Title 金沢大学写真で見る50年 : Kanazawa University Author(s) 金沢
by user
Comments
Transcript
Title 金沢大学写真で見る50年 : Kanazawa University Author(s) 金沢
Title 金沢大学写真で見る50年 : Kanazawa University Author(s) 金沢大学創立50周年記念事業後援会写真集編集委員会 Citation Issue Date 1999-08 Type Book Text version URL http://hdl.handle.net/2297/3348 Right *KURAに登録されているコンテンツの著作権は,執筆者,出版社(学協会)などが有します。 *KURAに登録されているコンテンツの利用については,著作権法に規定されている私的使用や引用などの範囲内で行ってください。 *著作権法に規定されている私的使用や引用などの範囲を超える利用を行う場合には,著作権者の許諾を得てください。ただし,著作権者 から著作権等管理事業者(学術著作権協会,日本著作出版権管理システムなど)に権利委託されているコンテンツの利用手続については ,各著作権等管理事業者に確認してください。 http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/ CHRONOLOGICAL TABLE OF KANAZAWA UNIVERSITY 1960∼1970年 金沢大学の動き 地域社会の動き 1960 (昭和35 ) 年 1960 (昭和35 ) 年 4月 金沢大学看護学校、医学部附属看護学校と改称。 5月 安保、金大生1,000 名が集団デモ。 6月 香林坊・片町で、金沢大学教員120 名がデモ行進。 1961 (昭和36 ) 年 9月 金沢大学学長に、石橋雅義就任。 11月 大学体育館落成。 1962 (昭和37 ) 年 2月 教養部2号館の火災で、同館半焼。 4月 E.O.ライシャワー駐日大使、大学で講演。 5月 附属小学・中学・高校の新校舎完成。 11月 医学部創立100 年記念式典挙行。 1963 (昭和38 ) 年 4月 大学院理学研究科設置。 1964 (昭和39 ) 年 2月 工学部実験校舎火災。 化学工学・電気工学科の12研究室等焼失。 4月 大学院薬学研究科・結核研究所附属病院・教育学部附属養 護学校設置。 4月 教養部、第1回学部会開催。 1965 (昭和40 ) 年 4月 大学院工学研究科設置。 1966 (昭和41 ) 年 3月 大学学生会館新築工事完了。 4月 理学部附属電波物性研究施設設置。 12月 大学本部庁舎新築工事完了。 1967 (昭和42 ) 年 3月 北溟寮棟新築工事完了。 4月 理学部附属植物園設置。 6月 県下で安保改定阻止全国統一行動、金沢駅がスト拠点。 1961 (昭和36 ) 年 4月 金沢市内のタクシー争議、相次ぐ。 11月 犀川総合開発事業開始。 1962 (昭和37 ) 年 3月 室生犀星が72歳で死去。 6月 北陸トンネル開通式挙行。 11月 白山、国立公園に指定。 1963 (昭和38 ) 年 1月 豪雪で県内大被害(38豪雪) 。 2月 中西陽一が県知事に、徳田与吉郎が金沢市長に、当選。 1964 (昭和39 ) 年 5月 北陸自動車道建設決定。 7月 北陸集中豪雨、大被害。 10月 オリンピック東京大会開催。 12月 富山―大阪間の特急電車 「雷鳥」と、富山―名古屋間の特急 電車「しらさぎ」が運転開始。 1965 (昭和40 ) 年 1月 石川県、イヌワシを県鳥に指定。 4月 金沢工業大学の開学式。 8月 金沢で死亡した日露戦争ロシア人捕虜の日ロ合同慰 1966 (昭和41 ) 年 7月 金沢市中央卸売市場開場。 1967 (昭和42 ) 年 2月 大正8年敷設の金沢市内電車全面廃止。 4月 金沢経済大学開学。 1968 (昭和43 ) 年 6月 がん研究所設置。 5月 県中央公園(四高跡地)開園。 9月 金沢大学学長に、中川善之助就任。 