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99北陸大会報告書

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99北陸大会報告書
第10 回日本サイン学会'99 北陸大会報告書
地域のサイン情報
開催日
平成11年 8月27日∼28日
研究大会会場
高岡短期大学講堂
発表展示・協賛展示会場
高岡短期大学・ホワイエ、
エントランスホール
エキスカーションI
鋳物の町、高岡・戸出
エキスカーションII
木彫り里、井波町
エキスカーションIII
水車の里、城端町
目次
はじめに
3
4
第10回日本サイン学会'99北陸大会報告書発行にあたって:太田幸夫
プレ・スライド上映会
:武山良三
「サインとまちづくり・・・欧州から高岡まで」
6
パネルディスカッション/発表レジュメ集
「市民がつくる地域のサイン」
山昌一(高岡短期大学)
コーディネーターー: 蝋
パネラー:
雄(京都芸術短期大学)
奈良磐
南部白雲(南部白雲彫刻工房)
吉富敦子(末広町商工会)
水野一郎(金沢工業大学)
13
パネルディスカッショオン/書き起こし
32
山岸政雄、野島宏英「金沢の伝統サイン」 36
佐藤優「地域のイメージ誘導手法と事例」
37
坂野長美「沖縄のサインを読む」
43
辻村匡「案内表示の外国語表記について」
45
陳景仁、木村浩「展示施設における分かりやすい表示の研究(1)」
47
金尚泰、木村浩「VRMLのコミュニケーションデザインへの応用についての研究」
49
木村浩「Webにおけるバリアフリーの研究」
51
岩田功次「ネイチャーボイスと自然に優しい人づくりのサイン計画」
52
古川政明「高齢化社会の歩行環境サインへの試案」
56
展示発表
58
エキスカーション報告:佐々木啓吉
日本サイン学会
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
はじめに
●
日本サイン学会第10回'99北陸大会
実行委員会
武山良三(高岡短期大学/実行委員長)
島津勝弘(島津勝弘環境グラフィックス/大会事務局)
前沢幸則(立山アルミニウム工業株式会社)/実行委員)
ナガシマヨシホ(MILESTONE ART WORKS/実行委員)
日本サイン学会の記念すべき第10回大会が8月27日∼29日の両日、富山県高岡市の高
岡短期大学および戸出、井波町、城端町を会場に開かれた。今回は地域におけるサイ
ンに的を絞り、大会に向けて様々なプロジェクトを発足させた。西条小学校の協力を
得て、地域の情報を子供達の目から見直そうという「子供達が見た高岡」
。存続が危
ぶまれる高岡∼新湊間を走る路面電車「万葉線」を市民の手で守ろうというラクダ高
岡の「万葉線再生計画」
。
「地域のサインレベルの向上を自分たちの手で」と取り組ん
だ富山県屋外広告業団体連合会による「高速道路インター付近のサイン計画」
。富山
ガラス研究所の協力を得て、手仕事による小型サインを目指した「卓上型ガラスサイ
ン」など、プロジェクトの成果が具体的な形となって会場に展示された。
舞台となった高岡には伝統の鋳物産業から、アルミ産業まで、サインに関わりを持
つ多くの企業がある。協賛展示やエキスカーションを通して、高岡周辺にあるサイ
ン・リソースを再確認しすることも今回の大目標となった。
初日のパネルディスカッションでは高岡短期大学の蝋山昌一学長自らがコーディネ
ータとなり、軽妙な進行でパネラーの発言が巧みに引き出されたが、
、
「地域のサイン
とは何のことかさっぱりわからない」と切り出しながら、最後には具体的な高岡とし
ての問題と、日本全国どこの町でも取り上げ、改善していかなければならない普遍的
な問題とに分けて、このテーマにひとつのまとめをいただいた。
景観と屋外広告、そして地域における活性化の問題はサイン学会が発足した10年前
にも、まず取り上げられたテーマである。残念ながら、現状はあまり変わっていない
ように思われるが、経済から暮らしの豊かさへ・・・価値観の転換が図られる今日、
このテーマは益々重要になってきているのではないだろうか。
●
●
後援
協賛展示
財団法人富山高等教育振興財団 立山アルミニウム工業株式会社 国立高岡短期大學
株式会社竹中製作所 富山県 株式会社ダイカン 高岡市
株式会社タイキュ 富山県屋外広告美術共同組合 株式会社中川ケミカル 石川県屋外広告業協同組合 株式会社サカイシルクスクリーン 福井県屋外広告美術共同組合
株式会社品川アートプロ 社団法人日本サインデザイン協会
ニチレイマグネット株式会社 財団法人富山市ガラス工芸センター
スタジオ斎郡
弥栄節保存会
2
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
第10回日本サイン学会'99北陸大会記録集発行にあたって
●
太田幸夫
日本サイン学会会長
----------口頭挨拶より編集----------
皆様こんにちは、日本サイン学会の会長を務めさせていただいております、太田幸
夫です。本日は大分良くはなりましたものの悪天候の中、遠くから、あるいはとても
近くから沢山の皆様にご参集くださいまして、心より御礼申し上げます。また、国立
高岡短期大学蝋山学長をはじめ多くの皆様のご理解とご協力をいただきまして、この
ように素晴らしい会場で第11回日本サイン学会が持てますことを、心より嬉しく、
厚く御礼申し上げます。
現在、私たちをとりまく環境が、もしかしてより良く、そして望まれているように
素晴らしい環境として21世紀の扉を開くとすれば、それは私たち日本サイン学会に
課せられた、あるいは期待された大きな役割のひとつだと認識しております。先日、
しょうざん
こうしゅう
私は中国の上海の先の人口150万人くらいの街の蕭山の隣の杭州というところに数
日間行っておりまして、2万2000キロメートル位の高速道路を作るというので、
そのサイン計画の応援に行っておりました。どうやらその市長よりも、中央の共産党
の書記さんという方の方が偉いようですね。とにかく、日本で言うならば、経団連か
ら道路公団の方から建設省から、250人位でしょうかすべての方がお集まりになっ
て、何日にも渡って大変有意義な時間を持つことができました。考えてみますと、や
はりサインに対する期待と役割の大きさをひしひしと痛感した次第でございます。
今回この会場で私たちがこのような貴重な場を持てるという意味を考えてみます
と、私たちはそれぞれの立場で、例えば専門分野が、産官学それぞれの立場が、ある
いは地域が違うといった、異なった専門性の中で活動・活躍してきましたが、これか
らはそれらがインディグレイト(重なっていく)ということによって、大きくはこれ
から望まれるアメニティの高い、利便性や快適性や安全性やそれから地域性や、さら
にはトータルに文化性の高い、そういうサイン環境が可能になる。そして、それは私
たちの経験や持てる力を重ね合わせて協力していくことによってこそ、その道が築か
れるのではないかと思います。そのためにも本日私たちがここに集まって何をするの
かということは、そのためのスタートを切るという有意義な意味を持っているのでは
ないかと私はひしひしと痛感している次第でございます。多くの方のご理解とご協力、
つまり、私たちサイン学会が皆様を利用させていただく、皆様も日本サイン学会を利
用していただく、そういう重なりの中で大きく力を束ねていくことができるのではな
いかと考えまして本日をスタートいたしまして、これらますますお力添え、ご指導の
ほどよろしくお願いいたします。
簡単ですがご挨拶と代えさせていただきます。有り難うございました。
3
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
■第1日
10:30∼12:00
●プレ・スライド上映会
会場:講堂
「サインとまちづくり・・・欧州から高岡まで・・・」
武山良三(たけやま りょうぞう)
大阪生まれ。サイン設計・施工の日本サイン株式会社、自ら設立したデ
ザイン事務所・株式会社ストロイエで、あっちこっちのサインをデザイ
ンして、1997年4月より現職。
「サインはデザイナーだけがつくるもんやないなぁ...」と実感し、高岡で
は様々な人とのつながりの中から作り上げるサインデザインに取り組ん
でいる。担当する環境デザイン論では「高岡を100倍魅力的にする企画」
を学生と共に考え、発表会を行っている。駅前を高岡らしいクラフトサ
高岡短期大学
インで埋め尽くすことが現在の目標。
産業工芸学科 産業デザイン専攻 助教授
詳細はhttp://www.takaoka-nc.ac.jp/~takeyamaをご覧あれ。
武山良三
1. 景観と風景
広辞苑によれば「景観」は、
2. ごみ、電柱、放置自転車、そして屋外広告物
「風景に昇華するにはほど遠い....」と感じさせる負
1)風景外観。けしき。ながめ。また、その美しさ。
の景観要素である。ごみは収集日指定や専用置き場の
2)自然と人間界の事が入り交じっている現実のさま。
設置。電柱は地下埋設化。自転車も駐輪場が設けられ
であり、
「風景」は、
ているが、もし駅前の広報写真を修整していいとなっ
1)けしき。風光。
たら、これらはPhotoshopでせっせと消してしまうだろ
2)風姿。風采。人の様子。
う。しかし、屋外広告物は少し性格が異なる。なぜな
とある。しかし、これでは今ひとつその差がはっきり
ら、看板がすべてなくなってしまうと、どことなく寂
しないので、両者を何枚かの写真から判断してみよう。
しいまちとなってしまうからだ。
例えば、稜線に雪を残す山々の写真を見れば「風景」
例えばお店の看板。大昔は露天で、商品は一目瞭然
と感じ、ビルが林立する都市では「景観」と呼びたく
であった。やがて店を構えるようになると店頭に見世
なるのではないだろうか。つまり、人が意図的につく
棚と呼ばれるディスプレイを設けたり、看板つけるこ
った場合は「景観」であり、自然は「風景」と考える
とで、外からは見えない様子を道行く人に伝達するよ
ことができる。
うになった。看板は生活や産業がまちに顔を出す役割
では、散居村が広がる砺波平野はどうであろうか。
を果たしているので、これが消し去られると途端に生
人が切り開いた田園、建築した民家で構成されるが、
活感の乏しいまちとなってしまうのだ。しかし、それ
井波・閑乗寺からの眺めは思わず「美しい!」と叫び
にはやはり「量」と「質」の問題がついてまわる。
たくなるほどの「風景」だ。散居村はつくられた「景
本年、英国∼オランダ∼ドイツと屋外広告物の実状
観」ではあるけれど、
「景観十年、風景百年、風土千年」
を調査して来たが、以前にも増して屋外広告物が増加
と言われるように、年月を経て、そこに住まう人々の
しているのに驚かされた。特にドイツのベルリンは東
生活や自然が徐々に同化していったため、感じ方が変
西統合後の新首都が建設されるとあって、盛り上がる
わったのではと考えられる。つまり、都市計画におい
まちと比例するかのように、再開発が進行するポツダ
ては工学的に「景観」をつくるのではなく、
「地」の
ム広場周辺では広告物が氾濫、
「これはやり過ぎでは...」
「生活」を反映した文化的な「風景」をつくっていく意
といった場所もそこここにあった。また、電話が民営
識が重要である。
化し「ドイツテレコム」として発足、インターネット
促進のISDNと携帯電話の広告をまちの至るところで見
かけたが、広告の「量」は経済に比例するものかと、
考えさせられた。
「ヨーロッパも昔に比べたら汚くなったな...」などと
感じて帰国したが、着いて愕然、日本全国、ポツダム
広場の比ではないほど広告物が氾濫しているではない
か。これでは「日本は経済力があるから...」という論理
だけでは済まされない。
イギリスとドイツについては屋外広告物指導書を入
井波・閑乗寺からの眺望
4
手したが、比較してみると日本とほとんど同じ、もし
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
くは一部はむしろ緩く、今後はさらにその規制を弱め
叫ばれた時期があったが、まちづくり、あるいは地域
る方向にあるとのことであった。
文化に貢献することが企業の新たな責任といった啓蒙
それではなぜ抑制されているのであろうか。それは
も必要だ。また、地元の香りをたっぷり吸い込んだ個
欧州では都市に新しい景観物を設置する場合は、市民
性豊かな商店が、元気よく軒を並べることも[地域の
を交えた検討委員会が行われることが常識で、充分な
サイン情報]には欠かせないだろう。
シミュレーションや議論が行われていることによる。
高岡には鋳物や漆、木材加工の伝統があり、また近
テレビなどでも討論番組が盛んに行われていることか
代ではアルミ産業などサインをはじめとする景観資材
らも、
「決め事」に対する市民の関心の高さが伺えた。
を供給できる産業がある。これらを活用してまずは高
また、欧州の屋外広告物には演劇などのポスターの
岡の駅前を変えていきたいものだ。いままで「常識的」
伝統が今でも息づいており、グラフィックデザインそ
に用いられなかった素材や加工法をもう一度見直し、
のものの「質」の高さが、超大型広告であっても「い
高岡ならではのコカコーラを表現して見せたいものだ。
いなぁ」と感じさせる要因になっているようだ。
3. 地域アイデンティティの表現としてのサイン
1968年、岡山県倉敷市で「伝統美観保存条例」が施
行されて以来、日本各地で都市景観を意識したまちづ
くりが行われるようになった。その中で屋外広告物は
規制の対象となり、例えば京都では白地に赤い文字の
コカコーラが登場し話題となった。
一方、伝統的なまちなみが残る通りでは、商店が木
材や金属、布などを用いた手作り感覚の看板を掲げ、
場の雰囲気作りにおおいに貢献することとなった。商
店主ひとりひとりが、思いを込めてつくりあげた看板
クラフト感覚でつくられた企業看板
サンフランシスコのウォータフロント「PIer 39」
は個性豊かで、充分に魅力的なものである。規制がど
ちらかと言えば消極的なデザインであるのに対し、こ
うしたクラフト看板は積極的なサインと評価すること
ができるのではないだろうか。
日本全国、どこへ行っても同じ様な表情の駅前とい
う状況をつくっている要因に、企業による全国統一サ
インが大きく影響しているが、京都や倉敷、あるいは
高山といったまちでガソリンスタンドが企業のCI基準
を変えて周囲の景観に配慮したサインをつくったよう
子供達のメッセージがまちに舞う「高岡七夕まつり」
に、これからは企業としての「統一性」を保ちながら
も「地域の個性」を尊重するデザインに取り組んでい
かなければならない時期に来ている。
「企業メセナ」が
5
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
13:00∼15:00
蝋山昌一(ろうやま しょういち)
●パネルディスカッション/レジュメ
東京都生まれ。大阪大学経済学部教授、大阪大学大学院国際公共政策研
会場:講堂
「市民がつくる地域のサイン」
究科教授を経て、1998年4月より現職。
この間、ワシントン大学客員研究員、ロンドン大学客員教授などを歴任
し、海外の事情に詳しい。専門は金融論。日本版ビックバンによる金融
自由化に向けて、政府の審議会委員として尽力。著書に「日本の金融シ
コーディネーター:
高岡短期大学 学長
ステム」
(エコノミスト賞受賞)
、
「金融自由化の経済学「、
「証券市場読
本」などがある。
蝋山昌一
「地方に初めて住んで」
こうした関心誘発型の情報発信活動が多かれ少なか
れひとりひとりの富山人に当たり前のこととなる必
富山県に移り住み、高岡市民となってから、1年
要があろう。
と半年弱。依然として勉強中で、この地の経済・社
会・文化について十分に語る資格はない。しかし、
私が高岡短期大学から誘いを受けたとき、大阪大
東京に生まれ育って29年1ヶ月(ただし、物心つ
学での定年には5年の間を残していた。しかし、高
かぬ頃に北関東に疎開して東京を離れた時期を含め
岡移住に心をひかれたのは、地方から全国、全世界
てのことである。
)
、大阪大学に定職を得て関西に住
の案件について発言し続けられるかどうかテストし
んで28年4ヶ月と、これまでの人生をほぼ二分し
てみたいという、大げさに言えば冒険心がつのった
て関東と関西に暮らした身としては、いままでの越
からである。この間、大阪のときと同様に上京もし、
中高岡での経験はとても1年半とは思われぬほどで
文章を書き続けた。その点で不便は感じていない。
ある。
ただ、予想したように、インターネット、ファクシ
ミリ、そして、電話の有り難さを痛感していること
越中富山は奥が深く、知るべきこと、学ぶべきこ
を、改めて強調したい。こうした情報手段が利用で
とが、次々と出てきて、応接に暇がない。富山に限
きなかったら、蟄居を余儀なくされ、さぞや不便を
ったことではないのかもしれないが、興味をもって
感じたことだろう。もちろん、大学で好きなだけイ
知りたいとさえ思えば、富山についての情報入手に
ンターネットを利用できるからこそ、このように言
は事欠かない。ちょっとした規模の書店に行けば、
えるのかもしれない。もしも、有料の電話回線で有
富山のコーナーがある。図書館も悪くない。インタ
料の民間プロバイダーを経由してインターネットに
ーネットのホームページも結構充実している。問題
接続するしか方法がなかったならば、料金の面で音
は富山について、越中について、人々が関心をもつ
を上げてしまったかもしれないのだ。ともかく、こ
かどうかである。おそらく高岡に住むようにならな
ちらに来て現代社会の特徴である情報化の利点を満
かったら、私も富山について知ろう、学ぼうという
喫している。
気は起きなかったであろう。富山に無縁の人々に富
山への関心を高める。そうした努力を惜しんではな
この第1印象をそのまま将来に引き伸ばすと、2
るまい。しかし、この1年の富山生活でやや驚いた
1世紀には大都市と地方との関係が大逆転するとさ
のは、富山県に生まれ、住んでいる方々でも必ずし
え言えよう。だが、この予想を覆す事実がないわけ
も富山について強い興味、関心をもっているとは限
でない。それは地方都市中心部の疲弊である。実は
らないということだ。甲子園高校野球での新湊高校
私と神戸育ちの家内はともに自動車を運転できな
への応援の例を挙げずとも、ここは郷土愛のことさ
い。免許を持っていない。これまでは二人ともあえ
らに強い土地柄といってよいだろう。しかし、盲目
て免許を取る必要がない大都市に住んでいたから
的な愛情からは何も生まれない。それは知的な好奇
だ。しかし、ここ高岡では違う。自動車は必需品と
心に結びついてこそ、第3者に伝達可能な富山発の
なっている。(ちなみに、富山県の自動車普及率は
情報となる。富山を愛する人々富山に関する事実を
全国第2位とのことである。
)
冷静にとらえ、他の地域と比較し、そこから面白さ
を抽出し、多数に共有可能な情報として発信する。
6
自動車がいかに必要か。一例を示そう。狭い官舎
住まいとなったので棚をいくつか吊ろうと思い、棚
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
板やネジ釘を探しに中心街に出た。高岡は17万5
千の人口を抱え、駅前の中心部にはもちろんデパー
トもスーパーもある。しかし、どこにも求めるモノ
はなかった。聞いてみると、中心街から離れた国道
沿いにDIYの店があるが、とても歩いてはいけず、
バスも間遠とのこと。結局タクシーを呼んで出かけ
る羽目となった。着いてみると、大阪でもめったに
見かけぬほどの大規模店舗で、品揃えも豊富、沢山
のお客でにぎわっている。驚いた。しかし、こうし
たことは高岡だけのことではないとのこと。県庁所
在地の富山市でも中心部に位置する古くからの商店
街である総曲輪の集客力は落ちていて、近郊の幹線
道路沿いの大規模店舗が繁盛しているという。要す
るに、都市のドーナッツ化現象が顕著なのである。
都市のドーナッツ化は70年代から80年代はじめ
のアメリカだけのことかと思っていたら、そうでは
なく、まさに私の身の回りで起きていたのだ。
政府は中心市街地活性化法などの制定で、地方都
市の中心街を蘇らせようとしている。しかし、モー
タリゼーションの進行に加え、中心市街地地価の高
止まり、商店主の高齢化など経済社会要因が複雑に
絡まって引起こされたドーナッツ化現象は、一編の
法律だけではとても逆転できないだろう。さてどう
するか。21世紀の日本を活性化させるには、地方
の活性化は不可欠だ。しかし、この例でも明らかな
ように、そのための政策論はまだ緒にも付いていな
い。富山県高岡市民となって、大いに考えさせられ
ている。
7
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
パネラー:
京都芸術短期大学 教授
奈良磐雄
奈良磐雄(なら いわお)
京都生れ。京都芸術短期大学 教授、ビジュアルデザイン研究室所属、
(社)京都デザイン協会 常務理事、街の色研究会・京都 運営委員、
Fashion Kyoto推進協議会 広報部会委員
[専門領域]
グラフィックデザイン・都市景観研究
[主なプロジェクト] 京都の都市美観、京都の屋外広告物、和歌山県不老
橋、京都第二外環状高速道路計画、大阪府道高速湾岸線広告物表示方法、
京都ホテル高層化計画、JR京都駅ビル改築計画、京都の景観色研究、赤
倉温泉市街地修景研究、久美浜町活性化推進モデル事業、三条通修景、
京都の夜景創造、白川通景観調査、鹿児島県西田橋現地保存計画、松江
市まちなみ研究、大社町世界文化創生の郷整備基本構想策定、京都の看
板の色彩調査、京都の「町名表示板」復活提案、境港市水木しげるロー
ド活性化計画、俵屋を守る会、等
21世紀を目前にひかえ、来るべき21世紀はどうある
このままでいいと思っている人は少ないはずです。行
べきかという論議があらゆる分野で行われています。
政は住民の意向を聞きながらマスタープランを作り、
京都市でも21世紀の京都像について、市民3万人を対象
法制化し、実施にうつす機関であるならば、主体であ
に実施したアンケート調査の結果を発表しました。ま
る住民が本気で現状を点検し、将来への夢と希望を持
ちの将来像については、
「安心して暮らせる都市」が
って、行政と二人三脚で取り組む必要があるでしょう。
50.2%でトップ、
「町並の美しい都市」が38.4%と続いて
住民主体のまちづくりは、むこうさんげんりょうどな
います。
「安心して暮らせる都市」であって欲しいとい
りの人々との会話を、日常的に始める事からはじまる
う願いがトップなのは、市民一人一人の生活に直接か
と考えます。
かわる問題であるから当然として、
「町並の美しい都市」
であって欲しいとの願いが二番目に多いという結果に
は、大きな驚きと希望を感じます。
「町並の美しい都市」づくりを目指すにはどうすれ
ばいいかと考える時、はじめに都市景観はどんな要素
で成り立っているのかを見る必要があります。大きく
分けて、空や山や河川による大景観。道路とそれに面
した建物や塀、公園、橋、それに電柱、標識、バス停、
公衆電話、看板、ごみ箱などの付帯設備によって形成
されている中景観。そして個々の要素の持つ素材、形
や大きさ、色彩が見せる小景観によって織り成されて
いると言えるでしょう。そしてその景観は商業地域、
住宅地域などの用途、歴史的経緯、気候風土の違いと
いった地域特性により表情はそれぞれに大きく異なり
ます。
美しい景観をつくり出すには、これらの要素を一定
の秩序の枠内に、それぞれの存在理由の順位を守りな
がら、突出することなく調和を保ちながら存在させる
よう気配りをしていくことに他なりません。ここでの
一定の秩序は、市民の意見を中心に、世界の意見にも
耳を傾けてのコンセンサスを得たものである必要があ
ると考えます。
それぞれの地域の将来像を、誰がイメージしコント
ロールしようとしているのか…。今までは行政がその
任を果たしてきましたが、その結果は現在の姿であり、
8
京都市景観デザインのホームページ
http://www.kyoto-ar7t.ac.jp/~nara/index.shtml
