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の要旨 - 日ロ沿岸市長会

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の要旨 - 日ロ沿岸市長会
平成 26 年度
ファムトリップ
TV 局「グベルニヤ」で放映された番組「視点 27」の要旨
司
会:日本は欧米諸国によるロシアに対する経済制裁に加わっていますが、一定のレベルで
ロシアとの人的交流は絶やしておらず、ロシアとの協力を望んでいます。それは経済、
観光といった分野についても言えます。この番組「視点」では、ハバロフスク地方と
日本との協力関係について考えます。今日スタジオにお越しいただいたのは、ハバロ
フスク市行政府広報部のエローヒン部長、そして国営テレビラジオ会社「ダーリニェ
ヴォストーチナヤ」のセリコワ社長です。
最初にお尋ねします。日本は閉ざされた独自の文化、多くの人々を魅了する独自性で
世界中の観光客の注目を集めています。ロシア極東でも日本への関心が高いでが、な
ぜでしょうか。
エローヒン:このたび私たちが訪れたのは、日本の中でも北部、西部の地区です。観光ずれしてお
らず、産業化も過度に進んでいません。それでもこちらよりははるかに近代化されて
いますが。ロシア極東シベリアの諸都市で構成する市長会と、日本の日本海側諸都市
で構成する同様の市長会では、観光分野の交流発展をめざしています。この一環とし
て私たちは招待を受け、帰国後にその様子を広く報道することを期待されています。
日本人たちは以前と同じく暮らし、働き、ロシアからの観光客を待ち望んでいます。
経済的な側面にだけ注目しているのではなく、日本固有の文化、独自性を世界に発信
し、世界中に日本を知らしめようとしています。日本というと、東京の摩天楼や高度
に発達したロボット産業などを連想する人もいるでしょうし、エキゾチックな着物、
小路を歩く芸者のイメージもあります。日本は多面的で個性的な国です。ファムトリ
ップを実施した市長会の決定は正しいものです。
司
会:セリコワさんにお尋ねします。ジャーナリストは滅多なことでは驚かないのでしょう
ね。
セリコワ:そうですね。私たちは大概のことでは驚きませんが、このたびの日本訪問では驚くこ
とがたくさんありました。確かに日本へ行ったことのある人は多く、多くのことが良
く知られています。しかし、今回のルートはいわゆる「低層住宅の日本」の魅力を感
じさせるものでした。訪問先には人口 8∼10 万人程度の小都市があり、昔から受け
継いだ自らの価値観を持った人々が暮らし、その知的な基盤の上に新たなものを築い
ています。インターネットには数多くのサイトがあるでしょうが、私たちが知らなか
ったような博物館を今回私たちは見学することができました。例えば、日本の有名な
写真家である土門拳は、私たちが訪問した日本海側の酒田市に住んでいました。また、
我が地でペトログリフが描かれていた頃に日本で作られていた火焔型土器を見るこ
ともできました。私たちが知らなかった非常に興味深いものを見学していると新しい
世界が開けるようで、博物館で過ごす時間は瞬く間に過ぎていきます。日本は知的な
関心を持つ人たちにとって、とても興味深い国です。もちろん、日本ではショッピン
グもできますし、見て楽しめるものもあります。しかし、私が思うに日本は「考えさ
せる」国です。受入関係者に感謝しています。
「考える」だけでなく、自らの手で「作
る」という体験もさせていただきました。
エローヒン:
「体験型」というのが今回の大きなポイントです。釘から紙を切るカッターを作りま
した。槍のような形の刃物で、木材を削る道具も見せてもらいました。削り屑で女性
のイヤリングが作れるのではないかと思えるほどで、削った木材の表面はきれいに滑
らかになります。日本には、高度な木材文化があります。
セリコワ:今回の体験型プログラムでは、単に何かを自分で作ったというだけでなく、歴史ある
日本の手工業に対する理解を深めることができました。日本に古くから伝わる道具を
使った制作体験ができました。
司
会:日本人は、自分たちの歴史を大切にしているということなのですね。
セリコワ:そうです。着物の試着にしても外国人用の着物ではなく、博物館にあるような本物の
絹の着物で、日本各地で季節や場面に応じた多様な着物が作られていることが分かり
ました。日本では、日本文化への理解を深めようとする外国人観光客を尊重してくれ
