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2巻 1号 - 医療法人如月会 若草病院

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2巻 1号 - 医療法人如月会 若草病院
若草内外通信
第2巻第二号
若
草
内
外
通
信
若葉号(復刊1号)
勇気を持って
内のことを外へ,外のことを内へ
そして焦らずに
この病院を変え,世の中を変えていこう
それは自ずと自己変革の道
1988.5.31
発行 若草内外通信編集委員会
宮崎市宮田町 7-37 若草病院内
電話 0985-28-2801
印刷 ひかり出版
*病院内外のどなたでも投稿可。但し採否は編集委員会の判断*
発行日 若葉号 5.31
盛夏号 8.31
紅葉号 11.30
新年号 2.28
原稿締切:発行月の15日まで。緊要なものは18日まで可。
1
若草内外通信
今年は長雨のうちに桜も散り,若葉の季節となりました。県庁前の楠は去年の秋,病人みたい
に元気がなかったのですが,あざやかな若葉に生え変わっています。土をおこしたり,肥料をや
ったりして“治療”したのが成功したのかもしれません。この南国宮崎では縦横に枝を広げた楠
は実にありがたいものです。つい数日前の往診のときは凄い日照りでこの大木の並木に帰ってき
たときの清々しさはそれはそれは有難かったのでした。ワシントニアパームやフェニックスは観
光客相手のみせもの。この楠こそわが県に必要なものです。楠の間のサツキの群れも花期を終わ
りました。雑木林の中の高い枝々の間にわがまま顔で遠慮会釈無く生い茂っているヤマフジも空
色の花びらを土の上に落として短い花の時を終わり,またまた元気のよい繁茂を始めようとして
います。これからアジサイが咲いて,照りつくような陽射しの中に白と薄紫のムクゲが咲いて,
真っ赤なカンナの花の季節となっていくのでしょう。移り変わる季節の始まりのときに第二期の
通信が始まります。
も
く
じ
1.復刊に寄せて
内外通信編集委員会
2.若草病院の経営状況:過去8年間の決算報告より
事務長 立山孝雄
3.手の届く位置を求めて…63.4.25.
家族会発表より
3病棟婦長 黒木 幹子
4.『若草病院デイケア日誌・・・精神障害者を家族の中へ 社会の中へ』の出版に就いて
著者 水野昭夫及び松藤君子
5.「教師の学校内暴力を防止するために」63.3.30
水野昭夫
6.朝日新聞への質問状(・・・登校拒否に関する教育委員会の杜撰な姿勢を見抜けないお粗末な
記事を巡っての)
水野昭夫
7.若草病院のこれからの運営と展望…63.3.16“わかくさまつり”での院長講演の原稿から
8.病院各部所からの連絡版
9.サークル掲示板
10.勉強会報告
2
若草内外通信
1.若草病院内外通信の復刊に寄せて
内外通信編集委員会
私が復刊の呼び掛けをしたのは4月 19 日でした。
『3ヶ月ごとの発刊,紙面拡大,“読みたくなる冊子”を目指す
復刊第一号は5月30日発刊予定
編集スタイルは非民主制で・・・クーデターを何時でも歓迎 』
という少し気負ったビラを配ったのでした。
私達は「私達が病院内外の意見を出し合い,考えを提起する場として」61 年 3 月から2ヶ
月毎に若草内外通信と題する出版を試みてきたのでした。ところが 62 年 10 月の第7号を最
後に姿が現れなくなってしまいました。この原因は,編集責任者を持ち回りにしたところ辺り
にあったように思われます。
これは多分発行責任者(決して編集責任者であったわけではありません)OT堀木氏の
“この通信を皆で作るものにしたい”
という意図からであったのでしょう。しかし,この方法が成功しなかった。という事実は何を
語るのでしょうか。
はっきり言えることは「職員全体がそれだけ成熟した集団ではなかった」ということでしょ
う。単純に文章を書くのが苦手という人が多いのだ。ということもあるでしょう。しかし,
「発刊のあり方」に本当の原因があったようです。
私は職員全体が「こんな冊子は必要としていない」と考えているとは思いません。ただ,発
行責任を持ち回りで持たされることによって「作りたいものを作るのではなくて」「作らされ
ている」という意識を持たされて「厄介なもの」を押し付けられていると感じられ,編集する
ことが疎まれることになったのだろうと判断します。
