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ソフィアズカーニバル - タテ書き小説ネット

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ソフィアズカーニバル - タテ書き小説ネット
ソフィアズカーニバル
栗木下
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
ソフィアズカーニバル
︻Nコード︼
N7678CM
︻作者名︼
栗木下
︻あらすじ︼
異世界﹃トリスクーミ﹄ そこはヒトとヒトによく似た⋮⋮けれ
どヒトを喰らう生物にしてヒトの天敵である﹃妖魔﹄が戦いを続け
る修羅の世界である。 この物語はそんな世界の一角に産まれた一
体の妖魔の物語である。
1
第1話﹁プロローグ﹂
異世界﹃トリスクーミ﹄。
広大なその世界の陸、海、空には多種多様な生物が生息している。
そして、そんな多種多様な生物の中でも、他の一般的な生物とは
異なる特殊な生物が存在していた。
﹁うん、いい感じいい感じ﹂
その内の一種はヒトと言う。
ヒトは肉体の強さにおいてはそれほど優れた種では無かったが、
その知恵と魔法を含めた技術を以て、﹃トリスクーミ﹄に生息する
他のどの生物よりも版図を大きく広げ、今では村や町、ところによ
っては都市国家と言うものまで築き始めていた。
﹁お芋にブドウに茸。今日は豪華な夕食になりそう﹂
だが、﹃トリスクーミ﹄では絶対的な強者と言うものは存在しな
い。
獅子が牛を喰らうように、ヒトにも天敵と呼ぶべきものが存在す
る。
﹁でもどうせなら、もう少し集めておきたいかしら。もうすぐこう
やって好き勝手する事も出来なくなるわけだし⋮⋮﹂
その種の名は妖魔。
ヒトによく似た姿を持つが、ヒトでは無い生き物。
﹁あら?﹂
﹃トリスクーミ﹄の獣、植物、自然現象の特徴を兼ね備え、その
力を自らの意思のままに振るう存在。
2
﹁何の音かしら?﹂
何の前兆も無く突然この世界の何処かに現れる存在。
﹁⋮⋮﹂
﹁え⋮⋮いつの間に⋮⋮﹂
そして今、﹃トリスクーミ﹄はシュランゲ大陸の辺境、実り豊か
なアムプル山脈の山中に新たな妖魔が一体現れた。
﹁あ、あの貴方は⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
手に持った籠の中に山の幸を沢山入れた少女の青い目と、妖魔の
目が合う。
﹁まさか!?﹂
自らの前に現れた者の正体に勘付いた少女が、手にした籠を足元
に落としながら、一歩後ずさりする。
﹁っつ!?﹂
そして少女は来た道を引き返すように駆け出す。
全力で、必死の思いで、助かりたいと言う一心で走り出す。
紐でまとめられた茶色の長い髪を揺らし、粗末なスカートをはた
めかせ、木で作られた靴を履いた足を動かして逃げ出す。
﹁⋮⋮﹂
だが妖魔の目から見れば、少女の行動は酷く緩慢で稚拙なものだ
った。
そして、この世に現れたばかりの妖魔にとって、少女の存在は非
常にありがたい物であった。
3
﹁ニッ⋮⋮﹂
妖魔が駆け出す。
草を掻き分ける音もさせずに、無数の木々と起伏など最初から無
かったと言わんばかりの速さでもって、自らに背を向けた少女の元
へと駆けていく。
﹁アルッ⋮⋮!?﹂
少女は誰かの名前を叫ぼうとした。
それがこの場に居ない誰かへの警告だったのか、助けを求める声
だったのかは分からない。
少女がその名を叫ぶ前に、少女の口が背後から伸びてきた手によ
って抑えられ、声を発することなど出来なくなってしまったからだ。
﹁っ!?﹂
そして少女が手の主から逃げるべく暴れるよりも早く、少女の身
体は胸に伸びてきたもう一本の手によって完全に抑え込まれ、身動
き一つとれなくなったところに少女の白い首筋に一対の牙が突き立
てられる。
﹁あ⋮⋮ぐ⋮⋮﹂
少女は音を立てながら、その場に倒れる。
その身を少女は自分の意思で動かすことが出来ず、段々と目の焦
点も定まらなくなっていく。
﹁⋮⋮﹂
そんな少女を手の主⋮⋮妖魔はその手で抱え上げると、周囲を見
渡し、樹下からは上の様子が見え無さそうな木を探し、登る。
﹁だ⋮⋮れ⋮⋮か⋮⋮﹂
妖魔がヒトの天敵であるのには勿論理由がある。
4
妖魔は﹃トリスクーミ﹄に突然現れる。
それによって、ヒトが獣からその身を守るために生み出した数々
の方策が意味をなさないと言う事も理由の一つである。
妖魔はヒトより優れた身体能力と特殊な力を有する。
それによって、一対一では大抵の場合妖魔の側に軍配が上がると
言うのも理由の一つではある。
だがそれよりも何よりも、妖魔がヒトの天敵であるとされる理由。
妖魔の妖魔たる由縁が存在がする。
妖魔は⋮⋮
﹁た⋮⋮す⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ヒトを喰らわなければ生きていけない生物である。
他の獣や植物で腹を満たし、水で喉の渇きをいやす事は出来ても、
ヒトを喰らわなければ消滅してしまう存在である。
故に妖魔はヒトの天敵であるとされる。
﹁け⋮⋮﹂
そしてこの日も一人の哀れなヒトが妖魔に食われることとなった。
﹁ふう⋮⋮美味しかった。それに、これで生まれた直後に餓死する
なんて事態にはならずに済んだかな﹂
この世界の名は﹃トリスクーミ﹄。
5
陸、海、空に多種多様な生物を抱える世界であると同時に⋮⋮
﹁さて、これからどうしようかな?﹂
ヒトと妖魔が己の命を賭けて争い続ける修羅の世界である。
6
第1話﹁プロローグ﹂︵後書き︶
初めましての方は初めまして。
お久しぶりの方はお久しぶりです。
栗木下です。
新作でございます。
が、早速カニバっている上に、今後もこんな描写が沢山出ますので、
苦手な方は素直に退かれた方がいいと思います。
なお、第2話は18:00、第3話は00:00更新。
その後は毎日12:00となりますので、どうぞよろしくお願いし
ます。
7
第2話﹁妖魔ソフィア−1﹂
﹁んー⋮⋮﹂
私は妖魔だ。
だからヒトを食べなければ生きていけない。
故にヒトを獲物として狩らなければならない。
﹁まずは能力の確認かな﹂
ただ、確実にヒトを狩るためには自分が何の妖魔で、どういう能
力を備えているのかを事前に確認しておくことは必須だろう。
﹁私は⋮⋮そう、蛇の妖魔だ﹂
私は自分が蛇の妖魔である事を思い出す。
そして、蛇が持つ能力のうち、自分に出来る事と出来ない事を思
い出していく。
﹁ーーーーー!﹂
何処かからかヒトの声が聞こえてくるが、今は自分の出来る事を
整理する。
私が出来る事は⋮⋮
・物音を立てずに移動する
・樹の上や屋根の上のような高い場所へと簡単に上れる
・麻痺毒を含む折り畳み式の牙
・熱源の視覚化
・舌を出す事によって空気中の情報を得る
・獲物の丸呑み
・ヒトより数段優れた身体能力
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・夜目が利く
とりあえずこんな所かな。
考えてみれば、蛇をモチーフにした妖魔のくせに脱皮も出来ない
し、柔軟な関節もヒトより多少マシな程度で、変温動物では無く恒
温動物と言うあたり、妖魔と言うのは一般的な獣たちと比べてかな
り変わっているなと思う。
と言うかアレ?こういう知識って何処から得たんだっけ?
何で私の頭の中にはヒトと蛇と妖魔以外の動物についての知識も
あるの?
﹁⋮⋮アーーーー!﹂
ヒトの声がこちらに近づいてきている。
んー⋮⋮私の持っている知識の元⋮⋮妖魔としての基本的な情報
は元からで、ヒトと蛇もそうだよね。
となると他の獣や植物に関する知識は⋮⋮
﹁⋮⋮ィアってばー!﹂
私は先程飲み込むのに邪魔だと言う事で剥いだ少女の服を見る。
染色もされていない、普通の麻布一枚と数本の紐で出来た服だと
理解できた。
ああうん、なるほど、そう言う事ね。
妖魔としての基本的な情報以外はさっき食べた子から吸収したの
ね。
﹁ソフィアってば何処に行ったのー!?﹂
さて、疑問も解けた所で、私には一つ決めるべき事がある。
﹁もう、ソフィアってば本当に何処に行っちゃったのよ⋮⋮﹂
それは私の名前だ。
9
名前が無いと、色々と面倒な事になる事は目に見えている。
﹁このままじゃ、夜になっちゃうじゃない⋮⋮﹂
んー⋮⋮蛇子、スネーク、コブラ⋮⋮駄目だ。
何となくだけど、私のイメージにそぐわない気がする。
﹁どうしよう⋮⋮村に戻って、皆を呼んで来た方が良いのかしら⋮
⋮﹂
うーん、折角だし、こっちに段々と近づいてきているヒトがさっ
きから呼んでいた名前⋮⋮﹃ソフィア﹄を貰っちゃおうかな。
何だかしっくりする気がするし。
﹁ソフィアー、本当に何処に行っちゃったのよー!お願いだから返
事をして︱!﹂
よし、私の名前はソフィアだ。
そう言う事にしよう。
﹁て、あれ?﹂
さて、自分の名前も決まったところでだ。
のこのこと私が潜んでいる樹の下にまでやってきた獲物を狩ると
しましょうか。
﹁これってソフィアの⋮⋮それに、この白い液体は?﹂
というわけで。
﹁なにこれネ⋮⋮﹂
私は手ごろな枝に足を掛けると、樹の下に居る少女の背後に回る
ように垂れ下がる。
﹁!?﹂
10
そして、先程の少女と同じように、口を抑えて悲鳴を上げさせな
いようにした上で、先程の少女よりも多少荒れた肌の首筋に噛みつ
き、麻痺毒を送り込む。
﹁あ⋮⋮ぐ⋮⋮﹂
すると、少女の体内に送り込まれた麻痺毒の効果によって、少女
の全身から力が抜け、その場に倒れ込みそうになる。
が、ここで倒れられると回収が面倒なので、もう一方の手を伸ば
して少女の身体を樹上へと引き上げる。
﹁よいしょっと﹂
で、先程と同じようにこの少女を食べてしまっても良かったのだ
が、折角なので私の身体能力を試すべく、少女の身体を正面から全
力を抱きしめる。
﹁うん、結構力が出るね﹂
それだけで、何か信じられないものを見るような瞳を浮かべた少
女は全身の骨が砕け、その命の灯が消える。
うん、これだけの力が出るのなら、普通のヒトについては物陰に
引き摺り込めれば問題なく殺せるだろう。
﹁じゃ、いただきます﹂
さて、私の身体能力を試す為に絞め殺したが、その目的は食べる
為である。
と言うわけで、消化の邪魔になりそうなものを剥いで、少女の死
体を丸呑みにしたのだが⋮⋮
﹁んんー?﹂
なんだろう。
最初に食べた少女に比べると、微妙に充足感のようなものが足り
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ない気がする。
別に味が劣っているわけでは無い。
ただ、腹に収めた時の満足感とでも言えばいいのだろうが。
そう言うものが微妙に劣っている感じがする。
ついでに言えば、得られる知識や記憶の量も劣っている感じがす
る。
﹁んー⋮⋮﹂
ヒトと言う種は男女差、年齢差がそれなりにあるとは聞いている。
が、二人の少女は年齢も性別も、外見から判断する限りでは近し
いと思う。
健康状態もそんなに差が有るとは思えない。
﹁まあ、そうなる⋮⋮かな?﹂
となると味の差は⋮⋮食べる時に生きていたかどうかといったと
ころだろうか。
﹁でも、もう少し食べてみて試してみないと分からないよね﹂
勿論、偶然と言う可能性もある。
私はまだ二人の人間しか食べていないのだから。
だが、私の考えが正しいかどうかは直に分かるだろう。
﹁じゃっ、次の目的地はアッチだね﹂
なにせ、私の頭の中には二人の少女が住んでいた村の位置が刻ま
れているのだから。
12
第2話﹁妖魔ソフィア−1﹂︵後書き︶
早速二人目です。
次話は00:00更新となります。
13
第3話﹁妖魔ソフィア−2﹂
﹁よっ、ほっ、っと﹂
既に日は地平線の彼方へと沈み、明かりとなるものは夜空に浮か
ぶ三日月と無数の星々だけになっており、樹下では普通のヒトの目
には一寸先にある樹の存在すら分からないような深さの闇が広がっ
ていた。
﹁まあ、私には関係ないけどね﹂
ただ、枝を伝って木の上を移動していく上に、熱源による探知も
可能で、夜目も利く私にとっては全く関係のない話である。
ちなみに、普通の獣が私たちを襲ってくることはないらしい。
理由は知らないけれど。
﹁と、見えてきたかな?﹂
さて、私が今向っているのは、今日食べた二人の少女が住んでい
た村だ。
村の名前はタケマッソ村。
アムプル山脈の山中に僅かに存在する平地部分に造られた小さな
村である。
﹁ん?﹂
村の構造は、中心部に藁ぶきの屋根に石の壁の家が十数軒並び、
その周囲に畑がある。
そして、二ヶ所ある村の出入り口以外には、畑を取り囲むように
木の柵と鳴子が仕掛けられており、柵の外が私の居るアムプル山脈
の森である。
なお、この木の柵と鳴子は対妖魔と言うよりは、対獣の備えとし
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て仕掛けられている物である。
まあ、村の中に突然妖魔が生まれたりしたら、柵も鳴子も意味を
為さないのだから、当然なのかもしれない。
﹁随分と明かりが多いような⋮⋮﹂
で、そんなタケマッソ村だが、今日は妙に騒がしかった。
もう月が私たちの真上に登っているような時間だと言うのに、大
量の篝火が焚かれ、村の男たちが武器を手に、村の建物の中でも一
際大きい村長の家の前に集まっているのが見えた。
それは、少なくとも平時のタケマッソ村とは明らかに違う異常な
状態だった。
﹁私が食べた二人を探している?いや、それにしては⋮⋮﹂
その光景を見て、私は私が食べた二人をタケマッソ村の男たちが
探そうとしているのかと最初思った。
だが私はその考えをすぐに捨てる。
私が食べた二人を探そうと思うのなら、こんな夜遅くでは無く、
もっと明るい時間帯に探すはずだからだ。
それに、タケマッソ村の男たちの雰囲気は誰かを探すと言うより
かは、目の前に差し迫っている脅威に対抗するためのような物々し
い雰囲気だ。
﹁ーーーーー!﹂
﹁ーーーーー!﹂
﹁ん?﹂
と、そうして村の様子を観察していた私の耳に、男のヒトの声と
ヒトでは無い何かの声が聞こえてくる。
そして、その声に応じるように、タケマッソ村の男たちが一斉に
動き出す。
どうやら何かが有ったらしい。
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が、私が居る位置からでは何が起きているのかは良く分からない。
﹁⋮⋮よし﹂
うん、少々どころでなくリスキーかもしれないけれど、何の情報
も無く村の中に入り込むよりかは、今タケマッソ村で何が起きてい
るのかを把握してから行動した方が良いのは間違いない。
と言うわけで、私は物音を立てないように気を付けつつ、村を囲
う森の樹上を移動して、騒動の現場が見え、声も聞こえるような位
置に移動。
木陰に身を隠して、状況の推移を見守る事にする。
﹁こっちだ!﹂
﹁ブヒャヒャヒャ!﹂
鳴子を派手に鳴らしつつ森の中から現れたのは?
一人は普通のヒトだ。
もう一人は⋮⋮
﹁オーク⋮⋮かな?﹂
猪のような鼻と牙を生やし、口の端から涎のような物をダラダラ
と垂らす筋骨隆々な巨漢。
その身長は小さく見積もっても、追いかけている男の倍近い。
が、その巨体以上に意識を引かれるのは、見るからに不潔そうな
腰巻と髪の毛、それに明らかに盛り上がっている股間だ。
何と言うか、少女から得た記憶のせいか、見ているだけで不快感
が湧いてくる。
うん、間違いなく妖魔だ。
それも数ある妖魔の中でも数が多めで、タケマッソ村の娘である
少女も知っているぐらいに有名な豚の妖魔⋮⋮オークだ。
﹁撃てええぇぇ!﹂
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﹁ブヒャ!?﹂
と、オークに向けて男たちが一斉に矢を放ち始める。
が、殆どの矢はオークの分厚い皮膚を貫くことが出来ず、刺さっ
た物にしても致命傷には程遠い物だった。
だがしかし、反撃があるとは思っていなかったのか、オークは思
わず怯み、足を止めてしまう。
﹁抑えろ!﹂
﹁ぶち殺せ!﹂
﹁死ねエェェ!!﹂
ああ、これは終わったな。
私は目の前の光景に対して、至極冷静にそう感じていた。
﹁ブ⋮⋮!?﹂
オークの動きが止まったその一瞬の間に、タケマッソ村の男たち
はオークの両足に紐を掛けて体勢を崩した。
そして、オークを取り囲んだ男たちは一斉に槍を、斧を、鍬をオ
ークの身体に振り下ろしていく。
何度も、何度もだ。
﹁ブ⋮⋮﹂
﹁手を緩めるな!﹂
﹁まだ生きてるぞ!﹂
勿論、オークも抵抗しようとはしている。
が、何かをしようとする前に何度も攻撃が加えられ、碌に暴れる
事も出来なくなっていた。
﹁ぶっ潰れろ!!﹂
﹁!?﹂
そして一人の男が振り下ろした鍬によってオークの頭は打ち砕か
17
れ、血と脳漿が周囲に飛び散り、オークはその動きを止める。
﹁はぁはぁ⋮⋮よし。仕留めたようだな﹂
地面に倒れたオークの身体も、周囲に飛び散った血と脳漿も、徐
々に薄れていき、やがて小さな石一つをその場に残してオークは消
え去る。
﹁ーーーーー﹂
﹁ーーーーー﹂
﹁⋮⋮﹂
そして、指揮をしていた人間が石を回収し、男たちは村の中へ戻
っていく。
その光景を見届けた私はその場を後にすると、アムプル山脈の方
へと幾らか移動する。
﹁此処なら大丈夫かな﹂
そうして、先程見た光景をしっかりと頭の中で反復していく。
そう、妖魔はヒトの天敵だ。
けれどそれはヒトが相手ならば、絶対に勝てると言う事では無い。
ヒトの方にしっかりとした備えがあるならば、妖魔が破れる事も
普通に有り得るのだ。
﹁さて、しっかりと考えないとね﹂
だから私は考える事にする。
どうやれば、次のヒトを確実に食べれるのかを。
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第3話﹁妖魔ソフィア−2﹂︵後書き︶
妖魔はヒトの天敵ですが、圧倒的な数の差までは埋められません。
次話からは毎日12:00更新となります。
02/09誤字訂正
19
第4話﹁妖魔ソフィア−3﹂
﹁んんー⋮⋮﹂
気が付けば、日が昇っていた。
どうやらこれからどうするのかを考えるあまり、眠ってしまって
いたらしい。
﹁まあ、方針は決まってるからいいかな﹂
私は一応身の回りに変化が無い事と、周囲に人の影が無い事を確
かめてから、体を伸ばしほぐす。
うん、快調だ。
これなら、私の考え通りに事が進めば今日もヒトを狩れるだろう。
﹁さて、村の様子はっと⋮⋮﹂
と言うわけで、私の想定通りに事が進むのかを確かめるべく、森
の中を移動して、タケマッソ村の様子を探る。
﹁ーーーーー!﹂
﹁ーーーーー!﹂
タケマッソ村では、既に畑で農作業を行っているヒトの姿が沢山
見られた。
だが、農作業を行っているヒトの性別と年齢には明らかな偏りが
あり、殆どが女性と子供だった。
では、大人の男は何処に居るかと言えば⋮⋮居た。
﹁うん、私の想定通りみたいだね﹂
タケマッソ村の男たちは昨日の夜と同じように、武器を手にした
状態で村長の家の前に集まっていた。
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ただ、武器だけでなく、ロープや水筒、杖や布なども用意されて
いる。
加えて、彼らが発している雰囲気は昨日の夜の様に物々しい物で
は無く、焦りと諦めが入り混じっているような雰囲気だった。
うん、距離があるから男たちが何を話しているのかは分からない
けど、これは間違いない。
彼らは昨日私が食べた二人の少女を探すべく、山に入ろうとして
いるのだ。
﹁まあ、昨日オークが出たせいで、微妙な雰囲気になっているみた
いだけどね﹂
ただ、集団が放つ雰囲気に焦りと諦めが入り混じっている辺りか
らして、昨日自分たちで倒したオークに二人が食われている可能性
も考えているのだろう。
まあ、妖魔に限らずこの森には危険な獣が生息しているのだし、
諦めたくなる気持ちも分からなくはないけど。
でも諦めて欲しくはないかな。
ここで二人の捜索を諦められてしまうと、今日は一人も食べれな
い可能性が出て来てしまう。
腹の感じからして数日だったら食べなくても大丈夫だろうけど⋮
⋮出来れば毎日一人は食べたい。
﹁ーーーーー!﹂
﹁と、出発みたいだね﹂
と、私の願いが通じたのかどうかは分からないが、タケマッソ村
の男たちが複数のグループに分かれて、行動を始める。
どうやら、アムプル山脈に入って二人の少女を探すグループと、
様々な事態に備えて村に残るグループに分かれて行動するらしい。
うん、ここまでは想定通りだ。
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﹁五人かぁ⋮⋮ちょっと困るかも﹂
ただ、捜索グループの方だが⋮⋮やはり妖魔と危険な獣を警戒し
てなのか、それとも単純にアムプル山脈の険しさを知っての事なの
か、一人で行動するような愚策は採らなかった。
しっかりと五人一組で、お互いの存在を確かめ合いながら、山の
中に入ってくる。
一応想定はしていたけど⋮⋮困る。
﹁⋮⋮。よし、あのグループにしよう﹂
ただそれでも、村を襲って昨日のオークのようにリンチにされる
よりかはマシだと私は考える。
なので、何となくではあるが、グループの中で意思の統一が図れ
て無さそうに感じるグループの後を木の上に身を隠しながら、追い
始める。
﹁ソフィアー!﹂
﹁アルマー!﹂
﹁何処に居るー!﹂
﹁居たら返事をしてくれー!﹂
﹁⋮⋮﹂
それにしてもソフィアにアルマかぁ⋮⋮論理的に考えれば、私が
最初に食べた子の名前がソフィアで、その次に食べた子の名前がア
ルマなんだろうね。
私はアルマと思しき子が叫んでいた名前を自分の名前としたわけ
だし。
﹁くそっ、何処に居るんだ⋮⋮アルマ⋮⋮ソフィア⋮⋮﹂
﹁どっかに身を隠していてくれりゃあいいんだがな⋮⋮﹂
あ、二人とも私のお腹の中です。
消化はもう終わっているので、私に食われても会えませんが。
22
﹁くそっ、妖魔め⋮⋮よくも二人を⋮⋮﹂
﹁おいっ、その言い方は無いだろうが﹂
﹁そうだぞ。まだ二人が食われたと決まったわけじゃない﹂
まあ、そんな事はさて置いてだ。
やはりと言うべきか、このグループは他のグループと違ってそこ
まで意思の疎通が図れているわけではないらしい。
二人が生きていると思っているグループと、二人が死んでいると
思っているグループが混ざってしまっているからだ。
うん、これなら付け入る隙もあるかな。
﹁⋮⋮﹂
そうして目の前の男たちを追う事数時間。
その時はやってきた。
﹁お前はそんなにソフィアとアルマを死んだことにしたいのか!﹂
﹁はんっ!お前だってもう理解しているはずだぞ!﹂
﹁二人とも落ち着けって⋮⋮﹂
昼を過ぎた頃、男たちは二人が生きているか否かで揉め始めたの
だ。
まあ、ここに来るまでに、お互いに探している二人の事をどう思
っているのかを言葉の端々に含ませていたからね。
鬱憤が溜まっていたんだろう。
﹁五月蠅い!お前に俺の気持ちが⋮⋮﹂
ちなみに、今特に怒っている男は近々少女の方のソフィアと結婚
する予定だったらしい。
うん、怒りたくもなるよね。そりゃあ。
23
食べた私が言う感想でもないけど。
でも、何となくだけど、あの男の顔は見ていてムカつくなぁ。
ま、いずれにしてもだ。
﹁ボソッ⋮⋮︵いただきまーす︶﹂
私は喧嘩している二人を遠巻きに眺めているだけの男に狙いを付
け、頭上から襲い掛かる。
﹁!?﹂
麻痺毒の牙を男の首に突き立てる。
そこから、男たちが突然の出来事に反応できない間に、私は全身
が麻痺している男を抱えると、手近な木の上へと運び上げる。
そして、痺れさせた男を抱えて、残りの男たちから急いで離れて
いく。
﹁最高の結果ではないけど、まずまずかな﹂
やがて、十分に男たちから離れたところで、私は手早く男を丸呑
みにする。
ただ、運んでいる間に首を絞めてしまっていたのか、食べるとき
には男は既に死んでいた。
味は⋮⋮微妙だった。
うーん、本音を言えば、生きたまま食べたかったし、私と言う存
在を認識されずに仕留めたかったが⋮⋮、まあ、今日もヒトを食べ
られただけでもマシだと思う事にしよう。
﹁それにしても⋮⋮﹂
それに、一つ気になった事が有る。
私が男を連れ去る時、私の顔を見た男たちは驚くのではなく、一
様に有り得ないものを見るような顔をしていた。
あれはどういう事なのだろうか?
24
﹁うーん、ちょっと確かめた方が良いかな﹂
考えてみれば、私は自分の容姿と言うものを確認していない。
それは問題だ。
なにせ、容姿も含めて私の能力なのだから。
となれば、出来るだけ早い内に私は私の容姿を確認しておいた方
が良いだろう。
私はそう考えて、手近な川へと向かう事にした。
25
第5話﹁妖魔ソフィア−4﹂
﹁はー⋮⋮これは驚かれる訳だ﹂
アムプル山脈の山中を流れる清流のほとりにやってきた私は、水
面に映る自分の姿を見て、思わずそう漏らしてしまった。
ただ、そうやって漏らしてしまうのも仕方がないだろう。
﹁うん、そっくりだ﹂
湖面に映った私の顔は、茶色の長い髪に青い目、白い肌を持って
おり、目鼻や口のパーツは綺麗に整っている。
それこそ私の顔を見れば百人中九十人ぐらいは美しいと褒めてく
れるような顔だ。
だが驚くべき点はその整った顔では無く、私は私の顔を以前に見
たことが有ると言う点だった。
﹁これ、あの子と私は双子だって名乗ったら、たぶん通るね﹂
そう、私の顔は私が最初に食べた少女の顔と瓜二つだったのだ。
﹁んー⋮⋮﹂
勿論、私と彼女の間には明確な違いも存在している。
傍目から見て一番分かり易いのは⋮⋮胸かな。
彼女はそれなりの大きさのものを持っていたと認識しているが、
私は真っ平らである。
まあ、有っても邪魔なだけなんだけど。
﹁ついでだし、持ち物とかも改めて整理しようかな。水浴びもした
いし﹂
私は身体と服に付いた汚れを落とすべく、服を脱ぎ、水浴びを始
26
める。
冬も近いので、少々どころでなく水が冷たいが⋮⋮まあ、妖魔で
ある私にとって、この程度の寒さは関係ない。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
で、水浴びをしつつ、私は改めて自分の身に着けていた物を整理
する。
まず上着は膝下まで丈があり、フードも付いているロングのコー
ト。
これは木の肌や山の地面に紛れ込むような色合いをしていて、森
の中で私の姿を隠すのに一役買ってくれている。
で、下は何故か膝上までしかないミニのスカート。
⋮⋮。
何でスカート?
いやまあ、布製だから動きを阻害することはないし、妖魔である
私の肌はヒトの肌に比べて強靭だから少々の事では傷つかないから
何の問題はないけど⋮⋮何でスカート?
と言うか、普通はズボンだと思うんだけど⋮⋮何でスカート?
まあ気にしても仕方がないか。
次に革製と思しきブーツ。
ただ靴底は革とは思えない柔らかくも硬い、不思議な物質で出来
ている。
ふうん、どうやらこの靴底のおかげで、山の中を派手に動き回っ
ても、それほど音がしないらしい。
手は⋮⋮穴あきの手袋で、指の付け根から先を出せる様になって
いる。
27
そして、掌の部分には滑り止めのようなものが付いていて、手を
ついたり、何かを持った時に滑りづらいようになっている。
うん、これも何かと役に立ってそうだ。
最後は私の長い髪をまとめるために使われている金色の環。
蛇が自分の尾を咥えるような姿を取っているそれは、見た目だけ
で判断するなら純金で出来ているようにも見える。
が、その割には軽いし、硬い気がする。
それにだ。
﹁この環⋮⋮何か感じる﹂
何となくではあるが、この金色の蛇の環からは何かしらの力のよ
うな物を感じる。
その力が何なのか、今の私には分からないが、そう易々と捨てて
はいけないものだと言う事だけは分かる。
例え、この環が森の中では目立ち、ヒトの目を惹くような代物で
あってもだ。
﹁ま、その内分かるよね﹂
金色の蛇の環が持つ力の正体については、いずれ調べればいい。
私はそう判断して、水で濡れた髪をまとめ、環で束ねて止める。
そして、色々な汚れを落とした衣服を身に着けていく。
ちなみに、妖魔の衣服は半分体の一部なので、汚れは別に落とす
必要はあっても、濡れているのを一瞬で乾かすぐらいの事は出来る。
実に便利だ。
﹁それにしても⋮⋮﹂
私は改めて水面に映る自分の姿を見る。
と同時に、先程の水浴び中に確認した、一糸まとわぬ姿の自分の
姿も思い出す。
28
﹁騙せる⋮⋮よね﹂
私の顔は最初に食べた少女そっくりだ。
そして、私の身体の中で、詳しく調べればまた別ではあるが、傍
から見て私が妖魔であると一目でばれる様な要素は存在しない。
となればだ。
﹁服は⋮⋮着替えて⋮⋮﹂
明らかにヒトが使う物とは異なる素材で出来ているコートやブー
ツを脱ぎ、普通のヒトが着るような衣服を身に纏えば、私がヒトの
間に紛れ込む事は不可能ではないかもしれない。
いやまあ、油断しきった状態で屯する大量のヒトを目の前にして
私が妖魔としての本能を抑え込めるのかという問題や、最初に食べ
た少女の事を知っている人間と出くわしたらどうするのだとか、色
々と問題は山積みなのだけれども。
﹁でも⋮⋮不可能ではない⋮⋮よね﹂
でも決して不可能ではないと思う。
﹁ーーーーー!﹂
﹁ん?﹂
そうして具体的にどうやってヒトの中に紛れ込むかを考え始めた
時だった。
こちらに向かって複数のヒトが近づいてくる気配がした。
そして、複数のヒトが発する声もだ。
﹁と、隠れないと﹂
私は適当な樹の上に登って身を隠すと、気配の主を確かめる。
﹁ソフィアアァァ!何処だ!何処に居る!!﹂
29
﹁落ち着けディラン!アレはソフィアじゃない!﹂
﹁そうだぞ!ソフィアは人間だ!だがマルトを襲ったアイツの動き
は⋮⋮﹂
﹁ああ、どう考えてもヒトの物じゃなかった﹂
気配の主は、先程私が食べた男と一緒に居た男たちだった。
どうやら、私の事を探しているらしい。
襲ってもいい。襲ってもいいが⋮⋮
﹁くっ⋮⋮だが、ならどうしてソフィアの顔をしていたんだ!﹂
﹁それは⋮⋮﹂
もう今日は一人食べているし、何となくだけど男よりも女の方が
美味しそうな気がするんだよなぁ⋮⋮。
うん、警戒もされているし、今日の所は放っておこう。
私はそう結論付けて、音もなくその場を後にすることにした。
30
第5話﹁妖魔ソフィア−4﹂︵後書き︶
あ、身に着けているのは本当にこれだけです。
下着なんてありません。
02/09誤字訂正
31
第6話﹁妖魔ソフィア−5﹂
﹁それでお前らは村に帰ってきた⋮⋮と﹂
﹁はい﹂
夜。
タケマッソ村の男たちは村長の家に集まり、暖炉の火で照らされ
た室内で、今日の捜索の結果をお互いに報告し合っていた。
﹁山の中で揉めた事をまずは咎めたいが⋮⋮﹂
﹁う⋮⋮﹂
﹁まあいい、その事については後回しにするとしよう﹂
その中で男たちの報告を受ける事に専念していたのは顎に白ひげ
を蓄えた老人⋮⋮タケマッソ村の村長だった。
そして、その村長はディランたち四人を一度睨み付けるが、直ぐ
に視線を部屋全体へと戻して話を始める。
﹁儂らが第一に考えるべきは、そのマルトを連れ去ったソフィアの
顔をした妖魔をどうするかだ。お主らの話を聞く限りでは、ただ突
っ込んでくるだけの猪ではないようだしな﹂
村長の言葉に部屋中の男たちが静かに頷く。
﹁では情報を整理しよう。まず確認だが、そのソフィアの顔をした
何者かは妖魔で間違いないのだな﹂
﹁あ、ああ。最初に音も無く現れたのはともかく、マルトを一瞬で
動けなくした上に、マルトを抱えた状態で木の上を難なく移動して
いた﹂
﹁あの動きで人間だったら、そっちの方が驚きだよ⋮⋮﹂
﹁それに、俺たちが着ている物とはまるで違う衣服を身に着けてい
32
た。あんな衣装は見た事が無い﹂
﹁なるほど﹂
ソフィアと遭遇した男たちの言葉に、村長は一度頷く。
﹁ディラン。その妖魔の顔がソフィアの顔だったのは間違いないの
だな﹂
﹁ああ、間違いない。横顔と後ろ姿しか見ていないが、アレは間違
いなくソフィアだった﹂
﹁そうか。ならやはりそう言う事になるな﹂
﹁そう言う事?﹂
ディランの言葉に村長は悲しそうに首を振る。
﹁ディラン。それに皆にも言っておこう。残念だが、ソフィアとア
ルマは死んだものとして扱え。二人が生きている可能性は諦めた方
がいい﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
部屋に居る男たちの間に動揺が走る。
だが、その反応を予想していたように、村長は淡々と話を続ける。
﹁お前たち、妖魔が突然現れると言うのは知っているな﹂
ウェアウルフ
﹁あ、ああ。と言うか、祖父さんが仲間たちと一緒にその瞬間を目
撃したんだろ﹂
﹁そうだ。そして、その時倒した狼の妖魔の顔だが、何処となく儂
とその時一緒に居た仲間たちの顔を思わせるものだった﹂
﹁それってつまり⋮⋮﹂
﹁そうだ。推測でしかないが、その妖魔がソフィアそっくりの顔を
しているとなれば⋮⋮ソフィアはその妖魔が生まれる瞬間に立ち会
ってしまったのだろう。そして、目の前に現れた獲物を逃すほど、
妖魔は甘い存在ではない。となれば必然、ソフィアを追っていたで
あろうアルマも⋮⋮だ﹂
33
﹁くそっ、そんな⋮⋮﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
﹁妖魔め⋮⋮﹂
村長の言葉に殆どの男が悔しそうな表情をすると共に、ソフィア
への怨みと憎しみを募らせる。
﹁ぐっ⋮⋮ソフィア⋮⋮アルマ⋮⋮﹂
その中でも特に悔しそうに歯ぎしりするのは、少女の方のソフィ
アと近々結婚する予定であったディランだった。
だが、彼がそうなるのも仕方がないだろう。
なにせ、自分が愛し、これから一生を添い遂げようと思っていた
相手が居なくなっただけでなく、もう一人の居なくなった少女⋮⋮
アルマも、彼の妹の一人だったのだから。
﹁ディラン。分かっているな。ここでやみくもに動けば、更に死者
が増える事になる。冷静になるのだ﹂
今にも村の外へと駆け出しそうなディランを諌める様に、村長が
声を発する。
﹁分かっているさ⋮⋮分かっているが⋮⋮﹂
﹁お前は息子の次の村長なのだ。常に私情に走らず、村の為に働け
とは言わないが、ここだけは私情に走るな。走れば、相手の良いよ
うにされるぞ﹂
﹁分かっている!マルトが死んだのは、俺とジャルガが言い合いを
していて、奴が付け込む隙をうんじまったからだ!もうあんな事は
しない!﹂
﹁分かっているのならそれでいい。ジャルガよ。お主も⋮⋮﹂
﹁分かっている。あんな事はもう御免だ⋮⋮﹂
﹁そうか。ならば、これ以上儂から言う事は無い﹂
ディランとジャルガ、反目し合っていた二人の反応に、これなら
34
大丈夫と納得したのか、村長は椅子に深く座り直す。
﹁息子よ﹂
﹁分かっております。父上﹂
村長の横に居た男性が一歩前に出る。
オーク
﹁さてと。それでは例の妖魔をどうやって仕留めるかを考えるとし
よう。相手は一人だが、昨日の豚の妖魔より遥かに危険な相手であ
るようだしな。しっかりと作戦を立てる事としよう﹂
その男性は昨日の夜オークとの戦いで、指揮を執っていた男性で
あり、その目には確かな戦意が宿っていた。
やがて、男性を中心にソフィアを倒すための作戦が建てられ、そ
の日は解散となった。
﹁ヘイロート、ユースタス﹂
﹁何ですか?村長﹂
そして、話し合いが解散となった後。
村長は二人の男性を呼び止める。
﹁例の書状だ。これを持って二人で近隣の村を回り、ソフィアの顔
をした妖魔について注意をするように伝えて来るのだ﹂
﹁ありがとうございます。しかし⋮⋮私とユースタスが抜けても村
は本当に大丈夫なのですか?﹂
﹁心配するなら、自分の身を心配した方が良い。奴は昨日の時点で
生まれていたはずなのに、この村を襲って来なかった。と言う事は、
山の中から出てくる気が無いと言うことだ。となれば、襲われる可
能性で言えば、二人で山の中を行動することになるお主らの方が遥
かに高いぐらいだ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁だからこそお主らに頼む。頼んだぞ﹂
35
﹁分かりました﹂
﹁頑張らせていただきます﹂
ヘイロートとユースタスの二人はそう言うと村長から離れていく。
と同時に、村長も自分の家へと戻っていく。
そして、この光景を遠くから一人の人物が見ていた。
36
第6話﹁妖魔ソフィア−5﹂︵後書き︶
村サイドでした
02/13文章改稿
02/28誤字訂正
37
第7話﹁妖魔ソフィア−6﹂
﹁身長や歩き方からして、村長、ヘイロートさん、ユースタスさん
⋮⋮かな?﹂
夜。
私は山の中からタケマッソ村の様子を窺っていた。
普通のヒトの目ならば何も見えなくとも、生物の放つ熱を見れる
私なら、屋外の何処に誰が居て、何をしているかぐらいは分かるか
らだ。
﹁うーん、村長は二人に何かを手渡した。そして、その何かを受け
取った二人はそれぞれ自分の家へと帰っていった⋮⋮﹂
勿論、屋内の何処に誰が居るかや、何を話しているのかといった
事は分からない。
なので、分かるのは村長の家でタケマッソ村の男たちが何かしら
の話し合いが行われ、その話し合いに結論が出て解散。
その後、ヘイロートさんとユースタスさんの二人だけが村長に呼
び止められて、何かを渡された。
﹁受け取ったのは⋮⋮何だろう⋮⋮﹂
今日の集まりが私に対抗するための何かであることは間違いない。
となれば、ヘイロートさんとユースタスさんが受け取った何かも
それ関連と見るべきだ。
そして、二人だけが呼び止められたと言う事は、その二人は他の
面々とは別行動を取ると考えていいはず。
では、別行動をして何をするのか?
﹁ヘイロートさんもユースタスさんも優秀な狩人で戦士。他の村に
38
も顔が利く⋮⋮﹂
私はヘイロートさんとユースタスさんについて思い出す⋮⋮ああ
いや、少女の方のソフィアから記憶を引っ張ってくる。
二人は優秀な狩人で、アムプル山脈の険しい山道でも普通に動け
オーク
る上に、熊や狼ぐらいだったら難なく蹴散らせた。
そして、豚の妖魔ぐらいなら、勝つ事は出来なくとも、深手を負
うことなく逃げ切る事ぐらいは出来る。
当然、これだけ優秀なヒトなのだから、他の村のヒトにも顔が利
くし、顔が利くのだから二人がする話も信用されやすい。
﹁うん、受け取ったのは私の人相書きか何かで、二人は他の村へ私
の存在を伝えに行く。そんな所かな﹂
それだけの人間をわざわざ別に動かすのだから、他の村への使者
と言うのが、やはり妥当な所だろう。
﹁ならチャンスだね﹂
そしてだ。
あの二人が別行動と言うのは、私にとっては大きなチャンスが存
在している事を意味している。
﹁明日の村の行動は、恐らく山狩りをして私を仕留めようと言うグ
ループ。村を守るグループ。他の村へ情報を伝えるグループに分か
れて行動するはず﹂
私は改めて、頭の中で状況を整理し、明日どうするべきかを考え
る。
﹁ヘイロートさんとユースタスさんを食べる事は出来ない。絶対に
逃げられる﹂
まず他の村に私の情報が伝わる事については、素直に諦める。
私一人ではどう足掻いても二人を同時に仕留める事は出来ないか
39
らだ。
と言うか、下手をすると返り討ちに遭いかねない。
﹁山狩りのグループを襲うのも無し﹂
山狩りのグループを襲う事も出来ない。
彼らは既に私の情報を持っているし、今日のようにバラけたりも
しないだろうから、不意を衝いて一人か二人仕留めた所で、袋叩き
にされるのが目に見えている。
まず間違いなく村長の息子さんが指揮を執っているだろうから、
多少の事で混乱するとも思えないし。
﹁でもそれなら村は⋮⋮﹂
私は改めてタケマッソ村の様子を観察する。
タケマッソ村は今、複数の篝火を焚いて、交代で男たちが周囲を
警戒している。
そして、この状況は明日以降も変わりないだろう。
見かけ上は。
﹁手薄になるよね﹂
私は知っている。
確かにタケマッソ村には、協力すれば妖魔にも抵抗できるだけの
人材が揃っている。
が、その中核に成り得る人材は決まっている事を。
そして、その中核に成り得る人物は明日の朝以降、ほぼ全員が村
の外に出るであろう事もだ。
﹁村は収穫作業の途中﹂
情報は他にも有る。
現在村は秋の収穫作業中で、男たちが私に対応する以上は、女子
供が収穫作業を行うしかない。
40
この作業の手を止めてしまえば、村は冬を越せなくなってしまう
からだ。
﹁隙は幾らでもある﹂
収穫するのは麦。
故に、収穫される前の麦が生えた畑に身を伏せれば私の姿を隠す
事は出来るし、収穫された麦が運ばれる専用の納屋の中にも、私が
隠れるためのスペースは幾らでもある。
そして、収穫作業の忙しさを考えれば、途中で誰かの姿が見えな
くなっても、気にする余裕が無いであろうと言う事もだ。
﹁ふふふ、ちょっと楽しくなってきた﹂
勿論、村を直接襲う以上、侵入から脱出まで私は見つかってはい
けない。
見つかれば、数の暴力でもって抑え込まれてしまうのは間違いな
いからだ。
そして、村を直接襲った以上、明後日以降の私への攻撃がより苛
烈な物になる事も目に見えている。
なので、明日村を襲い、無事に脱出したならば、そのまま私の事
も少女の方のソフィアの事も知らない場所まで移動する事も確定。
と同時に、その移動の為に必要な物⋮⋮妖魔であることを隠すた
めの衣服や、何かと便利な路銀と言った物も明日一緒に回収してお
くべきなのも間違いない。
うん、私の味方が、私一人しかいない事が地味に響いてる。
﹁よし、移動開始﹂
いずれにしても、狙うものは決まった。
となれば、後は行動あるのみだ。
41
第7話﹁妖魔ソフィア−6﹂︵後書き︶
麦と言ってますが、麦と言う名の別の何かでしょうね。
山間部で作れていますし。
42
第8話﹁妖魔ソフィア−7﹂
﹁それじゃあ行ってくる﹂
﹁気を付けろよ。ヘイロート、ユースタス﹂
﹁そっちもな﹂
夜が明け、タケマッソ村の住人達がそれぞれ動き出す。
まずはヘイロートさんとユースタスさんの二人が村の外へと出て
いく。
勿論、二人一緒にだ。
﹁では我々も行くぞ。目的はただ一つ。妖魔の首だ!!﹂
﹁﹁﹁おう!﹂﹂﹂
そして、二人が出ていってから多少の時間が経ったところで、山
の中に居るはずの私を狩るべく、村長の息子さんによる指揮の元、
村の男たちの半数以上がアムプル山脈の中へと一丸になって入って
いく。
その声からは、恐れや怯えのような感情は感じられない。
﹁さて、早いところ収穫作業を終わらせないとな﹂
﹁そうだね。このままじゃ冬を越せなくなっちまう﹂
﹁お父さんたちの分まで頑張らなきゃ﹂
と同時に、村に残った者たちも、男は槍を手にして森の側を警戒
し始め、女子供は畑の収穫作業を始めるべく動き出す。
男たちが無事に戻ってくる事も、村に何かが襲い掛かってくる事
もそれほど警戒していないのか、聞こえてくる声にはそれほど緊張
感や悲壮感は感じられない。
﹁さて⋮⋮﹂
43
で、当の私はと言えば⋮⋮既に村の中に入り込んでいる。
具体的には、少女の方のソフィアの家の屋根裏に潜んでいる。
昨日の夜から既にだ。
﹁私もそろそろ動き出そうかな﹂
うん、私が妖魔に食われたと言う事で、今現在我が家は大いに悲
しみに耽っており、特に私のすぐ下の妹に至っては完全に体調を崩
して、床に伏せていた。
そのため、我が家の住人が今日の収穫作業に強制的に参加させら
れる事も無く、誰かがわざわざ訪問してくると言う事も無かった。
﹁妹はもう食べたしね﹂
おかげで、まずは夜の内に屋根裏の寝床で一人眠っていた妹を食
べることが出来た。
うん、実に美味しかった。
そしてだ⋮⋮。
﹁フィーナ。大丈夫か⋮⋮う!?﹂
﹁はい、お母さんゲット﹂
今、妹に食事を持ってきた母親を仕留めた。
うんうん、いい感じだ。
﹁じゃ、弟達も食べてあげなきゃね﹂
私は物音を立てずに家の中を動き、悲鳴を上げる間も与えずに三
人居る弟へ順に麻痺毒の牙を突き立て、食べていく。
うーん、やっぱり子供の方が美味しいっぽいかな。
少女の方のソフィアのような年頃の少女と弟たちのように幼い男
の子なら、前者の方が美味しいけど。
好みって難しいね。
44
﹁服はこれで良し⋮⋮と﹂
さて、恐らくは他の男たちと一緒に村の外へ私を狩りに出ている
兄を除いて、これで家族は全員仕留めた。
と言うわけで、今回タケマッソ村に侵入した目的である、私の衣
服をまずは回収。
足りない胸の部分については、今まで着ていたコートを詰めて補
う。
そして、顔については村⋮⋮と言うよりかは、この辺り一帯の礼
儀作法に従って、帽子に黒い布を付けて垂らす事によって隠す。
私と母親の体格はかなり似通っているので、これで顔と声さえ知
られなければ、村の中を歩く事ぐらいは出来るだろう。
﹁よし、行くか﹂
この時点で時刻は昼を回る少し前。
山狩りの男たちが帰ってくるのはまだ先だが、収穫作業をしてい
る住人たちは、一度軽めの休憩に入るはず。
ここが一つの狙いどころだ。
﹁おや、セーラさん。出て来て大丈夫なのかい?﹂
﹁⋮⋮﹂
私は顔を隠し、母親の歩き方を真似て村の中をゆっくりと移動す
る。
途中で何度か声も掛けられたが、静かに頭を下げ、悲しそうにし
ている振りをすれば、特に咎められることも無かった。
で、そのまま特に何事も無く、私は村の中を移動し続け、村長の
家に到達する。
﹁さて、次は路銀だね﹂
村長の家には、とある事情から大量のお金が蓄えられている。
私はそれを知っていた。
45
なので、それをこれからの旅の資金として、頂く事にする。
﹁おや、セー⋮⋮っ!?﹂
勿論正面から家の中に入るようなことはしない。
私の母親が村長の家を訪ねること自体は不審でなくとも、その後
の行動を考えれば、最初から人目につかない方が良い。
と言うわけで、村長の家の近くで警戒していた男の一人を物陰に
招きよせ⋮⋮始末。
その後、壁を登って我が家に侵入したのと同じ方法でもって、屋
根裏に入り込む。
﹁さて、お金は⋮⋮あったあった﹂
お金は直ぐに見つかった。
袋一杯に金貨と銀貨が詰め込まれていたからだ。
これで、他の村で人間のフリをして宿に泊まると言った事も問題
なく行えるだろうし、色々と面倒な状況をお金で解決するなんて真
似も出来るだろう。
﹁はぁ⋮⋮まったく⋮⋮﹂
そして手に入れたお金の袋を腰に結んで、入ってきた時と同じよ
うに脱出しようと思った時だった。
﹁えっ!?﹂
﹁っつ!?﹂
屋根裏部屋に村長の息子さんの奥さんが入ってきて、目が合った。
﹁な⋮⋮っ!?﹂
私の行動は速かった。
瞬き一つの間に、音も無く奥さんに近づくと、その首を片手で掴
み、脚で奥さんの身体を全力で蹴り飛ばす事によって、首の骨を無
46
理矢理折る。
﹁何のお⋮⋮ソフィア!?ぐっ!?﹂
そして、階下に居て、私の姿を目撃した憎たらしい村長も同様の
方法でもって始末する。
だが、今度は距離もあって、仕留めるのが一瞬遅かった。
﹁村長!?﹂
﹁なっ!?﹂
﹁ソフィア!?﹂
﹁ちっ﹂
村長の家の中に、村の男たちが踏み込んでくる。
倒す事は?家の中という狭い地形を利用すれば、目の前の男たち
だけならば始末できるかもしれない。
が、直ぐに村中の⋮⋮それどころか山狩りに出ていた者たちも含
めて、男たちが駆けつけてくるのは目に見えている。
そして、私は既に衣装も路銀も手に入れ、腹を十分に満たしてい
る。
それに、村長と村長の息子の妻も殺せている。
つまりは私が村に侵入した目的は達せられているのだ。
﹁逃げるが勝ちってこういう事よね!﹂
﹁なにっ!?﹂
﹁に、逃げたぞ!﹂
﹁逃がすな!追えー!﹂
故に私は踵を返し、手近な窓から家の外へと飛び出ると、麦の間
に身を潜めながら畑の中を駆け抜け、山の中へと撤退する。
妖魔とヒトの身体能力差もあって、私が追いつかれることは無か
った。
47
第8話﹁妖魔ソフィア−7﹂︵後書き︶
02/12誤字訂正
48
第9話﹁妖魔ソフィア−8﹂
﹁何処に行った!?﹂
﹁探せ!まだ近くに居るはずだ!﹂
私は山の中を駆け、山狩りに出ていたタケマッソ村の男たちに見
つからないように気を付けつつ、タケマッソ村から離れていく。
私にとって誤算だったのは、狼煙か何かでもって、村を守るグル
ープと山狩りに出るグループの間で情報の共有が可能だったと言う
点だ。
そのために、予想以上に追われていると言う状況から脱出するの
に時間がかかっている。
﹁よっと﹂
だが悲しいかな。
タケマッソ村の住人は所詮はただのヒトであり、山の中で単独行
動を取ると言う選択肢は彼らには無い。
そして、同行するヒトの数が増えれば増えるほど、警戒能力や戦
闘能力は上がっても、移動能力は大きく落ちていく。
そのために、私が逃げる事に専念している限り、タケマッソ村の
男たちが私を止める事は不可能と言ってよかった。
﹁此処まで来ればいいかな﹂
やがて私は隣の村へと繋がる山道の途中⋮⋮峠の部分へとやって
来ていた。
既に陽は半ばまで沈み、周囲では私にとっては味方である闇が自
らの色合いを深めている。
ここまで陽が落ちてしまえば、もう今日はこれ以上タケマッソ村
の男たちが追って来る事はない。
49
私がそう思った時だった。
﹁ソフィアアァァ!﹂
﹁あら﹂
背後から掛けられたムカつく男の声に、私は半分だけ振り返る。
﹁ディランじゃない。どうしたの?﹂
﹁どうしたじゃない!﹂
そこに居たのは、私と結婚するはずだった男であるディラン。
その手には剣が握られ、背には弓と矢が携えられている。
﹁何故祖父さんと母さんを殺した!何故妖魔になった!いや⋮⋮何
で妖魔がソフィアの顔をしている!!﹂
ディランの全身は汗まみれで、此処までかなりの無理をして急い
できたことが見て取れた。
そして、真っ赤にした顔からして、本気で怒り狂っている事も見
て取れた。
ただ私にとっては至極どうでもいい事だ。
﹁返と⋮⋮ぐっ!?﹂
﹁妖魔を前にして、ぺちゃくちゃお喋りをするなんて随分と余裕ね﹂
私はディランに駆け寄ると、首を右手で掴み、ディランの右手首
を左手で握り潰して、手に持った剣を落とさせる。
﹁何故私がソフィアの顔をしているのか?そんなの私が聞きたいぐ
らいよ﹂
すぐ目の前に、妖魔である私にとっては食料でしかないヒトが居
る。
が、なぜか私は目の前の男を食べたいとは思わなかった。
むしろ、今すぐにでもただ殺したいと思った。
50
﹁ああでもね。一つ良い事を教えてあげる﹂
﹁良い事⋮⋮だと⋮⋮﹂
何故そんな風に思ったのか、ただの直感ではあるが、理由は直ぐ
に分かった。
今までで唯一私が生きたまま食べた少女⋮⋮ソフィアがそう思っ
ているからだと。
そして、それを理解した途端、私の口は極自然にソフィアの意思
を代弁するかのように動くようになっていた。
﹁ディラン。ソフィアは貴方の事が大嫌いだった。村長と村長の息
子の奥さんと同じくらいに。それこそ、殺す機会があるのならば殺
してしまいたいほどに﹂
﹁!?﹂
信じられないものを見たかのように、ディランの目と口が大きく
開かれる。
恐らく彼にも分かったのだろう。
私が言っている事が、本当にソフィアが思い抱いていたことだと。
﹁な⋮⋮なん⋮⋮﹂
﹁だって、好きになんてなれるわけがないじゃない。貴方には小さ
い頃から散々迷惑を掛けられたのよ。アルマが貴方の代わりにいつ
も私に謝ってくれていたから、表面上は許していたけど、とても許
せるものじゃなかったわ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁おまけに貴方は村長の孫であることを笠に着て、自分に都合の悪
い事が有れば直ぐ暴力に訴えるし、酒癖も女癖も悪かった。私が知
らないとでも思ったの?﹂
﹁ソ⋮⋮ぐっ!?﹂
私は左の手でディランの鼻を軽く殴りつける。
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骨が折れ、血が流れ出るが⋮⋮気にする必要は無い。
だってまだ私の言いたい事は終わっていないのだから。
﹁しかも、ウチに父親が居なくて、兄しか男の働き手が居ないのに
付け込んで、村長と貴方の母親は私に貴方へと嫁ぐように迫ってき
た。私が嫁がなければ、家族を村の集まりから締め出すぞってね﹂
﹁あ⋮⋮ぐ⋮⋮﹂
ディランの首を抑える右手に、自然と力がこもり、その口から薄
汚い苦悶の声が漏れ出てくる。
﹁まだあるわ。村長と貴方の母親は、妖魔を殺した後に出てくる石
を売って、お金を蓄えていたの﹂
﹁それ⋮⋮は⋮⋮﹂
﹁村の為の金?いいえ違うわ。だったら隠す意味なんてないし、き
ちんと使うべき時に使っていたはずよ。村長は自分の家の為だけに
お金を蓄え、使っていたの。だから村の皆が飢えている時も、村長
の家だけは飢えずに済んでいた。これはアルマが教えてくれたこと
よ﹂
﹁そん⋮⋮﹂
﹁あの家で本当に村の為に動いていたのは村長の息子さんとアルマ
ぐらいだったわ⋮⋮だからね。ディラン﹂
私はディランの肩を軽く噛んで、麻痺毒ともう一種類の毒を流し
込むと、唾ごと口の中に入ったディランの血を吐き捨てる。
こんな男の血は一滴たりとも身体の中に取り込みたくないからだ。
﹁貴方にも死んでもらう。それが妖魔と一つになった私が、村に出
来る唯一の恩返しよ﹂
﹁ぎ⋮⋮が⋮⋮﹂
毒が効いて来たのか、ディランの四肢から力が抜け、口と鼻から
先程殴って出来た傷とは別に血が流れ出始める。
52
このまま放っておいてもディランは間違いなく死ぬだろう。
だが、目の前で死んだことを確認できなければ、私は納得がいか
なかったし、安心も出来なかった。
﹁死になさい﹂
だから私はディランを全力で蹴り飛ばして、道の横の壁に叩きつ
けると、先程ディランが落とした剣を拾う。
﹁助け⋮⋮﹂
﹁ただの骸になる形でね﹂
そして、ディランが完全に動かなくなるまで、その腹に剣を突き
刺し続けた。
53
第9話﹁妖魔ソフィア−8﹂︵後書き︶
本作はエログロバイオレンスマシマシカーニバルな作品です︵今更︶
02/13誤字訂正
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第10話﹁都市国家−1﹂
﹁んー、いい天気ねぇ﹂
タケマッソ村の周辺から飛び出して一ヶ月。
道中でちょくちょくヒトを襲いつつ、私はアムプル山脈を抜け、
南の方へとやって来ていた。
﹁この調子なら、次の村には問題なく着けそうね﹂
さて、このアムプル山脈の南だが、ヒトの間ではヘニトグロ地方
と呼ばれているそうだ。
ヘニトグロ地方は森と小さな丘、湖が数え切れないほどあるそう
だが、基本はなだらかな丘陵地帯になっている。
そして、そこかしかに都市国家と言うタケマッソ村や、此処に来
るまで寄ってきた町とは比べ物にならない程に大きくなったヒトの
集団が存在するそうだ。
で、そんなヘニトグロ地方に私がやってきたのは、勿論獲物を求
めての事である。
﹁⋮⋮﹂
都市国家はたくさんの人が集まって作られたもの。
となれば当然、妖魔への対策も十分に整えられているだろう。
だが、ヒトと言うのは集まれば集まるほど、その能力を高める生
物である一方で、内輪で揉め、隙をデカくする生物でもある。
そう、考えも無く見かけた人を片っ端から食べるような妖魔なら、
圧倒的な戦力差でもって叩き潰されるだけだろうが、ヒトの集団に
潜み、夜陰に紛れて適度に人を喰らうだけならば、誰が妖魔なのか
分からない可能性は十分にある。
特に私のように獲物を丸呑みにして、血痕も死体も残さないでヒ
55
トを始末できる妖魔なら尚更だ。
﹁それで、私に何か用?﹂
さて、そんな目的でもって一人旅を続ける私だが、一つ困ったこ
とが有る。
﹁へっへっへ⋮⋮バレてたのか﹂
それは、妙に絡まれやすいと言う事。
﹁気付いてて逃げねえとはなぁ⋮⋮﹂
勿論、妖魔や獣では無くヒトからだ。
﹁ぐひっ、ぐひひひひ⋮⋮﹂
私が今居る場所は街と街の間に造られた、左右が森で覆われた道
である。
そして今、左右の森からは武器を持った男たちが現れ始めていた。
男たちの格好は見るからにみすぼらしく、汚いものであり、多少
人ならざる者の特徴を付ければ、妖魔だと言っても疑われないよう
な姿。
所謂、野盗と言うと言う奴だ。
数は⋮⋮十人ぐらいかな。
﹁ま、用と言っても、大したことじゃ⋮⋮﹂
うん、先手必勝。
流石に十対一でまともにやり合う気はない。
﹁ね⋮⋮!?﹂
と言う訳で、一番近くに居た男の首筋に麻痺毒の牙を突き刺して
動きを止め、右手で男の腰の剣を掴み、左手で男の肩を掴む。
56
﹁ふんっ!﹂
﹁ギャッ!?﹂
そして、他の男に向けて、一番近くにいた男を片手で突き飛ばし
つつ抜剣。
手近な場所に居た男の首筋に剣を叩きつける。
﹁コイツ!?﹂
﹁舐めた真似を!﹂
﹁ちっ、粗悪品ね﹂
男の首に叩きつけた剣は、男の首の中ほどまで刃が入ったところ
で折れ曲がり始め、そのまま折れてしまう。
まあいずれにしても絶命したのは確かなので、私は男の持つ剣に
左手を伸ばして強奪する。
﹁優しくしてりゃあ付け上がりやがって!﹂
﹁ぶっ殺して⋮⋮﹂
﹁はっ!﹂
そして森の奥からこちらに向けて弓矢を構えていた男に向けて投
擲。
と同時に私自身も向かって来た男二人に向かって跳躍する。
﹁グッ!?﹂
﹁ゲッ!?﹂
﹁すぅ⋮⋮﹂
私は男二人の首を掴むと、全力で握りしめる。
それだけで、どちらの男もマトモな抵抗をする事も出来なくなる。
そして、そのままの状態で⋮⋮
﹁どりゃああぁぁ!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
57
男二人を鈍器として振り回し、他の男たちに向けて手当たり次第
に叩きつける。
果敢に私に向かって攻撃を仕掛けようとする人間がいようとも、
持っている男が血まみれになって腹辺りから千切れようとも、私の
正体に気づいた男がこの場から逃げ出そうとも、構わずに振り回し
続ける。
そう、真正面から向かってくるヒトは叩き潰す。
貴重な今日の食事になるからだ。
そう、逃げるヒトは追わない。
どうせ彼らは野盗であり、私の正体を話す相手もいなければ、信
頼もされないからだ。
﹁ふう⋮⋮﹂
暴れ続けること数分。
やがて私の周囲には大量の血と肉片がばら撒かれ、私自身も少な
くない量の返り血を浴びていた。
が、私には傷一つ無く、私以外にこの場で動くものはいなかった。
うん、始末完了だ。
﹁さてと。この服⋮⋮どうしようかしら?﹂
さて、始末が終わったところで、私は野盗たちの中でも幾らかは
見た目が良い人間を選んで血肉を丸呑みしつつ、少々考え込む。
﹁それに⋮⋮これだけ襲われると言う事は、私の側に狙われやすい
理由があると言う事よね﹂
まず服は変えざるを得ない。
今の服は適当な村娘を食べるついでに奪った物で、洗えばどんな
汚れも落ちるような代物ではないのだ。
だが、服を変えるにしてもどんな服に変えるべきなのか。
正直、数日に一度襲ってくれるのは、食料の心配をしなくてもい
58
いので、ある意味ではありがたい。
だが、あまりにも頻繁に襲われると、普通のヒトに見られ、面倒
な事態に陥る可能性が増していく一方なのだ。
ではどうするべきなのか。
﹁んー⋮⋮とりあえず、もう少し強そうに見せておけば、襲われる
可能性は低く出来るかな﹂
私はそう判断すると、男たちの服から、自分の身体のサイズに合
いそうな衣服と革の鎧、それに見るからに粗悪品な剣を二本ほど回
収して、腰に挿す。
下の服は血まみれのままだが⋮⋮うん、いっそのこと、野盗に襲
われた際の返り血だと素直に言ってしまえばいいかもしれない。
﹁さて、行きますか﹂
私は腹が十分に満たされ、身に着けている衣服におかしな点が無
い事を確認すると、次の村か休憩所を目指して再び歩き出す。
ああ、早いところ、都市国家とやらを見てみたいものだ。
59
第10話﹁都市国家−1﹂︵後書き︶
不意討ち万歳!
60
第11話﹁都市国家−2﹂
﹁ふう。やっと着いたわね﹂
夕方。
私は道の途中で、森を左右に大きく切り開いて造られた広場のよ
うな場所にやって来ていた。
ここは道沿いに造られた、あるいは複数の道の交差点として自然
に出来上がった野営地である。
﹁ここは⋮⋮自然に出来たパターンね﹂
で、私がやってきた野営地だが、どうやらここは三つの道の交差
点と言う事で、自然に出来上がったパターンの野営地であるらしい。
広場の何処を見渡しても、整備されている感じがしないからだ。
﹁で、ヒトは⋮⋮居るわね。思いっきり警戒されてるけど﹂
さて、この野営地だが、私が踏み込んだ時点で、三台の馬車がま
とまった形で止められており、その前には馬車の持ち主、御者、護
衛役と思しきヒトがたき火を中心にする形で二十人以上集まってい
た。
そして、持ち主と御者についてはただ驚いているだけだが、護衛
役と思しき人は私の姿を見た途端に警戒の色を濃くしていた。
まあ、警戒されるのは仕方がないだろう。
私が妖魔だと言う事は分からなくても、夕暮れに全身血まみれの
状態で野営地に踏み込んでくる者が怪しくないはずがない。
﹁悪いがそこで止まってくれ﹂
﹁分かったわ﹂
私が一足で踏み込める距離のギリギリ外から、護衛役の中でもリ
61
ーダー格と思しきヒトにそう言われ、私は野営地に数歩踏み込んだ
ところで足を止める。
うん、いい護衛役だ。
この距離なら、仮に私が何かをしても、直ぐに対応が出来る。
と言うわけで、この時点で彼らを襲う事は考える事もやめる。
まあ、元々妖魔と野盗対策できちんと野営地に集まる事を選べる
ヒトたちを相手にするのはリスクが大きいから避けたいし、今日は
野盗たちを食べたおかげで十分腹が膨れているから、襲わないと言
う選択肢に問題は無い。
﹁君の名前は何だ。目的は何だ。それと⋮⋮その血は何だ?﹂
﹁私の名前はソフィア。目的は⋮⋮野営地に来たのは、少しでも安
全に眠るため。旅をしているのは都市国家と言うのを目指している
から。血は野盗に襲われた時に着いた返り血よ﹂
仮称リーダーさんから質問が来たので、私は素直にそう答える。
ここで嘘を吐いても疑われるだけだしね。
﹁野盗だと?﹂
﹁ええ、半日ほど前に襲われたの。それで、道の近くに川や湖の類
もなさそうだったから、止むを得ず此処まで血まみれのまま来たの
よ﹂
﹁その割には君の付けている革の鎧にはさほど血が付いていないよ
うだが?﹂
﹁ああこれ?元のは戦っている間に壊れちゃったから、野盗が使っ
ていたのを剥いだのよ。剣もそうね﹂
﹁ふうむ⋮⋮﹂
リーダーさんは私の言葉を訝しむように眉根を顰める。
でも残念、私はほぼ本当の事しか言っていません。
ちなみに、不慣れな土地で川や湖を探して森の中に入るとか、命
を半ば捨てるような行為だと言ってもいい。
62
体を洗うための水を探して、命を失うだなんて本末転倒もいい所
だ。
﹁ラスラー。それぐらいにしておいていいのではないかね。彼女は
ただの腕が立つヒトと見てよさそうだ﹂
﹁ですが⋮⋮﹂
﹁野盗なら有無を言わさず襲い掛かって来ているし、妖魔なら尚更
だ﹂
﹁依頼主である貴方がそう言うのであれば、仕方がありませんね﹂
と、ここで馬車の持ち主と思しき、立派な服装かつ恰幅の良い男
性の言葉によってリーダーさん改めラスラーさんが退く。
ふう、何とか乗り切ったかな。
別に森の中で一夜を明かしてもいいんだけど、普通のヒトがやら
ない行動は出来る限り避けておきたいんだよね。
どこで私が妖魔である証拠を目撃されるか分かったものじゃない
し。
﹁ソフィア⋮⋮だったかね。そこの道を行くと川に出るから、服を
洗ってくるといい﹂
﹁ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます
ね﹂
とりあえず、受け取れる好意は受け取っておくべきだろう。
私は馬車が置かれている場所の裏から伸びていた細い道を通って
川へと向かい、血まみれの服と体を洗う事にした。
﹁さて、それでソフィアだったかね。君は都市国家を目指している
と言っていたが、具体的には何処の都市国家を目指しているのかね
?﹂
体を洗ってきて、多少はマシな状態だった替えの服に着替えて野
営地に戻ってくると、日はすっかり落ち、野営地の外は深い深い闇
63
に包まれていた。
で、そんな中で、私はヒトらしくたき火で髪の毛と服を乾かし、
ついでに川で取ってきた魚を焼いていたのだが⋮⋮先程の馬車の主
さんからこんな質問が飛んできた。
なお、妖魔はヒトを食べなければ死ぬが、普通に餓死することも
あるので、魚を食べる意味はきちんとある。
﹁何処と言われても⋮⋮特に決めてはいませんね﹂
﹁決めていない?﹂
﹁ええ、私はアムプル山脈の山奥の方の出なので、都市国家と言う
物についてほとんど知らないのです﹂
﹁ああなるほど⋮⋮それならば知らなくて当然か﹂
さて、質問についてだが⋮⋮これも素直に答えるしかないだろう。
実際、タケマッソ村の人間で都市国家について知っているとした
ら、村長ぐらいのものだろうし。
﹁ではそう言う事なら、明日はそちらの道を行くと良い。そうすれ
ば、昼過ぎには都市国家マダレム・ダーイに着くはずだ﹂
﹁なるほど﹂
﹁で、マダレム・ダーイに入ったら、アスクレオ商店と言う所で買
い物をしてくれ。私の店なんだ。何なら紹介状も書いておこう﹂
﹁は、はあ⋮⋮﹂
で、どうしてそんな質問をと内心で思っていたら⋮⋮宣伝だった
らしい。
何かしらの文章が書かれた羊皮紙も渡された。
まあ、お金は有るし、旅やヒトを狩るのに有用そうな物が有れば、
買ってもいいだろう。
﹁では、私はこれにて﹂
﹁あ、ありがとうございます?﹂
64
とりあえず、いい笑顔を浮かべる強かな商人アスクレオさんに対
して、私は曖昧な笑みを返すしかなかった。
65
第11話﹁都市国家−2﹂︵後書き︶
嘘は言っていない
02/16誤字訂正
66
第12話﹁都市国家−3﹂
﹁⋮⋮﹂
深夜。
かすかな物音に私は目を覚ます。
﹁ソフィア?﹂
その音は私の目の前にあるたき火の音でも、寝ずの番でもって野
営地の周囲を警戒している護衛たちの出す音でもない。
木の葉を何者かが掻き分けるような音であり、当然だが馬車の中
で眠っているアスクレオさんや御者が出すものでもない。
﹁コイツは⋮⋮﹂
﹁全員起きて準備を整えろ⋮⋮﹂
野営地の外から聞こえてくるその音に、既に私以外のヒトも気づ
いている。
そして、音に気づくと同時に、静かにけれど手際よく準備を整え
始めている。
﹁ゴブッ、ゴブッ、ゴブッ﹂
﹁ひとダ。ひとガ居ルゾ﹂
﹁肉ダ。ひとノ肉ガ食エルゾ﹂
やがて私の目が、未だにヒトの目では見通せない闇の中に潜んで
いるそのものの姿を捉える。
﹁野盗じゃないな﹂
﹁ああ、野盗なら明かりを持ってくるはずだ﹂
﹁つまりは妖魔か﹂
67
背丈は人間の子供程の大きさで、大きい者でも私の胸の下ぐらい
までだ。
だが、その顔は見るからに大人のもので、声も同様。
しかも口からは長い前歯が生えている。
加えて、身に着けているものはボロい布きれ一枚で、見るからに
汚らしく、腰の辺りからは鼠の尾のような物が生えているようだっ
た。
﹁全員構えておけ。音からして複数だ﹂
﹁てことは奴らか﹂
﹁なら、まだマシだな﹂
ああこれはもう間違いないな。
こいつらは少女の方のソフィアでも知っている程に有名な妖魔の
一体⋮⋮
﹁﹁﹁ギャハハハハッ!﹂﹂﹂
ゴブリン
﹁来るぞっ!﹂
鼠の妖魔だ。
﹁全員、確実に一匹ずつ⋮⋮﹂
まず私は考える。
ゴブリンたちと協力すれば、ラスラーさんを筆頭とした護衛役を
殺し、アスクレオさんたちも狩れるかを。
そしてすぐに結論を出す。
うん、無理。
﹁オ前ハ⋮⋮﹂
ゴブリンの身体能力は妖魔の中でも特に低く、普通の成人男性と
同じ程度だ。
だから彼らは最初から複数体で現れ、数を頼みにヒトを襲い喰ら
68
うとされている。
そして、実際にそれを見たことが有るので、私はそれを事実だと
知っている。
逆に言ってしまえば⋮⋮数で負けている時点でゴブリンの側に勝
ち目はないのだ。
﹁はっ!﹂
﹁ぎっ!?﹂
﹁っておい!?﹂
と言うわけで、何か妙な事を口走られる前に、私は最も宿営地に
近い場所に迫っていたゴブリンに接近すると、腰に提げている剣の
一方を右手で持って抜き放ち、力任せにゴブリンの首を刎ねる。
﹁ナ⋮⋮﹂
﹁ふっ!﹂
そして、続けざまに逆手でもう一本の剣を抜くと、近くに居たゴ
ブリンの額に突き刺し仕留める。
﹁あっ⋮⋮﹂
﹁﹁﹁殺セ!殺セ!殺セ!﹂﹂﹂
で、死んだ妖魔が石になるまでに多少の時間が有るので、ゴブリ
ンの額に刺した剣を抜こうと思ったのだが⋮⋮抜く際に捻ってしま
ったのか、粗悪な造りだった剣はあっけなく折れてしまう。
まったく、これだから粗悪品は⋮⋮なんて言っている状態じゃな
いか。
﹁﹁﹁殺セ!殺セ!殺セ!!﹂﹂﹂
﹁ああもう⋮⋮﹂
既にゴブリンたちは奇襲をかける事を諦め、野営地に向かって真
っ直ぐに突撃を仕掛けて来ている。
69
その数は八。
こちらの戦力が十人以上いる事を考えれば、やはり勝負にはなら
ないだろう。
が、それは決して被害なく倒せると言い切れるものではない。
﹁やれ!﹂
﹁了解!﹂
﹁よっ⋮⋮っつ!?﹂
と言うわけで、私は野営地まで退こうと後ろに飛び退いたのだが、
その瞬間に私の顔の横の空間を巨大な石の塊が突き抜けていき、そ
のまま私に跳びかかろうとしていた妖魔の顔面に直撃。
妖魔の顔面が文字通りに弾け飛ぶ。
﹁何が⋮⋮﹂
あんな石の塊をヒトの身体能力であれほど速く真っ直ぐに飛ばす
事は出来ない。
そう思った私は慌てて自分の背後を見る。
するとそこに居たのは、先端に緑色の石を填め込んだ木製の杖を
こちら⋮⋮いや、ゴブリンへと向ける護衛役の一人だった。
﹁なるほど。これが魔法⋮⋮﹂
﹁今だ⋮⋮﹂
私はその護衛役の男性が何をしたのかを何となくだが理解した。
恐らくあれが村や旅の途中で聞いた魔法と言うものなのだろう。
ヒトの顔程もある大きさの石を、矢のような速さで飛ばせると言
うのは流石に想定外であり、出来れば敵には回したくないと思わせ
るものではあるが。
﹁かかれええぇぇ!﹂
と、私が考え事をしている間にも、ラスラーさんを先頭にして、
70
護衛の男たちの中でも武器の扱いに慣れた者たちがゴブリンに対し
て切りかかり始める。
﹁ゴギャ!?﹂
﹁ブギイッ!?﹂
﹁ギギャア!?﹂
勿論ゴブリンたちも抵抗しようとはした。
が、子供程の身長で大人並の身体能力を持っていると言う特徴は
あっても、単体ではそれしか特徴が無く、武器の一つも持っていな
いゴブリンでは、武器を持ち、数で上回るヒトの集団を崩すことな
ど出来るはずも無かった。
一匹、また一匹と仕留められていき、この場から逃げ出そうとし
た者も弓を持ったヒトの攻撃や、先程の石の魔法でもって仕留めら
れていく。
﹁ふぅ、終わったな﹂
﹁だな﹂
﹁ソフィア。最初に切り込んでくれて助かった。おかげで簡単に敵
の連携を乱すことが出来た﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
結局、ラスラーさんたちがゴブリンの集団に切り込んでから、ほ
どなくして戦いは終わった。
言うまでも無くヒトの側の勝利で。
まあ、妖魔である私が言うのも何だが、今回は仕方がないよね。
71
第12話﹁都市国家−3﹂︵後書き︶
ファンタジーですもの、魔法ぐらいは出ます
72
第13話﹁都市国家−4﹂
﹁これで全部か﹂
﹁ああ、全部だ﹂
全てのゴブリンが始末された後、ラスラーさんたちは死んだ妖魔
が変化する石を手際よく回収しておく。
と言うわけで、私もラスラーさんたちに倣って、自分で仕留めた
二匹のゴブリンの石は回収しておく。
しておくのだが⋮⋮うん、正直何に使うのか分からないこんな石
よりも、ゴブリンを一撃で仕留めたあの魔法の方が気になる。
﹁⋮⋮ん?﹂
﹁ああ、どうやら彼女は君の魔法が気になるらしいね。教えてあげ
られる事は教えておいてあげてもいいんじゃないかな。ストータス﹂
﹁はぁ⋮⋮貴方がそう仰るなら、私は別に構いませんが﹂
と、私が送っている視線に気づいたのか、アスクレオさんの言葉
を受けて、杖を持った男性⋮⋮ストータスさんが私の事を手招きす
る。
うん、ありがたい。
﹁ソフィアだったか。魔法について教えて欲しいのか?﹂
﹁是非﹂
﹁分かった﹂
敵に回すにしても、私が使えるか判断するにしても、最低限の情
報すら無ければ一切の判断が出来ないのだから。
今の内に聞けることは聞いておくべきだろう。
まあ最悪、魔法が使えるヒトを生きたまま丸呑みにして、記憶を
奪うと言う手段もあるけど⋮⋮魔法がどこまでやれるのかが分から
73
ない現状だと、その方法は最終手段かな。
腹の中から殺されるとか勘弁だし。
﹁始めに言っておくが、魔法の詳細については門外不出の技術だ。
だから、私が教えるのは一般⋮⋮あー、都市国家に住む普通の人間
でも知っている範囲に限らせてもらうぞ﹂
﹁十分です﹂
むしろ、今の状況で一から十まで教わったら、そっちの方が色々
と面倒な事態に巻き込まれそうだしね。
﹁まず魔法と言うのは、魔石⋮⋮あー、お前の反応からしてそこか
らみたいだな。妖魔を殺した後に残る石の事を魔石と言うんだが、
この魔石に特殊な加工を施した上に、私のように特殊な訓練を積ん
だ者の一部⋮⋮魔法使いにしか使えないものだ﹂
﹁ふむふむ﹂
ストータスさんの説明は実に分かり易い物だった。
で、ストータスさんの説明をまとめるとだ。
・妖魔が死んで、死体が消えた後に残される石を魔石と言う
・魔法は魔石に特殊な加工を施し、特殊な訓練を積んだ者が揃って
初めて使える
・魔法には様々な種類が存在し、石の塊を飛ばすような物以外にも、
火の玉を飛ばすもの、明かりを生み出すものなど、実に様々なもの
が有る
・魔法使いには流派と言うものがあり、流派毎に使われる魔法は違う
・魔石の加工法や修練の方法などは機密中の機密情報の為、各流派
は非常に仲が悪い
との事だった。
74
ストバ
ーレ
ンット
﹁ちなみに、私が先程使った魔法は石弾と言って、私の所属する流
派﹃大地の探究者﹄で使われている魔法の中では最も基本的な物に
なる﹂
﹁えと⋮⋮﹂
で、先程の魔法の名前と、ストータスさんの所属する流派の名前
も教えて貰ったのだが⋮⋮そこまで教えてもらってしまっても大丈
夫なの?
これで強制的に﹃大地の探究者﹄に所属することになったりとか
は⋮⋮
﹁心配しなくても、﹃大地の探究者﹄の名はマダレム・ダーイでは
よく知られているし、石弾の魔法についてもその名と効果だけは知
られている。だから心配は知らないよ﹂
﹁あ、そうなんですか。なら安心しました﹂
しないらしい。
よかったぁ⋮⋮特定の団体に所属するとか、私の正体がバレる可
能性が一気に高まるに決まっているし、本当に良かった。
﹁ただ不思議な事に、私よりも修行を積んでいるのに石弾を⋮⋮﹂
﹁ストータス﹂
﹁っつ、すみません﹂
﹁?﹂
と、ストータスさんがさらに何かを言おうとするが、その言葉は
アスクレオさんの言葉で遮られる。
んー、心なしかストータスさんの顔色が悪いような?
﹁あー、そうだ。興味があったならば、マダレム・ダーイに来た際
にでも、﹃大地の探究者﹄の本拠地に来てくれ。正式な団員にしか
教えられない知識もある﹂
﹁えと、考えておきます﹂
75
とりあえず、所属するかどうかは誤魔化しておく。
まず間違いなく所属しないけど。
﹁それともう一つ、折角だから魔石についても基本的な知識を教え
ておこう﹂
﹁と言いますと?﹂
そう言うと、ストータスさんは近くに落ちている石を一つ拾い、
ラスラーさんに声を掛けて魔石と思しき石も一つ手に取る。
﹁魔石は外見上はただの石と変わらない。よって、見ただけで魔石
とただの石を見極める事は不可能と言っていい﹂
二つの石はよく似ている。
ストータスさんの言うように、外見でこの二つの石の内、どちら
が魔石なのかを判別する事はまず無理だろう。
﹁だが⋮⋮両手を出してみろ﹂
﹁はい﹂
ストータスさんが私の両手の上に一つずつ石を乗せる。
そしてすぐに気付く。
﹁今感じ取ってもらった通り、明らかに魔石の方からは何かしらの
力のような物が出ている﹂
右手の上に乗せられた石の方から、微かではあるが、妙な気配の
ようなものを感じ取れる事に。
﹁この力は強力な妖魔が残した魔石の方が強いらしい。そして、強
力な妖魔が残した魔石ほど、強力な魔法を発動できる可能性が高い。
と、言われているな﹂
﹁へー⋮⋮﹂
なるほど、強い妖魔が残す魔石ほど、強い魔法が使えるのか。
76
いずれにしても、魔石を加工してヒトが魔法が使うのであるなら
ば、魔石の元になる妖魔が魔法を使う事は⋮⋮
﹁私から話せるのはこれぐらいだ。分かったか?﹂
﹁はい、ありがとうございます﹂
不可能では無いかもしれない。
77
第13話﹁都市国家−4﹂︵後書き︶
魔石についての説明でした
78
第14話﹁都市国家−5﹂
﹁見えた﹂
翌朝。
私はアスクレオさんたちと別れ、昨日教わった通りの道を進んだ。
そうして昼ごろに少々ヒトをつまみ食いし、小さな川を一つ越え、
丘を登り切ったところで森が終わる。
﹁凄い⋮⋮﹂
私は目の前に広がる光景に驚きの色を隠せなかった。
タケマッソ村のものとは比較にならない程大きい畑に、森の木々
と変わらないような高さの石の壁。
その石の壁に取り付けられた門を出入りするのは無数の人々と馬
車。
そして、壁の向こう側には三日月型の湖が微かに見えていた。
これが都市国家マダレム・ダーイ。
多くのヒトが集まり、作り上げた地。
﹁と、行かなきゃ⋮⋮﹂
何時までも呆然として居られない。
私はそう考えて、ゆっくりとマダレム・ダーイの門へと向かう。
同時に、改めて自分に対して言い聞かせる。
私は妖魔では無くヒトだと。
口の中を子細に観察されなければ、ばれる事は無いと。
﹁ん?そこの君﹂
﹁っ!?﹂ そうして、自分としては特におかしなところも緊張した所も無く、
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マダレム・ダーイの門に近づいた時だった。
槍を手に持ち、全身を革の鎧で覆われ、兜の上には青く染められ
た鳥の羽が飾られている男性が私に声を掛けて来て、私は思わず身
を強張らせる。
﹁見慣れない顔だな。それにその反応⋮⋮ちょっとこっちへ﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
此処で逃げ出しても騒ぎを大きくし、怪しまれ、妖魔だと言う事
がばれる可能性が増すだけだ。
私はそう自分に言い聞かせ、その男性の手招きに応じる形で、門
の脇に造られた小さな屋根の下へと入っていく。
﹁そう緊張しなくてもいい。幾つか確認したい事が有るだけだから。
ああ、とりあえずそこに座って﹂
﹁し、失礼します﹂
そして、そこに置かれていた木製の椅子の一つに腰掛ける。
大丈夫。
男性の反応からして、私が妖魔だとはばれていない。
ただ挙動不審だっただけだ。
﹁さてと、君は今までにマダレム・ダーイに来たことは?﹂
﹁無いです﹂
﹁都市国家自体も初めて?﹂
﹁はい﹂
私は男性の質問に素直に答える。
誤魔化す意味もないし、呼び止められた時点で答えられる質問に
は素直に答えておいた方が、後腐れも無くて良い。
﹁なるほど⋮⋮分かった。それじゃあ、今からもう幾つかの質問を
するから、素直に答える様に。ああ、分からない質問は分からない
80
で構わない﹂
﹁分かりました﹂
それにだ。
上手くいけば、この会話からヒトの社会に関して新たに情報を得
られるかもしれない。
それは今後の為にも是非とも得ておくべき情報だ。
﹁まず名前は?﹂
﹁ソフィアです﹂
﹁年齢は?﹂
﹁17⋮⋮かな?すみません。数えてないので、正確には﹂
﹁いや構わない。出身地は?﹂
﹁アムプル山脈の奥地です﹂
﹁ふむ⋮⋮マダレム・ダーイに来た目的は?﹂
﹁都市国家を見たいと思って旅をしていて、最初に着いたのがマダ
レム・ダーイだった。と言う所です﹂
﹁つまりは旅人⋮⋮まあ、観光も含むと言う事でいいのかな﹂
﹁はい。それでいいと思います﹂
男性は羊皮紙にサラサラと何かを描いていく。
うーん、私は文字が読めないから、さっきから男性が何を書いて
いるのか分からない。
妙な事は書かれていないと思うけど⋮⋮やっぱり文字についても
何れは学んで読める様にしておいた方が良いかもしれない。
﹁同行者とかは?﹂
﹁居ないです﹂
﹁一人と⋮⋮つまり、腕は立つと?﹂
﹁えーと、基準が分からないので何とも言えませんが、野盗やゴブ
リンぐらいなら問題ないです﹂
﹁少なくとも一般人クラスでは無い⋮⋮と。ああそうだ、アムプル
81
山脈の方から来たと言うが、具体的にはどの道を?﹂
﹁あっちの方の道ですね﹂
男性の質問に私は門の外⋮⋮自分がやってきた方角にある道を指
差す。
と、私の言葉に男性は若干目を細める。
え?私は何か妙な事を言ったの?
﹁昨日の夜。野営地で誰かに会わなかったかな?﹂
﹁アスクレオさんには会いました﹂
﹁その事を証明出来る物は何か?﹂
﹁えーと、紹介状と言う物なら貰いましたけど﹂
﹁見せて﹂
﹁どうぞ﹂
私は荷物の中からアスクレオさんから受け取った紹介状を取り出
し、男性に渡す。
すると私から紹介状を受け取った男性は丹念かつ注意深く紹介状
を読み込んでいく。
﹁ふむ、分かった﹂
やがて紹介状を読み終わったのか、男性は紹介状を私に返すと同
時に、ほおを緩ませる。
﹁歓迎しよう。ソフィア君。マダレム・ダーイにようこそ﹂
﹁あ、ありがとうございます﹂
そして、握手と同時に私は歓迎の言葉を受ける事となった。
う、うーん、問題が無かったのは嬉しいんだけど、細かい部分が
分からなかったから、そこはかとない不安が付きまとう。
﹁歓迎ついでに良い事を教えておこう﹂
﹁?﹂
82
まあ、この件についてはこれ以上気にしても仕方がない。
今はマダレム・ダーイがどういう所なのかを良く調べなければな
らない。
﹁﹃大地の探究者﹄に用事があるのなら、北にある丘を目指すと良
い。アスクレオ商店に用があるのなら、マダレム・ダーイの中心地
に向かえば直ぐに分かるだろう﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁宿については⋮⋮異様に安い宿は止めておいた方が良い。街の治
安を守る衛視としては心苦しいが、値段が安い店はそれだけ裏に安
い訳があるからだ。それから⋮⋮何か有ったら、兜に青い羽根を付
けた人間を頼ると良い。それはこの街を守る衛視の目印だからな﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁では、君がマダレム・ダーイを好きになれる事を祈っているよ﹂
そして、私は椅子から立ち上がる際に男性⋮⋮衛視さんから渡さ
れたその情報を頭の中で反芻しながら、街の中心部に向けて歩き始
めた。
さて、まずはアスクレオ商店かな。
83
第14話﹁都市国家−5﹂︵後書き︶
マダレム・ダーイ到着です
84
第15話﹁都市国家−6﹂
﹁本当にヒトが多い⋮⋮﹂
ここで改めてマダレム・ダーイの地理について確認しておく。
マダレム・ダーイはヘニトグロ地方の北東に位置する都市国家で
あり、都市の東には三日月型の湖が、北側には丘があり、それ以外
の方位⋮⋮北東、北西、西、南西、南、南東には高い石の壁が築か
れている。
で、石の壁の内、南東以外の方角の壁には大きな門が設置されて
いるので、出入りは必然的に五つの門と港になっている東側に限ら
れている。
なお、私がやってきたのは、北東の門からである。
﹁でも食べられない。今本性を出したらタコ殴りにされる﹂
でまあ、丘の頂点には岩を直接くりぬいて作られたかのような建
物があるのだが、衛視さんの話からして、あの建物が﹃大地の探究
者﹄に関わりのある建物なのだろう。
うん、情報が出るまでは近づかない。
迂闊に近づいたら、何が有るのか分かったものじゃないし。
﹁と、あっちかな﹂
﹃大地の探究者﹄についてはさて置いて。
このマダレム・ダーイには大きな通りが三本ある。
一つは北にある丘から南の門に向かって真っ直ぐに伸びる通りで、
この通りがマダレム・ダーイの中では最も太くて長く、賑わってい
る通りだ。
で、残りの二つは、西門から東にある港に通じる通りと北西の門
から南西の門へと弧を描くように伸びている通り。
85
この三つの通りは綺麗に地面が均され、更には地面には小石一つ
落ちていない程に整備されており、街の中心で一点に交わるように
設置もされている。
﹁おいし⋮⋮駄目駄目っと﹂
﹁﹁﹁ーーーーーーー!﹂﹂﹂
さて、そうして通りが設置されているので当然と言えば当然だが、
この三つの通りには大量のヒトがひしめき合い、道の左右で開かれ
ている多くの商店が客を自分の店に呼び込もうと大きな声を上げて
いる。
だが、賑わい活気に満ちてはいても、荒事は起きていない。
これは頭に青い羽根を付けた衛視たちの仕事の賜物だろう。
よくよく見れば、私が今居る通りから一本離れ、建物が石造りか
ら木と石を組み合わせた物に変わっている裏通りにも、決して少な
くない数の衛視が巡回しているようであるし。
﹁と言うかもしかしなくても、妖魔対策も兼ねているんでしょうね﹂
なぜこれほどの数の衛視が存在しているのか。
それはもめごとの解決だけではなく、街中で突然妖魔が発生した
場合に、すぐさま対応する為でもあるはずだ。
何せ妖魔は前触れなく突然現れるのだから。
それはここマダレム・ダーイでも変わらないはずである。
﹁いらっしゃいませぇ!いらっしゃいませぇ!旅に欠かせない物が
欲しいのならアスクレオ商店!アスクレオ商店でございます!﹂
﹁と、見えてきた﹂
さて、そうやって通りを歩き続けていると、やがて三本の通りが
交錯する場所。
中心に一本の柱が建てられた、とても大きな広場に私は出る。
そして、広場の一角に私が探し求める店が大きな看板を掲げる形
86
で存在していた。
﹁ふうん⋮⋮﹂
﹁いらっしゃいませぇ!いらっしゃいませぇ!他の商店では決して
手に入らない、南の都市国家マダレム・イジョーの品ならアスクレ
オ商店ですよ!!﹂
私は他の客に混じって、アスクレオ商店の中に入る。
店内は広かったが、その広さを感じられない程にヒトで込み合い、
所狭しと数多の商品が陳列されている。
売られている物は⋮⋮塩やロープ、水筒と言った、ヒトが旅をす
るのに欠かせない物から、何処かの別の都市国家で作られている物
なのだろう、使い方がまるで分らない妙な品物もあった。
けれどそれ以上に目を惹くと同時に、アスクレオ商店がここマダ
レム・ダーイでどれほどの力を持っているのかを如実に感じさせる
商品群があった。
﹁やっぱりアスクレオさんは凄い人みたいね﹂
﹁いらっしゃいませぇ!いらっしゃいませぇ!妖魔に対抗するには
丈夫で切れ味のいい武器を!倒した妖魔から得た魔石の買い取りも
やっています!アスクレオ商店ですよー!﹂
そこには槍や剣と言った私もよく知る物から、斧と槍を組み合わ
せた様な妙な武器まで置かれていた。
それも野盗が使うような粗悪な造りのものでは無く、きちんとし
た金属製の武器の数々がだ。
おまけに、そう言った金属製の武器が売られている場所の近くに
は、魔石を買い取るためのカウンターも用意されていた。
﹁でなければ、こんな商品は売れないもの﹂
私はマダレム・ダーイにおけるアスクレオ商店⋮⋮いや、アスク
レオさんの実力の一端を理解する。
87
と言うのもだ。
まずアスクレオ商店の立地と広さからして、アスクレオさんがマ
ダレム・ダーイ有数の商人であることは疑いようがない。
そして、武器と言う上の許可なしに売る事が出来るはずがない品
物を扱っている時点で、アスクレオ商店とマダレム・ダーイを統べ
る者との繋がりの強さが窺える。
加えて魔石の買い取りと言う、加工して利用する技術を持たない
者にとっては一文の価値も無いものを扱う点からして、﹃大地の探
究者﹄ともそれ相応の繋がりがある事は想像に難くない。
うん、現状では間違ってもアスクレオさんを直接的に敵に回すよ
うな状況になったら駄目だ。
間違いなく詰む。
﹁お客様どうされましたか?﹂
﹁ん?﹂
と、ここで武器を眺めているだけの私を妙に思ったのか、店員と
思しきヒトが私に声をかけてくる。
﹁何かお求めの品があるのでしたら、ご相談に乗りますが﹂
﹁えーと、そうね⋮⋮と、そうだわ。とりあえずこれを﹂
お求めの品と言われても、正直思いつかない。
思いつかないが⋮⋮とりあえず私はアスクレオさんから貰った紹
介状を店員に渡した。
うん、いい加減にこの紹介状になんて書かれているのかを、知る
べきだと思う。
﹁ふむ、なるほど﹂
そうして店員さんはざっと一通り紹介状を読み⋮⋮
﹁お客様。奥の方へどうぞ。対応させていただきます﹂
88
﹁分かったわ﹂
私をカウンターの奥へと招いたのだった。
89
第15話﹁都市国家−6﹂︵後書き︶
道路が舗装されていないのが当たり前の時代です
90
第16話﹁都市国家−7﹂
﹁やぁやぁ、遅くなって済まない。君がソフィア君だね﹂
﹁あ、はい。よろしくお願いします。えと⋮⋮﹂
﹁私の名前はキノクレオ。アスクレオ商店の店長代理を務めさせて
もらっている﹂
﹁よろしくお願いします。キノクレオさん﹂
カウンターの奥の通路を抜けた先の小部屋で待つように言われた
私の前に、何処と無くアスクレオさんに似た容姿を持つ細身の男性
⋮⋮キノクレオさんが現れる。
うん、たぶんだけど、アスクレオさんの弟とか、甥とか、そんな
所じゃないかと思う。
﹁それで⋮⋮﹂
﹁分かっています。まずはこの紹介状の中身についてでしょう﹂
キノクレオさんが、先程店員さんに渡した紹介状を私に返す。
一応中身を改めてみてみるが⋮⋮特に書き換えられた点などは無
さそうだった。
私は文字が読めないから何とも言えないけど。
﹁その紹介状の中身は、簡単に言ってしまえば貴女は優秀な人間な
ので、出来る限りの便宜を計ってやってほしい。と言うものでした﹂
﹁そんな簡単な物なのですか?﹂
﹁勿論、実際には貴女以外の人間の手に渡ってしまってもいいよう
に、貴女の容姿についても出来る限り詳しく書かれていますし、貴
女が兄に話した貴女自身の情報についても書いてありましたよ﹂
﹁なるほど﹂
どうやらアスクレオさんが書いてくれた紹介状は、本当にただの
91
紹介状だったらしい。
それにしても便宜かぁ⋮⋮一体何をしてくれると言うのだろうか?
後やっぱりキノクレオさんはアスクレオさんの弟だったらしい。
﹁さて、それでは便宜の件について話しましょうか﹂
﹁はい﹂
さて、本格的な話が始まると言う事で私は軽く身構える。
﹁単刀直入に言わせてもらいますが、無償で貴女に便宜を図る事は
出来ません。これは商人として絶対に譲る事が出来ない点です﹂
﹁はい⋮⋮﹂
まず無償⋮⋮つまりはタダで私に対して便宜を計る事は出来ない。
これはまあ⋮⋮むしろありがたいかもしれない。
タダより高い物はないとよく言われるし、無償で便宜を図られた
りしたら、裏を疑わずにはいられない。
﹁そして紹介状によれば、貴女は旅をしていると言う。そこで確認
ですが、貴女がマダレム・ダーイに滞在するのも限られた期間の話
であり、今後も様々な場所をめぐる。この考えで間違っていません
か﹂
﹁はい﹂
それにだ。
私はタケマッソ村と言うド田舎からやって来て、こちらの常識も
知らず、文字も読めないような存在なのだ。
こう言っては何だが、至極簡単に騙せる相手だと思う。
そんな私に対して、表情と態度を見る限りでは至極誠実に対応し
てくれている相手に対して、一方的に寄ってかかるのは流石にどう
かと思う。
こんなの妖魔の考え方じゃないかもしれないけどさ。
92
﹁よろしい。ならば、アスクレオ商店の店長代理として一つ提案さ
せていただきます。これを呑んでいただけるなら、幾らかの便宜は
図りましょう﹂
﹁提案⋮⋮ですか﹂
﹁なに、簡単な話ですよ﹂
キノクレオさんの言葉に私は多少身を強張らせる。
うん、キノクレオさんが誠実な人間だと言うのは信じているが、
提案の中身次第では妖魔としての能力を使ってでもこの場を脱する
必要が有る可能性だってあるのだから、こればかりは仕方がない。
ただ⋮⋮
﹁今後、貴女が手に入れた魔石を出来る限りアスクレオ商店に売っ
てほしい。ただそれだけの話ですよ﹂
キノクレオさんの提案は、そこまで身を強張らせる様な物では無
かった。
﹁それだけ⋮⋮ですか?﹂
﹁ええ、それだけです。この約束を守ってくれるのなら、貴女に合
った武器や装備品も割安で用意させていただきますし、簡単な文章
を読み書き出来る程度に学べる場や、安全な宿と言うものも準備さ
せていただきます﹂
﹁⋮⋮﹂
魅力的な提案ではある。
魅力的な提案ではあるが、どうしてその程度で武器や文字、宿と
言った物を用意してもらえるのかが私には少々気になり、考え⋮⋮
納得した。
﹁なるほど⋮⋮そう言う事ですか﹂
﹁ふむ、紹介状に書いてあった通り、中々に察しが良いようですね。
大方は貴女が考えている通りで間違ってはいないと思いますよ﹂
93
私はマダレム・ダーイの北にあると言う﹃大地の探究者﹄の建物
の方へと目を向ける。
それだけで、キノクレオさんも私の考えを察したのか、笑みを浮
かべて頷く。
﹁一応聞いておきましょうか。なぜ私があのような提案をしたと思
いますか?﹂
﹁魔石⋮⋮いえ、魔石を加工することによって使えるようになる魔
法が強力な武器になるからですね﹂
﹁正解です﹂
そう、魔石は強力な武器である魔法を使うために欠かせない物だ。
そして、魔法は決して妖魔だけに向けられる力ではない。
となれば当然⋮⋮
﹁そう、残念ながら妖魔と言う目に見える敵がいる現状であるにも
関わらず、﹃大地の探究者﹄にもマダレム・ダーイにも、勿論我々
アスクレオ商店にもヒトの敵が居るのです。そう言った敵に魔法と
言う力が出来る限り渡らないようにするためにも、世に生まれ出た
魔石は出来る限り我々の手の届く場所に収めておきたいのですよ﹂
出来る限り自分の所有下に置いておきたいのがヒトとしての性と
言う物なのだろう。
まあ、そう言う事なら何の問題も無い。
﹁さて、ソフィア君。貴女は私の提案を受けてくれますかな?﹂
﹁そう言う事なら、気兼ねなく受けさせてもらいますわ﹂
私はキノクレオさんの提案を受け入れる。
私が彼らにヒトだと思われている内は、私にその力が向く事は無
いのだから。
﹁ありがとう。歓迎させてもらうよ﹂
94
﹁こちらこそ﹂
そうして、私とキノクレオさんは握手を交わした。
﹁なんつう力だ⋮⋮﹂
﹁これがアムプル山脈に住む人間の力か⋮⋮﹂
﹁凄い⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
余談になるが、この後私に合わせた武器を買う際に、大男でも持
ち上げるのがやっとな大剣を軽々と持ってしまったために、私は慌
ててウチの村の人間なら普通だったと言い繕うことになってしまっ
た。
うん、もっと気を付けてヒトの振りをしないと。
何処で正体がバレるか分かった物ではないのだし。
95
第16話﹁都市国家−7﹂︵後書き︶
タケマッソ村が魔境化しました︵笑︶
96
第17話﹁都市国家−8﹂
﹁さて、観光は明日からにして、今日はもう宿に行かないと﹂
結局、私が購入したのはハルバードと呼ばれる斧と槍と鶴嘴を組
み合わせた様な武器だった。
で、このハルバードと言う武器についてだが、アスクレオ商店の
店員さんによると一種の万能武器であるらしい。
具体的に言えば、槍のリーチと突破力、斧の破壊力、鶴嘴⋮⋮正
確には戈と言う武器の能力を組み合わせた武器で、扱う人間が扱う
ならば、どのような相手にも優位に戦えるそうだ。
うん、憧れる。
万能と言う響きにはやっぱり憧れる。
﹁えーと、宿の名前は⋮⋮﹃サーチアの宿﹄だったかな﹂
ただ、私がこのハルバードを購入したのは、その万能性に惹かれ
たからだけではない。
そう、単純にアスクレオ商店で売られている武器の中で、このハ
ルバードが一番頑丈そうで、妖魔の腕力で雑に扱っても壊れなさそ
うな気配を感じたから、私は買ったのだ。
﹁おっ、そこの兄ちゃん。一つどうだい?﹂
﹁どうだいって⋮⋮このリンゴ見るからにしなびてるじゃねえか﹂
﹁まあまあそう言わずに。安くしておくよ﹂
﹁要らねえっての⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
うん、決して扱う人間が居なくて、他の大型武器に比べて格別に
安かったから買ったわけでは無い。
製作者が不明で、替えや整備の問題がある分だけ安くしておくと
97
言うキノクレオさんの言葉に惹かれたわけでは無い。
大丈夫だ。
この武器は私の腕力に耐えてくれる。
私の事をヒトだと周囲に誤認させるのに一役買ってくれる。
﹁﹃サーチアの宿﹄⋮⋮﹂
ちなみに、このハルバードの柄と刃の接合部分には六脚、六翼、
六角の細長い生物を描いたような紋章が普通のヒトの目には見えな
いぐらい薄く刻まれている。
で、もう一つちなみに言うとだ。
﹁何処にあるんだろう⋮⋮﹂
私は現在、迷子である。
﹁はぁ⋮⋮油断した﹂
不覚と言う他ない。
アスクレオ商店を後にする際に道を教わったのだが、その道順な
らこっちの方が早く着くんじゃないかなんて考えるべきじゃなかっ
た。
おかげで、しなびたリンゴを良い顔で売る様な店がある様な通り
にまでやって来てしまっている。
マダレム・ダーイの広さと複雑さをタケマッソ村や、今まで通っ
てきた普通の村と一緒にするんじゃなかった。
﹁とりあえず⋮⋮うん、こっちにまっすぐ行ってみよう﹂
仕方がないので、私は夕日を背中にする形で、出来る限り真っ直
ぐに歩く事とする。
そうすれば、マダレム・ダーイの構造上、三日月型の湖とそれに
沿う形で作られた港には確実に着くはずである。
98
﹁つ、つええぇぇ⋮⋮﹂
﹁女の力じゃねぇ⋮⋮﹂
﹁と、見えてきたかな﹂
で、それからしばらく歩く事数十分。
私の見た目に騙されてきたチンピラたちを軽くシメつつ歩いてき
た私の前に、夕日に照らされた事によって橙色に輝く湖と、その湖
に浮かぶ数十隻の船。
それに獲れた魚を売るためであろう商店と、酒場が多いのか、酒
を求めてきた多くの人々の姿が目に入ってくる。
なお、当然と言うべきか、魚を売る店については既に軒並み閉ま
っている。
まあ、生の魚は腐りやすいし、これは仕方がない。
魚が食べたければ、また明日の朝に来るべきだ。
﹁えーと、とりあえず道を聞くなら⋮⋮うん、あの衛視さんでいい
かな﹂
私は周囲を見渡し、頭の上に青い羽根飾りを付けた衛視さんの姿
を探し、捉える。
困った時は衛視に相談。
基本中の基本だ。
それに、アスクレオ商店が紹介するような宿ならば、衛視さんた
ちに名前を尋ねれば直ぐに場所を教えてもらえるだろう。
そうして私が一番手近な場所に居る衛視さんに話しかけようと思
った時だった。
﹁﹁﹁きゃあああぁぁぁ!?﹂﹂﹂
﹁﹁﹁妖魔だああぁぁ!!﹂﹂﹂
﹁!?﹂
港中に響き渡るような声量で、男女の叫び声が聞こえてくる。
そしてその内容に私は一瞬身を強張らせ、周囲からの攻撃に備え
99
るが⋮⋮何も無い。
何も無いが、人々の目は全て同じ方向に向いているように見えた。
これは⋮⋮うん、どうやら私以外の妖魔が見つかったらしい。
﹁武器を持たないものは今すぐに下がれ!﹂
﹁どけっ!どくんだ!!﹂
既に周囲に居た衛視さんたちは騒動の中心部に向かって動き始め
ている。
となれば、私が何かをするまでも無く現れた妖魔は狩られる事に
なるだろう。
それならば、どういう妖魔が現れ、どういう風に衛視さんたちが
妖魔を狩るのかを見物させてもらおう。
サハギン
そう思った私は、この場から離れようとする群衆を掻き分けて、
騒動の中心部へと向かっていく。
﹁ギョ、ギョギョギョ⋮⋮﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
そして、騒動の中心部に辿り着いた私が見たのは魚の妖魔が旅人
と思しきヒトの身体を今まさに食い散らかしている姿と、そのサハ
ギンの近くで腰を抜かし尻餅をついている妙に魅力的な少女。
﹁ん?﹂
うん、妙だ。
尻餅をついている少女の容姿は金色の髪と多少濃い色の肌、赤い
瞳で確かに目は惹く。
が、総合的な評価で言えば十人並と言ったところだろう。
なのに何故か、妙に魅力的で、それこそ今この場で食べてしまい
たいほどだった。
﹁ギョ。ギョオオォォ⋮⋮﹂
100
﹁ひあ、あっ⋮⋮﹂
﹁君!早くこっちへ!﹂
と、サハギンが少女に気づいたのか、食事の手を止めて少女の方
を向く。
衛視たちは急に動いて、無闇にサハギンを刺激することを嫌った
のか、武器を構えていても、声を掛ける以上の事は出来ないでいた。
﹁ギョオオォォ!﹂
﹁いやああぁぁ!﹂
そしてサハギンが少女に向かって飛びかかり、周囲の群衆がこれ
から起きるであろう惨状に目を背けようとした瞬間だった。
﹁死ね﹂
﹁ギョガ!?﹂
私は本能的に飛び出し、背に携えていたハルバードを抜き放つと、
サハギンの頭に斧を全力で叩き下ろしていた。
101
第17話﹁都市国家−8﹂︵後書き︶
ヒロインと書いて獲物と読むのが本作です
102
第18話﹁都市国家−9﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
サハギンの頭をたたき割り、弾けさせた斧はそのままの勢いで地
面に突き刺さると、周囲に大量の砂埃を巻き上げる。
﹁⋮⋮﹂
やってしまった。
私は自分の起こした惨状を、ヒトの目では何も捉えられない砂ぼ
こりの中で確認し、内心でそう思う。
いやうん、本当に私は何をやっているんだろうね。
クズ
いくらあの少女がとても魅力的で、その価値も理解していないよ
うなサハギンに食われるのが嫌だからと言って、このマダレム・ダ
ーイの治安を守る衛視さんたちを差し置いて飛び出るとか、余計な
注目を集めて、私の正体がばれる危険性を高めるだけの行動でしか
ないのにね。
でもまあ、飛び出てしまった以上は仕方がない。
ここは今すぐに彼女を食べて⋮⋮
﹁あ、あの⋮⋮﹂
違う!ここマダレム・ダーイ!
しかも、大量のヒトが見ている真ん前だから!
食べようとしたら、リンチにされるから!!
落ち着け私!
と言うわけで⋮⋮
﹁大丈夫?﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
103
絶命したサハギンの姿が薄れ、魔石に変わっていくのを横目で確
認しつつ、私は少女をこの場で今すぐ食べてしまいたいと言う欲求
を理性で無理矢理抑え込み、少女の肩に手を置くと安否を気遣う声
をかける。
﹁大⋮⋮丈夫⋮⋮です﹂
少女の声と身体は震え、赤い瞳の目尻にも涙のようなものが溜ま
っているのが見えている。
が、私に恐怖するような感情は感じられない。
どうやら、少女には私が妖魔であると言う事は分からなかったよ
うだ。
ふう、良かった。
なら後はちょっと人目が付かない所に連れ込んで⋮⋮
﹁退いて!退きなさい!﹂
﹁君たち!大丈夫か!?﹂
﹁野次馬は速く散りなさい!﹂
﹁ちっ﹂
と思ったが、既に衛視さんたちは混乱から立ち直ってしまってい
る。
そして、私たちに近づいてくる。
﹁ちっ?えと⋮⋮﹂
﹁こんな時に舌打ちだなんて。誰かしら?﹂
﹁んんん?﹂
どうせならもう少し混乱していてくれれば良いものを⋮⋮まあ、
衛視さんたちは私たちの心配をして近寄ってきているだけだし、こ
こで暴れたりなんだりをするわけにはいかない。
今は諦めるしかない。
今はだ。
104
﹁二人とも大丈夫か?﹂
﹁ええ、私は何とも﹂
﹁は、はい。私は大丈夫⋮⋮です﹂
とりあえず、今は少女を私の視界から外すようにしておこう。
これ以上は私の理性で本能が抑えきれなくなってくる。
﹁まったく、なんて無茶をするんだ!一撃で仕留められたから良い
ものを⋮⋮﹂
﹁落ち着け、彼女のおかげで、この子は無事で済んだんだぞ﹂
﹁すまない。我々が刺激することを恐れて動けなかったばかりに﹂
﹁いえ、もう終わった事ですから﹂
私は地面に突き刺さったままになっているハルバードを持ち上げ
ると、念のために斧の部分に痛みなどが無いかを確かめた後、備え
付けのカバーに入れる形で背中に括り付ける。
うん、だいぶ荒く振り下ろしたつもりだけど、刃には歪み一つ無
かった。
やっぱり、頑丈さは確かだ。
﹁と、そう言えば君の名前は?見た所マダレム・ダーイの人間では
無さそうだが⋮⋮﹂
﹁私ですか?私はソフィアと言って、今日マダレム・ダーイに来た
旅人です﹂
﹁その武器は?私の記憶が確かならアスクレオ商店で売られている
物のようだが⋮⋮﹂
﹁それは⋮⋮﹂
で、私としては早いところこの場を去って、今日の所はもう﹃サ
ーチアの宿﹄で休みたいと思ったところなのだが⋮⋮衛視さんたち
の目は鋭く、私が何者であるかを確かめずにはいられないようだっ
た。
105
まあこれは仕方がないか。
ゴブリンのような小型の妖魔ならともかく、サハギンのような普
通の妖魔を一撃で仕留められる人間なんて早々居るものではないの
だから。
となれば、ボロを出さないように気を付けつつ、地道に聞かれた
事だけを適当に答えればいい。
そう私が判断して口を開こうとした時だった。
﹁そのハルバードは先程、我々が彼女に売った物ですよ﹂
﹁キノクレオ様!?﹂
﹁キノクレオさん﹂
中央広場の方から、何人かの男女を引き連れてキノクレオさんが
現れる。
﹁ど、どうしてこちらに!?﹂
﹁店の近くでこれだけの騒ぎ⋮⋮それもウチの商品が関わる形で騒
動があったのですよ。仕留めた後に見に来る事ぐらいは普通だと思
いますが?﹂
﹁そ、それはそうですが⋮⋮﹂
衛視さんたちは明らかに動揺している。
やはり、アスクレオ商店の力はこのマダレム・ダーイではかなり
大きな物であるらしい。
﹁まあいずれにしても、彼女の人柄についてはご安心を。兄から紹
介状を受け取ったほどですしね。それに、泊まる宿も我々が紹介し
た﹃サーチアの宿﹄で決まっています。そう言うわけで、もうすぐ
日も暮れてしまいますし、何か聞きたい事が有るならば、また明日
以降にでも﹃サーチアの宿﹄まで彼女を訪ねて来てください﹂
﹁わ、分かりました⋮⋮キノクレオ様がそう言うのならば仕方があ
りませんね⋮⋮﹂
106
そうして、私の周囲に居た衛視さんたちは周囲の野次馬たちを散
らしつつ、サハギンの犠牲になったヒトを担当している衛視さんた
ちの方へと向かって行く。
これで衛視さんたちの面倒な質問は受けずに済んだ。
済んだが⋮⋮
﹁で、ソフィア君?どうして君はここに?君のおかげでネリーは助
かりましたが、私はてっきりもう﹃サーチアの宿﹄に着いている頃
かと思っていたのですが?﹂
﹁いやー⋮⋮それはですね⋮⋮﹂
代わりに、私が迷子になり、﹃サーチアの宿﹄に辿り着けなかっ
た事はキノクレオさんに伝えざるを得ないようだった。
ちょっと恥ずかしい。
107
第18話﹁都市国家−9﹂︵後書き︶
ここで我慢できるのがソフィアちゃん
我慢できないのが普通の妖魔
あ、活動報告の方にちょっとしたお知らせがありますので、もしよ
かったら一読してくださいませ。
108
第19話﹁都市国家−10﹂
﹁ここが﹃サーチアの宿﹄です﹂
﹁ここが⋮⋮﹂
日も完全に落ち、辺り一帯が暗闇に包まれた頃。
キノクレオさんのお付きの人に、ネリーと言う私視点で魅力的な
少女と共に連れてこられたのは、大通りから少し路地の側に入った
場所に建っている二階建ての建物の前だった。
通りに突き出る様に出された看板にベッドの絵と何かの文字が描
かれている事からしても、この建物が﹃サーチアの宿﹄であること
はまず間違いないだろう。
うん、やっぱりと言うか、変に近道をしようと思わなければ、直
ぐに着ける位置にあった。
道に迷ったおかげでネリーを助けられたと思えば、悪い気はしな
いけど。
﹁おかみさん。失礼します﹂
﹁た、只今戻りましたー﹂
﹁失礼しまーす﹂
キノクレオさんのお付きの人を先頭にして、私たちは﹃サーチア
の宿﹄の中に入っていく。
﹁ネリー!大丈夫だったかい!?帰りが遅いから、一体何が有った
のかと⋮⋮﹂
﹁心配をかけてごめんなさい。おかみさん⋮⋮﹂
宿の奥から明かりを持って現れたのは、ネリーとは似ていない恰
幅の良い一人の女性。
女性は見る者に安心感を与えるような風貌をしている。
109
が、流石にネリーを抱きしめている今は、ネリーの事を心の底か
ら心配していたらしく、少々体が震えている。
﹁それで一体何が有ったんだい?﹂
﹁えと、港の方でちょっと妖魔に襲われたの﹂
﹁妖魔!?ど、何処も痛いところは無いのかい!?妙な事をされた
りしなかったのかい!?﹂
﹁だ、大丈夫だよ。おかみさん。ソフィアさんが助けてくれたから﹂
﹁ソフィア?﹂
ネリーが彼女の事をおかみさんと読んでいると言う事は、彼女が
﹃サーチアの宿﹄の女主人なのは間違いない。
間違いないのだが⋮⋮なんで品定めをするような目を私は向けら
れているのだろうか⋮⋮。
﹁もしかしてアンタが、キノクレオさんが今夜はウチに泊めて欲し
いって言ってたソフィアかい?﹂
﹁そのはず⋮⋮ですけど?﹂
うーん、私はおかみさんから疑われるようなことをした覚えはな
いのだが⋮⋮いったいどうしてこんな目を?
﹁確かに茶髪で青い目だね。じゃあ、やっぱりそうなのかい﹂
﹁えと?﹂
﹁ん?ああ、悪いね。キノクレオさんからの使いがこう言ってたん
だよ。大男でも持ち上げられないような大剣を持てる、とても女と
は思えない力の持ち主だって。だからてっきり、オークみたいな筋
骨隆々な人なのかと思っていてねぇ﹂
﹁ははははは⋮⋮﹂
どうやら、あの大剣を持ち上げてしまった余波がここで響いてい
るらしい。
オーク、オークって⋮⋮いやまあ、私は確かにヒトではないけど
110
さ。
蛇の妖魔だけどさ。
﹁まあ何にしたって、アンタがネリーを助けてくれたことには違い
ないんだ。キノクレオさんからは安く泊めてくれと言われていたが、
今日明日ぐらいならタダで泊めてあげるから、懐の心配をしないで
ゆっくりと休むと良いよ﹂
﹁えと、ありがとうございます﹂
おかみさんの申し出に、私は少しだけ頭を下げて礼を返す。
うん、宿代がかからないのは素直に嬉しい。
安かったと言っても、大量の金属が使われているあのハルバード
を買って懐が痛まないかと言われたら、絶対にノーだし。
﹁さて、もう夜も遅いから、今晩は簡単なスープとパンだけでいい
かい?代わりに明日からは豪勢な物にするからさ﹂
﹁別に構わないです﹂
﹁ありがとうね。それじゃあネリー﹂
﹁はい。今火を付けてきます﹂
そうして、私は優しい味わいの魚介スープに堅いパンを浸して食
べると、二階の隅の客室に通され、眠ることになった。
が、
﹁さて、どうしようっかなぁ⋮⋮﹂
夜は妖魔の時間であるし、ヒトの振りで昼に活動するにしても、
もう少し起きていても問題ない。
﹁んー⋮⋮﹂
と言うわけで、まずは部屋の中を確認。
私が通された部屋は二階の隅の客室であり、部屋の中にはシーツ
の敷かれたベッドが一つ。
111
窓は木製の物が二方向に付けられている。
窓の外は⋮⋮片方は宿正面の通りに繋がっていて、もう片方は宿
側面の細い路地に繋がっている。
そして、私の身体能力ならば、窓から宿の屋根の上へと登り、そ
こから屋根の上を伝ってマダレム・ダーイ中を駆け回る事も可能だ
ろう。
うん、ヒトを食べに行くにあたって、実に都合が良い。
﹁でも一番食べたいのはやっぱり⋮⋮﹂
私の脳裏にネリーの姿が浮かび上がってくる。
ソフィア
何故これほどまでに彼女を食べたいと思うのかは分からない。
分からないが、彼女は絶対に私が食べる。
それもただ食べるのではなく、私が最初に食べた少女のように、
じっくりと、ゆっくりと、時間をかけて食べたかった。
いや、これはもう食べたいと言うよりも、吸収して一つになりた
いと言うべきか?
とにかくそれほどの思いであり、どうやってネリーを食べるのか
と言う事を思い浮かべただけでも⋮⋮
﹁んんんんんっっっっっ!﹂
興奮する。
エクスタシーを感じる。
逝ってしまいそうになる。
作者
ああもう、ネリーの⋮⋮︻info:あまりにもアレな内容の妄
想なので自主規制します。by栗木下︼⋮⋮よおおおぉぉぉ!!
﹁ハァハァ⋮⋮﹂
うん、ちょっと落ち着こう。
あまり大きな音や声を出すと怪しまれるしね。
そう、今私が考えるべきは、どうやって長時間ネリーと二人っき
112
りになれる状況を作り出すかだ。
それも出来れば私が妖魔であると言う事も疑われず、善意のもの
も含めてその後長期間拘束されるような事態に陥らずにだ。
﹁となればまずやるべきは⋮⋮﹂
だがそうした計画を立てる上で絶対に欠かす事が出来ない情報が
一つある。
それは最低でも半日ほどの間、誰の目も手も届かない場所の情報。
﹁やっぱり地理の把握かなぁ﹂
つまりはマダレム・ダーイ全域を巡るしか、私には選択肢が無い
のだった。
113
第19話﹁都市国家−10﹂︵後書き︶
書いたら運営様に怒られる
114
第20話﹁都市国家−11﹂
﹁さてとだ﹂
翌朝。
私は﹃サーチアの宿﹄でちょっと豪華な朝食に舌鼓を打つと、マ
ダレム・ダーイ全体に関わる事を話しあうための場所⋮⋮庁舎?と
言う所に向かい、昨日のサハギンの件について話すと同時に報奨金
を貰った。
うん、考えてみれば、昨日はネリーにだけ注意が向いていたから、
仕留めたサハギンの魔石を回収し忘れていた。
報奨金の中身はきっとそのお金だろう。
﹁色々と見て回ってみないとね﹂
で、庁舎での話が終われば、私の身は今日一日自由になる。
なので、昨日の夜に考えた通り、まずはマダレム・ダーイ全域を
巡ってみる事にする。
﹁最初は⋮⋮あそこでいいかな﹂
私は大通りから伸びている細い路地の一本に入ると、そこから更
に数度大通りから離れる様に路地を曲がっていく。
そして、周囲に人影が無くなったところで、私は手近な壁のでっ
ぱりに手を掛ける。
うん、しっかりとしたでっぱりだ。
これなら大丈夫だろう。
﹁よっと﹂
私は手を掛けたでっぱりをとっかかりとし、蛇の妖魔としての特
性も生かして建物の壁を勢いよく登っていく。
115
そして、木製の屋根の上に乗ると、まずは身を伏せて周囲の気配
を窺う。
うん、大丈夫だ。
どこからも見られていない。
﹁さてさて⋮⋮﹂
何故、マダレム・ダーイ全域を巡るのに、屋根の上へと登る必要
が有るのか。
その理由は至極単純で、マダレム・ダーイの広さと道の複雑さだ
と、下を歩いて回る場合には見て回るだけでも何日もかかるからだ。
現に私は昨日迷子になったわけだし。
﹁と、あそこがいい感じかな﹂
ならば、下や窓から見られないようにだけ注意して、建物の上を
駆けた方が手っ取り早い。
そう私は判断して、屋根の上へと登ったのであった。
﹁へー⋮⋮﹂
私は周囲より多少高めになっている建物の上に登ると、周囲の様
子を一通り見渡してみる。
そして、改めてマダレム・ダーイの構造がどうなっているかを理
解する。
﹁あそこがアスクレオ商店。あそこが庁舎。あそこが﹃サーチアの
宿﹄と﹂
マダレム・ダーイは昨日地図と衛視さんから得た情報で、三本の
大通りと﹃大地の探究者﹄の拠点、港を始点として、そこから木の
葉の模様のように伸びる無数の細い路地が絡み合う事によって出来
ている事が分かっている。
だが、今日この場所に登ってマダレム・ダーイ全体を見渡した事
116
によって、更に分かった事が有る。
﹁大通りから離れるほど、建物が簡素な物になっていく⋮⋮と﹂
その一つが建物に使われている材料の差。
どうにも、マダレム・ダーイでは大通りに面している建物程、建
材に石材を使う傾向が強く、大通りから外れれば外れるほどに建材
に木材が増えていくようだった。
これは石材と木材の価格差もあるだろうが、何か有った時の処理
のしやすさにも関係があるのだろう。
なにせ石材の方が堅くて強固で、火に強い分だけ建て直すと言う
行為が難しくなるし、木材はその逆なのだから。
﹁で、一番簡素な造りになっているのは⋮⋮あの辺りかな?﹂
ただ簡素になっていくのにも限度と言うものがある。
現に﹃大地の探究者﹄の施設、門、大通り、港、いずれからも離
れた場所に位置するマダレム・ダーイの南東部は、もはや廃材を組
み合わせて作ったのではないかと言うほどみすぼらしい建物が立ち
並んでいた。
たぶんだが、あそこはマダレム・ダーイの偉い人たちの手も殆ど
入っておらず、あそこだけで通用するようなルールが造られている
か、無法地帯と化していると思う。
﹁うん、あそこは無いかな﹂
私はそう結論付けると、視線を別の方向に向ける。
だって、私が今回探しているのはネリーと一緒に半日ぐらいこも
っていて、その後私一人で出て来ても怪しまれないような場所なの
だ。
ああいう場所は一見するとそう言う事に適していそうな場所だが、
実際には見た目以上に余所者に対しては敏感だ。
まず間違いなく、半日どころか一時間だって居られないだろう。
117
﹁むしろ良さそうなのは⋮⋮あの辺りかな?﹂
私の視線が向けられたのは、新たな建物が複数建てられたり、古
い建物が壊されていたりする最中であるために、人の出入りが激し
くなっている一帯だった。
そう、人の出入りが激しいと言う事は、それだけ見慣れない人間
が居ても怪しまれないと言う事である。
ああいう場所であるならば、半日ぐらいネリーを連れ込み、私一
人が出ていっても怪しまれないだろう。
まあ、場所が決まっても、予めネリーと二人きりで何処かに行っ
ても大丈夫な程度には親密な仲になっておく必要はあるだろうけど。
﹁とりあえず、あの辺りの雰囲気がどうなっているか、直接行って
調べておこうかな﹂
私はそう判断すると、下に誰もいない事を確認した上で路地へと
降りる。
そして、目的の場所に真っ直ぐ向かおうと思ったのだが⋮⋮
﹁ああっ!テメエは昨日の怪力女!﹂
﹁ん?﹂
﹁兄貴!コイツです!コイツが昨日俺らをシメたんでさぁ!﹂
﹁ああん?コイツがか?﹂
なんか変なのに絡まれた。
えーと、昨日のチンピラ二人に、筋骨隆々な大男が一人か。
どうしよう、衛視さんを呼んでもいいけど⋮⋮近くには居ないっ
ぽいかな。
﹁へぇ⋮⋮中々に上玉じゃねえか。それじゃあ、ちょっと俺らと⋮
⋮﹂
うん、それならそれでいいや。
118
お昼もまだだったし。
﹁よっ﹂
﹁アギョ!?﹂
﹁﹁兄⋮⋮﹂﹂
と言うわけで、私は妖魔としての身体能力を全開放して飛び出す
と、背負ったハルバードを抜き、そのまま大男の頭を叩き割る。
﹁ほっ﹂
﹁キギャ!?﹂
﹁き!?﹂
続けて右手側に居たチンピラの首を槍で突き刺し、捻じり、首を
破壊して確実に絶命させる。
﹁はっ﹂
﹁ゴッ!?﹂
そして、戈の部分で最後のチンピラの側頭部を撃ち抜いて仕留め
る。
﹁さっ、誰かに見られる前に片付けないと﹂
三人を仕留めた私は物陰に三人の死体を引き摺りこむと、身体は
昼食代わりに食べる事によって消し、衣服の類はハルバードに付い
た血糊を拭うのに使った後に湖へと投げ入れる。
これで、三人が私と会ったと言う証拠は十分に隠滅された。
あの三人の性格からして、マトモに探されるとも思いにくい。
私が妖魔だとばれる事はないだろう。
ついでに言えば、味は⋮⋮まあ、微妙だったけど、十分に腹も膨
れた。
おかげで今日明日はヒトを食べなくても問題はないだろう。
119
﹁絡んでくれて感謝だね﹂
だから、私は目的の地域に向かって歩きながら、そう呟いたのだ
った。
120
第20話﹁都市国家−11﹂︵後書き︶
だって妖魔だもの
02/24誤字訂正
121
第21話﹁都市国家−12﹂
﹁鉄鉱石の値段がまた上がるそ⋮⋮﹂
﹁西の小麦は一袋銀貨い⋮⋮﹂
﹁聞いたか。南の方で妙なよ⋮⋮﹂
夕方。
街の探索を終えた私は、食事だけを摂りに来た客で一階の酒場部
分が賑わっている﹃サーチアの宿﹄へと戻ってきた。
そして、酒場の端の方⋮⋮人気が無い席に座ると、おかみさんか
ら具沢山のスープとパンを貰い、食べ始めるのだが⋮⋮。
﹁はぁ⋮⋮﹂
今日の探索の結果を思い出すと、溜息を吐かずにはいられなかっ
た。
ああ、スープが美味しいだけに余計悲しくなる。
﹁アイツ等完全に足元を見ているな。くそっ、俺たちの⋮⋮﹂
﹁ここの小麦は一袋銀貨⋮⋮﹂
﹁ああ、狩人の姿を見た途端に逃げたとか⋮⋮﹂
でもまあ仕方がないのかもしれない。
考えてみれば、私とネリーの仲が半日一緒に居ても怪しまれない
程の仲になったのであれば、どう足掻いてもネリーが居なくなった
時点で私は疑われるのだ。
となれば、良い場所が見つかっても、その後の事まで考えたら今
私が考えている手段では絶対に駄目なのだ。
﹁こうなったら根本的に考え方を改めないと駄目ね﹂
と言うわけで、最初から⋮⋮どうやってネリーと二人きりになる
122
かの部分から私は改めて考えようとし⋮⋮、
﹁何が駄目なの?ソフィアさん﹂
﹁っ!?ネリー﹂
当のネリーから声を掛けられ、思わず息を詰まらせる。
﹁ど、どうしたの?突然﹂
﹁えと、驚かせてごめんなさい。それと、昨日は助けてくれてあり
がとうね。今まで忙しくて言えてなかったから﹂
﹁そんな⋮⋮私は当然の事をしただけよ。お礼なんて言われる筋合
いはないわ﹂
﹁ふふふ、ソフィアは強いだけじゃなくて優しいのね﹂
﹁!?﹂
た、食べたい。
今すぐネリーの事を押し倒して食べてしまいたい。
何あの笑顔。
一瞬理性が吹き飛ぶかと思ったわ。
でも駄目。我慢よ。我慢。ここは我慢して耐えて、後の処理の準
備まで十分に整えられるまで待つの。待つったら待つの。待たなき
ゃ駄目なの。
よし、妖魔としての本能は抑え込んだ。
これなら大丈夫。ダイジョーブ。
﹁それでソフィアは何を悩んでたの?﹂
ネリーを食べるための手段で悩んでいました。
とは、口が裂けても言えないので、私は適当に誤魔化す事にする。
﹁えーと、マダレム・ダーイの大通りとそこから通じる幾つかの路
地は把握できたんだけど⋮⋮﹂
具体的には、再びの迷子ネタである。
123
うん、少々恥ずかしいけど、昨日マダレム・ダーイに来たばかり
の私なら、違和感のない話題だ。
﹁そうなんだ。それなら⋮⋮﹂
で、どうやら無事に誤魔化せたらしい。
ついでに、ネリーがずっと私と話していて問題ないのかをおかみ
さんに視線だけで確認してみるが⋮⋮うん、問題ないらしい。
昨日の今日と言う事で、仕事の量を控えめにしてくれているのか
もしれない。
﹁そうなの。ネリーはマダレム・ダーイに詳しいのね﹂
﹁もう十年以上も暮らしているからね。故郷みたいなものだよ﹂
﹁みたいなもの?﹂
それで、ネリーからマダレム・ダーイを普通に歩き回る場合のコ
ツについて教えて貰ったのだけれど⋮⋮故郷みたいなもの?
どういう事だろうか?
﹁うん、実を言えば、私はマダレム・ダーイの出身じゃないんだ。
だから私の肌の色とか、ちょっと濃いでしょ?﹂
﹁そう言えばそうね﹂
ふむ、これはもしかしなくても、ネリー自身の情報について得ら
れるいい機会?
よし、聞けるだけ聞いてみよう。
ネリーの事なら髪の毛の本数まで知りたいぐらいなんだし。
﹁と、その辺りについて詳しく聞いてみても大丈夫なの?﹂
勿論、サハギンの犠牲によって上がった好感度を無駄にしないよ
うに気を付けつつだが。
﹁うん、大丈夫。私に近い人たちはみんな知っている事だし﹂
124
長い話になるのか、ネリーは私の向かいの席に腰を下ろす。
そしてネリーは語ってくれた。
﹁実を言えばね。私は孤児で、赤ん坊のころに行商人だった両親が
死んで、その直後にアスクレオ様に拾われてね。それからずっとお
かみさんに預けられてきたの﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だからこの肌の色とかは、その行商人だった両親のもので、アス
クレオ様が言うには凄く南の方⋮⋮海って言うのが直ぐ近くにある
様な場所が私の故郷がある場所じゃないかだって﹂
﹁そうなの﹂
南かぁ⋮⋮ネリーみたいな魅力的な少女が沢山居るならいずれ行
ってみたいかも。
﹁別にしんみりとしなくても大丈夫だよ。だって両親が何で死んだ
のかも分からないし、今の私にとってはおかみさんが本当のお母さ
んみたいなものだもの﹂
﹁そう﹂
ごめんなさい。
しんみりとはしてませんでした。
ネリーに似た少女が沢山居るかもしれない土地に対して、羨望の
眼差しを向けてました。
それにネリーが不幸せだとは思えなかったのだ。
﹁ネリーは今が幸せなのね﹂
﹁うん、幸せよ。妖魔は怖いし、毎日忙しいけど、とても楽しいも
の﹂
だって、本当に不幸せだったら、こんなにいい笑顔に笑えるとは
思えないから。
125
﹁そう、それは良かったわね﹂
でも、ごめんなさいね。ネリー。
貴女の今が幸せだと言う言葉を聞いたその瞬間に、私はこう思っ
たの。
ネリーの顔が不幸と絶望に染まり切ったのを見てみたい。
そんな妖魔らしい事を私は思ったの。
だからね。ネリー。
﹁うん﹂
私はマダレム・ダーイと言う都市そのものを滅ぼすわ。
そうすれば、きっと貴女はとてもいい顔を浮かべてくれるから。
126
第21話﹁都市国家−12﹂︵後書き︶
やはり普通の妖魔では無かった
02/25誤字訂正
127
第22話﹁都市国家−13﹂
﹁⋮⋮。よし、大丈夫﹂
部屋に戻った私は、本来の服装に着替えると、満天の星空の元、
窓から身を乗り出して宿の屋根上に登る。
そして、まずは他の建物の屋根上に人影が無いかを念のために探
るが⋮⋮、まあ、夜に屋根の上に登るようなヒトはまず居ないだろ
う。
﹁まずは色々と調べないとね。と﹂
さて、ネリーの為にもマダレム・ダーイを滅ぼす事を決めた私だ
が、実際にマダレム・ダーイを滅ぼすにあたっては、解決しなけれ
ばならない問題点が幾つも存在している。
﹁それでな⋮⋮﹂
﹁へー⋮⋮﹂
﹁夜間の見回りは二人一組が基本か⋮⋮﹂
問題点その一。
それは絶望的な戦力差だ。
具体的には、現状ではこちら側には私一人しか居ないのに対して、
マダレム・ダーイには百人以上は間違いなくいる衛視に、傭兵や妖
魔専門の狩人と言った戦う事を生業とするヒトが多数。
更には、武器さえ与えれば最低限の役割ぐらいは果たせそうなヒ
トも、衛視や傭兵たちの数倍は間違いなく居る。
つまり合計すれば、私の敵になり得る存在は千を超すと考えても
問題ない事になる。
と言うわけで⋮⋮うん、どう足掻いても私一人でマダレム・ダー
イを滅ぼすのは無理だ。
128
﹁そいつは見たかったなぁ﹂
﹁宿に泊まっていると言う話だから⋮⋮﹂
﹁明かりは二人とも持っていて、もう片方の手には槍。当然防具も
着用済みね。んー⋮⋮まあ、何とかはなる⋮⋮かな。今日は狩らな
いけど﹂
と言うわけで、まずは仲間を集めなければならない。
集めるべき数は⋮⋮妖魔とヒトが戦ってどっちが勝つかは、お互
いの数や戦い方、その場の状況によりけりだけど⋮⋮まあ、少なく
見積もっても、戦う相手の半分、今回の場合だと五百は必要だろう。
正直に言って、私だって完全武装したヒトを相手にした場合、同
時に相手して確実に倒せると言えるのは二人ぐらいだろうし。
そして、勿論可能であるならば、戦う相手と同数か、それ以上の
数は集めたいのが本音だ。
こちらの数が多ければ多いほど、一人あたりの分け前は少なくな
るが、簡単にヒトを狩れる可能性は高まるのだから。
で、集める方法については⋮⋮まあ、多分何とかなる。
上手くいくかは微妙な所だけど。
﹁と言うか、数以上に優先して解決策を考えておくべき問題がある
のよねぇ⋮⋮﹂
私は下の路地を歩く衛視から目を離し、マダレム・ダーイの周囲
を取り巻く城壁の方へと目を向ける。
そこには城壁の上を歩く衛視の為なのだろう、多数の明かりが灯
っており、夜陰に乗じて妖魔や野盗がマダレム・ダーイの中に入れ
ないよう厳重な警備態勢が敷かれていた。
﹁まずはあの城壁よね﹂
問題点その二。
それはマダレム・ダーイの周囲を取り囲む石の壁だ。
129
アレは力自慢の妖魔であっても、力任せに殴って壊せるような代
物ではないだろう。
少なくとも私には無理だ。
で、門については木製なので、石で出来ている壁よりかは簡単に
壊せるだろうが⋮⋮その分だけ守っているヒトの数も多い。
城壁の上から浴びせられるだけの矢や石を浴びせられたら、どれ
ほど頑丈な妖魔であっても耐えられるものではないだろう。
よって、何かしらの方法でもって城壁を破壊するなり、無視した
りしなければ、マダレム・ダーイを滅ぼす事は出来ないと言う事で
ある。
うん、早い内に破る方法を考えておかないと。
﹁で⋮⋮﹂
私は視線を北の方へと向ける。
そこは周囲より幾らか高くなっており、城壁の上程ではないが、
多くの明かりが灯っていた。
そう、﹃大地の探究者﹄の拠点だ。
どうやら、夜の間も活動しているらしく、何となくだが多くのヒ
トが固まって動いている気配が感じ取れる。
﹁未だに詳細が分からない魔法、と﹂
問題点その三。
﹃大地の探究者﹄が保有している魔法と言う技術について。
こちらについてはまるで詳細が分かっていないが、マダレム・ダ
ーイに来る前に出会ったアスクレオさんの護衛を務めていたストー
タスさんが話していた魔法についての説明と、その実力からある程
度の推測は立てられる。
で、推測を立てたのだが⋮⋮うん、かなり拙い。
﹃大地の探究者﹄がどれほどの数の魔石と魔法使い、それにどれ
だけの威力の魔法を保有しているのかは分からないが、衛視さんを
130
前衛とし、魔法使いが後方から魔法で支援を行うと仮定したら、魔
法使い一人で妖魔一人分以上の働きは間違いなくしてくるだろう。
なにせストータスさんは石弾と言う魔法一発でもって、軽々とゴ
ブリンの頭を吹き飛ばしていたのだから。
そして、石弾と言う魔法が広く知られていると言う事実からして、
多くの使い手とそれ以上の魔法がある事ぐらいは想定しておいても
問題はないだろう。
となれば、何かしらの対策を予めしておかなければ⋮⋮数で圧せ
る状況になってでも、返り討ちに会う危険性が否定できない。
うん、こっちも早めに対応策を考えておかないと。
﹁とりあえず明日は﹃大地の探究者﹄について調べてみようかな。
あれだけ森が深い丘なら、私が隠れられる場所も少なくないだろう
し﹂
私はそう判断すると、誰かに見られないように気を付けつつ、宿
の中に戻ったのだった。
131
第23話﹁都市国家−14﹂
﹁ああ、ソフィア君。丁度良かった﹂
﹁キノクレオさん﹂
翌朝、﹃大地の探究者﹄の拠点に赴こうとしていた私の前に、一
枚の羊皮紙を手に持ったキノクレオさんが現れる。
﹁君に渡したいものがあったんです﹂
﹁これは?﹂
と、どうやらこの羊皮紙を私に渡す為に、キノクレオさんは朝早
くから﹃サーチアの宿﹄に来たらしい。
中身は⋮⋮この辺りで使われている文字を一文字ずつバラして書
いた感じなのかな?
で、最後の方にはいくつかの単語が書かれている。
﹁これはヘニトグロ地方で使われている共通文字をまとめたもので
す﹂
﹁なるほど﹂
そう言えば、キノクレオさんは簡単な文章を読み書きできる程度
に学べる場を用意するとか言っていた。
と、私は一通り羊皮紙の中身に目を通したところで思い出す。
﹁もしも急ぐ用事が無いのであるならば、そこに書かれている文字
と文章ぐらいは彼女が説明しますが?﹂
そう言って、キノクレオさんのお付きの女性が一歩前に出てから、
私に向かって頭を下げる。
ふむ、用事⋮⋮まあ、﹃大地の探究者﹄の拠点を調べるのなんて
午後からでも問題ないか。
132
なにせ私は適当なヒトを生きたまま丸呑みにすれば、そのヒトの
持っていた知識を奪えるわけだし、最悪魔法使いを二、三人食べれ
ば必要な知識は手に入ると思う。
いやまあ、気を付けないと、ディランを殺した時のように、食べ
た人の記憶と感情に引きずられることもあるけど⋮⋮アレは私とソ
フィア色んな意味で似通っていたからだと思うし⋮⋮、まあ、たぶ
ん大丈夫でしょう。
と言うわけで。
﹁分かりました。午前中なら問題ないので、よろしくお願いします﹂
﹁こちらこそよろしくお願いします﹂
私は午前中いっぱいを使い、ヘニトグロ地方の共通文字とやらを
学んだのだった。
−−−−−−−−−−−−−−−
﹁それじゃあネリー、おかみさん。またマダレム・ダーイに来た時
はよろしくお願いしますね﹂
﹁うん、また来てね。ソフィア﹂
﹁道中気を付けるんだよ﹂
で、午後。
私は荷物を持って﹃サーチアの宿﹄の外に出ると、ネリーたちに
別れを告げる。
そして、大通りの方に行くように見せて⋮⋮細い路地に入ってそ
のまま屋根の上に駆け上がると、下から姿を見られないように気を
付けつつ、﹃大地の探究者﹄の拠点がある丘の方へと移動を始める。
﹁さて⋮⋮﹂
﹃大地の探究者﹄の拠点がある丘は、丘の中腹にある拠点以外は
深い森に覆われており、森と街を分ける境界のように大人の胸ぐら
133
いの高さの柵が敷かれている。
で、街の周囲を囲う壁は⋮⋮うん、丘の中までしっかりと続いて
いる。
ただ、丘の中と外を分ける境界部分に高めの柵のような物が取り
付けられており、壁の上を通って衛視などが丘の中に入れないよう
にはなっていた。
ふうむ⋮⋮マダレム・ダーイ南東のスラムと同じで、﹃大地の探
究者﹄の拠点内も独自の秩序が築かれていると見るべきなのかも。
﹁侵入は⋮⋮あそこからが良いかな﹂
私は誰かに見られないように気を付けつつ、柵を昇ると、そのま
ま手近な場所にあった適当な樹に跳び移り、その上に登って一度身
を隠す。
そして、樹の下の方を見る。
﹁うん、間違いない。何か仕掛けられている﹂
警備と思しきヒトが居たのは拠点に向かって真っ直ぐに伸びる坂
道の入り口だけだった。
私はそれを妙に感じていたのだが、他の場所に警備を置く必要が
無い理由がこれだと私にはすぐに分かった。
そう、柵を越え、丘の中に入った直後の地面には、目には見えな
い何か⋮⋮恐らくは侵入者迎撃用の魔法が仕掛けられていたのだ。
こんなものがあったのでは、ヒトでは正面から入る以外に選択肢
はない。
私がこの魔法の存在に気づけたのは⋮⋮たぶん、妖魔だからだろ
う。
﹁帰りも気を付けないとね﹂
私は樹の上を伝って、下から姿を見られないように、樹の枝を揺
らして音を立てないように、丘を登り、﹃大地の探究者﹄の拠点を
134
目指す。
その途中で城壁が丘に呑まれるように途切れているのも見つけた
が⋮⋮代わりにその辺りからこの丘の裏手が崖のようになっていた
ので、この丘経由でマダレム・ダーイの中に侵入するのは侵入者迎
撃用の魔法が無くても厳しそうだった。
﹁見えてきた﹂
そうして移動し続ける事十数分。
やがて私の前に﹃大地の探究者﹄の拠点と思しき建物と、何の魔
法もかかっていない普通の地面、それにストータスさんが着ていた
物によく似た衣服を身に着けているヒトの集団⋮⋮魔法使いたちが
見えてくる。
﹁今度の祭りだが⋮⋮﹂
﹁南に出たという妖魔だが、まだ討伐され⋮⋮﹂
﹁この魔石の加工だが⋮⋮﹂
建物は木と石を組み合わせて建てられたものであり、そこら中で
ヒトが集まって、何かしらの活動なり、討論なりをしていた。
で、それはいいのだが⋮⋮建物の周囲に一切の遮蔽物が無いとい
うのは問題だった。
見た所部外者が立ち入れる範囲は著しく限られているようだし。
これでは、誰にも見とがめられずに建物の中に入ることなど出来
ないだろう。
おまけに魔法使いたちは全員顔見知りのようで、衣服を奪った程
度で紛れ込む事は出来なさそうだった。
﹁うーん、予想以上に警備が厳しい⋮⋮﹂
さて、ここからどうやって私の存在を悟られずに⋮⋮いや、姿を
見られずに魔法と﹃大地の探究者﹄について調べるべきか。
私は頭を悩ませずにはいられなかった。
135
第23話﹁都市国家−14﹂︵後書き︶
拠点なので、これぐらいは当然です
136
第24話﹁都市国家−15﹂
﹁ん?﹂
私はしばらくの間、﹃大地の探究者﹄の様子を樹の枝の隙間から
伺い続けていた。
﹁⋮⋮﹂
﹁ーーーーー﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
すると、三人の魔法使いが集団から離れ、丘の上の方に続く細い
道へと入っていく姿が見えた。
丘の上の方には⋮⋮私の記憶では何か在った気がするし、木々の
間隔からしても、何かがあるのは間違いなさそうだ。
そして、私が今居る場所と丘の上の方までの道については、少な
くともこの場に居る集団から、丘を登ったヒトの様子を窺う事は出
来なさそうな気配がする。
これは⋮⋮うん、チャンスかもしれない。
﹁やろう﹂
と言うわけで、私は魔法使いたちに姿を見られないように気を付
けつつ、枝を伝って移動。
三人の魔法使いの姿が捕えられる位置にまで移動する。
﹁⋮⋮様、それではやはり﹂
﹁ああそうじゃ。ユートリッド大老も認めておる通り、魔法にはま
だまだ未知の部分がある﹂
﹁それなのに彼は⋮⋮﹂
三人の魔法使いは一列になって山道をゆっくりと歩いている。
137
んー⋮⋮声の感じからして、先頭から若い男、若い女、歳を取っ
た男⋮⋮かな。
ちなみに道になっている部分以外の地面にはまた例の魔法が仕掛
けられているようなので、私は樹の上の方の枝に乗って隠れている
が、三人が私に気づいた気配はない⋮⋮と言うか、そもそも周囲を
警戒している様子もない。
まあ、ここが自分たちの本拠地であり、しかも定められた道以外
には警戒用の魔法が仕掛けられているのなら、警戒心が緩んでも仕
方がないとは思うし、私にとっては警戒されていない方が好都合だ
からそれでいいんだけどさ。
﹁そう言えばアスクレオ様は⋮⋮﹂
いずれにしても、チャンスは今しかないのだし、早々に仕留めて
しまうとしよう。
私はそう判断すると、背負っていたハルバードを両手で持ち、音
も無く乗っていた枝から飛び降りる。
﹁アス⋮⋮っ!?﹂
﹁どうっ⋮⋮!?﹂
そして、そのまま最後尾にいた老人の頭を斧で粉砕。
ハルバードを離すと、続けて直ぐ前に居た女性の首筋に麻痺毒の
牙を浅く突き立てる。
﹁な⋮⋮ぐっ!?﹂
そこから私の存在に気づいて、杖を私に向けながら魔法を使おう
とした男の口を手で抑えると、私は⋮⋮
﹁ふっ⋮⋮しまっ!?﹂
全力で男の身体を蹴り飛ばす。
すると、男の身体が弱かったのか、それとも私の蹴りが強過ぎた
138
のかは分からないが、男の身体は首の部分で千切れて、道の外に向
かって飛んで行ってしまう。
拙いと私が思った時にはもう遅かった。
﹃ブーーーーーーーーーーーー!!﹄
﹁!?﹂
吹き飛んだ男の身体が地面に着くのと同時に、けたたましい音が
そこら中から発せられ、地面に着いた男の身体が蔦のような物で縛
り上げられていく。
﹁拙い!﹂
私は地面に掛けられていた魔法の効果を理解すると同時に、ハル
バードと麻痺させた女を回収。
すぐさま手近な樹の上に登ると、全力で崖の方に向かって駆けて
いく。
﹁鳴子と拘束の効果を持つ魔法とか、侵入者警戒用の魔法と考える
なら最悪⋮⋮ああいや、最高の組み合わせじゃないの!﹂
そう、地面に掛けられていた魔法は二つ。
侵入者が現れた事を知らせる鳴子の魔法と、その鳴子の魔法の発
生原因になった何者かを捕える為の蔦の魔法。
どれだけの手間暇と労力を割いているのかは分からないが、こん
な魔法を仕掛けているのであるならば、先程の三人の警戒心の無さ
にも納得がいくと言うものだ。
なにせ、私のような樹上での活動に慣れた一部の妖魔やヒトでも
なければ、魔法の効果範囲外である枝の上だけを伝って移動し続け
るような真似など出来るはずがないのだから。
﹁とうっ!﹂
私は崖を飛び下りると、クッションにした樹の幹につかまる。
139
うん、と言うか私でもこの二つの魔法はヤバい。
荷物を抱えている今の状態だと、足場にする枝の強さを一回見誤
っただけで、地面に足を着かざるを得なくなる可能性がある。
﹁となると、早々に荷物は処分しないとね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁何処に行った!?﹂
﹁分からない!見失った!!﹂
私は地面に足を着かないように、崖の上から見られない位置にま
で移動する。
魔法使いたちはまだ崖の下に私が移動しているとは思っていない
のか、その喧騒の出所はかなり遠い。
よし、これならいける。
﹁いただきますっと、うん、よし﹂
私は連れ去った女を丸呑みにすると、魔法に関する知識が手に入
ったのかを確認する。
うん、大丈夫だ。
麻痺毒による呼吸困難で死にかけていたせいか、微妙に知識が欠
けている部分もあるが、基本的な部分についてはしっかりと分かる。
今はこれで十分だ。
﹁くそっ!居ないぞ!﹂
﹁崖下だ!崖下に居るぞ!﹂
﹁何っ!?﹂
﹁っつ!?﹂
バレた!?何で!?この位置なら崖上からは確認できないはずな
のに!?
しかも移動が妙に速い!?
っつ!?もしかしなくてもそう言う魔法か、崖下に通じる抜け道
140
があった!?
﹁逃げる!﹂
このままここに居たら、何れ見つかる。
そう判断した私はそのまま北に向かって移動を続け、丘の外に出
る。
そして収穫期を終えてヒトが居ない畑を駆け抜けると、ヒトの手
が一切入っていない森の中へと姿を隠し⋮⋮そのまま予定通りとは
いかなかったが、マダレム・ダーイから去ったのだった。
■■■■■
一方その頃。
﹁ユートリッド大老。今回の件、どう思われますかな?﹂
﹁他の流派の魔法使いに依るものじゃろうな。でなければ、説明が
つかん﹂
﹁やはりそう思われますか﹂
ソフィアが三人の魔法使いを襲撃した現場とその周辺で、他の魔
法使いたちがソフィアを探して忙しなく動き回る中、豪勢な衣服を
身に着けた老人と、恰幅の良い男性が残された二つの死体を見つつ
会話を交わしていた。
﹁儂の魔法が発動しないように動くだけならば、人間にも妖魔にも
出来る。が、ただの人間に人の首から下をあそこまで吹き飛ばす事
が出来るとも思えぬし、妖魔であるならば、今もまだ殺した人間の
死体をこの場で貪り食っているはずだからの﹂
﹁となれば彼女をさらったのも我々の情報を搾り取るため。ですか﹂
141
﹁そう言う事じゃろう。若い方が口は割り易いだろうし、女の方が
力で抵抗を抑えやすくもあるからの。じゃが裏を返せば、情報を喋
るまでは彼女は無事だという事でもある﹂
二人の魔法使いが周囲の魔法使いに幾つか指示を与えた後、二つ
の死体に祈りをささげる。
そして、ゆっくりと丘を降り始める。
﹁アスクレオ﹂
﹁はっ﹂
﹁ストータスを連れて、至急マダレム・ダーイの長に連絡を取り、
外道と周囲の森に警備網を敷くように言うのじゃ。犯人が何人組で
行動しているにしろ、最低でも自分以外に大人を一人連れている以
上、まだ遠くには行けていないはずじゃからの﹂
﹁了解いたしました﹂
老人から指示を受けた恰幅の良い男性⋮⋮アスクレオは深々と頭
を下げると、魔法使いの衣装を脱ぎ捨て、マダレム・ダーイの街中
へと駆けていく。
その表情は商人のそれではなく、戦いの場に立つ者のそれだった。
142
第24話﹁都市国家−15﹂︵後書き︶
既にお察しの方もいらっしゃるでしょうが、ソフィアはかなりイレ
ギュラーな妖魔です
02/28文章改稿
143
第25話﹁都市国家−16﹂
マダレム・ダーイを去った私は人目を避けるために森の中を移動
し続け、マダレム・ダーイへの南へと向かっていた。
とある噂も流しながらだが。
﹁よっと﹂
﹁ば、化け⋮⋮ぎゃあ!?﹂
で、現在だが、森の中で遭遇した野盗の集団の大半を不意打ちで
切り殺した後、私に気づいて逃げ出そうとしていた一人に向かって
一足飛びに接近、蹴りの一発で頭を吹き飛ばしたところである。
うん、今日の食料を無事に確保。
同時に、﹃大地の探究者﹄の拠点で魔法使いの男を蹴り飛ばした
時、異常に吹っ飛んだ理由も分かった。
﹁なるほどね。多くのヒトを食べれば食べるほど、身体能力が上が
っていく。か﹂
どうやら妖魔と言うものはヒトを食べれば食べるほど、多少では
あるが身体能力が上がっていくらしい。
恐らくは、生命維持に必要な量以上にヒトを食べる事によって、
普段なら生命維持に回されている何かを身体能力の向上に回した結
果なのだろう。
﹁まあそうはいっても、現状だと一度に相手を出来るヒトの数が一
人増えるかどうか程度みたいだけど﹂
私は食事を終えると、再びマダレム・ダーイの南へと向けて道な
き道を駆け抜けていく。
144
﹁さて⋮⋮﹂
さて、ここら辺で何故私がマダレム・ダーイの南に向かって移動
しているのかについて語っておくとしよう。
﹁早めに会えると良いんだけどなぁ﹂
まず私がマダレム・ダーイの外に出たのは、マダレム・ダーイを
攻略するための準備として、どうしても外に出ざるを得なかったか
らだ。
具体的に言えば、仲間の確保である。
それもただ目の前のヒトを貪り食う数頼みの妖魔だけでは駄目だ
った。
普通の妖魔のように本能で動くのではなく、私のように考えて動
ける妖魔がせめてもう一人は必要だった。
だが、当然のことながらそんな妖魔は私自身以外に見かけたこと
など、今までに一度も無かった。
﹁まあ、噂にはなっていたし⋮⋮﹂
そこに聞こえてきたのが﹃サーチアの宿﹄の酒場部分や、街中で
の妖魔専門の狩人たちの間で噂になっていた存在。
狩人に見つかった途端に逃げ出す妖魔だ。
﹁狩られてさえいなければ⋮⋮﹂
そう、妖魔はヒトを見つけたならば、食わずにはいられない。
襲わずにはいらない。
我慢することなど出来ない存在なのだ。
故に、妖魔でありながらヒトに見つかった時に逃げると言う選択
肢を取れるその妖魔は、私と同じように理性で動ける妖魔である可
能性が高いというわけである。
﹁何とかはなるかな﹂
145
でまあ、そんなわけで、件の妖魔の目撃証言が上がっているマダ
レム・ダーイの南、別の都市国家との間に散在する村々を囲うよう
に広がる森のまっただ中へとやってきたわけである。
噂ではこの森の中で、護衛を付けていない行商人を主に狙って襲
っているとの事。
﹁ーーーーー!﹂
﹁ん?﹂
と、私の耳に森の奥の方からヒトの声と、複数の生物が激しく動
き回る事によって生じているであろう物音、それに前二つの音と違
って異様に小さな⋮⋮森の中を駆け回る事に慣れた存在によるもの
と思しき声が聞こえてくる。
これは⋮⋮もしかしなくてもそうかもしれない。
﹁見つけた﹂
私は音の出所に向かって真っ直ぐに駆けていく。
すると直ぐに複数の人影が私の視界の中に入ってくる。
﹁はぁはぁ⋮⋮見つけたぞ﹂
﹁手間取らせやがって⋮⋮﹂
﹁まったく、妖魔とは思えない逃げっぷりだぜ⋮⋮﹂
複数の人影は二つのグループに分かれており、数人のヒトと一人
の妖魔に分かれていた。
グループの片方、ヒトの集団は全員が武器を手に持ち、鎧を身に
纏って武装していた。
その数は五。
うん、私ならノータイムで逃げ出す。
仮に狩るのなら、森の中でとっさの連携が取れない程度に分散し
た所を狙う。
それぐらいには厄介そうな相手だった。
146
﹁⋮⋮﹂
対する妖魔の方は?
かなりの巨体で、しかもその全身は光沢のある甲殻で覆われてい
た。
身に着けているのはボロボロの布と腰布だけだが、二枚の布しか
身に着けていない事によって、むしろ威圧感や重厚感は増している
と言えた。
ギルタブリル
その腕の数は四本で、腰布の下からは蠍の尾が一本伸びている。
つまり、この妖魔の種族は蠍の妖魔である。
﹁ちっ、別の狩人も来ちまったか﹂
﹁いや、一人だけなら好都合だ。俺たちだけじゃ手が足りない﹂
﹁そうだな。まずは確実にコイツ狩る事だけを考えるべきだ﹂
と、ヒトの集団が私に気づいたのか、手振りと多少の視線だけで
私に協力を求めてくる。
うん、これならいける。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
私とギルタブリルは無言で視線を交わす。
﹁来るぞっ!﹂
そしてギルタブリルがまるで逃げる事を諦めたかのように、ヒト
の集団に向かって突撃を開始すると同時に、私もヒトの集団に向け
て駆けだす。
﹁全い⋮⋮っ!?﹂
﹁あはっ﹂
﹁なっ⋮⋮ぎゃっ!?﹂
147
﹁死ぬがいい﹂
私のハルバードが指揮官と思しきヒトの頭を背後からかち割り、
その光景に驚いたヒトの頭をギルタブリルの腕の一本が貫く。
﹁お⋮⋮!?﹂
﹁ふんっ﹂
﹁お終い!﹂
そして残りの三人も、急変した状況に慌てている間に二人で手際
よく仕留めると、自分の仕留めたヒトを手際よく処理して痕跡を消
しておく。
やがて処理も終わったところで⋮⋮
﹁さて、自己紹介といきましょうか。私の名前はソフィア。貴方は
?変わり者のギルタブリルさん﹂
私はギルタブリルに向かってそう問いかけた。
148
第25話﹁都市国家−16﹂︵後書き︶
森の中でも都市国家編なのよ
149
第26話﹁都市国家−17﹂
﹁名前?ああ、ヒトが個人を識別するために使っているものだった
か。必要だと感じた事も無かったから、考えてもいなかったな﹂
﹁あらそうなの﹂
﹁どうせお前以外に俺の名前を呼ぶ奴がいるとも思えないし、俺の
名前はお前が適当に決めて、呼んでくれればいい﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
ギルタブリルの言葉に、私は少々悩む。
まさかこれだけの知性を持ちながら、名前が無いとは思わなかっ
た。
うーん、私は不便だと思って、割とすぐに決めたんだけどね。
どうやら、それは私だけの事だったらしい。
いずれにしても、名前が無いというのは不便なので、本人の言う
とおり適当に決めさせてもらうとしよう。
﹁じゃあ、サブカで﹂
﹁サブカ⋮⋮か。分かった。今から俺はギルタブリルのサブカと言
う事にしておこう﹂
ギルタブリル改めサブカは、私の付けた名前に納得したのか、小
さく頷く。
しかしこうやって頷いてもガシャガシャ言わない辺り、やっぱり
サブカの全身を守っている甲殻はサブカ自身の肉体の一部であるら
しい。
それは戦闘面においては羨ましくはあるが⋮⋮ヒトの集団に紛れ
込むのは身長の面を除いても厳しそうだ。
まあ、私がサブカに頼みたい事は潜入じゃないから、別にいいん
だけど。
150
﹁それでソフィア。お前は俺に何の用があって、この場に居るんだ
?﹂
﹁ん?用があるって分かるの?﹂
﹁分かるさ。お前の服装と武器からして、普段はヒトの集団の中で
隠れてヒトを食っているんだろう。なら、他の妖魔を頼る必要なん
てないはずだ。それに⋮⋮﹂
サブカの赤い水晶のような瞳が真っ直ぐ私に向けられる。
﹁妙な噂が妖魔の間で流行り始めているしな﹂
対する私はサブカの言葉と視線に無言の笑みで応える。
それは暗にその噂の出所が私であると認めているような物ではあ
ったが、サブカはその点について追及しようとはしなかった。
まあ、追及されても別に困りはしないけど。
﹁噂ではこういう話になっていたな。﹃次の新月の夜。燃えやすい
物を一抱え持って、三日月の湖に寄り添う街の西にやってくれば、
好きなだけヒトの肉が食べられる祭りに参加できる﹄と﹂
﹁ええ、確かにそんな噂ね。ついでに言えば、この噂を広めれば広
めるほど、たくさんの肉を食べられるようになる。だったかしら﹂
﹁噂を流した妖魔の目的は何だと思う?﹂
﹁その都市を滅ぼして、出来る限り多くのヒトを食べたいんじゃな
いの?﹂
﹁嘘だな。それならヒトの集団を俺たちの領域に呼び寄せるような
手を取るはずだし、都市を滅ぼす必要性は今はまだない﹂
サブカの言葉に迷いは感じられない。
どうやらサブカは完璧に私が噂の出所である事、そしてマダレム・
ダーイを滅ぼす事が手段であって目的ではない事を確信しているよ
うだ。
うん、これだけ頭が回る妖魔はやっぱり特別な妖魔だ。
151
是非とも私の仲間として、今回の祭りに引き入れたい。
﹁ソフィア。正直に話して貰おうか。お前の目的は何だ?﹂
そして、サブカを仲間に引き入れるには⋮⋮素直に話すのが一番
だろう。
サブカにネリーを奪われるリスクが産まれるとしてもだ。
だから私は話す。
﹁どうしても食べたい子がいるのよ﹂
﹁食べたい子?なら普通に⋮⋮っつ!?﹂
笑顔を浮かべて。
﹁でもね、ただ食べるだけじゃ満足できない気がしたの﹂
心の奥底から湧き出す思いのままに。
ネリー
﹁だから、彼女を出来る限り美味しく食べる為にも、彼女の住む都
市を滅ぼして絶望を、親しい友や家族が死んだ悲しみを、その災禍
が自分一人の為に起こされたという怒りを、ヒトだと思っていた相
手が妖魔だったという喪失感を味あわせたいの﹂
ただありのままに語る。
﹁味あわせた上で彼女を蹂躙して、屈服させて、じっくりと嬲って
嬲って嬲り尽くして、彼女が快楽と苦痛で死を懇願するほどの状態
になったところで生きたまま呑み込んで一つになりたいの﹂
ネリーへの思いを。
﹁⋮⋮﹂
﹁あああぁぁぁ!ネリイイィィィ!!ネリーが私の両腕の中に居る
光景を想像していたら、何だか興奮してきたわ。食べたい。今すぐ
マダレム・ダーイに戻って、ネリーの事を押し倒して食べちゃいた
152
い。でも我慢しなきゃ!我慢を重ねれば重ねるほど、その時が来た
時に感じるエクスタシーは高まっていくんだもの!そうは思わない
!?サブカ!﹂
この溢れ迸る思いのままに。
想像しただけで絶頂しそうな興奮と共に。
そして、これだけの想いを伝えたのであればサブカも⋮⋮
﹁ソーデスネー⋮⋮﹂
﹁?﹂
何故か憔悴している。
なんで?私はただネリーへの想いの丈を語って見せただけなんだ
けど⋮⋮?
﹁いやうん、気にするな。俺は今まで自分の事を特別な妖魔、変わ
り者の妖魔と思ってきたが、お前に比べれば遥かに健全で普通の妖
魔だと認識させられただけだ﹂
﹁意味が分からないんだけど?﹂
サブカの言葉に私は首を傾げるしかなかった。
いや本当にどうしてサブカがそんなに憔悴しているのかも、活力
を失っているのかも分からないんだけど。
それにサブカが普通って、普通の妖魔はそこまで頭が回らないし。
んー、私ってば何か変な事でも言ったのだろうか?
まあ、サブカが気にするなと言っているし、今から何かを指摘す
るのも野暮かな。
話を進めよう。
﹁それでサブカ。貴方は噂に乗ってくれるのかしら?﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
﹁む?﹂
﹁いいぜ、噂には乗ってやらないが、お前の作戦には乗ってやる。
153
お前が俺に求めているのはそう言う事だろう﹂
﹁あら、話が早いわね。その方が助かるけど﹂
何故溜息を吐かれたのかは分からないが、とにかくサブカは私の
話に乗ってくれるらしい。
そして私はサブカに、私の考えているマダレム・ダーイを滅ぼす
ための方策を話し⋮⋮
﹁なるほどな⋮⋮面白い﹂
﹁でしょ。そう言う事だからよろしくね﹂
﹁ああ、任せておけ﹂
強力な仲間を一人得る事となった。
154
第26話﹁都市国家−17﹂︵後書き︶
サブカから漂う苦労人臭よ
03/02誤字訂正
155
第27話﹁都市国家−18﹂
﹁さて、帰って来たわね﹂
サブカと出会い、協力を得る事が出来た次の日の昼過ぎ。
私はマダレム・ダーイに帰って来ていた。
と言うのも、襲撃日である次の新月の夜はおおよそ三週間後であ
り、それまでにマダレム・ダーイの中でやっておくべき事も色々と
あるからだ。
﹁ふうむ⋮⋮﹂
で、南門を行き交う人々の雰囲気だが、取り立てて変わったとこ
ろはない。
が、私が﹃大地の探究者﹄の拠点を襲ったついでに、マダレム・
ダーイから出て行った三日前と比べて、どことなく浮ついた気配の
ようなものも感じ取れる。
この雰囲気は何と言うか⋮⋮そう、タケマッソ村で麦を収穫し終
わった後にやっていた収穫祭だ。
あれに似た雰囲気を感じる。
つまりは祭りが近いという事になるが⋮⋮この時期に祭り?何の?
﹁うん、分からない時は素直に聞こう﹂
と言うわけで、私はこの雰囲気の正体を確かめるべく、ネリーの
待つ﹃サーチアの宿﹄に向かうのだった。
−−−−−−−−−−−
﹁ネリー!﹂
﹁あら、ソフィア。三日ぶりね﹂
156
﹁ええ、久しぶり。またお世話になりに来たわ﹂
﹃サーチアの宿﹄には、私が離れた時を変わらぬ姿で宿前の掃除
をしているネリーが居た。
うん、相変わらずとっても美味しそうだ。
間違っても顔には出さないけど。
﹁おや、早い帰りだったね﹂
﹁上手く妖魔を狩れたんです﹂
﹁なるほどね。部屋なら余っているから安心しな﹂
﹁はい﹂
と、私の声を聞き付けてきたのか、おかみさんが宿の中から出て
くる。
うん、おかみさんも元気そうだ。
おかみさんの元気が無くなると、ネリーも悲しむだろうし、息災
で良かった。
﹁じゃあ、ちょっと換金してきちゃいますね﹂
﹁いってらっしゃい﹂
﹁気を付けるんだよ﹂
ちなみに、私の腰の袋には複数の魔石が入っているが、この魔石
は森の中で適当な狩人を始末し、持っていた魔石の一部を奪った物
である。
噂と言う名の私の命令を無視した妖魔が居れば、そっちを狩った
んだけどね。
居なかったから仕方がない。
−−−−−−−−−−−−−
﹁ネリーネリー。ちょっと聞きたい事が有るんだけどいい?﹂
﹁何?ソフィア﹂
157
さて、街中とは別の方向に雰囲気が少し変わっていたアスクレオ
商店で無事に魔石の換金を終え、宿も取った私は酒場部分でネリー
を私の近くへと招きよせる。
﹁私の出た三日前と比べて、街の中の雰囲気がちょっと浮ついてい
る感じがしているけど、近い内に何が有るの?﹂
﹁雰囲気?んー、皆が浮ついているのはもうすぐ﹃冬峠祭り﹄だか
らじゃないかな?﹂
﹁﹃冬峠祭り﹄?﹂
やはり街の雰囲気が変わっていたのは、祭りが近かったからであ
るようだ。
が、何をする祭りなのかは分からない。
﹁そう。次の新月の夜で、丁度冬が半分終わるじゃない。それで、
その日からは毎日少しずつ暖かくなるし、お日様の登っている時間
も長くなるでしょう。だからそれを祝って、皆でお肉を食べたり、
お酒を飲んだりする祭りなの﹂
﹁へー、流石は都市国家ね。そんな祭りもあるんだ﹂
なるほど。
要するに残り半分になった冬を越える為の活力を付けるべく、み
んなでどんちゃん騒いで、沢山飲み食いしましょうって言うお祭り
なのね。
で、その祭りが開かれるのが次の新月の日と。
私たちの襲撃日とモロ被りだし、これはもう便乗させてもらうし
かないわね。
﹁そう言えばソフィアの住んでいた場所ではどういう祭りが有った
の?﹂
﹁そうねぇ⋮⋮﹂
ちなみに、月が完全に満ちた状態から、欠けて満ちるまでにかか
158
る日数は28日で、ヒトはこれを一月としている。
そして、一月を四分割したのが一週間で7日。
一月が12個で一年である。
でまあ、季節は三ヶ月で一つの季節であり、現在は冬の一の月の
終わり頃、襲撃予定日は冬の二の月の真ん中である。
﹁と、だいたいそんな所ね﹂
﹁へー、楽しそう﹂
﹁まあ、楽しくは有ったわね。酔って暴力を振るうような奴が居な
ければだけど﹂
﹁ははははは⋮⋮まあそこについては﹃冬峠祭り﹄も同じかなぁ。
お互い変なのに絡まれないように、気を付けないとね﹂
なお、私⋮⋮と言うか、少女のソフィアの方は祭りと言う物にあ
まりいい思い出は無い。
ディランの奴が酒を飲み過ぎた為に暴れており、その暴力の対象
に私が選ばれやすかったからだ。
ああうん、もう死んだ奴だけど、もう一回殺したくなってきたわ。
﹁邪魔をするぞー﹂
﹁あー、腹減ったー﹂
﹁夜勤はマジで辛いぜ⋮⋮﹂
﹁と、お客さんが来たから、もう行くね﹂
﹁ええ、色々と教えてくれてありがとうね。ネリー﹂
と、ここで早めの夕食を取りに来たらしい衛視さんたちがやって
きたため、ネリーはそちらの対応をするべく私の傍から離れていく。
うん、ちょっと名残惜しいけど仕方がないかな。
仕事の邪魔をしたら悪いし、仕事をしているネリーの姿も⋮⋮う
ん、いい目の保養になる。
むしろご褒美かも。
159
﹁しっかし、三日前に﹃大地の探究者﹄の拠点に侵入した奴はどう
なったんだ?﹂
﹁まだ捕まっていないどころか、痕跡も碌に残っていないらしい﹂
と、ネリーの仕事姿を見るついでに、衛視さんたちの話に耳を傾
けていたのだが、どうやら三日前の件についてはまだ治まっていな
いらしい。
まあ、安全だと思っていた場所で三人も死んでいれば、騒ぎにも
なるか。
﹁たしか犯人は﹃大地の探究者﹄じゃない他の魔法使い組織の魔法
使いじゃないか。って話だったよな﹂
﹁らしいな﹂
﹁他の組織、他の都市か⋮⋮嫌な相手だぜ﹂
﹁⋮⋮﹂
てあれ?なんか勘違いされてる?
あー、まあいいか、私にとっては有利な勘違いだし。
放置して、有効活用させてもらおう。
ネリーももう奥に引っ込んでしまったし、今晩やるべき事を頭の
中で整理しておかないと。
そうして私は人々が交わす他愛のない話に耳を傾けつつ、やるべ
き事を考えていくのだった。
160
第27話﹁都市国家−18﹂︵後書き︶
03/03誤字訂正
161
第28話﹁都市国家−19﹂
﹁よっと﹂
夜。
私は再び窓から屋根の上へと登り、ネリーたちに気付かれる事無
く夜のマダレム・ダーイへと繰り出す。
今夜の活動の目的は?
﹁うん、結構な数が居るね﹂
調査と食事だ。
と言うわけで、まずはマダレム・ダーイの西門へと向かったわけ
だけれど⋮⋮うん、やっぱり他の場所に比べて衛視の数も、明かり
の数も多い。
﹁はぁ⋮⋮暇だな⋮⋮﹂
﹁暇でいいじゃねえか﹂
﹁そうだぜ。何かが起きる方が面倒だ﹂
﹁まったくだ﹂
西門の上の足場には衛視が四人居て、二人が城壁の外を、残り二
人が城壁の中⋮⋮つまりは街の中を見ている。
そして当然ながら、四人の周囲には大量の明かりが灯されており、
誰かが忍び寄るような事が出来ないようになっている。
うん、厄介だ。
ここで仮に私が四人の事を誘い出そうと思っても、一人か二人し
か近寄って来ず、上に連絡をしに行くとしてもそうだろう。
つまり、常に誰かが門に就いていると言う事だ。
﹁おいっ!上の!あんまり駄弁ってんじゃねえぞ!﹂
162
﹁そうだぜ!こちとら何時そこの物陰から妖魔が出て来るんじゃな
いかと⋮⋮﹂
﹁うんうん﹂
﹁こっちの身にもなってくれっての﹂
﹁悪い悪い﹂
加えて、厄介な事に門に就いている人員は城壁の上の四人だけで
はない。
城壁の下、閉ざされた門の前にも複数の明かりが灯され、その明
かりの近く四人の衛視が立っており、常にお互いの安否を気遣って
いる。
﹁ふうむ⋮⋮﹂
私はどうやればこの門を破る事が出来るかを考えてみる。
まず単独で力押しによる突破は不可能だろう。
八人に囲まれ、その処理に手間取っている間に、どんどん周りか
ら他の衛視が集まって来てしまう。
つまり、城壁の上の四人も、城壁の下の四人も、仲間を呼ぶ暇や
逃げる隙を与えることなく始末する必要が有るという事だ。
なのでまあ⋮⋮最低でも私以外に四人は欲しいかな。
それも出来れば空を飛べたり、城壁の上に一足飛びに登れるよう
な能力の保有者が。
﹁門そのものは⋮⋮問題ないかな﹂
ただ、衛視たちの排除さえできれば、門を破る事自体はそれほど
難しくない。
門は木製で、内から外に向けて開くようになっている他、その枠
は金属の板で補強されているのだが、門を開かないようにしている
のは木製の太い閂一本だけだ。
なので、あの閂を外す事さえできれば、後は内側から誰かが押す
だけで門を開ける事は可能だろう。
163
﹁しかし、例の魔法使いの件。どう思うよ?﹂
﹁あー、﹃大地の探究者﹄の拠点に侵入した奴な﹂
ちなみに、城壁の上に登るには、門の横にこっそりと用意されて
いる階段を登るか、適当な場所に架けられている梯子を登るかのど
ちらかのルートを通る必要があるのだが、どちらのルートを通るに
しても、城壁の上に居る衛視に気づかれず登り切るのは厳しいだろ
う。
なので、城壁の下に居る者が城壁の上に居る衛視を潰すのは中々
に手間がかかると言っていい。
ヒト同士の戦いに限ればの話ではあるが。
﹁余所の都市に拠点を置く流派の魔法使いだって話だったよな﹂
﹁そんなものが本と⋮⋮﹂
まあいずれにしても、今日は調査だけだ。
今門を破れても、戦力が集まっていないから門を破る意味はない。
と言うか、むしろマイナスかもしれない。
﹁行くか﹂
と言うわけで、私は門を守っている衛視たちに見つからないよう
に気を付けつつ、その場から離れる。
そうして向かうのは?
他の門を調べる意味はない。
細かい構造の違いはあっても、基本から違うとは思えない。
ただ時間を無駄にするだけだ。
むしろ調べるべきは⋮⋮
﹁あった﹂
私は適当な住居の屋根の上から、大通りから多少離れた所にあっ
た、その建物を見つけ、目を凝らす。
164
﹁それでよー⋮⋮﹂
﹁ははっ、マジかそれ﹂
その建物は真夜中であるにも関わらず複数の明かりが灯され、他
の建物が一切の明かりを放たず寝静まっている中、闇夜の中で煌々
と輝き、賑わっていた。
建物の中に居るのは兜に青い羽根を刺した複数の男たち⋮⋮つま
りは衛視たちだ。
﹁ここが待機所って事で良さそうね﹂
そう、ここは衛視たちの待機所。
衛視たちの使う武器や防具が保管、整備され、昼夜問わずに多く
の衛視が集まり、拠点としている場。
他の建物が木造である中、火事になる事を警戒してなのか、この
建物は石を基本の材料にして造られている。
それこそ、いざという時には立てこもり、抵抗の場にする事も出
来そうな造りだった。
﹁結構居るわね⋮⋮﹂
こういう拠点が、マダレム・ダーイには何か所もある。
そして、巡回中の衛視だけで対応できないような揉め事が起きた
際にはここから応援の人員が出て来て、揉め事に対応することにな
っているそうだ。
つまり、私たちが襲撃した際には、優先して潰すべき場所の一つ
と言う事になる。
﹁まあいいわ、他の場所も確かめておきましょう﹂
私は目の前の待機所から目を離すと、その場から離れる。
で、他にも夜でありながら明かりが灯っている場所を探し、記憶
していく。
165
この待機場の一番厄介な所は、人員の出入りなどの関係で、昼は
夜と違って普通の建物との見分けが付きづらいという点だ。
だから夜の内に確認出来ておいてよかった。
﹁さて、適当に食べたら帰りましょうか﹂
その後、私は適当な衛視を誰にも見られないように仕留めて食べ
ると、﹃サーチアの宿﹄に戻ったのであった。
166
第29話﹁都市国家−20﹂
﹁はぁはぁ⋮⋮失礼します!﹂
マダレム・ダーイの政治、経済、その他諸々を取り仕切る庁舎。
その石造りの建物の中を一人の男性が駆けていく。
男性は全身に革製の防具を身に着け、兜には青く染められた鳥の
羽根を付けていた。
やがて男性⋮⋮マダレム・ダーイの衛視の一人は一つの扉の前に
立ち止まり、勢いよく部屋の中へと踏み込む。
﹁どうした?﹂
部屋の中に居たのは老若男女合せて二十数名のヒト。
つまりはマダレム・ダーイの政治を取り仕切る長老たち、マダレ
ム・ダーイに店を構える商人の一部、マダレム・ダーイの治安維持
や司法を取り仕切る長官たちに、﹃大地の探究者﹄の魔法使いなど、
マダレム・ダーイを動かす為に欠かせない人物たちがそこには集っ
ていた。
﹁報告します!先程ダイクレセ湖にて、衛視二名分の防具が入った
袋が発見されました﹂
﹁それだけか?﹂
﹁いえ、発見された防具の状態についてもこのまま報告させていた
だきます。恐らくは今皆様方が話し合われている事に関係があると
思われますので﹂
﹁分かった。話せ。皆様方もよろしいですな﹂
部屋の中に入ってきた衛視に部屋中の視線が向けられる。
が、衛視はその視線に怯む事なく、簡潔に報告すべき事柄を報告
する。
167
﹁分かった。報告ご苦労。全員に細心の注意を払って犯人を捜すよ
うに伝えておいてくれ﹂
﹁了解いたしました﹂
そしてそれを聞き届けた衛視の長官は苦そうな顔をしながら口を
開き、衛視を部屋の外へと出す。
﹁はぁ⋮⋮血痕の時点で考えてはいたが、二人の生存は絶望的⋮⋮
か﹂
﹁防具の片方は兜と鎧が縦に両断されているし、もう片方も首の周
辺部に大量の血液が付着⋮⋮まあ、そうだろうな﹂
﹁頭を割られ、首を刺されて生きていたら、それはそれで問題だろ
う﹂
﹁確かにそうではあるな﹂
部屋の中の空気は幾らか重くなっている。
だがそれも当然だろう。
先程の衛視の報告は、数日前に突如姿を眩ませた二人の衛視の生
存を絶望視させるものだったのだから。
﹁さて、それでどう思われますかな。この件の犯人と先日の﹃大地
の探究者﹄の拠点への侵入者について﹂
部屋の中に居るヒトの中で最も年老いているであろう白髪の老人
が、他の人物にそう問いかける。
﹁どちらの件の犯人も、普通の人間でない事は確かでしょう﹂
﹁確かに。でなければ、﹃大地の探究者﹄の拠点に誰にも気づかれ
ず侵入することも、このマダレム・ダーイの衛視二人を悲鳴一つ上
げさせずに殺す事など不可能でしょう﹂
﹁気になるのは二つの件の犯人が同じ人物なのか、違う人物だとし
ても繋がりが有るか否かだが⋮⋮﹂
168
﹁それも気になるが、犯人は一体どうやって⋮⋮いや、何処に二人
の衛視の死体を隠したというのだ?﹂
﹁それに死体と防具を別に分けているであろう点も気になるな﹂
﹁結果だけを見れば妖魔でも可能そうに見えるが、妖魔にヒトの前
から逃げると言う考えはないからなぁ﹂
﹁妖魔と言えば、西の噂が少々気になるが⋮⋮まあ今回は関係ない
だろう﹂
﹁南のも居なくなったという話だしな﹂
﹁﹃大地の探究者﹄の件でも、女とは言え魔法使いを一人連れ去っ
ている。碌な抵抗もさせずにだ﹂
﹁ふうむ⋮⋮やはり犯人は魔法を?﹂
﹁だろうな。多くの住民が寝ている夜中と言えども、大人二人を抱
えていたら誰かしらの目に着くはずだ﹂
﹁ついでに言えば、毒も使うと見ていいだろう。それならば、衛視
二人を音も無く殺す事も、魔法使いを抵抗させずに浚う事も出来る
はずだ﹂
﹁ごほん、つまり皆様の意見をまとめるとこういう事になりますな﹂
部屋の中で活発に議論が交わされる中、ここで商人たちの一団の
中から、商人の衣装に身を包んだアスクレオが立ち上がり、一度全
員の顔を見回してから口を開く。
﹁まず犯人は魔法を使える﹂
アスクレオの言葉に全員が頷く。
﹁そして仮に二つの件の犯人が同一人物だとした場合の話になりま
すが⋮⋮犯人は複数の武器、毒、魔法を使いこなす事が出来る存在
だと﹂
﹁それもただ使いこなせるだけではない。それらの技術をためらい
無くヒトを傷つけ、殺す為に向けられるような人物だ﹂
﹁つまり、殺人と言う行為に相当手馴れている。と﹂
169
﹁加えて身を潜める事にも手馴れているはずだ。なにせ、我々の誰
も奴の影の端すら捉えられていないのだからな﹂
﹁となれば、やはり一番有り得るのは﹃大地の探究者﹄ではない、
どこか別の流派の魔法使い。それも人を害することに特化したよう
な者と言う事になりますな﹂
﹁それならば衛視を襲った事にも納得がいくな。マダレム・ダーイ
には﹃大地の探究者﹄以外に魔法使いの組織は無い。つまり、別の
流派に参加しているのならば、そいつは別の都市の人間だ。なら、
その都市に所属する何者かか、死んだ衛視が個人的に恨みを買って
いた人物から依頼を受けたのだろう﹂
﹁確かに、十分あり得そうな話ではありますな﹂
ソフィア
アスクレオの言葉を契機に、彼らは犯人像を作り上げていく。
だがそれは、本当の犯人とはまるで異なる人物像だった。
しかし彼らを責める事は誰にも出来ないだろう。
彼らが作り上げた人物像は、彼らに与えられた情報と常識から考
えれば、妥当と言う他ないのだから。
﹁しかしそうであるならば、何処かの都市国家に大規模な動きが有
るかもしれませんな﹂
﹁では、我々が商売のついでに調べておきましょう﹂
﹁お願いします。我々も犯人を特定し捕まえられるように尽力いた
しましょう﹂
﹁何とかして、﹃冬峠祭り﹄までには片付けたい所ですな﹂
そう、彼らは知らなかったのだ。
ラミア
ソフィアと言う、今までに存在していた妖魔とはまるで異なる蛇
の妖魔の存在を。
そして、その無知は致命的な物に他ならなかった。
時は冬の二の月、二週目の始まり。
ソフィアの襲撃予定日まで後七日まで迫っていた。
170
第29話﹁都市国家−20﹂︵後書き︶
知らないとは恐ろしい
171
第30話﹁都市国家−21﹂
﹁さてと﹂
襲撃予定日まで後四日にまで迫ったその日。
私はマダレム・ダーイの西に広がる森へとやって来ていた。
勿論、誰にも後を追われない様に注意を払うと共に、最近マダレ
ム・ダーイに流れている噂も考慮して北西の門から出立してだ。
﹁サブカ、居るかしら﹂
森の中、木が枯れた為に多少周囲が開けているその場所で、私は
森の奥の方に向けて声を呼び掛ける。
﹁勿論、居るとも﹂
そうして現れたのは四本腕のギルタブリル、サブカだった。
その口元に赤い物が付いている辺りからして、適当な食事を済ま
せてきた直後であるらしい。
﹁準備の方は?﹂
﹁全てが順調と言うわけでは無いな。お前が頼んでいた燃えやすい
物を持ってこない⋮⋮いや、持ってくると言う考えも持たない妖魔
が殆どだ﹂
サブカが手を軽く振って、私の事を森の奥へと誘ってくる。
なので、私もサブカの誘いに乗って森の奥へと歩みを進める。
﹁別にそれぐらいは良いわよ。どうせそのレベルの頭しか持ってい
ない奴には、暴れること以外で期待してないから。それに、こうな
る事を見越して適当な村を襲い、燃やせる物を回収するように貴方
に頼んだんじゃない﹂
172
﹁ま、そうなんだがな﹂
やがて私の視界に周囲を警戒する数体の妖魔と、濡れないように
洞窟の中に蓄えられた大量の薪や油と言った燃えやすい物が入って
くる。
ああ、きちんと油を染み込ませた麻縄も準備されているわね。
﹁うん、これだけあれば十分よ﹂
﹁そうか、ならよかった﹂
私の言葉にサブカはほっとしたような声を出す。
まあ、頑張ってくれたサブカには悪いけど、これが無いなら無い
で、別に手は考えてあるんだけどね。
﹁それで、ちゃんと燃料を持ってきた組に例の妖魔は?﹂
﹁簡単な意思疎通と自制が出来るレベルだが五人居る。副案の方も
含めれば二十ってところだな﹂
﹁良いわぁ⋮⋮凄く素敵。これなら私の仕事はこれからやる事だけ
になりそうね﹂
﹁ぶっちゃけ、その仕事が最重要なんだけどな﹂
私はサブカの言葉に笑みを浮かべつつ、麻縄の調子を確かめる。
ああうん、これなら大丈夫そう。
長さも十分にあるみたいだしね。
﹁だから私がやるんじゃない﹂
私は油を染み込ませた麻縄を、こちらもサブカに頼んで準備して
おいてもらった荷車へと詰み込んでいく。
﹁でだ。﹃冬峠祭り﹄とか言う祭りの最中に襲い掛かるのは良いが、
衛視たちの配置や、魔法使いたちの動向、それに商人の中でも兵力
を持っている厄介な連中について調べると言う話についてはどうし
たんだ?別に知らなくても何とかはなるが⋮⋮っつ!?﹂
173
﹁知らなくても何とかなる?﹂
サブカの言葉に、私は最大限の速さでもって、ハルバードの穂先
をサブカの口の前へと持って行く。
それと同時にサブカと、サブカの周囲に居た他の妖魔たちの事を
睨み付ける。
今の言葉は決して聞き流して良い物ではないからだ。
﹁サブカ。ヒトを舐めないで。そもそも、こっちには余分な戦力な
んてものは無いのよ。無闇に戦力を散らせば、数で押されて返り討
ちに遭う事になるの。だから⋮⋮﹂
﹁悪い。俺が悪かった⋮⋮﹂
﹁分かればよろしい﹂
私はハルバードを降ろすと、近くにあった木の枝で地面にマダレ
ム・ダーイを上から見た地図を描いていく。
そして、地面に描いた地図の上に適当な石を置いていく。
﹁さて、私が動く時間までまだあるし、例の子たちを集めてくれる
?そしたら説明を始めるから﹂
﹁分かった﹂
サブカが何処かへと走っていく。
さて、私が描いた地図だが、これはただの地図では無い。
マダレム・ダーイの長老たちも持っていないであろう程に正確で
詳細、かつ﹃冬峠祭り﹄の際に私が私的に優先して潰すべきだと感
じたヒトの集団が居るであろう場所についても表された地図だ。
羊皮紙に記した物もあるが⋮⋮それは私以外に見せる予定はない。
﹁連れてきたぞ﹂
﹁ありがとう﹂
と、サブカが例の妖魔たちを連れてくる。
うん、この面子なら大丈夫そうだ。
174
少なくとも、マダレム・ダーイは間違いなく滅ぼせる。
私はそう確信すると、一度笑みを浮かべ⋮⋮
﹁さて、今回の祭りの計画について改めて説明させてもらうわ﹂
妖魔たちに自分のやるべき事を教え始めた。
−−−−−−−−−−−−−
説明終了後。
﹁しかし、よくもまあ、これだけ正確な情報を得られたものだな。
一体どうやったんだ?﹂
﹁あら、このぐらいの情報なら、適当な人間を生きたまま食べれば
得られるじゃない﹂
私はサブカに質問をされたので、素直にそう返す。
実際、私が得た情報はその組織に属しているヒトを生きたまま丸
呑みにして、記憶を奪い取れば簡単に得られる情報でしかない。
が、私の答えを聞いたサブカは何処か不満げな様子だった。
﹁どうしたの?﹂
﹁生きたままねぇ⋮⋮正直に言って俺には無理だな。口のサイズが
足らない﹂
﹁ああ、言われてみればそうね﹂
サブカに言われて私も気づく。
確かにサブカを始めとして、普通の妖魔にヒトを生きたまま丸の
みにする事など出来やしないだろう。
まずそこまで口が大きく広がらないわけだし。
つまりこの方法で情報を得られるのは、一部の妖魔だけという事
175
だ。
﹁まあいい﹂
まあ、いずれにしてもこんな話は余談のようなものだ。
﹁今回の計画中に適当な人間の頭でも丸かじりにしてみて試す﹂
﹁上手くいくことを願っているわ﹂
﹁そっちもな﹂
今はまず目の前に差し迫った私のやるべき事をやるべきだ。
ネリーを美味しく食べる為にも⋮⋮ね。
176
第30話﹁都市国家−21﹂︵後書き︶
03/06誤字訂正
177
第31話﹁﹃冬峠祭り﹄−1﹂
﹃冬峠祭り﹄
マダレム・ダーイにて、冬の二の月は新月の日に行われる祭りだ。
祭りの内容は冬が半分終わった事を祝い、残り半分の冬を無事に
越せる事を祈ると共に、越せるだけの活力を付ける為に街中で盛大
に飲み食いをする事。
﹁ははははは、この肉うめえな!﹂
﹁こっちのパンも中々だ!﹂
﹁かああぁぁ!酒が美味い!!﹂
そのため、街中に北から乾き冷たい風が吹く中でも住民たちは大
して気にした様子も見せずに、南の森で狩った獣の肉を、マダレム・
ダーイ東に広がるダイクレセ湖で獲った魚を、秋に収穫し保存して
おいた麦と野菜を、今年採れた麦で造った麦酒を、食べ続ける。
﹁それじゃあ、次の曲行くぜー﹂
﹁よっ、姉ちゃん。俺と踊らねえか!﹂
﹁よろこんで﹂
そして、これ以上食べれなくなれば腹ごなしと言わんばかりに、
街中に溢れている陽気な音楽に合わせて踊り、腹が空けばまた満腹
になるまで食べる。
正に私が以前内心で思ったどんちゃん騒いで、沢山飲み食いしま
しょうと言う祭りだった。
﹁ソフィア!向こうのテーブルにこれを持っていておくれ!﹂
﹁分かりました!﹂
ただ、とにかく沢山飲み食いしましょうと言う祭りである以上、
178
全員がひたすら飲み食いをしているわけにも行かない。
と言うわけで、食事を作り運ぶ料理人や給仕、場を賑やかす旅芸
人、治安を維持する衛視などは、むしろ普段よりも忙しいくらいだ
ったりする。
﹁ゴメンねソフィア。手伝ってもらっちゃって﹂
﹁別に構わないわ。こういうのも祭りの楽しみ方ではあるもの﹂
なので、私はネリーの手伝いとして﹃サーチアの宿﹄で朝から給
仕の仕事に就いていた。
うん、これは仕方がない。
ネリーに﹁どうしても人手が足りないの。お願い手伝って﹂なん
て言われたら、私が断れるわけがない。
断るはずがない。
むしろ、断る奴が居たら全力で殺りに行く。
あ、でもそいつに対してネリーが抱く感情が悪くなることを考え
たら、放置しておいた方が都合がいい⋮⋮
﹁ソフィア。次はこれだよ!﹂
﹁あっ、はい!﹂
おかみさんの言葉で私は意識を現実へと引き戻す。
危ない危ない、今はそれどころじゃなかった。
なにせ今は私にとっても都合のいい仕事中なのだから。
途中でもう仕事をしなくていいだなんて言われたら、この後が大
変な事になる。
それにだ。
﹁お客様、困ります!﹂
﹁へへっ、いいじゃね⋮⋮だだだだだぁ!?﹂
私は服の上からではあるが、ネリーの尻を触っていた男の手首を
掴むと、溢れ出る殺意と妖魔としての筋力をどうにか意思の力で抑
179
え込み、普通の人間より多少強い力でもって男の手首を捻り上げる。
﹁お客様ー、給仕にむやみやたらと触るのはご遠慮くださいねー﹂
﹁ひっ、ひいっ、すみません﹂
ふふふふふ、本音を言えば、私のネリーの尻を我が物顔で触るよ
うな男なら、全力で手首を捻って、そのまま手を捻じり切ってやっ
ても良かったんだけどね。
でも、今それをやるわけには行かないからね。
我慢しなきゃねー⋮⋮ふふふふふ。
﹁よ、酔いを醒ましてきまーす!﹂
﹁良いぞ姉ちゃん!よくやった!﹂
﹁ざまあぁぁ!﹂
﹁まったく、これだから男は⋮⋮﹂
﹁やれやれ﹂
﹁はいはい、よくやったと思うならたくさん食べて飲んでください
ねー﹂
と、男が﹃サーチアの宿﹄の外に出ていくと同時に、他の客から
歓声の様な物が上がる。
良かった良かった。
どうやら私の対応は間違っていなかったらしい。
﹁ありがとうね。ソフィア。あの人普段は良い人なんだけど、酔う
とどうにもね⋮⋮﹂
﹁困った時はお互い様よ。ネリー﹂
ネリーが私に微妙に困った表情を混ぜた笑顔を向けてくれる。
ああ、これだけでもパン一斤は行けそうな気がするわ⋮⋮。
と言うか、ネリー自身を今すぐにでも押し倒したい⋮⋮と、まだ
我慢しなきゃ。
まだその時じゃないわ。
180
もうすぐではあるけれど。
﹁おーいお前ら!そろそろ日が暮れるぞ!﹂
﹁おやっ、もうそんな時間かい﹂
さて、この﹃冬峠祭り﹄だが、基本は本当にただ飲み食いするだ
けの祭りである。
が、多少は儀式的な側面を持っている部分もあるのだ。
﹁ソフィア。店の奥に行って、例の酒を持って来てくれるかい?﹂
﹁はい、分かりました﹂
それは、今年採れた麦で造った麦酒を一人一杯ずつジョッキに注
ぎ込み、陽が完全に暮れるのと同時に乾杯、みんなで一緒に一気に
飲み干すというもの。
そして、この時の一杯だけは衛視も、料理人も、旅芸人も、給仕
も関係なく飲み干す事になっており、もしもこの一杯を呑む事が出
来なければ、少なくない恥をかくことになるのだ。
﹁あった。あったと﹂
私は店の奥に行くと、この日の為に用意された酒樽を見つけ、と
ある細工を施してから持ち上げると、店の方へと持って行く。
そんな私の姿に疑問を抱く客は居ない。
私の怪力はよく知られているし、酒樽を持ってくる役目を任され
る程度には信頼されるように、街中では振る舞っていたからだ。
﹁さ、これが今年の酒だよ。皆持って行きな﹂
﹁おう﹂
﹁ありがとな﹂
﹁毎年この一杯の為に生きているんだよなぁ﹂
﹁はいネリー﹂
﹁あっ、ありがとうね。ソフィア﹂
181
客たちが酒樽から直接酒を貰って行く中で、私はネリーにジョッ
キを手渡す。
﹁えと⋮⋮﹂
﹁ふふ、先に貰っちゃった﹂
﹁もう、駄目じゃないの﹂
﹁ごめんなさいね。でもこうしないと、私たちの分が無くなりそう
だったから﹂
ネリーは私が酒樽から酒を出した姿を見ていない事に疑問を抱い
たようだったが、私の言い訳に多少怒りつつも納得をしてくれた。
﹁それじゃあ、冬が半分終わった事を祝し、残り半分の冬を無事に
越せる事を祝って⋮⋮﹂
やがて、店の中に居る全員に麦酒が渡ったところで、客の一人が
口上を言い始め⋮⋮
﹁﹁﹁乾杯!﹂﹂﹂
全員でそう言い合い⋮⋮
﹁﹁﹁ゴクゴクゴクッ﹂﹂﹂
ジョッキの中身を飲み干し⋮⋮
﹁ぷはぁ!﹂
﹁今年も旨い!﹂
﹁むしろ今年のが美味い!﹂
﹁美味しい?別に何時ものと⋮⋮﹂
﹁さて⋮⋮﹂
簡単な感想を言い合ったところで⋮⋮
ゴトッ!?
182
﹁変わら⋮⋮えっ?﹂
﹁カーニバルの始まりね﹂
私とネリー以外の全員が倒れた。
183
第31話﹁﹃冬峠祭り﹄−1﹂︵後書き︶
当然のように皆殺しです
と言うわけで、暫くは普段以上にグロ注意です
03/07誤字注意
184
第32話﹁﹃冬峠祭り﹄−2﹂
﹁何が⋮⋮﹂
﹁おっと﹂
動揺し、ジョッキを手から落とすと同時にその場で尻餅をつきそ
うになったネリーを、私は後ろから優しく受け止め抱きかかえる。
﹁ソフィ⋮⋮ア⋮⋮みんなが⋮⋮﹂
﹁大丈夫よネリー。貴女と私のジョッキには毒なんて無粋な物は入
っていないから﹂
﹁ど⋮⋮く⋮⋮?﹂
﹁そう、毒﹂
目の前の状況に頭が付いて行かず、目の焦点が定まっていないネ
リーの顔を、私は上から覗きこむように見つめる。
そして、耳元で優しく囁くような声でもって語りかける。
﹁勿論ただの毒じゃないわ。甘くて香ばしくて、一度口に含めば二
度三度と飲み込まずにはいられない、けれどほんの僅かな量でも飲
み込んでしまえば、心の臓が止まり、二度と目覚める事のない猛毒﹂
そうして私がネリーに語りかけている間にも、毒を飲んだ﹃サー
チアの宿﹄の客達の顔色は悪くなり、全身の穴から液体を垂れ流し
つつ、永遠の眠りに就いて行く。
﹁どう⋮⋮して⋮⋮?﹂
﹁どうして?﹂
ネリーが私に問いかけてくる。
このどうしては、どうしてこの毒について私が知っているのかを
問いかけているのでは無く、どうして私がそんな毒を客とおかみさ
185
んに盛ったのかを問うものだろう。
けれど敢えて、私は前者のどうしてについて答える。
﹁そんなの私が祝いの酒樽にこの毒を仕込んだからに決まっている
じゃない。でも、これだけの事をした価値が有ったわね。だってネ
リーのこんな表情が見られたんだもの﹂
﹁!?﹂
ネリーの表情が歪む。
状況に頭が付いて行っていなかった状態から、目の前に居る私の
事をまるで理解できないというような表情に。
﹁離し⋮⋮﹂
﹁駄目よネリー。今ここで離したら、貴女は何処かに行ってしまう
じゃない﹂
ネリーが私から逃げるべく、四肢をつんのめろうとする。
が、武器も魔法も特別な技術も持たないヒトが、私に抱きかかえ
られた状態から逃げられる程、私の身体の力は弱くない。
﹁誰か!誰かぁ!﹂
﹁無駄よネリー。今外は宿一つに構っていられるような状況じゃな
いもの﹂
助けを呼ぶべく、ネリーが叫び声を上げる。
だが、それに反応する者はいない。
﹁火事だあぁぁ!北の丘が!﹃大地の探究者﹄の拠点が激しく燃え
ているぞおおぉぉ!﹂
﹁そこだけじゃない!そこら中から火の手が上がっているぞ!﹂
﹁妖魔だ!妖魔が空から火を落としてきやがった!﹂
それどころか、ネリーの叫び声を上回る大きさの声がそこら中か
ら響き渡り、それらはやがて喧騒へ、そしてパニックを起こした人
186
々の悲鳴と慟哭へと変化していき、それに伴う形で激しくヒトが駆
けまわる様な音が街全体から鳴り響くようになっていく。
﹁なに⋮⋮が⋮⋮﹂
﹁説明してあげるわ﹂
私は再び状況に思考が追いつかなくなってしまったネリーの為に、
耳元で囁く形で優しく説明をしてあげる。
﹁私の仲間が北の丘⋮⋮﹃大地の探究者﹄の拠点に火を付けたの。
予め私が仕掛けておいた、油のたっぷり染み込んだ麻縄や、燃えや
すい枯れ木なんかを巻き込みながらね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そして、それに合わせて、街中に空から火の付いた松明を沢山落
としたの。勿論、北から乾いた風が吹く事を計算に入れて、この宿
には延焼が及ばないように考えた上で⋮⋮ね﹂
﹁どうして⋮⋮むぐっ!?﹂
私はネリーの唇を奪い、続きの言葉を無理やり奪い取る。
﹁っつ﹂
﹁ふふっ、可愛い。でもね、ネリー。私の仕込みはこれで終わりじ
ゃないの。ほらっ、聞こえてきたでしょ﹂
﹁えっ⋮⋮?﹂
ネリーは全身全霊の力を込めて私の事を突き飛ばし、無理やり唇
を離す。
ああ可愛い。
そして美味しい。
けれど私はそれらの事柄を表情には出さず、ネリーに耳を澄ます
ように言う。
﹁妖魔だ!大量の妖魔があぁぁ⋮⋮ギャバ!?﹂
187
﹁イヤアアァァ!?﹂
﹁逃げろ!逃げるんだああぁぁ!!﹂
﹁﹁﹁ーーーーーーーーーーー!!﹂﹂﹂
﹁っつ!?﹂
そうして聞こえてきたのは多くの人々が火とはまた違う脅威から
逃げ惑う声と、無数の妖魔の叫び声。
その叫び声に、ネリーは信じられないような物を見るような目で
私の事を見つめてくる。
﹁アレが私の仲間たちの声。西の森の中に潜ませておいて、夕暮れ
と同時に街の中に突撃し、暴れるように言い含めておいたの。ふふ
ふっ、流石の衛視さんたちと傭兵たちも、数百の妖魔に一度に襲わ
れたらどうしようもないわよね﹂
﹁ソフィアは⋮⋮﹂
﹁ましてや、今日は﹃冬峠祭り﹄でどちらかと言えば気が緩んでい
て、しかも夕暮れと同時に大規模な火災が起き始めた。これでまと
もに対応できたら、そっちの方が驚きだわ﹂
﹁ソフィアは一体何者なの⋮⋮﹂
﹁ん?私?﹂
ネリーの瞳は恐怖に震え、絶望と無力感に打ちひしがれていた。
それはつまり、既に彼女が真実に辿り着いている事を示している
と言っても良かった。
けれど彼女は私に問いかけた。
ならば、私も彼女に教えてあげるとしよう。
ラミア
﹁私はソフィア。変わり者の蛇の妖魔。一目見た時から貴女に⋮⋮
ネリーに惹き付けられて、少しでも貴女の事を美味しく食べたいと
思ってしまった妖魔﹂
﹁⋮⋮﹂
ネリーは既に全身を震わせ、声も発せないような状態になってい
188
る。
今の私の言葉で、どうして私がこんな事をしたのかと言う答えに
辿り着いてしまったが故に。
けれど、どうせなら、最後まではっきりと私の口で告げるべきだ
ろう。
﹁そう、ネリー。貴女の事を少しでも美味しく食べる為に、出来る
限り多くの負の感情とそれらの負の感情の上でなお感じてしまうよ
うな快楽を貴女に味わってもらうために、私はマダレム・ダーイを
滅ぼし、そこに住む人間を殺すの﹂
﹁あ⋮⋮あ⋮⋮﹂
店の外からは徐々にヒトが発する音に混じって、妖魔たちが食事
とその下ごしらえを楽しむ音が聞こえ始めて来ている。
それと共に、この先自分に待ち受けている運命を理解したがため
に、ネリーの目が潤み始める。
﹁さあネリー。じっくりと、たっぷりと、時間をかけて、一つにな
りましょうか﹂
﹁い⋮⋮﹂
そして私はネリーの唇を自分の唇で抑え込むと、その場に押し倒
した。
189
第32話﹁﹃冬峠祭り﹄−2﹂︵後書き︶
カーニバルダヨ
190
第33話﹁﹃冬峠祭り﹄−3﹂
一方その頃。
﹁まさかこれほどとはな⋮⋮﹂
マダレム・ダーイに数ある衛視の待機所の一つを攻め落としたサ
ブカは、周囲の光景に思わずそう呟いていた。
だが、サブカがそう呟くのもやむを得ない程に、マダレム・ダー
イの状況は日が暮れる前と日が暮れた後では変わっていた。
﹁ギギャギャギャ﹂
﹁ブヒッ、ブヒャヒャヒャ﹂
﹁たしゅ、助け⋮⋮﹂
街を照らしていた篝火の明かりは、街を焼く炎に取り込まれ、掻
き消された。
数多の料理を食べ、楽しんでいたヒトは、それらの料理と共に妖
魔に食べられる事になった。
街中でかき鳴らされていた陽気な音楽は、ヒトの悲鳴と慟哭、家
々が焼ける音、そして少しでも多くの感情を引き出し美味く食べる
為に行われている行為が出す音に変わった。
﹃冬峠祭り﹄を楽しんでいた人々の内、今もなお街に残っている
のは、妖魔に食われた後の骸か、これから食われるヒトだけだった。
﹁⋮⋮﹂
恐ろしい。
他の妖魔が歓喜と満腹感に酔いしれる中、周囲の光景に対してサ
ブカはそう思わずにはいられなかった。
191
ギルタブリル
﹁俺も変わり者だが、アイツに比べれば、やはりマトモだ﹂
サブカは自分の事を変わり者の蠍の妖魔と認識している。
事実、サブカは普通のギルタブリルが四足歩行であるのに対して、
二足歩行である。
勝てるか分からない相手には挑まないという自己制御能力も持っ
ている。
今回の襲撃では、ソフィアに倣うように、衛視からヒトの武器で
ある金属製の剣を奪い、四本の腕で一本ずつ持つと、武器を持って
いない頃とは比較にならない早さで、多くの人々を切り殺す事にも
成功している。
端的に言って、サブカも変わり者の妖魔の中で特別変わり者の妖
魔だと言ってよかった。
だが、そんなサブカから見ても、ソフィアはなお変わり者の⋮⋮
いっそ、狂った妖魔だと言ってよかった。
﹁コケケケケケ、どうした?早く食わないと、食い物が無くなっち
まうぜ!﹂
﹁分かってるよ﹂
サブカは自分より多少考える力が劣っている鶏の妖魔が次の獲物
に向かっていくのを眺めつつ、あちらこちらで未だに炎が燃え盛っ
ている街中を歩いていく。
﹁アイツは本当におかしい﹂
サブカは改めてソフィアのおかしさを思い返していく。
ソフィアは下準備をした上で、街にヒトが使う物であるはずの火
を付け、マダレム・ダーイ全体を混乱に陥れた。
混乱を増長するように、サブカたちを西門からマダレム・ダーイ
へと侵入させた。
そして、サブカのように考える力を持つ妖魔には、衛視や傭兵の
ように妖魔に抗う力を持ったヒトの拠点を先んじて制圧するように
192
指示を出し、暴れる事しか能のない普通の妖魔には一つだけ命令⋮
⋮否、助言だけを行い、好きに暴れさせることにした。
その助言の内容は﹃獲物は沢山居るのだから、好きな部位だけ食
べるようにしても、お腹は十分に膨れるわ﹄。
これらの妖魔としてはおかしいという他ない作戦の結果が、今の
妖魔が支配するマダレム・ダーイの状態だった。
だが、サブカがソフィアについて最もおかしいと思うのは、これ
らの常識外の発想では無かった。
﹁普通、ヒト一人食うためだけにこれだけの事をするか?﹂
サブカの思うソフィアの最もおかしい点は、これほどの計画を立
て、襲撃を行う理由がたった一人の少女を少しでも美味しく喰らう
ためであるという点だった。
﹁有り得ない。間違いなく﹂
だからこそサブカはソフィアに対して恐怖を覚える。
ヒト一人の為に街一つ落とそうと考える、ソフィアの思考が理解
できない為に。
﹁と、居るな﹂
と、ここで不意にサブカは足を止め、腰の鞘に挿していた四本の
剣を抜く。
そして、周囲をゆっくりと見回し、火が及んでいない一つの民家
の扉に視線を固定する。
﹁⋮⋮﹂
居る。間違いなく。何処か目には見えない場所に隠れているよう
だが、確実に居る。
目の前の民家に対してサブカはそう認識すると、ゆっくりと扉を
開け、民家の中に踏み込む。
193
﹁臭いな⋮⋮﹂
ここで既に下拵えを行った上で、ヒトを食った妖魔がいる為だろ
う、民家の中は酷く臭く、あちらこちらに様々な色合いの液体が飛
び散り、ひどく荒れていた。
だが、そんな状態でも、サブカの身体はこの民家の中に隠れてい
るその存在の位置を正確に把握していた。
﹁さてどうするか⋮⋮﹂
獲物は地下に居る。
他の妖魔に気づかれなかったのは、入口の上に家財道具が載せら
れている上に、獲物が出来る限りじっとしている為だろう。
それでも恐怖から来る震えによって微かに地面が揺れ、その揺れ
によってサブカは気づいたのだが。
﹁ふむ⋮⋮﹂
腹は十分に膨れている。
となれば、追い詰められたヒトが決死の想いで反撃を仕掛けてく
るリスクを考えれば、手を出さない方が自らの生存に繋がるだろう。
ソフィアも追い詰められたヒトの強さを無意識に知ってか、南門
については無視し、暫くは手を出さないように言っているぐらいな
のだし。
つまり、見逃してしまっても何の問題も無い。
﹁⋮⋮﹂
だがこのまま放置してこの民家にまで火が及べば?
今の家財道具が載せられたために逃げれない状況では、結局この
地下に居るヒトは死ぬことになる。
いや、火が及ばなくても、助けが来なければ、家財道具をどかせ
ず、外に出れなくて死ぬことになるだろう。
194
それは何となくだが気分が悪い。
﹁死にたくなければ、明日の昼までは絶対に外へと出るな﹂
だからサブカは自分でも妙だとは思いつつも、地下に居るヒトに
対してそう呼びかけ、家財道具を適度に破壊し、木の蓋に剣を刺し
て外の明るさが分かるようにしておく事によって、地下に居る二人
の小さなヒトが機を見て脱出できるようにしておく。
﹁そこまで待った後に助かるどうかはお前たちの運次第だがな﹂
そしてサブカはその場から去っていった。
サブカは気づいていない。
自らもまた、妖魔の中では変わり者と言う次元では済まない程に
おかしい存在であることに。
195
第33話﹁﹃冬峠祭り﹄−3﹂︵後書き︶
変さで言えばサブカもソフィアも似たようなもの
196
第34話﹁﹃冬峠祭り﹄−4﹂
﹁さて⋮⋮と﹂
ネリーを食べた私は妖魔本来の衣服を身に着け、ハルバードと荷
物を持つと、﹃サーチアの宿﹄に火を放ってから宿の外に出る。
久しぶりに袖を通した衣装だが⋮⋮うん、いつの間にかフード部
分に髪止めと同じ黄金色の蛇の環が付けられていて、しかも環から
はネリーの気配に似た力を感じる。
うん、やっぱりこの環は肌身離さず持っているべき代物であるら
しい。
﹁何か有ったのかしら?﹂
激しく燃え上がり始める宿の外で、朝日を浴びながら待っていた
のは?
﹁ああ、多少面倒な事になっている﹂
﹁へぇ、そうなの﹂
ギルタブリルのサブカだ。
ただ、こちらも最後に別れた時のままの姿では無く、衛視や傭兵
が使っていたと思しき剣が四本、鞘に納められた状態で腰に提げら
れている。
それなりに使った気配がする辺り、どうやら今回の襲撃中に奪い
取り、使っていたのだろう。
﹁何処へ行く気だ?﹂
﹁何処へって⋮⋮目的を果たした以上、もう私がマダレム・ダーイ
に留まる理由なんてないと思うけど?﹂
さて、サブカ曰く面倒事が起きているらしいが⋮⋮正直、ネリー
197
を無事に食べる事が出来た以上、私がマダレム・ダーイに留まる理
由も意味もない。
むしろ、事が終わってなおマダレム・ダーイに留まっていても、
私にとっては不利益しかない。
﹁いいや、今起きている面倒事を解決すると言う理由はあるはずだ﹂
と言うわけで、私としてはとっとと新しい都市国家を目指して移
動を始めたかったのだが⋮⋮どうやら、サブカには私のそんな行動
を許す気はないらしい。
しょうがない、話だけでも聞いてみるか。
それでどうでもいい内容だったら、無視して逃げよう。
﹁分かったわよ。で、何が起きているの?﹂
﹁生き残りのヒトが魔法と廃材で南門を簡易の砦化、囮として立て
籠もっている﹂
﹁はぁ?そんなの無視⋮⋮出来ないか﹂
﹁ああ、普通の妖魔が大量に突っ込んで返り討ちに遭ったおかげで
今は睨み合いになっているが、それでも砦の連中を無視して南に逃
げたヒトを追うという考えは持てないらしい﹂
﹁これだから本能に抗えない連中は⋮⋮﹂
サブカの話に私は少々の痛みを頭に覚える。
周囲に転がっている死体の大半が私の目論み通り、身体の一部だ
けが欠けた死体ばかりだったので、一通り食べ終わった後は南に行
くと良いと言う私の言葉にも従ってくれていると思っていたが⋮⋮
そこまで上手くはいかなかったらしい。
ああいや、これは南門でヒトが立て籠もる事を予想できなかった
私のミスであり、南門を魔法で簡易の砦にすると言う発想をあの場
で思いついたそのヒトの手腕を褒めるべきところか。
いずれにしてもこれは確かに良くない。
198
﹁どうせお前の事だ。南に向かわせる連中には全滅してもらう予定
だったんだろう。お前が何処かの都市に着くまでの時間を稼ぐため
に﹂
﹁ああ、やっぱりサブカは気付いていたのね。ええ、その通りよ﹂
当初の私の予定では、私以外の妖魔にはこのまま南下してもらい、
別の都市国家を襲ってもらう予定だった。
私がマダレム・ダーイとは関係のない別の都市国家に潜伏するま
での時間を稼ぐためにも。
その襲撃の結果で都市国家側が滅びようが、妖魔の側が皆殺しに
されようが私には関係なかった。
私はもう、その妖魔の集団には居ないのだから。
﹁でも、その点についてはどうでもいいわ﹂
﹁どうでもいい⋮⋮ね﹂
ただまあ、妖魔の集団の末路についてはこの際どうでもよかった。
サブカは不服そうだったが、私にとってはどうでもよかった。
問題はこの状況で組織だって抵抗して見せるヒトが居るという点
だ。
﹁問題は他の妖魔たちとは違う理由でもって、私はその砦に立てこ
もっているヒトを放置するわけにはいかないという点よ﹂
﹁ふむ?﹂
そう、彼らを放置しておくわけには行かない。
何故ならば⋮⋮
﹁そのヒトはどういう順序で今回の襲撃が行われているかを正確に
知っている可能性が高いわ。それが他のヒトに伝わってしまえば、
もう今回と同じ手は使えなくなる﹂
﹁それは確かに拙いな﹂
﹁加えて、妖魔が持久戦に向かないと言う事実も知られかねない﹂
199
﹁まあ、ヒトが居ないこの場じゃあ、三日もすれば大抵の妖魔は餓
死するだろうな﹂
﹁で、そんな情報の数々は、やがて完全武装の状態でやってくる他
の都市国家のヒトに渡されることになる﹂
﹁そうなれば、今後は何かと厳しくなる⋮⋮と﹂
﹁そう言う事よ﹂
彼らを放置した場合、今後今回と同じような手法は用いたくても
用いれないようになる可能性が高いからだ。
それどころか、私がヒトの集団に入り込む事が出来なくなる可能
性だってある。
具体的には、ヒトの姿によく似た妖魔が居るという情報と、どの
程度で妖魔が餓死をするのかという情報が漏れた場合、見知らぬ旅
人は一定期間常時監視して、妖魔かどうかを見極めるなんて言う方
策が取られかねない。
うん、そうなったら余裕で死ねる。
﹁しょうがない﹂
勿論、これは最悪の場合を予想したものだ。
私が妖魔であることがバレている可能性は低いし、妖魔たちが餓
死する前にヒトが押し寄せてくる可能性もある。
﹁サブカ、案内して﹂
﹁分かった﹂
が、その最悪を考えた場合、絶対に放置しておくわけには行かな
い問題だった。
200
第34話﹁﹃冬峠祭り﹄−4﹂︵後書き︶
やっぱり想定外が起きたよ
201
第35話﹁﹃冬峠祭り﹄−5﹂
﹁これは想像以上に厄介ね⋮⋮﹂
適当な建物に身を隠しつつ、魔法によって砦化された南門を見た
私は、そう呟かずにはいられなかった。
﹁一応聞くけど、反対側も同じ感じなの?﹂
﹁ああ、飛行能力を持っている妖魔たちの話ではそうらしい﹂
南門は私の知る姿から大きく変貌していた。
周囲は城壁以上に高い壁に覆われ、遠目には土のドームの様にな
っていた。
だが、単純に土を盛っただけではないらしく、よく見れば門の上
部は見張り台の様になっているし、地面に近い高さの壁には覗き穴
と思しき小さな穴が幾つも開いている。
そして、元々の南門に合わせる様に、オーク一匹分の幅で造られ
た通り道が一つだけ開いていた。
﹁お前なら言わなくても分かると思うが、あの穴は罠だ。迂闊に入
った奴は、左右の壁から突き出される槍で確実に死ぬ﹂
﹁でしょうね﹂
やはりと言うべきか、現在南門に留まっているヒトは、この状況
でなおマダレム・ダーイに留まるだけの度胸だけでなく、相当に知
恵が回るらしい。
でなければ、他のヒトがただ逃げ惑う中、魔法使いを含めた必要
な人員と魔石を含めた各種道具を集め、対妖魔用と言う他ない陣地
を急造できるはずがない。
それほどに目の前の南門の構造は厄介だと言えた。
なにせだ。
202
﹁周囲を土で覆われている以上、火は付けられない。用意された門
から入ろうとすれば、一方的に殺される。こちらの動きは覗き穴か
ら監視され、次の行動は先読みされる。壁を壊そうと思っても、壊
した端から魔法使いによって修復される。か﹂
﹁厳しいのか?﹂
﹁厳しいわね。かなり﹂
サブカの言葉に私はそう言うしかなかった。
実際、私たちが妖魔では無く、ヒトの軍勢であるなら、目の前の
砦の攻略はそこまで難しくないだろう。
が、私たちは妖魔だ。
妖魔である以上、普通の妖魔はどうやっても単純な命令しかこな
せず、獲物を見つければ襲わずにはいられない。
死んだ妖魔は魔石になるから、相手に魔石の加工手段が有るなら、
魔石の補給が出来てしまう。
しかも死体が残らない以上、死体を利用するような手は使えない。
なにより、食料の問題が有るから、砦の中の食料が尽きるのを待
つ持久戦と言う選択肢はとれない。
﹁まったく、本当によく考えられた砦ね。これはもしかしなくても、
妖魔の集団対策として以前から考えていたわね﹂
﹁ふうむ。お前がそこまで言う代物なのか﹂
正直、私は砦の中で指揮を執っているであろうヒトに対して、感
嘆の念を覚えざるを得なかった。
それほどまでに、目の前の砦はよく出来ていた。
うん、出来れば敵の指揮官は生け捕りにして、生きたまま食べた
い。
まずそんな余裕はないけど。
﹁それで、やれるのか?﹂
203
﹁万事うまくいけば⋮⋮ね﹂
ただまあ、それでも目の前の砦は急造の代物だ。
付け入る隙は幾らでもある。
トロール
今砦の中に居るヒトを皆殺しにする手段ぐらいなら直ぐに考え付
く。
オーガ
上手くいく保証はないが。
オーク
﹁サブカ。豚の妖魔、牛の妖魔、熊の妖魔辺りに、そこら辺の廃材
も利用していいから、適当な場所の城壁を破壊。門の向こう側に回
り込めるような道を作るように指示して﹂
﹁分かった﹂
﹁で、それ以外の妖魔には燃えやすい物を持てるだけ持って、砦を
囲むように指示。勿論、種火も用意しておくのよ﹂
﹁ん?待て、ソフィア。あの砦は土で出来ているんだぞ。土は⋮⋮﹂
﹁いいから行く。まだ街中は燃えているんだから、時間が経てば経
つほど、私たちが利用できるものが少なくなって、勝率が下がるわ
よ﹂
﹁わ、分かった﹂
サブカが建物の外に出て、私とサブカほどではないが、知恵のあ
る妖魔たちに私の話を伝え、それらの妖魔たちと協力して普通の妖
魔たちにも話を広めていく。
さて、上手くいくといいのだけれど⋮⋮。
■■■■■
急造された砦の中。
﹁アスクレオ様。妖魔たちに動きがありました﹂
204
﹁何をしていた?﹂
明かりも碌に無いその場で、アスクレオ商店の店主アスクレオは
部下からの報告を受けていた。
そして、報告を受けていたアスクレオは一度大きく息を吐くと、
報告をしてくれた部下に監視を続けるように命じる。
﹁アスクレオ様。どうしました?﹂
﹁ラスラーか。どうやら、例の指揮官殿が到着したらしい。妖魔た
ちの動きが明らかに変わった﹂
﹁っつ!?﹂
妖魔たちの火による攻撃を防ぐために、砦の壁には殆ど隙間が無
く、中は非常に暗い。
が、それでもラスラーが息をのんだ事がアスクレオには分かった。
﹁知恵ある妖魔⋮⋮ですか﹂
﹁そうだ。今までどこに行っていたかは知らないが、どうやら動き
出したらしい﹂
﹁ピンチではありますが⋮⋮チャンスでもありますね﹂
﹁そうだな。出来れば生き延びたかったが、こうなれば最悪その妖
魔だけでも仕留める方向で動き始めるべきだろう。既に他の都市へ
伝えるべき情報を書いた書状はストータスに任せたわけだしな﹂
ラスラーが腰に提げている剣の調子を確かめ、アスクレオも右手
に填めた指輪の嵌り具合を確かめる。
﹁今南に打って出れば十分に逃げられますがね﹂
﹁代わりに、着の身着のまま南に逃げた人々が犠牲になるがな。そ
れに知恵ある妖魔にも逃げられる﹂
﹁役目も果たさず逃げるような連中より、貴方の命の方が私として
は重要なんですがね﹂
﹁こうなれば意地のようなものさ。この場に残っている者には悪い
205
と思うが、貧乏くじを引いたと思って諦めてくれ﹂
アスクレオの生き残る事を諦めたような言葉が砦の中に響く。
が、今もなお砦の中に残っているような人々の意思が、この程度
で揺らぐ事は無かった。
それどころか、闘志に限って言えばむしろ高まっている様だった。
﹁さて、我々の故郷を蹂躙してくれた妖魔共に一矢報いるとしよう
か﹂
﹁﹁﹁応っ!﹂﹂﹂
そして砦の中の人々がアスクレオの言葉に応じた時、砦から離れ
た場所の城壁が壊れる音がした。
206
第36話﹁﹃冬峠祭り﹄−6﹂
﹁案外あっさり壊れたわね。もう少しかかると思っていたんだけど、
やっぱり筋力のある妖魔が居ると違うわ﹂
薪や油の入った壺を抱えて、城壁に開いた穴からマダレム・ダー
イの外に出ていく妖魔たちの姿を見て、未だに建物の影に隠れてい
る私はそう呟く他なかった。
﹁元々あの辺りの城壁は脆くなっていたようだ。理由はよく分から
ないがな﹂
﹁あらそうなの﹂
﹁それと普通の妖魔たちの配置が完了した。後はお前の合図を待つ
だけだ﹂
﹁分かったわ﹂
と、そこにサブカがやって来て、準備が完了したとの連絡をして
くれる。
どうして城壁が脆くなっていたかは気になるが⋮⋮まあ、今は置
いておこう。
優先すべきは砦のヒトを始末する事だ。
﹁それじゃあカーニバルの仕上げと行きましょうか﹂
私は潜んでいた建物から出ると、右手でハルバードを肩に担ぎ、
左手でサブカが見つけて来てくれた蓋に松明を付けた陶器製の油壺
を持つ。
ハーピー
そして、南門の正面に立つと、ハルバードの先端を頭上に向ける。
ハルバードの先に居るのは一体の鳥の妖魔だ。
その足には油の染み込ませた麻縄が握られている。
207
﹁全員⋮⋮﹂
勿論、私たちの動きを砦の中のヒトが黙って見ているわけはない。
が、矢も魔法もこの状況では貴重な物であるためか、こちらの様
子は窺っても、攻撃を仕掛けてくる気配はない。
いや、これはむしろ、反撃の機会を窺っているという方が正しい
かもしれない。
﹁構え﹂
まあ、それならそれで別に構わない。
私の言葉と共にハーピーが一度砦の上をぐるりと回り、ハーピー
の動きに合わせて砦の周囲を囲む妖魔たちが手に持った薪や松明、
油壺などを投げる体勢を取る。
﹁やれっ!﹂
私がハルバードを振り下ろす。
と同時にハーピーが麻縄を落とし、それを合図として全ての妖魔
が砦に向けて手に持った物を勢いよく投げつけていく。
するとどうなるか。
﹁コイツは⋮⋮﹂
﹁ふうっ、とりあえず火は付いたわね﹂
砦そのものは土で出来ている為、燃える事はない。
が、砦に突き刺さった薪や、壺の中に入っていた油などは、松明
の火が引火することによって激しく燃え上がり始め、まるで砦その
ものが巨大な炎の塊のようになっていく。
﹁さあっ!どんどん薪木を足しなさい!でないと火が消されるわよ
!!﹂
﹁何を言って⋮⋮っつ!?﹂
だが、ヒトの側も黙ってはいなかった。
208
恐らくは土を操作する魔法を使っているのだろう。
砦を構成する土を動かす事によって、砦に着いた火をもみ消そう
とする。
﹁どんどん燃える物を追加しろ!火が消されるぞ!﹂
﹁風も送り込みなさい!燃え上がりが良くなるわ!﹂
﹁﹁﹁ヴオオオオオォォォ!!﹂﹂﹂
私はそれを予想していた。
だから、サブカが言うように薪を足すだけでなく、より大きく火
が燃え上がるように、布を使って風を送り込み、火を大きくするよ
うに言う。
そしてある程度以上に火が大きくなってしまえば⋮⋮
﹁はぁはぁ、砦が動くのを止めた?﹂
﹁土を操る程度じゃもう消せないと判断したんでしょう﹂
火は勝手に大きくなり始め、自然に鎮火しない限り、誰にも消す
事は叶わくなる。
﹁それにしてもソフィア。いったいこれでどうするつもりなんだ?
砦そのものは相変わらず燃えていないぞ﹂
﹁そうね。砦そのものは燃やせないわ。石と土で出来ているもの﹂
﹁じゃあ⋮⋮﹂
﹁けれど鍋に入れた水を火にかけて沸かすように、砦の周囲をこれ
でもかと熱くすることによって、砦の中を熱する事は出来る。それ
こそヒトどころか妖魔にも耐えられない程にね﹂
﹁なる⋮⋮ほど﹂
私たちの前で砦は激しく燃え続けている。
それこそ祭りの最後を祝うかのように。
だがしかしだ。
209
﹁さて、サブカ。それに他の皆も構えておきなさい﹂
﹁ん?﹂
このまま終わるほど、ヒトの諦めが良いとは思わない方がいい。
﹁何をする気だ?﹂
﹁挑発と陽動と言ったところよ﹂
私はサブカが剣を抜き、構えた事を確認した所で、大きく息を吸
う。
﹁ご機嫌はいかがかしら!?砦の中の人間たち!﹂
そして叫ぶ。
砦の中に居るヒトに聞こえる様に、砦の周囲を取り囲む妖魔たち
に聞こえるように全力で。
﹁土で出来た砦の中に閉じこもっていれば、私たちの攻撃を防げる
と思っていたのかしら!?残念だったわね!私にそんなものは通用
しない!あははははっ!!﹂
砦の中に居るヒトの神経を逆撫でするように。
砦の中に居るヒトが出来る限り私たちの側に来るように。
﹁悔しいかしら!?憎いかしら!?ずっと暴れる事しか能が無いと
思っていた妖魔にここまでやられて恨めしいかしら?そう言う風に
思うなら選びなさいな!このまま中に居て焼き殺されるか!?それ
とも砦の外に打って出て、私たちに嬲り殺しにされるかをねぇ!!﹂
全力で挑発をする。
尤も、本音を言わせてもらうのであるならばだ。
﹁さ、来るわよ﹂
﹁分かっているさ﹂
この状況でマダレム・ダーイに留まる様なヒトであるならば、私
210
を討てる可能性がある機会を見逃したりするような真似はしないだ
ろう。
都市国家一つ滅ぼして見せる妖魔を、自分たちの命を対価に討て
るなら本望。
そう言う英雄的、自己犠牲的な思想の持ち主でなければ、今の今
までこの場に残るはずがないのだから。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
自然に私たちは無言となり、炎が燃え盛る音と、炎に薪を足す音
だけが周囲に響き渡る。
その中で私はハルバードにとある仕掛けを施した上で、槍のよう
に構える。
﹁来たっ!﹂
﹁ソフィアアアァァァ!!﹂
そして、私が聞き覚えのある声と共に、砦を構築していた土の壁
が吹き飛び、砦の中から私たちに向かって剣を持った十数人のヒト
が飛び出してきた。
211
第36話﹁﹃冬峠祭り﹄−6﹂︵後書き︶
ソフィアは中に居るのがアスクレオさんだと気づいていません。
気付いていたら、サブカに挑発を任せています。
212
第37話﹁﹃冬峠祭り﹄−7﹂
﹁はぁはぁ⋮⋮申し訳ありません。私の力では⋮⋮﹂
﹁いやいい、君はよくやってくれた﹂
ソフィアの策によって、土の砦の中は既に夏場の日差しの中どこ
ろか、鍛冶場のような暑さになっていた。
﹁向こうの方が上手だった。ただそれだけの事だ﹂
光が無いためにお互いの姿こそ見えないが、誰の身体からも玉の
ような汗が吹き出し、冬の寒さと戦いに備える為に着込んだ服と髪
を湿らせ、この上ない不快感を全員に与えていた。
いや、不快感だけならばまだいい。
既に砦の中の温度は暑いではなく、熱いと言うべき温度になりつ
つあり、中には熱さに耐え切れず、意識を失いかけている者、土の
床に這いつくばっているものも居た。
そう、仮にこのまま砦の中に留まり続けていたならば、そう遠く
ない内に全員が蒸し焼きになって死ぬことは必定の状況にまで、彼
らは追い詰められていた。
﹁だがまだ倒れないでくれ。君には最後一つやってもらわなければ
ならない事が有る﹂
﹁分かって⋮⋮います﹂
アスクレオの言葉に、倒れかけていた魔法使いが、杖を支えに何
とか立ち上がる。
そして、今にも意識を失いそうな中、魔法使いは自分に課せられ
た最後の役割を果たすべく、杖の片側を地面に突き刺すと、杖の先
端に填められた魔石に意識を集中し始める。
213
﹃ーーーーー!﹄
その時だった。
﹃土で出来た砦の中に閉じこもっていれば、私たちの攻撃を防げる
と思っていたのかしら!?残念だったわね!私にそんなものは通用
しない!あははははっ!!﹄
﹁っつ!?﹂
﹁この声は!?﹂
﹁アスクレオ様!﹂
﹁分かっている﹂
砦の中にソフィアの声が響き渡り始め、ソフィアの事を知る者は
一様に動揺し始める。
何故この場でソフィアの声が聞こえるのかと。
何故ソフィアは私たちと言ったのかと。
この場に居るはずがない人物が発した有り得ない言葉に、周囲の
熱さも相まって、頭を混乱させずにはいられなかった。
﹁これで納得がいった﹂
だが、そんな混乱の中で、アスクレオは冷静にソフィアの声が聞
こえてきた理由を正確に察していた。
﹁砦に籠ってから、ずっと疑問に思っていたのだ﹂
今外に居るのは妖魔のみ。
つまりソフィアの正体は極めてヒトに酷似した姿を持つ妖魔だっ
たのだと。
﹁襲撃が起きた際、奴らの一部の動きは迅速かつ正確過ぎた。それ
こそ予め誰が何処に居るのかと言う情報が洩れていなければ、有り
得ない程の速さだった﹂
それだけではない。
214
今の言葉の内容から、アスクレオはソフィアが外に居る妖魔たち
の中でも特別な地位を有する存在であることも察していた。
そしてそこから、件の知恵ある妖魔が誰なのかも理解した。
﹁ははははは、なんという事はない。実際に奴は知っていたのだ。
知っていて、その情報を基に妖魔たちを操ったからこそのこの結果
だったわけだ﹂
﹁アスクレオ様?﹂
故にアスクレオは笑う他なかった。
自分の常識外の存在だったとはいえ、妖魔であるソフィアをマダ
レム・ダーイに導いてしまった事を。
ソフィアに紹介状を与え、衛視たちから疑われる可能性を少なか
らず減らしてしまった事を。
砦の外に広がる故郷の惨状の原因に、自分の行動が幾らか絡んで
いた事に。
﹃悔しいかしら!?憎いかしら!?ずっと暴れる事しか能が無いと
思っていた妖魔にここまでやられて恨めしいかしら?そう言う風に
思うなら選びなさいな!このまま中に居て焼き殺されるか!?それ
とも砦の外に打って出て、私たちに嬲り殺しにされるかをねぇ!!﹄
﹁はぁ⋮⋮いや、大丈夫だ。おかげで、倒すべき相手の顔がはっき
りした﹂
﹁そう⋮⋮ですか⋮⋮﹂
だがしかし、自らの知識と常識を数段上回る様な世界を見せられ
たためだろうか。
アスクレオはソフィアの言うとおり、悔しさも憎さも恨めしさも
感じていたが、それ以上に何処か納得のようなものも感じていた。
そして、どうやれば自らの愚行の責任を取ると共に、ソフィアに
一矢報いる事が出来るのかも自然に理解していた。
215
﹁アスクレオ様⋮⋮準備⋮⋮整いました⋮⋮﹂
﹁分かった﹂
誰にも見えないが、顔面を蒼白にした魔法使いが掠れた声でそう
アスクレオに告げる。
﹁全員、構えろ﹂
アスクレオの言葉と共に、砦の中に居る者が全員立ち上がる。
熱さに倒れ地面に転がっていた者も含めて全員がである。
﹁目標はただ一つ﹂
そして彼らが向かうのは、マダレム・ダーイの市街に近い側の壁。
ごく自然に体力が尽きかけている者から順に整然と並ぶと、彼ら
は無言でそれぞれの得物を構える。
﹁我らの街を焼き尽くし、暴虐の限りを尽くした妖魔たちの首魁。
人と変わらぬ姿を持つ妖魔ソフィアだけだ﹂
彼らは既に知っている。
自分たちはここで死ぬのだと。
仮にソフィアを仕留める事が出来たとしても、他の妖魔たちによ
って殺されて食われるか、生きながらに食われるだけだと。
それを理解していて⋮⋮否、理解しているからこそ、彼らは言葉
の一つも交わさずに、お互いにやるべき事を正確に把握し、覚悟す
る。
この場で唯一、自分たちにしか為せない事を為す為に。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
そして全員の息が合ったその瞬間。
ソイルコントロール
﹁全員⋮⋮﹂
﹁土操作!﹂
216
﹁突撃っ!!﹂
魔法使いの手によって土の壁が大きく吹き飛び、それに合わせて
アスクレオたちは砦の外へと飛び出した。
217
第38話﹁﹃冬峠祭り﹄−8﹂
﹁﹁﹁ウオオオオォォォォ!!﹂﹂﹂
武器を手にしたヒトが鬨の声を上げながら砦の外に現れ、私とサ
ブカの元へと真っ直ぐに向かおうとしてくる。
そんな彼らに対して最初に向けられたのは?
﹁ベギャ!?﹂
﹁ゴガッ!?﹂
砦を覆う炎を維持するために投げ込まれ続けていた大量の薪木や
油壺であり、直撃を喰らったヒトは意思ではどうにもならぬ衝撃の
大きさに吹き飛ばされ、中には腕や首の骨が折れて絶命する者、胸
に枝が突き刺さって即死する者もいる。
勿論、ヒトの腕力ではどれだけの力を持って投げても、こんな事
にはならないだろう。
だがトロールやオーガのように妖魔の中でも特に力に優れた者が
投げれば、ただの石礫ですら、魔法使いの放つ石弾のような威力を
持つ。
故に目の前の光景⋮⋮砦の中から真っ先に出てきた者が絶命する
のは当然の結果だった。
﹁やっぱりそう甘くはないわね﹂
問題はこの結果を砦の中のヒトたちも予想していたという事。
だから彼らは、既に剣を振るえる程の力が残っていない者を真っ
先に出していた。
そして、この後の展開についても、私と先程聞こえてきた声の主
の予想は同じだと言い切れる。
218
﹁﹁﹁グギャギャギャ!!﹂﹂﹂
﹁なっ!?お前ら!?﹂
砦の中からヒトが出てきた事に興奮し、私とサブカを除くほぼ全
員の妖魔が手に持っていた物をその場に落とし、本能のままに牙を
剥き、爪を振りかぶった状態で駆け出していってしまう。
その事にサブカは動揺するが、心配しなくてもいい。
﹁落ち着きなさい。サブカ。想定内よ﹂
﹁ならいいが⋮⋮﹂
此処までは完全に私の予想通りだからだ。
問題はここから。
﹁ウオオオォォォ!﹂
﹁ギギャギャギャ!﹂
﹁死ねええぇぇぎゃっ!?﹂
﹁ビヒャヒャヒュアガ!?﹂
私とサブカの前では、ヒトと妖魔が直接刃を交わすような戦いが
始まっている。
ヒトと妖魔が入り乱れるその戦いの中で、ヒトの刃がオークの胸
を貫いたかと思えば、オーガがヒトの頭を噛み千切る。
ゴブリンがヒトの喉に噛みつけば、そのゴブリンごとトロールが
ヒトを叩き潰す。
ヒトが一匹のハーピーを渾身の一撃で仕留める間に、数匹の妖魔
がそのヒトを捕え、我先にとヒトの身体を生きたまま噛み千切って
胃に収める。
﹁さあ、構えなさい﹂
﹁分かっている﹂
全体の状況は徐々に妖魔の側に傾いている。
このままいけば、ヒトの側は確実に全滅する。
219
だが、乱戦の場は確実に私とサブカが居る側へと近づいていた。
当然だ。
﹁奴らは死に物狂いで来る﹂
﹁一瞬の油断も許されない⋮⋮か﹂
砦の中のヒトの戦術は、仲間が妖魔に食われる事と引き換えに包
囲の隙を見出し、その間に前進、他の妖魔たちは無視して、指揮官
である私を葬る事だけを考えている。
そして、他の妖魔がそんな人の思惑に気づいて止める事はない。
なにせ殆どの妖魔はヒトの思惑に気づかないし、気づいても私の
生死などどうでもいいからだ。
まあ、仮に止めようと思っても、死に物狂いで来るこのヒトを、
幾らか腹が満たされた為に食欲が鈍っている妖魔如きで止められる
とも思えないが。
だから私もサブカも構える。
目の前の集団で最も危険で活力を残しているヒトが来ると考えて。
﹁来たっ!﹂
﹁ソフィアアアァァァ!!﹂
そうして妖魔とヒトが入り乱れる戦いの中から雄叫びと共に姿を
現したのは?
先程も声だけは聞こえていた人物、私も顔と名前だけは知ってい
るラスラーさんだった。
﹁死ねえええぇぇぇ!!﹂
﹁サブカ﹂
﹁分かっている﹂
乱戦から現れたラスラーさんが頭上に剣を掲げた状態で跳び、私
に向かって剣を振り下ろそうとする。
それに対して私はサブカと位置を交代、ラスラーさんの対応はサ
220
ブカに任せる事にする。
﹁っつ!?お前もか!?﹂
﹁ああ、俺もだ﹂
ラスラーさんが全体重を乗せて両手で振り下ろした剣を、サブカ
は二本の剣を交差する形で受け止める。
そして交わしたのはサブカが私と同じ変わり者の妖魔である事に
対する短い言葉。
﹁残念だったな﹂
﹁ぐっ⋮⋮だが⋮⋮﹂
言葉を交わした直後、サブカの持つ残り二本の剣がラスラーさん
の胴と胸に致命的な傷を与える。
これでラスラーさんは終わった。
だが、サブカがラスラーさんに対応した僅かな隙に、私の前には
一人のヒトが迫っていた。
﹁死んでもらうぞ!﹂
﹁久しぶりね﹂
そのヒトは指輪を填めた右手を真っ直ぐ私に向け、左手に良く砥
・・
がれたナイフを持っている恰幅の良い男性だった。
勿論、そのヒトの事を私はよく知っている。
﹁アスクレオさん﹂
﹁ソフィア!﹂
アスクレオさんだ。
﹁はああぁぁ!﹂
﹁⋮⋮﹂
アスクレオさんが吠える。
221
ストバ
ーレ
ンット
対する私はハルバードを槍のように構え、真っ直ぐに駆け出す。
﹁死⋮⋮﹂
﹁ふっ!﹂
そしてアスクレオさんの右手から石弾が放たれる直前に、私はそ
の身を屈め、浅くアスクレオさんの右腕を切りつける。
アスクレオさんの表情は?
一見すれば、何故バレたと言う顔をしている。
だが私は知っている。
まだアスクレオさんには手が残っている事を。
﹁ねええぇぇ!!﹂
﹁っつ!?﹂
だから私はハルバードを手放すと、切りつけた勢いのままに跳び、
転がる。
﹁何っ!?﹂
そして上下が反転した世界で見えたのは?
