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明治維新と朝鮮の動向

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明治維新と朝鮮の動向
第8章
二つの大戦と近代世界
明治維新と朝鮮の動向
明治維新
①
日本の開国
1853 年にアメリカのペリーが来航して開国を要求すると、翌年、江戸幕府はアメリ
カと日米和親条約を締結し開国した(1854 年)。その後、さらに日米修好通商条約が結ば
れた(1858 年)。
②
明治維新
討幕運動が激化するなか、江戸幕府は大政奉還を行い、天皇親政の明治政府が成立し
た(1868 年)。
(1) 対外関係
• 日清修好条規を締結して、清と正式な国交を樹立した(1871 年)
• 台湾出兵を行う(1874 年)
• 琉球を沖縄県として領有した(1879 年)
• 樺太・千島交換条約を締結し、千島列島は日本領、樺太はロシア領であると定めた
(1875 年)
(2) 国内政治
自由民権運動が高揚するなか、大日本帝国憲法の発布(1889 年)や国会の開設(1890 年)
などの近代化改革がすすめられた。
1
第 77 講
明治維新と朝鮮の動向
朝鮮の動向
①
朝鮮の開国
こうけいらい(ホンギョンネ
19 世紀の朝鮮王朝では、 洪
景
来 の乱などの反乱が頻発し社会は不安定になっ
た。日本の開国の要求に高宗(位 1863∼1907 年)の父である大院君が鎖国を堅持してい
びん(ミン し
びんひ(ミンビ
たが、 閔 氏(高宗の妃の 閔 妃 の一族)が政権を握ると、江華島事件(1875 年)を機に
不平等条約である日朝修好条規(江華島条約)を締結し(1876 年)、釜山など 3 港の開港を
みとめた。
じん ご
② 壬午軍乱(1882 年)
閔氏一派に対して、大院君派が反乱を起こしたが、清が大院君をとらえて閔氏一派を
支援した(壬午軍乱)。これを機に、閔氏は清と結ぶ保守派の事大党となった。
③ 甲申政変(1884 年)
きんぎょくきん(キムオッキュン
閔氏の事大党に対して、 金
玉
均 ら開化派(独立党)は日本と結んで清からの
自立と近代化をはかろうとし、日本の支援のもとで閔氏政権に対してクーデタを起こし
たが、清の介入で失敗に終わった(甲申政変)。この結果、日清間で天津条約が結ばれ、
両国は朝鮮から撤退した(1885 年)。
④
甲午農民戦争から日清戦争へ
(1) 甲午農民戦争(東学党の乱)(1894 年) さいさいぐ(チェジェウ
崔 済 愚 が、西学(キリスト教)に対抗して創始した新宗教の東学は、民衆の間に広
ぜんほうじゅん(チョンボンジュン
まり、 全
琫
準 を指導者とする甲午農民戦争(東学党の乱)が起こった。
2
第8章
二つの大戦と近代世界
(2) 日清戦争(1894∼95 年) 甲午農民戦争を口実に朝鮮に出兵した日清両国の間で、日清戦争が勃発した。敗北し
ほうこ
た清は、下関条約で朝鮮の独立をみとめ、さらに日本に遼東半島・台湾・澎湖諸島を割
譲した(1895 年)。
(3) 三国干渉(1895 年) 下関条約で日本が遼東半島を獲得すると、ロシアはドイツ・フランスをさそって遼東
半島を清に返還させた。
<日朝修好条規による開港場と下関条約による日本の獲得地> 3
第 77 講
明治維新と朝鮮の動向
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第8章
二つの大戦と近代世界
次の文章を読んで空欄に最も適切な語句を記入し、下線部についてあとの問いに答えよ。
〔立命館大学〕
朝鮮では、1863 年に A に、実権はその父の B が第 26 代国王に即位した。 A が握った。この頃になると、朝鮮の近海に、開国・通商を求め
る欧米列強の船舶が頻繁に出没するようになったが、 B に臨んだ。しかし、 B はまだ幼少であったため
は強硬な鎖国攘夷政策でこれ
は、王朝中央権力の強化をはかるための内政改革を断行したため
に、保守的な在地士族層の批判を受けて退陣に追い込まれた。
これ以降、 A の親政が開始されたが、王朝の実権は A の外戚である C 氏