5月 加賀海岸・能登半島、国定公園に指定。 1968 (昭和43 ) 年 6月 反戦デモに、金大生ら参加。 7月 金沢大学金沢城学術調査委員会、金沢城址発掘調査開始。 10月 北溟寮生、大衆団交要求。 1969 (昭和44 ) 年 5月 大学法案に反対し、金大生2,000 名が市内デモ。 7月 教養部、48時間ストライキ。 9月 保健管理センター設置。 霊祭挙行。 9月 日大全共闘系学生約1万人、大衆団交。 1969 (昭和44 ) 年 1月 機動隊が東大安田講堂を包囲、全共闘学生を実力排除。 2月 金沢に小松基地F104 ジェット機墜落し、大被害。 3月 第四高等学校本館、重要文化財に指定。 1970 (昭和45 ) 年 5月 河北潟干拓式挙行。 11月 金沢港開港。 10月 法文学部文科自治会、1ヶ月間スト。 11月 教養部、大衆団交。 12月 医学部、1ヶ月間スト。 1970 (昭和45 ) 年 1月 医学部自治会の学生大会で、ストを1ヶ月間延長決定。 一方、法文学部文学科はスト解除、授業再開される。 2月 井上剛教授が法医学試験を強行しようとして、医学部自治 会試験妨害。 3月 がん研究所、臨時教授会に教官・院生等が団交を要求した ため散会。以後、1974 年12月まで教授会開催されず。 10月 工学部創立50周年記念式典挙行。 東京オリンピック聖火リレー 62 第三章 Ⅰ. Ⅰ. 青春の怒り・ 青春の怒り・汗・抗議 昭和30年代後半から10年間、 その時期に金沢大学で青春を送 った者には、安保・38豪雪・ 「大学 紛争」、そのどれをとっても強烈 な記憶の一ページである。 安保の街頭デモは学生がその 先頭をきったが、やがて教授先生 方も参加した。東京・国会議事堂 前で樺美智子さんが亡くなると、 喪章を付けた「全学スト」が行わ れて学内は騒然となった。「国鉄 全国ゼネスト」では金沢駅構内に 座り込んだりもした。 3-1 医学部学生のデモ(南町)(3-1) 3-2 教授団の街頭デモ(3-2) 3-3 3-5 60年安保(樺美智子の死に抗議)(3-5) 3-4 薬学生のデモ(3-3/3-4) 3-6 樺美智子全学抗議集会(3-6) 63 政治の季節から一転して、日米 新時代が謳われて親日家のライ シャワー大使が活躍、金大も訪問 した。しかし、38豪雪から長期 間の「大学紛争」へ、一時的に学内 は荒廃したが、教職員、学生とも どもさまざまな教訓を得た。も ちろん、その合間に講義・演習・ 実習、そして中川学長の特別ゼミ といった貴重な学生生活も経験 した。 ライシャワー大使の来学 (3-7) 3-7 3-9 教育学部より石川門を望む(3-9) 3-8 38豪雪 金沢市内(3-8) 3-10 教養部校舎の雪下ろし(3-10) 3-11 38豪雪に埋まった医学部の建物(3-11) 64 3-12 38豪雪で附属高校の旧校舎が倒壊(3-12) 3-13 法文学部の建物内部に吹き込んだ雪(3-13) 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅰ. 青春の怒り・汗・抗議 3-14 3-15 法文学部の授業風景(3-14/3-15) 3-17 3-16 美術教室の実習(3-17) 卒論発表会の模様(3-16) 3-18 旧四高講堂 最後の卒業式(3-18) 3-19 理学部仙石町校舎工作室の閉室(3-19) 薬学部クラス会(3-20) 3-20 65 3-21 工学部化学工学科実験風景(3-21) 3-22 3-23 3-25 医学部 なつかしい卒業試験(3-25) 3-24 3-26 しらゆり会の発足(3-26) 医学部百年祭(3-22/3-23/3-24) 3-26 インターン闘争 (医学部) (3-27) 3-27 66 3-27 3-27 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅰ. 