アスクレオさんが左手に持ったナイフを振り上げると同時に、私
の居た場所を中心として、地面から大量の石の刃が生えている光景
と、本当に驚いた様子のアスクレオさんの顔だった。
﹁ぐっ⋮⋮﹂
やがて私は地面に膝をつき身を翻して、アスクレオさんの方を向
く。
そこでは、ハルバードに塗られた毒によって膝をつき始めていた。
﹁無ね⋮⋮﹂
そして、身体が完全に地面に着く前に複数の妖魔がアスクレオさ
んの元に辿り着き、その身を叩き潰した。
222
第39話﹁﹃冬峠祭り﹄−9﹂
﹁次ダ!次ニ行クゾ!﹂
﹁南ダ!南ニ向カエ!﹂
﹁ヒトヲモットモット食ベルンダ!﹂
アスクレオさんたちが倒れた事によって、この地からヒトが居な
くなったことを理解した妖魔たちは、私が予め多くのヒトが逃げる
方角として教えておいた南に向けて、私とサブカを置いて一斉に移
動を始める。
彼らは私の指示した通り、ひたすら南へと進み続け、途中で出会
ったヒトは一人残らず食い殺す事だろう。
そして、そうやって南進を続ける内に彼らは全滅する。
食べるヒトが居なくなって餓死するか、万全の態勢で備えている
であろうヒトの集団に討たれるかはさておいて。
まあ、どうでもいい話だ。
私にとって彼らはネリーからより多くの感情を引き出す為の道具
でしかなかったわけでしかないし。
用が済んだ以上は、何も語らずに逝ってくれた方が都合が良いぐ
らいだ。
それにしても⋮⋮
﹁死ぬかと思ったああぁぁ﹂
私は全身の筋肉から力を抜くと、その場にへたれこむ。
﹁ギリギリの所だったな﹂
﹁本当にねー⋮⋮﹂
サブカが私のハルバードを持って近寄ってくる。
223
﹁ネリーの思いが無ければ確実に死んでたわ﹂
私はアスクレオさんが最後に造り出した石の刃を見ながら、何故
先程の戦いに勝てたかを振り返る。
まず、サブカを含め他の妖魔たちがアスクレオさん以外のヒトを
悉く請け負ってくれたという事が一つ。
今回の襲撃で改めて理解したけど、やっぱり数は力です。
で、アスクレオさん自身との戦いについては、やはり私がネリー
のほぼ完全な記憶と、以前﹃大地の探究者﹄の拠点で食べた女魔法
使いの記憶を部分的にも持っていたと言うのが大きいと思う。
その二人の記憶が無ければ、私はアスクレオさんが魔法使いであ
るという事に気づかず、最初の石弾の時点で死んでいた可能性が高
い。
その後の石の刃についても、ネリーの記憶の中でアスクレオさん
は普段右手で軽い物を持ち、扱っていた事、ナイフの柄に魔石のよ
うな石が填まっていた事を知らなければ、アスクレオさんが左手で
ナイフを持っている事に違和感を抱く事も無く、それが魔法を使う
のに必要な物だと思う事も無く、私がそこら辺に転がっているのと
同じような魔石になっていた可能性は高い。
と言うか、間違いなくなってた。
﹁本当にネリーには感謝だわぁ⋮⋮﹂
なので勝てた要因を端的にまとめるとこうなる。
ネリーを食べたおかげで勝てました。
﹁⋮⋮﹂
﹁ん?どうしたの?﹂
﹁いや⋮⋮何でもない﹂
サブカが何か言いたそうな顔をしている。
が、本人に言う気はないらしい。
ならまあ、それでいいか。
224
﹁それで、お前はこれからどうするんだ?﹂
﹁とりあえずヒトの振りをして南西の方角には向かうわ。けれど⋮
⋮まあ、また同じような襲撃をするなら、私は出来る限り矢面に立
たないようにするわ。こんなギリギリの状況はもう勘弁よ﹂
﹁そうか﹂
それと、今回私が勝てた要因について、実際の所を言わせてもら
うなら、相手がアスクレオさんだったというのが大きい。
もしも他の魔法使いが相手であったならば、同じような結果には
ならなかっただろう。
﹁ああそれと﹂
私はハルバードを支えに立ち上がると、何処かに向かおうとして
いるサブカに背後から声をかける。
﹁もしまた機会が有るなら、貴方の事は必ず呼ぶつもりだから、そ
う簡単には死なないで頂戴ね﹂
﹁はいよっと﹂
そうしてサブカは何処かへと去っていった。
まあサブカなら、慎重に立ち回れば大丈夫だろう。
﹁さて、私もそろそろ行くか﹂
サブカの姿が見えなくなったところで、私もマダレム・ダーイの
外に出る。
さようなら、マダレム・ダーイ。
多くの事を学ばせて貰ったわ。
ヒトが忘れても、私は忘れないから安心しなさい。
﹁⋮⋮﹂
そう、本当に多くの事を学ばせて貰った。
225
ネリーが居たというだけでも素晴らしい街だったが、魔法、文字、
武器と、この街で私が得たものは多い。
ネリー以外では特に、どうやれば集団戦で勝てる可能性が高いの
かを知れたのは大きいだろう。
なにせ、今回の襲撃が成功したのは私とサブカの事が向こうに知
られていなかった事や、空から街全体に火をかけると言ったヒトの
側にとって予期しない方法で襲撃を行ったことが大きいからである
し。
衛視の待機所や傭兵たちの動向など、事前に調べられるだけの情
報を調べられていたのも大きかった。
逆に、私にとって想定外だった先程の戦いは極めて危うい物だっ
た。
そうだ、戦いに勝つために必要なのは情報なのだ。
それを理解できただけでも、今回の襲撃はこの上なく有意義な物
だと言えた。
﹁さて、次の街に向かわないと﹂
そうして私はマダレム・ダーイから去った。
■■■■■
前レーヴォル暦50年頃
都市国家マダレム・ダーイ滅亡
﹃マダレム・ダーイの悪夢﹄とも呼ばれるこの事件は、人類の歴
史上初めて発生が明確に認識された妖魔大発生であり、街中に火が
付けられ、混乱している内に蹂躙されると言う悪夢としか言いよう
のない事態でもって、一夜の内に滅んだ都市としてマダレム・ダー
イの名は数多くの歴史書に刻まれている。
226
なお、妖魔大発生には必ず首魁となる妖魔が存在している事が知
ギルタブリル
られているが、この時の首魁は数少ない生存者の証言から四本腕の
蠍の妖魔、サブカであると一般的には考えられている。
が、後年の研究から、サブカ以外の妖魔が首魁である可能性も最
近は浮上してきている。
しかし、真相は未だ闇の中である。
歴史家 ジニアス・グロディウス
227
第39話﹁﹃冬峠祭り﹄−9﹂︵後書き︶
マダレム・ダーイ編終了です
03/15誤字訂正
228
第40話﹁マダレム・シーヤ−1﹂
マダレム・ダーイ襲撃から一ヶ月半ちょっと。
季節は既に春の一の月を迎え、寒さは緩み、気持ちのいい風と共
に木々の新芽や新しい草花の芽が至る所で姿を現し始めている。
で、風の噂で聞こえてきたところによれば、マダレム・ダーイを
襲撃した妖魔の集団は南進を続けた。
だが、マダレム・ダーイから逃げたヒトと共に近隣の村々の住人
も逃げてしまったためなのか、獲物であるヒトを確保できなくなっ
た妖魔たちは徐々にその数を減らし、やがて群と言えない程に数が
減ったところを別の都市国家によって殲滅されたそうだ。
まあ、私には関係のない話だ。
なにせ今の私は⋮⋮
﹁さあ、そろそろ見えて来る事だぞ﹂
ただの傭兵の振りをした妖魔なのだから。
﹁全員起きて見てみるといい﹂
と言うわけで改めて状況を説明しよう。
ラミア
マダレム・ダーイ襲撃から一ヶ月半。
私こと蛇の妖魔のソフィアは、マダレム・ダーイから南西に向か
った。
勿論ただ向かったのでは、時期の問題で色々と怪しまれることに
なる。
なので、最初の一ヶ月は出来る限りヒトの目に触れないように姿
を隠し、昼夜を問わず移動を続ける事によって、ヒトでは有り得な
い距離を移動。
私とマダレム・ダーイ滅亡の間に関わりが無いように見せかけた
229
上で、半月前からはヒトの服装に着替え、傭兵として行商人の護衛
から野盗と妖魔の討伐をしつつ南西へと向かい続けている。
﹁あれがマダレム・シーヤだ﹂
そして今、私は行商人に雇われた護衛の一人として森を抜け、一
つの都市をその視界に収めていた。
﹁おおっ﹂
﹁すげえな!﹂
﹁懐かしい反応だ﹂
﹁へー⋮⋮﹂
その名は都市国家マダレム・シーヤ。
上が平たくなった丘の上に築かれた都市国家であり、ヘニトグロ
地方中央部どころか、ヘニトグロ地方全体で見ても有数の大きさと
発展度合いを見せる都市国家である。
﹁さ、急ぐぞ。マダレム・シーヤは街の中に入るのに時間がかかる
からな﹂
私たち護衛役を脇に従えた状態で、馬車はゆっくりとマダレム・
シーヤに向かっていく。
さて、マダレム・シーヤであるが、その姿や活動の形態はマダレ
ム・ダーイとは大きく異なる。
まずマダレム・ダーイは交易を主体に考え、造られた都市だった。
そのため、街の本体は平地に築かれ、多くのヒトが行き交える様
に造られていたし、街の住民たちを養う為に不可欠な農作業なども
しやすいようになっていた。
対するマダレム・シーヤが主体に考えているのは⋮⋮戦いだ。
﹁あの坂を登るのか⋮⋮﹂
﹁うへぇ﹂
230
﹁確かに時間はかかりそうではあるなぁ﹂
先ほども言ったように、マダレム・シーヤは丘の上に築かれてい
る。
丘の上への平地と坂の境界に沿うように城壁が築かれており、街
への出入りは城壁の四方に設けられた巨大な門を通る以外に方法は
ない。
そして、その門へ至る道は長い長い坂道が門一つにつき一本ある
だけである。
つまり⋮⋮
﹁でも強固なのは確かね﹂
外からマダレム・シーヤに攻め込むのは著しく難しいという他な
い。
うん、出来れば攻め込む側にはなりたくない。
﹁と言ってもヒト相手にしか効果は無いんだがな﹂
﹁まあ、それは仕方は無いんじゃない?﹂
﹁妖魔は突然現れるからな。壁で防ぐのは無理だろ﹂
さて、どうしてこんな構造になっているのか。
そもそも何故戦う事を基本に考えて造られているのか。
その辺りにはこの辺り一帯の情勢と、マダレム・シーヤの地理が
絡んでいる。
﹁それにヒト相手に効果が有るなら良いじゃない﹂
﹁あー、マダレム・エーネミだったか?﹂
﹁他にもマダレム・セントールとかあるよな﹂
詳しくは私も把握していないので何とも言えないが、聞くところ
によれば私たちが今居るヘニトグロ地方中央部ではヒト同士の戦い
と言うものが活発化してきており、その流れでマダレム・シーヤも
他の都市国家からよく狙われるようになったそうだ。
231
で、戦いに備える為にマダレム・シーヤは元々丘の下に築かれて
いた街を、丘の上へと移したそうだ。
でまあ、その為にマダレム・シーヤの丘の下には畑だけでは無く、
ちらほらと元々ここに家屋が有ったんだろうなと思わせるような建
物が残っていたりする。
残しておいても野盗の住処になるだけなので、見回れないような
位置にあるのは壊すのは仕方がないが、どことなく悲しくはあるか
もしれない。
ま、詳しい事はおいおい調べるとしよう。
何かに利用できるかもしれないし。
﹁さ、丘を登るぞ﹂
﹁ういっす﹂
﹁おいっす﹂
ちなみに、現在の私は行商人の護衛として、他の傭兵と共に活動
しているが、彼らとは今回たまたま組むことになっただけの関係で
ある。
と言うか、私も彼らも、移動のついでに行商人の護衛をして路銀
を稼いでいるだけである。
特に見た目からして私とそれほど年齢が変わらない二人などは、
この護衛が傭兵として初仕事であったりするため、色々と動きが危
なかっしくあり、もう一人の歳をいった傭兵共々多少ハラハラさせ
られたりもした。
まあ、口には出さないけど。
﹁ようこそ、マダレム・シーヤへ﹂
もう一つ豆知識。
よく都市国家の名前に付けられているマダレムと言う単語は、大
きいという意味が有る古い言葉であるらしい。
まあ、本当にちょっとした豆知識だけど。
232
﹁じゃあ、私はこれで﹂
﹁ああ、良い仕事だったよ﹂
そうして私は仕事の報酬を貰うと共に行商人と分かれて、一人で
マダレム・シーヤに踏み込んだ。
233
第40話﹁マダレム・シーヤ−1﹂︵後書き︶
新章開幕です
03/16誤字訂正
234
第41話﹁マダレム・シーヤ−2﹂
﹁ふうん、だいたい把握出来たわね﹂
私はマダレム・シーヤの中心に聳え立つ高い塔を眺めながら、し
ばらく街の中を歩いた結果を頭の中で反芻する。
マダレム・シーヤは丘の上に築かれた都市である。
そのためだろう、街の中に入っても街の中心部に向けて緩やかな
傾斜が続いている。
そして、街の四方に設けられた門から街の中心である塔にまで続
く大通りは幾度も折り返し、蛇行することによって無理のない傾斜
を維持するようになっている。
で、その四本の大通りを繋ぐ様に、円状の若干細めの道が同心円
状に通され、その道からさらに細い道が枝分かれしている。
うん、道に迷ったら最悪街の中心にある塔に着くように上へ上へ
と行けばいいだけだから、案外分かりやすい構造かもしれない。
﹁じゃ、まずは宿を探しますか﹂
さて、大体の地理を理解した所で、まずは拠点となる宿を探すと
しよう。
この先何をするにしても、ヒトに化ける以上は今晩の宿は確保し
ておかなければいけないのだから。
そうして私は適当な宿を探すべく、再び街中を歩き始めた。
−−−−−−−−−−−
﹁此処が良さそうね﹂
235
街中を歩く事二時間ほど。
既に陽は幾らか落ち始めているが、私は丁度良さそうな宿を見つ
ける。
場所は丘の中腹、西側、一本裏通りに入ったところ。
石造りの三階建てて、一階は食堂も兼ねた酒場のようであり、既
に多くの客が集まっているのか、酒を飲み交わしている音も外に聞
こえてきている。
宿の名前は⋮⋮﹃クランカの宿﹄か。
﹁失礼するわ﹂
﹁いらっしゃい﹂
木製のドアを開けて、私は﹃クランカの宿﹄の中に入る。
私に向けられる視線は?それほど多くない。
どうやら客は皆、酒と食事に夢中になっているらしい。
まあ、注目されないならそれでいい。
﹁注文は?﹂
﹁とりあえず適当なお酒を一杯と一人部屋が欲しいわ﹂
﹁ダーイ銀貨か。釣りは出さねえぞ﹂
﹁それで構わないわ﹂
私は適当なお金をカウンターの向こうに居るマスターに渡すと、
そのまま席の一つに着き、荷物を椅子の脇に置く。
するとそれほど間をおかずに、見慣れない赤紫色の液体が入った
ジョッキと金属製の鍵が私の前に出てくる。
﹁これは?﹂
﹁ん?ああ、アンタこっちは初めてなのか﹂
私は赤紫色の液体の匂いを嗅ぐ。
匂いからして酒なのは間違いないようだが、私の知る麦酒には決
してない葡萄の香りが混ざっている。
236
﹁コイツはワインと言ってな。この辺りじゃ一番よく呑まれている
酒だ﹂
﹁葡萄が混ぜてあるの?﹂
﹁いや、混ぜてあるんじゃなくて、葡萄から造られた酒だ﹂
﹁へー⋮⋮﹂
どうやらこのお酒はワインと言う葡萄から造った酒であるらしい。
麦以外からも酒が造れるというのは、私にとっては意外だが、こ
の辺りで良く呑まれているというのなら、味については心配要らな
いだろう。
﹁で、こっちがアンタの部屋の鍵だ。三階の一番奥の部屋になる。
呑み過ぎて鍵をかけ忘れるような真似はするなよ﹂
﹁ありがとう﹂
私はジョッキに口を付け、ワインを口に含む。
ふむ、麦酒とは違うが、葡萄の香りも含めてこれはこれで良い物
だと思う。
一番は麦酒だけど。
﹁それでだ。一つ質問だが、ダーイ銀貨を持っていたって事は、お
前さんも例の事件を受けて、こっちに流れて来たクチか?あああ、
コイツは宿代に含めておくから安心しな﹂
﹁ありがと。マダレム・シーヤに来た理由は⋮⋮まあ、大体そんな
所ね﹂
と、マスターが頼んだ覚えのない料理を持ってきたついでに、私
に話しかけてくる。
うん、この宿は当たりかもしれない。
酒は旨いし、マスターは気遣いも料理も出来るようだし。
ああ、良く焼かれた鳥のお肉がおいしい。
237
﹁酷い事件だったらしいな﹂
﹁らしいわね。私は丁度外に出ていたから難を逃れたけど﹂
マスターの言う例の事件と言うのは、言うまでも無く私の起こし
た妖魔によるマダレム・ダーイの襲撃の話だ。
それにしても、噂が広まる速さと言うのは恐ろしい。
私は襲撃から一ヶ月半、ほぼずっと移動を続けていたと言うのに、
私が移動するよりも遥かに早く話は伝わり、マダレム・ダーイが滅
んだ話はもう此処マダレム・シーヤにまで伝わっているのだから。
﹁それでこの街に来た理由は?﹂
﹁そりゃあ勿論、傭兵としての仕事を求めて⋮⋮﹂
﹁うぉい、姉ちゃ∼ん﹂
そして、話が変わろうとした時だった。
背後から明らかに酒に酔っている人間の声が聞こえてくる。
﹁仕事が欲しいなら、こっちに来て酌でもしてくれよ﹂
﹁⋮⋮﹂
私はマスターに一度視線を向ける。
対するマスターの返答は力なく首を振るという物。
どうやら私に声をかけてきた連中は完全に酒に酔っているらしい。
﹁ついでに抱いてやろうか?きちんと金は払うぜぇ﹂
﹁﹁﹁ぎゃははははは﹂﹂﹂
﹁⋮⋮﹂
さてどうするべきか。
折角当たりの宿を引いたのだから、大き過ぎる騒ぎを起こして、
追い出されるのは勘弁願いたい。
ただ、小さな騒ぎで済ませるとなると⋮⋮うーん。
﹁骨を折るぐらいまでなら許してやるぞ﹂
238
﹁それもいいんだけど⋮⋮﹂
私は店の中を軽く見回す。
私たちに声をかけてきた男たちは、既に待ちきれ無さそうな様子
だが、それは放置して使えそうな物を探す。
﹁と、マスター。あの酒樽。一つ幾ら?﹂
﹁ダーイ銀貨なら五枚ってところだな﹂
﹁ありがとう﹂
そうして見つけたのはワインの入った一つの酒樽。
私はそれを買い取ると、大きな盆も貰い、酒樽を転がして男たち
の前にまで持って行く。
﹁おっ?乗り気じゃねえか姉ちゃん﹂
﹁しかも想像以上の別嬪じゃねえか﹂
﹁傭兵なんて辞めて、俺らの世話でもしなーい?﹂
男たちが下品な視線と言葉を向けてくるが、私はそれを無視して、
酒樽を抱え込む。
﹁私の事を抱きたいって貴方たちは言ったけど⋮⋮﹂
﹁へ?﹂
﹁は?﹂
﹁え?﹂
そして小石でも持ち上げるかのような気軽さでもって酒樽を持ち
上げると⋮⋮
﹁どうなっても知らないわよ?﹂
全力で酒樽を抱きしめ、押し潰した。
239
第41話﹁マダレム・シーヤ−2﹂︵後書き︶
蛇の妖魔だから出来る技である
03/17誤字訂正
240
第42話﹁マダレム・シーヤ−3﹂
﹁すんませんでしたー!﹂
男たちの反応は劇的な物だった。
﹁俺たち調子に乗ってましたー!﹂
﹁酒で頭いってましたー!﹂
私に声をかけて来ていた男たちは一人残らず顔を青くすると、そ
の場で土下座しつつ弁明の叫び声を上げる。
﹁酔い覚まして来まっす!﹂
﹁ご迷惑をおかけして、本当にすんませんでしたー!!﹂
﹁あらあら﹂
そして、私が何かを言う前に、全員揃って店の外へと全力で駆け
出していく。
うんまあ、怪我人一人出さずに終わったわけだし、別に追ったり
問い詰めたりはしなくていいか。
﹁なるほど。あの武器は飾りじゃないって事か﹂
﹁まあね﹂
と言うわけで、私は酒樽を壊す際に零れてしまうワインの中身を
出来る限り集める為に用意しておいた盆を両手で持つと、私のハル
バードへと目を向けているマスターが居るカウンターへと移動する。
﹁ゴクゴクゴクッ、プハー﹂
﹁で、酒にも桁違いに強いと。そりゃあ女の身でも傭兵をやってい
られるわけだ﹂
﹁ははははは﹂
241
で、盆の中身を全て飲み干すと、私は改めてカウンター席に着く。
なお、残念な事に酒樽の中身のうち、盆に入ったのは全体の三分
の一程である。
うん、勿体無い。
見た目のインパクトを持たせるために中身入りのまま酒樽を押し
潰したが、本当に勿体無いし、色々な方に対して申し訳ない気持ち
になる。
﹁で、さっきの押し潰しはどうやったんだ?力任せにやって潰せる
ほど酒樽ってのは柔じゃないぞ?﹂
﹁秘密よ。秘密。飯のタネをバラす程私の口は軽くないわ﹂
﹁なるほど。その辺りもきちんと弁えている。と﹂
マスターの質問に対してはそう答えておく。
ちなみに酒樽を押し潰した方法だが、力を加えるべき点を見極め
た後については、純粋な腕力によるものである。
なので、これを教えると私が妖魔だとばれる事になるため、教え
たくても教えられないのである。
﹁さてそれじゃあ⋮⋮﹂
﹁ああそう言えば名乗ってなかったわね。私の名前はソフィアよ﹂
﹁ソフィア⋮⋮ね﹂
と、ここで私はマスターに改めて自分の名前を名乗る。
うん、考えてみれば、ずっと名乗るのを忘れていた。
﹁それじゃあソフィア。改めて質問だ。この街に来た理由は?﹂
﹁傭兵としての仕事を求めてよ。ヒト相手でも妖魔相手でも構わな
いし、討伐でも護衛でも見張り番でも構わないわ。ただまあ、その
日の食費と宿代を稼げるのなら、女給の真似事ぐらいならやっても
構わないけどね。ああ、娼婦の真似事はお断りよ﹂
﹁なるほどね﹂
242
﹁ただ、そうやって仕事をする前に幾つか確かめておきたい事が有
るのよね﹂
﹁と﹂
さて、名前も名乗ったところで、私はマスターにどういう目的を
持ってマダレム・シーヤにやって来たかを語る。
が、次の話が切り出される前に、私はマスターに銀貨を一枚渡す。
﹁何の金だ?﹂
﹁教えて欲しい事が有るのよ。だからその代金﹂
﹁教えて欲しい事ねぇ。こんな街の片隅にある様な酒場の店主じゃ、
大した情報は持っていないぞ﹂
﹁その大したことが無い情報が欲しいのよ。情報の質が良くないと
思うなら、量で補ってくれればいいわ﹂
﹁なるほどね﹂
マスターの私を品定めするような視線が鋭さを増す。
でも実際問題として、傭兵として仕事をする前に確認しておくべ
き事が有るのだ。
﹁何を聞きたい?﹂
﹁この辺りの情勢⋮⋮特にマダレム・エーネミとマダレム・セント
ールについて﹂
それはこの辺りの現状について。
特にマダレム・エーネミとマダレム・セントールと言う、他の都
市国家や村に対して高圧的だと聞いている二つの都市国家について
はよく知っておかなければならない。
何時何処でその二つの都市国家の動向に、私の活動が影響される
か分かった物ではないからだ。
﹁聞いてどうする?﹂
﹁聞いてから考えるわ。それが飯のタネになりそうならさせてもら
243
うし、飯のタネにはならなくても、知っておいて損になる事はない
もの﹂
﹁ふぅ⋮⋮お前さん、傭兵じゃなくて商人辺りになった方がいいん
じゃないか?﹂
﹁元手が無いから無理よ。それに商売よりも戦いの方が楽しいだろ
うし﹂
﹁そうかい﹂
と言うわけで、私はマスターの言葉を流しつつ、マスターがカウ
ンターの上に複数枚のコインを並べていくのを見る。
ふむ。どうやらコインは三種類あるらしい。
どれも見た事が無い柄だ。
﹁それでマダレム・エーネミとマダレム・セントールについてだっ
たな﹂
﹁ええそうよ﹂
﹁それじゃあ、まずは位置からだ。このコインのある場所がマダレ
ム・シーヤだという事にしよう﹂
そう言うと、マスターはカウンターの上に置いてあるコインの一
枚を指さす。
もしかしなくても、マスターが今指さしている銀貨はマダレム・
シーヤで作っているコインなのかもしれない。
﹁で、俺が居る側がアムプルの山々だ﹂
﹁なるほど。前提は分かったわ﹂
で、マスターの居る側を北にすると。
うん、やっぱりこのお店は当たりだと思う。
ちゃんと私が何も知らない事を前提に話をしてくれている。
﹁それでお前さんが言った二つの街だが⋮⋮マダレム・エーネミは
シーヤの北に。マダレム・セントールはシーヤの東南東に有るな。
244
ああ、残りのコインは他の村や街だ﹂
﹁ああなるほど。これはマダレム・シーヤが狙われる訳ね﹂
そしてマスターが新たに二つのコインを指さし⋮⋮私はマダレム・
シーヤが狙われる理由を理解した。
マダレム・エーネミとマダレム・セントールを表した二つのコイ
ン。
その二つのコインを繋げた直線の直ぐ近くにはマダレム・シーヤ
の位置を表したコインが有ったのだから。
245
第42話﹁マダレム・シーヤ−3﹂︵後書き︶
03/19誤字訂正
246
第43話﹁マダレム・シーヤ−4﹂
﹁察しが良いな。が、金を貰った以上は俺が知る限りの事をきちん
と説明させてくれ。連中がどういう関係なのかを始めとしてな﹂
﹁ああごめんなさい。よろしく頼むわね﹂
マスターはそう言うと、一度店の中を見回してから、カウンター
の向こうに用意してあったであろう椅子に腰かける。
﹁まずマダレム・エーネミとマダレム・セントールの関係だが、は
っきり言って最悪だ﹂
﹁最悪?﹂
﹁ああ、さっきまで仲良く酒を酌み交わしていた二人が、お互いの
出身都市がエーネミとセントールだと分かった途端に全力で殴り合
いを始める程度には最悪で根深い﹂
﹁⋮⋮﹂
マスターの言葉に私は絶句する。
マダレム・シーヤに辿り着くまでの間に噂を小耳に挟んでいたの
で、二都市の仲が悪いのは知っていた。
だがまさか、お互いの産まれた都市がそこであるだけで殴り合い
に発展するほどとは⋮⋮。
うん、正直に言わせてもらいたい。
﹁馬鹿じゃないの?﹂
﹁誰もがそう思っている。が、困ったことに本人たちは至極真面目
だ⋮⋮﹂
私の言葉にマスターも軽く眉間を揉みながら言葉を返してくる。
どうやら私の感想はヒトの視点で見ても至極マトモな物であるら
しい。
247
と言うか、妖魔の視点で見ても、ヒト同士で勝手に殺し合いをす
るとか、獲物が少なくなるから本気で止めて欲しい。
いやまあ、戦場近くに居る妖魔にしてみれば、自分でヒトを殺さ
なくても肉が手に入るから楽でいいのかもしれないけどさ。
まあ、独白はここまでにしておくとして。
﹁どうしてそんなに仲が悪いのよ。ヒト同士なのに﹂
﹁今となっては最初に戦いが始まった理由は分からん。なにせ俺の
親父が昔街が有った場所で酒場をやっていたころから、数年に一度
は大規模な戦いを起こしていたらしいからな﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
﹁まあ憶測と言うか、噂の範疇でなら、戦いが始まった理由は色々
と言われているがな﹂
﹁と言うと?﹂
﹁二都市の近くを流れる川の利権、女子供、麦などの食料、魔石、
その他諸々なんでもござれだな﹂
﹁⋮⋮﹂
とりあえず余りにも二都市の戦争理由が酷くて頭を抱えそうにな
る。
うん、なんとか気持ちを持ち直しておこう。
まだ話は終わってない。
﹁ま、実際の所としてだ。どっちの都市にとっても最初の理由なん
てものはもうどうでもいいんだろうな。でなければ、多くても年に
一度だけとは言え、毎年血を血で洗うような戦いをするとは思えん﹂
マスターの目にどことなく昏い光が宿る。
けれどそれで私も理解する。
﹁怨み⋮⋮ね﹂
﹁そうだ。親を殺された怨み。子を殺された怨み。兄弟を殺された
248
怨み。姉妹や娘、妻を奪われた怨み。そう言ったありとあらゆる怨
みをあいつ等はお互いの都市に抱いている。その結果があの戦争だ﹂
今、エーネミとセントールの二都市が戦っているのは、積もりに
積もった怨み。
それを晴らすためだけに戦っているのだ。
その戦いこそがさらに多くの怨みを生み出しているというのに。
﹁まあ、怨みで戦う事そのものを否定する気はないわ﹂
﹁そうだな。その点については否定しない﹂
恨みを晴らすための行動そのものを私が否定することは無い。
私もその恨みの念に従って、一人のクソ男を殺すという行動をし
た事が有るからだ。
﹁それにまあ、奴らが勝手に殺しあう分には構わない。戦争をする
となれば、色々と入用な物が出て来て、その全てを自都市だけで賄
う何てことは出来ないからな﹂
﹁まあ、商人にとっては稼ぎ所よね﹂
﹁問題は戦争が長引いた結果として、奴らがとある搦め手を使い始
めた事だ﹂
﹁搦め手?﹂
搦め手?
うーん、戦争と言うか大規模な戦いになればなるほど、自分たち
を有利にするための策略は考えるものだと思うけど。
実際、マダレム・ダーイを襲撃する時は私も色々と考えたわけだ
し。
﹁周囲にある他の村や都市国家を自分たちの側に引き込む為に色々
とし出したのさ﹂
﹁まあ、味方が多い方が何かと有利なのは確かよね﹂
﹁そうだ。そのために奴らは競うように様々な手を打ち始めた。小
249
さな村が相手なら、有事の際に戦力を送ることを条件に自分たちの
側へと引き込んだし、都市国家が相手なら、同盟を結ぶことによっ
てだ﹂
﹁そして相手が素直に従わないなら武力で無理やり⋮⋮ね﹂
﹁そう言う事だ﹂
仲間を増やすというのは考え方としては間違っていないと思う。
どういう搦め手を使うにしても、数が無ければどうしようもない
状況と言うのは少なからずあるのだから。
﹁後はお前が最初に察した通りだ。ここマダレム・シーヤはどちら
の都市から見ても近く、都市国家と言える程に大きい都市。となれ
ば、どちらの都市にとっても喉から手が出るほどに欲しい﹂
﹁だからどちらの都市もマダレム・シーヤを従わせようとして⋮⋮
自分たちの下に来ないと理解したら襲ってきた﹂
﹁そうだ。そのせいで俺の親父も死んだし、街だって丘の上に移さ
ざるを得なかった。だからこの街生粋の住人なら大抵はその二都市
の連中の事は嫌っているよ。殴り合いをするほどじゃあないがな﹂
﹁なるほどね。だいたいの所は掴めたわ﹂
ただまあ、暴力に訴えて仲間を増やすというのは最悪の方法だろ
う。
そんな方法で仲間を増やしたところで、何処かで瓦解するのは目
に見えているのだから。
内側から崩されるか、外側から崩されるかはさて置いてだが。
﹁一応聞いておくわ。今、マダレム・シーヤはどっちの味方なの?﹂
﹁勿論、どちらの味方でもない。味方になるわけがない﹂
でもまあ、恐らくこの場合はたぶん外側からだろう。
私はマスターの笑みからそうなる予感を感じた。
250
第43話﹁マダレム・シーヤ−4﹂︵後書き︶
03/19誤字訂正
251
第44話﹁マダレム・シーヤ−5﹂
﹁さてと、今日はもう部屋に上がらせてもらうわ。服も乾かさない
といけないし﹂
﹁そう言えば、胸の前で酒樽を押し潰していたな。替えの服は要る
か?﹂
﹁要らないわ。一晩放っておけば乾くし、替えの服も持っているか
ら﹂
﹁そうか﹂
その後、マスターからマダレム・シーヤ周辺の状況や地理につい
ても幾らか教えてもらったところで、私は荷物を持って席を立つ。
﹁朝食は何時頃までに来れば大丈夫?﹂
﹁陽が真上に登るような時間じゃなければ、多少は出してやる。暖
かいの欲しければ、早めに起きる事をお勧めするがな﹂
﹁分かったわ﹂
そして、明日の朝の御飯について聞いたところで、私は渡された
鍵の番号通りの部屋へと向かう。
﹁うん、いい感じ﹂
さて、私の部屋は?
小さなベッドが一つと、通りに面した窓が一つだけ取り付けられ
ており、ドアについている鍵を閉めてしまえば誰も入っては来れな
いようになっていた。
うん、私の注文通りの部屋だ。
﹁窓から屋根の上に登ることも可能そうだし⋮⋮早速行きますか﹂
部屋の鍵をかけた私は革鎧と服を脱ぐと、胸の部分に詰め込んで
252
おいた私本来の衣服を取り出し、身に着けていく。
で、最後にフードを目深に被ると、ハルバードを背中に背負い、
窓の木枠に片足をかける。
﹁さあて、美味しそうな子は居るかしら?﹂
そして私は窓から宿の屋根の上へと登ると、夜のマダレム・シー
ヤへと繰り出す。
目的はヒトを食べる事。
それも出来れば美味しそうな子をだ。
﹁ふふっ、楽しみ﹂
私は舌なめずりをしながら、今晩の獲物を探し始めた。
■■■■■
同時刻、マダレム・シーヤ共有井戸。
﹁ぷはぁ﹂
﹁あー、すっきりした⋮⋮﹂
そこでは複数人の男が、頭から冷水を被っていた。
勿論、春に入ったと言っても、まだ夜の空気は冷たい。
だがそれでも、我先にと男たちは冷水を被り、頭を冷やしていた。
﹁いやぁ、とんでもなかったな﹂
﹁まったくだ﹂
何故彼らはそんな事をするのか。
﹁人は見かけによらないとはよく言ったものだよな﹂
253
﹁うんうん、まさかあんなにあっさりと酒樽を割って見せるとは、
思わなかった﹂
それは酒に酔った頭を冷やし、正常な状態に戻すと言う意味もあ
った。
が、それ以上に酔った勢いのままに不名誉な行為を働こうとした
自分たちを諌めると言うの方が彼らの中では大きかった。
﹁まあ、何かしらの種は有ったんだろうけどな﹂
﹁それは⋮⋮まあそうだろ。流石に素の腕力だけでアレをやれたら、
ヒトじゃない﹂
そう、彼らは先程﹃クランカの宿﹄の中でソフィアに声をかけ、
目の前で酒樽を絞め壊すと言うソフィアのパフォーマンスに顔を青
くして逃げた男たちだった。
﹁ま、種が有ったとしても、俺たちはそれを見抜けなかった。それ
だけで、俺たちは自分たちよりも彼女の方が強いと認めるべきだ﹂
﹁だなー﹂
﹁ああ、その通りだ﹂
﹁うんうん﹂
彼らは冷水を浴び続け、酔いが完全に冷めた所で、先程の自分た
ちの醜態を素直に認め、頷き合う。
自分たちの非を素直に認められる。
それは傭兵と言う稼業の中においても、美徳と言うべき点だった。
ただ彼らは気づいていなかった。
﹁とりあえず明日の朝にでも詫びを入れに行くか﹂
﹁そうだな。それがいい﹂
自分たちの周囲の空気が異様に乾燥し始めている事に。
井戸の水でしっかりと濡れたはずの髪と服が異様な早さで乾き始
めている事に。
254
﹁で、出来れば仲間にも誘いたいなーなんて﹂
﹁それは止めとけ。昨日の今日じゃ邪推しかされない﹂
彼らは気づいていなかった。
﹁だよなー﹂
建物の陰から自分たちに向けて手のような物を伸ばしている事に。
その人影が獲物を前に舌なめずりする獣のような笑顔を浮かべて
いた事に。
﹁しかし、妙に喉が⋮⋮!?﹂
﹁どうし⋮⋮!?﹂
﹁何が⋮⋮!?﹂
﹁ぐっ⋮⋮!?﹂
男たちがその場に倒れていく。
そして、倒れてもなお男たちの身体は乾いていき、やがて干物の
ように全身の水分が抜け落ちてしまう。
﹁ん、しばらく分の食料を確保﹂
そうして四人の男がまるで枯れ木のようになったところで、その
人影は乾いた地面に水で濡れた足跡を残しつつ建物の陰から出て来
て、男たちの死体を袋の中に収めていく。
﹁さて、小生の寝床に帰るか﹂
やがて全員の死体を袋の中に収めた所で人影は去る。
そう、彼らは知らなかった。
脅威とはどれほどの美徳を有している物にも、唐突に訪れるのだ
と言う事を。
255
■■■■■
更に同時刻、マダレム・シーヤ北西部住宅街。
﹁んー⋮⋮微妙だなぁ⋮⋮﹂
その家の中では一人の少女が椅子に座り、何かの肉を食べていた。
﹁やっぱり間違えたっぽいかなぁ⋮⋮﹂
ただ、その肉は調理と言うものが一切されておらず、完全に生の
ままであり、これだけでも少女の異常さが良く伺える光景だった。
だが、少女の周囲に広がる光景に比べれば、生の肉を食べている
程度は大した異常ではないだろう。
﹁血抜きって難しいなぁ⋮⋮どうやったら上手くいくんだろう?﹂
なにせ少女の周囲には、この家本来の住人だったであろう家族た
ちの身体が縄にくくられ、吊るされていたのだから。
しかし、これだけでも十分に異常な光景であったが、それ以上に
異常な点が家族の死体にはあった。
﹁んー、死んで直ぐじゃなくて、生きたままの方が良さそうではあ
るんだよねぇ。今度試してみようかな﹂
その家族の死体には、それぞれ一つずつ体を深く抉るような切り
傷があると同時に、まるで切り取られ、分解されたかのように身体
の一部が欠けていたのである。
そう、それこそ屠殺場で解体される獣のようにだ。
﹁おい!さっきからドタドタと五月蠅いぞ!﹂
﹁こんな夜中に一体何をしているんだ!﹂
﹁と、いけないいけない。ヒトが集まってきちゃった﹂
256
と、ここで家の外から人々が集まってくる音が聞こえてくる。
その音を聞いた少女は家の二階へ、そこから更に窓へと駆け出す。
﹁﹁﹁っつ!?﹂﹂﹂
そして、家の中へと人々が踏む込み、目の前に広がる凄惨な光景
に絶句している間に、少女は尋常ならざる脚力でもって家から離れ、
夜のマダレム・シーヤへと消え去っていく。
﹁ちゃんと隠れなきゃね﹂
そうして十分に距離を取ったところで、少女は腰に挿した鉈の血
を舌で拭い、衣服も血で汚れていないものに着替えると、何事も無
かったかのようにヒトの集団に紛れ込む。
己の異常性を完璧に掻き消して。
257
第44話﹁マダレム・シーヤ−5﹂︵後書き︶
さて何者でしょうな?
258
第45話﹁三竦み−1﹂
翌朝。
魔石の換金が出来る場所を探すべく、私は﹃クランカの宿﹄から
街へと繰り出した。
﹁ん?﹂
が、街に繰り出した私がまず感じたのは、違和感だった。
﹁おい、聞いたか﹂
﹁何の話だ?﹂
﹁街の北西の方で⋮⋮﹂
私は行き交う人々の声に耳を傾けつつ、今この街を覆っている雰
囲気がどう言うものなのかを冷静に分析し、結論を出す。
﹁何かがあった。それも妖魔が現れて暴れたとか、どこそこの家の
誰かが消えたなんてレベルでは済まないような何かが﹂
そう、とても大きな事件が昨晩の内に起きたのだと。
それも朝の数時間の間に街中に事件の内容を表した噂が伝わり、
街の雰囲気を一変させる様な事件が。
﹁これは出元を確かめておいた方がいいわね﹂
私はそう判断して、今日の予定を変更。
事件が発生した現場が有るであろう街の北西部へと向かう事とし
た。
−−−−−−−−−−−
259
﹁聞いたかい?猟奇殺人だってさ⋮⋮﹂
﹁一家全員とはまた酷いねぇ⋮⋮﹂
﹁殺した後に縄で吊るしたみたいよ﹂
事件が有った家は直ぐに見つかった。
家の前の通りに大量の野次馬が押し寄せて、事件の状況を噂し合
っているだけでなく、マダレム・シーヤの衛視が何人も家の前に詰
めていたからだ。
﹁ふうん⋮⋮中はかなり酷い事になってそうね﹂
﹁殺しそのものが目的だなんて妖魔よりもイカレていやがるな﹂
﹁身体が一部持ち去られているみたいだよ﹂
だが仮に野次馬が居なくても私にはどの家で事件が起きたのかは
すぐに分かった事だろう。
なにせ、今の私はそれなりに事件が有った家から離れているのだ
が、それでもなお濃厚な血の香りが漂ってくるのだから。
事件が昨夜に起きた事を考えれば、もう流れ出た血は十分に乾い
ているはずなのにだ。
﹁頼むから早く捕まえてくれよ。これじゃあ安心して寝られやしな
い﹂
﹁分かっております。目下全力で捜査中でございます﹂
﹁ふうむ。普通の人間の仕業では無さそうだな﹂
ただまあ、幸いと言うべきか、私には既にこの事件の犯人が見え
てはいた。
﹁さて⋮⋮どうしようかしらね﹂
そう、この事件の犯人は妖魔だ。
それもただの妖魔では無く、私のように変わり者と称すべき妖魔
260
だ。
そうであるならば、逃げる暇も与えずに一家全員を殺せたことも、
身体の一部が持ち去られている事も、これだけの事件を起こしてい
ながら目立たずに行動出来ている事にも理解がいくし、理由は分か
らないが死体を吊るすと言う行為にも納得はいく。
なにせ変わり者なのだから。
いやまあ、頭がぶっ飛んでいる魔法使いが犯人と言う説だって無
くはないと思うけどね。
ただそのパターンは考えないでおく。
うん、手に負えないし。
﹁とりあえず探すべきではあるわよね﹂
で、犯人の推定が出来た所で私はこの犯人をどうするべきかを考
える。
んー、それなり以上に知能を有している妖魔であるなら、出来れ
ば協力体制を築きたい所ではある。
マダレム・ダーイ襲撃の時も私並の知能を有している妖魔は私以
外にはサブカだけだったし、そのせいで色々と面倒な事になったの
だから。
ただ、協力体制を築けないのなら⋮⋮始末するべきだろう。
ヒトが変わり者の妖魔と言う存在について知らないのは、私にと
って大きなアドバンテージだからだ。
その情報をヒト側に漏らしかねない存在なら、いっそ始末してし
まった方がいい。
﹁よし、行きます⋮⋮﹂
そうして方針も定めて、この場から去ろうとした時だった。
﹁⋮⋮﹂
﹁か?﹂
261
いつの間にか私の正面に一人の少女が立っていた。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
少女は先端に魔石のような石を填め込んだ杖を持ち、身体のライ
ンを分からなくするようなローブに頭一つ分の高さが有るとんがり
帽子と、魔法使いのような衣装を身に着けていた。
髪は短く切り揃えられた赤い髪で、帽子を除けば背は私より頭半
個分ほど低く、目は黄色に輝いている。
そしてその目は私の事を怪しむような輝きを持った状態で、私へ
と向けられていた。
﹁貴様は⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
対する私は、少女から何か嫌な気配のような物を感じ取り、冷や
汗のような物を軽くかいていた。
妖魔としての本能でもなく、拙いながらも扱える魔法使いとして
の能力に由来するものでもなく、ただただ嫌な気配⋮⋮いや、苦手
意識のような物を理由も分からずに感じていた。
だが一つ確信を持って言える事が有る。
﹁小生の同類だな﹂
変わり者の妖魔
﹁そうみたい⋮⋮ね﹂
目の前の少女は私の同類だ。
それだけは間違いない。
﹁一つ質問をさせてもらおう﹂
﹁何かしら⋮⋮﹂
﹁アレは貴様の仕業か?﹂
﹁違うわ﹂
少女が私に質問をしてくる。
262
あの家の惨状を引き起こしたのは私かと。
勿論私ではない。
確かに私は昨夜ヒトを狩ったが、血痕一つ残さず狩ったし、そも
そも場所が違う。
﹁すぅ⋮⋮はぁ⋮⋮逆に聞くわ。アレは貴女の仕業?﹂
﹁違う。小生がやったものでは無い﹂
﹁そう⋮⋮﹂
私は一度深呼吸をして、精神の乱れを正してから目の前の少女に
同じ質問を返す。
が、少女は自分ではないと言う。
視線や滑舌からして、恐らく嘘は言ってないだろう。
﹁とりあえず適当な場所でもう少しじっくりと話をしましょうか﹂
﹁そうだな。折角出会えた同類だ。共有できる情報は求有しておく
べきだろう﹂
私と少女はじっくりと話し合える場所を探して、二人一緒に事件
現場の近くから離れていく。
さて、彼女からは一体どんな話が聞けるだろうか⋮⋮。
263
第45話﹁三竦み−1﹂︵後書き︶
小生と言うのは男性が使う一人称です。
分かっていてワザと使っています。
264
第46話﹁三竦み−2﹂
﹁さてと﹂
私と少女は適当な宿に入ると、店主にお金を払い、短時間ではあ
るが部屋を一つ貸し切る。
その際に妙な視線を店主に向けられたが⋮⋮気にしたら負けだと
思う。
と言うか、気にしない方が私の精神衛生上よろしいだろう。
﹁まずは自己紹介と行きましょうか。私はソフィア。蛇の妖魔よ﹂
﹁変わった名前だな﹂
﹁そうかしら?私にピッタリの名前だと思うし、珍しくも無い名前
だと思うけど﹂
﹁見た目だけならそうだろうな﹂
で、まずは自己紹介である。
お互いの名前ぐらいは知らないと、話をするにも面倒であるし。
少女が私の事を訝しげな目で見ているが、敢えて気にしないでお
く。
﹁小生はシェルナーシュ。蛞蝓の妖魔だ﹂
少女⋮⋮シェルナーシュは自分の帽子のつばを弄りながら、そう
名乗る。
そしてシェルナーシュの名乗りで私は何故、シェルナーシュに対
して苦手意識を抱いていたかの理由を知る。
﹁なめ⋮⋮くじ⋮⋮ね﹂
それは私が蛇で、シェルナーシュが蛞蝓だからだ。
古い伝承で本当かどうかは分からないが、蛞蝓に蛇の毒は効かな
265
い。
それだけではなく、蛞蝓はその粘液でもって蛇を溶かしてしまう
そうなのだ。
うん、凄く怖い。
この上なく怖い。
そりゃあ、苦手意識の一つや二つ程度抱くのも当然だ。
﹁どうした?﹂
﹁いえ、何でも無いわ﹂
ただまあ、この情報については私の胸の内に秘めておくとしよう。
シェルナーシュに話したところで、私が一方的に不利になるだけ
だからだ。
﹁それよりもシェルナーシュ。改めて質問させてもらうわ﹂
﹁何だ?﹂
と言うわけで、早々に話題を変えさせてもらうとしよう。
﹁あの事件は貴女の仕業ではないのよね﹂
﹁違うな﹂
あの事件とは言うまでも無く、私たちが出会った現場の話である
が、シェルナーシュははっきりと自分では無いと言い切る。
そして、言い切ると同時に持っていた袋から棒切れのような物体
⋮⋮いや、乾燥させきった肉の塊を私に向かって放り投げてくる。
﹁小生のやり方なら血は流れないし、そもそも昨晩はあの住宅街に
近寄っていない﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
私はシェルナーシュがもう一つ同じような干し肉を取り出し、齧
り出したのを見てから、干し肉を齧ってみる。
266
﹁っつ!?﹂
で、一口齧っただけで、シェルナーシュの言っている事が本当の
事だと私には分かった。
蛞蝓の妖魔の能力なのか、シェルナーシュが個人的に使える魔法
なのかは分からないが、仮にこの干し肉を造るのに利用した力を普
通の生物に対しても使えるのなら、血は一滴も流れ出さないはずだ
からだ。
と言うか良い能力を持っているなぁ⋮⋮保存を利かせられるなら、
毎日狩りが成功するかを心配しなくて済むわけだし。
しかも濃縮された分だけ味も良くなっているし。
﹁逆に質問をさせてもらうぞ。ソフィア。貴様は犯人ではないのだ
な﹂
﹁と⋮⋮、え、ええ。私は犯人じゃないわ﹂
と、乾燥によって濃縮された味に呆けている場合じゃなかった。
﹁私も昨晩はあの家の辺りに行っていないし、私のやり方なら⋮⋮
ゴクン、死体は残らないわ﹂
私は大きく口を開くと、干し肉をそのまま丸呑みにする。
その光景にシェルナーシュは一瞬だけ驚き⋮⋮続けて大きく頷く。
﹁なるほど。丸呑みか。それなら確かに死体は残らないし、流れ出
る血の量も精々仕留める時に流れ出た程度で済むか﹂
﹁場合によっては生きたまま丸呑みにする事もあるから、本当に一
切の痕跡なく始末することも出来るわ﹂
﹁ふむ﹂
私が犯人でない事にシェルナーシュは納得がいったのか、感心し
たような表情を見せる。
﹁さて、お互いが犯人でない事が分かったところで本題に入りまし
267
ょうか﹂
﹁そうだな。そうするとしよう﹂
ここで、私たちはお互いに相手があの事件の犯人である可能性が
低いと認識し、私は硬いベッドに、シェルナーシュは椅子にしっか
りと腰かける。
﹁それで、あの事件の犯人についてシェルナーシュはどう思う?﹂
﹁妖魔だとするならば、小生たちと同じ知能を有する妖魔だろうな。
ヒトであるならば、何か妙な考えに行きついてしまったヒト。それ
も魔法を扱える者だろう﹂
﹁まあ、それが妥当な所よね﹂
﹁と言う事はソフィアも?﹂
﹁ええ、犯人像については同じ考えよ﹂
そして例の事件について話し始めるのだが、どうやらシェルナー
シュも私と同じ考えに至っていたらしい。
まあ、シェルナーシュの纏っている知的な雰囲気からすれば妥当
なところかもしれないけれど。
﹁で、あの現場に居たって事は、私と同じでシェルナーシュも犯人
を捜すつもりだったんでしょう?﹂
﹁その通りだ。そして、会った後にどうするかについては⋮⋮まあ、
この場で小生と貴様が話し合いの場を設けている時点で分かるだろ
う?﹂
﹁話が通じる相手なら協力を。話が通じない相手なら始末を。って
事でしょう?﹂
﹁そう言う事だ﹂
どうやら見つけ出した後の対応含めて、私とシェルナーシュの考
えは一致しているらしい。
まあ、今の今まで生き残っている変わり者の妖魔なら、同じ変わ
り者の妖魔との間に協力体制を気付いておきたいと言う考えは妥当
268
な所だろう。
﹁ふふふ、私たち仲良くなれそうね﹂
﹁そうだな。少なくとも協力は出来そうだ﹂
そうして私は苦手意識を顔に出さないように全力で隠しつつシェ
ルナーシュと握手を交わすと、今回の事件の犯人と接触するべく、
一緒に行動をすることにしたのだった。
269
第46話﹁三竦み−2﹂︵後書き︶
と言うわけで、三人目の変わり者、シェルナーシュです
03/22誤字訂正
03/24誤字訂正
270
第47話﹁三竦み−3﹂
﹁宿は無事に確保できたわね﹂
﹁そうだな﹂
さて、私とシェルナーシュはこれから一緒に行動する。
と言う事で、話し合いをするための宿から出た私たちは、まず私
が泊まっている﹃クランカの宿﹄に向かい、私が取っていた一人部
屋をキャンセルして、代わりに三人部屋を一つ取った。
勿論、三人部屋にしたのは例の事件の犯人が妖魔で、話が通じて
協力体制が築ける相手だった時用の備えだ。
ちなみにシェルナーシュは毎晩泊まる宿を変えるタイプだったら
しい。
うん、その分の手間がかからなくてよかった。
﹁それで、これからどうするつもりだ?﹂
﹁とりあえずは街の中心部に向かうわ。私の予想通りなら、ちょう
どいい状況になっていると思うから﹂
﹁ふむ?﹂
で、シェルナーシュは多少納得がいかないようだが、私はシェル
ナーシュを連れて街の中心部、物見台も兼ねているであろう塔の方
へと向かう。
﹁どうせだし、説明しておくわ﹂
﹁分かった﹂
さて、何故塔の方に向かうのか。
私はそちらに向かって歩みを進めつつ、シェルナーシュに説明す
る。
まず、塔の辺りは街の中心部と言う事もあって、マダレム・シー
271
ヤの中核を担う施設⋮⋮議会や庁舎、衛視たちの集会場などが集ま
っている。
で、今回の事件はヒトの側から見れば凄惨極まりない物であり、
一刻も早く解決をしなければならない事件なのだ。
となれば、マダレム・シーヤの上層部が動かないはずがなく、動
いているのならば、塔の辺りでは何かしらの動きがあるはずなのだ。
﹁と言うわけで、まずは塔に向かうの。闇雲に探して見つかる様な
相手ではないしね﹂
﹁なるほど。確かに目標の相手がどの辺りに居るかだけでも知って
おかねば、探しようがないか﹂
﹁そう言う事。私には特定の誰かを探す力はないし、事前の情報は
大切よ﹂
﹁ま、小生にもそう言う力はないし、反対する余地はないな﹂
なお、私には集団の中から特定の個人を探し出すような能力はな
い。
いやまあ、時間をかけてもいい上に、妖魔だとばれてもいい状況
なら後を追う事ぐらいは出来るけどね。
それに特定の施設に潜入しろとかだったら、むしろ得意技なんだ
けどね。
今回のように集団の中から特定の個人を探し出すとなったら、ネ
リーぐらいに特徴のある子でなければ無理です。
ああそれにしても⋮⋮。
﹁また早くネリーみたいな子に会いたいなぁ⋮⋮。今でもあの時の
事を思い出せば、それだけで三回はイケちゃうぐらいなんだけど、
やっぱり妄想と現実は違うのよねぇ。妄想の中のネリーじゃ、やっ
ぱり現実のネリーは超えられないのよね。直接触れて味わえるって
のは大切よね。ああもう、本当にネリーはどうしてあんなに魅力的
だったのかしら⋮⋮?﹂
272
﹁⋮⋮﹂
また早くネリーのような子に会って、ネリーの時と同じように⋮
⋮ううん、それ以上に燃え上がる様な状況になりたいものである。
ネリーの太もも、髪、胸、唇⋮⋮ああ、何処の部分であっても、
思い返してみればエクスタシーを感じてしまう。
でも、結局なんでネリーがあんなに魅力的だったのかは分かって
いないし、その理由が分からない内は狙ってもう一度と言うのは難
しいのかもしれない。
でもそれならそれでいい。
だってそれなら、偶然会えたと言う喜びを⋮⋮
﹁いい加減にしろ。気持ち悪い﹂
﹁あいたっ﹂
と、ここで突然、背後から私に白い目を向けるシェルナーシュに
後頭部を杖で小突かれた。
その為、私は小突かれた事に対して抗議するべくシェルナーシュ
の方へと向き直るが⋮⋮向いた先ではシェルナーシュが私の背後に
向けて指を伸ばしていた。
﹁それともう着いているぞ﹂
﹁あ、あら⋮⋮﹂
どうやらネリーの事を思っている内に目的地に着いてしまったら
しい。
しょうがない、妄想はまた後にしておくとしよう。
﹁それで、予想通りか?﹂
﹁ええ、集まりについてはそうね﹂
さて、塔の辺りだが普段は普通のヒトで混み合っているそこは、
今も他の場所に比べて明らかにヒトが多かった。
が、普段とは違い、行き交うのは街の住人や商人と言った一般人
273
では無く、私たちのように武器を担いでいるヒト⋮⋮つまりは傭兵
や衛視が殆どだった。
どうやら、多少なりとも頭の回る傭兵は皆同じ事を考えていたら
しい。
﹁それでここからどうするつもりだ?﹂
﹁んー⋮⋮﹂
私は周囲の傭兵たちの動きを観察する。
すると大半の傭兵は、マダレム・シーヤの議会が決めた事を人々
に伝える為の高札へと一度目を向けた後、仲間内で話し合いをした
り、何かを取りまとめている様子の衛視へと声をかけているようだ
った。
ああうん、これはやっぱり私たちにとって都合のいい展開になっ
ていそうだ。
﹁まずはあの高札に何が書かれているかを見に行きましょう﹂
と言うわけで、私は高札に向かおうとしたのだが⋮⋮
﹁あー、字を読むのは任せた﹂
﹁読めないの?﹂
﹁読めないな。だから読んでくれ﹂
﹁今回は分かったわ﹂
﹁すまない﹂
どうやらシェルナーシュは文字を読めなかったらしい。
うん、その見た目で文字が読めないと言うのは、後々不都合が起
きそうだし、出来るだけ早めに文字を教えておこう。
﹁それで何と書いてあるんだ?﹂
﹁そうね⋮⋮﹂
そして私は目の前の高札に張られている文章を読み、まとめた物
274
をシェルナーシュに話し始めた。
275
第48話﹁三竦み−4﹂
﹁まず今日から一週間。許可を得ていない者が夜間に外出する事を
禁止する﹂
﹁例の事件の犯人に対応するためか﹂
﹁でしょうね﹂
掲げられた高札は大きく分けて二つの内容に分けられていた。
一つは傭兵含め、マダレム・シーヤに住む全てのヒト向けに出さ
れた知らせで、今日から一週間夜間の外出を禁止すると言うもの。
これは不用意に外出し、犯人に遭遇してしまったことで命を落と
すと言う被害者を減らすための方策であると同時に、犯人とそうで
ない人間を見極めやすくするための策だろう。
﹁で、ここからが本題ね。今日から一週間、夜間の巡回と警備を行
って欲しいと言う依頼が出されているわ﹂
﹁ほう﹂
もう一つは傭兵向けの知らせで、夜間⋮⋮日が暮れてから昇るま
での間、衛視と共にマダレム・シーヤを巡回。
不審者が居ないかどうかを見回ると共に、事件が発生すれば、そ
の解決の為に動くようにと言う依頼だった。
なお、先程の一文との兼ね合いか、依頼を受けた傭兵には目印の
許可証が配布されるらしい。
﹁これは⋮⋮美味しいわね﹂
﹁ん?﹂
私は報酬の欄を見て、思わずそう呟いていた。
﹁報酬はただ巡回をしているだけでも、それなりの額がきちんと出
276
る。おまけに何かの事件が起きて、その事件にきちんと対応できた
のであれば、追加の報酬が出る事になっている﹂
﹁対応?﹂
﹁犯人の捕縛、怪我人の救護、情報の伝達と言ったところね﹂
﹁なるほど⋮⋮確かに美味しいな﹂
私の言葉にシェルナーシュも笑みを浮かべる。
だがそれも当然だろう。
傭兵と言う立場から見ても、ただ夜の間見回っているだけで、そ
れなりの量のお金が手に入り、何かしらの事件が起きて、その犯人
⋮⋮それこそひったくりやコソ泥のように、傭兵たちが普段相手に
しているような相手と比べれば数段劣る様な相手を捕まえる事が出
来れば、追加の報酬が手に入るのだから。
強盗や例の事件の犯人と遭遇する可能性を加味しても、これを美
味しくないと考える傭兵は居ないはずだ。
しかし、私たちにとっては、報酬以上の旨味が有った。
﹁追加の報酬を得る為と言う大義名分が有るというわけだしな﹂
﹁ええ、ある程度の勝手なら許されるわ﹂
事件を解決したものには追加の報酬が有る。
当然、例の事件の犯人を捕まえたとなれば、その追加の報酬は桁
違いのものになるだろう。
そしてそれだけの報酬が約束されているのであれば、報酬の為に
勝手な行動を取る傭兵も少なくないだろう。
つまり、私たちがそう言う報酬優先の行動をとっても、それほど
目立たないし、咎められないと言う事だ。
加えて、そう言う勝手な行動をとる傭兵が増えれば増えるほど、
隙を見て例の事件の犯人と接触するチャンスが増えるはずである。
﹁さ、依頼を受けに行きましょうか﹂
﹁そうだな﹂
277
私とシェルナーシュは受付を行っている衛視の下へと向かう。
そうして、受付待ちの傭兵の後ろに並ぶと、しばらくの間待つ。
﹁次の方どうぞー﹂
やがて私たちの番が回って来たところで、私たちは一歩前に出る。
そして受付の衛視がシェルナーシュの姿を見て、何かに納得した
かのような表情を見せ、続けて私の姿を見たその時だった。
﹁⋮⋮。あー、君。悪い事は言わないから、辞めておきなさい。こ
の仕事はただの女子供に出来るような仕事じゃないから﹂
﹁⋮⋮﹂
周囲に居る傭兵の大半から私に向けられている不躾な視線と違っ
て、本当に心配そうにしている視線と共に、目の前の衛視さんから
そう言われた。
⋮⋮。
ああうん、まあ、何か有れば、確実に荒事に発展するのが分かっ
ている依頼だもんね。
私の見た目からすれば、目の前の衛視さんが心配するのも分から
なくもない。
﹁あー⋮⋮コイツは⋮⋮﹂
﹁何も言わなくていいわ。シェルナーシュ﹂
シェルナーシュが何かを言おうとするが、私はそれを手と口で制
すると、軽く周囲へと目をやる。
なお、私以上にひ弱そうに見えるシェルナーシュが大丈夫だと認
識されたのは、シェルナーシュの見た目が明らかに魔法使いのもの
だからだろう。
本来、魔法使いの実力に見た目は関係ないはずなんだけどね。
﹁ああ、居たわ﹂
278
まあ、そんな事はどうでもいい。
今私がやるべき事は、目の前に衛視に私の実力を認めさせ、依頼
を受けれるようにする事だ。
勿論、暴力を振るうような真似をせずにだ。
﹁そこの大きな体の貴方。ちょっとこちらに来てくれるかしら?﹂
﹁ん?俺か?﹂
﹁そうみたいだな。行って来いよ﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
私は周囲に居た傭兵の中から、私の事を心配するような視線を向
けると同時に、出来る限り大柄な男性を近くに呼び寄せる。
﹁えーと、暴力行為は⋮⋮﹂
﹁衛視さん。一つ質問だけれども⋮⋮﹂
﹁来た⋮⋮﹂
そして近くに来た男性の腰と肩に手を当てると⋮⋮
﹁自分よりも大きな相手をこういう風に持てるヒトを貴方は弱いと
言うのかしら?﹂
﹁ぞ⋮⋮!?﹂
﹁だ⋮⋮め⋮⋮!?﹂
新郎が新婦を持ち上げるような形でもって、一気に男性を持ち上
げる。
勿論、重さなどまるで感じていないと言う笑みを伴ってだ。
﹁﹁﹁⋮⋮⋮⋮﹂﹂﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
私の行動に周囲の傭兵たちが絶句し、シェルナーシュが溜息を吐
く。
279
﹁はい、ありがとうね﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
﹁それで衛視さん。私が依頼を受けても?﹂
﹁こ、こちらにお名前をどうぞ﹂
そして私が男性の事を降ろすのと同時に、衛視は受付の為の紙を
私の前に差し出すのだった。
280
第48話﹁三竦み−4﹂︵後書き︶
困った時は力押しです。
281
第49話﹁三竦み−5﹂
﹁ふう、帰って来たわね﹂
﹁そうだな﹂
無事に依頼を受けれた私たちは﹃クランカの宿﹄に戻って来てい
た。
表向きの理由は依頼の開始時刻が夕方であり、それまでの僅かな
間ではあるが、仮眠を取るためにと言う理由でだ。
﹁それで⋮⋮付いて来ているのか?﹂
裏の理由は⋮⋮まあ色々だ。
シェルナーシュの持っている干し肉で腹を満たしておくと言うの
も理由の一つだし、今日出会ったばかりである私たちには足りない
お互いの情報を出すと言うのも理由の一つ。
﹁ええ、付いて来ているわ﹂
加えて、窓から宿の前の通りを見てみればその姿が見えるのだが、
塔の前の広場から今に至るまでの間、時折交代しつつも、ずっと数
人のヒトがこちらの様子を窺っている。
そう、彼らへの警戒もしやすくすると言うのも、宿に戻って来た
理由の一つである。
﹁ソフィア。奴らは何者だと思う?﹂
﹁そうね⋮⋮少なくとも魔法使いなのは間違いないと思うわ﹂
﹁根拠は?﹂
﹁色々とあるわ﹂
シェルナーシュの質問に対して、私は彼らを魔法使いと判断した
理由を話す。
282
まず彼らの隠密技術はさほど高くない。
となれば、そう言う探り事を専門とする諜報員と呼ばれるような
ヒトでない事は確定。
私たちの見た目に引き寄せられた男⋮⋮と言うか、力自慢の傭兵
やならず者と言うのも考えづらい。
なにせ彼らが追跡を始めたのは、私が広場で自分よりも大柄な男
を持ち上げて見せると言う魔法を使ったとしか思えないような光景
を見せた直後からなのだ。
それでもなお、コソコソと隠れて追って来るとしたら、そいつは
相当な阿呆だ。
最低でも何かしらの魔法対策は持っていると考えるべきだろう。
で、これらの情報に加えて、彼らは交代で私たちの事を見張って
いるので、それなりの組織である事も分かる。
と言うわけで⋮⋮
﹁結論として彼らは何処かの流派の魔法使いで、何かしらの理由で
もって私とシェルナーシュを見張っている。と言う事になるわね﹂
﹁なるほど。まあ、聞くところによれば、違う流派の魔法使い同士
は仲が悪いと聞くし、それならおかしくはないか﹂
﹁ああそう言えば、そんな話も聞いた事が有るわね﹂
シェルナーシュは私の言葉に納得したのか、小さく頷く。
と言うか、シェルナーシュに言われるまですっかり忘れていたが、
マダレム・ダーイの辺りで違う流派の魔法使い同士は仲が悪いと言
う話を確かに聞いた覚えがある。
うん、すっかり忘れてた。
﹁さて、そうなると問題は奴らが今すぐに仕掛けてくるかだが⋮⋮
大丈夫そうか?﹂
﹁今のところは動きが無いわね﹂
私は改めて窓から魔法使いたちの動きをみる。
283
が、特に目立った動きはしていない。
私たちに気づかれないように、本人たちからしてみれば全力で、
私からしてみればバレバレな隠れ方でこちらの様子を窺っているだ
けだ。
﹁うん、そこまで心配はしなくていいと思うわ。昼間から仕掛ける
ほどの度胸が有るとは思えないし、そもそも仕掛けてくる意味も無
いでしょうし﹂
﹁まあ、奴らからしてみれば、小生たちを襲ったところで、望んだ
ものが手に入る可能性は限りなく低いだろうしな。小生たちの裏が
分からない事や、返り討ちの可能性も考えれば、仕掛けてくる方が
おかしいか﹂
﹁おまけに、アイツ等がマダレム・シーヤと繋がりのある流派とも
限らないしね﹂
﹁ふむ。その可能性もあったか﹂
私は窓から視線を外す。
実際、彼らが仕掛けてくる可能性は今後も含めて低いだろう。
私の知識の範囲内で言わせてもらうのなら、他の流派の魔法使い
が使う魔石を手に入れた所で、まず使う事は出来ないし、どうやっ
て加工したかだって分からないのだ。
つまり、私のように直接記憶を奪える能力者でもなければ、他の
流派の魔法を得たければ、その魔法使いを捕えるか、籠絡しなけれ
ばいけないのだ。
すると当然、裏についている組織次第ではあるものの、洒落にな
らない事態が発生することになる。
だが、彼らにそんな事態に陥る覚悟が有るとは思えない。
﹁となると、やはりただの偵察か﹂
﹁そう言う事でしょうね﹂
そう言う事で最終結論は非常に単純だ。
284
彼らはただの偵察で、私たちが何処の流派の魔法使いかを知りた
いだけ。
目的は本当にそれだけだろう。
﹁ま、妖魔と言う事だけはバレないように気を付けましょうか﹂
﹁そうだな﹂
それでも私たちが妖魔だとバレる可能性が有るので、油断は禁物
なのだが。
﹁で、この話はこれぐらいにしておいて、そろそろ話しておきまし
ょうか﹂
私は目を瞑ると、左手を真っ直ぐ前に出す。
そして、私の中⋮⋮心臓の少し下辺りに存在している力の塊に意
識を向ける。
﹁一体何の話だ?﹂
﹁お互いの能力について⋮⋮﹂
そうして、力の塊を少しだけ削り出すと、私は左手の方へと削り
出した力を動かす。
塊と削り出した力の間に細い線のようなものを繋いだ状態でだ。
﹁よっ!﹂
仕上げに私は左手の上へと削り出した力を出し、変われと念じる。
﹁これは⋮⋮﹂
﹁ふうっ﹂
すると私の左手の上に少量の琥珀色の液体が生じ、部屋の中に甘
く香ばしい匂いが漂い始め、代わりに削り出した力は消えてなくな
る。
285
﹁貴様の魔法か?﹂
﹁ええそうよ﹂
これが私の魔法。
甘くて香ばしい、一度口に含めば、二口三口と口に運ばずにはい
ポイズン
られないが、一口含めばそれだけで全身が弛緩してしまう猛毒。
ブラウニー
﹁焼き菓子の毒。私はそう呼んでいるわ﹂
かつて﹃サーチアの宿﹄で客とおかみさんを全員同時に殺して見
せた魔法の毒だ。
286
第50話﹁三竦み−6﹂
﹁毒か⋮⋮便利そうだな﹂
﹁一度に造れる量は少ないけどね﹂
私は左手を握りしめると同時に、消えろと念じる。
すると焼き菓子の毒は跡形もなく消え去り、部屋の中に漂ってい
た匂いも消えてなくなる。
うん、これだけでもこの魔法の便利さが窺えると言うものだ。
﹁それに、私が使える魔法はこれだけで、後は蛇の妖魔の能力が一
ラミア
部と、純粋な身体能力とハルバードだけなのよ。正直、魔法と知識、
武器を除けば、普通の蛇の妖魔以下かもしれないわね﹂
尤も、私が他に使える魔法は無いし、焼き菓子の毒も直接戦闘に
生かすのは少々難しい魔法だ。
戦闘に生かすとしたら、ハルバードに塗るか、手を口の中に突っ
込んで流し込むぐらいしかないだろう。
その為、私の戦闘能力は蛇の妖魔としての力と、ハルバード頼み
と言う事になる。
で、その妖魔としての力で何が出来るのかについてもシェルナー
シュに詳しく話したところ。
﹁ふむ。まあ、小生よりはマシかもしれないな﹂
﹁と言うと?﹂
なんだか羨ましそうに頷かれた。
﹁小生の方は貴様よりも厳しいぞ﹂
そう言うと、シェルナーシュは荷物の中から適当な果物を取り出
し、机の上に置く。
287
﹁何をする気?﹂
ドライ
﹁まあ、見てみろ。乾燥﹂
そしてシェルナーシュが机の上に置いた果物に杖を向け、一言呟
いた時だった。
﹁へぇ⋮⋮﹂
果物が乾いていく。
明らかに自然では有り得ない早さでもってだ。
﹁これが小生の使える三つの魔法の内の一つ。乾燥だ﹂
﹁便利な魔法じゃない﹂
やがて机の上に置かれた果物は全ての水分が抜け落ち、しわしわ
に萎びた姿になる。
で、手で触ってみれば分かるが、本当にカラカラになっており、
相当長く保存できそうになっていた。
うん、ほぼ間違いなくあの干し肉もこの魔法で作ったものだろう。
﹁そうだな。通用する相手は限られているし、相手の大きさ次第で
かかる時間もかなり変わるが、便利な魔法ではある﹂
﹁でしょうね﹂
とりあえず私の焼き菓子の毒と違い、直接戦闘に使えるのは大き
い。
それに先程シェルナーシュは三つの魔法と言っていた。
つまりだ。
﹁それで他の二つの魔法はどんな魔法なの?﹂
﹁それはだな⋮⋮﹂
シェルナーシュには後二つ、何かしらの魔法が有ると言う事にな
る。
288
で、その二つの魔法の内容について聞いた私は⋮⋮
﹁へぇ⋮⋮﹂
﹁っつ!?﹂
思わずシェルナーシュが飛び退くような笑みを浮かべてしまって
いた。
それほどまでにシェルナーシュの持っている三つの魔法は素晴ら
しい物だった。
だがそれだけに気になる事が有る。
﹁それで、これだけの魔法が使えるのに、どうして私より厳しいな
んて言ったの?﹂
﹁簡単な話だ﹂
先程シェルナーシュはこう言っていた。
﹃小生の方は貴様よりも厳しいぞ﹄と。
うん、魔法が三種類も使える時点で、どう考えても私より色々と
便利だと思うんだけど?なのに厳しい?さて、一体どういう理由か
しらね。
﹁小生の身体能力は普通のヒトと同程度でしかない。それこそ、武
器と魔法が無ければ、普通の傭兵や衛視にも勝てないだろう﹂
﹁はぁ!?﹂
そうしてシェルナーシュが話した理由は、私にとっても流石に予
想外と言う他の無い理由だった。
妖魔なのに身体能力が普通のヒト並って⋮⋮いったいどうなって
いるの?
﹁おまけに小生は蛞蝓の妖魔だが、蛞蝓の妖魔として使える能力と
言えば、壁や天井に張り付く事と、唾を多少酸性にするぐらいだ﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
289
おまけに妖魔としての能力も極々限られたもの⋮⋮と。
ああうん、これは確かに厳しいかもしれない。
いやまあ、蛞蝓の妖魔と言う存在自体殆ど聞いたことが無いから、
普通の蛞蝓の妖魔がどう言うものなのかは分からない。
分からないけど、それでも厳しいと思わずにはいられない能力だ
った。
しかしここまで来るとなるとだ。
﹁つまりシェルナーシュは魔法特化なのね﹂
﹁まあそう言う事だろうな﹂
シェルナーシュがどういう妖魔なのかが嫌でも分かる。
そう、シェルナーシュは魔法に特化した妖魔なのだ。
私が生きる為に必要な量以上のヒトを食べた場合、身体能力が強
化されるのと同じように、シェルナーシュも生きる為に必要な量以
上にヒトを食べれば、魔法に関係する力が強化される。
そう考えるべきだろう。
﹁何と言うかピーキーな能力ね﹂
﹁小生自身でもそれは感じている﹂
ちなみに、シェルナーシュに聞いたところ、シェルナーシュが今
身に着けている魔法使い風の衣装は生まれた時に着ていた服である
らしい。
杖についてはそこら辺に転がっていた適当な石と木の枝を組み合
わせただけの代物であるらしいが。
﹁それで、先程あれだけの笑みを浮かべていたのだ。ソフィア。貴
様は小生の魔法の内容を聞いて、どんな利用法を思いついた?﹂
と、ここでシェルナーシュがこんな事を言ってくるが⋮⋮。
﹁別に大した利用法は思いついてないわよ。今はそこまで大きな目
290
標も控えていないしね﹂
﹁本当にそうか?﹂
﹁本当よ。まあでもそうね。ヒト相手に有効的に使う方法なら多少
思いついたわ﹂
﹁⋮⋮﹂
大きな目標も無い今だと、流石にそこまで特別な何かを思いつい
たりはしない。
とりあえず今夜の依頼に備えて、思いついたそれらはシェルナー
シュに話しておくこととしたが。
291
第51話﹁三竦み−7﹂
﹁さて、全員揃ったわね﹂
夕方。
間もなく陽が城壁の向こう側へと完全に隠れそうな頃、私とシェ
ルナーシュは今夜共に行動する面々と顔を合わせていた。
﹁では、仕事を始める前にお互いの名前と武器ぐらいは確認してお
きましょうか﹂
﹁そうね。最低限それぐらいは知っておくべきだと思うわ﹂
﹁同感だ。連携は期待できなくても、お互いの得物も分からずに仕
事はしたくない﹂
数は私たちを含めて六人。
マダレム・シーヤ側が用意した衛視二人に、今回の依頼を受けて
集まった傭兵四人だ。
﹁それでは自己紹介と行きましょうか。マダレム・シーヤ警備隊の
チャールです﹂
﹁同じくデルートです。今回は皆様の道案内を務めさせていただき
ます。武器は見ての通りですね﹂
まず名乗ったのは衛視二人。
全身を革製の鎧で包み込んだ彼らの背中には、穂先が鉄製の槍と、
木を組み合わせて作ったと思しき方形の盾が掛けられている。
また、腰には替えと思しき松明も挿されている。
﹁ああ、よろしく頼む﹂
﹁おう、頼んだぜ﹂
﹁ええ、よろしく頼むわね﹂
292
﹁ん﹂
﹁﹁はいっ!﹂﹂
なお、二人はマダレム・シーヤの地理に疎い私たち傭兵の為に用
意された道案内役であるが、それと同時に私たちがきちんと仕事を
しているのかを監督する監視役でもある。
なので、私とシェルナーシュが本来の目的を果たす際にはその目
を誤魔化すか、消えてもらうか、いずれにしても何かしらの手を打
つ必要が有る。
﹁じゃあ、次は私ね。私の名前はソフィア。武器は背中に挿してあ
るハルバードよ﹂
﹁小生はシェルナーシュ。魔法使いだ﹂
次に私たちが自己紹介を行う。
反応は⋮⋮特におかしな反応をされることはない。
まあ、シェルナーシュは見た目通りだし、私のハルバードが飾り
でない事は昼間のアレを見るか、体験していて、マトモな思考能力
が有れば理解できる事柄だから当然だとも言える。
そう、体験だ。
﹁最後は俺たちだな。俺の名前はラグタッタ。武器は剣と盾で⋮⋮
昼間、そこの姉ちゃんに持ち上げられて呆然とした大男だ﹂
﹁で、俺がそんな大男の相方で、シーヴォウだ。武器は弓だな。い
やー、あの時は驚かされたぜ。まさかラグタッタがあんなあっさり
と持ち上げられるとは思わなかった﹂
﹁ははははは⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ワザとなのかそうでないのかは分からないが、残り二人の傭兵⋮
⋮ラグタッタさんとシーヴォウさんは、昼間に私が持ち上げて見せ
た傭兵とその相棒だった。
いやまあ、私の実力に妙な疑いを持たれなくてもいい分、色々と
293
楽なのは確かなんだけどね。
それでもまさかと言う感じだ。
なお、二人の印象についてだが、ラグタッタさんは鉄製の剣に分
厚い木の盾、それに革の鎧を身に着けており、見るからに前衛と言
う感じであり、対するシーヴォウさんは革の鎧こそ身につけている
が、背負っているのが弓矢一式と言う点から分かるように、明らか
な後衛だった。
うん、分かりやすい。
﹁ではまずは私たちの担当地区に移動しましょうか。付いて来てく
ださい﹂
﹁分かったわ﹂
﹁分かった﹂
チャールさんの言葉に従って、私たちは今居る街の中心から、街
の南西部に向けて移動を始める。
﹁へぇ⋮⋮﹂
﹁どうされましたか?﹂
﹁いえ、何でも無いわ。ただちょっと感心しただけ﹂
﹁はぁ?そうですか?﹂
そして、その移動の仕方を見て、私は素直に感心する。
先頭を行くのはチャールさんとラグタッタさんの二人。
それもラグタッタさんが左手に持つ盾を生かしやすいように、後
ろにいる私から見て右にチャールさん、左にラグタッタさんと言う
形で並び、歩いている。
次に行くのはシェルナーシュとシーヴォウさん。
こちらもシェルナーシュが右手に杖を持っている事を考慮してだ
ろう、左にシーヴォウさんが立ち、右にシェルナーシュが立つこと
によって、何か有った時に対応がしやすいように並んでいる。
で、最後に私とデルートさんだが、常にデルートさんの方が私の
294
居る位置よりも半歩ほど左ななめ後ろの位置に下がっている。
これならば、私の動きを邪魔することも、一人で後方の敵を受け
持つ事にもならずに、私たち傭兵四人の動きを観察する事が出来る
だろう。
うん、実に素晴らしい並びだ。
﹁ボソッ︵とりあえず、これならそこら辺のチンピラや強盗程度は
問題ないわね︶﹂
まだ移動の動きだけしか見ておらず、実際の戦いぶりは目にして
いないわけだが、誰に言われるまでも無く自然にこの並びと動き方
が出来るのであるならば、それ相応に戦い慣れはしているだろう。
と言うか、これだけの動きが出来て、戦い慣れをしていなかった
ら、そちらの方がむしろ驚きだ。
﹁⋮⋮﹂
まあ、裏の目的を考えたら、本当はあまりに出来のいいヒトと組
むのは良くないんだけどね。
それだけ目を誤魔化すのが難しいと言う事になる訳だし。
﹁さ、着きましたよ。此処が我々の担当する地区です﹂
﹁住宅街か⋮⋮細い通路、入り組んだ通路が多そうではあるな﹂
﹁確かにそう言う道は多いですね。が、そう言う道はあまり通らな
いようにしますのでご安心を﹂
﹁まあ、細いと言っても、人三人横並びに歩けるなら、むしろどん
とこいだ﹂
﹁小生もそう思う﹂
﹁期待しているわ﹂
やがて私たちは今夜の担当地区に辿り着く。
そして、陽がゆっくりと地平線の向こうへと沈んだ。
295
第51話﹁三竦み−7﹂︵後書き︶
こういう時は優秀だとむしろ困ります
296
第52話﹁三竦み−8﹂
﹁戦果は隣人トラブルの解決が一件。と﹂
陽が落ちてから、私たちは担当地区を一通り見て回った。
で、見回りの中で家が隣同士の住人が起こしたトラブルを発見し
たため、私とラグタッタさんが掴み合いをしていた男たちを抑え、
チャールさんとデルートさんの二人が仲裁に入り、トラブルを解決
した。
以上が、一回目の見回りの戦果である。
﹁ま、大した事件が起きてなくて良かった。と言う所じゃないのか
?﹂
﹁そうそう、ただの殴り合いを止めるだけで追加報酬なんだ。美味
しいと思っておけよ﹂
﹁ははは、まあ、傭兵の皆様にとってはそうでしょうね﹂
そして今は休憩中。
大通りで松明を中心に談笑をしている。
うん、初日から例の事件の犯人に接触できるとは思っていなかっ
たし、あの程度で追加報酬がもらえるのなら、シーヴォウさんの言
うとおり、美味しいと思っておくのが妥当な所ではあるだろう。
﹁それで、見回りは後二回と言う所か?﹂
﹁そうですね。時間的にはそれぐらいだと思います﹂
さて、正確な時刻は分からないが、今は夜が三分の一ぐらい終わ
ったところである。
なので、一回目の見回りと同じペースで見回りをするのであれば、
後二回見回りを行う事になる。
297
﹁後二回かぁ⋮⋮例の事件の犯人に遭遇する事は有り得ると思う?﹂
私の質問にラグタッタさんたちが松明の明かりに照らされた悩ま
しげな顔を見せる。
﹁遭遇するか否かという話なら、どちらでも有り得ると思う﹂
﹁そうですね。出会うかどうかだけなら、今ここで突然襲われる事
だって有り得るでしょう﹂
﹁あんな猟奇的な殺し方をする奴だしな。何を考えているかだなん
て誰にも分からねえよ﹂
シェルナーシュの答えはさて置いて、チャールさんとシーヴォウ
さんの言葉はその通りだろう。
実際、例の事件の犯人がどういう性格なのかはまだ誰も分からな
いのだから。
﹁ただまあ、あー⋮⋮依頼主には悪いと思うが、出来れば遭遇した
くないと思う所ではあるな﹂
﹁今の話は聞かなかった事にしておきます。私も出会いたくないと
思う事については同感ですから﹂
で、ラグタッタさんとデルートさんの答えは⋮⋮まあ、分からな
くもない。
﹁⋮⋮。あら、そんなこと言ってもいいの?例の事件の犯人を捕ま
えれば、報酬はたっぷりよ﹂
分からなくもないが⋮⋮私の後ろに居る連中の為にも、敢えて突
っ込んでおく。
多少苛立ったかのように、ハルバードの柄で地面を二度叩き、穂
先を私の後ろに向けると言う動作と、動作に見合わない笑顔を加え
てだが。
﹁⋮⋮。命あっての物種。だろ。傭兵業ってのはそう言うものだ﹂
298
﹁⋮⋮。そうだな。遭遇してしまったのなら戦うしかないが、出来
れば危険とは無縁の方が良い﹂
﹁⋮⋮。確かに。毎日酒と美味い飯を食って、楽しく過ごせるなら、
そっちの方が断然いいに決まってる﹂
﹁⋮⋮。それは確かに良い暮らしですねぇ﹂
﹁⋮⋮。ただその暮らしの為にもお金は要るんですよねぇ﹂
うん、全員気付いてくれた。
そして皆の視線がこう言っている。
何人居るんだ?と。
﹁はぁ⋮⋮みんな堅実ねぇ⋮⋮﹂
だから私は背後にいる連中から見えないように、胸の前でまずは
指を三本立て、その後指の数を五本にする。
﹁そりゃあそうだろ。堅実じゃない奴は、自分の身の丈に合わない
相手に挑んで死ぬ。それがこの世界だ﹂
﹁まぁ、そう言うものよね﹂
私の指の数を見たラグタッタさんが、全員に目配せをし、それに
対してみんな軽く頷く。
﹁じゃっ、堅実に行きましょうか﹂
﹁そうだな﹂
﹁それがいい﹂
私たちは全員一斉に立ち上がると、私の背後に向けて全員で得物
を構える。
﹁質問させてもらうわ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
明かりの届かない闇の中から動揺した様子がラグタッタさんたち
に伝わる。
299
勿論、明かりなど必要としない私とシェルナーシュの目には、男
たちの動揺している姿も、男たちが身に着けている装備品について
も、はっきりと捉えている。
﹁貴方たちはそこで何をしているのかしら?今、マダレム・シーヤ
では許可を得ていないものの夜間外出を禁じているのだけど﹂
男たちの数は五人。
闇に紛れる為なのか、全員全身を真っ黒に染め上げており、得物
についても炭か何かでもって黒く色づけられている。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
返事はない。
が、想定外の事態にどうしたものかと、男たち自身迷っているら
しく、小さく口を動かしているのが見える。
それにしても男たちが持っている武器⋮⋮短剣はともかくとして、
三人が長柄の杖を持っているのか⋮⋮この明かりなしでは足元も碌
に見えない闇の中で不自由なく行動している様子といい、夜間活動
に特化した魔法使いと見るのが適当かもしれない。
﹁チャールさん。質問だけど、マダレム・シーヤに魔法使いの組織
は?﹂
﹁あります。が、今回の見回りでは、傭兵や衛視に混ざっている可
能性はあっても、ああしてコソコソと活動することはないですし、
闇の中で不自由なく活動できる魔法を持つ流派は別の都市に根を張
っていると噂で聞いています﹂
﹁そもそも、この時点で友好的に出てこようとしない時点で、後ろ
暗い何かが有るのは確定事項だろ﹂
﹁ま、それはそうよね﹂
彼らが相談している間に、一応私たちの方でも彼らが真っ当な組
織かを相談し合ってみるが⋮⋮相談するまでも無かったかもしれな
300
い。
彼らの行動で後ろ暗い事がないと言う方が難しいだろうし。
勿論、こうして話している間にも、戦いに備えてそれぞれの位置
を変えておくことは忘れない。
﹁シーヤの狗共よ。我々に気づいたことに敬意を表し、多少の妥協
をしてやろう。そこの女二人を置いて去れば、残りの連中は見逃し
ても⋮⋮﹂
そして男たちの中の一人が論外の要求をしたところで⋮⋮
アシドフィケイション
﹁シェルナーシュ﹂
﹁ん。酸性化﹂
﹁ヨガッ!?﹂
シェルナーシュの魔法がその男の胸の中で発動した。
301
第53話﹁三竦み−9﹂
﹁馬鹿⋮⋮な⋮⋮﹂
シェルナーシュの魔法を受けた男はその場で崩れ落ち、数度痙攣
した後、苦悶の表情を浮かべた状態で動かなくなる。
﹁死んでいる⋮⋮だと!?﹂
﹁一体何が⋮⋮﹂
まあ、相当痛かったのは間違いないだろう。
なにせシェルナーシュの使った酸性化の魔法は、指定範囲内に存
在する液体を強酸性に変えるだけのものであるが、今回魔法が発動
した場所は男の心臓が有る場所だ。
﹁まったく。質問に対して要求で返すだなんて、どういう教育を受
けているのかしらね?﹂
それはつまり、シェルナーシュの魔法によって男は心臓を溶かさ
れると同時に、心臓が止まるまでの僅かな間ではあるが、全身に強
酸の血液を送り込んでしまったと言うこと。
うん、元々のシェルナーシュの使い方である全身の体液を一度に
強酸に変えると言う方が、痛みははるかに少なかっただろう。
まあ、敵に使っているんだし、元々の使い方よりも発動にかかる
時間が大幅に短くなったのだから、何の問題も無いか。
﹁きさっ⋮⋮﹂
﹁でも、そこの間抜けのおかげで分かった事が有るわ﹂
それに今は死んだ敵よりも、目の前に居る他の敵への対応を優先
するべきだろう。
と言うわけで、私はハルバードを地面に派手に叩きつけると同時
302
に男たちの方を睨み付け、威圧する。
﹁貴方たちはマダレム・シーヤと敵対する都市に所属する流派の魔
法使いで、その目的は私とシェルナーシュの保有している魔法。目
指すはマダレム・シーヤの弱体化と自分たち流派の強化と言ったと
ころでしょうね﹂
﹁てことは、仮にさっきの男の要求を呑んだとしても、俺たちは殺
す対象ってわけだ。この手の行為は目撃者が誰も居ない方が都合が
いいわけだしな﹂
﹁そもそも目指すのがマダレム・シーヤの弱体化と言う時点で、衛
視である私たちを見逃す理由も無いでしょうしね﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私、ラグタッタさん、チャールさんの言葉に、男たちが明らかに
動揺した様子を見せる。
いや、この程度で動揺しないでよ。
少し考えれば誰にだって分かる事なんだから。
シーヤの狗とか言っていたんだしさ。
あー、もしかしてこいつ等使い捨ての駒なのかも。
それなら、この錬度の低さにも納得がいくかもしれない。
﹁さて、一応聞いておくわ。素直に投降しなさい。今ならまだ素っ
裸を晒すだけで済ませてあげるわ﹂
私は残った四人の男たちが居る方に向けてハルバードを伸ばしな
がら、そう宣言する。
これに素直に従うのならそれで良し、従わないなら⋮⋮まあ、適
当に一人か二人程気絶させて、後は殺してしまっていいだろう。
魔法使い相手に中途半端な手加減は不要だ。
ただまあ⋮⋮
﹁ふっ⋮⋮ふざけるなああぁぁ!!﹂
303
﹁まあそうよね﹂
﹁だよなぁ﹂
﹁ですよね﹂
こういう奴らが素直に従うわけがないのだが。
﹁殺す!殺してくれる!﹂
短剣を持った男が私たちの側へと駆け出してくる。
そしてそれが戦いの始まりの合図だった。
アシドフィケイション
﹁ふっ!﹂
ダークディスク
﹁酸性化﹂
グローイーター
﹁闇円盤!﹂
﹁灯り喰いぁぁ⋮⋮ぐっ!?﹂
シーヴォウさんの矢が放たれ、シェルナーシュの杖が一番遠くに
居た男の胸に向けられる。
と同時に、杖を持った男の一人から黒い円盤のようなものが射出
され、もう一人の男がシェルナーシュの魔法を受けながら大量の黒
い蛾のような何かを生み出す。
﹁ぎっ!?﹂
﹁ぐっ⋮⋮重い⋮⋮!?﹂
﹁すり抜けた!?﹂
偶然に近いだろうが、シーヴォウさんの矢がまだ何もしていなか
った男の腕に当たり、その男は倒れ込む。
それと同じくして、黒い円盤をラグタッタさんが盾で受け止め、
私は黒い蛾のようなものをまとめてハルバードの腹で叩き潰そうと
する。
だが、実体を有していないのか、黒い蛾の群はハルバードをすり
抜けてしまう。
304
﹁!?﹂
﹁やられた!﹂
そして、私の背後にある松明に黒い蛾の群が辿り着いた時だった。
﹁明かりが消えた!?﹂
﹁くそっ、面倒な魔法を!﹂
松明の光が一瞬にして消え去り、周囲一帯が完全な暗闇に覆われ、
短剣を持つ男の姿も見えなくなる。
なるほど、灯り喰い⋮⋮か。
周囲の灯りを消し去り、自分たちにとって有利な状況を作り上げ
る為の魔法。
あの黒い蛾が実体を有さない点も含めて、普通のヒトにとっては
この上なく厄介な魔法と言えるだろう。
﹁ふはははは!この闇の中で動けるのは我ら﹃闇の刃﹄だけ⋮⋮﹂
闇円盤の魔法を使った男が大声を上げる。
が、彼らにとって一つ残念なお知らせがある。
ドライ
﹁乾燥﹂
﹁よっと﹂
﹁﹁!!?﹂﹂
それは私たちにとって暗闇とは味方でしかないと言う事だ。
シェルナーシュの乾燥の魔法が後ろに控える二人の魔法使いに対
して効果を発揮し始め、大声を上げた男が脱水症状を起こし、その
場で膝をつく。
と同時に、私のハルバードの斧が短剣を持って駆け寄る男の頭を
正確に捉え、吹き飛ばす。
そしてそれと同時に⋮⋮
﹁よっと﹂
305
﹁ギッ!?﹂
私の後方、シーヴォウさんの居る辺りから、僅かな声が聞こえる
と共に、大量の血の匂いが勢いよく漂ってくる。
って、えっ!?
﹁シーヴォウ!?﹂
﹁ふっ﹂
﹁ラグタッタさん!?﹂
﹁何っ!?﹂
﹁っつ!?﹂
私もシェルナーシュも慌ててシーヴォウさんの方を見ようとする。
と同時に、シェルナーシュと私の横を人影が通り抜け、人影が手
に持った何かによってラグタッタさんの首が切られ、シーヴォウさ
んと同じように大量の血を噴き上げる。
﹁ゲロっと﹂
そして人影は着地と同時に、まだ息が有った二人の魔法使いの首
を刎ね飛ばしつつ方向転換。
私たちの方を向く。
人影の正体は⋮⋮
﹁で、出たあああぁぁぁ!!﹂
﹁殺人鬼だああぁぁ!!﹂
例の事件の犯人だった。
306
第53話﹁三竦み−9﹂︵後書き︶
次に貴様は﹁フラグが立つどころか回収されてるじゃねえか!﹂と
言う
307
第54話﹁三竦み−10﹂
﹁まさか、こんなに早く会えるとはね⋮⋮﹂
私はハルバードを両手で構えながら、例の事件の犯人と見るべき
妖魔の少女の様子を観察する。
背はシェルナーシュより少し低いぐらいで、見た目の年齢もさほ
ど変わらない。
武器は両手に持っている二本の鉈。
服装は⋮⋮ボディラインがそのまま出ている袖なしの服にスカー
ト、ベレー帽、ブーツにひざ上までのソックスと、そのままの格好
ではヒトの集団に混ざるのは難しそうな格好をしている。
﹁どうする。ソフィア﹂
﹁私に任せて頂戴﹂
﹁分かった﹂
どことなく引き気味な様子のシェルナーシュは私の後ろに下がら
せ、チャールさんとデルートさんの護衛に回す。
で、少女についてだが⋮⋮流石に夜である今、少女の髪や目の色
を判別する事は出来なさそうにない。
が、全体的にヘニトグロ地方の人々とは違う色合いな気がする。
﹁よっ⋮⋮と!?﹂
﹁させないわよ﹂
少女がチャールさん目がけて跳躍すると同時に、私は少女の進行
方向上に割り込み、ハルバードを横に薙ぐ。
が、少女は私の攻撃を二本の鉈で受け止め、吹き飛ばされると、
衝撃を完全に殺して地面に着地する。
うん、武器を扱えている時点で分かっていたが、やはり彼女も私、
308
サブカ、シェルナーシュと同じく変わり者の妖魔だ。
﹁どうして邪魔をするの?﹂
﹁邪魔をして当然でしょうが﹂
ただまあ、どちらかと言えば自分に対して素直な性格をしている
らしい。
私に向けて明らかに不快そうな表情を向けているし、そもそも街
中であんな目立つ事件を引き起こしているし。
﹁ふうん⋮⋮﹂
それでも今の一言だけで、私が何故チャールさんを守るかを理解
できる程度の頭はあるらしいので、まあ仲間に引き込む及第点には
到達していると思う。
なお、私がチャールさんとデルートさんの二人を守るのは、それ
が仕事だからというのもあるが、この状況で私とシェルナーシュだ
けが生き残ってしまうと、犯人との繋がりを疑われるからだ。
そしてヒトに疑われてしまえば、私もシェルナーシュもかなり拙
い事になる。
なにせ私にもシェルナーシュにも、妖魔と言う絶対に隠さなけれ
ばならない事柄が存在しているからだ。
﹁ソフィア⋮⋮﹂
﹁大丈夫よ。心配しないで﹂
いやまあ、そんな状況になったら、とっととマダレム・シーヤか
ら逃げ出せばいいんだけどね。
タダ働きになるのは痛いけど、命あっての物種だし。
﹁ふっ!﹂
﹁っつ!?﹂
少女が私に向かって鉈を振るいながら跳躍してくる。
309
それを私はハルバードの柄で受け止めると、斧で軽く反撃する。
﹁よっ、ほっ、とりゃあ!﹂
﹁はあああぁぁぁ!﹂
そしてその攻撃を皮切りに、少女は二本の鉈を巧みに操って私に
攻撃を仕掛け、私はハルバードの柄と刃の両方を使って少女の攻撃
を凌ぎつつ、時折反撃を行う。
﹁ひっ、ひいいぃぃ⋮⋮﹂
﹁な、何が起きているんだ⋮⋮﹂
勿論お互いに手加減はしている。
が、それでもなお、夜目が利かないために辺りの様子が分からな
いチャールさんとデルートさんの二人を怯えさせるのには十分な量
の火花と、金属と金属がぶつかり合う音が辺りに響き渡ってる。
﹁はっ!﹂
﹁っつ!?﹂
やがて私の一撃によって均衡が崩れる。
少女の持っていた鉈の片方が刃の途中で折れ、その事に驚いた少
女が一歩引いたのだ。
しかし⋮⋮うん、今更ながらに、このハルバードの異常さが良く
分かる。
﹁⋮⋮﹂
﹁山の中で慣れてる私と同じくらい夜目が利くなんて驚きね⋮⋮﹂
少女が手に持っている鉈は、既に無数の刃こぼれを起こしていて、
廃棄せざるを得ない状態になっているのに対して、柄と言う脆い部
分で何度も攻撃を受けたはずの私のハルバードは傷一つ付いていな
いのだから。
うん、もしかしなくても、このハルバードには何かしらの魔法が
310
かかっているのかもしれない。
今は調べる余裕なんてないから無視するけど。
﹁ーーーーー!﹂
﹁お、応援か!?﹂
﹁やった!﹂
と、ここで私たちの戦いの音を聞き付けたのか、周囲からヒトが
駆け寄ってくる音と、そのヒトが持っているであろう松明の明かり
が見え始めてくる。
うん、これは拙い。
早いところ目的を果たしておかないと。
﹁シャアアアァァァ!!﹂
﹁っつ!?﹂
私は少女に対してハルバードを振るいながら接近すると、その顔
を睨み付ける。
すると少女は一瞬その身を強張らせ、つばぜり合いに近い状態に
なるも、まるで腕に力が入っていなかった。
どうしてそうなったのかは分からないが⋮⋮これは好都合だ。
﹁明日の昼。ヒトの衣服を着て、﹃クランカの宿﹄に来なさい﹂
﹁!?﹂
私は少女の耳元に口を近づけると、周囲に居る他のヒトに聞こえ
ないように小さな声で囁く。
﹁っつ!?﹂
﹁っと!?﹂
そして囁き終わったところで、弾き飛ばされた様に私は少女の前
から跳び退く。
311
﹁⋮⋮﹂
少女は不満げな様子で私の顔を見つめている。
が、やがて多くのヒトが集まって来ている事を察したのか、両手
に持っている鉈を捨て、代わりに自分が仕留めた魔法使い二人の頭
を持ち、跳躍。
近くの建物の屋上に飛び乗ると、そのままマダレム・シーヤの闇
の中へと消え去った。
﹁大丈夫か!﹂
﹁何が有った!?﹂
﹁うわっ!?なんじゃこりゃ!?﹂
﹁うっ⋮⋮﹂
﹁ふぅ⋮⋮何とか助かったわね﹂
﹁そうだな﹂
そしてそれと時を同じくして、私たちの前に他の地区を警備して
いたヒトたちが現れたのだった。
312
第55話﹁三竦み−11﹂
﹁以上が報告となります﹂
﹁ご苦労。もう下がっていいぞ﹂
﹁はっ!﹂
夜明け前。
マダレム・シーヤ中心部に存在する塔の近くに、その建物は有り、
建物の中には壮年の男性が数人居た。
﹁まさか初日からとはな⋮⋮﹂
﹁まったくだ﹂
ここはマダレム・シーヤ統治の中心、庁舎であり、彼らは各部署
の責任者であった。
そして、彼らが直面している事態の深刻さを表すように、時間が
時間であるにも関わらず、彼らの表情には一分の気の緩みもない。
﹁まあまずは状況を整理しよう﹂
﹁そうだな﹂
彼らはお互いに頷き合うと、先程一人の衛視が持ってきた資料に
目を通し、報告を頭の中で反芻し始める。
﹁まず、衛視二名⋮⋮チャールとデルート。傭兵四名⋮⋮ラグタッ
タ、シーヴォウ、ソフィア、シェルナーシュが街の南西部で不審な
五人組に遭遇。戦闘になった﹂
﹁戦闘はこちら側の優位に進み、このまま行けば五人組の内二人は
捕えられたであろう。と、報告にはあるな﹂
﹁が、その際中に例の事件の犯人と思しき女性が現れ、傭兵ラグタ
ッタと傭兵シーヴォウの二名を殺害。捕えようとしていた男二人も
313
殺された﹂
﹁その後、女性は他の隊が近づいてくる事に勘付いてか、行方をく
らませた。か。概要はこれだけだな﹂
﹁﹁﹁ううむ⋮⋮﹂﹂﹂
衛視が挙げてきた報告に、男性たちは思わずと言った様子で唸り
声を上げる。
何故彼らはそのような声を上げたのか。
それは、挙げられてきた報告の中に、幾つもの見過ごすわけには
行かない情報が含まれていたからだ。
﹁とりあえず、不審な五人組についてはマダレム・エーネミに存在
する魔法使いの流派﹃闇の刃﹄の構成員として見ていいだろう﹂
﹁だろうな。本人たちがそう口を滑らしているし、闇円盤の魔法も
灯り喰いの魔法も、奴らが使う物だ﹂
﹁服装や装備品についても、過去に捕えた連中と類似点が見られる
な﹂
﹁なによりも、夜の闇の中でも昼間とまるで変わりなく、しかも組
織だって活動出来るのは奴らぐらいだ。間違いないと見ていいだろ
う﹂
﹁目的については⋮⋮まあ、報告書通り傭兵ソフィアと傭兵シェル
ナーシュの魔法技術だろう。新たな魔法技術と言うのは、どこの組
織にとっても喉から手が出るほどに欲しいはずだ﹂
まず一つ目の情報。
ソフィアたちが遭遇した不審な五人組については、彼らの知識か
ら直ぐに結論が出た。
実際、﹃闇の刃﹄がマダレム・エーネミと協力する形で、各地の
魔法使いの流派から魔法の技術を得ようとしていると言う情報は、
彼らの耳にも届いていたし、その情報を裏付けるような動きも彼ら
はそれぞれの手管でもって察していた。
314
﹁推定だが、傭兵ソフィアは身体強化の魔法。傭兵シェルナーシュ
は隠密性に優れる攻撃魔法か﹂
﹁具体的にどうやって傭兵シェルナーシュが相手の命を奪ったかは
まだ分かっていないが、衛視二人の報告によれば、何かを飛ばした
ような様子はなかったそうだ﹂
﹁死んだ男の身体にも目立った傷は無し⋮⋮か。どういう魔法か分
からないと言うのは恐ろしいな﹂
﹁魔法の詳細については⋮⋮まあ、当然と言えば当然か。誰にも教
える気はないらしい﹂
﹁しかしそれでも万が一に備えて対策は考えねばな﹂
﹁それは彼らに任せればいいだろう。我々は魔法使いではない﹂
﹁それもそうか﹂
二つ目の情報はソフィアとシェルナーシュが使った魔法について。
特にシェルナーシュが使った魔法は、彼らの関心を大きく買って
いた。
が、ソフィアとシェルナーシュの二人にとっては幸いな事に、彼
らには二人の保有する魔法について無理矢理聞き出すつもりはなか
った。
それは彼らの流儀に反すると言う事もあったが、ソフィアとシェ
ルナーシュの二人、引いては彼女らの背後に存在するであろう魔法
使いの組織の怒りに触れ、今後有り得るかもしれないその組織との
協力の可能性の芽を潰したり、無闇な争いを引き起こさない為でも
あった。
実際にはそんな組織は存在しないので、彼らの心配は杞憂だった
のだが。
尤も、ソフィアたちの魔法は妖魔として感覚的に行使している魔
法なので、教えようと思っても、他人に使い方を教えられるような
ものでは無かったりするのだが。
﹁残る問題は⋮⋮例の事件の犯人と思しき女性とやらか。どう思う
315
?﹂
﹁今日の事件だけを見れば、﹃闇の刃﹄の始末人⋮⋮任務を失敗し
たものを処罰するための人員とも思えるが⋮⋮﹂
﹁まあ、﹃闇の刃﹄とは関係ないだろうな。夜目については魔法無
しでも何とかなるかもしれないが、地面から建物の屋上まで、素の
脚力だけで一足飛びに飛べるような人は居ない﹂
﹁ああそう言えば、身体強化魔法を連中は持っていなかったな。そ
の点だけでも奴らと関わりが無いことは確定か﹂
﹁派手に戦っている点からして、傭兵ソフィアたちと繋がっていて、
自演をしたと言うのも考えづらいな﹂
﹁となると残る問題はコイツの背後に何処の流派が居るかだが⋮⋮﹂
﹁マダレム・セントールの﹃獣の牙﹄は有り得るか?身体強化魔法
は奴らの十八番だろう﹂
﹁いや、それだと先日の事件を何故起こしたのかと言う話になって
しまう﹂
﹁ふうむ⋮⋮逆に誰も付いていないかもしれんな。あんな事件を起
こすような輩だ。誰も背後に付きたいとは思わないだろう﹂
﹁つまりは流れの魔法使いか。それも確かにありそうではあるな﹂
﹁いずれにしても、犯人を捕まえてみなければ、正体を掴む事は出
来なさそうだな。あまりにも候補が多すぎる﹂
﹁そうだな。まずはどうにかして捕まえる事。それが先決だ﹂
﹁同意する﹂
﹁では、その方針で行くとしよう﹂
﹁そうだな﹂
三つ目の情報はソフィアが戦った少女の情報。
ただこちらについてはあまりにも情報が少なかった。
そのため、男たちは話を先送りにする以外に選択肢はなかった。
真実はもっと恐ろしい物であったにも関わらず。
316
第55話﹁三竦み−11﹂︵後書き︶
彼らも無能ではない。無能ではないが⋮⋮
317
第56話﹁三竦み−12﹂
﹁おはよう。マスター﹂
﹁おはようと言うより、こんにちはと言うべき時間帯だがな﹂
次の日。
私は昼前に目を覚ますと、身なりを整え、﹃クランカの宿﹄の一
階に降りる。
﹁仕方がないでしょう。昨日は夜の巡回を仕事にしていたんだから﹂
﹁おまけに﹃闇の刃﹄と例の事件の犯人に遭遇だったか。まあ、疲
れるのも当然か﹂
﹁個人的には戦闘よりも、その後の取り調べの方が面倒だったけど
ね⋮⋮﹂
﹁まあ、命が有っただけマシだったと思うこったな﹂
で、マスターに愚痴を吐きつつ、私はカウンター席の一つに腰掛
けると、その場で項垂れ、カウンターの上にだらりと体を伸ばす。
うん、本当に昨日は大変だった。
基本的に事実しか話していないけど、それでもバレたら何かと拙
い事柄が私には有ったし。
それでも、取り調べをしたマダレム・シーヤ側の衛視が良い人だ
ったから、乗り切れたけど。
なにせ、魔法を使っているとしか思えない筋力で戦っている以上、
その辺りについて無理やり口を割らせると言う展開もあり得たわけ
だし。
私の見た目上、妙な事を考えない阿呆が居ないとも限らないし。
そうなったら妖魔だと言う事がバレないようにするためにも、大
暴れする他なかったし。
うん、本当に無事に乗り切れてよかった。
318
﹁ま、そう思っておくわ。と言うわけで、適当に朝ごはんよろしく
ー﹂
﹁朝じゃなくてもう昼だけどな﹂
﹁どっちでもいいわー﹂
﹁もう一人の分は用意しておくか?﹂
﹁んー、シェルナーシュはもう少し寝ていると言っていたから、用
意しなくていいと思う﹂
﹁そうか﹂
さて、昨日の事はそれぐらいにしておくとして、とりあえずは今
日の朝食と言う名の昼食を摂るとしよう。
と言うわけで、私はマスターが用意してくれた食事をゆっくりと
食べ始める。
うん、昼に備えて作られたであろう焼き立てのパンが美味しい。
﹁それで、今晩はまた巡回に入るのか?﹂
﹁モグモグ、それは分からないわね。今日これからの予定の結果次
第の面もあるもの。そうでなくとも、色々とやらないと拙そうな事
柄も出来ているし、場合によっては宿を出る事も考えないと拙いの
よねぇ⋮⋮﹂
﹁宿を出る⋮⋮ねぇ。﹃闇の刃﹄関係か?﹂
﹁そう言う事。ま、その辺りは日暮れ前までにシェルナーシュと相
談した上で決めるわ﹂
﹁荒事になりそうだったら、素直に衛視を呼んでおけよ。傭兵連中
も追加報酬目当てに集まるだろうしな﹂
﹁そうね。考えておくわ。御馳走様でしたっと﹂
で、無事に食事は食べ終わる。
それで今日の予定は⋮⋮例の少女との会合、昨日遭遇した﹃闇の
刃﹄対策、後は今後の行動方針について考える⋮⋮かな。
例の少女については会ってみて、協力体制を結べないのなら始末
319
しないといけないし、協力体制を結べるのなら何故あんな事件を起
こしたのかを訊かないといけない。
﹃闇の刃﹄については、昨日の昼から私とシェルナーシュの二人
を見張っていた以上、上へ報告していないと言う事は考えづらいし、
﹃クランカの宿﹄も把握しているだろうから、彼らが諦めたと判断
出来るまでは何かしらの対策が必要だろう。
今後の行動方針については⋮⋮ちょっと考えている事が有る。
正直に言って、あまり気乗りはしないのだけど。
﹁お、いらっしゃい﹂
﹁ん?﹂
と、ここで宿の中に一人の少女が入ってくる。
背は私より低く、髪は黒で短く切り揃えられており、目は赤い。
服装は頭にベレー帽を被っているが、他の部分については普通の
ヒトが身に着けているような服だ。
﹁何にす⋮⋮﹂
﹁マスター。彼女は私の客よ。ごめんなさいね﹂
で、その顔は⋮⋮昨日の夜に遭遇した例の少女のものであり、多
少不機嫌そうな顔を浮かべていた。
﹁⋮⋮。人の店を待ち合わせ場所に使うなら、事前に教えておいて
くれ﹂
﹁ごめんなさいね。本当に来るか分からなかったから﹂
私は席から立ち上がるとマスターに多少のお金を渡す。
そして、少女に手と視線だけでついてくるように指示をする。
﹁分かった﹂
そうして私と少女は、シェルナーシュが今も寝ている部屋へと向
かった。
320
−−−−−−−−−−−−−−
﹁ふわっ⋮⋮ソフィアに⋮⋮昨日の奴か﹂
﹁ええそうよ。さ、早く入って﹂
﹁うん﹂
部屋の中では眠たそうにしているシェルナーシュが干し肉を齧っ
ていた。
どうやらまだ頭が覚め切っていないらしい。
まあ、それは別にいい。
私は少女を部屋の中に招き入れると、部屋の扉をしっかりと閉め、
部屋の周囲に隠れているヒトが居ないかや、宿の外からこちらを窺
っているヒトが居ないかを調べる。
で、十分に調べて、安全が確保できたところで、私は適当な場所
に腰掛ける。
﹁さて、まずは自己紹介と行きましょうか。私はソフィア。蛇の妖
魔よ﹂
﹁小生はシェルナーシュ。蛞蝓の妖魔だ﹂
私とシェルナーシュは少女に対してそう言い、反応を窺う。
﹁ふーん⋮⋮﹂
うーん、私に対してはどうにも嫌そうな顔を向けているが、シェ
ルナーシュに対しては特にそう言う表情はしていない。
ふうむ?
これはもしかしなくてもそう言う事かもしれない。
﹁それで貴女は?﹂
321
私が一つの予想を立てつつ、少女に自己紹介をするように促す。
﹁アタシ?アタシはトーコ。蛙の妖魔だよ﹂
そして少女が名乗ったのは、私の予想通りと言ってもいいものだ
った。
322
第56話﹁三竦み−12﹂︵後書き︶
三竦み揃いました
323
第57話﹁三竦み−13﹂
﹁ふうん、蛙ねぇ⋮⋮﹂
﹁蛙か⋮⋮﹂
﹁うっ⋮⋮﹂
少女改めトーコの名乗りに私は目を細め、見つめる。
するとトーコは一瞬身を強張らせ、凄く嫌そうな顔を私の方へと
向ける。
シェルナーシュ
トーコ
だがまあそれも当然の事だろう。
﹁蛙って意外とおいしいのよね﹂
私
﹁ひいっ!?﹂
蛇が蛞蝓を苦手とするように、蛙も蛇を苦手とするのだ。
その苦手さはただ食べられてしまうからと言うレベルでは済まず、
今そうなっている様に睨み付けるだけで身を強張らせ、動けなくな
ってしまうほどである。
﹁シ、シエルん!ソフィアんが凄く怖いんだけど!?何とかして!
?お願い!﹂
﹁いや、いきなりそんな事言われても、小生も困るんだが⋮⋮﹂
﹁冗談よ冗談。そもそも妖魔は死んだら魔石になるんだから、食べ
られないじゃない﹂
﹁そ、そうだけど⋮⋮﹂
ちなみに蛞蝓は蛇には強いが、蛙には弱い。
これは普通に食べられてしまうだけでなく、蛞蝓ではどう足掻い
ても蛙からは逃げられないからだろう。
うん、見事な三竦みが成立している。
324
﹁それはそれとして、今のソフィアんてのは?後シエルんてのも﹂
﹁へ?普通に二人の愛称だけど?﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
で、トーコだけど、やはり少々頭が緩いと言うか、ヒトの常識の
ようなものが欠けているのかもしれない。
なにせ愛称だと言うのなら、私の場合はソフィーかソフィが妥当
であるし、シェルナーシュの場合はシエルだろう。
少なくとも妙な﹁ん﹂は付かない。
まあ敢えて気にしないでおくか。
﹁じゃあついでにもう一つ。なんであんな事件を貴女は起こしたの
?﹂
﹁事件?﹂
﹁一昨日の夜の話よ。あれは貴女の仕業でしょう?﹂
﹁あー、あれか﹂
トーコの何の話だと言う顔に、私の頭の中では一瞬もう一匹私た
ちと同じレベルの妖魔が居るのかとか、もしくは流れの魔法使いが
犯人だったのか、と嫌な考えが色々とよぎるが、直後に何かを思い
出したようなトーコの表情に私はほっとする。
うん、本当に良かった。
これで例の事件の犯人がまた別人だったら、この上なく面倒な事
になっているところだった。
冗談抜きに良かった⋮⋮。
﹁で、事件を起こした理由は?﹂
﹁あれはね。血抜きを試してみたかったの﹂
﹁血抜き?﹂
で、トーコが事件を起こした理由だが⋮⋮私には少々理解しがた
い理由だった。
と言うのも、トーコは以前ほどよく焼けたヒトの肉と言うものを
325
偶然口にする機会が有ったそうだ。
で、その時に食べた肉の味に感動。
どうにかしてもう一度同じぐらいに美味しいお肉を食べられない
かと考え、色々と試してみる事にしたらしい。
そして、そうやって色々と試す過程で、ヒトの行う料理と言う技
術を知り、そのヒトの技術に従えば美味しく肉の調理をする前には、
下処理として血抜きと言う行為が必要になることを知ったそうだ。
でまあ、その結果が一昨日の事件であったらしい。
﹁血抜き一つでそんなに変わる物なのか﹂
﹁んー⋮⋮個人的には食べられればそれでいいと私は思っているか
らなぁ⋮⋮ヒト相手だと基本丸呑みだし﹂
ちなみに私は小型の動物相手の血抜きなら出来るが、ヒトを含め
た大型の生物の血抜きとなると流石にやり方は分からない。
更に言えば、私の食べ方は蛇らしく相手を丸呑みにする方法なの
で、血抜きと言うものをそもそも必要としないと言うか、血抜きを
した方がたぶん美味しくなくなる。
﹁それにしても⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
ただまあ、あの事件を起こした動機以上に私がドン引きするのは
⋮⋮。
﹁それでね。それでね。この前食べた適切に血抜きをしたお肉に塩
を振って程よく焼いたお肉なんて、一口口に含んだだけで⋮⋮﹂
﹁よくもまあ、周りの事が見えなくなる程に、一つの事に熱心にな
れるわよねぇ⋮⋮﹂
その事を語るトーコの様子だった。
何と言うか、恋する乙女としか評しようのない嬉々とした様子で
もって、自分が今までに食べたヒトが作った料理と、ヒトで作って
326
みた料理について語るのだ。
いやもう本当にね。
適当な料理を店主に造らせてから、その店主も同じように調理し
て食うとか、趣味が悪いにも程が有るでしょうが。
﹁⋮⋮。貴様がそれを言うのか﹂
﹁ん?どういう事?﹂
﹁いや、何でもない﹂
と、シェルナーシュが凄く不満そうな顔で私の方を見ているが、
一体どういう事だろうか?
私にはそんな目で見られる覚えなどないのだが。
﹁それよりもだ。ソフィア、貴様はこれからどうするつもりだ?﹂
﹁そうねぇ⋮⋮﹂
とりあえずシェルナーシュが話題を変えたので、私も素直にそれ
に従う事とする。
﹁とりあえず現状では特に特別な目標は無いのよねぇ⋮⋮やるべき
ことはあるけど。まあ、その目標を見つけたら、そっちを最優先ね。
トーコは?﹂
﹁アタシはもっと料理の技術を磨きたいかな。まだまだ学ぶべき事
が沢山あるみたいだし。シエルんは?﹂
﹁小生は魔法について知りたいな。昨日の連中との攻防だけでも、
世の中には小生が知らない魔法が数限りなくある事は確信できたし、
小生としては一つでも多くの魔法を使いこなし、ゆくゆくはその深
奥に到達したいと思っている。ふふふ、たった一つの魔法だけで千
のヒトを薙ぎ払い、天候を変え、大地を揺らすことなどが出来れば
実に⋮⋮﹂
が、うん。駄目だ。
327
﹁うわぁ⋮⋮﹂
﹁思わぬところで本性を見た気分ね﹂
方向性は違うが、シェルナーシュもトーコと同じだ。
これと決めた一つの事柄に対しては、周りが見えなくなるぐらい
全力投球だ。
﹁でも、こうなると、私ってばとても健全ね。ネリーを食べる為に
街一つ落としたし、今でも時々思い出してはエクスタシーを感じて
いるけど、これは妖魔として普通の事だもの﹂
﹁えっ、なにそれ怖い﹂
﹁そんな普通があって堪るか﹂
と言うわけで、私が一番マトモだと言おうとしたら⋮⋮なんか二
人から理解できないと言う表情をされた。
ああうん、まあ、別に理解されなくてもいいわ。
ネリーの可愛さ、美味しさは私だけが知っていればいいんだし。
﹁それよりも、二人がこれからしたい事がそう言う事なら、私から
一つ提案が有るわ﹂
﹁何?﹂
﹁何だ?﹂
とりあえずこの話題についてはこの辺りにしておこう。
今私が話すべき事はただ一つ。
﹁魔法使いの流派、﹃闇の刃﹄を潰しましょう﹂
全員の希望を叶えられる提案とその理由についてだ。
328
第57話﹁三竦み−13﹂︵後書き︶
サブカ﹁ふぐおぅ!?突然腹が痛くなってきたぞ!?﹂
329
第58話﹁三竦み−14﹂
﹁﹃闇の刃﹄と言うと⋮⋮昨日の連中か﹂
﹁あー、あのあんまり美味しくなかった連中﹂
私の言葉に、二人は相手の顔を思い浮かべる事は出来ても、どう
してそんな事をするのかという点については納得がいっていないよ
うだった。
と言うわけで、彼らについても、どうして潰すのかについても、
しっかりと説明をする事にしよう。
﹁ええそうよ。昨日襲ってきた連中。連中は﹃闇の刃﹄と言う名前
の流派の魔法使いで、所属はマダレム・エーネミ。いえ、所属と言
うよりはマダレム・エーネミを裏側から牛耳っていると言った方が
正しいかしらね﹂
﹁牛耳っている?﹂
﹁その話はとりあえず置いておくわ。先に言った方が良い話もある
から﹂
﹁ふむ、分かった﹂
よし、とりあえずシェルナーシュは食いついてきた。
が、まずは出すべき情報を出してしまうとしよう。
その方が確実に釣れる。 ﹁で、彼ら﹃闇の刃﹄が使う魔法だけど、独自に発見した魔法だけ
でなく、他の魔法使いの流派から盗み取ったり、共同開発したりし
ナイトサイト グロウイーター
たものも含めて、かなりの種類の魔法を使うらしいわ。で、その中
でも特に有名なのが暗視と灯り喰いの魔法ね。聞くところによれば、
﹃闇の刃﹄では暗視の魔法が使えて、初めて一人前と認められるら
しいわ﹂
330
﹁ほう⋮⋮﹂
うん、もうシェルナーシュは大丈夫だ。
さっきの魔法について語っていた時のように、何かのスイッチが
入っている。
﹁それでその暗視の魔法だけど⋮⋮これは個人的な意見になるけど、
私は暗視の魔法は非常に危険な物だと考えているわ﹂
﹁どういう事?﹂
よし、トーコも疑問を持つ形だけど、食い付いて来た。
﹁暗視の魔法は夜の闇の中でも、昼の光の中と同じように活動でき
るようにする魔法よ。だから当然、暗視の魔法を使う者たちは夜の
闇の中でも別に灯りを用意する必要が無い﹂
﹁ふむふむ?﹂
﹁考えてみなさい。夜の闇の中で灯りをつけているヒトと灯りをつ
けていないヒト。どちらの方が見つけやすいかを。そして襲うにあ
たって、どちらの方が簡単に仕留められるかを﹂
﹁あー、そう言う事かぁ⋮⋮確かに拙いね﹂
うん、トーコもこれで完全に乗ってきた。
これなら、後は私がきちんと説明すれば大丈夫だろう。
﹁そう、ヒトの使う灯りは、夜の闇の中で獣を遠ざけると同時に、
私たち妖魔にとっては非常に都合のいい目印になってくれるもの。
そして、ヒトを襲う時、真っ先に灯りを潰す事が出来れば、後はマ
トモに視界が利かないヒトだけが残り⋮⋮容易く潰す事が出来る様
になる﹂
﹁だが、ヒトが暗視の魔法を使っていれば、その優位性は覆される。
いや、それどころか灯りが無くなった時点で油断した奴は返り討ち
に遭う⋮⋮か﹂
﹁そう言えば、昨日のアイツ等はソフィアんとシエルんにあっさり
331
と殺されてたね﹂
さて、それで何故暗視の魔法が危険かだが⋮⋮簡単に言ってしま
えば夜の闇が私たちの独壇場でなくなってしまうからだ。
そして、自分の独壇場だと思っていたのに、実際は対等な立場だ
った。
そうなった時に、油断した側が受ける被害は昨日の﹃闇の刃﹄の
連中が証明してくれていると言える。
﹁だがそれで何故﹃闇の刃﹄を潰す事に繋がる?奴らが持っている
と小生たちが分かっているのなら、何の問題も無いだろう?﹂
﹁そうね。問題は無かったわ。暗視の魔法が私たちの能力のように、
他のヒトが使えない力ならね﹂
﹁?﹂
だが本当に拙いのは此処からだ。
﹁言ったでしょう。﹃闇の刃﹄で一人前だと認められるのは暗視の
魔法が使えるようになってから。つまり、きちんと修練を積めば、
他のヒトにも使えると言う事であり、時が経てば経つほど、より多
くのヒトが暗視の魔法を使えるようになっていくと言う事でもある
のよ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁おまけに暗視の魔法の使い方そのものはただの知識でしかないの
に、﹃闇の刃﹄は様々な方面から怨みを買っている。正直、何時﹃
闇の刃﹄の外に漏れるかなんて分かったものじゃないわ﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
しかもその有用性は言わずもがなの次元。
妖魔の事を抜きにしても、使えるヒトを増やさない手はない。
﹁これで分かったでしょう。﹃闇の刃﹄を潰したいと言った理由が﹂
﹁先々の事を考えてという事か﹂
332
﹁確かにこのまま放置しておくと拙そうだねー﹂
シェルナーシュとトーコは既に﹃闇の刃﹄は潰さなければならな
いと考えている顔をしている。
うん、どうやら無事に理解を得る事が出来たらしい。
﹁そう言う事よ。まあ、潰すついでに二人のやりたい事もやれるし
ね﹂
が、実を言えば二人にはちょっと謝っておくべき事が有る。
実を言えば、﹃闇の刃﹄を潰したところで、暗視の魔法そのもの
がこの世から無くなるわけでは無いのだ。
さっきも言ったように暗視の魔法そのものはただの知識だ。
知識である以上は、仮にその知識が完全に失われても、同じよう
な知識が再発見される可能性は十分にある。
暗視の魔法程の有用性を有するものなら、尚更だろう。
が、それでも﹃闇の刃﹄は潰しておくべきだろう。
﹁それに、暗視の魔法の事が無くても﹃闇の刃﹄に対しては何かし
らの手を打っておいた方がいいと思うわよ﹂
﹁ん?﹂
﹁あー⋮⋮﹂
私は窓の外へと指を向ける。
その先に居るのは、私たちの居るこの部屋の様子を窺っている二
人組の男。
﹁どうにもまだ連中は私とシェルナーシュの魔法を狙っているみた
いだから﹂
つまりは﹃闇の刃﹄の仲間と思しきヒトだった。
333
第59話﹁三竦み−15﹂
﹁さて、いい感じの月夜ね﹂
夜、私とトーコはシェルナーシュを部屋に残すと、本来の服装に
着替えた上でこっそりと﹃クランカの宿﹄の屋根上に上がっていた。
﹁適度に雲が出ていて、視界が悪いから良い天気なの?﹂
﹁ええそうよ﹂
ちなみに私本来の服装を見たトーコの第一声は﹃ソフィアんの胸
が縮んだ!?﹄だった。
着替えるところを見せなかったとはいえ、正直突っ込みどころが
違うだろうと私もシェルナーシュも思った。
思ったが⋮⋮面白いので、敢えて突っ込まずにおき、普段は本来
の服を入れて誤魔化していたと素直に言っておく。
トーコの頭の緩さは今に始まった事じゃないし。
﹁やっぱり月が出ているとそれだけ明るくはなるのよ。だから、松
明と魔法、どちらをヒトが頼っているにしても、月が無い方が私た
ちにとっては有利なのよ﹂
﹁まあ、それはそうだよね﹂
なお、トーコの方はヒトの服の下に本来の服を身に着けていたの
で、昼の内に買い与えておいた複数の武器を持てるように多少調整
すれば、それで準備は終わりだった。
うん、簡単に服を着替えられると言うのは実に楽そうだ。
﹁で、やっぱり多いね﹂
さて、トーコの事はこれぐらいにしておくとして、そろそろ周囲
の状況を正確に把握しておくとしよう。
334
﹁まあ、私とシェルナーシュが狙われているのは明確だもの。マト
モな為政者なら密な警備を置いておくし、マスターだって対策をし
ないわけにはいかないわよ﹂
現在﹃クランカの宿﹄の周囲には複数の明かりが灯っており、そ
れらの明かりは数個の明かりを一塊として、塊ごとにゆっくりと少
しずつ移動を続けている。
そして、﹃クランカの宿﹄の一階部分にも灯りが灯っており、マ
スターが雇った複数人の傭兵が詰めている。
彼らの目的は言うまでもない。
私とシェルナーシュの二人を狙っている﹃闇の刃﹄を捕える為だ。
つまり⋮⋮
﹁そんな事してくれなくていいのに﹂
﹁諦めなさい。彼らはどちらかと言えば善意で動いているんだから﹂
﹃闇の刃﹄についての情報を得たい私たちにとってはただの邪魔
者である。
しかも邪魔者だからと言って無闇に殺すのもどうかと思わせるヒ
トたちである。
なお、シェルナーシュが部屋に留まっているのは、身体能力の問
題もあるが、それ以上に彼らが何かしらの用事でもって私たちの部
屋を訪ねた際に誤魔化してもらうためでもある。
以前キノクレオさんから私が貰った紙で文字の練習をすると言っ
ていたから、今晩はずっと起きているつもりだろうしね。
﹁まあいいわ。﹃闇の刃﹄も彼らに見つからないように動いてくれ
ているだろうし、彼らを逆利用させてもらう事にしましょう﹂
さて、それで肝心の﹃闇の刃﹄の連中だが⋮⋮居た。
細い路地の中を数人の男が灯りも付けずに、周囲を警戒しながら
歩いている。
335
﹁あれがそうなの?﹂
﹁ええ、そうでしょうね﹂
数は⋮⋮八人か。
ちょっと多いかもしれない。
﹁でも、どう見ても魔法使いじゃなくて野盗の格好をしているヒト
が居るんだけど﹂
﹁傭兵崩れを雇ったんでしょうね。私たちを浚うついでに﹃クラン
カの宿﹄にある金目の物を奪うつもりなら、それを報酬に引き込め
るでしょうし﹂
﹁夜目については?﹂
﹁暗視の魔法が自分以外にも掛けられる魔法なら、何の問題も無い
わ﹂
﹁なるほど﹂
見た目から判断する限りでは、傭兵崩れが六人に魔法使いが二人
か。
尤も、傭兵崩れに偽装した魔法使いと言う可能性も捨てきれず、
見た目がみすぼらしくても油断は出来ないと言うのが本当の所だけ
ど。
なにせアスクレオさんがそうだったように、杖のような分かり易
い物に魔石を填め込まず、指輪や短剣の柄と言ったように、一件そ
うとは分からない所に魔石を仕込んで、相手の不意を衝くように魔
法を使うヒトだっているわけだし。
﹁それでトーコ。分かっているわよね﹂
さて、相手の姿を確認できたところで、しっかりと今回の行動の
目標を確認しておくとしよう。
﹁分かってる分かってる。最低でも魔法使いを一人は生け捕りにし
336
て、ソフィアんが丸呑みにするんでしょう﹂
﹁ええそうよ。そうすれば、幾らかの記憶を奪う事が出来るわ﹂
今回の目的は私たちにちょっかいをかけてくる﹃闇の刃﹄を始末
する事。
それと同時に、﹃闇の刃﹄に関する各種情報を奪う事である。
勿論、誰にも私たちの仕業だと知られないように⋮⋮だ。
﹁うーん、良い能力だなぁ。アタシも相手を丸呑みに出来るような
口が欲しかった﹂
で、その為に相手を生きたまま丸呑みにする事によって、記憶を
奪えると言う私の能力を使う。
この能力を用いれば、食べた相手の状態や地位にもよるが、少な
くない量の情報を得られるだろう。
そしてその中には当然、﹃闇の刃﹄やマダレム・エーネミの実情
や拠点、使う魔法についての情報も含まれているはずである。
これらの情報が判明すれば⋮⋮﹃闇の刃﹄を潰すために必要な手
も見えてくるはずである。
﹁こればかりは変わり者の妖魔の欠点としか言う他ないわね﹂
﹁だねー﹂
なお、蛙の妖魔と言う獲物の丸呑みが出来そうな種族であるにも
関わらず、トーコが得物を丸呑みに出来ないのは、ヒトに近い外見
の分だけ、口の構造もヒトに近いからである。
もしかしたら、トーコがヒトを調理して食べるのは、その辺りの
事情もあるのかもしれない。
﹁さて、そろそろ行きましょうか﹂
﹁うん﹂
さて、﹃闇の刃﹄の連中は﹃クランカの宿﹄を襲うために、ノコ
ノコとこちらへと近づいてきている。
337
が、宿が襲われれば騒ぎになり、私が﹃闇の刃﹄の魔法使いを丸
呑みにする機会も失われるだろう。
だから私たちは、彼らが﹃クランカの宿﹄に近づきすぎる前に始
末を付ける必要が有る。
﹁静かな祭りを始めましょう﹂
そして私たちは屋根の上を移動し始めた。
338
第59話﹁三竦み−15﹂︵後書き︶
トーコは気づいていません
339
第60話﹁三竦み−16﹂
﹁へへへ、目標の二人以外は俺たちの自由にしていいか﹂
﹁くくく、たまんねえなぁ⋮⋮﹂
﹁ひひひ、今から楽しみで仕方がないぜ﹂
暗い夜道を灯りもつけずに進んでいく男たちは、小声でそんな事
を話しつつも、慣れた様子で周囲に自分たち以外のヒトが居ないか
を探り、もしも誰かに見られたら、その人物を即座に消せるように
自分の得物に手をかけていた。
そんな彼ら⋮⋮ただの傭兵崩れに夜の闇を恐れる様子が無いのは、
今の彼らの目には周囲の光景が昼間とさほど変わらないように見え
ているからだろう。
うん、彼らの様子だけ見ても、暗視の魔法の厄介さが良く分かる。
﹁どれだけの稼ぎになるかねぇ⋮⋮﹂
﹁あれだけの大きさの宿だ。たっぷり溜め込んでいるはずだぜぇ﹂
﹁金も、酒も、肉もなぁ⋮⋮ぎひひひひ﹂
ただ彼らは気付いていないのだろう。
自分たちがただの捨て駒でしかないと言う事実に、この襲撃を成
功させて生き延びても、自分たちを雇った二人の魔法使いによって
殺される運命にあると言う事に。
更に言えば、﹃クランカの宿﹄の一階ではマスターが雇った傭兵
たちが酒宴に見せかけて、準備万端で備えていると言う事実にも。
﹁魔法使いは宿の表から来る気は無さそうね﹂
﹁うん、たぶんだけど、宿の一階にヒトが居る事に気づいてる﹂
対する魔法使いたちの様子は実に落ち着いたものだ。
今は歩くのを止め、建物の陰から宿の様子を窺っているが、視線
340
の動きからして目標である私とシェルナーシュが居るはずの部屋も
把握しているようだし、マスターの備えにも気づいている節がある。
尤も、頭上で観察をしている私たちに気づいた様子が無い点から
して、探知の為の魔法を持っているのではなく、単純に昼間調べた
情報から推測しているだけであろうが。
﹁それじゃあそろそろ⋮⋮﹂
﹁行こうか﹂
いずれにしても、彼らが襲撃を実行に移せば騒ぎになる。
と言うわけで、早いところ仕留めてしまう事にしよう。
﹁ふっ﹂
﹁とうっ!﹂
私とトーコは潜んでいた屋根の上から、宙へとその身を躍らせる。
﹁お前たち、そりゃ⋮⋮!?﹂
﹁あぴゃ!?﹂
そして、落下先に居た二人⋮⋮私は男たちを諌めようとした魔法
使いを頭頂から真っ直ぐにハルバードで刺し貫き、トーコは男の一
人の頸部に一本のナイフを深々と突き刺して仕留める。
﹁なっ⋮⋮に⋮⋮ぎゃ⋮⋮﹂
私はハルバードを手放すと、即座に隣に居た魔法使いの首筋に噛
みついて、麻痺毒を注入。
全身の筋肉を弛緩させることによって、自分の意思では身体を動
かせなくさせる。
﹁てっ⋮⋮﹂
﹁だれっ⋮⋮﹂
﹁お前はっ⋮⋮﹂
341
﹁やっ!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
と同時に、トーコが水平方向に跳躍。
すれ違いざまに進行方向上に居た三人の男の首筋をもう一本のナ
イフで切りつけると、男たちの首からは揃って血が噴水のように噴
き上がり、全員がその場で倒れ込む。
﹁助けて⋮⋮ぎゃ!?﹂
﹁ば、化け物だ⋮⋮あがっ!?﹂
そして残り二人の男の内、片方は身体を反転するついでにトーコ
が振るったナイフによって喉を切り裂かれて絶命。
もう一人の男は私が全力⋮⋮より少し弱めの威力で首を蹴り飛ば
す事によって仕留める。
﹁あ⋮⋮ぐ⋮⋮﹂
そしてこの場は麻痺毒によって動けなくなっている魔法使いの小
さな呻き声が聞き取れるほどの静寂に包まれた。
よし、無事に騒がれる事無く仕留める事に成功した。
﹁それじゃあトーコ﹂
﹁分かっているって、私はシェルナーシュへのお土産とお金を回収
しておけばいいんでしょ﹂
﹁ええそうよ﹂
とは言え、何時この場に巡回の衛視たちがやって来るかは分から
ない。
と言うわけで、後の処理は手早くやってしまうに限るだろう。
私はトーコが殺した男たちの懐から金目の物を回収しているのを
横目に確認しつつ、麻痺毒を注入した魔法使いの身ぐるみを剥いで
いく。
で、腹の中で暴れる手段が無い事を確認した所で丸呑みにする。
342
するが⋮⋮
﹁うげぇ⋮⋮クソ不味いわね。歳が多少いっている事と男だってこ
とを差し引いても不味いわ﹂
吐き気を催しそうになる程度には私が食べた魔法使いは不味かっ
た。
それこそ、今まで食べたヒトの中で最も不味いと評しても問題は
ない程に不味かった。
記憶を奪うと言う目的が無ければ、二度と食べたくない程に不味
かった。
あー、口直しに可愛い女の子でも食べたい。
﹁そんなに不味かったの?﹂
﹁汚物を下水で煮詰めて毒草で彩った料理って感じね﹂
﹁うげえ⋮⋮そんなの料理なんて呼ばないでよ﹂
私の表現に、金目の物を一通り奪い、男たちの身体のパーツの一
部を血が漏れないように加工した袋に入れたトーコが凄く嫌そうな
表情をする。
ただ、トーコ。
たぶんだけど、貴女が思っている数倍は不味いからね。
嫌いな相手にすら味わせたいと思えないような味だから、これ以
上詳しくは言わないけど。
﹁でもまあ、﹃闇の刃﹄関係の記憶はきちんと揃っているわ﹂
﹁良かったねーソフィアん﹂
﹁本当よ﹂
ただ幸いな事に、目的である記憶についてはきちんと奪い取る事
が出来ていた。
うん、﹃闇の刃﹄がどういう組織であるのか、使う魔法、構成員、
修行方法、マダレム・エーネミだけでなく、マダレム・セントール
343
とマダレム・シーヤにある拠点の位置まではっきりとしていて、分
からないのは魔石の加工方法ぐらいだ。
これなら十分すぎる成果と言えるだろう。
﹁それじゃあ逃げようか﹂
﹁そうね。そうしましょうか﹂
私たちはその場から立ち去る。
そして、微かな物音に気付いたのか、単純に巡回のルート上だっ
たのかは分からないが、衛視たちが男たちの死体を発見し、大声を
上げる頃には、私とトーコはシェルナーシュが待つ部屋に誰にも気
づかれる事無く帰還していた。
344
第60話﹁三竦み−16﹂︵後書き︶
食事中の皆様申し訳ありませんでした︵今更︶
04/05誤字訂正
345
第61話﹁三竦み−17﹂
﹁それでだ﹂
翌日、私たち三人は午前中にちょっとした用事を済ませると、適
当な食堂に入り、昼食を摂っていた。
﹁ソフィア。さっきの死体を確認する時に、どうしてあんなことを
言ったんだ?﹂
﹁ん?﹂
﹁ああそれ、アタシも気になってた。どうしてあんなことを言った
の?﹂
﹁ふむぐ⋮⋮ゴクン﹂
で、食事の肴として午前中に私たちがやっていた用事⋮⋮昨日の
夜に私とシェルナーシュが殺した男たちの死体を、マダレム・シー
ヤ側の要請でもって確認すると言う作業の際に、私がマダレム・シ
ーヤ側に話した事の内容について、私は二人から問われることとな
った。
﹁ああ、あれね。別に適当な事を言ったわけじゃないわよ﹂
なお、私たち三人がマダレム・シーヤの衛視たちに呼ばれたのは、
昨日の殺しが私たちの仕業だとばれたからでは無い。
所持品から死んだ男たちが﹃闇の刃﹄と雇われた傭兵崩れであり、
ミス ・
彼らが死んでいた場所と状況からして、私たちを浚うべく﹃クラン
ブッチャー
カの宿﹄を襲撃しようとしたところで例の事件の犯人⋮⋮通称女屠
殺屋に殺されたとマダレム・シーヤ側は思っており、女屠殺屋はま
た市井の何処かに潜んでいると彼らは思っている。
で、それ自体は正解なのだが⋮⋮マダレム・シーヤとしては未だ
に正体が分からない女屠殺屋よりも、﹃闇の刃﹄がまだマダレム・
346
シーヤ内に居た事を問題視したらしい。
彼らは、私たちに死んだ男たちの顔を見せ、男たちの顔に見覚え
が無いか、見覚えが有るのならば、何時何処で見たのかを尋ねてき
たのだ。
うん、私たちが狙われている以上、何処かで目を付けられたはず
だと言う考えの下の質問だったのだろう。
﹁私が食べた男の記憶。アレにちょっと脚色を加えて話したのよ﹂
﹁何故そんな事を?﹂
それに対してシェルナーシュとトーコは知らないと答えた。
で、二人がそう答える中、私はただ一人こう答えたのだ。
﹃えーと、マダレム・シーヤに来た日だから二日前⋮⋮だったかし
ら。宿を探している時に、何となく彼らの顔を見た覚えがあります。
たしか、街の南東部の路地裏⋮⋮そう、この辺りだったかしら?ご
めんなさい、ただ通りかかっただけなので、よく覚えていないです﹄
と。
勿論、そう言った通り、私はマダレム・シーヤに来た初日に宿を
探すべく街の南東部にも行っている。
行っているが、男たちには出会っていないし、見かけてもいない。
では、何故わざわざ良く調べられれば、嘘だと言われかねない事
を言ったのか。
﹁あそこには﹃闇の刃﹄のマダレム・シーヤにおける拠点が有るの
よ﹂
﹁何?それは本当なのか?﹂
﹁へー﹂
それは﹃闇の刃﹄を潰すための第一手として、マダレム・シーヤ
内に存在する﹃闇の刃﹄の拠点を潰しておきたかったからだ。
347
﹁拠点と言っても、構成員が寝泊まりしたり、集めた金品や浚った
ヒトを一時的に置いておくための場所であって、魔石魔法関係の資
料は一切置いていないけどね﹂
﹁なんだ⋮⋮﹂
魔石魔法関係の資料が無いと言う話に、シェルナーシュが見るか
らに残念そうにしているが、それは置いておく。
﹁それでも、彼ら⋮⋮魔法使いの拠点である以上、私たちが直接抑
えようと思えば、相当厳しい事になるわ﹂
﹁だからヒトの手を使ったの?﹂
﹁そ、マダレム・シーヤにとっても連中はウザったかったでしょう
しね﹂
だが、他の都市に置かれている拠点とは言え、魔法使いの拠点で
ある事には変わりない。
表向きはただの民家に思えても、その警備は厳しく、最低でもそ
れなりの魔法使いが一人は常駐しているはずである。
で、そんな所へ私たち三人だけで挑みかかったりしたら、良くて
誰かが討たれるのと引き換え、最悪三人揃って一方的に殺される事
もあるだろう。
﹁しかし、連中の使う魔法は見たかったな⋮⋮﹂
﹁諦めなさい。流れ弾だってあるんだから。それに、私が把握して
いる魔法なら後で教えるって言ったでしょう﹂
﹁それはそうだが⋮⋮﹂
そう、それほどまでに魔法使いと言う存在と正面切って戦うと言
う行為は危険を孕んでいるのだ。
私が食べた男も、他の魔法使いが保有している魔法を完全に把握
しているわけでは無かったし、いざ戦いとなった際に何が出てくる
か分からない以上、私たちが直接矢面に立つと言う危険を冒すべき
348
ではないのだ。
﹁モグモグ⋮⋮ソフィアんソフィアん﹂
﹁何?﹂
﹁もしかしなくても対魔法使いの基本って不意討ちで何もさせない
事?﹂
﹁でしょうね。正直何かをさせる暇を与えた時点で、こっちが不利
になると思っていいわ﹂
で、それでもなお魔法使いと戦わなくてはならない状況になった
場合だが⋮⋮その場合はトーコの言うように、相手の魔法使いに何
もさせないと言うのが重要で理想だろう。
なにせ、世の中にはシェルナーシュの酸性化の魔法のように、文
字通りの一撃必殺になる魔法だってあるのだから。
﹁さて、それじゃあ食事を終えたら、南門からマダレム・シーヤの
外に出ましょうか﹂
﹁で、しばらく南に行ったら迂回して北へ﹂
﹁目指すはマダレム・エーネミか﹂
そうして私たちは食事を堪能し終えると、マダレム・シーヤを後
にしたのだった。
349
第61話﹁三竦み−17﹂︵後書き︶
マダレム・シーヤを滅ぼすと言った覚えはないのです
350
第62話﹁マダレム・エーネミ−1﹂
﹁それでソフィア。結局﹃闇の刃﹄と言うのはどう言う組織なんだ
?﹂
マダレム・エーネミに向かう道中。
森の中、道なき道を勝手知ったる我が家の庭のように進む私たち
三人は、遭遇したヒトを始末しながら進んでいた。
﹁何よ突然藪から棒に﹂
﹁いやなに、聞ける内に聞いておこうと思ってな。街の近くに行っ
てからでは、対応が後手に回る可能性もあるだろう﹂
﹁ああ、それは確かにそうね。じゃあ話せる内に話しておきましょ
うか﹂
で、そんな道中。
トーコが火打石で起こした火で料理をしているために、私とシェ
ルナーシュが暇な状態となったので、私はシェルナーシュに﹃闇の
刃﹄について訊かれる事となった。
﹁そうね⋮⋮とりあえず以前私が言った話では、﹃闇の刃﹄はマダ
レム・エーネミを裏から牛耳っていると言ったわよね﹂
﹁確かにそう言っていたな﹂
﹁あれ間違い。﹃闇の刃﹄は裏から牛耳っているんじゃなくて、マ
ダレム・エーネミの上層部全員が﹃闇の刃﹄の関係者なのよ﹂
﹁は?﹂
と言うわけで、私は﹃闇の刃﹄の魔法使いを食べる事によって得
た﹃闇の刃﹄とマダレム・エーネミに関する情報をシェルナーシュ
に話す事とする。
トーコは⋮⋮料理に集中していて聞いていないかも知れないが、
351
まあ別に良いか。
﹁言っておくけど、この情報はあくまでも私が食べた魔法使いの主
観に基づく情報だってことを忘れないで聞いてね﹂
﹁分かった﹂
勿論前置きはきちんとしておくが。
﹁まず、マダレム・エーネミには他の多くの都市国家と同じように
複数人の長老が居るわ。で、その下に各部署のトップが居て、マダ
レム・エーネミと言う都市を動かしているの﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁で、その複数人の長老なんだけど⋮⋮七人中四人は﹃闇の刃﹄の
構成員で、﹃闇の刃﹄内でも立場がある人物。そして、残りの三人
も﹃闇の刃﹄から犯罪行為を見逃す代わりに金を受け取っていたり、
戦いにおいて優先的に﹃闇の刃﹄の構成員を融通してもらったりと、
一蓮托生と言っていい関係性を結んでいるのよ﹂
﹁なるほど⋮⋮﹂
まあ、実際問題として、一つの都市に拠点を置いている組織であ
るのならば、所属している都市の上層部と何かしらの繋がりが有る
のは当然だと言える。
と言うか、魔法と言う使える人間と魔石の数さえ揃えれば、同じ
数の傭兵よりも遥かに強力な武器を扱える魔法使いの流派と、都市
の上層部との間に繋がりが存在しなかったら、間違いなく洒落にな
らないレベルの諍いが生じる。
なので、シェルナーシュが私の言葉に納得したように、マダレム・
エーネミの都市の上層部に居るヒトが全員﹃闇の刃﹄と関わりがあ
っても何もおかしくはない。
﹁問題は﹃闇の刃﹄の構成員が普段やっている事ね﹂
﹁それは小生も聞いたな。自分たちに従わない者に対する暴力や殺
352
人、他の都市に所属する者に対する誘拐、強盗、脅迫、その他諸々
だったか﹂
﹁ええそうよ。これらの行為は他の都市国家でもそうであるように、
マダレム・エーネミでも本来は禁じられ、犯罪行為だとされている。
けれど、﹃闇の刃﹄は上層部との繋がりを利用して、堂々とこれら
の犯罪行為をしている⋮⋮いいえ、むしろ上層部が積極的に推し進
めているようにも感じるわね﹂
実際、マダレム・エーネミの長老の指揮の下、都市を正常化しよ
うとした他の長老を暗殺すると言う行為を、私が食べた魔法使いは
何度か記憶しているので、私の考えはそこまで間違ってはいないだ
ろう。
﹁ソフィアんソフィアん﹂
﹁何?トーコ﹂
と、ここで何処かからか取り出した鍋に水と具材を入れ、火にか
け始めたトーコが私の名前を呼んだので、そちらの方を向く。
﹁そんな事をして、マダレム・エーネミって言う都市は保つの?﹂
で、トーコが出してきた質問の答えだが⋮⋮。
﹁ぶっちゃけ放置していても、もう数年したら周囲の都市を巻き込
みながら滅びるでしょうね﹂
﹁えっ!?﹂
﹁まあそうだろうなぁ⋮⋮﹂
ぶっちゃけ私が何もしなくても、マダレム・エーネミは滅びると
思う。
私が食べた魔法使いはそんな事はないと思っていたようだが、男
の記憶を冷静に検証した私から言わせてもらうならば数年以内にマ
ダレム・エーネミは崩壊する。
353
﹁ただ、自然崩壊だと色々と困るのよねぇ﹂
﹁まあ、そちらについてもそうだろうなぁ⋮⋮﹂
﹁あ、やば、沸いて来たし、集中しなきゃ﹂
再び料理に集中し始めたトーコはさて置いて、マダレム・エーネ
ミが自然崩壊した場合にどうなるかを考えた私は、シェルナーシュ
と一緒に溜息を吐く。
﹁滅びる前に周囲の都市に戦いを仕掛け、食料と魔石、金を始めと
して、各種物資を奪おうとする⋮⋮か﹂
﹁そしてその際には無駄に多くのヒトが死ぬと共に、﹃闇の刃﹄が
保有している魔法についての情報が色んな場所へと流れて行くでし
ょうねぇ⋮⋮﹂
﹁愚かの極みだな﹂
﹁まったくね﹂
現実はそうならないかもしれない。
魔法使いにとって最重要情報である魔石の加工法については、街
が滅びると共にその情報を所持しているヒトと共に消え去るかもし
れない。
マダレム・エーネミがマダレム・セントールとの戦いに負け、全
てが微塵に帰すような破壊活動が行われる可能性だってあるだろう。
が、高い確率で魔石の加工法⋮⋮特に暗視の魔法については流出
するだろうと私は思っている。
と言うか、そもそもとして自然崩壊だと貴重なヒトの命が一体ど
れだけ無駄に失われることになるのやら⋮⋮想像するだけで嫌な気
分になる。
﹁まあ、そんな愚かな事態が発生する前に、マダレム・エーネミの
病巣である﹃闇の刃﹄は消えてなくなる事になるのだけれどね﹂
﹁ほう⋮⋮何か策が有るのだな﹂
﹁ええ、上手くいくかは向こうで調べる必要が有るけどね﹂
354
尤も、マダレム・エーネミを自然崩壊させる気など、私には欠片
も無いのだが。
355
第62話﹁マダレム・エーネミ−1﹂︵後書き︶
貴重なヒトの命︵食料的な意味で︶
04/07誤字訂正
356
第63話﹁マダレム・エーネミ−2﹂
﹁今の内にその計画の内容について聞いても?﹂
﹁モグモグ⋮⋮うーん⋮⋮﹂
トーコが何か唸りながら食事をしているが、気にしても仕方が無
いので置いておく。
今はシェルナーシュの質問に答えるとしよう。
﹁そうね⋮⋮概要と根拠程度なら話しておいてもいいかしら﹂
﹁分かった﹂
と言っても、まだ細かいところは何一つ決まっていないので、話
せるのは計画の概要とそれが何故有効なのかという根拠ぐらいのも
のだが。
﹁まず計画の概要として、第一にマダレム・エーネミに潜入と情報
収集。これが出来ないとどうしようもないわ﹂
﹁まあそうだろうな。小生たちはたった三人だ。単純に外から仕掛
けてもやれることはたかが知れている﹂
﹁うーん、何が悪いのかなぁ⋮⋮﹂
第一段階は潜入と情報収集。
潜入の具体的な手法については現物を見てから考えるが、まあ夜
陰に乗じて忍び込むか、適当に服装を着替えて誤魔化すかと言った
ところだろう。
ああいや、夜陰に乗じるのは厳しいか。
一体どこに暗視の魔法を使っている﹃闇の刃﹄の魔法使いが居る
か分かったものでは無いのだし。
﹁素材は別に悪くないよねぇ⋮⋮となるとやっぱり捌き方とか、調
357
理の仕方とかが悪いのかなぁ⋮⋮﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
トーコの呟きは無視する。
﹁で、第二段階としては、﹃闇の刃﹄に大規模な内輪もめを起こす
の﹂
﹁内輪もめ?﹂
﹁内乱と言った方が正しいかもしれないけどね﹂
﹁要するにマダレム・エーネミと言う都市の中で、ヒト同士で潰し
合わせる⋮⋮か﹂
﹁まあそう言う事ね﹂
第二段階は内乱の扇動。
さっきシェルナーシュが言ったように私たちは三人だ。
﹃闇の刃﹄を潰そうと思っても、数が絶対的に足りない。
が、マダレム・ダーイ襲撃の際にやったように妖魔を集めるのは、
色々と厳しいと言うか、よろしくない。
と言うわけで、その点はヒト同士を争わせることによって、その
数を補うつもりである。
本音を言えば、ヒト同士を争わせるなんて勿体無い真似はしたく
ないんだけどね。
﹁で、第三段階として、﹃闇の刃﹄の構成員の中でも、魔石を加工
する技術を有するヒトを殲滅し、加工法が記された書物も全て破棄
するわ﹂
﹁魔石を加工する技術を持つヒトと本だけでいいのか?﹂
﹁問題ないわ。どうにも﹃闇の刃﹄⋮⋮いえ、ヒトが使う魔法は基
本的に魔石を消耗品としているようなの。だから、魔石を加工する
ヒトが居なくなり、その技術を記録したものも失われれば、後は魔
石を消耗する一方になり、いずれその魔法は失われることになるわ﹂
﹁なるほど﹂
358
第三段階は目的の達成。
つまりは魔石を加工できるヒトを殺し、加工法を記した記録を破
壊する。
ちなみに先程普通の妖魔を使うわけには行かないと言ったのは、
集めるのが面倒というのもあるが、普通の妖魔だと魔法使い相手に
殺されて、﹃闇の刃﹄が保有している魔石の数を増やしてしまうか
らというのもある。
加工できるヒトが自分の手元に居なくなっても、魔石は資金源と
して活用できるわけだし。
﹁最後に第四段階で脱出。勿論私たちが関わった事を知っているヒ
トが居るなら、軒並み始末してから⋮⋮ね﹂
﹁ふむ﹂
第四段階は脱出。
まあ、これの内容についてはそのままだ。
用が済んだなら、妙な事になる前に脱出してしまった方がいい。
﹁なるほど。計画の概要は分かった。が、そんな簡単に同じ組織に
属するヒトが仲違いするものなのか?それが上手くいかなければ、
この計画は成り立たないぞ?﹂
﹁それは私も分かっているわ。ただ、私が食べた魔法使いの記憶が
正確なら、相手や手口を選べば可能よ﹂
﹁ふむ?﹂
さて、ここからは私の計画の根拠についてだ。
﹁うーん、要反省だね﹂
なお、トーコについては出した時と同じ様に調理道具を何処かへ
としまっているが、今は無視しておいて、何処にしまっているのか
については後で尋ねる事にする。
359
﹁さっきも言ったように、マダレム・エーネミには七人の長が居て、
四人は﹃闇の刃﹄の構成員、三人は繋がりが有るだけのヒト。そし
て、都市の運営には関わっていないけれど、﹃闇の刃﹄の運営上重
要なヒトもその七人以外に二人ほど居るの﹂
﹁ほう⋮⋮つまり、その九人が実質的にマダレム・エーネミの支配
者と言う事か﹂
﹁そうよ。そしてその九人は、幾つかの派閥に別れていて、それぞ
れの派閥はとても仲が悪いの﹂
﹁同じ﹃闇の刃﹄なのにか?﹂
﹁同じ﹃闇の刃﹄⋮⋮だからでしょうね﹂
で、この計画の根拠についてだが、私が食べた﹃闇の刃﹄の魔法
使いの記憶に多くを基づいている。
そして、ヒトの感情に基づく計画であるが故に、今シェルナーシ
ュは困惑の表情を浮かべているのだろう。
同じ組織に属するヒト同士の仲が何故悪いのか、何故協力できな
いのかと。
まあ、理解できなくとも仕方がない。
私だって理解は出来ても、納得はできないのだから。
﹁簡単に言ってしまえば、彼らは誰が一番偉くて、力を持っている
のかを競い合っているのよ﹂
﹁どうしてそんな事を?﹂
﹁より多くの富を集めるため。より多くの力を得るため。より多く
のヒトを従えるため。ま、いずれにしても私たちには理解しがたい
理由ね﹂
﹁?﹂
﹁シェルナーシュは理解しなくても大丈夫よ。誰を狙うかは私が考
えるから﹂
﹁助かる﹂
ああ本当に、本当に彼らの仲が悪い理由はくだらない。
360
溜め込むだけの富に意味なんてないのに、扱えない量の力なんて
厄介なだけなのに、把握できない数のヒトなんて危険でしかないの
に、死ねばどれも意味なんて無いのに、それらを自分の手で生み出
そうと考えず、他人から奪う事によって増やそうとするだなんて⋮
⋮本当にくだらない。
﹁ま、詳しい事は向こうに着く少し前から考えましょう。今はまだ
考えても仕方がないわ﹂
﹁分かった﹂
ヒトから奪うのは妖魔の仕事なのだから、仕事を取らないでほし
い物だ。
361
第64話﹁マダレム・エーネミ−3﹂
﹁御馳走様でした﹂
﹁さて⋮⋮﹂
さて、これで計画の概要については話し終わった。
と言うわけで、今まで無視していた事柄について意識を向けると
しよう。
﹁トーコ。貴女は一体どこからその鍋を⋮⋮﹂
﹁ん?何?ソフィアん﹂
私はトーコの方を向き、トーコに料理の為に取り出した調理用具
を何処から出したのかを尋ねようとする。
が、私の目の前で、包丁やまな板と言った調理用具と、小型の器
にスプーンと言った食器類を入れた鉄製の鍋が跡形もなく消え去る。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁いや、だからどうしたの?ソフィアん。それにシエルんも﹂
確かにそこに有ったはずの物が、前触れも無く消え去る。
そんな有り得ない光景に、私もシェルナーシュも絶句する他なか
った。
﹁⋮⋮。トーコ。本気で尋ねるわ。今、貴女は鍋を何処にどうやっ
て消したのかしら?﹂
私は自分の頬が若干ヒク付いている事を感じながらも、出来る限
り平静を保ち続ける様に努力をしつつ、トーコに尋ねるべき質問を
言う。
﹁んー⋮⋮何処って言われても⋮⋮よく分からないかな?﹂
362
だが、そんな私の質問に対して、トーコは多少悩んだ様子は見せ
たが、明確な答えは返してくれなかった。
いや、と言うかよく分からないって⋮⋮よく分からないって⋮⋮。
﹁そんな顔されても分からないものは分からないんだって、アタシ
も感覚的に使っているだけなんだし﹂
そう言うとトーコは腕を一振りする。
すると、ただそれだけの動作で、トーコの目の前に先程消えたば
かりの鍋とその中身が現れる。
うーん、うーん、これはもしかしなくてもそう言う事なのかしら?
﹁魔法⋮⋮なのかしらね?﹂
﹁まあ、一番有り得るのはそれだろうなぁ⋮⋮もしくは、そう言う
能力だ﹂
﹁そうなるわよねぇ﹂
どうやら私と同じ結論にシェルナーシュも至ったらしい。
まあ、実際問題として、目の前のそれはトーコの魔法もしくは能
力と考えておくのが一番妥当と言うか、納得がいくと思う。
しかし、そうなると⋮⋮うん、幾つかトーコに聞いておくべき事
が有る。
﹁トーコ。貴女自身の認識として、それは魔法?それとも能力?﹂
﹁んー、能力かな。アタシは魔法って言うものの使い方が良く分か
らないし。たぶんだけど、ソフィアんが獲物を丸呑み出来るのと同
じじゃないかな?﹂
﹁なるほど﹂
まずトーコ自身の認識は能力と。
で、トーコの指摘で気づいたが、確かに私が獲物を丸呑みに出来
るのも、この能力に似ていると言われれば似ているかもしれない。
なにせトーコの能力のようなものが無ければ、普通のヒトと同じ
363
体格である私が、自分と同じ大きさの物を呑み込めるわけがないの
だから。
﹁まあ私は呑み込むだけで、取り出す事なんて出来ないけどね﹂
﹁そう言えばそうだね﹂
ただ相違点もある。
トーコは出し入れが自由であるようだが、私は呑み込むだけだ。
いやまあ、吐けば出せるのかもしれないが、そんな真似はしたく
ない。
﹁じゃあ次。どれぐらいの物を入れられるの?﹂
﹁んー、この鍋に入る物ぐらいかな。あ、でも生物は無理だよ﹂
﹁なるほど﹂
入る物は生物を除いた、鍋に入るサイズの物だけ⋮⋮か。
鍋のサイズがトーコの顔よりちょっと大きいサイズなので、それ
ほど多くの物は入らないと見た方がいいかな。
それでも表だって持ち運ぶわけにはいかない物品を、バレる心配
をせずに自由に持ち運べると言うのは、色々と便利だろう。
﹁ん?これは⋮⋮トーコ。この能力は生まれつきの物か?﹂
﹁んー、どうだったかな?ちょっと覚えていないかも﹂
﹁では、鍋や食器の類は何処で手に入れた?﹂
﹁鍋は一人で旅をしている頃に、襲ったヒトがたまたま持っていた
の。食器類も色んな家でヒトを食べるついでに手に入れた感じかな
?﹂
﹁なるほど﹂
と、ここで鍋をじっくりと観察しているシェルナーシュが質問を
挟んでくる。
ふむ?鍋や食器類の出元が何故気になるのだろうか?
364
﹁恐らくこの鍋もソフィアのハルバードと一緒だな﹂
﹁は?﹂
﹁どういう事?﹂
トーコの鍋が私のハルバードと同じ?
一体どういう事だろうか。
﹁見てみろ。鍋の裏側にソフィアのハルバードに刻まれているのと
同じ紋章がうっすらと入っている﹂
﹁あ、本当だ﹂
﹁確かに⋮⋮って、トーコ。貴女、自分の物なのに気づいてなかっ
たの?﹂
﹁うん、知らなかった。と言うか、こんな薄いの気付かないって﹂
﹁まあ小生も気付いたのは偶々だがな﹂
シェルナーシュに促されて、トーコの鍋の裏側を見た私は、そこ
に確かに私のハルバードに刻まれている紋章⋮⋮六脚、六翼、六角
の細長い生物を描いたような紋章が刻まれているのを確認する。
﹁だがこれで自由に出し入れできるのはトーコの能力では無く、こ
の鍋自体の性質の可能性も出てきたな。いやまあ、その性質を扱え
るのはトーコだけなら、結局はトーコの能力なのかもしれないが﹂
﹁そうなの?﹂
﹁ああ、ソフィアのハルバードも常識外に頑丈だからな。あの強度
はどう考えてもただの金属製の武器では有り得ない﹂
﹁あー、確かに私のハルバードは異常に頑丈ではあるわね﹂
自由に出し入れできる鍋に、絶対に壊れないハルバード。
確かにどちらも普通では有り得ない物か。
でも鍋にもハルバードにも魔石らしき物が使われている気配はな
い。
うん、本当に不思議で有り得ない。
で、その二つには同じ紋章が刻まれている。
365
それはつまり、この二つの道具の作者は同じか、近しい存在と言
う事になるが⋮⋮。
﹁で、結局はどういう事なの?﹂
﹁こういう謎の物品を作れるヒトがいると言う事だな。現状それ以
上の情報は出しようがない﹂
結局、ヒトの側に謎の技術の保有者が居ると言う事が分かっただ
けか。
﹁まあ今後、同じ紋章が刻まれている物品を見かけたら回収してお
くべきだろうな。それもまた妙な力を持っている可能性もある﹂
﹁それはそうでしょうね﹂
﹁りょうかーい﹂
ま、それが分かっただけでも、まだマシか。
今はそう思っておくほかない。
﹁ブツブツ︵しかし、虚空⋮⋮いや、謎の空間に物品を収納する技
術か⋮⋮今後の事を考えれば、小生もどうにかして使えるようにな
っておくべきだな。となると⋮⋮︶﹂
なお、シェルナーシュはトーコの鍋から妙な影響を受けたらしく、
その日から暇を見ては何かに悩んでいる様子を見せ始めた。
366
第64話﹁マダレム・エーネミ−3﹂︵後書き︶
出し入れ自由な鍋。ただそれだけです。
367
第65話﹁マダレム・エーネミ−4﹂
﹁さて、ようやく着いたわね﹂
マダレム・シーヤを旅立ってから数日後の夜。
私たちはようやく目的の場所近くにまでやって来ていた。
﹁やっぱり広い河だねぇ﹂
﹁そうだな。これを渡るのは大変そうだ﹂
目の前に流れる大きな河は、アムプル山脈から流れ出て、マダレ
ム・エーネミ、マダレム・セントールの両都市の傍を流れる河で、
その名をベノマー河と言う。
ああいや、エーネミとセントールの傍を流れると言うか、その二
都市がベノマー河に沿うように作られたと言う方が正しいか。
なお、河の表面上は水が流れているのかも分からない程に緩やか
な流れだが、表層のすぐ下からはそれなりに流れは速くなっている。
まあ、泳ぐのに支障がない程度には水温もあるし、河の生物や妖
魔を気にする必要のない私たちなら、手持ちの荷物と川辺の衛視た
ちにだけ注意すれば、問題なく渡れるだろう。
﹁で、向こう岸にはマダレム・エーネミがある。と﹂
で、そんなベノマー河の向こう岸にはマダレム・エーネミが灯り
一つ灯さず、静かに聳え立っている。
勿論、これは普通の都市国家では有り得ないが、マダレム・エー
ネミに限って言えば、これは決しておかしなことではない。
﹁普通の衛視にも暗視の魔法を使っているみたいだね﹂
﹁こうして組織的に使われているのを見ると、暗視の魔法の厄介さ
が良く分かるわね﹂
368
﹁灯りの有無で敵の位置や探索範囲を探る事が出来ないわけだしな﹂
そう、暗視の魔法だ。
﹃闇の刃﹄の魔法使いが、マダレム・エーネミの四方を囲む城壁
の上で警備をしている衛視たちに暗視の魔法をかける事によって、
灯りを灯す必要が無くなっているから、灯りが一切灯っていないの
だ。
正直、暗視の魔法の効果時間や魔石の加工、衛視一人一人に魔法
をかける手間などを考えたら、普通に松明を灯すのよりも面倒な気
がしなくともないのだが、こうして都市全体のレベルで運用されて
いるのを見ると、やはり暗視の魔法は脅威と言う他ない。
うん、絶対に潰すべきだ。
﹁それで、どうやって忍び込むつもりだ?﹂
﹁そうねぇ⋮⋮﹂
さて、暗視の魔法への感想はここまでにしておくとして、マダレ
ム・エーネミの構造や警備状況について目を向けてみるとしよう。
﹁んー⋮⋮﹂
まずマダレム・エーネミの四方は、ベノマー河の氾濫に備えてな
のか多少の盛り土をされていて、その上に高い城壁が築かれている。
で、この距離からでは正確な数や装備は分からないが、城壁の上
では複数のヒトが動いているのが私の目には見えている。
城壁の材質は石で、厚みも十分にあることから、私たち三人だけ
ではどうやっても破れないだろうし、門についても他の場所より多
くの衛視が割かれているため、強行突破と言うのは難しいだろう。
それで、河の行き来に用いられるのか、河沿いの城壁に造られた
門からは桟橋が幾つも伸びており、桟橋には大小様々な船が泊めら
れている。
﹁とりあえず今日の所は様子を見ておきましょう。情報が足りなさ
369
すぎるわ﹂
﹁分かった﹂
﹁了解っと﹂
総評すると、やはり夜陰に乗じて侵入することは難しい。
そう言う他ない構造と警備状況だった。
と言うわけで、私が持っている情報が、マダレム・シーヤの拠点
にそれなりに長い間滞在していた﹃闇の刃﹄の魔法使いのものであ
るという事もあるので、今夜の内に河を渡って潜入する事は諦める
事にした。
−−−−−−−−−−−−−−−−
で、翌日。
﹁さて、動き出したわね﹂
﹁そのようだな﹂
私たちはベノマー河近くの森の中に身を潜め、マダレム・エーネ
ミの方から馬車を乗せた船がこちら側に複数やってくるのを見てい
た。
今日の目的は?
都市内部に潜入するための情報収集だ。
と言うわけで、マダレム・エーネミから出てきたヒトを狙い、私
が生きたまま丸呑みにする事によって、情報を奪い取る。
そのために、私たちは待っていた。
手ごろな人数の護衛を付けたヒトの集団を。
﹁あの馬車が良いんじゃない?﹂
﹁護衛役三人に御者が一人か﹂
370
﹁いえ、馬車の中にもう一人居るわ。たぶん、﹃闇の刃﹄の魔法使
いね﹂
やがて、こちら側の川岸に着いた馬車たちは、それぞれの目的に
従って方々に向かい始める。
そして、そんな馬車の中から、私たちは一つの馬車に目を付ける。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
その馬車は東の方へと向かっていく馬車で、護衛の傭兵と思しき
ヒトが外に三人、馬を操る御者が一人、それに熱源しか確認できな
いが、馬車の中に杖を持っている魔法使いらしきヒトが一人居た。
うん、まず間違いなく馬車の中に居るのは﹃闇の刃﹄の魔法使い
だ。
﹁魔法使いを動けなくして、食べるわ﹂
﹁分かった。じゃあ、他のは私とシエルんでやっちゃうね﹂
﹁そうだな。そうするとしよう﹂
都市内部の情報を一番多く持っているであろうヒトは?
当然、﹃闇の刃﹄の魔法使いだろう。
と言うわけで、私はそちらに専念し、他の四人はトーコとシェル
ナーシュに任せる。
﹁それじゃ⋮⋮﹂
方針も決まったところで、私たちは音も無く木の上を移動してい
き、馬車の上を取れるような位置へと眼下のヒトに気づかれる事無
く辿り着く。
﹁いきましょうか﹂
﹁うん﹂
﹁分かった﹂
そして私たちは、眼下の馬車と護衛たちへと襲い掛かった。
371
第66話﹁マダレム・エーネミ−5﹂
﹁ぷはぁ⋮⋮あー、こいつ等が酒を積んでいてよかったわ﹂
襲撃の結果は?
魔法使いは問題なく確保し、丸呑みにした。
味は相変わらず最悪だったが、馬車の中に有ったワインで口直し
も出来た。
﹁どうしてそんなに不味いんだろうね?アタシの食べた二人はそこ
まで不味くはなかったし﹂
﹁さあな。妙な物でも身体の中に入っていたんじゃないか?﹂
他の四人についても、トーコとシェルナーシュが問題なく処理し
た。
馬は手綱を切って逃がしたし、馬車についても森の中に移動させ
た。
これでしばらくの間、見つかる事はないだろう。
﹁とりあえず、今後私は記憶回収が必要じゃない限りは、﹃闇の刃﹄
の魔法使いは食べないでおくわ。腹を満たしたいだけなのに、吐き
気を催すような物なんて食べたくないもの﹂
﹁それでいいんじゃない。アタシたちは普通に食べれるしね﹂
﹁好きにすると良い。で、目的の記憶は?﹂
﹁大丈夫よ﹂
で、私が食べた魔法使いから、今後の為に必要な記憶は無事に奪
えているので、襲撃の目的も無事に達成できている。
なお、﹃闇の刃﹄の魔法使いを私が不味く感じる理由については、
何となくではあるが既に気づいている。
気づいているが、その原因の影響は蛇の妖魔である私にしか影響
372
しない物なので、二人には話さなくても問題ないだろう。
﹁じゃ、得た記憶と今後どうするかについて話すわね﹂
﹁分かった﹂
﹁うん﹂
そうして私は今回丸呑みにした魔法使いから得た記憶の内から、
まずは今後の計画に関係ある部分⋮⋮つまり都市内部の状況や警備
状態の実態、それと以前食べた魔法使いの記憶には無かった魔法に
ついての情報を話す。
で、それらの情報を話した結果⋮⋮。
﹁本当にマダレム・エーネミの連中の行動は理解に苦しむな﹂
﹁獲物が限られているならともかく、そうじゃないのにどうして仲
良く出来ないんだろうね﹂
﹁少しでも自分の取り分を多くしたいんじゃない?この辺りは普通
の妖魔もそうよ﹂
シェルナーシュもトーコもかなり渋そうな表情をしていた。
まあ、マダレム・エーネミの中が冷静に考えて崩壊一歩手前な状
況になっているなんて話をしたら、こういう顔もしたくなるのかも
しれないが。
とりあえずマダレム・エーネミと﹃闇の刃﹄上層部に居る連中の
自制心は普通の妖魔より多少賢い程度ね。
これは間違いないわ。
﹁ま、私たちにとっては好都合よ。中に入れれば、簡単に仲違いさ
せて騒乱を引き起こせるし、多少ヒトが消えた所で騒ぎにもならな
いもの﹂
私は自信に満ちた笑みでもって二人にそう言うと、二人もその点
については同じ気持ちなのか、軽く頷いてくれる。
373
﹁それで、どうやって中に入る?いや、そもそもとしてどうやって
怪しまれずにマダレム・エーネミに近づく?﹂
﹁接近方法については、偽装を施した上で、夜の内に河を泳いで渡
るわ﹂
それで今後の計画についてだが。
まず私たちとマダレム・エーネミの間に流れるベノマー河につい
ては、夜の間に泳いで渡る事にする。
勿論、相手に暗視の魔法が有る事を理解した上でだ。
﹁暗視の魔法がかかっている衛視はそんなに多くないから⋮⋮だね﹂
﹁ええそうよ﹂
何故そんな真似を出来るのか。
実を言えば、暗視の魔法をかける手間を惜しんでか、夜間警備の
衛視全員に暗視の魔法が掛けられるのは新月の夜のみで、それ以外
の日は確認役とでも言うべき一部の衛視にしか暗視の魔法は掛けら
れていないのだ。
つまり、人影や船の影が堂々とマダレム・エーネミに接近してく
るのであればともかく、ヒトの頭を一回り程大きくした程度の丸い
物体が川を流れる様に近づいてくる程度では、暗視の魔法がかかっ
ていない衛視たちが私たちの事を怪しむ事はない。
加えて、そもそもとしてベノマー河には水棲の妖魔が多数生息し
ているため、泳いで渡ると言う発想自体がヒトの側には存在してい
ないため、よほど疑り深い相手でもなければ、暗視の魔法込みでも
遠目には枝葉の塊にしか見えない物体を上に報告したりはしないだ
ろう。
﹁で、中に入る方法については、都市の構造を利用させてもらうわ﹂
﹁都市の構造を?﹂
では、無事にマダレム・エーネミに接近出来たらどうするのか。
当然、門を叩いて正面から入るような真似はしない。
374
そんな真似をすれば、マダレム・エーネミの現状だと、例え昼間
に正規のルートで入ろうとしても、多くの面倒事を引き起こす事に
なるからだ。
だから裏⋮⋮他の都市のヒトも、普通の妖魔も使えない道からこ
っそりと入らせてもらう。
﹁ええ、あの桟橋の下。そこに面白い物が有るはずなの﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
対岸の桟橋の方を向きながら発する私の言葉に二人が笑みを深め
る。
どうやら、具体的な話をしなくても、私が有ると言えば信じてく
れる程度には、私は二人から信頼されているらしい。
うん、良かった。
実を言えば、このルートは二人の協力が前提の物なんだよね。
だから、二人が居ないと話にならなかったりするんだよ。
口には出さないけど。
﹁さて、そう言うわけだから、早いところ準備をしちゃいましょう
か﹂
﹁そうだね。あ、荷物はどうしよっか?﹂
﹁トーコの鍋に入らないものは置いていくしかないな﹂
﹁そうね。頭の上に乗せておく余裕なんてないでしょうし、普通の
ヒトの服とかは中で回収すれば十分でしょう﹂
﹁分かった。じゃあそうするね﹂
そうして私たちはマダレム・エーネミに潜入するための準備を整
え始める。
そしてその中で私は本来の服装の方が作業をしやすいと考え、今
まで着ていた服を脱いだ。
375
﹁!?﹂
﹁あ﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
と同時にトーコがフリーズした。
376
第66話﹁マダレム・エーネミ−5﹂︵後書き︶
フリーズ原因は⋮⋮本小説のタグを参照ですな
377
第67話﹁マダレム・エーネミ−6﹂
﹁さて、後半分と言う所ね﹂
夜。
私たち三人は頭の上に枝葉で作った帽子を被ると、出来る限り水
音を立てないように気を付けつつ、マダレム・エーネミ目指して多
少上流からベノマー河を泳いでいた。
﹁衛視たちの様子はどうだ?﹂
﹁んー、今のところ不審な動きはしていないわね。至極暇そうにし
ているわ﹂
﹁まあ、ヒトの側からしてみれば、他の方角はともかくとして河か
ら敵が来るとは思わないか﹂
マダレム・エーネミの衛視たちは、城壁の上で至極暇そうにして
いる。
と言うか、完全に暇を持て余し、談笑し合っている様子が私の目
には見えている。
うん、侵入する側としてはありがたいが、正直それでいいのかと
思う。
﹁で、トーコは?﹂
﹁聞けば分かるだろう﹂
で、トーコについてだが⋮⋮
﹁ソフィアんが男⋮⋮女装しているだけの男⋮⋮﹂
﹁まだショックを受けているのね⋮⋮﹂
﹁そのようだ﹂
準備中に服を脱いだ私の股間を見て、ようやく私が男だと気づい
378
たらしく、その事で偉くショックを受けているようだった。
別に私は言わなかっただけで、騙していたわけじゃないんだけど
ねぇ。
﹁シエルんも男⋮⋮半分だけど男だった⋮⋮﹂
﹁シェルナーシュは気づいていたのよね﹂
﹁その通りだ﹂
なお、実を言えばシェルナーシュも見た目通りの性別では無く、
その事には私も少々驚かされた。
うん、シェルナーシュは外見上は明らかに女性であり、胸も膨ら
んでいるのだが、その股間には男性特有のものがしっかりと生えて
いたのだ。
つまりシェルナーシュは両性具有の存在だったと言う事である。
﹁小生も似たような物だしな﹂
﹁まあ、確かに似たものではあるわね﹂
﹁ううう⋮⋮女三人だと思っていたら、女一人半とか酷いよう⋮⋮﹂
ちなみにシェルナーシュ曰く、蛞蝓の妖魔は基本的に両性具有だ
そうだ。
んー、蛞蝓の妖魔の特徴として両性具有があると言う事は、蛞蝓
と言う生物そのものが両性具有と考えた方が良いのかもしれない。
面倒だし、わざわざ調べる気なんてないけど。
﹁さて、距離も近くなってきたし、そろそろ潜りましょうか﹂
﹁そうだな。そうするとしよう﹂
﹁なんかやけ食いとかしたい⋮⋮﹂
さて、そうやって小声で話をしている間にも、マダレム・エーネ
ミは近づいて来ており、城壁の上に居る衛視たちの姿もだいぶはっ
きりと普通の目で捉えられるようになってきている。
なので、流石にこれ以上このまま接近すると、偽装を施している
379
とは言え、マダレム・エーネミの衛視たちに怪しまれることになる
だろう。
﹁じゃっ、行くわよ。すぅ⋮⋮﹂
﹁では小生も﹂
﹁うえっ!?ちょっ、二人とも待って!?﹂
と言うわけで、私たちは水中に沈むことによって枝葉の帽子を脱
ぐと、水面が多少荒れるのも気にせず、そのまま水面下を勢いよく
泳いでいく。
﹁ぷはっ﹂
﹁ふうっ﹂
﹁二人とも酷いよう⋮⋮﹂
そして、桟橋の下にまで辿り着いたところで、呼吸の為に水面上
に顔を出す。
﹁大丈夫⋮⋮そうね﹂
﹁まあ、こんな所を見に来る奴がいるとは思えないしな﹂
﹁ぶー⋮⋮﹂
周囲に人影は?無い。
私たちの頭上には木製の桟橋が架かっているし、左右には桟橋に
繋がれている船によって塞がれているので、何処からか私たちの姿
が見られることも無いだろう。
﹁しっ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ふむぐ⋮⋮﹂
後気になるのは、水音や私たちの声を聞き付けたヒトが近づいて
くるかだが⋮⋮うん、私たちの方へと近づいてくる足音は無い。
これならば、気づかれていないと考えてもいいだろう。
380
﹁よし、大丈夫そうね。じゃあ、このまま桟橋の奥の方へと向かい
ましょう﹂
﹁そうだな。そうするとしよう﹂
﹁まあ、アタシ程水中に慣れていない二人に無駄話をしている余裕
がないのは分かるんけどさー⋮⋮ん?﹂
と言うわけで、私たちの周囲の状況が今のところは安全であるこ
とを確認した所で、私たちはそのまま桟橋の下を静かに移動してい
く。
﹁どうしたの?トーコ﹂
﹁水の流れが変わってる。何処かに引き込まれてるみたい﹂
﹁当たりね。案内して﹂
﹁分かった﹂
そうして移動を続ける中、トーコが水の流れが変わっている場所
⋮⋮つまりはマダレム・エーネミの中に水を引き込むか、マダレム・
エーネミの外に水を排出する事によって生じている流れを感じ取り、
私とシェルナーシュをそちらの方へと誘導し始める。
﹁ここから都市の中に水を引き込んでいるみたい﹂
﹁よくやったわ。トーコ﹂
﹁ふむ。鉄の柵か﹂
やがて私たちの前に見えてきたのは、都市の中へとベノマー河の
水を引き込む水路と、その水路から入り込む者が居ないように立て
られるも、手入れがされていなくて所々が錆びている鉄の柵。
勿論、水路がある場所の上には桟橋が架かっている為、上から私
たちの存在を捉えられることはない。
と言うか、鉄の柵の手入れの状況からして、そもそもとしてここ
に水路があること自体知らない可能性もあるかもしれない。
381
﹁それじゃあ、シェルナーシュ﹂
﹁ああ、任せておけ﹂
まあ別に知らなくてもいいのだろう。
妖魔には鉄の柵を壊す発想が無いし、ヒトには鉄の柵を壊す力が
無いのだから。
それに警戒をされていないお陰で⋮⋮。
アシドフィケイション
﹁酸性化﹂
シェルナーシュの酸性化の魔法によって鉄の柵の一部を溶かし、
水路の中に入ると言う手法を私たちは取れるのだから。
﹁よし、開いたぞ﹂
﹁それじゃあ行きましょうか。付いて来て﹂
﹁うん﹂
﹁分かった﹂
そして、私を先頭として、私たちは一寸の光も挿さない水路の中
へと入っていった。
382
第67話﹁マダレム・エーネミ−6﹂︵後書き︶
実は男女のバランスが良いPTでした︵白目︶
383
第68話﹁マダレム・エーネミ−7﹂
﹁暗くて何も見えないねぇ⋮⋮﹂
﹁そうだな。小生の目では何も見えん﹂
水路の中には一切の明かりが存在せず、非常に暗かった。
﹁まあ、いざとなれば水の流れに従うか、逆らうかすれば、外には
出れるみたいだけど﹂
﹁尤も、入口も出口も複数用意されているだろうから、何処に出る
か分かった物ではないがな﹂
これは水路の上に蓋をするかのようにマダレム・エーネミの家々
が建造されている為であり、その為に外の光が見えているのは時折
作られている立坑⋮⋮ああいや、都市の住人からすれば井戸か。
とにかく、外の光が見えているのは井戸部分だけであり、その井
戸部分にしても上から降ってくるものを防ぐための屋根が用意され
ているのと、現在の時刻が夜と言う理由でもって、暗視能力を持た
ないものには、井戸部分に出ても明るさでは気付けないようになっ
ていた。
﹁それに水の流れがあると言うが⋮⋮小生にとっては歩きづらい事
この上ないぞ﹂
﹁まあ、ひざ上まで水が来ているもんね﹂
で、水路の広さだが、三人の中で一番背が高い私が立って歩いて
も大丈夫な程度には高さがあり、水量も膝上程度までと豊富である。
うん、これだけの水量が有って、しかも常時新しい水がベノマー
河から流れて来ており、しかも幾つもの水路が絡み合っているとな
ると、井戸に毒を投げ込んだりしても大した効果は上がらないだろ
う。
384
ただし、基本的にヒトが立ち入ることを考慮に入れていないのか、
水路の左右に通路が有ったりはしないし、水面下には色々なもの⋮
⋮恐らくは井戸の中に落とした木桶や、投げ込まれた人の頭蓋骨な
どが転がっている為、足元に注意して歩かないと中々に危険な状態
になっている。
﹁で、ソフィア。貴様はこの暗闇でも見えているんだな﹂
﹁勿論よ﹂
そんな妖魔でも探索することが億劫になりそうなマダレム・エー
ネミ地下水路であるが⋮⋮私にとってはそこまで怯える場所では無
かったりする。
﹁通路の壁もはっきりと見えているし、水面の位置も把握できてい
るわ﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
﹁便利だねー﹂
と言うのも、私の目は温度の違いでもって空気、壁、水面を見分
ける事が出来るし、空気の流れと違いを舌で感じ取れば、どちらの
方向に井戸を始めとする地上部分との繋がりを有する施設があるか
も分かるからだ。
﹁便利ついでに、そろそろどうやって上に上がるかを小生たちに教
えてもらっていいか?上にヒトが居たとは言え、今も井戸を一つ無
視したようだしな﹂
﹁そうね。探しながら説明をした方がいいかもしれないわね﹂
さて、私たちがマダレム・エーネミの地下水路に潜入したのは、
当然マダレム・エーネミの内部に侵入するためである。
ではどうやって地下水路からマダレム・エーネミに移動するのか。
方法は三つほどある。
385
﹁まず一つ目はシェルナーシュの言うとおり、井戸を登る方法ね。
トーコなら一回の跳躍で井戸の上まで上がれるでしょうし、シェル
ナーシュも壁に張り付けばゆっくりだけど登れるわ。私は⋮⋮まあ、
井戸なら釣瓶があるでしょうし、それを使って二人に引き上げて貰
えばいいわね﹂
﹁じゃあどうしてそれをしないの?﹂
﹁家の外に置かれている井戸を登る場合、敵に見つかるリスクがか
なりあるのよ。この都市だと灯りの有無で衛視の接近を気づくのも
危険でしょうしね﹂
﹁ここでも暗視の魔法か⋮⋮本当に厄介だな﹂
方法その一、井戸を登る。
ただしこの方法だと、少なくない確率でマダレム・エーネミの衛
視に発見されると思っている。
この方法を使うのなら、せめて個人の家の中に造られた井戸ぐら
いは見つけておきたい所である。
﹁二つ目は地下水路管理用の施設が何処かにあるはずだから、その
施設から脱出する﹂
﹁そんなのあるの?﹂
﹁あるだろう。と言うか、無いと地下水路に何かしらの異常が発生
した場合、手の打ちようがない﹂
﹁ただこの方法もお勧めは出来ないわね。その施設には確実に管理
人が常駐しているでしょうし﹂
方法その二、専用の昇降施設からの脱出。
ただしこの方法でも、それ相応の騒ぎは起きると思った方がいい。
なにせ誰も居るはずのない地下水路から突然人が現れるのだ、騒
ぎにならない方がおかしい。
まあ、管理人に気づかれずに脱出出来るのであるのならば、この
方法は十分に有りだろう。
386
﹁三つ目は秘密裏に造られた地下水路に降りる為の通路を探し出し、
利用する事。個人的にはこれが一番のオススメね﹂
﹁へ?秘密裏?何でそれならいいの?そもそも、そんなのあるの?﹂
﹁なるほど。確かにそれならば小生たちにとっても都合がいいか﹂
トーコは分かっていないようだが、シェルナーシュはどうやら私
の言いたい事を理解したらしい。
まあ、トーコの為にも、きちんと説明しておくとしよう。
﹁考えてみなさい。この地下水路は都市の外にまで通じているのよ。
いざと言う時の脱出路として使う事だけを考えても、都市の有力者
⋮⋮それも自分だけは何としてでも助かりたいと考えそうなこの都
市の有力者たちなら、確実に作っているわ﹂
﹁当然、そんな通路が存在することは他の有力者には秘密だろうな。
仲が悪いものに位置がバレればどう利用されるか分かったものでは
無い。そして、そう言う代物であるが故に、仮に小生たちが邪魔者
を排除しながら通ったとしても、騒がれることはない。いや、騒げ
ない﹂
﹁勿論、最後の生命線になるものだから、偽装は十分に施されてい
るでしょうし、場合によっては扉じゃなくて簡単に壊せる石の壁で
もって塞いでる可能性もあるけど⋮⋮私の感覚は誤魔化せないわ﹂
﹁えーと⋮⋮つまり?﹂
トーコは未だに十分理解できていないようだが⋮⋮まあ、トーコ
だから仕方がないか。
これ以上は気にしても仕方がない。
と言うわけで、私は自分の感覚が導く通りに歩き続け、やがて一
枚の壁の前でとある匂いを感じ取り、立ち止まる。
﹁この壁の向こうに上に繋がる空間があるわ。しかもかなり美味し
そうなヒトの匂いもするわね﹂
﹁ほう⋮⋮一人か?﹂
387
﹁へぇ⋮⋮一人?﹂
その壁は、普通のヒト⋮⋮いや、普通の妖魔には分からないだろ
うが、他の壁よりも厚みが薄くなっている上に、結合も緩くなって
いて、大型の斧の一撃程度でもって破壊出来るように調整されてい
るようだった。
﹁ええ、一人よ。まあ、相手が魔法使いの可能性もかなりあるから、
油断は禁物でしょうけどね﹂
うん、これならば、私のハルバードでもって地下水路側から破壊
することも出来るだろう。
﹁じゃっ、私が壊して突入するから、一先ずは様子を見て﹂
﹁分かった﹂
﹁うん﹂
私は背中のハルバードを両手で持つと、二人を私が居る場から多
少離す。
﹁すぅ⋮⋮﹂
そして私は狭い水路の中で振りかぶれる限界までハルバードを振
りかぶり⋮⋮
﹁はっ!﹂
狙いを付けた壁に向けて全力でハルバードを叩きつけた。
388
第69話﹁マダレム・エーネミ−8﹂
﹁さて、無事に開いたわね﹂
私は破壊された壁の向こう側にある部屋へと踏み込む。
部屋の中は深い深い闇が広がっているが⋮⋮まあ、私には関係な
い。
部屋全体に高級そうな敷物が敷かれている事も、天蓋付きの高級
そうなベッドが置かれている事も、質の良さそうな壺や大量の書物
が収められた本棚が部屋の隅に置かれている事も私の目ははっきり
と捉えている。
﹁そうね。見事な大穴だわ﹂
勿論、ベッドの上で佇んでいる少女の姿もだ。
﹁それで⋮⋮﹂
私は少女を観察する。
少女はこの闇の中でもはっきりと私の姿を捉えており、こんな場
所にいる為なのか肉付きは良くないが、長く綺麗な髪をベッドの下
まで伸ばし、背筋も真っ直ぐに伸び、その全身は生命力に満ち溢れ
ており、見る者全てを魅了するような美しさを有している。
ただ、身に着けている薄手の粗末なローブはともかくとして、そ
んな少女の美しさを大きく損ねる要素が一点だけある。
﹁貴方たちは何者なの?地下水路の壁を壊して、この部屋に踏み込
むだなんて普通の妖魔には思いつかない事だと思うのだけど﹂
それは少女の首に付けられた金属製の輪と、輪から壁の一点へと
伸びる鎖だ。
ああ本当に勿体無い。
389
こんな不躾な物を、ネリー程ではないけれどこんなに美味しそう
な子に付けるだなんて。
それにしても⋮⋮
﹁こういう状況なら叫び声を上げるのが普通のヒトだと私は思うの
だけれど﹂
﹁だって私は普通じゃないもの﹂
﹁まあ⋮⋮そうみたいね﹂
この状況で叫び声を上げる事も無く、私を普通の妖魔でないと見
極め、しかもまだ地下水路に居るトーコとシェルナーシュの存在を
知覚するだなんて、どうやら目の前の少女は相当特別な存在である
らしい。
いやまあ、こんな場所で首輪に繋がれている時点で普通じゃない
のは確実なわけだけど。
ラミア
﹁それで貴方は何者なの?﹂
﹁私はソフィア。蛇の妖魔よ。で、後ろに居るのが蛞蝓の妖魔であ
るシェルナーシュと、蛙の妖魔であるトーコよ﹂
﹁っつ!?﹂
﹁ソフィアん!?﹂
とりあえず名乗りぐらいはしておこう。
この場で彼女の機嫌を損ねるのはよろしくなさそうだ。
背後でシェルナーシュとトーコが分かりやすく動揺しているが⋮
⋮こちらは後ろの二人に私が掌を向ける事によって、部屋の中に入
らないように動きを制しておく。
﹁で、私たちに名乗らせた以上は、貴女も名乗ってくれるのよね﹂
﹁ええ、勿論﹂
私の問いに少女は鷹揚に頷く。
うん、この動作だけでも、少女に襲い掛かりたくなってしまうぐ
390
らいに魅力が満ち溢れている。
尤も、ネリーと出会った私ならば何の問題も無く耐えられるが。
トーコとシェルナーシュは⋮⋮むしろ怯えているかもしれない。
﹁私の名前はフローライト・インダーク。魔法使いの流派の一つ﹃
闇の刃﹄の首領よ﹂
﹁﹁!?﹂﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
少女⋮⋮フローライトは見る者全てを魅了するような微笑みを浮
かべつつ、私に対してそう名乗る。
ブラックラップ
﹁お嬢様!何が有り⋮⋮﹂
﹁黒帯﹂
﹁っつ!?﹂
﹁で、今慌てて部屋の中に踏み込んできたのが、私の世話をしてく
れている侍女のアブレアよ﹂
そして、暗い部屋の中にランタン一つ持って入ってきた侍女の口
を黒い帯状の何かでもって塞ぎつつ、フローライトはその侍女の名
前も教えてくれる。
﹁むぐっむぐうっ﹂
﹁アブレア。悪いけれど、まずは静かにしてくれる?﹂
﹁シェルナーシュ、トーコ。貴方たちも部屋の中に入ってきなさい
な。灯りが来たから貴方たちも大丈夫でしょう?﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
フローライトの言葉に従ってアブレアが黙ったところで、フロー
ライトの放った黒い帯状の何かが闇の中に消え去る。
それに合わせて、トーコが恐る恐る、シェルナーシュが不機嫌そ
うに部屋の中へと入って来て、妖魔本来の服の機能でもって濡れた
391
服を乾かす。
﹁アブレア。クソ爺どもはなんて?﹂
﹁ケホッ⋮⋮様子を見て来て、何が有ったか報告しろと言っていま
した﹂
﹁その時の様子は?﹂
﹁酷く慌てると同時に怯えてもいました﹂
﹁クスクス、それはとても愉快な事ね。ああ、報告は私が夢見が悪
くて癇癪を起こしたとでも言っておいて﹂
﹁彼女たちの事は報告しなくてよろしいのですね﹂
﹁ええ、しないでおいて。私にとってはその方が都合が良さそうだ
から﹂
﹁分かりました。では、報告に行って参ります﹂
﹁ああそれと、後で壁を修復するための資材を持って来て。結構な
大穴が開いちゃったから﹂
﹁はい。それでは失礼させていただきます﹂
フローライトの指示を受け終ったアブレアが、一度私の方に視線
を向けてから、ランタンを置いて部屋の外へと出ていく。
うん、当然と言えば当然だが、アブレアは私たちの事を警戒して
いるらしい。
フローライトの世話をしていると言うから少々不安だったのだが、
これでちょっと安心出来る。
﹁さて、無視をして悪かったわね。ソフィア﹂
﹁私たちの事を匿ってくれるんでしょう。なら文句は言えないわ﹂
なにせ、今の言葉でフローライトに異常な点⋮⋮妖魔である私た
ちを匿うと言う点が加わってしまったわけだし。
﹁それでソフィア。わざわざ地下水路なんて場所から、この部屋に
入って来た理由は何なのかしら?﹂
392
﹁この部屋に入ってしまったのはただの偶然だけれど、この都市に
来た理由は単純よ﹂
﹁どんな理由?﹂
まあ彼女がどれだけ異常な存在であっても、この場でやるべき事
は単純だ。
﹁﹃闇の刃﹄を滅ぼしにきたの﹂
そう、彼女を籠絡し、私たちの味方とする事だ。
﹁﹁!?﹂﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
そして彼女⋮⋮フローライトは、私の背後で絶句する二人を尻目
に、今までで一番いい笑顔を浮かべて見せた。
393
第69話﹁マダレム・エーネミ−8﹂︵後書き︶
やっと今章のヒロイン登場ですよ
394
第70話﹁マダレム・エーネミ−9﹂
﹁ちょっ!?ソフィアん何言っちゃてるの!?その子﹃闇の刃﹄の
首領を名乗っているんだよ!?それなのに﹃闇の刃﹄を滅ぼしに来
たって言っちゃうとか何考えてるの!?﹂
﹁そうね。トーコって子の言うとおりだと思うわ。真実か否かはと
もかく、目の前の相手が治めている組織を滅ぼしに来ただなんて、
マトモな神経をしているなら間違っても口には出さないわよ﹂
﹁ソフィア。事と次第によっては小生はここで貴様との縁を切らせ
てもらうぞ﹂
私の言葉にトーコは慌てふためき、フローライトは怪訝そうな表
情を浮かべ、シェルナーシュは嫌悪の感情を込めた声を上げる。
うん、予想通りの反応と言えば予想通りの反応だ。
私だって、何の考えも無しに同じような事を口走るヒトに遭遇し
たら、呆れるか、頬を引き攣らせるかはするだろう。
が、二人とも安心して欲しい。
ちゃんと考えあっての事である。
﹁心配しなくても大丈夫よ。もしもフローライトが実務上でも﹃闇
の刃﹄の首領であるなら、とっくの昔にこの部屋は﹃闇の刃﹄の魔
法使いで溢れかえっているし、そもそもフローライトにこんな無骨
な首輪が付いている筈がないもの﹂
﹁あら﹂
﹁へ?﹂
﹁む⋮⋮﹂
と言うわけで、私は自分の首を数度指で叩きながら、大丈夫だと
思った根拠を述べる。
395
﹁おまけに侍女であるはずのアブレアはフローライト以外のヒトの
指示でもってこの部屋を訪れていたようだしね。つまり、フローラ
イトが本当に﹃闇の刃﹄の首領であっても、その権力は奪われてい
ると考えていいわ﹂
﹁ふうん。でも、だからと言って、さっきの発言をしても大丈夫っ
て事にはならないわよ?﹂
﹁大丈夫よ。だってフローライトなら、私が滅ぼしたい﹃闇の刃﹄
と言うのが、さっき自分がクソ爺と呼んだ相手によって治められて
いる﹃闇の刃﹄である事ぐらいは分かるもの。なら、私たちを放置
して、今の﹃闇の刃﹄を破壊するか、引っ掻き回してくれた方が良
いと思うはずよ﹂
﹁初対面の相手に対してよくそんな事を言えるわね⋮⋮違ってたら
どうするのよ﹂
﹁その時は私の首が飛ぶだけ。掛け金としては妥当な所よ﹂
﹁ふふ、大した度胸ね﹂
フローライトは半ば呆れつつも、私の言葉に笑顔で応えてくる。
うん、どうやら危機は脱したらしい。
ちなみに、私が滅ぼしたい﹃闇の刃﹄にフローライトが含まれて
いないとフローライト自身が判断できるのは、フローライトがこの
部屋の外に出る事が出来ず、一般の魔法使いたちには自分の存在自
体碌に知られていない事を理解しているからだ。
と言うか、フローライトの存在が知られているなら、絶対に誰か
が担ぎ上げているはずである。
仮に名目上だけであっても、自分が所属している組織の首領なの
だし。
で、私がこんな情報を知っているのは﹃闇の刃﹄の魔法使いを既
に二人ほど丸呑みにして、フローライトの事を知らないと言う記憶
を奪い取っているからである。
﹁でもそうね。ソフィアの言うとおり、私は﹃闇の刃﹄の首領であ
396
っても、権力は何も持っていない小娘。十年前にクソ爺たちによっ
て殺された先代インダーク⋮⋮﹃闇の刃﹄の首領だった父親の跡を
継いだだけに過ぎないわ﹂
フローライトは自嘲気味にそう言う。
ああうん、そんな悲しそうな表情はしないでほしい。
折角可愛い顔をしているのだし。
ああ後、インダークって何かと思ったら、称号みたいなものだっ
たのね。
﹁けどそれも今日で終わりよ﹂
﹁と言うと?﹂
﹁ソフィア。貴方たちは普段傭兵か何かに扮して、ヒトの中に紛れ
込んでいるんじゃないかしら?﹂
﹁ええその通りよ﹂
フローライトの言葉に私は素直に答える。
そして、それと同時に笑顔も浮かべる。
フローライトが私たちに何を望んでいるのかを理解したがために。
﹁それならソフィア、シェルナーシュ、トーコ。貴方たち三人を雇
わせてもらうわ﹂
﹁﹁!?﹂﹂
﹁ふふっ⋮⋮﹂
ああやっぱり。
シェルナーシュとトーコは驚いているが、私としては予想通りと
言う他ない。
でもそれならだ。
﹁傭兵として、幾つか質問をさせてもらうわ。私たちを雇う目的は
?﹂
傭兵のソフィアとして、きちんと交渉させてもらうとしよう。
397
﹁﹃闇の刃﹄を滅ぼす⋮⋮いえ、出来る事ならマダレム・エーネミ
とマダレム・セントールも滅ぼしたいわ。どちらも私から父と母を
奪った憎い相手だもの﹂
﹁ふうん、なら報酬は?﹂
﹁私の財産と言える物は、この部屋にある物とアブレアぐらいね。
だから、その範囲内にあるものなら貴方たちの自由にしてくれてい
いわ﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
私は部屋の中を一通り見回す。
この部屋の中で私が欲しいもの⋮⋮うん、一つだけあるか。
﹁いいでしょう。私はフローライト⋮⋮貴女に雇われてあげるわ﹂
﹁ソフィアん!?﹂
﹁ソフィア!?﹂
﹁ありがとうソフィア。それで貴方が求める報酬は?﹂
私はフローライトに近づきながら言葉を紡ぐ。
﹁私は貴女自身が報酬として欲しいわね。こうしている今も貴女の
事を食べたくて仕方がないもの﹂
そして、フローライトの頬に手を当て、顔を近づけ、そう言い放
つ。
対するフローライトの返事は?
﹁良いでしょう。事が終わった後なら、私の事はどうしても構わな
いわ。それこそ、生きたまま食べたっていいわ﹂
﹁ありがとう。なら契約成立ね﹂
了承だった。
ああ素晴らしいわ。
ネリー程ではないとはいえ、それでもこんなに美味しそう子を食
398
べられるなんて⋮⋮素敵過ぎて、これだけで百人のヒトを相手にし
ても勝てそうな気がするわ。
気がするだけだから、実際にはやらないけれど。
﹁それでシェルナーシュとトーコはどうするの?﹂
と、ここでフローライトが私の背後に居る二人に声をかける。
そしてフローライトの依頼に対する二人の返事は⋮⋮
﹁んー⋮⋮依頼は受けてもいいけど、報酬はちょっと考えさせて。
今はまだ思いつかないし﹂
﹁いいだろう。依頼は受けてやる。が、小生は前払いとして、この
部屋にある本を。それから﹃闇の刃﹄の拠点を落とした際には連中
が所有していた本も貰うぞ﹂
﹁ふふっ、交渉成立ね﹂
私程乗り気では無さそうだったが、フローライトの依頼を受ける
と言うものだった。
399
第71話﹁堕落都市−1﹂
﹁さて、まずは地理を把握しないとね﹂
﹁だね﹂
翌朝。
私とトーコの二人はアブレアの案内の下、フローライトが閉じ込
められている屋敷から脱出すると、﹃闇の刃﹄の魔法使いがマダレ
ム・エーネミの都市内で身に着けている衣装を多少アレンジしたも
のを着て、マダレム・エーネミの市街へと繰り出していた。
なお、アレンジの内容は適当なボロ布を顔に巻き付ける事によっ
て、顔を隠すと言うものと、ハルバードに布を巻き付けて杖のよう
に見せると言うものである。
うん、顔や武器を見られたら色々と面倒な事態が起きる事は想像
に難くないし、妥当な対策だろう。
﹁じゃ、大通りの方に向かいましょうか﹂
ちなみにシェルナーシュはフローライトと一緒にお留守番である。
フローライトと暗い密室で二人きりだなんて羨ましい。
本当に羨ましい。
シェルナーシュじゃないと出来ない作業が有ったから譲ったけれ
ど、出来る事ならシェルナーシュと私の役目を代わりたかった。
ま、私の役目も私以外には出来ない仕事なのだから、諦めて私の
事前計画とフローライトの指示通り、まずは現状のマダレム・エー
ネミについて調べることとしよう。
﹁よう、調子はどうだい?﹂
﹁ははっ、まあボチボチってところでさぁ﹂
﹁この辺りは普通の街みたいだね﹂
400
﹁見た目上はそうみたいね﹂
さて、マダレム・エーネミの構造だが、門は街の四方にあり、そ
の門から真っ直ぐに伸びる道が大通りである。
で、この大通りだが、ざっと見た限りでは多くのヒトが行き交い、
活発に商売を行っている様に見える。
それこそ他の都市国家と同じようにだ。
﹁見た目上は?﹂
﹁よく見てみなさいな﹂
﹁それで例のブツは?﹂
﹁ありますよ。どうぞどうぞ﹂
﹁ようっ、今月の金は用意できたか?﹂
﹁え、ええ、こちらに﹂
だがしかし、そうして行き交う人々の表情としている事をよく観
察してみれば、この都市の異常性が見えてくる。
とある店では﹃闇の刃﹄の魔法使いと思しき男が店主にお金を渡
して、それと引き換えに怪し気な薬品を受け取っているし、また別
の店ではあくどい笑みを浮かべた﹃闇の刃﹄の魔法使いが、店主か
ら何かしらの硬貨が入った袋を受け取っている。
﹁おう、テメエ誰に断ってここで物を売ってんだ?﹂
﹁バルトーロ様だよ。ああん?文句でもあんのか?﹂
﹁バルトーロ?あんなクズ⋮⋮﹂
﹁よう、ギギラスの狗が何の用だ?﹂
そして、ある店では店主と﹃闇の刃﹄の魔法使いが何か揉めてお
り⋮⋮今別の魔法使いが割って入ってきた。
﹁どういう事?ソフィアん﹂
﹁この都市では﹃闇の刃﹄の庇護下に居なければ、マトモに商売を
する事も出来ないの。いえ、それどころか⋮⋮﹂
401
トーコが何が問題なんだと言う顔をしているので、私は軽く説明
をしてあげる。
実のところを言えば、﹃闇の刃﹄と各店が癒着していること自体
は問題ない。
問題は彼らが﹃闇の刃﹄との繋がりを持たない店、繋がりを無碍
にするような行いをした店に対して行っている事の内容。
つまりは⋮⋮
﹁ぺっ、舐めた真似をしてんじゃねえよ﹂
﹁あっ⋮⋮ぐっ⋮⋮﹂
﹁ひでぇ⋮⋮﹂
﹁おい、口を噤んでおけ﹂
﹁いいか、明日までにしっかりと揃えておくんだぞ。これが最後の
警告だ﹂
﹁すみませんすみませんすみません﹂
暴力と脅迫。
場合によっては殺人に誘拐、監禁、拷問、強盗その他諸々だ。
﹁おらぁ!何見てんだテメエら!見世物じゃねえぞ!!﹂
﹁﹁ひぃ!?﹂﹂
﹁命すら危うい事になるのよ﹂
﹁なにそれ意味わかんない⋮⋮﹂
正直私もトーコと同意見である。
誰が何処で聞き耳を立ているか分かったものでは無いので、口に
は出さないが。
﹁こんな事をしていて都市が回るの?と言うか衛視はどうしている
の?﹂
﹁都市については表面上は回っているように見えるけど、実情はか
なりヤバいわね。他の都市や村から財貨を奪わないと駄目なんだか
402
ら。衛視については完全に﹃闇の刃﹄の味方になっているから、問
題が起きれば﹃闇の刃﹄に反抗したヒトの方を捕まえるでしょうね﹂
﹁もう本当に訳が分かんないよ⋮⋮﹂
余りにも酷い状況に、トーコが若干涙目になっている。
だがこれでもここは表通りだ。
他の都市のヒトの目も多少はある関係で、まだマシな状態になっ
ている。
﹁言っておくけど、一本裏の通りに入ればもっと酷い事になってい
るわよ﹂
﹁⋮⋮﹂
私たちは適当なわき道に足を向け、大通りから外れる。
﹁見てみなさいな﹂
﹁ヒドイ⋮⋮﹂
そこに広がっていたのは生気のない顔を浮かべたヒトがまばらに
行き交い、陰鬱な空気を撒き散らす姿。
いや、それだけならばまだいい。
建物の影には飢えによってくぼんだ瞳をこちらへと向けてくる子
供が居るし、建物の間の細い通りには何者かによって強姦され、気
絶した所でその場に捨てられたであろう女性が転がっている。
朝から酒に酔っている浮浪者の姿も少なくないし、酒よりもヤバ
い何かを使っている男が建物に背を預けた状態でブツブツと意味不
明な言葉を呟いている姿もある。
そして多くのヒトは、私たちに対して強い警戒心と恐怖心を抱い
ている視線を一瞬だけ向け、すぐさま視線を逸らすようにしていた。
そう、私たちの目の前には、﹃闇の刃﹄が作り上げたこの世の終
わりのような光景の一端と評しても問題の無いような光景が広がっ
ていたのだ。
403
﹁ねぇ、ソフィアん。どうしてこの都市のヒトたちはこんな状態で
居られるの?こんなの妖魔の側から見ても、ヒトの側から見てもお
かしいに決まっているじゃない﹂
﹁さあ?私にも連中の考えは理解できないわ。と言うか、理解した
くもない﹂
トーコは私の服の袖をつかむと、周りのヒトに顔が見られないよ
うに俯く。
﹁さ、行きましょう。トーコ。貴女が何を考えているのかは分から
ないけれど、今やるべき事は一つよ﹂
﹁うん、分かってる﹂
そして私たちは更に濃く暗い気配が漂ってくる方に向けて、足を
進め始めた。
404
第71話﹁堕落都市−1﹂︵後書き︶
04/17誤字訂正
405
第72話﹁堕落都市−2﹂
﹁はぁ⋮⋮フローライトへの思いが有れば、多少はマシになると思
ってたんだけどね⋮⋮﹂
さて、地理の確認も一通り終えた所で、本題でもある情報収集を
行うべく、私たちは人気のない場所に居た﹃闇の刃﹄の魔法使い三
人組を襲った。
そう、いつも通りに獲物を生きたまま丸呑みにする事によって、
記憶を奪い取ったのである。
ただし当然と言えば当然だが、﹃闇の刃﹄の魔法使いと言う事は
⋮⋮
﹁ほんっっっっっとうにコイツ等はくっそ不味いわね﹂
いつものあの味である。
まったく、私には汚物を食べる趣味なんてものはないのに、何で
何度も何度もこんな不味い物を食わされなければいけないのか。
汚物を食べるのは、蚯蚓とかフンコロガシとか、蝿とかの一部の
生物でしょうが。
いやまあ、この方法で知識吸収が出来るのが私だけである事に加
えて、フローライトの指示でもあるから、耐えてはみせるけど。
﹁ソフィアんてば毎回それだねぇ⋮⋮﹂
﹁それだけ不味いと言う事よ﹂
でも愚痴は言う。
言わないとやってられないぐらいに不味いし。
﹁それで目的の記憶は?﹂
私が丸呑みにしなかった二人の魔法使いを解体しているトーコが、
406
私に目的は達成できたのかと聞いてくる。
﹁問題ないわ。コイツを含めた複数の﹃闇の刃﹄の魔法使いの名前、
住所、所属派閥、仕事、所有している魔法に﹃闇の刃﹄が持ってい
る修行法の一部まで、大体の情報は揃っているわ﹂
﹁流石だね﹂
当然目的は達成できている。
出来ているが、以前も言ったかもしれないが、この方法で情報を
収集する場合、一つ大きな問題があるのだ。
﹁ただ所詮はコイツの主観に基づく情報だから、最低でも後二人は
別の派閥に所属している魔法使いから同じように記憶を奪う必要が
有るわね。でないと、正確な情報とは言えないわ﹂
それは、私が得ているのはあくまでも食べたヒトの持っている記
憶であって、食べたヒトが直接目にした事はともかく、食べたヒト
が別の誰かから聞いただけの情報などには、誤情報の可能性も存在
していると言う事だ。
情報源
そして、伝聞による誤情報を得てしまう危険性を抑えるには、複
数のヒトから情報を得る以外にない。
ただ、今回の場合複数のヒトから情報を得ると言う事は⋮⋮。
﹁そうなんだ⋮⋮頑張ってね﹂
﹁気が重くなるわ⋮⋮﹂
あの味を何度も味わえと言う事である。
ああ、うん。もういっそのこと吐けるなら、吐いてしまいたい。
吐くわけにはいかないから、耐えるけど。
﹁それにしても何でソフィアんにとって﹃闇の刃﹄の魔法使いはそ
んなに不味く感じるの?﹂
﹁⋮⋮﹂
407
純粋に私の事を心配するような表情でもって、トーコが私に話し
かけてくる。
実を言えば、私は既に何故こんなにも﹃闇の刃﹄の魔法使いが不
味いのか、その理由について知っている。
知っているが、これは私の弱みでしかないため、誰かに話すのは
躊躇われる事でもあった。
だから私は悩む。
トーコに話すべきか否かを。
﹁んー、もしかしてこの葉っぱが原因?﹂
﹁う⋮⋮﹂
ただ、その悩みは直ぐに解決することとなった。
トーコが﹃闇の刃﹄の魔法使いの遺物である革の袋から、乾燥さ
せた植物の葉を切り刻んだ物を取り出して見せたからだ。
﹁はぁ⋮⋮そこまで分かっているなら、フローライトの所に戻る道
中で話すわ﹂
﹁分かった﹂
うん、トーコが原因を掴んでいるのなら、もう素直に話して、ト
ーコにもその危険性を理解してもらった方が早いだろう。
と言うわけで、私たちは誰かに見られないように気を付けつつそ
の場から離れると、フローライトの閉じ込められている屋敷へと戻
り始める。
−−−−−−−−−−−−−−−
﹁それでソフィアん、この葉っぱは何なの?﹂
﹁それは私の住んでいた⋮⋮あー、生まれた辺りではジャヨケと呼
んでいた草よ﹂
﹁ジャヨケ?﹂
408
私とトーコは裏通りを横に並んでゆっくりと歩きつつ、周囲のヒ
トに会話の内容を聞かれないように小声で話す。
﹁マダレム・エーネミではマカクソウと呼んでいるらしいわ。これ
は﹃闇の刃﹄の魔法使いたちの呼び名ね。まあ今はとりあえずジャ
ヨケと呼んでおきましょう﹂
﹁ふむふむ﹂
まず草の名前はタケマッソ村の辺りではジャヨケ、マダレム・エ
ーネミではマカクソウと呼ばれているものだ。
名前が違うのは、それぞれの地域で違う用途に用いられている為
だろう。
﹁で、ジャヨケだけど、コイツは湿らせた物を火で炙ると蛇や虫が
嫌う臭いの煙を出すのよ。だからそれを利用して、虫よけをしたり、
巣穴に隠れている蛇をあぶり出したりするの﹂
﹁へー⋮⋮じゃあ、ソフィアんが不味いと感じるのは﹂
﹁﹃闇の刃﹄の魔法使いたちがこの草を常用しているからよ﹂
﹁ふうん﹂
私は思わずあの味を思い出してしまい顔を顰めるが、トーコは感
心した様子で何度も頷いている。
この様子だと、もしかしなくても私対策で幾らか持っていようと
するかもしれないな。
でもそれを許すわけには行かない。
私が嫌いだからという理由以外でもってだ。
﹁トーコ。貴女は何で連中がこの草を常用していると思う?﹂
﹁へ?何でって虫除けじゃないの?﹂
﹁お生憎様、食べたら虫除けの効果は大して出ないわ﹂
﹁そうなの?じゃあなんで?﹂
私はトーコの前で革袋を数度振って視線を誘導した後、通りの端
409
で蹲っている男の方へとトーコの視線を誘導する。
﹁ジャヨケの葉を乾燥させた物を噛み、呑み込むと強い幻覚作用を
服用者に与えるのよ﹂
その男は⋮⋮意味の分からない言葉をひたすらブツブツと呟き続
けていた。
410
第72話﹁堕落都市−2﹂︵後書き︶
まあ付き物ですよね
04/18誤字訂正
411
第73話﹁堕落都市−3﹂
﹁強い⋮⋮幻覚作用?﹂
トーコは訳が分からないと言った様子で首を傾げる。
それを見た私は革袋を袋の中にしまうと、再びゆっくり歩き始め
る。
﹁その辺りの記憶は曖昧だから、具体的にどういう幻覚を見るのか
は私にも分からないわ。ただ、どうにもその幻覚に伴って、基本的
には心地よい酩酊感、幸福感、満足感、全能感、その他諸々を服用
者は味わうらしいの﹂
﹁へー、ちょっと気になるかも﹂
﹁止めておきなさい。基本的にはと言ったでしょう。場合によって
はこの世の物とは思えない恐ろしい何かを味わう場合だってあるの
よ﹂
﹁う、それは確かに嫌かも﹂
私の言葉にトーコは凄く嫌そうな声を漏らすが⋮⋮正直に言わせ
てもらうのなら、一発目でそう言う嫌な幻覚を見た方がジャヨケに
限ってはまだ良いかもしれない。
﹁それにね。所詮は薬なのよ。どれほどの多幸感を感じた所でそれ
は一時的な物。効き目が切れれば⋮⋮今まで味わっていた良い気分
以上の脱力感、虚脱感、絶望感と言ったありとあらゆる負の感覚が
押し寄せて来る事になるわ﹂
﹁うげっ﹂
﹁おまけにそう言った負の感覚から逃れるために、ジャヨケを知っ
ている者は以前よりも量を増やした上で服用するの。効き目が切れ
た後にもっと大きな絶望感を味わう事になるのも理解できずに⋮⋮
412
ね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そして最後に行き着くのが、さっきから時々見かけるブツブツと
何事かを呟くだけになってしまったヒトたち。彼らはもう相当な量
のジャヨケなしではマトモに活動する事も出来ないし、そんな量の
ジャヨケを取り込めば⋮⋮良くて廃人ね﹂
﹁ううっ⋮⋮﹂
私の言葉に再びトーコが泣きそうな雰囲気を放ち始める。
まあ、ヒトとしての感覚や知識に乏しいトーコには、どうしてヒ
正しい
トがこんな薬を使いたがるのかは理解できない事柄ではあるのだろ
う。
ただ、ジャヨケとしての使い方も、マカクソウとしての
使い方も知っている私としては、間違った使い方を広めた何者か
への怒りと、その何者かに踊らされている愚者への哀れみを感じる。
うん、とりあえず、トーコの為にも一応正しい使い方を教えてお
こうか。
﹁一応、正しい⋮⋮と言うか、良い使い方もあるのよ﹂
﹁そうなの⋮⋮?﹂
﹁ええ、後少しだけ自信があれば、目の前の難題を超えられる。そ
ういう人に対して、ごく少量を本人には教えずに与えるの。そうす
ればジャヨケの効果によって背中を押された人間は、目の前の難題
を超える事が出来る。そして一度超えられれば、大抵のヒトはもう
それは自分に出来る事だと認識し、次からはこんな物は必要としな
くなるわ﹂
﹁副作用も本人にジャヨケの事を教えてないから大丈夫って事?﹂
﹁ええ、本人的には無茶をした結果の疲れとしか感じ取れないでし
ょうね﹂
そう、マカクソウも本来はヒトの助けになる薬なのだ。
413
﹁要は使い方の問題なのよ。ジャヨケの場合はその使い方が難しい
と言うだけの話﹂
﹁そ、そうなんだね⋮⋮﹂
尤も、だからこそマダレム・エーネミにおける正しい使い方⋮⋮
後少しで魔法が使えるようになる者に与えると言う使い方では無く、
誤った使い方を広めた者に対して怒りを覚えるのだが。
ヒトの繁殖効率を下げ、味をクソな物にしてくれたという意味で
だが。
とりあえず誤った使い方を広めたヒトを見つけたら、その時は全
身全霊一切の出し惜しみなく殺させてもらうとしよう。
どうせ、この都市の有力者の誰かだろうしね。
﹁ちなみにだけど﹂
﹁何?ソフィアん﹂
﹁私たち妖魔はこの手の毒に対してかなり強い耐性を持っているか
ら、普通のヒト十人ぐらいが一発で廃人になるような量のジャヨケ
を呑み込んでも、胃の中の物全てを吐き出したくなるような不快感
に襲われるだけでしょうね﹂
﹁それはそれで十分過ぎるぐらいに嫌なんだけど!?﹂
なお、妖魔と言うのは基本的にヒトよりも頑丈で、特に胃腸関係
の強さはヒトとは比べ物にならないため、ジャヨケ廃人を食ったと
ころで一昼夜吐き気を催し続ける程度で済むだろう。
トーコの言うとおり、それはそれで拷問に近い物ではあるが。
後それともう一つ。
﹁それに所詮は薬の作る幻覚。至高の果実たるネリーの味は勿論の
事、その身から湧き立つ芳香だけでも私を十二分に興奮させてくれ
るフローライトの味を想像したら⋮⋮ああん、どっちが上かだなん
て考えるまでもないわ﹂
所詮ジャヨケの幻覚によって作り出されるのは自分の中にあるも
414
のをより合わせて作っただけの紛い物。
本物が与える快楽には決して勝てないのだ。
そう、燃え盛るマダレム・ダーイの中で味わい尽くしたネリーが
与えてくれた快楽のように、これから暗い暗い闇の中でフローライ
トがくれるであろう幸福のような、本物には決して勝てないのだ。
﹁ソフィアん!?落ち着いて!?なんか廃人のヒトたちよりもよっ
ぽどヤバい感じになってるから落ち着いて!?﹂
﹁落ち着いて?十分落ち着いているわ。ただネリーと過ごしたあの
一時の事を思い出したらそれだけで、エクスタシーを感じて⋮⋮﹂
だから、その事をトーコに伝えるべく私が熱弁を振るおうとした
ら⋮⋮
﹁ああもう⋮⋮そぉい!﹂
﹁ぐふうっ!?﹂
私の目にも止まらないスピードでもって踏み込んだトーコが、私
の腹を右の拳で殴りつけてきた。
そして私の意識はそこで途絶える事になったのだった。
415
第73話﹁堕落都市−3﹂︵後書き︶
スイッチ一つでこれだよ
04/19誤字訂正
416
第74話﹁堕落都市−4﹂
時は少々遡り、ソフィアとトーコの二人がマダレム・エーネミへ
と調査に向かうべく、フローライトの居る部屋から出ていってから
しばらく経った頃。
﹁まったく、何故小生が石積みなどしなければいけないのだ﹂
﹁頑張ってね。シェルナーシュ﹂
小さなカンテラ一つしか灯りが無い部屋の中で、シェルナーシュ
は一人地下水路に通じる穴の前で、穴を埋める様に石を積み上げて
いた。
何故こんな事をシェルナーシュがしているのか。
﹁この穴を開けたのはソフィアの奴だと言うのに﹂
﹁でもそのソフィアが貴方にしか出来ないと言ったんでしょ﹂
それは、万が一地下水路に降りてきたヒトが居て、そのヒトにフ
ローライトとシェルナーシュたちが見つかる事が無いように、ソフ
ィアがこの部屋に開けた大穴を塞ぐためだった。
勿論、本来ならば穴を開けた張本人であるソフィアが塞ぐべきで
あろうし、ソフィア自身も本心ではそれを望んでいた。
﹁小生の手札を一枚晒す事になるのを承知の上でな﹂
が、シェルナーシュの使える魔法を把握していたソフィアは、自
分でやるよりもシェルナーシュがやった方が効率が良いと判断し、
この場をシェルナーシュに任せたのだった。
﹁まったく、これでアイツ等が自分の仕事を果たしていなかったら、
杖で殴るぐらいでは済まさんぞ﹂
417
やがて壁の残骸である石と、アブレアが修理用の素材として持っ
てきた木材で壁の穴を埋めたシェルナーシュは、壁の穴に向けて自
身の杖の先端を向ける。
﹁⋮⋮﹂
シェルナーシュの中にある力の塊から、小さな力が削り出され、
小さな力はシェルナーシュの腕、手を経由し、杖の先端へと向かう。
そこから杖の先端に辿り着いた力は目の細かい網のように形を変
え、杖の先端から放出されると、シェルナーシュの目の前に積み上
げられた石と木の塊に絡み付いていく。
そして、杖の先端から放出された力は周囲の空間に滞留している
自身と似た力を取り込むと、僅かずつその範囲を広げていき、やが
て石と木の塊を覆い尽くすようになる。
﹁あらすごい﹂
勿論これらはシェルナーシュの感覚が捉えている情報でしかなく、
現実に見えている光景ではない。
が、フローライトはまるでその光景が見えているかのように、精
神統一を図っているシェルナーシュには聞こえない声量でもってそ
う呟く。
グルー
﹁接着﹂
そうしてシェルナーシュがその魔法の名を呟きながら、杖を軽く
振った時だった。
石と木の塊を覆っていた力は糊のように強い粘性を持った液体へ
と一瞬変化すると、液体に触れている部分にある物質を僅かに溶か
し、融合させた上で、跡形もなく消失。
そして、その後に残っていたのは繋ぎ目も無く木と石が混ざり合
わさった奇妙な姿の壁だった。
418
﹁これで良し。と﹂
﹁これはまた便利な魔法ね﹂
﹁ふん﹂
グルー
シェルナーシュ第三の魔法、接着。
それは二つの固体が接触し合っている場所に対してのみ効果を発
揮する魔法であり、その効果は両者の表面上を僅かに溶かして液状
化させた上で混ぜ合わせ、その後両者が混ざりあった状態のままで
再度固体に戻す事によって、二つの物体をくっつけると言うもので
ある。
﹁その言葉ならソフィアにも言われた﹂
﹁あらそうなの﹂
その用途は今回のように破片同士をくっつけて補修すると言うだ
けでなく、敵対者の足と地面の間に発動することによって動きを阻
害したり、ただ壁に掛けただけの梯子に安定性を持たせるなど、発
想次第で無数の使い道を持つ魔法である。
なお、二つの物体をくっつけた時点で魔法自体は終わっている為、
くっつけたもの同士を安全に引き剥がすためにはそれ専用の魔法が
必要になる⋮⋮が、現状シェルナーシュはそのような魔法を使えな
いため、シェルナーシュ自身は乾燥と酸性化に比べて多少使いづら
いと言う判断をこの魔法に下している。
﹁まあいい、これで今小生がやるべき仕事は終わった﹂
シェルナーシュは杖で数度壁を叩き、しっかりと固まっている事
を確認すると、部屋唯一の光源であるランタンを持って、本棚の前
へと移動する。
﹁小生はここで本を読ませてもらうからあまり騒ぐなよ﹂
﹁分かったわ﹂
そして適当に一冊の本を本棚から取り出すと、近くの壁に背を預
419
けて本を読み始める。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
ペらり、ぺらりと本のページをめくる音だけが部屋の中に響く。
﹁ねぇ、シェルナーシュ。一ついいかしら?﹂
﹁なんだ?﹂
シェルナーシュが本を読み始めてからしばらく時間が経った頃。
唐突にフローライトがシェルナーシュに声をかける。
﹁シェルナーシュはどうして私の依頼の対価として、この部屋と﹃
闇の刃﹄が所有している本を求めたの?﹂
﹁どうしてそんな事を聞く?そんなのは小生の勝手だろう?﹂
﹁だって普通の妖魔ならソフィアのようにヒトを求める筈よ﹂
﹁⋮⋮﹂
フローライトの言葉にシェルナーシュはどう応えるべきかを悩む。
ここでフローライトの機嫌を損ねるのは、何かと都合が悪いから
だ。
﹁小生にとってヒトは命を繋ぐのに最低限必要な数だけ食べられれ
ばそれで十分な程度の物でしかない。小生にとっては、こういう本
から知識を得た方が、沢山のヒトを食べれる事よりも価値がある。
ただそれだけの話だ﹂
そうしてしばらく悩んだ結果として、シェルナーシュは素直に答
える事にした。
﹁ふうん、字を読む練習中なのに﹂
﹁なっ!?﹂
﹁だって、きちんと揃っているのに、二巻の次に五巻を読むなんて
420
おかしいもの﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
尤も、素直に語った結果として、フローライトに好感を持たれる
と共に、多少の恥を晒す事にもなったのだが。
﹁ま、まあいい、折角だ。小生からも貴様に聞きたい事が有る﹂
ただ、ここで怯んでも、そのままただでは転ばないのがシェルナ
ーシュと言う妖魔であるのだが。
﹁何かしら?﹂
そして、シェルナーシュの放った質問は⋮⋮
﹁何故貴様は魔石も無しに魔法が使える?﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
フローライトの関心を引くのに十分な質問だった。
421
第74話﹁堕落都市−4﹂︵後書き︶
シェルナーシュの所有魔法三種、これで全部出ました。
乾燥、酸性化、接着の三つになります。
422
第75話﹁堕落都市−5﹂
﹁シェルナーシュは私が魔石を持っているとは考えないの?﹂
﹁貴様が魔石を持っていると言うのは有り得ない事だ。小生が貴様
を捕えている者ならば、強力な武器になり得る魔石を貴様に持たせ
るような真似は絶対にしない﹂
フローライトとシェルナーシュのお互いの腹の内を探る様な視線
が交錯し、それに合わせる様にランタンの火と周囲の闇が揺れ動く。
それはまるで、二人の関係性を表しているかのような光景だった。
﹁アブレアが持ってきた。と言う可能性もあるわよ﹂
﹁それもないな。貴様の侍女であるアブレアに魔石を渡すのは、貴
様に魔石を渡す事と同義だ。それにアブレアが魔石を手に出来る状
況にあるのであるならば、あの時この部屋に踏み込んできたアブレ
アはランタンを持っていた事の説明がつかない﹂
﹁そうかしら?﹂
﹁そうだとも。あの時小生たちはこの部屋に突然踏み込んできたの
だ。なら、もしもアブレアが魔石を使える状況にあるのならば、ラ
ンタンを持ってでは無く、暗視の魔法を使って部屋の中に入ってく
るはずだ﹂
シェルナーシュの言葉に、暗闇の中でフローライトは笑顔を浮か
べる。
なお、シェルナーシュは説明を省いたが、仮にアブレアが暗視の
魔法を使えない魔法使いで、実は何かしらの方法でもって魔石を持
ち出せる立場にあったとしても、フローライトが魔石を持っている
可能性は低いと考えていた。
と言うのも、シェルナーシュたちが部屋の中に入ってきた時、ア
ブレアの口を塞いだのはフローライトの魔法であり、もしもフロー
423
ライトが魔石を使って魔法を使っているのであれば、そんな些事に
貴重な魔石を使うのは勿体無いように感じたからだ。
﹁ふうん、一理あるわね⋮⋮﹂
﹁ふん。それで、もう一度改めて訊かせてもらうぞ﹂
また、この考えに至るにあたって、ソフィアから教えられた暗視
の魔法が掛けられている衛視が少ないと言う情報も少なからず影響
を受けている。
なにせ暗視の魔法は﹃闇の刃﹄で一人前の魔法使いと認められる
ための条件であり、使えないヒトが少ないとは考えづらい魔法であ
る。
では何故暗視の魔法がかかっている衛視が少なかったのか。
場所や手間暇、やる気などの要素もあるだろうが⋮⋮それ以上に
暗視の魔法を初め、﹃闇の刃﹄の魔法は魔石の消耗が激しいのでは
ないかとシェルナーシュは考えた。
そうした考えをまとめ上げた結果が、魔石が貴重な物であると言
う考えであり、フローライトは魔石を使わずに魔法を使っていると
言う考えだった。
﹁何故貴様は魔石無しに魔法を使える?﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
シェルナーシュの言葉にフローライトはどう答えたものかと言い
たげな声を上げながら、周囲へと幾度か視線を向ける。
﹁そうね。教えても私に損になる事じゃないし、教えてあげるわ﹂
﹁⋮⋮﹂
やがて、仕方がないと言った様子でフローライトはその口を開く。
﹁まずシェルナーシュには悪いけど、何故私が魔石なしに魔法を使
えるのかは、私自身にも分からないと言っておくわ﹂
424
﹁何?﹂
﹁しょうがないじゃない。父が死んだ後、この部屋に閉じ込められ
て、それからしばらく経った頃に突然使えるようになったんだもの。
切っ掛けも何も無かったし、魔法の修行だってそれまで一度もやっ
たことなかった。なのに突然魔法が使えるようになったのよ、説明
のしようがないわ﹂
﹁⋮⋮﹂
フローライトの言葉に、今度はシェルナーシュが困った様子を見
せる。
ただ、困った様子を見せると同時にシェルナーシュは考える。
フローライトの言葉が本当であるか否かを、仮に本当であるとす
るならば、何故使えるようになったのかを。
そうして思案した結果として、幾つかの考えがシェルナーシュの
中に浮かんでくる。
﹁一応聞いておくが、貴様の両親。ああそれと祖父母たちもヒトで
間違いないのか?﹂
﹁少なくともシェルナーシュの思っている様に、私の血縁者に妖魔
が混じっている。と言う話は聞いたことはないわね。ああ、私が魔
石なしに魔法を使えるとクソ爺たちが聞いた時は、散々私の事を妖
魔混じりだと蔑んでいたと言う話ならアブレアから聞いたわね﹂
﹁今のマダレム・エーネミを作り出した連中の話など参考になるか﹂
﹁でしょうね﹂
考えの一つ、フローライトに妖魔の血が混じっている可能性は否
定される。
実際、よほどの事が無ければ妖魔の血を引いた子が生まれ育つな
ど有り得ないとシェルナーシュも考えていたので、この可能性が否
定されるのは想像の範囲内だった。
﹁ではもう一つ。貴様はどうやって魔法を使っている?﹂
425
﹁どうやってと言われても⋮⋮ちょっと使いたいと思えば、勝手に
使えるわ。暗視の魔法に至っては勝手に発動しているぐらいだし﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
そしてもう一つの考えが合っているかどうかを確かめるべく放っ
た質問によって、シェルナーシュはその考えが答えに近い物だと判
断する。
と同時に、それが答えであるならば、自分は魔法の真理へと一歩
近づいたとシェルナーシュは感じていた。
﹁何か分かったのかしら?﹂
﹁ああ、多少は分かった。分かったが故に話せんな﹂
﹁なによそれ﹂
﹁ふふふ、一つ確かなのは、貴様をこんなところに閉じ込めている
﹃闇の刃﹄の連中は真性の愚か者だと言う事だ﹂
﹁今更な話ね﹂
﹁ああ、今更な話だ。だがこれで一つの決心がついた﹂
﹁?﹂
﹁小生も自分の意思でもって貴様の望みを叶えてやる。そうすれば
小生が見たいものを、エーネミとセントールの二都市を滅ぼしたい
と言った貴様は見せてくれるだろうからな﹂
﹁ふうん、まあ、ソフィアと一緒に私の望みを叶えてくれると言う
のなら、私からそれ以上に言う事はないわ。改めてよろしく頼むわ
ね。シェルナーシュ﹂
﹁ああ、こちらこそよろしく頼む。フローライト﹂
暗い室内にフローライトとシェルナーシュの笑い声が響き渡る。
それは、マダレム・エーネミとマダレム・セントールと言う二都
市の終わりがまた一歩近づいた瞬間でもあった。
﹁た、ただいまー﹂
そして、二人の話が終わってからしばらく経った頃。
426
気絶したソフィアを背負ったトーコが、部屋の中に戻ってきたの
だった。
427
第76話﹁堕落都市−6﹂
﹁んん⋮⋮﹂
目を覚ますと、そこはフローライトの居る暗い地下室だった。
視界の中に居るのは⋮⋮何処か安心した様子のトーコと、見るか
らにイラついているように見えるシェルナーシュの二人。
それと角度の関係で姿こそ見えないが、アブレアの何処か呆れた
気配とフローライトの楽しそうにしている気配も感じられる。
﹁トーコ﹂
﹁な、何?ソフィアん﹂
﹁何処まで説明したのかしら?﹂
私はうつぶせの状態のまま、首だけ動かしてトーコに状況を尋ね
る。
﹁え、えーと、ジャヨケと街の状況については一通り。後、ソフィ
アんを気絶させた理由についても一応﹂
﹁ふむふむ。了解したわ﹂
とりあえず外に出た理由である情報収集の結果については、トー
コが全員に説明してくれたらしい。
と言う事は、それだけ時間も経っていると言う事にもなるが⋮⋮
まあ、此処に居る面々で昼夜の別を気にするべきなのはアブレアぐ
らいだし、そこは大して問題じゃないか。
﹁で、ソフィア。何故貴様はあんな目立つ真似をしたんだ?﹂
﹁目立つ真似?﹂
﹁街中で周囲の目も気にせずにネリーとやらの事について語ろうと
したことだ﹂
428
﹁ああその事﹂
で、この時点で私は気づく。
グルー
地下室の床と服が一体化していて、体を起こせない事に。
うん、もしかしなくてもシェルナーシュの接着の魔法だろう。
﹁それは勿論トーコにジャヨケなんかよりもネリーの方が素晴らし
い事を⋮⋮﹂
﹁ソ・フィ・ア?﹂
﹁ごめんなさい。それだけじゃないです。私の事をマカクソウ狂い
だと見せかけて、挙動がマトモすぎるのを誤魔化す意味もありまし
た。無事にいって何よりでしたが、事前にトーコに相談も無くこの
ような事を行った件につきましては至極反省しています。この通り
です。本当にごめんなさい。なにとぞこれ以上の罰は勘弁してくだ
さいお願いします﹂
おまけにシェルナーシュが半ば本気でキレかけていた。
うん、これは拙い。本当に拙い。私がこの体勢の状態でシェルナ
ーシュにキレられたら、何の抵抗も出来やしない。
﹁はぁ⋮⋮一応聞いておくが行動の理由の割合は?表、裏の順で答
えろ﹂
﹁表9割以上に裏1割未満です﹂
﹁この駄蛇がぁ!﹂
﹁あぶうっ!?﹂
シェルナーシュの杖が足元の石を吹き飛ばすかのように振られ、
私の頭を勢いよく叩く。
い、痛い⋮⋮うっかり本音で答えただけなのに酷い。
ヒトだったら今ので死にかねないぐらいに痛かった。
﹁とりあえずやるべき仕事はして、安全の確保を確実にするための
行動だったと言う理由が一応あるようだから、これぐらいにしてお
429
いてやる﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁それでソフィア。貴方が食べた魔法使いからはどういう情報を得
られたの?私たちに教えてちょうだい﹂
﹁分かったわフローライト﹂
とりあえずこの件についてはもう黙っておこう。
何を言っても私が不利になるだけだ。
と言うわけで、地面とくっついてしまっている部分の衣装を引き
千切りながら、私は体を起こす。
なお、今の衣装に着替える際に裸を見られているので、フローラ
イトもアブレアも私が男だと言う事は既に知っており、騒ぎになる
ようなことはない。
まあ、フローライトについては着替える前から気づいていたよう
だが。
﹁とりあえずそうね⋮⋮今日食べた魔法使いの記憶で、一つ確定し
たことはあるわね﹂
私は今日食べた魔法使いの記憶を改めて確かめていく。
そして、そこから得た情報と今までに食べた二人の魔法使いの記
憶から得た情報を合わせ、間違いのない情報を定めていく。
﹁確定した事?具体的には?﹂
﹁この都市の勢力図よ﹂
﹁勢力図?﹂
﹁誰がどのようにこの都市を支配しているかという事か?﹂
﹁簡単に言えばそう言う事ね﹂
で、その情報の一つに、この都市の勢力図の情報が有った。
﹁さて、一応、一から順に説明していきましょうか﹂
私は適当な羊皮紙をアブレアに用意してもらうと、そこに幾つか
430
の名前を書き出していく。
﹁まずマダレム・エーネミは実質的に九人のヒトによって支配され
ているわ﹂
羊皮紙に書き出された名前は九つ。
﹃闇の刃﹄の構成員にして、七人の長でもある四人⋮⋮バルトー
ロ、ギギラス、グジウェン、ドーラム。
﹃闇の刃﹄ではないが、七人の長である三人⋮⋮ハーカム、トト
ウェン、セントロ。
﹃闇の刃﹄の構成員だが、七人の長ではない二人⋮⋮ペルノッタ、
ピータム。
﹁で、私たちが今居る地下室がある屋敷はドーラムと言う男の物ね﹂
﹁その通りです﹂
﹁ちなみにドーラムはこの九人の中で一番の老いぼれで、祖父の代
から﹃闇の刃﹄に居るらしいわ。まったく、とっとと死んでくれれ
ばいいのに﹂
﹁へー⋮⋮﹂
﹁ふむ﹂
表情には出さないが、フローライトの捕捉情報に私は内心で助か
ったと思っておく。
奪った記憶ではドーラムが﹃闇の刃﹄の古参である事は分かって
も、どのくらい前から居たのかまでは分からなかったし。
﹁まあ、ドーラムについては今は置いておきましょう。今はまず、
この九人がどういう関係にあるのかを話させてもらうわ﹂
﹁ん?仲が悪いだけじゃないのか?﹂
﹁ソフィアんは前にそう言ってたよね﹂
シェルナーシュとトーコが私に疑問をぶつけてくるが⋮⋮まあ、
話はそう簡単ではないのだ。
431
﹁実はコイツ等は仲が悪いだけじゃないのよ。どうにも共通の目的
がある時は協力し合う事もあるようだし、普段は自分の所属する派
閥の方針に沿って行動したりと、とんでもなく面倒な状態にあるの
よ﹂
﹁派閥?﹂
﹁なにそれ美味しいの??﹂
﹁そ、派閥。コイツ等九人は普段、自分と近しい考えを持っている
者同士で徒党を組み、行動しているの。で、その派閥だけど⋮⋮﹂
私は既に頭が明後日の方向に向きそうになっているトーコは無視
して、羊皮紙に新たな名前を書き込む。
﹁この三つになるわ﹂
名前の数は三つ。
その内容は開戦派、決戦派、継戦派である。
432
第76話﹁堕落都市−6﹂︵後書き︶
スイッチが入ってない駄蛇は優秀
433
第77話﹁堕落都市−7﹂
﹁さて、フローライトとアブレアには不要な説明でしょうけど、一
つずつ説明させてもらうわね﹂
﹁私たちが知らない情報が有るかもしれないから、別に構わないわ﹂
﹁ありがとう﹂
私は全員の顔を一度見回し、皆聞く態勢が整った事を確認してか
ら説明を始める。
なお、トーコについては最早気にしないでおく。
﹁まずは開戦派ね。彼らはマダレム・エーネミと﹃闇の刃﹄、どち
らで見ても最も多くの人員を有する派閥よ﹂
﹁つまり最大勢力と言う事か?﹂
﹁人数に関してはそうね。で、そんな彼らの考え方は至極単純で、
準備さえ整えば今すぐにでもマダレム・セントールに攻め込みたい
と思っている。そしてマダレム・セントールさえ滅ぼせれば、後の
事はどうでもいいと思っているわ﹂
﹁ふむ。となると⋮⋮﹂
﹁ええ、色々とやらかしているわ﹂
まず説明するのは開戦派。
彼らはマダレム・セントールさえ滅ぼせればいいため、いっそ拙
速派と言ってもいいぐらいに考えがない。
マダレム・セントールに攻め込むために必要な食料や武器、金銭
が足りないならば、犯罪行為も含めた強引な手法でもって集めよう
とするし、一時的にでも力が得られるならばそれで構わないと言わ
んばかりに大量のジャヨケを使っているようだった。
﹁つまり小生たちがマダレム・シーヤで遭遇したのもこいつ等か﹂
434
﹁そう言う事﹂
で、シェルナーシュが気付いた通り、マダレム・シーヤで私たち
を襲ってきたのも彼らである。
当然、魔法関係の技術についてもお互いの流派で協力して発展さ
せようとするのではなく、相手から奪い取って自分のものにすると
言うのが基本的な考えである。
うん、全くもって救いようがない。
まあ、マダレム・セントールさえ滅ぼせればそれでいいと言う連
中なので、滅ぼした後の事なんて考えていないのだろうけど。
﹁次が決戦派。こっちは十分な準備を整え、確実にマダレム・セン
トールを落とせると判断できてから戦いに臨もうと考えている連中
ね﹂
﹁無駄な戦いは好まない。と言う事か?﹂
﹁んー⋮⋮その辺りはちょっと微妙ね。実戦訓練だと称して戦いを
仕掛ける事もあるし、相手の現状の実力を探るために仕掛ける事も
あるみたいだから。ぶっちゃけ、ちょっと準備期間を長く取っただ
けでそこまで変わりはないわね﹂
﹁⋮⋮﹂
次に説明したのは決戦派だが、シェルナーシュが呆れた様子で首
を振る。
いやまあ、確実な勝利の為には情報収集は必要だし、実戦と訓練
は別物だって話も良くあるから、小競り合いを時々するのはまだ納
得がいくんだけどね。
﹁まあでも最低限の準備さえ整えられればいいと考え、破滅的な物
の考えをしている開戦派から臆病者と罵られているだけあって、彼
らの頭はまだマトモな方よ。他の都市との同盟も長期的な物を考え
て、高圧的に出る事はあっても暴力は振るわないし、ジャヨケにつ
いてもいざその時の戦力が減ってしまうと言う事から反対の立場を
435
取っているわ﹂
﹁これがマトモと言う時点でマダレム・エーネミ全体の状況が如何
に拙いかが良く分かるがな⋮⋮﹂
﹁お気持ちは分かります﹂
﹁ちなみに私たちの居るこの屋敷の主であるドーラムが表向きは決
戦派の頭首よ﹂
﹁表向き⋮⋮か﹂
﹁ええそう、表向きはね﹂
シェルナーシュが何か言いたそうにしているが、その辺りについ
てはこの後で説明することである。
とりあえず決戦派についてはまだ私たちの理解の範疇である。
これぐらいの考え方の集まりだったら、外に敵を持っている都市
ならまず間違いなく存在しているだろうしね。
﹁で、最後が継戦派。こいつらは何時までもマダレム・セントール
との戦いを続けていたいと言う派閥ね﹂
﹁戦いを続けていたい理由は?﹂
﹁武器の売買を始めとした儲けの種を無くしたくないから。後は戦
いが有る方が自分たちの生活が保証されるとか、魔法の開発が滾る
からというのもあるみたいね。ああ、ジャヨケも当然のように戦争
物資の一つとして彼らが握っているわ﹂
﹁つまりは自分たちが得したいだけ⋮⋮か。理解しがたいな﹂
﹁まあ、マトモに損得を考えられる者には、理解しがたい考え方よ
ね﹂
三つ目は継戦派。
こちらはもはや私たちには理解しがたい存在である。
なにせ自分と同じヒトを犠牲にして、我欲を満たしたいだけなの
だから。
﹁で、そんな彼らだけど、構成員そのものの数は少ないわ﹂
436
﹁ふむ。戦いを裏から操っているわけだし、それは当然だろうな﹂
﹁ただその代りに、所属しているヒトはその大半が地位のあるヒト
で実力は確か。ドーラムも実際の所属はこっちよ﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
﹁あら、やっぱりそうだったの﹂
ただその厄介さは他の二派とは比べ物にならない。
なにせマダレム・セントールとの戦いで儲けているヒトは大抵が
この継戦派であり、表向きは存在そのものが否定されているような
派閥なのだから、明確な名簿のようなものも無い。
決戦派の頭首であるドーラムが実際はこの派閥である事からも分
かるように、他の二派に深く食い込んでいるのも確かだと言ってい
い。
それから、今に至るまでマダレム・エーネミとマダレム・セント
ールの戦いが続いている事も、彼らの立ち回りのうまさを証明する
証拠の一つと言えるだろう。
﹁とまあ、これが今のマダレム・エーネミを支配する三派閥の概要
よ﹂
﹁なるほど﹂
﹁分かり易かったわ。ありがとうねソフィア﹂
私の終わりを告げる言葉にシェルナーシュは何度も頷き、私が話
した内容を頭の中で反芻しているようだった。
フローライトも笑顔で頷いてくれる。
﹁ねえ、ソフィアんソフィアん﹂
﹁なに?トーコ﹂
と、ここでトーコが声をかけて来る。
今までの話は⋮⋮表情からしてギリギリ理解出来ていそうだ。
﹁マダレム・セントールとの和解を望む派閥って言うのは無いの?﹂
437
﹁⋮⋮﹂
で、トーコが切り出してきた話だが⋮⋮うん、またデリケートな
話を持ってくるんだから。
いやまあ、トーコはこの情報を知らないから、純粋におかしいと
思って口を挟んできただけだろうけど。
﹁⋮⋮﹂
私は一度フローライトに視線を向ける。
それに対してフローライトは自分で話すと言う仕草をした後⋮⋮。
﹁マダレム・セントールとの和解を望む派閥は既に存在しないのよ。
十年前に、和解派の頭首だった父を始めとして、主だったものは全
員殺されたから﹂
﹁へっ!?﹂
﹁何っ?﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
和解派について語り始めた。
438
第77話﹁堕落都市−7﹂︵後書き︶
和解派?そんなもん居ません
04/23誤字訂正
439
第78話﹁堕落都市−8﹂
﹁和解派はマダレム・セントールとマダレム・シーヤ、この二都市
との和解を目的として出来上がった派閥で、批判される問題があっ
たから継戦派と同じく表には出れなかったけれど、私の両親も含め
てそれなりの規模ではあったわ﹂
﹁それなりの規模?マダレム・エーネミとマダレム・セントールと
の仲は最悪だと聞いていたが、それでも参加するヒトが居たのか?﹂
﹁余りにも長くマダレム・エーネミとの戦いが続いたせいでしょう
ね。もう戦いは嫌だって言う気分になっていたヒトは少なからず居
たみたいなの﹂
居たみたい⋮⋮か。
まあ、フローライトの年齢は私の見た目と同じくらいだし、十年
前に父親が死んだことを考えると、フローライト自身と和解派の繋
がりが薄いか存在しないかで、実感がないのは仕方がない事だろう。
﹁それにマダレム・セントールに攻め込むにあたって、拠点として
適当な位置にあったと言う事で、マダレム・エーネミはマダレム・
シーヤを奪うべく時々攻め込んでいたけれど、そちらの戦いが完全
な膠着状態に陥っていたと言うのも、和解派が生まれた背景にはあ
るでしょうね﹂
﹁ふむ。いずれにしても、これ以上戦いが続かないようにどうにか
出来ないかと考えているヒトが居たわけか﹂
﹁良い事だねー。戦いが無くなれば、無駄にヒトが死ぬ事も無くな
るわけだし﹂
﹁ええそうね﹂
なお、フローライトには悪いが、トーコが無駄にヒトが死なない
事を喜んでいるのは、その方が新鮮な材料を入手しやすく、飢える
440
可能性も減るからである。
そしてこの点については、私もトーコと同意見である。
わざわざ口に出したりはしないが。
﹁それで、アブレアから聞いた話だと、マダレム・セントールとマ
ダレム・シーヤにも、同じような和解派が居たらしいわ﹂
﹁ほう。では⋮⋮﹂
﹁ええ、それを知った父は当然二つの都市の和解派と連絡を取り合
い始めて、どうにか戦いを終わらせる方向に持って行けないかと動
き始めたわ。けれど⋮⋮﹂
フローライトは一度私の方へと視線を向ける。
それに対して私は一度肯いてから、何が起きたのかを話すべく口
を開く。
﹁ここからは私が話すわ。十年前、マダレム・エーネミとマダレム・
セントールの一部の人間が、些細な諍いから戦いを始めた。そして
それを切っ掛けとして、一気に両都市全体が臨戦態勢に入り、私が
把握している限りで最も大きな戦いが起きた﹂
私が話すのは、私が丸呑みにして記憶を奪った魔法使いの一人が
把握している情報。
その魔法使いは、この十年前の戦いにも﹃闇の刃﹄の魔法使いと
して参加していた。
なお、私自身の感覚ではこの魔法使い自身の想念を可能な限り排
除して記憶を見ていると思うが⋮⋮視点が一つしかないので、細か
い情報の確度はそれなりと思っており、今回は話さないでおく。
﹁お互いの実力は拮抗していた。だから、形勢を傾ける為には何か
しらの策が必要だった。そしてその策の一つとして両都市は敵方の
陣地へと奇襲を行い⋮⋮奇襲をモロに受ける事になった両都市の和
解派は壊滅することになった﹂
441
﹁へ?﹂
﹁おい待てソフィア!今の話は確実におかしいだろう!﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
私の言葉にトーコは妙な声を上げ、シェルナーシュは疑問の声を
上げ、フローライトとアブレアは私の言葉に聞き入るように黙って
いた。
シェルナーシュがどの点をおかしいと思ったのか。
それは考えるまでも無い。
私も同じ点をおかしいと思ったからだ。
﹁お互いに奇襲を仕掛け合ったのはともかくとして、その結果とし
て何故二つの都市の和解派が壊滅する!?マダレム・セントールの
和解派はまだしも、マダレム・エーネミの和解派の頭首は﹃闇の刃﹄
の首領だったはずだ。それほどの人物の周囲ではその地位に見合う
だけの警備が敷かれ、簡単に落ちる事が無いように人材も揃ってい
たはずだぞ!﹂
﹁ええ、その通りよ。でも事実として両都市の和解派はそこで壊滅
した。そしてその後はお互いの戦力の大部分は概ね淀みなく撤退し
たわ。で⋮⋮﹂
﹁ソフィアの考えている通り、幼かった私とアブレアはクソ爺に騙
されて、元の家から移動させられ、私はこの部屋に監禁。アブレア
は私唯一の世話役にされた。それとアブレアの話だと、都市に残っ
ていた和解派の人たちは敵に情報を流した売国奴として処刑された
と言う話らしいわ﹂
﹁な⋮⋮﹂
﹁酷い⋮⋮﹂
私とフローライトの話にシェルナーシュとトーコが絶句する。
十年前に何が起こったのかを察する事が出来てしまったであろう
が為に。
そう、十年前の戦争は完全に仕組まれたものだったのだ。
442
その発端も、誰が大きな被害を受けるかも、その被害が生じた責
が誰にあるかまでもだ。
では誰がそれを仕組んだのか、それは十中八九継戦派のヒト⋮⋮
その後の動きまで考えれば、まず間違いなく私たちが居るこの屋敷
の主であるドーラムと、マダレム・セントールの継戦派の有力者だ
ろう。
﹁⋮⋮﹂
私はフローライトの方をチラリと見る。
そして思う。
十年前の戦いは全てが継戦派の思惑通りに進んだわけでは無い。
何故なら、ドーラムからしてみれば、本来フローライトはこんな
場所に監禁するのではなく、傀儡として自分にとって都合のいいよ
うに操りたい相手であったはずだからだ。
となれば恐らくは、アブレア経由で戦争直後には生き残っていた
和解派の誰かが、真実を伝えたのだろう。
私はその見ず知らずの誰かに敬意を表したい。
貴方のおかげでフローライトは小汚い老人の道具として良いよう
に使われずに済んだと。
﹁さて、過去の話はこれぐらいにしておきましょう。私たちが今考
えるべきは、過去に何があったのかではなく、どうやってマダレム・
エーネミとマダレム・セントールを滅ぼすかよ﹂
だから、その誰かの為にも、私自身の為にも、ヒトと言う種の健
全性を保つためにも、私は全力でフローライトの願いを叶えるとし
よう。
443
第78話﹁堕落都市−8﹂︵後書き︶
04/23誤字訂正
444
第79話﹁堕落都市−9﹂
﹁ソフィア。貴方は昨日初めて会った時、﹃闇の刃﹄を滅ぼしに来
たと言っていたわね。つまり、少なくとも﹃闇の刃﹄を滅ぼすため
の策は用意してあったと言う事よね﹂
﹁ええそうなるわ﹂
﹁じゃあまずはそれを聞かせて頂戴﹂
﹁分かったわ﹂
私はフローライトとアブレアに、マダレム・エーネミに来る道中
でシェルナーシュとトーコに話した﹃闇の刃﹄を滅ぼす為の計画に
ついて話す。
勿論、元々の計画は﹃闇の刃﹄を滅ぼす事では無く、暗視の魔法
を無くすことを優先した計画だったので、多少前に話した時とは変
わっている点もあるが、そんなのは些細な違いである。
精々消し去るべき魔法の数が暗視の魔法一つから、﹃闇の刃﹄独
自の魔法数個に増えるだけだし。
﹁なるほど⋮⋮陽動も兼ねた内乱に暗殺。確かにマダレム・エーネ
ミの現状なら、やり方次第では十分に出来ますね﹂
私の言葉にアブレアが感心したように頷き、計画が成功する可能
性があることに同意してくれる。
﹁でもソフィア。この策は⋮⋮﹂
﹁ええ、これはあくまでも﹃闇の刃﹄と言う組織の力を削ぎ、消滅
させるための策。フローライトの望むようにマダレム・エーネミを
滅ぼす事は出来ないし、マダレム・セントールにとってはむしろ有
利に働くでしょうね﹂
ただこの策はフローライトに出会う前に立てたものなので、当然
445
フローライトの願いを叶えられるような代物ではない。
﹁それは分かっているわ。私も基本的な流れについては、人数の都
合もあるし、これ以外にはないと思うもの﹂
﹁そうだな。小生たちはこの場から動けない二人を含めても五人。
マトモな手段では数の差で何も出来ないだろう﹂
﹁となると考えるべきは、数の差をどうにかして二つの都市を滅ぼ
すための作戦だね﹂
と言うわけで、基本的な流れは私の計画のそれに沿えばいいが、
その最後についてはトーコが言っているように、何かしらの特別な
作戦を考える必要が有る。
﹁まあ、その作戦については追々考えるとしましょう。今はそれ以
上に調べる事があるもの﹂
尤も、私自身はちょっと思いついている事が有るが、その最後に
やるべき作戦については現状では考えても仕方がない。
なにせ、どのような作戦を立てるべきかという情報すらまだ出揃
っていないのだからだ。
﹁調べる事?﹂
﹁色々とあるわよ﹂
私は指折り数えながら、トーコたちに対して調べるべき事柄を教
えていく。
まずマダレム・エーネミの九人の長の性格、嗜好、実際の所属、
人間関係、大切にしているもの、仕事の内容、住居、それ以外にも
有益そうな情報全般。
これは仲違いをさせ、内乱を引き起こすためには必須だと言って
いい。
誰がどういう事を考え、どのように行動するかが分かっていなけ
446
れば、内乱と言うこちらの都合のいいように動いてもらうことなど
出来ないのだから。
次に魔石、武器、ジャヨケ、その他必需物資の保管場所、流通、
それから管理をしているヒトについての情報。
これも内乱を起こさせるためにはほぼ必須だと言っていいし、マ
ダレム・エーネミを滅ぼすためには欠かせないだろう。
なにせこれらの物資を上手く操れば、群衆を自在に操る事も不可
能ではないからだ。
さらに言えばマダレム・エーネミの詳しい地理⋮⋮門、﹃闇の刃﹄
の拠点、一般市民の住居、地下水路、重要施設についても調べてお
く必要が有る。
なにせこの情報が無ければ、作戦もへったくれも有ったものでは
無いのだから。
そして、今言った情報の内、物資と地理についてのマダレム・セ
ントール版の情報。
フローライトの望みがマダレム・エーネミとマダレム・セントー
ル、両都市の滅亡である以上、マダレム・セントールについても同
程度⋮⋮最低でも致命的な一撃を与えられる情報は必須だと言える。
で、これらの説明を一通りしてみたところ⋮⋮
﹁⋮⋮﹂
トーコが完全に固まった。
﹁私、そんなに難しい事は言ってないわよね﹂
﹁言っていないな﹂
﹁言っていないわね﹂
447
﹁言ってませんね﹂
一応、他の面々に私の説明が難しかったかどうかを訊いてみるが、
どうやらトーコが固まったのはトーコ自身の問題であるらしい。
まあトーコだから仕方がないか。
﹁しかしソフィア。マダレム・エーネミについては小生たちが自分
で調べればいいが、マダレム・セントールについてはどうする?さ
っきも言った通り小生たちはたった五人。しかもうち二人はこの場
から動けない。とてもではないが、マダレム・セントールについて
詳細に調べ上げ、内乱から殲滅に至るまでの人員など割けないぞ﹂
﹁んー⋮⋮その点についてはちょっと考えている事が有るのよね﹂
﹁考えている事?﹂
﹁ええ、私の考え通りの物さえ有れば、色々と目途は付くのよ。マ
ダレム・セントールについてはただ滅ぼすだけだし﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
私の言葉に対してシェルナーシュは多少悩むようなそぶりを見せ
る。
私の言葉を信じられるかどうかを考えていると言ったところか。
﹁信頼は出来るのか?それと時間は?﹂
﹁時間はかかるわね。今この場には居ないし。でも信頼は間違いな
く出来るわ﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
シェルナーシュは感心した様子を見せる。
﹁まあ明日からでも安全にマダレム・エーネミに出入りできるルー
トを見つけておくわ。でないとこの策も出来ないもの﹂
﹁分かった。セントールの情報収集については貴様の策とやらに任
せる﹂
﹁頑張ってね。ソフィア﹂
448
そうして今後の方針が決まったところで、この日の活動は終わり
を告げる事となった。
449
第79話﹁堕落都市−9﹂︵後書き︶
人員不足なのは確かです
450
第80話﹁堕落都市−10﹂
﹁さて⋮⋮と﹂
数日後。
私とシェルナーシュの二人はマダレム・エーネミの片隅、どちら
かと言えば貧民街に属するような場所で、目的の施設を持つ家を見
つける事に成功した。
﹁縄梯子はこんな物でいいかしらね﹂
﹁必要な分の壁と屋根の修復も完了した。これで降りる姿を見られ
ることも無いはずだ﹂
その施設とはマダレム・エーネミの地下に広がる入り組んだ水路
に繋がる井戸である。
うん、これで、私たちが最初に侵入した取水口が修理されていな
ければ、後は多少の注意を払うだけで自由にマダレム・エーネミの
外と行き来が出来るだろう。
﹁しかし、この家は何故打ち捨てられていたんだ?他の家々に比べ
れば、まだまだ使えそうな感じだが⋮⋮﹂
﹁んー⋮⋮周辺の住民の記憶から察するに、この家は元々は﹃闇の
刃﹄の有力者⋮⋮あ、フローライトの父親じゃないわよ﹂
﹁分かってる。それで有力者が何だって?﹂
﹁この家は元々﹃闇の刃﹄の有力者の物だったらしいけど、その有
力者が死んだ後は建っている場所が悪いせいで買い手が見つからず、
おまけにその死んだはずの有力者が化けて出て来るとか言う噂話も
あって、誰も近づかなくなったみたい﹂
﹁幽霊と言う奴か﹂
﹁そうそう﹂
451
で、この家だが、家の中に専用の井戸を持つと言うだけあってそ
れなりに大きな家なのだが、誰も住んでいないために、壁も屋根も
ボロボロで、中庭には雑草が生い茂っていた。
ただ幽霊について言わせてもらうのであるならばだ。
﹁ま、幽霊の正体はここに隠し財産を蓄えていて、定期的に無事を
確認しに来ている﹃闇の刃﹄の連中なんだけどね﹂
私たちと同じように、顔が分からないように変装しただけの﹃闇
の刃﹄の魔法使いなのだが。
どうやら暗視の魔法によって灯りを付けずに行動している魔法使
いの姿を見て勘違いした住人が居て、その噂にこの家を利用してい
る﹃闇の刃﹄も乗っかったらしい。
﹁は!?お、おい、ソフィア。それは⋮⋮﹂
﹁大丈夫よ。連中が財産を蓄えているのは井戸がある場所の真反対
で、何時確認に来ているのかも私は把握しているから﹂
﹁信じるぞ⋮⋮﹂
と言うわけで、私たちもその噂に乗らせてもらう。
利用できるものは利用してナンボである。
﹁さ、降りましょう﹂
﹁分かった﹂
そして私とシェルナーシュは井戸の縁にかけた縄梯子を降りるこ
とで、地下水路へと入っていった。
−−−−−−−−−−−−−−−
﹁この道はもう行ったから⋮⋮﹂
﹁次はこっちだな﹂
地下水路へと降りた私たちは、昼間でもほとんど明るい場所が存
452
在しない水路を、簡易の地図を作成しながら歩いていた。
﹁ふう。結構かかったわね﹂
﹁まったく、どうしてこれほどまでに入り組んでいるのやら﹂
そして探索する事数時間。
私たちはようやく目的の場所であるシェルナーシュが溶かしたま
まになっている鉄柵がある取水口に辿り着いた。
﹁この都市のヒトの事だから、ウチにもウチにもと無秩序に水路を
拡張していった結果じゃないの?﹂
﹁凄く納得がいく理由だな⋮⋮﹂
なお、マダレム・エーネミの水路が入り組んでいる理由は本当の
所よく分からない。
この都市のヒトならば自分にとって有利になるよう無秩序に広げ
る事もあり得るだろうが、それと同じくらい地下水路から侵入する
敵を警戒したと言う可能性もあり得るからだ。
まあ、出入り口に鉄柵が付けられた上に、その存在を半ば忘れら
れている節がある今となっては、誰にも理由は分からないだろうが。
﹁ま、そんな事よりも、今は目的を果たしましょう﹂
﹁そうだな﹂
シェルナーシュが袋から取り出した干し肉を私に投げ、干し肉を
受け取った私は、干し肉を水に浸けながら鉄柵の向こうへと突き出
す。
すると⋮⋮
﹁ギギャギャ!﹂
﹁肉ダ肉ダ!﹂
﹁肉ノ匂イガスルゾ!﹂
﹁おっと﹂
453
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
サハギン
すぐさまベノマー河の方から魚の妖魔を始めとする水棲の妖魔が
やって来たので、私は干し肉をこちら側に引っ込めつつ、集まって
きた妖魔たちの事を睨み付け、騒がないようにする。
﹁みんなよく集まってくれたわね﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁今日は皆にお願い事が有って来たの。私のお願い事を聞いてくれ
るなら、後ろの袋の中に入っている肉を全部あげるわ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私の言葉にシェルナーシュは軽く袋を揺らし、その存在感をアピ
ールする。
そして、袋から漂ってくるヒトの肉の匂いに反応してか、多くの
妖魔が生唾を呑み込むような様子を見せる。
うん、これなら大丈夫だろう。
﹁お願い事の内容は単純よ。今から私の言う事を、出来る限り多く
の妖魔に伝えて欲しいの。勿論、河の中に居る妖魔だけじゃなくて、
陸の上に住んでいる妖魔にも⋮⋮ね﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
妖魔たちが勢いよく何度も頷く。
﹁じゃあ言うわよ。﹃サブカへ。マダレム・セントールの地下を調
べ、マダレム・エーネミに来なさい﹄⋮⋮以上よ。はい、復唱﹂
﹁﹁﹁﹃サブカへ。マダレム・セントールの地下を調べ、マダレム・
エーネミに来なさい﹄﹂﹂﹂
﹁はい、よく出来ました。じゃ、頼んだわよ﹂
私の合図を受けて、シェルナーシュが袋の中身を鉄柵の向こうへ
とバラ撒く。
すると妖魔たちは我先にと干し肉を喰らい始め、干し肉が無くな
454
ると一斉に散らばっていく。
うん、これで一応の手は打てた。
後の問題は⋮⋮
﹁さてソフィア。そろそろ何を企んでいるのか小生に教えてもらっ
てもいいか?﹂
﹁分かったわ﹂
シェルナーシュにどう説明するかだ。
455
第81話﹁堕落都市−11﹂
﹁まずサブカと言うのは、どういう奴だ?﹂
私とシェルナーシュは出口目指して水路を歩きつつ、小さ目の声
で会話をする。
﹁サブカって言うのは、私たちと同じ変わり者の妖魔の事ね﹂
﹁ふむ﹂
で、まず説明するべきはサブカについてだろう。
これを説明しないと、私のさっきの行動の意味がシェルナーシュ
には分からない。
ギルタブリル
﹁種族は蠍の妖魔で、直接的な戦闘能力は私以上。知力の方も⋮⋮
まあ、トーコよりは確実に頭が良いわね。魔法はたぶん使えないわ﹂
﹁相当優秀だな。だがそれだけ優秀となると⋮⋮性格と外見どちら
に問題がある?﹂
﹁長所があるなら短所もあるに決まっていると言う考えはどうかと
思うけど⋮⋮外見に問題があるのは確かね。私たちと違って、どう
やってもヒトだと偽れない姿をしているわ﹂
そう言って私はシェルナーシュの方に顔だけ向けつつ、サブカの
口の動きを真似するように、口の前に持ってきた右手を左右に開い
たり閉じたりする。
﹁なるほど。だから貴様に同行していないわけか﹂
﹁ええ、蠍の尻尾だけならともかく、四本腕に全身甲殻、蠍の顔は
流石に誤魔化せないわ﹂
﹁はぁ⋮⋮貴様の話を聞く限りでは戦闘以外でも優秀そうなだけに
本当に残念だ﹂
456
﹁まったくね﹂
シェルナーシュの口ぶりからは、本当に残念そうに感じているの
が伝わってくる。
まあ実際、サブカがこの場に居れば、万が一に備えてフローライ
トの護衛を一任したり、もう少し強引な攻め手を取ったりするぐら
いの事は出来たと思うんだけどねぇ。
居ないものは仕方がないとして割り切るけど。
﹁それで、さっきの妖魔たちへのお願い事は、そのサブカへの命令
なんだろうが⋮⋮大丈夫なのか?﹂
この大丈夫かという言葉には、様々な意味が含まれているのだろ
う。
サブカに話が伝わるのか、話を聞いたサブカが動いてくれるのか、
動いたサブカが無事に仕事を出来るのかと言う意味がだ。
ただまあ、その辺りについてはさほど心配していない。
﹁大丈夫よ。変わり者の妖魔はともかく、普通の妖魔は私たちの言
う事を意外と忠実に聞いてくれるものだから。現にマダレム・ダー
イを滅ぼした時はこの方法でもって数を集めたし、妖魔たちも効率
よくヒトを襲ってくれたから﹂
﹁⋮⋮ボソッ︵アレが貴様の仕業だったのか︶﹂
﹁ん?何か言った?﹂
﹁いや、何でもない。それでサブカは噂だけで動くのか?﹂
﹁サブカの性格なら動いてくれると思うし、動いたなら仕事も確実
にこなしてくれるわね。サブカって言う名前を使った時点で私から
の指示だってことも分かるだろうし。実力的に死んでいる可能性も
考えなくていいわね﹂
﹁そうか。ならサブカについてこれ以上小生から言う事はない﹂
うん、シェルナーシュは無事に納得してくれたらしい。
一瞬顔を引き攣らせていた理由は分からなかったが。
457
ただまあ、実を言わせてもらうならばだ。
﹁それに本当の事を言わせてもらうと、サブカが仕事をしてくれな
くても、別に問題はないのよ。仕事をしてくれた方が何かと都合が
いいのも事実ではあるけれど﹂
﹁は?﹂
サブカに仕事を頼んだのは次善の策としてであり、本命では無か
ったりする。
﹁おいソフィア。それはどういう意味だ?マダレム・セントールに
ついても調べる必要が有ると言ったのは、この前の貴様だろう﹂
と、ここで私たちの前に縄梯子が見えてきたので、一度会話を止
め、私の目と舌で井戸がある部屋に誰も居ない事を確かめてから、
縄梯子を昇って地下水路から脱出する。
で、縄梯子を回収しながら、話の続きをし始める。
﹁シェルナーシュ、私の能力と二つの都市の仲の悪さを忘れたの?﹂
﹁いや、それは忘れていないが⋮⋮っつ!あー⋮⋮そう言う事か。
確かにそちらの方法で情報を入手できる可能性は十分あるな﹂
﹁と言うより、入手できない方がおかしいわよ﹂
どうやらシェルナーシュもここで私の考えている方法に思い至っ
たらしい。
で、シェルナーシュも思いついたマダレム・セントールについて
の情報を集める方法だが、実に単純な方法だ。
﹁マダレム・セントールの地理に明るいものを貴様が丸呑みにすれ
ば、それで情報は集められる⋮⋮か﹂
﹁ええ、この情報については絶対に持っているヒトが居るわ﹂
そう、私がマダレム・セントールについてよく知っているヒトを
丸呑みにして、記憶を奪えばそれで済むのだ。
458
そして、その際に食べるべき相手はマダレム・セントールのヒト
である必要はない。
マダレム・エーネミにも、攻め滅ぼす敵としてマダレム・セント
ールについて詳しく調べ上げているヒトは必ず居るはずなのだから。
例え詳しく調べたヒトがいなくとも、長い闘いの歴史の中で必ず
あるであろう、マダレム・セントールの近くにまで戦いの場が侵攻
した戦いの参加者や、斥候や諜報員としてマダレム・セントールを
調べたヒトなどから奪い取ると言う手段だってある。
私の知りたい情報は極々単純な情報であるから、それでも問題な
いのだ。
﹁しかしそうなると、貴様が考えている二つの都市を滅ぼす策と言
うのは⋮⋮﹂
﹁ええ、色々と時間はかかるわね。その代わりに成功すれば、確実
に二つの都市を全滅させられるけど﹂
﹁ふふっ、それは実に楽しみだな﹂
﹁あ、もちろん準備の段階からシェルナーシュにも手伝ってもらう
から﹂
﹁言われなくとも分かっている﹂
そして私とシェルナーシュは周辺住民に姿を見られないように注
意しつつ屋敷の外に出ると、軽い笑みを浮かべながらフローライト
の待つ部屋へと帰るのだった。
459
第81話﹁堕落都市−11﹂︵後書き︶
情報源を複数持つのは基本です
460
第82話﹁堕落都市−12﹂︵前書き︶
今回は人によっては嫌悪感を抱く表現がありますので、苦手だな嫌
だなと感じられたら、ブラウザバックされることをお勧めいたしま
す。
461
第82話﹁堕落都市−12﹂
一方その頃、地下にフローライトの監禁されている部屋があるド
ーラムの屋敷。
﹁あら、トーコ様。どうされましたか?﹂
そのフローライトの居る部屋へと繋がる隠し階段が設置されてい
るアブレアの部屋で、トーコは粗末な造りのベッドに腰掛けていた。
﹁レアたんにちょっと質問があったから待ってたの。あ、フロりん
ならさっき寝たところだから大丈夫だよ。アタシもソフィアんの言
いつけどおり、部屋の外には出てないし﹂
﹁ソフィア様が言う部屋と言うのはこの部屋では無く、フローライ
ト様の居る部屋な気もしますが⋮⋮質問と言うのは?﹂
アブレアは手に持った盆を備え付けのチェストの上に置くと、ト
ーコの視界の正面に入るように椅子を動かし、座る。
﹁この屋敷の厨房ってアタシが入り込んでも大丈夫?﹂
﹁駄目ですね。厨房の中はごく限られた人⋮⋮ドーラムに信頼され
ている人間しか入れないようになっていますから﹂
﹁そっかー⋮⋮﹂
アブレアの言葉にトーコがこの上なく残念そうな表情を浮かべつ
つ、ベッドに倒れ込む。
﹁となるとレアたんも入れてもらえない感じ?﹂
﹁ええ、厨房どころか、食材の搬入口や倉庫にも近づく事は許され
ていません。これは許可がない人間全員がそうですね﹂
﹁うへー、面倒くさいねぇ﹂
462
ただ、ドーラムが屋敷の厨房に信頼できる人間しか入れないのは、
彼の表と裏、どちらの顔を見ても当然の判断ではあった。
なにせドーラムは表向きの顔はマダレム・エーネミに七人しか居
ない長であり、裏向きの顔もフローライトの祖父が首領を努めてい
たころから﹃闇の刃﹄で活動している重役の魔法使いである。
継戦派として後ろ暗い事を数多く行っている事を度外視しても、
食事に毒物を混ぜられることを警戒し、対抗策を講じる事は当然だ
と言えた。
﹁それで何故そのような質問を?﹂
﹁いやさ、フロりんもレアたんもマトモな食事を貰っていないみた
いじゃない。だからアタシが厨房に忍び込んで何か簡単な料理でも
作ってあげようかなって﹂
トーコの視線がチェストの上に乗せられた盆の方に向く。
盆の上に載っているのは、一人分としてみれば多めであっても、
二人分としてみれば僅かな量のパンとスープだけで、屋敷の華やか
さや他の侍女たちの肌艶の良さから鑑みれば、明らかに質が劣って
いる食事だと言えた。
勿論、屋敷の外で飢えに苦しんでいる状態にあるような住民たち
が食べている物からすれば、遥かに良い食事であるのかもしれない。
だがそれでも、自分は妖魔である以前に料理人であると言う意識
を有しているトーコにとっては、承服しかねる内容の食事ではあっ
た。
﹁それは⋮⋮お気持ちだけはありがたく貰っておきますね。ですが、
私は大丈夫です。十年前からずっと続いている事ですから﹂
﹁ずっと⋮⋮ね﹂
しかし、トーコの申し出をアブレアは断ると、全体の三分の一程
度の量のスープとパンだけを別の皿にとって、食べ始める。
そして、その時僅かに見えたアブレアの服の下に、幾つもの傷が
463
ある事をトーコは見つけてしまう。
﹁もしかしなくても、いじめられているとかそんな感じ?﹂
﹁⋮⋮。近くは有りますね。ただ、当然の扱いではあるんですよ﹂
﹁当然⋮⋮ね﹂
﹁ええ、多くの侍女が十人で一部屋を使うような環境で、私は狭く
とも一人部屋を与えられている。そして食事の量も見た目には多く
与えられています﹂
﹁ん?フロりんの事を知っているヒトはどれぐらい居るの?﹂
﹁ドーラムとその側近、つまりは執事長や厨房に出入りすることを
許されている程の人物ぐらいですね﹂
﹁そっか⋮⋮だからこんな扱いなんだね﹂
﹁ええ、ドーラムが私に与えた仕事に支障を来たすような怪我や遅
れでも与えない限りは、私には何をしても構わないし、どう使って
も構わないと言うのが、この屋敷⋮⋮いえ、ドーラムに関わってい
る者たちの間では、暗黙の了解になっています﹂
トーコの視線は悲しみの感情を多量に含むようになっていた。
だが、そんなトーコの視線をアブレアは気にする様子も無く、淡
々と自分の置かれている現状を語って見せる。
﹁それじゃあアタシたちがこの部屋に出入りしても見咎められない
のは⋮⋮﹂
﹁ええ、そう言う事情があるからです。尤も、何をしても私が大し
た反応を見せないせいで、二、三年前からはめったに訪れる人は居
なくなりましたけど﹂
﹁ふうん⋮⋮そうなんだ⋮⋮﹂
顔に僅かな笑みを浮かべながら話すアブレアの声には、悲しみや
怒りと言った負の感情は含まれていなかった。
そして、その事こそがトーコにとっては最も悲しく感じられた。
アブレアはフローライトの事以外は自分自身も含めてどうでもよ
464
くなっていて、自分の処遇に対して怒りや悲しみの感情を抱くと言
った事を、忘れてしまっていると言う事実を悲しく感じたのだった。
と同時に、そう感じたからこそトーコは一つの質問をアブレアに
対してしたくなった。
﹁ねえ、レアたんはフロりんの願いが叶って、ソフィアんとの契約
が果たされたらどうするつもりなの?﹂
﹁フローライト様の願いが叶い、ソフィア様との契約が履行された
ら⋮⋮ですか﹂
それは主であるフローライトが死んだ後、アブレアはどうするの
かと問う事に等しかった。
﹁そうですね。フローライト様が居なくなったなら、私ももう生き
ている必要はありませんし、ここで黙って朽ち果てるのを待つだけ
でしょうか﹂
対するアブレアの答えは、自ら命を絶つと言うに等しい言葉だっ
た。
﹁そっか⋮⋮うん、分かった。そう言う事なら、アタシちょっとフ
ロりんと交渉してくるね﹂
﹁交渉⋮⋮ですか?﹂
﹁うん、アタシはまだ今回の仕事の報酬を言ってなかったからね。
フロりんに言ってくる﹂
﹁その、何を貰うつもりですか?フローライト様自身はソフィア様
が貰うと仰っていますし、本についてもシェルナーシュ様が貰うと
仰っていましたから、既にあの部屋には碌な物が⋮⋮﹂
﹁レアたんを生きたまま貰って、バラして、調理して、食べてあげ
る。どうせ捨てる命だって言うなら、別に良いでしょ?﹂
﹁!?﹂
その言葉に自分自身でも気づかない程に微かな怒りを覚えつつ、
465
隠し扉を開けたトーコは、アブレアを貰う交渉をするべく、フロー
ライトの下へと向かう。
自分自身でも何故こんな行動をしているのかを理解出来ないまま
に。
466
第82話﹁堕落都市−12﹂︵後書き︶
首領付きの侍女の見た目が悪いわけないんだよなぁ⋮⋮なお、アブ
レアはだいたい二十歳前後です。
467
第83話﹁堕落都市−13﹂
﹁ふうむ⋮⋮﹂
私たちがフローライトに雇われてから三週間が経った。
この三週間、私たちはマダレム・エーネミの内外を問わずに活動
を行い、情報収集を行うと共に、内乱を起こすための下準備として
開戦派と決戦派の間に不和をもたらすように幾らかの手を打った。
﹁やはり手がかりが少ないのが痛いな﹂
﹁そうねー⋮⋮此処まで難しいと秘匿されるのも納得だわ﹂
そして、それらの活動の合間を見て、とある研究も行っていたの
だが⋮⋮そちらの進捗具合は芳しくなかった。
﹁そんなに魔石の加工って難しいの?﹂
﹁ええ、難しいわ。単純にサンプルを真似て形を整えるだけだと、
大抵の場合狙っていたのと別の魔法が発現するか、そもそも魔法を
使うための魔石にならないかのどちらかになって、目指している魔
法が出てこないのよ﹂
﹁おまけに同じように加工をしたはずなのに、結果が違う事もある
からな。かなり厄介な事になっている﹂
﹁うへー﹂
私とシェルナーシュの間に並べられているのは、マダレム・エー
ネミの外で集めてきた未加工の魔石と、私たちが仕留めた﹃闇の刃﹄
の魔法使いが持っていた加工済みの魔石、それに私たちが﹃闇の刃﹄
の物を真似て加工をしてみた魔石の三つ。
で、未加工の魔石は脇に置いておくとして、外見的には﹃闇の刃﹄
が加工した魔石と、私たちが真似て加工した魔石の間には差はない。
これは、この三週間暇を見てではあっても、地道に魔石加工の練
468
習を行ってきた成果だろう。
しかし、この二つの魔石には明らかな差がある。
﹁それでも、魔石として使えるようになっているんだから、ソフィ
アとシェルナーシュは凄いと思うわ。私にはさっぱりだったもの﹂
﹁ありがとうフローライト﹂
私は二つの魔石をそれぞれの手に持ち、﹃闇の刃﹄式の魔法発動
法⋮⋮自分の中にある力の塊から細い力を二つの魔石の中に伸ばし、
ダークディスク
魔石の中にある力を掬い出すと、それを魔石の外に向かって投じる。
﹁でもどうして、こんな差が出るのかしらね﹂
すると、右手に持った﹃闇の刃﹄が加工した魔石の上には闇円盤
と呼ばれる黒い円盤が生じ、ゆっくりと回転をし始める。
対して左手に持った私たちが加工した魔石の上には小さな火花が
幾つも生じるも、直ぐに部屋の中に広がる闇に飲み込まれてその姿
を消してしまう。
うん、フローライトは褒めてくれたが、こんな小さな火花を起こ
せるだけの魔法では、殆ど何の役にも立たないだろう。
﹁単純に考えれば、﹃闇の刃﹄では物理的な加工以外の何かを行っ
ているんだろう。だからその差が結果として出てくる﹂
﹁ふうん⋮⋮まあ、料理だって、同じ材料を使っても調理法や下拵
えの違いで全く別の料理が出来上がるし、当然と言えば当然なのか
な﹂
﹁まあ、そう言う事になるわよね⋮⋮﹂
﹁伊達に何十年も研究をしていないって事なのね﹂
部屋の中に微妙に暗い雰囲気が漂う。
まあ、よくよく考えてみれば、﹃闇の刃﹄だって最初は真面目に
研究して魔法を開発していたんだろうし、その数十年分の研究成果
にたかが三週間の研究で追いつこうと言うのは、幾らなんでもおこ
469
がましいと言う他ないだろう。
﹁まあ、多少は進展があったし、これが必要になるのはまだまだ先
だから、ゆっくりとやっていきましょう﹂
﹁そうだな。こればかりは地道にやるしかない﹂
それにそもそもとして、私が求めているのは﹃闇の刃﹄が使って
いる魔法では無く、とある目的をたった一度果たす為だけに必要な
魔法なのだ。
そして、既にどういう要素がその魔法に必要なのかは分かってい
るのだし、後は量産性や安定性を度外視して、その要素を生み出す
ための加工法を地道に探り当てればいい。
つまり知識は有ればうれしいが、必須と言うほどではないのであ
る。
と言うわけで、この件についてはまあ、ゆっくりと進める予定で
ある。
﹁で、アチラについてはどうする?﹂
﹁んー⋮⋮正直に言って、多少の危険を冒さないと、どうしようも
ないと思うのよねぇ﹂
で、話は多少変わるが、この三週間の調査では、マダレム・エー
ネミに居る九人の重要人物とその周囲に居るヒトに関する基本的な
情報や、ジャヨケの保管場所を含む幾つかの重要施設の位置につい
ては割り出せた。
が、どうやっても探り出せなかった情報も存在する。
﹁魔石の加工関連と﹃闇の刃﹄の懲罰部隊だっけ。どうしてこんな
に情報が出てこないんだろうね?﹂
それは各魔法使いの流派にとって最高位の機密情報である魔石の
加工に関わる部分と、﹃闇の刃﹄の中で裏切り者や著しい失態を晒
した者を処罰する懲罰部隊だ。
470
どちらもマダレム・エーネミの中にその施設が置かれているのは
周辺情報から間違いないのに、その実態や詳細についてはまるで探
り出せなかった。
何故探り出せないのか。
﹁それだけ重要と言う事だろう﹂
﹁万が一壊滅したりすれば、﹃闇の刃﹄全体に影響が出るものね﹂
恐らくはシェルナーシュが言うように、それだけ重要で、口が堅
く、重要な情報であるが為に、﹃闇の刃﹄内でも極一部のヒトにし
かその詳細が教えられていないからなのだと思う。
知るヒトが少なければ、それだけ情報がバレる可能性も低い。
単純な話だ。
﹁で、動くのか?﹂
だがそれでもフローライトの願いを叶える為には、この二つの情
報は絶対に探り出す必要が有る情報である。
﹁そうね。動くしかないと思うわ。これは危険を冒してでも絶対に
調べるべき情報だもの﹂
だから私たちは一つ、大きな動きを見せる事にした。
471
第84話﹁堕落都市−14﹂
﹁⋮⋮!?﹂
﹁これでよし⋮⋮と﹂
夜。
私とトーコの二人は、開戦派が所有する建物の一つの前にやって
来ていた。
足元に転がるのは、上から強襲し、口を塞いだ上で首を折る事に
よって仕留めた見張りの男。
﹁この男はこのまま放置でいいんだよね﹂
﹁ええ、今回は死体は残さないといけないから、このままにしてお
くわ﹂
ただし、この男は食べる為に仕留めたわけではなく、この後の行
動も含めて、相当な強硬手段を取る者がいると思わせる為の死体な
ので、建物の中に一緒に持って行く。
﹁へー、色々あるんだね﹂
﹁まあ、この建物は表向きは真っ当な商店の倉庫だもの。色々と店
の商品は置かれていてもおかしくはないわ﹂
建物の中には種類ごとに分けられる形で、様々な物品が置かれて
いる。
そしてそうやって各種物品が置かれている中、私たちはとある物
をばら撒きながら探索をし、建物の奥の方に私たちがこの建物に狙
いを定めた理由となる物品が袋に詰められた状態で山積みにされて
いるのを発見する。
﹁で、これが全部そうなの?﹂
472
﹁ええ、全部そうよ﹂
﹁うへぇ、馬鹿みたい。こんな葉っぱをこんなに集めるだなんて﹂
﹁本当よね﹂
トーコが袋の一つを開けて、その中身を確かめる。
で、袋の中身だが⋮⋮当然ながら、十分に乾燥させられたジャヨ
ケの葉である。
うん、これだけあれば、廃人を十数人は作り出せるだろうし、そ
の廃人になるヒトから相応の金品を本人たちにとっては合法的に巻
き上げられるだろう。
﹁さ、早いところ仕事をこなしてしまいましょうか﹂
﹁だね﹂
私たちは持ってきた袋の中から、今までばら撒いて来た物と同じ
油を染み込ませた布切れを取り出すと、目の前の積み重なった袋の
上にそれらをばら撒く。
で、私は自分で加工した魔石を手に持つと、意識を集中し始める。
﹁⋮⋮﹂
勿論、私の加工した魔石はそこまで質が良い物ではない。
が、それでも﹃闇の刃﹄の使い方では無く、﹃大地の探究者﹄の
使い方⋮⋮自分の中にある力の塊の一部を切り離し、小さな力の塊
を手に持った魔石の中へと移動させ、魔法を発動させる準備を整え
ると言う方法であれば、問題はない。
イグニッション
﹁着火﹂
私は準備が整ったところで腕を一振りする。
するとそれに合わせて魔石から小さな火が発せられ、目の前にあ
る袋と布切れに火が付く。
さて、今の建物内の状況で火を付けたりすればどうなるか。
473
﹁さ、逃げるわよ﹂
﹁うん﹂
十分に乾燥した植物の葉と油、そして火。
そう、これだけ条件が揃っているのならば、当然のように火は直
ぐさま炎になり、一気に燃え上がり始める。
そして炎はぱちぱちと火が燃え盛る音と共に、周囲に置かれた様
々な物にも燃え移り、その火勢を確実に強めていく。
﹁うひゃあ⋮⋮凄いね。ソフィアん﹂
﹁ええ、でも周囲に燃え広がる心配はそれほどしなくてもいいわ﹂
私たちは建物の外に脱出すると、誰かに姿を見られる前に、通り
の向こうにある建物の屋上へと駆けのぼり、建物がきちんと燃えて
いるかを観察する。
﹁火事だああぁぁ!﹂
﹁倉庫が燃えているぞ!?﹂
扉や換気用の小窓から火が漏れ始めたところで、周囲の住民や﹃
闇の刃﹄の魔法使いたちが集まり始め、どうにかして火を消せない
かと動き始める。
が、もう遅い。
マダレム・エーネミの建物は基本的に石造りなので、火事が起き
ても燃え広がる事は少ないし、大規模な火事も起き辛いが、今回は
事前に私たちが油を撒いている。
故にヒトが止める暇も無く、水を掛けようが何をしようが、火は
その勢いを増していき、黒煙を噴き上げながら、迂闊に近づいた愚
か者ごと燃え盛るだけである。
﹁え?何あれ⋮⋮﹂
﹁恐らくはジャヨケ中毒者ね。煙の臭いに誘われてきたんでしょ﹂
と、ここで明らかに正気を失った様子の男たちが、煙に誘われる
474
ように炎の中へ向けて大量に飛び込み始める。
そして、そんな男たちに押される形で、マトモな精神状態のヒト
も炎の中に取り込まれ、悲痛な叫び声を上げながら焼け死んでいく。
﹁ま、私たちが気にする必要はないわ。この場に来ている連中なん
て先に飛び込んだ連中にジャヨケを売って儲けていた連中が大半で
しょうし﹂
﹁う、うん⋮⋮﹂
トーコは何か言いたそうな顔をしているが、私はそれを無視して、
今も燃え盛る建物に背を向ける。
﹁さ、そろそろ退くわよ﹂
﹁分かったよソフィアん﹂
そして、普通のヒトが出来る動きでもって燃えている建物がある
のとは逆の方向に降りると、事前に決めた通りの方向に向けて普通
のヒトが走る速さでもって駆け出す。
﹁トーコ、分かっているでしょうけど⋮⋮﹂
﹁分かってるから大丈夫﹂
今回の火付けの目的はジャヨケを焼く事ではない。
私が把握している限りでも、ジャヨケの保管場所はマダレム・エ
ーネミ内に十数か所あるので、ここ一つ焼いたところでそこまで被
害はないからだ。
﹁本番はこれから。でしょ﹂
﹁ええそうよ﹂
そう、今回の火付けの目的は別にある。
一つは決戦派と開戦派の間に存在する亀裂を決定的な物にし、継
戦派が意図しない場所で内乱を起こす切っ掛けの一つとして。
もう一つは⋮⋮
475
﹁さ、来るわよ﹂
﹁止まれ﹂
まるで表に出てこない﹃闇の刃﹄の懲罰部隊を呼び寄せる為であ
る。
﹁貴様等何者だ?﹂
そして懲罰部隊は私たちの前に姿を現した。
つまり⋮⋮本番はこれからである。
476
第84話﹁堕落都市−14﹂︵後書き︶
04/30誤字訂正
477
第85話﹁堕落都市−15﹂
﹁あら、私たちが何をしたと言うのかしら?私たちはたださっき起
きた火事を上に報告しに行っているだけよ﹂
私たちの周囲に居る懲罰部隊は、私が感知できる範囲に限れば正
面に二人、背後の建物の陰に二人。
それと私の想像通りならば、感知できない程離れた場所に一人は
居るはずである。
﹁上に報告⋮⋮か。確かに貴様等が直接何かしたのを見たわけでは
無いが⋮⋮﹂
正面の二人だが、どちらも私たちと同じように布で顔を隠し、腰
には魔石の填め込まれた短剣が挿されている。
で、今話している方は声からして女で、まだ抜いていないが、手
は短剣の柄を握り、何時でも抜けるようにしている。
そしてもう一人のヒトだが、今話している女から適度に離れた場
所で、何時でも短剣を抜ける状態でこちらの様子を窺っている。
﹁火事が起きた直後から特等席で人目に触れないように観察を続け、
消し切れないような大火になった時点で人目を憚るように移動を始
める。これを怪しいと言わずして、一体誰が怪しいと言うのだ?﹂
背後の二人についてはよく分からない。
よく分からないと言うか、装備品を確認する程の余裕がない。
此処で背後を向いたりしたら、間違いなく一瞬隙が生じ、その一
瞬の隙の間に一撃を貰う羽目になる。
そして、今私たちが対峙している相手だと、その一撃は致命的な
ものになるだろう。
478
﹁あら、それがそんなに怪しい事かしら?﹂
﹁怪しいな。そもそもこの期に及んで報告しに行くと言う上の者の
名を明かさない事も含めて﹂
強敵。
彼女らはそう言うに相応しい敵なのは間違いないだろう。
﹁さて、素直に我々に拘束されるのであれば、痛い目は見ずに済む。
だが抵抗するならば⋮⋮命を失う可能性も⋮⋮﹂
ではそんな強敵を相手にする場合の基本は?