つまり,私達が“やろう”と考えたほど“どうしてもこの冊子を続けていく必要がある。少
し自分の時間を犠牲にしてでも続けていこう”と情熱している人はそう多くなかったというこ
とでしょう。つまり,
「やってほしいが自分達自らでするには一寸気が重い」
という人達のほうが多くて発刊し続ける勢いをストップさせてしまった。ということでしょ
う。つまり,こういう現状がここに明示されたのだ。と私は思います。
そこで,今私達のするべきことは“回り持ちで発行できるくらいの仕事場作りをするための
冊子を作る”ということを目標にしなければならないのだろうと思います。つまり目標は「冊
子を出し続けていくこと」ではなくて,「やってほしいが自分達でするのは気が重い」という
人達を
“掘り起こし発情させること”
なのです。
3
若草内外通信
その為にはOT堀木氏の発想とは全く逆に,
“固定した少人数で編集していくことが必要な時期なのだ”
と思います。暫くは Dr 中江建夫と Dr 水野昭夫の2人で編集していくことになりそうです。
この期間を『内外通信の第2期』と仮に呼んでおこうと思います。この第2期では定期的に発
行することをモットーとしたいと思っています。発言の無い職場があろうはずがありません。
そんな職場からは新しいものも何も現れてこなくて,やがて仕事場そのものが崩壊してしまう
ことになるでしょう。
さて,この編集スタイルは民主主義でなくて独裁政治に近いといって良いでしょう。歴史が
発展的に封建制から民主制に移行してきたように可能な限り早く民主制に発展して行きたいも
のです。独裁君主的に始めますが,勿論クーデターが起これば喜んで政権の以上を致します。
そういう火花の散るような生き方をしていきたいというのがこの冊子を作る本意なのですか
ら。その時初めて内外通信は第3期へ発展していけることになります。
定期発行をモットーとすると書きましたが,少し読者の層を広げるためにいろいろの企画を
しようと考えています。つまり冊子に目を通したくなるようなサービスをしておこうというわ
けです.これはつまりこの冊子の発刊の目的から言うとちょっと外れた部分になります。まさ
に商業新聞などの火事やら殺人やらの好奇心を煽るだけの痴情記事とか(質の低い読者の多い
新聞ほどその種の活字の大きさが拡大します)テレビやラジオの番組表とか,あるいは赤旗な
どの機関紙のクイズやマンガや芸能関係の案内,野球の記事などの様に,読者に媚びる記事に
近いものです。しかし,この内外通信ではこれらの記事よりは少しだけ仕事上の実益はあるも
のになるでしょう。
例えば,
1.各部所から病院全体,あるいは病院外の人々に知らせたいことのための掲示板のような
利用。例えば,前号に書いたことの報告及び3ヶ月先の予定。
ア Dr から
イ CP 及び CW から
オ 給食から
カ 管理から
ウ OT から
キ 検査室から
エ 看護から
ク 野島から
2.水曜日の勉強会の簡単な報告
原稿を纏める人の負担を軽くするために箇条書き程度にとどめる。
3.その他の講習会,出張研修等の報告
4.不要物の紙上ショッピング(無料)
等です。その他思いつけば何でも取り入れていきます.まず目を通していただくということは
この冊子の成長のための光や水のようなものですから。光と水が備わって初めて植物が炭酸同
化作用を始めていけるように私たちの記事はここで初めて,職場を変え,社会を変えていくた
めの力を持ち始めるのでしょう。暫くの苦難の時期を乗り越えてこの冊子はやがて自分の力で
栄養を引き集め成長していくことが出来るようになるでしょう。
第一期の内外通信では『外』からの通信を受けることができませんでした。これからは積極
4
若草内外通信
的に外に向かっての信号を出していきたいと考えています。
発行は3ヶ月ごとにする予定です。必ず定期的に発行することを“いのち”とします。そこ
で,今から始めて5月,8月,11 月,2月ということになりますが,月末発行ということに
しますと印刷の関係で発行月の20日には印刷室(患者さんたちが主力になって運営している
『ひかり出版』)に原稿が渡されないといけないでしょう。
ワープロで打ってそのままファックスにかけられるようにしておけば患者さんの活字組作業は
入らなくなり,ファックス作業,印刷作業,製本作業,配布作業という4段階だけの作業で済
むことになりますから,さほど無理なくできるでしょう。
