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道教とまじなひー束ァジァ ・ 日本における交流
道 教 と ま じ な ひ 1 東 ア ジ ア ・日 本 に お け る 交 流 好 を 計 画 、 そ の事 前 の発 掘 調 査 を 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 が 担 当 実 施 さ れ 正 一九 八 九 年 一 一月 二 五 ・二 六 日、 奈 良 大 学 ・働 元 興 寺 文 化 財 研 究 所 ま し た。 調 査 の結 果 、 広 い宅 地 に 主 殿 や脇 殿 な ど を 整 然 と 配 置 い た し 野 共 催 の国 際 文 化 交 流 シ ソポ ジ ゥ ムが 奈 良 大 学 で開 催 さ れ た。 シ ソポ ジ ゥ ま し た貴 族 の邸 宅 が 姿 を 現 し ま し た 。 多 く の調 査 成 果 の中 で注 目さ れ 水 ムテ ー マは ﹁東 アジ ア に お げ る 民 俗 と 文 化 の交 流 ﹂ 、 本 論 は こ の シ ソ た 一つの 遺 構 が あ り ま す 。 東 西軸 の脇 殿 の南 側 柱 列 の 一柱 の根 元 に、 の です が 、 実 は こ の穴 の 底 に蓋 さ れ た 見 事 な薬 壺 形 の壺 が 据 え ら れ て 特 別 な黄 色 粘 土 で丁 寧 に 埋 め 戻 さ れ た 径 四〇 セ ン チ程 の穴 を 発 見 し た ポ ジ ゥ ム で の発 表 内 容 で あ る 。 二 日間 にわ た る 国 際 文 化 交 流 シ ソポ ジ ウ ム に、 早 朝 よ り 沢 山 の 方 々 と 文 化 の 交 流 ﹂ いう 今 回 の テ ー マ に合 せ ま し て、 本 日 は ﹁道 教 と ま じ 湛 水 の 影 響 で数 多 く の品 が 壺 中 に の こ さ れ て いる こ と が 判 り ま し た。 粘 土 を 除 き 丁 重 に蓋 を 開 き ま す と 、 壼 中 に は 水 が た た え ら れ 、 こ の いる 事 実 が 知 ら れ た の です 。 な ひ﹂ と 題 し ま し て常 日 頃 考 え て居 り ま す 具 体 的 な こ の 面 で の 国 際 交 壼 の底 には 銭 文 を 表 に し ま し た 和 銅 開 珍 銭 五 枚 、 そ の 上 に黒 い船 形 を のご 出 席 を い た だ き 感 謝 いた し て居 り ま す 。 ﹁東 アジ アに お け る 民 俗 流 の実 態 を お 話 さ せ て いた だ く こと と い た し ま す。 ご 静 聴 賜 わ り ま す し た墨 挺 、 一節 を の こ し た 竹 -筆 管 、 刀身 は 腐 蝕 し て の こさ れ て は い ぬ こ う し た 珍 貴 な 品 を 今 日 ま で伝 え て く れ た の です 。 です 。 斑 鳩 の法 隆 寺 脇 の藤 の 木 古 墳 と 同様 、 湛 水 が 普 通 な ら ば の こら 裂 が 見 ら れ た ほ か 、 底 には オ リ か と 想 像 さ れ る 沈 澱 物 が 認 め られ た の な い の です が 小 刀 の柄 頭 であ った と 考 え ら れ る 犀 角 、 加 え て紅 い絹 の と 幸 い です 。 、 蔵 胞 衣慣 行 に見 る 交流 昭和 五 一年、 平城京 右京 三条 二坊 六坪 に奈良 市が京 西中学校 の建設 一31一 醗 ◎ ・ こ の よ う な 品 を 納 め ま し た こ の壺 、 こ の穴 が 如 何 よ う な役 割 ・機 能 を も つも の であ る か が 問 わ れ る の です が 、 こ の資 料 を 知 り ま し た 時 、 直 ち に 想 起 し た 史 料 が あ り ま す 。 九 條 道 家 の 日 記 ﹃玉 蘂 ﹄ の 承 元 三 二 二〇 九 ) 年 五 月 廿 五 日条 に見 え る次 の 記 事 が そ れ です 。 次供夕御 湯、其 儀如朝、 御湯間汲吉方 水、御湯之 間洗胞衣、 - 管 入胞 衣上、次掩 瓶蓋、 以生 先 以 清 水 洗 之 、 以 美 酒 洗 之 、 次 以 緋 練 萎 之 、 次 入銭 五 文 於 白 盗 瓶 子 鰻 姪 徽 ﹃次 胞衣 入銭 上、次新筆 気方 土塗塞之 、 難 製 次 以行兼 令釣乾方 ⋮⋮ 胞 衣 は 、 ま ず 清 水 、 のち 美 酒 でも って洗 う。 次 に緋 色 の絹 で こ の胞 衣 を つ つみ 、 白 甕 の瓶 子 の底 に お か れ た 銭 文 を 表 に し た 五枚 の銭 の 上 に置 き 、 次 に新 し い筆 一管 を 胞 衣 の上 に 入れ 瓶 蓋 を お お う。 生 気 の方 の土 を も って塗 り 塞 ぎ 、 左 衛 門 尉 行 兼 が こ の胞 衣 壺 を 乾 方 に 釣 る し た 旨 が 記 さ れ て いる の です 。 瓶 子、 銭 五文 、 銭 文 上向 、 胞 衣 を 包 む 緋練 、 筆 一管 、 特 色 あ る こ う し た 品 々 と配 置 が 記 録 と遺 跡 の間 を 鮮 や か に 一 致 さ せ て いる の です 。 そ の対 応 の見 事 さ から 見 る か ぎ り 、 こ の遺 構 は ﹁胞 衣 埋 納 施 設 ﹂ と い ってよ い と考 え る の です 。 た だ 、 一、 二、 記 録 と遺 跡 の実 際 が 合 致 し な い点 が あ り ま す 。 墨 挺 と 犀 角 小 刀 への 言 及 が ﹃玉蘂 ﹄ に な く、 ま た ﹃玉蘂 ﹄ では 胞 衣 壼 は 乾 方 に釣 る す と あ り 、 埋 め ら れ て い る壺 と は 異 な る 取 扱 いが 見 ら れ る こ と です 。 し か し、 ﹃大 記 ﹄ 康 和 御 産 部 類 記 に は胞 衣 に副 え て金 銀 犀 角 筆 墨 小 刀 を 容 れ る と い った 記 事 が あ り ま す し 、 胞 衣 壷 を 埋 め ず 屋 内 に 一32一 錐 然 近 来 多 結 付 天 井 等 ﹂ と い った 記 事 が あ り 元永 年 間 ご ろ は 埋 蔵 せ ず 蔵 す る こ と に つ い ては ﹃長 秋 記 ﹄ に ﹁件 胞 衣 本 條 可 埋 地之 由 所 見 云 々、 一幅 が定 め ら れ てお り、 産 月 に 入 り ま す と そ の産 月 (入月 ) 一日 に、 十 三神 名 諄 、 安 産 ・蔵 衣 吉 方 を 記 す 図 で、 十 二月 分 十 二幅 、 月 ご と の - 産 図 が 掲 げ ら れ、 そ のも つ意 義 が 説 か れ て います 。 