変わらないように感じました。他の学校にはない広島大学しかな
いといったものが見てみたかったです。今も広島大学は教育学部が
有名なだけあって、教育の専門的な学校が集まってできたのだと感じ
ました。昔も今も学生はお金がなくアルバイトをしているのを知りまし
た。勉学に励みたいという気持ちは昔も今も変わらないと感じました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
教育・ 2 ・女 今回は新制大学の学生生活を中心にした講義を受け
ましたが、今日の私たちの学生生活とかなり異なっていて、彼らが同
じ大学生だとは思えませんでした。特に、当時は学生運動にたくさん
の学生が参加していて、それなりの力を持っていたことは、現在の生
活からは想像できなくて、見ていて少し不思議な感じがしました。また、
昔の学生は今日の学生に比べて愛国心や自分の郷土に対する想い
がとても強いと思いました。今日でも広島大学には様々な都道府県
から学生が集まっていますが、郷土愛は薄れてきているような気がし
ます。映像を見ていて、現代では失くなってしまったものが、昔は確
かに存在していたんだと思いました。確かに広島大学は 1 つの大学
であり、それは建学の精神にもなっていますが、郷土愛は持つべきも
のだと思います。それぞれ個人が誇れるものがあるからこそ、広島大
学という集団になったときにさらに強い結束が生まれるのではないか
と思いました。私はあと 2 年半の学生生活が残っています。もうすぐ
折り返し地点だと思うと焦る気持ちもありますが、今回の講義を受けて
もう一度自分の学生生活を見直してみたいと思いました。
教育・ 2 ・女 広島大学は多くの前身校があり、それぞれの伝統をし
っかりと引き継いで見事に統合された学校であるということがわかった。
また同時に、それだけ有名で優秀な人材が集まる学校が、この広島
に多数存在していたことも知ることができた。また映画で実際に当時
の学生の様子も見ることができて、とてもわかりやすかった。当時の学
生は、今の学生よりも、自分の学校や出身地に対して、とても高い誇
りを持っていたということが窺い知れた。興味があるこで、今度借りて
見てみたいと思う。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学は戦後日本の大学の
中で、最も多くの前身校をもつ大学であることを知った。前身校がたく
さんあるので、前身校それぞれの特徴をまとめ、一つの学校にするこ
とはとても難しかったと思う。また、資料の学生の気質というところから、
今の学生も昭和三十七年の学生もあまり変わらないなぁと思った。大
学四年間はなりたい職業に就けるかどうかに直結していると思うので、
一日一日を大切に過ごし、充実した大学生活を送りたい。
教育・ 2 ・女 今も昔も変わらない部分はあるのだなあと感じました。
昔の学生はすごく真面目で、今の学生の風景なんて考えられないよ
うな感じだと思っていました。また、ライバル校の関係などは、現在の
大学間においてそのまま見られるようなものではないかなあと思いま
した。またそれぞれの前身校にはそれぞれの役割・特徴があったの
だなあと思いました。これからの学生生活において、しっかりと自分の
気質を理解し、広島大学の学生と言われても恥ずかしくない学生生
活を送りたいと思いました。
教育・ 2 ・女 当時の学生たちの写真を多く見ることができてとても興
味深かった。当時の学生たちは寮の中で窮屈な生活を送っていたの
かと思っていたのでストームなどのことを知って、当時の学生たちの
生活は私が思っていたよりもとても充実していて、勉強だけに一生懸
命になっていたのではなく仲間たちと友情を深めながら生活していた
んだなと思った。私が所属する教育学コースでは「山男の歌」を新歓
や追コンで歌うという伝統があるので特に今回の講義は興味深かっ
た。
教育・ 2 ・女 今回の授業では,寮での上下関係や,ストームといっ
た恒例の行事が行われていたことを知り,やはり伝統というものは時
代とともに変化したとしても何かしらの形で受け継がれるものであるの
かと思いました。学祭でも何かしらの伝統があるのではないかと思い
ました。さらに,現在,広島大学の校歌はありますが,それが毎回変
わるということはありません。しかし,昔は,学生が作ったりしていたと
知り,学生が,大学の雰囲気を作っているということが伝わってきて,
すごいことであると思いました。今は,大学の校風に合わせて,学生
が生活を送っているように感じます。だから,私たち学生は,もっと学
校を構成する重要な要素として,行動をとるべきであると感じました。
教育・ 2 ・女 広島大学は、戦後日本の大学の中で、最も多くの前
身校を持つ大学だったなんて知りませんでした。とてもびっくりしまし
た。また、広島文理大学は日本で二つしかないうちの一つだったの
で広島大学の方向性を特徴づけた教育機関だったんだと思いました。
教育学部の一角に石碑が建っているのは知っていたけれど、何の石
碑かよく見たこともないし、考えたこともなかったけど今回の講義で不
動心の石碑だったことを知って驚きました。教育学部なのにこんなこ
とも知らなかったんだと思うともっといろんなところに目を向けて、昔の
こともいろいろあったのでこれから調べていこうと思いました。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて一番印象に残ったのは、ビデオ
の中の言葉でした。新入生が自己紹介を始めた時に、「天才的なば
かになれ。」、「ばかの天才になれ。」と言われていて、とても驚き、衝
撃的でした。あとから、それが高等師範学校の理念だったと知ってさ
らに驚き、天才とばかという相反する意味の言葉を一緒に使っている
ので、ここでいう「ばか」とは何なんだろうと思いました。また、寮での
先輩と後輩の会話では、先輩から「部屋を出るときは袴を着る。(ふん
どしなら袴を着なくてもよい。)」といわれ、後輩は不条理さを知るという
場面があり、今でもこういった不条理さはあると思いますが、昔の方が
より多く理解のしにくいものがあったのではないかなと思いました。
教育・ 2 ・女 授業を受ける前に、今日の授業のテーマを見て予想し
ていた内容と実際の授業の内容は違いました。授業を聞いていると
やはり現在の大学生と昔の大学生は何かと全然違いました。まず昔
の学生は今の学生たちより断然上下関係が厳しいと思いました。その
分上下のつながりも強いのかなと思いました。あと、昔の男女の関係
や関わり方も全然違いました。大学での日々を私たちの人生でとても
かけがえのないものにしていくために毎日を大切に過ごそうと思いま
した。
教育・ 2 ・女 今回の授業を受けて 1 番に思ったことは、昔の学生も
勉強ばっかりしているわけではなかったということです。将来国家を背
負う官僚になるような学生が通っていたと今まで授業で習ってきて、
私はそのような学校に通っているのだからいつも身なりをきちんとして
勉学に励んでいたのだろうと想像していましたが、今回の授業内容や
写真、映画などを見て、今よりももっといたずらをしていたり、紛争を起
こしたり、ストームを行ったりと様々な勉強以外のことも行っていたの
だなと思いました。天才的な馬鹿になれ、この映画のセリフがとても印
象的でした。
教育・ 2 ・女 寮での生活が信じられなかった。相当なアルハラをし
ていた。本当にばかなことばかりしていて、でも勉強はできるというの
が面白かった。「大きな馬鹿になれ!」という言葉が印象に残ってい
る。エレベーターの女の人とのやり取りのところで、「いたずら」をした
というのがどういうことなのかよく分からなかった。「エレベーターに乗
ったら履物を脱いで、お金を払う」というようなことを教えられていたと
いうことだと個人的には思っているが、合っているのか分からない。野
暮な解説を聞きたかった。
教育・ 2 ・女 今回の講義を通して、また新しいことをたくさん知ること
ができました。広島大学では、 9 つもの包括校を持ち、戦後の日本の
大学の中で、最も多くの前身校を持つ大学であることを知り、すばら
しいと思いました。また、付属学校をたくさん持っているので、教育学
部生が実習を通して学んでゆくのには、とても最適な環境だなと、改
めて思いました。そんな最高の環境にいるからこそ、自分の夢に向け
て、努力を怠らず、勤勉し、学問を修得していきたいと思いました。
教育・ 2 ・女 旧制学校や、新制大学での学生生活は、今とは随分
違っていると思いました。授業の受け方だけでなく、服装や寮生活な
ども独特で、当時は今よりも大学生も少ないのもあるし、世間でとても
目立っていたのではないかと思いました。
教育・ 2 ・女 新制大学の学生の生活を細かく知ることができるのか
と思っていたら、それだけでなく旧制大学の学生の生活についても知
ることができ、かつ比較できたことでとてもわかりやすくて、昔と今では
生活がずいぶんと変わっていると感じました。私がとても興味深いと
感じたのは、プリントにあった表です。昔の大学生より今の大学生は
単純にお金をたくさん持っているのだという風に感じました。けれども、
お金があるからといって贅沢をせずにお金の使い道はしっかり考えて
いくことが私たちには必要なことだと改めて思いました。また、広島大
学ゆかりの歌がこんなにたくさんあったことを知りませんでした。歌え
るようになりたいと感じました。
教育・ 2 ・女 家庭教師の基準給与を見て、やはり家庭教師の給料
はいいなぁと思いました。昭和 49 年でこの価格なら、今はもっといい
ですよね。最近バイトの給料のことなどで悩んでいるので、これがすご
く参考になりました。バイトも学生生活の割合を大きく占めるので。あ
と、広大生は他大学の人と比べて、あまり親に頼っていないことを初
めて知りました。やはり国立大だから、私立大よりも裕福な家庭の子
が少ないのですかね。また、あまり親に迷惑をかけないようにしようと
いう意思の表れだと感じました。
教育・ 2 ・女 今回の講義は、昔の広島大学生の学生生活ということ
で、いろいろな資料が載せてありましたが、どれを見てもやはり昔と今
は本当にぜんぜん違ってて、時代の流れはすごいなと思いました。
写真を見てみても、髪型も違えば服装も今とはまったく異なっていて、
見ていたらなんか面白かったです。今現在の私たちの生活がどれだ
け豊かになっているかがよくわかりました。今はこの東広島キャンパス
が主となっていますが、東千田キャンパスの広島大学も経験してみた
いです。
教育・ 2 ・女 私は今回の講義を受けるまで、「苦学生」という言葉が
あるように学生は比較的お金を節約しながら過ごしていたのではない
かと思っていたのですが、実際は思っていたよりものびのびと過ごし
ていたという事に少し驚きました。また、上下関係の厳しさも独特で、
講義の最後に視聴した映画は脚色等もあるとは思いますが当時の特
徴的な学生生活が感じられたように思います。服装が学生服から普
段着のラフな格好になり、食事も徐々にバリエーションが増え、学生
自身の勉強に対する姿勢なども徐々に変化してきたのだということも
わかり、面白さを感じると共に私たちは今の状態でいいのだろうかと
いう疑問も出てきました。残りの 3 年間の学生生活をより豊かにし、多
くのものを得る為に、今後も楽しみながらも努力していかなければなら
ないと感じました。
教育・ 2 ・女 現在の大学生の印象はというと、時間があり、アルバイ
トをしたり、友人とお茶をしたり、時には勉強をしたりと比較的自由で
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あると思う。しかし、昭和初期の大学は全く異なり、勉強に励み、現在
とは全く異なる雰囲気であると思った。また、学生の私生活について
であるが、賃金は違えど、どの時代にも学生はアルバイトをしながら
生活費を稼いでいるのだなぁと思った。
教育・ 2 ・女 以前の広大生の学ぼうという姿勢やアルバイトの内容・
状況を知って、時代が違うということもあるが、それにしても今の広大
生の一人である自分は甘えているなと思った。勉強もアルバイトもた
いしてしていない割りに部活や遊びには積極的で楽しんでばかりだと
改めて気づかされました。このありがたい状況を有効に活用できるよう
に頑張ろうと思いました。
教育・ 2 ・女 昔の講義は学生側がすごく努力しないといけなかった
のかと思うと今の大学は至極親切設計だと思った。昔の寮生活は世
の中の不条理を学んでいく上で重要だったのかもしれないのかと思
った。先輩と後輩の関係や、教授と学生の関係など昔は本当に縦社
会というか権威主義で大変だと思った。昔の学生は歌を作ってみん
なで歌って絆というものを深めている印象がする。今の学生は音楽は
周りと自分を隔てるためにヘッドフォンとかで聞いているので何から何
まで昔と今は違うのだということを感じた。しかしみんなでばか騒ぎし
たり、安い学食のご飯を食べたり変わらないところもあると思った。
教育・ 2 ・女 今回「広島大学の学生生活」について講義を受けて、
昔の広島大学の学生は、学生生活を存分に楽しみながら勉学にも励
んでいた様子が伺えた。ビデオを見て分かったように入学当初は緊
張して礼儀正しく硬い感じでいたものが、先輩たちと触れ合う中で楽
しみを見つけ勉学以外にも熱中できる部活動などで日々充実してい
たことが分かった。これは今の広島大学の学生にも同じことが言える
と思う。「バカの天才になれ!」の言葉のように、大学生活の中で今で
きることを存分にやり、多くのことに挑戦していきたいと思った。
教育・ 2 ・女 ナンバースクールへの執着や誇りって凄かったんだな
と思いました。途中で見た映画がありましたが、とても高校生には見え
ない風貌、生活をしていてびっくりしました。当時、飲酒が堂々と寮の
中で行われていたことなどが特に、昔の学生のイメージとかけ離れて
いたので驚きました。今の学生はいろんな意味で当時の学生たちより
のんびりしていると感じました。
教育・ 2 ・女 高校時代までと比べて、かなり自由な生活である大学
生活は、過ごし方によって大きく違ってくると思う。現在は、大学周辺
にも店がたくさんでき、時間を使うことができるが、昔、何もなかったと
きは、どうやって過ごしていたのだろうかと考えると、映像にもあったよ
うに、お酒を飲んでいたのかなと思った。寮での生活に関して、今は
個人個人の部屋があるが、 8 畳 20 人で共同生活をしていたと聞い
て、驚いた。大人数で話したり、食べたり、飲んだりするのは楽しいが、
一人になる時間も大切だと感じるので、共同生活はきついと思う。あと、
自分たちで歌を作って騒いでいるのが面白いと思った。大学生活は
時間があるのでいろいろなことができる。何をして過ごすかによって、
卒業後の生活も変わってくると思う。授業はもちろんのこと、バイトや
サークル、友達との付き合いなどでも学ぶことは多い。時間があるうち
にいろいろなことを経験し、将来についても真剣に考えていかなけれ
ばならない。時間があるようで、 4 年間はあっという間だと思うので、
無駄にしないような生活を送りたい。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、昔の学生が校歌を作ったという
ことを初めて知りました。入学式に 1 度しか聞いたことないけれど、自
分で歌を作るなんてすごいなと思いました。今日の講義の中で家庭
教師をしている人が最近少ないとおっしゃられていましたが、私も高
校の時は家庭教師がしたかったのですが、今は飲食店で働いていま
す。近くに家庭教師の場所がなさそうだなと思ったからです。他の大
学に比べて、広島大学は周りに民家が少ない気がします。大学生同
士の関わる機会が多い一方で地域の人と関わる機会が少ないような
気がします。地域の人たちともかかわりあいながら大学生活を送って
いきたいと思います。
教育・ 2 ・女 昔の高等学校の映像(映画)がすごく印象的でした。な
んだか今より断然ちから強かったです。袴を着て男子!と言う感じで
した。女子の映像も見てみたいなあと思いました。かわって、昔の広
大生は、先生がおっしゃってたように、やぼったいような感じをうけま
した。勉強をしに大学へ通っているんだから、そんなの関係ないとい
った感じもうけました。いま現在の自分の生活(服装など)を考えると、
勉強をするためだけに学校へきている。とはいえない服装だなあ、と
少し反省しました。今回の講義では男子生徒の生活を知ることができ
たので、当時の女子生徒のことも調べてみたい!と思っています。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、昔の広島大学の学生が自分た
ちで校歌を作ったということを初めて知りました。また、講義の中で先
生が最近家庭教師をする生徒が減ってきましたとおっしゃりましたが、
広島大学のまわりに他の学校に比べて民家が少ないことが原因では
ないかと思いました。私も高校生の時は家庭教師のバイトがしたいと
思っていましたが、結局飲食店でバイトしています。広島大学は生徒
の数もとても多く、私も他の学生とのかかわりは多いです。しかし地域
とあまり関われていないのでこれからの大学生活では地域の人と関わ
っていきたいと思います。
教育・ 2 ・女 旧制広島高等学校のアルバムを見て、旧制高校とい
えば、明治期に設立された校名に番号ついた高校、いわゆるナンバ
ースクールが有名ですが、姫路と並び最も遅い時期に設立された官
立高校でした。旧制高校は、現在の高校とは違い男子のための高等
教育機関でした。学生も社会も旧制高校をエリート教育機関と意識し
ていました。ここに入るために多くの人が死にもの狂いで勉強してき
たのでしょう。入ってからでもアルバイトをしながらの生活。私も負けず
に勉強、スポーツ、アルバイトの生活を一生懸命がんばっていきたい
です。
教育・ 2 ・女 まず、広島大学が、戦後日本の大学の中で、最も多く
の前身校をもつ大学ということを初めて知りました。また、広島高等学
校や山中高等女学校など、広島大学の前身校の様子や、ビデオなど
を見て感じたことは、広島大学の現在の学生と昔の学生とではなにか
大きな違いがある、ということです。私もそうですが、現在の生徒のほ
とんどは自分の目標のためにただ講義を受け、ただ毎日を過ごして
いるといった感じがするのですが、昔の学生は、国を変えることや自
分や後輩達がどうあるべきかを考え、行動し、大学で様々なことを学
んでいたなど、その意識の高さに驚きました。この講義を期にこれか
らの自分の大学生活をもう一度きちんと考えたいと思いました。
教育・ 2 ・女 まず主な広島大学の前身校の説明では、ひとつひと
つの学校の特徴を知れてとてもためになりました。講義を受けるたび
に、わたしたちが通っているこの広島大学の歴史を私自身よく知らな
いことを思い知らされます。他にも授業や課外活動の風景、学生街・
大学祭の変化などとても興味深いものばかりで面白かったです。学
部歌が多すぎると感じました。はたして私のこの大学生活はこれから
の一生で価値のあるものなのでしょうか。濃密な 4 年間だったな、と
振り返りつつ卒業できるよう、充実するよう努めて学生生活を送ってい
きたいです。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島高等学校を中心とした過
去の学生生活がどのようなものかをみることができたので、大変興味
深かった。また、最後に見た「北辰斜めにさす」では映画なので多少
誇張されたところがあるにしても、旧制高等学校の学生生活を映像で
見ることができて、おもしろく、またイメージがしやすくなった。そのな
かで「バカの天才になれ」という言葉は大変印象的であり、学生のうち
にいろいろなことに挑戦し、学生時代にしかできないようなたくさんの
経験をつんでおきたいと思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けてみて、広島高等学校などの旧制
の高等学校における生徒たちの生活の様子などを垣間見ることがで
きた。今と比べた場合、現在の生活のほうが、便利で、過ごしやすい
面も多いが、近所の人や地域との交流の面など、失われた面もいくら
かあると感じた。最後に、「北辰斜めにさす」という映画を見てみて、ス
トームや、立てこもりなど、自分たちの年代からは、想像もできないくら
いことを、まじめに、熱くできていたことを知り、驚いた反面、そういうこ
とに打ち込めるということが、少しうらやましく感じた。
教育・ 2 ・男 今回の講義の中で感じたのは、広島大学の学生の仕
送りの平均は全国平均に比べて低いのに驚きました。でもよく考えて
みたら、東京や大阪などの大都会の大学に通っている学生より、広
島大学の学生が仕送りが低いのは当然だなと思い直しました。自分
は東京や大阪に通っている学生より少し親孝行をしているなと思いま
した。あと、資料に広島大学歌がのせてあったんですけど、広島大学
歌は入学式のときしか聞いたことがなかったので全然覚えていません
でした。でも自分の通っている大学の歌くらいはきちんと覚えていた
方がいいと思うのでちゃんと覚えたいと思いました。
教育・ 2 ・男 旧制学校の生活では、広島高等学校と広島女子高等
師範学校といったことから、当時はまだ男女の社会的な平等が確立
されていなかったのだろうと思った。また、広島文理科大学が東京文
理科大学とあわせて日本に二つしかない大学であったことはその当
時から広島が主要な都市であったと考えることが出来た。また、大学
の校歌がなかったことから生徒たちが自分たちで大学にゆかりのある
歌を作ったのは、自分たちが在籍する大学に誇りを持っていた証拠
だと思う。そのことは見習い、これからの私自身の学生生活を実り多
いものになるように参考にしたい。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、昔の大学生も遊んだり勉強した
りと、けじめをつけた生活をしており、遊びの内容や勉強の環境、ファ
ッションこそ違えど、基本的なスタンス、学生の心情は今も昔も何一つ
変わっていないんだなということが分かり、昔の人達に親しみを持つ
ことができました。また、昔の旧制学校における学際の名前が「ストー
ム」だというのを聞き、ひょっとすると、今の教育学部際「 E -ストー
ム」のストームはこのストームからきているのではないか、と思い、こん
なところにも前身校と今の広大との繋がりがあるのか、と感慨深い気
持ちでした。
教育・ 2 ・男 テーマが「広島大学の学生生活」という今回の講義を
受けて、広島大学の学生の生活を旧制学校の頃から多くの資料を通
じて学習してみて、大学生の生活が時代とともに衣食住が変遷して
いく様子に驚いた。また教育学部で行われる大学祭である E ストー
ムのストームの由来がわかった。当時の大学生の生活をみてみると、
大学の伝統(決まり)を大切にしたり、自分たちで校歌を作曲し、そして
- 693 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
それを歌ったりするなど、現在に比べて、学生が自分の大学をとても
誇りにしていることに気づいた。自分たちも広島大学の学生であるこ
とを再認識し、この大学生活を自分の人生にとって価値あるものにし
ていかなければならないと思った。
教育・ 2 ・男 大学が歴史の流れで代わっていっても、学生生活に
はあまり変化はないだろうと思っていたが、講義を聴いてとても変化し
ていることがわかり、驚いた。仕送りやアルバイト賃金の推移、家庭教
師の基準、生活費もこんなに変化するんだなと思いました。
教育・ 2 ・男 今回の講義はいままでに何度か軽く触れてきた前身
校をいろんな角度から視点を当て、現広島大学にどのような影響を
与えた教育機関か詳しく説明がなされていて、いままでの知識をさら
に深めることが出来た。その中でも広島大学は、最も多くの前身校を
持つ大学であるという事実にとても驚いた。今回は旧制大学と新制大
学を対比して講義が進められていたのでとても理解しやすかった。対
照関係を引き合いに出す工夫は教育学部の学生として今後こういう
工夫ができるようにしたい。講義を通して、いままでの自分の学生生
活を振り返るいい場を持つきっかけになったし、残り二年半の学生生
活をより良いものにするためもっと邁進していきたい。
教育・ 2 ・男 今回は旧制学校の生活から、現在の新制学校に至る
までの学生生活の変遷についてよく学ぶことができた。私はその変化
する学生生活の中でも、旧制広島高等学校の学生生活のあり方につ
いて、大変驚いた。それは、将来エリートになるはずの学生たちが高
等学校時代はバカ騒ぎをしていたからである。しかも、周辺の住人た
ちはそれを受け入れていたということに更にびっくりした。私は、この
風潮は今の大学にも多少なりとも受け継がれているような感じを受け
ている。それは、今の学生(勿論全員ではないが)にも就職して制約を
受ける前に、大学時代はとことんバカ騒ぎしたり、遊んだりしようという
風潮があるように感じるからである。しかし、昔と違うところは周辺の住
人たちがこの風潮を必ずしも受け入れるとは限らない、むしろ日常生
活に支障をきたすので迷惑に感じているというところではないだろうか。
私は、時代は変わったのだから、いつまでも昔のままではいけないと
思う。今の時代にあった学生生活を営んでいく必要性がある。
教育・ 2 ・男 まず、これは広島大学だけに限らないが映画を見て当
時の学生生活、特に寮などにおける先輩との関係が今も変わらず伝
統的に受け継がれていると感じたし、新入生を迎えてのストームなど
から現在教育学部で行われている E ストームの由来がよくわかった。
また広島大学の学生は当時からまじめだと感じた。バカの天才にな
れ、という言葉がすごく印象に残っているが、学生時代にしかこういう
経験ができないし、年齢的には大人であるのに大学生は比較的自由
であるのでこれを生かしていろいろな経験を積んでいきたいと感じた。
教育・ 2 ・男 今回は、「広島大学の学生生活」がテーマ。昔の学生
はどのような学生生活を送っていたのか、今の自分たちの生活とどの
ような違いがあるのか、という点に注目した。授業環境は昔は小規模
だったそうだ。教壇に立つ先生の話すことをノートに書き写す、それ
が唯一の教材となる。プロジェクターなどのコンピュータが授業に導
入されたのはここ 20 年だそうで、昔の学生の大変さを感じた。アルバ
イトの面からすると、家庭教師が最も多かったそうだ。広島大学が「教
育の西の総本山」と呼ばれていることとも関係があるのかもしれない。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、昔の広島大学の学生生活と、
僕たちの学生生活には大きな違いがあることを知り、驚きました。昔の
広島大学では、学生生活は卒業してお偉いさんになる前の最後の羽
目をはずす時間という位置づけとなっており、学生たちは好き放題に
キャンパスライフをエンジョイしていました。特に、寮の 2 階から小便
をしていたというのは、今の時代では考えられないことなので、とても
驚きました。今回の講義で昔の学生生活について知ることができて大
変よかったと思いました。
教育・ 2 ・男 将来はエリートコースが約束される学校に通う学生た
ちも、私たちのようにやんちゃなことをやっていたので安心した。私も
もっとやんちゃな事をしてもよいのかなという気持ちになった。いつの
時代も学生のノリは変わらないのだなと思った。教育学部祭の名前が
「 E - storm 」というのは「ストーム」をもとに作られたのではないかと
気づいた。寮生活ではしきたりや先輩の言うことが絶対というのが恐
怖に思えた。その点では今の時代のほうがすごしやすいと思った。私
は一人暮らしをしているのだが、正直な話、寮に忍び込んで寮雨を
降らせてみたいなと思った。
教育・ 2 ・男 広島大学の学生生活について学んだが、現在の私た
ちの学生生活と、旧制学校時代などの過去の学生生活とでは大きな
差があることを実感した。授業ひとつにしても、現在の学生の中には
居眠りをしたり、真面目に授業を聞かずに私語をしたり、授業とは関
係のないことをするといった人が多いように思う。それに比べて、プリ
ントの最後にあった旧制広島高等学校創設期のアルバムの写真から
もわかるように、学生は一生懸命に授業に取り組み、自己の向上に
全力をそそいでいるのが伝わってくる。これこそ本来あるべき学生の
姿であると感じたと同時に、見習っていかなければならないと思った。
教育・ 2 ・男 今回の授業で興味を持ったことは昔の広島大学の生
徒の生活状況であった。父兄からの仕送り額や学生アルバイト賃金と
かである。でも特に興味を持ったのは昭和 48 年度卒業生の就職先
でした。昭和 48 年度卒業生の就職先の内わけは男子では大企業、
高等学校の教師、官公庁の順番で就職しており女子では小学校の
教師、高等学校の教師、大企業の順番で就職していた。女子が教師
の道を行く人の割合が多かったのにはびっくりした。男子の方が多い
と思っていたからだ。
教育・ 2 ・男 今と昔とではやはりかなり生活が違ったようだ。ほんの
20 年前でさえ、今とはくらべものにならないほどこの辺りはなにもなか
ったみたいである。広島大学が持つ前身校の数が、戦後の日本で一
番多いということにとても驚いた。前々から前身校の話はよく聞いてい
て、数も結構あるんだなぁと感じてはいたが、日本一とは驚いた。あと、
配布された資料に載っている広島大学ゆかりの歌であるが、こんなに
もあるとは正直驚いた。中でもラグビー部の歌というものがあることに
驚いた。機会があるならば、ぜひ聞いてみたいと思った。
教育・ 2 ・男 「北辰斜にさすところ」という映画を見て、非常に感銘
を受けました。今年入ってきた新入生はどうにも礼儀をわきまえてい
ません。全く映画の様になればいい、とまでは思いませんが、私を含
め先輩方も気にかけています。ですが放っておくと彼らの為にならな
いので一度話し合いの場を設けようと思います。話が逸れてしまいま
したが、次に「ばかになる」という言葉に強く惹かれました。私が中学
生のころ、「ばかになる」ということを目標に授業をされていた音楽の
教師がいました。今後私も「ばかに」なれるかどうか、意識して生きて
いきたいです。
教育・ 2 ・男 これまでの授業は戦争が終わってから、新生広島大学
がどのようにしてできて、どのように変わっていったかを学んできたが、
今回はそんな広島大学の周りの環境を学んだので新鮮でした。広島
高等学校や女子高など、私が住む広島の高校はこのようにしてでき
ていったんだなととても興味を持って授業を受けることができました。
また、広島の学生の様子の変化を学んで、おもったより変わってなか
ったことにも驚きました。
教育・ 2 ・男 広島大学の学生は仕送りの額が全国平均に比べて少
なく、支出額も全国に比べて少ない。やはり地方の大学なので中央
の大学に比べて物価が低いのかなと思った。親にとっては広大に行
ったことはよかったのかなとも思った。けれど、その分大学で学んだこ
とが都心の大学より質が低いと言われないように、頑張りたい。最近
は、学年が上がり広大に慣れたということもあり、少し怠け気味な部分
もあるように思えるので、また入学当初のように気を引き締めて有意
義な生活を送りたい。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて特に印象深かったのは授業中に
見た実際の話を元にして作成された映画の中での、「大学」という機
関に対する現在と昔での学生の考え方の大きな違いです。過去の学
生は、自分が家や地域、そして一国への責任すらも負っているという
壮大な義務感を負っており、衝撃を受けました。それに対して現在の
が学生は、自分が代表といった感覚はないように思えますし、どちら
かといえば大衆の中の歯車の一つである、といった消極的な民主主
義の中に埋もれている気がします。現在の荒んだ世の中には過去の
一つの筋の通った革新的かつ、自分たちの国に対して愛国心という
名のどこか保守的な態度を持つことが必要なのではないかと思いまし
た。
教育・ 2 ・男 学校同士のぶつかりあいや、入寮時の行事などを DV
D で見て、すごく興味深かった。今ではあまり考えられないことだけど、
昔はライバル意識がすごく強くて、学校同士の争いがしょっちゅうあっ
て、政治的な争いに発展することも少なくなかった。そんな中での学
生の心境はどんなものだったのだろうか。入寮してすぐに酒を飲まさ
れたり、トイレに行くのも制限されたりと、上下関係がすごく厳しかった
時代で、今とは全く違う環境で生活するのもおもしろいことだと思う。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、どのような学生生活を送ればよ
いか、改めて考えさせられた気がする。過去の広島大学の生活をみ
ると、やはり現在の私たちの大学生活とはさまざまな点で異なってい
るということに気づく。例えば、服装であったり、講義があるとき以外の
過ごし方であったり、講義自体のあり方であったり。これらをみると、過
去の広大生がどのようであったか、イメージすることができ、同時に今
の私たちとどのように異なり、どうあるべきなのか考えさせられる。そう
考えることで、この 4 年間を充実したものにすることができると思う。
教育・ 2 ・男 ビデオで昔の学生生活を見て、今よりも規律や上下関
係が強いなと感じました。服装もいまはみんなそれぞれ自由というか
んじですが、昔の学生たちの服装はみんな似ていて、その面でもい
まとは違うなと感じました。校歌を自分たちで作ったりと昔の学生たち
は自分たちに比べてアグレッシブだと思いました。大学での生活は、
最後の学生生活となるので部活に勉強に励んで実のある大学生活を
送りたいと思います。また、大学生になって一人暮らしを始めました。
家事をもっとできるようになったりと生活面においても成長していきた
いと思います。
教育・ 2 ・男 戦後の広島大学の学生は今の僕たちと違って厳しそう
な感じがした。師範学校では卒業後は必ず教師にならなければなら
ず今のように教職課程を取れば教師になれるようなものではなかった。
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卒業アルバムからの写真を数枚見たが今の大学生とは少し違う雰囲
気があった。きちんとした授業で、周りから固められているような漢字
さえした。いかにまじめであるかが昔では勝負の分かれ目だったそう
だ。図書館の風景にしてもみんな机にかじりつきものすごくまじめに
勉強をしているように思えた。朝会のときもきちんと一列に乱れなく並
んでいて今の学生では少し難しいと思った。・
教育・ 2 ・男 僕は、まず、「広島大学は、戦後日本の大学の中で、
最も多くの前身校である。」ということに対して驚きました。驚いたとい
うか、とても意外に感じました。こんな田舎で山中なのに、 9 つもの包
括校があったからです。あと驚いたのは、生活費に対するアルバイト
賃金の低さです。昭和 29 年で考えると、家庭教師をしている人でも、
月給の 2 倍以上の生活費がかかってしまっています。当時の人は、
遊んだりしていなかったのかと思い、また、今はちょっと恵まれすぎで
はないか、とさえ思いました。
経済・ 2 ・女 今回の講義を受けて、現在の学生と昔の学生との違
いに驚きました。最も印象に残ったことは、昔の学生のほうが現在の
学生以上に自主性や野心をもっているなと感じました。例えば、現代
の学生が自ら校歌をつくるようなことは、なかなかないことです。現代
の学生の大半が、何の目的ももたず、毎日を過ごしているのに対し、
昔の学生は自ら目的を持ち、意欲的に日々をすごしているようでした。
同じような年齢であるのに、なぜこうも違うのでしょうか。これからは、
私も自分の生活を見直し、学生生活が充実したものになるよう努めた
いと思います。
経済・ 2 ・女 今回の講義を聞いて、やはり最初のころは男子学生が
多かったのだなあと思いました。今は、ほぼ男女平等になり女子でも
大学に進学し勉強できるのがとてもうれしいと思いました。また、昔は
寮に住んでいる学生がほとんどで、入寮式などがあったのだと聞き、
少し驚きました。私のイメージでは、民家に 2 ・ 3 人で下宿をして学
校に通っているというものでした。だから大半が寮に入っているなん
て、大学というよりも少し高校のようだと感じました。今は一人暮らしを
している人がほとんどなので、学校以外での生活も昔とはぜんぜん違
うものになったのだと思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学が旧制広島高等学校だったころは、男子の
ための高等教育機関であり、エリート教育機関とされていた。高等教
育機関とはいえ、実質的には大学の予備軍として機能していて、旧
制広島高等学校の卒業生も東京・京都の両帝大への進学者が高く、
評判は高かったようだ。熊本大学の当初の学生の様子を映画化した
ものを見たのだけれど、生徒はいたって真面目で、男子校なので女
子とのかかわりもなかったようだ。その様子が、今の私の大学生活と
比べると大きく異なり驚いた。大学生活において遊ぶことも大切だと
思うが、昔の勉強熱心な生徒を見習い、真面目に勉学に励むことも
大切だと思った。
経済・ 2 ・女 広島大学の前進校については以前の授業で学んだの
で、知っていましたが、そこで学ぶ生徒についてはまったくしりません
でした。ただ、自分のイメージとして、かつては学校に行くのは裕福な
家庭だと聞いていたため、裕福な家の子供が多くいるのだろうと、漠
然と思いました。最後に見た映像で、今の私たちとはまったく違う生
徒であったことがわかりました。ビデオにでてくる生徒は、自己紹介 1
つとっても私たちとは違い、声の大きさ、また、やる気をかんじました。
私たちは当たり前のように大学にはいり、ただ何気なく学んでしまって
いるように思いました。
経済・ 2 ・女 今回の講義を聞いて、やはり現在の私たちの生活に
おける価値観のようなものと、旧制学校の学生たちのそれとは、大きく
違っていたのだと思いました。しかしながら今までは、昔の資料等でも、
真面目に学ぶ姿や制服をきっちりと着ている姿など、どこか堅苦しい
印象を受けることが多かったので、蛮柄といった服装や寮生活の中
での遊びなど、流行や考えの違いはあっても、少し現代に通じるとこ
ろがあり、旧制学校の学生たちに対して親近感に近いものを感じまし
た。また、このように比較する良い機会を生かして、今の生活を見直し
てみようと思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学の学生生活ということで、今回の講義は旧制
広島大学の学校の様子や、旧制から新制広島大学への変遷を学習
しました。戦前、広島大学の包括校であった広島高等学校は姫路高
等学校と並び、日本で最後に設立された官立高等学校であり、大学
の予備教育機関として役割を果たしていました。また、同じく広島女
子高等師範学校は東京、奈良に続く日本で 3 番目の女子高等師範
学校として設立されました。ほかにも、私立山中高等女学校、広島文
理科大学など現在の広島大学の前身校として活躍しましたが、帝国
大学の設置はかないませんでした。私たちのずっと昔の先輩方の学
生生活を振り返ることで、わたしは、ますます勉学に対する意欲をも
てたように思います。個人的には、自分の出身である熊本が大きく映
画で取り上げられていて興味をそそられました。
経済・ 2 ・女 今回の授業では、広島大学のキャンパスの変遷等に
ふれていき、それにともなう学生生活の変化を見ていった。現在の学
生は、細かく分けられた学部の中で、皆それぞれに目標を持ちまな
んでいるように思える。しかし、その行き着く先は、これからの社会に
あり、どのように自分の能力が生かせるか、であると思う。ビデオで昔
の映像を見せてもらったが、昔も今も変わらずに、この広島大学の学
生は社会へと羽ばたいて行くのだと思った。私もそうでありたい。
経済・ 2 ・女 映像という媒体を通して、当時の様子の輪郭を見るこ
とができた。私にとって、この大学生活四年間は人生を左右する大き
なものになると手ごたえを感じる。広島大学で学び得た知識はもちろ
ん、オリキャンや Gettogether などで培った信頼関係や助け合いの
精神は、今後就職した後も役に立つと思う。昔は経済的な面や性別
によって大学に進学することが困難な面が多数見られたが、今は奨
学金の制度や男女差別撤廃の精神の普及により、以前よりずっと大
学に進学しやすい環境が整っている。この時代に生まれたことを幸運
と思い、日々大学生活をかけがえのない充実したものにしていきたい。
経済・ 2 ・女 講義を受ける前は、学生の生活の様子が記されたもの
が残っているのか疑問に思っていましたが、絵や写真によって当時
の様子が残されており現在との違いを知ることができました。また、五
高と七高との対決を映画にしたものは、当時の様子がとても伝わって
きたのでわかりやすくてよかったです。そして広島大学が創立された
ころは本当に学問が中心の生活をしていたようで、現在の学生とはと
ても違うと思いました。それが学生としての本当の姿であり、わたした
ちも当時の学生を見習うべきだと思いました。しかし、現在はアルバイ
トやボランティアの経験など学問以外にも社会について学べる部分
があるので、その点については現在のほうが学生にとって状況は良
いのではないかと思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学は長い歴史をもつので、昔と今の学生には
様々な違いがみられました。まず大きく異なっていたのは、服装や髪
型でした。前身校では、制服を着用していたのに比べ、今は私服で
す。また、最近では、昔に比べて奇抜な髪型をする学生が多いです。
授業では、今は比較的大人数で授業を受けることが多いのですが、
昔は割と少人数での授業でした。それから、まだ広島大学が広島市
にあった時は、大学付近に学生街ができていたのに対して、東広島
市に移ってきてまだ間もないので、ここ西条にはまだあまりできていな
い気がしました。これから発展していってほしいです。
経済・ 2 ・女 初期の広島大学の学生生活について、先生の話を聞
くだけでなく、再現した映像も用意されていて、とてもわかりやすかっ
たです。私が最も興味をもったのは野球の応援の話で、自分が通っ
ていた高校ととても似通った点が多いと感じました。小倉高校も戦前
から続く歴史ある学校で、応援練習や寒中鍛練などが今も引き継が
れています。ただ、学生がどこかに立てこもるようなことはさすがにな
いので、昔は過激だったのだなぁと実感しました。
経済・ 2 ・女 広島大学は戦後日本大学の中で最も多くの前身校を
持つ大学である。そんな広島大学に通う私の大学生活はどうであろう
か。私が高校生の時の大学生のイメージといえば、サークルにバイト、
そして飲みがあり華やかで楽しそうなイメージであった。実際には、交
友関係は今までとは比べ物にならないほど広がり、浅く広くという感じ
であった。今は資格を取ることをがんばっているが、一度しかない大
学生活、悔いの残らないように今後の人生に価値ある学生生活をす
ごせるように心がけたいと思った。
経済・ 2 ・男 最初に旧制学校の学生生活と聞いて真っ先に、現代
の感覚では堅苦しく感じ、きっちりと統制されて落ち着いているイメー
ジが浮かびました。授業でもらった資料からは堅苦しさや落ち着きを
感じましたが、ビデオからは資料にあまり乗ることのない俗っぽい部分
や激しい部分が見られて非常に新鮮でした。個人的には、昔の行事
での現代以上に統制され微動だにしない参列者などの非常に落ち
着いたイメージがが強く頭の中に残っていました。しかし学生運動や、
ビデオであった学生寮同士・大学同士の戦いをはじめとするある意味
「力」に頼った動きがあったことを考えると、昔の学生生活、社会は動
きの振れ幅が大きかったのだと感じました。
経済・ 2 ・男 広島は昔かなり物価が低いとおっしゃっていて今とは
資料からも仕送りの額がかなり低いことに驚いた。全国平均と比べて
もその低さは歴然としている。また、行く高校によって大学まで振り分
けられるという話をきき時代を感じました。とくに、講義の最後にみた
鹿児島大学と熊本大学の二校間の争いのビデオは本当にこんなこと
はあるのかと疑問にさえ感じられた。現在の学生はそのような争いも
なく入寮の儀式などもなく平和に勉強にとりくむ体制が整っているな
た感じられた。昔とは違い制服ではなく私服で授業を受け、大学は自
由になってきているが学生の義務を果たさないといけない。
経済・ 2 ・男 ナンバースクール、ネームスクール・・・のようにピラミッ
ド形式で序列があるのが日本全体がそのようにエリート養成機関みた
いになってるみたいでおもしろいと感じた。きちんとした序列があるが
ゆえに、下の学校の人はその劣等感から上の学校の人に攻撃的に
なっているように感じた。しかも制服があるがゆえに、学生同士の見
分けがつきやすく学校間の闘争もそれなりに頻繁にあってたのでは
ないかと思う。授業の最後にみたビデオではまさにそのような映像が
流れていて、興味をもってみることができた。
経済・ 2 ・男 広島大学生の生活が少しずつ変化していってることが、
感じ取ることができた。私はある部活に所属しているので、課外活動
の風景がとても興味深かった。そして感じたことは、広島大学はもう少
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
し、体育会に援助のようなものを出してもいいんではないかということ
である。もっと環境改善を望んでいる部活は私のほかに大勢いるので
はないかとと思う。しかし、学生生活は勉強が一番大切なことなので、
私自身今後の人生で悔いが残らないように、切磋琢磨して文武両道
していかなくてはならないと強く感じた。
経済・ 2 ・男 昔の学生というのは、常に真面目でがちがちの優等生
というようなものとばかり想像していたが、 3 4 年になれば昼に起きた
りしているようだったらしい。そのような生活は現在の学生と共通して
いる点であると思う。それがすごく意外だった。アルバイトの賃金を見
ると、家庭教師をしていれば月に 12000 ~ 15000 の収入があるよう
で、月の生活費は下宿でも 7539 だった。そうすると倍弱のお金を趣
味だったり遊びに回せるということで、家庭教師をできる人はなかなか
リッチな生活ができていたようだ。広島女子高等師範学校はお茶の
水の前身や奈良女の前身の次ぐ女子高等師範学校だったが、もし広
島に原爆が落ちていなかったらそれらの女子大に次ぐ大学になって
いたかと思うと、少し残念な気がする。
経済・ 2 ・男 資料に目を通してみると、金銭的な面では貨幣価値が
違うので、見てもピンとは来なかったが、パチンコや麻雀に精を出して
いる一部の学生の存在は、今も昔も変わっていないなと思った。「現
代学生気質」にあったが、球型誘導確率学とは、言いえて妙だと感じ
た。学生祭は割と昔から催されていたのは初めて知った。今後の人
生に価値ある学生生活であることを祈るという最後の言葉には、身の
引き締まる思いがした。未来への糧となるようにしたいと感じた。
経済・ 3 ・女 全国平均に比べて広島大学生の父兄からの仕送り額
が少ないのが興味深いです。学生の就職先では、企業では圧倒的
に男が多いのに時代を感じたけど、教職に女の人がとても多いのに
驚きました。男女比はあまり変わらないものだと思っていました。それ
から「現代学生気質」がおもしろかったです。この頃から大学生の気
質は変わってないのだなと感じました。「三、四年生ともなると全く何
者かわからなくなる」という言葉にドキッとしました。自分なりに「価値あ
る学生生活」とはなにかを考えてみます。
経済・ 3 ・男 以前、この講義で「広島大学は戦後の大学では、最も
多くの前身校をもつ」というのは聞いていたので、結構すんなりと今日
の内容はついていくことが出来た。昔と今では、ライフスタイルや取り
巻く環境が大きく変わってしまっている。どちらの方がいいかは一概
には言えないだろうが、残りの約 1 年半の生活は、今後の人生に活
かせるよう、充実した日々にしたい。特に、最初の二年はほぼ遊んで
ばかりだったので、これからは真面目に就職活動に力を入れていき
たいと思う。
経済・ 3 ・男 私は広島大学が西条に移転していることはとても気に
入っている。その理由は東広島キャンパスには自然が豊かであるから
である。大学周辺は言うまでも無く、大学内にもこんなに自然がある
大学は広島大学くらいだと思う。大学付近を歩いていると小鳥がさえ
ずりとても気持ちがいい。また、地元の北九州市に住んでいたころは
鼻炎がひどかったが、西条に来て完全に治った。西条のきれいな空
気のおかげであろう。就職したらおそらく都会に住まないといけない
だろう。あと二年間、楽しい西条生活を満喫したい。
経済・ 3 ・男 今回の講義を受けて、まず一番印象に残ったことは昔
の学生たちが自分たちの手で何かを作り上げたり、時には行き過ぎ
ている行為をとったりと現在の学生と比べてはるかに我が強いという
か、世間に向かって自分たちを主張するような行動を積極的にとって
いるということでした。現在の学生にはないような熱さというものが旧制
時代の学生たちにはあったのだと思います。私も、そのままあのような
行動をするわけにはいきませんが、自分に自信を持って残りの学生
生活を楽しんでいきたいと思います。
経済・ 3 ・男 おもに旧制の学校の授業風景などだった。最後に見
た映画は何が言いたいのか正直よく分からなかった。やはり過去の学
校では今の学校とかなりの違いがあると思った。僕自身おそらく 50
年くらい前に広島大学(前身校などという意味)に入学していたら、そ
の学生生活に耐えられないだろう。
経済・ 3 ・男 当時の学生生活と現在の学生生活を比較することが
でき、今にはないものなど見えない部分を学習することができた。
経済・ 4 ・男 今回の講義は写真や映像が多く取り入れられていて、
講義に入り込みやすかったと感じました。私の小さい頃からのイメー
ジとしての大学の講義といえば、パソコンやパワーポイントを使った視
覚的なもので、まさに今回の講義にそのイメージが集約されていまし
た。しかしそれもこの 20 年くらいのことだといいます。民間にパソコン
が普及したときを考えれば当然のことなのですが、前述したような講
義が、大学におけるそれだというイメージが強かったので、考えもして
いませんでした。今回の講義で印象に残ったのは、学生の風貌の変
化と、学生寮における暮らし方です。多くの写真では、みな帽子をか
ぶっており、一昔前の漫画のガキ大将のような格好(蛮柄)などもあり、
時代の違を感じました。さらに、薫風寮で香るのは寮雨の香り、いや
臭いだったわけで、とてもユーモアを感じます。今の広島大学では見
られない光景です。そして、講義中に取り上げられた「猛虎 千里の
荒野を往きて還る」という言葉には心を打たれました。言論の自由す
らなかった戦時中における精一杯の友への言葉だったのでしょう。こ
れも戦争の悲しい遺産の一つであるのだと思いました。
経済・ 4 ・男 広島大学の前身校である数々の学校の、当時の学生
生活についてふれて感じたことは、格好などに違いはあっても、みん
なで集まってお酒を飲んだり、タバコをすったりと、やっていることは
変わらないな、ということでした。私はサッカー部に所属しており、タバ
コこそすわないものの、みんなで集まって先輩後輩と酒を酌み交わす
ノリというものは当時の学生に近いものがあるのではないでしょうか。
その点当時は、今で言う体育会系のノリを持っている人が多かったの
だろうという気がします。さらに資料に載っている「現代学生気質」とい
う文章に目を通して見れば「流川」や「麻雀」という言葉も載っていま
す。今回の講義では「こんなに変わったんだ」という感想を持つのだ
ろうとどこかで思っていましたが、どちらかというと、変わってないところ
に興味が向かいました。とても興味深い講義だったと思います。
経済・ 4 ・男 資料にある、山中高等女学校の卒業生である八木操
さんの遺品にとても興味を持ちました。入手困難で貴重な資料である
と感じました。僕にとって、八木操さんの遺品の中で最も興味深いも
のは「割烹筆記帳」です。この資料から読み取れることとして、八木操
さんは料理が好きだったこと、そして様々な料理を作ることに対し情
熱的な人物であったということです。八木操さんが山中高等女学校を
卒業された 1917 年頃は現在ほど男性と女性が平等な存在としては
認められていない時代であったと思いますが、学生生活を楽しむとい
う点においては同じだったのではないかと考えることができます。八
木操さんが学生生活を楽しんでいたということは資料から推測できま
す。どの時代においても学生が学生生活を楽しむことができることは
幸せなことではないかと思います。
工・ 1 ・男 旧制時代の生活を学んで思うに、今の状態になることは
一長一短ですね。確かに上下関係がフランクになったのはいいことで
すが、確執が完全に無くなったワケでもなく、地域との密着性なども
昔に比べて希薄になったと言わざるを得ません。生活水準は豊かに
なったかもしれません。しかし、その弊害が学生生活の随所に見られ
るのはこれからの日本の将来の暗雲とならないものか不安です。その
当時に最も影響を受けるのが若者であるので、逆に言えば時代を創
り出すのも若者だということです。なので、これからの生活にも目をや
り、温故知新を忘れない様にすることが大事なんだと学びました。
工・ 1 ・男 たくさんの大学や師範学校を包括出来て前身校を持っ
ているので、多くの方面に対してつながりを持っているように感じまし
た。広島の高校は(岡山に第六を取られたので)ネームスクールとなっ
ていて、地位が低いことをはじめて知りました広島の学生のソウルフ
ードがうどんであり、みんなで食べに行っていたらしいですが、今の
世代には一切その名残が無いことに少なからず驚きました。授業で
配られたプリントの古き良き時代の学生のイメージが現在を生きる自
分たちの姿とあんまり被らなかったのが、印象的でした
工・ 1 ・男 昔の大学の学生たちのイメージは今の学生とは違って遊
びなど考えられず勉学にはげむというイメージが強かったが、配布さ
れた資料からみても麻雀やパチンコをしていたので今と変わらないな
と少し面白かった。しかし旧制広島高等学校だったころの資料に目を
通すと、さすがエリートたちといったかんじで授業風景も厳かで、自分
も今の少しゆるんだ学生生活を改めなければならないなと思った。今
後自分が送ってきた大学生活を振り返ったときに人生の大きな部分
を占める学生生活がとてもすばらしかったものだと思えるようにしっか
りと毎日を意識しながら生きていきたい。
工・ 1 ・男 私は、広島大学について、もともと 9 つの学校だったもの
がひとつになったとしか知りませんでした。前の講義では、 9 つの学
校についてあまり詳しくは聞けなかったので、とても 9 つの学校につ
いて知りたいと思っていました。広島文理科大学は、日本に二つしか
ない学校だったとしり、とても驚き、今広島大学にいることをとてもうれ
しく思います。広島大学の歴史は、とても興味深く、これから機会があ
れば知っていきたいと思いました。
工・ 1 ・男 今回の講義は学生生活についてだった。広島高等学校
や広島女子高等師範学校が広島大学の包括校であることは前の講
義で習っていたので理解しやすかった。ただ、広島高等学校の卒業
者の多くが東京帝国大学に進学することや、広島周辺の人材を中央
に送り出した教育機関だということ、また広島女子高等師範学校が真
の価値を発揮できずに役割を終えた教育機関だとは知らなかった。
は知らなかった。講義を受けて、自分もこの 4 年間(院も含めると 6
年)の学生生活を実りのあるものにしたいと思った。
工・ 2 ・ on 今回のテーマは広大の学生生活ということで、スライドで
わかりやすく説明されました。広大の包括校は戦後日本の大学の中
で、最も多いことを知りました。その中の広島高等学校は、姫路高等
学校と並び日本で最後に設置された官立高等学校で、卒業生の多く
は東京帝国大学に進学するそうです。他にも広島女子高等師範学
校や山中高等女子校などがあり、いずれも広大が誇る高等教育機関
です。新制大学の生活についても授業風景や課外活動の風景、衣
食住の変遷もスライドでみることができ、広大についてさらに詳しくな
った気がします。
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工・ 2 ・女 旧制高校に関する話や映画には驚きました。今の大学
生からは想像もつきません。映画はなんで五高と七高が戦っていた
のか、何がしたいのかはいまいち分かりませんでしたが…。ただ、や
っていることは理解できなくても今の大学生より自主性があって、元気
だと思いました。あの頃の人たちと比べると自分も含めて今の学生は
覇気がない気がします。時代背景が違うことも大きな原因だとは思い
ますが。完全な一人暮らしになったりして、いい事もあると思いますが、
今が昔よりよい方向に向かっているのかよく分からないな、と思います。
ただ、昔から広大生は変わらない部分もあるのだと思いました。
工・ 2 ・女 今日の講義で、現在だけでなく昔の広島大学での学生
の生活を知ることができ、また広島大学の前身となった学校がどのよ
うな学校だったのかを復習することができた。驚いたのは昔の大学で
は、校歌をつくるという習慣がなく、生徒達が自ら歌を作ってその思い
入れの深い歌を歌っていたということで、歌をつくるということは限られ
たごく一部のひとしかしないものと思っていたが、昔は学生も普通にし
ていたことがすごいと思った。また、ビデオを観たが、大学内で先輩
から不条理なことを教えられるというのはとても面白かった。
工・ 2 ・女 先生が広島大学の学生は昔から地味だったと言われて
いましたが、レジュメの父兄からの仕送り額と支出額の表を見ると広
島大学の学生は仕送り額と支出額の両方全国平均を下回っていて、
あまりお金を使わない傾向だったんだなと思いました。昔の授業では
先生の話した言葉を聞き漏らさないように書き記して、教科書がわり
にしていたのにとても驚きました。最後に見たビデオで、校歌を自分
たちで考えて歌っていたのにも驚きました。その校歌がまだ残ってい
るのがとても素敵だなと思いました。第 5 高等学校と第 7 高等学校で
野球の試合を行っていましたが、母校の誇りをかけて戦って応援もと
ても熱くて、みんな一生懸命で楽しそうだなと思いました。一人の男
の人が高下駄を脱いで相手に謝るシーンがあったのですが、とても
屈辱的だったと思います。
工・ 2 ・女 大学にはナンバースクールとネームスクールが由緒ある
学校でそこの生徒は誇りと威信をもっていたという点で、私の出身校
が姫路東高等学校(旧県立姫路女学校)であり、在学中通して 伝統
のある東高生であることに誇りを持って行動しなさい とよく語られて
いたことを思い出しました。今回授業で見た映画にも、時には騒動や
遊びも交えながらも勉学に勤しむ学生の姿が映っており、とても印象
的でした。学生歌のない時代どこからともなく歌ができ沢山の学生が
うたっているところを見ると、自分の大学を誇りに持ち、愛していたこと
も窺い知れると同時に現代の大学生の殆どは学生歌も歌えず大学に
行く価値や誇りにかけているような気がしました。どうしようもない馬鹿
になるこの言葉は勉学に励むことを前提として成立する言葉だと感じ
ました。
工・ 2 ・女 講義の最後に見た映画を見て、昔の学生は服装を決め
られていたり、お酒を無理に進められたり、厳しい規則の下で決めら
れた生活していました。今では授業のとき意外は自由なので昔の生
活は耐えられないと思います。しかし、生活を共にすることによって、
その分学生たち同士の絆は深まるのだと思います。また、熊本の第
五高等学校と鹿児島の第七高等学校の壮絶な戦いには驚きました。
どうして頭のレベルが違うからといって敵対視して戦いを繰り広げて
いたのでしょうか?今では考えられないことです。頭のいい大学に行
くのが大事なのではなく、自分のレベルにあった大学に行くことが 1
番大事なのだと思います。そして自分の行っている大学を誇りに思っ
てほしいと思いました。
工・ 2 ・女 前進校各校の校歌は元々あったのではなく、学生たちが
自分で作ったものであるので、自分たちが守りやすかったのだと思い
ました。昔の学校は今と違って自分達の文化は自分たちで作るという
考えが強かったのだと思いました。また、映画を見せてくれたことによ
り分かりやすく頭の中が整理されました。また、たくさんの写真を見せ
もいただいたので当時の広島大学の様子や学生たちの様子が分かり
やすかったです。映画でも行っていた常識を疑ってかかることはこれ
から生きていくうえで大切だと思いました。また、それは今しか出来な
いことだと思いました。
工・ 2 ・女 今回の講義では、旧制学校と新制大学の学生生活を知
ることができてよかったです。旧制学校では大学入試をすることなく大
学に入ることができたのはすごくうらやましいことだと思いましたが、そ
のぶん高校や中学での成績や入学競争があることを知り、今と変わら
ず受験戦争が行われてきたのだと思いました。また、行きたい学校が
あってもお金や地位がなくて行くことをあきらめなければならなかった
のは残念なことだと思いました。新制大学の生活では、授業に教科
書が使われていなかったということにとても驚きました。先生が前の黒
板に書かれることをノートに写して教科書代わりにしていたなんて今
では考えられないことです。また学生生活の写真を見ていて、大学生
は高校生と違ってどこか落ち着いた雰囲気が出ていたような気がしま
した。授業の最後にみた映画では「馬鹿の天才になれ」という言葉が
とても印象的でした。今回の講義を通じて、学生のうちに色々なこと
にチャレンジしてみようと思えました。先生が最後に言っておられたよ
うに、今後の人生に価値のある学生生活にしたいと思います。そのた
めにも、今の自分の生活を振り返ってもっと意義のある毎日を送って
いけるように努力したいです。
工・ 2 ・女 今回の講義は今までの中で一番興味を持ちやすいもの
であったと思う。まず、当時の服装である。男性の服装しか紹介され
ていなかったが、その“蛮柄”というスタイルには驚いた。「汚いのがい
い」という今とは違う特殊な美意識が、高等学校の中でも上位のナン
バースクールにまで広がっていたからだ。当時は学業優先の堅い学
校なのかと思っていたが、固定概念を覆される内容であった。また、
映画にもあったような高等学校間での争いにも驚いた。現代にも表面
化しないだけで学業成績に関する学校間の対抗はあるものの、当時
のような荒々しいスポーツ対決や応援団の対立などは見られない。そ
のような学生生活を送っていても、大学へ進学するという点でも驚い
た。だから民間も見守っていたのだろうと思う。学校間の対立や上下
関係など様々なことを経験したはずの学生生活は、きっと充実したも
のだったのだろうと考える。今現代では絶対に体験することのできな
いものであり、とても興味がわいた。そして、大学ノート誕生の話も面
白かった。以前から名前の由来に疑問を覚えてはいたが、大学での
先生の話をノートにとることからついているとは思わなかった。中学、
高校と使ってきたから尚更である。今回の講義では、今までとは違い、
もっと身近な点で自分の学生生活を見直すきっかけとなった。当時の
生活が良いものだとは決して思えないが、彼らの意識には参考にす
べきものがあったと思う。これからの自分の学生生活がよりよいものに
なれば良いと思った。
工・ 2 ・女 昔は教科書がなく、先生が言ったことを全て書き写しそ
のノートが教科書になるというのには驚いた。今じゃ考えられないこと
であろう。でも、そのような仕組みであったら学生はものすごく真剣に
講義をきき、勉強するのではないかと思う。授業風景の写真など、い
ろいろな写真があって昔はこんなんだったんだなぁとよく理解すること
ができた。昔の寮では 2 階から悪いことをしている人がいるというのに
は笑ってしまった。最後に見たビデオでは、今の学生には考えられな
いような争いなどがあったり、校歌がなくて自分たちの歌が校歌にな
るなどすごいなと思った。女子と並んで歩くことが珍しいというので、
昔の人には本当に素晴らしい青春があったのかなと思った。
工・ 2 ・女 今までも何度も聞いてきましたが、広島大学は戦後日本
の大学の中で、最も多くの前身校を持つわけで、その分色々な役割
を担ってきたのちに今のような形になったのだということを改めて感じ
ました。高等学校から大学に進学するのは当たり前だった昔は、高等
学校に入学するのが難しかったみたいで、そんな高等学校や師範学
校がたくさん集まって出来ているとは凄いことだと思いました。又、同
じ高等学校でも今のようにランクがあったのだと知って驚きました。そ
の点においては、最後に見たビデオ(映画?)の印象が凄まじかった
です。あのような学生生活を送っていたとは考えたことありませんでし
た。
工・ 2 ・女 とても興味深い講義でした。キャンパスライフについてと
いうことで自分の学生生活と当時の学生生活とを比較したり、考え方
の違いなどがわかって楽しい講義でした。大学ノートが教授の言った
ことをすべて書き写すために作られたものだということを知って驚きま
した。講義中ずっと書き取りを書き取りをしなければならないなんてと
ても大変だっただろうと思いました。昔の学生はとても勤勉でまじめな
イメージがありましたが、学生寮での羽目を外した姿など意外な面が
あり、やはり昔も今も変わらないのだと思いました。
工・ 2 ・女 昔の、広島大学の前身校などの学生生活が今回の講義
で説明されたのだが、非常に興味深かった。中学までは学生たちは
厳しい中でとてもまじめであったのに、高校に入って、先輩たちにい
ろいろなことを教わって騒いだり制服を改造したりする伝統があること
がおもしろいと思った。家でなく寮で一緒に暮らすというのもあってだ
ろうか、一気に影響を受けていくのだろう。野球の応援などでも力が
入っていて、ものすごい勢いがあるなと感じた。旧制高校はたくさんの
面で熱気に溢れていて、今の学生も見習った方がいい所もあると思う。
工・ 2 ・女 今回の広島大学の学生生活という講義で最も印象的だ
ったのは、昔の学生生活を映画にしたものです。今より昔のほうが上
下関係が厳しかったり、大学ならではの決まりごとがあったりしたという
のは聞いたことがありました。しかし今回の映像を見て、当時の学生
生活が私の予想以上に激しいものであり実際日本であったことのよう
に思えませんでした。それに広島大学ゆかりの歌の多さに驚かされま
した。また、昭和 2 , 30 年の頃の新入生 1 人あたりの生活費や仕送
りなどの表は、今とお金の価値が変わってしまっているので比較しに
くかったです。それでもやはり、自宅生が一番生活費がかかっていな
くて親孝行だと感じました。
工・ 2 ・女 今回の講義で一番印象に残ったことは、創立当時と今の
授業の方法の違いでした。今ではレジュメやパワーポイントなどで丁
寧に説明が受けられるが、以前は先生が話す言葉をすべてノートに
書くのみの授業であったことを知り、書くのみの授業ではあまり頭に入
らないのではないかと思う一方、生徒はより真剣に授業に取り組むだ
ろうと思った。また、当時は学帽、学章があったことを知り、今の大学
生と比べると時代の変化を感じた。今の方が自由でいいと私は思っ
た。
工・ 2 ・女 講義では、昔の大学生の生活の写真を見ていた。ある程
度現代と比べて大きく違いがある。昔は、学生が少ないから授業は狭
い教室でやった。先生の教え方は黒板に書くとか時々 OHP を使うこ
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ともあったが、学生は先生の話を全部本に書き移した。ところで、今は
確かにそんな方法まだ残るが、ほかの方法でも多く工夫されている。
例えばパワーポインターとかである。山中高等女学校の学生の写真
を見ていた、一つ気づくのは女子学校なのに、女にしか教えないこと
だけでなく、スポーツとか色々学んでいた。寮の生活も現在と比べて
だいぶ違う。これからは経済科学技術など発展しているから便利な生
活ができている。
工・ 2 ・女 今回の講義では、たくさんの写真や史料などを用いてく
れたので、昔の学生生活が理解しやすかった。戦前から、広島という
土地は教育が盛んで、特に教師を目指す師範学校などもあったので、
学生たちにも真面目な学生が多かったんだと思った。また、戦前後と
いう時代には、大学や高等学校にまで進学すること自体が人数が限
られていて、そんなにいなかったことなどから学生もエリート教育を意
識していたと思った。また、広島の学生から、東京や京都の帝国大学
への進学者が非常に多かったことなどからも広島の学生たちのモチ
ベーションや目標ややる気を高めたんだと思った。大学まで進学する
ことが当たり前のようになってきた今でも、私たち学生は見習わなけれ
ばいけない姿勢だなとすごく感じた。
工・ 2 ・女 学生生活の中では、昔と今はちょっと違う。旧制学校の
生活と新生大学の生活と言う名前である。旧制学校は、山中高等女
学校である。この学校は特別に女の子だけ勉強し、明治 21 年創立
だ。その時から、女性は勉強に対する、非常に精神がある。全国で 3
番目の高等女学校である。また官立広島文理科大学も旧制学校一
例である。昭和 4 年創立し、東京文理科大学とあわせて日本に二つ
しかない大学。広島が誇る高等教育機関になる。新制大学の生活に
なるから、変化することが多くある。例えば授業の風景や課外活動の
生活や衣食住の変遷や学生街の変化や大学祭の変化などである。
授業中で、映画を見ると、そんなことが感じられた。
工・ 2 ・女 今回の授業を受けて、広島大学に通う学生の生活にど
のような変化が起きていったのかを学べた。この広島大学は市街地
から少し離れているが、周りには学生が生活するのに必要な日用品
が購入できる店がたくさんある。学生が多いことからマンションやアパ
ートも数多くあり、広大生が快適に生活していけるような地域づくりが
できているのだなぁと感心した。これからも、広大と、この地域に住む
人たちが協力してよりよい生活が送れるようになればいいと思った。
工・ 2 ・女 今回の講義を受け私は広島大学が多くの学校からでき
たことは知っていたのですが、戦後できた大学の中で最も多くの前身
校を持つ大学と知り改めて驚きました。もし新の価値を発揮できずに
役割を終えた広島女子高等模範学校がちゃんと新の価値を発揮し
ていたならまた今と違った広島大学ができていたのかなと思いました。
また広島大学に通っていた生徒は他の大学に通っていた生徒に比
べ仕送りが少ないことにとても驚きそしてなぜなのだろうという疑問を
持ちました。
工・ 2 ・女 今回の講義テーマは「広島大学の学生生活」ということで
広島大学で生活さいていくにあたってのサポート・インフォメーション
やキャンパスライフ・インフォメーションなどを改めて知りました。広島
大学は土地がとても広いため、移動も大変ですが何がどこにあるかも
入学二年目にしてもよく分かっていません。それ入学当初学生生活
で悩んでいたことです。広島大学は部活・サークル活動が盛んなの
でいろいろなものに挑戦したいなと今も思っています。
工・ 2 ・女 今週のテーマはおもしろいと思います。なぜかというと、
私にとって、学生の生活は楽しいです。どこでも、いつでも、学生の
時代は一番好きです。旧制学校の生活は生徒たちの姿が二つがあり
ます。官立広島高等学校と私立山中高等女学校ということです。広
島大学は、戦後日本の大学の中で、最も多くの前身校を持つ大学で
す。できるだけ、私は大学生活 4 年間に楽しみたいです。
工・ 2 ・女 今回の講義を聞いて昔も今も大学生の生活はあまり変わ
らないと思いました。いつの時代にも講義に出ずにパチンコや麻雀
ばかりやっているやつはいるんだと思いました。しかし、専門科目の
教授に遊ぶことも重要で、しっかり遊んだ人は勉強もしっかりできると
言われました。なので私は遊ぶ時は遊んで勉強するときは勉強する
など、けじめのつけられる大学生活を送ろうと思いました。
工・ 2 ・女 今回の講義で、広島大学の学生生活が、以前はどのよう
なものだったのかがよく分かった。特に私が興味深かったのは、やは
り大学祭である。今と昔の大学祭の違いは非常に興味深いものであ
った。また今と昔の学生気質についての相違について説明のあった
項目も興味深いものであった。今と昔を比べると、今の学生の学生気
質は個人的にあまり好ましいものではなく、昔の学生をみならって意
識改革をするべきではないかと思った。どちらにしても学生には広島
大学でおもいっきり学生生活を謳歌し、価値のある学生生活を送って
ほしいと思った。
工・ 2 ・女 今回の資料の写真を見て、旧制広島高等学校では学校
の設備が私の思っているいる以上に整っているなと思った。これが、
東京、京都の両帝大への進学が圧倒的だった理由の一つだと思っ
た。また山中高女の卒業生の八木さんのノートから、当時の女学生は
学問も家事も両立していたことがうかがえる。それを見て当時の女学
生のすごさを感じるとともに、勉強と家事をまだまだ両立できていない
自分自身に焦りを感じた。今回の講義をきいて、当時の学生の方た
ちの真面目さをうかがえることができた。それは、今の私自身に欠け
ているもので、今後広島大学で学生としての生活を送る上でいい刺
激を得ることができた。また、学問と家事の両立もできるようになろうと
いう、自分への課題も持つことができた。また、広島大学をもとにした
映画があることにも驚いた。機会があったらまたじっくり見て、当時の
学生の考え、思想にふれてみようと思う
工・ 2 ・女 広島大学は、戦後の日本の大学の中で、もっとも多くの
前身校を持っている大学だということが分かった。それに色々な分野
の学校が 1 つになっているので、すごいなと思った。仕送り額がとて
も興味深かった。全国平均に比べて、だいぶ低かったので、中国地
方では結構大きな都市である広島だから、意外だった。今、広島大
学は東広島という郊外にあるから、家計に優しい部分で今と昔は変わ
ってないなと思った。最後に見た映画が続きが気になって仕方ない
ので、機会があったらまた見てみたいと思う。
工・ 2 ・女 今回は昔の学校生活の話が聞けて面白かったです。ま
た、旧制学校と新制大学の学校生活を比較することもできてとてもよ
かったです。また資料にあった「五十年史編集室だより」で、昔の学
生の遺品や、旧制広島高等学校の当時の写真数枚を見ることができ
て、とても興味深かったです。なかなか昔の写真などは見れないと思
うので貴重な体験でした。また資料を読んでて思ったのは、広島高等
学校は、卒業生の多くが東京帝国大学に進学していたり、山中高等
女学校は、全国 3 番目の高等女学校であったりと、昔から広島は優
秀な学生を全国へ送り出していたのだという印象を受けました。わた
しもそんな先輩方を見習って、もっと日々精進して学校生活を送らな
ければならないなと思いました。今後の人生に価値のある学校生活
をおくっていきたいと思います。
工・ 2 ・男 初めのほうはこれまで講義でやったことばかりだったが、
最後の映画は私が野球を好きというのもあり面白かった。映画なので
オーバーに表現しているところも多々あると思うが、映像なのでとても
分かりやすく、昔の学生生活がどんなものかが少し分かった気がした。
映画の中の寮の先輩たちとの飲みの席で不条理なルールがあった
が、それは私の所属する部での飲みでも変なきまりがあるので昔から
同じなんだと思った。是非全部見たいと思ったので「北辰斜めにさす
ところ」を借りようと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義の内容は「広島大学の学生生活」についてと
いう内容だったので、昔の広島大学の学生の学生生活と現代の広島
大学の学生の学生生活の違いや、その様子などについての講義だ
考えていた。やはり、この広島大学の学生生活は、社会人に向けて
の最後の学生生活になるので、しっかり自覚を持って、勉学に励んだ
り、友達と遊んだりしたいなと思った。あと、資料を見て思ったのが、ア
ルバイトの賃金がやはり現代になればなるほどあがっている点である。
まぁその分円の価値も下がっているのだからあまり関係ないが。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、学生生活というのは、たった数十
年でこんなにも変わるものなのかと実感させられた気がした。広島大
学の前身である広島高等学校の授業風景を見たけど、今まで自分た
ちが高校までで受けてきたような印象を持った。もちろんその当時あ
った県議会場での立てこもりみたいな激しい運動はなかったけど授
業を受けてるだけでは高校とか中学生を見てるように感じた。現在に
近くなるにつれて、学生の雰囲気やその他授業形態も大きく変わっ
ていってるとおもった。昔あった話を聞くと、現在に生まれてよかった
とつくづく感じた。
工・ 2 ・男 昔の学生は現代の学生とは、大分異なった学生生活を
送っていたというイメージを持っていたが、現代の学生と似ている部
分が多くあった。昔の学生は皆物静かでふざけたことはほとんどしな
いと思っていたが、お酒を飲んで騒いだり、いろんないたずらをしたり、
むしろ今の学生より元気があって、活気があふれていたように思える。
それでも授業を受ける時は皆まじめに受けていて、メリハリがあった。
現代の学生にはこのメリハリが少し欠けている人が多いような気がす
る、そこは昔の学生を見習うべきだと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義は、写真やビデオを使っていたので昔の学
生の様子が理解しやすかったです。蛮柄というスタイルは、よく漫画
などで見たことがありましたが、実際にああいう格好をしていたんだな
と思いました。また寮の風景は、今では考えられないようなことになっ
ていたのには驚きました。ビデオにもありましたが、学生の影響がいろ
んなところに出るほどにエネルギッシュで、先輩との上下関係がかなり
強いものだとわかりました。馬鹿の天才になれ、とはすごいことだなと
思いました。この時代には、今の時代にはないような若者の力があり、
自分も今後の人生に価値のある学生生活を送れるように努力しようと
思いました。
工・ 2 ・男 改めて今の広島大学の学生生活と、広島大学の前身校
である 9 つの諸学校とは、まったく異なる学生生活を送っていたのだ
と、考えればわかることではあるが、そう感じた。昔の学校は今みたい
に比較的自由な大学生活は送ることができず、戦前または戦後の厳
しい状況もあり大変なものだったのだと改めて思った。こうして考える
とこの大学生活は今しかないわけだから、今の時期にいろんなことを
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学び、経験してこれからの将来につながる有意義なものにしていきた
いいと思った。
工・ 2 ・男 大学生活とは後々人生においてどのような影響を与える
か。大学生の今では微塵もわからないが、そういう点では昔も今もあ
まり変わらないものだろうと感じる。もっとも、一昔前の先輩方が各々
持たれていた大学への誇り、プライドなどは今の私たちとはかけ離れ
ているが、そういった精神がここまでの日本を作り上げていったと言っ
てもあながち過言ではないと思う。精神面での成長。これからのニュ
ーカマー達が大学生活で体感してほしいものはこれに尽きると思う。
そして私自身ももっと成長しなければならない。
工・ 2 ・男 広島高等学校での寮生活を含む生活が意外で驚きだっ
た。高等学校といえば帝国大学に進む教育機関なのでさぞまじめだ
ったり勉強に取り組んでばかりだろうと予想していたところ、まさかの
学生生活にとても驚いた。服装が蛮柄という格好をしていることもだが、
ストームといって騒いでみたり、先輩後輩の不条理な関係?や寮の
二階からの……などなど、今のエリート組からは考えられないようなこ
とばかりで、少し楽しそうでもあり、また少し経験してみたいと思った。
他にも、街中に出るのに制服や帽子を着用したまま出て行くということ
にも驚いた。卒業写真用なのでヤラセもあると言っていたが、話の中
では帽子や制服で学生と街の人はわかるというようなことを言ってい
たので、実際に着用していたのだろう。ということはこれも蛮柄と一緒
で、着ていることが学生たちのファッションだったのだろうか。小中高
でも私服の学校がある現代では少し考えられないなぁと思った。制服
のあった私でも、外出するときは私服だったし。少し直接講義とは関
係ないが、鋭いコメントを書く人がいる……という紹介があったとき、そ
のコメントを聞くとやはり鋭いなと思った。自分ではそのようなコメント
を書けないので、見習って頑張っていきたいと思った。
工・ 2 ・男 広島大学は、戦後日本の大学の中で最も多くの前身校
を持つ大学で、そのひとつの広島高等学校は日本で最後に設置さ
れた官立高校であるため、ナンバースクールと言われた第一~五高
等学校ではなかったが、大学に入学することは現在に比べて簡単だ
った。しかしその分高校受験が困難なため現在より早い段階で進学
を決断しなけれならないのは大変だったと思う。また前身校のひとつ
の広島女子高等師範学校は日本で 3 番目の女子高等師範学校で、
そのことは広島大学が誇れることのひとつだと思った。また、昔の学
生の生活は現在の学生とは異なり情熱的だったのだと感じた。
工・ 2 ・男 昔の学生は今の学生とは違って、自分たちがこの大学の
文化や歴史を作っていくんだ、という気持ちが強かったように感じまし
た。大学も創立から数十年も経ったわけですから、私のような今現在
の学生たちに新しい文化を刻んでいこうという気持ちがないのは当然
と言えば当然なのかもしれません。しかし、昔の学生たちには私たち
よりも大学に対しての行動からも分かるとおり、自主的に行動する力
が強かったように思いました。こういう昔の人々のいい所はどんどん吸
収していきたいです。
工・ 2 ・男 昔の学生生活は現代のとは大きく違っていたんだなぁと
思った。自分たちで歌を作ることもないし、学校同士で乱闘騒ぎ、挙
句の果てに軍隊まで出動なんてことは考えられない。戦後からそんな
に時間のたっていない社会の中ではそうなってしまうのかと思った。
でも、自分たちの学校を誇りに思って野球の試合でも熱心になれると
いうのは現代の学生には、甲子園などは例外だが、あまり見かけない
光景で少しうらやましく思えていい雰囲気だと思った。でも他校の歌
を変えて馬鹿にするのは熱心な気持ちを台無しにしてしまう。もっと
いい意味で争ってほしい。あと、広島大学新聞の漫画で、「母さん
や・・・らしいよ」というのが、まだパチンコという名が一般化していない
社会でうまく言っていて非常に面白かった。
純粋に生きていたということを切々と痛感することができました。私た
ちがこの映画から学ぶことはたくさんあると思います。その一つ一つを
感じ取り、この恵まれた生活環境の中で活かしていければいいと思い
ます。
工・ 2 ・男 いままでは、昔の学生はあまり遊ばず、勉強に励んでい
るものかと思っていた。しかし、自分らの世代と同様に、はしゃいでい
ることが分かり、淡い期待が崩れ、がっかりした。はしゃぐ姿が今と比
べてぜんぜん進歩がないのは、ショックとしか言いようない・・・・だが、
勉強は広高の人たちのほうがしていたのではないかと思う。勉強の面
では、自分たちよりもっと厳しい倍率を潜り抜けてきたのだから・・・・・
工・ 2 ・男 昔の高等学校生を見ても、特に今と代わっていないので
はないかと感じた。上級生と後輩の関係や、ストームなどの騒ぎなど、
特に昔の学生がまじめであったようではないし、学勉も同じ様に勤し
んでいたのではないかと思う。今の学生は...と言う発言が昔からいわ
れ続けていたように、特に学生の質などはかわっていないのではない
かと思う。昔の学生と比較しているのを見て、今自分達の代が後の歴
史として見られるときによい印象で残って欲しいと思った。
工・ 2 ・男 旧制の高等学校の学生は入学するためにかなり勉強し
なければならないが、高等学校に入学してからも東京や京都などの
レベルの高い帝国大学にいくためにすごく勉強したと思います。また、
映画を観賞して、当時の学生達は他校に対してかなりの対抗心を持
っているのだと思いました。広島大学は、最多の前身校を持つことを
知りました。僕は、これからの人生に有意義な学生生活を送っていき
たいです。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校で実質、大学の予備門として機能し
ていた旧制高校のうちのひとつの広島高等学校。世間による格付け
的には校名に番号のついていた、いわゆるナンバースクールにおと
るものの校名に地名のついたネームスクールとして、卒業生が東京・
京都の両帝国大学に進学していたことから当時の広高生は勉強熱
心だったことがうかがえる。また当時の学生は流行の歌を口ずさむの
ではなく、自分たちで作った歌を歌っていたというのを今日の講義で
先生から聞いて、自作の歌で歌手デビューした学生がいたのではと
思っていしまった。こんなことを思うのは私だけでしょうか?