そんなもの決まっている。
﹁トーコ!﹂
﹁うん!﹂
奇襲だ。
﹁ふんっ!﹂
﹁か⋮⋮!?﹂
﹁!?﹂
勿論単純に奇襲を仕掛けても、彼らほどの強敵相手には通用しな
い。
少なくとも、今私の目の前で起きている様に完全に虚を突かれ、
私のハルバードによって頭のてっぺんから股下まで切り裂かれるよ
うな事にはならなかっただろう。
私たちが居た場所に向かって放たれた何かが、私にも後方に向か
って跳躍したトーコにも当たらず空を切るような事も無かっただろ
う。
﹁なっ!?﹂
では何故今回の奇襲が成功したのか?
なんてことはない。
479
単純に彼女たちに私たちの身体能力を見誤らせただけだ。
私たちはここに来るまで、ヒトの身体能力の範囲内でのみ行動す
るように心がけていた。
そして今ここで、私たちは初めて妖魔としての身体能力を見せた。
その結果が今私たちの前に広がる光景だ。
﹁とうっ⋮⋮﹂
﹁貴様等﹃闇の刃﹄ではないな!?﹂
だがまだ戦いは終わっていない。
機先を制することが出来ただけだ。
だから私は振り下ろしたハルバードをまるでハンマーでも振るう
かのように、刃の腹を向けつつ回転、跳躍。
﹁とうっ!﹂
﹁ぐおっ!?﹂
﹁ぎゃっ!?﹂
その回転を行っている一瞬の間に、私はトーコの方を見て、トー
コが建物の影に隠れていた二人の懲罰部隊の首を切り裂き、杖を持
っている方の腕を切り落とす姿を目撃する。
どうやらトーコの方はもう心配しないでよさそうだ。
ブラックラップ
﹁りゃあああぁぁぁ!!﹂
﹁黒帯!﹂
で、私の方だが、残る一人の頭をハルバードの腹で殴ろうと思っ
たのだが⋮⋮フローライトも使っていた黒い帯状の何かでもって、
私の攻撃は防がれる。
この黒い帯の正体は分からない。
が、フローライトが使っていたのを見る限り、攻撃にも防御にも
使える強力な魔法だ。
ただ、この黒い帯は視界を遮ってしまう。
480
つまり目の前の女がこの後に取る行動は⋮⋮
﹁捕えろ!﹂
このままこの黒い帯を動かして私を攻撃するか、黒い帯を消して
別の攻撃を仕掛けるかの二択。
そしてこの女は黒い帯を動かし、私を拘束する意図の動きを見せ
た。
対する私の行動は単純だ。
﹁甘いわね﹂
﹁なっ!?﹂
ハルバードを手放し、回転の勢いを生かす事によって相手の横を
すり抜ける。
﹁ぐっ!?﹂
そして相手の脚に軽く噛み付いて麻痺毒を注入。
﹁こ⋮⋮﹂
で、どうにも効きが悪いので、そこから更に首筋に噛みつき、麻
痺毒を追加で注入。
動きを更に抑制する。
﹁よう⋮⋮ま⋮⋮だと⋮⋮﹂
﹁あら、これでもまだ動けるのね﹂
が、驚いたことに、口だけとは言え、女はまだ動けるようだった。
うーん、大の男でも全身が麻痺して、呼吸も出来なくなり、死ぬ
量の麻痺毒を注入したはずなんだけど⋮⋮まあ、どうして大丈夫だ
ったかは彼女の記憶を奪えば分かるか。
﹁まあいいわ﹂
481
と言うわけで、もう少し麻痺毒を加えると私は手早く処理をして、
彼女を丸呑みにする。
記憶は⋮⋮うん、大丈夫。
﹁ソフィアん。こっちも終わったよ﹂
トーコも私が殺した一人の分も含めて死体を回収して、こっちに
やってくる。
﹁シエルんも⋮⋮大丈夫そうだね﹂
﹁そうみたいね﹂
で、夜目が利く上に視力が良い者にしか分からないだろうが、遠
くの建物の上でシェルナーシュが片手を挙げている姿が見えた。
どうやら、私たちの感知範囲外に居た懲罰部隊も無事に仕留めら
れたらしい。
﹁それじゃあ、早いところ逃げましょうか﹂
﹁だね﹂
そうして目的を達した私たちは完全に気配を殺し切る形で、その
場から姿を眩ませたのだった。
482
第85話﹁堕落都市−15﹂︵後書き︶
05/01誤字訂正
483
第86話﹁堕落都市−16﹂
﹁それじゃあ確かに死体は回収出来ないわねぇ﹂
翌朝。
私たち三人はとある場所に向けて、昨日の事を話しながら歩いて
いた。
勿論声量を私たち以外のヒトには聞こえないようにかなり抑え、
口元を布で覆う事によって話している事を傍目には分からないよう
にした上でだが。
﹁ああ、見事にしてやられた。まさか、心臓が溶かされている状況
であれほどの声を上げるとは思わなかった﹂
﹁流石って感じだねぇ﹂
で、昨晩の戦いについてだが、シェルナーシュが仕留めた者も含
めて、やはり懲罰部隊は今までの下っ端とは格が違ったらしい。
﹁アタシが相手をした二人も、反撃をしようとはしていたし、トド
メを刺すまで油断する気にはならなかったかなぁ﹂
﹁そう言えば、私の方も完璧に不意を衝いたのに、一方的に仕留め
られたのは一人だったわねぇ﹂
シェルナーシュが相手をしていた懲罰部隊⋮⋮万が一に備えて遠
アシドフィケイション
くから私たちと他の隊員を監視していた一人は、民衆に紛れたシェ
ルナーシュが放った酸性化の魔法を受けた瞬間に、自分が死ぬ事を
察し、自分が何かの攻撃を受けた事を示すように大声を上げ、本物
の﹃闇の刃﹄の魔法使いでなければ決して手出しできないような状
況を作り上げて見せたらしい。
トーコが相手をした二人も、片腕を切り飛ばされ、喉を裂かれた
にも関わらず、トーコを仕留めようと一撃ずつではあるが、何かし
484
らの魔法を放って見せたそうだ。
で、私が相手をした二人も、片方が死んで驚きはしても、呆然と
はせず、私の追撃を一撃目は見事に防御して見せていた。
うん、今思い返してみても、それまで相手にしてきた﹃闇の刃﹄
の下っ端連中とはあらゆる面で動きが違っていた。
それにだ。
﹁まあ、彼らはジャヨケを使わずに魔法を使えるようになるだけの
研鑽を積んでいたようだし、あの強さはある意味当然なのかもしれ
ないわね﹂
﹁そう言えばソフィアん昨日は気分悪そうにしてなかったね﹂
﹁つまりただ修羅場に慣れているだけでなく、マトモな思考能力と
ちゃんとした状況判断力も持っていたわけか﹂
﹁そう言う事になるわね﹂
昨日懲罰部隊の一人を丸呑みした時点で気付いたのだが、懲罰部
隊は基本的にジャヨケの使用を禁じているようで、自分に何が出来
て何が出来ないのかもきちんと把握していた。
そしてその上で、最低限自分が果たすべき役割が何かと言う事も
理解していた。
なので、下っ端連中とは動きが違うのは当然なのかもしれない。
﹁で、ソフィアん。今向っているのは懲罰部隊の拠点って事でいい
んだよね﹂
﹁正確に言えば、私たちを襲ってきた一部隊が拠点としていた建物。
と言ったところね﹂
﹁ふむ?﹂
ただ、それだけの人材であるがゆえに、私が丸呑みにした懲罰部
隊の女が持っている情報は、今までの調査は何だったのかと思わせ
るような質と量だった。
そして、それらの情報の中には当然ながら彼女が所属していた懲
485
罰部隊に関する情報も存在していた。
﹁ソフィア。もしかして懲罰部隊のヒトは、別の部隊に所属するヒ
トについて知らないのか?﹂
﹁ええ、その通りよ﹂
と言うわけで、彼女が把握していた限りではあるが、私は懲罰部
隊の構成についてシェルナーシュたちに説明する。
﹁簡単に言うと⋮⋮﹂
まず懲罰部隊は、名前しかわからないトップ⋮⋮ピータムを頂点
とし、その下に複数の伝達役が居る。
で、伝達役の下に五人一組の実行部隊が、伝達役一人につき数組
存在しているらしい。
でまあ、この伝達役と実行部隊だが、伝達役は自分の保持してい
る実行部隊の顔しか、実行部隊は同じ部隊のヒトの顔しか知らない
ようで、かなり秘匿性が高い部隊になっている。
実際には他にも色々と細々としたものがあるようだったが、とり
あえずはこんなものである。
﹁じゃあ昨日の今日で懲罰部隊の拠点にアタシたちが向かっている
のは⋮⋮﹂
﹁手がかりを抹消される前に、次につながる手がかりを探す為よ﹂
さて、懲罰部隊の秘匿性の高さが分かったところで、仕事に出た
部隊員が帰って来なかったと言う状況を考えてみる。
そんな場合、行方知れずになった部隊直上の伝達役は何をするだ
ろうか。
そんなものは決まっている。
自分に繋がる証拠の抹消し、それ以上追えなくするのだ。
懲罰部隊のヒトは拷問や自白に対する訓練も受けているようだが、
私が伝達役ならば、部下が話さない事に賭けたりはしない。
486
と言うより、時間稼ぎをしてくれている部下の為にもするべきで
はないだろう。
まあ、私の能力の前ではそんな訓練など無意味であったし、流石
にこの速さで情報を引き出せるとは相手も思っていないだろうから、
今日明日程度は証拠が隠滅されていないと私は思っているが。
﹁さ、もうそろそろよ﹂
やがて私たちは目的とする建物がある通りに入る。
だが、そこで私は自分の読みが甘かった事を思い知らされる。
﹁なっ!?﹂
﹁これは⋮⋮﹂
﹁流石と言う他ないな﹂
私たちが目指していた懲罰部隊の拠点は⋮⋮
﹁火事だとさ⋮⋮﹂
﹁二件続けてだなんて嫌だねぇ⋮⋮﹂
﹁ああ、恐ろしい恐ろしい⋮⋮﹂
僅かな痕跡も残す気がないかのように、完全に焼け落ちていた。
487
第86話﹁堕落都市−16﹂︵後書き︶
裏の部隊はかなり優秀です
488
第87話﹁堕落都市−17﹂
﹁っつ⋮⋮!?﹂
私は目の前の光景に一瞬呆けざるを得なかった。
﹁これって⋮⋮﹂
﹁先手を打たれたか⋮⋮﹂
﹁トーコ、シェルナーシュ。そのまま付いて来て﹂
が、直ぐに何が起きたのかを察した私はトーコとシェルナーシュ
に付いてくるように言うと、時折火事によって焼け落ちた建物の跡
を見つめつつ、歩速を変えずにその場から立ち去る。
﹁はあぁぁぁ⋮⋮さて、ここまで来たらもう大丈夫かしらね﹂
やがて、火事現場から十分に距離を取ったところで、私たちは建
物の影の一つに入り、私は全身を脱力させ、背後の建物の壁により
かかる。
﹁で、あの火事はそう言う事でいいんだな﹂
﹁ええ、十中八九懲罰部隊による証拠隠滅でしょうね﹂
﹁うえっ!?幾らなんでも早過ぎない!?﹂
私はシェルナーシュの言葉に頷きながら、内心で懲罰部隊の動き
の速さに称賛の言葉を上げる他なかった。
と同時に考える。
何故これほどまでに早く懲罰部隊は対抗策を打ち出して来れたの
か。
理由として考えられるのは⋮⋮
﹁すまない。恐らく小生が仕留めた魔法使い。奴が自分は殺された
489
と証明しながら死んだことが原因だろうな﹂
﹁もしくは私たちが戦った懲罰部隊が、一定の時間までに拠点に帰
って来なかったら、有無を言わさず拠点を廃棄する。そう言う取り
決めが予めされていたのかもしれないわね﹂
﹁ほへー⋮⋮﹂
シェルナーシュと私が挙げたこの二つだろう。
それでも次の日の朝一と言う、ヒトでは有り得ないタイミングで
やってきた私たちよりも早く判断し、事を済ませているのだから、
伝達役の有能さが窺えると言うものである。
﹁でもまあ、流石に昨日の今日で私たちがあの場に来る事は想定し
ていなかったと思うわ﹂
﹁そうだな。仮に小生たちが犯人だとばれていたら、今頃は少なく
ない数の懲罰部隊が小生たちの後を付けているはずだ﹂
﹁うーん、確かに誰かに付けられているような気配はしないね﹂
ただ、それだけの対応力を見せてきた伝達役でも、流石にこのタ
イミングで私たちがやって来たことは想定できなかった。
または、想定出来ていても、私たちが犯人だとは分からなかった
らしい。
今、私たちに監視が付けられていないのが、その傍証となるだろ
う。
なにせ、もしもあの場に数日後に行っていたら、先程の私の僅か
な驚きや呆けを気取られて、犯人だとばれ、後を付けられていたは
ずだからだ。
この状況を作り上げた伝達役なら、それが出来るぐらいの実力者
は用意しておくだろう。
﹁それでソフィア。これからどうするつもりだ?﹂
﹁そうね⋮⋮﹂
私は軽く目を閉じ、周囲の雑踏が交わしている声に耳を傾ける。
490
﹁どっちの火事もマカクソウ中毒者が火を付けたんだとさ﹂
﹁へー、それで犯人は?﹂
﹁火に巻かれて焼け死んだって話だ﹂
﹁ああ、そいつは良かった﹂
﹁しかし最近は物騒だよなぁ⋮⋮﹂
行き交う人々の話は当然ながら、昨日の火事の話題が中心になっ
ている。
ただ、そこにマカクソウに反対する決戦派が、開戦派に味方する
商店の倉庫に火をつけたと言う話は一切存在しない。
それはつまり⋮⋮
﹁とりあえず私たちが先導する形で内乱を起こすのは諦めた方がい
いわね﹂
﹁理由は?﹂
﹁継戦派の連中の方が、私たちよりも正確にマダレム・エーネミの
状況を把握し、操作する事が出来ているからよ﹂
私は再び群衆の声に耳を傾ける。
が、そこにはやはり私が望むようなストーリー⋮⋮つまりは決戦
派と開戦派が仲違いし、内乱が起きると言った話は含まれておらず、
代わりに犯人はマカクソウ狂いの異常者で、既に死んでいると言う
話ばかりが聞こえてくる。
それはマダレム・エーネミの民が内乱は望んでいないと言うのも
あるだろうが、それ以上に誰かが一般大衆の動きを自分にとって都
合のいいように動かしている事を疑わせる様な話だった。
勿論、ここで言う誰かとは、継戦派に属する誰かなわけだが。
﹁現に、民衆の間では昨日の事件は単独の事件として片づけられて
しまっているわ。懲罰部隊が一部隊消えているのを向こうも把握し
ているはずなのにね﹂
491
﹁ふうむ⋮⋮﹂
﹁それと、もう一度懲罰部隊を誘い込むのも辞めた方がいいわね﹂
﹁ああ、そっちは分かる。これだけ対応が早いとなると、何度やっ
てもいたちごっこだろうし、回数を重ねればそれだけ小生たちの正
体と能力がばれて、討伐される危険性が増す事になるからな﹂
で、これからどうするかについてだが⋮⋮とりあえず内乱を起こ
すのは諦めた方がいいだろう。
向こうの方が情報操作については上手のようだし、これだけ手際
が良いとなると、私たちが何かをしたところで、内乱が起きる前に
適当な身代わりを立てられて、その身代わりに全ての罪を着せて処
断する事によって全てを無かった事にするぐらいは何のためらいも
無くやって見せるだろう。
そして懲罰部隊をこれ以上相手取るのも、シェルナーシュの言う
理由でもって止めた方がいい。
ただまあそうなるとだ。
﹁じゃあどこから魔石関係の情報を得るの?﹂
今後の活動の為に必要な情報を得るための手段は嫌でも限られて
くる。
﹁出来れば相手にしたくは無かったけれど、確実に魔石関係の情報
を持っていると言えるヒトが居るから、その人物を狙うわ﹂
﹁それってもしかして⋮⋮﹂
﹁一時的な危険度で言えば懲罰部隊を相手取る以上になりそうだな﹂
だが、それらの情報を確実に持っていると言えるヒトが誰なのか
は既に分かっている。
そう⋮⋮
﹁でも、これが一番勝ち目があるわ﹂
マダレム・エーネミを治める長と、その側近たちだ。
492
第88話﹁堕落都市−18﹂
﹁それで、九人の重要人物のうち、誰を狙うつもりだ?﹂
﹁そうねぇ⋮⋮﹂
長く一か所に留まっていると怪しまれると言う事で、私たちは出
来る限り騒がしい通りを通る形でゆっくりと移動をはじめる。
これは、静かな通りよりも騒がしい通りの方が、他のヒトの話声
に紛れて私たちの会話を隠しやすいからだ。
で、誰を狙うかについては⋮⋮
﹁まずペルノッタとピータムの二人は無し⋮⋮と言うか、狙いたく
ても狙えないわ﹂
﹁確か表には出て来ていない二人だよね﹂
﹁分かっているのは名前と﹃闇の刃﹄内で重要な人物である事と、
ピータムが懲罰部隊のまとめ役である事ぐらいだったか。確かにこ
れでは無理だな﹂
まずは単純な消去法でもってペルノッタとピータムの二人を狙う
と言う選択肢は無くなる。
なにせこの二人については、シェルナーシュが言っている事しか
分かっておらず、何処に居るのかはおろか、顔も性別も、そもそも
として私たちが調べた子の名前が本名かどうかすら分からないのだ
から、狙う事も出来ない。
まあ、ピータムが懲罰部隊のまとめ役である事から推測して、ペ
ルノッタこそが魔石の加工に関わる諸々を取り仕切っているであろ
う事はまず間違いないとは思うので、私たちの目的を達するために
はいずれ始末する必要が有る人物なのは間違いないわけだが。
﹁ドーラムも無理ね。悔しいけど﹂
493
﹁フロりんの居る屋敷の持ち主で、実質今のマダレム・エーネミと
﹃闇の刃﹄の最高権力者⋮⋮だっけ?﹂
﹁ええ、その通りよ﹂
﹁狙えないのは⋮⋮戦力の問題か?﹂
﹁いいえ、戦力差については正面切って戦わないから大丈夫よ﹂
﹁じゃあ何が問題なの?﹂
﹁ドーラムについては始末する前じゃなくて、始末した後が問題な
のよ﹂
﹁ほう?﹂
私はドーラムを始末した場合に起きるであろう事態を二人に話す。
と言っても、私が確証を持って起きると言い切れる事と言えば⋮
⋮地下に居るフローライトが発見される事や、他の有力者たちがド
ーラムの後釜を狙って活発に動き出す事、抑えが利かなくなった開
戦派と決戦派の暴走が起きる懸念ぐらいだが。
﹁で、何が拙いって、今言ったのは最低限確実に起こると言い切れ
る範囲内の事であって、実際には私どころか他の有力者たちにすら
状況を完全に把握できなくなるような事態がまず間違いなく発生す
る点なのよねぇ⋮⋮﹂
﹁んん?ソフィアん。周りが混乱していた方がアタシたちは動きや
すいんじゃないの?﹂
﹁混乱の大きさにも限度があるのよ。最悪は⋮⋮そうね。後釜を狙
った有力者同士の争いによって生じた内乱の隙を突く形でマダレム・
セントールが攻め込んできて、私たちごと殲滅される。と言ったと
ころかしらね﹂
﹁無いとは⋮⋮言い切れない⋮⋮な﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
私が考えるドーラムを始末した場合の懸念事項について、どうや
ら二人とも納得してくれたらしく、微妙に声が引き攣っている。
でも実際、今言った最悪の状況にはならなくとも、私たち三人の
494
内の誰かが命を落とすぐらいの事態には普通に陥ると私は感じてい
る。
と言うわけで、フローライトを地下室に監禁していると言う一点
だけでも、百万遍殺してやりたい程に憎らしい相手ではあるが、現
状ではまだドーラムは殺せない。
と言うか、ドーラムの命が危険に晒されるようなら、守らなけれ
ばならないぐらいである。
ああ本当に苛立たしい。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁コホン。まあ、ドーラムについてはここら辺でさて置くとしてお
きましょう﹂
と、気が付いたらトーコとシェルナーシュの二人から変な目で見
られていた。
部外者である事
どうやらドーラムに対する憎しみの念が多少ではあるが、漏れ出
てしまっていたらしい。
いけないいけない、一体どこで私たちの正体がばれるか分かった
ものでは無いのだから、もう少し落ち着かないと。
﹁ハーカム、トトウェン、セントロの三人も駄目ね﹂
﹁﹃闇の刃﹄じゃないんだっけ﹂
﹁ええ、﹃闇の刃﹄との連携を取るための人員として、側近に﹃闇
の刃﹄の構成員は居るでしょうけど、私たちが欲しい魔石関連の情
報については知らないと思うわ﹂
﹁まあ、﹃闇の刃﹄の構成員で無い者には万が一にも漏らすわけに
は行かない情報だしな。それを考えたら、この三人の側近に居るで
あろう﹃闇の刃﹄の構成員は、良くて懲罰部隊の伝達役クラスの情
報しか持っていないだろう﹂
﹁でしょうね﹂
で、話を続けるわけだが、ハーカム、トトウェン、セントロの三
495
人も狙えない。
と言うか彼らはそもそも情報そのものを知らないだろう。
そう言うわけで、狙う価値なしである。
﹁となると残りは⋮⋮﹂
さて、目標はだいぶ絞られてきた。
﹁バルトーロ、ギギラス、グジウェンの三人ね﹂
﹁﹃闇の刃﹄であると同時に七人の長でもある三人か﹂
﹁確かにこの三人だったら、知ってそうだね﹂
残る三人はシェルナーシュの言うように、﹃闇の刃﹄の構成員で
あると同時にマダレム・エーネミ七人の長でもある。
そして、彼らの下にはドーラムと同じように多数の一般構成員が
おり、それぞれがそれぞれに派閥と言っていいような物を築き上げ
ている。
と言うわけで、仮にこの三人が周囲から担ぎ上げられただけの存
在であっても、その側近たちの中の誰か一人ぐらいは﹃闇の刃﹄の
魔石加工関係に関する知識を有しているはずである。
で、私たちにとって都合のいい事に彼らは⋮⋮、
﹁さてと。それじゃあ目標を一人に絞るためにも、色々と調べてみ
ましょうか﹂
﹁だね﹂
﹁そうだな﹂
非常に仲が悪いのだ。
496
第88話﹁堕落都市−18﹂︵後書き︶
誰を狙うのかと言うのは意外に重要です。
497
第89話﹁堕落都市−19﹂︵前書き︶
本話は普段以上に人を選ぶ描写が存在していますので、ヤバいと感
じられた方は素直にブラウザバックされることをお勧めします。
今回は三人がどういうヒトなのかを描写するだけですしね。
498
第89話﹁堕落都市−19﹂
﹁さて、だいたいの情報は出揃ったわね﹂
一週間後。
私たちはバルトーロ、ギギラス、グジウェンの三人の配下に化け、
別の誰かを探ると言う方法でもって、三人の不和を煽りつつ情報探
っていたのだが、暗殺に必要な情報がだいたいで揃ったと言う事で、
どうやって実行するかを話し合う事とした。
﹁まず、バルトーロ、ギギラス、グジウェンの共通項は、﹃闇の刃﹄
の構成員である事。マダレム・エーネミ七人の長である事。それに
程度の差はあっても開戦派である事。後は⋮⋮兵力、商売、家の構
造なんかまで、大体同じような感じね﹂
﹁⋮⋮。この三人は三つ子か何かなのか?﹂
﹁此処まで一緒だなんて本当は仲が良いんじゃないの?﹂
﹁んー、どうにもドーラムの座を狙おうとした結果として、三人と
も色々と似る事になったみたいね。で、そうした事情もあって、仲
が悪くなったみたい﹂
﹁まあ、座れる椅子は一つしかないし、そう言う事なら仲が悪くな
って当然か﹂
﹁なるほどー﹂
で、この三人の共通項だが⋮⋮多過ぎて、シェルナーシュが三つ
子か何かかと疑いたくなるようなレベルで共通項が多い。
まあ、似通うのも仕方が無くはある。
なにせこの三人は自分の力を増したいだけでなく、ドーラムの座
を奪いたいと考えているのだから。
だから他の二人に後れを取らないように強引な手段を持ってして
でも兵力を増そうとするし、金品や武具も集めようとするのだ。
499
なお、三人の兵力を集めても真正面からではドーラムには勝てな
いらしいので、この辺りからもドーラムの厄介さが窺えるし、私た
ちの調査によって部下が多少消えた程度では問題があると思わない
辺りにこの三人の残念さが窺える。
﹁でもまあ、どれほど似通ってはいても、この三人にはきちんと相
違点もあるわ﹂
話は戻すが、彼らはその地位と目的ゆえに酷く似通ってはいるが、
血の繋がりもない赤の他人なので、一から十まで全てが同じではな
い。
﹁と言うと?﹂
と言うわけで、一人ずつ違いを説明していこう。
﹁まずバルトーロ。コイツは大層な大食漢で普通のヒトの数倍は食
べるわ﹂
﹁へー﹂
﹁おまけにかなり好色で、侍女や部下の女性にも手を出していて、
おまけにそれを咎めようとした部下を鞭で撃ったり、酷い時には新
しい魔法の試射に使うみたいね。当然酒癖も悪いわ﹂
﹁酷いな﹂
﹁しかも金銀財宝、宝飾品類を大いに好むそうだし⋮⋮まあ、こん
なのが上に居たら、マダレム・エーネミが今の状況に陥るのにも納
得がいくわね﹂
まず一人目、バルトーロ。
私の中で簡単に言うのであるならば、あのディランを更に悪くし
たようなヒトと言ったところか。
ちなみに見た目はオークがヒトの振りをしているようだと、よく
オーク
揶揄される外見である。
うん、それは豚の妖魔に対して失礼だと思う。
500
彼らの身体は脂肪だらけのバルトーロと違って、必要な分だけ脂
肪が付いた筋肉の塊と言った方が正しいし。
﹁二人目、ギギラス。どうにもコイツはかなりの野心家であるみた
いね﹂
﹁と言うと?﹂
﹁未確定の情報ではあるけれど、コイツの家にはマダレム・セント
ールのヒトが出入りしている疑惑があるし、常日頃から何時かはマ
ダレム・エーネミだけでなく、マダレム・セントール、マダレム・
シーヤ、その他諸都市を自分の手の内に収めたいと思っているみた
い﹂
﹁大層な願いだねぇ﹂
﹁でも、その大層な夢を本気で叶えようとしているみたいで、三人
の中では特に武器の収集や兵力の増強に力を注いでいるらしいわ﹂
二人目はギギラス。
こちらは中肉中背で、見た目に関しては多少鍛えてあるだけで極
々普通のヒトである。
ただまあ、その野心の大きさに対して実力や度量が見合っていな
い。
その証拠として積極的に動き回り、バレれば反逆者扱いされるよ
うな真似をしているにも関わらず、他の二人を引き離せないでいる
し、良い部下が居ても信頼できず、扱い切れていないのだから。
﹁三人目はグジウェン。コイツは⋮⋮あまり近寄りたくないわね﹂
﹁どういう事?﹂
﹁ふむ?﹂
で、最後の一人はグジウェン。
コイツは⋮⋮色々と危ない。
﹁順に説明するわ。まず外見は他二人に比べて痩せていて、目指し
501
ているもの、優先しているものは不明。家の中には時折中身不明の
大きな袋が持ち込まれ、週に一度はわざわざ改装させて造った部屋
の中に半日はこもっているらしいわ﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁問題はこの部屋から出てきた後で、かなり奇異な言動をするらし
いわ﹂
﹁奇異な言動?﹂
シェルナーシュとトーコが首を傾げ、私に先を促してくる。
正直私としては侍女の一人から入手したこの情報を口には出した
くないのだが⋮⋮まあ出さないと色々と判断するための情報が足り
なくなるし、出すしかないか。
﹁奇異な言動と言っても、その時毎に度合いは異なるわ。良い時は
⋮⋮そうね、突然従者の一人に何処かの都市国家へと交易に行かせ
たり、マダレム・エーネミの何処かに宝飾品を埋めるように指示を
出すそうよ﹂
﹁確かに妙ではあるが⋮⋮そこまでおかしなものではないな﹂
﹁問題は悪い時ね﹂
﹁と言うと?﹂
私は念のためにもう一度シェルナーシュとトーコの顔を見る。
うん、どうやら二人に聞かないと言う選択肢はないらしい。
﹁悪い時の言動は、例の部屋から出た直後に侍女の首をナイフで突
き刺し殺害﹂
﹁へっ?﹂
﹁その後侍女の死体をその場で犯し、腹をナイフで十字に切り裂き﹂
﹁なっ!?﹂
﹁庭の木の一本に三日三晩侍女の死体を逆さ吊りにするように命じ
たそうよ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
502
﹁で、無事に侍女の死体が吊るされたところで、こう言ったらしい
わ。えーと⋮⋮﹃じゃんひゃぅぢゃじゃぢみ えあぁえあいじゃだ
っや ぉてふぇ えあやぢじゃ づぅえあてや﹄﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
私の発言にトーコとシェルナーシュの様子は?
完全に固まっている。
まあ仕方がないか。
﹁おい、ソフィア﹂
﹁何?シェルナーシュ﹂
だって⋮⋮
﹁こいつはマカクソウ狂いか?﹂
﹁たぶんね﹂
﹁うわぁ⋮⋮﹂
どう考えても異常と言う他ない行動をしているのだから。
﹁と言うわけで、私は近寄りたくないと言ったの﹂
﹁ああうん、これは近寄らない方がいいな﹂
﹁だね。関わり合いになりたくない﹂
と言うわけで、シェルナーシュとトーコの了承が得られたところ
で、私はグジウェンをターゲットから外すのだった。
なお、この部屋から出てきた直後を除けば、グジウェンは他二人
よりも遥かに善良であるらしい。
マダレム・エーネミレベルでの善良さだが。
503
第89話﹁堕落都市−19﹂︵後書き︶
うわぁ⋮⋮︵ドン引き︶
05/04誤字訂正
﹃反逆者は死に、災いは去った。これで 私は 救われた﹄
504
第90話﹁堕落都市−20﹂
﹁右よし、左よし﹂
﹁後方にも敵影は無いわね﹂
﹁天気は程よく月が隠れる程度か。都合がいい﹂
二週間後の夜。
若干雲がかかった月から、僅かな光が周囲を照らし出し、街全体
が静寂に包まれている中、私たちはターゲットと見定めたヒトが住
む屋敷の近くへとやって来ていた。
﹁二人とも分かっていると思うけど⋮⋮﹂
﹁分かってるよ。お互いの名前は言わない。でしょ﹂
﹁遭遇したヒトは、全員暗視の魔法がかかっていると思え。だろう﹂
﹁それと出来る限り音を立てずによ﹂
今回の作戦では、相手側に暗視の魔法がある以上、夜の暗闇は私
たちを利することにはならない。
が、それでも大半のヒトが眠りにつき、警備が緩まざるを得ない
夜の方が、これから私たちがやろうとしている事を考えたら、有利
な事には違いないと言う事で、作戦時刻には夜を選択した。
﹁じゃ、行くわよ﹂
二人が無言で頷いたのを見た私は、目の前の屋敷の壁に向かって
音も無く駆けていき、木の枝に登る要領でもって屋敷の周囲を囲む
塀の上へと難なく昇る。
﹁よっと﹂
私に続けてトーコが塀の上へと跳び上がり、音も無く着地する。
で、私とトーコが塀の上に上ったところで、塀の外に向けてロー
505
プを降ろし⋮⋮
﹁ふんっ﹂
﹁はいっ﹂
﹁助かる﹂
私たちより身体能力が劣るシェルナーシュを塀の上へと引き摺り
上げる。
﹁じゃっ、予定通り行きましょう﹂
﹁うん﹂
﹁分かった﹂
周囲に見回りの人間が居ない事を確認した私たちは、塀の上から
飛び降り、屋敷の中に無音で着地すると、物陰にその身を潜ませる。
そして、誰にも気づかれていない事を手早く確認すると、手近な
扉を開け、部屋の中へと忍び込む。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
屋敷の中に入り込んでまずやることは?
屋敷内に関して最新の情報を得る事だ。
と言うわけで、忍び込んだ部屋の中に居た侍女たちを、ナイフで
音を立てたり、騒がれたりしないように気を付けつつ、適当な一人
を除いて全員始末。
そして、残した一人を私が生きたまま丸呑みにすることによって、
記憶を奪取。
屋敷内の最新の状況を把握する。
﹁状況は?﹂
﹁事前の想定通り。命令違反が無い限りは、作戦通りでいいわ﹂
﹁了解﹂
侍女から情報を奪った私たちは、部屋の外に出る。
506
次にやるべき事は?
見回りの人間を全員始末する事だ。
﹁ん?何のお⋮⋮ぐっ!?﹂
なので、私とトーコの二人でもって見回りの人間を一人ずつ始末
しつつ、見回りの人間が寝泊まりしている部屋に踏み込むと、起き
ブラウニー
ポイズン
ていたヒトは殺害、寝ているヒトはトーコの鍋に入れて持ち込んだ、
私の焼き菓子の毒を混ぜた酒を口の中に流し込むことによって静か
に永眠してもらう。
ドライ
﹁乾燥﹂
﹁おい、何をして⋮⋮あっ?﹂
ドライ
で、その間に暗視の魔法を掛けていた﹃闇の刃﹄の魔法使いたち
については、シェルナーシュの乾燥の魔法を部屋全体にかける事に
よって、全員何が起きたのかも理解できないままに死んでもらうと、
死体は厨房に設置されていた井戸の中へと投げ込んでおく。
これで後になって死体が発見されても、死因は特定できなくなる
だろう。
﹁時間は?﹂
﹁大丈夫よ﹂
﹁じゃっ、残りも手早く済ませちゃおうか﹂
さて、ここからが問題だ。
﹁行ってくるね﹂
﹁任せたぞ﹂
﹁頑張ってね﹂
まずトーコがこの屋敷の主⋮⋮ギギラスの部屋へと、今回の為に
とある場所から拝借した鉄剣を持って向かう。
なお、ギギラスの部屋の前に控えている兵士は既に始末済みで、
507
ギギラスとその家族が寝ている事は確認済みである。
﹁では小生たちも﹂
﹁そうね﹂
で、私とシェルナーシュの二人は、ギギラスの側近とマダレム・
セントールに所属する流派﹃獣の牙﹄の魔法使いが寝泊まりしてい
る建物へと向かう。
﹁灯りは点いてないけど⋮⋮﹂
﹁これは起きているな﹂
私たちが着いた建物は、トイレを除けば一室しか無いような小さ
な石造りの建物で、灯りは点いていない。
が、部屋の中からは微かにヒトが動いている気配と物音が伝わっ
てくる。
数は⋮⋮恐らく四人ほど。
﹁どうする?﹂
﹁第一優先目標はギギラスの側近の持っている情報よ。だから、﹃
獣の牙﹄の魔法使いには死んでもらっても構わないわ﹂
﹁分かった。では、小生が相手をする﹂
﹁お願いするわ﹂
私とシェルナーシュは二手に分かれると、私は建物の入り口の脇
に、シェルナーシュは窓の横へと身を潜める。
で、中の様子を探るべく耳を澄ませてみるが⋮⋮うん、聞かない
方が良かった。
思いっきりヤってる最中だ。
ただまあ、魔法使い相手に油断は禁物。
と言う事で、私は建物の中を気を付けて覗く。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
508
数は予想通り四人で、男三人に女一人。
で、私の記憶が確かなら、今ベッドの上で女を押し倒している男
が﹃獣の牙﹄の魔法使いで、それを眺めている二人の男の片方がギ
ギラスの側近の一人だったはず。
これは⋮⋮うん、シェルナーシュには悪いけど予定変更。
私は手を伸ばして、シェルナーシュに指の動きだけで指示を出す
と、息を整える。
﹁ん?誰⋮⋮ぎゃっ!?﹂
﹁あぐっ!?﹂
十分に息が整ったところで、私は部屋の中に飛び込むと、トーコ
の持っていた鉄剣と同じデザインの鉄剣でもって、ベッドの上に居
た二人を串刺しにする。
﹁何⋮⋮ぐっ!?﹂
グルー
﹁誰⋮⋮ムグッ!?﹂
﹁接着﹂
グルー
と同時に、叫び声を上げようとした二人も、ベッドの上に居た二
人も、口がシェルナーシュの接着の魔法でくっつけられ、開かない
ようになる。
﹁むぐっ!?むぐぐぐ!?﹂
﹁むががが!?﹂
﹁じゃっ、さようなら﹂
そして二人が慌てている間に私は接近、二人の首に麻痺毒の牙を
突き立てて動きを止める。
﹁御馳走様でしたと﹂
で、ベッドの上に居た二人の息の根を止めると、私は麻痺毒を注
ぎ込んだ二人を丸呑みにし、完全では無いものの、だいたいの記憶
509
を奪い取る。
﹁予定通り終わったよー。そっちは?﹂
﹁問題なく終わったわ﹂
と、ここで剣を持たない姿でトーコが私たちに合流したので、私
たちは部屋に火をつけると、とある方向へと逃げる途中でわざとそ
の後ろ姿だけを見せ、その後に行方を眩ませてからフローライトの
下に戻ったのだった。
510
第90話﹁堕落都市−20﹂︵後書き︶
暗殺完了です
511
第91話﹁堕落都市−21﹂
﹁お帰りなさい。ソフィア﹂
﹁ただいま。フローライト﹂
フローライトの部屋に戻ってきた私たちは、フローライトの座る
ベッドの前の床で車座になる。
﹁で、ソフィア。目的の情報は手に入ったのか?﹂
﹁ええ、少なくとも手がかりには間違いなくなるだけの情報は手に
入ったわ。ただまずは⋮⋮﹂
さて、全員が一息吐いたところで、今回の作戦の結果と成果につ
いて話す事とする。
と言うわけで、まずは今回の作戦中、今後に多少なりとも関わっ
てくる部分を一人でやってもらったトーコへと視線を向ける。
﹁心配しなくても大丈夫だよ。ソフィアんに言われた通り、今回の
為に持ってきた剣をベッドで寝てたギギラスの胸に突き刺して、そ
のまま残して来たから﹂
﹁死んだのは?﹂
﹁勿論確認済み。ちゃんと脈も止まってたよ。あ、これはギギラス
が身に着けてた魔石ね。使おうとしたから、ぶんどってきちゃった
けど問題ないよね﹂
﹁ふふふ、むしろ盗って来て正解ね。これで疑いの目が向けやすく
なるわ﹂
で、トーコの方だが、無事に作戦通り事を進めてくれたらしい。
それどころか、事前に言っておかなかったギギラスが身に着けて
いた希少品の類を盗ってくると言う事もしてくれた。
これならば、これ以上私たちが手を加えなくても、勝手に色々と
512
面白い事になってくれるだろう。
﹁それでソフィアんの方は?﹂
﹁今から説明するわ﹂
さて懸念事項の方も片付いたところで、今回の主目的⋮⋮﹃闇の
刃﹄の魔石加工関連についての情報収集をどこまで出来たかについ
て話してしまうとしよう。
﹁まず﹃闇の刃﹄の魔石加工関係をまとめているのは、やっぱりペ
ルノッタで良いみたい。私が食べた奴の記憶の中でも、ギギラスと
ペルノッタが未加工の魔石や道具に食料と言った必要物資を幾つ納
入して、代わりに加工済みの魔石を幾つ渡すと言う交渉をしている
風景が有ったから﹂
﹁ふむ。そこは事前の予想通りだな﹂
﹁そうね。目新しい情報ではないわね﹂
まず、魔石加工関連の責任者がペルノッタなのは確定。
ただし、外に出る時の私たちと同じように布で顔を隠している上
に、体型が分からないようにするローブや、交渉中一切席を立たな
いと言うスタイルでもって、声と筆跡以外の正体を特定するための
情報を一切漏らさないようにしているので、そこまでの手掛かりと
は言えないが。
﹁それで、その交渉をしていた場所って言うのは?急がないとこの
前の懲罰部隊の時みたいに潰されちゃうんじゃないの?﹂
﹁んー⋮⋮急ぐ必要はないと思うわ﹂
﹁と言うと?﹂
﹁その交渉をしている場所って言うのが、﹃闇の刃﹄全員が利用し
ている場所なのよ。だから、その場所を潰せば、色々と面倒な事に
なるの。それにそもそもとして、今回のやり方で﹃闇の刃﹄が情報
が漏れた事に勘付く可能性は有り得ないと言い切っていいわ﹂
513
﹁確かにソフィアのヒトを丸呑みにすれば記憶を奪い取れると言う
能力を﹃闇の刃﹄が知っているとは考えづらいな﹂
﹁むしろ知っていたら吃驚ね。私もソフィアみたいな妖魔が居るだ
なんて知らなかったのに﹂
﹁あー、言われてみればそうか﹂
で、魔石供給の交渉をしていた場所も判明。
この場所はドーラム含め﹃闇の刃﹄の幹部連中全員が利用してい
て、所有もペルノッタなので、幹部の誰かがこの場を奪い取るべく
動こうとすれば、動き出した時点でマダレム・エーネミ全体を敵に
回す事になると言う場所である。
と言うわけで、個人的にはここは常に懲罰部隊を始めとした﹃闇
の刃﹄の精鋭たちが常時秘密裏に警備しているのではないかと思う。
﹁それに、交渉場所は本当に交渉にしか使われていない場所だから、
あまり積極的に調べる意味がない場所でもあるのよ﹂
﹁そうなの?﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
ただ、この魔石供給の交渉をする場所は、本当にそれだけにしか
使われていない場所であり、魔石の加工は勿論の事、未加工の魔石
も加工済みの魔石もここには置かれていない。
﹁で、未加工の魔石を集める場所と、加工済みの魔石を運び出す場
所もそれぞれ別の位置にあることが記憶から分かるんだけども⋮⋮
肝心の魔石の加工場所については、ギギラスも私が食べた奴も教え
られていなかったみたいね﹂
﹁やはりそう来たか﹂
﹁うわー、面倒くさい﹂
﹁でも、正解だと思うわ。ソフィアたちの話を聞いていた限り、ギ
ギラスはマダレム・エーネミも裏切っていたようだし﹂
﹁まあ、その通りではあるわね﹂
514
で、交渉に基づいて魔石の供給を受ける関係上、未加工の魔石を
運び込む場所、加工済みの魔石を運び出す場所についても記憶には
あるのだが⋮⋮加工する場所については調べても分からなかったと
言う記憶しか存在していない。
﹁ちなみにギギラスが加工場所を調べようとして、失敗した理由は
?まあ、予想は付くが念のためにな﹂
﹁そんなの調査員が懲罰部隊に始末されたからに決まっているじゃ
ない﹂
﹁だよねー﹂
私の言葉に全員揃ってまあそうだろうな。と言うような顔をする。
まあ、どの魔法使いの流派にとっても最重要情報である魔石加工
関係に対して行われている警備が緩いはずがないので、当然と言え
ば当然の話であるのだが。
ちなみにギギラス視点の情報なので少々信憑性が怪しいが、魔石
を加工している場所について知っているのは、その場で働いている
者を除けば、ドーラムとその側近、それに懲罰部隊の上層部ぐらい
では無いかとの事だった。
﹁でもソフィア。そうなるとこの後は⋮⋮﹂
いずれにしても一つ確か事が有る。
﹁ええ、結局懲罰部隊は始末するべきであるみたい。でないと、調
べられないわ﹂
それは﹃闇の刃﹄の魔石加工場所について知るためには、﹃闇の
刃﹄の懲罰部隊を無力化する必要が有ると言う事だ。
515
第91話﹁堕落都市−21﹂︵後書き︶
05/06誤字訂正
05/07誤字訂正
516
第92話﹁エーネミの裏−1﹂
次の日の夜。
﹁まったくバルトーロの奴め、もう少し頭を使ったらどうなのだ﹂
マダレム・エーネミの中心地にそびえるその屋敷では、頭から白
髪を生やし、皮膚を皺と染みだらけにした一人の老人が腹立たしげ
に木製の杖で石の床を突きながら、ゆっくりと回廊を歩いていた。
老人の名はドーラム。
﹃闇の刃﹄とマダレム・エーネミの実質的なトップである。
﹁父上、バルトーロの愚かさは今に始まった事ではありませんし、
もう少し落ち着いてください。体に障ります﹂
﹁む、むう⋮⋮分かっておる。分かっておるが⋮⋮﹂
と、ドーラムの背後に立っていた複数の男女の中から一人の男性
がドーラムの隣にまで出てくると、その怒りを鎮める様に声をかけ、
ドーラムもその声に素直に従うように立ち止まり、呼吸を整える。
男性の名はダーラム。
ドーラムの息子の一人であり、ダーラムの周囲に居る人々からは
跡継ぎと目されている男である。
﹁それでも奴の﹃アイツが死んで清々した﹄と言う発言を始め、七
人の長が殺された⋮⋮それも自宅で事が終わるまで誰も気付かれず
に暗殺されたと言う事実の重大さを理解していない発言の数々には、
老人の老いた頭にはどうしても腹立たしくての⋮⋮﹂
﹁お気持ちは分かりますが、落ち着いてください。ここで腹を立て
ていても仕方がありません﹂
﹁まあ、そうじゃがの﹂
517
やがてドーラムとダーラムの二人は一つの明かりも点いていない
部屋の中に入り、それに合わせてそれまで二人に付き従っていた侍
従たちはその場から立ち去っていく。
﹁ふぅ⋮⋮息子よ。今回の件、お主はどう思う?﹂
暗い部屋の中でも二人は暗さを意に介した様子も見せずに会話を
続ける。
それはこの二人が暗視の魔法を用いているからではあるが、それ
ぞれがごく自然な動作でもって自分に暗視の魔法をかける事が出来
るのは、二人が﹃闇の刃﹄の魔法使いとして実に優れている事を示
す証拠でもあった。
﹁ギギラス殺害現場に残されていた証拠と、表に出ているギギラス
の交友関係だけを鑑みるのであるならば、バルトーロの手の者が犯
人と言う事になるでしょう。ギギラスの命を奪った鉄剣がバルトー
ロの配下たちが使っているものである事は明確な事実で有りますし、
両者の仲が悪いのも周知の事実です﹂
﹁聞くところによればバルトーロ自身も部下の事を褒め称えていた
そうだな﹂
﹁ええ。尤も、自分の仕事だと名乗り出た人間が多過ぎて、誰に褒
賞を与えればいいのか分からないと言うくだらない悩み事も抱えて
いたようですが﹂
﹁くだらない⋮⋮か﹂
﹁くだらないでしょう。事実は全く別の物なはずですから﹂
﹁ほう⋮⋮どうしてそう思う?﹂
ダーラムはこの場には居ないバルトーロに向けて侮蔑の感情を向
けつつ自分の考えを述べ、ドーラムは息子の成長を確かめるような
意図を込めた瞳を向けつつ、ダーラムの話に耳を傾けていた。
﹁はっきり言って、今回の事件はバルトーロの手の者がやったにし
518
ては手際が良すぎます。それにそもそもとして、暗殺と言う手法自
体バルトーロの好む手ではありません﹂
﹁では仮にバルトーロがギギラスを殺すとするならば、どういう手
を取ったと思う?﹂
﹁集められるだけの人員を集めて屋敷の正面から押し入り、自分た
ちの被害を気にせず相手を押し潰す。そう言う手法を取ったでしょ
うね﹂
﹁ふむ。手際が良すぎると言うのは?﹂
﹁そのままの意味です。この件の犯人たちは、わざとその姿を晒す
までは誰にも何も気取らせなかった。こんな事は、私の手の者の中
からでも、選りすぐりの精鋭を集めたとしても一筋縄ではいかない
でしょう﹂
﹁ほう⋮⋮お前にそう言わせるか﹂
﹁そう言う他ありません。それほどまでにギギラスを暗殺した者た
ちの実力は優れています﹂
ダーラムはギギラスを殺害した犯人⋮⋮つまりはソフィアたちに
対して嫉妬の感情を向けつつも、その実力を素直に認め、正体は分
からないが、油断は決して出来ない相手であると認識していた。
そしてそれは、父であるドーラムも同じだった。
﹁だが確かにそうだな。こいつらは少なく見ても﹃獣の牙﹄の精鋭
連中と同程度の身体能力は持っている。間違っても甘く見て良い相
手ではないだろう﹂
﹁父上は犯人たちの正体をどう考えますか?﹂
﹁﹃獣の牙﹄の精鋭⋮⋮と言うのが一番単純な見方をした場合だが、
実際の所は分からんな。それこそ東の方でマダレム・ダーイとか言
う都市を滅ぼしたらしい知恵ある妖魔。奴らが犯人であっても、お
かしくはないぐらいに手掛かりがないし、連中の目的も見えん﹂
﹁妖魔⋮⋮ですか﹂
﹁まあ、流石に妖魔は無いか。だが誰が犯人であってもおかしくは
519
ない。この件の犯人を探り出すのであるならば、それぐらいの心意
気で探すべきだろう﹂
﹁心得ました。父上﹂
ドーラム親子は、ギギラスが殺された一件をとても重く見ていた。
如何にギギラスが自分たちよりも様々な面で劣る人物で有っても、
七人の長の座に着いているのに相応しいだけの備えはしていた事は
知っている。
そのギギラスがあっけなく殺されたと言う事は、その犯人は自分
たちの家に布いている警備すらも難なく突破し、自分たちの胸にそ
の刃を届かせかねない。
ドーラム親子はそう考えていた。
﹁では父上。私は通常の仕事に支障を来たさない範囲で、今回の件
の犯人について探ってみようと思います﹂
﹁うむ。屋敷の警備と城門を出入りする者に対する監視の強化は、
儂の方でやっておこう。頼んだぞ。ダーラム⋮⋮いや、ピータムよ﹂
﹁任せてください。父上﹂
そうして、これからやるべき事を定めたダーラムは、軽く一礼を
してから部屋の外に出ていく。
ただ彼らの想定には誤算があった。
それは既にソフィアが自分たちの屋敷に頻繁に出入りしており、
それこそ門番が顔を見ただけで通すほどに親しくなっていたと言う
事実。
そして、彼らがとある事情からひた隠しにしてきたフローライト
とも接触してしまっていると言う事実だった。
だがしかし、それでもこの日からマダレム・エーネミに布かれて
いる警備は一層の厳しさを増す事となり、次の日から少なからずソ
フィアたちを悩ませるようになるのも事実だった。
そしてこの日の夜は無事に明けた。
520
第92話﹁エーネミの裏−1﹂︵後書き︶
05/08誤字訂正
521
第93話﹁エーネミの裏−2﹂
﹁やっぱり、警戒が厳しいと面倒ね﹂
﹁そうなるように動いた張本人が何を言っている﹂
ギギラスを暗殺してから二週間経った。
で、ギギラスの立場を考えれば当然の事ではあるものの、この二
週間マダレム・エーネミでは大きな動きが幾つもあり、その中には
私が予想していた物もあれば、予想だにしないものもあった。
﹁まあ、そうなんだけどね﹂
私が予想した通りに動いたものとしては⋮⋮まずはギギラスを暗
殺した犯人は表向きは不明で、噂や﹃闇の刃﹄内ではバルトーロの
手の者がやったと言う話になっている事か。
これはギギラスの身に着けていた装飾品をバルトーロの屋敷の中
に投げ込んで、適当なヒトに見つけさせると言う工作もしたので、
なって当然の展開ではあった。
また、この事件に合わせて、市中や門の警戒が強まっているのも
また確かではあった。
﹁でも、全部が考え通りに行ったわけでは無いわ﹂
私が予想した範囲外で動いてしまった事としては、ドーラムの屋
敷の警備が表向きのものだけでなく、裏側のものまで厳しくなって
しまった事が一番大きい。
おかげで、フローライトに会うためにちょくちょく屋敷を出入り
している身としては、色々と面倒になってしまった。
まあ、元から顔を殆ど出していなかったドーラム傘下の魔法使い
の名前を何人分か蓄えているので、その人物たちの顔見知りと直接
遭遇したりしなければ今後も問題はないだろうし、最悪ドーラムか
522
ら秘密の任務を受けていると言ってゴリ押しする手の他、幾つかの
手段を考えてはあるので、そこまで問題にはならないが。
﹁ドーラムの屋敷の件か﹂
﹁明らかに警備が厳しくなったよねぇ﹂
ただ、こうして表だけでなく裏の警備までもが厳しくなったと言
う事実から、多少穿ったものの見方をすればドーラムはギギラスを
殺した人物⋮⋮つまりは私たちを危険な対象と見定め、大いに警戒
していると言う事でもある。
そして、ギギラスの装飾品を投げ込む際に行ったバルトーロの屋
敷の周辺にドーラムの手の者が殆ど居なかった事からして、ドーラ
ムはギギラスを殺した人物をバルトーロの手の者だと考えていない
と言うも分かる。
うん、流石は継戦派のトップだと言う他ない。
しっかりと自分の下に居る者たちの能力を把握している。
で、ここまでしっかりと状況を見定めている相手となると、フロ
ーライトはマダレム・エーネミが滅びて絶望するその時までドーラ
ムには生きていてほしいと願うかもしれないが、確実にマダレム・
エーネミを滅ぼすためにも、何処か適当なところで暗殺しておくの
は普通に選択肢の一つとして考えておくべきだろう。
﹁ま、あれぐらいなら何とかはなるわよ﹂
なお、マダレム・エーネミに起きた変化の中には、私たちにとっ
てはどうでもいい変化もある。
継戦派
その一つがギギラスの居たマダレム・エーネミ七人の長の座の後
釜に、どちらかと言えばドーラム寄りの、けれど﹃闇の刃﹄の構成
員ではないトルトノスと言う人物が着いた事であり、他にはギギラ
スの配下だったヒトたちが、独立またはバルトーロ以外の重要人物
の配下に加わった事もある。
うん、正直どうでもいい。
523
﹁で、魔石の搬入場所と搬出場所の警備についてはどうなっている﹂
シェルナーシュが一応周囲にヒトの気配がないかを確かめてから、
小声でそう聞いてくる。
そんなに心配しなくても、私たちが地下水路に行くための入り口
として確保しているこの場所の安全性は確保済みなのだけれど⋮⋮
まあ、人目が無い場所でなら、どれだけ注意を払って見た目が不審
なものになったとしても問題はないか。
﹁んー⋮⋮私の頭の中にある限りの記憶と比べて、特に警戒が厳し
くなっている。と言う感じはしなかったわね﹂
﹁てことは、アタシたちがギギラスの屋敷を襲った理由には辿り着
けてない事だね﹂
﹁表に出せない施設である以上、安易に警戒を強化できる場所でも
ないと言う考え方もあるが⋮⋮まあ、バレていない可能性の方が高
そうではあるな﹂
﹁まあ、正体がバレるのが怖くて、どっちの施設にも一度しか行っ
ていないから、実際の所は分からないけどね﹂
で、ギギラスの屋敷を襲った本当の理由である魔石の供給や加工
関係の情報の裏については、特に問題なく確かめる事が出来たし、
そちら方面の警備は特に厳しくなったりはしていないようだった。
まあ、私のヒトから記憶を奪う能力について、マダレム・エーネ
ミ側は知らないので、当然の展開とも言えるが。
﹁ただ、やっぱり加工場所について突きとめるのは一筋縄では行か
ないと思うわ﹂
﹁と言うと?﹂
ただ、問題もある。
それは私たちにとっての最重要項目である魔石の加工場所につい
ては、依然としてその所在を掴む事が出来ていないと言う点。
524
おまけに、本来ならば未加工の魔石の搬入場所を観察していれば、
何処かで確実に魔石を運び出す姿が見られるはずなのに⋮⋮。
﹁どうにも、周辺の住民の記憶を探った限りだと、搬入場所には魔
石が運び込まれるだけで、何処かに運び出した様子が無いのよ。で、
搬出場所はその逆ね﹂
私が軽く探ってみた限り、その魔石が集められている建物から、
何かが運び出された事が無かったのである。
そして魔石が運び出される建物に何かが運び込まれることも無か
った。
で、この事実を聞いた二人は⋮⋮。
﹁へ?﹂
﹁何?﹂
あからさまに有り得ないものを見るような目を私に向けていた。
525
第93話﹁エーネミの裏−2﹂︵後書き︶
05/08誤字訂正
526
第94話﹁エーネミの裏−3﹂
﹁いやいやいや、ソフィアん。そんなの有り得ないでしょう。運び
込んだ物をそのままにしてたら、どんなに大きな倉庫でも直ぐに満
杯になっちゃうから。どこからも何も運び込んでいない倉庫から物
を取り出せるはずがないから﹂
﹁まあ、時間も惜しいし、その辺りの話は下に降りてから、ゆっく
り歩きつつ話しましょうか﹂
﹁分かった。そうしよう﹂
﹁ちょっ!?ソフィアん!?シエルん!?﹂
私はいつも通りに井戸に縄梯子を掛けると、地下水路へと降りて
行き、混乱しているトーコを置いてシェルナーシュも降りてくる。
﹁ううっ⋮⋮前々から感じてたけど、私の扱い酷くない⋮⋮?﹂
﹁酷くないだろ﹂
﹁もっと重要な事が有るだけよ﹂
で、自らの扱いに対して不満を述べながらもトーコも地下水路に
降りてきたところで、私たちはゆっくりと地下水路を歩き始める。
﹁で、話の続きだけど、魔石の運搬方法については⋮⋮そうね。と
りあえず三通りは思いつくわね﹂
﹁そんなに?﹂
﹁聞かせてもらってもいいか?﹂
﹁ええ、勿論﹂
さて、目的地に着くまでしばらく時間がかかるので、その間に先
程の話⋮⋮﹃闇の刃﹄の魔石の搬入場所から加工場所への移動、加
工場所から搬出場所への移動について話すとしよう。
と言っても、どの方法が正しいかを確かめるのはこれからになの
527
で、現状ではただの推測に過ぎないが。
﹁一つ目は、普段私がハルバードを持ち歩く時に布を巻いて杖に見
せかけているように、魔石をそうとは分からない何かに見せかけて
持ち運ぶ方法ね﹂
﹁と言うと?﹂
﹁中が空洞になっている杖でも用意して、その中に魔石を詰め込ん
で運ぶと言う方法が、一先ず思いついたな﹂
﹁他にも﹃闇の刃﹄が身に着けているローブの内側に沢山のポケッ
トを付けて、そこに魔石を入れて運ぶと言う方法もあるわね﹂
﹁ほへー⋮⋮よくそんな方法考えるね﹂
一つ目の方法は偽装と言う至極単純な方法である。
実際魔石のように一個一個は小さいが、その価値が高い物ならば、
この方法で運んでも十分に事足りるだろう。
が、感心しているトーコには悪いが、マダレム・エーネミではこ
の方法は微妙だろう。
﹁でも、この都市の治安や、魔石の加工場所を隠すと言う意味では
悪手だし、多分違うわね﹂
﹁え!?﹂
﹁そうだな。偽装と言う方法上むやみやたらに護衛を付ける事も出
来ないのに、運び手が誰かバレれば、魔石の加工場所が分かってし
まうし、秘密を守るためには、迂闊に運び手を増やすわけにもいか
ない。この方法はないだろう﹂
﹁えー⋮⋮﹂
なにせ﹃闇の刃﹄がこの方法を使っているのならば、独自に調査
をしていたギギラスたちも魔石の加工場所を知っていて当然の筈だ
からだ。
そうでなくとも、シェルナーシュの言う理由でもって魔石の加工
場所が露見すると言うリスクを抱えるのは、何かと都合がよくない
528
だろう。
﹁ソフィア。二つ目の方法は?﹂
﹁んー⋮⋮特殊な魔法を利用している場合ね﹂
﹁特殊な魔法?﹂
﹁ええ、例えば魔石の搬入場所と加工場所の間にある距離や建物を
ゼロにして繋ぐような魔法があれば、魔法を使う前に搬入場所であ
る倉庫の中からヒトを立ち退かせておけば、運搬方法も加工方法も
知られずに魔石を運ぶことが出来るわ﹂
﹁シエルん。そんな魔法有り得るの?﹂
﹁小生の知識には無い。が、無いと断じる事は誰にも出来ないだろ
うな。なにせ、魔法の全てを知っている者などこの世の何処にもま
だ居ないはずだからな﹂
二つ目の方法は﹃闇の刃﹄が特殊な魔法を運搬に用いている場合。
この方法ならば、倉庫内の管理さえ徹底しておけば、魔石を誰か
に奪われる心配も、加工場所がバレる心配もせずに済むだろう。
ただまあ、もし本当にそんな魔法があるのであるならばだ。
﹁ただまあ、そんな魔法があるならば、マダレム・エーネミはとっ
くの昔にマダレム・セントールとマダレム・シーヤを滅ぼしている
だろう﹂
シェルナーシュの言うとおりになっていないとおかしいわけだが。
﹁えーと、つまり?﹂
﹁﹃闇の刃﹄はこんな魔法は持っていないし、別の方法で魔石を運
搬していると言う事よ﹂
﹁なるほど﹂
実際、そんな瞬間移動としか称しようのない魔法があるなら、ど
れだけ高い城壁も、どれほど強固な警備も意味を無くすだろう。
言うなれば、この魔法は私たち妖魔がこの世に現れる時と同じよ
529
うな力を持つ魔法なのだから。
まあ、いずれにしてもシェルナーシュが言った理由でもって、こ
の魔法を﹃闇の刃﹄が所有している可能性は考えなくていい。
﹁でもそれじゃあ、﹃闇の刃﹄はいったいどんな方法を使っている
の?﹂
﹁私が考えているのは⋮⋮そうね。地下を利用する方法ね﹂
﹁地下?﹂
﹁ええ、魔石の搬入場所、加工場所、搬出場所を地下に掘った通路
で繋げるの。そうすれば、二つ目の方法と同じで、倉庫の中に部外
者を入れない様にだけ注意をすれば、運ぶ途中で魔石を奪われる心
配も、加工場所が露見する心配もしなくていいわ﹂
﹁おまけに加工場所が分からなければ、通路そのものを発見するこ
と自体難しい⋮⋮か。なるほど先の二つの案よりかはよほど現実的
だな﹂
で、三つ目の方法は⋮⋮ある意味これも単純な方法だが、地下に
それぞれの施設を繋ぐ穴を掘って、その穴を通す形で魔石を運ぶと
言う方法。
﹁でも、地下に通路なんて掘ったら、地下水路から水が流れ込んだ
りしないの?﹂
﹁別に穴を掘る時点で地下水路を避けるように、通路を掘ればいい
だけの話よ﹂
﹁そうだな。別に一直線にそれぞれの施設を繋げる必然性も無い﹂
この方法なら、それこそ魔石を移動させる方法次第では、搬入場
所と搬出場所に居る構成員には加工場所が何処にあるのかを教える
必要すらない可能性だってあるぐらいであり、加工場所を隠すと言
う意味では相当利便性の高い方法ではないかと思う。
そしてこの方法に考えが至ったからこそ⋮⋮。
530
﹁なるほど。でも、そんな方法を使っているのなら⋮⋮って、もし
かして今アタシたちが地下に居るのって﹂
﹁ええ、別にちょっとした用事もあるけど、そんな通路が存在する
余地があるのかを確かめに行くのよ﹂
私は今地下水路に居るのだった。
531
第94話﹁エーネミの裏−3﹂︵後書き︶
転移魔法は送れる質量や体積が僅かで、諸々の制限がかかってもな
お凶悪だと思っています。
532
第95話﹁エーネミの裏−4﹂
﹁あれ?誰か居るね﹂
さて、加工場所に関する説明も終わったところで、私たちは二ヶ
月ほど前にマダレム・エーネミに侵入する際に使った取水口の前へ
とやって来ていた。
が、どうやら先客が居たらしい。
取水口入口の鉄柵を越えた所に、フードを目深に被った人物が、
窮屈そうに立っていた。
﹁⋮⋮﹂
﹁ソフィアん誰か分かる?﹂
その姿を見たシェルナーシュは無言で杖を構え、トーコも気楽そ
うに私に声を掛けつつも、自身の得物を何時でも取り出せるように
身構える。
﹁⋮⋮﹂
そして、そんな二人の動きに反応して、フードを目深に被った人
物も、全身を覆っているマントの下で何かの柄を持ち、何時でも抜
ける様に構えを取る。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
そして両者の行動の結果として、取水口入口の空気は一触即発の
気配を漂わせ始めるが⋮⋮うん、皆ちょっと落ち着こうか。
﹁久しぶりね。サブカ。シェルナーシュ、トーコ、心配しなくても
味方よ。さ、武器を降ろして﹂
﹁む?﹂
533
﹁何だと?﹂
﹁へ?﹂
私は私以外の三人に、目の前に居る相手が敵でない事を示すよう
両手を広げ、出来る限り明るい声で臨戦態勢を解くように告げる。
﹁本当にソフィアか﹂
﹁失礼ね。そう言うサブカはどうしてそんなに深くフードを被って
いるのよ﹂
﹁これは少しでもヒトに俺の正体がばれる可能性を下げる為だが⋮
⋮﹂
私はサブカの方へとゆっくり近づく。
すると、フードの下に隠された蠍の妖魔特有の多数の甲殻によっ
て形作られた顔が見えてくる。
ふむ、確かに全身をマントで覆い、フードを目深に被って顔を隠
せば、よほど接近されたり、マントの下を見られたりしなければ、
妖魔である事がばれる可能性は下がるかもしれない。
まあ、可能性が下がるだけで、マントの下の四本腕を見られたら
一発でばれるわけだが。
﹁まあいいわ。とりあえず、まずはお互いの自己紹介を済ましちゃ
いましょう。変わり者の妖魔同士ね﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
﹁分かった﹂
﹁りょうかーい﹂
ま、何にしても、まずはお互いに自己紹介をした方が何かと都合
がいいと言う事で、私が誘導する形で、サブカたちには自己紹介を
してもらう事となった。
−−−−−−−−−−−−−
534
﹁へー⋮⋮サブカんは八本も剣を持ってるんだね。大変じゃないの
?﹂
﹁ああ、各手に一本、替えで一本と考えると、どうしてもこれぐら
いは必要になってな。大変ではあるが、背に腹は代えられなくてな﹂
で、自己紹介が終わる頃には、何故かトーコとサブカの仲が異様
によくなっていた。
あれぇ、私がサブカの協力を得るのはそれなりに大変だった覚え
があるんだけどなぁ⋮⋮。
まあ、この件については置いておくとして、今はサブカに依頼し
たあの件について尋ねるとしよう。
﹁ところでサブカ?私の予想よりもだいぶこの場にやってくるのが
早かったけど、私が頼んだ件についてはきちんと調べてくれたの?﹂
﹁マダレム・セントールの地下についてだろう。そこまで詳しくじ
ゃないが、きちんと調べてきたから安心しろ﹂
﹁ふむ、流石サブカね﹂
私の問いかけにサブカは深く頷いて、調べてきたと答えてくれる。
うん、流石はサブカだ。
﹁じゃっ、これからちょっと移動するけど、その時にでも一緒に教
えてちょうだい﹂
﹁分かった﹂
では、時間が惜しいので、移動しながらと言う形になるが、サブ
カからの報告を受け取るとしよう。
﹁マダレム・セントールの地下だが、基本はこことよく似た構造に
なっているな﹂
﹁よく似た?具体的には何処が似ていて、どこが違うの?﹂
﹁似ている点としては⋮⋮そうだな、ベノマー河だったか。あの河
に対して取水口と排水口を設けている点では一致しているな。後は
535
基本的に石と煉瓦で水路を形作っている点も同じだな﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁違う点としては取水口や水路の構造だな。あちらは取水口の各部
に木製の板を落とせる場所が有って、状況に合わせて流れを止めた
り、変えたりできるようだった。それに水路は地下に埋められてい
なくて、上が開けているようだったな﹂
﹁ふうん⋮⋮街中に水路は張り巡らされているようだった?﹂
﹁ああ、マダレム・セントールの隅々にまで流れる様に、水路は掘
られているようだったぞ。まあ、水門を落とさない限り、ほぼ常に
新しい水が供給されているのはこっちと同じだがな﹂
﹁なるほどねぇ⋮⋮﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
私はサブカからの報告に、思わず笑みを深める。
何故笑みを深めてしまうのか?
そんなの決まっている。
サブカが教えてくれたマダレム・セントールの水路の構造が、私
が別口で得ていた情報と一致した上に、その構造が私にとって非常
に都合の良いものだったからだ。
そんな情報を与えられたら、周囲が暗闇で人目が無いのも相まっ
て、笑みを深めずにはいられない。
﹁⋮⋮。おい、ソフィア﹂
﹁何?サブカ﹂
﹁ここに来る前から聞こうと思っていたんだが、お前はどういう目
的でもって俺にこんな依頼をしたんだ?﹂
﹁そんなのマダレム・エーネミとマダレム・セントールを同時に滅
ぼすためだけど?﹂
﹁女か?﹂
﹁両方とも滅ぼせたら、フローライトが手に入る事にはなっている
わね﹂
536
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
と、そんな事を思っていたら、サブカが声をかけてきた。
そして、会話が終わると同時に何故か手で目の辺りを覆っていた。
しかも、何故かは知らないが、トーコとシェルナーシュの二人が
サブカを慰める様に背を手で軽く叩いている。
ううん?一体どういう事だろうか?
﹁まあいいわ。一応言っておくけど、失礼の無いように頼むわよ﹂
まあ、サブカがこういう反応をするのはマダレム・ダーイの時も
そうだったし、特に深く気にしなくてもいいか。
﹁ん?﹂
というわけで、サブカが来たことで追加された本日の目的地その
二に着いたところで、私は困惑するサブカを前に、石と木が奇妙に
溶けあった壁を軽く手で叩く。
すると⋮⋮
﹁今開けるわ﹂
﹁!?﹂
驚くサブカの前で、壁が丸くくり抜かれ、フローライトがその姿
を現すのだった。
537
第96話﹁エーネミの裏−5﹂
﹁ソフィア。もしかして彼が?﹂
ギルタブリル
﹁ええそうよ。フローライト。彼が貴女とアブレアの護衛に付けて
おこうと思っている蠍の妖魔よ﹂
﹁え⋮⋮あ⋮⋮?﹂
さて、サブカはフローライトの存在に困惑しているようだが、ま
ずはフローライトにサブカがどういう存在で、どうしてこの場に居
るかの説明をしてしまう。
﹁と言うわけだから、念のためと言ったところだけど、サブカを此
処に置いておいてもいいかしら?﹂
﹁ふふふ、私のことを心配してくれてありがとうね。ソフィア。こ
ちらこそよろしくお願いするわ﹂
で、説明の結果、フローライトはサブカの事を受け入れてくれた
ようだった。
いやー、良かった良かった。
本音を言えばフローライトの身の安全は私自身が四六時中付きっ
きりになることで守りたい所ではあったけど、それだとフローライ
トの願いを叶える事が出来なくなってしまうから、どうしても誰か
信頼の置ける相手にフローライトの護衛を任せる必要が有ったんだ
よね。
で、そんな護衛に求められる点について、サブカなら実力も含め
て全幅の信頼を置けるから、適役と。
うん、フローライトがサブカの見た目に引いたりするような子じ
ゃなくて本当に良かった。
﹁ちょっと待てええぇぇ!﹂
538
と、ここで突然、思考停止していたサブカが大声を上げる。
﹁ちょっとサブカ。大声は出さないでよ﹂
﹁いやいやいや、それ以前として、何でソフィア。お前がヒトとそ
んなに仲良さそうにしている。お前は妖魔だろうが!﹂
﹁ネリーとだってこんな感じだったわよ?﹂
﹁あの時は妖魔としての正体を隠していただろうが。今回は思いっ
きり相手に自分が妖魔である事をバラしているじゃねえか!?﹂
﹁えー、説明しないと駄目?﹂
﹁駄目に決まってるだろうが。と言うか、何であの女も妖魔である
お前を受け入れているんだよ!?﹂
﹁しょうがないわねぇ。じゃあ、最初から今に至るまで説明してあ
げるわ﹂
うーん、流石はサブカ。
思考停止状態のまま流れてしまうかとも思ったけど、そんな事は
無かったらしい。
まあ、それぐらいの思考能力は持ってもらわないと、護衛をする
上で色々と問題になるんだけどね。
ブラックラップ
﹁あ、トーコとシェルナーシュは壁の処理の方よろしく﹂
﹁はいはーい。っと﹂
﹁やれやれ⋮⋮﹂
と言うわけで、フローライトが黒帯を刃のように変形させること
によって開けた壁の穴を通って、私たちはフローライトの部屋に入
る。
で、トーコとシェルナーシュの二人には、穴を開けた壁と外した
壁を加工することによって、扉にする作業をしてもらう事にする。
﹁じゃ、どうして私たちとフローライトがこの場に一緒に居るのか。
今までこの都市で何をしてきたのかについて説明するわよ﹂
539
﹁おうっ﹂
そして私はサブカに何故マダレム・エーネミにやって来たのかの
理由、フローライトとの出会いと契約、これまでにやってきた工作
の数々、そしてこれからの行動の予定について、掻い摘んで話して
いく。
いや本音を言えば、フローライトの妖艶な美しさや、可愛らしさ、
その他諸々魅力的な部分についても語りたいのだけれども、シェル
ナーシュから真面目な話だけをしろと言わんばかりの鋭い視線が飛
んできているので、この場では流石に自重しておく。
で、そうした話をした結果として⋮⋮
﹁妖魔が自分の正体をバラした上で雇われるとかおかしいとは思わ
ないのか⋮⋮﹂
﹁別に何もおかしくはないと思うけど?それでフローライトが手に
入るなら、もう二、三個都市を滅ぼしたっていいぐらいね﹂
﹁止めろ。本気で止めろ。普通の妖魔が飢え死にしまくるから止め
てくれ。頼むから止めてくれ﹂
四本の腕全てを床に着くぐらいの落ち込みっぷりを披露するサブ
カから、泣いてそんな事を懇願された。
あれぇ?どうしてそんな体勢に?
フローライトの価値からすれば、それぐらいはしたって惜しくは
無いと思うんだけど。
﹁ふふふ、ソフィア。私を思ってくれるのは嬉しいけれど、私が滅
ぼしたいのはマダレム・エーネミとマダレム・セントールだけだか
ら、そんな事を言われても困るわ﹂
﹁分かってるわよフローライト。これはただの物の例えよ﹂
﹁うふふふふ⋮⋮﹂
﹁あはははは⋮⋮﹂
﹁コイツらの頭は一体どうなっているんだ⋮⋮﹂
540
﹁今更だろう﹂
﹁仲が良い分にはいいんじゃないの?﹂
まあ、フローライトが望んでいないし、私としても大変ではある
から、実際にはやったりしないけど。
ああでも、必要だと判断したなら全力でやる。
それは間違いない。
﹁ちなみにネリーの時は本人の意思に反する様に都市を滅ぼしたよ
うだったが、どうして今回はフローライトの意思を尊重するような
形を取っているんだ?﹂
で、話がひと段落したところで、そんな少し考えれば分かりそう
な質問を飛ばしてきたサブカにはこう言っておこう。
﹁サブカ。貴方は調味料に塩しか使わないの?蜂蜜を使うと言う選
択肢もあるのよ﹂
﹁よし。お前の頭が相変わらずなのはよく分かった﹂
うん、どうやら分かってくれたらしい。
なら私から言う事は後一つだけだ。
﹁それでサブカ。貴方はフローライトの事を守ってくれるの?﹂
﹁守ってはやる。ただ⋮⋮﹂
﹁ただ?﹂
サブカは若干呆れた様子も見せつつ、私の求めに応えてくれる。
﹁お前らが傭兵として仕事を受けているんだって言うなら、俺も傭
兵としてこの仕事を受けて、報酬を貰う﹂
﹁具体的には?あ、フローライトは絶対に渡さないわよ﹂
﹁ふふっ、ソフィアったら﹂
ただ、その後に続く、私がフローライトの事を軽く抱きしめつつ
聞いたサブカの言葉は、流石に予想外と言う他ない物だった。
541
﹁報酬はこのマダレム・エーネミに住んでいる家族を一つだけ選ん
で、その家族だけは死なせずに逃がす事だ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
なにせそれは妖魔と言う存在の在り方からは完璧に外れた申し出
だったからだ。
542
第97話﹁エーネミの裏−6﹂
﹁サブカ。一応聞いておくけど、本気で言っているのね﹂
﹁ああ本気だとも﹂
サブカの目には一切冗談を言っている雰囲気や、一時の気の迷い
で言っているような気配は感じられない。
ああうん、これは予想外。
サブカも変わり者の妖魔ではあるけれど、まさかこんなところに
おかしいとしか称しようのない部分があったとは。
ただまあ、サブカがそれを望むのであるならばだ。
﹁フローライト﹂
﹁そうね。私自身が支払える対価でないから、元々強く阻止する事
は出来ないけれど⋮⋮サブカがどういう条件で逃がす家族を選ぶの
か。その内容次第では受け入れても構わないわ﹂
まず確認するべきは私たちの依頼主であるフローライトの意向。
フローライトが認めるのであるならば、私もありがたくそれを受
け入れさせてもらう。
サブカの戦闘能力は今後の為にも是非とも欲しいものであるし。
﹁どうなの?サブカ﹂
﹁お前たちの話を聞く限りでは、この街は末期的と言う他ない状況
にあるらしいな﹂
﹁ええそうよ。今のマダレム・エーネミは暴力とマカクソウ中毒、
それに姦淫や恐喝、殺人と言った許されざる行為から、権力の乱用
にまで満ち溢れていて、上から下まで全てのヒトが悪徳の限りを尽
くしていると言っても決して過言では無いような惨状にあるわ﹂
﹁そんな中でも、俺は一家族ぐらいは真っ当な生き方をしているヒ
543
トが居ると信じている﹂
﹁真っ当な生き方⋮⋮ね﹂
ただ、正直に言わせてもらうが、サブカの言う所の真っ当な生き
方をしているようなヒトが、今のマダレム・エーネミに残っている
とはとてもじゃないが思えない。
そしてこの考えは、サブカ以外の私たち全員で共有しているもの
だと考えてもらっていい。
横目でシェルナーシュとトーコにも確認したが、私と同意見だと
言わんばかりに頷いているし。
まあ、それでも聞くだけ話を聞いてみよう。
﹁具体的には?﹂
﹁まず﹃闇の刃﹄に所属していない﹂
﹁そうね。例え真っ当でも﹃闇の刃﹄に所属している人間は流石に
逃がせないわ﹂
﹁マカクソウ中毒になっていない﹂
﹁妥当だな。ジャヨケ中毒に陥っているような者を逃がしても、野
垂れ死ぬか、他のヒトに迷惑をかけるだけだ﹂
﹁ヒトとして許されざる行為を、自らの意思で行った事が無い﹂
﹁あー、家族を守るために殺しちゃったとかもあるから、そう言う
場合は仕方がないよね﹂
﹁多大な権力を振るえる座についていない﹂
﹁そもそも多大な権力を持っている連中は、揃いも揃って腐ってい
るのが今のマダレム・エーネミの現状なのよねぇ﹂
﹁それと出来ればではあるが、何かしらの手に職を持っている事が
望ましいな。何も出来ないのでは、逃がしたところで意味はない﹂
﹁まあ、必要ではあるわね﹂
﹁以上だ﹂
﹁ふうん⋮⋮まあ、私としては問題の無い条件だと思うわ。ソフィ
アはどう?﹂
544
﹁そうね⋮⋮﹂
サブカが挙げた条件は全部で五つ。
まあ、確かに今サブカが挙げた五つの条件を、このマダレム・エ
ーネミの中で満たせるほどのヒトであるならば、余所に逃がしたと
ころで問題は起きないだろうし、フローライトが認めるのにも納得
がいく。
ただ、実際に作戦を考え、実行する私としては、それだけでサブ
カの要求を認めるわけには行かない。
﹁⋮⋮﹂
私はしばしの間考える。
サブカの望む家族をマダレム・エーネミから逃がしたとして、ど
ういう問題が発生し、どういう利益が生じ、そこからヒトの社会全
体にどういう影響が齎されるのか、私たち妖魔に対してどのような
不利益が及ぶのかを。
それと、現実問題としてサブカの望む家族をマダレム・エーネミ
から逃がす事が出来るかも考える。
﹁ソフィア?﹂
﹁ソフィアん?﹂
﹁んー⋮⋮﹂
まず私が考えている作戦の関係上、一家族だけ逃がす事は出来る
だろう。
サブカの言うような家族ならば、少々伝え方を考えれば、一から
十まできっちり従わせることは出来るだろうし。
﹁魔石以外で悩むなんて珍しいわね﹂
﹁どうなんだ?ソフィア⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
で、そう言う家族であるならば、逃がした先で何故マダレム・エ
545
ーネミが滅んだかも、こちらの考え通りに話してくれることだろう。
となれば、また私たちがこれから起こすような事態に陥っては堪
らないと、他の都市国家たちも自らの行いを改めようとする可能性
は十分にある。
それは、私たちにとっては利益に他ならないだろう。
そうでなくとも、ジャヨケの味には散々苦しめられたわけだし。
﹁分かったわ﹂
尤も、そうして都市全体が正常化すると言う事は、都市の防衛能
力などの妖魔にとって不都合な面も強化されてしまう事に繋がるわ
けだが⋮⋮まあ、その程度なら許容の範囲内だろう。
私たちがやろうとしている事をヒトが模倣できるとも思えないし。
と言うわけで、サブカの要求を受け入れる事に問題はない。
﹁ただし、私たちの方からも一つ条件を付けさせてもらうわ﹂
﹁なんだ?﹂
ただ、無条件でサブカの要求を呑むわけにもいかない。
一つぐらいはこちらからも要求を出さなければならない。
と言うのもだ。
﹁サブカ。貴方が逃がしたいと思う家族は、今から一週間以内に貴
方が見つけ出しなさい。私たちにはそんな家族が居る心当たりなん
て無いからね﹂
﹁感謝する。ソフィア﹂
﹁これぐらい別にいいわよ﹂
私たちは誰もサブカの言うような家族に心当たりがないからだ。
﹁シェルナーシュ。サブカを井戸の方から街に上げさせて。格好は
⋮⋮そうね。﹃闇の刃﹄の魔法使いに雇われている護衛と言ったと
ころで頼むわ﹂
546
﹁分かった。サブカ、付いて来い﹂
﹁ああ﹂
そうして、シェルナーシュはサブカを連れて部屋から出て行く。
一週間と期限を切ったから、まあ見つからなくてもその時は諦め
てくれるだろう。
﹁それじゃあフローライト。私たちも今日やるべき事をやりに行っ
てくるわ。合図通りにノックしない相手に扉を開けたら駄目よ﹂
﹁分かってるわ。それじゃあ頑張ってね。ソフィア、トーコ﹂
﹁うん、頑張るよー﹂
そして、私とトーコの二人も、フローライトに見送られながら、
再び地下水路へと戻っていったのだった。
547
第97話﹁エーネミの裏−6﹂︵後書き︶
妖魔としては変態ばかりです
548
第98話﹁エーネミの裏−7﹂
﹁それでソフィアん。私たちはどっちに向かっているの?﹂
﹁今回はまず搬入口の方ね。たぶん、そっちの方がヒトの出入りが
激しい分だけ、証拠が掴みやすいはずだから﹂
﹁了解﹂
さて、フローライトの部屋を出た私たちは、地下水路をゆっくり
と歩いていた。
目指すは未加工の魔石が搬入されている建物周辺の地下水路であ
る。
﹁ああそうだ。トーコ。目的地に着く前に先に言っておく事が有る
わ﹂
﹁何?﹂
が、目的地に着く前にトーコには幾つか言っておく事が有る。
﹁これから私たちが向かうのは、﹃闇の刃﹄にとって最重要である
拠点の一部よ。よって、警備はそれ相応に厳しいはず。そうね⋮⋮
下手をすれば、場所が明らかになっていない加工場所よりも厳しい
可能性だってあるわ﹂
﹁加工場所を見つけ出す為に、搬入口を攻め落として、そこから辿
っていくと言うやり方があるから?﹂
﹁ええそうよ。それに加工場所との繋がりが無くても、重要な拠点
である事には変わりないから、厳重な警備を布いていない可能性は
考えられないわね﹂
﹁なるほど﹂
﹁と言うわけで、ここから先は細心の注意を払うと同時に、出来る
限り物音や水音、それに波紋を立てないように注意して頂戴﹂
549
﹁分かったよソフィアん﹂
それはここから先がどれだけ危険な場所であるのかと、その危険
な場所で活動する際の基本事項である。
実際、私がギギラスから得た情報を確かめるべく地上の方を歩い
て行ったときは、表立った警備だけでも相当な人数が揃っていたし、
懲罰部隊による裏側の警備も決して看過できない量だった。
勿論、今私たちが居る地下水路にまで厳重な警備を布いている可
能性は低いかもしれない。
低いかもしれないが、人員を配置していない可能性を否定するこ
とは勿論の事、手近な井戸や薄くなっている壁の近くに居る人員に、
私たちの存在を知られる可能性が無いとは言えないだろう。
と言うわけで、ここから先は出来る限りの注意を払いつつ進む事
にする。
﹁ボソッ⋮⋮︵ソフィアん。あの井戸は?︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵私の記憶が確かなら、搬入口である建物に一番近い
井戸ね︶﹂
そうして細心の注意を払いつつ進む事十数分。
やがて私たちの前に一つの井戸が見えてくる。
﹁ボソッ⋮⋮︵ちょっと確かめてみるわ︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵分かった︶﹂
私は井戸の上から姿を見られないように注意しつつ、出来る限り
井戸の方へと近づき、井戸の上の喧騒へと耳を傾ける。
﹁⋮⋮﹂
井戸の上の方から聞こえてくるのは?
いつものマダレム・エーネミの喧騒だ。
ただ、時折ではあるが、魔石を建物の中に運び込むにあたっての
各種手続き関係の話し声も聞こえてくる。
550
うん、どうやら間違いなさそうだ。
と言うわけで、私は頭の中の地上と地下の位置を一致させると、
ここからどの水路を探していけばいいかを考える。
﹁ボソッ⋮⋮︵トーコ。トーコは水路の水流に注意を払って︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵ソフィアんは?︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵私は壁の継ぎ目や、構造的におかしな場所が無いか
を探るわ︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵分かったよ︶﹂
そして探す水路を決めた所で、私とトーコの二人は頭上から発見
される可能性が存在する井戸を通らないように気を付けて、私たち
は移動を再開する。
﹁ボソッ⋮⋮︵んー、怪しい水流ねぇ⋮⋮︶﹂
私は目を凝らし、地下水路の壁を観察する。
仮に私たちが探す地下通路が、地下水路より後に出来たものであ
るならば、何かしらの処理を加えた結果として、周りの壁とは違う
壁になっているからだ。
また、仮に地下水路と地下通路が同時に出来たものだとしても、
マダレム・エーネミのそれなりの範囲に渡っている通路である以上
は、地下水路の方に何かしらの負荷を掛けて、不自然さが現れてい
るはずなのである。
﹁ん?﹂
と、ここでトーコが小さく妙な言葉を漏らす。
﹁ボソッ⋮⋮︵どうしたの?トーコ︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵ソフィアん。この辺りなんだけど、ちょっと水の流
れがおかしいみたい︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵具体的には?︶﹂
551
﹁ボソッ⋮⋮︵この通路直線でしょ。なのに、水の流れが分かれて
いるの︶﹂
続けてトーコが発したのは、私が待ち望んでいた言葉だった。
これは⋮⋮たぶん来た。
﹁ボソッ⋮⋮︵⋮⋮。どの辺りで曲がっているの?︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵えーと、この辺り⋮⋮ソフィアん!見て此処!︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵どれどれっと⋮⋮︶﹂
私はトーコが手招きをした場所に近づく。
そして、壁の前に立ったところで、私も気づく。
ほんの僅かではあるが、水が壁の方へ⋮⋮いや、壁の下に隠すよ
うに造られた水路に向けて流れ込んでいる。
経年劣化で水路が分岐してしまったわけでは無い。
その証拠に、水路の入り口には鉄柵が付けられているし、よくよ
く見れば水路上の壁は僅かにだが周りの壁とは造りが違う。
﹁ボソッ⋮⋮︵トーコ、少し静かにしていてね︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵分かった︶﹂
私は確信を持つべく、壁に耳を付けてみる。
そして、壁の向こうで動いている気配がない事を確かめたところ
で、軽く壁を叩き⋮⋮その音から壁の向こうがかなり広い空洞にな
っている事を確信する。
それはつまり⋮⋮
﹁ボソッ⋮⋮︵どう?ソフィアん︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵大当たりよ。トーコ︶﹂
私の想像通り、マダレム・エーネミの地下には通路が存在してい
ると言う事だった。
552
第99話﹁エーネミの裏−8﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵どう?︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵確実に近づいては⋮⋮ちょっと待って︶﹂
私たちは地下通路の位置を逐一確かめつつ、供給口の建物がある
場所から離れる様に地下水路を進んでいく。
そして、そうやって少しずつ進んでいる時だった。
﹁ボソッ⋮⋮︵どうしたの?︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵ヒトの気配がするわ︶﹂
壁に耳を押し当てた私は、壁の向こう側からヒトの気配が僅かで
はあるものの確実に存在している事を感じ取る。
﹁ボソッ⋮⋮︵ちょっと待って。位置を変えてみるわ。だから、ト
ーコは周りの警戒をお願い︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵分かった︶﹂
私はトーコに周囲の警戒を頼みつつ、壁の向こうに存在している
ヒトの気配がより色濃くなる方向にむけてゆっくりと移動していく。
ノミ
﹁ボソッ⋮⋮︵鑿の音、ヒトの声⋮⋮︶﹂
やがて聞こえてくるのは、小さな小さな、けれど確実に壁の向こ
う側が土では有り得ない音の数々。
鑿と槌を扱い、恐らくは石のような物を砕く音。
何かしらの液体を注ぎ込み、水面に何かを落とすような音。
薪を焚き、火を熾し、何かを炙るような音。
ヒトとヒトとが何かを話しあっているような音。
﹁間違いないわね﹂
553
それらの音が指し示す結果に、私は自然と普段通りの声の大きさ
で呟くと同時に、深い笑みを浮かべてしまっていた。
﹁ボソッ⋮⋮︵ソフィアん。声、声︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵あら、ごめんなさい︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵それで見つかったの?︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵ええ、大当たりよ︶﹂
トーコに指摘され、私は慌てて音のボリュームを下げると共に、
周囲にこちらに近づいてくるようなヒトの気配が無いかを確かめる。
で、周囲の状況だが⋮⋮うん、心配しなくてもまだ大丈夫なよう
だ。
﹁ボソッ⋮⋮︵ちょっと待って。もう少し探ってみるわ︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵了解。周りはアタシが見張っておくから安心して︶﹂
私はより中の音が聞ける場所を探して、慎重に壁を擦るように移
動していく。
そうして聞こえてきたのは?
﹁生産こ⋮⋮暗視⋮⋮﹂
﹁無茶を⋮⋮人手が⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。遺産⋮⋮﹂
﹁ははははは⋮⋮﹂
﹁黙れ!こ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮!?﹂
ヒトとヒトとが争い合う⋮⋮いや、片方のヒトが一方的に怒り、
もう片方のヒトがそれを嘲笑うような声だった。
うーん⋮⋮漏れ聞こえてきた言葉から察するに、片方が魔石を加
工している職人の物で、もう片方がそれを監督している﹃闇の刃﹄
の魔法使いなのだろうけど⋮⋮どっちがそうなのかが分からない。
それに遺産?
554
状況から考えてかなり重要そうな代物ではあるけれど⋮⋮遺産?
遺産と言う事は、それを残した誰かが居ると言う事であるけれど、
魔石の加工場所で話すような会話に出てくるような代物を遺せるほ
どの人物となると⋮⋮最低でもドーラムかその側近クラスの誰かが
遺した物と言う事かな?
しかしそうなると⋮⋮うん、もしかしなくてもこれはフローライ
トに聞いた方が良い話かもしれない。
彼女なら、その遺産に当たる様な何かを知っている可能性は十分
に有り得る。
そして、もしかしたらだが、その遺産こそが今もなおフローライ
トがドーラムの屋敷の地下で囚われている理由なのかもしれない。
まあいずれにしてもだ。
﹁ボソッ⋮⋮︵うん、確定したわ。少なくとも﹃闇の刃﹄にとって
大切な何かがあるのは確実と見て良いでしょうね︶﹂
この先に何かがあるのは確実。
今はそれが分かっただけでも十分だ。
﹁ボソッ⋮⋮︵へー、それでこれからどうするの?︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵手近な井戸にマーキングをしたら、一度退きましょ
う。ここの地上に何が有るのかをまずは調べたいわ︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵マーキング?︶﹂
今調べるべき事は調べた。
そう判断した私は、トーコを連れて音を立てないようにゆっくり
と地下水路を歩いていく。
ブラウニー
ポイズン
﹁ボソッ⋮⋮︵出来る限り濃度を低くした代わりに、長時間維持で
きるようにした焼き菓子の毒を、適当な井戸の壁にでもくっつけて
おくわ。そうすれば、私並に匂いに敏感な存在にしか分からないよ
うになるから︶﹂
555
﹁ボソッ⋮⋮︵なるほど。そんな手があるんだね︶﹂
そして、耳を当てていた場所から多少離れた場所に有った井戸の
壁に、私は少量の焼き菓子の毒を塗り付けておく。
これで、匂いを頼りに地上を歩いて来れば、ここの部分にどうい
う建物が在って、どういう警備態勢が布かれているのかも分かるだ
ろう。
で、焼き菓子の毒も、地上に何が有るのかを調べ終わったら消せ
ばいいので、この後誰かに見つかったりしなければ、私たちがここ
に居た事がバレる心配もしなくていいだろう。
﹁ん?﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵どうしたの?︶﹂
そうして全ての目的を達したと言う事で、フローライトの部屋に
向けて私たちあ移動を始めようとした時だった。
﹁ボソッ⋮⋮︵ソフィアん。誰かヒトが来てる!︶﹂
﹁!?﹂
トーコがこちらに向けて何者かが近づいてきている事を告げ、私
たちは慌てて進路を変え、身を潜める。
そうしてしばらく身を潜めている間に聞こえてきたのは⋮⋮
﹁しっかし、上もダルい命令を出してくれたもんだよな﹂
﹁全くだ。こーんな薄暗くて冷たい場所を歩かされるなんてついて
ないぜ﹂
﹁それもこれも、取水口の鉄柵を壊してくれた何処ぞの誰かのせい
だ。見つけたらぶっ殺してやる﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵ソフィアん。これって⋮⋮︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵遂にって感じね︶﹂
遂に私たちがマダレム・エーネミに入り込む際に壊した取水口の
鉄柵が見つかった事を示す﹃闇の刃﹄の男たちの言葉だった。
556
第99話﹁エーネミの裏−8﹂︵後書き︶
05/15誤字訂正
557
第100話﹁エーネミの裏−9﹂
﹁あら、全員揃っているのね﹂
私たちはその後、直ぐにフローライトの部屋に帰還すると、トー
コを部屋に残して、私が発見した壁の向こう側の空間の上に何が有
るのかを確かめに行った。
で、とりあえずの調査が終わって、戻ってくる頃には今日の探索
を終えたのか、シェルナーシュとサブカの二人も部屋に戻って来て
いて、アブレアも部屋の中に居た。
うん、これは色々と丁度いい。
﹁ソフィアか。トーコから聞いたぞ。魔石の加工場らしき場所を見
つけたのと、私たちの侵入経路が﹃闇の刃﹄にバレたらしいな﹂
﹁ええ、それで今、魔石の加工場所と思しき場所の上にどんな建物
が在ったのかを確かめてきたところよ。そっちは何かあった?﹂
﹁特には何も起きなかった。俺が逃がしたいと思える家族もまだだ﹂
﹁そう﹂
私はサブカの報酬探しの方の進捗具合を確かめつつ、フローライ
トの座っているベッドの横の床に座り、全員が居る場所の中心点に
灯りと羊皮紙を持ってくる。
しかし、侵入経路がバレて、修理される前にサブカがマダレム・
エーネミに入って来れて良かった。
いや、もしかしたらサブカが取水口に入るのを見られたせいでバ
レた可能性もあるけど⋮⋮そうだとしても別に問題はないか。
﹁ま、そっちの件については、一週間後までに区切りを付けてくれ
れば良いわ。どうせこっちの調査にもそれぐらいはかかるでしょう
しね。取水口の件についても問題なし。地下水路の中でも警戒して
558
動けばいいだけの話よ﹂
﹁そうか﹂
と言うわけで、私はサブカと取水口の話を打ち切ると共に、全員
の視線が羊皮紙に集まる中で、今日の調査によって分かった事を例
の会話以外書き出していく。
﹁なるほど。つまりはそのベルノートとか言う商人の家の地下に、
魔石の加工場があるのね﹂
﹁ええ、地理関係的にはそうなるわ﹂
で、一通り書き終わったところで、全員情報を改めていく。
﹁そのベルノートって商人はどんなヒトなの?﹂
﹁詳しくはこれからだけど、どうにもドーラム子飼いの商人みたい
で、この屋敷にも本当に時々だけど出入りをしているみたいね﹂
﹁商人か⋮⋮となると、魔石の加工に必要な道具類の入手も容易い
か?﹂
﹁容易いでしょうね。それどころか、ドーラムの名を出せば、一般
には非合法の物であっても、大抵の物は難なくマダレム・エーネミ
に持ち込めると思うわ﹂
﹁警備の方はどうなっていた?﹂
﹁外に出ている警備は普通の商人の家よりも多少多い程度だったわ。
ただ、家の中については相当な数⋮⋮それも外に自分たちが居る事
を漏らさないような手練ればかりが控えていそうではあったわね﹂
まず魔石の加工場所と推定される空間の上に建っていたのは、ベ
ルノートと言う名前の商人の家。
この商人の正体は分からないが、ドーラムの子飼いと言う点から
察するに、手練れの魔法使い、そうでなくとも人心掌握術や交渉術
など、自分より下のヒトを扱う事に長けているヒトでは無いかと思
う。
でなければ、魔石の加工場所の上の建物に住んでいる事が許され
559
るとは思えない。
﹁まあ、ベルノートについてはこれから調べるとして、今日の調査
で分かった点の中で、気になる点が一つあるのよね﹂
﹁気になる点⋮⋮ですか?﹂
ま、この件についてはこれから詳しく調べてみれば分かる事では
ある。
場合によっては、そのベルノートとやらを私が丸呑みにして、情
報を奪い取ると言う手段もあるわけだし。
それよりもだ。
﹁フローライト、アブレア。遺産⋮⋮と言うものに心当たりはある
かしら?﹂
﹁遺産?﹂
﹁遺産⋮⋮ですか?﹂
私の言葉にフローライトとアブレアがお互いの顔を見合わせ、視
線を交わす。
その身から漂ってくるのは⋮⋮迷い?いや、訳が分からない、も
しくは此処でも出て来るのか?と言った感じの気配かな?
んー、よく分からない。
﹁とりあえず、どういう状況で聞いたのかを説明するわ﹂
私は壁の中から漏れ聞こえてきた会話の内容と、私の推測を話す。
すると⋮⋮
﹁そう言う事でしたら⋮⋮一つ心当たりがあります﹂
﹁そうね。ソフィアの推測通りなら、心当たりが一つあるわ﹂
アブレアとフローライトが口を開く。
﹁と言うと?﹂
560
﹁私とアブレアは十年前にクソ爺に囚われたのは知っているわよね﹂
﹁ええ﹂
﹁その時にクソ爺から散々訊かれたのよ。﹃遺産の場所は何処だ。
遺産は何処にある﹄ってね﹂
﹁あの時は酷い目に遭いました。お嬢様も私も遺産なんて知らない
のに、その事を素直に言っても信じてもらえず、散々杖で叩かれた
覚えがあります。それに今も時折遺産については訊かれますね﹂
﹁へぇ⋮⋮そうなの﹂
ああうん、とりあえず状況が許す限りむごたらしくドーラムは殺
そう。
アブレアの献身ぶりからして、フローライトの事はアブレアが身
を挺して守ってくれたのだろうけど、フローライトの心に与えた傷
は決して浅くないはずだ。
だから殺す。
最低でもディランに味あわせたのと同じくらいの屈辱を与えて殺
す。
絶対にだ。
﹁私たちが遺産について知っている事はこれぐらいね﹂
﹁そうか⋮⋮。ソフィア、それで遺産とやらについてどう思う?﹂
﹁ふふふふふ﹂
ふふふふふ、でも実際どうやって殺そうかしらね?
生きたまま手足をもぎましょうか、ひたすらに殴りつけてやろう
かしら、ああ、そう言う状況に陥る前にドーラムの家族を⋮⋮
﹁おうふ!?﹂
と、そうやって思考を脱線させていたら、何かで後頭部を殴られ
た。
見ると、シェルナーシュが杖を片手で振り下ろしている姿が。
おまけにサブカとトーコ、アブレアの三人が若干退いた感じでこ
561
ちらを見ていて、フローライトは⋮⋮何故か小さく笑い声をあげて
いる。
あれー?どうしてこうなった?
﹁ソフィア。それで遺産とやらについてはどう思う?﹂
まあいいか、今はそれよりも優先して考えるべき事、話すべき事
が有る。
﹁そうね。今の話だけでも幾つか確証を持って言える事が有るわ﹂
そして私は少し頭の中で自分の考えが間違っていないかを確かめ
た後、遺産とやらについて現状で言える事を話し始めた。
562
第100話﹁エーネミの裏−9﹂︵後書き︶
この遺産こそがフローライトが捕えられた当初の理由ですね
追記:2015/05/15/12:00投稿の所を、誤って20
15/05/15/09:00投稿にしてしまったようです。
ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。
明日からは12:00になっていますので、ご安心ください。
05/16誤字訂正
563
第101話﹁エーネミの裏−10﹂
﹁まず第一に、今日まで私が遺産について知らなかった事から分か
るように、遺産の存在を知っているのは﹃闇の刃﹄の中でもごく一
部のヒトだけ。それもドーラムの側近中の側近と、魔石の加工を行
っている場まで入ることが許されるほどの人物の間にだけ伝わって
いる極秘事項だと思っていいわ﹂
ゴロツキ
﹁確かにそうだな。もしも、遺産とやらについて広く知られている
なら、今までソフィアが奪ってきた破落戸同然の魔法使いたちの記
憶にその情報が入って来ているはずだし、上層部で共有されている
なら、この前のギギラスの側近からその情報を得られていないのは
おかしい﹂
遺産についてまず言える事は、﹃闇の刃﹄が保有している数々の
情報の中でも、特に機密性が高いと言う部類に入ると言う事だ。
それこそ、フローライトの存在や、魔石の加工場所や技術に比肩
する何かだと言っていいだろう。
そして、それだけ機密性が高いと言う事は、遺産と言うのはドー
ラムたちにとっても相当重要な情報であり、是が非でも手に入れた
い何かだと言う事になる。
﹁第二に、それだけ重要な何かであるにも関わらず、ドーラムたち
は遺産を手に入れていないどころか、正体すらも掴んでいないとみ
ていいわ﹂
﹁そうなの?ソフィアん﹂
﹁だって今でも時折アブレアに遺産は何処にあるのかと聞くのでし
ょう。それに魔石加工場から漏れ聞こえてきたあの会話。これだけ
でもドーラムが遺産を手に入れていないのは確定だし、今のマダレ
ム・エーネミにおけるドーラムの影響力を考えたら、所在と正体が
564
分かっているなら、あっという間に手に入れられるはず。でも私の
調べた限り、そんな動きをドーラムはしていないわ﹂
﹁なるほど。だからドーラムは遺産を手に入れていない。って事に
なるんだね﹂
第二に遺産の動向。
仮に遺産の場所をドーラムが知っているのであるならば、最低で
も確保はしておくだろうし、密かにではあっても、使えるだけ使っ
ているだろう。
と言うわけで複数の情報から鑑みて、ドーラムは遺産を手に入れ
ていない。
もしくは、遺産を手に入れていても、それが遺産であると言う事
を認識できていないと言う事になる。
﹁第三に、遺産は魔石の加工に関係する何かであると、ドーラムは
認識している﹂
﹁魔石の加工場でその話題が出てきたからか﹂
﹁ええ、遺産について話していた誰かさんは凄く悔しそうにしてい
たから、この点も間違いないわ。尤も、私としては遺産が本当に存
在しているかどうかという点すら怪しいし、仮にあったとしても、
それが魔石の加工に関係しているかも疑わしいわね﹂
﹁まあ、ドーラムとか言う爺さんは、お前らの話が確かなら、本来
仕えるべき相手を罠に嵌めて殺すような男だしな。何かを勘違いし
ている可能性も無くはないか﹂
第三は遺産の中身だが⋮⋮正直これはどうでもいい。
幾ら当時は幼かったとはいえ、フローライトたちにも教えられて
いないようなものなのだ。
正直、ここまで散々語っておきながら言うのも何だが、本当に遺
産とやらがあるのかも疑わしい。
あ、でもよく考えたら先代首領の遺産が存在するのは確かか。
フローライトがそうだとも言えるし。
565
いやー、それなら確かに血眼になって探すのも納得がいくなぁ。
うんうん。
ま、これについては私の心の中に秘めておくとしよう。
﹁遺産について言える事はこれだけ?ソフィア﹂
﹁ええ、確証を持って言えるのはこれぐらいね﹂
私はフローライトの言葉に笑顔で応えつつ、確証こそないが、頭
の中でもう一つ遺産関連で言えることを思い浮かべる。
それは魔石の加工場で、魔石を加工している職人たちについてだ。
あの時の会話の流れと、声の響き。
もしかしたらだが、彼らは⋮⋮うん、だとしたら、確かめたり、
実行したりするのに相当のリスクを負う必要が有るが、私たちの側
にとってはかなり有利な展開を呼び込める可能性がある。
確証がないので、この場で話したりはしないが。
﹁そう。それともう一ついいかしら﹂
﹁何?フローライト﹂
私は身体の向きを正して、フローライトの顔を正面から見る。
その表情は⋮⋮あれ?ちょっと険しい?どうして?
﹁ソフィア。貴方の今の考えは、私たちが嘘を吐いていない前提よ
ね﹂
﹁ええそうよ﹂
﹁どうして私たちが吐いていないと言えるの?﹂
﹁へ?﹂
そしてフローライトの口から飛び出してきたのは、私にとっては
少々予想外の言葉だった。
フローライトが嘘を吐く?
いやまあ、フローライトもヒトだし、嘘は吐くかもしれないけれ
ど⋮⋮。
566
﹁どうしてと言われても、うーん⋮⋮そもそも今はフローライトが
嘘を吐いていても別段問題になる状況じゃないし⋮⋮そもそもフロ
ーライトが嘘を吐くとは思えないのよね﹂
ただ、フローライトが私に対して嘘を吐く理由もないし、嘘を吐
かなければならない状況にあるとも思えない。
いや、そもそもとして、私にはフローライトが私たちに対して嘘
を吐くとは思えなかった。
﹁嘘を吐くとは思えない⋮⋮ね。そう、分かったわ﹂
しかし、私の答えを聞いたフローライトは、一瞬何故か悲しそう
な表情をしていた。
うーん?一体どういう事なのだろうか?
まるで理由が分からない。
﹁ソフィア。明日からも頑張ってね﹂
﹁勿論よ﹂
尤も、その直後に見せられた笑顔に、フローライトが悲しそうに
していた理由はどうでもよくなってしまったのだが。
567
第101話﹁エーネミの裏−10﹂︵後書き︶
05/16誤字訂正
568
第102話﹁エーネミの裏−11﹂
﹁あの家がそうなの?﹂
﹁ああそうだ﹂
五日後。
私、サブカ、シェルナーシュ、トーコの四人はマダレム・エーネ
ミの片隅に建てられた小さな家を、幾らか離れた場所に建っている
建物から眺めていた。
﹁家長の名前はテトラスタ。家族構成はテトラスタ本人の他、妻、
娘二人に、孤児が四人で、計八人だ﹂
﹁ふむふむ﹂
家の中では、土が均された部分で三十代ぐらいと思しき外見の男
性と、その子供たち六人が農作業と思しき行動をしている。
周囲の注意を引かないようにするためだろうか。
楽しげな声などを上げたりはしていないが、農作業をしている彼
らの姿は、このマダレム・エーネミに入ってからは久しく見かけて
いない、普通の農村や都市でならよく見られる姿だった。
﹁ちなみにこの五日間で小生たちが調べた限り、テトラスタの本業
は医者だ﹂
﹁あらそうなの?ならどうして彼らは畑作業を?﹂
﹁﹃闇の刃﹄に関係する商人が、真っ当な出来の薬を、自分たちと
は関係のない医者に売ると思うか?﹂
﹁ああなるほど。納得したわ﹂
ただシェルナーシュが暗に言ったところ、彼らが畑作業で作って
いるのは野菜や穀物では無く、本業である医術行為に必要な各種薬
草であるらしい。
569
まあ、薬になるどころか毒になりかねないような薬品を売られて
しまう立場では、自分たちで薬草を栽培するのも仕方がないか。
﹁周囲の評価は?﹂
﹁付き合いが悪いとか、頑固おやじとかってのはよく言われてるね。
でも、他の悪い噂は全部根も葉もない感じだし、怪我人や病人なん
かを見かけたら、誰彼構わず治そうとしているみたい﹂
﹁何と言うか、今までよく無事だったわねぇ⋮⋮﹂
﹁普通にテトラスタさん自身が強いみたいだよ。﹃闇の刃﹄の魔法
使い一人や二人程度なら殴り倒して、打撲に効く薬を塗って、それ
で帰ししちゃうみたい﹂
﹁で、それが何度も続くうちに、襲われることも無くなってしまっ
たようだ﹂
﹁ふうん⋮⋮なるほどね﹂
怪我人なら誰でも治そうと考える高潔な精神に、﹃闇の刃﹄の魔
法使いとも戦える腕っぷしか。
後、ギリギリのラインではあるけれど、﹃闇の刃﹄との直接的な
関わりも無しと。
まあ、何と言うか、よく見つけたものだなぁ⋮⋮とサブカに対し
て言いたくなる。
見事にサブカ自身が挙げた条件を満たしているし。
﹁ソフィア、それでどうだ?あの家族なら逃がして良いと思えるか
?﹂
﹁そうね。貴方たちの話を聞く限りは、あの家族なら逃がして良い
と言えるわ﹂
﹁俺たちの話を聞くなら⋮⋮か﹂
﹁むう⋮⋮アタシたちの言葉を信じてくれないの?ソフィアん﹂
﹁まあ、そう言う事を言いたくなる気持ちは分かるがな﹂
私の言葉にサブカたちが不満そうな表情を浮かべるが、こればか
570
りは仕方がない。
本来のフローライトの望みからすれば、あの家族も全員殺すべき
対象であるし、私は今日初めて彼らの姿を見るのだから。
いやまあ、これでフローライトが逃がしてもいいと言うのなら、
私も異を唱えないんだけどね。
﹁まあいいわ。流石に貴方たち三人の目が揃って曇っていたり、あ
の家の住人が全員貴方たちの目を誤魔化せるような何かを持ってい
るとは思えないし、私も彼らを対象外にする事は認めるわ﹂
﹁ほっ⋮⋮﹂
ただまあ、論理的に物を見れるシェルナーシュと、直感的に判断
できるトーコ、もしかしたら私以上にヒトらしさと言うものを知っ
ているかもしれないサブカの三人が揃って大丈夫と言っているなら、
よほどの事が無い限りは大丈夫だと思うが。
と言うわけで、私も賛成の意を示したところ、サブカがあからさ
まに安堵した様子の吐息を漏らす。
ただサブカに悪いが、一つ言っておく事が有る。
﹁サブカ、一応言っておくけど、私は彼らを対象外にするとは言っ
たけど、それは私がやろうとしている事に巻き込まれないようにす
る方法を教える事によって、対象外にすると言う事よ。つまり、事
を起こす前に教えてあげた通りに彼らが動かなかった場合は、その
生存を保証する事は出来ないわ﹂
﹁分かっている。流石に自分から渦中に飛び込んで行って死ぬよう
なら、俺も諦める他ない﹂
﹁納得してくれてありがとう﹂
それは絶対に彼らを助けられる保証は無いと言う事だ。
まだ、計画の要になるアレが完成していないので、何とも言えな
いが、アレには対象を区別するような機能を持たせる気はないし、
そんな機能を付けられるとも思っていない。
571
故に、逃れる為の方法を教えても、彼らがそれを守らなければ、
彼らもアレに巻き込まれて死ぬ事になる。
そう言うわけで、私としては出来る限りの誠意と強制力を持つよ
うな形で彼らにアレから逃れる為の方法を教えるつもりではあるが、
そこまでしても駄目だった時は、もう私には関係のない事、大丈夫
だと判断した三人の目が曇っていたと言う事で済まさせてもらうつ
もりである。
ま、こればかりはこちらの人手が絶対的に少ない以上は、仕方が
ない事である。
﹁それでソフィア。貴様が調べていたベルノートの屋敷については
どうなんだ?﹂
﹁ああそっちの話?そっちについては多少思いついた事が有るわね﹂
﹁思いついた事?﹂
さて、話は変わってベルノートの屋敷についてだが、こちらもど
うやって対処すればいいのかについては一応思いついた。
﹁ええ、屋敷の住人の一人を丸呑みにして情報を得た結果として思
いついたんだけどね﹂
﹁どうするつもりだ?﹂
本音を言えば、﹃闇の刃﹄の魔石加工技術については一度に全部
奪い取って、以後一切の魔石供給を断ってしまいたくはなる。
が、屋敷の警備状況的に、流石にそれは無茶な話と言う他なかっ
たし、仮にやれてしまえても、アレが完成するまでの間に、マダレ
ム・エーネミがどのように暴走するのかと言う予想もつかなくなる。
と言うわけでだ。
﹁まずは私一人で潜入するわ﹂
まずは最低限の情報を私一人だけで奪ってくると言う手段を取る
ことにする。
572
第102話﹁エーネミの裏−11﹂︵後書き︶
そろそろエーネミとセントールのイメージ元が読者の皆様にバレて
きている頃かと思います。
573
第103話﹁エーネミの裏−12﹂
﹁無事に侵入は成功⋮⋮っと﹂
数日後の夜。
私はベルノートの屋敷の中に、誰にも気づかれる事無く入り込ん
でいた。
﹁さて、トーコたちは上手く逃げられたかしらね﹂
幾らか離れた場所の空を赤く染め上げているのは、私が潜入する
にあたって一応の陽動と言う事でやってもらった火事の炎。
上がっている煙の色からしても、色々とよく燃えていそうな色を
している。
まあ、井戸のある家を狙って焼いてもらったので、下手人である
トーコたちはとっくの昔に地下水路経由でフローライトの下に戻っ
ているだろうし、ここから先私には他人の心配をしている余裕など
ないのだが。
﹁じゃっ、行きましょうか﹂
私は周囲にヒトの気配がない事を確認すると、火事の明るさに目
を奪われている警備の魔法使いたちの目をかいくぐり、事前の情報
収集で住み込みの侍女たちが寝室として使っている部屋の中にもぐ
りこむ。
﹁だ⋮⋮むぐっ!?﹂
﹁えっ!?﹂
で、騒がれる前に部屋に入った時点で起きていた、もしくは起き
かけていた侍女は殺害。
寝ていた侍女には麻痺毒を注入して動けなくした後、生きたまま
574
丸呑みにしてその記憶を奪い取る。
これで、ベルノートの屋敷の中がどうなっているのかについて、
最新の情報を得る事が出来るだろう。
﹁これでよし⋮⋮と﹂
その後は?
最近の基本である﹃闇の刃﹄の魔法使いの服装から、背丈の近い
侍女の服装へと着替えると共に、侍女の記憶を確認する。
うん、これで屋敷内に居る全員の顔を把握しているヒトはベルノ
ートの側近数名だけなので、ある程度は堂々と動き回れるだろう。
夜であっても諸々の用事で侍女が部屋の外を歩いている事はある
ようだし。
で、侍女の記憶の方だが⋮⋮事前に集めた情報には無かったが、
私にとって非常に有利な情報が一つあった。
この情報が確かならば、無闇に危険を冒す必要が無くなるだろう。
これは実にありがたい。
﹁じゃっ、移動開始っと﹂
私は部屋の中を覗かれないように注意しつつ部屋の外に出ると、
何食わぬ顔で、食べた侍女たちの記憶に沿った歩き方をして、屋敷
の通路の中を歩く。
勿論、遠くで火事が起きていると言うこの状況下で、そちらの方
を全く気にしないと言うのもおかしいので、多少そちらへも注意を
向けつつだが。
﹁しかし派手に燃えているな⋮⋮ありゃあ、誰の家だ?﹂
﹁知らねえ。けど、この辺りの家なんだし、どっかの商人だろ﹂
﹁ま、ペ⋮⋮ベルノート様の商売敵の家なら、むしろありがたいか
?﹂
﹁どうだろうな。ベルノート様の立場上あまり表の商売を大きくし
575
過ぎるのも問題だと思うぜ﹂
﹁確かに。デカくなるとそれだけ怨まれるからな﹂
﹁いずれにしても、ここの警備だけしてればいい俺らには関係ない
か﹂
﹁おまけに今は休憩中だしな﹂
﹁﹁﹁ははははは﹂﹂﹂
で、目的地に向かう途中にこんな会話とが聞こえてきたわけだが
⋮⋮コイツら酒が入っているわね。
休憩中とは言え、重要な拠点を守っているんだから、もう少しし
っかりと⋮⋮していない方が私にとっては都合がいいか。
﹁おい、そこの侍女﹂
﹁なんでしょうか?﹂
﹁新しい酒を持って来てくれ﹂
﹁分かりました﹂
おかげで思いっきり顔を見られたのに、何も疑われていないよう
だしね。
と言うわけで、酒を持ってくる風を装ってその場を去ると、私は
本来目指していたのとは別の、けれど最新の情報に従えば、目的を
果たせる場所に辿り着く。
﹁ん⋮⋮誰だ?﹂
私は扉をノックして、その部屋の主に鍵を開けさせる。
﹁すみません。先生。ちょっと気分が悪いので⋮⋮﹂
﹁気分が悪いね⋮⋮ぐっ!?﹂
で、中から髭を生やした男性が出てきたところで、周囲に居るか
もしれないヒトの目を避けるように男性の首筋に噛みついて麻痺毒
を流し込みながら、部屋の中に侵入。
扉を閉め、鍵をかける事によって、これから先、中で何が起きて
576
いるのかを分からないようにする。
﹁なにも⋮⋮のぎゃ!?﹂
﹁はいはい、黙って死にましょうね﹂
さて、まずはこの部屋の主だった男性⋮⋮ベルノート家の医者は
侍女の部屋から持ち出した刃物で首を切って殺しておく。
そして、その後はこの部屋の奥に設置されているベッドに向けて、
ゆっくりと歩いていく。
﹁ゴホッ、ゴホッ。なに⋮⋮ものだ?﹂
﹁あら、起きてたの﹂
ベッドで寝ていたのは、見るからに痩せ細っている老人。
その顔は皺と染みだらけで、髪の毛は白くなるどころか、殆ど抜
け落ちてしまっており、ベッドに寝かされている事からも分かるよ
うに、明らかに体調を悪くしている。
歳の事も含めて考えれば、病死する一歩手前と言っても過言では
ないだろう。
﹁これほどまでに濃い血の匂いがすれば、いやでも目は覚める﹂
﹁そう﹂
だがその目は未だに輝きを失っておらず、一瞬でも余所へと私が
気を逸らしたら、その瞬間に顔を殴られ、私が手に持っている刃物
を奪い取り、私を返り討ちにするぐらいの事は出来そうな気迫を有
していた。
だから、私は彼が何かをしようとしてもいいように距離を取った
上で、その全身と顔の動きに細心の注意を計る。
﹁それで、この死にかけの老いぼれに何の用だ?﹂
﹁そうね。時間も無いし、単刀直入に言わせてもらうわ﹂
そして、その状態のまま私は目の前の老人⋮⋮
577
﹁フローライトの願いを叶える為に、貴方の持つ全ての知識と技術
を貰いに来たわ﹂
この屋敷の地下で、﹃闇の刃﹄の為に魔石を加工していた職人と
の交渉を始めた。
578
第104話﹁エーネミの裏−13﹂
﹁フローライトだと?﹂
老人の片眉が吊り上り、訝しげに私の事を見つめる。
どうやら一般には知られていないはずのフローライトの名を出し
たことによって、私に対する警戒度を上げてしまったらしい。
﹁お前⋮⋮何者だ?﹂
だが、それだけだ。
老人が攻撃の態勢に移るようなことはない。
それは私が本当にフローライトの為に動いている可能性を考慮し
てくれたからだろう。
うん、私としては情報を渡すわけには行かないと自殺されたりす
るのが一番困る展開なので、そうならなかった事は素直に嬉しい。
で、後は嘘を吐くなり、力技で黙らせるなりと言った手段でもっ
て無理矢理情報を奪い取る手段もあるわけだが⋮⋮うん、まずは誠
意をもって接するとしよう。
目の前の老人が私の想像通りの人物なら、そちらの方がいい。
ラミア
﹁私はソフィア。蛇の妖魔よ﹂
﹁妖魔だと?﹂
だから私は名前だけでなく、種族も素直に明かす。
出来る限りの誠意を言葉に込めて。
ついでに私が妖魔であることを証明できるように、先が二股に別
れた舌も見せておく。
﹁ボソッ⋮⋮︵馬鹿な。妖魔が何故⋮⋮︶﹂
老人の視線と口が僅かに動く。
579
が、その目の動きの中には明らかな動揺と、疑念⋮⋮私の背後に
あるまだ温かい医者の死体を何故食べに行かないのだと言わんばか
りの思いが込められている。
まあ、彼の状況的にずっと外部の状況は教えられていなかっただ
ろうし、この反応は当然の物だろう。
﹁いやいい。それよりも何故妖魔が儂の知識と技術を求める?そも
そもお前とフローライト様の関係はなんだ?﹂
だが彼は直ぐに今自分が考えるべき点は他にあると理解したのだ
ろう。
私の異常性を呑み込むと、二つの質問を私に放ってくる。
ああうん、もしかしなくても、この老人はただの職人ではないの
かもしれない。
相当頭が回るのが早い。
﹁フローライトとの関係は傭兵と雇用主の関係よ。フローライトの
望みはマダレム・エーネミとマダレム・セントールの滅亡。そして
フローライトの望みが叶った暁には、私はフローライトの事を貰え
る事になっている﹂
だから気圧されないように、主導権を握られないように、元々少
ない時間を有効活用するためにも、私は質問に素早く答える。
﹁フローライト様を食うつもりか﹂
﹁ええそうよ。そしてフローライトの願いを叶える為に、私は一つ
の策を考えた。けれど、その策を完成させるためには、優れた魔石
の加工技術に関する知識と技術が必要になるの﹂
﹁だから此処に来た⋮⋮か﹂
老人の眼光は刻一刻と鋭さを増していく。
だがその眼光の鋭さに比肩するように蓄えられた力の気配が向か
うのは、私では無く老人自身と、ここには居ない誰か⋮⋮恐らくは
580
ドーラムに向けてだ。
うん、気を付けないと一瞬の隙をついて、自分自身の首を刎ねる
ぐらいの真似はしてみせかねないな。
﹁どういう方法を持ってマダレム・エーネミとマダレム・セントー
ルを滅ぼそうとしている?それとどうやって儂の技術と知識を得る
つもりだ?魔石の加工技術は一朝一夕で学べるような物ではないぞ
?﹂
﹁それはね⋮⋮﹂
だから私は慎重に老人の疑問を晴らすように、質問へと答えてい
く。
妖魔が生きたままヒトを喰らう事によって記憶を奪える事も、私
が造り出そうとしているアレがどういう代物であるかも教えていく。
そうしてそれらの情報を与えた結果⋮⋮
﹁なるほど⋮⋮な。自由に動ける味方が誰一人としていなかったフ
ローライト様がお前を雇った事にも、お前がこれからやろうとして
いる事に、儂の知識と技術が必要な事も良く分かった。それにフロ
ーライト様がどれほどの覚悟でもって今回の件に臨まれているのか
もな﹂
﹁そう。理解してもらえて嬉しいわ﹂
老人は何処か諦めたような表情を見せていた。
何を思ってそのような表情をしているのか私には分からないが、
その表情は酷く悲しそうに見えた。
だが、そんな悲しそうな表情をしていたのも一時の事。
直ぐに老人は表情を改め、私の顔を真正面から力強く睨み付けて
くる。
それこそ何十歳も若返り、青年のような活力に満ちた視線をだ。
﹁その上で聞かせてほしい。ソフィア、お前はドーラムの事をどう
581
思っている?﹂
だが活力に満ちているだけではない。
老人の視線にはその積み重ねた月日に相応しいだけの、怨念と言
っても決して間違ってはいないであろう昏い思いも乗せられている。
ああそうだ、やはりこの老人とは誠意を持って向き合うべきだ。
でなければ、これほどの重みを持つ目の前の老人の思いを受け継
ぐことなど出来ないのだから。
﹁この上なく憎らしく思っているわ。それこそ出来る限りの恨みつ
らみを叩き込んだ上で殺してやりたいぐらいにね﹂
﹁その思いはフローライト様に対する思いよりも上か?﹂
﹁ん?いえ、フローライトに対する思いの方が上ね。そもそも思い
の方向性そのものがだいぶ違うけど﹂
﹁そうか﹂
老人がほんの僅かに笑う。
どういう事だろうか?
だが私が老人の笑みの意味を理解する前に、老人は続きの言葉を
紡ぐ。
﹁ふふ、ふふふふふ⋮⋮いいだろう。儂の全てを持って行け。そし
てフローライト様が願う全てを叶えて見せろ﹂
そしてその言葉を最後に老人は笑みを浮かべたまま目を瞑る。
﹁分かったわ﹂
私に出来る事は、出来る限り老人が苦しまないように、意識を奪
い、全身を麻痺させた上で呑み込む事だけだった。
582
第105話﹁エーネミの裏−14﹂
﹁これは⋮⋮驚かされたわね﹂
私の中に老人⋮⋮数代前のペルノッタの知識、技術、記憶、感情、
経験、人生、ありとあらゆるものが流れ込み、私の力として定着し
ていく。
そうして定着する力の中には、老人の正体がただの職人ではなく、
数代前とは言え﹃闇の刃﹄の魔石加工技術と流通を一手にまとめて
いたペルノッタである情報など、私が想像だにしていなかった情報
も相当数含まれていた。
勿論、彼が所有していた情報の中には古すぎて、今はもう通用し
ない情報もある。
だが、そんな今では通用しない情報も含めて、彼の保有していた
情報は私にとってはありがたいものばかりだった。
﹁さて、逃げますか﹂
私は思いがけない成果に笑みを深めつつも、薬として用意されて
いた酒や油を部屋の中にバラ撒いていく。
そして﹃闇の刃﹄の魔法使いの衣装を身に着けると、自作の魔石
で部屋に火をつけ、ベルノートの屋敷から脱出、適当な場所に有っ
た井戸の中へと飛び込む。
尤も、ただ屋敷から逃げるのではなく、追手に老人が走っている
ような姿を僅かに見せた上でだが。
﹁ふふふ、いい土産が出来たわ﹂
私は地下水路を駆け抜けながら、笑みを深めずにはいられなかっ
た。
583
■■■■■
翌日、ドーラムの屋敷の一室。
﹁申し訳ありません!ドーラム様!!﹂
﹁まったく、地下にまで踏み込まれなかったからよかったものを⋮
⋮貴様も貴様の元に預けている連中もだいぶ気が緩んでおったよう
じゃのう⋮⋮﹂
﹁申し訳ありません!申し訳ありません!何卒命だけは!命だけは
お助けを!﹂
﹁ふん、それは貴様の報告と今後の活躍次第。と言ったところじゃ
な﹂
そこでは、商人風の衣装を身に着けた男性が、屋敷の主であるド
ーラムと、その息子であるダーラムへ向けて、額を床にこすり付け
る様な勢いでもって謝り続けていた。
﹁それでベルノート。被害の方はどうなっている?﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
ベルノートは昨夜、自分の屋敷で起きた事件の内容とその被害⋮
⋮つまりは侍女数名と医者が殺され、医務室に火を付けられ、殺さ
れた侍女と同じ部屋に居た他の侍女が消え去っている事について語
る。
そして、走り方からして老人と思しきヒトが一人屋敷から逃げ出
している事も。
﹁老人?何者だ?﹂
﹁正体は分かりません。が、当時の屋敷の中の状況からして、一人
当てはまる者が居ます⋮⋮﹂
ベルノートの身体は、この後に受ける叱責を想像して既に震えて
いた。
584
その顔は青ざめ、冷や汗も大量にかいていた。
いっそ今すぐこの場で気絶出来てしまえば⋮⋮ベルノートはそう
思ってしまうほどに、追い詰められていた。
だが言わなければならない。
調べれば直ぐに分かってしまう事であるし、言わなければ自分の
命が危うくなることが確実だったからだ。
﹁誰じゃ?﹂
﹁数代前のペルノッタです﹂
﹁!?﹂
そしてベルノートがやっとの思いで告げたその言葉に、ドーラム
の表情が明らかに変わる。
﹁な、な、な⋮⋮ペル⋮⋮ノッタが⋮⋮逃げ⋮⋮ぐぶぅ!?ごほっ、
げほっ!?ごほぅ!?﹂
﹁父上!?﹂
ドーラムの顔はベルノート同様に青ざめ、椅子から崩れ落ち、慌
てて駆け寄ったダーラムによって体を支えられるものの、まるで足
腰に力が入らないようだった。
﹁ごほっ、げほっ、馬鹿な!?な、何故奴が逃げ出せる!?奴は⋮
⋮奴だけは決して地上に上げる事も許さず、常に監視も付けておく
よう言っておいたはずだぞ⋮⋮﹂
﹁ど、どうやら、火事が起きたその日、ペルノッタは作業中に倒れ、
重篤状態に陥ったそうです。そして例の件もあって、まだ死なせる
わけには行かないと医務室で治療を行っていたのですが⋮⋮﹂
﹁な!?ベルノート!まさか貴様は一度死にかけた者が復調し、火
を点け、屋敷から逃げ出したとでも言うのか!?﹂
﹁そ、そうとしか言いようが有りません!事実、焼け落ちた医務室
に残されていた死体は一人分で、目撃された人影の周囲には他に誰
585
も居なかったのです!断じて!断じて嘘ではありません!!﹂
顔面蒼白の状態に陥っているドーラムの前で、ベルノートは必死
の形相でありのままに起きた事を話す。
だが一体誰が彼の話を信じると言うのだろうか。
なにせ彼の話が真実であるならば、明日の朝には死んでいてもお
かしくない老人が、夜中に突然復活し、何らかの方法でもってその
場に居た医者を無力化し、逃げ出したのだから。
﹁はっ!?まさか内通者が居たのか?﹂
﹁私としてはそうとしか思えません⋮⋮でなければ、一部屋分の侍
女が殺されるか消え去っている事にも、こうもあっさりと我が屋敷
の警備が抜かれてしまっている事にも説明が尽きません⋮⋮﹂
﹁それならば、その老人のような動きをした誰かも、内通者が老人
の振りをしただけかもしれない。ならば⋮⋮全ての件に説明は付く
⋮⋮か?﹂
ダーラムとベルノートの二人は、表面上だけでも冷静な状態を取
り繕うと、一体誰が今回の事件を起こしたのかを話し合う。
そんな中だった。
﹁はぁはぁ⋮⋮ピータム、ペルノッタ。何としてでも奴を探し出せ
!奴は魔石の加工技術に精通しているだけでなく、遺産のありかに
ついても知っている可能性が高い。何としてでも探し出せ!そして
インダークの遺産を我らが手中に収め⋮⋮ぐっ!?﹂
﹁父上!?﹂
﹁ドーラム様!?﹂
僅かに呼吸を整えたドーラムがダーラムとベルノートの二人に指
示を出そうとして⋮⋮倒れた。
586
第105話﹁エーネミの裏−14﹂︵後書き︶
遺産は何なのでしょうね?
587
第106話﹁エーネミの裏−15﹂
﹁遺産が存在しない⋮⋮だと﹂
﹁ええそうよ﹂
フローライトの部屋に戻ってきた私は、全員揃ったところでベル
ノートの屋敷に潜入した成果について語った。
そして、その中で私が言った遺産は存在しないと言う一言に、シ
ェルナーシュはとても驚いていたようだった。
なお、フローライトとアブレアはやっぱりと言う表情で、トーコ
とサブカの二人は興味自体が殆ど無いようだった。
﹁まあ正確に言えば、ドーラムやその側近たち、それに今のマダレ
ム・エーネミ上層部が思っているような遺産⋮⋮つまりは特殊な魔
石の加工法や、金銀財宝、貴重な書物や薬品といった形あるもので
は無かったと言う事ね﹂
﹁あらそうなの?﹂
ただまあ、あくまでも遺産が存在しないと言うのは、ドーラム視
点でのお話ではあるのだが。
では、どんな遺産が﹃闇の刃﹄には存在していたのか。
﹁それではソフィア様。遺産とは一体なんだったのですか?﹂
﹁簡単に言ってしまえばヒトね﹂
﹁ヒト?﹂
﹁ソフィアん。それって⋮⋮﹂
﹁食料と言う意味じゃないわよ。私たち妖魔じゃないんだから﹂
私は手振りだけでサブカに指示をすると、トーコの口を塞がせて
黙らせる。
余計な茶々を入れられても面倒だしね。
588
﹁ヒト⋮⋮ね。どういう意味なの?﹂
﹁んー⋮⋮私の知識の元であるペルノッタも完全には理解できてい
ないようだったけど⋮⋮そうね。ヒトと言うのは、基本的に十分な
数が居て、初めて全力を出せる存在なのよ。だから、フローライト
の祖父⋮⋮つまりは先々代﹃闇の刃﹄の首領は、自分たちに従い、
自分たちの為に働いてくれる者たちこそが﹃闇の刃﹄にとって最も
貴重な財産であると考えていたみたい﹂
﹁ふむ。となれば遺産とは⋮⋮﹂
﹁そうね。次の代に引き継がれる人員。それと彼らが所有する知識、
技術、繋がり、その他諸々全部を含めて、という事になるわね﹂
﹁なるほどね⋮⋮﹂
で、﹃闇の刃﹄の遺産がヒトであると言う意味についてだが⋮⋮
正直説明はしづらい。
ただまあ、理解は出来る。
私にとってのサブカやシェルナーシュ、トーコがそうであるよう
に、信頼できる仲間と言うのは、心情的な物を除いて、実利的な面
だけで見ても、十分すぎるほどに価値があるのだ。
妖魔である私でもそう感じるのだから、協力し合ってこそ真価を
発揮するヒト⋮⋮それも﹃闇の刃﹄の首領と言う多くのヒトを取り
まとめる立場にあるヒトから見れば、ヒトこそが財産であると言う
のは十分に理解できるものではある。
﹁でもそうなると、ソフィア。あのクソ爺たちは⋮⋮﹂
﹁ええ、彼らは﹃闇の刃﹄の遺産の価値を理解できなかった。それ
どころか、最も無駄な使い方をしてしまい、挙句の果てに遺産の価
値を著しく下げてしまった﹂
﹁何と言うか⋮⋮失笑ものだな﹂
﹁本当にね﹂
シェルナーシュの言うとおり、本当にドーラムたちの行動は失笑
589
ものである。
もしも彼らが﹃闇の刃﹄の遺産が何かを理解していれば、マダレ
ム・セントールとの戦いが今まで続く事も、マダレム・エーネミが
此処まで堕落することも無かっただろう。
まあ、もしもそうなっていたら、私とフローライトが会えていた
のかも怪しいので、そう言う点ではドーラムの愚かさがありがたく
もあるのだが。
口には絶対に出さないが。
﹁まあ、これはあくまでも私がペルノッタから得た情報に基づいた
話。ドーラムたちが言うような遺産が実在する可能性も一応は否定
できないわ﹂
﹁一応か﹂
﹁一応よ﹂
それにこの情報はペルノッタと言うたった一人のヒトから得た情
報だ。
ペルノッタの記憶から直接得た情報なので、ペルノッタが偽の情
報を私に渡した可能性は存在しないが、ペルノッタが得た情報その
ものが間違っていたと言う可能性も一応は存在している。
と言っても。
﹁具体的にはどれぐらいの可能性でドーラムが言うような遺産があ
るとソフィアは思っている?﹂
﹁んー⋮⋮そうね。今突然マダレム・エーネミ中にエーネミ全住民
の数と同じかそれ以上の数の妖魔が出現して、大虐殺が始まるぐら
いの可能性⋮⋮かしらね﹂
﹁⋮⋮。ソフィア、それは有り得ないと言っているような物だぞ﹂
﹁⋮⋮。ソフィアん。それはアタシでもないって分かるよ﹂
﹁⋮⋮。まあ、有り得ないな。それは﹂
﹁⋮⋮。そんな事が起きるなら、ヒトは都市なんて作ってられませ
590
んね﹂
﹁ふふふふふ、もしそんな事が起きたら、とても面白そうね﹂
計算するのが馬鹿らしいぐらい低い確率でしか、そんな事は有り
得ないとも思っているが。
﹁しかし、そうなるとドーラムの奴はなんでそんな遺産があると思
っていたんだ?﹂
﹁さあ?目先の欲に惑わされた老人の考えなんて私には理解できな
いから、何も言えないわ﹂
﹁そうか﹂
で、ドーラムたちが、自分たちが求めるような遺産が何故あるの
かと思ってしまった件については⋮⋮私には何も分からない。
興味もわかない。
そんなわけで、ずっと存在しない遺産を追いかけ続けて、私たち
の準備が完了するまで、無様に踊ってくれていればそれでいい。
﹁それで話は変わるがソフィア。ペルノッタの知識を得た結果とし
て、アレの出来はどうなりそうだ?﹂
﹁大きく変わるわ。そうね⋮⋮﹂
で、今回ベルノートの屋敷を襲った本題に関わる点についてだが
⋮⋮
﹁夏の二の月。その頃には事が起こせると思うわ﹂
﹁ほう﹂
﹁あら、素敵﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁遂にか﹂
﹁おー﹂
そちらは大きな進展があった。
591
第106話﹁エーネミの裏−15﹂︵後書き︶
遺産なんてなかったんや!
592
第107話﹁滅び−1﹂
﹁戻ったぞ。ソフィア﹂
﹁ただいまー、ソフィアん﹂
﹁二人ともお帰りなさい﹂
私がペルノッタを食べてから、だいぶ時間が経った。
と言うわけで、現在は夏の一の月は最後の週である。
﹁上の様子はどうだった?﹂
﹁予定通り、何事も無くバルトーロは妻子共々処刑された﹂
﹁そう。何も無かったなら、それは良い事と考えるべきね﹂
で、一ヶ月以上も経っているならば当然の事ではあるが、その間
にマダレム・エーネミでは様々な出来事が起きている。
﹁それにしてもバルトーロだったかしら。彼も愚かな事をしたもの
ね﹂
﹁ドーラムが倒れるなんていう、自分の手の内に権力が転がり込ん
で来るかもしれない機会を見逃せなかったんでしょうね。まあ、欲
深いヒトには相応しい末路じゃないかしら﹂
まず私がペルノッタの事を食べた直後にドーラムが倒れた。
倒れた原因について表向きはただの体調不良だと言っていたが、
私たちはペルノッタが居なくなったことが原因では無いかと考えて
いる。
実際、私の中にあるペルノッタの記憶によれば、ドーラムはペル
ノッタが遺産についてかなり詳しく知っていると思っていたようだ
ったし。
﹁俺としてはグジウェンがバルトーロでは無く、ドーラムと手を組
593
んだ事の方が驚きだったがな﹂
﹁確かに。あそこでグジウェンがバルトーロと組んでいたら、今頃
死んでいたのはドーラムとその息子であるダーラムの方だったわよ
ねぇ﹂
そして、その直後にバルトーロがマダレム・エーネミの王の座を
狙って行動を開始。
ドーラムに対して攻撃を仕掛けた。
それはつまり私たちが当初狙っていた内乱状態に陥ったと言う事
だが⋮⋮その内乱はドーラム側の勝利と言う形で、あっという間に
治められる結果になった。
﹁まあ、実を言わせてもらうなら、そうなると私たちも困るんだけ
どね﹂
﹁確かに。この部屋が使えなくなるのは痛手だろうな﹂
﹁バルトーロが一番になったら、今以上に街中が酷くなるだろうし
ねー﹂
﹁それは確かに困るな⋮⋮﹂
﹁そうね。ドーラムのおかげでこの部屋には外から見知らぬ誰かが
入って来る事が無くて、ソフィアたちとも遠慮なく会えるのだもの
ね﹂
﹁そのせいで手が出せないと言うのも、少々歯がゆい事ではありま
すが﹂
何故頭が倒れたドーラムの側で無く、事前に準備を整えていたで
あろうバルトーロの側が負けたのか。
それには幾つかの理由がある。
まず一つに、反撃の為にではあるが、準備を整えていたのはドー
ラムの側もだったと言う事。
二つ目に、ドーラムの息子であるダーラムが、今まで表に出てこ
なかった事が不思議なほどの手腕でもって、見事に部下たちを指揮
して見せた事。
594
三つ目に、バルトーロと同程度の勢力を有するグジウェンが、ま
るで事前にそうなることを知っていたかのように、適切な動きを伴
う形でドーラムの味方をした事。
これらの要因が重なった結果として、事前に整えていた準備も碌
に生かせないまま、バルトーロが起こした内乱は治められ、屋敷で
酒を飲んでいたバルトーロは妻子共々あっけなく捕えられたのだっ
た。
で、現在に至るまで拷問を伴う取り調べを受け続け、今日になっ
て処刑されたのだった。
﹁ま、いずれにしてもこちらに影響が出ない限り、私たちの側から
何かをする必要はないわ﹂
﹁そうだな。小生たちは自分が目指すものを目指した方がいい﹂
﹁だねー﹂
ただこの内乱のおかげで分かった事が一つある。
それはダーラムの正体だ。
ほぼ間違いなく、あの男こそが懲罰部隊の長だろう。
でなければ、内乱の最中に懲罰部隊がドーラムの部下たちと完璧
な連携を伴って行動出来た点について、説明がつかない。
そう言うわけで、まあ適当なところで始末させてもらおう。
ドーラムに絶望感を与えるにはちょうどいい相手だし。
﹁それでソフィア。そちらの進捗具合は?﹂
﹁んー、生産の安定化はもう大丈夫だと思うわ﹂
で、内乱が終わった後だが、混乱は続いた。
まずドーラムに協力をする事で、自身の立場を確固たるものにし
たはずのグジウェンが、突如自殺した。
それもマダレム・エーネミ一番の広場の真ん中で、意味不明な叫
び声を上げながら自分の喉をナイフで掻っ切ると言うやり口で。
うん、マカクソウ中毒患者マジ怖い。
595
行動の意味が分からない。
所用で偶々その場に居たけど、﹃えあやぢじゃ えいほうみまつ
えあやぢじゃ えいえmっみまつ えあやぢじゃ ぃおぅみ も
ぉちゆふぇつ!﹄とか叫んでた。
正気じゃないのは当然なんだけど、それでもその言動の意味不明
さは怖かった。
﹁つまり後必要なのは⋮⋮﹂
﹁ええ、原料と道具の確保さえできれば、後は完成まで時間の問題
よ﹂
そして、こちらはつい最近の事だが、マダレム・セントールがマ
ダレム・エーネミとの戦いに向けて、活発に動き出していると言う
話が、色んな方面から聞こえ始めている。
どうやらこちらは、内乱の影響で一時的にでも戦力が低下してい
る隙を突こうとしているらしい。
尤も、両都市に継戦派が居る以上、戦いが始まるのは戦いを引き
分けに持ち込めるような状況が整ってからであろうし、そうでなく
とも今の時期に戦いを始めてしまえば、どちらも冬を越せなくなっ
てしまう可能性がある。
と言うわけで、戦いが始まるのは早くても秋の月に入って、諸々
の収穫が終わった後になるだろうと、私は考えている。
﹁そう。やっと⋮⋮やっとこの腐った都市に終わりをもたらす事が
出来るのね﹂
﹁ええそうよ。もうすぐフローライト⋮⋮貴方の願いが叶うのよ﹂
それはつまり⋮⋮戦争が始まる前に、私たちの手によってマダレ
ム・エーネミもマダレム・セントールも滅び去ると言う事である。
596
第107話﹁滅び−1﹂︵後書き︶
Q:なんでバルトーロの反乱は書かなかったの?
A:ソフィアの物語には関係しないから
私は 永劫になる 私は 永遠になる 私は 記憶に 残り続ける
597
第108話﹁滅び−2﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵全員、準備は良いわね︶﹂
数日後。
私、シェルナーシュ、トーコ、サブカの四人はマダレム・エーネ
ミの地下水路の一角、壁一枚挟んだ先に、秘密の地下通路が存在し
ている場所にやって来ていた。
﹁ボソッ⋮⋮︵じゃあ、いきましょうか︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵分かった︶﹂
私は壁の向こうと、その周囲にヒトが居ない事を確認すると、ペ
ルノッタの知識からシェルナーシュが新たに習得した魔法を展開す
る。
そして展開が無事に終わったことを確認した所で、私が全力でハ
ルバードを振るう事によって、破壊の規模に反して異常に静かな音
と共に、レンガの壁を破壊。
と同時に、私が開けた穴からサブカとトーコが地下通路の中に突
入する。
﹁敵影なし﹂
﹁こっちも大丈夫だよ。誰かが近づいてくる気配もないね﹂
サブカとトーコから敵が居ない事を聞いた私とシェルナーシュも
地下通路へと上がる。
うん、確かに私の感知範囲に見えるヒトの姿はない。
﹁それでどっちだ?﹂
﹁こっちよ﹂
敵の姿が無い事を確認した私たちは、壁の穴を放置して、目的の
598
物がある方向⋮⋮﹃闇の刃﹄の魔石加工場に向かって駆けだす。
さて、ここらでそろそろ私が何をしているのか、シェルナーシュ
が使った魔法が何なのかについて語ってしまおう。
﹁魔石の加工場か⋮⋮俺たちだけでいけるものなのか?﹂
﹁いけるわ。ペルノッタが居なくなった事によって、警備は厳しく
なっているでしょうけど、中の警備を厳しくする意味はないもの﹂
﹁つまり出入り口に詰めているヒトさえどうにか出来れば⋮⋮﹂
﹁後はどうとでもなるわ﹂
まず私たちが魔石の加工場に向かう理由。
それは私たちがマダレム・エーネミにやってきた本来の理由であ
る、暗視の魔法を﹃闇の刃﹄から奪うと言うのもあるが、それ以上
に私たちが造り出そうとしているアレの為に、未加工の魔石が大量
に必要になるという理由がある。
サハギン
勿論、未加工の魔石が欲しいだけなら、ベノマー河に住んでいる
魚の妖魔を狩ると言う手もあったが⋮⋮私たちも妖魔であるし、同
族を狩るような手はそれ以外に手が無い状況でもなければ使いたく
ないと言うのが本音である。
と言うわけで、﹃闇の刃﹄の弱体化と収集効率の良さと言う点か
ら考えて、今回私たちは魔石の加工場を襲撃する事に決めたのであ
る。
﹁しかし、音がしなければこんな物なのか﹂
﹁この地下通路は元々秘密の物だもの。頻繁に行き来する方が、面
倒事を引き起こす事になるわ﹂
﹁だから用事や明らかな異常が無い限りは、誰も居ない方が当たり
前で、地下水路の穴もしばらくの間なら気づかれる事はない⋮⋮か﹂
で、この襲撃にあたって、シェルナーシュは新たな魔法を一つ習
サイレンス
得、使用している。
魔法の名前は静寂。
599
範囲内から範囲外に向けて発せられる音の大きさを著しく小さく
するもので、その効果のほどは私が範囲内から外に向けて全力でネ
リーとフローライトへの愛を叫んでも、サブカ程に耳が良くなけれ
グルー
ばマトモに内容を聞き取ることが出来なくなるほどである。
ちなみにシェルナーシュ曰く、この魔法は接着の魔法にかなり近
い物であるらしいが⋮⋮あくまでもシェルナーシュの感覚に基づく
近さであった為、説明されても私には良く分からなかった。
﹁と、見えてきたわね﹂
やがて私たちの前に木製の大きな扉が一つ見えてくる。
扉の向こうから漂ってくる気配は?
複数⋮⋮ただし、別段何かを特別に警戒するような気配は存在し
ない。
順当に考えれば、私たちの予想通り、この先に居る﹃闇の刃﹄の
人員は私たちの存在に気付いておらず、自分たちに与えられた職務
通りに魔石加工場から逃げ出そうとする職人が居ないかを見張って
いるだけなのだろう。
そして、他の面々についても、自分が担当している職人の様子を
窺っているだけなのだろう。
あくまでも順当に考えればなので、油断は一切出来ないが。
﹁じゃっ、全員覚悟はいいわね﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
私が地面と水平になるようにハルバードを構えると同時に呟いた
言葉に、サブカたちも小さく頷き、事前に考えた通りの位置に着く。
﹁戦闘⋮⋮開始!﹂
まず初めに、私がハルバードを構えたまま扉に向かって全力で突
撃する。
600
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
すると、妖魔の筋力と異常に頑丈なハルバードの力もあって、木
製の扉はあっけなく粉砕され、私は扉の先に居た﹃闇の刃﹄の魔法
使いの胸を貫き、絶命させたところで停止する。
で、そんな光景が目の前に広がれば、当然他の魔法使いたちの目
も私の方に向くことになる。
だが、そうやって私に注意を向けた事が、彼らにとっては致命傷
となった。
﹁よっ!﹂
﹁ふっ!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私の突入から一瞬遅れて、トーコとサブカの二人が交差するよう
に部屋の中に突入する。
そして、突入と同時にそれぞれの得物を一閃、私に向けて魔法を
放とうとしていた魔法使いたちを切り伏せる。
﹁おま⋮⋮むぐっ!?﹂
で、最後に部屋の中に入ってきたシェルナーシュが、叫び声を上
げようとした生き残りの魔法使いの口に接着の魔法を使用して叫ば
せないようすると、口が開かなくなった彼らを恐慌状態にある間に
始末していく。
﹁さて⋮⋮﹂
部屋の中に立っているのが私だけになったところで、私は部屋の
中を見回す。
どうやら、事前の情報通り、ここは搬入口から持ってきた未加工
の魔石を置いておくための場所であるらしく、私たちが入ってきた
扉を除くと、扉は一つしかなく、灯りは一切灯っていなかった。
また、部屋の外からは魔石を加工する音が、絶え間なく鳴り響い
601
ており、私たちの存在に気付いた様子は見られなかった。
﹁手早くやるわよ﹂
﹁おう﹂
﹁うん﹂
﹁分かっている﹂
そして私たちは一度頷き合うと、次の部屋へと飛び込んだ。
602
第108話﹁滅び−2﹂︵後書き︶
静寂の魔法は空気同士をくっつけて振動しないようにしている感じ
です。たぶん
603
第109話﹁滅び−3﹂
﹁誰⋮⋮ギャッ!?﹂
次の部屋も、先程の部屋と同じように、まずは私が飛び込んで、
一番近くに居た一人の頭をハルバードでかち割る。
そして、そこから片手でハルバードを撥ね上げるようにして、周
囲を薙ぎ払い、数人の魔法使いを切り捨てる。
﹁て、敵だああぁぁ!﹂
﹁さて⋮⋮﹂
で、広間のようになっている場所でそんな事をすれば、当然のよ
うに部屋の中に居る全員の耳目が私の元に集まって来る事になる。
だから私はそうやって視線が集まって来るのに合わせて、懐から
一つの魔石を取り出し、目の前の中空に向かって軽く放り上げる。
私の中にある力の塊と魔石を繋げた上で。
イグニッション
﹁頼むわよ。着火﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私の背後の扉から、サブカとトーコの二人が出てくる。
と同時に、私は投げた魔石から一瞬目を逸らし、それに合わせて
投げた魔石が崩れ去りながら、その内に秘められた力の全てを放出
することで一瞬だけ強烈な光を発し、私へと視線を向けていた全員
の目へと真っ直ぐに突き刺さる。
さて、暗視の魔法を使う事によって、この暗闇の世界でも問題な
く活動出来るほどに感度が引き上げられていたヒトの目が、急に太
陽を直視したような光を浴びたらどうなるのか。
﹁﹁﹁がああぁぁ!?﹂﹂﹂
604
﹁﹁﹁目があ!?目があぁぁ!?﹂﹂﹂
結果は単純明快。
暗闇から急に日向に上がった時の数倍から数十倍のキツさでもっ
て目を焼かれ、その動きを止めざるを得なくなる。
そして、そうなってしまえば、最早戦う事はおろか、簡単な魔法
一つ使う事は出来なくなる。
﹁ふんっ!﹂
﹁やっ!﹂
こうなれば、この広間についてはもう簡単だ。
サブカとトーコの二人が今しているように、部屋中を駆け回りな
がら武器を振るい、魔法使いも職人も関係なく切り捨てていくだけ
でいい。
だが、この魔石加工場はこの広間だけではないし、別の部屋に居
るなどして、先程の着火の魔法としては失敗作の魔法による閃光を
受けなかった者も居る。
アシドフィケイション グルー
﹁酸性化、接着!﹂
﹁邪魔っ!﹂
だからシェルナーシュと私は進路上に居る﹃闇の刃﹄の魔法使い
と職人以外を無視して、それぞれが向かうべき場所に向かう。
そして、私より先にベルノートの屋敷内部に繋がる階段へとたど
り着いたシェルナーシュが、酸性化の魔法でもって階段を昇ろうと
していた者を始末し、続けて放った接着の魔法でもって、階段の先
にある石で出来た扉と壁を一体化させることによって、扉を開けな
いようにすることに成功する。
ダークディスク
﹁闇円盤!﹂
﹁ちっ、さっきのを躱した奴ね!﹂
私もシェルナーシュに続いて、階段に取りつこうとする。
605
が、その前に私の進路上に黒い円盤状の物体が飛んできたため、
私は慌てて制止、黒い円盤を回避する。
円盤が飛んで来た方向に居たのは?
目を抑えた状態でツラそうにしている﹃闇の刃﹄の魔法使いだ。
やはり、先程の閃光が直撃しなかった者も居たらしい。
﹁お前ら一体どこの者だ!いや、んな事よりも⋮⋮﹂
魔法使いは目の前もマトモに見えていないであろう状態にも関わ
らず、正確に杖を振るい、私目がけて次の魔法を放とうとする。
私の背後ではシェルナーシュが搬出口へと続く地下通路を塞ぎに
行くべく、全力で駆けている。
トーコは、私から遠く離れた場所で、未だに呻いているだけの連
中を切り裂いている。
そしてサブカの位置を確認した私は⋮⋮再び真っ直ぐ階段に向け
て駆け出す。
﹁逃がすか。ダ⋮⋮ぐがっ!?﹂
再び駆け出した私へと魔法を放とうとした魔法使いの胸から、サ
ブカの尾が突き出てくる。
間違いなく即死だ。
で、当のサブカは、尾を振るって死体を投げ捨てつつ、四本の剣
で近くに居る者から順々に一撃で仕留めていく。
ギルタブリル
﹁こいつ等⋮⋮妖魔だ!﹂
﹁蠍の妖魔だと!?﹂
﹁なっ!?そんな⋮⋮バギャ!?﹂
﹁バレたわね﹂
﹁ちっ﹂
戦闘開始から数十秒。
サブカが四本の腕と蠍の尾を出した事を決め手として、私たちの
606
正体が露見する。
が、何の問題もない。
既に私は階段の下に辿り着き、シェルナーシュは搬出口を塞ぎに
かかっているし、トーコとサブカによる広間の殲滅は粗方終わって
いる。
﹁さて、上手くいってちょうだいよ⋮⋮﹂
階段の下に辿り着いた私はその場にしゃがみ込み、懐から複数の
魔石を取り出すと、一つ一つ慎重に地面へと埋め込んでいく。
そしてこの間に封鎖作業を終えたシェルナーシュと、広間の殲滅
を終えたサブカが合流。
二人一緒に個室エリアへと向かっていく。
一方のトーコも、事前の打ち合わせ通りに、例の鍋を何処からと
もなく取り出すと、その中身であるとある液体と固形物を広間中に
撒いていく。
﹁よし、準備完了﹂
時間がない。
既に階段上の石の扉は壊そうとする意図をもって、激しく叩かれ
ており、何時ベルノートの屋敷部分に詰めている魔法使いたちがこ
ちらへと踏み込んできてもおかしくない状況になっている。
だからこそ落ち着いて、私は埋め込んだ魔石に力を通していき、
魔石の中で変質した力を周囲の地面が剥き出しになっている床へと
広げていく。
ソイルウェイブ
﹁土よ波打て﹂
それぞれの魔石から、不均一な波が発せられ、それに合わせて広
間の土が複数の小石を落とした水面のように波打ち、変形していく。
と言っても、最も大きく土が盛り上がったところでも、立った私
の膝下にも届かないような大きさで、掘られた部分も足首から下が
607
すっぽり嵌る程度だが。
﹁ふぅ。成功したわね﹂
魔法の成功を確かめた私は、個室エリアの方へと向かおうとする。
が、私が向かう前に大きな荷物を背負ったサブカとシェルナーシ
ュが現れた事で、既に個室エリアでの殲滅と略奪が終わった事を私
は察する。
そして、いつの間にか広間に例の物を撒き終わったトーコも、搬
入口の方へと移動しており、鍋の中へと未加工の魔石を集め始めて
いるようだった。
うん、どうやら私の想像以上に、土よ波打ての魔法には時間がか
かっていたらしい。
﹁ソフィア!早く来い!﹂
﹁言われなくても!﹂
私は自分で変形させた地面に足を取られないように注意しつつ、
入ってきた入口の方へと駆けていく。
そして私が搬入口に辿り着いた時だった。
﹁よし!開いたぞ!﹂
﹁覚悟しろや!﹂
﹁ぶち殺してやる!﹂
ベルノートの屋敷に繋がる扉が破壊され、﹃闇の刃﹄の魔法使い
たちが地下の広間へと踏み込んできた。
だから私は⋮⋮
イグニッション
﹁残念だけど、もう全てが終わっているわ。着火﹂
トーコによって広間中に撒かれた油と酒と動物の脂身に火が付く
ように懐の魔石を投げて、地面に落ちた所で着火の魔法を発動する。
608
﹁﹁﹁ギャアアアァァ!?﹂﹂﹂
広間が炎と爆音に包まれる。
そして、意を決して私たちを追いかけようとした者は、炎に隠さ
れた波打つ地面に足を掬われて倒れ、炎に怖気づいた者も、後ろか
ら来た者に押されて炎の中に倒れ込む事によって、広間はあっとい
う間に阿鼻叫喚の地獄と化すことになる。
﹁さ、逃げましょう﹂
﹁おう﹂
﹁分かった﹂
﹁うん﹂
そうして﹃闇の刃﹄の魔法使いたちが右往左往している間に、手
近な壁を破壊することによって確実な退路を確保し、戦利品を持っ
て私たちは地下水路へと脱出したのだった。
609
第109話﹁滅び−3﹂︵後書き︶
荒せるだけ荒して逃げます
05/25誤字訂正
610
第110話﹁滅び−4﹂
﹁それでこれからどうするんだ?﹂
﹁まずはこっちの作業を優先ね。どうしても時間がかかるから﹂
フローライトの部屋に戻ってきた私たちは、それぞれの戦利品を
床に並べる。
そして、早速ではあるが、私とシェルナーシュの二人は魔石の加
工作業に入り始める。
﹁ふむ。じゃあその間に俺とトーコの二人で⋮⋮﹂
﹁上は見に行かなくてもいいわよ。どうなるかの予想は付いている
し、ただ危険なだけだから﹂
﹁むっ⋮⋮﹂
﹁まあ、大騒動になっているわよねぇ。と、噂をすれば⋮⋮﹂
﹁お嬢様!大変です!﹂
で、アブレアが上の状況を把握した上で帰って来たようなので、
作業の傍ら上がどうなっているかを聞くとしよう。
まあ、だいたいの予想は付いているけれど。
−−−−−−−−−−−−−−
﹁以上が現在の上の状態です﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁ふふっ、ソフィアの予想通りかしらね?﹂
﹁ええ、勿論私の予想通りよ﹂
﹁まあ、こうなって当然だろうな﹂
さて、アブレアが報告してくれた上の様子だが、だいたいは私の
予想通りだった。
611
﹁えーと、ベルノートは殺されたんだよね﹂
﹁でしょうね﹂
まず﹃闇の刃﹄は表向きには何事も無いように装っている。
が、その裏側ではまずベルノートの屋敷が全焼しており、現ペル
ノッタであるベルノートが、魔石加工場が襲撃された責を負わされ
るように殺され、死体が上がって来ている。
まあ、魔石加工場と言うどの流派の魔法使いにとっても最も重要
な拠点を襲撃され、大量の資料と未加工の魔石を奪われ、職人を皆
殺しにされたのだから、ドーラムの怒りが頂点に達して、ベルノー
トが殺されても何らおかしくはないのだが。
﹁よくよく耳を澄ませてみれば、壁の向こうでかなりの人数が駆け
回っているな﹂
﹁逃げる時に地下水路を使ったのだし、探すのは当然だろうな﹂
しかし、ただ怒りに任せて荒れ狂うだけがドーラムとダーラムで
はない。
現に、サブカの耳でしか捉えられないようだが、壁の向こうの地
下水路では少なくない数のヒトが私たちの痕跡を求めて、駆け回っ
ているらしい。
そして恐らくは、私たちが妖魔であると言う事も、既に知っては
いるだろう。
﹁ふふっ、でもこの部屋に入って来る事はない。そうよね。ソフィ
ア﹂
﹁ええ、そんな事は有り得ないわ﹂
だがそれ故に、この部屋が見つかることはない。
フローライトの部屋と地下水路を繋げる扉は今、シェルナーシュ
の接着の魔法によって塞がれてしまっているし、そもそもとしてこ
の部屋の存在を知る者は少なく、存在を知っている者はこの部屋に
612
誰が居るのかを知っているが為に、この部屋を捜査の対象外にして
しまうだろう。
だってだ。
﹁だって私は妖魔で、フローライトはヒト。そしてフローライトに
忠誠を誓うアブレアは、今も平時と変わりなく働いている。これで
この部屋が怪しいと考えられるなら、その人物の頭は何処かがおか
しいわ﹂
﹁そうね。妖魔がヒトと手を組むだなんて、普通のヒトは考えるこ
とだって出来ないもの﹂
妖魔はヒトの天敵で、ヒトを食べる。
そしてヒトは自分たちの天敵である妖魔を見つけたならば、どう
いう理由にしろ、その討伐を図るか、逃走を試みる。
これがこの世界の常識だと言っていい。
妖魔
つまり、襲撃時の挙動から私たちが普通ではない特殊な妖魔だと
分かっても、フローライトが私たちを匿っているなどと言う答えに
は、どう足掻いても辿り着けないのだ。
﹁つまり、この部屋に居る限り、ソフィア様たちが見つかることは
ない。と言う事ですか?﹂
﹁ええ、そう言う事になるわ﹂
﹁食料も事前に十分な量を確保してあるしな﹂
﹁ああ、あの箱はそういう⋮⋮﹂
と言うわけで、私たちは見つかる心配をせずに、悠々と魔石の加
工作業に精を出す事が出来るのだ。
まあ逆に言えば、フローライトの部屋と言う安全圏が無ければ、
今頃は﹃闇の刃﹄の全魔法使いとの追いかけっこをする羽目になっ
ていただろうが。
﹁そうそうアブレア。念の為に言っておくけど、しばらくの間はこ
613
の部屋の外に出るのは最低限にしておきなさい。私たちが見つから
ないとなれば、ドーラムが貴方やフローライトから無理矢理情報を
奪い取ろうとする可能性もあるわ﹂
﹁分かりました。十分に注意をしておきます﹂
なお、これで﹃闇の刃﹄は魔石の供給を断たれた事になるが、魔
石の蓄えはあるだろうし、他の都市の魔法使いの流派から職人と魔
石を奪ってくる可能性もあるので、今後も﹃闇の刃﹄の魔法使いと
の戦闘には十分な注意を払う必要が有る。
﹁ソフィア。今日の作業は終わったぞ﹂
﹁分かったわ。それじゃあ一度休憩に入りましょう。みんなに伝え
ておくこともあるしね﹂
﹁伝えておく事?﹂
と、そうこうしている内に、今日やれる分の加工作業は終わった
らしい。
うん、それならば今の内に皆にこれを渡しておこう。
﹁これは⋮⋮なんだ?﹂
﹁アタシたちの名前が書かれているみたいだけど?﹂
﹁おい、ソフィア。まさか⋮⋮﹂
﹁これはね⋮⋮﹂
本番までに練習をしておく必要もあるわけだしね。
﹁台本よ!﹂
と言うわけで、私はサブカの報酬を確保するために羊皮紙に書き
上げた台本を、天井に向けて突き出したのだった。
614
第110話﹁滅び−4﹂︵後書き︶
皆様お忘れかもしれませんが、妖魔はヒトの天敵です
615
第111話﹁滅び−5﹂
﹁まったく、私の台本の何処が悪いって言うのよ⋮⋮﹂
夏の二の月の中ごろ。
結局、私の示した台本は主にシェルナーシュの反対によって、無
かった事にされてしまった。
いやまあ、台本なんて知らないただのヒトを相手にする以上、決
まった台詞や立ち回りだなんて不用だと言うシェルナーシュの意見
も分からなくはないんだけど、高度の柔軟性を維持しつつも臨機応
変に対応するためには、予め予想されるパターンを複数示すと共に、
それぞれのパターンに対してどう対応するのかを全員が熟知すると
共に、その各種対応法がどのような利点欠点を有しているのか、各
人がどのような考え方をしているかまで、周知徹底しておく必要が
有るんだけどなぁ⋮⋮それらの為の台本だったのになぁ⋮⋮まあ、
無かった事にした以上、これ以上私から何かを言うつもりはないけ
どね。
﹁おい、ソフィア﹂
﹁分かっているわよ﹂
さて、台本についてはこれぐらいにしておくとして、私たちは現
在マダレム・エーネミから多少離れた場所にある、ベノマー河の川
岸に立っていた。
私の足元にあるのは、ベノマー河に生息する妖魔たちに掘って貰
った大きな穴であり、その中には加工を終えた例のアレが垂直に立
てられており、私が施す最後の処理を待っていた。
うん、雨と夜陰で、私たちの存在を感知できる存在などまず居な
いはずだが、私たちの存在と意図を、私には予想できない方法で窺
っている可能性だって存在するのだし、急いだ方がいいのは確かだ
616
ろう。
﹁それじゃあ⋮⋮﹂
私はアレの頂点に手を付くと、自分の中にある力の塊の一部を切
り出し、アレの頂点の上に乗せる。
﹁起動。っと﹂
そして感覚としてはアレの頂点部分を回すような感覚でもって、
私の目の前にあるアレと、トーコたちによって対岸に設置された同
型同大のアレ、両方を同時に起動させる。
うん、これでいい。
これで仮にこの後私たち全員が何かしらの原因でもって全滅して
も、明日の朝にはマダレム・エーネミが、数日後にはマダレム・セ
ントールが滅亡する事は決定した。
私たちの前に在るアレが壊されなければ、の話ではあるが。
﹁よし、起動完了したわ﹂
﹁分かった。では、早くマダレム・エーネミの中に戻るとしよう﹂
﹁そうね。今日中にやらないといけない事もあるものね﹂
さて、本音を言えば、この後は明日の朝までフローライトの部屋
に入り浸っていたいのだが、そうもいかない事情がある。
サブカの報酬の件だ。
そう言うわけで、私たちは念のために周囲にヒトの気配がない事
を確認すると、ベノマー河の妖魔に幾つかの仕事を与えた上で、そ
の場を後にしたのだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁さて、着いたわね﹂
で、マダレム・エーネミに戻ってきた私たちだが、一件の民家⋮
617
⋮テトラスタ家の近くにやって来ていた。
勿論、現在の格好は全員﹃闇の刃﹄の魔法使いの物で、サブカの
腕と尾も見えないように少々工夫を凝らしてある。
これで傍目には、私たちは﹃闇の刃﹄の魔法使い集団にしか見え
ないだろう。
﹁本当にお前が教える方法で大丈夫なんだろうな﹂
﹁ええ、彼らがきちんと言いつけを守ってくれるならば、彼らが死
ぬことはないわ﹂
今のマダレム・エーネミの空気は、魔石の濫用を禁止するドーラ
ムからの通達と、今までとは違って次の戦では何としてでもマダレ
ム・セントールに致命的な打撃を与えなければならないと言う状況
の為に、非常にピリピリしている。
そんな空気を察してか、サブカはしきりに周囲の様子を窺い、予
定外のヒトが私たちに近寄って来ないかを警戒している。
﹁でもソフィアん?こんなに雨が降っていていいの?﹂
﹁むしろ降ってくれている方がありがたいわね。トーコに持たせて
ある物の性質上⋮⋮ね﹂
﹁ふーん?﹂
トーコがマントの下に忍ばせてあるそれを見せながら、心配そう
に天気の事を尋ねてくる。
ただ、私としては雨が降っている方が都合が良かった。
なにせ相手は医者だ。
となれば、どちらの使い方も熟知している可能性がある。
そして熟知しているからこそ、雨が降っている中で、私がこれか
らしようとしている事を見た時には、信じられないものを見たよう
な顔をするはずだ。
﹁シェルナーシュは大丈夫?﹂
618
﹁他人の心配をする前に、自分の心配をしたらどうだ?これが特に
効くのは、貴様に対してだろう?﹂
﹁それこそ心配要らないわ。マダレム・エーネミに来てから、散々
味わされた味だもの。もう慣れたわ﹂
シェルナーシュは自分の杖の様子を確かめながら、私の心配をし
てくれる。
が、その心配は無用だ。
あんな口にも出したくないような表現を要する味の元になるよう
なものではあるが、何ヶ月も味の基本にされてきたのだ。
嫌でも慣れると言うか⋮⋮慣らされた。
﹁で、台本については皆乗る気はないの?﹂
﹁ない﹂
﹁面白そうではあったけどねー﹂
﹁一応、名乗りの部分だけは覚えておいた﹂
で、一応台本の件について改めて確認してみたが⋮⋮シェルナー
シュからは凄まじい覇気を伴った視線が飛んできている。
どうやらこれは駄目そうだ。
ちっ、残念だ。
力作だったのに。
まあいい、駄目なら駄目で手はある。
﹁じゃ、行きましょうか﹂
そして私たちはテトラスタ家の門前へと足を運び、その戸を軽く
叩いた。
619
第112話﹁四つ星の書﹂
ゴンゴン
テトラスタの家の古びた戸が叩かれ、来訪者が居る事を家の主で
あるテトラスタに告げる。
﹁こんな時間に一体誰だ⋮⋮﹂
つい昨日金に困った﹃闇の刃﹄の下っ端構成員によって荒された
ままになっている診療所部分を通り抜け、何かの役に立つかと先日
とある人物から渡された妙な本を片手にテトラスタは家の戸に近づ
いていく。
ゴンゴン
﹁たくっ、何時だと思って⋮⋮っつ!?﹂
テトラスタは家の戸を開け⋮⋮戸を開けると同時に家の中に流れ
込んできた大量の煙に、思わず口と鼻を手で抑えつつ仰け反る事で、
煙から逃れようとする。
﹁この煙は⋮⋮マカクソウか!?いや、今は雨が降っていたはずだ。
なら幻覚作用は⋮⋮どうなって⋮⋮いる?﹂
そして、自分の周囲全てが煙に満たされ、視界が白一色に染め上
げられた時になってテトラスタは気付く。
何時まで経っても煙が晴れない。
戸の外は煙が拡散していくのを防ぐ物が無い屋外であり、家の中
にしても、煙の流れを遮るような物は最低限しかないはずなのにだ。
勿論、テトラスタも愚かではない。
620
直ぐにこれが何かしらの魔法によって起こされている現象だと言
う事は分かった。
だが、これほどの量の煙を、生み出し続ける事が出来る魔法使い
など、テトラスタは聞いたことも無かった。
﹁テトラスタだな﹂
﹁!?﹂
そうしてテトラスタが状況を把握できずに混乱する中、男として
は高めの声が煙の向こう側から掛けられ、テトラスタは思わず身構
える。
﹁お、お前らは一体⋮⋮﹂
煙の向こう側から現れたのは、四つのヒトの姿をした何か。
先頭に立つのはフードを目深に被り、背中に斧に似た奇妙な形の
武器を背負い、強烈な威圧感を放っている者。
テトラスタから見て右手に立つのは、顔は見えないが、何処か楽
しそうにしている者。
テトラスタから見て左手に立つのは、右手に杖を持ち、何処か億
劫そうにしている者。
その三人の背後に立つのは、他三人より頭一つ分は確実に大きい
が、何処かヒトを安心させる様な気配を漂わせている者。
﹁我が主はこの都市を滅ぼす事に決めた﹂
﹁なっ!?﹂
先頭に立つ者がテトラスタの事を指さしながら、不穏と言う他な
い言葉を告げる。
だがテトラスタにはそれが冗談とは思えなかった。
それだけの威圧感をもって、先頭に立つ者はテトラスタへと都市
の終焉を告げる言葉を放っていた。
621
﹁それはこのマダレム・エーネミと言う都市とマダレム・セントー
ルと言う都市が、悪徳の限りを尽くし、更には他の都市や村々にも
悪徳を広めていたからだ。故に、我が主はこの都市に滅びを与える
事に決めた﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だが、我が主は慈悲深く、思慮深い。故に汝の元へと我らを遣わ
された﹂
﹁いったい⋮⋮何を⋮⋮﹂
先頭に立つ者がテトラスタへと近づいてくる。
そして、厳かに告げ始める。
マダレム・エーネミとマダレム・セントールが犯した悪徳が如何
なるものであり、それが何故許されざる行いなのかを。
テトラスタとその家族たちが、この都市の中でもヒトとして正し
く生きている事がどれほど素晴らしい事なのかを。
彼らの主が如何なる災禍を持って二つの都市を滅ぼすのか、そし
てどうすればその災禍から逃れる事が出来るかを。
災禍から逃れた後に辿り着く、他の都市で一体どのような話を広
めるべきなのかを。
まるで赤子をあやすように、幼子に世の理を教えるように、弟子
を師が鍛えるように、不思議と頭の中へと響く声でもって、テトラ
スタへと教えを与えていく。
﹁私が告げるべき事はこれで全てだ。では、私たちは⋮⋮﹂
そうして伝えるべき事は全て伝えたと、四人が踵を返し、煙の中
へと消え去ろうとした時だった。
﹁ま、待ってください御使い様!貴方様のお名前は!貴方様の主の
お名前は何と言うのですか!?﹂
622
テトラスタはまるで何かに縋るように手を伸ばし、叫び声を上げ
ていた。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
そして、その叫びを聞き届けたが為か、四人は一度立ち止まり、
お互いの顔を数度見合わせる。
﹁主の名は告げられるぬ。主の名は秘されるものであるが故に﹂
﹁だが、我らの名はヒトの子が為に告げよう﹂
﹁我らは御使い。主の意に沿い、主が為に働く者﹂
﹁⋮⋮。我らは御使い。ヒトの清さを保つ為にある者﹂
四人は顔だけをテトラスタへ向けると、今まで一言も発すること
が無かった他の三人も含めて、まるで謳うように口を開く。
﹁我が名はトォウコ。造る者、育てる者﹂
右手に立つ者が、太陽のように明るい少女の声でもって、楽しげ
に己の名を告げる。
﹁我が名はサーブ。守る者、支える者﹂
背後に立っていた大柄な者が、大地のように堅固な低い男性の声
でもって、静かに己の名を告げる。
﹁⋮⋮。我が名はシェーナ。探究する者、学ぶ者﹂
左手に立つ者が、移り変わる月のように揺らぐ中性的な声でもっ
て、煩わしそうに己の名を告げる。
﹁我が名はソフィール。告げる者、管理する者﹂
最後にテトラスタに一番近い位置に立つ者が、深い深い闇の中か
ら響くような不思議な声でもって、厳かに己の名を告げる。
623
﹁ヒトの子よ、忘れるな。汝に与えし我らが言の葉を。ヒトの子よ、
忘れるな。我らが主はヒトと言う種の正しき繁栄を願っている事を﹂
そして彼らは煙の向こう側へと消え去っていき、彼らの姿が見え
なくなると同時に、テトラスタの周囲に立ち込め続けていた煙も、
瞬く間に散っていく。
﹁⋮⋮﹂
その余りにもあっけない変化と邂逅の終わりに、テトラスタは一
瞬、今自分の身に起きた事は全て夢幻の出来事ではないかと思って
しまいそうになった。
だが、そこでテトラスタは思い出す。
自分が先日グジウェンの使いを名乗る者から渡された、手に持つ
者の記憶を正確に保存すると言う魔法の書物を持っていた事に。
書物には⋮⋮先程の邂逅の内容が、一言一句違わずに記されてい
た。
624
第112話﹁四つ星の書﹂︵後書き︶
最後の名乗りの辺りはソフィアの描いた台本通りの台詞になってい
ます。
なお、台本を書く際に妙な電波を受信していたりすると⋮⋮
05/28誤字訂正
625
第113話﹁滅び−6﹂
﹁﹁いえーい!﹂﹂
テトラスタの家の前から立ち去った私たちは、いつもの地下水路
に降りる為の井戸がある屋敷まで戻ってくると、そこでまずは一息
吐いた。
で、そこで私とトーコは作戦の成功を祝して、思わずハイタッチ
をしていた。
﹁いやー、上手くいったね。ソフィアん。いや、ソフィール?﹂
﹁ふふふ、私もあんなに上手くいくとは思わなかったわ。トーコ、
いえトォウコ?﹂
﹁あはははは﹂
﹁うふふふふ﹂
そしてハイタッチから手を繋ぎ、笑い声を上げながらその場でグ
ルグルと回り出す。
そうやって私とトーコが楽しくやっていたら⋮⋮
﹁やかましいわ!﹂
﹁おうぶっ!?﹂
﹁ソフィアん!?﹂
﹁はぁ⋮⋮﹂
私だけシェルナーシュに杖でぶん殴られた。
何で私だけ⋮⋮。
そう言う気持ちで、地面に伏したまま私はシェルナーシュに視線
を向ける。
﹁う⋮⋮﹂
626
そうして視線を向けた私は直ぐに息を詰まらせる。
どうしてか?
そこには見るからにブチ切れる一歩手前な様子のシェルナーシュ
が居たからだ。
それこそ、私が妙な事を少しでも口走れば、手に持った杖を全力
で振り下ろせるような体勢でもって。
﹁ソフィア⋮⋮どうして小生が怒っているか分かるか?﹂
﹁ど、どうしてかしらねー﹂
私は顔の向きは変えずに、視線だけを逸らす。
いやまあ、シェルナーシュがどうして怒っているのか、本当は分
かっている。
分かっているが⋮⋮今のシェルナーシュ相手に怒っている理由を
告げるのは⋮⋮危ない、主に私の命が。
﹁そうか。分かっていないのか⋮⋮ならはっきり言ってやるとしよ
う﹂
﹁ふぁい⋮⋮﹂
シェルナーシュの杖の片方が、私の頬へグリグリと押し込まれる。
ああうん、やっぱり怒っている。
まあ、シェルナーシュが怒るのも仕方が無くはないか。
なにせ⋮⋮
﹁小生は貴様の台本に反対したよなぁ。あんな恥ずかしい台詞を言
わされるのはゴメンだと。なのに貴様は去り際に名前を尋ねられた
からと、無理矢理小生に言わせたんだよなぁ。名乗らない方が問題
になるだのなんだのと詭弁を立て連ねて﹂
﹁もへへへへ、そうだったわねぇー﹂
テトラスタに名乗る際に使った私たち四人の名乗り、アレに対し
てシェルナーシュは散々恥ずかしいだのなんだのと言って、反対し
627
続けていたからだ。
にも関わらず、言わないと作戦が台無しになるだとか、ノリが悪
いだとか、恥ずかしがらずにやらないと違和感があるとか、散々小
声で私になじられたのだから、シェルナーシュが怒るのも仕方がな
いと言えるだろう。
ただまあだ。
﹁でも、シェルナーシュ?彼らには生き残ってもらって、これから
起きることを一から十まで語ってもらうのよ。で、その際にはどう
やってアレから逃れたのかや、その方法を教えたのは誰かって事も
当然話す事になるわ。その時に、名前も知らないような見知らぬ誰
かから教えられたじゃ、説得力が足りない。最悪⋮⋮そうね、テト
ラスタがマダレム・エーネミを滅ぼした犯人だと思われる可能性や、
そこまで行かなくとも私たちの仲間だと疑われる可能性は高いわ。
で、そうなればテトラスタは殺されることになる﹂
﹁む﹂
﹁あー、それは困るな﹂
﹁そうなったら、シェルナーシュは別に良いかもしれないけれど、
彼らの生存を対価として要求したサブカは報酬なしのタダ働きにな
る。それは傭兵として私たちを雇っているフローライトの汚点であ
り、作戦を考え指揮した私の汚点⋮⋮は別にいいか﹂
﹁いや、良くないでしょソフィアん﹂
﹁良 い と し て﹂
私はトーコからのツッコミは無視すると、今回の作戦が失敗した
場合の問題点についての説明を続けようとする。
しようとしたが⋮⋮
﹁あーもう分かった。分かった。小生が悪かった﹂
その前にシェルナーシュは根負けしたようだった。
まあ、仲違いとかの話は私としてもあまりしたいものではないし、
628
シェルナーシュが理解してくれたなら、それで何よりだ。
ただまあ、だからと言ってこのままにしておいたら、私たちの間
に多少のしこりを残してしまうだろう。
﹁でもまあ、今回のテトラスタの説得で一番功績が大きいのは、や
っぱりシェルナーシュでしょうね﹂
﹁む、何だ急に﹂
と言うわけで、褒めるべき点はきっちり褒め、評価するべき点は
きちんと評価するべきだろう。
﹁いやね、私は予め考えておいた内容通りに喋っただけだけど、今
回の作戦は全員の力を合わせないと成立しなかったと思うのよ。で、
その中でもシェルナーシュの力は特に大きかったなぁ⋮⋮と言うだ
けの話よ﹂
﹁⋮⋮﹂
実際、今回のテトラスタの説得にあたって、私は本当に喋ってい
ただけであるが、他の面々はテトラスタの目に触れない所で、実は
色々とやっていたのだ。
そう、トーコは例の鍋を使う事によって、雨の中でも乾燥したジ
ャヨケの葉をあの場にまで運んでみせたし、その鍋をテトラスタの
サイレント
目が届かないように尾で持ち、隠していたのはサブカだ。
そしてジャヨケの葉から発せられた大量の煙を、静寂の魔法によ
ってあの場に留めると言う、最も重要な役割を果たしたのがシェル
ナーシュだった。
﹁ふん⋮⋮まあ、褒めたければ好きにしろ﹂
と言うわけで、別に誇張でもおべっかでもなく、今回の作戦でシ
ェルナーシュの果たした役割は大きいのだ。
ちなみに静寂の魔法だが、その主効果である音を範囲内から範囲
外に出ないようにすると言う効果の副産物として、範囲内から範囲
629
外へと向かう風の勢いを削いだり、今回のように範囲外へと煙が漏
れ出るのをとてもゆっくりにする効果があるようだった。
うん、今後も状況次第では、利用させてもらうべきだろう。
﹁それでソフィア。この後はどうするつもりだ?﹂
﹁そうね。もう明日の朝までフローライトの部屋に、アブレア含め
た六人全員で留まっていてもいいのだけれど⋮⋮その前に私、トー
コ、シェルナーシュの三人でちょっとやっておきたい事が有るのよ
ね﹂
﹁やっておきたい事だと?﹂
﹁何をする気なの?ソフィアん﹂
三人の視線が私の元へと集まってくる。
うん、ただまあ、テトラスタへの情報伝達と違って、こちらは絶
対に必要な事ではない。
ただ、万が一を潰すと共に、アレで死ぬ前にドーラムの精神に対
して特大の一撃を加える為の一手に過ぎないのだ。
﹁ダーラムの殺害よ﹂
﹁﹁﹁!﹂﹂﹂
と言うわけで、トーコたちから強く反対されるようなら、止めて
おくつもりではあるが⋮⋮どうやら三人の表情を見る限り、実行す
ることになりそうだ。
630
第113話﹁滅び−6﹂︵後書き︶
05/28誤字訂正
631
第114話﹁滅び−7﹂
﹁うぐっ⋮⋮﹂
口を押えられた状態で首を掻っ切られた﹃闇の刃﹄の男は、僅か
な呻き声だけを漏らしてその場に力なく倒れる。
﹁これで全員だっけ?﹂
ドライ
﹁ええ、ダーラムを襲う前に処理すべきヒトはコイツで最後よ。と
言うわけだから⋮⋮﹂
﹁ああ、処分してしまおう。乾燥﹂
死んだ男の首からゆっくり血が流れ出ていく中で、シェルナーシ
ュが乾燥の魔法をかけて水分を飛ばし、トーコが解体してヒトの死
体だと分からないようにする。
そして、部屋の中には同じような死体がもう二つほど転がってい
た。
﹁それにしても随分と簡単に倒せちゃったね。油断でもしてたのか
な?﹂
﹁んー⋮⋮油断はしていなかったと思うわよ。ただ、自分たちの存
在が正確に把握されていたのは想定外だったでしょうね﹂
﹁まあ、数と位置が分かっていて、使う魔法の想定まで出来ている
状況で不意討ちを仕掛けたのだし、当然の戦果だろう﹂
さて、この男たちの正体だが、彼らは﹃闇の刃﹄の懲罰部隊では
あるが、その中でもドーラムの屋敷の警備を専門とする人員であり、
その役目はドーラムの屋敷に塀を乗り越えるなどして忍び込もうと
した者を捕捉、捕縛し、拷問などの手法によって侵入の理由を確か
める事にある。
で、ピータムの正体を知らなくても、ドーラムの屋敷と言うだけ
632
で﹃闇の刃﹄にとっては重要な場所であるので、当然ながら懲罰部
隊の中でも彼らは実力がある方ではある。
だがそんな彼らも、何時何処で監視を行っているのかを正確に把
握されてしまえば、それだけで著しく不利となり、更に妖魔の身体
能力を最大限に生かす形で奇襲を仕掛けてしまえば、ご覧のありさ
まである。
うん、やっぱり魔法使いと戦う時は、何もさせないのが一番いい。
﹁じゃ、急いで仕掛けましょうか﹂
﹁うん﹂
﹁分かった﹂
私たちは持ってきた袋に男たちの死体を入れると、姿を見られな
いように注意しつつその場を後にする。
これで定時報告が無い事によって不信感を持たれても、死体が見
つかっていない分だけ、初動は遅れることになるだろう。
﹁おう、お疲れさん﹂
﹁ええ、貴方もお疲れ様﹂
﹁じゃ、アタシは先に行っているから﹂
﹁ええ、よろしくね﹂
そして、何事もないかのようにドーラムの屋敷の門をくぐると、
袋を持ったトーコが私とシェルナーシュから離れて、アブレアの部
屋へと向かう。
仮に部屋の中にアブレア以外の誰かが居ても、先にフローライト
の部屋に帰って貰ったサブカと協力すれば、音も無く狩れるだろう。
で、私とシェルナーシュは、適当なところでドーラムの屋敷の本
邸と塀の間、多少の木々によって一見周囲からは中に居る者の姿が
見えなさそうになっている場所に入る。
なお、実際には先程私たちが排除した﹃闇の刃﹄の懲罰部隊のヒ
トのように、適切な監視場所を知っていれば、誰がどうしているの
633
かが一目で分かるようになっている場所だったりするので、密会の
場所としては使えなかったりする。
まあ、既にそれらの人員を排除している私たちにとっては、新た
な人員が配置されるまでは見た目通りの場所だが。
﹁ここら辺か?﹂
﹁そうね⋮⋮ちょっと待って﹂
私は近くの壁に耳を当て、壁の向こうから発せられている音を聞
き取り始める。
壁の向こうから聞こえてくるのは⋮⋮羊皮紙に何かしらの文章を
書いているような音。
うん、居る。壁の向こうに私たちが目標としているヒトが居る。
﹁居たか?﹂
﹁居たわ﹂
私とシェルナーシュは短くそう言葉を交わすと、私はハルバード
を両手で構え、シェルナーシュは魔法の準備を始める。
﹁準備は良い?﹂
﹁何時でも﹂
今回私たちが目標としているのは、ドーラムの息子であるダーラ
ム、またの名を﹃闇の刃﹄懲罰部隊の統率者であるピータムと言う。
彼はバルトーロの一件の時に見せた統率力だけを考えても相当に
厄介な存在であるが、最近集めた情報から鑑みるに、突発的な事態
が発生した時の冷静さなどでドーラム以上のものを見せ始めていた。
それこそ、カリスマ性と言う点を除けば、フローライトよりも﹃
闇の刃﹄の首領に相応しいかも知れないほどに。
そしてだからこそ私は彼を放置するわけには行かなかった。
﹁それじゃあ、カウントを始めるわ。3⋮⋮2⋮⋮1⋮⋮﹂
634
そう、私が今朝仕掛けてきた魔法には、一つの大きな欠点がある。
その欠点のおかげで、サブカの要求を満たす事が出来たが、偶然
や優れた洞察力からその欠点に至るヒトが居ないとは限らない。
そしてダーラムは、この都市の中で最もその欠点に気づく可能性
が高い人物であると、私は考えていた。
故に狙う。
億が一は見逃せても、万が一を起こさせないために。
サイレント
﹁0!﹂
﹁静寂﹂
私の告げるカウントがゼロになると同時に、私たちの前に在る壁
と、壁の向こうの空間の幾らかを巻き込むようにシエルナーシュの
静寂の魔法が発動する。
そうして、私たちが発する音が極端に小さくなったところで、私
のハルバードが全力で振られて壁に突き刺さり⋮⋮
﹁!?﹂
音も無く石の壁を粉砕し、粉砕した壁の破片によって、壁の向こ
うの椅子に座っていたダーラムの背中を激しく叩き、打ちのめす。
ダーラムの顔に浮かぶのは驚愕と苦悶の表情であり、彼は既に意
識を飛ばしそうになっている。
が、私もシェルナーシュも表情だけで相手の状態を判断するよう
な真似はしない。
確実に相手の動きを止めに掛かる。
﹁ソフィア!﹂
﹁分かってるわ!﹂
シェルナーシュが万が一に備えて酸性化の魔法を構える中で、私
はハルバードを捨ててダーラムに接近、その首筋に牙を突き立て、
麻痺毒と意識に干渉する毒を死なない程度に流し込む。
635
と同時に、ダーラムが身に着けていた装飾品の類を素早く剥ぎっ
ていくことで、魔法を使われる可能性を無くしていく。
﹁よし、退きましょう﹂
﹁そうだな﹂
そして私たちは意識を無くしたダーラムの身体を袋の中に収める
とフローライトの部屋に持って行き⋮⋮少々の地獄を味わってもら
った上で殺した。
まあ彼も今まで散々他人に対して行ってきた行為だけに留めてお
いたし、半ばは自業自得だろう。
なお、彼の死体は食べない。
食べるよりもよほどいい使い方があるからだ。
そうして、マダレム・エーネミから見える最後の夕日が地平線の
向こうへと没した。
636
第114話﹁滅び−7﹂︵後書き︶
厄介だからこそ始末するのです
05/29誤字訂正
05/30誤字訂正
637
第115話﹁滅び−8﹂
﹁さて、そろそろ頃合いね﹂
事前に打っておくべき手の中で、最後の一手も無事に打ち終えた
私たちは、フローライトの部屋に設けられた小さな穴から、その匂
いが漂ってくるのと同時に行動を始める事にした。
﹁ええそうね。もうこんな物を着けて、クソ爺どもに仮初の安寧を
与えておく必要もないわ﹂
フローライトの首に付けられていた首輪と、首輪に繋がっていた
鎖が黒い刃によってバラバラに切り刻まれ、フローライトの足場へ
と落ちていく。
﹁サブカ、言っておくけど﹂
﹁自分とシェルナーシュの身を守る気しかねえよ。クソッタレ﹂
サブカが先程私、トーコ、シェルナーシュ、フローライトの四人
で作ったそれを、右側の手二本で軽々と持ち上げる。
うん、サブカの様子からして、物理的な面ではサブカの動きに影
響を与える事は無さそうだ。
﹁まったく、小生の魔法をこんな事に使うなど⋮⋮﹂
﹁でも、こうしないと持ち運びが不便じゃない﹂
シェルナーシュが横目でそれを見て、苦々しげな顔をする。
うーん、確かに気色悪くはあるけれど、そう言う風に作ったんだ
し、私としては成功作なんだけどなぁ⋮⋮。
﹁じゃ、いってらっしゃいソフィアん﹂
﹁お別れです。フローライト様﹂
638
﹁ええ、行ってくるわ。トーコ﹂
﹁今までありがとうね。アブレア。貴方が居たからこそ、今日この
日を迎えられたわ。だから本当にありがとう﹂
﹁私のような者には過ぎた御言葉にございます﹂
トーコとアブレアはこの部屋に残る。
アブレアの身体がトーコの報酬だからだ。
そしてフローライトがこの部屋に戻って来る事もないため、二人
はこれを今生の別れとする事になる。
﹁よっと﹂
﹁ふふっ、こういう事をされると、ソフィアが妖魔だってことが良
く分かるわね﹂
﹁ふふふ、これでも普通のヒトの数倍は力があるのよ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
私は長年の監禁生活によって足腰が弱っているフローライトを左
腕一本で抱え上げると、右手でハルバードを持った状態で部屋の外
に出て、シェルナーシュの先導で階段を上がっていく。
﹁開けるぞ﹂
﹁ええ﹂
アブレアの部屋を抜け、私たちはドーラムの屋敷の中心、回廊部
分に出る。
﹁誰⋮⋮っつ!?﹂
ドーラムの屋敷は、ダーラムの部屋の壁が破壊された上に、ダー
ラムの行方が知れなくなったために、夜中だと言うのにほとんどの
住人が起きていて、厳重な警備態勢が敷かれていた。
そして、そんな所に現れた私たちは、当然ながらその姿を警備の
魔法使いたちに目撃されることになる。
だが私たちが誰であるのかを問いただし、捕えようとした彼らの
639
動きは、部屋から最後に出てきたサブカが持っていた物を見た所で
止まった。
﹁うぼおっ⋮⋮﹂
﹁な、な⋮⋮﹂
﹁うふふふふ、貴方の予想通り、みんな驚いているわね。ソフィア﹂
﹁ふふふふふ、そりゃあそうよ。こんな物を突然見せられて、驚か
ないヒトなんて居ないわ。フローライト﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
サブカの持つ物を見た何人かが吐き気を催し、その場で嘔吐する。
それと同じくらいの数のヒトが、腰を抜かし、陸に打ち上げられ
た魚のように口を開け閉めする。
そして残るヒトの殆ども、何処か怯えた様子で、私たちの方を見
ている。
だが彼らの反応も止むを得ないだろう。
﹁正直、小生はこいつ等と一緒にされたくない﹂
﹁安心しろ。俺は前々からそう思っていた﹂
サブカが持っていたのは、四肢が捩じ切れかけるほどに骨を砕か
れ、肉を回された上に、即死しない位置に鉄の杭が突き刺さり、身
体の数か所に血が流れ出るような穴があけられた後、持ち運びやす
いように身体の一部と釣鐘型の鉄の籠が融合させられたヒトの死体。
おまけにわざと傷つけないようにした顔は、これらの行為が全て
生きたまま為された事を示すように苦痛で酷く歪んでいるダーラム
の顔なのだから、彼らが受けた衝撃のほどを推して測るべきだろう。
ちなみに本来ならばトドメはサブカの毒でやるつもりだったが、
サブカが拒否したので、トドメは私の毒になっている。
まあいずれにしても、これから私たちがやることも、彼らがやる
ことも変わらない。
640
﹁さて、ドーラムは何処に居るのかしらね?フローライト﹂
﹁自分の寝室じゃないかしら。ソフィア﹂
﹁はっ!?捕え⋮⋮いや、殺せ!殺すんだ!コイツらを⋮⋮コギャ
!?﹂
私たちを捕えるべく真っ先に声を上げてしまったヒトの元へと、
私はフローライトを抱えたまま跳躍すると、そのヒトの脳天から股
先に沿ってハルバードを振り下ろして殺す。
﹁なっ、こいつら﹃ケミョ!?﹂
﹁ひぃっ!?﹂
﹁何がおきゃ⋮⋮!?﹂
﹁化け物だああぁぁ!?﹂
そして着地と同時にその場で一回転し、それに合わせてフローラ
イトが魔法を発動。
私が見た事も無いような大きさの黒い刃を出現させると、この場
に集まっていた﹃闇の刃﹄の魔法使いの何人かの首から上を吹き飛
ばして殺す。
﹁ふふふ、やっぱり何も抑制が利かない。やっぱりこの都市はもう
滅びた方がいいみたいね﹂
﹁あはは、そんなの今更じゃない﹂
私はフローライトを抱えたまま、何度も飛び跳ね、回り、相棒の
ハルバードを縦横無尽に振り回して、この場に居るヒトの命を老若
男女関係なく、まるで麦の稲穂を刈り取るかのような気軽さでもっ
て奪い取っていく。
フローライトも私の動きに合わせるように魔法を放ち、時には遠
くから魔法を放とうとしていた魔法使いの男を、時にはこの場から
逃げ出そうとしていた侍女の女を、まるで兎でも狩るように仕留め
ていく。
641
﹁うふふふふ﹂
﹁あはははは﹂
私のハルバードの刃が煌く度に、フローライトの黒い髪がたなび
く度に、二人の青い目が残光を残すたびに血の雨が降り、悲鳴が上
カーニバル
がり、意思を無くした肉塊が地面に転がっていく。
我が事ながら、その光景はまるで祭りの舞台で舞い踊る私たちの
為に、音楽が奏でられ、歌が歌われ、合いの手が入れられているよ
うな光景だった。
﹁あら?﹂
﹁残念。もう前座は終わりみたいね﹂
そして私たちが踊り始めてから一時間ほど経ち、月がだいぶ落ち
てきた頃。
サブカとシェルナーシュの二人と、奥の部屋で隠れている哀れな
老人一人を除いて、観客は全員居なくなっていた。
ああ、観客が居なくなったのなら仕方がない。
﹁それじゃあ、フローライト﹂
﹁ええ、フィナーレといきましょうか﹂
私とフローライトは、心地よい疲労感のままに、サブカとシェル
ナーシュの二人を連れて、奥の⋮⋮ドーラムが待つ部屋へと入って
いった。
642
第115話﹁滅び−8﹂︵後書き︶
ソフィア の ぼうとくてきげいじゅつ
まほうつかい の SANち は けずられた ▼
ソフィア と フローライト の おどる
いちげきひっさつ! まほうつかい たちは たおれた ▼
あ、強いのはソフィアではなくフローライトです。
色々と制限があっての強さですが。
643
第116話﹁滅び−9﹂
ダークディスク
﹁闇円盤!﹂
ドーラムの部屋の中に入った私たちへの出迎えは、勢いよく飛ん
でくる黒い円盤状の物体だった。
﹁はいはいっと﹂
﹁正しく無駄な抵抗ね﹂
﹁ぐおっ!?﹂
が、この程度の攻撃、私がハルバードを円盤の側面に当てて吹き
ブラックラップ
飛ばすだけで終わりであるし、ドーラムが追撃を行おうとする前に、
フローライトの黒帯の魔法がドーラムの右腕をへし折っていた。
﹁き、貴様等はいったい何処の都市の⋮⋮それに何故フローライト
が此処に⋮⋮﹂
﹁ふふふ、今から死ぬ貴方に答える必要が有るのかしら?﹂
ちなみに、ドーラムが居るこの部屋だが、本来は地下水路へと逃
げる為の隠し通路が存在する。
尤も、その隠し通路はほんの数時間前にシェルナーシュの接着の
魔法によって開かないようにされたため、ドーラムはこの場から逃
げ出す事が出来ず、今の今までこの場に留まる羽目になっているわ
けだが。
﹁ぐっ、ただで死ぬなど⋮⋮﹂
﹁サブカ﹂
﹁おうっ﹂
﹁ぎっ!?﹂
ドーラムが左腕を懐に突っ込み、何かしようとする。
644
だが、それよりも早く、私の求めに応じてサブカがダーラムの死
体を投げ捨てながら接近し、ドーラムの左手首を握り潰した上で、
四本の腕と巨大な体躯を十全に使ってドーラムを拘束する。
﹁腕っ!?儂の腕が⋮⋮!?﹂
﹁黙りな爺さん。悪いが、アンタについては俺も一切の手加減をす
る気が無いんでな。あんまり暴れられると⋮⋮﹂
﹁!?﹂
部屋の中にドーラムの骨が折れる音が響き渡り、その直後にドー
ラムの叫び声が発せられる。
音の発せられた位置からして、両脚のどちらかの骨を折ったらし
い。
うん、と言うか、サブカってばドーラムに対してかなり怒ってい
るらしい。
まあ、ドーラムはマダレム・エーネミの今を作った元凶であるし、
それを考えたら妥当な反応であるのかもしれない。
﹁あひぃ⋮⋮がひぃ⋮⋮﹂
﹁ふふふ、良い様ね。でもまだ死んじゃ駄目よ。最後に会った九年
前から、今に至るまでの間にたっぷりと言いたい事が有るんだもの﹂
フローライトが見る者全てを恐怖させる様な視線をドーラムに向
ける。
ただそれだけで、ドーラムの表情は苦痛による苦悶の表情から、
恐怖による怯えた表情へと移り変わる。
ああなんて羨ましい。
フローライトにそんな顔を向けてもらえるだなんて。
﹁ソフィア。だいぶ匂いがキツくなって来ているぞ﹂
﹁あらそうなの?それじゃあ、フローライト﹂
﹁ええそうね。そっちの方が良さそうだわ。ソフィア﹂
645
﹁で、俺がこの爺さんを運ぶと⋮⋮はぁ﹂
﹁な、何を⋮⋮いったい何をする気なのだ⋮⋮﹂
確かにアレの匂いがだいぶ濃くなって来ている。
シェルナーシュの指摘でその事に気づいた私は、フローライトに
提案をし、フローライトが提案を受け入れてくれたところで、私た
ちはドーラムを引き摺りながら、死体だらけの屋敷の中を抜けて、
屋敷の外へと出ていく。
﹁さてドーラム。どうせあなたの事だし、儂と息子が死んでも、儂
が作り上げたこの街が残れば良いとか思ってたんじゃないかしら。
ふふっ、ごめんなさいね。そんなものを許すほど、ソフィアの策は
甘くないわ﹂
屋敷の外、マダレム・エーネミの街中は朝日によって、少しずつ
明るくなっていた。
そして、そんな街中に立ち込めているのは、とても甘そうな濃厚
な蜜のような香り。
アトラクト
ガロウズ
﹁これは⋮⋮いったい⋮⋮﹂
﹁魔法の名前は手招く絞首台。その効果の一つは水を変質させ、そ
の匂いによってヒトの精神を操作して、匂いの出所を探させる事﹂
そんな香りに誘われて、マダレム・エーネミの住民たちは焦点の
定まらない瞳で、まるで重度のマカクソウ中毒患者のような呻き声
を上げながら、私たちのことなどまるで気にした様子も見せずに匂
いの出所を探し続けていた。
﹁そして匂いの出所を見つけたヒトに、自分の意思とは関係なしに
変質した水を飲ませる事﹂
やがて人々は匂いの出所が井戸の中である事に気づき、桶を引き
上げ、桶の中に入っているものを見て、人々は大いに驚く。
なにせ桶の中に入っていたのは普段彼らが目にしているような透
646
き通ったベノマー河の水では無く、黄金色に輝いている水なのだか
ら。
﹁それで水を飲んだヒトはどうなると思う?ドーラム﹂
﹁ま、まさか⋮⋮﹂
マダレム・エーネミの住民は大いに湧き立ち、我先にと醜く争い、
誰よりも早く桶の中の水を呑もうとする。
そうして最初の一人が桶の中の水を飲んだ時だった。
﹁がっ⋮⋮﹂
黄金色に輝く水を一口飲んだ男が、唐突に苦悶の表情を浮かべ、
自分の喉を抑えながら、その場でのた打ち回り始める。
﹁ふふふ、甘い香りと味は苦くなり、呼吸が出来なくなるの。そし
て、最後はまるで見えない何者かによって首を絞められているよう
な感覚を伴って息絶えるの﹂
やがて男は動きを止め、穴と言う穴から体液を垂れ流しながら息
絶える。
そして、息絶えた男の顔には、絶望以外の感情は存在していなか
った。
﹁ば、馬鹿な!毒がこの都市に通用するはずが⋮⋮ぐっ﹂
﹁おっと﹂
﹁でもねドーラム。この魔法の一番すごいところは毒の効果じゃな
くて、毒の作り方なの。ねぇ信じられる?ソフィアってば、二つの
魔石の間を通った水を全て毒に変える魔法を作り出して見せたのよ﹂
だが、ヒトが一人死んだと言うのに、井戸に群がる人々の動きは
止まらない。
当然だ。
手招く絞首台の魔力に魅せられた彼らには、黄金色の水を飲むそ
647
の時まで理性と言うものは存在しないのだから。
﹁おまけにこの魔法の効力は一週間。貴方なら、これが何を意味す
るか分かるわよね。ドーラム?﹂
﹁ま、まさか⋮⋮マダレム・セントールも⋮⋮﹂
﹁そう。マダレム・セントールもベノマー河から水を引いている。
つまり、彼らの滅亡ももう決まったの﹂
﹁あ⋮⋮あ⋮⋮﹂
﹁ふふふ、良かったわねドーラム。これでマダレム・エーネミとマ
ダレム・セントールの争いも終わりよ。二つの都市の滅亡をもって
⋮⋮ね﹂
﹁あああぁぁぁ!﹂
フローライトの楽しげな声と対照的に、ドーラムがこの世の終わ
りを感じさせるような絶叫を上げる。
ああこの分だと、マダレム・セントールの方にもやっぱり色々と
繋がりは有ったらしい。
全部水泡に帰すわけだけど。
﹁さようなら、ドーラム。精々、今まで行いの全てを悔いながら死
になさい﹂
﹁あ⋮⋮そんな⋮⋮﹂
サブカが拘束を止め、私たちはドーラムの屋敷に戻っていく。
ドーラムはまだ生きているが、私たちがトドメを刺す必要はない。
﹁儂の⋮⋮﹂
なぜなら私たちがドーラムを捨ててきたのは道の真ん中。
手招く絞首台の匂いに引き寄せられた人々の通り道なのだから。
﹁儂の⋮⋮儂のまぎゃ⋮⋮﹂
やがてドーラムは匂いに引き寄せられた人々によって、ボロ布の
648
ようになるまで踏みつけられ、息絶えた。
ふふふ、今までずっと下の者を踏みつけてきた老人には、実に相
応しい最後だろう。
そうしてマダレム・エーネミは滅び去った。
649
第116話﹁滅び−9﹂︵後書き︶
本文中では描写しておりませんが、マダレム・セントールの下流に
は手招く絞首台を解除するための魔石が事前にセットされています。
でないと大惨事確定ですからね。
05/31誤字訂正
650
第117話﹁滅び−10﹂
﹁此処がそうなの?﹂
﹁ええ、面影も何も残っていないけれど、ここで合っているわ﹂
ドーラムを道に放置した後、私たちは思い思いに後始末を付ける
為の行動に出ていた。
トーコはフローライトの部屋でアブレアと。
シェルナーシュはドーラムの屋敷で、各種文献の捜索を。
サブカは出来の良い武器を探すと言っていたが⋮⋮実際には手招
く絞首台から運よく逃れた生き残りを探して、マダレム・エーネミ
から逃がす気だろう。
そんな者は居ないけど。
﹁そう、ここがフローライトが住んでいた屋敷が建っていた場所な
のね﹂
﹁ふふふ、懐かしいわ⋮⋮﹂
そして、他の三人がそうやって思い思いの行動を取る中、私とフ
ローライトはマダレム・エーネミの一角、どちらかと言えば上等な
家々が並んでいる地区にやって来ていた。
ここはフローライトが生まれた家、つまりは﹃闇の刃﹄前首領の
住んでいた家が有った場所であり、かつてはそれ相応の賑わいを見
せていた場所でもある。
尤も、今ではフローライトが住んでいた屋敷は取り壊され、土地
を複数のヒトが所有してそれぞれの屋敷を建てられた為に当時の面
影はほぼ存在しないし、此処に住んでいた複数のヒトとやらも手招
く絞首台によって息絶えたため、非常に静かだが。
﹁あの樹は⋮⋮﹂
651
﹁そうね。あの樹なんかはフローライトが居た頃から変わらないと
思うわ﹂
ただ、全く当時の面影が残っていないわけでは無い。
例えば、樹齢が五十年は超えていそうな、淡い青色の花を付けた
巨木などは、フローライトが住んでいた頃から、ずっとあり続けて
いるものだ。
﹁ふふふ、そうかぁ⋮⋮これだけは残っていたのね⋮⋮﹂
フローライトが昔を懐かしむような視線と声を一度樹に向ける。
﹁ソフィア﹂
﹁何かしら?﹂
そして私の腕から離れると、私の顔を真正面から見つめてくる。
﹁これでマダレム・エーネミとマダレム・セントールは滅びる。そ
うよね﹂
アトラクト
ガロウズ
﹁ええ、マダレム・セントールの方はまだ滅びていないでしょうけ
ど、手招く絞首台が到達すれば、まず間違いなく滅びるわ﹂
﹁そう⋮⋮なら、私の願いは叶えられたと言う事なのね﹂
﹁念のために後で見に行くつもりだけど、そう思ってもらっても構
わないわ﹂
フローライトが真正面から私の両肩を持つように近づき、その青
い瞳で至近距離から私の事を見つめてくる。
その瞳には様々な感情が渦巻いており、主たる思いは喜びである
と分かっても、この先に待っているフローライトとの一時で昂って
いた私には、それ以上の事を読み取ることは出来なかった。
﹁そう、それなら本当に良かったわ⋮⋮これでもう無益な争いは終
わらざるを得ないのね﹂
だからだろう。
652
﹁フローライト﹂
﹁分かっているわ。契約の履行でしょう﹂
私はこの後のフローライトの行動を止める事が出来なかった。
﹁ごめんなさいね﹂
﹁え?﹂
フローライトが私の首に腕を絡めるように抱きつき、私の唇とフ
ローライトの唇が一瞬だけ触れる。
そして、唇が離れ、フローライトが謝る声が私の耳に届いた時だ
った。
ブラックラップ
﹁黒帯﹂
﹁!?﹂
私の身体に黒い帯状の物体が絡み付き、四肢だけでなく口や首ま
でもが動かせないように拘束される。
私は何故と思った。
これがフローライトの使った黒帯の魔法である事は間違いない。
だが何故今この場でフローライトが私に対してその魔法を使うの
か、それも殺すのではなく拘束と言う形でもって使うのか。
私にはまるで訳が分からなかった。
﹁ソフィア。良い事を教えてあげるわ﹂
フローライトが拘束されて動けない私の耳元で、囁くように言葉
を紡ぐ。
﹁ヒトはね、とても嘘吐きで、身勝手で、傲慢な生き物なの。だか
らヒトの言う事を全て信じちゃダメ。貴方たち妖魔のように、私た
ちヒトは自分の心に素直な存在じゃないんだから﹂
﹁⋮⋮﹂
653
﹁だからねソフィア﹂
フローライトの顔が再び私の前にやってくる。
フローライトは⋮⋮笑顔のまま泣いていた。
まるで恋人との別れを惜しむように、けれど相手に心配をさせな
いために強がる少女のように。
﹁むぅー!むううぅぅ!﹂
私はフローライトの表情に酷く嫌なものを感じていた。
だから、必死になって抵抗し、どうにかしてフローライトによる
黒帯の拘束から逃れられないかと足掻く。
﹁貴方は貴方らしく。けれどヒトに騙される事の無いように生きな
さい﹂
だが私の抵抗をあざ笑うかのように、フローライトは私の身体か
ら離れると、私の位置から自分の全身が見えるような位置までゆっ
くりゆっくりと、まるで死刑台に向かう罪人のように歩いていく。
﹁ふふふ、大好きよ。ソフィア﹂
﹁むぐー!﹂
フローライトが私の方へと身体を向ける。
そして飛び切りの笑顔を私に向けた直後。
﹁そして⋮⋮﹂
﹁むぐっ⋮⋮﹂
フローライトの影から無数の黒い槍が生み出され、黒い槍の穂先
はフローライトの身体に向けられ⋮⋮、
﹁さようなら﹂
﹁むぐううぅぅぅ!﹂
別れを告げるその言葉と同時に、フローライトの全身を貫く。
654
﹁フローライトオオォォ!!﹂
そして、フローライトの死を告げるように私を拘束していた黒帯
の魔法と、フローライトの身体を貫いた黒い槍が砕け散るのと同時
に、私の慟哭が周囲へと響き渡った。
655
第117話﹁滅び−10﹂︵後書き︶
人間は嘘を吐く。
なお、この結末については予定通りだと言っておきます。
656
第118話﹁滅び−11﹂
﹁⋮⋮﹂
私は⋮⋮フローライトの亡骸を食べなかった。
それどころか、淡い青色の花を付けた巨木の根元に穴を掘ると、
まるでヒトのようにその穴の中にフローライトの亡骸を収め、埋め
た。
﹁ふふっ⋮⋮﹂
腹が減っていなかったわけでもなく、食べたくなかったわけでも
ない。
ただ、今ここでフローライトの亡骸を食べる事は、フローライト
の言い残した私らしく生きろと言う言葉にそぐわない。
そんな気がした為に、私はフローライトの亡骸を食べる事は無か
った。
﹁ふふふふふ⋮⋮﹂
ああそうだ。
私はフローライトの肉を食べたかった訳ではない。
ネリーの時もそうだった。
私が欲しかったのはただ生きている彼女たちではなく、私の行い
によって心を染められた彼女たちだった。
さらによく言えば、彼女たちの心と、心よりも更に奥深くに潜む
ソレこそが、私が欲しい物だった。
﹁あーはっはっは⋮⋮﹂
だからフローライトの亡骸は食べない。
食べても意味がない。
657
そこにフローライトのソレは無いから。
フローライトの心はあの時に貰ったから。
﹁はぁ⋮⋮﹂
そしてあの時に心を貰ったからこそ、私は私らしく生きなければ
ならない。
でなければ、フローライトがその命を捧げた意味がなくなってし
まう。
﹁⋮⋮﹂
そこまで考えをまとめ、むせび泣く事によって心を落ち着かせた
ところで、私は涙を拭うと、ドーラムの屋敷へ向けて歩き始める。
﹁さようならフローライト。気が向いたらまた来るわ﹂
淡い青色の花を付けた黒い樹皮の樹は、夏の風によって静かに揺
らされていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁帰って来たか﹂
﹁お帰りソフィアん﹂
﹁あー、ソフィア。その⋮⋮﹂
﹁ただいまみんな﹂
ドーラムの屋敷に帰ってくると、シェルナーシュたちがドーラム
の部屋で待っていた。
ただし、その表情は三者三様だ。
﹁あー、なんだ。その、残念だったな﹂
658
﹁ふふふ、案外そうでもないわよ﹂
サブカは私の事を気遣うような視線を向けて来ている。
恐らくだが、私の慟哭が聞こえていたのだろう。
﹁ふふん、ソフィアん。私の方は大満足だった﹂
﹁そう、それは良かったわね﹂
トーコは私の泣き跡に気づいた様子も無く、満足げな様子で胸を
張っていた。
どうやら、アブレアとの事は無事に済ませたらしい。
﹁ソフィア。小生は貴様から何かを言わない限り、何も言うつもり
はない。が、言えば聞くための時間は取ってやる﹂
﹁うん、ありがとう。シェルナーシュ﹂
シェルナーシュは羊皮紙を丸めたものを片手に持ち、面倒そうな
顔をしながらも、そう告げてくる。
うん、正直に言って、これぐらいの方が気持ち的には楽かもしれ
ない。
﹁それでソフィア。これからの予定を話しあう前に、貴様に見せた
いものがある﹂
﹁見せたいもの?﹂
さて、それでこれからどうするのかについてだが⋮⋮まずはシェ
ルナーシュが見せたいものがあるらしい。
渋そうな顔をしながら、手に持っていた羊皮紙を私に渡してくる。
﹁これは⋮⋮﹂
私は羊皮紙に掛かれているものを確認する。
羊皮紙の中身は⋮⋮都市の名前とヒトの名前が列挙されており、
何かの名簿のようだった。
659
﹁シエルん。なんの羊皮紙なの?﹂
﹁名簿だ﹂
﹁名簿?﹃闇の刃﹄の⋮⋮ああいや、懲罰部隊の魔法使いか、魔石
加工場の職人辺りの物か?﹂
﹁それなら小生も気が楽だったのだがな⋮⋮﹂
名簿の中には、マダレム・エーネミ以外の都市国家に住んでいる
者の名が多かった。
中にはマダレム・セントール、マダレム・シーヤに住む者の名も
あるし、マダレム・エーネミを含めた三都市と関わりがある都市の
名と、そこに住んでいるであろうヒトの名もある。
そして、最後の一人の名を読んだところで、私は彼らの繋がりを
理解した。
﹁ソフィア。この名簿は⋮⋮﹂
﹁マダレム・エーネミとマダレム・セントールの戦争を長引かせる
ことによって利益を得ていた連中⋮⋮つまりは継戦派の名簿ね﹂
﹁﹁!?﹂﹂
﹁そうだ﹂
そう、この名簿は継戦派の主要人物の名前をまとめた物だった。
﹁それでソフィア。これから先はどうする?別に小生はその名簿に
あるヒトを始末して行ってもいいが⋮⋮っつ!?﹂
﹁ゲロッ!?﹂
﹁うげっ!?﹂
私は笑顔を浮かべつつ、羊皮紙から視線を逸らし、シェルナーシ
ュたちへと笑顔を向ける。
何故かシェルナーシュたちが揃って半歩ほど後ずさっているが、
まあ、気にする事はないだろう。
﹁まずはマダレム・セントールに向かいましょう。万が一セントー
660
ルが滅びていなかったら、滅ぼさなくちゃいけないわ﹂
﹁契約だからか﹂
﹁ええ、そう言う契約だもの。契約は果たすべきよ﹂
﹁そ、そうか。それでその後はどうするつもりだ?﹂
﹁この名簿の連中を始末しましょう﹂
﹁えと⋮⋮依頼だから?﹂
﹁まさか﹂
それよりも今大事なのは、この感情を貯め込む事だ。
そう、私らしく生きる為に、フローライトのような少女が生み出
されず、ネリーのような少女が生み出されるような環境を作り出す
為に、この感情を貯め込むのだ。
﹁こんなのは殆ど八つ当たりよ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
そして貯め込んだ感情をもって、この名簿の連中を⋮⋮ヒトのく
せに他のヒトを苦しめる事を生業とするような愚か者を殺すのだ。
シェルナーシュたちが恐れる程の感情でもって、周囲の草木が委
縮し枯れ果てるような威圧感でもって、辺り一帯の大気が張り詰め
るような力でもって。
﹁さあ行きましょう。まずはマダレム・セントールよ﹂
﹁お、おう⋮⋮﹂
﹁分かった﹂
﹁う、うん﹂
そうして私たちはマダレム・エーネミを去っていった。
■■■■■
前レーヴォル暦49年
661
四柱の御使いと邂逅者テトラスタの邂逅。
現在我が国の国教であるテトラスタ教の経典﹃四つ星の書﹄の初
めに記載されるこの出来事は、ヒトが御使いと遭遇し、その言葉を
受け賜った逸話として、資料が現存している中では最も古いもので
あり、非常に有名な物でもある。
なお、この出来事については非常に多くの神学者、歴史学者が研
究考察を行い、それらの成果を様々な方法で発表しているほか、こ
の出来事を基にした物語も多数存在しているため、この場では詳し
く語ることはしない。
ただ歴史的に確かなのは、マダレム・エーネミとマダレム・セン
トールと言う都市が存在し、この二都市がほんの数日の間に滅び去
ったと言う事と、何らかの方法でもって邂逅者テトラスタと妻を除
くその家族たちは滅びから逃れたと言う二つの点だけである。
そのため、滅びの原因については未だに不明であり、テトラスタ
教の教え通り神の下した罰によって滅びた可能性も、内乱や他都市
または妖魔の襲撃によって滅びた可能性も、インダークの樹として
知られる曰くつきの樹の呪いである可能性も存在しているのが現状
である。
歴史家 ジニアス・グロディウス
662
第118話﹁滅び−11﹂︵後書き︶
第2章終了です。
06/02誤字訂正
663
第119話﹁蛇の壱−1﹂
﹁ひぃ⋮⋮ひぃあ⋮⋮﹂
私の前で一人の男が無様に地面を這って、私たちから逃げようと
していた。
﹁たす⋮⋮助けて⋮⋮﹂
ここはヘニトグロ地方中央部の中でも西寄りの地域。
私の目の前に居るこの男は、最寄りの都市で財を成していた商人
の一人である。
﹁助けて⋮⋮ねぇ﹂
尤も、私たちの背後で燃えているのが家財道具一式を乗せた複数
台の馬車である事からも分かるように、彼は今までの商売で得た財
を持つと共に、所属していた都市で手にした地位を捨てて、誰も自
分たちの事を知らない土地へと逃げ出そうとしていたのだが。
﹁ひぃ、ひぃい⋮⋮わ、儂が何をしたと言うんだ!一体何をしたと
言うんだ!?﹂
何故彼は自分が手に入れたものの半分以上を捨ててまで、逃げ出
そうとしていたのか。
それは彼がとある集団⋮⋮マダレム・エーネミとマダレム・セン
トールの戦いをわざと長引かせることによって利益を上げていた集
団、継戦派に属しており、その継戦派の面々がこの五年間で何者か
によって次々に始末されていたからだ。
﹁お前たちは一体何者なのだ!?何故儂らの存在を知っている!?
何故儂らを付け狙う!何故⋮⋮﹂
664
﹁ふふふ、この期に及んで私たちの正体を掴めていないのね﹂
まあ、その継戦派を始末している誰かと言うのは、私たちまたは、
私たちから情報を受け取って、義憤に駆られたヒトたちの事なのだ
が。
﹁私たちは妖魔よ﹂
﹁ぐっ⋮⋮妖魔⋮⋮だと⋮⋮﹂
私は怯える男の背中を踏み付けて動きを止めると、ハルバードを
振り上げる。
﹁馬鹿な!何故妖魔が⋮⋮﹂
﹁じゃっ、さようなら﹂
そして自分たちの正体を告げると、ハルバードを唖然とする男の
顔面に叩きつけ、男の上半身を跡形もなく粉砕した。
−−−−−−−−−−−−−−−
﹁ふぅ⋮⋮これでようやくね﹂
﹁だな﹂
ゴブリン
オーク
私⋮⋮ソフィアの周囲に、サブカ、トーコ、シェルナーシュが集
まってくる。
今回の襲撃の為に集めた鼠の妖魔や豚の妖魔たちは、燃えている
馬車の周囲で、男の家族や従者たちを食べているが⋮⋮ここから先
の話は彼らには関係の無い事であるし、食べ終わったら好きにして
いいと言う指示さえ出しておけば問題ないだろう。
﹁随分とかかったねー﹂
﹁連中は各都市に散らばっていたし、どいつもこいつも守りが堅か
ったからな。仕方がないだろう﹂
﹁おまけに連中が新たに起こしてくれた戦争も少なくなかったから
665
な⋮⋮本当に百害あって一利なしの連中だった﹂
﹁でも、これでもう終わり。どうせ同じことを考える奴は出てくる
でしょうけど、一応は一段落よ﹂
私たちがマダレム・エーネミとマダレム・セントールを滅ぼして
から五年。
ドーラムの屋敷に有った名簿から継戦派の有力者を探し始めた私
たちは、一人また一人と彼らを始末していった。
時には強盗に見せかけ、時には妖魔の仕業に見せかけて。
場合によってはヒトの力も利用し、残った面々が焦って動き出す
ようにと死体を晒しものにする事もあった。
だがそれも、目の前の男で終わり。
コイツを始末したことによって、名簿に記されていた継戦派は全
員この世から消え、名簿に記されていなかった者もほぼ全員消し終
わっている。
よって、今回の襲撃を持って、継戦派は壊滅したと言っても過言
ではないだろう。
﹁それでソフィア。これから先はどうするつもりだ?﹂
﹁そうねぇ⋮⋮﹂
私はドーラムの名簿を火にくべて燃やす。
﹁三人には何か予定はあるの?﹂
﹁アタシは特にないよ。美味しい物は食べたいけどね﹂
﹁俺も特にこれと言った目的は無いな⋮⋮﹂
﹁小生は⋮⋮まあ、少々調べたい事が有るな。ただそれは、小生一
人でやるべき事だ﹂
私の質問に対して、トーコはマダレム・エーネミが滅びた次の日
に突然現れた銀色の蛙のブローチを弄りながら、自分の欲求に忠実
な答えを言う。
サブカは空を見上げ、恐らくはこの五年間に訪れた何処かの光景
666
を思い浮かべながらも、表向きは予定なしと答える。
シェルナーシュは数週間前に回収したパッと見、柄の無い金貨が
填め込まれたピアスを弄繰り回しながら、一人になりたいと告げた。
となればだ。
﹁そう。だったら、この先は全員自由行動と言う事にしましょうか﹂
﹁良いのか?﹂
﹁だってもうマダレム・エーネミの後始末は付けたのよ。知恵ある
妖魔の存在だってこの五年の内にバレちゃったし、それならもう、
みんな一緒に居る必要はないもの﹂
﹁それは⋮⋮そうかも﹂
﹁そう言うわけだから、この先はマダレム・シーヤで私、トーコ、
シェルナーシュの三人が出会う前、全員がそれぞれ自由に過ごして
いた頃に戻りましょう﹂
﹁分かった。小生もそれで構わない﹂
もうここで私たちは普通の妖魔らしく、単独で行動する生活に戻
るべきだろう。
﹁ああでも、年に一度くらいは会っておきましょうか。お互いが生
きているかどうかを確かめる意味でもね﹂
﹁何処で会う気だ?﹂
﹁そうね⋮⋮とりあえずはマダレム・エーネミのドーラムの家が有
った場所に、次の夏の二の月の新月に集まりましょう﹂
﹁マダレム・エーネミが滅びた記念日って感じだね﹂
﹁分かった。余裕が有れば、小生も顔を出すとしよう﹂
﹁じゃ、集まる場所と時間も決まったところで、さようならね﹂
﹁うん、バイバイ﹂
﹁機会が有ればまた会おう﹂
﹁おう、無事な事を祈ってる﹂
そうして私たちは再集合の日時を決めると、その場からそれぞれ
667
別々の方向へと去って行ったのだった。
668
第119話﹁蛇の壱−1﹂︵後書き︶
第3章開始で、再びの一人旅です
669
第120話﹁蛇の壱−2﹂
﹁さて、これからどうしましょうかね⋮⋮﹂
数日後、私は一人で今後どうするかについて悩んでいた。
﹁現状、特にこれと言った用事や目標はないのよねぇ⋮⋮﹂
ネリーを食べてから、マダレム・シーヤで﹃闇の刃﹄から暗視の
魔法を奪うと決めたその時までと同じように、明確な目標が無い状
態だったからだ。
﹁⋮⋮﹂
勿論、その頃と同じように漫然と旅をし、普段は傭兵の振りをし
つつ、腹が減ったら手近なところに居たヒトを食べると言う生活を
送ってもいい。
が、その生き方は妖魔らしい生き方であって、フローライトから
言われた私らしい生き方をしろと言うものにはそぐわないように感
じた。
﹁私らしい生き方かぁ⋮⋮﹂
私は地面から顔を出している手近な岩に腰掛けると、遠くの方に
山頂が僅かに見えているアムプル山脈の山々を眺める。
季節は秋の三の月。
正確な日付を認識していないのであれだが、冬の一の月に入れば、
私がこの世に生まれてから丸六年と言う事になるはずである。
﹁ふうむ⋮⋮やっぱりなにか目標があって、それを達成するために
色々とやっている時の方が、私らしくはあると思うのよね⋮⋮﹂
そう、丸六年だ。
670
私はタケマッソ村近くの山中で生まれてから、今に至るまでの間、
殆どの時間を何かしらの目標を伴って過ごしてきた。
妖魔らしく腹を満たす事に始まり、私の事を知るヒトが居ない場
所を探してマダレム・ダーイへ逃げ、そのマダレム・ダーイをネリ
ーを食べる為に滅ぼした。
そしてマダレム・シーヤで﹃闇の刃﹄と敵対した後は、フローラ
イトの為にエーネミとセントールを滅ぼし、つい先日まではその後
始末に追われていた。
その間の私は常に狙ったヒトを仕留める為に、あの手この手を考
え、実行してきた。
それは、主観的なものではあるが、非常にやりがいがある物であ
ると同時に、苦難と充実に満ちた日々だと言え⋮⋮私らしく生きて
いると言える日々だった。
﹁うん、やっぱり目標は作るべきね﹂
結論。
今後の活動を精力的にこなすためにも、やっぱり何かしらの目標
は定めるべきだと思う。
﹁じゃあ、どんな目標を立てるかだけど⋮⋮﹂
ではどんな目標を立てるか。
直ぐに終わってしまわないようにするならば、出来る限り達成が
難しい目標を定めるべきではある。
が、全くもって突拍子もない目標だと、途中でやる気をなくして
しまうだろう。
となると、私の今までやって来たことの延長線で何かを考えるべ
きだが⋮⋮
﹁うーん⋮⋮策略、謀略、暗殺、知識の奪取、気に入った子を食べ
る事⋮⋮﹂
671
私の場合、トーコの料理、シェルナーシュの魔法、サブカの剣術
と違って、目標が存在する事を前提とした物ばかりであり、私一人
だけで何かをやれるような物はない。
うん、これは困ったかもしれない。
﹁やっぱりまずは旅をするしかないか⋮⋮﹂
そして目標を見つける為には、その目標がネリーやフローライト
のようにとても食べたいと思える子にしろ、何処かの都市国家であ
るにしろ、排除するべきヒトであるにしろ、それらの情報を送って
来てくれるような存在でも居なければ、一ヶ所に留まっているので
はなく、自分で各地を歩き回る必要が有る。
で、これは仮に目標を自分で作ろうと考えた場合でも、同じ事だ
ろう。
﹁ならとりあえずは暖かそうな場所ね。これから冬の月に入るわけ
だし﹂
と言うわけで、結論その二。
狙いたい獲物が見つかるまでは、旅をするほかない。
それが私らしく生きる為に必要な事だろう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁⋮⋮﹂
﹁いやぁ⋮⋮ここまでツラそうにしている奴は初めて見たな﹂
さらに数日後。
私はその街の入口で、門兵に見守られながら、鼻を押さえた状態
でぐったりとしていた。
﹁ヒトより鼻が良すぎる事を初めて怨みたくなってきたわ﹂
672
﹁ははははは。まあ、頑張れとしか言えないな﹂
ここはアムプル山脈とヘニトグロ地方の境界線の中でも、かなり
西寄りの地域である。
で、私が居るのは、そんな山地と平地の境界線に位置する、低め
の山々の山肌に造られた小規模な街シムロ・ヌークセンの入り口で
ある。
﹁とりあえず鼻が慣れるまではこうさせておいて﹂
﹁あいよ。もしもどうしようもないぐらいに気分が悪くなったら呼
んでくれ。医者を呼ぶからな﹂
﹁ありがとう。その時は頼むわ﹂
さて、このシムロ・ヌークセンであるが、アムプル山脈の山裾と
言う、冬の一の月に入る今の時期、本来ならば、もう相当寒い気温
になっているはずの場所である。
にもかかわらず、今もなおシムロ・ヌークセンの気候は秋のそれ
に近い程度に暖かく、穏やかであり、街中からは白い湯気が数多く
天に向かって上がり続けている。
﹁しかし、まるで腐った卵の匂いよねぇ⋮⋮なんでこんな匂いがし
ているのかしら⋮⋮﹂
何故か?