ます。こちらの日本の新聞には、私たちの訪問団メンバーが着物を試着して日本文化
を体験した様子が紹介されています。
エローヒン:日本に到着した翌日だな。
セリコワ:そうです。翌日の朝刊の一面トップに。酒田市の新聞です。
司
会:酒田では、クラゲ水族館へも行かれたのですね。私はそういう水族館を見たことがな
いのですが。
セリコワ:普通の水族館ならあちこちにあり、泳いでいる魚が違う程度です。しかし、このクラ
ゲ水族館は世界でも唯一のものでしょう。クラゲの繁殖にも成功しており、ギネブッ
クに登録されているそうです。この水族館は酒田近郊の海辺にあり、繊細なクラゲが
漂う様子はまさに予期せぬプレゼントです。
エローヒン:日本ではどこの水族館にもオリジナルグッズを販売している売店があり、お土産を買
うことができます。このクラゲ水族館の売店はガラス張りで、夕日が日本海に沈む様
子を眺めることができました。私たちは、毎日めったに海が見られない場所から行っ
たので、大変感動的でした。海岸には松林があり、私たちが来るのを見計らったかの
ようにちょうど夕日が沈んでいったのです。私たちだけでなく、地元の人や子供たち
も一緒に夕日を眺めました。
セリコワ:水族館見学が夕日で締めくくられたということです。
エローヒン:お土産も買えて、喫茶店でおいしいコーヒーも飲めるのです。
思いがけない出会いもありました。在新潟ロシア連邦総領事館では、ハバロフスク出
身の古い知り合いから観光についての話を聞くことができました。このような予期せ
ぬことがたくさんあるので、私たちは何度でも日本へ行ってみたくなるのでしょう。
私自身は 40 回以上日本へ行ったことがありますが、それでも毎年のように行きたく
なります。
司
会:お二人は日本のことをとても興味深く話してくださいますので、私たちも本当に行っ
てみたくなります。では具体的な問題に移りますが、私たち誰もが簡単に日本へ行け
るようになるためには、どのような取り組みが必要でしょうか。今回の日本滞在中に
は行政関係者と面談されたそうですが、どのようなお話でしたか。
エローヒン:大きな課題としては、旅行代金ではなくアクセスの問題があります。以前ハバロフス
クから新潟へ定期航空路があった頃は、とても便利でした。現在、ハバロフスクから
日本へ行こうとすると、成田便が多いウラジオストクから行くことが考えられます。
ハバロフスク−成田便は便数がとても少ないです。
セリコワ:今回は、成田経由でほとんど一日がかりで移動しました。
エローヒン:午前 11 時にハバロフスクを出発して、目的地酒田に到着したのは夜 9 時か 10 時でし
た。
司
会:以前は新潟まで 2 時間程度でしたよね。
エローヒン:アクセスの問題が一つ。もう一つは、団体だけでなく、いかに個人旅行客を誘致する
かということです。例えば家族でクラゲ博物館を見学した後、子供は日本の家庭へホ
ームステイ、大人は磯釣りというのも考えられます。日本はどこでも釣りが盛んです。
日本へ行くには、交通費は高いですが、宿泊費について言うと、安くて良い宿泊施設
もあります。
司
会:日本旅行は全般的に高いのでしょうか。
セリコワ:日本で何を見たいのかによります。もし主な目的地を東京にして、その近郊まで足を
延ばす程度なら話は簡単です。もし東京から日本の北部など地方を観光しようとする
と、それなりの出費を伴います。安く上げるなら、格式の高い旅館ではない方がいい
でしょう。そのような旅館はサービスのレベルは高いですが、料金も相応です。近代
的なホテル、例えば今回私たちが長岡で宿泊したようなタイプの駅前のホテルなら、
恐らく1泊 30∼40 ドル程度でしょう。そう高くはありません。ですから、直行便が
再開されれば旅行は十分可能です。エローヒンさん、日本の関係者と面談した時には
航空路に限定せず、航路の開設についても話題に出されましたね。
エローヒン:その通り。
司
会:フェリー航路ですか。
エローヒン:フェリーだけでなく、30 年前くらいに行われていた客船によるクルーズです。ナホ
トカを船で出発して、日本各地を巡りながら一周するというものです。寝泊まりも食
事も船内でしたのでとても安かったです。大切なのは、意志です。
司
会:ちょうどそのことを言いたかったんですが、フェリー航路、客船クルーズ、航空路の
再開に漕ぎ着けるには、誰の意志が必要とされるのでしょうか。
エローヒン:恐らくロシア側の指導者たちの意志が問われるでしょう。