青春の怒り・汗・抗議 3-28 3-29 大学立法反対集会(教職員)と教育学部の見解(立看) (3-28/3-29) 3-30 全学集会(3-30/3-31) 3-31 デモ隊と機動隊(3-32) 3-32 昭和41年4月全学抗議集会(3-33) 3-33 67 3-34 全学集会(3-34/3-35) 3-35 3-36 3-37 封鎖解除後の教養部長室(3-36/3-37) 3-38 教室封鎖と除外された解剖実習(3-38) 3-39 中川学長と大日研究所での法科生特別ゼミ(3-39/3-40) 68 3-40 第三章 Ⅱ. 校舎などの移り変わり 校舎などの移り変わり 金沢大学の施設整備の始まり は、戸田正三初代学長の城内整備 計画によるもので,広坂キャンパ スにある理学部を世界的水準の研 究ができるように城内へ移転し、 城内に各部局の鉄筋3・4階建、白 亜の新校舎を建設するといういわ ゆる「新金大構想」が発端となり、 昭和37年度から4ヵ年計画で城内 キャンパス施設整備が行われた。 また、医学部、同附属病院、薬学 部、工学部についても時代の要請 から、順次木造校舎から鉄筋コン クリート建の校舎に整備された。 3-41 木造校舎時代の城内キャンパス(3-41) 3-43 校舎の整備が終わった城内キャンパスの全景(3-43) 3-42 理学部・広坂キャンパスの全景(旧四高の校舎跡)(3-42) 理学部・広坂キャンパスの配置図 (旧四高の校舎跡)(3-45) 3-44 3-45 木造校舎時代の 城内キャンパスの配置図(3-44) 校舎の整備が終わった 城内キャンパスの配置図(3-46) 3-47 旧金沢城の絵図面(宝暦の頃)(3-47) 3-46 69 3-48 昭和20年代の宝町キャンパス(3-48) 3-50 施設整備が終わった医学部と薬学部の校舎(3-50) 第一次施設整備が終わった 宝町キャンパス(3-49) 3-49 3-51 未整備のころの宝町キャンパスの配置図(3-51) 70 3-52 施設整備が終わった宝町キャンパスの配置図(3-52) 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅱ. 校舎などの移り変わり 3-53 未整備のころの工学部キャンパスの配置図(3-53) 3-54 施設の整備が終わった工学部キャンパス(3-54) 3-55 施設の整備が完了した工学部キャンパスの配置図(3-55) 3-56 理学部の城内キャンパスへの移転決定と、これにより城内部局の施設整備が着手されること を報ずる新聞記事(3-56) 3-57 一般教養部(教養部の前身)の木造校舎(3-57) 3-58 新装なった教養部の校舎(3-58) 71 3-59 法文学部校舎(1号館)の木造校舎(3-59) 3-60 新築なった法文学部の校舎(3-60) 城内に端正な姿を見せる 新しい法文学部校舎の遠景(3-61) 3-61 教育学部の木造校舎(3-62) 3-62 新築なった教育学部の校舎(3-63) 3-63 72 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅱ. 校舎などの移り変わり 広坂キャンパスの理学部本館(伝統ある旧四高の赤レンガ校舎)(3-64) 3-64 3-65 3-66 これまで金沢大学のいろいろな行事が行われてきた広坂キャンパスの 理学部講堂(伝統ある旧四高の校舎)(3-65) 城内キャンパスで新装なった理学部の新校舎(3-66) 3-68 新築された学生会館と厚生会館(3-68) ビザン 3-67 城内の旧学生食堂前(尾山食堂)の風景(文化部の部室の前身) (3-67) 73 3-69 旧軍隊の師団司令部跡に設けられた本部庁舎(3-69) 3-71 新装なった中央図書館(城内) (3-71) 3-72 38豪雪の中、建設の進む法文学部校舎(3-72) 3-70 新築なった本部庁舎(3-70) 3-75 工学部化学工学科の火災を報ずる新聞記事 3-74 3-73 教養部の火災を報ずる新聞記事(3-73) 74 薬学部の火災を報ずる新聞記事(3-74) (3-75) 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅱ. 