上列 八卦 、 方 位 、 該 当 す る産 図 を 産 室 の北 壁 に貼 り ま す。 安産 の吉 方、 蔵 衣 (胞 衣 埋 納 ) 天 井 に結 び付 け る 形 を と り つ つあ る と 記 し て い ま す 。 こ の よ う に各 史 料 を 通 じ て こ の種 の遺 構 が ﹁胞 衣 埋納 遺 構 ﹂ であ る こ う し た産 図 は中 国 では 古 く か ら 用 いら れ て い ま す。 晴 代 の ﹃経 籍 の吉 方 が こ の産 図 で判 る 訳 です 。 例 え ば 十 一月 です と安 産 の吉 方 は北 あ り ま す 。 そ の後 、 各 地 で数 多 く の胞 衣 埋納 施 設 が発 掘 さ れ て いま す 志 ﹄ 三、 唐 代 の ﹃両唐 書 経 籍 ・藝 文 志 ﹄ 五 に産 図 が 収 め ら れ て い ま す こ と が 確 認 さ れ ま す と 、 こ こ に始 め て産 育 の考 古 学 が ひ ら け て参 り ま が 、 腐 朽 し やす い刀 子 、 針 、 鋏 な ど の鉄 器 や 赤 練 と 胞 衣 そ の も の は遺 か ら そ の 成 立 は 極 め て古 い と 言 え ま す 。 孫 思 逸 の ﹃千 金 寳 要 ﹄ に は (壬 方 ) 、 蔵 衣 吉 方 は 南 (丙 方 ) であ り ま す 。 り ま せ ん。 従 っ て、 銭 五 文 、 銭 文 を 上 に向 く 形 で配 置 さ れ 、 腐 朽 し な ﹁産 図 に 依 ら ざ れ ば 子 母 妨 げ 多 し ﹂ と 記 さ れ て いま す 。 唐 宋 代 に は 産 す 。 史 料 に は 筆 墨 を 男 子 ・針 鋏 を 女 子 の胞 衣 に副 え る と い った 記 事 も い墨 挺 を と ど め る 例 が 男 子 、 他 に 品 を 留 め ぬ 例 が 女 子 の胞 衣 壷 で あ る 室 に産 図 を 貼 る慣 行 が 社 会 に深 く 浸 透 し 遵 守 さ れ て いる 様 子 が よ く 読 み と れ る の で あ り ま す 。 日 本 にも 早 く ﹃暦琳 産 経﹄ な ど 、 各 種 の産 書 可 能 性 が つよ いと 考 え て いま す 。 平 城 京 右 京 三条 二坊 六 坪 の胞 衣 壺 は そ の壺 の形 態 か ら み て奈 良 時 代 一方 、 大 谷 国 雄 先 生 のご 教 示 によ れ ば 朝 鮮 半 島 で は ﹃東 医 宝 鑑 ﹄ に が も た ら さ れ て いま す か ら 、 産 図 を は じ め蔵 衣- 胞 衣 埋 納 慣 行 の体 系 る か 唐 制 を う け る も の で あ る か と い った 問 題 が あ り ま す 。 中 国 の書 同 様 、 産 図 を 産 室 北 壁 に入 月 一日 貼 る こと を 記 し 、 安 産 方 位 図 と し て の壺 の典 型 と 言 え ま す か ら 胞 衣 埋 納 慣 行 は 奈 良 時 代 に は 成 立 し て いる ﹃崔 行 功 小 児 方 ﹄ に は ﹁凡 そ 胞 衣 は 天 徳 月 徳 の吉 方 に 蔵 む る を 宜 し と 正 月 図 を 掲 げ て い ま す。 安 産 吉 (方 ) を 安 産 室 、 蔵 衣吉 (方 ) を蔵 胎 的 な 受 容 が 奈 良 時 代 に な さ れ た と 考 え ら れ る の です 。 す 。 深 く 埋 め 堅 く築 け ば 児 長 寿 な ら し む ﹂ と い った記 事 が あ り ま す 。 衣 と 書 く と い った表 現 の相 違 が僅 か に 見 ら れ ま す が、 そ の配 当 の 方角 と 見 て よ い でし ょ う。 で は こ のよ う な慣 行 が 日 本 で自 生 す る も の であ 具 体 的 な胞 衣 埋蔵 の方 法 、 副 える 品 々は 不 明 です が 、 吉 方 ・長 寿 と い っ 図 が 朝 鮮 半 島 で 正確 に理 解 さ れ 、 利 用 さ れ て いる と 言 え る の です 。 胞 は 中 国 の産 図 (正 月 分 ) と 一致 し て いま す 。 い い換 え ま す と中 国 の産 そ こ で、 こ の 胞 衣 埋 納 の吉 方 に つい て 史 料 を 求 め ま す と 、 中 国 では 衣 埋 納 施 設 は 日本 以 外 で は 不 明 で す が 、 こ う し た 胞 衣 埋 納 の 吉 方 を 教 た 語 意 か ら 整 然 と し た 慣 行 の存 在 が 推 測 さ れ る の です 。 南 宋 代 、 朱 端 章 が 著 し ま し た ﹃衛 生 家 寳 産 育 備 要 ﹄ の中 に興 味 深 い図 33一 惣 蹴噸 繕離 養黛 棄 日:三イ1『 織 1表 向:oノ匠a.産 忌胎 勧 翻 海舗 借・ 1丙不:九之;降個 蓋液 如 妨 地廟 捗 †ヤ! 席碍 騨 白王安 歩歩 え る産 図 は 中 国 ・朝 鮮 に 拡 っ て いる の です 。 二、 借 地文 慣 行 に見 る交 流 平 安 ・鎌 倉 時 代 、 貴 族 は 実 に 丁寧 に 日 記 を 書 き つづ け て い ま す。 そ う し た 日 記 の中 に産 育 の実 際 を 詳 細 に伝 え る 記 事 が ま N見 ら れ ま す。 ﹃史 料 纂 集 ﹄ と い う 日 記 類 を 中 心 に据 え た叢 書 が 続 群 書 類 従 完 成 会 か ら 刊 行 さ れ て いま す が 、 そ の 一に西 園 寺 公 衡 の 日記 ﹃公 衡 公 記 ﹄ が収 め ら れ て い ま す 。 日 記 中 に は 昭 訓 門 院 、 廣 義 門 院 の出 産 を め ぐ る 日記 を 別 記 と し て掲 げ て いま す が、 実 に教 え ら れ る こと の多 い日 記 であ り ま す 。 産 前 の 放 生 の実 態 や、 皇 子 ・皇 女 誕 生 を め ぐ る 護 刀 の在 り 方 な ど 、 こ と 細 か く 記 さ れ 、 極 め て重 要 な 日 記 です 。 こ の 公 衡 公 記 ・昭 訓 門 院 御 産 愚 記 の中 で注 目 さ れ る 産 育 慣 行 が あ り ま す 。 ﹁借 地 文 ﹂ を 押 す と い った慣 行 が そ れ です 。 同 書 の乾 元 二年 閏 四 月 二日 の條 を 見 ま す と 後 聞 、 昨 日 一日 、 行 長 朝 臣 参 上 、 御 産 所 南 棟 分 戸 北 面 長 押 二押 借 地 文 、 又 方 々付 札 符 、 行 長 云、 随 日遊 所 在 逐 可押 改 借 地 文 云 々 と い った 記 事 が あ り ま す 。 医 師 丹 波 朝 臣 行 長 が 産 所 の南 棟 分 戸 北 面 長 押 に借 地 文 を 押 し、 さ ら に 方 々 に札 符 を 付 け る と い った 作 業 を し て い る の です 。 借 地 文 の記 載 を 求 め て諸 日 記 に当 り ま す と意 外 に多 く の例 を 得 る こ 一34一 嵩馨 法 法 将 圖壁 窪 並 崔 騰灘 鞄 当未 偉 卸 1荘 秀 圖 画噛 摺 じ 箪 恥 忌不 勇十 月次方 翻麟 麟 閉:2轍 二+ル 1;壬 地丈隊汚 此+畷1 ;下南, 空軒i有 或借借 麟 妬+†i J 空切微 氣キ正灘 … 灘 杁;秘 儲1 躯警 ll勧 三 填 民次 上母 ∼ ヌ薪 違 遍 呪 貝占貝占先 ∼ 夢朱 イ 管圏 1萌借 借 催 貼 内 書 地 ・ 及 止地、 地 生産 北於 法 催 辮 i騰 轟 雛 磯 識 海塾 邪 氏 麟 王之.法i 逐安 ヤ 骸 申歩呪: 譲額 ロ コ リ 舞 籍 媛 魏 上西1 灘 ボ 此 才ごo瞳 月」 】 ぱ春メご三 九 雄_馨1 ロ 翁 蛋誠鞠 鞠 馴翻 圖 護 婦 榊!海 壁 借1 韓 鰍 臓 華確 茉樺 神逐 石 業 奉王;柵 地; }轍 正末:瀬'牽 へ,/, イ玄 方 産 安 日1; と が 出 来 ま す 。 た と えば 九 条 兼 実 の 日記 ﹃玉 海 ﹄ 、 そ の仁 安 二 (一、 と あ る 記 事 が そ れ です 。 産 月 一日 に産 室 に 医 師 が 借 地 法 - 借 地 文 を 押 す 曲ハ 型 的 な 記 事 です が、 こ の記 事 、 借 地 法 の句 に続 い て ﹁東 西 南 北 十 歩 之 中 不 可揮 云 々﹂ の 文 言 が あ り ま す 。 こ の文 言 が 借 地 文 の内 容 を 一六 七 ) 年 十 一月 一日 の條 に は 今 日 施 薬 院 使 丹 波 憲 基 朝 臣 来 臨 、 押 借 地 之 法 、 寝 殿 母屋 中 妻 戸 法 東 語 る も のと 考 え ら れ る の であ り ま す 。 こ こ で想 起 さ れ ま す 重 要 な 史 料 が あ り ま す 。 医 家 丹 波 康 頼 の著 述 間 也、 上長押南面押 之也、是 先例也、 当月朔 日必押之 云 々 と い った 記 事 を 見 ま す 。 ま た 中 山 忠 親 の 日記 ﹃山 塊 記 ﹄ に は治 承 二 典 薬 頭 和 気 定 成 朝 臣 参 入、 押 借 地 文 於 御 産 所 、 母 屋 無 其 所 、 傍 北 庇 借 十歩北借 十歩上借 十歩下借 十歩壁方之 中世余歩産 婦借地恐有臓汚 子 思 秘 録 云膿 玄 子 法 為 産 婦 借 地 百 無 所 忌 借 地 文 東 借 十 歩 西 借 十 歩 南 ﹃医 心 方 ﹄ 中 に ﹁産 婦 借 地 法 第 四﹂ と 題 し て次 の 一文 が あ り ま す 。 北 上 長 押 押 之 ⋮ 次 書 借 地 文 、 当 月 朔 日押 之 也 。 或 有 東 海 神 王 或 有 西 海 神 王或 有 南 海 神 王 或 有 北 海 神 王 或 有 日遊 将 軍 年 十 月 一日 の條 に と い った 相 似 た記 事 が 見 ら れ る の です 。 指月 一日即爲 一本読説三 遍詑貼在所居北壁正中 白 虎 夫 人 横 去 十 丈 軒 較 招 揺 挙 高 十 丈 天狗 地 軸 入地 十 丈 急 々如 律 令 脆 が ﹁借 地 之 法 ・借 地 文 ﹂ に 深 く 係 わ り 合 って いる こ と です 。 日 記 の前 こ の 一文 によ っ て ﹃玉 海 ﹄ の 一文 が こ の文 の省 略 であ る こ と が 判 っ これ ら の記 事 か ら 知 ら れ る こと は 、 施 薬 院 使 、 典 薬 頭 と い った 医 師 後 の記 載 を 通 し て判 断 し ま す と 、 出 産 に当 てら れ る産 室 に、 産 月 の 朔 は 十 月 一日 )、 借 地 文- 借 地 之 法 を 医師 が来 臨 し て押 し て いる の です 。 た め の文 であ り 、 東 海 神 王 か ら 東 借 十 歩 、 西 海 神 王 か ら 西 借 十 歩 と い ﹃医 心方 ﹄ の こ の文 は、 産 婦 の産 に 当 り 借 地 し 忌 む 所 無 か ら し む る て く る の であ り ま す 。 ﹃玉 海 ﹄ に は ﹁当 月 朔 日 必 押 之 ﹂ と い う文 言 が あ り ま す が 必 ら ず 産 月 う よ う に 四 海 神 王 を は じ め 、 日遊 将 軍 から 上 借 十 歩 下 借 十 歩 、 ま た 白 日 (昭 訓 門 院 御 産 愚 記 で は 四月 一日 、 玉海 では 十 一月 一日、 山 塊 記 で 一日、 産 婦 が 入 室 す る に 先 立 ち 、 こ の借 地 文 を 産 室 北 面 の 長 押 に押 す て いま す。 東 西 南 北 上下 、 横 去 挙 高 入 地 と各 方 向 の神 々 を勧 請 し 、 そ 虎 夫 人 か ら 横 去 十 丈 ⋮ と い った 形 で借 地 す る も の であ る こ と を 物 語 っ で は 、 借 地 文 と は ど の よ う な 文 な の か 、 如 何 よ う な 機 能 を も った も の支 配 す る 土 地 中 、 十 歩 な り 十 丈 を 産 の た め に借 地 す る と いう 内 容 で と い う 慣 行 が 見 ら れ た の です 。 の な のか が 問 わ れ る 訳 です が、 こ の間 の内 容 を暗 示 す る 史 料 が あ り ま す 。 産 室 で の 血 の臓 れ1 汚 機 を 恐 れ て の借 地 です か ら ﹁借 地 文 ﹂ の存 在 で産 婦 は 安 心 し て出 産 す る こ と が でき る 訳 です 。 す 。 ﹃玉 海 ﹄ の承 安 三 年 九 月 一日 の條 に 施 薬 院 使 憲 基 参 入、 産 所 押 借 地 法 、 東 西 南 北 十 歩 之 中 不 可揮 云 々 一35一 隠陵賊 有 南 馨 心す熟 +' み劃 ﹁ 神 入 軍 蔑 . 