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第三章
労働法の諮領域にかける運動の課題
わが国の労働法は、多様な法律・政令・条例などの形で制定されている。しかし、内容的には
体系化している。大まかにみると、①、労働市場の調整をねらいとする法(職業安定法、失業保険
法、職業訓練法等)、②、労働条件の基準を定立し、労働力保護(経営者間の公王競争の条件を作る意
味もある)をねらう法(労働基準法、最低賃金法等及び附属政令規則)、および、③、労働者の団結およ
ぴ団体行動を基礎として、労使の集団的関係を助成し規制することを目的とする法(労働組合法、
労働関係調整法、公共企業体等労働関係法など)の領域にわかれる。労働組合としていずれの領域に
ー
j労働法の深 層にある失業 │ │
対しても、関心をもつべきことはいうまでもない。
失業対策の促進について
気にもならず負傷もしないでいても、停年には失業と対面することになる。なるほど、通産省と
大体、 資本主義社会では 、労働者は失業と いう問題から自由 ではな いのである。 運がよくて病
1
40
か国鉄とかの役所関係や、あるいは巨大独占資本のもとで働いている労働者の中には、停年後に
民間企業でひろってもらったり、下請会社へ横すべりする可能性のあるものは何パーセントかは
いるだろう。また、停年退職金でアパートを作って食ってゆくものもいるかもしれない。年金制
のあるところは、半ば子の世帯におんぶしながら、何とか細 々と食いつないでゆけるかもしれ な
い。だが、細 々と生きてゆくというのは 、就 業の中へ失業が浸透しているようなものである。
中小企業の労働者にいたっては、企業の不安定性と低賃金の上に、退職金もないとあれば、失
業の不安は深刻なものとなる。大企業でも病気にでもなると 、休職か ら失業への道をたどり、窮
乏に追いこまれる。この失業の可能性は、就業労働者にとっては、解雇の可能性として現実的な
圧力となるのである。労働者が失業の可能性からとまでゆかなくても、失業中の生活窮乏の可能
性から解放されれば、労働条件について使用者と交渉する上に、はるかに多く自由をもつことが
できるだろう。客観的ないい方をすれば、失業労働者の生活保障、雇用の創出、労働力需給の調
整(職業訓練をもふくんで﹀がゆきとどけば、労働条件の一般的向上も期待されるということにな
る。逆に、窮乏した労働者あるいは半失業者の大群がいるかぎり、就業労働者の労働条件の向上
は、抑制をうけるということである。してみれば、就業労働者が組織している組合であっても、
失業労働者の問題は自己自身の問題だと思わねばならない。だから、労働市場調整について、国
家がどのように対処しているか!l立 法 ・ 行 政 ー ー と い う 点 に 深 い 関 心 を も つ べ き は 当 然 で あ
4
1
労働法の諸領域における運動の課題
第三章
O
整、生活保障の充実を要求すべきである。しかし同時にまた 、連合体であれ、産業別の組織がで
題をもっと本気になって採りあげ、今日の段階では、当然にまず国家に対して、雇用の創出、調
組合の関心をひかない傾向をもっ。しかし、組合が労働者階級の組織だというからには、失業問
から、失業者の問題はいわば組合外の問題のようにみえて、失業保険制度や職業あっ旋制度が、
すれば解雇されたものは組合から去り、就業するまで組合の金で飯を食わせろとはいわない。だ
てゆくが、依然として失業者は組合にはいない。組合は解雇反対をやるけれども、闘争が一段落
雇されると組合からも自然脱退してしまうのが常態であり 、企業整理のあるごとに組合員は減っ
国の企業別組合では、会社の従業員たることが組合員の資格要件となっているので、会社から解
ては、失業は自分たち組合員仲間の問題だということがピン/とくるのである。ところが、わが
くるのである。だから、このような地域的な横断的組織の伝統をついで発展してきた組合にとっ
る職人も、みな組合員になったわけで、失業組合員が多くなれば組合の共済金があやうくなって
躍にでている職人も、常備で働いてい
働者が団結して作った組合であれば、失業中の職人も、日 一
扶助であり、失業共済金をつみ立てなかった組合はなかったのである。一定地域において同職労
扶助の団体││友愛団体ーーを作ったし、初期のグラフト・ユニオンの主要な機能の一つが相互
もともと労働者は、失業とか災害とかの事故によって働らけないときにそなえるために、相互
る
4
2
きているのだから、使用者団体に対して、産業範囲での視野から失業ないし雇用の問題を念頭に
って首をつっこんできただけに、海員組合は戦後でも日本で唯一の超企業的横断組織として、近
おいて、労働条件基準の定立を考えねばならない。その点で、戦前から職業紹介に深い関心をも
年予備員のプール制の確立をめざして組織内部をかためつつあるし、船主団体との間の協約にお
いてまがりなりにも産業内就業年限通算を基礎とした年金制を獲得し、それをちく次改良する努
力をつづけているのは注目に値するのである。
また、港湾労働者の国際的連帯ストハ国際港湾労働者統一行劫デ!)を背景にして、全港湾が、昭
和三七年三月二七日全国三五港で荷役拒否の二四時間ストをかけて、港湾労働者の低賃金克服と
港 湾 労 働 法 の 制 定 な ど を め ざ す 闘 争 を 展 開 し た こ と を 見 の が し て は な ら ぬ 。 こ の 闘争 は た ん に 失
業対策といったものではなく、近来、港湾の施設や整備にのみ金をかけながら 、しかも 労働力の
d と俗称される日雇労働者の大群が手
不足にもかかわらず、港湾労働者に対しては、労働条件や雇用の安定について何らの配慮をなさ
ない政府や海運資本に対する抗議の運動である o グ風太郎
配師の指図で荷役労働を行っており、労災保険も適用せられないのに、災害発生率は炭鉱と比較
されるという悪条件の下にあるが、未組織に放置されているこれらの半失業状態の労働者の雇用
と生活の問題は、組合員││常備労働者││の低劣な労働条件を克服する問題と不可分の問題と
して、組合は正しく提起しているのである。海辺労働の国際的性格ハ日本港湾の労使関係の封建性に
G