工・ 2 ・男 旧制広島高等学校はとてもエリート校だったらしく、東
京・京都の帝国大学への進学者が多くいたようで、新設校にもかかわ
らず大学への入学率が高く、当時の受験雑誌でも評判はよかったよう
だ。創設期のアルバムからは旧制高校独特の蛮カラな雰囲気はあま
り見られず、後に「穏和で学究的・紳士的」とも評された広高生のルー
ツでもあるようです。広高生はまじめだったんだと思った。最後の映画
で見たけれど旧制高校はその土地を代表しているものたちでそれぞ
れ学校で先輩後輩の上下関係の中で理不尽なことや多くのことを学
ばされていくんだと思った。あんな無茶をやっている人が後にしっかり
としたエリートになっていったんだと思った。今では考えられないが強
い誇りや絆のようなものが昔はもっとあったように思えた。
工・ 2 ・男 今回の講義は広島大学の学生についての講義であった。
まず現在と大きく違うことは授業の方法である。現在の広島大学では
パワーポイントを用いたり、ハンドアウトを配布したりと、工夫がなされ
ている。しかし昔は、広島大学に限ったことではないが、講師の言っ
たことを、そのままノートに書き写すという授業が当たり前であった。こ
れをきいて、今の大学生は恵まれているということを深く感じた。さら
に、昔は服装もちゃんとしていたが、現在はだらしなくチャラチャラし
ている。今日の講義を受けて規則正しい学生生活を送ろうと深く心に
誓った。
工・ 2 ・男 昔の広島大学の学生の人たちは、学生服をきちっと着て
そして角帽を装着していました。現代に生きる我々としてはとても信じ
ることの出来ない服装だと思いました。しかしその一方で『馬鹿の天
才になれ』という言葉もあったりしたりで、当時の教育理念はとても興
味深いものだと思いました。些細で小さいことにはこだわらずに、さま
ざまなことを経験していくことによって、当時の秀才達は日本を未来
へと導いていく人材になっていったんだろうと思いました。昔の学生
達の姿を捉えることはとても有意義なことであるし今を見つめなおす
にはたいせつなことだと思いました。
工・ 2 ・男 昔は大学生は学帽をかぶっていて一目で大学生と分か
るような格好だった。今は大学生は私服でおしゃれをしたりする人が
ほとんどなので、広い大学の敷地を同じような格好をした人が歩いて
いるというのは想像できない。学帽をかぶった方が規律がとれたり品
格はでると思うが、夏とかはある程度ラフな服装で過ごした方がいいと
思う。またビデオでみたような寮生活や学校の争いみたいなのが昔は
多かったと聞くと今の方がよかったと感じる。社会にでた不条理なこと
もあるらしいのでそれに耐えれるぐらいには、今の大学生活でも精神
的にタフになりたいと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義で昔の広島大学の学生がどういった学生生
活を行い、どういったことに興味を持っていたかということがよく分かり
ました。まず、かつての高校生の間で蛮柄が流行っていたということ
は面白いなと思いました。私の地元の高校ではズボンをずらすという
のが流行っていたということで重なって感じました。今も昔もヤンチャ
をしたい年頃なんだと思いました。また、広島は昔、サッカーが強かっ
たということで、サンフレッチェにも頑張ってほしいと思います。あと、
大学ノートの言葉の由縁が昔の大学生が先生の言葉を聞き取って書
いていたことからだということをはじめて知りました。その当時と比べる
と私たちは大分楽な授業をしているなと思いました。最後に、映画「北
辰斜にさすところ」を観て思ったことは、今の私たちの生活と当時の学
生たちの生活のどちらが潤っているのかということでした。学校の教
育理念が「馬鹿になれ」というところや、県会議事堂に立てこもるという
ことなど、今の私たちには理解し難いけれど、彼らは真剣で、そして
工・ 2 ・男 今回の授業は広島大学の学生の生活について話をする
のかと思っていたが、あまり関係なかった。広島大学の包括校がおお
くてびっくりした。今回の授業よりも前に何校かあったから多いなと思
っていたが、戦後の大学の中で最も多く前身校を持っているとは思わ
なかった。その中の広島文理科大学が東京文理科大学とあわせて日
本に 2 つしかない大学で、広島大学の方向性を特徴づけた教育機
関というのもすごいなと思った。
工・ 2 ・男 今日の講義を受けて、昔の学生は今の学生に比べて、
自分の考えをしっかりと持ち、精神の核のようなものがあったように思
われる。自分の学生生活は自らの手で作るんだという心意気のような
ものがあった。特に学生紛争などの振舞は、もはや彼らの文化であっ
たと思う。今の私はどうだろうと考えてみると、彼らに比べて今を全うし
てないように思われる。具体的に言うと、社会をどうしたいと言う欲求
- 699 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
がとても弱い。ただ今ある社会の波にのまれて、周りの人と同じ様に
働くんだと思う。しかし今日の講義を聞いて、もう少し社会における自
分の在り方を考え、もっと自分の思想を持つべきなんだと実感した。
工・ 2 ・男 今回の授業を受けて一番に思ったことは、昔の学生の気
質と今の自分の学生の気質は、さほど変わっていないということだ。
僕は大学受験に合格し、希望に胸躍らせて入学し、いろいろなことに
挑戦しようと息巻いていた。ところが自分でも気づかないうちに、勉強
することから逃げ、アルバイトやサークル活動に没頭していた。麻雀
やパチンコはしたことはないが、学生の本分が何かを履き違えていた。
資料にある昭和 37 年ごろの学生気質も、あまり変わりなく驚いた。 1
年の前期の時間を取り戻したい。そして少なくとも入学当時の自分よ
り成長した自分になって卒業したいと強く感じた。
工・ 2 ・男 旧制広島高等学校創設期のアルバムの写真が非常に
興味深かった。昔ながらの制服に、帽子、そして規則正しく並んで、
朝会を受けている学生を見ると、過去の日本の時代風潮がうかがえる。
旧制高校は現在の高校とは異なり、エリート教育機関として意識され、
東京・京都の両帝大への進学者が圧倒的であった。このような様子
や当時の状況を知って、広高生のルーツが垣間見れた。また、当時
の学生生活とは異なり、現在は時代が進んで裕福になり、下宿形態
にも大きな変化が見られた。そういう意味で、今の学生生活を振り返
るいい機会にもなった。
おもう。また、流行のファッションなどの傾向が周期的に変わると聞い
たことがあるが、破けている服を着こなそうとした原点は彼らなんだろ
うかと思うと、蛮柄の人たちは人類としても学業でもファッションの面で
も先駆者であったのだと感じ、さらに尊敬の念が深まった。
工・ 2 ・男 今日の授業では、私たちの先輩にあたる広島大学の学
生生活について学んだ。昭和初期の大学生の生活は現在野私たち
の大学生活とはいろいろと違う部分があるとは想像していたが、思っ
ていたよりも異なっていたのでとても驚いた。広島大学の前身校の授
業風景を見ても、私たちのような私服の学生は一人もおらず、みんな
学らんを着ており、まるで高校の授業風景のようにも見えた。また、金
銭面でも今では考えられない千円単位の額で生活していたのには驚
いた。
工・ 2 ・男 旧制大学にはストームというお祭りがあったり、スポーツ
が盛んだったので楽しそうだと感じたが、戦争中というこうともあって、
貧しかったり戦地に行かなくてはならない人もおり、決して良い時代と
は言えないと思った。新制大学になると、旧制に比べると教室も大きく
なり、実験器具など学習する設備が整ってきて、服装も制服から自由
な服になり今の大学生と同じような感じになった。ビデオでみたストー
ムは予想していたよりもかなり迫力があって、驚いた。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校である広島高等学校は卒業生の多く
が東京帝国大学に進学するような優秀な学校であったということを改
めてすごいなと思いました。高等学校の生徒の学生生活はただひた
すらに勉強をしていたものだと思っていたのでストームという大騒ぎを
していたということには驚きました。当時の学生生活というのは、自分
が予想していたよりも楽しそうなものだったということが分かりました。
新制大学になってからの学生生活では学生の服装などをみていると
時代によって随分変わるものだなと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学が西条に統合移転した際に学生の中には大学
周辺の民家などに下宿していたことに驚いた。こういった形で地域と
大学は密着していくのだと感じた。今回の講義では様々な昔の学生
の写真を見さしてもらったが、当時は大学生でも制服があったというこ
とで、ここから当時の学生は現在に比べて校則のようなものに囚われ
ていたのかもしれないと思った。また、ビデオで見たように旧制の高等
学校の学生は母校にとても熱い愛校心を持っていたのだということよ
く分かった。現在の大学周辺は昔に比べてとても整備されて暮らしや
すい環境となっているが、こういった背景があって今があることをしっ
かり頭に入れておくびきだと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義では、普段見ることのできない旧制広島高等
学校の授業や昼食の風景が見れてとても貴重だった。ほかにもストー
ムと呼ばれる、今で言うところのオリキャンとは少し違うが、寮の新入
生歓迎会みたいなものもあり昔の生徒もやはり今と同じようなことをや
っているんだなと思った。最後に観た DVD では、同じ九州内でライ
バルのような関係の第五高等学校と第七高等学校の当時の学生の
様子が観られ、広島高等学校も同じ時期に設置された姫路高等学校
とこのような関係だったのかなと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校の生活は、今よりもずいぶん不合理
だと思います。寮に住んでいたら一年生はお酒を無理やり飲まされた
り、トイレにいくときははかまでないといけないとか一年生は大変だっ
たと思います。多少いまでもこのなごりは残っている気はしますが、か
なりゆるくはなてっいるとおもいます。こんな生活をのりこえてきたから
こそこの時代ひとはうたれづよいな人に成長していったのでしょうか。
それはともかくとして、大学とは、今も昔も勉強だけを学ぶとこではな
いのだと感じました。
工・ 2 ・男 今と昔では大学生の生活はかなり違っていると思った。
新制大学が発足した頃の学生はエリートが多く、服装もきちんと学生
服を着ていた。寮での生活は戒律が厳しく、もし私がそのような環境
におかれたらとてもやっていけないと思った。そんな学生生活を送っ
た人たちが現在は高齢者となっているが、彼らの視点で私たちの学
生生活を見たならどう思うだろうか。今の学生生活をうらやましく思う
かもしれない。または昔のほうがよかったと思うかもしれない。私はど
んな時代でも楽しく充実した生活ができればいいと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、当時の広島大学の学生が受けて
いた授業形式は、現在の講義からは考えられないものだった。山中
高等女学校の八木操さんのノートを見て、あんなに書いていたら全然
授業を聞けないだろうなぁと思った。また広島大学の生徒の親からの
仕送りが全国平均と比べてかなり少ないことを見て、広島大学で生活
していると無駄遣いとかが減ってくるのかなぁと思った。現在では一人
一部屋の生活が当たり前だが、当時の友達のと共同生活はいろんな
ライフスタイルが共生していて楽しそうだった。
工・ 2 ・男 今回の講義をうけて、一番おどろいたことは、昔のアルバ
イトの月収が家庭教師だけいように高いということです。ほかにくらべ
て 6 倍から 10 倍までの割合で、いまの世の中では考えられないこと
だとおもいました。やはり昔は勉学があまり普及してなくて、学がある
ひともあまりいなかったため、勉強ができるというのは、かなりな武器
になったとおもいます。しかし今現在は大学はでてて当たり前な世の
中なので、勉強いがいにもたくさんのスキルをみにつけなければなり
ません。そのために今われわれができることは、いかに意欲的に授業
をうけるか、ということだとおもいました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、昔の広大生の生活がよくわかりま
した。昔は大学生でも学生服と角帽をまだきていたんだなぁと思いま
した。しだいに私服になったいったけれど、その服装も現在に比べる
と慣れないもので時代を感じました。また、学生食堂も今と大きく異な
っていて、開学当時は米が禁止されていてうどんやパン、牛乳が主な
ものだと聞いて驚きました。住環境も昔は学生寮の一部屋に 4 , 5
人で集団生活していたり、農家の納屋に下宿していたりと、今の大学
周辺のたくさんのマンションからは想像できないものでした。
工・ 2 ・男 広大生だからこそ、広大だからこその学生生活というもの
があまりきけなくて残念だった。そのような特徴のあることはないのか
もしれない。けれど大学祭などの大学行事を通しての大学生と地元
地域の方々との関わり合いというものも、歴史をさかのぼってみてもず
っと続いていることが分かった。これは素晴らしいことだと思う。また現
在自分が自由な環境にいることも知った。昔は制服に帽子もかぶっ
ていたことなどいろいろ考えると、昔を否定するわけではないですが、
今の立場をうれしくおもいます。まだまだこれからもこの広島での学生
生活が続きますが、悔いの残らない楽しい生活を送っていきたいで
す。
工・ 2 ・男 映画を見て、自分が経験したストームと似たところが多々
あった。しかし、高校によって、同じ曲でも歌い方がずいぶんと異なる
ものなのだなあと感じた。それぞれの学校は、それぞれの独自の校風
があるのだと考えた。また、その昔の校風は、今もなお、多少形を変
えつつも受け継がれていることが分かった。父兄からの仕送り額と支
出額をみると、広島大学は平均よりもかなり少ない。このことから、当
時の広島大学の学生の多くが、アルバイトをしていたのではないかと
考えた。
工・ 2 ・男 大学にはナンバースクールとネームスクールがあり、大学
設立では岡山に競り合って見事勝ったと華々しく授業で聞いたのに、
それが過ぎた時点で岡山に第六高等学校をとられてしまっている。そ
の頃から現在へのヘタレの道が開拓され始めたのではないだろうかと
工・ 2 ・男 実際の学生生活は講義を聴いていると寮での生活がと
ても印象的だった。入寮してすぐの決まり事のようなことをしているの
を見て、基本的なことは今も昔も変わらないようでおもしろかった。他
にも、決まった校歌というのがなく生徒自身で歌を考えると聞いて興
味深かった。今は、校歌はあるがそれに触れる機会は少ないので、
昔の学生は校歌に対する意識が今とはまったく違ったように思う。
工・ 2 ・男 昔は全国に高等学校と呼ばれるものが非常に少なく入
学することも非常に難しかった。そのような状況だったので、入学でき
た人たちは自分の学校に誇りを持っていたのだろうと思った。非常に
優秀な人たちが集まる学校なので、寮生活もすごく厳しいものだと思
っていたが、当時の学生の生活の資料や写真を見たところ、自分が
想像していたものと大分異なっていたことが分かった。戦前の学生の
生活と戦時中の学生の生活とでは全く異なることが分かった。
工・ 2 ・男 先ごろ、広島大学の全身のひとつである私立山中古と学
校の卒業生。見ても東京の量席代への進学者学アット的でした。広
港は診察工にもかかわらず大学への入学率が高く。学年進行に伴い
全額急が完成した念
工・ 2 ・男 スライドの写真から当時の様子がよく分かり、大学をさら
に身近に感じた。昔は講義で先生の口頭の説明をそのままノートに
写すというのは、驚き、当時の学生は今より大変だったんだなと思い
ました。
- 700 -
工・ 2 ・男 昭和時代の広島大学の学生は他の大学に通う学生より
も生活費がはるかに少なかったのには驚いた。昭和 48 年の家庭教
師の基準給与を見てみると、週 3 回で 12000 ~ 15000 円程度だっ
た。今の家庭教師の月給と比較すると多少少ないように感じる。当時
の学生にとって金銭的にも生活の面でも効率のいいアルバイトはな
んだったのだろうか。広島大学は国立の大学であるから、そこに通う
学生も他の私立大学に通う学生よりは余裕のある生活はできていな
かったはずである。自分も食事でずいぶんとお金がかかってしまい苦
労している。学生食堂がもう少し安い値段であれば利用しやすいの
でそういう面も大学側に考えていってもらいたい。
工・ 2 ・男 今の大学生と一昔前の大学生とでは暮らしぶりが違うこと
がとくにプリントの最後のほうにあった表からわかった。物価が昔とは
違うがアルバイトの給料がかなり低いことに驚いた。仕送りの金額が
全国平均と広島大学では全国平均のほうが高いのは意外だった。今
も広大のあるこの街は栄えているとは思えないが、広大の歴史の冊
子にあった開設当時の東広島の様子と比べればだいぶいろいろのも
のができたと思った。当時の工学部の人は苦労したのではないかと
思えた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学の伝統的なスクールライ
フの過ごし方や広島大学にかんけいのある学校の校歌について学ぶ
ことができた。広島大学に昔からある学祭などを学ぶことで広島大学
の伝統を知ることができ、広島大学の一員として知っておくべき知識
を身につけることが出来たと思う。広島大学で生活を送るにおいて、
昔の学生の生活を知り今の自分達と比較することはとても重要である
ことだと思う。
工・ 2 ・男 自分の中で、昭和の頃の学生たちは今の学生たちとまっ
たく違っていて、全員がすごく勤勉でかなり真面目だというイメージし
かなかったけれど、蛮柄のようなファッションをしたり寮で大騒ぎしたり
と、イメージとは違う面もあったんだと思い、やはりどの時代でも学生
たちはあまり変わらないんだと感じました。一方で、先生のしゃべった
ことをひたすらノートにとる授業など今ではあまり考えられない様な授
業もあり、今よりも勉強をがんばっていたんだろうと思った。
工・ 2 ・男 学生生活ということで、現在の自分たちとどのような違い
があるのかなと考えながら授業を聞いていましたが、あまり大きな違い
はなかったように思えました。授業の最後に見た DVD のなかで寮生
が出てきていましたが、僕自身、現在寮に住んでいるので、先輩の言
うことは絶対だったり、部屋が共同だったということを聞いて、昔は大
変だったんだなと思いました。今の寮に少し不満を持つところがありま
したが、本当に小さいことだったと思いました。
工・ 2 ・男 今回の主なテーマは学生生活についてでしたが、まず、
学生の服装については現在と大きくかけ離れていました。当時は制
服着用が当然だとは思いますが、服装のセンスなども今とは違い、時
代の変化が感じ取れました。授業も学生の立場からすると、現在は大
分楽になったようです。娯楽については、映画やビリヤードなど現在
ほどではないですが、それなりに楽しめるものがあったようで少し驚き
ました。また、授業の後半ではビデオを見ましたが、当時の学生たち
の様子は思っていた以上に激しさを感じました。もちろん、映画なの
で多少の脚色はあるとは思いますが。ストームの場面などを見ている
と、先輩が新入生の歓迎として大騒ぎしていましたが、これは今の学
生もたいして変わらないと思いました。そして、今回の講義はこれから
先数年続くであろう自分自身の学生生活についても何か変化をもた
らすきっかけとなったかもしれません。
工・ 2 ・男 今まではあまり自分の学生生活について考えることがあり
ませんでしたが、今回の講義は、自分の学生生活を考えるきっかけ
になったと思います。今日では、昔と違い、様々な娯楽があり、非常
に豊かではあります。また、授業風景も少々異なっていました。今の
学生は豊かになった分、昔と比べると、授業に積極的ではない部分
があると思いました。自分自身も考え直さなければならいと感じました。
昔の学生は教科書もないので、一生懸命にノートをとっていたという
のには驚きました。今回の講義で、自分自身の授業に対する思い、ま
た、学生生活の見直しを考えることができました。
工・ 2 ・男 現在の広島大学はとても学生にとって住みやすいところ
だと思います。敷地はとても広く、食堂や図書館、体育館、グラウンド、
生協などといった学生のための施設が数多くあり、とても充実した生
活を送れています。勉強面も自分で時間割を決められ、責任は大き
いですが、自分の過ごし方を決められるこのシステムは以前に比べて
もいいものだと思いました。せっかく学校側が学生のためを思ってい
ろいろとしてくれているのだから、自分にためのになるような学生生活
を送らなければならないと思いました。
工・ 2 ・男 今の大学と昔の大学、高等師範校との各校間での闘争
はぜんぜん違うと感じた。おそらく今の大学ではそんなに目に見える
闘争は無いように感じる。しかし、今回の講義の最後で見たビデオの
中では第何学校によってすごい闘争があったように感じた。おそらく
昔の人は自分の通っている大学や、学校に誇りを持っていたことによ
ってそういう闘争が生まれたのではないかと予想する。しかし、機動隊
とか軍隊が出動するくらいな闘争になったことはいかがなものかと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義では学生の生活などの移り変わりについて
の内容であったた。今回驚きだったのが、広島大学の学生の生活費
って言うのは他の大学の子に比べてかかっていないんだなということ
です。仕送り自体も少ないみたいですが・・・昔は知りませんが、今大
学が西条にあるということは、とてもいいことだと思いました。派手に遊
ぶには場所はないけど、下宿生が多いし、また一人暮らしなので学
生が一人で生きていく勉強にもなり、独り立ちしやすいからです。
工・ 2 ・男 学生生活がテーマということで、新生広島大学になって
からの変化だと思っていたのだが、旧制学校の生活との比較だった。
戦争の時代を学習することは多いため、学生が戦争に駆り出されたり
するころの生活というのはある程度固定されたイメージがあった。そし
て、それ以前の時代も似たような生活を送っていると思っていた。だ
が、実際は違っていた。旧制学校の雰囲気を写真などにより味わうこ
とができたが、生き生きとしていて楽しそうであった。最後ビデオを見
たとき劇中で「バカの天才になれ」というセリフが印象的だった。実は
我が母校では進学校でありながら行事を数多く残している学校で、そ
の行事ごとに非常にバカらしいはしゃぎかたをしている。半ば交わり
つつ半ば距離をとっていた当時の自分を思い出した。もう少しバカに
なっていてもよかったかなと思う。当時の生活がかいま見れるこの講
義は興味深かった。時代は流れゆくものなのでこういう表現派好まな
いのだが、古き良き時代、という言葉がうかんだ。
工・ 2 ・男 今まででもあったが広島大学はいくつもの学校が包括さ
れたものであり、中でも広島高等学校は優秀なもののだったというが、
自分たちはそれに負けないように頑張らなければと思った。学生生活
を学ぶといっても一重に答えが出るものではないが、一人ひとりが大
学で何を成すかを持って過ごすことが大切だと思った。大学側からは
いろんな提供ができるがそれには限度があり、学生生活の答えはそ
の人にしかわからないものであると思うし、それゆえ答えは多種多様
である。これを成すことが大学生活で一番大切だと考えた。
工・ 2 ・男 今までどおり広島大学の元となる学校の紹介があり、今
回の講義では写真が多く使われていました。昔の広島大学の学生の
様子、授業、生活など初めて知ったことがたくさんありました。広島大
学ゆかりの歌の中で、薫風寮寮歌「怒濤の譜」は私の部活でも歌わ
れています。最後の映像資料はナンバースクール同士の争い(?)が
とてもわかりやすかったです。考えたことは、「技術は変わっても、学
生というものはいつまでたっても変わらないものなのかもしれないな」
です。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学ゆかりの歌の中にクラブ
の部として各クラブの部歌があることに驚きました。それを聞いて今で
ものこっている少林寺拳法部などに部歌はのこっているのかと疑問に
思いました。また史料の表 4 - 10 を見て父兄からの仕送りが自宅通
学者と寮やその他の寄宿舎に寄宿している人の差が 1000 円くらい
しかないので寄宿している人はそうとう生活が苦しかったのではない
かと思いました。
工・ 2 ・男 現在の授業の形式と過去の授業の形式に想像していた
以上の大きな違いがあったことに驚きました。現在はパワーポイントを
使い、資料を授業開始の前に配られることが多いですが、昔は教授
が言ったことをひたすらノートに写すというものだったようです。昔の
形式では、授業中に教わることについて考える時間がなく、現在の形
式の方が効率的だと思いました。映画を観て考えたことは、昔は伝統
がかなり重要視されているということです。現在にもオリエンテーション
キャンプの班活動などがありますが、昔ほどではないと思いました。こ
れは時代による文化の違いからくるもので仕方のないことなのだろう
かと思いました。今回の講義を受けて、有意義な学生生活をおくろう
とおもいました。
工・ 2 ・男 旧制学校の生徒たちは、当時大学は高等学校の成績で
決まるため高等学校、中等学校の入試が厳しく中等・高等教育でほ
とんど将来が決まるので、現在の学生より必死で勉強していたんだろ
うと感じました。当時は蛮柄な衣装がはやっていたらしいが現在では
絶対いないだろうなと思いました。校歌がなかったため学生たちが自
分たちでつくっていたので現在より校歌により誇りを持っているんだな
と感じました。映画で当時は先輩後輩関係が厳しく、伝統をとても重
んじているなど現在の学生気質と大きく違うと感じました。
工・ 2 ・男 テーマが(広島大学の学生生活)ということで、現在の学
生たちがどのような学生生活を送っているのかというような内容だと考
えていたが、講義では昔の学生たちについて詳しい生活状況につい
て学んだ。講義では、特にお金の面について驚いたことが多かった。
いくら紙幣価値が今とは違うとはいえ親からの仕送りが 2000 円だっ
たり、当時の家庭教師の給料が他の仕事に比べ極めて高いのがす
ごいと思った。今回の講義で学んだっことをしっかり覚えてこれからの
学生生活に役立てたい。
工・ 2 ・男 今回の授業は予想したものと違っていた。広島大学包括
校の話がでてくるとは思いませんでした。しかし中間では、学生生活
になってきたので納得した。昔の大学に行くには、費用もかかるので
家が裕福な上に勉学が優秀ではなくてはならないので、どれだけ大
学に行ける人が少ないかがわかりました。今は奨学金の制度や、たく
さんの大学があり、自分は環境にとても恵まれていると思いました。だ
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
から、そういう環境にいるのだから、もっと勉学に励みたいと思います。
最後にみたビデオは寮の決まりとかでたいへんそうだと思った。抗争
しているところは、あまり理解できなかった。またこの映画を改めてみ
ようと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いていままで何気なく生活していた学生
生活がこれからの人生においても大きな 4 年間になることを考えると、
また引き締まったきもちをもてるようになれた。また昔の人の仕送りや、
生活費をみたりして、今の自分を見直す機会にもなれたきがします。
また今自分はアルバイトをしていなかったのですが、今回の資料をみ
たりするとやはりお金を自分で稼ぐ大変さなど社会勉強が必要だとか
んがえさせられました。人生に価値あるものとして生活していきたいと
思います。
工・ 2 ・男 昔の学生生活について、写真や資料が多く、様子がよく
わかった。北辰斜めにさすところの中で、他学校の生徒と寮に乗り込
んでまで乱闘をしていたことが、今では考えられないなあと思った。謝
罪することの屈辱で涙を流したり、みなが団結していたところは、今と
は違い、ものすごくエネルギッシュだと思った。生徒で自分たちの学
校を支えていこうとしているところがすごいと思った。広島大学にも生
徒だけが作ってきた伝統があるのではないか。そのような伝統を受け
継ぎつつ、大学生活を送れたらなあと思う。
工・ 2 ・男 広島大学の前身を含めてゆかりの歌が資料のようにたく
さんあってびっくりしました。どの歌にも瀬戸内海についていっていた
のが特徴的だったように感じます。いまの広島大学内に不動心の碑
あるとかどうとかしらなかったけど、先代の広島大学の学生によって合
言葉となったこの言葉は今の僕たちにも学ばなければいけないことの
ように思えました。また学生生活を充実させるのは自分自身であるの
でしっかりがんばりたいと思った。
工・ 2 ・男 この講義でまず驚いたのは、学生の生活が数十年の間
にこれほどまで変化していたことである。寮の形態や大学祭の盛り上
りも、現在とはまったく異なっていた。この大きな理由は、学校が統合
し、さらにキャンパスが移転したことだと思う。移転・統合前に築いてき
た地域とのつながりが断たれるだけでなく、新しい、以前にはないタイ
プの人が大学に集まることで、次々に文化が作りかえられてきたよう
に思う。新制の大学となる時も大規模に合併し、さらにキャンパスも移
転したので、広島大学には古い伝統はあまり残ってないのではない
かと思う。また、現在のキャンパスは学生数が多く、町で会う人はほと
んど学生のような状態なので、他大学に比べても社会との関係が薄く、
特異な文化を形成ているように思う。
工・ 2 ・男 学生生活は旧制学校と新制学校では大きな違いがある
ことを改めて感じた講義でした。昔は学生が生活している部屋は、一
人一部屋ではなく、数人で一部屋を使うという形であった。今ではプ
ライバシーの面などからみても考えられないことだと思います。しかし、
それゆえ友人間のつながりが深かったり地域との交流も今より多かっ
たと思います。現在は一人一部屋の快適な生活が送れているかもし
れませんが、一人で部屋にこもったりすることによりオタクといった文
化や言葉が生まれたような気がします。今の学生生活は安全で快適
かもしれませんが、少し寂しい気もします。
工・ 2 ・男 この広島大学は数多くの前身校からなり、その中には広
島文理大学という日本に二しかなかった大学も含まれていたことには
驚いた。多くの前身校から成っているため、広島大学は総合大学で
あるのだと、改めて実感した。昭和 37 年の広島大学新聞を読んだが、
昔の学生の気質も今の学生の気質とほとんど同じなのではないかと
思えた。勝手なイメージで昔の人はなんとなく真面目だったのだろうと
か考えてしまうが、イメージはイメージであって、実際とは違うのだと気
付かされた。大学で自分のしたいことをちゃんと見つけてそれについ
てしっかりと学んでいきたいと思った。
工・ 2 ・男 昔の大学の授業では教科書がなく、教授が話しているこ
とを聞きながらノートをとっていたと聞いて、今の大学では考えられな
いと思った。しかし、みんな授業に集中でき良い授業方法かもしれな
い。あと、広島大学が東広島に移転して西条は勉強するに良い環境
だという人もいるが、私はそうは思わない。理由は大学周辺に遊ぶと
ころが少なく、勉強の息抜きするところが少なすぎ、服とか買うのに広
島市内に行ったりしないといけないからです。
工・ 2 ・男 昔の学生と今の学生との比較が多くあって面白かったで
す。特に、写真などがたくさん使われていて興味をもって講義を受け
ることができました。 DVD の中で、熊本の五校と鹿児島の七校との
闘争を見て、昔の学生はパワーがあったことを感じました。上下関係
も相当厳しそうで大変だったんだとと思いました。学生の衣食住など
が変わっても、自分の夢に向って学ぶ姿勢は変わらずもっていくこと
は大切だと感じました。今後の人生に何か残るような学生生活を目指
して日々過ごそうと思います。
工・ 2 ・男 この講義を受けて一番に思ったことは昔も今も学生は根
本的なところは同じなんだなと思いました。馬鹿やったり、先輩が後輩
に酒を勧めるところとかもそっくりな感じでした。いろんなことにチャレ
ンジしたり、パチンコや麻雀をやったりするところも同じだったりするの
で、それも結構面白いなと思いました。今頃の学生は・・・みたいなこ
とを言われることとかありますが、生活面では特に違いがない気がす
るので、少しやめてほしいなとも思いました
工・ 2 ・男 戦後すぐの広大と今の広大の生活の違いを改めて認識
して驚きました。考えてみれば当たり前のことですが、今までは意識し
たことがありませんでした。万引き等の犯罪について、今ではスリルの
ためにやるというあんまりな事実を前に信じられない気持ちでいます。
裕福になり便利になった反面、そんな不愉快な事実もあるのだと知り、
複雑な気分です。もし犯罪に手を染めたことがある人がいれば、そう
いったことついてこれを機に深く考えてみるといいと思います。
工・ 2 ・男 最初は広島大学の包括校である広島高等学校や山中
高等女学校などについての情報などを聞き、少し想像としていたもの
と違っていました。しかし、広島高等学校の卒業生の多くが東京帝国
大学に進学していたなど自分にとってなかなか興味を引くようなことも
書いてありました。また 2 ページ目には昭和のアルバイトの賃金や仕
送り額、卒業生の就職先などの資料があって、今の時代との違いがよ
くわかりました。今は昔と比べるとかなりいい暮らしができているのだ
なぁと改めて感じることができました。
工・ 2 ・男 今と昔とではやはり、豊かさに変化が出ているのでそれ
に伴う学生生活の変化も当然のことだと思うが今の学生は贅沢をしす
ぎだと改めて感じた。考えたのは、物質一つ一つを大事にする程度
がかなり違っていること。昔は、大学に行けることが珍しかったのだか
ら、今自分たちがこのようにして学べる場が与えられていることに感謝
して、謙虚な気持ちで、学んでいかねばと考えさせられた。仕送り額
などを見ても、明らかな違いがあるし、そういう面からしても昔の学生
の方がまじめであると思う。教授と学生の関係も昔に比べれば希薄に
なっているのではと考えさせられた。
工・ 2 ・男 昔から比べると、私たちはとても恵まれていて勉強に専
念できる環境がよりと整っていると思いました。また、旧制高校がどの
ようなものだったかも知ることができとても勉強になりました。特に、最
後に見た映画を見て、旧制高校同士の愛校心のぶつかり合いや、愛
校心の強さには圧倒されました。ここまでの愛校心を持てと言われた
ら難しいですが、広島大学に愛校心を持つことによって、勉学にもや
る気がより出ると思うので、広島大学を誇って勉学に励みたいと思い
ました。
工・ 2 ・男 昔の学校では校歌を自分たちで作っていたとは知らなく
て、とても驚いた。生徒たちの学校に対する思い入れなどが、よく伝
わってきた。映画「北辰斜めにさすところ」をみて学生それぞれが自
分の学校に誇りをもって、野球に取り組んでおり、自分も何か強い意
志をもって、部活や勉強などに取り組み、これからの学生生活を充実
したものとして、送れたらいいなと思った。
工・ 2 ・男 昔と今の学生生活について、学生の住環境もずいぶん
変わったんだなという印象を受けた。昭和 20 年代には自宅生が約
半数を占めていたのに対して、現在は自宅生が周りにほとんどおらず、
さらには実家が広島県内の学生が半数以下である。これには驚いた。
さらに、学生にとって安くてボリュームがあっておいしい学食は昔も今
も変わらず学生みんなの強い味方であることは間違いない。今のこの
環境の中で、一度しかない学生生活を大事にしないといけないなと
感じた。
工・ 2 ・男 広島高等学校は、もっと早くに設立されていると思ってい
たが最後の 25 番目に建てられたと聞いて驚いた。なぜなら広島大
学が旧帝国大学に次いで歴史があるものだから 6 、 7 番目だと思っ
ていた。また大学の予備機関で卒業者の多くは東京帝国大学に卒
業すると聞いてとても優れている施設だと思いました。そして広島大
学は戦後日本の大学の中で最も多くの前身校を持つと聞いてやはり
広島大学は全国でも有数の総合大学であると思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義は正直今までの学長の内容だったり広島大
学の出来ていく過程などの内容よりは馴染みやすく、わかりやすかっ
たです。大学生にとって昔と今では環境も違ってきているし、学生の
雰囲気も変わってきていると思いますが、自分たちにとってのこの大
学生活の価値はいつでも最高のものであってほしいなと感じました。
日本の大学ならどんな生活をしていても大抵の人は卒業できると思
います。なので個人個人いろんな生活があると思いますが、大学で
勉強していくにつれて自分の価値観も変わってくると思うし人生の生
き方についても決まっていくと思います。なので今何をしていくべきな
のか、それを考えることに一生懸命になってほしいと思います。
工・ 2 ・男 今回の講義で配られた資料をみていると、今と昔の広島
大学の学生の学生生活の違いについて、父兄からの仕送り額や、学
生のアルバイトの賃金の推移や卒業生の就職先など様々な観点から
表にしていて面白いなと思った。これらの表では時代によって違いが
みられたが、広島大学新聞の挿絵にもあるようにパチンコが好きだっ
たり、講義中に居眠りをしたりなど変わらない部分もみられた。また、
旧制広島高等学校のアルバムでは勉強に対する姿勢が今の大学生
とは全然違っていた。なので、これからはすこしは真剣に勉強に取り
組もうと思った。
工・ 2 ・男
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今までの講義の内容とは少し違い少しばかり身近だった
ので、理解者しやすかったです。たぶん『猛虎、戦場を生きて帰れ』
だったでしょうか、この言葉は、とても心に残っています。大学の授業
風景についてですが、今のようなカンジになったのがつい最近だとい
うことに驚きました。以前は、教授・講師方が読み上げたのをひたすら
書きうつすという地獄のような授業風景を聞いた時は、本当に現在が
そのシステムじゃなくてよかったと心から思いました。スライドでいろい
ろな写真を見ましたが、たった数十年でここまで変貌してしまった事
にはびっくりです。(特に制服や服装)
工・ 2 ・男 今回の講義は学生生活の様子についての講義で、自分
にとって身近な内容であったので非常に興味をもって聴くことができ
た。一昔前の大学生は一生懸命講義を受け、勉強をしているようなイ
メージがあったが、アルバイトや遊びを中心にして生活をしていたこと
を知り、今の学生と変わらないなと思った。大学生活の 4 年間は人生
で一番充実していて大切な時間だと親や先生に聞いているので、こ
れからも一生の思い出に残るような生活を送りたいと、この講義をうけ
て改めて思った。勉強の方も怠らないようにしたい。
工・ 2 ・男 今回の講義は、自分が予想していたのと違っていた。広
島大学が戦後日本の大学の中で、最も多くの前身校を持っている大
学ということは驚いた。前の講義で広島大学の前身の学校について
学んだが改めて興味深かった。今回は大まかに各前身校についての
説明や資料によって前の講義の復習になったと思う。広島大学の 50
年によって授業の風景、課外活動の風景、衣食住の変化についてわ
かったと思う。またグラフによってかつての仕送り額と支出額や新入
生 1 人当たりの生活費、学生アルバイト賃金の推移など、今まで知る
ことができなかった情報など知れてよかったと思う。学生生活を送れる
のは今しかいないので精いっぱい楽しもうと思う。
工・ 2 ・男 昔の学生の生活は、今とだいぶ違っていると思った。特
に学校の環境や当時の文化が違うと思った。それが現在までに少し
ずつ文化が変わり、環境が改善されて今日の広島大学に至るのだと
思った。
工・ 2 ・男 「北辰斜めにさすところ」を講義の終わりに見て、今の広
島大学の学生は、ずいぶんと穏やかな生活を送っているのだなと思
った。かつて(映像にあったように)エネルギーを有り余らせていた「学
生」という集団も、現在ではそのエネルギーが分散するところが無数
にあったり、そもそもエネルギーの絶対量が少なかったりするのかと
思う。また、大学に対する帰属意識も過去と現在では大きく違うように
も感じた。住めば都とは言うが、今の広大生が広大の名の下に団結
する、というのは想像しがたい。
工・ 2 ・男 大学生活を営む上で、その生活環境は大事な要素のひ
とつである。工学部が西条に移転した昭和 57 年当時は、アパートの
共有もままならず民家を間借り、まわりに大きな店もなくコンビニはた
った一軒など、平成生まれの私たちにはとても想像のできない乏しい
生活環境だったと思う。当時は苦しい環境に耐えれず自殺者が絶え
なかったと工学部の教授らから聞かされたこともあった。大学側は加
茂学園構想をもっていたようだが、はたしてそこに学生の生活環境の
整備は含まれていたのだろうか?いや、この事実をふまえるととてもあ
ったとはいえない。いまでこそ必要最低限以上の店舗は整いコンビニ
もアパートから数分でも歩けばあるようになったが、当時は悲惨であっ
ただろう。いくら学生の本分が学業だからといって、責任の有無を除
外しても当時の大学の対応は杜撰であったと評価せざるをえないと
思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、昔の学生の日常が現代の学生の
日常とは大きく違っていることを改めて実感した。現在の学生の気質
は、昔と比べて劣っていることは明らかだと自分は思う。なぜなら、昨
今大学生による事件が増え続けていたり、将来何がしたいかを明確
に考える生徒が減っているからである。大学に来て何がしたいか、そ
のためにはどのような学生生活を送らなければならないか、今回の講
義はそのことを考え直すきっかけとなる授業であった。自分も、この一
生の中の大事な 4 年間のうちにこの時期でしかできないことや学ば
なければならないことなどを悔いのないようにより熱心に取り組んでみ
ようと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の前身校である広島高等学校が大学の予備
教育機関であるということは以前の講義で聞いていたが卒業生の多く
が東京帝国大学に進学するということは非常に質の高い教育機関で
あったことがうかがえる。また講義の最後に紹介された映画で学生た
ちが自分の大学をかけて立てこもったということからも自分の通う高等
学校に対する並々ならぬ誇りや思いがあったのだということが分かり、
今の我々にはないものを当時の学生は持っていたのだということが分
かった。またそのような教育の最たるものが講義で話された、授業に
おいて教授が話したことをひたすらノートに書き取るという授業ではな
かろうか。そこでは教科書がないほど最新の内容が話されていたとい
うことから質の高さ、最先端への意識というものがあったのだと感じた。
工・ 2 ・男 この講義で旧制広島高等学校の学校の様子や写真を見
て、現在の高校とは大きく異なるものだと感じた。広島高等学校は男
子のためのエリート教育機関であると認識されていたということに驚い
た。そのせいか学生がみんな真剣であるし遊ぶ余裕もなさそうだった。
現在の私たち学生は少なからずともこの時代の学生を見習わなくて
はと考えさせるものだった。今日の講義を受けて、今の私たちは昔に
比べ平和になった分得たものもあれば、失われたものもあると考えさ
せるものだった。
工・ 2 ・男 現在と昔の生活をみてもやはりお金の面からしても裕福
度が違ったし、それに 50 年の歴史を持っている広島大学なのだから、
講義の風景も部活や課外活動、行事などもやはり大きく変わってきて
いるなぁ、と感じました。今現在学生生活はあまり考えずに過ごしてい
るだけな気が改めてしました。最後にあった、気質、自分たちの一生
にこれが同位置づくのか、それを考えてもっと動くべき度と今日の講
義を受けて考えさせられました。学生生活の 4 年間もしくは 6 年間を
価値あるものにすべく考えたいです。
工・ 2 ・男 昔は、大学生の象徴が学生帽だったというのは、今から
では想像しにくい風習だと思った。また、高等学校生のファッションの
流行の蛮カラというのは、現在ではどこの田舎の番長でもやっていな
いのではと思わせるようなファッションであると思う。さらに、映画で見
た学生寮の生活が印象的だった。多少の脚色はあるにしても、ほとん
どあのままだったに違いないと思う。先輩の杯は断れないといった伝
統は、今の学生の中には、恐くなって学校を辞める人が出るのではな
いかと思わせるものだった。また、ストームのような馬鹿騒ぎは、現在
では周囲の人の温かい目などあるとは思わないので、あの時代なら
ではの伝統だと思った。何かと周囲の目を気にして生きる人が多い今
日、ああいったことができるのは、少し羨ましく思う。
工・ 2 ・男 昔の学生がどのような学生生活を送っていたかについて
今回の講義で初めて聞くことばかりでした。昔の学生は現在の学生と
比べ勤勉というイメージがあったので、寮や下宿先に帰っても勉強ば
かりしているもんだと思っていました。実際、授業中の風景などは現
在のそれと比べ明らかに真剣で学問に対するまじめな姿勢を感じま
したが、一方ではストームや寮雨など現在では考えられないほどのば
かばかしい行為も行われていて、イメージよりもずっと楽しい学生生
活を送っていたのが伺えました。当時は校歌はつくらず学生たちが
作った歌を歌っていたと言うのも驚きでした。学生たちが自分で考え
それをみんなで歌ったのだから結団力もいまとはくらべものにならな
いくらい強かったのでしょう。当時の学生たちの持っている絆はすこし
羨ましいです。
工・ 2 ・男 広島大学の学生生活についての講義だったので、自分
の今後の学生生活について考えたいと思う。プリントでは、昭和 29
年のアルバイト賃金は、日給で平均 300 円くらいであり、そのお金は
当時どれくらいの価値があったかは知らないが、たぶん相当安いの
ではないかと考える。私の今のバイト先でいうと日給になおして、 450
0 円くらいはもらっている。今私には仕送りももっらているので意外と
学生生活には困ってないが、昭和 29 年当時にはアルバイトをしない
といけないくらい金銭に困っていたのではと感じる。なので感じたこと
は、今の時代に生まれてよかったと思う。
工・ 2 ・男 昔のアルバイト賃金の推移が月給が家庭教師で 2000
円と最初は驚きましたが、当時の物価とかから考えたら相当な額に値
したんだと思います。また、他のアルバイトに比べて家庭教師の賃金
が飛びぬけて高いとこから当時は勉強に親、子と力を入れていたの
だろうと思い、そういう点は、現代と類似しているように感じました。他
に気になったのが仕送り額で、全国平均と比べると倍近く広島大学の
人のほうが額が低く、このことから当時の広島大学では生活面での出
費が低くて、生活に余裕があったのでないかと思う。もしくは、アルバ
イトが多くできる環境にあったのかもしれない。今回の講義で勉強、ア
ルバイト、サークルなど大学生活のあり方、過ごし方を改めて考えさ
せられた。
工・ 2 ・男 今回の講義で一番心に残ったことが昭和 25 年ごろの父
兄からの仕送り額と支出額という資料をみて広島大学は全国的にみ
て、ずいぶんとお金のかからない大学だったんだなと思ったことだ。
全国的にみて家賃の安さがこの理由の大半だと思った。また、広島
高等学校の卒業生の多くが東京帝国大学に進学していることを知っ
て、当時の今でいう東京大学がどれほどの難関大学だったのかわか
らないけど卒業生の多くが進学しているということはすごいことなのか
なと思った。ほかの地方の高等学校はどんな大学に進学しているの
かも比較して見たかった。
工・ 2 ・男 講義の後半部分は講義を受ける前に予想していた内容
とほぼ同じだった。高校のときの担任が広島大学の出身だった。その
先生に当時の大学周辺の学生街の様子を聞くことがあったが、今と
は全くと言っていいほど異なっていた。当時は大学周辺に大型スー
パーなどはなく、田んぼや畑が広がっていたとのことだった。それと比
べると今の環境は恵まれているのだと実感した。また、一生にとって
大学生活四年間はどう位置付くかということについては深く考えたこと
がなかっただけに新鮮に感じた。広島大学に特に大きな目的をもっ
て入学してきたわけでもないので四年間で目標を見つけ、大学での
生活が目標を達成するための架け橋になればいいと思った。
工・ 2 ・男 昔の学生は志が高く、我が強いように感じた。それに比
べ今の学生は弱気ですぐに物事を投げ出してしまうような感じだ。戦
後だったり当時の入試を勝ち抜いたというプライドがあるなど、今とは
だいぶ社会状況が違うとはいえ差が大きいと思う。自分も当時の学生
- 703 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
に負けないように勉強に取り組み、目的意識を持って今後の学生生
活を送りたい。また、昔の学生の仕送り額において広島大学は他大
学との平均よりもかなり低いことがわかった。これは支出額も平均に比
べ安いからであり、広島大学が経済的に通いやすいことも伺える。
工・ 2 ・男 私は今回の講義を受けて、広島大学また前身校の学生
がどのような生活をしていたか様々なことを知ることができた。まずは
じめにおどろいたことは、広島大学新聞の現代学生気質で書かれて
いる学生の生活が、今の学生と同じ、または今以上にひどい生活を
送っていたことです。また昔の大学の前身校の写真を見る限り、図書
室化学実験室など大学というよりは高校の部屋のつくりをしており、講
義の写真も高校の授業のようで、この学校が大学の前身校であると
思えなかった。
工・ 2 ・男 今回の講義で広島大学の昭和時代からの学生の生活に
ついて学びましたが、学生アルバイトの賃金の推移についてが印象
に残りました。やはり家庭教師は割りの良いアルバイトなのかなあとも
思いました。時代に沿ってやはり賃金が大幅に上がっているのもわか
りました。あと一つ驚いたのが、昭和 29 年の新入生の生活費は、自
宅生以外は約 7000 円かかっているのに対し、アルバイト賃金は一
か月 2000 円程度であったということです。やはりその頃は金銭的な
意味で大学に入れない人もたくさんいたのだろうと感じました。
工・ 2 ・男 広島大学の学生は、全国の大学生と平均して父兄から
の仕送り額が大幅に低いことが分かった。また支出額も全国の大学
生よりも大幅に少ないことが分かる。それに伴い、広島大学の学生の
アルバイト収入は年々増加傾向にある。このため、以前よりも学業に
打ち込む者が減ってきたのではないだろうか。だが、広島大学の学
生の就職先を考えてみると、圧倒的に大企業に就職する者が多く依
然学業でも優秀な成績を残していることが分かる。平均してみてみる
と広島大学の学生は、父兄からの仕送りがあまりなく、その不足分を
アルバイトで補い程度であまりお金を使うこともなく学業に打ち込んで
いるのではないだろうか。私の考える大学生の生活様式はまさに広
島大学のそれであり学業を優先して、アルバイトそして遊びをうまく共
存させるというものだ。だから広島大学の学生スタイルに大いに共感
できた。
工・ 2 ・男 広島大学の学生は、父兄からの仕送り額が全国の大学
生の平均に比べて少ないことがわかりました。また、広島大学の学生
の支出額も全国平均と比べて大幅に少ない結果になっています。こ
の仕送り額では生活費を補うには困難だと思います。それに伴って
広島大学の学生のアルバイト収入額が年々増加していました。これ
は仕送り額との関連性があると思います。中でも家庭教師の賃金は
ほかのアルバイトよりも高額で 4 倍から 5 倍近くもあります。これは広
島大学の学生が勉学に対して優秀な成績を残していたからなのでし
ょうか。私は広島大学の学生は勉学に励み優秀な結果を残し、規則
正しい生活を送るべきであると考えています。だから昔から大企業へ
の就職者が多いのも納得できました。
工・ 2 ・男 昔の大学は出席の確認もなく、期末試験の 1 回で成績
が決まるので学生の中にはマージャンや酒で夜中に遊び、学校には
あまり行ってない人もいたと聞いたことがありました。しかし、今日の講
義を受けそれは一部の学生であり、大半は高い理想を持ち今の学生
よりも日本の将来を考え、自分たちが未来を作っていくのだという学
習意欲が高かったのだとわかりました。昔の人のようにはできないかも
しれないけど、学習意欲を持ち続けていきたいです。
工・ 2 ・男 旧制学校の時代の学生生活が興味深かった。途中観た
映画の 1 シーンで「馬鹿の天才になれ」と言う場面があったが、あれ
はいい言葉だと思った。大学は勉強・研究をするところであることに間
違いないが、大学生活はそれ以上に勉学以外のことにも打ち込み、
人間性を育てる時間だと私は考える。大学生が馬鹿なこともしながら
大学生活をめいっぱい楽しむのは、今も昔も変わらないことを感じた。
自分も勉学をおろそかにしないようにしながら、残りの学生生活を今
後の人生に価値あるものにしたいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学はとても広く生徒数もとても多いので、ライフス
タイルも多種多様で、とても参考になる生活態度の人もたくさんいる。
昭和の人々の生活やお金のやりくり、アルバイトの時給や内容の推
移について知ることができたのはとても興味深かった。僕たちはせっ
かく広島大学に入学することができたのに、何もせずにだらけている
だけのキャンパスライフはもったいないと思った。今回の講義で聞い
たことを活かして、これからは有意義な生活を送ることができるように
していこうと思う。
工・ 2 ・男 私は現在一人暮しをして二年目になる。昨年の一年間
は一人で暮らしていくということに不安などもあったが、ほぼ不自由な
く生活できた。それは両親の支援や生活環境に恵まれていたからで
あると思う。しかし昔の学生の生活はどうであっただろうか。旧制大学
の時代は学校に勉強をしに行くという思いが今の学生よりも強かった
だろう。したがって学生生活は最小限で行えればよかったと思われる。
このことを考えるとアルバイトもして勉強だけでない学生生活を送って
いる自分は幸せだと思う。これからももっと充実した学生生活が送れ
るようにしたい。
工・ 2 ・男 父兄からの仕送り額と支出額を見ると広大の学生につい
ては自宅生は仕送り(小遣い?)額内で支出しているが一人暮らしで
は支出が仕送りを越えているからバイトか奨学金を得ていることが分
かる。しかし全国では自宅生でも支出額が小遣いを越えている。学生
の気風の違いを感じた。「北辰斜にさすところ」は当時の寮生の様子
などおもしろかった。父が大学のときにも先輩からの酒の通過儀礼の
ようなことがあったと聞いていたが、まさにバンカラに相応しく野蛮な
感じだと思った。今は普通に楽しく飲んだりするだけなのでずいぶん
変わったのだと思う。
工・ 2 ・男 学生たちは皆、学生服を着て写真に写っている姿を見て
もすごいまじめに授業を受けているなと感じた。このような風景を見て
いると、今とはまったく違うなと思った。今の学生たちは授業中に寝て
いたり他の事をやって集中していないように思う。このころの学生は今
よりももっと倍率の高い競争を勝ち抜いてきているからその重圧から
そのようになっているのかなーって思う。今の私たちにとってこの大学
生活は人生にとってすごい重要な役割を占め、将来に大きくかかわ
ってくると思う。もっとこの大学 4 年間を充実したものにしたい。
工・ 2 ・男 今回の講義は、今までと違って映像などを使っていて当
時の大学生の様子や考え方などがイメージしやすくとてもわかりやす
い講義だったと思います。昔の大学は今とは考え方も先輩と後輩の
関係もまったく違っていたので驚きました。服装に関しては、大学生
でも制服を着ていたり、高校で丸刈りのまじめそうな人が大学卒業時
にはかなりくずれた格好をしていたりといろいろと驚くことがありました。
また、先輩と後輩の上下関係もかなり厳しく感じ、今では考えられな
いと思いました。今回の講義を受けていて、昔の大学生はたくさん馬
鹿騒ぎをしたりして、それを地域の人たちも受け入れていることが少し
うらやましく感じました。
工・ 2 ・男 今回の講義でまず最初に驚いたことは広島大学というの
は出来上がる前までにたくさんの高校や大学が合わさって設立され
たということを知ったことだった。昔と今の学園祭は雰囲気がちょっと
違うらしかったので昔の広島大学の学園祭を味わってみたいと思っ
た。プリントに今まで合併してきた校歌がたくさんのってるが合併する
とき、校歌をどう残していくかでなにか問題はなかったのだろうかと疑
問に思った。広島大学に入学して 1 年ちょっとたつがこの講義を通し
て初めて広島大学の校歌を見た気がした。
工・ 2 ・男 昔の大学生の格好や生活ぶりを見て、今とまったく違うと
いうことに驚き、昔の大学生はすごくエネルギーを持っていて、楽しそ
うにしていると思いました。
工・ 2 ・男 今までは大学本体に関する歴史が多かったのですが、
今回は学生生活の歴史についてだったのでとても興味がありました。
学生生活は一番その当時の流行などが反映されるものだと思うので、
講義を受けているとその当時の世相までも知ることができた気がしま
す。たとえば学生の住宅事情についてなら、昔は食事つきの下宿が
多かったらしいけれど、今ではマンションやアパートなどでのひとり暮
らしが主流になっています。昔は、その下宿で寝食を共にする人と語
らったりすることがあったのかもしれないけれど、今はひとりの時間が
ほしいと感じることが多いのでひとり暮らしが一番妥当だと思います。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて衣食住について昔と現在では大き
な違いがあることを知った。昔の大学生が高校のときの学生服を着て
いたのに驚いた。食に関しては昔は食堂自体ないものだと思ってい
たが、食堂はちゃんとあった。でも、米は禁止されていてうどんやパン、
牛乳などしかなっかたらしい、しかし、パンがあったことは意外だった。
あと住むところに関しては、一つの部屋に 5 , 6 人で住んでいたとい
うのはすこし楽しそうな感じもしたが、やはり一日中一人の時間がない
ということはきついと思う。昔の人と現代の人とでは時代が違うので、
まわりの環境もちがって、普通が違うので昔のことを知ることは大切な
ことだけど比べること違うと思った。
工・ 2 ・男 昔の学生は制服を着て毎日通学をしていたということを
知って驚いた。今となっては制服もないから特に驚いた。また、昔の
学生はまじめなイメージがあったけれど、文章を読んでいると、授業を
さぼって、麻雀とかパチンコに行っていたという記述を読んで、学生
自身の気持ちは今も昔も変わらずに似たようなもんなんだなと思った。
また、昔の食堂のメニューとかにもすごく興味がわいた。そして、学生
のために下見の学生街が切り開かれていったことにもとても興味があ
ったし、うれしかった。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、広島大学は、戦後日本の大学の
中で、最も多くの前身校を持つ大学だということを聞いて、改めて広
島大学が優秀で地域の協力を得ている大学なんだなと感じました。
幅広い分野の前身校があり、工業専門学校から文理科大学、さらに
は医科大学まであることを知りました。こんなに幅広い分野の前身校
があったからこそ、現在のようにすばらしい総合大学に成長していっ
たのだと感じました。広島大学の成長のために、自分も貢献していく
べきだと心に打たれた講義でした。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて今後の学校生活をどのようにすごし
ていくかを改めて考えようと思いました。
- 704 -
工・ 2 ・男 広島大学の包括校である学校の生徒がどのような学生
であったのか、またどのような教育方針のもとで学んだのかが、少し分
かった気がする。自分の学生生活と照らし合わせてみると、今の大学
は、より自由になってきていると思う。しかしそれゆえに全て自己責任
であるから、中途半端な気持ちで大学生活を過ごしても、それなりの
ものしか帰って来ないと思う。大学生活を充実させ、よりよいものを身
につけるためにも、これからの生活を頑張っていきたいと思う。
工・ 2 ・男 広島大学は戦後日本においてもっとも全身校が多い大
学であることを知って驚いた。大学生活はとても自由があり、時間もあ
るため、やりたいことに専念することが可能であるが、自分のやりたい
ことがないと堕落な生活をおくってしまい貴重な時間をつぶしてしまう
ことが多い。広島大学は施設が充実していて、学生のサークル活動
も盛んであるのでその中で切磋琢磨し自分を磨くことができるとおもう。
自分はあと大学生活を半分以上残しているので、今後の人生におい
てとても価値がある人生を送りたいと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて今後の学校生活をどのようにすごし
ていくかを改めて考えようと思いました。
工・ 2 ・男 この講義を聞いてこんなにも現在の学生生活と昔の学生
生活が違うのかと驚いた。昔の学校は学生服や今は重要文化財とな
った角帽などきちっとした服装で、きちっとした態度で授業を聞いて
いたんだなと感心した。これを見習ってこれからの学生生活をきちっ
とした態度でまじめに取り組んでいきたいと思った。また、昔の広島大
学の学生たちは、全国の大学に比べて資金面では恵まれていなかっ
たと思う。それに比べると今は資金面に恵まれ良い環境で勉強や研
究にうちこめることはとても幸せなことだと思った。
工・ 2 ・男 広島大学の学生はあまり資金面において恵まれていな
かったと思った。全国平均に比べて仕送りが少なく、アルバイトをしな
ければ生活が苦しかったと思う。しかしその反面、全国平均に比べて
支出が少ないので、お金があっても使い道がなかったんだとも考えら
れると思う。広島大学を卒業した人たちが大企業に就職する可能性
がとても高いということに驚いた。昔の学生はえらいと思った。現在の
ような大学行事は、学生の生活の変化に伴って作られてきたものだと
いうことを実感した。
工・ 2 ・男 今回の講義は思っていたものとは、ちょっと違っていまし
た。包括校の事から始まり、また前身校の話かと思いましたが、授業
風景や野外活動の風景、衣食住の変遷、街の変化、大学祭の変化、
と幅広い内容で講義としては少し大変でした。授業の終わりに見た映
画はなかなか面白かったです。エレベーターガールに会うためにデ