一族が掌握した。この政権交替を好機とみた日本政府は、〔1〕1875 年に江華島事件をおこ
して朝鮮に開国を強要し、翌 76 年 2 月に日本に有利な条約を締結した。
開国後、 C 氏政権は、欧米の近代的な軍備、技術、制度の導入をはかる漸進的な開化
政策を推進した。例えば、1881 年には別技軍という西洋式の新式軍隊が設置された。〔2〕
この新式軍隊が優遇される一方で、旧式の軍隊が冷遇されると、兵士たちの不満が高まり、
1882 年に漢城で大規模な暴動が発生した。反乱の報に接した日清両国は先を争って出兵し
た。反乱鎮圧後、日本側は賠償金などを獲得し、公使館警備の名目で軍隊の駐屯を認めさせ
た。また、清国側も軍隊を朝鮮に駐屯させ、これを背景に宗主権を強化していった。
このような情勢の中で、近代化政策の推進をめざした開化派は二つの潮流に分かれた。一
つは、伝統的な清との宗属関係を基軸に外交・内政の改革を推進しようとする穏健開化派で
あり、もう一方は、日本との関係を深めて清からの独立をはかり C 氏政権の打倒をめ
ざした急進開化派である。
1884 年にベトナムをめぐる争いである D 戦争がおこると、苦境に立たされた清は、
朝鮮駐屯兵の半数を撤兵するにいたった。これを好機とみた〔3〕金玉均ら急進開化派は、
日本の武力をかりてクーデターを試み、 C 氏政権の要人を殺害して新政権をたてたが、
清軍の介入で失敗に終わった。翌 85 年に日本と清との間で E 条約が締結され、日清
両軍は朝鮮から撤退することになった。急進開化派の失脚によって、日本は朝鮮政府内に介
入の足がかりを失ったのに対して、清側は朝鮮の内政・外交に対する影響力を強めていった。
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第 77 講
〔4〕1894 年になると、朝鮮南部の全羅道地方で F 明治維新と朝鮮の動向
を指導者とする大規模な農民反
乱が起こった。それまで直接的な衝突を避けてきた日清両軍であったが、この民乱を鎮圧す
るために朝鮮に出兵したのをきっかけに遂に日清戦争が勃発した。この戦争に勝利した日本
は、翌 95 年に日清講和条約(下関条約)を結んだ。この条約によって、清側は朝鮮の「自主独
立」を認め、長年にわたる中国と朝鮮の宗属関係は最終的に破棄されたのである。
〔1〕 この条約は江華島条約とも呼ばれるが、正式名称は何というか。
〔2〕 兵士たちを中心に下層民らも加わり、政府の要人や日本公使館などを襲撃したこの
暴動を何というか。
〔3〕 このクーデターを何というか。
〔4〕 この農民反乱の主導者 F は、1860 年ごろに朝鮮で創設された宗教結社の幹部
指導者であったが、この宗教結社の創設者は誰か。
次の文章を読み、下記の問に答えなさい。 〔明治大学〕
19 世紀後半の朝鮮王朝では、哲宗が世継ぎを遺さないまま死去すると、 ① が王位に
迎えられた。当時、 ① がまだ若年であったため、 ② の称号を受けた王の父が実権
を握った。 ② 政権は、思想統制策として、「邪教」「邪説」を斥けて「正学」である朱子学を擁
護する「衛正斥邪」政策を推進し、東学や天主教に厳しい弾圧を加えた。東学は、慶尚道出
身の ③ が創始した宗教である。 ③ は、やがて理想的な「後天開闢」の時代がやっ
てくるので、人々は東学の教徒となって真心を込めて呪文を唱えて霊符を飲めば、天と人は
一体となって現世において神仙となることができると説いた。政府は東学を危険視し、 ③ を逮捕し、異端の罪で処刑した。 6
第8章
二つの大戦と近代世界
その後、 ① の妃・閔妃とその一族は、 ② の失政を攻撃して失脚させ、閔氏一族
は、国王親政の名のもとに実権を握った。 閔氏政権は、成立後まもなく対日外交問題の解決を迫られたが、両国の交渉は行き詰まっ
ていた。そのようななか、日本の軍艦・雲揚号のボートが江華島付近において草芝鎮砲台か
ら砲撃を受けた。日本軍は反撃を開始し、朝鮮側に損害を与えた。日本は朝鮮側の砲撃の責
任を問うという口実のもと、条約の締結を企てた。翌年、閔氏政権は開戦を回避するために ④ に調印した。㋐この条約によって、日本は、公使館・領事館の設置、領事裁判権、