その何故こそが、私がこの地を訪れた理由でもある。
﹁温泉って⋮⋮﹂
そう、ここシムロ・ヌークセンでは有ろうことか地面から湯が湧
くのだ。
腐った卵のような匂いのガスと共に。
﹁不思議だわ﹂
そして、その噂の真偽を確かめる為に、私はこの地を訪れたのだ
673
った。
文字通りに、出鼻をくじかれてしまったが。
674
第120話﹁蛇の壱−2﹂︵後書き︶
06/04誤字訂正
675
第121話﹁蛇の壱−3﹂
﹁ふぅん⋮⋮都市国家とも農村とも違うのね﹂
数十分後。
温泉の臭いにようやく鼻が慣れてきた私は、シムロ・ヌークセン
の街中を宿を探しながらゆっくりと歩いていた。
﹁いやー、相変わらずの臭いですね。旦那様﹂
﹁ふぉふぉふぉ、それが良いんじゃがの﹂
で、門の前でぐったりしながら観察していたのと、こうして街の
中を歩き回りながら観察した結果を合せる事で、幾つか気付いた事
が有る。
まずこの街は、その規模に比べて街中に居るヒトの数が多いのだ
が、それはどうやら温泉を求めて、他の街からこの街にやってくる
ヒトが大量にいるからであるらしい。
そして、そうやって他の都市からやってくるヒトは、付き人のよ
うなものを除けば、大半が裕福そうな商人、何処かの都市の有力者
で有りそうな老人、幾らか歳のいった傭兵と言ったところであり、
幾らか不健康そうな気配を漂わせているヒトだった。
﹁さて、噂の温泉の力とやらはどの程度のもんなのかね﹂
﹁楽しみっすね。兄貴﹂
何故そんなヒトたちが集まって来るのか。
それは、シムロ・ヌークセンに湧いている温泉が傷の治療や慢性
的な疾患に効果がある為であり、同時にとある集団がこの地に存在
しているためだ。
で、このとある集団については一先ず脇に置いておくとして。
676
﹁お疲れさん。いつものだな﹂
﹁おう、頼まれた通りのものを持ってきたぞ﹂
そう言った外から多数の人がやってくると言う事情に加えて、山
肌に沿って作られた街である事と、幾らか地面を掘れば温泉が湧く
為に畑が造りづらいと言う諸々の事情が組み合わさった結果、シム
ロ・ヌークセンは他の街から大量の食料を輸入、消費する街になっ
ているようだった。
で、大量の食料を輸入するためには当然それ相応の額のお金と、
貴重な食料を輸出してくれる他の街との友好的な関係と言うものが
必要になる。
お金については温泉の利用料ととある集団の働きで回収できるが、
友好的な関係については、どうにもそれらの都市の有力者専用の温
泉を掘って、整備と管理をしておくことを主な手段として、築いて
いるようだった。
うん、正直に言って、この辺りの事実について聞いた時、私はこ
の街の長たちは相当のやり手だと思った。
街を訪れるヒトの安全を確保する為に優秀な傭兵を繋ぎ止めてお
く手腕と言い、とある集団の活動を円滑に行えるように色々と手を
回していそうな気配と言い、下手な都市国家の長たちよりも、よほ
ど統治能力も、治安維持能力も高いだろう。
﹁いてててて、も、もう少し優しく⋮⋮﹂
﹁はいはい、じっとしていてくださいねー﹂
で、先程から時折言っているとある集団だが⋮⋮その名を﹃黄晶
の医術師﹄と言う魔法使いの流派である。
聞くところによると、彼らは温泉、魔法、薬草の三つを組み合わ
せる事によって、他の都市国家のそれとは桁違いに高度な治療行為
を行う事が出来るらしく、ちょっとした病気や怪我ならば一日で全
快し、少々重めの病気や骨折であっても、普通の治療よりも早く治
せるそうだ。
677
なお、流石に死病を治したり、腕を生やしたり、死者を生き返ら
したりなどは出来ないらしいが⋮⋮それは出来ない方が普通だろう。
むしろ彼らなら出来るかもしれないと周囲に思わせている時点で、
十分とんでもないと思う。
﹁と、この辺りが良いかしらね﹂
私はどちらかと言えば街はずれに建っている、閑静な宿へと足を
踏み入れる。
宿の名前は⋮⋮﹃ヌークエグーの宿﹄か。
﹁いらっしゃい。泊まりかい?﹂
﹁ええそうよ﹂
私は宿の主人と交渉を行って、個人部屋を借りると共に、温泉に
ついて聞いてみるが、どうやら有力者が使うような個人用の温泉で
もなければ、街の中に複数ある公衆浴場は常にヒトで賑わっている
らしい。
うーん、私としては一人でゆっくりと温泉に浸かってみたかった
のだが、こればかりは仕方がないか。
﹁まあ、どうしても一人で風呂に入りたかったら、近くの山に入っ
て、天然物でも探してくれ。命の保証はしないがな﹂
﹁検討はしておくわ。何処がどういう風に危険なのかって情報を仕
入れた上でだけど﹂
と言うわけで、今日の所は温泉の臭いで鼻がおかしくなっている
と言う事もあるので、このまま素直に宿の部屋の中で休んでいる事
にする。
幸い、シムロ・ヌークセンに入る前に、何人か食べたおかげで腹
は満たされているし、今日の所はそれでいいだろう。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
678
私は部屋の窓からシムロ・ヌークセンの街並みを眺める。
重ね重ね言うが、シムロ・ヌークセンは山肌に造られた街だ。
そして有力者の趣味なのか、実利的な何かがあるのかは分からな
いが、山の上の方に内外の有力者の屋敷や高級そうな宿があり、下
の方に行けば行くほど、安い宿や花街が並ぶようになっていて、谷
底には川が流れているようだった。
私の居る﹃ヌークエグーの宿﹄は高さ的にはだいたい中の上ぐら
いだろうか。
で、﹃黄晶の医術師﹄の拠点も同じぐらいの高さにあるようだっ
た。
﹁回復魔法かぁ⋮⋮﹂
私は一人呟きながら考える。
この街の中で妖魔が何人もヒトを食べるのは難しいし、野盗たち
がこの街を襲うのも難しいだろう。
高い城壁こそないが、私でもそう思うほどに、この街はしっかり
と造られている。
だが、そう言った事情を鑑みても、私には一つ興味がそそられる
ものがあった。
﹁私でも使えるようなものなら、是非とも使えるようになっておき
たいわね﹂
それは﹃黄晶の医術師﹄が持つヒトの傷や病を治す魔法⋮⋮所謂
回復魔法と呼ばれるものの存在。
それが具体的にはどう言うものであるのかは分からないが、使え
るならば便利な魔法であることは間違いないだろう。
﹁ふふっ、ふふふふふ﹂
手に入れたい。
私は自分の前に立ち塞がるであろう障害の数々を思い浮かべなが
679
らも、達成した時の喜びを想像して、笑わずにはいられなかった。
680
第121話﹁蛇の壱−3﹂︵後書き︶
06/06誤字訂正
681
第122話﹁蛇の壱−4﹂
﹁さて、今日の所は適当にうろついてみましょうかね﹂
翌日。
﹃ヌークエグーの宿﹄を出た私は、シムロ・ヌークセンの周囲で
活動する傭兵たちをサポートしている公的機関があると言う事で、
まずはそちらに顔を出して、周囲の山々にどういう危険があるのか
を教わった。
そして、その上で周囲の山で採取でき、この機関で買い取ってく
れている薬草の種類と量、それに魔石や獣肉の価格を調べると山に
出かける事にした。
うん、こんな機関があることから分かるように、シムロ・ヌーク
センでは使えるものは使うと言う事で、それ相応の力量を求められ
る分野については、湯治に訪れた傭兵であっても、本人が望んだと
言う前提で利用するらしい。
やっぱり強かだ。
﹁よっと﹂
山の中の様子は?
私が居るのは、シムロ・ヌークセンがある山⋮⋮ワレワノ山から
小さな谷一つ越えた所にある山⋮⋮地元ではオクノユ山と呼ばれる
山であるが、だいたいは朝に教わった通りだった。
教わった通り⋮⋮うん、つまりは例の腐った卵のような臭いが山
全体に軽く漂っていて、所々でヒトどころか妖魔でも落ちれば全身
が茹でられてしまうような熱湯が湧き出している。
気温はこの時期にはそぐわない程に暖かく、それに合わせるよう
に薬草も生えている。
682
﹁えーと⋮⋮まず大前提として、くぼみには近寄らない。木や草が
生えていない場所にも近寄らないだったわね﹂
で、これも教わった事だが、この辺りの山の中では、決して地面
がくぼんでいる所には近寄ってはならないらしい。
なんでも、そう言った窪地には目に見えない危険な何かが潜んで
いるそうで、立ち入ったものは悉くその何かによって殺されてしま
うそうだ。
﹁ちょっと試してみましょうか﹂
﹁きゅっ!?﹂
私は私が妖魔であると言う事で警戒心なく近くを歩いていたリス
を捕まえると、試しに手近なくぼみに向かって放り込んでみる。
すると、多少苦しんだ後にリスは死んでしまった。
⋮⋮。うん、どうやら私の目にも引っかからないような危険な何
かが本当に居るらしい。
リスの尊い犠牲に報いる為にも、くぼみに立ち入らないと言う事
は肝に銘じておくとしよう。
くぼみには草木も無いので、気を付けていれば、嵌ることはない
はずだ。
﹁でもそうなると⋮⋮﹂
私は近くの草も木も生えていない岩だらけの場所に目を向ける。
こちらも危険だから近寄るなと言われた場所なわけだが⋮⋮一体
何が有ると言うのだろうか?
そう思って遠く離れた場所から観察していた時だった。
﹁っつ!?﹂
それほど大きくはないが、爆発音と地響きが私が注目していた場
所から発せられ、それと同時に熱湯が勢いよく噴き出してくる。
683
﹁ははは⋮⋮なるほど⋮⋮﹂
私は若干頬を引き攣らせながらも、近寄るなと散々念押しされた
ことに納得する。
これは確かに近寄ってはいけない。
迂闊に近寄って、今の熱湯が直撃すれば、妖魔であってもひとた
まりもないだろう。
後、出来れば複数人で行動するように言われた事にも、今更なが
ら納得がいった。
﹁しかし、こんな物が有るなら、城壁がないのにも納得するわ⋮⋮﹂
で、それらの事柄を理解すると同時に、どうしてあれほど多くの
ヒトで賑わっているシムロ・ヌークセンに城壁が無いのかについて
も納得する。
そう、シムロ・ヌークセンが小規模な街であると言う事もあるだ
ろうが、それ以上にこの周囲の山々には似たような場所が何か所も
ある事と、城壁の建築と維持にかかる費用を考えたら、これら天然
の障害を利用した方が良いに決まっているのだ。
妖魔や獣相手なら、多少背が高めの柵を用意しておけば、十分な
のだろうし。
うん、何処に金を使うべきなのかを考えている点でもやっぱり強
かだ。
﹁まあ、気を付けていきましょうか﹂
私はより一層の注意を払う事を決めると、ゆっくりとオクノユ山
の探索を始める事にした。
−−−−−−−−−−−−−−−
684
﹁ふうむ⋮⋮﹂
探索開始から数時間後。
宿を出る時にもらった温泉卵とやらを頬張る私の前には、適度な
量と温度の温泉が湧き、溜まっている岩場が広がっていた。
念の為にリスで危険な何かが居ないかを確かめたり、詳しく観察
をしてみて、例の熱湯が噴き出したりしないかも確認してみたが、
問題は無さそうだった。
で、都合のいい事に、この温泉の周囲には、買い取り対象と指定
されていた薬草も乱雑に複数種類生えていた。
これは⋮⋮うん、そうするべきなのかもしれない。
﹁折角だし入りますか﹂
私は服を脱ぐと、金色の蛇の輪の装飾品二つだけを身に着けて、
足からゆっくりと湯の中に入る。
うん、暖かい。
そして、僅かではあるが、普通のお湯を張った風呂とは違う感覚
が皮膚から伝わってくる。
﹁ふうううぅぅぅ⋮⋮﹂
全身を入れても大丈夫だと判断した私は、肩まで温泉に浸かると、
その心地よさから思わず声を漏らしてしまっていた。
ああうん、これは癖になる。
シムロ・ヌークセンがあれだけ賑わうのにも納得がいく。
﹁とりあえず身体があったまるまでは入っていましょうかね⋮⋮﹂
私は最低限の注意は周囲に向けて払いつつも、心行くまで温泉を
楽しむことにしたのだった。
685
第122話﹁蛇の壱−4﹂︵後書き︶
温泉シーンですな。
だが男だ。
06/07誤字訂正
686
第123話﹁蛇の壱−5﹂
﹁ふぅああぁぁぁ⋮⋮﹂
ああ、温泉が心地良い。
季節柄乾燥する喉と鼻に温泉の湯気が潤いを与えてくれたおかげ
なのか、それとも湧き立ての香りであるからかは分からないが、あ
れほど煩わしく感じていた温泉の匂いも今では幾らか良い匂いとし
て感じ始めている。
﹁んんんぅぅ⋮⋮﹂
ああ、温泉が心地いい。
温泉の熱によって身体が芯から温められるだけでなく、まるで体
中の悪いものが抜け落ちていくかのように全身から汗が湧き出し、
代わりに良いものを温泉から与えられている気配がする。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
汗と湯気によって出来た滴が、ポトンと髪の毛から水面に落ちる。
鳥が囀り、栗鼠が駆け回り、蛇が樹上でこちらの様子を窺い、熟
した果実は大地に落ちて芽吹く時を待ち、周囲の草木はそよ風によ
って微かに揺れている。
あぁ、所々に樹皮が剥がれた樹があるのは残念だが、温泉だけで
なく、周囲の環境も素晴らしい。
﹁ネリーとフローライトが居たらなぁ⋮⋮﹂
惜しむらくは、今日の私は山の中の作業で必要な物しか持って来
ていなかった事か。
もしもこの場に麦酒、葡萄酒、果実酒、粗悪な物でも構わないか
ら、何かしらの酒が有ったならば。
687
もしもこの場にトーコが作った料理か、シェルナーシュの作った
干し肉が有ったならば。
あぁ、もしもこの場にネリーとフローライトが居たならば。
そして、今言った全てがこの場にあったならば。
﹁うへっ、うへへへへ⋮⋮﹂
ああうん、たぶん幸せで死ねる。
死ぬならネリーとフローライトの二人とあんな事やそんな事をや
った上でだけど、幸せさでもって死ねる。
顔がすごい勢いでだらけているのは分かっているけど、止められ
ないそうにない。
止める気もない。
﹁⋮⋮﹂
と、そんな時だった。
私の耳が、私の後方から草と草がこすれ合う音を二つ、それと距
離はかなりあるが前の方からも似たような音を一つ捉える。
﹁中々見つ⋮⋮﹂
私は近くに置いておいたハルバードを右手で掴むと、音源に向か
ってそれを振るおうとする。
﹁っつ!?﹂
﹁ひっ!?﹂
﹁なっ!?﹂
が、ハルバードを振り切る前に、匂いと声とその姿から、音の主
が二人の少女である事に気づいた私は、少女の首に刃が触れるか否
かというギリギリのところで、腕力によって無理矢理ハルバードの
動きを止めた。
688
﹁なんだ、ヒトだったの﹂
﹁あ、あ、あ⋮⋮﹂
﹁ヒーラ!大丈夫!?﹂
私がハルバードを引くと同時に、刃を突き付けられていた方の少
女がその場にへたれ込み、もう一方の少女が慌てた様子で駆け寄っ
てくる。
﹁い、いきなり何をするのよアンタ!後もう少しで⋮⋮﹂
で、二人の少女だが、どうやら格好からして﹃黄晶の医術師﹄の
構成員で、薬草の採取にやってきたところであるらしい。
うん、まあ、それはいいとしてだ。
﹁五月蠅いわね。止められたからいいでしょ。それにこの山の中で、
背後から無遠慮に近づいてくる気配が有ったら、警戒して当然でし
ょうが﹂
﹁な!?アンタ自分が何を⋮⋮﹂
もう一つの気配がこちらに向かって駆けるように近寄って来てい
る。
それも私に向けてではないが、敵意を発しながらだ。
これに対応するのに温泉の中に居るのは都合が悪い。
﹁言って⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
と言うわけで温泉から私は出て、衣服も身に付けずに近寄ってく
る気配の方へと体を向ける。
向けるのだが⋮⋮私の裸体を見た二人の少女が完全に固まる。
﹁﹁男!?﹂﹂
そして叫び声を上げる。
689
どうやら角度や高低差の関係で見えていなかったものを見るまで、
私の事を女だと認識していたらしい。
まあ、別にいいか。
変に暴れたり、騒いだりしなければ⋮⋮
﹁な、何で男!?その顔で男なの!?明らかに私よりも綺麗なのに
男なの!?一体どうなって⋮⋮﹂
﹁ちょっと黙れ﹂
﹁﹁っつ!?﹂﹂
騒がれたので、ちょっと威圧しながら睨み付ける事によって二人
とも強制的に黙らせる。
ああもう、この二人が騒いだせいで、こっちに近寄ってくる気配
の主が完全に臨戦態勢に入ってしまっている。
こうなったらもう、私も攻撃対象に含まれてしまっているだろう
し、戦わないと言う選択肢はないだろう。
﹁さて、来たわね﹂
﹁⋮⋮﹂
私は温泉の反対側に現れたそいつ⋮⋮巨大な熊の姿を視界に捉え
る。
﹁オ、オクノユ山の主⋮⋮﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
私は熊の大きさと爪のサイズから、この温泉の周囲の木々に傷を
付けていたのは、この熊が自分の縄張りを示す為にやっていたのだ
と認識する。
そして気づく。
この熊はヒトを恐れていないどころか、餌だと認識している。
妖魔を格下だと思い、畏れていない。
そんな異常な熊だった。
690
﹁たかが熊如きが随分と粋がっているじゃない﹂
﹁ひっ!?﹂
﹁きゃっ!?﹂
だから私は全力で熊の事を威圧する。
ヒトが誰の食い物であるかを、彼我の実力差を理解させるために。
今ならまだ見逃してやると言う気持ちを込めて。
﹁グルアアァァ!﹂
﹁そっ﹂
だが誠に残念な事に、目の前の熊に私の思いは伝わらなかったら
しい。
私に向けて勢いよく突撃し、十分に近寄ったところでその太い腕
を振るうために立ち上がり、風切り音を伴うような速さでもって腕
を振るおうとした。
だから私は熊の爪と腕をギリギリのところで体を回し、熊の脇を
すり抜けるように避けると、その回転の力を乗せたハルバードを後
頭部に叩き込んでやる。
﹁残念ね﹂
そしてそれだけで熊の頭は弾け飛び、大きな音を伴いながら、そ
の場に熊の巨体は崩れ落ちた。
691
第123話﹁蛇の壱−5﹂︵後書き︶
おかしな熊は狩っちゃおうねー
692
第124話﹁蛇の壱−6﹂
﹁さてと⋮⋮﹂
私は力なく地面に横たわる熊の死体を眺める。
私の記憶が確かであれば、熊の買い取りは肝の一部と毛皮が殆ど
で、肉については要相談だったはず。
ただ、あの感じからしてこの熊はヒトも食べているだろうし、そ
んな熊の肉を食べたがるヒトが居るとは考えづらい。
しかし肝だけを取り除いて持ち帰るにはこの場で解体する必要が
有るわけで⋮⋮正直めんどくさいし、知識が中途半端な私だと、失
敗する可能性も高いだろう。
﹁うん、適当に血を抜いて、胴体を丸ごと持って行きましょうか﹂
と言うわけで、私は熊の両腕を切断すると、適当な樹の幹に逆さ
吊りにして、血を抜く事にする。
これで多少は持ち運びしやすくなるだろう。
この場に私が居る以上、普通の獣は近寄って来ないだろうし。
﹁でだ⋮⋮﹂
さて、熊の処理が終わったところで、ある意味ではこの場におけ
る最大の懸念事項の方へと私は目を向ける。
﹁凄い⋮⋮あんな軽々と⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
そう、懸念事項だ。
この二人の﹃黄晶の医術師﹄の魔法使いは。
今は私にハルバードを突き付けられた方の少女は、赤い髪の間か
ら覗いている黄色い瞳と口をこちらに向けて大きく開けた状態で呆
693
然としているし、もう一人の大きな声で喚いていた方の少女は私の
熊の殺し方に驚いて失神している。
つまり、今の内ならば難なく二人とも生け捕りにして食べる事は
出来る。
﹁凄い⋮⋮﹂
が、今この場で二人を食べる意味がどれだけあるだろうか。
こんな山奥に薬草採取に来ている時点で、この二人は﹃黄晶の医
術師﹄の中でも下っ端である可能性が高く、魔石の使い方は知って
いても、魔石の加工法については何も知らない可能性が高い。
にも関わらず食べてしまえば、少なくない警戒を相手に与えてし
まう事になる。
つまり、食べればそれだけで私が不利になる可能性が高い相手と
言う事だ。
﹁はっ!?﹂
そしてこの場に放置するわけにもいかない。
この場に放置してしまえば、彼女たちが死んでも死ななくても、
行方不明になってもならなくても、私に対して面倒事がやってくる
可能性がそれなりにある。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
と言うわけで、彼女たちは食べる事も出来ず、放置する事も出来
ない面倒な相手で有り、一番面倒が少ないのは彼女たちをこのまま
生きて連れ帰る事と言う事になる。
ああうん、本当に七面倒くさい。
どうしてこうなっ⋮⋮
﹁び、美人さん!助けてくれてありがとうございます!﹂
ん?ああ、いつの間にか呆然としていた方に声を掛けられていた。
694
その手には薬のようなものと、魔石と思しき物体が握られている。
﹁それでその⋮⋮け、怪我の治療をさせてください!﹂
そして、その言葉と視線を受けて自分の左腕を見た私は気づく。
左腕から少なくない量の血が流れ、地面と温泉を汚していた。
ああなるほど、さっきの熊の一撃が掠っていたのか。
余り痛みが無いもんで、気付いてなかった。
﹁出来るの?﹂
﹁は、はい!﹂
﹁じゃあ頼むわ﹂
私はその場に座ると、彼女の方に向けて左腕を差し出す。
妖魔の体力ならば、このまま下山しても途中で勝手に血は止まっ
ているだろうし、傷跡も完全に無くなっているだろう。
が、折角だし﹃黄晶の医術師﹄の治癒魔法とやらを見せてもらう
としよう。
﹁で、では始めますね﹂
少女は薬と魔石を使おうとし⋮⋮慌ててその二つを地面に置く。
どうやら手順を間違えそうになったらしい。
ああうん、なんか不安になってきた⋮⋮。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁こ、これで処置完了です﹂
﹁へぇ、こんなに綺麗に治るものなのね﹂
﹁そう言う魔法と薬だもの。当然よ﹂
結局のところ、私の心配は杞憂で済んだ。
695
呆然としていた方の少女⋮⋮ヒーラが処置を始めようとしたとこ
ろで、気絶していた方の少女⋮⋮リリアが目を覚まし、ヒーラを落
ち着けつつ、上手くサポートをしてくれたのだ。
そして、治癒魔法の効果については、私の想像以上だった。
軟膏を塗った上でヒーラの魔法を掛けられた私の腕の傷はあっと
いう間に塞がってしまい、跡も残っていなかった。
今では多少の熱と違和感、それにだるさが残っている程度である。
﹁それに、貴方の体力が桁違いなのもあるわね﹂
﹁あらそうなの?﹂
﹁はい、普通のヒトだともう少し時間がかかったと思います﹂
﹁ふーん⋮⋮﹂
が、どうやらこれほどの回復は私が妖魔であり、見た目よりも遥
かに体力があるが故にだったらしい。
ああうん、これは気を付けないと、私が妖魔だとバレる可能性も
ありそうだ。
﹁まあ、私は村の中でも体力があった方だし、魔法をかける相手の
体力が回復出来る限界に関係があるなら、当然の結果かもしれない
わね﹂
﹁⋮⋮。名前の件と言い、喋り方と言い、つくづく変な所ね。貴方
の村﹂
﹁リ、リリアちゃん失礼だよ!?﹂
﹁ははは、よく言われるわ﹂
とりあえずこの場は、私が妖魔の身体能力を誤魔化す時の定番で
ある育ちの影響だと言う事でゴリ押しておいた。
ある意味事実ではあるしね。
﹁さてと、それじゃあ治療も終わったところで、一緒に山を降りま
しょうか﹂
696
﹁は、はい!﹂
﹁分かったわ﹂
そして私は服を着ると、腕と頭が無い熊を背負って、シムロ・ヌ
ークセンに戻り始めるのだった。
697
第125話﹁蛇の壱−7﹂
﹁何でこんな事になったのやら⋮⋮﹂
シムロ・ヌークセンに戻ってきた私たちは、周囲にかなり驚かさ
れた。
まあ、頭と腕が無いとはいえ、自分の身体よりも大きな熊を背負
って降りてきたのだから、驚かれるのは当然だろう。
だが、シムロ・ヌークセンで起きた騒ぎは、私の想像以上だった。
熊の身体の何処かに特徴的な部位が有ったのか、それとも大きさ
によるものなのかは分からないが、誰かが私の担いでいた熊がオク
ノユ山の主と呼ばれる個体である事を声高に叫んでしまい、しかも
住民や他の狩人に詰め寄られたヒーラとリリアの二人がそれを認め
た上に、口止めしていなかったとはいえ、私一人で仕留めてしまっ
た事を話してしまったのだ。
その結果⋮⋮
﹁いやー、今日はめでたいな!﹂
﹁まったくだ!あの人食い熊には散々悩まされたからな!﹂
﹁見事に頭が吹っ飛んで、いい気味だぜ!﹂
シムロ・ヌークセンではちょっとしたお祭り騒ぎのようになって
しまっていた。
それも主賓である私が置いてけぼりになる様な規模と勢いでもっ
て。
今では、シムロ・ヌークセン中で宴会になっているだろう。
﹁まあ、あの熊の危険度を考えれば当然の騒ぎなのかもしれないけ
れどね﹂
私は﹃ヌークエグーの宿﹄の片隅で酒を飲みながら、独り言を呟
698
く。
実際、宴会に参加している狩人や傭兵たちの話を聞いていると、
これほどの騒ぎになるのも当然と言えば当然の話だった。
なんでもあの熊⋮⋮オクノユ山の主は今までに何人ものヒトを食
い殺している危険な熊であり、豚の妖魔を殴り殺したと言う目撃談
も有るほどに強かった。
しかも縄張り意識も非常に強く、他の熊からも煙たがられている
ような個体だったそうだ。
そして、そんな熊であるが故に、本格的な冬が始まる前にシムロ・
ヌークセンと周囲の都市国家の狩人、傭兵、魔法使いを総動員して
山狩りする計画も立てられていたそうである。
なのでまあ⋮⋮騒ぎになるのも仕方がない話ではあった。
騒ぎ過ぎて﹃黄晶の医術師﹄たちの仕事を増やすのはどうかと思
うが。
﹁ソフィアさん!﹂
﹁あら、ヒーラにリリア。どうしたの?﹂
と、ここで何処かで私の居場所を聞いて来たのだろう。
宴会が始まった頃に﹃黄晶の医術師﹄の本部に連れて行かれたヒ
ーラとリリアの二人が、私の元へとやってくる。
服装が﹃黄晶の医術師﹄の構成員が身に着けている薄黄色の外套
と言う事は、仕事中扱いと言う事だろうか。
﹁えと、その⋮⋮﹂
﹁傷の状態を確かめに来たのよ﹂
﹁傷の状態?﹂
﹁は、はい﹂
うん、どうやらその通りであるらしい。
用件を話したところで、ヒーラとリリアの二人が椅子を持って来
て、私の両隣に座ろうとする。
699
と、椅子を持ってくる間に、私の方でヒーラの大きな胸と、私の
顔と、リリアの赤くて綺麗な長髪に不躾な視線を送っていた連中に
向けて、威圧感たっぷりに睨み付けておく。
それだけで、何処か怯えてた様子で彼らは揃って視線を逸らし始
める。
うん、これで良し。
ああいう視線があると、話の邪魔になって仕方がない。
﹁それで傷の状態を確かめるってのはどういう事?﹂
﹁えとですね。治癒魔法は意外と体にかける負担が大きいんです。
なので、治癒魔法を使った後は、しばらく様子を見る必要が有るん
です﹂
﹁ふうん、面倒なのね﹂
﹁まあ、自然に治したら、傷を塞ぐだけで数日かかる様な傷を、数
分で跡形もなく治すんだもの。こればかりは仕方がないわ﹂
ヒーラが私の服の袖をめくり、傷が有った場所を見たり、触った
りして問題が無いかを確かめる。
と同時に、リリアが私に向けて幾つかの質問をし始め、私はそれ
に素直に答えていく。
なんでも、治癒魔法を使った後に、表面上は何の問題も無くても、
良くない影響が内側に出ている場合も過去にあったらしい。
﹁何と言うか、治癒魔法の使い勝手って意外と悪いのね﹂
﹁仕方がないわよ。魔法自体そんなに安定しているものではないし、
使い手も多くないから、未知の部分ばかりなのよ﹂
﹁総長の方針で門戸を叩く人には誰でも教える方針なんですけど、
覚える事が多くて、結局一つ目の魔法を使える人もそんなに居ない
んですよねぇ﹂
﹁は?誰でも教える?﹂
で、そうやって二人と治癒魔法についての雑談をしていたのだが
700
⋮⋮思わぬところでとんでもない話題が出て来てしまった。
たぶんだけど、この時の私の表情はあまりヒトに見せられる物で
はなかったと思う。
が、二人は気にした様子も見せずに、私の驚きをほぐすように﹃
黄晶の医術師﹄の内部状況について話をしてくれる。
﹁はい。総長の方針が、﹃我々の魔法は一人でも多くの人が使えな
ければ意味がない。人を助けるためにも、問題を洗い出すためにも﹄
と言うものなんです﹂
﹁そう言うわけで、やる気さえあるなら、他の流派の魔法使いだろ
うが、何処かの傭兵団に所属している人間だろうが教えちゃうのよ﹂
﹁へ、へー⋮⋮﹂
﹁ま、もう一つの方針﹃我々の魔法は万が一にも廃れてはいけない。
故に、全員が準備から治療完了までに必要な知識を修めていなけれ
ばならない﹄って言う方針のせいで、学ぶことが桁違いに多くて、
途中で逃げる奴が後を絶たないわけだけど﹂
ヒール
﹁ん?準備から?﹂
﹁はい、治癒の魔法だけでも、魔石の加工法に必要な軟膏の調薬、
魔法の使い方、人体の構造の知識と、非常に多くの知識を学ぶ必要
が有るんです﹂
﹁はー⋮⋮本当にとんでもないのね⋮⋮﹂
そうして聞いた﹃黄晶の医術師﹄の内部状況だが⋮⋮うん、想像
以上にとんでも無かった。
まさかある程度学んだ構成員なら、全員が私の欲しい情報を持っ
ているとは⋮⋮何と言うか、失敗した感じが相当する。
とりあえず﹃黄晶の医術師﹄の総長はかなりやり手だと思ってお
こう。
二つの方針の内容と言い、全てを開示しているが故に厄介な相手
になる予感がする。
701
﹁怖い怖い⋮⋮っと﹂
その後、幾つかの雑談をした後、私は腕の診察を終えて宿から去
っていくヒーラとリリアの二人を見送りながら、小声でそう呟いて
いた。
702
第125話﹁蛇の壱−7﹂︵後書き︶
﹃黄晶の医術師﹄はたぶん、ソフィアが一番苦手とするタイプの敵
です
06/10誤字訂正
703
第126話﹁蛇の壱−8﹂
﹁あー、温泉卵が美味しい﹂
オクノユ山の主を倒した翌日から、私は﹃黄晶の医術師﹄の持つ
魔法の知識をどうやって得るかと言う作戦を考えるべく、山の中を
うろついていた素行の悪そうな連中で腹を満たしつつ、様々な方面
から調査を始める事にした。
﹁何と言うかこの卵を食べられただけでも、シムロ・ヌークセンに
来た価値は有ったわよねぇ⋮⋮﹂
で、一週間ほど調査をした結果として、﹃黄晶の医術師﹄が想像
以上に厄介な相手であることが分かった。
﹁⋮⋮﹂
まず﹃黄晶の医術師﹄の構成員は、基本的に怪しい場所、危険な
場所へと近づこうとしない。
仮に近づかなければならない場面が発生しても、決して一人で行
動するようなことはなく、常に第三者の目が存在するように動くの
だ。
するとどうなるか。
﹁街中で襲うのはまず無理ね﹂
街の中に居る﹃黄晶の医術師﹄の構成員は常に自分の存在がシム
ロ・ヌークセンの住民に知られるように動いているため、仮に私が
﹃黄晶の医術師﹄の構成員を街中で襲えば、確実に私の正体がバレ
る。
そして街中の傭兵と狩人が、私を討伐するべく殺到するだろう。
そうなれば⋮⋮この五年間で如何に魔法とハルバードの技を磨い
704
た私と言えども、多勢に無勢で押し潰されるだけだろう。
﹁浚うのも⋮⋮厳しいか﹂
何かしらの方法で浚い、早々に腹の中に収めてしまう場合でも厳
しい事に変わりはないだろう。
まず間違いなく私が行方不明者に最後に会っていた人物だと判明
し、その時点でシムロ・ヌークセンに残っていれば厳しい管理下に
置かれて私の正体がばれる事になるし、シムロ・ヌークセンから逃
げ出していても、協力関係にある都市国家を通じて、相当な範囲に
私が怪しい存在であることを示す情報が知れ渡ることになるだろう。
そうなれば⋮⋮少なくともほとぼりが冷めるまではこの辺りには
近づけなくなるし、数年間は傭兵としての活動そのものがし辛くな
るだろう。
﹁評判がいいから、見て見ぬふりも有り得ないのよねぇ﹂
そしてこれらの行為を目撃した住人が見て見ぬふりをしてくれる
可能性は存在しない。
と言うのも、﹃黄晶の医術師﹄は他の流派と違って非常に開かれ
た組織であり、普段何をしているのかをシムロ・ヌークセンの住民
はよく知っていて、お互いに困った事が有れば躊躇いなく助け合う
ような信頼関係を築いているのだ。
なので、この五年間に継戦派の連中を始末する時に使った事もあ
る離間工作や、偽の情報を流すと言った手法も彼ら⋮⋮シムロ・ヌ
ークセンと﹃黄晶の医術師﹄には通じないだろう。
﹁おまけに戦闘能力がないわけでもないのよねぇ⋮⋮﹂
加えてだ。
手際よく捕まえる事が出来た場合には関係ないが、彼ら﹃黄晶の
医術師﹄に属する魔法使いは決して戦闘能力を有さない存在と言う
わけでは無い。
705
量を間違えずに使えば毒が薬になることもあるように、彼らの治
ヒール
癒魔法も使い方を少々変えれば攻撃魔法として扱える魔法になる。
例えば、私の腕を治した治癒の魔法。
これを威力を強めて使えば、不必要な再生が肉体に対して行われ
ることになり、体力の消費だけでなく、何かしらの異常を身体に生
じる事になるだろう。
ボミット
例えば、胃の内容物を吐き出させることによって、それ以上毒物
を取り込まないようにする嘔吐の魔法。
胃の中身を無理やり吐き出させるだけでも少なくないダメージに
なるだろうが、これも威力を強めれば胃腸に致命的なダメージを与
える魔法として使う事が出来るだろう。
つまり、攻撃的な魔法を使う事は出来ないとたかをくくっている
と、思わぬ反撃を受ける事になるのだ。
﹁はぁ。本当に隙がないわ⋮⋮まあ、その方が面白いんだけど﹂
と言うわけで、結論を言ってしまうのなら、﹃黄晶の医術師﹄は
厄介と言う事になる。
それも桁違いに。
まさか全てを明らかにすると言う行為が、私のように表に出てこ
ようとしない存在にとってここまで厄介だとは⋮⋮流石に予想外と
言う他ない。
いやまあ、ここまで全てを明らかに出来るのは、シムロ・ヌーク
センの狭さがあってこそだろうけど。
﹁うーん⋮⋮﹂
なお、真面目に真正面から﹃黄晶の医術師﹄の門を叩いて学ぶと
言う選択肢は、私には最初からない。
ヒーラとリリアの話を聞く限り、治癒魔法を学ぶのは簡単な物で
も月単位、難しいものになれば年単位で時間がかかるそうだし、そ
んな長い期間ヒトと共同生活を送っていたりしたら、確実に私の正
706
体が露見することになるからだ。
ではどうやって治癒魔法に関係する知識を奪うのか。
﹁選択肢は二つ⋮⋮かしらね﹂
一応、現時点でも二つほど方法は思いついている。
一つは他の都市で﹃黄晶の医術師﹄で学んだヒトを探し出し、丸
呑みにすると言う方法。
どうにも﹃黄晶の医術師﹄は周辺の都市国家に構成員を送り、医
療活動に従事しているようなので、それらの人員の隙を突く事は出
来るだろう。
もう一つは、薬草採取に来た構成員を丸呑みにする方法。
こちらの方法ならば、その後一度ぐらい捜索活動に加われば、何
も疑われる事無くシムロ・ヌークセンを後にする事が出来るだろう。
﹁よし﹂
さて、これでどういう方法を取るかは決まった。
﹁根競べといきましょうか﹂
待つのだ。
彼らに隙が生じるその時を。
怪しまれない仕込みだけを行い、その後は偶然を味方につける事
によって、私に目が向かないようにするのだ。
﹁ふふふ、さてどうなるかしらね﹂
私は木の上から﹃黄晶の医術師﹄の拠点を眺めながら、気が付け
ば誰にも気づかれないような大きさで笑い声をあげていた。
707
第126話﹁蛇の壱−8﹂︵後書き︶
06/10誤字訂正
708
第127話﹁蛇の壱−9﹂
﹁はぁ⋮⋮ここらが潮時かしらね﹂
一週間後。
オクノユ山の天然温泉に浸かりながら、私は嘆息していた。
﹁まさか此処まで厳しいとはね⋮⋮﹂
溜め息をついている理由は実に単純だ。
この一週間、私は私が犯人だとバレずに﹃黄晶の医術師﹄の構成
員を生きたまま食べれるような隙を生み出すべく、様々な手を打っ
た。
具体的には現在主要な道として使われている山道から、幾らか離
れた場所にある薬草の群生地を発見、報告、利用するように助言す
ることで、彼らが人目に付かない場所を通る機会を増やす。
近くの山で生まれた妖魔をシムロ・ヌークセンにけしかける事で
怪我人を出し、警備態勢を乱すと共に、治療の為に必要な薬草採取
の機会を増やす。
他にもまあ色々と、私が不審な存在であることがばれないように
注意を払いつつ、打てる手は打った。
﹁はぁ⋮⋮﹂
が、その何れもが﹃黄晶の医術師﹄には通じなかった。
新しい群生地を教えても、そこに行くまでに危険な場所が多けれ
ば、護衛の傭兵を付けるか、そもそも可能な限り近寄らないと言う
方法でもって隙を見せなかった。
妖魔をけしかけても、見事な傭兵たちと街、﹃黄晶の医術師﹄の
連携でもって、死者どころか碌な数の怪我人も出せずに始末されて
しまった。
709
その他の手も、配備されるべき場所に人員と金と道具が配備され
ていた為に大した効果は上がらず、隙と言えるようなものが生じる
事は無かった。
うん、この五年間私が相手にしてきた連中の殆どが、ヒトのくせ
に裏でコソコソとやって、味方とするべき周りのヒトといがみ合う
ような連中ばかりだったから忘れていたけど、ヒトが最も脅威にな
るのは、その数と個人の能力を十全に発揮できるような環境が揃え
られた場合だった。
そして、その十全に自分たちの力を発揮できるように動くシムロ・
ヌークセンと﹃黄晶の医術師﹄たちが厄介でないはずが無かった。
﹁これは今後の為にきちんとした対策を練っておきましょうかね﹂
ああそうだ。
私が得意とする攻め方は正面切って戦う事ではない。
だが、当然と言えば当然だが、敵の中には正面切って戦う以外の
方法を許してくれない敵だっている。
そうなった時に、ただ座して死を待つのは御免であるし、私らし
くない。
故に、本当にそうなってしまった時の為に、今から考えられるだ
け対策を考えておくべきだろう。
﹁⋮⋮﹂
ただだ。
既に私がシムロ・ヌークセンに来て二週間が経ち、私が食べた為
に行方不明になったヒトも少なくない。
このまま行方不明者が増えれば、私が関わっていると疑われる可
能性は十分ある。
そうなってしまえば、色々と面倒な事になる。
だから、対策を考える前に、まずはこの場から離れなければなら
ない。
710
自分の敗北を認めてだ。
それはとても悔しい事ではある。
悔しい事ではあるが⋮⋮
﹁それ以外に選択肢がない以上は仕方がないわよね﹂
私の正体がバレて、知恵ある妖魔として顔が出回ってしまうよう
な状況に陥る危険性を考えたら、ここで退く方は遥かにマシだろう。
﹁よしっ、それじゃあ、次の朝にはもう旅立とうかしらね﹂
そうして私が明日の朝には﹃ヌークエグーの宿﹄を出て、次の都
市に向かう事を決めた言葉を呟いた時だった。
﹁ん?﹂
背後で草木が揺れる音がした。
﹁あ、あの⋮⋮﹂
﹁あら﹂
私は音の源へと目を向ける。
するとそこには、薬草採取用の籠を地面に落としたヒーラが立っ
ており、その顔は何故か青ざめ、酷く動揺しているようだった。
﹁どうしたのヒーラ?それにリリアは?﹂
私はヒーラの反応に妙なものを感じつつも、僅かにヒーラから視
線を逸らすと、リリアの姿を探す。
が、私の中のヒーラとリリアの二人が常に一緒に居るイメージに
反して、今日この場にはヒーラ一人しか居ないようだった。
﹁えと、その、今日はリリアちゃんとは別の修行なんです。私は薬
草採取で、リリアちゃんは座学なんです。そ、それよりもですね。
ソフィアさん。今の言葉って⋮⋮﹂
711
今日は別の修行。
その言葉に、私は内心笑わずにはいられなかった。
ついに偶然が私に味方したのかと。
﹁今の言葉と言うと?﹂
と、いけないいけない。
ここで適当な言動をして、チャンスを棒に振るような真似をして
はいけない。
冷静に、慎重に行動し、確実にヒーラを静かに生きたまま仕留め
なければならない。
﹁その⋮⋮つ、次の朝には旅立つと言う話です!﹂
﹁ああ、その事ね﹂
﹁本当⋮⋮なんですか?﹂
﹁本当よ﹂
﹁ど、どうして旅立っちゃうんですか?シムロ・ヌークセンはこん
なに良い所なのに⋮⋮﹂
﹁確かにシムロ・ヌークセンは良い所よ。でも私は流れの傭兵。何
時までも、一つの街や都市国家に居るのは性に合わないのよ﹂
﹁⋮⋮﹂
それにしても何故ヒーラは私がシムロ・ヌークセンから旅立つと
言うだけで、これほどまでに心を乱しているのだろうか?
私には、ヒーラがこんな風になる原因に皆目見当がつかないのだ
が⋮⋮。
まあいずれにしてもだ。
﹁その⋮⋮ソフィアさん⋮⋮﹂
﹁ヒーラ﹂
私がやることは変わらない。
手が届く距離にまでヒーラをおびき寄せて、声を上げさせないよ
712
うに仕留めるだけだ。
この温泉の周囲に他にヒトが来る事が無いのは分かっている事な
のだから。
﹁貴女。酷い顔をしているわよ。時間に余裕があるなら、ちょっと
入っていったら?見張りには私が立っているわよ?﹂
﹁⋮⋮。いいえ﹂
失敗したか?
ヒーラの反応に私が一瞬そう思った時だった。
﹁ソフィアさんと一緒に入らせて下さい。その、身勝手なのは分か
っていますけど、お願いします﹂
﹁え、ええ。別に構わないけど﹂
ヒーラは私の予想に反してその場で服を脱ぐと、ゆっくりと私が
浸かっている温泉の中に入ってきて、私と背中合わせになるような
形で温泉の中に腰掛ける。
﹁その⋮⋮﹂
もう我慢する必要はなかった。
我慢する気も無かった。
﹁ソフ⋮⋮!?﹂
ヒーラが幾らか安心した所を見計らい、私は素早く反転すると、
ヒーラの口を抑えた上で、首筋に噛みつき、四肢と口の動きだけを
阻害する麻痺毒をヒーラの体内に流し込む。
﹁ヒーラ﹂
﹁⋮⋮﹂
自分の事を支えている私を見るヒーラの目は、今の状況が理解で
きずに混乱している事を表す目だった。
713
そしてその目をしているヒーラは、何となくだが普通のヒトより
も食べ応えがありそうに感じた。
ラミア
﹁私はね、蛇の妖魔なの。そう言うわけだから⋮⋮﹂
だから私は⋮⋮
﹁貴女をたっぷりと味わった上で食べさせてもらうわ﹂
久しぶりに妖魔らしく彼女の全てを私色に染め上げてから食べる
事にした。
714
第127話﹁蛇の壱−9﹂︵後書き︶
偶然に頼るのはいいのですが、相手がその偶然を許してくれるとは
限らないのです。
715
第128話﹁蛇の壱−10﹂
﹁あら﹂
私がヒーラを食べ終わり、シムロ・ヌークセンに帰ってくると、
シムロ・ヌークセンの街中には大量の篝火が掲げられており、街の
中はまるで昼間のように明るく照らし出されていた。
﹁何か有ったの?﹂
﹁ソフィアか。どうやら、﹃黄晶の医術師﹄の人間が一人、山から
帰って来ていないらしい﹂
﹁帰って来ていない?誰が?﹂
﹁ヒーラだそうだ﹂
私は何も知らないふりをして、多少顔見知りになっている傭兵に
事情を訊いてみる。
すると、俄かには信じがたい事だが、﹃黄晶の医術師﹄は既にヒ
ーラが帰ってこない事に異常を感じ取り、傭兵や狩人たちを集めて、
山の捜索を行うための準備を進めていたのだと言う。
﹁そう、ヒーラが⋮⋮﹂
﹁じゃっ、俺はもう行くぜ﹂
﹁ええ、情報ありがとうね﹂
私の悩む込むような顔に、何を察してくれたのかは分からないが、
傭兵が去って行く。
いや、何と言うかその⋮⋮うん。
幾らなんでも体勢を整えるのが早過ぎない?
いやまあ、﹃黄晶の医術師﹄の教育の性質上、時間までに帰って
来なければ、その時点で何かしらの異常があったと判断とするのは
分かるんだけど、それにしても捜索の為に必要な準備を整えるのが
716
早すぎると思う。
なお、流れの傭兵や狩人たちが消えた時と、ヒーラが消えた時と
であからさまに対応が違う点については、傭兵たちと﹃黄晶の医術
師﹄に対して、シムロ・ヌークセンが抱く信頼度の差がそのまま出
たためだと思う。
そもそも傭兵を狙う場合は、消えても問題になり辛そうな傭兵を
選んでいたし。
﹁さて、それじゃあ私は⋮⋮﹂
で、私としては自分へと疑いの目が向かないようにするためにも、
ヒーラを捜索する傭兵たちの列に加わりたい所では有ったのだが⋮⋮
﹁ソフィア!ヒーラを!ヒーラを見なかった!?﹂
﹁リリア﹂
とても混乱した様子で私の元へと駆け寄ってくるリリアの姿を見
る限り、まずは彼女への対応を優先した方が良さそうだった。
まあ、こうなったら仕方がない。
とりあえずは掛けられるだけの慰めの声をかけ、リリアを落ち着
かせよう。
そう考え、私は手近な場所にあった石の椅子へとリリアを誘導し、
彼女を落ち着かせ始めた。
−−−−−−−−−−−−
﹁落ち着いた?﹂
﹁ええなんとか。ごめんなさい。取り乱してしまって⋮⋮﹂
﹁まあ、あれだけ仲が良い相手が居なくなったんだもの。動揺する
のは仕方がないわよ﹂
717
さて、どれぐらいの間泣かれ続けただろうか⋮⋮まあ、とにもか
くにも、私は何とかリリアを落ち着かせることに成功した。
リリアの目元はまだ真っ赤に染まっているし、鼻もだいぶ酷い事
になっているが、こちらも時期に落ち着くだろう。
﹁ねえソフィア﹂
﹁何かしら?﹂
﹁貴方はヒーラが貴方に対して恋心を抱いていた事を知ってた?﹂
﹁知らなかったわね﹂
﹁嘘。勘だけど、貴方は知ってたと思う﹂
﹁⋮⋮﹂
さて、リリアは落ち着いたが⋮⋮そうしたら、何故かヒーラが私
に恋していたと言う話になってしまった。
おまけに私が知らないと言ったら、一瞬で嘘だと看破されてしま
った。
﹁嘘⋮⋮ね﹂
実際、ヒーラが私に対して恋心を抱いていたと言う事実を私は知
っている。
それも私がネリーやフローライトに対して抱いていたような、相
当激しい思いを伴った恋をだ。
だから、彼女は私がシムロ・ヌークセンを去ると聞いた時、あれ
ほどまでに動揺していたのだ。
﹁でもリリア。仮に私がヒーラの恋心に気づいていたとしても、私
に出来る事なんて何も無いわよ﹂
だが、私がそんなヒーラの思いに気づいたのは、彼女を食べ終わ
り、彼女の記憶を私が探っていた時だった。
そして、もうヒーラは居ない。
つまり、ヒーラの思いを知ったところで、私に出来る事は何も無
718
いのだ。
そうでなくとも、私はヒーラの思いを踏みにじり、信頼を裏切る
ような真似をしたわけだし、そんな私が仮にヒーラを慰めるような
真似をしても、傷口に塩を塗るだけだろう。
﹁貴方が流れの傭兵だから?﹂
﹁ええそうよ。一夜の情けをかけるつもりだって無いわ。そんなの
面倒事にしかならないもの﹂
﹁⋮⋮﹂
まあ、その辺りの事情については、口に出すつもりは毛頭ないの
だが。
どれだけ恨みがましそうな視線をリリアから向けられてもだ。
﹁とりあえず貴方が信用ならない上に、相当なクズ男だってことは
分かったわ﹂
﹁⋮⋮。前者はともかく、後者については流石にそこまで言われる
覚えはないわよ⋮⋮﹂
﹁ふん、どうかしらね。明日の朝にはシムロ・ヌークセンを出る予
定なんでしょ。ヒーラの事も探さずに﹂
﹁いや、まったく探さないとは⋮⋮﹂
﹁半日だけなら探さないのと一緒よ﹂
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮。何となくではあるが、ヒーラの件が無くてもリリアとは反
りが合わない気がする。
性格とか、考え方とか、そう言う根本的な部分から、ヒトである
とか妖魔であるとか関係なしに合わない気がする。
まあ、明日の朝ヒーラを探しに出て、見つからなければそのまま
シムロ・ヌークセンを去ると言った私と、﹃黄晶の医術師﹄で一流
の魔法使いにして医者になるつもりなリリアとが今後出会う事なん
て一生無いだろうけどね!
719
﹁とりあえずヒーラに何処かで会ったら、リリアはシムロ・ヌーク
センでずっと待っていると伝えておいて﹂
﹁ええ、伝えるだけなら構わないわ。伝えるだけなら⋮⋮ね﹂
私は石の椅子から腰を上げ、リリアに背を向けると、ヒーラに対
する伝言だけ受け取ってその場から去ることにした。
いつの間にか手元に現れていた、他の物よりも一回り小さい金色
の蛇の輪の飾りを軽く弄りながら。
そうして翌日、私はシムロ・ヌークセンから去った。
半ば敗北したと感じつつも、ヒーラの記憶と言う確かな成果を頭
の中で反芻しながら。
720
第128話﹁蛇の壱−10﹂︵後書き︶
シムロ・ヌークセン編はこれにて終了です
721
第129話﹁イーゲンのマタンゴ−1﹂
﹁ふんふん♪ふふーん♪﹂
ソフィアんたちと無事に一度目の再会を果たしたアタシは、色ん
な土地の美味しい料理と食事、それに珍しい調理法を探し求めて、
ヘニトグロ地方各地を彷徨っていた。
そして、その都市の春。
アタシはマダレム・イーゲンと言うマダレム・エーネミ跡から幾
らか西に行った場所にある都市国家を訪れていた。
﹁んー?﹂
﹁よう、調子はどうだい?﹂
﹁駄目だな。先生の言うとおりに良いものを食って、良く寝たんだ
が、まだ身体がだるい。お前は?﹂
﹁俺も同じだ。身体がだるくて仕方がねえよ﹂
ただどうにも街の様子がおかしかった。
風の噂では、マダレム・イーゲンは活気に満ち溢れると共に、人
々の素行が良いので、とても暮らしやすい良い街だと聞いていた。
﹁んんー?﹂
﹁先生は何だって?﹂
﹁頭を抱えているよ。ただ、まるで生気が何処かに流れ出ていって
いるみたいだとも言っていた﹂
﹁生気が流れ出ていっているか⋮⋮一体どうなっているんだか⋮⋮﹂
けれど、今のマダレム・イーゲンからは、活気のようなものはま
るで感じられなかった。
人々はまるで見えない何かに怯えるように声を潜め、顔色も何か
の病気なのか、大半のヒトが悪かった。
722
﹁うぐっ⋮⋮﹂
﹁大丈夫か?﹂
﹁あ、ああ、大丈夫だ。少し眩暈がしただけだ﹂
﹁ならいいが⋮⋮まだ春先でそう暑くないのにお前がそうなるって
のは⋮⋮﹂
﹁ああ、そう言う⋮⋮﹂
﹁んー、まあ、一先ずはいいか。アタシには関係ないし﹂
まあ、美味しいもの⋮⋮料理や作物の出来に直接関わるような事
にならなければ、アタシが気にする義理は無いか。
それに、妖魔は疫病そのものは問題ないけど、ソフィアん曰く疫
病に罹らないと言う点から疑われて、妖魔だってことがばれたり、
そうでなくとも面倒な事態に陥る事があるらしいし、出来るだけ関
わらない方がいいよね。
﹁おっ邪魔しまーす﹂
と言うわけで、マダレム・イーゲンについては名物と言われてい
るようなものを一通り食べたら後にしよう。
アタシはそう考えて、昼間から賑わっていそうな酒場を勘で見つ
け、中に入る。
﹁おう⋮⋮いらっしゃい。大したものは出せねえが、ゆっくりして
行ってくれ﹂
﹁⋮⋮﹂
⋮⋮。
ああうん、この街を襲っている異常は結構不味いものかもしれな
い。
アタシの勘の精度はそんなに悪いものじゃないはずなんだけど、
その勘がこの街で一番賑わっていると判断して入った酒場の中の空
気が凄く萎んでる感じがする。
723
そう、空気が悪いとか、殺伐としているとかじゃなくて、萎んで
しまっている。
活気が失われ、料理も酒もヒトも輝きを失い、陰鬱な空気がそこ
ら中から漂って来てしまっている。
﹁えーと、とりあえずこの街の名物みたいなものが有ったら、それ
を一通り﹂
﹁あいよ﹂
どうしてこんな事になってしまっているのか。
それを知るためにも、アタシはカウンター席に座ると、適当な量
のお金をマスターに渡す。
うん、そうだ。
料理は作り手の感情や状態に大きく影響を受ける。
だから、この酒場のマスターが作った料理を食べれば、この街に
今何が起きているのかを知ることも出来るはずだ。
﹁お待ちどうさまっと﹂
﹁きたきた﹂
そうしてアタシは、豆を主体としたこの街の名物と言われている
ような食事を食べ始める。
そして主食として食べられているであろう豆入りのパンを口に含
んだ時だった。
﹁ぶうぅ!?﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
アタシは舌と口の中を通って鼻へと伝わってきたその臭いに、酒
場中のヒトの目を惹きつけてしまう事が分かっていても、パンを吐
き出さずにはいられなかった。
﹁な、嬢ちゃんどうした!?パンが喉にでも詰まっ⋮⋮っつ!?﹂
724
﹁マスター!﹂
アタシはアタシの事を心配して駆け寄ってきた酒場のマスターの
襟元を思わず掴み取り、互いの瞳の瞳孔がはっきりと見える程の距
離にまで顔を近づける。
そしてマスターの瞳の動きと呼気から僅かに香る臭い、パン以外
の料理の味から、このパンと言うのもおこがましい物が出来た原因
がマスターにない事を確信した上で口を開く。
マタンゴ
﹁この茸の妖魔の胞子入りパンなんてふざけた代物を作ったのは何
処の誰?﹂
﹁は?マンタンゴ?﹂
﹁マ タ ン ゴ!ヒトに自分の分身を寄生させることによって、
ヒトを食い殺す茸の妖魔よ!﹂
﹁なっ!?﹂
アタシの言葉に元々優れなかったマスターの顔色が更に悪くなる。
やはりそうだ。
マスターはこのパンにマタンゴの胞子が混ぜられていた事を知ら
ない。
いや、知るはずがない。
美味い料理を作って、ヒトを喜ばせたいと思っている気概を持っ
ている者が使う事など有り得ないものなのだから。
﹁ま、待ってくれ!そんなものを混ぜたつもりは⋮⋮﹂
﹁マスターは疑ってないわよ。他の料理はとても美味しかったもの﹂
﹁そ、そうかい。だがそのパンはウチで作って焼いたもの⋮⋮﹂
﹁じゃあ、もっと根本的な所で混ぜられたんだね。商人か倉庫か⋮
⋮いずれにしても、このままには⋮⋮何か用?﹂
﹁何か用だって?この店のマスターのパンは、マダレム・イーゲン
中の人間が認める物なんだぞ。それをマンタゴだか、マータゴだが
知らねえが、妙な物が混ざっているだなんて言いやがって⋮⋮﹂
725
店を後にしようとした私の前に大柄な男たちが立ち塞がる。
ただ、彼らもやはりどこかだるそうにしている。
ああ、これはもう間違いない。
確実にこの街の件にはマタンゴ⋮⋮それもアタシたちと同じよう
な変わり者のマタンゴが関わっている。
﹁お前ら。この余所者に少しばかり痛い目を見せてやろうぜ﹂
⋮⋮。本来ならばアタシは何も見なかったふりをするべきなのだ
ろう。
﹁ああそうだな。マスターを馬鹿にされて退けるかってんだ﹂
アタシは妖魔で、マタンゴも妖魔、マスターたちは獲物であるヒ
トなのだから。
﹁女だからって手加減はしねえぞ⋮⋮﹂
だが、今回ばかりは見て見ぬふりをするわけには行かなかった。
﹁お、お前たち。まずは落ち着いて⋮⋮﹂
何故かって?そんなものは決まっている。
﹁ふうん、丁度いいかな。うん、貴方なら大丈夫そうだね﹂
﹁あ?何を言って⋮⋮﹂
﹁ふんっ!﹂
そのマタンゴの胞子のせいで、アタシの食べる美味しい料理が不
味くなっていたからだ。
﹁ガハッ!?﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
と言うわけで、とりあえず一番ガタイの良い男の腹を殴り、噛み
砕かれた様子の無い茸を含んだ胃の内容物を吐き出させた。
726
第130話﹁イーゲンのマタンゴ−2﹂
﹁げほっ、ごほっ、がはっ⋮⋮﹂
﹁だ、大丈夫か!?﹂
﹁この野郎!そっちがその気なら⋮⋮﹂
﹁これが⋮⋮﹂
アタシは男の吐瀉物から一本の茸を拾い上げ、今にも殴りかかっ
てきそうだった男たちに見せる。
その茸は長さがヒトの小指ほどで、傘の広さも指二本分は有り、
傘は紫色で、柄は白かった。
そして、胃の中にあったと言う事は、普通に考えれば口の中を通
ったはずなのだけれど、傘も柄も殆ど傷がついておらず、どう見て
も口の中で噛み砕かれていない状態だった。
﹁マタンゴがヒトに植え付ける茸型の分身だよ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
男たちにも、アタシが持っている茸の異常さが理解できたのだろ
う。
私を殴ろうと振り上げられていた拳を自然に下ろしてしまってい
た。
うん、これなら、きちんと説明すれば分かってもらえると思う。
﹁さてと⋮⋮何から説明するべきかな?﹂
﹁まずなんでそんな物が俺の腹の中にあったのか、それを教えて欲
しい﹂
﹁分かったよ﹂
と言うわけで、店の中の空気が落ち着いたところで、アタシは一
つずつ彼らの疑問を解消していくことにする。
727
﹁まずなんでマタンゴの分身が胃の中にあったかだけど、マタンゴ
の分身は本体から放たれた胞子がヒトの身体に着く事によって生え
るの。だから、小麦粉にマタンゴの胞子が少しだけ付けられていた
んだと思うよ。マタンゴの胞子なら、パンを焼く時の熱にも、胃の
中の酸にも耐えられるはずだしね﹂
﹁パンについているって言う根拠は?後、それがマタンゴによるも
のだって言う証拠もだ﹂
﹁臭いと味⋮⋮と言っても普通のヒトじゃ分からないか。でもたぶ
んだけど、今この街の乳飲み子以外のヒトたちはみんな一斉に体が
だるくなったりしているんじゃない?で、老人や子供から倒れてい
っている﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹁じゃあ、そうやって体がだるくなっているヒトたちが皆共通で口
を付けている物と言えば、水か主食であるパンの原料である小麦粉
ってことになる。後は名物の豆もだけど⋮⋮こっちからはマタンゴ
の臭いはしないし、違うと思うよ﹂
﹁なる⋮⋮ほど⋮⋮﹂
アタシの言葉に店の客たちが一斉に目を開く。
ただそれは、アタシが皆の体がだるいと感じているのを当てたか
らではなく、乳飲み子には何も起きていない事を当てたからだろう。
ふつうこの手の街中を巻き込む病気なら、真っ先に犠牲になるの
は乳飲み子のはずだしね。
後は⋮⋮マタンゴの胞子の臭いを嗅ぎ取っている事も驚かれる理
由かもしれないけど、その点についてはまあ、後でソフィアんが何
時も使っている方法で、適当に誤魔化しておこう。
﹁しかし、茸が生えると体がだるくなって、最後には死んじまうの
は分かるんだが、どうしてマタンゴはそんな事をするんだ?妖魔な
らヒトを食うんじゃないのか?﹂
728
﹁マタンゴの場合は食べると言うよりも吸い取るなんだよ﹂
﹁吸い取る?﹂
﹁そう、どうやってかは分からないけど、マタンゴはこの茸が生え
たヒトからだったら、多少遠くに居ても生命力を奪い取って自分の
物に出来るみたいなの﹂
﹁それじゃあ⋮⋮﹂
﹁うん、たぶん今も街の何処かでマタンゴは潜んでいて、皆から生
命力を少しずつ吸い取ってるはず。しかもこのマタンゴは直接ヒト
に胞子をかけずに、食べ物に混ぜる事をしているから、ヒト並みの
知能を持っているんじゃないかな﹂
﹁﹁﹁ゴクッ⋮⋮﹂﹂﹂
店中から息を呑む音が聞こえてくる。
まあ、今こうしている間にも、妖魔に少しずつ自分の命を吸い取
られていると言われたら、いい気分はしないよね。
しかも、このマタンゴは普通の妖魔じゃなくて、アタシと同じよ
うに知恵ある妖魔で、このヒトたちも噂でぐらいなら知恵ある妖魔
の存在とその厄介さは聞いているはず。
だから、こんなにも空気が張り詰めているんだと思う。
﹁それで⋮⋮どうやったら俺たちの腹の中にある茸を取り除けるん
だ?腹でも掻っ捌いて取り出せばいいのか?﹂
﹁お、おい⋮⋮!?﹂
﹁身体に生えた茸をもぎ取っても、生命力を吸われるのが多少遅く
なるだけだよ。根本的な解決には、胞子を放ったマタンゴを倒すし
かないね﹂
﹁マタンゴを⋮⋮﹂
﹁倒す⋮⋮﹂
アタシの言葉に、客たちのやる気が高まっていくのが感じ取れる。
まあ、この場に居るヒトたちは、外に居るヒトたちに比べればま
だ元気が残っている方だろうし、自分たちで解決しようとするのは
729
ある意味当然かもしれない。
でもちょっと待ってほしい。
まだ言っていない事が有る。
﹁うん、ちょっと落ち着いてね。まだ言ってない事が有るから﹂
﹁言ってない事?﹂
﹁そうそう。あ、マスター。お塩とお酒を用意してもらってもいい
?﹂
﹁塩と酒?別に構わないが⋮⋮ちょっと待ってろ﹂
﹁うん﹂
﹁何をする気だ?嬢ちゃん﹂
﹁今回のマタンゴは頭が良い分だけ身体能力は落ちているかもしれ
ないけど、それでも妖魔は妖魔。生命力を奪われたままの皆じゃ、
取り逃がす可能性もある。だから、一時的にでも戦うための元気を
取り戻す薬が必要になると思うの﹂
﹁持って来たぞ﹂
﹁ありがとうマスター﹂
アタシはマスターからお塩とお酒を受け取ると、先程客の胃の中
から吐き出させた茸を手に取る。
﹁じゃ、よく見ててね﹂
﹁お、おい待てまさか薬って⋮⋮﹂
そしてアタシは調理道具を取り出すと、茸を刻み始めた。
730
第131話﹁イーゲンのマタンゴ−3﹂
﹁うん、いい感じ﹂
アタシは鍋の中身を匙で一すくいして啜り、目的の物が無事に出
来上がった事を確信する。
そしてそれを手ごろな大きさのコップに注ぎ込むと、効果のほど
を実感してもらうべく、最初にこれを飲んでくれる誰かを探そうと
して⋮⋮気づく。
﹁ヒトに寄生する茸を刻んで⋮⋮﹂
﹁妖魔が生み出した茸をバラバラにして⋮⋮﹂
﹁塩を揉みこんで萎びさせたと思ったら⋮⋮﹂
﹁葡萄酒で煮込むとか⋮⋮﹂
﹁どういう発想をすれば、そんなものを造ろうと思えるんだ⋮⋮﹂
酒場の中に居る客の顔色が悉く悪い。
しかもマタンゴの茸によって体力を奪われたからではなく、アタ
シの作った薬が原因であるらしい。
﹁心配しなくても、味と匂いはしっかりと整えてあるし、効果は確
かだよ﹂
﹁いや、嬢ちゃん。たぶん、そう言う問題じゃないぞ﹂
﹁そうなの?﹂
﹁そうなんだよ⋮⋮﹂
アタシはコップの中に入っている薬を見る。
色は葡萄酒を使ったために血のように赤いが、匂いは決して悪く
ない。
まだ冷え切っていないために湯気こそ立っているが、別に普通の
白い湯気である。
731
うん、これなら普通の葡萄酒の味と匂いが大丈夫なヒトなら、問
題なく飲めるはずだ。
なのに、なぜ駄目なのだろうか?
うーん、ヒトと妖魔の差に起因するような理由だと、アタシには
何が駄目なのか皆目見当がつかないなぁ。
それにだ。
﹁でもさ。これを飲まないと、そのだるい体のままでマタンゴと戦
う事になるんだよ。それで取り逃がしたら、この街はまず間違いな
く全滅することになるんだよ。皆はそれでもいいの?﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
お互いに顔を見合わせつつ、アタシの言葉を聞いている彼らには、
失敗は許されない。
今日一度の行動だけで、絶対にマタンゴ討伐を成し遂げなければ
ならないはずなのだ。
となれば、迷っている時間も躊躇っている時間も無いと思うんだ
けどなぁ⋮⋮。
﹁俺がまず飲むよ﹂
﹁チーク!?﹂
﹁お、おい!?﹂
と、アタシがそうやって考える事をしている間に、何処か見覚え
のある顔つきの青年がアタシの前に出てくる。
﹁貴方が最初に飲むんだね。名前は?﹂
﹁チークです。医者をやっているテトラスタの息子のチークです﹂
﹁そう、チーク⋮⋮ね﹂
アタシは何となく見覚えがあることが気になって、彼に名前を尋
ね⋮⋮チークが名乗った父親の名前で何故見覚えがあったのかを理
解する。
732
そう、アタシには見覚えがあって当然だった。
彼はサブカんの望みでマダレム・エーネミから逃がしたテトラス
タの六人の子供の一人、四人の養い子の中で一番小さかった子供、
その子だったのだから。
﹁一応聞いておきますけど、害は無いんですよね?﹂
﹁アタシの命に誓って害はないと言うよ。ただ、一時的にマタンゴ
に奪われた生命力を取り返すだけだから、効果はもって丸一日と言
う所だと思う﹂
﹁分かりました﹂
アタシはチークにコップを渡し、チークは一度呼吸を整えてから
一息でコップの中身を飲み干す。
それにしてもあのチークが見た目からして16、17ぐらいの年
齢かぁ⋮⋮。
でもマダレム・エーネミが滅びてからもう六年半も経っているん
だし、これだけ成長していても当然なのか。
﹁ん⋮⋮﹂
﹁だ、大丈夫なのか?チーク﹂
﹁ヤバそうなら吐いちまえよ!﹂
﹁いや、大丈夫。それどころか、凄い⋮⋮なんだろう。今まで冷え
切っていた身体が、芯から暖められているみたいだ。体のだるさが
取れるどころか、むしろ普段よりも調子が良いぐらいかもしれない﹂
チークが自分の状態を周囲の客に説明している間に、アタシは空
いているコップの中に薬を注ぎ込んでいく。
と言っても、マタンゴの茸が一本しかなかった以上、幾らか少な
めに盛っても、数杯分にしかならないのだが。
﹁ま、マジか?﹂
﹁勿論本当だとも。うん、いける。これならいける。これなら、街
733
中を駆けまわっても大丈夫だと思う﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
店の客の視線が、薬の注がれたコップへと揃って向かう。
それにしてもチークがこの場に居ると言う事は、テトラスタもこ
の都市に居るって事だよね。
となると⋮⋮ちょっと拙いかもしれない。
いや、今気づいたけど、ちょっとどころでなく拙い。
﹁嬢ちゃん。薬はこれだけか?﹂
﹁ん?うん。茸が一本しかなかったから、これが限度。でも、材料
と手順さえ分かってれば、一応のものは誰でも作れると思うよ﹂
﹁となるとだ⋮⋮﹂
テトラスタを逃がす為に助言出した時、テトラスタはアタシの顔
を殆ど見ていなかったと思う。
けれど、アタシの声は聞かれている。
名前を聞かれたから、それに応える為に。
﹁うん、義父さんに掛け合ってみるよ。死んだ人のお腹の中を探る
なんて、ちょっとどころでなく心苦しいけどね﹂
﹁酒と塩、それに必要な道具類については、他の店の連中に声をか
ければ揃えられるな﹂
﹁道具類もそうだが、上の人間と各門への連絡も必要だろう﹂
﹁確かに。俺たちだけでこの都市の何処かに隠れているマタンゴを
見つけ出すのは、あまりにも効率が悪すぎる﹂
﹁それに間違っても逃がすわけにもいかないしな﹂
﹁となると足が速い奴が今は優先して飲むべきだな﹂
﹁で、飲んだ奴が連絡に走ると﹂
﹁よし、それなら俺が飲むぞ。この中じゃ俺が一番足が速い﹂
﹁じゃあ俺もだな。そこらの奴よりかは絶対に速いぞ﹂
﹁俺も飲むぞ!﹂
734
﹁俺もだ!﹂
もしもテトラスタにアタシと御使いのトォウコが同一人物だと知
られたら?
ああうん、ヤバい、考えたくもない。
絶対に碌な事にならない。
﹁よしっ!それじゃあ全員行くぞ!﹂
﹁﹁﹁おうっ!!﹂﹂﹂
となると⋮⋮うん、逃げるべきだ。
面倒事になる前に。
みんなの注目が集まらないでいる間に。
この街の外へと。
﹁よし。逃げ⋮⋮﹂
そうして、何時の間にやらマタンゴ対策の為にアタシ以外誰も居
なくなってしまった店の中から、アタシが出ようと思ってしまった
時だった。
﹁⋮⋮﹂
不意にアタシの脳裏に嫌な想像が思い浮かんでしまった。
このマタンゴはアタシたちと同じ変わり者の妖魔だ。
となれば、アタシやソフィアん、シエルんのように、ヒトそっく
りの外見をしているかもしれない。
だから、仮に捕える事が出来ても、普通のヒトの中に紛れ込んで、
やり過ごそうとするかもしれない。
そうなった時、チークたちでは誰がマタンゴなのか判別がつかな
いかもしれない。
そうなったらチークたちは⋮⋮。
﹁っつ!?﹂
735
その状況を思い浮かべてしまったアタシは、慌てて適当な羊皮紙
とペンを取ると、そこにチークへの誰がマタンゴであるかを明らか
にするための指示を書いていく。
﹁よし、これなら大丈夫なはず﹂
そして無事に指示書を書き上げた私は、末尾に自分の名前を書き、
テーブルの上にナイフで突き刺して留めると、誰にも見られないよ
うに注意して店からもマダレム・イーゲンからも逃げ出したのだっ
た。
736
第132話﹁イーゲンのマタンゴ−4﹂
邂逅者テトラスタには実子、養子含めて六人の子供が居たとされ
る。
そして、彼らは有名無名の差は有れど、それぞれが特徴的なエピ
ソードを有している。
長女テン。
テトラスタの実子の一人である彼女は非常に繊細な薬でも難なく
作り上げる優秀な作り手であると同時に、夫と家庭を献身的に支え
る妻として、子供を清く正しく育てる母として、現代でも良き妻、
良き母の理想形とされている女性である。
次女シューラ。
同じくテトラスタの実子の一人である彼女については、﹃シェー
ナの書﹄と言う物証を伴った非常に有名なエピソードが存在するた
め、別に章を割いて、紹介することとする。
長男ジン。
テトラスタの養い子の一人である彼は、長女テンと結婚し、夫婦
でテトラスタの人としての仕事、つまりは医者の仕事を継ぎ、その
一生を傷ついた人々、病に倒れた人々を救う事に費やした。
次男ガオーニ、三男ジーゴック。
テトラスタの養い子である二人は、テトラスタの教えを広める為
にヘニトグロ地方の各地を旅し、多くの人々にテトラスタ教の教え
を伝えると共に、数多の妖魔、野盗を葬った優秀な戦士でもあった。
そのため、現在もヘニトグロ地方には彼らの活動を記したもの、
737
伝える為のものと思しき石碑などが散見されている。
一説には、彼らは御使いサーブの弟子であったとも言われ、彼ら
が戦いの前に用いていた口上は今でも妖魔と戦う者の間ではよく用
いられている。
四男チーク。
テトラスタの養い子である彼は、二人目の邂逅者であると明確に
分かっているだけでなく、テトラスタ教の教えを体系化して分かり
やすくまとめた編纂者としても良く知られている。
ただ、彼の有するエピソードで最もよく知られているのは編纂者
として活動を始める前、俗に﹃イーゲンのマタンゴ退治﹄と呼ばれ
ているエピソードだろう。
﹃イーゲンのマタンゴ退治﹄は、テトラスタが子供たちを連れて
マタン
マダレム・エーネミを去った後に辿り着いた都市国家マダレム・イ
ーゲンに課せられた試練についての話である。
ゴ
この話ではテトラスタたちの暮らすマダレム・イーゲンに茸の妖
魔の人妖⋮⋮人によく似た容姿を持つ妖魔が現れ、その力でもって
都市国家中に疫病をバラ撒き、マダレム・イーゲンを滅ぼそうとし
ていた。
だが、都市が滅びる前に、妖魔に苦しめられる人々を哀れに思っ
た御使いトォウコが降臨し、チークにマタンゴに対するための薬と
知恵を授け、それらの教えに従ったチークが人に化けたマタンゴを
見つけ出し、討伐。
マダレム・イーゲンを救ったと言う話であり、この時の経験を受
けて、チークはテトラスタ教の教えを編纂する事にしたとも言われ
ている。
738
この話はどちらかと言えば単純な話ではあり、一見すれば子供向
けのお伽噺のようにも思えてしまう話ではあるが、どうやら各地に
残されているテトラスタ教と関係のない資料や、とある筋から入手
した資料などから情報を読み取った限りでは、前レーヴォル歴42
年頃、現実にあった話であるらしい。
また、こちらは後述するが、物的証拠も存在している。
さて、この話では御使いトォウコは、チークとその仲間たちの前
に直接姿を現している。
その時の容姿は黒い髪に赤い目の少女で、ベレー帽のような帽子
には銀色の蛙に大粒のエメラルドを填め込んだブローチが付けられ
たと記述されている。
そして、以後御使いトォウコに遭遇したとテトラスタ教が認めて
いるエピソードでは、いずれもこの姿で御使いトォウコはこの姿を
現している。
その為、現在ではこの銀色の蛙のブローチは銀碧蛙と呼ばれ、御
使いトォウコの加護を求める際にはよく用いられるモチーフとなっ
ており、とある有名な人妖も用いているほどである。
話を﹃イーゲンのマタンゴ退治﹄に戻そう。
この話では、御使いトォウコはチークに薬と知恵を授けている。
薬については、マタンゴの能力によって人体から生えてくる茸を
逆手にとり、マタンゴから奪われた生命力を一時的に奪い返す薬と
して、現在でも対マタンゴ用の切り札として用いられているもので
あり、非常に評価が高い。
私も一度口にした事が有るが、仮に妖魔が人を食わずに生きられ
る存在であれば、常備薬として備えていたいぐらいであった。
739
知恵については、現在も出来る限り素早く人妖を見破りたい時の
手段としては、最も一般的なものとして扱われている。
この知恵については御使いトォウコがチーク宛てに書いた羊皮紙
に記載されており、一般には公開されていないが、イーゲンのテト
ラスタ教の教会に聖遺物として保管されている。
さて、肝心の内容であるが、実に単純な物である。
まとめてしまうと、
・その者に過去が存在するかを確かめよ
・人に有るべきものが無い事を、人に無いものが有る事を確かめよ
・それでも分からない時は、薬を用いよ
と言うものである。
ただ、最後の一文については、この時の相手がマタンゴの人妖で
あった事を、読者諸君には忘れないでほしい。
それを忘れたがために、後年大いなる悲劇が起きた事もあったか
らだ。
歴史家 ジニアス・グロディウス
−−−−−−−−−−−
︵原稿の片隅に書かれている︶
なお、口さがないものは、この時現れたのは御使いトォウコでは
なく、ただの旅人であり、羊皮紙に記された名前も東方の良く似た
名前トーコの綴りを間違えただけだと言う。
740
が、その場合これ以降に現れるこの時と全く同じ容姿を持った御
使いトォウコは何者なのだと言う話になってしまうし、旅人である
ならばこの場に留まって謝礼を受け取ろうとすると私は考える。
そのため、この時現れたのは本物の御使いトォウコであると私は
考えている。
まあ、御使いトォウコの真名がトーコであると言う考え方につい
ては否定しないが。
いずれにしても、第三者が検証可能な資料でもって、間違いなく
現実に在った事だけを記すべき歴史家としては、誰も姿を見た事が
無い神と限られた相手にしか姿を現さない御使いについては、諸手
を上げて存在すると言う事は出来ない。
が、私個人としてはとある事情から御使いが存在したことは間違
いないと思っている。
諸般の事情から、その証拠を示せないのが残念で他ならない。
741
第132話﹁イーゲンのマタンゴ−4﹂︵後書き︶
06/16誤字訂正
06/17誤字訂正
742
第133話﹁イーゲンのマタンゴ−5﹂
﹁で、逃げてきた。と﹂
﹁う、うん﹂
夏の二の月。
私、シェルナーシュ、サブカ、トーコの四人は例年通りにマダレ
ム・エーネミが在った場所に集まっていた。
で、フローライトの眠っている木の下でお互いの近況を話し合っ
ていたのだが⋮⋮トーコの話が相当拙いものだった。
﹁はぁ⋮⋮ヒトに似た姿の妖魔の見極め方を教えちゃうだなんて⋮
⋮﹂
マダレム・イーゲンが知恵ある妖魔によって滅ぼされかけていて、
その妖魔を葬り去るにあたってトーコが助言をした事までは良い。
そこはトーコが自己裁量でやってしまって構わない範囲だからだ。
相手がヒトに良く似ている可能性を考え、今後妖魔であるかを見
極める為に無用な殺戮が行われないようにするべく、確実に誰が妖
魔かを見極める必要が有った事も分かる。
だが、それをトーコは、自分がヒトに祀り上げられないようにす
るために、自分が陣頭に立って妖魔を見極めるのではなく、至極単
純な方法でもって誰でもヒトと妖魔を見極められる方法を教えてし
まった。
これが拙い。
かなり拙い。
﹁そんなに拙いのか?﹂
﹁拙いわよ﹂
多くのヒトが助かった為か何処か嬉しそうな様子を見せているサ
743
ブカに対して、私は片手を額に当て、今後どう対応するべきかを考
え始める。
とりあえず噂を聞く限り、マダレム・イーゲンは滅びていないし、
その情報はテトラスタ教の教えと共に各地に伝播しそうな気配もあ
るので、何かしらの対策は必須だろう。
﹁まあ、疑い深い連中が相手だと逃れるのは難しくなるだろうな﹂
﹁ううっ、ごめんなさい﹂
私と同じ考えに至った為か、シェルナーシュは呆れ気味にマダレ
ム・イーゲンのある方角を見つめている。
それに対して、トーコは酷く申し訳なさそうにしている。
﹁とりあえずトーコ。そのイーゲンに書き残してきた文章とやらを、
出来るだけ正確に書いて見せて﹂
﹁う、うん。分かった﹂
で、そうやって考える中で、何かしらの穴が無いかを探すべく、
トーコに書き残してきた文章をもう一度書いて見せるように言う。
そして、トーコが書いた文章を見た私は⋮⋮
﹁ああうん、これならまだマシな展開ね﹂
﹁そうなの?﹂
﹁ええ、まだマシと言うレベルだけど、上手く勘違いしてくれた可
能性は高いわ﹂
少々安堵した。
﹁勘違い?﹂
﹁文末の署名がトーコじゃなくてトォウコになってる。これなら、
テトラスタの息子があの場に居た事もあるし、唐突に姿を消した事
もあって、貴方の事を御使いトォウコだと勘違いしてくれるでしょ
うね﹂
744
﹁そして御使いからの言葉となれば、ソフィアがテトラスタに与え
た教えの通り⋮⋮つまりは街を訪れた旅人全てを検査するような、
むやみやたらな使い方はしない。か﹂
﹁ええ、闇雲に疑う事は二人の間に不和をもたらす事になる。だか
ら、まずは不信感を抱かずに向き合え。と言う事は言った覚えがあ
るわ﹂
﹁えーと、つまり?﹂
﹁少なくとも最悪の事態は避けられると言う事よ﹂
トーコが示した方法は、確かに私たちヒトによく似た姿を持つ妖
魔三人に効果がある物ではある。
けれど、私が与えた教えに従って運用されるのであれば、不審な
行動、目立つ行動を取ったりしなければ、受けた相手が不快に思う
ような検査をやたらに用いたりはしないだろう。
﹁それに一番最初の判断方法で対象を絞るように使ってくれるなら、
私たち三人は何とかなるわ﹂
﹁過去が存在するかどうか⋮⋮ああなるほど。確かにお前ら三人な
ら大丈夫だな﹂
﹁小生たちは全員既に七年以上傭兵として活動しているからな。名
前も姿も幾らか知られているし、もう数年して見た目が変わらない
事を疑われるようになるまでは大丈夫だろう﹂
それに私たちは既に妖魔としては有り得ない程に長く生きていて、
ヒトの知り合いも幾らか存在している。
今までと同じように妖魔であることがバレないように活動してい
れば、そうした知り合いが存在することから、疑いの目が向けられ
ることは早々無いだろう。
尤も、シェルナーシュの言うように、もう数年したら一度姿を完
全に眩ませて、それまでの私たちとは繋がりが無いように見せなけ
ればならなくなってしまうのだが。
まあ、こればかりは仕方がない。
745
どうにも妖魔には老化と言う概念が無いようだし、ずっと老いず
に若いままのヒトが居たら、怪しまれても仕方がないだろう。
﹁それじゃあ⋮⋮﹂
﹁はい。トーコは反省しておきましょうね。面倒な事になったのは
確かなんだから﹂
﹁あう!?﹂
喜びの色を表しそうになったトーコの額をデコピンで弾いておく。
ここで、調子に乗られたら、次はどんな問題を引き起こすか分か
ったものでは無いしね。
﹁それとマダレム・イーゲンには、とりあえず十年は近づかない方
がいいわね。私たちが御使いの正体だとばれたら大事になるし、今
回の件で私の教えが広まる早さが増す事を考えたら、警戒も厳しく
なるでしょうし﹂
﹁そうだな。出来るだけ近づかない方がいいだろう﹂
﹁分かった。気を付けておく﹂
﹁う、うん﹂
﹁じゃっ、今年はこれぐらいで解散にしておきましょう﹂
そうして私たちはまた来年この樹の下に集まることを確認し合う
と、未だにヒトがまるで寄り付かず、白骨化した骨が無数に散らば
っている都市を後にしたのだった。
うーん、今年は南の方に行ってみようかしらね。
746
第133話﹁イーゲンのマタンゴ−5﹂︵後書き︶
ソフィアたちほど長生きした妖魔が今までに居なかったので、妖魔
が不老なことはヒトには知られていません。
06/17誤字訂正
747
第134話﹁蛇の弐−1﹂
﹁うーん、良い風ねぇ⋮⋮﹂
夏の三の月の終わり頃。
マダレム・ダーイがあった場所の南、最近﹃大地の操者﹄と呼ば
れる魔法使いの流派が台頭してきているマダレム・イジョーから更
に南に行った場所、ヘニトグロ地方南東部に私はやってきていた。
﹁ちょっとべたつくけれど、これが潮風ってやつなのね﹂
さて、ここヘニトグロ地方南東部は、ヘニトグロ地方の中でも特
に河川の数と水量が多く、土地全体が湿地帯に近い場所であるが、
流れ込んでくる水の量が多い分だけ土地が肥沃であり、農業が盛ん
な土地でもある。
そして、その肥沃な土地のおかげで取れた大量の穀物を輸出する
べく、海と言う河や湖の水と違って塩辛い水が大量にたまった場所
を行き交うために大型の船が用いられており、その船が停泊するた
めに巨大な港と都市国家が存在していた。
﹁さて、何をするにしても、まずは情報収集ね﹂
私はそう結論付けると、目の前の街を一望できる小高い丘を降り、
この辺りで最も大きい都市国家⋮⋮マダレム・シキョーレと言う街
の門をくぐった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁海の向こうかぁ⋮⋮﹂
748
私がマダレム・シキョーレの中に入ってから、三日が経った。
そして、その間に行った情報収集の結果から、非常に面白い事が
幾つも分かった。
﹁行ってみたいなぁ⋮⋮﹂
まずこの辺りに来てからずっと感じていた事だが、この辺りの人
々は北の方の人々に比べて若干肌の色が濃く、ネリーに近い容姿を
持つヒトが多かった。
うん、少々話は脇に逸れるが、ネリーの記憶や話からしても、や
はりこの辺りがネリーの故郷ではあるのだろう。
ただ残念ながら、ネリーとフローライト程に興味を惹かれる相手
には遭遇しなかった。
まあ、どういう基準でもって私が惹かれるのかは未だにわかって
いないのだし、これは仕方がない事だろう。
で、話を戻すが、そんなネリーに近い容姿の人々⋮⋮金髪に濃い
色の肌の人々に混ざって、少数ながら明らかに違う容姿や文化圏の
ヒトもここマダレム・シキョーレには多く存在している。
具体的には、トーコに似た雰囲気の黒い髪のヒトや、シェルナー
シュ本来の服のように長い布で全身を覆ったヒトなどだ。
﹁まあ無理か﹂
どうしてそんなヒトがこの場に居るのか。
それはここマダレム・シキョーレが、周囲の村々から集めた穀物
を船で運ぶために造られた港町であり、その船が向かう方角は北と
南だけではないからだ。
私が生きたまま食べたヒトの中にはその場所の記憶を持つヒトが
居なかったので詳しい事は分からない。
だが、噂を含めた各種情報を集めた限りでは、まずマダレム・シ
キョーレから東に行ったところに、ヘテイルと言う土地があり、そ
こにはトーコによく似た容姿のヒトたちが暮らしているらしい。
749
そして、ヘテイルから南へ進み、真昼の太陽の位置が南から北へ
と変わると言う俄かには信じられない事が起きる程の距離を進むと、
スラグメと言うシェルナーシュ本来の服によく似た衣服を身に着け
る文化が存在している土地に出るらしい。
うん、凄く気になる。
気になるが⋮⋮今の私には行けそうもなかった。
と言うのもだ。
﹁ヘテイルでも短くて一週間。スラグメに至っては一月近く海の上
だって言うもんね。そんなに長い間船の上なんて言う限られたヒト
しか居ない場所に居たら、絶対に私が妖魔だってバレるか、飢え死
にするかのどちらかだものね﹂
ヘテイルもスラグメも、そこに着くまでに時間がかかり過ぎるか
らだ。
うん、十分な食いだめをしておいても、ヒトを食わずにいられる
のはもって五日か六日と言う現状では絶対に無理。
狭い船の中じゃ隠れて船員や他の客を食べるなんてことも出来な
いだろうしね。
それでも無理に行こうと言うのなら⋮⋮シェルナーシュに頼んで、
大量の干し肉を用意しておくしかないだろう。
勿論妖魔だとばれる危険性を冒した上でだ。
と言うわけで、仮にヘテイルとスラグメに行くとしても、十分な
準備を整えた上でと言う事になるだろう。
無理に行く意味もないしね。
﹁後気になるのはここの魔法使いの流派の魔法だけど⋮⋮まあ、無
理はしなくていいわね﹂
話は変わって、この辺りの魔法使いの流派についてだが⋮⋮正直
それほど興味は惹かれなかった。
いやまあ、確かにマダレム・シキョーレに拠点を置き、ヘテイル
750
とスラグメにある似たような街にも少なくない影響力を持つ魔法使
いの流派﹃海を行くもの﹄の魔法は素晴らしいものだと思う。
潮の流れや風の向きを良くする事で、それぞれの都市を繋ぐ船の
運航を快適なものにしたり、海面を大きく揺らす事で海賊と呼ばれ
る野盗の海版連中の船を動けなくしたり出来るわけだし、これらの
魔法を少々改良すれば、陸上でも有用な魔法になる事は分かってい
る。
分かっているが⋮⋮ぶっちゃけ似た現象を起こしたいなら、今ま
で集めた知識を流用すればいいだけなので、危険を冒してまで新た
に知識を得る気にはなれないのだ。
﹁うーん、ヘテイルやスラグメから持ってきた珍しい食べ物とかを
食べたら、次の場所に行こうかしらね﹂
そうして、私としては他の都市ではまず目にかからないであろう
珍品、貴重品を見たり食べたりし終わったら、次の都市に向かうと
言う結論に至る他なかった。
まあ、ネリーの故郷のおおよその位置を知れただけでも、今回は
収穫が有ったと思っておこう。
751
第134話﹁蛇の弐−1﹂︵後書き︶
ヘテイルもスラグメも今は名前だけ出しているに近いです
752
第135話﹁蛇の弐−2﹂
﹁川の様子がおかしい?﹂
﹁ああそうだ﹂
さらに数日後。
マダレム・シキョーレを去ろうとしていた私の耳に、宿の主人か
ら思いがけない話が飛んできた。
﹁陸路でシキョーレに来たお前さんなら分かっていると思うが、こ
の辺りには太さも深さも流れの速さもまるで違う川が何本も流れて
いる﹂
﹁ええ、おかげで橋が架かっている川はともかくとして、船でしか
渡れない川の所だと、何日か待たされたりしたわね﹂
﹁で、どうにも最近その川の流れがおかしくなっているらしい﹂
﹁おかしい?﹂
それはこの辺り⋮⋮ヘニトグロ地方南東部に流れ込んでいる無数
の川の様子について。
どうにも、通常では有り得ない程に水の流れが速くなっていたり、
水かさが増したりと、まるで洪水でも起きたかのような状態になっ
ているらしい。
﹁別に洪水は今の時期ならそこまで珍しいものじゃないわよね﹂
﹁ああ、この時期なら二、三年に一度は洪水が起きていて、何処か
の集落が被害を受けるな﹂
勿論、川が多い地域なので、洪水そのものはそれほど珍しいもの
ではない。
そして洪水が頻発している地域に住んでいるために、この地方の
人々ほど水害に慣れているヒトたちもいないだろう。
753
﹁ただ今回はこの辺り一帯全ての川がおかしくなっているらしくて
な。既に幾つかの集落で被害が出始めているそうだ﹂
﹁⋮⋮﹂
だがそんな地方に宿を構える主人がわざわざ警告を発した。
それだけで、今起きている洪水のような現象が例年の洪水とはま
るで別物である事が窺えた。
﹁⋮⋮。上流の方で何かが起きていると言う話は?それこそただ単
に川の上流で大雨が降っているだけかもしれないわよ﹂
﹁今の所そう言う情報は俺たちの所にまで流れて来てはいないな﹂
﹁そう⋮⋮﹂
おまけに原因も不明であるらしい。
ああうん、もうこの時点で厄介事の臭いしかしない。
絶対に何か碌でもない事が起きている。
﹁と言うわけでだ。お前が船に乗りたくないと言っていたのは知っ
ているが、今から別の街に行くんだったら、素直に船に乗ることを
お勧めするぞ。海の方は特に荒れていると言う話を聞かないしな﹂
﹁うーん、それでもまずは陸路で行ってみるわ﹂
﹁そうか﹂
純粋に私の身を案じてくれている主人の心遣いは嬉しい。
ただ、主人が勧める船に乗って岸沿いに進む事で別の都市に行く
と言うのは、出来る限り避けたい。
どれぐらいの時間がかかるかも分からなければ、いざという時に
逃げられる保証もないからだ。
なお、逃げる相手は自然災害や事故もだが、私の場合はヒトも含
まれている。
妖魔だから当然だが。
754
﹁余計な心配だとは思うが、金を渋らず、危険だと判断したら素直
に退いておけよ。死んでからじゃ遅いからな﹂
﹁ええ、肝に銘じておくわ。あ、もし諦めて帰ってきたら、その時
はまた部屋とウェイトレスの仕事をお願いね﹂
﹁おう。見た目も接客も腕っぷしもいいウェイトレスならいつでも
歓迎してやるから安心しな﹂
﹁ありがとうね﹂
私は主人にそう言い残して、宿の外に出て行った。
なお、宿の主人は私の性別を知った上でウェイトレスとして、臨
時に雇ってくれていた。
主人曰く気が付かない方が悪いだそうだ。
さて、何事もなく脱出できればいいのだけど⋮⋮そう上手くはい
かないんだろうなぁ。
今までの経験からして。
−−−−−−−−−−−−−−−
マダレム・シキョーレ出発から数日後。
私は川の流れが緩くなったタイミングを狙って川を渡ることによ
って、この地域から脱出するまで後は川一つ越えればいいと言う所
まで来ていた。
﹁この村はまた酷い事になっているわねぇ⋮⋮﹂
が、その川の周りの状況は、私の想像以上に酷い事になっていた。
﹁悪いな傭兵さん。あの川はもうずっとあんな感じで、とてもじゃ
ないが渡河用の船なんて出せねえんだ﹂
﹁でしょうね。岸がかなり抉られているし﹂
絶え間なく荒れ続ける川の勢いで岸の土は抉れ、少しずつではあ
755
るが、刈り取れる作物だけは何とか刈り取っておいた畑を巻き込み
始めていた。
そして、村人の話では既に何人かが家を、場合によっては命を失
ってもいるらしい。
それにしてもずっと⋮⋮か。
私は川の中に適当な木の枝を投げ入れつつ、何が起きているのか
を考える。
﹁村人さん。一応聞いておくけど、あの川は本当にずっとあんな感
じに荒れ続けているのよね﹂
﹁ああそうだ。もう二週間ぐらい前だったはずだが、それからずっ
とおかしくなっている﹂
﹁二週間⋮⋮ね﹂
うん、作為的な何かを感じずにはいられないと言うか、絶対に上
流の方で何者かが何かをしている。
でないと一日二日ならともかく、大雨が降った様子も無いのに二
週間もこの水量が保たれるはずがない。
問題は誰がどんな目的で何をしているのかだけど⋮⋮。
﹁あー、うん。凄く嫌な予感がするわ﹂
私はとある可能性に思い至ってしまった。
いやまあ、勿論私の予想が外れている可能性の方が高いとは思う
⋮⋮と言うか外れて欲しいんだけど、万が一予想が当たった場合に
は、私の正体がバレる危険を冒してでも、出来る限り多くのヒトと
事に当たらないと拙い。
それぐらいにヤバい可能性に思い至ってしまった。
﹁村人さん﹂
﹁なんだい?傭兵さん﹂
﹁今後、この村に私以外の傭兵が来たら、川の上流の方に原因があ
756
るはずだから、出来れば来てほしいと言っておいてくれる?﹂
﹁別に構わ⋮⋮って、こんな大金を何で!?﹂
﹁話を聞いて渋る傭兵が居たら、報酬だと言って渡して。で、残り
はこの村で使っていいわ。たぶんだけど、早い内にケリを付けない
と、この辺り一帯のヒト全員が致命的な被害を受けかねないだろう
から﹂
﹁な⋮⋮﹂
私の言葉と渡した貨幣袋の中身に、袋を渡した村人も周囲の村人
も唖然とした様子を見せる。
﹁じゃっ、何が正しい行動なのかをよく考えた上で動いてね﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
そうして私は川岸を上流に向かって歩き始めた。
757
第135話﹁蛇の弐−2﹂︵後書き︶
06/19誤字訂正
758
第136話﹁蛇の弐−3﹂
﹁あら?﹂
﹁ん?﹂
上流に向かって歩き始めてから二日後。
私の前に、武装したヒトの集団が現れた。
人数は12人、木の陰に隠れていて詳しい事は分からないが、殆
どのヒトは剣や槍で武装している。
が、装備からして二人は魔法使いで、弓の使い手も一人は居るよ
うだった。
﹁お前は何者だ?どうして此処に居る?﹂
集団の中で一番歳を取っていそうな男性が、距離を保ったまま私
に質問をしてくる。
﹁私の名前はソフィア。傭兵よ。此処に居るのは、川の氾濫のせい
で別の地域に出れないから、川が荒れている原因を探りに来たのよ﹂
﹁なるほど。つまり自発的に調査をしていたのか﹂
﹁そう言う事ね。で、そっちはマダレム・シキョーレの依頼で調査
かしら?﹂
﹁その通りだ﹂
で、予想通りと言えば予想通りだが、彼らはマダレム・シキョー
レ上層部の依頼で川の氾濫の調査している集団であるらしい。
うん、これなら交渉次第では協力して⋮⋮人数的と所属から考え
て、むしろ私の方が協力する立場か。これ。
﹁で、ソフィア。お前は北と西のどちらの川を調べてきた?﹂
﹁西よ﹂
759
﹁そうか。そいつは都合が良いな。俺たちは北の河沿いをさかのぼ
って此処まで来ている。出来ればだが、西の川の状態について教え
てもらいたい。情報の対価ももちろん払おう﹂
﹁そう言う事なら喜んで話させてもらうわ﹂
どうやら向こうも私から情報を得る事を考えていたらしい。
そう言う事なら、ここは素直に情報を話して、共に事態を解決す
る方向に動いた方がいいだろう。
と言うわけで、私は武装したヒトの集団の中に入ると、西の川の
状態⋮⋮特に二週間以上荒れ続けている川について詳しく話した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁なるほど。住民の話が確かなら、この川がずっと荒れ続けている
のか﹂
﹁で、北の方はこの川がずっと荒れ続けていると﹂
お互いの情報を話した私たちは、森の中で車座になると、この辺
りの地形について詳しい記した地図を間に置いて、顔を突き合わせ
ていた。
﹁ふむ、お互いの情報が確かなら、怪しいのはここだな﹂
﹁仮に正確な点は違っていても、その近くなのは確かでしょうね。
そこが一番二本の川に影響を与え易い位置なわけだし﹂
私とこの傭兵たちの集団のリーダー⋮⋮ドドルタスさんの視点が
地図上の同じ点へと向かう。
そこは、川の様子がおかしくなってから二週間ちょっとの間、ず
っと荒れ続けている二本の川が分岐している箇所だった。
﹁問題はどんな連中がどれだけ居るかだな⋮⋮何か分かるか?﹂
﹁普通に考えれば、水を扱う流派の魔法使いの集団でしょうね。我
が流派﹃海を行くもの﹄を含めて、水を扱う魔法使いの流派は数多
760
くありますので、何処の流派かやその目的までは分かりませんが﹂
ドドルタスさんの求めに応じて、二人居た魔法使いの片方、﹃海
を行くもの﹄の魔法使いが自分の意見を述べる。
まあ実際問題として、それが普通の考えだし、私もそうあってほ
しいと思っている。
﹁魔法使いか⋮⋮二週間以上二つの川を氾濫させ続ける事が出来る
となると⋮⋮相当な数の魔法使いが居ると考えた方がいいか?﹂
﹃海を行くもの﹄の魔法使いの意見にドドルタスさんが眉間に皺
を寄せる。
ただ、これは各種魔石の加工法を知っていて、手招く絞首台の魔
法でベノマー河の水を一週間ずっと変えて見せた私だから言える事
グルー
だが、二週間もの間、二つの川を氾濫させ続けようと思ったら、必
要な魔石の数も、魔法使いも桁違いの量が必要になる。
それこそ自動発動の為の仕掛けやら、シェルナーシュの接着やら
で、様々な要素にかかる負荷を削らなければ、一つの流派の魔法使
いが全員やって来て、年単位で蓄えていた魔石を全て放出するよう
な数が必要になるだろう。
﹁居るのが魔法使いならそうでしょうね。ただまあ、数が多いなら
逆にやり様があるし、この面子ならどうにかなるわよ﹂
﹁どうにかって⋮⋮本気か?﹂
﹁本気よ。食料庫に火を付けるなり、魔石に細工を施すなり、闇に
紛れて頭を潰すなりと手段は幾らでもあるもの﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
ただまあ、正直に言って相手が魔法使いで、この場から撤退させ
るだけなら、幾らでもやり様がある。
その事を素直に話したら、ドドルタスさんだけでなく他の傭兵た
ちも頬を引き攣らせていたが。
761
﹁ソ、ソフィア。お前は傭兵なんだよな﹂
﹁ええ傭兵よ﹂
﹁ちなみに期間は?﹂
﹁もう五年以上になるわね。まあ、五年以上もやっていれば、こう
いう手も考え付くようになるわよね﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
あれ?更に退かれた?何故?
うーん、ただ闇雲に敵に突っ込むだけの傭兵なんて長生きできな
いし、傭兵として生きるなら、こういう数の差を覆すための手はむ
しろ考えつけないといけないと思うのだが。
ああうん、でも、これ以上何かを言うのは止めておこう。
絶対に碌な事にならない。
それよりもだ。
﹁こほん。それよりも、ここに居るのが魔法使いとは限らないわよ﹂
もう一つのあってほしくない可能性について、今の内に話してお
いた方がいいだろう。
﹁魔法使いじゃない?﹂
﹁じゃあ妖魔か?﹂
﹁いやいや、こんな川二本を氾濫させ続けるってどんな妖魔だよ﹂
﹁ははは、そんなのが居るわけない﹂
﹁と、思うでしょ?でも噂レベルなら、そう言う次元の妖魔も居る
のよ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
傭兵たちの私に向けられる目が訝しげなものになる。
まあ彼らがそう言う目を向けたくなるのも分かる。
私がその存在を噂程度にでも知っているのは、相当な数の人間の
記憶を奪って来たおかげであるし。
それほどまでに珍しい妖魔なのだから。
762
ウンディーネ
﹁どんな妖魔だ?﹂
﹁水の妖魔。水そのものの肉体を持つ妖魔よ﹂
だが、その特性を知らなければ、確実に全滅させられると言い切
れるほど危険な妖魔でもある。
763
第136話﹁蛇の弐−3﹂︵後書き︶
06/20誤字訂正
764
第137話﹁蛇の弐−4﹂
﹁ちっ、ソフィア。どうやら当たってほしくない方の予想が当たっ
ちまったみたいだぞ﹂
﹁みたいね。ったく、当たってくれなくてよかったのに﹂
私と傭兵たちは、合流した場所から一時間ほど移動すると、荒れ
続けている二つの川の合流地点を幾らか離れた場所の木々の隙間か
ら窺っていた。
﹁一応聞いておくが、あの辺りは元からあんな感じか?﹂
﹁いえ、あんな水のたまり場は無かったですし、分岐点の周囲には
それなりの数の草木が生えていたはずです﹂
﹁まあ、自然に同じ高さの切り株が出来るはずがありませんよね﹂
﹁水だってあんなふうには溜まらないだろ。そりゃあ﹂
さて、川の分岐点と言えば、普通Y字型かそれに近い形になるも
のだが、私たちの目の前にあるそこは湖のように横に広がっていて、
しかも正円を描いている。
そして、湖の周囲には無数の草木と、分岐点が生じる原因になる
様な硬い岩があったはずなのだが、それらは悉く同じ高さで切り裂
かれていた。
﹁ま、それ以前に水の上に立つ半透明の人間なんて存在自体が有り
得ないわよね﹂
だがしかし、それらの異常全てよりもなお有り得ないのは、正円
ウンディーネ
状の湖の中心に立つ、水で出来た体を持つ人型の何かの存在。
つまり⋮⋮水の妖魔の存在だった。
﹁本当にウンディーネなんて居たんだな﹂
765
﹁性別とかは分かんねえけど、綺麗だなぁ﹂
ウンディーネの整った体つきと清流のような長い髪に魅了された
のか、一部の傭兵たちが軽口を叩く。
が、私とドドルタスさんに睨まれると、自分の発言の拙さに気付
いたのか、申し訳なさそうに黙る。
なお、私の見た限りでは、肉付きからしてあのウンディーネはヒ
トの女性に近い姿をしていると思う。
姿が近いだけで、中身はヒトの女性とは全くの別物だが。
﹁さて、それじゃあまずは予定通り報告に行ってもらうぞ。ソフィ
アの言ったウンディーネの特徴は覚えているな﹂
﹁はい。大丈夫です﹂
﹁無事をお祈りしています﹂
﹁お前らも気を付けてな﹂
ドドルタスさんの指示で、狩人と傭兵の一人がマダレム・シキョ
ーレの方へとゆっくりと移動し始める。
これで、仮にこの後私たちが全滅したとしても、相手がウンディ
ーネであると言う情報だけは確実に伝わるだろう。
﹁で、ソフィアよ。俺たちとしてはこれから奴を仕留めたいと思っ
ているんだが⋮⋮お前はあの木も岩も関係なく切り揃えられている
範囲をどう思う?﹂
﹁あのウンディーネの攻撃可能な範囲。そう捉えるわね。たぶんだ
けど、あの範囲内に入ったら問答無用だと思うわ﹂
﹁だよなぁ⋮⋮﹂
さて、伝令役の二人が行ったところで、この場に残った私たちは
当然ウンディーネの討伐を狙うわけだが⋮⋮。
まあ、あの範囲に入ったら、私のハルバード以外は何でもバッサ
リと切られてしまうと考えた方がいいだろう。
で、そうなるとウンディーネの攻撃は全て回避しなければいけな
766
くなるわけだが⋮⋮どれぐらいの速さで攻撃が来るのかが分からな
いと、最悪の場合、全員気が付いたら死んでましたと言う事まで有
り得る気がする。
﹁あの、確かめてみますデス?私の使役魔法で﹂
﹁あら?﹂
﹁キキか。確かにお前の魔法ならいけるか﹂
と、ここで二人いた魔法使いの内のもう片方、恐らくはヘテイル
のヒトであろう黒い髪の少女の少女が、妙なアクセントを伴った言
葉で話しかけてくる。
﹁えと?﹂
﹁アタシの魔法は、草木を、自分の手足のように操り、ますデス。
はい﹂
﹁つまり、そこらへんに生えている木を操って、ウンディーネの攻
撃範囲に試しに入ってみる事が出来ると言う事?﹂
﹁そこまでは出来ませんデス。けど、あの中の切り株から、芽を出
すぐらいは出来ます。よ?﹂
﹁へー⋮⋮﹂
どうやら少女⋮⋮キキは、かなり珍しい魔法を使えるらしい。
恐らくはヘテイル独自の魔法なのだけれど⋮⋮うん、便利そうだ。
ウンディーネを仕留めた後に隙があるならば、情報を奪いたい所
である。
﹁そう言うわけだ。キキ、周囲の警戒は俺たちがやるから、やって
みてくれ。まずはアイツがどういう風に動くのかを見てみたい﹂
﹁分かりましたデス。はい﹂
と、今は目の前のウンディーネに集中しておかないと。
相手の反応速度や攻撃の仕方をよく観察し、それに合わせて作戦
を立てなければ、その特性からして勝ち目なんて絶対に見えてこな
767
い相手なのだし。
と言うわけで、私はキキがその場で膝を着き、杖を地面に突き立
てる姿を横で見つつ、視線をウンディーネの方に向ける。
﹁では、行きますデス﹂
そして、キキが魔法によってウンディーネの近くの切り株からゆ
っくりと芽を伸ばし始めた時だった。
私はふと思ってしまった。
ウンディーネがあの切り株を切ったのはいったい何日前だったの
かと。
それからウンディーネは一体何人のヒトを食ったのかと。
生まれた時からいったいどの程度、ウンディーネが成長している
のだろうかと。
﹁!﹂
だが、私がその考えの答えに至る前にウンディーネはキキの魔法
に気づく。
ウンディーネは見る見るうちに成長していく木の芽を、少女のよ
うな顔で暫くの間見つめ⋮⋮不意にその口を醜悪な物へと歪めた。
そして⋮⋮
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
ウンディーネの左腕が動いたと思った次の瞬間には、私は背中に
強い衝撃を受け、キキ、ドドルタスさん、﹃海を行くもの﹄の魔法
使い、名も知らぬ傭兵を一人巻き込みながら地面に倒れ込み⋮⋮私
たち五人以外の傭兵と周囲の草木は全て同じ高さで横に切られ、宙
を舞っていた。
768
第137話﹁蛇の弐−4﹂︵後書き︶
06/22誤字訂正
769
第138話﹁蛇の弐−5﹂
ゆっくりと、とてもゆっくりと、まるで一秒が一時間にでもなっ
たかのようにゆっくりと、私の視界に収まっている全ての物は信じ
られない程にゆっくりと動いていた。
地面に倒れ込む私たち五人の上で、葉の葉脈と幹の木目が子細に
観察できるほどに遅く樹は舞い、赤色の水滴と透明な水滴は飛沫の
数を数えられる程にゆっくり飛び散り、身体を二分された傭兵たち
は自分の身に起きている事が理解できないと言わんばかりに目と口
を広げながら放物線を描いている。
﹁?﹂
そんな中、左腕を振り抜いた姿勢のウンディーネは、妙な手応え
があったことに疑問符を浮かべるかのように一度首を傾げる。
そして、ウンディーネの顔が⋮⋮透明な水で形作られ、感情とは
無縁なはずの無機質な瞳が、獲物を見つける狩人の眼が私たちへと
向けられる。
﹁!﹂
﹁!?﹂
目が合った。
﹁⋮⋮﹂
ウンディーネの表情が、先程キキが伸ばした木の芽を見つけた時
と同じように醜悪な⋮⋮笑顔と呼ぶには余りにも恐ろしいものへと
変化する。
﹁っつ!?﹂
770
私は理解する。
コイツにはヒトも妖魔も関係ない。
自分の領域に入って来た者は全て獲物としか思っていない事を。
﹁掴まれ!﹂
その事を理解した時、私は無意識的にそう叫びながら、両手で掴
める場所に居たキキと﹃海を行くもの﹄の魔法使いを力強く握りし
め、身体の内にある力の塊から、流し込めるだけの力を服の内側に
仕込んでいた緊急時用の魔石に流し込み始めていた。
﹁﹁﹁ーーーーーーー!?﹂﹂﹂
﹁っつ!?﹂
﹁はっ!?﹂
﹁えっ!?﹂
﹁ぐっ!?﹂
時がいつも通りに流れ始め、樹も水もヒトも自然の摂理に従い、
断末魔のような大きな音を発しながら地面に落ち始める。
それと時を同じくして、ウンディーネは右腕を太い綱を無数の紐
に分解するようにばらけさせながら、殴るための前動作のように右
腕を引く。
同時に、キキと﹃海を行くもの﹄の魔法使い、ドドルタスさんが
私の身体を力強く握りしめ、傭兵は身体が中途半端に起き上がって
しまっていた為に、私の言葉を無視してウンディーネから遠ざかる
ように走り出そうとしてしまう。
だから私は彼を助ける事を諦めた。
プルアウト
﹁撤退!﹂
私の叫びと同時に魔石から黒い帯のようなものが溢れだすと、そ
の内の半分が私の胸部を包み込み、もう半分がウンディーネが居な
い方⋮⋮森の中に向けて目にも留まらぬ速さで伸びていく。
771
﹁あはっ!﹂
﹁射出!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
そしてウンディーネから可愛らしい少女のような声と共に、無数
の細長い槍のようになった右腕が突き出された瞬間。
私の撤退の魔法がその効果を発揮し、身体に掴まる三人のヒトご
と、私の身体を森の中に向けて矢のような速度で射出する。
﹁ーーーーーーーーーー!?﹂
周囲の風景が引き伸ばされ、草がナイフのように肌を切り裂き、
嵐の中でも感じられないような風を感じながらも、私たちはウンデ
ィーネの右腕から伸びる高速の槍よりも更に速くその場から遠ざか
っていく。
そうして遠ざかっていく私たちの耳に聞こえてくるのは、私に掴
まらなかった傭兵の断末魔と様々な物に硬い何かが突き刺さる音。
続けて聞こえてくるのは肉と樹、骨と岩がぶつかり、砕け、ウン
ディーネの胃袋と化した水へと引きこまれ、元が何であったのかも
分からぬほどに混ぜ合わされる音。
だがその音が聞こえたときに私がまず感じたのは⋮⋮自身が生き
延びた事への喜びだけだった。
−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁はぁはぁ⋮⋮いったい何がどうなってんだ?﹂
﹁切られたのよ。みんな。樹も、岩も、ヒトも、鉄の鎧すらも関係
なしにね﹂
撤退の魔法が効力を終えた直後、私たち四人は揃って力尽きたよ
772
うに、その場にへたれ込んだ。
ハル
﹁すぅー⋮⋮はぁー⋮⋮切られた⋮⋮ですか。では、私たちが助か
ったのは?﹂
バード
﹁殆ど偶然のようなものね。ウンディーネの攻撃が当たった私の相
棒が普通のだったら、それに攻撃が当たった場所次第では私たちも
死んでたわ﹂
全員呼吸は荒く、顔色は悪い。
死にかけたのだから、当然と言えば当然だったが。
プルアウト
﹁最後に⋮⋮使った魔法は⋮⋮なんデスます?﹂
﹁撤退って言うああいう時専用の魔法よ。効果はいま経験した通り。
ああやっぱり駄目ね﹂
ただ幸いと言うべきか、ウンディーネにはこちらを追いかけてく
るつもりはないらしく、私たちに向けて何かが近づいてくるような
気配はない。
後、撤退の魔石は完全に壊れてしまっていた。
まあ、元々動作確認と本番の二回だけ使えればいい魔石なのだし、
発動途中で壊れなかったのだから、役目はきちんと果たしてくれた
と褒めてあげるべきか。
﹁しかし⋮⋮ウンディーネか。化け物って言葉はああいう奴の為に
有るんだな﹂
﹁そうね。噂の方が過小評価されたものだったと言うのは、流石に
想定外だったわ﹂
徐々に全員の呼吸と気持ちが落ち着いてくる。
﹁その⋮⋮私のせいデス?ます?私が魔法で探ろうとしたせいデス
?﹂
﹁いや、どちらかと言えば俺のせいだな。ウンディーネの攻撃が届
773
く範囲を甘く見積もっていた﹂
﹁私も悪いわね。ウンディーネについて多少は他のヒトよりも知識
があったわけだし﹂
﹁正直な気持ちで個人的な意見を言わせてもらうのなら、誰のせい
でもないと思います。あんなの予想する方が無理と言うものですよ﹂
落ち着いてきたためか、ウンディーネが攻撃するきっかけになっ
てしまったキキが自分のせいかと問いかけてくるが⋮⋮とりあえず
この状況について、キキには一切の責任はない。
それははっきり言い切れる。
そしてドドルタスさんにも責任はないだろう。
あんな攻撃、あると知らなければ対応のしようがないと言うか、
知っていても対応できるか怪しいものだ。
﹁そう言うわけだからキキは気にしなくていいわ﹂
﹁はい⋮⋮デス﹂
と言うわけで、キキは悪くないとはっきり口に出しておく。
﹁さて、幾らか落ち着いてきたところで話し合うか。今後どうする
かを﹂
﹁そうね﹂
﹁分かりました﹂
そして、私たちはこれからどうするかを話し合う事にした。
774
第138話﹁蛇の弐−5﹂︵後書き︶
ウンディーネまじ怖い
06/22誤字訂正
06/23誤字訂正
775
第139話﹁蛇の弐−6﹂
﹁まず一つ絶対にやるべき事としては、今起きた事を伝える事だな﹂
﹁そうですね。あんなものがあることを知らずに挑んだら⋮⋮﹂
﹁まあ、何百人で挑んでも食われるだけでしょうね﹂
ドドルタスさんが言うまでもなく、先程私たちが経験したウンデ
ィーネの攻撃⋮⋮ヒトも樹も岩も鉄も関係なくまとめて切り裂いて
みせたあの攻撃、あの攻撃だけは誰かが報告しなければならないだ
ろう。
でなければ何人で挑んでも、正面から攻めてかかったならば、ウ
ンディーネの腹を満たすだけの結果に終わるだろう。
﹁よし、全員でこの場は退くことにしよう﹂
﹁そうですね。そうしましょう﹂
そう言うわけで、ドドルタスさんはこの場から全員で引きたいよ
うだが⋮⋮それはよくない。
﹁全員で⋮⋮ね。でもそうなると問題があるわね﹂
﹁問題?﹂
と言うのも、全員で伝えに行った場合、情報を伝えた後に色々と
問題が生じるからだ。
﹁ウンディーネの情報を伝えた後にどうするのかと言う問題よ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
そう、あの攻撃の情報を伝えた後はどうするのか。
その点について考えるのはマダレム・シキョーレの上役たちの仕
事かもしれないが、伝えに行く前にドドルタスさんたちも色々と考
えなければならない点だ。
776
戦うにしろ、耐えるにしろ、逃げるにしろ、だ。
﹁はっきり言って、アレをヒトが倒せるとは俺には思えない。奴が
飢えて死ぬのを待つか、船でこの辺りから脱出する事を目指した方
がいいと思う﹂
﹁私も同感です。アレはヒトが立ち向かえるような存在じゃない﹂
ドドルタスさんと﹃海を行くもの﹄の魔法使いの二人には戦う気
はないようだった。
まあ、戦う気が無いのは別にいい。
別にいいが、彼らは分かっているのだろうか?
﹁言っておくけど、餓死するまで耐えようとするのは止めた方がい
いわよ﹂
﹁どうしてだ?﹂
現実的に考えて、耐えると言う選択肢が存在しない事を。
﹁まず普通の妖魔がヒトを食べずにいられるのは二、三日程度。あ
のウンディーネなら、もしかしたら身体のサイズや能力の関係から、
毎日一人以上は食べないといけないかもしれないわね﹂
﹁毎日一人⋮⋮ですか?でもそれなら⋮⋮﹂
﹁でもね。たぶんだけどあのウンディーネは既にこの辺り一帯の川
を支配下に置いているのよ﹂
﹁おい待てまさか⋮⋮﹂
﹁そ、川で溺れて死んだヒトは全てあのウンディーネの腹に収まる
と思っていいし、普通には考えられないような速さで奴が移動する
可能性もある﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁つまり、相手が飢え死にするまで耐えようとするなら、飢えで狂
暴化し、何でも切り飛ばせるような化け物が、突然街の中心部で現
れかねない状態で一人の死者も出さずに耐えなければいけない。と
777
言う事よ﹂
私の言葉に二人は想像したくもないと言わんばかりの表情を浮か
べるが、残念ながらこうなる可能性を考えないのは危険すぎる。
と言うかだ、そもそもとしてあの攻撃を防ぐ方法が無ければ、仮
に街の中心部ではなく、城壁の外に現れたとしても、壊滅と言う結
果には変わりないだろう。
そして此処からマダレム・シキョーレまで行くのにかかる時間を
考えたら⋮⋮最悪連絡役が着いた頃には、マダレム・シキョーレが
ある場所は更地になっている可能性だって有り得るだろう。
﹁さて、そんな未来を回避する方法は⋮⋮分かっているわよね﹂
﹁つまり伝令役がマダレム・シキョーレか手近な場所の早馬に着く
までの間、誰かが残ってアイツに嫌がらせを⋮⋮最低でもこの場か
ら移動できないような状態にする必要が有ると言う事か﹂
﹁そう言う事よ﹂
そう言うわけで、全員で揃って伝令に行くと言う選択肢はこれで
潰れる。
﹁ソフィア。お前は元々ウンディーネが居る事を予測した上でここ
に来ていた。と言う事は、何か策があるのか?﹂
﹁一応はね。ただ現物を見た後だと、私ひとりじゃ無理だと言わざ
るを得ないわね﹂
﹁⋮⋮。誰の協力が要る?﹂
私は元々考えていた策を頭の中で修正しつつ、キキの方を向く。
﹁キキ、貴女に協力をしてもらいたいわ﹂
﹁私ますデス?﹂
﹁ええ、貴女の使役魔法とやらが必要なの﹂
自分に声がかかるとは思っていなかったのか、キキは何処か信じ
られなさそうな表情をしている。
778
それに対してドドルタスさんたちがあからさまにホッとしたよう
な表情をしているが⋮⋮まあいいか。
彼らは居るだけ邪魔でしかないし。
﹁キキ⋮⋮﹂
﹁分かりましたデス。頑張りデス﹂
うんよし、これでキキの協力は取り付けられた。
﹁さて、それじゃあ二人とも分かっていると思うけど⋮⋮﹂
﹁絶対に川には入らないように、可能ならば近づく事もしないよう
に移動だろう。安心しろ。絶対に伝えてやる﹂
﹁対抗策を整える事が出来たならば、必ず駆けつけますので、頑張
ってください﹂
﹁ええ、頑張ってね。ああそれと、もし途中で川上に向かう傭兵に
出会ったら、ちゃんと止めておいてね﹂
﹁ああ、分かっている﹂
そして、ドドルタスさんたちがマダレム・シキョーレの方に向け
て去っていく。
うん、これで上手くいった。
﹁それで、まずは何をするのデス?﹂
﹁そうね⋮⋮﹂
私と二人きりになったキキが私にそう尋ねてくる。
﹁⋮⋮﹂
﹁ソフィアさん?﹂
さて、ウンディーネをどうにかするのに、キキの魔法が必要だっ
たのは事実である。
が、正直に言って、私以外も運んだ撤退の魔法に、大量の擦り傷、
ハルバード越しとは言え痛打という他の無い一撃と、私の消耗は相
779
当なものになっている。
そう言うわけでだ。
﹁まずは貴女の全てを頂戴な﹂
﹁へ?﹂
色々とリスクはあったが、私には私の言葉を理解出来ていなさそ
うなキキの首筋に牙を突き立てる以外の選択肢はなかった。
ああ、出来ればウンディーネを片付けた後にゆっくりと食べたか
ったなぁ⋮⋮。
780
第139話﹁蛇の弐−6﹂︵後書き︶
この状況なら消えても疑われないんだよなぁ
781
第140話﹁蛇の弐−7﹂
﹁ごちそうさまでした。と﹂
さて、キキは無事に食べる事が出来た。
そしてその知識も⋮⋮うん、私の中に入って来ている。
ヘテイルの文字や言語はヘニトグロのそれとは違うので、キキの
文化関係の知識を引っ張り出してこないといけない分だけ、自分の
ものにするのに多少時間はかかりそうだが、問題にはならないだろ
う。
﹁さて、それじゃあ早速始めましょうか﹂
と言うわけで、早速使役魔法に関する知識の翻訳と発動を始める
べく、私は懐から未加工の魔石を取り出して地面に置くと、その上
に右の掌を軽く乗せる。
﹁⋮⋮﹂
さて、使役魔法⋮⋮キキの流派やヘテイルの言葉で言うならば式
神術と呼ばれる魔法とは、簡単に言ってしまえば自分以外の存在の
肉体を操る魔法である。
勿論、﹃闇の刃﹄の黒帯や、﹃大地の探究者﹄の地面を操って簡
易の砦を築いた魔法のように、ただ自分以外の何かを適宜操るだけ
の魔法ならば、他の流派にも数多く存在する。
だがそれらの魔法と使役魔法には一つ大きく異なる点がある。
﹁んっ⋮⋮﹂
それは使役する対象と感覚を共有する事。
つまり、動物を対象として用いれば、その生物の見ている光景、
聞いている音を術者も感じられるし、嗅いでいる匂いも受け取れる
782
ようになり、それに合わせて行動を取ることが出来るのだ。
ただその代わりなのか、使役魔法は即応性がそれほど高くない。
使役魔法を発動するためには契約と呼ばれる行為が必要になり、
使役する相手や術者の力量次第では、契約に何週間何ヶ月とかける
事もあるそうだ。
また、使役中は操作に夢中になりやすいために、本体が無防備に
なりやすいと言う欠点もあるそうだ。
﹁ま、そんな時間はかけていられないし、今回は色々とゴリ押しさ
せてもらいましょうかね﹂
掌の下の魔石を私の中の力が通過し、量が増された状態で周囲の
地面へと染み込んでいく。
そしてこの辺り一帯の地面に染み渡ったところで⋮⋮交渉ではな
く支配をもって、彼らに私の一部と化す事を強要する。
﹁ん?案外素直ね﹂
勿論、これは正しい契約の方法ではない。
生物ではなく、非生物を対象にしていること含め、キキの知識の
中では、緊急時以外にはやらないようにと言われている手法だ。
キキはやってはいけない理由を契約対象からの反発を危惧してだ
と思っていたが⋮⋮抵抗がまるで無かった事からして、やってはい
けない理由は別にあるのかもしれない。
まあ、今更引けないので、私は突き進むしかないのだが。
だが私は直ぐに知ることになる。
何故契約には時間をかけるべきなのか、何故生物だけを対象にす
るべきなのかを。
﹁うぐっ!?﹂
契約が完了し、周囲の地面と私の感覚を同調させた時だった。
私の意識を不快と称すほかの無い感覚が一気に占めていく。
783
﹁これ⋮⋮は⋮⋮﹂
草木の根が皮膚を突き破り、私⋮⋮いや、大地から少しずつ栄養
を奪い取っていく。
小さな獣や虫の類が皮膚の上や、皮膚のすぐ下を、大地に痛みを
与えながら這いずり回っていく。
川の水が皮膚を削り、地下の熱が肉を焦がす。
膨大な量の情報が私の中を駆け抜け、私自身の意識を押し流そう
とする。
光もなく音もなく、匂いも無ければ音もない、ただただ自分の身
体に何が触れているのかと言う情報だけが私の中を突き抜けていく。
生物ならば何かしらの抵抗を行い、排除しようとするはずの情報
がそのまま私の身体に注ぎ込まれる。
﹁ぐっ⋮⋮あっ⋮⋮﹂
なるほどこれは緊急時以外にはやってはいけないと言われるはず
だ。
契約に時間をかけるのは、少しずつ情報量を増やして、術者の精
神を慣らすため。
生物だけを対象にするのは、感覚のズレを少なくすると同時に、
生物ならまず耐えられない不快感を術者に与えない為か。
もしこのままの状態が長引けば⋮⋮肉体的には死ななくても、精
神は死滅するかもしれない。
そう思わせるほどの状態だった。
﹁でも⋮⋮残念⋮⋮ね。私はそんなに柔じゃないのよ﹂
だが私は鼻の穴から血を流しつつも、私の中へと流れ込んでくる
情報の量に制限をかけ始める。
そしてそれと同時に、感覚のズレを少なくするために地面に伝わ
る振動を音に変換することによって疑似的な聴覚を与える事によっ
784
て、私が耐えられるレベルにまで不快感を落としていく。
ふふふふふ、一体これまでに何人の記憶を私が奪い、それを追体
験してきたと思っているのか。
今更この周囲の地面程度が今現在味わっている感覚の情報程度で
流されるほど、私と言う個の精神は脆くない。
﹁何よりも﹂
特にだ。
﹁恋すら知らない無機物如きが私の上に立てると思うな﹂
ネリーへの想い、フローライトの愛、ヒーラの恋、キキの使命感、
そしてソフィアが抱いていた激情。
そう言った非生物には絶対に理解できない思いの前には、ただた
だ何が有ったのかを告げるだけの情報など、量が多いだけでまとめ
て処理してしまえる情報でしかなかった。
﹁さて⋮⋮﹂
やがて地面から流れ込んでくる情報は私が欲しい情報だけになり、
僅かずつではあるが、動かす事も出来るようになってくる。
﹁これで掌握は出来たわね﹂
それはつまり、私の使役魔法の契約が完了した証でもあった。
785
第141話﹁蛇の弐−8﹂
﹁さあて、目に物を見せてやりましょうかね﹂
地面との契約が完了した私は、意識をウンディーネの居る正円状
の湖の周囲への地面と向かわせ、そこの地面の疑似聴覚と触覚を私
のものと繋げる。
﹁∼∼∼♪﹂
そうして聞こえてきたのは少女が歌っているような鼻歌の音と、
水面を一定の間隔で叩く音。
うん、まず間違いなくウンディーネの鼻歌だろう。
﹁暢気な物ね⋮⋮その方がありがたいけど﹂
だが、ウンディーネの様子からして、私の魔法に気付いていると
言う事はなさそうだった。
なので、私もウンディーネの注意を引かないように気を付けてだ
が、予定通りに事を進める事にする。
﹁⋮⋮よし。やっぱりだけど沢山あるわね﹂
ウンディーネ周囲の地面が感じている触覚の情報を、私は少しだ
け普段よりも鋭敏に感じ取れるように調節する。
すると、地面の上を這い回る小型動物や、地面を掻き分ける草木
の根の感覚に混じって、大小無数の魔石が転がっているのが感じ取
れた。
何故これほどの量の魔石が此処にあるのか、その理由は深く考え
るまでもない。
あのウンディーネが、自分に近寄っただけの妖魔たちを気まぐれ
に殺したからだ。
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勿論、事実が違うかもしれない。
が、さっきの遭遇でも、私と視線が合ってなお躊躇いなく私ごと
殺しに来ていたぐらいだし、まず間違いないだろう。
﹁ま、何にしても都合は良いわ﹂
私はウンディーネ周囲の地面を操作すると、ウンディーネに気づ
かれないように地面の中に魔石を取り込む。
そして、地中を移動させて、ウンディーネ周囲の地面の中に在っ
た魔石を、全て私の居るこの場所にまで移動させていく。
﹁⋮⋮。やっぱりあのウンディーネはここで始末するべきね。ヒト
だけじゃなくて妖魔にとっても危険な相手でしかないわ﹂
そうして私の手元に集まった魔石の数を見て、私は思わず一瞬絶
句する。
私の手元に集まった魔石の数は少なめに見積もっても50は超え
ていた。
それはつまり、ゴブリンのような複数体で現れる妖魔も含めてだ
が、同じ数の妖魔がこの近くまたはウンディーネが荒している川の
中で、比較的最近死んだことになる。
ああうん、十数匹程度なら予想の範疇だったけど、流石にこの数
は想像の範囲外だった。
﹁まあいいわ。手早く処理を済ませちゃいましょうか﹂
だがしかしだ。
私のやりたい事から考えると、魔石が多いに越したことない。
しかもただの魔石ではなく、直接的にせよ、間接的にせよ、ウン
ディーネの被害をこうむって死んだ妖魔たちの魔石だ。
あのウンディーネを殺す為ならば、普通の魔石よりも効率よく力
を発揮してくれるかもしれない。
現に、今私はウンディーネを仕留める為に必要な手が何かを考え、
787
その手に合わせて魔石を最低限のレベルで加工していっているのだ
が、普段よりも出来が良い気配がしている。
うん、これならば、私一人でも十分いけるだろう。
ドドルタスさんたちが居る事を考えれば、最悪弱らせるだけでも
いいわけだし。
﹁さて、加工と仕込みが終わり次第、仕留めに行きましょうか﹂
そして私は近くにあった木の中で、最も元気がありそうな木の枝
を数本切り取った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁ふぅ⋮⋮準備は完了ね﹂
数時間後。
すっかり暗くなった森の中、私は木立の間からギリギリウンディ
ーネの姿が確認できる場所で、地面に両手と片膝を着き、両手の掌
の下には魔石を置いていた。
準備は完了している。
後は、私のやる気が漲ればそれでいい。
﹁∼∼∼∼∼♪﹂
﹁その見るからに能天気そうな頭をぶっ飛ばしてやろうじゃない﹂
私の視界の中心で昼間と変わらず、ウンディーネは鼻歌を歌って
いた。
自分を傷つけられる存在が居ないと思っている為だろう。
その視線は勿論のこと、意識すらも周囲には向けられていない。
だが、その油断こそが命取りである。
788
ソイル
﹁それじゃあ⋮⋮始めましょうか。土よ!﹂
﹁!?﹂
私は使役魔法によって私の一部となっている地面を通じて、この
場には無い魔石に魔法発動の為の力を注ぎ込む。
そして魔法発動の瞬間。
正円状の湖の出入り口にあたる部分の川底から大量の土が吹き上
がると同時に、湖を迂回して新たな川が出来るするように、噴き上
がったのと同じ量の土が消失する。
その光景にウンディーネは両目を見開き、ずっと続けていた鼻歌
を止める。
﹁すぅ⋮⋮﹂
だがここまでは下準備の下準備。
ウンディーネが川を荒せないようにするのと同時に、水の補給を
断つだけだ。
ソイル
ソイル
本番はここから。
ソイル
﹁土よ!土よ!土よ!﹂
﹁!?﹂
私が力を注ぎ込むたびに、ウンディーネの居る正円状の湖の湖底
から、大量の乾いた土が噴き上がる。
それらの土は当然のように湖の水を吸い上げて泥となり、水の身
体を持つウンディーネもそれに巻き込まれてその身を汚していき、
自らの身体に土が混ざることを嫌がるようにもがき苦しみだす。
どうやら、一定量以上の不純物が自分の意思とは無関係に混ぜら
れるのは嫌であるらしい。
しかしこれはあくまでも下準備。
トドメは別に用意してある。
﹁さて⋮⋮﹂
789
﹁!﹂
ここでウンディーネが私の存在に気づき、睨み付けてくる。
そして大量の泥に呑まれながらも、腕を振るおうとするが⋮⋮。
﹁何本目で死ぬかしらね?﹂
﹁!?﹂
必殺の一撃が放たれる前に、地面を操作して射出した魔石付きの
木の枝がウンディーネの腕に突き刺さり、腕を弾けさせながらその
向こうの泥へと突き刺さる。
勿論、ただの物理的攻撃はウンディーネには通用しないので、一
瞬驚いて攻撃を中断しても、直ぐにウンディーネはもう一度攻撃を
仕掛けようとした。
ヒール
﹁治癒﹂
﹁!?﹂
ヒール
だがその前に木の枝に付けられた魔石がその効果を発揮し、制限
なく発動された治癒の魔法によって、生命力が異常に活性化された
木の枝は成長の為に大量の水を吸い上げ、自分の物にし始める。
当然、ウンディーネの身体を構成する水ごとだ。
ヒール
﹁!⋮⋮!?﹂
﹁治癒﹂
ウンディーネは急いで自分の身体に刺さった木の枝を外そうとす
る。
だがその前に、二本目の木の枝が突き刺さり、一本目を抜く暇も
ヒール
与えずに成長を始める。
ヒール ヒール
﹁治癒治癒!治癒!!﹂
ヒール
﹁ーーーーー!!?﹂
﹁治癒⋮⋮っと、終わりね﹂
790
そうして七本目の木の枝がウンディーネの額に突き刺さり成長を
始めた時だった。
ウンディーネの頭が一瞬だけ青い魔石に変化し、直後に全ての力
を失い、跡形もなく砕け散る。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
それはつまり、ウンディーネが死んだことの証明だった。
﹁流石に疲れたわね﹂
そうして私は、いつの間にか増えていた小さ目な金色の蛇の環を
指で弄りながら、誰かに見つかる前にその場を後にしたのだった。
791
第141話﹁蛇の弐−8﹂︵後書き︶
今持っている手をフルに生かした結果がこれでございます
06/25誤字訂正
06/26誤字訂正
792
第142話﹁シェーナの書−1﹂
ウンディーネ
﹁おおよそ一年ぶりか﹂
東の方で水の妖魔が暴れていたという噂が聞こえてきた年の冬。
小生はマダレム・イーゲン近くの森の中に建てた小さな木造の家
の前にやって来ていた。
﹁さて⋮⋮﹂
雪が降りそうな雲行きの中、小生は家の扉を開けて中に入る。
この家の中には殆ど家具が存在しない。
眠るためのベッドに、本を書くための机と椅子、それに有った方
が何かと便利だと言う事で付けさせられた石の竈ぐらいである。
そしてそれらの家具だが、小生がこの家を訪れるのは一年ぶりな
のだが、埃の類はなく、獣や野盗に荒された様子も無い。
どうやら掃除と手入れはしっかりしているらしい。
﹁アイツはまだ来て⋮⋮﹂
そうして一先ずは椅子に座って落ち着こうとした時だった。
﹁あ、師匠。今お付きですか﹂
﹁居たのか。馬鹿弟子﹂
背後から声を掛けられ、小生はそちらを向く。
﹁居ましたとも。そろそろ来られる頃かと思っていましたしね﹂
そこに居たのは金色の髪に緑色の瞳を持つ一人の少女。
その名をシューラと言い、あのテトラスタの娘である。
﹁とりあえず中に入りましょうか﹂
793
﹁そうだな﹂
小生とシューラは二人揃って家の中に入ると、小生は椅子に腰か
け、シューラは竈に薪木を積み上げた後、何も持たない手から小さ
な火を出して竈に火を入れる。
﹁ほう、随分と上手くなったな﹂
マタンゴ
﹁これだけをずっと練習してきましたから﹂
﹁茸の妖魔に襲われた時もか﹂
﹁師匠の御仲間が解決してくださった時もです﹂
シューラの手の中に魔石は無い。
それどころか、身体の何処にも魔石を身に付けてはいない。
つまりシューラは今、魔石なしに魔法を使ってみせたのだ。
だが小生がその事に驚く事はない。
そう言う事が出来るようにシューラを鍛えたのは小生自身だから
だ。
﹁気づいていたのか﹂
﹁気付きますよ。でもトォウコさんのおかげで、助かりました。今
度会った時は、イーゲンの人々は礼を言っていたと伝えておいてく
ださい﹂
﹁検討はしておこう﹂
また、シューラは小生が蛞蝓の妖魔である事も知っているし、自
身の父親が言葉を授かった四人の御使いとやらの正体が小生たち妖
魔で有ることも知っている。
尤も、マダレム・イーゲンやその周囲の都市に教えが広がる早さ
を考えると、シューラはその事実を未だに誰にも告げていないよう
だし、態度を見る限りではこれからも告げるつもりはないようだが。
﹁さて、部屋の中もだいぶ暖まった事だし、まずは知識の復習から
始めようか﹂
794
﹁はい﹂
さて、当たり前のように会話をしている上に、シューラは小生の
事を師匠と、小生はシューラの事を弟子と呼ぶような関係ではある
が、シューラはヒトであり、小生は蛞蝓の妖魔であるため、本来な
らば今この場で殺し合いを始めるべき間柄ではある。
﹁まず魔法を扱うために欠かせない物は?﹂
﹁全ての存在がその内に秘めている力⋮⋮魔力です﹂
﹁その通りだ。では、何故普通の動物は全く魔法を使えず、ヒトは
魔石を使わなければならない?﹂
﹁魔法を発動させるためには、魔力を現象に変換する想像力が必要
になるからです。普通の動物にはそこまでの想像力はありません。
そして、ヒトが妖魔と違って魔石を使わなければならないのは、想
像力は十分にあっても、魔力の量が足りないからです﹂
そんな二人が何故一緒に居るのか。
正直に言わせて貰えば、当人である小生にもよく分からない。
なにせもう二年も前の事になるが、シューラを追いかけて来てい
た男たちを、腹を空かせた小生が酸性化と乾燥の魔法で仕留めて食
べたところ、何故かシューラはその場から逃げ出さず、それどころ
か魔法を教えて欲しいと頼みこんできたのだ。
で、小生も何故かシューラの事は食べたいと思えず、それどころ
か気まぐれを起こしてシューラに魔法に関する事を教えるようにな
ってしまったのである。
うん、改めて思い返してみても、当時の小生の思考には妙なもの
を感じずにはいられない。
﹁その通りだ。では少ない魔力で魔法を発動するためにはどうすれ
ばいい?﹂
﹁魔石を使って魔力の量を増幅する。周囲の存在が保有する魔力を
利用する。引き起こす現象を小規模にすることによって消費する魔
795
力を抑える。想像力と知識を鍛え上げ、より効率のいい方法でその
現象を発生させる道筋を考える﹂
﹁その通りだ。では、最後の方法、効率のいい方法とはどのような
ものだ?火を起こす場合で答えろ﹂
﹁予め可燃物を用意しておく、火を起こす場所の温度を上げておく
と言ったところですよね﹂
﹁正解だ。どうやらきちんと覚えていたらしいな﹂
﹁覚えていますって、でないと私みたいな普通のヒトは魔法を使え
ません﹂
尤も、この家に留まるのが冬の三ヶ月の間だけとは言え、今では
この奇妙な関係も悪くないと思い始めている所ではあるのだが。
まったく、小生もソフィアに毒されたのかもしれないな。
﹁それもそうか﹂
﹁そうですよ﹂
小生とシューラはお互いに相手の顔を見つめながら、軽く笑いあ
う。
﹁では今日から三か月間。またみっちりと教え込んでやるか﹂
﹁お願いしますね。師匠﹂
さて、これからの三か月間、小生にとっても実りある三か月間に
なると良いが。
796
第142話﹁シェーナの書−1﹂︵後書き︶
シェルナーシュ編です
797
第143話﹁シェーナの書−2﹂
﹁そう言えば師匠?﹂
﹁何だ?馬鹿弟子﹂
﹁魔石を使う魔法使いの話ですけど、魔力、想像力、知識、道具、
その何れもが揃っているのに、ヒトによって使える魔法が限られて
いたり、同じように二つの魔石を加工して、同じように使ったのに
発動する魔法が異なる事ってありますよね。あれってなんでですか
?﹂
﹁ああ、その事か﹂
冬の一の月の半ば。
シューラが魔法の練習をしている横で小生が書き物をしていたと
ころ、シューラが質問を投げかけてきた。
﹁その事についてなら、確証は持てないが、一つの仮説はあるな﹂
﹁仮説⋮⋮ですか﹂
﹁小生も魔法の全てを知り尽くしているわけでは無いからな。仮説
と言っても、個人の感覚に根拠を置いているような稚拙なものだが、
それでいいなら話すぞ﹂
﹁お願いします﹂
何故ヒトによって、または妖魔によって使える魔法に限りがある
のか、この問題についてはシューラでなくとも、真っ当な魔法使い
なら誰もが一度は疑問を抱く事柄だろう。
現に小生も疑問を抱いていたし、ソフィアも知識と扱う感覚を手
に入れてもなお使えない魔法が存在することには違和感を感じてい
るようだった。
そして、そうした感情を抱きながら何十人、何百人と言う魔法使
いを見てきた結論としては⋮⋮まあ、こう言うしかない。
798
﹁では言うが、簡単に言ってしまえば素養の問題だな﹂
﹁素養⋮⋮ですか﹂
﹁才能と言い換えてもいいが⋮⋮いや、やはり素養の方が適当か。
まあとにかく、小生としては魔力には個人個人で微妙に性質が違う
物だと考えている。そして、その性質の違いが存在するために、使
える魔法と使えない魔法が存在するのだと考えている﹂
﹁ふうむ⋮⋮その素養と言うのはヒト以外でも⋮⋮﹂
﹁当然あるだろうな。だから同じように加工した魔石でも差が生じ
るし、それ以外にも色々と小生は実例を見ている﹂
﹁なるほど。勉強になりました﹂
魔法の素養。
ある意味これほど残酷な分け方も無いと小生は思う。
なにせどれほど魔力の量が多くとも、どれほどの知識を貯め込も
うとも、どれほど場を整えようとも、使おうとしている魔法に対す
る素養が存在しなければ、魔法を使う事は出来ないのだから。
この残酷なルールによっていったいどれほどの数の見習い魔法使
いの心が折られたのか、彼らが生み出したかもしれない魔法がどれ
だけあったのか、考えるだけでも辛くなるぐらいだ。
だが、仮に素養がない者でも魔法を使えるようにする方法が何か
しら存在したとしても⋮⋮今の流派ごとに分かれて、碌な交流を行
っていない現状ではそんなものを見出す事も、個人の素養に合わせ
て魔法を教える事も叶わないだろう。
そう言い切れる程度には、魔法使いの流派同士というのは仲が悪
い。
愚かしい事だ。
﹁んー⋮⋮今の話を聞いて、師匠にもう一つ聞きたい事が出来まし
た。良いですか?﹂
﹁何だ?﹂
799
と、小生が魔法の素養についての考えに耽っていたところ、シュ
ーラが再び声を上げる。
どうやらまだ聞きたい事が有るらしい。
まあ、小生の話を聞いて、新たな疑問が浮かぶのは悪い事ではな
いだろう。
誰かに何かを教えると言うのは、教える側にもいい影響を与える
ものなのだから。
﹁師匠は前に言ってましたよね。世の中にはヒトなのに、普通の魔
法使いよりも遥かに強力な魔法を使うヒトが居ると﹂
﹁ああ、確かに言ったな。それがどうした?﹂
﹁そのヒトの元々の魔法の素養はどうだったんでしょうか?﹂
﹁と言うと?﹂
﹁いえ、師匠の話を聞く限り、そのヒトは突然強力な魔法を使える
ようになったそうじゃないですか。だから妙だなと思って﹂
﹁ああなるほど﹂
小生はシューラにフローライトの事を、名前などは出さずに、突
然魔石なしに普通の魔法使いよりも強力な魔法を使える魔法使いと
して教えている。
その話を知っているからこそ、先程の魔法の素養の話を聞いたシ
ューラは疑問に思ったのだろう。
﹁まあ、確かに妙な話ではあるな。アイツの話が確かなら、碌な修
行も行わずに、突然あれだけの魔法を扱えるようになったのだから﹂
﹁ですよね﹂
﹁ただ小生としては、アレは何かしらの制約や制限を受けた上で得
た力だと思っている﹂
﹁制限に制約⋮⋮ですか﹂
﹁ああ、それこそソフィールの言う主ではないが、この世界の全て
に影響を及ぼしているような何者かが、その制限や制約を守ること
800
の対価として与えた力だとか、そう言ったものではないかと考えて
いる﹂
﹁なるほど﹂
﹁まあ、こういう力には可能な限り手を出すべきではないな。どん
なリスクや対価を負わされるか分かったものでは無い﹂
﹁あー、確かに。制約の内容次第では何も出来なくなっちゃいます
ものね﹂
﹁そう言う事だ﹂
ただそれに対する返答としては⋮⋮小生が見知った限りでは、何
かしらの制限がフローライトに有ったのではないかと思っている。
でなければ街全体を相手にするならばともかく、小生たちが来る
までドーラムたちが生きていた事に対する説明がつかない。
現に、最後の戦いの時フローライトは魔法でドーラムを圧倒して
いたのだから。
﹁ところで師匠、そう言う制約の代わりに力を得たヒトってどれぐ
らい居るんでしょうね?﹂
﹁さあな?時々妙な力を持つヒトの話は噂で聞くが、小生としては
その大半は嘘かペテン師に騙されたか、目撃者の知識不足だと思っ
ている。で、残りも大抵は小生のようなヒトによく似た妖魔の事で
はないかと思っている﹂
﹁そんな物ですか﹂
﹁そんなものだ。そうだな、珍しさも含めて考えると、ヒトの中の
変わり者として、別の呼称を考えておいた方が良いかもしれないな﹂
﹁別の呼称?﹂
ヒトの姿を持ち、ヒトとして生きるも、明らかにヒトでは説明の
つかない力を持つ者。
これをヒトと呼び、普通のヒトと同じ存在として括るのは何かと
問題があるかもしれない。
801
﹁ふむ。そうだな。一先ず小生と貴様の間では、そう言った者たち
の事を﹃英雄﹄とでも呼んでおこうか﹂
そう言うわけで、小生はそう言った存在を今後は英雄と呼ぶこと
にした。
﹁英雄⋮⋮ですか。何か普通の名前ですね。折角新しい概念に名前
を付けるんですから、そこはソトシェサノシトと⋮⋮﹂
﹁英雄だ。小生は絶対に譲らんぞ﹂
﹁ちぇー﹂
なお、余談ではあるが、シューラの命名センスは壊滅的である。
魔力と言う概念にマギマナーシュパワーとか名付けようとするぐ
らいには。
故に将来誰がコイツの旦那になって、どんな子供を産むのかは小
生の知った事ではないが、子供の命名だけは別の誰かがやってほし
いと切に願う。
802
第144話﹁シェーナの書−3﹂
﹁ふむ⋮⋮馬鹿弟子。一つ問題を出そう﹂
﹁何ですか師匠?藪から棒に﹂
冬の二の月の初めごろ。
小生は書き物をしている手を止めると、シューラに一つの問題を
出してみる事にした。
﹁貴様は魔力が何処で生まれて、何故それぞれの存在の中に留まっ
ていると思う?﹂
﹁魔力が何処から生まれて、どうして生み出したものの中に留まる
か⋮⋮ですか。うーん⋮⋮﹂
小生の問題にシューラは首をひねり、見るからに悩んでいますと
言う仕草を見せる。
﹁一応聞いてみますけど、師匠はこの問題の答えを分かっているん
ですよね﹂
﹁ある程度はだがな﹂
﹁つまり師匠が今書いているそれの為に、私の意見が欲しいんです
ね。なら真面目に考えないと駄目ですね﹂
﹁欲しいと言っても参考の参考程度だがな﹂
それなりに付き合いが長いだけあって、シューラは問題の裏の意
図まで理解してしまったらしい。
まあ、真面目に考える一助になっているなら別に構わないが。
﹁そうですね⋮⋮まず魔力を生み出すものは、非実体的な物だと思
います﹂
﹁根拠は?﹂
803
﹁一つは魔力が変換を行わない限り非実体的な物であり、そこに有
る事を感じ取り、込められた思いなどで影響を受ける事はあっても、
直接的に他の物に干渉する事が無いから﹂
﹁ふむ﹂
﹁もう一つは、私の場合魔力は胸の辺りから出て来て、溜まってる
感じが有るんですけど、そこに魔力を貯め込むような器官が無いか
ら。ですね﹂
﹁ほう、具体的には?﹂
﹁動物⋮⋮えーと、この場合はヒトや蜥蜴、狼なんかですけど、そ
う言った生物の胸の辺りにあるのは精々心臓、肺、食道、胃、後は
骨ぐらいなんですよね。でも、これらの器官が魔力を生み出すもの
とは思えませんし、取り込むものとも思えなかったんです﹂
﹁なるほど﹂
ふむ、どうやらシューラもそこの考えは小生と同じであったらし
い。
実際、どの器官も他の役割を持っている事は間違いないのだから、
魔力を生み出しているものとは考えづらいだろう。
﹁では魔力を留めるものは?﹂
﹁うーん⋮⋮生命力⋮⋮ですかね?﹂
﹁ほう?﹂
﹁えーと、まず大前提として、魔石は例外的な物として、それ以外
に魔力を有し、他の存在の魔力と混ざらないようにしているものを
考えると、全て生きているものであるように感じられるんですよね﹂
﹁だから生命力か﹂
﹁はい﹂
そして留めるものについては生命力がそうである⋮⋮か。
﹁惜しいな。百点満点中五十点と言う所だ﹂
残念だが、魔力を留めておく力があるのは生命力だけではない。
804
﹁えー⋮⋮﹂
﹁よく考えてみろ。魔力を体外に放出する時、小生たちは何でもっ
て魔力が拡散しないようにしている?﹂
﹁あっ、あー⋮⋮意思⋮⋮ですか﹂
﹁そうだ。意思によって、魔力が散っていくのを押しとどめる事が
出来るし、魔力の形や位置を変える事も出来る。それを考えれば、
意思によって魔力を体内に留める事が出来るのにも納得がいくだろ
う﹂
﹁ですねー﹂
シューラがしまったという顔をしつつも、納得の頷きをする。
実際、魔力が意思の影響を受けなければ、魔法使いなどと言うも
のは存在できなかっただろう。
﹁ああそれとだ。魔石を例外に置いたのも間違いだったな﹂
﹁と言うと?﹂
﹁これはソフィールが言っていた事だがな。魔石には、元の妖魔の
感情や意思と言ったものが残りかすのような形でだが、存在してい
るらしい。そして、その残りかすまでも上手く扱える職人が一流の
職人だそうだ﹂
﹁へー⋮⋮﹂
また、魔石は小生にとって専門外なので、詳しい事は分からない
が、ソフィア⋮⋮と言うよりは、数代前のペルノッタだった老人曰
く、生前の種族に関わらず、魔石には蓄えられている魔力の素養以
外にも、一つ一つ機嫌や感情のようなものがあるそうで、魔石が上
手く加工出来ない時は大抵この元の妖魔の残滓のようなものが原因
であるらしい。
ただ、この残滓は悪さをするだけでなく、上手く扱えば魔法の効
果を向上させる力もあるようで、事実マダレム・エーネミを滅ぼし
た手招く絞首台の魔法用の魔石を作る時も、この残滓を上手く使っ
805
ていたようだし、この事を理解してからソフィアの魔石加工技術は
飛躍的に上がっているようだった。
﹁で、その残りかすだが、これも当然⋮⋮﹂
﹁一種の意思である。ですか﹂
﹁そうだ﹂
なお、こちらは推測だが、この残滓が無いと魔石はそもそも出来
ないのではないかと小生は考えている。
なにせ残滓が無いと言う事は、この世に残す思いが無いという事
であり、この世に残す思いが無いという事は魔力を留めておくため
の生命力も意思も存在しないという事なのだから。
ああそれと、事実として餓死した妖魔の魔石はほぼ使い物になら
ないし、激戦の上で仕留めた妖魔の魔石よりも、一撃で仕留めた妖
魔の魔石の方が質が良いというのもよく言われる事ではある。
ソフィアに確認を取らないとこれが真実かどうかは分からないが。
﹁それにしても師匠﹂
﹁なんだ?﹂
﹁師匠はどうして本なんて書いているんですか?﹂
﹁ああそう言えば言ってなかったか﹂
と、シューラが書きかけの本を指差しながら、小生に尋ねてくる。
そして、その質問をされた事で小生もシューラにあの事を言って
いなかった事を思い出す。
うん、早めに言っておいた方が、シューラにとっても都合がいい
かもしれない。
﹁これは貴様に贈る本でな、小生が知る限りの魔法についての知識
が書いてある﹂
﹁⋮⋮。どうしてそんなものを?﹂
﹁マタンゴ騒ぎの件でな。ソフィールからマダレム・イーゲンには
806
あまり近づかない方がいいと言われている。だから小生がこの地に
来るのも、今年で最後にするつもりだ﹂
﹁⋮⋮。だから、その本を?﹂
﹁そうだ。この本があれば小生が居なくても魔法の知識は伝えられ
るし、今後小生の身に何かがあっても、小生の知識だけはこの世に
残せるからな﹂
﹁そう⋮⋮ですか。そうですよね⋮⋮﹂
小生は書きかけの本についての説明をシューラにする。
説明を聞いたシューラはどこか悲しそうにしているが、こればか
りは仕方がないだろう。
小生は妖魔で、シューラはヒト、本来ならばこうしてこの場に一
緒に居る事がおかしい二人なのだから。
そしてそれ以上に、シューラと違って小生は何時死んでもおかし
くない身でもある。
﹁シューラ。小生はお前の事を信頼している。だからこそ、お前に
小生の知識を記した本を渡す。それは分かっているな﹂
﹁⋮⋮。はい。分かっています。仮にこれから師匠に会えなくても、
私は師匠から授かった全てを大切にしたいと思います﹂
だから小生はこの本を書くことに決めた。
妖魔に教えを乞うような馬鹿弟子が道を違えたりしないようにす
るべく。
807
第144話﹁シェーナの書−3﹂︵後書き︶
06/29誤字訂正
808
第145話﹁シェーナの書−4﹂
﹁ふんっ!﹂
小生は気合の声を上げながら、手に持った紐を通して、その先に
ある一見柄の無い金貨へと溢れんばかりの魔力を注ぎ込もうとする。
すると、金貨は制限なく放出すればこの小屋全体を覆い尽くせる
ほどの魔力を難なく吸い込むと、一瞬その表面に六角六翼六腕の細
長い生物の姿を浮かび上がらせつつ、四つの親指の爪ほどの大きさ
の宝石⋮⋮ルビー、サファイア、エメラルド、トパーズを生み出す。
ふうっ、どうやら上手くいったらしい。
﹁師匠、今のは⋮⋮﹂
﹁これか?これは小生の魔力を⋮⋮そうだな。疑似魔石とでも言う
ような形に変換したものでな。作る時に込めた意思に沿って、中の
魔力が尽きるまで働いてくれる﹂
小生は四つの宝石を手に取ると、本の表紙として革と装飾用の樹
を接着の魔法で融合させて作ったものに填め込み、取れる事が無い
ように宝石も本と融合させていく。
うん、丸い胴体を持つ蛞蝓の図を上から三分の一ぐらいの位置に
付け、その蛞蝓の胴体の中に宝石を収めてみたが、中々に良いデザ
インに仕上がったな。
これならそれらしく見えるだろう。
﹁ただまあ、シューラ。貴様が聞きたいのはそう言う事ではないの
だろう﹂
﹁はい。その⋮⋮そのペンダントは師匠が?﹂
﹁いや、拾い物だ﹂
さて、しっかり宝石の中の魔法が起動した事を確かめるまでの間
809
に、シューラの疑問を解消しておくとしよう。
﹁拾い物⋮⋮ですか﹂
﹁そうだ。小生もどこの誰が何を思って、今のような妖魔にとって
もそれなりにきつい量の魔力を取り込み、魔石と同じような力を持
つ宝石に変換するなどと言う有り得ない逸品を作り出したのかは知
らない。が、中々に便利だからな。こうして使わせてもらっている﹂
﹁なるほど﹂
﹁ちなみに貴様の思っている事を先読みして言わせてもらうなら、
これは英雄が造ったものでは無い。と言うより、英雄でもこんな物
を造るのは無理だろうな﹂
﹁えっ!?﹂
小生の金貨に対する説明と、製作者は英雄すら超える何者かとい
う言葉に、シューラは驚きの表情を浮かべる。
だがまあ、実際物を造ることに特化した英雄でも、この金貨や、
ソフィアのハルバード、トーコの鍋などを造るのは無理だろう。
なにせどの物品を造るにしても、並どころか一流の魔法使いでも
到達できないであろう領域にまで至った魔法を必要とし、それと同
じぐらい職人としての技量も要求されるのだから。
﹁個人的な意見を言わせてもらうのならば⋮⋮そうだな。これを造
ったのは、英雄に力を与えている存在か、それに並ぶような存在だ
ろうな﹂
﹁そんな存在が⋮⋮﹂
﹁居るはずだとも。でなければ、制約を課し、制約が守られている
かを確かめるのは自分自身で出来ても、力が増える理屈が説明でき
ないからな﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁それこそ、その存在こそがソフィールが冗談で言ったであろう主
⋮⋮世界全てを統べるような主だったとしても、小生としては驚く
810
に値しないぐらいだ﹂
﹁それほど⋮⋮ですか﹂
そんな次元にヒトが到達するには、どう足掻いても時間が足りな
いだろう。
いや、寿命が無いかもしれない妖魔であっても、その領域に到達
するのは厳しいかもしれない。
だからこそ、魔法を人並み以上に扱えるようになった小生として
は、そんな異次元の存在を認めざるを得なかった。
﹁と、そろそろいいな﹂
﹁あ、手伝います﹂
﹁順番や上下、裏表を間違えるなよ。ここで順番を間違えたら、後
世まで残る恥になる﹂
﹁は、はい﹂
と、ここで宝石に込めた魔法が機能し始めた事を感じ取った小生
は、シューラと共に本の本体となる羊皮紙の束の状態を改めて確か
めていく。
当然、本の中身の文章についてもだ。
書き損じは勿論の事、誤字脱字などをそのままにしておいたら、
グルー
この本が意図しているものの関係上、末代まで残る恥になりかねな
い。
﹁大丈夫そうですね﹂
﹁そのようだな。では、接着﹂
さて、文章が大丈夫な事を確かめたところで、小生は予め作って
おいた表紙、利き紙、本体を組み合わせ、接着の魔法によってそれ
らを融合させていく。
そして肝心の宝石の魔法⋮⋮うん、しっかりと本の本体にまで及
んでいる。
これで、よほど荒い使い方でもされない限りは、シューラが生き
811
ている間はその形を保ち続ける事だろう。
﹁これで完成⋮⋮ですか?﹂
﹁そう言う事になる﹂
さて、完成した本だが、中身は御使いシェーナの名前で魔法につ
いての諸々の知識を記している。
これで、魔法を扱うための基礎ぐらいは、文字さえ読めればほぼ
誰でも学べるだろう。
﹁さて、分かっているな。シューラ﹂
﹁はい﹂
さて、今は冬の三の月が半分ほど終わった頃である。
それはつまり小生がこの地を離れる時期が近づいているという事
でもあるが、去年、一昨年と違って、今回は今生の別れになる予定
である。
﹁貴様は既にその身一つで魔法を使えるようになっている。そして、
小生の知識を表したこの本も渡す。故に後必要なのは⋮⋮﹂
﹁私自身の意欲ですよね。分かっています。師匠﹂
﹁その通りだ﹂
だが小生は心配していない。
シューラならば、この本さえあれば、後は自力で何とかして見せ
るだろう。
その程度には利発的な娘である事を小生は知っている。
﹁ただ師匠?﹂
﹁なんだ?﹂
ただまあ、それ程までに親しかったからこそ、この後のシューラ
の行動を小生には予測できなかったのだが。
812
﹁っつ!?何を!?﹂
﹁師匠、ヒトはどうしてもブレたり間違えたりする生き物なんです。
だから、間違えない為にも何かしらの楔が必要なんです﹂
いつの間にか小生はシューラに押し倒されていた。
そして、シューラの方が小生よりも背が高く、小生の腕力が普通
のヒト並でしかなかったために、小生にはシューラを力で跳ね除け
る事は出来なかった。
﹁ですから師匠⋮⋮﹂
﹁おい待て何を!?﹂
﹁私が間違えない為の楔を下さいね﹂
﹁まっ⋮⋮﹂
そうして小生は⋮⋮ある意味でシューラに食われた。
813
第145話﹁シェーナの書−4﹂︵後書き︶
シェルナーシュの身体能力はお察しだからぁ⋮⋮
814
第146話﹁シェーナの書−5﹂
邂逅者テトラスタの娘、シューラ。
彼女はテトラスタ教の教えを受け取った邂逅者の娘として考える
には、少々どころでなく自由奔放な性格であったとされ、生涯夫を
持たず、家を守らず、己の魔法の研鑽に身を費やし、彼女が落ち着
いていたのは子であるルズナーシュが育つまでの一時だけであった
とされている。
さて、そんな彼女が﹃シェーナの書﹄を手にする事に至ったエピ
ソードだが⋮⋮︵中略︶⋮⋮と言う事であり、全てが真実であるな
らば彼女は魔法について御使いシェーナから直接教えを受けた三人
目の邂逅者と言う事になる。
彼女が本当に邂逅者であるかはさて置くとして、事実として彼女
の魔法の力量は、各種記録から鑑みるに現代でもなお高いと言え、
その身一つで宙に燃え盛る炎を生み出した事もあれば、マダレム・
イーゲンを襲った野盗の集団をたった一人で焼き払って見せた事も
あるとされている。
そして、他にも高い魔法能力を有する事を示すようなエピソード
を数多く所有している。
ここにそのエピソードを幾つか示すとする。
︵中略︶
また、これらのエピソードに加えて、﹃シェーナの書﹄の写本を
何冊も作り、当時マダレム・イーゲンに拠点を置いていた魔法使い
の流派﹃光の手﹄の技術を大きく向上させると共に、全ての人の魔
815
法能力向上に尽力したとされている。
そのため、﹃光の手﹄では彼女の働きに敬意を示すと共に、その
名を讃えるべくその名を﹃輝炎の右手﹄と改めると共に、彼女の息
子にして彼女と同じかそれ以上の魔法使いだったとされるルズナー
シュが﹃輝炎の右手﹄の初代首領に就いたと言う話も残っている。
なお、ルズナーシュと言えば、現代でも優秀な魔法使いの先祖を
辿れば、必ずその名が出てくるとされるほど優秀な魔法使いである
と同時に、六十代になっても若い愛人との間にまだ新しい子供を作
ったとされるほどに好色な人物として有名ではあるが、桁外れに好
色なだけで後は至極真っ当な人物であり、全ての子供と孫と妻と愛
人を平等に愛したとされる、世の多くの男性が抱えていそうな夢を
ある意味叶えてみせた人物でもある。
彼についてはその女性遍歴だけで一冊の本が書けそうな人物であ
るため、ここではこれ以上語ることはしない。
﹃シェーナの書﹄。
御使いシェーナが記し、シューラに授けたとされる書物。
その中身は魔法についての基礎的な知識であり、内容の大半は現
代でもなお通用するとされるものである。
なお、内容については、多岐にわたる上に写本も数多く存在し、
魔法使いを志す者ならば一度は見たことがあるであろうし、ここで
は記述しない。
それと、この書物を本当に御使いシェーナが書いたかどうかにつ
いては論じない。
本の著者として記されている名がシェーナであるだけで、書を受
け取ったシューラ自身が書を書いた存在について語ることも無けれ
ば、他に物的証拠が存在しない為である。
816
だが、この本の原典が、御使いシェーナの名を冠するに相応しい
本である事は事実である。
私は本書執筆にあたって、マダレム・イーゲンの教皇庁に保存さ
れている各種資料を見させていただいたのだが、前レーヴォル暦4
0年頃から存在しているとはとても思えないものだった。
スクロール
と言うのも、当時の本と言えば巻物もしくは紐綴じの本のいずれ
かであるのに対して、﹃シェーナの書﹄は一見すれば現代または近
代に造られた本のように見える作りになっているのである。
ここで重要なのは一見すればと言う点である。
と言うのも、﹃シェーナの書﹄は一見すれば現代の本のような装
丁になっているが、その実糊は一切使われておらず、表紙の樹と革
も、本体である羊皮紙も、表紙に飾られている四つの宝石も、お互
いの接触面を僅かに溶かして融合させることによって造られている
からである。
当然このような技術は現代でも極限られた魔法使いにしかできな
い匠の技であり、私が知る限りでは同様の技法でもって作られた書
物は﹃四つ星の書﹄の原典を含めて、数冊しか存在しない。
また、﹃シェーナの書﹄の表紙に飾られている四つの宝石は、調
査によって特殊な加工を施された魔石であることが分かっている。
この四つの魔石によって、現代でもなお﹃シェーナの書﹄は造ら
れた当時の姿を維持すると共に、悪意を以て書を傷つけようとする
ものを罰するとされている。
そして、このような逸話があるために、この四つの宝石が填め込
まれている部分の装飾⋮⋮丸い胴体の中に四つの宝石が収められた
この装飾は珠蛞蝓と呼ばれ、多くの魔法使いが御使いシェーナの英
知にあやかれるように身に着けるようになっている。
817
歴史家 ジニアス・グロディウス
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
︵原稿の片隅に書かれている︶
私個人としては、シューラのエピソードは全て真実であると共に、
敢えて本文の中では書かなかったが、ルズナーシュの父親は御使い
シェーナであると言う事に対して確信を抱いている。
残念な事に確信を抱くきっかけとなった情報源については明かす
事は出来ないが。
ただ⋮⋮情報源の話が真実であるとした場合、御使いシェーナの
名誉を著しく損なう事になる。
尤も、これが真実であるほうが、御使いシェーナの人間嫌いな性
格に納得がいってしまうのもまた事実である。
いずれにしても、この真実について私は墓場にまで持って行くこ
ととしよう。
818
第146話﹁シェーナの書−5﹂︵後書き︶
文中で前レーヴォル歴40年頃と言っているのは、正確な年数の特
定が行えない為です。
819
第147話﹁シェーナの書−6﹂
﹁と言う事が有ったんだ⋮⋮﹂
﹁シエルん大変だったね⋮⋮﹂
﹁何と言うか⋮⋮ご愁傷様と言う他ないわね﹂
﹁まあその⋮⋮その内良い事があるだろうさ﹂
夏の二の月は新月の日。
私たちはもはや毎年恒例の行事として、マダレム・エーネミ跡地
に集まり、お互いの近況について話しあっていたのだが⋮⋮うん、
シェルナーシュが遭遇した事態について聞いた私たちには、シェル
ナーシュを慰めること以外は出来そうになかった。
いやうん、幾らシェルナーシュの腕力が普通のヒト並しかないと
はいえ、妖魔を性的な目的で襲うヒトが居るとは⋮⋮剛毅な人間も
居るものである。
﹁ぐすんぐすん﹂
﹁よーしよーし﹂
﹁おい、ソフィア﹂
﹁何かしら?サブカ﹂
さて、トーコがシェルナーシュの事を慰めている間に、私に話が
あるらしいサブカとの話を済ませてしまおうか。
﹁質問だが、ヒトが妖魔の子を身ごもるなんてことがあるのか?﹂
﹁んー⋮⋮、私自身は見た事はないけれど、噂とかでなら、そう言
う話は時折聞くわね﹂
﹁時折か﹂
﹁まあ、ヒトと妖魔の子が居てもおかしくはないと思うわよ。雄の
妖魔がヒトの女性の事を少しでも美味しく食べたいと考えた時に、
820
相手を犯すというのは一番よく使われる手段だし、そうやって相手
を犯している時は周りへの注意もおろそかになる。だからその場に
他の誰かが居れば、犯されはしてもヒトの女性が助かる可能性は十
分にあるもの﹂
﹁なるほど﹂
私の言葉にサブカは納得したと言うような表情を見せる。
ただまあ、私としては厄介なのはここからだと思っているが。
﹁ただまあ、そうやって産まれたヒトと妖魔の子がマトモに育つ可
能性は少ないと思うけどね﹂
﹁何?﹂
私の発言に先程まで安心した様子を見せていたサブカが訝しげな
視線を向けてくる。
﹁先に言っておくけど、シェルナーシュの例は特例中の特例よ。普
通の妖魔とヒトの間に出来る子は、ヒトの女性からしてみれば無理
矢理造らされた子供。おまけにヒトの側からしてみれば、ヒトを食
う化け物の血を引いた子供なのよ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁妊娠している時でさえ、自分の腹を食い破って出て来るんじゃな
いかと恐怖するだろうし、成長すれば家族や友人たちを襲うかもし
れない。そんな風に思えてしまう子を育てる親なんてまず居ないわ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁となれば、大半の子は良くて何処か適当な場所に捨てられ、酷け
れば産まれた直後に殺される⋮⋮いえ、普通の親の元で成長した後
に受けるであろう扱いを考えれば、産まれた直後に殺された方がま
だ幾らかマシかもしれないわね﹂
﹁⋮⋮。それほどまでに酷い扱いになる可能性もあるのか﹂
﹁ある。と言うより、合いの子が百人居れば、九十九人は確実にそ
う言う育ち方を、残りの一人も多少マシな育ち方をする程度でしょ
821
うね﹂
﹁⋮⋮﹂
私が挙げた妖魔とヒトの間に出来た子が辿る道筋に、サブカは何
処か悔しそうな表情を浮かべる。
恐らくは自分に何か出来る事が無いかと考え、直ぐに自分の見た
目ではどうしようもない事を、そもそもとして自身も子供たちがそ
う言う扱いを受ける原因の一助になっている事に気付いたからだろ
う。
﹁まあ、無事に育つかどうかは、産まれた子の周囲の環境次第。成
長過程において私たちに出来る事は何も無いし、その後を考えれば
むしろ関わりを持たないようにした方がいいわ﹂
﹁⋮⋮出来る事が何も無いのは分かるが、関わりを持つなと言うの
はどういう事だ?﹂
﹁あくまでも噂から推測したに過ぎないのだけれど⋮⋮﹂
私は近くの壁に寄りかかり、腕を組みながら、この世の何処かに
居るであろうマトモに育った妖魔とヒトの子の存在を頭の中に思い
浮かべる。
ウェア
﹁ヒトと妖魔の間に出来た子は、ただのヒトには無い特徴⋮⋮つま
りは妖魔の力を幾らか受け継いでいると言われているのよ﹂
オーク
﹁おい待て!?それはつまり⋮⋮﹂
ウルフ
﹁そうね。単純に考えれば、豚の妖魔が父親なら人外の膂力。狼の
妖魔が父親なら並外れた嗅覚や鋭い爪。シェルナーシュなら人並み
外れた魔力と言ったところかしら﹂
﹁⋮⋮﹂
まあシェルナーシュならそうかと言うような表情をサブカが浮か
べているのはさて置いて、私は話を続ける。
﹁勿論何も受け継がない可能性もあれば、多少普通のヒトよりも毛
822
深くなる程度の微細な変化だけの可能性もある。ああ、尻尾や翼が
生えるなんてのもあり得るかもしれないわね﹂
﹁何でもありだな﹂
﹁ええ、そしてヒトにとって最悪の場合には、妖魔共通のヒトを食
わなければいけない性質を。妖魔にとって最悪の場合には、妖魔と
ヒトを見極める能力だけを受け継ぐ可能性だってあるわ﹂
﹁それは⋮⋮拙いな﹂
﹁ええ、拙いわ。だからそうね。シェルナーシュが言う所の英雄を
謎の存在との契約によって生み出される後天的英雄と称すなら、妖
魔とヒトの子は先天的英雄とでも称して、どちらとも戦いにならな
いように、関わり合いにならないように動いた方がいいでしょうね﹂
﹁⋮⋮﹂
サブカがどちらの立場にとって拙いと言っているのかは敢えて問
わない。
問わなくてもどうせ分かる事だし。
﹁まあそう言うわけだから、私たちとしては英雄と関わり合いにな
らないようにだけ気を付けて行動をしましょう。どうせ私たち妖魔
よりも更に数が少ない存在なわけだしね﹂
﹁分かった。覚えておく﹂
そうして、二種類の英雄についてどうするかをトーコとシェルナ
ーシュに伝えたところで、この年の集まりは終わりを迎える事にな
った。
823
第147話﹁シェーナの書−6﹂︵後書き︶
後天的でも先天的でも英雄︵正確には英雄になれる素質︶には違い
ありません。
07/01誤字訂正
824
第148話﹁蛇の参−1﹂
﹁さぁて、目当てのものはあるかしらね﹂
その年の春の一の月。
私はヘニトグロ地方西部の都市国家、マダレム・シトモォにやっ
て来ていた。
﹁さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。海の向こうからや
ってきた珍しい品々だよ∼!﹂
﹁近海で獲れた新鮮な魚だよぉ!今晩のオカズにどうだい!?﹂
﹁此処に居りますは世にも珍しき異国の獣⋮⋮﹂
石で造られた建物の間には大小無数の坂道が張り巡らされ、街全
体が旅人である私にとっては少々厳しい程度の起伏に富んでいるが、
この街で育った住民たちは何と言う事はないと言った様子で、今日
も日々の糧を得る事に精を出しているようだった。
さて、そんなマダレム・シトモォであるが、住民たちの声から分
かる通り、港を中心に造られた都市国家であり、港には貿易の為に
やってきた大小様々な船が停泊している。
その光景と賑わいは、ヘニトグロ地方東部に在る似た性質の都市
国家、マダレム・シキョーレに勝るとも劣らないだろう。
﹁スネッヘの方の様子はどうだ?﹂
﹁普段と変わりなく。ってところだな。ヘニトグロは?﹂
﹁妙な妖魔の噂が止まないな。それとテトラスタとか言う奴の教え
も⋮⋮﹂
ただ、マダレム・シトモォで扱っている品は、マダレム・シキョ
ーレとはだいぶ異なっている。
マダレム・シキョーレが各地へと穀物を輸出する一方で、ヘテイ
825
ルやスラグメ、それにヘニトグロ地方の他の地域から様々な品々を
輸入していた。
それに対して、マダレム・シトモォではこの辺りで造られた品々
やシムロ・ヌークセンで採れる硫黄とか言う結晶、後は宝石などを
輸出し、代わりに食料を始めとした生活に必要な品物や、海の向こ
うの地域で造られた品々を輸入しているようだった。
﹁あー、一足早い春が嬉しいぜ﹂
﹁そういやヘムネマの方はまだ冬が明けていないんだったか﹂
﹁そうそう。だいたい春の二の月の半ばぐらいまでは冬と一緒なん
だわ。おかげで⋮⋮﹂
なお、地理や交易路としては、マダレム・シトモォから南下し、
途中からヘニトグロ地方の南岸に沿って東に進み続けると、途中で
幾つかの小さな港を挟んだ後、マダレム・シキョーレに到達する航
路が一つ。
マダレム・シトモォから真っ直ぐ西に進むと、スネッへと言う名
前の地域に出るのが一つ。
マダレム・シトモォから北に進むとヘムネマと言う名前の地域に
出て、そこから岸に沿って進み続けると、いずれはスネッヘに辿り
着くと言う航路が一つあるらしい。
﹁まあ、どの地域も今は行く必要はないと言うか、食料の問題で行
けないと言うか、行ったら夏までに帰って来れるかも怪しいわね。
ヘムネマに至ってはアレだし﹂
勿論スネッヘにもヘムネマにも今回はいかない。
船旅は妖魔にとってはリスクが高すぎるからだ。
一応、ヘムネマはヘニトグロ地方北西部から歩いて入れる地域で、
ヘムネマを経由すれば歩いてスネッヘに行くこともできるが、それ
をやると夏の二の月までにマダレム・エーネミに帰って来る事は出
来なくなるだろうし、やるなら次の集まりの時に顔を出さなくても
826
心配しないように皆に伝えて⋮⋮その上で次の春を待ってからだろ
う。
この街の人々の話を聞く限り、ヘムネマの冬はヘニトグロ地方の
冬とは比べ物にならない程に厳しいようであるし。
で、これらの問題を乗り越えた上で、現状ヘムネマとスネッヘに
行く必要が有るかと言えば⋮⋮少々微妙である。
うん、これは何か珍しいものがあるとか、行かざるを得ない理由
があるとか、そう言う事にならなければ行かなくてもいいか。
﹁と、それよりも。目的の物を探さないと。あ、そこの綺麗なおば
様。これくださいな﹂
﹁あらあら、綺麗だなんて。あんたの方が遥かに綺麗じゃないかい。
はい、どうぞ﹂
﹁ふふふ、でも歳を取るなら貴女のように取りたいわ。ああ、あり
がとうね﹂
﹁ふふふっ、嬉しいねぇ。と、毎度ありー﹂
と、ここで私はシトモォにやってきた本来の理由を思い出すと、
露店で小さな魚の干物を良く焼いた串を買うと、それを頬張りなが
ら目的のものを探すべく周囲の店の品々を見て回り始める。
うん、干物が美味しい。
素敵な歳の取り方をなさっているおば様が焼いていたので買って
みたのだが、一口食べただけで分かる絶妙な焼き具合とそれに伴う
香ばしさ、食感、旨味。
ああ、口の中が幸せで、これは大当たりと言っていいだろう。
﹁と、いけないいけない﹂
⋮⋮いけない。一瞬、完全にこの街に来た目的を忘れて、干物の
味に現を抜かしていた。
恐るべし素敵なおば様の技。
ただの干物を普通に焼いた⋮⋮って、私はトーコか!
827
ああもう、少し落ち着かないと。
﹁モグモグモグモグ。これでよしっ!﹂
と言うわけで、急いで残りの干物を全て食べると、私は改めて露
店で売られている品々や、大きな店の店頭に並べられている品々を
見て回り始める。
今回私がマダレム・シトモォにやってきた理由はただ一つ。
現在私が開発、練習しているとある魔法を使う上で必要になった
ある物品を入手することである。
828
第148話﹁蛇の参−1﹂︵後書き︶
07/02 誤字訂正
07/18 誤字訂正
829
第149話﹁蛇の参−2﹂
﹁ふぅ、何とか目的のものは手に入ったわね﹂
数時間後。
その日の宿の部屋に入った私は、ほぼ全財産を払って手に入れた
それを革袋の中から取り出し、夕日にかざす。
﹁うん、実験用としては良い具合ね﹂
私が求めていたもの。
それは光を良く通す透明な鉱物、つまりは宝石だった。
で、そんな宝石の中でも、私は出来るだけ色がない物を探しまわ
っていたのだが⋮⋮シトモォ中を探し回り、財布の中身と相談した
結果、入手できたのは結晶の中に若干の曇りが見える水晶の原石だ
った。
本音を言えば一切の曇りを持たない水晶が理想だったのだけれど
⋮⋮まあ、まだ成功するかもどうかも分からないし、実験用だし、
失っても出来るだけ痛くない物を使った方がいいだろう。
私の目的を果たせる大きさで曇りが無い水晶の値段が目が飛び出
るぐらいに高かったと言うのも、理由の一端ではあるけどさ。
﹁ま、懐事情はさて置いて、早速作業を始めましょうかね﹂
私は魔石加工用の道具を取り出すと、原石から水晶を取り出す作
業を始める。
その後の加工も考えると、出来るだけ完全な状態で取り出したい
ところではある。
﹁ふんふふん∼♪﹂
さて、そもそも何故私は水晶を求めているのか。
830
それは﹃黄晶の医術師﹄との諸々で、想像以上に私は正面切った
戦いが苦手な事が分かってしまい、その苦手を克服するための方策
の一つとして考えた魔法に前述の光を良く通す透明な鉱物が必要に
なってしまったからである。
﹁よし取れた﹂
と言うわけで、まずは無事に原石から水晶を取り出す事に成功す
る。
この大きさならば⋮⋮うん、必要な大きさの水晶玉を二つ削り出
すぐらいは問題ないだろう。
﹁じゃ、慎重に割って、それから削りましょうかね﹂
私は必要な道具を机の上に並べると、周りの部屋に迷惑にならな
いよう音に気を付けながら、原石から取り出した水晶を二つに割り
始める。
で、作業をする傍らで改めて思い浮かべる。
私が苦手とする相手⋮⋮正面からしか戦わせてもらえない相手を
倒すにはどうすればいいかを。
﹁直接的な戦いや顔や正体がバレていいなら、毒とか能力を使うと
かよねぇ﹂
まず相手が一人、二人、それに⋮⋮三人ぐらいまでなら、今の私
が持つ全ての能力を以て不意討ちを行えば、難なく勝てるだろう。
正体がバレて良いのなら、毒の牙や他の妖魔との協力と言う手段
だってある。
後は、移動ルートや性格なんかが分かっていれば、待ち伏せに近
い手や、水の妖魔に使ったような手段も使えるだろう。
と言うわけで、相手の数が少ないならば、どうとでもなる。
﹁問題は⋮⋮﹂
831
となるとやはり問題になるのは﹃黄晶の医術師﹄のような集団の
場合だ。
この場合、袋叩きにされないためにも正体はバレないようにしな
ければならないし、後々問題にならないように目的を達するとなる
と、マダレム・ダーイの時のように適当な妖魔を呼び寄せると言う
手段も少々厳しい事になるだろう。
特に最近は私のような知恵ある妖魔の存在がヒトの間で認識され
始めているわけだし、大規模な襲撃を行うと、偶然であっても私の
元にまで疑惑の目が届く可能性はゼロではないだろう。
﹁うん、やっぱりこれは必要ね﹂
ではそんな相手と戦うにはどうすればいいのか。
幾つかの手は考えたが⋮⋮その中で一つ思い至ったのは、本当に
正面から戦う必要が有るのかを改めて確かめる必要があるのではな
いかと言う考えだった。
ではどうやってそれを確かめるのか。
それには、私自身の目でもなく、私が丸呑みにしたヒトの記憶で
もない、新たな情報収集手段が必要だと私は感じた。
そして、その新たな情報収集手段として思い浮かんだのは⋮⋮キ
キから得た使役魔法だった。
﹁⋮⋮﹂
私は割った水晶を球形を目指して研磨していきながら、改めて使
役魔法の特性を思い起こす。
使役魔法は契約対象を自分の手足のように動かす魔法である。
その特性上、触覚を始めとした契約対象の五感を術者の五感と同
期する必要が有り、これは裏を返せば、契約対象が見ているものや
聞いているものを、術者も見聞きする事が出来ると言う事でもある。
そして、実際にキキの出生地の辺りでは、使役魔法を偵察に使う
事は良く行われている事であったそうだ。
832
﹁よし出来た﹂
が、ここで一つ問題があった。
私が使役魔法の契約対象として選んでしまったのは土である。
土は生物ではない。
当たり前と言えば当たり前だが、そのために使役魔法の対象と対
象外を見極める為に副次的に発生した触覚と、音が体を振るうわせ
るのを利用した疑似的な聴覚以外には五感と言うものが存在しなか
った。
偵察活動において、嗅覚と味覚は無くても何とかなるが、視覚が
無いのは致命傷だと言ってもいい。
そして、使役魔法は術者への負担を考慮してか、基本的に再契約
と言うものが行えないようになっていて、どうしてもと言う時には
それ専門の術者の手に掛かる必要が有るという私だけでは絶対に契
約解除が不可能な状況になっていた。
﹁さて、これが目の代わりになってくれると良いんだけどね﹂
ではどうやって土を契約対象としたまま視覚を得るか。
そのヒントとなったのがヒーラの持つ医学的な知識であり⋮⋮そ
こから導き出した答えが私の手の中で輝く小さな水晶玉だった。
833
第150話﹁蛇の参−3﹂
﹁さて、始めますか﹂
翌日。
私はマダレム・シトモォ近郊の森の中にやってくると、周囲にヒ
トや妖魔、獣の類が居ない事を確かめてから、地面を掘り起こし、
掘り起こした土を予め広げておいた布の上に乗せていく。
ヒート
﹁加熱﹂
そして、必要な量の土が集まったところで、盛り上げた土全体を
熱するように加熱の魔法を発動。
掘り上げた土の中に居た生物を追い出すと同時に、契約魔法発動
の際に体内の異物として少なくない違和感を与えてくる草の根を焼
いて除去していく。
﹁これで下準備は良し。と﹂
こうして対象とする土の量を限った上に下処理を行っておくこと
で、初めて使役魔法を使った時のように大量の情報に押し流された
り、苦痛を味わったりする事はしなくて済むだろう。
﹁じゃ⋮⋮発動﹂
私は魔石を間に挟むようにして盛り上げた土に触ると、使役魔法
を発動。
盛り上げた土だけを対象として触覚を共有し始めると同時に、私
の手足として動かせるように感覚を張り巡らせていく。
﹁聴覚共有開始⋮⋮あーあー、よし﹂
続けて土の中でもよく震える粒を一ヶ所に集めると、それを耳に
834
する形で疑似聴覚を発生させる。
すると、無事に聴覚の共有が完了した証として、微妙に響き方や
タイミングに差を持った状態で私自身の声が聞こえてくるようにな
る。
﹁で⋮⋮目の前に形を整えるべきね﹂
私は懐から昨夜削り出した一対の水晶玉を取り出す。
だが、それを土の中に入れる前に私は動かしやすさから考えて、
この盛り上げた土を何かしらの動物の形に整えるべきだと判断した。
﹁⋮⋮﹂
では、どんな形にするべきか。
情報収集を目的とするのであれば、鳥が最良の形だろう。
空を飛べる上に、形だけならば街の中に居ても街の外に居ても早
々疑われることはなく、目の具合と偽装さえ十分に良ければ、相手
の攻撃が届かない距離から一方的に監視することも出来るだろう。
が、今すぐ使い物になるかと言われれば、怪しいとしか言いよう
がない。
雛鳥が生まれてすぐに飛べない事から考えても、空を飛ぶと言う
行為にはそれ相応の修練が必要なのだろう。
そしてそれは視覚の共有が出来ていない現状ではやるべきでない
事柄だと思う。
いずれはやれるようになりたくはあるが。
﹁んー⋮⋮﹂
では鳥を除いて、私はこの土をどんな姿にするべきだろうか。
犬⋮⋮偽装込みなら使い勝手は良さそうだが、よく知られている
生物だけに色々と面倒事を引き起こしそうでもある。
猫⋮⋮犬と同じで疑われることは少なそうだが、面倒事も多くな
りそうではある。
835
蜥蜴⋮⋮使い勝手は良いだろうが、今回用意した水晶玉のサイズ
には合わなさそうである。
ラミア
魚⋮⋮土を水に入れたらどうなる?これを考えただけで無いと言
い切れる。
蛇⋮⋮私自身が蛇の妖魔なだけあって、身体構造や動き方は把握
している。
﹁やっぱり蛇が良さそうね﹂
私はそう結論付けると、盛った土を蛇の形に変えていく。
土の量が多かったために蛇は蛇でも大蛇と普通の蛇の中間ぐらい
の大きさになってしまったが⋮⋮まあ、サイズについては今回の実
験が上手くいってから調節すればいいだろう。
ブラウニー
ポイズン
動きについても本物の蛇と全く変わらない動きが出来そうである
し、今回の実験が上手くいったなら、焼き菓子の毒を仕込んだ牙を
口の中や体内に仕込んでおくのもいいかもしれない。
何かしらの攻撃手段を仕込んでおいても困るものではないし。
﹁じゃ、水晶玉投入っと﹂
今後の改良点を考えながらも、私は水晶玉を蛇の頭部分に埋め込
んでいく。
すると、今の時点では異物扱いなので、当然のように身体の中に
何かを入れられたような異物感が私に伝わってくる。
そして、その感覚を確認した所で、私は普通の生物の目と同じよ
うに、二つの水晶玉の表面が外からでも僅かに見えるよう土で覆っ
ていく。
これで準備は完了だ。
﹁むんっ!﹂
私は使役魔法の範囲を僅かに広げ、身体の中に埋められた水晶玉
も自分の肉体の一部として受け入れるように認識を改めていく。
836
特に水晶玉に接触している部分の土に対しては、光によく反応す
るように調整を行っていく。
そうして準備が整ったところで私の視覚と蛇の疑似的な視覚を共
有させ始める。
﹁﹃これは⋮⋮面白いわね﹄﹂
やがて見えてきたのは?
使っている水晶玉の関係で多少ぼやけてはいるが、蛇を見ている
私の姿が見えてきた。
口では何とも表現しづらい感じだが、蛇の顔と、蛇の顔を見つめ
ている私が同時に見え、私が発した声も微妙にずれた状態で二重に
聞こえている。
そして、首を触られている感触も、首を触っている感触も同時に
している。
うん、何とも不思議な感覚で、気を付けないとどちらが私の主と
すべき感覚なのかが分からなくなりそうだ。
これは要練習と言うか、慣れない内は自分の身体は何処か安全な
場所に置いて、蛇の操作に集中するべきであるかもしれない。
﹁何にしても成功ね﹂
いずれにしても視覚の共有自体は上手くいった。
次の改良や練習については地道に行えばいいだろう。
と、ここでふと思う。
キキたちの流派では非生物との契約は基本的に禁じていた。
だが私はそれを成し遂げ、非生物には本来ないはずの視覚や聴覚
も代わりのものを与える事で認識できるようにしてしまった。
うん、少々不遜ではあるかもしれないが、此処まで来ると最早キ
キが言う所の使役魔法とは違う種類の新しい魔法として扱った方が、
何かと都合がいいかもしれない。
837
﹁となると名前は⋮⋮﹂
私の頭の中に様々な単語が浮かんでは消えていく。
ゴーレム
そうして考えた結果、導き出したこの魔法の名前は⋮⋮
スネーク
﹁忠実なる蛇。とでも呼んでおきましょうかね﹂
妙にすんなりと収まった感じがした。
838
第151話﹁蛇の参−4﹂
﹁あら?﹂
夕方。
忠実なる蛇の魔法の視覚共有実験を終えた私が宿に戻ってくると、
宿の中が妙にざわついていた。
﹁お前らはどうするよ?﹂
﹁やらないって言う選択肢はないだろ﹂
﹁この件には対処しないと⋮⋮﹂
この宿は元々傭兵向けの宿であり、食堂部分では傭兵同士で情報
を交換し合ったりもする。
なので、誰かがもたらした情報が原因で、食堂の中の空気がこれ
ほどにざわつき、張り詰め、殺気に似た何かが満ちているのは間違
いないだろう。
問題は今この場にはそれなりの人数で集まっている傭兵たち。
彼らが揃いも揃ってざわつくほどの事態の内容が、私にはまるで
予測がつかない事だった。
うん、これは傭兵として拙い。
何が有ったかだけでも知っておかなければいけない。
﹁そこの⋮⋮﹂
﹁ん?﹂
と言うわけで手近な場所に居た剣と盾を携えた黒髪橙目の男に声
を掛けようとして⋮⋮
﹁金髪のヒト﹂
﹁なんだい?﹂
839
その男の雰囲気が何となく嫌な感じがしたため、その奥に座って
いた金髪の男に声をかける。
そして、金髪の男がこちらの方を向いたところで、私はウェイト
レスに酒を頼みつつ目配せをしてから彼の隣に座る。
なお、黒髪橙目の男は私に対して何か嫌な物を感じ取ったのか、
この間に何処かに行ってしまった。
まあ、居ても私の機嫌が悪くなるだけだろうし、居ない方が都合
はいいが。
と言うか居なくていい。
と、今はまず情報を集めないと。
﹁何だか酒場全体が騒がしいようだけれど、何か有ったの?﹂
﹁ああ、あったぜ。それもどデカい話がな。と、もしかしてアンタ
が噂のソフィアか﹂
﹁どデカい話?それと噂の方は別人よ。そっくりだけどね﹂
私はウェイトレスから酒を貰い、私の奢りだと言いつつ、私の事
を知っているらしい目の前の彼の持つ彼のコップの中に酒を注ぎ込
む。
すると彼は私の行動に気を良くしたのか、笑顔のまま宿の空気が
ウンディーネ
こうなっている原因について話し始めてくれる。
なお、彼が言った噂と言うのは水の妖魔関連のものも含めた諸々
の話である。
うん、こちらについては近い内に完全な鎮火をしておこう。
﹁そうかい。で、話だが⋮⋮盗賊団が出たのさ。それも十人、二十
人の規模じゃない。実行犯だけで百人は超えているような大盗賊団
だ﹂
﹁詳しく聞かせて﹂
﹁勿論だとも。良い酒もおごってもらったし、粗方は皆もう知って
いる事だしな﹂
840
で、彼の話だが、要約するとこういう事らしい。
・マダレム・シトモォの北、シトモォと他の都市国家とを繋ぐ街道
を二日ほど行ったところに盗賊が現れた
・彼らはシトモォに輸入品の食料を運ぶ大規模な隊商を二日ほど前
に襲い、護衛の傭兵を蹴散らして物資を奪うだけでなく、逃げ損ね
た隊商の面々を悉く殺したらしい
・この事態にマダレム・シトモォの長老たちは憤慨し、連中を討伐
することに決定した
・そしてその戦力として、衛視だけでなく傭兵たちも掻き集める事
にしたらしい
・なお、盗賊団の規模や拠点の有無などは現状不明である
﹁それでまあ、偵察も兼ねた先遣隊の出発が明日の朝で、本隊が明
々後日の朝に出発予定。盗賊と戦うつもりの傭兵はどちらかの部隊
に合流して、一緒に都市から出発するように。との事らしい﹂
﹁へぇ⋮⋮となると宿のこの張りつめた感じは﹂
﹁参加するかしないか。参加するなら先遣隊と本隊のどちらに参加
するのか。今からどうやって物資を集めるのかって事で、それぞれ
の思惑がぶつかり合っているんだろう。なにせ急過ぎる事だからな﹂
﹁先遣隊なら明日の朝だものねぇ⋮⋮﹂
何と言うか、宿の空気がこんな風になってしまうのも仕方がない
という他ない情報だった。
﹁なんにしても、情報ありがとうね。あ、残りの酒は好きにしてい
いわ﹂
﹁おう。アンタも参加するんだったらよく考えて参加しろよ﹂
﹁言われなくても﹂
私は情報を教えてくれた彼から離れると、自分の部屋へと上がる。
そして、自分の部屋の窓から宿の上に登ると、シトモォの夜の街
841
並みを宿の上から観察すると共に、先程得た情報を頭の中で反芻し
始める。
﹁盗賊団かぁ⋮⋮﹂
盗賊が現れた事は別に問題ではない。
野盗、山賊、盗賊、人攫い、その他諸々が現れただけと言うのな
ら、何処の都市国家でも割合よくある話だからだ。
問題はその規模だ。
﹁隊商を襲った人数だけでも百人って話が本当なら、確実にそれな
りのねぐらは持っているはず。そしてねぐらの維持の為にも少なく
ない数のヒトが必要よね。となると⋮⋮﹂
先程訊いた情報が確かなら、盗賊団の規模は相当なものになるだ
ろう。
となれば拠点の規模や作り次第では、討伐には五百人近いヒトと
それ相応の装備が必要になるかもしれない。
百人を超える盗賊団と言うのは、それほどの相手である。
﹁でも、それだけの人数の盗賊が突然現れるとはちょっと考えづら
いのよねぇ﹂
だが、私が知る限り、この辺りにそれほどの規模の盗賊団が元々
居たという話は聞かないし、何処かから流れてきたにしても、途中
で何の事件も起こしておらず、その存在に関する情報が私の中に欠
片も入って来ていないというのは、違和感を感じずにはいられなか
った。
﹁うーん﹂
加えて、兵は拙速を尊ぶと言うが、シトモォ政府の動きが異様に
早いように感じられる。
傭兵なら元々自分で食料などは用意しているだろうが、衛視なら
842
ば食料や装備品を用意するのは政府の仕事であり、その準備には普
通なら数日はかかるはずである。
ヒトの干し肉
﹁保存食集めも兼ねつつ、もう少し情報を集めてから参加するかど
うかは決めた方が良さそうね﹂
何かが怪しい。
私はそう思わずにはいられなかった。
故に、私は盗賊退治に参加するために必要な食料を集めるついで
に、情報を集めてみる事にしたのだった。
843
第152話﹁蛇の参−5﹂
﹁ん?﹂
﹁あら?﹂
翌朝。
盗賊団討伐の先遣隊に参加するべく、準備を整えて宿の外に出た
私の前には、昨日食堂で見かけた黒髪橙目の男が立っていた。
鉄の剣に要所を鉄で補強した革の防具、小さ目な木製の盾、荷物
が大量に入った麻の袋と言う身なりからして、どうやらこの男も先
遣隊に参加するつもりであるらしい。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
ああうん、やっぱりこの男は何処か気に入らない。
ディランのようなクズ男でもなければ、ドーラムのように腐った
ヒトでもないはずなのだが、この上なく気に入らない。
そしてそれは向こうも同じだったのだろう。
ピッ!
私は右手で、男は左手で、無言かつ無表情のまま首を掻っ切るよ
うな動作をし、
グッ!
お互いにその場に這いつくばれと言う意思を視線に込めつつ、親
指を地面に向け、
ドオンッ!!
844
その直後、同時にもう片方の手で相手の顎を殴りつけた。
勿論全力で。
﹁ぺっ、何でか知らないけど、やっぱりアンタは気に入らないわ﹂
﹁はんっ、それはこっちの台詞だ女装野郎。初めて見た時からお前
は気に入らなかった﹂
私と男は距離を取ると、私は血が多少混じった唾を吐き捨てなが
ら、自分の感情を正直に言う。
対する男も軽く顎の調子を確かめつつ、私の事を気に入らないと
一切の冗談抜きに言ってくる。
﹁戦場で困っていても、アンタだけは助ける気にはならないわね﹂
﹁それはこっちの台詞⋮⋮と言うより、そもそもお前と違ってそん
な状況には陥らねえよ。俺は強いからな﹂
﹁はんっ!その台詞熨斗を付けて返してやるわ﹂
﹁﹁⋮⋮。ふんっ!﹂﹂
そして私たちは同時に相手から顔を背けると、別々の道を通って
集合場所に向かう。
これが今朝の話だった。
−−−−−−−−−−−−−−−
で、現在。
﹁なーんで、アンタなんかと一緒に行動しないといけないんだか﹂
﹁俺だってお前なんぞと一緒に行動するのは御免だっての。まった
く、なんで小隊なんぞを組まなきゃいけないんだか﹂
845
私たちは隊商が盗賊団に襲われた場所へ向けてゆっくり行軍して
いた。
今の調子で進み続ければ、二日後には隊商が襲われた場所に辿り
着く事が出来るだろう。
﹁管理をしやすくするためでしょ。そんな事も分からないの?これ
だから脳みそまで筋肉みたいな輩は困るのよ﹂
﹁はんっ!俺が嫌なのは、小隊を組む事じゃなくて、お前と小隊を
組む事だっての。言葉の表面だけ捉えてんじゃねえよ。頭でっかち
が﹂
で、このとにかく気に食わない黒髪橙目の男⋮⋮シチータが私の
隣で歩いている理由だが、マダレム・シトモォを出発前に先遣隊を
率いる中隊長にこう言われたからである。
﹃傭兵たちは五人以上、七人以下で集まり、そこに我々の兵士を一
人加えて小隊にする。と﹄
その言葉を聞き、私もコイツも同じ小隊にならないように、戦場
で一緒に戦っても大丈夫なように、真剣に小隊を組む仲間を探した。
だが気が付けば、私とコイツは同じ小隊にされていた。
勿論全力で拒否したが、小隊を組めないなら帰れと脅されたため
に、私もコイツも小隊を組むことを渋々受け入れる他なかった。
まったく、心の底からこう言いたい。
﹁本当にどうしてこうなったんだか。何か悪意のようなものすら感
じるわ﹂
﹁全くだ。あーあー、とっとと盗賊をぶちのめして、コイツの側か
らおさらばしたいぜ﹂
﹁ああん?﹂
﹁ふんっ﹂
846
私の言葉に被せるようにシチータも言葉を発する。
ああうん、本当にコイツは私をイラつかせる天才ね。
﹁二人ともそこまでにしとくでやんすよー﹂
﹁頼むから敵の前で仲間割れなんて真似はよしてくれよ﹂
﹁死ぬなら周りを巻き込まないで死んでくれ。俺は死にたくない﹂
﹁ああ、胃が痛いであります⋮⋮﹂
と、お互いに睨み合っていたところ、前を歩く他の小隊メンバー
⋮⋮短剣を使う茶髪赤目の男ハチハド、槍を使う赤毛黄色目の男タ
ッジュウ、大斧を使う黒髪黒目の男トラウシの三人からは直接的に
注意され、私たちの小隊付きの衛視であるミグラムからも暗にこれ
以上は勘弁してくれと言われてしまう。
﹁⋮⋮。仕事が終わるまではお互いに無視し合いましょう。私だっ
て命は惜しいわ﹂
﹁⋮⋮。そうだな。ただでさえ戦場では何が起きるか分からねえん
だ。不確定要素は少ない方がいい﹂
私もシチータもその言葉を最後に、お互いの姿すら見えないよう
にピッタリと歩幅を揃え、視線が交わる事すら無いようにゆっくり
と歩いていく。
その行動にミグラムたちも安心したのか、これ以降私たちの方を
向く事も、注意することも無かった。
﹁⋮⋮﹂
それにしてもだ。
何故シチータに対して、私はこれほどにイラつくのだろうか。
今までの言動から考える限り、シチータは人間的には別段問題な
い人物である。
目に見えない部分での相性の悪さを鑑みても、ディランやドーラ
ム以上に私の事をイラつかせるような人物には本来ならならないは
847
ずである。
シチータが無意識的に何か私を挑発するような魔法でも使ってい
るのだろうか。
﹁⋮⋮﹂
それともう一つシチータについては気になる事が有る。
今朝遭った時、私たちはお互いの顔を殴った。
あの時の私の拳は、ただのヒトが相手なら確実に首から上が弾け
飛ぶような威力だったはずである。
だがシチータはそんな一撃を受けても、多少顎をさする程度だっ
た。
そして、その時に同時に放ったシチータの一撃は、妖魔である私
が口の中を軽く切るほどの威力を持っていた。
﹁ボソッ⋮⋮︵注意するに越したことはないわね︶﹂
どちらも良い所に入ったことを考慮してなお、ただのヒト相手で
は有り得ない現象だった。
故に私は内心でシチータへの警戒度を上げる事にした。
それこそ盗賊団よりも遥かに注意すべき相手として。
848
第152話﹁蛇の参−5﹂︵後書き︶
ソフィアが全力で殴っても大丈夫な時点で何かがおかしいですね。
少し足りないから七なのよ。
849
第153話﹁蛇の参−6﹂
﹁さて、これからどうするよ﹂
二日後。
予定通り隊商が盗賊団に襲われた地点にやってきた私たちは、そ
の場について簡単な探索を行ったところでいったんその場を離れ、
野営地を設営した。
で、現在は獣や例の盗賊団、妖魔に備えて、三交代で野営地周辺
の警戒をしている所である。
⋮⋮。まあ、私が居る時点で獣と妖魔が近寄って来る事はほぼな
いだろうけど。
﹁これからと言うと⋮⋮明日の行動についてか﹂
﹁先遣隊の役割は野営地の設営と維持、敵の捜索と具体的な戦力の
調査であります!﹂
﹁それは分かっているでやんすよ。此処で言っているのはそれらの
仕事の中から、何をやるかでやんす﹂
まあ、それは私の事情。
同じ小隊の他の面々は、眠気覚ましも兼ねて、明日についての話
し合いをしている。
﹁ソフィア。シチータ。お前らはどうしたい?﹂
と、ここでトラウシが先程から黙りつづけている私とシチータに
意見を求めてくる。
どうしたい⋮⋮か。
﹁野営地の設営と維持には傭兵よりも衛視の方が向いているだろう
し、私としては敵を探す方に尽力したいわね﹂
850
﹁俺たちの目的は盗賊団の討伐。折角向こうが想定出来ているか怪
しい速さで此処まで来たんだ。それを生かさない手はない﹂
﹁つまり二人共盗賊団を探す方が望みなわけだな﹂
﹁それならあっしたちの小隊が敵を探す目的で動くのはもう確定で
良いでやんすね﹂
﹁そうだな。となると問題は森のどちら側を探すかだが⋮⋮﹂
どうやら私も含めて、全員敵を探す方に参加したいらしい。
まあ、守るよりも攻めた方が評価されやすいし、敵が攻めてきた
わけでも無いのに本隊が到着するまで拠点の維持以外何もしない先
遣隊が在ったら、無能の烙印を押す他ないだろうしね。
で、タッジュウが言った森のどちら側⋮⋮隊商が襲われた地点の
東西に広がる森のどちらを探すかだが⋮⋮こちらについては現状で
も既に分かっている事が有る。
﹁それだけど、探すなら襲われた地点の西側を探した方がいいわね。
昼間に見た感じだと、西側の森から飛び出した盗賊が多かったみた
いだし﹂
﹁⋮⋮。間違いないでやんすか?﹂
﹁ええ、草木の折れ方や踏まれ方から考えて⋮⋮そうね。本当に襲
撃の時に出てきた盗賊団が百人なら、六十人が西から、三十人が東
から、それと北から十人ほどが出て来て、隊商を襲ったんじゃない
かってぐらいだったわね﹂
﹁なるほど﹂
﹁それと、戦利品である馬車のわだちから考えても、連中の拠点が
襲撃地点から西にあるのはほぼ確実ね。殆ど全ての痕跡が西へと消
えて行っていたわ﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
それは盗賊団がどちらから現れ、どちらへ消えて行ったのかと言
う情報。
私の見立てが正しければ、盗賊団は襲撃地点から西の森の何処か
851
に拠点を持っているはずである。
だがしかしだ。
私が想像した通りに襲撃が行われたのだとすれば、幾つか厄介な
事態を想定しないといけない。
﹁しかし北からか⋮⋮となると連中の跡を追う時は、連中の通った
跡から少し離れた場所を進むことも考えた方がいいな﹂
﹁話が繋がっていないわよ。脳筋﹂
﹁繋がっているだろうが。変態﹂
﹁全員が全員アンタと同じ情報を持っていて、同じように考えるわ
けじゃないのよ。もう少し筋道立てて分かりやすく説明しなさい。
空っぽ頭﹂
﹁ああん?じゃあ言ってやるよ。北からも襲ったって事は、連中は
襲撃の時に隊商の一部をわざと逃がして、自分たちの存在をシトモ
ォにアピールしたんだろ。ってことは、俺たちが来る事も想定の範
囲内。となれば当然自分たちの拠点に通じる道にも罠なり監視なり
を置いているのは当然の事で、道に沿って進むという事はそう言う
のに全部引っかかるという事になる。だから少し離れた場所を歩く
必要が有る。こういう事だろうが陰険野郎﹂
﹁ええ、ええ。良く出来ました。やれば話せるじゃない。偉いでち
ゅわねー。本能で生きてるから言葉足らずなシチータちゃん﹂
一つは、シチータが言ったように敵が私たちに対して万全の備え
を整えた上で待ち構えているという事態。
もう一つは、私たち先遣隊と本隊が合流する前に盗賊団に襲撃さ
れて、各個撃破を狙われると言う事態。
それと、私たちをこうして森に引き付けている間に、マダレム・
シトモォの方に何かを仕掛けてくると言う手もあるが⋮⋮まあ、こ
ちらを気にするべきはシトモォのお偉いさんであって、小隊の一員
でしかない私が気にする事ではないだろう。
それよりもだ。
852
﹁テメエ。俺に喧嘩売ってんのか?だったらこの場で買うぞ。この
野郎﹂
﹁おほほほほ、喧嘩を売っているだなんて失礼ねぇ。良く出来たっ
て褒めてあげているじゃないの。ホホホホホ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁た、たったあれだけの情報でそこまで分かるのでありますか⋮⋮﹂
今はシチータの事を徹底的に貶してやりたい。
明日の仕事に差し支えるから手は出さないが、放てる限りの口撃
はしたい。
そんな気分だったので、呆れるトラウシたちと何故か感心してる
ミグラムを無視して、私は慇懃無礼な言葉をシチータへと向ける。
勿論、シチータも口で私に反撃してくるが⋮⋮甘いな。
私の中に一体どれほどの語彙⋮⋮特に罵詈雑言関係の語彙がある
と思っている?
マダレム・エーネミの腐りっぷりを舐めないでいただきたい。
﹁ぐぬぬぬぬ⋮⋮﹂
﹁ふっ、勝ったわね﹂
その後、陽が昇る頃になって遂にシチータは私に返す言葉が無く
なり、押し黙る以外の行動がとれなくなった。
ふっ、これでまずは一勝⋮⋮。
﹁おーい、朝飯の時間だぞー﹂
﹁ちっ、覚えてろよ﹂
﹁⋮⋮。しまった。普通に眠り損ねたわ⋮⋮﹂
⋮⋮。
私は何をやっているんだろうか⋮⋮口論をし続けて眠り損ねると
か、阿呆としか言いようのない行動じゃない⋮⋮。
本当に、本当に何をやっているのかしら⋮⋮。
853
ああなんか凄く悲しくなってきた。
854
第153話﹁蛇の参−6﹂︵後書き︶
07/07誤字訂正
855
第154話﹁蛇の参−7﹂
﹁もぐもぐ、やっぱり今回の敵は、ただの盗賊団じゃないわね﹂
朝食の時間中に眠り、移動しながら食事をするという方法でもっ
て何とか眠気を払った上で腹を満たしている私は、小隊の仲間であ
るトラウシたちと今朝になって一緒の道を探索する事に決めた別の
小隊と共に、盗賊たちによって出来るだけ目立たないように造られ
た獣道の脇を進んでいた。
﹁そうだな。普通の盗賊団はこんな物を仕掛けないだろう﹂
くるぶし
で、私たちの前には現在、私のハルバードによって暴かれた落と
し穴が見えている。
ただ、落とし穴と言っても深さはヒトの踝が周囲の地面の下にま
で隠れる程度であり、木の枝と土で隠されてはいたものの、この深
さでは思いっきり踏み抜いてもこける程度で済むだろう。
落とし穴の中に両端を尖らせた杭なんてものが設置されていなけ
ればだが。
﹁浅い落とし穴の底に表面をわざと汚した木の杭か⋮⋮﹂
﹁明らかに足止めのためじゃなくて、殺すための罠だな﹂
﹁まあ、これに引っかかったら、ただでは済まないでやんすね﹂
﹁そ、そんなに危険な罠なのでありますか!?﹂
その杭を見たヒトは、私たちに同行している小隊の面々含めてほ
ぼ全員が顔を顰めた。
どうやらその危険性が理解できなかったのは、ミグラムともう一
人の衛視だけであるらしい。
これは⋮⋮食後の腹ごなし⋮⋮は、私だけだが、休憩も兼ねて色
々と説明しておいた方がいいかもしれない。
856
この杭の危険性も、これがこの場に仕掛けられている事から分か
る情報も。
﹁そうね⋮⋮この罠にかかった場合に何が起こるかだけど⋮⋮﹂
と言うわけで、私は淡々とこの罠について説明する事にする。
﹁まず足を怪我するから、良くても移動能力が大幅に落ちるし、下
手をすればこの場から動けなくなるわね﹂
﹁加えて、足を貫通するような大怪我をしたら、大概の人間は叫び
声を上げる。近くに盗賊が居れば、直ぐに位置がばれるだろうな﹂
﹁なるほど﹂
何故かシチータも説明に参加してきているが⋮⋮無視しよう。
流石にこの場で言い争うような真似をするのは、自殺行為以外の
何物でもない。
﹁で、踏み抜き方によっては大量に出血する場合もあるから、失血
死する可能性もあるし、大量の血を流せば獣や妖魔が寄ってくるわ
ね﹂
﹁そして、それらから運よく逃れられ、治療を受けられたとしても
⋮⋮傷の膿み方次第では足を切り落とすしか無くなるだろうな﹂
﹁あ、足を切り落とすんでありますか!?﹂
﹁まあそうなるでしょうね。トラウシの言うとおり、この杭はワザ
と土や尿で汚してあるようだし、こんなもので傷を造ったらまず間
違いなく傷口から毒が入って⋮⋮良くて足の切断。最悪かなり苦し
んだ上で死ぬことになるわね﹂
﹁⋮⋮﹂
私とシチータの言葉に二人の衛視は顔を青ざめさせ、口をパクパ
クと開閉している。
どうやら二人ともこんな単純な代物がそこまで恐ろしい罠である
とは思っていなかったらしい。
857
﹁しかし、連中も利用しているはずの獣道にこんな物があるという
事は⋮⋮﹂
﹁最低でも小隊の隊長はこの罠の位置を正確に把握している。つま
り連中は森に慣れているてことだな﹂
﹁もしくは二度とこの道を使う予定が無いという事でやんすね。そ
れはそれで森に慣れている証拠でやんすけど﹂
﹁まあ、そのどちらかでしょうね。後、連中の食料を始めとした物
資については、たぶん森の何処かに別の道があるんでしょうね。こ
れだと不便極まりないもの﹂
続けてこんな罠が獣道と言う複数の生物が行き来した場所に存在
しているという事は、タッジュウとハチハドの言うとおり、敵は相
当森の中の行動に慣れている。
森の中で活動するための訓練を相当積んでいると言い換えてもい
いだろう。
﹁おまけにだ。わざとらしく残されていた獣道ならまだしも、出来
るだけ目立たないように造られた獣道にまでこんな罠を仕掛けてい
るという事は、連中は自分たちの偽装工作の実力をしっかりと把握
しており、獣道を辿って自分たちの拠点にやってくる敵を想定して
いたという事になる。となれば⋮⋮﹂
そうしてシチータが敵の実力について言及しようとし始めた時だ
った。
﹁︵ギャアアアァァァ!?︶﹂
私の耳に微かなヒトの断末魔が聞こえてくる。
見れば、私がその声を聞くと同時に、シチータも顔を僅かに顰め
ていた。
他の面々は⋮⋮今の声には気づかなかったらしい。
ああうん、三日ぐらいは寝なくても万全の状態で動けると言い切
858
った辺りから、内心で私は扱いを決めていたが、今の声が聞こえて
いた時点で私はシチータをヒトとして扱うのは止めにする事にした。
妖魔が全力で殴っても問題ないような頑丈さも持ち合わせている
わけだし、ヒト扱いしなくても大した問題にはならないだろう。
﹁となればだ﹂
﹁﹁﹁?﹂﹂﹂
﹁この先、連中が直接兵を立たせて警戒させている可能性は高い。
全員、警戒を怠らず、出来るだけ物音を立てずに行動することを心
掛けた方がいいと思う﹂
﹁ついでに言えば、妖魔並の戦闘能力を有する相手や、魔法使いの
類が居る可能性も考慮して立ち回るべきね。これだけの規模、警戒
心、統率力に、今までの行動の内容からして、何処かの都市国家の
支援を受けている⋮⋮いえ、場合によっては何処かの都市国家に所
属するヒトである可能性も十分にあり得るだろうしね﹂
まあ、いずれにしてもシチータが言うとおり、ここから先は警戒
を怠るべきではないだろう。
それこそ何処かの都市の精鋭部隊が突然襲い掛かって来ても状況
的にはおかしくなくなって来ているのだから。
﹁だな﹂
﹁まあ、そうなるな﹂
﹁でやんすね﹂
﹁ああ、また胃が痛くなってきたであります⋮⋮﹂
﹁頑張りなさい﹂
﹁耐えろ﹂
そうして私たちは一度頷き合って互いの状態を確かめ合うと、再
び獣道の脇を注意深く移動し始めた。
859
第155話﹁蛇の参−8﹂
﹁やっぱりこいつ等盗賊団じゃないわね﹂
﹁そうみたいだな。装備が整いすぎている﹂
﹁お前ら良く見えるな⋮⋮﹂
二時間ほど経った頃。
私たちは森を切り開き、周囲を高い木の塀と空堀で囲う形で造ら
れた盗賊団の拠点を見つけ出していた。
勿論、森の奥、木立の間から窺うようにしているので、こちらの
存在は向こうには知られていない。
﹁で、装備が整いすぎているって言うのは具体的にどういう事だ?﹂
﹁んー、あくまでも見えている範囲に立っている盗賊に限った話で
あるけれど、身に着けている装備品が一つの工場で作られた規格品
っぽい感じなのよね﹂
﹁規格品⋮⋮でありますか?﹂
﹁ええ、武器や防具の形が基本的に全員同じなの。これが普通の盗
賊だと結構個人個人で身に着けている物が違っているんだけどね﹂
私の見張り台の上に居る男たちの姿を説明する言葉にミグラムは
納得した様子で頷き、トラウシたちは何処か呆れた視線を私とシチ
ータに向けている。
トラウシたちが呆れているのは⋮⋮まあ、今私たちが居る場所か
らだと、拠点の各所に築かれた見張り台の上に居るヒトの姿はとも
かく、その顔や装備の細かいところなど本来ならば見えやしないか
らだろう。
﹁私については育ちの影響よ﹂
﹁俺は元から目が良いからな。これぐらいは見えて当然だ﹂
860
﹁とりあえず、二人ともあっしたちとスペックを比べるべきでない
ってのは分かったでやんすよ﹂
一応、後で問い詰められても面倒なので、最低限の言い訳はして
おく。
しかしシチータの目の良さは元から⋮⋮ね。
うーん、これはやっぱりそう言う事かしら。
うんまあ、問い質す機会はいずれ来るだろう。
﹁で、これからどうするの?あの拠点の大きさなら、二百人はヒト
を入れておける。間違ってもここにいる面子だけで相手に出来るよ
うな戦力じゃないわよ﹂
﹁そりゃあそうだろう⋮⋮と言うか、ここで突貫する馬鹿はいない
だろう﹂
﹁あの拠点の出来と此処までに有った罠を考えると、仮に十分な人
数が居ても厳しそうだしな﹂
﹁まあ、そうよね﹂
というわけで、まず話し合うべきはこれからどうするかである。
であるが、攻撃するのは絶対に無しである。
そもそもこの場には私たちの小隊ともう一つの小隊とを合わせて、
13人しかヒトが居ないのだから。
仮に私が妖魔としての能力、魔法使いとしての能力を万全の策と
共に使ったとしても、目の前の拠点を落とすのは不可能⋮⋮ではな
いか。
まあとにかく、正攻法の範疇ではどう足掻いても無理だろう。
﹁そうだな⋮⋮ハチハド。お前はミグラムともう一人の衛視、それ
と適当な誰かを連れて、俺たちの野営地に戻ってくれるか?﹂
﹁ここの場所を伝えるんでやんすね﹂
﹁ああ、この後この場に残った俺たちが何かをし、俺たちの身に何
かが起きても、連中の拠点の位置が分かっていれば、やれることは
861
色々とあるからな﹂
﹁了解でやんす、じゃっ、早速行くでやんすよー﹂
﹁わ、分かったであります!﹂
話を戻して何をするかだが、まずはトラウシの指示の元、ハチハ
ドたちが私たちの野営地に戻ってここの場所について報告するらし
い。
まあこれは定石と言うか、先遣隊として何に換えても果たすべき
事柄なのだし、当然の一手だろう。
と言うわけで、ハチハドが他の三人を連れてこの場から去って行
く。
どうにもハチハドは森の中でも正確な方角を探れるらしいし、彼
らについては心配しなくていいだろう。
﹁で、残った俺たちが何をするかだが⋮⋮﹂
﹁中にヒトが潜入するのは諦めた方がいいと思うわ。たぶん、門兵
は全員の顔を把握しているだろうし、あの大きさの拠点だと誰も見
覚えがないヒトの存在は有り得ないだろうから﹂
﹁それよりも探るべきなのは森の外から物資を搬入している路だな。
本当に二百人も人間が居るなら、そいつらが消費する食料は莫大な
量になる。中に畑を造ったり、周囲の森から集めたりで幾らかは補
えても、外からの補給は必要だ﹂
﹁連中の持っている武器や防具にしても、あの拠点の中で造れるも
のばかりではないし、シチータの言うとおり、何処かに道があるの
は確実だな﹂
﹁となるとやはり、補給路が何処にあるのか、それが何処に繋がっ
ているのかだけ調べて撤退するのが正解そうだな﹂
で、残った私たちがする事は⋮⋮まあ、拠点の周囲を連中に気づ
かれないように注意しつつ、探ってみると言うのが妥当な所だろう。
シチータとタッジュウのの二人が言うとおり、あの拠点の大きさ
と詰めているヒトの数からして補給路は絶対に必要なのだから。
862
なので、それを探すという方針は間違っていない。
しかしだ。
﹁言っておくけど、私はヒトが拠点の中を調べるのが無理と言った
だけで、調べる方法が無いとは言ってないわよ?﹂
﹁何?﹂
それだけでは芸が無いというものだ。
と言うわけで、私以外の面々が訝しげな表情をしている中、私は
懐から魔石と一対の水晶玉を取り出すと、それを手近な地面に埋め
て忠実なる蛇の魔法を発動する。
﹁コイツは⋮⋮﹂
﹁私の魔法よ。視覚を共有⋮⋮あー、この子が見ているものが私に
も見えるようになっているの。だからこれを拠点の中に這わせてい
けば⋮⋮﹂
﹁なるほど。連中の拠点の中を探れるという事か﹂
﹁そう言う事﹂
シチータ以外の面々は、土の中から鎌首をもたげて現れた蛇の姿
に一瞬驚くも、私の説明からこの魔法の有用性を理解し、すぐさま
目の色を変える。
﹁ただこの魔法を使っている間、私はあまり派手に身動きが出来な
いし、タッジュウの言った補給路についても一緒に調べるべきだと
私は思うわ﹂
﹁となると⋮⋮誰か一人護衛を残して他の面子で補給路を探すのが
良さそうか?﹂
﹁だろうな。よしシチータ。お前はソフィアの事を頼む。こっちは
数の利でどうにでも出来るからな﹂
﹁はっ?﹂
﹁⋮⋮﹂
863
そうして私の提案に端を発する形で別行動を取ることが決定し、
トラウシたちは早速行動を開始した。
で、それに伴い、期せずして私とシチータは二人きりになったわ
けだが⋮⋮正直に言いたい。
﹁背後を任せるのが凄く不安だわ﹂
﹁それはこっちの台詞だ﹂
あれだけ仲悪そうにしていたのに、何故シチータと私を組ませた
し。
864
第156話﹁蛇の参−9﹂
﹁まったく。何をどう考えたら私と貴方を組ませようだなんて思う
んだか﹂
﹁その意見にだけは賛成してやる。誰がどう考えても俺とお前の仲
は最悪にしか見えていなかったはずだ﹂
私は悪態を吐きつつも、忠実なる蛇の魔法によって出来た土の蛇
を拠点の方へと移動させていく。
ただし、万が一にも監視の目に触れないよう、地上に出ているの
は一対の水晶玉の中でも極々一部に留め、傍目には何かが動いてい
るとすら思わせないようにだ。
﹁まあいいわ。流石にこの状況で騒ぎ立てるような脳筋ではないだ
ろうし、周囲の見張りは任せるわ﹂
﹁そうだな。敵に見つかった時は一声はかけてから逃げてやる。お
前が俺の声に気づかないような間抜けじゃなければ、それで大丈夫
なはずだ﹂
そして、土の蛇が拠点の周囲を囲っている柵の下に辿り着くまで
の間に、私とシチータの二人は元居た場所から多少離れた地点、ヒ
トが立ち入った形跡がないと同時に、周囲に有用な草木がないため
に今後もヒトが来る可能性が低い場所を探し出すと、そこに身を潜
める。
﹁さて、始めますか﹂
﹁適当な事は書くなよ﹂
﹁強要されても書かないから安心しなさい﹂
﹁そうかい﹂
私は木の柵に沿って土の蛇を移動させ、地中から土の蛇を敵の拠
865
点の中に忍び込ませる。
そして手元に羊皮紙を広げると、右手にペンを持ち、土の蛇が見
ている光景に基づいて拠点の中の様子について書き記し始める。
﹁ああそう言えばシチータ﹂
﹁何だ?﹂
﹁アンタの親、片方はもしかして妖魔なんじゃないの?﹂
﹁⋮⋮。どうしてそんな事を聞く﹂
土の蛇が今居る辺りにあるのは⋮⋮ちっ、平の兵士たちが寝泊ま
りするところか。
ただ、盗賊の姿をしたヒトと兵士の姿をしたヒトが談笑している
様子は確認できたし、彼らの容姿と会話の内容については詳しく書
き記しておくとしよう。
﹁単純に貴方の身体能力が人並み外れているから。で、どうなの?
気晴らしを兼ねての質問だけど、割と気にはなっているのよね﹂
﹁お前が俺の質問に答えると言うのなら、答えてやる﹂
﹁質問の内容次第だけど、聞かれたら答えるわよ﹂
﹁そうか。なら俺も答えよう﹂
で、こちらの会話についてだが⋮⋮シチータの正体について確か
めておきたいのは私の本音である。
と言うわけで、折角二人きりなのだし、お互い他の面々に聞かれ
たくない話があるなら、今の内にしてしまおうと画策したのである。
まあ、ぶっつけ本番で今までにないほど遠くに居る土の蛇を複雑
な動作と五感の同調を伴う形で操り続けると言う作業の気晴らしに
しているのも事実ではあるが。
﹁正直に言うが⋮⋮俺は自分の生みの親を知らない﹂
おやじ
おふくろ
﹁⋮⋮。捨て子だった。と言う事かしら?﹂
﹁ああ、義父と義母の話じゃ、家の前に捨てられていたのを拾った
866
らしい。で、それから本当の子供と一緒に、同じように育ててもら
ったんだよ﹂
﹁ふうん。良いヒトに拾われたわけね。まあ、育ちが良いのは私以
外に対する態度を見ていれば分かるけど﹂
土の蛇が見ている二人のヒトの様子を書き終わったので、私は拠
点の中を見つからないよう慎重に土の蛇を這わせていく。
次に目指すのは⋮⋮うーん、とりあえずは拠点の四方にある門か
な。
門の内側の構造が分かっていれば、何かと便利ではあるし。
﹁で、お前はどうなんだ?俺の拳を顎に喰らって血混じりの唾を吐
くだけの奴なんぞ、俺はお前以外に見た覚えがない。少なくとも純
粋な人とは思えないな﹂
﹁まあ、純粋なヒトでないのは認めるわ。私も私の拳をマトモに喰
らって何事も無かったヒトには初めて会ったわけだし﹂
門の裏側に無事到着。
ふむ、木製である点を除けば、構造は特に普通の門と変わりない
か。
その気になれば、この土の蛇でも閂を外す事は不可能ではないだ
ろう。
で、門の上に付けられている見張り台については⋮⋮上るには梯
子が必要で、見張り台に上れるのは多くて三人ぐらいか。
三人だけでも、高所から矢なり槍なりで攻撃されたらかなり厄介
だが。
﹁それでどうしてそんな両親の元を出て、傭兵なんて職業に就いた
あにき
のよ。こう言っちゃあなんだけど、傭兵なんてマトモな職業じゃな
いわよ﹂
﹁義父が死んでな。義母や義兄たちは家に留まっていて構わないと
言ってくれたんだが、どうにも義兄の妻と反りが合わなかったのさ。
867
だから、余計な面倒事が起きる前に家を出たのさ﹂
じゃ、次の場所に移動させますか。
次は⋮⋮あの周りの物よりも一回り大きい天幕が良いかな。
恐らくは司令官かそれに準じる人物がいるはずだ。
﹁で、お前はいったい何処でこんな珍しい魔法を学んだんだ?﹂
﹁こんな珍しい?﹂
﹁珍しいだろう。俺は傭兵になってもう七年だが、お前の使う魔法
は初めて見た。似た魔法も⋮⋮見た事が無いわけじゃないが、お前
のそれとは洗練され具合がまるで違う。いったい何処で学んだんだ
?﹂
﹁その件についてはノーコメントよ。魔法使いが何処でどんな魔法
を学んだのかなんて言えないわ。特に今は何処の流派にも属してい
ない逸れ者なんかだとね﹂
﹁まっ、それもそうか﹂
声は?聞こえない。
天幕越しに中を見て、熱を発するものが居ない事からしても、ど
うやら留守であるらしい。
ふむ。今は後回しにして、食料庫と炊事場の位置を探っておこう
か。
と、私が土の蛇の視線を別の方向に向けた時だった。
﹁っつ!?﹂
﹁どうした?﹂
盗賊風の姿をした男たちが、複数の死体を運んでくる。
死体の顔には見覚えがあった。
彼らは⋮⋮一番目立つ獣道を進んだ傭兵たちだった。
だが問題はそこではない。
私にとって問題だったのは、続けて発せられた盗賊風の姿をした
男の言葉だった。
868
﹁﹃まだ拠点の周囲に連中の仲間が潜んでいるかもしれない。探す
ぞ﹄ですって!?﹂
﹁っつ!?﹂
私の言葉にシチータも顔色を変える。
﹁シチータ!﹂
﹁分かってる!逃げるぞ!﹂
私もシチータも一度顔を見合わせると、この場から即座に逃げる
事を決め、拠点に向けて一目散に駆け出す。
別行動を取っているトラウシたちに危険を知らせる暇もなかった。
私たちに出来るのは、とにかくこの場から離れる事だった。
忠実なる蛇の魔法によって作った土の蛇は⋮⋮諦めるしかなかっ
た。
くっ、原石とは言え、あの水晶玉は結構高かったのに⋮⋮覚えて
いなさいよ!
869
第156話﹁蛇の参−9﹂︵後書き︶
流石に此処は撤退しますよ
07/10誤字訂正
870
第157話﹁蛇の参−10﹂
﹁はぁはぁ⋮⋮ようやく帰って来れたわね﹂
﹁そうみたいだな﹂
結局、私たちは敵に見つからずに逃げる事は出来なかった。
が、私たちが見つかった相手が少人数だったため、私もシチータ
も人外の膂力を全開にして攻撃することによって叫び声一つ上げさ
せずに殺す事が出来た。
連中が使っていた武器と言う、各種方面に有効な証拠を入手でき
たことも併せて考えると、見つかったのは得だったのかもしれない。
ただの結果論だが。
﹁で、何でアンタは息一つ乱してないのよ⋮⋮﹂
﹁昔から野山を走り回っていたからな。これぐらいは出来て当然だ﹂
で、日暮れ直前に私たちは先遣隊の野営地に辿り着く事が出来た
わけだが⋮⋮追っ手を撒くべく、妖魔である私が息切れを起こすほ
どの速さで相当な距離を移動してきたはずなのに、シチータは多少
の汗は掻いていても、息は一切乱していない。
うん、もう何度も心の中で言っている事だけど、シチータはヒト
として扱うべきじゃない、括るべきじゃない、ヒト以外の何かとし
て扱うべきだ。
﹁何か、今になって私の事をああいう目で見ていたヒトたちの感情
が理解出来たわ﹂
﹁はあ?訳が分からない事を言っている暇が有ったら行くぞ﹂
と言うかだ。
私はヒトに近い姿をしているせいなのか、確かに普通の妖魔より
も身体能力が低い。
871
が、それでも魔法を用いない限り、どんなヒトよりも身体能力は
高いはずである。
そんな私よりも遥かに体力が多いとか⋮⋮本当にコイツの身体は
一体どうなっているんだか。
﹁まずは報告を⋮⋮﹂
﹁おおっ!無事だったかソフィア!シチータ!﹂
﹁トラウシ⋮⋮貴方たちも無事だったのね﹂
﹁全員がってわけじゃないけどな﹂
報告に行こうとした私たちの前にトラウシたちが現れる。
どうやら彼らも敵と遭遇したらしく、身体や装備の各所に傷や返
り血が見られる他、別の小隊の傭兵だが、二人ほど少なくなってい
る。
﹁お前らも報告か?﹂
﹁ええ、そのつもり﹂
﹁なら、俺たちに付いて来い。丁度ハチハドとミグラムが先遣隊の
隊長と会う約束を取りつけてくれた所だからな﹂
﹁分かったわ﹂
﹁分かった﹂
そうして私とシチータはトラウシに連れられて、私たち先遣隊の
隊長に会う事になった。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁なるほど。連中の正体は盗賊ではなく、マダレム・シィゾクの兵
士だったか﹂
﹁それで間違いないかと。物的証拠も複数伴っています﹂
872
先遣隊の隊長はそう言うと、一度天を仰ぎ、両目を軽く手で抑え
る。
どうやら日暮れ間近と言う事で、生き残った傭兵たちが続々と報
告を行ったために疲れも溜まっているらしい。
﹁マダレム・シィゾクと言うと⋮⋮﹂
﹁我らマダレム・シトモォの北に位置する都市国家であります!奴
らは⋮⋮﹂
マダレム・シィゾク。
私の記憶が確かなら、ミグラムの叫んでいる通りマダレム・シト
モォの北に位置する都市国家であり、シトモォと同じく貿易を主体
に行っている都市国家だったはず。
ただ地理の関係でスネッヘやヘニトグロ地方の他の港からやって
くる船はマダレム・シトモォに行ってしまうため、常々シトモォを
狙っているという話もあったはずである。
だけどまあ、ミグラムの言うような無差別の海賊行為には勤しん
でいないはずである。
もし本当にそうなら、とっくの昔にマダレム・シィゾクはシトモ
ォと周辺の都市国家によって滅ぼされているはずだ。
精々が大小問わずにマダレム・シトモォの船を襲っているぐらい
だろう。
﹁そんな事が⋮⋮くっ、マダレム・シィゾクめ。許せ⋮⋮もがぁ!
?﹂
﹁あいだぁ!?﹂
﹁はあっ、信じる馬鹿が居たか。信じるならきちんと自分の頭で本
当かどうかを考えてから信じなさいよ﹂
﹁もがぁ!?﹂
﹁な、何をするでありますか!?うっ!?﹂
﹁情報を語るなら客観的に語るべきよ。そうでないと、主観的な部
873
分がばれた時に不信感を与えるわよ﹂
シチータ
ただまあ、世の中には有り得ない事でも信じるヒトは少なからず
居るので、信じてしまった筋肉馬鹿は普通のヒトなら皮膚が千切れ
ミグラム
るぐらいの力で頬をつねって目を覚まさせておき、わざとかどうか
はともかくよろしくない情報の伝え方をした単純阿呆にはデコピン
を頭に当てながら睨み付けておく。
﹁⋮⋮。それでトラウシ君だったか﹂
﹁⋮⋮。はいそうです﹂
﹁君の目から見て、連中の実力はどれだけのものだった?﹂
﹁低く見積もっても正規の訓練を受けた兵士と言う所ですかね。間
違っても新兵や破落戸の類の腕では無かったし、傭兵と見るにはあ
まりにも全員の連携が取れていました﹂
﹁高く見積もれば?﹂
﹁全員が専門の訓練を受け、高い意識を伴って任務に就いている精
鋭ですね﹂
﹁精鋭⋮⋮か﹂
何処か呆れた視線をこちらに向けつつ、先遣隊の隊長とトラウシ
が連中の錬度についての話をする。
﹁ふむ。連中がマダレム・シィゾクの人間であることは、君らが持
ち帰った武器と拠点内で兵士風の男と盗賊風の男が話していたのと、
連中の拠点から伸びる補給路が北の方へ向けて伸びている事からも
明白。拠点の位置、構造、兵士の錬度についても大まかには把握済
み⋮⋮か。となると先遣隊としては⋮⋮﹂
そしてトラウシとの話が終わったところで、隊長は何事かを呟き
始める。
﹁ふむ。決めたぞ﹂
そうして一人で数分の間呟き続けた後に隊長は椅子から立ち上が
874
るとこう言い放った。
﹁盗賊団討伐の先遣隊は現時刻を持って撤退を開始。盗賊団改めマ
ダレム・シィゾクの兵士たちが攻めて来る前に本隊と合流する事を
試みる。そしてミグラムとミグラムが所属する傭兵の小隊よ。君た
ちに一つ新たな任務を提案したい﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵凄く嫌な予感がしてきたな︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵それには同感ね︶﹂
﹁連中を出来る限り足止めしてもらいたい﹂
隊長の言葉を聞いた時、私もシチータもこう思っただろう。
﹁やっぱりか﹂と。
そう思える程に面倒な依頼だった。
875
第157話﹁蛇の参−10﹂︵後書き︶
07/12誤字訂正
876
第158話﹁蛇の参−11﹂
﹁結局残ったのは私とアンタだけ⋮⋮か﹂
﹁数と地の利が敵にあるのに、殿なんて言う戦いにくい場所で戦う
んだ。よほどの考えが無ければ、参加するはずがないだろう﹂
﹁よほどの考えねぇ﹂
依頼の詳細を聞いて、最終的に隊長の依頼を受けたのは、私とシ
チータの二人だけだった。
まあ、当然と言えば当然の話だろう。
月が真上に登るまでの間に、撤退する先遣隊が敵と戦闘すること
が無ければ依頼は成功とは言え、敵の方が数も多ければ、地理も把
握しているのだから。
おまけにトラウシ視点では個人個人の技量で比べても、恐らくは
敵の方が上と言う状態なのだから。
そりゃあ、多額の報酬を提示されたとしても、マトモな神経と普
通の戦闘能力しか持っていないなら受けたくはないだろう。
﹁その背中のものからしてアンタの考えは⋮⋮﹂
﹁ああ、遠くから矢を撃ち込み続けるつもりだ﹂
そう、マトモな神経と普通の戦闘能力だ。
私は金銭とは別の目的でもって今回の依頼を受けたが、どうやら
シチータは今回の依頼を本気で達成するつもりであるらしい。
しかも大量の矢を遠くから射かけると言う手段でもって。
﹁射線すらマトモに通らない森の中で?﹂
﹁ん?射線なら別に通っているだろう?﹂
﹁ああうん、そうね。アンタなら矢一本分の射線さえ有れば射れる
んでしょうね﹂
877
﹁いや、矢二本分は欲しいな﹂
﹁素人から見れば一本も二本も変わらないわよ﹂
ああうん、なんか頭が痛くなってきた。
矢二本分の射線が目標までの間に有れば当てられるだなんて、と
んでもないホラ吹きがベロンベロンに酔っていたって言わないわよ。
でもシチータの事だから⋮⋮当てるんだろうなぁ⋮⋮当てちゃう
んだろうなぁ⋮⋮やっぱりシチータはヒト扱いはしなくていいわね。
﹁まあ、最近は弓で狩りをしていなかったが⋮⋮うん、それでも当
てるだけなら、姿が見えていまいが、音で位置さえ分かっていれば
曲射で幾らでも当てられるだろうな﹂
﹁⋮⋮﹂
前言撤回。
コイツはヒト扱いどころか、他の何とも一緒にしなくていいわ。
実力が桁違いすぎる。
﹁とりあえず一つだけ注文を付けておくわ﹂
﹁なんだ?﹂
﹁出来るだけ下位の兵士じゃなくて、指揮官や機先を制そうとした
連中を優先して討って﹂
﹁その方がお前が楽になるからか?﹂
﹁ええ、そう言う事よ。私はあんたと違ってマトモにやり合うつも
りもなければ、連中を足止めする気も無いから﹂
﹁何?﹂
私の依頼を達成する気が無いとしか採れない言葉に、シチータが
怪訝そうな表情をする。
今すぐにでも殴りかかってきそうな気配もあるが⋮⋮流石に私た
ち以外は撤退準備を慌てて進め、順次この場からヒトが退いている
この状況で殴り掛かるのは自重したらしい。
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﹁お前、何をする気だ?﹂
﹁連中の拠点にもぐりこんで、色々と﹂
﹁火でも付けるのか?﹂
﹁それも一つの手ではあるわね。ま、手段さえ選ばなければ、幾ら
でもやりようは有るって事なのよ。でまあ、私の行動の結果として
追撃が止めばちょっと美味しいってところかしらね﹂
﹁出来るのか?﹂
﹁出来るわね。私一人で行動するのであるならば﹂
シチータの言葉に対して、私は自分がやろうとしている事の詳細
を教えたりはしない。
ヒトの振りをしている現状では口にする事も許されない方法だか
らだ。
﹁ああそうだわ。ついでだからこれを渡しておくわ﹂
﹁ん?﹂
まあ何にしてもだ。
シチータは生き残るだろう。
と言うか、普通の方法でコイツを殺せるヒトが居るとは思えない。
なのでシチータにも私の策の一端を担ってもらうとしよう。
﹁おっ、おい。何で髪の毛なんかを⋮⋮まさか!?﹂
﹁アンタは報酬を受け取りに戻るつもりなんでしょ。その時ついで
に渡して、傭兵ソフィアは死んだと喧伝しておいてちょうだいな﹂
﹁死ぬ気⋮⋮いや、死んだふりをする気か!?﹂
﹁ええそうよ。どうにも最近目立ち過ぎている感じがするし、穏便
に引退するためにもここら辺で死んだことにしておきたいのよ﹂
﹁⋮⋮﹂
今回の依頼。
先にも述べたように私の目的は依頼を達成して報酬を得る事では
ない。
879
私の目的は世間的に傭兵ソフィアは死んだことにする事だ。
なにせ私の名前と容姿についてはだいぶ広まってしまっている。
もう数年も経てば、何時まで経っても歳を取らない事を普通のヒ
トたちから怪しまれるようになるほどに。
だから何処かで一度死んだことにしておきたいのだ。
そしてまた傭兵として活動しやすくなるまで、ほとぼりが冷める
のを待つのである。
と言っても、そこら辺の妖魔特有の事情は話せないので、シチー
タには傭兵業がツラくなったとでも言っておくわけだが。
﹁さて、そろそろ行動を開始しないと。アンタの腕がどれほどのも
のかは知らないけれど、ギリギリで生き残れるぐらいの手傷を負う
事を祈っているわ﹂
﹁ああん?言ってくれるな。いいぜ、そう言う事ならこの髪の毛は
きっちり届けて、はっきりとソフィアは死んだって言ってやるよ。
ついでに、本当にくたばってろ﹂
さて、そろそろ時間である。
私の策は実行できるようになるまでに時間がかかるし、幾らシチ
ータが化け物じみていても移動には時間がかかる。
と言うわけで、私たちはお互いに挑発的な動作を相手に見せつけ、
軽い不幸を願う言葉を吐きながら、別々に森の中へと入っていった。
880
第159話﹁蛇の参−12﹂
﹁さて、きちんと主力は出払っているみたいね﹂
数時間後。
準備を整え終った私は、森の中から連中の拠点の様子を窺ってい
た。
拠点の中に存在しているヒトの気配はそれほど多くない。
どうやら先遣隊と本隊を各個撃破するべく、今夜の内に動き出し
たらしい。
となると今頃は⋮⋮本格的にシチータに襲われている頃か。
私が準備のために森の中を駆け回っている時も、時折悲鳴のよう
な声が響いていた気もするしね。
﹁全員準備は良いかしら?﹂
﹁﹁﹁ゴガアアァァ﹂﹂﹂
さて、シチータがきちんと働いているのならば、私もとっとと事
を済ませてしまおう。
私がこれからやろうとしている事の目撃者は出来るだけ全員消さ
なければいけないのだから。
と言うわけで、私の声に応じるように、私の背後で待機していた
妖魔たちが小さく声を上げてくれる。
彼らはこの森で生まれた普通の妖魔であり、今夜になって急遽集
めた面々ではあるが、きちんと私の言う事を聞いてくれるようだし、
ゴブリン
これなら何とかなるだろう。
鼠の妖魔含めて二十匹ちょっとしか居ないというのが、少々不安
な点ではあるけれど⋮⋮そちらについても忠実なる蛇とは別に使役
魔法関連で考えていた新しい魔法を試すには都合がいいかもしれな
い。
881
﹁それじゃあ、ひっそりと素敵なカーニバルを始めましょうか。全
員⋮⋮﹂
私は魔石を挟む形で地面に手を付くと、使役魔法を発動。
拠点の中に使役範囲を伸ばしていき、水晶玉と魔石を回収。
その場で使役魔法を忠実なる蛇の魔法へと変更して、視覚と聴覚
を接続、拠点内の状態を確かめる。
うん、これならいける。
﹁突撃!﹂
﹁﹁﹁ゴガアアァァ﹂﹂﹂
私の背後に居た妖魔たちが拠点の門に向けて真っ直ぐに突っ込み
始める。
すると森と拠点の間は木が切り払われているため、当然拠点に残
って監視台の上から周囲を窺っていた兵士は妖魔の存在に気づき、
声を上げる。
﹁妖魔が攻めてきたぞおおぉぉ!﹂
その声に拠点内に残っていた兵士は一斉に動き出す。
が、木製とは言え塀と門があるのと、普通の妖魔にはただ真っ直
ぐに突っ込んでくる頭しかないと思っている為だろう。
その動きは何処か鈍い。
そして、その鈍さこそが私の付け入る隙だった。
﹁行けっ!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹁﹁﹁ギギャギャギャアァァ!﹂﹂﹂
私の操る土の蛇は、契約範囲を変え続ける事で水晶玉と魔石以外
を動かさずに地表を移動し続け、誰にも気づかれる事無く門の内側
⋮⋮閂の前にまで到達すると、事前に調べて考えた通りに土の蛇を
882
操作し、門を内側から開け放つ。
﹁なんで門が⋮⋮ぐぎっ!?﹂
﹁﹁﹁ギギガアアァァ!!﹂﹂﹂
﹁妖魔が侵入してくる⋮⋮ぞぎゃ!?﹂
土の蛇と入れ替わる形で、内側から門を開けられるという想定外
の事態に慌てふためく拠点内へと妖魔たちが突入していき、手近な
場所に居たヒトから襲っていく。
その間にも、土の蛇は周囲の土を吸い上げて自分の身体にする事
によって、門の上の監視台に届くまでに身体を伸ばすと、そこに居
た兵士の上半身に身体を巻きつける。
そして次の監視台へと移動する傍ら、締め付けをきつくすること
によって兵士の上半身を押し潰して始末する。
﹁な、何だこの化け物はああぁぁ!?﹂
監視台の上に居る兵士が土の蛇に向けて矢を射かけてくる。
だがこの土の蛇に対して、魔石と水晶玉への攻撃以外はあってな
いようなものである。
何本の矢が体に刺さろうが一切気にせず進み続け、監視台に居た
兵士の身体に身体を巻き付ける。
﹁ひぎゃっ!?﹂
さて、この監視台は拠点の四隅に建てられたもので、四辺の監視
台と違って下には何も無い。
なので上に居た兵士は移動ついでに潰すだけである。
問題はその次。
﹁に、逃げろ!コイツはヤバ⋮⋮ひっ!?﹂
私はまず土の蛇を塀の上から降ろし、門の前の地面に潜らせる。
そして一時的に契約範囲を拡張。
883
一つ目の門の上の監視台に登った時と同じように、増やした身体
で体を監視台に向けて伸ばす。
ただし、蛇が脱皮するかのように、今度は一時的に身体の一部と
した土を、門が開かないようにするために大量の盛り土として門の
外に残す。
これでもうこの門から外に逃げ出す事は出来ないだろう。
﹁次ぃ!っと、拙いわね﹂
私は続けて土の蛇を操作し、更に二つの監視台の兵士の排除と一
つの門を塞ぐ事に成功する。
が、流石は精鋭と言うべきか、シィゾクの兵士たちは徐々に落ち
着きを取り戻し、拠点に入り込んだ妖魔たちの数を減らし始めてい
た。
このままでは遠からず妖魔は全滅してしまうだろう。
それは拙い。
﹁行け!﹂
と言うわけで、残り一つの門を土の蛇で塞ぎにかかりつつ、私は
懐から複数の魔石を取り出し、使役魔法によってそれらを拠点内へ
と向かわせる。
﹁くそっ!妖魔共は始末したが、あの蛇をどうにかしねえと⋮⋮﹂
﹁魔法使いは何処に行った!?あんなの魔法じゃねえとどうにも出
来ねえよ!﹂
﹁今叩き⋮⋮﹂
最後の監視台が潰される頃、私が放った魔石と拠点内で死んだ妖
魔が変化した魔石が接触する。
そして、使役魔法によって伝わってきた感覚から、私は自身の魔
法が成功することを確信し、その魔法を発動させる。
884
﹁さあ、起きなさい。そして⋮⋮﹂
私の魔法発動と同時に、死んだ妖魔の魔石が紅く輝き出すと、周
囲の土が盛り上がり始め、死んだ妖魔と同じ姿を象り始める。
そして、私の魔石は身体の奥深くに沈んでいき、死んだ妖魔の魔
石は額で消える間際の蝋燭の炎のように、強く輝くと同時にその光
を揺らめかす。
﹁﹁﹁ゴガアアァァ⋮⋮﹂﹂﹂
﹁﹁﹁へ⋮⋮?﹂﹂﹂
リキンドル
ソウル
﹁暴れなさい。自身に残された感情に従って﹂
魔法の名は再燃する意思。
魔石となった直後の妖魔に土の身体を与え、魔石を形成している
意思に沿って、土の身体を動かさせる魔法である。
﹁﹁﹁ガアアアアァァァァァ!!﹂﹂﹂
﹁﹁﹁う、うわあああぁぁぁ!?﹂﹂﹂
そして、彼らの意思に従って動いた土の身体は、ヒトを潰す音と
共にその身を赤く染め始めた。
885
第159話﹁蛇の参−12﹂︵後書き︶
倒したと思ったら復活した。
これはもうただの悪夢だね。
07/13誤字訂正
886
第160話﹁蛇の参−13﹂
﹁助け⋮⋮助けてぐぎゃ!?﹂
リキンドル
ソウル
﹁ギガアアァァ!﹂
再燃する意思の魔法によって生み出された土人形たちは、額から
炎のように紅い光を発しながら暴れまわる。
﹁何だよこれ!?何なんだぎょ!?﹂
﹁グガガガガ!﹂
土の肉体はその身を動かしている彼らが本来持っていた肉体に比
べれば脆く、動きも幾分遅い。
だがそれでも土人形たちは一方的に兵士たちを屠っていた。
何故か?