有 ナ 甲 働 袖 よ . 叡 有 吐 晦 神ま 叡 有 切鶉 嘘丈隆 碕 、 産 室 に、 産 月 一日押 さ れ る 借 地 文 の内 容 が こ の よ う に詳 細 に ﹃医 心 方 ﹄ か ら 復 原 さ れ る の です が、 ﹃医 心 方 ﹄ は いま 一つ重 要 な 視 点 を 拓 い てく れ ま す。 ﹃医 心 方 ﹄ 巻 廿 三 の背 記 に実 際 の借 地 文 - 借 地 法 の 姿 を 示 す か と 思 わ れ る 記 載 が あ る の です 。 上 に 北 壁 と 押 す べき 位 置 を 明 示 し 、 前 後 に 呪 符 を 記 し て倶 に朱 書 す る よ う 指 示 し て いま す 。 先 き の 膿 玄 子 法 と し て挙 げ て いた 借 地文 を 、 こ こ では ﹁東 借 十 歩 西 借 十 歩 ﹂ と い う よ う に 一行 八字 で記 す な ど 具 体 的 に押 す べき ﹁札 ﹂ と し て、 そ の書 式 を 鮮 や か に告 げ てく れ て いる の です 。 こ のよ う に、 日本 古 代 の産 育 慣 行 の 一と し て借 地 法 の 顕著 な 存 在 が 指 摘 さ れ ま す と 、 こ う し た 慣 行 の 淵 源 が 問 わ れ る でし ょ う が 、 そ の 回 答 は既 に申 し 上 げ た と い って よ い でし ょう 。 何 故 な ら ば ﹃医 心 方 ﹄ 、 丹 波 朝 臣 康 頼 が 著 作 し た こ の書 の ﹁産 婦 借 地 法 ﹂ 中 に、 ﹁子 母 秘 録 云 腱 玄 子 法 ⋮ ﹂ と いう 文 が 見 ら れ る か ら です 。 ﹃子 母 秘 録 ﹄ は 中 国 の書 であ り 、 膿 玄 子 の名 も中 国 に発 す る か ら です 。 ﹃医 心 方 ﹄ は 永 観 年 中 (九 八 三- 八 五 ) 年 の編 纂 で あ り、 康 頼 が 晴 唐 の諸 書 を 引 用 す る 中 で 産 に係 わ る 書 と し て ﹃子 母 秘 録 ﹄ を 引 い て い る の です 。 中 国 には ﹃衛 生 家 寳産 育 備 要 ﹄ と いう 産 育 書 が あ り ま す 。 南 宋 代 、 朱 端 章 の著 述 に な る も の です が、 同 書 六巻 、 入 月 の項 に 膿玄子借 地法、東借十歩 、西借十歩、 南借 入 月 第 一日清 旦 先 書 借 地 法 、 貼 在 産 婦 房 内 北 壁 上 、 須 清 心志 誠 書 之 、 更 須 避 日遊 月 支 諸 神 ⋮ 惣 撃 爆 十歩、 北借十 歩、上借 十歩 ⋮ 急 以よ茅 卍葉 一36一 産 婦 某 氏 安 居 無 所 妨 碍 、 無 所 畏 忌 、 諸 神 擁 護 、 百 邪 速 去 、 急 々如 律 令 ﹂ 歩 は 四十 余 歩 、 産 婦 借 地 は 安 産 借 地 と 書 か れ 、 最 後 に ﹁令 此 地 空 閑 、 と い った 記 事 が あ り ま す。 こ の書 で は ﹃医 心 方 ﹄ の壁 方 之 中 、 柑 余 貼 り 、 そ の上 で借 地 法 を 三 遍 読 諦 す る。 勅 読 す る の だ と 記 し て います 。 し 、 産 室 内 北 壁 上 に 貼 る こと 、 ま ず 産 図 、 次 に催 生 符 、 次 に 借 地 法 を 安 ず る た め に入 節 (産 月 ) 朔 日、 産 図 及 び 催 生 符 ・借 地 法 、 み な 朱 書 生 符 ・借 地 法 の 三者 が 三身 一体 と な って、 産 室 を め ぐ る ﹁ま じ な ひ﹂ 先 き に胞 衣 埋 納 慣 行 と 関 係 し て産 図 に つい て語 り ま し た が、 産 図 ・催 中 国 の こ の ﹁借 地 法 ﹂ の文 言 は そ の字 配 り や内 容 、 特 に 最 後 の文 か と し て働 い て い る 様 子 が 読 み と れ る の です 。 恐 ら く 、 中 国 に発 し 韓 国 の句 が 加 わ って いま す 。 ら 見 て、 日本 の 借 地 法 の 祖 形 、 淵 源 に あ る も の と 見 な す こ と が で き る に そ の ま ま 受 容 さ れ た も のと 考 え ら れ る の です 。 昭 和 五 四 年 、 福 岡 県 太 宰 府 市 の 宮 ノ本 遺 跡 の発 掘 調 査 を 福 岡 県 教 育 三、 買 地券 慣 行 に 見 る交 流 と 考 え ま す 。 諸 神 擁 護 、 百 邪 速 去 の句 も 強 く 働 い てお り、 素 晴 ら し い 借 地 文 です 。 そ こ に は ﹃子 母 秘 録 ﹄ の名 は 見 え ま せ ん が ﹁膣 玄 子 法 ﹂ の名 が 明 記 さ れ てお り、 そ の拠 ってく る と こ ろ が 判 り ま す。 ﹃衛 生 家 賓 産 育 備 要 ﹄ は 前 代 の多 数 の産 育 医 書 を 撰 要 編 成 し て成 った 書 で す か ら ﹃子 母 秘 録﹄ な ど の産 書 を も参 考 に し た に違 い な い の です 。 し た が っ 生 家 寳 産 育 備 要 ﹄ と 同 文 、 ﹁東 借 十 歩 ﹂ に始 ま り ﹁急 急 如 律 令 ﹂ で終 げ ま し た ﹃東 医 寳 鑑 ﹄ 巻 十 に ﹁腱 玄 子 借 地 法 ﹂ と 項 を た て、 全 て ﹃衛 一方 、 韓 国 で の ﹁借 地 法 ﹂ は、 と い う こと に な り ま す と 、 先 き に掲 テ レビ で調 査 し 、 鉛 板 に 墨 書 き さ れ た 一文 を解 読 さ れ ま し た 。 そ の内 と い う 特 異 な状 況 で し た。 こ の 鉛 板 を 奈 良 国 立 文 化 財 研 究 所 が 赤 外 線 セ ンチ 、 幅 九 ・五 セ ソチ の鉛 板 一枚 が 墓 穴 の縁 に そ い樹 てら れ て い る 域 と し て注 目 さ れ ま し た が 、 わ け ても 話 題 を 呼 んだ の は高 さ 三 五 ・ニ 委 員 会 が 実 施 さ れ ま し た。 発 見 さ れ た 遺 構 は 火 葬 墓 群 、 平 安 時 代 の墓 わ る 形 で記 し て居 り ま す 。 