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
パネラー:
三代目 南部白雲(なんぶはくうん)
南部白雲彫刻工房
昭和26年二代目白雲の三男として生まれ、昭和45年より白雲に師事する。
南部白雲
二代目白雲と共に神社仏閣の彫刻や住宅欄間を多く制作。四天皇寺、柴
又帝釈天、明治神宮などの彫刻を制作。昭和63年頃より祭礼用御輿や山
車の設計制作、またオリジナルなデザインの欄間や、からくり彫刻など
ユニークな木彫刻看板の制作等を押し進める。
平成10年三代目白雲を襲名。
秀水看板事始め
つ手作りされた看板から、工場で大量生産されるブリ
キの看板に変わり始める。今日では殆どが工場で生産
若者が多く集まる大都会であろうと、田舎の小さな
されるプラスチックの看板や電機・電子を使ったハイ
村であろうと、今日の日本で、看板の無い所はない。
テクの看板が主となってきた。看板も長い歴史の中で
都会では、ビルの屋上に、はるか遠くからでも見える
手作りから機械作りへと変わってきた。都合上、手作
程大きなネオンの看板があるかと思えば、雑居ビルの
りから機械作りへと変わってきた看板も、よくよく気
中で営業する店の名前が、何十と羅列書きされたの、
が付けば、江戸から明治にかけての看板が持っていた
その他数え上げれば切りが無い。都会は、正に看板の
人間の温かさが、今の看板には無くなってきた。看板
洪水の中で生きている。
の手作りから大量生産への過渡期である明治期にすで
自然豊かな片田舎はどうかと見てみると、都会程で
はないにせよやはり看板が氾濫している。
それぞれのお店には、⃝⃝自転車店、肉の⃝⃝屋、
にその手作り看板の良さを良く知っていた岡倉天心や
ラリーモースは、あまり日本では本物の手作りの看板
の良さが認められないので、手作りの立派な看板の多
元祖せんべいの⃝⃝屋等、の看板が掲げられ、その横
くを国外の美術館へと持ち出した。気が付いた頃には
には、
「激安商品大量入荷」
、
「入学、入園お祝いセール」
特に優れた手作りの看板の多くは外国の美術館に渡っ
と、どうしたら人を引きつけられるかと、看板は、必
ていた。時代は看板を工場生産化を押し進めた為に、
死で町行く人に訴えている。少しでも自分のお店を知
明治期まで、日本の文化が温めてきた手作りの看板技
ってほしい、少しでもお客さんに来てほしいという思
術、そして思想が失われてきた。
いが自然に沢山の看板を生み出したのであろう。
この様な看板の他にも交通ルールを示す標識から危
険を知らせる看板まで様々である。
又、その形状もその目的により大きな物、小さな物、
今日あらゆる物の工場生産化のお陰で街中も、家庭
の中も物で溢れている。しかし何でも物がある時代と
なったが、その事は人々の心を決して豊かにまでして
くれなかった。はっきり分からないが、機械で作った
文字だけの物、絵入りの物、平面な物、立体の物、ネ
物と手作りされた物とでは同じ物でも人の心を豊かに
オンがつく物、音が出る物、動く物と多様多種である。
する度合いが違うらしい。機械編みのセーターより手
看板は、この様に今日大変多いが、これは今に始ま
編みのセーター、プラスチックのお盆より木のお盆、
った事ではない。ある本によると看板の歴史は遠く奈
プラスチックの玩具より木の玩具。今人々はより自然
良の平城京の時代までさかのぼるとの事。堀立の店の
なもの、より人間的な物を求める方向へと意識が変わ
軒下にその店の商品である傘や、樋、わらじをぶら下
り、時代が変わろうとしている。
げたりしたことに始まる。その当時を示す風俗絵巻な
日本の殆どの町で木に関する職人が少なくなってい
どを見ても時たま描かれている。時がたつにつれ、そ
る今日、私の住む井波町は特異な町である。江戸時代
の看板も少しずつ発展をとげ、江戸時代に入ると急速
に神社仏閣の彫刻を行った事から始まった彫刻の技術
に発達した。そしてついに、その看板のあまりの贅沢
が、時と共に住宅の欄間彫刻を生み出し、今日ではあ
さに時の幕府は天和二年(1682年)に贅沢禁止令の走
らゆる彫刻を作り出す日本一の彫刻の町と言われてい
りとも言える布達を出している。実物を吊り下げる看
る。三百名余りの彫師が毎日ノミを握っている。又、
板から始まった看板も、軒先ののれんや、文字や絵を
宮大工、指物師、挽物師と、木に関する職人が沢山い
描いた板をぶら下げた物から、屋根が付き彫刻が付い
る。今の井波町には木に関する優秀な職人が沢山いる
た建看板へと発展をとげる。明治期に入ると、一つ一
のである。
9
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
しかし今まで、この技術を使って手作りの優秀な看
板を多く作ってきたかというとそうでもない。しかし、
今日の井波の木に対する技術を持ってするなら、明治
期にその多くを忘れてしまった日本の本物の木の看板
を復興発展させる事が可能なはずである。現在ある技
術プラス看板に対する知識とセンスを磨く事が出来る
なら必ず可能である。今の日本広しと言えどもその可
能性を持つ町はこの井波町しかない。
今日情報の多くは、大都市から地方へと流れている
かもしれない。しかし、こと手作りの温かい血の流れ
るよう様な、人の心をなごませる本物の木製看板の情
報については、この井波町から全国に向けて、そして
井波 田舎まんじゅうの看板
全世界に向けて発信する事が出来るはずである。
もちろん、私たち作り手もこれから多くの事を勉強
していかねばならないだろうが、その夢と希望と方向
性さえ持って行動をすれば必ずや可能なものと信ずる。
信ずる事でこの職業についた事への喜びと生き甲斐を
強く感じもする。
江戸看板に端を発する本物の木製看板の世界に井波
彫刻の技術そして井波のエネルギーを加え、新しい時
代の新しい看板文化を目指し日々邁進したいものであ
る。
10
干支をモチーフにした木彫の表札
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
パネラー:
吉富敦子(よしとみ あつこ)
末広町商店街
高岡市和田生まれ。
べっぴん倶楽部 代表
吉富敦子
高岡市末広町商店街一店逸品運動について
昭和48年に末広町に下着専門店パルを開店
平成10年9月、末広町商店街おかみさん会
「べっぴん倶楽部」代表に就任
ことがないと思います。
掃除の美しく行きとどいた店で、魅力的な品々を元
高岡市の周辺には大型量販店がたくさんあります。
気で明るいおかみさん達が、お客様のお役に立ちたい
人の集まる量販店には、テナントもメーカーも殺到し
という意識を持って店に立てば必ず商店街は存続する
ますが、人が歩かなくなった商店街はどこでも空店鋪
と思っています。
が目立ち始めています。中心商店街は、車での買い物
そうなることを目標に学習も続けていきたいです。
が最も不便になった場所としてとらえられています。
その中で私達はどうすれば支持される専門店や商店
街であり続けることができるのか、と考えています。
それが一店逸品運動の始まりです。平成9年5月頃に末
広町商店街も20名程で一店逸品研究会をつくりました。
自分の店のすぐれもの(逸品)とは何か、そしてすぐ
れたサービス(逸サービス)は何かということを研究
会の中で話し合いながら、みつけ、確認し、それを育
てもっとたくさんの人に知ってもらおうとすることで
す。それは大型店との生き方の差別化です。大型店に
はできないすぐれたサービスや大型店にはない逸品は
ないか、ということを考えています。
研究会でまず話し合うことは、自分の店のこだわり
一店逸品フェア
や自慢です。商店主やおかみさんが自信を取り戻し心
が元気になる大切な研究会です。今まで3回大きなチラ
シを出しフェアーをしました。そのための準備、そし
てその成果、問題点等、話し合いが行われます。
商店街は、たくさんの人の集合体ですからお互いの
心が伝わらなかったり、わかり合えない部分も多くて、
大きな力にもならず、もどかしさを感じながら前へ進
まなければならず、とても苦しいこともあります。
その中から商店街のおかみさん会「べっぴん倶楽部」
が生まれ、女性の立場から商店街をみつめようと今、
動き始めました。
それぞれの店のおかみさんが講師になって仕事の知
恵を披露する逸品べっぴんセミナーは確実に商店街と
商店街のコミュニケーションターミナル「べっぴんサロン」
自店のファンづくりをしています。
おかみさん会はイベントをするだけでなく本当の目
標は自己啓発です。個々の店が魅力的で、そしてしっ
かりとした考えで商いをしていれば商店街はすたれる
11
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
パネラー:
水野一郎(みずのいちろう)
金沢工業大学建築学科 教授
金沢工業大学建築学科教授、建築家、
(株)金沢計画研究所顧問
水野一郎
1941年東京生まれ。東京大学工学部建築学科卒業。東京芸術大学修士過
程建築学専攻修了。大谷研究室を経て、1976年金沢工業大学助教授、
1979年同教授に就任、現在に至る。専門は地域の歴史・風土・社会が保
有する固有性を活かした地域計画及び建築設計。主な作品は、小矢部ク
ロスランドセンター及びタワー(1994年中部建築賞)
、獅子ワールド館
(1998年日本建築学会作品選奨)
、金沢市民芸術村(1997年グットデザイ
ン大賞)など。
成熟した地域づくりへのサイン
高岡は、個性があり、歴史文化もある都市です。
現代工業も、伝統工芸産業も多様にありますし、農
業や商業にも呉西の中心地としてのストックがあり、
デザイン振興や市民参加の文化振興にも努力していま
す。
それなのに元気不足だと言われているのも事実です。
工業生産は伸び悩み転換点にきていますし、伝統産業
はバブル崩壊後売上減を続け、商業は広域量販店に圧
倒されています。さらに全国どこでも同じなのですが、
業務、行政、文化などの中枢性が県庁所在地に集中す
る一方で、県下No.2都市は相対的に弱体化しています
し、広域圏(ここでは呉西)は、交通網や情報網の整
備の結果、中枢性を必要としなくなってきているなど
も重なっての元気減少なのです。
しかし、かといって悲観的に落ち込む必要はないと
私は考えています。21世紀の低成長、小子化、高齢化
社会においては、工業出荷額や、小売販売額や人工増
減などといった高度成長型の量的指標で地域を評価す
る必要はないからです。
そこに住む市民が、いかに質の高い文化と心の満足
を享受する生活を送っているのか、住民参加やボラン
ティア活動によって、心楽しく、安心安全のコミュニ
ティーをつくっているか、おいしい水、空気、土そし
て景観を味わえる居住環境を持っているかなどといっ
た生活の質が定住化の指標になる21世紀です。
そういう意味で伝統文化も歴史的環境も祭りも保有
する高岡、夢幻譯や万葉集や新しいデザインを遊ぶ高
岡、まだ過密になっていない17万人の都市環境の高岡
など、良好なる素材をかかえています。それらの素材
を活かし、新しい素材を加えながら、市民参加により
成熟した生活をいかにつくりあげていくかが、テーマ
です。地域のサインはそのテーマを象徴するものであ
りたいものです。
12
金沢市民芸術村
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
●パネルディスカッション/ビデオテープより書き起こし
会場:講堂
「市民がつくる地域のサイン」
コーディネーター: 蝋山昌一(高岡短期大学)
パネラー:
奈良磐雄(京都芸術短期大学)
南部白雲(南部白雲彫刻工房)
吉富敦子(末広町商店街)
水野一郎(金沢工業大学)
蝋山:私がなぜサイン学会のパネル
する人いろんな角度から議論をし
主にずっと京都なんですけれども、
ディスカッションのコーディネータ
て、その議論の結果、ひとつでもふ
「まちの色の研究会・京都」という、
ーを引き受けたのか良く分からない
たつでも多くの「市民のつくる地域
市民団体が作っている団体があるん
んですが、ともかく武山君に口説か
のサイン」というのは一体何なのだ
ですけれども、そこで様々な京都の
れまして、この役目を務めさせてい
ろうか、こんなものか、という確定
まちの色というものについて、研究
ただきます。私はサインという事に
ができれば幸いだと、そんなふうに
しております。その中でも「屋外広
ついて素人ですし、デザインについ
思います。一番始めに、奈良さんに、
告物の色は」という部会がありまし
ても良く分かりませんが、素人なり
先程島津さんは「先生」と「さん」
て、11月に中間報告会というものを
に好きな方法でコーディネーション
を使い分けておられましたけれど
させていただきました。その中から
が出来るのではないかと、私自身期
も、面倒くさいので、すべて「さん」
少しレポートさせていただいて、直
待していますし、おそらく武山君の
とさせ頂きますけれども、奈良さん
接この高岡のまちとどう関係あるの
期待もそんなところにあるのではな
に奈良さんのお仕事から見た、研究
かということは正直言いまして難し
いかと思います。
から見た「市民がつくる地域のサイ
い問題かもしれませんが、京都の実
ン」についてのメッセージをいただ
状から見て、またこちらがいいなと
はじめに、それぞれのパネラーの皆
きたいと思います。一番、この最新
か悪いなとか、比較してもらえれば、
さんから、時間については長短あり
かどうかは知りませんがこのプロジ
多少は参考になるのだと思います。
ますが、今日のパネルディスカッシ
ェクターを使って、お話をいただけ
その報告書はまだまとめている最中
ョンのタイトルである「市民がつく
るということになっております。ど
なんですけれど、その中から見てい
る地域のサイン」につきまして、…
うぞよろしくお願いします。
ただきたいと思います。
看板といいますのは、戦後まもなく
何のことだか分からない…そのテー
マにつきまして、よく分からないか
奈良:それでは、10分から15分ほど
生まれたものなんですけど、復興と
らおそらくテーマになったんだろう
お時間いただきまして、話題提供と
いう部分で経済発展と共に、街中に
と思いますが、そのテーマについて
いうことにさせていただきます。
どんどん新しい形で、その商業目的
考えておられることをお話しいただ
ご紹介いただきました奈良でござい
という形の看板が増えてきました。
きます。どういう内容であるかとい
ます。京都生まれの京都育ちでずっ
またそれがあり過ぎて溢れすぎて、
ったことは前もって打ち合わせはご
と京都に住んでいるんですけども、
いわゆる景観といいますか、都市環
ざいません。しかし、長い方は15
今日は日本サイン学会さんの大会と
境を乱している部分があるんじゃな
分くらい、短い方でも数分お話を伺
いうことで、私は10年くらい前にな
いか。そんなことで行政がルールづ
っていく中で、
「市民がつくる地域
るんですけれども、京都のまちから
くりをしようということで、2年前
のサイン」というもののイメージが
看板を無くしたらどういうことにな
の3月に少し、今まであった規制を
ぼんやりとした中ででもともかく生
るかということを、当時まだコンピ
厳しくするという形で、地域ゾーニ
まれて、それを巡って、ああでもな
ュータが安く一般化されていなかっ
ングをいたしまして、区域、地域と
いこうでもないと、サインという専
たのですが、いち早く飛びつきまし
いうことで、5種類の地域、それか
門的な立場の議論、あるいはサイン
た。この日本サイン学会さんのレポ
ら3種類の地区、そして特別禁止地
を利用される側の議論、あるいはサ
ートなどにも取り上げていただきま
域というものをつくりました。さら
インを作る側の議論、それを商売と
した。その報告として。それ以来、
にまだ数は少ないですが、1,2,3,4,5,6
13
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
といった京都らしい風情を持った地
持っていくとかなり雰囲気が変わっ
す。別に逆らっているわけではない
域に対しては特別に条例を定めてい
てくるということ。またこれは四条
んですが。これは四条大橋から先斗
ます。指導の方法といたしましては、
大宮というターミナルですけれど
町を見たところなんですが、今回の
このような、これはどこの地域を取
も、京都の中でも非常にあまり望ま
3年前の規制強化で、建物の中がガ
り上げるべきであろう、その見方の
しくない状況で、そこに出されてい
ラス面の広告表示というものも1階
部分、決めなければならない部分と
る看板主さんの業種といいますとそ
とか2階とかによっても違うんです
いうのを定めています。ただ地域的
れがほとんど金融関係というのが特
が、表示面積が制限されています。
にかなり細かい区分をしているとい
筆されますけれども、それを、少し
また特別地域ということで川沿いで
うのが特徴で、厳しくなったことが
秩序を持たせようと、3階以上の部
あるとか、公的な部分に関しては禁
特徴かと思います。細かいことは時
分に情報、広告系は押さえまして、
止区域になっています。ここもあそ
間の関係で申せませんけれども、か
それより上は何も無い状況にしてみ
この白い部分ですね。こういった表
なりの細かさで、いろんなルールを
てはどうなるかと、それがこういう
示は違反なんです。それを消すとス
作っていることを知っていただけれ
ふうに比較できます。さらにこれは
ッキリとした風景になると。さらに
ばと思います。インデックスに戻り
北、西の方角なんですが、映画館で
上にこれはまた地域の外に立ってい
ますが屋外広告物の色彩ということ
あるとか、ややゴチャゴチャとした
る看板なんですが、やはり鴨川から
で私自身の発表した部分であります
状況なんですが、ここも少し看板の
かなりはっきり見える。これなんか
けれども、CGによる景観シミュレ
あり方を触ることによって、先程よ
も段階的な規制が必要じゃないかと
ーションということで、会の皆さん
りはかなり整理された状況に見える
いうもんです。これは夜の祇園から
といろいろお話した部分を視覚的に
と思います。これは阪急電車の駅な
四条通りを見たところなんですけど
見せようかと思います。これはどこ
んですが、非常に大きな面積で、そ
も、その神社からの門前まちという
にでもあるラーメン屋さんの看板な
れも顔の無いといいますか、表情の
ところで照明の色という部分も少し
んですけれども、これも地域によっ
無いノッペラとした感じなんですけ
は雰囲気を与えるのには、役割をと
てはサイズであるとか、かなり規制
れども、これは看板をいうよりは、
いうものがあると、和風を主にある
されています。ただ上の方は厳重な
建物をツートンカラーにすることで
のであれば暖色系の照明色にすれば
んですけれどもこれはルール違反で
変化を持たせる、京都のモジュール
さらに雰囲気が出るのではないかと
す。ルールの中に収めると、下の図
というのは、千本格子であるとか、
いう提案です。ちょっと色味として
になります。これでラーメン屋さん
かなり細かいモジュールになってい
変化はなく、その分かりにくいかも
らしいかどうか、ただ建築的な部分
ますので、ただこれは2分割にして
しれないですけれども、暖色系の蛍
でも少し手を加えていくと、だんだ
みただけなんですけれども、上より
光燈も出ています。これはよくある
ん加えていく毎に、また看板面積を
は少しは変化が出てきます。さらに
カラオケのビルなんですけれども、
小さくしていく毎にファミリーレス
京都市の規制では、看板はどちらか
河川街繁華街なんですが、まあ黄色
トランのような感じに変貌していき
というと白ベースに文字は黒という
いビルというものです。非常によく
ます。看板ひとつ取ってみても、非
指導が主にされているんですけれど
目立っています。ただ考え方として
常に大きな影響力があると、サイズ
も、必ずしも白でなくて背景の建物
商売を主に考えられる方は目立つこ
だけではなく色彩を取ってみても、
のどっかの類似色に合わせてもおか
とによって人に来てもらおうという
明度・彩度を比較的落ち着いた方へ
しくないんじゃないのかと思いま
ことで、その考えがどんどん進んで
14
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
いきますと、私も私もということで
お祭りの山車の関係の彫り物とかを
ことになってくるんですが、今日、
黄色い一番目立つ色彩が町中に蔓延
主としてやっております。伝統彫刻
本当に看板が氾濫するくらいに、こ
してしまうのではないか、98年Y98
と言われるんですが伝統彫刻とは、
れでもかこれでもかという感じで氾
ウィルスということではびこってゆ
お寺の彫り物とかそういう彫り物だ
濫しておりますが、なんと言います
く警告というものをちょっとさせて
けではなく、その技術を持っていろ
か、私の思いからすると、なんとい
いただける、そういうような状況で
んなことが出来るんじゃないかなと
うか押し着せがましい看板がすごく
ございます。京都の事例というもの
いうことで、そのひとつとして時代
多いような気がいたします。そうい
を多少触っていただけることによ
の要請を受けたものを作るとして、
う看板もいいんですが、やっぱりな
り、また大きく見え方も変わってく
サインといいましょうか、看板とい
んというか、サインによっても「必
るということを一つの具体例とし
うものに少し取り組んでおるんです
ず見てくださいよ」という交通の看
て、見ていただきました。
が、私の場合20年ほど前、たまたま
板もあります。あのスピードこれ以
以上でございます。
新聞で見ました江戸看板という文字
上出されないっていう、そういう、
とそこにあった図を見まして、触発
どうしても見てくださいっていう看
蝋山:ありがとうございました。
されまして、看板というものに触れ
板もありますが、溶け込んで風鈴の
今の奈良さんの報告によりますとサ
てきたんです。その中で看板をだん
音のように、どういうか、聞きたい
インというのは看板で、
「サイン学
だん突き詰めていくと最後は必ずま
ときには聞こえるけど、聞きたくな
会」は「看板学会」かなと思います
ちづくりにまで行ってしまうんで
いときには聞こえないという看板が
が、しかし非常にサインというもの
す。今、日本中のいろんな町が各自
あってもいいかなと。だんだん今の
を考えるときに看板というのが重要
治体があるわけなんですが、どこの
時代になりますと、この、昔は手作
だということがプロジェクターを通
町へ行っても、私たち富山県は田舎
りの看板ちゅうのがすごく多くて、
しての画面からも良く理解できたの
っぽいとこかもしれませんが、東京
多くというか、それしかなかったと
ではないかと思います。
に行ってもそう大きな遜色があるわ
思うんですが、江戸時代から明治ぐ
続きまして2番目のお話をしていた
けでもない。どこの町に来たなとい
らいにかけては看板師という職種が
だく方も実は看板の方でございま
う特徴があまり見えないという感じ
あったというのも、ある本で見まし
す。南部さん、よろしくお願いしま
がします。そんなまちづくりでいい
た。ところがこう時代が進みますと、
す。
んかなという気もします。言葉で言
看板というようなものも工業化で簡
うたら私らこういった地方にいます
単に量産が出来るようになってきま
南部:私は井波の、県外の方もいら
んで、外から来た人から見たら方言
した。それはそういう物を普及させ
っしゃるからちょっと分からないか
も強いようですが、果たして皆さん
るという面では大変安くできて共通
もしれませんが、富山県の井波町と
がNHKのアナウンサーのように共
のものが出来ていいんでしょうけ
いう、1万人あまりの町で、彫り物
通語喋ると楽しい町なんかなと、地
ど、それが何が違うんかわかりませ
師が300名あまり居る日本でも特異
域の言葉を喋る者がおる方が楽しい
んが、機械で作った物というのはな
な町でありますが、そこで私は彫刻
な、という思いがあります。だから
にかしら冷たさが残るような気が私
をしている者なんですが、主だって
まちもそのまちごとの顔のあるまち
はしてならないんです。すべてのも
そこでは神社・仏閣の彫り物とか、
づくりをせないかんかなという思い