労働訟の諸制械における運動の課題
第三章
もかかわらず﹀や、各国港湾労組のかがやかしい闘争歴のゆえもあって、全港湾の闘争は世界の支
援を受けた。全港湾は一万八千の組合員をふくむ中単産であるが、 ﹁人種、国籍、性別、門地、身
分、宗教、思想、支持政党のいかんを問わず、全日本港湾産業およびこれに付帯する事業の労働
者で組織する﹂(二条)組合であり、 右に該当するものは、﹁宣言、綱領、規約を承認すれば組合
員になることができる﹂(四六条)個人加盟を原則とする組合である。なお企業別を十分克服しえ
ていないが、港湾労働法の制定を契機に実際的にも単一化は強化されるにちがいない。全日海と
全港湾という、運動上は協調にかたむくと闘争的なるとの性格上のちがいのある二単産が、労働
市場に対して特有なしかたでそれぞれ深い関心をはらっている点は、山氏労の政転闘争とともに、
もっと注目されてよい。もちろん、解雇リ失業への関心はいかなる企業別組合ももっているの
だが、それは解雇阻止の一点にしぼられた実践的課題となるにすぎない。ただ、大資本系の強い
H例えば石炭から陽のあたる産業部門 H例えば化学へ)による解決の途をみいだしてい
組合では、肝一
履反対闘争の圧力を背景に、同一資本系列の他種企業への転業(同一資本系統のいわ
ゆる斜陽声業部門
るにすぎない。しかし、この方策は資本別エゴイズム(企業別エゴイズムの拡大したもの﹀を生むこ
とによって、産業別組織の強化にマイナスになる可能性がないわけではないし、また、かかる解
決の方策にはせまい限界がある。三池、宇部興産、日炭高松、杵島など長期闘争の苦しい経験か
ら、炭労が組織をあげて政策転換闘争にのりだしたことは、その意味では括目すべき悲壮な運動
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であろう。
)0
ところが、
私は、 労働運動の主体たる組合は 、失業問題に対 して大 きな視野からもっ とふか い関心 をもっ
ぺきことを 強調 したい 。突は 、憲法は労働経を保障 しているのである︿ 憲法 二七 条
現行の制度は、仕事をうる権利を保障しているわけではない。職安法は職業紹介や職業指導を行
うように、職業訓練法は職業訓練をなすように志すけれど、仕事に就く権利を保障しているわけ
ではない。これらの法律は 資本のため の労働市場調整政策の性格をも つが、労働 権の保障 という
目的はあまり突現しない。さりとて、仕事のない場合の生活権保障を求める権利としての労働権
も、基準と しては 首になったものに対 して 賃金日額の六O パーセ ントハ失業保険法一七条)を半年ほ
)0
この保険給付の費用は、原則とし
0
どの問支給する(同二 O条)程度のことであり、それも受給要件として、離職前一年間に被保険期
間が通算して六カ月以上であることが要求される(同一五条
て四分の一を国家が負担し、のこりを保険料として労使が折半負担するわけだ(同二八条、三二条﹀
ふんしゃ
それでも戦前には失業保険法がなかったのだからいくらかましかもしれぬが、不十分なものであ
る
。 しか るに 、戦後日本の驚具的な生産力の発展も 、実は、解雇や失業者を噴射 しつつ行な われ
てきたので あり 、生 産性 向上といい、技術革新や企業合理 化という ものも 、失 業を解決 しないで
かえってそれを再生 産する 。石炭産業 におけ るような急激多量の人員整理 として打ちだされ る場
合から︿三池闘争が天王山となった)、配置転換とか職種の転換という形でのなしくずし的な整理ま
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5
労 働 法 の 持 領 域 に お け る 遮 却J
の諜題
第三章
で、繁栄の中にも解雇、失業の暗い影にとらわれる労働者がいる。少くも心ある組合員は、職安
ふち
法や失業保険法に限を通しておくべきだと思う。
そもそも、失業の測にまでつながっている労働者生活こそ、労働法の深層だといわねばならな
い。そして、かかる深層への感覚が、曲折しながらも労働法の理論の要素になっているようにも
みえる。組合の除名統制の限界理論、解雇権濫用の理論から、さらにはストライキ中も労働契約
は存続するという通説にいたる数々の理論にも、失業の深刻さという深層の事実が投影している
のであろう。
失業は社会悪そのものである。これに対して、国家こそ最大の責任者であってよい。組合は、
遵守
つ
ミ
レ
w
て
ちかせるのを取締ることは、人道主義や博愛主義からの倫理的な要請でもあったが、何といって
ねば食ってゆけないという労働者の弱身につけこんで、使用者があまりひどい条件で労働者を働
労働法の中でもっとも早く発足した領域は、広く工場法とよばれた労働保護法である。働らか
に
もっと具体的な立法政策を打ちだして国家の責任を追及すべきである。
労働基準
の
労働基準立法の政策と思想
2
4
6
まめつ
も労働者の反抗の激発を緩和し、また労働力の磨滅をふせぐなど資本制生産そのものにとって必
要であったからである。
労働者が団結によって、労働条件の集団的決定をなすことが産業界の慣行となってくると、資
木家階級内部に問題が生ずる。というのは、組合が団交によってきめる労働条件は一般に高い水
準になる。そ して、総じて大資本は組合を相手にせざるをえない。大資本をふくめて組合の手の
のびている企 業は 、高価に労働力を 買わせられること になり、組合員を伎わず、したがって団交
4 の条件として労働基準を定立する
と
によらず、 個別的に労働者を一躍って 、安価に労働力を買っている資本との商品市場での競争で不
利な 立場にたたせられる oそこで資本相互間のグ公正競争
いうこと が、大資本じたいの要求 ともなってくる。そ して、こ の面は国際 市場 における輸出競争
にも関係してくるから、国際的な労働基準の定立と いうことが 、労働組合の発達 した 国i l高 度
資本主義国ー ー から要請されることになる。
はじ めヨ ーロ ッパ諸国の問で試みられた国際的労働基準の定立という動き は
、 第 一次大戦後 、
円。ぽ自門自己。ロ
O
国際労働機関)一の設置にまで進 むこ