﹁ははっ⋮⋮ははははは⋮⋮化け物だ⋮⋮本物の化けもぎぃ!?﹂
﹁剣も矢も槍も魔法もきかねぇ!?にぐおっ!?﹂
﹁ゴゴギガァ!﹂
﹁ギギキュキュアアァァ!!﹂
今の彼らの身体は私の魔法によって集められたただの土に過ぎな
いからだ。
切ろうが殴ろうが突こうが焼こうが、身体を動かすために必要な
二つの魔石が破壊されるか、魔石に含まれる魔力が尽きない限り彼
らは動き続け、彼らの内に残された最後の意思⋮⋮ヒトを殺し喰ら
うと言う意思を満たす為だけに活動し続ける。
﹁ただまあ、やっぱり造り立ての魔法ね。問題点も少なくはないわ﹂
私は土の蛇で拠点内の戦況を確認しつつ、移動を始める。
そしてその間に、他の魔石に触れたのに再燃する意思を発動でき
887
なかった魔石の数と状態を確かめていく。
私は十個の魔石を拠点内に向かわせ、妖魔が死んだ直後の魔石に
触れさせた状態で魔法を発動した。
だが、魔法の発動に成功した魔石は半分の五個だけで、後はうん
ともすんとも言わない。
念の為に別の魔石との組み合わせでもやってみたが⋮⋮上半身だ
け再生出来たのが一体追加できただけか。
妖魔が死んでから復活までの間に時間が有ったせいか、魔石同士
の相性か、私自身の力量の問題か⋮⋮まあ、この辺りの原因追及に
ついてはまたいずれでいいだろう。
今は⋮⋮だ。
﹁逃げろ!逃げるんだぁ!それし⋮⋮ぎゃああぁぁ!?﹂
﹁西の門に向かええぇ!それ以外は全部塞がれているぞ!!﹂
再燃する意思と言う魔法が私の想定以上に燃費が悪いが為に感じ
てしまっテイルコノ空腹感ヲドウニカシナキャ⋮⋮ネ。
﹁外⋮⋮﹂
﹁イタダキ⋮⋮マス﹂
﹁だ?﹂
私が開けた門から出てきた兵士の首を刎ねると、私は刎ねた兵士
の頭を空中で直接丸呑みにする。
ああうん、危ない危ない。
空腹になり過ぎて思考に異常を来たすところだった。
﹁お、お前は一体⋮⋮﹂
﹁よ、妖魔だ⋮⋮こりょ?﹂
﹁死ネ﹂
危ナイシ、ドンドン食ベナきゃね。
と言うわけで私は土人形たちに追われ、戦う気力も失って門に殺
888
到する兵士たちをハルバードの頑丈さと妖魔の腕力に物を言わせて
次々に薙ぎ払い、適宜兵士たちの腕や頭を腹の中に収め、一気に消
化吸収していく。
だが土人形を維持している限り、どれほど食べても腹が膨れる事
は無い。
今の食事ペースと吸収能力では、理性を保っていられるラインぎ
りぎりを保つのが精いっぱいだろう。
しかしそれで構わない。
﹁こ、これは⋮⋮こんなのは⋮⋮悪い夢だ。夢なんだあぁぁ!?﹂
﹁残念。現実よ﹂
この拠点の中に居たのは拠点を維持するために必要な人員だけだ
ったのだから。
再燃する意思の効果時間は二つの魔石内に存在しているどちらか
の魔力が尽きるまでなのだから。
﹁さ、貴方でお終い。おかげで良い実験が出来たわ﹂
﹁あ、あ、ああああああああぁぁぁぁぁぁ!?﹂
そうして再燃する意思によって生まれた土人形たちがその全身を
赤く染め上げた土くれに還る頃には、拠点の中に生きた者は私一人
を除いて全員居なくなり、辺りは静寂に包まれた。
﹁さて、まずは腹ごなしね。で、それと一緒にどうして上手くいっ
た個体と上手くいかなかった個体が居たのかを調べないと﹂
私はそう呟くと、使役魔法で地面を操り、拠点内の死体と魔石を
集め始めたのだった。
−−−−−−−−−−−−−−
889
﹁モグモグ。やっぱりそう言う事でいいのかしらね﹂
私は殺したヒトの肉を貪りながら、とぐろを巻かせて椅子のよう
にした土の蛇の上で、魔石の状態を確かめていく。
﹁死んだ妖魔が残していた感情の影響。私自身が保有する魔力量の
関係。死んでからの時間。後は再燃する意思の魔法を使うための魔
石と、土人形を操る妖魔の意思の相性。はぁ⋮⋮私の意思で操らな
くていいのは圧倒的な利点だけど、やっぱり使い道は限られている
わね﹂
再燃する意思は魔石に含まれている妖魔の感情の残滓、それを最
大限に利用する魔法である。
基本は忠実なる蛇と同じように使役魔法の応用であるが、使役魔
法と違い私がするのは彼らの身体の維持だけで、どう身体を造り、
どう動くかは核としている魔石に残されている意思に任せる形にな
る。
それは複数の身体を並行して動かすという難事をしなくてもいい
と言う利点を生み出すと同時に、私に思った通りに動いてくれない
可能性も存在すると言う事でもある。
まあ要するにだ。
﹁まだまだ要改良ってことね。まあ、分かり易くていいわ﹂
もう少し使い勝手を良くする必要が有るという事である。
﹁⋮⋮﹂
さて、結論が出て、一応の補給も済んだ。
後はこの場を去るだけだが⋮⋮どうやら、そうは問屋が卸してく
れないらしい。
﹁何の用かしら?﹂
890
私は唯一封鎖していなかった西門へと目を向ける。
そこに立っていたのは、左手に剣を、右手に小さな盾を持ち、背
中に弓と空の矢筒を携えた黒髪橙目の男⋮⋮シチータ。
﹁何の用だと?俺が相手した連中があまりにもダラしなかったから、
お前の加勢に来てやったんだよ﹂
ヒトの腕
﹁ああやっぱり一人で全員蹴散らしたのね。誰も帰ってこないから
妙だと思っていたわ﹂
﹁で、お前が手に持っているものに関する言い訳は何か有るのか?﹂
﹁逆に聞くけど、私の頼みに応じなかった事に対する言い訳は何か
有るのかしら?﹂
私は手に持っていた食いかけのヒトの腕を放り捨てると、ハルバ
ードを右手に持ち、とぐろを巻く土の蛇から地面に降りる。
対するシチータは何時でも私に切りかかれるように、体勢を整え
る。
﹁誰がお前なんぞの頼み事を聞くか﹂
﹁アンタに対して言う事なんて何も無いわ﹂
そして私たちは同時に動き出した。
891
第160話﹁蛇の参−13﹂︵後書き︶
思いっきり見られました。
07/14誤字訂正
892
第161話﹁蛇の参−14﹂
﹁ふんっ!﹂
﹁効くかっ!﹂
間合いに入ったところで、私はハルバードを両手持ちすると斧の
部分を向けて全力で振り下ろす。
対するシチータは木を主体とした小さな盾で私のハルバードを真
正面から受け止めようとする。
私のハルバードとシチータの盾が何故か金属同士がぶつかり合う
ような音を響かせながらぶつかり合い、私のハルバードはシチータ
の盾に僅かな傷すら付けられずにその動きを止められてしまう。
﹁こっちの番だ!﹂
﹁お断りよ!﹂
シチータの剣が振られようとするのと同時に私は後方に跳躍。
剣が空を切るのを見届けてから、ハルバードの穂先を正面に向け
て突き出す。
だがシチータはそれを予想していたかのように剣を切り返し、私
のハルバードを横から叩く事によって弾き飛ばす。
﹁すぅ⋮⋮はっ!﹂
﹁ふんぬっ!﹂
それならばと私はハルバードを弾かれた勢いを利用して回転。
戈の部分ですくい上げるように攻撃を仕掛ける。
しかし十分な速度と遠心力を乗せ、鋭い先端にその全ての力を集
めた一撃を、シチータは裂帛の気合いを乗せた裏拳を盾を持った方
の手で放つ事によって、戈の先端が盾の表面に少しだけめり込む程
度の被害に抑えて見せる。
893
﹁死ねっ!﹂
﹁ちいっ!﹂
動きが止まった私に向けてシチータが剣を突き出そうとする。
が、その刃が私の喉元を貫く前に身体を倒す事によって、私はシ
チータの攻撃から逃れる。
けれど身体を倒してしまったために、地面にその身が着くまで通
ゴーレム
常の手段では私は動く事が出来なくなってしまっていた。
スネーク
﹁忠実なる蛇!﹂
﹁!?﹂
当然シチータは剣を振り下ろす事によって私に追撃を仕掛けよう
とした。
だがその前に私の操る土の蛇がその全身を縮みこませることによ
って蓄えていた力を開放。
矢のような勢いでもってシチータに食らい付くと、そのまま拠点
の周囲を囲む塀に向けて突き進んでいく。
﹁いぐっ!?﹂
そうして土の蛇が自身の身体と木の塀でシチータを挟み、潰そう
とした時だった。
土の蛇の頭部が吹き飛ぶと同時に、私の右奥歯が幾らか欠け、頬
が内側と外側の両面から多少切れる。
﹁ぺっ、やってくれるな。危うく死ぬところだった﹂
﹁ぷっ、ヒトを辞めている分際で何を言っているんだか﹂
土煙の向こうから、全身を砂埃で汚しただけのシチータが現れる。
私は欠けた歯を血と一緒に吐き捨てながら、そんなシチータを睨
み付ける。
894
妖魔
﹁ヒトを辞めている⋮⋮ね。まあ、半分はお前の血が入っているん
だし、間違ってはいないかもな﹂
﹁アンタの場合は半分妖魔の血が入っていたとしても説明がつかな
いって言ってんのよ﹂
私は頭部を失った土の蛇の身体に左手の指を食いこませると、私
とシチータの間で壁になるようにその身体を動かしつつ、次に備え
た準備を始めていく。
それにしてもだ。
﹁説明がつかない⋮⋮ねぇ。お前だって俺の片親が妖魔じゃないか
ウェア
と疑っていなかったか?そのお前が説明がつかないとか言うんだな﹂
﹁ふんっ。好きに言ってなさい﹂
シチータの戦闘能力は本当に有り得ないと言う他ない。
ウルフ
トロール
身体能力については妖魔の血が混じっていて、その血の元が狼の
ウンディーネ
妖魔や熊の妖魔などであれば、私を凌駕する身体能力を持っていて
も有り得ないとは言えない。
だが、並の金属ならば容易く切り裂き、あの水の妖魔の一撃すら
難なく防いで見せた私のハルバードの一撃を。
それもただの一撃ではなく最大限に破壊力を発揮できる形で放っ
た一撃を、一部は鉄で補強されているとは言え木を主体にして造ら
れた盾でシチータは防いで見せた。
おまけにその後、シチータは土の蛇の頭を吹き飛ばすと同時に、
どういう理屈かは分からないが、土の蛇に与えたダメージの一部を
操り手である私にまで伝播させてきた。
どちらも普通に考えれば絶対にありえない現象である。
盾については、本来ならば盾を粉砕した上で、その先にあるシチ
ータの身体も粉々に粉砕しているはずである。
土の蛇については、その身が幾ら切り刻まれようとも私への影響
は無いはずである。
だがそうはならなかった。
895
原因は⋮⋮分かっている。
﹁でもこれで私は腑に落ちたわ。どうしてアンタの事がこれほどま
でに気に入らないのかを﹂
﹁何?﹂
膨大な量の魔力によってシチータは無意識的に魔法を発動させ、
剣も盾も大幅に強化していたのだ。
そして、その膨大な量の魔力によって、私の一撃を受け止めて見
せ、土の蛇に与えた傷を私にまで伝播させてみせたのだ。
では、そのヒトとしては有り得ない量の魔力をシチータは何処か
ら得たのか。
﹁どういう経緯かは知らないけれど、アンタは得体の知れない何か
から契約のようなものでもって膨大な量の魔力を得ている。そして
その契約故に私たちはお互いの事が気に食わないと感じ合っている﹂
それはシェルナーシュの言っていた後天的英雄と言う存在を思い
出せばすぐに分かる。
フローライトの時のように、何者かがその力を勝手に授けたのだ。
まったく、先天的な素質だけでも十分危険な存在に、後天的な素
質まで与えるとか⋮⋮力を授けている誰かさんに文句の一つでも言
ってやりたい所である。
﹁はあ?何を言って⋮⋮﹂
﹁ま、私にとってはどうだっていい話だけれど⋮⋮﹂
尤もこんな話はすべて時間稼ぎでしかない。
﹁ね!﹂
﹁っ!?﹂
私の意思に応じて頭部を失った土の蛇がその全身を勢いよく跳ね
上げ、シチータの周囲を囲っていく。
896
プルアウト
﹁撤退﹂
﹁何っ!?﹂
土の蛇の動きにシチータが一瞬その身を強張らせる。
その隙に私は撤退の魔法を発動し、拠点の外に向けて一気に加速
し始める。
イグニション
﹁ま⋮⋮﹂
﹁着火﹂
そして私の事を追いかけるべく、土の蛇の身体をシチータが剣で
切り刻もうとした瞬間、私は契約魔法の仕様を利用して土の蛇の体
内に仕込んだ魔石を発動。
熱を殆ど伴わなず、爆発的な量の風を起こすだけと言う本来なら
ば失敗作に近い魔法でもって、土の蛇の身体を内側から吹き飛ばす。
するとどうなるか。
﹁おおっ、結構派手ね﹂
土の蛇はシチータの周囲をとぐろを巻くように包み込んでいた。
その状態で全身を吹き飛ばすように爆発したのだから、爆発地点
ブラウニー
ポイズン
より内側の部分に在った身体はシチータの身体へと暴力的な威力で
向かうことになる。
それもただの土ではなく、焼き菓子の毒を染み込ませた土がだ。
﹁ただまあ⋮⋮﹂
やがて撤退の魔法の効果が切れ、私は天高く昇る土煙を眺めつつ、
暗い夜の森の中に着地する。
そして着地した私は⋮⋮、
﹁シチータがあの程度で死ぬとは思えないわね﹂
全速力で拠点から遠ざかるように駆け出し、そのまま行方を眩ま
897
せる事にした。
898
第161話﹁蛇の参−14﹂︵後書き︶
死んだと思えないので逃げるそうです。
899
第162話﹁名も無き騎士−1﹂
﹁⋮⋮﹂
ギルタブリル
前レーヴォル暦40年夏の一の月。
蠍の妖魔のサブカは一人森の中を歩いていた。
サブカには別段これといった目的は無い。
ただ、自身の見た目と性格上、一つ所に留まるべきでないと考え、
ヘニトグロ地方の各地を彷徨っていた。
そして、今はソフィアたちに無用な心配を与えないようにするべ
く、一年ごとの集まりに顔を出すために旧マダレム・エーネミに向
けてゆっくりとした歩調で歩いていた。
﹁幾らか腹が減って来たな⋮⋮﹂
ただこうして一人旅をする上で、サブカは自分自身に対して一つ
の誓いを立てていた。
それはヒトとして許されざる行いをしている者、自らの意思で自
分に戦いを挑み負けた者しか食べないという誓い。
その誓いは同時に、喰らってもいいと思える獲物が存在しなけれ
ば、自殺もしくは餓死する事を選択すると言う覚悟の現れでもあっ
た。
﹁⋮⋮﹂
勿論、この覚悟が至極身勝手な物であり、自己満足に過ぎないも
のであることをサブカは理解している。
普通のヒトから見れば自分が殺すべき妖魔である事は変わらず、
ヒトの道から外れた外道であっても自分たちを襲う敵である事に変
わりはない。
友人と呼んで差支えないソフィアたちにも心配はかけているだろ
900
うし、普通の妖魔から異常な存在だと白い目を向けられたり、裏切
り者だと攻撃を受ける事も仕方がない事であるとサブカは思ってい
る。
だがそれでもサブカは自身の生き方を、殺し喰らうヒトを選ぶと
言う傲慢な生き方を捻じ曲げる気にはならなかった。
いや、なれなかった。
﹁そろそろ死ぬかもな⋮⋮﹂
そうして、この時のサブカは既に一週間ほどヒトを食べていなか
った。
ヒトの食事は摂っていたが、妖魔はヒトを食わなければ生きてい
られない存在であるため、少しずつ耐えがたい飢餓感のようなもの
が湧き出していた。
サブカは腰に挿している剣の一本を握る。
正気を失いかけた時、直ぐに自分で自分の首を刎ねられるように。
﹁だがそれも⋮⋮よくは無いか。少なくとも今は﹂
やがてサブカが剣を抜こうとした時だった。
サブカの耳はこのまま道を進んだ先で上がった一人の少女の助け
を求める声を捉える。
そして、少女の声を聞き届けると同時に、サブカは己の内に湧き
出していたはずの飢餓感を忘れて、ヒトの脚力では決してありえな
い速さでもって道を駆け出す。
﹁見えた﹂
﹁誰か⋮⋮誰か⋮⋮﹂
﹁ひひひひひっ、コイツは上玉じゃねえか﹂
﹁運が良いなぁ。ありがたいこった﹂
﹁前の女も丁度死んだばかりだしなぁ﹂
やがてサブカの瞳に御者と護衛が殺され、道の真ん中に停めさせ
901
られている行商の馬車と、その馬車の中で怯えている二人の少女、
それから二人の少女を囲んでいやらしい笑みを浮かべる野盗たちを
捉える。
﹁さあて、折角だし早速味わせてもらうかね﹂
﹁そうだな。馬も手に入ったし、アジトに着くまでの間にも楽しま
せてもらうか﹂
﹁い、嫌ああぁぁ!誰か!誰かああぁぁ!﹂
﹁げひひひ。優しくしてやるよ。一応な﹂
﹁お姉ちゃん⋮⋮﹂
迷う必要も躊躇う理由もサブカには無かった。
﹁それじゃあ⋮⋮﹂
﹁死ねっ﹂
サブカの右前腕に持った剣が振るわれ、二人の少女に手を伸ばそ
うとしていた男たちの内の何人かの身体が二つ以上に切り離され、
一瞬遅れて紅い噴水が噴き上がる。
﹁何も⋮⋮﹂
﹁ふんっ!﹂
続けて左前腕で持った二本目の剣が振るわれ、サブカの正体を問
い詰めようとした男の上半身が縦に切り裂かれる。
そしてこの時点で、サブカは男たちの実力を把握し、少女たちに
これ以上のショックを与えないためにも、自分が妖魔だと分かるよ
うな戦い方をするべきでないと判断する。
故にサブカはフードを深く被り直し、口元も布で改めて見えない
ようにすると同時に、もう一対の腕が表に出る事が無いようにその
腕でマントを内側から握りしめるようにしておく。
﹁馬を走らせろ!コイツ等は私が仕留める!﹂
902
﹁えっ!?﹂
﹁っつ!?﹂
﹁ボケが!誰がにぎゃ⋮⋮あっ、ぐっ⋮⋮!?﹂
﹁ヒヒイィーン!﹂
と同時に、これからこの場で惨劇の内容を考えて、サブカは少女
たちに逃げる事を勧め、少女の片方⋮⋮もう一人に比べて多少幼い
方の少女が馬の手綱を握り、一気に走らせ始める。
﹁この⋮⋮野郎﹂
﹁生きて帰れると思うんじゃねえぞ⋮⋮﹂
﹁ぶっ殺してやる﹂
﹁殺してやる⋮⋮か﹂
馬車はこの道が森の中に造られた道であった事もあって、直ぐに
見えなくなってしまう。
こうなってしまえば、もうこの男たちに馬車に追いつく術はない
だろう。
すると当然の権利のように、男たちは仲間を殺された事と獲物を
逃がされた事への怒りを露わにし、サブカへと武器を向ける。
﹁それはこちらのせ⋮⋮﹂
﹁どおりゃあ!﹂
男の一人がサブカの胸を貫くように粗末な造りの槍を突き出す。
﹁なっ!?﹂
﹁っつ!?﹂
﹁馬鹿なっ!?﹂
﹁はぁ⋮⋮もういい﹂
だが槍はサブカの胸を貫けないどころか突いた衝撃で柄が折れ、
使い物にならなくなってしまう。
903
﹁抵抗するな﹂
﹁﹁﹁あ、あ⋮⋮あ⋮⋮﹂﹂﹂
目の前の光景に男たちは呆然とする他なかった。
﹁そうすれば楽に殺してやる﹂
﹁﹁﹁う、うわああぁぁ!?﹂﹂﹂
そして、呆然とする男たちを相手に、サブカによる蹂躙劇が始ま
った。
904
第162話﹁名も無き騎士−1﹂︵後書き︶
07/16誤字訂正
905
第163話﹁名も無き騎士−2﹂
﹁御馳走様でした﹂
全ての男を殺したサブカは、食べる事で身体を処分し、服と装備
品については近くの地面を適当に掘って埋める事で処分する。
そして最後に男たちに手を合わせ、小さく礼をし、祈りを捧げる。
﹁⋮⋮﹂
勿論、これらの行動もまた自分は悪くないのだと思うためだけに
行っている独善的な行動であるとサブカは認識している。
自分がヒトであるならば、死んだからと言って肉を誰かに食われ
たいとは思えない。
それこそ、こんな罪の意識を抱いた状態で喰らい、身に着けてい
た物を埋葬するのであるならば、そもそも他の生物を食うなと批判
されても仕方がないと考えている。
﹁分かっているさ。そんな事は﹂
だがそれでもサブカは自分で殺した以上は、可能な限り自分で食
べ、己の血肉にすべきだと考えている。
自分はヒトを喰らう妖魔であるのだから、ヒトを殺した以上はそ
の血肉を喰らい、生き永らえなければならない。
自分が殺したヒトの死に意味を持たせ、彼らの命に恥じぬ生き方
をしなければならない。
でなければ、彼らが死んだ意味が軽くなってしまう。
例え誰からか独善だと、身勝手だと、思い上がりも大概にしろと
罵られようとも。
それがサブカが感じている事だった。
906
﹁さて、どうするか⋮⋮﹂
祈りを終えたサブカは立ち上がると、馬車が逃げて行った先と、
男たちがやってきたであろう方角⋮⋮微かにヒトが通った痕跡が存
在している獣道へと目を向ける。
どちらに向かうべきか。
馬車が逃げて行った先へと進むという事は、二人の少女の無事を
確かめると同時に、自分が無事であることを伝えて少女たちを安心
させると言う事である。
対して獣道を進むという事は、野盗の生き残りが居ないか確かめ、
居るならば後顧の憂いを断つと同時に、居る可能性は低くともあの
男たちに連れ去られたがまだ生きている少女を助けると言う事であ
る。
﹁⋮⋮﹂
マトモな考え方をしているのであれば、少女たちはこの先にある
はずの村に暫く留まるだろう。
だが仲間が帰ってこない野盗たちはどうするだろうか。
もう仲間が居ないか、散り散りになって逃げていくのであれば、
そこまで心配はいらないだろう。
基本的に野盗と言うのは、数が居なければ話にならない存在だか
らだ。
しかし十分な数が居れば彼らはどうするだろうか。
仲間を殺した当人である自分を追って来るならば、何も恐れる必
要はない。
迎え撃ち、殺し、食らうだけだからだ。
けれどもしも怒りに任せて近くの村々に襲い掛かるようであるな
らば?
自らの行動の結果として新たに起きた災禍に、見ず知らずの人々
を巻き込むことになる。
その状況は自分にとって最も苦痛に思える状況であると、サブカ
907
は思った。
﹁行くしかないな﹂
サブカはまず野盗の残りが居ない事を確かめる事を決めた。
そうして獣道に入ろうとした時だった。
﹁ん?﹂
﹁居たぞ!アレがそうだ﹂
﹁マジか!?生き残ってる!?﹂
二人の少女が逃げて行った方から、二人の青年が息を切らしなが
ら自分の方に駆け寄ってくる。
二人の青年はサブカにとって見覚えのある人物だった。
どうして此処にと一瞬思うも、彼らが今している事を考えれば、
別段おかしくもないかとサブカは思い直し、獣道へと踏み入ろうと
した足を止める。
﹁はぁはぁはぁ⋮⋮アンタが⋮⋮ぜぇはぁ⋮⋮野盗を足止めして⋮
⋮すぅはぁ⋮⋮場所に乗った二人の子供を助けてくれた剣士か?﹂
﹁ぜぇはぁ⋮⋮野盗は⋮⋮はぁふぅ⋮⋮何処に?それと⋮⋮げほっ
⋮⋮怪我とかは無いか﹂
﹁⋮⋮﹂
内心で自分の事を助けるつもりなら、息が切れるほどの速さで駆
けてくるのはどうなんだと思いつつも、サブカは二人の質問に答え
る事にする。
﹁確かに俺は二人の少女に逃げるように言ったし、別の馬車がここ
を通った覚えもないから、その剣士とやらは俺の事だろう﹂
﹁そ、そうか⋮⋮。無事に会えてよかったぜ﹂
﹁野盗については全員殺した。今は、連中の仲間が残っていないか
を確かめる為に、連中の拠点まで獣道を辿るところだ﹂
908
﹁マジか⋮⋮十人近く居たって話だったのに⋮⋮﹂
サブカの言葉に片方は安堵の笑みを浮かべ、もう片方は驚いた様
子を見せる。
﹁すぅはぁ⋮⋮しかし連中の拠点を探るって⋮⋮本気か?﹂
﹁本気だ。放っておけば、何かと問題になるからな﹂
﹁すぅはぁ⋮⋮なら俺たちも協力する。そのために来たようなもの
だしな﹂
﹁⋮⋮。そうか﹂
サブカは二人の格好を改めて見る。
二人⋮⋮十年前、一方的に見知ったテトラスタの義理の息子であ
るガオーニとジーゴックは共に革製の防具を身に着け、腰には鉄製
の剣を挿し、左手には木と鉄と革を組み合わせて軽さと頑丈さを両
立させた盾を持っていた。
これらの装備に傷は多いが、手入れはよくされており、十年前に
出会った時と比べると、二人の身体はとても良く鍛え上げられてい
た。
これならば、野盗は勿論の事、普通の妖魔相手ならば十分に戦う
事は出来るだろう。
ただ、息を切らしてまで慌てて駆け付けようとするような考えの
なさを改めなければ⋮⋮遠からず命を落とすのではないか。
そうサブカは感じた。
﹁付いて来るなら勝手に付いて来い。俺は自分のペースで進む﹂
﹁分かった﹂
﹁ああ﹂
﹁ただし、敵の拠点に着いた時に息を切らせるような走り方はする
な。常に余力は残せ。必要な時に戦えないような奴に付いてこられ
ても足手まといだ﹂
﹁うっ⋮⋮﹂
909
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
結局サブカは二人を連れて野盗の拠点に向かう事にした。
何となくではあるが、このまま彼らを放っておいたら、良くない
だろうと感じた為に。
﹁では行くぞ﹂
そしてサブカは獣道を進み始めた。
910
第163話﹁名も無き騎士−2﹂︵後書き︶
07/17誤字訂正
911
第164話﹁名も無き騎士−3﹂
﹁⋮⋮﹂
サブカは草木に残る僅かな痕跡を辿って、ヒトが使った気配のあ
る獣道を歩いていく。
﹁ま、まるで普通の道みたいに⋮⋮﹂
﹁と言うか迷いがねぇ⋮⋮﹂
そしてサブカの後に続く形で、ガオーニとジーゴックの二人も歩
いていく。
﹁何であんな綺麗に歩けるんだ⋮⋮?﹂
﹁全身に金属製の鎧を身に着けているんじゃないのか⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。そんなに難しい事じゃない﹂
ただし、三人の歩き方には明らかな差があった。
サブカはまるで整備された道でも行くかのように落ち着いた足取
りで、一切の迷いなく進んでいる。
それに対して、ガオーニとジーゴックの二人は木の根や草の葉、
地面の凹凸に時折足を取られ、転んだり、息を切らしたりこそはし
ないが、付いて行くのがやっとという様子だった。
﹁獣道と言うと聞こえは悪いが、跡が残る程度に使っている者が居
る以上は、その者にとっては他の道よりも歩きやすいようになって
いる道になっているはずだ﹂
﹁は、はあ?﹂
﹁だから、使っている人間⋮⋮今回で言えば俺が殺した野盗の歩幅
に合わせるようにすれば、それだけで格段に歩きやすくなる。で、
後は使っている人間の目で見て歩きやすそうな場所を探せば、道が
912
何処にあるかも分かる﹂
﹁え、えー⋮⋮﹂
﹁まあ、慣れの話だと言ってしまえばそれまでだがな﹂
そんなサブカの歩き方に疑問を抱く二人の質問に、サブカは自分
なりの考え方とやり方を話す。
が、二人にとっては有り得ないとしか言いようのない話だったた
めに、サブカの話を聞いた二人は若干呆然とした様子を見せる。
﹁はあ、連中の拠点に着くまでに聞いておきたいことがある。いい
か?﹂
﹁えと、なんすか?﹂
﹁俺たちに答えられることならなんなりと﹂
理解されないものは仕方がない。
サブカはそう考えると、二人に合わせて若干歩速を落としつつ、
二人に質問を投げかける。
﹁お前たち二人はヒトを殺した事が有るか?﹂
﹁⋮⋮。野盗の類だけっすけど一応は﹂
﹁護衛の仕事の時に出会って止むを得なく﹂
﹁そうか。なら少しは安心できるな。それで傭兵としては護衛の他
にどんな仕事をしていた?それと今年で何年目になる?﹂
サブカの質問に二人は少し考えてから答え始める。
その答えをまとめるならばだ。
まずガオーニとジーゴックの二人が表向きは傭兵として、その実
義理の父親の考え方を広める旅に出たのは二年ほど前の事。
傭兵と名乗ってはいるが、その実態は何でも屋に近く、頼まれれ
ばペットの飼い犬探しから行商の護衛、農村の繁忙期の手伝いまで、
人の道に外れた仕事でなければ何でも受けて来ていたという。
そうやって仕事を選ばなかったおかげか、最近では名前が売れて
913
くると同時に、義父の教えに耳を傾け、共感してくれる人間も少し
ずつ増えて来ていた。
ただ、そうして戦いとは程遠い依頼も受けていたため、人間と戦
った経験は勿論の事、妖魔と戦った経験もそれほど多くはない。
なお、彼らの口調については、こちらの方が素であるとの事らし
い。
﹁なるほどな。とりあえず酒と女に溺れているそこら辺の傭兵より
は使い物になりそうだ﹂
﹁えーと、そうなんすかね?﹂
﹁経験不足だって言われてばかりだったんで、ちょっと嬉しいかも
?﹂
﹁いや、経験が足りているとは言っていない。未熟なのも事実だろ
う﹂
﹁﹁ですよねー﹂﹂
彼らの話を聞いたサブカは、内心で安堵の息を漏らす。
確かに彼らには戦いの経験は足りていないだろう。
だが、自分たちが未熟なのを理解し、それを補うために身体を良
く鍛え、武器を整備してあるのは一目見た時点で分かったし、それ
以上に戦場において背後を任せられる安心感と言うものを彼らは有
していた。
この安心感を持っているというのは重要だ。
そうした安心感を持っている者の周りには、信頼するに値する人
材が自然に集まってきて、お互いに助け合うようになるからだ。
﹁さて、もうすぐ着くな﹂
サブカたちが会話をしながら進んでいると、やがて獣道は頻繁に
ヒトが通っている事を示すようにしっかりとした道に変わっていく。
そうして、敵の拠点であろう岩壁に開いた洞窟の入り口と、その
前に立つ二人の野盗の姿をヒトには決して捉えられない距離から見
914
つけたサブカは一度足を止める。
﹁えと?﹂
﹁なんすか?﹂
﹁連中の拠点に着く前に、お前たちに言っておくことがある﹂
サブカは二人の方を向く。
二人は突然どうしたと言わんばかりの表情を浮かべるが、サブカ
はそれを気にせずに言葉を紡ぐ。
﹁躊躇うな。そして諦めるな﹂
﹁躊躇うな⋮⋮?﹂
﹁諦めるな⋮⋮?﹂
﹁そうだ。妖魔と違ってヒトは命乞いをする事が有る。だがそこで
躊躇うな。命乞いをする様な連中は、大抵戦意など失っていない。
そこで躊躇い、死ねば、自分が守るべきものを守れなくなる﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そして諦めるな。諦めたものに勝機が訪れる事はない。諦めたも
のから死んでいく。戦いと言うのはそう言うものであるし、諦めれ
ば誰かを支える事は出来なくなる﹂
﹁⋮⋮﹂
サブカの言葉にガオーニとジーゴックは悩ましげな表情を見せる。
だがそれは、二人がサブカの言葉を真剣に受け止め、受け入れる
に相応しい考えであるかを真面目に考えているからこその表情だっ
た。
﹁俺は御使いサーブではないが、要するに﹃守るために躊躇うな。
支える為に諦めるな﹄だ﹂
﹁へ?﹂
﹁え?﹂
﹁では行くぞ﹂
915
サブカは自分が言うべきことは言ったと言わんばかりに剣を抜き
放つと、はっとした表情を見せる二人を置いて、一気に獣道の向こ
うへと駆け出していく。
﹁ん?なにも⋮⋮ぎゃああぁぁ!?﹂
﹁誰だテ⋮⋮がっ!?﹂
そして二人の野盗の断末魔を皮切りとして戦いは始まった。
916
第164話﹁名も無き騎士−3﹂︵後書き︶
07/18誤字訂正
917
第165話﹁名も無き騎士−4﹂
﹁はぁはぁ、これで全員か﹂
﹁すぅはぁ、死ぬかと思った⋮⋮﹂
﹁二人ともよくやったな﹂
戦いはあっけなく終わった。
だがそれも当然の事だろう。
なにせ拠点の中に残っていた野盗は入口に居た二人を含めて七人
だけだった上に、彼らは油断しきっていたのだから。
そのため、野盗たちは反撃の態勢を整える間もなくサブカ、ガオ
ーニ、ジーゴックの三人に襲われ、為すすべなく死んでいく事にな
った。
尤も、野盗たちの装備ではサブカの甲殻を貫く事は出来ないため、
例え油断していなくても彼らの結末は変わらなかっただろうが。
﹁だが息を吐くにはまだ早いぞ﹂
﹁死体の処理すか﹂
﹁そうだ。死ねば敵も味方も無いからな。罪なきヒトと同じように
対応しろとは言わないが、生前が何者であってもそれ相応の処置は
施すべきだ﹂
﹁まあ、そうですよね。ヒトとして﹂
これで彼らに人質に出来るような人員が残っていれば、まだ少し
は展開が変わっていたのかもしれないが、拠点の中には散々使われ
た跡が残っている少女の死体が在っただけで助けにはならなかった。
それどころか、その死体を見た三人の怒りを買い、その時生き残
っていた野盗の首領らしき男はこの世の地獄を見る事になったのだ
が⋮⋮それはここだけの話である。
918
﹁とりあえず表に運んで焼いてきます﹂
﹁埋める為の穴を掘ってきます﹂
﹁ああ、頼んだ﹂
ガオーニとジーゴックの二人が拠点の外に出ていくのを見届けた
サブカは、改めて自分が今居る部屋⋮⋮野盗たちの首領が使ってい
ると思しき部屋の中を見る。
そして、棚の中に保管されていた羊皮紙を見つけ⋮⋮中身を見た
所で瞑目する。
羊皮紙の内容に度し難い、許しがたい、見逃すわけにはいかない
とサブカは一人静かに思う。
と同時に、自分が今考えている事を実行するのに何ヶ月もかけて
いられないとも思う。
﹁どうか安らかに﹂
﹁眠れますように﹂
そうして詳しい手順をしばらくの間考えていたサブカが外に出る
と、既に死体の処理は終わったのか、ガオーニとジーゴックは二人
揃って手を合わせていた。
﹁終わったのか?﹂
﹁はい、野盗についてはそこに、その⋮⋮少女の方は陽の当たる場
所を選んで埋めました﹂
﹁そうか﹂
ジーゴックの指さした先は大きな木の根元で、陽がまるで当たら
ない所であり、少女が埋められた場所は野盗が埋められた場所から
出来る限り離された場所だった。
少女と野盗を同じ場所に埋めるべきでない事はこの場に居る誰の
目にも明らかだったため、サブカもこの判断には素直に頷くことに
した。
919
﹁えと?それでちょっと話があるんすけど﹂
﹁なんだ?﹂
﹁その⋮⋮俺たちが居た村で、アンタが助けた人が待ってます。何
で出来れば一緒に⋮⋮﹂
﹁ああ、その件か﹂
野盗の件が終わったところで、ガオーニがサブカに話しかける。
それはサブカが助けた二人の少女が、ガオーニとジーゴックが滞
在していた村で待っており、二人を安心させるためにも付いて来て
欲しいというものだった。
﹁悪いが断る﹂
﹁え?﹂
﹁その⋮⋮行けば礼はたんまりと貰えるでしょうし、野盗の拠点も
こうして潰したとなれば、軽い宴ぐらいのお祝いにはなると思いま
すけど⋮⋮﹂
﹁そうだな。確かに礼は貰えるだろうし、宴も開かれるだろう。だ
が俺は自分がそうしたいと願ったから、彼女たちを助けただけだ。
礼が欲しくて助けたわけじゃない﹂
﹁えーと、アンタを置いて来てしまったという事で、二人とも結構
ツラそうな様子何すけど⋮⋮﹂
﹁お前たち二人が、俺が無事だったことを伝えてくれればそれで済
む話だろう。それに、こんな全身金属鎧の大男が姿を見せて安心さ
せられるとは思えない﹂
だがサブカはそれを断った。
理由としてガオーニとジーゴックの二人に語った言葉も嘘ではな
い。
が、それ以上にサブカは自分が妖魔である事が少女たちと村のヒ
トにばれる事を怖れたのだった。
ただし、サブカがばれる事を恐れたのは、自分の命が危うくなる
からではなく、彼らに恐怖と混乱を与えたくないと言う理由からだ
920
ったが。
﹁とにかくだ。俺はその村に顔を出すつもりはない。早急に手を打
たなければならない事柄があるからな﹂
﹁手を⋮⋮打つ?それは俺たちも⋮⋮﹂
﹁足手まといだからついて来るな﹂
﹁だ、だったらせめて貴方の名前だけでも!アンタの名前すら知ら
なかったら、誰に感謝していいのかも分からないすから!﹂
﹁感謝⋮⋮か﹂
サブカは獣道すら通っていない森の方へと足を向け始める。
その背中を追うようにガオーニとジーゴックの二人も足を出すが、
サブカは魔力の放出による威圧と二人の足元に剣を投げて突き刺す
事によって、二人の脚をその場に止めさせる。
﹁なら御使いサーブにでもしておいてくれ。それと﹃守るために躊
躇うな。支える為に諦めるな﹄この言葉を忘れるな﹂
﹁えっ⋮⋮!?﹂
﹁何で⋮⋮!?﹂
そして最後の言葉に二人が戸惑っている間にサブカは森の中に向
けて駆け出す。
魔力によって脚力を強化することで、ヒトでは決して出せない速
さを出しながら。
そうして二人がサブカの言葉と魔力に戸惑っていた状態から復帰
する頃には、二人の前には僅かな残滓すら残されていなかった。
−−−−−−−−−−−−−−−−
数日後。
921
ギルタブリル
この森の近くに存在している複数の都市国家が四本腕の蠍の妖魔
が率いる大量の妖魔によって次々に襲われ、少なくない数の衛視が
ギルタブリル
殺されると共に、まるで妖魔に狙われたかのように複数の商人と数
人の政府有力者が命を落とす。
そして、この妖魔大発生によって四本腕の蠍の妖魔サブカの悪名
は否応なしに高まり、彼らが襲った商人と政府有力者たちが蓄えて
いたお金を回す形で、サブカの首には多額の賞金がかけられること
となった。
そうしてサブカ討伐を目指す傭兵たちの中には、とある左利きの
傭兵の姿もあった。
922
第165話﹁名も無き騎士−4﹂︵後書き︶
07/19誤字訂正
923
第166話﹁名も無き騎士−5﹂
コラム ﹃名も無き騎士﹄
さて、諸君らは名も無き騎士と呼ばれる存在を知っているだろう
か?
ヘニトグロ地方では有名な存在であるため、大抵の読者諸君には
不要な説明かもしれないが、ヘニトグロ地方の外で生まれ育った読
者もいるかもしれないので、念の為に彼らがどういう存在なのかか
ら書くとしよう︵と言いつつ本書はリベリオ語で書かれているわけ
だが︶。
名も無き騎士とは、様々な苦難に喘ぐ民衆の元に忽然と現れ、様
々な手段でもって民衆を助けると、名乗ることも無く、自身は礼を
受け取ることも無く、﹃礼ならば御使いサーブに﹄と言う言葉と共
に去って行くと言う存在である。
その高潔さと強さ、どこか夢物語のような雰囲気から、様々な創
作物にも用いられており、我が国に産まれた者ならば、大抵の子供
は親から寝物語として聞かされた経験があるだろう。
そんな夢物語の存在のような名も無き騎士だが、きちんと実在す
る存在である。
その成果が誇張されたり、歪曲されたりして伝わったり、他の名
も無き騎士も含めて様々な物語と混ざり合った結果、原形が著しく
見出しづらくなっている場合もあるが、彼らは明確に存在しており、
何人かは名前、性別、年齢、所属なども割り出されている。
また、名も無き騎士の中には邂逅者テトラスタの息子であるガオ
ーニとジーゴックの二人が晩年に作り上げた組織﹃双剣傭兵団﹄の
924
後身である﹃双剣守護騎士団﹄に所属する者も多いため、そちらの
方面から調べてみると、大抵の名も無き騎士の素性は調べる事が可
能である。
なお、現代においても名も無き騎士と呼ぶべき存在は少なからず
活動しており、今後も彼らの数は増える事になるだろう。
さて、この辺りで名も無き騎士の大本、最初の名も無き騎士につ
いても語っておくとしよう。
便宜上ここでは彼と呼ぶことにするが、彼は前レーヴォル暦50
年∼40年頃に活躍した人物である。
彼はヘニトグロ地方の各地でその存在と活躍が確認されており、
様々な記録に記されている彼の姿を出来るだけ正確に読み取ってい
くと、身長は2m超、物静かで、卓越した二刀流の使い手であった
ことが分かる。
そして俄かには信じがたい事だが⋮⋮部分的に金属を用いた革の
防具が主流だった時代に、彼は全身金属鎧を着ていたらしい。
当時の技術レベルから考えると、金属製の全身鎧を造ること自体
は出来る。
が、当時の技術と金属の価値から考えると、身長2mを超す大男
の全身を守れる金属鎧の値段は相当な物であると同時に、そもそも
お金があるだけでは作れなかったのではないかと思われる。
この事から彼は何処かの都市国家の有力者の縁故だったのではな
いかと言うのが、現在の主説である。
そんな彼の活躍だが⋮⋮全てを記した場合、それだけで本が一冊
書けてしまう上に、後年の創作も多い。
また、後年のとある戦場において御使いサーブがその姿を顕した
際、その姿が名も無き騎士として当時既に有名だった彼の姿に似て
いた事も、それに拍車をかけている。
加えて殆どの物語には第三者視点の資料が存在しないため、真偽
925
のほどを判断するのが非常に難しいという事で、本書ではあまり扱
っていない。
ただ、出来るだけ明確な物的証拠や第三者の資料が残っている話
を探した限りでは、ガオーニ、ジーゴックの二人が彼と出会い、多
大な影響を受けた事は確かなようであり、彼らが戦う前に用いてい
た口上も元は彼の言葉であるようだ。
それと、これは余談になるが、どうやら彼の言葉をガオーニとジ
ーゴックの二人が口上に使っている点と、先述の彼の姿と御使いサ
ーブの姿が酷似していた点から、ガオーニとジーゴックの二人は御
使いサーブの弟子であると言う説が生まれたらしい。
この事が事実であることを示すように、ガオーニとジーゴックの
二人は彼のことを尊敬してやまないと言いつつも、彼の名前は知ら
ないと素直に記している。
ただ、彼らの記述他、各種記録が事実であるならば⋮⋮彼の事を
御使いサーブそのものであるかのように扱いたくなる気持ちも分か
らなくはない。
どうにも彼は当時はそれほど浸透していなかったはずのテトラス
タ教について、普通の信者よりもはるかに深く理解していた様子が
あるからだ。
結論としては、彼は名も無き騎士の名に相応しく、非常に謎めい
た人物である。
最新の調査でも彼の正体は未だに不明であり、彼が何時何処で生
まれ、消えて行ったのかすら明らかになっていない。
だが、彼の正体が如何なるものであっても、彼が後の騎士たちの
規範として相応しい人物である事は違え様が無く、彼の功績が多大
な物であった事には疑いの余地が無い。
歴史家 ジニアス・グロディウス
926
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
︵原稿の片隅に掛かれている︶
私は例の御使いトォウコと御使いシェーナについての情報提供者
に彼の事を窺って見た。
が、彼もこの名も無き騎士の正体については確証が持てないと言
う。
ただ、彼曰く﹁この名も無き騎士の正体が私の思い描いている人
物であるなら、このような行動を取っていても不思議ではない﹂と
の事である。
他ならぬ彼の言葉であるし、信用に足るのは確かなのだが⋮⋮証
拠が示せないのが本当に残念で仕方がない。
927
第166話﹁名も無き騎士−5﹂︵後書き︶
07/20 誤字訂正
07/21 誤字訂正
928
第167話﹁英雄−1﹂
﹁と言う事が有ったのよ﹂
夏の二の月の半ば。
私、トーコ、シェルナーシュ、サブカの四人は最早毎年恒例とな
った集まりを行っていた。
で、今年の話題だが⋮⋮
﹁ソフィアんが全力で殴って何ともないとかおかしくない?﹂
﹁誰がどう考えてもおかしいだろう﹂
﹁そもそもそいつは本当にヒトだったのか?﹂
当然のようにシチータである。
いやうん、アイツについてはきちんと話しておかないと拙い。
万が一そこら辺で出会って、普通のヒトを襲う気分で襲ったら、
気が付いた時には首が宙を舞っていて、次の瞬間には魔石に身体が
変わっているだろう。
シチータならそれぐらいの事は出来る。
で、トーコたちの疑問についてはだ。
﹁まあ、普通のヒトじゃないのは確かね。推測でしかないけれど、
妖魔の血を引くと言う先天的素質と何かしらの契約によって得た魔
力と言う後天的素質。英雄と称すべき存在に必要な素質を両方持っ
ているわけだし。これを普通のヒトと同一視するのは阿呆のする事
でしょうね﹂
﹁先天と後天、両方の素質かぁ⋮⋮﹂
﹁まあ、妖魔並の身体能力と魔力を併せ持っている奴を普通のヒト
と同じに扱うのは、確かに拙いだろうな﹂
﹁頭が痛くなる話だな⋮⋮﹂
929
シチータの特異性についてきちんと語る事で理解を求めておくし
かないだろう。
シェルナーシュが頭を抱えているのは⋮⋮たぶん、英雄の先天性
の素質を持っている子供に心当たりがあるからだろう。
風の噂でしかないけれど、どうにも無事に子供が産まれたらしい
し。
﹁まあ、そんなわけだから、シチータと出会った場合には戦おうと
せず、逃げる事を第一に考えた方がいいわね﹂
﹁分かった﹂
﹁そうだな。そうしておこう﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁シェルナーシュ?﹂
で、全員に逃げる事を勧めたわけだが⋮⋮先程とは別の方向性で
シェルナーシュは頭を悩ませているようだった。
﹁ソフィア。一つ仮定の話だが、そのシチータとか言うヒトに対し
て、十分な策を練り、準備をした上で今この都市に居る妖魔全員で
襲いかかったとしよう。それでもそのシチータとか言うヒトは殺せ
ないのか?﹂
﹁んー⋮⋮?﹂
シェルナーシュが口に出したのは、絶対に殺せるような状況を用
意してもなおシチータには敵わないのかと言う疑問だった。
確かに、私たちが居る旧マダレム・エーネミは、私たちが毎年集
まっている事によって何処からか引き寄せられたのか、他の場所に
比べて妖魔の密度が濃く、都市の中どころか迂闊に近づいただけで
も、ヒトならばほぼ確実に死ぬような魔都と化してはいる。
そしてその戦力を特定の対象に向けられるのであれば⋮⋮まあ、
都市国家の一つぐらいなら力押しで落とす事ぐらいは出来るだろう。
では、状況を整えた上でその戦力をシチータ一人に向ける事が出
930
来たらどうなるのか。
﹁んー⋮⋮﹂
私は真剣に考える。
シチータに何が出来て、何が出来ないのか。
どういう戦術を取って来るのか、どういう戦い方を好むのか。
何が弱みで、何が強みなのかを。
そうして出てきた結論は⋮⋮。
﹁ごめん。私らしくない事を重々承知で言わせてもらうけど、無理。
勝てない﹂
﹁勝てないだと?﹂
﹁なんて言えばいいのかしらね。仮にシチータに一切の身動きを許
さず、気取られず、一方的に虐殺できるような状況を整えたとして
も、正面から力押しでぶち破られるような予感がしてしょうがない
のよ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁ふうむ⋮⋮﹂
私の言葉にサブカとトーコは絶句し、シェルナーシュも何か考え
込むような様子を見せる。
実際、この予測は先日の戦いの内容から私がシチータの事を過大
評価していて、どうやってもシチータには勝てない、逃げるしかな
いという思い込みが私の中に存在しているからかもしれない。
ただ、シチータと数日過ごし、直接戦った身としては、どうにも
この予感が外れないような気がしてしょうがないのだ。
﹁逃げる事は可能か?﹂
﹁それは⋮⋮まあ、適切な逃げ方をすれば逃げれるはずよ。でない
と私はここに居れないし﹂
﹁なるほど﹂
931
と言うわけで、個人的な予測としては良い勝負は出来ても勝つ事
は出来ない、そんな所が対シチータにおける限界ではないかと思っ
ている。
いやまあ、本気で策を練ってその限界を超えて見せてもいいのだ
ろうけど。
と、そんな事を考えていたらだ。
﹁ソフィア、トーコ、サブカ。これはただの仮説だが⋮⋮もしかし
たらもしかするかもしれない﹂
﹁ん?﹂
﹁何?シエルん?﹂
﹁?﹂
シェルナーシュがおもむろに口を開く。
そしてシェルナーシュの話の内容を聞いた私たちは⋮⋮。
﹁あー⋮⋮あー⋮⋮確かに有り得るかもしれないわね﹂
﹁それなら逃げる以外に手が無いのも仕方がないかもしれないね⋮
⋮﹂
﹁ソフィアの話を聞く限り、そこまで的外れとは思えないしな⋮⋮﹂
﹁だろう。小生としても信じがたいが、これが一番有り得るのでは
ないかと思う﹂
揃って頷く他なかった。
特に直接シチータと戦った私には腑に落ちる点が腐るほどあった。
そうシチータとは。
先天的素質と後天的素質、両方の英雄の素質を併せ持ち、ヒトの
姿を持ちながらヒトでなき力を持つ英雄とは。
﹁そうね。英雄は妖魔の天敵と言う考え方で正しいと思うわ﹂
ヒトに対する妖魔のように、妖魔にとっての天敵なのだ。
932
第168話﹁英雄−2﹂
﹁ただまあ、それならそれで分かり易いわね﹂
英雄は妖魔の天敵。
なるほど確かに厄介な存在だろう。
正面から一対一で戦えば、基本的にやられるのは私たち妖魔の側
なのだから。
﹁逃げるが勝ちか﹂
﹁そっか。どれだけ強くても攻撃される場所に居なければ大丈夫だ
もんね﹂
﹁実際、マトモにやり合って勝てる相手でもないようだし、逃げる
のが正解だろうな﹂
が、それはどちらかが死ぬまで戦うような真似をした場合の話。
勝てない相手と特別な理由もなく戦う必要性などどこにもないの
だ。
そして、私がシチータから逃げられたことが示すように、武器を
持たなかった頃のヒトが妖魔から逃げ隠れする事によって命脈を保
ってきたように、天敵と呼ぶべき存在が相手であっても、生き延び
る事は不可能ではないのだ。
﹁そうね。どうにも最近は容姿がずっと変わっていない事を怪しま
れてきているみたいだし、英雄から逃げるついでに何年か姿を眩ま
せて、姿が変わらない事への不信感を打ち消しておくのも有りかも
しれないわね﹂
﹁それならいっそのこと、ヘニトグロ地方の外に暫くの間出ている
というのも良いかもしれないな。港のように外からヒトと情報が入
ってくる場所ならともかく、それ以外の場所では小生たちについて
933
知っている者は居ないはずだ﹂
﹁なんだかんだでもう長い事この地方で生き続けているもんねーア
タシたち﹂
﹁俺はお前ら程外見は問題にならないが⋮⋮そうだな。最近、賞金
首にもされてしまったようだし、別の地方に行くのも有りか﹂
というわけで、まだ目に付くほどではないが、最近少しずつ起き
始めている気配がする妖魔の不老性故の問題を解決するためにも、
私たちは四人ともヘニトグロ地方の外に出る事を考え、その考えを
実行に移すべく私たちは四人揃って立ち上がる。
﹁それじゃあ、今後はこの木の近くに、適当に各自でメッセージを
残しておくことにしましょうか﹂
﹁名前は残すなよ。面倒な事になる﹂
﹁分かってるよ。私は蛙のマークでも書いておくね﹂
﹁了解した。何か考えておく﹂
フローライトが眠っている木に毎年来れないのは少々辛いものが
あるが⋮⋮一年先に会えなくなる代わりに、百年先にも会いに来れ
るようにするための措置なのだし、こればかりは耐える他ないだろ
う。
これでもしも妖魔の不老性が不完全な物だったら⋮⋮まあ、その
時は妖魔を生み出している何かを草の根を掻き分けてでも見つけ出
し、撃滅するだけの話か。
﹁じゃ、今年はこれで解さ⋮⋮﹂
そうして私たちがその場から去ろうとした時だった。
﹁﹁﹁ーーーーーーー!!﹂﹂﹂
﹁ん!?﹂
﹁何っ!?﹂
﹁これは⋮⋮﹂
934
﹁⋮⋮﹂
遠くの方から、突然無数のヒトの声が聞こえてくる。
それも断末魔の類ではなく、自分たちを奮い立たせるための鬨の
声だ。
﹁﹁﹁ーーーーーーーーーー!!﹂﹂﹂
﹁﹁﹁ーーーーーーーーーー!!﹂﹂﹂
続けて聞こえてきたのはこの街の中に居た妖魔たちの咆哮と、そ
れに抗うように発せられるヒトの声。
そして無数の剣戟の音に、魔法によるものであろう爆音に、建物
などが破壊され、崩れ落ちる音。
﹁すまん⋮⋮俺が賞金首になったせいだ﹂
﹁そうね。それも一因ではあるでしょうけど、それ以上にここ⋮⋮
マダレム・エーネミ跡には妖魔が集まり過ぎていた。今まではヒト
の数が少なかったから手を出せなかったのだろうけど⋮⋮﹂
﹁十分な数のヒトが集まったから攻めかかってきた。と言う事か﹂
﹁うへぇ⋮⋮ツイてない﹂
頭を下げようとするサブカの側頭部を軽く小突きつつ、私は何が
起きているのかを推測する。
確かにサブカが賞金首なのも、今私たちが襲われている原因では
あるだろう。
が、それ以上にマダレム・エーネミ跡にはヒトが攻め入ってくる
理由がある。
それはサブカ以外にも大量の妖魔が居て、彼らを殲滅できれば大
量の魔石が手に入ると言う事が一つ。
彼らを排除できれば、マダレム・エーネミが滅亡してからずっと
放ったらかしだった、ベノマー河に沿っていて何かと便利な土地を
自由に出来ると言うのが一つ。
だがこれらの理由以上に彼らが襲撃を仕掛けてくる理由は⋮⋮か
935
つてマダレム・エーネミの上層部が集めていた金銀財宝、それらが
未だに野ざらしに近い状態で置かれ続けているからだろう。
あの大量の財宝は、毎年私たちが少量ずつ持ち出して幾らかは換
金したが、それでもまだまだ大量に残っており、金に執着している
ヒトにとっては喉から手が出るほどに欲しい代物だろう。
﹁まったく、本当にヒトの欲深さってのは嫌になるわね﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁ん?﹂
﹁いや、なんでも無い﹂
﹁ソフィアん⋮⋮﹂
﹁小生から言う事は何も無い﹂
﹁んん?﹂
私の呟きに何故かサブカたちは揃って顔を背け、何か言いたそう
にしている。
はて?私は何か変な事を言ったのだろうか?
﹁﹁﹁ーーーーーーーーーー!!﹂﹂﹂
﹁と、それどころじゃないわね﹂
﹁そうだな。だいぶ近づいてきている﹂
﹁うん、早いところ逃げちゃおう﹂
﹁では、急ぐとしよう﹂
と、気が付けば、剣戟の音は大きさと範囲を大きく増しており、
戦いは街全体に広がりつつあるようだった。
これは出来るだけ早く都市の外に逃げ出した方がいいかもしれな
い。
私たちは一度視線を交わし合うと、私たちが今居る敷地の外に出
るべく走り始めようとする。
だが、私たちが敷地の外に出る前に、門の所に一人の傭兵が現れ
る。
936
﹁何処へ行く気だ?﹂
﹁っつ!?﹂
その傭兵は右腰に鉄製の剣を挿し、右手に木と金属を組み合わせ
た小さ目の盾を持っていた。
革製の鎧兜の間から覗く髪は黒、目は橙色、肌の色は以前と違っ
て若干黒く染まっている。
﹁何で⋮⋮アンタが⋮⋮アンタがここに居んのよ⋮⋮﹂
﹁まさかこんなところで会えるとは思っていなかったが丁度いい。
今日がお前の命日だ﹂
その声は私の心を荒れさせ、挙動は苛立たせる。
だが、その身から発せられるヒトとしては有り得ない量の魔力に
当てられ、私は歯噛みしつつも冷静に身構える。
﹁シチータ!﹂
﹁ソフィア!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私たちの前に現れた傭兵の名はシチータ。
つい先ほど話に上がったばかりの⋮⋮
妖魔の天敵
英雄である。
937
第168話﹁英雄−2﹂︵後書き︶
げえっ!シチータ!!
938
第169話﹁英雄−3﹂
﹁ぶった切ってやる!﹂
シチータが剣を抜き、一歩目を踏み出そうとした瞬間。
私たちは四人は既に自分の行動を定め、動き始めていた。
﹁やっ!﹂
トーコが近くの建物の屋根へと跳び上がりつつ、例の鍋で隠し持
っていたであろうナイフをシチータに向かって投げつける。
ダストカーテン
﹁塵幕﹂
と同時に、確か井戸が存在していたはずの建物に向けて駆け出す
シェルナーシュが何かしらの⋮⋮塵幕と言う名前の魔法を発動。
シチータの周囲に普通の目ではまるで向こう側が見通せない程に
濃い土煙が噴き上がり、なおかつその場に留まる。
プラウ
﹁耕作!﹂
そこに重ねるように私は靴底に仕込んでおいた魔石を使って魔法
を発動。
シチータが立っている場所とその周囲の地面を空気と掻き混ぜ、
マトモに立つ事すら出来ない程に柔らかくする。
するとそれに合わせて土煙の濃さも増したようだが⋮⋮まあ、私
たちにとって有利な変化でしかないので気にしない。
﹁効くかっ!﹂
﹁ちっ﹂
土煙の向こう側からシチータの声と硬い金属同士がぶつかり合う
音が聞こえてくる。
939
どうやらこの土煙と不安定な足場の中でも、シチータは何の問題
も無く剣を振るえるらしい。
プルアウト
﹁サブカは⋮⋮もう居ないわね。じゃあ、撤退!﹂
この時既にサブカはトーコ、シェルナーシュとも違う方向に向か
って駆け出していた。
サブカは遠距離攻撃手段を持っていないので、これは仕方がない
事だろう。
そして、トーコとシェルナーシュも、既に姿を眩ませている。
つまり後逃げるべきは私だけという事だ。
と言うわけで、私は撤退の魔法を発動。
黒い帯によってシチータから遠ざかるように、まるで矢のような
勢いでもって身体が動き出し始める。
﹁逃がすか﹂
その時だった。
私の耳は何故かシチータの呟きを正確に捉え、熱を見る目は土煙
の向こうでシチータが弓を取り出し、矢を番えようとするのを、異
ウンディーネ
様にゆっくりとした速度で捉えていた。
そしてこの感覚は水の妖魔の魔手から逃れようとした時に味わっ
たそれと全く同じ⋮⋮いや、シチータ以外のものに一切意識が行っ
ていない事を考えれば、あの時以上に異常な感覚だった。
﹁⋮⋮﹂
それほどまでに異常な感覚だったからだろう。
私は無意識に背中のハルバードを取り出し、右手で持ち手を握り、
刃の部分を胸と頭を守るように持って来て、左腕は刃と胸の間に挟
み込むように構えていた。
そんな私の判断は⋮⋮正しかった。
940
﹁!?﹂
唐突に私の胸に⋮⋮いや、ハルバード、左腕、胸の順に衝撃が走
る。
それも都市国家の巨大な門を破るために使われるような巨大な槍
を突き出されたかと思う程の衝撃が。
﹁!?﹂
そしてハルバードと矢が当たった事を示すような音が私の耳に届
く頃、今度は私の額に脳を芯から揺さぶるような衝撃波が襲ってく
る。
辛うじて私の目が捉えられたのは、ハルバードの刃にぶつかった
何かがバラバラに弾け飛ぶ姿だけだった。
だがその破片から、私はシチータに射られているのだという事が
認識できた。
﹁ぐっ!?﹂
そうしてシチータの攻撃を認識し、服の内側に仕込んだ魔石で反
射的に何かしらの対抗策を実行しようと思った時だった。
私の右わき腹に勢いよく矢が突き刺さり、その痛みによって撤退
の魔法が強制終了、私の身体はそれまでの勢いに従って宙を舞いつ
つも、徐々に高度を落としていく。
﹁ぐっ、あぐっ、がはっ⋮⋮﹂
私の身体は近くの建物の屋根に落ちる。
すると今まで異様にゆっくりだった世界が元の速さに戻り、それ
に合わせるように私の身体も勢いよく何度も弾みながら転がり、建
物と建物の間に受け身一つ碌に取れないまま落ちてしまう。
﹁ぐっ⋮⋮﹂
私は痛みに呻きながらも立ち上がろうとし、それに合せて自分の
941
身体の状況を把握しようと努める。
一射目によって左腕は折れ、肋骨にも軽くヒビが入っている気配
がする。
二射目によって頭は芯から揺さぶられ、今まで生きてきた中でも
一二を争うぐらい物理的に気分が悪くなっている。
三射目である右わき腹の矢はギリギリで急所を外れているようだ
ったが、身体の半分以上まで突き刺さっている感覚がした。
﹁逃げ⋮⋮ないと⋮⋮﹂
四射目は来ない。
矢が尽きたか、弓がおかしくなったか、誰かに襲われたのかは分
からないが、シチータならば建物の間に落ちた後に獲物が動いてい
ないのであれば、山なりの軌道でもって平然と当ててくるぐらいの
事はしてくるだろうし、そうでなくとも後は追ってくるはずである。
つまり私は急いでこの場から逃げ出さなければいけない。
﹁へへへ、いやー、流石は御使い様に滅ぼされた悪徳の都。随分と
貯め込んでいたもんだ。ありがたいねぇ﹂
﹁ぐへへ、御使い様がこの骨の主を殺してくれたおかげで俺たちの
懐に入るってか。確かにありがてえや。これなら妖魔を狩るよりも
よっぽど儲からぁ﹂
そうして何とか立ち上がり、ハルバードを杖代わりに歩く私が逃
げ込んだ先の屋敷には、この家の主が貯め込んでいたであろう金銀
ソフィール
財宝を身に着け、下品な笑い声を上げている二人の男が居た。
ああ、私が言う所の主とやらが居たら、今この瞬間にだけは感謝
してやってもいいかもしれない。
﹁⋮⋮﹂
﹁あ?誰だて⋮⋮ぎゃあ!?﹂
﹁何を⋮⋮おぐあっ!?﹂
942
私は残された力を振り絞って二人の男を始末すると、その場に魔
石を持った状態で右手を付く。
﹁すぅ⋮⋮ふんっ!﹂
そして契約魔法を発動。
私、二人の男の死体、財宝の全てを使役している地面で作った壁
で包み込むと、そのまま地面の下へと沈んでいく。
﹁はぁはぁ⋮⋮﹂
そこから更に記憶を頼りに、地下水路に当たらないように幾らか
移動した所で私は水晶玉の目を地表に少しだけ出すと同時に、疑似
聴覚を発生させる。
上は⋮⋮酷い有様になっているようだった。
だが、そんな上の状況が気にならないほど、私の怪我の状態も酷
かった。
﹁まずは⋮⋮傷を治さないと﹂
私は暗い地下の密室で傷の治療を始め⋮⋮終えると同時に眠りに
落ちた。
943
第169話﹁英雄−3﹂︵後書き︶
あ、生きてますよ
07/23誤字訂正
07/24誤字訂正
944
第170話﹁英雄−4﹂
﹁!﹂
シチータの弓から一本の目の矢が放たれた時。
その場から離脱しようとしていたサブカは、シチータをこのまま
放置していたらソフィアが死ぬ事を直感し、何故かシチータに向か
って駆け出していた。
﹁⋮⋮﹂
シチータの弓から二本目の矢が放たれた時。
サブカは四本の腕それぞれに剣を持つと、跳躍、シチータとの間
に有った距離を一気に詰める。
﹁ちっ﹂
シチータの弓から三本目の矢が放たれた時。
サブカの剣を避けるべく、シチータは軽く跳びながら矢を放ち、
宙を舞っている間に近くの地面に突き刺していた剣を回収して腰の
鞘に納める。
﹁まずは⋮⋮っつ!?﹂
﹁ふんっ!﹂
シチータが四本目の矢を弓に番えようとした時。
既にサブカはシチータの眼前にまで迫っており、その光景にシチ
ータは慌てて後方に跳びつつ矢を放つ。
そして、空を切る音と何かが弾け飛ぶ音が周囲に響いた。
﹁くそっ、やってくれたな﹂
シチータが着地し、着地と同時に右手に持っていた弓を捨てる。
945
捨てられたシチータの弓は弦が切れ、本体にも僅かだが切れ込み
が入っていた。
﹁お前ごと切り捨てるつもりだったんだがな﹂
剣を振り終えたサブカは、足元の木片を踏みつけつつ、剣を構え
直す。
サブカの右目の上の甲殻にはヒビが入っており、僅かに血が滲ん
でいた。
﹁まあ、よく考えてみたら、あのソフィアとつるんでいる妖魔が普
通の妖魔なわけないか﹂
﹁まったく、普通の矢をどう撃ったら、魔力で強化した俺の甲殻に
傷を付けられるんだか﹂
二人の会話は噛み合わない。
そもそも二人には会話をする気と言うものが無かった。
故に、相手が自分の言葉に応えなくとも、サブカはシチータが何
を仕掛けてきてもいいように体勢を整えつつ相手と周囲の観察を行
い始め、シチータはサブカを優先して倒すべき敵と認識して腰の剣
を抜く。
﹁すぅ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
今のマダレム・エーネミ跡は、ヒトと妖魔の戦いがあらゆる場所
で起き、そこら中から戦いの音が⋮⋮剣戟、爆発、崩落、咆哮、悲
鳴、歓声が響き渡っていた。
だが、サブカとシチータの周囲ではただの現象に過ぎないはずの
音すらも己の存在を隠すかのようにその存在感を潜ませ、限りなく
静寂に近い状態に陥っていた。
﹁退け﹂
946
﹁死ね﹂
サブカとシチータは同時に動き出した。
二人の間にあった距離はヒトが一度瞬く程の間に消え去り、ぶつ
かり合った二人の剣は金属音と火花を散らす。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
そしてお互いに無言のまま、得物を⋮⋮サブカは四本の剣と毒針
を持つ尾を縦横無尽に振るい、シチータは右手の盾と左手の剣を最
小限の動作で振るう。
派手な閃光も、周囲に轟くような爆音も、己を奮い立たせる様な
蛮声も無かった。
ただ二人が剣を振るう度に、僅かな火花が散り、少々の金属音が
響き、各動作と動作の間に自然な形で呼吸の音が入り込むだけだっ
た。
だが、それ程静かな戦いであったにも関わらず⋮⋮否、これほど
までに静かな戦いであったがために、二人の戦う姿を見た者には戦
いに割り込み、味方となる側を助けようという考えも、自分と同じ
ように呆けている敵を不意討ちしようとも思いつかなかった。
﹁なんだよ⋮⋮これ﹂
﹁ブヒッ⋮⋮﹂
シチータが盾として利用した石造りの建物を、サブカはまるで水
でも切るかのように容易く切り裂いたかと思えば、サブカの振るう
四本の剣をすり抜けてシチータは攻撃を仕掛け、鉄の刃を何事もな
く防ぐはずの甲殻を浅くだが確かに切り裂く。
ギルタブリル
﹁これが⋮⋮四本腕の蠍の妖魔サブカ⋮⋮﹂
﹁あんなのとやり合えるなんて普通じゃねぇ⋮⋮﹂
サブカが四本の剣で連続して切りつけようとすれば、シチータは
盾と剣だけでそれを捌き、反撃の一撃でサブカの口を貫こうとする。
947
それに応じるべくサブカは首を僅かに逸らして甲殻を浅く傷つけ
つつも剣を避け、お返しだと言わんばかりに尾をシチータの腹に向
けて突き出そうとする。
尾が伸びてくるのを見たシチータは、ならばと大地を蹴ると、背
面飛びをしたかのような姿勢でもってサブカの尾を躱す。
﹁行くぞっ!﹂
シチータが宙に浮いた事を好機と判断したサブカは、ここぞとば
かりに一気に攻めかかり、四本の剣と尾の毒針を合わせて五方から
同時に、そして何度も仕掛ける。
それは宙に浮き、身動きの取れないものではどう足掻いても避け
れないはずの攻撃だった。
だがそれをシチータは⋮⋮
﹁喰らうか!﹂
﹁!?﹂
捌く。
宙で身を捩り、刃が到達するまでの時間差を無理矢理生じさせ、
剣と剣、剣と盾をぶつけ合って捌くだけでなく、時には剣の腹を脚
で叩き、伸びた尾を噛んで支点とする事で体を動かし、サブカの放
った五十を超える攻撃を捌き切る。
﹁ぐっ⋮⋮﹂
﹁はぁはぁ⋮⋮﹂
そうしてサブカが放った最後の剣撃をシチータの一撃が弾き返し
た時。
サブカが飛び退いたことで二人の間に距離が生まれる。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
戦いは互角だったのだろうか。
948
その答えは否。
﹁どうやら俺の方が少しだけ強いみたいだな﹂
﹁悔しいがそのようだな﹂
シチータの剣と盾が殆ど傷がついていないのに対して、サブカの
持つ四本の剣は何れも刀身がボロボロになっていた。
シチータの身体には明確な傷が付いていないのに、尾も含めてサ
ブカの身体には少なくない数の傷が付いていた。
二人の戦闘能力の差は⋮⋮明確だった。
949
第171話﹁英雄−5﹂
﹁すぅ⋮⋮はぁ⋮⋮﹂
﹁ふぅ⋮⋮﹂
純粋な魔力量、魔力の扱い方への慣れ、武器の質の差、体術剣術
を含めた戦闘技術、サブカとシチータの間には比較出来る点が数多
くあった。
そして、それらの点によって生じた戦闘能力の差は、蠍の尾、堅
固な甲殻、二対目の腕と言うサブカにしかないアドバンテージをも
ってしてもなお埋めがたい差となって二人の間に横たわっていた。
﹁さて、そろそろ再開といこうか﹂
﹁ああ、そうだな﹂
だが、どれほど絶望的な状況であってもサブカに諦める気はなか
った。
それはほんの僅かな隙でも生じさせることが出来れば、自分が勝
利できる可能性が存在している事が分かっていたからだ。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
それと同時にサブカは気づいていた。
シチータから逃げる事は出来ない。
何故ならば、戦闘を始めてから経った時間からして、既にソフィ
アたちは安全圏にまで移動しており、シチータがソフィアたちを追
う事が出来ない以上はサブカに狙いを付けるのは当然の成り行きだ
からだ。
故にサブカには戦うと言う選択肢しか存在しなかった。
﹁ちっ⋮⋮﹂
950
﹁⋮⋮﹂
そうして再びサブカとシチータの戦いが始まろうとした時だった。
﹁ぎゃあっ!?﹂
﹁ブヒイッ!?﹂
二人の周囲で固唾を飲んで見守っていたヒトと妖魔の中から唐突
に断末魔の声が上がる。
﹁何だおま⋮⋮がはっ!?﹂
﹁ギキ⋮⋮ギャア!?﹂
﹁きひひひひ、見ろよ。馬鹿どもがこんなに沢山居るぜ﹂
﹁ぎゃははは、皆殺しだ皆殺し!ここの宝は俺たちだけのもんだ!﹂
﹁いいねぇ、いいねぇ、手足を生やした金がぼけっと突っ立ってい
るぜ⋮⋮﹂
二人の戦いを見守っていたヒトと妖魔の集団を背後から襲ったの
は、全身に金銀財宝を身に着けたガラの悪い男たち。
その数はおおよそで百人ちょっと。
彼らの登場にヒトと妖魔の集団は一体何事だと目を丸くし、妖魔
は何故ヒトが同族を背後から襲って殺すのかを理解できずに呆然と
し、ヒトは彼らの様相から如何なる意図の集団なのかを理解して戦
慄する。
﹁いいねぇ、素晴らしいねぇ。ここに居る連中を皆殺しにすれば、
俺たちはもう一生食うに困ら無さそうだ﹂
﹁例の四本腕ももうボロボロみたいだし、これなら俺たちでも殺せ
るなぁ﹂
﹁ぎひゃひゃひゃ、削り作業ご苦労さんって感じだなぁ﹂
彼らはマダレム・エーネミ跡に、サブカと他の妖魔たちを狩りに
来た傭兵たちと一緒に入ってきた男たちだった。
だが彼らには妖魔と正面から戦って魔石を得るという考えはなか
951
った。
彼らのやり口は、他のヒトが弱らせた妖魔を、手に入れた魔石を、
戦っているヒトを後ろから不意討ちして殺して横取りすると言うも
の。
おまけに、殺したヒトが身に着けていた物まで金品に変え、他人
の墓を荒し、報酬が気に入らなければ全てを奪い取っていくという、
野盗の類と何ら変わらない集団だった。
勿論、この手の集団は本来は多くても集団一つ辺り十数人程度の
はずである。
だが、この地が呼んでしまったのか、類は友を呼ぶのか、今回に
限っては何処からともなくこれほどの数の愚物が集まってしまって
いた。
﹁さあて⋮⋮﹂
そして、マダレム・エーネミ跡に残されていた大量の金銀財宝を
見つけた彼らは、それだけに飽き足らず、サブカとシチータの周囲
に居たヒトと妖魔の集団に襲い掛かったのだった。
﹁みな⋮⋮﹂
だが彼らは気付いていなかった。
自分が一体何者に手を出してしまったのかを。
﹁ごぎゃ!?﹂
﹁何を⋮⋮すぎゃ!?﹂
ガラの悪い男たちが妖魔と他のヒトに襲い掛かろうとした時。
既にシチータとサブカは動き出していた。
シチータの剣が黄金の冠ごと先頭に立っていた男の頭を縦に切り
裂き、サブカの剣がその隣に居た男の首を刎ね飛ばす。
﹁屑が。俺の戦いを邪魔するんじゃねえよ﹂
952
﹁死ね。お前たちに生きている価値はない﹂
そして、そのまま流れるような動作でもって、二人は手近な場所
に居た二人の男を剣の一振りで絶命させる。
﹁戦う気がねぇ妖魔はどっかに行っちまえ!居るだけ邪魔なんだよ
!﹂
﹁斬られたくない者は下がっていろ。見極める時間が惜しい﹂
シチータの言葉に妖魔が慌てて逃げ出し、サブカの言葉にヒトは
彼らの周囲から慌てて離れだす。
そうして、仲間を殺されていきり立つ男たちに二人は剣を向けな
がら宣言する。
﹁過ぎた欲を掻くとどうなるのか、罰としてその身にきっちり刻み
込んでやるよ﹂
﹁ヒトとしてあるまじき行い。その罪の重さを存分に味わうと言い﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
二人の身体から膨大な量の魔力が放出され、それだけで男たちは
射竦められ、中には逃げ出す事を考える者、命乞いをするべきかど
うか悩みだす者も出始める。
だが、彼らの行動は全てが遅かった。
既にシチータにもサブカにも彼らを見逃すという選択肢はなかっ
た。
﹁精々抗って見せろ﹂
﹁覚悟をするがいい﹂
﹁﹁﹁ひっ、ひあああぁぁぁ!?﹂﹂﹂
そうしてシチータとサブカによる百を超える愚か者の粛清が始ま
った。
953
−−−−−−−−−−−−−−
おおよそ一時間後。
﹁終わったか﹂
﹁そう⋮⋮だな⋮⋮﹂
シチータとサブカの周囲には、無数の死体と血、そして彼らが身
に着けていた装備品の欠片が散らばっていた。
﹁さてとだ﹂
さしものシチータも真正面から数の暴力に晒されたためか、防具
と肌には多少の傷が見られ、左耳に至っては千切れ飛び、左耳が有
った場所からは赤い血が流れた出た跡が残されていた。
ギルタブリル
﹁続きといこうか。蠍の妖魔﹂
﹁そう⋮⋮だな⋮⋮﹂
だが、サブカの傷はシチータのそれとは比較にならない程深かっ
た。
右目は潰れ、四本の腕のうち三本は千切れるか折れるかして動か
す事も出来ず、残る腕もマトモに動かない。
片足は不自由で、尾も途中で切れてしまっていた。
自慢の甲殻もヒビだらけであり、その背には破れかぶれになった
男たちから他のヒトを助けるべく庇った結果として、矢と槍が何本
も刺さっていた。
サブカは⋮⋮誰の目から見ても半死半生の状態だった。
﹁俺はお前と戦えたことを感謝する﹂
﹁ああ⋮⋮俺もだ⋮⋮﹂
しかし、サブカがそんな状況であるにも関わらず、否、そんな状
954
況であるからこそ、シチータはサブカに向けて油断なく剣と盾を構
える。
そしてそれに応えるように、サブカも残った腕で剣を持ち、構え
る。
﹁行くぞ。サブカ!﹂
﹁⋮⋮来い。シチータ!﹂
戦いの結果は⋮⋮明白だった。
955
第172話﹁英雄−6﹂
﹁よっと﹂
二日後。
ク ゴーレム
スネー
腹の傷の痛みがだいぶ落ち着いてきた私は、周囲の安全を忠実な
る蛇で確かめた上で地下から地上へと上ってくる。
﹁ふぅ、酷い目にあったわ﹂
マダレム・エーネミ跡には、ヒトの姿は勿論の事、妖魔の姿も、
鼠や犬、鳥と言った獣の姿すらも無かった。
都市に残されていたのは⋮⋮疫病が発生するのを防ぐために黒く
焼け焦げるまで焼かれた傭兵たちの死体と、無数の戦いの痕跡、持
って行く価値がないと判断された諸々の物品、それとフローライト
が眠っている木を含めた無数の植物だけだった。
その光景に、この都市に蓄えられていた金銀財宝の類が全て持っ
て行かれたことで、マダレム・エーネミは二度目の滅びを迎えたと、
頭の中で何となく感じた。
﹁さて、これからどうしようかしらね⋮⋮﹂
私は荒廃したマダレム・エーネミの中を歩き回って適当な袋を見
つけると、地下に隠れる際に一緒に持って行った金銀財宝を袋の中
に放り込んでいく。
これだけの財貨が有れば⋮⋮まあ、暫くの間は金銭面で不自由を
覚える事はないだろう。
﹁よいしょっと﹂
私は何かめぼしいものが残っていないか、そしてどんな戦いが行
われていたのかを知るべく、再び街の中を歩き回り始める。
956
﹁あれは⋮⋮そう﹂
そうして街の中を歩き回っていると、やがて私の前に大量の焼か
れた死体が積み重ねられている場所が見えてくる。
そこは私の記憶が確かなら広場だったはずだが、激しい戦いが繰
り広げられたためか、他の場所よりも建物の損壊も激しく、殆ど原
型は留めていないと言ってよかった。
﹁そう言う事だったのね﹂
けれど、大量の荼毘に付された死体よりも、破壊された広場の跡
よりも私の目を惹くものが、そこにはあった。
それは刃の中ほどから先が折れてなくなり、血と土で汚れたボロ
ボロのマントが持ち手部分に結び付けられたサブカの剣。
﹁馬鹿⋮⋮﹂
私はまるで墓標のように地面に突き立てられたその剣を見て、こ
の場で何が有ったのかを⋮⋮自分が何故助かったのかを悟る。
﹁本当に馬鹿⋮⋮﹂
シチータの四本目の矢が飛んで来なかったのは、いや、それどこ
ろか三本目の矢の狙いが僅かに逸れていたのは誰のおかげだったの
か。
地下に隠れた私の事をシチータがまるで追ってくる様子が無かっ
たのは何故だったのか。
私の前に突き立つサブカの剣が、この広場の様相が、大量に積み
上げられた死体の山が、その真相の全てを如実に語っていた。
﹁私を助けるために自分が死んでどうするのよ﹂
私の事を助けなければ。
957
何処か状況が乱れた箇所で逃げ出すか、背後から切りつけていれ
ば。
人質を取ったりしていれば。
そうすれば、きっとサブカの剣はここには無かった。
﹁でもアンタらしい幕引きなのかもしれないわね⋮⋮﹂
けれど理性で物を考えれば出てくるこれらの選択肢を、サブカは
仮に思いついても実行しなかっただろう。
ギルタブリル
いや、出来なかっただろう。
四本腕の蠍の妖魔にして、私たちの中でも特に変わり者だったサ
ブカには、下手なヒトよりもヒトらしく生き、私のような妖魔を友
人とし、ヒトを守ろうとしたサブカには絶対に。
﹁⋮⋮。泣いてはやらないわよ。アンタは自分の都合で逃れられた
死地に赴き、死んだんだから﹂
私は地面に突き立てられたサブカの剣を手に取り、引き抜く。
﹁でも感謝はするわ。貴方のおかげで私はこうして生き永らえた﹂
サブカの剣は手入れこそしっかりとされていたが、質はあまりよ
くないし、激戦に晒されたためか、多くの傷が付き、刃は潰れ、既
に剣としてはどうあっても使い物にならないような状態だった。
﹁生き永らえた以上は⋮⋮貴方の死に恥じない生き方をさせてもら
うわ﹂
私は手で払える汚れを取ると、剣に結び付けられていたマントを
刃の部分に巻いた上で、数本の紐を使って腰に提げる。
﹁⋮⋮﹂
もうマダレム・エーネミ跡で回収するべきものは無い。
私はそう判断すると、マダレム・エーネミを後にする。
958
﹁英雄は妖魔の天敵⋮⋮か﹂
英雄は妖魔の天敵。
それはもう今回の件で嫌という程に思い知らされた。
けれど、ここで尻尾を巻いて逃げ出し、ビクビクと英雄に襲われ
ないかと怯え、コソコソとただ生き永らえるためにヒトを食うのは
私らしいだろうか。
そんな私を生き永らえさせるためにサブカは命を懸けたのだと奴
に思わせていいのだろうか。
そんな生き方をネリーが、ヒーラが、キキが、ソフィアが、私が
今まで食べてきた全てのヒトたちが、そしてフローライトが許すだ
ろうか。
許せるはずがない。
彼ら以上に私自身が。
﹁やれないと決めつけるのは簡単だけれど⋮⋮決めつけるための情
報はまだ出揃っていない﹂
そうだとも。
ヒトが天敵であるはずの妖魔を数と知恵と武器で倒すように、妖
魔も持てる手の全てを尽くせば、英雄を倒す事が出来るのではない
だろうか。
天敵であるはずの英雄を倒して見せる事こそが、私らしい生き方
ではないかと。
﹁なら、やってやろうじゃない﹂
私は歩き出す。
次に打つべき手が定まったがために。
−−−−−−−−−−−−−−
959
前レーヴォル暦37年頃
英雄王シチータがヘニトグロ地方南部同盟︵正確にはヘニトグロ
地方中央部と南部の一部都市国家による同盟である︶の盟主の座に
つき、現代に住む我々が一般にイメージする国と言うものを、ヘニ
トグロ地方の歴史上初めて造る。
ギルタブリル
さて、英雄王シチータだが、彼は武勇に優れた人物であり、その
偉業には四本腕の蠍の妖魔サブカの討伐を筆頭に、非常に多種多様
なものが含まれている。
ここに列挙するだけでも蛇の人妖ソフィアとの度重なる戦いを初
め⋮⋮
︵中略︶
⋮⋮と、相当な数になる。
そんな英雄王シチータだが、彼の治世には後世の我々から見てで
はあるが、一つ残念な点があった。
それは彼の周りには⋮⋮
歴史家 ジニアス・グロディウス
960
第172話﹁英雄−6﹂︵後書き︶
第3章:英雄と蛇 終了です。
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第173話﹁変革の始まり﹂
﹁おーっ、危ねえ危ねえ。下手をすりゃあ死ぬところだったな﹂
シチータによってサブカが殺されてから二十年以上が経った。
その間にシチータはマダレム・シーヤを拠点として、ヘニトグロ
地方南部と中央部を共同で統治するヘニトグロ地方南部同盟の盟主
として強権を振るえる立場になった。
対する私もヘニトグロ地方の各地を旅し、妖魔と武器を集め、策
を練り、並のヒトどころか、そこらの都市国家ぐらいならば難なく
滅ぼせるような戦力を整えては、何度もシチータに挑みかかった。
そう何度もだ。
それは逆に言えば⋮⋮
﹁物見用の塔の倍近い高さから落ちて平然としてんじゃないわよ⋮
⋮﹂
スネーク
ゴーレム
挑んだ回数だけ、這う這うの体で逃げ出す羽目になったという事
である。
そして今回の策⋮⋮忠実なる蛇の魔法の応用で、相手の下からは
ケットシー
るか上空に向けて突き上げ、地面にたたき落とすと言う方法もまた、
シチータの私どころか猫の妖魔すら上回るしなやかさによって難な
く着地されてしまった。
なお、高さが足りなかったという事はない。
シチータと一緒に突き上げた連中は全員地面で赤いシミになって
いるしね。
だが何にしても殺せなかったという事実には変わりないので、私
はフードの下に隠した顔を苦々しいものに変えざるを得なかった。
﹁しかしお前も懲りないな。いい加減諦めたらどうだ?﹂
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﹁はんっ!お生憎様。今更諦める気なんてないわよ﹂
シチータが斬りかかってくる。
私はそれをハルバードの持ち手で防ぐと、戈の部分で反撃しよう
とする。
﹁そうかい。俺もいい加減に歳なんで、お前に付き合うのがだるく
なって来ているんだがな﹂
﹁ヒトである以上は逃れられない運命ね。嬉しいわぁ﹂
が、シチータはその場から飛び退く事によって攻撃を躱すと、剣
を私たちの側に指し示す事によって、周囲に居た兵士たちを突撃さ
せ始める。
対する私もハルバードをシチータの方へ向け、兵士たちの相手を
させるべく集めた妖魔たちを突撃させる。
リキンドル
ソウル
これでしばらくは大丈夫だろう。
再燃する意思の準備は⋮⋮シチータが目の前に居る以上、そんな
余裕はないか。
本人は歳を取ったと言い、もう五十近い年齢なのも事実で、最盛
期に比べれば実力が落ちたのも認めるが、それでもなお私よりはる
かに身体能力は高いのだから。
﹁男に喜ばれても嬉しくねえよ!﹂
﹁私としてはアンタが嫌がる顔が見れる分だけで嬉しいわよ﹂
妖魔と兵士たちが戦いを始めるのと同時に、私たちも再び刃を合
わせ始める。
戦いは一進一退。
私が攻めればシチータは退き、シチータが攻めれば私が退く形だ。
外野からの横やりは弓による攻撃も含めて忠実なる蛇で防いでい
るので、大量の土を排除できる程の兵力を割ける状況にならなけれ
ば、この均衡が崩れる事は早々ないだろう。
それにしてもだ。
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﹁アンタ。やる気あんの?﹂
﹁やる気か⋮⋮やる気は十分にあるな﹂
何故シチータの方が強いはずなのに一進一退になる?
こんな事はどう考えてもおかしいだろう。
﹁ボソッ⋮⋮︵お前に話しておく事が有る︶﹂
﹁⋮⋮﹂
私が疑問を覚えた為か、シチータは距離を取ると、構えを取り直
しながら、妖魔にだけ聞こえるような声量でもって呟き始める。
﹁ボソッ⋮⋮︵俺は今⋮⋮︶﹂
私に斬りかかりながらシチータが真剣な目つきで語り始める。
自分が下の息子の母親と祖父に毒を盛られている事。
近いうちに自分が死ぬであろう事。
その後、後継者として指名している上の息子と、下の息子の間で
争いが起きるであろう事。
下の息子がどうしようもない愚物だが、困ったことに戦いと策謀
の才だけはある事。
跡を継ごうとした上の息子が敗れ、その後下の息子によってヘニ
トグロ地方中が荒れるであろう事を。
﹁馬鹿じゃないの?だったら自分で下の息子も、その母親も、祖父
も斬り捨てればいいじゃない。少なくともそいつらが私よりも強い
と言うのは有り得ないわ﹂
﹁ゲホッ、ゴホッ、そうしたいのは山々なんだがな。見ての通りな
上に、色々としがらみが有ってな。道連れに出来るのは祖父ぐらい
なもんだろう﹂
私が呆れた様子で発する言葉に対して、シチータは血の混じった
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咳を吐きながら応える。
上の息子
下の息子
と言うか、毒の件はともかく後継者争いについてぐらい、私の耳
にも普通に入って来ている。
それぐらいにシチータの二人の子供⋮⋮フムンとノムンの仲は悪
いのだ。
で、当然の話だが、この間にも私たちは⋮⋮少なくとも私はシチ
ータを殺すつもりでハルバードを振るっているのだが、掠りすらし
ない。
ああもう、英雄の身体能力は本当にどうかしている。
﹁おまけにそんな事を私に話してどうするつもり?憐れんでほしい
の?﹂
﹁んなつもりはねえよ。ただ、この情報を出せば、俺がお前にして
欲しい事は察せるはずだぞ?﹂
﹁はぁ?⋮⋮っと!?﹂
シチータが私の目前に顔が来るほどに接近して斬りつけてくる。
当然私はハルバードの持ち手部分でそれを防ぐわけだが⋮⋮あ、
危なかった、一瞬でも反応が遅れていたら、普通に斬られていた。
だが、続けて発せられたシチータの言葉に、私は動揺せざるを得
なかった。
﹁ボソッ⋮⋮︵この間、上の息子の所に初めての子供が産まれた。
その子に例の魔石を持たせて逃がす。そして乳母にはお前の事を話
している︶﹂
﹁!?﹂
同盟の盟主の座を継がせるつもりの息子に子供が居る。
それは私も初めて聞く情報だった。
そして、その子供とあの魔石が揃っていれば、その後に何が出来
るのかは明白だった。
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﹁そんな事をさせるために、ヒトが妖魔を利用してんじゃないわよ
⋮⋮﹂
﹁お前曰く、俺はヒトじゃなくて英雄だ。つまり今の意見は的外れ
な意見だな﹂
気が付けば、兵士と妖魔たちの戦いは、兵士たちの勝利で終結し
つつあった。
このままこの場に留まれば、私の命も無いだろう。
﹁さてどうする?﹂
シチータは言外に言っている。
自分の提案を受け入れれば、この場は見逃すと。
さらに言えば、私の考え方から言って、この提案を受け入れない
という選択は無いだろうとも。
﹁ちっ、このツケはアンタの子孫に払わせてやるわ﹂
﹁やれるものならやってみろ﹂
私は歯噛みしながらも、ハルバードを押し込んでシチータを吹き
飛ばす。
そして土の蛇を操ってシチータの視線を遮り、周囲の兵士を怯ま
せると、蛇の口の中に入って撤退を開始。
勿論途中で地上を移動する蛇を中身のないダミーに変えると言う
小細工を弄し、地上を這っていた土の蛇が大きな爆音と共に破壊さ
れるのを尻目にしつつだ。
そうして数日後。
小さな荷物を抱えて森の中を駆ける私の耳に、シチータが死んだ
という知らせが入ってきた。
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第173話﹁変革の始まり﹂︵後書き︶
07/27誤字訂正
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第174話﹁邂逅−1﹂
その後の展開はだいたいシチータが予想した通りだった。
﹃私が父の跡を継ぎ、同盟の盟主となる﹄
﹃力なき者に同盟の盟主は務まらん。私こそが盟主に相応しい﹄
上の息子であるフムンがシチータの跡を継ごうとしたが、それに
下の息子であるノムンが反対の意を示し、両者は自分の母親とその
取り巻き、その他周辺の人々も巻き込んで権力争いを繰り広げるこ
とになった。
ここで彼らが愚かにもこの争いを大規模な内乱にまで発展させて
くれたならば、私にも色々と干渉をしてフムンの側を陰から支援す
る事も出来ただろう。
が、現実はそうならなかった。
どうやらシチータの言うとおり、ノムンの戦略と策謀の才は確か
だったらしく、私が別件で色々と動いている間に全てを終わらせ、
他の都市国家の有力者含めて、自分に反対する者は軒並み処刑、投
獄に処されてしまっていた。
一応ノムンの勢力圏から逃げ出して難を逃れた生き残りの居場所
を数人分調べてあるが⋮⋮私が抱えているものを考えたら、接触し
ない方がいいだろう。
中にはノムンがワザと逃がしたヒトも居たようだし。
﹃貴様等の領内に犯罪者が居る。捕まえて我々に引き渡すならよし、
匿うのであるならば力尽くで改めさせてもらおう﹄
﹃貴様等は我々の品の輸出入を不当に制限している。悔い改めて我
々の品を受け入れるならばそれでよし。拒否するならば覚悟をしろ﹄
同盟の盟主の座に収まったノムンは、直ぐに自分の基盤を固める
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と同時に、同盟内の目を自分以外に向けさせるべく行動を開始した。
口実は様々だったが、要するにヘニトグロ地方南部同盟の勢力圏
を広げ、安定させるための手を打ち始めたのだ。
あらゆる負債を同盟の外側に居るヒトに被せるように。
﹃いいか。私が絶対の権力者だ。私の意見に反対する者は全員反逆
者だ﹄
﹃食料が足りない。よって貴様等から食料と農地を奪う事にしよう。
邪魔をする者は皆殺しだ﹄
勿論、こんな行いを周囲の都市国家たちが許すはずがない。
ヘニトグロ地方西部の都市国家たちはヘニトグロ地方西部連合を、
東部の都市国家たちはヘニトグロ地方東部連盟を結成。
ノムンを盟主改め王とする南部同盟に対抗しようとした。
そしてこの頃には、殺した後にヘニトグロ地方全体で起きる混乱
を考えたら、私の手でノムンを暗殺するわけにはいかなくなってい
た。
何と言うか、この辺りで私はシチータに踊らされた気がする。
後悔先に立たずで、気が付いた時には当初のプランを進めるしか
なかったのでこの案は諦めたが。
﹃御使いの主など知った事か。私こそがヘニトグロの王であり、主
である。姿を顕さぬ御使いなど信じず、私に忠誠を誓え﹄
﹃碌な頭が無い軍に、内輪で揉めている国など恐れるに足りんわ﹄
西部連合も、東部連盟も、少しずつ南部同盟に押されていった。
途中でノムン自身が前線に出てくるほどの時間と距離に余裕が無
くなってきたためにその侵攻速度はかなり緩まったが、それでもそ
の勢力は単体としてみれば三つの集団の中で最も大きなものになっ
ていた。
何故西部連合も東部連盟も南部同盟に此処まで押され続けたのか。
その理由は少し考えれば単純なことだった。
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ノムンは御使いの教え⋮⋮最近ではテトラスタの名を冠してテト
ラスタ教と呼ばれるようになった教えを、父であるシチータと違っ
て否定した。
暴力暴食姦淫謀略に明け暮れ、自らと周囲の贅を尽くした生活を
守るために多くの民衆を虐げた上に、自分に対して絶対の忠誠を誓
うように強制した。
そのために南部同盟内の民衆はともかく、西部連合と東部連盟の
民衆は一致団結して南部同盟に対抗しようとした。
だが、数に任せた攻撃は普通の兵を指揮する者⋮⋮確か将軍と呼
ばれる連中には通用しても、ノムンが少し口を出せば惨敗を喫する
ようなものだった。
となれば当然誰かが指揮を取ればと考えるだろう。
しかし、そこで西部連合と東部連盟の有力者たちは愚かにも内輪
で揉め、南部同盟に向ければ勝てずとも戦線をもっと前線で固定で
きたであろう兵力を消耗してしまった。
そのために南部同盟にどちらも大きく押されたのだった。
ああいや、もしかしたら、あの内輪もめもノムンの策謀の一つで
あったのかもしれない。
私自身の策の為に少しずつまた表に出てきた私の目には、どうに
もあの時の内輪もめの具合には違和感を感じたから。
ラミア
﹃ふはははは、私こそが王だ。私の進む道を阻めるものなど誰も居
ない。そう、それこそ父と幾度となく戦い生き延びたあの蛇の妖魔
程の知恵者であろうともだ!﹄
いずれにしても、この時点で私は自分の進めている計画をどんな
方法を用いてでも実行しなければならないと判断した。
南部連盟の王となったノムンを倒すためにも、その後ヘニトグロ
地方全土を巻き込んで起こるであろう騒乱を可能な限り小規模なも
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のに抑え込むためにも。
ズン
スネーク
ゴーレム
ブラウニー
ポイ
とりあえず⋮⋮うん、最悪の場合にはノムンの寝室に焼き菓子の
毒を仕込んだ牙を持たせた忠実なる蛇を忍び込ませて始末するとし
よう。
シチータの時代から情報収集用として、連中の重要拠点には定期
的に忍び込ませてあるんだしさ。
ヘニトグロ中が南部同盟の勢力下に入って荒れ果てるよりかはマ
シだ。
﹁さて、それじゃあ次は⋮⋮﹂
さて、シチータが死んでから十二年が経った。
予定では計画の実行はもう三年ほど経ってからだが⋮⋮
﹃おい見ろよ。あの炊煙﹄
﹃へへへ、こんなところに村が有ったとはなぁ﹄
﹃げへへっ、楽しみだぜぇ⋮⋮﹄
﹁っつ!?﹂
﹁どうされましたか?﹂
どうやらそうもいかなくなったらしい。
﹁ごめんなさい。急用が出来たわ。二人に村へと馬車を向かわせる
ように指示を出しておいて﹂
﹁⋮⋮。分かりました。お気を付けて﹂
そして私はとある村へと全速力で向かう事にした。
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第174話﹁邂逅−1﹂︵後書き︶
07/28誤字訂正
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第175話﹁邂逅−2﹂
﹁これは⋮⋮﹂
村の状況は忠実なる蛇が破壊される直前に見た光景から私が想像
したものよりも、斜め上の方向に向けて酷いものだった。
﹁何が起きたって言うの⋮⋮﹂
テトラスタ教の教会兼孤児院となっている建物を含めて、村の中
に存在していた二十余りの家々は悉く火が付けられ、天を衝くよう
な勢いで火柱を噴き上げ、夜空を真っ赤に染め上げていた。
村人たちの身体にも火が付き、炎の中ではその姿を保ったまま燃
え続けていた。
村で飼われていた鶏や馬たちも炎に飲まれ、息絶えるも、姿が変
化することなく燃え続けていた。
そして南部同盟の兵は⋮⋮身に着けていた鉄の防具が融け落ちて
肌に癒着した状態で、全身が燃えがっているにも関わらず、死ぬ事
も無く苦痛の声を上げ続けている。
﹁ただの炎でない事だけは間違いないわね﹂
異常としか言いようのない光景だった。
だから私は念のために火の粉一つかかる事のないよう、自分の周
囲を土の蛇で囲い、備えておく。
私の想像が正しければ、この炎は術者が敵と認識した存在に対し
ては死ぬ事すら許さず、鉄を溶かすような熱で焼き続けるような力
を持たされているからだ。
そして味方と認識されていても、炎に巻かれた村人が息絶えてい
る点からして、普通の炎並には殺傷能力があると見ていいだろう。
うん、それは十分に危険だ。
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﹁行くか⋮⋮﹂
私は炎に触れないように細心の注意を払いつつ、村の中を進み始
める。
途中でハルバードなら触れても大丈夫かどうかを確かめるのも兼
ねて、道を塞いでいた瓦礫を粉砕してみたが、やはり私のハルバー
ドなら大丈夫らしい。
そしてハルバードから伝わってきた感覚も、この炎が普通の炎で
ない事を示していた。
﹁見つけた﹂
やがて私は村で一番大きな建物であったテトラスタ教の教会前に
到達する。
﹁ふぅー、ううっー⋮⋮﹂
そこに居たのは教会の前に立ち、激しく燃え上がる剣を右手に持
ってこちらを威嚇するかのように激しく睨み付ける黒髪黄眼の少年
と、この状況で煤汚れ土汚れ一つ無く気を失って地面に倒れている
金髪の少女だった。
なお、少女の胸は規則正しく上下しており、少女が生きている事
は明らかだった。
私は二人の姿を見て安堵すると共に、この村で何が起きたのかを
理解する。
﹁まったく、英雄を生み出している誰かさんは本当に意地が悪いと
いうかなんと言うか⋮⋮﹂
まず南部同盟の兵士が村に侵入し、略奪をしようとしたのは間違
いないだろう。
彼らは仮にもきちんとした訓練を受けた兵士だ。
妖魔ぐらいしか相手にした事が無い村人では、為す術もなく蹂躙
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されるだけだっただろう。
そして恐らくは今私の前に居る二人に手を出そうとした時⋮⋮少
年は誓ってしまったのだろう。
誰もその正体を知らない何者かと。
﹁さて⋮⋮﹂
﹁ぐるるるうぅ⋮⋮﹂
誓いの内容は分からない。
だが一つ確かなのは、その誓いの結果として少年はこの恐ろしき
炎を発する魔力を手にし⋮⋮感情のままに炎を放った事だ。
﹁後天的要素だけの上に目覚めたばかりとは言え、制限がかかった
上で英雄とやり合わないといけないとはね﹂
さて、少年は見知らぬ存在である私を敵と見定め、私の事を右手
に持った燃え盛る剣で焼き切るべく様子を窺っている。
対する私も、既に土の蛇による防護を解除し、ハルバードを構え、
この状況下における最善の結果が何かを考えると同時に、どうすれ
ばその結果に行き着けるかを想像する。
﹁すぅ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
最善は⋮⋮言うまでもない。
少年も少女も私自身も無傷でこの場を生き延びる事だ。
﹁があああぁぁぁ!﹂
少年が燃え盛る剣を振りかぶった状態で私に向かって跳びかかっ
てくる。
その動きは速く、炎の熱と勢いも考えれば、鉄製の装備程度では
どうあっても防ぐ事は出来ないだろう。
だがしかしだ。
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﹁遅い﹂
速いと言ってもそれはヒトの枠の中、普通の妖魔が経験する中で
の話。
シチータのそれに比べれば、少年の剣の振りは欠伸が出るほど遅
く、鉄すら溶かし切る炎も私のハルバードには関係ない。
﹁!?﹂
私はハルバードを一度振るい、少年の剣を手から弾き飛ばす。
そしてその事に少年が一瞬気を取られた隙に、私は左手の爪の先
に少量の軽微な麻痺毒を生成、爪に染み込ませる。
﹁ふっ﹂
﹁アグッ!?﹂
私の左手の爪が少年の首筋に突き刺さり、爪に染み込ませた麻痺
毒が少年の体内に入っていく。
すると麻痺毒は即座に効果を発揮し、少年は全身から力が抜け、
その場に両膝を着き、数度立ち上がろうとした後に完全に倒れ込む。
で、完全に動けなくなったところで、同じ方法で私は少年の体内
に昏睡毒を注ぎ込む。
量の調整が難しいので、気を付けて扱わないといけない毒だが、
動けない相手に投与する量を間違えるようなミスは流石にしない。
﹁⋮⋮﹂
﹁消えたわね﹂
少年が眠るのと同時に、村中で燃え盛っていた炎が消えていく。
そして炎が消えていくのと同時に、村人も、家畜も、建物も、南
部同盟の兵士たちも、炎が付いていた部分は僅かに黒焦げた物体を
残して消え去って行く。
うん、どういう理屈なのかは分からないが、実に恐ろしい現象だ。
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﹁とりあえず二人が目覚めるまでの間に、回収出来る物は回収して
しまいましょうか﹂
やがて炎が消えるのに呼び寄せられたかのように雨が降り出した
ため、私は土を操って簡易の建物を造ると、少年と少女をその中に
入れ、村の中に何か残っている物が無いかを探し始めた。
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第175話﹁邂逅−2﹂︵後書き︶
ソフィアの強さの基準がシチータになっていますが⋮⋮まあ、二十
年以上戦っていたし、多少はね。
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第176話﹁邂逅−3﹂
﹁んっ⋮⋮﹂
﹁ぐっ⋮⋮ここは⋮⋮﹂
﹁やっと起きたみたいね﹂
少年と少女が起きたのは、翌朝の事だった。
目を覚ました二人は土で出来た建物と言う見覚えのない風景であ
るために、私に対して警戒心を露わにしている。
が、私の手にハルバードと言う分かり易い凶器がある為だろう。
無闇に暴れたり、迂闊に動いたりする様子はない。
うん、実に良い事だ。
今後の事を考えたら、手荒な手段は可能な限り控えるべきなのだ
し、理知的なヒトの方が手も組みやすい。
﹁さて、まずは自己紹介といきましょうか。私の名はソフィール。
グロディウス商会の会長よ﹂
私は懐から外周が自らの尾を噛んでいる蛇の環と言う装飾が施さ
れたメダルを取り出す。
ちなみに蛇の環の内側部分にはこのメダルが私のものであること
を証明するようにソフィールの名が刻まれているが、反対側⋮⋮普
段は表として扱う側には蛙と蛞蝓と蠍を象った装飾が施されている。
﹁そのメダル⋮⋮行商人のお兄さんが持っていた⋮⋮﹂
﹁ウチの教会の隅っこに飾られてた奴だ﹂
﹁ちゃんと見覚えがあるようで何よりだわ﹂
メダルを見た二人は目を大きく見開き、驚いた様子を見せる。
なお、私の指示で定期的にこの村へと行商人をやっていたのも、
この村の教会に食料やお金を不自然でない程度に寄付していたのも
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事実である。
尤も、少女の言う行商人のお兄さんについては、残念な事に二人
が眠っている間の捜索で融けたメダルの一部が見つかったので、今
回の事件に巻き込まれて死んだことが確定してしまった。
優秀な人材だっただけに残念で他ならない。
﹁まあ、そんなわけだから、私は貴方たちが誰か知っているわ。リ
ベリオ、セレーネ﹂
﹁﹁!?﹂﹂
商会の会長と名乗った人物が自分たちの事を知っているのは流石
に予想外だったのか、二人⋮⋮黒髪黄眼の少年リベリオと金髪橙目
の少女セレーネは再び大きく目を開く。
実に分かり易くていい反応だ。
﹁ただまあ、ここまでは表向きの話ね﹂
﹁へ?﹂
﹁表向きの⋮⋮話?﹂
﹁そう。表向きの話。今後の貴方たちの為に、これから私は色々と
話す。その言葉を信じてもらうためにも、私は私にとって最も重要
な秘密を一つ打ち明けるのよ﹂
私は喋りながら、自分の陰にしまっておいた物を取りだす。
そして、それ⋮⋮程よく焼けたヒトの腕を目にしたリベリオとセ
レーネは今までとは別の意味で、驚きを露わにする。
ラミア
﹁パクッと⋮⋮私は蛇の妖魔のソフィア。貴方たちには土蛇のソフ
ィアと名乗った方が通りが良いかもしれないわね﹂
﹁土蛇の!?﹂
﹁ひっ!?﹂
一口でヒトの腕を丸呑みにし、ヘニトグロ地方ではよく知られた
その名を名乗った私に対する二人の反応は劇的な物だった。
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リベリオは例の炎を再び右手に灯らせようとし、セレーネは反射
的に立ち上がって逃げ出そうとしたのだから。
﹁はーい。炎を出さない。逃げ出そうとしない﹂
﹁アイダァ!?﹂
﹁むぐうっ!?﹂
﹁失禁は⋮⋮まあ、別にしてもいいわ。怖いのは分かるし﹂
勿論、それを許す私ではないので、リベリオに対しては背後から
土の手で軽くチョップをかまして集中を途切れさせた後に右手を覆
い、セレーネに対しては立ち上がる前に両肩に土の手を置いて立ち
上がれないようにする。
で、恐怖からかセレーネが失禁してしまったようだが⋮⋮まあ、
死んでから十二年が経ち、一部では英雄王だなんて呼ばれ始めてい
るシチータと何度も戦い、生き延びている妖魔の中の妖魔と遭遇し
たら、失禁の一つや二つぐらいは仕方がないだろう。
今は替えの下着を二人が持って来ている事を願うばかりだ。
﹁言っておくけど、私に貴方たちを食べる気はない。と言うか、食
べるなら目が覚める前にパクリと言っているし、こんな事も言った
りしない。だからまずは落ち着きなさい。話が進められないわ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
しばらくすると、私の言葉を信頼したのか、それとも機を窺って
逃げるつもりなのかは分からないが、リベリオもセレーネも表面上
は落ち着いた様子を見せつつ、その場に座る。
﹁さて、今後の話だけど⋮⋮そうね。私には貴方たちにやってもら
いたい事が有る﹂
﹁やって⋮⋮﹂
﹁貰いたい事?﹂
﹁ええそうよ。でもそのためにはまずセレーネ、貴女の出生につい
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ての話と、リベリオ、貴方が得た力について話しておくべきかしら
ね﹂
﹁﹁!?﹂﹂
二人はもう何度目かも分からない驚いた表情を見せる。
と言うか、幾らなんでも驚き過ぎ⋮⋮ああいや、セレーネの件も
リベリオの件も知っている方が珍しいしおかしい話か。
とは言え、何度も同じリアクションを見せられていると、見せら
れているこちら側としては少々飽きて来るので、そろそろ別の反応
を見せて欲しい所ではある。
﹁まずセレーネ。貴方は孤児院で家族についてはなんて言われてい
たの?一応聞かせて﹂
﹁えと⋮⋮私もリベリオも元の家族に捨てられたから、今の家族は
孤児院の皆だと言われています﹂
﹁ふむ。それじゃあ、貴方が孤児院に入った経緯は?﹂
﹁ある日孤児院の前に籠に入れられた状態で置かれていて、そこを
シスターに拾われたらしいです。身元が分かりそうな物は、この常
に身に着けている様にシスターから言われていた銅のペンダントだ
けだったらしいです﹂
﹁うん、よろしい﹂
セレーネはそう言うと、首から提げている周囲が薄い銅の殻で覆
われ、中身が見えないようになっているペンダントを見せる。
私はその事に満足げな笑みを浮かべながら頷く。
﹁やっぱりこの村の孤児院に任せて正解だったわね﹂
﹁任せてって⋮⋮まさか⋮⋮﹂
そして、私の発言だけで何かを察したのか、セレーネが青い顔を
している。
ただ、現実はセレーネが想像している物よりもさらに複雑だ。
982
﹁セレーネ、貴女をこの村の孤児院に預けたのは私。そして貴女を
私に預けたのは貴女の祖父﹂
﹁へ?﹂
﹁祖父の名前はシチータ。父の名前はフムン。そう、貴女は南部同
盟盟主の正当後継者なのよ﹂
﹁﹁!?﹂﹂
そうして私が発した言葉に⋮⋮セレーネもリベリオも、信じられ
ないと大きな口を開けた状態で絶句していた。
うーん、あのシチータの孫とは思えないぐらい普通の反応だなぁ
⋮⋮。
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第176話﹁邂逅−3﹂︵後書き︶
バラしていいの?バラさないと説得力が無いの。
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第177話﹁邂逅−4﹂
﹁あ、あのソフィアさん⋮⋮貴方が私の親とかって話は⋮⋮﹂
﹁無いから安心しなさい。と言うか妖魔は特別な事情が無ければ子
どもなんて作らないわよ﹂
﹁は、はあ⋮⋮?﹂
やはりと言うべきか、セレーネは私の想像通りの勘違いをしてい
たらしい。
とは言え、直後の私の発言を無視してそちらの勘違いを確かめよ
うとしたのは⋮⋮二人が南部同盟と言う存在そのものに対してあま
りいい感情を持っていないからだろう。
﹁重ねて言うけど、貴女の祖父はシチータで、父親はフムン。今現
在南部同盟の盟主であるノムンは⋮⋮一応は叔父と言う事になるわ
ね。フムンとノムンは腹違いの兄弟だけど﹂
﹁そう⋮⋮なんですか?﹂
﹁で、貴女がシチータの孫である証明はそのペンダントの中身だけ
ど⋮⋮開けるのは私が呼んだ二人が来てからにしましょうか。私じ
ゃ綺麗に開けられないし﹂
﹁⋮⋮﹂
だが、セレーネがシチータの孫であるのは違えようのない事実で
ある。
それはセレーネをこの孤児院にまで運んだ私が一番よく知ってい
る。
ああそうだ。
リベリオの話に移る前に、もう二つほど今後セレーネが勘違いを
拗らせたりしないように言っておく事が有ったか。
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﹁少し言っておくけど、シチータとノムンは戦略の才能以外は似て
も似つかない。だから、あの誰に対しても傲慢で暴力的で、破滅的
な思考はノムンの母親の血筋と教育によるもの。貴女にはそんな血
も教えも一切入っていないから安心しなさい﹂
﹁そう⋮⋮なんですか?﹂
﹁そうよ。そして、今回村が襲われたのは全くの偶然。ただの略奪
目的だった。当然よね。レーヴォル村のセレーネが何者であるかを
正しく知っていたのは私とこれからやってくる二人の友人だけだも
の。だから、自分が居たから村が襲われたなんて思う必要は何処に
もないわ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
私の言葉にセレーネは俯き、涙をにじませながら、少し震えた声
でそう応える。
うん、やっぱり放置しておかなくて正解だったか。
この手の問題は放っておくと面倒な事になり易いしね。
﹁さて、と。それじゃあ次はリベリオ、貴方の力についてね﹂
﹁はい⋮⋮﹂
リベリオが神妙な顔つきで、私の顔へと視線を向けてくる。
恐らく今の話から、自分にも何か有るのではないかと言う期待と
不安が入り混じった思いが表情に出てしまったのだろう。
﹁まず初めに言っておくけど、貴方の出生については私は一切知ら
ないし、貴方が得た力とはまず関係ないわ﹂
﹁えっ!?﹂
が、期待している所に悪いが、リベリオの出生関係については私
は一切知らない。
私が知っているのはセレーネに遅れる事半年、セレーネと同じよ
うに教会の前に置かれていたという事だけである。
まあ、髪の色や顔つきから、親のどちらかがヘニトグロ地方東部
986
もしくはヘテイルの辺りの出だったんじゃないかなと言う程度であ
る。
そして、出生とリベリオの力⋮⋮英雄の後天的性質によって得た
力は全く関係が無い。
﹁と言うか一応聞いておくけど、リベリオの炎は生まれつきのもの
じゃないわよね﹂
﹁えっ、あっ、はい?よく分からないけど、私もリベリオも魔法な
んて使えたことないですし、見た事も殆ど無いです﹂
と、私は自信満々な様子で言ってしまったが、微妙にショックを
受けているリベリオを放置しつつ、一応私は小声でセレーネに確認
しておく。
うん、合っていてよかった。
間違っていたら赤っ恥ものだった。
﹁ごほん、では改めて。リベリオ、貴方の力は契約によって得たも
のよ﹂
﹁けい⋮⋮やく⋮⋮?﹂
﹁そう、契約。この世界にはね、ヒトが窮地に陥った時に、窮地か
ら逃れようとする強い意思と信念に反応するかのように力を渡す存
在が居るのよ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
二人とも初めて聞く話であるためか、食い入るように私の言葉に
聞き入っている。
﹁その誰かさんについて、私は一切知らないわ。いえ、この世界に
居る誰も恐らくは知らないでしょうね﹂
﹁誰も⋮⋮知らない⋮⋮﹂
﹁けれど確かな事として、リベリオの様に膨大な魔力を得たヒトが
この世には僅かながらにも存在していると言う事。そしてシチータ
987
もその一人だったという事よ﹂
﹁シチータも⋮⋮﹂
﹁つまり、貴方のその力を鍛え上げれば⋮⋮そうね。一人で戦況を
ひっくり返す事だって不可能ではなくなるかもしれない。それだけ
の深さは間違いなくあるはずよ﹂
﹁凄い⋮⋮﹂
二人は私の言葉に信じられないようなものを見たかのような表情
になる。
ただ⋮⋮うん、敢えて言わなかったけれど、どれだけ鍛え上げて
もシチータに追いつくのは無理だと思う。
あれはここ数十年各地で私が見てきた英雄の中でも別格の存在だ
し。
最低でも妖魔の血は引いていないと無理だろう。
口が裂けても言わないし、この場ではもっと他に言っておく事が
有るし。
﹁ただ気を付けなさい。強い力と言うのは、それだけ扱いが困難な
物よ﹂
﹁あ⋮⋮﹂
﹁貴方が力に目覚めていようと、目覚めていなかろうと、村が滅ぶ
と言う結果は変わらなかった。けれど、貴方の炎がセレーネ以外の
村全てを焼いたのも事実。その事だけは一生涯忘れないようにしな
さい。それを忘れれば⋮⋮行き着く先はあのノムンが居る場所より
ももっとおぞましい、獣よりも妖魔よりも更に下等な何かと同列視
されるような場所よ﹂
﹁⋮⋮﹂
私は視線の高さを合わせ、顔を掴み、正面から睨み付けるように
しつつリベリオにそう告げる。
そんな私の言葉に昨夜自分がやったこと思い出したのか、リベリ
オが唇を噛み締め、血を滲ませながら頷く。
988
﹁まずは力を制御することを覚えなさい。貴方が守りたいものを守
れるようになるためにも﹂
﹁⋮⋮はい﹂
これならばまあ、大丈夫だろう。
根は悪い子ではないようだし、少なくとも村人の死を無碍にする
ような真似はしないはずだ。
﹁さて、それじゃあ話の続きは乗り込んでからにしましょうか﹂
﹁乗り込んでから?﹂
﹁あっ⋮⋮!﹂
私はそう告げると、土で出来た建物を操作、解体し、周囲の地面
に溶け込ませ始める。
そして、私の視線の先からは一台の馬車がこちらに向かって来て
いた。
989
第178話﹁邂逅−5﹂
﹁さて、話の続きといきましょうか﹂
﹁﹁はい⋮⋮﹂﹂
馬車に乗り込み、動き出したところで私は話を再開する。
セレーネとリベリオが何処か怯えた様子を見せているのは⋮⋮私
が呼んだ二人と言うのが、ヒトではなく、蛙の妖魔であるトーコと
蛞蝓の妖魔であるシェルナーシュだったからだろう。
だが安心して欲しい。
グロディウス商会で妖魔なのは私を含めてこの場に居る三人だけ。
後はほぼ全員が私たちの正体を知らない普通のヒトで、皆妖魔は
敵だと認識しているから。
まあ、それ故に私たちの正体を言いふらさないように言いつけた
けどね。
﹁そうね。そろそろ今この辺りがどういう状況にあるのかと、私が
貴方たちにやってもらいたいと思っている事について話しておきま
しょうか﹂
そう告げると、私はまずヘニトグロ地方の現状と、ノムンが勝っ
てヘニトグロ地方を治めてしまった場合の未来、戦争が長引いた場
合の未来、私が直接的に手を下すなどして後の事を考えずに行動し
てしまった場合の未来を出来る限り現実味を帯びるように、悪いも
のだと感じられるように語っていく。
そうして語った結果⋮⋮。
﹁ヘニトグロ中が村みたいになっちゃうなんて⋮⋮﹂
﹁そんなのは絶対に嫌だ!俺は嫌だ!﹂
セレーネは顔を青ざめさせ、恐怖に身体を震わせていた。
990
リベリオは憤り、顔を真っ赤にして何度も絶対に嫌だと叫んでい
た。
つまりは二人とも、そんな未来には訪れて欲しくないと思ってく
れたようだった。
うん、良い反応だ。
﹁そうね。そんな未来は私だって嫌。何としてでも回避すべきだと
思うわ。だから、貴方たちにはなってもらいたいのよ。ヘニトグロ
と言う広大な土地に住むヒトたちをまとめあげられる存在に。そし
て、そんな未来を回避するためにシチータも私も色々と手を打って
来ているのよ﹂
そう言いながら私は二人に向けて指を三本立てた手を向ける。
﹁まず、ヘニトグロ中が荒廃するような未来を避けるために絶対に
必要なものが三つあるわ﹂
﹁三つ?﹂
﹁そう、三つ。万人に何が善で何が悪なのかを示すための規範。規
範の元、人々を統べ、行くべき道を指し示す象徴。規範と象徴を害
意あるものから守るための武力よ﹂
﹁象徴⋮⋮﹂
﹁武力⋮⋮﹂
実際には他にも色々と必要な物はあるが、可能な限り混乱なく人
々をまとめ上げるためにどうしても欠かせないのはこの三つだろう。
ヒトは長いものに巻かれたがる。
ヒトは楽な道を行きたがる。
ヒトは己を第一としたがる。
﹁規範についてはテトラスタ教と言う教えが、既にヘニトグロ地方
全体に浸透しつつある。だからこれについては心配しなくていいわ﹂
だから宗教と言う規範を示し、それを是とするヒトが多くなれば、
991
それが常識となり、それに従ってヒトは生活を送るようになる。
﹁象徴については、シチータ王の孫であることに加え、規範上認め
ざるを得ないセレーネ、貴女が居る。特にそのペンダントを持って
いる事は大きいわ。後で説明するけど、それがある限り貴女の優位
は決して揺るがない﹂
﹁はい﹂
だから王と言う象徴を示し、その象徴が自分たちが従うにふさわ
しい存在である認める人が多くなれば、王の言葉に従う事で、厳し
い道にも向かえるようになる。
﹁武力については私の方でも用意できるから、それ相応のものは用
意してあるし、今後の活動次第では加速的に肥大していくでしょう。
そしてリベリオ、貴方の力は⋮⋮﹂
﹁鍛え上げれば、大きな武力に⋮⋮セレーネを守る力になるという
事ですね﹂
﹁そう言う事﹂
けれどどれほど優れた規範と象徴であろうと、全てのヒトを従わ
せることは絶対に出来ない。
必ず反抗者は生じる。
むしろ存在しない方がおかしい。
だから対抗するために何かしらの力が⋮⋮武力、財力、知力、生
産力と言った力が必要になる。
特に武力は最も直接的で分かり易い力であるために反抗者も持ち
やすく、使う事が多いので、何かしらの対抗策は必須だと言ってい
いだろう。
﹁さて、セレーネ。そう言うわけだから、次は貴方が持っているペ
ンダントの中身についても話しておきましょうか。シェルナーシュ﹂
﹁分かった﹂
992
﹁えっ?きゃっ!?﹂
私の求めに応じる形でシェルナーシュが指を軽く振る。
それだけでセレーネのペンダントを覆っていた銅の殻が二つに分
かれて落ちる。
うん、流石は殻を付けた本人なだけはある。
﹁これは⋮⋮琥珀?﹂
﹁いやでも、なんか力を放っている気配がするな⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵触らずに気付くか︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵目視で行けるっぽいね︶﹂
さて、シェルナーシュとトーコが何か言っているのはさて置くと
してだ。
セレーネの身に着けていたペンダントの正体は、手の平の上に乗
るぐらいの大きさの琥珀である。
勿論、ただの琥珀ではない。
﹁さそ⋮⋮り⋮⋮?﹂
﹁いやでも、これって影がそう言う風に見えるだけっぽいな﹂
この琥珀の中には、二人の言うとおり正体不明の理屈によって蠍
のように見える立体的な影が存在している。
そして、これが最重要な事であるが、この琥珀は特殊な魔力を有
している。
ギルタブリル
﹁その魔石の名は琥珀蠍。シチータが倒した四本腕の蠍の妖魔サブ
カが変じた魔石。当然だけど、この世に二つとして存在しない逸品﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁そんな琥珀蠍の魔石最大の特徴は、魔石自身が身につけている者
が自分に相応しいものであるかを判断し、相応しくない者には触る
事すら許さず、相応しい者の中でも特に良いと思った者に対しては
993
魔石自身の判断で守護の魔法を使う事﹂
﹁え!?﹂
﹁そんな事が⋮⋮﹂
﹁そして魔石の判断基準はテトラスタ教の教えに従って良いか悪い
かであり、この点についてはテトラスタ教の司祭も既に認めている
わ。もう分かるでしょう?﹂
﹁それって⋮⋮﹂
それはごく限られたものに対する守護の力。
﹁そう。セレーネ。貴女がシチータの孫であることも重要だけれど、
それ以上に、あの炎からも守ってもらえる程に貴女が琥珀蠍の魔石
に認められているというのが重要なのよ﹂
つまり、魔石に残されているサブカの意思は、セレーネを認めて
いるという事であり、それこそがセレーネがあのシチータの孫であ
っても、私がセレーネを象徴とするのに相応しいと考えた理由だっ
た。
994
第178話﹁邂逅−5﹂︵後書き︶
サブカ程の妖魔の魔石が普通なわけがないのです。
08/01誤字訂正
08/02誤字訂正
995
第179話﹁邂逅−6﹂
﹁ほいほい、そろそろ見えて来るよー﹂
数時間後。
シェルナーシュがリベリオとセレーネの二人に対して魔法に関す
る基本的な知識を講義したり、街に着いてから注意するべき事を話
したりしていた私たちの元に、トーコの声が聞こえてくる。
﹁あら、やっとなの﹂
﹁まあ、馬の調子とか、リベリんとセレネんの馬車への慣れとかも
考慮して、かなりゆっくりと走らせてたからねー。こればっかりは
どうしようもないかな﹂
﹁それもそうね﹂
私は馬の手綱を握るトーコの脇に顔を出すと、普通のヒトの目に
も目的の場所が見える事と周囲の安全を確認してからセレーネとリ
ベリオの二人に場所を譲る。
﹁あれがソフィールさんたちが住んでいる⋮⋮﹂
﹁都市国家マダレム・セイメ⋮⋮﹂
﹁ええ、その通りよ﹂
森を抜けた私たちの前に見えてきたのは、他の街のそれよりも多
少高く作られると共に、様々な仕掛けが施されている事が傍目にも
分かる石の城壁。
都市国家マダレム・セイメである。
﹁通行証を﹂
﹁はいはーい、グロディウス商会のトーコです﹂
マダレム・セイメは、西部連合に所属する都市国家の中でも指折
996
りの大きさと強固さを誇ると共に、西部連合の各地に向かうにあた
って何かと都合が良い場所に存在している都市である。
そして、私が十年ちょっと前に設立し、発展させてきたグロディ
ウス商会が本拠地として定めている都市でもある。
なお、治安が他の都市に比べて格段に良い事も特徴の一つだが⋮
⋮交通の要所と言う善悪問わず多くのヒトが流れ込む地なのに治安
が良い理由については言わずもがなである。
食べても大きな問題にならないヒトが居ると言うのは実に素晴ら
しい。
﹁確認しました。どうぞ中へ﹂
﹁お勤めご苦労様でーす﹂
衛視による確認が終わり、馬車がマダレム・セイメの中を進んで
いく。
馬車の前後から見える光景にセレーネとリベリオが大きな口を開
けて呆然としていたり、村には無かった珍しい物を見つけて騒いだ
りしているが⋮⋮まあ、いつもの事か。
﹁ソフィアん着いたよー﹂
﹁分かったわ﹂
そうこうしている内に馬車は屋敷の中に入っていき、その足を止
める。
そして完全に止まったところで私はトーコに馬車を任せ、セレー
ネ、リベリオ、シェルナーシュの三人を連れて屋敷の中に入ってい
く。
﹁﹁﹁お帰りなさいませ。会長﹂﹂﹂
﹁﹁!?﹂﹂
屋敷の扉を開けた私たちの前に待っていたのは?
屋敷の使用人と商会の従業員たちだ。
997
うん、出迎えてくれるのは嬉しい。
嬉しいが⋮⋮、従業員組は仕事をどうしたの?
﹁出迎えご苦労様。で⋮⋮﹂
﹁会長が居ないと進められないものが色々と溜まっているんです。
直ぐに仕事に戻ってください﹂
﹁⋮⋮﹂
どうやら私が突然飛び出したせいで色々と滞らせてしまったらし
い。
うーん、普段はこんな事はないし、何か起きたのかもしれない。
﹁分かったわ。順次対応していくから、緊急性の高いものから報告
して行って。それと、手が空いている使用人を呼んで、後ろに居る
二人に風呂、衣服、食事、個室を与えてあげて﹂
﹁客人?ですか﹂
﹁いいえ、特別な客人よ﹂
﹁かしこまりました﹂
私の指示を受けて使用人と従業員が動き出す。
これでセレーネとリベリオの二人については明日の朝まで放置し
て、ゆっくりと休ませてあげればいいだろう。
﹁では会長⋮⋮﹂
私はセレーネとリベリオの二人が風呂場の方に連れて行かれるの
を見届けると、執務室に移動しながら報告を受け取り、それに対応
するための指示を出していく。
シェルナーシュは⋮⋮もう居ないか。
そして、それらの指示出しが一段落したところで、マダレム・セ
イメの中央議会のスケジュールの確認を初めとした、セレーネとリ
ベリオの二人の為の根回しを指示し始める。
998
﹁次の報告ですが⋮⋮﹂
執務室に移動したら書類のチェックとサインをしつつ、南部同盟、
東部連盟に潜り込ませている密偵からの報告や、現在の情勢がどう
なっているかの情報を聞いていく。
で、そうして報告を聞いていると、騒がしくなっている原因が分
かるようになってくる。
﹁ムーブレイの娘との婚姻ねぇ⋮⋮却下だわ﹂
﹁まあ、父上ならそう言いますよね﹂
﹁北部三都市との交渉⋮⋮これも前に断ったわよね﹂
﹁前とは少し状況が違うようですよ。詳しくは書簡の方を見てくだ
さい﹂
﹁で、ティーヤコーチが午前中に尋ねて来ていたかぁ⋮⋮ちょっと
勿体無い真似をしてしまったわね﹂
﹁あの方の分野を考えるとそうかもしれないですね﹂
どうにも何処からか私が突然失踪したと言う情報を聞き付け、そ
れを隙と見た連中が色々とやらかしてくれたらしい。
ああうん、これは確かに私が居ないと無理な案件だ。
ウィズにはまだ荷が重い。
﹁で、ウィズ。貴方も貴方で私に対して何か言いたい事が有りそう
ね﹂
私は何か言いたげにしているウィズ⋮⋮義理の息子に視線を向け
る。
﹁それはそうでしょう。突然父親が子供を二人も連れて帰って来た
んですから。で、あの娘が本命ですか?﹂
﹁見えたの?﹂
﹁少年の方に比べて、僅かですが父上が気を使っているように感じ
ましたから﹂
999
﹁相変わらず目聡いわねぇ⋮⋮﹂
ウィズは私がグロディウス商会を造った頃に、スラム街で偶然出
会った子供であり、両親も居なかったために私の後継者として育て
ていた子供である。
現在は18歳、グロディウス商会の会長補佐として、だいたいの
仕事は任せられる程になっている。
そして、商会の中で唯一私、トーコ、シェルナーシュの正体につ
いても知っている人物でもある。
﹁ちなみに本命の云々の情報は誰から?﹂
﹁基本は推測ですが⋮⋮トーコ様からの情報も少々﹂
﹁よし分かった。後でシメておくわ﹂
﹁私の方でも注意はしておきましたが⋮⋮まあ、必要だと思います。
分かっているか怪しい感じでしたし﹂
とりあえず情報を扱う上での信頼度で言えば、トーコよりもウィ
ズの方が信用はおける。
ヒトを見極める目でもだ。
﹁で、本命ですか?﹂
﹁本命よ。そうね。貴方の目から見ても相応しいかを確かめて来て
ちょうだい。それと⋮⋮これを彼女に渡して、肌身離さず身に着け
ておくように言っておいて﹂
﹁よろしいのですか?﹂
﹁ええ、問題ないわ﹂
﹁分かりました﹂
私が普段髪をまとめるのに使っている金の蛇の環を受け取ったウ
ィズは部屋の外に出ていく。
さて、これでウィズがセレーネの事を認めてくれれば、グロディ
ウス商会は満場一致で支援できるようになるのだが⋮⋮まあ、上手
くいくことを願うしかないか。
1000
私は私宛に送られてきた書簡に目を通しながら、そんな事を考え
るのだった。
1001
第179話﹁邂逅−6﹂︵後書き︶
08/03誤字訂正
1002
第180話﹁邂逅−7﹂
﹁おはよう、二人とも﹂
﹁ソフィールさん。おはようございます﹂
﹁おはようございます﹂
翌朝、ウィズからセレーネとリベリオについての話を聞いた私は、
外出する前に二人の元へと顔を出す事にした。
﹁調子はどうかしら?素直に言ってみて頂戴﹂
﹁その⋮⋮ベッドの寝心地も、食事も、お風呂もすごく良かったで
す。ただ⋮⋮﹂
﹁ただ?﹂
﹁部屋が広すぎてその⋮⋮﹂
﹁ああ、落ち着かなかったのね﹂
﹁はい⋮⋮﹂
ウィズ経由で渡して貰った金の蛇の環をペンダントに填めたセレ
ーネはそう言うと、少々恥ずかしそうに俯く。
あーうん、報告は受けていたけど、確かにあの村の規模からして、
今までなら孤児院のシスターと子ども全員でセレーネ一人に当てた
部屋と同じぐらいの広さの部屋で寝てたのだろうし、それを考えた
らあの部屋は少々広すぎたのかもしれない。
これは私の配慮不足と言うしかないだろう。
ただこればかりは⋮⋮慣れてもらうしかないか。
一応ベッドに天蓋を付けたり、カーテンを周囲に引いたりで対策
は可能だろうけど。
うん、その辺りは⋮⋮ウィズがやってくれるか。
目がそう言ってる。
1003
﹁リベリオは?﹂
﹁俺の方は特に。その⋮⋮セレーネが来たことは驚きましたけど、
すんなり眠れましたし﹂
﹁そう、ならよかったわ﹂
なお、夜中にリベリオの部屋にセレーネが行って、一緒に眠って
いた事は私も既に知っている。
そもそもリベリオの部屋にセレーネを連れて行ったのがウィズで
あるし。
﹁さて、食事の手は止めなくてもいいけど、二人とも何かと不安だ
ろうし、これからの事について話しておきましょうか﹂
さて、昨夜についての話が終わったところで、今後についての話
である。
﹁まずは⋮⋮そうね。暫くの間、貴方たち二人にはこの屋敷に留ま
ってもらう事になるわ。少々息苦しいかもしれないし、不便をかけ
るかもしれないけど、我慢して頂戴﹂
﹁そんな息苦しいだなんて⋮⋮﹂
﹁広すぎて大変だって意味なら大変かもな⋮⋮﹂
﹁そこは私や使用人に用事を頼むなどの手を考えればいいでしょう。
最初は慣れないかもしれませんが、客人に不便を掛けないのが使用
人の仕事でもありますし、むしろ頼まれない方が困りますね﹂
私の言葉にセレーネは心配を掛けないようにと元気な様子を装っ
て返してくる。
しかし広すぎて大変かぁ⋮⋮まあ、これについては一月の間住ん
で慣れてもらえれば何とかはなると思う。
それよりもだ。
﹁ごほん。一応言っておくけど、一月の間何もしなくてもいいと言
うわけでは無いから、そこは気を付けて頂戴ね﹂
1004
﹁えと、お店で働いたりとか⋮⋮ですか?﹂
﹁俺もセレーネも、殆ど字は読めないし、計算とかまるで駄目なん
すけど⋮⋮﹂
﹁心配しなくても店で働かせたりはしないわ。それよりも遥かにや
ってもらいたい事があるもの﹂
この一月の間に私は色々と手を打たなければならない。
そして、二人にやってもらいたい事は、仮に今後セレーネとリベ
リオの二人が私の望む象徴と武力の役割に着けるだけの実力を持て
なくてもやってもらわなければならない事である。
﹁その、私たちは何をすればいいんでしょうか?﹂
﹁簡単に言ってしまえば勉強ね。都市と言う村とは全く違う環境で
生活するための﹂
﹁勉強⋮⋮シスターにテトラスタ教の経典で色々と教えられたなぁ
⋮⋮﹂
﹁言っておくけど、テトラスタ教の教えだけじゃないわよ﹂
それは勉強。
仮に私が急に居なくなっても生きて行けるだけの知恵と実力を身
に着けさせることである。
﹁父上﹂
﹁心配しなくても、最初は最小限の範囲に留めるわよ。人材の当て
もあるし。少なくとも私が教えるのは極々一部⋮⋮戦闘関係に限る
わ﹂
ウィズが自分のトラウマが刺激されたためか、小声で耳打ちして
くると同時に、私の事を睨み付けてくるが⋮⋮安心して欲しい。
同じ轍を踏むような真似はしない。
彼女との付き合いで教えられたが、私はどうにも普通のヒトに何
かを教えるのには向かないようなのだ。
だから、戦略や戦術と言った特に私が得意とする分野以外につい
1005
ては、向こうから望まない限りは関わらないでおく。
幸いにしてマダレム・セイメには教育関係で丁度いい人材もいる
のだし。
と、話を戻さないと。
﹁こほん。勉強の内容は⋮⋮そうね。まず二人に共通する内容とし
ては簡単な文字の読み書きと基本的な計算。それから、リベリオと
セレーネでそれぞれ個別に学んでもらう事もあるわ﹂
﹁個別⋮⋮ですか?﹂
﹁⋮⋮﹂
私の言葉にセレーネは首を傾げるが、リベリオは私が何を求めて
いるのかを既に察しているのか、何処か渋そうな顔をしている。
﹁リベリオ、貴方が学ぶべき事は分かっているわね﹂
﹁魔力の扱い方ですよね﹂
﹁ええそうよ。悪いけれど、貴方については魔力を完全にコントロ
ールできるようにならないと、屋敷の外に出る事も自由に許すわけ
にはいかなくなるわ﹂
﹁はい﹂
ただ、リベリオも私の判断に納得しているのか、素直に頷く。
なお、実際に魔力や魔法について教えるのはシェルナーシュの仕
事にする予定である。
シェルナーシュの方が詳しいしね。
﹁セレーネ。貴女については⋮⋮そうね。今は貴女が学びたいと思
う事を思いついたら、ウィズに言うようにして。出来る限り貴女の
望みを叶えてあげられるように取り計らうから﹂
﹁はい、分かりました﹂
セレーネについては現状では何とも言えない。
シチータの最後を考えると、料理や医術についての知識を身に着
1006
けた方が良い気もするが⋮⋮料理はともかく医術についてはかなり
専門的な知識であるし、彼女が望まない限り教えるのは最低限の知
識だけに留めるべきだろう。
﹁さて、それじゃあ、私はそろそろ行くわね。二人とも、何か用事
が有ったらウィズに言ってちょうだい。ウィズ、後は任せたわよ﹂
﹁﹁﹁はい﹂﹂﹂
そうして今後について一応の話を終えた所で、私は部屋を後にし
た。
さて、二人の為にも色々と手を打たなければ。
1007
第181話﹁邂逅−8﹂
﹁⋮⋮と言うわけです。以上で報告を終わりますわ﹂
マダレム・セイメ中央議会の議場は静まり返っていた。
ただ、誰も口は開かない事は共通であっても、その表情や窺える
内心はまるで別物だと言えた。
﹁ブツブツ⋮⋮︵琥珀蠍の魔石だと。そんな物が何故⋮⋮︶﹂
﹁ブツブツ⋮⋮︵村が襲われた。だが一体奴らは何処から⋮⋮︶﹂
﹁ブツブツ⋮⋮︵シチータ王の孫。上手く籠絡できれば⋮⋮︶﹂
﹁ブツブツ⋮⋮︵何故だ。何故ソフィールの奴の手元に⋮⋮︶﹂
純粋に事態が把握できていない者、南部同盟の兵士が何処から入
り込んだのかを考える者、己の栄達の為に事件を利用することを考
える者、私に対して嫉妬を向ける者。
それ以外にも、妙な表情を浮かべている者や、私の言動に矛盾点
が無いかと考えている様子の者、過去の諸々から私が裏で手を引い
ているとか考えていそうな者も居る。
早い話がまるでまとまっていない。
うん、やっぱり昨日の今日で時間を作り、報告をする機会を作っ
て正解だったか。
時間を置いていたら、絶対に余計な行動をする奴が出て来てた。
﹁一応聞いておこう。ソフィール、君は何故今回の南部同盟の兵士
による略奪に気づく事が出来た?﹂
﹁今回襲われた村は私のグロディウス商会が常日頃から関わってい
た村であり、村の中には商会も運営に関わっていた孤児院が有りま
した。ですので、念のためではありますけど、少々特殊な魔法でも
って村の中を見張っていましたの。そしたら⋮⋮﹂
1008
﹁略奪が有った。だから慌てて飛び出したというわけか﹂
﹁そう言う事です﹂
忠実なる蛇の魔法を初め、契約魔法を基にした土を自分の肉体の
一部として操る魔法全般について私は中央議会の面々には話してい
ない。
なので今の発言によって私に対する疑念も膨らむだろうが⋮⋮迂
闊な反論は出来ないだろう。
セレーネと琥珀蠍の魔石と言う、現状では切り札に近い手札は私
の手の内にあるのだから。
反論をするならば、それこそ内紛に近い状態になることを覚悟し
なければならない。
私、トーコ、シェルナーシュと言う大戦力に加えて、普通のヒト
の手で作れる範囲では上位の質を誇る装備を身に着けた傭兵たちに、
それを指揮できるウィズと言うマダレム・セイメどころか西部連合
全体で見ても有数の戦力相手にだ。
ただそれでもだ。
馬鹿は自分の戦力を勘違いして行動を起こすもの。
釘は刺しておくべきだろう。
﹁そうそう、一応言っておきますが、彼女たちは今故郷と呼ぶべき
村を焼かれ、見た目は気丈に、何でもないかのように振る舞ってい
ますが、内面では非常に傷つき、苦しんでいます﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
と言うわけで、私は議場が静まった僅かな瞬間を狙って口を開く。
勿論ただ口を開くのではなく⋮⋮
﹁もしも⋮⋮もしも、そのような状態で、彼女たちを今以上に傷つ
け、苦しませ、利用しようとする存在が居るのであれば、彼女を保
護した者として、私は絶対にその存在を許しません。以後同じよう
な愚か者が出ないようにするためにも、全力で排除に当たらせても
1009
らうつもりですので御覚悟を﹂
議場の中に居るそう言う行動をしそうな愚か者に向けて大量の魔
力を放出して威圧しながらだが。
﹁そ、それは脅しかね?﹂
﹁脅し?いいえ、当然の義務です。彼女は琥珀蠍の魔石が認め、守
護するほどの善きヒト。そんな彼女と彼女の家族を傷つけようとす
る者が居るのであれば、これぐらいの気持ちは必要でしょう。尤も、
そんな人物が本当に居れば、の話でありますが﹂
﹁そ、そうだな⋮⋮うむ。考えてみれば、そんな人物が居るはずが
おりませんな﹂
﹁そうですな。わ、我々はマダレム・セイメ中央議会の議員、そん
な愚かな真似をするはずがない﹂
﹁は、はは、ははははは。ソフィール殿は心配性ですなぁ⋮⋮﹂
うん、これぐらい脅しておけば、早々迂闊な真似をするヒトは出
てこないだろう。
と言う所で、私はこれまで一言も発していない彼女へと視線を向
ける。
それだけで彼女は私が求める事を察したのか、溜息と共に仕方が
ないと言わんばかりの表情を浮かべつつ立ち上がる。
﹁ところでソフィール。今回貴様が保護した二人は、今後どうする
つもりだ?﹂
﹁現実的に言って村の再建は不可能です。なので、二人にはマトモ
な生き方なら、どういう生き方を望んでも大丈夫なように、マダレ
ム・セイメをはじめとした都市で生きられるようにするための教育
を施すつもりです﹂
私の発言に議場の中に居る数人の顔色が変わる。
恐らくは教育という名目でもって、自分の都合のいいようにセレ
ーネたちを操りたい連中なのだろう。
1010
が、私には当然それを許すつもりはない。
﹁ただ、私はこれから一月の間、北部三都市との交渉に向かわなけ
ればなりません。なので、私が二人の教育に口を挟めるのは、教師
となる方の選定までと言う事になります﹂
私の発言に一部の面々は更に色めき立つ。
が、残念ながらこの場で色めき立っているような連中はその時点
で論外だ。
セレーネとリベリオの二人を教育する役には広範な知識以上に、
しっかりとした倫理観を有する人物が必要なのだから。
﹁そう言うわけですので、その辺りの詳しい話は今日の議会が終わ
った後にする事にしましょうか﹂
そうして、私の発言と共にその日の議会は終わることとなり⋮⋮
私は教育係の座を勝ち取ろうと慌てて行動し始める他の議員を尻目
に彼女⋮⋮ティーヤコーチと共に小さな部屋に入った。
1011
第181話﹁邂逅−8﹂︵後書き︶
まあ、どう考えても怪しいですわな
1012
第182話﹁邂逅−9﹂
﹁それで、実際のところお前が保護した二人の様子はどうなんだ?﹂
小部屋で腕を伸ばしてもギリギリ届かない程度に離れて座ったと
ころで、ティーヤコーチは私に向けて言葉を発する。
﹁概ねは報告した通りね。外から見る限りでは何でも無いように見
えているわ。内面は⋮⋮分からないわ。ヒトの内心を正確に察する
事なんて私には出来ないし﹂
﹁ヒトの心の中が分からないのは誰でも同じだろう。世の中には他
人の心の中を覗ける魔法もあると言うが⋮⋮はっきり言って眉唾物
だしな﹂
ティーヤコーチは私と同じくマダレム・セイメ中央議会の議員の
一員であり、本業は布・革・木を使った製品を中心に取り扱うティ
ーヤ商会の会長である。
見た目の特徴としては⋮⋮燃えているような赤い髪に、黒い瞳、
私程では無いが整った顔立ちに⋮⋮女性であるのに男装をしている
と言う点か。
ある意味では私とは真逆と言える。
﹁だがそれなら、精神面でのケアも必要か?﹂
﹁んー、どうかしらね?一応こっちに来る途中に思いつめないよう
に手は打ったけど⋮⋮この辺りは相応の時間が経たないと、どうす
るべきかが見えてこないものでもあるし⋮⋮まあ、その辺りはウィ
ウィズ
ズたちに任せるしかないわね﹂
﹁確かに彼なら貴様と違って大丈夫だろうな。貴様と違って﹂
なお、今私に対して批判的な視線を向けている事から分かるよう
に、私とティーヤコーチの仲はあまりよろしくない。
1013
これは彼女が熱心なテトラスタ教の教徒であり、魔法技術を含め
スネーク
ゴーレム
た各種知識を出来るだけ公開して広めるべきだと考えているのに対
して、私は忠実なる蛇の魔法に妖魔と言う正体、他にも色々と隠し
事が多いためである。
﹁なによ。何か言いたそうね﹂
﹁なに、どうして正確かつ広範にわたる知識を持っているにも関わ
らず、それを他者に伝えるのが絶望的に不得手なのかと思ってな﹂
﹁失礼ね。ある程度の知識を持っている相手と、本当に何も知らな
ラミア
い相手なら大丈夫よ﹂
﹁どうだか﹂
それと、私には蛇の妖魔の能力の活用として、生きたまま相手を
丸呑みにする事によって食べた相手の記憶を奪えるという能力があ
るが、五十年の長きにわたってこの能力を使用し続けたためか、勉
強と言うものが理解できず、どうにも最近の私は普通のヒトに対し
て能動的に物を教えると言うのが苦手となっている。
まあ、苦手だと理解したからこそ、私は今こうして彼女と話をし
ているわけだが。
私と違って彼女は教育面にも定評があるし。
﹁それで、どういう事について教えればいいんだ?﹂
﹁そうね。詳しくは貴女とウィズに話し合ってもらうとして⋮⋮単
純な読み書き、基本的な四則演算、後は貨幣制度と基本的な法律と
だいたいの地理ぐらいかしらねぇ⋮⋮それと﹂
﹁それと?﹂
﹁忙しいのは分かっているけれど、出来ればセレーネとリベリオの
二人には貴女が派遣した誰かじゃなくて、貴女自身による教育を受
けて欲しい所ではあるわね﹂
﹁⋮⋮﹂
私の言葉にティーヤコーチは悩ましげな表情を見せる。
1014
恐らくはどうして私がこんな事を言ったのかと言う理由と、実際
に自分が二人を教える余裕があるかどうかを考えているのだろう。
グロディウス商会の会長、マダレム・セイメ中央議会の議員、西
部連合の外交官、傭兵部隊の隊長と軍師、都市政治の相談役と言っ
た普通のヒトでは絶対に過労で倒れる量の仕事を兼任している私程
では無いとはいえ、彼女も自身の商会に議員職、軍需物資と兵站の
確保と、決して暇なヒトではないからだ。
だがそれでも私としては彼女自身に二人の教育を施してもらいた
いと思っている。
﹁ソフィール。貴様の教育方針はどんなものだ?﹂
﹁少なくとも自分の家族や友人、師匠だからと言って、看過しては
ならない事まで見逃すようなヒトにはなってほしくないわね。それ
こそ、必要なら私を処刑場に送るぐらいの判断が出来るほどに﹂
﹁つまり、西部連合の頭になることを彼女が選ぶのなら、お飾りの
旗印にさせるつもりはないというわけか﹂
﹁お飾りの象徴にしたら、シチータの二の舞だもの。失敗すると分
かっていて、同じ轍を踏ませる気はないわ﹂
﹁しかしそうなると⋮⋮確かに下手な人間を教師役として向かわせ
るわけにはいかないな。そんな私心の無い人間は滅多に居ない﹂
﹁けれど、特定の家族や集団だけを頼りにするような真似をすれば、
必ず第二第三のノムンが現れる事になる。そんな事を許す気は無い
わ﹂
何故なら、私が求めるような教育を確実に施せるのは、私の知る
限りではティーヤコーチと言う男装の麗人の他、僅か数人しか居ら
ず、マダレム・セイメに居る人材に限れば彼女の他に居ないからだ。
それとだ。
﹁それと、私の屋敷と商会の中で、二人に歳が近くて、一緒に居さ
せても大丈夫だと言い切れる人物があまり居ないというのも悩みの
1015
問題なのよねぇ⋮⋮﹂
﹁はぁ、つまりは私の娘を友人にしたいというわけか﹂
﹁そう言う事﹂
ティーヤコーチには十歳になる娘が一人居る。
比較的歳の近い彼女の存在は、セレーネにとっては良い影響にな
るはずだろう。
﹁それで、受けてくれるのかしら?﹂
﹁分かった。私自身が教育を施すとしよう。きっとこれも御使いト
ォウコ様と御使いシェーナ様の導きだろうしな﹂
﹁そう、申し出を受けてくれてとても嬉しいわ﹂
そうしてティーヤコーチはセレーネとリベリオに基本的な教育を
施す教育役になってくれた。
これで、北部三都市との交渉に赴いている間は心配しなくていい
だろう。
で、この日の私とティーヤコーチの話し合いは終わった。
1016
第182話﹁邂逅−9﹂︵後書き︶
男装のティーヤコーチ、女装のソフィール。
前者はともかく後者は⋮⋮半分以上趣味でしょうな。
08/10誤字訂正
1017
第183話﹁邂逅−10﹂
﹁ふうむ⋮⋮﹂
私は移動用に大きめに作った土の蛇の中で、今回の外交にあたっ
て西部連合が用意してくれた各種資料を読んでいく。
で、その資料によればだ。
今回私の交渉相手となるのは西部連合の中でも特に北の位置⋮⋮
アムプル山脈の麓に造られた三つの都市国家である。
最近の彼らは西部連合、南部同盟、東部連盟の争いに対して中立
を宣言しており、彼らが動き出した際、どうしても関わりを持つこ
とになる西部連合もそれを許容していた。
うん、この件については、私も彼らが中立であった方が都合が良
いと言う事で、裏で多少動いていたから知っている。
﹃ぎゃあああぁぁぁ!?﹄
﹃蛇だぁ!土の蛇が出たぞおぉぉ!!﹄
ただどうにも、最近その三都市の様子がおかしいらしい。
具体的には武器と食料をはじめとした各種軍需物資の収集に、城
壁や兵の強化、その他不穏な動きが認められたらしい。
と言うわけで、私に課せられた任務は北部三都市が何を考えてい
るのかを探り、彼らが愚かな振る舞いをしようとしているならばそ
れをあらゆる方法⋮⋮まあ、基本的には説得と威圧でもって止める
事であるらしい。
私
ふむ⋮⋮とりあえず今回の命令書を出した奴の名前は覚えておこ
う。
普通に考えたら、交渉役が捕えられ、死ぬことが前提の話だ。
当然私には死ぬ気なんて全く無いが。
1018
﹁おっ、獲れたわね﹂
私は先程進路上に居たからという事で、土の蛇が丸呑みにし、口
内で圧殺したヒトを食べつつ、どうやって北部三都市の狙いを探る
のかと、どのように交渉をするかを考える。
迂闊に探りと交渉を始めるわけにはいかない。
なにせ彼ら北部三都市は昔から同盟を組んでいるが、どの都市も
自分こそが一番だと思っているからだ。
なので、三都市のどれと交渉を始めても角が立つのは必定だろう。
となると⋮⋮やはり出立前から考えていた方法を取るしかないか。
﹁潜行開始ー﹂
私は土の蛇に指令を出し、地中深くを移動させ始める。
現在私が使っているこの土の蛇は、馬が全力で駆けるのと同じく
らいの速さでもって、私と核にしている魔石の魔力に問題が生じな
ラミア
い限り、半自動で地上と地中を移動し続ける事が可能と言う非常に
優れた代物である。
が、それと同時にシチータに何度も挑みかかった蛇の妖魔のソフ
ィアの象徴であるように扱われている代物であるため、間違っても
グロディウス商会のソフィールとの関わりを勘付かれないように注
意して扱う必要が有る代物でもある。
それでも便利には違いないので、こうして使っているわけだが。
なお、西部連合内では、個人用の高速移動魔法を持っていると言
う事で話は濁してある。
﹁と、そろそろいいかしらね﹂
そうこうしている内に、私が時折地上に出していた土の蛇の頭の
視界に目的地周辺の風景が見えてくる。
それと同時に周囲の空気を蛇の中に取り込んでみると、目的周辺
独特の異臭が臭ってくる。
どうやら無事に着いたらしい。
1019
﹁じゃっ、行きましょうか﹂
私は蛇の中で女性もののワンピースに着替え、胸に詰め物をし、
頭には顔を見られないようにするための黒い薄布を着けた帽子を被
ると、背中にハルバードと各種必要な品を詰め込んだ服を背負う。
これで、少なくとも西部連合グロディウス商会のソフィールだと、
一目で気づかれることはないだろう。
知り合いでなければだが。
そして、女性らしい歩き方でもって私にとっても因縁深い街の一
つ⋮⋮シムロ・ヌークセンへと足を踏み入れた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁モグモグ。昔よりも賑わっているわねぇ⋮⋮﹂
私は今や街全体の名物の一つと化した温泉卵を頬張りながら、夕
日に照らされるシムロ・ヌークセンの中をゆっくりと歩いていた。
街は湯治客で賑わい、多数の衛視と傭兵のおかげで治安も悪くは
ない。
目立たないようにしては居るが、見た目と雰囲気が美女丸出しな
私が、一度として絡まれていないのが良い証拠だろう。
ただやはりと言うべきか、傘下の三都市の影響か、何処となくピ
リピリとした空気のようなものも感じる。
﹁これも現総長の力かしらね﹂
そう、傘下だ。
かつてシムロ・ヌークセンを共同で管理するような立場にあった
北部三都市は、二十年前に﹃黄晶の医術師﹄の総長が彼女になって
以降少しずつ立場が変わっていき、今ではシムロ・ヌークセンこそ
1020
が北部三都市による同盟の実質的な盟主となっていた。
うん、恐ろしい。
何が恐ろしいって、卓越した医療技術とその技術に基づく各地有
力者との繋がり、ヘニトグロ地方各地からやってくる客が落とす金
銭、それらを組み合わせ、巧みに利用することによって、シムロ・
ヌークセンと言う不可侵の領域と、﹃黄晶の医術師﹄と言う流派に
属するだけでヘニトグロ地方全土で医療行為に従事することが許さ
れる状況を作り出した彼女の手腕が恐ろしい。
﹁⋮⋮﹂
正直、あの件が無くても、﹃黄晶の医術師﹄は今までに私が唯一
負けを認めた集団であるし、相手にしたくはない。
が、私に課せられた任務を成功させる方法の中で、一番成功率が
高いであろう方法は彼女と交渉し、味方に着ける事である。
﹁﹃黄晶の医術師﹄に用があるお客様はこちらにお並び下さーい﹂
﹁本日の診察は終わりとなりました。明日以降の予約はこちらで受
け付けております﹂
﹁まあ、頑張るしかないわね﹂
そうして私は陽が落ちるのに合わせて、﹃黄晶の医術師﹄の拠点
内へと忍び込んだ。
1021
第183話﹁邂逅−10﹂︵後書き︶
懐かしのシムロ・ヌークセンです
1022
第184話﹁邂逅−11﹂
﹁見つけたっと﹂
私が知っている﹃黄晶の医術師﹄の拠点内構造は40年以上前の
ものであるため、その後の増築された建物や解体された建物につい
ての記憶はない。
が、それでも私の探していた部屋はその頃とさほど変わらない位
置にあったため、それほど苦労せずに見つける事が出来た。
﹁⋮⋮﹂
私は隙間から明かりが漏れている木製の扉を軽くノックし、中か
ら返事が返ってくるのを待つ。
﹁入りな!﹂
少しだけ待っていると、中から入室許可する聞き覚えのある声が
聞こえてきたので、私は帽子を脱いだ上で部屋の中に入る。
﹁まったく、こんな時間に⋮⋮っつ!?﹂
﹁初めまして。と言う必要は無さそうね﹂
部屋の中に居た﹃黄晶の医術師﹄の現総長である老婆。
白い髪を短く切り揃え、清潔感を全身から漂わせる彼女の瞳は一
瞬驚きの色に染まり、直後の数瞬怒りと嫉妬の炎に彩られ、瞬き一
つ程の時間が経った後には何の感情も感じられないような瞳へと変
わっていた。
﹁まさかアンタが尋ねて来るとはねぇ⋮⋮土蛇のソフィア。いや、
私とアンタの仲ならクズ男とでも呼んだ方がいいのかね?﹂
﹁随分と懐かしい呼び方ね。リリア。ただ、何処にヒトの耳がある
1023
か分からないし、呼ぶなら今の名前であるソフィールで呼んでほし
いわ﹂
﹁妖魔が御使いの名を名乗るのかい。バレたら殺されるだけじゃ済
まないだろうね﹂
﹁バレなければ問題はないわ。それに御使いのソフィールじゃなく
て、グロディウス商会のソフィールだもの﹂
﹁グロディウス商会ねぇ⋮⋮まあ仕事には誠実か﹂
﹁ついでに言えば、今は西部連合の正式な使いよ﹂
﹁⋮⋮﹂
私は部屋の中に入ると、今回の交渉相手であるリリアが視線だけ
で示した椅子へと腰かける。
そして、荷物の中から私が西部連合の正式な使いである事を示す
書状を投げ渡す。
勿論、この間リリアへの注意は一瞬たりとも怠らない。
私と彼女の関係を考えたら、少しでも隙を見せたら攻撃されるだ
ろうし。
﹁それで、こんな時間に事前の通達も無く押しかけた理由はなんだ
い?今更ヒーラの行方が分かったとでも言うつもりかい?﹂
﹁ヒーラの事は貴女ならもう理解しているでしょう。その為だけに
﹃黄晶の医術師﹄の地位を今の場所にまで押し上げた貴女なら﹂
﹁ふんっ⋮⋮分かっているなら、本題をとっとと言いな。本音を言
うなら、私は今すぐにでもアンタの事を縊り殺してやりたいぐらい
なんだからね﹂
書状を確認したリリアは私の事を睨み付けつつ、魔石と思しき石
が填め込まれた腕輪を付けた腕をこちらに向けている。
が、私に攻撃をするなら本命はそちらではないだろう。
彼女の情報網なら、私には生半可な攻撃が通用しない事ぐらいは
理解しているはずだ。
ただ、何時までも皮肉を言っているわけにもいかない。
1024
なので、私は本題に入ることにする。
﹁本題ね⋮⋮何故北部三都市⋮⋮ああいや、シムロ・ヌークセン傘
下の三都市は戦争の準備を始めているのかしら?﹂
﹁西部連合に合流し、南部同盟に対抗するため。と言ったら納得す
るかい?﹂
﹁それだけじゃ納得はしづらいわね。西部連合に入るという打診も
受け取っていないようだし﹂
﹁ほぉ⋮⋮そうなのかい﹂
私の言葉にリリアは邪悪な笑みを浮かべる。
なお、西部連合が北部三都市から連合入りの打診を受け取ってい
ないのは事実だ。
移動中に別に放っておいた土の蛇を本部の方に送り、盗み聞きさ
せておいたから。
勿論私の移動速度が速すぎて、その情報が伝わる前にこの場に辿
り着いてしまった可能性もあるが⋮⋮リリアの表情からして違いそ
うだ。
﹁やれやれ、ヒトよりも妖魔の方が信頼がおけるとは世知辛い世の
中だねぇ。けれどそうかい。そう言う事かい﹂
リリアが笑みを深めていく。
これはまあ⋮⋮もしかしなくてもそう言う事なのだろう。
リリアが総長になってから二十年、既に齢は六十を超えている。
そんな彼女を厄介に思う勢力は決して小さいものではないだろう。
﹁ソフィア。ノムンは最近、南部同盟の勢力圏下に居る﹃黄晶の医
術師﹄の魔法使いを拘束、本部の私たちとの交流を断たせるように
動いているという話は知っているかい?﹂
﹁ソフィールと呼んで⋮⋮ああいえ、その話は初耳ね﹂
そして南部同盟の方では﹃黄晶の医術師﹄の魔法使いを拘束する
1025
動きが始まっている⋮⋮か。
リリアが西部連合にシムロ・ヌークセンを入れようとしたのは、
その南部同盟による拘束の動きが原因だろうけど、リリアの意思は
西部連合にはうまく伝わっていない。
となると、傘下の三都市がどういう動きをしているかだけど⋮⋮。
﹁ふうむ⋮⋮自分たちの権力保持とシムロ・ヌークセンとの立場逆
転。その辺りが南部同盟に味方する対価ってところかしらね﹂
﹁愚かとしか言いようがないね。北と南の二方から同時に襲い掛か
ると言う事に表向きはなっているんだろうけど、間違いなくただの
捨て駒だよ﹂
まあ、私とリリアが同じ結論に辿り着いた事から分かるように、
傘下の三都市の裏では十中八九南部同盟が裏で糸を引いているだろ
う。
﹁けれどまあ、そうと分かったなら話は早いね。今伝令に関わって
いる連中を軒並みシメて、別の伝令を出せばいい﹂
﹁出来ればシメるだけじゃなくて、三都市の有力者との会談の場を
設けて欲しいのだけど⋮⋮﹂
﹁何言ってんだい。シメるのは⋮⋮﹂
と、そこまで話が及んだ時だった。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁﹁!?﹂﹂
部屋の窓と扉から全身黒装束の何者かが複数侵入してきたのは。
1026
第184話﹁邂逅−11﹂︵後書き︶
ババリリアの登場でございます
1027
第185話﹁邂逅−12﹂
﹁⋮⋮﹂
部屋の中に侵入してきた黒装束の連中はその手に黒塗りの短刀を
握り、それぞれの侵入口から私とリリアに向かって真っ直ぐに迫っ
て来ていた。
それに対してリリアは一瞬自分の背後に目配せしつつも、私に向
けていた右手を力を貯めるように握り込んでいた。
そして私も、椅子に座っていた状態から跳ね上がると、空中で回
転して部屋の中の状況を確かめる。
﹁こいつら専門家ね﹂
部屋の中に侵入してきた黒装束の連中は全員合わせて五人。
扉の方から三人で、窓から二人だ。
彼らにとって私の存在は予想外なはずだが、私が脚の力だけで飛
び上がるという真似を見せても、その動きに迷いは感じられない。
つまり彼らは要人暗殺の為の訓練を積んだ、暗殺者と言う事にな
るのだろう。
パラライズ
﹁麻痺!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
そうして私が宙に浮いている一瞬の間に状況は大きく変化する。
私が座っていた椅子も巻き込むように、リリアの手から黄色い稲
妻のようなものが発せられ、扉の方から部屋の中に侵入してきた三
人の黒装束の胸を撃ち抜く。
それだけで三人の黒装束は全身を勢いよくエビ反り、痙攣、倒れ
始める。
1028
﹁まっ⋮⋮﹂
﹁﹁!?﹂﹂
三人の無力化を確信した私は両手の爪に染み込ませるように昏睡
毒を生成する。
そして宙に居る私を突き刺そうとした短剣を身を捩って回避する
と同時に、両手の爪で浅く黒装束の布を切り、その下に有る皮膚を
傷つける。
それだけで二人の黒装束は動けなくなり、意識を失ってその場に
倒れ込み始める。
土
﹁気を付ける相手は違うわね﹂
﹁おやっ?﹂
で、着地と同時に胸の詰め物に仕込んでおいた魔石を起動。
忠実なる蛇を発動し、服の背中を突き破って現れた土の蛇によっ
て、私の背中に向けてもう片方の手を向けていたリリアの腕を絡め
捕る。
﹁これは何のつもりだい?クズ男﹂
﹁それはこっちの台詞よ。リリア﹂
﹁私は連中に魔法を掛けようとしただけなんだけどねぇ﹂
﹁私の反応が早かったからよかったけど、何の躊躇いもなく私も巻
き込むように魔法を撃ったヒトが言う台詞じゃないわね﹂
私はリリアの腕を締め付ける力を弱めない。
見た目は枯れ木のような腕であるにも関わらず、まるで衰えと言
うものとは無縁のような力を秘めているのを感じ取れたからだ。
﹁私はヒーラを食ったアンタを決して許す気はない﹂
﹁許さなくて結構よ。私は私の意思でもってヒーラを食べたんだも
の。他人は関係ない﹂
﹁私はアンタを殺す為に四十年以上研鑽を続けてきた﹂
1029
﹁お生憎様。研鑽を積んでいるのは貴女だけじゃないわ。私だって
自分の事は鍛え続けていた﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
私とリリアから発せられる魔力を含んだ気配に、部屋中の空気が
張り詰めていく。
﹁はぁ⋮⋮悔しいけれど、私じゃあアンタには届かないか。シチー
タのようにはいかないもんだねぇ﹂
﹁アレを目指す対象にするのは間違っているわ。と言うかあの領域
にただのヒトが行き着けたら、そちらの方が問題よ﹂
﹁おまけにアンタと協力した方が、私たち﹃黄晶の医術師﹄にとっ
ては色々と良い点があって、今後の為になるって言うのが本当にね
ぇ⋮⋮﹂
﹁それについては一部のヒトが愚か過ぎるのよ⋮⋮﹂
リリアの腕から力が抜けるのに合せて、私も土の蛇による拘束を
緩めていく。
﹁はぁ⋮⋮本当に世も末だねぇ⋮⋮親友の仇の方が、どこぞでふん
ぞり返っている馬鹿どもよりも話が通じる上に頼りになるだなんて﹂
﹁重ね重ね言うけど、一部のヒトの頭が残念過ぎるのよ。私だって
こんなに表だって動く時代が来るとは思わなかったわ﹂
リリアが椅子に深く腰掛け、何歳か一気に歳を取ったかのように
溜息を吐く中、私は黒装束たちの衣装を全て剥いだ上で拘束をして
いく。
勿論拘束の際には、自殺防止として口の中に何かを潜ませていな
いかを確かめた上で、猿轡を噛ませる。
これで魔石なしに魔法を使えるようなヒトでもなければ、自分た
ちの口を封じる事も、逃げる事も不可能だろう。
﹁それでリリア。こいつ等はどうするの?﹂
1030
﹁どうすると言われてもねぇ⋮⋮こいつ等はどう見ても専門の訓練
を受けたプロ。尋問や拷問をして口を割らせようと思っても、相当
の手間暇がかかるだろうし⋮⋮まあ、幾つかの危険な薬の実験台に
使った上で処分かねぇ﹂
﹁意外とエグいわね⋮⋮﹂
拘束が完全に終わったところでリリアに彼らをどうするか聞いて
みたところ、意外とエゲツない返事が待っていた。
いやまあ、未知の薬草の効能や魔法の効果を調べる上で、どうし
ても人体実験じゃないと分からない事もあるんだろうけど、それに
したってエグイ。
ああいや、そのエグさでもって口を割らせようとする意志もある
のかもしれないけどさ⋮⋮。
﹁一応聞いておくけど、その実験とやらと彼らについての情報だっ
たらどっちの方が重要なの?﹂
﹁そりゃあ情報の方さ。実験については、必要なら死刑判決を受け
た犯罪者でもいいんだからね﹂
﹁なるほどね。だったら⋮⋮﹂
私はリリアに耳打ちして伝える。
妖魔が獲物を生きたまま丸呑みにする事によって、相手の記憶を
奪えるという情報を。
﹁ほぉ⋮⋮いいだろう。なら、包み隠さず話す事を条件に、私は今
日襲撃なんてされなかった事にしようじゃないか﹂
﹁感謝するわ。リリア﹂
私の情報にリリアは再び黒い笑みを浮かべる。
そして私も黒い笑みを浮かべた状態で、拘束されている彼らの方
を向く。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
1031
﹁ま、出来るだけ苦しまないようにはしてやるわ﹂
彼らの目は何をする気だと言わんばかりにこちらを睨み付け、何
をされても話す事はないという覚悟の色も秘めていた。
だが残念。
﹁じゃっ、いただきます﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
彼らがどれほどの決意と覚悟を有していようが関係はない。
ラミア
私と言う、ヒトを生きたまま丸呑みにすることにより、ヒトの記
憶を奪い取れる蛇の妖魔にとっては。
1032
第185話﹁邂逅−12﹂︵後書き︶
当然ですが、隙が有れば殺そうと思う程度には仲が悪いです
1033
第186話﹁邂逅−13﹂
﹁と言うわけよ﹂
﹁なるほどねぇ⋮⋮﹂
蝋燭の明かりで室内が照らされる中、私はリリアに黒装束たちか
ら得られた情報を一通り話す。
﹁アンタが単独で先行してくることを見越して、予め暗殺者をシム
ロ・ヌークセンに潜ませておき、アンタが到着した日に私を殺す。
下手人がグロディウス商会の人間であるような証拠を僅かに残して﹂
﹁ええ、そうしてシムロ・ヌークセンと傘下三都市は西部連合と都
市全体で敵対させ、後は事前の打ち合わせに従って南部同盟と調子
を合わせて二方から同時に攻めかかる。私や貴女が普通のヒトだっ
たら、見事に嵌っていた策だったわね﹂
そうして話し終わったところで、私は改めて黒装束たちが持って
いた装備品類を改める。
うん、間違いない。
彼らが持っていた黒塗りの短刀は、光の反射を防ぐために黒の塗
料が塗られている点を除けば、グロディウス商会が製造販売してい
る短刀そのものだ。
そして短刀だけならば私に責を押し付けるために持ってきたもの
と採れるが、短刀以外にも、彼らがグロディウス商会に所属してい
る様に見せかける物品が複数存在していた。
これでリリアが殺されていたら⋮⋮いや、リリアが殺されていな
くても、前々からの私の戦場での戦い方や、一部の対立者が妙な消
え方をしている事を考えたら、私に言い訳の余地はないだろう。
リリアを殺した後には私も口封じで殺すつもりだったようだしね。
1034
﹁まあ、この程度で決着が付けられる程、西部連合と南部同盟に戦
力差があるわけでは無いし、南部同盟にとってシムロ・ヌークセン
はただの捨て駒でしょうね﹂
﹁だろうね。南部同盟にしてみれば、協力者含めて、私たちは全員
死んでくれた方が都合がいいに決まっている﹂
﹁ま、諸々の想定外が重なった結果がこれだけどね﹂
ただまあ、彼らもまさかと言う思いだっただろう。
着いたその日に私がリリアと会合していて、リリアが簡単に殺せ
るような弱いヒトでなくて、挙句に私がヒトではなく蛇の妖魔で、
拷問に対する覚悟も何も無意味だったのだから。
ここまで彼らにとっての想定外が重なったであろう事を考えると
⋮⋮ちょっと笑えてくる。
﹁で、アンタが今書いているそれは、そう言う事なのかい?﹂
﹁ええ、そう言う事よ。裏取りは後で別にやる必要はあるけれど、
目星を付けるのには丁度いいでしょうね﹂
さて、彼らがどういう目的で動いて居たか分かったところで、私
は荷物から筆記用具を取り出すと、とある名前を書き連ねていく。
﹁南部同盟と何かしらの都合があること自体は問題ないわ。そこか
ら引きずり出せる情報があるし、相手を説得するのにも使えるから﹂
﹁けれど此処まであからさまに反逆行為を働いたらねぇ⋮⋮流石に
見過ごすのは無理だね﹂
﹁まあ、きちんと一世一代の大博打だと理解して協力していたなら、
まだ可愛げもあるし、協力の度合いによっては温情の余地もあるん
じゃない﹂
﹁ふんぞり返っているだけの奴なら、誰が何と言おうとも実験台行
きで決定だけどね﹂
それは黒装束の協力者として、彼らの活動を手伝っていたヒトの
名前と所属の名簿。
1035
中には傘下三都市の中でもかなり有力な者も含まれていた。
﹁ん?その名は⋮⋮それにもう一本書くのかい?﹂
﹁誰が信用できないかは分かっていても損はないでしょう。後こっ
ちのはウィズ⋮⋮義理の息子に送るものよ。西部連合内の事は、出
来るだけ西部連合の中で片づけた方がいいわ﹂
そして、西部連合内のヒトの名前も含まれていた。
これをウィズに送って対応させたなら⋮⋮まあ、中々に愉快な事
になるだろう。
﹁ほいっと﹂
二本目の名簿を無事に書き上げた所で、私は魔石と一緒に名簿を
スネーク
ゴーレム
窓の外に放り投げる。
そして忠実なる蛇の魔法を発動。
土の蛇の中に名簿を入れると、マダレム・セイメに向けて地中を
移動させ始める。
﹁流石は土蛇のソフィアと言いたいところだけど、大丈夫なのかい
?﹂
﹁心配しなくても大丈夫よ。地中にある大きな流れを利用すれば、
私の魔力は殆ど必要ないわ﹂
﹁流れ?﹂
﹁詳細については話す気はないわ﹂
私はリリアの魔法使いとして気になるという視線から顔を背けつ
つ、頭の中でヘニトグロ地方の何処に土の蛇を配置してあるのかを
思い浮かべ、そこに先程の一匹についての記憶も書き加えておく。
ヘテイルの方⋮⋮キキとは別の流派の魔法使いの思想にある地脈
と言うものを利用して、土の蛇を維持するために必要な魔力を極限
にまで削っているとは言え、私が存在を忘れたら終わりなのは変わ
りないからだ。
1036
なお、この考え方については、割と私にとっても重要なのでリリ
アには話さないでおく。
﹁ま、いいわ。それよりもいい加減に本来の目的を果たしてしまい
ましょうか﹂
﹁ん?ああ、そう言えばそうだったね﹂
そうして私たちは今後について話し合うと、翌日から早速動き出
した。
そして私たち二人の動きによって北部三都市は多少の粛清を行っ
た後に西部連合に合流。
西部連合でも、ウィズたちを中心とした私が信頼を置けると判断
していたヒトたちが動きだし⋮⋮私がマダレム・セイメに帰った一
月後には、南部同盟と良くない繋がりを持っていた者たちは軒並み
排除されることになったのだった。
﹁ところでソフィア。アンタは私が裏切ると思っていないのかい?﹂
﹁アンタが事を起こした場合、裏切るだなんて言わないでしょ。元
々そう言う関係なんだから。そして、事を起こすなら今じゃない。
私を使って上げられるだけの利益を上げてから、逃がさず、確実に
殺せるだけの準備が整えてから事を起こす。違う?﹂
﹁ほーお⋮⋮言ってくれるじゃないか⋮⋮根拠は?﹂
﹁貴女が﹃黄晶の医術師﹄の地位をここまで上げたヒトだからよ。
リリア﹂
なお、リリアにはセレーネとリベリオの事は話しておいた。
万が一に備えておくためである。
1037
第187話﹁ロシーマス−1﹂
ソフィア主導による西部連合内の粛清が行われた頃。
マダレム・シーヤから南に下った場所にあるマダレム・サクミナ
ミと言う都市国家にて。
﹁い、以上が報告となります﹂
マダレム・サクミナミは同盟の盟主がノムンに代わってから造ら
れた新興の都市であり、今では南部同盟の首都と呼ぶべき街である。
当然、首都と呼ぶべき街であるから、その街並みは美しく整えら
れている。
そして、今や王と呼ばれる存在となったノムンの嗜好に合わせる
ように、戦いの拠点として非常に優れた造りにもなっていた。
だが、そんな華麗にして堅牢な都の中でも一際目を惹くのが、ノ
ムンが自らの住まい兼執務の一切を取り仕切る場として作り上げた
屋敷⋮⋮否、城とでも呼ぶべき代物だった。
﹁こ、琥珀蠍の魔石だと⋮⋮失われたはずでは⋮⋮﹂
﹁フムンの娘が存在していただと⋮⋮だが、そんな話は⋮⋮﹂
﹁くそっ、西部連合内に居た駒が次々に始末されているだけでも頭
が痛いというのに⋮⋮﹂
﹁また奴だ!ソフィールだ!一体何なのだ奴は!﹂
そんな城の中では、華美な衣服や鎧を身に着けたヒトが一つの部
屋に何人も集まり、集まっていた面々の大半が伝令の言葉に困惑し、
混乱し、喚き散らしていた。
己の身勝手な欲望を、西部連合とソフィアへの恨み言を、今回の
件の責任者への罵詈雑言を、己の保身を図るための言葉を。
1038
﹁静まれ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
だがそんな彼らが一瞬にして静まりかえる。
部屋の中でも一段高くなった場所に置かれた豪勢な椅子に座るそ
の男の一言でもって。
﹁ノ、ノムン王様⋮⋮﹂
﹁余に同じ言葉を二度言わせる気か?﹂
﹁も、申し訳ありません﹂
黒い髪に橙色の目を持つその男の名はノムン。
南部同盟の現盟主であり、王として周囲の者から畏れ敬われる男
である。
﹁まったく。お前たちは一体何を恐れているのだ?﹂
ノムンは部屋の中を一度ぐるりと見回す。
それだけで、先程まで感情のままに騒ぎ立てていた者たちは悉く
その身を恐怖で震わせ、今まで一言も発さずに場を窺うだけだった
者たちは威圧感でその身を竦ませる。
ノムンの言動に何でもないかのように居られたのは、ノムンの近
くに居た極々僅かな者だけだった。
兄
﹁考えてもみよ。フムンの娘と言えば、確かに聞こえはいいかもし
れない。だが、その実態は余よりも弱き者だった兄よりも更に脆弱
な小娘が、周囲の者に利用されているとも知らずに踊らされている
だけだ。何を恐れる必要が有る?﹂
だが、ノムンはそうやって怯える者たちを無視して、話を続ける。
﹁考えてもみよ。身につけた者を自ら守る琥珀蠍の魔石と言えば聞
こえはいいかもしれない。だが、実際には一切の加工が出来ず、所
有者の意思とは関係なしに動き続け、身を守る事しか出来ない出来
1039
損ないの魔石だ。どうしてこんな役立たずを怖れる必要が有る﹂
低く、落ち着いた声で、己が何を考えているかを、心の奥底で理
解できるように話す。
﹁西部連合で内乱を起こすのに失敗した?あんな物成功すればそれ
でよし。失敗した所で大して懐が痛む事も無い嫌がらせ程度の策だ。
それが潰された程度で、余の道、余の目的が阻まれるとでもお前た
ちは思っているのか?﹂
真に畏れるべきは誰であるのか。
頭を垂れ、敬い、忠義を尽くさなければならないのはいったい誰
であるのか。
それをこの場に集っている全員に理解させるかのように語る。
﹁さて、これでもまだ騒ぎ立てようと思う者は居るか?居るなら出
てくるといい、余が直々にその者を落ち着かせてやるとしよう﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
ノムンの言葉に応える者は居ない。
ノムンの落ち着かせるという言葉の意味を、彼らが正確に理解し
ていたために。
﹁しかし、ソフィール⋮⋮か。以前にもその名は聞いた覚えがある
な。何者だ?﹂
ノムンの言葉に応じるように、部屋の中に居た男の一人が手を挙
げ、ソフィアについて分かっている事を語る。
﹁なるほど。実に興味深く⋮⋮厄介な男だ﹂
男の話を聞いたノムンは、口を弧の形に歪めると共にその目を細
める。
ただそれだけで普通のヒトは威圧され、顔面を青ざめさせていく。
だが、今のノムンにとって、周囲の者たちがどうなっているかな
1040
ど、大した問題では無かった。
﹁そのソフィールとか言う男。間違いなく琥珀蠍の魔石が失われた
件にも、兄の娘が今まで誰の目にも触れなかった理由にも関わって
いるな。いや、そもそもとして奴が作り上げたグロディウス商会自
体が、兄の娘を神輿にするべく作り上げられた組織と見るべきか。
なるほど、有象無象の輩と一緒に考える事は辞めるべきであるな﹂
今のノムンにとって重要なのは、ソフィアと言う他の敵とは一線
を画す可能性がある敵をどう処分するかだった。
﹁ロシーマス⋮⋮﹂
﹁はっ!﹂
ノムンが片手を挙げながら、一人の男の名を呼ぶ。
すると、ノムンの近くで顔色一つ変えずに立っていた鎧姿の男⋮
⋮ロシーマスがノムンの正面に移動し、片膝と片手を着いた状態で
ノムンの顔を正面から見る。
﹁貴様にソフィールと言う男の首級を上げる事を命じる。七天将軍
二の座に恥じぬ働きを見せよ﹂
﹁はっ!かしこまりました!必ずや陛下の御前にソフィールの首を
お届けいたしましょう!﹂
そして、ノムンの命によって、南部同盟の軍部において王である
ノムンの次に多大な権力を有する七天将軍の一人、ロシーマスがソ
フィアの命を狙って動き始めた。
1041
第187話﹁ロシーマス−1﹂︵後書き︶
琥珀蠍の魔石をどう見るかは、意外とヒトによって異なるものなの
です。
1042
第188話﹁ロシーマス−2﹂
﹁以上が報告となります﹂
﹁ご苦労様。いやー、まさか北部三都市との交渉に赴いたら、西部
連合全体の粛清が出来るとは思わなかったわぁ﹂
マダレム・セイメに帰ってきた私は、ウィズから私が居ない間に
起きた事の報告を受け取っていた。
﹁まったくです。父上から突然書状が届いたことはともかく、まさ
か西部連合の誰が南部同盟と繋がっているかなどと言う特大の爆弾
を押し付けられるとは思いませんでしたよ﹂
﹁ふふふふふ。でもウィズ?﹂
﹁ご安心を、南部同盟と繋がっていると言うだけで、粛清の対象に
するようなことはしませんでした。全員が全員好きで繋がっていた
わけでもなければ、西部連合を裏切っていたわけでもありませんか
らね。それに、処分のし過ぎで、余計な怨みを買うのもよく有りま
せんしね﹂
﹁よろしい﹂
実を言えば、今回の件はウィズに課している私の跡を継ぐための
勉強として活用していたの。
が、どうやらウィズは私が求める結果をきっちり出してくれたら
しい。
うーん、義理とは言え、息子の成長が感じられるのは嬉しいもの
である。
﹁それよりも父上。今回の件がどういう事か分かっていますか?﹂
﹁分かっているから安心しなさい﹂
ただ懸念事項もある。
1043
それは今回の策を立案し、実行役に指示を出した存在⋮⋮七天将
軍の一人、諜報を専門とする男、リッシブルーとその配下たちだ。
彼らについては私の手元にもそれほど多くの情報はない。
今回の黒装束たちから得られた情報にしても、彼らがリッシブル
ーの配下の一人を責任者とした末端の実行部隊である事や、彼らが
今までにどういう活動を行い、どこに拠点を持っているか、彼らの
組織がどのような構造になっているかぐらいである。
その組織構造は⋮⋮うーん、﹃闇の刃﹄の懲罰部隊が一番近いか。
末端の構成員は一緒に行動する仲間と直上の指示役しか知らず、
直上の指示役もごく限られた範囲しか構成員を知らないという厄介
な形態である。
で、彼らの何が問題かと言えば⋮⋮
﹁今回の策は私がどういう風に動くかをよく考えた上で、綿密に計
画された策だった。つまり、私を消すのも目的の一つだったという
事でしょう﹂
彼らが私の思考を読んでいると言う点が問題なのだ。
﹁そうです。それで⋮⋮﹂
そう、私が北部三都市との交渉に赴くまでは良い、それは今回処
分した連中を利用して、命令を出せばいいのだから。
問題は私が北部三都市を無視して、シムロ・ヌークセンに居るリ
リアの元に向かう事を読まれていた点だ。
あの時は深く考えなかったが、これは私の思考と手口をよく知り、
どう動くかを読まなければ、打てない一手のはずである。
これは色々と裏で策を練るタイプの私にとっては相当に拙い事で
ある。
﹁何もしないわ﹂
﹁はっ?﹂
1044
が、そうと分かっても、私が彼らに対して何かをする事はない。
今はまだその時ではないからだ。
﹁何もしないと言ったの。リッシブルーとその部下たちについては、
一先ず放置するわ﹂
﹁いいの⋮⋮ですか?﹂
﹁ええ、それで構わないわ。だって⋮⋮﹂
何故か。
相手の諜報組織の全容が把握できていないというのが最大の理由
ではあるが、彼らを潰すメリットよりもデメリットの方が現状では
大きいと言うのもある。
そう、迂闊に潰そうとすれば、生き残った者が組織を再建してし
まう。
そして、生き残った者がある程度優れた者であれば、再建された
組織は潰された反省から、以前の組織よりも強固で強力なものにな
るだろう。
しかも今回の場合は、各種事情からノムンと言う強力な最高権力
者を残さざるを得ない。
とまあ、ここまで分かっているのだから⋮⋮まあ、現時点では組
織の全容を把握するにとどめ、潰したい時に潰せるように、利用し
たい時に利用できるように、準備を整えておくのが限度である。
で、その辺りの事をウィズに話したところ。
﹁やはり私は精進不足ですね。難敵であるからこそ潰さないでおく
と言う手もあるのですか﹂
と、目を輝かせながら言って来たのだった。
まあ、難敵は早くに潰すというのも間違いではないし、普通はそ
うするべきだと私も思うけどね。
﹁ま、諜報と政治関係についてはここまでにしておきましょうか。
1045
そろそろ暇そうにしてきているし﹂
﹁え、あ⋮⋮そうですね。では、セレーネ様とリベリオの教育具合
についての話をしますね﹂
さて、リッシブルーについてはこのぐらいにしておくとして、あ
る意味ではリッシブルーやノムンよりも更に厄介で重要な問題につ
いてである。
それはセレーネとリベリオの教育。
私が北部三都市の方に赴く前に、ウィズ、ティーヤコーチ、シェ
ルナーシュの三人に任せたわけだが⋮⋮さてどうなったのだろうか?
﹁まず基本的な読み書きと四則演算につきましては、お二人ともほ
ぼマスターされました。どうやらシスターの教育が良かったようで
す﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁魔法については⋮⋮﹂
ウィズの視線が部屋の椅子の一つで暇そうにしていたシェルナー
シュに向けられる。
﹁魔法については基本的な知識は既に教えた。今はリベリオについ
ては例の魔法の制御訓練。セレーネについてはどのような魔法が世
の中にあるのかと言う話をしている﹂
﹁なるほど。確かにそれは教えておいて損はないわね﹂
どうやらセレーネもリベリオも、私の想像以上に頑張っているら
しい。
これは良い傾向と言えるだろう。
﹁それで魔法以外についてですが⋮⋮﹂
後は⋮⋮彼女たちが他に何を学びたいと思い、それについてウィ
ズたちがどうしたかである。
1046
第188話﹁ロシーマス−2﹂︵後書き︶
この時点でお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、口に出し
てはいけませんよ。ええ
1047
第189話﹁ロシーマス−3﹂
﹁久しぶりね。セレーネ﹂
﹁ソフィールさん﹂
ウィズたちから報告を受けた私は、その足で一人部屋の中で本を
読んでいたセレーネの元に向かった。
セレーネが読んでいた本は⋮⋮ティーヤコーチが書いた商売の基
礎に関する本か。
最近は何処かの名も無き騎士の活躍について記した本とか、それ
に似たお伽噺なんかをまとめた本が良家の子女の間で少しずつ流行
り始めていると言う話で、セレーネも性格的にはそう言った物語を
好みそうな気もするが⋮⋮セレーネは別の道を望んだらしい。
﹁ウィズに聞いたわ。貴女もリベリオも凄く熱心に勉強をしている
らしいわね﹂
﹁はい。マダレム・セイメに来て、ウィズさんやティーヤコーチさ
んに色んなことを教わって、私なりに考えた事もあるんです﹂
﹁そして、その考えた事を実現するためには、もっといろいろな事
を学ばなければいけない。と﹂
﹁はい﹂
私は適当に椅子を持ってくると、セレーネの前に座る。
リベリオはウィズの監督下で、私が雇っている傭兵たちから戦い
の訓練を受けているため、部屋には居ない。
まあ、この先の会話はリベリオに聞かせる意味は現状ではないの
で、問題はないが。
﹁セレーネ。貴女は何を目指しているの?﹂
﹁私は⋮⋮西部連合の盟主に⋮⋮いえ、ヘニトグロ地方全域を治め
1048
る王を目指しています﹂
﹁それは何故?﹂
﹁もう、レーヴォル村のような⋮⋮あんな沢山のヒトが倒れ、苦し
み、悲しむような出来事を起こしたくないからです﹂
﹁ヘニトグロ地方全体の王になると言う事は、その道中、場合によ
っては王になってからも、あの村で起きた惨劇を自らの手で造り出
す事もあるのよ。それは分かっているの?﹂
﹁分かっています。分かった上で言っています。そんな事が起きた
シチ
時には、誰が何と言おうとも、私にも少なくない責があることも分
かっています﹂
ータ
セレーネは私の目を真正面から堂々と、一切臆することなく、祖
父譲りの橙色の瞳で見つめている。
それにしても、王と言うものが言う程良いものでない事を極一部
とはいえ理解した上で、王になりたい⋮⋮か。
私個人としては後三年程待って、大人になってから迎え入れるべ
きだと考えていたのだけれど⋮⋮これも血の成せる業なのかしらね
ぇ⋮⋮。
正直、嬉しいのと同じくらい悲しくなってくる。
﹁ソフィールさん?﹂
﹁ん?ああ、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけ﹂
しかしだ。
セレーネ自身が王になることを望むのであれば、私はそれを実現
するべく尽力するべきだろう。
他ならぬ私自身の為に。
﹁セレーネ。貴女は王になりたいと言った﹂
﹁はい﹂
﹁その為に必要なのは分かっているの?﹂
﹁私は⋮⋮みんなの⋮⋮ソフィールさんやティーヤコーチさん、そ
1049
れにマダレム・セイメ⋮⋮いいえ、ヘニトグロ中のヒトの支持が必
要だと思っています。御爺様と違って、私自身には戦う力はありま
せんから﹂
﹁では、その支持を集めるために必要なのは?﹂
﹁血筋、財力、権威、武力、仁徳、他にも色々とあると思っていま
す。私はそれがヒトの道に外れたものでない限りは全て使うつもり
です﹂
セレーネの目には迷いはない。
セレーネの言葉には誰かに言わされている気配はない。
全て自分で考え、悩み、その末で捻り出しているという事なのだ
ろう。
その意思の強さは、どことなくサブカを思い出させるものでもあ
った。
﹁そう。そこまでの覚悟があるなら、私は出来る限り貴女の助けに
なるわ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁一先ずは⋮⋮そうね。今貴女が学んでいるものに加えて、私が貴
女に弁論の手ほどきをしましょうか﹂
﹁弁論⋮⋮ですか?﹂
﹁確かに貴女には剣を振るう力はない、魔法を学ぶほどの時間も無
いでしょう。けれど、相手を論破し、味方を鼓舞し、中立の立場に
あるものを自分の味方にする事が出来る言葉の力なら、他の勉強と
並行して学ぶことも出来るし、貴女を助ける力にも確実になる。そ
れに何よりも⋮⋮﹂
だが現状ではセレーネは私に利用されているだけの存在としか周
囲に見られていない。
事実、私が居なければ、セレーネは今日一日生き延びられるかも
怪しいだろう。
しかし、彼女が求める未来はそれではやって来ない。
1050
仮にやって来たとしても、その末路はシチータの時と同じになる
可能性が高い。
だから学ばせる必要が有る。
﹁弁論を学べば、ただ口だけが達者な者とそうでない者を、貴女を
己の欲の為に利用しようとしている者とそうでない者を、貴女に本
心から忠誠を誓っている者とそうでない者を見極める助けにもなる
わ﹂
﹁はい﹂
誰が敵で、誰が味方で、誰が忌むべき者なのかを見極める術を。
﹁それじゃあ、早速準備を⋮⋮﹂
そうして私が準備をするために立ち上がろうとした時だった。
﹁あの、ソフィールさん。失礼かもしれませんけど、一ついいです
か?﹂
﹁何かしら?﹂
セレーネが真剣な目つきのまま、私に問いかけてくる。
﹁ソフィールさんの目的は何ですか?﹂
﹁平和な国を造ること。じゃ、駄目かしら?﹂
﹁駄目です。トーコさんたちが言っていました。ソフィールさんに
とって私を擁立して国を建てる事だけが目的ではないはずだって。
私もそう思います。だってソフィールさんはヒトではなく妖魔です
から﹂
﹁⋮⋮。全てを答える気はないわ。ただ一つ言うならば⋮⋮私はあ
の子の最後の願いを叶え続けなければならないという事よ﹂
私はセレーネの部屋を後にする。
そう、私は彼女の⋮⋮フローライトの最後の願いを叶えなければ
いけない。
1051
私らしく生きろという願いを。
その為にも平和な国は必要になる。
絶対に。
1052
第189話﹁ロシーマス−3﹂︵後書き︶
五十年近く前の約束に未だに縛られていたりします。
1053
第190話﹁ロシーマス−4﹂
セレーネが私の庇護下に入ってから二月後。
﹁セレーネ様。貴女様が目指される夢が現実のものになることを、
私も祈っております﹂
﹁ありがとうございます。私の持つ力のすべてを尽くして、必ずや
実現させて見せます﹂
テトラスタ教から正式な司祭たちが派遣され、セレーネはそれを
二月の間に覚えた礼儀作法と知識、そして生来の素質の全てを生か
す形でもてなした。
結果、どちらも本物なので当然ではあるが、セレーネが所有する
琥珀蠍の魔石は本物だと認められ、セレーネが琥珀蠍の魔石に認め
られた善きヒトである事も、テトラスタ教の司祭に認められた。
なお、この確認作業の際に、セレーネの護衛にしておいたシェル
ナーシュと、テトラスタ教の司祭たちの護衛を取り仕切っていたル
ズナーシュがうっかり、偶然、偶々、顔を合わせてしまい、親子漫
ざ⋮⋮ゴホン、一悶着を起こす事になったが、少なくとも南部同盟
の件が片付くまではシェルナーシュの味方をするとルズナーシュは
確約してくれたので、今後プラスの方向に話が進む事は有っても、
マイナスの方向に話が進む事はないだろう。
いやぁ、それにしてもルズナーシュが護衛部隊の隊長としてマダ
レム・セイメにやって来るなんてなぁ⋮⋮恐ろしい偶然もあったも
のである。ははははは。
まあ、この話はこれぐらいにしておくとして、セレーネがテトラ
スタ教の司祭に認められてから更に二か月後。
1054
﹁では、セレーネ様を私たち西部連合の王として迎える事に全員異
議なしと言う事でよろしいですね﹂
﹁問題ない﹂
﹁これからよろしくお頼み申します﹂
﹁はい。修行中の身ではありますが、精一杯頑張らせていただきま
す﹂
﹁セレーネ様バンザーイ!西部連合バンザーイ!ソフィール様バン
ザーイ!﹂
セレーネは西部連合の王として、満場一致で迎え入れられた。
すんなり話が通った理由としては、この議会の三か月前、シムロ・
ヌークセンと北部三都市の件で、阿呆が軒並み排除されていたとい
うのもある。
あるが⋮⋮それ以上にセレーネの血筋と思想、テトラスタ教司祭
の後押しと言う要素が、ヘニトグロ地方でも特にテトラスタ教が広
まっている西部連合で受け入れられた要因の一つでもある。
﹁ソフィールさん。その⋮⋮﹂
﹁心配しなくても、貴女の演説は素晴らしかったわ。それに、あれ
で目聡い者は気づいたはずよ﹂
加えて、議会で行った演説が12歳の少女とは思えぬほどに巧み
で立派だったという事もあるだろう。
勿論、私が文章を推敲し、演技の指導をしたと勘ぐるものも居る
だろうし、私が幾らか手助けをしているのも事実ではある。
だが、あの演説で目聡い者たちは気付いたはずである。
セレーネは私の傀儡ではない。
それどころか、一代で財を成し、西部連合の中枢にまでたった十
年で踏み込んできたグロディウス商会のソフィールと言う化け物を
御し、利用するつもりであるという事実に。
セレーネが語った理想は彼女自身のものであり、セレーネを王と
していただき、皆で協力すれば決して実現不可能ではないという事
1055
実に。
﹁でもそうなるとソフィールさんの方には⋮⋮﹂
﹁まあ、そう言うのが集まって来るでしょうけど。彼らは彼らで使
い道があるわ﹂
しかしながら、中には彼女の意思である事に気づかない者も居る
だろう。
表面ではセレーネを慕っていても、裏では彼女の事を妬み、蔑む
者も居るだろう。
己が利益の為に、力あるものとなったセレーネにすり寄ろうとす
る者も居るだろう。
﹁その⋮⋮出来るだけ悲しむヒトや苦しむヒトは出さないでくださ
いね﹂
﹁心得たわ﹂
そう言った存在が居るからこそ、現状ではセレーネの周囲はウィ
ズ、シェルナーシュ、トーコを含めた私が信用に足ると考えた人物
で囲うようにしている。
私に対する感情の良い悪いを無視して。
彼らが居れば、それこそ今この場で私が居なくなっても、ノムン
の寿命が尽きて南部同盟が内部崩壊を始めるぐらいまでは持ちこた
えてくれるだろう。
﹁セレーネ様ぁ!﹂
﹁あ、はい。今行きます!では、ソフィールさん。私はこれで﹂
﹁じゃあね。セレーネ﹂
﹁そこは⋮⋮﹂
﹁そうな⋮⋮﹂
ティーヤコーチの娘であるティーフレンに連れられる形で、私の
前からセレーネが去って行く。
1056
﹁なるべく⋮⋮ね。まあ、一般兵なんかは可能な限り生かしておき
たいわよね﹂
では、私の周囲に居る人材は?
実は使い潰しても惜しくない人材⋮⋮要は私に恩を売ろうとすり
寄ってきた輩や、内心ではセレーネを引き摺り降ろしたいと思って
いる者、他にも脛に傷を持っているような者の割合が多くなるよう
に集めるようにしている。
勿論、生き残れるだけの実力があるならば、生き残ってくれて構
わない。
セレーネを裏切らない限り、味方である事には間違いないのだか
ら。
﹁父上。こちらに居ましたか﹂
﹁あら、ウィズ。貴方がそこまで急いでいるだなんて、もしかしな
くてもそう言う事かしら?﹂
﹁ええ、父上が想像している通りです﹂
﹁じゃあ、急いで準備をはじめないといけないわね﹂
急いで走ってきた様子のウィズを横に従えつつ、私は自分の執務
室の方に向かう。
これから起きる事に備える為に。
そうして冬の二の月の半ばごろ。
﹁来たわね﹂
﹁⋮⋮﹂
リベリオを連れた私はマダレム・セイメの南東にある都市国家マ
ダレム・ゼンシィズへとやって来ていた。
そして、マダレム・ゼンシィズの城壁の上からは、平原に整然と
並ぶ南部同盟の軍勢が見えていた。
1057
第190話﹁ロシーマス−4﹂︵後書き︶
襲来です
1058
第191話﹁ロシーマス−5﹂
﹁敵の数はおおよそ二千。敵の総大将は旗の絵柄が新月を表す黒い
丸に風を纏った星である事からして七天将軍二の座ロシーマス。う
ーん、これは誘い出されたかもしれないわねぇ﹂
﹁えーと、ソフィールさんは見えているんですか?俺の目じゃほと
んど全部霞んで見えているんですけど⋮⋮﹂
﹁見えているわよ。そう言う魔法を使ってるから﹂
私はマダレム・ゼンシィズの城壁の上に立つと、南部同盟の陣地
の様相からおおよその兵士の数と掲げられている旗の模様を確認す
る。
少々特殊な魔法を使って大まかに確認しただけだが⋮⋮まあ、こ
の後に帰ってくる斥候の報告とさほど差はないだろう。
﹁ま、それよりもこちらの戦力はマダレム・ゼンシィズの守備兵を
含めて二千と三百。その内五百はマダレム・ゼンシィズの守りに割
かざるを得ないから実質千八百。つまり相手よりも一割ほど少ない
数で相手をしなければいけないわ﹂
﹁え?城壁を利用して戦わないんですか?﹂
まあ、私の魔法についてはさて置くとして、問題は彼らをどうや
って撃退、可能ならば撃滅するかである。
それもリベリオの言うような城壁を利用した戦術⋮⋮籠城と言う
手段を使わないでだ。
﹁そうね。マダレム・ゼンシィズのような堅牢な拠点なら、三倍ぐ
らいの兵力までなら凌げるし、そうやって私たちが凌いでいる内に
こちら援軍も着くでしょう﹂
﹁だったら⋮⋮﹂
1059
﹁けれどその間に連中は周囲の村々を荒せるだけ荒していくわ﹂
﹁!?﹂
確かに籠城と言う手段は、こちらの援軍が来る前提で用いるなら
ば、相手が余程の奇策か大量の人員と兵器を動員してこない限りは
有用な戦術である。
だが有用であるがゆえに、敵もこちらを外に引きずり出すべく、
様々な手を打ってくる。
そうやって敵が打ってくる手で一番問題になるのが⋮⋮略奪だ。
﹁今はセレーネが私たちの王になったばかりの時期。この時期にセ
レーネの後見人である私がこの場に来ていながら、周囲の村々を南
部同盟の略奪行為に晒したとなれば⋮⋮まあ、例えその後に勝てた
としても、何かとよろしくない事にはなるわね﹂
﹁⋮⋮﹂
略奪は厄介である。
ただ兵士を殺されるよりも遥かに多くの悪影響が全体に生じかね
ないし、敵の腹も満たされてしまうからだ。
だから、出来る限り早々に彼ら南部同盟の兵士にはお帰りいただ
くべきであり、それ故に籠城と言う策は用いる事は出来ない。
リベリオも略奪と言う行為には思う所があるはずなので、私が籠
城を選ばないのには納得してくれるだろう。
﹁で、本音を言えば奇襲、夜戦、その他諸々諸工作を行った上で出
来る限り一方的に敵をねじ伏せたい所なんだけれど⋮⋮と、ちょう
どいいところに来てくれたわね。センサト﹂
﹁出陣の準備整いました⋮⋮と、何の御用で?隊長﹂
と、ここで私の元に戦いの準備が整った事を伝えるべく、私を隊
長とする傭兵部隊の副隊長⋮⋮と言う名の実質的隊長であるセンサ
トがやってくる。
うん、実に丁度いい。
1060
呼びに行こうと思っていたところだったしね。
﹁センサト、脳き⋮⋮他の有力者たちは出陣を望んでる?﹂
﹁望んでますね。数が多少少ない程度、裂帛の気合と共に∼とかの
たまってましたよ。後はマダレム・ゼンシィズの守備兵を減らして
一緒に攻め込むとか、周りの村々から男手を集めて来るとか、そん
な意見が出てます。数が近いせいか籠城をしようと考えている奴は
少ないですね﹂
﹁なるほど﹂
センサトがマダレム・ゼンシィズの中に黒い瞳を向けながら、ど
こか呆れた様子で他の有力者たちの考えについて語る。
それにしても裂帛の気合とか⋮⋮ああうん、乾いた笑いが出そう
だ。
ま、彼らにも役割は有るので、指摘したりはしないでおこう。
﹁兵たちについては?﹂
﹁セレーネ様と言う分かり易い象徴と自分たちの家族や街、村を南
部連合の連中から守るのだと、いい感じに気合が入ってますね。一
部の若い奴なんかは、今すぐにでも飛び出して行っちまいそうな感
じです﹂
﹁ふむふむ﹂
で、兵についても籠城する気はない。と。
まあ、一般兵がやる気に満ちているのは悪い事ではないので、こ
ちらは素直に喜んでおくとしよう。
﹁で、隊長⋮⋮ああいや、今回はソフィール将軍とお呼びした方が
いいですかね﹂
﹁そうね。ソフィール将軍でお願い。今回の迎撃の責任者は私だか
ら﹂
﹁ではソフィール将軍。ソフィール将軍はどうなさるおつもりです
1061
か?ウチの部隊の準備は整っているので、大抵の指令には即応出来
ますが?﹂
センサトが黒い髪の毛にギリギリ触れないように手を挙げた敬礼
をしつつ、私に問いかけてくる。
ただその顔に笑みが浮かんでいる事からして⋮⋮まあ、私が何を
するかなど既に読み切っているようだが。
いやあ、優秀な部下が居るのは本当に良い事である。
ただまあ、今回はその優秀な部下には優秀さを隠してもらうのだ
が。
﹁では、今すぐにマダレム・ゼンシィズの守備兵五百を除いて、残
りの兵千八百を集めなさい。今回は正々堂々と真正面から馬鹿正直
に戦うわ﹂
﹁了解。となりますと、ソフィール将軍と我々グロディウス商会傭
兵部隊百人は最後尾ですな﹂
﹁ええそうね。手柄は持って行かれるけど仕方がないわ。指揮官は
後ろに居て、全体に指揮を出さなければいけないもの。ふふふふふ
⋮⋮﹂
﹁ははははは、こればかりはどうしようもないですなぁ﹂
﹁⋮⋮﹂
と言うわけで、私とセンサトは笑いながら、リベリオは私たちの
笑みに何か黒いものを感じたのか、微妙に引き攣った笑みを浮かべ
ながら城壁の下へと移動を始める。
﹁ではセンサト。私は放置でいいけど、リベリオは頼んだわよ﹂
﹁言われなくても﹂
そうして城壁の下に移動すると、私は将軍らしい豪勢な鎧に身を
包み、有力者たちを焚きつけ、戦いの準備を整えさせる。
﹁リベリオ。今日はまず生き残る事だけを考えなさい﹂
1062
﹁はい﹂
それから私は馬に跨ると、ハルバードを右手に持ち、靴の底など
に仕込んである魔石の状態を確かめる。
﹁では⋮⋮全軍、出撃!﹂
そして、私の号令と共にマダレム・ゼンシィズの堅固な門扉が開
かれた。
1063
第192話﹁ロシーマス−6﹂
﹁陣形展開!﹂
私の声に合わせて指示用の太鼓が打ち鳴らされ、西部連合の兵士
たちは事前の指示通りに陣形を組んでいく。
﹁と、向こうも出てきたわね﹂
マダレム・ゼンシィズから私たちが出てきたのを受けて、南部同
盟の陣地からも兵が出て来て、陣形を組み始める。
数は⋮⋮こちらと同じ千八百くらいか。
どうやら、二百ぐらいは陣地の防衛に残すつもりであるらしい。
﹁ちっ﹂
﹁ソフィールさん?﹂
﹁いえ、何でもないわ﹂
やがてどちらの陣営とも陣形の展開が完了し、同時に前へと進み
始める。
こちらの方が先んじて行動していたのにだ。
まあそれはいい。
重要な問題だが、今はもう気にしても仕方がない。
それよりも展開した陣形だが⋮⋮こちらが中央をやや厚めに盛っ
ている横長の陣形であるのに対して、南部同盟は上から見た時に矢
じりのような形を取っている。
伏兵や特殊な仕掛けの類は私が見る限りでは見当たらない。
どうやら事前の情報通りロシーマスは正面から直接ぶつかりあう
事を好み、得意としているらしい。
﹁全員流れ矢に気を付けなさい﹂
1064
﹁はい﹂
﹁言われなくとも﹂
私たち西部連合も、敵である南部同盟も、ゆっくりと前に進んで
いく。
そして、お互いが保有する遠距離攻撃手段⋮⋮弓矢と魔法による
攻撃が届く距離に入ったところで、少しずつ攻撃が始まり⋮⋮上か
らは矢が、正面からは火や岩と言った魔法による攻撃が飛んでくる。
勿論、受ける側もそれらの攻撃に対して、何もせずに黙って受け
たりはしない。
上から疎らに飛んでくる矢には風の魔法で勢いを殺し、正面から
飛んでくる魔法には鉄を主体とした強固な盾でもって対抗する。
﹁⋮⋮﹂
﹁これが戦場と言うものよ﹂
だがそれでも勢いを殺し切れなかった矢が防具の隙間に当たって
しまった不運な兵士が呻き声を上げながら倒れ、最前列からは爆発
音と共に兵士の悲痛な叫び声と怒号が聞こえてくる。
﹁これが⋮⋮戦場⋮⋮﹂
﹁そう。これが戦場。それもまだ序の口。本番はこれからよ﹂
負傷兵を後方へと移動させ、仲間の死体を踏みつけ、私たちは淡
々と前に進んでいく。
そうして南部同盟の兵が構える槍と、西部連合の兵が構える槍が
触れ合う程の距離になったところで、状況は一気に動き出す。
﹁﹁﹁うおおおおぉぉぉ!!﹂﹂﹂
﹁っ!?﹂
﹁始まったわね﹂
ヒト
お互いに鬨の声を上げつつ槍を突き出し、盾を構え、剣を抜き、
駆け足で自らの前に立ち塞がる同族を殺しにかかる。
1065
怒号が飛び交い、断末魔と血飛沫が激しく上がり、狂気の入り混
じった笑い声が血に酔った顔から漏れ出る。
草原が紅く染まり、鉄と土の匂いが周囲を満たし、激しい金属音
と爆発音が撒き散らされる。
﹁はぁ⋮⋮ヒト同士の戦いは何回見ても嫌になって来るわね⋮⋮﹂
ヒト同士で殺し合うと言う愚かな振る舞い。
ヒト同士で蔑み、罵り、呪い合い、他者の死を以て己の生を得る
と言う異常な振る舞いこそが正常な世界。
ヒト同士で貴重な食料を、武器を、物資を無意味に浪費する行い。
この世に産まれてから五十年が経ち、食べたヒトの記憶の分も含
めれば千年は余裕で越すほどの記憶を有する私だが、それでもこの
ヒト同士が戦う戦場の空気は嫌いで仕方がなかった。
﹁やっぱり戦いをするならヒトと妖魔の戦いの方がいいわ⋮⋮﹂
だがそんな私の思いとは関係なく、戦局は動き続ける。
﹁ま、それはそれとして﹂
陣形の展開が早かった時点で分かっていた事だが、やはり今回の
南部同盟の兵士の錬度は普通の兵士よりも高い。
恐らくは七天将軍二の座と言う立場の人物が率いるに相応しい兵
士を集めて来ているのだろう。
だが、その戦術は正面から襲い掛かるという単純なもの。
最前列の方では多少の被害が出たようだが、事前に中央の陣を厚
くしておいたこともあって、今や突撃の勢いは削がれ、横に広がろ
うとする動きも事前に展開していた分だけこちらが早く、後もう少
し時間が経てば南部同盟の兵の周囲を囲い、全ての方向から攻めか
かれるような状況になりつつあった。
﹁このまま行けば敵は詰むわけだけど⋮⋮﹂
1066
その時だった。
﹁ぶっ飛べぇ!!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹁ま、そう容易くはいかないわよね﹂
囲いの一部、南部同盟の陣地に近い辺りでよく響く男の声と共に
巨大な竜巻が発生し、その場にいた兵士たちを切り刻みながら吹き
飛ばしていく。
尋常ならざるその光景に私の隣に居るリベリオなどは大きく目を
見開き、硬直してしまう程だった。
﹁野郎ども!退くぞ!!﹂
﹁なっ!?貴様ら!?﹂
﹁逃げる気か!?﹂
そして、私の隣と言う戦いの場から離れた場所に居るリベリオで
すらそうだったのだから、前線の兵士たちが受けた衝撃はもっと大
きいものだっただろう。
南部同盟が撤退の合図である楽器を打ち鳴らし、その音に従って
行動を始めた時に、逃げる彼らへの追撃を行える者は極々少数だっ
た。
﹁こりゃあまた人間離れした魔力だなぁ⋮⋮﹂
﹁まあ、事前の情報通りではあるけれどね。センサト﹂
﹁分かってます。撤退の合図ですね﹂
少数で行う追撃はこちらの被害をデカくするだけ。
そう判断した私はセンサトに命じて、撤退の合図を全軍に送る。
そうしてマダレム・ゼンシィズの前で行われた今日の戦いは、痛
み分けに近い形で終わるのだった。
1067
第193話﹁ロシーマス−7﹂
はやて
﹁いやはや、七天将軍二の座ロシーマス。通称﹃疾風﹄のロシーマ
ス。噂に違わない実力でしたなぁ﹂
﹁そうね。だいたいは事前に得ていた情報通りだったわ﹂
夜、明日の為の軍議を終えた私は、城壁の上でセンサト、リベリ
オの二人と話をしていた。
勿論、周囲にヒトが居ない事は私の魔法で確認済みだが。
﹁兵の指揮能力は引き際を見逃さない程度と、最低限のレベルでは
ありますが、それを補って余りある圧倒的な戦闘能力。いやはや、
もしもアレをもっと効果的に使われていたら、ソフィール将軍でも
危なかったのでは?﹂
﹁そうね。ただ、ロシーマスが指揮できる人数の合計を、連中の後
ろに控えている誰かさんがよく知っているおかげで、最低限の指揮
能力でも十分厄介になっている。それに⋮⋮﹂
﹁それに?﹂
﹁あの一撃のおかげで明日の私たちが採れる戦術は限られることに
なった。正直嵌められたとも言っていいわね﹂
私はセンサトに視線だけで事前に頼んでおいたことの報告を促す。
私の視線を受けたセンサトは一度周囲を見渡し、念の為にこの場
に私たち三人しか居ない事を確かめてから口を開く。
﹁はぁ⋮⋮ええ、ソフィール将軍が想像していた通りです。ロシー
マスの一撃を受けて、かなりの数の兵が動揺しています。特に﹃輝
炎の右手﹄に属する魔法使い連中の動揺が酷いですね﹂
﹁まあ、あれだけの規模の竜巻を気軽に起こせる魔法使いなんて、
ヘニトグロ地方全体で見渡しても数えられる程しか居ないでしょう
1068
し、それが分かってしまう分だけ、衝撃も大きいんでしょう﹂
真面目な口調でセンサトが報告する。
﹃輝炎の右手﹄はテトラスタ教が保有していると言ってもいい魔
法使いの集団で、今はシェルナーシュの息子であるルズナーシュを
首領として西部連合の領域内に存在する大小無数の流派を束ね、吸
収していっている組織である。
彼らはシェルナーシュの書いた﹃シェーナの書﹄であの事実につ
いても知っているはず。
知っているからこそ、今は恐れおののいてしまっているのだろう。
﹁念のために、動揺を煽っている間者が居ないかを確かめると共に、
部下たちにも他の兵士たちを出来る限り落ち着かせるように指示は
出していますが⋮⋮正直、明日全員が使い物になるかは微妙な所か
と﹂
﹁そう。ならやっぱりあの提案は受けて正解だったわね﹂
﹁提案?﹂
そして一般の兵士たちの動揺も少なくないらしい。
まあ、後少しで囲んで叩けると言う所で、いきなりあんな竜巻を
見せられ、しかも一目散に逃げられたのだ。
動揺しない方がおかしいぐらいだ。
﹁さっきの軍議で、明日は将軍同士の一騎打ちを仕掛けることに決
まったのよ﹂
﹁⋮⋮。相手は乗って来るんで?﹂
私の言葉にセンサトは眉間のしわを深める。
まあ、当然の反応だろう。
普通に考えたら、敵がこちらの提案に乗って来るとは限らないの
だから。
だが今回に限っては心配ないだろう。
1069
﹁確実に乗って来るわ。敵にはマダレム・ゼンシィズそのものを落
とす戦力はない。つまり、一騎打ちは相手にとっても望むところな
のよ。ロシーマスは自分の武勇に絶対の自信を持っているタイプだ
しね﹂
﹁なるほど。しかしそうなると⋮⋮﹂
センサトが私に意味有り気な視線を向けてくる。
﹁心配しなくてもこちらは希望者しか出さないわ。希望者が居なか
ったら⋮⋮まあ、私の出番ね﹂
﹁では、我々は⋮⋮﹂
﹁ええ、相手が一騎打ちに乗ってこなかった場合と、一騎打ちの後
に備えておいてちょうだい。どちらにしても戦闘は避けられないか
ら﹂
﹁了解しました。では俺は将軍の言葉を部下と⋮⋮やる気が残って
いる連中に伝えておきます﹂
﹁ええ、お願いね﹂
私がどういう展開を考えているのかを理解したのか、センサトが
元気よく城壁の下に降りていく。
で、残された私は、同じく残されたリベリオへと視線を向ける。
リベリオは⋮⋮
﹁何か言いたそうね﹂
私に対して何か言いたそうな顔をしていた。
﹁その、ソフィアさん。明日も戦うんですよね﹂
﹁そうね。下策中の下策の戦いを今日はして、明日は下策の中でも
多少はマシな戦いをすることになるわ﹂
﹁下策⋮⋮﹂
﹁まあそもそもとして、ヒトが大量に死ぬ戦と言う手法そのものが
下策と言えば下策なんだけれどね。今回ばかりは仕方がないわ。そ
1070
の下策を好む連中を一ヶ所に集めたわけだし﹂
﹁⋮⋮﹂
二人きりと言う事で私本来の名前を呼ぶリベリオは、まだ何かを
言いたそうな表情をしている。
﹁言いたい事が有るならはっきり言いなさい。でないと何も伝わら
ないわよ﹂
﹁⋮⋮。ソフィアさん。どうしてヒト同士で戦うんですか?﹂
﹁その質問に私は答えられないわね。私はヒトと戦い、その死を糧
にしている者だから。戦いを望まない普通のヒトとは物の見方が根
本から違うわ﹂
﹁ヒト同士の戦いを無くす方法はありますか?﹂
﹁それは貴方が自分で考える事よ。その話について私が出来るのは
土台を整える事までよ﹂
﹁⋮⋮﹂
だが、リベリオの質問は私には答えられない、もしくは答えるべ
ラミア
きではない質問だった。
なにせ私は蛇の妖魔なのだから。
﹁今日の所はもう眠っておきなさい。今日と違って、明日は貴方も
ヒトを殺さなければいけなくなるわ﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁そしてよく見て、学びなさい。彼我の実力差を分からない者がど
うなるのかを、英雄と呼ばれる者の倒し方を、ヒトを殺すという事
がどういう事かを﹂
﹁はい⋮⋮﹂
リベリオがゆっくりと城壁の上から降りていく。
多少おぼつかない足取りだが⋮⋮まあ、私が上から見ているので、
大丈夫だろう。
1071
﹁さて、寝る前に私も手を打っておかないとね﹂
そしてリベリオが無事に自分の寝床に戻った事を確認した私は、
明日の戦いの為の準備を始めることにした。
1072
第194話﹁ロシーマス−8﹂︵前書き︶
挑発ではありますが、今回だいぶアレな表現がございますので、駄
目だと感じられた方はブラバでお願いします。
1073
第194話﹁ロシーマス−8﹂
﹁西部連合の諸君!貴様等に一つチャンスをやろうではないか!﹂
翌朝。
布陣を終えた私たちの耳に飛び込んできたのは、思いもよらない
言葉だった。
﹁我が名は七天将軍二の座ロシーマス!我こそはと言う勇の者が軟
弱なる西部連合の軍勢に居るのであれば、我と一騎打ちを行おうで
はないか!!﹂
それは私たちが望んでいた一騎打ちを持ちかける言葉。
そして、その言葉を発したのは⋮⋮馬に乗らず、左の腰に細身の
剣を、右の腰に肉厚の短剣を挿した鎧姿の男。
細く歪められた口元と短くまとめられた緑色に近い髪からは何処
となく軽薄な感じが、嗜虐心に満ちた瞳からは、自分の実力に自信
スネーク
ゴーレム
を持っている雰囲気も感じられた。
私は今まで忠実なる蛇の魔法越しに見た事が有るだけだが、間違
いない、あの男は七天将軍二の座ロシーマス本人である。
﹁さあ出てくるがいい!それとも西部連合は臆病者の集まりか!?﹂
﹁ソフィール将軍⋮⋮﹂
﹁いきなりトップが出てきたのは予定外だったけれど、計画通りに
事を進めましょう。まずは出たいヒトから出すわ﹂
﹁了解しました﹂
センサト経由で私が発した命令によって、一人の男が兵士たちを
掻き分け、全員の目が触れる場所にまで出てくる。
彼は馬に乗っていたが、ロシーマスの前に来ると馬を降り、腰に
挿していた剣を抜き、左手に持っていた盾と共に構えた。
1074
﹁ほう。お前が最初の犠牲者か﹂
﹁その大口、今に叩けないようにしてやる﹂
そしてロシーマスも、両方の腰に挿していた剣を抜くと、ゆっく
りと構える。
﹁ふはははは!雑魚が!やれるものならやってみろ!﹂
﹁!?﹂
勝負は⋮⋮一瞬だった。
﹁これが七天将軍っすか⋮⋮﹂
﹁いいえ、こんな物ではないわ﹂
こちら側の男に先手を譲ったロシーマスは男の剣を左手の短剣で
防ぐと、男に動揺する暇も与えないほど速く振るった右手の剣で鎧
の隙間を狙い、首を突き刺し、そのまま刎ねる。
刎ねられた男の顔は、自分の身に何が起きたのかも理解できてい
ない様子だった。
それは全くもって﹃疾風﹄の名に相応しい攻撃だった。
﹁さ、二人目よ﹂
﹁了解﹂
﹁⋮⋮﹂
南部同盟の側から歓声が湧き上がり、西部連合の兵士たちに動揺
あんたん
が広がる中、私は二人目の希望者を募り、出す。
だがその結果は一般の兵士にとっては暗澹たるものだった。
こちらの二人目は馬に乗ったまま弓を射かけ、矢を避けたロシー
マスが近づこうとすれば馬を駆けさせる腹積もりだった。
だが、ロシーマスは矢を躱すどころか、走る馬に自らの脚で走っ
て追いつき、切り捨てた。
1075
三人目は火の魔法を使う魔法使いであり、遠距離から一方的に焼
き払うつもりだった。
だが、ロシーマスに向けて放った火は、ロシーマスから放たれた
暴風に押し戻され、大きく火勢を増した炎によって逆に焼き尽くさ
れてしまった。
四人目は槍を使う戦士だったが、最早勝負にもならなかった。
槍を突き出そうとした瞬間、ロシーマスはその背後に風のような
速さでもってまわり込み、切り殺されてしまった。
正に疾風。
そして七天将軍と言う南部同盟でノムンに次ぐ軍事の有力者であ
る事を全員に納得させる実力だった。
﹁ま、私には関係ないけどね﹂
尤もだ。
﹁出るので?﹂
﹁もう他に武勲が欲しいって子も居なさそうだしね。そろそろ終わ
りにしましょう﹂
ここまでは私の想定内。
彼らは死んでも問題はないし、ロシーマスを倒して武勲を得ても
良い人材だった。
そして四人目が死んだ時点で、他の死んでもいい人材は腰砕けに
なり、一騎打ちに臨もうという気概がある者は居なかった。
だから想定通りに、計画通りに私が出る。
死んでもいい人材は居ても、負けていい戦いではないのだから。
﹁次は貴様か。何と言う名前だ?﹂
1076
私はロシーマスの前にまで馬を進めると、ハルバードを右手に持
った状態で馬から飛び降りる。
出来る限り周囲の目を惹くよう、鎧の飾りをはためかせるように
大きな動きで。
﹁西部連合、グロディウス商会会長ソフィール。今回の我が軍の総
責任者よ﹂
﹁ほう。貴様がそうなのか⋮⋮﹂
私の動きに目を惹かれることも無く、ロシーマスは獲物を見つけ
たと言わんばかりの表情を向けてくる。
その表情で私は悟る。
ああやっぱり今回の戦いは嵌められ、誘い出されていたのか、と。
まあ、ロシーマスにではなく、その後ろに居るはずのノムンとリ
ッシブルーにだけど。
﹁我が王ノムンの命により、貴様の首、貰い受けるとしよう﹂
﹁お断りよ。私の命はアンタみたいな三下にくれてやれるほど軽い
ものじゃないわ﹂
﹁三下だと?貴様、この俺を三下と言ったのか?﹂
﹁ええ言ったわよ。三下の噛ませ犬。アンタなんて、ノムンの下で
キャンキャン吠えているだけのクソ犬じゃない。今帰れば見逃して
あげるわよ。ノムンのバター犬ちゃん﹂
﹁⋮⋮!?﹂
私の挑発にロシーマスは顔を真っ赤にしているが⋮⋮まあ、フリ
だろう。
流石にこの程度の罵りでガチ切れするような奴が七天将軍程の座
に収まっていられるとは思えない。
それよりもだ。
﹃リベリオ。よーく見ておきなさい。あのシチータと戦い続けてき
1077
た妖魔の実力がどれほどのものなのかを、妖魔の天敵であるはずの
英雄をどうやって殺すのかをね﹄
﹃!?﹄
私は使役魔法によってリベリオにだけ聞こえるように語りかける。
その事にリベリオはかなり驚いているようだが、今回の戦いは是
非一瞬たりとも目を逸らさずに見ていてもらいたいのだ。
﹁き、き、貴様ああぁぁ!俺だけでなく親愛なる陛下までも愚弄す
るかあぁぁ!!﹂
﹁あーあー、躾の足りないバカ犬が煩いわねぇ。いいから早くかか
ってきなさいよ。しかも何?親愛なるって、親愛じゃなくて性愛の
間違いじゃなくて?武器捨ててケツでも出せば、私のこのかったー
いハルバードで掘ってあげるわよ﹂
﹁殺す!殺すっ!殺すっ!!﹂
﹁ふふっ⋮⋮﹂
なにせ対英雄の教材と言うのは非常に貴重なのだから。
1078
第194話﹁ロシーマス−8﹂︵後書き︶
強いなぁロシーマス
1079
第195話﹁ロシーマス−9﹂
﹁味わうがいいっ!彼のシチータ王に勝るとも劣らぬ我が疾風の剣
技を!﹂
ロシーマスが爆発したかのような勢いで土煙を巻き上げつつ、こ
ちらに向かって勢いよく突撃を仕掛けてくる。
なるほど確かに速い。
シチータにも劣らないというのも過言ではないだろう。
﹁死⋮⋮何っ!?﹂
﹁温いわねぇ﹂
尤も、最盛期のシチータではなく、私が最後に戦った毒で弱った
頃のシチータの速さと比較しての話だが。
﹁ぬおおおおっ!﹂
﹁はいはいっと﹂
﹃さて、リベリオ。英雄の倒し方その一。相手の情報を調べ上げな
さい﹄
一撃目を容易く防がれたロシーマスは、私の事を殺すべく両手の
剣を激しく振るう。
が、その動きは直線的でただ速いだけ。
重さも無ければ、破壊力も無く、最盛期のシチータを知っている
私にとっては当たれば怖いが、防ぎ、避けるのは大して難しくない
攻撃でしかなかった。
﹃調べ上げる?﹄
﹃相手がどういう武器や魔法を使うのかは勿論の事、性格、癖、交
友関係に出自、その他諸々調べるだけ調べなさい。まず相手の情報
1080
を揃えなければ、策の練りようがないもの﹄
そうやってリベリオとの会話に思考を割きつつも、私はロシーマ
スの攻撃をいなすと同時に観察をする。
なるほど確かに良く鍛えられてはいるのだろう。
が、今まで自らの速さに付いてこれるものが居なかったせいか、
その動きは正直で、本人としてはフェイントを織り交ぜているつも
りだろうが、私の目にはバレバレである。
﹁このっ⋮⋮﹂
﹁あらっ﹂
と、ロシーマスが僅かに距離を取ったところで、凄まじい速さで
移動することによってその姿を眩ませた。
なので、私はハルバードから左手を離すと、そのまま自分の背後
に向けて裏拳を放つ。
すると⋮⋮
﹁ぐごっ!?﹂
私の予想通り、左手の拳に何か堅い物が当たり、その下に有るも
のを撃ち砕くような感触がする。
﹁こんな柔腕に殴られて吹き飛ぶだなんて、想像以上に軽いのね﹂
﹁がっ、ぐっ、がはっ!?﹂
そしてその直後に、ロシーマスが地面の上を何度も跳ねながら転
がっていき、左上腕を抑えながら蹲る姿が私の視界に入ってくる。
﹃英雄の倒し方その二。情報に基づいて、相手の思考力、判断力を
可能な限り削ります﹄
﹁ぐっ⋮⋮馬鹿な⋮⋮﹂
何が起きたのかは言うまでもない。
ロシーマスが私の背後に回り込んで切りつけようとしたら、私の
1081
裏拳が当たって吹き飛ばされただけだ。
今の動きは中々に速かったが⋮⋮ロシーマス自身の感覚が速さに
追いつけていないのだろう。
私の事を見るロシーマスの目が微妙に有り得ない物を見るような
ものに変わっている。
と言うわけで⋮⋮
﹃削る⋮⋮﹄
﹃ええそうよ。だから⋮⋮﹄
﹁ふふふっ、夜のお仕事が忙しくて昼の訓練が疎かになっているの
かしらね。夜のお仕事は相当激しいものでしょうしねぇ﹂
﹁き、貴様あああぁぁぁ!!﹂
煽る。
恐怖ではなく怒りを。
勇敢さを蛮勇に変えるように、理性ではなく感情で動くように、
澄んだ目を曇らせように、諌める声を雑音とするように。
﹁死ねええぇぇ!!﹂
﹁あはははは!遅い!温い!つまらない!こんなのが七天将軍二の
座だなんてノムンも見る目が無いのねぇ!﹂
煽る。
相手の根幹を揺さぶり、退く事が出来ぬように、貶め、穢し、辱
める。
正しき賛辞を隠し、ヒトとして間違えた嗜虐の心、侮蔑の心、余
裕に満ちた心だけを顔に出す。
﹁このっ!このっ!このをおぉぉ!!﹂
﹃こうして平常な心を削られ、勝負を急ぎ、勝つことに焦る者の行
動は読みやすい。今までよりも遥かにね﹄
﹃⋮⋮﹄
1082
ロシーマスの動きは最初と比べて、明らかに鋭さと速さを増して
いた。
だが、速さと鋭さが増すのに合わせてその動きは単調となり、私
がロシーマスの攻撃を凌ぐのに費やす動きは先程よりも小さく、少
なくなっていく。
それこそロシーマスから見て、私は身動きを殆どしていないかの
ように。
﹁この化け物がっ!ならば⋮⋮﹂
﹃さて、英雄の倒し方その三﹄
焦ったロシーマスは、碌な隙も生じていないのに、私から距離を
取って、構えを取る。
昨日見せた竜巻を放つ構えを。
なるほど確かにあの竜巻ならば、当たれば私でも死は免れないだ
ろう。
だがしかしだ。
﹁これでっ⋮⋮﹂
﹃焦った英雄は形勢を逆転させるべく大技を撃とうとするわ﹄
その竜巻を放つ前の溜め。
それこそが私が待っていたものである。
﹃その時の英雄は不安に思いつつも、一瞬安堵もするの。これで終
わる、これで勝てるってね。だからそう思ったところに撃ち込むの
よ﹄
と言うわけで私は靴裏と周囲の地中に仕込んだ魔石を発動。
﹁えっ?﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹃!?﹄
1083
﹃不可避にして致命的な一撃をね﹄
使役魔法によって周囲の土を改めて操作し、ロシーマスの足元に
私が伸ばした腕の先で水平にハルバードを持って一周した程度の大
きさを持つ穴を出現させる。
﹁なっ⋮⋮﹂
ロシーマスが私十人分ほどの深さを持つ穴の中に落ちていく。
と同時に、私は懐にしまっておいた魔石の一つを左手で軽く放り
投げ、穴の上に到達した所で魔法を発動。
ヘビィストーン
﹁重い石﹂
穴の上に穴の直径と同じぐらいの大きさを持った特別な岩⋮⋮鉄
や鉛と言った重い金属を多く含む岩が出現する。
﹃以上、英雄の倒し方でした。まっ、自分が嵌められないためにも
覚えておきなさいな﹄
岩は自然の理に従って穴の中に落ちていく。
﹃⋮⋮。はい﹄
速度を増し、破壊力を増し、その下にあるもの全てを撃ち砕く鎚
となって。
﹁敵将、七天将軍二の座ロシーマス﹂
そう、当然の話であるが、打ち砕かれるものには、岩よりも先に
穴の中に落ちたものも含まれる。
﹁討ち取ったり﹂
そして、何か固い物が押し潰され、弾け飛ぶような音が、大地の
底から地上の戦場へと響き渡った。
1084
第195話﹁ロシーマス−9﹂︵後書き︶
正にロ歯−︵改行︶
mase!
あ、はい。名前はこれがやりたかっただけです。
現実のロシーマスに関わりのある皆様すみません。
08/19誤字訂正
1085
第196話﹁ロシーマス−10﹂
﹁さて、南部同盟の兵士諸君﹂
私は穴の中で起きた出来事の音を周囲に伝えたのと同じ要領⋮⋮
この辺り一帯の地表を使役魔法によって振るわせて、戦場に居る全
員に自分の声が届くようにした上で口を開く。
﹁君たちを率いていた者⋮⋮七天将軍二の座ロシーマスは私、グロ
ディウス商会のソフィールが討ち取った﹂
私は穴に近づくと同時に穴を形作っている土を操作して、ロシー
マスの半分潰れた首を地中から取り出すと、南部同盟の兵士たちに
それを見せつける。
﹁しょ⋮⋮﹂
﹁動くな!!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
南部同盟の中から声が上がる。
が、その声の主が自分の言葉を言い終わる前に、私の怒声と魔力
が戦場に響き渡り、南部同盟の兵も西部連合の兵も動きを止める。
うん、これでいい。
此処で勝手に動かれたら、台無しだ。
﹁さて、南部同盟の兵士諸君。君たちの前には今三つの選択肢があ
る﹂
私は威圧を目的とした魔力の放出を止めると、自軍の方から馬を
呼び寄せ、左手にロシーマスの首を、右手にハルバードを持ったま
まの状態で馬に乗る。
1086
﹁一つ目はたった一人の首を取り返すために、指揮者も居ない状態
で我々西部連合に挑みかかり⋮⋮壊滅する道﹂
南部同盟の側から私の言葉に対して反論するような動きは見られ
ない。
当然だろう。
ロシーマスと言う南部同盟でも五本の指に入るような戦力を目の
前で打ち取られた直後の上に、昨日の戦いもロシーマスが居なけれ
ば殲滅されていたのは自分たちの側だったと言う事実は一般の兵士
でも分かっている事なのだから。
﹁二つ目はこのまま立ち去るという道。諸君らが素直に退くのであ
れば、私も無粋な真似はしないと約束しよう。ただ⋮⋮ノムン王の
性格からして、マダレム・サクミナミに帰還した君らの未来は決し
て明るいものではないだろう﹂
﹁﹁﹁ゴクッ⋮⋮﹂﹂﹂
南部同盟の兵士たちの間で、息を呑むような音がする。
尤も、一部は私が使役魔法によって、誰が発したのか分からない
ように注意しつつ鳴らした音であるが。
だが、彼らの未来が明るいものでないのも事実である。
ノムンは恐怖によって部下を縛り付け、支配してきた権力者であ
る。
となれば、帰還した彼らの内、悪目立ちしてしまった何人かは見
せしめとして惨たらしい事になることは想像に難くない⋮⋮と言う
か、実際にその手の見せしめの処刑は南部同盟内ではよく行われて
いるので、間違いなくそうなるだろう。
﹁三つ目は⋮⋮﹂
そして、南部同盟の内部がそうなっているからこそ、私は彼らに
三つ目の道を示す。
1087
﹁この場で武器を捨て、我々の同胞となる道。我らが王セレーネ様
は、本心ではヒトとヒトが争う事をよしとせず、和を重んじる方。
今この場で降参されるのであれば、グロディウス商会のソフィール
の名において、貴方たちの安全を保障いたしましょう﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
それは彼ら南部同盟の兵士をこちら側に引き込むと言う策。
私の発言に南部同盟の陣営だけでなく、西部連合の一部有力者の
間にも動揺が広がっているが⋮⋮安心してもらいたい、君らの出番
はこの後にきちんと残っているから。
そして彼らを引き込むのは、単純に彼らの錬度が高く、今後を考
えると殺すのは何かと勿体無いからである。
﹁さあ、我らの同胞になることを望むのであれば、武器を捨ててこ
ちらへ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
ただ錬度が高いという事は、それだけ忠誠心が強いヒトが多く混
じっている可能性が高いという事でもある。
だから、敵である私の言葉だけではその心を完全に傾ける事は出
来ないだろう。
故に少々の小細工を行う。
カランッ⋮⋮
ザッ⋮⋮
﹃お、俺は⋮⋮﹄
南部同盟の兵士たちの背後で、誰が発したのか分からないように、
私は音を鳴らす。
武器を落とす音を。
1088
前に向かって歩く軍靴の音を。
迷い躊躇いながらも死ぬのは嫌だと思っているのが分かる声を。
何度も、何度も。
﹁俺は降るぞ!死ぬのは御免だ!﹂
﹁俺もだ!﹂
やがて南部同盟から聞こえてくる音は、私が発する音ではなく、
彼ら自身が発する音に変わり始め、少しずつ南部同盟の兵士の列の
中で騒ぎが起き始める。
﹁ま、待て!お前ら!?自分が何を言っているのか分かっているい
るのか!?貴様等ノムン王様への忠誠はどうしたのだ!?﹂
﹁あんなクソッタレの王への忠誠なんぞ知った事か!﹂
﹁そうだ!田舎から無理やり徴兵され、毎日キツイ訓練にクソッタ
レの上司からのクソみたいな指示!もうやってやれるか!﹂
﹁なっ⋮⋮!?﹂
それはノムン王を裏切れる者と裏切れない者との争い。
ただ、こちら側に付こうと考えている者は、防具を持つ事は許し
ていても、武器は捨てるように言ってしまっている。
だから、このまま放置していれば、よろしくない方向に事態が進
展してしまうだろう。
うん、そろそろ頃合いか。
﹁西部連合の勇敢にして誠実なる兵士諸君に告げます。武器を捨て、
我らの同胞となることを選択した者たちを守りなさい!今こそ貴方
たちの武勇を見せるときです!!﹂
﹁﹁﹁!﹂﹂﹂
﹁南部同盟の明晰にして善き選択した兵士の皆様。こちらへと駆け
なさい!貴方たちは恐怖と圧政と言う鎖から解き放たれる時が来た
のです!!﹂
1089
﹁﹁﹁おおおおおっ!!﹂﹂﹂
私の言葉と同時に、西部連合の兵士たちが南部同盟の兵士たちに
向けて全力で駆け出し始める。
それに合わせるように、武器を捨てた南部同盟の兵士たちが私た
ちの側に向かって走り始める。
すると、ノムン王を裏切れずにいた者の中からも武器を捨て始め
る者が出始め⋮⋮最後までノムン王を裏切れずにいた者たちは数の
暴力でもってほぼ全員が捕えられるか、殺されることになった。
そうしてマダレム・ゼンシィズ前の戦いは⋮⋮西部連合の勝利で
もって、終わることになった。
1090
第196話﹁ロシーマス−10﹂︵後書き︶
敵の引き抜きは基本
1091
第197話﹁ロシーマス−11﹂
一方その頃。
マダレム・セイメ、グロディウス商会の屋敷。
﹁懐の痛まない褒賞⋮⋮ですか?﹂
その一室では、西部連合の王となったセレーネ、屋敷の長の代理
であるウィズ、セレーネの護衛であるシェルナーシュとトーコ、セ
レーネの教育役であるティーヤコーチとその娘であるティーフレン
が集まっていた。
﹁ええそうです。父上は防衛の為に現在マダレム・ゼンシィズに赴
いていますが、必ず勝利を掴んで帰って来るでしょう。そして、勝
利して帰ってくる以上は、王として貴女から父上たちに何かしらの
褒賞を与えなければいけません﹂
﹁正当な働きには正当な対価を⋮⋮ですね﹂
﹁そうです。為すべき事を為したのに、為した事に値するものを得
られないのでは、働いた者は離れていく事になります﹂
﹁まあ、そうでなくとも正当な働きに対して正当な対価を払わない
のは、ヒトとしてあるまじき振る舞いだろう。だからと言って過度
に払う事もまたよろしくない事ではあるが﹂
﹁はい﹂
ウィズが手元で書類を書きつつ、セレーネに説明をし、その説明
に対してティーヤコーチが補足を入れていく。
﹁それで懐が痛まない褒賞をセレーネ様に考えていただきたい理由
ですが⋮⋮これですね﹂
書類を書き終わったのか、席から立ち上がったウィズがセレーネ
1092
とティーヤコーチ、ティーフレンの三人に見えるように一枚の羊皮
紙を置く。
﹁⋮⋮﹂
﹁うわっ、なんか沢山数字と文字が並んでる﹂
﹁えーと、ウィズさんこれは⋮⋮﹂
羊皮紙の内容は、簡単に言ってしまえば帳簿だった。
どれほどの量の食糧をどれだけの値で集め、どれだけの兵士をど
の程度の給料で集めたのか、負傷した兵士に対する補償金はどのよ
うなものであるのか。
中にはマダレム・ゼンシィズが今回の南部同盟で受けるであろう
被害と、それを補ったり、直したりするのに要するであろう費用ま
で書かれていた。
﹁今回の戦いでかかった、もしくはかかるであろう費用の概算です。
父上の事ですから、実際にはもう少し少なく済むようにはしてくれ
るでしょうが⋮⋮まあ、それほど大きくは変わらないでしょう﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁そして王であるセレーネ様は最低でもこの費用に見合うだけの何
かを褒賞として出さなければならない⋮⋮か。一応聞いておくがグ
ロディウス商会がこの費用を全額負担することは?﹂
﹁勿論可能です。が、何度もとなると避けたい所ではありますね。
例の計画もありますし、私たちに頼り過ぎるのはセレーネ様にとっ
ても良くない﹂
﹁⋮⋮﹂
表情には出さなかったが、セレーネは内心で顔を引き攣らせてい
た。
戦争と言うものが莫大な費用をかける物であることは理解してい
たが、現実にかかる費用はセレーネが考えているよりも更にとんで
もないだったからだ。
1093
﹁え、えーと、当然ですけど褒賞と言うのは、金銭の類でなくても
いいんですよね﹂
﹁申し訳ありませんが、私には答えられません。ただ、この費用に
見合うだけの金銭や財宝となると⋮⋮﹂
﹁まあ、世の中には金で買えない物と言うのは腐るほどあるが、そ
れとこれとは話が別だろう。となると⋮⋮﹂
﹁あ、はい。それ以上は言わなくていいです﹂
ウィズとティーヤコーチの表情にセレーネは理解する。
これは確かに懐を痛めない褒賞が必要だと。
それを考え付かなければ、多くの問題が起きる上に、何処かへと
負担を掛けることになってしまうと。
既に半年以上ウィズとティーヤコーチの下で勉強をしていたセレ
ーネには、何が起きるのか容易に想像がついてしまった。
﹁⋮⋮﹂
ただ、その何かを考えつくにはヒントが足りない。
そう思ったセレーネは近くに座っているティーフレンに目を向け
る。
﹁んー⋮⋮ごめんなさい。セレーネ様。アタシはちょっと思いつか
ないです。特別な何かをあげられれば、それが良いんじゃないかな
とは思いますけど﹂
﹁特別な何か⋮⋮﹂
ティーフレンは申し訳なさそうにそう言うと、静かに目を伏せる。
﹁ん?私は美味しい料理をお腹いっぱいに食べられればそれで嬉し
いよ﹂
セレーネは続けて、暇なのか背後でスクワットをしているトーコ
に目を向ける。
1094
が、トーコの回答にすぐさま視線をシェルナーシュへと向ける。
なお、賢明な事にセレーネはそれはもう戦いの後で宴会としてや
っているんじゃないかと思いはしても、顔、口、視線などに出す事
はしなかった。
﹁⋮⋮。小生からは特に言う事はない。が、一つだけ言っておく。
大半のヒトは自分の理解を大きく越えたものを理解できず、排除し
ようとする。あまりにも突拍子のないものは控えた方がいい﹂
﹁ヒトが理解出来るもの⋮⋮﹂
﹁それと、これは西部連合の王であるセレーネ自身が功のあった者
に授けるものだ。他の者の伝手などを利用して得たものは相応しく
ないだろう﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁シェルナーシュ様﹂
﹁分かっている。これ以上は何も言わない。そもそも小生にはこの
件で何かを教える義理は無いからな﹂
続けて視線を向けたシェルナーシュは、何処か面倒そうな表情を
しつつも、セレーネの視線による問いに対して真面目にそう答える。
ティーフレンの意見、シェルナーシュの話、それと嬉しくなるも
のと言うものをヒントとして捉えたので一応トーコの意見も絡ませ
つつ、セレーネは考える。
特に、自分が何を持っていて、何ならば与えられるのかを深く考
える。
﹁あの⋮⋮ウィズさん。ティーヤコーチさん。こう言うものはどう
でしょうか?﹂
やがて考えをまとめたセレーネは口を開く。
﹁なっ!?いやですがそれは⋮⋮﹂
﹁え、えと⋮⋮駄目でしょうか?﹂
1095
﹁いやっ、意外といいかもしれない。ただそうなると⋮⋮﹂
﹁そうですね。これは父上にも確認と意見を求めないと⋮⋮﹂
セレーネの意見にウィズとティーヤコーチは大きく驚く。
そう、セレーネの意見は⋮⋮ヘニトグロの歴史を大きく変える物
だった。
﹁それってそんなに良いものなの?腹の足しにもならないじゃない﹂
﹁貴様は少し黙っていろ。トーコ﹂
なお、ティーフレン含め慌てて動き出す四人の背後で、二人の妖
魔の内、片方は訳が分からないという表情を浮かべ、もう片方はこ
れだからという表情をしていたのはここだけの話である。
1096
第197話﹁ロシーマス−11﹂︵後書き︶
懐の痛まない褒賞⋮⋮まあ、一番簡単なのは敵地での略奪ですね。
1097
第198話﹁ロシーマス−12﹂
数日後の夜。
その日はトーコとシェルナーシュの二人は休息と言う名の元、ヒ
トを狩りに出ていた。
ウィズはソフィアから戦勝の報告が届いたため、ティーヤコーチ
を含めた今の西部連合内で力を持つ者たちの会合に出かけていた。
そのためセレーネはグロディウス商会の屋敷に少数の護衛と共に
留まっていたのだが⋮⋮その日の夜に限っては、妙なざわつきを覚
えたため、気晴らしとして冬の夜空の下、様々な種類の木々と草が
並ぶ屋敷の庭に出ていた。
﹁折角の良い月なのに、雲がかかっちゃっているわね⋮⋮﹂
セレーネは西部連合の王である。
故にその存在は西部連合にとっては要であると言え、王になって
から間もないとは言え、既に西部連合にとっては欠くわけにはいか
ない存在になっていた。
その上、彼女の親類は12年前、ノムンによって皆殺害されたた
めに存在せず、年齢の関係上子どもと言うものもまだ存在しようが
無かった。
つまり、この時のセレーネは西部連合にとって、どうやっても替
えの利かない絶対の急所となっており、その死はそのまま西部連合
全体の敗北に繋がっていると言っても過言では無かった。
そしてそれはセレーネも理解していた。
﹁ちょっと残念﹂
理解していたが、油断もしていた。
自分には琥珀蠍の魔石があるから大丈夫だと、屋敷の周りにはソ
1098
フィアの雇った傭兵たちと高い塀があるから大丈夫だと、そう考え
ていた。
だからこの時のセレーネの周囲には、彼女自身の意思によって護
衛が存在しなかった。
そしてそれは、彼女の命を狙う者にとっては格好の隙と言ってよ
かった。
﹁キャアッ!?﹂
噴水の近くに居た彼女の胸に向かって暗闇から何かが投げつけら
れ、琥珀蠍の魔石の結界によって何かが甲高い金属音と共に弾き飛
ばされる。
﹁な、何が⋮⋮﹂
セレーネは慌てて飛んできたそれを⋮⋮刃が黒く塗られた短剣を
見る。
そして理解する。
自分が何者かに狙われている事を。
﹁逃げっ⋮⋮﹂
﹁やれやれ、琥珀蠍の魔石と言うのは本当に厄介な代物だな。所有
者が見えていなくても関係ないとは﹂
慌ててその場から逃げようとするセレーネを取り囲むように、全
身黒装束の男が三人現れる。
男たちの手に握られているのは、先程投げつけられたものと同じ
黒塗りの短剣。
その身から放たれているのは、セレーネの住んでいた村を襲った
南部同盟の兵士たちが抱いていた物とは比較にならない程研ぎ澄ま
された濃厚な殺気。
その殺気にセレーネは身を竦ませ、顎をガチガチと鳴らし、その
場から一歩たりとも動けなくなる。
1099
﹁だがしかしだ﹂
﹁!?﹂
そんなセレーネへと追い打ちをかけるように、ゆっくりとセレー
ネへと近づく三人の男たちとは別の場所から網のようなものが投げ
かけられ、その衝撃でセレーネはその場に倒れ込んでしまう。
勿論倒れた衝撃や網を掛けられた衝撃でセレーネの身体が傷つく
ことはなく、網に仕込まれている細かい棘のようなものがセレーネ
の柔肌を傷つける事も無かった。
だが、その棘によってお互いをくっつけ合い、複雑に絡まった網
は、琥珀蠍の魔石による守りなどお構いなしに、セレーネの身体を
完全に拘束していた。
﹁あくまでも傷つけるものを防ぐだけで、こうなってしまえば後は
適当な地中にでも埋めてしまえば終わりだ﹂
﹁ひっ!?﹂
そう、琥珀蠍の魔石には一つの欠点があった。
それはあくまでも着用者の肉体に対する直接的な害を防ぐ力しか
ないという事。
つまり、剣や槍、矢や魔法、場合によっては毒の類や高所からの
落下による害すらも防ぐ力を有するが、縄や網による拘束や、重し
を付けた上で水中に沈めたり、地中に埋めるなどして相手を窒息さ
せるといった一部の手段に対しては無力なのである。
この黒装束の男たちはそれを良く知っていた。
故に、男たちはセレーネを拘束すると、予め屋敷の近くに用意し
ておいた穴の中へとセレーネを埋めて始末する暗殺計画を立ててい
た。
﹁あ、いや、そんな⋮⋮誰か⋮⋮﹂
網の端を持った四人目の黒装束の男も含め、セレーネを屋敷から
1100
運び出すべく四人の男がセレーネへと近づいていく。
計画は完璧だと言ってよかった。
強力な護衛であるトーコとシェルナーシュは不在で、屋敷の現主
であるウィズが外出している関係で警備も幾らか薄くなっていた。
男たちの計画を知る者は彼ら自身以外には誰も居らず、今日この
日まで男たちは完全に市井に溶け込んでいた。
そして何よりも、ソフィアは現在マダレム・ゼンシィズに居て、
どう足掻いてもマダレム・セイメに居るセレーネを助ける事は出来
なかった。
﹁ノムン王様の為にその命を捧げられる事を誇りに思っ⋮⋮?﹂
﹁え?﹂
ラミア
そう、彼らの立てた計画は完璧だと言ってよかった。
ただ一つの誤算は、ソフィアと言う蛇の妖魔が最早妖魔と言うカ
テゴリーに入れてもいいか怪しい程に規格外の存在であり、そんな
ソフィアが二度も南部同盟のヒトにセレーネが襲われるなどと言う
愚を犯す事が無いように対策を講じていた事を予想できなかった点。
ただそれだけだった。
﹁なっ!?﹂
﹁なんで上下が⋮⋮﹂
だがそれは致命的な穴だった。
﹁おまっ⋮⋮あれ?﹂
﹁えっ?﹂
﹁﹁!?﹂﹂
気が付けば四人居た黒装束の男の内、一人は頭が上下逆さまにな
った状態で絶命して倒れ、一人は頭を前後逆にした状態で今まさに
倒れる途中だった。
1101
﹁何が起き⋮⋮っ!?﹂
﹁気を付けろ!何かが⋮⋮!?﹂
﹁えっ⋮⋮?﹂
﹁まったく、どうして私がアイツの命令でこんな事をしなくちゃい
けないんだか﹂
セレーネと残った二人の男の視線が、揃って噴水の方へと注がれ
る。
﹁まあいいわ﹂
﹁嘘⋮⋮﹂
そこに居たのは、万が一に備えて茂みに隠れていた五人目の黒装
束の男の頭を右手に持った女。
その茶色の髪は枝毛一つ無く、後頭部でまとめられた髪は夜風に
乗って静かに揺れていた。
フードの付いたロングのコート、丈の短いスカート、革に似た素
材のブーツ、指が出るグローブの間からは珠のように白く、傷一つ
無い肌が覗いていた。
その瞳は青く、見る者全てを魅了するような目鼻立ちは、今は面
倒そうな感情を表していた。
﹁馬鹿な⋮⋮﹂
﹁何故ここに⋮⋮﹂
その姿を見た者は二つの名を思い浮かべただろう。
一つは今この場に居るはずがないはずの人物、グロディウス商会
のソフィール。
ラミア
もう一つは今や母親が寝物語の登場人物として子に聞かせるよう
な存在と化した蛇の妖魔、土蛇のソフィア。
だが、どちらの名を思い浮かべた所で、この場に居る者の命運に
は関係なかった。
1102
﹁貴方なら助けてあげようと思えるもの﹂
﹁﹁!?﹂﹂
残った二人の黒装束の男の首も、既に夜空へ向かって舞っていた
からだ。
1103
第198話﹁ロシーマス−12﹂︵後書き︶
さて何者でしょうね?