のが手作りというのは現実的に不可
あるいは住宅の欄間とか、あるいは
があるんです。その中で看板という
能なことですが、サインの中に人の
15
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
心を暖めるという程のサインがあっ
現在無くなってきたのかなと、それ
さんのうちにはカンナの形をしとっ
ても良いんじゃないかなと、そうい
にはやっぱり暖かみとか、心が通う
てカンナ屑がペロッと出とってそこ
うものを目指す必要があるし、今の
ような、そこに感じるものが少なく
に名前がポッとついている、そうい
サイン、いろんなこの中にもいろん
なったということが気にしているか
うファンシーなものがあったって、
なサインを作られる方が沢山おられ
なという気もするんですよ。ですか
豪華なものがあったっていいし、素
ると思いますが、自分個人だけをこ
ら、今、諸々というと、機械で作る、
朴なものだって自然的なものだっ
れでもかという看板が、どうも私に
コンピュータで作ると大変センスの
て、そういういろんなあると、そこ
は多い様に感じられてかなわないん
良いものが出来ます。ですけど、そ
に住んでる小さな幼稚園通うような
ですが、もっと、ちょっとホットな
こは機械にかなわない部分があるん
子供がもし沢山おるとしたら、
「う
感じの、もっとあったまるような、
です。言葉ではなかなかちょっと言
ちのはウサギさんの付いているうち
そういうものを、これから作る必要
えませんけど、そこに血の通ったよ
やよー」とか、
「うちは大工さんの
があるんじゃないかなと。それから、
うなサインがもっとあればなとい
家だから、カンナ付いてるうちやよ」
ただ看板を自分の商売を繁盛させる
う。そしたら道を歩いとっても、楽
とか、そういうように表札一つ取っ
ための道具だという概念もあります
しいじゃないですか。そこに住んで
てみても子供の会話になるような、
が、これからの時代はそうでばっか
いる人も楽しいと思うし、物だけで
そういうものがあっても良いかな
りなしに、それにもっと美的という
は人間はどうも豊かにはなれない気
と、それにはやっぱり暖かみっちゅ
か美術、芸術という、ちょっと分か
がしますんで、ただこんな時代が進
うもんがあるような気がしますし、
りませんがそういったものも要素に
んで、どのうちにもいろんなものが
人間的ななんちゅーかホットなよう
加えまして、行ければな、と。なん
ありますけれど、ものはあるから幸
な感じをサインひとつからでも作れ
か、たまに私、よく言うんですが、
せかというと、必ずしもそうではな
るのではないかなという思いが私は
例えばあるお店があって、そこに看
いような気がしますんで、看板ひと
あります。そういう思いで、木のこ
板があって、そしたらお店を建て直
つにしてみても、楽しいなというよ
としか私はわかりませんが、そうい
すときに、今ある、使っておられた
うな、そういう看板があってもいい
う看板みたいなものもこれから大い
看板は大体、5年なり10年なりする
かなという思いでいろいろ取り組ん
に作っていきたいなと思います。そ
と消耗品扱いでゴミにされるわけで
でおります。例えば集合住宅がこう
れが進んでいくと必ずそこにまちづ
すが、昔から「うちの看板商品であ
あって、サインが、表札もひとつの
くり全体を、必ずそこに行き当たり
る」というように、看板というもの
サインだと思います。それからそこ
ますんで、それももっと大きくもの
の本来の定義は、うちの一番大事な
の日本中のサインの多くは、表札の
を考えて、先程の奈良先生がおっし
ものを看板と言ったような気がする
サインの多くは四角いもの、あるい
ゃられたように、地域地域にどうい
んですよ。だからビルがもし自分の
は小判型のモチュウにはめ込んだも
うか一人一人がやっぱり、私これで
社屋が、あるいはお店が、建て替え
の、というものがありますが、例え
もかというような商売の看板を出し
て新しくしたときに、それをうちの
ばもしここに200戸の集合住宅地が
ますと、ほんまにもうムチャクチャ
代名詞として持って行けるような、
できたら、そこに例えばうさぎの顔
なまちになってしまうんで、それは
そういう、
「うちの一番のトレード
をしたファンシーっぽい表札があっ
やっぱり制限の中でやっぱり良いも
マークですよ」というような、そう
てもいいじゃないか、たまたま自分
のを作っていけばそのまちの顔がで
いうものを作るとそういう認識が今
も作ったことがあるんですが、大工
きて、あ、楽しいなと、いうまちづ
16
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
くりになれば。よく見れば、本当に
末広町商店街おかみさん会「べっぴ
と、それの機能的なことであるとか、
また、それだけ見とってでもサイン
ん倶楽部」の代表をしております、
とにかくその商品知識をいっぱい持
だけを見とってでも楽しいなという
吉富でございます。本当は今日のサ
って、お客様の役に立つ人間になる
まちが出来るかなと思います。だか
イン学会ということを聞きまして、
ということをずっと心がけてまいり
らサインだけそこのまちに本当に楽
私にとっては何の関係も無いんじゃ
ました。先程実は変な顔をされたん
しいサインだけがいっぱいあった
ないかと、思ったところが正直なと
ですが、
「ワコールショップの看板
ら、それはそれで変な話、観光客と
ころでございます。看板とかサイン
娘」って言ったら変な顔をされまし
いうか、それを見にくる人さえ来る
とかネオンといわれましても、私は
たので、看板おばさんでございます。
まちもできるんじゃないですか。そ
あまり興味もありませんでしたし、
私がいなければ、お買い物をしない
れがぜんぜん観光のまちじゃなし
自分の店には店格に応じた看板が一
って方がほとんどでございます。本
に、団地みたいなところでも、作る
つあれば良いと思ってまいりまし
当はそういう風になっちゃいけない
ことは、私は可能だと思います。日
た。それでサインについては一体ど
んですが、実はそうです。商店街の
本中がそうなるとまた行かないかも
んなお話をしたら良いのかよく分か
個人のお店というのはずーっと同じ
しれませんが、そしたら世界から見
らなくて、さっき先生にお聞きした
人間がおりますので、その人の顔も
たら日本の町は楽しいよということ
ら「何でも良いから言って良い」と
名前もサイズも好みまでも全部知っ
になってくるかなという思いでやっ
おっしゃいましたので、実は要は
ています。そういうことでとにかく
ております。つたない話ではありま
「サインについて」
、商売をしており
私は自分の店、自らお客様にいろん
すが、どうも。
ますので、自分の店からのサインと、
なころからサインを出してお客様に
商店街が発信するサインということ
来ていただいている、そういう気持
蝋山:ありがとうございました。
についてお話をしたいと思います。
ちで商売をしております。その他に
南部さんの、看板に取り組む、木の
私は実は下着専門店でございまし
最近は1年ほど前から商店街活動に
看板に心意気が伝わる話でした。そ
て、ブラジャーとかパンツとかを売
加わりました。そして、やり始めた
ういう看板をうまく活用しながら商
っております。それで、商店の中心
のが、もう2年ほど前からずっと勉
売に取り組んでおられる、吉富さん
商店街は空き店舗が沢山出てまいり
強してきたんですが、お手元の資料
に地域のサインは、吉富さんはただ
ました。それで、私は商売を始めて
にもありますように、8ページ(報
商売に熱心なだけではなく、高岡の
25∼26年経つような気がしますが、
告書では11ページ)なんですが、末
駅前の「すえひろーど」
、
「御旅屋」
その時から見たら相当、金額も人通
広町商店街で「一店逸品運動」とい
という商店街の活性化ということに
りも悪くなっている気がいたしま
うものをしてきました。研究会を作
大変熱心に取り組んでおられまし
す。それで、この中で生きていくに
りました。どんなことをするかって
て、そういう点からも、
「市民でつ
はどうしたらいいのかっていうこと
言いましたら、大型店には無い、優
くる地域のサイン」というテーマに
をずーっと、私はとにかく商売だけ
れもの、優れたサービス、それは一
合った、大変適した方だと思います。
じゃないっていわれましたけれど、
体何なのかを自分達で考えるんで
吉富さん、思うところをどうぞよろ
商売の人間でございます。それでず
す。それを一回ちゃんと認識をいた
しくお願いします。
ーっと考えてみましたけれども、ま
しまして、それを育てて、またお客
ず、自分を売り込むこと、それから
様にアピールしていく、こういう仕
それにくっついた商売を売り込むこ
事でございます。その中からとにか
お た や
吉富:はい。高岡駅前にあります、
17
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
く私たち店に立っている者たちが、
す。私が一番感動したのはそれだけ
ならないんじゃないかと思ったんで
自信を持たなきゃいけないというこ
回ってきまして、まず彦根のまちっ
す。人を集めるためだけの形だけの
とから、そういう作業をしていきま
ていうのは、彦根城から下りた正面
まちづくりであるとか、そういうも
す。その中から生まれましたのが1
に新しいまちが出来ておりました。
のは必ずいつか飽きられてくるんじ
年ほど前にできた、私たち16名でや
白と黒の全部同じ町並みなんです。
ゃないかというふうに思いました。
っております、
「おかみさん会・べ
アーケードはありません。木がいっ
それとそのまちづくりと私たちの商
っぴん倶楽部」という、そういう倶
ぱい街路樹が植わってありまして、
店街とどういう風に結び付けて、私
楽部を作りました。
「べっぴん」と
「なんて素敵な町なのかな」という
は商売人だから商売のことしか考え
いうのはべっぴんの笑顔でお客様を
風に思いました。でも帰りの車の中
ておりませんが、どういう風に結び
お迎えしようと、心もべっぴんにな
で、
「じゃああの中で商売している
付けてちゃんと商いができるまちづ
ってお客様をもてなそうという気持
人はみんな飽きないでずーっとあの
くりをしていくのか、ということも
ちで付けた名前でございます。それ
まま何か白と黒のかつらを被ったよ
これからの課題としてしっかり考え
で、商店街がそういうふうな活動を
うな町でどんな思いでやっているん
ていかなきゃいけないことだなとい
しましたら、
「あ、何かやっとるぞ」
だろう、飽きてはこないのかな」っ
う風に思いました。以上です。
「商店街が何かやってるぞ」という
ていう風なことも考えました。それ
風な、そういうサインを出しており
から長浜に行ったときには小さい土
蝋山:大変ありがとうございまし
ますので、お客様が私たちにいつも
蔵造りがいっぱいありました。黒壁
た。吉富さん、とても自分じゃ上手
「一生懸命頑張っているね」
、
「よく
の通りというところです。
「こんな
く喋れないから5分は無理だとこう
やっているね、頑張られ」
、
「商店街、
小さな土蔵造りから見たら高岡の土
おっしゃいましたけど、ちゃんと7
なんとかして」と皆さんによく言っ
蔵造りは、なんて立派なんだろう」
分しっかりと理路整然とお話になっ
ていただきます。それが商店街から
ということを再認識して帰ってまい
て感心いたしました。ありがとうご
つまご
発している、そういうサインでござ
りました。一番感動したのは妻籠で
ざいました。
います。先日、あのこれは話が横の
した。あそこはとにかくその中山道
パネリストとしては最後になりまし
方に行きますけれども、このサイン
の宿場ですが中に人が住んでいらっ
たけれども、水野さんにお話してい
学会にこういうようなお話をしてほ
しゃいます。とにかくその昔のまん
ただきたいと思います。先程控え室
しいということで、私は店の中から、
まのものを少しでも保存しようとい
でちらっと伺いますと、様々なまち
商店街の中からどこへも出たことが
う、私らにしてみたら、商店街全部
づくりの作業に加わっておられる
ないので、まずじゃあどっかへ行っ
でそういう風にしているというよう
と、南部さんのお住まいの井波も、
てこようという風に思いまして、水
な、タイムスリップした感じで、あ
あるいは、この高岡でも、あるいは
つまご
まごめ
曜日にまず彦根と長浜に行ってきま
の妻籠では大変感動しました。馬籠
した。それは先々週の話です。それ
へ行きました。馬籠は手が加わって
だけではないのでしょうが、私の知
で、昨日おとついくらいの水曜日に
おります。あまり感動はありません、
っている北陸のまちのほとんど全て
は、妻籠、馬籠、松本というところ
素敵だなとは思いましたけど、心を
にご関係のようであります。そうい
を全部回ってきたんです。考えたこ
打つものはあまりありませんでし
うもののお仕事を通じての「市民が
とはまちづくりっていうのはいった
た。私が思ったことは、要はまちづ
つくる地域のサイン」のテーマに関
い何だろうって言う風に考えたんで
くりというものは、本物でなくては
するリポーツ、大変興味深いと思い
金沢、言うまでもなく様々な、北陸
まごめ
つまご
18
まごめ
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
ます。よろしくお願いします。
けれども、あれを全部分析すれば出
彫塑性といいますけれども、わかり
てくるんですけども、金沢で観光パ
やすくキャッチフレーズ的にいう
水野:私は今、ご紹介いただきまし
ンフレットやガイドブックを分析し
と、
「バームクーヘン都市」って言
たように、建築とか都市計画とかを
てみて何がこう一番多く金沢という
うんですけども、生まれてからグル
やっております。最初お話を受けた
シーンが出てくるかといいますと、
グルグルグル見えているという意味
ことじとうろう
ときに「地域デザイン」というふう
兼六園の徽軫灯篭が一番なんです
です。そういうのでいうとその地域
にお受けしたので、
「あぁ、いいで
ね。それから石川の石垣とやぐらで
らしさを表現するとしたら、金沢も
すよ」と答えたんですけども、
「で」
すね、それから尾山神社の神門とか
高岡もいろいろな時代のものを残し
じゃなくて「の」だった、
「地域の
とかそういうのが出てくるんです。
てきているということと、もうひと
サイン」だったのでこれはヤバイな
そうするとベスト10というのがあっ
つは、50年後か100年後か考えた場
ぁと思って困りました。先程下のパ
て、そういうベスト10というのを金
合、我々の時代のものを作っておか
ネルの外のところで、子供たちがま
沢の1つのシンボルのサインだと考
ないと、新しいバームクーヘンにな
ちを観察しているパネルがございま
えると、全部古い時代のものだった
らないというわけでございます。だ
した。その中にいいシンボルという
というのにひとつ気がついたんで
から我々の時代に古い時代の層を残
ところに鳳鳴橋の金色の一対の鳳凰
す。そういう卒論がございました。
すことと新しい自分たちの一番いい
の写真が出ていまして、ホッとして
高岡の場合も何が出てくるか分かり
と思ったものを付け加えていくこ
たんですけれども、あんなことも仕
ませんが、私の場合では瑞龍寺であ
と、それによってバームクーヘン都
事としてやってまいりました。それ
ったり、古い部分がイメージとして
市というのは出来上がっていくと。
から、八丁道とか金屋町とかこの高
出てきます。本来は金沢から見れば、
そのバームクーヘンみたいなものが
岡短大とずっとやっていたんですけ
工業都市っていう面も高岡は持って
うまく見えれば、その都市らしさが
れども、あとはニューオータニの前
いるわけですが、工場の風景が、高
出てくるなと、というふうに思って
に朝倉響子さんの彫刻を立てて、立
岡で出てくることはないんですね。
おります。それが多分自己表現とし
像とか等身大の立像を立てておりま
そういうこと含めて、
「そうかだん
てのザンイへとつながっていくだろ
す。ああいった置き方をやってみた
だん我々は自分たちの地域のサイン
うと思いますけれども、先程から奈
りしています。この話をするのは、
として古いものだけを大切にしてい
良さんや南部さんの話の看板の話が
実は地域のサインということで、ど
るな」と、ひとつ気がついておりま
出てきましたけれども、景観の問題
うこれをひも解いていいのか私には
す。それで高岡も金沢もそうですけ
ですね、景観の問題も確かに、これ
なかなかわからなかったんですけれ
ど、非戦災都市でございます。です
自己表現のデザインであります。と
ども、もしかしたら私の分野で言え
から江戸のものもかなり残っていま
いうものここに建っているひとつひ
るとすれば、
「自己表現としてのサ
す。明治も大正も昭和戦前のものも
とつの建築、商店であろうが、吉富
イン」みたいなものと、
「象徴とし
ございます。戦後のものも平成のも
さんのお店であろうが、あるいは自
てのサイン」みたいなものと、両方
のもございます。そういう意味でい
宅であろうが、道路であろうが学校
あるなという風に見ておりました。
うと、高岡も金沢も私は都市が生ま
であろうが駅であろうが、そういう
象徴としてのサインという意味で言
れてからずっとこの都市の歩みを見
ひとつひとつの集積したものが景観
いますと、例えば高岡の今日、観光
ることが出来る都市、いろいろな時
であります。そうすると、そのひと
パンフレットを沢山いただきました
代の層が残っている都市で、歴史的
つひとつをどんなふうに作って行き
19
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
たいかっていうのが、その地域の人
方々、それぞれの個々の観点から、
てはずいぶん違うはずで、何が重要
の生業の性格でございます。営みの
一番重要だと思われるメッセージを
で、何が重要でないかは人によって
性格でございます。と同時に価値観
「市民がつくる地域のサイン」とい
は違う、それはある地域が、こうい
を表現しております。と同時にその
うことに関して頂戴しました。非常
うサインに凝縮して伝えようとして
人の美意識も歴然と表現されている
に整理がし難いところがあるわけで
いるふうな、そこには当然そういう
のでございます。ですから、景観と
すが、最後に水野さんが言われた点
価値判断というものの調整というも
いうのはよく考えてみると、その地
というのから入っていくのが比較的
のが入っているはずです。そういう
域のまったくの表現体であると、自
入りやすいんではないかなというふ
ようなサインっていうのはあると思
己表現であるといえると思います。
うに思います。
「自己表現としての
うんですね。おそらくこのサイン学
確執的な町並みを作っていれば、確
サイン」
、あるいは、
「象徴としての
会というのは前者の事実を的確に伝
執的なことが好きな人達であろう
サイン」
、これはあのサイン学会と
えるというところから入って、今だ
と、個性的なものを作っていれば、
いうのはどういう形でどういうプロ
んだんその面は、交通、道路標識や
個性的なものを作っているだろう、
セスを得たか、よく分かりませんけ
その他の面での進歩があって、それ
古いものを残していれば、古いもの
ども、サインの背後には伝えたいと
だけであるもう限界が来てですね、
の好きな人達が結構いる都市だな、
いう情報があるはず、何らかの情報
それに加えて更に、どういうふうに
ということになると思います。そう
があるはずですね。その情報にはふ
価値、その地域なりその機能なりの
いう意味で、
「地域のサイン」とい
たつの内容のものがあって、混在し
価値をこの要する人たちに伝えるか
うのは「シンボルとしてのサイン」
、
ているものが多いわけですが、あえ
という、そういうところにまで来て
みたいな部分と、それから「自己主
て分けるとすれば分けられる、ひと
いるんじゃないかという、ひとつひ
張としてのサイン」みたいな部分と、
つは、実証的といいますか、事実そ
とつのこのサインのいわば累積、集
これを考えながら私はまちづくりし
のものの情報であります。ここから
積がこの大切だという話しを水野先
なくてはならないなと思っておりま
何キロと行くと、左に曲がると高岡
生されまして、ひとつひとつの集積
す。
駅ですと、こういうのは論駁可能で
が景観を形成するとおっしゃったと
あります。間違っていたら間違えと
思いますが、そして景観がひとつの
ハッキリする、そういう事実とい言
サインだということになるわけです
「市民がつくる地域のサイン」とい
ますか、事実に関する情報をどう上
けども、勝手バラバラに作り上げて
うことで、はじめに看板の色から入
手く伝えるかという、そういうサイ
いったひとつひとつが、ある種のま
り、実際に自分の家の、なんて言い
ンがあると思いますね。しかし、そ
とまりを見せるというケースもある
ますか、この看板、しかしそういう
れだけではサインが、いや今日ここ
でしょうし、いやそうじゃない、何
看板というのは、本物でなければい
で問題にしているのはそれだけでは
か誰かがリードして、それは神かも
けないんじゃない、本物を写すんで
なくて、その、いい悪い価値観的な
しれないし、市長さんなり知事さん
なければアレなんじゃないか、とい
情報、批判的な情報というものも、
かもしれないし、あるいはべっぴん
うようなご発言、さらにサインと言
このまちはこういうまちなんです、
な吉富さんのような人かもしれない
うものには自己表現と同時にシンボ
というのには当然、そのある種のフ
し、誰かがリードしてまとめていっ
ルと象徴としての2つの意味がある
ィルターがかかっている、こういう
て作り上げるというものもあるかも
と言う。いろいろこのパネリストの
まちなんですという認識が人によっ
しれない。一体基本的にどっちの方
ろんぱく
蝋山:ありがとうございました。
20
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
法論を取ったらいいのか、よくわか
越して、これからどうしていくのか
回行ったわけですが、井波のまちで
らないので、その辺のところは、ど
というのは基本的にはこういった皆
は少なくともメインのストリート
うなんですか。色については奈良さ
さんとお話する機会であるとか、あ
は、
「八日町通り」ですが、ではお
ん一番はじめにご発言になって、色
るいはもっと細かい部分での町内会
店の標識が、例えば南部さんだった
のこうした方が素敵でしょというふ
での向う3軒両隣での話、という所
ら…南部さん、何年ですか?
うにPRされた。しかし、仮に皆が、
からもう1度出直さないと、すでに
素敵だと思っても、一人が「NO!」
出来上がっている部分に関して、強
と言えばそう簡単には上手く行かな
権的にやろうとすると、そのすごい
いわけですね。そういう意見の調整、
反対の圧力も多々あると思うので、
蝋山:木彫りのうさぎに「南部」と
利害の調整というものがあると思い
もう一度小さい単位から真剣な意見
かいてありますね。皆さん一斉にや
ますが、地域としてのサインを作り
交換をやっていくべきなのではない
られているわけですね。少なくとも
出すためには必ず、その背後にには
かと思います。
八日町通りでは。
るという、その辺のところをどう考
蝋山:奈良さんのレポートだけを先
南部:そうです。
えたらいいんでしょうか。
程うかがった限りでは、やや行政が
南部:うさぎです。
そういうアジャスメントを上手くや
賢い行政をやってくれれば、後は上
蝋山:よくできたところですが、そ
奈良:色に関しまして一番行政指導
手くいくといったニュアンスが感じ
ういうプロセスは誰かが強制的にや
の部分でも、曖昧にしてきた部分が
取れたんですが、間違えで、もう一
らせているものなのか、それとも何
あると思います。特に周囲との調和
回原点に立ち返って一人一人の市民
100件もある、どういう形で自分の
を崩さない色使いをしなさいという
の方々のところから意識を高めてい
家の表札を、家主の干支でいうふう
形で具体的には明度、色素、彩度と
かなければならないということです
にされたんですか?
いった、いろいろな色を表す科学的
か?