日本やアメリカが躍進し、世界市場の競争激化が予想されるにいたって、世界的規模での労働基
0
5
H与
FZEω
は
準の定立をめざすILO(
とになったので ある。労働者保護の人道主義も 、今日では 経済政策の必要 の上に咲くことは、 覆
うべくもないほ ど明らか にな った。そして、かか る経済政策 は
、 労働運動の発展を基盤 とする こ
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7
労働法の諾領誠における運動の課題
第三章
とも否定できないことである。かかる歴史的事実こそ、労働基準の定立をして単に人道主義的恩
恵でないのはもちろん、政策的必要というだけでもなく、それが法的世界に反映して社会正義の
要求として、国家に対し労働者の基本的権利││生存権・労働権のごときーーを保障するにいた
)0
らしめた条件なのである。わが国も第二大戦後、労働者の基本権保障という観点から、労働基準
法を制定したのである。(労基法一条一項
最低慕準の法旨と現実
4 して働いたのであっても、使用者は処罰されるのが
労働基準法は最低の労働基準を定めるものでありハ労基法一条二項)、その線より低い条件で労
働者を働らかすと、たとい労働者がグ同意
原則となっているといってよい。すなわち、労働基準法は、労働者が働く場合に使用者に主張し
うる最小限の権利を国家の刑罰力をもって保障したものなのである。民事法的には、労基法を下
まわる条件で働らく約束をしても条件は無効となり、労基法の線まで引きあげられた条件がそれ
にとってかわるということになる︿同一一一一条)。そして、この最低基準を守らせるために、 一般の
警察官による取締りや民事訴訟による救済のほかに(これらは、実際には労働者にとってあまり利用
)0
価値がないものだが)、労働基準監督署を全国に配置し、監督官の活動による法の実効確保を期して
いるのである︿同九七条以下
4
8
このように労働条件の一般的な最低基準を定立するということは、現実の場においてながめる
と、労働組合に組織せられず、また、労働協約のきめる労働条件基準にも影響されていない労働
者にとって、直接に意味をもつべきものである。いやしくも組合が存在している範囲では、必要
な労働条件については労基法の水準より高い基準を、協約や協定によって定めるようにしなけれ
ばうそである。
たと えば、時間外労働(残業)協定(労基法三六条│三 六協定ともいう﹀のような特殊な場合にの
み行われてしかるべき八時間労働制の例外が、組合のある大企業においてすら半恒久的に行われ
ているというようなことでは、労基法が泣くだろう o
ところが現実には、労基法は泣くにも泣けないほど違反せられている。労働組合の組織せられ
ている企業においてすら、いやそれどころか、大組合のある国営企業においてすらしばしば違反
されている。労基法じたいが設けているいろんな例外や抜けみちもあるわけだが(広義の労働時
間についてはとくにひどい﹀、それらはフルに利用され、労基法の精 神 や趣旨 は骨ぬきされている。
だから逆に、安全闘争、遵法闘争がスト効果をあげることにもなるのである。病的な因果という
ものだろう。
さてそれでは、労基法すら守られていないという事実をどうすればよいのだろう。もとより、
使用者に遵法精神がないから、違反されるにちがいない。その点は大いに指摘すべきである。
4
9
労働法の諸領域における運動の課題
第三章
﹁ホワイトカラーの犯罪﹂に寓する労基法違反は、びしびし摘発されたり処罰されたりはしない
だろうということは、階級的直観からも、経験からも、使用者がとっくに見透して計算に入れて
いるから、違法に対して安易になる。また大企業にすら労基法違反があるのだから、中小企業の
使用者としてみれば、違反は当然だといいたいところだろうし、大企業の方もそれを責めるどこ
ろか、そのような中小企業を下請化することによってますます儲けている。それは公正競争の倫
理 1 11
公正労働基準の尊重を要素とするl
i が、わが国の資本家の社会には根をおろしていない
ということでもある。
しかし、使用者の遵法精神が低いということをいくら非難してみても、口ばかりでは蛙のツラ
に水をかけるようなものだろう。 ﹁基準法通りにやって商売がやれるか、気に入らなきゃさっさ
と出て行ってくれ﹂とひらきなおる﹁おやじさん﹂たちは、はじめから法律はゆきすぎていると
きめこんでいる。大企業では指摘されればいくらか恥部にふれられたような顔をするだろうが、
組合がやかましくいわないときは知らぬ顔で違反をつづける。これは一種の労使アベッグ的違反
ともいえようか。監督行政が弱いということは、労基法を空文にするものである oそこで組合か
ら基準監督署にどしどし取締まるように要求をおこすのは、あるていど悪質な違反を取締る実効
もあがり、使用者の遵法的態度をいくらかは改善するかもしれないが、資本を取締るような国家
機関というものは、量的にも質的にもあまり有力なものにはならないものだということも常識だ
5
0
ろう。そこでやはり、組合運動じたいにかえってくることになる。
労働組合の課題
いままで労基法が守られる条件を運動の中で確立していなかったのが悪 い、といって もはじま
らな い。これからそのような条件をどうして作るべきかが問題である。点検削争によって、労基
法および附属法規やさらに就業規則について直接に違反を摘発し、使用者に陳謝させ遵法させ 、
将来 にわた って違反しない旨を約束させ 、さ ら には職場の交渉によって現在の基準よりも高い条
件にまで改善する党告を書 かせる、といったこと も必要な ことであろう oあるいは、年次有給休
暇を消化する運動、残 業をや らない運動、安全衛生施設を完備する運動な どを日常闘争として展
開することも必要であろう。また 、産業 ・職業・地域など企業の枠を起えた規棋で 、共通的な労
働条件についての 基準を労働協約できめる方向に努力するこ とが、さらに緊 要であろう。わ けて
ほうちょう
も決め手となるのは、労法法以上の条件で働いて食ってゆける条件をつくることであろう。低賃
金 こそが、 労基法を骨ぬき にする料理包丁の役目をな してい る。労働者が進んで競って残業を し