パートに行き、お金を渡そうとするイタズラになんだか歴史と言うか、
ジェネレーションギャップのようなものを感じましたが、ちょっとした息
抜きみたいな感じで楽しかったです。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて広島大学は学生生活を支えるにあ
たってたくさんのことをやっているのがわかった。その中で広島大学
は、戦後日本の大学の中で、最も多くもの前身校を持つ大学であると
いうことを知ったのは驚いた。その前身校は、それぞれ目的をもった
教育機関であり、広島女子高等師範学校など真の価値を発揮できず
に役割を終えた機関もあったり多くも苦労も重ねてきたんだなあとも
思いました。自分が印象をもった大学は、広島文理科大学であり、今
の広島大学の方向性基は、この大学であるということが知れたのもよ
かったと思った。
工・ 2 ・男 私は、広島大学について、もともと 9 つの学校だったもの
がひとつになったとしか知りませんでした。前の講義では、 9 つの学
校についてあまり詳しくは聞けなかったので、とても 9 つの学校につ
いて知りたいと思っていました。広島文理科大学は、日本に二つしか
ない学校だったとしり、とても驚き、今広島大学にいることをとてもうれ
しく思います。広島大学の歴史は、とても興味深く、これから機会があ
れば知っていきたいと思いました。
工・ 2 ・男 私は、広島大学について、もともと 9 つの学校だったもの
がひとつになったとしか知りませんでした。前の講義では、 9 つの学
校についてあまり詳しくは聞けなかったので、とても 9 つの学校につ
いて知りたいと思っていました。広島文理科大学は、日本に二つしか
ない学校だったとしり、とても驚き、今広島大学にいることをとてもうれ
しく思います。広島大学の歴史は、とても興味深く、これから機会があ
れば知っていきたいと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、広島大学の学生の生活がどのよう
に変化してきたかということがわかってとても興味深いものだったと思
う。やはり、印象としては昔より現代のほうが何事も自由に生活できて
いると感じた。しかし、プリントにのっている「現代学生気質」というもの
を読むと現代も昔も本質的には学生の生活は大きくはかわっていな
いのだと感じた。この歴史ある広島大学で過ごす僕の学生生活は、
自分の人生に価値のあるようなものになるように遊びも勉強もしっかり
していきたいと思った。
工・ 2 ・男 今回の授業を通して、たくさんの学校がひとつとなって広
島大学ができていることを知った。また、私たちの生活は昔の学生さ
んたちがおられるから、有意義なものにできているのだと改めて感じ
た。そして、個人的には広島大学のゆかりの歌という印刷されたペー
ジを興味深く見ることができた。一見、似ているようなことを書いてある
が、よく見るとそれぞれの学校の想いや信念がつたわってきた。これ
からも広島大学を信じて充実した大学生活を送れるように頑張ってい
きたいと思う。
工・ 2 ・男 授業を聞いて、昔の広島大学の学生は私が思っていた
よりも自由気ままに生活をしていたと知った。昔は、大学進学率が低
く、みんなまじめな学生ばかりと思っていたので驚いた。学生寮で先
輩に酒を飲まされたり、マージャンを楽しんだり、学生食堂では拍手
をしながらプロ野球を観戦したり、パチンコに熱中したりで自由であっ
たと知った。また、教授の圧力などに嫌気がさした学生が学生運動を
し、門を封鎖したりで今よりも学生の地位が高かったのではないかと
思った。
工・ 2 ・男 今と昔では学生生活も全然違ったと思うし、心構えも違う
と思うけど、自分なりに今の学生生活について考えてみる必要がある
と思った。昔の学生がどのような感じだったかはわからないけど、プラ
イドが高かったならそれは自信の表れだと思うし、自分も自分の行動
に自信を持てるようにしていきたいと思った。自分の学生生活を振り
返った時に公開の残らないようにしていきたいし、そうする努力をしよ
うと思った。
工・ 2 ・男 広大の前身校の話や学生気質の話なども興味深かった
のですが、個人的には仕送り額やアルバイト賃金のところがいちばん
興味深かったです。資料の表を見る限りではやはりアルバイトではい
つの時代も家庭教師が一番儲かるんだなあと思いました。仕送り額
や生活費のところでは、奨学金をもらっているとはいえやはり親に感
謝しないといけないなあと思ってしまいました。
工・ 2 ・男 東広島キャンパスに通い毎日の生活を送りながら思うこと
は、学生が生活するのに必要最低限のものがそろうように街がうまく
成り立っていて生活が滑らかに送れて楽しくできるとゆうことだ。 20
年前に同じ東広島キャンパスに通っていたとゆう親戚に当時の学生
生活はどうだったのかときたら、当時の西条は今のようにいろいろな
店や飲食店、カラオケなどの娯楽ができるような設備が十分に整って
いるという状況は見られなかったと言う。だから、発展したこの街の生
活のしやすさにもっと感謝をして学生生活を送り、ここで過ごした 4 年
間を将来の自分のプラスにできるよう有意義な生活を送っていきたい
と思った。
工・ 2 ・男 今日の講義を聞いて、今までの自分の学生生活を改め
ようと思いました。大学での 4 年間は本当にあっという間だと感じまし
た。これまで、自分は毎日をだらだら過ごしてきました。貴重な時間を
無駄に過ごしていると後悔しました。勉強だけでなく、サークルやバイ
トや友達との付き合いなど今しかできないことを大事にしたいです。ま
た、今は時間がたくさんあるので新しいことにも挑戦したいです。一人
暮らしなので健康にも気をつけたいと思います。社会に出るまでに、
今のうちに自分を磨いておきたいと感じました。
工・ 2 ・男 広島大学は戦後の日本の大学の中で最も多くの前身校
をもつ大学ということで、幅広い分野の人々が集まったと思います。だ
から、学生の生活もさまざまだったんだと思います。今は、日本で二
番目に広い大学であることを生かし、部活動やサークルなどの種類も
多種多様にあります。学問も大事ですが、大学生活を楽しむためにも
こういった課外活動も大切だと思います。広島大学ではフェニックス
バレーなど学内で誰もが参加できる大会があるとこがいいと思います。
そういった行事で人と人との交流も深めていけたらいいんじゃないか
と思います。
工・ 2 ・男 旧制学校の学生たちはバテカラといった変わった格好を
している人もいて個性が強かったのだと思った。休み時間は野球や
サッカーをして遊んでいたらしくその点では今も昔も変わらないと感じ
た。新制大学の授業風景を見たところ、今に比べ少人数で現在の教
室規模とははるかにかけ離れていた。当時の全国の学生たちは自分
たちで歌を作ったり、競い合ったりしていたことを知り、団結力が強い
と思った。これからの大学生活を送っていく中で、何か打ち込めるも
のを見つけ、将来価値ある経験を積んでいきたい。
工・ 2 ・男 今回の講義で、旧制学校と新制学校の、学生生活の違
いがわかりました。授業の風景や、課外活動の風景や、衣食住の変
遷や、学生街の変化や、大学祭の変化など、たくさんの違いを学びま
した。今回の講義で、私は今しかできないことをたくさんして、楽しい
4 年間にしようと思いました。自分の人生の中での大学生活の 4 年
間を、思い出に残るようなすばらしい 4 年間にしたいと思いました。
工・ 2 ・男 今回の内容は正直あまり興味がなかったが、戦前と戦後、
今と昔でどのように学生生活が変わっていったのかが少し興味深か
った。
工・ 3 ・男 広島大学の学生生活について今回講義を聞きましたが、
アルバイトの話などは興味深かったです。私もスーパーでアルバイト
をしているので比べてみましたが、今と違って日給であることに昔っぽ
さを感じました。また昭和 48 年度卒業生の就職先をみると男性はほ
とんどが大企業に就職しているところにうらやましさを感じました。全
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
体的に女性の数は少ないですが、小学校教職の数だけは男性の 4
倍近くものじ女性がなっていることにも、昔は教職につきたがる女性
が多かったのかなと思いました。今は就職がかなり厳しいので、早く
景気回復してほしいなと心から感じました。
工・ 4 ・男 昔の学生たちは、我が強く勉学やさまざまなことに対して
非常に能動的な方たちが多かったんだなという印象を受けた。また、
昔の人々の活気や熱意が今のサークル、学生団体の活動を大きくし
ていったのだなと思った。新入生に対して行うオリキャンは、参加した
自分としては非常にありがたいものだった。友達もでき、おかげでとて
もスムーズに大学生活になじむことができた。衣食住にかんしては、
最近は生活環境はよくなったが、近所とのつながりは少なくなった。し
かし昔は、服装は決まっていたが、下宿などで、近所や同居人とのつ
ながりは非常に多かったようだ。
歯・ 1 ・女 今回の講義では、昔の学生の姿を知ることができ、とても
面白かったです。私たちと共通している部分もありましたし、もちろん
異なっている部分も多くあり、とても興味深かったです。講義の後半
から見た映画もとてもよかったと思います。その映画の中のせりふの
中で、馬鹿になるのは難しいという言葉がありましたが、その言葉がと
ても心に残りました。残念ながら誰のせりふかは忘れてしまいましたが、
とても奥の深い言葉だと思いました。
歯・ 1 ・女 表 4 ー 10 を見て仕送り額、支出額ともに広島大学は全
国平均に比べ少ないのにびっくりしました。今では地方都市としての
広島なのに不思議に思い考えてみました。全国平均には、私立大学
なども含まれているので、仕送り額・支出額ともに多いのだろうかと思
いました。また、表 4 - 24 を見て昭和 29 年から昭和 48 年の間に
おいて賃金が何倍にも増えているのに驚きました。まさに戦後の驚く
べき日本の経済成長だと思いました。そして、校歌が今までに何曲も
つくられていたのにも驚きました。
歯・ 1 ・女 卒業生の多くが東京帝国大学に進学したり、日本で 3
番目の女子師範学校であったりと、以前から全国に誇れる学校であ
ったということがわかった。講義中に見た映像の中では、一人ひとりが
誇りを持っていて、どんどん意見をぶつけていっていると思った。講
義中に何度も出てきた「エリート」という言葉のとおり、みながエリート
意識を持っていると感じた。それを考えると、今の広島大学の生徒は
自分が広島大学の学生であるということにもっと誇りを持つべきである
と思う。
歯・ 1 ・女 広島大学は前身校を多く持つため、それだけ学生達の
間でも貴重な伝統が受け継がれてきたのだと実感した講義だった。
自分達で歌や踊りを考えて盛り上がるのは楽しそうだし、活動が激し
そうだったりもするけど、とても充実した学生生活を送っていたみたい
で、とても羨ましく思った。また、料理が学問として研究されていたの
も、今では滅多にできない未知への探求のようでおもしろそうだった
し、今の物が溢れ返っている世の中こそ物を大切にする心は必要だ
と思う。同様に、お金のことにしても親の給料で暮させてもらっている
のだから、ちゃんと自立して親孝行しなければいけないと思った。
歯・ 2 ・男 まず服装がとても特徴的で大学なのに学生服ということ
にも驚愕したが、蛮柄という汚い服に汚い下駄、マントをしている姿は
とてもかっこいいとは言えないし、学生に見えるかも微妙なラインでこ
れが時代の流れなのかととても驚いた。また今の講義は大体が教授
の話を聞きながら要点を自分でノートに取る形をとっているが、昔は
そもそも教材がなく先生の話を一字一句ノートに取っていたと聞き、
昔の学生はとても大変だったんだなと思うのと同時に、相当な意欲と
意識の高さを持ってやらないとできないことだろうと思った。そういう意
味では今の生活にも昔の学生生活から学ぶべき点がまだまだあるの
だなと改めて思った。
歯・ 2 ・男 映画を見ました。そこに出てくる学生たちは今よりも活気
にあふれて威風堂々としていました。映画の中で「馬鹿の天才にな
れ!!」という言葉がありました。この言葉に共感もしました。なぜなら
現在の大学の学生気質は高校の延長に過ぎず、ただやらされている
という感があるからです。馬鹿になるということはすべてのことを自分
で決め、自分で責任を取った上での日常の行動生活だと思います。
今の学生にその精神はあるのでしょうか。当時の学生たちが活気に
あふれていたのはその精神があったからだと思います。それが勉学
や部活動にもいい面で影響が出て行ったのだと思います。
生生・ 2 ・女 広大の学生の、学生生活は今と昔ではずいぶんかわ
ったということは予想していたが、その変化は予想以上だった。しかし、
みんなで飲んで騒いだり、蛮柄な格好をしたりと形は違うが、精神的
な部分は今とあまり変わっていないという印象を受けた。それでも、勉
強に対する意欲は昔の学生のほうが高く、今とは比べものにならない
んだろうと思う。教授の言ったことを書きとるだけの講義は私にはとて
も無理だと思った。昔と今の大学生の学生生活の違いが分かり、とて
も面白い講義だった。
生生・ 2 ・女 今回の講義では、旧制学校の日常やまわりの環境に
ついての話が特に印象に残りました。当時の写真や風刺なども多くス
ライドで見ることができ、イメージがつかみやすかったです。現代とは
外見から行事のようなものまで、全く違っていてとても新鮮でした。今
日主に講義で話された学校は、難関校であるにも関わらず、常に真
面目な生活を送っていたわけではなく、悪ふざけをする時はするし、
けじめがきちんとあって、周囲もそれを特に咎めることなく見守ってい
て、今の時代ではない風景だけに少し憧れを感じました。講義の最
後の方に見た映画にもとても興味が持てたので、機会があれば一度
全部見てみたいと思いました。せっかくの短い学生生活なので、悔い
のないよう充実したものにしたいと思います。
生生・ 2 ・女 終わりに見た「北辰斜にさすところ」とゆう映画を見て、
昔の学生は情熱的だと感じました。さらに、寮がとても狭いのに勉強
を頑張っているところを見て、見習わなければと感じました。私は今大
学生活をなんとなくで過ごし、授業は一応一生懸命やってはいるの
ですが、得に打ち込めるものがありません。せっかく大学に通わせて
もらっているのだから、勉強だけではなくもっといろいろな経験をして
残りの二年間を有意義に過ごし、たくさんのことを学びたいと思いまし
た。
生生・ 2 ・女 「北辰斜にさすところ」という映画を観て、昔の人は大
学間の抗争に楽しんで、また情熱的に参加していたんだなと思いまし
た。また、あれだけの騒ぎを見守ってあげていた近所の人たちはどれ
だけ寛大だったんだろうと感心しました。今だったら、騒音だとして通
報され、捕まっていてもおかしくないくらいの騒ぎだと思います。しか
し、今の私は彼らのようにあんなに何かに一生懸命になることがなく、
少しうらやましいような気がしました。昔に比べて現代は、周囲も何事
にも冷めているような気がします。
生生・ 2 ・女 今までの講義では、広島大学の組織の編成や代々の
学長など身近には感じにくいものだった。しかし、今回の学生生活と
いうテーマは今の自分や校風と比べることができて頭にはいりやすか
った。特に映像で見ると印象に残りやすかった。「北辰斜にさすとこ
ろ」というビデオを見たが、いまとはまるで違う先輩方との上下関係や、
一風変わったルールがあって面白かった。今の自分の学生生活も楽
しいが、昔の密度のとても濃い学生生活も少し送ってみたいと思った。
生生・ 2 ・女 広島大学の今と昔を比べてみると、昔の方が「規則」と
いうものが多そうだと感じた。師範学校ということもあり、いまよりもかっ
ちりしたかんじが漂っていた。高等学校についてだが、どうしても昔は
どちらかというと男性が勉学に励むのだろうという感じしたが、広島女
子師範高等学校、山中高等女学校のように、全国でも数少ない学校
が広島に建てられていることから、広島は全国でも女性の進出があっ
たのだなぁ、と考えた。そして、もちろんそれはいいことだったと私は
考える。そして広島大学には様々な部活、サークルが存在している。
中には歴史の深いものもあるのだなあと今回の授業で思いました。
生生・ 2 ・女 広島大学は、戦後日本の大学の中で、もっとも多くの
前身校を持つ大学であるため、学生生活も他大学に比べて人により
多様性豊かなものだったのではないかと思っていた。広島大学が東
広島に移転したことでメリットやデメリットは両方当然あるが、班活動と
いった例も含めると、大学生同士のつながりや地域の絆が深まった学
生生活が送れているメリットを一番に感じた。また現在、私たちは奨学
金や親の援助もあって、なに不自由なく学生生活を送れていることに
改めて気づいた。特に、私は自宅生なので、温かい食事も用意され、
自分の部屋も当たり前にあり、洋服を買うお金も余裕を持ってある。
昔の学生たちの中には今よりも多くの苦学生がいたと思われるので、
自分の幸せな状況を今の制度や親にとても感謝したい。
生生・ 2 ・女 今回の講義では広島大学の旧制学校の学生の生活
について、が話題でした。難関である高校へ入学した当時の学生た
ちはとても真面目に勉学に励み、国のためといって頑張っていたので
あろうと思っていましたが、「北辰斜に差すとき」の映画ではみんなで
飲んで騒いだりイタズラをしてみたりと今となんら変わらない感じだっ
たのでとても親近感がわきました。しかしそんな風にふるまっていても
皆エリートなのですからそこは少し今とは違うのではないだろうかとも
感じてしまいました。この話での旧制学校の学生はハチャメチャに見
えて遊びと学問が両立できているというすごく理想的な学生像で、だ
からこそ地域も温かく見守ってくれたのであり、理解があったからこそ
地域は大学を誘致する運動にも積極的に参加してくれたのだと思い
ます。地域と学校のこのような関係はとてもいいことだと思いました。
生生・ 2 ・女 昭和 25 年における広島大学生の親からの仕送り額
及び支出額がともに全国平均よりもだいぶ少なかったということが表
からわかった。また、昭和 48 年度の卒業生の多くが大企業もしくは
教職に就職に就いていたといことを今回初めて知った。このことより、
当時の広島大学はレベルの高い卒業生を送り出していたということが
わかる。現在の広島大学の学生気質はどのようであるのだろうか。西
条の土地柄からか学生は比較的穏やかな生活を送っているような気
がする。大きな事件が発生することもない。今後の人生において大学
での学生生活は大きな意味を持つと思う。多くの学生は一人暮らしを
始め、少しずつ親から自立し始める。友人や仲間との関わり方も高校
時代と比べ、多少変わってきているように感じる。卒業後、どうするの
かについても考えなければいけないし、何に就職するかで今後の人
生が異なってくるかもしれない。大企業に就職することが必ずしも良
いとは限らない。この学生生活は自分と向き合い、考える良い役割を
持っていると私は思う。
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生生・ 2 ・男 広大の前身校の学生はごく一部の経済的に余裕のあ
る青年であると思います。一旦旧制高等学校に入ると帝国大学に行
ける可能性は高いが、高等学校に入るには簡単ではないということを
知りました。旧制高等学校の学生は制服を着なければならず、帽子も
三角帽とエリートっぽい格好だと思いました。食事は近くの食堂で主
にうどんを食べるなど、今の広大のバイキング形式とは全く異なると思
いました。またビデオを見て、旧制高等学校の学生は自分たちで学
生歌を作るなど、自分たちの信念で学校生活を送っていると思いまし
た。馬鹿の天才になるとは、形式ばって生活を送らずに、楽しい青春
を送ることだと思いました。
生生・ 2 ・男 今回の授業では、ビデオをスクリーンに写したりして、
とても工夫されていたと思う。そんな中、講義の中で『昔の授業は教
授が話すことを書き写す授業だった』と聞いて、現在パワーポイントや
今日のようにビデオを用いたりした授業を受けられることに本当に喜
びを感じた。自分が何十年か前の生徒だったとしたら、発狂しそうに
なると思う。こんな恵まれた授業環境で授業が受けられるのだから、こ
れからはますます集中して授業を受けていこうと思った。今日の授業
を受けて一層やる気を増せてよかった。
生生・ 2 ・男 旧制大学と新制大学それぞれの時代での学生生活に
ついて、非常に興味深いテーマであった。広島大学は東広島に移転
する前は、広島市内中心部にほど近い場所をはじめ、色々な場所に
あったと聞くが、東広島に移転し始めた直後は、大学の建物が田舎
の何もないようなところにそびえている状態で、現在のような生活環境
からは程遠かったことは、単に店がない、とか、娯楽がない、とかいう
問題以前に、地域社会との連携が全くなく、特に人と人との関わりが
顕著な文系学部にとっては致命的と言わざるを得なかったであろう。
環境を完全に整備させてから移転することは現実には難しいだろうが、
今のこの満足に研究や勉強ができる地域社会との関係ができている
ことに感謝して、大学生活を送っていきたい。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて歴史の移り変わりによる学生生活
の変遷について知ることができた。アルバイトによる給与や親からの
仕送りが多くなっていた。しかし、生活費などを全国平均と比較した
表を見てみると広島大学の学生は全国平均を大きく下回っていた。
やはり地方大学と都市大学との賃金格差は昔からあったことが分かっ
た。また、地方の大学のいるからこそ強く感じることなのかもしれない
が、大学生活において大きな夢を持って、たくさん勉強をし、たくさん
遊び、人生においての大事な大学生活を充実したものにしていかな
ければならないと強く感じた。
生生・ 2 ・男 時間の使い方について考えようと思った。僕は、体育
会の部活に所属し、あまり夜に自由な時間がない。レポート等の宿題
やテスト勉強があると、睡眠時間を削らなければならない。なぜ、そう
なるのかを考えたときに、夜に時間がないということのほかに、空きコ
マの利用の仕方が悪いと思った。空きコマがあると、家に帰って何も
しないで過ごしてしまっている。この空きコマにレポートや勉強をコツ
コツしていれば、後が楽になると思う。時間を有効に使うように心がけ
ようと思った。
生生・ 2 ・男 現在の学生について、広島大学の生徒はよい意味で
も悪い意味でも刺激が少ないと思う。それは、広島大学が市内ではな
く東広島に立地していることが大きいと思う。関西の大学や関東の大
学、私立の友達の話を聞いていると広島大学では想像できないよう
なことを聞くことがある。悪い意味とは喫煙やクラブ、キャバクラなど広
島大学の生徒ではあまり話題にならないことを当たり前みたいに話を
している。よい意味とは生徒ひとりひとりが誰に対しても優しく、他人を
見下したり馬鹿にすることがあまりなく、都会のきつきつした感じがな
いように思える。それは山口大学や高知大学の友達とかかわってい
ても似たようなところがある。これは個人の判断であるがきっと環境で
生徒の気質が変わることがあると思う。
生生・ 2 ・男 配布のプリントにもあったように、現在の学生の気質や
4 年間の学生生活の位置付けについて考えてみた。現在の学生に
ついては、学業以外にサークル活動やボランティア、アルバイトなど
様々なことにチャレンジし、貴重な経験を得ていると思われる。ただ昔
に比べ、生活環境が豊かになったために、学業以外のことに身が入
りすぎている人が増えているともいえる。また大学での 4 年間は、自
由な時間が多いため、自分自身で考えて行動する機会がこれまでよ
りも増え、自分を大きく成長させることのできるチャンスだと思うので、
大切な部分を占めていると考えた。
生生・ 2 ・男 昔の大学生のばんからという変わった服装は時代の流
れみたいなものなのかなと思いました。戦争が始まると服装も次第に
統一されたような似た服を着だすのは、やっぱり戦争の影響があって
政府からの強制や雰囲気が出されていたんだと思いました。映画で
言っていた「馬鹿の天才になれ」、というのはあんまりよくわからなかっ
たけどなんとなく一つのことにがむしゃらになってやってみろということ
なのかなと思いました。そういうことなら僕も馬鹿の天才になってみた
いなと思います。
生生・ 2 ・男 今回の授業では、昔の大学生がどのような生活をおく
っていたについて詳しく知ることができました。また広島大学(及びそ
の前身校)に昔はたくさんの大学歌があったことにも驚きました。正直
に言うと広島大学の大学歌さえもあまり覚えていないので、大人にな
ったときに広島大学の学生であったことを誇りに思えるようにもう少し
大学のいろんなことに興味を持って行きたいと思いました。また授業
の最後にみた動画は今の大学に比べるととても激しいものでした。あ
まり真似はしたくないと思いました。
生生・ 2 ・男 広島大学だけではないが、昔の授業が先生が話をし
それを書き取っていくという授業のスタイルをとってきたということはな
かなか効果的な授業スタイルではないかと思われる。今の授業では
聞くだけでは頭の中に入っていきずらく、睡魔にもおそわれることにも
なる。あまりにも速い授業だと書くこと一辺倒になってしまうが、考える
時間を与えられると理解力や思考力の発達に効果があるだろう。バカ
の天才になれという相反する言葉が印象的であった。確かにそのくら
いの顧みることなく進んでいくような感覚で実行する力が必要で大切
なことであり、私にも必要となってくると考えた。
生生・ 2 ・男 昔の大学生の学生生活を知って、それが今の大学生
と根本的には変わってないように思った。学生の服装は、やはり時代
を感じさせるものだったし、自分を表現しようとする学生の心情が表れ
ているようだった。全体を通して思ったことは、昔の学生のほうが今の
学生よりも大学に対する親しみを強く持っていて、大学が 1 つの家族
のような意識を持っているようだということです。いつの時代でも大学
生というかけがえのない時間を大切にしなければならないと感じた。
生生・ 2 ・男 昔の学生たちは現代の人たちよりも母校に対する誇り
を持っていたと言うことを聞いて大変興味深かったです。僕も自分の
高校や大学に対する誇りは持っているつもりでしたが、昔の学生たち
に比べると足元にも及ばないと思いました。今の常識から考えたらと
ても信じられないような習慣もあったようですが、それらも含めて、古き
良き伝統だったのではないかと思います。僕にはとても真似できない、
と思うようなこともありましたが、昔の学生たちのように広島大学に対す
る誇りを強く持って、これからの大学生活を過ごしたいと思います。
生生・ 2 ・男 今回の講義は写真がたくさんあって、当時の学生の状
況や生活がイメージできてとても興味深かったです。ただ、サラッと流
したところもあったと思うので、もっといろいろな写真をみたいです。昔
の学生は東京大学に行くようなエリートだったし、とてもまじめで上品
な雰囲気だと思っていましたが蛮柄な服を着ていたり、学生たちが寮
の二階とかからそとに向かって小便をしていたりというのはイメージが
変わりました。馬鹿の天才になれと映画でいっていたが、自分もちょ
っとは見習いたいとおもいます。今後の学生生活を価値のあるものに
していきたいです。
生生・ 2 ・男 小学校、中学校、高校とこれまでかよい勉強してきまし
たが、それは自宅からの通学で親にいろいろなことをまかせっきりな
生活でしたが、大学では一人暮らしも始まり、お金の管理や食事の用
意など自分自身で責任を持って生活しなければならなくなりました。
だからこそ今まででは経験できなかったことを経験したり、責任感を持
つことを覚えたり、これからの人生で価値ある時間になりそうです。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて考えたことは、授業のテーマとは
外れますが出席の人数が少なくなったなぁとまず思いました。まじめ
に受けている人もたくさんいるので少なくなったほうがいいのですが
それにしても少し残念です。今回の内容についてですが、一番印象
に残ったのは最後のほうに見たビデオでした。やはり広島大学の生
徒というのは、時代とともに変わってきたんだなと感じました。それでも
今の体育会の元となっているのかなと考えると少し納得しました。や
はり昔と比べると今のほうが落ち着いているというか物に恵まれた環
境にいると思うので、この学生生活を大切にしていきたいと思います。
生生・ 2 ・男 今までの広島大学生の学生生活について学んでみて、
昔の学生も大学デビューみたいなことをしているんだと知ってなんと
なく親近感がわいた。北辰斜にさすところを見て多少なり今の自分た
ちとは違うけど、毎日を情熱を持って熱く生きているんだなと思った。
自分はあの作品ほど上下関係に厳しい世界に生きていないし、大学
に行って当然の世界に生きているので状況が全く違うといえる。だけ
ど自分も同じ大学生なので彼らを見習って毎日に目標を持ち情熱を
持って生きていきたいと思う。
生生・ 2 ・男 今私は大学の授業だけでなく、アルバイトやサークル
活動に参加して充実した学生生活をおくっている。昔の広島大学の
学生もお金がなく苦しい状況であっても充実した学生生活を送って
いたのだと思う。特に下宿生の多い広島大学ではオリキャンや班活な
ど学生が充実した学生生活を送れるようなシステムを整えていてすば
らしい大学であると思う。これからも今までのように学生がいきいきと生
活を送れるような制度を発展させ、「この大学に来てよかった。」とみん
なが思えるような大学であってほしいと思う。
生生・ 2 ・男 私は、今回の授業のプリントで広島大学の学生とその
ほかの全国の学生の父兄からの仕送り額の比較した表がのっていて、
その表からは、圧倒的に広島大学の学生がもらっている仕送り額が
ほかの県の学生よりも少ないことがわかり、一般的には広島大学の学
生は充実した学生生活がおくれていないと考えられるかもしれないが、
私は必ずしもそうではなく、これは広島大学はお金を使う場所が少な
い田舎に立地しているからであると考える。広島大学の周りはお金を
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
使う場所、つまり遊ぶ場所がないからその分、ほかの県の学生よりも
家で勉強する機会が多いはずなのでそういった意味では広島大学の
学生はほかの県の学生よりも充実した学生生活をおくれていると思う。
生生・ 2 ・男 今回は学生生活とあり、自分たちにとても身近な内容
であり、話に入っていきやすかった。また写真などが多くて関心を引く
ような工夫がなされていると思いました。自分の学生生活はまだ一年
あまりしかないけれども、とても楽しく送っており、学生生活の授業で
はそんなふうな学生生活もありだなっと思いました。
生生・ 2 ・男 今回は広島大学の学生生活についてということで、こ
れまでの講義以上に身近に感じられる内容の講義を予想していまし
た。しかし実際には旧制大学の頃の学生たちの姿などもとりあげられ
ていました。なかでも私が一番驚いたことは、昭和の時代からすでに
アルバイトがあったことです。アルバイトは平成に入ってから広まった
ものだと思っていたのに、実は私の両親が生まれる前からあったのは
とても意外でした。
生生・ 2 ・男 今回の講義では昔の学生は楽しそうだなという感情を
率直に抱いた。確かに今のように一人暮らしをたくさんの学生がして
いることも楽しいのだがやはり同じ寮にすみ同じご飯を食べるというの
はとても楽しそうなものだった。さまざまな名物もあったらしく今ではそ
ういうことはないのでうらやましいと多少思うこともあった。また自分の
学校にあれほど誇りを持っていたことは今の自分には多少考えづら
いものもあったが広大生になったからにはここでしかできない大学生
活を満喫したい。
生生・ 2 ・男 旧制の高等学校はエリートが集まっていたと聞いてい
たので、学生生活も堅苦しいものだったという印象があった。学生が
盛んに遊び、悪さをしていたというのが意外だったと同時に、地域の
人々がそれを理解し認めてくれていたというのもすごいことだと思った。
若い時代に無茶をしていろいろな経験を積んでおくことがその後の
人生のためになるんだと感じた。自分は今、学生としての貴重な時間
を何となく過ごしているような気がする。今の時期を今後の人生にどう
生かすか考え直し、後悔しない大学時代を過ごさなければならないと
感じた。
生生・ 2 ・男 今回の講義を受けて一番印象に残ったことは、広島大
学の創立の際の入学式に学生服で大半の生徒がきていたことです。
とても歴史背景について考えさせられました。講義全体をとうして今
の時代は衣食住に恵まれているなとしみじみ思いました。後半から、
歌の話がありましたが、流行りの歌を歌うんではなくて、自分達で作っ
た歌をこのんで歌っていたのにびっくりしました。
総科・ 2 ・女 今日の講義はいつも以上に興味深い内容でした。実
際の現在の自分の生活と比較して考えることができました。旧制大学
の授業風景の写真で、ドイツ語の授業のものがありましたが、第二外
国語はそんなに昔から学ぶものだったとは考えていませんでした。旧
制高等学校の学生は、エリートなので、学ぶことばかりに力を注いで
いたんだろうと想像していましたが。しかし、実際は寮でも飲んだりし
て、楽しんでいたようなので意外でした。官僚とかになって、固いとい
うイメージに感じられる人たちも、大学時代はばかなこともやって楽し
んでいたかと思うと、安心しました。予断ですが、 DVD の最初でたく
さんの学生が歌っていた歌のメロディーが、出身高校の応援歌と全く
同じでした。
総科・ 2 ・女 今と昔の学生生活が結構違うことを実感した。授業の
資料が先生の話しかなくて、先生の話をひたすら大学ノートに書き写
すとかはびっくりした。特に驚いたのは、昔の学生生活が本当に軍隊
の生活みたいだったことだ。「北辰斜にさすところ」に出てきたような寮
生活とか、高校同士の争いとか、軍服や大将みたいな制服とか、
色々時代を感じた。「大きなバカになれ」という考えとか今じゃ考えら
れないなと思った。ほかにも、戦地に行く時に国旗に寮の仲間たちか
ら寄せ書きをもらう、というのは本当に戦時中の学生の悲しさを実感し
たし、自分と同じくらいの年の人たちが戦争に大きく関わっていたとい
うことは、やはり悲しい事実だということを感じた。
総科・ 2 ・女 ビデオを見て、現在の学生と昔の学生の生活や思考
などは、大きく異なっているのだなと改めて実感した。現在の学生は、
自分も含め、与えられたことをただこなし受動的に学生生活を行って
いるが、昔の学生は学生歌を自分たちで作ったり、学生の権利を訴
えたりと、とても能動的に学生生活を送っていたのだなと感じた。ビデ
オを見る限りでは、昔の学生たちのほうが生き生きとしていてとても楽
しそうに見えた。自分自身も、 4 年間しかない学生生活をもっと積極
的に楽しまなくてはもったいないと感じた。
総科・ 2 ・女 新制大学の生活のスライドを見て、私の予想とかなりち
がったのは驚いた。特に衝撃的だったのは「ストーム(嵐)」という寮の
行事(?)。寮生たちが上半身裸で古い木造の寮内を大声を上げなが
ら駆け回るのは、圧巻だった。私は、昔の学生はまじめで勤勉なイメ
ージしかなかったので、とても驚くと同時に親近感がわいた。「ストー
ム」という恒例行事も、今で言う私たちの「オリキャン」でのダンスみた
いなものだし、毎年一年生は『大学って、こんなことをやるんだ~』と、
その恒例行事を見て驚きつつ、先輩たちのあとについて行うようにな
る。形は違うが、やはり若者は、ひとつの活動を通して連帯感を感じ、
絆を深めたいのだと思う。しかし一方で、新制大学以後(特に現代)の、
広大生の生活の問題点も授業の資料より読み取れた。講義には出ず、
毎日パチンコや麻雀に明け暮れる学生・・・。今もそんな学生がいると
は信じられないが、それでは大学に行く意味が無いと思う。遊ぶとき
は遊んでもよいが、講義はお金を払っているのだから受けるべきで、
そうでなければ通わなくてよい。昔と違い、大学が金持ちやエリートだ
けでなく、一般人にも開かれた存在になったゆえの宿命であろうか。
総科・ 2 ・女 旧制広島高校のアルバムに「穏和で学究的・紳士的」
と広高生が評されていたと書かれているのを見て,いまの広島大学に
も少なくともそれが残っているような感じがした。大学に来た当初,広
大生はあまりハメを外さない・少し田舎くさくていとなしいというイメー
ジだったので,広高のアルバムのコメントに通じるものがあると思った
のだ。しかし,これからは生との質も変わると考えられるし,今のような
生徒は少なくなるのではないかと感じる。大学生活は今後の人生に
大きな影響を与えるものなので,多くの人との出会いを大切にし,多
面的に物事をとらえられるような人になるきっかけづくりを,この大学
生活でおこないたい。
総科・ 2 ・女 まず、大学の歌がたくさんあることに驚きました。自分
たちでないものはどんどん作っていくという精神がとてもたくましいなと
感じました。また、新制大学の学生は、ビデオでも見たように、現代で
は考えられないようなこと(立てこもりなど)をしていて、それがいいこと
か悪いことかということかは別として、その行動力や信念は今の学生
にはあまり感じられないものであり、私自身も見習いたいところだと思
いました。そして、社会人になっても自分の大学生活を誇れるような
生活や活動をしていけたらいいなと思いました。
総科・ 2 ・男 時代ごとに流行のファッションが違い何をかっこいいと
するかの基準が異なっていて面白かった。集団生活には、集団生活
のデメリットもあると思うが、今回の講義からはどちらかというと現代に
はない、いい面を多く感じた。いい面というのは、最近は近所づきあ
いが減って、隣には誰が住んでいるのか分からないという傾向がある。
それを考えると、寮での生活は狭苦しいかったかもしれないが、心理
的には仲間との距離をいつも近くに感じることができたと思う。
総科・ 2 ・男 授業の中で見た映画は当時のことがいろいろ出てきて
とても興味深かった。特に気になったのはファイアーストームだった。
それは、私の出身高校である佐賀県の佐賀西高校でも似たような行
事を行っていたからだ。現在の校歌や旧帝学校の校歌など 15 曲ほ
どを歌っていた。その中には映画で出てきた「北辰斜めにさすところ」
も含まれていたのでとても懐かしく思えた。私自身も伝統のあるファイ
アーストームに参加させてもらっていた分、自分たちのファイアースト
ームとの違いなどを探したりしながらとても面白く映画を見ることがで
きた。
総科・ 2 ・男 昔は、帝国大学に入るためにそうとうな努力をしていた
のだなと感じた。ナンバースクール制で、若い番号の高等学校ほど、
より上を目指し勉強する。だが上を目指している人でも学力が足りな
ければ、高等学校の時点で振り分けられる。聞いててすごく厳しかっ
たことがわかった。また学校間でのやりとりも非常に激しいものだった
んだとビデオで見て思った。校歌が定められておらず自分たちで作
ったり、作ったものを替え歌で馬鹿にされたりと、学校にかけるプライ
ドの高さがすさまじかった。
総科・ 2 ・男 広島女子高等師範学校が日本で 3 番目の女子校だ
ということに驚いたが、お茶の水女子大学や奈良女子大学ほど有名
にならなかったことを残念に思った。広島大学における学生生活であ
るが、自分は満足している。たしかに現在は不況であるが、学業も充
実しており、また、交流もさかんなので、今のところ不満はない。こうし
て満足できているのも、今までの歴史が積み重なってできた結果の
おかげだと思う。これからは今後の人生に価値のある大学生活を送り
たいと思う。
総科・ 2 ・男 「現代学生気質」の文章を読んで、ある意味では「大学
生」はあの文章にあるような過ごし方をするのが「大学生らしくて」いい
なぁと感じた。 1 年次に受講した哲学の授業で、先生に「大学は長い
長い夏休み」と言われ、入学したての身にはピンとこなかったのだが、
今になるとその言葉の意味が何となくわかる。もちろん勉強は…まじ
めにしないといけないが、それ以外に、人付き合いを大事にし、精一
杯「遊ぶ」ことも、大学生のうちにしかできない貴重な経験だと思って
いる。これからもその点を留意し有意義な大学生活を送りたい。また、
「北辰斜にさすところ」の映像をすべて見てみたいと思った。
総科・ 2 ・男 まず昔の広島大学の学生も酒やタバコもしていたと言
う話を聞いて、本当に今とあまりかわらないなと思いました。昭和 25
年の広島大学の学生は、親からの仕送り額や、支出額も全国平均よ
りもかなり下回っていたと言うことを知り、昔の広大生は全国の学生に
比べて、金銭面に関してはかなりの親孝行をしていたんだと思いまし
た。そして、さらに昔は大企業に就職できる人がかなり多く、社会から
見ても、広島大学は高く評価されていたんだと実感しました。
総科・ 2 ・男 広島大学の学生生活と言うテーマが授業なので学生
生活だけについて勉強すると思っていましたが、そうではなく、学校
が変わるに連れて学生の変化が見れてとても面白い授業でした。課
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外活動では兄弟校との野球の試合など面白い事を行っていたんだと
思います。さらに、学生街の変化については興味が大きかったです。
昔と現代ではいろいろな点で変化があるのだと思います。大学祭の
変化についても学生にすごく関係のあることだと思います。
総科・ 4 ・男 今回の講義を受けて大変に興味・関心が湧いたものと
して、昔の学生の写真が見れたことである。皆、マントのようなものを
はおり、少し前の女子高生のルーズソックスのように、昔の学生にも先
輩の学ランを譲り受けて着るような、いわゆる流行のようなものがあっ
たことに驚いた。
総科・ 4 ・男 講義中紹介された DVD の中では、現在とは似てる部
分も、全く違う部分もあり、しかし皆楽しそうに生活を送っている姿が
印象的でした。学業だけでなく、私生活の楽しみがあるからこそ、学
業に励むことができるし、学業に励むからこそ私生活の余暇がより楽
しいものになるんだと思いました。
文・ 1 ・女 今も昔も学生は元気なんだなと思いました。とくに中学校
の時はまじめそうなのに、高等学校を卒業するころにはひげも髪の毛
ももじゃもじゃになっているところに、やはり彼らもそれなりのオシャレ
に目覚めるのだなと思いました。今の私たちも大学に入って髪の毛を
染めたりするので同じだなと思いました。昔はストームと言って大騒ぎ
をしていたけれど、今は新歓だとか打ち上げだとかで大騒ぎするので、
何十年たっても学生は遊ぶことが大好きなんだなと思いました。
いきたいと思った。
文・ 2 ・女 学生たちのバンカラ姿から、汚い恰好だと思っていました
が、先輩から受け継いでいる伝統を大事にするという意味合いがある
ことを深く感じました。昔の学生はすごく上下関係が強く、また、ビデ
オに出ていた応援団の姿などから、自分たちの所属しているものに
強い誇りを持っていて、そのためにかなり過激なこともしていたことに
驚きました。
文・ 2 ・女 今回の講義を受けて、昔の学生に対するイメージが 180
度変わりました。私は、眼鏡をかけて、いつも難しい本を持っているイ
ンテリぶった人ばかりだと思っていました。しかし、先生の話を聞くと
バンカラのような今でいうと、不良のような格好をする人が、大勢いた
ことを知って、学生時代にこそ遊んだり、冒険したりして、大切な仲間
とのきずなを深めていくべき時期なんだと感じました。また、授業の最
後のほうで見た映画ですが、興味を持ったので、時間があるときにで
も見たいです。
文・ 2 ・女 旧制学校と新制大学での学生たちの変化も見られて興
味深かったです。やはり、時とともに衣食住や街も変化してきたのだと
改めて分かりました。また、バイト賃金の変遷や仕送り額など普段知る
ことがなかなかできないので、今回その変化も含めて知ることができ
て非常におもしろかったです。
文・ 2 ・女 「北辰斜めにさしむかいて」は戦後の第七高校を描いた
映画ですよね。あの当時の高校は、生徒を成績別に大学に行かせた
と伺いましたが、現在のように願書などの手続きは皆先生が取り仕切
ったことになりますか。加えて、現在で言う推薦入試のような制度も存
在しましたか。また、ある程度裕福でなければ中学にも入学できない
とありましたが、奨学金の制度は存在しなかったのでしょうか。些細な
質問とは思いますが、過去(歴史)を知ることで少しでも視野を広げよう
と思います。
文・ 2 ・女 今回の講義では、広高の学生の生活もですが、熊本と鹿
児島にあった五高と七高の学生の生活もとても印象に残りました。ま
ず最初に感じたのは、当時の学生はとてもパワーがあるということで
す。今の多くの大学生とは違い、何をするのにも一生懸命で楽しそう
だと思いました。学生生活を謳歌するとはこのような感じなのではない
かと思います。私も今大学の寮に住んでいますが、当時の寮は大人
数部屋だし、雑魚寝のような状態で、今では考えられません。今と昔
は本当に何かもが違うけれど、少しのことで盛大に盛り上がれるのは
いつの時代も変わらない学生の特徴なのだなあとも思いました。
文・ 2 ・女 学生の真面目なところだけでなく、羽目をはずしたような
ところもみれてよかったです。この年頃の学生がどんちゃん騒ぎをす
るのはいつの時代も変わらないなと思いました。ストームについても初
めて知りました。今からすると少し変だなと思いますが、今私たちがや
っていることも(オリキャンなどでのどんちゃん騒ぎなど)後の世から見
れば今の私たちと同じように感じるのかなぁと思いました。ただ私たち
と全く違うのは、戦争があったということです。寄せ書きに「生きて帰っ
てきてほしい」という思いを隠しながらメッセージを書いていたことには
とても胸を打たれました。この時代はそういうことを思っていても表に
は一切出さないのだと思っていましたが、この時代の学生たちが頭を
使って何とかその思いを伝えようとしているところに感動しました。
文・ 2 ・女 旧制広島高等学校のアルバムの写真や DVD を見て、
現在の学生生活とはずいぶん違うと感じました。特に DVD では、上
下関係の厳しさに驚き、今の大学生ではついていけないだろうと思い
ました。しかし、制服が決まっていた頃も流行の着かたをしていたりし
て、制限がある中でもおしゃれを楽しんだり、個性を出そうとしたりす
るのは今の私たちの感覚と変わらないと感じました。今は昔と比べて
大学進学率が上がった分、なんとなく大学に進むという意識で進学
する人も多いと思います。今回の講義を受けて、自分はどういう大学
生活を思い描いて入学してきたのかを思い出して、残りの大学生活
を「なんとなく」過ごしてしまわないように、充実した生活を送って生き
たいと思いました。
文・ 2 ・女 昔の学生、というと勉強一本で研究熱心なイメージがあり
ました。今までの講義で、大学に入学できる人はごくわずかで限られ
ていると勉強してきたからです。でも今回、そういう真面目なところだ
けでなく本当に生活面のことやら娯楽のことやら、私の当時の学生の
イメージを覆す部分を見ることができてよかったです。「バカの天才に
なれ。」当時の学生の明るい部分を端的に述べた分かりいやすい言
葉だったと思います。あと、個人的に一番おもしろかったのは、大学ノ
ートの名前の由来です。何で大学ノートって言うんだろう、と疑問に思
ったことが以前にあったので、当時の学生がノートにひたすら先生が
言うことを書き写していたからなんて、学生のその作業の大変さとノー
トの名前の由来にびっくりでした。
文・ 2 ・女 当時の大学生にはものすごく活気があるなと驚きました。
また、大学同士の対抗意識も強く、自分の県の誇りをかけて戦ってい
てとてもかっこいいなと思いました。 DVD の中で、「ばかになれ」とい
う台詞がありましたが、確かに難しいことだなと感じました。将来エリー
トになって、日本を背負っていく人達にとって、大学時代に“ばかにな
る”ということはとても大切なことだったのではないかなと思いました。
今のエリート(官僚)はそのような経験があまりないから、自分の得にな
ることしかしないのではないかと思った。
文・ 2 ・女 現在の広島大学だけでなく、あまり知らなかった前身校
の学生たちの学生生活を知ることができた。特にストームや蛮カラな
ど旧制高校の独特の雰囲気に圧倒された。若いときに様々な無茶を
しておくからこそ、将来立派なエリートになれたのではないかと思う。
また現在の学生は個室に下宿しているものだが、昔の学生は何人も
の人と同じ部屋で生活していた。同じ部屋で寝泊りし、一緒に無茶を
することによって、当時の学生同士の結びつきは現在の学生に比べ
てはるかに強かったのではないかと思う。
文・ 2 ・女 旧制高校の独特な「蛮柄」という風潮の話を聞き、当時は
本当にこんな高校生がいたのだろうかと驚いてしまった。学校という
集団のなかで、何が流行となるか分からないものだなと感じた。また、
新制大学の生活における衣食住の変遷の部分でも、生徒の服装の
雰囲気や髪型にその時代の流行を感じることができた。それに対し、
授業に取り組む姿勢や大学祭などの雰囲気はあまり変わらないよう
に思え、広島大学の良い雰囲気あ受け継がれているような気がしてう
れしく思った。これからの学生生活について改めて考えさせられた講
義だった。
文・ 2 ・女 今回は広島大学の学生生活についての講義であったた
め、昔の学生達が一体どんな生活を送っているのかがとても気になっ
ていた。昔の学生達の写真を見て、今も昔も学生達は元気で輝いて
たんだなとおもった。しかし映画をみて、今の学生達より昔の学生の
方が、学校愛にあふれているのではないかなと感じた。自分の学校
の校歌を作るというのが特に印象的だった。けれどもそれだけ自分の
大学を愛せるというのはうらやましいことだなと感じた。私も最後には
広島大学で学んだということを誇りに思えるような学生生活を送って
文・ 2 ・女 かつての広大は「広島に帝国大学を」という理想を実現
させようという願望のもとにあったので、勉強面はもちろん生活面も厳
しいものなのではないかと想像していたが、酒を飲んでどんちゃん騒
ぎしたりするのは今も昔も変わらないとわかり、かなり意外に感じた。し
かし、昔の学生はたまには羽目を外しつつも、本分はあくまでも勉強
としているが、今の学生は遊びの比重の方が大きいような気がする。
遊ぶことも大事だが、昔の学生のあるべき姿を見返し、もっと勉強に
対して真剣にならなければと思った。
文・ 2 ・男 教育制度や生活様式というものはどの時代にも特徴があ
るが、現代を生きる自分からすると、旧制高等学校の理念や学生の
気概というのは大変理想的なものに感じる。当時の高等学校は、現
在の大学よりも学生の共同意識が高いように感じる。他校との野球の
試合で、あれほど闘争心を燃やし、一喜一憂できたというのは本当に
学校としての一体感があった証だと思うし、またストームに代表される
ような、自分たちで学生生活を作り上げていくんだという思いは、当時
の日本のあり方を体現していると思う。現在の広大ではオリエンテー
ションキャンプが特徴的であるが、そういうものをずっと守っていくのも
大切なことではないかと思う。
文・ 2 ・男 バンカラスタイルはファッションではなく、これによって自
己の存在をアピールしたのではないかと思いました。また集団で生活
するのは社会性を身につける訓練でなかったかと思います。現代の
学生は自分の個性は守るが、しかしこれが社会性に乏しく、討論さえ
も覚束ない状態であるように思います。学内で学生同士で議論らしい
議論を聞いたことがありません。
文・ 2 ・男 広島高等学校について;初期の広島高等学校は、大正
デモクラシーの社会背景において、多聞に漏れず、”蛮カラ”であっ
たが、どちらかというと穏和であったという。一方で、学究的・紳士的と
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
云われていたのは、頷ける気がする。それは、当時にしては、交通面
でも通信面でも都に遠いが故に、文化の伝達は遅れて波及したことと、
広島の風土が大きく影響しているのだと思う。第 6 高等学校(numbe
r-school)として誘致されていたならば、教師・学生の陣容は全国版で
あった筈。その点広島高等学校はローカルであったことは否めない。
このような背景が、以後の学風を育てる礎になって行ったに違いない
し、大戦さらには教育改革を経ても尚、それが今日の広島大学に無
形の伝承となっているように思われる。〔以上)
文・ 2 ・男 今回の講義は、学生生活と言うことで、いつもよりも講義
の内容に入り込みやすかったです。しかし、昔の学生生活は、当たり
前ですが今とはずいぶん違っていて、とても興味深かったです。当時
は今と比べて物がなく、授業形態もずいぶん違うと聞いて、今でこそ
プリントを配布してもらったり、パワーポイントを使った工夫された授業
を受けることができるけれど、当時は学ぶのも一苦労だったのだな、と
思いました。同時に、恵まれた環境の中にいる自分たちは、効率よく
学べることのありがたさを実感し、精進しないといけないなと思いまし
た。
文・ 2 ・男 今回の講義の最後に放映された北辰斜めの中で、屋外
でストームをやっているシーンが冒頭にありました。私の出身校である
嘉穂高校ではほぼ同じことを現在でも行っています。私も高校 3 年
の運動会後に、グラウンドにふんどしで 3 年男子で火を囲って歌い、
走り回った経験があります。なので、この映像を見たときとてもなつか
しく感じました。他の高校の人からすれば野蛮で奇妙な感じのする高
校として認識されていたのは事実ですが、平成のいまとなっては絶対
に他校では味わえない最高の経験だったことは確かだと思います。
機会があれば、あの映画の DVD をぜひお借りしたいです。
文・ 2 ・男 この度は何とも我が身を省みさせられるような意義有るお
話を聞けたと思う。広島大学に入学してはや二年、かつて描いていた
理想の学生生活より遠く離れた己の自堕落。恥ずかしい限りである。
この講義においては上記の予想に反して──特に資料の上に記さ
れたスーダラ哲学のなんたるかを実例で示したものなど──、己にま
とわりつく薄暗い陰を恐る恐るも横目にチラリと見る機会を与えられた。
「立てばパチンコ、座れば麻雀」とまでは未だ至らぬ我が怠惰には一
縷の望みあり、多分に講義の目的からは的が外れたという思いもある
かも知らんが、いや、私にとっては、他のどんな講義から得られるもの
よりも貴重なお言葉をいただけたように思った。
文・ 2 ・男 まず、ビデオを見て単純に昔の学生生活が羨ましいと思
いました。今では大学生のうちが自由と言われていますが、社会的に
も色々な規制が増えてきてあまり昔のように自由にはできなくなってき
ていると常々感じます。それは大学生だけに言えたことではないと思
いますが。今では徴兵もなく、そういう命の危険などは当時に比べた
ら格段に低くなっているなど現在の方が良い点もありますが、周囲の
学生に対する理解のある目など現在にはなくなりつつあるものも見え、
そういう点も羨ましく思えました。また、広島大学が西条に移転したの
に伴い、学食のメニューの工夫や賃貸アパートや借家に関する地元
住民の協力などの生徒が生活しやすいようにとの大学側や地元の人
たちの気配りを知ることができ、とても良かったです。
文・ 2 ・男 やはり旧制高等学校時代はどうしてもエリート養成機関
になってしまい、エリート養成機関となってしまったがゆえのプライド
などがあったのだなと改めて思った。現在の大学は昔と違い、学問の
機会がひらかれている場所だが、自分がしないことには大学生活 4
年間が得るものの少ない、意味の見出せないものになってしまうのだ
なと感じた。その点では、昔の大学も今の大学も変わらないと感じた。
大学 2 年生になり、入学した頃の気持ちが薄れかけていたが、また
思い出せてよかった。
文・ 2 ・男 今まで僕が思っていたような学生生活を送っていたという
印象を受けました。なんだか今の大学生活のほうが性にあってるかも
と思いました。というよりも移転前だから広島市内に居たとしても、かな
り遊んでいたんだなと感じます。また、映画を見たときにも今のうちに
遊んでおけてな感じだったのがよくわかりました。けど、公の場で暴れ
たりするのには驚きました。改めてジェネレーションギャップを感じさ
せるような講義だったと思いました。次回もお願いします。
文・ 2 ・男 いつの時代も学生生活は人生で最も活気に満ち溢れ記
憶に残るものだと私は思う。学び舎でともに学び、共に語らい、共に
遊んだ学友の記憶はいつまでも忘れられないものである。私がこの広
島大学で過ごした記憶も永遠に忘れることのできないものになるであ
ろう。広島大学は多くの学校を包括して生まれただけにその包括校
一つ一つに学生生活がある。その学生生活の間に戦争で志半ばに
散った命も数多くあった。そのころの学生生活に比べれば実に我々
の学生生活などは実に幸せなものであると思う。広島大学の歴史を
学ぶことで、改めて「実りある学生生活とはなんだろうか」ということを
深く考えさせられた上にこれからも有意義に学生生活を送るよう心が
けようと強く感じさせられた講義であった。
文・ 2 ・男 ナンバースクールが岡山に存在したのは非常に残念だ
ったが、九州でも、福岡ではなく熊本あるいは鹿児島に存在したとい
う点から、都市の規模という要素よりも地域間での距離等に考慮した
地理的に均等な配分をするという点に力点が置かれた設置配分だと
感じた。ただ、熊本と鹿児島は距離が比較的に近いにもかかわらず、
なぜ両県に設置されたのかは疑問に思った。学生生活に関してだが、
鷹野橋学生街と下見学生街の場合は同じ学生街でもその性格は大
いに異なっていると感じる。鷹野橋の場合は、土着の個人経営の店
が多い一方で、下見の場合は、全国チェーン等の出店が多く、店側
と学生間の関係などは必要視されない。このような点も学生の人間関
係の希薄化を生む要因になっていると感じる。ただ、嘆いてばかりい
られない。現状を知り、受け入れることで私たちがどのような学生生活
を送ればいいか模索する姿勢が大切だろうと考えている。
文・ 3 ・男 今日の講義では映画も見せてもらいとても楽しかったで
す。当時の学生は(思い出補正の誇張演出があったにしても)とても活
気があってまさに日本の将来をしょって立つにふさわしい姿をしてい
たように思います。ただ無茶をしたり、やけくそになったりというのはや
っていることの違いはあれど、何時の時代も若い人の特権だなと思い
ました。私も残り半分となってしまった学生生活を学生らしく「まじめに
馬鹿」を目指して一生懸命エンジョイしたいなと思いました。
法・ 2 ・男 始め私が今回の講義テーマを見たとき思ったのは『広島
大学の学生とはこう生活するべきである』のような内容の講義だと思っ
ていました。しかし講義内容は私が予想していたそれとは違いました。
私が予想したもの難しいものでしたが、より勉強になりました。少し気
になったのが『父兄からの仕送り額と支出額』をはじめすべての表が
かなり古いということです。せめて昭和でなく平成の資料を見せてい
ただけたらもっと興味も湧いたと思うのでちょっと残念でした。今後の
人生に価値のある学生生活になるようがんばりたいです。
法・ 2 ・女 広大の歴代の学長たちはとても熱心な教育方針や考え
を持っていて、たとえ実際に関わってはいないとしても、広大生として
誇りに思えるなと感じました。普段の大学生活では、自分の勉強など
に精一杯で、学長や講師の方々の思いなんて考えることなんてない
けれど、学長や講師の方々の熱い教育への思いがあるからこそ、講
義も素晴らしいものになるのだから、こうして私たち学生が改めて思い
をめぐらすことも大切なのだなと思いました。
法・ 2 ・女 旧制高等学校について、初めて知る逸話が多い講義で
した。もともと明治期や昭和初期の文学作品が好きで、時代背景など
は知っているつもりだったのですが、まだまだ知らないことがたくさん
あることを感じました。高校が将来の官僚の養成機関であるという位
置づけから、教育は相当厳しく、格式を重んじるような校風ではない
かと当初思ったのですが、「バンカラ」という今で言うギャルに近いよう
な文化があり、「ストーム」といって騒ぐなど、予想を裏切るような事実
に驚きました。また、日本の主導者の卵たちがそういった馬鹿なことを
するというのを地域社会が受け入れているという事にも驚きを感じま
す。昔は今のように細かいことでいちいち騒ぎ立てるようなことのない、
おおらかな時代だったのだということを改めて感じます。また資料の
「現代学生気質」という文章を読んでいると、今も昔も、堕落した学生
のすることに変わりはないのだなと感じました。「球型誘導確率」やら
「中国語と確率の勉強」やら、時代は変わっても案外学生の考えるこ
とは一緒なのだと思いました。
法・ 2 ・女 今の広島大学の学生生活と昭和中ごろの広島大学の学
生生活を比較して考えることができたのは興味深かったです。大学に
入る前は毎日規則正しく小学校から高校生まで学生生活を送ってい
たように思えます。そしてその頃抱いていた大学生活と今送っている
大学生活はやはり違います。特に西条にある広島大学の学生は他の
大学との接点も少なくて少しのほほんとしたところがあるように感じま
す。また学部でも広島大学の学生は就職活動に対して危機感がなさ
すぎると指摘されたことも思い出しました。大学生活は今も昔も自由
なものでその中で本当に自分のやるべきことを真剣に探して行かな
ければいけないと感じました。
法・ 2 ・女 私が今回の授業で印象に残っているのは、様々な金銭
に関する問題である。昭和 25 年の父兄からの仕送り額をみると、広
島大学への仕送り額が全国の平均よりもかなり低い。さらに、アルバ
イト賃金等も年を追うごとに年々増加しているのも気になるところであ
った。また、スライドの最後に書かれていた「一生における大学生活 4
年間の位置づけ」であるが、私にとっては、大学生活は一生の友達を
作る場、さらには、私の一生の仕事を左右する重要な場である。今後
の大学生活もそのように考えながら大切にすごしていきたい。
法・ 2 ・女 広島大学の前身校について、より詳しく学ぶことができた。
受験生のときは、広島大学は視野に入れてなかったけれど、入って
みて二年少し経ち、広島大学に入って本当によかったと思う。今の友
達に出会って視野も広がったし、学びの環境の整ったこの大学で充
実した生活を送れているからだ。今後の長い人生で、この四年間は
かけがえのないものになると思う。今後も勉強に、遊びに全力投球し
たいと思う。
法・ 2 ・女 昔の大学生はもっと「学生」らしく勉強ばかりしていたのだ
ろうと思っていたが、今の自分たちよりももっと馬鹿をやっていて、こ
れこそまさに「自由」な学生生活だと思った。ストームなど、大学時代
にしかできないだろうなあと思って、少しうらやましくなった。バンカラ
という服装の語源が、ハイカラの対義語だということを知って、妙に納