南部:今はその数は八日町通りは井
といいますか、わかりやすい共通言
葉では区切れのない部分があるか
奈良:今や行政や市民とかもちろん
波の瑞泉寺という寺の大きい城下町
ら、そうであったと思います。我々
敵対するものではないし、まさに一
ですから、その門前町通りのその通
もそのガイドライン的なものを作れ
緒にやって行かなければならない。
りだけなんです。表札はその地域の
るものかどうか、模索してみてはい
仕事しては行政がリーダーシップを
世話をしているリーダーの「何かし
ますが、いろいろ皆さんの意見をお
とってやっていくのが進みやすいだ
ようという」考えと、その町の女性
聞きしていたらやっぱり難しいな
ろう。ただ上からのということでは
が協力してやっています。ただし、
と、最終的には情緒的な何もかも数
なくて、もう一度このように話し合
個人の出費も半分出ている。この干
字で割り切るということではなく、
いの場を作ってもらえば、より多く
支の表札はちょっと大きいですし、
ここの部分に関しては昔からの部分
の人が納得できる。またその時代の
ヘビなどは気持ち悪いという話もあ
とまた新しさ、先程おしゃったバー
ものが作っていけるんではないかな
りますが、ヘビ年の人もおりますか
ムクーヘンというか重層的な上層と
と思います。
ら、ヘビは上手く使えばデザインに
言いましたけど、そういった歴史か
ら、それからこれから先の部分を見
もなりますし、ある程度、小さな町
蝋山:私はこの1年半の間に井波に3
の方が、日本は共通したようなとこ
21
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
ろがありますから、小さい町の方が、
のですがそれも全体でまとめると、
う風な打ち出し方のできる井波は本
私は一万人ほどの町でどちらかとい
全国にアピールの要素があるんです
当に羨ましく思っております。先程
うと、彫刻の信仰と木彫りの里とい
よね。その地域でしたつもりが、パ
もおっしゃいましたように、商売人
うことで、特徴をはっきりと明確化
ブリシティというのでしょうが、結
というのは、例えばお客さんは今日
された町、そういう面で、的をしぼ
構取材なども来とります。ですから
は少ないと、そしたらそれは自分や
りやすいといいますか、そういった
そういう看板とかは上手く使えば町
自分の店のせいとかじゃなくって、
ことはあったと思います。干支はど
おこしに繋がると思います。
看板が目立たないのではないかなと
うしようかという、大きな反対は無
少しずつ少しずつ前に出していくん
い。大きな利害関係が無いから一本
蝋山:明日、多くのご出席の方々が
ですね。それで点字ブロックの上に
化されたという所があります。それ
午後井波の方へ行かれるかと。ぜひ
へっちゃらにのぼったりするんで
から私の町には彫刻を習いに全国か
それぞれの家の看板とバス停標識な
す。ある程度自信のあるお店でした
らいろんな若い人が来るのですが、
どを御覧になっていただきたいと思
ら上品に固定客もおりますしそんな
私の家にも住み込みの若い人がい
います。やっぱり井波の売り出す、
事ないですが、不特定多数のお客さ
て、その人たちは皆学校へ行くので
本物としての木彫りということをし
ん相手をしなくてはならないという
すが、一週間に一日くらい通うわけ
っかりと認識していらっしゃること
お店では、とにかくでっかく向かい
です。私もこうしておりまして、そ
がおそらく、ある種のサインとして
よりも大きく、隣よりも大きくどこ
この4年生に共同制作という部門が
のはっきりとした特徴付けに貢献い
よりもどこよりも目立つようにしな
ありまして、去年共同で井波の道の
るのではないかと思いますが、先程
くてはダメだ、ということで私は思
駅というところで木彫りの里という
具体的に、方法論的には、本物でな
ったのですが、高山へ行くとき富山
所の大きな看板を作ったんですよ。
ければならないと吉富さんおっしゃ
の掛尾の方がありますよね、ああい
それもそれなりに大変だったんです
られたけども、本物探しとは、どう
うところへ行ったら看板で看板で、
けどウケもあったかなと。意思統一
したら良いのでしょうかね、ご経験
もう、うんざりするくらいの大きな
も出来ておりませんが、ひとつの事
から何か伺うことはありませんか。
大きな横から縦から斜めから、色ん
業として4年生の学年は毎年作ろう
な看板が出てるんですよね。ああい
と。今まであるものはどうも井波ら
吉富:サインについては私はわかり
しくないと。それで同じお金をかけ
ません。
るなら、自分達で事業で作っていこ
う所を通るだけでうんざりして、
「これって規則がないのかしら」と
思いましたね。
うかと。その業界として実験的なこ
蝋山:いやしかし、高岡の本物って
とかもしれません。まだ完全な意思
何ですか。
統一はされておりませんが、その方
蝋山:そうすると、吉富さんは規制
でそうしたバラバラなところを調整
向で進めております。サインという
吉富:あの、先程の話とからめれば
して、いい方向へ持っていった方が
本でどこからどういう情報を入れて
土蔵造りであったり、銅器の町であ
いいと。
されたのか分かりませんが、井波の
ったり、古城公園であったり、瑞龍
看板がおもしろいという特集を組ま
寺であったり、というようなそうい
吉富:商店街はとにかく大きなリー
れたことがございまして、各々の地
う本物だと思うんです。私の商売も
ダーシップを持った人がいれば上手
域でやった看板みたいなものがある
本物しか売っておりません。そうい
くいくんです。ですが、先程いわれ
22
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
たように、とにかく一つにまとまる
うおっしゃいましたけど、その集積
いうか、素養ですね、それがかなり
のが大変なんです。大変でやっぱり
の過程で、ある種意図的な、社会的、
強かったのが江戸時代だと思うんで
行政がちょっと指導してくれて商店
公共的な介入とか調整とか、どうあ
す。だから、旦那たちは俳句もやる
街が中心になって何かを一生懸命考
るべきだとお考えですか。それとも、
し、小唄端唄もやるし、そうかとい
えて、皆で考えてそれをやるという
必要ないんだと、勝手に任せておけ
って、お伊勢参りから、いろんな旅
のが一番良い方法なんだと思いま
ばいいんだと、ダメなものはダメだ
行はやるし、大変な教養を持ってい
す。
と、汚いものはいくら指摘しても汚
る。その教養を争うのが、旦那たち
いものだと、クールにご判断なさる
の遊びだった。だからいいものがで
のか、どんなものでしょうか。
きた。道楽というのはそんなものだ
蝋山:そうですか。ありがとうござ
いました。あの高岡の私の印象とし
ったと思うのですが、明治時代にな
て、ちょっとエッセイに書いておき
水野:日本の都市が、戦災で焼け野
って建築家ができたり、土木技術者
ましたけども、それぞれの点はなか
原になってまだ50数年しか経ってい
ができたり、いろんな技術者ができ
なか悪くは無いんですね。瑞龍時な
ないんですよ。東京も名古屋も。そ
て西洋の技術者を入れて知る過程
んかは、一時間瑞龍時で過ごすと。
れであの景観作っちゃっているわけ
で、
「素人のあなたは黙ってなさい」
そういう風に考えてみるとすごく良
ですから、この先50年間、万が一シ
という形ができちゃったんですね。
いことなんですね、あるいはこの15
コシコシコシコやれば、コロッて変
その明治維新以降の110年間の修正
分であれば金屋町ですね。それぞれ
わることは間違いないですね。まあ
作業というのは、これから数10年か
点としてはいい。すばらしいんです。
その変わる方向の議論が多分あるん
かると思うんです。要するに、素人
ですが、面にならないんですね。線
ですね。その中で大事なこと…、ふ
がちゃんと価値観を持つ時代が来る
でつながっていないんですね。で、
たつあるんですけど、ひとつは、こ
だろうと思うんです。それを信じて
結局金沢なり…例えば僕の近所で言
れからはプロの時代じゃない、とい
いるわけですね。ですから町並みを
えば金沢がリピーターも含めてツー
う感じなんですね。それはどういう
どうするかというときに、その地域
リズムでもっている。まぁ、ツーリ
事かと申しますと、例えば八丁道に
の人が「こうしたい」という賛成が
ズムというかどうか知りませんが、
しても金屋町にしても、まぁ、八丁
出なければ、行政も出来ないわけで
私は高岡の人は私も含めて富金族だ
道は特別ですが、金屋町とか蔵の町
す。ところが、金沢の町でもいろい
と思うんですが、休日は富山か金沢
とか、あるいは金沢のいろんな町並
ろな景観、行政やっていますけども、
へ買い物へ行くという。そういう近
みを見てもそうなんですけど、江戸
我々が驚くほど賛成するんですね。
郊の人も含めて人を集めることがで
時代にだいたいできている。先程シ
こんな規制かけちゃって大丈夫か
きるということは点が繋がり線にな
ンボルがあるということで江戸時代
な、と思うんですけども。ずうっと
り、面になっているからだと思うん
といいましたけれど、その時には建
このまちは3階建て以上の建物を建
ですね。そういう繋がりというのは、
築家なんてプロフェッショナルいな
てるのをやめましょう、と平気で言
勝手にやっているだけではなく、相
いんですよね。土木技術者もいない
うんですね。大丈夫かなーと思って
当意図的な面があるのではないかと
んですね。大工の棟梁と親方たち、
いるんですけども。
「家は位置から1
思うのですが、水野さん、その辺り
その関係で成り立つわけです。すな
メートルセットバックして格子を付
のところの、景観というのはひとつ
わち環境デザイン、サインデザイン
けましょう。
」
「はい、わかりました。
」
ひとつ個の活動の集積であると、そ
というのがない。旦那たちの教養と
なんて、平気で言うんですね。そう
とみきんぞく
23
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
と決まると、プロ達の考えることで
るんですけども変転してどこか追い
が皆そういったふうな人たちが多い
はなくて、アマチュアたちが、とい
かける意味がなくなってきている。
んでしたら、本当にに羨ましいと思
うか市民たちがこれが良いと思った
自分たちがどんなデザインをするん
っています。おっしゃった様にアマ
ら、それで出来ていく。そういう時
ですかと世界に言われるようになる
チュアが、市民達がまちづくりをし
代だと思うんですね、ですから、景
と、成熟せざるを得なくなってきて
ていくということは、本当に大切な
観はひとつひとつの縮尺の営みの結
いるというところがあるんですね。
ことで、それが理想やと思います。
果だというのはそういう意味も含め
そういう意味でこれからの地域の環
その中で生活している人達が自分達
てだと思います。それがひとつです。
境というのは、市民主導型で、変転
でやりやすいように、生きやすいよ
そしてもうひとつは、今までは日本
から成熟へと移るという、そういう
うに、商売しやすいようにいろいろ
の社会というのは高度成長を経まし
意味でそれに対してどういう価値観
まちづくりしていくのが私は一番最
た。高度成長期というのは社会の価
を持って、対応しているのか、とい
高やと思うんです。で、じゃあ高岡
値観がどんどん変わるんですね。デ
うことが、その地域の力量を推し量
はどうか、といったら怒られるかも
ザインも変わるんです。だから日本
るバロメーター、景観はバロメータ
しれませんけど、先程から私はその
のデザイン史ってのは今最近「昭和
ーであるというのは、そういう考え
まちづくりとかその点を結んで面に
のデザイン」とかいって振り返って
方です。
するっていうときにはやっぱり、い
おりますけど、あれを振り返る意味
ろんな人の賛成とか協力とか必要で
というのは、変転してきたからです
蝋山:大変参考になると言います
すよね?そいうことが高岡市民は賛
ね。けれどもこれからはあまり変転
か、ある意味では金沢市民の方が羨
成とか協力とかしてくれるんだろう
しないだろうと直感があるんです
ましいと思う、そういう一面をお話
か?ということに大変疑問を抱きま
ね。それはどういう意味かと言うと、
いただきましたが、ええと、もう一
して、胸が辛くなります。皆様の前
変転してきたものが、そろそろ成熟
度お隣の吉富さんに戻っていただい
でこういうようなお話をするのはな
する時期にかえるだろうと。どうい
て、お話を……。今のこれからはア
んですけれども、怒られるかもしれ
う風に成熟していくかわからないけ
マチュアの時代で、アマチュアがあ
ませんが高岡の市民性として、そう
どそれほど変転する、変化の激しい
る意味では高い教養を背景にです
いうとことがあるんだろうかという
時代は終わったんじゃないかと。と
ね、安定した価値観でまちづくりを
気持ちがいつも感じているんです。
いうことは建築とか都市とかやって
いいと思う方向に持っていく、そう
ごめんなさい。
ると、アマチュアや市民がどんどん
いうようなある種の理想的な、それ
どんどん出てきて、市民が、ものを
に近い状況が金沢には一部にせよあ
蝋山:非常に率直な、そこまで率直
決めていくという、そういう時代と
るというお話を伺うと、僕なんかは、
に言われるとは期待していなかった
も丁度合うんですけども、少しずつ
観察者として、大変、これからの高
のですが、大変率直に…。まあしか
成熟していくだろうと。そうすると
岡は大丈夫かいなという、その辺の
し、それだからこそ高岡の面白さが
江戸時代のいろいろなデザイン、そ
ことについてどうお考えでしょう
あるんだとそういう捕らえ方ができ
れは鎖国という中で日本人が成熟さ
か。
ると思いますので、今、水野さんの
せた文化ということになります。そ
話に大変おもしろいことがもう一つ
れと同じように日本もそろそろ鎖国
吉富:あの、本当に今のお話を伺い
ありまして、チラッとこの、明治維
じゃない、情報がどんどん入ってく
まして、金沢市民の心っていうもの
新なり西洋の技術が導入され、それ
24
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
をベースしたプロフェッショナルが
本当に素晴らしい、何が?」と逆に
んどん進んでいくのではないかなと
アマチュアを排除して俺達に任せろ
思ってしまう、日常慣れになってし
いうふうに感じておりますけども。
という形でまちづくりに入っていた
まっているという部分を見直して、
という、そういう点では西洋の技術
本当にいいものに関してはいいとい
蝋山:ただいまの奈良さんのお話を
という表現を使われたと思うんです
うことで、みんな価値観を共有して、
南部さんに振りたいと思いますけ
けれど、我々は、西洋の技術を…南
残していくべきものは残す、新しい
ど、南部さんは看板の工業化という
部さんは別ですよ、ここに西洋の技
ものというものに関しましても今は
と大変鋭く批判されたと。人の心を
術をベースにして商売しているのが
どこの町でも電飾といいますか、簡
暖かくするサインが必要だと。ただ、
ここで三人いるんではないかと思う
単なコンピュータのICの組み込み
最後に奈良さんがおっしゃたよう
んですが。奈良さん、どういうふう
によって文字が動く、表示が動く広
に、公共のサインとおっしゃたけれ
に今後のそういうサイン学なんてい
告看板という形で出ていますけれど
ども、例えば道路の標識のようなも
うサインなんていうものもカタカナ
も、まああの辺の有り方に関しまし
のはですね、あんまり心暖かくっち
ですからねぇ、看板学じゃなくてサ
ても業者の方には申し訳ないですけ
ゃ困るわけですね、クールに何キロ
イン学なんですから、どんな風にお
ど、それが取り付けられる場所にと
ということが書いてなくてはならな
考えでしょうか。
いうことを考えて、営業されて欲し
いわけですね、そういう点では西洋
いなというふうにも思いますし、ハ
的合理主義も必要じゃないかと思い
奈良:先程から、初めて来てこちら
イテクという部分は当然これから意
ますけれども、それの使い分けはど
の商店街の方をパッと車で通り過ぎ
思を表示していく部分に入っていく
う考えたらいいんでしょうかね。
ただけで金沢の方は全国に進んでい
と思いますけど、実際直接的に街中
ると京都以上に進んでいるというふ
で目に見える部分に関しましては人
南部:あの、今言われたように、使
うに聞いております。まああの、吉
間への優しさといいますか、強いも
い分けは必要だと思います。今看板
富さんがまだ皆の意識というものが
のを求める人もいると思いますが先
やサインでも一番端的なのは交通標
結構まだバラバラで大変だよ、とお
程もおっしゃたように見たくないも
識ですからね。これはスピードは何
っしゃいました。その辺はやっぱり
のは見えてこない、見たいときは見
十キロ、その横上に立て看板が何と
おかみさん会という「べっぴんの会」
えるというような、非常ににその辺
か病院とかっていろいろ沢山立って
というアピール力の強いものをうた
の、まあ阿吽の呼吸的な表示という
いるわけですよ。そうなるとやっぱ
われて、一人でも仲間を作ってそう
ものがあって欲しいし、もうひとつ
りそれに気を取られましてね、見落
いうことから始めていかなくては仕
思いますのがやっぱり公共的なサイ
とす場合もあるんですよ。本当に合
方がないなという実感から出てきて
ンという部分に関しましてはまだま
理的にドライに考えなくてはいか
やっておられるというところは本当
だ日本の都市においては不足してい
ん。例えば極端な話、信号がこうあ
にすごく強いなあと思います。その
ると思いますし、その辺、GPS
りますよね、赤・青・黄と、こんな
地域地の個性というものをもう一回
2000年問題で狂うという部分もあり
んになっていますが、例えば目立て
見直すと。自分達の住んでいるとこ
ますけれども、そういったハイテク
ばいいといって、周りに飾りを付け
ろを逆にほとんど見ていないのでは
なんかは直接景観なんかとは関係な
たらどうなるのかというと、とても
ないかと思います。よそから来たら
く誘導なんかという部分と結びつい
じゃないけど危なくて信号機になら
素晴らしいなと言われて、「ええ、
てくると思いますので、その辺はど
ないわけですよ。そういうものはそ
25
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
ういうもので、ドライに考える必要
ね。八号線を走っているときにはで
安心感がありますよね。全国の共通
はあると思います。そのドライとい
すね、全国統一の誰が見たって間違
の店だったらいいんですけども、例
う中にはまだなんか考えることは必
えないようなサインでですね。しか
えば井波の八日町通りにナショナル
要なのかもしれませんけれども。そ
し一歩、守護町から金屋町へ入った
のお店ができることになって、
「う
ういったスタイルのものと、それと
とたんに県道なり市道なりに入った
ちはこういう展開えやってますか
やっぱりそういうので絶対に伝えな
とたんに高岡らしいサインになる、
ら」と言われるとご破算になるんで
ければいかん、というスタイルのサ
あっ高岡へ来たっていう、そういっ
すよ、その辺どう言うか先程のお話
インと、それと必ずしも伝えなくて
たふうになればすごく面白くなると
もありますが、私はある程度の規制
もいいというサインもあると思いま
思うんですね。現状はガチャガチャ
をかけて然るべきだと思います。自
すんで、その使い分けっちゅううも
ですよね、そういうところを踏まえ
分の町が近くにおると良さが見えな
んがやっぱり必要かなぁと思いま
てどうですか、水野さん。
いということがあるんですが、遠い
す。やっぱりそいういう、どう言う
ところから来られて自己紹介してく
んですかね、サインに求められる要
水野:南部さんにお尋ねしたいんで
ださいと言われてやっぱり、
「うち
素というものはいろいろありますか
すが、この間、写真撮ったら井波で。
の町はこういう町です」
、
「こういう
ら吉富さんのところでなんだか下着
を売っておられるという話ですが、
町で育った私です」と紹介する時に、
蝋山:はい。
そりゃぁ、先程のお話でどんどん看
やっぱり考えるんですよ。いろいろ
皆さんまず、自分の町はどんな町か
板が前に出てという話もありました
水野:森永牛乳とかパナソニックと
なと考えるということを、そういう
けれども、どんどん変わって100人
か横浜タイヤとかそういう、全国看
ステージに上がらないと。自分の町
絶対に見てもらわなくてはならな
板がやっぱりあるんですね。自家製
はどういう町か分からないと、サイ
い、商売をしている人には見てもら
看板は一生懸命やっていいるんです
ンのところまで行かないですよね。
った方がいいのかもしれませんけれ
けれども、そういう中で自家製じゃ
そういうステージに皆上がって行か
ども、100人いる内の関係ある人だ
ない全国商品看板が出ているんです
ないと、どうしたらそういうところ
け見てもらえればいいサインだと思
ね。北陸銀行とかですね。そういう
にに上がれるのかなあってところは
うんですよ。例えばどういう物を売
のをコントロールしないと。
思うんです。
人のだけを売っておられるなら、女
南部:私、看板の中でね、いろいろ
水野:そのときにだから、その全国
の人にだけ見てもらえればいい。と
あると思うんですよ。誘導するため
看板を無くすということを議論する
ころが、信号機はやっぱり全員に見
の看板とかイメージを売るための看
時にやっぱり自分達のステージが見
てもらわなくてはね。やっぱりそい
板とか、例えばナショナルの…ナシ
えてくるんですね。どちらが先なの
ういうサインもあると思うので、そ
ョナルの方がおられたら失礼します
かっていう問題はありますけれど、
の辺はやっぱり分ける必要があると
が、ナショナルの方、各々の専門店、
具体的テーマまで入っていたった方
思うんですよ。
同じような店舗構えをしておられま
がいいんじゃないかと思います。実
っておられるか知りませんが、女の
すよね。そういう店舗展開をしてお
は、アメリカのアスペンとかという
蝋山:素人から言えばその辺がゴチ
られる、それはああ、ナショナルと
町では、アメリカの看板のコカコー
ャゴチャになっているんでしょう
いう、イメージがメーカーとしては
ラとかケンタッキーとかエッソのス
26
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
タンドとか全部壊してます。それで
ってもお金使う人が高岡らしい高岡
なと。こんなふうに議論を…異論は
商売している。そういう町はいくつ
にあったそのためには高岡の人はこ
あると思いますが、まとめることが
かありますがそれでコントロールし
ういうタイプの人ですよ、こういう
できるんじゃないかと思います。ま
ている。あの赤はダメだと。
お金の借り方をするんですよとそれ
だしかし、時間があります。おそら
こそ本物をきちんと認識しなくては
く、フロアの中でも、いやあちょっ
南部:私ねぇ、さっきの電気屋さん
ならないでしょう。私いろいろ興味
とこういう点で違う考え方を持って
の話で思い出したんですが、確か伊
深く時間が進行したんですが、サイ
いるという方がおられるかもしれま
勢の方の伊勢の何とかというところ
ンというのは本物の情報伝達の方法
せんし、ご紹介をいただけるかもし
に、…伊勢ね、三重県の伊勢神宮の
だと今後の客観的かどうかはともか
れません、ご自分のご経験を..。い
ね。電気屋さんの看板かなんかでね、
くでも出す方が細かく思っていなく
かがですか?つい最近土蔵フェステ
電気の玉を木でこう、何かこう平面
てはならない、そういうところが重
ィバルをされた方々もおられるよう
の板を(ゼスチャー:電球の玉の形
要だ。様々でしょうけれどもまず大
ですし、またサインを出された方も
を木の平面の板でかたどった形)玉
事なところは地域なら地域、個人な
おられるようですし、また伺うとこ
一つなんですけど、それがこう、い
ら個人、そういうところをキチンと
ろによれば、様々な工芸的なサイン
いんですよね。だからそれ、例えば
サインに出す、地域としての心得を
をおつくりになってお仕事をされて
ナショナルがもしそうした時にそれ
出す一様ではないと思います。
いる方が、高山なり、あるいは金沢
だけの柔軟性を持って対処してくれ
なりからおいでになっていると伺っ
る体質が欲しいですよねぇ。
「うち
今日のお話をいろいろ興味深く、時
ております。規制する立場になる、
の会社はこうですから」とそれに準
間が進行したわけですが、この段階
富山県、富山市あるいは高岡市の行
じながらも地域性にはアレンジはい
でまとめていえばサインというのは
政の方もお見えになっている。どう
いですよというぐらいの、対処がな
本物を伝える情報伝達の方法だと。
ぞこのご意見なり、ご注文なりをこ
いと、押し売りされるととんだ迷惑
本物というのは客観的かどうか、そ
こで聞いていただきたいと思います
という気がします。
れはともかく、我々サインを出す方
が、いかがでございますでしょうか。
が思っていなければならないわけ
まずこの学会、サイン学会とは関連
蝋山:それ非常に水野さんのご提言
で、そこのところが一番重要だ。
しませんが、私の所属している学会
はある種の問題提起として重要だと
様々な技術論はありえるでしょうけ
では所属とそれからお名前と、そし
思います。それを実現させるもう改
ども、まず大事な点は例えば個人の
てどなたに対する質問か、というこ
めて井波なら井波という町のという
場合は個人がしっかり自分をつか
とをハッキリさせていただいて、そ
ことで合わない看板、サインは早め
む、それをサインとして出す。地域
れからということになります。よろ
に変えていただきましょう、禁止で
なら地域、グループならグループ、
しくお願いします。
はないんですね、変えていただきま
地域としての本物は何か、しっかり
しょう、こういうのはいかがでしょ
と掴む、それは、まあ一様ではない
質問者1:千葉大学、環境デザイン
うか。そんなふうになっていく練り
と思います。様々な本物の掴み方は
研究室というところで研究しており
上げられていくわけですから。しか
あると思いますが、そういうものな
ます学生の堀と申します。どなたか
も具体的にという先程の話が出てき
しのサインは、どうもサインとして
にご質問となると、奈良さんか水野
ましたけれども消費者金融どこへ行
問題が少なからずあるんじゃないか
さんということになるのかもしれま
27
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
せんが、意見のような文も含めてお
ということを決めてしまえば、更に
話させていただきたいと思います。
下のレベルで、より市民に近い市の
途中でですね、教養のある旦那衆が
レベルでは、市民の立場で、自分達
蝋山:どなたが一番適任でしょう
町のことを考えるのだというくだり
で組み立てなさいというような条例
か、水野さんいかがですか。
がと思うのですが、現在の看板、景
を整備できるのではないかと。こう
観の問題でですね、難しいのが、お
した三段構えですべてのレベルで利
水野:実際は県の条例、広告、看板
金を持つものが大きな情報発信がで
害対決が起ったとしても問題解決の
の規制条例を市も持つようになって
きることが、地域のためにならない
糸口がつかめるような、組み立てが
いるんじゃないかと思うんですね。
というものでもあると思うんです
できるんじゃないだろうか、そうい
大体は。それから、景観条例ができ
よ。そう考えると、先程のお話でも、
う事で先程、おっしゃいましたナシ
ると、どうしても景観審議会という
市民の参加ということになっていま
ョナルカンパニーとか、あの…松下
のを作って、そこで審議できるよう
すけど、それと、もちろん平行する
のグループ傘下の電気屋さんと井波
になっていると思うんですね。そう
ような形で、経済とモラルの問題も
の商店街全体の利害と対立というも
いう意味じゃ、広告、看板の部会も
話さなければいけないのかもしれま
のをですね、大枠でそういった条件
ほとんどの景観条例を持っている市
せんが、ちょっと話がズレますが、
整備がしてあれば、互いに歩み寄れ
町村もございます。検討する名目で。
昨日実は、金沢で今行われています
るルールを作らねばならないという
私はでもそれは行政としてフォロー
リハビリテーション工学のカンファ
意識になるかもしれないなと思った
いただきたいと思います。やはり一
レンスを聞いていまして、その中で
んです。で、そういう事が一つ言え
番大事なのは、「あぁ、この看板、
ハートビル法というものが国で設立
るなと。ただ秋田県の事例としてで
汚い」という人がどれだけいるかと
したのを受けて、福祉のまちづくり
すね、昨日のハートビル法と福祉を
いう事だと思うんですね。それは新
条例というものを各県でどのように
交えた条例のことですけれども、お
聞に投書してもいいし、テレビに投
立ち上げられるかという報告が一人
もしろかったものが、
「そういう福
書してもいいし、インターネットで
の発表者からありまして、それを景
祉のいろいろ条例というものを設け
頼まれてもいいし、あってもいいけ
観の方に当てはめてみるとですね、
るつもりはない」という返事をして
ど、そういう事を行動している人た
国と県と市のレベルで役割を分けて
きたそうで、その理由というのが、
ちがその地域にどれだけいるのかと
体制を整えていくことができるので
「市民全員が意識が高まっていれば、
いう事が大変大事だと思います。そ
はないか、例えば、国という立場の
わざわざ条例でそれをうたう必要が
ういうのがあって初めて、県や市が
…その金沢を発表では国と県のレベ
ない」という事を言ったという事が
作った条例が上手に生きていくだろ
ルでの役割分担がきちんとできてい
フォローとして言われまして、確か
うと思います。ですから、私は市民
ないという意見もあったのですが、
にそれももっともで、そういったフ
意識といいますか、先程も申し上げ
先回りをしてサインのことで考えま
レーム作りの意味での法律というの
た通り、成熟してく市民がどれだけ
すと、国は例えば、日本らしい景観
は、そういったサインに対する意識
いるかという勝負にどんどんきてい
づくりに配慮していくべきだという
が高まれば、要らないものでもある
るなという形を考えています。情報
大枠を決めまして、県のレベルはそ
のだろうなと、思ったというのもあ
はそういう人たちが「NO」といえ
の中で地域特性を生かしたサインづ
ります。そういう枠組みづくりにつ
ば必ず情報として出てくる社会でご
くりというものを県下で進めていく
いてどう思われるのかということな
ざいます。それを使えばいいと思い
28
んですけども。
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
ます。そんなんで答えになったでし
らいやってきます。それで一番町の
ん中に穴が空きまして、東京から高
ょうか。あんまり、国作らなきゃ、
中でメインストリートになっていま
山へ来る距離が短くなりました。冬
県が市が作らなきゃという行政頼り
すのが、古い町並みという特徴があ
でも高山へ入れるようになった事
の時代ではないだろうと、そんな風
るわけですけども、先程水野先生が
で、158号線というのは、高山へ入
に思ってます。基本的にはですね。
おっしゃいました、昔の旦那衆が住
って来る道です。そこに今色んな調
それは次第に行政の方も市民の声が
んでいたところなんです。現在そこ
子の建て広告が立っております。今
大きければ、条例を作らざるを得な
に造り酒屋が三町に六軒あります。
規制をしておるんですけども、一件
くなってくる。広告規制条例をしな
当然昔は造り酒屋しか看板がありま
が作れば一件が作るという風に、そ
ければいけなくなってくるという事
せんでした。うちはどこのですとい
れよりも大きいものを、というよう
実でございます。
う銘柄の酒の看板を出す。それから
な、色を派手にする、大きさを競う
情報提供は新酒ができたということ
という風に、非常に見苦しい広告の
蝋山:日の丸条例ができましたけど
で杉玉を出すという。そんなような
戦いがやっておりますけども、その
も、国旗と国家の法令ができました
これを本当に情報提供する事だと思
反面、平湯温泉というのは安房峠の
けども、やはり、親方、日の丸とい
います。それでも観光客がくること
すぐ近くにあるんですけども、5つ
うのはあまり頼りにしない方がいい
によって、その古い町並みが景観保
の温泉があります。そのうちの2つ
ということですね。一番望ましいの
全ということで行政で看板の禁止条
の温泉はそれぞれ、先程も水野先生
は、それぞれが日の丸を掲げる、と
例など作ってきました。前はそのよ
がいわれたように、行政からの指導
いうことだと思いますので、旦那衆
うな、それぞれの町が自分達の生活
じゃなくて、自主的にその2つの温
が、ちゃんと出てきてもいいし、オ
を中心にした町ですから、看板なん
泉は全部自分のとこの看板を取って
バサン衆というのも出てきてもいい
てものは無かったんですけども、今
まいりました。それから集合で出し
し、いろんなレベルで一人一人が景
はいろいろと昔習った商売からそれ
ている案内図も取ってまいりまし
観あるいはサイン、もっと広くは、
ぞれの趣向を凝らした商売というこ
た。当然、ひなびた温泉へと訪ねて
環境というものに感心を持ち、それ
とで、今高山では、一番古い町で、
下さる皆様の心を癒す場所をもう一
なりの対応をするという事なんじゃ
一番新しい商店街というようなイメ
度見直した、という現状があります。
ないでしょうか。
ージになっているわけです。ですけ
今私たちは商売から見れば、先程の
他にご質問なり、ご意見なりないで
ど、その行政のおかげでその町には
吉富さんの話じゃないですけども私
しょうか。いかがでございますか?
