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No2
3.近世の都市デザイン(Urban Form) 都市デザイン史 3ー2.バロックの都市改造 No.2 主題科目(第2分野) 3.オースマンのパリ大改造(1853 年) → 「 」の誕生 ナポレオン3世下のセーヌ県長官 → 特別な地位 (1)背 景 ・ 一掃の社会的要求 ・ の再編 ・軍事上の要求( の制圧) (2)方 法 ・伝染病の巣である 町( )の組織的な除去 ・ による公共交通の確保 ・ 制圧しやすいような建築や邸宅、 の配置 (3)計 画 ・東西の交通路 通りの拡張 ・ の建設(市庁舎の周辺の 化) 図1 パリの発展(大改造以前) 中央の核が中世初期で、その回りに太い黒線で順次、1180 年頃、1370 年、1676 年、1784-91 年、1841-45 年におけ る境界を示している。 図2 エトワールの凱旋門(パリ) ナポレオンの 1805 〜 06 年の戦勝を記 念して、ローマを先例に、1803 〜 36 年 に建設された。 ・ブローニュの森の改造 → 市民の ・ロンシャン の建設 ・ 道路の建設 (4)特 徴 ・城壁内の再開発( の建設) ・土地の (5)結 果 ・ だけの美しさ 図4 オースマンのパリ大改造 全体図 ・都市内の大量 機関の欠如 図3 オースマンのパリ都市計画案(1853 年以降) ・地代の と人民の の進行 ナポレオン I 世のパリ改造計画を受け継いで、ナポレオン III 世は首都の美化と スラムの除去と治安維持の容易化を目的とする都市大改造を行った。 ・自然の の消失 黒線:新しい道路 網掛け部:新しい地区 斜線部:郊外の公園(2か所) モニュメンタルな建造物あるいは広場の接続の指標とする直線道路の配置とい う点ではバロックの伝統を追うものであるが、さらに中世の城壁の和を逐次追っ た環状路線が巧みに融合されていることが、都市の有機的性格を保つ上で重要 な役割を果たしている。 4.ウィーン大改造(1857-1911 年) フランツ・ヨーゼフ I 世 (1)背 景 ・ 軍の侵攻による の破壊 ・市街地の の必要性(人口増) ・ 化解消の必要性 ・帝都の に対する皇帝の熱望 ・旧市街地と の結合に対する要望 (2)方 法 ・土地の ・都市計画の公開 ・公共建築物の公開 <要綱> できる限り相互に 建てること。 か に面すること。 図5 都市大改造前のウィーン旧市街 (3)計 画 18 世紀 図7 リンク道路建設によるモニュメンタルな建物に対する眺望の影響 (出典:Wurzer, "PLANUNG UND VERWIRKLICHUNG", 1980 ・ 道路、外郭環状道路、 道路の整備 ・ 地区の開発 ・ 網の整備(路面電車、都市鉄道) ・ 道・ 道、目的別水路の建設 ・ドナウ川 工事 など (4)特 徴 ・ 芸術(Gesamtkunst)の思想 ・ 的な都市改造(公開設計競技など) ・民間人(商人)の 階級への昇格・勲章 (5)結 果 ・ 階級の崩壊 ・地価、家賃の ・非 的・反 的な建築様式・思想の台頭 ・シュテュール、ゼツェッション(分離派)など 図6 都市大改造後のウィーン旧市街 19 世紀末 写真 1,2,3,4 ウィーン・リンク道路の様子 1: リンク道路 2: オペラ座 3: 王宮 4: ドナウ運河の水門(オット・ワーグナー設計) 図 8 リンクシュトラーセ(環状街路)のレイアウト 黒線部:新しい道路 ハッチ部分:公園および公共庭園