た が る グ だ か ら 、 最 低 の 生 活 を 保 障 す る 最 低 賃金 制を確立し、組合のあるところでまず 産業範
囲の規模でもって大巾 賃 上げを闘いながら、賃金形態を改造してゆくという実践的課題にとりく
まねばならない。昭和三四年にはじめて制定された最低 賃金法 は、業者間協定というような労働
5
1
労働法の諸領域における運動の課題
第三章
カの売手の側たる労働者を無視したものに期待するという、最低賃金制に似て非なる制度をもふ
くむ不純なものである。改正のための立法運動をおこすことも必要である。いな、廃止と新法の
制定ないし全面改正はきわめて必要である。しかし同時に、現行法の中でも、労働協約を基礎と
する最低賃金制(最低賃金法二条﹀のようにいくらか活用できるものもあるから、これは利用し
なければならない。実は、最低賃金決定の制度は、労基法の制定されたときからすでに存してい
たのだが、利用せられなかった大きな理由の一つは、組合の関心が十分高まっていなかったから
である。総評が一率八000円最低賃金制をかかげて、未組織労働者の労働条件の高揚を自己の
問題としてとりあげ、組織化をすすめた。その動きが、神武景気以降の生産力の発展のもとに、
ともかくも最低賃金法と名のつく法律を生みだしたのである。
労基法さえ守られない現実を克服するという課題は、労働組合運動そのものに投げかけられて
いるので ある o理念的には労働者組織の手のおよばない企業において 、最 低 の 労 働 基 準 を 定 め
て、監督と刑罰でもって遵守を強制するはずの法律も、実践的には組合運動の中でとらえてゆか
HH
権利闘争
d の土台とするという
なければ生命をもちえないのである。そして、組合運動の中でとらえるとき、その第一歩は、労
基法を、使用者に対するミニマムの労働者権のとりでとして、
-一人万のかま えと同時に、労基法を労働者仲間の中でのミニマムの義務を 、すなわち、 労働者はそ
れより低い条件で労働することによって、仲間相互の聞に競争をしてはならない最低の条件を定
5
2
めるものとして、職場の団結の支えにするという足のかまえを確立することでなければならな
い。たとえば、年次有給休暇ハ労基法三九条﹀を半分以上も返上している労働者は、たとい主観的
には使用者に勤勉を買ってもらう気持はなく、仕事が面白いとしても、労働力を仲間よりも安売
りするという背信性からはまぬがれうるものではあるまい。
なるほど多くの場合、仕事が忙しくて休暇がとれないという事情があり、休暇をとると残業が
待っているということもあろう。だが、定員不足は、最低の労働基準を下まわる労働を、労働者
同志が競ってやることによって対応すべき問題ではなくて、労働者仲間が団結して、不要なしば
れい
しば違法ですらあるサ lぜスをやめることによって対応すべき問題なのである。定員不足は使用
者の計画的組織的収奪の一方法なのだから、組織力で克服すべく、組合員が分離して仕事に隷属
するようでは対決できるものではない。年休請求権は請求権なりや形成権なりやを議論すること
ゃ、また、年休買上げ請求権の有無に関心をもつことよりも、今からでも職場集会をひらいて、
早速旅行と休暇の計画を立ててあらかじめ使用者に通告した方がいいだろう。金が足らねば、賃
上げ要求も-しょにやるという方が労働者的なのである。
技術革新やそれに刺戟される企業合理化が、いわゆる貿易自由化の波にあおられていよいよ深
刻な問題である今日こそ、労働者は本気になって団結して、労働基準を確立しなければ切りぬけ
てゆけない時期である。そして、かかる運動の中で、労働基準法の生かし方やまたその改正点を
5
3
労働法の言者領域における運動の課題
第三章
っかんでゆくべきである。
労働団体法の構成と団結力について
的ないし 策略的な選 択をふくむので あ って、どうしても保障と 同時に、何らかの 規制を 加えるこ
いるのは、労働組 合法などの法令である。 この 権利保障の具体化という措 置 は
、 支配階級の政策
する権利を勤労者に保障しているのが 基礎法 となっているが、労働法制としてこれを具体化して
として保障 しているのである。 憲法 二八条が、団結する 権利および団体交渉その他の団体行動 を
結成し、自治的に運営し、団体交渉をやったりストライキを行ったりすることを、労働者の権利
である。この必然的なことを、労働法はそっちょくにみとめる。すなわち、労働者が労働組合を
きしないでは使用者と対等の交渉はとうていできないから、労働者が団結するのは必然的なこと
と、法の期待するような安定性ある労使関係は形成されな い。ところが、 労働者は団結 して取引
働条件を定めなさいというわけである。だが、労使が対等の立場で交渉して定めた条件でない
こわもてで使用者を取締る。そのように最低線をしいておいて、それからあとは労使の交渉で労
労基法は、労働条件の最低基準をきめて、それより低劣な条件で労働者を使ってはならないと
三本建の労働団体法
3
5
4
とになりやすい 。現行法制をみると 、こ の規制の面が大き い比 重を占めてきて いる。
まず、労働者の団結権(団結する権利と団交その他の団体行動権とをふくめる揚合に団結権とよんでお
の保障と規制に関する現行法の大筋を述べておく。
すなわち、労使関係の 場 における団 結活動 につ
さらに使用者をして組合の自治とその組織統制的機能を承認
一六条│ 一八条)について規定しているのである。
(団結承認﹀する義務をおわしめ(労組法七条│不当労働行為制度﹀、 また協約・協定の活用(労組法
(労組法一条二項及八条)をみとめ、
す な わ ち メ ン パ I 個 人 の 行 為 の た ん な る 総 和 と し て で な くl l保 障 す べ く 、 刑 事 ・ 民 事 の 免 責
る産業秩序の安定を期待するものといってよい。そのために、団結活動をかかるものとして││
いて規律する も の で あ る 。 そ の 立 場 は 、 労 使 対 等 の 交 渉 に よ る 労 働 条 件 の 集 団 的 決 定 の 慣 行 に よ
は組ムロ活動とよんでおく)のうちの典型的な場合、
労組法は、憲法二八条の保障する団結活動(労働者の組織活動と団体行動とをふくめて団結活動ないし