広告の条例ができたもんですから、
達、商売あがったりになりますけど
どうぞ。
広告の大きなのは立っておりませ
も、そういう情勢でもう一度飛騨を
ん。200万ほど訪れる観光客は90%
見直そうというところが、住民の気
質問者2:私は飛騨の高山から参り
ほどその町を通ります。それはよそ
運が高まっているところがありま
ました山越と申します。いろいろと
へ出て、ちょうどその芝居の呼び込
す。私達もそういうようなところか
先生達のお話を聞いていまして、今
みじゃないかなというのが、外に立
ら勉強しながら、地域のサインとい
までやってきた事と、今からどうし
てる看板だと思うんですね。それを
うものを考えて、行きたいと思いま
ていったいいかふたつの事で頭がい
だんだん隣よりも遠く、大きくとい
す。今日は非常に勉強になりました。
っぱいなんですけど、高山市は人口
うような看板ができる事で、その町
ありがとうございました。
6万くらいで、年間観光客が200万く
は乱れていく。特に北アルプスの真
蝋山:今日は北陸大会ですけれど
29
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
も、高山という、北陸と極めて縁の
を考える会・高岡」の島と申します。
のサインとして、代表として、万葉
深い、北陸に数えても…怒られるか
よろしくお願いします。先程バーム
線が望みがあるかないか、この辺客
もしれませんが、数えてもいいよう
クーヘン的な町というお話で、私は
観的に外側から見られた、どなたで
な場所の地域のお話のご紹介いただ
一番外側の黒いところか白いところ
もいいですから、ちょっと感想を述
きまして、ありがとうございました。
かはわかりませんけど、そこを万葉
べていただきたいと思います。
今のお話の平井温泉のケースが大変
線というか、路面電車ですね、路面
おもしろいと思いますね。やはりこ
電車が、先程話題になっていまいま
蝋山:我々の中では、私が一番万葉
れまではある種ユーザーの側もこの
した高岡の沢山ある点はいいんだけ
線にお金を払っているのではないか
強い印象を与える広告の製品はなん
ど、面で繋がっていないと…、とい
というふうに思いますが、我が家で
かいいんじゃないかと、こんな風に
うところを路面電車・万葉線が、接
おそらく万を超える金額になるので
画一的に考えていたんでしょうね。
着剤的な役割になって、今から出来
はないかと思いますね。大変この…
しかしどうも少しずつ変わってきて
上がる、茶色い部分か白い部分の一
ですから、私は万葉線が潰れてもら
いてですね、そんなに一生懸命広告
躍を担えないかというふうに信じて
っては困るわけですので、私がいる
をしているのは、ちょっとおかしい
いるんですけど…土蔵フェスタ、少
間は潰れないで欲しいなと思います
んじゃない?というようなユーザー
し参加したんですけれど、関連付け
けれども、しかし他の方は皆さんそ
も消費者も出てきているんじゃない
ますと、土蔵造りを沢山の方に見て
れぞれご存知で、一番ご存じないの
かと。おそらくそういうところを先
もらおうと言う中で、ひとつ中条家
は奈良さんです。奈良さんに一言…。
取りした動きとして、平湯温泉のそ
さんという家があります。で、聞き
今、時代遅れの路面電車に対する、
の2つの温泉の広告をしないという
ましたところ、
「これは土蔵造りじ
何といいますか、ある種のサインと
ポリシーが、実は広告になっている
ゃないがや」と。
「あとで設けた旦
しての価値があるかどうか、Yes、
わけですね。サインを出さないとい
那が土蔵造りに似せて、立派な家を
or、Noを含めて、お答えいただ
う事も実は強烈なサインを出してい
作ったがや」と。奥の庭も、立派な
きたいと思います。
る。こんな風にユーザーを捕らえる
んやと。なんだけど、じゃあ土蔵造
ということが必要なんじゃあないか
りじゃないからダメなんかという
奈良:顔になっていると思います。
なあ、それだけ多様なユーザーが登
と、それもやっぱり、特におばちゃ
凄いなと。単線でしたけれども、広
場していて、それがまさに水野さん
ん達、沢山寄ってまして、
「いやぁ、
告を太っ腹に巻いて、皆さん勉強さ
のおっしゃる、円熟した市民という
中条家ちゃあ、なんちゅう立派なん
れている方は、ヨーロッパとかは今、
事になるかと思います。大変おもし
よ」と、
「いいわいね」というお話
もう一度そのエネルギー云々を考え
ろい、いいお話を伺いましてありが
だったんですよ。ということは、土
たときに、電気自動車というのもも
とうございました。他に何か…どう
蔵造りの中では新参者なんだけど、
ちろんありますけれども、電車のそ
ぞ。土蔵フェスティバルの話をして
今の時代ではもうそれだけの価値が
の環境との関係であるとか、その公
いただけますか?
できていると。万葉線も今、潰され
共性という部分だとか、見直されて
るかもしれない、という瀬戸際にあ
いますし、いわゆる周回後れの一番
質問者3:いえ…。今日、あの展示
るんですけれど、LRTとかいう、
というふうな感じ…。京都市は残念
にもありますけど、万葉線によるま
新しい技術も開発されております。
ながらなくなりましたが。誇りにし
ちづくりの「路面電車と都市の未来
高岡の新しい一枚の皮、そして高岡
ていた市電だったんですけども、そ
30
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
れをまたやっぱり復活したいと。そ
万葉線としての少しリニアとして転
す。どうも今日は熱心にご参加いた
れはまたすごいお金がかかるわけで
換させるべきだと思います。そうい
だきましてありがとうございまし
すけれども、そういう声が上がって
う意味も含めて長期の都市計画戦略
た。島津さんに変わって、かな?コ
いる位ですし、ただ、見たところ、
としても残すべきだと思います。だ
ーディネーターを引き受けたものと
そうとう荒れてるなと思いました。
から雪国と伝統都市とふたつのテー
して、どうも4人のパネリストの
それにあんまりお金をかける気がな
マはいうのは太平洋側にもない、テ
方々に改めてお礼申し上げたいと、
いというのが、ありありとわかりま
ーマが普通の都市以上にかかってい
いうふうに思います。また、これは
したし、お年寄りやそういう方には
ると理解した方がいい様に思いま
コーディネーターとしてではなく
あんまり厳しいのではないかな(ジ
す。
て、高岡短期大学を預かるものとし
ェスチャー:横揺れする感じ)と。
てこういう形で興味深いパネルディ
ハタから見た印象ですけれども。…
蝋山:どうもありがとうございまし
スカッションができました事を、4
生かしていく道をうまく模索してほ
た。こんなふうに議論を伺っており
人の方のみならず、サイン学会にお
しいと思います。
ますと、尽きないわけですけども、
集まりの皆さん方全体の賜物であり
今日はこういう地域とサイン、市民
ます。改めて高岡短期大学としてお
蝋山:水野さん、地域計画の専門家
がつくる地域とサイン…まあそのテ
礼申し上げます。ありがとうござい
としてはどういうふうに…。
ーマについて、イメージがどれだけ
ました。
ここで共有される事になったか、私
水野:高岡の…結論としては残して
として、コーディネーション担当と
ほしいと思います。金沢ももう一回、
して、自負したところがありますけ
高岡に見習って、LRTを導入しよ
れども、まあ、私としては、市民一
うかと議論が起っているんです。そ
人一人が自分が生活する場所の歴
の議論の根拠として、いくつかある
史、知性、風土、文化しっかりと本
と思うんですけれど、ひとつはやは
物を見つけ出し、お互いぶつかり合
り、焼けなかった都心を、車の圧力
いながら、地域全体としての本物を
をできるだけ軽減してあげるという
サインとし文化しっかりと本物を見
のが一つあるんです。雪国で、最近
つけ出し、お互いぶつかり合いなが
は雪がないのであんまり危機感が無
ら、地域全体としての本物をサイン
いんですけども、ドサッと雪が降っ
として打ち出していく。まあこうい
たときに、今放射状に都市は道路網
うようなことが一番大切じゃないか
を作っていて、そうすると朝にもう
な、というような印象を持ちました。
バンバン市役所に電話がかかってく
それぞれの方々、それぞれの地域の
るっていう状態です。その時に少し
サインという問題、専門家としてま
幹線としてのどこかの線だけが、ど
た、市民として、住民としてお持ち
こか必ず確保できるんだと、いうと
でしょう。ぜひこういう機会に改め
ころを取っておく、そういう意味で
て、もう一度地域のサインというも
は一点集中型の都市から万葉線なら
のを考えていただければと思いま
31
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
金沢の伝統サイン
山岸政雄(金沢美術工芸大学)
はじめに
野島宏英(金沢市まちなみ対策課)
は征服され、城に作り替えられ城下町となった。
都市景観と広告看板やサインの媒体の関係は、これまで
城の近くには西町、南町、堤町、松原町、安江町など今
の所謂案内看板論を超えて、21世紀にシフトされるネオ情
もその名を残す町々が生まれた。その後間もなく、豊臣秀
報世界での最も新しいコミュニケーションツールとして注
吉に任ぜられた前田利家が尾山城を攻め落とし1583年に、
目されている。しかしながらその現実と様相は余り明るい
入城、以降金沢城が築かれ加賀百万石の城下町が誕生する
事ばかりではない。じっくりと時間をかけて描きたいデザ
こととなった。
イナーや制作者と、オンデマンドで待ち切れない即乾社会
1603年、時代は江戸開幕を迎えるが、先立つ関ヶ原の戦
との衝突が、らしさを省みない町並みや乱雑な都市近郊の
いで藩主前田利家は東軍に与した。以来、石高最高の外様
サイン景観を生んでいることも一例である。この不揃いさ
大名となりその栄華は明治まで続いた。
への対応は、都市の政策、施策にとってもいまだ経験した
代々の藩主は幕府に恭順し、徳川家と血縁を深めながら
ことのない現象ゆえに、あらためて認知の学習や経験を必
安定した城下町の拡張を成した。武力を控え財力を文書、
要とする。そこでこのような看板文化の今日的実像と未来
書画骨董の収集、工芸、歌舞音玉の振興と、今日で言う文
についての考察を、政策の担当者を養成する金沢市の職員
化情報の蓄積に徹底して注いだ。ことに3代藩主利常から5
研修のテーマとしてとりあげることとした。事例は歴史都
代藩主綱紀に至る政策は際立ち、細工所を構え、京都や伏
市を担保してきた金沢の伝統看板に求めた。
見をはじめ全国から名工や職人を集め、また学者、芸人も
本報告書はこの調査の一部で、平成8年度金沢市まちづ
招じ入れ一大文化圏を形成した。今日も金沢で蒔絵、漆、
くりゼミナール山岸チームによる『金沢の伝統看板考』の
象眼などの伝統工芸や伝統芸能が盛んなのはその陽の遺産
研究成果(A4・148頁)である。職域の異なる若い職員10人
である。当然のことながら巨大大名の城下には、武士達の
が、平成7年4月より平成8年3月まで1年間に亙り毎週専従
生活物資や軍需品を調達賄うために、夥しい商人が往来し
職の免除をもらい調査分析を試みたものである。
工人が集い居住した。城下の人口も増大し一大文化商業都
調査研究の事由は次の3点である。ひとつは、どこの都
市も同じような表情となった今日、伝統看板が金沢を懸命
に代弁しているのではとの思いを検証すること。二つ目は、
市となった。ちなみに1800年(寛政年間)の城下町金沢は、
町屋が14,909軒、人口56,355人の大きな街であった。この蓄
積はその後の明治、大正、昭和の20年期までの商都、軍都
近年看板と都市景観の調和が随所で論じられ、景観条例や
(第9師団)
、学都(旧四高など)から、今日の文化都市金
屋外広告物条例の施策が盛んであるが事実はどうか。そし
沢まで陰に陽に影響を及ぼしている。したがって金沢の伝
て何よりも金沢市の明日を担う若き行政マンに、サインや
統看板の来歴もこのことと深く関わっていることは言うま
看板文化を考えることが都市環境の創造にとってどんなに
でもない。
大切であるかを知見してもらいたかったからである。
ではどのような生業があり看板を掲げていたのであろう
か。その歴史的知見は、まず江戸期の『金沢城下町絵図』
1.歴史を背景に伝統看板を探る。
金沢の伝統看板の理解には、歴史的伝統都市故の背景に
関わる歴史認識が必要である。
(1804年-1880年)を眼鏡覗することで果たせようか。種類
は吊り下げ看板や長暖簾、水引暖簾、また「酒林」と言わ
れる杉の葉を1メートル位の球状にした酒屋のシンボルな
金沢は日本列島の中央で日本海に面し、16世紀に形成さ
ど、そこには興味深い看板類が多々見られる。素材は欅、
れた城下町である。街は小説「あにいもうと」や「杏っ子」
杉、桧、槻材が素材のままか漆塗りをされ業種、屋号、商
を書いた文豪室生犀がこよなく愛した犀川(さいかわ)と、
家名が描かれ記されている。
泉鏡花の代表作「照葉狂言」の舞台、浅野川を囲む3つの
看板のアイデンテティーはその伝達機能にあるが、最も
河岸段丘とその裾野に広がる日本海に面する平野部で形成
多く利用するのが商工業と言ってよい。看板を利用してい
されている。
たであろう生業もかなり多く『金沢町方絵図名帳』
(1811
平安中期から鎌倉時代を経て長い間加賀の国の守護大名
年)には85種、2,845軒が軒を連ねていた。多い順では、小
であった富樫氏が、蓮如来歴の一向一揆により農民の座に
間物商、魚鳥商、古着商、へぎ商、道具商、油小売、古金
伏したのは1488年であった。段丘の先端小立野台地に本願
商、古手買、塩小売、綿・綿打商、たばこ商、米仲買、八
寺の末寺、尾山(御山)御坊が建立された。
尾物商、質商、呉服・太物商、銭屋、味噌醤油(金沢商店
寺の周りには農民や武士、商人たちが集まり後町、横町
などの賑やかな寺内町が生まれた。
街乃あゆみから)等である。
つぎに歴史の必然に従えば、藩政時代特権商人として町
その後各地で領土を奪い合う戦乱が続いた戦国時代の末
年寄など権勢を誇った家も、廃藩置県や明治の日清、日露
期、織田信長の配下、佐久間盛政らの軍によって尾山御坊
戦争(1904年)による勝利景気後の経済恐慌で倒産や転業
32
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
が続き、屋号や商号を譲る店が多くあらわれた。商業業種
の変遷はさらに続き、藩政期から昭和初期にかけては日用
品や雑貨が激減する。機械化により安価な代用品が出廻っ
たことに原因があった。しかしまた食品や伝統産業関連の
業種は根強く残っていて、特に菓子や加工食品関係の商屋
が多いのは、自然の産物が豊かで保存食の発達した金沢な
らではの豊かな食文化の証でもあった。
1)伝統看板の業種別調査分類
伝統看板は業種を映し繋いできた歴史の証人でもある。
本調査でもしばしば例示された所謂「時代物」の看板から
も擦り込まれた時代を読み、産業や文化の行方の考察が
間々出来た。そこで我が国資本主義が爛熟し、ひとときの
安息に浸った昭和初期の金沢における商工業種を一覧し、
当該研究チームの調べた古い看板のランキングと見比べて
も、歴史の町金沢の生産と消費の盛衰がよく分かる。なお
昭和初期の業種別就業人数の多さは第20位まである。
調査地域:伝統的空間をもつ金沢市街
調査日時:平成8年(1997年)6月他随時
調査者:金沢市職員10人(山岸ゼミ)
調査方法:現地巡検
調査件数:329件内伝統的と見なされた看板139件
比較資料:商工人名簿(金沢商工会議所・昭和3年)
33
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
2)伝統看板を生む背景と存在理由
上記調査件数329件について、市の職員や僕の友人、家
族、関係者、一般市民の聞き取り調査における印象度は約
・伝統的看板類調査整理凡例
1.スタイル(様式)古い、中間的新しい
2.A 色 1 色相 R、YR、Y、GY、G、BG、B、PB、P、PR
7割の人たちが年代物の古い看板に良い印象を与えた。な
2 明度 白、高、中、低、黒
かでも木製看板と染め物暖簾は評価の高いものが多かっ
3 彩度 高、中、低
た。たしかに高価な素材ゆえに加工やデザインに請ったも
4 金銀 なし、金、銀
のが多く、それゆえに落ち着いた風格を備え金沢らしく美
B形
加工食品、仏壇、美術商、染物、工芸品など伝統産業的な
C 大きさ/畳の大きさを基準に各平方メートル
大(1.65)
、中(0.8∼1.65)
、小(0.8以下)
ものが殆どで、ここにも前田藩と繋がった金沢のアイデン
テティーが伺えよう。前田藩の産業や経済の振興策は連動
長方形(縦)
、長方形(横)
、正方形
円形、不定形、立体
しいものが多い。また業種も菓子舗、飲食料理屋、山海の
D 材料
木、金属、石、ガラス、布、
プラスチック、その他
して商業を発展させ経済のゆとりを誘い、商人たちは贅を
尽くした看板を立てた。また家業の世襲制によってそれら
の看板は大切に受け継がれた。加えて文化政策により集積
3.A 文字
ひらがな、カタカナ、漢字、
アルファベット、その他
された工芸産業は豪華な漆塗りや金箔押しの看板など、個
性的を生かした多種多様な看板を生んだ。
B 書体
行書体、明朝体、ゴシック、その他
3)分析・伝統看板を創作する/金沢市職員100人の意見
C 文字表現
なし、レリーフ、立体、平面
D文字色
なし、白、黒、きん、銀
次に写真にて収集した101例の現代看板と、330例の伝統
看板を、下記のような調査凡例と照応し”見えかたと印象”
E絵
あり、なし
についてさらに分析をした。まず伝統看板と現代看板の比
F 質感
グロッシー、マット
較では、写真1枚毎に色彩、文字、取り付方法など14項目
G 書き方
縦、横、その他
について、有る無しやそのレベルをパーセント集計をし、
H 彩色
ベタ、点描、ストライブ、なし
結果について人文、社会的な討議を行った。
I 照明
光源内蔵照明、投光照明、なし
その結果判明したことは、昔の看板は、一枚に多くを盛
り込むなど様々で素朴実直ながら、それなりに考えて作ら
4.A 取り付け方法 屋上、軒下・吊下、壁面、突出、
独立、立看、その他
れているものが多かったことである。伝統看板の底力と言
ってよい。それに比べ現代看板の脆弱さも露呈した。原因
B 業態
ろにあるしかるべき看板が生まれにくいのではないかと推
当該店舗、日本料理店、
和菓子店などを記す
は巨大にシステム化した代行制作のため、しかるべきとこ
5.総合評価
良、普通、悪
察した。
次いで伝統看板について、大きさ、形、材料、色相、取
おわりに
付方法、文字、書体、書き方の8項目の様相関係を分析し
金沢の伝統看板は、近年の都市化の苦境にもめげず僅か
た。例えば大きな看板は軒上が47%であるのに対して小さ
ながらも今日まで残ってきた。そしていまこの残され小さ
い看板は42%が壁面である事や、色彩では無彩色が大きさ
くなった看板こそが、金沢らしさを証明する最も大きな文
に比例し、木色(もくじき)は反比例したことなどである。
化として見直されていることが証された。先にも触れたが、
ちなみに分析ソフトは”Lotus1-2-3”のデータ並び替えであ
伝統看板の存続にはその地域の風土や文化状況、住民気質
る。最後に一般市民でもある金沢市職員100人の協力を得
などが大いに関係する。
て、前項の330例のクロス集計から導いた看板類型モデル
金沢のように穏健で保守的、春を待つ雪国の人の辛抱強
の印象についてアンケート調査をした。
(別表1、2、3)そ
さも老舗を支え、手形である看板をも継承する力となって
の結果、金沢に相応しい理想的な伝統看板は、
「黒文字で
きた。また金沢は今日まで、幸い戦火や天災、災害に遭う
書かれた木目の扇形看板を軒上に取り付けたもの」
(別図1)
事もなく町並みも残り、看板も残ってきた数少ない都市で
となった。また、金沢が誇る特産の金箔文字や、軒下に吊
ある。巨大なメディア社会に翻弄されている今日の都市文
り下げた暖簾サインなど、理想に適う美しい伝統美を現代
化を、
「伝統看板」から語ることの出来る都市であること
のサインに生かすことの大切さも再認識された。その際、
もあらためて知る研究であった。
(以上)
失われたら二度と取り戻せない伝統看板の保存についても
賛意が多かった。
参考文献
「日本屋外広告史」谷峯蔵
「金沢図屏風」豊田武、田中善男、天野武
「看板/屋外広告物」森嘉紀
・研究スタッフ/当時職籍
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第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
0%
20%
40%
60%
80%
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60%
80%
100%
石浦祐治(営繕課)
、伊藤鋭和(道路保全課)
、木越龍雄
(住宅課)
、木村誠二(農村環境整備課)
、紺島幸二(総務
経理課)
、坂井聡(再開発課)
、谷島啓子(観光課)
、・野
島宏英(まちなみ対策課)
、 吉田圭史(みち筋整備課)
、
米田拓也(都市計画課)
。
35
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
地域のイメージ誘導手法と事例
佐藤 優(九州芸術工科大学)
はじめに
地域は固有のイメージを持っていると考えられている。
「金沢らしさ」や「福岡らしさ」という場合には、そのよ
うなイメージをさしている。景観誘導にあたっても「○○
らしい景観」と求められることが多い。
そこで、景観誘導にあたって地域のイメージを反映させ
る方法について考えてみたい。
1.景観の問題点
地域らしさ、すなわち個性化について考える前に、現状
の景観の問題点を明らかにする必要があろう。
都市において景観の問題とは、具体的に言えば屋外広告
物と建造物の問題である。その中でもこれまでは屋外広告
物の無秩序な氾濫が問題点として指摘されてきた。これに
対して、各自治体は地域の特性を考慮しながら指導を強化
し、民間でも自主的に景観協定等を締結して美観風致の維
持育成に努力してきた。前者は、昭和47年に制定された京
都市街地景観条例や、昭和59年に総量規制の試みで注目さ
れた東京都屋外広告条例の改定等が代表的な例である。後
者は、横浜市伊勢佐木町並びに馬車道商店街の街づくり協
定書などが有名である。その他、専門家によるアドバイザ
ー制度や表彰制度の導入、シンポジウムの開催など、各方
面からの試行錯誤が続けられている。
また、最近では屋外広告物だけではなく、建築やストリ
ートファニチュアなどの構造物にも問題があると指摘され
はじめた。特に、歩道に面した部分の形状や色彩について
は問題が多い。まさに個人の自由と公共の利益が衝突する
部分であり、屋外広告物以上に課題が多い。
屋外広告物の規制にあたって色彩をコントロールしてい
る例は多いが、赤や派手な色を禁止するといったように、
その根拠と具体的な数値を示さないままの抽象的な表現が
多く、説得力や拘束力に欠けている。ましてや建造物は、
従来の建築家自身に「おかみに屈しない」という自我も強
く、なかなかコントロールできないのが実情である。しか
し、それならすぐれた景観ができているかというとそうで
はない。今後の景観づくりのために何らかの対策をこうじ
なければならないのは事実である。
2.重要な要素である色彩
そのためには、誰にでも納得できる客観的な基準が必要
である。具体的な方法のひとつが、屋外広告物にあっては
数量(面積)の規制と色彩の制限である。建造物にあって
は、デザインの審査制度の導入や色彩の誘導である。数量
は地域とのコンセンサスが必要であるし、建造物のデザイ
ンは周囲との関係に基づくものである。その両者に共通す
る問題として色彩の問題がある。
私の以前の研究によって以下のことがわかってきた。
商店街における建築物等の色は、比較的彩度が低く、都
市の賑わいを感じさせているものは、明らかに屋外広告物
36
等のポイント色によるものであった。また、地域によって
彩度10以上の高彩度の色彩の分布が異なっていた。すなわ
ち、ポイント色のコントロールが地域イメージを計画的に
育成していくための手段のひとつになることが確認され
た。
3.トーンによる誘導と彩度による誘導
ポイント色をコントロールする場合に、色相、明度、彩
度のいずれかをコントロールすることが考えられる。赤や
黄色を禁止する場合は色相をコントロールするもので、派
手な色を禁止するという場合は、彩度またはトーンのコン
トロールである。特定の色相を個別に禁止するのは、伝統
的な景観地区を除いては特別な理由があるとは思えない。
また、トーンで説明するのは言葉としては一般的に通用し
やすいかもしれないが、厳密に解釈しようとすると理解し
にくい。
そこで、前述の色彩分布調査の結果と尺度としての単純
さを重視して、一般の都市では彩度をコントロールする方
法が有効ではないかと考えた。
次に、彩度をコントロールした場合のイメージの変動を
調査した。調査の結果、ポイント色の面積を調整するより
も彩度を調整する方がイメージの変動が大きいことがわか
り、彩度が都市景観のイメージに影響を与えていることが
確認された。したがって、彩度を調整することによって商
業地域や住宅地域といった地域の特性を誘導できると考え
られる。
4.事例
トーンによる誘導をしている代表的な例は京都市であ
る。有名になった屋外広告物の白地化は、はたして京都を
好ましい方向に変えたのか。検証しなければ明言できない
が、個人的な感想を言わせてもらえば、厳しいという印象
が自己規制を促しているが、屋外広告物を白くすることが
免罪符として利用され、本質的な誘導に至っていないと思
われる。
トーンよりもさらに強い誘導をしているのが金沢であ
る。しかしこちらは、選択肢が狭いにもかかわらず、都市
の表情は豊かである。緻密なデザイン指導が、有効に機能
し、指針が明確が街づくりに成功している。
福岡市の一部では、彩度で景観のコントロールをしてい
る。これは、施主や設計者の自主性を尊重しながら、全体
としては調和を意識させようという試みである。金沢には
及ばないが、大型建造物に関してはデザイン指導も行って
いる。
研究発表においては、福岡市の街区を中心に他都市の例
を交えながら、放置している例、自発的にやや意識しはじ
めた例、計画者が考えた調和の例、トーンによる誘導の例、
彩度による誘導の例、を紹介する。