1104
第199話﹁ロシーマス−13﹂
﹁始末完了っと﹂
﹁貴女は⋮⋮﹂
首から上を失った二人の身体がゆっくりと倒れて転がる頃。
何処からともなく現れたその女はゆっくりとした足取りでセレー
ネに近づく。
﹁私の名前はソフィア﹂
﹁え?﹂
女⋮⋮ソフィアはセレーネの動きを封じていた網を腕の一振りで
バラバラにしてセレーネを助け出すと、セレーネの前に膝を着き、
その顔を真正面から見据える。
対するセレーネはソフィアの名乗った名前に、困惑の表情を隠せ
ずにいた。
だがそれも当然だろう。
セレーネにとってソフィアと言う名前は、目の前に居るのと同じ
顔の別人が名乗っている名前なのだから。
﹁ふふふ、困惑しているわね。でもソフィアと言う名前は、本来は
私の物だったのよ﹂
﹁私の⋮⋮物?﹂
﹁ええそうよ。私はソフィア。アイツが一番最初に食べて、その魂
を金の蛇の中に閉じ込めたヒト。ふふふふふ、犯され、嬲られ、生
きたまま血も肉も、魂まで溶かされて、取り込まれ、アイツの所業
を一番近くで見せられ続けると言うのは、中々にクルものが有った
わよ﹂
﹁⋮⋮﹂
1105
笑顔のまま呟かれるソフィアの正気とは思えない言葉にセレーネ
は無意識的に顔を引く。
カドゥ
ケウス
﹁今は⋮⋮そうね。アイツが切り札の一つとして開発した魔法﹃蛇
は骸より再び生まれ出る﹄によって生み出されるもう一人のアイツ。
と言うのが一番正しいかしら。まあ、ヒトでなくなってしまったの
は確かね。私の人格がアイツに影響を与えているように、アイツの
人格の影響もだいぶ私に出ているから﹂
﹁⋮⋮﹂
ソフィアはそんなセレーネの肩を左手で掴んで動きを止めると、
右手で琥珀蠍の魔石と一緒にセレーネの首から提げられている金色
の蛇の環を右手で触れ、優しく撫でる。
﹁安心しなさい。私はアイツの事が嫌いで、アイツの成す事の大半
に反対をしているけれど、貴方を守り、王として立てる事には私も
賛成はしている。だから貴方を傷つけるような真似はしないし、助
言もしてあげる﹂
﹁ひうっ!?﹂
そして、流れるような動きでセレーネの頬へと手をやり、まるで
恋人に大事な事を教えるかのように耳元で言葉を囁く。
﹁今回の件で良く分かったでしょうけど、どれほど強固な守りであ
っても必ず穴と言うものは存在している。琥珀蠍の魔石にも、グロ
ディウス商会の警備にも、ソフィアと言う化け物にも⋮⋮ね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だから貴方は探し出さなくてはいけないわ。貴方を自分の意思で
常に守ろうとしてくれる誰かを。それこそ己の命と引き換えに、貴
方を守れるのなら、躊躇いなく命を投げ出せるようなヒトを﹂
﹁そんなの⋮⋮﹂
﹁そして貴方はその誰かの死を悔やみ、嘆き、悲しみはしても、前
1106
に進まなければならない。それが王となる者に求められる資質と言
ソフィア
うものよ。それが受け入れられないなら死んでしまいなさいな。王
で無い貴方に私たちは用がないから﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
悔しそうにしているセレーネの耳元から、満足した様子のソフィ
アが顔を離す。
﹁さてと、御使い様二人も来たみたいだし、そろそろ私はお暇させ
てもらうわ。次に会う事が無いと良いわね。セレーネ﹂
﹁え?﹂
ソフィアの姿がまるで陽炎のように揺らめき、その場から唐突に、
まるで最初から居なかったかのように消え失せる。
﹁セレーネっ!﹂
﹁セレたーん!大丈夫ー!?﹂
﹁あ⋮⋮﹂
そして、ソフィアの姿が消えるのと同時に、屋敷の門から多数の
警備を引き連れたシェルナーシュとトーコの二人が現れる。
その姿を見たセレーネは⋮⋮見知った味方が来たという安堵から
気を失った。
−−−−−−−−−−−−−−
﹁ここは⋮⋮?﹂
﹁起きたか﹂
数時間後。
朝日が昇る頃になってようやくセレーネは目を覚ましていた。
1107
﹁シェルナーシュさん﹂
﹁セレーネ。何が有った?﹂
﹁それは⋮⋮﹂
セレーネは語る。
あの場で何が有ったのかを。
そして、セレーネの言葉を聞いたシェルナーシュは⋮⋮
﹁蛇は骸より再び生まれ出る⋮⋮ソフィアめ。いつの間にか完成さ
せていたのか﹂
﹁えーと⋮⋮?﹂
見れなかった事が至極悔しいと言わんばかりの顔でそう呟き、そ
の表情にはセレーネも口の端をヒクつかせずにはいられなかった。
いられなかったが、このままでは話が進まない。
そう思ってセレーネは言葉を紡ぐ。
﹁つまりあのソフィアさんはソフィールさんの魔法って事でいいん
ですか?﹂
﹁ああそうだ。貴様は﹃シチータ王と不死の妖魔﹄の伝承を知って
いるか?恐らくあれを基にして発展させた魔法だ。詳しい事は当人
に聞いてみなければ分からないが⋮⋮まあ、奴以外には習得すらで
きない魔法だろうな。発動の前提として必要なものが厳し過ぎる﹂
﹁信頼は⋮⋮﹂
﹁しない方がいい。小生も奴も貴様の味方ではないからな。切り捨
てた方がいいと判断したら、躊躇いなく切り捨てる。小生たちはそ
う言う考え方と生き方をしている﹂
﹁はい⋮⋮﹂
シェルナーシュの言葉にセレーネは深く俯きつつ、絞り出すよう
な声でそう答える。
﹁安心しろ。今回出た死人は南部同盟の暗殺者五人だけ。この件を
1108
糧にするのであれば、小生も奴もトーコも、他のヒトもお前から離
れたりはしない。だから早く見つけ出しておくと良い。貴様が命を
預けられる相手をな﹂
﹁はい⋮⋮﹂
そうして話が終わって疲れたのか、再びセレーネはベッドに身体
を預け、眠りだした。
1109
第199話﹁ロシーマス−13﹂︵後書き︶
﹃シチータ王と不死の妖魔﹄
キンドル
ソウル
リ
簡単に言ってしまえば、ソフィア本人は姿を隠し、大量の妖魔と再
燃する意思による土人形とでシチータに波状攻撃を仕掛けました。
まあ、護衛は倒せても、シチータには手も足も出なかったわけです
が。
1110
第200話﹁ロシーマス−14﹂
セレーネ
﹁ロシーマスの死に南部同盟始まって以来の大敗北。そして小娘の
暗殺失敗﹂
マダレム・サクミナミにあるノムンの城。
その中でも特に奥まった場所にあり、昼間でもなお薄暗いその部
屋の中には三人の男が居た。
﹁大失態と言う他ないな。リッシブルー﹂
部屋の主の名はノムン。
ノムンは自身が座る椅子の背後に金属の鎧を全身に着た男を従え
た状態で、自らの正面で片膝を着いている男⋮⋮七天将軍六の座リ
ッシブルーに対して威圧的に声をかける。
﹁その通りでございます、陛下。今回の策を立案したものとして、
どれほどの言い訳を述べようとも、地に這う程に頭を垂れようとも、
許されるべきでない程の失態であり、命を以て償うしかないと、自
分自身でもそう思っております﹂
﹁ほう⋮⋮言い訳一つしないか。では、その潔さに免じて、貴様の
最後の望みぐらいは聞いてやるとしよう﹂
だがリッシブルーはノムンの威圧に臆する様子もなく、顔を上げ、
ノムンの顔を糸のように細い目で見つめながら、淡々と己の言葉を
紡ぐ。
その様子に感心したノムンはリッシブルーに次の言葉を言うよう
に促す。
﹁では、願わくば、私の処分は今回の件の報告書を仕上げてからに
してしていただきたく存じ上げます。それが陛下の御世の為に私が
1111
残せる最後の遺産でありますゆえ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁言うではないか⋮⋮﹂
リッシブルーの言葉にノムンは満足げな笑みを浮かべつつも、そ
の糸のような目の奥に隠れている真意を探ろうとする。
が、そんなノムンの探る様な視線と、並の者ならばそれだけで恐
怖に震えるような威圧感を一心に受けているにも関わらず、リッシ
ブルーは眉根一つ動かすことなく、まるでこの程度の状況などどう
という事はないと言わんばかりの表情を浮かべている。
﹁陛下、異常ありません﹂
﹁分かった。では、茶番はこれぐらいにしておこう。リッシブルー、
もう楽にしていいぞ﹂
﹁ありがとうございます。では、足の方を崩させていただきます﹂
と、ここでノムンの背後に控えていた男がとても低い声で一言だ
け発する。
すると先程までの空気が嘘だったかのように、ノムンの身体から
発せられていた威圧感が薄れ、リッシブルーも姿勢を崩すと直接床
に座り込む。
﹁しかし命を以て償うしかない⋮⋮か。ロシーマスの方は奴自身が
作戦の立案者であり、暗殺計画の方はそもそも南部同盟の仕業では
ない事になっているというのに、よく言えたものだ﹂
﹁ははははは、ですが、陛下が私の命を欲されるのであれば、喜ん
で差し上げますぞ﹂
﹁ふん、こんなつまらんところで貴様のような優秀な部下を失うよ
うな愚策なぞ、誰が犯すものか﹂
﹁ははははは、ありがたいお言葉です。臣下冥利に尽きますなぁ﹂
ノムンとリッシブルーが気楽な様子で会話を行う。
ただ、ノムンの言葉を笑って受け流したリッシブルーには、冗談
1112
を言っているような雰囲気は微塵も無かった。
それこそ今この場でノムンから死ねと言われれば、一切の躊躇な
く自分で自分の首を刎ねるような気配すら、リッシブルーは漂わせ
ていた。
﹁それで報告書と言ったな。用意は?﹂
﹁勿論出来ております﹂
﹁ゲルディアン﹂
﹁了解いたしました⋮⋮﹂
ノムンの背後に控えていたゲルディアンと言う男経由で、リッシ
ブルーからノムンへと二巻の羊皮紙が渡される。
﹁ほう⋮⋮﹂
そして、それらを一読したノムンは一度感心したような様子を見
せると、両方の羊皮紙をゲルディアンに渡し、部屋に備え付けられ
ていた暖炉で二巻の羊皮紙を燃やす。
﹁リッシブルー、貴様はソフィールと言う男をどの程度の実力者だ
と考えている?﹂
羊皮紙が燃えきった事を確認したノムンは再びリッシブルーへと
視線を向ける。
それに応えるように、リッシブルーもやや猫背気味だった背を真
化け物
ですな﹂
っ直ぐに伸ばし、真剣な顔つきで口を開く。
﹁一言で総評させていただくなら
﹁お前を以てそう言わせるか﹂
﹁ええ、そう言わざるを得ません﹂
リッシブルーがソフィール⋮⋮ソフィアの事をどう思っているか
を話し始める。
そしてそれを聞いたノムンは⋮⋮。
1113
﹁なるほど。全ての証言が真実であるならば確かに化け物だな﹂
﹁信じて頂けるのですか?﹂
﹁他の者が言ったならば妄言だと一笑に付すところであるが、他な
らぬ貴様の評価だからな。十分信じるに値するだろう﹂
﹁ありがたきお言葉に御座います﹂
リッシブルーの言葉を真実だと判断し、ノムンの言葉にリッシブ
ルーはあからさまな喜びの感情を見せる。
﹁しかしそうなると、奴と奴が守護しているセレーネを始末するの
は相当面倒だな。情報が出揃うまでは、こちらの戦力を差し向けず、
東の愚か者共を煽った方が都合がいいか。どう思う?リッシブルー﹂
﹁私も陛下に同意いたします。どうにも西の連中は例の地で何かを
するつもりであるようですし、そこから煽れば容易く乗せられるか
と思います﹂
﹁では、そうするとしよう。ああ、レイミアにもお前から通達を出
しておけ。漁夫の利を狙えとな﹂
﹁かしこまりました。では失礼致します﹂
リッシブルーが立ち上がり、礼儀正しい動作でもって部屋から退
出する。
﹁陛下⋮⋮﹂
﹁皆まで言わなくてもいい。最後のトドメはお前に頼る。なにせ相
手はあの父上が終ぞ仕留められずに終わった大妖魔、土蛇のソフィ
アと対等な関係にある相手だからな。策を弄せるだけ弄した上で、
最高の戦力を以て潰しにかかるべきだ。ふふふふふ、今からその時
が来るのが楽しみで他ならないな﹂
部屋に残ったノムンの表情には⋮⋮嫉妬にも似た仄暗い感情で染
め上げられていた。
1114
第200話﹁ロシーマス−14﹂︵後書き︶
08/23誤字訂正
08/24誤字訂正
1115
第201話﹁二つ目の名−1﹂
﹁皆様お集まりいただきありがとうございます﹂
春の一の月は一日。
その日は、マダレム・ゼンシィズでの後始末を終えた私、センサ
ト、リベリオの三人を含め、西部連合の主要人物がそれぞれに従者
を従え、揃ってマダレム・セイメに集まっていた。
﹁さて、今日は皆様に幾つか伝えたい事がございます﹂
部屋の一番目立つ場所に座るセレーネの言葉に、老若男女様々な
役柄を持つ者たちが一様に頷く。
ヒトが一斉に同じように動く様子は慣れていない者には少々どこ
ろでなく恐ろしいものであるはずだが⋮⋮セレーネに緊張の色など
は見られない。
それどころか、セレーネの背後に居るウィズとティーヤコーチの
二人の方が緊張しているのではないかと感じるほどである。
﹁まず一つ目は⋮⋮﹂
セレーネの話が始まる。
一つ目の話題は暦の制定。
今日をレーヴォル暦元年の一月一日とした、西部連合全体で共通
する暦を設定した。
なお、今日を始まりとするだけで、一日を24時間とすることや、
一週間の長さ、月の始まりと終わり、一年の開始と終了と言った事
柄は特に変更なしである。
うん、この件についてはセレーネの王としての箔付けを目的とし
ている面が大きい。
1116
今後何百年と生きる予定がある私の生活の為と言う面もあるが。
二つ目の話題は度量衡の統一。
こちらは各都市国家で異なっていた長さや重さの単位を揃えたり、
西部連合内で用いる貨幣の交換レートを整えたり、他にもまあ色々
と西部連合内で今までバラバラだったものを統一する。
こちらはセレーネの箔付けもあるが⋮⋮それ以上に各都市間での
交流や交易を活発化させる働きや、共通の単位を用いることで西部
連合全体での一体感を高めることの方が主目的である。
後は度量衡の統一に伴う形で悪徳な商人などを炙り出したりもす
る予定だが⋮⋮これはまあ、今は置いておくとしよう。
三つ目の話題は西部連合の中で共通した法律の制定。
こちらも今までは各都市国家で異なっていた刑罰を、テトラスタ
教の教えを基本として、西部連合全体で共通したものに切り替える
というものである。
勿論、細かい部分については各都市国家の事情などもあるので、
無闇に口を出したりはしない。
この西部連合共通法とでも言うべきものは、あくまでも殺人や窃
盗など、どの都市国家でも許されていないものを対象にした物であ
る。
﹁ふぅ⋮⋮皆様、私の提案に異論などは有りますか?﹂
当然だが異論の声は上がらない。
と言うのも、ここまでの話は歴の名前などの細かい部分について
はともかく、大筋の部分については事前に私たち有力者の間で合意
が為されていたからである。
それに、歴以外については今まで使っていたものとの差異もある
という事で、実際に施行されるまではまだまだ時間がかかる予定で
あるし、詰めの協議と言うものもある。
1117
その辺の事を考えたら⋮⋮むしろこれからが本番かもしれない。
特に法律については。
ま、その辺りについては今回の集まりが終わってから考えればい
い。
﹁ありがとうございます。では、この度の南部同盟の侵攻を迎撃、
撃退した件に関する論功行賞に移りたい所ですが⋮⋮その前に一つ
皆様に話しておく事がございます﹂
﹁話⋮⋮ですか?﹂
﹁はて?﹂
問題はここから。
ここから先の話は、今までの話と違ってセレーネ自身が提案した
ものが基になっている。
セレーネの提案は⋮⋮事前に聞かされていた私でもかなり驚かさ
れるものだったからだ。
﹁私の名前は今は亡き父上に付けて頂いたセレーネですが、今日こ
こで、名乗るだけで私が王である事を示せるように二つ目の名を付
けようと思っています﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
そう、それは二つ目の名前を付けるという考え。
名前と言うものは普通は親やそれに類する者によって付けられる
物であり、自分が何者であるかを示す際には一番最初に用いられる
物である。
それを自分で自分に付けると言う事は、暗に自分に並び立つもの
は居ない⋮⋮つまりは己が王である事を示すものとなる。
﹁今日から私はセレーネ・レーヴォルと名乗ります。そして、レー
ヴォルと言う二つ目の名を名乗ることを許すのは私自身と私の家族
だけとします﹂
1118
そしてこの二つ目の名は、個人の名前と言うよりは家の主とそれ
に連なる者たち全体の名前と言う事になる。
故に名乗ることが許される人物は当然ながら限る事になる。
なお、セレーネがレーヴォルの名を名乗ったのは⋮⋮その名が彼
女がかつて住んでいた村の名であり、その頃の思い出を忘れないよ
うにするためであるらしい。
で、その事を悟ったのか、私の背後でリベリオが何処か感動した
様子を見せている。
うんまあ、だが、本当に驚かされるのはここからだ。
﹁また、今後二つ目の名をレーヴォルの名を持つ者以外が勝手に付
ける事は禁止します﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
セレーネの権威にあやかって、勝手に二つ目の名を付けようと考
えていた者たちだろう。
部屋に集まっている者の一部が顔色を変える。
そして、顔色を変えなかった者の中にも、この決定がどんな意味
を持つのかを悟り、微妙に気配を揺らがせる者が現れる。
一切表情も気配も変えていないのは⋮⋮私を含めて僅か数人。
全員、事前にセレーネから今回の件について聞かされていたヒト
である。
﹁さて、それでは論功行賞に移りましょう。ソフィール﹂
﹁はっ!﹂
私が席を立ちあがると同時に、部屋の中央を占領していた机がど
かされ、論功行賞に移る。
﹁今回の南部同盟の侵攻は、貴方の活躍なしでは止められませんで
した。加えて七天将軍二の座ロシーマスを一騎打ちにて撃ち破った
貴方の実力、多くの同胞を得られたその手腕は、とても素晴らしい
1119
ものであると言う他ありません。よって、ソフィール、貴方の功績
を讃えるべく、セレーネ・レーヴォルの名の下、貴方と貴方が認め
た者にグロディウスと言う二つ目の名前を与えましょう﹂
﹁ありがたく受け取らせていただきます。セレーネ・レーヴォル陛
下﹂
そう、二つ目の名はセレーネにしか授けられない。
そして、誰にどんな名を授けたかは、全てセレーネの元で管理さ
れている。
つまり、二つ目の名を授けられた人物は、それだけでセレーネに
評価された人物と言う事になる。
となれば、二つ目の名がもたらす数多くの善き影響は、聡い者で
あればあるほどよく分かるだろう。
故に七天将軍を討ち取ったと言う功績に対する褒賞にもなり得る。
セレーネの懐も、グロディウス商会の懐もまるで痛まないにも関
わらずだ。
﹁では、次の者﹂
この日、セレーネによって二つ目の名を授けられた者は、各都市
国家の中でも特に有力な者を中心として、三十に及んだ。
1120
第201話﹁二つ目の名−1﹂︵後書き︶
このネタの為に今まで二つ目の名前を持つヒトを限っていたのです
1121
第202話﹁二つ目の名−2﹂
﹁それにしても二つ目の名前を与えるとは⋮⋮随分ととんでもない
事を思いついたものね。セレーネ﹂
﹁ははははは、ウィズさんたちにも凄く驚かれました﹂
夜、論功行賞を無事に終えた私たちは、グロディウス商会の屋敷
でちょっとした宴を開いていた。
そして、そこで私はセレーネから金の蛇の環を返してもらうと、
葡萄酒を飲みながらセレーネと会話していた。
﹁でもティーヤコーチさんにウィズさん、それ以外にも多くのヒト
たちが協力してくれたおかげで、何とか今日までに体裁は整えられ
ました。皆様には感謝しても感謝しきれないです﹂
﹁ふふふ、そうね﹂
話題は当然セレーネが今日だけでも三十に及ぶヒトに与えた二つ
目の名について。
﹁でも、どうしてそんなものを思いついたの?﹂
﹁その⋮⋮村のシスターが言っていたんです。名前と言うものは、
そのヒトが何者であるのかを表すとても大切なものであり、この世
に生れ出た時に大切なヒトから与えられるものの一つだって﹂
﹁ふむ﹂
﹁でも、シェルナーシュさんとトーコさんから話を聞いたんです。
妖魔の皆さんは誰かから名前を与えられたのではなく、自分で自分
の名前を決めたと﹂
﹁まあ、基本的にはそうね﹂
﹁そして世の中には、ソフィアさんのように複数の名前を持つヒト
も時々居ると言う事もシェルナーシュさんから聞きました。他にも
1122
⋮⋮﹂
私、トーコ、シェルナーシュの正体を知っている面々しか部屋の
中に居ないという事で、セレーネは特に周囲の目を気にする様子も
なく二つ目の名前を与えると言う考え方に至った理由を話す。
複数の方面から様々な理由があったのか、その話し方はたどたど
しい。
が、それ故にセレーネが良く悩み、考えた結果で有ることが良く
分かる内容だった。
それと、シェルナーシュが言った二つ目の名前を持ったヒトと言
うのは⋮⋮フローライトの事だろう。
他に心当たりは無いし。
﹁それでその⋮⋮閃いたんです。王である私から特別な名前を与え
ると言うのは、金銭では決して得られない報酬になるのではないか
と﹂
﹁そうね。金銀財宝を幾ら積み上げても得られない勲章を貴女から
与えられる。それは、貴女に仕える事に喜びを覚え、名誉に感じる
者にとっては、この屋敷をすべて満たすような量の黄金よりも価値
があると思うわ﹂
私はセレーネの話に思わず笑みを浮かべる。
実際、セレーネから与えられた二つ目の名前と言う報酬は、他者
に自然に示す事が出来る報酬であり、その価値は下手な金銀財宝で
は比較対象にもならないだろう。
故に私が言ったセレーネに仕える事に名誉を覚える者以外にも、
利に聡い者ならば喉から手が出るほどに欲しい報酬と言っていい。
そして、逆にこの報酬の価値がまるで分からない者は⋮⋮多少の
財貨で目が眩み、容易く敵に騙されて裏切りかねない愚か者と断じ
ていいだろう。
それほどまでに、セレーネ以外には与えられない二つ目の名には
価値があるのである。
1123
﹁ただ分かっていると思うけど⋮⋮﹂
﹁はい、ソフィアさんが心配している事は私も当然気を付けるべき
事柄として見ています﹂
そう言うとセレーネは肌身離さず持っていられるように、ドレス
の腰部分から提げられた革製のカバンと、鞄の隙間から姿を覗かせ
ている一冊の本に手を触れる。
本の名前は無い。
だがこの本の価値は、同じ大きさの黄金よりも重いだろう。
シェルナーシュが﹃シェーナの書﹄と同じ手法でもって作ったそ
の本の中身は、セレーネが二つ目の名前を与え、名乗ることを許し
た人物の名が全員分記されている。
そう、この本は二つ目の名を持つ者の名簿、それも原本なのだ。
﹁もしも、この本に記されていないにも関わらず、二つ目の名を名
乗る者が居れば問い質し、場合と状況によってはそれ相応の罰を下
します﹂
この本に名前を記されていないという事は、それだけでセレーネ
に断りなく勝手に二つ目の名を名乗っている証拠になる。
﹁もしも、この本に記されているにも関わらず、私の信を裏切るよ
うな悪行を為す者が居れば、その名を穢した者として、それ相応の
罪を問います﹂
この本に名前を記されているという事は、セレーネの信頼を受け
た者と言う事になる。
だが、その信頼を裏切るような真似をしたならば、セレーネは自
分自身の為にも、他の二つ目の名を持つ者の為にも通常よりも重い
刑罰を下す事になるだろう。
﹁でなければ、より多くの災禍を招くことになりますから﹂
1124
しかし二つ目の名を持つ者、名乗った者に対する処分は厳しいも
のにせざるを得ないだろう。
なにせこれを放置してしまえば、小はタケマッソ村のディランの
ように自分より強大な者の威を借りて横暴に振る舞う者が、大はマ
ダレム・エーネミのドーラムのように己の欲が為に都市一つを腐ら
せるような者が出て来てしまう事になるのだから。
﹁そうね。それでいいと思うわ﹂
﹁はい、ソフィアさんにそう言っていただけるとありがたいです﹂
つまり二つ目の名とは特別な褒賞であると同時に、与えた者を強
固に縛り付ける鎖でもあるのだ。
まったく、論功行賞の時の堂々とした態度と言い、こんな事を思
いつく事と言い、こういうのを見せられると、やっぱりセレーネも
シチータの血を引いているのだと理解させられるわね。
﹁これからもよろしくお願いしますね。ソフィール・グロディウス﹂
﹁勿論よ。セレーネ・レーヴォル﹂
ま、悪い気分ではないけれど。
1125
第202話﹁二つ目の名−2﹂︵後書き︶
既にお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、これで貴族階
級と言うべき物が明確に生じた事になります。
1126
第203話﹁再興−1﹂
﹁それではソフィール・グロディウス将軍。よろしく頼みましたよ﹂
﹁はい、必ずや陛下のお望みどおりの結果を出して見せましょう。
四月
では、出発!﹂
夏の一の月、私はセレーネたちをマダレム・セイメに残して、東
の方に向けてリベリオとセンサトの二人を含めた多数の人員を引き
連れて移動を始めた。
﹁やあやあ、ソフィール将軍。何事もなく無事に到着して何よりで
す﹂
﹁久しぶりね。ルズナーシュ。今回はよろしく頼むわ﹂
そして、目的地に向かう道中に在るマダレム・イーゲンで、私た
ちはルズナーシュ改めルズナーシュ・メジマティと合流。
ルズナーシュと彼の部下である﹃輝炎の右手﹄に所属する魔法使
いと、テトラスタ教の司祭数名、多数の信者を連れて、再び東に向
かい始める。
﹁それにしても結構時間がかかるんですね﹂
﹁まあ、軍もそうだけど、ヒトが多くなればなるほど、移動する速
さは遅くなるものだし、こればかりは仕方がないわよ﹂
﹁小分けにして送り出すにしても、妖魔や野盗対策を考えたら最小
限の人数は必要になるしなぁ⋮⋮﹂
﹁しかし襲われないようにと人数を多くし過ぎたら、どれだけの水
五月
と食料を集めておいても焼け石に水になってしまう。いやはや厄介
ですな﹂
で、現在は夏の二の月。
移動の効率を上げるべく、幾つかの小規模な部隊に別れて目的地
1127
に私たちは向かっているが、私たち四人が居る本隊の歩みはどうし
てもゆっくりとしたものになっており、馬を歩かせながら会話をす
る余裕があるほどだった。
うーん、任務の内容の関係上、連れているのが訓練を受けた兵士
だけじゃなくて、訓練を受けていない一般人も多く含んでいるから
遅くなるのが当然のこととはいえ、情勢を考えたらあんまりちんた
らとやっているわけにはいかないんだけどなぁ⋮⋮。
﹁その、ソフィールさん。南部同盟の動きはどうなっているんです
か?﹂
﹁んー⋮⋮今のところは普段通りと言う感じね﹂
スネーク
ゴーレム
私と同じ事を考えていたのか、リベリオが私に南部同盟について
尋ねてくる。
ただ、移動中に時折入ってくる密偵からの情報や、忠実なる蛇の
魔法による盗み聞きをしている限りでは、特に南部同盟の中で慌た
だしい動きはない。
何かしているのは確かだが⋮⋮西部連合に対してはお互いの領地
の境界での睨み合いと小競り合いぐらいである。
うーん、此処まで何も無いと⋮⋮もしかしたら東部連盟の方に何
かをしているのかもしれない。
目的地に着いたら、一応の仕込みはしておいてもいいかもしれな
い。
﹁と、そう言えば私もソフィール将軍に質問がありました﹂
﹁あら?何かしら?﹂
と、今度はルズナーシュから質問が飛んでくる。
ルズナーシュはシェルナーシュの息子で、私の正体も御使いの正
体も知っているが、それを誰にも話しておらず、私にとっては貴重
な味方である。
味方であるが⋮⋮信用しきる様な真似はしていない。
1128
そこは先天性の素養だけとは言え、英雄と妖魔の関係上仕方がな
い事である。
﹁その格好はどういうおつもりですかな?マダレム・イーゲンでお
見かけした時から気になっていましたが﹂
﹁ああこれ?﹂
さて、ルズナーシュの質問であるが、どうやら私の格好がずっと
気になって仕方が無かったらしい。
﹁簡単に言えば顔を隠す為ね﹂
﹁顔を隠す?﹂
今の私の格好は背に愛用のハルバード、腰にサブカの使っていた
剣を提げ、服は鎧ではなく動きやすさと着心地を優先した普通の服
である。
ここまではルズナーシュにとっても見慣れた物であろうし、見慣
れなくとも指摘する事柄でもないだろう。
つまりルズナーシュが妙に思っているのは私が被っている物⋮⋮
縁から黒い布が下げられ、外から私の顔が見えないように帽子につ
いてだろう。
﹁そうそう。私ももう三十。これから先は老いていくばかり。とな
ればこの綺麗な顔にも老いが見えて来て、私の若い頃を知っている
ヒトほど嘆くようになるでしょう。ですから、皆様を悲しませない
ようにこのような帽子を普段は被ることにしたのです﹂
﹁ははははは、三十で歳とは。私などもう四十を超えているのです
がなぁ﹂
私の言葉を聞いたルズナーシュは笑い声を上げながら、場を茶化
すように笑顔を浮かべる。
が、その目は笑っていない。
当然だ。
1129
ルズナーシュは私の正体を知っている。
だから、この黒い布の目的が老いる顔を隠す為でなく、変わらな
い顔を隠すためであることを最初に見た時から知っていた。
それでもなお質問を投げかけてきたのは⋮⋮。
﹁そう言うわけだから、気兼ねなく接して頂戴﹂
﹁分かりました。ではそうする事に致しましょう﹂
自分ではなく、周囲の一般人たちの不安を払拭するためだろう。
流石は﹃輝炎の右手﹄の頭首と言うべきか、人心の把握には手慣
れているらしい。
父親とは段違いだ。
﹁さて、雑談はそれぐらいにして貰えますか?ソフィール将軍、ル
ズナーシュ殿﹂
﹁センサト。もしかして?﹂
と、センサトがここで会話に割って入ってくる。
その手に握られているのは伝令が持って来たであろう一枚の羊皮
紙。
﹁ええ、先遣隊から伝令が来ました。無事にマダレム・エーネミ跡
に到着し、本隊と残りの隊を迎え入れるための野営陣地を造り始め
たそうです﹂
﹁ご苦労。計画通り最低限の偵察以外で入都は禁止。作業開始は私
たちが到着してからにするように厳命しておいてちょうだい﹂
どうやら、先遣隊は無事に到着したらしい。
﹁了解しました﹂
さてここらでそろそろ今回の私たちの任務について話すとしよう。
﹁いよいよですね﹂
1130
﹁いやぁ、祖父が暮らしていた街がどんなところか。実に楽しみで
すな﹂
﹁期待するほどの物じゃないと思うわよ。それに私たちの任務は⋮
⋮﹂
今回の私たちの任務は⋮⋮
﹁マダレム・エーネミを新たな都市として再建することなんだから﹂
マダレム・エーネミの跡地に新たな都市を造り出す事である。
1131
第204話﹁再興−2﹂
﹁マダレム・エーネミ内部の状況は?﹂
先遣隊が設営した野営地から五十年が経ち、かつての住人の痕跡
がほぼすべて失われ、外壁も建物もその殆どが原形を失いつつある
マダレム・エーネミの姿を眺めつつ、私は都市内部の偵察を行った
中隊の隊長からの報告を受け取る。
﹁はっ!ご報告致します!マダレム・エーネミ内部にヒト及び妖魔、
危険な獣の群は確認出来ませんでした!﹂
﹁建物と地下水路の損壊状況や植物⋮⋮特に樹木については?﹂
﹁建物は原形を留めている物は半数以下。地下水路については所々
に地上の道路を巻き込みつつ崩落した箇所が複数存在したため、危
険だと判断して内部の状況は調べていません。植物については、大
型の樹木も多少はありますが、作業の妨げにはならないかと﹂
﹁報告ご苦労様。地下水路に立ち入らなかったのも賢明な判断よ﹂
﹁ありがとうございます﹂
私の言葉に報告を行った中隊の隊長は嬉しそうに敬礼を行う。
実際、偵察隊が地下水路に入らなかったのは正解だ。
地上で一部の道路が崩落を起こしているという事は、その下に在
った地下水路が老朽化して、重量に耐えきれなくなっていたという
事なのだから。
﹁それで⋮⋮例の樹については?﹂
﹁勿論誰も近づけてはいません﹂
﹁うん、よろしい﹂
私の質問に先程まで嬉しそうにしていた中隊の隊長が微妙に恐怖
の色を浮かべながらも返答を行う。
1132
まあ、インダークの樹なんて呼ばれるほどの曰くつきの樹に彼ら
は近づきたくないだろうし、出来れば関わりも持ちたくは無いのだ
ろう。
その気持ちは理解できるし、近づかない事が命令なので咎めたり
もしない。
むしろ誰も近づけなかった事を褒めてあげたいぐらいだ。
﹁では、全軍に通達を。計画通りに各班は作業を開始するように﹂
﹁﹁﹁了解いたしました!﹂﹂﹂
私の号令で、伝令が各大隊や中隊に指示を伝えていく。
地下水路の老朽化が多少気になるところではあるが⋮⋮まあ、今
は計画通りに資材を運び、重い資材を地下水路の上に乗せなければ
大丈夫だろう。
﹁センサト。城壁の修復作業の監督はしばらくあなたに任せます。
お願いしますね﹂
﹁了解。ソフィール将軍が気兼ねなく動けるように頑張らせていた
だきます﹂
さて、野営地で待機していた面々が動き出すのに合わせて、管理
者である私たちも動き出す事になる。
まずセンサトについては最低限の物でも構わないから、真っ先に
修復を行う必要が有る城壁の修復⋮⋮いや、これだけ壊れていると、
建築と言った方が正しいか。
とにかくセンサトには建築の監督をお願いする。
私の傭兵部隊を普段からまとめ上げている彼なら、城壁の建築を
行う職人と兵、魔法使いの指揮と対応を任せても大丈夫だろう。
﹁ではソフィール将軍。私も私の目的を果たしに行ってくる事にし
ます﹂
﹁ルズナーシュ殿、お気をつけて。これだけ荒れていると、何処で
1133
何が崩れてもおかしくはありませんから﹂
﹁勿論気を付けますとも﹂
ルズナーシュも供の魔法使いを二人だけ付けて、彼らの目的であ
るテトラスタの家が有った場所に向かう。
ただまあ、私の記憶が正しければ、テトラスタの家の跡地に残っ
ているのは壁や塀の跡が少々ぐらいの物だったはずである。
それでも彼らは構わないのだろうけど⋮⋮まあ、テトラスタの家
があった場所を確保して、そこにテトラスタ教の教会を建てるだけ
で全体の士気が上がり、協力的になってくれるのだし、何が残って
いるかだなんて私が気にする事でもないか。
﹁さてリベリオ。私たちも行きましょうか﹂
﹁はい﹂
最後に私もリベリオだけを連れて、マダレム・エーネミの中に入
っていく。
目指す場所は既に分かっている。
私も良く見知った場所だからだ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁アレが⋮⋮そうなんですか?﹂
﹁ええそうよ﹂
私とリベリオがしばらく馬を駆ってやってきたのは、マダレム・
エーネミの中でも、特に草木が繁茂している場所だった。
その中心に立っているのは一本の樹。
﹁そうね。最後に訪れたのがグロディウス商会を造る前だから、だ
いたい十年ちょっとぐらい前の事になるのかしら﹂
1134
淡い青色の花を付けた黒い樹皮の樹は、あの時と変わらず夏の風
によって静かに、小さく揺られていた。
﹁⋮⋮﹂
樹の正式な名称はヤテンガイ。
黒い樹皮に、陽の光をほぼ遮る厚い葉を大量に茂らせ、根元から
花の咲いている木を見上げると無数の淡い青色の花、もしくは水色
の実が夜空の星々のように見えることから、そう名前を付けられた
らしい。
ちなみに本来はアムプル山脈の山中に根付いている種で、この辺
りには無いはずなのだが⋮⋮まあ、フローライトの祖父辺りが運ん
で来たのだろう。
﹁あの、ソフィールさん。あの樹、周りとは比べ物にならない量の
魔力を⋮⋮﹂
﹁まあ、普通の樹では無いし、魔力ぐらいは持っているでしょうね﹂
ただ、今私とリベリオの前に在るこの樹を一般のヤテンガイと一
緒にするのは愚考と言うものだろう。
なにせこの樹はかつて私が根元にフローライトを埋めた樹である
だけでなく、何時の頃からか切ろうとする者、荒そうとする者を呪
い、祟り、殺すと言う噂が流れ始め、最近では何処からその名が漏
れ出したのかは分からないが、インダークの樹と呼ばれるようにな
った曰くつきの樹なのだから。
﹁リベリオ。何が有っても、貴方はそこに居なさい。良いわね﹂
﹁は、はい⋮⋮﹂
私は馬を降りると、ゆっくりと歩きでインダークの樹に近づく。
さて、油断は出来ない。
リベリオの目が確かなら、相手はただの植物ではなく、魔力を持
った樹なのだから。
1135
第204話﹁再興−2﹂︵後書き︶
この時代から既に曰く付きの樹です。
1136
第205話﹁再興−3﹂
﹁⋮⋮﹂
私はインダークの樹へと慎重にゆっくりと近づく。
何が有っても即応できるように全身に⋮⋮いや、私自身と周囲の
地面の両方に緊張感を漲らせる。
それこそロシーマスを相手にした時よりも。
﹁此処が境界ね﹂
そうしてインダークの樹まであと数歩、全力で飛び込めば、一歩
でハルバードを当てられる位置にまで来たところで、私は皮膚と周
囲の地面に何かが触れ、チリチリと焼けるような感覚を覚えると、
その場で立ち止まる。
﹁⋮⋮﹂
ここから先はインダークの樹が自分の物にしている領域。
そして、今私が居るのが、インダークの樹がギリギリで不快だと
思わない距離。
皮膚がチリチリと焼けるような感覚も、他の植物とは比較になら
ない程濃い魔力をインダークの樹が持っているが故に感じている物
なのだろう。
﹁さて、おおよそ十年ぶりと言ったところだけど⋮⋮まずは貴方に
感謝を。貴方のおかげで、私たちは余計な諍いを起こすことなく、
マダレム・エーネミに手を付ける事が出来たわ﹂
私はまるでヒトに話しかけるように、インダークの樹へと語りか
ける。
何も知らないヒトが傍からこの状況を見れば、樹に対してヒトの
1137
ように語りかけ、ヒトを相手にするかのように対応するなど、私の
気が狂ったと思うかもしれない。
が、現実としてインダークの樹は意思のようなものを見せている
し、インダークの樹のおかげでマダレム・エーネミが滅びてからず
っと野盗の類を含め、ヒトがこの地に住みつく事は無かったのだか
ら。
だから周りにどう思われようとも、私は素直にインダークの樹に
対して感謝を示す。
この樹の働きに私たちが助けられたのは事実なのだから。
﹁その上で貴方に言わせてもらうわ。私⋮⋮いえ、ヒトはこの地に
住みたいと思っている﹂
僅か⋮⋮ほんの僅かだが、皮膚が焼けるような感覚が強まり、刺
すような感覚を伴い始める。
どうやらヒトが自分の周囲に踏み込む事に不快感と不安感を示し
ているらしい。
まあ当然の反応ではあるだろう。
﹁そうね。当然の反応よね。貴方はそこから離れる事は出来ないし、
そもそも貴方は私が生まれるずっと前からこの地で生き続けている
のだから。後から入ってきた私たちの事を何様のつもりだと思うの
は当然よね﹂
インダークの樹が何時から自我を持っていたのかは分からない。
魔力を操れるのはここ最近に入ってからの筈だが、自我の有無に
魔力の多寡は関係ないだろう。
だから、もしかしたらインダークの樹はかつてのマダレム・エー
ネミが腐っていくのをずっと見続けていたのかもしれない。
そして、その中でインダークの樹は何度もヒトの手によって切ら
れかねないような状況に陥っていたのかもしれない。
なのでヒトに対して良くない感情を抱いているのは仕方がない。
1138
﹁だから一つ提案させてもらうわ。貴方の周囲半径15m⋮⋮だい
たいこのハルバード八本ちょっとと言ったところかしら。その地点
に柵を立てて境界とし、それより内側を貴方の領域として認めます﹂
メートル
インダークの樹に変化は見られない。
なお、mと言うのは、この間の度量衡の統一で定めた新たな長さ
の単位である。
﹁貴方の領域にはヒトが入らないようにする。そして万が一柵を越
えてヒトが立ち入った時には⋮⋮そのヒトをどうしても構わないわ。
それこそ何かしらの方法で殺傷して、貴方の栄養源にしても良い﹂
微かだが刺すような感覚が薄れ始める。
どうやら、納得してくれたらしい。
﹁ありがとう。受け入れてくれて。じゃあ⋮⋮﹂
そうして私がインダークの樹から離れ、まずは簡易の柵として地
面を操って境界を明確にしようかと思った時だった。
私の左腕にインダークの樹の魔力がまとわりついてくるような感
覚が生じる。
﹁⋮⋮。お互いに嘘を吐いていないと証明するために契約を交わす
べき。と言ったところかしらね﹂
左腕にまとわりつくインダークの樹の魔力からは、良く砥がれた
ナイフのような気配がしていた。
そして気配の方向性から、インダークの樹が私に何を求めている
のかを理解する。
﹁いいでしょう。死なない程度にならあげるわ。代わりに適当な長
さの枝か幹でも寄越しなさい。それぐらいでないと釣り合わないわ﹂
私は再びインダークの樹に向き合うと、左腕をインダークの樹に
1139
向けてまっすぐに伸ばしつつ、樹の幹を睨み付け、何時でも魔法を
発動できるように身体と精神の状態を整える。
﹁ゴクッ⋮⋮﹂
空気が張り詰め、遠くの方からはリベリオが唾を飲む音が聞こえ
てくる。
そして少し時間が経った頃。
﹁っつ!?﹂
私の左腕の表皮が何本もの刃で切り裂かれ、血が噴き出し、滴り、
周囲の乾いた地面へと吸い込まれていく。
その直後、痛みを堪える私の血まみれの左手の中に納まるように
長さ1m程の枝が飛び込んでくる。
黒い樹皮に厚い葉、淡い青色の花⋮⋮それは間違いなくインダー
クの樹の枝だった。
﹁契約⋮⋮成立ね⋮⋮じゃあ、早速作業を始めさせてもらうわ﹂
私の左腕からインダークの樹の魔力が去って行くのを確認すると、
ヒール
私は不安げな顔を浮かべているリベリオの元へと、血を流しつつ戻
る。
そして、左腕に治癒の魔法をかけると共に、契約通りの範囲が収
まるように周囲の地面を円状に盛り上げ、誰の目にも分かり易い目
印にした。
これで後はきちんとした柵を盛り上げた土の上に立てておけば、
踏み込むのは一部の愚か者だけになるだろう。
﹁ふぅ。これでインダークの樹については心配しなくてもよくなる
わ⋮⋮﹂
私は思わずそう独り言を呟きつつ、夏の青い空を見上げるのだっ
た。
1140
第205話﹁再興−3﹂︵後書き︶
08/29誤字訂正
1141
第206話﹁再興−4﹂
﹁で、その怪我を負ったと﹂
﹁そう言う事になるわ﹂
夜。
私は天幕の中で、腕を組んで仁王立ちをするセンサトから睨み付
けられていた。
﹁はぁ⋮⋮ソフィール将軍。少しは自分の身の重要性と言うものを
考えてください﹂
﹁ちゃんと考えているわよ。インダークの樹との協定は取り付けた
し、枝だって一本貰えたんだから。これで左腕が傷だらけになって、
大量の血を流すだけで済んだんだから、十分釣り合っているわ﹂
私は包帯を巻き付けた自分の左腕を見る。
インダークの樹に付けられた傷は、治癒の魔法によって傷口その
ものは塞ぐ事が出来た。
が、インダークの樹の魔力の影響なのか、普段の傷と違って傷口
は塞がっても、痕が残ってしまった。
左腕を動かすのに支障はないが⋮⋮魔法を使ってこれなので、傷
跡を完全に消すのはもう無理だろう。
﹁私としてはヒトと契約を交わすように、樹と契約を結ぶと言う考
え方自体に異議を唱えたいんですけどね﹂
﹁私だって普通の樹相手に交渉なんてしないわよ。けれど、相手は
凡百の魔法使い⋮⋮いえ、場合によっては英雄よりも大量の魔力を
有し、明確な意思を表している相手だもの。それ相応の敬意を払う
べきだわ﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
1142
センサトは納得がいかないと言わんばかりの表情をしている。
対する私はどうと言う事はないと言う表情を浮かべる。
まあ、ヒトの常識で考えたら私の行動が理解しがたい物だと言う
のは分かる。
だが既に交渉は行われ、協定は結ばれた。
つまりセンサトが何を言おうとも、何を思おうとも、もう状況は
動かないのである。
と言うわけで、センサトには諦めてもらう他ないのである。
﹁はぁ⋮⋮分かりました。この件についてはもう私から言う事はあ
りません。ただ、兵に不安を与えないようには気を付けてください﹂
﹁言われなくても﹂
よし折れた。
ただまあ、センサトが言う通り、兵に不安を与えるのはよくない
ので、何かしらの対策は講じておくとしよう。
後、手に入れたインダークの樹の枝をどう加工するかは⋮⋮暇を
見て考えるか。
リベリオ曰く、あの枝にも結構な量の魔力があるらしいし、迂闊
に手を付けたりばら撒いたりするのはよくないだろう。
﹁それでセンサト。作業の方は?﹂
さて、本題である。
今日一日、センサトには私に代わって城壁の修復作業の監督をし
てもらっていた。
そして、インダークの樹との交渉が難航する場合に備えて、今日
の報告は全てセンサトの元に届けるようにしておいたので、他の作
業の進捗具合についてもセンサトは報告を受けているはずである。
﹁ほぼ計画通り、と言ったところですね﹂
﹁ほぼ?﹂
1143
﹁ほぼです。城壁については、ベノマー河の妖魔に多少邪魔されま
したが、簡易の木壁は設置完了。城壁の損壊状況についても確認が
済んでいて、計画通りに進んでいます﹂
﹁ふむふむ﹂
センサトは特に報告書のようなものは見ずに、口頭で城壁関連に
ついての話をする。
﹁市街地の確認は大方完了。地下水路については老朽化による崩落
の危険性と、妖魔の侵入の可能性を考慮して、自然に開いた穴を含
めた入口と入口にほど近い範囲の確認を行うだけに留めています﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁ただ、地下水路に妖魔が居たのか、地下水路を探索していた兵士
が一名行方を眩ませています﹂
﹁ふうん﹂
実を言えば、地下水路については使役魔法によって大方把握済み
だったりする。
センサトの言った行方不明の兵士についても、丁度いい位置に居
たという事で私が捕えて食べた兵士の事であるし。
﹁つまり、事故なんかは何も無かったのね﹂
﹁ええまったく⋮⋮ああいや、計画に従わず、崩落の危険性がある
場所に重い荷物を持った状態で入った奴が居て、案の定崩落が起き
たと言う事故が一件あったらしいです﹂
﹁⋮⋮。大事故じゃないの?それ﹂
﹁幸いな事に怪我人は軽傷者が数名出ただけらしいので、報告を忘
れていました。申し訳ありません﹂
﹁まあ、思い出してくれたなら問題はないわ﹂
センサトがマダレム・エーネミの地図を取りだし、事故が有った
場所を指さす。
うーん、それにしても道が崩落するような事故が起きて、軽傷者
1144
だけで済むとは⋮⋮事故が起きた時刻は⋮⋮私とインダークの樹の
交渉が終わった頃か。
﹁これも御使いの加護なんですかね?﹂
﹁どちらかというとインダークの樹の加護のような気もするわ﹂
﹁?﹂
﹁ま、兵士が無事ならそれでいいわ﹂
センサトは何を言っているんだという表情を浮かべているが、御
使いの加護なんてものが存在しない事は私自身が良く分かっている
ので、何かをしてくれた存在が居ると言うのなら、インダークの樹
の方が可能性は高いと思う。
﹁それで後言う事は?﹂
﹁後は⋮⋮﹂
で、その後も私はセンサトから今日マダレム・エーネミ内で起き
た事の報告を受け取る。
そうして一通りの報告を受け取り終った後。
﹁ソフィール将軍。マダレム・バヘンとマダレム・シーヤの連中は
どう動きますかね?﹂
﹁バヘンには敵意が無い事は既に書簡で送っているわ。シーヤの方
は⋮⋮治めている七天将軍の性格上、いきなり攻め込んでは来ない。
そもそも、どちらの都市もベノマー河を一気に越える為の準備はま
だ整えていないはず。だから暫くは⋮⋮あっても多少の交渉ぐらい
でしょうね﹂
﹁ただ油断はできないと﹂
﹁ええ、裏でコソコソと動いている連中は相変わらず居るわ。ま、
その辺りは私が何とかするわ﹂
﹁期待しています﹂
そう会話を交わして、今日はもう休むことにした。
1145
第207話﹁再興−5﹂
﹁⋮⋮来たか。センサト﹂
﹁何ですか?﹂
マダレム・エーネミの復興作業を始めてから一週間経った日の午
後。
私の目が彼らの存在を捉える。
﹁川舟の用意を。一隻でいいわ﹂
﹁⋮⋮。分かりました。至急準備させます﹂
私の川舟を準備しろという言葉に、センサトが何かを察した様子
で天幕の外に出ていく。
﹁リベリオ。貴方も装備を身に着けて準備をしなさい。ただし、戦
闘は相手が襲ってきた場合に限るわ﹂
﹁分かりました﹂
私が鎧やハルバードを身に着ける傍らで、リベリオも当初よりは
るかに似合うようになってきた鎧を身に着けていく。
と言っても、まだ13歳の少年。
まだまだ着られている感じはしている。
まあ、あと数年もすれば、そんな気配は微塵もしなくなるだろう
が。
﹁準備整いました﹂
﹁よし、それじゃあ行きましょうか﹂
私とリベリオは揃って天幕の外に出ると、街の東⋮⋮ベノマー河
に面した方へと歩いて向かう。
1146
﹁ところでソフィールさん?﹂
﹁何かしら?﹂
﹁その、マダレム・エーネミに誰かが近づいて居る事は分かったん
ですけど、一体どうやって近づいてきている事を知ったんですか?﹂
﹁ああその事﹂
﹁はい。ずっと前から気になってはいたんです。いったいどうやっ
てソフィールさんが遠く離れた場所の事を、まるで自分の目で見て
いるかのように察していたのかを﹂
﹁んー⋮⋮そうねぇ⋮⋮﹂
私の姿を見て作業を止めようとする兵士や職人たちを手の動きで
制止しつつ、私はリベリオの質問に耳を傾け、考える。
リベリオに今私が使っている魔法の事を話して良いのかを。
うんまあ、リベリオなら話しても大丈夫か。
﹁上を見てみなさいな﹂
﹁上?﹂
私は指を上に向け、リベリオが私の指の先にあるもの⋮⋮雲一つ
ない青い空と、そんな空を気ままに飛ぶ一匹の鳥を見る。
﹁えーと、空以外には鳥しか見えないんですけど⋮⋮﹂
﹁その鳥が私の魔法よ﹂
﹁え!?﹂
﹁あの鳥が見ている物が、私にも見えているの﹂
﹁え、あ、なるほど⋮⋮﹂
私の言葉にリベリオは驚きつつも、何処か納得したかのような表
情を見せる。
クロウ
ゴーレム
さて、詳細はワザと省いたが、実はあの鳥は本物では無かったり
する。
スネーク
ゴーレム
魔法の名は忠実なる烏。
忠実なる蛇と同じく、魔石を核とした土の肉体を持つ土人形の一
1147
種である。
空を飛べるだけと言う実に単純な能力であるが、少しでも戦術や
戦略を齧った者ならば、敵の手が及ばない上空から周囲を監視でき
るこの魔法の優位性は直ぐに分かるだろう。
なにせ戦場の状態を自分の目で一望することも、都市の警備の状
態を探る事も簡単に出来るのだから。
﹁ソフィール将軍!ベノマー河の対岸にマダレム・バヘンの旗を掲
げる一団が!﹂
﹁分かっているわ。私が対応するから、貴方たちは作業の手を止め
ないようにして﹂
﹁わ、分かりました!﹂
私は物見の兵からの報告を受けつつ、修復途中の城門をくぐり、
その先に用意された川舟へと向かう。
そして、報告通りに川向うにマダレム・バヘンの旗を掲げる一団
が居る事を確認しつつ、センサトが用意しておいてくれた川舟へと
乗り込んで、渡河を始める。
﹁一応言っておくけど、私たちが船を降りたら貴方も船ごと岸に登
っておいてちょうだい。ベノマー河に背を向けて川岸に立っている
のは危険過ぎるわ﹂
﹁分かりました﹂
川岸の集団にこちらへと攻撃を仕掛ける意図は見られない。
なので、私とリベリオは揃って船を降りると、船頭が船を岸へと
無事に上げたことを確認してから、三人で揃ってマダレム・バヘン
の旗を掲げている集団へと近づいていく。
﹁そこでお止まり下さい﹂
やがて、私たちの前にマダレム・バヘン⋮⋮マダレム・エーネミ
の東側に位置する都市国家の中で一番マダレム・エーネミに近い都
1148
市国家の旗と、東部連盟の旗を掲げた完全武装の集団が現れる。
﹁さて、まずはお互いに自己紹介をするべきですかな﹂
﹁そうかもしれないわね﹂
集団の中の一人、馬に乗っていたヒトが馬から降りて、被ってい
た兜を外す。
状況から考えて、この金色の髪と髭、緑色の瞳の巌のような顔つ
きで、背中に槍を携えている男性がこの集団のトップなのだろう。
まあ、いずれにしてもまずは自己紹介である。
﹁私は西部連合のソフィール・グロディウス。マダレム・エーネミ
復興の任をセレーネ・レーヴォル陛下より授かったものです﹂
﹁私はマダレム・バヘン第二中隊の隊長、オリビン。マダレム・エ
ーネミにて西部連合の者が何かしらの活動を行っているという報告
を受け、偵察に来た者です﹂
私の自己紹介に合わせるように、礼儀正しい所作でオリビンさん
も自己紹介をする。
これだけでも、オリビンさんがただの猪武者でない事は間違いな
いだろう。
﹁さて、ソフィール殿。貴殿には幾つか質問がございます。お答え
いただけますか?﹂
﹁私に応えられる範囲の質問であるならば、お答えいたしましょう﹂
﹁ありがとうございます﹂
これならば、私も礼儀正しく、誠実に接する事に異は無い。
さて、実りある交渉が出来ればいいのだけれど⋮⋮どうなるかし
らね?
1149
第207話﹁再興−5﹂︵後書き︶
08/31誤字訂正
1150
第208話﹁再興−6﹂
﹁ではまず一つ目。何故マダレム・エーネミなのですか?﹂
﹁何故マダレム・エーネミなのか。それはマダレム・エーネミを復
興させた理由と言う事ですわね﹂
﹁そうです﹂
オリビンさんは私の背後で今も工事が進められているマダレム・
エーネミの城壁を見つつ、私に質問を投げかけてくる。
﹁理由は複数ありますわ﹂
﹁複数⋮⋮ですか﹂
﹁一つ目はマダレム・エーネミの位置が、交易の拠点として適当で
あるという事﹂
﹁ほう、交易﹂
マダレム・バヘンの位置は、マダレム・エーネミから見て東側に
あり、距離も南にあるマダレム・シーヤと同じ程度である。
そして、東部連盟に属する都市国家の中で、一番マダレム・エー
ネミに近い都市でもある。
よってマダレム・シーヤの奪還と、ベノマー河を簡単に越える方
法の確立さえ出来れば、マダレム・バヘンとマダレム・エーネミは
東部連盟と西部連合の交易と交渉の窓口として大いに活用する事が
出来るのである。
﹁二つ目はマダレム・エーネミと言う土地が、テトラスタ教にとっ
て非常に重要な土地であるという事﹂
﹁ふむ。テトラスタ教にとってマダレム・エーネミは御使いが降臨
し、邂逅者テトラスタに教えを授けた地でしたな﹂
﹁そうです。その為、今回のマダレム・エーネミ復興にはマダレム・
1151
イーゲンの教会本部から、﹃輝炎の右手﹄のルズナーシュ様を含め、
多くのテトラスタ教徒に協力をしていただいております﹂
﹁なるほど﹂
私の言葉にオリビンさんは自身の背後を見る。
東部連盟では西部連合程テトラスタ教は栄えていないはずだが、
それでも少なくない数のテトラスタ教の教徒が含まれているのだろ
う。
この時点で、オリビンさんがマトモに損得勘定を出来るなら、マ
ダレム・エーネミに対して暴力的な手段を取る事は論外と言う事は
理解してもらえるだろう。
﹁三つ目はとある盗賊を討つための橋頭保としての役割です﹂
﹁ほう、盗賊。西部連合ではわざわざ都市一つを新たに作る様な規
模の盗賊が出るのですか?﹂
﹁ええ、とても大規模で厄介な盗賊が出ますの。ノムンと言う男を
頭とする南部同盟と言う名の盗賊が﹂
﹁!?﹂
私は薄く笑みを浮かべながら放った言葉に、オリビンさんは一瞬
驚いた様子を見せる。
だが直ぐに何故私がこんな言葉を放ったのかを理解して、笑みを
深める。
﹁ははははは、盗賊。言われてみれば確かにそうでしたな﹂
﹁ええ、彼らはセレーネ様が継ぐはずだった土地を力で奪い取った
挙句、そこに住む人々を私欲で苦しませ、自分たちの快楽を第一と
している。これを盗賊の所業と呼ばずにおくわけにはいきませんわ﹂
﹁ええ、ええ。その盗賊については、我々東部連盟も大いに悩まさ
れております。マダレム・シーヤの彼女についてはともかく、他の
連中は正に盗賊そのものと言った様子ですからな﹂
﹁ふふふふふ、ご理解頂けてなによりですわ﹂
1152
私とオリビンさんは南部同盟の事を盗賊と称する考え方に協調の
意を示し、笑い声を上げ合う。
実際、マダレム・バヘンは東部連盟にとって西部連合の様子を見
る拠点と言うだけでなく、南部同盟の侵攻を防ぐための砦と言う役
割も有している。
必然、それだけ南部同盟の被害も被っているので、彼らの所業が
盗賊のそれとまるで変わらないのを何度も見せられているのだろう。
だから、私の言葉にこれほど同調してくれるのだろう。
﹁ははははは⋮⋮はぁ、しかしそうなるとソフィール殿。西部連合
は東部連盟と争う気はない。と言う事でよろしいのですかな?﹂
﹁ええ、少なくとも私には東部連盟と争う気はありません。そして
セレーネ陛下にも東部連盟と争うつもりはないでしょう。むしろ南
部同盟討伐にあたっては、協力をしていただきたいぐらいです﹂
﹁確かに。東と西、双方から攻め込めば、如何にノムンが軍略に優
れていようとも、苦境に立たされることは必定でしょうな﹂
﹁ええ、それは間違いないでしょうね﹂
私の言葉を信じてくれたのか、オリビンさんは笑顔のまま頷いて
くれる。
実際、現時点でセレーネが東部連盟を敵に回す可能性は皆無だろ
う。
なにせ東部連盟と戦争をしたりすれば、益が無いどころか、無闇
に戦を起こしたとして、テトラスタ教から愛想を尽かされ兼ねない
のだから。
まあ、そうでなくともセレーネの性格上戦いは最小限に抑えたい
と考えるだろうし、私もそうするつもりだが。
﹁分かりました。では、上への報告では、西部連合に我々と敵対す
る意思はなく、むしろ良き隣人として手を取り合う未来を望んでい
るとお伝えしましょう﹂
1153
﹁ありがとうございます。ただ、今の言葉に加えて私からも一つ。
﹃真に危険なのは目に見える刃ではなく、目に見えない毒である。
どうかお気を付けを﹄と、お伝えください﹂
﹁目に見えない毒⋮⋮ですか﹂
﹁そうです。南部同盟にはリッシブルーと言う猛毒が居ますから﹂
﹁分かりました。必ずお伝えいたしましょう﹂
私の言葉にオリビンさんは真剣な顔つきで頷く。
実際、リッシブルーの危険度はロシーマスや他の七天将軍の比で
はない。
注意し過ぎて足りないと言う事はないだろう。
﹁では、我々はこれにて。貴君の無事を影ながら祈らせていただき
ます﹂
﹁ありがとうございます。私も貴方の無事を祈らせていただきます
わ﹂
そうして互いに敬礼をし合うと、オリビンさんは去って行った。
うん、良いヒトだった。
今後も良い付き合いを続けたいものである。
1154
第209話﹁再興−7﹂
﹁うん、問題なさそうね﹂
マダレム・エーネミの復興を始めてから半年ちょっとが経った。
いやぁ、この半年間は本当に大変だった。
マダレム・エーネミ内の事に限っても、城壁、上水道、各種建造
物の建築作業の監督に、不満が出ないように兵士や職人への配給、
当初連れてきた住民や商人以外への対応等々、実に多くの問題が発
生し、その対応に私もリベリオもセンサトもルズナーシュも奔走さ
せられることになった。
マダレム・エーネミの外でもセレーネの為に表裏両方で色々と動
くことになったし、ちょっかいをかけて来る南部同盟へ対応する必
要が有った。
ただまあ、幸いな事に今の西部連合にはウィズとティーヤコーチ
の二人を筆頭として、優秀なヒトが何人もいるし、お目付け役では
無いが、それに近い立場としてリリアも居たので、問題らしい問題
が起きる事は無かったが。
﹁さて、これは⋮⋮まあ、適当に保管しておけばいいわね﹂
私の血と引き換えに得たインダークの樹の枝の加工も粗方出来た。
具体的には枝が太めの部分を用いて指輪を造ったり、私が持って
いるサブカの剣の持ち手として加工を施したり、枝の先の方を少し
だけ弄って小型の杖にしたりだ。
通常のヤテンガイの樹と違って幹の中まで真っ黒なインダークの
樹でこれらの品を作った影響は、試用がまだなので分からないが、
リベリオ曰く目に見えるレベルで魔力を放っていて、明らかに普通
ではないとの事なので⋮⋮まあ、十分な安全を確保した上で試すべ
きだろう。
1155
﹁ソフィール将軍﹂
十二月
﹁来たわね。入りなさい﹂
で、今は冬の三の月の初めごろ。
この日私はインダークの樹を囲むように建てられた私の仮の住ま
いに、とある人々を招いていた。
﹁失礼します!﹂
部屋の中にセンサトを先頭にして、ルズナーシュと壮年の男性が
数人部屋の中に入ってくる。
﹁やあやあ、ソフィール将軍。今日は招いてくれてありがとう﹂
﹁こちらこそ求めに応じていただきありがとうございます。みすぼ
らしい家屋で申し訳ありませんが、どうぞこちらへ。今日は皆様に
見せたいものがありますの。リベリオ﹂
﹁はい﹂
﹁ははははは、実利を優先して装飾が無いだけでしょう。それなら
ば、むしろ誇るべきだと私は思いますぞ﹂
﹁ふふふ、そう言っていただけると、私としても嬉しいですわ﹂
私は彼らを部屋の中央に置かれた大きな机の周りに集めると、リ
ベリオに言って机の上に一つの模型と複数種類の羊皮紙を各二部ず
つ乗せてもらう。
﹁ふむ、将軍この模型は⋮⋮マダレム・エーネミ前のベノマー河の
模型。で、いいのですかな?﹂
﹁こちらの資料は⋮⋮柱⋮⋮いや、アーチですかな?﹂
﹁ほほう、これは網ですな。それも鉄線を仕込んだ﹂
﹁おおっ、こちらは計画書ですな。ほぉ⋮⋮﹂
ルズナーシュと一緒に入って来た男性たち⋮⋮今マダレム・エー
ネミの復興作業を行っている職人たちの長は私が用意したものを早
1156
速検分し始め、直ぐにそれがどう言うものなのかを理解し始める。
うん、流石はテトラスタ教が今回の為に用意した職人たちだ。
理解が速い。
﹁ソフィール将軍。もしや貴方様は⋮⋮﹂
﹁ええ、今後のマダレム・エーネミのため⋮⋮いえ、ヘニトグロ地
方全域の利益の為にも、ベノマー河に橋を架けようと考えています﹂
私の言葉に職人たちの表情が一層真剣な物になる。
と同時に、ルズナーシュは面白そうだという表情を浮かべ、セン
サトとリベリオはどうなるのかと言わんばかりに不安そうな表情を
浮かべる。
﹁ほう。ベノマー河に橋を架ける。実に面白い発想ですな。それが
実現すれば、南部同盟の領内を通る事も無く、河舟で危険なベノマ
ー河を越える事も無く、今まで以上に東西の交流は盛んになるでし
ょうな﹂
﹁ええ、その通りです。そうして得られる益は信じられない程の量
になりますし、ベノマー河以東に住むテトラスタ教の教徒もマダレ
ム・エーネミを訪れやすくなるでしょう。そして何よりも⋮⋮これ
が実現すれば、ベノマー河と同じように危険な河を克服する事も出
来るようになるでしょうね﹂
さて、問題はここからだ。
今のルズナーシュは非常に面白いと言う表情を浮かべている。
が、ルズナーシュはマダレム・エーネミにおけるテトラスタ教関
連の諸々一切に口を出す権利を有している。
そして、計画を立てるのは私でも、実際に作業を行うのは職人や
一般労働者⋮⋮つまりはテトラスタ教の信者である。
つまり、私の計画に不備や不明瞭な点、信者を無為に危険に晒す
ような箇所が有れば、容赦なく指摘してくるだろうし、それに私が
応えられなければ、良くて計画を練り直すように、悪ければ計画を
1157
破棄するように言ってくるだろう。
それがルズナーシュと言う英雄なのだ。
﹁では質問です。ベノマー河に生息する大量の妖魔。これはどうな
さるおつもりですかな?﹂
﹁その点については⋮⋮﹂
私とルズナーシュは、職人たちが計画書や設計図の検分を行って
いる横で、ベノマー河の橋架けについての議論を交し始める。
それはベノマー河の妖魔対策に始まり、橋の設計、東部連盟との
交渉、南部同盟が仕掛けて来るであろう妨害への対策、果てには橋
の運用や橋が奪われた際にどうするのかと言った事柄まで。
私とルズナーシュに想定可能なあらゆる問題について議論を行い
⋮⋮気が付けば日が暮れるどころか、昇り始めていた。
﹁ふぅ⋮⋮なるほど。これならば確かに問題なさそうですな﹂
﹁納得していただきありがとうございます﹂
だがその甲斐もあって、何とかルズナーシュにベノマー河に橋を
掛けると言う案は了承してもらえたのだった。
1158
第209話﹁再興−7﹂︵後書き︶
橋架けって今も昔も大工事なんですよねぇ
09/02誤字訂正
1159
第210話﹁婚姻−1﹂
﹁では、失礼いたします﹂
十二月
﹁ええ、ありがとうね﹂
冬の三の月の中頃。
私の元にセレーネから早馬で一つの手紙が届けられていた。
サインは⋮⋮セレーネの物しかないか。
と言う事は、割と個人的な手紙と考えていいだろう。
西部連合全体に関わる様な重大な事柄なら、最低でもウィズとテ
ィーヤコーチのサインも書かれるはずだし。
﹁ふうむ?﹂
だが、手紙の中身を見た私は困惑せずにはいられなかった。
﹃ソフィールさんに至急相談したい事が有ります﹄とだけ書かれ
ていたのだから。
﹁至急相談したい事が有る⋮⋮か﹂
私は周囲にヒトの目が無い事を確かめると、目を瞑り、地脈を伝
ってマダレム・セイメにあるグロディウス商会の屋敷へ、そして屋
敷内に広がる庭の一角の地面へと意識を集中させる。
そこに置かれているのは加工済みの魔石が一つに、真球になるよ
スネーク
ゴーレム
うに磨かれた水晶玉が一つ。
と言うわけで、忠実なる蛇の魔法を発動。
周囲の地面ごと私の身体の一部として扱い始める。
﹃よし成功。と、丁度いいところに﹄
私は土の蛇の周囲に誰も居ない事を確認すると、この姿を見ても
驚かない人物を探して周囲を這い始め⋮⋮直ぐに休憩中と言った様
1160
子のトーコを見つける。
うん、実に丁度いい。
私は直ぐにトーコに声をかけた。
−−−−−−−−−−−−
﹁おや、トーコ様。休憩中だったはずなのにどうされたのですか?﹂
﹁ソフィルんのお使いでね。ちょっとセレーネ様に渡す物が出来ち
ゃったの﹂
﹁念の為に中身を確認しても?﹂
﹁いいよー。ただの土と魔石と水晶玉みたいだしね﹂
﹁ふむ。確かにそのようですね。どうしてこのような物をソフィー
ル様は?﹂
﹁さあ?分かんない。とにかくお役目ご苦労様﹂
﹁トーコ様こそお疲れ様です﹂
私はトーコに運ばれて、数ヶ月前に結成されたばかりのセレーネ
の親衛隊のチェックを堂々とやり過ごしつつ、セレーネが休んでい
る部屋の中に入り込む。
素通ししていいのかと一瞬思ってしまうが⋮⋮まあ、魔石は使い
手がすぐ傍に居ないといけないし、トーコは魔法をほぼ使えないか
ら、親衛隊の対応は間違ってはいない。
そもそも私が今使っている忠実なる蛇の魔法と、地脈を解した遠
隔地での魔法使用については殆どのヒトに知られていないし、これ
は仕方がない。
ぶっちゃけトーコだって例の鍋を利用して、大量の武器を隠し持
っているようなものだしね。
﹁やっほー、セレネん﹂
1161
﹁トーコさん。どうしたんですか?﹂
さて、それで肝心のセレーネの様子は?
見かけ上は特に変化はない。
疲れている様子も、焦っている様子も感じられない。
休憩中という事で本を読んでいたようだが⋮⋮うーん、軍略とか
政治とか哲学の本を読むのは果たして休憩になるのだろうか。
少しだけ不安になる。
﹁ソフィルんのお使いだよ﹂
﹁ソフィールさんの?﹂
トーコが私が入っている袋を机の上に置く。
﹁元気そうね。セレーネ﹂
﹁!?﹂
﹁まー、そう言う反応だよねー﹂
で、置かれたのに合わせて私は袋の中から顔を出し、言葉を発す
る。
すると私の姿を見たセレーネは一瞬だけ大きく驚き、直ぐに色々
と得心が行ったのか、落ち着きを取り戻す。
﹁ソフィールさんでいいんですね﹂
﹁ええ、問題ないわ。この子が見ている物は、私にも見えているし、
この子が聞いている物は私にも聞こえている。当然言葉も私の意思
に基づいて発せられている物よ﹂
﹁凄いですね⋮⋮﹂
﹁まあ、偵察と会話にしか使えない魔法だけどね﹂
﹁よく言⋮⋮あ、私は外に出てるねー﹂
余計な事を口走りそうになったトーコを視線で制しつつ、私は改
めてセレーネの顔を観察する。
が、表情からは特に悩みの内容などは読み取れそうになかった。
1162
うーん、セレーネも表情を隠すのがうまくなったものだ。
﹁で、相談と言うのは?﹂
﹁はい﹂
まあ、分からない時は素直に聞けばいい。
と言うわけで、トーコが部屋の外に出て行ったところで、私はセ
レーネに問いかける。
ちなみに部屋の前には女性の親衛隊が二人居て、窓の方も常にヒ
トが監視しているが、この部屋の壁は割と壁が厚いので、普通に話
をするだけなら聞き耳を立てられていても大丈夫である。
﹁相談と言うのは⋮⋮﹂
さて、セレーネの相談事だが⋮⋮それは確かに厄介なものだった。
﹁私の結婚についてです﹂
﹁結婚⋮⋮ねぇ⋮⋮﹂
私は自分の眉間の皺が深くなっているのを感じ取る。
と言うか、深くならないわけが無かった。
私の中でも特に奥深いところが疼き、波立ち始めているのを私は
既に感じ取っていた。
﹁もしかしなくても、婚姻と引き換えに色々な援助を行うと言い出
した連中が出てきたのね﹂
﹁ははははは、分かりますか﹂
私の言葉にセレーネが乾いた笑みを浮かべる。
彼女が⋮⋮ヒトの方のソフィアがセレーネの笑みに反応する形で
騒ぎ始めている。
勿論抑え込む事も出来るが⋮⋮恐らくその必要はないだろう。
﹁セレーネ。何が有ったのかを詳しく話してみて頂戴﹂
1163
﹁はい﹂
この件については私の考えも彼女の思いも大して差はない筈だろ
うから。
1164
第211話﹁婚姻−2﹂
﹁最初はムーブレイと言う方の甥のエキタズと言う方が私に求婚し
てきたんです﹂
﹁ふむふむ﹂
ちっ、あの能無し共め、余計な事を。
私は内心でそう毒づきつつも、その思いを表に出さずセレーネに
話の続きを促す。
﹁そうしたら次から次へと、私に結婚を申し込む方、婚約だけでも
と望む方が次から次へと出て来まして⋮⋮﹂
セレーネの視線が部屋の片隅で積み重ねられた大量の羊皮紙へと
向かう。
どうやらアレがセレーネに求婚してきた連中のリストであるらし
い。
と言うわけで、私はセレーネに頼んで羊皮紙の内容を見させても
らう。
まあ、羊皮紙の中身が求婚の内容で分類されている事から分かる
ように、婚約だけでもと望んだ連中の中には、あわよくばとか、後
で断られるのを前提とした物とか、セレーネの安全確保を目的とし
て行動を起こした者も居るだろうし、問答無用の処分はしないが⋮
⋮ムーブレイとその一族には今から覚悟しておいてもらおう。
﹁それで今はウィズさんたちが防波堤になって、出来るだけ穏便に
断る方法を模索していただいている所なんです﹂
﹁なるほどね﹂
なるほど、ウィズは既に動き出しているのか。
となれば今回の問題も遠からず解決することになるだろう。
1165
そもそもとして今回求婚してきた連中の中で、本気で求婚してき
ている連中は片手で数えられる程度だろうし、大半は断られても仕
方がないと思っているだろう。
と言うかまだ十四歳にもなっていないセレーネに対して、婚約で
はなく今すぐ結婚する事を望むような奴は、色々と問題があると思
う。
﹁で、エキタズたちから何を言われたの?﹂
﹁!?﹂
まあ、その辺りについてはウィズに任せて、私はセレーネの説得
に当たるとしよう。
ウィズたちが断る方向で動いているのに、セレーネがあんな手紙
を私に送ってきたと言う事は、それ相応の事情があってしかるべき
なのだから。
﹁分かり⋮⋮ますか﹂
﹁分かるわよ。貴女が賢い子だというのはよく分かっているもの。
で、言われたのは⋮⋮婚姻と引き換えに各種方面での援助をすると
か、そんな感じかしら﹂
﹁ははは、そこまで分かるんですね。流石はソフィールさんです﹂
﹁嫌でも分かるわよ。自身に魅力が無い男が頼るのは暴力と権力だ
って相場が決まっているもの﹂
私の中の彼女が今まで以上に苛立ち、騒ぎ出し始めるのを感じつ
つも、私は言葉を紡ぐ。
対するセレーネは⋮⋮全てを見透かされていたためか、何処か気
まずそうにしている。
実際セレーネは考えてしまったのだろう。
自分が何処かの家の有力者と結婚することによって、その家の力
を利用すると言う未来を、その有用さを。
その賢さ故に求婚してきた者たち以上に正確に、子細に。
1166
だがしかしだ。
﹁ソフィ⋮⋮﹂
﹁ただね。セレーネ。そんな好きな女ひとり自分の力で惚れさせら
れないような男とその男の周囲が持つ力、そんな物がこの私の作り
上げたグロディウス商会の力とテトラスタ教の権威を上回れると思
う?﹂
﹁でも⋮⋮﹂
﹁貴女の味方であるティーヤコーチたちの力が、貴女の為に戦う事
を決めた親衛隊や兵士たちの力が、この先戦い抜くのには不十分だ
と思う?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ついでに言わせてもらうのなら⋮⋮グロディウス商会含めて、私
たちはまだまだ成長途中なの。それに、この先まだ見ぬ味方が出て
くる芽は十分過ぎるほどにあるのよ。だからはっきりと言わせても
らうわ﹂
一つ思い出してもらいたい。
シチータは南部同盟内での権力基盤を安定させるためにフムンの
母親だけでなく、ノムンの母親とも結婚した。
だが、ノムンの親族は自分たちの事しか考えない連中だった。
結果、今のヘニトグロの惨状に繋がってしまった。
権力の為に結婚することが絶対に悪い事であるとは言わない。
だが少なくとも今セレーネに求婚をしてきているような連中と結
婚した場合、シチータの二の舞になる事は間違いないだろう。
故に全力で阻止する。
﹁セレーネ。私は貴女が一生を添い遂げたいと思える相手と結ばれ
ることを望むわ﹂
﹁一生を添い遂げたいと思える相手⋮⋮﹂
﹁私たちのことなど気にせず、貴女自身が愛する相手と結ばれなさ
1167
い。私たちの事を大切に思うのなら⋮⋮ね﹂
﹁はい﹂
私の言葉にセレーネが力強く頷く。
うん、これならもう大丈夫だろう。
少なくとも今回求婚してきたような連中に釣られる事だけはない
はずである。
﹁さて、それじゃあ私はそろそろお暇させてもらうわ。身の回りに
は気を付けてね﹂
スネーク
﹁求婚を断られたら、妙な事をしだしかねないから。ですね﹂
﹁そう言う事﹂
﹁はい、十分気を付けます﹂
ゴーレム
セレーネが警備を厳しくすることを約束した所で、私は忠実なる
蛇の魔法を解除する。
これで後はトーコが適当に屋敷の庭に戻しておいてくれるだろう。
﹁それにしても⋮⋮﹂
私は部屋の中に誰も居ない事に安堵しつつ、余人には決して見せ
られないような笑みを浮かべる。
﹁リッシブルーの手駒にも選ばれないような連中が、随分と舐めた
真似をしてくれたじゃない。ふふふ、ふふふふふっ、うふふふふ⋮
⋮﹂
頭の中に西部連合の各地にバラ撒いてある魔石の位置を思い浮か
べる。
﹁いい度胸だわ﹂
そして私は忠実なる蛇の魔法を発動した。
1168
妖魔の襲撃
なお、この相談の数日後、西部連合の有力者数名が不幸な事故で
命を落とした。
まあ、たかが十の妖魔が上下左右から僅かに時間差を付けて襲っ
てきた程度で死ぬような連中であるので、西部連合にとっては大し
た被害ではない。
むしろ連中の財産で幾らか西部連合の懐が暖まったので、益が有
ったぐらいかもしれない。
いやぁ、偶然とは恐ろしい物である。
1169
第211話﹁婚姻−2﹂︵後書き︶
偶然ッテコワイナー
09/03誤字訂正
1170
第212話﹁橋架け−1﹂
﹁ソフィール将軍。準備、整いました﹂
二月
﹁分かりました。では、作業を開始してください﹂
レーヴォル暦一年、春の二の月。
冬の寒さも薄れてきた頃、各種準備も整ったという事で、私は例
の計画⋮⋮ベノマー河に橋を架ける作戦を始めることにした。
﹁はっ!﹂
作業開始の号令と共に、数隻の河舟がロープの片側を持った状態
で、川の流れと妖魔の両方に注意を払いながら渡河を始める。
まあ、今回の作戦は私の持てるすべての知識と伝手の大半を利用
する形で立案、実行されている物なので、警戒している兵士には悪
いが、少しでも安全性を確保すると言う事で、実は既にベノマー河
のこの辺りに住んでいる妖魔たちにはベノマー河の下流に移動させ
ていたりする。
下流の住民は大量発生した妖魔によって被害を受けるが⋮⋮まあ
南部同盟の戦力を削る事に繋がるので問題はないだろう。
﹁ロープの設置、完了いたしました!﹂
﹁では第二段階へ﹂
﹁了解いたしました!﹂
そうこうしている内に河舟は対岸に到達。
兵士たちは対岸の予め定めてあったポイントに杭を撃ち込むと、
引っ張ってきたロープの片側を杭にしっかりと結びつける。
そしてロープがしっかりと張られたところで、無数の河舟を川の
流れに対して平行になるように並べると、河舟と先程張ったロープ
を結びつけ、河舟同士もある程度の余裕を持たせた上で繋げていく。
1171
で、最後に河舟の上に木の板を並べて、簡易の橋を造り出す。
これで大きな資材でも簡単に対岸まで運ぶことが出来るようにな
るだろう。
南部同盟
川の流れと風の吹き方によってはかなり揺れるが⋮⋮まあ、そこ
は慎重に作業をやってもらしかない。
﹁資材の運搬と砦の建造開始します!﹂
簡易の橋が出来上がったところで、次は対岸に盗賊と妖魔対策と
して、簡易の砦を建築する。
こちらはマダレム・エーネミの城壁を直した時と同じで、まずは
木材で簡易の砦を建築し、その後に橋の完成後も関所として兼用出
来るような石造りの砦を造る予定である。
なお、ベノマー河を渡った先は一応東部連盟の領域と言う事にな
っているため、事前にオリビンさんを通じてマダレム・バヘンと交
渉をし、砦の設計図の写しと今後緊急時にマダレム・バヘンの者に
も砦を使用する権利などを与えることで、砦の建築を行う許可を貰
っている。
まあ、これぐらいの譲歩は致し方ないと言うか⋮⋮流石に東部連
盟の中でも前線と呼ぶべき位置の都市を運営しているだけあって、
マダレム・バヘンの有力者たちは抜け目がなかった。
ま、彼らとの今後の関係も考えると、むしろこれで良かったのか
もしれない。
﹁網の設置を開始します!﹂
さて、砦についてはこれぐらいにしておくとして、橋の建造に話
を戻すとしよう。
実際には既に居ないはずだが、ベノマー河の中には水棲の妖魔が
大量に生息している。
そのため、河の中で作業をするにあたっては、妖魔対策は必須に
他ならなかった。
1172
ではどうやって妖魔に襲われないようにするのか。
﹁設置完了しました!﹂
﹁ルズナーシュ殿﹂
﹁言われなくとも。電撃魔法、行使開始!﹂
﹁﹁﹁はっ!﹂﹂﹂
ルズナーシュの号令に合わせて、﹃輝炎の右手﹄の魔法使いたち
が河舟の下の水中に向けて電撃を放つ魔法を放つ。
するとそれらの魔法は水の中を良く伝わるという特性によって、
サハギン
河舟の下に潜んでいた魚たちと、私の言う事を聞かずに留まってい
たらしい魚の妖魔を焼いていき、絶命させる。
そして、河舟の下の脅威がなくなったところで、河舟のすぐ上流
と下流に設置した鉄線を編み込んだ重り付きの網をゆっくりと移動
させ、魚も妖魔も居ない空間を河の中で広げていく。
﹁ソフィール殿﹂
﹁ええ、ここからは私の番ね﹂
網が所定の位置に移動した所で、私はその場で膝を着き、魔石を
間に挟む形で片手を地面に付け、使役魔法を発動して、この辺り一
帯の地面を支配下に収める。
そして魔法が安定した所で川底の地面を操作して、今後網の下を
妖魔がすり抜けたりしないように、重りを川底の地面の中へと飲み
込んでいく。
これで、網の中に妖魔が発生したりしなければ、橋の建築中ぐら
いは大丈夫だろう。
﹁すぅ⋮⋮はぁ⋮⋮さて、ここからが本番ね﹂
問題はここからだ。
私は一度深呼吸をすると、改めて使役魔法を発動し、意識を集中
させる。
1173
で、十分に集中が高まったところで、地脈を通じてこの場から少
し離れた場所の地面にも使役魔法の範囲を広げると、ベノマー河の
川底の地面と少し離れた場所の地面を地中で繋げる。
﹁ふんっ!﹂
そして、気合を入れるための一声とともに、繋げた地面を移動さ
せ、少し離れた場所の地面をくぼませつつ、ベノマー河の川底を数
か所底上げする。
川の上にその姿が見え、まるで中洲が出来たかのように見えるほ
どに。
﹁﹁﹁おおっ!﹂﹂﹂
﹁﹁﹁凄い⋮⋮﹂﹂﹂
﹁これがソフィール・グロディウスの魔法か⋮⋮﹂
﹁何と言う力だ⋮⋮﹂
﹁まるで奇跡でも見ているかのようだな⋮⋮﹂
﹁ふぅ⋮⋮﹂
周囲から歓声や感嘆の声が上がる。
ああうん、うまくいって良かった。
これで、河の中で石を積むという、危険な作業をしなくて済むだ
ろう。
まあ、魔法によって無理やり盛り上げた物なので、後で戻す事に
なるのだが。
﹁それじゃあセンサト、リベリオ、後はよろしくね﹂
﹁はい!﹂
﹁ええ、任せておいてください﹂
何にしても大量の魔力を使って疲れた。
と言うわけで、私は後の事をセンサトとリベリオの二人に任せる
と、自分の屋敷に戻って干し肉を食べることにしたのだった。
1174
第213話﹁橋架け−2﹂
﹁うーん⋮⋮﹂
ベノマー河に架ける橋の建造は私の立てた計画通り、職人の技術、
﹃輝炎の右手﹄の魔法、兵士たちの力を組み合わせることによって、
五月
目立った事故も一件を除いてなく、実に順調に進んでいた。
この分で行けば夏の二の月の中ごろまでには橋そのものは完成す
るのではないかと思う。
﹁どうしましょうかねぇ﹂
ただまあ、私の立場上、橋の建造にだけ拘っているわけにはいか
ない。
例のセレーネの婚約騒ぎの後始末関係で多少の書類仕事もあるし、
橋を造り終った後にやる事の準備もある。
それに南部同盟のリッシブルー対策もしなければならないし、マ
ダレム・エーネミを安定させるためにやらなければならない事も色
々とある。
ぶっちゃけ猫の手も借りたいぐらいに忙しかった。
﹁あのソフィールさん。一体何を悩んでいるんですか?﹂
﹁ん?橋の名前よ﹂
﹁え、でも今手元にある書類は⋮⋮﹂
﹁時間が無いから同時に進めてるのよ。私の処理能力なら簡単な書
類仕事中に別の何かを考えていても問題は起きないしね﹂
﹁⋮⋮﹂
実際それぐらい忙しいので、今後の事も考えてリベリオにも多少
の書類仕事を任せているが、働きぶりは悪くない。
これなら平時にも多少の仕事を割り振れるだろう。
1175
ま、リベリオの書類処理能力はさて置くとして、今はベノマー河
に架けている橋の名前を考えなければならない。
﹁そもそも橋の名前って色んな人から意見を募って決めるって言っ
てませんでしたか?﹂
﹁その予定だったんだけど、ルズナーシュの顔を見ていたら何か嫌
な予感がしたのよねぇ⋮⋮﹂
﹁嫌な予感ですか⋮⋮﹂
﹁と言うわけで、自分で決めることにしたのよ﹂
リベリオがなるほどと言った様子で頷く。
実際この勘は⋮⋮外れていないと思う。
ルズナーシュの母親であるシューラ、彼女のネーミングセンスに
ついては昔シェルナーシュからチラリと聞いただけだが、相当なも
のだったはずであるし、息子にそのセンスが受け継がれている可能
性は決して低くないだろう。
そしてそのルズナーシュが、マダレム・エーネミ内ではテトラス
タ教のトップである。
うん、凄く嫌な予感がする。
﹁問題はどんな名前を付けるかだけど⋮⋮﹂
私はリベリオに聞かせるつもりで様々な名前を挙げていく。
この手の名前は普通、地名、建築責任者の名前、後は誰それに捧
げると言う事でその人物の名前を付けたり、何かしらの縁起のいい
単語を付けたりするものである。
﹁うーん、何となくですけど、エーネミ橋とかベノマー橋とかは辞
めた方がいいと思います﹂
﹁ソフィール橋ってのも辞めた方がいいわよね。御使いの名前だし﹂
﹁グロディウス橋とかはどうですか?﹂
﹁んー⋮⋮なんか違う気がするわ﹂
1176
書類仕事をしながら私たちは話を進めるが、中々いい案は出てこ
ない。
と、ここで私はあの事故を⋮⋮今回の建造で今のところ唯一死者
を出す事になった事故と、その事故で青年兵士の名前を思い出す。
﹁ふむ、決めたわ。トリクト橋にしましょう﹂
﹁トリクトと言うと⋮⋮あの事故の?﹂
﹁そう、結果論になるけれど、あの事故のおかげで作業している全
員の意識が改革できて、その後に起きるはずだった事故の数がだい
ぶ抑えられたのよね﹂
﹁だから彼の名前を付けると?﹂
﹁ええ、戒めの意味も込めて⋮⋮ね﹂
トリクト、彼は私に付き従って、マダレム・セイメからマダレム・
エーネミにやってきた兵士である。
少々酒好きではあったが、仕事ぶりは悪くなかった。
友人知人も多く、彼が死んだときには多くのヒトが嘆き悲しんだ
ものである。
そしてそんな彼が死んだ原因は、ほんの少しの焦りによって建造
中の橋から足を踏み外し、ベノマー河に落ちた事だった。
その後、私たちは彼の死を教訓とし、安全を第一として作業を進
めるようになり、彼の死から今に至るまでは一人の死者も出ていな
い。
これほどの大工事であるにも関わらずだ。
﹁⋮⋮﹂
﹁ソフィールさん?﹂
﹁⋮⋮。いえ、何でもないわ﹂
と、此処までが表向きの話。
嘘ではないが、全てでもない。
仮にも訓練を受けている兵士なのだ、突然河に落ちた程度で何も
1177
出来ずに溺れ死んでいたら、兵士など務まらない。
トリクトが助からなかったのは⋮⋮そう、前日に彼は大量の酒を
呑んでいて、表には出していなかったが二日酔いの状態だったため
である。
この事実を知った時には、何と言うか⋮⋮死体を引き上げて何で
死んだのかを、計画にミスが無かったかどうか、一人で色々と探っ
たり、再計算したりしていた私の労力を返せとか、色々と言いたく
なったものである。
ただまあ、彼の死のおかげで工事に関わる全ての人員が気を付け
て作業するようになったのは事実である。
と言うわけで、彼の死について表向きの情報を刻んだ石碑を橋の
欄干に、真実を刻んだ鉄板を橋の内側に仕込んで、その栄誉を讃え
る事にしよう。
﹁⋮⋮。なにか碌でもない事を考えている気配がするんですけど﹂
﹁あはははは、気のせいじゃないかしらねー﹂
喜べトリクト。
君の名前は後世まで残る事になるだろう。
この橋の建設で唯一犠牲になった者として、その命を以て私たち
を戒めてくれた者として、そしてこの土蛇のソフィアをシチータと
は別の意味と方向性で苦しめてくれたヒトとして。
﹁ははははは﹂
﹁⋮⋮﹂
うん、ちょっとすっきりしたのはここだけの話だ。
1178
第213話﹁橋架け−2﹂︵後書き︶
09/05誤字訂正
1179
第214話﹁橋架け−3﹂
﹁と、そう言えばソフィールさん﹂
﹁何かしら?﹂
さて、今更な話ではあるが、私たちが居るのは
エーネミである。
あの
マダレム・
勿論、私が滅ぼしたのが五十年も昔の事なので、当時の事を直接
知る者は私、トーコ、シェルナーシュの三人を除けば、リリアなど
の極々僅かなヒトだけではある。
が、その世代からの伝聞、テトラスタ教の経典である﹃四つ星の
書﹄の記載などから、今でもマダレム・エーネミ、マダレム・セン
トールと言えば、悪徳の限りを尽くし、周囲の村々、都市国家に対
して侵略行為を働いた都市として有名な都市である。
﹁この前言ってませんでしたっけ。マダレム・エーネミの名前を変
えるって﹂
﹁確かに言った覚えがあるわね。それがどうしたの?﹂
そしてその評判は⋮⋮今でも変わらない。
密偵からの報告では、マダレム・シーヤでは今でも二つの都市の
名は忌避されるものであり、直接的な繋がりが存在しないはずの私
たちに対しても、西部連合と南部同盟の関係の悪さを差し引いてな
お悪い感情を持たれているようだった。
また、オリビンさん曰くマダレム・エーネミが滅びた後に出来た
マダレム・バヘンでも、一般人レベルだと実際の私たちの存在を知
らないためによくない感情を抱くヒトが少なからず存在するらしい。
マダレム・バヘンですらそのような状況と言う事は、マダレム・
エーネミが滅びる前から存在しているマダレム・イジョーやマダレ
ム・シキョーレと言った東部連盟に属する諸都市も同じような状態
1180
であることはまず間違いないだろう。
﹁結局どうすることにしたんですか?﹂
﹁勿論名前は変える⋮⋮と言うか、まだ誰にも話していないけど、
もう新しい名前は決めてあるわよ﹂
﹁え!?﹂
と言うわけで、効果がどの程度あるかは分からない上に、色々と
批判を招く可能性もあるが、それ以上の利益を見込めると言う事で、
私はマダレム・エーネミの名前を変える決定を下した。
そしてセレーネも場所が同じだけである事を示すのに適当と言う
事で、私の行動に対して許可を出してくれた。
なお、こちらの件については橋と違って既に付ける名前は決まっ
ている。
﹁それって⋮⋮﹂
﹁そうね。貴方なら教えておいてもいいかしら。新しいこの街の名
前は⋮⋮﹂
私は念のために部屋の周囲に聞き耳を立てているヒトの気配が無
いかを確かめる。
うん、当然だが誰も居ない。
部屋の前に警備の兵は立っているが、職務を忠実にこなしており、
注意の方向は部屋の外に向いているようだ。
フローライト
﹁フロウライトよ﹂
﹁蛍石?マダレム・フロウライトですか?﹂
﹁いえ、マダレムは付けないわ。ただのフロウライトよ﹂
﹁?﹂
私の言葉にリベリオは訳が分からないと言った表情を浮かべてい
る。
まあ、ある意味当然の反応ではある。
1181
都市国家であるマダレムの名を付けず、リベリオからしてみれば
フロウライトと言う名前が出てくる理由も分からないのだが。
だがこの名前にはきちんとした理由がある。
﹁確かにフロウライトは規模だけを見れば都市国家の括りに入るわ。
だから大きいという意味でもって、マダレムの名を付けるのも間違
いではない﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁けれど今となってはマダレムという言葉は都市国家を表すものに
なっている。セレーネが目指す国の中に別の小さな国があるという
状況はあまり好ましくないし、私たちがセレーネが従う者であるこ
とを分かり易く示す意味でも、マダレムと言う名前を付ける意味は
ないわね﹂
﹁なるほど⋮⋮﹂
私の言葉にリベリオは感心したように頷くが、実を言えば他にも
マダレムと付けない理由はある。
詳しくは敢えて語らないが⋮⋮一つ明かせる事として、マダレム
と言う名前だと、どうにも都市の規模が一定規模以上に膨らまない
感じがしてしょうがないと私が感じている事が有る。
私はフロウライトをかつてのマダレム・エーネミよりも、いや、
それどころかとある一つの都市を除いて、他のどの都市よりも大き
くするつもりである。
それを考えたら⋮⋮やはりマダレムの名は付けるべきでないと考
えたのだ。
﹁えと、それじゃあフロウライトと言う名前は何処から?この辺り
に蛍石が採れる場所なんて無いですよね?﹂
﹁そっちは⋮⋮まあ、個人的な感傷に近いわね﹂
﹁個人的な感傷?﹂
﹁本来この都市を治めるのは私では無かった。と言う事よ﹂
1182
﹁???﹂
リベリオが訳が分からないと言った表情を浮かべる。
まあ実際、私の話を聞いても大半はこの名前を付ける理由は分か
らないだろう。
分かるとしたら⋮⋮トーコとシェルナーシュ、後は二つ目の名の
件でシェルナーシュから話を聞いていると思しきセレーネぐらいの
物だろう。
なにせフローライト・インダーク⋮⋮ドーラムと言うクソ爺とそ
の周辺の人物さえいなければ、父の跡を継いでマダレム・エーネミ
の長になっていたであろう少女の事を知っているのはそれぐらいな
のだから。
まあ、尤もな話として、フローライトが長になっていた場合、だ
いぶ世の中の流れは変わっていたのだろうけど。
﹁ま、表向きは蛍石のようにセレーネを支えることを目指している
とか言っておけばいいわよ﹂
﹁は、はあ?そうなんですか?﹂
﹁そうなのよ﹂
ちなみに蛍石と言うのは中々に面白い性質を持つ石であるので、
名乗っても特におかしいと思われる名前ではない。
1183
第215話﹁橋架け−4﹂
五月
﹁拙い事になったわね⋮⋮﹂
夏の二の月の初めごろ。
そして街の名をフロウライトに改め、トリクト橋完成まであと一
歩にまで迫った頃。
私の元には複数の情報源から、一つの厄介な事柄がフロウライト
に迫っている事を示す情報が集まっていた。
﹁ソフィール将軍。イニム殿をお連れ致しました﹂
﹁ご苦労様。貴方は仕事に戻って頂戴﹂
﹁はっ!﹂
情報の出元と内容はこうだ。
東部連盟の各所に潜り込ませた密偵からは、北部の都市国家の一
クロウ
ゴーレム
部有力者が個々に兵を集め、マダレム・バヘンに向かっているとい
う話が。
マダレム・バヘンの上空を定期的に飛行させている忠実なる烏の
視覚からは、マダレム・バヘンの周囲に大量の兵士が集まっている
光景が。
橋の完成が近いという事で少しずつ出始めていたフロウライト−
マダレム・バヘン間の行商人からは、マダレム・バヘンの中に集ま
っている兵士の中にならず者とほぼ変わらない、かなり素行が悪い
者が相当数混じっていると言う情報が。
そして今私の部屋には⋮⋮
﹁さ、席に着いてちょうだいな﹂
﹁はい、ありがとうございます。ソフィール殿﹂
マダレム・バヘン側の交渉人として度々私たちと顔を合わせてい
1184
たオリビンさん率いる第二中隊の隊員であるイニムがやって来てい
た。
それも明らかに夜逃げを行った風体で、全部で四つ造ったインダ
ークの樹の枝の指輪の内、オリビンさんに渡した二つの指輪の片方
を持つという形でだ。
もう誰がどう見ても、異常事態だった。
﹁それで何が有ったの?﹂
﹁はい。説明させていただきます﹂
そうしてイニムの口からマダレム・バヘンの現状が語られた。
−−−−−−−−−−
﹁以上がマダレム・バヘンの現状になります﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ソフィールさん⋮⋮﹂
﹁かなーり面倒な状況だな﹂
イニムの話に、私、リベリオ、センサトの三人で揃って顔を曇ら
せる。
それほどにマダレム・バヘンの現状は厄介なものになっていた。
﹁申し訳ありません。我々にはもうどうしようも⋮⋮﹂
﹁別に貴方たちは悪くないから、安心しなさい﹂
まず、今のマダレム・バヘンは東部連盟の各地から集まってきた
有力者と、その兵士たちによってごった返している。
そんな彼らの目的はここ⋮⋮フロウライトを陥落させ、トリクト
橋共々奪い取ること。
そのためにフロウライトに最も近い都市国家であるマダレム・バ
1185
ヘンに集結しているのだった。
﹁しかし妙な話だ事。私たちは東部連盟の諸都市⋮⋮特に北の方に
位置する都市国家には、フロウライトとトリクト橋を建設する理由
は伝えてあったはずで、しかもマダレム・バヘンとの公正な交易が
始まりつつあったのは誰の目にも明らかだったはずよね﹂
勿論、フロウライトとの交易を始めようとしていたマダレム・バ
ヘンにとっては、彼らの行動は余計なものを通り越して、邪魔な物
でしかなかった。
だから、マダレム・バヘンの有力者たちは彼らの説得を試みた。
﹁はい、私がマダレム・バヘンを出る直前に聞き耳を立てた限りで
は、迷っている兵や将の方もいらっしゃるようでした﹂
そうしてマダレム・バヘンの有力者たちの説得の結果、一部の将
兵は何かがおかしい事に気づき、マダレム・バヘンにて状況を見定
めようとする動きにシフトしつつあった。
だが大半の兵は、何故かマダレム・バヘンの思惑など知った事か
と言わんばかりにフロウライトに攻め込むための準備を無理矢理進
めているとの事だった。
そして早ければ、一週間後にもトリクト橋前の砦に襲い掛かって
くるのでは無いかとの事だった。
﹁ソフィールさんこれって⋮⋮﹂
何故こんな事になったのか。
まあ、彼らの行動の原因ははっきりしている。
﹁はぁ⋮⋮これもマダレム・エーネミと言う土地の因果か何かなの
かしらね。まあ、誰が裏で糸を引いているかなんて考えるまでもな
いけど﹂
﹁と言いますと?﹂
1186
﹁たぶん、準備を止めない将兵は南部同盟の甘言と讒言に踊らされ
ている連中よ。内容は⋮⋮讒言の方は私たち西部連合が東部連盟に
襲い掛かろうとしている、マダレム・バヘンは東部連盟を裏切ろう
としているとか、その辺ね。甘言は⋮⋮フロウライトを奪い取るこ
とを黙認するとか、東部連盟併合後も既得権益を守るとか、金品や
物資のやり取りなんかもあるかもしれないわね﹂
南部同盟のノムンとリッシブルーによる西部連合と東部連盟を潰
し合わせるための策だ。
敵同士を潰し合わせ、自分は美味いところ⋮⋮落ちかけたフロウ
ライトか、兵数の少なくなった東部連盟の何処かの都市を持って行
くと言うのは、基本中の基本な策ではあるが、全くもって面倒な策
を放って来てくれたものである。
﹁まあ、襲い掛かってくるものは仕方がないわ。兵よりも将を優先
して討てるような策を考えて、自分たちの愚かさを理解させるしか
ないわ﹂
﹁隊長も言っていました。﹃どのように状況が推移するにしろ、君
たちは自分の守るべきものを守ってほしい﹄と﹂
﹁そう⋮⋮﹂
いずれにしても私たちがやるべき事は変わらない。
私はイニムが教えてくれたオリビンさんの言葉に多少悲しそうな
顔をしつつも、東部連盟の兵を追い返すための策を考え、その準備
を始めるのだった。
1187
第216話﹁橋架け−5﹂︵前書き︶
今回はアレな表現がありますので、拙いと思われた方はブラウザバ
ック推奨です。お気を付けくださいませ。
1188
第216話﹁橋架け−5﹂
﹁トリクト橋前砦より伝令!東部連盟の野営が確認されました!﹂
﹁ご苦労。引き続き、監視を行うように﹂
﹁了解いたしました!﹂
イニムがフロウライトに駆け込んできてから二週間後。
マダレム・バヘンに集まっていた将兵四千が、東部連盟側の岸に
造られた砦の前に現れた。
既に日暮れが近く、攻めかかるための準備をせずに陣地から炊煙
を上げている事からして、夜襲を行う気も無いらしい。
まあ、フロウライトには千を超える兵が居るとは言え、トリクト
橋前の砦は簡易かつ関所としての用途を優先したものであるために
どう頑張っても二百程度しか入れられない規模だ。
戦力差と同士討ちの危険性を考えたら、陽が出ている内に攻め込
もうと考えるのは極々普通の事ではある。
﹁さて、万事上手くいけば、こちらの被害はだいぶ抑えられるけど
⋮⋮﹂
ただまあ、実を言えば現状はだいぶマシな方である。
と言うのも、マダレム・バヘンの有力者たちが説得を頑張ってく
れたおかげで、千程の将兵がマダレム・バヘンの防衛と言う名目の
元、静観に回ってくれているし、マダレム・バヘンの住民と説得を
受けてくれた将兵たちが睨みを利かせてくれたおかげで、砦前に来
ている四千の補給は万全ではないのだから。
後は兵の錬度も⋮⋮うん、残った千の方がこちらに来ている四千
よりも平均的な錬度では上だったようなので、彼らが敵でなくなっ
たのはその後の事も考えるとだいぶ大きいと言える。
1189
﹁ま、最悪土蛇のソフィアが突然現れればいいわね﹂
さて、既にリベリオ、センサト、ルズナーシュにはそれぞれに指
示と頼み事をして、動いてもらっている。
と言うわけで、私も自分のやるべき事⋮⋮今日のような状況の為
に、屋敷の一角に周囲からヒトの目が届かないように造られた庭へ
と入る。
﹁じゃあ始めましょうか﹂
そして笑みを浮かべながら、私は使役魔法を発動。
地脈を通して、予めフロウライト近くの森の中に準備させておい
たとある場所に接続する。
﹁うぐっ⋮⋮予想はしていたけど、やっぱりキツイわね﹂
スネーク
ゴーレム
その場所の地中には予め二種類の魔石と水晶玉、ガラス玉を大量
に埋め、混ぜておいた。
で、今回は地脈を通じて忠実なる蛇の魔法を発動させる要領でも
って、埋めておいた二種類の魔石の内の片方を発動させる。
﹁あー⋮⋮うん、今回みたいな事にならない限り、この魔法はもう
クロウ
ゴーレム
使わないでおきましょう。気が滅入りそうだわ﹂
発動させた魔法の名前は忠実なる烏。
魔石周囲の土によって鳥型の土人形を造り出す魔法であり、普段
の用途としては以前リベリオに説明した通り、高空から周囲の様子
を窺うための魔法である。
が、今回は少々毛色を変えてある。
﹁ま、今回は我慢するしかないわね﹂
変更点その一としては、忠実なる烏を構成するための土を、熱し
て生物を除外した土ではなく、フロウライトの住民たちが出した糞
尿を集めて、安全に肥料になるまで放置するための場所の土を使っ
1190
た。
その結果としてまるで体中を何かが這い回るような感覚、鼻を直
クロウ
ゴーレム
撃するような強烈な異臭に晒されているわけだが⋮⋮まあ、必要経
費として諦めよう。
ダーティ
﹁行きなさい。忠実なる烏⋮⋮いえ、忠実なる烏・穢﹂
もう一つの魔石と水晶玉を内部に取り込みつつ、忠実なる烏の魔
石を核として、周囲の肥料になりかけの土を肉体として生み出され
た烏人形たちが順々に空へと飛び立って行く。
烏人形の数は全部で二十。
向かう先はトリクト橋の前に陣地を張った東部連盟の下。
﹁⋮⋮﹂
色々な物が体内を這い回る感覚を覚えつつ、烏人形は順調に空を
飛び続ける。
上から覗いた東部連盟の陣地の様子は?
特に慌てた様子はない。
まあ、下から見ただけでは、鳥の群にしか見えないのだから当然
だ。
攻撃の目標地点は?
既に確認済みで、見張りの兵士が居るが、特に問題にはならない
だろう。
マダレム・バヘンが後々の為に止むを得ず出したオリビンさんた
ちマダレム・バヘン第二中隊は?
周囲に居る他の都市国家の兵たちと混ざったりはせず、出来るか
ぎり彼らだけでまとまっているようにしているようだった。
﹁出来れば生き残らせたいところだけど⋮⋮こればかりは彼ら自身
の天運次第ね﹂
私は彼らの様子にイニムの言っていた﹃どのように状況が推移す
1191
るにしろ、君たちは自分の守るべきものを守ってほしい﹄と言うオ
リビンさんからの伝言を思い出す。
彼らが生き残るためにも⋮⋮私は彼らに攻撃を加えなければなら
ないだろう。
でなければ、彼らが生き残る道は完全に閉ざされることになる。
﹁⋮⋮。行きなさい﹂
陽が完全に落ちる直前、篝火が焚かれるかどうかと言った頃。
私は烏人形たちを東部連盟の陣地に向けて突撃させ始めた。
﹃な、何だ!?﹄
﹃鳥だ!土で出来た鳥が!?﹄
﹃くせえ!糞尿の鳥だ!?﹄
﹃食料庫の中にも潜り込んでいるぞ!?﹄
そして陣地内の食料庫に潜り込んだり、煮炊きの為の大鍋の近く
ヒール
に着地すると、素早く体内に仕込んだもう一つの魔石による魔法を
発動させる。
魔法の名は治癒。
本来は負傷者の生命力を活性化させることによって、傷口を塞ぐ
魔法である。
ではこれを土の中に存在している病魔の源に対して、周囲に食べ
物が大量にある状態で行使したら?
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
烏人形の身体が内側から爆発し、周囲に身体を構成していた糞便
を撒き散らし、通常では有り得ない速度で食べ物が腐敗し始める。
﹃﹃﹃うぐっ!?﹄﹄﹄
﹃ガハッ⋮⋮グッ⋮⋮﹄
﹃ひ、ひぎいやああぁぁ!?﹄
1192
いや、それどころか臭いによるものか、活性化された病魔による
ものかは分からないが、何人もの兵士が嘔吐したり、倒れたり、ヒ
トによっては喀血まで始まっていた。
東部連盟の陣地は⋮⋮一瞬にして阿鼻叫喚の様相を呈していた。
﹁⋮⋮やり過ぎたかもしれない﹂
ダーテ
私は結果を観察するために飛ばしておいた通常の烏人形から伝わ
ィ クロウ
ゴーレム
ってくる東部連盟の陣地内の悲惨な状況を眺めつつ、今後は忠実な
る烏・穢の魔法を本当に危険なとき以外には用いない事を決めたの
だった。
この魔法は⋮⋮危険すぎる。
1193
第216話﹁橋架け−5﹂︵後書き︶
簡単に言ってしまえば戦闘不能の追加効果を含む各種バステ付与︵
未知の病気も含む︶の爆撃です。
ただ効果以上に問題なのが、核となっている魔法がアレである点だ
ったり。
09/09誤字訂正 前書き追加
1194
第217話﹁橋架け−6﹂
﹁まあ、やってしまった以上は仕方がないわね﹂
私は自分自身はフロウライトの執務室に移動して、書類作業を始
めつつ、烏人形で東部連盟陣地とその周囲を上空から観察し続けて
いた。
﹁ふむ、一割⋮⋮ってところかしらね﹂
ダーティ
クロウ
ゴーレム
幾らか時間が経ったためか、流石に東部連盟陣地内も落ち着きを
取り戻し、忠実なる烏・穢の直撃を受けて即死した者の処理も一応
は済ませていたようだった。
が、何かしらの病気に感染した者と彼らの看護を行う者で、おお
よそだが四百程度の兵が戦線離脱したと言っていい状況になってい
る。
﹁直接的被害は上々ね。嬉しくないけど﹂
これは嬉しい誤算ではあるが⋮⋮やはりやり過ぎた感は否めない。
予想では、直接的被害は精々食中毒や風邪程度を引き起こすだけ
で、一度に十何人も殺す予定はなかったのだけれど⋮⋮まあ、やっ
ダーティ
クロウ
ゴーレム
てしまったものは悔やんでも仕方がない。
それよりも、忠実なる烏・穢の魔法を使った本来の目的が達成で
きているかだ。
ダーティ
クロウ
ゴーレム
﹁⋮⋮。こっちも予想以上に削れたわね。まあ、ギリギリ大丈夫か﹂
今回私は忠実なる烏・穢によって作った烏人形を食料庫に忍び込
ませ、その上で病魔を活性化させた。
狙いは彼らの所有する食料を腐敗、または汚染することによって、
継戦能力を奪う事。
1195
どれほど優れた兵士と将軍でも、食う物、飲むものが無ければ働
けないからだ。
と言うわけで、マダレム・バヘンに戻れる程度の食料だけを残す
事を目標に食料を駄目にしてやろうとしたのだが⋮⋮どう足掻いて
も明日の午後には判断を迫られるような量になってしまった。
あまり削り過ぎると破れかぶれになった連中がどう暴走するか分
かったものでは無いし、やり過ぎは良くないのだが⋮⋮こちらもま
た今となってはどうしようもない事柄であるので、諦める他ない。
﹁と、やっぱり伝令は出すわよね﹂
と、東部連盟の陣地の東側から、十数騎の騎馬が出て、東にある
マダレム・バヘンの方向へと向かっていく。
既に陽も完全に落ちて、妖魔、野盗、獣、森の暗闇と言った諸因
子による危険を考えると本来ならば馬を走らせて良いような状況で
はないのだが、失われた食料に医者と薬の手配を少しでも早く行う
ためだろう。
だが彼らには申し訳ないが、その一手は既に読んでいる。
﹃かかれ﹄
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
センサトに持たせておいた忠実なる蛇の魔石を起動すると、セン
サトの指示に合わせて私の兵士たちが東部連盟の伝令に無言のまま
襲い掛かり、一方的に虐殺していく音が聞こえてくる。
そして、上空を飛ぶ烏人形の視界にも、センサトたちが伝令の逃
ヒール
走を許さずに始末していく様子が映っていた。
﹃逃げた敵は?﹄
﹃居ません﹄
﹃味方の状態は?﹄
﹃反撃を受け、数名が負傷。既に治癒による治療を開始しています﹄
1196
﹃よし。死体を持ってこの場を離脱する。戦闘の痕跡を残すなよ﹄
﹃﹃﹃了解﹄﹄﹄
やがて戦闘は終わり、センサトの指示のもと、兵士全員が手近な
森の中に戻っていく。
私の事前の指示通り、ヒトと馬の死体は持って行き、地面を操作
する魔法によって戦闘の痕跡を消した上でだ。
﹁ふむ。首尾は上々ね﹂
私は満足げな笑みを浮かべながら、センサトたちから視線を外す。
この分なら明日も大丈夫だろう。
そう、私は東部連盟の軍がやってくる三日ほど前に、センサトた
ちにこう命令をしている。
しちょう
﹃夜の内に森の中に潜み、東部連盟の陣地から出される伝令と、
マダレム・バヘンからやってくる輜重部隊のみを始末しろ﹄と。
実際にはもう少し詳しくどういう条件なら攻撃するべきか、どう
なったら撤退するべきか、始末した後戦闘場所の処理はどうするか
などで指示を出しているのだが⋮⋮まあ、掻い摘んで言ってしまえ
ばこんな所である。
﹁これで食料と薬の補給はますます遅れ、彼らは決断を迫られる。
この場に留まって攻め込むか、諦めて退くかを﹂
相手に残された食料は一日分。
周囲の森から獣や野草を得ることによって幾らかは賄えるかもし
れないが、それでも飢えによる限界は直ぐに訪れるだろう。
その時に真っ当な指揮官ならば退く事を選ぶ。
フロウライトを奪おうとすれば、よほどの大軍勢と秘策を用いな
い限り、短くとも数日、場合によっては数ヶ月は時間を必要にする
ことは目に見えているのだから。
真っ当でない指揮官ならば攻め込もうとしてくるだろうが⋮⋮そ
の時には次の策を発動させるだけの話であるし、それでもまだ引か
1197
ないのなら、もう数個ほど用意してある策を順次発動させていく。
ただそれだけである。
﹁問題はマダレム・シーヤの動きだけれど⋮⋮調査通りの人物なら、
この状況で攻め込む事はしないか﹂
私は南にあるマダレム・シーヤの方を向く。
マダレム・シーヤは南部同盟でも重要な拠点と認識されているの
か、七天将軍の一人、七の座、﹃蛇眼﹄のレイミアによって守護さ
れている。
事前の調査通りなら東部連盟がマトモに戦う事も出来ていない現
状で手を出してくるような人物ではないが⋮⋮注意を払っておくに
越したことはないだろう。
ノムンとリッシブルー
﹁さて、頼むから退いて頂戴よ。西部連合と東部連盟で争っても笑
うのは南部同盟だけなんだから﹂
私は烏人形をフロウライトに戻すと、書類作業も終わったという
事で、一度眠ることにした。
1198
第218話﹁橋架け−7﹂
﹁撤退とはどういうつもりだ!﹂
翌日の昼。
トリクト橋前に展開された東部連盟の陣地の中でも特に警備が厳
重で、他の物よりも二回りほど大きい天幕の中では二つの陣営に分
かれて激しい言い争いが起きていた。
﹁橋の前に在るのは急ごしらえの砦が一つだけなのだぞ!﹂
﹁そうだ!これを好機と捉えずして、何時攻めると言うのだ!﹂
﹁あの地の重要性を理解できないとは言わせんぞ!!﹂
片方はフロウライトに攻め込む事を望む者たち。
﹁昨日の攻撃で食料を奪われ、多数の病人が出ている。この状況で
攻め込んでも碌な事にはならん﹂
﹁おまけに今日の昼に届くはずだった新たな食料は奪われ、焼かれ
てしまった﹂
﹁残された食料はマダレム・バヘンに退くための分だけ。これで戦
おうなどとは⋮⋮正気とは思えんな﹂
もう片方はフロウライト攻略を諦め、撤退することを望む者たち。
﹁ふざけるな!あれだけの事をされて、おめおめと引き下がれと言
うのか!﹂
﹁儂らにはあの攻撃は警告のように思えたがのう﹂
議論は朝の時点から延々と続いていた。
が、昼ごろになっても輜重部隊が陣地に着かず、それどころかマ
ダレム・バヘンから陣地に来るまでの道中で壊滅させられ、物資に
火を付けて奪われた事が明らかになった頃から、撤退することを望
1199
む者たちの発言力が強まっていた。
﹁警告だと!?あの攻撃で一体何人の兵士が死に、今も苦しんでい
ると⋮⋮﹂
﹁それは確かにそうだ。だが、もしもあの魔法の術者がその気だっ
たならば、今頃全ての食料は奪われ、我々は全員床に伏していたは
ずだ﹂
﹁ああそうだ。奴は明確にこちらの食料庫の位置を把握して攻撃を
仕掛けていた。もう一度同じ魔法を使えるかは分からんが⋮⋮少な
くともあの時我々が集っていたこの天幕をわざと狙わなかったのは
事実だ﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
フロウライトから撤退する事を望む者たちの意思は固かった。
当然だ。
彼らは自分の所属する都市の議会で承認を受けるか、あるいは独
断でフロウライトを攻略するべくこの場に集まった者たちであって、
勝ち目のない戦いに臨み、壊滅させられるのが仕事ではないのだか
ら。
そして、食料が無い状態で戦いを挑めば⋮⋮凄惨な状況に至る事
は誰の目にも明らかだった。
﹁そもそも今回の出兵は妙な所が多かった﹂
攻略を望む者たちが、どうにかして説得する方法が無いかと悩む
中、撤退を望む者の中の一人が口を開く。
﹁私が兵を率いて自分の都市国家を出発した時には、様子見だとい
う話だったのに、マダレム・バヘンに着いたらマダレム・エーネミ
⋮⋮いや、フロウライトの攻略と占領に目的が変わっていたのだか
らな﹂
その一人の言葉を皮切りに、流れは加速する。
1200
﹁マダレム・バヘンでも散々言われましたなぁ。彼らは良き隣人と
なる事を望んでいる。交易も少しずつ始まっていると﹂
﹁だ、だが先に攻撃を⋮⋮﹂
﹁何の前触れも出さずにこれだけの数の武装集団を送り込んだのだ。
むしろ彼らの対応は当然だと思うぞ﹂
﹁兵の犠牲を⋮⋮﹂
﹁そんなものはそれぞれの都市に帰った後、出兵を強要した連中に
押し付ければいいだけの話だ﹂
﹁此処で撤退するなど私のプライドが⋮⋮﹂
﹁ならば自分たちだけで勝手に攻め込むと良いじゃろう。儂らは退
かせてもらう﹂
﹁そうだな。少々きつめの行軍訓練だったとでも兵たちには思って
もらうとしよう﹂
﹁倒れた兵を治療するためにもマダレム・バヘンに戻る準備を早々
に整えねばな﹂
﹁やれやれ、チャンスが有れば狙ってもいいかと思ったが、これな
らば真っ当に取引をする方が遥かに良かったな﹂
﹁はぁ、マダレム・バヘンに留まる事を選んだ連中が正解だったわ
けか﹂
﹁⋮⋮﹂
加速した流れは誰にも止める事は出来ず、話はフロウライトから
撤退する方向にまとまる。
そして、一人また一人とフロウライトから撤退することを望む者
たちは天幕から去って行き、自分の兵が集まっている場所に向かっ
ていく。
彼らは今日の内にでもこの地から去るだろう。
ソフィール・グロディウスという男とフロウライトが抱える戦略
に恐れを為して。
または自分たちの考えの甘さを理解して。
1201
あるいは本当に始末するべき相手が誰なのかを理解して。
﹁こ、このまま去るなど私のプライドが⋮⋮﹂
﹁許さん。許さんぞソフィール・グロディウスめ⋮⋮﹂
﹁何としてでも⋮⋮何としてでもあの都市を我が物にするのだ。で
なければ私は⋮⋮﹂
そして天幕の中にはフロウライトに攻め込む事を未だに望んでい
る者だけが残されることになった。
彼らの中には自分の配下を殺され、義憤に駆られてこの場に残っ
た者も居たが、大半の者は自分自身の為に残った者であり⋮⋮愚か
としか称しようのない人物たちだった。
﹁で、お主は儂らと一緒に去らんのか?﹂
﹁お心づかいはありがたいですが、私と私の中隊が今去るわけには
いきません﹂
そんな天幕の直ぐ外。
そこではマダレム・バヘン第二中隊の隊長であるオリビンと、杖
を持ったローブ姿の老人が話をしていた。
﹁盗賊対策か﹂
﹁まだ生まれていない盗賊ですがね。それと隣人の実力を確かめる
目的もあります﹂
﹁まあ場所が場所じゃしな。しかしそうなると⋮⋮﹂
﹁ええ、私が死ぬ可能性が存在することも分かっています。なにせ
相手は西部連合最強の策士にして戦士ですから﹂
﹁そうか。お主が生き残れる事を祈っとるよ﹂
﹁ありがとうございます。ストータス大老﹂
彼らの会話が誰かの耳に止まる事は無かった。
やがて、陣地内に留まっている兵士のおよそ半数はこの地から去
って行った。
1202
第218話﹁橋架け−7﹂︵後書き︶
当初から考えていたネタの一つではあります
09/10誤字訂正
09/11誤字訂正
1203
第219話﹁橋架け−8﹂
クロウ
ゴーレム
﹁ふむ、およそ半分。と言ったところかしらね﹂
私は忠実なる烏の魔法を使って、東部連盟の陣地の上から彼らの
様子を窺っていた。
そして、彼らの様子を観察した結果、およそ半分の兵士と半数以
上の将がこの場から撤退することを決め、荷物をまとめている事が
分かった。
ダーティ
クロウ
ゴーレム
うん、これは実に良い流れだ。
忠実なる烏・穢によって倒れた兵士と合わせて、四千居た将兵の
内、二千以上を削れたことになるのだから。
残った二千の将兵についても、上から様子を見た限りではそれほ
ど士気は高くなく、本来の力を発揮できるかは怪しいものである。
﹁ま、だからと言って手加減をする気はないけれど﹂
私はまだ使っていない仕込みの状態を上空の烏人形と、地脈を介
した使役魔法によって確かめる。
仕込みの状態にこれと言った異常は見られない。
うん、これならば使う時が来てしまっても、問題なく動かせるだ
ろう。
﹁それにしても⋮⋮此処まで残るような連中はそう言う連中と言う
事でやっぱりいいのかしら?﹂
私は再び東部連盟の陣地へと目を向ける。
東部連盟の陣地から上がっているのは炊煙の煙。
ただしその数はかなり多い。
それこそ昨日私が仕掛けた時よりもだ。
1204
﹁それとも⋮⋮ふうむ。悩ましいわね。どちらでも有り得るし﹂
炊煙の数が多い理由として考えられるのは二つ。
一つは自分たちの数を誤魔化すため。
炊煙だけならばトリクト橋前の砦からも見えるし、炊煙の数が変
わらなければ、自分たちの数は減っていないと相手に思わせる事も
出来るだろう。
まあ、こうして上から覗いている私相手には何の意味もないのだ
が。
もう一つの理由は大量の食糧を調理するため。
勿論、彼らの食料は私の策によって大部分が失われ、補給もされ
ていないので、残された食料を全て使い切る事になってしまうのだ
が⋮⋮それでも大量の食糧を調理する行為には意味が有る。
この場で全てを食べてしまうのならば、万全の状態で戦いに臨む
気なのだという意味が。
一部を幾らか保存が利く状態にするのならば、炊事の為の火を起
こさずに行動する気なのだという意味が。
﹁⋮⋮。夜襲の方が可能性は高そうね﹂
スネーク
ゴーレム
私は兵士たちの作業の内容を見てそう判断すると、リベリオが持
っている忠実なる蛇の魔石に意識を伸ばす。
﹁リベリオ、聞こえるかしら?﹂
﹃どうしました?ソフィールさん?﹄
﹁彼らが夜襲を仕掛けてくる可能性があるわ。注意を怠らないよう
に。それと彼らが踏み込んで来たら⋮⋮分かってるわね﹂
﹃⋮⋮。分かりました。全力を尽くします﹄
私の言葉に少々の間を挟みつつも、リベリオは返事をする。
その間に私は若干の不安を覚えるが⋮⋮リベリオが自分の仕事を
しなければどうなるかは、本人が一番よく知っているはずであるし、
リベリオが仕事を出来なくても私とフロウライトが詰むことはない。
1205
それならば、どうするかはリベリオ自身の選択に任せるだけであ
る。
﹁さて、どうなるかしらね﹂
そうして日が暮れた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁動き出したか﹂
夜の闇の中、東部連盟の陣地から明かり一つ灯さずに出てきた彼
らは、ゆっくりとこちら側に近づいてくる。
話し声一つ出さない辺り、奇襲を仕掛けるつもりであるらしい。
勿論、夜の闇の中でも熱を見ることによって昼と大差ない視界を
確保できる私には全て見えてしまっているわけだが。
﹁ふむ﹂
そんな彼らがその手に持っているのは、武器の類だけでなく、長
い梯子に、門を破るのに使われる巨大な丸太も含まれている。
まあ、木造の簡易砦程度が相手ならば、十分な装備と言えるだろ
う。
後怖いのはどんな魔法使いが参加しているかだが⋮⋮それほど数
は居ないようだし、英雄が混ざっていなければそこまで問題にはな
らないだろう。
﹃突撃ー!﹄
﹃﹃﹃うおおおぉぉぉ!!﹄﹄﹄
﹁ま、お手並み拝見という所ね﹂
ある程度まで砦に近づいたところで、指揮官の声に合わせて楽器
1206
が鳴らされ、その音に合わせるように東部連盟の兵士たちが鬨の声
を上げながら突撃を始める。
彼らは突撃の勢いに任せて丸太を門に何度も叩きつけ、門を押し
破ろうとする。
そしてそれと同時に、砦の壁に梯子を架け、壁を乗り越える事で
砦の中に押し入ろうとし、灯りの傍に立っていた全身重武装の兵士
の関節に短剣を刺し込もうとする。
この時点で普通の指揮官なら疑問に思った事だろう。
何故反撃が無いのかと。
そして賢い指揮官なら気付いただろう。
これは罠であると。
だが愚かな指揮官は気づかずにこう思ってしまう。
敵は油断し、寝入っている、今こそが攻め時であると。
﹃ふはははは!良いぞ!奴らが寝入っている内にこの砦も!橋も!
マダレム・エーネミも我々の物にしてしまうのだ!﹄
そしてどうやら、兵士たちにとって不幸な事に、彼らの指揮官は
愚かであったらしい。
まあ、今更な話でもあるのだが。
いずれにしてもだ。
﹃いく⋮⋮﹄
﹃燃えろ﹄
彼らは詰んだ。
﹃﹃﹃火、火だああぁぁ!﹄﹄﹄
﹃砦全体が燃えているぞ!﹄
﹃奴ら自分の砦になんてことを⋮⋮﹄
﹃何だこの火熱く⋮⋮ヒギィヤアァァ!?﹄
﹃﹃﹃ギャアアアァァァ!?﹄﹄﹄
1207
砦全体が一気に燃え上がり始める。
そして、砦全体が燃え上がった事によって、当然のように砦内に
居た将兵も、今正に砦の中に入ろうとしていた兵士たちも、火が燃
え移った仲間を助けようとした兵士たちも焼かれていく。
燃えぬはずの鉄すらも燃やすように。
﹁流石は英雄と言ったところかしらね﹂
私は上空から眼下の惨状を眺めながら、思わずそう呟く。
そう、この炎はただの炎ではない。
英雄であるリベリオが放った炎であり、特別な力を持たせられた
炎である。
1208
第220話﹁橋架け−9﹂︵前書き︶
※昨日は投稿時間を間違えて申し訳ありませんでした。未読の方は
ご注意くださいませ。
1209
第220話﹁橋架け−9﹂
﹃畜生!何なんだよこの炎は!?﹄
サハギン
﹃絶対に触れるな!触れたら確実に死ぬぞ!!﹄
﹃河に近づくな!魚の妖魔共に引き摺り込まれるぞ!﹄
さて、リベリオの炎だが、東部連盟の兵士たちが味わったように
ただの炎ではない。
その特性を簡単に纏めてしまうのなら⋮⋮﹃リベリオの意思に応
じて特殊な性質を付与する事が出来る炎﹄と言ったところか。
﹃近づくんじゃねぇ!熱くないのは最初だけだ!﹄
﹃こんな魔法が⋮⋮こんなふざけた魔法があっていいのか⋮⋮﹄
﹃英雄だ。間違いなく向こうには英雄が居るぞ⋮⋮﹄
で、詳しくその内容について話すならばだ。
今回の場合なら、まず大きな条件によってリベリオの炎は二種類
の中身に⋮⋮ああいや、燃やす対象によって異なる性質を示すよう
になっていると言った方が正しいか。
とにかく今回のリベリオの炎は二つの炎に分かれている。
具体的には砦を囲んでいる木の壁を対象にした炎と、ヒトを対象
にしている炎だ。
﹁リベリオ、次が整うまで、火勢を緩めないように﹂
﹃言われなくても分かっています﹄
木の壁を対象にした炎には、リベリオがもういいと思うか、気絶
するか、この温度と範囲で燃やし続けられる限界まで燃え続けられ
るように、火が燃えるための媒体となっている木の壁に一時的にだ
がダメージを与えないという性質を与えられている。
その結果、まるで天を衝くような火勢であるにも関わらず、燃え
1210
尽きる様子がまるで見られないようになっている。
﹁ルズナーシュ、準備は?﹂
﹃もう間もなく全員をたたき起こして、準備も整いますのでご安心
を。ソフィール殿﹄
ヒトを対象にしている炎は、引火してから一定時間⋮⋮今回の場
合は三秒が過ぎるまでの間は熱くならないが、その一定時間が過ぎ
ると、今まで与えていた熱が一気に解放されるようになっている。
早い話が、引火したら三秒後にはほぼ死が確定している炎と言う
事だ。
なにせ三秒あれば、熱くないからと油断したヒトは、炎を含んだ
空気を一度吸い込んでしまうから。
そして三秒後には身体の内側から全身を焼き尽くされ、絶命する
のである。
﹃しかし⋮⋮なんて性格の悪い炎だ﹄
﹃何をどうやったらこんな炎が生み出せると言うんだ⋮⋮﹄
﹃西部連合にはソフィール以外にもこんな化け物が居たのか⋮⋮﹄
なお、リベリオの炎は燃やす対象ごとに異なる性質を与える事が
出来、今のリベリオが炎に与えられる性質は両手の指を超える数を
与えられるらしいが⋮⋮燃やす対象の選択については妙な制限と言
うか、縛りのようなものがあるらしい。
具体的には、今回のように木の壁とヒトとそれ以外で分け、前二
つだけを焼き、後一つは焼かないという事は出来る。
だが、味方を燃やさず敵だけを焼くと言う事は出来ないし、妖魔
だけを焼いてヒトは焼かないと言う事も出来ないらしい。
まあ、敵味方で分けられないのは状況によって簡単に反転してし
まう条件だからなのだろう。
しかし私のような特殊な妖魔はともかくとして、普通の妖魔とヒ
トの区別が出来ないのは⋮⋮謎である。
1211
ま、そうと分かっているなら、それを前提に使うだけなのだが。
﹁さて、着いたわね﹂
﹁来ましたか。ソフィール将軍﹂
そうこうしている内に、私はフロウライトの東門、トリクト橋に
直接接続されている門の前にやってくる。
門の前には既に完全武装の兵士たちとルズナーシュの姿があり、
今か今かとその時を待っているようだった。
そして私自身も、顔を隠す布がついた帽子と鎧を身に付け、ハル
バードを背負い、腰にインダークの樹の持ち手を付けたサブカの剣
を挿した状態で馬に跨る。
﹁さて、ここからは時間との勝負よ。全員気合を入れなさい。リベ
リオ、カウントを始めるわ﹂
﹁分かっていますとも﹂
﹁﹁﹁了解!﹂﹂﹂
﹃はい﹄
フロウライトの東門がゆっくりと開き始める。
勿論東部連盟の兵士には、門が開いた事が分かったところで出来
る事はない。
サハギン
てぐすね
砦は今もなお燃えているし、ベノマー河には呼び戻しておいた大
量の魚の妖魔が愚かなヒトが近づいて来ないかと、手薬煉を引いて
待っているのだから。
﹁3、2、1⋮⋮﹂
私は二台の馬車がどちらも止まらずにすれ違えるよう、わざわざ
広く作った橋の上をゆっくりと進みながら、カウントをしていく。
﹁0!﹂
﹁作業開始!﹂
1212
﹁消します!﹂
そしてカウントが0になった瞬間。
私は燃え盛る砦に向かって馬を走らせ始め、ルズナーシュたちも
私に続くように馬を走らせ、馬に乗っていない兵は全力で駆け出す。
と同時に、橋の終わりから少し横にずれた場所で待機していたリ
ベリオが、自らが放ち維持していた炎を解除する。
﹁火が消えるぞ!壁も崩れる!!﹂
﹁なにっ!?﹂
﹁い、今だ!何が有ったかは分からんが、今の内だ!﹂
炎が解除された事で、その姿を保っていた木の壁はあっけなく燃
え落ち、砦はまるで最初からなかったような姿になる。
その姿に好機と見たのか、一部の東部連盟の指揮官が声を張り上
げるが、東部連盟の兵たちはまた砦が燃え出すのではないかと思っ
ているのか、その歩みは遅い。
うん、これなら十分に間に合う。
﹁ふんっ!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
砦の中心部に辿り着いた私は馬から飛び降りると、両手を地面に
着き、この辺り一帯の地面を掌握。
そして素早く砦周辺の地面から地表部分を剥すように土を集める
と、砦の木の壁が有った場所に土を寄せ、高さ1m半ほどの簡易の
土壁を造り出す。
﹁全員構え!撃てぇ!!﹂
﹁﹁﹁ギャアアァァ!?﹂﹂﹂
と同時に素早くルズナーシュと彼が率いていた魔法使いと弓兵が
土壁の裏側に着き、こちらに向かって駆け出そうとしていた東部連
盟の兵たちを魔法による横からの攻撃と、弓による上からの攻撃、
1213
そして私が地表を剥した事によって現れた両端を尖らせた木の杭に
よる下からの攻撃によって、もてなしてやる。
すると当然の話ではあるが、三方向からの攻撃には耐えられず、
前の方に居た東部連盟の兵士たちは悉く血に塗れた状態で倒れ、後
に続くべき東部連盟の兵士たちは恐怖に怯え、一歩も前に進むこと
が出来ないようになってしまった。
﹁さて、仕上げね﹂
さて、そろそろいい頃だろう。
私は再び馬に乗ると、切れ目なく作った土の壁に一時的に割れ目
を造り、数人の兵士と共に砦の外に出る。
そして砦の至る場所で灯りが灯され始めた所で口を開き⋮⋮
﹁こんばんわ。東部連盟の皆様。私がここフロウライトを任されて
いるソフィール・グロディウスよ﹂
東部連盟の兵士に向かって威圧の為の魔力を放ちながら名乗った。
1214
第220話﹁橋架け−9﹂︵後書き︶
正しく魔法の炎ではあります
1215
第221話﹁橋架け−10﹂
﹁ソフィール⋮⋮グロディウス⋮⋮﹂
英雄
﹁コイツが⋮⋮あの⋮⋮﹂
﹁七天将軍すら殺した化け物⋮⋮﹂
私の名乗りと魔力に、東部連盟の兵士たちは両脚を震わせて怯え
ている。
どうやら昨日の夕方から今に至るまでの攻撃でもって、兵の心は
すっかり折れてしまっているらしい。
将については⋮⋮状況と戦力差が読めていないのか、やる気のよ
うなものを見せている愚か者が何人かいる。
まあいい、それよりも今はだ。
﹁さて、東部連盟の皆様。私から貴方たちに対する要求はとても単
純です﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁退け。今日はお前たちが作った陣地まで、そして明日の昼までに
は陣地からも消え失せろ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
徐々に放出する魔力を強めつつ、こちらが求めている事を分から
せてやるのが先決である。
﹁退かないと言えば⋮⋮どうするつもりだ?﹂
東部連盟の指揮官の一人が発した言葉に対して、私は右腕を空に
向けて伸ばす。
するとそれに合わせてルズナーシュが指示を出し、砦の中に居る
魔法使いたちが夜空に向けて炎や光と言った暗い状況でもよく見え
る魔法を大量に放つ。
1216
﹁この世から退いてもらう。ただそれだけの話よ﹂
私の言葉に東部連盟の兵士たちに更なる動揺と恐怖が広がる。
この状況で馬鹿な指揮官が攻撃の命令を発しようとしたら⋮⋮ま
あ、死ぬのはその指揮官の方だろう。
確実に死ぬと分かっている命令を部下にやらせることが出来るの
は、それ相応の敬意と信頼を得ている者だけだ。
﹁ソフィール殿﹂
と、ここで一騎の騎馬が聞き馴染みのある声と共に前の方に出て
くる。
﹁あら、オリビンじゃない。何の用かしら?﹂
私の前に出てきたのはマダレム・バヘン第二中隊の隊長であるオ
リビンさんだった。
この状況で出てくると言う事は⋮⋮そう言う事なのだろう。
﹁何の用?貴方なら皆まで言わずとも分かっているでしょう﹂
﹁けれど言わなければ分からない事もあります。だから、言わせて
いただきましょう。退けと言われて退いたのでは、我々の立つ瀬が
ない。と﹂
﹁我々の立つ瀬がない⋮⋮ね﹂
やはりそう言う事であるらしい。
確かにその方法ならばこれ以上兵に被害を出すことなく、今回の
戦いの幕を引く事が出来るだろう。
ただこの策は被害を少なくするだけで、完全に無くす策ではない。
少なくとも一人は確実に死人が出ることになる。
﹁ではどうするつもりかしら?兵と兵の戦いは既に決着がついてい
る。このまま続けたところで一方的な蹂躙劇になる事は目に見えて
1217
いるわよ﹂
だがそれでも私はこの策に乗るべきである。
この策が全て成功すれば、出さざるを得ない犠牲に対してとても
多くの益を得る事が出来るのだから。
﹁確かに兵同士の戦いについてはそうでしょう。ですが、将同士の
戦いにはまだ決着がついていないのではありませんか?﹂
﹁何が言いたいのかしら?﹂
だから私はこの策に乗る。
犠牲の大きさを理解した上で。
﹁ソフィール殿。私との一騎打ちをお願いしたい。そして私が勝利
した暁には、橋を東部連盟と西部連合の共有財産とし、トリクト橋
の前の土地に我々の砦を建築させてもらう﹂
﹁随分と大きく出たこと﹂
オリビンさんの要求に、私の背後から兵士たちが動揺している様
子が伝わってくる。
彼らの反応も当然ではあるだろう。
此処まで押し込んでいるのに、将軍同士の一騎打ちで戦いの勝敗
を付けようと言うのだから。
東部連盟の将兵も動揺し、困惑し、恐怖している。
兵士はこれから自分たちはどうなるのかと言う思いで。
指揮官たちはオリビンさんに任せていいのかと言う不安と、ここ
で迂闊に口を出せば自分がどうなるのかと言う予想で。
スネーク
ゴーレム
﹁けれど面白いわ。良いでしょう。その申し出受けてあげる﹂
私は忠実なる蛇を利用した通信でリベリオとルズナーシュに兵を
落ち着かせるように指示を出しつつ、オリビンさんの提案を受け入
れる。
1218
﹁南部同盟のロシーマス将軍を打ち破った自分が負けるわけがない
とお思いで?﹂
﹁絶対に勝てる戦いなんて無いわ。けれど自分が弱いとも思ってい
ないわね﹂
オリビンさんは馬を降りると、兜、鎧、盾と順々に外していき、
イグニッション
最後に腰に挿していた剣を両手で構える。
対する私も馬から降りると、懐から着火の魔石を使って、私たち
の周囲にある木の杭に片っ端から火を付け、戦いの結果が誰からも
見えるように十分な量の灯りを確保する。
﹁私相手に防具を身に付けない⋮⋮か。良く分かっているじゃない﹂
﹁その得物と貴方相手に半端な防具など身に付けるだけ無駄ですか
ら﹂
私とオリビンさんは全ての将兵の視線が注がれる中、お互いの得
物を構える。
そしてオリビンさんの目を見て私は悟る。
なるほどどうやら彼は本気で私に勝つつもりであるらしい。
ああ素晴らしい。
ラミア
それでこそ戦い甲斐があるというものだ。
蛇の妖魔﹃土蛇﹄のソフィアとしても、西部連合のソフィール・
グロディウスとしても。
﹁はああぁぁ!﹂
やがて、誰かが合図したわけでもなく、ごく自然に戦いが始まり、
オリビンさんが勢いよく切りかかってくる。
﹁ふんっ!﹂
対する私はまず右手でハルバードを横に振るい、戈の部分でオリ
ビンさんの剣を半分ぐらいの所で叩き折り、そのままの勢いでオリ
ビンさんの首も狩ろうとする。
1219
﹁死んで⋮⋮﹂
だがオリビンさんはギリギリのところで身をかがめて私のハルバ
ードを避けると、そのまま更に前に出て、途中で折れた剣を振るお
うとする。
﹁甘い﹂
﹁たまる⋮⋮っ!?﹂
しかし、オリビンさんの剣が振られる前に私は左手で腰に挿して
いた剣を抜くとオリビンさんの横をすり抜けながらその首を一閃し
て切り裂く。
﹁⋮⋮﹂
﹁分かってるわ﹂
そして血を噴き出す喉を両手で抑えながら、声が出ない口と目で
最後の言葉を伝えてくるオリビンさんの頭に向けて私はハルバード
を振り下ろした。
1220
第221話﹁橋架け−10﹂︵後書き︶
09/14誤字訂正
1221
第222話﹁橋架け−11﹂
私がオリビンさんを殺した後の処理はつつがなく進んだ。
残った東部連盟の将兵は素直に陣地へと戻り、翌日の朝には﹃ソ
フィール・グロディウスに果敢に挑みかかったマダレム・バヘン第
二中隊隊長オリビンに敬意を示す﹄と言う名目でフロウライトから
幾らかの食料を渡して、こちらの要求通り昼には陣地から撤退して
いった。
なお、マダレム・バヘンに着いた後、そこから彼らは先に去って
行った面々や、マダレム・バヘンに残っていた者たちと共にそれぞ
れが所属する都市国家に帰って行ったわけだが⋮⋮今回の兵を率い
ていた指揮官が数名、その帰路で行方を眩ませたり、不慮の事故に
遭って死んだらしい。
まあ、事故なら仕方がない。
ちなみに今回は本当に私は何もしていない。
﹁本日はよろしくお願いいたします。ソフィール殿﹂
﹁ええ、こちらこそお願いいたしますね﹂
さて、そんなこんやで二週間後。
私は東部連盟が今回の戦で作った陣地で、マダレム・バヘンから
派遣されてきたマダレム・バヘンの有力者⋮⋮それもオリビンさん
の上司だったヒトと会っていた。
﹁では早速で申し訳ありませんが、今回マダレム・バヘンの方を招
いた理由を説明させていただきますね。実は⋮⋮﹂
そうして今日の会合の目的を話したところ⋮⋮
﹁ほ、本気ですか⋮⋮!?﹂
1222
﹁勿論本気です﹂
オリビンさんの上司は絶句していた。
まあ、彼の反応も当然のものではある。
と言うのもだ。
﹁いや、確かに我々マダレム・バヘンにとっては好ましい事ではあ
りますが⋮⋮﹂
私の提案は、今回の戦いで造られた東部連盟の陣地を、そのまま
マダレム・バヘンに渡し、管理と運営を任せると言う物なのだから。
﹁ふふふ、懸念はごもっとも。けれど私たちにとっても、ここはこ
うしておいた方が都合がいいのです。と言うのも⋮⋮﹂
当然オリビンさんの上司は私の言葉に裏が無いかと疑わざるを得
ないだろう。
なにせ二週間前に戦った相手から、その戦いで使われた拠点を返
還すると言われたのだから。
むしろ疑わない方がおかしい。
﹁な、なるほど。それならば確かに⋮⋮﹂
﹁ええ、この陣地についてはマダレム・バヘンに管理をしていただ
いた方が、我々西部連合にとっても、東部連盟にとっても都合がい
いのです﹂
だがそれでも私はマダレム・バヘンにこの陣地を渡す。
今後築くことになるトリクト橋前の砦兼関所を運用するためにも、
マダレム・バヘンの安全のためにも、西部連合と東部連盟の友好関
係維持のためにも、南部同盟との戦いのためにも、その方が状況が
好転する可能性が高いのは明らかなのだから。
﹁分かりました。そう言う事ならば、早速マダレム・バヘンに戻っ
て今回の件を他の者にもお伝えしましょう。まずはこの場をきちん
1223
とした砦とする事を、そしてその後どのように発展していくのかを
ソフィール殿が望んでいるのかも﹂
﹁ありがとうございます。よろしくお願いしますね﹂
そしてこの地に東部連盟の陣地が出来れば⋮⋮南部同盟との戦い
が終わった後のフロウライトとマダレム・バヘンの発展と繁栄にも
大きく寄与してくれるだろう。
そうなった時の未来を考えたら、私は笑みを浮かべずにはいられ
ず、握手も自然と力が入る事になった。
勿論、ヒトの力の範囲内でだが。
﹁さて、公的な話は此処までとして、私的に伺いたい事が有ります﹂
﹁私的に⋮⋮ですか?﹂
﹁ええそうです﹂
さて、握手も交わし、各種書類に対するお互いのサインも終わっ
たところで、話は私的な方面に及ぶことになる。
﹁マダレム・バヘン第二中隊隊長オリビンには妻と娘が居ましたよ
ね﹂
﹁え、ええ⋮⋮﹂
﹁彼女たちは今どうしていますか?﹂
﹁⋮⋮﹂
オリビンさんの上司は私が発した言葉を聞いた途端に、何処かい
たたまれなさそうな顔をする。
その反応に私は少々違和感を覚えつつも、質問を発する。
﹁実は⋮⋮﹂
そしてオリビンさんの上司から返ってきた言葉は私にとっても予
想外な話だった。
1224
−−−−−−−−−−−−
﹁何てことなの⋮⋮﹂
﹁申し訳ない。ソフィール殿⋮⋮﹂
本当に予想外と言う他ない話だった。
オリビンさんの上司によれば、事が起きたのは十日程前の事。
マダレム・バヘン内に在るオリビンさんの家が盗賊の類によって
襲撃を受けた。
その襲撃によってオリビンさんの家は焼け、妻は死体となって発
見され、娘は誘拐された。
その後マダレム・バヘンの衛視隊によって盗賊たちは捕まり、娘
が売られた非合法の奴隷商人も判明、娘だけでも取り返すべく彼ら
は全力を尽くそうとした。
だがマダレム・バヘンの衛視隊が奴隷商人の元に辿り着いた時⋮
⋮奴隷商人とその護衛たちは既に殺されており、オリビンさんの娘
以外にも居たはずの奴隷たちは全員その姿を眩ませていたのだとい
う。
﹁いえ、貴方たちが悪いわけでは無いわ﹂
﹁そう言っていただけると、私共も気が楽になります﹂
最早誰かの悪意すらも感じるような流れだった。
だがこうなってしまった以上は仕方がない。
﹁ただ⋮⋮﹂
﹁分かっています。彼女が見つかり次第、ソフィール殿にも連絡さ
せていただきます﹂
﹁お願いします﹂
オリビンさんが私に託した最後の願い⋮⋮﹃家族を頼む﹄という
言葉を、少しでも守るためには、彼女⋮⋮ペリドットの無事を祈る
1225
しかなかった。
1226
第223話﹁橋架け−12﹂
﹁以上が報告となります﹂
マダレム・サクミナミはノムンの城の一角。
そこには三人の男⋮⋮南部同盟の王であるノムン、七天将軍一の
座にして親衛隊隊長でもあるゲルディアン、七天将軍六の座にして
南部同盟の諜報を司るリッシブルーが居た。
﹁使い捨ての駒では一週間と保たないとは思っていたが、まさか丸
二日も経たずに戦を終わらせるとはな﹂
﹁ええ、これではレイミア将軍も手の出しようが無かったかと思わ
れます﹂
﹁だろうな。だが成果は有った﹂
リッシブルーの報告を読み終えたノムンの言葉に、リッシブルー
もゲルディアンも小さく頷く。
﹁確かに。マダレム・エーネミの元に東部連盟の愚か者が兵を出し
ている内に、マルデヤ将軍とイレンチュ将軍の働きによって二つほ
ど東部連盟の都市国家を落とす事が出来ましたな﹂
﹁それに加えて、奴の使う魔法と奴が隠していた英雄の存在を明ら
かに出来たからな。これは都市国家一つを落とすのと同程度の戦果
と言っていいだろう﹂
ノムンは小さく笑みを浮かべると同時に、机の上に置かれていた
ヘニトグロ地方全域を記した地図に南部同盟の旗を新たに二本突き
刺す。
その場所は東部連盟の領域だったはずの場所であり、旗の下には
駒が二つ置かれていた。
そしてその地図をよく見れば、同じような駒がマダレム・サクミ
1227
ナミに二つ、マダレム・シーヤに一つ、西部連合との境界に一つ、
地図の外に一つ置かれており、地図の外に置かれた駒をさらによく
見れば、その首は折られて無くなっていた。
また、色違いの同じような駒が西部連合と東部連盟の各所に数個
置かれており、フロウライトには古びた駒と真新しい駒が一つずつ
置かれていた。
﹁奴⋮⋮ソフィールの事ですな﹂
﹁そうだ。お前たちは奴の魔法をどう思う?﹂
﹁そうですなぁ⋮⋮私個人としては奴の魔法はヘテイルの式神術⋮
⋮所謂使役魔法ではないかと思っております﹂
﹁ほう。その使役魔法とやらはどんなものだ?﹂
ノムンの求めに応じる形で、リッシブルーがヘテイルの式神術に
ついて知っている事を話していく。
使役する対象を己の手足のように扱ったり、五感を共有させたり
出来る事は勿論の事、ソフィアが使う土の使役魔法がヘテイルでは
禁忌とされていると言う、一般には知られていないはずの情報まで
も。
そしてリッシブルーの話を聞き終えたノムンは満足げに一度頷く
と、こう言い放つ。
﹁つまりリッシブルー、お前は奴の後天的英雄としての能力を、土
を対象とした使役魔法に特化していると考えているわけだな﹂
﹁その通りに御座います。陛下﹂
﹁なるほど確かに道理は通っているな。今までにも奴は自分が居な
いはずの場所の情報を得ている事が有った。それが出来たカラクリ
が、この土の使役魔法と言う事か。となると奴の使役魔法の範囲は
⋮⋮﹂
ノムンは卓上の地図に一つの円を書き込む。
その円はフロウライトを中心として、半径はマダレム・セイメま
1228
で届く大きさとなっており、ヘニトグロ地方の四分の一から三分の
一程度はカバーしていた。
当然円の中にはノムンたちの居るマダレム・サクミナミも入って
いる。
﹁ふむ。随分と広いな。だが⋮⋮﹂
﹁ええ、術者から距離が開けば開くほど、大したことは出来なくな
るでしょう。それは英雄であろうとも変わりないはずです﹂
﹁となると戦闘に用いれるのは極々狭い範囲か。だが奴の知略を考
えたら、厄介な事には変わりないな﹂
﹁諜報を司る身といたしましては、情報を一方的に奪われるだけで
も痛手ではあります﹂
その事実にノムンは眉をしかめ、リッシブルーも表情こそ変えな
いが、困ったと言わんばかりの声音を出す。
﹁一先ず城内を徹底的に掃除し、存在している土を指定した箇所に
集め、指定外の場所で土が確認されたならば隔離した上で詳しく検
分させるとしよう。それだけで軍議を盗み聞きされる可能性は大き
く減るはずだ。勿論屋根上や屋根裏もやってもらうぞ﹂
﹁御意に御座います﹂
だがノムンはただ悩むだけでは無かった。
何を知られたら拙いか、どうやればそれを防げるかを考え、直ぐ
に答えを導き出した。
﹁残る懸念は奴との距離が近くなった場合に、直接仕掛けて来る場
合だが⋮⋮ゲルディアン﹂
続けてノムンの視線がゲルディアンに向けられる。
ゲルディアンはそれだけでノムンの意図を察すると、小さく口を
開く。
1229
﹁奴の全力が分からないので確証は致しかねますが⋮⋮、奴が陛下
の周囲の大地に干渉を仕掛けて来ても、防ぐ事は可能であると考え
ます⋮⋮﹂
﹁理由は?﹂
﹁使役魔法がどのように対象を操るかは分かりませんが、魔力を利
用している事は間違いありません。故に、奴が使役対象に与えてい
る魔力以上の魔力をぶつければ、それ以上動かす事は出来なくなる
と思われます﹂
﹁ふむ、リッシブルー﹂
﹁ゲルディアン将軍の考えで間違っていないかと、ヘテイルでは邪
法であるヒトを対象とした使役魔法への対抗策として、それ以上の
魔力を浴びせて解除すると言う技法があるとの事ですので﹂
﹁なるほど。では、お前が近くに居る限り、問題はないという事か﹂
﹁はっ、ご期待に沿えるように頑張らせていただきます﹂
ゲルディアンがノムンに向けて小さく敬礼を終えると同時に、ノ
ムンはマダレム・シーヤの上に置かれている駒へと視線を向ける。
﹁後はレイミアとマダレム・シーヤだが⋮⋮リッシブルー﹂
﹁ご安心を。レイミアについては⋮⋮﹂
その後も南部同盟で最も厄介な三人だけでの話し合いは続き、話
し合いが終わると同時に彼らは再び動き出したのだった。
1230
第223話﹁橋架け−12﹂︵後書き︶
これだけ派手に動けば、そりゃあ魔法の正体ぐらいはバレますとも
1231
第224話﹁橋架け−13﹂
﹁おやっ﹂
東部連盟との戦いから一月が経ち、一通りの事後処理が終わると
共に事の顛末を記した報告書がマダレム・セイメに居るセレーネの
元にも届いた頃。
﹁何の用だい。クズ男﹂
スネーク
ゴーレム
﹃随分な挨拶ね。リリア﹄
私は忠実なる蛇の魔法によって作り出した土の蛇を、マダレム・
セイメに用意された﹃黄晶の医術師﹄の支部に寄越していた。
目的は当然、私が今居るこの部屋の主、﹃黄晶の医術師﹄の総長
であるリリア改めリリア・ヒーリングに会うためである。
﹁用件は?﹂
﹃東部連盟との一件に関する報告書は見た?﹄
﹁見た。まったく、また悍ましい魔法を造って⋮⋮﹂
﹃その件で貴女にだけ話しておきたい事が有るのよ﹄
﹁⋮⋮﹂
最初はあからさまに面倒そうな表情をしていたリリアだが、私の
言葉に目の色を変え、一気に真剣な表情を浮かべる。
どうやら私の口調とリリアにだけ話しておきたい事が有るという
言葉から、ただならない気配を感じ取ってくれたらしい。
﹁この後にこの部屋を訪ねてくるヒトがいないはずだから、安心し
て話しな﹂
﹃恩に着るわ﹄
そうして私は話し始める。
1232
ダーティ
クロウ
ゴーレム
今回の東部連盟との一戦で用いた忠実なる烏・穢の魔法がどう言
ダーティ
クロウ
ゴーレム
う発想の元に構築された魔法であるのかを。
ヒール
忠実なる烏・穢が報告書に記されているような新たな魔法ではな
く、既存の魔法の組み合わせでしかない事を。
そして殺傷能力の中核として用いられているのが、ただの治癒の
魔法でしかない事を。
そうして私の話を聞き終わったリリアは⋮⋮
﹁⋮⋮拙いね。この上なく拙い﹂
表情は変えずに、ただ深刻そうな気配だけを漂わせてそう呟いた。
﹁ソフィア。今回はアンタに感謝しておくよ。もしもこの事が西部
連合に敵対する者が先に気づいていたら、大惨事になるところだっ
た。ああいや、対抗策を見出す前に敵が気付いたら同じことか。い
ずれにしても今回はアンタに感謝するよ﹂
﹃感謝される謂れはないわ。私には対抗策が見いだせなかったんだ
から。それに⋮⋮ええ、発想が特殊なもので、今回の件については
私独自の魔法かつ今後は使用しないからと言う事で、全資料を破棄
ダーティ
クロウ
ゴーレム
したように見せたけど、独自に辿り着くヒトが居ないとも限らない
わ﹄
実際、忠実なる烏・穢の魔法は私とリリアの二人が揃って危険視
するには十分な魔法である。
なにせ烏人形の部分については土の使役魔法を基に発展させた魔
ヒール
法であり、普通のヒトに扱えるような魔法でないからいいが、疫病
部分については治癒の魔法と言う﹃黄晶の医術師﹄に所属する大多
数の魔法使いが使用可能な魔法を少々見方を変えて使っただけなの
だから。
いや、生命力を底上げしたり、補給したりと言った魔法は割合多
くの流派に存在している魔法であるし、それらの魔法で同様の使い
方が出来る可能性を考えれば、潜在的には疫病を撒き散らす魔法を
1233
使えるヒトの数は恐ろしい量になるだろう。
そしてその使い方に気づいた魔法使いの中に、西部連合を敵視す
る存在が居ないとも限らないし、もっと恐ろしい何かが居てもおか
しくはないのだ。
ヒール
﹁いずれにしても、コイツに対抗するための魔法の開発は必須だね。
それと治癒の魔法の改良と使い手の教育についても見直しが必要だ
ね﹂
リリアは早速行動を開始するべく、複数枚の羊皮紙を出して何か
を書き綴っていく。
そして一通り書き終わったところで、何も書かれていない羊皮紙
を出して、私に視線を向けてくる。
ふむ、そう言う事か。
﹁ソフィア。アンタの目から見て、疫病にかかった連中の症状はど
うだった?﹂
﹃一口に症状を言うのは難しいわね。活力を与えられた病魔が微妙
に違ったのか、距離の問題だったのか、症状に結構差があったから﹄
﹁なら一人ずつ把握している限りで話しな。アンタがバラまいた種
なんだからね﹂
﹃分かったわ﹄
私はリリアの求めに応じて、疫病に感染した東部連盟の兵士の症
状を、把握している限りで話す。
幸いな事に私の中にはヒーラの知識が有るので、その知識に基づ
いて症状を話す事で、スムーズに説明することが出来たと思う。
そうして説明する中で私もリリアも一つの事実に気づく。
﹃⋮⋮。症状を見た限りだと、外科手術を行った後に患者が熱を出
して倒れる症状や、女性が出産後に熱を出す症状に近くないかしら
?﹄
1234
﹁そうだね。非常に近い。いや、中にはそのままの症状を出してい
る奴もいるね﹂
﹃となるともしかして⋮⋮﹄
﹁今まで知られていなかっただけで、そう言う事なんだろうね。は
ぁ、まさか老い先短い身でこんな事に気づくとは⋮⋮本当に世の中
分からないものだねぇ﹂
彼らに生じた症状の大半が、今までにも突然発生する厄介な病と
して知られていたものだったからだ。
﹃色んな意味でこの件についてはよろしく頼むわね﹄
﹁そうだね。出来る限りの事はやっておくよ﹂
そうして私とリリアの話し合いは一つの大きな発見と共に終わる
事になった。
1235
第224話﹁橋架け−13﹂︵後書き︶
術後の感染症や産褥熱の事です
1236
第225話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−1﹂
﹁よくぞお越しくださいました。ささ、こちらへどうぞ﹂
九月
﹁はい、ありがとうございます﹂
レーヴォル暦二年、秋の三の月。
私たち西部連合はいよいよ南部同盟討伐に向けて動き出す事にな
った。
つまり、西からは西部連合の諸将が、東からは東部連盟の人々が、
南からは双方から出てきた軍船が岸伝いに、北からはセレーネが率
いる軍勢が、それぞれにノムンが居るマダレム・サクミナミに向か
って道中の都市や砦を攻略しながら進み出したのだ。
﹁さて、それじゃあ早速マダレム・シーヤ攻略の為の軍議を始めま
しょうか﹂
﹁はい。よろしくお願いしますね。ソフィアさん﹂
﹁ええ、勿論﹂
と言うわけで、本日は私、リベリオ、ルズナーシュ、セレーネ、
ウィズ、トーコ、シェルナーシュと言う私の正体を知っている面々
だけをフロウライトにある私の屋敷の一室に集め、フロウライトに
最も近い南部同盟の都市、マダレム・シーヤを攻略するための作戦
会議を行う事になったのだった。
なお、この部屋の防音はシェルナーシュと私の魔法を組み合わせ
ることによって、ほぼ完璧なものになっているので、情報が漏れる
可能性は皆無である。
−−−−−−−−−−−−−−
1237
﹁さて、まずはマダレム・シーヤの基本的な情報のおさらいから行
きましょうか﹂
﹁はい﹂
﹁よろしくお願いします。父上﹂
ゴーレム
スネーク
ゴーレム
私は机の上に盆を置くと、その上に土と魔石を乗せ、使役魔法を
クロウ
発動。
忠実なる烏や忠実なる蛇によって測定したマダレム・シーヤを一
定の比率に沿って縮小した模型を作り出す。
そして、そこに更に密偵や斥候から得た情報に合わせてヒトの人
形や、指揮官の人形を造り出して配置する。
﹁ソフィア。お前また妙に繊細な魔法を⋮⋮﹂
﹁ほう。流石はソフィール殿だ。これは興味深い⋮⋮﹂
﹁ちょっと暇だったから、役に立つかと思って作ってみただけの魔
法よ﹂
魔法バカな
シェルナーシュとルズナーシュが妙に感心した目つきで舐め回す
ように模型を見ているが⋮⋮うん、こういう所はやっぱり親子なん
だと思う。
まあ、二人については放置しておくとしよう。
今はマダレム・シーヤについてだ。
﹁さて、見て貰えばわかると思うけれど、マダレム・シーヤは四方
を丘に囲まれ、丘の角度が変わる場所に沿って城壁が建てられた都
市よ﹂
﹁門は街の四方にしかないんですね﹂
﹁そして、門に行き着くための道は視界が良く開けていて、密かに
接近する事は出来ないと﹂
﹁それに最初の門を破っても、街の中枢⋮⋮敵の司令官が居る場所
にたどり着くまでに、もう二つ壁を越えないといけないんです﹂
1238
マダレム・シーヤは五十年ちょっと前に私が訪れ、トーコとシェ
ルナーシュの二人に出会った時から基本的な構造は変わっていない。
ただ、シチータの手によって、都市内部がドーナツ状に造られた
城壁によって三層に分けられていたり、丘部分が雨風の浸食や土を
操る魔法によって崩れないように手を加えられているぐらいである。
﹁何と言うか⋮⋮戦いの為の街って感じですね﹂
﹁実際その認識で間違っていないと思うわよ。今のマダレム・シー
ヤ自体がマダレム・エーネミとマダレム・セントールによる侵略か
ら身を守るために造られた都市であるし、シチータがこの場所を拠
点に定めたのは政治的な都合だけじゃなくて、外敵対策もあったは
ずだから﹂
﹁つまりこれだけ強固な造りになった原因の一端は父上にもあると﹂
﹁否定はしないわ。実際昔の私も散々苦労させられてきたしね﹂
ウィズの指摘に私は胸を張って返すが、セレーネとリベリオは何
処か乾いた笑みを浮かべている。
たぶん、どうやって攻め落とせばいいのかが分からなくて、笑う
しかないのだろう。
なお、こちらにはマダレム・シーヤを落とさないという選択肢は
ない。
軍事面だけを考えても背後を衝かれる可能性を残しておくのは愚
策だし、そうでなくともマダレム・シーヤはシチータがかつて拠点
としていた地。
この地を自らの手で取らなければ、後々セレーネの王位は揺らぐ
ことになるだろう。
そしてそれ故に私は事前の調査をこれでもかと行い、判明した事
実を包み隠さず話さなければならない。
﹁よくない情報はまだあるわよー﹂
﹁えっ!?﹂
1239
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁マダレム・シーヤの兵士だけど、さっき挙げた二都市に対抗する
ためとして、伝統的に厳しい訓練を行っているから、その実力はか
なり高い。そして兵士だけでなく民衆も都市を守る為ならば一致団
結する傾向にあるわ。だからそうね⋮⋮実質的に向こうの戦力は万
を超えると思ってもらっていいわ﹂
と言うわけでまずは兵士の錬度と数についての情報。
野戦ならまた話は別であるが、攻城戦となれば、前述の地形の問
題もあって、相当の苦戦を強いられることになるだろう。
﹁おまけに指揮官が優秀なおかげで士気も高く、内応の類は期待で
きない﹂
となれば敵の兵の一部を取り込んで、内側から門を開けさせたい
ところだが⋮⋮マダレム・シーヤの場合、指揮官が優秀なのでそれ
も厳しい。
正直な所指揮官の下についている例の連中の方が、一般の兵より
も騙しやすいのではないかと思う。
﹁加えて食料、武器、修理用の資材と言った各種物資も完備。その
気になれば一年ぐらいは耐え凌げるかもしれないわね﹂
また、その後の諸々を考えると出来れば避けたい所であるが、長
期戦になっても単純にこちらの方が分が悪い。
なにせ相手はその気になれば一年、少なくとも数ヶ月は確実に耐
えられるように事前に備えているのだから。
﹁ですが父上﹂
﹁ええそうね。此処までについてはあくまで基本情報。場合によっ
ては私やリベリオ、トーコ、シェルナーシュ辺りが出ればどうとで
もなる要素ではあるわ﹂
﹁と言う事は⋮⋮﹂
1240
﹁ええ、一番厄介なのは⋮⋮﹂
ただ悩ましげな表情を見せているセレーネには悪いが、今回の作
戦において私たちにとって最も厄介な点は地形でもヒトでもなく⋮⋮
﹁このマダレム・シーヤを統括している七天将軍七の座、﹃蛇眼﹄
のレイミアよ﹂
マダレム・シーヤの中心、最も安全な場所で指揮を執っているは
ずの先天性英雄、ただ一人である。
1241
第226話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−2﹂
ラミア
﹁彼女⋮⋮﹃蛇眼﹄のレイミアは、蛇の妖魔の血を引く先天性の英
雄よ﹂
模型の中央に置かれた小さな人形を指差して言った私の言葉に、
トーコ、セレーネ、ウィズ辺りがもしかしてと言わんばかりの表情
を送ってくるが、私は手振りだけで違うと言っておく。
実際私は食べるときは最後までしっかり食べるから、子供が出来
る可能性は残らないし。
後、私の子供なら蛇眼にはならないと思う。
﹁容姿については、金色の髪に、蛇のそれによく似た目を持ってい
て、﹃蛇眼﹄と言う通称もそこから来たみたいね。ちなみに顔の造
形は普通のヒトよりちょっと美人なぐらいで、胸の大きさも普通ね﹂
容姿については特に誰も反応はしない。
まあ、ここに居る面々は相手が美人だからと言って手加減をした
り、妙な行動に走ったりはしない面々なので、当然と言えば当然の
反応だが。
なお、敵でなくなればルズナーシュは口説きにかかるだろうが、
それはいつもの事なので私は気にしない。
﹁性格については誠実かつ気遣いが出来る性格で、都市を治める責
任上悪党には容赦ないけれど、善良な市民にはとにかく優しいと言
う感じね﹂
﹁誠実で優しい?﹂
私の言葉にセレーネが疑問を感じているようだが、私はセレーネ
の疑問を無視して、今は話を進めることを優先する。
1242
﹁実際、彼女の治安維持能力は評価に値するわ。ノムンが王として
君臨していた間に悪化した治安は、ノムンがマダレム・サクミナミ
に移り、彼女が統治を任せられるようになって以降、急激に良くな
っているもの﹂
﹁なるほど﹂
﹁また、政治、軍事の部分についても秀でた才を持っていて、ここ
数年東部連盟がマダレム・シーヤより南に攻め込めなかったのは彼
女の存在が大きいわね。腐敗官僚や野盗の類も取り締まっているし、
当然だけど住民からの評価と信頼もかなり高いわ﹂
ラミア
﹁凄いですね﹂
﹁加えて蛇の妖魔の血を引いているため、個人的な戦闘能力も普通
のヒトとは比べ物にならないほど高く、これは噂でしかないけれど
⋮⋮彼女はどれほどヒトに酷似した妖魔でも一目で見極められるら
しいわ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私の言葉にルズナーシュとリベリオ以外がとても驚いた様子を見
せる。
まあ、その気持ちは分かる。
私たちにとって一目で妖魔か否かを見極められる能力を保有して
いる存在と言うのは、非常に厄介な存在であるからだ。
それも特に立場を持たない人物ならまだしも、周囲の人々から信
頼を得ている人物が保有しているのだから、厄介なことこの上ない。
﹁と言うわけで、この時点で分かると思うけど⋮⋮﹂
﹁少なくとも彼女が排除できるまでは、父上たちは表に出せません
ね﹂
﹁ソフィアさんたちが妖魔だと知られたら⋮⋮どうなるかなんて目
に見えていますものね﹂
﹁何時か出てくると思っていたが、ここで出て来るとはな⋮⋮小生
にも予想外だ﹂
1243
﹁あばばばば、ど、どうするのソフィア⋮⋮むぐぅん!?﹂
﹁はい、トーコは黙る﹂
と言うわけで、既にウィズがどうするべきかを、セレーネが出し
たらどうなるかを言ってくれているが、私はトーコの口を土の蛇で
抑えつつ、セレーネたちに私、トーコ、シェルナーシュの三人は今
回裏方に徹することになる事を伝える。
まあ、最低でも彼女を排除するか、籠絡するまではマダレム・シ
ーヤに近づくのも控えるべきだろう。
私たちの正体が一般に知られてしまえば、セレーネがその地位を
追われることは殆ど必定だと言っていいのだから。
﹁それでまあ、話を続けるけれど、私個人としては、彼女はこちら
側に引き込みたい所ではあるわね﹂
﹁マダレム・シーヤの統治を円滑に行うために。ですね﹂
﹁そう言う事。彼女さえ引き込めれば、後はノムンが寄越している
監視役数人を始末すれば、マダレム・シーヤはそのまま手に入る。
後はどうにかして私たちの正体について口を噤んでもらえるように
お願いすれば、万事丸く収まるわ﹂
だが逆に言えば、彼女⋮⋮レイミアを仲間に出来れば、私たちが
得る物はかなり大きい。
なにせマダレム・シーヤが丸ごと手に入ると言っても過言ではな
いのだから。
﹁それでソフィアさん﹂
﹁何かしら?セレーネ﹂
となれば後の問題はどうやって彼女を説得するかであるが⋮⋮正
直に言うと、私にはまるで説得材料が見つからなかった。
﹁なぜ彼女はノムンに従っているのですか?話を聞く限りでは、と
てもノムンに従うようなヒトには思えませんけど﹂
1244
﹁単純な話よ﹂
なのでここは話せるだけの事情を話して、セレーネたちにどうに
かしてもらうとしよう。
﹁レイミアには自分を育ててくれた義理の両親と、実の兄のように
慕っていた男性が一人居たの﹂
﹁もしかして⋮⋮﹂
﹁ええ、レイミアの反抗を恐れたノムンは、まず見せしめとしてほ
んの少しのミスを大事に仕立て上げ、義兄を処刑したわ。それも相
当に惨いやり方で﹂
私は敢えてどうやってレイミアの義兄が処刑されたのかは話さな
い。
資料で見ただけでも、惨いとしか言いようのない処刑法だったか
らだ。
﹁その後、レイミアの両親は人質としてマダレム・サクミナミに囚
われ、リッシブルーの部下を通した手紙のやり取りでしか関わりを
持てなくなった。そして、両親の命を握られているレイミアはノム
ンの指示通りに働くしかなくなったのよ﹂
﹁酷い⋮⋮﹂
ノムンへの怒りが為に、セレーネは唇を噛み締め、拳を強く握り
閉める。
まあ、実際には彼女が従わざるを得ない理由は他にも有るようだ
が。
﹁ですが父上。それならば彼女の両親を救出出来れば、彼女はこち
らに降ってくれるのでは?﹂
﹁そうね。私もそう考えたわ﹂
けれど本当に酷いのはここからだった。
1245
﹁でもね。レイミアの両親はとっくの昔に死んでいるのよ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私の言葉に全員が驚きの表情を表す。
実際、人質の件についてまではリベリオたちにも話していたが、
ここから先は私が独自に調べ、今まで誰にも話していなかった情報
であるから、その反応も仕方がない。
﹁死んでいるって⋮⋮なんで⋮⋮﹂
﹁資料を見る限りでは病死となっているけど、実際の所は怪しいわ
ね。ただ、死体の方は確認しているから間違いないわ。一応頭蓋骨
と少しの装飾品だけは回収もしてある。あのままだと、何処に埋め
られたのかすらも分からなくなりそうだったし﹂
﹁それじゃあ彼女は⋮⋮﹂
﹁ええそうよ。レイミアは両親が死んだことも教えられずに、ノム
ンたちにとって都合のいいように働かされているのよ。まるで奴隷
のようにね﹂
そして人質が既に奪還不能な状態になっている。
これが私にはまるで説得材料を見つけられない最大の理由だった。
だがそれでもだ。
﹁さあセレーネ、リベリオ、ウィズ。今回は貴方たちが考えなさい。
どうやって彼女を私たちの敵でなくさせるのかを﹂
私はセレーネ、リベリオ、ウィズの三人ならば、レイミアを説得
できる。
根拠もなくそう感じていた。
1246
第227話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−3﹂
﹁本当に便利だね。この魔法﹂
数日後、セレーネを旗印とした私たち西部連合の軍勢は、マダレ
ム・シーヤの北に陣地を構えていた。
で、私、トーコ、シェルナーシュの三人は当初の予定通りに西部
連合の陣地の中でも後ろの方に張られた天幕の中で表向きはくつろ
いでいた。
ゴーレム
そう、表向きはだ。
ガーデン
﹁忠実なる箱庭だったか﹂
﹁呼び名が無いと面倒だって事で適当に付けた名前だけどね﹂
天幕の中にはマダレム・シーヤとその周辺の地形を忠実に再現し
た土造りの模型が置かれていた。
ゴーレム
クロウ
ゴーレム
そして模型の上では、赤と青で色づけされた小さな駒が複数活発
ガーデン
に動いている。
魔法の名は忠実なる箱庭。
と言っても、ただ使役魔法と忠実なる烏を組み合わせ、烏人形が
見ている光景を基に模型の作成と駒の移動を半自動で行っているだ
けの魔法なので、私としては新魔法と言う意識はないのだが。
﹁ま、トーコとシェルナーシュは私の護衛に専念していて。私は周
囲の安全に気を使える程余裕はないだろうし﹂
﹁うん分かった﹂
﹁ああ、任せておけ﹂
話を戻そう。
今現在私がセレーネに任されている仕事は三つ。
一つ目は戦略上大きな価値があるという事で、この忠実なる箱庭
1247
の魔法を維持する事。
二つ目はとある事柄の準備。
クロウ
ゴーレム
三つ目は⋮⋮各地で行われている南部同盟との戦いに忠実なる烏
の魔法を利用して助言と言う形で介入、支援することである。
﹁じゃ、始めるわ﹂
うん、この三つ目の仕事が特に厄介だ。
西と南はセレーネの書状で本物であることを証明すれば、後は私
の実力を知っているヒトを介して情報や策を与えるだけで済むが、
東については私個人の伝手を利用するか、いっそのこと私の言葉を
神託か何かだと勘違いさせて操らなければならない。
そして当然の話ではあるが、戦場ごとに状況は異なり、状況が異
なる以上は求められる物も違う。
つまりは私が採るべき行動も変わるのだ。
うん、私でなければ過労で倒れるぞこれ。
セレーネは私なら大丈夫だとこんな仕事を割り振ってきたわけだ
が、最近、こう、妖魔である私をものの見事に利用してくる様から
は、どことなくシチータのそれを感じなくもない。
まあ、セレーネが成長している証拠として喜んでおくしかないの
だろう。
−−−−−−−−−−−−−−
私が烏人形によって各地への介入を始めてから数時間後。
﹁それでセレーネたちはどうするつもりなんだ?﹂
シェルナーシュが模型を眺めながら、私にそう問いかけてくる。
見れば、マダレム・シーヤの北門部分にこちらの指揮官クラスの
1248
ヒトである事を示す青い駒が五つ、南部同盟の指揮官クラスのヒト
が居る事を示す赤い駒が数個並んでいる。
﹁今日の所は普通に説得すると言っていたわね﹂
また、それぞれの指揮官の駒の周囲には、どれぐらいの一般兵が
いるのかを端的に表した色つきの土が盛られている。
うんまあ、この様子なら大丈夫か。
レイミアとマダレム・シーヤの兵士たちに突撃を仕掛けてくる様
子は見られないし、セレーネも相手が攻撃を仕掛けて来ても良いよ
うに備えているみたいだし。
﹁駒が五つ?誰が行っているの?﹂
﹁んー⋮⋮この駒だと⋮⋮セレーネ、ウィズ、リベリオ、ルズナー
シュ、バトラコイの五人ね﹂
さて、私の忠実なる箱庭によれば、レイミアとの交渉に赴いてい
るのは五人。
西部連合の王であるセレーネ・レーヴォル。
私の息子であるウィズ・グロディウス。
後天性の英雄にして、この戦場に居る面々の中でも五指に入る戦
闘能力を有するリベリオ。
シェルナーシュの息子にして、﹃輝炎の右手﹄の長であるルズナ
ーシュ・メジマティ。
セレーネを守護する親衛隊隊長のバトラコイ・ハイラ。
うん、私が良く知っているのは五人中四人だが、錚々たる面々だ
と言えるだろう。
﹁バトラコイ⋮⋮ああ、あのデカ女か﹂
﹁良い子だよね。バトちゃん。料理も上手だし﹂
ちなみに私は彼女⋮⋮バトラコイ・ハイラの事をよく知らないが、
背後関係に問題が無い事は調査済みである。
1249
まあ、セレーネとリベリオの二人と同じように、赤子の頃から孤
児院暮らしだったので、背後関係もくそも無かったのだが。
なお、実力についてはトーコと幾らか打ち合える程であり、ヒト
として破格と言っても良いだろう。
そんな高い実力に加えて、私よりも頭半個分高い背とセレーネへ
の忠誠心もあって、セレーネに対して反抗心を抱く者への威圧効果
は絶大と言っていい。
うん、実に素晴らしい人材だ。
﹁⋮⋮﹂
﹁どしたの?シエルん?﹂
﹁どうしたの?﹂
﹁いや、なんでもない﹂
一つ補足しておくと、シェルナーシュは何故か彼女の事が苦手ら
しい。
トーコと同じ黒髪赤目で、似た雰囲気を漂わせているからだろう
か?
まあ、私には関係ない話であるが。
﹁それよりもだ。ソフィア、交渉は上手くいくと思うか?﹂
話が脇に流れ始めていると感じたのか、シェルナーシュが話題を
戻す。
﹁そうね⋮⋮﹂
私もシェルナーシュの質問に答えるべく改めて模型に目を向ける。
うん、この状況なら⋮⋮。
﹁今日の所は交渉も出来ないと思うわ﹂
模型では私の言葉から一拍遅れてお互いの指揮官駒が、自らの陣
地へと移動し始めていた。
1250
第227話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−3﹂︵後書き︶
バトラコイ・ハイラですが、既に御察しの方も居るかもしれません
がトーコの娘です。
なお、トーコも自分の娘だとは気付いていない模様。
更に言えば身体能力がギリギリ英雄に入るかどうかのレベルの為、
周囲から英雄だと認識されてません。
当然、身体能力に回らなかった分だけ、別の何処かに英雄足るに相
応しいだけの力が秘められているのですが⋮⋮周囲がそれに気付く
事も無いようです。
09/19誤字訂正
1251
第228話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−4﹂
﹁あらら、ソフィアんの言うとおり、帰っちゃった﹂
﹁やはりこうなったか﹂
﹁まあ、これは仕方がないわよね﹂
﹁ん?どうして仕方がないの?﹂
私とシェルナーシュはセレーネたちの動きに納得をしつつ、駒の
動きを見守る。
だがトーコは納得がいかなかったのか、私たちの方に疑念を抱い
た視線を送ってくる。
ふむ、このまま私が説明してもいいが⋮⋮どうせだし、セレーネ
たちが今回の件をどう思っているかを盗み聞きしつつ説明する事に
しよう。
スネーク
ゴーレム
﹁んー⋮⋮そうねぇ⋮⋮よし、上手くいった﹂
私はウィズに持たせていた忠実なる蛇の魔石を地脈を介して起動。
ガーデン
ゴーレム
魔石を包んでいる土を使役し、疑似聴覚を発生させる。
で、折角なので忠実なる箱庭ともリンクさせ、それぞれの駒が喋
っているかのように音を出力させることにする。
﹁とりあえずこれを聞きながらにしましょう﹂
﹃ザッザッザッ﹄
﹁?﹂
﹁ほう、また面白い小技を﹂
模型から複数人が土を踏む音と、金属同士がこすれ合う音が聞こ
え始める。
さて、どんな会話をセレーネたちはしているだろうか。
1252
﹃いやはや、まさか交渉の座に着く事すら拒否するとは。如何為さ
れますか?セレーネ陛下﹄
﹃ご安心を。ルズナーシュさん。今日は交渉すら行えないというの
は、私にとっては予想通りの展開ですから﹄
﹃予想通りなのですか?﹄
まず聞こえてきたのはルズナーシュの声、続けてセレーネの声が、
その後にバトラコイの声が聞こえてくる。
﹃ええ、予想通りです。そもそも相手は私がどんな人間なのかを正
しく知らないのですから、交渉の席に着く方がおかしいとも言えま
す﹄
﹃彼女の周囲にはノムンとリッシブルーが配下として寄越した者が
居ますしね。下手をすると、交渉の席に着いただけで離反を企んで
いると告げ口される可能性もあると思いますよ﹄
﹃こ、交渉の席に着いただけで離反だなんて⋮⋮﹄
﹃ノムンは見せしめの為に小さな罪を大きく見せる事や、犯してい
ない罪を犯したように見せ、処刑を行うと言う手法も取りますから。
リベリオの言った可能性も彼女なら当然考慮していると思います﹄
﹃そ、そうなんですか⋮⋮﹄
﹁うへー、ノムンってやっぱり酷いね﹂
﹁だがここまで注意を払い、能力も十分にあるからこそレイミアは
生かされているのだろうな﹂
﹁でしょうね。でなければどれほど切羽詰っていても、自分に対し
て反抗的な思想を有しているヒトを七天将軍の座に就けるとは思え
ないわ﹂
まあ、逆に言ってしまえば、用済みになった後ならば微かなミス
でも大きな罪にして、ノムンは彼女を処分しようとするのだろうが。
まったく、彼女が自分の事を一番に考えるヒトなら、その点を徹
底的に突いて容易くこっちに引き込めたのに。
しかし私としては最近は背も伸びて体格もしっかりしてきたとい
1253
う事で、リベリオを戦力としてセレーネに着けていたのだが、どう
やら会話の様子を聞く限りでは文官か小間使いのような仕事も十分
にこなせているらしい。
出来ないよりは出来た方が良いので、問題はないのだが。
﹃それに交渉は出来ませんでしたが、今日こうして私たちは彼女と
交渉を行う用意がある事を示す事は出来ました。これで彼女とその
周囲のヒトたちには、こちらと交渉することを考えてくれるでしょ
う﹄
﹃なるほど。最初から交渉したのでは離反の意思ありと取られかね
ないが、追い詰められてからの交渉ならば、傍目には時間稼ぎのよ
うに思えるか。それならば彼女が乗ってくる可能性は十分にありま
すな﹄
﹃そうです。それこそ私たちの側にノムンを打ち破るだけの力があ
ると彼女が認識してくれれば⋮⋮光明は有ります﹄
﹃彼女が気にしているのは、そう言うものですものからね。ですか
ら⋮⋮﹄
﹁ん?ん?﹂
﹁分からないなら黙っていていいわよー﹂
﹁なるほど。そう言う事か⋮⋮﹂
さて、セレーネたちの話は続いているが⋮⋮とりあえずトーコに
は難しい話であったらしい。
まあ、トーコがこの手の話を苦手にするのは昔からなので、もう
そう言う性質だと思っておくとしよう。
彼女⋮⋮レイミアが自分の両親と同じくらい気にしているものに
も、セレーネたちは無事に気付いたようだしね。
﹁ソフィア。お前がセレーネに頼まれていたあれ、もしかしなくて
も相当責任重大じゃないか?﹂
﹁いやまあ、出来なければ出来ないで何とかすると思うわよ。セレ
1254
ーネだし﹂
そしてセレーネたちが気付いた先の展開まで察したのだろう、シ
ェルナーシュが私に大丈夫かと言う視線を送ってくる。
が⋮⋮正直に言って全然大丈夫じゃない。
全然上手くいく未来が見えない。
理論上は可能であっても、理論と実践は全くの別物なのである。
﹃ところでウィズ?貴方にしては珍しく先程からずっと口を開いて
いないけど⋮⋮﹄
﹃⋮⋮﹄
﹃ウィズ?﹄
﹃ウィズさん?﹄
﹃ほう、これはこれは⋮⋮﹄
﹃?﹄
﹁ん?ウィズん何かあったの?﹂
﹁何かは有ったんだろう。で、何が有ったんだ?﹂
﹁さあ?私にも分からないわ?﹂
と、ここまで一言も発していなかった事を疑問に感じたセレーネ
がウィズに声を掛けるが、ウィズにしては珍しく何かを思い悩んで
いるようで、音声と模型の動きを見る限り、セレーネの声も碌に耳
に入って来ていないようだった。
ふむ、本当に珍しい。
﹃ウィズ・グロディウス!﹄
﹃っつ!?申し訳ありません!陛下!!﹄
﹃まったく、貴方らしくもない。一体どうしたというのですか?﹄
﹃え、えーと、あ、はい。レ、レイミアとの交渉でしたね。私自身
まだよく分かっていませんので、この件につきましては⋮⋮﹄
﹃その件については、もうどうするかは決まっています。まったく
本当に貴方らしくもない。一体どうしたというのですか?﹄
1255
﹃その⋮⋮すみません!一度頭を冷やしてきます!﹄
﹃ウィズ!?﹄
セレーネたちの声が急激に聞こえづらくなっていく。
そして、模型の上ではセレーネたちから離れるように、ウィズの
駒が勢いよく移動し始めている。
﹃まったく、どうしたと言うんだ私は⋮⋮遠目に⋮⋮それも顔も殆
ど分からないような距離で顔を見ただけなのに⋮⋮﹄
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁ちょっ!?ソフィアん!?いいところだったのに!?﹂
ウィズに何が有ったのかはとても気になるところだった。
が、ウィズの言葉がそこまで聞こえた所で私とシェルナーシュは
視線を交わし、察し、盗み聞きを止めることにしたのだった。
﹁まあ、そう言う歳だものねぇ⋮⋮﹂
﹁相手が一人なら、小生のような思いはしなくて済むな。羨ましい
ぞソフィア﹂
﹁何で切っちゃうのよ!ソフィアーん!!﹂
うん、とりあえずお茶でも飲んで落ち着くとしようか。
1256
第229話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−5﹂
マダレム・シーヤ攻略戦二日目。
セレーネはレイミアに己の実力を示すべく行動開始した。
セレーネは軍を三つに分けると、自身が指揮する軍はマダレム・
シーヤの北に作った本陣に留め、ウィズが指揮する軍をマダレム・
シーヤの東に、ルズナーシュが指揮する軍をマダレム・シーヤの西
に向かわせた。
そして、準備が整うと三方から同時に攻めかかった。
尤も、攻めかかったと言っても、マダレム・シーヤ側は城壁の外
に出てこようとせず、城壁の上から矢と魔法を放つだけに留めてお
り、こちらもそれに合わせるように防御用の盾の影から矢と魔法だ
けで攻撃を仕掛け、決して無理をしないように行動したため、両軍
共に被害らしい被害も出ていないのだが。
また、セレーネも私も周囲に存在する南部同盟の都市や拠点から
援軍が出されないか、わざと開けておいたマダレム・シーヤの南門
から出てくる者が居ないか警戒をしていたのだが、この日はどちら
も起きなかった。
マダレム・シーヤ攻略戦三日目。
セレーネは前日と同じように攻撃を仕掛けた。
が、マダレム・シーヤ側に動きは無く、東と西にもマダレム・シ
ーヤの北に設営した本陣と同じような陣地が造れてしまった。
この陣地はマダレム・シーヤ側からの坂を駆け下りる勢いを生か
した攻撃に備えて造ると同時に、マダレム・シーヤ以外の南部同盟
の軍に対応するべく造った陣地であり、これが完成してしまうとマ
ダレム・シーヤにとってはそれなりにツラいはずだが⋮⋮レイミア
は一体どういうつもりなのだろうか?
1257
それとマダレム・シーヤの東に展開している軍を任せているウィ
ズの調子が多少良くない。
良くないと言っても、上から見ている私だからこそ分かる程度の
悪さだが。
マダレム・シーヤ攻略戦四日目。
この日は陽が昇る前に少々動きがあり、マダレム・シーヤの南門
から他の都市に向けて脱出する複数の騎馬の姿が確認できた。
私はその騎馬を援軍を求める伝令か、ノムンへの報告を行う諜報
員だと判断すると、マダレム・シーヤから幾らか離れた場所で野良
妖魔に襲わせ、始末した。
日中の動きについてはウィズの調子が目に見えて悪くなっている
点を除けば変化なし。
一応、夕食時に大丈夫かと問い詰めたが⋮⋮うーん、どうにも反
応が良くなかった。
なので私は何か有った時に備えて、例の件が上手くいく可能性が
見えてきたことと一緒に、セレーネたちにウィズの事を話しておく
ことにした。
マダレム・シーヤ攻略戦五日目。
大きな動きが有った。
恐らくはウィズの調子の悪さを察したのだろう。
レイミアがマダレム・シーヤの東門から僅かな手勢を率いて出撃
すると、東門の前で展開したウィズの軍に襲い掛かったのだ。
勿論、私はレイミアが出撃する前にこの事に気づき、セレーネに
援助を出すように要請、セレーネの指示の下、センサトたちが東門
の前へと急行し、ウィズの軍と戦闘を行っていたレイミアたちに奇
襲を仕掛けた。
結果、ウィズは危ないところを辛くも救われ、多少の被害を出し
つつもレイミアは大きな被害も出さずにマダレム・シーヤの中へと
1258
戻って行った。
敵ながら天晴れと言う他の無い動きだった。
そしてマダレム・シーヤ攻略戦六日目。
﹁ウィズ・グロディウス。なぜ自分が呼ばれたかは分かっています
ね﹂
﹁はい﹂
ウィズは自軍本陣の天幕へと招かれ、私とセレーネを筆頭とした
人々の前に立たされていた。
﹁昨日は不甲斐ない姿を見せてしまい、申し訳ありませんでした﹂
﹁そうですね。とても不甲斐なく、情けない姿でした﹂
セレーネの言葉は厳しく、怒りと呆れを含んでいる。
ウィズもセレーネが自分に対してそんな感情を抱く理由に自分で
も気づいているのだろう、握った手は震えていた。
﹁ウィズ。私は怒っています。貴方の不調具合と、不調の理由やそ
の対策の相談を誰にもしなかった事を。そして、貴方の不調具合に
気づかなかったが為に兵を傷つけ死なせることになった私自身に﹂
﹁⋮⋮っ!?﹂
﹁陛下それは⋮⋮﹂
﹁王である以上は部下の行動の結果の責任は負って然るべきですか
ら。貴方が何を言ってもこれは変わりませんよ。ソフィール﹂
﹁⋮⋮。分かりました。では口を噤みましょう﹂
ウィズの震えが大きくなる。
本当に自分の事を情けなく思っているのだろう。
なにせ自分が支え、守るべき王にこんな思いを抱かせてしまった
のだから。
1259
﹁さてウィズ・グロディウス。分かっていますね。昨日のアレは、
貴方がきちんと指揮をしていれば起きなかった事態です。そして、
もしも貴方の不調が上辺だけの物であれば、あの場でレイミア将軍
を捕える事も出来たでしょう﹂
﹁はい⋮⋮﹂
﹁では貴方に問わせていただきます。一体何故それほどまでに調子
を崩しているのですか?正直に、包み隠さず、貴方自身にある心当
たり全てを話しなさい﹂
﹁はい⋮⋮﹂
さて、ここからが本題である。
ウィズの調子が悪い原因を掴まなければならない。
その原因如何によってはウィズを後方に下がらせ、別のヒトに東
門の攻めを任せる必要もあるだろう。
なので私とセレーネは勿論の事、リベリオやバトラコイ、トーコ
にシェルナーシュと言った他の面々も真剣な表情でウィズの言葉を
待つ。
﹁じ、実は⋮⋮﹂
﹁﹁﹁ゴクリ⋮⋮﹂﹂﹂
そしてウィズが放った言葉は⋮⋮
﹁レイミア将軍を初めて見た時から胸の高まりが収まらず、どうし
たらよいのか分からなくなってしまったのです!!﹂
﹁はっ⋮⋮?﹂
﹁へっ⋮⋮?﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私にもセレーネにも予想外と言う他の無い理由だった。
1260
第229話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−5﹂︵後書き︶
惚れたまでは予想の範囲内でした
09/21誤字訂正
1261
第230話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−6﹂
﹁お互いの顔も分からないような距離であった時からも、何故か目
と目が合ったという感覚があり、それに伴って顔が紅潮し、胸が高
鳴り、食事も策も手がつかなくなり、これでは駄目だと分かってい
ても相談をしようと考える事すら出来ず⋮⋮﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
ウィズはもはや錯乱していると言っても良いような様相のままに
口を開き、レイミアが近くに居るとどうなってしまうのか普段のウ
ィズからは考えられない程にまとまりのない言葉で発し続けている。
その姿には私もセレーネも、周囲の人々も呆然とする他なかった。
﹁ーーーーーーーー!﹂
コンフューズ チャーム
﹁えーと、リベリオ、シェルナーシュさん。一つ質問だけど、今の
ウィズさんに錯乱や魅了、それから使役魔法のような、精神に影響
を与えるような魔法ってかかってます?﹂
が、何時までも呆然としているわけにはいかない。
素の口調に戻ってしまっているが、セレーネがまずウィズに魔法
がかかっていないかをリベリオとシェルナーシュに聞く。
﹁ーーーーーーーー♪﹂
﹁えーと、俺⋮⋮じゃなかった。私が見る限りではその手の魔法が
かかっている痕跡は見られません﹂
﹁小生の知る限り、その手の魔法は強力な効果を有するものほど準
備に長い時間を必要とする。ウィズの生活からしてそのような魔法
をかける暇があったとは考えづらいな。まあ、レイミア将軍が短時
間で強力な暗示を掛けられる能力を持っているというなら話は別だ
が⋮⋮それならとっくの昔に彼女が南部同盟の王になっているだろ
1262
うな﹂
﹁つまり、これは魔法などにかかった結果ではないと﹂
二人の答えにセレーネは少し頭痛を感じているような仕草をする。
いやまあ、なんかもうレイミアに対する愛とか歌い出しちゃって
いるし、普段のウィズを知っているヒトほどこの光景は衝撃的なの
だろう。
何人かは絶望的な表情も浮かべているし。
私?私は⋮⋮一周回って逆になんか落ち着いてしまっている。
きっと過去にグジウェンと言う今のウィズ並みにヤバいヒトを見
てしまっているからだろう。
﹁ソフィールさん。その⋮⋮ウィズさんって恋などは?﹂
﹁私が拾う前については分からないけれど、拾った後については一
切の色恋沙汰は無かったはずよ。ずっと勉強と仕事をしていたから﹂
﹁つまりウィズさんにとってはこれが初恋と言う事ですか?﹂
﹁そう言う事になるのかしらねぇ﹂
落ち着いてしまっているついでに、此処からどうすればセレーネ
と西部連合にとって一番有益な展開に持って行けるのかを考えると
同時に、今までに得ている情報からレイミアがどんな女性かを推測
し、どんな男が好ましいと感じるかを考え、今のウィズが彼女の理
想に見合うか否かと言ったことも考えてしまっていた。
それで考えた結論だが⋮⋮うん、こうするのが一番か。
﹁ソフィールさん、ウィズさんの頭を冷やす方法はありますか?﹂
﹁私も未婚で、色恋沙汰は苦手なのですが⋮⋮頭を冷やすというよ
りは、建設的な方向に考えの方向を変えさせる方法ならありますが、
どうされますか?﹂
﹁ではそれでお願いします﹂
﹁分かりました﹂
セレーネもこのまま放置するわけにはいかないと、私に許可を出
1263
してくれた。
﹁ウィズー﹂
﹁父上!﹂
と言うわけで、私はレイミアへの想いをひたすらに語り続けるウ
ィズの元に近づく。
﹁父上がなんどぎゃ⋮⋮!?﹂
で、ウィズがこちらを向いた瞬間にその額に向けてデコピンを放
ち、縦に四分の三ほど回転させつつ地面に倒す。
﹁キモい﹂
そして立ち上がれないように片足でウィズの頭を踏みつけつつ、
とびっきりの蔑みの視線を踏みつけているウィズの後頭部へと向け
る。
﹁キモ⋮⋮うぐっ﹂
勿論、ウィズに反論をさせたりはしない。
﹁ウィズ、確かにレイミア将軍は素敵な女性で、彼女を妻として持
てた男性は幸せものでしょう。それは認めましょう。でもねぇ⋮⋮
私の経験上、レイミア将軍のような女性は今の貴方のように公私の
分別が付けられない男は大嫌いよ。それこそ今の貴方に嫁ぐぐらい
なら、死ぬかノムンと結婚した方がマシだと思うでしょうね﹂
﹁!?﹂
ウィズがとてつもなく大きな衝撃を受けたかのように体を一度大
きく震わせる。
オーク
﹁と言うわけで女を目の前にした豚の妖魔のように盛っているバカ
息子、ウィズ。彼女と本気で結ばれたいと思っているなら考えなさ
1264
い﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁陛下にマダレム・シーヤを献上するための策を、味方の被害を出
来るだけ少なくするための策を、彼女を生きて捕えるための策をね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ウィズ・グロディウス。貴方が今までに学んだ全ては何のために
ある?どうすれば彼女に見せるに相応しい自分を見せる事が出来る
?どうすれば、陛下の望みを、己の望みを、彼女の望みを、全て達
する事が出来る?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁考えなさい。貴方は考える事が出来るヒトなのよ﹂
﹁⋮⋮はい﹂
私はウィズが一度小さく返事をしたところで足をどかす。
そしてゆっくりと顔を上げたウィズの表情は、実に晴れやかな物
だった。
﹁陛下、心配をおかけして申し訳ありませんでした。このウィズ・
グロディウス、もう大丈夫です﹂
﹁そ、そうですか。では、今後ともよろしくお願いいたしますね﹂
﹁はい!﹂
うん、これならもう大丈夫だろう。
﹁では、失礼させていただきます!﹂
そうして迷惑をかけた謝罪をしたのちに、ウィズは明日以降の準
備をするべく天幕の外に出て行った。
なお⋮⋮
﹁ボソッ⋮⋮︵わ、私もソフィールさんみたいにならなくちゃいけ
ないのかなぁ。王様なんだし︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵駄目だから!セレーネはああなっちゃ駄目だから!︶
1265
﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵そうですよ!あのやり方は絶対にセレーネ様には向
きませんって!︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵まさかウィズにあんな面があったとはな⋮⋮いや、
ある意味ではソフィールの息子らしいか︶﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵そだねー、何と言うかフロりんと会った頃のソフィ
アんを思い出したよ︶﹂
天幕の中から聞こえてくるこれらの会話については、敢えて気に
しない事とする。
シェルナーシュとトーコには後でみっちりと私とウィズの違いを
話す事にするが。
1266
第230話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−6﹂︵後書き︶
似た物親子
09/22誤字訂正
1267
第231話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−7﹂
一方その頃。
マダレム・シーヤの中心、軍事も含めた政務の一切が執り行われ
る場所に、一人の女性が居た。
﹁拙いな⋮⋮﹂
蝋燭の明かりだけで照らされた部屋の中、女性は蛇のように細長
い茶色の髪をまとめた状態で席に着き、蛇のような瞳孔を持つ金色
の目で部下が挙げてきた報告書を読んでいた。
ラミア
﹁連中が矢と魔法の距離でしか攻めてこないせいで、こちらの想定
以上に矢と魔石の消費が進んでいる⋮⋮﹂
女性の名はレイミア。
﹃蛇眼﹄の通り名を持つ七天将軍七の座であり、蛇の妖魔の血を
引く先天性の英雄である。
﹁いったいどうする⋮⋮どうやって数を補う⋮⋮﹂
レイミアは悩んでいた。
部下が挙げてきた今日一日でどれだけの消費が有ったのかを報告
する羊皮紙の中身が、彼女の想定とは少々ずれていたために。
具体的に言えば、兵と近接武器、城壁から落とす落下物の消耗は
想定よりも少なく、矢や魔石と言った城壁から離れた場所に居る者
を攻撃するための消耗品の消費が激しかった。
﹁おやおや、随分とお悩みの様子で﹂
﹁⋮⋮。何の用だ?ファナティー﹂
と、そうやってレイミアが悩んでいる部屋の中に、一人の軽薄な
1268
雰囲気を纏う男がノックも無しに入ってくる。
﹁用?そりゃあ勿論、報告があるからに決まっているでしょう。レ
イミア将軍。下で屯して自己保身のための策を議論している役立た
ず共とこのリッシブルー様の腹心であるファナティーを、妖魔混じ
り如きが一緒にしないでいただきたい﹂
﹁報告があるならとっとと話せ。今はお前のくだらない話に付き合
っている暇もない﹂
男の名はファナティー。
ノムンとリッシブルーがレイミアに付けた副官の一人であり⋮⋮
レイミアの監視役だった。
﹁はぁ⋮⋮つまらんなぁ⋮⋮まあいい。どうせ貴様は私には逆らえ
ないのだしな。いいだろう話してやる﹂
レイミアは他の監視役を兼ねた副官たちも嫌いだったが、特にこ
の男は嫌いだった。
と言うのも、他の副官たちが典型的な南部同盟の士官⋮⋮つまり
は自己保身を優先し、どうやれば自分たちの命が守られ、より多く
の利益を得られるのかだけを考える無能な連中で、少し頭を使えば
懐柔できるのに対して、ファナティーは彼らとは全く違う倫理観⋮
⋮レイミアにとってみれば悍ましいとしか言いようのない考え方で
動いているからだ。
﹁貴様が三日前に南門から出した伝令だが、やはり途中で始末され
ていたようだ。昨日、貴様が突撃を仕掛け、無様な姿で逃げ帰って
来るまでの間に出しておいた私の兵士たちが発見したよ﹂
﹁⋮⋮。見られていたという事か﹂
貴様の親
﹁さてどうだろうな?死体そのものは獣と妖魔のせいで見るに堪え
ない状態だったようだが、持ち帰った鎧を見る限りでは妖魔に襲わ
れたかのようなひしゃげ方をしていたそうだぞ﹂
1269
﹁いずれにしても援軍は期待できないという事だな。報告ご苦労。
もう休んでいいぞ。明日も戦いは続くのだからな﹂
レイミアはファナティーの事を意識から外すと、その報告が意味
することを考える。
すると、レイミアの脳裏にリッシブルーから渡されたとある資料
の情報⋮⋮西部連合のソフィール・グロディウスは土の使役魔法を
操るだけでなく、土を鳥の形にして飛ばす事が出来るのだという話
が蘇える。
と同時に、マダレム・シーヤの上空で、戦いが始まる数日前から
ずっと飛び続けている鳥が居ると言う部下の報告と、昨日自身が率
いる手勢で東門から出撃して攻撃を仕掛けた際に、事前に攻撃が仕
掛けられるという事を知っていたとしか思えないタイミングで反撃
された事を思い出す。
﹁まったく⋮⋮まさか上から見られると言うだけの魔法がこれほど
までに厄介だとはな⋮⋮﹂
疑いの余地はなかった。
レイミアは夜でもお構いなしに飛び続けるその鳥がソフィール・
グロディウスの作り出した監視用の鳥型人形であると心の中で断定
すると、その鳥によってこちらがどれほど秘密裏に攻撃の準備を整
えても、出撃の段階で確実にバレ、対応されるのだと改めて認識し
た。
だが、そうと分かったところで打つ手はなかった。
数百の兵を隠せるような大きさの布など用意のしようが無かった
し、壊そうと思っても、相手は飛距離を重視した魔法も、数人がか
りで引くような強さの弦の弓も届かないような高さを飛んでいるの
だから壊せない。
それによしんば攻撃が届いて、壊せたとしても、所詮は土と魔石
で出来た鳥。
術者であるソフィール・グロディウスをどうにかしない限り、幾
1270
らでも新しいのが湧いて出てくるのは火を見るより明らかだった。
﹁ははは、奴はリッシブルー様も手を焼く化け物ですからなぁ。妖
魔混じりがどうにか出来るはずがない﹂
﹁⋮⋮。まだ何か有るのか?私は休めと言ったはずだぞ﹂
﹁いやなに、貴様の忠実なる副官である私が一つの提案をしてやろ
うと思ってな﹂
﹁提案だと?﹂
と、ここでレイミアはファナティーが気配を消した状態でまだ部
屋の中に留まっていた事に気づく。
そして、ファナティーの浮かべる表情に、レイミアはこの上なく
嫌な気配を感じる。
﹁ファナティー⋮⋮お前一体何をするつもりだ?﹂
﹁なに、情報が漏れるのであれば、漏れることを前提で動けばいい
だけの事。リッシブルー様が私に与えてくださった使命⋮⋮西部連
合のゴミどもを出来るだけ足止めすると共に、可能な限り多大な損
害を与えるのに、有用な策を一つ思いつき、此処に来る前に実行し
始めたのだよ﹂
﹁!?﹂
レイミアは椅子から立ち上がると、窓から街の様子を眺める。
一見すれば何も起きてはいない。
だが、昨日までとは違う、戦場のそれとも違う異様な空気が街の
中に湧き立ち始めていた。
﹁民に⋮⋮何を言った?﹂
﹁民には﹃この戦いに勝てばレイミア将軍のご両親が帰ってくる。
だが、勝つためには兵民一体となって突撃を仕掛けるしかないだろ
う﹄と﹂
﹁ファナティー⋮⋮貴様⋮⋮﹂
1271
﹁ははは、それだけではありませんよ。我々が出撃し、戦いが始ま
ったら街にも火を点けます。奴らにマダレム・シーヤをそのまま渡
すわけにはいきませんからねぇ﹂
﹁なっ!?自分が何を言っているのか分かっているのか!?そんな
事をすれば⋮⋮っつ!?﹂
﹁多くの民草が死ぬ?それがどうしたと言うのです。リッシブルー
様の為に命を捨てられるのなら、数しか取り得が無い民衆にとって
は最高の幸せではありませんか﹂
だがそんな異様な空気の源は街の中には無かった。
異様な空気の源は、レイミアの目の前に居た。
﹁レイミア将軍!大変です!下の食堂に集まられていた副官の皆様
が突然血を⋮⋮うぐっ!?﹂
部屋の中に駆け込んできた若い兵士の背中から一本の白刃が生え、
刃が抜かれると同時に床が血で赤く染め上げられていく。
﹁さて、愚かにもリッシブルー様を裏切ろうとした反逆者たちの始
末も終わりました。後は民衆の準備が整うを待つだけ。そうですね
⋮⋮明後日の朝には始められる事でしょう﹂
﹁私が⋮⋮そんな事を許すとでも思うのか?﹂
レイミアが腰の剣を抜き、赤く染まった剣を手に持つファナティ
ーに向ける。
﹁残念ながらレイミア将軍。既に仕込みは終わっているのですよ。
この場で私が死のうが、貴方が死のうが、裏切ろうが、何をしても
もう運命は変わらないのです。奴らも我々も痛手を被り、リッシブ
ルー様が求められた結果が出ると言う運命は﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
﹁それでもなお民の被害を抑えたいと思うのなら、これ以上指揮官
は減らさない方がいい。分かるよなぁ、妖魔混じり﹂
1272
だがレイミアの剣が振られることは無かった。
レイミアには何も出来なかった。
ファナティーと言う副官の狂った価値観と有能さを考えれば、仕
込みが既に終わっている事は事実に違いなかったからである。
そしてそんなレイミアを蔑むような目で一瞥すると、ファナティ
ーは血で濡れた剣を布で拭い、布をその場に捨て、剣を鞘に収める
と、冷酷な微笑を浮かべたまま部屋を後にする。
﹁くそう⋮⋮私は⋮⋮私はどうすればいいんだ⋮⋮父上⋮⋮母上⋮
⋮﹂
レイミアに出来たのは、その場で泣き崩れる事だけだった。
1273
第232話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−8﹂
﹁以上が私の考えた策になります﹂
マダレム・シーヤ攻略戦七日目。
昨日のアレで無事に立ち直ったウィズは、半日も経たない内に一
つの策を考え付き、セレーネに計画を話していた。
﹁随分と貴方らしくない策ですね。ウィズ・グロディウス﹂
﹁そうですね。私らしくない策なのは確かです。危険な策になるこ
とも確かです﹂
ウィズの策は出発前に私たち全員で立てた計画と並行して行われ
る策だった。
本人の言うとおり、実行者が大きな危険に晒されるのも確かであ
り、セレーネもウィズもどちらかと言えば忌避するタイプの策だっ
た。
﹁⋮⋮﹂
だがセレーネはウィズの策を即座に却下するような真似はしなか
った。
﹁えーと、どうでしょうか⋮⋮?﹂
ガーデン
ゴーレム
ウィズがセレーネに意見を求める中、当のセレーネの視線は天幕
の中に置かれた忠実なる箱庭に、更に詳しく言うならば、模型の中
央に置かれた三つの駒に向けられる。
駒の色は赤。
駒の特徴は彼らがマダレム・シーヤに居る指揮官たちの中でも特
に地位がある⋮⋮つまりは七天将軍七の座レイミアの副官である事
を示していた。
1274
そしてこの三つの駒は、昨日の昼からずっと同じ場所に立ち続け
ていた。
﹁戦線は膠着しかけている。そうですね。ソフィール・グロディウ
ス﹂
﹁ええ、陛下の仰る通りです。戦線は膠着しています。お互いに距
離を取って行える攻撃ばかりをするようにしていますから﹂
﹁このまま待てばどうなります?ああいえ、これは考えるまでもあ
りませんでしたね﹂
レイミアが危惧している事は私にも分かる。
このまま戦線が膠着すれば、フロウライトから補給物資を持って
これる私たちと違って、マダレム・シーヤ側はやがて物資が欠乏す
ることになる。
特に矢や魔石、投石用の石などは真っ先に足りなくなるだろう。
そう言う風に仕向けているのだから。
ではそうなった場合、マダレム・シーヤ側の指揮官⋮⋮レイミア
とその部下たちはどうするだろうか?
﹁そうですね。わざわざ私が口に出す事でもありませんが、それで
も敢えて言わせてもらうなら、降伏か、打って出るかの二択です﹂
﹁⋮⋮﹂
降伏してくれるなら話は楽だ。
それでこの戦いは終わる。
だが敵が打って出て来れば?
セレーネが危惧しているのはそうなった時に出るお互いへの被害
だろう。
おまけに今朝の話ではあるが、西の方で動いている別働隊からと
ある報告も私経由でセレーネに来ている。
その報告の内容を考えれば、両軍が正面から激突し合う以上に厄
介な状況になる可能性は十分にあった。
1275
﹁戦いは機先を制した者が勝つ。兵は拙速を尊ぶ。ノムンとリッシ
ブルーの性格。兵と士官の動き。マダレム・シーヤの地形と気候。
一般人の戦闘能力⋮⋮﹂
セレーネがブツブツと独り言を呟きながら、何か考え込む様子を
見せる。
こうなった時に私に出来るのは?
﹁ソフィールさん。この一人残った副官はマダレム・シーヤ中を移
動しているようですが、具体的には何をしていますか?﹂
﹁私が見ている限りでは、兵に指示を出したり、一部の民衆と何か
を話し合ったりですね﹂
セレーネが求める情報を提供する事であり、余計な口を挟む事で
はない。
﹁会話の内容は?﹂
ゴロツキ
﹁距離が有るのでそこまでは。ただ、その地区の有力者や商人、各
クロウ
ゴーレム
種職人だけでなく、一般人や破落戸と話したりはしているようです
ね。それと私の忠実なる烏対策なのか、何度も衣服を変更していま
すね﹂
﹁⋮⋮。この副官は七天将軍六の座、リッシブルーの配下。で、い
いんですよね﹂
﹁ええ、リッシブルーの元から、レイミアの元に監視役も兼ねて派
遣されてきた人物です﹂
﹁ありがとうございます。ソフィールさん﹂
勿論、セレーネが求める情報の内容から、セレーネが何を考えて
いるのかは分かる。
そしてセレーネの考えが正しい可能性が高いのは、上から直接マ
ダレム・シーヤを見ている私が一番よく分かっている。
だがそれでも決断を出すのはセレーネであって私ではない。
1276
致命的な失策でもない限りは、セレーネの成長の為にも私は黙っ
ている。
﹁ウィズ・グロディウス﹂
﹁はい﹂
さて、どうやらセレーネは結論を出したらしい。
﹁今すぐにこの策を行うための準備を行いなさい。今日中に決着を
付けます﹂
﹁了解いたしました!﹂
セレーネの了承を受け、ウィズが天幕の外へと何事も無かったか
のようにゆっくりと歩いて出ていく。
ゆっくりと出ていくのは、ウィズ程の地位にある人物が走って出
て行けば、何かが有ったと悟られるからだ。
なにせ今回の策は、相手に今日も同じような戦いが続いていると
思われなければいけないのだから。
﹁ソフィールさん﹂
﹁ご安心を、陛下。私の方の準備は整っていますので、何時でも動
けます﹂
﹁ありがとうございます。期待していますね﹂
﹁一応言っておきますが、失敗した時の事も考えておいてください
ね﹂
﹁それは分かっていますので、大丈夫です﹂
ウィズに続く形で私とセレーネも天幕の外に出て行き、それぞれ
に行動を開始する。
と言っても、私がやるべき事は変わらないので、最後の確認と⋮
⋮うん、これをウィズに渡しておくぐらいか。
﹁ウィズ﹂
1277
﹁何ですか父上?っと、これは?﹂
私は策の為、馬に乗って東門前の陣地に向かおうとするウィズ、
シェルナーシュ、トーコの三人に会うと、二つの指輪をウィズに投
げ渡す。
﹁インダークの樹の枝から私が造った指輪よ。リベリオ曰くその状
態でも魔力を持っているらしいから、持っておけば何かしらの御利
益があるかもしれないわ﹂
﹁それはまた⋮⋮分かりました。では遠慮なく﹂
﹁気を付けなさいよ﹂
﹁ええ﹂
﹁行ってくるねー﹂
﹁⋮⋮﹂
ウィズたちが本陣から走り去っていく。
さて、こうなれば後は出た所勝負である。
1278
第232話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−8﹂︵後書き︶
09/25誤字訂正
1279
第233話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−9﹂
﹁では、作戦を開始します﹂
セレーネの号令で、昨日までと同じように弓矢と魔法による攻撃
がマダレム・シーヤに向かって放たれ、マダレム・シーヤ側も反撃
として弓矢と魔法をこちらに向かって放ってくる。
インビジブル
﹁透明化﹂
そんな中、本陣に設置された無数の塀の一つの影で、ルズナーシ
ュが自らの魔力を自分と自分の周囲に集まったリベリオと数人の魔
法使いを覆い隠すように展開、一つの魔法を発動してその姿を見え
なくする。
﹃では、ルズナーシュ他七名、作戦を開始します﹄
﹁セレーネ、ルズナーシュが動き出すわ﹂
インビジブル
﹁分かりました。では、継続して攻撃を行うように﹂
ルズナーシュの使った魔法の名は透明化。
魔石なしに使う事が出来るルズナーシュの魔法の一つであり、そ
の効果は自身の魔力を展開している範囲内に居る対象の姿を見えな
くさせるというもの。
尤も、見えなくさせると言っても、私の熱を見る目やリベリオの
魔力を見る目のような特殊な視覚は誤魔化せないし、ルズナーシュ
の魔力の範囲外に出たり、逆に敵が魔力の範囲内に入って来ても見
えてしまう。
他にも見えないだけで普通に足音は聞こえてしまったりと、実は
欠点も多い魔法である。
ただ今回はそれらの欠点を気にする必要はないだろう。
1280
﹁全員、矢と魔法を切らさないように注意しなさい!敵に当たらな
くても問題はありません!﹂
セレーネの指示でこちらからの攻撃が一層激しくなる。
攻撃が激しくなれば、当然それだけ戦場に響く音は大きくなり、
元々革の鎧などで音を消すように努めていたルズナーシュたちが発
する音は一層聞こえなくなる。
また、お互いに前日からの流れで城壁の下に兵をやっていない。
そのため、接近されすぎてバレると言う心配も皆無だった。
唯一の不安要素は意図せぬ流れ弾にリベリオたちが被弾する可能
性だが⋮⋮その辺りは同行している﹃輝炎の右手﹄の魔法使いに頑
張ってもらうしかない。
まあ、たぶん大丈夫だろう。
﹁では陛下。私も作業を始めます﹂
﹁お願いします﹂
さて、一先ず北門の事はセレーネたちに任せるとして、上空から
スネーク
ゴーレム
の偵察以外にもやる事が有る私は一度馬から降りると、地脈を介し
た使役魔法を発動する。
発動するのはウィズに持たせてある忠実なる蛇の魔石。
﹃準備は良い?﹄
﹃すぅ⋮⋮はぁ⋮⋮大丈夫です﹄
﹃アタシたちがここに居る風に見せる工作は終わってるよー﹄
﹃装備の方も問題なしだ﹄
私の視界にマダレム・シーヤの兵士の姿をしたウィズたち三人が
映り込む。
どうやら準備は万全であるらしい。
﹃では、移動を開始するわ﹄
私は周囲の地面から土を取り込んで体を大きくすると、ウィズた
1281
ち三人を土の蛇の中に入れて、マダレム・シーヤに向けて地中を潜
行しはじめる。
﹃こちらルズナーシュ。北門の前に到達。敵影は無し。リベリオが
発動の準備を始めます﹄
﹁と、セレーネ。到達したわ﹂
﹁分かりました。では、兵の準備を﹂
と、私がウィズたちをマダレム・シーヤ内の適当な場所に移動さ
せている間に、ルズナーシュたちから北門に辿り着いたと言う報告
が上がる。
そして、その報告に合わせるようにセレーネは騎馬兵を中心とし
た部隊を用意する。
当然、彼らの中には長い梯子を抱えている者も居る。
となれば必然、マダレム・シーヤ側は私たちの行動を城壁に取り
ついて攻撃を仕掛ける構えだと読み取り、城壁から落とす物の準備
や、近距離戦闘に備えた準備を始めることになる。
だが数手遅い。
﹃こちらシェルナーシュ。準備完了した﹄
﹃父上、彼女は?﹄
﹃レイミアは今、マダレム・シーヤの中央、指揮所に居るわ﹄
﹃ありがとうございます﹄
マダレム・シーヤの中に入り込んだウィズたちは活動を始める。
シェルナーシュとトーコは東門の近くで待機してその時を待つ。
ウィズはレイミアが居る場所に向けて他の兵士たちに紛れ込む形
で移動を開始する。
﹃こちらルズナーシュ。カウント開始。3⋮⋮2⋮⋮1⋮⋮﹄
﹁カウント開始。3⋮⋮2⋮⋮1⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
1282
ルズナーシュからは開始までのカウントダウンが告げられ、セレ
ーネは私の声に合わせて突撃の号令を下す為の右腕を上げる。
リリース
﹃﹁0!﹂﹄
﹃解放!﹄
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
カウントが0を告げた瞬間。
マダレム・シーヤの北を守る鉄の門の一部が爆発音とともに弾け
飛び、門の内側に居たマダレム・シーヤの兵士を吹き飛ばしながら
猛烈な勢いで爆煙を吹き上げる。
それはリベリオの目には見えない非生物だけを焼く炎が、鉄の扉
を蒸発させるだけの熱量を蓄えた後に解放された結果だった。
﹁突撃ぃ!!﹂
﹁﹁﹁ーーーーーーーーーーーーー!!﹂﹂﹂
と同時に、セレーネの右腕が振り下ろされ、私たちの周囲に居る
兵士たちが鬨の声を上げながら北門に向かって突撃を始める。
ソイルウォール
﹃物だけを焼け!﹄
フレウ
イォ
ムール
﹃﹃﹃土壁!﹄﹄﹄
﹃炎壁﹄
そして、兵士たちの突撃に合わせるように、リベリオが鉄の扉に
開いた穴からマダレム・シーヤ内に侵入。
物だけを焼く炎の剣を北門前の広場で横に一閃して、マダレム・
シーヤの兵士たちから武器と防具を奪い、続けてマダレム・シーヤ
内に入り込んだ魔法使いたちが、フロウライトの建設工事で鍛え上
げた土壁の魔法を発動して、高い土の壁によって北門前の広場を周
囲から隔離。
そこから更にルズナーシュが炎壁の魔法によって土壁と北門上の
城壁を燃え上がらせる。
1283
勿論これらは全て一時的な無力化であり、防御でしかない。
直に破られる事は間違いないだろう。
﹃﹃﹃ーーーーーーーーーー!!﹄﹄﹄
﹃﹃﹃ーーーーーー!?﹄﹄﹄
だが、その一時の防御が機能している間に、事前に突撃を開始し
た兵士たちが北門に到達し、マダレム・シーヤの北門はあっけなく
制圧される。
そして、北門の制圧と時を同じくする形で東門でも動きが生じる。
1284
第233話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−9﹂︵後書き︶
09/26誤字訂正
1285
第234話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−10﹂
グルー
﹃接着﹄
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
まず初めに東門近くの物陰に潜んでいたシェルナーシュが接着の
魔法を発動した。
ただし、その範囲は東門上の城壁と広場全域と言う、恐ろしく広
い範囲である。
そしてシェルナーシュの魔法の結果、その場にいた全ての兵士は
石畳と城壁に接している部分⋮⋮つまりは靴や鎧、更には足や背中
がくっついてしまい、一切の身動きが取れないようになってしまう。
﹃いっくよー!﹄
シェルナーシュの魔法発動から一拍遅れて、トーコが動き出す。
その手に握られているのは、両手持ち用の見るからに重そうな大
剣。
トーコはその大剣を持った状態のまま軽々と跳躍し、身動きの取
れない兵士たちの頭上を飛び越して東門の裏側に回ると、大剣を縦
に一振りして、東門を裏側から抑えていた閂を切り捨てる。
そして有ろうことか、空を踏みしめると東門に向けて飛び蹴りを
放ち、東門を一気に全開にさせる。
﹃﹃﹃ーーーーーーーーー!!﹄﹄﹄
﹃﹃﹃ーーーーー!?﹄﹄﹄
そうして東門が開け放たれた事によって、城壁の上に居た者以外
の兵士も、東門の外を見る事になり⋮⋮大いに驚くことになる。
なにせ、トーコが東門を開け放ち、勢いそのままに戦場から離脱
するのと入れ替わるように、東門の前に居た西部連合の兵士たちが
1286
東門から都市の中に流れ込んでくるのだから。
東門の兵士たちは抵抗する事も出来なかった。
なにせどんなに状態が良い兵士でも、両脚が地面と一体化してい
てその場から動けないのだから。
予めセレーネとウィズがそう命じていたので、抵抗しない限りマ
ダレム・シーヤの殆どの兵士は武装解除させられるだけに留まった
が、そう言う命令が無ければ彼らがどうなっていたのかは想像に難
くないだろう。
﹃﹃﹃ーーーーーーーー!!﹄﹄﹄
デタッチ
そうして東門前広場でも、北門と同じように土壁が展開され、制
圧が完了。
シェルナーシュも分離の魔法によって接着の魔法を解除すると、
マダレム・シーヤから離脱する。
﹃ーーーーー!﹄
﹁ふむ。南門と中央が救援に動き始めたわね﹂
﹁西門は?﹂
﹁外の兵たちが上手くやってくれているわ﹂
勿論これだけ好き放題にやられて、マダレム・シーヤの兵たちが
黙っているわけがない。
マダレム・シーヤの中央の司令部でレイミアが何かの指示を出し、
その場に詰めていた兵たちを北、東、西の三方に向けて移動させ始
める。
それと同時に、南門の指揮官が恐らくは自己判断で最低限の兵を
残して、他の門の救援に兵を向かわせようとする。
だが、彼らが到達した所で戦況は変わらないだろう。
既に強固な城壁による利は彼らには無くなっており、私たちは簡
易的ではあるものの、土の壁による利を得ているのだから。
1287
﹁それは吉報ですね﹂
﹁ええ、地味だけど手柄よ﹂
また、ただでさえマダレム・シーヤが不利な状況ではあるが、そ
れに加えて西門を守るマダレム・シーヤの兵はその場から動けなく
なっている事が、より一層彼らの状況を厳しくしていた。
何故西門の兵は動けないのか。
理由は単純だ。
と言うのも、西門の前には西部連合の兵たちが居るのだが、彼ら
は今にも突撃しそうな様子を見せたり、城壁を崩す準備があるよう
に見せたりすることで、西門の兵士たちをその場に釘づけにしてい
るのである。
﹁では、そろそろですかね。作戦の第二段階に移行します。準備を﹂
﹁﹁﹁了解しました!﹂﹂﹂
さて、北門と東門が制圧され、西門の兵は釘づけ、残る兵との戦
いも土の壁によってこちらが有利な状況へと持ち込めている。
つまり大勢は決しているとみていい。
故にセレーネはこの戦いの決着を付けるべく動き出し、私も裏方
としての作業を進める。
ラウドスピーク
﹁拡声!﹂
﹃﹁すぅ⋮⋮マダレム・シーヤの皆様。聞こえていますか?﹂﹄
セレーネが部下の魔法使いに命じて使わせたのは、対象の声を風
に乗せて響かせることによって、周囲一帯に聞かせる拡声の魔法。
そして、拡声の魔法に合わせる形で、私も使役魔法によって地面
を振るわせることによって、拡声の魔法が届かないマダレム・シー
ヤの南側へとセレーネの声を届かせる。
﹃﹁私の名前はセレーネ・レーヴォル。西部連合の王です。マダレ
ム・シーヤの皆様、そしてレイミア将軍。既にこの戦いの大勢は決
1288
しました﹂﹄
さて、セレーネによるマダレム・シーヤの兵士と住民、そして七
天将軍七の座レイミアの説得が始まったところで、私はセレーネの
声の拡声は自動的にやるように処理を変えつつ、数を増やした烏人
形で上と下の両方からとあるものを探し始める。
﹁セレーネの懸念は正解だったようね﹂
それはこの状況下で動きを止めるでもなく、戦いに加わるでもな
く、怯え縮こまるでもなく、人目を避けるように動き、陰で何かを
しようとしている者たち。
彼らは路地裏に何かを持ち込むと、そこで味方の兵士からも隠れ
て何かを⋮⋮油を染み込ませた布に向けて火打石を打ち始める。
そして同じように動く者が、マダレム・シーヤ内の複数個所に居
た。
彼らの目的は言うまでもない。
マダレム・シーヤを住民ごと焼き払う事によって、私たちに手痛
い被害を与える事なのだ。
﹁さて⋮⋮﹃火付けをする裏切り者が居るぞ!!﹄﹂
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
勿論、私がそんな事を許す訳がない。
烏人形で彼らの所業を認めた私は大きな声を上げ、近くに居たマ
ダレム・シーヤの兵と住民を呼び寄せることによって彼らの行動を
止めさせ、万が一火が点いてしまった時にも、火が小さい内に大量
の土を被せることによってボヤで済まさせる。
﹁これで後は⋮⋮ウィズだけね﹂
大方の火付けを捕え終えたところで、私は周囲のヒトとは動きの
違う三人⋮⋮ウィズ、レイミア、そして一人残っているレイミアの
副官の姿をそれぞれに捉える。
1289
私の考えが正しければ⋮⋮この三人の動き次第で、この戦いがど
う終るかが決まるはずである。
1290
第235話﹁マダレム・シーヤ攻略戦−11﹂
﹃﹁レイミア将軍。貴女の懸念事項の一つであるご両親については、
既に安全な場所に確保されています﹂﹄
﹃!?﹄
セレーネの言葉にレイミアの動きが止まる。
レイミアはマダレム・シーヤ中にセレーネの声が響き始めた時点
で迷ってはいた。
その迷いの中には、この戦いをいつ終わらせればいいのか、どう
すれば出来る限り自分たちの被害を抑えて終えられるか、戦いが終
わった後にノムンの手の者に抗う事が出来るのか、それこそ自分の
命を投げ打つ必要が有るかどうかまでも含まれていただろう。
そこに自分の中の心残りの一つにして、この場においては絶対に
解決不可能だったはずの問題が解決されていると言われてしまった
のだから、彼女の困惑ぶりは推して知るべきだろう。
﹃⋮⋮﹄
﹃ーーーーー﹄
﹃ーーーーーー﹄
そして戸惑うのはレイミアだけでなく、レイミア以外の兵士たち
もだ。
既に戦線は膠着している。
これ以上こちらから刃を振るう気はないというセレーネの言葉通
り、ウィズ以外の西部連合の兵士たちは簡易の砦の中に留まるよう
にしているからだ。 そんな状況で自分たちが戦っている理由の一つが失われたのだか
ら、戸惑うのも当然の事だろう。
そう、そもそも彼らが戦う理由は南部同盟に所属しているからで
1291
はない。
彼らが戦うのは自分たちの身を守るため、自分たちが慕うレイミ
ア将軍の両親を害させないためであり、マダレム・シーヤの住民は
状況さえ整えばいつでも西部連合の側になり得る気質だった。
﹃﹃﹃⋮⋮﹄﹄﹄
勿論セレーネの言葉が嘘である可能性も考えてはいるだろう。
だが本当である可能性も拭えなかった。
だから止まる。
止まって、自分たちの指揮官であるセレーネの判断を待つことに
なる。
では、そんな所にこんな知らせが届いたら?
﹃火付けをする裏切り者が居るぞ!!﹄
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
﹃ノムンに忠誠を誓う奴らだ!﹄
﹃奴らはマダレム・シーヤを焼き払う気だ!﹄
﹃今すぐに止めろ!火が大きくなったら手が付けられないぞ!﹄
私の操る烏人形が、まだ残っていた路地裏で建物に火を点けよう
とする男たちの存在をマダレム・シーヤの兵士たちに、そしてレイ
ミアにも伝える。
私の言葉を聞いたレイミアは迷わなかった。
﹃全軍に通達!西部連合との戦闘を中断し、マダレム・シーヤに害
を為さんとする者どもを捕えろ!﹄
﹃﹃﹃はっ!﹄﹄﹄
丁度近くを通りかかった烏人形の耳にもはっきりと聞こえるよう
な良い声でレイミアがマダレム・シーヤの兵に捕縛を命じる。
この時点で兵同士の戦いは完全に終わった。
複数の烏人形を同時並行的に別々に動かすという、私でも限界ギ
1292
リギリな曲芸じみた真似をしつつ、私はこの戦いをそう認識した。
そして兵同士の戦いが終わったからこそ、あの二人の動きが問題
になる。
﹁はぁはぁはぁ⋮⋮﹂
この時、ウィズは何処か焦った表情でマダレム・シーヤの中心に
向けてひたすらに駆けていた。
焦りの原因は、この状況で南部同盟に忠誠を誓う者が出来るだけ
大きな被害を与えようと思った時に何をするのかの予想が付いてい
るからだろう。
﹃⋮⋮﹄
と同時に、例の副官も自分の思惑が外れ、状況が予想もしなかっ
た方向に推移していく事に焦りの色を浮かべつつ、マダレム・シー
ヤの中心に向けて走っていた。
この副官の目的は私には既に読めている。
読めているが⋮⋮今の私には手出しできる余裕が無いので、その
動きを見守るしかない。
﹃ーーーーーー!﹄
そしてレイミアが居るマダレム・シーヤ中央の司令部に先に辿り
着いたのは⋮⋮副官の方だった。
既に彼は自分がレイミアに敵として認識されていると判断してい
るのだろう。
気配も殺気も消していたが、レイミアに向かって真っ直ぐに駆け
て行く彼の姿は明らかに暗殺者のそれだった。
私はこの時点でレイミアの生存は絶望的だと判断した。
なにせ、レイミアも、レイミアの周囲の兵士たちも、レイミアの
背後に向けて走る副官に気づいておらず、この状況で唯一レイミア
を守れる可能性があるウィズも、彼女の元に辿り着くまでに後二つ
1293
は角を曲がらなければならなかったからだ。
﹃ーーーーーー!!﹄
﹃!?﹄
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
そうしてレイミアの背後で副官が剣を抜き、振り上げた瞬間。
﹁へ?﹂
﹁どうしましたか?ソフィールさん﹂
私は信じられないものを見た。
﹃させるか!﹄
﹃何っ!?﹄
﹃ファナティー!?それに⋮⋮誰だ!?お前は!?﹄
絶対に間に合わないはずの距離に居たウィズがいつの間にかレイ
ミアの元に辿り着いていて、ファナティーと呼ばれた副官の剣を防
いでいたからだ。
﹃我が名はウィズ・グロディウス。七天将軍七の座レイミア将軍の
御身を守るために参った!﹄
﹃なっ!?ウィズ・グロディウスだと!?﹄
﹃一体何時の間に⋮⋮﹄
まるでウィズが駆けなければならない道筋を途中で切って繋げた
様な⋮⋮そんな奇跡としか言いようのない現象が起きていた。
状況に合わせてレイミアの殺害、捕縛、保護を行うウィズの任務
が間に合ったのは嬉しい話だが、そんな喜びで消してはいけないよ
うな不可解な現象が私の前で起きていた。
﹃レイミア将軍!詳しい話は後です!今は⋮⋮!﹄
﹃そうだな。詳しい話は後回しだ。ファナティー。覚悟してもらう
1294
ぞ﹄
﹃くっ⋮⋮こうなれば⋮⋮死なば諸共よ!﹄
ファナティーが懐の魔石に大量の魔力を集めながら、レイミアた
ちに向けて突貫する。
恐らくは自爆するつもりなのだろう。
いやそれよりもさっきの現象は幻か何かだったのだろうか?
どうにも私以外には誰も騒いでいないような⋮⋮ああいや、そも
そもそんな事が起きたと認識できたのが、上から戦場全域を見渡し
ていた私だけだから、気付かなくて当然なのか。
だとすれば後は何故そんな事が起きただが⋮⋮。
﹃がっ⋮⋮無念﹄
ああうん、駄目だ。
状況が錯綜し過ぎていて、考えがまとまらない。
﹃白旗を掲げろ!我々マダレム・シーヤは西部連合に降伏する!!﹄
とりあえずウィズとレイミアはファナティーを自爆させる事無く
仕留めたようだし、状況が落ち着いたら何が有ったのかを確認し、
原因を考えるとしよう。
﹁セレーネ様!マダレム・シーヤの白旗を確認しました!﹂
﹃﹁分かりました。では、我々はマダレム・シーヤの降伏を受け入
れます﹂﹄
いずれにしてもマダレム・シーヤ攻略戦は私たちの勝利で終わっ
た。
今はその勝利をぶち壊すような真似をする者が居ないか探す事に
専念するとしよう。
それが私の仕事なのだから。
1295
第236話﹁戦いの後−1﹂
マダレム・シーヤ攻略戦が終わった翌日から、セレーネたちは早
速忙しそうにしていた。
まあ、それも当然の事だろう。
軍の仕事だけでも、生存者の確認に始まり、死者の埋葬、負傷者
の治療、装備の消費具合の確認と補強、部隊の再編等々の仕事があ
るし、それ以外にも私たちが壊した北門と東門への応急措置、住民
の不安解消と各種保証、南側を中心とした外敵が来た時の備え、西
部連合の兵が寝泊まりする場所の都合、食料の配給など、恐ろしい
数と種類の仕事が存在しているのだから。
﹁ふう、何とか再現完了﹂
だがしかし、この話はセレーネたちに限った話であり、現時点で
はまだレイミアと顔を合わせるわけにはいかない私、トーコ、シェ
ルナーシュの三人と言えば、割り当てられた部屋で思い思いの行動
を⋮⋮トーコは筋トレを、シェルナーシュは魔法の研究を、そして
ガーデン
ゴーレム
私は各種証言と自分の記憶から、あの時の数分間の状況だけを繰り
返す、通常の忠実なる箱庭の数倍細かい模型を作っていた。
﹁忠実なる箱庭⋮⋮ではないか﹂
﹁ええ、これは検証用の模型よ﹂
﹁検証?﹂
﹁あの時にちょっと腑に落ちない事が有ったのよ﹂
そうあの時⋮⋮ウィズが有り得ない距離を移動して、レイミアの
救出を間に合わせたあの時だ。
と言うわけで、私はあの時に起きた出来事についてトーコとシェ
ルナーシュの二人にも模型上の駒の動きと合わせて説明する。
1296
そうして説明した結果⋮⋮。
﹁なるほど⋮⋮確かにこの距離をこの時間で移動しているのはおか
しいな﹂
﹁うーん、間に建物が無い前提で、私が全力で走っても厳しいぐら
いだね﹂
シェルナーシュとトーコの二人もこの時のウィズがおかしい動き
をしている事に納得をしてくれた。
まあ、実際のところ、模型上のウィズの駒の動きを見れば、誰で
もおかしいと言うに決まっている程度には有り得ない現象が起きて
いるわけだが。
﹁それでウィズはこの事について何と言っていた?﹂
﹁私が指摘したら、相当吃驚していたわ。どうにもあの時は状況的
に相当焦っていて、後どれぐらいで着けるのかもよく分かっていな
かったみたい﹂
﹁つまり、ウィズ本人もこの現象に気づいていなかったわけか﹂
尤も、シェルナーシュの言うとおり、ウィズ自身も自分の身に起
きた不可解な現象には気付いていなかった。
また、この現象が起きた瞬間を目撃した人物は私も含めて誰も居
らず、そもそも上から戦場全体を見ていた私以外にはそんな現象が
起きた事にすら気づいていなかったようであるし、助かるはずが無
かったレイミアが助かるという捨て置けない結果が生じていなけれ
ば、私も気にしなかった可能性が高い話であるし、気づく方がおか
しいのかもしれないが。
イグニッション
﹁んー⋮⋮ソフィアん、その時の陽の射し方って再現できる?﹂
﹁ちょっと待って、着火。えーと、だいたいこの辺りかしらね﹂
と、どうやらトーコが何か気付いたようなので、私は複数の蝋燭
に火を点け、窓を閉め、当時何処から陽が射していたのかを簡易的
1297
にだが再現する。
﹁どうした?トーコ﹂
﹁んー⋮⋮もしかしたらなんだけど、ウィズんてば、影から影に移
動しているんじゃないかな?姿が消えたポイントにも、出てきたポ
イントにも影があるし﹂
﹁あら本当ね﹂
﹁ふむ⋮⋮となるとだ。もしかしたら、この現象は対象を含め、誰
もが対象の存在を認識していない時に、同様の条件を満たせる影か
ら影へと移動させる魔法によって引き起こされた。と言う事か?﹂
﹁何か随分と複雑と言うか、面倒な条件だね﹂
﹁まあ、距離と言う最も確かなものの一つを無かった事にするよう
な魔法だし、それぐらいの条件は仕方がないんじゃない﹂
トーコの指摘とシェルナーシュの推論通り、ウィズの駒は誰の目
からも⋮⋮それこそ戦場全体を上から観察していた私の目からも外
れたその一瞬に、誰の目も向けられていない影から影へと移動して
いるようだった。
しかしこれが魔法だとすれば、何処かに術者が居るはずなのだが
⋮⋮。
﹁ソフィア、ウィズは英雄として覚醒したのか?﹂
﹁いいえ、リベリオに確認してもらったけど、ウィズの魔力量に変
化は見られないわ﹂
﹁ウィズんには魔法の知識は有っても、魔法を扱う能力は無いはず
だしねー﹂
術者がウィズの可能性は考えなくていいだろう。
ウィズは魔法を使えないし、後天的英雄として覚醒した兆候も見
られなかったのだから。
﹁野良の魔法使い⋮⋮ないわね﹂
1298
﹁ないな。もしもヒトの魔法使いが使ったなら、今頃は売り込んで
きている﹂
﹁愉快犯の可能性とかもなくはないけど⋮⋮それは考えるだけ無駄
だよね﹂
術者が見ず知らずの魔法使いと言う可能性も考えなくていいだろ
う。
ゼロではないが、あそこで空間転移の魔法を使える程の魔法使い
が、ピンポイントでウィズを助ける理由があるとは思えない。
と言うか、空間転移の魔法を使えるヒトが居たら、もっと有名に
なっていると思う。
﹁後はアタシの鍋みたいな特別な何かをウィズんが持っていたとか
?﹂
﹁そんなことあるわけ⋮⋮あっ﹂
﹁馬鹿馬鹿しい。そんな便利な物をウィズが持っている可能性が⋮
⋮有り得るな﹂
残された可能性はトーコが言う所の特別な道具に依る力だが⋮⋮
うん、一つだけあり得た。
可能性だけではあるが、この時のウィズが身に付けていた物で一
つ⋮⋮いや、一種類だけ未知の物が有った。
﹁インダークの樹の枝から造った指輪⋮⋮﹂
﹁ゼロではない。ゼロではないが、それだと⋮⋮﹂
﹁?﹂
それは作戦を開始する直前に私がウィズに渡したインダークの樹
の枝から造った指輪。
アレは魔力を有する指輪であるし、インダークの樹本体も膨大な
量の魔力を秘める木である。
なのでこういう事が出来てもおかしくはないが⋮⋮。
1299
﹁とりあえず、同じような事が起きる期待はしないようにウィズに
言っておくわ﹂
﹁仮に乱用できても控えた方がいいな。何を対価に求められるか分
かったものでは無い﹂
﹁??﹂
﹁そうね。相手は木。交渉が出来る相手と言えど、私たちの常識が
通じる相手ではない。それが妥当だと思うわ﹂
﹁ある意味では小生以上に不可思議で理不尽な存在だしな。それが
良いだろう﹂
﹁???﹂
トーコは自分の発言に端を発する私たちの会話に困惑をしている
が、私とシェルナーシュはそれを無視して話を進める。
﹁じゃあ、ちょっと言ってくるわ﹂
﹁レイミアに見つからないように気を付けろ﹂
﹁言われなくても分かってるわ﹂
﹁えーと、ソフィアん、シエルん?まるで話が見えないんだけど⋮
⋮﹂
そして話がまとまったところで、私はシェルナーシュにトーコを
任せ、ウィズの元に赴くのだった。
1300
第236話﹁戦いの後−1﹂︵後書き︶
ある意味戦いが終わってからの方が本番です。
1301
第237話﹁戦いの後−2﹂
﹁と言うわけなのよ﹂
﹁なるほど﹂
指令部の中庭で休憩中だったウィズの元に赴いた私は、先程シェ
ルナーシュと出した結論をウィズに話した。
﹁では、こうするべきですね﹂
﹁ええ、普段はそうするべきね。それと、着ける時も期待はしない
ように﹂
﹁分かっています。父上﹂
私の話を聞いたウィズは、私たちの推論が少なくとも大筋につい
ては正しいと判断してくれたのか、左手に嵌めていた二つの指輪を
外し、布に包んだ上で懐に収める。
所有しているだけでも効果を発揮してしまう可能性もあるが、一
先ずはこれで大丈夫だと信じたい所である。
まったく、意図が見えない善意と言うのは厄介なものである。
私が言えた義理でもないが。
﹁ウィズ・グロディウス殿。ソフィール・グロディウス殿。お話し
中失礼いたします﹂
﹁あら、どうしたの?﹂
﹁何か問題が起きたか?﹂
と、ここでセレーネの親衛隊の一人が私たちの元にやってくる。
その顔に焦りの色などは見えないが、顔色からしてどうやらセレ
ーネかその周囲の人物からの正式な用件ではあるらしい。
今、私とウィズの二人を呼び出す案件となると⋮⋮あれか。
1302
﹁陛下より、お二方を部屋に招くように申しつけられました。レイ
ミア将軍との話し合いに同席して欲しいとの事です。また、ソフィ
ール殿につきましては、例の物も持ってくるようにとの事です﹂
﹁分かった。直ぐ行こう﹂
﹁分かりました。部屋に戻って取るべきものを取ったら、直ぐに向
かいます﹂
﹁ありがとうございます!﹂
﹁では、父上。私は先に﹂
﹁ええ﹂
ウィズが親衛隊の後をついていき、セレーネが待っている部屋へ
と向かう。
それにしても、やはりレイミア将軍との話し合いか⋮⋮彼女がそ
ちら方面でも利口な人物であると助かるのだけれど⋮⋮まあ、駄目
だった場合には、ウィズには悪いが、不幸な事故に遭ってもらうだ
けか。
﹁トーコ、例の壺を運んで頂戴﹂
﹁りょうかーい﹂
﹁シェルナーシュ、部屋に入ると同時に⋮⋮﹂
﹁言われなくても分かってる。この手の状況では必須と言っていい
からな﹂
部屋に戻った私はトーコに大きめの樽ほどの大きさがある壺を二
つ持ってもらい、シェルナーシュにとある頼みごとをした後に、セ
レーネの居る部屋に向かう。
﹁既に中で皆様お待ちです。あ、ソフィール殿のお付きの方も一緒
に入って構わないとの話でした﹂
﹁分かったわ﹂
そしてセレーネの居る部屋の前でバトラコイと話した後、私は一
度シェルナーシュと目を合わせてから三人揃って部屋の中に入る。
1303
そうして部屋の中に入った私たちに対して最初に聞こえてきた声
は⋮⋮
﹁なっ!?妖魔!?﹂
一瞥しただけで私たち三人を妖魔だと見極め、驚くレイミアの声。
﹁くっ⋮⋮妖魔が何故ここに居る!?﹂
だが、レイミアが驚きで動きを止めたのはその一瞬だけで、次の
瞬間にはセレーネ、ウィズ、リベリオの三人を自身の背後に置き、
その身を守るように私たち三人に向けて腰の剣を抜いていた。
うん、実に良い反応で対応だ。
驚いたのは一瞬だけだったし、彼女視点では状況が理解できてい
サイレント
ないように見えるセレーネたちを守るように動けているのだから。
﹁レイミア様﹂
﹁セレーネ王、お逃げください。ここは⋮⋮﹂
と同時に、やっぱりシェルナーシュに頼んで静寂の魔法を部屋全
体に展開しておいてもらって良かったなとも思う。
今の声を部屋の外に居るバトラコイに聞かれていたら大惨事待っ
たなしだし。
﹁レイミア様。彼らは味方です﹂
﹁わた⋮⋮なっ!?﹂
﹁ソフィールさん。自己紹介を﹂
﹁そうね。まずは名乗りましょうか﹂
と言うわけで、レイミアを落ち着かせるためにも、セレーネの声
にレイミアが困惑している内に名乗ってしまおう。
後、ウィズ、無表情を装ってはいるけれど、内心かなりドキドキ
しているのがバレバレだから。
こういう状況に陥る事は予想できたんだし、もう少し心の準備を
1304
付けておきなさいっての。
リベリオを見習いなさい。
完全に感情をコントロールして、何が起きても動けるように備え
てるから。
まったく⋮⋮と、それどころじゃなかった。
﹁私の名前はソフィール・グロディウス。ただしこれはヒトとして
名乗る時の名前﹂
﹁ヒトとしての⋮⋮名前?﹂
﹁本当の、妖魔としての名前はソフィア。土蛇のソフィアと名乗っ
た方が分かり易いかもしれないわね﹂
﹁っつ!?﹂
顔を隠すための帽子を外して行った私の名乗りに、レイミアは信
じられないものを見るような目で私の事を見る。
そしてそれと同時に怯えからか、僅かではあるものの体を震わせ
始める。
まあ、彼女の反応はある意味では当然の物だ。
なにせ今まで散々南部同盟の事を苦しめてきたソフィール・グロ
ディウスの正体が、五十年以上生きている妖魔だったのだから。
﹁ちなみに後ろに居るのはシェルナーシュとトーコ。二人とも私と
同じ程度には生きている妖魔よ﹂
﹁!?﹂
﹁ふんっ⋮⋮﹂
﹁どもー﹂
おまけに私の背後に居る二人も同格の妖魔だと暗に言っているの
だから、レイミアの恐怖は筆舌に尽くしがたいものだろう。
﹁セ⋮⋮セレーネ王﹂
だがそれでもレイミアは恐怖から意識を遠ざけるような真似はし
1305
なかった。
うん、実に素晴らしい。
後は彼女の選択次第だが⋮⋮。
﹁レイミア様。彼らの存在こそが私たち西部連合が抱える最大の秘
密です。そして貴方はこの秘密を知ってしまった。いえ、その能力
故に教えられました。後は、貴方自身の心がけ次第です﹂
﹁ごくり⋮⋮﹂
口を噤むのであれば何も起きない。
だが、口を開くのであれば⋮⋮誰にとっても不幸な事柄が起きる
ことになる。
これはそう言う話であり、返事は普通に行けば、﹁はい﹂か﹁い
いえ﹂しかない。
﹁⋮⋮。一つだけ条件があります﹂
﹁何でしょうか?﹂
しかし先天性の素養だけとは言え、流石は英雄と言うべきか。
レイミアは少々違った。
﹁もしも彼らがヒトを食べる場を見知らぬ誰かに見られたならば、
私は彼らの事を妖魔だと告発します。それが許されるならば⋮⋮私
は口を噤みます﹂
この状況でなお交渉をしようと言う胆力を見せつけたのだから。
﹁良いでしょう。その時は私も貴方の味方をしましょう。ソフィー
ルさんは?﹂
﹁その条件ならば私も異論はないわ。元々不特定多数にバレたら、
そうするつもりだもの﹂
レイミアの言葉に、私は勿論の事、セレーネも内心では笑いが止
まらなかった事だろう。
1306
なにせこれだけのことを言えるヒトが自分たちの味方に加わるの
だから。
1307
第237話﹁戦いの後−2﹂︵後書き︶
順調にセレーネがソフィアと同じように黒くなっている気がする。
09/30誤字訂正
1308
第238話﹁戦いの後−3﹂
﹁さて、レイミア様の協力も得られたところで、話を進めましょう
か﹂
﹁話?﹂
﹁ええ、レイミア様を今日こちらに招いたのは、今後の為にソフィ
ールさんたちとの顔合わせを行うためだけでなく、とある事をお伝
えする為でもあります﹂
さて、レイミアの能力に由来する不安要素が取り除かれたところ
で本題である。
この為に私はトーコに二つの壺を運んでもらったのだし、色々と
研究することにもなったのだから、良い方向に事が進んでほしいも
のであるが⋮⋮まあ、やってみるしかないか、色々と不確定要素が
大きいものであるし。
﹁単刀直入にまずは事実だけを申し上げさせてもらいます。レイミ
ア様、貴方の御両親は⋮⋮﹂
で、肝心の本題とやらだが、レイミアの両親についてである。
そのレイミアの両親についてセレーネは⋮⋮
﹁既に亡くなられています﹂
一切のためらいもなく言い切った。
﹁⋮⋮﹂
そして、セレーネの言葉を聞いたレイミアは一度天を仰ぐように
顔を上げ、大きく長く息を吐き、それからセレーネを見つめるよう
に顔を戻した。
だが、そうして戻されたレイミアの顔には涙の一滴も浮かんでお
1309
確保
らず、動揺した様子もなく、静かで、無感情な表情だった。
﹁動揺も驚きもしないのですね﹂
﹁あの戦いで私の両親の話が出た時、セレーネ王、貴方は
と言った。部下たちからの報告や漏れ聞こえてきた貴方の性格から
して、もし私の両親が生きているのなら、救出やそれに近いニュア
ンスの言葉を使ったはずだ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁だからあの時点で私は内心覚悟していたんだ。私の両親はもうこ
の世に居ない。とね﹂
だが表情とは裏腹に、その声音は何処まで悲しそうなものだった。
やはり覚悟はしていても、真実を聞かされ、実際に味わうとなれ
ば話は違うらしい。
﹁それで、今回の為にわざわざソフィール殿を呼んだという事は、
まだ他に話があるという事で?﹂
﹁ええそうです。ソフィールさん﹂
﹁分かったわ。レイミアの両親について分かっている事を話させて
もらうわ﹂
まあ、それはそれとして、まずは私の知る限りではあるが、レイ
ミアの両親の死について分かっている事を話す事にする。
レイミアの両親が相当昔に死んでいる事、その死因が表向きは病
死になっている事、本当に病死か怪しい事、死体の処理がかなりぞ
んざいだった事、後はこれらの話を補強するような種々の物的証拠
について色々とだ。
そうして色々と私が話した結果。
﹁⋮⋮﹂
レイミアは表情こそ変えていなかったが、全身から魔力を立ち昇
らせ、多少気配に聡い者なら誰でも分かるようなレベルで怒ってい
1310
る様子を私たちに見せていた。
ああうん、これはちょっと怒り過ぎだ。
これほど怒ってしまうと、プラスの面よりもマイナスの面が大き
くなってしまうだろう。
それこそリッシブルー当人を見た日など、我を忘れて突貫しかね
ない。
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
と言うわけで私は一度セレーネに視線だけで許可を求め、セレー
ネも小さく頷く事で私に了承の意を返す。
更に怒りを煽る可能性もあるし、思わぬ方向に話が転ぶ可能性も
あるが、やらないよりかはマシだろう。
﹁コホン。レイミア、今の情報はあくまでも私が調べた限りの情報
よ﹂
﹁確かにそうだが、間違った情報とは思えないし、ソフィール殿以
上に詳しく知っているヒトが私たちの側に居るとは思えないな﹂
﹁そうでもないわ。私以上に詳しく事の次第を知っている可能性が
あるヒトが居るもの﹂
﹁何?﹂
私は困惑しているレイミアを尻目に、トーコに部屋まで運ばせた
二つの壺を私の前へと持ってこさせる。
﹁一応言っておくけど、あくまでも人格を再現しただけで、しかも
効果時間は長く見積もって三分程度で一度だけ。成功しない可能性
すらあると言っておくわ﹂
﹁?﹂
﹁はい、分かってます﹂
私は壺の蓋を開けると、その中に入っていた土にそれぞれ腕を突
っ込む。
1311
なお、今の注意はレイミアに向けたものと言うより、どちらかと
言えばセレーネに向けたものである。
ソウル
この魔法はセレーネの求めに応じる形で調整した魔法なのだし。
リキンドル
﹁では、再燃する意思・ひとことはゆるし﹂
私は二つの壺の中に収められた魔石に自身の魔力を流し込み、魔
石を発動する。
すると魔石は周囲の土を己の支配下に置くと同時に、壺の中に一
緒に収められていた頭蓋骨と装飾品からとある情報を読み取り、そ
れらを核としてとある姿を象っていく。
﹁なっ!?まさか⋮⋮そんな⋮⋮﹂
﹁ほっ⋮⋮﹂
﹁凄い⋮⋮﹂
﹁あの二人が⋮⋮﹂
﹁成功したか﹂
﹁ソフィルんてば、またとんでもない事をやったね﹂
やがてそれは壺の外に足を踏み出し、色がつき、レイミアにだけ
リキンドル
ソウル
は誰だかはっきりと分かる姿となる。
そう、再燃する意思・ひとことはゆるしとは⋮⋮
﹁父上⋮⋮母上⋮⋮﹂
﹁これは一体⋮⋮レイミア!?レイミアなのか!?﹂
﹁ああ何てこと⋮⋮まさかこんな奇跡があるだなんて⋮⋮﹂
カドゥ
ケ
死者の遺骨や遺品から、生前の人格を一時的に再生させるという、
ウス
再燃する意思の魔法の改良形の一つであり、﹃蛇は骸より再び生ま
れ出る﹄の劣化版とでも言う魔法である。
まったく、﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄のように特別な何かを
用いるならばともかく、普通のヒトの遺骨と遺品から人格と姿を再
現しろと言うのだから、セレーネも大概無茶苦茶な要求をしてくる
1312
ものである。
だが、それだけの価値はあったらしい。
﹁済まなかったな、レイミア。私たちのせいでお前に苦労を掛けた﹂
﹁ごめんね、レイミア。私たちのせいで嫌な思いをさせてしまって﹂
﹁いいえ、そんな事はないです。父上と母上が居たからこそ⋮⋮﹂
本来は有り得ない死んだはずの両親との会話によって、レイミア
の怒りの火は見る見るうちに収まっていったのだから。
﹁ではさよならだ。レイミア﹂
﹁元気でね。レイミア﹂
﹁はい、父上と母上もどうぞ安らかにお眠りください﹂
そしてレイミアとレイミアの両親との語らいは、十分と言う私の
想像をはるかに越える長さで続き、終わった。
これだけ魔法が長く続いた理由は⋮⋮まあ、それだけレイミアの
両親がこの世に残した未練が多かったという事なのだろう。
術者である私の消耗も想定の半分以下で済んでしまってるし。
﹁セレーネ王﹂
﹁何ですか?レイミア様﹂
やがて両親が元の土に戻る頃、レイミアはセレーネの方を向く。
﹁私は貴方に忠誠を誓う事を今ここで宣言させていただきます。何
が有ろうとも、決して裏切らず、ただ貴方の為に働きましょう﹂
﹁はい﹂
膝を着き、頭を垂れ、剣を捧げる姿のレイミアの口から放たれた
のは、セレーネに忠誠を誓う言葉だった。
﹁そしてソフィール殿。貴方にも感謝を。魔法による再現とは言え、
父と母に再び会わせてくれたのだから﹂
1313
﹁まあ、西部連合の為に頑張ってくれれば私はそれでいいわ﹂
﹁言われずとも、尽くすさ﹂
こうしてレイミアは心の底から私たちの⋮⋮いや、セレーネの仲
間となり、名実、心身いずれもマダレム・シーヤは西部連合に降っ
た。
これが西部連合にとって良い事なのは、間違いないだろう。
1314
第238話﹁戦いの後−3﹂︵後書き︶
降霊術ですらありません。
本当にただの再現です。
1315
第239話﹁準備−1﹂
さて、マダレム・シーヤは西部連合に加わった。
兵、装備、いずれも大した被害も無く、マダレム・シーヤの修復
と進軍の準備さえ整えば、南に進軍し、道中の小さめの都市国家を
制圧しながらマダレム・サクミナミに向かう事は出来るだろう。
だが、流石に現在マダレム・シーヤに留まっている西部連合の兵
たちとマダレム・シーヤの兵だけでマダレム・サクミナミを落とし
にかかるのはよくないだろう。
兵力と言うよりは政治的な問題でだが。
と言うわけで、今は待ちである。
具体的にはベノマー河以西に存在する南部同盟の都市国家を、セ
レーネたちと別行動をとっている西部連合の面々が落とす事。
それと、マダレム・サクミナミの南は海辺にあるマダレム・シニ
ドノを西部連合の海軍が陥落させる事。
この二つは絶対に待たなければならない。
そして、この二つを落とした面々とセレーネたちが合流して、全
員でマダレム・サクミナミを落としにかかるというのが、今後の大
まかな流れである。
東部連盟の方は⋮⋮おおよそ一年前のトリクト橋前の一件時に隙
を突かれて取られた二都市を包囲し、マダレム・サクミナミとの間
に存在している補給線を分断してくれればそれで十分だろう。
その補給線が分断されれば、南部同盟の首都であるマダレム・サ
クミナミは人口と生産能力の関係上、飢えに苦しみ始めることにな
るのだから。
1316
勿論、待ちと言っても、セレーネたちには色々とやるべき仕事が
ある。
そして私にも仕事がある。
各地の戦場を忠実なる烏の魔法で上空から観察し、助言や指揮を
行うと言う仕事が。
当然、セレーネは私のこの仕事を重要視している。
なので他の仕事を回さず、この仕事に集中できるようにしてくれ
ている。
ただこの仕事⋮⋮うん、頭は使っても、身体は使わない。
ぶっちゃけると手持ち無沙汰になってしまうのである。
﹁警備ご苦労様﹂
﹁お気遣いありがとうございます﹂
と言うわけで、私はちょっとフロウライトに戻って来ていた。
目的は二つ。
﹁じゃっ、ちょっと中に入れさせてもらうわね﹂
﹁どうかお気を付けを﹂
その内の一つは例のウィズの件について、インダークの樹を問い
質す事である。
﹁ええ、気を付けるわ﹂
そうして私はインダークの樹のものとした領域を囲う塀を越え、
塀の中に入ったのだった。
−−−−−−−−−−−−−−
﹁結構入り込んでる馬鹿が多いのね﹂
1317
塀の中は密度の濃い森と化していた。
ただ、この森が普通の森でない事を示すように、草木の下にはヒ
トの骨と思しきものが幾つも転がっている。
まあ、気にする必要はないだろう。
どうせ何も知らずに踏み込んだ阿呆か、ここに貴重な何かがある
と勘違いした愚か者かのどちらかであろうし、この領域に入り込ん
だヒトは好きにしていいと言うのが私とインダークの樹の間で交わ
された契約なのだから。
﹁さて、久しぶりではあるけれど⋮⋮挨拶も事情説明も不要みたい
ね﹂
やがて私はインダークの樹の前に辿り着き、少し離れた場所から
その全体像を眺める。
するとインダークの樹は私が来る事が予め分かっていたと言わん
ばかりに魔力を放ち、私にその場へ座るように誘導してくる。
なので私もその場で地べたに直接腰を下ろすが、使役魔法によっ
て私が座っている部分の土は支配して、急に何かを仕掛けられても
反応できるようにはさせてもらう。
﹁で、貴方の用件は何かしら?﹂
さて、この時点で私はインダークの樹が例のウィズの件に関わっ
ている事を確信すると共に、私を呼び出す為にあの現象を起こした
のだと考えていた。
そしてその考えは間違っていなかったのだろう。
インダークの樹から放たれる魔力の性質が微妙に変化し、周囲の
草木と地面を少しずつ揺らし始める。
﹁これは⋮⋮音?いや、声?﹂
﹃9ksdba y0;dxwq5い﹄
やがて聞こえてきたのは草木と地面が振動することによって発せ
1318
られる音。
いや、何かしらの意図を持って発せられるそれは、音と言うより
声と言った方が正しいかもしれない。
﹃8おお8kt0fx7い い0rskj8おk9 う58えざい
いwyzふh9 dkfw85い﹄
﹁⋮⋮﹂
ただ⋮⋮
﹃qjssk r9いうl﹄
音程も音の強弱も、何もかもがおかしいため、私の耳には声とし
て認識できず、雑音としか感じられなかった。
﹃3dvdざhw dk7えくぉうlは60いnA い4おfせq
5r8Aう﹄
大切な何かを言おうとしているのは、インダークの樹の様子から
何となく分かるのだけれど⋮⋮うん、これは無理。
理解できない。
せめてどういう風に変換しないといけないのかが分からないと、
理解のしようがない。
まあいずれにしてもだ。
﹁心配しなくても、貴方の害になる様な真似をする気はないわ。そ
して、貴方の助けを借りる気はない。国と言うものは、ヒトの力に
よって建てられるべきものなのだから。貴方はそこでただ見守って
いるだけで構わない。それでもなお力を貸すというのなら、対価は
求めないで頂戴﹂
今後インダークの樹の力を借りるつもりはない。
これだけははっきりと言っておくべきだろう。
1319
﹁じゃあね﹂
そうして言うべきことを言った私はこの場を後にしたのだった。
1320
第239話﹁準備−1﹂︵後書き︶
あ、理解できなくても大丈夫です。
きちんと暗号化できているかも怪しいですし。
10/01誤字訂正
1321
第240話﹁準備−2﹂
﹁アレがそうね﹂
さて、インダークの樹についての用件が済んだところで、もう一
つの用事を済ませる事にしよう。
と言うわけで、私はフロウライトの外、多少深めの森の中に造ら
せたとある建物へと一人でやって来ていた。
﹁ふむ、良い出来ね﹂
その建物ははっきり言って、小屋程度の大きさしかなく、私個人
としてはこの大きさでも構わない⋮⋮と言うか建物自体要らないの
だが、少なくとも傍目にはフロウライトを治めるソフィール・グロ
ディウスが使う建物には見えないだろう。
傍目には⋮⋮そう、森の中にある点や、小屋の大きさに不釣り合
いな程に立派な煙突などからして何かしらの事情で隠遁している鍛
冶師の小屋と言った方が正しいか。
﹁道具類も完璧っと﹂
そしてその見方は正しい。
小屋の中に用意されているのは例の干し肉を含めた食料を除けば、
後は炉や金槌、金床と言った鍛冶の為の道具ばかりであり、床板が
張られている範囲すら小屋全体の半分以下なのだから。
﹁さてと。それじゃあ、頑張りますか﹂
そう、私のもう一つの用事とは、この鍛冶場で私の持つ全ての知
識と技術を駆使してとある武器を打つ事。
私は此処に来るまで着ていた衣服から、鍛冶仕事の為に用意した
専用の衣服に着替えると、床が土になっている部分に手を触れる。
1322
さて、まずは材料の確保からである。
−−−−−−−−−−−−−
作業開始から数日後。
﹁⋮⋮﹂
私の前に設置された炉の中では赤い火が全てを焼き尽くさんばか
りに燃え盛っていた。
炉の周囲ではふいごを使って風を送り込むべく、一定の速度で土
の手が上下動を繰り返している。
そして炉の中では、赤く、ドロドロに溶けた金属の塊が自然の理
など知った事か言わんばかりに複雑怪奇に動き回り、自身を均等に
熱するように、混ぜ合わせるように蠢いていた。
ああいや、蠢いているという言い方は正しくないか。
正しく言うならば⋮⋮蠢かせている、だ。
そう、私は使役魔法を使って周囲一帯の土を自分の支配下に置く
と、その中から目的の武器を造るのにふさわしい金属を集め、使役
魔法を発動したまま燃え盛る炉の中に放り込んだのだ。
﹁⋮⋮﹂
当然、使役魔法用の魔石は早々に燃え尽き、今は私自身の魔力で
使役魔法を発動させ、高温に熱せられている金属の塊を操っている。
己の全身が焼き尽くされるかのような熱を味わいながらだ。
まったく、使役魔法を使い慣れて、自分の感覚と感情を完全に切
り離せる私だからまだいいが、下手なヒトがこんな真似をしたら、
炎で焼かれる感覚によって精神だけが死ぬことになるのではないだ
ろうか。
1323
まあ、私以外にこんな事をやる存在が居るとも思えないが。
﹁さて、そろそろかしらね﹂
さて、炉の中では既に十分に金属が熱せられ、ドロドロに溶けて
いる。
だがその目的上、私が造る武器がただの金属で出来ていたのでは、
何かと示しがつかないだろう。
﹁お別れ⋮⋮と言えるかは微妙な所ね﹂
だから意味が有るのかは出来上がるまで分からないが、幾つか特
別な物を入れる。
その一つはサブカが使っていた剣。
私はマントと持ち手に使っていたインダークの樹の枝を外すと、
刃の部分を炉の中に投げ入れる。
するとサブカが使っていたからか、それとも長い間私が腰に提げ
続けていたからかは分からないが、僅かに炉の中の金属が白みを帯
びる。
﹁⋮⋮っつ!﹂
続けて私は自身の左腕をナイフで切ると、そこから流れ出た血を
小さなコップ半杯分程貯め、炉の中に投げ入れる。
血は直ぐに金属の塊と混ざり合い、血に含まれていた私の魔力の
働きによるものか、融けた金属の動きが少しだがよくなる。
﹁ソフィール・グロディウス!﹂
﹁陛下と﹂
﹁リッシブルー様のために﹂
﹁死ぬがい⋮⋮へっ?﹂
と、ここで小屋の扉と窓から恐らくはリッシブルーの配下であろ
う暗殺者たちが小屋の中に侵入してくる。
1324
その懐には大量の魔力が集まっており、私の推測が正しければマ
ダレム・シーヤ攻防戦でファナティーが使おうとしていた自爆魔法
を彼らは使おうとしていた。
が、私にとって彼らは丁度いい材料でしかなかった。
﹁﹁﹁うわあああぁぁぁ!?﹂﹂﹂
私は小屋の中に入る直前に何かに引っかかって転んだ間抜けな暗
殺者以外の三人の身体を、無言のまま振り向く事も無く、炉の中か
ら伸ばした金属の腕で掴み取ると、炉の中に引き込み、生きながら
に焼き尽くし、混ぜ合わせていく。
彼らの怨嗟に満ちた慟哭が周囲一帯に響き渡るが、幸いにしてこ
こは森の中であり、かれらの悲痛に満ち溢れた叫び声が聞こえてい
たのは私と一人残った暗殺者だけである。
﹁よ、よくも仲間を⋮⋮﹂
そしてどうやら、その一人残った暗殺者は後天的な英雄であった
らしい。
その身から大量の魔力が湧き上がると、シチータと同じように手
に持った短剣へと魔力を集め、長剣並みの長さを持つ魔力の刃を作
り出していた。
ふむ、これは都合が良い。
﹁し⋮⋮うごっ⋮⋮!?﹂
私は新たに使役魔法を発動させると、暗殺者である少女の両足を
掴んで動きを止めた後、その腹を土の腕で殴りつける事によって気
絶させる。
﹁ん?あらあら⋮⋮﹂
そうして抵抗の出来なくなった彼女を炉の中に放り込もうとして
気づく。
1325
殴りつけた際に外れた布の下から出てきた彼女の顔が私が知ると
ある人物によく似ている事に、その指に見覚えのある黒い木の指輪
が填まっている事に。
﹁これは殺すわけにはいかなくなったわね﹂
私はとりあえず彼女⋮⋮ペリドットの衣服と装備を全部剥いで炉
の中に放り込んだ上で、動けないように土の縄で彼女の全身を縛り
上げるのだった。
まったくというか何と言うか⋮⋮インダークの樹はまた何かをし
てくれたらしい。
1326
第240話﹁準備−2﹂︵後書き︶
なお、暗殺者を処分する間、ソフィアは振り向きもしていません。
1327
第241話﹁準備−3﹂
﹁ここは⋮⋮﹂
﹁ああ、起きたみたいね﹂
彼女⋮⋮ペリドットが目を覚ましたのは、おおよそ半日後の事だ
った。
炉の中では未だにドロドロに溶けた金属が混ぜ合わされているが、
見た感じからしてそろそろ武器を打つのに使い始めてもいいかもし
れない。
ただ、その前にだ。
﹁っつ!?ソフィール・グロディウス!?﹂
ペリドットを落ち着かせる必要が有るだろう。
﹁くっ!?この⋮⋮なんだこの縄は!?離せ!私は何も喋らないぞ
!辱められようが、殺されようがだ﹂
﹁辱められようが、殺されようが⋮⋮ねぇ﹂
どうにもある事ない事色々と吹き込まれているようだしね。
﹁ペリドット。女の子があんまりそんな言葉を口にしない方がいい
わよ。特に私みたいなのを相手にしている時は﹂
﹁っつ!?﹂
﹁自分の子供よりも年下だって男には関係ないし、それこそ死なせ
てくれと貴方が心の底から懇願させてくるような責め苦を与えるこ
とだって出来るのだしね﹂
私はペリドットの顔を優しく掴み、彼女の耳たぶに触れそうなほ
どに近い距離で囁きかける。
ペリドットは⋮⋮既に顔面蒼白の状態になっている。
1328
それが初対面の筈である相手が自分の名前を知っていた事に対す
る恐怖によるものか、これから自分に対して行われる事柄に対する
恐怖に由来するものなのかまでは分からなかったが。
﹁ま、安心しなさい。私は貴女の父、オリビンと約束しているの。
﹃家族をよろしく頼む﹄と。だから貴女を殺したり、傷つけたりす
るつもりはないわ﹂
﹁その⋮⋮そのオリビンを殺したのがお前だろうが!﹂
ペリドットが憤怒の炎を目の奥に灯しながら叫び声を上げる。
実際、彼女が私に対してこのような反応を抱くのは当然の事であ
るし、正当な権利だろう。
私がオリビンさんを殺したというのは違えようのない事実である
のだから。
ただ一つ言うべき事が有る。
﹁ええそうね。けれどそのオリビンが死んだトリクト橋の一件。あ
れは今の貴女が所属する組織⋮⋮いえ、その組織を含む巨大な諜報
組織を統べる男⋮⋮リッシブルーとその主であるノムンの手によっ
て起こされたものよ﹂
﹁っつ!?﹂
それは、そもそもオリビンさんが死んだあの件はリッシブルーた
ち南部同盟が起こしたものである事だ。
なお、あの件の黒幕がリッシブルーである事は各種方面の調査か
ら。
ペリドットが現在南部同盟の暗殺組織に所属している事は、ペリ
ドットが気絶している間に小屋がある森ごと焼き払おうとした彼女
の仲間たちを生きたまま丸呑みにした結果、得られた記憶からの情
報である。
尤も、こんな後天性の英雄に自殺行為をさせたり、森ごと焼いて
殺そうとしたりと言った拙い手段をリッシブルー程の男が考えると
1329
も思えない。
なので、ペリドットが所属している暗殺組織が南部同盟諜報機関
の下部組織である事や、この組織のボスが野心家だった事も併せて
考えると、ペリドットの所属する組織が暴走した結果と考えた方が
妥当だろう。
﹁そんな⋮⋮そんな事が⋮⋮﹂
﹁ま、信じる信じないは勝手だけど、貴女を逃がすつもりだけはな
いから。後は⋮⋮気が向いたら話して頂戴、あの戦いの後に貴女が
どうなったのかをね﹂
まあ、今となっては全て闇の中だ。
スネーク
ゴーレム
その野心家のボスは暗殺者の記憶から位置を割り出し、私が送り
込んだ忠実なる蛇が辿り着いた頃には物言わぬ屍になっていたのだ
から。
恐らくは暗殺組織より上の組織の人間に切られたのだろう。
﹁さ、とりあえず適当に布でも羽織って、スープでも飲んでなさい﹂
﹁!?﹂
私はペリドットが寝ている間に用意しておいた大きめの布を投げ
渡し、スープを適当な大きさの器に盛っておくと、今更裸で居る事
が恥ずかしくなったペリドットが赤面するのを確認しつつ、炉の前
に戻る。
さて、作業を再開する事にしよう。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
﹁ふう、形にはなったわね﹂
﹁⋮⋮﹂
1330
数日後。
私の前には三本の長剣の刃と、一本の短剣の刃が並んでいた。
後は十分に冷えた後に刃を砥いで切れるようにし、持ち手と鍔を
付けるだけである。
﹁あら、どうしたの?﹂
﹁貴方ほどの化け物がこんな物必要とするの?﹂
さてペリドットだが、この数日の間に幾らか打ち解ける事が出来
た。
どうにも彼女はトリクト橋の件の後、強盗に浚われ、奴隷商に売
られたのだが、運ばれている途中で運よく枷が外れ、それと同時に
英雄として覚醒、奴隷商とその護衛たちを私を襲った時にも使った
短剣で殺害すると、一緒に運ばれていた奴隷たちと共に逃げ出した
らしい。
そして、逃げ出した先で私を襲った暗殺組織に拾われ、所属、一
年近い訓練を経て、初の任務として私を暗殺しようとし⋮⋮今に至
るらしい。
うん、もしかしなくてもインダークの樹の関与は有っただろう。
それに後天的英雄に魔力を与えている何者かの関与もだ。
作為的な何かを感じずにはいられない程の偶然が働いている。
まあ、そのおかげでペリドットと会えたのだから、インダークの
樹と英雄に力を与えている誰かさんを非難することはないが。
﹁答えなさいよ。土蛇﹂
なお、ペリドットの暗殺組織の残党が私に襲い掛かって来た際に、
何人かを丸呑みにしたため、ペリドットには既に私の正体はバレて
いる。
まあ、問題はないだろう。
それよりも今はペリドットの質問に答えるとしよう。
1331
﹁私自身はこの内の一本しか必要としないわね﹂
﹁一本だけ?﹂
﹁ええ、後の二本と短剣を必要とするのは私以外よ。と言うか、こ
っちの二本のついでに私のは作ったと言ってもいいわね﹂
﹁ふーん?﹂
私は十分に冷えた刃を砥ぎ始める。
私が今持っている全てを費やした特別な剣の完成は近い。
1332
第242話﹁準備−4﹂
﹁よし、砥ぎ終わった﹂
私の前には良く砥がれた長剣の刃三本と短剣の刃一本が並べられ
ている。
これで後は鍔、握り、柄頭を付け、固定するだけである。
﹁それじゃあ⋮⋮これね﹂
私は三本ある長剣の刃の中から一番出来の良い一本を手に取ると、
刃を造った余りの金属塊から造った鍔とインダークの樹の枝から造
った握りを付ける。
この長剣の基本的な構造はサブカが使っていた剣とだいたい同じ
なので、特に加工する必要もなく刃は収まる。
で、鍔と同じように作った柄頭を付け、最後にサブカが使ってい
たマントを持ち手部分に巻き付けていく。
これで一本目の剣が完成である。
﹁自分のはついでだって言っていたのに、一番出来が良いのを持っ
て行くのね﹂
﹁そこは製作者の特権と言うものよ。それに貴女なら分かっている
と思うけど、出来が良いと言ってもかなり見る目があるヒトじゃな
いと分からないぐらいの差で、お互いにぶつけ合ったりしても所有
者の技量次第でどうとでもなる程度。特別気にする意味は無いわ﹂
﹁ふーん﹂
と、ペリドットがここで私の事を非難するような目で見つめなが
ら声をかけてくる。
ただ、私の言葉を聞いてすぐに自身の意見を引っ込める辺り、私
の言葉が正しい事は分かっているらしい。
1333
それにしてもこの僅かな出来の差を認識できるとは⋮⋮魔力によ
って武器を強化する魔法を手に入れただけあって、こう言う事に対
してはとても鋭いらしい。
﹁ふむ⋮⋮そうね﹂
しかしそう言う事ならば私としては都合が良い。
﹁ねえ、ペリドット。この二本のうち、どちらの方が出来が良いと
思う?﹂
﹁どっちって⋮⋮こっちの方が少しいい感じがするけど?﹂
﹁ふむふむ﹂
私はペリドットの前に二本の長剣の刃を置き、どちらの方がより
出来が良いかを聞いてみる。
そうしてペリドットが選んだのは私も出来が良い方であると感じ
ていた方の刃だった。
やはりペリドットの目はかなり良い。
そして、後天的素養だけとは言え、英雄であるペリドットが選ん
ヒューマン
だというのは中々に意味がある事では無いかと思う。
ヒーロー
﹁じゃあ、こっちが﹃英雄の剣﹄で、こっちが﹃ヒトの剣﹄にしま
しょうか﹂
﹁は?﹂
私はペリドットが選んだ方の剣に金を混ぜ込んで作った鍔、白木
の木で作った持ち手、青い宝石を填め込んだ柄頭を付けていく。
そして、ペリドットが選ばなかった方の剣に銀を混ぜ込んで作っ
た鍔、普通の木で作った持ち手、赤い宝石を填め込んだ柄頭を付け
ていく。
なお、鍔、持ち手、柄頭のいずれにも精緻な装飾を施してあり、
素人目に見てもこの剣が特別な物である事が分かるようになってい
る。
1334
﹁ちょっ、ちょっと待ちなさいよ。﹃英雄の剣﹄に﹃ヒトの剣﹄っ
てどういう意味よ!?﹂
﹁ん?別に大した意味はないわよ。ただ単にこの剣は英雄を統べる
者に与えられる剣だとか、この剣はヒトを統べる資格を有する者に
授けられる剣だとか表向きに言わせるためだけに付ける名前だから﹂
まあ、本音を言わせてもらうなら、剣にこんな装飾など不要な代
物の極みなのだが。
剣は武器であり、敵を切る物である。
その機能に装飾は必要ないどころか、むしろ邪魔であるとさえ言
える。
だがそれでもこんな装飾を付けるのは、この剣を戦いで振るう予
定の存在が、こんな装飾など何の問題にもしないだけの技量を有し
ている事と、その一度の戦いが終われば以後は実戦で使われる事の
ない儀礼用の剣になるからである。
でなければこんな無駄な物を付けたりはしない。
絶対にだ。
﹁な、何をする気なのよ⋮⋮土蛇﹂
﹁簡単に言ってしまえば王権の正当性の証明と言う所かしらねぇ。
ヒンドランス
まあ、今のヘニトグロで御使い様から直接授けられたなら、誰の目
にも王である事が証明されるでしょうね﹂
﹁⋮⋮﹂
私は続けて短剣に一本目の剣⋮⋮敢えて名づけるなら﹃妖魔の剣﹄
と言うべき代物と同じ鍔と柄頭を付ける。
持ち手は⋮⋮流石にインダークの樹の枝は使えないし、普通の樹
にしておこう。
﹁ああ一応言っておくけど、この小屋の中で知った事を誰かに話し
たら、私は貴女の事を始末しなきゃいけなくなるから。黙ってなさ
1335
いよ﹂
﹁だ、誰が言うものですか!土蛇の秘密どころか、西部連合全体に
関わる様な秘密なんて喋ったら、命が幾つあっても足りないわよ!