民間企業の労使関係を事実上対象とする労働組合法は、労働団体法の一般的な基礎法となる。
係は一般の労働委員会の関与するとこるであったーーーは破られて、三本立の体制をとる。
法 時 代 の よ う な 統 一 性 │ │ 官 民 を 問 わ ず 労 使 に 対 し て 適 用 に な り 、 船員 のほかは官民とも労使関
現行法は、だいたい昭和二二了四年から二七年の講和期にかけて確立をみたものだが、旧労組
く
、民 間 企 業 においても、独占 資本の 利 益 に い ち ぢ る し い 打 撃 を 与 え る 可 能 性 の あ る 場 合
しかし ・
5
5
労働法の諸領域における運動の課題
第三章
には、ストライキを抑圧するという留保がついている。すなわち、産業別ゼネストの抑圧をねら
いとする緊急調整制度(労調法三五条の二 l 同条の四及び三八条、四O条)、採炭施設の保全と電力の
確保をねらいとする、いわゆる﹁スト規制法﹂などである。
公労法・地公労法は労組法を基礎としている特別法である。現在、この両法によって組織労働
者の一一ーー一ニパーセントが規律せられている。運動論の視点からみれば、国鉄・全逓・全電通
)o
公
団結する権利についても (
などをふくむ公労協労組の比重は、右の比率よりはるかに重い。両法とも争議行為を解雇の脅威
をもって禁止している(公労法一七条一八条、地公労法一一条一一一条
労法四条、地公労法五条)、団体交渉権についても(公労法人条、地公労法七1九条)制限が加えられて
いる。そして、ストが禁止されているので、強制仲裁の制度(公労法三三条、三五条、二ハ条、地公
労法二ハ条、一 O条﹀が設けられている。争議の調整機関は、地公労法では民間と同様に一般の労
委であるが、治安対策や賃金政策に影響の大きい公労法関係では公共企業体等労働委員会(公労
)0
委)が設けられている。公労委は、制度上一般の労委よりも一そう政府のにぎりやすい公益委員
が選ばれる可能性が多い(労組法一九条と公労法二 O条とを比較せよ
国家公務員法および地方公務員法は、組織労働者の約一八。ハ 1 セントをとらえているが、両法
ども労組法の適用を排除して、労使関係を服務の問題として官吏法的な観点から規律している。
だから、この両法のもとでは、労組法の原則は貫徹しないことになる。争議行為を解雇の脅威で
5
6
0
また労働
もって禁止する(国公法九八条 H E項、地公法三七条)ばかりでなく、争議行為の教唆、せん動、共謀
)0
国家公務員の賃金は人事院の勧告を
を何人に対しても刑罰をもって禁圧している(国公法一一 O条一七号、地公法六一条四号﹀
協約締結権を否定する(国公一 O八条五二項、地公五五条 E項
参考にして政府がきめることになる。地方公務員の賃金は、地方公共団体が人事秀員会の勧告を
みてきめるが、事実上は国家公務員に準ずることになるから、政府の 賃金政策に支配される。
だいたい、右のような形で労使関係が規律されているが、かかる三本立に分割したのは、反共
H反産別会議政策と結びついた組合陣営に対する分裂政策と、合理化・低賃金政策推進の基礎と
しての公務員、公企体職員の団結活動抑圧政策とが背景となったものである。
右のほかに、旧労組法時代以来一度も団結する権利さえ認められなかった公務 員 のグループが
)0
つまり治安機構
ある。 警察・消防・監獄の職員・海上保安庁職員がそれである(国公法一 O八条の二 V項、地公法五
二条 V現)。また自衛隊員もそのグループに入る(自衛隊法六四条・罰則一一九条
の労働者は、完全に政府に従属させられているということである。
組織活動の方向
H違憲の部分さえある││、労働者にしてみれば、いかにストを禁止せられてい
このように官公労働者の労働組合に対する規制は、相当手きびしいのであるが││憲法の枠を
はみだした部分
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労働法の諸領域における運動の課題
第三章
たって、要求を提出し、 いくら辛棒強く交渉をしても、当局がその要求をのまないとなれば、何
とかしてスト効果をだすよりほかはない。なるほど、部分的にはずるくかまえて要求をださない
でいても、人事院勧告とか仲裁之疋におまかせしておいても、人なみの賃金 はもら えるかも しれ
ない。たとえば全国税や全農林││
事実は悶公ではもっとも活発な方だが ーーが、 もしかりに何
も や ら な く て も 、 彼 ら だ け が 他 の 官 庁 よ り 賃 金が低くなるわ けでもあるまい。あるいは、国公労
組は何もやらなくても、民間労組や公労協がしっかりやってくれれば、おくればせながらでも公
務員の賃金も上昇するかもしれない。しかし、この考え方は民間労組についても同じようにいえ
ふんどし
ることである。
他人の揮で角力をとるとか、ただ乗りをするということは、仲間が削っているかぎりで可能性
のあることである。しかし、それは労働者階級の道義 に反する。というのは、自分が参加しない
というマイナスを与えるだけでなく、闘う組合の足をひっぱるという 杭極 的な惑い役割を 客観 的
かぎ
には演じていることは、労働者にとって自明の 真理だからである。だから 、団結しない労働 者は
もとよりだが、闘わざる組合も労働者集団の中では風上に坐れない。いやしくも組合という労働
者の組織を作っている以上は、自分たちの要求 │ lいかにあきらめのよいものにでもそれはある
0
だいたい、ストを禁止するということは、使
!ーは、自分たちの手で実現するように努めることになるのが自然である。この自然なことを官
会労働者がやろうとすると、法律でおさえられる
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用者側ハ官公労の場合は政府l当局側である﹀のために、その一方的にきめる労働条件で労働者を働
ちかせる力を保障するということにほかならぬ。
日本の労働者はスト禁止を人権に対する弾圧としてはねかえすが、その経済的な損失を測定し
てがめつく取りくまない。考えてみれば、公労法十七条のあるために、いかに多くの損害を労働
者はこおむっているかわからない。犠牲者救済で、国鉄、全逓、全電通ほかの諸組合が数億円食