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
沖縄のサインを読む
坂野長美(デザイン・リポーター)
「ウチナー」と「ヤマト」の間で揺れ動く言葉
で、同じ内地・外地でも全く意味性を逆転させるコム
プレックスの深さが読み取れるようである。
言語学上の分類では、日本の二大方言に「本土方言」
それが復帰後は、長年の期待に背かれた失望感も手
と「琉球方言」があるとされている。しかし本土だけ
伝って一転、沖縄自身「本土」という言葉には抵抗感
でも東北地方から関東・関西、九州地方までと、多種
を持ち始めていたようで、
「沖縄以外の他府県」という
多様な方言圏の一大集合体である。それに匹敵する方
苦しい言葉も編み出されてきた。
「他府県」という表現
言圏をただ1県で成立させているというところに、日本
は今でも生き残っているが、これもその他府県人とし
の中でも沖縄の持つ独特な位置がまず読み取れる。
ては使いようのない言葉である。従って「本土」でな
沖縄のサインというとまずこの言葉、実体としての
サイン(サイネージ)以前の、無形のサインからの出
発を試みなくてはならないと思う。そこで最初に出会
ければ「日本」しか残されていないのだが、
「日本と沖
縄」ではまた沖縄が日本ではないようでやはり苦しい。
苦しい思いをするのは、事物の名とはサインの根源
うキーワードのような言葉が、上記のいわゆる「本土」
につながる問題として厳密に扱いたいことと、実際問
ではないだろうか。通常はほとんど無意識に多用され
題としても沖縄についてレポートするのに、用語の統
ているけれども、この言葉の持つニュアンスには大な
一性を欠いては見苦しいためもある。そこに救いの手
り小なり抵抗感を持つ日本人が、事実その本土の側に
を差し延べてくれたかと思えたのが、近年台頭してき
も少なくない。しかし、ではそれに代わる言葉は何か
た、
「ウチナー」と「ヤマト」という同じく沖縄発の言
といえば、たちまち鍵束のなかにマスターキーが見当
葉である。人称では「ウチナンチュー」
「ヤマトンチュ
たらないような混迷に陥ってしまう。そこがやはり沖
ー」となる。実はまず「ウチナーンチュ」という自称
縄以外ではありえない現象といえる。
が、米軍統治下27年の間に沖縄の主体性を込めて使わ
自身の経験でいうと、それは'72札幌オリンピックで
れ始めていたようで、
「ヤマト」は戦前民俗学にも用例
初訪問した北海道以来。現地で耳にする「内地」とい
がある。この対語なら語感も南島の太陽のように明る
う言葉が、北海道の乾いた大気のようにクールな軽や
く、対等の意識レベルを以って響く。これなら、と早
かさで響いたとき、それと全くの同一地域が沖縄では
速使ってみようとして、やはりヤマトーンチュが何気
「本土」と呼ばれると想起し、その亜熱帯の湿度がまつ
なく「本土」と口にしたとき、ヤマトーンチューが
わるような語感と意味性の重さを、改めて再認識した
「ヤマト」といちいち訂正するのもおかしな具合だった
ことからである。しかし「内地」なら対語は「外地」
で、秘められた原住民差別はともかく、開拓者の末裔
りする。
「テーゲーシィ」というウチナーグチ(沖縄方言)
の誇りも込めて対等の意味を持つが、
「本土」ではそれ
がある。おそらく「大概にしよう」という意味だろう
は「辺土」あるいは「辺境」で、即座に地域間優劣の
と推測するが、おおらかに物事にこだわらぬウチナー
格差イメージを伴ってくる。沖縄返還前後で、いわゆ
ンチュ気質を表す。そのためかどうか、日本の中でも
る「祖国復帰」運動の熱気もまだリアルタイムに伝わ
文筆活動盛んな沖縄の地元出版社物などで見ても、
「本
っていた時点だけに、なおさらこだわらざるを得ない
土」も「日本」も「ヤマト」も別にこだわりなく、時
言葉として胸に重く残された。
と場合に応じて自由に混用されている。若い世代とな
ただし後日調べてみて、これは別に本土の側から強
ると、
「内地」
「内地人(ナイチャー)
」と呼ぶ北海道並
制したわけではなく、明治のいわゆる琉球処分、さか
みの感覚もごく自然体で身につけているようで、
「シマ
のぼれば薩摩の琉球侵入以来の差別意識に苦しんでき
ナイチャー」という言葉も発生している。これは近年
た沖縄が、帝国主義的拡張時代の近代日本の中で、新
この南島へのシンパシー現象が、
「沖縄病」といわれる
参ものの「内地」とは違うという主張を込めて使い始
ような静かなブームをうんでいるなかで、ついに移住
めた言葉だと知った。明治40年代の話だが、日本民俗
を決行、地域に溶け込み受け入れられた本土日本人を
学の創始者・柳田国男が初めて沖縄を訪れたとき、あ
指す。結局は以上のこだわりはひとまず置いてウチナ
らかじめ「内地」は禁句と注意されたと書き残してい
ー流儀に従うことにするが、最終的にはどの言葉に落
る。それなら沖縄は「外地」なのかと反発されるため
ち着くか、それともテーゲーシィな混用のままで推移
37
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
していくのか。それは日沖関係の今後の展開のなかで、
井間健司氏)案。その決め手となったのが、戦跡の丘
次代の選択に委ねるほかはないだろう。
一面に波紋状に広がる黒御影の屏風型石組み群の、同
なお琉球方言は日本語と全く同系で、万葉時代の古
心円の中心軸を海に向けて貫通させ、そこを沖縄戦終
語が原形といわれ、今でもその語彙・発音も伝えるが、
結の日とされる6月23日、
「慰霊の日」当日の朝日の光
母音がア・イ・ウの3音しかないことで知られる。風土
が真正面から射し通すという、劇的象徴性に充ちたプ
条件からかアイウエオのうちiとeがi、oとuがu
ランニングだったという。それは垂直にそそりたつ威
に音韻合同するためである。従って沖縄は「ウチナー」
、
圧的な記念碑ではなく、人間的尺度で水平に展がるモ
心が「ククル」
、焼物は「ヤチムン」などと訛音する。
ニュメントという基本コンセプトに基づくものだが、
音楽性に優れたことで知られる県民性のためか、とく
海に向けて求心力が集中するその断崖際には、円形の
に地名を始め物事の名に豊かに残る沖縄言葉には、ふ
「平和の広場」がとられている。さらにその中心部に、
しぎに優雅な響きがある。これも沖縄アイデンティテ
小円形の池で沖縄を巡る海を象徴するモニュメントが
ィを誘われるひとつである。
あり、水底の日本列島と東アジアの海域図を透視させ
『平和の礎(イシジ)
』−−平和の原点にサインの原点
を見る
沖縄は、四半世紀ぶりの再訪となった。前回はなぜ
か評判のわるかったEXPO'75海洋博当時。今回は、
「ウチナーとヤマトの違いを通して明日の生活像を探
る」というテーマのシンポジウム(主催・水脈の会)
参加を機会とした。かねて関心をもっていた『平和の
礎』が、主要見学先のひとつに織り込まれていたこと
も大きい動機である。
『平和の礎』は戦後50年という節目の1995年、時の
沖縄県知事・大田昌秀氏の、平和行政推進の拠点づく
る。沖縄はその中心点に起ち上がる三角錐で表され、
中心軸に対しては透視空間の焦点として機能し、
「慰霊
の日」当日には燃え上がる「平和の日」に包まれる。
りの第一弾として建立されたという一大プロジェクト
この中心軸の左翼が前面、約15万にも上るといわれ
である。立地は国定戦跡記念公園・摩文仁の丘。先の
ながら、まだ全実態が明らかでない沖縄県民の部で占
大戦における国内唯一の地上戦・沖縄戦の、全戦没者
められている。おそらくはその半ばを占める女性名も
の名を敵味方・軍・民間非戦闘員の別なく平等に、石
いたましく目を引く中に、
「カマド」あるいはその変形
に刻んで永遠に残す。現在、記名総数23万7.318人。ま
が以外に多いことに気付いた。ヤマトの目には多少異
だ未判明者も多く、追加刻銘も継続実行中……という
風だが、沖縄古来の火の神(ヒヌカン)信仰とのつな
その主旨は広く知られている。ヒロシマ・ナガサキと
がりが一見読み取れるよう。それは日本にも古くは普
もやや別格ながら並びあう「平和の原点」
。沖縄ならで
遍的だった女性名で、柳田国男がやはり火の神信仰の
はの理念が、空間・環境ぐるみで形づくられた類例の
痕跡を見いだしている「オナベ」を連想させるものが
ないモニュメントである。
ある。後者は下女の通称に至って立ち消えたが、前者
これが国際コンペに国内外275点が寄せられた中から
には発生当初の主婦の面影があり、家々の日の神を守
入賞した、地元の<グループ憐(りん)>(代表・仲
り伝える女性本来の地位の高さがうかがえるようであ
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第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
る。そうした多少の差異はあるとしても、なるほど日
内容である死者そのひとに到達しているかとも見える
本の基層文化とも一続きの民俗学の宝庫といわれてき
情動の発露は、映像経験とはいえ見る側にも本物の感
た沖縄……とうなづけたとき、同時にそうした沖縄の
動を呼び起こすものがあった。似た状況だが新聞でも、
土にも容赦なく吹き荒れたいわゆる鉄の暴風であった
貧しくて小学校にも行けなかったために無文字の老女
ことが、ふと皮膚感覚で理解できる思いがした。
が、息子に手を取って教えられた亡夫の名に触れて万
それは沖縄を「サインで読む」という試みの皮相さ
感こめて泣いた話が伝えられている。
を、手厳しく自覚させるものでもあったが、しかしこ
沖縄は日本の古代信仰世界にも通じる祖先神や他界
こではやはりサインの持つ、ある根源的な力を認知さ
観などが、今に生き続けている固有信仰風土であるこ
せる事象の数々に出会うことができる。例えばこの頃
とでも知られる。これらはその風土に深く根差してき
よくテレビ・ニュースで放映された、イシジに刻まれ
た庶民の老女だからこその記号行動ともいえるのだが、
た名を撫でさすりながら泣き崩れる、沖縄では親愛を
これほどの表現はなくても訪れる人それぞれに内に秘
こめんて「オバア」と呼ばれるような、ごくふつうの
める思いは深いようだ。戦没軍人の遺児の新聞投書だ
年老いた庶民層女性のひとりの映像である。そのとき、
が、東京では調査不能だった父戦死の地が念願の沖縄
見るだけではなく触覚というより本能的な知覚を通じ
行を果たしてみると即座に判明、碑面にもその名を探
て、全人的な激情で向かい合い、アイデンティファイ
し当てることができて涙したという話。アメリカの老
されようとするサインというものも有り得る、という
兵が訪れ、戦友たちの名に触れてしばしたたずみ涙ぐ
発見の驚きがあった。
んでいく姿も見られたという話もある。これも事物の
よく知られるように記号論の基礎概念では、記号と
名の中でもさらに根源性を持ち、署名という行為自体
は記号表現(Signifian)と記号内容(Signifie)の結合が
が即サインでもあるような人名のみが持つはたらきと
あって成立するが、その記号とそれが指示する実体の
いえるのかもしれない。
間には何の関係もないことが明らかにされている。
「薔
しかし、やはりここでも批判はある。ひとつはイシ
薇」と名づけた言葉、またその文字表記、あるいは薔
ジに刻まれていない名前の問題である。それはまず軍
薇の絵は、あくまでも本物の薔薇ではないように。し
と運命を共にした慰安婦といわれる女性たち。その理
かしその映像に見る、西洋の分析的知などは寄せ付け
由は明らかではないが、戦没者の氏名確認作業だけで
ぬような名と存在の一体性−−石に刻まれた数文字の
も困難を極めたというなかでは、おそらく未判明の部
名という記号表現の物性を貫通して、その背後の記号
分に含まれているためではないかと想像する。またハ
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第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
ングル刻銘も一集団をなす中で、判明しながら日本軍
の自然とこのモニュメントが完全同化するように計画
関係者として名を残すのは恥とする遺族の拒否のため、
されているという。
『平和の礎』の名称表示−−日・
刻銘断念された事例もあるという。他方で圧倒的多数
英・中国・韓国の4カ国語で併記したメインのアイデン
は無名の戦没者の中で、名のある人々の筆頭といえば
ティティが、中心軸の入り口側ではなく出口の平和の
沖縄守備軍総司令官・牛島中将、参謀・長中佐が挙げ
広場側、海に面して設置されているのはやや不可解だ
られるが、このコンビは南京大虐殺事件の当事者でも
ったが、沖縄の固有信仰をひとつ代表する「ニライカ
あって、沖縄に再びあの惨禍を及ぼした直接責任者。
ナイ」信仰の投影と見れば読み解ける……など。来る
恩讐を越えて平等の刻名という理念は美しいが、戦争
2000年サミットでは、各国首脳にもぜひここを訪れて
責任のあいまい化・侵略戦争美化の勢力に利用される
欲しい、という地元の声も高い。それに応えるサミッ
おそれはないか……という、台湾出身で中国籍の郭承
敏沖縄大教授の指摘などはなかでも鋭い(
『秋霜五〇年』
ひるぎ社刊)
。
何によらず物事に政治的状況がからむと、100%の賛
同というものはありえないのが民主主義社会なので、
トであることを望みたい。
「シーサー」の来た道も合流する沖縄問題
沖縄民家の屋根シーサーを、戦後いち速くデザイナ
ーの目を通して紹介したのは故・剣持勇だったと思い
出す。1960年代、アメリカ統治下で訪沖にもパスポー
トを要した時代のことである。傾斜角度の深い寄棟造
の屋根、赤い琉球瓦葺きに分厚く盛り上げた漆喰目地
の灰白色の対比も風土色豊かななかに、ただ1頭鎮座す
こうした影の部分が明るみに出されることもまた必要
だろう。それが同じく人名を巡っての論議であるとこ
ろも、人の名前というものが持つ意味性の重さを改め
て再認識させるものがある。23万余りのその名が黒御
影に白く刻みこまれた屏風型碑群自体が文字どおりサ
インの一大集合体、そのサイン環境を形成していると
る魔よけのシーサーとはいかにも沖縄らしく、沖縄の
いう平和の原点に、同時にサインの原点を見出せた思
原風景そのもののように記憶に焼き付けられていた。
いは、二重に感動的であった。
しかし実は民家にまで瓦屋根が普及し始めたのは明治
このサインを中核に、シンボルのレベルまでも先の
中心軸や平和の広場を始め、隅々まで「沖縄の心」が
30年代、従って屋根シーサーも同時期の発生と、意外
に歴史は新しいことがこんど理解できた。
深くこめられている。碑群に添って植樹された並木は、
ただしシーサー自体の由来は古い。もともとは中国
沖縄が北限の熱帯樹モモタマナ、沖縄名クワディーサ
渡来で、日本には密教図像で伝わって唐獅子と呼ばれ、
ーで、死者を悼む涙で成長するといわれ、ゆくゆくは
他方で朝鮮経由の痕跡を名前に止める狛(高麗)犬と
大樹に育って緑陰の波で碑群を守り、景観的にも沖縄
も混合しながら、悪霊祓いの守護獣として寺社門前へ
40
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
の配置などで親しまれてきた。本来は雌雄一対で「阿
期の姿に徹底的に忠実に復元されたというこの正殿は、
吽」形をとるのが特徴である。沖縄にはコマ犬という
両脇にどこか和風と中国風の南殿・北殿を従えて、ま
言葉はなくシーサー1本なのはより中国直系と読み取れ
さに両者融合の琉球風そのもの。これこそアジアの図
る。現に中国古来の風水思想とのつながりも深いとい
像学で読み解かなくてはならない対象だが、その主役
う。しかしただ1頭の屋根シーサーとは型破りでもある
が中国文化圏では帝王の位を表し、
「琉球」の国名にも
し、風土が生んだ造形としても全くの沖縄オリジナル
通じる竜で「これだけ多くの竜が棲みついている王宮
である。明治30年代に至ってはなぜ民家でこのスタイ
は、中国・日本・韓国にも例がない」と誇られている。
ルが確立されてきたのかは、知見不足は承知の上で一
正殿内外さまざまに配された竜は総計113頭。奇数なの
考察を楽しみたいちょとした謎を投げかける。
は殻破風中央の1頭のためで、その余はすべて阿吽形の
まず知られているのが、その制作者が屋根左官職人
竜なのも首里城だけの特徴とある。つまりは竜もシー
であることだろう。台風国で知られる沖縄として、本
サーも根は一続きにしてしまうところが、沖縄固有の
瓦葺きの目地を頑丈に塗り込める技が競われるなか、
文化風土なのだと読み取れたようなとき、次のような
最後の仕上げに魔よけの意味を込めて、その目地材の
イメージが浮かんだ。霊獣三尊のうち主尊に当たる一
漆喰で自身手作りするのを慣いとしてきた。同様の慣
体が民家の屋根に降りて独立すると、屋根シーサーに
いは日本のもある。いや、あったと言い直すべきだろ
なる……。
うが、今でも全国各地に生き残る蔵造り民家の妻壁を
その当否はともかくとして、起源は王侯貴族でもや
飾る蔵印や、みごとな鏝絵を残す壁左官職人である。
がてそれは民の手に移り、また新しい生命を吹き込ま
これが施主へのお礼も込めて無償提供されるのも慣れ
れてきたことが、シーサーを沖縄のシンボルにまで育
いだったと聞くが、あるいは最後に職人の誇りを込め
て上げたことは確かだろう。もっとも先行形態の石彫
て記すサインとしても機能していたのかもしれない。
と焼き物では、かなり定型化も進んでいる。前者は発
事情はおそらく沖縄も共通だろうし、本土の壁に対す
生的にも正統派として、今でも那覇市国際通りの出入
る屋根という違いも興味深いものがある。
り口などに見られるように第一公式の表現を取るのも
他方でシーサーには先行形態もある。石彫と焼物の2
必然的。前者の、沖縄伝統工芸をひとつ代表する壷屋
系統で、なかでもシーサーの源流に直結する正統派が
の焼き物製のそれは、シーサーの民間普及に果たした
石彫とは容易に推測できる。そのなかで現存随一の古
役割は大きいと想像できるのではあるが、観光土産に
形を伝えるのは、琉球王朝第二尚氏歴代の陵墓(建造
も氾濫するタイプはまさに型通りに終始している。な
1501)
「玉陵(タマウドゥン)
」を護るシーサーではな
かで、
「シーサーには一つとして同じ形はない」と地元
いか。外来文化とは初め社会の支配層が受容、時とと
住民に誇られたように、今なお育ち盛りとも見えるの
もに民間にも浸透するのが通例のため、この辺りから
が漆喰造の屋根シーサーなのである。
シーサーの旅が始まった……と読み取っても、当たら
ずといえども遠からずではないかと思う。
沖縄戦では首里も始め総司令部が置かれたため、
決まりとしては、魔物を見張って睨む目と威嚇の口
を開くほかは別になく、色も形も変幻自在。上手なら
よし、下手でもまた稚拙の味があるという個性の多様
数々の琉球王朝遺産も巻き添えに潰れる滅に帰した。
さはおおいに楽しめる。杉浦康平氏が『かたち誕生』
そのなかで全面石造のここは戦後早期に復旧され、い
(著書・NHK『人間講座』放映)で、
「”かた”に”
ま復元成った一連の琉球王朝遺産とともに世界遺産候
ち”が吹き込まれて”いのち”溢れる”かたち”が誕
補にも挙げられている。建立当時の首里城宮殿を模し
生する」と説くような、
「生きた形」の好例でもある。
たという本殿の威容は沖縄の石の文化をよく伝え、平
それが民の手に担われてきた路傍の「無名文化
板な屋根型が16世紀初頭は王宮もまだ板葺きだったこ
財」−−これも故・剣持氏の名造語だが、その一典型
とを窺わせるのも興味深いが、その上空に沖縄には珍
なのが心ひかれる所以でもあるのだろう。
しいという緑閃岩造のシーサー3頭が据えられている。
近年は沖縄でも都市化がとくに本島部では進行して、
阿吽形の左右一対と、中央部でそれを統率するような
コンクリート造の近代住宅・集合住宅が主流化し、赤
もう1頭である。霊域らしく古色を帯びて厳めしい表情
い琉球瓦屋根も失われつつあると寂しまれている。し
に三方から見下ろされるうちに、霊獣のいわば三尊形
かしその場合でも門柱などに阿吽一対の焼き物小シー
式というのも珍しいと印象づけられるものがあった。
ザーが置かれたり、時には3頭出揃っている本格派も見
その印象がさらに迫力をもって増幅されたのが、復
られたりする。唐獅子・コマ犬はすでに伝統という保
元首里城正殿の大屋根を飾る、3個の竜頭瓦の異観を目
護区にのみ生息地が限られてしまった日本だが、シー
にしたときである。首里城の復元なくしては沖縄の戦
サーはこの現代にもなお生き続けているところが、や
後は終わらないといわれ、国費108億を投じて過去最盛
はり沖縄なのである。
41
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
沖縄の城(グスク)の代表遺構として、世界遺産候
いう。サインにおけるシンボルとシグナルの関係は、
補にも連なっている中城(ナカグスク)城近辺にある、
故・浜口隆一初代会長も論議されていた基本的命題だ
重文沖縄民家「中村家」のシーサーは、そのもっとも
が、なかでも複雑系なのが多義性を特徴とするシンボ
原型的なひとつではないかと思う。怒りに燃える眼、
ルである。深読みしすぎたようなここでも、それがひ
威嚇の唸りが聞こえるような口元など形相の凄まじさ
とつ実証されたとして、建築はヤマトでもシーサーは
では随一で、中城の歴史とともに歩んだという名家に
ぜひウチナーであって欲しい、と願っていただけに救
ふさわしい格式の高さを感じさせる。飛んで現代建築
われた思いであった。
にまた新しい生息地を得たシーサーもある。象設計集
団の70年代の話題作・名護市庁舎である。ここは土着
「沖縄問題は日本問題だ」とは、ウチナーとヤマトを問
沖縄を内外ともに追及したユニークな建築として知ら
わず沖縄を論じる人々が異口同音に口にする言葉であ
れるが、そのシンボル・モチーフが市域全町村の数と
る。基地問題にしても日米安保体制という大前提に発
いう56頭のシーサー群。それが自由奔放な姿態を競い
しているし、沖縄という狭い地域に日本全体の米軍基
ながら、国道に面するメインのファサードを飾り、庁
地の4分3までが集中しているのは理不尽きわまるが、
舎一隅にもひそやかに刻み込まれている基本コンセプ
本土各地に公平に分散すれば万事解決する問題でもな
トの、
「地域の礎」を護るように整列している。
いように。不案内な政治問題に深入りするのは避ける
やや皮肉な思いもするのだが、いま彼らの頭上には
として、ではウチナーンチュはヤマトを見限って独立
来るサミット参加各国・機関の9本の国旗がはためいて
する気なのかといえば、そうでのなさそうなフシもあ
いる。名護市はその開催地の名誉とともに、嘉手納基
る。例えば始めの水脈の会シンポジウム打ち上げの懇
地移転先を苦渋の決断で引き受けた渦中の都市。市域
親会で、地元受け入れ側の主立った人物から、結びの
には『万国津梁館』と名付けられたサミット会議場も
挨拶として次のように次のように力説されたことを思
建ちあがりつつある。このネーミングが一般公募入選
い出す。沖縄は特別なところではない。同じ日本の中
作で、かつて中国冊封体制下の中継貿易で栄えた琉球
の一地方だ。特別視するのはむしろ差別だ……と。こ
王朝の、最盛期に鋳造されたという「万国津梁の鐘」
れがどの範囲を代表する見解かどうかは知らないのだ
銘文に由来しているのは、沖縄が誇り高く自らのアイ
が、主体性回復の上ですでにここまできた沖縄人の日
デンティティを回復した証という意味でも共鳴できる。
本人アイデンティティなのか、と感慨深く思えたもの
それにしても、このていどの道楽は許されてもいいだ
である。
ろう、とシーサーの来た道を辿ってみても、結局は今
逆に「反日感情」という、予想外の言葉も突如とし
日の沖縄問題に合流するのがヤマトンチューのつらい
て現れたりする。大田県政平和推進拠点づくりの第2弾
ところだというほかない。
として、
『平和の礎』の背景に建ち上がった『平和記念
その最後に出会ったのが、那覇市都心部・沖縄県庁
資料館』
(コンペ入選作・本土側<チームドリーム/代
前ロータリーのシーサー・ガードレールである。沖縄
表・福村俊治氏>案)の展示計画が、昨秋の知事選挙
を変える補助金行政の象徴のような、黒川紀章氏設計
で3選を阻まれた大田氏に替わる稲垣新知事により見直
の新庁舎(竣工1990)と同調して計画進行した、周辺
されようとし、問題化した際の見直し理由としてそれ
のシンボル道路整備計画の一環とある。最新式のガー
は伝えられた。
「反日感情を煽る懸念から」−−と。こ
ドレールにまで生息地が拡大したシーサーとは意外性
れでは沖縄が全くの外地、あるいは外国のようでもあ
に富んでいるが、それが威嚇するはずの目もと口もと
って、ふと徒労感にもとらわれる。
を和ませた笑顔のシーサー群なのはさらに意外。デザ
ここで冒頭の言葉へのこだわりの問題に堂堂巡りで
イン的にもモダニズム感覚で過不足なくこなされてお
もどってきたようだが、以上のようにまさにテーゲー
り、夜は太陽電池で目が赤く光りだし、イレギュラー
シィに混用してきた言葉の問題ひとつにも、白・黒明
に点滅するのも面白い。眺めるうちにそれはウチナー
確には割り切れない複雑系としての沖縄が反映してい
ンチュ天性の陽気さで、ヤマトンチューにおおらかに
る。ヤマトンチューとしての引け目を以ってそれを見
許容のサインを送る笑顔のようにも見えてきた。
詰めるとき、逆に日本を見詰め直す視点がもたらされ
後日、これはストリート・ファニチュア系地元業者
ることにも気付く。そのときの自己認識のスタンスだ
(沖新産業)が開発し採用されたオリジナル商品だと知
けは、
「ウチナー」と「ヤマト」という言葉意外にはな
った。たまたまこのシンボル道路が沖縄県警から始ま
いことにも。これは収穫に、サミット年の今年の展開
り、そのシンボル・マークがシーサーなので、発想は
を見守っていきたく思っている。
それにちなんだ。結果は好評で「事故防止に警察の目
が光る」と地元マスコミのパブリシティにも乗ったと
42
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
サインにおける外国語表記について・京都市のケース
辻村 匡(TJデザイン)
1 サインにおける外国語表記についての既設例
れも不自然ではないでしょうか。
サイン計画に含まれる要素のなかで言葉について検討して
みます。
案内表示や交差点表示で和文とローマ字表記の併用は一般
的ですが、ここで英文字とローマ字と2種類について考え
ます。
表示例4 通り名表示の例
四条大橋 SHIJO OHASHI BR.( NORTH )
先斗町通り PONTOCHO ST.