校舎などの移り変わり 整備が完了した宝町キャンパスの全景 (3-76) 3-76 3-77 3-78 木造時代の医学部附属病院の前景(正面玄関)(3-78) 木造時代の医学部本館(旧金沢医科大学の本館) (3-77) 3-80 改築が終わった医学部附属病院の前景(3-80) 3-79 新装なった医学部校舎の前景(3-79) 75 3-81 薬学部校舎起工式で鍬入れを行う戸田学長(3-81) 3-82 工事中の薬学部校舎(3-82) 木造時代の薬学部校舎(3-83) 3-83 完成した薬学部の校舎(3-84) 3-84 76 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅱ. 校舎などの移り変わり 3-85 木造時代の工学部本館(旧金沢工業専門学校の本館) (3-85) 3-87 工学部キャンパスの施設整備の起工式(3-87) 3-88 鉄筋化に逐次整備されていく工学部の校舎群(3-88) 3-86 木造時代の工学部校舎(3-86) 3-89 がん研究所の前景(3-89) 77 第三章 Ⅲ. キャンパス点描 キャンパス点描 その1 −授業風景 その1−授業風景 大学での学生生活は、入学式に 始まり卒業式で終わる。この間 には学部教育での教養教育や専 門教育の中で講義、ゼミ、実験・実 習、そして卒論等々。 また大学院では学位を得るま での試行錯誤で苦労した研究な ど、楽しかったことや苦しかった ことのいくつもの想い出がある。 ここでは「授業風景」に焦点を当 てて大学生活の想い出を振り返 ってみた。 3-90 文学研究科のゼミ風景(3-90) 3-91 次の法曹界を担う法科生の「模擬裁判」 (3-91) 3-93 教育学部の実習風景(家政) (3-93) 3-92 経済学部 留学生も加わったゼミ(3-92) 78 3-94 理学部の講義風景(3-94) 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅲ. キャンパス点描 その1 −授業風景 3-95 理学部数学科のゼミ風景(3-95) 3-96 木羽敏泰先生の作詞作曲による「理学部化学科の歌」(3-96) 3-97 理学部の実験風景(3-97) 3-98 理学部化学科の実験風景(3-98) 3-100 なつかしい旧教養部の化学実験室(城内キャンパス)(3-100) 3-99 理学部臨海実験所の全景(3-99) 79 3-101 人体の神秘に初めてふれる解剖学実習(3-101) 3-102 解剖の所見図(3-102) 内科の臨床実習(3-103) 3-103 麻酔科のベッド・サイド・ティ ーチング(BST) (3-104) 3-105 スノウの麻酔用吸入器(3-105) 3-104 80 第三章:安保・豪雪・スト ― 激動の回顧 Ⅲ. キャンパス点描 その1 −授業風景 3-106 3-107 薬学実習の模様(3-106) 薬学実習の模様(3-107) 3-108 工学部の実験風景(3-108) 3-109 工学部 留学生と共同作業(3-109) 高校生に法学のおもしろさを講義(3-110) 3-110 3-112 3-111 理学部見学会で 未来の科学者の真剣なまなざし(3-111) 理学部の高校生見学会(3-112) 81 第三章 Ⅳ. Ⅳ. 環日本海の総合研究を目指して―日本海域研究所 日本海域研究所は、昭和42年 に広く学内外の研究者が利用で きる共同利用の学内研究組織と して設けたもので、日本海域の自 然、国際的視野に立つ日本海周辺 地域の文化史と経済・政治の研究 を内容としている。環日本海時 代を迎えた今日、わが国、特に日 本海地域の学術文化、産業経済の 発展にその貢献が期待されてい る。 3-113 研究の集大成 日本海域研究所報告書 創刊号と最新号(3-113) 「日本海域国際フォーラムin金沢」の開催 ナホトカ号の重油流出事故がもたらし た環境問題などについて討議 (3-114/3-115/3-116) 3-114 3-115 82 3-116