僅 か に ﹃産 育 備 要 ﹄ と 異 な る の は ﹁百 邪 速 容 は従 前 、 日本 では 見 出 さ れ て いな か った ﹁買 地 券 ﹂ の初 例 、 中 国 の て こ の種 の慣 行 の根 源 は 中 国 に 求 め ら れ る こ と にな る の です 。 去 ﹂ の句 が ﹁百 邪 逐 去 ﹂ と な って い る 一点 で す。 忠 実 に中 国 の 借 地 法 買 地券 に倣 う 鉛 券 の 一例 と し て評 判 に な り ま し た 。 口 戌 年 死去 、 為 其 口 坐 男 、 好 雄 口 縁 之 地 、 自 宅 口 口 方 有 、 其 地 之 寂 りますが こ の宮 ノ本 遺 跡 の買 地 券 は 一部 に読 解 し え ぬ所 、 欠 失 し た 部 分 が あ が 伝 え ら れ て いる と 言 え ま し ょう 。 た だ ﹃子 母 秘 録 ﹄ 、 ﹃衛 生 家 寳 産 育 備 要 ﹄ か ら の引 用 で あ る か 、 他 書 の引 用 か は 明 示 さ れ て いま せ ん し 、 受 容 の時 期 も 残 念 な が ら 不 明 です 。 ﹃東 医 寳 鑑 ﹄ に は興 味 ぶ か い記 事 が 見 ら れ ま す 。 ﹁安 産 室 ﹂ ー 産 室 を 一37一 買 地 券 は 、 そ の後 の検 討 に よ って倉 敷 考 古 館 保 管 、 岡 山 県 吉 備 郡 真 備町尾崎 発見 の 備 中 国 下 道 郡 八 田郷 戸 主 矢 田部 口 白 髪 部 毘 登 富 比 売 之 墓 地 口 、 天 平 寳 字 七 年 年 次 癸 卯 十 月 十 六 日、 八 田郷 長 矢 田部 益 足 之 買 地 券 文 の刻 銘 を も つ埴 板 二枚 も 、 そ の文 言 の語 る と お り ﹁買 地 券 ﹂ と 認 め ら れ る に 至 り ま し た 。 そ の 他 、 京 都 市 右 京 区 大 枝 塚 原 発 見 の宇 治 宿 弥 太 平 子 孫 安 坐- 雲 二年 十 二月ー ﹂ と い う銘 文 から 買 地 券 の 可能 性 が 説 の 墓 誌 も 天 地 左 右 を 欠 く も の の ﹁- 前 誓 願 物 部 神 - 八 継 孫 宇 治 宿 彌静 、 四 方 口 口 口 、 可故 買 給 方 丈 地 、 其 直 銭 弐 拾 伍 文 、 鍬 一口、 絹 五 か れ る よ う にな り ま し た。 奈 良 ・平 安 時 代 の買 地 券 納 置 慣 行 の盛 行 が ↓ 尺 、 調 布 五口 、 白 綿 一目 、 此 吉 地 給 故 、 霊 平 安 静 坐 、 子 々孫 々、 口 窺 え る の です 。 一方 、 朝 鮮 半 島 を見 ま す と 素 晴 ら し い買 地 券 の存 在 が 指 摘 さ れ ま す 。 口口 全、官冠口 禄、 不絶令有、 口七宝口、 ⋮ ⋮ と 読 ま れ て いま す 。 太 宰 府 の官 人 か と想 像 さ れ ま す ﹁好 雄 ﹂ の 死 に 百 済 の武 寧 王 陵 か ら 見 出 さ れ た 買 地 券 が そ れ です 。 昭 和 四 六年 詳 細 な 王権 の強 盛 を 偲 ば せ る 優 品 が 続 出 し た の であ り ま す 。 そ の中 でも 羨 道 当 り家 族 が 彼 に有 縁 の地 、 自 宅 か ら 吉 方 に あ る 寂 静 の地 ー 方 丈 の 地 を こ の墓 地 の買 得 の価 格 が ﹁銭 弐 拾 伍 文 、 鍬 一口、 絹 五 尺、 調 布 五口 、 と 玄 室 間 、 二棺 の南 に配 置 さ れ た 誌 石 に、 簡 明 な が ら実 に要 領 を 得 た 調 査 が 実 施 さ れ 、 陵 墓 内 の 王 ・妃 二棺 の完 存 、 多 数 の遺 品 の遺 存 か ら 白 綿 一目﹂ で あ る こ と を 明 記 し 、 そ の 上、 こ の吉 地 を 給 付 す る の故 に、 買 地 文 を 見 出 し た時 の驚 愕 は ま こと に強 烈 な も の が あ り ま し た 。 誌 石 買 得 し て彼 の墓 と し て給 し て い る の です 。 霊 は 平安 ・平 静 に 坐 し ま し て、 家 族 の子 々孫 々 に 至 る ま で繁 昌 を 与 え は 天 地 四〇 セ ソ チ、 幅 四〇 セ ソチ 、 厚 さ 六 ・五 セ ソチ、 九 本 の罫 線 を 銭 一万 文 、 右 一件 、 乙 巳年 八 月 十 二 日、 寧 東 大 将 軍 、 百 済 斯 麻 王、 う べ し と の大 意 が 墨 書 さ れ て い る の です 。 五 五 ・六 六 ・五 五 ・七 七 ⋮ す 。 墓 地 を 買 地 す る こと に よ り 、 死 者 の世 界 が 他 者 か ら 犯 さ れ る こ と 以 前 件 銭 訟 、 土 王 土 伯 土 父 母 、 上 下 衆 官 二千 石 、 買 申 地為 墓 、 故 立 天 地 に引 い て十 行 、 第 二行 か ら 六 行 を 用 い買 地 文 を 刻 ん で いま す 。 のな い よ う 、 そ の永 久 の保 証 と し て、 こ う し た ﹁買 地 券 ﹂ を 中 国 と 同 券為 明、 不従律令 と 対 句 を 重 ね て 言辞 を 整 え た 買 地 券 と し て も 興 味 ぶ か いも の が あ り ま 様 、 腐 朽 し な い鉛 券 に記 し墓 中 に納 め た の であ り ま す。 一38一 そ の記 す と こ ろ は 、 百 済 斯 麻 (武 寧 ) 王 が 銭 一万 文 を も って土 王 土 墓 地 、 地 よ り 冥 宅 を 求 め て東 西 南 北 中 上 下 の神 々 か ら 価 格 二百 萬 文 で 誌 石 でも つ てそ の 明 (証 ) と す る こ と を の べ て いま す。 一万文 の買 価 乙、 或 ひ は下 極 泉 な ど の言 葉 も慣 習 的 用 語 です か ら、 実 際 の買 地 行 為 勿 論 、 二百 萬 の価 格 も 慣 習 的 用 語 で あ り 、 墓 地 の境 界 を 示 す 東 極 甲 墓 地 を 買 得 し た 経 緯 を 記 し て いま す 。 は 買 地 の慣 用 句 と 見 る べき です し 、 土 王 土 伯 土 父 母、 上 下 衆 官 二千 石 と は関 係 し な い用 語 で あ り ま す 。 