われているし、スト権があれば、起りそうにない刑事事件もかかえさせられており、スト権があ
れば獲得できたであろう 賃 上げまでを計算すれば、大変な損害である。この損害 の苦しさを十年
一気に取りかえすのは容易な
以上も忍んできたのだから、我まん強い組合である。だが、ようやくスト権奪回に本腰を入れて
きた。もとより、 G H Qの圧力のもとに一気に奪われたスト権を、
ことではあるまい。おそらくは二、三の組合が大 量処分を乗り切りうる 実力をもつようにならな
ければ、現実の課題とはなるまい。処分をのりきる実力というのは、端的にいえば、処分反対ス
トを幾度でも打ちかえせる力なのであろうが、少くも処分がでれば、組合員の作業能率が自然に
低下するような力が生れてくれば、当局も大 量処分とか団交拒否のごとき 険はやらなくなるだ
目
回
ろう。いまは当局側は少し慢心しすぎている。処分権というのをふりまわして実質的には組合財
産をも攻撃しているのだが、もし当局が、違法ストを理由に組合に損害賠償請求の訴訟を起し
て、今日、犠牲者救済資金として消耗させられている金額をとって組合を困らせようとすれば、
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労働法の諸領域における運動の課題
第三章
十年以上もかかるし、実際にはその五分の一もとれまい。それどころか一文もとれないかもしれ
ない。というのは、法理論上はたして公労法十七条違反のストについて当局側も損害賠償請求権
をもつかどうか、かなり問題もあるところだからである。少くも損害額の算定が不可能に近いだ
ろう。してみれば、大 量処分という手を使うというのは当局側にとってあまり甘すぎるというも
の で あ る 。 そ の 大 量 処分をうけながら、残業をやったり年次有給休暇を返上したりして働いてい
るのは、労働者もあまりに人が好すぎるというものであろう。処分者のボイコットぐらいは自然
発生的にでてよさそうなものである。
もちろん、組合も抑圧のもとでいろいろ工夫しながら闘争をつづけてきた。遵法闘争戦術もそ
のような苦心の中から生れたのである。いくらかアベッグ闘争のきらいもあったが、それによっ
て組織を守り成長させるに必 要な妥協でもあっ た。だが、岸内閣以来、アベッグの余地は乏しく
けっ
なってきており、きびしい攻撃 にさらされてきている。公労協の諸組合も、昭和三六年の春闘で
は、半日ストを正面から打ちだすことによって、アベッグ闘争との訣別を宣言した。遵法闘争を
何とかして合法の範囲につなぎとめようという法理論的な努力も、二時間の就業時間内職場大会
ということになると、もう限界にきていたといえようか。いよいよスト禁止規定それじたいの違
憲 性 なり是非 善悪 なりをめぐる理論や政 策 も 、労働運動と密着 して 登場する ことになるだろう。
組合も法律論のかげにかくれてでなく、白からの団結力の強化によって闘争を組むようになりつ
60
つあるようである。組合 運動にそう いうかまえと底力ができてこなければ、労働法も前進しはし
中
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、
コhv
ι
、
ところで底力の強化ということは、ストを禁止させられている組合のみの問題ではない。民間
の労組は原則として、スト 権は保障され ているわけだし、団結する権利も団交権も保障せられて
いる。しかし、現にその団結す る権 利を行使できない労働者l i未組織労働者liの方が、組合
員より多いのである。また組合と名のつくものがあっても、ストライキはやれない組合も少くな
ぃ。だとすると、スト を禁 止せ られて いても、遵法闘争で いくらかは 実力を示している公労協の
組合││汽車がとまったり、郵便がおくれたりしている││の方が、事実上は、ストのできない
組合員よりはスト権をもっているということになる。労働者の権利というものは、そういうもの
なのである。また、 権利を行使 する としても、それはさように自由なものではない。団結する権
利は、当然に組織形態を選択する権利をふくんでいるのだが、日本の労働者は、産業別単一組織
がよいと思っていながら、企業別組合を脱皮できないで、産業範囲では統制力の弱い連合体組織
しか結成していないのが現実である。
官公労働者と民間労働者とが同一組織に入っていないのも、公労法四条三項のような法的制限
をうけていることが本当の理由というよりは、電々公社の電気工が目立や東芝の電気工と一しょ
になって電気工のグラフト・ユニオンを作るとか、各省および公社のトラヅグ運転手が八幡や鋼
6
l
労働法の誇領域における運動の課題
第三章
管のトラッグ運転手あるいは大林組や竹中工務庖のトラッグ運転手と同巳組織を作るようなこと
は考えてもみないし、国鉄労働者が私鉄、海運、陸運の労働者とともに大産業別の運輸労組を結
成することも、それどころか、青函連絡船の国鉄労働者が日本海員組合に加入しようとも考えな
いといった意識、 つまり、民間労働者と同様な企業別団結の意識が本当の理由だといわねばなる
まい。そして、かかる意識じたいが、産業構造その他によって規定せられるものであるからもっ
と深い理由は経済的社会的機構の中に存在しているわけであろう。
だから、どのように団結する権利を行使するかは、自由であると同時に必然である。だが、必
然的なものは主体的実践活動そのものを契機とするのであり、働きかけてゆくべき謀題でもあ
る。ことにこれから、未組織労働者に法の保障する団結権を行使する条件を作るという課題は、
組合じたいにとってもきわめて重大な課題でなければなるまい。そして、かかるもろもろの課題
ととりくんでゆく中で、労働法はかなり多くの役割をもつはずである。
6
2
鈴葉良との対話』一一第三章のために
鈴葉良との対談
ー第 三章のためにi
博多から﹁はやぶさ﹂で帰えった私は、東京駅から
自宅に電話した。ところが、電話口に出たのは鈴業良
の話をして、道すがら寄ってみたところ、君
F
その後
鈴 藁 三 池 の 三 川 坑 刑 事 事 件 に 君は証人台にたった
である。
沼回そうだよ。君はいつきたんだい。
んだってね、福岡地裁かい?