得した。ビデオの男臭いノリが何となくツボに入って、自分で借りて観
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てみたくなった。あと、山中高等女学校の解説をされているとき、自分
の名字が山仲なので教授が「山中」って言うたびにドキッとして落ち着
きませんでした。
の違いや広島大学と全国の違いも読み取ることができ興味深いもの
でした。それとともに今後自分が大学生活を送る上で何を大切にして
いくかということを考えさせてくれる授業でした。
法・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学の学生としての自分を見
直すいい機会ができた。今、大学に入学することは、一般的で、昔の
ようにエリートだけが目指す場所ではなくなった。私も受験期は必死
で勉強したから、今この広島大学の生徒として生きているが、今は当
時のような毎日学習机に向かって勉強していたまじめさがほとんどな
いと言っても過言ではない。大学は自分が将来、社会に出て活躍す
るための準備をする場と考えられるのが本来なのだが、いまや大学は
人生に一回だけの休憩期間と称されているのが、かなしいことだ。
法・ 2 ・男 昔の学生も、今と手段などは違っていいるけど普通に娯
楽を楽しんでいたのだなと思った。その当時からビリヤードがおこな
われていたのは意外だった。ただ、今と違って寮生活などでの先輩と
後輩の縦の関係がきびしそうなのを見て、自分は今の時代に生まれ
てきてよかったとしみじみと感じた。最後に映像資料として流していた
映画は当時の学生生活についてのことがわかりやすかったし、面白
そうに感じたので、今度レンタルして見てみたいと思ってます。
法・ 2 ・女 今回の講義のテーマは、「広島大学の学生生活」というこ
とでした。私たちにとっても身近な話題でしたので、大変興味深く聞く
ことができました。とてもおもしろかったです。来週の講義も楽しみに
しています。ありがとうございました。
法・ 2 ・女 授業を受ける前に自分がイメージしていた内容とは全く
違う、時代も違うものでしたが、非常に興味深く楽しく聞くことができま
した。あらためて、ひとつの広島大学というものが出来上がるまでに、
たくさんの学校が包括され協力し合って今があるのだなと感心しまし
た。昔のデータと照らし合わせて今の自分たち広大生を考えると、変
化の様や、こんなに時がたっても同じような部分などがあり、おもしろ
かったです。五十年史編集室だよりでは、昔の貴重な写真や情報が
得られ、この資料にはとても満足しました。
法・ 2 ・女 広大生の送ってきた生活の様子がありありと見て取れま
した。広島文理科大学の学生たちはきっとエリート然としているんだろ
うなあ…と考えていたら、実情を知ってとても驚いた。意外と皆やんち
ゃしてたんですね。「寮雨」という言葉が一般化するほどに…。言葉の
意味を初めて知った時はいささか笑いを禁じ得ませんでした。そして
学校同士の諍いというのはいつの時代もあるものなのですね。しかし
県議会議事堂にまで乗り込み占拠までするとは、当時の方が何やら
熱さを感じます。「自分たちの学校」に対して誇り高かったのでしょう。
私も母校に対して誇り高くありたいと思っております。
法・ 2 ・男 昔の学生はまじめに勉強ばかりしているのかと思ったが、
意外とばかなこともたくさんしていて驚いた。他の大学の応援団と抗
争したり、杯を交わしたり、なんだかヤクザのようだった。「北辰斜めに
さすところ」の緒方直人が言っていた、「馬鹿の天才になれ」という言
葉が非常に印象的だった。自分も十分馬鹿をやっていると思ってい
たが、昔の学生に比べれば、まだまだだと思ったし、昔の学生の方が
青春のようだった。自分も法律に触れない程度に「馬鹿の天才」にな
ろうと思う。
法・ 2 ・男 「広島大学の学生生活」がテーマということで、生活リズム
の正しい学生と悪い学生の生活を円グラフにして比較するような内容
かと思っていましたが、まったくの見当はずれでした。広島大学は、
戦後日本の大学の中でもっとも多くの前身校を持つ大学というのを初
めて聞いて驚きました。戦前の大学の映像を見ましたが、現在の学生
と比較しても似ても似つかない様子でびっくりしました。僕が言うのも
なんですが当時の学生は学生と呼べないようなほどでした。そう考え
ると大学そのもののレベルが時代とともにあがってきたんだなと感じま
した。
法・ 2 ・男 昔の学生と聞くと、なんとなく勉学にいそしむまじめな学
生というものを勝手に想像していたが、今日の授業を聞くと意外とそう
でもないこともわかっておどろいた。やはりいつの時代でも学生はピ
ンキリであることがわかって、むしろ親近感がわくほどだった。昭和の
時代の日本の話を見聞きすると、思いのほか日本人のユニークな一
面を見ることができそうなので、今日見た映画のようにな、この時代の
文学作品や映画などに興味がわいた。
法・ 2 ・男 今日は期待していた授業とは違っていました。現在の学
生生活を想像していたけど、昔のことが主だったので・・・。昔の学生と、
今の学生とを比較したりするともっと興味深いものになったと思います。
しかし、現在の学生である私たちが、未来の広大生に恥じぬような生
活をしなければならないと感じました。
法・ 2 ・男 前回の授業が広島大学の初代から三代目の学長につい
てだったので、今回はその続編かと予想していて、初代学長よりスケ
ールの大きい学長はいないだろうと思い、あまり期待していなかった
が、学生に関する興味深い授業だった。鹿児島県出身の私にとって、
地元を題材とする映画をみんなに見てもらうことができて嬉しかった。
七校と五校の争いについては祖父から少しだけ聞いていたので親近
感が湧いた。また、昔の学生はエネルギッシュで、今の学生よりも真
面目で気概に溢れていると思っていたが、ばかな学生はいつの時代
にもいるのだと感じた。
法・ 2 ・男 昔の広島大学と今の広島大学の違い、比較がされてあ
ったので昔の生徒の姿が見えてきたような気がした。広島大学の歴
史の移り変わりとともに生徒の生活の変化が十分に分かる内容であっ
たと思い満足しました。昭和のころの学生の仕送り額や生活費、アル
バイト賃金とともに全国の平均が比較されてあるところもあり、昔と今
法・ 2 ・男 正直なところ、学生生活について講義を受けても、自分
自身が実際に体験していることだし、そんな内容の講義を受ける意味
を積極的にとらえることができなかった。しかし、自分があと 3 年近く
広島大学で学び、西条で生活する上で聴いても損ではなかったなと
感じた。実際に自分が経験できることは限られていると思うし、今回の
講義を受けることに限らず、周りの友人や先輩の話なども聴いていく
ことで、これからの学生生活がよりよくなればと感じた。
法・ 2 ・男 内容は現在の大学生の学生生活ばかりではなかったの
で、まさに期待通りという内容ではありませんでしたが、広島大学の前
身校について旧制学校にはナンバースクールやネームスクールと呼
ばれる学校にわけられていたことやナンバースクールのなかでも第一
高等学校から第五高等学校がなかでもランクが高いなどということは
初めて知りました。講義の終りに見た「北辰斜め」という映画はおもし
ろそうだったので一度見てみたいと思いました。
法・ 2 ・男 様々な資料からその当時の服装や髪型を見てみると、戦
後すぐは皆学生服で現代とは全く違うので驚きました。しかし 10 年
前の学生の姿を見ても今とは異なっていて、時代の変化がはっきりと
わかりおもしろかったです。どのあたりで制服から私服へ変わってい
ったのかも気になります。広高は遅い時期に設立されたのに大学へ
の進学が多いのは、それまで高等学校がなかった中・四国地方に学
校ができたことにより、学生達のモチベーションが上がったからだと、
個人的にはそう思います。
法・ 2 ・男 広島大学の学生生活というものを、学生本人がどう感じ
て、周りの人々がどのように見ているのか、とても興味がありました。実
際に今回の授業を受けてみて、昔の広大生の学生生活が周りの
人々や関係者から、皮肉られた表現をされていたことにとても驚きま
した。それほどまでに、広大生の生活の仕方が良く思われていなかっ
たんだと感じました。今現在、その広大生である自分が、どのような生
活お送り 4 年間を過すべきなのかについて考えさせられました。
法・ 2 ・男 今回は広島大学の学生生活のことで、旧広大の学生の
生活について触れられていたので、高等師範学校卒の祖母に実際
に話を聞いてみた。すると、確かに戦時中ではあったので、厳しい監
視を受け、かつ国家主義的な教育も受けたそうだが、話を聞いてい
たよりも、比較的に自由な生活も送れていたようである。特に昼食時
などの休憩時間では今と変わりない様子であったようである。その戦
時中でありながら比較的自由な生活が、現在になってなお広大生に
受け継がれていると思うと、少し不思議に感じられた。
法・ 2 ・男 今回の内容は広島大学の学生生活にちなんだものでし
たが、自分の学生生活について考えてみていました。ふと今までの大
学生活を振り返ってみると、中学・高校と比べて極端に朝に弱くなっ
ているなあと思いました。また、深夜にまで起きていることもしばしばあ
ったりして生活のリズムがものすごく狂ってしまっているなあと思いまし
た。でも、こんな生活をできるのも今しかないだろうと思ってやり過ごし
てきたけど、そろそろしっかりとした社会人になるためにもっと勉学に
励み、生活リズムもしっかり整えていかねばと思いました。
法・ 2 ・男 今回は、広島大学の学生生活ということで、昔の学生が
どんな生活を送っていたのかを知ることができた。アルバイトに関して、
家庭教師の給料が他に比べて圧倒的に高額だったところに驚いた。
現代でも確かに家庭教師のバイトは自給が良いが、これほどの差は
なく、教えられる人材が貴重だったんだろうなと思える。また、「北辰
斜にさすところ」の一部を見て、昔の大学生はやりたい放題やってた
んだなと思った。いまでは許されないようなことが平気でやれる時代
だったんだなと思った。
法・ 2 ・男 旧制大学の学生の生活面をみると現代の中学生のような
印象を受けました。集会などではきちんと整列し、制服で生活するの
は現在とはまったく違って時代の差を受けました。バンカラというもの
を初めて見ましたがさすがに当時の大学生なりのオシャレだったので
はないかと思います。今の学生が服を着崩して着るのと同じでだらし
なく着るのは今に始まったことではないのだろうと思いました。映画の
中で酒やたばこを楽しんでいたところを見ると時代は違えど娯楽を享
受しているのはいつでも同じで親近感を感じる部分もありました。昔
の大学生活のことを考えることはありませんでしたが講義を受けてみ
て今との相違について善悪両方の面があって面白いものだと思いま
した。
法・ 2 ・男
- 711 -
広島大学の現代学生気質の記事に、心当たりが多少あ
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ったので胸が痛くなりました。 40 年以上の年月が過ぎ衣食住の生活
水準が変わってもこういう部分は変わらないものだなと思いました。ま
た、自分は親の金で大学に行かせてもらっているのだということを改
めて思い出し、これまでの大学生活を思うと身が縮む思いです。ただ、
授業の最後にあった「北辰斜にさすところ」にあったようなガチガチな
学生気質は自分にはとても耐えられそうにありませんでした。
法・ 2 ・男 昔の大学は教授の講義の仕方が今と違い、ノートのダラ
ダラ書いていくだけだったということをを聞いて今のたいして面白くな
い講義形式ならむしろ昔のままの方が授業に集中できたと思いました。
授業外の学生生活は五高と七高のビデオをを見る限り、今の飲んで
遊ぶだけの学生が目立つなか昔の学生は表向きはアウトローに見え
ても将来的に人脈や経験になりそうだったと思いました。今も昔も勉
強以外もきっちり楽しむ学生が多かったのだろうと思いました。
法・ 2 ・男 父兄からの仕送り額が広島大学は全国平均よりも低いこ
とがやや興味深かった。この結果にはたいした意味はないのか、それ
とも広島大学の周辺ではバイトによって多くのお金を稼ぐことができた
のか・・。やや気になった。自分は果たしてどのような学生生活を送っ
ているか、と考えてみるとサークルにバイトに、やや勉学のほうが足り
ない気がしないでもないが、それなりに充実した生活を送っているよう
に思えた。これからはよりいっそう勉学のほうにも力をいれていきたい
ものだ、と感じた。
法・ 2 ・男 広島大学の学生の生活について視聴覚資料も交えて見
てきた今回の授業であったが、私が当初広島大学に入学したときは、
大学生というもの生活のあり方について考えていた。それは、まず大
学は学問をするところであるから、自分の理解を深めることができるよ
うな、また、将来の自分に役に立つような勉強をしたいと思っていた。
それと同時に、単に学問だけに偏るのではなく、広島大学の総合大
学という利点に着目して、これを利用していろいろな人と触れ合って、
コミュニケーション能力を高めるとともに、人間としての幅も成長させら
れることが出来たらと思っていた。現在は、その途中にあるが、今のと
ころ大体において達成できているように思うが、この貴重な大学 4 年
間をさらに充実させ、自分を高めていけるように今回の授業を通して
改めて思い直すとともに、これからの大学生活におけるよい示唆であ
ったと思う。
法・ 2 ・男 広島大学の体育会各部に歌が存在していることはまった
くしらないことだったので驚いた。武道系の部はまだしもラグビー部や
医学部にまでも歌があるとは。しかし学部の歌はすべての学部に存
在しているわけではないとわかって少々がっかりした。個人的に気に
入った部歌は「山男の歌」である。五番の歌詞に「町の乙女ら想いつ
つ 尾根の処女雪蹴立てては」というものがあるがこれが面白く、作
った人の性格が垣間見えた気がした。私はまだ大学祭に参加したこ
とがないので今年度は参加したいと思った。
法・ 2 ・男 前半は旧制学校の生活について写真なども交えて話し
てもらったが、正直その生活は予想していたものとは、大きく違った。
例えば、広島高等学校。この学校は卒業生の多くを東京帝国大学に
進学させるほどの進学校である。だから、その学校の生徒は優等生
ばかりなのかと思っていた。しかし、その生徒はストームをしたり、蛮柄
な格好をしたりとかなりやんちゃしていたと知り、驚いた。後半は新制
大学の生活について学んだが、その内容はある程度知っているもの
で、予想通りだった。旧制学校、新制大学の生活について学び、わ
かったことはそれらの学校が地域住民から愛されていることである。な
ぜなら、住民が広高の生徒のやんちゃを許したり、大学祭を楽しんで
くれたりしてくれるからだ。地域住民の愛によって広島大学は成り立っ
ているということを私たち広大生は覚えていなければいけないと思っ
た。
法・ 2 ・男 広島大学の前身となった学校のころ、広島市中心部にあ
ったころ、そして西条に移ってからでは学校の雰囲気も、生徒の生活
もかなり変わってきてるんだなと思いました。広島の街は非常に大き
な都会という訳ではないですが、それでも街中にあった時代と、今の
ように学生街として発達してきている西条にあるのとでは大きく違うだ
ろうと感じました。私としては、のどかなイメージのある西条の方が暮ら
しやすく感じます。ここでの学生としての生活は今後の人生を考える
と、非常に特別な期間であると実感しました。
法・ 2 ・男 当時の学生の暮らしぶりは今の学生とほど遠く感じた。ま
ず身につけている服装から現在とは違っており当時の学生にとって
のおしゃれは今の感覚とまったく違っていて驚いた。授業の風景にし
ても今のように大講義室ではなくそれこそ古い小学校や中学校のよう
な講義室で生徒が数少ない席にびっしりと詰めて座っている姿は時
代が感じられたし、当時は教材などなく、先生や教授の話す言葉など
をそのままノートに書き写すエピソードをきき、想像もできなかった。ま
た今回観た映画も当時の学生の暮らしだけでなく、心意気やほかの
学校に対するライバル心を知るのにとても役に立った。
法・ 2 ・男 旧制の高等学校というものについてよくわかりました。そ
の当時に人についても、映像があったので割と簡単に理解することが
できました。
理・ 2 ・女
正直、昔の大学生も今の学生のように飲んで騒いで、タ
バコ吸って、たまには真面目に勉強して、バカやってたんだなと思い
ました。今は、寮生活ではない人が多い分、毎日の人との関わりが昔
よりは少なそうだとも思いました。また、学校歌が昔はなく、学生たち
で作って歌っていたというのを聞いて驚きました。映画のシーンで、
先輩が後輩にむりやり酒を飲ませるシーンがありましたが、今ではそ
れはアルハラだなと思いました。また、なれるものならバカの天才にな
ってみようと思いました。
理・ 2 ・女 授業最後に見せてもらった映画では、とてもわかりやすく、
楽しく昔の様子をみることができた。アルバイトの給料の変化や食堂
でのメニューからわかるように、今と昔では物価も生活スタイルも建物
も人々の思想もかなり違うだろうし、昔の人たちなので真面目で厳し
そうなイメージをもっていたが、お酒を飲んで騒ぎまくっていたり、部
活をしたり恋をしたりと、昔の広大生たちも今と形は違うが大学生活を
楽しんでいたんだと思った。また、金髪やピアスの学生たちの写真が
とりあげられていたように、現代の学生たちは昔の制服を着ていた学
生たちに比べてかなり自由になったように感じた。高校時代に、卒業
して大学に合格さえすれば自由になれるというイメージをもっていた
のは、今の時代だからこそなんだと思った。
理・ 2 ・女 昔の大学生と今の大学生ではかなり違いがあることがわ
かりました。昔の大学風景は高校の延長のような印象を受けました。
みんな学生服などを着ているし、映画を見ていて、とても団結力があ
ったんだなと思いました。授業なども先生の話している言葉をノートに
全部書いていくと聞いて、すごく大変だと思いました。昔に比べると、
今の大学生活はとても快適になっていると思います。しかし、講義を
受けて、昔も今も大学生活は楽しいものだなと感じました。
理・ 2 ・女 昔の大学生と今の大学生ではかなり違いがあることがわ
かりました。昔の大学風景は高校の延長のような印象を受けました。
みんな学生服などを着ているし、映画を見ていて、とても団結力があ
ったんだなと思いました。授業なども先生の話している言葉をノートに
全部書いていくと聞いて、すごく大変だと思いました。昔に比べると、
今の大学生活はとても快適になっていると思います。しかし、講義を
受けて、昔も今も大学生活は楽しいものだなと感じました。
理・ 2 ・女 今回の講義では、当時の写真をたくさん見ることができて
おもしろかったです。また、映像でも見た高等学校の独特の雰囲気
が今と大きく異なっていてとても新鮮でした。高等学校と大学では、ま
た学生の雰囲気も大きく変わっていて、現代との違いを感じました。
新制の広島大学においても、やはり設立当初と今とでは大きく違うこ
とが分かりました。その中でも、大学紛争がやはり大きな転換点であ
ったと思います。そのあたりのことをもっと調べてみたいと思いました。
理・ 2 ・女 今回の授業は、広島大学の学生生活を学習しました。学
生生活とあるくらいなので、今回はわりと自分達に身近なものを学習
するものだと思っていました。しかし、やはり広島大学の歴史という広
義科目なだけあって、歴史のなかの、過去の、学生たちの学生生活
について学習しました。自分が予想していたものと違いはあったもの
の、課外生活や衣食住など、学生に身近なものを学習しました。やは
り学生生活において重要視されるものは、今も昔も変わらないのだな
と思いました。
理・ 2 ・女 今回は、広島大学の学生生活ということで、昔の学生達
の生活について少し学びました。一番驚いたのは、大学生であるの
にみんなが制服を着ているということでした。お金がなかったから、と
いつかの講義で言っておられましたが、私は大学生になって楽しみ
にしていたことのひとつが「私服登校」だったので、少し寂しく思いま
した。また、最後に少しビデオを見ました。本当に少しであまり分から
なかったのですが、昔の高校生の雰囲気みたいなものは感じました。
もっとちゃんと見てみたいなあと思いました。
理・ 2 ・女 時代が変化すると共に、衣食住に様々な変化がありまし
た。昔に比べ、色んなものが発達し、随分と私達学生の生活は楽に
なったと思います。ただしかし、楽になったからと言ってその生活が充
実しているかどうかは別です。ファーストフードや外食が手軽に味わ
えるようになった分、私達の食生活には偏りができたり機械や交通手
段が発達した分、私達は運動不足になっている気がします。必ずしも、
発展というものがメリットをもたらすとは限らないと思います。充実した
学生生活とは、自分の健康にしっかり配慮し、遊びだけでなく勉学に
も励みしっかりと大人になるための経験を積めるような生活のことでは
ないかと思います。そのためにも、今できることを一生懸命全力でや
っていきたいと思います。
理・ 2 ・女 広島大学の学生生活ということだったが、前進校での学
生についても触れていて、興味深かった。私たちの育った環境とは
やはり様々な面で違いがあるため、学校に対する思いもまた違ってい
たように思う。高等学校の場合にしても、大学の場合にしても、以前の
学生たちと現在の学生との間には、何か大きな違いがあるように感じ
た。単に勉強に明け暮れるわけではなく、自分がその学校の学生で
あることに誇りを持ち、先輩を尊敬して慕い、この姿勢には見習うべき
部分もあるように思う。今は漠然と明確な目的もなく進学する学生も多
い中、私には「日本を背負ってたつ」という大きな目的を持って生活
する彼らの姿は輝かしく思えた。そのため時には羽目を外し、学生と
して青春を謳歌するという過ごし方は羨ましくも感じた。彼らのようにと
- 712 -
はいかないが、やはり自分が入学時に持っていた「広島大学で学び
たい理由」を忘れることなく、これからの学生生活を充実させていきた
いと思った。
理・ 2 ・女 講義で配られた史料にあった旧制広島高等学校(広高)
の生徒の写真が印象的でした。当時は大学にも制服があったのかと
思ったのと同時に、写真の学生が着ていた膝くらいまである長いマン
トのような上着は、昔の映画で見た欧米の大学生が着ていたものに
似ているなと思いました。広高が創設されたのは大正 12 年で、ちょう
ど第一次、第二次世界大戦にはさまれた中間の時期ということもあり、
欧米に対する憧れや意識が強かったのではないかと思いました。
理・ 2 ・女 ナンバースクールやネームスクールなど現在にはない概
念に驚きました。また、第一~第五高等学校を全国に分散させたこと
で、今日でも実力のある学生たちがそれぞれの地域で思う存分自身
の能力を高めていけるのだなと実感しました。映像で見た高校同士
の争いは、お互いが自分たちの高校に誇りを持っていて、現在のよう
に「学校に行きたくない」という学生はほとんどいなかったのではない
だろうかと思います。蛮柄な服装が流行ったり、先生が板書をしない
など当時とは大分異なる部分もありますが、学生同士でどんちゃん騒
ぎをしたり、映画やビリヤードをしたりと私たちとほとんど同じような部
分もあり、時代は変わっても学生生活はあまり変わらないんだなという
感想を持ちました。
理・ 2 ・男 昔の教育機関と今とでは授業などの雰囲気が違ってい
たのは知っていたけど、生徒の様子や意気込みが今とはまったくの
別物のように感じました。確かに今の学校は楽で楽しくなっているけ
ど、そんな今だからこそ昔当たり前だったように本分に立ち返るのもい
いのかもしれないと思いました。でも、映画を見ていると今に生まれて
良かったと思います。
理・ 2 ・男 今回の講義は、まず広島大学の包括について復習をし
ました。その中で、広島大学が戦後日本の大学のなかで一番多くの
前身校を持つとしってとても驚きました。その後に、北辰斜めにさすと
ころというビデオを見ました。その中では、昔の七校と五校が描かれ
ており、特に学校の寮の風景が描かれていました。それは今の寮と昔
の寮は全く別のもので、先輩と酒を飲んで交流をしたり、へんなしきた
りがあったりしたので驚きました。私がこれからの学生としてあるべき
姿を考えさせられた授業でした。
理・ 2 ・男 「バカの天才になれ」今回の講義で一番印象に残ってい
る言葉である。現代なら「バカ」という言葉は相手を蔑む言葉であるが、
「バカの天才」と言うと少しおもしろい言葉であるように思った。とにか
く自由に動けという、今ではハレの舞台でしかしないことを、普段の大
学生活でしていたというのを見て、憧れの感情が少し生まれた気がし
た。勿論、今の大学生活も相当自由であるが、バカになれるほどでは
ない。当時の「バカ」のお陰で、今の自由な大学ができたことがすご
いことだと思った。
理・ 2 ・男 今回は自分が講義前に予想していたものとは大きく異な
り、広島大学の前身校の話だったので拍子抜けしたのだが、昔の高
等学校は年齢的には同じ時期なので変わりはないのだろうと思う。昔
と現在の自分たちの生活を比較するとその変化はなかなか大きい。
今は一人暮らしがおそらく主流で昔のように寮でストームをしたり、先
輩たちと杯を酌み交わしたりはない。むしろ今ではハラスメントや苦情
がきそうなことばかりである。しかし根本的なところは学生であることは
同じであるため似ていて、制服をデフォルメして着たり、学生にはあり
がちな行動は昔からあった。今との違いとして挙げるなら、講義中に
みた映画のように全国でストームが行われていたことだ。やはり高等
学校に通う学生は、明日の未来を築く立派な人々になると期待され
ていたのもあり、バカしても何してもほとんど許されていたのだろう。講
義では前身校それぞれの説明しかなかったわけだが、広島大学とし
て統合されたとき生徒たちの生活はどうなったのかに関して、私はと
ても興味がわいた。それぞれの前身校が今の各学部の原形なわけで、
各校特色も違い、教育、研究などの狙いも異なる。それならもちろん
学習の面だけでなく規則のような生活面も各校で異なるはずだ。それ
を考えると、統合当時の服装や規則等々はどのようにして制定された
のだろうか。一から作り上げたのか、それともどこかの学校の規則等を
基準としたのか。さすがに 9 つもある前身校の規則を 1 つにうまくまと
めるのは難しかったのではないだろうか。ましてやその中には女子校
もあり、現在と違ってまだ女性が積極的に教育に参加できていたとは
考えにくく、統合直後は男女別々の規則なども存在していたのではな
いだろうか。
理・ 2 ・男 昔の大学へ行くような人は勉強一筋というようなイメージ
がありましたが、野球で熱くなったり、みんなで酒を飲んで騒いだり、
パチンコや麻雀をしたり、そういったところは今も昔も変わらないなと
思いました。今日の講義で「馬鹿になれ」という言葉が印象に残り、大
学のうちに自分の馬鹿みたいに熱中できることを見つけろということだ
ろうなと感じましたが、最近バイトばかりしている自分は、こんなんでい
いんだろうかと真剣に反省しました。これからは何か打ち込めるものを
見つけるよう努力したいです。
理・ 2 ・男 今までは、広島大学が誕生するまでや、基盤が作られる
までと、少し自分達の今の学校生活とは離れた議題だった。しかし今
回の内容は、当時の学生の生活に付いて出興味が湧いた。ビデオを
見て、今の学生生活とはかけはなれていて、面白かった。
理・ 2 ・男 今回広島大学の前身校の学校について学べました。広
島高等学校が姫路高等学校とならび、日本で最後に設置された官
立高等学校であること。大学の予備教育機関であること。卒業生の多
くが東京帝国大学に進学しているといった学業に充実していたことと
いったようなことを学べました。そして広島大学が戦後日本の大学の
中で、もっとも多くの前身校を持つ大学であることが学べました。様々
な交流ができるであろう広島大学で学んで行きたいと思いました。
理・ 2 ・男 まず、疑問に思っていた”包括校”という言葉の意味が分
かって良かったです。今回の講義でそれぞれの包括校の特色がよく
分かりました。どの包括校も特徴的でしたが、全体的に学業のレベル
が高かったのだなあと感じました。当時の学生の様子が写真や紹介
されて、とても理解しやすかったです。放課後に喫茶店に行ったり、
部活をしたりしている姿はいまと変わらないなあと思いました。理学部
数学科の先輩の卒業写真もスライドショーに登場して驚きました。
理・ 2 ・男 今日の講義は、「広島大学の学生生活」というものでした。
僕が驚いたのは、広島大学の前身校が日本でいちばん多いというこ
とでした。また、講義の中で『北辰、斜めにさすところ』というビデオを
見ました。いちばん印象に残っているのは、「バカの天才になれ」とい
うセリフでした。寮の風景などもいいなと思いながら見ていました。あと
私事ではありますが、私は鹿児島出身であるので、「山形屋」とかが
出てきてておもしろかったです。
理・ 2 ・男 講義を聞いて、昔の学生はここまでしてワヤをしていたの
かと思うと、やはり僕らとあまり変わらないな、とかむしろ僕らよりあの
色々厳しい時代でめちゃくちゃしていたのかと思うと、個人的にすごく
尊敬したくなる。しかもエリートと呼ばれ、日本の未来をしょって立つ
人達があそこまでやるのが僕には意外だった。ああやってむちゃくち
ゃやって世の中の不条理さを知って、りっぱな大人になっていけるの
かと思うと、時々ははめを外す自分ももっと思いっきり青春をしていき
たいと心から感じた。
理・ 2 ・男 始めに、広島大学の包括校を再確認できた。スライドで
説明されたため、非常に見やすく、これまでに学習したことを再確認
できた。あらためて思ったことは、広島大学は、 9 つもの前身校をもっ
ているとは、すごい歴史があるんだと思った。次に、大学生活の移り
変わりを目の当りにしたのだが、実際これが一番印象的であった。今
私が生活している大学生活とは想像もつかないほど、昔の大学生活
は違っていたので、ななり驚いた。これからもこのような驚きの事実を
目の当りにしていきたいと思った。
理・ 2 ・男 旧制学校のなかにも第一~五高等学校のナンバー校と
呼ばれる官立の有名校、広島や姫路高等学校のネーム校、私立と公
立高等学校のピラミッド型の位置関係があることがよくわかった。また、
広島高等学校はネーム校であるけれども卒業生の多くを東京帝国大
学に進学していることから学校での教育が優れていて、その流れをう
けている広島大学となった際にも広島大学は教育が特色になったの
だと思った。旧制の学校の学生生活においては学生服がなくてはな
らないものであり、現在のような個人が自由に好きな格好をするとは
大きく違っていて私は学生服でもいいなと思った。
理・ 2 ・男 広島大学は、戦後日本の大学の中で、最も多くの前身
校を持つ大学であるので、統合した当時は多種多様な校風やモラル
の入り混じった感じだったのかなと思った。また時代とともに制服が廃
止され、食堂も多様なメニューとなり、自宅生が減り、街も様々な店が
でき、今広島大学生である自分はなかなか幸せだなと思った。その
反面今は昔と比べてモラルが欠け、だらだらと無駄な時間を過ごして
いる学生が多い気がする。そうならないためにも積極的に活動し有意
義な学生生活を送りたいと改めて思った。
理・ 2 ・男 今回の講義を聞いてまずひとつ感心したのは私の通うこ
の広島大学は前身校が多い大学としてすごく誇りあるものだなと改め
ておもった。また上にも書いたが今回の講義において 5 校 7 校とい
ったら私の地元にある大学もふくんでいて特に熊本大学と鹿児島大
学についての話興味深く、楽しく聞くことができた。この講義をきっか
けとして新たな発見ができてよかったと思った。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて感じたのは、昔の方が良い意味でも
悪い意味でも学生が生き生きとしていたということです。ストームのよう
な行動をしたいとは思いませんが、その学校の学生としての誇りが根
本にある気がしました。また、制服や蛮カラというのも何かしら伝統や
誇りがある感じがして、服装の今昔のイラストを見てそういったものが
薄れていくのを嘆くことに共感しました。今の学生はオリキャン等で騒
ぐようなことはあってもなんだか昔とは意味合いの違う気がして少し空
しくなりました。
理・ 2 ・男 結局、時代という差があっても、考えていることに大差は
ないと感じた。僕も例に違わず、希望を持って入学し、先輩に単位の
とり方を学び、バイトに精を出しつつ、将来に不安を感じているといっ
た風である。やはり、大学の四年間というのはこれからの人生の基盤
となるものでそれぞれやりたいことを自主的にやっていると感じる。た
- 713 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
だ最近は寮に入るのが強制でないから、上下関係が希薄化している
のかと思う。
ていましたが、良い点でも悪い点でも共通点がたくさんありとても興味
深かったです。
理・ 2 ・男 今回の講義で非常に興味深かったのは昔の広島大学の
学生生活についてでした。まず、驚いたのは父兄からの仕送り額と支
出額が両方とも全国平均を下回っていたことです。あと学生アルバイ
トで家庭教師のバイトが他のバイトよりかなり賃金が高いというところに
も驚かされました。やはりこの時代はみんなが大学にいけるわけでは
ないために勉強のできる人は重宝されたのだなと感じました。昔の広
島大学の学生生活をしり今自分がいかに恵まれた環境にいるのか感
じることができました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて大学での 4 年間のすごし方が今後
の一生にどのようにかかわってくるのかについて考えさせられました。
就職してからでは今のように自由な時間をこんなにもとることはできな
いので、今しかできない貴重な体験を大事にしたいと思いました。プ
リントにあった学生賃金等の資料なのですが資料が古かったので、
最近のデータと比較を行っていただきたいと感じました。西条が学生
の町であるためか、田舎であるためかは分からないのですが他地域と
のアルバイト賃金の比較があっても面白いのではないかと思います。
理・ 2 ・男 昔の大学生は現在の大学生に比べ、今回の講義を受け
た限りでは、社会や大学からの縛りに敏感に反応し、それらを嫌うか
のごとき生活をしていたように感じた。その中で大学の伝統や、自分
が故郷を背負って出てきた身としての誇りを大切にしているようにも感
じられ、その点に関しては現在の大学生とは少し異なった感覚を持っ
ていると思った。寮におけるスコールについて、現在も似たような事を
していると、九州大学に通っている友人に聞いたことがあったので、
過去の伝統がしっかりと現在に受け継がれているのだと感じました。
理・ 2 ・男 今回の講義は今の自分自身にも関係ある「学生生活に
ついて」であった。私が注目したのは学生のアルバイト賃金、新入生
1 人あたりの生活費である。プリントの資料が昔のものであるため金額
の価値の差が出てくるが、両方の項目は今とさほど変らないような気
がする。また父兄からの仕送り額では広島大学は全国平均と比べて
とても安いことに驚いた。やはりそれは宿舎の家賃などが東京などと
比べて広島のほうが安いからではないかと考える。この講義を通して
今一度自分の学生生活を見直したいと思った。
理・ 2 ・男 まずビデオの感想であるが、今では全然考えられないこ
とだと思った。もし、あの時代に自分が生きていたら耐えきれないと思
った。毎日のように先輩後輩の関係を意識しなければならないし、建
物に立て篭もるなど考えられない。次に広島大学の学生生活につい
て述べたいと思う。下宿がなければ地域の人の間借りは考えつくが、
納屋に住むとは想像できなかった。あと、金髪やピアスは今では普通
に見かけるが、ここ何年かのこととは思わなかった。今回の講義は自
分の興味とマッチしていておもしろかった。
理・ 2 ・男 旧制広島大高等学校創設期のアルバムの資料を見て、
現在と異なり、男子のための高等教育機関であり、学生も社会も旧制
学校をエリート教育機関と意識していたということに驚きました。また、
東京・京都という両帝大の進学が圧倒的であったことにもまた驚きで
した。大学進学率が高いため、周囲の評判も高かったということにも
納得です。また、化学実験の写真を見て、ずいぶん一度に大勢の人
数で行っているなと感じました。ドイツ語の授業もあり、レベルの高さ
が伺えました。学生の就職先を見ると、男子は大企業が多く、女子は
小学校の教師が多いことに気がつきました。
理・ 2 ・男 今回の授業はたくさんのスライドを観ていく授業だったの
で楽しく受講することができました。昔の学生たちの生活感がすごく
感じられました。食堂での風景や寮での下宿生活の様子を見ると、今
の僕たちの生活とあまり変わってないこともあって面白かったです。最
後のほうに見た映像での違う大学の学生同士の衝突の場面につい
てはすごく考えさせられました。今の僕らからすると、公共の施設に立
てこもってまで喧嘩をするのは理解ができないけれども、安易に笑っ
てしまうこともできないようにおもいました。学生生活において何を身
につけるか、学生生活は何のためにあるのかということを考えさせら
れた授業でした。
理・ 2 ・男 広島大学を戦後日本の中で最も多くの前身校をもつ大
学であったが、学生生活において他の大学生よりも際立っている特
徴は何であろうか。まず、仕送り額が挙げられる。仕送り金は全国の
大学の平均と比べて 1000 円程少なく、それに伴って支出額も全国
平均より 1000 円程少なくなっている。最初 1000 円はあまり変わらな
いと思ったが、昭和 25 年の話なので、当時の 1000 円となれば相当
な金額である。また、旧制広島高等学校創設期のアルバムの写真な
どもあり、制服なども今とは全然違い、印象にのこりました。
理・ 2 ・男 かつての学生は、今の学生とはちがい自分の学校(大学)
にすごい誇りを持っていたのだと感じました。ビデオで見た、県庁に
学生が立てこもってそのまわりを別の学校の学生が取り囲むなんて、
今では考えられないことです。それだけ大学同士で衝突があるという
ことは、その都道府県にとって大学があることが誇りであり、大学の存
在が今よりももっとおっきかったのだと感じました。広島においても、
中四国で広大が一番であるという誇りがあったのだと思う。
理・ 2 ・男 講義の最初の方に紹介された、ナンバースクール、ネー
ムスクールの後新制大学の顔ぶれが予想外でした。授業では第六高
等学校までしか説明がありませんでしたが、調べてみたところ、第七
高等学校には鹿児島大学が該当していることも予想外でした。なぜ
なら、中国地方には一校もないのに九州には熊本、そして、鹿児島
の二校が設置されていたからです。そして、このナンバースクールの
ことを聞いて、地元に○○第一高等学校、○○第二高等学校というよ
うな名前の高校があるので、それと何らかの関係がありそうだなと思い
ました。授業後半のビデオについては、お酒を飲むことが通過儀礼
であることや男性と女性が一緒に歩くことの非日常性などは、今の時
代とは少し違うなと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けてみて、まず今よりも大学生活はきっ
ちりしているなと感じた。写真を見てもわかるように、今のように携帯電
話などはないし、講義をまじめに受けている割合が現代の人よりも多
いのではないかと感じた。だから、今回の講義によって自分の今まで
の大学生活を見直すいい機会だったと思った。また、入学式のときに
聞いた広島大学歌はかなり昔から歌われているということも知ったし、
今までと同様に改めて広島大学の歴史というものを感じた。これから
は昔の広大生に負けないようにがんばっていきたい。
理・ 2 ・男 広島大学の前身校である、旧制の広島高等学校でドイツ
語の授業があったのは、少し意外でした。私もドイツ語の授業をとっ
ているのでとても親近感がわきました。また、前身校で化学実験を行
っていることにも興味がわきました。今の化学よりは古い化学だとは思
いますが、実験の内容は共通しているのではないかと思います。この
授業を聞くまで、私は前身校の時代は、古くて私たちとは違うと思っ
理・ 2 ・男 最期に見たビデオが、とても印象に残っています。父は
大学時代寮に入っていたのですが、そのときの理不尽な伝統や風習
の話を、よく話していました。今回みたビデオと重なるところが多くて、
その話を思い出しました。その大学では今でも残っているものが、いく
つかあるそうなのですが、広島大学ではそのようなものはないと聞きま
した。広島大学が移転した時代と、そこからの歴史が短いからなので
しょうか。今も昔も学生時代に馬鹿なことをするのは、変わらないと思
いました。
理・ 2 ・男 今回の講義を受講して、現在と昔の学生の学生生活の
違いを知ることができた。広島大学の前進校のそれぞれの卒業後の
進路などとても興味を持って聞くことができた。前進校の中で広島女
子高等師範学校は、真の価値を発揮できずに役割を終えたということ
であったということはとても意外でした。広島高等学校からの卒業生
の多くは東京帝国大学に進むということには驚きました。そして、大学
祭や学生街も変化していったことにとても興味が持てました。
理・ 2 ・男 学生生活の根本的な意識が今と昔で意外と変わらない
ものだなと思いました。映像の中でとことん馬鹿になれという言葉があ
りましたが広くとらえると今の生活でもよくそんなことをいっては遊びま
わっていますし、勉強だけが大学生活ですべきことではないことだと
いうことは今までの学生生活を通して強く思うことです。一方で学生
同士での衝突やストームといったものを聞いて昔の学生の愛校意識
はすごいものだと感じました。僕らはこんな社会に迷惑をかけることは
しませんが、学生として、どちらが実りあるものかと考えさせられました。
理・ 2 ・男 広島大学のゆかりの歌の多さを見て改めて広島大学の
大きさやすごさを実感した。まさか広島大学の寮の歌まであるとは思
わなかった。さらに二つもあることに相当おどろいた。歌の多さは広島
大学の包括校の多さを表しているので、さすが広島大学だなと思った。
広島女子高等師範学校は日本で 3 番目に出来た女子高等師範学
校だと聞いて、昔から広島は時代の最先端をいっていることがわかる。
広島大学の図書室の大きさや、資料の数はとてもすごいと思う。
理・ 2 ・男 自分は、中学生時代に生徒会の書記をやっていました。
生徒会の仕事は毎日、毎年と同じことが繰り返される学校生活をより
豊かに楽しく過ごすべく、行事ごとにアイディアを募り、それをさらに
実行にうつしていました。今思えば、このころにやっていた生徒会の
仕事は、教師の仕事との共通点が多く、学校という場での出来事、楽
しかったことに深く密接していたと思います。この講義で、自分の中学
校の生徒会の仕事という観点からみて、非常に学校という場は、一見、
なんの意味のない毎日の繰り返しのようであるが、実はそこに大きな、
将来の自分を大きく変えることがあるような、そのような何かがあるとい
うことがわかりました。
理・ 2 ・男 最後に見せてもらった映画。旧制の高等学校の映像がと
ても印象に残った。先輩後輩の関係が強く、また、何をするに於いて
も真剣で、頑固であった様に感じた。自分の学校に誇りを持ち、他の
学校と激しく対立し、常にトップであろうとする姿勢に、昨今の学生や、
社会からは感じられなくなった、男の野心や、獣性、と言ったものを感
じた。現代の学生は、丸くなった。ただただ毎日講義を聞き流し、空
いた時間にサークル活動やバイトに勤しみ、なんとなく過ごしているよ
うに見える。それで、それぞれに真剣に取り組めば、充実もするのだ
ろうが、いったい何人が本気で毎日を過ごしているだろうか。 3 、 4
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年生になってから、真剣に将来のことを考え、焦り、これまでの生活を
振り返り、後悔するのだ。「自分は大学にやってきて、何を成したのだ
ろう。」と。そうならないために、自分は毎日、真剣でありたい。先人達
の様に、何ごとにも本気で取り組み、自分の夢を忘れずにいたい、と
思う。
理・ 2 ・男 広島大学の旧制学校の生活について、実際どういう生活
をしていたのか分からなかったので、よく知れてよかったです。昔の仕
送り額の安さは資料を見たときとてもビックリしました。今僕たちは最
低でも皆 3 万以上は親から仕送りしてもらっていると思いますが、そ
れでも足りないときは足りないと思います。正直、賃金の格差はあった
とはいえどのように生活していたのか知りたいです。祖父が広大出身
なので聞いてみたいなと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義で広島高等学校の学生生活に触れた。これ
までの講義の印象から、広島高等学校の学生はエリートばかりで私
達とはまったく異なる学生生活をおくっていたと思い込んでいた。しか
し実際は現在の広島大学生のように勉強漬けの学生生活をおくって
いたわけではなくかなりはっちゃけている当時の写真もあったので驚
いた。私自身の学生生活を振り返ってみると今後の人生のために有
意義な時間となっているのか微妙で、このままではダメだと思った。今
回の講義を受けて、長い学生生活を有意義なものにするためのきっ
かけになったと思う。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて思ったことは、やはり今も昔も、大学
生は大学生なのだ、と言うことを感じました。昔の広島大学では、飲
みの席での変な決まりや、トイレに行くときの変わった決まりなどにつ
いて聞いたときは、驚きました。今までのこの「広大の歴史」のじ授業
で教わってきたように、広島大学は結構レベルの高い大学であるの
にこのようなことがあっていた、と言うことにも驚きを隠せませんでした。
昔の広島大学の学生の学生生活を学習した上で、自分の今の学生
生活を見直して行こうと思いました。
理・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、戦後当時の学生生活の実態や様
子を知ることができた。日々の学生生活の中を面白おかしくしたりす
るような決まりごとがあったりしたことは、今も昔も変わらない部分があ
るのだなと感じました。また、資料の中にある生活に重要なお金関係
のことはとても気になる部分でした。昔は今よりもずいぶんと貧しい生
活をしていた家庭が多くあったと思うので、学生たちは一生懸命に家
庭教師や労働などのアルバイトをして、生活費を稼いでいたんだなと
感じ、自分も頑張らないといけないなと感じました。
理・ 2 ・男 学生生活ということで今までの講義よりもより身近な話題
で聴講しやすかったです。昔と今で違うのは服装だけではないように
思いました。今過ごしているこの時間を精いっぱい楽しみ、味わって
いるように資料を見ながら思いました。学業だけが学生生活で取り組
むものではないという考え方は僕も思っていることですが、ストームや
学生同士の衝突をみて、ここまで今の自分について深く考えたり、自
分の立場に誇りを持ったりはできないなと思いました。昔と今、変わら
ないこともたくさんありましたが、学生の自分に対する意識が大きく違
うように感じました。
理・ 2 ・男 今回の授業を受けて、あらためて自分自身の生活態度
について考える機会にふれることができました。旧制広島高等学校
や広島大学の前身校では皆自分の目標を持って学習しに来ていた
と思います。貧しい人は自分で学費を稼ぎながら学習していた人もた
くさん居たらしいです。もちろん今でもそういう人はたくさん居ると思い
ます。しかし創立当時と比べると明らかに減っていると思います。私は
高校のときは将来の夢など無く、化学が好きでこのまま勉強したいと
思いここに入学しました。しかし目標の無い事はやはり必死ににはな
れないものです。今でも遅刻してしまうことがありました。この機会にし
っかりと目標をもって学習しようと思いました。
理・ 2 ・男 昔の学生の恰好が今と全然違いましたが、学生生活に
於てできるだけ時間を多くの活動にさこうとしていることや少ない仕送
りでどうやりくりしよううかと考えているところなど、結構今と変わらない
ところが多くありました。同感できるところが多くてたのしく受講ができ
ました。一方で違う大学の学生同士のいざこざや、ストームなどの話
には考えさせられました。こんないろんな人に迷惑をかけるのはもち
ろんいけないことだけれども、そこまでする愛校心、自分の立場につ
いての誇りは否定されるべきではないと思います。そのまえに現在の
大学生のなかにそんなことをするまで深く自分について意見をもち、
行動する人はいません。それが冷静に物事を考えているからなのか、
ただ冷めているだけなのか…。考えさせられる授業でした。
理・ 2 ・男 今回の講義で、最も興味を持った部分は、大学祭につ
いてです。去年参加した大学祭はとても活気があり、とても楽しかった
ことを覚えています。この大学祭に限っても広島大学の重要な歴史で
あり、伝統だと思います。これからもずっと自慢できるような大学祭で
あるように受け継いで、卒業した後も参加できたらと思います。高校の
先生に、大学生活は人生の中で最も楽しく、最も多くの経験できる、
と言っていたことを今回の講義を受けて思い出しました。将来に活か
していける大学生活を送りたいと思います。
理・ 2 ・男 広島大学という歴史の授業をいつも受けて考えているの
が、広島大学というメリットを考えている。大学ヴァリューという考えもあ
るが、特異性・他大学に負けない点のことである。大きくあるのが平和
だ。講師の方々がそれをよくもってしっていて、講義のいたるべき場
所にそれが取り入れられていてとても感心して、やはりこれはあたりま
えのことかなぁと思う。しかし、自身が広島の人間であるにもかかわら
ず被爆日時の黙祷を忘れることも多々ある。これを考えてもすごいこ
とではないのかと思う。そのようなことを講義とはあまり関係ないかもし
れないが、考えていた。
理・ 4 ・男 旧制学校の時代は広島高等学校のように、多くの人材を
東京といった都市に送り出すことに成功した学校もあれば、広島女子
高等師範学校のように、本来の目的を果たせずに役割を終えた学校
もあった。しかし、広島大学は全部で 9 つという日本で最も多い前身
学校から成立しており、あらゆる前身校の体制を持っていることは確
かであると感じられた。また、大学にある「不動心」の石碑の話では、
昭和 9 年に建てられたものが現在までも伝えられているということで
あった。この語り継がれている広島大学の歴史をこれからも継承して
いくべきだと感じた。
理・ 4 ・男 今回の授業を受けてみて、今の大学の学生生活は自由
でよかったと思った。例えば、昔の広島大学の前身校などでは、みん
なちゃんと制服と帽子を付けないといけなかったし、授業も先生が話
すことをほとんど全部ノートに書くというものだった。昔の学生は大変
だったのだなと思った。
vvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvvv
【第9回】
学長たちの横顔(2)
-飯島宗一から原田康夫まで-
医・ 1 ・男 まず、あの大学紛争と広島大学のキャンパス統合移転が
少なからず関係があることに驚きました。飯島学長は教員たちからの
信頼も厚くて、学生とも積極的に対話する姿勢を貫くなど、今日の講
義を通してだけでもその人柄が伝わってくるようでした。学部間の格
差や縦割りの体制による学部を横断しての交流の阻害を是正するた
めに、学部を改組したり修士・博士課程を設置したり新キャンパスに
統合移転する、これらの改革が紛争をきっかけに起こったのだから壮
大なドラマを見たような気分でした。
医・ 1 ・男 今まで自分は大学紛争についてテレビでドキュメンタリー
などを見たことはあったものの、あまりよく知らなかったが、今回の講
義を聞いて広大全共闘と川村学長とのせめぎあいや、団交について
はじめて知り、 40 年前とはいえ現在とあまりにも状況が違うことに驚
いた。また、川村学長の後に就任した飯島学長は様々な改革を行う
ことで、学生との対話を取り戻し、授業を再開させ、その手腕はすば
らしいものだと思った。
医・ 1 ・男 飯島学長は、大変若くに就任し、さらに他大学の出身に
もかかわらず、広島大学の学長に就任したのはなぜだろうと思いまし
た。また、川村学長のときに、大学紛争が激化し、学生がストライキを
していた写真が印象に残りました。このような紛争によって学長が辞
任することにまで及ぶことが、現代の感覚と比較してみて、信じられな
いことだなと思いました。その後、飯島学長が就任し、さまざまな改革
を行い、紛争を解決していったのを知り、すごい人物だなと思いまし
(講師:石田
雅春)
た。飯島学長のインタビューは少し声が聞き取りにくかったです。
医・ 1 ・男 今回の講義では大学紛争についてのことが大きく取り上
げられその大学紛争についてのことが特に印象に残りました。今の広
島大学の状態からは想像もつかないような大学紛争が行われていた
ことを聞き大変驚くと同時に、このような大学紛争があったからこそ今
の広島大学があるのかも知れないとも考えさせられました。また、大学
改革がなされるまでにはさまざまな問題や困難があったにもかかわら
ず、そのなかで先頭にたって大学改革に携わられた学長たちには感
謝しなければいけないなと思いました。
医・ 1 ・男 歴代の広島大学の学長の経歴についての講義を受けて、
まず初めに学長たちが大学に与えている影響の大きさについて驚い
た。いままでの中高の校長とは一味も二味も違うのだなぁと思った。ま
た大学紛争で学生と学長が対等に交渉していたのにも驚いた。今回
の講義を受けて今までに自分の持っていた広島大学への思いがすこ
しかわったような気がする。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて第四代目から現在に至るまでの
学長についてだけでなく、広島大学の改革の様子まで知ることができ
ました。特に、以前の広島大学には現在では考えられないようないく
つかの問題点があって、大学の格付け、学部間の格差、教養部の問
題などを知ることで、総合科学部が設置された意味や現在のキャンパ
スのできた経緯なども知ることができて、とても興味深かったです。普
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
段、私達がなかなか身近に感じる機会がない学長の存在を、今回の
講義を受けることで現在の広島大学が今までの学長によってつくられ
てきたものだと知ることができ、少し身近に感じることができたような気
がします。
教育・ 2 ・女 歴代学長たちの履歴を見ていると、様々な役職につい
ているようで、やっぱり偉いのだろうと感じた。多くは広島大学(もしく
はその前身校)出身であり、やはり舞い戻る(というと微妙だが)ものな
のだと考えた。しかし、あえて広島大学に全然関係のない人を学長に
することで、新たなる風を吹かせようとは思わなかったのだろうか。歴
代学長の中にも何人かは広島大学以外の出身者もいるようで、そう
いう人が学長となったときには何か新しくしたいものがあったのだろう
か、気になった。
教育・ 2 ・女 今回登場した飯島宗一学長のことは全く知らなかった
ので、今日の講義は飯島学長の人物像や当時の時代背景について
知る、良い機会でした。私はあまり広島大学の歴代の学長の先生方
には詳しくないのですが、それでもこの飯島学長は随分異色な学長
であると感じました。就任年齢にしても、広大に直接関わりを持ってい
なかったという点にちても、とても珍しい学長だと思います。しかし、大
学紛争やストなどの社会的にも大きな混乱があった中で、飯島学長
の学長就任は適切だったと思います。現代では、ここまでの大きな大
学紛争は考えられませんが、当時の緊迫した状況の中で、飯島学長
の学生や対抗勢力に対する対話の姿勢は、とても良いと思いました。
また、私は今まで大学紛争についてあまり良いイメージを持っていま
せんでしたが、今回の講義を通して、「大学を改革してより良いものに
する」という観点では、多少の対立は必要であると考えました。
教育・ 2 ・女 今回の講義を受けて、広島大学が総合移転した理由
が分かった。キャンパスがあちこちにあったのでは、学部どうしの情報
交換がしずらい。また、教養教育をやるにもあちこちばらばらにしなく
てはならず、大学を円滑に運営するには同じ場所で一斉にした方が
良い。その解決策として、広い敷地のある場所に大学を総合移転し
たことが分かった。そして、現在の学長である浅原学長と出身地が同
じだったことに驚いた。
教育・ 2 ・女 今回は何しろ、飯島学長の特異さに驚きました。また
その信頼の厚さにも驚きました。大学紛争に関する対応についてはさ
すがだなあと思いましたし、実際の映像を見ることでより身近に感じま
した。しかし大学の改革に関しては、中途半端さは否めないと感じま
した。しかし飯島学長の言葉の通り、伸びしろを含んでいるという点で
は広島大学は大きな可能性を持っていると思いました。現状に満足
せず、常に向上を目指して生活していくということを改めて心に刻み
ました。ありがとうございました。
教育・ 2 ・女 まず,大学紛争について,私たちの親の世代がそのよ
うに過激なことを行ったということに驚きました。しかし,紛争が起こっ
た経緯を聞いていると,大学側に責任があるように感じました。さらに,
学生たちとの話し合いに,学長が耐えられないと言って辞任するなど
無責任にもほどがあると思いました。これらのことなどを経て,今の広
島大学へと改革が進められたが,これはそこまでうまくいっていなかっ
たと授業では言われていましたが,私は,十分成功したといってもい
いと思いました。昔と比べるとよい方向へ進んでいるし,最善のものに
なるにはとても多くの時間が必要であるから,ここまでの時間での進
歩は十分であると考えます。
教育・ 2 ・女 第三代目の学長と第四代目の学長のかかわりが深く
なってくる学校紛争をキーワードにして、その情勢、背景、実情、広島
大学の対応と結果、歴史を深めていく構成になっていた。今でこそ大
学全入時代なんていわれているけども、過去からの変化をみればこ
のような紛争、ごたごたはあっただろうなと思われるので、歴史として
ははずせない単元だったように思う。立てこもりの責任や資金は誰が
受けたのだろうと思った。今でも学生が演説等をしているのを見かけ
るので、一部でも生徒自身に当時の反骨精神(?) のようなものは受
け継がれているんだなと感じる。大学が生徒の要望に対応する、とい
うものは理想的なように思えるけども、あまりに姿を変えすぎるのも、
全生徒が納得する形にはならないと思うし、結果今の広島大学の対
応が不完全であったことも私はそれでよかったのではないかと思った。
教育・ 2 ・女 今回の授業を聴いて、私達はとても恵まれた環境にい
ることがわかった。昭和 40 年代は、大学進学希望者が増加するも、
組織、設備が不十分なために学生の不満が募り、大学紛争に至った
という。勉強をするために入った大学で、大学紛争のために授業が受
けれず、半年間自宅待機をさせられたという事実は考えられなかった。
それに比べて現在は、のびのびと学べる環境が整っており、申し分
のない大学生活を送れている。大学紛争で、当時の学生たちが大学
に様々な要求をしなければ、今のような大学はなかったのではないか
と考える。
教育・ 2 ・女 やはり広島大学しかない広島大学でしかできないこと
とか唯一の存在だと感じることがあると嬉しいです。ほかの大学では
あまりない主なキャンパスを 1 か所に置き、教養教育から専門分野を
同じ敷地内で学べるのはうれしいことです。さあざまな学部が 1 か所
にあることで専門分野はもちろんですがほかの気になったものなどの
授業をとることができるのがうれしいです。またほかの学部とのかかわ
りが教養教育を通してすることができ、人との交流の輪がどんどん広
がっていくことが広島大学のよいところだと思います。このようにしてく
ださった過去の学長に感謝したいと思いました。
教育・ 2 ・女 今回学長たちの横顔(2)ということで、全国区で発生し
た大学紛争との関わりから広島大学を見つめなおしている様子がよく
分かった。広島大学は、大学の格付けや学部間の格差など問題を抱
えていたが、「中四国地区のおける中心的な総合的大学」となるよう
研究・教育水準の底上げに力を注ぎ、大学も移転し、新たな改革を
起こした。こうした中で現在私たちに期待されることは、この整備され
た環境の中でいかに研究を深め、結果を出して活躍するかということ
だと思う。
教育・ 2 ・女 大学紛争というものが全く身近に感じられない私にとっ
て大学の改革のことを考えて当時の学生達が起こしたストはすごいと
思った。大学を占拠して学長と対談したりなど、自分達の意見を外部
に向けて発信し、とても行動的で素晴らしいと思ってしまった。現在の
大学に対して不満があるわけではないが、のらりくらりと生活している
自分を思うと差を感じてしまう。大学の学部の変遷や大学院の設置の
歴史の資料がわかりやすかった。昔はあって今はない学部もあり、当
時、その学部は具体的にどのようであったかが非常に気になった。学
校の歴史を今まで深く学んだことがなかった(小中高と)ので改めて大
学の歴史を学んでいることが新鮮に感じた授業であった。
教育・ 2 ・女 飯島元学長への聞き取り調査で、広島大学の改革案
ができるまでの様々な学長の想いと現実について知り、少し驚きまし
た。総合科学部に統一して大学院修士課程以降が各専門分野にし
ていこうという計画があったということだからです。一般教養を身につ
けるために 1 、 2 年生の間はどの学部生も総合科学部での授業を取
るようになったのも、このなごりかなと思いました。前回・今回の講義で、
大学改革のために、それぞれの学長たちが相当な時間、頭を練って
考えてくださった末、今の広島大学があるということを学び、今、また、
卒業時や卒業後には素晴らしい人間になれているよういろんなことを
学びたいと思いました。
教育・ 2 ・女 大学紛争が激しかったというのは知っていたが,理由
など具体的なことは知らず,ましてや広島大学での大学紛争がどのよ
うなものであったかということのついてはまったく知らなかった。大学
紛争の原因がベビーブームによる学費の値上げだったということを聞
いて納得した。東京の方の学生運動は少し聞いていたが,広島大学
でも長い間ストや立てこもりなどが起きて,学長が辞めてしまうほどに
激しかったのだなと思い,本当に大変なものだったのだということがう
かがいしれた。しかし,この大学紛争があったから,大学の改革が行
われ,今の広島大学が出来上がったのである。確かに,学部間の間
をなくすという目標からみると不完全ではあるが,それでも,以前より
は自由に行き来が出来るようになったのではないかと思う。個人的な
意見として,総科にも教育にも心理学があるが,学生同士が,その間