それ だ け に問 題 が 生 ず る と 天 帝 ・土 伯 土 父 母 、 上 下 衆 官 二千 石 か ら 墓 地 を 買 得 し た こ と を 記 し 、 こ の券 文 も 地 下 を う し は く 土 王 と そ の機 構 に連 な る も の、 道 教 に 連 な る 神 々 で 存 在 が あ る と いう い い ま わ し は、 ま さ に そ う し た こ の買 地 券 文 が 道 教 伯 に詞 る と い った 言 い ま わ し 、 売 買 の任 知者 と し て の東 王 父 西 王 母 の 武 寧 王 の治 世 は 六世 紀 前 半 、 日 本 で は 継 体 天 皇 の治 世 に当 り ま す か 世 界 に 息 づ く も の で あ る こと を物 語 っ て いる の であ り ま す 。 死 や営 墓 あ ります。 ら 、 日 本 の既 往 の買 地 券 に 比 べ格 段 と古 い買 地 券 と い え ま す 。 武 寧 王 が 道 教 と 深 く係 わ り 息 づ く だ け に 、 こ う し た 道 教 上 の神 々と の間 に 冥 買 地 券 の世 界 を こ の よ う に見 ま す と 、 そ の淵 源 が 中 国 に あ る こ と、 は 中 国 南 朝 と 親 密 な 外 交 を ひ ら い て い ま し た だ け に、 中 国 の買 地 券 の え ら れ る の です 。 武 寧 王 と 日本 の宮 室 と の交 流 も ま た 盛 ん で し た か ら、 道 教 諸 神 を 揃 え 四 方 八 方 の方 位 神 を 通 じ て墓 の地 を彪 大 な 価 格 で買 得 、 界 の居 地ー 墓 を 買 地 す る 慣 習 が生 ま れ る の であ り ま す 。 将 来 、 天 皇 陵 や貴 紳 墓 か ら 、 こ の時 期 の 買 地 券 が 見 出 さ れ る 可能 性 は 冥 界 で の障 擬 な き 安 寧 を保 証 し 、 ト ラブ ルに 対 す る 詞 者 を 設 け 任 知 の 実 際 を熟 知 し、 結 果 こ のよ う な卓 越 し た 買 地 石券 を 配 置 し た も のと 考 あ り ま す 。 し か し 、 現 在 の時 点 では 朝 鮮 半 島 で は 他 に買 地 券 の発 見 は 者 を 置 く と い った 整 正 な ス タイ ルが 誕 生 し て いる こと が知 ら れ る の で す 。 百 済 武 寧 王 の場 合 は 王 権 の表 象 と し て の買 地 券 が 古 く 成 立 し ま す な く 王権 に係 る 孤 高 の資 料 と 考 え ら れ る も の で す。 中 国 では 買 地 券 の成 立 は 前 漢 代 にあ り、 広 く 浸 透 し て いま す 。 一例 が 、 そ の 普 及 の実 際 は 未 だ 不 明 で あ る と 言 わ ね ば な り ま せ ん。 武 寧 王 以 後 、 買 地 券 の流 布 は な く 、 日本 同 様 、 八世 紀 一斉 に道 教 世 界 の 一画 、 を 掲 げ て み ま し ょう 。 晋 成 康 四 年 二月 壬 子 朔 三 日 乙卯 、 呉 故 買 地 券 が受 容 さ れ る に至 る の で は な い か と考 え ら れ る の で す。 人立節都 尉晋陵 丹徒朱曼 、 故妻醇杁 天買地杁 地買宅 、東極 甲乙南極 丙 丁西極庚辛 北極壬癸中 極 調 布 ・白 綿 と い った 品 々 が 見 ら れ ま す 。 現 実 の 土 地 売 買 と も 共 通 す る 宮 ノ本 遺 跡 の買 地 券 に は 買 得 の価 格 と し て銭 廿 五文 の他 、 鍬 ・絹 ・ 誌 酵 宅 當 詞 土 伯 、 任 知 者 東 王 父 西 王 母、 如 天 帝 律 令 品 目 ・数 量 であ る点 、 加 え て土 公 土 伯 土 父 母 や 上 下 衆 官 二千 石 の名 の 戌 巳上 極 天 下 極 泉 、 直 銭 二百 萬 、 即 日交 畢 、 有 誌 醇 地 當 詞 天 帝 、 有 朱 曼 の妻 、 辟 の 死 に伴 い買 地 券 が 調 製 さ れ て い る の で す が 、 天 よ り 一39一 蕪 粥 螺.. 羅 醗鰹 .﹂ 灘懸 難 購灘 灘懸 馨 籔 灘 講難 ぐ 鱗 灘 羅 羅灘叢鱗騨灘 鱗 懸 難籔 雛灘鱗難 灘懇 灘灘 サ ダロつ' `,.、!覧 の 難 灘懸 ● 織灘難灘 灘叢 羅 灘.難 羅 の ナ コロ ロワ ロ ロ ギ 見 え ぬ点 、 立 券 を 証 す る東 王 父 ・西 王 母 を 欠 く な ど 道 教 と の係 合 い に 弱 い面 が読 み と れ る の で す。 買 地 券 納 置 慣 行 は道 教 の発 達 し た 中 国 で 整 備 さ れ 、 政 治 的 な 卓 越 者 に いち 早 く受 容 さ れ る も の の、 朝 鮮 半 島 ・ 日 本 で の新 し い受 容 と 浸 透 は 八世 紀 を ま つ必 要 が あ り 、 そ の受 容 の内 容 も か な り 日 本 化 し た 方 向 で の受 容 であ った よ う です 。 買 地 券 文 は 借 地 文 と の 対 比 で興 味 深 いが も の あ り ま す 。 死 者 の冥 地 の買 得 は そ の安 寧 を は か る 想 ひ か ら障 磯 を な す 冥 界 ・地 下 の神 々 か ら 永 遠 に そ の空 間 を 買 い と る 、 冥界 諸 神 の永 久 の乱 妨 除 去 の想 ひ から 来 る も の であ り ま す 。 そ の故 に ﹁買 地﹂ と い った行 為 に出 る 訳 です が 、 産 時 は 血 の汚 臓 が 産 室 外 に拡 が る こ と な き よ う、 ま た 汚 臓 の及 ぶ範 囲 を 限 定 す る 想 ひ も あ っ て、 産 時 と いう 一時 の ﹁借 地 ﹂ と い った 行 為 に つな が る の で あ り ま す 。 永 久 と 一時 と い った時 間 の在 り方 に対 応 し た 中 国道 教 の思 惟 が 、 そ こ に強 く働 い て いる の です 。 奈 良 時 代 、 渡 来 系 氏 族ー 船 氏 や 西 文 氏 か ら火 葬 が 始 ま り墓 誌 副 葬 現 象 が惹 き 起 さ れ 、 天 皇 か ら 貴 紳 に ま で急 激 に浸 透 し て いき ま す 。 そ う し た 中 で墓 誌 は 中 国 の有 蓋 正 方形 誌 石 に縦 横 に罫 引 き し楷 書 で長 文 の 伝 ・謙 を 刻 む 式 を 直 接 採 用 せ ず、 長 方 形 、 金 銅 板 に縦 罫 を ひく の み、 大 略 は 伝 の み を 刻 む 簡 略 な方 式 を と って いま す 。 