ということは,5日以内にワープロで打ち上げることができるとしても,発行月の 15 日まで
には原稿がそろっていないといけないということになります。しかし,どうしても掲載をお願
いしたいという場合,原稿が長くなれば 18 日までは受ける努力をしてみたいと思います。滑
り込みできる余裕がない場合勘弁していただくとして。
そこで通常原稿の締切りを 15 日,特別原稿の場合 18 日ということにします。
編集委員の飛び入りは何時でも歓迎いたします。走りながら考えていきましょう。何時でも
修正できる柔軟性は持っていますので迷い込むことを恐れずに走ります。
書き続けるということは,縄文時代のなんでもない落書きが後世なんらかの役に立つことに
なるように,必ずやどこかで何かの役に立つはずです。内外通信第一期の7号までも,この第
二期に繋がるきっかけになったという意味においても大いに立派な業績を残しているのです。
どうぞ奮って編集,投稿に御参加ください。
編集委員 水野昭夫
中江建夫
63.5.10
5
若草内外通信
2 若草病院の経営状況
若草病院事務長 立山孝雄
当院は,昭和 50 年9月宮崎市広島1丁目に若草医院として職員 10 名で開設しました。昭
和 54 年にホテル跡を購入し全面改装。昭和 55 年2月に現在地に移転して若草病院に生まれ
変わりました。院長が本誌の中で「若草病院のこれからの運営と展望」と題して述べているよ
うに一時期「救急医療のできる施設を備えた病院」をめざしましたが,現在は精神科医療の改
革ということを中核に据えた方針で運営されています。
当院の経営は水野昭夫を開設者とする個人病院です。土地建物は,株式会社健康医療開発が
所有しております。会社の経理内容は次号で紹介することにして,今回は病院の経営状況とし
て過去8年間にさかのぼり,決算報告書に基づいて以下の順序で紹介いたします。
A 経営拡充の動向
B 保険診療基準等の推移
D 患者総数の推移
E 1日平均患者数
C 職員数の推移
F 保険別収入の推移
G 費用の推移
A 経営拡充の動向
54 年 10 月 ホテル跡地を取得して病院施設改装に取り掛かる。
病院敷地:3160 ㎡ 病院建物:地下 1 階付8階 総床面積 7150 ㎡
( 取得費3億5千万円,改装費2億円。これは会社の経費になっています。)
55 年 定床数 164 床に増床する。精神病棟から思春期病棟を分離する。
56 年 心理療法士の増員(2 名) 心理相談所の開設 保育設備の開設
57 年 心理療法士の増員(3 名)
58 年 思春期病棟の改装(個室 6 室を増設) 行軍活動等により大型バスを購入
ケースワーカーの増員(1 名から 2 名に)
59 年 デイケア施設を新設する 高岡町に運動場及び作業場を新設(13648 ㎡)
病院のとなりに中間施設(ミドリ荘)を新設する。
陶芸,木工,手芸設備を新設。
医師1名着任
60 年 作業療法士1名着任,ケースワーカーの増員(2名から3名に)
61 年 基準看護など保険診療基準の推移 医師1名着任
62 年 作業療法士 1 名増員(2名に)
B 保険診療基準の推移
55 年 基準寝具,基準給食の実施
56 年 特一類基準看護の実施
59 年 特一類基準看護の実施,デイケアの実施
60 年 作業療法の実施
6
若草内外通信
C 職員数の推移
医
薬
検
作
心
看
看
看
栄
師
剤
査
業
理
護
護
護
養
師
技
療
療
士
婦
補
士
師
法
法
助
士
士
員
度
ケ�スワ�カ�
年
事
調
営
そ
務
理
繕
の
員
師
技
他
合
計
能
士
55
5(3)
1
1
1
3
27
6
2
1
6
2
1
4
60
56
5(3)
1
1
3
6
41
10
2
1
5
2
2
6
85
57
5(3)
1
2
6
5
51
13
2
1
5
4
2
5
102
58
5(3)
1
2
6
9
56
15
2
2
8
5
2
5
118
59
5(2)
1
2
6
10
54
13
2
2
7
6
2
4
114
60
5(2)
1
2
1
6
10
53
11
2
2
6
6
2
5
112
61
5(2)
3
2
1
5
13
60
13
2
3
7
7
2
6
129
62
5(2)
1
2
2
5
15
60
15
2
3
7
6
2
4
129
( )はパート
61 年の 12 月から野島診療所に看護婦 4 名,炊事 3 名等 9 名が加わっています。