の交流が出来るようになってもいいのではないかと思った。文系と理
系を一緒にするのは難しいかもしれないが,文系同士や理系同士ぐ
らいなら,協力し合ってもいいように感じた。
教育・ 2 ・女 かつての大学紛争の様子を聞いて、なんだか怖くなっ
た。学長が辞任に追い込まれるほどの紛争の激化がもし現代で起こ
ったら困る。紛争は大学をよりよくしたいという学生の行動なのだとは
思うが、私には留年の可能性を作ってまで大学と争うなどと考えられ
ない。また、かつての大学が煙突型の教育を行っていると聞き、それ
はよくないことだと思った。道が一本しかないと、自分の興味や可能
性を伸ばすことが出来ない。今の大学では受けることが出来る授業の
幅が広がっている。まだ足りないところがあるにしろ、昔よりも良いシス
テムになっていると感じた。
教育・ 2 ・女 学長に就任する年齢は 60 代がほとんどであるが、飯
島宗一学長は 46 歳という若さで就任したということを知り、それだけ
力のある人であったということが分かった。大学の入学者数と進学率
のグラフを見てみると、昭和 40 年あたりの進学率ががくんと下がって
いることが分かった。原因を考えてみても最初は分からなかったが、
第一次ベビーブームのことを聞いて納得した。子どもが増えたからと
いって、大幅に定員を増やすわけにもいかないので、進学競争が厳
しくなるのは当然である。その分みんな志望大学に入るために必死
に勉強したので、学力も全体的に高かったのではないかと考えた。競
争が激しければ激しいほど、学力アップにつながると思う。私が今回
の講義で驚いたことは、以前は、広大に入って 1 , 2 年の間は全員
教養部で学び、単位が揃ったら希望の学部へ行くというシステムであ
ったということだ。単位の状況によっては希望の学部に行けないこと
があるのかなと思った。入ってから学部を選択できるのはいいと思っ
た。飯島学長の映像を見て、正直、資料がないと発言が聞き取れな
かった。
教育・ 2 ・女 大学紛争が印象的でした。大学を封鎖して迷惑すぎ
るなと思いました。詳しくは知りませんが、現在の広島大学では全学
連とかいう団体がそうなのだと思います。去年、私が入学した頃は今
よりももっと活動が盛んだった気がします。 L102 のような大きな講義
室の机にはビラが置かれていたし、講義棟の入り口でビラを配ってい
たり、演説をしたりしていました。しかし、そういう団体で活動をすると
就職に影響が出て、特に医学部で医者志望の人なんかは医者にな
- 716 -
れなくなるからやめたほうがいい、といったようなことをよく聞きます。
(本当のことかどうかは分かりませんが。) そんな危険を冒している彼
らですが、よく分からない団体が何らかの活動をし、大学から圧力を
かけられているというような印象しかありません。あまりにも謎が多いの
で、もっとはっきりしたほうがいいのではないかといつも思います。
教育・ 2 ・女 まず大学紛争の意味がよくわからなっかたので、大学
紛争とはなにか?日本の経済成長+第一次ベビーブーム世代の進
学での受験戦争、入試地獄といった問題が起こり、学生たちの不満
が爆発した。またこの広島大学ではとても激しい紛争があった学校と
して有名である。そこで広島大学は改革の構想は、「研究・教育体制
改革の構想の構想」「教育体制改革の構想」「研究体制改革の構想」
などがあげられた。今この西条に広島大学のキャンパスがあるのも生
徒たちの訴えからでもあった。一人だけの動きだけではできないこと
もみんなですることで、結果ととして出てくるんだと感じた。
教育・ 2 ・女 今日の広島大学が何回にもわたって行われていた大
学紛争や大学改革を経て成り立ったものだということを改めて感じま
した。今私が大学生活を送る上では、このような多くの学長や大学の
関係者、地域の人々、学生などによる様々な運動や改革を経た結果
として立派な大学ができあがっているのだということを意識することな
どほとんどないので、この講義を受けて、大学というのはつくるのも成
り立っているのも大変ですばらしいことなのだということを感じさせられ
ました。多くの学長や改革に関する資料を読んでいると、広島大学が
いかに大きな歴史を持っているのかということがよく分かって良かった
です。
教育・ 2 ・女 今回、大学紛争についての話を聞きました。なんとなく
は知っていましたが、詳しい流れや、その背景は知らず、すごいもの
だったんだと実感しました。その中でも、一番気になったのは、次のこ
とで、授業実施のタイムリミットとして 8 月 18 日に授業を開始しないと、
新入生が全員留年になる可能性があるにも関わらず、学生と大学の
交渉がその日まで決裂してしまったのは、それほどまでに、学生たち
の大学改革を望む思いがとても強いものだったんだなと思いました。
もし自分なら「留年」ということに負けてしまい、封鎖の解除を望んで
いただろうなあと思いました。
教育・ 2 ・女 大学紛争が起こっていた頃は本当に大変だったという
ことに改めて気づかされた。大学側の思いと学生たちの思いを 1 つ
にするべく、就任されたどの学長も頑張っていたことがうかがえた。特
に飯島宗一学長は、大学の環境をよくするために、めげずにこの問
題に取り組み、様々な試みを行っていることを知って、とても感心した。
このようなすばらしい先生がいたことで、今の私たちの学び舎がある
のだと思うと、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。
教育・ 2 ・女 今回の講義内容も、興味深いものが多かったです。広
島大学でもストライキがあったとは思ってもいませんでした。少し古い
映画で、学校側にストライキをおこしたり、学校を占領し、バリケード封
鎖するなどといったシーンを見たことはありましたが、実際に広島大学
でもストライキがあったなんて、想像もできませんでした。これからは、
そんなことがないように、学校側が、学生側が、仲良くお互いを支え
合って理解し合えるような大学であってほしいと思いました。
教育・ 2 ・女 前回の滋賀出身の学長さんが多いのにもかなり驚きま
したが、今回の飯島学長にはさらに驚きました。本当に広大と関係が
ないんですね。しかし、だからこそ広大を客観的に見て、広大の欠点
を指摘したり、新しい考え方を取り入れたりすることができたのだと思
いました。また、広大のさらなるレベルアップのためにも、校舎の移転
は必要不可欠なものであったのだということが分かりました。大学院の
博士課程の問題などは全く知らなかったので、この機会に知れてよか
ったです。
教育・ 2 ・女 大学が西条に移転したのは最近だと聞いたのに、 197
0 年ぐらいに始まって「あれっ」と思っていたら、移転完了までに 26
年もかかったんですね。そして移転にはキャンパス問題、そして大学
紛争が大きく絡んでいることを初めて知りました。なぜ西条が選ばれ
たのかはわかりませんが、移転当初は何もなかった(らしい)西条も、
今ではすっかり大学生の街になって、住みやすい土地になったと感
じています。これからまた都市を重ねて発展を続けてくれればいいな
と思います。
教育・ 2 ・女 今回の授業は学長たちの横顔というタイトルだったの
ですが、主に大学紛争の内容でした。私は以前から大学紛争ってな
んで起こったのだろうと疑問に思っていました。今回の授業では第一
次ベビーブームで大学入試の定員を多くしたことで施設の拡大の為
に学費を多くしたこと、施設の使用の不十分さの不満からきたもので
あると分かりました。今までは紛争を起こすなんて…と感じていたので
すが、これらの不満があると確かに大学生活を満喫できないかもしれ
ないので、紛争の要因になると納得できました。激しい大学紛争が広
島大学でも起こっていたということにも驚きました。しかも半月以上も
大学内に立て込まれて、新入生も入ってきているのに、キャンバスで
授業を受けれない状況が続き、その上単位が取れないかもしれない
という状況にもなって、大変だったなと感じました。ストを起こした側と
戦った飯島学長の話は本になっているとのことですが、やはり周りの
一般性との話もきになりました。私だったら迷惑に感じていたと思いま
す。生徒のことを考えてのストだったのに、過激な学生は最後のころ
意地になっていたのかなと感じました。今回の授業で大学紛争と広島
大学の学長の関わりなど詳しく分かってよかったです。
教育・ 2 ・女 昭和 40 年代、やはり広大は教育学部が重要な役割
を担っていたのだと思った。しかし、教育学部に負担がかかりすぎる
のには問題があると思った。また、歴代の学長による様々な改革によ
り、以前は「広大=教育」のイメージだったのが、近年になって変わり
つつあると感じた。それぞれの学部にそれぞれの特徴があり、学部全
体で広大が盛り上がっていけばいいなぁと思った。
教育・ 2 ・女 今回は学長の解説と当時の学生紛争に関する内容を
お話されていましたが、個人的には学生紛争の内容がとても衝撃的
で、思っていたよりも過激なことを行っていたのだなと感じました。学
校本部に立てこもり、近づくものには上からブロックや火炎瓶を投げ
つけるなど、本当に一種の戦争のような雰囲気で、私がもし当時の学
生だったらどのような行動を取るようになっていたのかなどと考えてし
まいました。学生が快適に過ごせる環境作りと学校が運営していく上
で無理が無いという点を配慮しながら折り合いをつけてやっていくの
は、やはりなかなか大変なのだなと感じました。 4 代目学長というポジ
ションの重要さを感じました。
教育・ 2 ・女 大学紛争は学生がデモ行進しているだけかと思って
いたら警察が動くほどの暴動に近いものもあったことに驚いた。そして
大学紛争の引き金になったのが大学の組織や整備が間に合わなか
ったことであるということは予想しえないことだった。そして封鎖解除に
あんなに大きな騒動になったことに広大に来て初めて知った。今の広
島大学になるまでにいろいろな苦難があったのだなあと感じた。総合
科学部は私はどんな所かいまいちわかっていなかったが、飯島学長
の資料を見て様々な分野に触れた後に大学院で専門的なことを学
ぶところだ言うことですごく魅了や可能性のある学部だと思った。
教育・ 2 ・女 私は、飯島宗一学長にとても興味をもちました。就任
年齢 46 歳といったら、わたしの両親よりも断然若かったからです。わ
たしの中で学長のイメージは、なんだかすごくお祖父ちゃんくらいの
年齢のイメージでした。また、森戸学長のように文部大臣であったり学
部長であったり、というようなすごい経歴の持ち主でないとなれないと
思っていました。なので、講義ででてきた飯島学長にとても衝撃をう
けました。私達が学長を目にすることができるのは、式典のときぐらい
だと思います。 2 年生ですが、入学式以来です。なので、この講義で
学長の存在を少しでもちかく感じれたことで、さらに広島大学が好き
になれた気がします。
教育・ 2 ・女 今回の講義をうけて、全然知らなかった学長たちの話
を聞くことができてよかったです。大学改革が行われていたことも知ら
なかったです。なぜ教養科目をどの学部も基本総合科学部で受ける
のか不思議でしたが、今日の講義を受けて納得しました。また、今回
心に残ったことは大学紛争の話です。いま、自分が大学生として大学
に通っているけれど、大学に対して大きな不満を持ってはいません。
昔の先輩たちはやはり、学びに対する意欲や向上心があり、そしてア
グレッシブだと感じました。ただ、受身に授業を受けるだけでなく、学
びに対して常に積極的に臨みたいと思いました。
教育・ 2 ・女 今回は今の学長である浅原氏のことやその 2 , 3 代
前の事はあまり詳しく講義されなかった。しかし個人的に興味のある
1969 年あたりの大学紛争について知れたので良かったと感じた。学
校の門を封鎖する・ストライキに突入するなどは聞いたことのある話だ
ったが、それの伴って入試の学外実施、新入生の自宅待機まで行わ
れたと知って驚いた。大学紛争の時代は、今からすると想像もつかな
いが、学生は今と比べ物にならないくらい生き生きしていたのではな
いかと思う。今私たちは、学長のこともあまりわからないまま大学に通
っているが、もっと大学について考えても良いのではないかと感じた
講義だった。
教育・ 2 ・女 今回は、学長たちの横顔(2)ということだったが、私は
大学紛争の話が主だったかなと感じた。大学紛争という言葉自体は、
以前聞いたことがあったが、どのようなものを大学紛争を呼ぶのか、
大学紛争とはどのようなものかということを知らなくて、今回の講義で
大学紛争の内容や原因にあげられることがわかった。今も全学連な
ど、よくわからないがさまざまな問題が少なからずあると思うけど、私
は今の時代に大学生でいれてよかったと思った。こういった大学の問
題などについても知っていきたいと思う。
教育・ 2 ・女 今回の講義では、大学紛争がいちばん印象的でした。
広島大学の大学生が長期間に渡って、大学全体や学長までに影響
をおよぼすほどのストライキを起こしたりしていたというのがすごいと思
いました。私は自分のことで精一杯の大学生活を送っているので、大
学に改革を起こそうと考えて、行動していた人たちがいたというのはと
ても衝撃でした。
教育・ 2 ・女 今回は飯島さんから浅原さんまで学長を行った人につ
いての説明であった。歴代の学長には軍に関係している人もなんに
んかいました。今回の講義で一番印象に残っている話といえば、広
島大学の組織図についてです。それまでの話は自分には少し難しく
理解できなかったところが多かったからかも知れませんが。昭和 47
- 717 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
年の広島大学の組織はまず第一に教養部がありそこで必要な単位
数を取らなければ留年となってしまう厳しいものです。またひとつの学
部からは決まった院にかいけず博士課程の数が限られていました。
平成七年の組織図では少し改善され院の数も増えあるが基部から違
う学部の院にもいけるようになった。
教育・ 2 ・女 学長たちの横顔というよりも広島大学の大学紛争の様
子を学んでいるような印象を受けた。しかし、私は今まで大学紛争に
ついてよく知らなかったし、広島大学でバリケードが築かれるなどの
激しい活動があったことを知らなかったのでとても興味深かった。また
大学紛争という難しい時期に学長を引き受け、どんな学生とでも徹底
的に話し合うという意思を示した飯島学長はとても勇気のある人だっ
たんだなと思った。
教育・ 2 ・女 学長の経歴って当たり前だけど本当に人それぞれな
んだなと思いました。ただ、今更ですが学長とは何をしている人なん
だろうと思いました。学長とは日ごろどんな仕事をしているものなのか
と言う軽い説明のようなものがほしかったです。学長の経歴ももちろん
大事ですが、どこの資料を探しても載っていないような趣味や特技、
大学時代のエピソードなどが聞けたらもっと興味がわいたように思い
ます。
教育・ 2 ・女 広島大学の歴史の中で、大きな出来事といえば、西条
への統合移転が挙げられると思います。キャンパス問題・統合移転が
取り上げられた当時の学長は飯島宗一でした。 1971 年の 12 月 14
日には移転候補地 24 箇所が選定されました。 10 年以内の完成を
見込んでいましたが、財産の売れ行きが悪く、 22 年後の 1995 年に
完了しました。キャンパス問題が検討され、統合移転完了までに 26
年もかかっており、統合移転の背景には、大学紛争が大きく関わって
いることを知りました。学生の教育、環境のことを第一に考える学長た
ちがいたから広島大学が一つにまとまることができたのではないでし
ょうか。
教育・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、初めて広島大学でもバリケード
などを作った大学紛争が起こっていたことを知り、その規模の大きさ
や激しさを聞いて驚いた。その一方で、飯島宗一学長のすばらしさも
知り、大変興味深かった。その飯島学長が行なった大学改革により、
深い意味を持って現在の東広島(西条)にキャンパスが移されたことを
知り驚いた。この大学改革は不完全な改革に終わったと講義では聞
きましたが、やはり他の大学では計画だけに終わった改革が、広島大
学では実行されたということに価値はあると思います。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受ける以前から、テレビなどの番組で大
学紛争のことについて、少しは知っていたけれど、身近な人にそれを
近くで経験した人や、その当時の話などをしてもらう機会がなかった
ため、具体的な状況や、その背景、また、その後の動きがどのように
なったのかについてはまったく知らなかったため、非常に興味深い授
業であった。飯島学長が、どんな学生とも徹底的に話し合ったという
姿勢について感銘を受けた。最後の方での大学改革が不完全かどう
かの疑問については自分としては不完全だと考える。その理由として
は、自分もそうなのだが、大学に入って、それまでとまったく違うことに
対して興味を持つこともあるため、もっと大学院の設置などを自由に
変更していくことができるようにすることも必要だと考える。
教育・ 2 ・男 今回の講義は、大学紛争というものを中心と捉えた講
義でしたが、大学紛争というものは、自分が生まれるよりもずっと前に
起きた出来事で、今まで、大学紛争がどういったものなのか、ほとんど
知識がありませんでした。ですが、今日の講義を聞いて、大学紛争の
あった当時の時代が抱える問題点などが良く分かり、大学紛争がどう
いうものであるかをようやく理解することができました。また、広島大学
も、その大学紛争の例外では決してなく、今の西条キャンパスができ
あがったのも、大学紛争があったからこそだということもわかり、今まで
意味不明だと思っていた大学紛争は意外と身近なものだということを
感じました。
教育・ 2 ・男 日本の経済成長と第一次ベビーブーム世代の進学が
原因で大学進学希望者が増加し、受験戦争や入試地獄などが起こ
ったが、これのことがあったからこそ大学のレベルがあがり研究などで
成果をあげることができたのだと思う。また、大学紛争が激化し川村
学長が辞任し飯島しが新たに学長に就任したが、その際に大学紛争
の原因を社会の急激な変化と学問の進歩についていけない大学の
体質とし、広島大学の問題点を指摘し改良しようとした。このことが広
島大学を中四国地区における中心的な総合大学になる礎になった
のだと思う。
教育・ 2 ・男 第一次ベビーブーム世代の大学進学により、進学希
望者が増加し、大学側も定員を増加させて対応するが、施設・設備
が追いつかず、学費を値上げさせたことから大学紛争が起こったん
だと初めて知った。それは広島大学でも起こり、そのことによって学長
が変わるなど大きな影響を及ぼしていたことに驚いた。しかし大学紛
争は悪いことばかりでなく、大学改革が行われ、広島大学はより学生
のニーズに見合い、学びの意欲を沸き立たせる学び舎になったと思
う。これからも紛争という形でなく、また違った形で広島大学がより発
展していくことを願っている。
教育・ 2 ・男 講義の中で日本は小学校、中学校、高等学校につい
ての研究は進んでいるが大学については不十分だ、という点が気に
なった。理由はなるほどプライドの高い日本人らしい内容だったが、こ
れからその当事者であった団塊の世代の方々が退職など、第一線か
ら引退されることでその内容に眼が向けられ、真相が解明されること
を祈る。最後に、広大について「曲がりなりにも改革を行った…」という
形容をされていたが、なぜ完璧に行えなかったのかよくわからなかっ
た。
教育・ 2 ・男 前回はまだ明確でなかった広島大学が形になって行
くのに沿って学長の就任・後退や各学長の輝かしい功績や貢献を学
んだ。しかし、今回は前回のように輝かしいものばかりではなく、 1960
年代に盛んに行われた「学生紛争」に触れ、それによって引き起こさ
れた問題や学長への影響など、今までとは違い一歩踏み込んだ内
容だったように思えた。紛争自体が聞いたことしかなくまったく身近に
ないものだが、写真の数々を見て壮絶さ驚いた。中でも前回学んだ
森戸道路が破壊されているものと、鮫島学長が呆然と立ち尽くしてい
る写真に驚かされた。こんな紛争に逃げずに立ち向かってなんとか
素晴らしい大学にしようと尽力を尽くした方々がいるということを忘れ
てはならないと思った。
教育・ 2 ・男 今回は主に大学紛争についての講義だった。それで、
一部の過激な学生がキャンパスを封鎖し、長い期間立てこもったとい
うことであった。しかし、新しく選任された飯島学長は彼らと団体交渉
を試みたということで、非常に度胸のある方であると感じた。また、飯
島学長は非常に論理的な思考ができる方で、学生側の主張の矛盾
点を指摘したということはとてもすごいと思った。しかし、それでも過激
派の学生は自分たちの要求を曲げなかったというのに、非常に学生
側の頑固さを感じた。そして、収拾がつかなくなった紛争は機動隊の
導入により、鎮圧された。その後、飯島学長は大学紛争の教訓から学
部間の格差是正などに取り組んだということで、その成否は別にして
も現在の広大の大きなポイントとなる改革に着手したパイオニアだと
印象を受けた。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、大学の統合移転について興味
を持ちました。次回の授業は、大学の統合移転についてもっと詳しく
知れるということなので次回の授業を楽しみにしたいと思います。また、
大学の紛争の話や映像を見てとても激しいなあと感じました。あと、工
学部の類は昔のなごりが残っているけど、教育学部の類はそれとは
関係なく、新しくできたと初めて知りました。広島大学は九州大学や
筑波大学のような大学を目指しているというのも初めて知りました。広
島大学について知らないことがたくさんあるんでこれからも積極的に
この講義に取り組んでいきたいと思います。
教育・ 2 ・男 「学長たちの横顔」第 2 弾ということで、今回は飯島学
長から現在の浅原学長までの歴史が主な内容だった。大学紛争が
激しかった時代に、 46 歳という若さで広島大学の学長へと就任した
飯島学長の「どんな学生とでも徹底的に話し合う」などといった考え方
は、素晴らしいものだと感じた。また、大学の格付け、学部間の格差、
教養部の問題などといった、さまざまな問題点のあった広島大学に対
し、改革を立案しそれらを実施していった多くの学長の力は偉大なも
のだと感じた。
教育・ 2 ・男 広島大学出身ではない学長が森戸初代学長のほか
にいるということに驚いた。また、飯島学長のどんな生徒でも徹底的
に話し合うという姿勢は、今現在の全ての学校の校長、学長に必要
な姿勢だと思う。自分の学校の学長の名前すらろくに知らないという
学生や生徒がたくさんいると思う。また、工学部などでは、昔の広島
大学の名残で、今でも進級が難しいらしいが、教育学部ではなんの
苦労もなく進級できてしまうのは少し不公平だなぁと思った。昔の名
残に縛られることなく、自由に進級できるようにすればいいのになぁと
思った。
教育・ 2 ・男 飯島学長は若くして学長に就任していてすごいと思っ
た。歴代の学長は 60 歳くらいに就任しているのに 46 歳の若さで学
長に就けるとは、よほど優れた人材であったのだと感じた。また、全国
的にストライキが発生する中、広島大学でも発生したわけだが団交に
より解決を試み、そして上手いこと鎮静化に向かわせたのはすごいと
思った。学長たちは広島大学を変えようと奮闘して、完璧ではないが
それなりに制度を整えたことに偉大さを感じた。私も歴代の学長たち
の頑張りを見習ってより良い改善を目指していこうと思う。
教育・ 2 ・男 今回の授業で、特に印象に残ったことは、広島大学の
学部間においての格差を無くすための学長の努力です。具体的に
は、文学部や、教育学部には院があるのに、工学部などには院が無
い、などといった格差です。このような不平等な問題を解決するため
の学長たちの努力を知ることができ、とてもためになったと感じるととも
に、今のこの広島大学が、このような努力の上に成り立っているという
ことを実感し、感謝しなければならないと思いました。
教育・ 2 ・男 テーマが「学長たちの横顔(2)~飯島宗一から牟田泰
三まで~」である今回の講義を受けて、原爆からの復興を徐々に果
たしてきた広島大学が次に直面した問題は大学紛争であったとわか
った。大学紛争、校舎封鎖を通じて大学というものが何であるのかを
再認識する必要があり、それに伴い広島大学の西条への統合移転
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計画が挙げられたのだと初めて知った。こうした時代背景のなか、広
島大学の学生、教育のために歴代の学長たちが尽力してくれたおか
げで今の一つにまとまった広島大学があるのだと思った。
ができた。将来僕も学長とまではいかなくても,みんなを引っ張ってい
くような存在になり、みんなにいい影響を与えていけるようになりたい
と思った。
教育・ 2 ・男 今回の授業は大学紛争について、多く話されていた
ので、興味を持って聞けました。長期休みを使っても全員が留年にな
るほど続いた大学紛争。紛争自体はよくないことだと思いましたが、
生徒にそれだけの意見を持っているというのは、現代の生徒にはな
いことだなと思いました。学長も体調を崩すなど、話を聞くだけで紛争
のすごさが伝わってきました。紛争は広島大学の大きな事件ですが、
それにより広島大学が改革されたので、今となればなくてはならなか
った事件なのかなとも思いました。
経済・ 1 ・女 今回の講義を受けて、広島大学のみならず、東京大
学等の他の国立大学でも、多くの大規模な大学紛争が起きていたこ
とを知り、大変驚きました。現在でもさまざまな形で学生運動が行わ
れているように、昔もそのような活動があったことは、ある程度予期し
ていたのですが、警察が出動するような事態にまで発展し、新入生を
含めたすべての学生が関わっていたことを知り、少しやりすぎのような
印象も受けました。しかし、そのような活動がなければ、現在のような
学生生活を送ることはできなかったのだと考えると、学長たちの対応
も合わせて、大学の発展には欠かすことのできないものだったのだと
思いました。
教育・ 2 ・男 当時からすれば当然のことかもしれないのだが、やは
り自分が通っている大学でも過去に大学紛争が起こっていたことに少
なからず衝撃を受けた。しかも、それが授業実施期間内であったため
に全員が留年になりそうであったという現実的な問題がより一層その
深刻さというか、悲壮を露わにしているような気がした。当時の学生の
学ぶ意識の高さを自分も見習わなければ成らないなあと感じた。また、
現時点の大学になるにあたって様々な妥協が在ったことは仕方ない
と思うものの、やはり過去の人たちが目指したようなより良いものに近
づけば良いなあと感じた。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて思ったことは、やはり広島大学の
学長は広島大学の基本概念は大きく変わることはないが、みんな少
なからず特徴や考えがある。僕が興味を持ったのは飯島さんの「最大
の問題は国立大学の中に旧帝国大学とそれから新制大学があるけど、
広島大学は中途半端と言っていたところだ。あと総合科学のレベルに
学部教養を全部そろえちゃうという話だ。でも一番飯島さんが力を入
れていたのは総合転移にあると思う。広いキャンパスに集中させてや
らないと円満に大学改革はできないと考えていた。確かにそのとうりで
あり、そういった考えで今のこの西条にこんなすばらしい広島大学が
あるのだと思った。
教育・ 2 ・男 昭和に安保闘争が大々的に起き、日本中が大きく揺
れた時期があったのは日本史の授業で習っていた。しかし、それは
有名な東大、早稲田、慶応などで起こったものでそのイメージしてき
たが、ここ広島大学でも学生運動が激しく行われてたんだということを
しり本当に驚いた。そして、飯村宗一学長という今までにはないタイプ
の学長を迎えたところから、ここからの広島大学の変化を強く感じさせ
られた。この学長は当時の広島大学の長所、短所を学んだ上で、さま
ざまな計画を出していった。この改革が不完全なものであったとしても
これからの広島大学に大きく影響をあたえていったんだろうと推測で
きる。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて、大学紛争の激しさを具体的に
知ることができた。今までもテレビなどで何度か大学紛争について見
る機会があったが、それほど詳しくは知らなかったので、今回の講義
でいろいろ知ることができてよかった。また広島大学でも大学紛争が
あった事をはじめて知り、また広島大学での大学紛争は全国的に見
ても激しいものであったということを知り驚いた。また、その大学紛争
を鎮めようといろいろと頑張った飯島学長はすごい人だと思った。
教育・ 2 ・男 今回の講義を受けて思ったことは、大学紛争というもの
が非常に激しかったということです。デモなどの抗議活動を行うだけ
かと思いきや、あまりの激しさに学長が辞任したり、大学本部を封鎖し
たり、今の私たちでは決して考えられないことを行っていることに驚き
ました。ただ、裏を返せば、それだけ広島大学に不満があり、それの
解決を強く望んでいたということでもあると思いました。学長らも広島
大学の問題点にはある程度気づいていたんだけれど、きっかけがな
かったんだと思います。だから、大学紛争は大学改革のいいきっかけ
になったと思います。何かが変化するとき、何かしらのきっかけが必要
で、また逆に、何かのきっかけで、何かの変化が求められるようになる
んだと、今回の講義で感じました。
教育・ 2 ・男 今回の講義は以前講義があった広島大学の学長につ
いての歴史について、改めて知識を深めることができた。今回の講義
で特に印象に残っているのは、全国でも問題になった大学紛争の時
代と広島大学、そして広島大学学長についてである。大学紛争が激
化する中、飯島学長は、どんな生徒とでも徹底的に話し合うという基
本理念を持ち、社会の急激な変化と大学生の関係に目をつけて、大
学紛争を解決へと導いていったという点でとてもすばらしいと感じた。
学長の歴史について知ることができとてもためになった。
教育・ 4 ・男 歴代の学長の考え等を知ることにより、今の広島大学
のあり方がぼんやりと見えてくるようだった。大学に 3 年間いながら、
まったく考えたことの無いような講義であり、新しい発見が多かった。
自分は、大学院まで進学しようと思っているので、もっと広島大学自
体に関して学ぶ機会があっても良いと感じました。
教育・ 4 ・男 僕の勝手なイメージとして、学長というのがそんなに忙
しかったり、すごい役割を持っているようなイメージがなかったのだが、
今回の授業の講義を聴いて、学長というものの見方が変わった。学
長によって大学がダメになったりもするし良くもなる存在であるというこ
とを痛感させられ、改めて学長の存在意義というものを確認すること
経済・ 2 ・女 今回の講義で最も印象に残ったのは、学生運動のこと
です。昔の学生の行動力や団結力の強さは現代の学生とは比べ物
にならないと思います。現在も、全学連など学生運動をおこなってい
る団体もありますが昔のそれとはまったく質が違います。しかし、この
時期の学生と学長(大学自体)の関係は非常によいものなのではない
だろうかと思います。なぜなら、学生側も学校側もともに自身の意見を
ぶつけ合いその結果よりよい環境が生み出されているからです。現
代の学生は教育に対して受身であるように思われ、昔の学生の積極
性を学ぶべきだと思いました。
経済・ 2 ・女 大学は、日本の経済成長と第一次ベビーブーム世代
の進学で学生定員が増加し、施設などの整備のために学費を値上
げしました。それに反対した学生の闘争が大学紛争の始まりだという
ことを始めて知りました。確かに、大学の費用が増加することはすごく
嫌なことですが、だからといって大学を封鎖するほどの運動をしたと
いうのにはとても驚きました。そして、大学本部などに立てこもってい
た学生はかなり過激だったのに、飯田学長はその中で学長に選出し、
しかもどんな学生とでも徹底的に話し合うという方針はすごいなと思
いました。
経済・ 2 ・女 小学校、中学校、高校の校長とは違って大学の学長
はなかなか会う機会や話を聞く機会はないと思います。なので、学長
の人柄や考えなどほとんど分かりません。でも、今回の講義を受けて
歴代の学長の人柄を少しでも理解できたと思います。今の学長の考
えについてはもっと詳しく知りたいと感じました。自分の通っている大
学の学長の考えは、やはり知っておくべきだと思います。
経済・ 2 ・女 それぞれの学長が今まで残されてきた功績にも興味
はわきましたが、私が今回の講義の中で一番関心を持ったことは、広
島大学の組織の構成についてです。昭和 47 年にはまだ各学部に
差があり、学部同士にも対立があったことが容易に見て取れました。
このころの生徒や教師の間には大きな対立があったことでしょう。また、
せっかく中四国地方の中心になろうとしていた広島大学に入学した
のに、自分の学びたい分野が納得のいくまで学習できなかった生徒
もいたのだと思います。その格差を埋めるために、学長をはじめその
他関係者の方たちは並ならぬ努力を注いできたのではないかと思い
ました。その努力のおかげで現在私たちは自分の納得のいくように自
由に学問に励むことができているのだということをもっと自覚しなけれ
ばいけないと感じました。
経済・ 2 ・女 現在広島大学内で、私の知る限り大学紛争は起こっ
ていないので当時は学長ともども大変だったともう。飯島学長による
記者会見で「大学紛争の根本問題は社会の急激な変化と学問の進
歩についてゆけない大学の体質にあり、学内改革を全教職員で積極
的に進める」とあったように、大学紛争の対応は骨の折れる仕業だっ
たと思う。学長として生徒ではなく学校自体に責任を感じて、積極的
に自体の消臭にあたった精神は素晴らしいものだと感じた。当時の大
学の問題点で「学部間の格差」「教養部の問題」があったが、現在で
は整った教育環境が備われている。これは各々の学長が改革を目指
した結果だと思う。
経済・ 2 ・女 今回は、今までまったく知らなかったことばかり話を聞
くことができました。飯島宗一学長がいかに今までの学長と比べて特
異的なのか知ってとてもびっくりしました。他の学長は 60 代で就任し
ているのに、飯島学長は 46 歳という若い年齢で就任していたり、他
の大学でも教官をしていたり、学部長や評議員の経験がなかったりと、
様々な違いがあったにもかかわらず学長に選ばれたことを知って、素
晴らしい人物なのだなぁと思いました。
経済・ 2 ・女 飯島宗一学長は、大学紛争の最中、この広島大学に
尽力したお方らしい。昭和時代にどの大学でも大学紛争は激化して
おり、広島大学では川村学長の辞任などのうごきがあり紛争が激化し
ていった。それが、飯島学長は必死の攻防を行い、大学改革を行わ
れた。私たちが見習うべきなのはこの飯島学長の行動力、革命力で
ある。このように大学紛争に立ち向かい、強い行動力のある学長を広
島大学はその歴史に刻めたことはすばらしいことだと思った。
経済・ 2 ・女 今回の講義では、広島大学の大学紛争についてで、
かなりの衝撃を受けました。東大紛争などについては今まで聞いたこ
とがあったけど、広島大学でもあんなに大きな学生運動があったとは
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
はじめて知ったので驚きました。入学試験が校内でできないほどの紛
争で、また火炎弾をもちこんでいたというところに特に衝撃を受けまし
た。でも、そのような学生運動があったおかげもあり、今の広島大学が
あるのだと思うと、ただ単に、悪い歴史ともいえないと思いました。
経済・ 2 ・女 広島大学の学長の一人に飯島宗一氏がいる。彼は広
島大学出身ではなく、また学部長や評議員の経験もなくして 46 歳の
若さで就任した。当時の広島大学では大学の格付けや学部間の格
差、一般教育(教養部門)で問題がいくつかあった。それらへの対処と
して飯島氏は、全教職員・学生を対象とした意見調査を行ったり、学
部・学科を更に系・類に分けたり、教養学部・研究院を設置、将来計
画特別委員会の設置などをした。彼の改革は適切かつ慎重で、また
とても熱意に溢れていて素晴らしいものだと思う。彼の努力があってこ
そ広島大学は発展していった。その発展を止めぬよう、私たち生徒一
人一人が高い意識を持つべきだと思う。
経済・ 2 ・女 日本の経済成長と第一次ベビーブーム世代の進学に
よって起こった大学紛争の激化を乗り越えるために、学長はさまざま
な改革を行った。当時は、旧帝国大学でもあり新制大学でもあるとい
う中途半端な広島大学は、旧帝国大学がうけるだけの処遇をうけてい
なかったが、学長は、広島大学の研究や底上げを行い、広島大学を
中四国地区における中心的な総合大学とすることに成功した。また、
平成 9 年に移転が完了するまでは不完全な改革ではあったが、大
学の統合移転を果たし一つの大学にもなった。
経済・ 2 ・男 学生運動というと、東京大学など中心部でのイメージ
が強かったので、写真にあったような激しい運動が広島大学でなされ
ていたとは思いもよらなかった。このような行動を起こす前の世代の学
生と、今の比較的おとなしい学生の違いはどこにあるのか不思議に
思った。学部・教授のレベルが低く、当時の学生は不満が募っていた、
と授業であったが、このような行動が数多く起こっていたことから、個
人的には暴力に頼る雰囲気がわずかながらに残っていた時代背景
が運動の一端を担っていたのではないか、と思ってしまった。
経済・ 2 ・男 まず大学紛争というのがあったことを知らなかったので
驚いた。そのなかで大学を封鎖していたというのが今の大学からは信
じられないことだと思う。それほどそのときの学生側は何をするかわか
らなかったということと感じた。しかしながら、そのような大学紛争があ
ったからこそ大学改革が行われ、広島大学が、中四国地区における
中心的な総合大学になり、大学の統合移転がなされ今の大学になっ
ていったのだ。そう思うと今のんきに授業を聞いている私たちはとても
恵まれいると思った。
経済・ 2 ・男 大学紛争や学生運動の話があったが、今もそのような
ことはおこなわれているので、非常に現実味をもってきくことができ
た。・・・今はコンクリートを落として攻撃するとかいう度をこえたようなこ
とは目にすることはないですが。大学進学者の急増により、「受験戦
争」や「入試地獄」といった今はふつうに耳にする言葉が生まれ、そ
れにより大学紛争がおきた。しかし、自分はこの「受験戦争」や「入試
地獄」があるおかげでいまのような学力の高い日本を維持できている
のだと思う。
経済・ 2 ・男 学生闘争時の学長はとても大変だったんだろうなと感
じた。しかし、とても荒れていたとはいえ、今の学生と学長との関係よ
りずっといい関係だったんではないかと感じた。私は現在の学長がな
んという名前の学長なのかどのようなことに力を注ごうとしているかも
わからないからである。それは、私が学長や学校のことを知ろうとして
いないから、また学長という存在が私たち学生にとってとてつもなく遠
い存在だからではないか。こんなんではいい学校は作れないと思うの
で、学生闘争の時代にも習うことはあるのではないか。
経済・ 2 ・男 各地の大学でストが行われていることにおどろいた。
大学に誰でもはいれるという今の時代とはちがい、ベビーブームなど
の要因で大学進学希望者の増加などにより受験戦争の時代にはいり
大学側の整備が追いついてい状況からそのようなストを迎える、大学
が社会の変化についていけない体質があると聞いた。わたしはでは
今の大学はこの体質は改善されたのかという疑問を持ちました。社会
は情報化が進んでいるが広島大学でパソコンを使う授業はあまりない
し、情報の授業ではたくさんの生徒をいちどに教え、その効果はあま
りないのではとかんじた。もうすこし社会に適応できるような大学にし
てほしいと思いました。
経済・ 2 ・男 今回の講義では資料とは別に学生運動の話をうかが
って非常に興味深かった。引き続き学長についての歴史を学んだが、
前回の講義で知った森戸初代学長が自分の中ではあまりに輝いて
いる。二回の学長に関する講義を受けて、各学部の現学長を見ようと
思い受験でいただいた大学案内を見た。二年前のもので経済学部
の学長などは違う人だったが、やはりどの方も学部をまとめるだけあっ
て言うことや論がしっかりしており、尊敬の念を抱いた。
経済・ 3 ・男 学長達の学歴から当時の学生運動の激しさなど、広
範囲にわたって伝わった講義だったと思う。学生運動に関しては、今
と当時のギャップに驚かされた。
経済・ 3 ・男
最も印象に残っているのは大学紛争の時代の話で、
広大ではあまり起こっていないような印象があったのでとても意外な
感じだった。また、大学紛争の時期の学生たちの意識の高さには驚
いた。学生たちが自分たちの力で大学の体制そのものまで変えて、よ
り良いものにしようという意欲が感じられた。私も、そういう方向には行
くつもりはありませんが熱い意欲を持って学生生活を送っていきたい
と思う。
経済・ 3 ・男 学生運動がなぜ起こったのか知らなかったので、今日
の講義はとてもためになりました。武力手段に出ていた学生たちは逮
捕されなかったのかどうかが気になりました。当時の学生たちはやり
すぎなのではないかと思ったけど、自分たちで新しい大学にして行こ
うという気持ちの表れなのかなと思いました。今の自分たちにはきっと
できないだろうなと思いました。
経済・ 3 ・男 私が入学したとき、学長は牟田学長であった。しかし、
今は浅原学長であり、 11 代目と聞いて、正直少ないなぁと感じた。し
かし、それぞれの学長が大変大きな功績を残されており、その結果今
の広島大学があるのだと思うと、本当にすごいことだと思う。広島大学
は広島市内からこの西条への統合移転という、大きな改革を行った
が、その理由の一つに大学紛争があったということには驚いた。私た
ちは、大学紛争というのがどういうものかよく知らないが、昔は様々な
大学で起こっていたらしく、時代の変化を実感した。
経済・ 4 ・女 大学紛争というものについて少しは話を聞いたことが
ありましたが、どのようなものであったのか詳しく学ぶのは今回の講義
が初めてでした。第二次世界大戦が終わり、日本は驚異のスピード
で経済発展していきましたが、それに伴い大学進学を目指す学生が
増加してきました。裕福な家庭の子どもから貧しい家庭の子どもも大
学入学を目指しているのですから、学費の値上げに対して反対運動
が起こってしまうのは必然のような気もします。東京大学や東京教育
大学ではバリケードが構築されるなどの激しい大学紛争も行なわれて
います。現代でそのような運動が起こることはほとんどないことは大学
側、学生側ともに満足しているからなのではないかと思います。私は
現在 4 年生で学生生活も残りわずかですが、精一杯楽しもうと改め
て感じました。
経済・ 4 ・男 今回の講義では多くの学長と大学紛争について紹介
されていました。その中でも、第四代目学長の飯島さんのことが特に
多く取り上げられていたように思います。飯島さんの行った広島大学
の総合移転の改革は、現在の広島大学の飛躍につながる原点であ
ると私は思います。そして、このように広大の歴史という講義の中でこ
れほど取り上げられるということは、私たちが思っている以上に功績を
残された方なんだなと感じました。また、ストライキや団体交渉が起こ
っている最中の就任はとても大変だったろうと思います。しかし、どん
な学生とでも徹底的に話し合うという理念を掲げ、そう勤めようとした
学長に敬意を表したい気持ちです。そしてまた、現在の学長にも同じ
ように多くの苦労があると思います。その学長の苦労があってこそ今
の自分があることも肝に銘じたいと思います。
経済・ 4 ・男 今回の講義では、さまざまな学長さんの話や、大学紛
争についての話など、さまざまな内容を含んでいましたが、一番興味
を持ったのは大学改革についての話でした。以前の広島大学には教
養部というものがあり、そこで十分な単位を取得した学生は専門科目
を履修できるという制度で、なおかつ、教養部の単位取得は現在より
も難しかったといいます。僕たちは広島大学に入って早い段階で、領
域科目や教養科目などを総合科学部で受けているので、総合科学
部に近いものがあるようです。ただ教養部には多くの問題が合って、
大学改革が必要になったということでした。現在の東広島キャンパス
はその大学改革において統合移転されたものだということが今回一
番驚いたことでした。確かに、学部間の閉鎖性を取り除くためにキャ
ンパスを統合することは効率がよいことでしょう。しかし、まだ問題は残
っているようです。今後どのようにすれば、もっと学部間の閉鎖性が
解消されるのか、というのはきっと難しい問題なのだろうと思いました。
経済・ 4 ・男 まず、驚いたことは飯島宗一学長の他の学長との特異
性です。就任年齢が 46 歳ってのはやはり若いという印象を受けます。
学長というものは大学全体の責任者であるわけだから、判断力などで
経験を積んだ定年間近の人間がするものだというのが僕の見解なん
ですが、しかしながら飯島学長の大学紛争を解決された力や広島大
学の問題を解決されたことはすごいと感じました。それから受験戦争
の時期に生まれなくて良かったというのが今回 1 番感じたことでもあり
ます。
工・ 1 ・男 大学紛争についてはじめてしりました。今こうやって普通
に学校にかよっているのがあたりまえにすごしていますが、かつては
大学側と学生が対立して学生が学校を封鎖してしたことがあるとしっ
て驚きでした。最初のうちは、学生の要求は確かに尊重するべきだと
思いましたが、だんだん時間がたつにつれ、引くに引けなくなったの
ではないかと思います。学長が飯島学長に代わって、どんな生徒とで
も話し合うという会見をしたのに、聞く耳をもたない過激な学生らのや
り方は少し違うなと感じました。
工・ 1 ・男 日本が経済成長を遂げて、第一次ベビーブーム世代の
進学が始まったことにより、大学進学希望者が急増。よって大学・学
生定員が増加し、組織・施設の整備が追いつかず、学費値上げの反
- 720 -
対闘争が起きたという過程を知り、大学紛争が起きる訳を知ることが
できました。現在も起こっている様々なストライキが起こっている原点
となることなので、非常に印象に残りました。その際に東京大学、東京
教育大学などでバリケード構築を行ったという事実にも驚きました。そ
れにより川村学長が辞任することになったという過去にも驚きました。
工・ 2 ・女 今回も先々週の講義に続いて、今まで知らなかった学長
たちの経歴を知ることができてよかったです。また、広島大学で大学
紛争があったということを知らなくてそのことについても詳しい話が聞
けてよかったです。大学紛争といったら東京大学のような有名な大学
でしか行われていなかったというイメージが強かったので、広島大学
でも行われていたということを知ったときはすごく驚きました。バリケー
ドが設置されたり、建物に立てこもったり、火炎瓶を使用するなど、や
っていることもかなり本格的で、本当に戦争にでもなりそうな勢いだっ
たように思えてただただ驚くばかりでした。また、話を聞いていくうちに
飯島学長の偉大さに気づきました。飯島学長は大学紛争を収めただ
けでなく広島大学の問題点の解決に取り組んでおられてとてもすご
いと思いました。さらに、他の学長は 60 歳くらいに学長に就任されて
いるのに、飯島学長は 46 歳という若さだったということにとても感動し
ました。今回の講義を受けて、広島大学はこれまでに学生と教授や
学長の間で対立をしながらもよい方向に大学が作られてきたというこ
とを知ることができ、より一層広大生として誇りが持てるようになりまし
た。
工・ 2 ・女 飯島学長は就任年齢 46 歳で結構若くして学長になられ
たのだなと思いました。名古屋大学の医学部卒業でとても頭のいい
人なんだなと思いました。先生が昔大学希望者の急増で受験戦争が
起こったとおっしゃっていましたが、私のおじもちょうどそのころ大学
受験だったそうでこのような話を聞いたことがありました。大学で学生
運動が盛んで、デモやストライキがあったなどという話も聞いて怖いな
と思ったことも思い出しました。レジュメの図 3 を見ると博士課程まで
ある学部が半分ほどで格差があることが伺えました。図 5 を見ると、ほ
とんどの学部が博士課程まであって専門の研究がしっかりできること
がわかりました。広島大学の統合移転に伴う改革整備計画の新しい
大学院の確立を目指すといった目標が達成できていることがわかりま
した。東移転したからこそこういったことも実現したのだなと思い大学
が東広島に移転した理由もわかったような気がします。
工・ 2 ・女 私は総合科学部はほかの大学にあまり設立されていな
いのに、どうして広島大学には設立されているのか疑問に思っていま
した。これは広島大学は 1 年は教養の勉強をして、 2 年から専門の
勉強をするという事につながっていると分かりました。まずは一般的な
教育を総合科学部で学ぶことによって、学生中心とした学校教育を
考えるという雰囲気が強かったそうです。また、どうして西条に広島大
学が建てられたのか不思議でしたが、広いキャンパスを設けるという
のが 1 番の条件だったということを聞いて納得しました。確かに学部
ごとにいろいろな場所に建てている大学もありますが、私も同じ大学
なら同じ場所で大学生活を共に楽しんでいきたいです。
工・ 2 ・女 今回は飯島学長のお話に関係して、大学紛争のお話ま
で詳しく聞くことができてとても興味深かったです。大学紛争の話は、
あまり詳しくは聞いたこと無かったのですが、今回を機に紛争の始ま
った背景と、またその当時の広島大学、飯島学長の対処についての
話が聞けてとても勉強になりました。正直、東大の大学紛争は激しか
ったと聞いたことがありましたが、広島大学の大学紛争も思った以上
に激しかったので驚きました。でも、飯島学長が学生と徹底的に話し
合うという学生と正面から向き合う行動を行い、問題を解決の方向へ
と導いていった姿は本当にすばらしいなと思いました。人と人との問
題の解決は、徹底的にお互い話し合うことが、一番の解決策になると
思います。また、大学改革にもちゃんと学生も対象にした意見調査を
実施するなど、きちんと学生の意見も考えに取り入れようとするところ
は、さすがだなと思いました。就任時が 46 歳にもかかわらず、本当に
偉大な方であったのだなと今日の史料を通してひしひしと実感しまし
た。
工・ 2 ・女 今日の講義で最も驚いたことは広島大学においても、学
生のストライキが起こっていたことである。「ストライキ」というものの私
の中のイメージは“よくないこと”であったために、衝撃だった。しかし、
広島大学はそのおかげで、大学改革をすることができたので、その時
のストライキは意味のあるものだったのだと思う。ただこのときの学長
を勤めた川村学長と飯島学長は、本当に目の上のたんこぶだったと
思う。特に川村学長は病気という理由で辞任したからそのストレスは
大変なものだったと思う。またその苦しい状況の中で学長を就任した
飯島教授も大変な決断だったと思う。ともに波乱な時期に学長を務め
あげた二人は本当に偉大な学長だったということが今日の講義で知
ることができた。
工・ 2 ・女 他の学長が 60 代で就任しているのに対して、飯島さん
は 46 歳という若さで就任していてすごい人だったんだなと思った。ま
た、大学の募集定員よりもはるかに志願者が多く大学の組織や整備
が追いつかないことがあったということに驚いた。今は大学の特徴や
自分が興味あるところに行こうと思うので、そのような事態で当時の人
たちは本当に大学に進学したいと思ってたんだなと思った。そして、
広島大学将来構想組織図があり工学部が類でわかれているのがそこ
からきているというのは初めて知った。広島大学でも、激しい大学紛
争があり、火炎瓶を投げて学生集会所が炎上してしまうようなこともあ
ったなんて驚きだった。当時の学長は本当に苦労したなと思った。ま
た、それほど生徒も必死だったのかなと思った。
工・ 2 ・女 まず、飯島宗一学長が学長に就任した時の年齢の若さ
に驚きました。その他にも広島大学の歴代の学長は、学部長や評議
員の経験がなかったり、広島大学以外の出身だったり、広島大学で
の教官歴がなかったりと特異的なことが多いと感じました。次に、想像
もできないほど激しい大学紛争がおこり最終的に県警や機動隊が関
わる大きな事件が、広島大学で実際に起こったということはとても信じ
がたいです。この当時の広島大学の学長である飯島学長がどんな学
生とでも徹底的に話し合う、大学紛争の根本的問題は社会の急激な
変化と学問の進歩についてゆけない大学の体質にあるなどと言った
ことから、学生たちに正面からぶつかり大学紛争を根本的に解決し封
鎖された大学を解除し二度と同じようなことを繰り返さないようにした
いという思いが伝わりました。今回の講義で、今の広島大学があるの
は学長の中でも飯島学長の存在が大きく一つ一つの行動がさまざま
なことに反映されていると感じました。
工・ 2 ・女 前回も『学長たちの横顔』という表題の日がありましたが、
今回と前回では何となく内容が違うと思いました。今回は大学紛争に
ついてで、なかなか興味深かったです。写真とかを見てもその当時の
激しさが伝わってきました。私は正直お金を払って勉強をするために
進学したのにもそこまでする意味が分からないをと思いました。大学
封鎖もみんながしたい訳ではないのに、と思いました。そう思ったら学
生たちと向き合って解決しようとした飯島学長の活躍は大きかったと
思います。又、今回も大学内での格差の話が出ました。私ははじめ東
広島にキャンパスが移ったのを不便だと思っていましたが、今日の話
などを聞いてその必要性を感じました。今日話してくれた講師の先生
はもうちょっと成果が出たらよかったのにとおっしゃっていましたが、
私はここまで前に話が進んで実行にうつせたことはすごいことだと思
います。
工・ 2 ・女 今回は広島大学の学生ストライキに一番関心を持ちまし
た。 8 項目中「学食の働く人はアルバイトでなく正社員」等少しどっち
でもいいんじゃないかなという要求もあったけれど、裏を返せば大学
をより良い環境にしたいという意欲があったともとれ、一概にストライキ
自体が悪いわけではなかったという点で双方の包み隠さない意見を
知りたかったです。きっとストライキ代表と非ストライキ代表は双方をに
らんで抑制しながら発言したのだと思うのです。現在は双方が偉い地
位に就いている為深追いはできないということですが、またストライキ
にかかわった一般学生の話を聞いてみたいです。
工・ 2 ・女 前回の講義でも感じたことだが、各学長のことよりも現代
では考えられない学生達のによる紛争がとても印象的だった。確かに
飯島宗一学長は得意な方で、成した事は今まで大学と学生との間に
あった溝を埋めるのような素晴らしいものであったと感じたが、大学本
部などを閉鎖して作られた砦や催涙弾を避ける窓や屋上にいる変装
した学生達などの画像を見ると、現代の私達にはない熱意を感じる
気がした。彼らのしたことが全て正しいとは思わないが、そんな彼らの
反発があって、飯島学長という方が学長になられて、それまでの大学
の姿勢を変えたから今の広島大学がある、という点では必要な紛争
だったのかもしれないと考える。また、院の有無などによる学部間の
格差などの問題は依然にも触れられた話だったと思うが、学部の閉
鎖性に関しては自分が工学部の生徒だからかもしれないが、あまり解
決されていないのではないかと感じた。
工・ 2 ・女 今回の講義では、広島大学の組織の移り変わりが非常
に興味深かった。もともとは煙突型に、入学すればずっと一つの学部、
学科の中で学ばなければならないという制度が、修士課程を広い範
囲の中から選べるようになった制度は良いと思う。私の所属している
工学部はそのようにはなっていないが、今の類の制度には満足して
いる。大学に入学する前は偏差値などを重視して、何を学ぶかは軽
視しがちな人が多いと高校生のころに感じたので、大学に入って、学
んでみてから進路をさらに考えることをできる制度はとても良いもので
あるので、改革してくれた人々には感謝している。
工・ 2 ・女 今週のテーマはちょっと難しいと思います。あることは分
かりにくい。飯島宗位置一学長の特異性の一番目は就任年齢は 46
歳です。それに、学部長や評議員の経験無し。他のことは広大以外
の出身と広大以外の教官歴ということです。どんな学生とでも撤低的
に話し合う、大学紛争の根本問題は社会の急激な変化と学問の進歩
についてゆけない大学の体質にあり、学内改革を全教職員で積極的
に進める。その場合、一大学の問題でないので、社会一般や政府、
文部省にも国立大学の一員として働きかけ理解を求める。
工・ 2 ・女 広島大学に飯島学長が就任し、彼が残した功績は大き
い。広島大学の問題点であった学部間の格差は、彼の提案した教養
学部の設置や博士課程の設置というこれまでになかった新たな考え
方により改善できた。また彼は学生とのコミュニケーションを大切にし、
大学紛争の問題にも積極的に取り組んだ。新人生が全員留年となる
可能性が浮上すると、県警にも出動要請を行い、機動隊を導入させ
た。彼の思い切った考えと行動により、大学紛争の問題も乗り切った
のはすごいことだと思う。
- 721 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・女 歴代の学長については全くと言っていいほど知らなかっ
たので、今回の講義で知ることが出来て良かった。大学の学長になる
人たちはみんな素晴らしい経歴の持ち主ばかりだったので、さすがだ
と思った。大学紛争時代に自分が受験生とか、大学生とかじゃなくて
良かったと思った。けれど、その時代があったからこそ、大学の改革も
進んだから、今の広島大学があるということも分かった。さらに、大学
の統合移転によって、 1 つの大学として強く結びついたのだとも思っ
た。
は学生が評議会と団交を行い、要求やストライキを起こしていたことを
考えると、自分の考えを言って行動できることはすごいけど、やはりそ
のような行為は考えられないと思いました。入試の学外実施や新入生
の自宅待機、機動隊の導入などが本当に起きていて、激しい大学紛
争が起きていたことがわかりました。また、当時は学部間に格差があり、
自分の所属する工学部に大学院がないなど、あまり発展していなか
ったことが残念でした。東広島に統合移転し、大学院や教養学部の
設置をしたことで大学改革は成功だったと思いました。
工・ 2 ・女 日本の経済成長は第 1 次ベビーブーム世代の子供の
進学と重なり、大学進学希望者が急増した。このことから受験戦争や
入試地獄となり、大学紛争の始まりとなった。そのころは大学の組織
や施設の整備が追いつかず大変だった。そのような話を聞いて、今
現在大学は全入時代となって、行きたい大学を選ばなければ誰でも
大学に入れる。大学進学を希望するものは志望校に向けて勉強する。
目標を持っている。しかし全入時代となった今、目標も持たず漠然と
大学に進学する人もいる。大学を増やし、勉強できる場所を増やす
のはいいが、そのような若者が増える事実もあると考えた。広島大学
はそのような中、歴代の学長がさまざまな改革をしたり、総合移転をし
たりしてきた。これからは、さまざまな改革をして広島大学をより良くし
ていかなければならないと思う。
工・ 2 ・女 私は今回の授業を受けて大学紛争があったために今の
生協が出来たり、全学部に大学院があったりするので、直接関わった
先生などはすごく苦労したかもしれませんが、大学紛争はなければな
らなかったものだと思いました。また、広島大学は中途半端でありな
がらも大学改革が実施されて良かったと思いました。その大学改革の
中で一番の問題点は資料 2 の飯島元学長が述べているように学部
間の格差があることでした。それをなくすために博士課程を全ての学
部に作り、一部であるが、その博士課程を色々な学部から相互に行
き来できるように作り直したのは、すごい努力とたくさんの反対があっ
たと思いました。それをやろうとしたたくさんの人々はすごいと思いま
した。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて現在全学連の人たちが訴えている
関東地方の大学で行われている大学紛争が昔広島大学でも行われ
ていたことには驚きました。授業をしないと新入生が全員留年になる
ほど長い期間行われ、また機動隊が導入されたほど大規模な紛争で
あったとは周辺地域の方々や大学の職員たちにどれほどの影響を与
えたのか想像もつきませんでした。今後そのような紛争が起こる可能
性はあるのか、また、もし起こったら大学側はどのような措置をとるの
か疑問に思いました。
工・ 2 ・女 この授業では今まで深く考えてこなかったことについて、
すごさを思い知らされます。今では当たり前の広島大学のかたちも歴
代の学長をはじめ、いろいろな人によってつくられたのだと思いまし
た。ストライキや封鎖なんて他人事だという感覚がなくなりませんが、
かつてはこんなに広島大学でも大学紛争が起こったのかと驚きました。
授業が開始されず全員留年の可能性があったなんて信じられません。
今の私たちは普通に授業が受けられて、これも恵まれてるのだとしみ
じみ感じました。
工・ 2 ・女 大学紛争によって始まることとなった、大学改革に対して
の学長たちの苦労を知ることができた。大学側と学生側には双方に
理にかなった意見があり、お互いに受け入れられない部分があった
ために、大学紛争が起こったことが分かった。今の時代においては大
学紛争というものは、ほとんど起こらないであろう。それは、大学改革
によって大学の仕組み、形態がより良いものになったからである。そ
のことを考えると、大学紛争が起きたときに学長をされていた方の苦
労と努力がうかがえる。大学改革によってより良い大学となった広島
大学に通えることができていることは、とても良かったことだと思う。
工・ 2 ・女 日本の高度経済成長期に、第一次ベビーブーム世代と
いう影響もあって、大学進学希望者が急増し激しい受験戦争があっ
たという事実は知っていた。大学でも、学校に不満を持つ学生らが学
生運動を起こし、警察や大学などと闘ってストライキなどを起こしてい
たという事実も知ってはいた。だが、それは都心の関東の大学を中心
にしていた運動だと思い込んでいて、広島大学でも学生運動があっ
たということにすごくびっくりした。また、事実は知っていても、なんの
ために学生運動を起こしたのかということは全く知らなかった。今回の
講義を受けて、私たち今の学生がそういう運動を起こさないのは、大
学の教育制度が完成しているからなのか、そういうことをしないように
と大学が抑えているからなのか、私たちが何も求めなくなったからな
のか、どうなんだろうとすごく考えた。いずれにしろ、広島大学が東広