釜山ほか㋑2 港の開港と自由貿易などの権利を取得した。 日本による朝鮮進出は、宗主国である清に危機感を呼び起こした。そこで清の直隷総督兼
北洋大臣である ⑤ が、朝鮮の前領議政の李裕元に欧米諸国との条約締結を勧めた。こ
れは、清が、日露の朝鮮進出によって満州などの地域の安全が脅かされることを避けるため
に、欧米諸国を朝鮮に引き入れ、日露を牽制しようとするためであった。 こうした開化政策への転換に対して、朝鮮国内では多くの紛争が起きた。親日的急進派に
よる㋒甲申政変が失敗した後の朝鮮では、日清の競争的な経済浸透による社会変動が、農民
の強い不満を誘起していた。政府の非力な対応に失望した地方の農民の間には、排外的な東
学の信徒が急増し、「逐洋斥倭」のスローガンが浸透した。 この情勢下に、東学門下の ⑥ が挙兵すると、地方の農民たちがついに決起し、これ
に呼応して数万人の農民軍が編成され、各郡の官衙を襲撃し、奪った穀物を貧しい民に分配
するなどしながら進撃し、その地方の道都をも陥落させた。これを㋓甲午農民戦争(東学党
の乱)という。 問 1 文中の空欄①∼⑥のそれぞれにもっとも適切と思われるものを下記の語群から一つず
つ選び、その記号を答えなさい。
〔語群〕
7
A.純宗
B.済物浦条約
C.崔時亨
D.全琫準
E.李承晩
F.日朝暫定合同条款
G.張作霖
H.金弘集
I.大院君
J.漢城条約
K.景宗
L.金綺秀
M.高宗
N.李東仁
O.袁世凱
P.日朝修好条規
Q.孫文
R.英祖
S.崔済愚
第 77 講
T.全斗煥
U.崔昌益
V.李鴻章
X.李施愛
Y.憲宗 Z.大日本大朝鮮両国盟約
明治維新と朝鮮の動向
W.左宗棠
問 2 文中の下線部㋐∼㋓に関して、次の問(ア)∼(エ)に答えなさい。解答は各問の語群の中
からもっとも適切と思われるものを一つ選び、その記号を答えなさい。
(ア) 下線部㋐について、この条約の日本側の全権は誰か。
〔語群〕
A.伊藤博文
B.大久保利通
C.森山茂
D.花房義質
E.黒田清隆
(イ) 下線部㋑について、釜山の他の「2 港」とは、仁川ともう一つはどこか。
〔語群〕
A.群山
B.元山
C.海州
D.順天
E.江陵
(ウ) 下線部㋒について、このとき急進派の指導者の一人として活躍し、日本に亡命した
のち、上海で暗殺された人物は誰か。
〔語群〕
A.洪英植
B.金允植
C.魚允中
D.金玉均
E.沈舜沢
(エ) 下線部㋓について、この農民反乱は、地方の郡守がその権限を濫用したことに反対
して起きたものである。その地方とはどこか。
〔語群〕
A.黄海道
B.慶尚道
C.全羅道
D.江原道
E.平安道
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第8章
二つの大戦と近代世界
次の文章を読んで、後の各問に答えなさい。 〔東京経済大学〕
朝鮮では 1863 年に高宗が即位したが、その父の大院君が実権をにぎった。この頃、アメ
リカやフランスなど西洋諸国は、鎖国をつづける朝鮮に開国を要求してきたが、大院君はこ
れを拒否し、攘夷につとめた。その後、大院君が王妃閔氏の一族によって摂政から引退させ
られたのち、日本の明治政府も、江戸時代と異なる新しい日朝関係を求めた。これを断られ
た日本は、 a 年に江華島事件をおこし、これを機に朝鮮にせまり、翌年には領事裁判権
などを含む不平等な(ア)日朝修好条規(江華島条約)を認めさせた。朝鮮の宗主権を主張して
いた清は、このような日本の動きを警戒して、朝鮮に西洋諸国への開国をすすめた。これを
受けた朝鮮は、1880 年代には日本以外とも外交関係を築くことになった。
開国後、朝鮮では、日本に接近して急進的な近代化をはかろうとする b 中心の開化
派(独立党)と、清の洋務運動をモデルにして漸進的に改革をすすめようとする c 中心の
保守派(事大党)とが激しく対立した。その結果、(イ)壬午軍乱(1882 年)や甲申政変(1884 年)
など内紛がしばしばおこり、日清間の対立も深まった。このため日清両国は、1885 年に天
津条約を結び、両国軍の撤兵、将来出兵するさいの事前報告義務などを約したが、(ウ)1894