D 患者数の推移
単位:人
年度
入院部門
内科
精神科
外来部門
合計
内科
精神科
総計
合計
55
23,725 11,680 35,405 8,167
4,048 12,215 47,620
56
32,301 20,211 52,512 9,855
5,272 15,127 67,639
57
26,451 31,142 57,593 7,335
7,130 14,465 72,058
58
27,757 31,936 59,693 6,250
9,061 15,311 75,004
59
27,935 33,172 61,107 6,439 10,694 17,133 78,240
60
27,682 32,691 60,373 5,639 10,173 15,812 76,185
61
15,521 45,028 60,549 5,496 10,517 16,013 76,562
62
7,804 53,068 60,872 5,147 10,144 15,291 76,163
7
若草内外通信
E 1日平均患者数
外来診療日数を297日で計算
年 度
入院部門
内 科
精神科
単位:人
外来部門
患者数
内 科
精神科
患者数
人数 占有 人数 占有 合 計 人数 占有 人数 占有 合 計
55
65 67%
32
33%
56
88
62%
55
38%
143
57
72
46%
85
54%
58
76
47%
87
59
77
46%
60
76
61
62
97 27.5
67% 13.6
33%
41.1
33.2
65% 17.7
35%
50.9
157
24.7
51% 24.0
49%
48.7
53%
163
21.0
41% 30.6
59%
51.6
91
54%
168
21.7
38% 36.0
62%
57.7
46%
90
54%
166
18.9
36% 34.3
64%
53.2
43
26%
123
74%
166
18.5
34% 35.4
66%
53.9
21
13%
145
87%
166
17.3
34% 34.2
66%
51.5
F 保険別収入の推移
単位:万円
年度
社会保険診療
決算額
国民保険診療
自由一般診療
合
計
占有率 決算額 占有率 決算額 占有率
55
10,800
52%
8,600
41%
1,500
7%
20,900
56
20,500
54% 15,400
40%
2,300
6%
38,200
57
24,800
55% 18,100
40%
2,100
5%
45,000
58
25,600
53% 20,200
42%
2,400
5%
48,200
59
26,300
49% 25,100
46%
2,900
5%
54,300
60
27,500
46% 29,400
49%
3,200
5%
60,100
61
22,600
35% 39,600
60%
3,400
5%
65,600
62
25,100
39% 35,800
55%
3,700
6%
64,600
8
若草内外通信
G 費用の推移
収比:総収入に対する占有率
年度
投薬品費
人件費
一般管理費
単位:万円
費用合計
決算額 収比 決算額 収比 決算額 収比 決算額
収比
55
1,600
8%
8,000
38% 15,600
74% 25,200 120%
56
2,900
7% 15,800
41% 19,300
50% 38,000
98%
57
2,700
6% 20,300
45% 20,100
45% 43,100
96%
58
2,600
5% 23,400
49% 20,600
43% 46,600
97%
59
2,900
5% 26,600
49% 22,600
42% 52,100
96%
60
3,200
5% 28,100
47% 23,300
39% 54,600
91%
61
3,600
5% 31,700
48% 23,800
36% 59,100
89%
62
3,200
5% 32,600
50% 24,700
38% 60,500
93%
以上です。現在の病院としての借入金は3億3千万円です。年間3千万円の元金返済をしま
すが,ボーナスのたびに借入金を起こしますので,借金はなかなか減らないです。良い給料,
良い病院,そして借金を減らすこと,なかなか難しい綱渡りです。
3 手の届く位置を求めて…63.4.25.