島に総合移転をしたことや大学院や研究院の設置、また学部の充実
などは学生と大学が歩み寄る形で行われ、今の形になっていると知
って、恵まれた環境で勉強できていることを改めて感じた。
工・ 2 ・女 今回は飯島宗一学長から浅原利正学長の時代を学んだ。
その中で飯島宗一学長は 46 歳という若さで学長に就任し、学部長
や評議員の毛権もなく、広大以外の出身であり教官歴を持っていると
いう特異性を持つ学長であり、その就任した時期が大学紛争が勃発
しているという大変な時期であったということもありとても印象に残った。
広島大学が大学紛争が勃発していたことにも驚きを感じた。それらに
よって広島大学も変化していったのだなと学んだ。
工・ 2 ・女 今回の講義を受けて、大学紛争の起きる原因について
理解することができた。大学紛争は大学を変えていこうとする考えか
ら起き、それによって広島大学の研究・教育水準の底上げが成り、
「中四国地区における中心的な総合大学」として名を馳せるようにな
った。さらに大学の統合移転も役割を担ってきた。今、広島大学のキ
ャンパスは 1 つではないが、そこにも大学改革の思想が反映されて
いるのかなぁと思った。歴代学長が、どのような理由から辞任、就任し
ていったのかが改めて理解できたと思う。
工・ 2 ・女 今回の講義で一番印象に残ったのは、大学紛争につい
てでした。今でこそ大学生はストライキを起こしたりなどしないので、昔
工・ 2 ・女 今回の講義での中心人物は飯島宗一学長だと思った。
飯島学長とほかの学長の違いが大きく目立った。就任年齢、学部長・
評議員の経験がないことなどほかの学長たちとは違う経歴の持ち主
であり、さらに大学紛争の最中に就任したということも異なる点である。
大学紛争から大学の改革をすすめていこうと立案と実施を行ったが
各学部の利益のみを考えるひとたちの反対でもっとフレキシブルな教
育を目指そうとしていた改革案が潰され中途半端な改革になってしま
ったのが残念だった。
工・ 2 ・女 今回は学生運動についての話だった。昔は全国各地の
大学で学生運動が行われていた。学費値上げの反対闘争だったり、
大学の施設の不備に関するのものだったり、理由は様々だった。広
島大学でも昭和 44 年に広大全共闘が結成され学生のストライキが
行われ始めた。大学の門にバリケードをはったり、屋上に顔を隠した
生徒が立てこもったり、事務所や学長室をこれほどかと思うほどはか
いしたり、火炎瓶などでの火事が起こったり、とても私には想像できな
いほどの激しいものだった。今も学生運動をしている学生はいる。し
かし、昔ほどの規模ではない。その理由として、大学の環境が良くな
り生徒の不満が解消されたことももちろんだが、今の若者に昔の若者
のようなパワフルな自己主張力がないということもあげられるのがかな
しいことだ。
工・ 2 ・女 今回の授業は学長たちの横顔について勉強続く。第 4
代から第 5 代まで紹介していたという飯島宗一学長から浅原利正学
長までである。大学紛争の激化と川村学長の辞任という事件になっ
た。そのことから大学制度がぐちゃぐちゃになってしまった。紛争は教
義部から各学部へと拡大だ。第 4 代は学長になって、就任受諾後の
記者会見をする。 5 月 7 日に、学長就任という大学改革に始まる。そ
の時、広島大学の研究.教育水準の底上げ「中四国地区における中
心的な総合大学」と大学の統合移転「一つの大学」。平成 9 年に移
転完了、 5 代の学長 24 年まだ不完全な改革である。
工・ 2 ・女 学長達についていろいろとまた学ぶのだと思っていまし
たが、今回は大学紛争についてが結構主になっており、いろいろと考
えさせられることがありました。昔の学生は自分の意思をしっかりと持
っており、芯があるなと思いました。今の学生は自我というより大衆文
化のほうが強く、人に流されやすいというイメージが大きいです。大学
に立てこもるのはあまり感心できることではありませんが、自分の意思
を貫き通すところは少し尊敬するところがあります。しかし、大学をあ
んなに荒らしてしまって、そのあとはどうするなどを考えていたのかが
気になるところです。
工・ 2 ・女 今回の講義では、飯島宗学長から浅原利学長まで習い
ました。その時期は、大学紛争が起こりました。それは、日本の経済
成長と第一次ベビーブーム世代の進学ためである。大学紛争で、大
学を改革されました。研究.教育水準の底を上げて中四国地区にお
ける中心的な総合大学になりました。そして大学の統合を移転して一
つの大学になりました。
工・ 2 ・男 広島大学の学長について知らないことも多いけど、今回
の講義で少しでも学長たちのしてきたことがわかってよかった。学長
の経歴など普段はあまりきにならないことも少し興味がもてた。何をす
るかは学長によって違うけど、そのすべては広島大学のためにしてい
ると思うので僕もその理想に近づけるようにしたいと思った。学長のす
ることは直接広島大学に関わってくるのでこれからは学長のすること
に注目したい。
工・ 2 ・男 今度の講義テーマの学長は今までで一番興味深く、ユ
ーモアに溢れた、素晴らしい学長だったと思います。様々な学長の
教育理念や実績などをいままで見てきましたが、そのどれもが彼らの
センスに満ちあふれたもので、それらがいかに今の広大の特徴を形
作る基盤となっているかを思い知りました。
工・ 2 ・男
- 722 -
学長について詳しく学ぶことができました。最初に、飯島
宗一学長について学びました。飯島学長は他の学長と違ってたくさ
んの特徴があります。一つ目は、就任年齢が若いということです。他
の学長は 60 代なのに、飯島学長は 46 歳で就任しています。二つ
目は学部長や評議員の経験がないということです。三つ目は広大以
外の出身ということです。最後は広大以外の教官歴があるということで
す。とても魅力を感じた人物でした。他にもいろんなことを学べて良か
ったです。
工・ 2 ・男 今回の講義の内容は、「学長たちの横顔 2 ~飯島宗一
から浅原利正まで~」ということだったので、 6 月 1 日の講義であっ
た、「学長たちの横顔 1 ~初代学長森戸辰男から川村智冶郎まで
~」の続きで、同じように学長たちの歴史や行った事柄などについて
の講義だと思っていた。飯島宗一さんは就任年齢が 46 歳と、とても
若いことに驚いた。このころ、大学紛争なども頻繁に起こっていたこと
も、知ることができた。代々学長の略歴などを見ると、医学部出身とい
う学長もちらほらいるので驚いた。
工・ 2 ・男 広島大学ができてから今に至るまで、たくさんのことが起
きたりしてきたのだと思った。そしてそれらの出来事ごとにそのときの
学長がどのように対応したり、どのように良くしようとしたのかを見ると、
その学長がどのような人だったのかわかることがあって面白いと思っ
た。その中でも飯島宗一という人が学長のときに出た、広島大学統合
移転が一番大きなことだと思った。統合する前に中途半端だったとい
うのが印象的で、何とか広島大学を大きなものにして 1 つのまとまり
にしたかったのだと思った。そしてそれを実行しようと思ったことがす
ごいと思った。
工・ 2 ・男 大学への志願者の人数は、第一次・第二次ベビービー
ム世代の関で、かなり大きく変動しているのが分かった。特に私立大
学では志願者を多く受け入れてしまったので、学生たちを取り巻く環
境が悪くなり、学生たちの不満が高まり大学紛争が起きてしまった。こ
の紛争は多くの学生の支持がないと起こすことは難しいが、それにも
かかわらず大規模な紛争が起きたのは、多くの支持があったからだと
思う。この紛争により、その大学に入る新入生にも大きな影響があっ
たと思う。
工・ 2 ・男 大学紛争の話はいろんなところで耳にしますが、そのた
びに今の大学では考えられないなと思います。過激な行動のせいも
ありますが、大学への不満なんかはほとんどの学生はそんなに強くは
感じていないと思います。制度が改善されたのかどうかはわからない
ですが、少なくとも自分たちの手で世の中を変えていくんだという思
いを持った人が少なくなっているのは確かだと思います。それが昔に
はこの大学でも行はれたんだと思うと不思議な感じがします。自分も
もっと欲というか、真剣さを持って生きたいなと感じました。
工・ 2 ・男 今回の講義は大学紛争に対しての各学長たちの対応に
ついてが主なテーマだったように思う。今回名前が挙がった学長達の
中でも、飯島宗一学長が、大学紛争を沈めるのに大きな役割を果た
したように感じた。飯島学長はどんな学生とも話し合ったり、大学紛争
の根本は大学の体質にあると認めたりするなど積極的に学生たちに
歩みよって行ったところが解決への有効な手段だったように思う。結
局、機動隊によって封鎖解除になったが、飯島学長の意見に賛成す
る学生も出てきたことから、飯島学長の努力は無駄ではなかったと思
う。
工・ 2 ・男 飯島学長から浅原学長までの歴代学長の履歴について、
飯島学長の特異性が顕著でした。 46 歳という若さで大学長に就任し、
名古屋大学教授時代にも勝手に推薦され、広島大学長に当選してし
まうなど、よほど人気があったものだと感じました。また、今回の講義
で一番印象に残っているのは、学生運動についてです。東大紛争の
様子も、今では考えられないようになっていて、当時の学生の激しさ
がわかりました。それは、広島大学も例外ではなく、封鎖された本部
棟や火炎瓶など想像の範疇を超えていました。当時の写真が残って
いて、興味深かったです。あと自分は工学部なんですが、なぜ学科
ではなく類と呼ばれているのか、それは改革の名残ということがわか
ってよかったと思いました。
工・ 2 ・男 昭和 40 年代前半、大学紛争という混乱の時代に広島大
学は誰が治め何が行われていたか。今回の講義ではそのようなことを
学んだ。広島大学でも行われた大学紛争はその後の大学の体制を
変えた。その当事者、飯島学長は若さに加え学部長や評議員の経
験が無い外部の人物というプレッシャー、偏見を受けただろうと思う。
もちろんそれに加え実務面での障害もあっただろう。それを乗り越え
つつかわしつつ、現在の広島大学の具体的な部分を作り上げた飯
島学長は偉大な人物だと感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義ではまず歴代の学長である飯島氏、竹山氏、
頼實氏、沖原氏、田中氏、原田氏、牟田氏、浅原氏のそれぞれの略
歴の紹介があり、その後で各時代に起こった様々な出来事に対して
大学がどのように対応していたかの紹介だった。特に昭和 50 年ごろ
の第一次ベビーブーム世代の進学による受験戦争の激化や、大学
紛争の全国での激化など大学にも大きく関わる社会の出来事に対し
ての飯島元学長の尽力は多大なものであったと思う。また大学の移
転に関しても各学長の努力があったであろうと感じました。変わり行く
時代に合わせて大学を導いてきた歴代の学長を尊敬しました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、飯島学長から浅原学長までにつ
いてだったが、特に飯島学長について多く語られていた。この人は広
島大学長になる以前に名古屋大学の医学部の教授などをやってこら
れていたのに、 46 歳に広島大学長になってから移転問題や大学紛
争に正面から向き合っていこうとした印象を受けた。飯島学長は大学
としてのあり方の根底(過程や進学、学部のあり方 etc)を変えていった
ところがとても感心する点だった。新キャンパスを作り出そうと考えたこ
とで、今の広島大学があるんだと考えるとやっぱりすごい人だと感じ
た。
工・ 2 ・男 まずは予想していたより広大での大学紛争が激しかった
ことに驚いた。 2 月から 8 月と半年近くも大学を封鎖していたり、それ
のせいで新入生が自宅待機、そして全員留年の可能性が出るなど、
そんな長期にわたっていたなど今の私たちの世代の様子からは考え
られなかった。学生の数が、や大学の設備、教育レベルが、と聞かさ
れても今の教育環境にいて、少しでも楽をしようとしている私たちの代
からは当時の様子がまったく想像できない。しかし、そのおかげという
のも変だが、その紛争に対応するために若く力のある学長が就任す
ることになり、そして東京大学などでは行えなかった改革が、不完全
ながらとはいえ行えることになったのはやはりこういった学生の力の影
響であり、私たちにいい影響を与えているのなら感謝すべきだと思っ
た。ただ、改革が行われなかったといっていた東京大学がいまだに日
本のトップを走っていることを考えると、広大の改革がどの程度効果
があったのか疑問に思うところもある。改革を行ったことによってどう変
わったのか、行わなければどうなっていたのか、そのあたりが少し疑
問に感じた。
工・ 2 ・男 学長の中でも異色な人として飯島宗一学長として上げら
れているが、年、出身他いがいでも大変な時期に就任したというだけ
でも十分特異性があげられると思う。大学紛争真っ只中に就任してと
ても大変だったろう。ただ、就任した時期がじきなだけに嫌な仕事を
押し付けられたようにも取れる気がする。その人の人望や信頼のみで
学長に選ばれたのではないと思う。確かに半数もの票を獲得している
が学部長や評議員の経験のない人で、しかも広大以外の出身という
経歴で大学紛争という大きな問題に取り組むのは少しばかり無理が
あったのではないのかと思う。機動隊まで出動する騒ぎになるなんて
今では考えられないが、それは学生がわがままなのか、それとも今の
学生が要求しなさ過ぎるのか。どちらがいいというのはわからないが
自分たちの学生生活のために戦っていたのは事実だ。
工・ 2 ・男 大学紛争という言葉はよくテレビなどから聴く言葉であり
ますが、広島大学にもそのような過去があったとは思いもよりませんで
した。確かに全国的な大学紛争の雰囲気と共に大学側の理不尽な
態度に当時の一部学生達が激怒したのはわからなくもありません。し
かし自分がこの大学紛争について知りたいの大学紛争を率いていっ
た中心人物ではなく、その人の周りで紛争に関わっていった人たち
です。彼らは本当に大学側に反発して紛争に加わったのかそれとも、
流れに身を任せていっただけなのか、とても気になるところです。まあ
自分としては、流されやすい人間なので後者になりそうですが・・・そ
んな状況で学長に就任した飯島氏はとても気苦労が多かったと思わ
れます。そんな中で大学改革を行った彼はとても強い広島大学への
思いを持っていたのだと思いました。
工・ 2 ・男 今回の授業では飯島学長についての話をメインに講義
されましたが、苛烈であった大学紛争を止めたり、その後の広島大学
の今後のあり方についてを非常に真剣に考えた人だということがよく
伝わってきました。特に現在の東広島キャンパスへの移転問題につ
いてですが、なぜ移転しなければいけなかったか、広島市に増設す
ることはできなかったのか、など多くの学生が抱いているであろう問題
の答えを知ることが出来たのは良かったと思います。次回の授業では
今回は急ぎ足になってしまい端折った話などが聞けるといいです。
工・ 2 ・男 大学紛争は当時は大きな問題であったに違いないが、
今の大学があるのはその影響を大きく受けているからだと思います。
受験戦争や入試地獄という言葉は聞いたことがあったけれど、それが
日本の経済成長や第一次ベビーブーム世代の進学ということに原因
があるというのは初めて知りました。また、広島大学の問題点に対す
る飯島宗一元学長の証言には、大学の格付け、学部間の格差、一般
教育とありました。その多くが改善されたとはいえ、今でも少なからず
残っていると思います。これからもこの状況を改善するために学長だ
けでなく私たちも努力していく必要があると思います。
工・ 2 ・男 大学紛争時における飯島学長の尽力に深く尊敬しまし
た。この事態は社会の風潮に流された学生の意思による悲惨なもの
だと思われます。これ以降は私の勝手な憶測ですが、活動に参加し
た多くの学生は東大紛争に憧れを抱いて行動した者だと思うのです。
いつの時代も格好良さから人の真似をしてしまうのが思春期の人間
の性だと考えるからです。しかし、それ故に大学のみならず社会全体
にまで一概に悪影響とまでは言えないものの、様々な効果を与える
のは如何なものかと思います。それが反映して今に至るので、そこに
安穏と過ごしている私がとやかく言うのは筋違いかとは思いますが、
せめて自分が起こす行動によって周囲にどんな影響を与えるかを熟
考して実行するべきだったと思います。
- 723 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 今回は自分は高校の現代社会の授業でほんの少ししか
聞いたことのない学生運動について詳しく聞けました。当時の学生が
過激な行動をとっていたということしか知らなかったので、東大生から
の影響だったことなどは初めて聞きました。また、映像で学長のお話
を聞けてとてもためになったと思っています。後は、最後のほうに先生
が言っていた工学部がなぜ類で分けられているかということが個人的
に印象に残っています。
向が強く、大学進学者が急増した。しかし、学生の数は増えるものの、
大学等の施設の整備が追いつかず、学費の値上げが起きた。また、
大学の競走率が高くなり学生の質が向上したことによって、教員の質
への不満が生まれた。これらのことが重なり、昭和 44 年「広島前共
闘」が結成し、大学紛争が勃発したのである。この大学のシステムが
きちんと確立していない中、広島大学は改革にほぼ成功したと言って
いいほどの成功をおさめたのである。
工・ 2 ・男 第四代目の学長の飯島宗一元学長は広島大学出身で
はないのに広島大学の学長になり、さらに、名古屋大学の教授をして
いた時に広島大学の学長選挙で勝手に名前を出され、そして、当選
したと聞いてとても信頼のおける人だということがわかった。大学紛争
はあったことは知っていたけど、あんなに激しかったことは知らなかっ
た。私は抗議するのはいいけど、ストとか火炎瓶を投げるとかそういう
大事を起こすのは反対だ。学生たちが怒る気持ちもわからなくもない
が、大学も準備するのに多くの時間がいるし、ストなどをして急がせて
も改革が中途半端で終わるだけだ。今回の講義では、今の広島大学
の制度になるまでのことがくわしくきけてよかった。
工・ 2 ・男 工学部である自分にとって、今日の講義で話せれていた
ことは、少し興味深かったです。それは、工学部を一類、二類、三類、
四類と”類”でわけているということです。これは、当初の将来計画の
なごりということで、現在残っているのは工学部だけということを聞き、
中途半端に終わってしまったんだなと思いました。しかし、このような
改革によって、現在のような旧帝国大学レベルの大学へと底上げさ
れたのだと思うと、広島大学にとって大変重要な出来事だったんだな
と思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義は飯島学長の話がほとんどで大学改革の話
だった。広島大学は旧帝国大学を目指した新制大学ではあったがも
とから博士課程のある学部、修士課程までしかない学部とさまざまあ
り中途半端だった、その中で大学には 1 つの大学という意識が少なく
学部間で多くの歪みがあり格差も生まれてきたのであろう、それを 1
つにするために統合移転という大学改革の道が出来上がってきた。
そして全学部に博士課程をもうけ煙突形だった学部間の閉鎖性をな
くすため学生の選べる道を広くしていくこととなった。まだ完全とはい
かないけれどそうなっているのは感じることはできる。広島大学は「 1
つの大学」を目指しているようだか昔のなごりもあってかまだ完全に 1
つの大学とは感じられないところもある。広島大学には 1 つの中四国
地区の中心的な総合大学として発展してもいらいたい。
工・ 2 ・男 大学の学長はもれなくその大学の何かしらの役職に就い
ていた人がなるものと思っていたが、飯島前学長は広大の広大以外
の出身・教官暦で、学部長や評議員の経験なしで広大の学長になっ
たということには驚いた。飯島さんという人は、学者として相当優れて
いたことがうかがえる。また今回の講義で、昭和 40 年代は日本の経
済成長と第一次ベビーブーム世代の進学などの諸状況により様々な
大学で紛争が起きていたことを知り、自らの手で状況を変えようとした
当時の学生の行動力には感心した。広大でもストがありその結果、今
の私たちの広大での学生生活があると思うとただ受身でいるだけで
はいけないのでは、と思う。
工・ 2 ・男 大学紛争は、昭和の学生の象徴だったように思う。その
頃はやはり、広島大学も施設や大学制度があまり整っていなかった
様だ。それでは、学生の知的欲求も溜っていたのではないかと思う。
だから、不満が出てくるのも当然であると思うし、教員達が学生のニー
ズに答えなければならないとも思う。とはいっても、あまり学生が過激
な手段をとるのは、愚かで若気の至りだと思う。もう少し冷静な対応が
できたように思われた。その点で、飯島学長は素晴らしい対応だと思
う。学生の論の矛盾点を突き、論破していくのは、度胸だけではなく、
頭の切れる方だったと私も思う。広島大学も、日本の中でも一流の人
材を出す有名大学になっているとは思うが、これからも学生も一緒に
なって更なる広大を作っていかなければならないとこの授業を通して
思った。
工・ 2 ・男 今回の内容で驚いたのは、大学での紛争が予想以上に
激しかったことです。広島大学も例外ではなく、大きな問題になった。
学生たちとの交渉も難航し、直接行動にでることにもなった。その中
で、前学長が辞任し、新たに就任した学長は、学生たちの要求を論
破していったり、案を出したりと、いろいろ行ったが、最終的には警察
の介入となり、事態を収束させた。そして、学長は大学改革を打ち出
し、現在の地に統合移転や博士課程の設置などを果たしたが、改革
のすべてがうまくいったわけではなかった。現在の広島大学ではこう
した紛争はない。当時の状態から、かなり改善されたことであろう。当
時ストをしていた学生の中には、かなり過激なグループもあれば、そう
でもないグループもあり、特に、新たに学長が就任してからは、内部
でも溝が生じていた。彼らの行動が、今日の大学に影響しているのは、
間違いないであろう。そのおかげで、改善され、私たちは大学生活を
送れているのではないだろうか。また、まだ改善しきれていないところ
もあるのかも知れない。
工・ 2 ・男 大学紛争の写真がすごく印象的で、大学に対する不満
が克明に物語られていた。そんな中、飯島学長の登場により、封鎖は
解除された。飯島学長の方針が、功を奏したのだろう。やはり、大学と
学生の関係は、重要視しなければならないと感じた。また、昭和 47
年頃の広島大学将来構想組織図をみると、かなり問題点があると感
じた。教養部の負担が大きくなり、一度その学部に入ると、転学など
できない。やはり幅広い発想で、あらゆることを学ぶという意味で、煙
突形は問題があると思う。しかし、その分野を深く極めるという点では
長所もあると思う。どちらがいいとは一概には言えないが、今日の講
義は大学に関して深く考えるよい機会になった。
工・ 2 ・男 広島でも大学紛争が起こった。その原因は、もとをたどれ
ば大学進学者の急増であった。当時、子供を大学に入れるという傾
工・ 2 ・男 これまで大学紛争について名前こそ聞いたことがあった
が、全くといっていいほど中身を知らなかったのでとても勉強になった。
この問題のもともとの原因は大学や学生達ではなく、戦争を起こし団
塊の世代を生み出した政府にあったので大学と学生達の間で話し合
いがまとまらなかったのも無理はないと思う。浪人生が増えて仕方なく
受け入れを増やすために学費を上げる大学側の行動も理解できるし、
それに反発する学生達の行動も理解できるからだ。やはりこの問題は
政府が何らかの対応をとらなければならなかったのではないだろうか。
団塊の世代が生まれた時からこの問題が起こることは十分に予想で
きたと思うのでそれまで 18 年近くある。それまでに例えば、新たな大
学を作るとか既存の大学に団塊の世代の問題のためにたくさんの人
数の学生を受け入れる環境を作るとかできたのではないだろうか。も
う少しきちんと対応していてほしかった。
工・ 2 ・男 最大の問題は、国立大学も中に国立大学とそれから新
型大学があるけど、広島大学は中将半径学部とかいうと子は、みんな
新型学部、教育学部、理学部、教育学部は干潟学部、医学部もそう
だけど。工学部とか政経学部とかいうと子は、みんな新型学部だった
ので。それからあらゆる意味でとお経大学や京都大学と比べてみ割
がしないような、質的な竜実をやるということが最終的には大事である
ということは弁調子、無効もそれは司会したのです。それが一番大き
なこと
工・ 2 ・男 第 3 代以降の歴代学長がテーマだったが、主に飯島学
長についての話だった。彼が就任した頃の大学は大学紛争が激しか
った時代で、とても苦労していたことがうかがえた。大学紛争について
は私は詳しくは知らないが、いけなかったとも正しかったとも思わない。
しかし、その影響で大学が変わっていったのは事実だと思う。大学改
革はキャンパスの移転など様々なことが行われたが、結果として不完
全な改革といわれている。だからこれからもより良い大学にするため
の改革が必要だと思う。
工・ 2 ・男 今まで広島で生きてきて、広島大学に入学しても、あまり
知らなかった学生運動と東京大学の接点なども聞けたので良かった
です。今まで国立大学というと、ある程度入学志願者が多くなってい
て一定でほぼ固定値を取っているのかという印象を持っていたので
すが、年度ごとに大きな差異があることを知ってちょっと驚きました。
最後に、先生がぽつりと言った、広島大学で工学部が何故「類」で分
けられているのかも、聞けたのも、とても新鮮に感じました。
工・ 2 ・男 第 4 代学長の飯島さんは大学紛争を受けて広島大学の
大学改革を始められたすごい人だということがよく分かりました。実際
に大学改革に踏み切った大学は広島大学だけであったということを」
聞いて意外だと思い、そして驚きました。しかし、せっかくの大学改革
も不完全になってしまったのはもったいないなと思いました。また、広
島大学における大学紛争は自分が思っていた以上に過激なもので
あり、要求の中にはよく意味がわからないものも入っていて少し驚きま
した。
工・ 2 ・男 今まで、大学紛争についてテレビでその光景を見ただけ
で、その内容についてはよく理解していなかった。今回の授業を聞い
て大学紛争はなぜ起こったか、またどのようなものだったかということ
を理解できた。人口の変化は、経済にどのような影響を及ぼすかを別
の角度から改めて考えることができた。大学紛争が各地で激化したの
は、メディアの影響だったと考えた。メディアは時と場合によって一般
の人たちに過剰な影響を与える、そのため、発信する側ももっと気を
配らなければならないと考えた。
工・ 2 ・男 大学紛争が起こった原因がベビーブームってことを初め
て知った。大学紛争も結構本格的で、火炎瓶をつかってたり大学の
中をめちゃくちゃにしていてびっくりした。広島大学が移設した理由
の一つにそういった大学紛争が影響していることは意外だった。大学
紛争で思っていたより多くの学校が影響されていることも驚きだった。
大学紛争が激しくなったことによって学長が辞任したりと、こういったこ
とに対応しなくてはいけない学長は大変だったと思う。
工・ 2 ・男 当時、大学進学は良い職につくための近道であったため、
大学進学希望者が急増した。そのことについて別に悪いことではな
- 724 -
いと思ったけれど、現実的には組織・施設の整備が追い付かず学費
の値上げという形となって表れた。それに反対した学生側がストライキ
を起こすわけだ。大学に進学し知識を得ようとすることは良い流れだ
と思うが、その裏には大学と学生の間でさまざまな苦労があるのだと
いうことを知った。現在はストライキ等の活動に積極的な人が少ないと
思う。それは悪いことではないだろうが、大学の状況を知っておくこと
は必要ではないかと思う。
工・ 2 ・男 ストライキがあったり、学長も大変だったんだなと思いまし
た。大学の改革で、工学部の類は、その最たるものだと知り、なにかう
れしく、また、頑張らねばと思いました。昔の受験の話もベビーブーム
などの影響もあり、すごかったんだなと思いました。
工・ 2 ・男 今日の講義では残りの学長の紹介を聞くだけであるもの
だと思っていたが飯島学長のような特異な学長のことを聞いて驚いた。
学長を決める際に大学紛争というものが大きくかかわっていたというこ
とも、そのようなことのない現在の状況の中にいる私には考えられな
いことです。広島大学の出身でもない人が広大の職員の半数以上の
支持を得て学長に就任するとは、当時の時代背景では絶大なものだ
ったのだと感じました。もしかしたら他の大学からも要請を受けていた
のではないかとも思いました。
工・ 2 ・男 大学で小学校・中学校・高校の研究はよく行われている
が、大学の研究はあまり行われていないし行いにくいということを聞い
て、今まで全くそのことを考えたことなどなかったが、なんとなくその行
いにくいということがわかるような気がした。また学生運動については、
大学に立てこもったとかはよく聞くが、実際学生運動をしていなかっ
た学生は何をしていたのか聞いたことも考えたこともなかったので、興
味がわいた。
工・ 2 ・男 今日の授業では、前々回の授業に続き、歴代の学長に
ついて学んだ。この講義では、毎回色々の事を学び、驚かされること
が多いが、昔の大学では、私たちがテレビの中や話の中でしか見聞
きしたことがないストやバリケード封鎖などが行われていたという事実
は、現在の私たち大学生からは考えられないことで非常に驚いた。そ
のような様々な大学内での問題を解決し、現在の広島大学を作り上
げた歴代学長たちは本当に素晴らしい人たちであると思う。
工・ 2 ・男 今回の講義で、広島大学の大学紛争がこれほどまで激
しかったことを初めて知り、とても驚いた。現在はこのような抗議はほと
んどなくなっているので、大学の環境は当時に比べてかなり良くなっ
ているのだと思う。同時に、当時の学生は大学に対する期待や、大学
を変えたいという意思が非常に強かったように思う。方法はともかく、
自分の意思を社会に示し、環境を変えようと努力することは見習うべ
きだと思った。また、学生たちと真摯に対応した飯島学長は非常に素
晴らしい人物だと思った。学生とまっすぐ向き合うという姿勢は、学問
を説く立場にある人の本来持っておくべき姿勢であると私は考えるの
で、大学の長をされるのに最も適したタイプの人物だったと思う。こう
いう姿勢で学生と向かい合うことはとても難しいとは思うが、教師が皆
このような姿勢を持ってくれれば、と思う。
工・ 2 ・男 今日の講義を聞いて、いろんな学長の話を聞いたが、そ
の中でも抗議で言っていたように飯島学長についてが興味もった。ほ
かの学長については、広島大学に勤めているなど広島大学にゆかり
がある人が学長になっていたのに対し、飯島学長は名古屋大学に勤
めていて広島大学の学長に就任した。やはりそれなりの理由もあった
し、すごい人だなと思った。また、広島大学の組織図についても以前
は博士課程がなくて学部の格差があったり、教養部の負担など問題
点があったことに関して、現在は学部間の格差がないなど学部間で
交友関係があるなど大学改革は成功したのではないかと思う。そのよ
うな点でも飯島学長は学長として素晴らしい人だと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、学長が変わって行く過程には時
代のさまざまな背景があることが分かった。中四国の中ではトップの
大学である広島大学ではあるが、その背景には多くの学長たちが理
想の大学の授業や各学部の構想にするためにはどうすればいいか
など、多くの立案が考えられたというたくさんの苦労があった。今私た
ちが広島大学に通学できているのは今昔の学長たちや多くの教授た
ちが素晴らしい大学にしようと努力してきたからである。このことを肝に
銘じ、私は大学院に行きたいという目標があるのでその目標を達成
するためにも日々大学で勉学に励みたいと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、大学紛争や大学改革、大学の総
合移転などその当時の学長が抱えていた問題や、当時の学生の様
子や大学の様子がよくわかりました。今回、大学紛争について詳しく
知ったのですがバリケードで封鎖された正門に「広島解放大学」と看
板がかかっていたり、多くの学生たちと学長との団交や、火炎瓶や機
動隊との衝突などとても印象の強い写真が多かったです。それだけ
激しかった紛争の原因を解決しようと学長たちも団交に応じたり、大
学改革を進めたり、総合移転を計画したりとがんばりがよくわかりまし
た。
工・ 2 ・男 なんとなく言葉だけ知っていた「大学紛争」というものの
原因や詳細が今回の講義で初めてわかりました。いままでは東大の
安田講堂での騒動のイメージしかなかったので広島大学でもわりと激
しい紛争が起こっていたのは意外でした。このときの学長だった川村
先生や飯島先生の苦労は相当なものだったと思います。大学改革案
のひとつであった学部間の格差や閉鎖性の解消について広大はわり
とよくやったほうではないか、という考え方はもちろんわかりますが、僕
個人の考えとしてはもう少しなんとかならなかったのかと思います。現
在では単一の学問分野での研究だけではなく、各分野、場合によっ
ては文理融合の分野における研究の重要性が増してきていると思い
ます。今からでも学部間での交流、協力を活発にすべきではないかと
おもいました。
工・ 2 ・男 4 代学長の飯島宗一氏はなるべくして学長になったのか
なと思う。ほかの歴代学長と比べて異なる点がいくつもあるし、当時の
広大の状況を考えて、すごい適していたのではないかと思う。もともと
学生が大学紛争に突入したのは、大学側に不満点があったのでその
ことについて徹底的に学生と話し合うということにしたり、学内改革を
積極的に行うとした飯島学長の行動力はすごいと思う。この人のおか
げで今の広島大学の基礎ができたのではないかと思う。
工・ 2 ・男 この講義を通して、テレビ等でしかみ見たことがなかった
大学紛争がどれだけ激しいものかがわかりました。火炎瓶を投げたり、
機動隊が出動したりと想像もしないようなことをやっていたのでびっく
りしました。だからそれに向き合った当時の学長方は本当に大変だっ
たと思いました。その中での飯島学長の功績は、話し合いを徹底する
などとても大きかったんだとわかりました。また、歴代の学長方の肩書
きをみて、特徴のある方が多いと感じました。
工・ 2 ・男 広島大学が総合移転する理由の一つに学生紛争があっ
たのは意外でした。紛争が起こった時のためにあんなに広いキャンパ
スになったのかと思いました。また、テレビなどで大学紛争について
は見たことがありましたがそれが入学定員の増加によって起こった学
費値上げ反対運動だとは知りませんでした。さまざまな改革によって
広大が「中四国地区における中心的な総合大学」になったのだとわ
かりました。
工・ 2 ・男 大学紛争についての原因、過程、結果を知ることができ
てよかったです。広島大学にも大規模な大学紛争があったことに驚き
ました。学部間の格差は修士課程、博士課程がないことが大きく影響
を受けるものだと思いました。たくさんの学部を持つ広島大学は東広
島市の西条に移転するのが適当だったのだと思いました。現学長が
第十一代目だと知りました。大学紛争のおきた昭和四十年代は広島
大学やその学生にとって大きな時代の変遷であったと思います。
工・ 2 ・男 東京大学安田講堂の学生紛争については知っていたが、
広島大学でも警察を動員してまでの学生紛争があることは初めて知
った。また、日本の経済が著しく成長したため、大学への進学率も上
昇し、学生定員も増加したが、広島大学ではそれに伴う組織、施設の
整備が追いつかず学生の不満がたまってしまったと思われる。この問
題も含め、学部間の格差解消や総合過程、専攻過程の設置もあり、
広島大学は新キャンパスの設置を必要と考え、西条への統合移転と
なったのだと思う。この改革によりほとんどの学部内では博士課程の
設置など充実した組織となった。西条に移転してからは大きな学生紛
争はないと思われるが、全学連などの行動をみると以前の学生紛争
の名残もまだあると思う。
工・ 2 ・男 今まで大学紛争と言う言葉はたまに聞いて知っていたの
ですが自分にはまったく関係の無いことだと思っていましたが、今回
の講義を受け実際に広島大学でも起きしかも機動隊が導入されるぐ
らい激しいものが起きたと知ってとても驚きました。そしてそういった運
動が起きたことによって広島大学の研究所や教育水準の底上げが起
こり中四国における中心的大学である今の広島大学になったと知り、
こういった紛争を自ら体を張って行った過去の広大生があっての今の
広島大学があるんだなと思いました。
工・ 2 ・男 大学紛争というものが全国であったというのはテレビなど
で見て知っていましたが、広島大学でもあったというのは今回の講義
で初めて知りました。今の感覚で言うと、大学の中に立てこもるという
のは考えられないけれど、学生たちがそこまでしないといけないと思う
ほどに当時の大学が悪かったんだろうと思いました。その中で飯島学
長は、根本の問題は大学の体質にあると認めたうえで学生たちと交
渉したのは、すばらしいと思いました。大学紛争をきっかけに大学改
革を進めて行き、 5 代の学長、 24 年間の改革は不完全なもので終
わってしまったのは残念ではあると思いますが、体制を大きく変えよう
とした行動はすばらしいと思いました。
工・ 2 ・男 大学紛争という今では考えられないことが少し前には起
こっていた。その事実はなんとなくは知っていたものの当時の状態を
知ったのは初めてのように思う。学部間でも格差があったようだ。現在
はそれほど感じるわけではない。が、個人的には教育学部の文化祭
のさなか教育学部内で別のイベントを開いたり、彼らの盛り上がりかた
は自分達工学部とは異なる性質のベクトルであることは感じている。
大学改革については、飯島学長の尽力が大きかったことがよくわかっ
た。広島大学は改革の途中であると自分は考える。よってこれからも
進歩してくれることだろう。事実、今年度から授業の過程が僕等の年
とは異なっているようで、変化も感じている。よりよい素晴らしい学校
になることを願う。
- 725 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 過去に広島大学でも、学生ストがあったなんて知らなか
った。その時代の先輩方が奮起してくださったからこそ、今の広島大
学があるんだなと感じた。今の学生にはそんな行動力はないと思う。
それに当時の学長が飯原学長のような学生側にたって、味方してく
れる人であったことも、大学改革の促進に拍車をかけたんではないの
だろうか。ただ、飯原学長が辞任された後の 24 年間、不完全な改革
という結果に終わっているのは少し残念だ。
味が湧きました。一度学長に選ばれながら辞退した上、他の学長達と
比べ圧倒的な若さで学長になったという事実だけですごい人物であ
ることがわかりました。そして、資料 2 の聞き取り調査での受け答えか
らも知的な雰囲気を感じられました。広島大学の位置付けや、学部格
差など、広島大学の抱えた問題の解決のために行動を起こしてくれ
た偉大な人であることもわかりました。口だけでなく、行動で示せる人
になるために、この広島大学で知識や教養を身につける必要を感じ
ました。
工・ 2 ・男 広島大学は敷地も広く、生徒や教職員の数も数えられな
いほど多く、それらをまとめるためには、並でない指導力やカリスマ性
が必要になると思う。それを持っている人達が学長という職につける
のだと思う。大学紛争は学長への不信感等によって引き起こされるこ
とも多く、学長の力量で大学の様子の決まるところも多くあると思う。
大学の格を決めるのは生徒と教師たちであるが、それを外に表現す
るのは学長の仕事だと思う。自分達は学長のことなどあまりよく知らな
いが、大学を見れば少しはわかると思う。
工・ 2 ・男 今回の講義は第 4 代学長の飯島宗一氏を主にとりあげ
ていた。飯島氏は大学紛争の中学長に就任し、 46 歳という若さもあ
り、非常に大変だったろうと思った。統合移転にも力を注いでおり、飯
島学長が積極的に統合移転をやったからこそ今、私たちがこうやって
自然があふれる、豊かな東広島キャンパスで勉強に励むことができる
んだと思う。また、飯島学長以降の学長を見ると第 10 代の牟田学長
以外は広大出身者であるということが見受けられ、私たちの先輩方が
学長になることが一番良いと思った。
工・ 2 ・男 今回紹介された学長たちも、前々回の学長たちと同様に、
それぞれが異なる専門分野や経歴を持っていましたが、中でも、特に
印象深かったのは第 4 代の飯島宗一学長でした。当時、世間では大
学紛争なるものが起こっていたようですが、広島大学でも学生による
大学封鎖が行われたというのには驚きました。しかし、そんな状況下
で就任した飯島学長はどんな学生とも徹底的に話し合うという精神に
徹したのは素晴らしいと感じました。そして、ビデオに出てきた飯島学
長の話からは当時の改革がいかに困難であったかということが読み
取れました。また、過去の広島大学の組織の構想図などからは、現在
と体制が大きく違っていることが分かりました。昔のは、過程などが複
雑であり、現在の方が適しているんじゃないかと思いました。
工・ 2 ・男 前回の続きということでしたが、前回は風邪をひき休んで
しまい今回学長たちについての講義は初めてでした。やはり思った
のは学長になられた方々はほとんどが広島大学の卒業生であったり、
元教授であったりと、なんらかの形で広島大学に関わりのある方がな
るのだなと思いました。次にまだ 11 代目ということに驚きました。広島
大学の長い歴史を考えればもっと大勢いてもおかしくないのに、予想
よりも少ないということは学長たちは自分が思っていたよりも長く努力
してくれていたのだなと思いました。
工・ 2 ・男 自分は大学紛争に興味があったので自然と話に聞き入
ってしまった。東京大学安田講堂の封鎖解除の話が書かれた本など
いくつかの大学紛争の話は読んだり聞いたりしたことがあって広島大
学はそのころの時代はどのような様子で、また、紛争はあったのかな
ど知りたかったのでうれしかった。広島大学は全国の中でも紛争が過
激に行われた大学のひとつであり、学校を封鎖したり当時の学長が
辞任するなど東京などからの波及は確実に及んでいたと言うことがわ
かった。それによって入試が学外で実施されるようなことになったり、
新入生が自宅待機になるなどいろんな対策に学校側はおわれること
になったということなどがわかった。
工・ 2 ・男 大学紛争や大学のストや封鎖があったなど知らなかった。
この講義を聞くたびに自分が大学の歴史などを全然知らないんだな
と痛感した。講義を聞いていて大学紛争が東京からはじまり全国規模
で行われ、広島大学では学長が辞任するほどのものだったと知りとて
も驚いた。大学紛争の激化など特異な時代だったからこそ、飯島宗
一学長のような特異な経歴の学長があらわれたのではないかと思っ
た。やりかたはよくなかったと思うが大学紛争があったから大学が改
革をするなど、学生側に歩み寄るきっかけになったという点ではとても
意味のあるものだったのではないかと思う。
工・ 2 ・男 今回の講義は学長たちの横顔~飯島宗一から浅原利正
まで~ということで、また前回とはちがった学長さんのお話が聞けると
楽しみにしていました。今回は飯島学長の話が主だったと思います。
まず、飯島が出てきたきっかけというのが、大学紛争による川村学長
の辞任でした。理由が団交で体力がもたないということだったのは、
川村学長はかなり残念だったのではないでしょうか。そして飯島学長
が登場するわけですが、飯島学長が行った功績はかなりのものだな、
という印象を受けました。彼のおかげで、当時の広島大学の問題が
改善されていったわけですから、すごいと思いました。新キャンパスの
必要性を提唱したのも、かなりの功績だと感じました。
工・ 2 ・男 自分はまだ社会に出ていないからかは分からないが、思
うに彼らほど社会に影響を与えつ与えられつな人生は送ることはでき
ないのだろうと思った。また、社会と関わるにあたって相互の待遇の
違いという問題が出てくる。今回の問題が広島大学の思い上がりかそ
れとも本当の不遇なのかはわからないが、これから出るであろう社会
の勉強にはなったと思う。広島大学はいい意味でも悪い意味でも群
であり個であるのだなと思う。悪いところで無関心は改善したい。
工・ 2 ・男 今回の講義は学長たちの横顔ということだったが、その
時代の影響もあり講義内容としては主に学生運動にスポットライトが
当てられ、また自分もそれについてとても関心を持って望むことがで
きた。その時代で学生運動が盛んで学生が学校生活をよりよくするた
めに自ら立ち上がったことは話には聞いたことがあったが、広島大学
でもかなり過激な運動が行われていたという話は初耳で、確かに過激
すぎるのはよくないことだけど、自分の率直な感想としては、すごいと
思った。自分たちの学生生活のために自らが立ち上がるというのは、
やはりそりなりに自分たちの学生生活について深く考えているというこ
とだし、広島大学の今後を思ってだと思う。今の時代で果たしてそこ
まで学生たちが立ち上がるかといったら、それは無理だと思うし、だか
らこそ、その自分たちの生活と向き合っていく姿勢というのは見習っ
ていかなければいけないと思った。
工・ 2 ・男
今回の講義で初めて知った飯田宗一という人に少し興
工・ 2 ・男 大学紛争については、正直歴史としてしか認識していな
かった。さまざまな大学で学生紛争があったのだろうけど自分が知っ
てるのは東京大学の東京大学の安田講堂の封鎖解除の事件しか知
らなかった。広島大学でも学生運動が起こったことは知らなかったが
あってもぜんぜんおかしくないことだったのだろうと思った。広島大学
の問題点の大学の格付けや学部間の格差や一般教養のことについ
ては歴代の学長の人たちのおかげで今ではほとんど感じるようなこと
ではなくなっていると思う。
工・ 2 ・男 まず、飯島学長の経歴が異例なことに驚いた。 4 点ほど
他の学長とは特異な点があったが、僕が一番驚いたのは就任年齢だ
った。 46 歳という若さはおそらく広大にとどまらず、他の大学におい
ても異例だろう。また、前回にも増して学生と大学との闘争がすさまじ
かった。東大での闘争については、知識の無い自分でも聞いたこと
や写真をみたことはあったが、広大でも大規模な闘争があったことを
知ったのも資料を見たりするのも初めてだったので驚いた。学生闘争
は学生にとって自由を希求して上のものや社会に行動を起こすという
点では、日本においては農民の一揆、世界においてはフランス革命
なんかと核心は同じなのではないかと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義では主に学生紛争についての内容であった。
ほんの少し昔に、大学封鎖が行われるような大きなデモが起こってい
るという事実を聞いて驚いた。武力をもって行動を起こすことはいけな
いけれども、今の学生ももっと自分たちの意見を通すようにしていくべ
きではないかと思った。また、その対応にあたった学長達がはっきりと
した大人の対応を行っていたと聞き、やはり大学長となる人は頭がき
れたりなど、優れた人なのだと改めて感じることができた。
工・ 2 ・男 今回の講義では、学生運動が激しかった時の広島大学
の学長についての話を聞きました。僕は、そもそもこの学生運動の発
端はなんだったのだろうかと考えました。学費を値上げした大学がす
べて悪いともいえません。もともと、大学進学者が急増しなかなか大
学に入れない人が増え、受験のプレッシャーに耐えきれず自殺する
人がいたという社会現象があり、それを解決しようと大学側は定員を
増やしたので、それによる施設の整備のため学費の値上げはやむを
得なかったのではないかと思いました。しかし、大学紛争は起こってし
まったので、少しでも事態を良くしようと努め、学生たちのことをおもい
改革を進めた飯島学長は素晴らしい学長だったんだと思いました。
工・ 2 ・男 大学紛争に関して、東大紛争は有名だが、広大もかなり
大規模な紛争が起こっていたことに驚いた。ほぼ大学が完成された
今となっては当時の学生たちの心境は想像するしかないが、やはり
一人一人が大学をよくしていきたい気持ちでいっぱいだったのでは
ないだろうか。だからこそ、団体交渉などがたびたび行われたのだと
思う。いまあまり不満も持たず大学生活を送れているのも過去のおか
げかもしれない。そう考えると、今自分は恵まれすぎているようにも感
じた。前回の授業で見たビデオもそうだが、当時の学生は一人一人、
今の学生にはないほど活力に満ち溢れているように思った。
工・ 2 ・男 学長たちの横顔というテーマの講義は 2 回目だが、各学
長にいろいろな問題や改革があったということを学んだ。その中でも
っとも興味がもてたのは大学紛争についてだった。第 1 次ベビーブ
ームの子供たちが一挙に進学しいろいろな問題が起こった訳である
が、その問題は事前に予想できたことであるにもかかわらず、施設の
整備が遅れたということはそれまで大学に入学する人自体が少なか
ったからであり、戦争が終わったということで大学への進学を希望す
る人が増えたのだと思う。学校というものはその時代の影響を諸に受
けると思うし、その長である学長とは責任感が強くないといけないと思
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った。
工・ 2 ・男 前回と同様今回も初めて聞く学長の名前が多かった。第
4 代飯島宗一学長は他の学長たちが学長に就任した年齢は 60 代
なのに対し、 46 歳という若さで就任したというのは驚きと同時にとても
尊敬できた。さらに、広島出身でもないうえに、それまでに学部長や
評議員の経験が全くなかったにもかかわらずいきなり広島大学学長と
いう偉大な地位に就いたことも尊敬に値する。でも、大学紛争という
大きな問題が生じたときの学長という不運さもある。それでも一度辞任
した広大学長という職に名古屋大学教授時代にもう一度当選したと
いうことを知って、自分にとって忘れられない存在になった。
工・ 2 ・男 飯島宗一学長は日本の大学がベビーブームによる全体
の学生の人数によって大変な時期に差し掛かっていたため、柔軟な
対応が必要だったことは想像出来るがこの難しい情勢の中で立派に
学長を勤め上げたということがとてもすごいことだと思った。さらに飯
島宗一学長は広島大学の問題点を的確に捉えその解決のための改
革も推し進めるといった行動力も感じた。大学紛争は一面では問題と
も考えられるがいい意味では大学の改善にもなったため、ある意味で
はよかったといえるように思う。
工・ 2 ・男 今までに広大では多くの問題があってそれに対して学長
たちが対応策を駆使してきて、経営だけでなくさまざまなことを考えて
今の広大があるんだと思った。学長という立場で何をすると言うことは、
簡単に言えることかもしれないが、それを実行するのには多大な労力
や勇気がいるんだと思った。学長だけでなく、こういった何人もの責
任を背負った状態で何かをやっていくことは大変であるとともにやりが
いがあると思った。そんな思いがつまった広大で多くのことを学んで
いきたいと思った。
工・ 2 ・男 まず驚いたのは第四代学長である飯島さんが 46 歳で学
長に就任していたということです。 46 歳という年齢は、一般の教職員
と変わらない年齢である。そんなに若くして学長に就任したということ
は、それだけ周りからの信頼も厚かったと思われます。実際に就任後
は学校封鎖という問題も、学生側の矛盾点を指摘して封鎖解除に向
かわせたことに関して、とても頭のいい人だったのではないかと思い
ました。飯島さんは森戸さんとは違い下から上の地位に上がってきた
ことからもこの方のすごさがうかがえます。
工・ 2 ・男 実際講義を受けると、飯島宗一学長に関しての内容が多
くて、全く知らない僕でもとても理解しやすかった。飯島学長は広大
のマイナスな所をいち早く察知し改善に努めたようで、とても共感が
持てた。他大学と比べた広大の変わったとこ(大学院などの不統一性
など)や、統合移転(以前)の際の発想など、広大のを良くしようとして
いたのがわかった。浅原学長も同じように広大のことをしっかり考えて
いて、いい学長がいたことが今の広大に良い影響を及ぼしていると思
った。
工・ 2 ・男 飯島宗一学長の特異性には驚かされた。学長にしては
46 歳というのは若すぎるのではないかと思った。さらに学部長や評議
員の経験もなく、広島大学の出身者でもないのにどうして学部長にな
れたのかと思った。自分の考えだと、学部長とはもっといろんな経験
を積み、その学校にゆかりのある人物が選ばれるものだと思っていた
ので、飯島宗一学長はすごいと感じた。昔の大学はストライキがあっ
たりと今の大学の風景とは違っていることもあり学部長たちの苦労も
すごいものだったと感じた。なかなか授業が開始できない状況があっ
たりと初めて知ることが多く、いろんな時代を乗り越えてきたの感じた。
工・ 2 ・男 今ではさまざまな学部があり、そこからさらに細かくコース
が分かれているが、以前はそうでもなかった。そのため、日本経済成
長や第 1 次ベビーブーム世代の進学により組織形態の問題などが、
明らかになり、それが改善されていき現在にいたっている。今までは、
広島大学についての知識があまりなく、今の広島大学しか知らなかっ
たが、現在の確立された組織形態にありがたさを感じたし、学長たち
の努力に感動した。
工・ 2 ・男 今回の講義で僕が特に興味をもった内容は、大学紛争
についてのことです。以前、大学紛争やバリケード封鎖を扱った映画
を観たことがあり、とても印象に残っていたからです。東京大学での紛
争は有名で知っていたけど、広島大学でも本格的な紛争が行われて
いたことを知り驚いた。その時期に学長に就任した飯島学長は徹底
的に話しあうことや学内改革を進めるなどの対策をとったようだが、簡
単にはいかなかったように感じた。大学に問題があったとしても、現在
ではなかなか学生が考えてそのような行動をとるのは出来ないことだ
と思うのですごいと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義は、前回のように学長の特徴や功績につい
ての講義だと思っていたが、講義の大半が、学生たちが起こしたスト
ライキの話で、学長の話はあまりなかったように感じたがそれはそれ
で面白かった。特にストライキ後の学内の荒れ方や学生たちの抵抗
ぶりを見て、当時の学長はそうとうなストレスを感じていただろうなぁと
思った。また自分は福山出身なので現在の福山大学の学長が前回
の広島大学の学長だったことを知って、大学の学長は結構誰でもい
いんだろうなぁと感じた。
工・ 2 ・男 私も広島大学に入学した頃から、なぜ西条みたいな田舎
にキャンパスをつくったんだと思ったことは何度もある。どうせなら市
内に作った方が、いろいろ便利だろうと思った。それが不可能だった
というのを聞いた時は残念だったが、それにしても大学総合移転の理
由が、違う場所にある各学部を一つの場所にまとめるためであるのに
加えて、狭いキャンパス内で紛争が起きれば大変な騒動になるからと
いう目的もあるということには驚いた。
工・ 2 ・男 昔は大学紛争により苦労をされた学長が病気などにより、
辞任させられるケースもあったことを聞き、結構衝撃であった。気にな
った所が、飯島元学長への聞き取り調査での広島大学の存在位置
が中途半端であるという点であった。学長はそのような点も考えなけ
ればならないから非常に大変であることが考えられるのは当然のこと
と考えられた。当り前のことであるが、学長レベルになるとだれもが優
秀な頭脳を持ち合わせており、世間で認められなければそういった役
柄につけないということを考えさせられた。だから本物の実力をつける
ことの必要性とさらに自分自身追求できたらというのを考えさせられた。
工・ 2 ・男 前回の講義の主な内容は森戸学長についてだった。今
回の講義は主に飯島学長だったが森戸学長に劣らず興味がもてた。
森戸学長が大学の基礎づくりをしていたのに対して飯島学長は変わ
った特徴を持った人だった。学長のイメージといえば 60 歳を超えて
いるが飯島学長は若干 46 歳であった。高校生の親の年齢ぐらいで
ある。高校生の時に自分の親が大学の学長など信じられないことであ
る。また広島大学以外の大学出身もめずらしい。学長という職業はそ
の大学で教授をつとめ、その持ち上がりで学長になると思っていた。
そのために飯島学長がほかの大学の教官歴があることには驚いた。
工・ 2 ・男 入学以前、高校時代からの疑問『何故、工学部は、類で
分かれてんだ?』というのが今回ようやく答えを得ることができました。
これは、かなりビックリしました。まさか今更知るなんて。今回、印象に
残っているのは、先生が最後のまとめで「広島大学の『完璧』な改革
は結局、実現しませんでしたが、ここまでの変貌を遂げたのは、ほか
に類をみないので成功といってもいいと思います。」というのを聞いて、
大いに納得しましたが、今も少しずつ目標の『完璧な一つの大学』を
目指していっているというのが理想じゃないですか
工・ 2 ・男 今回の講義は何と言っても大学紛争についてだが、私
は今まで大学紛争があったということは耳にしていたがそれは東京大
学や都会の大学でのことであり広島大学でも起こっていたとは知らな
かった。またその背景としてべビーブームがもとになり、施設面を含め
十分な教育ができなかったことで学生の不満が引き起こしたのだとい
うことも初めて知った。そう考えると今の我々は時代が違うということも
あるが、当時とは比べ物にならないくらい恵まれた環境で学ぶことが
できており、自分の今の勉強に対する姿勢を改めねばならないと痛
感させられる。
工・ 2 ・男 今の社会で暮らしていたら、あまりピンとこない大学紛争
についての話が興味深かった。当時は、少子化の現在とは違い、第
1 次ベビーブームなるものの影響があって、大学進学希望者が大勢
いたために、入試地獄であったらしい。そのなかで、学生たちの不満
が東大生を皮切りに爆発してしまったのが事の発端で、そこから全国
へ大学紛争が広がったわけだった。やはり、東大の影響力はすごい
ものなのだと感じた。もちろん、広大でもこの紛争は起きたわけなのだ
が、学長の努力もむなしく、最終的には機動隊により鎮圧された。だ
が、これは一部の過激派が抵抗を続けただけで、飯島学長の意見に
耳を傾けた生徒は、抵抗をやめたという話が聞けてよかった。おかげ
で、広大生はわからず屋多いというイメージを持たなくて済んだので
よかった。
工・ 2 ・男 学長たちの横顔は前々回やった内容の続きなのである
程度イメージがついたまま講義を受けることができたと思う。講義の内
容では、最初の大学紛争では日本の経済状況だったりが原因でおき
たりしてさまざまな大学に紛争が起きていたということがあったというこ
と自体も初めて知ったし、学長たちの横顔だけでなくその時代に起き
た改革など幅広い内容のことを学べることができてよかったとおもう。
また詳しい資料により学長の考えなどが知れて興味深かった。
工・ 2 ・男 大学紛争があったことは知っていたが、これほどまでに
激しく、苦労するものだとは知らなかった。この時代の学長はとても苦
労したのだろうなと思った。大学紛争に対する団交などもとても大変
そうに思えた。また、これまでの歴代の学長の歴史みたいなものも知
れて、とても興味がわいて、おもしろかった。特に学長への聞き取り調
査で学長の大学に対する熱い考え方なども知ることができて、おもし
ろかった。現在の学長が考えていることももっと詳しく知りたいとおもっ
た。
工・ 2 ・男 この講義で一番思ったことは、飯島学長の異例な抜擢で
した。まず、歴代の学長のなかでも若いというのがすごいです。やは
い若くても選ばれたということは、それだけ力も持っているということだ
と思います。また、広島大学出身ではないのに抜擢されたというのも
変わっていると思いました。さらに、大学紛争という大変な問題を抱え
ているのにもかかわらずそれに取り組んでいってのがすごいと思いま
した。こういった素晴らしい学長のおかげで今の広島大学があるのだ
なと改めて思いました
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 まず学校長の略歴のことを書く前に講義を聞いて印象に
残った言葉は、「大学紛争」である。今でこそ少子化で若干国公立大
学に入学しやすくなったものの、日本が高度経済成長と第一次ベビ
ーブームだった頃は大学に入学することが狭き門でありしかも入学出
来たとしても学校の設備が間に合っていなかったりと今と違って実に
大変だったであろう。さて話は変わって、学校長の歴史についてであ
るがまず牟田さんは広島大学の卒業せいでないにも関わらず学校長
になっていたことに驚きを感じた。そしてなんといっても飯島学長がと
ても印象的である。飯島学長は 46 歳という他の学長と比べて若い年
齢で学校長になられて大学改革を打ち出すが反対派の学生と教授と
めぐって騒ぎを起こしたところにとても苦労なさっていたのだろうと思
いました。
工・ 2 ・男 大学紛争の激化の話はとてもおもしろかったです。今で
も全学連が毎日のようにビラを配ったり、演説をしたりしていて自分に
とっては人生で初めての体験であり、あの人たちにはついていけない
なぁとか、やっても無駄だろうなぁと思っていましたが、今日の講義を
聴き、少し見方が変わった気がします。昔は実際にストライキまで起こ
り、生徒側の意見が大学側にまでひびいているということを知り、生徒
一人一人が大事にされているというか、尊重されているんだなぁと感
じました。そしてまた、生徒側の話を聞く学長さんたちの柔軟さを感じ
ました。
工・ 2 ・男 当時の大学紛争の様子とそれからの大学改革のことが
わかった。改革には学長の力が大きく関係していると思う。これからも
改善を続けてほしいと思った。
工・ 2 ・男 前回の続きで歴代の学長方の紹介、そして彼らが何をな
してきたかについてでした。特に 4 代目である飯島学長についての
お話が多かったと思います。初めて気がつきましたが、学長方はもと
もと教授なんですね。大学紛争は、今となっては法大や広大の一部
が全学連として活動しているのをたまに見かける程度ですが、昔は時
代も違ってか学校側に強く反発していたようです。正当な理由がある
ようなのでこういったことはあってもいいと思います。
工・ 2 ・男 まず、広島大学でも大学紛争なるものがあったという事実
に驚いた。当時の写真をみても、とても今の広くて平和的なキャンパ
スからは想像できない衝撃的な光景だった。大学紛争の発端には、
学生の大学に対する不満が関わっているが、必ずしもその要素だけ
で引き金が引かれるとは考え難い。大の大人に、まだ社会に出たこと
のない幼稚な学生が交渉云々をするに足らないからである。講義に
もあったが、政党あるいは政治的な影響が絡んでいるのだと思う。大