セリコワ:その際、経済的な要素を考慮しなければならないでしょう。観光は政治よりも経済的・
財政的な側面があります。航空路、航路を開設することによって、誰かが利益を得ら
れるようでなければなりません。行政はその条件整備をすべきであると思います。
エローヒン:ロシア側では、日本の旅行社の取り扱いが増えるように協力してきました。例えば春
にはお花見を目的とするグループを新潟に送り出し、翌日は桜の下で芸者のパレード
を見て、温室栽培されているイチゴを摘んで持ち帰っていました。自分のダーチャで
栽培する野菜や花の種を日本で買って持ち帰る人もいました。さらに、東京や新潟に
は、ロシアの電圧に適する家電製品を扱う専門店もあります。滞在の途中で購入して
手配しておくと、最後に新潟空港から帰国の途に着く際に受け取ることができました。
司
会:行政当局の意志の話に戻りましょう。今回皆さんが行政関係者と会ったというのは、
ただの面会だったのでしょうか。何らかのプロジェクトが動いているのでしょうか。
エローヒン:動いていると思います。それは日本の中央政府ではなく、今回訪問したような日本海
側の地方自治体がイニシアチヴをとっています。
セリコワ:そのことは今回強く感じられました。行く先々で、関係市の市役所の多くの人たちに
会いました。まるで駅伝の襷のように、私たちはある市から次の市へ引き渡され、と
ても面白かったです。私たちだけで食べた昼食や夕食はなく、毎日必ず地元の人たち
が同席してくれました。大変盛りだくさんの日程で、新潟市で同じホテルにて連泊が
あっただけで、あとは毎晩違うホテルへ移動したのでスーツケースを開ける間もあり
ませんでした。少しでも多くのものを見聞きして、帰国後に広く PR してもらいたい
という強い期待を感じました。決して自分たちを見せびらかすという態度ではなく、
東京だけが日本ではない、東京から少し足を延ばせば、訪れる価値のある個性的で豊
かな世界が広がっているんだということを訴えたいということなのです。
エローヒン:関係市の皆様には改めて感謝を申し上げたいと思います。例えば、長岡市で花火職人
である嘉瀬さんとお会いした際には、長岡市長が同席してくださいました。長岡市長
は全国市長会の会長で大変お忙しく、その日は東京で大臣との会議が予定されていた
のですが、私たちを迎えるためにその予定をキャンセルしてくださったそうです。
司
会:25 年前、ハバロフスクで初めて日本の花火を打ち上げてくださった嘉瀬さんと再会
されたのですね。どんなお気持ちでしたか。
エローヒン:うれしかったです。本当に久しぶりでしたので、私と嘉瀬さんは抱き合って涙を流し
ました。あの花火の後も時々お会いしていたのですが、最後に会ってから 12 年が過
ぎていました。現在、嘉瀬さんは 92 歳です。とてもお元気そうで、当時のことも鮮
明に覚えていました。
(思い出話・・・略)あの時の花火には、ロシアに収容されている
間に命を落とした仲間たちの鎮魂の意味もありました。花火で彼は死者に対する義務
を果たしたのです。その後ハワイでも平和の願いを込めて長岡の花火が打ち上げられ
ました。そのような取り組みは、その後各地で見られるようになりました。長岡市は
そう大きな街ではありませんが、花火でよく知られています。そのきっかけになった
出来事の一つが、25 年前にバロフスクで嘉瀬さんの花火が打ち上げられたことです。
(その様子を日本に TV 中継するための苦労話・・・略)
セリコワ:今がスタートの時であると言えます。ハバロフスク地方は、アジア太平洋地域との結
びつきを強めてきています。私たちのテレビ局を例にとっても、日本の NHK、青森
放送などとのパートナーシップがありましたし、日本語講座の番組を放送したことも
ありました。今年は、当局が TV 放送を開始して 55 周年、ラジオ放送を開始して 88
周年を迎えます。
エローヒン:そしてハバロフスク市と新潟市との姉妹都市提携 50 周年を迎えます。
セリコワ:そうですね。私たちジャーナリストは、歴史を大切にしながら新しいものを創り出し
ていかなければなりません。また、今年は終戦 70 周年でもあります。敵同士として
戦ったこともありました。現在、私たちはひどく壊れやすい大切なものとして、平和
の意味を意識しています。私たちはこれを守るために立ち上がらなくてはなりません。
司
会:どうもありがとうございました。
「視点 27」でした。
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