d
鈴葉ゅうぺ、小さなサークルによばれて
の三池
が明日帰るというから、君の原稿など読むことにして泊ったわけだ。 ll 以下は盛夏の午さがり、扇風
三池争議と失業の問題
機の前での対話抄。(ただし﹁﹂内は箱根での円以後の総点検のときに加えたもの │ 昭三七 │)
F
第二組合
F
d
の法的地位といったことさ 。
去るも地獄、とどま るも地獄
d
という標語には心を痛めたよ。長年働いた職場を追われよう とする仲
四章不当労働行為との闘い及び係五茸団結への努力と団結のなかの生ける法参照)。
沼 田 ま あ そ う だ : : :三池には僕は分裂前に行ったのだが 、 三池の闘争本部の前にかかげであ った
鈴葉例の議論をぶってきたのかい(沼田﹁第二組合をめぐる法律問題﹂ l 季刊労働法第三六号、第
沼田
鈴 葉 裁 判 所 で 何 を-証言して来たのだい。
〉
どあらゆる切崩し攻撃をくわえて組合をつぶ しにかかり、強引に分裂させ、脱落者を集団就労させ た
。
間をかかえて団結して反対しているとき、会社は暴力団をさえつれてきて、威かく、懐柔、挑発、買収な
6
3
〈
使用者の立入禁止の申訪をみとめて、裁判所は仮処分命令をだした。警察は結集し 、暴力団と第二組合
と会社の職員層までがピケにおそいかかった。そしてついに組合は 、多数の組合員 、わけでも活動的な
、君の方が知っている通り 、すごい
dは
ものの解雇を押しつけられてしまった。しかもグその後の三池
こん
差別待遇だ。不当労働行為制度の入るすき間もない矢つぎ早やの攻撃だ。さらにその上 、忠誠な組合員
として根かぎり闘った人たちが刑罰を謀せられようとしているのだよ。あまりひどすぎるよ。証言台に
たって 、暑い日盛り、大牟田からでている組合員や主婦たちの限を 、僕は背中いっぱいにちくちく感じ
ュー マニズムに止みがたくってわけか。
ときに 、君は 、誹座で失業問題に注意をかん起しようと し ているのは賛成だ。総評 一の強い組
の門の合戦に敗れた。しかも炭労は 、そ
そうだ 、悲しみに似た感情だ。
鈴葉 ヒ
たね
。
沼田
鈴藁
d
の被解雇者をかかえて 一
応用のあっせんをやれるほど労働市場を統制していないし 、産業全体の雇一用量か
合であって 、炭労や総評があれだけ支援しても 、なおグ解雇
、 あの闘争の結果、政府が失業者の転業あっせんに乗
らみてもそれはむずかしいかもしれない。しか し
りださざるをえなかったということは 、注目すべきことだと思うなあ:::。
沼田 三池は 、昭 和 二 八 年 に こ 二 ニ 日 の 英 雄 な き 闘 争 d で指名解雇を取消させる と いう勝利をえた
Lゅ
う
が、
今
度
は
資本が復讐した形だ。二つの大闘争はいずれも労働運動史上大きい足跡だ と思うね。
我輩は 、むしろ今度の闘争の方が失業問題の視点では 一歩前進していると思 っている。今後わ
鈴藁
が国の労働運動が 、失業問題にとり組む上に大きな示唆をあたえ た。 二八年の闘争では 、失業を企業連
の団結の手で個別資本に押しかえしたのだが 、 三十五年の闘争では 、 三池を軸とする総評次元の団結 に
よっ て失業をいわば階級と し ての資本にお しかえ したと思う。これからは失業問題│ │配転 ・職種変更
6
4
鈴}~良との対話一一第三平のために
にもその契機がふくまれているがねーー を、日 常的に いかに 支配階級に押しかえすかが労働運動の課.地
、
.
、
.
、
.
だ。それにはやはり、三池の組合を今後も大きな団結の中で守り抜いてゆく ことが必要だよ。今後の 三
沼 田 ﹁ た し かに政府も悦てたようだ。筑豊のひど い不況も あ って、昭和三四年の 暮 に作った炭鉱 離
池 の闘争は団結承認のための闘争だけでなく 、失業をめぐる闘争に とってもかなめだと思 う。
れた からねば
職者臨時措恒法を改正 し、居川似山一引業凶法 ︿昭三六・六・法一一六号﹀を制定するところへ追いこま
鈴 襲 ﹁ 昨年は(昭和三六年)、山政労が政策転換闘争のム ード と圧力で、国会や保守党にいろんな約束
をさせたね。もっとも炭鉱資本に対しても保守党は政治献金などの腐れ縁があって 、 いくらかは政策ら
の合理化は日木独占資本の問題でもあるからね。山以川町があらゆる犠牲を忍んで今年(昭和三七年﹀も一
し いものをしめしておく必裂もあったのだろうがね。民労の闘争は総評の闘争であるように 、石 炭 産 業
人四OOO円のカンパをやっている。開わざる組合の二カ年ぶんぐらいの組合授にあたるのだよ。しか
だが、こ れをあえてやる炭労の度胸を買うね。この運動は他産業の全国単産をふる いたたせ るこ とにな
も低白金の中からだからね:::。 二カ年にわたって大示威行進を組織 し て い る が、冒険かもしれない。
るかもしれないよ。そういった段階にならないさきに、政府は妥協するかもしれないし、逆にタイミン
グをね らって 挑発をかけて伏労 、総評の運動を打破 し よ う と す る か も し れ な い 。 景 気 の よ か っ た 昨 年
とかグ反秩序的行動
d
とかの問題のようにすりかえる可能性はあると思うね。その可能性には、
は前 者の途を選んだ。だが 、今年はどうかわからない 。進行中だ。なにぶん、失業の問題という資本主
義の恥部をパグロされることは、保守党や独占資木 にとっ て痛いから 、こ れを炭労 ・総評の v政治闘争
d
つねに 注志していないとにえぬか﹂のまされるかも しれ ない 己
主義
沼 田 ﹁ すりかえる には炭労一 O 万の失業問題は大きすぎる。炭労もその点を強調すべき だね。政府
6
o
や保守党が約束したことを国民に宣伝すること、炭鉱夫の生活実態をうったえること、そして静かなる
鈴葉さっさと断定を下したね。法の問題へかえれ:::。
社会的迫力を蓄えることだね己
沼田というわけでもないが:::。ここらで僕は、組合は職業訓練の問題をもっと考える必要がある