人にそそのかされた学生が、わけもわからず横暴な行為に出て、そ
れに野次馬的に他の学生も加勢する、そんなシナリオが私の考える
ところである。学生紛争が終息を迎える過程でもっとも違和感を覚え
るのは、学校封鎖の必要性だ。せっかく大学側が交渉あるいは学内
改革をしようと提案しているのに、封鎖されたままでいったいなにがで
きようか。たてこもっていた学生にあったのは当初の決意と遠くかけ離
れた、ただの醜い意地だけだったかもしれない。長期化すればする
ほど矛盾点が浮き彫りになり学生側は相当不利な立場だっただろう。
現在の広島大学にも全学連という組織がある。大学紛争当時の気風
を汲むものかどうかは不明瞭だが、彼らの主張もまた幼稚で矛盾に
満ちている。言論の自由は憲法で保障されているが、平和な学生生
活を送りたい学生にとってはとても不快である。学生が大学側に不満
や要望を伝える場は必要だが、やはりその手法を両者とも考えなくて
はならない。
工・ 2 ・男 広大の学生運動が活発だったのを受けて、その時の 2
人の学長は大変だとは思いましたが、自分は今現在学生なので、学
生の待遇改善のための運動は否定できません。
学部がこのキャンパスにあつまっていますが、昔は福山や霞などいろ
いろな場所にキャンパスがありました。そこで飯島学長は大学改革を
円満に行うために広島大学を総合移転をされたことを知りました。お
そらく広島大学の総合移転はとても大変だっただろうと思います。そ
れでも飯島学長は広島大学をよりよい大学にするために総合移転に
踏み切ったのはすごいと思いました。私は広島大学はみんながよくし
ようとしている大学で、ここで学べることは幸せなことなんだなと思いま
した。
工・ 2 ・男 今回の講義は、シラバスによって大学紛争についての内
容であることを知り、自分が今まで聞いたことのない大学紛争という言
葉に過激な想像をしていたけど、調べてみるととても興味深いテーマ
だと感じました。広島大学の学長たちが大学紛争に苦しんだというこ
とで、やはり何か新しいことを始めるとなると周りは敵ばかりで強い意
志をもってやり遂げなければならないんだなと感じました。それと同時
に、大学紛争などでみんなが一丸となっていた事について、今の
人々はそのように団結することができるのかなと興味があります。
工・ 2 ・男 前回の同じテーマの講義でとても興味深かった資料の
ひとつの元学長への聞き取り調査が今回もあって学長の知られざる
一面を見ることができた。自分の高校時代で志望校を決めるときに、
旧帝国大学のある大学とこの広島大学のことをしらべていて、偏差値
をみているとやはり広島大学は旧帝国大学ほど高くなかったが、旧帝
国大学以外の大学と比較するとかなり高い位置にあったのを覚えて
いる。元学長への聞き取り調査にある、国立大学の中に旧帝国大学
とそれから新制大学があるけれど、広島大学は中途半端だったので
す。とあって、そのとき大学の歴史とその大学の入学試験での偏差値
はなんらかの関係があるのだろうかと思ったが、もちろん大学が入学
試験での偏差値ですべてが決まるとは毛頭思っていない。
工・ 2 ・男 川村学長の時代は、全国的に大学紛争が盛んに行われ
ていた。はじめは慶応や早稲田といった東京近辺の大学が行ってい
たが、開始 4 年後には広島大学もストライキを起こしている。これは広
島大学の学生がただまねをしたのではなく、教育に対する考えや受
験を勝ち抜いたことによるプライドがあったため、広島大学をさらによ
くしようと考えたからだと思った。川村学長の次の飯島学長は、大学
紛争のこともあってか学生一人ひとりと話し合うことを掲げ、大学を社
会状況にあわせて積極的に進歩させようとしていた。これは今日の大
学のありかたの基盤となっていると思う。また、飯島学長はそれぞれ
の学部の研究院を設置したりしており、有言実行で大学のことを一生
懸命考えてくれていたのだと感じた。
工・ 2 ・男 大学紛争と聞くと私のイメージでは東京など都会の大学
で学生による運動だと思っていました。しかし、広島大学でも紛争が
起こっているとは知りませんでした。なぜ学生たちがこういった行動を
起こすのかが私にはよくわかりません。一部の人しか入れなかったが
大学が日本の経済成長とベビーブームの到来によって、大学進学希
望者が増加し、そのことによって大学側も、生徒のニーズに対応する
ことができなかったのは事実であろう。やがて大学紛争は大学改革に
変わり、広島大学は教育水準の底上げ、統合移転をしました。
工・ 2 ・男 今回の講義は「学長たちの横顔(2)」ということで前の講
義のこともあり、理解しやすかった。その中でもストライキの話が印象
的だった。現在はストライキなんてプロ野球が以前に少しやったくらい
でよく知らなかったが、今回の講義のおかげでストライキについて知り、
また自分たちの広島大学での快適な学習環境があるのだと知った。
広島大学では今でも全学連がストライキとまではいかないが、抗議を
続けている。しかし自分は全学連の話はあまり筋が通っていないと思
っているしこの広島大学の環境に満足しているので講義に出てきた
ようなストライキとは違い、意味をなさないものだと思った。
工・ 2 ・男 日本の経済成長また、第 1 次ベビーブーム世代の大学
進学にともない、大学進学者が急増し、大学側は学生の定員を増や
すなどしたが、施設や設備の管理が追い付かなくなるという事態がお
こっていた。大学進学者がほとんどいなかった昔に比べ、進学者がい
っきに増えたので、大学側が対応できなくなるのは当り前だと思う。こ
のころの変化に対応するのは、とても難しいことであるように思う。学
生寮や、大学会館の管理などをめぐり、大学紛争が起こったが、この
激化により川村学長が辞任した。病気を理由にしているが、これは、
大学紛争のものすごさがよみとれるなあと思いました。東京大学の安
田講堂の封鎖については警察官を 8500 人も動揺して封鎖解除した。
警察官が 8500 人もいなければ抑えられないほど、ものすごいものだ
とわかる。とても驚いた。
工・ 2 ・男 日本の経済成長と第一次ベビーブームが重なり、大学
進学希望者が急増したことで、大学紛争が勃発した。当時学長であ
った川村学長は病気のため学長を辞任し、代わって飯島宗一学長が
新たに選出された。飯島学長の特異性は資料にも多数挙げられてい
るが、それをものともせずに、大学改革委員会や広報委員会の設置
等、改革を積極的に進めた。 8 月 18 日のタイムミリットが迫る中、幾
度も解決に向けて動いていたが、前日の 17 日に機動隊を投入、翌
日まで続いた攻防は決着を迎えることとなった。ギリギリまで武力行使
に出ず、とうとう武力行使をせざるを得なかった飯島学長の心中はど
のようなものであったのだろうか。飯島学長は大学紛争の最中に就任
したにも関わらず、解決に向けて積極に行動している。自分ならば状
況の理解だけで時が経っていたことだろう。その点で飯島学長はす
ばらしい学長だったと思う。
工・ 2 ・男 川村学長の時代に大学と学生の間に予備折衝があり教
養部の無制限ストがあって、川村学長は長時間の団交に耐えられな
いとして、辞任したのだが飯島学長は、どんな学生とも徹底的に話し
合うを元に就任し封鎖に取り掛かった。広島大学は総合大学なので
学部間の格差問題はどうしても起こってしまうと思うが、やはり飯島学
長のように学生と話し合うことは今後にもとても大事なことだと思う。今
コミュニケーション不足が問題でもある現代社会には積極的に面と向
かって話し合うことが重要だと感じている。
工・ 2 ・男 当時は、受験戦争やベビーブームで子供も増え、大学
への進学希望者も増えたことから大学側の管理、営業は大きく変化
せざるえなかったと思います。しかし、当時の学生には、学費が上が
るといったことは今も一緒ですが生活を厳しくするものだと思われます。
故に、その反発は現代のご時勢より大きく大学紛争という大きなもの
になったと思われます。そういった中での広島大学の経営は募集人
員・志願者数の推移をみると昭和 60 年、平成元年と募集人員が増
えてるにもかかわらず志願者数が激減してるのは少し気になった。
工・ 2 ・男
工・ 2 ・男
今広島大学のメインキャンパスは東広島市にあり、多くの
- 728 -
僕は、平成生まれなので大学紛争というものは全然知ら
なかったので、当時の学生たちがこんなに大きな運動をしたと聞きと
ても驚いた。そんな中で学長であった川村学長が辞任するという大き
な障害も生まれながら、最終的に飯島学長が 3 つのことをかかげたこ
とによって運動がおさまり、またそれが今の広島大学の根幹を担って
いるのだと感じた。また、大学紛争によって様々な改革がおこなわれ、
今の広島大学のシステムが少しずつつくられてきており、そこに歴代
の学長の努力そして広島大学の歴史というものを感じた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて広島大学でも大規模な大学紛争が
あったということを聞き驚きました。飯島学長が選出し徹底的に話し合
い解決するという立場で接し、また、地元町内会の反発や進入生全
員が留年の危機になったため封鎖解除の呼びかけが行われ機動隊
による攻防までも行われたということを知りませんでした。広島大学に
は大学の格付け、学部間の格差、教養部の問題があったため新キャ
ンパスの必要性が生まれ統合移転を行い改善はされたが、まだいく
つかの問題点をもっち新たな問題が生まれ不完全な改革になった。
大学生活を良くするために大学紛争を行い改善されてきたことは確
かにあったが、武力行使で半ば強制的に行う改革にたいしてはあまり
いい感じを受けないし当時のひとも流れに乗ってしていたように感じ
ました。
工・ 2 ・男 日本の経済成長と第 1 次ベビーブーム世代の進学によ
って、大学進学希望者の急増に繋がり、組織・施設の整備が追いつ
かず、学費値上げ反対闘争や学生寮や学生会館をめぐる紛争が起
こった。当時の川村学長は評議会と学生の団交が行われていく中で、
病気のため辞任した。大学側と学生側が共に納得のいく決断はでき
ないといっていいぐらいだが、その中でもより良い判断がされたと思う。
前回も思ったがやはり大学を運営するということは、大変なことだと思
う。それでも学生のために運営してくれる学長や教授・職員の方はす
ごいと思った。
工・ 2 ・男 かつて学長に求められていた仕事と、今求められている
仕事は違うなと感じた。当時の学長は学生と学生生活、学生と社会を
つなぐ中継の仕事であるように思った。種々の(時には理不尽な)要求
を聞き、それを通したり妥協点を探したりという仕事が主であるような
雰囲気であった。それでも、純粋に学生と大学、学生と社会という構
図ではなかったように感じた。言葉を濁していたが、大学紛争の終盤
で様々な要求を続けていたのは単なる学生ではなくいろいろな思想
を持った人のようであると感じた。
工・ 2 ・男 大学紛争のおきた原因にひどく納得しました。大学進学
者が増えたからといって学費を上げるというのは、学問を学びたいと
いう人の希望を奪うことにもなりかねず、学生の立場からするととても
同意できることではないと思います。自分の立場からすれば、紛争に
賛同します。もっとも驚いたのは紛争が起きたことにより広島大学生
の全員が留年の危機に陥ってしまったということでした。大学が長期
休暇分封鎖閉鎖されることにより起こったということでしたが、そのよう
なこともおこりえるというはしりませんでした。
工・ 2 ・男 時代が変わるにつれて大学は常に変化していってること
がわかりました。学部や学科の設置や各学部の格差、教養教育の問
題などさまざまな点を考慮しなけてばならないので、大学改革は大変
なことだと思いました。また、工学部だけ学科ではなく類を使っている
理由がわかったのはよかったです。
工・ 2 ・男 広島大学が広島市内から西条に移転したことについて
僕は今までなんで広島大学が都会の市内じゃなくてこんな田舎の西
条にあるんだろうと嘆いていたけどそれにはいろいろな理由があって
しょうがないかなとかんがえました。市内にはそんなに多くの広い敷地
もないし金もかかる。しかし移転したことによってたくさんの刺激のある
都市で生活できない学生が東京とかの刺激の多い町で暮らす学生
にとって学生生活という面で少し劣るかなと思ったりもしました。それ
は自分次第であるところは多いとは思いますが・・・・・・
工・ 2 ・男 大学紛争についてはかなり興味深かった。活動について
はテレビや本でしか知らず、左翼的思考と鬱憤晴らしで馬鹿騒ぎを
やっていたという程度の認識だったが、案外その活動が大学改変を
進めた側面があるのだとおもった。ただ、「管理権の学生への譲渡」の
ような横暴な要求やわずかに過半数を越えただけの決をもってストを
断行し、他の学生を巻き込んだことなどは遺憾に思う。大学の移転に
ついてもかなり興味深いが、疑問に思ったのは東千田キャンパスの
拡張を考えるにあったって刑務所を移転すると市民から反対が起こる
という記述があるが、この理由がよく分からない。
工・ 2 ・男 単に学長たちのやってきたことだけでなく、主に大学紛
争や大学改革(統合移転)についての話がありよかった。大学紛争は、
昔のことということもあってイメージがわきづらいが、当時大変な問題
だったであろうことが伺えた。ストや封鎖などで新入生が全員留年に
なる可能性があったことや、警察の機動隊が出動するなど、今の大学
の様子からすると考えられないような時代だったのだろうと思った。大
学紛争の問題を解決するためにも、統合移転は必要な改革であった
と思う。このあたりの経緯についてももっと知りたい。大学の様子がだ
んだんと現在に近づいてくるので面白い。
工・ 2 ・男
今回も前回に引き続いて学長さんの経歴について学ぶ
ことができた。中でも私が一番印象にのこったのは、大学紛争という
言葉である。受験戦争や入試地獄という言葉は過去にもきいたことが
あったが、実際にどういったものなのかはあまり知らなかった。ストや
紛争が起こり、大学を封鎖するなど、今ではあまり想像することのでき
ないことが全国で行われていたのだろう。今でもこうした活動をしてい
る人がいるが、思想は自由であるが、周りに迷惑はかけてはいけない
と思う。だが、こういった紛争が起こったから大学が変わっていったと
いっても過言ではないかもしれない。先代の学長さん方に感謝したい。
また、広島大学の全国での位置づけというのも知ることができよかっ
た。
工・ 2 ・男 今回一番興味深かったのは、学生と学校側の対立、大
学紛争についてだった。以前 TV で東京大学で起こった大学紛争の
特番があり、全く知らない事件だったので見はまったことを思い出した。
この番組で安田講堂での学生と機動隊との攻防がとても印象的だっ
た。この事件で逮捕者が多数出たり、この年の入試が中止になり次年
度の入学者は 0 人となったことなど驚かされた。こういった大学紛争
は東京大学だけで起こったものだと思っていたため、広島大学でも起
こったという事実には驚かされた。講義では当時の写真などで、バリ
ケードや校舎の窓に布で催涙弾が投げ込まれないようにする工夫な
ど当時の現状がわかりやすい講義だったと思う。学生側が要求した 1
0 項目について、新しい学長の矛盾点とつくという攻防などもあった
のが興味を引かれた講義だった。
工・ 2 ・男 ひと昔前の大学では大学紛争とよばれるデモのようなも
のがあったことを今回の講義で知ることができた。大学紛争なんても
のがあったということに驚きました。もちろん広島大学も例外ではなく
紛争がおきていたと知り驚いた。広島大学では学長が辞任したと知っ
て大学紛争のすごさが伝わってきた。
工・ 2 ・男 今回の講義は飯島宗一という学長についての講義だっ
たが、この学長はほかの学長と異なる点が多くある。まず就任年齢だ
が、ほかの学長が 60 代であるのに比べて飯島宗一は 40 代であっ
た。また、学部長や評議員の経験がないにもかかわらず学長となって
いる。さらに出身校も広島大学ではなく、広大の教員ですらなかった。
ただこの学長は、大学紛争で広大が混乱している中、自主的な封鎖
解除を求め、学生と徹底的に話し合い、紛争を解決へと導いた。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて広島大学ではこれまでに大学改革
や統合移転、国立大学の法人化という大きな改革を行ってきたことを
知りました。特に大学紛争については、その当時多くの日本の大学
は何らかの紛争を抱えている中で、広島大学は特に激しい学校の一
つであることも知りました。この中で火炎瓶が投げられ学生集会所が
炎上したり、全共闘と飯島学長との団交が行われたことなど現在では
考えられないようなことが昔は起こっていて驚きました。これからも広
島大学が飛躍するためにも頑張ってもらいたいと思います。
工・ 2 ・男 46 歳という若さで学長になり、学生達と正面から弁論し
た飯島学長は本当に尊敬できる人物だと感じた。昔、大学紛争があ
ったことは今まで何度も耳にしてきたが、詳しいことは調べたことがな
かったので勉強になった。広島大学の問題として挙げられている大
学の格付け、学部間の格差、一般教育などについて、確かにこれら
が満たされていなかったとすれば学生に不満が生まれるのは無理も
ないことだとは思う。しかし封鎖まで敢行するというところに時代を感じ
てしまった。今の多くの学生は不満があったところで絶対こんなテロじ
みた行為はしないと思う。やる気がないというのもあるだろうけど、脅
迫するようなやり方では意味がないことを過去から学んでいるからだと
思いたい。
工・ 2 ・男 大学紛争が起こっていた時代に学長をした川村学長は、
大変な時期に就任したんだなぁと思った。大学紛争は名前だけは知
っていたが、なぜ起こったのかなど詳しいことは知らなかったので今
回の講義はとても興味深かった。そして、結果的に大学紛争が、広島
大学における研究や教育基準の底上げにつながったということを知
れてよかった。大学紛争はただ紛争が起こっただけで何も変わらなか
ったという勝手な僕のイメージがあったので興味深い事実だった。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、歴代の学長の流れとその時に広
島大学でおこった出来事をリンクしているところが講義内容としてわか
りやすかった。その中でも、大学紛争と言われている出来事が印象に
残った。この時代は日本の経済成長や、第一次ベビーブームにより
大学進学希望者が増えて、受験戦争と言われているなど今じゃなか
なか考えられないことだと思い、それによって川村学長が辞任するな
どかなり時代の影響を受けているのだなあと感じた。しかし、広島大
学の歴代の学長は広島大学を発展していくために多くの改革を行う
など、今の広島大学の基を築いた人物として尊敬に値すると思った。
工・ 2 ・男 広島大学の学長たちは、みんな特異性があることはおも
しろいと思いました。大学への進学率は第一次ベビーブームの団塊
の世代と呼ばれているところで大きく上がっていました。受験戦争も
厳しくなるし、大学側の施設や教員の不足といった問題も多くみられ
ていました。ベビーブームは、本当にいろんなところで影響があるん
だなと思いました。また、大学紛争のストライキなども想像よりも過激だ
ったことを知って驚きました。社会と大学の関係性を感じることができ
ました。
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
工・ 2 ・男 今回の講義で驚きだったのが、広島大学の学生の抗議
デモは全国的にもすごかったんだなということです。学生がここまで
大学のありかたや、生徒の権利について昔から考えていたと思うと、
本当にびっくりです。今もし自分の生徒の権利を侵されたとき今の僕
が昔の人たちのように立ち上がって全国に主張できるかなって考えた
ら無理だと思います。今僕が大学でこんなに快適に学問や遊びがで
きるのはこのような歴史の上に立っているからなのかなと思いました。
工・ 2 ・男 学生運動が、ベビーブーム世代が進学したことによる、
受験戦争が原因だとは知らなかった。しかも、広島大学でも、バリケ
ードなどの対抗策が行われていたこともしらなかった。学生運動が起
こっている中で、川村学長や、飯島学長の封鎖や封鎖解除などの対
策には、とても感心します。当時の学生運動はとても激しかったと聞
いていました。授業が成り立つことが珍しかったとも聞きました。大学
紛争の中の学長のおかげで、今広島大学がひとつの大学という構想
を目指せると思います
工・ 2 ・男 広島大学には総合科学部という特別な学部があるが、そ
れは旧広島高等学校の教養部の流れを引き継いでのことだと初めて
知った。プリントに書いてあるほど総合科学部が強くなっていたら広
島大学はまちがいなく人気がなかったと思う。なぜならみんな教養科
目が嫌いだからだ。私は総合移転には反対だ。私の考えの方が、世
論の圧倒的多数だと思う。現に広島大学は田舎に移転した影響で中
四国の優秀な人材は広島大学ではなく都会にある岡山大学を選ぶ
傾向が強まっている。広いキャンパスが円満な大学改革のように書か
れているが、広いキャンパスがいいというわけでもないと思う。実際、
私が使うところは敷地の一割にもみたない。今回は否定的な意見ば
かり書いてしまったが率直に私はこのように感じている。
工・ 2 ・男 授業前に予想していた通り、広島大学の学生運動は盛
んであったと知った。今まで私は、学生運動が起こった理由を聞いた
ことがなかったが、今回授業を聞いて、ベビーブームによる学生の増
加に伴い、入試戦争が激化したこと、大学での環境が十分ではなか
ったことによるものであると知った。そんな中、飯島学長は前の学長と
違い学生と徹底的に話し合い、封鎖解除を求めていた。広島大学が
東広島キャンパスに移転したのは、学生運動の影響もあると分かった。
工・ 2 ・男 日本の経済成長と第一次ベビーブームが重なったため
に、大学入学希望者が急増したことにより受験戦争となった。このこと
は、実はいいことだったんじゃないかと私は思います。理由は、競争
力が上がることにより、市場と同じでより良い人材の確保が可能になり
日本の学力の向上につながると考えました。しかし、そうなると大学に
行けた人と行けなかった人とが差別化され貧富の差がうまれるかもし
れません。
工・ 2 ・男 大学の歴史はとても奥深いと思いました。日本の経済成
長とベビーブームなどで起こった受験生の増加は学生の受験への意
識を高めたと思います。それに伴い大学側も学生定員の増加を図り
ました。学費の値上げなどで起こった学生紛争はストライキや学校封
鎖を引き起こしました。また広島大学は統合移転や改革などで進化
してきました。歴大学長の飯島宗一は広島大学は旧帝国大学と比べ
てかなり劣っていると言いました。広島大学は中途半端だったと言わ
れています。経済学部や工学部は新制学部だったので大学院の博
士課程がなかったのが大きな要因だと思います。そんな中で、質的な
充実を行うのが最終的には大事と言う事を強調しています。私は大
学としての質が上がればとても良い事だと思うし、学生のやる気も向
上すると思います。
工・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、今の広島大学の形にするのに総
合移転や研究、教育水準の底上げなど非常に難しい問題があったこ
とを知りました。学部により博士過程をもてなかったり、市内に十分な
研究ができるゆとりあるキャンパスを開けなかったり、広島大学はいろ
いろな学部と歴史もあるのに、旧帝国大学が受けるだけの処置をちゃ
んと受けていなかったなど改革問題があったのをしりました。このよう
な問題を全て完璧に解決はできなかったけれども、昔のひとが将来
を思い築いた広島大学でしっかりと学問を学び、充実した大学生活
を送りたいと思いました。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、学生の運動について知ることがで
きた。過去に起こった運動があんなに激しい運動であるとは想像もし
ていなっかったので驚いた。昔の広大生はそれだけ学校制度につい
て真剣に考え行動していたのだろうというのはわかった。現在の広大
生はあまり学生運動を見ることはあまり見られないが、学校制度につ
いて論議することは自分たちにとっても広島大学にとってもよいことな
ので、常識のある範囲の過去の運動は見習うべきだと思った。
工・ 2 ・男 今回の講義を受けて、全国でも有数の国公立大学であ
る広島大学でさえさまざまな問題点があったことを知りました。大学の
格付け、学部差の格差や一般教育の問題など、学長に就任すると自
分の身をけずってでも広島大学を引っ張っていかないといけないん
だなと思いました。さらに幾度にわたる大学紛争などが起きても、学
長は広島大学を引っ張っていかないといけません。学長という立場に
つくと、責任ある行動が必要ですが、そんな苦労以上に誇りを持てる
立場だと思いました。
工・ 2 ・男 私は今回の講義を聞いて飯島学長から浅原学長までの
略歴や特徴を知ることができ、広島大学の学生として良かったと思う。
特に飯島学長は四十六歳という若さで学長になったということに驚い
たし、学長になったときが大学紛争の次期であったというのだからとて
も偉大な人であったことが想像できる。私は大学紛争といえば東京大
学の安田講堂が封鎖されとても激しい学生運動が起こったということ
を知っている。また全国でも学生運動は起きていたし、広島大学の大
学紛争がどのようなものであったか気になった。
工・ 2 ・男 第一次ベビーブーム世代が大学生に進学するときに、
学生数が急激に増加したため、大学は定員を増加させたが、それで
も受験生が多かったので学費の値上げなどを大学がしたため、大学
紛争があったということに驚いた。全国で 51 の大学が何らかの紛争
を抱えた状態で授業していたということがすごいと思った。これだけの
大問題を解決しなければならない学長は大変だと思った。大学紛争
を解決するために大学改革を行った事が結果的によかったと思う。
工・ 2 ・男 第一次ベビーブームの影響によって、その世代の受験
競争が激しくなり大学は学生定員の増加を図ったが、施設が追いつ
かず、学生の不満が高まり紛争が勃発した。そんな中で新選出され
た飯島学長はどんな学生とも話し合うスタンスで広島大学の問題を考
え、大学改革を行った、有能な学長であったと思う。その改革におい
て学部間の格差をなくす案が出され、研究や教育水準の底上げが行
われ、今やどの学部も「中四国地区における中心的な総合大学」と誇
れる大学になったとおもう。
工・ 2 ・男 広島大学も大学紛争が激しくなり、東千田地区や霞地区
の建物が封鎖されたことをはじめて知って驚いた。統合移転には大
学紛争が大きく関わっており、大学改革を第一に考えた人達がいた
からこそ今の広島大学があるのだと思う。統合移転はまだまだ不完全
であり、大学院も縦割りで中途半端だといえるかもしれないが、以前よ
り前進していることは評価できると思う。現状を基点とし、今後ますま
すの発展を祈念して我々は努力していく必要がある。
工・ 2 ・男 今回の授業の範囲は大学紛争真っ只中の時代で、火炎
瓶が投げられたりするなど、今では絶対に起こりえないこともありえた
時代だったということが一番印象印象的でした。当時の学長はとても
大変だったと思います。飯島学長が就任してから広大はかなり改革さ
れて、大学の統合移転などビッグなプロジェクトも始まったおかげで、
今の東広島キャンパスがあり、中四国において中心的な国公立大学
としての地位を得ることができたのだと思います。僕たちは、飯島学長
など歴代学長の努力があってこその広島大学だということを忘れては
ならないと思いました。
工・ 2 ・男 広島大学が以前けっこう大きな騒ぎとなった大学紛争を
していたというのが印象に残ったし、学校を封鎖する学生とそれに立
ち向かった飯島学長とのやりとりがとても興味深かった。ビデオでの
飯島学長の質問への受け答えがぜんぜん聞き取れなかったのが残
念だった。でも今回の授業で学長という役職の責任の重さがわかった
気がする。
工・ 2 ・男 広島大学の歴史の中で、大きな出来事といえば、西条へ
の統合移転が挙げられると思います。キャンパス問題・統合移転が取
り上げられた当時の学長は飯島宗一でした。 1971 年の 12 月 14 日
には移転候補地 24 箇所が選定されました。 10 年以内の完成を見
込んでいましたが、財産の売れ行きが悪く、 22 年後の 1995 年に完
了しました。キャンパス問題が検討され、統合移転完了までに 26 年
もかかっており、統合移転の背景には、大学紛争が大きく関わってい
ることを知りました。学生の教育、環境のことを第一に考える学長たち
がいたから広島大学が一つにまとまることができたのではないでしょう
か。
工・ 3 ・女 大学紛争が激化し大学と学生の間で衝突があり、大学の
運営が上手くいかない時においても、学生と徹底的に話し合おうとし、
問題を真剣に考え理解を求めようとした飯嶋学長の姿勢に感心した。
問題は学生にあるのではなく、学部間の格差や大学の格付けなど、
社会全体の問題として考え歩み寄ろうとしたことは、お互いにとって
良い結果につながったような気がする。現在でも大学と学生の間には、
まだ要求や希望、不平不満などがあると思うが、お互いが歩み寄る姿
勢を見せることによってさらに改善されていけばよいと思う。
工・ 3 ・男 学長のこと以外学生紛争のことを話してとても充実な授
業でした。特に最後のビデオは興味深いものでした。中国の文革と
同じく学生が起こした日本の学生紛争をもっと調べて中国の文革とど
のような違いがあるか、同じどころがあるか比較してみようと思います。
工・ 3 ・男 飯島学長の改革案と広島大学の改革案についての証言
はすばらしいと思った。 1 つ目は、旧帝国大学と新制大学の間で中
途半端な存在であり、一部の教育学部、文学部、理学部や医学部な
どの旧制学部と、工学部などの新制学部で、旧帝国大学と同じ処遇
を受けることができない。また、学部間の格差が非常に大きな問題で
あり、この 2 つは大きな焦点になっていた。そのために、総合移転や
教育水準の底上げなえどを行ったり、大学紛争の解決のため、生徒
と徹底的に話し合ったり有言実行の人だなと思った。
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歯・ 1 ・女 私は、今までにも大学紛争という言葉は聞いたことがあり
ましたが、よく意味がわかりませんでした。なぜそういうことが起こるの
かすごく疑問でした。今回の講義を聞いて、まだ完全ではありません
が、少しだけ大学紛争の意味のようなものがわかったような気がしま
す。また、私は大学紛争がこんなにも過激なものだとは思っていませ
んでした。当時の学長たちはかなり大変な思いをしただろうと思いま
す。呆然と立ちすくむ学長の写真を見たときにそう思いました。これか
らはもう大学紛争のようなことは起こらないのかなと思いました。
歯・ 1 ・女 大学紛争などの大変さを改めて実感しました。経済成長、
ベビーブームによって受験戦争の世の中において、せっかく大学に
も受かったにもかかわらず大学紛争によって授業のみならず、入学
式も行えなかったのは悲惨だなと思いました。そして、修士課程や博
士課程などの設置された時期が学部によってそうとう違うのに驚きま
した。また、志願者数も年度によって大きくばらつきがあるのに驚きま
した。やはり経済に左右されているのでしょうか。気になったので調べ
てみたいです。
歯・ 1 ・女 今回特に印象深かったのは大学紛争だ。現在でも学生
運動のようなものはたまに耳にするが、実際どういった活動をしている
のか、何が目的なのかよくわからなかったため、過去の出来事を聞い
て恐ろしく感じた。それと同時に、現在にはあまり見られないような、
学生同士の強い団結力や意志が感じられた。話し合いで解決できな
かったから立てこもり等の行為に頼ったのかもしれないけど、火炎瓶
や物を投げたりと、誰が怪我をするかわからない行動には絶対反対
だ。以前講義で出た森戸道路のことはすごく気に入っていたから、あ
んな悲惨な状態になったのはとても残念だ。正直言うと、現在の学長
のことを聞かれても何も答えられないし、遠い存在に感じられるため、
この講義で少しでも学長たちの苦労や功績を知り、理解・感謝するこ
とができたらいいと思う。
歯・ 2 ・男 今回の講義を受けて、大学紛争がかつて広島大学で行
われていた事を初めて知りました。まさか大学紛争のため新入生が自
宅待機になっていたなんて、とても驚きました。そのような中、学長さ
れた方の苦労はものすごいものだと思います。広島大学はいろいろ
な学校が集まってできた大学で、それにより多くの問題点があっただ
ろうなとは思っていました。しかし、飯島学長の話を聞く限り本当に根
本的なところから治さなければならないぐらい問題が大きかった事は
自分の想像を超えていました。
生生・ 2 ・女 今まで大学紛争という言葉は聞いたことがあったが、
内容は良く知らなかった。今回の講義で大学紛争について良くわか
った。昔の学生は自分達の要求を通すために大学を封鎖したりして、
とても行動力がありすごいと思った。今では、とても考えられないこと
だと思う。広大が西条に移転したのも大学紛争が原因だと知り驚いた。
私は大学紛争が正しかったとは思わないけど、自分達の意志を持っ
て行動できるということはすごいことだと思う。もっと他のやりかたがな
かったのだろうかと思った。
生生・ 2 ・女 今日の講義では主に大学紛争の様子について知るこ
とができました。東京大学の大学が封鎖された出来事は、大学改革
が始まるための象徴的な事件(?)であったため、以前耳にしたことが
ありましたが、広島大学でもそのようなことがあったのは初めて知りま
した。大学が封鎖されていたため、入試にも影響が出たり、新入生の
オリエンテーションなどを始め、授業も行うことができなかったりという
ことがあり、今の私のまわりの環境からはあまり考えられないようなこと
だったのですが、当時の写真を見ながら講義を聞くことでなんとなく
当時の状況を窺うことができました。たしかに大学紛争は社会的にも
大きな混乱を招いたと思います。しかし、そのような紛争をも経て、現
在の大学のスタイルが確立したのではないかとも思います。大学の統
合移転についての経緯も講義の後半から学び、さらに統合移転先が
西条となった理由までも知りたいと関心が強まりました。
生生・ 2 ・女 「大学紛争」という言葉は聞いたことがあったが、いま
いちその意味までは知らなかったので、今回の授業は何かを知る機
会となった。しかし、それにしても広島大学内でこれほどの大学紛争
があったとは知らなかったのでおどろいた。一番気になったことは、大
学の統合移転についてである。この広島大学は広いキャンパスであ
るが、そこの裏にワンキャンパスで大学教育をする意味があったことを
今日の授業で学んだ。しかし、やはり移転したことに関しては正直に
言うと、なんでだろう?と思ってしまう。広島市の中でキャンパスを広
げるということは、難しいという結論に達したとあるが、できないことは
なかったのではないかと思ってしまう。やはり、広島市を支える大学が
あってほしいと考えかねないのが私の意見である。
生生・ 2 ・女 大学紛争について、スライドで写真を見て、思ってい
たより激しい感じで驚きました。統合移転についてですが、ずっとどう
して移転したのかが知りたかったので、知れてよかったです。私は広
島市内から通っているのですが、東広島はとても不便です。坂は多
いし、暗いし、温度差が激しいし、お店は少ないし、交通の便は悪い
し、時給は安いし、などなど。でも広いキャンパスで他学部の学生と
接することもできて、他学部の授業を受けれたりといいところもありま
す。今回の授業を通して自分の通うキャンパスについていろいろと考
えるよい機会が得られました。
生生・ 2 ・女 昔の広島大学の志願者数のグラフを見て、私が第一
次ベビーブーム世代に生まれていたら、「受験戦争」や「入試地獄」
に遭遇していたんだなと思いました。現在は 2 ー 3 倍の入試倍率が
5 倍以上になるなんて、今からではとても考えられません。また、広島
大学の組織図を見て、昔は教養部を基礎において、それぞれ孤立し
て学部が存在していたことに驚きました。現在の、学部が相互に関連
している関係が確立されたのは結構最近のことなんだなと思いました。
生生・ 2 ・女 今回の講義で印象に残った学長はやはり、飯島宗一
学長である。その特異性には驚いた。第一に就任年齢が 46 歳という
ことだ。ほかの歴代の学長の就任年齢は 60 代で、大きく差がある。
若くしてのこの人望はすばらしいと思う。また 2 つめに、学部長や評
議員の経験なしからの抜擢というのも彼の人望を表しているだろう。
私のなかで学長というのはさまざまな地位の高い役職を経て、それな
りに年をとった人がなる職業である。学長という固定化されたイメージ
が少し修正された話だった。
生生・ 2 ・女 今回の講義では大学紛争についてがとても印象的で
した。私のイメージでは大学紛争は東京での出来事となっていたの
で、当時の東千田キャンパスで学生たちに封鎖されてしまい荒らされ
ている写真を見ると、この大学でも紛争があったのだという実感がす
ごくわきました。当時の学生たちは紛争を始めた頃は本当に大学をよ
りよく変えたい、自分たちがもっと勉強しやすい環境に変えたいと思
っていただろうと思います。しかし警察に介入される頃には、教室や
学長室もひどく荒らされているところからすると大学を良くするためで
はなく、ただお祭り騒ぎがしたかっただけなのではと感じました。そし
てその原因の中には学生たちがパワーを発散させることができるもの
が当時の環境になかったのかもしれないとも感じました。大学紛争に
ついて興味がわいたので、文書館編の大学紛争の本も読んでみた
いと思います。
生生・ 2 ・女 歴代学長が大学改革を遂行していく中で、大学の格
付けや学部間の格差、一般教育の問題など様々な問題があり移転し
たことを学んだ。最も大きなことの 1 つである統合移転について考て
みると、私はただ単に市内で広い土地を得ることができづらいので東
広島に移転したのだと思っていた。だがそれだけではなく、紛争が起
こったときの問題や、各学部をワンキャンパスで教育を行うこと、広い
環境で良質な雰囲気を得ることなど、私が思っていた以上に統合移
転の理由があった。また、広島大学は旧帝国大学と同等の古い歴史
を持つ大学なので、どこの学部も博士課程を持てるような良質な環境
を充実させる改革は、大学を移転させたことによってよりよい環境が
作られ成功したのではないのかな、と思った。
生生・ 2 ・女 大学紛争という大きな出来事があったときに広島大学
の学長も川村学長から飯島学長に変わったのだと今回の授業で初め
て知った。学長が変わるとともに飯島学長は広島大学の大きな問題
点についても見直した。彼が記者会見のときにどんな学生とでも徹底
的に話し合うと言っていたということを知って、この学長は学生思いの
良い先生だったのだろうと感じた。広島大学の大学改革が行われこ
の大学は大きく成長した。広島大学の研究・教育水準が底上げされ、
大学の総合移転もこのときに行われた。広島大学が中四国地区にお
ける中心的な総合大学、ひとつの大學となった。今の広島大学は飯
島学長がいなければ成り立たなかったのではないかと思う。
生生・ 2 ・男 一番興味深かったのは、飯島学長の広大の改革案で
す。広大は大学内で学部同士の階級があった。例えば教育学部のよ
うな旧制学部と工学部のような新制学部との間の温度差がきわめてあ
った。これでは互いに協力して研究などができない。旧帝国大学が
受けるだけの処遇をちゃんと受けていないというのが問題でした。よっ
て全部に博士課程を設けることを目標としたということです。大学が一
つにまとまれば、それだけ研究内容もレベルの高いものになると思い
ますし、総合大学のよさも大いに発揮できると思います。
生生・ 2 ・男 東京大学の安田行動を本拠地とした大学紛争のことを
テレビで見たことはありましたが、広島大学でもそのような過激紛争が
あったということは詳しくは知らなかったので、少し驚きました。その時
に大学の学長になられた飯島宗一さんは平の教授から急に抜擢され
たというのはよっぽど人望があつく、学生が訴えてきたことの矛盾点を
ついたりするなどほんとうにできる人であったんだと思いとても興味を
もちました。
生生・ 2 ・男 僕は、今回の講義を受けて、広島大学は様々な出来
事を乗り越えて、今たっているのだと改めて感じました。前回に引き続
いた形の授業でしたが、やはり学長になると人望も経歴もすごいと思
いました。大学紛争など自分には、無縁だと思っていたけれど、自分
の通っている大学は、しっかり経験してきたのだろうと思うと不思議な
感じで、今の広島大学は、こうしていろんな人々と関わってきたんだ
なと大学側の気持ちを考えていました。多くの学部があり、総合大学
と呼ばれる広島大学の歴史の一端を少しずつですが理解することが
できて、もっと大学生活を有意義にして、いろんなことを考えていける
ようにしたいと思いました。
生生・ 2 ・男 46 歳で学長になるということには、衝撃を受けた。学
長になる人の私の頭の中のイメージでは 55 歳が最低くらいのイメー
- 731 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
ジだったからである。若い人が上の立場に立った場合、その人より、
年上の人に指示をださないとならずにやりずらく、指示をだされる側
の人もあまりよいイメージを抱かないと考えることから、そのようなイメ
ージがあったのだと思う。しかしながら、今の時代を考えてみると、 40
台の社長など多く存在しており普通のことであるのではないかとも考
えた。そのようなことをを今より昔に行ったのは画期的なことだと思え
た。
生生・ 2 ・男 今自分は普通に大学に在学し、通っていて、歴代の
学長のことについては全く知りませんでした。また、大学紛争という問
題があったことについても全く知りませんでした。第一次ベビーブー
ム世代の進学や受験率が徐々に高まってきていることなど、事前に
分かるであろうことに対する策が遅く、大きな問題になったとしても譲
らない態度のためにさらに激化して収拾がつかなくなってしまうなど
今の日本を表しているようだと思いました。いい意味でも悪い意味で
も広島大学を代表する学校だと思いました。
生生・ 2 ・男 これまでの学長の中で、飯島宗一学長は特異的であ
ったので興味をもった。就任年齢が 40 代と若く、学部長などの経験
も無かったので飯島学長は人物的にとても優れていて、学部長という
よりも学長として頑張ってほしいという期待を込められての選出だった
と考えられる。また、他大学の教授時代に学長に当選してるにもかか
わらず、辞退しているので自分の意思をしっかりともった人物であっ
たと思う。大学紛争についても学んだが、現在は少子化のため当時
に比べ受験者数が減少し大学に合格しやすくなっているので、今で
は考え難いことであった。
生生・ 2 ・男 私は今まで広島大学の学長についてあまり知らず、自
分から調べようともしていませんでした。しかし、学生運動などの問題
があるなか、大学をまとめてきた飯島学長や、歴代の学長たちは人の
上にたつリーダーとして尊敬できる人物だと思います。私も二年生と
なり、下級生をまとめなければならない責任ある立場になろうとしてい
ます。学長たちにはとても及ばなくても、臨機応変に適切な判断をし、
尊敬される人物になれるよう努力していきたいです。
生生・ 2 ・男 今回は受講前に予想していたことと少し違った感じだ
った。前回学長たちの横顔というテーマで受講したときよりは、学長の
ことには触れず、主に学生 vs 大学関係者(学長)という感じの印象を
受けた授業だった。特に昭和 44 年の学生による大学封鎖の話には
ひどいショックを憶えた。警察と衝突したり、火炎瓶を投げつけたりし
たと聞き、また大学を占拠し、これでもかというほど大学が荒らされて
いた写真などを見て、広大にもこんな時代があったのかと目と耳を疑
った。日頃、他国であのような状況をテレビで映し出していたが、まさ
か日本にもそういう時代があったとは驚いた。
生生・ 2 ・男 今回の授業のテーマは学長たちの横顔ということでし
たが、最も印象に残ったことはやはり大学紛争についてでした。大学
紛争が起こった原因は間接的にはベビーブームにあることには驚き
ました。受験生が増えたために大学の定員を無理に上げてしまったこ
とで学費の上昇や施設の不足がおこり結果的に学生の不満が募って
しまったということでした。ですが、やはり平和な時代に生まれた僕に
はそんな理由であれだけ大きな事件を起こすということが理解できま
せんでした。なぜそのような事件を起こすほどの心境になってしまっ
たのかとても興味深いと思いました。
生生・ 2 ・男 講義を受けていてまず最初に思ったことは、歴代の学
長は以外に少ないことだった。イメージしていたのは中学や高校みた
いに頻繁に校長が変わるみたいなものだった。また学長の聞き取り調
査を呼んでいていて一番目に付いたのがやはり統合移転のことだっ
た。統合移転に関して刑務所や煙草産業が関わっていたことも初め
て知った。その結果今の広島大学がある東広島になったわけである
が、僕たちからしたらもうちょっといい場所にできてほしかった。これか
ら何十年も経つともっと都会らしくなっていると思うので、大人になっ
てもう一度来てみたいと思う。
生生・ 2 ・男 昔の大学は大学生にとって居心地がいいものではな
かったのか、大学のわがままに大学生が振り回されていたのかなと思
ったけど、大学側も代学生側も今と違うのは徹底的に話し合ったり、
署名を集めたりといったような平和的な解決方法を初めにしなかった
ところだと思いました。結局飯島宗一学長は学生と徹底的に話し合い
その中で学生の主張しているところの矛盾点を指摘し広島大学の封
鎖を解除しようとしたところはよかったと思いました。
生生・ 2 ・男 前の講義と同じように今回も広島大学の歴代の学長に
ついて学んだが、私にとってその中で一番印象に残ったのは唯一、
40 代で学長に就任した飯島宗一学長である。その理由は、私は飯
島学長の主張したように広島大学は中国・四国地方一の規模を持つ
大学であるのにどうして旧帝国大学が受けるだけの処遇をちゃんと受
けないのか高校生のときから疑問に思っていたからである。だから私
は、国は広島大学が旧帝国大学に匹敵するほどの規模を持つことを
認めて、旧帝国大学とおなじくらいの研究費用を広島大学に供給し
なければならないと思う。
生生・ 2 ・男 はじめの方に飯島学長の特異性を書いていることが印
象に残った。飯島学長の記者会見の、どんな生徒とでも徹底的に話
し合う。大学紛争の根本問題は社会の急激な変化と学問の進歩につ
いてゆけない大学の体質にあり、学内改革を全教職員で積極的に進
めるなどの発言は、少し理想論を語りすぎているような気がする、が
満ち溢れるやる気を感じる。そんな時代だからこそ、学生にもやるき、
大きな勢力との対立など、時代を変えようとする力がみなぎっていたと
思う。今の世代には、全くそういうのが感じられない。というのは落ち
着いているのか、やる気がないのかわからないが、少し残念であるよ
うな気がする。そんな生徒と積極的にはなしあいたいと思う学長はす
ごい人であったのだと思います。
生生・ 2 ・男 鮫島学長は若くして学長になられ、現在の広島大学に
貢献されていて尊敬した。広島大学の設立当初は大学紛争があって
大変苦労されたと思う。大学進学希望者や学生定員の増加により、
施設の整備が追いつかずに学費値上げの反対運動を生んでいたこ
とを知り、私たちの周りに充実した設備があたりまえのようにある環境
に感謝しなければならないと感じた。大学紛争を受けての大学改革も
広島大学の研究・教育水準の底上げを図るが、同時に学部間での格
差を生むことになり不完全な改革となってしまった。しかし、不完全な
改革になろうと現在の広島大学の基盤となるものを築き上げてこられ
た全学長を尊敬した。
生生・ 2 ・男 学長たちの横顔の 2 回目ということでどれくらいの人
数が紹介されるのかなと思っていました。そんななかでも今回は大学
紛争について紹介されておりとても興味がわきました。大学紛争につ
いては中学や高校で社会の時間に何度か学んでおり、自分の記憶
の中では関東地方だけで起きたものでありその他の地域では無関係
なものだと思っていました。しかし今自分が通っている広島大学でも
大学紛争が起きていたとのことで自分の認識を改めるとともに若者の
パワーは全国にあふれていたことを知りました。自分もまだまだ若い
のでこのパワーを何かに向けてがんばっていきたいと思いました。
生生・ 2 ・男 大学紛争における一番の被害者は、高度経済成長に
飲み込まれてしまった学生たちだったのではないでしょうか。学歴社
会において、受験は学生のその後の人生を大きく左右するターニン
グポイントであり、学生たちは命を掛けて臨んでくる。大学側がそれを
裏切る形となれば、反抗が起きるのも必然である。学生のニーズに大
学が答えるという仕組みは、良い関係を維持するために必要なことだ
と思った。大学生が反抗をする原因に、社会的教養の欠如がある。
教養教育の充実が専門知識より必要な時代がやってきたのではない
でしょうか。
生生・ 2 ・男 学長のことのほかに大学紛争のことが印象に残った。
大学紛争により広大でもストライキが行われていて、驚いた。また、そ
れを解決するために学長が自主的に封鎖解除を求め、行動していた
ことにも驚いた。その他にも、学長がしてきたことを学べてよかったと
思う。この授業で学長について学ぶまで、学長はどんな仕事をしてい
るのか、本当に仕事をしているのがが疑問だった。しかし、実際は大
学のために様々な仕事をしていた。一番大学のことを考えているのは
学長で、さっきのような疑問を持ってしまったことを申し訳ないと思っ
た。
生生・ 2 ・男 今回の講義では、大学紛争についてふれられたが、
大学紛争が起こった背景にこのような要因があったとは知らず、とても
驚きました。こんな難しい問題を解決するのは、本当に大変だっただ
ろうと思いました。大学の移転に関しては、このような大きな改革をよく
やったものだな、と感心しました。このことについても、どのような理由
で大学の移転が必要だったのか、今まで知らなかったので、とてもた
めになりました。大学の移転の時に問題とされていたことは、現在で
は解決されていると思いました。
生生・ 2 ・男 今回は学長の横顔というテーマについての講義でした。
しかし正直興味はそこまでありませんでした。過去の人の偉大な功績
などは学んでいてためになることが多いです。それに比べて横顔から
は特に得られるものはないと思っていたからです。だから今回はあま
り授業に身が入りませんでした。次回からはまた気合いをいれてがん
ばって授業に集中したいです。
生生・ 2 ・男 飯島学長が 40 代という若さで広島大学の学長になっ
たということを聞いて大変驚きました。僕の父親が 50 代後半なのでそ
れよりも 10 歳ぐらい若いと考えるととても信じられません。また、歴代
の学長たちが 60 歳以上で学長になったことを考えると、飯島学長が
いかに若くして学長になったのか分かりました。また、大学内で学生
運動があったことは知っていましたが、授業では僕が考えていた以上
に激しいものだったんだと知りました。
生生・ 2 ・男 今回の講義で一番印象に残っていることはやはり学生
運動のことである。自分は学生運動とは無縁の生活を送っているが
今日の話を聞くと昔の人たちの方が自分たちの主張を行動に表し自
分たちがしたいことをちゃんと表していたと思った。しかしその時の学
長の話を聞いてみると学生運動は学校に対してはかなりの痛手にな
っていたと思った。また学長の中には様々な経歴を持っている人が
多くまた飯島宗一学長は周りの人とは異なる経歴をもっていて広大
出身でない人が学長になったということは多少驚かされた。
生生・ 2 ・男
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大学紛争が起きた時代に広島大学でも規模の大きい
活動があったとは知らなかった。抵抗する学生と飯島学長自身が直
接対話したなかで学生側の矛盾点を鋭く指摘した学長は相当頭がき
れる人だったのだという印象を受けた。当時の学生の運動は過激す
ぎたとは思うが、それだけ大学に対して関心を持ち真剣に考えていた
のだと思う。現代では大学の運営は以前より安定していると思うが、学
生は大学の体制について無関心でただ何となく与えられた環境の中
で過ごしているだけのような気がする。受け身になるのではなく積極
的な姿勢で大学生活を送っていきたいと思った。
生生・ 2 ・男 一番印象に残っているのは初期の広島大学で、工学
部などに大学院にあたる部分がなかったことです。たしかに、それで
は、そのころの風潮などがあったとはいえ、大学院の創設を求めるの
は、もっともだと思いました。後半に見た、東大の学生運動のものは
何度も見たことがありましたが、広島大学でも、学生運動があったこと
に驚きました。あれだけした東京大学よりも、広島大学の方が、生徒
の意見が反映されたことは誇りに思います。
総科・ 1 ・男 今回の講義を通して初めて広島大学は学部によって
旧制大学と新制大学に分かれることを知った。今まで広島大学は広
島大学全体で旧帝国大学と思っていたのでちょっと衝撃だった。また、
旧制学部か新制学部かの違いで教員としての扱われ方が変わってし
まうならそれぞれの学部に属している学生の扱われ方まで変わってし
まうのではないかと思った。同じ大学を出ても扱われ方を変えられる
のは不公平だと思った。広島大学がいろいろな合成体であることを長
所みたいに昔の学長は語っているけど逆にそれがいろいろとややこ
しくしてる気もした。
総科・ 2 ・女 大学紛争が、広島大学でも起こっていたことが驚きま
した。学生紛争について特に知っているわけではありませんが、東京
近辺の大学で派手に起こったことだと思っていました。大学紛争につ
いて興味がわくというのはおかしな表現かもしれませんが、知りたいと
思いました。飯島学長の記者会見で、どんな学生とも徹底的に話し
合うというのがありますが、とても大切なことだと思います。学生一人
ひとりの存在は大学にしてみれば小さく、意見など伝える手段さえ難
しいだろうし、やはり話し合いで両者が納得しないと何も変わらないと
思います。
総科・ 2 ・女 今回の講義は主に飯島学長の話と、大学紛争の話で
構成されていたと思う。飯島学長は、他の学長と違い、 46 歳で学長
となり、名古屋大学に在籍中にも広島大学の学長に選ばれるなど、
多くの人から根強い支持を得ていた。これらの説明だけで彼がすご
い人物だったということがわかった。この支持の理由は、大学紛争が
原因だと聞いたが、私にとって学生紛争はあまり身近なものではなく、
自分がいま所属している総合科学部もストライキをやったと聞いて驚
いた。しかも昭和 44 年だと聞いて、あまり昔ではないのにどうしてこ
んなに実感がないのだろうと思った。写真を見ても本当にこんなこと
が自分の学部であったのかと思うだけでなかなか信じられなかった。
総科・ 2 ・女 東京大学安田講堂の事件は、テレビで当時の実際の
映像と再現された映像を見たことがあって、そのときは、なぜ大学にこ
もってまで、警察を巻き込んでまで、何を強く主張しているのかいまい
ち分からなかったけど、今回の講義で納得しました。そのテレビの中
で、大学紛争は東京大学だけでなく、他の大学でも起こっていたとい
うことを言っていたが、昭和 43 年後期開始段階で全国 51 の大学が
紛争を抱えていたという話を講義で聞いて、そこまで多くの大学が紛
争を起こしていたとは思っていなかったので、大変驚きました。
総科・ 2 ・女 広島大学も大学紛争の舞台になったのは聞いたこと
があるが、当時の学長が、理路整然と学生たちを説得したのは、今回
の講義で初めて知った。当時学長であった飯島宗一氏は聡明で度
胸ある人物と伺ったが、そんな性質の人間は過去・現在・未来を通じ
てそう現れるものではない。今回の講義の趣旨とは路線がずれてしま
うかと思うのだが、大事件に向かい合って且つ、冷静沈着に解決へと
導くすべをこの大学で学ぶことが出来ると良いと思う。
総科・ 2 ・女 私は今まで、大学紛争の背景をあまり知らなかったが、
入試体制や入学定員にも原因があるとは知らなかった。浪人生が増
えることを恐れ大学の定員を増やすものの、設備などが整っていない
といけないという点で、やはり大学は特別な施設であり運営は大変だ
と思った。飯島学長の登場による広大紛争の解決は、一見大学側に
よる美化された話にも聞こえるが、実際問題、彼のように紛争解決に
働きかける人がいたからこそ大学封鎖は解除され、その後の運営に
つながったのだと思う。また、飯島氏による広大の問題点は、これまで
の講義でも触れられていたとおり、複数の大学を組み合わせて作っ
た新制大学であるための矛盾や問題点を指している。特に教養部の
問題は、現在私が所属している総合科学部に関わりが深い事である
ので大変関心がある。元々の考えに、総合科学部並に全学部は共
通の一般教育を行い、それ以降に専門的な知識を発展させようという
ことがあったとあるが、まさにそれは今の 1 年次で行っていることだと
思った。(私がそう勘違いしていたら恥ずかしいが)現に毎年一年生は
総合科学部内で教養の授業を受けている。飯島氏の考え(もしくは井
内メモ)は今現在も受け継がれていることだと知った。
総科・ 2 ・女 大学紛争は今では本当にごくわずかな人が行ってい
るイメージであったが,昔も一部の人の間であったとはいえ,今よりも
規模が大きいと実感した。また,早稲田・慶應大学の生徒らの学費問
題の紛争はには非常に納得した。現在でも私立大学の学費は設備
費などによって,非常に高いものであるにもかかわらず,紛争が起こ
らないのは少し不思議に感じた。広島大学は自称西の筑波大学と耳
にしたことがあるが,統合移転の件にしても,学研都市の開発という
点から筑波大学を非常に意識し,ライバル視している印象が強く残っ
た。
総科・ 2 ・女 今まで大学の学長の話を聞くという機会がなかったの
で、ビデオではあったけれど、飯島元学長の話を聞くことができた今
回の授業は、私にとってとても印象的なものとなりました。これまで、
多くの学長や教職員の方々、そして学生の活動によって、統合移転
を中心に広島大学は大きく変化してきたことが今回の講義を聴いて、
よくわかりました。私は総合科学部生なので、飯島元学長の「総合科
学部は中途半端に終わってしまった」という言葉は少しショッキングで
した。
総科・ 2 ・男 私達学生から見れば、学長は、入学式などの大きな行
事しか目にかかることの無い遠い存在だと思っていた。しかし、今日
の授業を受けてみて、昔の学長は、学生運動など問題が起こる中で、
生徒たちのことを考えて行動していたと見ることができた。小宮山先
生の飯島元学長の話からも、学長は生徒のことを考えていたと読み
取ることができた。
総科・ 2 ・男 広島大学が封鎖される事件が起きていたという講義の
ところで、その時の実際の写真などが多く映し出されていました。機
動隊の催涙弾や放水を防ぐためのカーテンや、顔を特定されないた
めのタオルなど、私が想像していた以上に大きな事件であり、相当な
準備をしていたということに驚いた。封鎖が解除された後の教室や、
学長室などは戦いのためだけに都合がよくなるよう荒らされていて、
それを見た当時の学長の呆然とした表情の写真が大変印象深かっ
た。
総科・ 2 ・男 大学の在り方は、社会の動きと密接に関係していると
感じた。学長の業績についての前に、大学紛争が起こった原因につ
いて触れていることからもそれがうかがい知れる。最初に移転ありきで
はく、学部間の格差を是正するために、必要なこととして新キャンパス
を探すという案が浮かんだと知った。僕は、総合科学部であるが、学
部内は確かに交流があり流動性を感じるが、学部外となるとあまり教
育における流動性を感じない。教養教育を担うことが、総合科学部の
役目であると思うが、負担の面を考えると教養教育において他学部と
の協力体制をもう少し築く必要があるのではないかと感じた。
総科・ 2 ・男 飯島宗一学長についてであるが、就任年齢が 46 歳
であることに驚いた。こんなに早くにして学長になれたということは、本
当に適任であったと思う。また、就任受諾後の記者会見において、
「どんな学生とでも徹底的に話し合う」や「学内改革を全教職員で積
極的に進める」などの発言を聞いて、尊敬まで出来た。自分も飯島学
長までとは言わないが、早い段階で自立をし、責任のもてる職業につ
きたいと思った。また、いろんな人から信頼され、尊敬される人になり
たいと思った。
総科・ 2 ・男 第 4 代学長の飯島宗一氏は、いろいろな特異性があ
った。若くして学長の座についたり、広大以外の出身、また、広大以
外での教官歴があったり、学部長などの経験もなかった。なぜそうい
った経験の無い人が選ばれるのだろうか。そうとう魅力や腕があった
のだろうか。すごいと思った。あと、学部の変更や追加など様々な動
きが昔はあったということを知った。総合科学部は教養部という名前
であった。今回の講義で少し総科がばかにされたような感じがして、
気分が悪かった。
総科・ 2 ・男 僕は当然ながら授業で出てきた学生運動の様子を直
接見ていないので想像することしかできないが、学長が倒れて入院
するほどのものとなれば、さぞ当時の大学の様子はひどかったのだな
と思った。「移転」は広島大学の歴史を語る上で重要なキーワードに
なるのではないかと思うが、そこには学生運動のことも含めた様々な
要因があったわけで、いろいろなことを関連付けて考えることで、歴史
をより正しく認識することができると感じた。
総科・ 2 ・男 先週に引き続き、学長たちの横顔について勉強したけ
れど、先週とは違ったことが学べたのでとても楽しく授業を受けること
が出来ました。特に飯島学長について全く知らない状態でした。授業
を受けて、なんとなくではあるけれど勉強することが出来てよかったで
す。また、大学紛争については、大学紛争という言葉は聞いたことが
あったけれど、内容については無知だったので勉強出来てよかったと
思いました。もっと多くの学長について詳しく勉強する機会がほしい
です。
総科・ 2 ・男 大学紛争というのはテレビなどで聞いたりしたことはあ
ったが、今回の授業によりどのようなことが起きたなどが詳しく知ること
ができたのでよかったです。大学紛争の激化により学長までが退任し
なければならないという状況があったことを知り、現在スペイン広場で
行動している人々の集団に学生が大勢加わったら、現在も大学紛争
的なことが起こるのだろうかと思いました。しかし学長までが退任しな
ければならなくなるまでには、よほど大きな力がないと難しいと思いま
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
した。バリケードを実際に見てみたかったと思いました。
総科・ 2 ・男 過去には学長が変わるたびに、学生紛争などさまざま