火 葬 を 採 用 し た 日 本 と 石 室 ・ 室 を 遵 守 す る 中 国 と の間 で は、 墓 誌 ・買 地券 は 中 国 か ら直 接 受 容 と いう 形 を と ら ず 、 変 換受 容 と い った 形 で進 め ら れ た よう です 。 直 接 受 容 し た 産 の借 地 文 と 見 事 に対 に な る受 容 の姿 であ り ま す 。 一40一 灘熱轟 蕪羅懸 鑛 鱒 羅難 鑛 潔講 繧灘 ∼ 四 変 鬼 字 慣 行 にみ る 交 流 字 は悪 夢 を み て目 ざ め る 、 そ う し た 時 、 夢 違 い と し て こ の字 を 書 け ば 吉 夢 と な る、 肱 と 書 け ば 男 に想 わ る こ と を 願 う 時 、 逆 に魑 と 書 けば 女 事 を 怖 れ て は魅 字 ・馬 の病 む を 恐 れ て は懸 字 、 勝 負 に勝 つには 魅 字 、 に想 わ る る こ と を 願 って書 く 文 字 、 男 女 ひき 合 せ る文 字 な の です 。 火 蔵 胞 衣 慣 行 、 借 地 文 慣 行 、 買 地 文 慣 行 と い った 三 つ の慣 行 を 中 心 に か つ て、 新 潟 県 の江 上 館 跡 の発 掘 調 査 で ﹁勉 ﹂ が発 見 さ れ た こ と が 実 に う ま く 鬼 字 が 活 用 さ れ て い る の です 。 魑 字 な ど は 男 女 と も ど も愛 る こ と が お 判 り いた だ け た か と 存 じ ま す 。 朝 鮮 半 島 に も 受 容 の 時 期 こ あ り 、 そ の解 釈 で論 議 を 呼 び ま し た 。 ﹁鬼 之 字 大 事 ﹂ を 経 き ま す と、 中 国 ・朝 鮮 ・日 本 の 国 際 交 流 を 見 て来 ま し た が、 これ ら の慣 行 は いず そ 明 確 で は あ り ま せ ん が 、 相 似 た 形 で受 容 さ れ て い る様 子 が 窺 え る の そ の 用 は 三種 あ り 、 一は 離 別 、 一は 口止 め、 一は 呪 咀 返 し と 記 し て い し 合 う 、 敬 愛 と 書 く と いう の で す か ら 素 晴 ら し い。 です 。 日本 で は 死 者 に関 係 し た 買 地 券 や 墓 誌 は 平 安 時 代 に 入 り ま す と ま す 。 中 世 の館 跡 です が そ の い ず れ の効 用 を 希 って の れ も 中 国 に淵 源 が あ り 、 奈 良 時 代 、 日 本 が 積 極 的 に受 容 し た慣 行 であ 間 も な く そ の慣 行 は 下 火 と な り 絶 え て いき ま す が 、 産 育 に関 係 す る 借 んが 、 人 の 口を 止 む る 用 あ って の 墨 書 土 器 か と 考 え た も の です 。 ﹃中 山 御 符 秘 抄 ﹄ に は 数 多 く の鬼 字 が 見 ら れ ま す が 、 中 世 は、 生 活 の各 面 かは判 りませ 地 文 や 胞 衣 埋 納 の慣 行 は 長 く 、 広 く 行 わ れ て いま す 。 と ころ で、 中 世 、 日 本 で は面 白 い現 象 が 起 こ り ま す 。 ﹁鬼 ﹂ 字 が い そ う し た 鬼 字 中 、 魅 ・鬼 ・勉 と 三 字 を 組 み 合 せ用 いる 場 合 が あ り ま に ﹁鬼 ﹂ が 跳 梁 し 、 生 活 の細 部 に ま で 入 り 込 み 生 活 を揺 り 動 かす 、 そ り ま す が 、 お な じ よ う に 日本 でも 種 々 の鬼 字 が 登 場 し てく る の です 。 す 。 こ の場 合 は鬼 が 悪 い動 き を 見 せ る 、 そ の動 き を 封 ず る鬼 字 と し て ろ い ろ と 活 用 形 を も つ、 活 用 形 を 生 む よ う に な る の です 。 中 国 に は 魑 ﹃中 山 御 符 秘 抄﹄ な ど を 開 き ま す と 、 ﹁鬼 之 字 大 事 ﹂ と い う項 を た て こ の 三字 が働 き ま す。 多 く の事 例 で は山 形 に、 上 一字 下 二字 、魅 ・鬼 ・ の よ う に 考 え ら れ た こ と か ら 鬼 字 活 用 が起 こる の です 。 沢 山 の鬼 字 の活 用 形 を 示 し て いま す 。 こ こ で は便 宜 上 二 一字 を 掲 げ ま 勉 の文 字 を 置 き鬼 の動 き を 止 め て いま す 。 同 様 、 鬼 字 を 五 字 上 下 一列 魅 魍 魎 と い う 言 葉 が あ り 、 山 川 の物 怪 、 化 物 と し て生 活 に息 づ い てお し た が 、 ま だ ま だ 数 多 く の鬼 字 を 示 し てお り ます 。 ま さ に中 世 は ﹁鬼 ﹂ に書 き、 右 辺 に 妙 日、 法 蓮 ・蓮 大 、 華 聖 、 経 人 と 二字 つ つを いれ る 場 の力 で 抑 え こ み 払 い出 そ う と す る 呪 符 です が 、 連 字 し て始 め て効 用 が 合 も あ り ま す 。 言 う ま でも な く悪 く 動 く鬼 を 妙 法 蓮 華 経 と 日蓮 大 聖 人 の字 を 大 切 に、 極 め て 大 事 に取 り 扱 った 時 代 な の です 。 鬼 と いう 字 は 調 伏 の 首 題 に書 き そ え る と 最 初 にあ り ま す が 、 人 間 に 不 幸 を も た ら す 鬼 は 調 伏 の対 象 、 従 って ﹁鬼 ﹂ 字 で よ いわ け で す 。 一41一 愛欲 麗欝 轟 ス魑 蓬 竈 乳症霧 庚症冠 盛 憲 血症霧 蓋 憲 窪 電 肇 憲 胎甫憲 彦謹 安胎憲 催生憲 種子穫 謹 嚇達 纂 建 韮 竃 症穫 蓋 霊 憲 肘症憲 腕症零 症憲 蓋 憲 頭症憲 胤痛電 耳症爵 魑蓋 憲 .症糧 .症霞 濃 窟 歯症窟 箒 叢 酸霞 愛氣聾 症憲 不眠憲 疲倦憲 葎 憲 盗汗憲 遺精箋 仲電 答忘魑 眩牽喋 瘡竈 邪集窟 離 璽 軋魑 膝症冠 尺症憲 錨毒茜 毒露 鎌狂憲 翻 憲 撚腫魁 獺醇窟 電 旛毒 塁 慮 建 竈 蓋 憲 液症憲 嚢 竃 症憲 小便建 脹謹 潟痺竈 天便窺 淋症憲 風症穫 症憲 蓋 静 魑 職墨 羅 羅灘! 酋纏 纏1 灘 電 驚風魑 毒病憲 客杵竈 無吊趨 曇 壌 期 待 さ れ る 鬼 の字 の 一劃 で あ り ま す 。 