河原町通り KAWARAMACHI ST.
表示例1 京都市役所
Kyoto shiyakusyo
ローマ字
Kyoto city hall 英語表記
これはただ表記の種類の違いですが、この所在地に関する
表記が必然性も無く併用されているのが見受けられます。
一般的に昔から使用していたりその言い方が定着している
ということでは道路名、社寺仏閣があります。それ以外で
は上記のように官庁関係や学校(特に専門分野の学校)は
どちらの表記を使うのか制作者の判断によります。ネイテ
ィブの人が見るとこれでほんとうに解ってもらえるのかと
考えてしまう表記があります。
表示例2
Katsuragawa River
Oike dori St.
Kinkakuji Temple
上記の例は京都市内の河川名と通り名です。桂川は市内の
西南地区に流れる大きい川です。
御池通りはJR京都駅から北へ約3Km離れて東西にのび
ている道路です。この2つはあくまで参考例ですがよく考
えるとちょっと不自然です。なぜなら桂川はKatsura gawa
だけで解るのですがこのあとにRiverが付くと桂川川になり
ます。
同様に御池通りもOike dori St.であれば御池通通となります。
このような表記が他の地区でも見られます。
おそらくこれらの表記はそれが川であり、通りであること
がネイティブの人々が解りやすいようにRiver、Streetを付
けているのでしょう。
金閣寺は国内外の観光客が訪れる最も人気の高い場所の一
つです。しかしこのような例があるのですが京都駅や他の
駅名表示で次の例は見たことがありません。
表示例3
Kyoto eki Station
鉄道路線に関しては
東海道本線
JR東海道新幹線
Tokaido Main Line
Tokaido Shinkansen
新幹線はこの言葉でも通じるということです。
ただ上側の本線をMain Lineとするのは直訳的な発想で、こ
2 管轄部署の認識
次に道路ですかこのことについてはある管轄している部署
の担当者の話を引用しますが、欧米では東西に走る道路を
Streetとして南北をAveneuとしています。
日本では通り・筋・線・街道になりますが、ローマ字では
dori/suji/sen/kaidoとこれらの言葉を使わず英語にするとStreet、
Aveneuとなると考えている人がいます。担当者がこれらの
ことにはっきりとした見識を持っていないということで
す。
3 交差点での表示のあり方
京都の独特な表記は交差点でも見ることができます。
河原町丸太町 下記の2つの道路の交差点です。
河原町通り Kawara-machi dori
市街中心地区のやや東側に位置し南北に走る幹線道路で
す。
丸太町通り Maruta-machi dori
市街中心地区に位置して東西の幹線道路です。
これをローマ字にするとおそらく誰も読めない長い表記に
なります。
Kawaramachimarutamachi
英単語でこのような長い言葉は見られません。
このように地名は固有のものであるのでどうしても翻訳す
る時に難しい問題に直面します。さらに道路表示のように
直感的に判読する必要がある場合ただ文字が繋がっていた
のでは表示としての機能をはたしているとはいえません
し、近距離になってから文字を判読していては運転手は顔
をあげて見ることになり大変危険です。
4言葉の独自性と翻訳での共通性
地名の翻訳については地名本来の独自性と翻訳することの
意味の共通性を把握することが大切です。
特に京都の場合は他の地域や市街と比較して考えることが
できないことがあります。その例が東西南北で所在地表示
です。もともと町名表示はありますが、交差点を基準に四
つの方向を示すことで所在地を表示します。
このように交差点表記一つ取り上げてみても独自のやり方
があるわけで英語表記をするために欧米での独自のやり方
や概念をそのまま他の地域へ持ち込んでも適応できるわけ
ではありません。そこで考えられるのが本来どのような意
味付けでそのような表記になったのかということをよく考
えて翻訳するのが望ましいのではないでしょうか。
5 提案としての実施例
この改善策としてあえて言葉を区切りました。
43
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
河原町丸太町 Kawara-machi Maruta-machi
いかにも2つの言葉が合わせたようにしました。
上記にローマ字表記しましたようにそれぞれが独立した
通りなのでその交差点であることを文字をグループで見
せることで視覚的に工夫しました。
ローマ字と英語の混在はカッコを付けることで区別しま
した。
桂川 Katsuragawa ( River )
但し、言葉の問題は数式のように答えが導き出されるわ
けではありませんので理論的なことより、前例にならう
ことや一般的に使われているということが優先されます。
一般的な文字の読みが人名や地名では必ずしも当てはま
らないのと似ているかもしれません。
6 まとめとして
写真 1
何が大切なのか考えた時やはり情報伝達であること。そ
して予備知識も無い人がその表示板をみて全体の中で自
分の位置確認や次の行動をスムーズに行なえるかを頭に
置くこと。非常に単純な答えに行き着くのではないでし
ょうか。制作者の論理でなく歩行者・利用者の立場での
考え方をすること。監督省庁にたいしては明確な見識を
示すだけのアドバイザーの立場として提案することが求
められることでしょう。
図1
写真 2
44
写真 3
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
VRMLのコミュニケーションデザインへの応用についての研究
金尚泰(筑波大学大学院芸術研究科)・木村浩(筑波大学芸術学系)
けるために画像表現が重要であるということがわかる。
1. 要旨
さらに得られた情報をもとにComputerに情報を伝達す
るInterfaceも大切になっている。
従来は通信、出版、印刷、などのMediaが独自に進展し
なお、現在、Multimedia関連の情報は氾濫しており、
てきたがComputer とDigital技術によりそれらの融合が
またその変化もきわめて激しいのでより便利で機能的
起こり、Multimedia時代を迎えている。しかし反面、
に、そして、多様化に対応できようDATA Baseをもっ
現状では、Multimediaが既存のMediaの役割を十分に発
たInteligent化が重要であると考えられる。
揮しているとはまだまだ不充分な所である。本研究は、
われわれの日常生活にCommunication伝達媒体として
KnowHowを蓄積してきたMediaに、より快適な
3. 研究の内容
Communication手法のため現状の新しいTechnologeを融
合させ、Userのより効果的な Communicationを構築す
Computerを利用して人間の五感に関連する情報の伝達
ることに目的がある。
媒体をDigital的に処理するMultimedia情報の中でも画像
処理技術はCG映像作成技術と同様きわめて重要な基礎
技術である。
2. 研究の背景
特に、3次元物体の動きのため、動画像処理による現実
感のある快適なHuman Interfaceに実現するのが可能に
最近、Computerの飛躍的な高性能化に伴なり、
なる。例えば、2次元の静止した世界で真っすぐー例で
Computerで画像や映像のみならず、音声や文字や数値
並べられることしかなかった文字は、もはや印刷Media
の他に通信Networkまで扱えるようになり、いわゆる
特有の字体、ポイントサイズ、線幅、リーディング、
Multimedia Communicationの時代に抑えている。ここで
カーニングなどといった条件に縛られる存在だけでは
は、おおよそ全ての情報の発信と受信ができるように
なく、最近は、文字が反応し人と同じように振る舞い
なってきている。それには、情報のDigital化が大いに
自ら行動するようにたった。液化し、流動する線や面
関係しており、伝えるべき情報の内容と目的に応して
や体積を持つ文字が形作る3次元世界のい中に読者を移
自由に各mediaを統合したり、整理したりしながら必要
動させる。このようにかつては単純なおとなしい存在
とされる情報を全世界に向けて伝達できるようになっ
であった文字は、Dgital Technologeによって大きく変
ている。
容している。また、既存のWWWでより高度な利用方
二つ以上の複数のMediaを同時に扱い統合化する
法の中で一つであるVRML(Virtual Reality Modeling
Multimeiaは、通信、出版、Computer等各分野ことに異
Language)はあくまでも2次元としての存在であった
なるイメージをもつことになったが特に、その中でも
WWWで3Dを実現するための機能として提供され大き
印刷、出版の分野はMultimedia化が大いに進む分野で
いなセンセーションを巻き起こした。
ある。すなわち従来は文字や静止画象を紙へ印刷する
そこで私は既存印刷Mediaである地図をWeb上でVRML
業務を扱っていたのが、CD-ROM,DVDなどの大容量の
応用し、仮想空間内での動く文字を活用した地図につ
蓄積MediaとWWWの登場による静止画象のみならず同
いて新しい提案をする。それは二次元の静止画象内で
時に音声、映像、CGなどを利用した電子出版が普及し
つつある。
またInternetの普及により、新聞に挿入されているちら
し、広告などの情報はWWWに移動する可能性もある。
また、将来は新聞や週刊誌なども現在のような形で印
刷されることは少なくなり、InterNetから壁掛け
Moniterにより直接家庭に届けられる可能性も生まれて
いるたろう。
このように21世紀の早い時期にはDigital技術を利用し
た画象、映象、Human Interface中心としたMultimedia
時代を迎え、ますます活発となることは間違いないこ
とである。人は視覚により、情報を得る割合いがいち
ばん高いことから、将来の高度情報化社会においても、
人とのCommunication、人と機械のCommunicationを助
図2・道路標識の種類とその管理者
45
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
N
農林技術センター
すべての情報が含まれており、Userが時間をかけData
植物園
水理実験センター
を想像しながら計算しなければならなっかた現在の地
図の限界にVRMLを応用すれば多様な利点がある。
北駐車場
すなわち、Computer Networkを利用して世界中の人と
第三学群棟
もCommunicationができ、Userが直接移動しなくても離
本部
れた場所へ行ったことと同様のことが体験できるよう
第一学群棟
になる。またUserとType Object環境(地図内の空間)
松美池
間の対話の充実し、個々のType Object環境の振舞いの
大学会館
記述を可能になる。それは、Userの興味や関心を誘発
し、日程変化や位置移動に速めに対処できると考えら
体・芸専門学群
れる。
画像に適切な空間、環境を用意した上で、その中で文
南駐車場
天久保池
字に呼吸をさせ、移動させ、姿を変えさせるという計
平砂
画で、より多くの情報が受けるようにする。このよう
な仮想現実空間を適用した地図の研究は、最新
追越
Technologeと文字との関係を切り継ぎVisual
病付属院
Communicationの新たな分野のTechnologeの利用法とし
医学専門学群
て文字情報たげではなく画像や音声を活用した
Multimediaに重要な役割を持つことになると考えられ
0
300 600
る。
印刷Mediaの地図表現
4. 研究の方法
今回の研究では既存の筑波大学及び周辺の地図を利用
し三次元的なCyber Spaceを作り静止画の時間をかけ読
みにくかった今の地図印刷Mediaに動的対話的
(Communication)な表現手法の応用を誘導することで全
体の体系化を試みた。
Web上の三次元仮想空間中に文字で構成した地図表現 1)
Web上の三次元仮想空間中に文字で構成した地図表現 2)
46
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
展示施設におけるわかりやすい表示(1)
陳景仁(筑波大学大学院芸術研究科)・木村浩(筑波大学芸術学系)
するデザイナーの任務は、非常に重要な役割であろう。
はじめに
日本に博物館(植物園、動物園を含む)が5000館以上
文字の表示についての検討は非常に難しいことであ
る。文字の大きさ、書体、文字間、行間など、考慮する
あるといわれている。来館者と展示物とのコミュニケー
部分が多い。また、字画の多い文字ほど可読性は低い。
ション手段として、表示サインの役割は特に重要である。
さらに設置した場所の照度も重要な要因であるが、本研
これからの展示施設では、健常者にも障害者にも共にわ
究では照度の調査は含めていない。
かりやすい表示が求められよう。健常者も障害者も共に
日本語にはひらがなやカタカナ、漢字がある。ひらが
共用できるデザインの提示が、ユニバーサルデザインに
なとカタカナはその字画が少ない。そうした日本語の文
至るのであろう。
章の構成は複雑である。文字の大きさ、行間などによっ
平成6年度「高齢者、身体障害者などが車椅子に利用
できる特定建築物の建築の促進に関する法律」1)という
ハートビル法が施工され、ハートビル法の趣旨と共にバ
て表情が大きく変れる。
丘 田 氏 は 「 弱 視 児 の 読 み に 関 す る 実 正 的 研 究 」3 )
(1978年)の中で、漢字の問題が指摘している。弱視児
リアフリーへの考え方が急に進行、検討されている。新
の読みは複雑な字画の漢字が文章の中で現われた時に、
しい改装ないし、新築された公共施設物にはバリアフリ
特に困難であるといっている。
ーへの考え方が取り入れる。このような公共施設物に適
新たな視点から、わかりやすい文字の表示を検討する。
切な表示サインが必要と思われる。
本研究では公共の展示施設に使われている表示サイン
の現状調査をし、それを基にバリアフリーへの対応を検
最近、新築された公共施設物にはバリアフリーへの考
え方が取り入れられてきている。
討する。そして、わかりやすい表示についてユニバーサ
上野にある国立科学博物館は今年の春に新館をオープ
ルデザインとしての提案に具体的な方法を提示すること
ンさせた。従来からの本館と新館の表示サインを見ると、
を目的とする。
少し違いがある。その中の一つが説明表示サインの位置
である。(図1)本館の説明表示サインは地面から約50cm
わかりやすい表示の検討項目
の地点に位置しているが、新館の説明表示サインは約
現在、展示施設に設置された案内・誘導・説明などの
80cmの地点にある。80cmの地点は障害者が車椅子にの
表示サインを構成するための要件として、次の二つの事
る場合の高さと同じである。これはバリアフリーデザイ
項を検討とした。
ンへの関心が見えてくる一つの実例として、障害者と健
1
表示版の位置と形態
常者の両方にすべて使える表示サインの基本的な形態を
2
文字の表示
計画していると考えられる。
今回は、展示施設の現状を調査し、検討すべき項目の
把握を行った。
検討方法
検討の内容は高齢者や弱視者、障害者を含むデータの
サインコミュニケーションのバリアフリーに向けた検
討には弱視者への対応が問題と思われる。表示版の位置
と形態は、情報量の多い説明表示サインの場合、近い距
提示のために、車椅子の使用時を基準で試すが、その検
討対象はまず、健康者とする。
1
公共施設に設置した実例を通じて表示版の位置、
離でその内容を確認できることが必要と考えられる。ま
表示版の形態、(図2)文字(大きさ、書体等)の た、地面と直立している表示版より傾斜がある表示版の
表示の 項目について分類して、良い点と問題点を
把握する。
方が見やすいと思われる。
弱視者に関しての湖崎・本間氏の研究(1964年)2)に
2
車椅子に座っても展示施設の案内表示サインや、
よれば、弱視者も近距離では見えるという。これは、視
説明表示サインをわかりやすく見えるように、車
標を30cmの距離において測定した弱視児の視力について
椅子に座っての活動範囲を調査する。近距離の文
の研究である。また、0.3未満の視力を持つ弱視者も視力
につれてその差はあるが、14ポイントの小さい文字も読
字の判読性について多角度で検討する。
3
色覚障害者の場合もわかるように、文字とその背
めるという弱視者の視力の測定は驚くべきである。従っ
景のコントラストを強くすることも求められる。
て、車椅子に乗って表示版の情報を近距離で見えるよう
白地に黒文字、黒地に白文字の検討を行う。
に、表示版の位置を決定することは、重要なことである。
展示施設での文字表示は、直接的なコミュニケーショ
おわりに
ンの方法として重要な要素である。従って、何の文字な
まだ、展示施設で必要な表示サインについては具体的
のかを判別し、判別した文字を読むように可読性を付与
な規則や指針がなく、多くの場合、デザイナーの経験に
委ねられる。
47
100
800
350
590
35
5
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
図3・説明板の角度と位置が見にくい例(国立科学博物館本館)
110
140
250
140
図1・国立科学博物館の説明表示サインの位置、左図は本館の説明表示、
右図は新館の説明表示
350
100
35
5
15゜
800
図4・筑波実験植物園の説明表示サイン、36ptの文字が読みにくい(サイ
ズ:400mm×300mm)
250
図2・見やすくするために角度を検討と説明表示サインの位置
(単位:mm)
見ることと見えることの差がないほどわかりやすい表
示になる。その差をも客観的に考察し、効率的なデザイ
参考資料
ン計画のための持続的な研究と共にその結果を資料化す
1)ハートビル法「高齢者、身体障害者等が円滑に利用
る必要がある。
できる特定建築物の建築の促進に関する法律」平成6年
バリアフリーや高齢者への対応はこれからの社会にと
2)湖崎克・本間三郎、「弱視児用教科書活字の研究とそ
って必要不可欠なことである。今回の研究がコミュニケ
の現場への活用」1964、弱視教育−手引き−
ーションからのユニバーサルデザインの提案になればと
3)岡田明、「弱視児の読みに関する実証的研究」、1978、
期待する。
学芸図書株式会社
4)日本サイン学会「第8回日本サイン学会'98筑波大会報
告書−バリアフリーとサイン・コミュニケーション・デ
ザイン」1998
5)日本展示学会「展示学第27号」1999
6)日本展示学会「展示学第26号」1998
48
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
Webにおけるバリアフリーの研究
木村浩(筑波大学芸術学系)
デザインとしてホームページにおけるバリアフリーを計る方法を
■はじめに
提示することにある。
今日、
インターネットは社会の中で有効な情報のコミュニケーショ
美しく分かりやすいホームページのためには、情報の整理と分
ンメディアとして機能している。コンピュータとインターネットは、
障
類、
誘導や案内が必要であり、
コミュニケーションデザインとして
害者と健常者を区別することのないバリアフリー環境である。
し
の取り組みが重要である。
また、
グラフィックデザインで留意して
かし、
現実には情報インフラの整備や障害者の利用しやすいコ
いたレイアウトの反映も検討する。
ンピュータ開発などが求められている。
また、
MacやWindows等
のグラフィカル・ユーザーインターフェース
(GUI)
はコンピュータを
■研究の方法
非常に扱いやすい物にした。
しかし、
視覚障害者にはこのGUI
今回の研究は、視覚障害者を対象として研究を行った。筑波
が障壁になっていることも事実である。
技術短期大学視覚部で伺ったところ、
視覚障害者が利用して
バリアフリー社会に向けたデザインの動きとして、年齢、身体の
いるブラウザーは、Lynx、IBMホームページリーダー(HR)、
大きさや障害をとわず、
すべての人々を対象に、
はじめからバリ
Voice Explorer 98(ve98)
の3種類が代表であるという。それら
アーをなくしてデザインしようというユニバーサルデザインの捉え
に日本語を発声する音声合成エンジンProTALKER 97(IBM
たが表れてきた。当初は建築や環境デザインで進められてきた
製)
を組み合わせて使用している。Lynxとve98はフリーウェアー
が、現在ではすべてのデザイン分野で検討されている。ホーム
で、
HRは有償である。ProTALKER 97も有償であるが、
無料の
ページにおけるユニバーサルデザインとして具体的に示したい。
簡易版もある。Lynxは元来unixでのソフトであるが、今回は
Windows移植版を使用した。
これらのブラウザーを使用して日
■Webのバリアフリー状況について
本語ページを対象に調査・検討・確認を行った。
米国では、
NII(National Information Infrastructure)
が1993年
に、WWWの内容をだれにでも読めるように「Webのバリアフリ
検討項目
ー」を提唱した。WWW記述(HTML)
の標準化と推進を目的
1.TITLEの表示について
とするW3Cは、1998年に取りまとめたHTML4.0の中にWebの
2.altによる画像への説明について
バリアフリーの方法を盛り込んでいる。そして1999年5月にWeb
3.FRAMEとTABLEについて
アクセシビリティのガイドライン「Web Content Accessibility
4.スタイルシートについて4)
この発表が契機となりWebのバ
Guidelines 1.0」1)を発表した。
5.Javaを使用を使用する場合の留意点
リアフリーへの検討が活発化している。
6.日本語ページの留意点
日本では、1995年に通産省の障害者等情報処理機器アクセ
7.その他
シビリティ指針2)や1998年に郵政省の障害者等電気通信設備
しかし、
内容は情報
アクセシビリティ指針3)などが出されている。
ホームページは、
簡単なText Editorを使用しHTMLと呼ぶコン
インフラの整備についてが中心でホームページに関してはあま
ピュータ言語を記述することでできている。画像を表示する場
り触れられていない。
合、
HTMLで書かれた書類には、
画像表示することの指示と画
像の保管場所を記述し、
画像データは含まれない。
この画像表
■研究の目的
示を記述する箇所にalt属性という記述を追加することによって、
目的は、
すべての人にとって分かりやすく美しいホームページを
画像についての説明を埋め込むことがきる。
この説明は一般的
作成するための方法を具体的に示すことにある。ユニバーサル
なブラウザーでは表示されない。図3は、
検証のため、
alt属性の
図1 W3Cのホームページ
図2 日本IBMのWebバリアフリーのガイドラインとも言えるページ。
49
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
図3 Netscapeの表示画面。alt属性の記入が違う12の画像が表示されてい
る。このサイトへLyxn、HR、ve98からアクセスした時の表示は右図4∼6。
図4 Lynx(Windows版)の表示画面
記 述 方 法にバリエーションを持たせたサンプルページを
Netscape4.0で表示したものである。図4∼6は、
同じサイトをLynx、
HR、