な出来事があることを知った。川村村学長の時代には、激しい学生
紛争があり、学長が辞任するという事態まで起こっていた。ベビーブ
ームによる入学希望者の増加で、入学できないものたちの不平等を
訴えられたものであるが、この問題の解決はやはり難しかったのだろ
う。広大の制度改革のために、それぞれが様々な問題点を指摘して
いる。今の広大があるのも彼らの努力があったのことだろうと、改めて
感じた。
総科・ 4 ・男 飯島学長が一人、他の学長とは違い広島大学以外の
名古屋大学出身ということが気になった。また、大学紛争は東京大学
のみで起こったと思っていたが、広島大学でも起こっていたことに大
変に驚いた。今回は特に、大学紛争の話が興味深かった。
文・ 2 ・女 今日は大学紛争についてたくさん話が聞けたので良か
ったです。なかなか普段知ることができないので詳しく聞けて興味を
持ちました。あんなに長期間にわたって紛争があったとは知りません
でした。また、飯沼学長についてもとても興味深かったです。教授か
らいきなり学長になったのだから相当な人なのだろうなぁと思います。
あと、個人的に原田学長について興味があります。以前授業で聞い
た「 1 が好き」ということに加え、「歌う学長」ということも、とてもユーモ
アがある人だなぁと思いました。サタケメモリアルホールも原田学長が
オペラ好きだったことからあのようにオペラもできるとても響くホールに
なっていると聞いたことがあります。このように様々な個性的な学長た
ちのおかげで今の広島大学があるんだなぁと思います。改革は失敗
という人もいるかもしれませんが、私は成功したほうだと思いますし、
いきなり改革できるものでもないので、徐々にこれからもよりよい大学
になればいいと思いました。
文・ 2 ・女 今回の講義で大学紛争について知ることができ、またそ
のイメージをもてたのですごく勉強になった感じがしました。大学紛争
という言葉は知っていたものの、実際にはどのような様子だったのか
今まで全くイメージを持つことができずにいました。どうしてそのような
紛争が起こることになったのかもぜんぜん知りませんでした。終戦に
よる人口の増加、それに伴って増加する進学希望者、対応しきれな
い学校側、社会不安、色々なことが連鎖的に必然的に起こって大学
紛争につながったんだな、という印象を受けました。今回知った大学
紛争の様子というのは、私にとってかなり衝撃的でした。放水や火炎
瓶投下、電車通りデモ。今の大学生活ではそんなことぜんぜん想像
することができません。当時の学生の不満というものが相当大きかっ
たことが覗えます。私が広島大学に入学したての頃、フェニックスの
人が大学紛争について語っていたのを聞いたことがありましたが、そ
の時は本当に大学紛争について無知だったので、今もう一度その話
を聞けば聞こえ方や紛争についての見え方が変わっていたのかも知
れません。
文・ 2 ・女 東京大学での大学紛争は有名だが、広島大学でも激し
い運動が行われたというのは知らなかった。飯島学長が他の学長と
異なる経歴をもちながら学長就任を支持されたのは、紛争解決が皆
から強く望まれていたからなのだろう。結局説得での封鎖解除はなら
なかったものの、学生たちへの対応のやり方がそれまでと違うというこ
とで、学長になったことが納得できる人物であると思う。学部間の枠組
みをはずした横断的な組織にするというのは画期的な考えだったと
思うが、私の所属する文学部は依然そのままのシステムなので、やは
り完璧に改革するためには様々な障害があり、難しいものだと感じた。
文・ 2 ・女 昔、大学紛争があったという事実は知っていましたが、具
体的に大学がどんな状態になっていたのか、広島大学ではどこまで
激化していたのかなどは知りませんでした。警察が出動したり、新入
生が自宅待機になったりするまで大きな問題になっていたことを知り、
驚きました。その中で、紛争を沈静化し、改革を進めた飯島学長の業
績は大きいと思います。結果的に不十分な改革となってしまったよう
ですが、全学部に博士課程が設置できたこと、打ち出した改革をある
程度実行できたことは、広島大学が中国地方を代表する大学として
の地位を確立するのにとても重要なことだったと思います。また、第 4
~ 11 代の学長の経歴を見て、ほとんどの人が理系学部の出身であ
ることに気づきました。このことに、何か理由はあるのでしょうか。
文・ 2 ・女 今回も学長たちの横顔ということで興味深く講義を聞か
せてもらいました。東大の学生運動のことは知っていたのですが、こ
の広大でもあんなに激しい攻防戦が行われていたなんて知りません
でした。バリケードで半年近く学校が中断されるなんてとても不思議
でした。それが回りまわって移転にまで関係してくるなんておもしろい
なと思いました。また学生運動に正面から戦っていった飯島学長は
勇敢だなと思いました。みんなの期待を裏切らない働きをするとはす
ごいです。
文・ 2 ・女 今回の講義の中で、一番印象的だったのが、広島大学
でも大学紛争があったということです。私は、東大で激しい大学紛争
があったということは知っていましたが、広島大学でも昔、それに匹敵
するような大規模な大学紛争があったということに驚きました。そんな
大学紛争の中で、学長になられた飯島宗一学長は、かなり周囲の人
からその実績を認められていたんだと思います。それに、飯島学長の
頃に行われた大学改革は、今見ても画期的なものだと思いました。み
んなの意見を聞き、その過程も公開していくという飯島学長のとった
行動も、当時としては素晴らしいものだったのではないかと思いました。
文・ 2 ・女 「大学紛争」という言葉はこれまで何度も耳にしてきたが、
学生たちの要望などの実態は知らなかった。しかし今回の講義を通
じて、大学紛争の内容についても少しわかった気がした。また、大学
改革についても、私はそこまで感じたことはないのだが、学部間の格
差なども問題になっていたことに驚いた。私も広大に入学してからの
1 年は、専門教育がまったくなくて、教養科目ばかりで、「これで本当
に良いのかな?」と思っていたけれど、 2 年生になって、専門ばかり
になってくると、教養科目の幅広い楽しさが少し懐かしくなってくる部
分もある。
文・ 2 ・女 大学紛争という出来事は聞いたことはあったが、実際に
どのような理由や方法で抗議を行ったかなど、具体的な知識は全くな
かった。ほんの一部の生徒が行うものだというイメージがあったので、
当時の状況を写真や文章で見て驚いた。学生の要求に応えることが
できる学校をつくっていくことの重要性を感じるとともに、大学紛争と
いうあれほど大きな騒動にまで発展しないと、学生は意見を主張でき
なかったのかと思い、意見を反映させる機会の必要性を強く感じた。
学校経営のあり方にもかかわる、非常に興味深い講義内容だったお
思う。
文・ 2 ・女 今回の講義は学長たちの横顔であったため、前前回と
似たような形で学長たちの説明があるのだろうと考えていた。しかし想
像していた以上になかなか興味深い授業であった。大学紛争という
のは、メディア等でたまに名前を聞くことはあっても具体的に当時どの
ような状況であったのかということまでは詳しく知らなかったため、今
回は学生紛争について少しでも知ることができてよかった。また広島
大学でも激しい紛争があったのだなと初めて知った。大学紛争という
と自分たちにはあまり関係していないように感じていたが、実は生協
食堂になったり、サークル棟が出来たのも大学紛争のおかげだと知
って、生徒達の声も集まったら大きな力になるのだなと考えた。
文・ 2 ・女 今回の講義では、 6 人の学長さんたちの経歴や考え方
を学びました。その中でも飯島宗一が学長は 46 歳の若さで学長に
なるなど他の方々とはいくつか異なる点がありました。また、広島大学
の組織図が昭和 47 年と現在とで大きく異なるところがあり、とても興
味深く感じました。選択の幅が広がった、という面に関しては現在の
方がものすごく恵まれているなと思います。しかし、まだ煙突型の学
部もいくつかあり、そこは改善されなければいけないと思いました。な
ぜ、キャンパスが西条に移されたのかずっと疑問に感じていたところ
がありましたが、今回の講義で理解することができました。広島大学
の改革において、不完全に終わったとする評価と、不完全ながら改
革を行ったことに意義があるとする評価と両方あると聞きましたが、私
は後者の意見に賛同します。改革を行ったということは、まず一歩を
踏み出したというとであり、それこそが大切だと思いました。
文・ 2 ・女 大学紛争で、学長が辞任に追い込まれるなど、当時の大
学紛争の激しさに驚き、また今の広島大学では、全学連の人たちは
「ストを起こそう」などのことを言いはしていますが実際にストが起きる
わけでもなく、当時の学生たちのように自分たちの主張を大学に真っ
向からぶつけて、よい学校にしていこうとするのではなく、学校から与
えられているものを享受しているだけであるように思いました。
文・ 2 ・女 飯島氏が大学紛争という大変な事態に対し、それを押さ
え込もうとするのではなく、まず大学改革をきちんとやろうという姿勢
であたったというのはすばらしいことだと思う。それにしても、大学紛
争のおかげでその年の新入生が全員留年の危機に瀕してしまったわ
けだが、キャンパスの統合移転、博士課程の設置、総合科学部の設
置など、現在の広島大学の基となる形ができあがったのもこの紛争が
あったからこそであり、団結力というものがいかに大切かということを改
めて感じた。
文・ 2 ・男 今回、思いがけず大学紛争の話が聴けて良かった。今ま
では、その出来事は政治や外交に絡んだ事柄が原因で起きたと思っ
ていたが、実は社会の発展による人口増加に端を発していることを知
り、ずっと身近なことから生じたものであると分かった。特に、広島大
学でも大規模な立てこもりが行われたという事実は、いかにそれが全
国的規模の問題であったかを表していると思う。当時に比べれば、大
学の組織も相当学生に配慮したものになったが、これからはどれだけ
それを研究の成果に結びつくものに改めていけるかが課題であると
考える。
文・ 2 ・男 40 年前に広大が大学紛争に「巻き込まれた」ことの原因
については多少分かりましたが、しかし、もう少し深く原因を考えない
と当時の飯島学長が指摘した問題点がかすんでしまうように思います。
紛争の原因は大学によって異なりますが、ほぼ共通しているのは大
学が社会から一番遅れていてなかなか問題に対処できず、最後は警
察の力を借りなければならなっかのではないかと思います。その挙句
に軒並み大学執行部が退陣の憂き目にあったのではないでしょうか。
大学は一見、進歩的に見えますが、組織としてみたらこれほど遅れて
いるところはありません。(40 年前の私の経験から)
- 734 -
文・ 2 ・男 今回は学長たちの横顔 2 と言うことで、前回と同じような
講義になるかと思っていたけど、前回とはずいぶん違っていて、楽し
めました。飯島学長はとても特異な学長なんだなと思いました。人望
の厚さが半端じゃなかったように思いました。大学紛争の話もとても興
味深く、今では考えられないような状況で、ストライキなど、今では考
えられないようなことが起こっていたと知り、少しショックでした。自分
は大学院は学部には必ずあるものだと思っていたので、大学院設置
の話を聞いて、自分の無知さが露呈されました。
文・ 2 ・男 大学紛争について考えてみたい。日本の学生運動は、
1960 年の安保闘争、 1968 ~ 70 年の全共闘運動大学紛争がはっ
きりと記憶にある。その殆どが悲惨な結末であった。学生の側からみ
れば、受験戦争、入試地獄、大学の組織、学費、施設の整備遅れ等
の不条理に加えて、社会に対する批判や政治活動のし易さ、サーク
ルでの学習・討論の機会が得やすく、アジビラ・看板を作りながらの
高揚感等を背景にして、学生運動が負の方向へとスパイラルアップし
ていくのだと思う。肝要なことは、「大学のあるべき姿は何か」を考える
ことなのだが…。大学は、学術の中心として、真理の追究、学問や文
化の発達に寄与するための研究をし、一方では、教育を行う特別の
役割を担っていると云って間違いない。このために、『大学の自治』が
叫ばれていると思う。これを、疎かにすると、その存在意義はないこと
を銘ずるべきである。「象牙の塔」であってよいとは思わないが、一方
で、「開かれた大学」に如何に対応するかという課題はある。ここから
は余談であるが、今まで頭から離れなかったことを是非記述しておき
たい。嘗て全学連が新宿駅の焼き討ち事件を起こした時、これに参
加したという学生達が、夏休暇中の工場実習に来た(毎年、私が指導
に当っていた)。そこで学生運動について、議論したことを思い出す。
彼らの曰く、”この世の中は、革命の理論しか存在しないのだ”と言っ
て、焼き討ちを正当化する。やがて実習期間が終了して、引き揚げる
時に ”就職を控えているから、もう学生運動は止める”と。この豹変振
りは何なのだと、複雑な気持ちで憂いた。
のもこの時期である。いずれも広島大学の発展に寄与してこられた
方々であり、私としては非常に素晴らしい方々だと思っている。
文・ 2 ・男 大学闘争の周辺のはなしは興味深いものがあった。わた
しの生まれる以前の出来事ではあるが、当時の学生たちがどんな想
いを持ってそういう動きをとったのか、今までは不可思議のヴェール
に包まれていた彼らの思想を垣間見られたように思った。それを見た
上で今回紹介された飯島学長の尽力っぷりには感心し、そこで立て
られた構想が現在に生きていると考えると、現在わたしの周辺にある
この環境に一入の愛着を感じた。
文・ 3 ・男 大学紛争について詳しい話を聞いたことが無く、いまい
ちその理由も知らなかったので、大変興味深かったです。学費の値
上げに反対してけが人や逮捕者が出るくらい抗議するなんて、今時
流行らないしそんなことする人は滅多にいないので、昔の人のパワー
に少し驚かされました。ただ、後半当初の目的から外れて、大学に迷
惑をかけること自体が目的になった人たちが出てきて、凄く不愉快な
気持ちになりました。飯島学長はそんな人たちともしっかり向き合い
(とても若かったのに)とても偉い人だったんだなと思いました。
文・ 3 ・男 広島大学や学長等の事について考える時、まず最初に
思い浮かぶのは広島市内から西条町への移転についてです。これ
は、自分が聞いた話では当初は五年計画で移転が決まったもののそ
の最中に不況などを始めとした日本経済の変化や財産が思うように
売却できなかったなどの経済的な事情によって結果的に十年近くも
移転に月日を要したとありました。また、当時の広島大学は大学紛争
なるものが盛んだった事もあり、それとの兼ね合いによっても大学の
移転に時間を要したと、自分で調べる中で知る事ができました。これ
まで何度も学長は変わってきましたが、どの人も、広島大学に通う学
生の事をいかに考え、行動してきたか、という事が理解できる講義だ
ったように思えます。
文・ 2 ・男 今回は、学長たちの顔ぶれについての 2 回目の講義で
あったが、各学長たちについて知るためには、広島大学の歴史の背
景をよく知っておかなければならないのだということをよく実感した。と
くに、戦後になり、新たな大学制度が全国の大学で施行されはじめて
からは、大学の統合、分裂など、環境がかなり変わってくるので、大学
の細かな変遷をしっかりと学ぶためには、この頃に起こった種々の出
来事の流れを理解しなければならないと感じた。
文・ 4 ・女 「昭和を振り返る」等という企画のテレビ番組で『全共闘』,
『学生運動』といった言葉を聞くたびに、いったいどんな時代だったの
かという思いを抱いていたので、今回の講義でその骨格だけでも知
れて良かったです。今の私には、なぜ当時の学生たちが何百人何千
人となってこの運動に参加していたのか、正直のところ気持ちは分か
りません。その後、学生たちの気持ちに応えて飯島学長らがどのよう
な改革をしていったのか、次回の講義を楽しみに待ちたいと思います。
文・ 2 ・男 今回の講義では学生闘争がメインとなっていました。私
の中では、こういった学生闘争は東京大学のような首都圏の大学だ
けで起きていたものだと認識していたので広島大学にまで波及して
いたとは知りませんでした。学生闘争自体に対する私の認識は、若
者(とくにインテリ学生)の通過儀礼的なイメージを持っています。なの
で、中国で反日デモを行っている学生を見ると高度経済成長期の日
本の状態と非常に似ているのではないかなと感じています。幼いナシ
ョナリズムのレベルを引き上げるために共通の敵を作り出すことは、い
つの時代でもどこの国でも普遍的なことなのだろうなと思います。
法・ 1 ・男 今までの学長の歴史を振り返ることによって、学長になっ
た背景や、その学長が何をしてきたのか、そしてその時代とを関連ず
けたことが見えてきたような気がしました。僕は今まで学長がどんな仕
事をしているのか、はっきりとは知りませんでしたが、今回の授業で過
去の学長も含めてどのようなことをしてきたのかが、おおよそではあり
ますが分かった気がしました。自分たちが今生活している広島大学で
過去の学長さんがしてきたことによって今の広島大学があるのかが分
かったので、とても参考になる授業でした。
文・ 2 ・男 まず飯島宗一という人物が偉大な人であるという事を忘
れないようにしたいと思いました。彼が学生運動を見事に収束させ、
その後の大学の発展に尽力しなければ今の広島大学は変わってい
たかもしれません。しかし、学生運動の中でも悪いことばかりではない
と思いました。以前、オリキャンが学生運動の最中に生まれたと聞き、
感動を覚えました。学生運動のさなか教授と生徒との間のコミュニケ
ーションを増やそうということではじめられたことが、形が変わったとは
いえ今の僕らにも伝わり、生活の一部となり、そしてしっかり友達を増
やすという目的も果たせています。そのことを思うとやはり僕らが今こ
のキャンパスで勉強ができているのも、歴代の学長や数多くの先輩ら
の努力や成功、あるいは失敗などの上に成り立っているのもであり、
また僕らもその一部になって後輩たちに受けつでいけるようにしっか
りしていかなくては、と感じました。
文・ 2 ・男 学生運動という言葉は聞いたことがあったし、かなり激し
い運動になることもあると自分のなかでは認識していたが、学生運動
をする学生たちがどのような要求をかかげているのか、どのようなこと
に不満をもっていたのかという重要な部分についてはほとんど何も知
らなかったので今回の講義で知ることができ、よかった。学長たちや
大学側が自分たちが理想とする大学を作ろうとしている中で、学生と
の考え方の違いやズレがあって、このような運動に発展していったの
ではないかと思う。
文・ 2 ・男 前回と同様、いろいろな学長がいたんだなと思える授業
でした。こういう講義がなかったら、たぶん広大のことや今回のような
学長のこととかについて知らないまま、学生生活を送っていくんだろう
なぁと思ったりもしました。その点ではこの授業が、大学を知るいい機
会なのかもしれません。あと、やっぱり広島大学なので出身が広大や
広大の前身校だった人が多かったんだなと思いました。もう 6 月で、
この講義も含め前期はあと少ししかありません。ですがあまりだらけず
にやっていこうと思います。
文・ 2 ・男 飯島宗一氏が学長に就任した 1969 年は、東京大学で
学園紛争が発生し、以降 70 年代の学生運動に繋がっていくこととな
った。また、広島大学の統合移転の計画が上がり、着工に向かった
法・ 2 ・女 まず飯島宗一学長の就任年齢の若さには驚きました。学
部長や評議員の経験もなく、広大以外の教官歴をもつという特異な
略歴をもつからこそ、彼は広大の改革を遂行することができたのかな
と思います。総合移転によって大学がひとつにまとまった感じがする
し、総合大学として世間にも知られることになったし、彼のおかげで広
大は良い方向へと進んでいったと改めて実感します。あと私たちの世
代で大学紛争などが起こらなくて良かったと思いました。今より激しい
受験戦争なんて耐えられないと思います…。
法・ 2 ・女 今回の講義では、大学紛争が出てきて、非常に興味深
かった。しかし、東大紛争は歴史の授業でも取り扱われるほど有名だ
が、いざ自分の所属する広島大学においても大学紛争があったこと
を知ると、信じがたかった。また、今自分が当たり前のように利用して
いる大学生協も、大学紛争以前は存在していなかったことを知り、非
常に驚いた。それだけ、大学紛争は大きな力を持っていたのだと思う
と、本当にすごいと思った。なぜなら、今この広島大学の学生が団結
して何かをしようと思っても、当時のような力は発揮できないと思うたら
だ。
法・ 2 ・女 今回の講義で最も印象に残っていることは、大学紛争に
ついてです。「大学紛争」というワードは今までに幾度となく耳にした
ことがありましたが、実際にいつ、どのような事態が起きていたのかは
まったく知らず、また、そんなに大変な問題になっていたことも知りま
せんでした。そのため、今回の講義で入試が学外で実施されたり、新
入生が自宅で待機しなければならないといったような事態にまで陥っ
ていたと知り、大学紛争という当時の社会問題の規模の大きさを改め
て知ることができました。
法・ 2 ・女 今回の授業を受けて広島大学の変遷についてまたいっ
そう知識を深めることができました。広島大学学長は広島大学の生え
抜きの人たちばかりではなく他の大学からやってきた人もいることを知
りました。また広島大学の移転に伴って様々な構想があったことを知
りとても興味深かったです。今広島大学が東広島市に移転してきてそ
れが当たり前のように私たちは大学に通っていますが、大学がばらば
らに位置していたらどうなっていたことでしょうか。やはり団体意識に
欠けた大学生になっていたのでしょうか考えさせられました。
- 735 -
総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
法・ 2 ・女 初代の森戸学長が創設した広島大学という集団の成長
の様子といったものを体感しました。学園紛争の時代、というのは今
でもと時々メディアで取り上げられているのを見ますが、多くは東京の
ほうで起こる破壊的で衝撃的な映像ばかりを取り上げていて、そのイ
メージしかなかったのですが、まさか広大でも同じようなことが起こっ
ていたとは知りませんでした。私たちが普段何気なく使う生協やサー
クル棟など、学生のための福祉の充実は、学長と学生たちの闘争と
いう苦労と努力の産物であるということを知り、改めて感謝しなければ
ならないことであると感じました。講義の題は「学長たちの横顔」でし
たが、今回一番考えさせられたのは、争議の時代を経て変革を迎え
る大学についてでした。
法・ 2 ・女 大学紛争があったということは知っていたけれど、広島大
学での大学紛争の内用を聞いて、初めて具体的なイメージを持つこ
とができました。そんな大学経営の厳しい時代に、様々な新しい試み
を始めた飯島学長の話はとても興味深かったです。そのような過程が
あったからこそ、今現在の学部や大学院の体系ができあがったのだと
思います。そして、それから先の大学の統合移転も、そのような改革
の中で必然的なものだったのかな?と思いました。
法・ 2 ・女 今回の講義は、「学長たちの横顔(2)」ということで、大学
紛争についてのお話が聞けるとは、思ってもみませんでした。「大学
紛争」という言葉は、何度も聞いたことがありますが、実際にどういう出
来事だったのかは知りませんでした。私は今まで、大学紛争とはもっ
と政治的なものだったと思っていたので、初めて知ったことばかりでし
た。この時代の大学生たちは、とても活発で、行動力があるなあ、と思
いました。
法・ 2 ・女 今回この講義を受けて、大学闘争と呼ばれた学生運動
が活発であった時代のことについて改めて考えさせられました。私は
その時代のことをあまり知りませんでした。知らなかったというより知ろ
うともしていなかったと思います。もう過ぎ去ったことであり、しかも何か
大学に対して不満があったとしてもどうにもならないこと、大学闘争が
行われていたあの時代でしかあのような運動は起き得ないと思ってい
たので、知る意味を見出せませんでした。しかし、今回講義を受けて
いるうちに、飯島氏や先輩方が作り上げてくれたこの環境を見つめ直
したい気持ちになり、もっと今、自分が大学にいる意味を真剣に考え
るべきではないかなと思いました。
法・ 2 ・女 今回は、少し予想していた感じとは違い、そのときの学長
にスポットをあてつつも、そのときが何が起こっていたのか、何が問題
となっていたのか、などといった、情勢の方をメインに取り上げている
なと思いました。「大学紛争」については、たまにテレビなんかで当時
の状況を目にすることがあったり、教科書にのっていたりするくらい、
凄まじい出来事だなと思います。当時はどの大学の学長も頭を悩ま
せていたんだろうな。大学というのは、学長によって本当に変わると思
います。どのように改革していくのか、何を廃止して何を取り入れるの
か。私は、今の広島大学は良い大学だと思うし、それも歴代の学長さ
んのおかげだなと思いました。
法・ 2 ・男 今回の講義内容を自分は飯島宗一元学長から浅原利
正元学長の時代に起こった広島大学に関係のある出来事を広く浅く
講義してくれるものだと思っていましたが実際の講義内容は広島大
学の移転に関わる話を深く講義していただいて自分にとってとても興
味のもてる講義となりました。移転にいたるまで様々な問題があり大
学紛争が関わっているということはまったく知りませんでした。まず大
学紛争についてほとんど知識がないので大学紛争についてもっと詳
しく知りたいと思いました。
法・ 2 ・男 前の学長たちの横顔の講義を受けた時も感じたことです
が、今私たちが通っている広島大学の制度や枠組みができるまでに
歴代の学長たちの大変な努力があったということを再確認させられた。
なかでも統合移転のさいのはかなりの苦労があったことを思わされた。
今の西条の広いキャンパスは広くていいと思いますが、ただ、私は実
家が市内にあるので飯島学長が最初に追及されたという、広島市内
でのキャンパスの拡張が実現に至らなかったのはやはり残念に感じま
した。
法・ 2 ・男 大学紛争が、当時世の中に大きな影響を与えていたこと
は知っていましたが、その具体的な内容(特に広島大学における学生
紛争)はいまいち把握していませんでした。広島大学も紛争について、
問題を抱えていたことは例外ではなく、そしてその問題解決に向けて
様々な取り組みが大学やまわりの人々の中で行われていたことを、今
回の講義の中で知ることができました。私が、特に感銘を受けたのは、
飯島学長の記者会見における「大学紛争の根本問題は社会の急激
な変化と学問の進歩についてゆけない大学の体質にあり、学内改革
を全教職員で積極的に進める」という言葉です。大学と学生間のみぞ
を埋めるためには、大学側が譲歩するしかないのかという疑問も感じ
られないこともないですが、相互理解のためには、大学という特殊な
立場を世間に対して向き合う姿勢に方向転換しなければならないの
も事実だと思います。加えて、現在もアカデミズムはその当時の社会
と距離をおかなければならないという一種の強迫観念と、地域との連
携など社会に求められている大学像の狭間で揺れ動いている大学は
多いと思います。また、総合科学部移転についても様々な問題があ
ったと思うので次の講義を楽しみにしています。
法・ 2 ・男 大学紛争についてはほとんど知りませんでしたが、広島
大学でも行われていたというのには驚きました。しかもあれほど過激
で強硬な手段ということを聞いて少し怖くなりました。現在では学生運
動について耳にすることはありませんが、それは今までの過激な大学
運動の経験を生かして大学側が学生側に配慮しているからだと思い
ます。しかし、大学が学生を無視したようなことをすれば、いつ学生運
動に発展するかわからないと思うと少し怖いと思いました。過去の紛
争によって教育水準が上がったありましたが、時代が変わり学生が変
わればその要求も変わるものだと思うので大学側は学生の要望に目
を向けること必要があると思います。学生も紛争を起こしたくて起こす
わけではないと思うので学生と大学との連携の重要性を感じました。
法・ 2 ・男 広大の大学紛争については、私が一年生の時の教養ゼ
ミの担当教授がその当時広大の学生であったため、ゼミの時間中に
軽く話されることがあった。その時は、司法試験関係でどうしても大学
に行かなければならず、バリケードを越えてでも入ろうとした人がいた、
という話や、学生側の首謀者の一人と名前が似ていたため間違えら
れて企業の内定を取り消された、という話をされた。しかし、まさか放
水車や火炎瓶などという、あの有名な東大での紛争のように酷いもの
だとは思わなかった。いくら学生の環境を良くするためとはいえ、暴力
行為に走ったり、善良な学生まで巻き込むということは現代人の目か
ら見ると到底共感できるものではない。しかし逆に、行動力の面では
ある意味現代の学生よりも優れていたのかもしれないとも思った。
法・ 2 ・男 今回の講義は「学長たちの横顔(1)」と同じ様な内容を予
想していたけど、学生運動などの大学紛争についてなどの内容を交
えていて、おもしろかった。東京をはじめとする首都圏にある私立大
学に比べて、国立大学は学費などの面ではまだ恵まれているのかと
思っていたけど、東京大学やこの広島大学も過去に学生運動を経て
いることが少し意外だった。実際、私立大学に比べて学費などの面で
は恵まれているし、昔の先輩方の運動のおかげで今の大学があるの
だと感じた。
法・ 2 ・男 今回は、学長たちの横顔(2)ということでいろんな学長に
ついて知ることができた。飯島宗一学長は 46 歳の若さで学長になっ
たということで、なんかすごいなと思いました。学生紛争当時の学長は
本当に大変だっただろうなと思う。昭和 40 年代から、大学紛争の原
因を社会の急激な変化と学問の進歩についていけない大学の体質
にあると認め、大学改革に積極的に力を入れようとし、今日にいたる
までいったいどのような改革が行われてきたのだろうか。確かに大学
外との柔軟な関係を保つことも大事だと思うが、現代はさらにその中
で独自性を見出し、競争力をつけていかなければならないと思う。
法・ 2 ・男 講義を受けて全体的に考えて、学長というポストには出
身大学や旧制の高等学校にどのように関わっていたのかが大きく関
係してくるんだなと感じました。歴代学長の歴史だけでなく、時代を変
えるような大学紛争の話があり、とても興味深かったです。現代では
それほど学生達の紛争は目立っていませんが、このような時代があっ
たと思うと、この時代の学生達は今よりも精神的にしっかりしていたの
ではと思い、自分達も大人という自覚を持って行動しなければと考え
ました。
法・ 2 ・男 今回の授業では、戦後の日本の経済成長・ベビーブー
ムから大学紛争、そしてキャンパス移転に至るまで、そのときどきの広
島大学長とリンクしながら講義が進んでいって、非常に社会の動きと
ともに大学の様が変わっていくことを実感した。これまで大学紛争は
当時の若者が社会に対して単に反発しているだけの時代なのかと思
っていた。しかし、その大学紛争の背景にあったものは、ベビーブー
ム・受験戦争・大学施設の不備・大学組織の未完成・学費値上げとい
った時代であり、大学のあり方が再び問題になってきたのである。広
島大学も例外でなく、激しい大学紛争を引き起こしたわけであるが、
それに立ち向かった学長として飯島学長の紹介があり、この学長の
考える大学のあり方、そして大学紛争の解決手段といったものにわた
し自身非常に共感できることがあった。まず、飯島学長のどんな学生
とも徹底的に話し合おうとする姿勢である。学生側も大学に進学した
いじょう学問をしたいと思っているはずである。大学側と学生側の学
問という共通のつながりがあるからには、どこかでわかりあえる点があ
るはずっであって、両者が話し合うことで理解しあえることが出てくると
思う。また、大学紛争の根本問題が社会の急激な変化とそれに対応
しきれない大学の体制とし、学部間の格差を解消したり、ひとつのキ
ャンパスで教育を行っていくことの利点に目をむけたりしたところに、
広島大学を本当によくしていこうとする姿勢に共感した。今回の授業
を聞いていて思ったことは、大学側にも学生側にも元気があって、真
剣に大学教育というものに取り組んでいるということである。自分もも
っと大学で学ぶ意味を考えながら積極的な姿勢で大学生活を送りた
いと思う。
法・ 2 ・男 牟田泰三について調べてみました。現在は福山大学の
学長をされていると聞いて、やはり学長にふさわしい方はその大学で
も学長をなさることができるのかな、と思いました。それから、前々回の
学長もぞうでしたが、出身大学が広大より(一概には言えませんが)学
力的に上位の方がなられているのもやはりな、という印象を受けまし
た。
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法・ 2 ・男 牟田泰三について調べてみました。現在は福山大学の
学長をされていると聞いて、やはり学長にふさわしい方はその大学で
も学長をなさることができるのかな、と思いました。それから、前々回の
学長もぞうでしたが、出身大学が広大より(一概には言えませんが)学
力的に上位の方がなられているのもやはりな、という印象を受けまし
た。ほんとは各学長の個々をもっと詳しく調べる機会があればいいの
ですが。機会があったらもっと調べてみたいと思います。
法・ 2 ・男 今回の講義で、学生紛争の中心人物の心情は本になっ
て明かされているが、周りの人間の心情については明らかになってい
ないということでしたが、自分も高校生のころ日本史の先生に、なぜ
学生紛争があれほどの規模で広がったのかということを質問しました
がその先生もよくわからないような感じでした。何か特殊な集団心理
が発生したかのようでとても不思議です。狂気に近いようなものがあっ
たのかもしれません。広島大学の歴史ではなく社会心理学などの領
域になるのかもしれませんが大変興味深いです。
法・ 2 ・男 今回は、広島大学の学長の方々についての 2 回目の講
義でした。今回特に印象に残ったのは飯島宗一学長についてでした。
飯島学長について、まず就任年齢が 46 歳と他学長と比べても若く、
また数少ない広大以外の出身者でもあるということ、そして大学改革
について尽力なされたということでした。飯島学長は大学紛争の激化
に伴い、学長に就任し、広島大学間の学部の格差や大学の格づけ
などについて議論を進め、今の広島大学へのきっかけともなる部分
に着手したともいえ、本当にてがきれる、すごい人だったのだなと思
いました。
法・ 2 ・男 今回の授業には私がよく読んでいる作家の一人である村
上春樹の小説にでてくる大学紛争の話が出てきたので個人的には非
常に大きな興味が持てた。資料 2 のなかに広島大学には幼稚園も
小学校も中学校も高校もあるという言葉があった。国立大学に付属の
学校があるのはなぜだろうかと以前から私が疑問に思っていたことで
あったが、資料の中にはこれらの付属校があるという事実だけが触れ
られているものであって私の疑問に対する答えは存在しなかったので
少々残念に思う。飯島学長の手によって広島大学を旧帝国大学と同
じ地位まで押し上げようという試みが行われたようであるが、当時の世
間からみる広島大学の評価がどのようなものかは知らないのでどの程
度向上したものかはわからないが、少なくとも現在は旧帝国大学と並
ぶ評価とまでは行かないようである。残念。
法・ 2 ・男 今回の講義を聞いて、今まで学長を務めてきた多くの方
が広島大学や広島大学の前身校の出身者であることを初めてしりま
した。飯島学長は広島大学とほとんどかかわりもなく、学部長などの
経験もないにもかかわらず、当時の学生運動に対して学生相談で活
躍していたことを理由に 40 代という若さで学長に選ばれていたことは
非常に驚きでした。また当時の学生運動のも、生徒による学校の封
鎖や警察官の動員など、その過激さにとても驚きました。
法・ 2 ・男 今回の講義内容は学長たちの横顔で前々回の講義の
続きでしたが、やはり期待していたとおり面白い内容の講義でした。
広島大学の学長達はそれぞれの時代を支えていく上で様々な困難
に立ち向かいその困難を乗り越えて広島大学の発展に身を尽くされ
てきたことがまじまじと伝わってきました。その苦労を知った今では、
自分も現在の広島大学の一員として大学をよりよい場所とするべく何
らかの形で貢献していかなければならないのだな、としみじみと実感
した内容の講義でした。
法・ 2 ・男 今日の講義内容は、主に大学紛争とそれをきっかけとす
る大学改革についてであった。今まで大学紛争というものが東大など
であったということは知っていたが、それが学生数増加による施設の
不整備が理由とは知らず、とても勉強になった。そして、その大学紛
争が広島大学でもかなり過激に行わたと知り、とても驚いた。大学改
革については、前々回で課題として挙げられていた博士課程設置や
キャンパス統合も実現した。一般教育の問題は多少残っているが、そ
れは今後改善していってほしい。広島大学に入学し、博士課程があ
ることやキャンパスがひとつであることは当然だと思っていた。しかし、
過去に紛争や改革があって現在の広島大学があることは覚えていな
ければいけないと思う。
法・ 2 ・男 正直に言うと自分としては広島市内にキャンパスがあっ
たほうが、交通の利便性や生活などが良かったように思えたので、な
ぜ西条にキャンパスを置いたのか非常に疑問であったが、今回の講
義を受けて広島市内でキャンパスを拡大するのが難しかったことや、
大学改革を行うために必要であったことを知り、仕方ないことであった
のだな、と納得した。また統合移転の話が大学紛争が行われていた
時代からもうすでにでていたことには、そんな昔から構想されたいた
のかと思い、少し驚いた。
法・ 2 ・男 大学紛争の頃の広島大学の学長の施策やその背景など
がよくわかる講義だったと思います。あの頃の広大はけっこうそういっ
た学生運動などが盛んだったという話を親や学部の教授から聞いて
いたので、どのようにそれに対処していたのかにとても興味があった
のですが、それがよく理解できたように思います。
法・ 2 ・男 今回は、特に飯島宗一元学長についての講義で、全共
闘との対立を通して、改めて大学改革が叫ばれるようになり、キャンパ
ス移転・統合移転が取り上げられるようになった、というのが内容だっ
た。まず、全共闘は東大や早大などの関東の大学、または京大や立
命館など関西の大学で行われたというのが印象だったので、ここ広大
でもキャンパスの封鎖などが行われたのが、かなり意外だった。そし
て、それを機として広大のキャンパス移転の話が持ち上がり、ここ東
広島に移転するきっかけになったというのは、全国の大学を探しても、
広大くらいなのではないかと思い、大学紛争が、いい意味でも悪い意
味でも広島大学に影響したのだなと改めて認識できた。
法・ 2 ・男 今回の講義は学長たちの横顔の第 2 回目、飯島宗一か
ら浅原利正までの時代の話を聞いたんですけど、大学紛争の話を聞
くことができて個人的にはとても興味深かったです。正直大学紛争と
は何のことだかわかりませんでした。日本の経済成長の頃で第一次
ベビーブーム世代の進学によって大学進学者の急増によっての受験
戦争が引き起こされたりしていたのかと思うと自分は体験してないけ
れども、すごく嫌な気分になりました。そう考えると現代はまだいい状
況なのかなと思いました。
法・ 2 ・男 今回の講義では、前々回の講義のように特定の学長に
ついて掘り下げていくのではなく、歴代の学長の大学運営方針を比
較していく形だったので、前々回の講義とほぼ同じ内容を予想してい
た自分には新鮮に感じられた。入試の内容一つをとっても、大きな差
が出ることに驚いた。
法・ 2 ・男 高校生のとき、東京教育大学出身の先生がいて、その先
生の話だったか、その先生が聞いた話だったか忘れたが、大学紛争
の凄まじさを多少聞いていたので、大学紛争には元々興味があった
が、広大の大学紛争の話を聞かせてくれる人はいなかったので、おも
しろい話を聞くことができていつもよりも授業時間が短く感じた。当時
はあんなに活発だった大学紛争が一過性のものに終わったということ
は、本当に大学と争いたかったのはごく一部で、大多数の学生はみ
んながやってるから自分もといった感覚で参加していたのではないか
と考えてしまう。授業内容とはまり関係がありませんが、これが今回の
講義を受けて考えたことです。
法・ 2 ・男 全国の大学の中でも広島大学の学生闘争は特に激しか
ったことが写真を見る中でわかりました。かつて教養部なるものが広
島大学にあったことは初めて知りましたがこれはあまり効率的でないと
一目みたらわかるだろうと個人的には思いました。飯島学長は経歴等
が他の学長とは結構違っていましたが、改革をしっかりしていままで
講義されてきた学長のなかではなかなか立派なひとだったんだと思
いましたが、移転についてはもう少し市街地に近いところにしてほしか
ったです。
法・ 2 ・男 大学紛争の話については、これまでこの講義だけでなく
様々なところで耳にしてきたことはあるが、自分が経験した事ではなく、
やはり身近に感じることができないでいた。しかし、こんかいの講義の
中で、広島大学における大学紛争の展開について詳しく触れたこと
で、この広島大学でどんなことが行われていたのかを初めて知った。
大学紛争自体の良し悪しは別にしても、自分たちの考えや要求をは
っきり主張するその情熱というのは現代の大学生とは比較にならない
ものだと感じた。自分の大学生活においてももっと何かに情熱を傾け
ることというのは必要なことだと思った。
法・ 2 ・男 歴代の学長に関する講義は前回も受けたが、今回は大
学紛争の時代の学長ということで、とても興味深かった。大学紛争に
ついては、日本全体が大きな活力を持っていた時代として、小説や
映画で見かけることが多いので、個人的に興味を持っていた。しかし
実際に授業で触れられることはあまりなかったので、今日の授業で、
川村学長や飯島学長の苦闘を通して、この時代について少しでも学
ぶことができてよかった。もっとこの時代について、学んでみたい。
法・ 2 ・男 大学紛争という言葉はよく耳にするが、それが、どういっ
た背景で、また、何に対して学生が抗議していたのか、まったく知らな
かったので、この機会に、それが学べて非常によかった。前回の学長
の話の時にも思ったのだが、大学の学長というのは非常に重要なポ
ストだと思った。政治にしても、企業にしても、改革というのは並大抵
のことじゃないし、先頭に立ってそれをするのは大変なことだとは思う
が、浅原学長にはがんばっていただきたい。
法・ 2 ・男 大学紛争が発生し、病気を理由に川村学長は辞任なさ
れたが、相当苦労したと思う。今の学生は当時のように活動力がある
人はほとんどいないため、どのような感じだったのかわからないが、話
を聞くとなんとなく想像できる。ただ、当時のおかげで現在のような学
校生活が送れており、今は過激な学生が少ないのだと思う。大学紛
争まっただ中に就任された飯島学長もかなり大変だったと思う。しか
し、その中でも広島大学の問題点を指摘し、改革を行った手腕は素
晴らしいと思う。年齢は関係ないのだなと思った。
法・ 2 ・男 今回は広島大学のトップである広島大学学長について
知らないことだらけでしたが いろいろと知ることができとても参考にな
りました。正直なところ 広島大学の学長に関してまったく興味があり
ませんでしたが 授業を受けてみると自然に興味が湧いてきました。こ
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総 合科目「広 島大学の歴史」実施 報告書 2009
れは毎回の授業に言えることで 授業前に興味がまったくなかった事
柄であっても 授業後には「もっと知りたい」と思うようになります。今回
の授業で言えば 広島大学の学長だった牟田先生についてもっと知
りたいと思いました。現在は福山大学の学長になられたということで
複数の大学の学長になるということは本当に偉大な方なんだなと感じ
ました。
法・ 2 ・男 今回は学長たちの横顔(2)ということで、前々回の講義に
続き様々な学長のことを知ることができた。特に今回は、大学紛争の
時代に学長を務められていた方たちについてだったので、とても大変
な思いをされた方たちについての話を行くことができました。大学が、
急激な社会の変化についていけなかったことで起きてしまった大学
紛争によって、当時の川村学長が辞任してしまったと知り、それほど
までに激しい運動だったんだと感じました。その後に就任した飯島学
長や周りの人々が、改革を行い社会の変化について行こうと努力し
たことで、現在の広島大学の基礎が築かれたんだと思いました。
法・ 2 ・男 中学校や高校のころは、校長先生の顔や声、考え方ま
で見知っていましたが、大学生になってからは違いはありますが、近
い存在である学長のことは、入学式のあいさつの時くらいしか見たこ
とがありませんでした。学部長すらもかろうじてわかる程度の僕には、
学長の経歴や今目指しているものなんてわかりませんでした。しかし
話を聞いていると、学生運動が盛り上がっていたときに活動が激しか
ったであろう広大に就任し、乗り切ったと聞いてすごい人なんだなと
思いました。こういう時代は本当に大学は今とは全く違った色だった
んだろうと実感しました。
法・ 4 ・男 前回に引き続き学長の紹介が中心と予想していたが、中
身は大学紛争が主で、良い意味で裏切られた。大学紛争に関しては
安田講堂の占拠や、広島大学の移転などわずかかつ断片的な知識
しか持っていなかったので非常に興味深かった。講義を通じて、広島
大学の移転は決して広島市民の抗議のみが原因ではなく、点在して
いた学部を集中し、総合大学としての発展を展望していく上で、立地
上の問題も絡んだ様々な要素からなっていたことを知った。物事を多
角的に見ることの重要性を再認識した。
理・ 2 ・女 今まで大学紛争というものをよく知りませんでしたが、今
回の講義でその原因や内容が分かりました。東京大学の事件は何度
かテレビ番組で見たことがありましたが、その事件が原因で広島大学
のような他大学も大学封鎖などの強行な手段を取り始めたことは知り
ませんでした。そのような状況の中で、学長は大きなプレッシャーを受
けたと思います。飯島学長においては、その重圧の中で就任 2 日後
に改革委員会の設置など正しく尽力をしたように感じました。不完全
な改革と言われていましたが、大学は確実にいい方向に動いたと思
います。これから大学の制度を変えるような機会があるか分かりませ
んが、そのときはよりよい広島大学になってくれることを願います。
理・ 2 ・女 まず、今回の講義で何よりも印象的だったのは「大学紛
争」についてのないようである。というのも、私が広島大学への入学が
決定した際に高校の先生方が口を揃えて「広島大学はいまだに学生
運動が残っているから、巻き込まれないように注意しなさい」というよう
なことを言っていたからだ。しかも、教頭先生が広島大学の卒業生で、
先生が在学中に大学紛争が起こり、機動隊による突入を受けたとのこ
とだった。先生は運動に関係していなかったらしいが、毎日のように
講義が休講になり、本気で卒業が心配だったと聞いたことがある。こ
のようなことを耳にしていて、実際に講義の中で当時の写真を見て、
ほんのわずかな部分ではあるが大学紛争というものをより知り、今の
学生と当時の学生の違いを強く感じた。やはり今よりも時代的に不満
が多い環境であったことと、強く望んで入学してきたことがあってか、
良く言えば行動的だと思った。今の学内に、このような強く明確な意
思を持って何かに取り組む人がどれだけ居るのかを考えると、大学全
入時代は若者の意識やモチベーションを下げてしまうような時代であ
るとも思う。そうは言っても、今の広島大学は、その運動を起こした人
たちや、運営をしていた学長を含む大学職員の皆さんの働きの上に
成り立っているものである。当時の学長の立場を考えると、私だったら
何も出来ずにうろたえるしかないが、そこを乗り越えた力はさすがだと
感じる。これからも変化を続けていく広島大学のこれまでの歴史とこ
れからにますます興味と期待を持った。
理・ 2 ・女 今日の講義は、学長たちの横顔(2)ということで、この前
の講義と同じ様に、過去の学長さんについて学びました。特に、飯島
学長は、就任年齢も他の学長たちよりもずいぶん若く、名古屋大学
出身で、名古屋大学の教授時代にも広島大学長に当選していたこと
を知り、驚きました。また、今回の講義プリントで、一番印象に残った
言葉は、「広島大学は中途半端」という言葉でした。それは、私も思っ
たことがあって、とても共感しました。しかし、この授業をとったことによ
って、今の広島大学は、下手な旧帝国大学よりも素晴らしいと思える
ようになりました。今回の授業で、飯島学長さんについて学べて良か
ったです。
理・ 2 ・女 今回の授業は学長の学歴と大学紛争についてでした。
大学紛争に関して思ったことは、大学紛争とは最初僕は大同士の受
験争いみたいなことかと思っていました。しかし、実際は大学側と生
徒もしくは親のあらそいであって、それは学費に関してだったり学士
生協であったりしたことをはじめて知りました。少し思ったことは、いま
広大のスペイン広場でやってる全学連の人達のはなしも他の大学の
この大学紛争についてだったんだと思いました。
理・ 2 ・女 この前も大学紛争っぽい授業だったけど、今回はより具
体的に学べたので、現在の広島大学ができたのは多くの人々が苦し
みがあったからこそなんだと実感した。川村学長のようにストライキを
されて辞任をしてしまったというのが納得いくぐらい、ストライキをされ
ては学長も相当な苦労をしたと思うが、自分たちで強い意思を団結さ
せ、ストライキをする学生たちも今の生活をすんなり受け入れて生活
している自分からしたらまったく想像もつかない。自分たちの日常生
活に疑問を感じ、こうであるべきだという強い意志をもって一途に努
力することも大切なんだと思った。
理・ 2 ・女 私達は、自分たちの学長についてほとんど無知な状態
に近いと思います。だから、またこのように学長について学べる機会
があったので本当に嬉しく思います。歴代の学長は統合移転問題や
学生紛争などで様々な人々と戦ってきています。そして、常に私達学
生の生活や教育に最もふさわしい環境について考えてきてくれたこと
がよく分かりました。今こうして、私達が不自由なく勉強できる環境に
いられるのは歴代の学長達のおかげということをしっかりと心に刻み、
もっと勉学に励むべきだと私は思いました。そして、これからも広島大
学が向上するように努め、学長たちの期待にしっかりと応えていきた
いと思いました。
理・ 2 ・女 今回の授業では、広島大学の学長についてと、大学の
過去のあった改革、またそれに伴う大学紛争についての学習をしまし
た。今でこそ、あまり大学紛争というものを目にすることはありませんが、
今回の授業のおかげで、大学紛争がいかなるものかということをしる
ことができたので大変ためになる授業であったと思います。また、今
回の授業では、学長といっても、飯島宗一と浅原利正について重点
を置いて学習しました。自分が今、在学する大学の過去を知ることが
できたので、よかったです。
理・ 2 ・女 私は毎朝広島市内から毎朝電車で通っているのですが、
その通学時間の長さからいつも霞キャンパスの人間をうらやましく思
っています。広島駅に新球場じゃなく新キャンパスを造ってほしかっ
たと何度も思いました。しかしキャンパスの移転をした理由を見てみる
といくらか納得できました。文系と理系という考え方の違う 2 つの人間
が 1 つのキャンパスで語り合い、学ぶことはお互いにいい刺激となる
し、複数の学校が統合してできた大学であるが故に起こった学力格
差問題の緩和にちゃんとつながっていると思います。
理・ 2 ・女 なぜキャンパスが東広島に移転したのか、なぜ大学紛争
が起こったのかなど、ずっと気になっていましたが、今回の講義で謎
が解けました。また、飯島学長の紛争への対応はとても好感が持てま
した。移転させたことで紛争やカルトの巣窟は完全になくなりつつあり
ますが、その分市内から離れたことによって、交通の便が不便になり、
いろいろなことを経験できる施設も近くにないことで、他の大学に比
べると少し不利な面もあると感じます。
理・ 2 ・女 今回の講義は、学生紛争のことについてふれていて興
味深かった。学生紛争はよくテレビで過去を振り返るときにでてくるけ
ど、よく知らなかったので今回の話を聞くことができてよかった。学生
紛争は東大だけだと思っていたけど、広大でも大きな紛争があったこ
とに驚いた。でも、広大の学長は武力で解決するよりも話あいで解決
しようと努力していて、いい学長がいたんだなと思った。意見を主張
することも大事だけど、話し合いで解決するのが大人のやり方だと思
った。
理・ 2 ・男 今回の講義は、学長がどのようなことをしてきたかを解説
すると思っていましたが、実質大学紛争と大学改革についての講義
だったことは意外でしたが、とても興味深い内容でした。大学紛争と
いうのは聞いたことがありましたが、どのようなものであるかは全く知り
ませんでした。いままで大学生か暴れた、というイメージでいい印象を
持っていませんでしたが、講義を受けて、大学紛争によってより良い
大学に向かっていったと理解したので、大学紛争は必要な物であっ
たのでは、と考えました。
理・ 2 ・男 比較的最近にストライキなどの大学革命がこの広島大学
で行われていたということは今では想像もつかなかった。大学をつく
っていくという事はその時勢を考えたり地域を考えたり、いろいろと解
決しないといけないことが山積みなので学長の責任や能力がとても重
要だと感じました。いろいろなことがあって西条にキャンパスがあると
いうことなので田舎なのにも我慢しないといけないと思いました。
理・ 2 ・男 学長達の話と言うよりは、その話もあるが、広島大学の発
展、学生運動とともに、その当時の学長がどう動いたか、等について
の話がメインであった様に感じた。一昔前は、大学といえば、過激な
学生運動が盛んで、警察が学内に突入してくるのも日常茶飯事であ
った、というような印象があった。確かに、盛んだったのだろうが、一部
の学生が精力的に活動をし、それ以外の学生は巻き込まれていたの
だという印象に、今日の授業でなった。そして学生運動が盛んになる
と、当然学長としての仕事は増え、当時の学長達の頭を悩ませたの
だろう。体調を崩したりも、多かったのではないだろうか。それが原因
で学長を退任したのも、不思議な事では無かった様に感じる。当時の
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学長は、現在の学長も忙しいのだろうが、そのような悩みを常に抱え
ていたのだろう。そんな時代があったからこそ、大学も大学自身を見
つめ直し、よりよい環境に生まれ変わっていったのだろう。
理・ 2 ・男 今回の講義を受けて、一番印象に残ったのは東大での
学生と機動隊の衝突だった。今では全くもってそんなことは想像でき
ないので、印象的だった。もし今その当時のように東大で大規模なデ
モ活動?が行われたら、全国に飛び火するのかと思った。また、昭和
44 年の事件で、今の広島大学のシステムが確立されたのかと思った。
今ではそういった活動をしている団体は、広島大学では全学連ひと
つだが、当時は数団体あったと言うのを聞いて、そんなに活動が活発
だったのかと言うのと同時に、今では学生も納得の良く大学になった
んだと思った。
理・ 2 ・男 飯島宗一学長は他の今までの学長とは違い就任年齢が
他の人が 60 代なのにもかかわらず 46 歳と若く、学部長や評議員の
経験もなく、名古屋大学教授時代に広島大学の学長に当選したのに
もかかわらず辞退したという略歴を持つ人物であると知った。僕はな
ぜ今までとは年齢も経歴も全く異なる人が学長に選ばれたか不思議
でたまらなかった。また、昭和 47 年の時点では広島大学ではいきな
り工学部などに属すのではなく全員が教養部に属したのちに各学部
に分かれるという今とは全く異なる形であったのには驚いた。僕は今
の形体のほうが好きである。
理・ 2 ・男 今日の講義は、学長たちの横顔の第 2 回目でした。私
がいちばん印象に残ったのは、大学紛争についてのことでした。バリ
ケード構築であったり、大きな石を投げたりとそのスケールの大きさに
驚きました。ストライキなども起こしたりと更に驚きでした。また、大学の
格付けや格差が生じることや一般教育などが問題なのだと知りました。
大学生協が、学生のことを考えて設置されたというのはとてもありがた
いことだと思いました。今後も飯島学長のように生徒の不安を取り除く
学長で溢れてほしいです。
理・ 2 ・男 大学紛争という言葉はほとんど聞いたことがなく、今回の
講義ではじめて詳しく知ったという部分が多かった。今問題になって
いる団塊の世代の定年など、トラブルが多いのはこの世代なんだと思
った。大学進学希望者が増えれば大学も対策を打たなければならな
いが、それに伴って学費を上げるなんてやることがせこい。学生の反
感を買うのも当たり前だと思った。飯島元学長の統合移転について
発言を読んで、この広い広島大学のキャンパスが大学紛争対策だと
知り、少し複雑な気持ちになった。でもそのお陰で広々とした環境で
学べるのだから、悪い気はしないが。
理・ 2 ・男 講義室の空気が非常に悪く、頭痛や吐き気といったこと
が起きた。だから、カーテンを閉めるといった前提よりも、空気の循環
を意識するべきだと考えた。あの人数ではとてもじゃないが集中でき
ない。講義の内様は推測どおり、前回同様であった。広島大学は、と
てもすごいと思われるほどの経歴を持っているひとが多いので自分も
教授になるためには、相当な努力が必要だと思いました。そう思った
人は自分以外にも大勢いると思います。
理・ 2 ・男 今回の講義の中の 1 つにどうして広島大学が広島市や
福山市から西条に移転したのかというものがありました。その背景に
は全国でも大きな広島大学の大学紛争がありました。当時の写真を
交えながら説明していただいてとても分かりやすかったです。私が想
像していた以上に広島大学の大学紛争は激しいものでした。この大
学紛争により大学改革が必要となりその 1 つとして大学の移転が行
われたというもにでした。その地になぜ西条が選ばれたのかが気にな
りました。
理・ 2 ・男 2 回前くらいに学長の紹介をやって今日は二回目となる
わけだが、前回とは違って今回は学生運動の内容も組み込まれてい
て、以前よりは同じ学生として興味深く授業を聞くことができた。総合
科学部内の学生会議であれだけの学生が集まって教授たちと意見を
交わし、大学の改善のために、真剣になっていた広大の背景を見る
ことで、昔の学生はすごいと感じた。今ではそんなことありえないけど、
それがいいことなのか、悪いことなのかそれは疑問が残る。
理・ 2 ・男 今回の授業は、前回のひきつづき歴代の学長を学のと、
大学紛争を学んでいくのが主に取り上げられていました。僕は最初に
大学紛争とは、大学同士が争うものだと思っていたのですが、それと
は違いバリケードなどを張った学生が大学側に求めるものであったの
は初めて知りました。また大学生協はもとからあったのではなく、学生
のために商品を安く買ってもらうためにあるのを初めて知りました。今
の大学は様々な歴史のもとあったのだなと改めて知りました。
理・ 2 ・男 大学紛争について学びましたが、当時のストライキはひ
どかったのだなと思いました。そして、この広島大学(当時は市内キャ
ンパスであるが)でも学生ストライキがあったからこそ、今、充実した大
学生活が送れているのだなと思いました。そして、大学改革について、
広島大学は他の大学と比較すれば改革は進んだのだなと思います
が、しかし、個人的にはちょっと中途半端に終わってしまったのでは
ないかなと思いました。自分自身、別の分野にも興味が出てきており
まして、講義中、別の分野の大学院で学べたらいいなと思ったりもし
ましたが、実際は可能生が低そうで、少し残念でした。最初にも述べ
ましたが、やはり今のキャンパスライフがあるのは、学生運動、学長さ
ん、教職員、地域の方々のおかげなのだなと思いました。
理・ 2 ・男 大学紛争は当時の大学生たちのそれぞれのいろいろな
気持ちが交錯して起きたものだと私は思う。たしかに運動が激化して、
東京大学のように大学構内にたてこもったりして警察と戦うという方法
とったことはいいとは思わないけれども、自分達の考えや主張を大学
関係者に受け入れてもらおうとした結果であると思う。また、大学紛争
と呼ばれる運動を起こしたことによって大学側にも改革をしようという
流れが生じて現在のような自由で生活環境が整った大学に変化して
いくことが可能になったのだと思う。
理・ 2 ・男 今回の講義はどちらかというと、大学紛争がメインだった
と思う。そのため主に飯島学長の話になっていて、他の学長のことに
ついていまいち情報を得られなかった。しかし、大学紛争が広島大学
でもあり、それもとても大きな規模だったというのは初めて知ったため
自分にとっては広島大学の歴史を知る上でとてもためになった。広島
大学も東大などのように安易に学費を上げようとしたために大学紛争
が起こってしまった。しかも、大学側は途中まで学生たちとの話し合
いを拒否し、学生たちの気持ちを逆撫でする形になり、結局東大の
時のように機動隊等を使って押さえ込むはめになってしまった。広島
大学はなぜ東大の教訓を生かせなかったのだろうか。学生たちは別
に話し合いをもちかけてきているだけで、暴力等を使って脅している
わけでもなかったのに、唯一の交渉手段をなぜ大学側は断ったのだ
ろうか。その点においては飯島学長は勇敢であったし、とても積極的
だったと思う。だからこそ学長に選出されたのだろうが、この学生たち
との話し合いの場をつくったことによって、各学部などの教師や大学
側も他人事ではなく強い意識をもって考え始めたのではないだろうか。
広島大学の統合移転は成功したのだろうか、失敗だったのだろうか。
「各学部に大学院をおき、専門の研究を深めつつ学問研究の統合性
を重視する総合科学的な分野の確立」を目指したわけだが、現状を
見る限りでは、学部間のより密接な協力はまだ少ないようだ。広島大
学は 1 年生のうちは、学部関係なく総合科学部で一般教養を学ぶ。
さらにパッケージ科目や総合科目も同じである。これらでも特にパッケ
ージ科目や総合科目は学部を超えての学問研究の統合性を図ろうと
設けられたものなのだろうが、いきなりの講義にはとまどいを感じるし、
文系の学生がいきなり理系科目をされて理解できるのだろうか。逆も
また同じである。特に、大学の講義は専門性がどれも高い。なおさら
理解するのには多大な努力がいる。これらの講義をしないよりは、学
生の興味・関心を引き立たせて新たな学問へ進む選択性を広げるの
かもしれないが、中途半端さがおそらく完全に学部間の格差をうめる
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