こう し た 鬼 字 を 変 え 種 々 の場 を 援 け る 呪 字 を つく り 出 す の は、 日 蓮 宗 のよ う で す 。 ﹃中 山 御 符 秘 抄﹄ や ﹃法 華 経 秘 法 ﹄ ・ ﹃仏 教 法 華 禁 厭 妙 御 符 秘 書 ﹄ と い った 関 係 の呪 法 書 に は 満 天 の星 の き ら め き の よ う に 鬼 字 の活 用 ・変 化 し た 文 字 が 見 ら れ ま す 。 鬼 字 を 活 用 ・変 化 さ せ る 、 そ う し た動 き が 日蓮 上 人 に存 在 し た の か、 そ の高 弟 が つく り 出 し た の か、 恐 ら く後 者 で し ょう が 中 世 の顕 著 な現 象 です 。 時 宗 智 眞 一遍 上 人 が ﹁南 無 阿 弥 陀 仏 ・決 定 往 生 六 十 萬 人 ﹂ の 二行 を 記 し た 名 號 札 を 広 く 賦 算 す る の と 同 様 、 日 蓮 上 人 も 鬼 字 を 配 札 し た の です 。 中 世 を 彩 る ﹁鬼 字 活 用 変 化 ﹂ の文 字 を 見 ま す と 同 様 な 現 象 が 中 国 に も 存 在 し た こと が 想 い起 こ さ れ る の です 。 中 国 の呪 法 書 中 に は雷 電 の 文 字 に出 自 す る か と 思 わ れ る 雨 冠 と 鬼 字 を 組 合 せ 、 鬼 字 を 活 用 ・変 化 さ せ た 文 字 が 数 多 く 登 場 し ま す。 掲 げ ま し た 資 料 は ご く そ の 一部 です が 、 ﹁随 症 符 為 薬 ﹂ と あ り ま す よ う に、 小 腹 症 、 贋 症 、 腸 症 、 腰 症 と い った 各 病 状 ・症 状 に 随 っ て こ の種 の文 字 を つく り 出 し、 薬 と し て病 者 に 出 し て いる の で す。 日本 の鬼 字 の活 用 変 化 は 伴 う文 字 か ら 呪 意 が 汲 み と れ ま す が 中 国 の場 合 は そ の拠 り 所 が 判 ら な い の が残 念 です 。 中 国 で は病 症 に随 い こ の種 の文 字 が 用 いら れ る 以 外 、 例 え ば 五行 - 木 火 土 金 水 に も 同 様 な 雨 冠 の鬼 字 活 用 変 化 の文 字 が 用 いら れ て い ま す し、 多 く の 呪 符 にも 同 様 に使 用 さ れ て い ま す。 中 国 で も 生 活 全 般 に浸 透 す る 形 で こ の種 の文 字 が 息 づ い て い る と 言 え ま す 。 日本 同 様 、 生 活 42一 狸麗 麗 尼旭 麟 耀 這霧 を お び や か す 、 そ う し た存 在 と し て鬼 が あ り 、 雷 電 と も 結 合 し て種 々 き に至 らず と い った 一面 が 見 ら れ る の です 。 中 国 ・朝 鮮 半 島 ・日 本 の れ の 国 のパ タ ー ンを 詳 細 に比 較 検 討 し て い く 、 そ う し た中 か ら 道 教 受 道 教 を 受 容 し 、 展 開 し て いる 姿 は、 各 国 の 風 土 や 政 治 、 体 制 や 宗 教 と 中 国 ・日本 間 、 中 国 と 日 蓮 宗 間 にど の よ う な交 流 が あ る の か、 今 後 容 の様 相 が 明 確 な 姿 を も って現 れ てく る の だ と 思 い ま す。 今 回 の シ ソ の相 ・種 々 の貌 を も って 人 間 ・社 会 と 対 峙 し て い た 状 況 が窺 え る の で 調 べ ねば な り ま せ ん が、 顕 著 な 共 通 で あ り 乍 ら、 そ の活 用 原 理 の 大 き ポ ジ ウ ムは そ の 足 掛 り の第 一歩 であ り ま す。 爾 後 開 催 いた し ま す シ ソ 深 く 関 係 し 合 い複 雑 な 様 相 を そ れ ぞ れ 見 せ て いま す 。 今 回開 催 いた し な 違 いが 認 め ら れ る こ と も ま た 大 事 で す。 勿 論 、 中 世 に は 中 国 か ら 多 ポ ジ ウ ム にも ご 参 加 下 さ り 、 学 の進 展 と 国 際 化 を 目 の当 り に し て頂 け す 。 日本 ・中 国 の両 国 間 に 通 じ て同 種 の現 象 が 中 世 起 こ って い る の で く の文 物 ・思 想 が も た ら さ れ ま す し 、 人 の往 来 も 激 し いも のが あ り ま ま し た ら 幸 い と 存 じ ま す 。 長 時 間 、 ご 静 聴 下 さ い ま し てあ り が と う ご ま し た よ う な 国 際 文 化 交 流 シ ソポ ジ ウ ム を幾 度 と な く開 催 し 、 そ れ ぞ す 。 中 国 道 教 が 中 世 の 日 本 に如 何 よ う な 影 響 を 与 え た の か 、 そ う し た ざ いました。 す 。 半 島 の事 例 の蒐 収 が 侯 た れ る 今 日 で あ り ま す。 面 の研 究 は 今 後 に課 せ ら れ た 課 題 で あ り ま す 。 鬼 字 の活 用 ・変 化 も そ う し た 課 題 を解 く 重 要 な キ イ であ ろ う と 考 え ま す 。 中 世 の遺 跡 ・遺 物 か ら 中 国 道 教 と 日本 の関 係 を 説 き う る 日 も 間 近 いと 思 いま す 。 予 定 さ れ て いま す 三 十 分 、 こ の短 い時 間 の 中 で中 国 ・朝 鮮 半 島 ・日 本 を結 び 、 中 国 で成 立 し て いま す 道 教 の動 き と 受 容 を 四 つの慣 行 を 通 し て窺 って み ま し た。 日本 の 場 合 、 産 育 に係 る 蔵 胞 衣 ・産 図 に よ る吉 方 方 位 、 借 地 文 な ど の諸 慣 行 は 中 国 道 教 の 同 種 の慣 行 を 忠 実 と い う 言 葉 に 近 い形 で受 容 し 、 長 く 歴 史 を 貫 い て慣 行 が 守 護 さ れ て来 ま し た。 一方 、 死 者 の葬 に係 る 世 界 は 、 火 葬 を 仏 葬 と し て採 用 し 、 僧 侶 が 深 く 関 与 し た経 緯 も あ って、 道 教 的 慣 行 と 見 る べき 買 地券 、 墓 誌 も 中 国 の そ れ を 忠 実 に受 容 す る こ と な く 日 本 風 に便 化 し て受 容 、 そ の存 続 も 長 43一