年に甲午農民戦争がおこると、これを鎮圧するために日本と清は朝鮮に出兵して日清戦争と
なった。この戦争で日本が勝利し、翌年の d で日本は清に朝鮮の独立を認めさせた。
問 1 文中の空所 a∼d に入れるのに最も適切なものを、それぞれの①∼④の中から一つず
つ選びなさい。
a. ① 1864
② 1867
③ 1871
④ 1875
② 金玉均
③ 崔済愚
④ 閔氏
② 金玉均
③ 崔済愚
④ 閔氏
② 北京条約
③ 下関条約
④ 日清修好条約
b. ① 丁若鏞
c. ① 丁若鏞
d. ① 南京条約
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第 77 講
明治維新と朝鮮の動向
問 2 下線部(ア)について、この条約によって最初に開港された港として最も適切なものを、
次の①∼④の中から一つ選びなさい。
① 釜山
② 木浦
③ 清津
④ 南浦
問 3 下線部(イ)に関する説明として誤っているものを、次の①∼④の中から一つ選びなさ
い。
① 壬午軍乱は、財政難による給与未払いから軍隊がおこした反乱である。
② 壬午軍乱では、大院君派の軍隊が閔氏一派の重要人物や日本人を殺害し、日本公使
館を焼き打ちした。
③ 甲申政変は、開化派が日本の武力を借りて、閔氏政権を倒そうとした政変である。
④ 甲申政変のさい、清は閔氏一派を援助することによって朝鮮での主導権を高め、日
清戦争勃発まで朝鮮を占領下においた。
問 4 下線部(エ)に関する説明として最も適切なものを、次の①∼④の中から一つ選びなさ
い。
① 甲午農民戦争は、両班層の封建的支配に反発しておこった農民反乱である。
② 甲午農民戦争は、当時西学と呼ばれたキリスト教の信徒を中心としておこった。
③ 甲午農民戦争を契機に勃発した日清戦争では、イギリス・アメリカが日本を、フラ
ンス・ドイツが清を支援して戦争に参加した。
④ 甲午農民戦争を口実とした清軍の介入がさしせまると、反乱農民は日本と結んで、
李氏朝鮮政府を打倒しようとした。
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第8章
二つの大戦と近代世界
次の文の( 1 )∼( 10 )に入れるのに最も適当な語句を下記の語群から選び、その記号
を答えなさい。 〔関西大学〕
19 世紀になると朝鮮王朝の支配が動揺しはじめ、特権階層であった( 1 )に属しながら
もすでに没落していた( 2 )が、不平官僚や窮乏した農民を指導して 1811 年に反乱をおこ
した。この反乱は半年で鎮圧されたが、19 世紀後半になると外圧の問題が国を動かすこと
になる。
朝鮮王朝はながらく鎖国政策をとってきたが、高宗の父で摂政であった( 3 )が 1873 年
せき
に権力の座から退くと、それに代わって政権を掌握したのが外戚の( 4 )氏である。( 4 )
氏は高宗の妃の一族であり、一時期政権を掌握したが、1882 年に現在のソウルでおこった
( 5 )によって、( 6 )と( 7 )という二つの外国勢力の介入を招いて国内は混乱する。
( 6 )に依存して政権の維持をはかったのが保守派の( 8 )である。これに対して
( 7 )と結んで近代化をめざしたのが( 9 )であり、両者の対立が激化した。( 9 )の指
導者である( 10 )は、( 7 )にならって朝鮮の改革をめざしたが失敗し、のちに上海で暗
殺された。
〔語群〕
(ア) 清
(イ) 明
(ウ) 金玉均
(エ) 大院君
(オ) アメリカ
(カ) 壬辰倭乱
(キ) 甲申政変
(ク) 壬午軍乱
(ケ) 事大党
(コ) ドイツ
(サ) ロシア
(シ) フランス
(ソ) 閔
(タ) 李成桂
(ス) 甲午農民戦争 (セ) 東学党
11
(チ) 日本
(ツ) 開化派(独立党) (テ) 丁若鏞
(ト) 劉永福
(ナ) 洪景来
(ニ) オランダ
(ヌ) 全琫準
(ネ) 新法派
(ノ) 両班
(ハ) 李
(ヒ) 骨品
第 78 講
帝国主義の展開(1)
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