!﹂
﹁ふふふ、良い心がけね﹂
と、ここまで話したところで、既に顔面蒼白で全身をブルブルと
震わせていたが、念のためにペリドットに釘を刺していく。
そしてペリドットの想像は決して間違いではないだろう。
この秘密が外に漏れたら、最低でも⋮⋮うん、二人は漏らした者
と漏らされた者を消しにかかるべく動きだすヒトが居るな。
﹁じゃあ、これをあげておくわ﹂
﹁えっ、うわっ!?﹂
ヒドゥン
私は革製の鞘にしっかりと納めた短剣⋮⋮敢えて名づけるなら﹃
存在しない剣﹄とでも呼ぶべきそれをペリドットに投げ渡し、ペリ
ドットはそれを何とか落とす事なく受け取る。
﹁いきなり何を⋮⋮っつ!?﹂
で、私はペリドットに顔を近づけ、お互いの吐息が相手にかかる
ような距離で口を開く。
﹁貴女には悪いけれど、今後貴女には常に私の傍に居てもらう事に
なる。少なくとも貴女が不要な事を喋る事が無いと言える確証を得
られるまで﹂
﹁それは⋮⋮分かってるわよ⋮⋮﹂
﹁けれど私の傍は色々と危険なの。だからその短剣は貴女の護身用
として持っておきなさい﹂
﹁⋮⋮。この刃が貴方の背を貫くかもしれないわよ﹂
﹁あら怖い。なら気を付けないといけないわね﹂
私はペリドットから顔を離すと、元の服装に着替えて﹃妖魔の剣﹄
1336
を腰に提げた鞘に、残りの二本を装飾を施した鞘に収めた上で、何
処にでもありそうな木の箱に収める。
そして持てる荷物を二人で手分けして持つ。
﹁さて、造るべきものは作った事だし、後はこの小屋を解体すれば
お終いね﹂
ペリドットを連れて小屋の外に出た私は、使役魔法を使って小屋
を破壊しながら地下へと沈めていく。
これで小屋がここにあった事は分かっても、何を造っていたかま
では分からないだろう。
﹁じゃ、行きましょうか。まずはフロウライトよ﹂
﹁分かった﹂
そうして後始末も終わったところで、私はペリドットを連れてフ
ロウライトに戻るのだった、
1337
第243話﹁準備−5﹂
﹁父上、誘拐は犯罪ですよ﹂
﹁女装趣味だけでなく幼女趣味があったとは⋮⋮救い難いな﹂
マダレム・シーヤに戻ってきた私とペリドットの二人に対して、
出迎えてくれたウィズとレイミアの二人が言った言葉がこれである。
﹁ほほほほほ、父親を犯罪者呼ばわりするいけない口はこの口かし
らねぇ。後私に幼女趣味はない﹂
﹁痛っ!?ちょっ、父上!?﹂
とりあえず冗談で済む程度の力で私はウィズの頬をつねる。
レイミアは⋮⋮付き合いも浅いし、本気でペリドットを心配して
の事だろうから気にしないでおく。
幼女趣味が無い事ははっきりと言っておくが。
﹁で、貴様に幼女趣味がないのなら、この少女は何処の誰で、何故
連れ帰って来たんだ?﹂
﹁そうね。まずは自己紹介といきましょうか﹂
私はレイミアの言葉に答えつつ、ペリドットに視線で自己紹介を
するように促す。
そして私の視線に気づいたのか、ペリドットが一歩前に出て口を
開く。
﹁マダレム・バヘン第二中隊の隊長、オリビンの娘。ペリドットで
す。この男に無理やり連れられて来ました﹂
﹁ちょっ﹂
﹁やはり誘拐だったか﹂
﹁父上、誘拐は犯ざ⋮⋮あいだぁ!?千切れる!?父上千切れる!
1338
?﹂
ペリドットの言葉に私は思わずウィズの頬をつねる指の力を強め
てしまい、慌てて指を離す。
﹁ペリドット貴方ねぇ⋮⋮﹂
﹁事実じゃないですか﹂
﹁事実でも言葉を選びなさい。言葉を﹂
﹁で、実際の所はどうなんだ?﹂
﹁そうね。もう面倒だから私から話すわ﹂
私はレイミアとウィズの二人にペリドットについて⋮⋮つまりは
彼女が私の命を狙った暗殺者だった事や、その暗殺組織が南部同盟
のものである事、どういう経緯で所属することになっていたのか、
既に暗殺組織が壊滅している事、後天的英雄である事、既に私の正
体について知っている事などを話す。
そうして話した結果。
﹁何と言うか⋮⋮彼女もまた大変な人生を歩んでますね﹂
﹁たった一年とは言え、よく生き延びれたものだ﹂
﹁まあ、それは私も同意するわ﹂
﹁⋮⋮﹂
二人とも自身の今までの人生もあって、色々と感じる点があった
のだろう。
ペリドットに同情すると共に、何とかしてあげたいと思うように
なっていた。
まあ、ペリドット本人はそんな二人の反応に対して少々思う所が
あるようだが。
﹁しかし意外だったな。リッシブルーの奴が部下を統制しきれてい
ないとは。てっきり奴は自分の組織を隅から隅まで把握しているも
のと思っていたが⋮⋮﹂
1339
さて、ペリドットの事を一先ずおいておく形で、レイミアが別の
話を振って来たので、そちらについて答えるとしよう。
﹁それはちょっとリッシブルーの事を過大評価し過ぎね﹂
﹁過大評価⋮⋮ですか?﹂
﹁ええ、確かに奴は南部同盟の諜報機関の頂点であり、情報の一切
を取り仕切っている。それこそ奴を殺せば、一時的に、あるいは永
続的に南部同盟は混乱に陥り、その戦力を大きく削げるほどの人物
ではあるわ﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
﹁でもね。それだけの能力を持っていてもリッシブルーはただのヒ
ト。後天的英雄ですらない。巧みに人心を操り、部下を動かし、様
々な技術によって情報を可能な限り自分の元に早く伝わるようにし、
組織を構築する事は出来ても、それはヒトの枠に収まる程度でしか
ないのよ﹂
﹁それでも十分ヤバいと思う﹂
﹁ゴホン。とにかくそんなわけだから、末端の末端まではリッシブ
ルーでも常に把握する事は出来ないのよ。まあ、把握できない代わ
りに、自分の関与が疑われないように動かす事も出来るみたいだけ
ど﹂
私は今までにリッシブルーが行ってきた各種工作について思い出
しながら、リッシブルーについて語る。
多少本音を隠しつつ。
そう、本音を隠しつつだ。
﹁父上?﹂
﹁いえ、何でもないわ﹂
リッシブルーは確かにヒトである。
だがそれ故に私はリッシブルーの事を脅威に感じている。
ヒトであるという事は、今後後天的英雄として目覚める可能性が
1340
ゼロではないという事なのだから。
そして、その可能性を考えるが故に私は未だにリッシブルーを秘
密裏に始末すると言う手段を実行していない。
仮にリッシブルーを始末するならば⋮⋮それこそ私がシチータに
対して仕掛けてきた数々の策のように、一切の反撃と回避の機会を
与えないような策を用いるべきだと考えている。
過大評価かもしれないが⋮⋮リッシブルーと言う男は下手な英雄
よりもよほど危険な敵と言うのが私の中での評価である。
﹁今はペリドットの話に戻しましょう﹂
さて、リッシブルーについてはここまでにしておくとしてだ。
ゴーレム
今は今後ペリドットをどうするのかを二人に言っておくべきだろ
う。
﹁どうするつもりだ?監視は入れておくのだろうが﹂
スネーク
﹁そうね。監視は入れておくと言うか⋮⋮今も入っているわね﹂
﹁⋮⋮﹂
私の言葉に合わせてペリドットが右手の手首に付けた忠実なる蛇
の環を二人に見せる。
これで普段は監視を行い、万が一破壊された際には特別な状況を
除いて有無を言わさずである。
﹁それで仕事についてはどうなさるおつもりで?﹂
で、当然ではあるが、傍に置いておく以上は何かしらの仕事はし
てもらう。
何の仕事もしていない人を傍に置いておくなど、無駄でしかない
からだ。
﹁暫くは文官見習いとして私についてもらうわ﹂
と言うわけで、暫くは私付きとして、文官の仕事をしてもらう事
1341
になる。
もらうのだが⋮⋮私がそう言った途端、ウィズとレイミアの二人
が⋮⋮
﹁暗殺組織を抜け出した先が父上のお付きとは⋮⋮頑張れ﹂
﹁えっ?﹂
﹁無理だと思ったら遠慮なく私たちに泣きつくんだぞ﹂
﹁えっ?えっ?﹂
﹁⋮⋮﹂
何故か今までよりも格別に優しい目でペリドットの事を憐れんで
いた。
うーん、一体なぜだろうか⋮⋮。
1342
第244話﹁準備−6﹂
﹁ソフィール・グロディウス。只今戻りました。陛下﹂
﹁久しぶりですね。ソフィール﹂
さて、ウィズとレイミアの二人にペリドットの事を紹介した後、
私はペリドット一人を自分の部屋に残し、セレーネの執務室にて帰
還の報告を行っていた。
﹁それで、暗殺者に襲われたとの事ですが、傷などは?﹂
﹁まったく負っていませんので、どうかご安心を﹂
﹁そうですか。それは良かったです﹂
で、そうなると当然の事ではあるが、忠実なる烏の魔法によって
調べた各地の戦況報告だけでなく、小屋での作業中にペリドットた
ちに襲われた件についても話す事になる。
まあ、この部屋には私の正体を知っているセレーネとリベリオだ
けでなく、私の正体を知らないバトラコイや侍女の類なども居るの
で、暗殺者に襲われたから返り討ちにした、暗殺者の組織は壊滅し
ていた、壊滅には恐らくはリッシブルーが関与している、と言った
事しかこの場では話せないが。
そうしてその辺りの事を話したところ⋮⋮
﹁リッシブルー⋮⋮またあの男ですか⋮⋮﹂
﹁ええ、またあの男です。まあ、今回私を狙った件については下部
組織の暴走に近いようですが﹂
﹁だとしてもあの男が危険な存在である事には変わりないでしょう。
部下からの報告が確かなら、今も各方面への工作を行っているよう
ですし﹂
﹁陛下。落ち着いてくださいませ﹂
1343
﹁すみません。そうですね。此処で感情のままに動けば、それこそ
敵の思うつぼでしたね﹂
セレーネはリッシブルーに対して明らかな負の感情を向けつつ、
そう言葉を発した。
なので、私はセレーネの事を諌める。
実際、下手な英雄よりもリッシブルーが厄介なのは確かであり、
私だけでなくセレーネも同様の評価を下している。
だがしかし、だからこそ落ち着いて対応しなければ、足元をすく
われかねない。
アレはそう言うタイプの敵である。
﹁しかしソフィール。これだけは言わせて下さい。私はあの男を早
々に始末するべきではないかと考えています。それこそ琥珀蠍の魔
石に嫌われるような方法を用いてでも。放置すれば、こちらの被害
をいたずらに大きくしかねません﹂
セレーネは私の事を若干睨み付けるようにしつつ、リッシブルー
を汚い手段を用いてでも始末するように言ってくる。
なお、琥珀蠍の魔石に嫌われるような方法と言っているが⋮⋮サ
ブカはたぶん方法よりも動機と対象の方を気にするので、リッシブ
ルー相手に何をしても琥珀蠍の魔石がセレーネを拒絶することはな
いだろう。
﹁そうですね。確かにあの男を放置し続けるのは危険でしょう。で
すが、まだその時ではありません。そして、不要な手出しは控える
べきです﹂
そして私はそんなセレーネの要求を拒絶した。
私の反応にリベリオとバトラコイの二人はとても驚いているが、
セレーネは至極落ち着いている。
それどころか、私が何を考えているのかを読み取ろうと、思索を
重ねている。
1344
私は理由を説明しない。
求められない限りは答えを言うべきではないからだ。
﹁今が時ではないというのは、リッシブルーがノムンが最も信を置
くヒトだからですね﹂
﹁ええそうです﹂
﹁では時が来れば、貴方の手でリッシブルーは討ち取るのですね﹂
﹁必ずや討ち取りましょう﹂
﹁分かりました。ではソフィール、貴方の言葉を信用して、今は防
衛に徹しましょう﹂
どうやらセレーネは私が何を考えているのかを察してくれたらし
い。
実際今はまだ少しリッシブルーを始末するには早いのだ。
セレーネが強く望むのなら始末するが、出来ればもう少し後に⋮
⋮替えを見つける時間を与えない所で消したい所なのである。
﹁それと、そう言う事ならばリッシブルーがこちらに対して行って
くるであろう妨害工作の予想とその対処法をまとめて、私に提出す
るように。貴方が防衛を望む以上は、その計画書ぐらいは提出して
もらわなければ、周りが納得しないでしょうし﹂
﹁⋮⋮御意に﹂
なお、セレーネは出会った当初に比べて各段に強かなヒトになっ
たようである。
まあ、ペリドットの訓練にはちょうどいいか。
﹁さてそれでは私は⋮⋮﹂
﹁ああそれと、貴方にはもう一つ訊く事が有りました﹂
﹁何ですか?陛下﹂
﹁小屋での作業によって、貴方が造りたいと思っていた物は造れま
したか?﹂
1345
﹁勿論、造れましたとも﹂
ヒンドランス
私はセレーネの言葉に腰に挿してある﹃妖魔の剣﹄に片手を添え
る。
傍目には今まで私が挿していた剣と変わらないが、魔力を見る事
が出来るリベリオには私の剣がまったくの別物になっているのが分
かった事だろう。
そしてそのリベリオがセレーネに羊皮紙の切れ端のようなものを
渡しているので、セレーネも﹃妖魔の剣﹄の存在には気づいたはず
である。
﹁今は私の魔法で誰も手出しできない場所に保管、封印してありま
す﹂
加えて私のこの言葉で、同じような物を別に私が造っていること
にも二人は気づいたはずである。
﹁機会が無ければそのまま破棄することになりますが、お見せする
時が来れば、必ずや陛下のお力になる事でしょう﹂
﹁そうですか。期待しています﹂
﹁では、失礼させていただきます﹂
そうして私はセレーネの執務室を後にしたのだった。
詳しい事は⋮⋮まあ、セレーネたちが暇な時にでも忠実なる蛇を
向かわせて、話しておくとしよう。
1346
第244話﹁準備−6﹂︵後書き︶
地味にリベリオがセレーネ付きの文官に昇進してます。
10/06誤字訂正
1347
第245話﹁準備−7﹂
﹁ふむ、ペリドットだけのようね﹂
日も落ちて殆どのヒトが寝静まっている頃、私は自分の部屋に戻
って来ていた。
部屋の中には横に広い椅子の上で布を被って寝ているペリドット
以外の姿は無く、そのペリドットにしても金色の髪をゆっくりと上
下させ、若草色の瞳を瞼で隠し、静かに寝息を立てていた。
﹁セレーネの望んでる書類は⋮⋮明日書き始めても問題はないわね。
ヒンドランス
今日明日に前触れもなく襲い掛かる事は出来ないし﹂
私は﹃妖魔の剣﹄とハルバードを壁に立てかけると、明日以降の
予定を頭の中で組み直しつつペリドットに近づいていく。
そうしてペリドットの顔が普通の目でもはっきりと見える距離に
まで近づいた時だった。
﹁!﹂
﹁⋮⋮﹂
ペリドットの目が大きく見開かれると同時にその身体が宙へと回
ヒドゥン
転しながら撥ね上がり、身体の陰に隠れて見えなかった部分から抜
身で魔力の刃が展開された﹃存在しない剣﹄を握った腕が勢いを付
けた状態で私に向かってきたのは。
﹁っと﹂
﹁!?﹂
私はペリドットの目が驚きの色に染まっているのを確認しつつ、
﹃存在しない剣﹄を握った腕を掴んで刃の動きを止める。
そしてそれと同時にペリドットのもう片方の手を捻り上げつつ背
1348
後に回り込み、床に痛く感じる程度の速さで押し倒す。
﹁やれやれ、危ないじゃない﹂
﹁あ⋮⋮ぐっ⋮⋮﹂
私は﹃存在しない剣﹄を握っている方の手を少し強めに握る事で、
ペリドットの意思とは関係なしに剣を放させ、胸の部分に収納して
おいた土を操ってペリドットの手が絶対に届かない位置にまで﹃存
在しない剣﹄を移動させる。
﹁で、あの驚き方からしてわざとではなかったようだけど、何か申
し開きは?﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁言いなさい﹂
﹁!?﹂
理由を言う気がなさそうなので、私はペリドットの捻ってある方
の腕を少しだけ移動して、痛みを与える。
﹁はい、攻撃した理由は?﹂
﹁⋮⋮。奴隷商から逃げ出して以来、殺気を持った相手が近づくと、
勝手に攻撃するように癖がついてるの﹂
ペリドットはばつが悪そうな様子を見せながらそう呟き、私はペ
リドットの様子に拘束を少し緩める。
﹁殺気ねぇ⋮⋮私は出していた覚えはないんだけど?﹂
﹁アンタの場合は存在そのものが殺意の塊みたいなものじゃない。
土蛇﹂
﹁ああ、そう言えば私は妖魔で、貴女は英雄だものね。それなら、
最初から傍に居たならともかく、寝入った後から近づいたなら反応
してもおかしくないか﹂
﹁そう言う事よ﹂
1349
しかし、もしペリドットの言うとおりだとしたら中々に厄介な問
題である。
私とペリドットの立場上、私はともかくペリドットが眠る時に武
器を身近に置いておかないと言うのは危険すぎるだろう。
睡眠中と言う普通ならば隙だらけの状況に襲い掛かるのは、正面
から戦わない場合の基本であるし。
﹁ふうむ。困った癖ね﹂
﹁ちょっ、何処に!?﹂
私はペリドットの腕を捻り上げるのをやめる代わりに腰のあたり
に腕を回し、ペリドットを抱えてベッドの方に移動する。
﹁ベッドで寝ないと体が痛くなるでしょー﹂
﹁それはそうだけど!?﹂
そしてペリドットを抱えたまま、ベッドの中に入る。
傍から見ればレイミアの言うとおり、私が幼女趣味であるように
しか見えない光景ではあるが、誰かに見られたりしなければ問題は
ないだろう。
﹁で、ペリドット。貴女の癖だけれど、私からは私の気配に慣れろ
としか言いようがないわね﹂
﹁寝ながら周囲の気配を見極めろとでも言うの?﹂
﹁無理なら全部の気配を無視すればいいわ。私が貴女の安全を確保
すればいいだけの話だし﹂
﹁⋮⋮﹂
で、ペリドットの癖の治し方だが⋮⋮寝る時に最初から居た相手
は無視できるのだし、私の気配に慣れれば対象から外せるのではな
いかと思う。
そもそもとして、あの小屋からマダレム・シーヤに帰って来るま
での間は、こんな問題とは無縁だったわけだし。
1350
﹁土蛇。どうしてアンタは私の事を守るの?﹂
﹁貴女の父親であるオリビンに頼まれたから﹂
﹁ヒトの真似までして西部連合を助けているのは?﹂
﹁私自身の目的もあるけど、シチータの件もあるわね。セレーネが
王の器である事もあるわ﹂
﹁⋮⋮。アンタが生きる目的は?﹂
﹁昔の約束があるから﹂
ペリドットが私に質問をしてくるので、私はそれに素直に答えて
いく。
するとペリドットは私の首のあたりに頭を押し付け、顔を見えな
いようにした上で口を開く。
﹁馬鹿でしょ。アンタ﹂
﹁馬鹿とは随分と言ってくれるじゃない⋮⋮﹂
﹁馬鹿よ。アンタはね。ウィズとレイミアがアンタの仲間だって会
わせてくれたトーコとシェルナーシュとか言う二人の妖魔とは大違
いだわ。あの二人も妖魔としては少しおかしいけれど、それでも目
的の為に生きている。妖魔らしくね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁でもアンタは目的の為じゃなくて、約束の為に生きている。そん
な感じがするわ。それは妖魔の生き方じゃないわよ﹂
﹁かもしれないわね﹂
私はペリドットの言葉に対して理性的に反論する事が出来なかっ
た。
いや、しなかった。
無理やり捻り出そうと思えば、反論の一つや二つぐらいは捻り出
せたのかも知れないが、そう言う気にはなれなかった。
ペリドットの言葉が正しいと感じているがために。
1351
﹁昔の約束って何なのよ。今のアンタはその約束を守れているの?﹂
﹁⋮⋮﹂
フローライトとの約束⋮⋮私らしく生きる⋮⋮ああいや、正確に
言えば、私らしく、けれどヒトに騙される事の無いように生きる⋮
⋮か。
今の私はヒトに⋮⋮
﹁守れているわ。私はその時が来るのを知っているから﹂
﹁そう⋮⋮﹂
騙されてはいない。
私が西部連合に手を貸す目的がアレである限りは。
その時がいずれ来る事を理解している内は。
﹁なら私から言う事はもうないわ﹂
そうして私とペリドットは一緒に眠り出した。
1352
第245話﹁準備−7﹂︵後書き︶
善意じゃないのよ
1353
第246話﹁リッシブルー−1﹂
十二月
レーヴォル暦二年、冬の三の月。
どうやって口説いたのかは分からないが、ウィズとレイミアが婚
約を結び、レイミア改めレイミア・グロディウスとなる。
また、それに伴う形で私はグロディウス家の全権をウィズ・グロ
アンルスト
ディウスに渡すと同時に、愛用のハルバード⋮⋮いつの間にやら﹃
不錆﹄と呼ばれるようになったそれをウィズに渡した。
このハルバードのように変わらず、そして状況に合わせた忠誠を
セレーネに誓うようにとの思いを込めてである。
ウィズに全権を渡すには少々早いと周囲から思われそうな気もし
たが⋮⋮まあ、レイミアが妻として公私に渡って補佐するならば問
題はないだろう。
一月
レーヴォル暦三年、春の一の月。
ベノマー河以西における南部同盟の殲滅を完了。
各都市国家を治めていた南部同盟の有力者が、それぞれの都市か
ら撤退する際に街に火を点ける、井戸に毒を流し込むなどの破壊活
動をした上で逃走したり、自決したりしてくれた関係で、後処理や
復旧の面で中々に手を焼かされた。
その代わり、生き残った住民を西部連合に取り込むのは容易だっ
たが。
二月
レーヴォル暦三年、春の二の月。
マダレム・サクミナミの南にある港付きの都市国家、マダレム・
シニドノの占領を完了。
これで海に逃げると言う手や、船による大量の物資の運搬などは
出来なくなった。
1354
また、この都市は名義上リッシブルーが治めていた都市であり、
リッシブルーの造った組織もあったので、そこから過去の工作につ
いて諸々の資料も発見された。
当然偽情報も大いに含まれている筈なので、使えるかと言われれ
ば微妙なのだが。
また、同じ月に、東部連盟も以前南部同盟に奪われた二つの都市
国家を包囲し、マダレム・サクミナミとの繋がりを断った。
これで南部同盟⋮⋮ノムンは追い詰められる事となった。
−−−−−−−−−−−−−−
﹁さて、それじゃあ、私も仕掛けましょうかね﹂
﹁護衛はアタシとシエルんに任せておいて﹂
﹁貴様は奴を仕留める事だけに集中するといい﹂
﹁ええ、頑張らせてもらうわ﹂
そうして西部連合と東部連盟は進軍と戦いの準備を進めるために、
五月
南部同盟は残された戦力を掻き集めて使い物になるように調練して
いる最中であるレーヴォル暦三年、夏の二の月の十五日。
ヒンドランス
私はマダレム・シーヤの一角、地肌を露出しているその場所で、
周囲をトーコとシェルナーシュの二人に守らせ、﹃妖魔の剣﹄を目
の前の地面に突き刺した上で、地面に直接座っていた。
何をするのか?
ゴーレム
勿論敵に被害を与えるのだ。
クロウ
﹁忠実なる烏﹂
私は地脈を介してマダレム・サクミナミ周辺の地面に仕込んだ魔
石に干渉し、忠実なる烏の魔法を発動。
1355
普段使っているものとは大きく異なる姿を有する烏人形を複数作
り出すと、ゆっくりとマダレム・サクミナミの上に向けて飛ばす。
﹁⋮⋮﹂
今のマダレム・サクミナミは私の使役魔法対策として、非常に限
られた範囲にしか土が存在せず、その範囲外に土が在った場合には
即座に警戒態勢が取られるような状態になっている。
また、空に向けての警戒も厳重で、普通の烏人形で声が聞こえる
ようにと低空を飛べば、矢や魔法が容赦なく飛んでくるようになっ
ているし、一度だけだが魔力を浴びせられてそのまま使役魔法を解
除された事もある。
﹁見つけた﹂
だが穴が無いわけではない。
そもそも私はノムン、ゲルディアン、リッシブルーの三人をセレ
ーネを王として見定める以前⋮⋮複数の候補を秘密裏に育てていた
頃から、いずれ南部同盟を滅ぼす際にはこの三人が障害になると見
定め、調べられるだけ調べていた。
性格、戦闘能力、身長、体重、趣味に交友関係、食べ物の好き嫌
いに至るまでだ。
だがそれでも監視の漏れや単純な手数の足りなさから、幾つもの
策を仕掛けられ、被害を受けた事があるし、まだ見ぬ切り札のよう
なものを備えている可能性だってあるだろう。
それでもだ。
一方的とはいえ、十年以上観察し続けたのだから、リッシブルー
が最近になって用意した自身の影武者と本人を見分けることは容易
かった。
﹁一番、降下開始﹂
そう、今日の私の目的は単純明快。
1356
リッシブルーを暗殺する。
ただそれだけである。
﹁⋮⋮﹂
特別製の烏人形が内部に仕込まれた魔石によって体内にある液体
をとある別の液体に変換しつつ、剣のように鋭い嘴を先端としてま
るで落下するように夜の空を勢いよく降下していく。
狙いはリッシブルーの頭頂部。
そうしてリッシブルーの直ぐ上にまで烏人形が迫った時だった。
﹃っつ!?﹄
﹁ちいっ!﹂
偶然か、それとも超人的な勘によるものか、はたまた未知の魔法
によるものか、リッシブルーは烏人形の嘴がその身に触れる直前に、
烏人形の存在に気づき、身を僅かに逸らす事によって、私が放った
最初の一撃を回避した。
﹃⋮⋮﹄
そして一瞬の交錯、その際に見えたリッシブルーの目は、驚きは
していても狼狽はしておらず、下手人が何者であるかを正確に理解
していた。
﹁⋮⋮﹂
だが私にとっても、リッシブルーが攻撃を避ける事は想定の範囲
内だった。
これで決まる可能性は高いが、決まらない可能性も十分にあると。
﹁変形!﹂
﹃ちいっ!﹄
故に私とリッシブルーは同時に動き出した。
1357
第246話﹁リッシブルー−1﹂︵後書き︶
遂にやるよ!
1358
第247話﹁リッシブルー−2﹂
﹃っつ﹄
リッシブルーは私の攻撃を避けた勢いを生かす形でその場から飛
び退こうとしていた。
﹁逃がすか﹂
だがそれを読んでいた私は他の烏人形を降下させつつ、最初に降
下させた烏人形を蛇の形に変形させ、リッシブルーの周囲を瞬時に
取り囲むと、リッシブルーを絞め殺すべく勢いよく輪を縮めていく。
カット
﹃切断﹄
﹁やっぱりか﹂
しかし、輪が縮まるよりも早くリッシブルーは身体の何処かに隠
していた魔石によって何かしらの魔法を発動。
リッシブルーの全身から勢いよく風のようなものが放たれると同
時に、リッシブルーを絞め殺そうとしていた土の蛇が切り裂かれ、
内包していた金色の液体を周囲に散らしながら飛び散っていく。
﹁でもね⋮⋮﹂
恐らくこの魔法の用途は敵に拘束された際に、自身を拘束してい
る敵や縄を切り裂き、排除する事。
諜報を司るリッシブルーなら持っていて当然とも言える魔法だ。
そう、持っていて当然の魔法なのだ。
﹃っつ!?﹄
﹁予想済みよ!﹂
その場から飛び退こうとしたリッシブルーの動きが鈍り、一瞬だ
1359
が止まる。
当然だ。
アトラクト
ガロウズ
土の蛇が切り裂かれることを予期して、私がその体内に仕込んで
おいた手招く絞首台によって変異した液体の香りを吸ってしまった
のだから。
リッシブルーの精神力、毒への抵抗性、仕込めた手招く絞首台の
魔法の量の関係上、窒息させる効果は望めないが、今の私には一瞬
動きが止められればそれで十分。
﹃ぐっ!?﹄
ブラウニー
ポイズン
二体目の特別製烏人形がリッシブルーの左肩から左胸に向けて嘴
を突き通す。
そして体内に仕込まれた魔石によって生成した焼き菓子の毒をリ
ッシブルーの体内に流し込む。
心臓を破壊し、私特製の毒を流し込んだのだから、普通ならばこ
れで全てが終わるはずである。
﹁⋮⋮﹂
﹃⋮⋮﹄
だが、ヒトを⋮⋮それもリッシブルーと言う男を相手にするので
あれば、ここで油断してはならない。
終わったと思ってはならない。
﹃う⋮⋮﹄
﹁⋮⋮﹂
そして私の懸念は的中した。
﹃うおおおおぉぉぉぉ!!﹄
リッシブルーの全身から大量の魔力が湧き上がり、心の臓を貫か
れ、毒を流し込まれて死に向かうだけになったはずの身体を動かし
1360
始める。
そう、リッシブルーは今この時、死の瀬戸際に至って、後天的英
雄として目覚めたのだ。
そしてリッシブルーが後天的英雄として目覚めたが故に⋮⋮
﹁ニイッ﹂
私は笑った。
これ以上リッシブルーが急激に成長する可能性が無くなったのだ
から。
﹃!?﹄
三体目の特別製烏人形がリッシブルーの首に降下の勢いそのまま
で突き刺さり、刃となっている嘴を開くと同時に回転することによ
ってリッシブルーの首を刎ね飛ばす。
そして刎ね飛ばされたリッシブルーの首は、四体目の特別製烏人
形が空中で捉え、そのまま体内に収納。
イグニッション
そのまま空中で反転し、マダレム・サクミナミの郊外に向けて一
気に離脱を開始する。
と同時に三体目の烏人形が体内に仕込まれた魔石で着火の魔法を
発動して、リッシブルーの胴体に火を点ける。
﹁ちっ、ゲルディアンの奴﹂
そうしてリッシブルーの身体が勢いよく燃え始めたのを確認し、
周囲の人々が一瞬の間に行われた攻防に騒ぎ始めた所で私は二体目、
三体目の烏人形も退かせようとする。
だが飛び立つ前に私の視界に目に見えるほどに動揺したノムンと、
こちらに向けて手を伸ばすゲルディアンの姿が見え⋮⋮大量の魔力
を浴びせかけられたことによって二体の烏人形は破壊された。
﹁まあいいわ。最低限の目的は達成した﹂
1361
スネーク
ゴーレム
私は四体目をマダレム・サクミナミの郊外、森の中に降ろすと、
そこに予め用意しておいた忠実なる蛇の中へとリッシブルーの首を
移す。
当然だが既に呼吸は無いし、瞳孔も開いている。
夜風で冷やされて体温も外気と変わらないようになっている。
瞼一つ、舌一つ動かす事もない。
だが念には念を。
ブラックラップ
﹁処置開始﹂
私は黒帯の魔法を細く、糸状にした物によってリッシブルーの頭
を瞼一つ、舌一つ動かせないように縫い付け、拘束し、土の蛇の中
に造った空洞に浮かべると、その周囲を焼き菓子の毒、手招く絞首
台を含む十二種類の魔法によって生成した毒と、私の牙から採取し
た毒を混合した特別性の溶液で満たした上で、地脈に向かって沈降
を開始。
﹁鉄、銅、よく分からない諸々⋮⋮よし、十分あるわね﹂
そうして地脈から魔法の維持に必要な分だけの魔力が流れ込むよ
うに調整した上で、土の蛇の周囲に地中に含まれる金属を集めて結
合させ、金属球を作り出す。
﹁よし、処置完了﹂
これで万が一の事態⋮⋮リッシブルーが得た後天的英雄の魔法が
強力な再生魔法であっても、復活するような事態は起こりえないだ
ろう。
私の措置は誰かに知られたら、少々過剰と思われるかもしれない
が⋮⋮どんな力を得たか分からない英雄を相手にするのであれば、
これぐらいが妥当な所だろう。
﹁ソフィアん終ったの?﹂
1362
﹁リッシブルー本人はね﹂
﹁本人は?﹂
﹁あの男が自分の急死に対策を取っていないなんて有り得ないわ。
つまりまだ残ってるのよ﹂
私は一度意識を自分の身体に戻し、呼吸と集中を改めると、再び
地脈を介して遠隔地で忠実なる烏の魔法を発動させる。
だが今度は一ヶ所ではない。
ヘニトグロ地方の複数地点で同時にだ。
カーニバル
﹁さあ、後始末よ﹂
私は目標に向けて烏人形を動かし始める。
1363
第247話﹁リッシブルー−2﹂︵後書き︶
ちなみにリッシブルーは右心臓だったりします
1364
第248話﹁リッシブルー−3﹂
﹃ひ、人食い烏だあぁぁ!﹄
まず初めにリッシブルーと頻繁に連絡を取り合っていた、リッシ
ブルーの腹心とでも呼ぶべきヒトに対して烏人形で直接的に攻撃を
仕掛け、心臓と頭を破壊することで確実に始末した。
﹃火事だぁ!﹄
﹃とんでもない勢いで燃えているぞ!﹄
イグニッション
次に、リッシブルーやその手下たち、組織が利用していた施設や
拠点に烏人形を向け、内包していた着火の魔石で火を点け、焼き払
う。
﹃物取りだああぁぁ!﹄
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
﹃物取りだと!?踏み込め!逃がすな!﹄
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
そして彼らが利用していた施設が石で出来ているなどして燃やせ
ない場合には、烏人形に現地で騒がせ、善良な兵士や衛視たちを踏
み込ませることで処分させる。
﹃﹃﹃ブヒヒヒッ!﹄﹄﹄
﹃﹃﹃ギギャギャギャ!﹄﹄﹄
﹃﹃﹃コキャーケケケッ!﹄﹄﹄
﹃﹃﹃よ、妖魔だああぁぁ!?﹄﹄﹄
彼らの施設が人気のない場所に在るならば、周囲の妖魔を呼び寄
せ、一方的な蹂躙劇を繰り広げてもらう。
1365
﹁うーん、いい感じね﹂
私の攻撃によって、ヘニトグロ地方中にリッシブルーが仕込んで
いた仕掛けが潰され、リッシブルー及び彼の部下や組織が存在して
いる事を前提とした南部同盟の計画には大きな狂いが生じていく。
計画を立て終わり、少しずつ実行に移し始めていたこの時期に。
新たな計画を立てて実行しようにも、中途半端な時間しか残され
ていないこの時期に。
十年近くかけて調べ上げた私の一撃が最も入って欲しくないタイ
ミングで入ったのだ。
﹁愉快痛快ね﹂
勿論、リッシブルーの事だ。
私に把握させなかった組織や計画が存在している可能性もあるだ
ろう。
が、そちらについては先日私がセレーネに渡した防衛方法につい
て記した書類を参考にして、守る事に専念して貰えれば、致命的な
被害が出る事は無いだろう。
強力な策で有れば有るほど、露見しやすくなるのだから。
﹁ソフィアんソフィアん﹂
﹁ん?どうしたの?トーコ﹂
﹁あそこ、燃えてるけどいいの?﹂
と、ここで私はトーコが指さした方を見る。
すると、そちらの方角の空が炎によって赤く染まっていた。
ああうん、この方角なら問題はない。
﹁大丈夫よ。火を点けたのは私の部下で、燃えているのは裏切り者
だから﹂
﹁部下?ああ、そう言う事か﹂
﹁そう言えば泊まってるとか言ってたねー﹂
1366
そこに居るのはセレーネに害を為そうとする者たちと、私から情
報を聞いて、自らの手で彼らに復讐の刃を突き刺すことを決めた少
スネーク
ゴーレム
女⋮⋮ペリドットが居るだけなのだから。
﹁ペリドット。状況はどう?﹂
私はペリドットに着けている忠実なる蛇の口でペリドットに話し
かけると共に、ペリドット周囲の状況を確認する。
﹃今最後の一人を片付けるところよ。土蛇﹄
ヒドゥン
ペリドットはフードを目深に被って顔を隠し、右手に血で真っ赤
に染まった﹃存在しない剣﹄を握っていた。
そしてペリドットの周囲では木の柱や天井が炎で赤く染め上げら
れ、床には碌な抵抗も出来ないまま⋮⋮いや、自らが殺された事に
も気づかないまま死んだであろうマダレム・バヘンの兵士たちの死
体が幾つも転がっていた。
﹁最後の一人⋮⋮最も愚かなヒトね﹂
﹃ええそうよ﹄
﹃ヒッ、ヒイッ!?﹄
そんなペリドットの前で一人の男が腰を抜かし、無様な姿を晒し
ていた。
﹃た、助けてくれ。か、金なら幾らでもや⋮⋮ヒギィ!?﹄
男の手にペリドットの魔力によって強化されたナイフが突き刺さ
り、男の身体を床に縫いとめる。
﹃金?あの馬鹿どもに食料を売った金?それとも私の家から奪った
金?それともリッシブルーから裏切りの代金として貰った金?いず
れにしても目にも入れたくない代物ね﹄
ペリドットがフードを脱ぎ、その顔を男に見せる。
1367
するとそれだけで男は言葉を失い、目と口を大きく見開くだけに
なってしまう。
﹃気付いた?ええそうよ。私はマダレム・バヘン第二中隊中隊長だ
ったオリビンの娘、ペリドット﹄
ペリドットがゆっくりと一歩ずつ男に近づいていく。
この男は、南部連合に踊らされた東部連盟がフロウライトに攻め
込んできた際、攻め込んできた面々に裏で便宜を図ると同時に、フ
ロウライト襲撃の成否を問わず、マダレム・バヘンのその後の為と
言ってオリビンさんをフロウライト襲撃に参加させた男である。
ただまあ、此処までならまだマダレム・バヘンの利益の為だと言
い訳する事も出来た。
問題はその後だ。
﹃貴方の発言のせいで死地に赴かざるを得なくなった父と、貴方が
手引きした盗賊によって母を殺された娘﹄
この男はオリビンさんの家を襲撃し、ペリドットの母親を殺した
強盗と、ペリドットが売られた奴隷商とも繋がっていたのだ。
それも彼らの活動を見逃すだけでなく、金品と引き換えに襲撃や
誘拐の手引きをするほどの深さで。
﹃そして、マダレム・シーヤにリッシブルーの手先を招き入れよう
とする裏切り者を殺す英雄よ﹄
﹃ま、待て!父親の仇と言うのなら、あの男⋮⋮ソフィール・グロ
ディウスでは⋮⋮﹄
そしてこの男は救い難い事に、マダレム・シーヤでも同じような
事を⋮⋮いや、更に愚かな事をしようとしていた。
金品と引き換えに、リッシブルーの手下を都市内部に引き込もう
としていたのだから。
1368
﹃口を開くな。汚らわしい﹄
﹃!?﹄
故に今日、ペリドットにより喉を即死しない程度に切り裂かれ、
ゆっくり血を失っていくと言う形で処分された。
﹁ペリドット﹂
﹃分かっているから安心して﹄
ペリドットは再びフードを目深に被ると、燃え上がる屋敷から誰
にも気づかれる事無く脱出した。
こうして、リッシブルーの暗殺と、それに伴う周辺の処理と言う
ヘニトグロ地方中を巻き込んだ一夜の祭りは終わりを告げたのだっ
た。
なお、余談ではあるが、ペリドットが殺した男が引き込もうとし
ていたリッシブルーの手先。
実はリッシブルーの手先と言っても末端の末端で、多少の人的被
害と、西部連合と東部連盟の間に不和をもたらす以上の成果は望め
ないような人材だった。
どうやら金品で動くこの男の事をリッシブルーは使い捨ての駒と
すら思っておらず、信用する価値もないと判じ、殆ど悪戯用のつま
らない玩具程度にしか思っていなかったらしい。
まあ、私も妥当な判断だと思う。
それでもペリドットの気を晴らすのに使えたのだから、私にとっ
ては有用な駒だったが。
1369
第248話﹁リッシブルー−3﹂︵後書き︶
徹底的にやりました
10/11誤字訂正
1370
第249話﹁リッシブルー−4﹂
﹁お帰りなさい。ペリドット﹂
私は火事現場から誰にも見咎められることなく無事に帰ってきた
ペリドットを出迎える。
﹁仇を討った気分はどう?って、聞くまでもないか﹂
﹁そうね。父親の仇に母親の仇を討った気分はどうかと聞かれても、
何の皮肉だとしか思えないわ﹂
﹁仰る通りで﹂
ペリドットの表情は優れない。
まあ、どんな理由が有ろうとも、真っ当なヒトが同じヒトを殺し
たのだ。
悪い方面の感情を一切感じない方がおかしい。
特に今回は誰かの命令と言うわけでは無く、殆ど私怨のようなも
ので、しかもその感想をもう一人の仇である私に聞かれたのだから、
ペリドットの表情も妥当な物だろう。
﹁で、そっちの首尾はどうなのよ。土蛇﹂
﹁最低限の目標は達成したわ。と言うより、そうでなければこんな
所には居ないわよ﹂
﹁ま、そうよね﹂
私とペリドットは二人並んで自分の部屋へと戻っていく。
なお、トーコとシェルナーシュの二人は既に自室に戻っており、
ペリドットが火を点けた屋敷もマダレム・シーヤの火消を専門とす
る面々によって消火されている。
これ以上騒ぎが広がる事もないだろう。
1371
﹁⋮⋮﹂
﹁何か聞きたそうね﹂
部屋の中に入って椅子に腰かけた所で、私はペリドットが何かを
聞きたそうにしているのを見て、質問が無いかと促してみる。
﹁土蛇。アンタの目的⋮⋮陛下と協力して国を建てた後の方の目的
について、陛下は知っているの?﹂
﹁明確に目的を話した事はないわね。けれどヒントを出した事が有
るし、察してはいるはずよ。で、それがどうしたの?﹂
ペリドットがしてきた質問は何故今と疑問に思うような質問だっ
た。
が、特に隠す事でもないので、私は素直に話す。
﹁ふうん、つまり陛下はアンタの目的を理解した上で、アンタを利
用しているわけね﹂
﹁私もセレーネの事を利用しているんだからおあいこよ﹂
﹁そうね。アンタが妖魔の域を越えた化け物なら、陛下はそんな化
け物すら利用し尽くそうと考えている狂人。そう言う意味ではお似
合いだわ﹂
﹁それ、私以外に聞かれたら不敬罪待ったなしよ﹂
﹁アンタ以外は聞いていないんだから問題なしよ﹂
するとペリドットの口からとんでもない台詞が出てきた。
幸いと言うか、闇夜に隠れて帰ってくるペリドットの為に事前に
そうしていたのだが、私の部屋の周囲のヒトが居なくてよかった。
今の言葉は流石に言い訳が利かない。
﹁それにしてもペリドット。私は貴女に私の目的について話した覚
えはないのだけれど、一体どこで情報を得たの?﹂
﹁アンタの言葉の端々とか、態度とかからよ。後は女の勘ね﹂
﹁はぁ?﹂
1372
で、話題を変えるべく話を変えてみたのだけれど⋮⋮女の勘って
⋮⋮勘で相手の考えを察するのはあまり良い傾向とは思えないのだ
けれど⋮⋮。
うーん、英雄の勘だと適当だと茶化したり、的外れだと油断した
りはできないしなぁ⋮⋮。
﹁疑ってるわね﹂
﹁勘だなんて言われたら疑いたくもなるわよ﹂
と、どうやら顔に出ていたらしい。
ペリドットに指摘されてしまう。
﹁言っておくけど、私の勘は外れていないと思うわよ。だってアン
タの目的ってのは⋮⋮﹂
﹁!?﹂
私の耳元にペリドットが顔を近づけ、小声で私の目的が何かを囁
く。
そして、ペリドットが囁いた内容は⋮⋮正に私の目的そのものだ
った。
﹁はぁ⋮⋮。まさか、ペリドットにばれているとはね﹂
﹁女の勘を舐めないで頂戴﹂
うん、まさかまだ半年ちょっとしか付き合いが無いペリドットに
私の目的がここまで正確にばれているとは思わなかった。
やはり英雄の⋮⋮ああいや、女の勘は侮れないらしい。
﹁さて、土蛇。今日私は自分の母の仇を討つ為にあの男を殺した。
けれどアンタにとってもあの男は邪魔な存在だったから、私に殺さ
せた。そうよね﹂
﹁ええそうよ﹂
私は多少気だるげな様子を見せつつ、膝の上に座っているペリド
1373
ットに受け答えをしていく。
﹁私は一応は父の仇であるアンタを許す気はない。これは私が英雄
であり、アンタが妖魔である限り、絶対に変わらない部分よ。けれ
ど事実として私ではアンタには勝てない﹂
﹁そうかしら?﹂
﹁そうよ﹂
やり方次第ではペリドットでも私に勝てる気もするが⋮⋮まあ、
自分の首を明確に絞めるような真似をする意味はないので、言わな
いでおこう。
﹁だから、私はアンタの本当の目的を達する邪魔をする事で、父の
仇を討たせてもらう﹂
﹁邪魔ねぇ⋮⋮実際に事を起こすのはだいぶ先の話よ﹂
で、ペリドットは邪魔をすると言ってきたが⋮⋮一体何をするつ
もりだろうか?
そもそも少し前の話と話が繋がっていない気もするのだけれど⋮
⋮。
そう、私が思っていた時だった。
﹁ソフィア。私は今日の仕事の対価として、アンタの目的を暴いた
褒美として、ついでに今日までの各種雑事の報酬として、⋮⋮を要
求するわ﹂
ペリドットが私にとって想定外としか言いようのない報酬を要求
してきたのは。
﹁⋮⋮。本気?﹂
﹁勿論本気よ。これがアンタの目的を一番邪魔できる。アンタにし
ても、都合はいいんじゃない?﹂
﹁まあ、確かに私にとっても都合は良いけれど⋮⋮﹂
1374
確かに私にとっても不都合はない。
不都合はないが⋮⋮少々考えなければいけない内容ではあった。
﹁けれどそうね。報酬の支払いはノムンを倒してから。それと細か
い条件を色々と付けさせてもらうわよ﹂
﹁別にそれで私は構わないわ﹂
ペリドットは私の提案を即座に受け入れる。
そしてその時に浮かべた笑顔は、ペリドットの歳にそぐわない妖
艶さを感じさせるものだった。
1375
第250話﹁決戦−1﹂
八月
レーヴォル暦三年、秋の二の月。
セレーネ率いる西部連合の主力軍は、マダレム・シーヤからノム
ンが待つマダレム・サクミナミに向けて進軍を開始する。
既にマダレム・サクミナミ以外の都市はノムンからの離反を表明
し、その表明通りに行動もしているため、東西南北全ての方角から
それぞれの方角にあった都市を攻略していた軍は、道中一切の支障
も無くマダレム・サクミナミ近くまで進軍。
そこで各個撃破されるのを防ぐべく、セレーネの率いる主力軍と
合流した。
﹁⋮⋮﹂
﹁どうされました?父上﹂
こちらの戦力は合計で五万近い。
また、リベリオ、ルズナーシュの二人を初めとした個人レベルで
高い実力を持つ者、セレーネやウィズのように戦略面で高い能力を
持つ者も十分に揃っている。
加えて、装備、士気、食料、情報、いずれの面においても十分な
物を用意してある。
﹁んー⋮⋮﹂
﹁父上?﹂
対するノムンたち南部同盟の兵力はどれほど多く見積もっても一
万程度だが、実際には数多くの脱走兵を出し、食料も心細く、装備
はともかく士気はこれでもかと言うぐらいに下がっている。
勿論、七天将軍一の座ゲルディアン、三の座マルデヤ、四の座ク
ニタタナ、五の座イレンチュ、そして王であるノムンと、高い能力
1376
クロウ
ゴーレム
を持った面々も残ってはいるが⋮⋮この数の差を覆せるほどではな
い。
そもそもとして、今も忠実なる烏の魔法によって、ゲルディアン
の魔力も届かない高空から昼夜問わずに監視を続けているのだから、
大規模な奇襲、奇策の類はどうあっても出来ないようになっている。
﹁何か引っかかるのよねぇ⋮⋮﹂
﹁引っかかる?﹂
つまり、真正面から戦うのであれば、南部同盟側がどれほどの小
細工を弄したところでどうしようもない程に戦力差は開いているの
だ。
だがしかし。
﹁ええ、何かが引っかかるのよ。何と言うか⋮⋮そう、何か大切な
事を忘れているんじゃないかと﹂
﹁忘れている⋮⋮ですか。父上に限って何か大切な事を忘れるとは
思えませんが﹂
﹁勘違いじゃないか?ゲルディアンは策を弄するタイプじゃないし、
残りの三人もそうだ。ノムンなら策は考えられるだろうが⋮⋮あの
烏の目を盗んで何か出来るとは私には思えない﹂
何か言いようのない不安が私の中では渦巻いていた。
ウィズとレイミアは大丈夫だ、勘違いだと言うが⋮⋮私にはとて
も気のせいには思えなかった。
﹁んー⋮⋮﹂
私は烏人形の視界で、改めてマダレム・サクミナミの様子を確認
する。
私の魔法を警戒してだろう、建物の外には殆どヒトの姿が無い。
行き交う人々の姿すらないのは、ノムンの命令によって建物の壁
を壊し、建物同士を繋げてしまったからだ。
1377
ゲルディアンによる警戒も厳しいため、烏人形はこれ以上近づく
事が出来ず、今のマダレム・サクミナミの内部状況は殆ど知ること
が出来なくなってしまっている。
﹁やっぱり気のせい⋮⋮﹂
内部状況を知れない事に対する不安。
私は自分の中で渦巻いている不安をそう決めつけようとした。
﹁っつ!?﹂
﹁父上?﹂
﹁どうした?ソフィール﹂
だがその時だった。
私は信じられないものを見ることになる。
そしてそれを見た時、私は自分の中にある不安と、自らの失策を
悟った。
﹁陛下の元に行ってくるわ!此処は任せたわ!﹂
私は乗っていた馬に鞭を打つと、ウィズの返事を聞く事すら待た
ずにセレーネの元に向けて馬を走らせ始める。
﹁ソフィールさん?どうされました?﹂
﹁バトラコイ!至急陛下にお伝えしなければならない事が有ります
!面会を!﹂
﹁っつ!?は、はい!!﹂
そうしてしばらく馬を走らせた私は、親衛隊長であるバトラコイ
に頼んで、セレーネに会わせてもらう。
ありがたい事にバトラコイも私の様子に緊急事態である事を悟っ
てくれたのだろう。
セレーネはリベリオを従えた状態で、他の将軍と話している最中
だったが、直ぐにセレーネの前にまで私を連れて来てくれた。
1378
﹁どうしました?ソフィール﹂
﹁陛下にマダレム・サクミナミで起きている事態について至急報告
する事が有ります﹂
﹁⋮⋮。聞きましょう﹂
セレーネも私の様子と言葉にただならぬものを感じたのか、直ぐ
に聞く体勢を整えてくれる。
﹁陛下、先に言っておきます。私がこれから話すのは、どれほど信
じられぬ内容であっても全て事実です﹂
﹁⋮⋮。分かりました﹂
そして、続けて発した言葉に場の緊張感が一気に増す。
当然だ、私がわざわざ事実であると前置きしなければならなかっ
た話など、セレーネにとっては片手で数えられるぐらいの回数しか
ないのだから。
だが、そんな前置きが必要になるほど私の見たものは有り得ない
ものだった。
﹁単刀直入に言います。マダレム・サクミナミ周囲の地面から、大
量の兵が生えて来ています﹂
﹁兵が⋮⋮生えてくる?﹂
﹁そうとしか称しようもありませんでした﹂
私が見たのは、マダレム・サクミナミ周囲の地面から南部同盟の
装備一式を身に付けた兵士たちが無数に⋮⋮それこそ何千何万のひ
とがたが、ゆっくりと生気を感じられない動きで地面の中から這い
出してくる姿だった。
﹁数は⋮⋮どれほどですか?﹂
﹁正確な数は分かりません。ですが⋮⋮十万は確実に超えているも
のと思われます﹂
1379
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私とセレーネの周囲に居た将軍の大半に動揺が走る。
﹁リベリオ、至急全軍に向けて伝令を。今日はここで野営を行い、
各軍の将軍は私の元に集まるようにと﹂
﹁分かりました﹂
対するセレーネは表面上は落ち着いた様子で指示を出し、伝令を
走らせる。
﹁ソフィールさん。ヒトが集まるまでの間に、一度詳しい話をお願
いします﹂
﹁かしこまりました。陛下﹂
そして私はセレーネに私が見たものの詳細を話し始めた。
そう、私は忘れていたのだ。
ノムンはただのヒトではなく、あのシチータの血を引き、シチー
タに戦いと策謀の才だけは有ると言わせたヒトである事を。
1380
第251話﹁決戦−2﹂︵前書き︶
今回の話には、人によっては不快に思われる描写が存在しますので、
拙いと思われた方はブラウザバック推奨です。
1381
第251話﹁決戦−2﹂
﹁以上が斥候からの報告となります﹂
夜、多数の兵を取りまとめる存在である将軍たちが集められた天
幕の中には、重苦しい空気が流れていた。
﹁敵の数は十二万⋮⋮か﹂
﹁ソフィール殿の言うとおり、地面から生えてきたのでもなければ、
有り得ん数字だな⋮⋮﹂
﹁しかも武器だけ持たせた半分数合わせのような兵士ではなく、き
ちんと防具まで装備した兵士とはな⋮⋮﹂
﹁人型に盛った土に武器や防具をつけただけのものではないか?そ
れならば⋮⋮ああいや、それでも十二万の武器と防具を敵は揃えて
いる事になるのか。すまない、今の発言は忘れてくれ﹂
だが彼らの反応も当然のものだろう。
一万にも満たないと聞いていた敵の数が、突然十倍以上に膨れ上
がったのだから。
恐慌状態に陥って、逃げ出したり、暴走したりしない分だけ彼ら
はむしろ勇敢さと冷静さを併せ持ったヒトと言えるだろう。
﹁ソフィール。貴方の持っている情報を出してもらっても良いです
か?﹂
﹁分かりました﹂
ゴーレム
そんな彼らの為にも、私から出せる情報は出させてもらおう。
少々恣意的にだが。
クロウ
﹁皆様、私の忠実なる烏の魔法は知っていますね﹂
私は烏人形を手元に出し、天幕の中に居る面々に見せる。
1382
西や南で戦っていた面々は、この烏人形から時折助言を貰ってい
たので、当然知っている。
東で戦っていた東部連盟のヒトも私が土で出来た鳥を操り、情報
収集を行っていた事ぐらいは知っているはずなので、将軍の地位に
就くほどのヒトならば知っていて当然の筈である。
そして私の考えを裏付けるように、天幕の中に居る面々は揃って
頷いてくれる。
﹁私は皆様が集まるまでの間に、この魔法で南部同盟の兵の様子を
窺うと共に、少しちょっかいを仕掛けてみました。その結果から分
かった事を報告させていただきます﹂
さて、ここからが本題である。
﹁まず第一として、敵は明確に実態を有しており、子細に様子を確
認するべく近づいた私の烏人形に対して手に持った得物で攻撃を試
みてきました。つまり、ただの張りぼてではありません﹂
﹁むう⋮⋮﹂
私の発した悪い情報に、そこら中から溜め息のようなものが聞こ
えてくる。
﹁一方で、矢が外れた後の事を考えずに弓矢を射かける。上の人物
に報告したり、手で捕まえようとするといった普通なら取るはずの
他の行動をしなかったりと、行動の柔軟性に欠ける様子も見られま
した﹂
﹁ほう⋮⋮﹂
が、その空気は柔軟性に欠ける⋮⋮つまり目の前の状況に対して
決まった対応をすることしか出来ないという報告で若干明るくなる。
﹁そして⋮⋮俄かには信じがたいかもしれませんが、彼らの中には
同じ顔をしたヒトが何人も⋮⋮いえ、何十人も居ました。それも一
1383
組ではなく、何十組とです﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
そして、私の有り得ないとしか言いようのない報告に、事前に私
の報告を聞いていたセレーネとリベリオ、それとこの手の話に慣れ
ているであろうリリア、ウィズ、レイミアと言った一部の面々を除
き、ほぼ全員が両目を大きく見開き、この上ない程の驚きを露わに
した。
﹁そんな馬鹿な事があって堪るか!﹂
﹁そうだ!二人や三人程度ならば双子や三つ子と言う事で有り得る
が、何十人も同じ顔のヒトが居るはずがない!﹂
﹁ソフィール殿、敵の数があまりにも多すぎて、目がおかしくなら
れたのではないですか!?﹂
当然のように私に対する批判が噴出する。
当たり前だ。
私だって自分の目で見なければ、こんなふざけた話は信じない。
﹁落ち着きなさい。まだソフィールの話は終わっていません。ソフ
ィール﹂
﹁はい﹂
だが事実である。
そして、どのようにすればこんな事が出来るのかの見当も私には
付いていた。
ただその事実をありのままに伝えるのは、主に士気に対するマイ
ナスの影響が大き過ぎた。
だから少し情報を曲げて伝える。
レプリカ
﹁これらの情報から考えるに、敵は複製とでも称すべき魔法を用い
たのではないかと思われます﹂
﹁複製?﹂
1384
﹁そうです。対象を多少⋮⋮恐らくは思考能力の引き換えと共に、
リプロダクション
装備含めて複製し、増殖させる魔法。そのような魔法を使ったと考
レプリカ
えられます﹂
実際には複製ではなく、株分けと言った方が正しいだろう。
彼らの身体には土と魔法で作られた部分とヒトのままの部分が、
熱でも見れる私の目でなければ分からないようにではあるが、確か
に存在していたのだから。
そして、同じ顔の兵士のヒトの部分、これらを組み合わせると元
になったであろう兵士の姿が浮かび上がってくるのだ。
株分けの際に欠損したであろう部分を僅かに存在させる形で。
﹁だが一体誰がそんな魔法を﹂
﹁そうだ。もはや英雄の域すらも超えてしまっている﹂
﹁こんな魔法を使えるヒトなど⋮⋮﹂
﹁ノムンしか居ないだろうね﹂
天幕の中がざわめき立つ中、小さく、けれどはっきりと聞こえた
リリアの言葉に、騒ぎ立っていた将軍たちの動きが止まる。
﹁ノムンは英雄王シチータの息子。それなら、アタシらに追い詰め
られたこの状況を打開するべく、後天的な英雄として目覚めても何
らおかしくはない。その力が普通の英雄の枠を大きく飛び出ている
点もだ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
リリアの視線は目覚めた理由は実際には違うだろうと言っている
様に見えた。
そして事実として、ノムンが目覚めた理由は追い詰められたから
ではないだろう。
ノムンが後天的英雄として目覚めたのは⋮⋮私と言う妖魔によっ
て、リッシブルーが殺害された瞬間を見たからだ。
1385
﹁そうですね。ノムンがこの魔法の術者であるというのは、私とソ
フィールでも共通した見解です。そして問題は誰が術者であるかで
はなく、どうやって複製兵を倒すかです﹂
つまり、ノムンが英雄として目覚めてしまったのは、他ならぬ私
の失策故のものである。
﹁さあ、考えましょう。ヒトの域を超えた魔法に手を出してしまっ
た許されざる王をどう討ち滅ぼすかを﹂
だから私は考え、提示しなければならない。
この状況を打開する方法を。
持てる力のすべてでもって。
1386
第251話﹁決戦−2﹂︵後書き︶
10/13誤字訂正
1387
第252話﹁決戦−3﹂
﹁では、今日は解散としましょう﹂
セレーネの言葉と共に軍議が終わり、将軍たちは一人また一人と
自分が率いる軍へと帰っていく。
﹁さて⋮⋮﹂
やがて私、セレーネ、リベリオの三人だけが天幕の中に残ったと
ころで、セレーネが私の方へと向き直る。
今日の軍議で決めたのは、ノムンが株分けの魔法によって生み出
した兵士⋮⋮通称、複製兵にどう対応するか。
まず数においてはこちらが劣勢であるのは明確な事実なので、相
手が数の利を生かせないように立ち回る事、つまりは敵を囲み、一
度に戦える兵の数を限らせることによって、数の差を埋める方法が
取られることになった。
そして、いざ戦闘が始まった際に狙うのは複製兵ではなく、その
複製兵に指示を出す普通⋮⋮と言うよりは生身の将兵であることも
決められた。
と言うのも、複製兵は柔軟性に欠け、命令通りにしか動けない。
それこそ目の前の敵を攻撃しろと言われれば、左右の敵を無視し
て目の前の敵を攻撃することしか出来ない程に。
当然それではどれほど数が多くてもノムンには勝ち目がない。
だから、ノムンは必ず現場で複製兵に指示を出すための将兵を用
意している。
それを突かせてもらう。
で、他にも色々と⋮⋮攻城兵器である投石機や、広範囲に効果を
1388
有する魔法を積極的に利用すること、前衛は攻撃よりも守備に重点
を置く事なども決められた。
﹁ノムンとの戦い。勝てると思いますか?ソフィールさん﹂
ただ、これらの情報は私や斥候たちが集めた僅かな情報を基に構
築された策であり、いざ戦場で実際に用いるとなれば、様々な不具
合が生じる事は明らかな策でもあった。
それこそ単純な勝率で言えば⋮⋮
﹁厳しいわね。数の差がとにかく痛いわ﹂
﹁そうですか﹂
かなり低い。
﹁ごめんなさいね。セレーネ。今回の件は完全に私の失策だわ﹂
﹁いえ、ノムンは御爺様にも戦いと策謀の才だけはあると言わせて
いたのですし、遅かれ早かれ追い詰めたらその時点で英雄として覚
醒していたと思います﹂
﹁まあ、俺が英雄として目覚めた状況もある意味似たような状況だ
ったしなぁ⋮⋮むしろ、トドメを刺す瞬間に目覚められて一発逆転。
なんてことにならなかっただけ、今の状況の方がマシかもな﹂
が、どうやら二人には私の事を責める気はないらしい。
まいしん
そのせいで余計に申し訳ない気持ちにもなるけど⋮⋮まあ、こう
なったら考えを改めて、状況の打開に邁進するしかないか。
後、凄く久しぶりにリベリオの砕けた口調を聞いた気がする。
まあ、大半の場面で上司と部下、将軍と文官としてしか付き合い
が無かったから仕方がないけれど。
ま、それはそれとしてだ。
﹁それでソフィールさん。以前貴方が小屋で作っていたという物、
それはこの状況を打開することに繋がりますか?﹂
1389
私たちが考えるべきは、どうやってこの兵力差を覆すかであり、
その為には表に出せない方法でも用いるべきだろう。
そして、私の手札の中には私がやった事を知られるわけにはいか
ないが、この状況で用いれる切り札と言うべきものが幾つか存在し
てはいた。
﹁陛下のご協力が有れば、大いに兵の士気を上げられると同時に、
ヒンドランス
敵兵の排除を行える方法があります。それと他にもいくつかの策が
有ります﹂
ヒューマン
ヒーロー
その一つは私が以前小屋で﹃妖魔の剣﹄と共に作った二本の剣⋮
⋮﹃ヒトの剣﹄と﹃英雄の剣﹄と幾つかの魔法と魔石を組み合わせ
る方法。
本来はセレーネの治世を盤石のものとするために用意したものだ
が、この場で使えなくもない。
他にも⋮⋮まあ、切り札は色々と用意してある。
﹁分かりました。では、貴方が隠し持っている手段の中で、この状
況を打開出来そうなものを話してみてください﹂
﹁分かりました﹂
そうして私は色々とセレーネに話した。
その結果⋮⋮
﹁⋮⋮﹂
﹁予想はしていましたが⋮⋮やはり、これだけの切り札を隠し持っ
ていましたか⋮⋮﹂
﹁いやぁ、陛下が何を思われているかは分かりませんが、対軍用の
切り札についてはたかが知れていますよ﹂
﹁まだあるんだ⋮⋮﹂
﹁個人で軍を相手に出来るだけで十分おかしいですから⋮⋮﹂
セレーネとリベリオ、両方に呆れられる事になった。
1390
なお、今回話したのはあくまでも対軍用の切り札なので、対個人
や逃走用の切り札はまた別に確保してある。
﹁まあ、いいでしょう。今はノムン率いる複製兵を打倒する方が先
です。ソフィール・グロディウス。今から私が言う策を実行するよ
うにしてください﹂
﹁了承いたしました。陛下﹂
セレーネの口から、これから私が何をするべきかと言う命令が発
せられる。
命令を聞いた私は瞬時に頭の中でどの順序で何をすればいいのか
を計算した上で了承、首を垂れる。
﹁それと、これはノムンが率いる複製兵を倒す事が出来た後の話に
なりますが⋮⋮﹂
そして、無事に複製兵が排除出来た後の事についてもセレーネは
話す。
﹁どうでしょうか?﹂
﹁そうですね。これ以上余計な真似をされないためにも、その方が
いいかと思います﹂
﹁では、そちらについてもよろしくお願いします﹂
﹁分かりました﹂
私はもう一度セレーネに向けて首を垂れると、天幕を後にした。
さて、気合を入れなければ⋮⋮。
1391
第253話﹁決戦−4﹂
数日後。
マダレム・サクミナミの北、マダレム・サクミナミの周辺に広が
る平原で、セレーネ率いる西部連合と東部連盟の合同軍とノムン率
いる複製兵を主体とした南部同盟の軍がぶつかった。
戦況は事前の調査と作戦会議のおかげで、現状は五分五分と言っ
たところだろう。
ただ、今日この場に来るまで分かっていなかった複製兵の特性の
一つ⋮⋮核となっている元の肉体部分を傷つけなければ頭が吹き飛
ぼうが、胸に穴を穿たれようが動きが止まらないと言う性質を考え
ると、数の差もあっていずれは劣勢に陥ることになるだろう。
﹁まあ、だから私は前線に出ず、こんなところに居るわけだけれど﹂
ガーデン
ゴーレム
さて、前線の状況はそんなところで、セレーネも私が近くに置い
ておいた忠実なる箱庭によってそれを把握している。
と言うわけで、敵が横に広がれないように頑張っているリベリオ
やウィズたちの為にも、各所に指示を送って戦線を維持しているセ
レーネの為にも、早々に私がまず為すべき事を為してしまうとしよ
う。
﹁じゃっ、ペリドット。周囲の警戒は頼むわよ﹂
﹁分かってるわよ。土蛇﹂
私が今居るのは戦いの場から北に10km以上離れた小さな森の
中。
周りにあるのは周囲から私の姿を隠すように生えている無数の木
々だけで、昼でもなお薄暗い場所だった。
そして、普段の服装ではなく、妖魔としての服装を身に付けた私
1392
以外には、護衛であるペリドットしかこの場には居らず、セレーネ
ヒンドランス
たちが今も戦っているとは思えない程に静かだった。
﹁⋮⋮﹂
私は腰の鞘から﹃妖魔の剣﹄を抜くと、右手で持って、目の前の
地面に突き立てる。
そうして手を放しても倒れない程に深く突き刺さったところで、
私はその場に腰を下ろす。
﹁始めるわ﹂
私は﹃妖魔の剣﹄を間に挟む形で自身の魔力を地中深くへと流し
込み、地脈の流れを感知し始める。
地脈は⋮⋮簡単に言ってしまえば大地の中を流れる巨大な魔力の
流れである。
その力は莫大であり、ただ流れているだけでも地上に影響を与え、
だいたいの有力都市の下には一定以上の太さや質を持つ地脈が流れ
ているほどである。
ただ一つ気をつけてほしいのは、地脈はその太い流れだけが存在
しているのではなく、ヒトには感知できない程に細かい流れも無数
に、網の目よりもなお細かく、あらゆる方向に流れる形で存在して
いると言う点だ。
そして、この細かい流れこそが普段私が遠隔地で使役魔法を発動
させているのに利用している地脈でもある。
﹁マダレム・サクミナミに通じる流れは⋮⋮これね﹂
私はマダレム・サクミナミの地下に流れる地脈を発見すると、そ
の流れを精査していく。
するとやはりと言うべきか、地脈本体からすれば支流としか呼べ
ない程度の⋮⋮けれど個人が扱うには太すぎる地脈の流れがマダレ
ム・サクミナミの中心部に向かって流れていた。
1393
恐らくこの流れの終点には今も株分けの魔法を維持しているノム
ンが居て、無意識に地脈から力を吸い上げることによって、株分け
の魔法に必要な膨大な量の魔力を捻出しているのだろう。
﹁⋮⋮。さて、目に物を見せてやりましょうか﹂
私はフードから小さめの金の蛇の環を取ると、﹃妖魔の剣﹄の柄
ヴニル
に、特別製の魔石と共に乗せる。
スヴァー
﹁﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄﹂
そうして準備が整ったところで、私は﹃妖魔の剣﹄にさらに多く
の魔力を注ぎ込み始める。
すると﹃妖魔の剣﹄を介して地中に注ぎ込まれる魔力は、一切の
抵抗なく地脈にまで到達し、蛇のような姿を取ると、静かに、ゆっ
くりと、けれど実際には恐ろしい程の速さで、地脈の流れを利用し
てマダレム・サクミナミの地下に到達する。
﹁齧れ。お前の餌だ﹂
蛇の形をした魔力がノムンに向けて流れる地脈の支流に噛みつく。
勿論、この程度でどうにかなるほど地脈と言うのは柔いものでは
ないし、そもそも私一人の力で根本からどうにか出来るような代物
ではない。
だから見た目上は何の変化も生じていない。
見た目上は⋮⋮だ。
﹁⋮⋮よし﹂
そう、先述したように、地脈の中には細かい流れが幾つも存在し
ている。
大きな地脈の流れも、実際には細かい流れが何千本と束になって
大きな流れを形成しているに過ぎない。
だから私は、私が使役魔法を行使した状態で造り上げる事によっ
1394
て、大きな流れに反する小さな流れを探知、干渉しやすくなるとい
う妙な力を持つ事になった﹃妖魔の剣﹄を介して地脈に干渉。
ノムンに通じている地脈の流れの中から、逆にノムンから離れよ
うとする流れを見つけ、その流れに力を与え、他の流れを己の力と
して喰らうように仕向けてやる。
﹁第一段階、成功したわ﹂
﹁お疲れ様⋮⋮じゃないか。まだ﹂
﹁ええ、厄介なのはむしろここからね﹂
すると地脈はどうなるか。
私が送り込んだ魔力の蛇によって地脈は大きく乱されることにな
り、幾つかは流れそのものが切れ、その煽りで恩恵を受けているノ
ムンも⋮⋮まあ、吐血ぐらいはする事になり、株分けの魔法の維持
にも少なくない影響が生じるだろう。
現に、今までまるで動きに淀みが無く、淡々と命令に従っていた
複製兵たちの動きが少しずつ鈍り始めている。
﹁蛇を上手く処理しないと大惨事になるわ﹂
逆に私が送り込んだ魔力の蛇は、地脈の力を喰らい、蓄えること
によって、丸々と⋮⋮蛇と言うよりは丸太と言った方が正しいので
はないかと言うぐらいに膨れ上がっていた。
仮にこのまま﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄を放置したら⋮⋮まあ、
何処かで限界点を越え、弾け飛び、よくてセレーネたちをまとめて
消し飛ばした上で、マダレム・サクミナミ一帯が百年単位で不毛の
地になるだろう。
地脈が有する力と言うのは、その程度には危険な代物であり、私
が以前やったように末端の末端を利用するならばともかく、ノムン
が利用しているような規模になると、本来なら数十人の魔法使いが
入念な計画と準備の元に年単位の時間をかけて弄るものなのである。
1395
﹁と言うわけで、引き続き護衛頼むわ﹂
まあ、今回はそんな時間も手伝ってくれる魔法使いの当てもない
ので、私一人でやるしかないのだが。
と言うわけで、私は一度息を吐き、呼吸を整えると、再び精神を
集中し始め⋮⋮﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄の処理を始めた。
1396
スヴァー
第254話﹁決戦−5﹂
﹁さてと⋮⋮﹂
ヴニル
実を言えば﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄を処理すること自体はそれ
ほど難しい事ではない。
蛇の形をしていても、実態はただの魔力の塊なのだから、何処か
適当な場所で解除して、魔力を周囲に放出させてしまえば、処理そ
のものは終わりである。
が、何の考えなしにそれをやってしまうと、撒き散らされた高濃
度の魔力によって周囲に少なくない被害が生じることになる。
その被害は﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄が限界まで魔力を溜め込ん
で弾け飛んだ場合よりはマシだろうが⋮⋮それでも地上に多大な被
害を与え、年単位の影響を残す事になるだろう。
それにそうして放出された魔力は誰のものでもない魔力であり、
これを誰かに⋮⋮それこそノムンやゲルディアン辺りに利用されて
しまうと、折角セレーネの側に傾けた戦局が再びノムンの側に傾き
かねない。
﹁私の頭が焼き切れないと良いんだけど⋮⋮﹂
と言うわけで、私は自身の処理能力の限界に挑戦すると共に、﹃
ガーデン
ゴーレム
蛇は根を噛み眠らせる﹄で集めた魔力をセレーネ側の利になるよう
に処理するべく、作業を始める。
﹁⋮⋮﹂
まずは左手を地面に着け、既に発動している忠実なる箱庭の魔法
と﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄によって生じた魔力の蛇を維持しつつ、
新たに三つの魔法の準備を整える。
この時点で主に地脈から流れ込んでくる無数の情報によって、私
1397
の処理能力の限界に近い作業であるが、余計な情報⋮⋮自身の周囲
に対する最低限の注意すらも止める事によって、その分だけ処理能
力に余裕を造り、どうにかする。
﹁移動⋮⋮開⋮⋮始⋮⋮﹂
私は魔力の蛇の食事を止めると、丸太のような体を袋のような形
状に切り替えつつ移動させる。
マダレム・サクミナミの直下から、セレーネたちが居る戦場の真
下へと。
﹁セレーネ⋮⋮聞こえるかしら⋮⋮﹂
そうして精神にかかる負担を軽減するためなのか、異様に自分の
スネーク
ゴーレム
身に流れている時間がゆっくりとなる感覚を感じつつ、準備してお
いた忠実なる蛇の魔法を発動、セレーネに身に付けさせておいた土
の蛇を介して一つの確認を取る。
﹁準備⋮⋮完了よ⋮⋮﹂
﹃では⋮⋮お願い⋮⋮します⋮⋮﹄
﹁分か⋮⋮ったわ⋮⋮﹂
セレーネの返事を受けて私は忠実なる蛇の魔法を解除すると同時
に、袋状になった魔力の蛇を球形に変えつつ地表に向けて上昇させ
る。
さて、ここからが最も難しい場所であり、瞬間的には最も負荷が
かかる場所である。
﹁すぅ⋮⋮はっ!﹂
私は﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄を解除する。
ただし、大量の空気によって膨らみ切った袋に針で穴を開けるよ
うに、戦いが行われている地表の極々狭い範囲に大量の魔力が流れ
込むようにだ。
1398
するとどうなるか。
﹃﹃﹃!?﹄﹄﹄
地脈本体からすれば僅かな⋮⋮けれど今までヒトが感じた事が無
い程に大量で濃密な魔力が、南部同盟の陣地を巻き込むように、地
下から地表を突き抜け、大空に向かって一気に放出される。
勿論、ヒトの意思などによって何かに変換されたわけでも無い、
ただの純粋な魔力だ。
ヒトが巻き込まれても精々精神が圧せられて気を失う程度で済む
し、物理的な変化は魔力の一部が自然現象に転換された結果として、
大量の粉塵が巻き上がる程度だ。
だが、その進路上で展開されていた魔法⋮⋮具体的に言えばノム
ンの株分けの魔法によって作られ、維持されていた複製兵たちはた
だでは済まない。
膨大かつ高速で流れる魔力の前ではノムン程度の意思など塵芥に
等しく、魔力の流れに巻き込まれた複製兵たちは悉く本来の肉片と
土塊に戻っていく。
﹁さあ、行くわよ!﹂
此処までで、私がやるべき事の第二段階は成功。
そしてここからが戦いの流れを決定づける第三段階である。
﹁﹃舞台は整えた﹄﹂
私は大気中に放出された﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄によって集め
た魔力を利用して、準備状態にあった二つの魔法を即座に発動させ
る。
一つは大気中に巻き上げられた粉塵と、戦場一帯の地表を対象と
した使役魔法。
これによって、ロシーマスとの戦いでやったように、私の声を戦
場全体に響かせる。
1399
ただし、普段の私の声ではなく、少々低めで威厳に満ちた声をだ。
﹁﹃トォウコ、シェーナ、そしてサーブ﹄﹂
そうして声を発しつつ私はもう一つの準備状態にあった魔法を発
動。
セレーネの助けもあり、無事に成功する。
この魔法が無事に成功した時点で、必要な処理能力はだいぶ抑え
られるため、後は流れで何とかなるはずである。
と言うか、後は現地に居る面々で何とかしてもらうしかない。
﹁﹃生死の理乱す許されざる王を討つ助けをするのだ﹄⋮⋮ふぅ﹂
私は最後の言葉を言った時点で、膨大な量の魔力によって一時的
に戦闘が止まっていた戦場全体に舞い上がっていた粉塵を、使役魔
法によって即座に落下するように仕向ける事で、視界を取り戻させ
る。
﹁上手くいったの?土蛇﹂
﹁ええ、この戦いで後私がやるべき事は魔法の維持だけよ。勝てる
かはセレーネたちと⋮⋮トーコとシェルナーシュの頑張り次第よ﹂
﹁そう﹂
そうして視界を取り戻した戦場には、新たに三つの人影が生じて
いた。
一つは両手に包丁のような片刃の剣を一本ずつ持ち、エメラルド
が填め込まれた銀色の蛙のブローチが付いたフードを目深に被った
小柄な少女。
一つは木、金属、宝石を組み合わせた杖を持ち、金属製のコイン
のペンダントを身に付け、背中部分にシェーナの書でも使われてい
る四色の宝石を取り込んだ球形の蛞蝓の絵が描かれたフードを身に
付けた性別不詳の少年。
一つは全身に黄金色の鎧を身に付け、金色の鍔を持つ剣を右手に、
1400
銀色の鍔を持つ剣を左手に持ち、二本の剣と蠍が描かれた紋章付き
のマントを身に着けた大男。
﹁御使いが出てくるだなんて、敵も味方もビックリね﹂
そして三人は、私が上空から烏人形の目で戦場全体を俯瞰する中、
三者三様に動き出した。
1401
第254話﹁決戦−5﹂︵後書き︶
正にとっておきです
1402
第255話﹁決戦−6﹂
﹁うん、驚いてる驚いてる﹂
粉塵の中を駆け抜け、粉塵と言う目隠しが消滅すると同時に西部
連合の兵を主体とした左翼側の前に現れたトーコは、西部連合の兵
たちから口元が僅かに見える程度に振り向く。
そして、彼らの驚き様に笑みを浮かべつつ、例の六脚、六翼、六
角の細長い生物を描いたような紋章が刻まれた鍋を亜空間に存在さ
せたまま、その中から戦闘用の包丁を取り出し、両手に一本ずつ持
つ。
﹁フードの方も問題なしと﹂
トーコはフードがずれたりしないのを確認すると南部同盟の兵士
たちの姿を見る。
彼らは既にソフィアの﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄によって乱れた
隊列を建て直し始めており、もう間もなく戦いが再開されることに
疑いの余地はなかった。
﹁父上⋮⋮﹂
﹁まさかこんな事が有るとは⋮⋮﹂
﹁ほう、ここでこの札を切るとは、流石ソフィール殿だ。が、少々
残念ではあるなぁ⋮⋮﹂
勿論、戦闘の態勢を整え直しているのは西部連合、東部連盟の兵
も同じである。
フードから僅かに見えた顔から御使いトォウコとして現れたであ
ろう目の前の少女がトーコである事に気付き、ウィズとレイミアは
動揺を、ルズナーシュは多少残念さを感じるが、それでも彼らはこ
の状況でソフィールとセレーネが自分たちに何を望んでいるのかを
1403
察して、行動を始める。
﹁じゃっ、行きますか﹂
そうして両軍の将兵が動き出そうとする数瞬前。
トーコが動き出す。
今までのヒトか英雄の振りをするべく抑えていた身体能力ではな
く、魔力を全身と武器に漲らせた本気の状態で。
﹁そぉい!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
トーコの姿が一瞬消え、次の瞬間には南部同盟の複製兵たちの間
にトーコの姿が現れる。
そして、トーコの出現に少し遅れる形で、トーコが移動したであ
ろう直線上に居た全ての複製兵が核となっている生身の部分を切り
裂かれ、肉片と土塊に還っていく。
複製兵ごとに核になっている場所が違うにも関わらずだ。
﹁こ、殺せー!﹂
目の前の光景に驚いた普通の兵士が思わず叫び声を上げるように
指示を出し、複製兵たちは指示通りに手に持った得物でトーコの事
を殺そうとする。
﹁遅いよー﹂
だが、複製兵たちが槍を突き出すよりも早くトーコは普通のヒト
二人分程跳び上がって鋭利な槍を避けると、空中で逆さまになりな
がら鍋から素早く取り出したナイフを四方に投擲。
ナイフ一本につき一人を、複製兵ならば核となっている部分を貫
く事で、普通の兵士ならば眉間を貫く形で、刃が全て埋まり、柄だ
けが見えるほどの勢いで刺し、一瞬にして数十人の兵士を仕留める。
1404
﹁射よ!あの女を射よ!今すぐにだ!!﹂
﹁おっ、居たみたいだね﹂
トーコ一人によって起こされた悪夢としか言いようのない光景に、
この辺りの将兵を指揮していた七天将軍四の座クニタタナは、声を
張り上げ、宙に浮くトーコを今すぐ弓で射るように命じる。
複製兵もクニタタナの指示に即座に反応して、西部連合と東部連
盟の兵に向けて放とうとしていた弓の方向を素早く変えると、狙い
をつけた者から順に矢を放ち始める。
﹁じゃ⋮⋮﹂
クニタタナにしてみれば、トーコは突然目の前に現れたたった一
人の敵ではあるが、とても危険な一人であり、自らの身を守るため
には素早く処理する必要が有る一人だった。
だが幸いな事に、トーコは身動きの取れない宙に居り、矢の雨を
あの辺り一帯に降らせてしまえば、幾らかの味方の被害と引き換え
に確実に殺せる。
そう、クニタタナは考えていた。
だが、そんなクニタタナの目論みはあっけなく外れることになる。
﹁やっちゃおうか!﹂
﹁なっ!?﹂
クニタタナの目の前で、踏む物など何も無い空中に居たはずのト
ーコが何かを蹴るような仕草と共に消え失せる。
﹁ばっ⋮⋮﹂
﹁ほいっと﹂
そして次の瞬間にはクニタタナの背後にトーコは移動しており、
クニタタナが背後に現れたトーコの姿を一瞬見た後には、彼の視界
は何も無い青空を見始め、視界の端では自分の部下たちの首が宙を
舞っていた。
1405
スカッフォルド
﹁七天将軍四の座クニタタナ。討ち取ったりと﹂
トーコが使った魔法の名は空跳ね。
自らの足裏に沿う形で一瞬だけ魔力の足場を形成する魔法であり、
トーコが習得出来た数少ない魔法であると同時に、空中で羽も無く
自由自在に動き回るというヒトどころか妖魔の常識すらも覆してし
まった魔法である。
この魔法によってトーコは先程空中で水平方向に跳躍し、矢を回
避すると同時にクニタタナとその側近たちの首をすれ違いざまに切
り飛ばし、仕留めたのだった。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁よっ、ほいほいっと﹂
トーコは目の前の敵を排除すると言う最も基本的な命令を遂行す
るべく動き出した複製兵たちをカウンターによって葬り去りつつ、
ウィズたちが居るであろう前線の様子を確認する。
﹁ふむ。頃合いかな﹂
ウィズたちはトーコの攻撃によって生じた混乱に乗じて、進撃の
スピードを速めていた。
対する南部同盟の兵士はクニタタナが討たれた事もあって、その
勢いが削がれていた。
これならばもう自分が居なくても勝ちは揺るがないだろう。
そう判断したトーコは、西の方から聞こえてきた巨大な爆音と、
ウィズたちの攻勢に紛れる形で、手間賃を鍋の中に手早く収納する
と、戦場から姿を眩ませたのだった。
1406
第255話﹁決戦−6﹂︵後書き︶
まずは御使いトォウコでした
10/18誤字訂正
1407
第256話﹁決戦−7﹂
少々時は戻り、戦場全体に粉塵が舞い上がった頃。
﹁では、お願いします﹂
﹁あまり気乗りはしないがな⋮⋮﹂
西部連合、東部連盟の合同軍右翼の中でも端の方に当たり、南部
同盟の側面を突くようなその場所では、今回の作戦の全体像を知る
数少ない人物であるリベリオの手引きで、他の誰の目に触れること
もなくシェルナーシュが前線に到着していた。
﹁まあ、丁度いい試し撃ちの機会だと思っておこう﹂
﹁間違っても俺たちの方は巻き込まないで下さいよ﹂
﹁貴様等が前に出過ぎなければ問題ないさ﹂
シェルナーシュは懐から木、金属、そして例の六脚、六翼、六角
の細長い生物を描いたような紋章が刻まれたコインの力によって自
身の魔力を固形化した宝石を組み合わせた折り畳み式の杖を取りだ
すと、それを素早く展開。
リベリオが離れ、粉塵が晴れると同時に、2m近い長さの杖を手
に持った状態で、如何にも何も無い場所から現れましたと言わんば
かりの登場をする。
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
﹁では、始めるか﹂
粉塵が晴れると共に、シェルナーシュを敵と見定めた複製兵たち
が攻撃を仕掛けようとシェルナーシュの方へと寄ってくる。
西部連合と東部連盟の兵たちは既にリベリオの指揮によって、予
めシェルナーシュが攻撃の範囲だと指定した範囲から逃れている。
1408
南部同盟の複製兵も、攻め込めないようにとリベリオが魔力を焼
く対複製兵用の炎を帯状に展開している為、シェルナーシュが指定
した範囲に全て収まっている。
﹁収束点指定﹂
﹁!?﹂
シェルナーシュが先頭に居た複製兵の胸を杖で突く。
それだけで全身の筋肉と骨の位置が固定されたかのように、胸を
突かれた複製兵は動きを止める。
﹁接着網展開﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
続けてシェルナーシュの杖から魔力が網のような姿を取って、扇
状に展開されていき、魔力の網に触れた物も最初に杖で突かれた複
製兵と同じようにその動きを止める。
﹁兵を止めろ!これ以上近づけるな!﹂
その光景にリベリオたちの相手をしていた七天将軍五の座イレン
チュは、複製兵にこれ以上前進しないように命じる事によって被害
を抑えようとした。
そしてその考えは正しかったのだろう。
前進を止めた事によって、動きを止める複製兵がそれ以上に出る
事は無かった。
﹁水平座標の原位置を記録した上で収束点への収束を開始﹂
﹁なっ、なんだ⋮⋮?﹂
だがシェルナーシュはそんなイレンチュの考えなど知った事かと
言わんばかりに自身の魔法を冷静に進めていく。
その証拠に、シェルナーシュの呟きと共に動きを止めた複製兵が、
最初に動きを止めた複製兵に向かってゆっくりと引き寄せられてい
1409
く。
はらわた
﹁鋭き剣、硬き鎧、芯たる骨、調律者たる腸、生命の証たる血肉、
慟哭する魂⋮⋮﹂
引き寄せられたそれらは互いに互いの事を潰し、切り刻み、一つ
となりながらも、別個の存在として一点に向けて落ち続け、シェル
ナーシュの持つ杖の先端で球状の物体となっていく。
﹁しょ⋮⋮正体は分からんが、術者を仕留めれば、どんな魔法だろ
う意味はないはずだ。よし、複製兵を奴の横から向かわせろ!﹂
﹁了解しました!!﹂
その異様な光景に戸惑いながらも、イレンチュはシェルナーシュ
の魔法の効果領域と思しき範囲を迂回する形で複製兵を向かわせ、
シェルナーシュを攻撃しようとする。
だが、もっと早くにこの判断を下していても、この後の結果は変
わらなかっただろう。
シェルナーシュの背後に回るにはリベリオが率いる軍を倒す必要
があり、仮に彼らを倒せても、その間にシェルナーシュの魔法は完
成していたのだから。
ノヴァクラスター
﹁皆々、鏃と成りて、原点へと舞い戻り、森羅噛み砕き、食い破り、
突き通せ。解放、客星爆散﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
シェルナーシュの杖から数個の宝石が消え失せた瞬間。
限界まで引き絞られた弓から勢いよく矢が放たれるように、シェ
ルナーシュの杖の先端に集まっていた物体が、それぞれが引き寄せ
られる前の場所に向けて閃光と共に飛び出していく。
だが、目にも留まらぬ速さで飛ぶような物体が元居た場所で止ま
ることなど有り得ず、それらの物体はそのまま矢をはるかに超える
速さでそのまま飛び続け、衝突する。
1410
進路上に居た南部同盟の複製兵に、生身の兵士に、指揮官に、イ
レンチュに、マダレム・サクミナミの城壁に。
﹁ふむ、こんな物か﹂
﹁なんて⋮⋮破壊力⋮⋮﹂
一瞬遅れて戦場中に轟いた爆音と爆風が収まり、視界が再びはっ
きりする頃には、南部同盟の兵士の大半は原形すら留めておらず、
不幸にも生き残ってしまった者が痛みに苦しむ呻き声を僅かに上げ
るだけとなっており、地面はその大半がめくれ上がり、堅牢なはず
のマダレム・サクミナミの城壁は一部が崩れ、無事な部分にも剣や
槍、ヒトの歯などが深く突き刺さっていた。
﹁リベリオ、後は貴様等、ヒトと英雄の仕事だ﹂
一瞬のうちに万を超す兵士が消失するという現象に敵も味方も呆
然としていた。
ダストカーテンサイレント
そんな中シェルナーシュはリベリオに一声をかけると、適当な馬
を奪い取り、塵幕と静寂の魔法によって周囲の視線と声を遮り、戦
場から姿を眩ませた。
﹁はっ!敵残党を掃討し、中央の救援に向かうぞ!﹂
そして、呆然とする人々の中でリベリオはいち早く正気を取り戻
すと、周囲に指示を出し、再び動き出し始めるのだった。
1411
第256話﹁決戦−7﹂︵後書き︶
御使いシェーナの番でした
10/18誤字訂正
1412
第257話﹁決戦−8﹂
スヴァー
ヴニル
再び時は遡り、ソフィアが﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄を解除する
直前。
﹁では、お願いします﹂
﹃分かったわ﹄
ソフィアから準備が整ったと言われたセレーネは、予め小さな袋
に収めておいた琥珀蠍の魔石を僅かに震えた手で近くの地面に落と
す。
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹃舞台は整えた﹄
そして﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄が解除され、大量の粉塵が舞い
上がり、セレーネたちの視界も遮られる中、ソフィアの魔法によっ
てセレーネの近くに落とされた琥珀蠍の魔石は密かに地中に飲み込
まれ、前線へと素早く移送される。
﹃トォウコ、シェーナ⋮⋮﹄
前線に送られた琥珀蠍の魔石はそこで、事前に地中に埋められ、
グルー
同様の方法でもって前線にまで送られた二本の剣と、大男の拳並の
大きさを持つ魔石⋮⋮シェルナーシュの接着によって複数の魔石を
くっつけ、ソフィアが加工を施した特製の魔石と合流する。
﹃そしてサーブ﹄
ソウル
無事に必要な物が一ヶ所に集まった時点で、ソフィアが一つの魔
リキンドル
法を発動させる。
魔法の名は再燃する意思。
1413
本来は魔石に残された意思に合わせて土で体を造り、その力が尽
きるまで暴れさせる魔法である。
だが、今回発動した再燃する意思は、通常のそれとは少々異なる
物だった。
﹃生死の理乱す許されざる王を討つ助けをするのだ﹄
ギルタブリル
まず、土で造られたその身体は、核となる琥珀蠍の魔石が記憶し
ている蠍の妖魔サブカのものとは少々異なり、腕の数は四本ではな
く二本、尾は無く、体を覆うのは甲殻と言うよりは鎧と言うべき物
になっていた。
また、額から魔力の光を放つ事も無く、周囲の空気に漂っていた
魔力も吸収したその身は、見た目通りの頑強さと生前のサブカ以上
の身体能力を与えられていた。
﹁⋮⋮﹂
そして、これは核となった魔石の影響もあるが、その土人形⋮⋮
再生されたサブカにはソフィアの知識と記憶が流れ込み、通常の再
燃する意思によって再現された妖魔と違って明確に自分の意思とい
う物を有しており、自分がこれから何をするべきなのか、何故この
場で生み出されたのか、自分がどういう存在なのかまで正確に理解
していた。
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹁⋮⋮﹂
ヒーロー
ヒューマン
故に再生されたサブカは一切の躊躇いなく自分の左右に持ち手を
出されていた二本の剣⋮⋮﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄を持つと、
粉塵が晴れ、視界が明瞭になった戦場で複製兵たちにそれを向け、
構える。
自分の背後に居るセレーネたちを味方と認識し、自分の前に居る
複製兵たちを敵と認識して。
1414
﹁⋮⋮﹂
﹁ど、どうした!?﹂
﹁お前たち何処に行く!?﹂
サブカは微弱な魔力を眼前に居る万を超える数の複製兵たちに放
ちながら、切りかかる。
すると、自分の意思を持たないはずの複製兵たちは、その微弱な
魔力に当てられたかのように、指揮をする七天将軍三の座マルデヤ
たちの言葉も無視して、サブカの周りに居る普通の兵士など知った
事かと言わんばかりにサブカに向かって殺到し始める。
﹁す、すげぇ⋮⋮﹂
﹁何だあの強さ⋮⋮﹂
﹁サーブってまさか⋮⋮﹂
複製兵は核となっている生身の部分を切られなければ死なない。
その事を知っている者たちはサブカに向かって殺到する複製兵た
ちの姿を見て、サブカの死を予期した。
だが、複製兵たちが突き出した槍も、振るった剣も、放たれた矢
も、鈍器のように振るわれた斧すらもサブカの鎧に傷一つ付けるこ
とが出来ず、それどころか反撃として二本の剣が振るわれる度に、
核でない場所を僅かに斬られただけの複製兵どころか、明らかに剣
の刃が届いていない場所に居た複製兵すらも動きを止める。
﹁止めろおおぉぉ!あの男を止めるんだ!今すぐに!!﹂
この現象は魔法を維持しているソフィアにとっても想定外の事態
ではあった。
しかし、どうしてこのような現象が起きたのか、サブカが持って
いる剣の詳細を知っている者は直ぐにその原因を察した。
原因はサブカが持っていた二本の剣⋮⋮﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの
剣﹄にあった。
1415
ヒドゥン
ヒンドランス
この二本の剣はソフィアの持つ﹃妖魔の剣﹄、ペリドットの持つ
﹃存在しない剣﹄と一緒に様々な物を練り合わせて造られた魔力を
有する剣⋮⋮所謂、魔剣だった。
そして、その魔力の作用によって﹃妖魔の剣﹄が効率よく地脈に
ソフィアの魔力を通すように、﹃英雄の剣﹄は英雄の魔力を吸い取
って剣身の強化を、﹃ヒトの剣﹄はヒトが持つあらゆる力を吸い取
って剣身の再生を行い、余剰な魔力を刃のように展開することで攻
撃範囲を拡大することが出来ると言う能力を製作者のソフィアも知
らない間に宿していた。
﹁駄目です!止まりません!﹂
﹁クソッ!?一体どうなって⋮⋮﹂
結果、ノムンと言う英雄が使う株分けの魔法によって、何十にも
ヒトの力を分割された形で維持されている複製兵にとって、サブカ
が持つ二本の剣は正しく天敵と言うべき武器となった。
魔力の刃に触れただけで株分けの魔法を解除されるか、核となっ
ている生身の部分が死に絶え、肉片と土塊に戻されるようになって
しまったのである。
﹁うごっ!?﹂
﹁敵将!七天将軍三の座マルデヤ!このリベリオが討ち取ったり!
!﹂
そうしてサブカに全ての複製兵が殺到する中、シェルナーシュの
魔法を生き残った者に対する処置を終えたリベリオが中央の戦場に
到達、側面から強襲を仕掛けることによってマルデヤを討ち取る。
その後、リベリオたちから僅かに遅れて、ウィズたち左翼の軍勢
も中央の戦場に到達し、複製兵は一人残らず討ち取られ、南部同盟
の兵士たちも無力化。
こうしてマダレム・サクミナミ外での戦いはセレーネたちの勝利
で終わることになったのだった。
1416
第257話﹁決戦−8﹂︵後書き︶
御使いサーブでした。
1417
第258話﹁決戦−9﹂
﹁しかし、幾つも想定外と言うか、予想外と言うか、計算外と言う
ソウル
か、とにかく私の考えの外にある事態が立て続けに起きた戦いだっ
リキンドル
たわ⋮⋮﹂
再燃する意思の魔法によって琥珀蠍の魔石からサブカの意思を持
った土人形を作り出す事に成功した時点で、私はヒトの服装に着替
えるとペリドットと共に馬に乗り、セレーネの元に向かい始めてい
た。
﹁まあ、それは私にも何となく分かったわ﹂
で、そうして向かっている間にマダレム・サクミナミの周囲を囲
う城壁の外での戦いは決着が着き、今はシェルナーシュが城壁に開
けた穴から都市内部に突入するために部隊の再編を、それと姿をま
だ消していないサブカ関連の諸々に追われていた。
﹁でも実際想定外の事態ばかりで、今回の戦いは私にとっても色々
と教訓になったわ﹂
まあ、それはセレーネたちの話。
私が振り返るべきは今回の戦いについてだ。
実際、今回の戦いは想定外の事態が幾つも重なっている。
ノムンが後天的英雄として目覚め、株分けの魔法なんてとんでも
ない代物を持ち出すだけでなく、無意識ではあっても地脈の力を利
用して見せた点。
私の求めで御使いトォウコとして参加してくれたトーコの身体能
力がいつの間にか全盛期のシチータと同じかそれ以上になっていて、
私の想定よりもかなり早く指揮官を倒して撤退してしまった点。
同じく私の求めで御使いシェーナとして参加してくれたシェルナ
1418
ヒ
ーシュの魔法の威力と範囲が、私の想像をはるかに超えた規模で、
私の想定以上の被害を敵に与えてしまった点。
ーロー
ヒューマン
御使いサーブとして再生したサブカに持たせた二本の剣⋮⋮﹃英
雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄が誰にも手出しが出来ないようにと地中深
くに保存しておいたためなのか、いつの間にか妙な力を得てしまっ
ていた点。
何と言うか⋮⋮うん、この分だとマダレム・サクミナミの市街地
戦に、ノムンの居城に侵入して首を取る最後の戦い、この二つでも
また想定外の事態が起きる気がしなくともない。
﹁とりあえず私の掌の上で全ての事が進むだなんて、天地がひっく
り返っても考えるべきじゃないわね﹂
﹁まあ、想定外が重なったせいで、あんな隙だらけの姿も晒してい
たものね﹂
﹁アレは想定内よ。ペリドットが守ってくれると分かっていたし﹂
﹁⋮⋮﹂
私の言葉に何故かペリドットがそっぽを向くが⋮⋮まあ、それは
さておいて、そろそろサブカの方の後始末を付けなければならない。
﹁サブカは⋮⋮もう動いてくれているわね﹂
戦場に残っていたサブカは、御使いサーブの名に相応しい風体で、
誰にも阻まれる事無く真っ直ぐにセレーネの元に歩いていく。
まあ、今のサブカを阻む存在など居るはずがない。
誰が何処から見ても御使いサーブにしか見えない⋮⋮と言うより、
そもそもサブカが御使いサーブで、テトラスタ教の教えを信じてい
る者にとって御使いサーブはまさしく天上の存在なのだから、阻ま
れる訳が無いのだが。
﹁よし﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵今のはワザと?それとも無意識?何となくだけど後
1419
者な気がするわ︶﹂
セレーネは既に馬を降り、何処か緊張した面持ちでサブカの事を
待っていた。
そして、そんなセレーネの前にやってきたサブカは、腰に提げて
いた銀の鍔と柄を持つほうの剣⋮⋮﹃ヒトの剣﹄を手渡し、セレー
ネは恭しくそれを受け取った。
これでセレーネは御使いサーブ直々に剣を渡された存在として、
正しく無二の存在になる。
この評価は今後のセレーネの治世に置いて、とても有利に働く事
だろう。
﹁じゃあ、後はもう一本の剣を⋮⋮﹂
﹁ボソッ⋮⋮︵もしかしたらソフィアの奴って女の英雄に弱いのか
も。私に好意的な感情なんて持っているはずがないし︶﹂
後は重量の関係で一度に渡せなかった﹃英雄の剣﹄をセレーネに
渡せば終わり。
私はそう思って再燃する意思の魔法を解除する準備に入る。
だが、ここでまた一つ私にとって想定外の事態が起きる。
﹁ふぁっ!?﹂
﹁っ!?な、何っ!?﹂
﹁ちょ、サブカ!?アンタ何やってんの!?﹂
サブカは﹃英雄の剣﹄をセレーネに授けることなく何処かに歩い
ていく。
その先に居たのは、この状況に驚きの色を隠せないでいるリベリ
オ。
だがサブカはそんなリベリオの驚きなど知った事か言わんばかり
に、リベリオの前に立つと腰に提げていた金の鍔と柄を持つ剣⋮⋮
﹃英雄の剣﹄をリベリオに渡し、想定外の事態に困惑するリベリオ
は何とか外聞が悪くならない程度に体裁を取り繕った上で受け取る。
1420
そしてリベリオに﹃英雄の剣﹄を渡したサブカは、自発的に再燃
する意思の魔法を解除。
琥珀蠍の魔石と身体を稼働させるための魔石を密かに地中に移動
させつつ、見た目には満足そうに頷きながら砂塵となって跡形もな
く消えると言う、御使いに相応しい消え方をしてしまった。
﹁あば、あばばばば、ちょっ、セレーネとリベリオの二人に御使い
の剣なんて授けたら、今後の内紛が起きかねないわよ!?そうなっ
たら私の諸々の計画とか、努力とかが全部台無しになりかねないん
ですけどぉ!?﹂
で、この事態に私はかつてない程に混乱していた。
私の計画は御使いに剣を授かったのがセレーネ一人であることを
前提としていたし、サブカが私の意に反して動く事が無いという考
えの下で構築されていた。
それがサブカの意思を再現した土人形の謎行動によって突然崩れ
たのだから⋮⋮なんかもう訳の分からない状況になってしまっても
しょうがないと思う。
と言うかこんな事態想像できるかああぁぁ!?
﹁ああもうどうすればいいのよ!?御使いの剣を持つヒトが二人に
なったら、絶対にどっちかに着いてもう片方を貶めようなんて考え
のバカが出るし、今はリベリオも欲のような物を持っていないけど、
力を持ったらどうなるかなんてわかったものじゃないし、そうでな
くとも⋮⋮﹂
と、私が馬の上で混乱している時だった。
﹁あいだぁ!?﹂
﹁落ち着きなさい。土蛇﹂
ペリドットが私の後頭部を手刀で叩き、思考を強制的に中断させ
てくる。
1421
﹁心配しなくても収まるところに収まるわよ﹂
﹁は?それってどういう⋮⋮﹂
﹁それよりも今はノムンを討ち取る事の方が先決。違うの?﹂
私を後頭部をさすりながら、ペリドットにどうしてこんな事をし
たのかと言う視線を向けるが⋮⋮あ、うん、駄目だ。
これは答えてくれない。
目がそう言ってる。
それにだ。
﹁そうだったわね。そっちの対策はまた後で考えればいい。今はノ
ムンとゲルディアンをどうにかする事を考えないと﹂
今はペリドットの言うとおり、もっと優先するべき事が有った。
私は改めて自分がやるべき事を頭の中で確認すると、セレーネの
元へと馬を走らせるのだった。
1422
第258話﹁決戦−9﹂︵後書き︶
サブカが渡した理由はまあ、そう言う事です
1423
第259話﹁マダレム・サクミナミ−1﹂
﹁おや、ソフィール殿。ようやくですか﹂
﹁烏人形はずっと飛ばしていましたけどね﹂
私とペリドットがマダレム・サクミナミに着いた頃。
既に普通の将兵たちはシェルナーシュが城壁に開けた大穴からマ
ダレム・サクミナミの中に侵入を開始し、事前の取り決め通りにリ
ッシブルーが残した可能性のある策や仕掛けに注意を払いつつゆっ
くりと進んでいるところだった。
なお、その取り決めと言うのは、基本的に複数人で行動し、建物
は必ずすべてを調べ上げ、住民は全員マダレム・サクミナミの外に
用意した勾留所に強制的に移動させ、監視すると言う徹底したもの
である。
まあ、リッシブルーが私も把握していない何かを残している可能
性がある以上は仕方がない。
﹁と言うわけで、陛下とリベリオ様が御使いサーブ様よりそれぞれ
一本ずつ剣を受け賜ったのも知っていますのでご安心を。ペリドッ
ト、急ぐわよ﹂
﹁はい﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
ちなみにリッシブルーが既に死んでいる事を知っているのは、私
とセレーネに近しい極一部の者だけである。
死んでいるからと油断して、足元を掬われる者が出て来ても困る
しね。
そうして私は妙な突っかかり方をしてきた馬の骨を言い負かすと、
セレーネの元に改めて向かう。
1424
﹁陛下!﹂
﹁ソフィール。来ましたか﹂
予定通りセレーネはマダレム・サクミナミの中に入らず、外でリ
ベリオとバトラコイ、それにウィズとレイミア、リリアの五人と親
衛隊を周囲に待機させ、天幕の中で待機していた。
﹁陛下、まずは御使いサーブ様より剣を⋮⋮それも魔力が込められ
た特別な剣を受け賜った事に対して、お祝いを申し上げさせていた
だきます﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁そしてリベリオ様も御使いサーブ様より剣を受け賜ったとの事。
おめでとうございます。リベリオ様﹂
﹁は、はいっ!ありがとうございます!﹂
で、周囲の何も知らない親衛隊の面々に御使いの件について知っ
ている事、そしてどちらも敬う対象であると見せるべく、私はセレ
ーネとリベリオの二人に祝いの言葉をかける。
私の立場と声をかけた順番からして、これで暗にこの国の一番は
セレーネで、二番はリベリオだと示せただろう。
何であんなことになったのかと言う事情説明は⋮⋮ペリドットに
言われた事もあるし、別の機会にしておく。
今はそれどころではないし。
なお、琥珀蠍の魔石は既にセレーネの手元に返っている。
ゴーレム
だいぶ魔力は失われたが、まだ効果は発揮してくれるだろう。
ガーデン
﹁さてソフィール。貴方には忠実なる箱庭による支援と共に、もう
一つ頼んでおいたことがありましたね。こうしてこの場に貴方がや
って来たという事は、そう言う事ですか?﹂
﹁はい、陛下のお考え通りです。ノムンが用意しておいたマダレム・
サクミナミからの脱出路の内、ゲルディアン将軍の力を利用しない
で使えるものは全て封鎖して参りました﹂
1425
口ではこう言っているが、実際に封鎖したのは数日前の話である。
それに実を言えば、七天将軍一の座ゲルディアンが居る限り、脱
出路を封鎖した所で大した意味はない。
そもそもゲルディアンが居れば、待ち伏せされる可能性のある備
え付けの脱出路なんて使う必要もないのだから。
まあ、それでも一応の準備として、各脱出路の出口には、道を埋
めるだけでなく、幾つかの仕込みもしてきたが。
﹁そして、マダレム・サクミナミの中央、ノムンの居る堅牢な城の
中へと侵入する準備も整っています﹂
さて、今更な話だが、簡単に言ってマダレム・サクミナミは二層
構造になっている。
つまり、外の城壁を抜けた先には市街地があるが、その市街地を
抜けた先、マダレム・サクミナミの中心部には周囲を高い城壁に囲
まれ、出入り口も外の城壁と同じかそれ以上に堅固な門になってい
るノムンの屋敷⋮⋮いや、城がある。
そのため、普通にマダレム・サクミナミを攻略しようと思えば、
まず外でマダレム・サクミナミの軍勢と野戦を行い、続けて城門を
突破し、その後に今一般の将兵が行っている市街地戦を行った後、
二つ目の城壁を越えて、戦いに備えた構造になっている城内に突入
しなければならず、非常に厳しい戦いを強いられることになるので
ある。
だが、戦いに時間をかければ、それだけ問題が発生するし、ノム
ンが後天的英雄として目覚めた今の状況だと、時間が経過すればす
るほどに何か不測の事態が起きる可能性が高まる事になる。
そもそも相手の考える通りに進行してやる義理なんてものはない。
﹁何人連れて行けますか?﹂
﹁七人。それが限界ですね﹂
と言うわけで、私とセレーネが考えたのは、少数精鋭で地下から
1426
城内に侵入し、ノムンとゲルディアンの首を直接狙うと言う戦術で
ある。
﹁七人⋮⋮もう少し何とかならなかったのですか?﹂
ゴーレム
﹁申し訳ありません。陛下。ですが、相手にゲルディアンが居る以
スネーク
上、これが確実につれて行けると私が言える人数です﹂
私は自分の背後に中にヒトが入れるサイズの忠実なる蛇を、普段
よりも丸っこくデフォルメした形で出現させる。
なお、ゲルディアンが居なければ、市街地から城内にトンネルを
繋げて攻め入り、門を奪って大軍で攻め入ると言う手法も使えたが
⋮⋮たらればである。
﹁分かりました。では、私、リベリオ、バトラコイ、レイミア、ソ
フィール、リリア、それにペリドットの七人で行きましょう。ウィ
ズは私に代わって全体の指揮を、親衛隊はウィズの護衛をお願いし
ます﹂
セレーネの言葉に全員が承服の言葉を返す。
そしてセレーネから順に土の蛇の中に入り、予定通りに七人全員
が入ったところで、私たちは地中を通る形でマダレム・サクミナミ
の中心へと向かい始めた。
1427
第260話﹁マダレム・サクミナミ−2﹂
﹁さて、陛下。それに他の皆様、到着前に一つ言っておく事が有り
ます﹂
すっかり日が暮れた地上では、陽動と私たちが移動する音を掻き
消すのも兼ねて、マダレム・サクミナミの市街地を占領するための
激しくはないが、長引く事が確定している戦いが続いている。
そちらはそちらで重要なので、参加している将兵には出来るだけ
頑張ってもらいたい所である。
が、今回の戦いの行く末を握っているのは私たちの方である。
﹁七天将軍一の座ゲルディアンとは私一人で戦います﹂
と言うのも、マダレム・サクミナミの市街地には一般市民と並の
兵士、それと戦力不足を補うための複製兵が居るだけであり、戦い
が終われば首を取る必要もない者ばかりである。
だが、私たちが向っているノムンの居城に居るのは、南部同盟の
王であるノムン、七天将軍一の座ゲルディアン、そしてノムン直下
にしてゲルディアンの部下たちである親衛隊⋮⋮それも精鋭ばかり
であり、他にも文官などの非戦闘員などもいるだろうが、その大半
が討ち取らなければ戦いが終わらない者である。
﹁本気か?ソフィール殿?その⋮⋮元々南部同盟の側であった私だ
からこそ言えることだが、ゲルディアン将軍の強さはロシーマスと
は比べ物にならないぞ?幾ら貴方と言えども⋮⋮﹂
と、私の言葉にレイミアが反論をしてくる。
まあ、レイミアはゲルディアンの実力を知っているだろうし、そ
う言う事を言いたくなる気持ちも分かる。
1428
﹁安心しなさい。私だってまだ一度も晒していない手札は残ってい
るし、本気で戦ってもいないわ。それに⋮⋮﹂
﹁それに?﹂
だがその心配は不要な物である。
何故ならば⋮⋮。
﹁本気を出したら、周囲の被害を抑える余裕なんてないの。だから、
周囲に有象無象が居ると、むしろ邪魔なのよ。私にとっても、ゲル
ディアンにとってもね﹂
﹁⋮⋮﹂
ゲルディアンの実力を一応知っているのは私もだし、あの男がど
ういう人物なのかと言う調べもついていて、それらの情報を吟味し
た結果、一番私の目的が達成できる可能性が高いのがこの筋道だか
らである。
﹁そう言うわけですので、陛下。陛下はリベリオたちを連れて、ノ
ムンとその周囲に詰めているであろう親衛隊を倒す事だけをお考え
ください﹂
﹁はい﹂
セレーネが私の言葉に返事をするのと同時に、目的地の直下に着
いたのか、土の蛇が水平方向への移動を止める。
﹁では、陛下の御武運をお祈りしています﹂
﹁ソフィールさんもお気をつけて﹂
そしてゆっくりと土の蛇が地表へ⋮⋮露出している土が殆ど排除
されたマダレム・サクミナミの中でも未だに土が残っている場所で
あるゴミ捨て場の中心で顔を出す。
そうして顔を出した瞬間⋮⋮
﹁早速来たか﹂
1429
岩の槍とでも称すべきものが暗闇から飛来したため、私は土の蛇
の頭を分解して腕のようにし、横から殴りつけることによって軌道
を捻じ曲げる。
﹁頑張ってくださいね。貴方の助力はまだ必要ですから﹂
岩の槍が地面に突き刺さり、轟音と地響きとともに辺り一帯に土
煙が生じると、その土煙に乗じる形でセレーネたちは城の中へと消
えていく。
さて、これでセレーネたちの事を気にする必要はなくなった。
﹁⋮⋮﹂
﹁随分なご挨拶ね﹂
土煙が晴れていく。
まず見えたのは様々なものが捨てられ、悪臭こそ放っていないが、
人骨すら混ざっているゴミ捨て場の姿。
続けて見えてきたのは綺麗な三日月が出ている雲一つない夜空。
それから灯りが無いために夜の闇に溶け込んでいるかのように思
える城の壁や柱。
最後に⋮⋮全身に金属製の鎧を身に付け、それぞれの手に剣と盾
を持った大男の姿が私の視界に入ってくる。
﹁まあいいわ、一応名乗っておきましょうか。西部連合のソフィー
ル・グロディウスよ﹂
﹁⋮⋮。七天将軍一の座、親衛隊隊長ゲルディアンだ﹂
大男の名はゲルディアン。
ここに居ると言う事は、やはりと言うべきか、当然と言うべきか、
彼もノムンの守護を一時的に放棄してでも、全力で私の首を獲るこ
とにしたらしい。
トロール
﹁名乗りが足りないわよ。貴方は熊の妖魔の血を引く先天性の英雄
1430
であると同時に、土と岩の魔法に適した素養の魔力を持つ後天的英
雄でもある。英雄王シチータ以来の完全なる英雄じゃない。ゲルデ
ィアン﹂
そして、こうやって会話をしている間にも既に戦いは始まってい
る。
地上ではなく地下で。
大地の支配権をどちらが握るのかと言う戦いが。
﹁⋮⋮。それを言うなら貴様もだろう。ソフィール。いや、英雄王
ラミア
シチータと直接刃を交したにも関わらず、今なお生き続けている妖
魔の中の妖魔、蛇の妖魔の王、土蛇のソフィア﹂
私の魔力とゲルディアンの魔力が相手の魔力を押し出そうと地中
で荒れ狂い、その余波で地上の幾つかの場所で地面の隆起や岩石の
形成すらも起きている。
﹁あら、気づいていたの﹂
﹁直接肌で感じ取れば、嫌でも分かる。俺がこの魔力に目覚めたの
ヒンドランス
は貴様とシチータ王の戦いに巻き込まれたからだからな﹂
私は腰に提げていた﹃妖魔の剣﹄を右手で抜き、左手に複数の魔
石を持つ。
それにしてもゲルディアンが私とシチータの戦いに巻き込まれて、
後天的英雄として目覚めた⋮⋮か。
﹁なるほどね。つまりこれも因縁の対決ってことになるのね。本当
に嫌になるわ﹂
何と言うか、本当に英雄に力を与えている誰かさんの悪意を感じ
る流れである。
流れであるが⋮⋮まあ、私のやる事は変わらない。
﹁リッシブルーの仇、取らせてもらうぞ。ソフィア﹂
1431
﹁アンタ如きにやる命はないわね。ゲルディアン﹂
ただ目の前の敵を討ち滅ぼすだけである。
1432
第260話﹁マダレム・サクミナミ−2﹂︵後書き︶
ゲルディアン戦です
1433
第261話﹁マダレム・サクミナミ−3﹂
﹁はああぁぁ!﹂
先手を取ったのは私だった。
ヒンドランス
ゲルディアンに向けて一直線に駆け寄ると、私は﹃妖魔の剣﹄を
ゲルディアンの鎧の隙間に向けて振るう。
﹁⋮⋮﹂
﹁む⋮⋮﹂
だが直線的かつ単純な攻撃がゲルディアンに通じるはずもなく、
ゲルディアンは難なく盾で私の攻撃を防いでみせる。
そして、私の剣とゲルディアンがぶつかった時、私は剣から伝わ
ってきた感触に違和感を覚えた。
あのハルバード程ではないが、﹃妖魔の剣﹄も並の金属ぐらいな
ら一方的に斬れるだけの力は持っているし、私自身の腕力も普通の
ヒトぐらいなら、どう対応しようが吹き飛ばせるぐらいの力はある
はずである。
しかし今切りかかった感触からして、ゲルディアンの装備はただ
魔力によって防御能力を強化されているだけではなく、まるでゲル
ディアンの全身が岩の塊であるかのように感じるほどに重量を増す
効果を有しているようだった。
﹁ふっ!﹂
﹁っつ!?﹂
ゲルディアンが剣を振る。
しかしゲルディアンの剣はいつの間にか、ただの剣ではなく、剣
身の周囲に小さく尖った石を幾つも纏った剣⋮⋮メイス並の幅、斧
並の破壊力、槍並のリーチを持つにも関わらず振りの速さは変わら
1434
ないという厄介な代物になっていた。
その為に私は慌てて後方に二歩分跳んで、ゲルディアンの攻撃を
躱す。
﹁貫け﹂
そうして跳んだ所に、息つく暇も与えぬと言わんばかりに四方の
地面から最初に放たれた物と同じ岩の槍が飛んでくる。
﹁喰らうか!﹂
対する私は使役魔法によって自分の周囲の土を操って腕のように
し、背後からの攻撃も含め、全ての岩の槍の軌道を逸らす事によっ
て攻撃を失敗させる。
﹁⋮⋮﹂
そして土の腕によって一瞬ゲルディアンの位置から私の腕の動き
が見えなくなったところで、私はゲルディアンに向けて左手に持っ
ていた魔石の一つを投げる。
イグニッション
﹁着火!﹂
﹁っつ!?﹂
私は爆発を起こすように火を発生させるタイプの着火の魔法をゲ
ルディアンの眼前で発動させる。
﹁ちっ⋮⋮﹂
だが、爆音と爆炎が広がる一瞬前にゲルディアンは自分の前に土
の壁を発生させることによって、着火の魔法を防ぐ。
﹁潰すっ!﹂
自身が生成した土の壁を撃ち破りながらゲルディアンが突っ込ん
でくる。
1435
しかも、それに合わせて私の背後の空間を狙うように岩の槍が射
出され、逃げ場を封じてくる。
それに対して私は⋮⋮
﹁やっぱりこれが正解だったわね﹂
﹁っつ!?﹂
﹃妖魔の剣﹄を放り投げながらゲルディアンに接近。
ブラウニー
ポイズン
その身を切られながらゲルディアンに抱きつくと、体内に仕込ん
でおいた着火の魔法を発動。
血のように巡らせておいた焼き菓子の毒に、身体を構成していた
細かい石の粒などを爆発の勢いそのままに浴びせかけてやる。
兜に隠れていても分かるほどに驚いたゲルディアンは甘い焼き菓
子の匂いを漂わせる毒の爆煙の中に消えていく。
﹁さて、これで終わってくれれば楽なんだけど⋮⋮﹂
私は﹃妖魔の剣﹄が刺さっている場所近くの地面から地上に這い
上がる。
その身には傷一つ無い。
カドゥ
ケウス
当然だ、なにせさっきまで戦っていた私は本物の私ではなく、﹃
蛇は骸より再び生まれ出る﹄によって生み出されたもう一人の私な
のだから。
ちなみに何時からと問われれば、セレーネたちを地上に上げる直
前からであり、セレーネたちにも気づかれないように入れ替わった
つもりである。
﹁ま、そんな簡単に終わる相手でもないか﹂
爆煙の向こうから、僅かに鎧を焦げ付かせ、鎧の隙間から微かに
血を滲ませたゲルディアンが、若干手足に力が入らなさそうな様子
で出てくる。
だがその目に宿っている戦意には微かな衰えも見られない。
1436
﹁⋮⋮。なるほど。今のが同時にお前が複数の場所で見られたトリ
ックの種と言うわけか⋮⋮﹂
トロール
吸い込んだ量が少なかったのもあるだろうが、気化した焼き菓子
の毒を吸ってだるいだけで済んだのは、熊の妖魔の血を引いている
からだろう。
そして、熊の妖魔の血を引いているが故に、速さはともかくとし
て体力と筋力はずば抜けたものがある。
加えて即時展開可能な土の壁や、自分の攻撃に合わせて放てる岩
の槍、剣や鎧の強化と言った後天的に得た土の魔法を状況に合わせ
て運用できる器用さと賢さもある。
総評するならば⋮⋮全盛期のシチータの横に並んでも遜色がない
レベルの英雄、と言ったところか。
﹁答えてやる義理は無いわね﹂
まあ、シチータ程の理不尽さは無いようなので、私だけでも何と
か出来るはずだが。
﹁⋮⋮﹂
ゲルディアンが再び剣と盾を構え、自身の周囲に何本も岩の槍を
生み出す。
スヴァー
どうやら向こうもまだ全力は出していなかったらしい。
﹁さ⋮⋮﹂
ヴニル
対する私は剣を一度振り、構え直す振りをしつつ﹃蛇は根を噛み
眠らせる﹄を発動。
ゲルディアンの身体から毒が抜ける前に、魔力の蛇をゲルディア
ンの左足に噛みつかせ、地脈の流れを狂わせるのと同じように、ゲ
ルディアンの魔力の一部を僅かに狂わせてやる。
1437
イグニッション
﹁続きといきましょうか。着火﹂
﹁!?﹂
そして剣先をゲルディアンに向けると同時に、大量の光を発生さ
せるタイプの着火の魔法を私は手元で発動させた。
1438
第262話﹁マダレム・サクミナミ−4﹂
﹁ぐっ⋮⋮目つぶしか!?﹂
イグニッション
﹁さあ行くわよ!﹂
着火の魔法による閃光でゲルディアンの目が潰れ、視界が回復す
ヒンドランス
るまでの間の防御として自身の周囲を球体状に土の壁で守るのを確
認した私は﹃妖魔の剣﹄をゲルディアンに向けて投擲する。
﹁⋮⋮﹂
ブラックラップ
そして﹃妖魔の剣﹄がゲルディアンの元に到達するまでの間に、
私は三つの魔法を発動する。
一つ目は左手に持っておいた魔石による黒帯の魔法。
クロウ
ゴーレム
﹃妖魔の剣﹄の軌道を追うように、私は黒い帯をゲルディアンの
方に向けて放つ。
二つ目は胸のスペースに仕込んでおいた忠実なる烏の魔法。
烏人形を私の背中から放ち、建物の影と夜の闇に隠れるように移
動させ始める。
リキンドル
ソウル
三つ目は靴底の使役魔法の魔石を中継点として、今回の潜入に合
わせてこの場に持ってきておいた再燃する意思の魔法。
それも普通サイズの魔石ではなく、御使いサーブの身体を動かす
のに使っていた特大サイズの物であり、余り物ではあるが、それで
もなお普通の魔石よりも遥かに多い魔力を秘めている代物である。
﹁やっぱり﹂
﹃妖魔の剣﹄がゲルディアンの周囲を囲む土の壁に突き刺さる。
と同時に私が剣を持って直接攻撃をしていたら立っていたであろ
う場所に向けて、岩の槍が何本も射出される。
私はその光景を見つつ﹃妖魔の剣﹄の持ち手に黒帯の魔法を巻き
1439
つけ、﹃妖魔の剣﹄を手元に引き寄せる。
﹁じゃ、これならどうかしらね﹂
難なく﹃妖魔の剣﹄が抜かれた事で、ゲルディアンも私が遠距離
攻撃を仕掛けた事に気づいただろう。
その証拠に、岩の槍をあらゆる方向に射出する準備をゲルディア
ンは整えている。
対する私は自分自身は距離を取り、再燃する意思の魔法によって
この場に残っているであろう大量のヒトの意思の残滓から造った土
人形を向かわせようとし⋮⋮唖然とした。
﹁﹁﹁ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛⋮⋮﹂﹂﹂
﹁あ⋮⋮﹂
私の背後には、いつの間にか地面から上半身だけを生やした10
m近い巨人が居た。
その身はこのゴミ捨て場に捨てられていたあらゆる物質で出来て
おり、基本形はヒトであるものの、よく見ればヒト以外の何かも混
ざっているように見えた。
この巨人が私が再燃する意思の魔法を使った結果、生じた事に間
違いない。
こんな物が出来てしまった原因が、私が再現する対象として選ん
だ意思が、個人ではなく、この場に漂う殺意、害意、悪意、復讐心
である事も間違いないだろう。
それでも何故と言う想いは拭いきれないが⋮⋮一つ確かな事があ
る。
﹁﹁﹁ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!﹂﹂﹂
﹁ひいいぃぃ!?﹂
この巨人は私の意思とは無関係に動いている。
骨と一部の肉しか再現できていないような腕を振り回し、この城
1440
を、ノムンを、ゲルディアンを、そして既に居ないリッシブルーを
殺す事しか考えていない。
己が抱く怨みの全てを晴らす事しか考えていない。
﹁﹁﹁ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!﹂﹂﹂
﹁!?﹂
巨人の背後に向けて全力で駆け、回り込む事で攻撃から逃れた私
の背後で、巨人の横殴りの一撃によってゲルディアンの張った土の
壁は容易く撃ち破られる。
それどころか、中に居たゲルディアンは大きく吹き飛ばされ、近
くの壁に叩きつけられる。
﹁﹁﹁コ゛ロ゛ス゛ウ゛ウ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛!オ゛マ゛エ゛ヲ゛
コ゛ロ゛ス゛ウ゛ウ゛ウ゛ゥ゛ゥ゛ゥ゛!!﹂﹂﹂
﹁ぐっ⋮⋮何だコイツは⋮⋮﹂
巨人がゲルディアンに向けて何度も何度もこぶしを叩きつけ、殴
り掛かる。
対するゲルディアンは盾を強化する事で巨人の攻撃を凌ぎつつ、
魔力を放出することで再燃する意思の魔法を解除しようとする。
が、巨人の動きを見る限り、大して効果は無さそうである。
﹁﹁﹁カ゛エ゛セ゛!ツ゛ク゛ナ゛エ゛!ソ゛ノ゛イ゛ノ゛チ゛ヲ
゛モ゛ッ゛テ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛!!﹂﹂﹂
﹁くそっ⋮⋮﹂
うん、やった私が言うのも何だが、ゲルディアンたちがどれほど
の怨みを抱かれていたのかが良く分かる光景でもある。
まあ、自業自得だが。
なにせ私は、このゴミ捨て場に捨てられているレイミアの両親を
含めた、ノムンによって処刑された人々がその身に残した負の感情
を再現しただけなのだし。
1441
﹁﹁﹁シ゛ネ゛エ゛エ゛エ゛ェ゛ェ゛ェ゛!!﹂﹂﹂
﹁ぬぐおっ!?﹂
とりあえず今後は⋮⋮再燃する意思の魔法を使う際には、個人や
範囲をきっちり定めて使う事にしよう。
私もどうなるか分かったものでは無いし。
﹁ふむ、時間切れの様ね﹂
と、稼動用の魔石の魔力が切れたのだろう。
巨人がその形を歪ませ、崩れ去っていく。
ゲルディアンは?
﹁はぁはぁ⋮⋮よくも⋮⋮﹂
肩で息をし、鎧も盾も傷だらけ、へこみだらけで、左腕の様子も
おかしく、血も幾らか流しているようだが、生きている。
ちっ、しぶとい。
﹁やってくれ⋮⋮っつ!?﹂
﹁その傷⋮⋮﹂
と言うわけで、もっと弱らせることにしよう。
私は烏人形をゲルディアンの左足、﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄に
よって魔力を乱し、他の場所に比べて強化が弱くなっている場所へ
と突撃させ、尖った石の嘴によって突き刺す。
﹁治してあげるわ﹂
﹁があっ!?﹂
ヒール
そしてゲルディアンが魔力放出によって烏人形を破壊するよりも
早く、私は烏人形の体内に仕込んだ治癒の魔石を発動。
ゲルディアンの傷を癒してやる。
1442
﹁き⋮⋮さ⋮⋮ま⋮⋮﹂
ただし、治癒の魔法は回復の際にそれ相応に体力を消耗するし、
傷口に異物があるままだったりすると、その消耗が跳ね上がった上
に結局傷口は塞がらなかったりする。
後、骨が折れているのに、位置を正さずに使ったりすると変な形
で骨が固定されてしまうと言うのもあったか。
まあいずれにしてもだ。
﹁マトモに戦う気はないのか!﹂
ゲルディアンの体力はこれで一気に削られた事になる。
﹁心にもない事を。挑発に乗る気はないわよ﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
尤も、良い方向とは言え、想定外がまた起きてしまった事である
し、トドメを刺す瞬間まで油断など一切出来ないのだが。
1443
第263話﹁マダレム・サクミナミ−5﹂
﹁ま、早々に決着を付ける事は、私にとってもやぶさかではないわ﹂
追い詰められていると言ってもいい、この状況でゲルディアンが
取ってくる手は?
逃げると言う手はないだろう。
この状況でゲルディアンが逃げれば、私はノムンの元に向かい、
セレーネたちに助力するだけ。
それはゲルディアンにとっては絶対にあってはいけない事態だ。
長期戦と言う手もまず無い。
戦いの流れだけ見るならば、私の攻撃によって一方的にゲルディ
アンの体力や魔力、装備品が削られているのだから。
つまり私を倒す気であるならば短期決戦を、場合によっては相打
ヒンドランス
ち覚悟でゲルディアンは私を殺しに来る事だろう。
﹁そう言うわけだから⋮⋮﹂
﹁!?﹂
それを理解しているからこそ、私は﹃妖魔の剣﹄を構える。
右手で剣を持ち、左手の人差し指と中指を剣身の根元に当て、切
っ先をゲルディアンに向けると言う今までに見せて来なかった形で。
﹁やらせてもらうわよ﹂
見慣れぬ構えにゲルディアンが動揺している間に、私は懐にしま
ってある大きな金色の蛇の環を意識しつつ、左手の指先に魔力を集
め、とある念を込めつつ剣先に向けて指をゆっくりと滑らせていく。
そうして剣先から指が離れた瞬間。
﹁ゲルディアン!﹂
1444
﹁⋮⋮!?﹂
ヒノ
カワ
﹃妖魔の剣﹄の剣身がまるで燃え上がるように赤く染まり、輝き
だす。
魔法の名は﹃蛇は八口にて喰らう﹄。
私が有する切り札の一つだ。
﹁ふんっ!﹂
﹁ぐっ!?﹂
私は使役魔法によって自分の足元の土を使役の対象にすると、そ
の土を自分の脚に絡み付かせた上で、全力で⋮⋮長距離を高速で移
動する時と同じ速さで横にスライドさせる。
すると当然私の身体も土が移動するのと同じ速さで移動を始め、
全身の筋力を以ってしても姿勢を保持するのが限界の速さで私はゲ
ルディアンに接近し、﹃妖魔の剣﹄をゲルディアンに向けて振るう。
﹁ちっ﹂
﹁舐め⋮⋮るな⋮⋮﹂
だが、所詮はロシーマスと同じ程度の速さ、ゲルディアンは多少
苦悶の声を上げつつも、盾で私の剣を隙なく防いで見せる。
しかしその目は語っている。
私の魔法がただ剣を光らせるだけの筈が無い、何か仕掛けがある
のではないか、と。
その考えは正しい。
だが今はまだその時ではない。
﹁死ねえぇ!﹂
ゲルディアンが私に切りかかろうとする。
私は使役魔法によって足に絡み付かせた土を操作、その場で生身
では絶対に出せない速さでの反転を始める。
と同時に、左手に持っていたただの石を魔力を込めつつゲルディ
1445
アンの眼前に向けて投げる。
﹁っつ!?﹂
そう、ただの石だ。
だが見た目では魔石とただの石は見分けがつかない。
おまけに私の魔力が注ぎ込まれていては、見ただけでは判別は不
可能だろう。
しかし、ただの石の投擲にゲルディアンは驚き、剣を振るのを止
めてしまった。
これで目の前で反転し、隙を晒す私に先んじて攻撃する事は出来
ず、ゲルディアンは私の一撃を防いでから攻撃を仕掛けるしかなく
なった。
﹁喰らって⋮⋮﹂
ゲルディアンが剣の腹で﹃妖魔の剣﹄の進路を阻み、攻撃を防ご
うとする。
カワ
しかし、私にはこの攻撃を防がせる気はなかった。
ヒノ
﹁すり抜け﹂
﹁!?﹂
私は﹃蛇は八口にて喰らう﹄の効果によって﹃妖魔の剣﹄を変形
させ、傍目にはゲルディアンの剣をすり抜けたかのように、勢いを
一切殺さずにゲルディアンの剣を躱す。
﹁くっ⋮⋮!?﹂
ゲルディアンは﹃妖魔の剣﹄が自分の剣をすり抜け、自分の首に
向けて剣が迫ってくるのを見て、首を逸らす事で避けようとする。
しかし、それではこの剣は避けられない。
﹁伸長﹂
1446
ヒノ
﹁なっ⋮⋮!?﹂
カワ
私は﹃蛇は八口にて喰らう﹄によって再び﹃妖魔の剣﹄を変形さ
せる。
剣身を細く、そして長くすることによってゲルディアンの首に刃
を届かせ、刃を曲げることによって兜の隙間を縫う。
﹁刈り取れ﹂
﹁⋮⋮!?﹂
そして、ゲルディアンの首を切り裂き、落とす。
これでゲルディアンは死んだ。
﹁ま⋮⋮﹂
が、まだ戦いは終わっていない。
﹁そうよね!﹂
死の直前、ゲルディアンが準備を整え、私に向けて放った無数の
岩の槍が四方八方から迫っていた。
だがこれは予想の範疇である。
ゲルディアン程の英雄が素直に、何もせず、ただ死んでくれるな
んてそんな甘い幻想を私が抱くはずがない。
プルアウト
﹁撤退!﹂
私は使役魔法による高速移動術によって岩の槍の雨⋮⋮いや、嵐
をかいくぐりながら比較的安全な場所にまで移動すると、即座に撤
退の魔法を発動。
身体の複数個所にかすり傷を造りながらも岩の槍の嵐を潜り抜け、
ゴーレム
適当な屋根の上に着地する。
クロウ
﹁忠実なる烏﹂
安全な場所にまで移動した所で、私は烏人形を倒れているゲルデ
1447
イグニッション
ィアンの元に向かわせると、ゲルディアンの首を回収すると共に、
胴体に着火の魔法で火を点けて火葬してしまう。
本音を言えば頭も燃やしてしまいたいのだが⋮⋮まあ、こちらに
は別の使い道があるから仕方がない。
なお、食べると言う選択肢は論外である。
ゲルディアンなんて食べたら腹を壊しそうだし。
﹁ふぅ、少し休憩したらセレーネの援護に向かいましょうかね﹂
私はそう呟くと、その場に腰を下ろして体を休め始めた。
1448
第263話﹁マダレム・サクミナミ−5﹂︵後書き︶
別の使い道↓戦争終結後の死亡認定 です。
1449
第264話﹁ノムン−1﹂
ソフィアとゲルディアンが戦っていた頃。
﹁グアッ!?﹂
﹁制圧完了﹂
﹁では、先に進みましょう﹂
城の中へと潜入したセレーネたちは、遭遇した敵を確実に仕留め
つつ、順調に城内を進んでいた。
それこそ敵の城の中とは思えないほどに。
﹁玉座の間はこっちです﹂
﹁分かりました﹂
だが、少し考えてみれば、セレーネたちの快進撃は当然の結果だ
とも言えた。
と言うのも、セレーネたちはたった六人ではあるものの、ただの
六人ではないからである。
﹁しかし、ノムンは親衛隊まで魔法の対象にしているんですね﹂
ヒーロー
一人は様々な条件を付けることによって、燃やすものや範囲を自
在に選べる炎の魔法を持つ上に、﹃英雄の剣﹄も手にした後天性英
雄のリベリオ。
﹁人手が足りていない証拠だろう﹂
ラミア
一人は元七天将軍として、マダレム・サクミナミの城の構造にも
幾らかは通じている、蛇の妖魔の血を引く先天性英雄のレイミア・
グロディウス。
1450
﹁見せしめにしたのも何人か居る気もする﹂
ヒドゥン
一人は剣に魔力を纏わせ、射程や切れ味、強度などを強化する魔
法、暗殺者としての技術、﹃存在しない剣﹄を併せ持つ後天性英雄
のペリドット。
﹁いずれにしても許しがたい行いには変わりないですよね﹂
一人は本人すらも知らないが、蛙の妖魔トーコの血を引き、ヒト
の範疇で高い身体能力とセレーネの親衛隊隊長として忠誠心を持つ
先天性英雄のバトラコイ・ハイラ。
﹁命を弄ぶ行為だからねぇ。マトモな感性をしているなら、得ても
使おうだなんて考えないだろうさ﹂
一人は﹃黄晶の医術師﹄の総長にして、ヘニトグロ地方一の名医
かつ西部連合でも有数の武闘派魔法使いであるリリア・ヒーリング。
ヒューマン
﹁急ぎましょう。時間が経てば、それだけノムンに準備をする時間
を与えることになりますから﹂
そして、それら五人を取りまとめるのは﹃ヒトの剣﹄を持ち、高
い指揮能力を有する西部連合の王セレーネ・レーヴォル。
﹁﹁﹁了解﹂﹂﹂
加えて、城の中と言う数の利を生かす事が難しい環境に、親衛隊
の隊員たちに混ざっている元親衛隊の複製兵とセレーネたちの相性、
ソフィアから事前に教えられていた城内の構造や仕掛けについての
情報。
これらの要素が合わさった結果として、南部同盟の兵の中でも精
鋭であるノムンの親衛隊の力を以ってしても、セレーネたちの歩み
は止められず、それどころかほぼ一方的な蹂躙劇が繰り広げられる
ことになったのだった。
1451
−−−−−−−−−−−−−
﹁陛下。この扉の向こうが玉座の間です﹂
﹁ソフィールさん曰く、一番ノムンが居る可能性が高い部屋。でし
たっけ﹂
そうして城内を着実に進み続けたセレーネたちは、やがて一つの
巨大な扉の前に立つ。
扉の向こうにある部屋の名は玉座の間。
ノムンが謁見や軍議を行う場として活用している部屋であり、今
回の戦いにおいてもノムンは此処からマダレム・サクミナミの各地
に指示を伝えているはずだった。
﹁では、入りましょう。リベリオ﹂
﹁はい﹂
リベリオの手の上に火球が一つ生み出される。
﹁ふんっ!﹂
リベリオが火球を扉に向かって投げつける。
そして扉にぶつかった火球は⋮⋮
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹁やはり控えていましたか﹂
その見た目にそぐわないほど大きな爆発を起こし、大きな扉を吹
き飛ばしつつ、全ての爆炎と爆風を扉の向こうに送り込むと、扉の
向こうで武器を⋮⋮槍と弓を構えていたノムンの親衛隊の隊員たち
どころか、彼らよりも更に後方に控えていた剣を持っていた隊員た
ちまでも一人残らず吹き飛ばし、焼き払う。
1452
ノムン
﹁さて、初めましてでよろしいのですよね。叔父上﹂
普通のヒトがリベリオの一撃によって容赦なく葬り去られた事を
確認したセレーネは爆煙が晴れるのを待ってから、ゆっくりと玉座
の間に入り、玉座に座っている人物へと声をかける。
セレーネ
﹁クチャ、クチュ⋮⋮始メマシテ。ソウダナ、コウシテ顔ヲ合ワセ
ルノハ初メテダ。我ガ姪ヨ﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
玉座に座っている人物は確かにノムンだった。
しかし、その姿を見たセレーネ以外の五人は、その姿に驚きの色
を隠せなかった。
何故なら、ソフィアの話では、ノムンは黒い髪に橙色の目を持ち、
その容姿は決して悪くはなく、身体には弛みなどまったく見られな
い男であり、直接の面識があるレイミアもその点については同意だ
ったからだ。
﹁その姿は⋮⋮ああ、ソフィールさんが何かをした結果⋮⋮いえ、
副作用ですね﹂
だが、今のノムンの姿はそんな事前の情報とは似ても似つかない
ものだった。
左腕と左脚は死の間際にある老人のように細く、枯れ木のように
なっており、生気というものをまるで感じられない姿だった。
逆に右腕は黒い毛が生え揃い、指の先には獣の鉤爪に似た黒い爪
が生え揃い、血に濡れたその腕はまるで狩りを終えたばかりの獣の
それだった。
けれど最も異様で、リベリオたちを驚かせたのはそれらの部位で
は無かった。
﹁突然ノ事ダッタヨ。抵抗スル暇モナカッタ﹂
最も異様だったのはその顔。
1453
ノムンの顔の右半分は狼のように口の端が裂け、右耳に届きそう
なほどになり、開かれた口からは獣の牙のような歯が見えていた。
右目は失われ、暗い眼窩から血の涙を流し続け、ヒトの言葉も普
通に発することが出来なくなっていた。
﹁ダガ、オ陰デ新タナ味覚ト言ウ物ヲ知レタ。憎イ仇ダガ、ソノ事
ニハ感謝シヨウ﹂
ノムンの口から何かが吐き捨てられ、その何かを見たセレーネは
あからさまに眉を顰め、リベリオたちはまさかと言う表情をする。
﹁なるほど。妖魔の血に目覚め、堕ちたのですか﹂
﹁堕チタ?違ウナ、目覚メタノダヨ。アルベキ姿ニナ﹂
何かとは⋮⋮ヒトの指の欠片だった。
﹁ヒハハハハ、妖魔ガ何故ひとヲ喰ラウノカガヨク分カッタヨ﹂
ノムンが片脚が枯れ木のようになっているとは思えない程軽やか
に、玉座から立ち上がる。
﹁狂ってる⋮⋮﹂
﹁ヒトが妖魔になるなんてことがあるとはね⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁まったく、あの男は碌な事をしないねぇ﹂
﹁セレーネ様!﹂
﹁分かっています。全員構えなさい﹂
それを見たセレーネたちは即座に臨戦態勢を整える。
﹁サア、マズハ貴様等カラダ!﹂
ノムンがセレーネたちに向かって跳躍し⋮⋮戦いが始まった。
1454
第264話﹁ノムン−1﹂︵後書き︶
10/26誤字訂正
1455
第265話﹁ノムン−2﹂
﹁散開!﹂
セレーネの言葉と共に、リベリオたちは四方に跳ぶ。
そしてセレーネたちが飛び退いた直後に、跳躍する前よりも二回
りほど大きくなった右腕をノムンは床に叩きつける。
﹁巨大化⋮⋮いえ、複製の魔法の応用ですね﹂
セレーネはバトラコイに担がれてノムンから離れつつ、リベリオ
たち相手に右腕を振り回し、本能のままに暴れまわっているかのよ
うなノムンが何をしたのかを見定めようとする。
レプリカ
ノムンが後天的英雄として目覚め、使えるようになった魔法の名
リプロダクション
は表向きには複製の魔法と言う対象の劣化コピーを生み出す魔法と
されている。
だがセレーネは、ソフィアからノムンが使っている魔法は株分け
と呼ぶ方が正しい事、更にはその魔法が恐らくは複製対象を生きた
まま切り刻み、その肉体の一部を核として利用している魔法である
事も聞いていた。
﹁そ、それって!自らの肉体を部分的にではあるものの、複製した
ということですか!?﹂
﹁恐らくは﹂
バトラコイの言葉に頷きつつ、セレーネは今も石の床を右腕で平
然と叩き割り、床に転がっている重武装の親衛隊の死体を小石でも
蹴るように吹き飛ばすノムン相手に、どう攻めるべきかを続けて考
える。
株分けの魔法によって肉体の一部を複製し、強化できるという事
は、失われた肉体を複製することで、再生する事も出来ると言う事。
1456
場合によっては、こちらの攻撃で切り離された肉体を核として、
自分自身の複製を生み出す事も可能であるという事。
そこまで理解した上でセレーネは叫ぶ。
﹁全員、不用意な攻撃は控え、可能な限り少ない手数で仕留められ
るような攻撃をお願いします!﹂
﹁﹁﹁了解!﹂﹂﹂
﹁フハハハハ!﹂
セレーネの言葉に今まで攻撃を控え、右腕を振り回すノムンの攻
撃を耐えるだけだったリベリオたちが動き出す。
﹁はっ!﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁ヌッ?﹂
まず、レイミアとペリドットの二人が前に出ると、当たりそうで
当たらない攻撃を仕掛けることによって、ノムンの注意を自分たち
に引き寄せる。
パラライズ
﹁麻痺﹂
﹁!?﹂
そうしてノムンの注意が削がれ、筋肉の付き方の関係上、必ず動
けなくなる瞬間を狙って、リリアが麻痺の魔法を放ち、黄色い稲妻
のようなものでもってノムンの胸を貫く。
すると麻痺の魔法の効果によって、ノムンの全身の筋肉が硬直し、
動けない一瞬が延長される。
勿論、ノムンの後天的英雄としての圧倒的な量の魔力を用いれば、
麻痺の魔法を解除することは可能である。
だが、その解除に有する数瞬。
その数瞬こそがリベリオに必要なものだった。
1457
﹁ノムンだけを焼き尽くせ。灰すらも残さぬほどに﹂
リベリオの手から最早白い光の玉のようになった火球がノムンに
向けて放たれる。
﹁グオオオオォォォ!?﹂
火球はノムンが麻痺の魔法を解除するのに必要な数瞬の内に、そ
の身に到達し、効力⋮⋮ノムンだけを焼き尽くすという効果を発揮
し始め、ノムンの全身を炎で包み込む。
﹁アガァ!?ガァ!?﹂
全身を炎に包まれたノムンは叫び声を上げ、炎を消そうとその場
で転がりまわるが、炎が消えることはなく、それどころか炎は周囲
の何にも引火する事なくノムンだけを焼き続ける。
﹁さて⋮⋮これで終わってくれるかね?﹂
﹁それなら、楽なんですけど⋮⋮﹂
﹁相手はもうヒトじゃない。死んだと言い切れるまで油断は出来な
い﹂
﹁全員気を抜かないでください。最後のその時まで﹂
﹁はい﹂
﹁⋮⋮﹂
普通ならば、誰もがこれでノムンは終わりだと思っただろう。
だが、セレーネたちは誰一人としてノムンがこれで終わるとは思
っていなかった。
リッシブルーの死を引き金として、土壇場で逆転の芽を生じさせ
るような魔法を使える後天的英雄として目覚めた点。
ソフィアの魔法がきっかけであるにしても、肉体を妖魔のそれに
等しいものに変えて襲ってきた点。
この二つの点から、完全に死んだと確信できるその時まで一切の
油断は許されないとセレーネたちは認識していた。
1458
そしてセレーネたちの考えは正しかった。
﹁コノ程度デ⋮⋮死ンデ、堪ルモノカアアァァ!!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
ノムンが叫び声を⋮⋮否、咆哮を上げると同時に、リベリオの放
った灰すらも焼き尽くすはずの炎が吹き飛ばされ、掻き消される。
﹁ブシュルルル⋮⋮ガ、グギャ、ガアアァァ!?﹂
そして炎を吹き飛ばしたところで、リベリの炎によって全身の皮
膚が焼け爛れているノムンが突然苦しみだし⋮⋮
﹁ーーーーーーーーーーー!!﹂
最早声になっていない叫び声を上げながら全身の肉を膨らませつ
つ、変貌していく。
枯れ木のようだった左腕と左脚は骨だけになった。
だが、それでも何故か手足としての機能は失わず、身体にくっつ
いたままだった。
獣のような右腕は更に膨れ上がり、指一つでセレーネの腕に匹敵
するような太さになる。
胴や背中には幾つもの人面疽のようなものが浮かび上がりつつ、
膨れ上がり、呪詛と膿を撒き散らす。
そして頭部は完全に狼のそれ⋮⋮ただし、幾らか腐敗したもの⋮
⋮となり、ヒトのままであるのは右脚だけとなった。
﹁ブハアアアァァ⋮⋮﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
スヴァー
ヴニル
ノムンだった者の口から腐敗臭の混じった吐息が漏れ出てくる。
醜悪なその姿はソフィアの﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄によって変
質した魔力、ノムンの株分けの魔法、シチータから引いた妖魔の血、
リベリオの炎による追い詰め、そしてノムンが喰らったヒトの肉体
1459
とノムンが殺した者たちの思念、そう言ったものが合わさり、互い
に互いをおかしくし合い、暴走した結果として出来上がったもので
ある。
しかし、大多数の者はセレーネの前に立つ、3m近い身長を持つ
その者の姿を見て、こう評するだろう。
﹁妖魔ですらない化け物にまで堕ちましたか。ノムン!﹂
化け物、と。
﹁ガアアアアァァァァ!﹂
そしてノムンだった者はセレーネたちに襲い掛かった。
1460
第265話﹁ノムン−2﹂︵後書き︶
完全にヒトを辞めました
10/28誤字訂正
1461
第266話﹁ノムン−3﹂
﹁ガアアアァァァ!!﹂
﹁化け物だ!化け物が玉座の間に出たぞおおぉぉ!﹂
ノムンだった者に理性という物は存在しなかった。
セレーネたちを喰らおうと襲い掛かるも、攻撃を避けられたノム
ンだった者は突進の勢いを殺し切れずに玉座の間の外に飛び出ると
その場で右腕を振り回す。
その為にまず犠牲になったのは⋮⋮、
﹁なんだこい⋮⋮ちゃ?﹂
﹁あびゃ!?﹂
﹁ぎゃあ!?﹂
ノムンを助けるべく玉座の間に踏み込もうとしていたノムン親衛
隊の隊員たちだった。
彼らは目の前に居るそれが自分たちの主君であると思わず、勇敢
にも剣で切りかかり、弓を射り、槍で突き、魔法を撃ちこもうとし
ていた。
だがそれよりも早くノムンだった者の右腕が振るわれ、大半の者
は周囲の壁と彼らが身に付けている鎧ごと切り裂かれ、絶命してい
く。
そして運よく生き残った者の攻撃が放たれるも、剣や槍の攻撃で
受けた傷は傷口から新たな肉が湧き出す事によって塞がっていき、
刺さった矢も溢れ出す肉によって抜けていく。
魔法に至っては、ノムンだった者から放出されている大量の魔力
によって、そもそも傷すら与えられなかった。
﹁正に化け物⋮⋮ですね﹂
1462
﹁陛下⋮⋮いや、セレーネ。止めるよ。何としてでも﹂
﹁言われなくても。だから頼みますよ。リベリオ﹂
﹁分かってる﹂
獲物を求めて暴れまわるノムンだった者は、セレーネたちの事を
気にする様子もなく、右腕を振り回して壁もヒトも関係なく破壊し
尽くし、ヒトを殺せたと判断したら左腕で鷲掴みにして口に運んで
いく。
その姿にはヒトらしさという物は欠片も存在せず、ノムンだった
者が妖魔よりも悍ましい何かであることを雄弁に語っていた。
﹁では⋮⋮生き残りはこちらに来なさい!ノムンは死にました!も
うヒト同士の戦は終わりです!!﹂
セレーネの言葉にノムン親衛隊の面々に動揺が走る。
動揺が走っている事を確認した上で、セレーネは続けて言葉を発
する。
﹁後はその化け物を⋮⋮妖魔よりも悍ましき何かを皆で倒すだけで
す!だから私に従いなさい!生き残りたいならば!!﹂
セレーネの言葉に疑念を抱きつつも、ノムン親衛隊の隊員たちは
一人また一人とセレーネの指示に従って動き出す。
思惑はそれぞれに異なっていたが、この場に居る全員が共通して
抱いている想いが一つあった。
それはこの場でこの化け物を殺さなければ、自分たちが殺される
という事。
﹁必ずここで仕留めますよ!レイミア!リベリオ!﹂
﹁﹁了解!﹂﹂
セレーネの指示の下、リベリオとレイミアの二人を主体としてノ
ムンだった者の足止めを行い、リリアが負傷者の治療を行って場を
繋ぐ。
1463
そしてこの騒ぎに慌てて駆け付け、セレーネに指示されたソフィ
アによって城門が開けられ、外から西部連合と東部連盟の兵たちが
増援として駆けつけることによって、ようやく状況は均衡を保てる
ようになる。
﹁﹁﹁ウオオオォォォ!!﹂﹂﹂
﹁攻撃の手を緩めるな!﹂
﹁効かなくてもいい!とにかく撃ち続けろ!!﹂
最早西部連合も、東部連盟も、南部同盟も無かった。
全員が全員、ノムンだった者を倒すべく一致団結し、壁と言う壁
が崩され、廃墟同然と言ってもいいマダレム・サクミナミの城の中
で奮戦し続けていた。
﹁クソッタレが!こんだけ攻撃しても鈍りすらしねぇ!﹂
﹁諦めるな!とにかく攻め続けるしかない!﹂
﹁コイツさえ仕留めれば全部終わりなんだ!やるしかねぇ!!﹂
だが、何本もの荒縄を掛け、何百人で引いてもノムンだった者の
動きを幾らか抑え込む程度の効力しか与えられず、何百と言う矢を
浴びせても平然と立ち続け、それと同じくらいに切りつけ、突いて
も、ノムンだった者を仕留める事は出来なかった。
それどころか、ノムンだった者の攻撃によって多くの者が傷を負
い、中には治癒の魔法を掛ける間もなく死に至る者や、直接巨大な
咢によって噛み砕かれ、食い殺されるものも居た。
﹁へ、陛下⋮⋮なんか最初の時よりもデカくなっている気がするん
ですけど⋮⋮﹂
﹁気がするのではなく、大きくなっているのでしょう﹂
﹁うーん、たぶんだけどヒトを食う度に大きくなっているんじゃな
いかしら﹂
そんなノムンだった者の大きさは、変貌した直後は3m程度だっ
1464
たが、数多のヒトを手にかけ、喰らった今では5mを超す大きさに
なっていた。
その事実にバトラコイは顔を青くし、セレーネは眉を顰め、自分
が原因の一端であることを理解しているソフィアは背中に冷たいも
のを感じずにはいられなかった。
﹁このままじゃいけないわね。何か手を考えないと﹂
﹁ソフィールさんは効果が明確化しているものだけを使ってくださ
い。これ以上想定外が起きたら、本当にどうしようもなくなります
から﹂
﹁はい⋮⋮﹂
ヒンド
セレーネに余計な事をするなと言われたソフィアは、若干項垂れ
ランス
つつも懐から取り出そうとしていたとある物を懐に戻すと、﹃妖魔
の剣﹄を構える。
﹁では陛下、私も前線に加わります﹂
﹁お願いします﹂
ソフィアがセレーネの傍から離れ、ノムンだった者に向けて駆け
出す。
また、ソフィアの視界の端では、リベリオもソフィアの支援を行
うべく、再びノムンだった者に向けて駆け出していた。
﹁さあ行くわよ!﹂
﹁合わせます!﹂
﹁グルアアアァァァ!﹂
そしてノムンだった者が、自分に切りかかろうとするソフィアを
最も危険な相手だと見定め、リベリオを次に危険な相手だと認識し、
二人を引き裂くべく右腕を振りかぶった瞬間だった。
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
1465
一人の死神がノムンだった者の背後に現れた。
1466
第267話﹁ノムン−4﹂
﹁死⋮⋮神⋮⋮﹂
死神。
物理的な実体を有していると錯覚するほどに濃密なために光を通
さなくなった黒い魔力と、その魔力によって正体が隠された何者か
の姿を見た時、私の脳裏に最初に浮かんだ言葉がそれだった。
死を司る神、死者の国へと誘う神、隠れ世に住まう神、今までに
一度も聞いたことも無ければ、思いついたことも無い概念であるに
も関わらず、自然と私はその言葉を呟いていた。
﹁グルオオオォォォ!﹂
ノムンだった者は本能的に私が死神と呼んだものの危険性を感じ
取ったのか、いち早く迎撃するべく、剣を振りかぶる私とリベリオ
の事も無視して、慌てて振り返ろうとした。
﹁⋮⋮﹂
﹁!?﹂
だがその前に死神は何処か見覚えのある剣を、何処か見覚えのあ
る木の指輪を填めた手で振るい、ノムンだった者の骨だけになった
左腕をまるで柔らかい菓子でも切るかのように容易く切り飛ばす。
﹁ギ⋮⋮﹂
そして死神がノムンだった者の左腕を切り裂き、死神の姿が黒い
魔力に包み込まれて消えた直後だった。
﹁ガアアアァァァ!?﹂
ノムンだった者は傷口の再生が始まらない左腕の切断面を手で抑
1467
えながら叫び声を上げる。
﹁グルアッ!?ギルアッ!?﹂
﹁これは⋮⋮﹂
そこへ周囲の兵士が放った矢が突き刺さり、火球の魔法が直撃す
る。
この二つの攻撃は今までは足止めとしての効果も碌に発揮できて
いない攻撃だった。
だが、巨体であるが故に効果は薄かったが、矢は刺さったままで、
焦げた肌が再生する事も無かった。
それはつまり⋮⋮
﹁全員!全力で攻撃を仕掛けなさい!!今の奴に自らの傷を治す力
はありません!!﹂
ヒノ
カワ
死神の攻撃によって、ノムンだった者の強さを支えていた要素の
一つが失われたという事だった。
﹁はああぁぁ⋮⋮﹂
﹁!?﹂
ヒンドランス
それならば一切の遠慮はいらない。
私は﹃妖魔の剣﹄を両手で持つと、﹃蛇は八口にて喰らう﹄を発
動した状態で切りかかる。
﹁はあっ!﹂
﹁ギガアアアァァァ!?﹂
そして剣身を一瞬だけ長くすると、本来の剣の長さでは絶対に切
れない太さであるノムンだった者の右腕を肩口から一刀で切り離す。
﹁焼き切れ!﹂
﹁ガッ⋮⋮!?﹂
1468
ヒーロー
続けてリベリオが﹃英雄の剣﹄に炎を纏わせた上でノムンだった
者に切りかかり、その胸を真一文字に切り裂くと同時に焼き、ノム
ンだった者の上半身を一気に炎上させる。
﹁突けええぇぇ!﹂
﹁切れええぇぇ!!﹂
私とリベリオの二人に続くように周囲の兵士たちも槍と剣でノム
ンだった者を攻撃し、その体力を少しずつ、けれど確実に削り取っ
ていく。
﹁⋮⋮!!﹂
﹁なっ!?﹂
﹁しまっ!?﹂
このまま攻撃し続ければ倒せる誰もがそう思った時だった。
ノムンだった者の右脚⋮⋮唯一ノムン本来の姿の面影を残してい
たその部位が、僅かに残されていたノムンの意思を反映するかのよ
うに地面を蹴り、ノムンだった者を一つの方向に向けて飛ばす。
﹁⋮⋮!!﹂
﹁陛下!﹂
﹁なるほど、最後の最後まで貴方らしい選択ですね﹂
その先に居たのはセレーネとバトラコイの二人。
そう、己の死を免れないと悟ったノムンは、この期に及んでも意
地汚い事に、セレーネを狙ったのだった。
自らの道連れにするべく。
﹁⋮⋮!?﹂
﹁ですが⋮⋮﹂
私とリベリオの二人も、他の将兵たちもその事を察すると、慌て
てノムンだった者にトドメを刺そうと動き出す。
1469
だが私たちが何かをする前にすべては終わっていた。
﹁ギッ⋮⋮!?﹂
﹁貴方如きが命を取れるほど、私の守りは薄くなく、死にかけの貴
方の命を取れない程、私は非力な存在ではありません﹂
ノムンだった者のセレーネを噛み砕こうとする一撃が、琥珀蠍の
ヒューマン
魔石が張った障壁とバトラコイの盾によって止まると同時に、セレ
ーネは腰に挿していた﹃ヒトの剣﹄を抜いていた。
﹁はっ!﹂
﹁!?﹂
セレーネは﹃ヒトの剣﹄を両手で持つと、ノムンだった者の頭の
中心を、生命を維持するために欠かせぬその部位を口の中から刺し
貫く。
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
直後、ノムンだった者の全身が一瞬だけ膨れ上がり、周囲に向け
て閃光を発した。
その光の強さには、私も目を背けずにはいられない程だった。
﹁さあ⋮⋮﹂
やがて光が収まった時。
﹁これで戦いは終わりです﹂
私の前ではノムンだった者の全身が塵に還っていくと同時に、ノ
ムンだった者の血で汚れた﹃ヒトの剣﹄を持ったセレーネが、切っ
先を天に向けた状態で掲げる途中だった。
﹁全員、勝鬨を上げなさい!!﹂
そしてセレーネの言葉と共に、この場に居たすべての兵士が鬨の
1470
声を上げた。
それはつまり⋮⋮
﹁これで戦も終わり⋮⋮か﹂
ノムンが死に、南部同盟が滅び、戦争が終わり、セレーネによっ
てヘニトグロ地方の統一が行われた事を誰もが認めた瞬間だった。
それは同時に⋮⋮
﹁なら、次の目的に向けて私も動き出さないと﹂
私の本当の目的を果たすために必要なものの一つがようやく整っ
た事を示していた。
﹁ふふふ、ある意味これからが本当の戦いね﹂
私はそれまでの所属など関係なしにお互いに喜び合っている人々
に背を向けると、その場の喧騒から逃れる。
理由は簡単。
﹁ふふっ、ふふふふふ、あーはっはっは!﹂
見せられないからだ。
こんな妖魔としての本性が露わになった狂相など。
ウィズにも、リベリオにも、レイミアにも、私の本当の目的の欠
片すら知らないヒトには絶対に。
カーニバル
﹁ふぅ⋮⋮さて、祭りの準備を始めなきゃ。まずは約束を果たす事
からね﹂
そうして感情をどうにか抑えた私は忠実なる蛇の気配を頼りにペ
リドットを探し始めるのだった。
1471
第267話﹁ノムン−4﹂︵後書き︶
ソフィアが善人の筈無いんだよなぁ
1472
第268話﹁ノムン−5﹂
ヘニトグロ統一戦争。
別名、﹃英雄戦争﹄とも呼ばれるこの戦争は、その名の通りヘニ
トグロ地方全土を巻き込んだ戦いであると同時に、十を超える英雄、
百を超える将軍と軍師、万を超える兵が敵味方に分かれて、ヒト同
士で戦った戦争でもある。
当然、それ程までに大規模な戦争であると同時に、少なくない謎
を残しているため、現在でもなお演劇や小説などの創作物の題材と
して根強い人気を誇っているものでもある。
さて、戦争に参加した英雄や将兵の内、特に人気がある者を挙げ
るならば、まずは後に王配になるだけでなく、当時地方ごとに少な
くない差異が存在していた言語と文章を取りまとめ、現在ではリベ
リオ語として扱われている共通言語の創出と辞書の編纂を行った﹃
焔文公﹄リベリオ・レーヴォルを筆頭として。
他にも﹃輝炎の右手﹄の長であるルズナーシュ・メジマティ。
元南部同盟七天将軍の一人だったが、西部連合に寝返った﹃蛇眼﹄
のレイミア・グロディウス。
セレーネ親衛隊の隊長であるバトラコイ・ハイラ。
﹃大地の⋮⋮
︵中略︶
と、実に多くの人物の名前が挙げられる。
さて、そんな多くの人物の中でも、特に多大な活躍を示すと同時
に、他の誰よりも多くの謎を残している人物が居る。
1473
その人物の名前はソフィール・グロディウス。
グロディウス家初代当主にして、筆者の先祖の一人に当たる人物
である。
ソフィール・グロディウスの詳しい経歴については、それ一つで
一冊の本が書けるほどのものであるし、子孫である私が書いても説
得力が無いと言う事もあるので、他の書に譲る。
ただ、一つ言える事としては、彼⋮⋮ソフィール・グロディウス
が西部連合どころかヘニトグロ地方全体⋮⋮いや、トリスクーミ世
界全体で見渡しても類稀だと言い切れるほどの天才であると言う事。
その天才ぶりは文武両面、あらゆる分野にわたっており、文では
政治、経済、建築、運搬、文学、外交に通じていた事は確実である
し、一説には鍛冶、農耕、漁業、林業、畜産その他諸々にも通じて
いたとされている。
だが武の方面は更に凄まじい。
確実だと言える記録に残っているものの内容を見るだけでも、南
部同盟の英雄と一騎打ちを行っても余裕で勝てるだけの武勇、戦場
全体を己の意のままに操れるとまで称された戦術、戦争全体の流れ
を変えられると言われたほどの戦略、これらの評価を支えられる程
の魔法、剣術、斧槍術、智謀。
子孫である私が言うのも何だが、複数のヒトが協力して、ソフィ
ール・グロディウスと言う一人の人物を作り上げていたのではない
かと言う疑惑が出てくるのも納得してしまう程の天才っぷりである。
そんな彼の正体だが、前レーヴォル暦12年頃、マダレム・セイ
メにてグロディウス商会を立ち上げようとしていた事よりも前に経
歴を遡れない事から、様々な推測が為されている。
有名どころでは先述の複数のヒトが協力して、ソフィール・グロ
ディウスと言う一人の人物を造り上げていた説。
後世の人物が勝手に作り上げた完全な想像上の人物であるという
1474
説。
名前が同じであることから、御使いソフィールがヒトの姿を借り
て降臨していたのだという説。
英雄王シチータと蛇の人妖ソフィアとの間に生まれた子供だとい
う説。
アムプル山脈の山中に存在するとされる伝説的な村、タケマッソ
村で修業をした超人だという説。
その他、宇宙人、異世界人、未来人、人妖等々、玉石混交、諸説
入り乱れている。
まあ、前二つ以外は明らかに冗談の類なのだが。
ただ、子孫である私が言うのも何だが、確かに彼の経歴や行動に
は少々怪しいところがある。
例を挙げるならばセレーネ・レーヴォルとの出会いである。
当時の資料を読み解く限り、どうにもソフィール・グロディウス
はセレーネの出生の秘密を知っていたらしい。
だが、何時何処でその秘密を知ったのか、それがまるで分からな
いのである。
また、マダレム・サクミナミの城壁外での戦いにおいて、大事な
戦いであるにも関わらずソフィール・グロディウスは戦いの最中そ
の姿を眩ませている。
一般にはノムンの城にあった秘密の脱出路を抑えに行ったとされ
ているが、彼ほどの人物なら部下と魔法を使えば、セレーネの傍⋮
⋮大事な戦いに参加できない程に離れた場所に居る必要は無かった
のではないかと筆者は思ってしまう。
加えて最近明らかになった事実として、ソフィール・グロディウ
スのものだとされている墓に、そもそも使用された痕跡が無い事も
分かっている。
1475
つまり、ソフィール・グロディウスは37歳と言う若さで死んだ
ことになっているが、墓に入る事も出来ないような死に方をしたか、
自らの死を偽装した可能性が存在しているのである。
ソフィール・グロディウスの真実については、未だに推測の域が
出ない事が多い。
彼が一体何者であったのか、何時か明らかになる事を筆者は願う。
歴史家 ジニアス・グロディウス
−−−−−−−−−−−−−−−−−
︵原稿の片隅に書かれている︶
ソフィール・グロディウスの真実。
本音を言わせてもらうならば、明かされない方が誰にとっても幸
せな真実である。
もしもソフィール・グロディウスの真実が明らかになれば⋮⋮世
界中を巻き込んだ騒ぎになる事は間違いないだろう。
いや、それで済めばまだマシかもしれない。
情報源である彼の言葉が真実であるならば⋮⋮我々の根幹を揺る
がすような事態になるのだから。
1476
第268話﹁ノムン−5﹂︵後書き︶
10/30 文章改稿
1477
第269話﹁旅立つ蛇−1﹂
レーヴォル暦六年。
ヘニトグロ地方全体を巻き込んだ戦争はセレーネの勝利で終わり、
三年経った現在ではその名をレーヴォル王国とし、上は王であるセ
レーネ・レーヴォルを筆頭に、下も末端の農民に至るまで、新たな
国造りの為に奔走している。
それこそ王も、貴族と呼ばれ出した有力者たちも、兵士も、文官
も、農民も、漁師も、狩人も、商人も、鍛冶屋も、公的に認められ
たあらゆる職種の人々がだ。
ただし、その方向性は今までのヒト同士の戦いを主軸とするよう
な誤った方向ではなく、対妖魔、それと野盗や国外の勢力など、レ
ーヴォル王国の平穏を乱すものを倒したり、抑えたりする方向であ
る。
﹁おや、父上。どちらに行かれるおつもりですか?﹂
そう、三年だ。
三年もあれば、私の周囲でも色々と動きが出る。
﹁ちょっと陛下の元に行ってくるつもりよ﹂
﹁陛下の所に?﹂
﹁ええ﹂
グロディウス家が治めることになったフロウライトも、オリビン
砦やマダレム・バヘン、その他周囲の都市と連携して順調に発展し
ていっている。
ウィズとレイミアの間にも、二年ほど前にクレバーと言う名前の
息子が産まれており、今のところは順調に育っている。
1478
﹁サルブ様の件ですか?﹂
﹁まあ、そんなところね﹂
クロウ
ゴーレム
セレーネもリベリオと結婚して、つい最近サルブと言う名前が付
ダーティ
けられた息子が産まれている。
聞くところによれば、私の忠実なる烏・穢の件からリリアが開発
した病魔払いの魔法の効果もあって、産後の肥立ちも非常に良いら
しい。
ヒーロー
余談だが、サブカがあの時リベリオに﹃英雄の剣﹄を渡したのは、
リベリオとセレーネが障害なく結婚するためだと、二人が婚姻を発
表する時になって私も気づいた。
まあ、武の面では七天将軍三の座マルデヤの首級を上げ、ノムン
だった者に大打撃を与えた。
文の面ではレーヴォル王国全体の共通語を体系的に定め、誰にで
も理解できるように教本や辞書の製作、編纂を行った功績がある。
その上に、セレーネの幼馴染で両想い、かつ御使いサーブにも認
められたと来たら⋮⋮反対できるヒトなど居るはずがない。
﹁言っておくけど、きちんとグロディウス家からもお祝いの言葉は
出すのよ。私は個人的に会いに行くんだから﹂
﹁分かっていますからご安心を。父上﹂
他にも変化は生じている。
﹁本当にアンタは嘘吐きね。土蛇﹂
馬に乗ってフロウライトにあるグロディウス家の屋敷から、セレ
ーネが居るマダレム・シーヤ改めセントレヴォルに向かおうとする
私の前に、出会った時から幾らか背が伸び、それ以上に女性らしく
なったペリドットが現れる。
﹁ふふふ、伊達に五十年以上ヒトの振りはしてないわ﹂
1479
﹁褒めてないわよ﹂
ペリドットは私の馬の横にまでやってくる。
その目は色々と言いたい事が有ると、雄弁に語っていた。
﹁で、貴方はここに居ていいの?セルペティアが寂しがるわよ?﹂
﹁乳母が傍に居るから大丈夫よ﹂
そう、これも大きな変化の一つだ。
三年の間にペリドットは私の妻になり、数ヶ月前には私との間に
出来た娘⋮⋮セルペティアを産んでいる。
ただ、私とペリドットの関係はウィズとレイミア、セレーネとリ
ベリオのような恋愛感情のものでは無く、もっと打算的な物である。
﹁言っておくけど⋮⋮﹂
﹁言われなくても分かってるわよ。どうせあの子が生きている間に
は帰ってくる気はないんでしょう。だから約束通り、母親としてあ
の子の事はきちんと育てるわ﹂
私がペリドットとの間に子供を造った理由。
それは以前ペリドットが仕事の報酬として求めたのが、私との間
に子供を造る事だったからだ。
いずれ来るその時のために。
﹁うん、忘れていないようで安心したわ﹂
ただ、そんな理由で子供を造るのは、私とペリドット自身には良
くても、子供にとっては良くないだろう。
と言うわけで、幾つかの条件を⋮⋮掻い摘んで話してしまえば、
私の正体は隠し、ペリドットは母親としてきちんと愛情を子供に注
ぎ、育てる事を条件として子供を造る事にしたのだった。
その結果生まれたセルペティアには、今の所は私の血の影響と思
しき要素は出ていない。
まあ、シェルナーシュの血を引いているルズナーシュも見た目は
1480
完全にただのヒトであるし、もしかしたら表向きにはただのヒトの
子になるのかもしれない。
表向きには、だが。
﹁じゃっ、さようならね﹂
﹁そうね。永遠にさよならだわ﹂
私は最後にペリドットと一度口づけを交すと、馬を歩かせ始める。
﹁⋮⋮﹂
﹃jwygす48﹄
インダークの樹の傍を通りかかった時、またあの奇妙な声が聞こ
えた。
戦争の最後、ノムンだった者の戦いで、戦いの最中に気絶したペ
リドットの身体を借りて、インダークの樹が死神としか称しようの
ない何者かを生み出した事は分かっている。
だが、アレの正体も、インダークの樹が何を伝えようとしている
のかも未だに分からない。
ただ何となくだが、インダークの樹が発しているこの言葉は、私
の力が増せば、マトモな言葉として聞き取れるのではないかと私は
感じている。
聞き取れても、どうするかはまた別の問題だが。
﹁暫くの間さようなら。フロウライト﹂
そうして私は多少後ろ髪を引かれつつも、フロウライトを後にし
た。
1481
第269話﹁旅立つ蛇−1﹂︵後書き︶
あ、今回のは﹃待っている﹄とだけ言っています
1482
第270話﹁旅立つ蛇−2﹂
﹁よう大将。景気はどうだい?﹂
﹁ウハウハに決まってる﹂
﹁そりゃあそうか﹂
レーヴォル王国王都セントレヴォル。
かつてマダレム・シーヤと呼ばれたこの地は、戦争終結から三年
間の間に最も大きな変化を見せた土地と言えるだろう。
﹁セレーネ王様のおかげで妖魔と獣だけを気にすればいいって言う
のは本当に良い事だよなぁ﹂
﹁ああ、おかげでヒトの行き来もしやすくなって、何処の都市も大
いに賑わってるよ﹂
﹁全くもってセレーネ王様万歳だ!﹂
まず、かつてマダレム・シーヤとして街が有った丘の上は、その
全てをセントレヴォル城と言う王であるセレーネの権威を示すと同
時に、レーヴォル王国の中央で取り仕切る諸々のための施設として
造り変えることが決定された。
そして、丘の上に住んでいた住人は丘の下に移動し、それこそ、
かつてマダレム・エーネミとマダレム・セントールに狙われる前の
マダレム・シーヤのように、戦いの利便性ではなく、生活の利便性
を優先した形の都市へと変わりつつある。
﹁マダレム・イーゲンにも、フロウライトにも行き易くなったから、
巡礼が楽になったよ﹂
﹁新しい畑の耕し方のおかげで、今年の麦の出来も良かったぜ﹂
﹁ふふふ、子供が安心してはしゃぎ回れるって素晴らしいわ﹂
なお、各地から流入する住民や、生活の安定化によって増える人
1483
口に合わせてであるが、将来的には丘の周りを八つの区画に分け、
区画ごとに特色を持たせたるなどして、様々な方面においてレーヴ
ォル王国で一番、そうでなくとも上位に入る様な都市になる予定で
ある。
﹁おかーさーん!おとーさーん!﹂
﹁よーしよーし、大丈夫かい?名前は言えるかい?﹂
﹁大丈夫だよ。今お母さんたちを探してあげるからね﹂
ちなみに丘の上から丘の下に移動することを反対する住民の数は
私の予想に反して非常に少なかった。
どうやらマダレム・シーヤの長い坂を登らなければ都市の外に出
られないという構造は、住民にとっても疎ましいものだったらしい。
所用でこの三年間、度々坂を上り下りしていた私も疎ましく感じ
ていたので、気持ちはよく分かるが。
﹁止まれ、ここから先は⋮⋮と、ソフィール・グロディウス殿でし
たか。どうされました?﹂
﹁陛下に面会するべく来ましたの﹂
﹁面会⋮⋮ですか﹂
﹁ええ、急を要する用件だったから、連絡も約束も無いのだけれど、
お願いできるかしら?﹂
﹁分かりました。上に確認いたしますので、しばしお待ちを﹂
まあ、そんな煩わしい坂の上り下りも今日で一応は終わりである。
と言うわけで、私は坂を上り、セレーネから渡された私専用の許
可証を衛兵に見せる事で、建築途中で最低限の設備しか整っていな
いセントレヴォル城の中へと入っていく。
﹁どうぞこちらへ﹂
﹁ええ、ありがとう﹂
この許可証もセレーネに返さないといけない。
1484
顔を黒い布で隠している私の為に用意されたものであるが、今後
似たような許可証が出るのは色々とよろしくないだろう。
﹁ソフィール・グロディウス殿をお連れ致しました﹂
﹁入りなさい﹂
衛兵に連れられた私は、やがて一つの部屋の中に入る。
部屋の中に待っていたのはセレーネとリベリオの二人だけ。
まるで何かを察しているかのように、他のヒトは親衛隊長である
バトラコイ含めて誰も居なかった。
まあ、その方が都合は良い。
ここから先の話は余人に聞かせられるようなものではないのだか
ら。
﹁サルブ殿下の無事の御出産おめでとうございます。陛下﹂
﹁ありがとうございます。ソフィール・グロディウス。皆の協力の
おかげで、何事もなく産めました﹂
私を連れてきた兵が部屋の外に出ていくのを確認した所で、私は
まず一通りの普通の挨拶をする。
そしてセレーネとリベリオも、それを素直に受け止める。
うん、やっぱり二人とも察している。
急を要する用件だと言って此処までやって来たのに、こんな冗長
な挨拶と雑談をしても咎めたり、怪訝な顔をしたりしないのだから。
﹁それでソフィール。用件と言うのは?﹂
さて、本題である。
﹁まずはこれをお返ししようと思いまして﹂
﹁そうですか⋮⋮﹂
私はセレーネに許可証を投げ渡す。
それは暗に、ソフィール・グロディウスは今日を最後にセレーネ
1485
の前に姿を現さないと言っているようなものだった。
﹁トーコさんとシェルナーシュさんは元気ですか?﹂
﹁二人とも三年前のあの一件から顔も見ていないわ。予定通りね﹂
﹁そうですか。それは残念です﹂
だが、この行動が示しているのはそれだけではない。
もっと重要な事が私とセレーネの間に起きることを示していた。
﹁ソフィアさんと同じくらい危険な妖魔の行方が分からないだなん
て、本当に残念です﹂
﹁ふふふふふ、流石にこんな場所に二人を連れてくるわけにはいか
ないわ﹂
私もセレーネもあらゆる感情を消し去って、顔に笑顔の仮面を貼
り付ける。
だが、セレーネが私に抱いている想いは考えなくても分かる。
﹁そう言うわけだから、セレーネ。一つ宣言させてもらうわ﹂
﹁どうぞ﹂
ラミア
それは殺意。
蛇の妖魔である私を殺そうとする意志。
だが、セレーネが私に対してそんなものを抱いても仕方がない事
だろう。
﹁世界中を見てきたら、私は必ずこの地に帰ってくる。その時がレ
ーヴォル王国の最後よ﹂
なにせ私がレーヴォル王国を⋮⋮いや、シチータの頼みに応じて
セレーネを助けたのは、そうして造り上げた王国を自分自身の手で
滅ぼし、妖魔としての本懐であるヒトを喰らうためなのだから。
﹁そうですか⋮⋮リベリオ!﹂
1486
﹁燃えろ!﹂
そして、私が宣戦布告をした直後。
リベリオの手から炎の槍が飛び出し、私の胸に突き刺さった。
1487
第270話﹁旅立つ蛇−2﹂︵後書き︶
決裂です
11/01誤字訂正
1488
第271話﹁旅立つ蛇−3﹂
﹁あらあらあら﹂
胸に突き刺さった炎の槍を起点として私の全身に炎が回り、瞬く
間に私の身体はリベリオの炎に包み込まれる。
だが、それほどの勢いであるにも関わらず、私の身体を焼くリベ
リオの炎は私以外のものに一切の影響を与えておらず、私だけを正
確に焼いていた。
﹁随分と手酷い仕打ちだこと。一応、私は建国の協力者よ﹂
﹁建国の協力者であっても、国と民に害を為そうと言うのなら私の
敵です。敵に容赦をするつもりはありません﹂
私は炎が他のものに影響を与えていないのを良い事に、今座って
いる革張りの椅子に深く腰掛け、まるで部屋の主が私であるかのよ
うに両手を大きく広げてセレーネとリベリオ、二人との会話を続け
る。
﹁そうね。私はそう言う風に貴女を教育した。きちんと学んでいて
くれて嬉しいわ﹂
﹁これは⋮⋮﹂
﹁やはりですか﹂
私の全身を焼いている炎?
ケウス
そんなもの気にする必要はない。
何故ならば⋮⋮
カドゥ
﹁﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄⋮⋮ですね﹂
﹁正解﹂
セントレヴォル城に居る私は限りなく私に酷似しているが、私で
1489
はなく﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄で造り出した分身なのだから。
﹁でも、それなら⋮⋮﹂
﹁ああ、心配しなくても本体にも熱さだけは伝わっているわ。でも
ね﹂
勿論セレーネから事前にその可能性を聞いていたのだろう。
リベリオは事前の設定によって、私の人形を焼けば、遠く離れた
場所に居る私にも炎に焼かれる痛みだけは伝えられるようにしてい
た。
それこそ、並のヒトが相手ならばこの痛みだけで悶絶して動けな
くなり、場合によっては命も落とすだろう。
﹁私はね、鉄を溶かすぐらいの炎なら前にたっぷりと⋮⋮それこそ
骨の一欠片まで炎の舌でしゃぶられるぐらいに味わった事が有るの。
ヒンドランス
ヒーロー
だから、表皮を焼くだけの炎なんて普通に耐えられるのよ﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
﹁そんな⋮⋮﹂
ヒューマン
ヒドゥン
だが、その程度の痛みと熱さならば﹃妖魔の剣﹄﹃英雄の剣﹄﹃
ヒトの剣﹄﹃存在しない剣﹄の四本を造る時に私は散々味わってい
る。
なにせあの剣は使役魔法によって金属の粒を操りながら鍛冶作業
を行う事によって造り出した剣なのだから。
そして、この事実を知らなかったのだろう。
セレーネはとても悔しそうにしているし、リベリオは呆然として
いる。
﹁さて、それじゃあ改めて宣言させてもらうわ﹂
さて、二人の良い表情も見れた事だし、耐えられると言っても煩
わしいのは確かなので、そろそろ用件を伝えきってしまうとしよう。
1490
﹁さっきも言ったけれど、私は世界中を見てきたら、必ずこの地に
戻ってくる﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
﹁陛下!大丈夫ですか!﹂
﹁な、何だコイツは!?﹂
﹁全身が燃えているのに話している!?﹂
部屋の中の異変を察したのか、バトラコイたち親衛隊の面々が部
屋の中に踏み込んでくる。
うん、これは丁度いい。
カーニバル
﹁私が再びこの地に戻ってきたら、楽しい楽しい祭りを始めましょ
う﹂
﹁祭り⋮⋮ですか﹂
バトラコイたちが私の人形に剣を突き入れるが、人形なので当然
効果はない。
イグニッション
なお、リベリオは既に炎を維持することを止めているので、今の
炎は何かの役に立つかと体内に仕込んでおいた着火の魔法による自
己発火である。
﹁そう、祭り。私が帰って来るまでにレーヴォル王国が築き上げた
全てと、私が世界を回って得た全てを使った楽しい祭り﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁うわっ!?﹂
﹁ぐっ⋮⋮﹂
と言うわけで、革張りの椅子が燃え始めた所で、私は周りからの
攻撃の全てを無視して、部屋の中に造られた窓へと移動を始める。
いつの間にか使役魔法の対象が土から火に移ってしまっている感
覚もするが⋮⋮まあ、問題はないだろう。
土も火も非生物であることに変わりは無いし、使役魔法で複数契
約が禁じられているのは感覚の混線や混同が問題になっているから
1491
で、私にとっては今更に近いのだし。
﹁妖魔は妖魔らしくヒトを喰らい、英雄を殺す。ヒトと英雄はヒト
らしく、英雄らしく妖魔を殺す。そう言う祭り﹂
﹁⋮⋮﹂
私は窓に腰掛ける。
確かこの窓は中庭に通じているはずなので、今中庭に居る人々に
は全身を燃え上がらせている私の姿はとても目立つ事だろう。
﹁ま、安心しなさいな。祭りの開催はどれほど早く見積もっても百
年以上先の話。今この場に居る者は誰一人として生きてはいないわ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
そして、私の思惑通り、中庭では既に騒ぎが始まっており、様々
な人々の声が私の耳に届いている。
﹁精々、一時の平穏を、輝かしき日々を、己の赴くままに謳歌して、
次の代へと繋げるべきものを繋げていきなさいな。その全てを私が
奪い取ってあげるから﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
親衛隊の誰かが生唾を飲むような音を発し、恐怖の表情を浮かべ
る者も居る。
だがそんな状況でもセレーネには顔色を変える様子がまるで無い。
ああ、やはりセレーネを選んで正解だった。
これならその子孫たちにも期待が持てるという物だ。
﹁我が名はソフィア。レーヴォル王国よ!セレーネ王よ!私は貴女
の偉業を祝福しよう!!﹂
﹁﹁﹁⋮⋮!?﹂﹂﹂
そんな確信を抱けた私は炎の勢いを増した上で大きな声で言葉を
発する。
1492
﹁そして呪おう!私は必ず英雄を殺し、ヒトを思うがままに喰える
ようにと!!﹂
﹁ソフィア⋮⋮﹂
正に妖魔らしく、ヒトの天敵らしく、全ての人々に恐怖を与える
ように。
﹁それでは諸君、今はこれにて失礼する!くれぐれも子々孫々に私
の事を良く伝えておいてくれたまえ!堅き守りを備えた美味なる果
実になるようにとな!!﹂
﹁ソフィアアアァァァ!!﹂
そして私は窓から身を投げ、落下する途中で﹃蛇は骸より再び生
まれ出る﹄を解除する事で、その場から姿を消したのだった。
1493
第271話﹁旅立つ蛇−3﹂︵後書き︶
しかしこの蛇、ノリノリである
1494
第272話﹁旅立つ蛇−4﹂
カドゥ
ケウス
﹁うん、中々いい感じだったわね﹂
﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄によって生み出した私の分身。
それがセントレヴォル城に赴き、セレーネと話していた頃、私自
身は既にアムプル山脈の中へと入っていた。
﹁追手は⋮⋮まあ、暫くは気にしなくていいわね﹂
そう、私はフロウライトを出て、セントレヴォルに向かう途上に
在る森の中に入った時点で﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄を発動、
分身は前述通りセントレヴォル城に向かわせると、私自身は変装を
したうえで北上し、アムプル山脈へと逃げ込んでいたのだ。
セレーネがこれから出すであろう追手を撒く為に。
﹁んー⋮⋮﹂
私は山道をゆっくりと歩く馬の背中で、背筋を大きく伸ばす。
﹁それにしても、久しぶりに完全に一人になったわねぇ﹂
そうして今までの生活で溜まっていた体の凝りをほぐしつつ、私
はこれから先、どうやってセレーネたちが追って来るかを考える。
まず、スネッヘやヘテイル、もしかしたらスラグメ辺りにまでに
は私の存在を伝えてもおかしくない。
世界中を回ると公言した以上、この二つの地域には訪れるのは分
かっているし、私が交易相手に不利益をもたらすのもほぼ確定なの
だから。
﹁あー⋮⋮なんかやっと重荷が取れた感じもするわね⋮⋮﹂
直接追手を出して確認をするのは⋮⋮ヘニトグロ地方北西のヘム
1495
ネマと、北東のスネッツォ、それにアムプル山脈の一部だろうか。
色々な話を総合すれば、ヘムネマ経由でスネッヘに、短い海を挟
むがスネッツォ経由でヘテイルに入る事も可能であるし、今後の事
も考えて多少の人員は送るだろう。
アムプル山脈については、深く入ってもタケマッソ村があるぐら
いの深さまでだろう。
それ以上奥には山を越えるまで殆どヒトは住んでいないと言うし、
山の環境そのものが厳し過ぎる。
なにせ妖魔である私ですら、きちんとした準備を整えなければ危
険であると認識しているような環境なのだから。
﹁⋮⋮﹂
ただ、その領域はもう少し先の話である。
そして、セレーネは事前に準備を整えていなかったが、私が知る
限りでも一人は何かしらの準備を整えているのではないかと言う人
物が居る。
つまりだ。
﹁来たか﹂
山の上から馬ごと私を押し潰すように、綺麗に形が整えられた大
岩が複数落ちて来ても想定外ではないのだ。
﹁よっと﹂
﹁ヒヒーン!?﹂
今回の為に適当に購入した馬には悪いと思ったが、私は馬を盾に
しつつ、地面に触れられる位置にまで岩に驚いて落馬するように移
動。
そうして地面に触れた所で使役魔法を発動すると、まるで大岩に
潰されたかのように地中へと潜り込んでいく。
1496
﹁⋮⋮﹂
地中に潜り込んだ私は呼吸の為の空間を作りつつ、周囲の地面へ
と慎重に使役魔法の範囲を広げていく。
馬は⋮⋮既に絶命している。
まあ、一つ一つが自分の身体よりも大きい岩に潰されたのだ。
助かるはずもない。
﹃ヒハハハハ!やってやったぜ!﹄
﹃ざまーみやがれ!なーにが伝説の妖魔だ!﹄
少し離れた場所から聞こえてきたのは?
如何にも小悪党や使い捨ての駒だと言うような男たちの声。
それに加えて伝わってきたのは?
彼らが殆ど不動の状態で山の上の方に立っている感覚。
それから他にも色々と伝わってくる感覚があるが⋮⋮うん、何と
言うか、舐めているのかと私は言いたい。
﹁まあ、貴重な食料には違いないわ﹂
私は声がしてきた方に向けて一直線に地中を移動し始める。
そして声がした場所の真下に移動し⋮⋮
﹃この分じゃあ、ソフィアをずっと仕留められなかった英雄王とや
らも大したことは無かったのかもな﹄
﹃違いない。こんな簡単に仕留め⋮⋮﹁へっ?﹂﹄
そのままスルー。
﹁どーもー﹂
﹁ばっ!?﹂
﹁なっ!?﹂
少し離れた場所の樹上で、音を遠隔地で発生させる、物を動かす、
幻影を見せると言った自分たちの位置を偽装するための魔法を使っ
1497
ヒンドランス
ていた魔法使いたちの背後に回り込み、全員の首を﹃妖魔の剣﹄で
即座に刎ねる。
﹁っつ!?偽装がバレて⋮⋮るぎゃ!?﹂
﹁何が起き⋮⋮グギッ!?﹂
﹁にげっ⋮⋮アアアァァァ⋮⋮!?﹂
そのまま樹上を移動していき、策が破られた事に他の弓や槍と言
った武器を持った男たちが気付く前に手際よく順番に、気付かれて
ブラックラップ
からもこちらの位置が悟られないように注意して始末していく。
イグニッション
やり口としては⋮⋮﹃妖魔の剣﹄で斬る、黒帯の魔法で絞める、
スネーク
ゴーレム
クロウ
ゴーレム
着火で焼く、各種毒を注ぎ込む、石を目に向けて投げて頭を貫く、
使役魔法で崖から突き落とす、忠実なる蛇か忠実なる烏で食い殺す、
甘言で同士討ちを誘発させる等々、まあ、色々とやった。
﹁ふむ。いい感じに利用されたかしらね。これは﹂
そうして一時間ほど暴れまわり、真っ先に逃げ出す事によって私
の魔手から逃れた数人を除き、この場に居たほぼ全てのヒトを仕留
めた私は、味方であるはずの人々が全滅したのを確認してから現れ
たその人物に向けてそう言葉を発した。
﹁ほう、どうしてそう思うんじゃ?﹂
﹁ここに居る連中の大半はこの三年間でセレーネの政策や監査によ
って不利益を被った愚か者じゃない。そして、そうでないものは貴
方とリリアの流派の魔法使いか近しい兵士でしょ﹂
私の前に現れた三人のうち、二人には見覚えが無かった。
だが、残る一人は私も知っている人物だった。
それも五十年以上前からだ。
﹁つまり、私を倒せればそれでよし、倒せなくても今後の災いの芽
を摘むことが出来ると言うわけね。まったく、やってくれるわね﹂
1498
﹁やれやれ、バレてしまってはしょうがないのう﹂
﹁この代償は高くつくわよ。ストータス﹂
その名はストータス。
﹃大地の操者﹄の元長にして、﹃マダレム・ダーイの悪夢﹄の生
き残った一人である。
1499
第272話﹁旅立つ蛇−4﹂︵後書き︶
11/03誤字訂正
1500
第273話﹁旅立つ蛇−5﹂
﹁代償は高くつく⋮⋮か。それは儂の台詞じゃ⋮⋮﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
ストータスが他の二人⋮⋮剣を持った男と、杖を持った男の一歩
前に出てくる。
その顔は怒りに満ち溢れており、私が何者であるのかを正しく把
握しているようだった。
だが、怒りに燃えてはいても、ストータスの頭は至極冷静だった。
モノリス
﹁マダレム・ダーイの恨み!今こそ晴らさせてもらうぞ!!一枚岩﹂
﹁っつ!?﹂
前に出てきたストータスに私が先制の一撃を加えようとした瞬間。
それよりも一瞬早く、ストータスが手に持った杖で地面を叩く。
するとストータスが叩いた場所を中心に、周囲一帯の地面の状態
が土から岩へと⋮⋮私の使役魔法によって容易に操れるものから、
一手間加える必要があるものへと変化していく。
それは正に、私の使役魔法を封じるためだけに存在するかのよう
な魔法だった。
﹁殺すっ!﹂
﹁死ねいっ!﹂
﹁英雄!?﹂
そして、地面が岩に変化すると言う変化によって生じた私の隙を
突くように、ストータスの後ろに控えていた二人が動き出す。
剣を持っていた男は明らかにヒトの限界を超えた先天性英雄の敏
捷さでもって、私に切りかかってくる。
杖を持っていた男も、後天性英雄である事を窺わせるような圧倒
1501
ヒンドランス
的な魔力でもって、逃げ場を塞ぐように全ての方向から鋭く尖った
氷の矢を放ってくる。
﹁ちっ⋮⋮﹂
カワ
出し惜しみをしている余裕はなかった。
ヒノ
﹁﹃蛇は八口にて喰らう﹄﹂
私は自分に攻撃が届くよりも早く、鞘に納めていた﹃妖魔の剣﹄
を持ち、抜き放ちつつ左手の指で剣身の根元に触れると、﹃蛇は八
口にて喰らう﹄を発動する。
﹁おそっ⋮⋮﹂
勿論私が﹃妖魔の剣﹄を普通に抜いても、それよりも遥かに早く、
目の前の男の剣は私に届くし、周りの氷の矢も私に刺さるだろう。
だからこその﹃蛇は八口にて喰らう﹄である。
﹁なっ!?﹂
﹁馬鹿なっ!?﹂
﹁!?﹂
﹃妖魔の剣﹄の剣身が曲がり、鞘から僅かに抜かれた部分から目
にも留まらぬ速さで伸びていく。
私の目の前に居る男の腕と首を斬り飛ばすように。
そして、伸びた刃はそのまま私が﹃妖魔の剣﹄を抜き、振るうよ
ヴニル
りも速く動き続け、私に向かって来ていた氷の矢を一つ残らず叩き
落す。
スヴァー
﹁﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄﹂
続けて私は視線に乗せる形で﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄を発動。
私の反撃によって動揺している杖を持った方の男に魔力の蛇を飛
ばし、噛みつかせ、魔力の流れ全体に異常を与える。
1502
﹁このっ⋮⋮﹂
するとどうなるか。
対象の周囲の空中と言う分かり易い目標物が無い状況で氷の矢を
出現させて、他の矢と干渉し合わないように飛ばすなんて真似には、
それ相応の制御能力が求められる。
そして、魔力の流れが乱れて、まず真っ先に影響が出るのはその
制御能力である。
﹁ウギャ!?﹂
﹁!?﹂
つまりよくてマトモに発動しない。
最悪の場合には魔法が自分の方に飛んできて、死ぬことになる。
どうやら後天的英雄である彼は最悪の方を⋮⋮私にとっては最良
の結果を引いてしまったらしい。
﹁後は貴方だけよ!﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
私はストータスに向かって駆け寄る。
対するストータスは勝ち目がないと踏んだのか、それとも最後の
悪あがきかは分からないが、後方に向かって老体とは思えぬほどの
俊敏さで飛び退きつつ、何かしらの魔法を発動しようとする。
勿論私にそれを許す気はない。
サマエル
﹁﹃蛇は罪を授ける﹄﹂
私は﹃妖魔の剣﹄の切っ先にとある液体を生成しつつ、ストータ
スに向けて剣を振るう。
﹁ぬっ!﹂
ストータスは私の動きを見て、魔法の発動を諦め、更にもう一歩
1503
退き、致命傷を負う所を僅かに顔の表皮が切れた程度の傷に抑えて
見せる。
だが私にとってはそんな僅かな傷で十分だった。
﹁惜しかったな。ソフィア!これで終わ⋮⋮﹂
﹁ストータス。全てを知ると良いわ。耐えられるのならねぇ!﹂
﹁!?﹂
ストータスの全身が痙攣を起こし始め、白目を剥き、全身の穴と
言う穴、それに表皮から勢いよく血を流し始めると同時に、全身が
少しずつ煮え立っていく。
当然ヒトがそんな状態に陥って助かるはずがない。
しばらくするとストータスはその場に倒れ、動かなくなり、完全
に絶命する。
﹁ふぅ⋮⋮意外と危なかったわね﹂
私がストータスに使った魔法の名は﹃蛇は罪を授ける﹄。
私が有する記憶と知識を転写した液体を生み出し、この液体を摂
取した人物は転写した記憶と知識を得る事が出来ると言う魔法であ
り、本来の用途は口では説明しづらい事柄について伝える際に使う
魔法である。
が、一部の毒が量次第では薬になるのと同じように、込める記憶
と知識の量次第では、今ストータスが死んだ事からも分かるように
強力な毒にもなる。
そう、それこそ私が多くのヒトを生きたまま丸呑みにする事によ
って得た、累計で一万年分以上かつ自分が死ぬ瞬間も含んだ記憶と
知識なんてものが一瞬で全て流れ込んできたならば⋮⋮百年生きら
れるかどうかも怪しいヒトでは絶対に耐えられない。
ストータスが絶命したのも、圧倒的な量の情報によって、処理が
追いつかず、自らを塗りつぶされたが故にだった。
1504
﹁さて、食料を回収したら先に進みましょうか﹂
私は一人そう呟くと、全員の首と胴をきちんと切り離したうえで、
今後の為の食料を集めてからその場を去ったのだった。
1505
第273話﹁旅立つ蛇−5﹂︵後書き︶
簡単に言えばExpがそのまま攻撃力に変換される毒です
1506
第274話﹁世界巡る蛇−前編﹂
アムプル山脈でストータスたちを返り討ちにした私は、そのまま
アムプル山脈を抜けると、ヘニトグロ北海と呼ばれる海が見える場
所に出た。
そして、そこから私は西に向かって移動を始め、初めてヘニトグ
ロ地方の外に出る。
ヘニトグロ以外で私が初めて踏み入った地方の名はヘムネマ。
北にある事に加えて、冷たい空気と水で満たされたヘニトグロ北
海に接しているために長い長い冬を持つ地方である。
そんな土地で私は旅をし、ある時にはヒトを喰らい、またある時
にはヒトを助け、短い夏の間は妖魔を狩り、長い冬の間には村一つ
に消えてもらう事で、寒さと飢えをしのいだ。
そうして過ごす事およそ二十年。
様々な知識や技術を手に入れるだけでなく、セレーネたちの捜索
網を躱す為にわざとゆっくりと進んでいた私の旅路は、地形の関係
からやがて南へと進路を変える。
ヘムネマ地方の次にやってきたのはスネッヘ地方。
ヘニトグロ地方の西に位置し、レーヴォル王国とも船を用いた貿
易等が行われている地域であり、レーヴォル王国成立前のヘニトグ
ロ地方と同じように大小無数の都市国家が乱立している土地である。
そんなスネッヘ地方だが、私が訪れた時には少々良くない流れに
なっていた。
具体的には、レーヴォル王国に対して武力で攻め込もうとする集
団が同盟を組み、まずはスネッヘ地方全体を統べようと考えていた
のだった。
1507
当然私がそんな物の存在を許すはずがない。
私は三十年ほどかけて、スネッヘ地方を大いに荒してやった。
都市国家同士で争わせて共倒れさせるだけでなく、一部の盗賊や
妖魔に知恵を授けて、レーヴォル王国に攻め込む余裕など無くさせ
た。
そうして復旧が可能な程度にはスネッヘ地方を荒廃させた私は、
誰かに気づかれる事がないようにこっそりと船でスネッヘ地方の南
⋮⋮海を越えた先にあるフロッシュ大陸へと向かった。
なお、船での旅は特に問題は無かった。
操船の技術と知識は私の頭の中にあったし、人手は使役魔法で補
えたからだ。
食料についても同様で、昔の私よりも飢えに強くなったうえに、
食料を生かして運ぶ方法もヘムネマ地方で覚えていた。
ただそれ以外の部分⋮⋮南に向かうにつれて陽が真上に昇って行
き、やがては陽が北にあるようになった点や、スネッヘ地方を出た
のが春だったのに、向こうに着いたら季節が秋になっていた点など
には驚かざるを得なかった。
やはり知識と記憶だけで知っているものと、現実に自分の目で見
るものは全くの別物である。
−−−−−−−−−−−−−−−−−
さて、そんな船での旅を乗り越え、やってきたのはフロッシュ大
陸。
とても濃い密林や湿地帯、河川の類が多数存在している大陸であ
り、スネッヘ地方との交易を行っているトドノメ地方などはだいぶ
発展していたが、それ以外の地域は未開の地域と言っても差し支え
1508
の無いような大陸である。
で、そんなフロッシュ大陸で私は百年ほど過ごす事になった。
勿論好きで百年も過ごしたわけでは無い。
理由があっての事だ。
まずフロッシュ大陸はとても広かった。
スネッヘ、ヘムネマ、ヘニトグロの三地方を合わせたぐらいの広
さは有っただろう。
そして、それほどまでに広いが故に多彩な地形、動植物等々が存
在し、それらを調べるのに時間がかかったというのが理由の一つだ。
もう一つの理由は、そんな大陸に住む人々の大半は、自分たちの
所属する部族以外は獲物としか見ておらず、ヒトの姿を見かければ
有無を言わさず攻撃を仕掛けてくる傾向にあったという事。
中には日常的なレベルで人食行為が行われている部族もあったぐ
らいである。
そんな状況であった為に、私は彼らの中でも比較的マシな考えを
有する部族を幾つか選び、彼らを援護する事によって、攻撃的過ぎ
る部族をトリスクーミから退場させたのだが、大陸一つ分の変革な
ので、どうしても時間がかかってしまった。
ちなみに、そうやって私がフロッシュ大陸で過ごしていた百年の
間に、トーコとシェルナーシュの二人もフロッシュ大陸を訪れてい
たらしい。
色々と調査をした結果から、後で分かった事実なので二人と顔を
合わせる事は無かったが。
それともう一つ、興味深い話があった。
要約したものだが、これはこのフロッシュ大陸の中でも、極一部
の部族にのみ伝わっていた話である。
1509
﹃世界には元々獣しか居なかった。ヒト、妖魔、英雄が産まれたの
は、血のように紅き星がこの地に降り立ち、創り出したからである﹄
ヒトや妖魔の起源を語る話は何処の地方にもそれなりに存在して
いる。
テトラスタ教でも、あの戦争の頃には既に作られていたはずであ
る。
だが、ヒト、妖魔、英雄が同一の存在から造られたとする話は非
常に珍しい。
大抵の話では、ヒトと妖魔が生み出したのは別の存在であるとさ
れているからだ。
この話が真実であるかは分からない。
ただ、この話が正確であるならば、血のように紅き星が降り立っ
たのはフロッシュ大陸の北東、ヘニトグロ地方の南であるらしい。
何時かヘニトグロ地方に戻ったならば、該当する場所を調べてみ
てもいいかもしれない。
そうしてフロッシュ大陸でやるべき事をやった私は、カエノタン
から東に向けて海を渡り、次の大陸⋮⋮ナックトシュネッケ大陸に
向かうのだった。
1510
第274話﹁世界巡る蛇−前編﹂︵後書き︶
世界一周は大幅に省略です。
真面目にやっていたら年単位でかかる上に、繰り返しになり易いで
すからね。
1511
第275話﹁世界巡る蛇−後編﹂
ナックトシュネッケ大陸。
この大陸は他の二大陸⋮⋮レーヴォル王国もあるシュランゲ大陸
とフロッシュ大陸の二つと比べて、特に気候が厳しい大陸であると
言える。
と言うのも、大陸の殆どは一応農耕が行える程度の荒地であり、
それ以外の部分は砂漠だったり、氷河だったりで、ヒトも獣も住む
のに適しているとは言いづらい環境なのだ。
そして、ヒトが住むのに適さないという事は⋮⋮ヒトを食べなけ
れば生きられない妖魔にとっても厳しい環境と言う事だ。
現に二百年以上生きて、ヒトを長期間食べなくても割合大丈夫に
なっている私ですら、ナックトシュネッケ大陸を旅している間には
飢えを覚えることが何度かあったぐらいである。
そんなナックトシュネッケ大陸だが、私はフロッシュ大陸に続け
て、この大陸でもまた百年近く過ごす事になった。
そう、この大陸にはどうあっても許すわけにはいかないものがあ
ったのだ。
そのものは、私の知る言葉で訳すならば﹃英雄王国﹄と名乗って
いる国だった。
ナックトシュネッケ大陸の中央部、特に気候が厳しいその場所に、
周囲を山に囲まれる形でその国は存在していた。
彼らは周辺の国家からの略奪を生計の中心とした国であり、それ
だけでも私が眉根を顰めるには十分な国だった。
だが、そんな盗賊国家とでも言うべき在り方よりも許せなかった
のは、彼らが雄の妖魔を捕え、周囲の国から攫った人々の内、男を
餌として妖魔に与え、女を無理矢理に妖魔へとあてがい、生まれて
1512
きた先天性の英雄を洗脳、奴隷として使っていた点。
そんな国であるから、私の怒りが頂点に達し、如何なる手段を用
いてでもこの国を滅ぼすと言う決意するのにさして時間はかからな
かった。
ヴニル
そして﹃英雄王国﹄と周囲に存在していた都市国家群はまとめて
スヴァー
滅びた。
ヒール
﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄によって都市の下の地脈を狂わせた上
に、狂った地脈の魔力で﹃英雄王国﹄全体に病魔を対象とした治癒
リキンドル
ソウル
の魔法がかかるようにし、それでもなお余った魔力で無差別に負の
感情を再現するタイプの再燃する意思の魔法を発動してやったのだ。
病魔と怨念が荒れ狂い、自分たちの栄華が何時までも続くと信じ
て疑わなかった愚か者共の顔が、絶望に染まっていく光景は中々に
壮観な物だった事も覚えている。
まあ、妖魔にすら容易に感染し、数日のうちに死に至るほどの疫
病が生じてしまったのは少々想定外だったが。
とにかく、強力な病魔によって﹃英雄王国﹄の人々はヒトも英雄
も、ただ女を抱くだけになっていた妖魔の屑共も悉く息絶えた。
中途半端に長い潜伏期間を有する病魔によって、周辺の王国も再
興など出来ない程に衰退した。
再燃する意思の魔法によって肉体を得た怨念によって、﹃英雄王
国﹄の類稀な軍事力の秘密も失われた。
﹃英雄王国﹄はこのトリスクーミの歴史上から完全に消滅したと
言ってよかった。
そうして﹃英雄王国﹄を滅ぼした私は、以前からその名を聞いて
いたスラグメから船で北に移動。
ヘテイル地方⋮⋮規模こそ違えど、今やレーヴォル王国と同じよ
うに、一つの国によってまとめられた土地に向かったのだった。
1513
−−−−−−−−−−−−−−
ヘテイル地方、またはヘテイル列島。
この地を治めるのはニッショウと言う国であり、レーヴォル王国
とも長い間、友好な関係を保っている国である。
私はこの地で三十年ほど妖魔らしく過ごした。
世界各地を回り、大きく力と知恵を付けた私にとって、敵となる
者は英雄を含めて皆無と言ってよかった。
が、一人だけ厄介な相手が居た。
ハイラ
男の名は灰羅ウエナシ。
妖魔を操る使役魔法を得意とする後天的英雄であると周囲には名
乗っていたが、身体能力についても下手な先天性英雄以上の物を持
っていた。
つまり、私の生きてきた中で出会った、三人目の完全な英雄と呼
んで差支えの無い人物だった。
その強さは⋮⋮相性の関係もあっただろうが、ゲルディアン以上
シチータ以下と言ったところか。
使役魔法によって私自身が操られてしまう可能性があったため、
私自身は基本的には逃げに徹し、搦め手と使役魔法、それに何も知
らないヒトや他の英雄を利用して戦ったので、正確な戦闘能力まで
は分からないのである。
だが桁違いに強いのは間違いない。
最終的に時の権力者の前で正体がバラされてしまった私はニッシ
ョウ国の王都から逃げ出し、ヘテイル列島の最北から、スネッツォ
地方に逃げ込まざるを得なかったのだから。
1514
そしてこの戦いで私は悟った。
私の上には必ず誰かが居ると。
戦闘能力ではシチータやウエナシが、剣術ではサブカが、身体能
力ではトーコが、魔法ではシェルナーシュが、政治ではセレーネが、
策謀ではリリアが、建築や農業、計算、その他諸々の分野でも、探
せば必ず私以上の存在が居る事を悟った。
そう、私はヒトから記憶や経験を奪える。
故に様々な分野において私は一流か、そうでなくとも優れた能力
を示す事が出来る。
だが、奪えるだけであるがゆえに、頂点に行く事は出来ないのだ
と。
私はそう悟らざるを得なかった。
しかし、悟ったが故に私はこう考える事が出来た。
相手の得意分野で戦う必要はなく、相手に勝てる分野で戦えばい
いのだと。
あらゆる分野で力を発揮できることこそが、私の一番の強みなの
だから。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
スネッツォ地方については⋮⋮特に語る事はない。
二十年ちょっとかけて各地を回ったが、目新しいと言える程の知
識は得られなかったのだ。
秋の三の月
そうしてレーヴォル暦318年、九月。
1515
スネッツォ地方を抜けた先には⋮⋮待望のヘニトグロ地方、レー
ヴォル王国が待っていた。
そう、ヘニトグロ地方を旅立ってから三百年以上をかけて、私は
ようやく帰ってきたのだった。
祭りを開く約束の場所へと。
1516
第275話﹁世界巡る蛇−後編﹂︵後書き︶
三百年ちょっとかかりましたが、無事帰還です
11/07誤字訂正
1517
第276話﹁三百年後の王国−1﹂
﹁さて、まずは国内の状況を一通り把握しないとね﹂
レーヴォル王国北東部、スネッツォ地方との境界に築かれたその
都市の名はノイボーダ。
規模で言えばマダレムの名が付いてもおかしくない規模の都市で
あるが、マダレムは付かない。
と言うのもフロウライトやセントレヴォルと言ったマダレムの名
の付かない大都市が存在するために、この三百年間で都市の名にマ
ダレムを付ける風習が途絶えてしまったからである。
そして、マダレムの名が付かなくなったことからも分かるように、
この三百年の間にレーヴォル王国内に存在している文化や風習には
少なくない変化が生じている。
変化の中には国外に居る私の耳にも伝わってきたものもあったが、
私が知らない変化も山のように存在しているだろう。
﹁じゃあ⋮⋮まずはあの家族なんかが良さそうね﹂
クロウ
ゴーレム
と言うわけで、この街で一番高い建物であろうテトラスタ教の教
会の鐘楼に上った私は、忠実なる烏の魔法で街中の観察を行い、適
当な獲物が居ないかを見定めていく。
−−−−−−−−−−−−−−
そして夜。
﹁しかし、伯爵様も毎度毎度無茶な事を⋮⋮﹂
1518
﹁こんばんわ。そして、おやすみなさい﹂
﹁!?﹂
私は昼の内に獲物と見定めたヒトを順々に襲い、生きたまま腹の
中へと収めて行く。
普通の家族五人、みすぼらしい格好をした浮浪者三人、ノイボー
ダを取り仕切っているであろう人物の屋敷に務めている人物三人、
テトラスタ教の司祭ら五人、その他商人、衛兵、騎士、旅人等々を
合わせて十人ちょっと。
総計約三十人に消えて貰った事になるが⋮⋮まあ、今日一日調べ
た限りではノイボーダに居たこと以外には何の関係性もない人々で
あるし、関連性を持って疑われることはないだろう。
なお、私の存在が疑われる危険性については皆無である。
なにせノイボーダどころか、レーヴォル王国自体に正規のルート
では入っていないのだから。
﹁ごちそうさまでした。さて、検分を始めないと﹂
さて、情報収集が終わったところで、次はその情報の検分である。
ノイボーダは国境の街なので、集まってくる情報の質や量はあま
りよくない。
だが、国全体を騒がせているような話や一般常識であれば、この
街でも十分なものが手に入るはずである。
そんな事を考えつつ私はノイボーダの外に移動して情報の検分を
始めた。
始めたが⋮⋮。
﹁うーん⋮⋮﹂
正直に言わせてもらいたい。
どうしてこうなった、と。
﹁むうん⋮⋮﹂
1519
いやまあ、三百年以上ほったらかしにしていた私が言っていい台
詞ではないのだろうけど、それでもなお言いたくなってしまう程度
には、今のレーヴォル王国は問題を抱えていた。
﹁腐敗⋮⋮かぁ⋮⋮﹂
その問題の名は腐敗。
他にも色々とあるが、一番の問題はこれだ。
どうやら三百年間大きな戦や強大な妖魔による攻撃を受けて来な
かったために、レーヴォル王国は私の存在すらも忘れて、良くない
方向に流れてしまったらしい。
具体的な例を周辺知識と共にあげるならばだ。
﹁上が下を虐げてどうするのよ⋮⋮﹂
まず、今のレーヴォル王国は大きく分けて四つの階級に分かれて
いる。
つまり、王族、貴族、平民、奴隷だ。
そして貴族は更に五つの階級に分かれていて、上から順に公爵、
侯爵、伯爵、子爵、男爵となっている。
この辺りの階級制度については特に言う事はない。
それぞれの地位に、地位に相応しい人物が収まっているのであれ
ば、いい方向に事を運びやすくなるからだ。
問題はそれらの地位に相応しくない人物が収まっている場合。
﹁あー⋮⋮なんか頭が痛くなってきた⋮⋮﹂
そう、今のレーヴォル王国の貴族は平然と平民と奴隷を虐げてい
た。
それも正当な理由ではなく、レーヴォル王国の法から見ても不当
な理由でもって。
貴族だから平民と奴隷を虐げても構わないと言う頭の具合を気に
したくなるような慣習を盾にして。
1520
ノイボーダは国境の街と言う事でまだマトモな状況だったようだ
が、外からの目が届かない小さな村や町は相当酷い事になっている
との事だった。
﹁どうしてこうなっちゃったのかしらねぇ⋮⋮﹂
ついでに言えば、貴族や有力な商人の間で不正や賄賂が横行して
いたり、平民が貴族に取り上げられる事はほぼ無い程度には閉鎖的
だったりと、他にも色々と問題があるのだが⋮⋮ああうん、もう本
当に頭が痛くなってくる。
﹁しかも司祭たちまでもが同じ状況って⋮⋮﹂
で、なお悪い事にテトラスタ教の方も似たような状況である。
いつの間にか司祭たちの上に枢機卿や法王と言った地位を作って
いて、直接的な暴力は流石にしていないが、ことあるごとに金品を
要求するような業突く張りにはなっていた。
﹁はぁ⋮⋮﹂
何と言うか、頭痛で頭が痛いとか、そんな何かがおかしい言葉を
呟きたくなる程度には私の頭を痛くしてくれる状況だった。
と言うか、勝算があるなら、今すぐにでもセントレヴォル城とマ
ダレム・イーゲン改めテトラスタイーゲンに乗り込んで、主要な連
中を皆殺しにした挙句、それぞれの街に火を放ってやりたい所であ
る。
子孫
勝算が無いのでやらないが。
我が
ゴーレム
﹁とりあえずグロディウス公爵さんの領地に行きましょうかね。他
スネーク
よりはだいぶマトモな状況らしいし﹂
私はそう呟くと、大きめの忠実なる蛇を生み出し、地中を高速で
移動し始めるのだった。
1521
第277話﹁三百年後の王国−2﹂
﹁ふうむ⋮⋮﹂
数日後。
私はノイボーダからフロウライトに向かう道を一人で歩いていた。
左右が深い森に覆われ、手入れも碌にされておらず、人通りも疎
スネーク
ゴーレム
らな道であるが、それ故に何かを気にする必要もなく、気ままに歩
ける道だった。
何故そんな道を歩いているのか、忠実なる蛇の魔法を使えば、今
日中にはフロウライトに着けるだろうと、今の私の姿をトーコやシ
ェルナーシュ辺りが見たら、そう言うかもしれない。
が、これにはきちんと理由がある。
﹁良い天気ねぇ⋮⋮﹂
これからに備えて心身をリラックスさせると共に、情報収集の対
象として手ごろな獲物が居ないかを物色すると言う理由が。
なお、理由の割合としては前者が九割ほどを占めているが、今私
一人しか居ないので問題はない。
三百年以上生きている身からしたら、何でもない一日二日程度は
誤差みたいなものなのだ。
﹁⋮⋮﹂
クロウ
ゴーレム
ちなみに野盗の類に遭遇してもいいようにと、一応の警戒はして
いる。
具体的に言えば、頭上には忠実なる烏の魔法で作った烏人形を飛
ばして、周囲の警戒を行わせているし、下では私が歩くのに合わせ
て靴裏に仕込んだ魔石で使役魔法を一瞬だけ発動して周囲100m
程の範囲に存在している動植物を地面に触れているもの限定でだが
1522
余さず感知している。
﹁誰を狙っているのかしらねぇ⋮⋮﹂
そして今、私の使役魔法による警戒網には、森の中に何かしらの
目的でもって隠れている男たちが引っかかっていた。
数は二十人。
弓や魔法を用いるであろうヒトが十二人で、剣を持ったヒトが八
人だ。
ただ、野盗の類ではないらしく、私の姿を認識しているのに仕掛
ける様子はおろか、気にしている様子も見られなかった。
十中八九、暗殺者なのだろう。
﹁⋮⋮。失敗したかも﹂
と、そうやって歩調も顔色も変えずに暗殺者たちの様子を窺って
いると、私の後方に新たな存在が感知できた。
見るからにお金がかかっている二頭立ての馬車が一台に、馬に乗
った騎士が四人である。
﹁⋮⋮﹂
一応私は考える。
暗殺者の狙いがこの馬車であるとした場合、どうやれば面倒事に
巻き込まれずに済むかを。
まず、急に走り出したり、道を逸れて森の中に入ったりするのは
駄目である。
確実に暗殺者に怪しまれて攻撃される。
だが、このまま歩き続けたり、今この場で転んだ振りをしても、
馬車の位置と速さ、暗殺者たちの位置の関係上、巻き込まれるのは
確定している。
私から暗殺者たちに仕掛けるのも手だが、後に災いの芽になる可
能性は否定できないし、どちらの方が利用価値があるのかも現状で
1523
は不明だ。
そして、忠実なる蛇の魔法を使って逃げるのは論外。
土蛇のソフィアがレーヴォル王国に帰って来ている事を知らせて
も、私にとっては百害あって一利なしだ。
﹁つまり、あの馬車が連中の狙いでないと信じて、普通に歩くしか
ないわけか﹂
結論、天運に身を任せるしかない。
と言うわけで、私は顔色一つ変えずに歩き続ける。
状況がどう動いても即応出来るよう、密かに備えつつ。
﹁⋮⋮﹂
﹁おい、そこの⋮⋮﹂
そうして私のすぐ後ろにまで馬車がやってきて、金属製の鎧を身
に纏った四人の騎士の内一人が私に声を掛けようとした時だった。
﹁ぐっ!?﹂
﹁ビヒッ!?﹂
﹁何っ!?﹂
森の中から矢と魔法が飛来し、全ての馬を同時に仕留めると同時
に、馬車の御者の頭が吹き飛ぶ。
﹁敵しゅ⋮⋮!?﹂
﹁暗殺者か!﹂
そして、移動手段を奪った直後に剣を持った男たちが森の中から
現れ、落馬して剣を抜く暇もなく戦いに臨むことになった騎士たち
と、偶然にも暗殺の目撃者になってしまった私を殺すべく、襲い掛
かってくる。
うん、やっぱり駄目だったか。
こうなれば、どちらに味方するかは考えるまでもない。
1524
ヒノ
カワ
﹁﹃蛇は八口にて喰らう﹄﹂
ヒンドランス
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私は﹃妖魔の剣﹄を抜きつつ、﹃蛇は八口にて喰らう﹄を発動、
私の側に居た暗殺者四人の首を一撃で斬り飛ばす。
だが、この時点で既に護衛の騎士たちは、私に声を掛けようとし
ていた一人が虫の息で、他の三人は碌な抵抗も出来ないままに殺さ
れていた。
ブラックラップ
﹁黒帯﹂
幾らなんでも軟弱すぎやしないかと思いつつも、私は続けて黒帯
の魔法を発動。
馬車で隠れて見えない位置に居る四人の男に黒い帯を巻きつけ、
握り潰す。
顔を隠す用途もあって着けていたのであろう兜など、その隙間か
ら攻撃が出来る私には有って無いようなものである。
﹁残りの連中は⋮⋮偉そうな奴だけ追っておけばいいか﹂
私は森の中に目を向ける。
が、予想外の反撃に面を喰らったのだろう。
既に森の中に居た暗殺者たちは散り散りになって逃げだしていた。
なので、私は森の中に居た連中で偉そうな奴を一人選び、烏人形
ヒール
でその後を追わせておく。
ピュリファイ
﹁病魔払い、治癒﹂
﹁ぐうっ!?﹂
そして、烏人形に追跡を任せる傍ら、私は虫の息である騎士に二
つの魔法を掛け、応急処置を済ませる。
傷口が再生する痛みで口から泡を吹き、気絶してしまっているが
⋮⋮まあ、命は助かっただろう。
1525
﹁ふむ、ふむ﹂
私の普通の使役魔法による警戒網に、複数の騎馬がこちらに近づ
いてくる反応が入ってくる。
足並みの乱れの無さなどからして、彼らまで暗殺者であるとは考
えづらいだろう。
が、このままこの場に留まっていると、次の厄介事が始まるのは
確実な状況だった。
﹁行くか﹂
と言うわけで、私はこれ以上の厄介事は御免だと言わんばかりに
森の中に飛び込むと、烏人形に後を追わせている暗殺者の追跡を始
めるのだった。
馬車の中身、暗殺の目的、暗殺者たちの黒幕、だらしない騎士た
ち、この程度の情報など、私にとっては適当な相手から奪えば十分
な代物でしかない。
そう判断しての行動だった。
1526
第277話﹁三百年後の王国−2﹂︵後書き︶
通りすがりの魔王
1527
第278話﹁三百年後の王国−3﹂
﹁姫様のご様子は?﹂
﹁先程眠られたと侍女が﹂
﹁そうか﹂
ソフィアが暗殺者に襲われた馬車を助けた数日後。
とある屋敷の一室に一目で貴族と分かる雰囲気を纏った壮年の男
性と、長い間その衣装を身に付け続けてきたのだと所作だけで理解
させる老執事が会話をしていた。
﹁動揺していたりは?﹂
﹁気丈にも表面上は平静を保っておられます。ただ⋮⋮翌朝には枕
を濡らしていてもおかしくはないでしょう﹂
﹁だろうな。まったく⋮⋮彼女のようなヒトまで巻き込むことにな
るとは⋮⋮気が滅入ってくる﹂
壮年の男性は大きく溜め息を吐く。
だが、老執事が主のそんな行動を咎める事は無かった。
当然だ。
真っ当な価値観を有している者ならば、自分たちの行動が非道で、
許されざるものであると判断する他ないのだから。
﹁ですが、当主様の行動は正解でした。もしもあのまま姫様を村に
置いていたならば⋮⋮﹂
﹁まあ、奴らなら野盗を送って、村を無かった事にするぐらいはす
るだろう。手練れの暗殺者も送っていたようだしな。だがそれでも
⋮⋮あんな右も左も分からないような少女を我々の世界に引きずり
込む事には抵抗を覚えざるを得んよ﹂
再び壮年の男性は溜め息を吐き、老執事は主を気遣うように暖か
1528
い紅茶の入ったカップを差し出す。
﹁⋮⋮。暗殺者の正体と行方については?﹂
﹁死体が身に付けていた装備品からして、アービタリ伯爵の手の者
である事は間違いないでしょう。生き残りの行方については不明で
す。なので、暗殺者を捕えられる見込みは低いかと。それに捕えら
れても⋮⋮トカゲのしっぽ切りになるでしょう﹂
﹁そうか。となると名ばかり公爵であるこの身では、これ以上の追
及は厳しいか⋮⋮﹂
老執事の言葉に壮年の男性は眉間のしわを深めつつ、目を瞑る。
その姿は己の無力さに打ちひしがれているようでもあった。
﹁まったく、相手は後ろ盾も何も無い庶子だと分かっているはずな
のに⋮⋮放っておけばいいだろう。皇太子も、第二王子も、第一王
女も、その周辺の連中も﹂
﹁不安なのでしょう。でなければ、こんな愚かな振る舞いをするは
ずがありません﹂
壮年の男性はカップの中身を一気に飲み干すと、そこに自らの手
で今度はブランデーを注ぎ込み、飲み始める。
﹁まあ、愚かなのはこちらも同じだ。あんな子供を引き摺りこんだ
上に、危うく死なせかけたのだからな。この報告書にある謎の魔法
使いが居なければ、あの娘は死んでいた。確実にな﹂
﹁それは⋮⋮否定できませんな⋮⋮﹂
壮年の男性が一枚の羊皮紙を机の上に広げる。
そこには、ソフィアが暗殺者から馬車を助けた件についての報告
が記載されていた。
﹁﹃暗殺者の数は最低でも十人以上。内八人はその場で死亡、死体
には抵抗した素振りすらも残されていなかった。八体の死体の内、
1529
四体は一刀のもとに首を切り落とされており、四体は兜の中にあっ
た頭だけが潰されていた﹄か。どう思う?﹂
﹁少なくとも王室付きの魔法使いたちと同レベルの魔法使いなのは
確かでしょう。いえ、王室付きでも、末端の連中なら鼻で笑えるで
しょうな﹂
﹁まあ、報告書通りなら、訓練された暗殺者八人だけを一方的に殺
せる魔法使いであるし、それが妥当な所か﹂
壮年の男性は眉間のしわをさらに深めつつも、報告書を読み進め
ていく。
﹁しかし⋮⋮それほどの攻撃用魔法に加えて、﹃瀕死の騎士に対す
る完璧な治癒魔法の行使から、施術者は﹃黄晶の医術師﹄の導師ク
ラスの治癒技術を有するものと考えられる﹄﹃街道ではなく、暗殺
者が居るはずの森の中を選んで逃走したことから、優れたサバイバ
ル能力と探査能力を有している可能性あり﹄か。数々の物的証拠と
姫様の証言が無ければ、実在すら疑いたくなるな﹂
﹁お気持ちは分かります。攻撃魔法、回復魔法、探知または生存技
術と、三つの分野を一流と呼んで差支えない次元で修めている者な
ど、レーヴォル王国全土を見渡しても片手の指で数えるほどの数も
いないでしょう﹂
壮年の男性と老執事が報告書の内容を疑いたくなるのも当然の事
ではあった。
なにせ、報告書の通りなら、回復魔法を専門的に扱う﹃黄晶の医
術師﹄と、それ以外の魔法全般を扱う﹃輝炎の右手﹄、その決して
仲が良いとは言えない二組織の基準において一流と呼ぶべき魔法使
いが、それ以外の技術も有する形で、突然自分たちの目の前に現れ
たようなものなのだから。
暗殺者の死体、彼らの目で見て完璧な治療を施された騎士の身体、
それに馬車の扉の隙間から、森の中へと駆けこむソフィアの姿を見
た姫の証言と、これらの要素が揃っていなければ、彼らでもこの報
1530
告書を一笑に付していただろう。
﹁⋮⋮。わざわざ面倒事を避けるような動き方をした魔法使いであ
るし、捕捉できる見込みは低いかもしれない。が、日々の業務に差
支えが生じない範囲でこの魔法使いを探し出すように指示を﹂
﹁かしこまりました。決して敵対的な対応を取らないように厳命し
た上で、ですね﹂
﹁そうだ。最良は我々の味方になってくれることだが、誰の味方に
もならないでくれるなら、それはそれで構わない﹂
﹁では、早速指示を出して参ります﹂
﹁頼んだ﹂
老執事が壮年の男性に一礼をした後、部屋の外に出ていく。
﹁はぁ⋮⋮﹂
そして壮年の男性は部屋で一人溜め息を吐くと⋮⋮
﹁このまま今の王家に忠誠を誓い続けていいのでしょうか⋮⋮御先
祖様﹂
部屋の中に飾られていた錆一つ、刃こぼれ一つ無いハルバードを
目にしながら、そう呟くのだった。
1531
第279話﹁三百年後の王国−4﹂
馬車を襲った暗殺者たちを撃退し、森の中に入った私は、その後
追跡していた一人の他に、追手が居ないと油断していた暗殺者を二
人ほど生きたまま丸呑みにすることに成功した。
それはつまり、政治的な思惑で動いている手練れの暗殺者三人分
の記憶が丸々手に入ったという事である。
うん、記憶を入手できたこと自体は非常に美味しいという他ない。
﹁さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!﹂
﹁アムプル山脈産の果実だよー﹂
さて、それから数日後。
私は西に向かって移動を続け、グロディウス公爵領フロウライト・
ペリドットと言う都市にやって来ていた。
グロディウス公爵領フロウライト・ペリドットは、レーヴォル王
国の重鎮であるグロディウス公爵の屋敷がある都市であり、ベノマ
ー河を挟むように造られたレーヴォル王国第二の都市である。
で、その名から分かるように元々は二つの都市である⋮⋮と言う
か、今も書類上はグロディウス公爵の本拠にしてテトラスタ教の聖
地でもあるであるフロウライトと、かつてのオリビン砦が発展、改
名されて出来たペリドットに分かれているのだが、トリクト橋、オ
リビン橋と言ったベノマー河に架かる数本の橋によって両都市の行
き来が非常に楽なため、実質一体化している都市である。
なお、都市に付けられたペリドットの名の由来は言うまでもなく、
あのペリドットである。
どうやら私、オリビンさん、ペリドットの三人の関係性から付い
たらしい。
1532
まあ、オリビンさんの名前は橋の名前として残っているので、咎
めはしないが。
﹁王都の様子はどうだった?﹂
﹁変わらずだ。良くなっていないが、悪くもなっていない﹂
﹁そうか⋮⋮﹂
フロウライト・ペリドットの雰囲気は決して悪くない。
住民はそれ相応の活気と明るさを持っているし、余所者に対して
過度の警戒心を抱いてもいない。
商業は活発で、人々は明日の為にそれぞれの生業を営めている。
騎士と衛兵に向けられる視線も、恐怖ではなく敬意で、治安も良
い方である。
と言うわけで、私の目から見れば改善点はあるが⋮⋮十分に及第
点と言えるだけの発展具合だった。
少なくとも、ノイボーダからフロウライト・ペリドットの間にま
で見た他の都市や、暗殺者などの記憶で見たセントレヴォルを含む
諸都市とは比較にならない程である。
まあ、及第点だからと言って、私の正体と経っている年数の関係
上、私の子孫を正面から褒めてやることは出来ないのだが。
﹁なぁ、例の話。聞いたか?﹂
﹁姫様の件か。際どかったらしいな﹂
さて、都市の状況についてはこれぐらいにしておくとしてだ。
とりあえず私にはやらなければならない事が有る。
﹁いらっしゃい、見慣れない顔だな﹂
﹁ええ、今日着いた所なの﹂
と言うわけで、匂いを頼りにペリドットの少し裏の方に入った路
地に構えられていたその店の中に私は入る。
1533
﹁とりあえず⋮⋮これで一樽お願いしていいかしら?﹂
﹁は!?あ、いや、まあ、金は足りているが⋮⋮﹂
﹁安心しなさい。一人で飲むわけじゃないし、運ぶのにも魔法を使
うから﹂
﹁あ、ああ、なるほどそうか。そんな細腕でこんな物を買うなら、
魔法ぐらいは使えて当然だよな﹂
で、お酒を現金で一樽購入。
傍目には魔法を使っているように見せつつ、実際にはただの腕力
でもって酒を満載した、立てれば私の腰ぐらいまで有る酒樽を肩の
上に担いで店の外に出る。
﹁ふむ、あそこが良いかしらね﹂
そして、ヒトの目に触れないように注意しつつ、平均して三階建
てなペリドットの屋根の上に路地裏から登り、そのまま屋根の上を
移動。
ゴーレム
街全体が見渡せそうなほどに高く造られたテトラスタ教の教会の
クロウ
鐘楼に登る。
勿論、忠実なる烏の魔法で人影の有無は確認してあるので、誰か
に見つかる様な事態にはならない。
﹁ふぅ⋮⋮﹂
そうして無事に外から見えない鐘楼の影にまで着いたところで私
は一息吐きつつ酒樽の蓋を開け⋮⋮
﹁ゴクッゴクッゴクッ⋮⋮プハアアァァァ⋮⋮﹂
一気に半分ほど飲み干した。
﹁まったく⋮⋮﹂
何故こんな事をしたのか?