ユシアをとられては、組合員 をしっかりにぎれない。企業の中でも、また企業.フロックにおいても、認
と思うのだ。職 業訓練法を組合が利用することも考える方がいいと思う。職業訓練について事業主にイ
定職業訓練に対して組合が発 言 し参 加してゆくべきだよ。それには、総評とか全国単産本部で調査研究
どこかに失業の影を投げているのだから、労働組合側も具体的な対策で対決しなけりゃ負けるよ。
所を設けるぐらいの熱意をもってもよいだろう。技術革新やら企業合理化やらが産業界に波及しており
鈴葉そうだね、全国組織が、具体的なプランを打ちだしてゆけるだけの科学的な研究をやりなが
ち、組合民主制の下に立体的な刷争を組んでゆかなけりゃ、今日のような激変の中で階級的利益を擁護
してゆくことはむずかしい。そして、そのような改善の闘争の中で、資本主義の矛盾を全労働者階級は
沼 田 君 は あ い 変 ら ず 社会革 命 に 因 縁 をつけてなっとくしないでは、社会改良の存在理由を認められ
実感することになり、新しい歴史的社会の展望を具体的にもつようになるだろう。
きんかぎよくじよう
鈴麓労働法学者は、社会改良それじたいの価値を金科玉条として、おそいかかろうとする治安立法
ないようだね。
の暗影の外へ法理の車で労働者権を運びだしてくれたまえ。我輩もそこに法学者の歴史的存在価値を認
合理化反対闘争
〉
めるにやぶさかではないよ。
八
6
6
鈴葉良との対話』一一第三章のために
鈴藁
総 評 が 本 年 度 (一九六一年 度)の運動方針で経済主義とか労働組合主義とか いわれる線をだし、
わけでも 合理化反対闘争に 一段と重点をか けたのは、 直接間接 に、三池闘争の影響だ と我輩は思うがね。
d
にせよ、
F
企業合理化
d
にせよ、それは第二次大戦後、相対的に弱化してい
沼 田 そ の 点 は あろうね。 しかし合 理化 反 対 闘争は容易じゃ ないと思うな あ。君などは 世 界 史 的 視 野
生産性向上運動
F
る資本主義体制の危機的矛盾であり、社会主義革命への一里塚であり、ソ連の七カ年計画達成の頃には
から、
その目標に飛躍すると、割りきってるだろうが、じかに首切り・配転・労働強化に対面する労働者や組
鈴 葉 そ うひねくれるなよ。批 判的精神は 、か ならず しも 世 界 史 的 視 点 に の み 存 す る わ け で は な い
織破壊と対決せざるをえない組合と しては 簡単に割りきれな いよ。
の嵐にたたされている。全産業体制をゆすぶるような合理化 │ │自由化に よって尻をたたかれてますま
さ。実践の場は現実だからね。実際 、現在労基法さえ守られない多くの企業がある。その企業も合理 化
す激化するだろうが││これは組合としてもいわば高度の闘争課題だ。その課題を企業別組合で、しか
も組合員の中に団結の A B Cも確立していない組織をかかえてのり切らねばならないのだから 、容易で
はないと思うよ。合理化闘争の課題は立法闘争l l最賃法、労基法、社会保障などと切りはなちがたい
ものだが、やはり、 基木は組合の 体質改造 にあると思うね。改造というのは、企 業別組織の脱皮という
だけで なく 、組合民主制の生き生きとした確立をふくんでの改造だがね 。ただ現段階で 、組合の日常闘
高度に政治的な方面は君にまかせよう 。私 は労働法について労働者諸君に語 っ て い る わ け だ.
は、国 際的な視野から高度に政治的に対応する必要はあるだろうね。
争とか労使協議制とかによって合理化のしわょせをしのげるものでもないかもしれないよ。その点で
沼田
が、労働者諸君にはさしあたり使用者側 とい う目前の敵 に対して 賃上げを獲得 したり、首切り や配置転
換の攻 撃を 防いだりするので手一杯という状態なのだ。そして労働法の次元というのは、労使対抗の場
6
7
労基法さえ守られない 、 と君はいうが 、たしかに 労使の力関係で守りえないという事情は我誌
にほかならんのだ よ。そこは労村山法さえ守ら れない 場 なのだ。
鈴襲
。
いね
、 基準監督の予算も乏 しい、その上あまりテキパキと 労基法違
労働以準監将官の人員が少い し
も大いにみとめるのだが、しかし、国家 が守らせようとしていないという点もみのがして もら いた くな
沼田
鈴 糞 我 輩の いいたいのは、 その種の いい慣らされたことじゃないのだよ。というのはだね、 賃金や
反を摘発する 監脅官は 山世しない 。違反を 摘発してもよほど悪質 な使用者でないと起訴しない・:
その他 の労働条 件 の水準を決定するよう な、公務員や 公社職 員 に対してストを 禁 止する政策は 、零細企
業まで労基法を守らせよう 、最低賃金:::といっても人間らしい生活のできる 最低賃金 だがね、その 最
に﹁ 君たちが高 水準の労働条件を聞い とらないから、中小企 業では労基法が守 れないのだ﹂といいたい
賃制でカバ ーしよ うという労働保護政策と基本的には矛盾 し ている という点だよ。 君は 、大企 業の組合
のだろうし 、我輩も同様にそれを強調したいのだがね。大組合の闘争力 、交渉力を一定限 度 におさ える
スト規制法や緊急調整制 度 、さらに公務員法・公労法のスト禁 止規定というものが 、労基法を 刑罰 でも
っても行なわせようとする法の態度 を、法体系内部において否定するものだという ことを指摘した か っ
沼田
飴と鞭 とは 矛盾する とい うこ とか:::。 労働法の全体系の中で、法の 意味構造と同時に機能を
たわけだ。
こうち
労働者の労働法のとらえ方というものは 、そ うでなければならぬと思う よ。勘どころをつかま
とら えるという こと だね。
鈴葉
える ことだ。﹁ 国家の波智を見ぬけ﹂とい いたい わけだよ。
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