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かたつむりは かたつむりらしく
2012 年度中学校入学式式辞 「かたつむりは かたつむりらしく」 『まばたきの天使 わたしの水野源三』という本の中から、水野源三さんのひとことを 紹介したいと思います。源三さんは、九歳の時脳性小児まひになり、言葉と体の自由を失 い、五十音版に瞬きのみで自分の意志を表現し、四十七歳で亡くなった詩人です。「まばた きの天使」と呼ばれました。 ある日、源三さんの所に、八歳の少年が両親とともにやってきました。源三さんが四十 三歳の時です。少年は、原因不明の病気で、片目を失明し、残された目も失明の日の近い 状況にありました。すべての光を失う直前の少年だったのです。 源三さんは、しっかりと座ることも出来ません。テーブルに顔をななめにつけながら、 少年の目を見つめました。体は 20 キロもありません。少年は、源三さんの障害の重さに戸 惑いながら、持ってきた絵を見せて語り始めました。 「カブトムシ取りに行ったことありますか。 」と少年。 源三さんの弟のお嫁さんで、源三さんが亡くなるまで献身的につくした秋子さんが、源 三さんの顔を覗き込んで、源三さんの意志を伝えます。 「あのね、うんとお山がすきでね、行ったんだって・・」 そんな思い出話の後です。源三さんは、少年に次のような言葉を送ったそうです。 「ほかの人と、くらべないように生きて行ってください。」と。 そして、そののちに出来た源三さんの詩が次のようなものです。 生きる 神さまの 大きな御手の中で かたつむりは かたつむりらしく歩み 蛍草は 蛍草らしく咲き 雨蛙は 雨蛙らしく鳴き 神さまの 大きな御手の中で 私は 私らしく 生きる 自分を他の人と比べてはいけない、自分は自分らしく生きてほしいというのです。 大きな障害を抱えていたから言えたのでしょうか。比べようもない不幸に自分がいた から言えたのでしょうか。 そして、私が今君たちにおくることの意味は何でしょうか。 自分たちはくらべられて生きてきた。先生も比べてきたじゃないですか。今ここに居 るというのは、入学式に出ているということは、比べられてきた結果ではないですか。こ れからも先生たちは、大人たちは、私たちを比べるんじゃないですか。そんな風に君は思 うでしょう。今の自分とあまりにかけ離れたこと言わないでください。そう言われるかも しれません。 しかし、私は、あえて十二歳の春を幸せに迎えた諸君に、瞬きでしか意志を伝えられ ず、20 キロにも満たない体で、テーブルに頭だけ載せて発せられた、源三さんの「他の人 とくらべないように生きて行ってください」という一言と、 「かたつむりはカタツムリらし く歩む」という、この詩を覚えておいてほしいのです。 自分らしく歩むということは、68 歳になろうとするこの老人にもわからぬことです。 説明のつかないことです。しかし、私が私らしく生きて行こうとする姿勢は最後まで大切 にしたいと思うのです。 自分とは何か。他者と異なった。父とも母とも、もちろん友人とも異なった自分とは 何か。その問いは自己を見つめる原点です。自分を見つめることは自分を大切に思うこと の始まりです。 大きく息を吸い込んで、自分らしく、自分を大切に歩み始めてください。 教育という理念が何にもまして持ち続けなければならないのは、一人一人の生徒を大 切にする教育です。学校という場において、私たちは、如何なる時にも誠意と真摯なる姿 勢を保持して、諸君らの教育に携わることを誓います。 諸君に関わる、今という歴史を刻んだ人々の総意をこめて、諸君らに心よりの祝意を。 そして同時に諸君を今ここに至るまで育んでくれた御家族に感謝と敬意を申し上げたい。 おめでとう。そして諸君との出会いに感謝します。 「諸君待ってました。 」 すべてを一度消し去ってください。そこに、真っ白の紙を思い描いてください。私たち は、そのページを君と一緒に開くために待っていたのです。新たなページです。誰にも過 去があります。歴史があります。忘れようとしても忘れられないものもあります。 しかし、出発の時に思うべきは、過去の残滓、燃えカスではありません。真っ白いペー ジであり、真っ青な抜けるような青空です。どこまでも透き通る深い海です。 大きく息を吸いこんで、新たなるはじめの一歩をともに踏み出しましょう。 男たちよ 男らしく カタツムリよ カタツムリらしく 立教新座中学校 校長 渡辺憲司