そんなものは決まっている。
1534
﹁馬鹿じゃないの、本当に馬鹿じゃないの、何を考えてんのよアイ
ツ等はああぁぁ!﹂
愚痴を零すためだ。
つまりはヤケ酒である。
﹁はぁ⋮⋮どうしてこうなったんだか⋮⋮﹂
私は荷物から適当な器を取りだして酒樽の中身をすくい、呑みな
がら一人愚痴を零す。
そんな事をしてどうなるとか言われそうだし、思われそうだが、
愚痴を零さずにはいられなかった。
暗殺者三人のあんな記憶を見せられては。
﹁まず、暗殺者たちに直接指示を出したのはアービタリ伯爵。と﹂
私は暗殺者たちの記憶を思い出しつつ、左手と使役魔法で酒をす
くい、右手で考えをまとめ易くするために羊皮紙にペンで文字を書
く。
﹁そのアービタリ伯爵に直接指示を出したのは、軍事に傾倒してい
る第二王子とその周辺の貴族共。と﹂
そう、今のレーヴォル王国には四人⋮⋮いや正確には三人と言う
べきかもしれないが、とにかく四人の王位継承者による争いが起き
ていた。
で、四人の王位継承者とは、
テトラスタ教に傾倒すると同時に、マカクソウを元にしたと思し
き魔薬に溺れている皇太子。
軍事に傾倒し、暴力と恐怖による支配を他国とレーヴォル王国に
行おうと目論む第二王子。
享楽に更け、贅沢ばかりして、商人たちと癒着すると同時に国庫
1535
を圧迫している第一王女。
現王の庶子として最近発見され、グロディウス公爵に保護される
ことになった第二王女。
の事である。
そして、第二王子、第一王女は自分の欲望の為に王位を簒奪しよ
うとしており、皇太子も自分の命と地位を守るために二人と激しく
争っているのだが⋮⋮。
どうにも、そんな争いの中で現王の庶子である第二王女の存在が
発覚し、今回に限っては何故か普段は仲が悪い王位継承者が三人と
も協力して、第二王女の事を始末しようと動いたようだった。
これが、今回の暗殺未遂事件の裏である。
なお、現王には子供たちの争いを止める期待は持てない。
どうにも優柔不断な上に、現実逃避として女遊びに耽ってしまっ
ているようだし。
全くもってだらしない。
﹁はぁ⋮⋮第二王女が可哀相になって来るわね。これ﹂
そんな思わず嘆きたくなる第二王女の状況に、私は溜め息を吐か
ずにはいられなかった。
1536
第280話﹁三百年後の王国−5﹂
﹁さて、今後の為に色々と探らせてもらいましょうか﹂
今のレーヴォル王国の政治事情について羊皮紙に一通り書き終わ
クロウ
ゴーレム
ったところで、私は更なる情報収集を行うべく、第二王女が現在匿
われているグロディウス公爵の屋敷に忠実なる烏の魔法による烏人
形を複数体向かわせる。
﹁一人ぐらいは食べ甲斐のある子がいないとねぇ﹂
私は酒を飲みつつ、烏人形を同時並行的に、間近で見ても本物の
鳥が飛んでいるように普通のヒトから見えるように操る。
そして、烏人形を一体、第二王女が眠っていると思しき部屋のバ
ルコニーに近づけ、他の烏人形たちにはグロディウス公爵の屋敷の
様子を窺ったり、侵入しようとしていたりする者が居ないかを見張
らせる。
見つけた時には⋮⋮普通に衛兵を呼べばいいか。
フロウライト・ペリドットの衛兵なら、きちんと仕事はしてくれ
るはずだ。
﹁ふむ⋮⋮﹂
私は烏人形の目を通して、部屋の中に用意された豪勢なベッドに
横たわっている第二王女⋮⋮少女の様子を窺う。
髪の色は茶色、肌は農家の少女らしく程よく焼けている。
肉付きは⋮⋮栄養が足りていないのだろう、生きるのに問題は無
さそうなレベルではあるが、多少良くない感じがする。
﹃⋮⋮﹄
﹁む⋮⋮﹂
1537
と、少女が寝返りを打つと同時に、何かの気配を感じ取ったのか、
瞼を上げ、黄色の美しい⋮⋮けれど奥に淀みを感じさせる瞳をこち
らに向けてくる。
﹃貴方⋮⋮鳥じゃないわね﹄
﹁⋮⋮﹂
少女は窓を開けると、バルコニーに居た私に向けて手招きを行い、
部屋の中へ入るように促す。
その動作に迷いや戸惑いは感じられない。
どうやら、彼女も一筋縄ではいかない人物であるらしい。
それも他の王族モドキと呼んでもいいような連中とは別の方向性
で。
﹃少し待って﹄
烏人形が部屋の中に入り、彼女が窓を閉め、ベッドに戻ると、バ
ルコニーが開いた音に反応したのか、執事らしき老人が部屋の中に
入ってくる。
が、彼女はベッドに横たわり、軽く涙を流しながら眠る演技で、
難なく老人をやり過ごしてみせる。
﹃それで貴方は何者なの?﹄
彼女は一切の表情を消した顔を烏人形に向けつつ、問いかけてく
る。
﹁暗殺者から貴方を助けた魔法使い。と言ったら信じるかしら?﹂
それに対して私は問いかけに問いかけで返すという真似をし⋮⋮
﹃信じるわ。土蛇のソフィアさん﹄
﹁⋮⋮﹂
彼女の答えに唖然とする羽目になった。
1538
﹃どうして分かったと言う顔ね﹄
﹁はぁ⋮⋮そう言う顔もしたくなるわよ。土蛇を見られたならとも
かく、こっちを見られて私に直結させられるヒトなんて今までに一
人も居なかったもの﹂
﹃土は幾らでも形は変えられる。だったら、他の形にでも出来るん
じゃないかと思っただけよ。土を動物のようにして操れる存在なん
て他に聞いたことも無いしね﹄
﹁なるほどね⋮⋮﹂
この時点で私は第二王女の事を、他の王族たちのようには扱わな
い決定を自分の中で下した。
と言うか、農村の少女から突然第二王女になったはずなのに、私
相手にこれだけの真似が出来るとは⋮⋮彼女は間違いなくシチータ、
そしてセレーネの血を引いていると、私に思わせるには十分な振る
舞いである。
﹃それで、貴方がレーヴォル王国に戻ってきたという事は、昔から
の言い伝え通り、レーヴォル王国を滅ぼすの?﹄
彼女は先程よりも少しだけ淀みが薄くなった瞳をこちらに向けつ
つ、次の問いかけをしてくる。
﹁どうでしょうね?正直に言って、今の王族連中に私の三百年を叩
きつけ、国ごと滅ぼしてあげる価値があるのかと言われたら怪しい
し、放っておいても勝手に滅びちゃいそうな感じがするのよねぇ﹂
私はそんな彼女の心の動きに、三百年の経験から彼女の一端を理
解する。
理解したが故に、正直に自分の思っている事を吐露し始める。
﹁だって、現王は現実逃避、皇太子は魔薬中毒、第二王子は暴力馬
鹿、第一王女は贅沢三昧、貴女は他の連中に比べれば多少はマシで
1539
あるけれど⋮⋮自己の死も含め、自国の崩壊を願う破滅主義者じゃ
ない﹂
﹃⋮⋮﹄
してやったりだ。
彼女の顔が僅かにではあるが、驚きの感情によって揺さぶられた。
どうやら彼女は自分がどういうヒトであるのかを知られていない
と思っていたらしい。
﹃流石は三百年以上生きている妖魔の中の妖魔、土蛇のソフィアね﹄
彼女の表情が変わる。
今までのあらゆる感情を捨て去ったような仮面のような表情から、
先程見せたような精巧に出来た一般的な少女の表情ではなく、激し
い憎悪をたぎらせた彼女本来の表情へと。
﹃でもそんなに悪い事かしら?自分の母親を無理矢理犯した挙句に
捨てた父親にこの世の絶望という物を教え、全てを奪い尽くしてか
ら殺したいと思う事が﹄
口を三日月に変え、目を大きく見開き、狂相としか称しようのな
い表情を彼女に浮かべる。
ああ⋮⋮ああ⋮⋮、
﹃ええそうよ。私は国の崩壊を望んでる。だって私の父親の所有物
は国だもの。だったら国全てを奪わなきゃ、私の気持ちは収まらな
いわ﹄
何て素晴らしい。
﹃その為ならば私は何だってやって見せるし、誰でも利用して見せ
るわ。王族も、貴族も、暗殺者も、そして貴方すらもね。土蛇のソ
フィア﹄
なんて素晴らしい感情の奔流、なんて素晴らしい魂の輝き、なん
1540
て素晴らしい意思の炎。
これほどの歓喜を感じるのはいったい何時以来だろうか。
﹁ふふ⋮⋮ふふふふふ⋮⋮﹂
﹃何がおかしいの?﹄
間違いない。
彼女ならば立派に勤まるだろう。
私が行うレーヴォル王国滅亡と言う所業のメインディッシュと言
う役割が。
﹁いいでしょう。王女様。それならば一つ契約と行きましょう﹂
﹃契約?﹄
﹁そう、契約。私は貴女の望みも叶える形でレーヴォル王国を滅ぼ
してあげる。その代わり、全てが終わるその時になったら、私にそ
の身を捧げなさい﹂
私の言葉に彼女は今までで一番の笑顔を浮かべる。
その笑顔はとても美しく、蠱惑的だった。
﹃喜んでこの身を貴方に捧げましょう。土蛇のソフィア。その代わ
り、絶対にレーヴォル王国は終わらせて頂戴。特に王族連中の息の
根は必ず止めてちょうだい﹄
﹁勿論よ。期待してもらっていいわ。王女様﹂
﹁﹃ふふっ、ふふふふふ、あはははは!﹄﹂
そうして私こと土蛇のソフィアと、レーヴォル王国王位継承権第
四位、第二王女セレニテス・レーヴォルとの契約は結ばれた。
1541
第280話﹁三百年後の王国−5﹂︵後書き︶
高笑いが似合う二人だなぁ⋮⋮
1542
第281話﹁三百年後の王国−6﹂
﹁さて、セレニテス。申し訳ないけれど、今晩はここまでにしてお
きましょう﹂
﹃あら、もう帰ってしまうの?﹄
私とセレニテスの契約は無事に結ばれた。
﹁ええ、色々とやらなければならない事があるから﹂
が、契約が結ばれたからと言って、直ぐにレーヴォル王国を滅ぼ
しにかかるわけでは無い。
と言うか、三百年かけた世界巡りで色々と学んだ私と言えども、
何の調査も準備無しに国一つ滅ぼすのは流石に無理である。
﹃他の王族たちの事を調べるの?﹄
﹁それもあるわね﹂
セレニテスは私が何をする気なのか分かっているらしく、窓に向
かう烏人形に向けてそう声をかけてくる。
実際、セレニテス以外の王族たちについても調べる必要はあるだ
ろう。
私が彼らについて今持っている情報は、極々限られたものである
上に、表面的な部分しか見れていない可能性が高い情報ばかりなの
だから。
そんな不確かな情報だけで、セレニテスの望みを叶えられるとは
思わない方がいい。
﹃それも?﹄
﹁それもよ﹂
そして、王族についての情報以外にも、色々と調べてみなければ
1543
ならないものがある。
具体的には⋮⋮
ヒーロー
・百年ほど前から存在が怪しまれ始めている琥珀蠍の魔石
ヒューマン
・各種儀式の際にしか出て来なくなった﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄
・バトラコイ・ハイラやルズナーシュ・メジマティと言った三百年
前に優秀だった人材の子孫の行方
・﹃輝炎の右手﹄や﹃黄晶の医術師﹄と言った魔法使い組織の現状
・騎士団の平均的な戦闘能力や危険視すべき人物の把握
・その他活用できそうな各地の組織や人員、情勢等々
とまあ、大量に集めなければならない情報は存在している。
勿論、集めた全ての情報が今後活用されるとは限らないわけだが、
そもそも集めなければそれが活用できる情報かどうかすらも分から
ないのだから、集めないという選択肢は私には存在しない。
情報の集め方については⋮⋮まあ、こちらについても色々と方法
はある。
﹁私の能力上、情報は集められるだけ集めておくべきなのよ﹂
﹃ふうん?﹄
普通に情報屋から情報を買ったり、自分で見て回ったり、資料を
盗んだり、後はその情報を持っているヒトを生きたまま丸呑みにし
て記憶を奪ってもいい。
で、特に最後の方法については重要だ。
重要な情報を持っているヒトを何十人も消す事になるので、レー
ヴォル王国に対してそれ相応の被害を与える事が出来る。
加えて、襲われていない優秀な人物たちについても、そのような
事態になれば私の存在かそうでなくとも危険な何者かが居る事に気
づいて行動を起こし始めて認識が可能になるし、シェルナーシュと
トーコがレーヴォル王国内に居るのであれば、二人と合流出来る可
1544
能性を高められるだろう。
つまり一石三鳥か四鳥ぐらいは狙える作戦なのである。
﹁それに、貴女にとっても時間は必要なはずよ﹂
﹃私にとっても?﹄
そして本人は分かっていないようだが、時間が必要なのはセレニ
テスにとってもである。
﹁王族連中をどうやって殺したいのか、それを考えるのは貴女がや
るべき事じゃない﹂
﹃いいの!?﹄
﹁当然よ。だってそう言う契約だもの﹂
まずセレニテス以外の王族をどう始末するのかを考える時間。
私はセレニテスが望む形でレーヴォル王国を滅ぼすつもりなので、
どういった終わりを望むのか依頼主に考えさせる時間は取らなけれ
ばならないものである。
﹁それと、今の貴女は精神面はともかく、肉体面についてはちょっ
と物足りない所があるのよ﹂
﹃⋮⋮﹄
私の言葉を聞いたセレニテスは自分の身体を見下ろし、両手を見
つめる。
その腕は元農家の娘にしては少々細いし、胸のボリュームも控え
めである。
﹁しっかり食べて、健康的な体を手に入れて貰わないと、私も貴女
も困る事になるわ﹂
﹃⋮⋮﹄
そんな細腕では、仮にセレニテスが自分の手で王族の誰かにトド
メを刺したいと思っても、上手くはいかないだろうし、そもそもと
1545
して今の貴族たちが行っている政治や舞踏会などに付いて行けず何
処かで倒れてしまうだろう。
後、私としても今のセレニテスでは食い甲斐が無いのである。
﹃それは⋮⋮そうね﹄
セレニテスも私の言葉に納得してくれたのか、素直にそう呟きな
がら頷いてくれる。
﹁そうそう。少し言っておくけれど、グロディウス公爵家は私の血
を引く一族なんだけど、色々と素直な性格をしているみたいだから、
この屋敷の中に居る間は基本的に気を抜いていても大丈夫よ﹂
﹃!?﹄
私はそう言い残すと、驚いた様子のセレニテスに背を向け、窓か
ら音を立てないように注意しつつ部屋の外に飛び出る。
﹁⋮⋮﹂
そうして十分に高く飛び上がったところで、私はフロウライト・
ペリドットの全景を見下ろす。
夜中と言う事で、娼館や城壁の上と言った一部の場所を除けば、
全体的に暗い街中であるが、私には大して関係のない事である。
﹁やっぱり顔見せぐらいはするべきね﹂
私の視線がグロディウス家の屋敷に取り込まれるように存在して
いる一つの森に向けられる。
その中心にあるのは、昔に比べれば何処か衰えのようなものを感
じさせ始めているインダークの樹。
﹁じゃっ、行きますか﹂
その存在を確かめた私は、烏人形たちに屋敷周囲の警戒をさせた
まま、私自身の移動を始めた。
1546
第281話﹁三百年後の王国−6﹂︵後書き︶
11/13誤字訂正
1547
第282話﹁夜天蓋﹂
﹁ふぅ⋮⋮﹂
結局私がインダークの樹の植わっているグロディウス家の入口の
無い庭と呼ばれる場所に入れたのは、翌日の昼過ぎの事だった。
うんまあ、これは仕方がないだろう。
クロウ
ゴーレム
グロディウス家の屋敷を見張っていた怪しい連中とか、侵入しよ
うとしていた怪しい奴とかを忠実なる烏で見つけ出して、一人ずつ
背後から絞め落とし、食べていたのだから。
時間は否が応にもかかるのである。
﹁さて、久しぶりね﹂
私は庭の中心に立つ一本の老木に近づく。
すると、私が近づいたことを察してか、その木は一目見ただけで
相当な年数を経ていると分かる幹と枝葉を揺らし、歓迎の意を込め
た様子の魔力を周囲に放つ。
しかしインダークの樹はどれほど若く見積もっても樹齢が四百年
を超える老木であり、今のトリスクーミで確実に私よりも年上であ
ると言える数少ない存在である。
魔力にも、枝葉の動きにも、何処か元気を感じられない。
﹁⋮⋮﹂
そんな私の思考を察してなのかは分からないが、インダークの樹
が間に合ってよかったと言うような魔力を発する。
やはりインダークの樹はもう長くないらしい。
﹁聞かせて頂戴。あの時貴方が伝えたかったことを、貴方が受け取
った伝言を﹂
1548
私は真剣な表情をして、インダークの樹の様子を窺う。
インダークの樹も、私の態勢が整った事を察して、あの時と同じ
ように草木と地面を振動させることによって音を発し始める。
﹃お前は y0;d である﹄
私の耳にインダークの樹の声が届き始める。
﹃異界の t0fx の声を聞き、逸話を形にしている﹄
三百年以上経ち、あの頃に比べれば力も知識も相当着いたはずの
私でも、一部には理解できない音はある。
﹃y0;d を閉じよ﹄
だがそれでもニュアンス⋮⋮インダークの樹が何を伝えたがって
いるのかは何となく分かった。
﹃3dvdざ な w9m8daい7pjzt98 は受け入れら
れない﹄
インダークの樹にこのメッセージを託したその存在はこう言いた
いのだろう。
私の使っているとある魔法をこれ以上使うなと。
﹃⋮⋮﹄
﹁以上、って事ね﹂
インダークの樹の動きが止まる。
カド
まあ、この誰かさんがそう言いたくなるのにも納得はいく。
ゥ
ケウス
スヴァー
ヴニル
ヒノ
カワ
恐らく誰かさんに使うなと言われた四つの魔法⋮⋮﹃蛇は骸より
サマエル
再び生まれ出る﹄﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄﹃蛇は八口にて喰らう﹄
﹃蛇は罪を授ける﹄は、私が使える数多の魔法の中でも明らかに毛
色が違う魔法である。
その毛色の違う部分が誰かさんにとって都合の悪いところからや
1549
って来ているのなら⋮⋮まあ、私に対して警告が飛んでくるのは当
然だろう。
尤も、それなら最初の注意の時から、私に理解できるように伝え
てくれと言いたいところである。
﹁じゃあ⋮⋮﹂
﹃き⋮⋮﹄
﹁ん?﹂
いずれにしてもインダークの樹に託された伝言はこれで終わり、
そう私が判断して、挨拶をしてから帰ろうと思った時だった。
﹁っつ!?﹂
グロディウス家の入り口の無い庭の中に限る形で、まるで地脈の
ど真ん中に居るように感じるほど濃密な魔力がインダークの樹から
突然溢れだす。
﹁これは⋮⋮﹂
そして私は幻視する。
インダークの樹の根元に座る一人の少女の姿を。
腰まで届く麦藁のような色の髪、満月のように輝く金色の虹彩と
蛇のような縦長の瞳孔を持つ目、側頭部から左右三本ずつ計六本生
えた角、フード付きの蘇芳色の衣を身に纏った少女の姿を。
ネリー、フローライト、ヒーラ、キキ、セレーネ、レイミア、ペ
リドット、セレニテス、それにトーコやシェルナーシュ、ヒトのソ
フィアと言った、今までに私が出会った女性たちにどこか似た雰囲
気を纏った少女の姿を。
﹃単刀直入に言わせてもらう﹄
いや違う。
私は耳で少女の言葉を捉えつつ、心の中でそう言葉を発した。
1550
﹃来い﹄
そう、違うのだ。
少女が私たちに似ているのではない、私たちが少女に似ているの
だ。
﹃私が居る場所に﹄
私は幻視した少女の姿を見て、そう直感する。
﹃壊れない い4う を持って﹄
だがそれも当然の事。
﹃ywxd と yを。 の海を越えて﹄
彼女の方が私たちよりも遥かに古き存在であり、フロッシュ大陸
に伝わっていた昔話でも語られているこの世界の始まりに関わる存
在なのだから。
﹃待っているぞ﹄
﹁⋮⋮っつ!?﹂
再び魔力の奔流が庭の中で荒れ狂う。
膨大な量の魔力に影響されて、インダークの樹以外の植物が何度
も成長しては花を着け、実を着け、枯れ落ち、残された種から萌芽
する。
そして、荒れ狂う魔力が治まる頃には彼女の姿は消え去っており、
グロディウス家の入り口の無い庭はまるで数百年の時が経ったかの
ように植物が繁茂し、インダークの樹も季節外れの花を満開にさせ
ていた。
﹁まったく、まさか当人⋮⋮いえ、ヒトじゃないわね。当神が出て
来るとは思わなかったわね﹂
1551
インダークの樹の枝に付いていた花が散り、結実していくのに合
わせて、他の植物たちも今の季節に合わせた姿を取り始める。
﹁ま、待っていると言ったんだし、セレニテスの件を片付けてから
でいいわね。目指す場所も目指す場所なんだし﹂
私はそう結論付けると、背中にかいていた冷や汗の感触は敢えて
無視し、普通の植物のようになってしまったインダークの樹の枝か
ら水色の実を一つ採らせてもらってから、その場を後にした。
1552
第282話﹁夜天蓋﹂︵後書き︶
11/13誤字訂正
1553
第283話﹁蛇と月長石−1﹂
インダークの樹から伝言を受け取った後、私はレーヴォル王国内
での活動を本格化させ始めた。
つまり、セントレヴォルやフロウライト・ペリドットの周辺で適
当な人物を襲い、生きたまま丸呑みにする事で今後の活動に必要な
情報を集めたのである。
情報収集の期間はおよそ三ヶ月。
被害者は五十人ほどだろうか。
早馬などの情報伝達手段の発達によって一人の人物が持つ情報の
量が大幅に増えているのと、書物に私が欲しい各種情報が記されて
いたおかげで、予定よりはだいぶ少なく済んだ。
﹁さて⋮⋮﹂
で、そうして集めた情報の結果から、今の状況には関係ないのだ
ハイラ
が、一つ面白い事が分かったというか、長年の疑問が一つ溶けた。
いやまあ、灰羅と言う姓の時点で繋がりは感じていたのだが、ま
さかの繋がりだった。
そう、私がヘテイル列島のニッショウ国で戦った灰羅ウエナシ。
あのゲルディアン以上に強い男だが、実は三百年前にセレーネの
親衛隊隊長を務めていたバトラコイ・ハイラの子孫だったのだ。
しかも、ウエナシの血筋にはメジマティ家⋮⋮つまりはシェルナ
ーシュとルズナーシュの血も入っており、グロディウス家⋮⋮つま
ヨウコ
りは私の血も僅かにだが入っているようだった。
そこに狐の妖魔の血も幾らか入っていたというのだから、そりゃ
あ後天的英雄としても目覚めたのなら弱くないはずがない。
とまあ、奴の強さの秘密が少しは分かったが、今頃は生きていて
も七十過ぎの爺なので、この話はまったくの余談である。
1554
﹁分かっていますね。セルペティア﹂
﹁はい﹂
話を戻して現在の私の状況である。
クロウ
ゴーレム
一通りの情報収集を済ませた私は、残りの情報収集や人員の確保
などは適宜行えばいいと判断した。
なので、今まではセレニテスの枕元に忠実なる烏の魔法による烏
人形を向かわせ、情報交換と雑談、叱咤激励、慰めを行うだけだっ
たところから、もっと直接的な支援を行う事にした。
﹁セレニテス様はレーヴォル王国第二王女、本来ならば家名も無い
貴女では近づく事も許されない存在です﹂
﹁はい﹂
具体的にはグロディウス家に潜入し、レーヴォル王国第二王女セ
レニテス・レーヴォルに仕える存在として彼女の傍で役に立つ事に
した。
これでセレニテスの要望は叶えやすくなるし、三か月の調査期間
中にも時々あって、秘密裏に処理していた暗殺者の襲来からセレニ
テスを守る事も容易くなるだろう。
﹁ですが、セレニテス様自身の事情、それに貴女の高い能力を考慮
して、今回特別にエクセレ・グロディウス様は貴女をセレニテス様
に付ける事を決めました﹂
エクセレ・グロディウス。
グロディウス公爵家の現当主であり、ウィズとレイミアの息子で
あるクレバーと、私とペリドットの娘であるセルペティアが結婚し
て産まれた子を祖としているので、私の血を引く一人でもある。
まあ、私の血はだいぶ薄まってしまっていて、残り香程度のよう
だが。
1555
﹁決してエクセレ様の期待を裏切らないように、それ以上にセレニ
テス様を裏切らないようにしなさい﹂
﹁分かっています。侍女長﹂
さて、この辺りでいい加減、私がどのような身分で潜入を試みて
いるのかを明言してしまうべきだろう。
私は今⋮⋮
﹁では、頼みましたよ。セルペティア﹂
﹁はい﹂
セレニテス付きの侍女としてグロディウス家に潜入していた。
﹁⋮⋮﹂
﹁入りなさい﹂
そして今日は記念すべきセレニテスとの顔合わせである。
いやぁ⋮⋮ここまで大変だった。
侍女としての振る舞いや知識は普通に持っていたし、グロディウ
ス家の衣装に信用できるヒトである事を示す書類と言った物は難な
く用意できたが、グロディウス家の人間に私ことセルペティアの存
在を、正体や性別に気取られる事無く馴染ませるのは本当に大変だ
った。
まあ、大変と言っても、屋敷の人間の飲食物にセルペティアと言
サマエル
う侍女がセレニテス・レーヴォルの専属として新しく加わると言う
記憶を込めた﹃蛇は罪を授ける﹄を混ぜて、記憶を付加しただけな
のだが。
﹁貴女が⋮⋮!?﹂
さて、私の顔を見たセレニテスの様子は?
﹁セレニテス様?﹂
﹁いえ、何でもありません。彼女の案内ご苦労様、侍女長。もう下
1556
がってもいいです﹂
﹁かしこまりました﹂
とても驚いていた。
まあ、直ぐに落ち着きを取り戻して、侍女長を部屋の外に下げさ
せたが。
﹁まさか侍女に化けて潜り込んでくるとは思わなかったわね﹂
﹁ふふふ、驚いてもらえて何よりね﹂
部屋の周囲に一切の気配が無くなったところで、セレニテスは何
処か呆れた様子で私にそう声をかけてくる。
﹁いったいどうやったの?﹂
﹁その辺りの詳細についてはいずれまた話すわ。それよりも今は自
己紹介をさせて頂戴﹂
﹁分かったわ﹂
私はセレニテスの正面に立つ。
﹁私の名前はセルペティアと申します。礼節正しいだけの田舎娘で
ございますが、どうかよろしくお願いいたします。セレニテス様﹂
そうして、何処からどう見ても土蛇のソフィアとは繋がらない、
ただのヒトである事を示すように、完璧な侍女の挨拶をこなして見
せた。
﹁これで男だって言われても、信じるヒトはいないわね⋮⋮﹂
そして、そんな私の姿を見て、セレニテスは小さく呟かずにはい
られないようだった。
1557
第283話﹁蛇と月長石−1﹂︵後書き︶
11/14誤字訂正
1558
第284話﹁蛇と月長石−2﹂
﹁さて、まずはセレニテス様の今後の御予定についてお話ししてお
きましょうか﹂
﹁分かったわ﹂
セルペティアとしての自己紹介も終わったところで、私は懐から
メモ帳を取りだして開く。
そこにはセレニテスの今後の予定が書き込まれているが⋮⋮現状
で語るべき事柄は少ない。
﹁これから一月先までは特に今までと変わりません﹂
﹁つまり、今まで通りに礼儀作法を学ぶことになるわけね﹂
﹁そうなります﹂
セレニテスは何処かうんざりとした様子で、これまでにやって来
たことを思い返しているようだった。
まあ、少し前までは普通の村娘だったのだ、今後の為に必要な事
とは言え、慣れない事を無理やり詰め込まされるのは苦痛でしかな
いのだろう。
尤も、この三か月の様子を見る限りでは、現時点でも下手な王侯
貴族より立派な礼儀作法を身に付けているようだが。
﹁一月後、セレニテス様は此処、グロディウス公爵様の屋敷を出発
し、馬車でセントレヴォルへと向かう事になります﹂
﹁馬車⋮⋮ね。護衛の数は?﹂
﹁前回の反省を踏まえてか、騎士十二人、兵士も相応の数を付ける
ようです。勿論、セレニテス様のお世話の為に、侍女も私の指揮下
で相応の数が付きます﹂
﹁そう、となると馬車で移動している間は暇そうね﹂
1559
セレニテスはとても残念そうな顔をしている。
そう、退屈そうな顔でも、安心している顔でもなく、残念そうな
顔である。
何故、そんな顔をしているのか。
その理由はとても単純だ。
﹁まあ⋮⋮この陣容ですと、移動中に暗殺者が仕掛けて来る事はな
いですね﹂
﹁本当に残念。向こうから証拠がホイホイと寄って来てくれると思
っていたのに﹂
﹁そうですねー﹂
暗殺者と言う名の使い勝手のいい道具が手に入る機会が少なくな
ってしまったからだ。
﹁ですが安心してください。セレニテス様。朗報です﹂
﹁朗報?﹂
だが安心してもらいたい。
この三か月の調査と準備の期間に、私は色々と重要な情報を掴ん
でいる。
﹁移動中は確かに安全ですが、セントレヴォルに着いた後、登城の
前に一週間貴族街に泊まる事になります。それも今回の為に王の側
が用意した屋敷です。そして既に計画が立てられている事も分かっ
ています﹂
﹁あら素敵﹂
そしてその中には、第二王子の一派によるセレニテスの暗殺計画
もあるのだ。
ちなみにこの情報を掴んでいるのは、私以外だと第二王子の一派
の中でも極一部だけであるため、まあ、色々と美味しい事が確定し
ている計画でもある。
1560
﹁セルペティア。一応聞いておくけど、その暗殺計画で私の命が危
険に晒される可能性は?﹂
﹁ゼロとは言いません。が、何もさせる気はありませんのでご安心
を﹂
﹁分かったわ。なら、色々と期待させてもらうわ。元気な玩具の確
保も含めて⋮⋮ね﹂
と言うわけで、私とセレニテスの二人は、とても狙われている側
の人物だとは思えないような笑みを浮かべる。
仮にこの瞬間の私たちの表情だけを見たヒトが居ても、楽しく談
笑している様にしか見えないだろう。
﹁さて、話を戻しましょう﹂
私はセレニテスのさりげない要求をメモ帳に記しつつ、話を進め
る。
﹁城下の屋敷で一週間過ごした後、セレニテス様は登城し、現王に
して父親であるディバッチ・レーヴォル様に謁見することになりま
す。感動の親子対面と言うわけですね﹂
﹁感動⋮⋮まあ、確かにそうなるわね﹂
セレニテスは私の言葉に含みのある笑顔を浮かべる。
まあ、感動の親子対面には違いないだろう。
感動の方向性は一般的なものとは大きく違うが、説明しなければ
分かりはしない。
﹁そして、その場で儀式を行い、セレニテス様はレーヴォル王家の
一員として、正式に認められることになります﹂
﹁私のレーヴォル王家入りに反対する者がその場で声を上げる可能
性は?それとディバッチが流れを反故にする可能性は?﹂
﹁どちらも有り得ません。前者については、王が許さなければ皇太
1561
子ですら発言が許されない場ですので、王族以外にはどうしようも
ありませんし、貴女の異母兄弟たちもこのぐらいの空気は読めます。
後者についてはグロディウス公爵家と幾つかの有力な家を敵に回す
事になります。まあ、私が許さないというのもありますが﹂
﹁あらあら、怖い発言ね﹂
﹁ふふふ、私はそれだけの事が出来る札は持っていますので﹂
実際、謁見の間で儀式が始まったら、止める事が出来る者は居な
い。
無理矢理に止めようと思ったら、家が潰れる覚悟で止めるしかな
いが、現状のセレニテスにはそこまでして止める価値は無いと周囲
には思われている。
﹁ちなみにこの儀式にはディバッチ王以外の王族も一通り参加する
ことになっています﹂
﹁つまり、私のターゲットが揃う貴重な場と言う事ね﹂
さて、そんなセレニテスを王族と認める儀式だが、王族が一人増
えると言う事で、レーヴォル王国内に居る貴族は一通り出てくる事
になる。
そしてその中にはセレニテスの異母兄弟⋮⋮皇太子であるインダ
ル・レーヴォル、第二王子であるフォルス・レーヴォル、第一王女
であるスクワ・レーヴォルに、彼らとディバッチ・レーヴォルの取
り巻きと言う、セレニテスが始末する対象として選んだ人物たちも
多数含まれている。
﹁ええそうです。ただ⋮⋮﹂
﹁分かっているわ。そこでやるのは宣言まで、でしょう﹂
﹁その通りです﹂
つまり、色々と都合のいい場所なのである。
道中で元気な道具を回収出来た時場合には特に。
1562
﹁ふふふ、楽しみだわぁ﹂
﹁ふふふ、そうですね﹂
そうなった時の光景を思い浮かべたら、私とセレニテスは笑みを
浮かべずにはいられなかった。
1563
第284話﹁蛇と月長石−2﹂︵後書き︶
11/16誤字訂正
1564
第285話﹁蛇と月長石−3﹂
一か月後。
私とセレニテスは護衛の騎士たちに囲まれた馬車で、セントレヴ
ォルへと向かい、道中何事もなく予定通りにセントレヴォルに到着
した。
﹁⋮⋮﹂
﹁外が気になりますか?﹂
﹁ええ、気になるわ。表向きは賑やかで、活気に溢れているけれど、
その奥からは色々ときな臭い気配が漂ってきているんだもの﹂
﹁きな臭い匂いですか⋮⋮まあ、ヒトが多く集まれば、出て来て当
然の臭いではありますね﹂
セントレヴォルに到着した私たちは、周囲にその存在を示すよう
にゆっくりと、落ち着きを持ってセントレヴォルの大通りをゆっく
りと移動していく。
そして、大通りは平坦な道から坂道に変わり、馬車は俗に平民街
と呼ばれる丘の下と、貴族街と呼ばれる丘の上を分けるように築か
れた城壁を越える。
﹁そうなの?﹂
﹁ええそうですよ。一定人数以上のヒトを無作為に集めると、必ず
そう言う匂いが漂い始めるんです﹂
﹁ふうん⋮⋮となると、門を越えた途端にその臭いが濃くなった感
じがするのは⋮⋮﹂
﹁意図的にそう言う人物を集めた結果でしょう。無作為なら、それ
相応の濃さで終わりますから﹂
私とセレニテスは馬車の外に聞こえないように会話を続ける。
1565
勿論、セレニテスの言うようなきな臭い匂いが実際に鼻で捉えら
れるように漂っているわけでは無い。
だが、どうにもグロディウス公爵家による四か月間の教育の結果
として、元々鋭かったであろうセレニテスのその手の気配を感じ取
る力は更に強まったらしい。
うん、良い教育をしている。
この辺りについては私の血や考え方を継がなくてよかったと素直
に思う。
﹁セレニテス様、目的地に着きました﹂
﹁分かりました﹂
さて、そうこうしている内に馬車はセレニテスの為に用意された
屋敷に到着し、周囲の安全を確保した上でセレニテスは馬車を降り
て屋敷の中に入る。
﹁これは⋮⋮﹂
﹁どうやら屋敷の管理人は優秀な方のようですね﹂
﹁そうね。上手くやっているわ﹂
屋敷の中は綺麗でもなければ、汚くもなかった。
施設類はきちんと使えるようになっていたが、少し手が届いてい
ない箇所もあった。
完璧な整備や管理は行われていない。
だが、わざわざ文句を付けに行くほどではない手の抜き方がされ
ていた。
﹁完璧に整備をすれば、皇太子、第二王子、第一王女に目を付けら
れる。けれど、何の整備もしていなければ、己の職務を果たしてい
ないと罷免され、場合によっては罪に問われる﹂
﹁えーと、今まで管理していたのはチェイク・マネジティア男爵で
すか。このヒトの名前は覚えておくべきですね﹂
1566
﹁そうね。彼の為にも距離は保つとして、名前は覚えておきましょ
う﹂
この状態ではセレニテスの側から文句を言う事も出来ないし、皇
太子たちにも目を付けられることはないだろう。
管理人であったマネジティア男爵は素晴らしいバランス感覚の持
ち主と言っていい。
そして、そんな彼のバランス感覚を的確に実行できる部下たちも
実に素晴らしいものである。
上から目を付けられたくないようなので、こちらから何かをする
わけにはいかないが、彼の名前は覚えておいていいと思う。
﹁さて、送り主不明のプレゼントも大量に届いているようだし、被
害者が出ない内に中身を改めてしまいましょう﹂
﹁かしこまりました﹂
さて、マネジティア男爵の素晴らしさが分かったところで、私と
セレニテスはセレニテスの為に用意された部屋に向かう。
﹁じゃあ、私は離れて見ているから、よろしく頼むわね﹂
﹁分かりました﹂
部屋の中には新しい王族になるセレニテスに贈られたプレゼント
が入った箱が無数に置かれていた。
大抵の箱⋮⋮主に男爵や子爵、王族とのつながりが薄い豪商から
の物には、贈り主の名がきちんと記されている。
これらの贈り物はセレニテスに自分の名前を覚えてもらい、今後
の繋がりを得る為の物なので、名前が記されているのは当然なのだ
が。
﹁ふむ、ドレスですか﹂
﹁デザインは良いわね﹂
ただ、そんな善意ではなくともセレニテスに喜んでもらおうと言
1567
う精神からの贈り物に混ざって、明らかに悪意が込められた贈り主
の名前も無い箱が幾つか混ざっていた。
﹁ですが⋮⋮ああやっぱり、巧妙に隠してありますが、着ると内側
に毒針が出てくるようになってますね﹂
﹁あら残念﹂
その中身は毒針が縫い込まれたドレスであったり。
﹁この髪飾りには、魔薬が仕込まれていますね﹂
﹁あらあら﹂
魔薬の粉を頭から被ることになる髪飾りだったり。
﹁化粧水は⋮⋮ふむ、皮膚をただれさせる成分が入ってますね﹂
﹁怖いわねぇ﹂
特殊な毒キノコの粉を混ぜ込んだ化粧水だったり。
﹁あら危ない。爆薬入りの蝋燭ですか﹂
﹁良く造ったわねぇ﹂
芯に爆薬が混ぜられていて、使ったら火事になるであろう蝋燭だ
ったり。
﹁これらの化粧品や薬にも水銀などの有毒物が入っていますね﹂
﹁本当にセルペティアが居てくれて助かるわ﹂
遅行性の有毒物満載の化粧品だったり。
﹁やれやれ、よくこれだけの危険物を揃えられたものです﹂
﹁まったくね﹂
まるで危険物の展示会でも開けそうな品々だった。
この品揃えの前では、流石の私とセレニテスも呆れざるを得なか
った。
1568
﹁セルペティア﹂
﹁はい﹂
﹁後で使えるかもしれないから、誰かが手を出さないように処理を
した上で、保管しておいてちょうだい﹂
﹁分かりました﹂
まあ、いずれにしても種さえ分かってしまえば恐れるほどのもの
では無い。
セレニテスの言うとおり、処理をした上で保管しておけばいい。
そうすれば、使うかどうかは分からないが、贈り主の首を絞める
事ぐらいには使えるだろう。
1569
第285話﹁蛇と月長石−3﹂︵後書き︶
11/16誤字訂正
1570
第286話﹁蛇と月長石−4﹂
﹁来たわね﹂
三日後の夜。
私は服装こそ侍女服のままだが、腰に﹃妖魔の剣﹄を提げ、ネリ
ーたちの魂を封じた金の蛇の環を身に付け、靴裏に使役魔法の魔石
を仕込んだブーツも履いていた。
そして、傍目には分からないだろうが、今の私はこれらの装備以
外にも身体の各部に加工済みの各種魔石を潜ませてある。
早い話が、一介の暗殺者を相手するには少々分不相応なレベルの
装備と言う事である。
﹁予定通り。で、いいのかしら?﹂
﹁ええ、予定通りです。彼らにとっても、私たちにとっても﹂
が、万が一が許されない状況でもあるので、これくらいの装備は
当然の物とも言えた。
なにせ、相手は大抵の攻撃はどうとでもなる私ではなく、戦闘能
力的にはただのヒトでしかないセレニテスを狙って来ているのだか
ら。
﹁そう、なら後は任せたわ。気を付けてね。ソフィア﹂
﹁全力で臨むのでご安心を﹂
そうして私とセレニテスが灯りの無い部屋の中で話をしている間
にも、屋敷の中に侵入した暗殺者たち六人はセレニテスが居るこの
部屋に向けて迷いなく進んでくる。
そう、彼らの予定通りの時刻と進路を通って、警備の兵士どころ
か侍女の気配もない通路を若干おかしいと感じながらも、自分たち
にとっては好都合と判じて一直線に、愚直に、計画が漏れているな
1571
どとは思わずに、土蛇のソフィアと言う特大級の想定外が待ち構え
ているとも知らずにだ。
﹁ボソッ⋮⋮︵ここだ⋮⋮︶﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
やがて彼らは木製の扉を一枚挟んだ先にまでやってくる。
そして、周囲に動く気配が無い事を確認した彼らは木製の扉を勢
いよく開けると、その勢いのままに部屋の中に雪崩れ込み⋮⋮
ブラックラップ
﹁黒帯﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
瞬き一つの間に、全員が私の黒帯の魔法によって全身を縛り上げ
られ、目以外は一切動かせないようになった。
﹁ふふふ、流石ね。ソフィア﹂
六人の暗殺者たちが無力化されたのを見て、セレニテスは事前の
打ち合わせ通りに私の名前を話ながら、部屋の蝋燭に火を灯し、暗
闇の中に私の姿を浮かび上がらせる。
そう、今や寝物語で聞かされない子供が居ない程になった土蛇の
ソフィアの姿を、両手の指先から黒い糸のようなものを伸ばし、暗
殺者たちを縛り上げている私の姿をだ。
﹁セレニテス﹂
﹁あらごめんなさい。今はソフィアじゃなくて、セルペティアだっ
たわね。ふふふふふ﹂
勿論、ただ暗殺者たちに驚きと恐怖心を与えるために私たちは話
しているわけでは無い。
こうして話している間にも私は暗殺者六人の内の五人に軽い麻痺
毒を流し込み、身体を動けなくさせると共に、私が並行して密かに
やっているとある作業について勘付けないようにしている。
1572
そして、わざと麻痺毒を流し込まず、動けるようにしておいた暗
殺者は⋮⋮
﹁⋮⋮﹂
﹁あら﹂
﹁いけない子﹂
口の中に仕込んだ魔石によって、自分の身体に火を点け、焼身自
殺を図ろうとしていた。
死ねば情報は奪えない。
そう考えての事だろう。
私が相手でなければ、正しい判断である。
が、私相手では意味が無い。
私は相手が黙秘しようが、死のうが、情報は奪える。
それ以前にだ。
﹁お仕置きが必要ね﹂
私の目の前で簡単に自殺できると思わない方がいい。
﹁!?﹂
私は笑みを浮かべている暗殺者の顔を踏みつけつつ、使役魔法を
発動、暗殺者が魔法によって生み出した火の支配権を奪取する。
そして、自分の身体が燃えるどころか、熱くなる事すらない現象
に驚きの色を隠せないでいる暗殺者の身体を炎と黒帯の魔法によっ
て宙に持ち上げる。
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹁あらあら﹂
そして、身体が痺れて動けない五人の暗殺者に見せつけるように、
私は自殺を図った暗殺者を生きたまま丸呑みにしてやる。
1573
﹁駄目じゃない。セルペティア。情報を聞き出さないと﹂
﹁申し訳ありません、陛下。つい、魔がさしてしまいました﹂
﹁もう⋮⋮まあ、後五人もいるし、彼らに聞けば問題はないか﹂
なお、ここまでのやり取りはすべて私とセレニテスの予定通りで
ある。
﹁さて、貴方たちに一つだけ質問するわ。貴方たちの飼い主は誰か
しら?それを話したら解放してあげる﹂
セレニテスは自分たちの目の前で行われた行為に絶句している五
人の暗殺者に向けて、威厳たっぷりに、この場の支配者が誰である
かを理解させるように言い放つ。
それと同時に、私は黒帯の魔法を一部解除して、口を自由に動か
せるようにしてやる。
麻痺毒についても、本当に少量だったので、痺れは残っていても
基本的な効果は既に切れているはずである。
そして、話せるようになった暗殺者五人は⋮⋮
﹁ア、アービタリ伯爵だ!﹂
一人が功を焦るように自分たちの主の名前を挙げ、
﹁セルペティア﹂
﹁はい﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
次の瞬間には口を割らなかった四人の前で、アービタリ伯爵の名
前を挙げた一人の全身が黒帯の魔法によって血の一滴すらも流れ出
ないように音だけを立てて、押し潰されていた。
﹁我が身可愛さに飼い主の名前を躊躇いもなく話す駄犬に用はあり
ませんの﹂
押し潰した暗殺者の身体を飲んで処理する私の隣で、セレニテス
1574
が笑顔で言い切る。
﹁ふふふ、でも飼い主の名前は分かりましたし、貴方たちは解放し
てあげますわ。そして、よく伝えなさい。﹃次は無いぞ﹄と﹂
﹁﹁﹁⋮⋮!﹂﹂﹂
暗殺者四人は完全にセレニテスに気圧されたのか、何度も首を縦
に振っていた。
必死に、助かる事だけを考えて。
﹁それじゃあソフィア﹂
﹁はい﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
私は部屋の窓を開けて、そこから誰にも気づかれないように暗殺
者たちを屋敷近くの道路に放り出す。
そうして暗殺者たちは這う這うの体で逃げ去って行ったのだった。
﹁ふふふ、お馬鹿さん⋮⋮ね﹂
﹁本当ですね﹂
そして翌日。
セントレヴォルの話題は、未明にアービタリ伯爵の家で火災が起
きて、アービタリ伯爵の焼死体が上半身の無い四人分の焼死体と共
に発見されると言う怪事件一色で染め上げられた。
此処までの全てが、私とセレニテスの予定通りであると言う事実
は誰にも知られる事無く。
1575
第286話﹁蛇と月長石−4﹂︵後書き︶
正に外道
1576
第287話﹁蛇と月長石−5﹂
﹁順調ねー⋮⋮﹂
アービタリ伯爵の死から三日後。
伯爵位にある者が不審な死を遂げると言う大事件は有ったものの、
王族が一人増えると言うイベントに比べればその死は軽く、アービ
タリ伯爵の周囲に居た一部の者が喪に服し欠くだけで、予定通りセ
レニテスの王族入りの儀式は行われることになった。
﹁ま、流石にこの状況で騒ぎを起こす馬鹿はいないか﹂
と言うわけで、現在セレニテスはセントレヴォル城謁見の間で、
ゴーレム
グロディウス公爵に付き添われる形で王族の儀式を行っており、一
スネーク
介の侍女に過ぎない私は控室で待機を命じられていた。
まあ、万が一に備えて謁見の間の天井に特別製の忠実なる蛇を仕
込んで、何が有っても⋮⋮それこそ王侯貴族と文武百官の前でセレ
ニテスを暗殺しようとするなどと言う有り得ない状況が起きても対
応出来る様にしてあるので、セレニテスの身の安全については大丈
夫だが。
精神の安全については⋮⋮何も問題ないだろう。
﹃ーーーーー﹄
﹃ーーーーー﹄
﹁まあ、そう言う反応よね﹂
私は文武百官と王侯貴族たちの様子を窺う。
表向きは全員笑顔で、皇太子、第二王子、第一王女含めて、この
場に居る全ての者がセレニテスの王族入りを祝福しているようだっ
た。
が、少し穿って見れば、直ぐに分かるだろう。
1577
心の底からセレニテスの事を祝福しているのは極一部のヒトだけ
で、大半は心の中でセレニテスの事を嘲っていたり、恨めしそうに
している事が。
﹁少し前までただの村娘だったのが、突然の王族入り。やっかまれ
ない方がおかしいわ﹂
恐らく彼らは血筋、生まれ、育ち、そう言ったものでしかセレニ
テスの事を見れていないのだろう。
﹁ま、既に格の違いは見せつけられてしまっているようだけど﹂
尤も、セレニテスに対して彼らが何か言う事は出来ないだろう。
儀式の後含めてだ。
﹃ーーーーーー﹄
﹃ーーーーーー﹄
﹃﹃﹃ーーーーーーーーーー﹄﹄﹄
そう、察しの良い連中は既に気づいているようだが、セレニテス
の礼儀作法、所作、物言いは村娘のものでないどころか、付け焼刃
の物であると思う事も出来ない程に洗練されていた。
それこそ、この場に居並ぶ王族⋮⋮現王、皇太子、第二王子、第
一王女よりもはるかに王の器であると周囲に思わせるような振る舞
いであり、それが理解出来てしまった者の心を大きく波立たせる様
な姿だった。
もしかしたら多少、身内の贔屓目も入ってしまっているかもしれ
ないが⋮⋮それでも生粋の王族よりも王族らしいと言う評価は覆ら
ないだろう。
それだけの強さをセレニテスは見せていた。
﹁ふむ、敵影は無さそうだし、少し近づけましょうか﹂
私は忠実なる蛇を少し動かして、セレニテスの話を聞き取り易く
1578
する。
﹃では、ディバッチ・レーヴォルの名を以って、現時刻よりセレニ
テス・レーヴォルを我が娘と認め、レーヴォル王国王家の一員であ
ることを認める﹄
﹃はい、誠にありがとうございます﹄
現王であるディバッチの手によって、王侯貴族の名が記された書
物の原本にセレニテスの名が記される。
そして、名が確かに記された事を確認した上で、王の近くに控え
ていた文官がセレニテスの名前を間違いなく書に記す。
つまりこれで、セレニテスは正式にレーヴォル王家の一員として
認められたことになる。
﹃さて、それではセレニテスよ。折角の機会だ。この場に居並ぶ者
たちにお前がどのような人物であり、何を目指しているかを話して
見なさい﹄
﹃ありがとうございます。陛下﹄
セレニテスは笑顔を浮かべたまま、その場で後ろに振り返り、真
っ直ぐに謁見の間に集まった王侯貴族と文武百官の顔を見つめる。
ちなみに、通常の儀式などではこのような事は行われない。
サマエル
今回、わざわざこのような場が設けられたのは、事前に私が﹃蛇
は罪を授ける﹄を利用して、夢枕に御使いが立つ形でディバッチに
助言を授けたためである。
まあ、他のヒトも御使いソフィールが告げるものである事をいい
事に、夢の中でお言葉を授かったとか言っちゃっているので、問題
はないだろう。
﹃では、少しだけ話をさせていただきます﹄
セレニテスが話を始める。
1579
﹃皆様の知っての通り、私は王の血こそ引いておりますが、元はし
がない村娘です﹄
セレニテスの言葉に貴族の内の何人かが嘲るような表情を浮かべ
る。
うん、その顔は表情も取り繕えない馬鹿として覚えたから、覚悟
しておけ。
﹃ですので、兄上、姉上たちのように目指すものも現状では見定ま
っておりません﹄
実際は、国⋮⋮いや、王侯貴族を滅ぼす方向性で完全に見定めて
いる。
﹃なのでこの場では私が好むものと好まないものだけを話させてい
ただきます﹄
貴族の何人かが顔色を変えるが⋮⋮セレニテスは君たちが思って
るような甘い存在ではない。
どちらかと言えば劇薬の一種である。
﹃私が好むのは主に対して忠を尽くす者です。敵であろうとも味方
であろうとも﹄
主に対して忠を尽くす。
言うは容易いが、実際に出来ている者は少ないだろう。
真の忠とは主を助けるだけでなく、諌める事も出来なければなら
ないのだから。
少なくとも、皇太子たちに付き従い、彼らの求めに応じつつ、そ
れ以上に自らの利益を貪る事に注視してばかりな連中には不可能だ
ろう。
﹃私が嫌うのは、そんな忠を尽くしてくれる下の者に応えようとし
ない主です。それこそ畑に鋤きこんでしまいたい程に﹄
1580
さて、今のセレニテスの言葉を正しく理解できたヒトは⋮⋮まあ、
あまり居ないか。
贅沢を貪るだけで、下の生活に興味がない連中には理解出来ない
言葉で話したので当然だが。
それにしても、畑に鋤きこむ⋮⋮か。
随分と恐ろしい発言である。
なにせ今のセレニテスの言葉を正しく意訳するならば、﹃無能な
主は墓も残せずに死んで、次の世代の養分になれ﹄と言っているの
だから。
﹃以上です﹄
﹃うむ、そうか﹄
そうしてセレニテスの最初の言葉とともに儀式は終わった。
1581
第287話﹁蛇と月長石−5﹂︵後書き︶
11/18誤字訂正
1582
第288話﹁蛇と月長石−6﹂
﹁私は⋮⋮﹂
﹁これから是非とも⋮⋮﹂
﹁そう言うわけですので⋮⋮﹂
さて、儀式も無事に終わったところで、次のイベントはセレニテ
スを主役とした舞踏会兼晩餐会である。
と言うわけで、現在セントレヴォル城のホールでは多数の王侯貴
族が集まり、平民への重税によって材料を得て、トーコが聞いたら
怒りそうな方法で調理された料理と酒に舌鼓を打ちつつ、私視点で
下らない話に華を咲かせ、これだけは出来が良いと言える音楽に合
わせて、時折ミスがある踊りを踊っていた。
﹁ふふふ、そうですか。ところで⋮⋮﹂
まあ、今の私はセレニテスの侍女である。
なので、いざという時の肉壁になってもらう騎士と一緒に、セレ
ニテスの背後に控えている以外に見た目上はやることがない。
﹁先日のドレス。とても素敵な柄と仕掛けでしたわ﹂
﹁そ、そうでしたか⋮⋮﹂
なお、見た目上はやる事が無いだけで、実際には会場内で不審な
動きをする者が居ないかを見張ったり、誰と誰が会っていて、どん
な会話をしているかを調べたりもしている。
それと、セレニテスの元に挨拶に来ている貴族が誰の派閥である
スネーク
ゴーレム
かや、その人物がセレニテスに何を贈ったのかを髪の毛の間に隠せ
るサイズの忠実なる蛇を使って教える事も私の仕事である。
﹁ええ本当に素敵でした。今度、同じ柄と仕掛けのドレスをお姉様
1583
に贈ってみたらどうかしら?きっと、喜んで手に取ってくださいま
すわ﹂
﹁は、ははははは⋮⋮﹂
ちなみに、贈り主の名前が贈り物に無くても、配達者の動向や、
それぞれの貴族の趣味嗜好、扱っている物などを把握しておけば、
誰が贈り主であるのかを調べるぐらい私にとっては容易い事である。
あの手の贈り物の贈り主が、第一王女の派閥に属している誰かな
のは事前に分かっていた事であるしね。
﹁で、では、これにて私は失礼させていただきます﹂
﹁ふふふ、そうですか﹂
来た時よりも若干青い顔をして、セレニテスの前から貴族が去っ
ていく。
ちなみに、今回の舞踏会にはセレニテス以外の王族は出て来てい
ない。
これは、セレニテスよりも上の地位にある者⋮⋮つまりは王位継
承権が上に居る者とその家族が居ては、セレニテスがこの場の主役
になれないためである。
﹁初めまして。セレニテス・レーヴォル様。私、グレッド・アバリ
シオスと申します﹂
と、どうやら次の貴族⋮⋮それも相当な愚か者が来たか。
﹁貴族位は子爵でございますが、テトラスタ教会の方では枢機卿を
させていただいております﹂
その男⋮⋮グレッドは、暴食によって太った身体を法衣で隠し、
テトラスタ教の信者たちから巻き上げた金品で作った宝飾品で全身
を着飾っていた。
まあ、早い話が今のテトラスタ教の癌の一人であり、私が始末し
てしまいたいヒトの一人である。
1584
そして、皇太子の派閥の有力者の一人でもあるので、セレニテス
視点でも潰したい相手である。
﹁そう言うわけですので⋮⋮﹂
グレッドがセレニテスに向けて、脂ぎった手を向けて握手を求め
ようとする。
対してセレニテスも不快感を笑顔の仮面で隠しつつ、握手に応じ
ようとした。
そんな二人の姿を見て私は⋮⋮
﹁セレニテス様に触るな﹂
﹁なっ!?﹂
﹁セルペティア!?﹂
間に分け入る形でグレッドの手を掴み、動きを止めた。
﹁﹁﹁ーーーーーーーー﹂﹂﹂
﹁き、貴様⋮⋮侍女の分際で⋮⋮﹂
﹁黙れ﹂
﹁!?﹂
会場全体が騒然とし、全ての視線が私たちの方に向けられる中、
私は全身から魔力を放出してグレッドに威嚇を行う。
鈍そうな男なので、どこまで効果があるかは分からないが、少な
くともこれでしばらくは黙るだろう。
グレッドの後ろに居る付き人たちには⋮⋮出し続けておこう。
静かにしてもらっていた方が好都合だ。
﹁セルペティア⋮⋮貴女一体何を⋮⋮﹂
セレニテスが内心では私が行動した理由を理解していると言う目
を向けつつ、私に問いかけてくる。
まあ、セレニテスなら、私が直接動くのはどういう時か理解して
1585
いるのも当然だろう。
フィーバー
﹁この男が握手に乗じて発熱の魔法をセレニテス様にかけようとし
ていたので、止めさせていただきました﹂
﹁なっ!?ふざけるな!?濡れ衣だ!?﹂
と言うわけで、左手を使って私の手を引き剥がそうとしているグ
レッドの事など意に介した様子もなく、私は会場中のヒトに聞こえ
る様に動いた理由を話す。
﹁発熱?﹂
こちらの質問は本当にセレニテスが疑問に思っての質問である。
マイナーかつ使い道が腐っている魔法なので、知らないのも当然
だが。
﹁接触した対象に病気のような発熱を起こす魔法です。と言っても
死に至る様な高熱ではなく、多少寝込む程度の熱ですが﹂
﹁だから儂は知らんと⋮⋮﹂
﹁ちなみにこの魔法は相手にかけてから、実際に熱が起きるまでに
数時間ほどかかります。なので、妖魔討伐にも使えない完全にヒト
だけを対象とした嫌がらせ用の魔法ですね﹂
﹁くそっ!離せ!?離せえっ!?﹂
そう、本当にこの魔法は腐っている。
発生させる熱と、発生までにかかる時間の関係上、ヒトを救う事
にも、妖魔を倒す事にも使えない、ヒトを害することにしか使えな
い魔法なのだ。
そして、そんなヒトを助けることにどうあっても繋がらない魔法
であるが故に。
﹁そして、私の記憶が確かなら、発熱の魔法は百年ほど前の枢機卿
会議で、一般にはその魔法の魔石を所持する事すらも禁止された魔
1586
法だったはずです﹂
テトラスタ教の教えに反する魔法であるとされたのである。
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
﹁っつ!?﹂
﹁さて、グレッド枢機卿﹂
そんな魔法の魔石をテトラスタ教の枢機卿足るものが持っていて、
しかも使おうとしていた。
こんな状況になれば、グレッドに向けられる貴族たちの目が一気
に胡乱気な物になるのも当然の事だろう。
だが申し訳ない。
﹁何故貴方は無数の装飾品の中に紛れ込ませる形でこんな物を持っ
ていて、使ったのですか?﹂
﹁⋮⋮﹂
本番はこれからである。
1587
第288話﹁蛇と月長石−6﹂︵後書き︶
ソフィアの前で事を起こそうとしたのが運のツキです
1588
第289話﹁蛇と月長石−7﹂
﹁で、出鱈目だ!何もかもが出鱈目だ!﹂
私の問いかけに対してグレッドは見るからに動揺した様子を見せ
つつも、そう喚き散らし、自らの無実を周囲に訴える。
フィーバー
﹁儂は発熱の魔法なぞ知らん!?そんな魔法の魔石など持っておら
ん!そもそもこのような場に魔石など持ち込むはずが⋮⋮﹂
﹁つまり貴方は何も知らなかった。と?﹂
﹁っつ!?﹂
私は大衆の面前でグレッドの付けていた腕輪の一つを外し、この
事態の推移を見守っている貴族たちの前に向けて放り投げる。
腕輪は黄金と宝石の類をふんだんに使い、見るからに金がかかっ
たものだと分かる。
﹁申し訳ありませんが、腕輪に付いている緑色の宝石を時計回りに
捻ってもらえますか?﹂
﹁あ、ああ⋮⋮﹂
﹁ま⋮⋮っつ!?﹂
グレッドを魔力で威圧して黙らせつつ、私は腕輪を放り投げた先
に居た貴族たち⋮⋮第一王女の取り巻きであり、本来はセレニテス
の情報収集と可能ならば何かしらの悪意ある行為を行うためにやっ
てきた、その貴族に腕輪を動かしてもらう。
﹁これは⋮⋮﹂
勿論彼らに私の指示に従う必要性はない。
が、彼ら視点では私の言葉が真実であるならばグレッドを失脚さ
せるか、そうでなくとも大きな貸しを造れ、私の言葉が嘘であって
1589
もセレニテスを貶められると言う、どう転んでも美味しい状況であ
る。
﹁魔石だ。魔石が入っているぞ!﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
故に彼らは少々躊躇いつつも私の指示通りに腕輪に付いた宝石を
動かし、その下に仕込まれた魔石の姿を目にする。
﹁これは罠だ!儂を嵌める為の罠だ!それに魔石が仕込まれている
だけでは⋮⋮﹂
﹁では⋮⋮﹂
私は再び喚き始めたグレッドを黙らせるように、何人かの貴族の
名前を上げる。
それはこの会場に居て、グレッドと握手をした貴族の一部の名前。
要するに⋮⋮
﹁医者と薬、それに解熱用の魔石の準備をした上で、彼らにはこの
場に留まってもらいましょう。そうすれば、発熱の魔法が使われた
事は確認できます﹂
﹁⋮⋮﹂
私が止めた事で難を逃れたセレニテスと違って、発熱の魔法を掛
けられてしまった面々の名前である。
﹁わ、儂は枢機卿なのだぞ⋮⋮このような事が⋮⋮﹂
既にグレッドは顔面蒼白と言っていい状態だった。
まあ、それも当然の反応だろう。
仮に部下が勝手にやった、誰かに嵌められたと言って、グレッド
自身が裁かれるのを防いだとしても、それを見抜けなかったとして
グレッドの面目は丸つぶれなのだから。
1590
﹁儂は⋮⋮儂は⋮⋮﹂
そうして切羽詰った状態だったが故にだろう。
グレッドはここまで愚かなのかと後で私に思わせるような行動を
とる。
﹁殺せええぇぇ!今すぐこの侍女を!化け物を殺せええぇぇ!﹂
それは私をこの場で殺せという、どう解釈してもレーヴォル国に
対する反逆行為、テトラスタ教への背信行為としか取れない命令だ
った。
﹁何故だ!?何故誰も⋮⋮﹂
﹁はぁ⋮⋮グレッド枢機卿、いえ、グレッド。貴方は本当に愚かで
すね﹂
当然、この場に居る誰一人としてそんな命令に従うはずがない。
より正確に言えば、取らせない、だが。
﹁セレニテス様﹂
﹁そうですね。グレッド・アバリシオス殿と、そのお付きの方々を
拘束させていただきましょう。衛兵﹂
﹁はっ!﹂
セレニテスが指示を出すと共に、衛兵たちが未だに喚き散らすグ
レッドと、ずっと私の魔力によって威圧され続け、マトモに動く事
も出来なくなっている付き人たちを取り押さえていく。
﹁離せ!離せええぇぇ!!﹂
もはやグレッドが罪人である事は、誰の目にも明らかだった。
こうなってしまっては、私がただの侍女である事を加味しても、
どうしようもない。
グレッドの支援を受けていた皇太子辺りが彼を救おうと動く可能
性も、私を殺せと言う命令が出る前までなら有り得たが、あの一言
1591
が出てしまっては皇太子どころか王でも、法王でも、グレッドの命
を救う事は出来ない。
枢機卿だったグレッドの命運は、完全に尽きたのだ。
﹁さて、セルペティア﹂
﹁はい﹂
私はセレニテスの前に膝を着く。
﹁私を守るため、許されざる行いをした者を裁くために、貴方が行
動を起こした事は分かっています﹂
が、主の危機を救った事を褒める為だけに膝を着かせるのではな
い。
﹁が、貴方がこの場を大きく乱した事もまた事実です。こうなって
しまったら、今宵の宴はこれまでにするしかないでしょう﹂
﹁分かっています﹂
﹁それに、貴方の言動や実力から考えれば、もっと穏便に済ませる
方法もあったはずです。それこそ、これから発熱の魔法によって熱
にうなされる者を出さずに済む方法も有ったでしょう﹂
﹁はい﹂
私が場を乱し、セレニテスを主役とした舞踏会を途中で終わらせ
てしまったのもまた事実であるのだから。
そしてそれ以上に、私と言う優秀な侍女をセレニテスがきちんと
コントロール出来ている事を、周囲に見せる必要があった。
﹁故に功罪合わせても罪の方が少し勝っていると私は考えます。な
ので、貴方の忠誠は理解していますが、後で罰を与えます。いいで
すね﹂
﹁当然の事にございます﹂
まあ、本音を言わせてもらうと、これ以上穏便に済ませる方法は
1592
⋮⋮たぶんなかった。
だがこれで貴族たちにも分かっただろう。
セレニテスの言う忠を尽くすと言うのが、どれだけ難しいのかが。
そうして、この場はお開きとなった。
王族
後日、グレッドは枢機卿の地位を追われ、多くの貴族に対する傷
害行為に、セレニテスへの敵対行為、その他諸々今まで隠されてい
た多くの罪が暴かれ⋮⋮大衆の面前でただの罪人として処刑された。
1593
第289話﹁蛇と月長石−7﹂︵後書き︶
相手が悪すぎた
1594
第290話﹁蛇と月長石−8﹂
﹁しかし、一気に事が進んでしまったわね﹂
グレッドの処刑から数日後。
私とセレニテスは二人きりで、思い思いの事をやっていた。
ただし、セントレヴォル城の中ではなく、登城前に使っていた屋
敷の一室で、である。
﹁グレッド・アバリシオスの件については私も想定外だったわ。ま
さかあの場であんな真似をするとは⋮⋮﹂
勿論、これは異常な事である。
本来ならばセレニテスはセントレヴォル城の城内に自分の領域を
与えられ、そこで日々を過ごすべき存在なのだから。
一般的な視点から見た場合、どのような面から見ても、城外の貴
族街に用意された屋敷で過ごせと言うのは間違っていると言えるの
だから。
フィーバー
﹁そうね。あの場で私に対して発熱の魔法を使おうとしたことも論
外だけれど、それ以上に驚かされたのは、貴方に問い詰められてか
らの対応ね。まさか自分から絞首台の階段を上がる様な真似をする
とは思わなかったわ﹂
一応城外の屋敷で今後暮らすように命令された際には、城外で暮
らさなければならない理由は言われている。
が、あの理由はどう考えても建前で、本当の理由ではないだろう。
本当の理由は⋮⋮単純にディバッチ王含め、王族たちがセレニテ
スと一緒に暮らす事を嫌ったからだ。
﹁まあ、いずれにしても何時かは始末する相手だったわけですし、
1595
起きてしまった事は無かった事に出来ません。変化した状況に合わ
せて策を練りましょう﹂
﹁そうね。そうしましょうか﹂
まあ、問題はない。
セレニテスとしても、あんな家族たちと四六時中同じ空間に居た
いとも思えないし、これからやる諸々について、城外にセレニテス
が居たという事実があった方が都合がいい状況は腐るほどあるのだ
から。
﹁では、まず状況を整理しましょう﹂
私は自分の作業を、セレニテスは読書をしつつ、二人きりと言う
事で気楽な会話を続ける。
﹁まずディバッチ王はセレニテスの事を嫌っている。これは良いわ
ね﹂
﹁ええ、それでいいわ。ま、アイツにしてみれば、気まぐれにやっ
て捨てた女の子供だもの。気に入るはずがないわ﹂
王であるディバッチ・レーヴォルがセレニテスの事を嫌っている
事は間違いない。
でなければ、王の一声でもって他の者たちがどれほど嫌がろうと
も、セントレヴォル城の城内にセレニテスを上げられるのだから。
セルペティアの世話をペリドットに任せて旅立った私が言えたこ
とではないかもしれないが、とんでもない親である。
﹁それに皇太子のインダルも、グレッドが私の行動が原因で処刑さ
れた事から、セレニテスに対して恨みを抱いているでしょうね﹂
﹁先に手を出したのはあっちなのにね。迷惑な話だわ﹂
皇太子のインダル・レーヴォルとセレニテスの仲も、もう構築不
可能だろう。
自分の味方の中でも重要な人物を、誰も文句を言えない形で始末
1596
されてしまったのだから。
まあ、私たちにしてみれば、逆恨み以外の何でもないが。
﹁第二王子のフォルスについては言わずもがなです﹂
﹁もう派手にやっているものね﹂
第二王子のフォルス・レーヴォルとセレニテスの仲は最初からど
うしようもない。
そもそも私の後姿をセレニテスが目撃したあの馬車の事件ですら、
元をたどって行けばアービタリ伯爵の裏にフォルスの影が浮かび上
がってくるのだから。
仲良くなど出来るはずがない。
﹁第一王女のスクワについては⋮⋮﹂
﹁あんな贅沢三昧の女を私が好むと思う?﹂
﹁私も嫌いなのでご安心を﹂
第一王女のスクワ・レーヴォルについてはセレニテス自身が個人
的に嫌っている。
まあ、これは仕方がないだろう。
今のところスクワからは嫌がらせ程度しかされていないが、スク
ワが好むのはとにかく贅沢な事であり、その贅沢を維持するための
財源にされているのは主に平民たちなのだから。
﹁見事に全員と敵対的な状況にありますね﹂
﹁いずれ全員始末するんだし、敵対的でも問題はないわよ﹂
﹁まあ、それはそうなんですけどね﹂
と言うわけで、見事にセレニテスと他の王族たちとの仲は最悪で
ある。
さらに言えば、宰相たち今の有力貴族たちも、セレニテスの存在
を疎んでいるので、正しく四面楚歌である。
私ならばどうにかなる程度の窮地でしかないが。
1597
﹁ああそうだわ、ソフィア。始末するにあたって一つ注文をしてい
いかしら?﹂
﹁注文?﹂
さて、状況も分かったところで、これからについてだが、どうや
らセレニテスは私の行動に条件をつけるつもりであるらしい。
﹁始末する順番はスクワ、インダル、フォルス、ディバッチの順で
お願い﹂
﹁ふむ。理由を聞いても?﹂
セレニテスの注文は王族を始末する順番について。
﹁スクワは借金まみれだし、早々に始末しないと私たちが行動する
前に国が傾きかねないわ﹂
﹁ふむ﹂
﹁インダルは⋮⋮正直どうでもいいけれど、フォルスよりも先に始
末した方が、フォルスがより多くの絶望を味わえると思うの﹂
﹁ふむふむ﹂
﹁で、ディバッチには子に先立たれる不幸を味あわせ、それが自分
の行いに原因があることを刻み付けてやりたいの﹂
﹁なるほど﹂
ふむ、理にはかなっている。
実際、この順番で進めた方が、何かと都合がいいだろう。
となれば、私としてもこの提案を蹴る理由はない。
﹁分かりました。では順番はそれで行きましょう﹂
﹁ええ、よろしくね﹂
そして私たちはお互いに笑みを浮かべたまま、楽しげな声音で、
実際の計画を練り始めるのだった。
1598
第290話﹁蛇と月長石−8﹂︵後書き︶
11/21誤字訂正
1599
春の二の月
第291話﹁スクワ−1﹂
計画立案から一月後。
レーヴォル暦319年の二月のとある日の夜。
カドゥ
ケウス
必要な情報を集め終った私は、セレニテスの傍には護衛として﹃
蛇は骸より再び生まれ出る﹄を置き、私自身は変装をした上でとあ
る屋敷に忍び込んでいた。
﹁夜分遅く、失礼致します﹂
﹁ん?誰だお前は⋮⋮ぐっ!?﹂
で、私の姿を見てしまった侍女と警備を殺す、食う、半殺しにし
て動けなくしておくと言った方法で制圧しつつ、私は屋敷の主人の
部屋に入ると、部屋の中で酒を楽しんでいた主人をそこら辺で拾っ
た槍で串刺しにして始末した。
﹁えーと、この書類がそうね﹂
主人を始末した私は、とある書類⋮⋮第一王女スクワ・レーヴォ
ルとこの屋敷の主人が経営する商会との間で行われた金の貸し借り
に関する証文を探し出す。
﹁まったく、こんな大量のお金を何に使ったんだか。ま、スクワに
とっては下の人間がどれほど苦しもうが関係ないんでしょうね。下
が暴れたら上は死ぬしかないのを知らないんでしょうし﹂
イグニッション
私は目的の証文と、それ以外の幾つかの証文を一ヶ所にまとめる
と、発火の魔法で証文に火を点け、火を対象とした使役魔法で屋敷
に火が燃え移らないようにすると同時に、元がどんな書類であった
か分かる程度の焼け残りが出る様に燃やしていく。
ちなみに火を対象とした使役魔法は、土を対象とした使役魔法よ
1600
りも遥かに危険で、使い勝手も悪い。
なにせ火を維持するだけで魔力を持って行かれるし、五感を持た
せようにも火は火でしかないため、視覚を繋げるのに必要な特別な
パーツを組み込むのが難しいのだ。
おまけに万が一使役魔法で繋がったまま、予期せぬ外的要因で火
が消えてしまったりすると、私の精神にも少なくない影響が生じた
りする。
﹁よし、焼却完了。っと﹂
そんなわけで、火の使役魔法を使うのは特殊な状況を除けば、基
本的には燃やしたいものだけを燃やす時ぐらいのものである。
﹁さて、騒ぎになる前に脱出しますか﹂
そうして私は誰かに姿を見られたりしないように屋敷を後にした。
−−−−−−−−−−−−−
そして、その三日後。
﹁ふふふ、奴が死んでくれたおかげで、私が一番になる機会が来た。
どこの誰がやってくれたか分からな⋮⋮は?﹂
私はまた別の屋敷に忍び込み、その屋敷の主人の首を刎ねて始末
した。
﹁はい、さようならー。短い幸せだったわね﹂
始末が終わったら?
三日前と同じで、証文を探しだし、焼き払う。
勿論、元がどのような書類であったか分かるようにだ。
1601
なお、脱出の際には、私だと分からないように化粧を済ませた顔
を警備のヒトにチラリと見せてから、脱出した。
−−−−−−−−−−−
さらにその三日後。
﹁三日前の殺人に、六日前の殺人。まさか⋮⋮はっ!?だ⋮⋮﹂
﹁気付くのが遅かったわね﹂
私は前二件とはまた別の屋敷に忍び込み、屋敷の主人の頭を酒瓶
でかち割って始末する。
そして始末をしたら、同じように証文を探し出し、同じように焼
く。
﹁何の音だ!?﹂
﹁ーーーーーー様の部屋からだ!﹂
﹁大丈夫ですか!?﹂
﹁あらあら、見られちゃった﹂
で、最後の脱出の際に私の顔をわざと私の顔を見せ、腰から一枚
の紙を出来るだけ自然に、意図せず落としてしまったと警備が思う
様に、床に落としつつ窓から脱出。
追手を完全に撒いた上で、セレニテスの元に帰還した。
−−−−−−−−−−−−−−
﹁お疲れ様。セルペティア﹂
1602
﹁ええ、本当に疲れたわ﹂
﹁まったく、よくやるわ。こんなまどろっこしい事﹂
セレニテスの屋敷に帰ってきた私を待っていたのは、セレニテス
の労いの言葉と、﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄によって土を基本
とした肉体を得たヒトの方のソフィアによる小馬鹿にしたような言
葉だった。
まったく、私の意思とは関係なしに行動を可能にする関係上、自
由意思を持っているのは良いのだけれど、一体何時の間にヒトの方
のソフィアはここまで歪んだのやら。
﹁まどろっこしくても、これが一番なのよ。スクワを追い詰めるの
にはね﹂
﹁追い詰めるねぇ⋮⋮これで王族たちを一思いに殺さなかったせい
でアンタが地獄を見たら、大爆笑ものね﹂
﹁そうなりそうだったら、私の提案を蹴って、即殺して構わないと
言っているから大丈夫よ。たぶん﹂
﹁ま、今のところは問題ないわね﹂
まあ、何はともあれ、今晩の仕事は終わりであり、次の仕事はま
た三日後である。
ただ⋮⋮直前までどちらを対象にするかは分からないだろう。
今日の彼も死の直前になって、私が襲っている相手の法則性に気
づいていたようだし。
﹁それで名簿の方は?﹂
﹁ちゃんと現場に落としてきましたので大丈夫です。まあ、そのせ
いで次に襲う相手は直前まで判断できませんけど﹂
﹁そこは、セルペティアに頑張ってもらうしかないわね﹂
そう、法則性だ。
今回の襲撃は、特定の法則に従って襲う相手と実際の行動を決め
ている。
1603
襲撃は三日に一度。
襲う順番は第一王女スクワ・レーヴォルに対して貸しているお金
の量が多い順。
証文は現場で焼き、屋敷の主人を殺したら逃げる。
侍女や警備は誠実そうな人物は残し、そうでないものを殺す。
と言った法則で縛っているのだ。
﹁セルペティア。貴方の予測では後幾つの屋敷を潰す必要が有りそ
う?﹂
﹁そうですね⋮⋮後二人か三人は必須でしょう﹂
﹁つまり、それだけ私も一晩中起きていないといけないのね。まっ
たく、面倒だわ﹂
ヒトの方のソフィアの愚痴は無視するとしてだ。
﹁そう、ならもうすぐ面白い事になりそうね﹂
﹁ですね﹂
全てが上手くいけばスクワは追い詰められる。
そうでなくとも、今の暮らしは続けられなくなるだろう。
その事を想像したならば⋮⋮私もセレニテスも笑みを浮かべずに
はいられなかった。
1604
第292話﹁スクワ−2﹂
さて、三人目を始末してから二日後。
私が次の目標としていた、四番目に貸した金が多い商会の主は、
第一王女スクワ・レーヴォルに無条件で貸し付けの証文を破棄する
ことを申し入れ、スクワもそれを受け入れた。
商会の主の命を守る為ではなく、自分の借金が無くなるという表
面上の事実だけを喜んで。
いずれにしても証文を破棄した結果として、彼はスクワに対して
びた一文貸していない事になった。
ならば私も目標を変えるべきだろう。
﹁大丈夫です。ご主人様。この場の守りは万全です﹂
﹁油断をするな。この事件の下手人の実力は桁違⋮⋮い?﹂
と言うわけで、その翌日。
私は屋敷から脱出し、罠と警備を大幅に増員した拠点に籠ってい
クロウ
ゴーレム
た貸付金額現四位の商人とその側近たちを始末する。
勿論、屋敷の方に忠実なる烏を向かわせて証文を見つけ出し、焼
く事も忘れない。
﹁逃がすな!お⋮⋮っつ!?﹂
﹁さようなら。親愛なるレーヴォル王国の皆様﹂
そして最後に、土の蛇の口の中に飛び込み、地中に潜り込む私の
姿を警備の者たちに見せた上で脱出した。
当然、わざとである。
そう、土の蛇を操る姿を見れば、レーヴォル王国の者ならば全員
同じ存在を思い浮かべざるを得ないのだ。
土蛇のソフィア、レーヴォル王国を滅ぼすと明言した妖魔の存在
1605
を。
−−−−−−−−−−−
さて、五番目だった商会の主を始末した翌日から、一気にセント
レヴォル中が慌ただしくなった。
一部の貴族や商人は荷物をまとめ始め、騎士も慌てた様子で準備
を始めていた。
テトラスタ教の司祭は信者たちを必死に落ち着かせようとし、情
報がまるで入って来ない平民たちは怯えるばかりであった。
まあ、三百年以上正確な行方が掴めなかった大妖魔が、いつの間
にか滅ぼすと言った国の中心に潜り込んでいて、しかも商人たちを
次々に襲っていたのだから、このような劇的な反応を示しても仕方
がないのかもしれない。
それにしても混乱のし過ぎではないかとも思うが。
﹁まったく、揃いも揃ってだらしないわね﹂
﹁そうですね。何時かは戻ってくると言っていたのですし、慌てて
いる者はそれだけで無様で無能な姿を晒していると言えますね﹂
尤も、それは外の話。
貴族街の一角に建てられたセレニテスの屋敷は、屋敷の主である
セレニテスが落ち着いている事に加え、グロディウス家が雇い入れ
た使用人たちが悉く優秀だったこともあり、普段と変わらず、穏や
かな時間が流れ続けている。
この騒動を起こしている張本人が居るので、当然と言えば当然の
状態でもあるのだが。
﹁セレニテス様。グロディウス公爵が参られました﹂
1606
私の
﹁分かりました。会いましょう﹂
﹁はい﹂
子孫
セレニテスが席を立ち、グロディウス公爵がやってきたと伝えて
くれた侍女に案内される形で歩いていく。
そして私も、セレニテスに付き従う形で、後に続く。
﹁セレニテス様。お久しぶりでございます﹂
﹁変わりないようで何よりです。グロディウス公爵﹂
さて、グロディウス公爵がやってきた理由だが、やはり土蛇のソ
フィアがセントレヴォルに現れた事を受けてだった。
で、その話によれば、ディバッチ王には城やセントレヴォルの警
備を強める気はないらしく、各貴族や商会は自分で自分の身を守る
しかないとの事だった。
まあ、今のところは無差別ではなく、特定の条件に従って商会が
襲われているだけであるし、ディバッチ王は余計な手間暇と金を掛
けたくないのだろう。
ああいや、それどころかだ。
﹁もしかしてスクワお姉様は⋮⋮﹂
﹁ええ、相手が何を狙っているのかも察せず、借金が無くなること
をただ喜んでおります。それと、明言はしておりませんが、ディバ
ッチ王もそう言う匂いを漂わせています﹂
﹁何と言う事⋮⋮﹂
商人たちが居なくなってくれれば良いと思っているのだろう。
その行為こそが自分たちの首を絞めているとも思わずに。
﹁土蛇のソフィアの狙いはレーヴォル王国を滅ぼす事。三百年前に
奴はそう宣言した上で国外に逃げたと伝えられています﹂
﹁そうなると今商人を襲っているのは、まずはレーヴォル王国の資
金源を断つためでしょうか?﹂
1607
悲しそうな演技をしているセレニテスの質問に対して、グロディ
ウス公爵は首を横に振る。
﹁それだけではないでしょう。王家や貴族に金を貸している商人は
他にもいるはずですからな﹂
﹁では、何のために?﹂
﹁恐らくは先に国を滅ぼされない為です。スクワ様の借金は年々国
庫を圧迫するようになっておりましたからな。他にもスクワ様を孤
立させるためなど、理由は幾つもあるでしょうが、一番の理由はそ
れでしょう﹂
うん、流石は私の子孫。
私の事を良く分かっている。
﹁セレニテス様。お気を付けくださいませ。何をなさるにしても、
命あっての物種。もし身の危険を感じられましたら、ディバッチ王
の命令があっても構いません。その場から直ぐにお逃げくださいま
せ﹂
﹁お気づかいありがとうございます。ですが、このような状況だか
らこそ、逃げるわけにはいきませんわ﹂
﹁セレニテス様⋮⋮﹂
そうしてセレニテスの身を案じる言葉を残してグロディウス公爵
は去って行った。
﹁セルペティア﹂
﹁はい﹂
﹁仕上げは何時になりそう?﹂
﹁もう少々時間がかかりますので、お待ちください﹂
﹁分かったわ﹂
セレニテスと私こそが国を滅ぼそうとしている張本人だと気付く
事も無く。
1608
第293話﹁スクワ−3﹂︵前書き︶
今回かなりエグイ描写がありますので、ご注意ください
1609
第293話﹁スクワ−3﹂
スネーク
ゴーレム
グロディウス公爵の忠告から三週間ほど経ち、私のセントレヴォ
ル内での被害者の合計が三桁を超えた頃。
スクワ・レーヴォルの私室に潜ませておいた忠実なる蛇が、その
声を捉え、本体である私へと情報を伝えてくる。
﹁セレニテス様﹂
﹁動きがあったのかしら?﹂
﹁ええ、折角なので、セレニテス様にも聞いて頂こうと思います﹂
私は二人きりの室内で、土の使役魔法によって、スクワの部屋の
忠実なる蛇が捉えている声をそのまま再現し始める。
﹃ーーーが無いってどういう事よ!﹄
真っ先に聞こえてきたのは、声だけでも怒り狂った様子である事
が分かる女⋮⋮スクワ・レーヴォルの声だった。
﹃も、申し訳ありません。姫様﹄
次に聞こえてきたのは侍女の声。
だが、侍女が次の言葉を紡ぐ前に、硬い何かでヒトを殴りつけた
様な音が。
続けて、侍女を罵倒するような聞くに堪えない言葉の数々が聞こ
え出す。
﹁あらあら、スクワお姉様ってば随分な荒れようね﹂
﹁罵倒の中身からして、八つ当たりではなく、侍女に当り散らして
も無駄だという事すら分かっていないのかもしれませんね﹂
﹁ふふふ、生粋の王族様は大変ね﹂
1610
ちなみに、セレニテスには見せたくないので再現していないが、
忠実なる蛇は既に視覚でもスクワが侍女を鞭のようなもので殴りつ
けている姿を捉えている。
その姿に品性のようなものは感じられず、まるで子供が駄々をこ
ねているかのようだった。
だが彼女は子供ではない。
その長く伸ばされた赤い髪に、整った目鼻立ち、しっかりと成長
した身体の各部を見れば、彼女が大人である事は誰の目にも明らか
である。
にも関わらず私室とは言え、このような姿を晒しているのだから
⋮⋮滑稽と言う他なかった。
﹃いいから手に入れて来いって言うのよ!でなければアンタのその
首を、いえ、アンタの家族全員の首を刎ねるわよ!﹄
﹃ひっ!?﹄
﹁⋮⋮﹂
セレニテスの眉間にしわがよる。
なお、現在のスクワの借金は、先週の時点で金を貸していたヒト
が居なくなったおかげでゼロになっている。
そう、先週の時点でだ。
今週に入ってから、私が狙う相手は金貸しではなく、スクワと物
品の取引を行っている商人に変わっていた。
そして、狙われた商人たちは、金貸したちの末路を知っていたた
めだろう、一斉にスクワとの取引を止め、自らの命を守る事を優先
し始めたのだった。
これでもしもスクワが借金が無くなったことに対して喜び以外の
感情を示していたり、死んだ商人たちに対して護衛を付けるなどの
誠実な対応を取っていれば、己の身の安全を危ぶめてもスクワとの
取引を続けようとする商人も居たかもしれない。
だが、スクワもディバッチ王もそんな対応は取らなかった。
1611
その結果がこれ⋮⋮スクワの気に入っていた消耗品の補給どころ
か、一切の取引が行えなくなってしまったのである。
﹁セルペティア﹂
﹁なんでしょうか?﹂
﹁スクワを失脚させずに、これ以上困窮させることは出来る?﹂
﹁出来ます。が、時間はかなりかかりますね。仮にも王族なので、
最低限の衣食住は保証されていますから。それに、スクワを困窮さ
せるついでに国も亡びる一歩手前になるかと﹂
私はセレニテスの言葉に正直に答える。
実際、スクワを餓死させようと思うと、かなり厳しいものがある。
なにせどれほど子供じみた振る舞いをしていても、スクワが王族
であることは紛れもない事実であり、それだけでも利用価値が無い
わけでは無いのだから。
﹃ソフィアめ!土蛇のソフィアめ!妖魔の分際で私の邪魔をするだ
なんて!腹立たしい!汚らわ⋮⋮﹄
﹁そう⋮⋮﹂
セレニテスはスクワの私に対する恨み言を聞きながら、何かを考
え始める。
当初の予定ではこの辺りでスクワを失脚させ、王族で無くさせた
後に適当な危険地域に放り込む予定だったが、セレニテスは別の策
を考え始めたらしい。
まあ、このままスクワを放置していると、碌でもない事になりそ
うな気配もあるし、別の策を考えるには丁度いい頃合いなのかもし
れない。
﹃絶対に見つけ出して、その首を切って、晒し者に⋮⋮﹄
﹁セルペティア。今から私が言う人物を今すぐに始末して﹂
セレニテスが幾つかの名前⋮⋮スクワとその母親の実家の重要人
1612
物たちの名前を挙げる。
そして、彼らをどのように殺すのかと言う注文もする。
﹁かしこまりました。セレニテス様﹂
セレニテスが求めているなら、私に断る理由はない。
﹃今すぐに騎士たちを⋮⋮!?﹄
﹃姫様!?﹄
と言うわけで、私はスクワの部屋に忍び込ませておいた忠実なる
蛇を操作すると、尾を天井にくっつけたまま、スクワの首に絡ませ
る。
﹃ぐっ⋮⋮あっ⋮⋮﹄
﹃姫様!?姫様!?誰か!誰か来て!蛇が!蛇が姫様に!?﹄
私は即座に首筋に噛みつき、肉を溶かすタイプの毒を注入しつつ、
スクワの身体をゆっくりと吊り上げていく。
スクワは忠実なる蛇を外そうと、必死に自分の首を掻きむしるが、
残念ながら今回の忠実なる蛇は純粋な土製ではなく、芯に鉄線を仕
込むことで強度を上げてあるタイプであるため、剣でも斬れる事は
ない。
﹃あっ⋮⋮ぎっ⋮⋮ひっ⋮⋮﹄
もがき苦しんだ結果として、毒も回り始めたのだろう。
スクワは全身の皮膚と全ての穴から赤いものも混じった、様々な
物体を垂れ流し始めていた。
﹃姫様御無事⋮⋮っつ!?﹄
そして、侍女が呼んだ騎士がやってきたところで、スクワの見る
に堪えない状態になった肢体が力なく垂れ下がる。
もはや、誰の目で見てもスクワが死んだのだと分かる状態だった。
1613
﹃こんな女、食う価値もない﹄
私はしっかりとスクワの脈が止まった事を確認した上で、スクワ
の死体の首を折った後、真下に死体を落とす。
スクワに対する侮蔑の言葉を騎士たちに聞かせながらだ。
﹃だが、始まりにはちょうどいい﹄
﹃始まり⋮⋮だと⋮⋮﹄
そして、この惨劇がまだ続く事をしっかりと伝えてから、私はそ
の場を去り⋮⋮スクワ以外の人物たちに対してもその死の知らせが
届く前に、同様の毒を注ぎ込んで始末したのだった。
1614
第293話﹁スクワ−3﹂︵後書き︶
11/24誤字訂正
1615
第294話﹁スクワ−4﹂
土蛇のソフィアによるレーヴォル王国第一王女スクワ・レーヴォ
ル及びその母親、祖父、伯父、従兄弟等の殺害。
一晩どころか、ほぼ同時にまったく別の場所で発生したその事件
には、セントレヴォルだけでなく、レーヴォル王国に住む全ての王
侯貴族は大いに動揺することになった。
だがそれも当然の事だろう。
殺害されたのは王族と言う常に護衛が付いている存在である。
その王族が殺されたのだ。
それも、セントレヴォル城の中、王族が住むための場所として用
意された部屋の中と言う、レーヴォル王国内でも最も警備が厳重な
場所の一つと言っても過言ではない場所で。
それは暗に、レーヴォル王国の守りでは、土蛇のソフィアを止め
る事は出来ないと示してしまっていた。
とある貴族は今回の事件を受けて、陰でこう愚痴を呟いたと言う。
﹃何故、私の代で土蛇のソフィアが帰って来てしまったのだ。何故、
先祖たちは、もっと真面目に土蛇のソフィアへの対抗策を練らなか
ったのか。奴は必ずやってくると言っていたのに﹄
その貴族の愚痴も尤もではあった。
だが、彼自身も土蛇のソフィアが自分の代で帰って来るとは思わ
ず、遊楽に耽っていたのだから、自分の先祖たちを責める事など出
来るはずが無かった。
1616
つまるところ自業自得であり、自分の先祖の代から積み重ねてき
たツケを偶々今代の者たちが払わされただけなのである。
ただ、そうやって慌てふためき、酷い者では国外に逃げ出す事す
らも検討し始める中、平民たちには特にこれと言った変化はなかっ
た。
彼らは慌てる事も怯える事もなかった。
その理由は単純だ。
あこぎ
﹃土蛇のソフィアは貴族しか狙っていない。それも阿漕なやり方で
金を稼いでいる王と貴族だけだ。土蛇のソフィアは、彼らに対して
与えられた試練である﹄
勿論、この考え方は間違いであり、必要が有ればソフィアは一般
市民に刃を向ける事も躊躇わないだろう。
だが、長年の貴族と平民の関わり方と、テトラスタ教の教えの結
果、平民はこのような考え方を持つようになり、今回の事件でも平
民たちはどちらかと言えば、土蛇のソフィアを自分たち民衆の味方
であるように捉えていた。
さて、多くの貴族と平民が上述のような状況にある中、一握りで
はあるが、土蛇のソフィアへの対応を考える者たちが居た。
﹁土蛇のソフィアは油断⋮⋮いえ、慢心していると言ってもいいで
しょう﹂
﹁ほう﹂
彼らはセントレヴォル城の一角に集まると、土蛇のソフィアへの
対抗策を練るための会議を開いていた。
1617
﹁どうしてそう思う?何か根拠があるのか?﹂
議長の名はフォルス・レーヴォル。
レーヴォル王国第二王子であり、セレニテスの腹違いの兄である。
﹁奴の行動です。今回奴は⋮⋮﹂
室内に集まっていた男たちの一人、騎士風の男が今回の事件全体
の流れを改めて語る。
それらはこの場に居る者なら全員把握していて当然の話であった
が、この後の議論を円滑に進める為に、彼らは敢えてそれを聞き続
ける。
﹁それで本題ですが、貴族と商人の殺害の頃から、昨夜の事件まで
の間、スクワ様の警備は強化されていません。そして、スクワ様に
各商人が貸していたお金の額を正確に土蛇のソフィアが把握してい
た事からこの事実を土蛇のソフィアが知らないとも考えづらい。つ
まり、奴はその気になれば何時でも破れた警備を、昨夜までわざと
破らなかった事になります﹂
騎士風の男の言葉に、部屋に居る面々が静かに頷く。
﹁加えて奴は昨夜、片手で数えられない数のヒトを同じ時間に葬っ
ています。なので、各王族の警備の度合いが大きく変わらない事も
加味して考えると、奴がその気になっていれば、フォルス様を含め
た全王族を暗殺することも不可能では無かったと思われます﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
続く言葉には流石に頷きづらかったのか、部屋に居る面々は押し
黙り、俯く。
﹁なるほど。故に慢心。いや、いっそのこと、こちらの事を舐めて
いると言ってもいいわけか﹂
1618
﹁そうなります。悔しい事にですが﹂
﹁ちっ、全くもってムカつく輩だ﹂
フォルスの舌打ちに騎士風の男を除き、部屋に居る面々は何処か
怯えた様子を見せる。
﹁まあいい、それなら、今晩からは交代で部屋の中に寝ずの番を複
数付けるだけの話だ。そうすれば、土の蛇を送り込んできただけな
ら対応できるだろう。親衛隊隊長﹂
﹁わ、分かりました。部下に指示を出しておきます﹂
しょうへい
﹁問題はどうやってこのセントレヴォルの何処かに潜んでいるであ
ろう土蛇のソフィアを見つけ出すかだが⋮⋮例の老人の招聘はまだ
かかるのか?﹂
﹁も、申し訳ありません。もうしばらくかかるとの事です。何分海
を越えた先の国から招きますので⋮⋮﹂
﹁言い訳は要らん。結果を出せ。外交は外交官の仕事だろう﹂
﹁は、はい!﹂
﹁それから⋮⋮﹂
フォルスは苛立ちながら、部屋の中に居る面々に一通り指示を出
していく。
﹁それで、親父殿と御兄弟様の様子は?﹂
そして、一通りの指示が終わったところで、騎士風の男に向けて
問いかける。
﹁ディバッチ王とインダル様は酷く怯えられています﹂
﹁だろうな。自分たちの代で伝説の大妖魔が出て来たんだ。臆病者
には堪えるだろうよ。セレニテスは?﹂
﹁変わりない。との事です﹂
﹁ちっ、例の侍女が居るから、心配はしていないって事か。田舎娘
の分際で﹂
1619
フォルスは苛立ちながら、足を机の上に乗せ、胸の前で腕を組み、
何処かの裏路地のボスのような姿を見せる。
﹁セレニテスとセルペティアとか言う侍女に対する警戒を緩めるな。
アービタリを返り討ちにしたのは間違いなく奴らなんだからな。そ
れこそ奴らが土蛇のソフィアを匿っているつもりで相手にしろ﹂
﹁分かりました。警戒を強めておきましょう﹂
フォルス・レーヴォル、彼はレーヴォル王国国内に居るヒトの中
で、最も真実に近い位置に居ると言っても良かった。
だが、そんな彼ですら驚かざるを得ない事件が直に起きることに
なる。
1620
第295話﹁インダル−1﹂
﹁はぁ⋮⋮やっと終わったわね﹂
﹁そうですね。セレニテス様﹂
スクワの死から一月。
ようやく、葬儀などの後始末が終わり、私とセレニテスは連日の
各種行事から解放されることになった。
﹁まったく、顔の筋肉が固まりそうだったわ﹂
﹁お疲れ様です﹂
セレニテスはそう言うと、いつもの屋敷の部屋で、私以外の目が
無いのを良い事に顔のコリをほぐすように揉み始める。
まあ、ただの侍女でしかない私と違って、セレニテスは完璧な王
族を演じなければならなかったのだから、疲れるのも仕方がない事
だろう。
﹁で、どうするの?﹂
セレニテスは部屋の外に繋がる扉に目を向ける。
そう、スクワの死によって少なくない変化が私たちの周りでも起
きている。
扉の外では、一月前から国が派遣してきた警備の騎士たちが、今
日も真面目に職務に励んでいるはずなのだ。
それも、第二王子フォルス・レーヴォルの派閥に属する騎士団長
が送り込んできた、警備と言う名の監視を行う騎士が、だ。
﹁どうしようもありませんね﹂
﹁あら珍しい﹂
﹁彼らに対してこちら側から何かをする事は、そのままセレニテス
1621
様への疑惑に繋がりますから﹂
勿論、彼らは真摯に純粋にセレニテスを土蛇のソフィアから守る
ためにやってきている。
勤務態度も至極真面目で、屋敷の使用人たちとの折り合いも悪く
ない。
ただ彼らが報告を行う対象がフォルスの味方であり、彼らから得
た情報がフォルスに横流しされることが確定してしまっているため
ケウス
に、警備と言う名の監視になってしまっているだけなのである。
﹁ただ、どうかする必要もありませんが﹂
カドゥ
﹁まあ、貴方にとってはそうよね﹂
クロウ
ゴーレム
まあ、私に限って言えば﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄などの魔
法によって不在を誤魔化したり、忠実なる烏の魔法によってその場
を離れずに事を為せるので、彼らの存在はさほど問題にはならない。
それどころか、私がこの場を離れていない事を証明する人材とし
て活用できるだろう。
﹁私が我慢するしかないか﹂
﹁そうなります﹂
と言うわけで、セレニテスには申し訳ないが、多少の窮屈さは我
慢してもらうしかないだろう。
﹁それで、次の一手はどうするの?﹂
さて、騎士についてはここまでにしておくとして、話はこれから
についてである。
﹁既に手は打っています﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
私は窓の外に目を向ける。
空には忠実なる烏の魔法によって作られた烏人形が複数体、普通
1622
の鳥に見える様に空を飛び、セントレヴォル中を探索している。
﹁具体的には?﹂
﹁今回の事件で土蛇のソフィアがセントレヴォルに居る事は広く知
られました。そうして名が広まった以上、セントレヴォルには今ま
で惹かれなかった様々な者が惹かれてやってくることになります﹂
﹁流れの騎士とかかしら?﹂
﹁それもあります﹂
﹁それも?﹂
﹁私が探しているのは⋮⋮﹂
私が今セントレヴォルで探している者は、土蛇のソフィアを狩ろ
うとする者や、セレニテスの脅威になる者だけではない。
いや、むしろこれらの者については、ついでに探しているだけだ
と言ってもいいだろう。
私が主として探している者、それは⋮⋮。
﹁ヒトに酷似した姿を持つ妖魔です﹂
人妖と呼ばれることもある妖魔たちである。
﹁彼らを集めて何をするの?﹂
﹁私は助言をするだけです。彼らが少々長生きを出来る様に﹂
人妖は、私、トーコ、シェルナーシュのように、一目では妖魔だ
と認識できないような容姿を持つ妖魔である。
彼らは私たちがそうであるように、普通の妖魔に比べて身体能力
は劣る傾向にある。
だがその代わりに考える力を持っている。
彼らは本能のままにヒトを襲い、貪るのではなく、ヒトに紛れて、
自分がそうだと知られずに喰らう事が出来る。
その力が次の目標を効率的に殺すには必要だった。
1623
﹁ふうん、でも本当に集まって来るの?﹂
﹁これでも私の名は広く知られていますから。それに、既に何人か
はセントレヴォルの中に入って来ています﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
勿論、彼らは最終的には追い詰められ、討たれる事になるだろう。
だがそれで問題はない。
私にとって必要なのは、彼らが土蛇のソフィアの指示の下に行動
を起こし、少なくない被害をセントレヴォルに与えたと言う事実だ
けなのだから。
﹁それと、私の古い友人たちがレーヴォル王国内に居るのであれば、
今回の件を聞き付けて、セントレヴォルにまで来てくれるはずです﹂
﹁古い友人⋮⋮それは楽しみね﹂
それと、こちらは完全に来てくれれば良いな程度の考えであるが、
今回の件で私がセントレヴォルに居る事を察し、トーコとシェルナ
ーシュの二人が来てくれないかと思っている。
あの二人もレーヴォル王国の設立には一枚噛んでいるし、来てく
れれば協力して事に当たりたい所である。
まあ、世界は広いので、居ない可能性の方が高そうだが。
﹁そう言うわけですので、セレニテス様。しばしお待ちください。
もうしばらくしたら、とても愉快な事になりますから﹂
﹁期待しているわ﹂
そうして私はセレニテスに向けて微笑みながら、忠実なる烏を彼
らの居る場所に向かわせ⋮⋮ちょっとした助言を囁いた。
1624
第295話﹁インダル−1﹂︵後書き︶
行動が完全に悪の組織のそれである
1625
第296話﹁インダル−2﹂
さて、現在のセントレヴォルは中々に騒がしくなっている。
だがそれも仕方がない事だろう。
一糸乱れぬ動きで貴族や商人の屋敷に侵入し、屋敷の住人と金品
を奪い取っていく正体不明の盗賊団。
夜の路地裏で男を誘い、誘いに乗った愚かな男を闇夜に消し去る
謎の娼婦。
昨日まで平穏無事だった家族が、翌朝には蜘蛛の糸で絡め捕られ、
全身の体液を吸い尽くされた上で発見される。
セントレヴォルを脱出しようとしたテトラスタ教の司祭が、無数
の妖魔に襲われて無残な姿を晒す。
等々、今までのセントレヴォルでは決して起こり得なかったであ
ろう事件が次々に起きているのだから。
﹁ふぅ、みんな働き者で助かるわ⋮⋮﹂
表向き、これらの事件全てに共通する事柄は存在しない。
蜘蛛の件や、司祭の件など、妖魔の仕業であることが確定してい
る事件もあるが、盗賊や娼婦などは碌な手掛かりも得られていない
状態である。
だが、これらの事件には一つの共通項がある。
と言うか⋮⋮
﹁まあ、言う事を聞かない連中は始末したから、当然の結果なんだ
けどね﹂
どの事件も、私が助言を与えた妖魔または人妖が起こした事件で
1626
ある。
ゴブリン
そう、盗賊団の正体は、厳重な警備のかいくぐり方や、鎧を着た
騎士を非力な者が倒す方法を教えた鼠の妖魔六人が率いる盗賊団で
ある。
ハーピー
娼婦の正体は、どうやればヒトを誘えるか、誘ったヒトを痕跡を
残さずに消せるかを教えた鳥の妖魔である。
アラクネ
蜘蛛の糸の下手人は、如何に人外の部分を隠し、ヒトの世界に紛
れ込むのかを教えてあげた蜘蛛の妖魔である。
司祭の件については、セントレヴォルの周囲で何処が襲撃に適し
ているのか、どういうヒトを襲った方が旨味があるのかを普通の妖
魔に教えただけであるが、それでも私が助言をした事には変わりな
い。
﹁ああ、順調って素晴らしいわぁ⋮⋮﹂
と言うわけで、どの事件にも私こと土蛇のソフィアが一枚噛んで
いるのである。
なので、彼らが襲うターゲットについても、実はセレニテスの要
望を満たす関係で、大半は皇太子インダル・レーヴォルと関係があ
るヒトだったりする。
﹁さて、息抜きはこれぐらいにしておきましょうか﹂
勿論、彼らが何時までも無事であることは有り得ない。
私が直接現場に出て指示を出しているのならともかく、今回私が
しているのはあくまでも助言だけであり、彼らが助言を守らなかっ
たり、ヒトの側が彼らに気づかないように対抗策を仕掛けてきたり
すれば、何人かは上手く逃げおおせるかもしれないが、大半は狩ら
れる事になるだろう。
だがそれでいい。
彼らが狩られたなら、土蛇のソフィアが操る土の蛇が現れて、討
伐の証明である強力な魔石をヒトの手から奪い取るだけの話なのだ
1627
から。
手駒が尽きる事もない。
妖魔はセントレヴォルの内と外の両方で何処からともなく生まれ、
セントレヴォルに惹かれて集まってくるのだから。
第二王子は歯噛みをしつつであっても、妖魔に襲われた貴族や商
人、司祭を調べ、不正を取り締まり、皇太子の勢力を弱らせ、セレ
私
ニテスの要望を叶える一助を行ってくれるだろう。
つまり、セルペティアの正体にさえ気づかれなければ、どう転ん
でも美味しい流れでしかないのである。
﹁書類の続きを書かないと﹂
さて、ここまでは屋敷の外の話である。
私は茶と茶菓子を片付けると、この場で書いている事が露見して
はいけない書類を仕上げていく。
書類の内容は⋮⋮簡単に言えば、とある人物の来歴と言ったとこ
ろか。
私がセレニテスの侍女になる際に偽造した諸々の親戚みたいなも
のである。
﹁よし、こんなところね﹂
何故そんな物を書く必要が有るのか。
決まっている、その正体を露見させるわけにはいかない人物を、
新たに私とセレニテスの傍に入れる為だ。
﹁問題は二人がこの内容を覚えきれるかだけど⋮⋮まあ、三百年以
上生きて来て、この程度のフリも出来ないなんてことはないわよね﹂
私は二組の書類を持って、屋敷の外に出ていく。
外で私たちの監視をしている第二王子の手の者にも、警備の騎士
たちにも、屋敷の使用人たちにも、それこそ通りすがりの一般人に
も気づかれないように。
1628
■■■■■
コラム ﹃三大人妖﹄
三大人妖と呼ばれる、ヒトに酷似した妖魔⋮⋮人妖の中でも、特
に強い力を持つ三人の存在を諸君らは知っているだろうか?
彼女らはヘニトグロ地方以外でも有名な存在であり、各地方でそ
れぞれがそれぞれに大事件を起こし、当時の現地に多大な被害を与
えている。
それこそ空想上の出来事ではないかと思われるほどの規模で。
だが、彼女らが存在し、様々な事件を起こしているのは明確な事
実である。
例えば土蛇、蛇の人妖ソフィア。
ソフィアはナックトシュネッケ大陸にかつて存在していた王国を、
たった一晩で滅ぼしたとされているが、最近の調査でこの王国が実
在した事、一晩とは言わなくても、何らかの魔法が用いられ、ほん
の数日で崩壊したことが判明している。
そして、同様の事件を残りの二人⋮⋮美食家と魔女も起こしてい
る。
その内容は⋮⋮
歴史家 ジニアス・グロディウス
1629
第296話﹁インダル−2﹂︵後書き︶
11/27誤字訂正
1630
第297話﹁インダル−3﹂
数日後の夜。
﹁セレニテス様。二人を連れてきました﹂
﹁ご苦労様です。セルペティア﹂
私は本来の物とは大きく異なる服装に着替えたとある二人を、他
の屋敷の使用人や騎士、監視の人員に知られないように、秘密の通
路を通らせてセレニテスの寝室に案内していた。
﹁さて、昼間も顔は会わせましたけど、まずは改めて自己紹介をし
ましょうか。美食家さんに魔女さん﹂
﹁魔女⋮⋮か。ヒトが随分と勝手な通り名を付けてくれたものだ﹂
﹁うーん、アタシは美食家って通り名、結構気に入ってるんだけど
なぁ﹂
﹁まあ、魔女って通り名は、男でも女でもない相手に付けるには不
適当よね﹂
セレニテスは私たち三人のやり取りを、何処か羨ましそうに見て
いる。
まあ、セレニテスの今までを考えたら、私たちにそう言う目を向
けたくなっても仕方がない事だろう。
﹁まあいいわ、夜もそんなに長くないんだし、早いところ自己紹介
をしてしまいましょう﹂
﹁そうね。そうしましょうか﹂
さて、三百年ぶりの再会となれば、色々と話を盛り上げる事も出
来るが、時間は有限である。
まずはやるべき事をやってしまうとしよう。
1631
﹁では私から、私の名前はセレニテス・レーヴォル。現王であるデ
ィバッチ・レーヴォルの庶子であり、レーヴォル王国の第二王女に
なります。つまり表向きには貴方たちの雇い主と言う事になるわ。
そして裏の顔はソフィアの協力者よ﹂
﹁よろしくねー﹂
﹁はぁ、王女が貴様とつるんで、自国を滅ぼそうとしている⋮⋮か。
世も末だな﹂
﹁そう?よくある事だと思うけど?﹂
最初にセレニテスが私たちに向けて、王女らしい気配と雰囲気を
放ちながら、自己紹介をする。
それに対する二人の反応は⋮⋮予想通りの物と言ってよかった。
﹁私は⋮⋮表の身分と名前だけでいいわね。表の名前はセルペティ
ア、身分はセレニテス様付きの侍女筆頭。つまりセレニテス様の生
活に関わる事の大半において、最高責任者と言えるわね﹂
﹁何だかソフィアんの立場は三百年前と同じ感じがするね﹂
﹁腹心の方が、色々と動きやすいんだろ。表に出て暴れるのが得意
なタイプでもないしな﹂
﹁あれで得意じゃないって言われても、納得するヒトはあまり居な
いと思うけどね﹂
次に私こと土蛇のソフィアが、表向きの部分についてだけだが、
念のために自己紹介する。
ところで、どうして全員何処か呆れた顔をしているのだろうか。
まったく理由が掴めない。
まあ、大したことでもないし、流していいか。
﹁アタシはトーコ。蛙の妖魔だよ。で、表の名前はキリコで、役職
は屋敷の料理人。で、いいんだよね?﹂
﹁ええ、それでいいわ﹂
1632
﹁ふふふ、今日の夕食もとても美味しかったし、表だけでも十分な
期待が持てそうね﹂
﹁まあ、トーコは料理ばかりしていたようだしな﹂
三番手は美食家ことトーコ。
トーコは三百年前から変わらない感じで、料理人の服装で元気よ
く自己紹介をする。
ちなみにトーコの三百年については、おおよそ百五十年ほど前に
レーヴォル王国で百人近い騎士を返り討ちにした上に調理した結果
として美食家と言う通り名を得た事を除けば、割合地味な物である。
尤も、地味なだけで、少し探せばトリスクーミ中で御使いトォウ
コらしき存在が現れて、今まで食べられなかった植物を食べる方法
を伝授して飢饉から人々を救っただとか、美食家トーコらしき妖魔
が現れて、集落が一つ無くなっただとか、食関係で三百年分の情報
が色々と出てくるのだが。
﹁ふふん、期待してもらっていいよ﹂
それと、トーコ自身の料理の腕も三百年の間に大幅に伸びている
ようで、今まで屋敷の料理を担当していた一流のコックがトーコの
料理を一口食べただけで弟子入りを志願していた。
していたのだが⋮⋮流石にそれは私が止めた。
トーコでは、食事を美味しく食べる為に造られたのではないマナ
ーやしきたりは分からないからである。
まあ、表向きがそうなだけで、実質的には弟子入りしてしまった
ようだが。
﹁小生はシェルナーシュ、蛞蝓の妖魔だ。表の名前はシエル、役職
は書庫の管理人。まあ、基本的には一日中本を読んで過ごさせても
らう﹂
﹁そうね。そうなると良いわね﹂
﹁よろしくね。シエル﹂
1633
﹁ほぼ本名だよね。シエルん﹂
最後は魔女ことシェルナーシュ。
どうにも三百年の間にヒト嫌いは悪化したらしく、何処か機嫌が
悪そうに侍女服に身を包んだシェルナーシュは自己紹介をする。
ちなみに魔女と言う通り名については、二百年ほど前にレーヴォ
ル王国に姿を現し、騎士一個大隊吹き飛ばした時の姿から付けられ
たらしい。
まあ、どう見ても女にしか見えない見た目であるし、仕方がない
事だろう。
なお、トーコの料理がそうであるように、シェルナーシュの魔法
とそれを支える各種知識についても、この三百年の間に大幅な進歩
を見せている。
私が知る限りでも、百年ほど前にフロッシュ大陸北東部にある巨
大な湖、カエノサイト海の水を酸に変え、周辺地域に多大な被害を
もたらすと言う大きな事件を起こしているし、他にも大小無数、様
々な事件をシェルナーシュは起こしているようだった。
﹁偽名なんだ。分かり易い方が困らない﹂
﹁ふーん﹂
余談だが、シエルの役職である書庫の管理人はそれほど暢気で居
られる仕事ではない。
セレニテスは知識を集める関係で意外と本を読むのが好きなので、
書庫の利用頻度も多いのだ。
それこそ、書庫の管理人と言う役職を設けても問題ない程度には。
ま、シエルがその事に気づくのは明日以降の話だろうが。
﹁さて、自己紹介も済んだところで、話を進めましょうか﹂
﹁そうね。そうしましょうか﹂
﹁分かった﹂
﹁うん﹂
1634
さて、自己紹介も終わったところで、まずは当面の予定⋮⋮皇太
子インダル・レーヴォルの暗殺について、二人に話しておく事にし
よう。
1635
第298話﹁インダル−4﹂
ヒンドランス
﹁魔王か貴様は﹂
﹁﹃妖魔の剣﹄なら持ってるわね﹂
皇太子インダル・レーヴォルをどう始末するのかについて、三人
に話した直後に私とシェルナーシュの間で交された言葉がこれであ
る。
なお、セレニテスとトーコの二人はと言うとだ。
﹁流石はソフィアね。それでこそだわ﹂
﹁ソフィアんのエゲツなさも相変わらずだねぇ﹂
見事に私を絶賛する方向に傾いている。
﹁冗談はさておいて。これでも手加減と言うか、後の事を考えて、
私たちの表向きの顔を特定されないようにきちんと策は練っている
のよ﹂
﹁これでか⋮⋮﹂
﹁これでよ﹂
実際、一切の手加減なくインダルを殺そうと思ったら、先程私が
語った策から二段か三段はエゲツない策は出せる。
が、それをしてしまうと、私たちの表の顔が明らかになり、どう
いうルートを辿るかは実際に事が起きなければ分からないが、イン
ダル・レーヴォルからフォルス・レーヴォルに話が伝わってしまう
可能性もゼロではない。
そうして話が伝わってしまうと、色々と面倒な事態を引き起こす
事になるだろう。
最悪、セレニテスを連れてセントレヴォルから逃げ出す必要すら
生じかねない。
1636
﹁そして、表向きの顔を隠さなければいけないのに、土蛇、美食家、
魔女の三人が今回の件に関わっている事は示さなければいけないと。
やっぱり大変なのね、策を考えるのって﹂
﹁まあね。そう言うわけで、さっき言った策になるのよ﹂
そう言った理由もあり、インダルを殺すための策は、少々手緩く
せざるを得なかったのである。
まあ、こればかりは仕方がないし、セレニテスの賛成も得られて
いるので問題はない。
﹁しかし小生たちが関わっている事を示す事が、そんなに重要なの
か?﹂
﹁重要よ。主に妖魔を集めるという意味で﹂
﹁ふむ⋮⋮﹂
ただシェルナーシュにはまだ疑問があるらしい。
なので私は、首を傾げているシェルナーシュに、今セントレヴォ
ルで起こっている数々の事件について話す。
これらの事件の犯人が人妖であり、私が彼らに対して助言をして
いる事を含め。
それを聞いたシェルナーシュは納得がいったのだろう。
少し考えた後に一度大きく頷き、それから口を開く。
﹁なるほど。そう言う事か。土蛇、美食家、魔女。三人が揃ってい
る状況であれば、土蛇一人しか居ない状況よりもより多くの妖魔を
呼び寄せる事が出来る。そいつらが集まれば、多少の助言をしてや
るだけで、小生たちは危険を冒す事なく食料確保と敵対勢力の排除
を行う事が出来る。今よりもさらに効率よく﹂
﹁おー、流石ソフィアん﹂
﹁まあ、他にも色々と狙ってはいるけれど、だいたいはそう言う事
ね﹂
1637
シェルナーシュの答えはだいたい正しい。
が、それだけではない。
実際には他にも色々と今後の為に狙っている事が有るのだが、そ
ちらについては⋮⋮セレニテスを驚かせるためにも、今は話さない
でおこう。
﹁だいたい?﹂
﹁他の妖魔たちにできない芸当をやって見せて、今後彼らに対して
指示を出しやすくするという意味もあるのよ﹂
﹁なるほど﹂
シェルナーシュにも、トーコにもだ。
﹁それでソフィア。インダルお兄様については何時?﹂
﹁そうね⋮⋮だいたい一週間後。と言ったところかしら﹂
私の言葉にセレニテスは笑顔を浮かべ、トーコは驚いた様子を見
せ、シェルナーシュは目を細める。
﹁随分と急だな﹂
﹁フォルスの方から、ちょっと嫌な動きの音が聞こえて来ているの
よ﹂
﹁フォルスって言うと、もう一人のお兄ちゃんだっけ﹂
﹁⋮⋮具体的には?﹂
私は三人の聞く体制が十分に整っている事を確認した上で、話を
進める。
﹁フォルスは一人の男を私対策にニッショウ国から呼び寄せようと
しているの﹂
﹁男?﹂
﹁男の名前は灰羅ウエナシ。かつて私を負かした事も有る完全なる
英雄の一人よ﹂
1638
私は三人に灰羅ウエナシについて分かっている事と、どのような
戦いをニッショウ国で繰り広げたのかを話す。
ヨウコ
﹁小生の子孫の一人か⋮⋮﹂
﹁狐の妖魔の血を引いた先天性の英雄かぁ⋮⋮﹂
﹁妖魔を自在に操れる使役魔法⋮⋮羨ましい﹂
私から話を聞いた三人の表情は硬い。
だがそれも当然の事だろう。
フォルスたちの話や、私自身の情報網を駆使して集めた情報が確
かなら、歳は七十を超え、身体能力は衰え、使役魔法も最盛期と比
べれば衰えたが、それでもなお思考は明晰であり、対妖魔に関して
は一流の指揮能力と指導能力を有していると言っていい当代随一の
英雄なのだから。
助言役としてフォルスの陣営に加わわれば、相当厄介な存在にな
るだろう。
﹁ソフィアん、こっちに来る事自体は阻害できないの?﹂
﹁厳しいわね。船を沈めたぐらいで死んでくれるような英雄ではな
いもの﹂
﹁フォルス・レーヴォルの陣営自体を揺さぶって、満足に働けない
ようにするのはどうだ?﹂
﹁助言を与えている妖魔たちにそれとなくやらせてるけど、どこま
で効果があるかは怪しいわね。ニッショウ国でも破られてる策だし﹂
﹁ちっ、本当に厄介ね﹂
﹁まあそれでも何とかはなると思うわ。向こうは歳を取って衰えて
いるし、こっちはあの時よりも戦力が充実しているから。ま、この
件については私に任せておいて、こっちに来る一か月後までには何
かしておくわ﹂
﹁頼むわね。ソフィア﹂
﹁ええ﹂
1639
そうして一抹の不安を抱えつつも、この夜の会議は終わった。
1640
第299話﹁インダル−5﹂︵前書き︶
今回は人を選ぶ描写がございますので、お気を付け下さい。
1641
第299話﹁インダル−5﹂
セントレヴォルを守る騎士と兵兵たちの努力もむなしく、妖魔と
人妖、そして彼らと協力する悪党たちによる事件は続いた。
貴族街に居を構える貴族は何の変哲もない路地裏で唐突に行方を
断ち、多額の資金をかけて建造されたテトラスタ教の教会は焼かれ
た。
昨日まで元気にしていた隣人が居なくなることに、住民たちは悲
しみを覚えると同時に、次は自分でないかと恐怖した。
しかし、恐怖に負けて、セントレヴォルから逃げ出そうと思って
も、それは容易な事では無かった。
セントレヴォルの周囲では野盗と妖魔が頻発し、それらの目撃証
言の中には彼らが協力していたと言う話すらあったからである。
そう、セントレヴォルに居る者は、王も、貴族も、平民も、奴隷
すらも怯えるしかない状況に陥っていた。
そうして事件が続く中、人々は二つの事に気づく。
一つはテトラスタ教の腐敗。
テトラスタ教にとって妖魔は御使いの主が遣わした試練であり、
常日頃から備えておくべきものである。
そのために教会は信者たちから金品を集め、魔石を集め、国や貴
族に依らない﹃双剣守護騎士団﹄あるいは﹃輝炎の右手﹄と言った
武力を有する組織を持つ事を許されていたと言ってもいい。
だが、今回の事件で人々が目にしたのは、教会から逃げ出す司祭
たちの姿であったり、碌な整備もされていない装備品の類であった
り、これでもかと積み重ねられた金銀財宝の類だった。
こんな物を目にしては、住民たちが今のテトラスタ教は腐ってい
1642
ると認識するのも当然の事だろう。
もう一つは、行方を断っている人々や襲われた施設や住居の大半
が、皇太子インダル・レーヴォルに関わりのあるものである事。
この情報に、土蛇のソフィアが第一王女スクワ・レーヴォルを暗
殺する前に、彼女の周囲に居た貴族と商人ばかりを狙っていた事実
と、騎士たちが事件を起こした妖魔たちを討伐することに成功して
も、魔石を土の蛇によって強奪されている話を合わせて考えれば、
土蛇のソフィアの次の狙いが皇太子にある事は明瞭だった。
そして、これらの話は皇太子インダル・レーヴォルの耳にも入っ
ていた。
自分の後ろ盾になってくれているテトラスタ教に対する批判と、
自分の命が他の妖魔と比較にならない程に凶悪な妖魔である土蛇の
ソフィアに狙われているという事実。
生まれの順だけで皇太子になれたと言われてしまうような男が耐
えられるような話では無かった。
故に彼は常々頼っていた物に⋮⋮今は亡きグレッド枢機卿らが、
御使いと御使いの主に近づけるものだといって用意した魔薬に走ろ
うとする。
私の毒が既に仕込まれているとも知らずに。
カ
﹁と言うわけで、シェルナーシュ。皇太子が部屋から逃げ出せない
ようにする魔法をお願い﹂
﹁はぁ⋮⋮随分と長い語りだったな﹂
と言うわけで、予定通りの一週間後。
ドゥ
ケウス
私、トーコ、シェルナーシュの三人はセレニテスの守りを﹃蛇は
骸より再び生まれ出る﹄に任せて、セントレヴォル城に潜入。
皇太子の警備をしていた騎士八名を音もなく始末すると、皇太子
の所有物に私がちょっとした仕掛けを施した上で、部屋の外に出た
1643
のだった。
フィックス
﹁固定﹂
シェルナーシュが皇太子がゆっくりと動き始めている部屋に杖を
向けて、何かしらの魔法を使う。
﹁効果は?﹂
﹁物体の座標を固定することで、あらゆる外的要因による破壊を阻
止する魔法だ。小生が解除するか、よほど強力な魔法を使わなけれ
ば、いつまでも続くと思ってもらって構わない。それを、皇太子の
部屋の床、壁、天井、扉、窓に施した。脱出は不可能だ﹂
グルー
﹁流石はシェルナーシュね。私じゃこんな魔法は使えないわ﹂
ふむ、効果としては接着の魔法の大幅な強化版と言ったところだ
ろうか。
いずれにしても、シェルナーシュの言うとおりの効果ならば、ど
う足掻いても脱出は不可能だろう。
﹁ソフィアん。飾り付け終わったよ﹂
﹁おおっ、流石はトーコね。私じゃこうはならないわ﹂
﹁ふふん、飾り付けも美味しい料理には欠かせない要素だからね。
これぐらいは当然﹂
シェルナーシュが魔法を使い終わったところで、トーコも自分の
仕事を終えたらしい。
気が付けば皇太子の寝室前の通路は、私たちがやってきた時はま
るで別物になっていた。
﹁飾り付け⋮⋮か﹂
﹁どしたの?シエルん﹂
﹁いや、なんでもない﹂
具体的に言えば、綺麗に腑分けされた八人の騎士の死体が飾り付
1644
けられ、普通のヒトならば見ただけで気を失うような状態になって
いた。
これほどの作業を一滴も余計な血を飛び散らせることなく行った
のだから、トーコの技術は実に素晴らしいものである。
﹁じゃ、後はここに⋮⋮よし。それじゃあ帰りましょう﹂
﹁分かった﹂
﹁うん﹂
私は最後に皇太子の寝室の扉に、私たち三人の名前を騎士たちの
血で記すと、その場を後にしようとする。
と、その時だった。
﹁ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!?﹂
﹁﹁!?﹂﹂
﹁あ、やばい﹂
皇太子の寝室の扉、その鍵穴から、城中に響き渡りそうな音量で
皇太子の叫び声が漏れ出てしまった。
どうやら私の想像以上に皇太子の心は弱かったらしい。
﹁早いところ逃げましょう﹂
私は無言で頷く二人を連れて、誰かがこの場に駆けつけるよりも
早く、その場を後にしたのだった。
1645
第300話﹁インダル−6﹂
﹁なんだ⋮⋮これは⋮⋮﹂
皇太子の悲鳴を聞き付けて、駆け付けた騎士たちがまず見たのは、
一目見ただけでは材料がそうであると認識できない程に綺麗な飾り
付けが為された通路だった。
そして、赤とピンクを基調としたそれらの装飾の意味を⋮⋮自分
たちの同僚がヒトをヒトと思わぬ冒涜的で退廃的な芸術に変えられ
た事を理解した時、彼らの多くは息を飲み、叫び声を上げ、胃の中
の物を全てぶちまけるような勢いで嘔吐し、どれほど気丈な者でも
震えを完全に抑える事は出来なかった。
﹁皇太子様は⋮⋮﹂
だがそんな中でも、一部の者は己の役割を果たすべく、通路の奥
へと⋮⋮皇太子インダル・レーヴォルの寝室の前の扉に向かって進
む。
﹁土蛇のソフィア、美食家のトーコ、魔女のシェルナーシュ⋮⋮だ
と⋮⋮﹂
寝室の扉には血で三人分の名前が書かれていた。
三つの名前はいずれもレーヴォル王国の歴史書に記されるような
強大な妖魔の名前であり、普通ならば名乗っても一笑に付されるよ
うな⋮⋮まったく無関係の何者かが勝手に名乗っているとしか思わ
れないような名前だった。
だが、この惨劇を見れば、誰もが認めざるを得なかった。
此処に名前を記したのは、本物のソフィア、トーコ、シェルナー
シュであると。
こんな惨状を作り出せるのは、美食家のトーコ以外に居ないと。
1646
﹁はっ!皇太子様!﹂
その後、騎士たちは皇太子を救出しようと、あるいはその死を確
認しようと、皇太子の寝室に入ろうとした。
だが、扉も、壁も、窓さえも、強力な魔法によって保護されてお
り、王室付きの魔法使いが総出して事にあたっても解除は出来ず、
小型の破城鎚を使っても、鎚の方が壊れるようなありさまで、頼み
の綱である英雄の力を持ってしても傷一つ付かない程だった。
その事実に彼らは理解する。
皇太子を確実に殺す為に、皇太子の部屋には人智の及ばないよう
な強大な魔法をかけられたのだと。
こんな魔法を使えるのは、御使いを除けば、魔女のシェルナーシ
ュしか居なかった。
﹁はぁはぁ⋮⋮開いた⋮⋮っつ!?﹂
そうして彼らが奮闘すること数時間。
扉は前触れもなく、まるで頑張ったご褒美だと言わんばかりに、
ゆっくりと、独りでに開く。
そして彼らは見てしまう。
﹁皇太子⋮⋮様⋮⋮﹂
この世の物とは思えない形相で倒れ、傷一つ無いのに息絶えてい
る皇太子の姿を。
土蛇のソフィア以外には絶対に為せないであろう不可思議な死を
迎えたインダル・レーヴォルの姿を。
■■■■■
1647
﹁で、貴様は一体どんな仕掛けを施したんだ?﹂
翌日。
屋敷の書庫にやってきた私は、シェルナーシュにそう問いかけら
れた。
ちなみに、インダル・レーヴォルの死については箝口令が敷かれ
たため、今はまだ城外には知れ渡っていない。
が、時間の問題だろう。
ヒトの口に戸は立てられないのだから。
﹁仕掛けねぇ⋮⋮まあ、そこまで大した仕掛けはしてないわよ。イ
ンダルの使っていた魔薬吸引用の器具に使役魔法の魔石を潜ませて、
こっちで吸引の速さをコントロール出来るようにしたのが一つ﹂
サマエル
﹁ふむ、それは確かに大したことはないな﹂
﹁もう一つの仕掛けは、魔薬の方に﹃蛇は罪を授ける﹄を仕込んだ
事ね。こうすることで、魔薬の幻覚作用と﹃蛇は罪を授ける﹄の情
報伝達が合わさって、通常の﹃蛇は罪を授ける﹄よりも強力に情報
を叩き込めるのよ﹂
﹁ほう﹂
それに、私の魔法と技術を持ってすれば、恣意的な情報操作など
片手間に行える程度の事でしかない。
テトラスタ教もレーヴォル王国も揺らいでいる今ならば尚更だ。
そんな事はさて置いて。
﹁で、情報の内容は?﹂
﹁んー、色々ね﹂
﹁色々?﹂
﹁部屋全体が蛇に変化してみえる様にしてあげたり、フロッシュ大
陸に居た人食族に全力で追われたり、病魔に沈んだ﹃英雄王国﹄最
後の一日を街の中の視点で味わせてあげたり⋮⋮まあ、とにかく私
が記憶している惨劇から色々と引っ張り出してきた感じね。あ、処
1648
刑も幾つか混ぜたわね﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁どうしたの?﹂
シェルナーシュの質問に対して私は率直に答えてあげた。
が、私の答えを聞いた途端、シェルナーシュは頬をヒク付かせ始
める。
そしてそんな状態のシェルナーシュから出てきた言葉は⋮⋮。
﹁魔王か貴様は﹂
ヒューマン
この間も聞いた覚えがある言葉だった。
ヒーロー
ヒンドランス
﹁﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄に持たせた表向きの意味から考えた
ら、﹃妖魔の剣﹄を持っている私は妖魔の王でもおかしくないわね﹂
と言うわけで、私は胸を張ってこの間と似たような返しをする。
なお、﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄に持たせた表向きの意味とは、
それぞれの剣を持つ者は英雄を統べる資格とヒトを統べる資格を持
つ、という物である。
勿論、そんな事が出来る魔力など﹃妖魔の剣﹄を含め、どの剣も
持っていない。
が、レーヴォル王家の正当性を強固にするために、こういう逸話
を持たせたのである。
今のレーヴォル王国の状態を見る限り、失敗だったようだが。
﹁それで、これからどうするつもりだ?﹂
﹁まずはインダルの葬儀が終わり、フォルスが皇太子になるのを待
つわ﹂
﹁つまり、灰羅ウエナシが来るのは避けられない。と﹂
﹁そう言う事になるわね。ま、私が何とかするから安心しなさいな﹂
私はそう言うと、真剣な目つきをしているシェルナーシュからセ
レニテスに頼まれた本を受け取り、書庫を後にした。
1649
第300話﹁インダル−6﹂︵後書き︶
12/01誤字訂正
1650
第301話﹁フォルス−1﹂
一方その頃、セントレヴォル城の一室。
﹁ふんっ!ふんっ!﹂
﹁がはっ⋮⋮も、申し訳⋮⋮げひゃ!?﹂
﹁なぁにが申し訳ないんだぁ?このノータリンが。なぁにがおめで
とうございますだ?このウスノロが﹂
そこでは、片方がもう片方を一方的に殴り続ける音と、少量の液
体が周囲の床に飛び散る音が響き渡っていた。
﹁あ⋮⋮ぐ⋮⋮﹂
﹁ちっ、気絶しやがったか﹂
音の主の内、殴っていた方の正体は第二王子であるフォルス・レ
ーヴォル、皇太子インダル・レーヴォルが死んだことによって、王
位継承権を得たヒトだった。
そして、彼に殴られて気絶し、周囲の者たちによって急いで部屋
の外に運ばれていったのは、彼の取り巻きの貴族の一人だった。
﹁随分と荒れておられますね。フォルス様﹂
﹁お前か。ふん、荒れたくもなる﹂
自らの椅子に座ったフォルスは、騎士風の男に対してそう吐き捨
てるように呟く。
そんなフォルスの様子に、騎士風の男以外の部屋に居る者たちは
軒並み怯えていた。
﹁土蛇のソフィアにご自身の獲物を盗られたからですか?それとも、
インダル様が亡くなられた事に対して何かしらのご感傷でも生じま
1651
したか?﹂
だが、騎士風の男は彼らの様子など意にも介した様子を見せず、
淡々と言葉を紡ぐ。
いっそ傲慢だと言ってもいいその態度に、部屋の者たちは次が彼
が殴られるかと思って身構える。
﹁お前、分かって言っているだろう?﹂
﹁バレていましたか﹂
﹁何時からの付き合いだと思っている。まあいい、少し頭は落ち着
いた﹂
だがそうはならなかった。
フォルスは彼の言葉を流すと、話を進める。
﹁兄上が死んだことそれ自体はどうでもいい。どうせ何時かは始末
して、玉座を頂くつもりだったからな。問題は土蛇のソフィアが兄
上を狙っていると分かっていたにも関わらず、姿の捕捉すら出来ず、
一方的に兄上とその護衛たちが殺されたという事だ﹂
﹁手がかりが何も無い状態と言うのは確かに厳しいですね。インダ
ル様よりもフォルス様の方が警備は厳重ですが、それはあくまでも
我々基準での話ですからね。土蛇のソフィアたちにとって大した差
はないのかもしれません﹂
﹁そうだ。だからこそ、死んでもいい囮である兄上に襲い掛かった
ところを抑えたかったが⋮⋮ちっ、次に俺が目標になると分かって
いながら、万全の態勢を取らなかった親衛隊隊長の首については挿
げ替えるのも検討しなければいけないかもな﹂
﹁っつ!?﹂
フォルスの言葉と射殺すような視線に、件の親衛隊隊長の体が一
度だけビクリと震える。
それと同時に、親衛隊隊長の周囲に居たものたちも、少しずつ彼
から距離を取るようにゆっくりと動く。
1652
﹁さて、親衛隊隊長よ。貴様は今回の件についてどう責任を取る?﹂
﹁ひっ⋮⋮﹂
フォルスが椅子から立ち、ゆっくりと親衛隊隊長に近づいていく。
その手は既に腰の剣に来ており、何時でも抜ける体勢にあった。
﹁フォルス様、今は余計な人材の消費は控えるべきかと﹂
だが、その剣が抜かれる少し前に騎士風の男がフォルスを止める
ような言葉を放つ。
﹁⋮⋮﹂
﹁⋮⋮。ちっ、仕方がないな﹂
フォルスは騎士風の男としばし見つめ合った後、手の位置を戻し、
自らの椅子に再び座り直す。
そして、フォルスが椅子に座るのに合わせて、死の恐怖から免れ
た為だろう、親衛隊隊長は全身を脱力させて、その場にへたれ込む。
﹁それにしてもフォルス様。﹃次は俺が目標になる﹄ですか。それ
はどういう意味ですか?﹂
﹁そのままの意味だ。田舎娘⋮⋮セレニテスは土蛇のソフィアの目
標にはならない。今回の兄上が殺されるまでの一連の事件で俺はそ
う確信した﹂
﹁ほう、根拠は?﹂
騎士風の男の問いに、フォルスは腕を組みながら、憮然とした態
度でそう答える。
﹁大半は勘だ﹂
﹁勘ですか﹂
﹁そうだ。だがな、俺の勘はこう言っているのだ。セレニテスは土
蛇のソフィアと繋がっている。セレニテスと例の侍女⋮⋮セルペテ
1653
ィアの思惑通りに事は進んでいる。とな﹂
﹁なるほど﹂
この二人の間にはそれ相応の信頼があるのだろう。
勘を根拠としているにも関わらず、フォルスの言葉に騎士風の男
は迷いなく頷き返す。
﹁そして、現に今回の件で奴らはまだ損害らしい損害は何一つ被っ
ていない﹂
﹁後ろ盾であるグロディウス公爵の配下には妖魔討伐の際に多少の
被害は出てますが?﹂
﹁セレニテスはグロディウスの爺何ぞ味方だと思ってはいないだろ
う。奴の目を見た事が有るか?あれの目の奥は淀んでいるなんて次
元じゃない。獣よりももっと悍ましい何かが潜んでいるぞ。どんな
人生を送って来たかは知らんが、あんな目をしている奴が、ヒトな
んぞ信用するはずがない﹂
﹁なるほど﹂
騎士風の男の疑問に対して、フォルスは迷いなく断定する形で言
葉を返し、騎士風の男は自分ではそう感じた事は無かったが、フォ
ルスがそう言うのであれば間違いないのであろうと再び頷く。
そして、フォルスの言葉はそれほど外れていると言えるものでも
無かった。
フォルスが感じたそれは、ソフィアがセレニテスの瞳の奥に感じ
たものと同じものだったからである。
﹁ではセレニテス様については⋮⋮﹂
﹁例の老人が来て、話を聞き、準備が整ったら、直ぐにでも適当に
難癖をつけて殺しにかかる。アレの周囲には必ず土蛇のソフィアの
手掛かりがあるはずだからな﹂
﹁かしこまりました。では、そのように出来るよう準備を進めてお
きましょう﹂
1654
だが彼らは気づいていなかった。
既にソフィアと言う名の蛇は必要な手を打ち始めている事に。
1655
第302話﹁フォルス−2﹂
夏の二の月
レーヴォル暦319年五月の終わり頃。
皇太子だったインダル・レーヴォルの死もあって、多少遅れるこ
とになったが、遂にとある人物がセントレヴォルに到達する。
﹁遠路はるばるよくぞ来てくださった﹂
﹁いやはや、本当に遠かったですわい﹂
真っ白の髪に皺だらけの顔、曲がった腰、木製の杖をつくその老
人の名は灰羅ウエナシ、ニッショウ国で私が戦った完全なる英雄で
あり、齢七十を超えてなおその瞳の光には陰りが見えない恐るべき
人物である。
﹁が、老骨に鞭を打って来た甲斐はあったようですのう。これなら
ばまだ間に合うかもしれませんな﹂
さて、現在の状況だが、遠路はるばるニッショウ国から無理を言
ってウエナシにやって来てもらったという事で、王族総出でセント
レヴォル城の謁見の間を使い、ウエナシと会っている所である。
そう、歓迎の言葉も出していなかったが、王族総出なのだ。
王であるディバッチ・レーヴォル、新たに皇太子なったフォルス・
レーヴォルの二人に加えて、セレニテスもこの場に招かれている。
そして、王族がこのような場に一人で来ることなど有り得ないと
いう事で、それぞれがそれぞれに信頼の出来る部下を数名連れて来
ているし、宰相などの国の運営にとって重要な人物も相当数集まっ
ている。
当然、そうやって集まっているヒトの中には、セレニテスの腹心
として周囲に認識させてある私の姿もある。
1656
﹁さて、早速で申し訳ないがウエナシ・ハイラ殿。土蛇のソフィア
について話していただけないだろうか﹂
﹁ふむ、分かりました﹂
スヴァー
ヴニル
と言うわけで、万が一の場合には全力で暴れることになる。
最低でもセントレヴォル城直下の地脈に﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄
は打ち込むだろう。
万が一の事態なので、まず起こらないだろうけど。
﹁まず初めに言っておく事として、儂の話は参考程度に留めておい
てもらいたい。なにせ二十年以上昔の話ですし、奴は妖魔の中でも
かなり特殊な存在ですからの。あの時よりもさらに強大な存在にな
っている可能性も否定できぬ﹂
ウエナシの言葉に親衛隊隊長などの話を最もよく聞くべき人物等
が頷く。
﹁では、まず容姿じゃが⋮⋮これは話してもあてにならん。と言う
か、奴の真の姿を知る者はほぼ居ないじゃろう﹂
﹁姿が分からないだと?何のために⋮⋮﹂
﹁なにせニッショウ国で事を起こした時、奴は儂が知るだけでも文
官、女官、衛視、商人、街娘に物乞いと、職種も、名前も、性別も、
身長も、年齢も、声すらも変えて、ヒトの間に紛れ込んだのじゃ。
それこそ、ソフィアと言う名前が本当の名前かどうかすらも疑うべ
き事柄じゃろう﹂
﹁なっ!?﹂
ウエナシは自分に対して罵声を浴びせようとした愚か者の事など
気にする様子も見せずに、淡々とその内容に驚くディバッチ王たち
に対して自分の知っている事を語る。
﹁過去を探る事で、見極める事も難しいでしょうな。どのような魔
法を用いたかまでは分かりませぬが、奴は過去を造れる﹂
1657
﹁過去を造れるだと⋮⋮そんな馬鹿げたことが⋮⋮﹂
﹁言ったじゃろう。ニッショウ国で事を起こした時、奴は文官に化
けていたと。儂の国で文官と言えば、高位になればなるほどに生ま
れから育ちまで事細かに調べ上げられるもの。普通ならどれほどヒ
トに似た姿を持っていようと、妖魔が入り込む隙間などない﹂
﹁ゴクッ⋮⋮﹂
﹁じゃが奴はそんな儂らをあざ笑うかのように、とある家の子供と
入れ替わり、その者しか知らぬはずの過去まで把握して入り込み、
国政に関われるほどの地位を築き上げたのです。妖魔としての本性
を一切見せずに﹂
﹁何と言う⋮⋮﹂
なお、ここまでウエナシが言っている事は全て事実である。
まあ、ヒトが持っている記憶は生きたまま丸呑みにする事で奪え
ばいいし、顔などは化粧と魔法である程度はどうにか出来るし、国
政に関われるだけの実績を積み上げるのは経験と努力でどうとでも
なるので、そこまで難しい事ではなかった。
ラミア
﹁はっきりと申しあげましょう。奴を蛇の妖魔として括っているの
であれば、今すぐにその考えを捨て為され。奴はヒトを誑かし、騙
し、偽る事を得意とする妖魔であり、それこそ情報そのものを司る
妖魔と考えても問題はないぐらいですじゃ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
シルフィード
余談だが、情報を司る妖魔というものは居ないが、風を操る事で
ウンディーネ
遠隔地の情報を集める事が出来る風の妖魔なら存在する。
私も一度遭遇しただけだが⋮⋮うん、水の妖魔と一緒で、倒すの
がこの上なく面倒な相手だった。
﹁ウエナシ殿。一体どうやって貴殿はそのような相手を追い詰めた
のだ?﹂
﹁儂が奴をどうやって追い詰めた⋮⋮ですか。あまり参考にはなり
1658
ませんぞ﹂
﹁構わぬ﹂
とまあ、そんなどうでもいい事を考えてしまう程度に、今の私は
暇である。
﹁切っ掛けは些細なものだったのですよ﹂
と言うのも、此処までの話はただの事実であり、ここから先の話
については、私とウエナシとで協議して事実を基に造り出した、レ
ーヴォル王国側に伝えても益がありそうでない、今の私に辿り着く
には有っても意味がない情報ばかりだからだ。
﹁⋮⋮と言うわけですじゃ。参考になりましたかの﹂
﹁なるほど⋮⋮﹂
さて、何故そんな協議を私とウエナシが出来たのか。
その理由は極々単純である。
今の礼も言えないレーヴォル王国は、ニッショウ国のヒトである
灰羅ウエナシにとって都合の悪い国だからである。
1659
第302話﹁フォルス−2﹂︵後書き︶
さて、何故喋らないんでしょうね?
12/03誤字訂正
1660
第303話﹁フォルス−3﹂
さて、灰羅ウエナシがディバッチ王の前で土蛇のソフィアについ
て語ってから一週間が経った。
この間、私とセレニテスは特に新しい行動は起こしていない。
皇太子であるフォルス・レーヴォルも、流石に国外から招いた客
である灰羅ウエナシの前で事を為すのは拙いと判断したのだろう、
セレニテスを殺すための準備はしていても、実際に動く様子は見ら
れない。
で、当の灰羅ウエナシと言えば⋮⋮セントレヴォルの警備状況を
見るという名目で、多少の助言をしつつ観光を楽しんでいた。
勿論、名目であっても仕事は仕事である。
そう、仕事なのだ。
だからおかしくはない。
﹁いやはや、急に尋ねたにも関わらず、屋敷の中に上げて頂きあり
がとうございます﹂
﹁いえ、私もウエナシ様とは話してみたいと思っていましたから﹂
セレニテスの屋敷にウエナシがやって来てもだ。
﹁ほう、具体的には?﹂
﹁ニッショウ国の事もそうですし、土蛇のソフィアについてもお聞
きしたいと思っていましたの﹂
﹁ふぉふぉふぉ、それは嬉しい事ですのう﹂
と言うわけで、私は他の使用人たちを部屋の中から退けると同時
に、記録係としてシエルことシェルナーシュを、茶の世話などの補
佐としてキリコことトーコを呼ぶ。
ちなみに二人ともニッショウ国に赴いた事が有るという経歴を書
1661
類に記載しているので、その辺りも呼んだ理由の一つとして通用す
る。
﹁と言う事じゃが、どうするんじゃ?﹂
そうして部屋の中に居る面子が私、セレニテス、シェルナーシュ、
トーコ、ウエナシの五人だけになったところで、ウエナシが私に視
サイレンス
線を向けてくる。
﹁シエル﹂
﹁分かった、静寂﹂
﹁ほう、防音魔法か﹂
屋敷の使用人はよく躾けられているので、聞き耳を立てるような
者は居ない。
が、それでも念の為にと言う事で、まずはシェルナーシュに静寂
の魔法を使ってもらい、外に情報が伝わる可能性を無くす。
﹁セレニテス。悪いけれど、まずは他に話す事が有るわ﹂
ス
﹁あら、そうなの。私が知らないソフィアについて知れるいい機会
だと思ったのに﹂
憂いを晴らしたところで、私はウエナシの正面に立つ。
ヴァー
ヴニル
ヒンドランス
勿論、ウエナシが妙な挙動をしたら、即座に殺せるように﹃蛇は
ヒノ
カワ
根を噛み眠らせる﹄と﹃妖魔の剣﹄ではなく仕込みナイフを対象に
した﹃蛇は八口にて喰らう﹄を待機させた状態でだ。
﹁久しぶりね、ウエナシ﹂
﹁久しぶりじゃのう、ソフィア。が、そんなに気を張らんでも大丈
夫じゃ。儂にあの頃の力はもうない﹂
﹁どうかしらね。力を隠している可能性を私は捨てられないわ﹂
そんな私の行動にウエナシは何処か呆れ顔で応じてくるが、妖魔
を対象とした使役魔法を行使できるような人物相手に気を抜くこと
1662
など出来るはずがない。
シェルナーシュも何時でも動けるようにさり気なく構えを取って
いるし、セレニテスも私たちの誰かが操られた場合に備えて、一歩
の踏込みでは攻撃できない位置に居るようにしている。
トーコですら、表向きはマイペースにお茶の用意をしているが、
ウエナシが一瞬でも不穏な動きをすれば、即座に首を刎ねれるよう
に致命的な隙は見せていない。
﹁本当じゃっての。と言うか、全盛期の儂でもご先祖様三人を同時
に相手するだなんて馬鹿な真似は御免じゃ。そもそも儂の使役魔法
は血縁を対象にしづらいように作ってあるんじゃぞ﹂
﹁御先祖様ねぇ⋮⋮ん?三人?﹂
と、ここでウエナシが妙な発言をする。
私の調べが確かなら、私、シェルナーシュの二人とウエナシとの
間には血縁関係がある。
だが三人?
三人と言う事は?
﹁ウエナシ、アンタの祖先ってのは⋮⋮﹂
﹁うむ、今まではソフィアだけに出た特殊な反応かと思っておった
のだが、こうして他の二人を目にして分かった。そちらの二人から
も、儂との繋がりが感じられる。それもソフィアよりはるかに色濃
くじゃ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
私はトーコに視線を向ける。
シェルナーシュもトーコに視線を向ける。
セレニテスも私たち二人の反応を受けて、トーコに視線を向ける。
ウエナシも場の変化を嗅ぎ取ってか、トーコに視線を向ける。
﹁ん?アタシ?﹂
1663
で、肝心のトーコは訳が分からないと言わんばかりに首を傾げる。
﹁質問よ。トーコ﹂
﹁何?ソフィアん﹂
﹁貴女、子供を産んだ覚えは?﹂
うん、これは早急に確かめる必要が有る。
トーコの血を引く子供が何処に居たのか、それを知っていないと、
何処かとんでもないところで想定外の事態が発生しかねない。
今でさえ灰羅ウエナシとトーコの間に血の繋がりがあるという想
定外が発生しているのだから。
﹁んー⋮⋮﹂
私の質問にトーコは口を噤む。
﹁んー⋮⋮﹂
首を捻る。
﹁んー⋮⋮﹂
唸り、腕を組み、首を上下させて、頭から煙を出しそうな勢いで
考え込む。
﹁あっ、思い出した。私レーヴォル王国が出来る少し前ぐらいに一
人産んでる﹂
﹁﹁!?﹂﹂
そうして出て来た結論は、私とシェルナーシュも知らない事実だ
った。
﹁具体的な場所と時期は?﹂
﹁えっとね⋮⋮﹂
トーコの口からおおよそではあるが、地名と時期が語られる。
1664
そして、語られた条件にぴたりと当てはまり、ウエナシとの繋が
りもあるヒトが⋮⋮私の記憶に一人だが居た。
﹁ああぁー⋮⋮なるほどねぇー⋮⋮なんかもう色々と納得がいった
気がするわ⋮⋮﹂
﹁知り合いだったのか?﹂
﹁思いっきり私たち三人の知り合いだったわ⋮⋮﹂
﹁え?そうなの?﹂
その人物の名はバトラコイ・ハイラ。
レーヴォル王国初代王であるセレーネ・レーヴォルの親衛隊隊長
を務めていた人物である。
だが言われてみれば納得は出来る。
トーコと容姿や性格は似ていたし、料理好きも共通してたし、身
体能力も普通のヒトよりは明らかに優れていた。
探せば、他にもトーコ、バトラコイ、ウエナシの三人での共通項
は出てくるだろう。
言われれば、それぐらいには繋がりがあった。
﹁とりあえずこの話はこれぐらいにしておきましょう。なんか頭が
痛くなって来たわ﹂
﹁え?え?誰が私の子供だったのソフィアん?﹂
﹁そうだな、そうしよう﹂
﹁う、うむ﹂
﹁ちょっと残念ねー﹂
とりあえずこの件についてはこれぐらいにしておこう。
これ以上はこの場で考えても意味がないし⋮⋮考えれば考えただ
け、頭痛がしてきそうな気がするからだ。
1665
第303話﹁フォルス−3﹂︵後書き︶
ソフィア視点でも確定しました。
12/04誤字訂正
12/05誤字訂正
1666
第304話﹁フォルス−4﹂
﹁さてウエナシ様。話を戻すついでに一つ質問です。何故貴方は私
たちの味方をしてくださるのですか?﹂
トーコの件で少々頭を痛めている私の脇で、セレニテスがウエナ
シに質問をする。
﹁簡単な損得勘定の結果じゃよ﹂
﹁損得勘定⋮⋮ですか﹂
ウエナシの事を訝しみ、セレニテスの目が細くなる。
恐らく損得で動いているという発言から、状況次第でウエナシが
裏切ると思ったのだろう。
実際、条件が整えばウエナシは私たちと敵対するだろう。
が、その条件が整う事はないと、ウエナシの事を良く知る私には
言い切れた。
﹁お主も知っているじゃろうが、儂が属するニッショウ国とレーヴ
ォル王国の付き合いは深くて古い。実際に交易を行っているロンガ
サキとシキョーレの付き合いに限れば、四百年以上の歴史があるほ
どじゃ。そして、その間多少のいざこざは有れど、基本的には良き
付き合い、平和なやり取りが行われておった﹂
私はウエナシの言葉が真実であると示すように、セレニテスに向
けて一度頷く。
﹁が、ここ数年の間にその関係性は大きな歪みを生じ、日に日に悪
化していっておる。このままでは⋮⋮まあ、遠からず取り返しのつ
かない次元で、碌でもない事になるじゃろうな﹂
﹁碌でもない事⋮⋮ですか﹂
1667
なお、これは余談になるが、シキョーレとロンガサキの交易は、
決して綺麗なものだけではない。
賄賂を役人に送る事で、自分たちにとって有利なように取り計ら
ってもらう事や、高額な税を支払う商品を密輸しているのを見逃し
てもらう程度の事は、かなり昔からやっていた。
勿論、見つければ罰したが⋮⋮どちらかと言えば、やるならもっ
とうまくやれと言う意味で捕まえて、罰していた。
早い話が、円満に物事を回すのに必要だから、上手くやっている
ものに限ってはわざと見逃していたのである。
﹁うむ、既に魔薬のようなどうあっても許されない禁輸品をニッシ
ョウ国に持ち込もうとする愚か者や、賄賂を貰わなければ仕事その
ものをしない者、海で自分たちとは違うグループに属する者を見つ
けたら襲い、沈めようとする者などが出て来ておる。自分たちの背
後にはセントレヴォルからやってきた偉い役人や、貴族が居るぞと
周囲を脅しながらの﹂
﹁⋮⋮﹂
が、今シキョーレとロンガサキの交易で起き始めている問題は、
濁り切って底が見えないどころか、一寸先も見えないような汚さの
問題であり、ニッショウ国側にとっては見過ごすわけにいかない問
題と化していた。
﹁と言うわけでじゃ。ソフィアの奴を討てるだけの戦力と、今の良
くない状態の交易を改善出来る見込みが王と王子にあれば、儂はあ
の場でソフィアの正体を告発し、売ると言う選択肢を取っていたじ
ゃろうな﹂
﹁けど、そうはならなかった﹂
﹁うむ、あの王ではソフィアを討てるだけの戦力は用意できないじ
ゃろうし、交易の改善も期待できないからの﹂
﹁フォルスについてはどうなの?﹂
1668
﹁論外じゃな。アレが王になれば、確実にニッショウ国に喧嘩を売
ってくる。儂らに負ける気はないが、戦になれば少なくない被害が
出るし、奴に味方をしても百害あって一利なしじゃ﹂
﹁だからソフィアの味方をする。か﹂
シェルナーシュの呟くような言葉に、ウエナシは笑みを浮かべた
上で返す。
﹁いいや、味方はせんぞ。セレニテスの侍女であるセルペティアの
正体について何も言わないだけじゃ﹂
﹁何が違うの?﹂
﹁完全な味方になると、万が一の時に困るから、どちらにも味方を
する事で、甘い汁を吸おうってだけの話よ﹂
﹁ふぉっふぉっふぉっ﹂
私の言葉にウエナシは笑い声をあげる事で暗に肯定をする。
このやり取りにトーコとシェルナーシュは訳が分からないという
顔色だが⋮⋮まあ、これは仕方がないか。
この手のやり口は私の得意とする分野で、トーコとシェルナーシ
ュにとっては専門外なのだから。
それに実際問題としてだ。
﹁ま、正直なところ、完全な味方になられても困るのよね。私、ト
ーコ、シェルナーシュの三人で戦力的には十分足りてるし、それ以
外の面でもだいたいは何とかなるもの﹂
﹁まあそうじゃろうな。ニッショウ国で儂一人始末するためにお主
がやったことを考えれば、儂の助けなど必要あるはずがない﹂
灰羅ウエナシに出来る助力で、何が一番うれしいかと言えば、何
もしないでくれるのが一番うれしい事なのである。
その事を私と、私の実力を良く知るウエナシはよく分かっている
のである。
1669
﹁それにこの国の状況も状況だしな⋮⋮﹂
﹁ぶっちゃけソフィアん一人でも何とかなりそうな感じだよね﹂
﹁そもそもソフィアに出来ない事ってあるのかしら?﹂
他の三人には分からないかもしれないが。
なお、私が出来ない事を上げるなら、水や風に関係する魔法が挙
げられる。
その辺りだけはどれほどの知識があっても上手くいかなかったの
で、たぶん根本的に素質が無いのだろう。
﹁そう言う訳じゃから、儂は多少噛み応えが増すように、最低限の
助言だけはするが、それだけじゃ。後は儂を巻き込まないでくれれ
ばそれでいい﹂
﹁ま、そうでしょうね﹂
言うべきことは言ったのだろう。
ウエナシが席を立ち、セレニテスに対して屋敷の中に入れて、話
をしてくれた礼を言った後、トーコの作った菓子を持って屋敷の外
に出ていく。
﹁セルペティア。次に事を起こすのは?﹂
﹁相手に合わせますので、恐らくは二週間後かと﹂
﹁ならその時は同行させて﹂
﹁分かりました﹂
そして、ウエナシが去った後、私は屋敷の警備を一新しつつ、そ
の時に備えて動き始めた。
1670
第304話﹁フォルス−4﹂︵後書き︶
と言うわけで、信用できない国より信用できる妖魔を選んだのです
12/05誤字訂正
12/06誤字訂正
1671
第305話﹁フォルス−5﹂
ウエナシがセレニテスの屋敷を訪れた一週間後。
伝えるべきものは伝え、指摘するべき点は指摘したとして、ウエ
ナシはセントレヴォルから去って行った。
勿論、私の助言を受けた妖魔たちによる事件は起こり続けている。
が、セントレヴォルの守りを司っている騎士たちにとって、存在
してもいない自分たちの名誉と、フォルスがこれからやろうとして
いる事などの面から、これ以上ウエナシには居てもらいたくなかっ
たのだろう。
彼らはウエナシが若干呆れた様子を見せている事にも気づかず、
ウエナシを半ば追い出すように送り出した。
そしてウエナシがセントレヴォルから去ったという事は、その時
が来たという事である。
﹁ソフィア、準備は?﹂
﹁整っているわ。フォルスの始末をつけるどころか、祭りの終幕に
必要なものまでばっちりとね﹂
夜。
ヒンドランス
私は屋敷の一室で、セレニテスに見られながら、最後の確認をし
ていた。
服はセルペティアとしての侍女服のままだが、腰には﹃妖魔の剣﹄
が差さっているし、金の蛇の環もきちんと身に付けている。
服の内側には大量の魔石が仕込まれていて、使役魔法に必要な土
も多少は持っている。
それ以外にもまあ、使う機会は無さそうだが、色々と仕込みはし
てある。
1672
﹁セレニテス。貴女は?﹂
﹁問題ないわ。安心して、私は約束を違えない。貴方と共にあり続
けるわ﹂
自らの胸に手を置いてそう言うセレニテスの格好は、普段の第二
王女らしい豪勢で上品な清潔感のあるドレスではない。
粗雑で、ありあわせの物から造られた上に、長年にわたって使い
古された事が分かる農民としての服装だった。
だが、化粧らしい化粧もせず、最低限の衣服の他には小さな装飾
品すら身に付けていない、今の彼女の姿は普段のセレニテスよりも
遥かに輝いて見えた。
﹁ふふふ、素敵な言葉ね。期待しているわ﹂
﹁ええ、期待していてちょうだい﹂
しかし輝いて見えるのは当然の事だろう。
今のセレニテスは普段は隠している自らの本性を、心の奥底に秘
めていた感情を露わにし、自らの目的を達する為ならば、己の命を
含めた全てを利用してでも達成してみせると言う意思を明らかにし
ているのだから。
﹁ソフィアん、こっちは準備完了したよ﹂
﹁貴様等の方は⋮⋮大丈夫そうだな﹂
トーコとシェルナーシュの二人が部屋の中に入ってくる。
二人とも服装自体は屋敷で働いている時のそれだが、トーコの手
には包丁のような剣が握られており、シェルナーシュの手には魔力
を固めて作った宝石が幾つも填め込まれた杖が握られていた。
﹁一応聞いておくけれど、二人ともどういう作戦内容かは分かって
いるわよね?﹂
﹁分かってる分かってる。危なくなったら勝手に行動させてもらう
けどね﹂
1673
﹁そうだな。実を言えば小生たちに貴様の策に乗る理由はない。だ
から、策に乗るのは話の筋が通っている間だけだ﹂
﹁それでいいと言うか、むしろそうでないと困るわね。他の連中と
違って貴女たちの替えは居ないわけだし﹂
実を言えば、ウエナシが言った通り、私一人でもレーヴォル王国
を滅ぼす事は出来た。
なので、単純な損得から言えば、トーコとシェルナーシュの二人
にはこの場に居ないで貰えた方が私が食べれる人の数が増えて、得
であると言えた。
が、それをせず二人を招きよせ、二人に協力をしてもらったのは、
やはり私がトーコとシェルナーシュの事を友人と捉えているからな
のだろう。
故に二人に授けた策も、二人を生き残らせることを大前提として
いた。
そして生き残ってほしいからこそ、危ないと判断したら勝手に動
いてもらって構わないとも思っていた。
﹁さて、それじゃあ呼び出しますかね﹂
既にフォルス・レーヴォルの手の者は、隠しきれない程の数で以
って、セレニテスの屋敷に向かって来ている。
派兵の名目はセレニテスが土蛇のソフィアたち妖魔を匿っている、
という事に後でするらしい。
私たちはそれを事前に知っていた。
なので、既に屋敷の使用人たちは全員眠らせた上で、安全な場所
に運んである。
そしてこの後に私たちはセレニテスを伴って、フォルス・レーヴ
ォルの元に向かうつもりなので、屋敷は無人になる。
ケウス
だがそれでは少々面白みに欠ける。
カドゥ
﹁﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄﹂
1674
私は髪止めに使っている金の蛇の環を意識しつつ、魔力を暖炉の
火で照らされている部屋の中心に盛った大量の土に向ける。
そうして、普段生み出しているのよりも遥かに精巧な形で⋮⋮土
を骨肉とし、火を血とし、毒と闇を神経として、私が持てる魔法の
力を全て使って、セルペティアそっくりの姿で形作っていく。
﹁はい、出来上がり。やる事は分かってるわね﹂
﹁はぁ⋮⋮まあね﹂
やがて現れたヒトの方のソフィアは、若干の溜め息を吐きつつも、
腕を回して、身体の調子を確かめる。
﹁全員ぶっ飛ばせばいいんでしょう。全力で﹂
﹁ええそうよ。生き残りは出してもいいけど、手加減は不要よ﹂
﹁はいはい。ま、こういう連中が相手なら、ストレス解消にはちょ
うどいいわね﹂
ヒトの方のソフィアは私の記憶から、自分が何をするべきなのか
を既に分かっている。
なので、身体の調子を確かめ終えると、無人になる屋敷を訪ねて
くる客を出迎えに向かう。
﹁さて、セレニテス、トーコ、シェルナーシュ。私たちも行きまし
ょうか﹂
﹁分かったわ﹂
﹁うん﹂
﹁そうだな﹂
そして私たち四人は屋敷を後にした。
1675
第305話﹁フォルス−5﹂︵後書き︶
12/06誤字訂正
1676
第306話﹁フォルス−6﹂
﹁さて、全員分かっているな﹂
彼らは整然と、堂々と、自分たちこそが正しい事を示すように、
一糸乱れぬ行進をして夜の貴族街を進んでいた。
身に付けているのは対妖魔用の装備として、職人の手で実用性を
保ちつつ、一つ一つに精緻な装飾を施された一級品の品々。
掲げられている旗は、皇太子になったフォルス・レーヴォルと、
彼の傘下に居る貴族たちの物。
百人以上いる彼らの姿は、誰が何処から見ても騎士のそれだった。
﹁目標はセレニテスとその侍女セルペティア。そして、連中が匿っ
ているとされる三匹の妖魔、土蛇のソフィア、美食家のトーコ、魔
女のシェルナーシュだ﹂
だが、如何に妖魔騒ぎで不穏な空気が漂っているとは言え、彼ら
の纏っている空気はレーヴォル王国の王都であるセントレヴォルの
中心である貴族街の中では異様で異質だった。
それも、土蛇のソフィアと言う強大な敵を相手にしに行くような
雰囲気ではなかった。
どちらかと言えば、己の欲を満たせる事を楽しみにしているよう
な雰囲気だった。
﹁屋敷の使用人たちは?﹂
先頭を歩く騎士の少し後ろに居た騎士が、先頭を歩く騎士に向け
て舌なめずりするような気配を漂わせつつ、問いかける。
﹁楽しんでも構わん。が、生き残りは出すな。必ず殺せ。ああ、最
後に火を点けるから、心配はしなくていいぞ﹂
1677
先頭を歩く騎士の言葉に、質問をした騎士も含めて、集団に居る
全員が僅かに興奮しだす。
そんな彼らの様子に本来騎士が持っているべきである高潔さや、
誠実さなどは一切感じられなかった。
もしもこの場に忌憚のない意見を述べられる者が居れば、その人
物は彼らの事を騎士ではなく、こう評しただろう。
騎士の皮を被った盗賊の集団だ、と。
﹁灯りは点いていない。か﹂
﹁警備も立たせていないとはな﹂
﹁都合いいんじゃねえか﹂
﹁へへへ、こんだけ広い屋敷なら、多少の叫び声は問題ねえな﹂
﹁どんな声で鳴いてくれるかねぇ﹂
﹁半分でも王族なんだ。ご立派だと思うぜぇ﹂
﹁ひひひ、たんまり貯め込んでいるんだろうなぁ﹂
﹁公爵様が支援をしているんだ。期待しようぜ﹂
やがて彼らはセレニテスの屋敷の前に到達する。
セレニテスの屋敷には灯りは一つも灯っておらず、警備の兵も立
っていなかった。
彼らの内の何人かはその事に対して違和感を覚えるが、大半の者
はこれから自分たちの手の内に転がり込んでくるものを想像する事
に忙しく、違和感も何も感じてはいなかった。
﹁油断をするな。セレニテス自身はどうとでもなるが、侍女のセル
ペティアは手練れだ。見つけ次第殺せ﹂
そう、彼らは名目上セレニテスがソフィアたちを匿っているとし
て屋敷に押し入ろうとしていたが、彼ら自身は誰一人として、この
場にソフィアたちが居ると思っていなかった。
彼らは彼ら自身にとっては正当な理由でもって、王族の血を引く
1678
者を蹂躙し、自分たちの欲を満たす事にしか興味が無かったのだっ
た。
﹁では、入るぞ。扉をくぐるまでは紳士的でいろ﹂
﹁扉をくぐったら?﹂
﹁戦いに勝つためであるならば、あらゆる行為は許されてしかるべ
きだと私は思っているが?﹂
﹁へへへ、流石は隊長。話が分かる﹂
故に彼らは屋敷の門を無理矢理破ると、木製の扉をこじ開け、越
えてはならない一線を越えてしまう。
﹁では⋮⋮﹂
﹁こんな夜遅くに武装した姿どころか、剣を抜いて屋敷の中に押し
入って来るとは。完全に強盗の所業ですね﹂
屋敷の中に入った彼らに対して、屋敷の奥から一人の女性の声が
発せられる。
﹁今ならまだ間に合いますよ?それ以上奥に踏み込もうと言うので
あれば、私も貴方たちを排除するために動かざるを得ませんが﹂
﹁この声⋮⋮セレニテスの侍女、セルペティアか﹂
カドゥ
ケウス
声の主はセルペティア⋮⋮だがソフィアではなく、出発前に﹃蛇
は骸より再び生まれ出る﹄によって造り出された、ヒトの方のソフ
ィアである。
﹁殺せ﹂
先頭を歩いていた騎士の言葉と共に、声がした方向に向けて十数
人の騎士たちが駆け出していく。
そして、彼らが駆け出してから数秒後には何か固い物がぶつかり
合う音がし、直ぐにそれは聞こえなくなる。
闇の中に駆け出した者たちを見送った者たちは、その音を聞いて、
1679
今回の件で唯一の障害であるとされたセレニテスの侍女セルペティ
アの殺害に成功したと考えた。
だが、その考えは直ぐに訂正されることになる。
﹁はぁ⋮⋮まあ、やっぱりそうなるわよね﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
闇の奥から聞こえてきたのは、死んだはずのセルペティアの声。
その声を聞いて、彼らは若干慌てた様子で武器を構える。
﹁警告はしたわ﹂
やがて屋敷中に足音を響かせながら、闇の中から明かりの中へと
一人の侍女服を身にまとった女性が歩み出る。
返り血を全身に浴びた姿で。
﹁殺せええぇぇ!﹂
﹁﹁﹁うおおおおおおおおおおおっ!!﹂﹂﹂
セルペティアの姿を見た彼らの反応は早かった。
少しの迷いもなくセルペティアの下に殺到し、剣を振るい、槍で
突き、斧を振り下ろし、魔法を浴びせかけた。
間違いなく死んだ。
魔法を使ったために生じた煙で死体の姿こそ見えないが、その場
にいる者は誰もがセルペティアの死を確信した。
﹁まったく﹂
﹁!?﹂
だが、彼らがそう思った瞬間、煙の中から黒い手のようなものが
伸ばされ、一番近くに居た男を引き摺り込み、それに伴って何かを
咀嚼するような音が周囲へ響き渡る。
﹁どうしようもない愚か者ね﹂
1680
﹁﹁﹁う、うわああああぁぁぁ!?﹂﹂﹂
彼らはその音と、音から想像できることに恐怖し、逃げようとし
た。
だが彼らは一人も屋敷の外に逃げ出す事は出来なかった。
気が付けば屋敷の入り口には黒い壁のようなものが生じていて、
セルペティアが居た場所からは幾つもの手のようなものが伸ばされ
ていた。
手に捕まった者から一人、また一人と、何かが咀嚼されるような
音と共に姿を消していった。
﹁さてと。これで私の仕事はお終いね﹂
そして、セルペティア一人だけになったセレニテスの屋敷に火が
放たれた。
1681
第306話﹁フォルス−6﹂︵後書き︶
12/07誤字訂正
1682
第307話﹁フォルス−7﹂
ケウス
﹁ふむ、屋敷の方は無事に片付いたようね﹂
カドゥ
﹁早かったわね﹂
﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄によって作り出したヒトの方のソ
フィアがセレニテスの屋敷に火を点けている頃。
私はセレニテスを抱えた状態で、セントレヴォルの夜の街並みを
静かに、けれどとても素早く、セントレヴォル城に向けて移動して
いた。
﹁今回は普段のと違って特別製だったもの。これぐらいは当然よ﹂
﹁んー⋮⋮それもあるんだろうけれど。彼女⋮⋮ヒトの方のソフィ
アは、ヒトを殺す事に抵抗は無いのね﹂
﹁ああ、その事。それなら別におかしくもないわよ。だって既にヒ
トとして生きていた時間の二十倍は私と一緒に生きていて、﹃蛇は
骸より再び生まれ出る﹄も三百年は使ってるのよ。ヒトとしての自
ブラックラップ
覚は残っていても、割り切りぐらいは出来ているわ。それに⋮⋮﹂
﹁それに?﹂
﹁私の姿の元になった女がそんなに弱い存在だと思う?﹂
﹁⋮⋮。今までで一番説得力のある理由ね﹂
移動方法は主に土の使役魔法によって足場を作り出す事と、黒帯
の魔法の応用で、黒帯を足場やロープにしたりである。
勿論、セレニテスの身体に過剰な負荷を掛けないように、上下の
移動は出来る限り抑え、水平方向の加減速もなるべく緩やかなもの
にするように細心の注意を払いつつだ。
﹁さて、後は城壁を登るだけね﹂
やがて私とセレニテスはセントレヴォル城の城壁の下に着くと、
1683
黒帯の魔法を城壁の上にまで伸ばし、適当な場所に結びつけた後、
黒帯の魔法を巻き上げる事によって登っていく。
﹁はい、到着﹂
﹁ふふふ、あっという間だったけど、楽しかったわ﹂
﹁それは良かったわ﹂
無事に城壁の上に到達した私は、セレニテスを降ろしつつ、周囲
に敵影が無いかを警戒する。
が、どうやら大丈夫らしい。
見回りの兵士の気配はあるが、こちらに気づいている様子はない。
スカッフォルド
﹁意外と早かったね。ソフィアん﹂
空跳ねの魔法と凄まじい身体能力によって、妙な動きをするヒト
が居ないかを確かめつつこの場にまでやってきたトーコが、私とセ
レニテスの横に小さな音を立てて着地する。
トーコは息を切らすどころか、汗一つかいていない。
まあ、今のトーコの身体能力ならば、セントレヴォル城の城壁な
どちょっと力を込めれば飛び越せる程度の塀でしか無いという事な
のだろう。
流石の身体能力である。
﹁ふむ、小生が最後か﹂
トーコに続く形でシェルナーシュが音も風もなく、多少蛇行しつ
エアクラウル
つ、杖に腰掛けた姿で私たち三人の近くに現れる。
シェルナーシュの使った魔法は⋮⋮確か、空這いだったか。
詳しい原理は聞いても良く分からなかったが、どうにもシェルナ
ーシュが保有する複数の魔法を利用することによって、速さはそれ
ほどでもないが、低燃費な空中移動を実現した魔法であるらしい。
実際、この魔法によってシェルナーシュは海を完全な独力で越え
られるようになったそうだ。
1684
﹁それにしても警備も何も居ないんだね﹂
﹁連日の妖魔騒ぎで、どこもかしこも人手不足だもの。それに今夜
に限ってはセレニテスの屋敷に人員を割いているのよ、王族の寝室
なんかは警備を緩められないから、しわ寄せは見回りに回すしかな
いわ﹂
﹁つまり、見つからずに来れるのは此処までと言うわけか﹂
﹁まあ、この先はそもそも隠れる必要はないのだけれどね。力を信
奉する皇太子フォルス・レーヴォルに真正面から仕掛け、撃ち破る
事で絶望させてから殺す。と言うのが今回の策だもの﹂
﹁ふふふ、実に楽しみね﹂
﹁そうね。ウエナシの言葉を彼らがきちんと聞いていたなら、少し
は楽しめると思うわ﹂
無事に全員揃ったところで、私はセレニテスの屋敷が燃えている
のを確認してから、﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄を解除する。
そして無事に解除できたことを確認した後、他の仕込みに気づか
れていない事を確認してから、私たち四人はセントレヴォル城の中
に移動する。
﹁ん?何のお⋮⋮と?﹂
城内に移動した私たちは遭遇したヒトは皆殺しにしつつ、フォル
スの居る場所に向けてゆっくりと歩いて進む。
勿論ワザとだ。
既に最初に殺した兵士たちの死体は発見されて、報告にもいって
いるだろうし、見回りの兵士が既定の時間までに帰って来なければ、
それだけで敵は警戒の度合いを引き上げなければならない。
マトモに考えればだ。
﹁んー、ソフィアん。なんか敵の警戒、緩くない?﹂
﹁そうねぇ、確かに緩い気はするわ﹂
1685
が、どうにも敵の警戒が緩いというか、なんというか⋮⋮歯ごた
えが無い。
今も本来ならば二人一組で居るはずの見回りが一人で居たために、
叫び声を上げる暇も与えずにトーコが首を刎ねれてしまった。
死体を支えるような真似もしていないので、首を失った死体が倒
れるのに合わせて大きな音も鳴っているのだが⋮⋮そちらに応じる
気配もない。
﹁どう見る?﹂
﹁敵が想定外に軟弱だった可能性もあるけれど⋮⋮フォルスが自分
は狙われているときちんと認識できているなら、迎撃態勢を整えて
いるんじゃないかしら﹂
﹁逃げた可能性とかはないのね﹂
﹁無いわ。地下も地上も私の使役魔法で見張っているし、空間魔法
や高度な隠蔽魔法を使えるような魔法使いもレーヴォル王国には居
ないわ﹂
﹁そう、ならそう言う事かしらね﹂
﹁あー⋮⋮﹂
﹁まあ、妥当な一手か﹂
まあ、何をやっているのかと言う想像はだいたいついている。
むしろ想像通りであってほしい。
でなければ、セレニテスが残念な気分になってしまうし、トーコ
とシェルナーシュの二人もやりがいが感じられないだろう。
﹁とりあえずフォルスが居るはずの場所に向かいましょう﹂
﹁そうね﹂
﹁うん﹂
﹁分かった﹂
考えをまとめた私たちは一見すれば隙だらけに見える姿で、再び
城内を進み始めた。
1686
第308話﹁フォルス−8﹂
﹁構え!﹂
私たちはフォルスの元に向かってゆっくりと、けれど歩みを止め
ることなく進み続けていた。
そうしてフォルスが居るはずの一角に辿り着いた私たちに向けら
れたのは、無数の準備が整えられた弩だった。
うん、これはちょっと拙い。
この狭い通路で撃たれたら、躱しようがない。
ブラックラップ
私とシェルナーシュはともかく、セレニテスにとっては致命的だ。
﹁う⋮⋮﹂
リクファイ
﹁黒お⋮⋮﹂
﹁液体化﹂
そう判断した私は黒帯の魔法を発動して、私自身とセレニテスの
身を守ろうとする。
だが私が行動するよりも一手速く、シェルナーシュが何かしらの
魔法を目の前の兵士たちに向けて放つ。
﹁て⋮⋮﹂
シェルナーシュの魔法の効果は劇的だった。
﹁またエグイ魔法ね﹂
﹁一瞬だったわね﹂
﹁ふん﹂
一瞬にして私たちに弩を向けていた兵士たちと指揮官は身に付け
ていた物ごと液体に変化し、セントレヴォル城の冷たい石の床に水
音を立てながら崩れ落ちると、自然の法則に従って薄く伸びていっ
1687
てしまったのだから。
今は既に元の硬さや状態を取り戻しているようだが⋮⋮まあ、生
きてはいないだろう。
すべて混ざり合ってしまったし。
アシドフィケイション
﹁体内の魔力をきちんと認識できている相手には効かない、半ば欠
陥魔法のような代物だ﹂
﹁欠陥魔法ねぇ⋮⋮﹂
﹁だが、そんな欠陥魔法でもこの状況では有用だ。酸性化だと心臓
内の血液を酸に変えても、根性がある奴なら一動作ぐらいは出来る
が、液体化なら魔法が成立した時点でもう何も出来なくなるからな﹂
シェルナーシュが私とセレニテスに先程使った魔法⋮⋮液体化に
ついての軽い説明をしてくれる。
シェルナーシュの説明は割と分かり易いので、その有用性と欠点、
似た効果を持つ酸性化の魔法との使い分けについては理解できた。
が、原理については⋮⋮うん、分からない。
物と物を繋げる力を緩めるとこうなるらしいのだが、その物と物
を繋げる力と言うのが良く分からなかった。
ニッショウ国で見た糊みたいなものでも想像すればいいのだろう
か?
まあ、原理が分かったところで私には再現できないだろうし、こ
れ以上は気にしないでおこう。
﹁何々?何の話?﹂
﹁たぶん、トーコが聞いても理解できない話よ﹂
﹁あ、ならいいや﹂
と、ここで別のルートから私たちの背後を衝こうとしていた連中
スネーク
ゴーレム
を一人で一方的に切り殺してきたトーコが帰ってくる。
返り血の一つすらも浴びていないが、忠実なる蛇の魔法で戦いの
様子を見ていた私は知っている。
1688
戦いながら敵の騎士と兵士たちを解体し、身体の一部を例の鍋に
収納していくその姿を。
圧倒的な戦闘能力もそうだが、回収している物の量も、明らかに
トーコ一人分の体積を超える量を回収している。
収納能力については敵の身体だけでなく何本か剣も回収していた
し、収納した物の量から考えると⋮⋮例の六角六腕六翼の細長い生
物が彫られた鍋の能力と言うよりは、トーコ自身が別の空間に物を
自由に収納できる魔法を修めていると考えた方がいいか。
聞いても、トーコ自身が気付いていない可能性が高そうなので、
聞いたりはしないが。
﹁とりあえずアタシ的には十分な収穫があったし、後はソフィアん
の目的を達するだけかな﹂
﹁そうだな。小生も王室付きの魔法使いとやらが研究した魔法の成
果を一応確認しておきたい。ソフィアの用事を片付ける為にも、早
いところ進もう﹂
﹁そうね。私も早くフォルスのことを絶望させてやりたいと思うわ﹂
﹁じゃあ、行きましょうか。あの扉の向こうにフォルスが居るわ﹂
私たち四人はフォルスが待っている部屋に向かってゆっくりと進
む。
勿論、フォルスは一人、部屋の真ん中で怯えているわけでは無い。
堂々と、私たちが近づいてきている事を理解した上で、余裕の笑
みを浮かべ、こちらの事を待ち構えている。
﹁じゃ、開けるわよ﹂
カワ
私は右手で扉のドアノブに手をかけてゆっくりと回す。
ヒノ
﹁こんばんは﹃蛇は八口にて喰らう﹄﹂
﹁死⋮⋮!?﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
1689
ヒンドランス
そして扉を開けた瞬間に、﹃蛇は八口にて喰らう﹄を発動しつつ
左手で﹃妖魔の剣﹄を抜剣。
扉を開けた私に向けて攻撃を行おうとしていた連中含め、私の意
思に沿って動く刃でもって部屋に居たヒトをフォルス以外全員切り
捨てる。
﹁はいお終い﹂
﹁速いな。小生の目ではどう動かしているか碌に見えなかった﹂
﹁ソフィアんの思考スピードそのままで動いているからじゃないの
?﹂
﹁ふふふ、それならヒトの目で追えないのも仕方がないわね﹂
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
部屋の奥、一人この惨状を生き残ったフォルスは、先程の笑みは
何処に行ったのやら、大きく口を開け、呆然としていた。
と言うか、彼らは本気で扉を開けた直後に全力で不意討ちすれば、
私であっても殺せると思っていたのだろうか?
いや思っていたからこそ、こんな事をしてきたのだろうけどさ⋮
⋮。
﹁ふ、ふふっ、ふふふふふ⋮⋮﹂
と、フォルスが不気味な笑い声を上げつつ、椅子から立ち上がる。
が、全然怖くない。
彼らの切り札が何かは既に分かっているし。
はっきり言って⋮⋮
﹁いいだろう。ならば見せてやる!レーヴォル王家の力というもの
をな!﹂
この場は私たちにとって茶番すれすれの物である。
1690
第309話﹁フォルス−9﹂
﹁見るがいい!﹂
フォルスは懐から蠍のような生物が入っている様に見える琥珀が
ヒーロー
ヒューマン
填め込まれたネックレスを、そして椅子の後ろから金の持ち手が付
いた剣⋮⋮﹃英雄の剣﹄と銀の持ち手が付いた剣⋮⋮﹃ヒトの剣﹄
をそれぞれ取りだすと、素早く身に付ける。
﹁これがレーヴォル王家の宝、この世に二つとない魔石と御使いよ
り授けられたヒトを統べる剣と英雄を統べる剣よ!﹂
﹁ちっ、何時の間にそんな物を⋮⋮﹂
私は本当の表情を出さないように全力で顔の筋肉を制御し、余裕
ぶっているんじゃなかったというような表情を作ってみせる。
と、同時に、その身ぶりでもって私の後ろに居る三人⋮⋮特にこ
の手の演技が出来ないトーコの表情がフォルスに見えないように隠
す。
﹁ふはははっ!臆した所でもう遅い!死ぬがいい!﹂
﹁くっ⋮⋮﹂
ヒノ
フォルスが王族らしく洗練された動きでもって、私に接近しつつ
﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄を振るってくる。
と言うわけでだ。
﹁馬鹿らし過ぎて笑いが止まらないわ﹂
﹁は?﹂
カワ
フォルスに向けて満面の笑みを浮かべつつ、私は﹃蛇は八口にて
喰らう﹄を発動。
本来ならば有り得ないであろう私の表情に一瞬固まってしまった
1691
フォルスの両腕を肩口から切り飛ばすと同時に、ネックレスの鎖部
分を切断して、本体を私の手元に引き寄せる。
イグニッション
﹁な⋮⋮﹂
﹁着火﹂
そしてフォルスが何が起きたのかを完全に理解するよりも早く、
着火の魔法でフォルスの傷口を焼いて塞ぎ、それと並行する形で幾
つかの毒を薄めてフォルスに投与。
両腕が切り飛ばされたショック、傷口を焼かれる痛み、有り得な
い状況に対する動揺などの為にフォルスが死んだり、気絶したりし
ないように手早く処置を行う。
﹁ふんっ﹂
﹁ニガッ!?﹂
ブラックラップ
で、最後に手加減をしつつフォルスを蹴り飛ばし、先程まで着い
ていた椅子にもう一度座らせる。
ヒ
そして、フォルスに見せる様に左手にネックレスを持ち、黒帯の
ンドランス
魔法で﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄を回収して鞘に納めると、﹃妖
魔の剣﹄と共に腰に提げる。
﹁やっぱり茶番だったね﹂
﹁茶番だったな﹂
﹁茶番だったわね﹂
此処までやったところで、私は一度セレニテスの方に視線を向け
る。
返ってきたのは、何処か呆れた表情の三人による茶番だという声。
茶番でも、相手を絶望させるには必要な工程なのだけれど⋮⋮ま
あ、まだフォルスに言ってない事が有るし、今は反論しないでおこ
う。
1692
﹁ば、馬鹿な⋮⋮﹂
﹁ふふふ、残念だったわね。でも残念ながらこれは当然の結果よ﹂
と言うわけで、状況のめまぐるしい変化についていけず、セレニ
テスたちの声も聞こえていないフォルスの前で、私は意気揚々と語
り始める。
彼が頼みの綱にしていたのが、どれほど残念な物なのかを。
﹁まずはこのネックレスに付いている石。この石は琥珀蠍の魔石で
はなく、ただの琥珀を加工して、そう見える様にしただけの偽物﹂
﹁なっ!?馬鹿な!?﹂
﹁本当よ。だって本物は百五十年ほど前に当時の女王の身を守ろう
とした際に力を使い果たし、消滅しているもの。これはその事件の
後に、王家の正当性を保持するために造られた紛い物。装飾品とし
ての価値はあっても、魔石としての価値はないわ﹂
﹁へー⋮⋮﹂
﹁ほう、そんな事が有ったのか﹂
﹁ま、そもそもとして本物の琥珀蠍の魔石なら、貴方みたいなヒト
は身に付ける事も出来ないのだけれど⋮⋮本物が失われた今となっ
てはどうでもいい事ね﹂
私はそこまで言い終えると、フォルスの目の前でネックレスを軽
く宙に放り投げ、﹃妖魔の剣﹄を一閃、ネックレスを粉々に破壊す
る。
その行為にフォルスの目は大きく見開かれ、まるで自分自身が砕
かれたような表情をしている。
だが、まだフォルスを絶望させるための作業は終わっていない。
﹁そして﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄。英雄を統べる為の剣とヒト
を統べる為の剣に、妖魔である私をたじろがせる力があるはずない
じゃない﹂
﹁まあ、そうよね﹂
1693
﹁おまけにずっと宝物庫にしまわれていたせいで、最低限の手入れ
しかされていないから、昔持っていた能力はだいぶ薄れてきている﹂
﹁あー⋮⋮確かに﹂
﹁使われない道具ほど悲しいものも無いな﹂
﹁そもそも、この剣の製作者は私なのよ。そんな事すらも伝わって
いなかっただなんて本当に笑えて来るわ。一緒にこの上ない怒りも
感じるけれど﹂
﹁⋮⋮﹂
私はフォルスの目の前に三本の剣の刃を並べて見せてやる。
﹃英雄の剣﹄と﹃ヒトの剣﹄は一応の手入れはされているが、長
らく英雄が握らず、ヒトの血を吸っていなかったからだろう、サブ
カに使わせたあの頃に比べて、かなり劣化している。
対する﹃妖魔の剣﹄は私がずっと使っていたので細かい傷や改修
跡も残っているが、それ以上に大量の魔力を帯び、周囲に漂わせて
いた。
此処まで差があると、﹃妖魔の剣﹄の一振りで他の二本の剣を叩
き折る事すら可能かもしれない。
勿体無いのでやらないが。
﹁と言うわけでご愁傷様。貴方が切り札だと思っていた物は、切り
札でもなんでもなかったと言う事よ﹂
﹁そんな⋮⋮馬鹿な⋮⋮﹂
そうしてこれまでの私の言葉によって折れかけていたフォルスの
心は、完全に叩き折られたのだった。
1694
第309話﹁フォルス−9﹂︵後書き︶
切り札なんてあるはずなかった
12/10誤字訂正
1695
第310話﹁フォルス−10﹂
﹁さて、セレニテス。どう始末する?﹂
フォルスの心は完全に叩き折られた。
両腕もないし、魔法の心得もない。
後天的英雄に目覚めるのは私の経験上、意地汚くとも最後⋮⋮い
や末後でも諦めずに足掻くようなヒトであるので、絶望しきってい
るフォルスが目覚める可能性はほぼゼロである。
﹁そうねぇ⋮⋮﹂
と言うわけで、後はセレニテスのやりたいようにやらせるだけで
ある。
だから私はセレニテスにフォルスをどうするかを尋ねた。
﹁一先ず殺すのは確定として⋮⋮﹂
セレニテスは私の問いかけに答えようと、わざとらしく顎に指を
当て、首を少し傾ける。
そして、具体的にどうやってフォルスを殺すのかを口にしようと
した時だった。
﹁⋮⋮﹂
フォルスのすぐ近くに転がっている死体の指が動いた⋮⋮気がし
た。
勿論、気のせいである可能性も高かった。
だが、死体の指が僅かに動いたと感じ取った瞬間には、私、トー
コ、シェルナーシュの三人は動いていた。
﹁ほいっと!﹂
1696
トーコの投じた剣が死体の頭、胸、肝臓の部分に突き刺さり、死
体を床に繋ぎ止める。
アシドフィケイション
﹁酸性化!﹂
ヒーロー
シェルナーシュの魔法が発動し、死体とその周囲に存在している
液体を強力な酸に変え、死体を溶かし始める。
ブラックラップ
﹁黒帯!﹂
ヒューマン
そこに私は黒帯の魔法を伸ばし、死体の両腕に﹃英雄の剣﹄と﹃
ヒトの剣﹄を突き刺して、死体に残っていた魔力を吸い取っていく。
﹁⋮⋮。目覚めたの?﹂
﹁確定じゃないけれどね。でも、一瞬だけど指が動いたように見え
たわ﹂
カワ
私たちの行動の理由を察したセレニテスが、私の背後に移動しつ
つ問いかけてくる。
ヒノ
﹁確かこのヒトはソフィアんの﹃蛇は八口にて喰らう﹄で頸動脈を
切られてたはずだよね﹂
﹁そうね。確実に頸動脈は斬ったわ。出血量も致死量は間違いなく
超えているわ﹂
﹁それが動いたとなると、再生系か?いや、死体を操作している可
能性もあるか。周囲に敵の気配は⋮⋮無いな﹂
トーコが慎重に死体の顔を確認する。
その顔は、フォルスが最も信頼している側近のそれであり、苦悶
の表情を浮かべた状態で固まっている。
なお、実を言えば、私はこの男の頸動脈ではなく、首そのものを
斬るつもりだった。
シェルナーシュの酸性化と液体化の使い分けについての話ではな
いが、首を完全に斬り落とした方が、タイムラグなしに確実な無力
1697
化が図れるからである。
﹁ソフィア﹂
﹁私も敵の気配や姿は捉えていないわ。けれどそれは敵が隠れてい
るのではなく、居ないからよ﹂
﹁そう、なら安心しておくわ﹂
シェルナーシュが何かしらの魔法によって周囲の感知を行うと同
時に、私も使役魔法などによって周囲の状況は確かめている。
私の探知能力が絶対的なものであると言う気はないが、先程の指
が動いた瞬間も含めて、何かが私の探知網に触れた覚えはない。
トーコもこの手の勘はかなり良いはずであるし、私たち三人が誰
一人として感知出来ていないのであれば、本当に何もいないと判断
していいだろう。
﹁さて、だいぶ脇道に逸れてしまったけど、フォルスについてはど
うしましょうか?﹂
が、何も居ないと分かっても緊張を解いたりはしない。
気を抜くのは全てが終わってからで十分である。
﹁首を刎ねて。首から上が有れば、教えるのも簡単になるわ﹂
ヒンドランス
﹁分かったわ﹂
私は﹃妖魔の剣﹄を抜き、フォルスの首を刎ねる。
この状況に絶望しきっていたフォルスの身体は最後の抵抗をする
事もなく、自然の理に沿って倒れ、床に転がる。
﹁さて、これからどうしましょうか﹂
私はフォルスの頭を掴むと、セレニテスに問いかける。
﹁どうするって?﹂
﹁行くか帰るか。って話よ﹂
1698
現王であるディバッチ・レーヴォルの子供は、セレニテス以外全
員死んだ。
なので当初の予定通りであるならば、この後はディバッチ王の下
にこの首を持って殴り込みに行くことになる。
が、私は敢えてセレニテスに選ばせる。
自らの脚で幕を引きに行くか、私に引き摺られて幕を引きに行く
かを。
﹁よく言うわ。行く以外の選択肢なんて用意してないくせに﹂
﹁あら﹂
﹁バレバレだね。ソフィアん﹂
﹁バレバレだったな。ソフィア﹂
﹁うっさいわねぇ﹂
だが私の言葉にセレニテスは何処か呆れた様子でそう返してくる。
どうやら私の意図はバレバレだったらしい。
﹁安心して。ソフィア。私は約束を違えたりはしない。そして、自
分がやった事から逃げ出すつもりもないわ﹂
﹁その言葉の意味分かってる?﹂
﹁この先に起きる悲劇は全て私のせいであり、私と貴方に捧げられ
た供物であるという事でしょ。最後まで当事者として、私は見てい
るわ﹂
﹁よろしい。ならば当初の予定通りいきましょう﹂
﹁ええ、そうしましょう﹂
セレニテスは踵を返し、部屋の外に向かって歩き始める。
セレニテスを追い抜かしてトーコが、セレニテスの横に着く形で
私が、後ろに控える形でシェルナーシュが移動して、揃って部屋の
外に出る。
﹁さあ行きましょう。レーヴォル王国最後の日を﹂
1699
そして、ディバッチ王を追い詰めるべく、私たちは活動を始めた。
1700
第310話﹁フォルス−10﹂︵後書き︶
今更普通の英雄じゃ相手にもならないのです
1701
第311話﹁ディバッチ−1﹂
﹁はぁはぁ⋮⋮ま、まだかかるのか﹂
﹁もう少しです﹂
彼ら⋮⋮レーヴォル王国の王であるディバッチ・レーヴォルと宰
相を含む側近たちは、周囲を石板で覆われた暗い通路を、彼らを守
る騎士たちが持つか細い松明の明かりを頼りに進んでいた。
セントレヴォル城に攻め込んできた土蛇のソフィアの脅威から逃
れる為に。
﹁くそっ、土蛇のソフィアめ⋮⋮よくも儂らをこのような目に⋮⋮﹂
﹁此処から脱出したら、必ず報いを受けさせてやる﹂
彼らが進む通路は、百年ほど前にセントレヴォル城の地下に築か
れた脱出用の隠し通路である。
その存在は王位を継ぐ者の他には極一部のヒト⋮⋮親衛隊隊長や
宰相と言った王が信を置く者しか知らず、フォルス・レーヴォルた
ちもその存在は知らなかったほどである。
だがそれ以上に特徴的なのは、この隠し通路の出口がある場所で
ある。
﹁ぬぐっ!?ま、また揺れたぞ!?﹂
﹁ええい!一体何が起きているというのだ!?﹂
セントレヴォル城には知る者がすべて失われた物も含めて、相当
数の隠し通路が存在している。
が、それらの隠し通路は、城外に通じていると言っても、セント
レヴォル城のすぐ近く、かつてマダレム・シーヤと呼ばれていた範
囲である貴族街の中にしか通じていない。
だがこの通路は違う。
1702
この通路は台地の下、貴族街の外にまで通じており、その出口の
秘匿性もあって、正に最後の逃げ道に相応しいものだった。
﹁出口です!﹂
﹁おおっ!ようやくか!﹂
﹁よし!早く開けるのだ!﹂
﹁はいっ!﹂
やがて彼らは出口に到達し、先頭に立つ騎士が隠し通路の出口を
ふさぐ扉を開け始める。
そして、外の光が隠し通路の中に射し込み始めた瞬間だった。
﹁ぎゃあああああぁぁぁぁぁ!?﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
扉を開けていた騎士の全身が燃え上がり、炎が騎士の命を奪う。
と同時に、誰も触れていないはずの扉が、勝手に開き、隠し通路
の中に居る面々に外の状況を見せつける。
﹁﹁﹁ーーーーーーーーー!!﹂﹂﹂
﹁な、何だこれは⋮⋮﹂
﹁﹁﹁ーーーーーーー!?﹂﹂﹂
﹁何が⋮⋮どうなっている⋮⋮﹂
トーコが家屋に火を点け、私が使役魔法によって操る事で人々が
予想するよりも遥かに速く燃え広がる火事が起きているセントレヴ
ォルの市街を。
シェルナーシュの魔法によって上空から降り注ぐ大量の瓦礫によ
って、あっけなく壊されていくセントレヴォルの街並みを。
リキンドル
ソウル
城壁を使役魔法によって破壊することで都市の外から招いた妖魔
たちと、都市の中に潜んでいた人妖たち、それに私が再燃する意思
の魔法によってヒトへの攻撃性を高めた上で再現した妖魔たちが、
セントレヴォルの人々を蹂躙する姿を。
1703
スヴァー
ヴニル
﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄によってセントレヴォルの下を流れる
地脈を弄る事で、再燃する意思の魔法の効果時間を延長すると共に、
この地で死に絶えた人々の怨みだけを具現化した土人形たちが暴れ
まわる姿を。
そして、これらの惨劇を引き起こした張本人である私こと土蛇の
ソフィアと、この状況で笑顔を浮かべている村娘姿のセレニテスの
姿を。
見せつける。
土の中と言う私が間違いなく知覚出来る領域を通って、逃げ出そ
うとした愚か者たちに。
﹁セ、セレニテス!?何故お前がここに居る!?﹂
﹁何故?そんなもの決まっています﹂
セレニテスが片手に持った血が滴る包みを、彼らに見せ付けつつ、
自分の前に包みが解ける様に軽く放り投げる。
﹁ひっ!?﹂
﹁なっ!?﹂
包みの中身⋮⋮フォルス・レーヴォルの頭を見た彼らから悲鳴の
ような声が上がる。
﹁御子息の死を伝えに来たのです。ディバッチ王﹂
そんな中で、セレニテスは何でもない様子でフォルスの死を告げ
る。
﹁お、お前はいったい⋮⋮お前は一体何者だというのだ!セレニテ
ス!﹂
ディバッチ王が恐怖で体を震わせながら、セレニテスに向かって
叫ぶ。
1704
﹁私自身はしがないただの村娘。ただのセレニテスです。この上な
く悲しい事に、貴方の血を引いていますけどね。ディバッチ王﹂
﹁ただの村娘にこんな事が⋮⋮﹂
﹁ですが、彼女は違います﹂
ディバッチ王の言葉を遮る形で、セレニテスは言葉を続け、私に
前へ出る様に視線で促す。
﹁お初にお目にかかります。私の名前はセルペティア。セレニテス
様の侍女です﹂
セレニテスの前に出た私は、周囲の混沌とした状況など意にも介
していない完璧な侍女の礼をディバッチ王たちに向けて行う。
﹁ですがそれは仮の姿﹂
﹁まさか⋮⋮﹂
私は周囲の燃え盛る家屋と地面から使役魔法で炎と土を集めると、
炎の中で侍女服だけを焼き払って脱ぎ、下に予め着ておいた妖魔と
しての衣装を表に出す。
﹁私の名前はソフィア。貴方たちヒトが付けた通り名は土蛇。レー
ヴォル王国三百年の歴史を終わらせる妖魔よ﹂
そして、炎と土を自分の周囲から吹き飛ばし、二匹の巨大な蛇と
して私の背後に従えるように再形成しつつ、私はディバッチ王たち
に向けて挨拶をする。
﹁さあ、今日をレーヴォル王国終焉の記念日にしましょう。セレニ
テス﹂
﹁ええそうね。今日で全てを終わらせてしまいましょう。ソフィア﹂
今日で全てが終わりだと言う宣言を含ませて。
1705
第311話﹁ディバッチ−1﹂︵後書き︶
相変わらずの演出家根性である
12/13誤字訂正
1706
第312話﹁ディバッチ−2﹂
﹁ひ、ひあああぁぁぁ!﹂
﹁こんなところに居られるか!﹂
﹁なっ!?待て貴様等!?﹂
ディバッチ王の周囲に居た人々の内、何人かが私から逃げるべく
隠し通路に向かって駆け出す。
王を置いて逃げると言う辺りに彼らの忠誠心のほどがよく分かる
が、当然私に彼らを逃がす気はない。
﹁はいはい、逃がすわけないでしょ﹂
﹁馬鹿ねぇ﹂
﹁ぎっ!?﹂
﹁ぎゃっ!?﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
と言うわけで、私は使役魔法によって隠し通路の周囲の土を操る
と、隠し通路を駆けていたヒトを、通路を構成していた石畳で挟む
形で動きを止める。
﹁ま⋮⋮﹂
﹁じゃっ、さよなら﹂
﹁﹁﹁!?﹂﹂﹂
そして、捕獲された当人含め、その場に居る全員が、この場から
逃げ出そうとした者が私の魔法によって捕えられた事を認識出来る
様に、一瞬間を置いてから⋮⋮潰す。
﹁本当に馬鹿ね。土蛇のソフィア相手に土で囲まれた通路で逃げよ
うだなんて﹂
1707
﹁私が土を操れる事すらも忘れているでしょう。でなければ、あん
な隠し通路で逃げようとは思わないわ﹂
﹁﹁﹁⋮⋮﹂﹂﹂
ディバッチ王たちは、逃げ出そうとした者たちの末路に顔を青く
し、全身を震わせていた。
実際、彼らは私について碌に知らないだろうし、知ろうともしな
かったのだろう。
でなければ、土蛇のソフィアが土に関する魔法を得意としている
事実すら忘れられているとは思えない。
﹁う、うおおおおぉぉぉぉっ!﹂
﹁あら﹂
騎士の一人が状況の打開を狙ってだろう、剣を抜き、私とセレニ
テスに向かって一直線に突っ込んでくる。
﹁勇気があるのね。なら苦しまずに逝かせてあげる﹂
﹁そうね。それでいいと思うわ﹂
﹁死⋮⋮ぎゃああああぁぁぁぁ!!﹂
対する私は傍に控える二匹の大蛇の内、炎で出来た大蛇を向かわ
せ巻きつけ、一切の抵抗を許さず、骨までも焼き尽くしてやる。
この後にやる事を考えれば、まあ慈悲深い対応だろう。
﹁さて、これで他に抵抗するヒトは⋮⋮﹂
﹁何故だ⋮⋮何故このような事をする!セレニテス!私はお前の父
親なのだぞ!﹂
私は他に何かしらの行動をするヒトが居ないか探そうとする。
が、その前にディバッチ王がセレニテスに向けて叫び声を上げる。
﹁お前は血の繋がった家族を⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
1708
その内容ははっきり言って聞くに堪えないものであり、表情こそ
笑顔のままで固定されているが、セレニテスの機嫌がディバッチ王
の口が開く度に悪くなっていくのが私には簡単には分かった。
だが、ディバッチ王にはそんなセレニテスの変化は分からなかっ
たらしい。
﹁だから頼む!助けてくれ!!助けてくれれば⋮⋮﹂
ディバッチ王も、そしていつの間にやらディバッチ王の周囲に居
る人々も、自分の命だけは助けて欲しいと、失笑しか出てこないよ
うな懇願を行っている。
﹁言いたい事はそれだけかしら?﹂
やがて彼らが出せる物を全て出したのだろう。
少しの間彼らは静かになり、その静かになった瞬間を見計らって
セレニテスが口を開く。
その目に冷酷な、暗い昏い炎を灯し、彼らに対する明確な殺意を
表に出した状態で。
﹁ソフィア﹂
﹁分かりました﹂
﹁ま⋮⋮﹂
セレニテスの言葉に、凄まじく愚鈍な彼らでも自分たちの命が危
機に瀕している事が分かったのだろう。
彼らは一様にセレニテスの事を止めようとする。
﹁﹁﹁ーーーーーーー!?﹂﹂﹂
﹁っ!?﹂
だがその前に私の使役魔法によって、彼らの周囲の土が鋭い刃物
になって彼らに襲い掛かり、ディバッチ王以外の面々を生きたまま
粉々にしていく。
1709
それこそ畑に鋤きこむようにだ。
﹁ディバッチ王。貴方はどうしてこんな事になったか分かりますか
?﹂
一人生き残らされ、周囲の熱さに反して顔面蒼白状態のディバッ
チ王にセレニテスが問いかける。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮⋮﹂
ディバッチ王からの返事はない。
どうやら目の前の惨状に思考が追いついていないらしい。
﹁ふんっ﹂
﹁ガッ!?﹂
なので軽く殴ってやり、無理やり思考を現実に戻させてやる。
﹁もう一度問います。ディバッチ王。貴方はどうしてこんな事にな
ったか分かりますか?﹂
﹁そ、そんなもの、貴様が土蛇のソフィアを招き入れたからではな
いか!それ以外に理由などあるか!﹂
﹁本当に愚か。その先のもっと根本的な部分に考えは至らないのね﹂
﹁なっ!?﹂
セレニテスは既に笑顔を貼り付けておくことを止めている。
代わりに、一見すれば無表情とも取れそうな、静かな怒りの形相
を浮かべている。
﹁私が土蛇のソフィアと契約したのは、貴方に対して復讐するのに、
それが一番いい手だったからよ﹂
﹁復讐⋮⋮だと⋮⋮﹂
﹁そう、復讐よ。貴方に犯され、私を孕んだせいで一生を台無しに
されたのに、それでもなお私を立派に育てようとしてくれたお母様
1710
のね﹂
﹁なっ!貴様はそんな事の為にこれだけの惨事を招いたというのか
!?﹂
﹁そ ん な こ と ?﹂
﹁あ、いや⋮⋮その⋮⋮﹂
私たちの周囲の炎は、まるでセレニテスの感情に呼応するように
激しく燃え上がり、ディバッチ王を威圧する。
愚かなディバッチ王は、もはや顔面蒼白を通り越し、今にも気を
失いそうな状態になっている。
なお、私は今、こちら側に火が来ないようにする最低限の操作し
かしていない。
﹁そう、なら、貴方がやったそんな事が原因となって、三百年続い
たレーヴォル王国は滅びるのね。良い様だわ﹂
﹁ま⋮⋮﹂
セレニテスが腕を真上に上げる。
ヘヴィストーン
ディバッチ王はそれを止めようとするが、それよりも早くセレニ
テスは腕を振り下ろす。
﹁ただ死ね﹂
そして、それに合わせて私がディバッチ王の胴体部分に重い石の
魔法を発動。
生み出された巨岩は自然の理に従ってディバッチ王にのしかかり
⋮⋮潰した。
1711
第313話﹁セレニテス−1﹂
﹁スクワ・レーヴォル、インダル・レーヴォル、フォルス・レーヴ
ォルの三人が死んだことによって、あの王の血を引く者は私だけに
なった﹂
ディバッチ王を葬った私とセレニテスは、燃え上がるセントレヴ
ォルの街中を悠々と歩いて、セントレヴォル城の謁見の間へと戻っ
て来ていた。
謁見の間もそうだが、セントレヴォル城の中は、外の狂騒が嘘の
ように静まり返っており、火事場泥棒も一通りの仕事を終えた為な
のか人影は私とセレニテス以外には一切ない。
﹁あの王に従う者、威を借る者、操ろうとした者、種別は様々であ
るけれど、民に対して害を為す愚かな貴族たちも、その大部分が狩
られた﹂
セレニテスは謁見の間に敷かれた絨毯の真ん中を堂々と歩いてい
く。
私に聞かせるのではなく、自分自身に言い聞かせるように言葉を
呟きながら。
﹁王を止めようとせず、地方から掻き集めた血塗れの財を何食わぬ
顔で享受していたセントレヴォルの住民たちも、その財ごと焼き払
われた﹂
この場に来る事を願ったのはセレニテス自身である。
セレニテスが今何を考えているのか、正確な所までは私には読み
取れない。
﹁テトラスタ教の権威も地に落ちた。少なくとも財貨を貯め込み、
1712
己の役割を放棄し続けた連中は、今回の一件を以って、泥に塗れて
もなお糾弾されることになる﹂
だが、フローライトの時のように約束を違えるような気配はして
いない。
けれど、何かを隠してはいる。
私の三百年の経験はセレニテスの言動から漂ってくる僅かな匂い
を感じ取り、そんな判断をもたらしていた。
﹁そして全ての元凶足る愚かな王は、私の願いの下、ソフィアの手
によって無様な死に様を晒す事になった﹂
絨毯を歩き続けたセレニテスは、やがて王が座る玉座へとたどり
着く。
﹁ああ、なんて喜ばしい日なのかしら。空っぽの城、主を失った玉
座、動かなくなった愚者たち、燃え尽きた家屋、打ち壊された教会。
私を煩わせる全ては今日この日、取り払われたのね﹂
謁見の間に付けられた窓から見えるのは、火事の煙によって黒く
染め上げられた空である。
だが、セレニテスはそんな空こそ愛おしいと言わんばかりに、薄
暗い謁見の間の中、潤んだ瞳で空を見つめている。
さて、そろそろ頃合いか。
﹁セレニテス﹂
﹁ええ、分かっているわ。ソフィア。契約は果たされた。三百年の
歴史の結果、腐り果てたレーヴォル王国は確かに、間違いなく、絶
対に滅びを迎えた。グロディウス公爵やマネジティア男爵のように
生き残ってもらうヒトも居るけれど、彼らがこの先造る国はレーヴ
ォル王国とは別の国。契約の範囲外だわ﹂
私の言葉に対して、セレニテスは私に背を向けたまま、言葉を紡
ぐ。
1713
その表情は私の居る位置からは決して窺えない。
だが、私の直感はこう言っていた。
今のセレニテスに近づいてはならない、と。
﹁そして、貴方が私の望むものを造り上げて見せた以上、私も対価
ヒンドランス
を払わなければならない。そう、喜んでその身を捧げると言う契約
を﹂
ヒノ
カワ
気が付けば私は腰に提げていた﹃妖魔の剣﹄を右手で抜き、﹃蛇
は八口にて喰らう﹄を発動した状態で構え、左手には魔石を幾つも
持っていた。
完全に無意識の産物ではあるが、どうやら今のセレニテスはそれ
だけ危険な存在であるらしい。
﹁でもね、ソフィア。私思ったの﹂
﹁何を?﹂
﹁貴方が望むものは抗う事すらも諦めた家畜なのかと。違うわよね。
もしそうなら、貴方はレーヴォル王国なんてものは造っていない﹂
﹁⋮⋮﹂
セレニテスに戦いの経験はほぼない。
そう言った荒事は全て私の担当だったからだ。
セレニテスに戦いの知識はない。
私もグロディウス公爵も、誰も教えて来なかったからだ。
セレニテスに戦いに臨む者として心構えは⋮⋮あるだろう。
戦いに望む者に必要な心構えとは、詰まる所利用できるもの全て
を利用して、己の望む状況を作り出し、勝利する事なのだから。
それこそ彼女ならば、私が居なくても、あらゆる手管を以って、
今と同じか近い状況を作り上げていたのではないかと思う。
﹁沈黙は肯定よ。ソフィア﹂
セレニテスが振り返る。
1714
その手に見覚えのある短剣を握り、黒い木で出来た指輪を左手の
薬指に填めて。
ヒドゥン
﹁﹃存在しない剣﹄にインダークの樹の指輪⋮⋮ね。また、懐かし
い物が出てきたものだわ﹂
﹁グロディウス公爵の屋敷に居た頃、気が付いたら私の衣装棚の中
ヒーロー
ヒ
に収められていたの。だから、今日の着替えの時に、服の内側にこ
っそりと入れておいたの﹂
ューマン
﹃存在しない剣﹄、それは私が昔﹃妖魔の剣﹄﹃英雄の剣﹄﹃ヒ
トの剣﹄と共に打った剣であり、ペリドットに渡した短剣である。
インダークの樹の指輪、こちらも私が昔造ったもので、全部で四
つあるものだが、セレニテスが身に付けているのはオリビンさん経
由でペリドットに渡ったものだろう。
どちらも探しても見つからないので、失われていたと思っていた
のだが、とんでもないところから出てきたものである。
まあ、こんな事をしてくれた犯人は分かっているし、後で会う予
定もあるので、その時に問い詰めればいい。
﹁さあソフィア。戦いましょう。貴方が望むものは抗う事すら諦め
た家畜を喰らう事ではなく、ヒトらしく生き、生を望み続ける獣を
狩って喰らう事のはずなんだから﹂
﹁ええそうね。その通りだわ。セレニテス、貴方は私の望むものを
良く分かっているわ。ああ何てこと、こんな感情、いったい何時以
来かしら⋮⋮﹂
今はただ⋮⋮歓喜しよう。
私の思想を理解してくれたセレニテスを狩り、喰らう機会に巡り
会えたことを。
1715
第314話﹁セレニテス−2﹂
﹁さあ行くわよ!ソフィア!﹂
セレニテスが拙い動きで私に向かって走ってくる。
セレニテスの動きは間違いなく素人のそれであり、マトモにやり
ヒドゥン
合えば百回やって百回私が完璧な勝利を収めるだろう。
だが、﹃存在しない剣﹄とインダークの樹の指輪が揃ってセレニ
テスに加わるのであれば、話は変わってくる。
﹁来なさい!セレニテス!﹂
﹃存在しない剣﹄とインダークの樹の指輪から黒い靄のようなも
のがあふれ出すと同時に、セレニテスの姿が消え去り、謁見の間の
床を踏みつける音が無くなり、匂いを感じ取る事も出来なくなる。
この分だと、セレニテスの身体にこちらから触っても気が付ける
かどうかも怪しい程である。
セレニテスが﹃存在しない剣﹄とインダークの樹の指輪に、敵対
者に感知されなくなる力と、妖魔相手でも致命傷を与えられる力が
ある事に気付いているかは分からないが、知らないと考えるのは希
カワ
ヒンドランス
望的観測過ぎるので、知っていると前提して私は動く。
ヒノ
﹁ふんっ!﹂
私は﹃蛇は八口にて喰らう﹄によって伸ばした﹃妖魔の剣﹄を単
純に横へ一振りすると同時に、セントレヴォル城地下の土を対象と
した使役魔法によって土を操り、謁見の間に存在している全ての扉
と窓を塞ぐ。
この行動によって、謁見の間に存在している灯りは﹃蛇は八口に
て喰らう﹄によって発光している﹃妖魔の剣﹄だけになる。
1716
ブラックラップ
﹁黒帯﹂
続けて私は黒帯の魔法を発動。
ただし、普段のように魔石から出現させる形ではなく、私の表皮
から滲み出る様に、かつ全身から出現させる。
こうする事で、私の気が付かない内に黒帯の魔法の内側に潜り込
まれる可能性を排除する。
﹁構成操作、展開﹂
この状態から切れ目が存在しない事を確かめつつ、黒帯の魔法の
形態を卵形に変更。
そこから更に網状にした黒帯を謁見の間全域に向けて広げていく。
順当に行けば、これでセレニテスが謁見の間の何処に居ようとも、
黒帯の形の変化によってその存在を感知する事が出来る。
そして一度位置を感知する事が出来れば、セレニテスの身体能力
上、捕捉することは難しくない。
﹁切られた﹂
そうして私が形の変化した黒帯を見つけ出そうとした時だった。
黒帯の網が一ヶ所切られた。
故に私は細い糸状の切れやすい黒帯の魔法を、セレニテスが居る
と思しき場所の周囲に張り巡らせる。
﹁これで詰みよ﹂
私がそう判断して言葉を発した時だった。
﹁いいえ、私の勝ちよ。ソフィア﹂
﹁っ!?﹂
セレニテスが目の前に現れ、﹃存在しない剣﹄が腹に突き刺さっ
ていた。
﹃存在しない剣﹄には、ノムンだった者の強烈な再生能力を止め
1717
るだけの何かが存在している。
カドゥ
ケウ
故に一撃でも受けてしまえば、何かが起きるのは確実だと言えた。
﹁それはこちらの台詞よ。セレニテス﹂
﹁そうね。アイツの台詞だわ。セレニテス﹂
﹁!?﹂
だから私は入れ替わっておいた。
ス
黒帯の魔法を卵形にした一瞬の間に炎で﹃蛇は骸より再び生まれ
出る﹄を発動し、ヒトの方のソフィアに﹃妖魔の剣﹄を持たせ、私
自身は黒帯の網の展開と同時に謁見の間の天井に移動していた。
そして今ヒトの方のソフィアがセレニテスの手と腕を掴んで動き
ヴニル
を止め、天井から降りた私がセレニテスの背後に回り込む。
スヴァー
﹁まだ⋮⋮﹂
﹁﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄﹂
﹁!?﹂
私は﹃蛇は根を噛み眠らせる﹄によって、インダークの樹を経由
した例の神による力の供給を止めると同時に、一瞬ではあるがセレ
ニテスを怯ませる。
これで、姿を隠す事はもう出来ない。
サマエル
﹁﹃蛇は罪を授ける﹄﹂
﹁うぐっ⋮⋮﹂
続けて﹃蛇は罪を授ける﹄で先程の黒帯の手順の記憶を込めて液
体を生み出し、生み出した液体をセレニテスの口の中へと飛ばして
飲ませることによって、記憶を読み込むまでの僅かな間ではあるが、
一切の行動が出来なくなる致命的な隙を作り出す。
﹁大好きよ。セレニテス﹂
そして最後にセレニテスの首筋に噛みつき、少量ではあるがセレ
1718
ニテスの体内へと麻痺毒を流し込む。
﹁う⋮⋮ぐ⋮⋮私の⋮⋮負け⋮⋮みたいね﹂
麻痺毒が回ったセレニテスの身体から力が抜け、私はそれを支え
る。
﹃存在しない剣﹄が腹に刺さった状態のヒトの方のソフィアは、
私たちから距離を取った上で、消えてもらう。
すると﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄の解除と同時に﹃存在しな
い剣﹄も何処かに消え去ってしまうが⋮⋮私は理由もなく例の神が
戦いが終わったから回収しただけだと直感する。
何にしても、今の私たちに害をなす事は無さそうなので、意識か
ら除外する。
﹁そうね。勝負は私の勝ちだわ。そしてセレニテス。この勝負の勝
者には敗者から全てを奪う権利がある﹂
﹁ええ⋮⋮その通り⋮⋮だわ。好きなだけ⋮⋮嬲って⋮⋮もらって
も⋮⋮構わないわ﹂
私はセレニテスの唇に自分の唇を被せる。
﹁勿論たっぷりと、私以外の事なんて考えていられないぐらいに嬲
ってあげるわ﹂
そして私は宣言通り、セレニテスの心の中に私以外の存在が入り
込む余地がない程に愛し尽くした上で、その身を絶対に分かれる事
のない形で一つにした。
1719
第314話﹁セレニテス−2﹂︵後書き︶
レーヴォル王国完全滅亡です
1720
第315話﹁セレニテス−3﹂
レーヴォル暦319年。
﹃セントレヴォルの大火﹄とも呼ばれるレーヴォル王国王都セン
トレヴォルで起きた大規模な火災を伴う妖魔の大発生を切っ掛けと
して、三百年続いたレーヴォル王国は崩壊を始める。
そして、レーヴォル王国の崩壊に伴って、ヘニトグロ地方はレー
ヴォル王国成立以前の西部連合、南部同盟、東部連盟の三つが存在
する以前の状態⋮⋮つまりは有力都市が周囲の小都市と村を支配す
る都市国家時代に近い状態に戻る事となり、後にこの時代は群雄時
代と呼ばれるようになる。
さて、群雄時代については次章に譲るとして、今章では﹃セント
レヴォルの大火﹄について記す。
レーヴォル王国崩壊のきっかけとなった、﹃セントレヴォルの大
火﹄の概要は当時の資料から判明している。
まず、首謀者は﹃三大人妖﹄⋮⋮土蛇のソフィア、美食家のトー
コ、魔女のシェルナーシュの三名であり、彼女らに付き従う形で無
数の妖魔と人妖が王都セントレヴォルを襲った。
この事件で目に見えて凶悪な働きをしたのは、やはり﹃三大人妖﹄
である。
土蛇のソフィアはその姿を人々の目に晒していないが、妖魔たち
への指示によって被害を拡大すると共に、城壁で細かく区分けする
ことによって破格の防御力を誇った当時のセントレヴォルの城壁を
破壊したと思われる。
実際、土に関する強力な魔法を扱え、優れた変装技術を有するソ
1721
フィアならば、十分可能であると思われる。
美食家のトーコは街中の家屋に火を点ける姿と、行く手を遮った
物をヒトも妖魔も関係なく切り殺した姿が目撃されている。
ただ、複数ある目撃証言で語られるトーコの容姿の一致率がさほ
ど高くない事から、混乱に乗じて家屋に火を点けた者や暴れまわっ
た者が他に居たのではないかとも思われている。
魔女のシェルナーシュは最も派手な動きを見せていた。
俄かには信じがたい事であるが、当時の状況を記した手記の一つ
にはこうある。
﹃魔女は杖に跨り、矢も魔法も届かない程に高い場所に支えもなく
佇んでいた。魔女が手を伸ばすと、ヒトも妖魔も家屋も木々も、何
もかもが魔女の居る高さにまで引き摺り込まれ、巨大な球体となっ
ていった。魔女が手を上げると、球体は幾つもの塊に分割された後
に天高く打ち上げられ、流れ星のように降り注いだ塊によって街も
ヒトも関係なく全てが薙ぎ払われた。私はこの禍々しき流星雨が降
り注ぐ光景を一生涯忘れないだろう﹄
シェルナーシュが用いた魔法がどのようなものであったのか、正
確なところは分かっていない。
ただ一つ、この手記の内容が確かであるならば、並大抵の街なら
ば一方的に破壊し尽くす事が可能な魔法をシェルナーシュは保有し、
操る事が出来ると言う事である。
いずれにしても、この一件によって、人々は﹃三大人妖﹄の恐ろ
しさと強さを改めて思い知る事となり、その後の街づくりを初めと
した様々な面において、教訓が生かされる事になる。
話を変えよう。
1722
﹃セントレヴォルの大火﹄での死傷者は、当時世界一の人口を誇
るとされた王都セントレヴォルの住民の7割を超え、数も十万人を
優に超えると言われている。
一説には無傷で生き残った住民はただの一人も居なかったともさ
れている。
この死傷者の中には平民だけでなく、貴族も含まれている。
が、残念な事に奴隷の数は含まれていないので、実際の死傷者数
はさらに増える事は間違いないだろう。
だがレーヴォル王国にとって何よりも手痛かったのは、この事件
によって当時のレーヴォル王国の王であるディバッチ・レーヴォル
を初めとする王族たちが、行方不明となった一人を除いて、悉く惨
殺された点だろう。
この一点を以って、﹃セントレヴォルの大火﹄でレーヴォル王国
は滅亡したとする歴史家も多く、私もそのように考えている。
しかし、ここで一つ気になる点が存在する。
それは行方不明となった最後のレーヴォル王国王家の一員である
セレニテス・レーヴォルと言う名前の少女についてである。
セレニテス・レーヴォル。
レーヴォル王国最後の王であるディバッチ・レーヴォルの庶子で
ある彼女については、王家の一員であった期間が非常に短いため、
分かっている事も少ない。
当時のグロディウス家の当主であるエクセレ・グロディウスが後
ろ盾として付いていた事や、王族入りの儀式の際に発した言葉の一
部、極めて優秀な侍女が付いていた事ぐらいしか情報が出てこない
のである。
余りにも謎が多すぎる為に、一部では存在すら疑われたが、ニッ
ショウ国で近年発見された資料に彼女の名前があったことから、実
在は証明されたと言ってもいい。
1723
ただ、その終わりすら明らかにならない謎めいた人生から、彼女
の名前は主に悲劇の王女としてであるが、様々な方面で利用される
事になっている。
なお、とある筋からの情報で、子供を残していない事だけはほぼ
確定している。
歴史家 ジニアス・グロディウス
−−−−−−−−−−−−−−−
︵原稿の片隅に書かれている︶
我々の歴史は嘘ばかりである。
﹃セントレヴォルの大火﹄についての真実を彼から聞いた時に思
ったのが、この一言である。
特にこの直ぐ後の群雄時代、続く人妖狩りの暗黒時代などは特に
酷いものであり、情報源である彼も呆れた顔をしていた。
幸いと言っていい事に、情報保存技術の向上によって、暗黒時代
を抜けてからの我々の歴史は比較的確かなものである。
願わくば、正しき真実が日の目を見る事を。
1724
第315話﹁セレニテス−3﹂︵後書き︶
実質最終回でございますが、もう少しだけ続きます
1725
第316話﹁世界の秘密−1﹂
レーヴォル王国滅亡から一か月。
私はセントレヴォルから真っ直ぐ南に行った場所にあるマダレム・
シニドノで今回の為に調達した船に乗り込んでいた。
目指すは南、三つの大陸の中心部、例の神が居ると思しき場所で
ある。
﹁水、食料、魔石、土、どれも問題はないわね﹂
必要な物資は既に十分な量を詰み込んである。
それこそマダレム・シニドノから出航し、南下し続け、フロッシ
ュ大陸のカエノタンに辿り着けるだけの量をだ。
操船は全て使役魔法で行う予定なので、船員の反乱や私の正体が
バレる可能性を危惧する必要もない。
﹁よし、バレない内に出航してしまいましょう﹂
と言うわけで、後は出航までの間に、妙な事態に陥らないように
するだけである。
なので、私は誰かに怪しまれないように、土を一時的にヒトの形
にして操ると、静かに出航した。
−−−−−−−−−−−
﹁さて、今のところは順調ね﹂
マダレム・シニドノから出航して三日。
既に水平線に陸の影は無く、他の船の影もなかった。
1726
まあ、これは当然と言えば当然である。
﹁﹃不帰の海﹄⋮⋮ね。まあ、例の神が何かしているんでしょうね﹂
なにせ私がこれから向かう海域はヘニトグロ地方南部沿岸の漁師
や商人から﹃不帰の海﹄と呼ばれている海域であり、私が調べた限
りでも極僅かなヒトが運よく帰って来れた海なのだから。
しかもこの逸話、都市国家時代からのものであるが、最近でもシ
ニドノから南の大陸を目指した船団が行方を断っている。
アンルスト
﹁⋮⋮。﹃不錆﹄で合っているわよね?﹂
私は三百年ぶりに自分の背中に戻ってきたハルバード⋮⋮﹃不錆﹄
の持ち手を思わず握る。
例の神は伝言で壊れない何かを持ってこいと言っていた。
何かの部分は聞き取れなかったが、私の知る限り絶対に壊れない
と言い切れるのは、このハルバードだけである。
﹁何か不安になって来たわ⋮⋮﹂
ヒーロー
余談だが、﹃不錆﹄をフロウライトに在るグロディウス公爵の屋
敷から盗み出す際、代わりと言うわけでは無いが﹃英雄の剣﹄を置
いて来ている。
ヒューマン
グロディウス公爵なら、きっとうまく使ってくれることだろう。
なお、﹃ヒトの剣﹄についてはある程度の大きさの破片が出る様
に砕いた上で、各地にばら撒いた。
確実に争いの種になるが、分かり易い目印やシンボルがあった方
カ
が、レーヴォル王国崩壊後の各都市や地域の再構築も上手くいきや
すいと判断しての事である。
ドゥ
ケウス
﹁それにしても一人って暇よねぇ⋮⋮魔力節約を考えたら﹃蛇は骸
より再び生まれ出る﹄を使うわけにもいかないし﹂
私はセレニテスを喰らった翌日に生じた五つ目の金色の蛇の環を
1727
軽く指で弄りつつ、独り言を呟き続ける。
何かやる事が有るのではないかと言われそうだが、やる事が何も
無いのだからしょうがない。
外の監視と操船は使役魔法頼みにした方が安全だし、食料は定期
的かつ計画的に食うべきものなので、暇だからと弄るわけにもいか
ない。
新たな魔法を考えようにも魔力も魔石も無駄遣い厳禁なので、や
れることはない。
体力の浪費もいざという時を考えたら、考え物である。
暇を持て余し過ぎて体力が落ちてもアレなので、最低限の運動は
しているが。
﹁結局一人寂しく呟き続けているしかないと。はぁ⋮⋮﹂
ちなみに、トーコとシェルナーシュの二人については、レーヴォ
ル王国を滅ぼした後、そのまま別れてしまった。
お互いの行先も話していないので、連絡を取る事も不可能である。
まあ、生きてさえいれば、その内また会えるだろう。
−−−−−−−−−−−−−−−
﹁あれは⋮⋮﹂
マダレム・シニドノ出航から一週間。
どこまでも続く水平線に一つの変化が生じる。
﹁⋮⋮﹂
それは霧。
海の上から空のだいぶ高い位置にまで、柱のように霧が生じてい
た。
1728
海流も霧の周辺だけおかしい感じがあるし、何者かが何かを隠そ
うとしているのは明らかだった。
﹁行ってみますか﹂
私は船を操ると、海の流れを無視して、霧の中に無理矢理突入す
る。
﹁っつ⋮⋮なんて寒さ!﹂
異常は霧の中に入って直ぐに生じた。
地域的に常夏の領域であるにも関わらず、まるでヘムネマ地方で
も最北の辺りのような寒気が船を襲ってきた。
私は慌てて、替えの服を重ね着し、どうにか寒さに対応する。
﹁これは霰⋮⋮じゃないわね﹂
続けて空から霰のような物体が船に降り注ぐ。
だが霰なのは見た目だけで、中身は全くの別物⋮⋮と言うか、海
以外の物に触れた瞬間に弾けて、周囲に冷気を撒き散らし、当たっ
た物を凍結させようとしてくる霰があって堪るかと言う話である。
イグニッション
﹁しょうがないわね。着火﹂
このままでは船ごと氷漬けにされる。
そう判断した私は着火の魔法を発動し、続けて火の使役魔法によ
って炎を操ると、船に付いた氷を溶かす。
﹁⋮⋮。見えてきたわね﹂
そうして霧と霰に対応しつつ進み続ける事丸一日。
やがて私の視界に一つの島が見えてくる。
﹁さて、当たりだとは思うけれど⋮⋮どうかしらね?﹂
島の周囲を探ると、船を付けるのにちょうど良さそうな場所が有
1729
ったので、私はそこに船を付ける。
相変わらず異様に寒いが、島の上では霰は降っておらず、霧も生
じていなかった。
﹁ま、行ってみれば分かるわね﹂
行かなければ進まない。
そう判断した私は、草一本生えていないその島に上陸した。
1730
第317話﹁世界の秘密−2﹂
﹁気味が悪い事この上ないわね﹂
その島には草木は一本たりとも生えていなかった。
位置的には常夏の世界であるはずの場所なのに、冬の北の果ての
ように寒かった。
大地を形成しているのは血のように紅い岩であり、私の使役魔法
は一切受け付けなかった。
空⋮⋮いや、外は高い高い山の頂上に居るのではないかと思う程
に近かった。
﹁まるでこの世じゃないみたいだわ⋮⋮﹂
自分自身以外に生命の息吹を一切感じられず、今まで私が居たト
リスクーミから完全に切り離された異常な世界。
それがこの島を簡単に表す言葉だった。
﹁⋮⋮﹂
と、私はここで自分の先程の思考に異常な部分があった事に気づ
く。
﹁外⋮⋮ねぇ⋮⋮﹂
目的地も見定まらないので、歩きながらではあるが、私はその異
常な思考があった部分に考えを向ける。
そう、先程私は空と言う言葉を、わざわざ外と言い直していた。
外⋮⋮この場合の外とはトリスクーミの外に違いない。
だが、私のこれまでの知識と記憶と発想から考えて、トリスクー
ミの外に別の領域がある等と言う考えに至る可能性はゼロである。
では、何故そんな発想に至ったのか。
1731
﹁これは⋮⋮﹂
一度疑問を覚えてしまえば、それに気づくのは容易かった。
﹁ふうん⋮⋮なるほどね。ここはワザと開けてあるのね﹂
私は空を軽く見上げる。
それだけで、私と波長が合ったらしい情報が幾つも、無作為に、
容赦なく私の頭の中に降り注いでくる。
その情報の量は、大量の知識を取得するのを日常的な行為とする
私ならば別に問題はないが、普通のヒトならば発狂して死にかねな
い量である。
﹁興味深い情報だけれど⋮⋮まずは約束を優先すべきね﹂
私は流れ込んでくる情報の選別と整理を行いながら、島の中心部
に向けて歩き続ける。
﹁⋮⋮﹂
この島は簡単に言ってしまえばフィルターである。
トリスクーミと言う世界に降り注ぐはずだった情報をこの島の上
空にまとめ、降らせ、例の神による選別を行う場である。
その情報量に耐えられる存在は極々限られているため、結果とし
て島の表には草木の一本も生えていないらしい。
あ、うん、これは私を狙って落としてきてる情報だ。
﹁カドゥケウス、ヒノカワ、サマエル、スヴァーヴニルねぇ﹂
ただ、例の神による情報の防護は完璧でなかったらしい。
詳しい原因は分からないが、私と特に波長が合った情報に限って
であるが、フィルターを通さずに通ってしまった情報が有るらしく、
その事こそが私がこの島に呼ばれた原因であるようだ。
1732
﹁⋮⋮﹂
私は降り注ぐ情報の中から、私の使う四つの特別な魔法に関連す
る情報に限って選び出そうとしてみる。
すると、カドゥケウスはヘルメスと言う神が持つ二本の蛇が絡み
付いた杖である事や、スヴァーヴニルが何かの樹を齧っている蛇で
ヤマタノオロチ
ある事、サマエルがエデンとか言う場所に関係がある事、ヒノカワ
が八岐大蛇と言う蛇が住んでいた場所である事などの情報が頭の中
に入ってくる。
﹁なんか、どうでもいい情報が多いわね⋮⋮﹂
で、これだけ雑多な情報であるならば、当然微妙な情報も混じっ
てくるわけで⋮⋮と言うか、大半はどうでもいい情報である。
具体的な例を挙げるならば⋮⋮
﹃親父ってばまた信者の娘に手を出して、ヘラさんに怒られてい
るでやんの﹄と言う誰かの笑い声を伴う言葉。
﹃我が主ぅぅぅ!貴方様の為ならば、私は喜んで地獄に落ちまし
ょうぞおおおぉぉぉ!﹄と言うあまりお近づきになりたくない性格
が滲み出ている声。
﹃根⋮⋮うま⋮⋮枝⋮⋮うま⋮⋮眠い⋮⋮うま⋮⋮﹄と言う大丈
夫かと思わせる声。
﹃一日一人!人間の脳みそが今日も旨い!﹄と言う他の部位も食
えと言いたくなる言葉。
﹃プギャー!目の前で不老不死の霊草を奪われて、ねえどんな気
持ち?ねえどんな気持ち?﹄と、非常に腹が立ってくる声。
﹃ギアヒャヒャヒャ!腐り落ちろ!枯れ果てろ!火を焚け!火を
焚け!﹄と、まるで熱病に浮かされたように激しく言い続ける声。
﹃あぁー、スサノオちゃんにまた酌をしてもらいたいんじゃあー、
殺されてもいいからしてもらいたいんじゃあー﹄等と言う明らかに
酔っ払いが言っている雰囲気のある言葉。
1733
と言ったところであり、これでもまだ一例でしかなく、酷い物は
もっと酷かったりする。
何と言うか⋮⋮うん、百年の恋も冷めそうなぐらいに酷い情報ば
かりである。
﹁でも、たぶんだけど、これでもまだ外に溢れている情報の極々一
部、私と波長が合っている情報でしかないんでしょうね﹂
私は歩きながら、考察を続ける。
今私が受信している情報はごく限られた、私との親和性が高い情
報であることは間違いない。
ラミア
なにせ、どの情報にも必ず蛇が関わっているからだ。
この共通項と私が蛇の妖魔であることが無関係である可能性は低
いだろう。
﹁と、見えてきたわね﹂
アンルスト
やがて私の視界に壁もなく立っている扉と、何かを填め込めるよ
うに溝が彫られた台座が入ってくる。
そのため、私は思考を切り上げると、﹃不錆﹄を手に持って、台
座に近づく。
﹃さあさ、そのハルバードが鍵の一つだから、とっとと填め込むの
ニャ。そしてぐいっと回すのニャ。そうすれば会えるのニャ﹄
﹁⋮⋮﹂
私を狙い撃ちにした誰かからの情報は無視して、私は台座を観察
する。
台座には幾つもの形や大きさが違う溝が彫られていた。
四角い物や丸いもの、星形や剣型のものもある。
そして、﹃不錆﹄が丁度填まりそうな溝もあった。
1734
﹁はぁ⋮⋮﹂
私は溜め息を吐きつつ、﹃不錆﹄を溝に填め込み、回す。
すると扉の方から鍵が外れるような音がし⋮⋮
﹁っつ!?﹂
次の瞬間には扉が開け放たれ、その向こうから光が放たれ、私は
呑み込まれた。
1735
第317話﹁世界の秘密−2﹂︵後書き︶
﹃﹄七連内の情報はイメージしている神話があります。
と言うわけで答え合わせをしたい方はスクロールをどうぞ。
﹃﹄七連内の台詞は順にヘルメス、サマエル、スヴァーヴニル、ザ
ッハーク、シーブ・イッサメルアメル、ホヤウカムイ、ヤマタノオ
ロチをイメージしております。
作者の勝手なイメージですが。
12/18誤字訂正
1736
第318話﹁世界の秘密−3﹂
﹁ここは⋮⋮﹂
光が止んだ時、私の周囲の光景は一変していた。
先程まで私が居た場所には台座と扉以外には一切の人工物が無く、
大地も血のように赤い岩に覆われていた。
だが、今私が居る場所は立派な絨毯が敷かれ、綺麗な装飾の柱に
シャンデリア、その他各種美術品が配された立派な空間⋮⋮何処か
の屋敷のホールのような場所だった。
当然、気温も身を切る様に冷たい物から、暮らすのに適度な暖か
さになっている。
完璧な空間移動⋮⋮いや、亜空間移動だった。
﹁あ、来たんだね﹂
﹁誰?﹂
私は声がした方に顔を向ける。
ウェアウルフ
そこに立っていたのは狼の耳を頭から生やし、狼をモチーフにし
た装飾品を幾つも付けている、一見すれば狼の妖魔の人妖にも見え
る少女。
だが、少し目を凝らせば分かる。
彼女は狼の妖魔ではない。
と言うより、私とは根本から⋮⋮生まれた世界も育ちもその身に
アウターワールド
帯びている力の種類すらも違う。
完全に外の世界の存在だった。
﹁イズミはただの案内役だよ。貴方をここに呼んだ存在から、貴方
を自分の下に連れてくるように言われてる﹂
イズミと名乗った少女はそう言うと、視線を自らの背後に在る階
1737
段へと向ける。
﹁案内役⋮⋮ね﹂
さて、付いて行くべきか、付いていかないべきか。
いやまあ、この島に来た理由を考えると、付いて行く以外に選択
肢はないのかもしれないけれど、彼女が本物の案内役であるという
保証は何処にもない。
﹁一応言っておくけど、イズミはイズミの仕えている相手から頼ま
れて、緊急で寄越されただけだから、詳しい事情は知らないよ﹂
と、私の考えている事が伝わってしまったのか、イズミは何処か
呆れ気味にそう言う。
それにしても緊急で寄越されたという事は⋮⋮イズミの仕えてい
る主と、私を呼んだ例の神は別の存在と言う事か。
それなら案内役として多少は信頼できるかもしれない。
神同士と言えども、やっていい事と悪い事がヒト同士のそれと大
きく異なるとは思えない。
﹁分かったわ。案内して。私の名前はソフィアよ﹂
﹁男なのに女みたいな名前に喋り方だね。いいよ、イズミに付いて
来て﹂
どうやら私の性別も完全にバレているらしい。
まあ、バレたところで大した問題はないか。
私はイズミの後に付いて行く形で、ホールの階段を昇り始めた。
−−−−−−−−−−−−−−−
﹁それにしても随分と広いのね⋮⋮﹂
1738
﹁無駄に広いと言った方が正しいと思うよ﹂
イズミと共に移動を始めてから数分後。
目的地にはまだ着かない。
空間を弄れるのであれば、空間を広げるぐらいは出来て当然だろ
うし、見かけ以上に屋敷が広くても違和感はない。
が、イズミの言う無駄に広いという言葉に同意したくなる程度に
は広く、複雑な構造を取っているようだった。
﹁バトバトバトラー﹂
﹁メイド、メイド、メメイド﹂
私とイズミの横を、頭に侍女が使う頭巾や執事が使いそうな眼鏡
を付けた水色の海月が何かを話しながら慌てた様子で駆け抜けてい
く。
﹁B班は庭の整備を、C班は第28通路の掃除を⋮⋮﹂
﹁おい、F班は何をやっている?休憩時間はもう終わりだと伝えて
こい﹂
﹁ジージョー﹂
﹁シッツージー﹂
そして、先程横を通り抜けた水色の海月を追うように、水色髪に
紫色の目をした侍女と執事、そして水色の海月たちが忙しそうに通
り過ぎていく。
彼らの発している雰囲気、纏っている空気は、イズミのそれより
もさらに私から遠く離れたものであると私は感じた。
彼らの実力や正体は分からない。
が、外の世界の存在である事だけは確かだろう。
﹁気にしなくても大丈夫だよ。彼らはこの屋敷を掃除しに派遣され
てきただけだから﹂
﹁派遣?﹂
1739
﹁そう言う会社があるの。﹃世界規模の大掃除だってやってくれる
凄腕の部隊を呼んでおくから、安心するのニャー﹄とか言ってたか
な﹂
﹁逆に不安になるわね。それ﹂
後、イズミの発言からして、彼らもまた例の神とは別の神に仕え
ている存在であるらしい。
それにしても世界規模の大掃除でもやってくれると言う話なのに、
あれほど忙しそうにしていたと言う事は⋮⋮ああいや、その流れは
今は考えないでおこう。
実際にその現場を見てみなければ、判断は下せない。
それと、語尾にニャーとか付ける神は信頼しない方がいい。
私の直感がそう言っている。
﹁それよりももうすぐ着くよ﹂
﹁そう、ようやくなのね﹂
私は何となく窓の外を見る。
そしてすぐに後悔する。
窓の外には無数の薬草が好き放題に生えた庭が何処までも続いて
いて、水色の海月たちが必死な様子で切り揃えていた。
あ、うん、やはりそう言う事なのだろう。
﹁⋮⋮﹂
もしかしたら、この先はどれだけ私が耐えられるのかを試される
のかもしれない。
例の神視点ではそんな意識などないだろうけど。
﹁この部屋だよ﹂
イズミが部屋の扉をノックする。
﹁入れ﹂
1740
部屋の中から例の神の声がする。
﹁失礼します﹂
﹁お邪魔するわ﹂
そしてイズミと共に私は部屋の中に入り⋮⋮
﹁うん、よく来た。歓迎しよう﹂
私は革張りのソファーに座る例の神の姿を視界に捉えた。
1741
第318話﹁世界の秘密−3﹂︵後書き︶
12/19誤字訂正
1742
第319話﹁世界の秘密−4﹂
﹁さて、茶でも飲みながら⋮⋮ああ、海月共が片付けてしまったか
ら、呼び出さなければいけないのだったな﹂
例の神は私が以前インダークの樹の根元で幻視した時と同じ姿で
革張りのソファーに座っていたが、立ち上がって何かをしようとす
るが、何かに気づくと机に備え付けられた小さな鐘を鳴らす。
﹁まったく、私は屋敷の中の物は全部把握していると言うのに、何
故片付けなければいけないのやら。妹と娘の紹介だから受け入れた
が、訳が分からん﹂
﹁﹁⋮⋮﹂﹂
ああうん、やっぱりそう言う事なのだろう。
たぶん私とは別の椅子に座っているイズミも気付いているだろう
が、例の神は物が片付けられないタイプであるらしい。
片付けられないと言っても、物を散らかして汚いと言う意味では
なく、自分だけは何処に何が有るのかを把握しているので、元有っ
た場所に戻さなくても問題ないと言う話だが。
後、イズミやあの侍女たちの様子や所属から考えるに、常駐の部
下を持っていないのだと思う。
居たらイズミを呼ぶ必要はないはずである。
﹁さて、まずは自己紹介といこうか﹂
やがて水色髪紫目の侍女が何処かから現れ、香りのいいハーブテ
ィーを私たちの前に置いた後、何処かに消え去る。
さて、既に例の神について残念な方面の情報は出て来ているが、
本題はこれからである。
1743
ハイド
﹁私の名前はリコリス=H=インサニティ。﹃秘匿﹄と呼ばれる事
もあるが、この世界トリスクーミでは、人間と言う種をこの世界に
もたらす祖神であると言った方が正しいな﹂
例の神改め﹃秘匿﹄リコリス=H=インサニティはハーブティー
を一口すすると、自らの事を自慢げに紹介する。
それにしても人間と言う種をこの世界にもたらした⋮⋮ね。
﹁人間⋮⋮と言うのは、ヒト、妖魔、英雄を一括りにしたものでい
いのかしら?﹂
﹁ああ、その認識で問題ない。最初のヒトは私が色々な物を混ぜ合
わせて作ったものだし、妖魔は私が地脈という形でこの世界に流し
込んでいる魔力が特定の条件下で、不安定ながらも生命体化するよ
うにしたものだ。英雄⋮⋮ああ、後天的なものだな。それは不定期
にソナーを打ち、力を求める者を見つけ、地脈を介して私の魔力を
授けてやったものだ。だから、根本的には同一のものだ﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
﹃秘匿﹄はどうだと言わんばかりの顔で、自分のしたことを語っ
ているが、中々に巨大な爆弾になりそうな情報が出てきている。
と言うかだ。
今の話が正しいのであれば、妖魔がヒトを食べなければならない
のは、不安定な生命体であるのが原因ではないのだろうか。
不安定だからこそ、安定化の為に根本が同じであるヒトを喰らわ
なければならないのではないだろうか。
私がフローライト以外の英雄を食べたいと思えなかったのも、フ
ローライトが自ら命を絶ったのも、﹃秘匿﹄の魔力が原因ではない
だろうか。
⋮⋮。
まあいい、全ては憶測でしかない。
今は話を進めよう。
1744
﹁どうした?﹂
﹁いえ、何でそんなシステムを作り上げたのかと思ったのよ。人間
に自分の身の回りの世話をやらせたり、この世界の開拓をやらせた
いと思うなら、貴方の周囲にそれ相応の数の人間が居るか、貴方の
存在が広く知られているべきでしょう。でも、私の知る限り貴方の
存在を知る人間は居ないも同然だわ﹂
﹁ああ、その事か﹂
私の誤魔化しに﹃秘匿﹄は納得したような表情で頷く。
それはさておき、妖魔が死んだ時に魔石化するのもおかしな点で
はある。
シェルナーシュ曰く、魔石化して魔法と言う形で別の現象になっ
てしまえば、その魔力の大半は地脈に還らず、周囲に霧散すること
になるそうだ。
これでは何かしらの補給手段がない限り、﹃秘匿﹄の魔力がどれ
ほど膨大な物であっても、いずれは枯渇してしまうはずである。
﹁それは私の目的上、私の存在が知られていない方が都合がいいか
らだ﹂
﹁都合がいい?﹂
﹁私はな、人間に戻りたいんだ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹃秘匿﹄は至極真面目そうな顔で自分の目的を、そして多少の昔
話をする。
その話によれば、﹃秘匿﹄は元々普通の人間の娘であったらしい。
だが、ある時突然トリスクーミの地脈に存在している魔力を全て
足しても比較対象として小さすぎる程の力を授かってしまったらし
い。
で、その後色々とあって、力を分割する際に人格と肉体も分かれ
て、﹃秘匿﹄は大昔のトリスクーミにやって来たそうだ。
﹃秘匿﹄は人間だった頃の自分をよく覚えている。
1745
覚えているからこそ、あの頃に⋮⋮こんなふざけた力を持ってい
ない自分に戻りたいらしい。
そして、人間に戻る手段として、その身に宿った膨大な力を効率
よく、けれど激しい反応を伴わないで魔力を消費する方法を求め、
ヒト、妖魔、英雄と言う人間を三種に分けるシステムを造り上げた
との事だった。
﹁まあ、実際効率はいいわよね。ヒトは放っておいても勝手に増え
て、勝手に開拓をして、勝手に魔力を消費してくれる。妖魔は魔力
を消費して生み出され、ヒトを喰らい、地脈に還らない。英雄も魔
力を消費して生み出され、増えすぎた妖魔を狩り、その内死んで魔
力は霧散する。ヒトの数が増えれば増えるほど、魔力の消費スピー
ドは上がるし、魔力の浪費をする上では素晴らしいシステムだわ﹂
﹁ふふん、そうだろう﹂
尤も、システム考案者にとって都合がいいだけで、このシステム
の輪に組み込まれる側にとっては堪ったものでは無いだろう。
特にある面において致命的に拙い点がある。
だがそれを指摘するよりも先にだ。
﹁で、こんな話を私にして、貴女は何をしたいの?リコリス=H=
インサニティ﹂
私をこの場に招いた理由。
それをいい加減に問い質すべきだろう。
﹁ふふふ、話が速くて助かるな。だがその前に語るべき話がある﹂
﹁語るべき話?﹂
だが私の質問を遮って、﹃秘匿﹄は自分の話を続ける。
分かってはいたが、﹃秘匿﹄はヒトの話を聞かない方であるらし
い。
1746
﹁⋮⋮。貴様についてだよ。土蛇のソフィア﹂
そして、少しの溜めと共に切り出されたのは、私についての話を
すると言う言葉だった。
1747
第319話﹁世界の秘密−4﹂︵後書き︶
つまりヒトも、妖魔も、英雄も、システム的には人間だったんだよ
!
1748
第320話﹁世界の秘密−5﹂
﹁先程も言ったように、妖魔は私の魔力を生命体化させたものだ。
そして、生命化の際には私の魔力だけでなく、周囲の環境から各種
ハイド
情報を集めている。この情報によって実際に生まれる妖魔の種類や
性格、性質が決定されるわけだ﹂
﹁へぇ、それは知らなかったわね﹂
先述の私についての話をすると言う言葉を裏切って、﹃秘匿﹄は
妖魔の成り立ちについて語る。
その情報自体は私にとっても重要な物であるから構わない。
後、この情報が正しいのであれば、トーコやシェルナーシュのよ
うな人妖は、妖魔の種族を決定するのに必要な情報のほかに、ヒト
の情報も多量に取り入れているのではないかと思う。
そこから、今後は普通の妖魔よりも人妖の方が生まれやすくなり、
場合によってはヒトの妖魔そのものが生まれるのではないかと言う
予測も立てられるが⋮⋮まあ、今は気にしなくていいだろう。
﹁このシステムの素晴らしい点は、生まれる妖魔の多様性がとにか
く多岐に渡ると言う点だ。そのおかげで、妖魔に対して絶対的に有
効な対策と言うものを立てる事は不可能になっている。どうだ、素
晴らしいだろう﹂
﹁そうね。素晴らしいと思うわ﹂
まだ私の話に移る気配はない。
まあ、﹃秘匿﹄だから仕方がないか。
それにしても多様性⋮⋮か、サブカのあの異常な精神性は多様性
の枠に留めてもいいのだろうか。
﹃秘匿﹄の話を聞いている今になって見返してみたからこそ言え
ることだが、サブカのアレは妖魔としては絶対にあってはいけない
1749
精神性だと思う。
それがあると言う事は⋮⋮﹃秘匿﹄が誇る妖魔を生み出すシステ
ムの何処かに、何か重大なバグが潜んでいるのではないだろうか。
有ったとしても私にはどうにもできないが。
﹁うむ、そこで貴様の話に移ろう。単刀直入に言おう。土蛇のソフ
ィア、お前には不純物が混ざっている﹂
﹁不純物?﹂
さて、いよいよ私の話であるらしい。
﹁そうだ。貴様がこの世に生れ出る時、私の力と同質の、けれど私
以外を源とする力が貴様の構成要素として紛れ込んだ。その結果と
して、貴様は普通の妖魔とは一線を画す存在と化した﹂
﹃秘匿﹄の力と同質、けれど﹃秘匿﹄以外を源とする力⋮⋮か。
さっき力を分割した時に人格を分割したと言っていたはずだから、
その﹃秘匿﹄の分割した人格とやらを源とした力なのだろう。
ただ、量は﹃秘匿﹄の力の総量からすれば微量であるようだし、
﹃秘匿﹄の分割した人格が持つ力をさらに分散させたようなもので
はないかと思う。
﹁具体的に言えば、貴様は他の世界と繋がる穴と化した。トリスク
ーミに私が張っている他の神々の干渉を退ける為の仕掛けを無視し
カドゥ
ケウス
て、外の世界の情報の一部を得られるようになってしまったわけだ
な﹂
と言うわけで、﹃秘匿﹄が私の﹃蛇は骸より再び生まれ出る﹄な
どの特別な魔法についての話をしている中、私はイズミに視線を向
ける。
外の世界で﹃秘匿﹄の言う不純物が撒き散らされるような事件が
あったのかと言う想いを込めて。
1750
﹁ん⋮⋮﹂
﹁⋮⋮﹂
イズミは小さく、けれど確かに頷く。
どうやらそう言う事件は実際に有ったらしい。
うん、﹃秘匿﹄の勘違いとかは流石に無かったか。
ならこの先は⋮⋮
アウターワールド
﹁この事態は非常に拙い物だと言っていい。なにせ⋮⋮﹂
﹁要するに、私を介して外の世界の神々がトリスクーミに攻め込ん
でくる可能性があるから、私に大人しくしていろ。もしくは死ねと
言いたいのね﹂
私が生き残るためにも、こちらが主導権を握った方がいい。
﹁え、あ、いや⋮⋮﹂
﹁はっきりしろ﹂
﹁わ、私に貴様を殺すのは無理だ!と言うか、不純物が混ざってい
る貴様がこの世界で死んだら、何が起きるか分かったものでは無い
ぞ!あの力はとにかく根性が捻じ曲がっているクソみたいな力だか
らな!﹂
﹁へぇ⋮⋮﹂
と言うわけで、これまでのやり取りから﹃秘匿﹄が自分の方が上
だと思っている事や、何千年と一人で過ごしていたせいで交渉事が
とにかく下手な事、挙動や言葉、視線などから﹃秘匿﹄の精神性を
考察し、あらゆる手段を用いて引き出せるだけ情報を引き出す事に
する。
と、思っていたら即座に殺せないと言わせてしまった。
偽情報の可能性は当然考慮するが。
﹁殺せないの⋮⋮﹂
﹁こ、殺せなくても捕える事は⋮⋮﹂
1751
﹁あら、そんなに底意地の悪い力なら、捕えただけでも何かをしで
かすかもしれないわよ﹂
﹁ぬ、ぬぐっ⋮⋮﹂
イズミの私に向ける視線が何処か非難めいたものになっている気
もするが、無視する。
今はこの流れのままに押し切ってしまう方が優先である。
﹁じゃあ、私をこの屋敷に招いてどうするつもりだったのかしら?
殺す事も捕える事も出来ないのなら、何か別に用事があったと言う
事よね。それとも、まさか話がしたかっただけなんて言わないわよ
ねぇ﹂
﹁も、もちろん別に用事は有ったとも﹂
﹁具体的には?﹂
﹁貴様をトリスクーミの管理者にしてやる。ヒトを滅ぼしさえしな
ければ、好きなだけヒトを増やして食っていいぞ﹂
﹃秘匿﹄がどうだと言わんばかりの顔で言ってくる。
なので私は⋮⋮
イグニッション
﹁馬鹿かアンタは﹂
断ると同時に、着火の魔法で沸騰する程度に加熱したハーブティ
ーを﹃秘匿﹄に向けて投げつけた。
﹁あっつあああぁぁぁ!?﹂
そして、沸騰したハーブティーを浴びた﹃秘匿﹄は叫び声を上げ
た。
1752
第320話﹁世界の秘密−5﹂︵後書き︶
熱々の茶はぶっかけるもの
1753
第321話﹁世界の秘密−6﹂
﹁き、貴様!いきなり何をするか!﹂
﹁アンタが私の事を理解していれば、絶対に出してこないような条
件を出したからでしょうが﹂
涙目になっている﹃秘匿﹄を見下しつつ、私は淡々と口を開く。
﹁と言うか、今のハーブティーが避けられなかった辺りからして、
アンタ、碌な戦闘経験もないでしょ﹂
﹁な、何故それを!?﹂
﹁ついでに腹芸の心得も無いみたいね﹂
﹁は、腹芸?﹂
﹁と言うか根本的に経験不足ね。私、そんなに非一般的な言葉は使
っていないわよ﹂
内心で呆れつつも、その事実を隠して私は﹃秘匿﹄の観察をする。
﹃秘匿﹄は沸騰したハーブティーを頭から被ったが、火傷などは
していない。
どうやら、戦闘経験はなくとも、生来の強さのおかげであの程度
では怪我などはしないらしい。
﹁こ、この⋮⋮私の事を馬鹿にするのも大概に⋮⋮﹂
﹃秘匿﹄の発する魔力が強くなっていく。
まあ、戦いになれば私に勝ち目はないだろう。
技術ではどうやっても埋められない程度には地力に差があるし。
﹁私を殺したらどうなるか分かった物ではない。そう言ったのは貴
女でしょう。リコリス=H=インサニティ﹂
﹁ぬぐっ!?だが⋮⋮﹂
1754
﹁捕えても何かが起きる﹂
﹁ぐ⋮⋮﹂
﹁傷つけるなら私だって全力で抗うわよ。それこそ自分の命を天秤
に乗せるレベルで、外の世界の神々の目にも留まるように﹂
﹁うぐぐ⋮⋮﹂
と言うわけで、一切の恐れを隠しつつ、﹃秘匿﹄自身の言葉と﹃
秘匿﹄でも理解できるぐらいに当たり前の事柄を使って、手を出せ
ないようにすることで戦いを回避する。
﹁で、話を戻すけれど、トリスクーミの管理者になる対価に、ヒト
を好きに出来る権利を貰っても意味なんてないわ。だって、今のト
リスクーミではヒトも妖魔も好き勝手にやっているもの﹂
﹁えっ⋮⋮﹂
﹁それぐらい知っておきなさいよ。ついでに言うと私は量よりも質
派なの。それこそ一回の食事の為に国一つ作って滅ぼす程度にはね。
と言うわけで、貴方の出した条件じゃ私は釣れないの﹂
﹁ぬぐう⋮⋮﹂
で、こうして会話をしていて分かったが、どうやら﹃秘匿﹄はト
リスクーミの現状すら理解できていないらしい。
と言うか、サブカと言う﹃秘匿﹄視点としては放置厳禁の妖魔を
放置している時点で、色々と駄目だろう。
この分だと、地脈から妖魔を生み出すシステムも別の誰かが造っ
たと考えた方が適当かもしれない。
﹁そんなわけだから、私をトリスクーミの管理者にしたいのであれ
ば、私の出す条件を呑む事ね﹂
﹁条件だと?﹂
﹃秘匿﹄は私の言葉に対してあからさまに身構える。
流石にいじめ過ぎたらしい。
1755
﹁ええ、色々とあるわよ﹂
だがトリスクーミの管理者になる代わりに、色々と﹃秘匿﹄に対
して物を言えるこの機会は十全に生かすべきものである。
と言うわけで絞り出せるだけ絞り出させてもらおう。
具体的に言えばだ。
・﹃秘匿﹄が居なくなってからでもヒト、妖魔、英雄のシステムが
維持されるようにするための改修
・ヤテンガイを利用した世界各地から情報を集めるシステムの構築
・フローライト、ペリドット、それにセレニテスに関しての情報開示
・その他異常事態への備え
・私の使う特別な魔法の使用制限の基準制定
・﹃秘匿﹄自身の教育
等々である。
なお、ヤテンガイの樹を利用したシステムには、私が以前に回収
したヤテンガイの木の実から種を取りだし、それを水色髪の侍女が
サマエル
急速成長させ、そこから大量生産した種を世界中に撒く事で構築す
ることにしたのだが、生育には﹃蛇は罪を授ける﹄も利用したので、
今後のヤテンガイは今までのヤテンガイとはほぼ別種と言ってもい
い代物である。
﹁うう⋮⋮どうして私が貴様に教育されなければならないのだ⋮⋮﹂
﹁アンタが人間社会の事をまるで理解していないからでしょうが。
本当に人間に戻るかの検討もしておきなさい。でないと碌な目に合
わないわよ﹂
それと、﹃秘匿﹄の教育についても﹃蛇は罪を授ける﹄は活用さ
せてもらう。
どうにも人間時代とやらが幸せすぎたようであるし、人間に戻っ
ても幸せになれるとは限らないと言う点だけはしっかりと教えてお
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かねばならない。
﹁これから大変そうだね﹂
﹁そうね。ただまあ、なんとかするわよ﹂
さて、こうして一応の話がまとまり、事が動き出した頃だった。
イズミが私に話しかけてくる。
﹁で、どうしてそこまでするの?﹂
﹁⋮⋮。私が妖魔らしく生きる為よ﹂
﹁イズミがこの世界を調べた限り、ソフィアの生き方は妖魔らしく
ないと思うんだけど?﹂
﹁そうかもしれないわね。でも、こうでもしないと、私の愛した相
手が生きたこの世界は破綻することになる。それを見過ごすのは何
かが違うと思ったのよ﹂
実際、もしも今のシステムのままだたっら、遠い未来のことでは
あるが、﹃秘匿﹄が力を使い果たすと同時に、トリスクーミは崩壊
するだろう。
なにせ﹃秘匿﹄が力を使い果たすと言う事は、妖魔も英雄も生ま
れなくなるだけでなく、魔法そのものが失われる事に繋がりかねな
いのだから。
﹁だから管理者になって、維持を図る?﹂
﹁だから管理者になって、致命的な破綻だけは避けるのよ﹂
﹁ん?﹂
﹁ヒトがヒトらしく、想いのままに生きてこそ、妖魔も妖魔らしく
生きれると言う事よ﹂
﹁ふうん⋮⋮﹂
﹁ーーーーーーー!﹂
﹁ま、分かってもらえなくても構わないわ。じゃっ、私は﹃秘匿﹄
が癇癪を起したみたいだし、そっちに行くわ﹂
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そうして私は﹃秘匿﹄の下でしばらく過ごして、やるべき事を一
通りやり遂げると、現地で色々と動くために﹃秘匿﹄の下を旅立っ
たのだった。
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第322話﹁世界の秘密−7﹂
レーヴォル暦948年、フロウライト・ペリドットのとある家屋
にて。
﹁そうして今に至る。と言うわけですか﹂
﹁ええ、そうなるわ﹂
私は彼⋮⋮ああいや、彼女と暗い家屋の中、一対一で話をしてい
た。
彼女の話は実に興味深く、今までに我々の歴史で起きた出来事を
整合性を持って、よく説明できていた。
が、残念な事に彼女の話を真実であると証明できる証拠は早々見
つからないだろう。
﹁群雄時代や暗黒時代には何を?﹂
﹁んー⋮⋮貴方が言う所の群雄時代や暗黒時代にも、一応色々とや
ってはいたわ。けれど、トリスクーミの管理者である以上、ヘニト
グロ地方にだけ関わっているわけにはいかないし、その二つの時代
で私がやった事と言えば、今までやった事の焼き直しみたいなもの
なのよ﹂
﹁つまり貴方の助力を願う者の影に隠れて、状況を自分にとって都
合がいいように動かす。ですか﹂
﹁端的に言ってしまえばそうなるわね﹂
なにせ、彼女の語る歴史が真実である場合、世界がひっくり返る
のではないのかと言う程の衝撃が世界中を襲う事になるのだから。
そんな状況はどの有力者も⋮⋮それどころか、彼女自身も望まな
いだろう。
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﹁ああでも、暗黒時代については一つ言っておく事が有るわね﹂
﹁ほう﹂
彼女はふと、何かを思い出したかのように笑みを浮かべる。
その笑みはとても蠱惑的で、彼女の正体を知らなければ、その笑
みだけで引き摺り込まれてしまいそうな物だった。
﹁あの時代、私は殆ど何もしていないの。とある村を馬鹿な聖職者
から救いたいと言う少女の願いを叶えたぐらいかしら﹂
﹁﹃エイド村の聖女﹄ですか?﹂
﹁ええそうよ。確かそんな名前の村だった﹂
﹁しかしそうなると⋮⋮妙な事になりますね。あの時代が終わるき
っかけになったのは、一人の修道士が御使いに出会って、教えを授
かった事だったはずですが。貴方は⋮⋮御使いソフィール自身はそ
れに関わっていない。と﹂
﹁ええ、私は間違いなく関わっていない。他の二人もこの件には関
わっていない。でも御使いは現れたの﹂
﹁不思議な事もあるものです﹂
﹁本当にね﹂
私は彼女の話を聞きつつも、その修道士が見た御使いが何だった
のかを考える。
私の前に居る彼女が嘘を吐いていると言う可能性を除外して、そ
の上で順当に考えれば、修道士が幻覚を見た、偽物の御使いだった、
作り話だったと言ったあたりが妥当な所だろう。
しかし、彼女の様子を見る限り、彼女は修道士が現実に何かを見
たと確信しているらしい。
﹁でもそうね。もしかしたら本物の御使いが、新しい御使いが、私
の知らない内に何処かに生まれているのかもしれないわ。それなら
説明も付くわ﹂
﹁貴方がそれを言いますか﹂
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﹁私だからそれを言うのよ﹂
本当に彼女は楽しそうにしている。
その様子は、まるで長らく見なかった友と再び出会えることを喜
んでいる様にも見えた。
だが、何故そんな表情をしているのだろうか?
﹁さて、これで私の話はおしまいにしましょうか﹂
と、彼女が椅子から立ち上がる。
なので、私も彼女に追従するように慌てて立ち上がる。
﹁今回はお世話になりました﹂
﹁ふふふ、言うほど大したことはしてないわ。どうせ一般向けには
発行出来ないでしょうし﹂
﹁いやまあ、それはそうでしょうが、貴方のおかげで長年の疑問が
氷解しましたよ﹂
﹁それは嬉しいわね﹂
実際、彼女の言うとおり、彼女の話をまとめたこの本を世に出す
事は出来ないだろう。
いや、その気になれば出せるのかもしれないが、少なくとも私の
命はないだろう。
﹁それじゃあ⋮⋮﹂
彼女が家の外に繋がる扉に手を掛ける。
そこで私は一つ質問するべき事柄が残っていた事を思い出す。
﹁ああ待ってください。一つお聞きしたい事が残っていました﹂
﹁何かしら?﹂
﹁貴方は、ヒトの事をどう思っていらっしゃるのですか?﹂
月の光によって彼女の笑みが闇の中に浮かび上がる。
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﹁愛しているわ﹂
﹁愛している⋮⋮ですか﹂
その笑みはこの数週間で見た彼女の表情の中で、最も美しい顔だ
った。
﹁ええそうよ。それこそ、食べて一つになってしまうほどに﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁私はヒトを愛している。だから私は今もヒトの敵として在り続け
ている。妖魔らしく生きている﹂
﹁妖魔らしく⋮⋮﹂
﹁ヒトがヒトらしく生きている限り、私も妖魔らしく生き続ける。
それが私の在り方よ﹂
彼女の姿が闇に消え去って行く。
﹁何時までも私が愛せるような存在であってほしいとは言わないけ
れど、幻滅だけはさせないで頂戴ね﹂
その言葉を最後に彼女⋮⋮土蛇のソフィアの姿は完全に消え去る。
後には何も残っていなかった。
だが、彼女が確かに存在していた事を示すように、私のノートに
は彼女との語らいが記されていた。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−
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土蛇のソフィア。
蛇の人妖である彼女は1000年以上の時を生き続ける最凶の妖
魔であり、魔王と呼ばれる事もある。
彼女は今もヒトの社会に潜み、ヒトを喰らっている。
彼女はヒト共通の敵である。
これらは間違いなく事実である。
だが彼女は間違いなくヒトを愛してもいる。
愛しているが故に彼女はヒトを喰らうのである。
彼女が死ぬ時は⋮⋮ヒトがヒトで無くなってしまった時ではない
かと私は思う。
歴史家 ジニアス・グロディウス
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第322話﹁世界の秘密−7﹂︵後書き︶
これにてソフィアズカーニバル完です。
およそ一年の連載にお付き合いいただき、ありがとうございました。
なお、新作は年明け、1月3日12時からの投稿を予定しています。
12/24誤字訂正
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n7678cm/
ソフィアズカーニバル
2016年7月6日13時13分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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