ve98それぞれで表示した画面である。alt属性に記述した
説明が表示され、音声合成エンジンによって読み上げられる。
alt属性の記述の有無や違いがどのように表れるかを確認する。
こうした方法で検証を行っている。
WWWは1992年の誕生から現在までの短期間に、
WWWの記
述方法や各種の閲覧ソフトが機能の拡大を計り、
より豊富な表
現が可能になってきた。こうした状況は、
インターネットに接続し
ている利用者のプラットフォームや閲覧ソフトとそのバージョンの
違いなど様々な環境を生じさせている5)。多くの人に美しく分か
りやすいホームページを作ることは複雑さを増している。
図4 IBMホームページリーダーの表示画面。文字を拡大表示するテロップウイ
ンドウも装備(下部)。
W3CのWeb Content Accessibility Guidelines 1.0では最新の
HTML 4.0とStyle Sheets (CSS2)の使用を促しているが、
次の2
つの点から日本語環境での導入は時期尚早と判断する。1つ
はHTML 3.2に準拠したブラウザーの使用者が依然多数いる
こと。2つ目は日本語の書体環境が複雑であること、
欧文のよう
にHelveticaとかTimesといった共通性のある日本語の書体が
使われていないことにある。現状を踏まえた視点が必要である。
■おわりに
今回の取り組みはユニバーサルデザインへの提案と捉えたが、
インターネットではローカルな日本語環境の問題を扱うことにな
った。
しかし、東アジアにおける漢字の共通性を考えると、漢字
はグローバルな側面がある。
これからは、
漢字を核とした2バイト
言語圏における検討にも踏み込ればと考える。
註:
1)W3C「Web Content Accessibility Guidelines 1.0」1999.5の項目。
1.音声的・視覚的内容と等価の代替え提供
2.色だけに依存しない
3.HTMLの記述とスタイルシートの正しい使用について
4.自然な言葉で表現する
5.TABLEの使用に関して
6.新しい表示技術を使用したページは適切に表示を添付すること
7.一定の時間で内容が変更するページは利用者が制御できることが必要
8.組み込まれたユーザー・インターフェースへの直接のアクセス性を確保
9.装置に依存しない設計
10.暫定的な解決策を使う
11.W3Cの技術と指針を使う
50
図6 Voice Explorer 98の表示画面、下部にGUIのページも表示されている。
12.複数ページで形成されるホームページの構造情報の提供
13.明確なナビゲーション機能の提供
14.文書は明晰で簡潔であること
(http://www.w3.org/WAI/)
2)http://www.jcsnet.or.jp/v-city/welfare/tech/access.html
3)http://www.nginet.or.jp/box/yuuacccecc.htm
(Cascading Style Sheets)
はW3Cが1996年提示した記述方法
4)スタイルシート
(CSS1)
。1998年にCSS2。HTML記述はページの構造に用い、
スタイルシート
は色や書体指定などグラフィカルな要素の記述に用いようとするもの。
5)木村浩「ホームページへのアクセスから見える状況について」第9回日本サイ
ン学会 '98 徳島大会報告書、
1999
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
ネイチャーボイスと自然に優しい人づくりのサイン計画
岩田功次(株式会社八代サイン工芸)
プログラムにはない研究発表がありました。木村先
皆で考えながらより良き私たちの未来環境を展望する
生の発表最中、ステージ前を横切り入口に向かって行
ための意識づくりができればと四国の西端より地球の
ったあの太った男。私、岩田功次の発表であります。
サイン情報として皆さまに伝えます。
・ネイチャーボイスサインについて
・さんきら自然塾、自然観察会の様子
・カメの声
我が息子は、人にも自然にも優しい人間に育てたい。
願わくば、自分もそのようになりたい。
・車にひかれたハクビシンと我が息子の話
スライド12枚で何が言いたいのか、まとまりのつか
ない暗い語りべ風の話でした。
木村先生の研究発表開始後、総合司会の島津さんが
優しい声で誘ってくれました。
「岩田君、時間少しあり
ますので、発表しますか、スライド持ってたよね。
」口
下手なのも忘れて「やらなくては・・・」と天の声。
知らぬ間に立ち上がっていました。
ネイチャーボイスとは、昆虫や野鳥、魚などの動物、
草や木などの植物たち。
その生死をかけた”声なき声”
。
その声を私たち自身で感じ、誰でもわかるサインと
して皆に伝える。それがネイチャーボイスサインです。
サインの設置だけでなくその管理まで、自然観察会を
開催し、地域の仲間や家族とともに楽しみながら運営
している。
(さんきら自然観察会)
月に一度エコロジーについての学習会(さんきら自
「さんきら自然塾」
然塾)を開催。その活動を通して横のつながりををつ
毎月第2水曜日 PM 6:30∼9:30
くっている。地域の自然保護はその地域皆で行う。我
愛媛県八幡市総合福祉文化センター
が町の自然を守ろうと日本中の人々が考え、行動に移
年会費 500円
せば日本全体が自然保護区になる。自然保護は人類保
護でもある。世界的、地球的な考え方はもちろん大切
「さんきら自然観察会」
だが、まず自分の周りから(家族・家の近所・学校の
毎月第4日曜日 PM 9:00∼12:00
校区内・市町村)が重要である。少人数の集まりほど
八幡浜諏訪崎自然休養林
まとまりもよい。
参加無料
日本全体を見ると親子関係、男女関係から殺人事件
是非一度ご参加ください。
に至るまで現在の日本全体の社会問題は家族の問題で
あり、近所の問題、学校・会社等の身近な問題である。
お問い合わせは
人に優しい人づくりも、自然に優しい人づくりも、ま
TEL 0894-27-0877 (株)八代サイン工芸 岩田迄
ず我が家族から、我が子供からです。
自然は嘘をつかない、人の心をきれいに浄化してく
れる。親が子供に嘘を言ってはならない。真実を見つ
め正しいことを一緒に考える。
先生は地球暮らしのパイオニアである自然界の仲間
たち。身近な昆虫や鳥たち草たちとの「共生」を家族
51
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
高齢化社会の歩行環境サインへの試案
古川政明(富山大学教育学部情報教育課程マルチメディア芸術専攻)
要 旨
ので分かりやすかったり、使いやすかったりするのである。
21世紀を目前に高齢者が一人で外出する機会が増えて
独居者や老人世帯であるために、新しい機能を使って体の
いる。交通機関を使うにしても自分の足で歩かねばならぬ
負担を少しでも減らす努力をしている人達がおり、今後増
場所ある。そこで、高齢者がどのようなところを不便と感
加すると考えられる。
ているかという調査を行った。 主に、市の老人福祉セン
家の中であれば、
「人任せ」でもいいかもしれない。し
ターに通っている60∼90歳の高齢被験者に、アンケー
かし、家から一歩足を踏み出したら、
「人任せ」というわ
ト調査に参加してもらった。
けにはいかない。高齢者こそ元気に街を歩き、余暇を楽し
アンケート調査の結果、まず、高齢者が交通機関を使う
み、社会に参加することを望んでいるのである。
だけではなく「歩くこと」を重要な交通手段としているこ
とが分かった。そのような高齢者が、街の中で不便と感じ
1.2 歩行環境の現状
ているところは、バス停や歩道などである。そして、街の
近年、都会の歩道は各種の車に占領されている。人は、
なかで判りにくかったり、危険を感じることなどが、高齢
歩道・横断歩道・歩道橋・地下道へと追いやられている。
者の外出に不安を与えていることが分かった。
しかもその歩道は必ずといってよいほど何らかのバリア
さらに、調査結果に基づく事例を確認するために筆者等
(障害)が存在しているのである。多くの段差や放置自転
がフィールドワークを行った。その結果、高齢者の歩行に
車、はみ出した商品があふれている。この歩道を妊産婦が
対しては、従来の標識に加えて、路面への情報表示も重要
買い物用バギーや乳母車を押して通り、乳児は飛び出しそ
だ、と言うことが確認された。 そこで、既に視覚障害者
うになり、高齢者や身体障害者は苦労しながら歩いていく。
の歩行誘導情報としての誘導ブロックに、晴眼者にも分か
思いがけない事故を起こす危険性もはらんでいる。高齢
る視覚サイン情報を加味することを検討した。このことに
者が、何度となくぶつかる段差による転倒を恐れて、わざ
より、歩道の盲人用誘導ブロック面が、晴眼者の不注意に
わざ危険な車道を自転車で通行している姿を見かけること
より駐輪場化しない認識にも繋がり「歩道などの不便」を
がある。これらの人々は決して少数者ではない。
取り除く環境情報サイン手段としても役立つ。
さらに北陸のような積雪地域では、誘導ブロックと路面
上サイン標識および積雪時の溶雪装置の一体化の検討によ
1.3 歩行環境改善の視点
【予測できない危険に対して】
るバリアフリーな歩行環境実現実現を提言した。そのプロ
私たちは、目的地への順路・目的地の周辺の地理などの
セスと要点を報告する。なお、この報告は、教員養成過程
予備知識を持って外出する。しかし、街の現場には予測で
の美術教育専攻学生と教育情報過程の教育システム専攻の
きない様々なバリア、つまり危険や不便さが存在するので
学生に、ビジュアルなヒューマンインターフェースデザイ
ある。例えば、よく知っている道を歩いていても、駐車中
ン研究の一環としてて行っている環境情報デザインの授業
の車や自転車に行く手を遮られたり、また、広い場所にで
と、関連テーマに沿って指導した卒業研究成果の要約であ
ると方向感覚が失われ、自分がどこにいるのか、どちらに
る。
向かっているのかといった方向性の確認が出来なくなった
りする。更に、行く手の情報に気をとられ、その場の危険
1. 背景と問題点
に気付かないこともある。そんな時、自分の立位での体の
1.1. 高齢者の生活環境に関する考え方
向きと直接関連がとれる路面上での方向表示や案内および
高齢者とって、今まで使っていたモノの方が慣れている
52
記名表示は有効である。
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
2..調査と検討
2.1 調査概要
写真1.の街路樹で隠れる側からの視界からでは
そこに電話ボックスとバスの停留所があることは認識でき
ない状態だ。
図1.高齢者の不安
高齢者が、外出するときに、不安を感じるのは、街に不
便なところがあるからである。
写真1.街路樹側からみた光景
2.2. 不便さ調査
写真1から、バス停と公衆電話ボックスを見つけることが
高齢者が外出するときに、
「歩いていく」や「バスを利
用する」と答えた人が多かったが、その人たちが、外出し
できるだろうか?
この方向からは、公衆電話は見つけることはできても、
た時に、どういうところが不便と感じているのか。その結
バス停は公衆電話や木に邪魔されて、見つけることができ
果は、図2.に示した。
なくなっている。
次の例で示す公衆電話も、このバス停と同じことがいえ
る。この写真を見ると、公衆電話は見つけることができる。
写真1.および2.のバス停は、ベンチも屋根もない同じ
バス停留所をお互いに。それよりも問題になるのは、この
場面を反対側から見た場合である。
写真2.は、写真.いの反対側である。180度逆の
方向から見た光景である。
こうした、タイプの事例は非常に多く存在する。
図2. 不便な場所
特に高齢者は、足が不自由な場合が多く、現場に行きつく
までの時間と労力は大変に多くを費やしてしまう。それ故
2.3.事例の検証
に手前の的確な場所での的確な予備情報提示への配慮は欠
2.3.1 バス停の不便さ事例から
かせせない。
調査の結果からバス停や歩道に不満をもっている人が多
かった。不便と感じている「バス停・歩道」の現地の検証
確認を行った。
以下の写真は、高齢者が不便と感じているところの例を
写したものである。
写真1.と2.のバス停では同じ場所をお互いに逆の方向
から歩いて行く過程で目に入る光景である。
53
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
写真2. バス停(顔炉儒のない側から見た例)
3.提 案
アンケート調査から主に、高齢者が不便と感じていると
ころは、バス停や歩道であった。そこで、高齢者などが外
出するに当たっての利便性・安全性をよく検討し、可能な
限り障壁を除去することにより、高齢者などが少しでも楽
しく、安全に外出できるように提案する。3.2.2 歩道
からのアクセス
図4.バス停や電話ボックスへの誘導ブロック 歩道には、バス停、電話BOX、ポストなどがある。これ
らのものはどこにでもあるわけでもなく、また、近くにあ
っても物の影に隠れて見つけることが出来ないこともあ
る。結果のところで示した事例でもバス停や電話BOXの確
認が出来なかった。歩行者にとって、歩道からのアクセス
は、とても大切なものである。改善するにあたって、公共
物の存在を明示することも必要である。
3.1 路面サインへの提言
バス停や電話BOXなどの位置を示すため、点状・線状ブ
写真3.融雪栓のない冬バス停の足元の現状
ロックを敷設する。更に、その要所要所に視覚案内サイン
を埋め込む。さらに、融雪栓と併設することで、積雪のあ
バス停があることを示すために、誘導ブロックを敷設す
る時期にも誘導ブロックはいつも、露出するため、視覚障
る。誘導ブロックも、雪が積もれば、見えなくなってしま
害者のみならず、晴眼者にも便りにされ、歩行者全員のた
う。
めに有用な設備として有効に活用されることになる。
そのヒントは意外な所に潜んでいた。 当大学構内には、
工事現場の都合上、偶然に盲人用の誘導ブロックと融雪装
置の双方が重なる状況になった場所がある。その結果、積
雪の際に盲人用の誘導ブロックに沿って歩行面が確保さ
れ、其の部分の路面がクッキリと確認出来る。この条件下
で、誘導ブロックは盲人以外の多くの歩行者にもその存在
勝ちが認識される。その誘導ブロックに路面サインとして
の視覚情報がうめ込まれていれば、積雪時に限らず年間を
通じて歩道を歩く全ての歩行者に盲人用の誘導ブロックが
自分達の生活ツールとして意識される。
54
図5.現在の点状・線状ブロック
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
雪でも誘導ブロックが見えるよう改善をした。
終わりに
この研究は、教員養成過程の美術教育専攻と教育情報過
程の教育システム専攻の学生に、ビジュアルなヒューマン
インターフェースデザイン研究の一環として与えた課題を
通じて行った。地域の高齢者の生の意見を収集するため、
アンケートにご協力頂いた、老人福祉センターの高齢者の
方々、それを可能にして頂いた館長さん方や施設をご紹介
頂いた富山市役所の関係者の方々に、この紙面を借りて心
より感謝申し上げる。
図6.融雪装置つき改善誘導ブロック案
本提案の如く、盲人用誘導ブロックに歩道路面用のサイン
機能を合わせ持たせることにより、高齢者や小児などの歩
行面に注目する歩行者すべてに対するサイン機能を発揮さ
せることが出来る。
盲人用の誘導ブロックは、陶板でも提供されている。こ
の性能を活かして、路面サインユニットとして陶板の利用
の道が拡がるものと考える。今後のサイン素材の在り方に
も拡がりをもたせ得る道にならないかと、この機会に提言
させて頂く次第である。
視点を代えて、当初から積極的に双方を一体化する構想
のもとに部品の開発を行えば、実現可能となる。
融雪装置と誘導ブロックを合わせてみる。このことによ
り、誘導ブロックの周りの雪は水によって解け、誘導ブロ
ックの役割も融雪の役割も果たすことになる。
北陸地方の気候条件では、これまで湧水式が主流であっ
た。しかし今後の地下水の枯渇対策や、凍結の可能性の高
い寒冷積雪地のためには、ヒートパネル方式の融雪路面用
●古川さんは富山県在住の数少ない会員で、北
陸大会を楽しみにされていましたが、残念なが
の素材としての展開を検討してゆくことが必要である。
なお、各自治体で実施するにあたっては、関係する部署
が従来の仕事の枠に囚われず、横断的に連係する必要があ
ら当日は参加することができませんでした。
ここに発表を予定されていたレジュメを掲載す
る事で、
「参加」とさせていただきます。
(報告書編集者)
る。
55
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
展示発表
●
第1日目 10:30∼21:00
講堂前・ホワイエ
「子供達が見た高岡」
高岡市立西条小学校
協賛展示
●
第1日目 10:30∼21:00
エントランスホール
「万葉線によるまちづくり」
路面電車と都市の未来を考える会・高岡
「北陸自動車道インターチェンジ
周辺景観整備提」
富山県屋外広告美術協同組合
「ガラス素材の小型サイン」
富山ガラス工房
「金属の着色」
高岡短期大学
立山アルミニウム工業株式会社
株式会社 竹中製作所
株式会社 ダイカン
株式会社 タイキュウ
株式会社 中川ケミカル
株式会社 サカイシルクスクリーン
株式会社 品川アートプロ
ニチレイマグネット株式会社
スタジオ斎群
56
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
懇親会
●
第1日目 10:30∼21:00
エントランスホール
57
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
エキスカーション報告
●
佐々木啓吉
前日とはことなり、気持ち良く晴れ上がった朝、バスでホテルニチマ倶楽部を出発。
最初に鋳物の町・高岡戸出に向かう。戸出は鋳物の工業団地で畑の中に鋳物工場が密
集している。
竹中氏、能登氏の案内で、鋳物銘板製作の北辰工業を見学。前庭には、橋の擬宝珠
や警視庁章など鋳物がごろごろ気楽にころがっていて、一瞬びっくりしたが、場所柄
を考えると当然だ。持ち上げてみるとかなりの重量があり、普段ペーパーしか扱って
いないものには手応えのある体験だった。北辰工業はトンネルや橋の銘板を主に手が
けており、砂型づくりから鋳込みまでプロセスの説明を受けた。
次は竹中製作所で、壺や花器を鋳る為の雄型、雌型づくりや、バリ取り、みがきの
見学。中村鋳金所では電気鋳造を見学、電気鍍金を使って、金属地の絵や版画を作り
着彩する。よくお土産屋で目にする額や飾り絵ができ上がる。次は平和合金で大型の
鋳物彫刻製作を見る。女性像の型づくりからブタで財を成した地方名士の銅像、龍な
ど大変手のこんだ大型像の鋳造まで手がけている。
竹中製作所のショウルームでは、いろいろな大型鋳物彫刻物の原型展示をみた。栗
津潔作の大亀や、池田満寿夫の彫刻、漫画のキャラクター、仏像、名士像などその扱
っている種類の多さに驚かされた。伝統工芸高岡銅器を見ているうちに、どうしても
急須が一つほしくなり、サイフに手がいった時、移動の合図で残念ながら買いそびれ
てしまった。
待ちかねた昼食は庄川鮎料理で、川の水を店内に引き込んだ生簀に鮎が泳いでいる。
・ ・ ・
座敷ではもうビールにするか酒にするかの相談が始まっている。お通しは鮎のうるか。
しまった酒にすれば良かった。鮎の塩焼きが大皿に山盛りで出てきた。小ぶりの鮎は
一口ごとに良い香りがして、とても幸せな気分。十分堪能いたしました。
昼食後は木彫りの町・井浪へ。町の入口で南部白雲氏の出迎えを受ける。氏の案内
でお店の木彫看板と表札を見ながら歩く。両脇のお店は木彫の作業場になっていて、
欄間などをを彫っているのが良く見える。手前は若い人、奥は年寄りで、配置によっ
て新人かベテランかが一目で解る。カラクリ看板などを見て歩くうちに昼食が利いて
きて瑞泉寺で一休み。
その後、南部白雲彫刻工房見学。木彫看板の可能性について白雲氏の話しを聞く。
多少疲労の色、いねむりのでる人も。
バスに乗って閑乗寺公園へ。このシーニックポイントは目も覚める美しさで、砺波
平野を一望し、田園と点在する散居村の組み合わせは素晴しい。武山氏が、これは景
観か風景か挙手を求めたところ、圧倒的に風景に軍配。斜面を歩いて下ると「いなみ
国際木彫刻キャンプ'99」の展示会場。お国柄のでた彫刻を楽しんだ後、バスで城端へ。
傾斜地にゆたかな田園地帯の城端町では、用水の流れを利用して遊びごころでつく
られた水車を見てまわる。らせん水車や花が回る水車などを見ながら水車公園まで散
策。ここで本日のエキスカーションのプログラム完了。ああ終わった!
58
第10回日本サイン学会 '99 北陸大会報告書
9:30
●集合:
砺波市「ホテルニチマ倶楽部」
バスにて戸出へ移動
エキスカーション I:
鋳物の町・高岡戸出
竹中製作所(原型と製造工程)
北辰工業 (鋳物銘板製作)
平和合金 (鋳物彫刻製作)
中村鋳金所(電気鋳造)
吉野鋳造所(鋳物製作)
11:30
●戸出発
12:00
●昼食(庄川鮎料理)
13:00
●庄川発
13:15
●エキスカーション II:
木彫りの町・井波
南部白雲彫刻工房
15:15
●井波発
15:30
●エキスカーション III:
水車に里・城端
16:30
●閉会
59
日本サイン学会
JAPAN SOCIETY FOR SCIENCE OF SIGNS
日本サイン学会は、
サインに関する学際的な研
究の進 歩 発 展に寄 与することを目 的として、
1989年に創設されました。昨今のサイン及びそ
の関運領域の発展には目をみはるものがありま
すが、
その反面で社会環境の複雑化はさざまな
問題を投げかけ、人と物と情報の、
より親密なコ
ミュニケーションを必要としています。そこで、
日
本サイン学会では、人間のさまざまな活動にか
かわる記号環境の最適化をめざし、
サイン学の
認識と実践を窮めるとともに、
社会に広く視野を
求め、学際的な観点から今日の社会的な要請
に応えたいと考えます。
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日本サイン学会
学会本部
〒305-8574
茨城県つくば市天王台1-1-1
筑波大学芸術学系 木村浩研究室内
Tel.& Fax.0298-53-2822
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企画事業部
〒l07-0062
東京都港区南青山1-4-2八並ビル4F
サインセンター内
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調査研究部
〒815-8540
福岡市南区塩原4-9-1
九州芸術工科大学 佐藤優研究室内
Tel.& Fax.092-553-4504
広報交流部
〒933-8588
富山県高岡市二上町180
高岡短期大学 武山良三研究室内
Tel.0766-25-9187
Fax.0766-25-9215
E-mail [email protected]
第 10回日本サイン学会 '99北陸大会報告書
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発行日 平成12年7月1日
編集 日本サイン学会本部
発行 日本サイン学会
印刷 株・エリート印刷 第
10
回
日
本
サ
イ
ン
学
会
'99
北
陸
大
会
報
告
書
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地
域
の
サ
イ
ン
情
報
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