家族会発表より
3病棟婦長 黒木 幹子
3月の中頃に精神医療講座に参加しました。この講座は,公開講座で一般の人たちも自由に
参加できるものでしたが,参加者のほとんどが医療従事者で,まだまだ一般の人には関心の薄
いもののようです。
長野県駒ヶ根病院の松崎婦長さんのお話から始まり,駒ヶ根病院の状況や今まで経験してこ
られたことなど,考えさせられる事柄が多くありました。印象に残ったことなどを思い出しな
がら話をしてみたいと思います。
この病院は全開放の病院です。まずお話は,この病院が開放になったことから始まりまし
た。
昭和30年に建てられ240床のベッドを持ち,看護婦の定数は92人だったそうです。昭
和46年に開放になるまではこの婦長さんも閉鎖病棟で10年間働いたそうです。なぜ開放病
棟になったかといいますと,詳しくは覚えていませんが,先生方がほとんど代わられる事態が
あり,その時に先生方が開放の病院にしないといけないと主張され,いろんな問題があったよ
うですが,結局,先生方の考えに任されて全開放になったそうです。
私たちの病院が,明日にでも全部鍵などない病院になってしまうと考えると戸惑ってしまい
9
若草内外通信
ますが,その時の婦長さんの気持ちがわかるような気がしました。鍵のない病院であればどん
なに良いかわかりません。環境の違いや患者さんの状態などの違いはあるとしても,どのよう
になったのかすごく興味がありました。最初は全開放になっても,患者さんがそとにでようと
しないことに苦労されたそうです。これは少し意外なことでしたが,困られたあげく患者さん
を外へ引っ張り出し,中から鍵をかけられたそうです。すると患者さんたちは芝生に腰を降ろ
したり,ベンチに座ったりで,何もせずにいたそうです。長い間閉じ込められた世界の中で過
ごしてきた患者さん達は,いざ自由になると何をしてよいか解らないで,戸惑っていることを
初めて知らされたそうです。とても悲しいことだと思いました。
また,開放病棟になって初めて気づかれたことは,今までの看護は洗濯がうまくできたと
か,活発になってきたとか,そういうことばかりに捕らわれていて,患者さん一人一人が何を
考え,どのように生きてきたか,また,その中での苦しみはどのようなものだったかという事
を何も知らないでいたという事です。
私たちも反省しなければならない点ですが,松崎氏はそこで「手の届く位置を求めて」とい
う言葉を考えられ,現在まで看護を続けておられるようです。
患者さんにとって一番身近な人はやはり家族で,私たちは常に側にいても他人ですし,看護
者にすぎないのです。けれども患者さんが家族の中で浮いてしまったり,家族との間に溝がで
きたりした時に,その苦しみを打ち明けられるような位置,つまり手の届くような位置にいて
あげられるように努力したいと言われていました。本当に,私達のできることはそれしかない
のだと,それが精神科の看護なのではないかと,私もその時思いました。
その頃受け持ち制を導入して,患者さん一人一人を深く知り,また家族とのつながりという
か,家庭訪問などをされて家族の人たちの苦労などを詳しく知ることによってその患者さんを
より理解していく方向に努力されているようです。その他に小グループを発足された話などを
されましたが,この病院でも行われている活動などとほぼ同じようにやっておられるようで
す。
患者さんと触れ合う中で,大切なのは看護者間の人間関係作りであるという話もされまし
た。
私も以前よりいつも思ってきたことで,特にこの話を聞いて強く感じたことなのですが,看
護者間がうまくいっていないとすごく患者さんに響くんですね。この看護婦さんがイギリスで
行われた精神科看護会議に出席された時のお話ですが,「良い看護婦とは,悪い看護婦とは」
という研究を発表された方がいらしたそうです。アンケートをとった結果,職員の中で本当に
良いと言われている人が,同時に患者さんの中でも良いと言われているという結果が出たらし
いのです。本当にそうなのかという疑問もありますが,なるほどと思う部分もあるわけです。
また,看護者はベテランだから良い看護ができるとは思いませんし,精神科に勤めてみてその
ことがわかったのですが,新米の看護婦さんでも考えさせられる事や教えられる事が沢山あり
ます。つまり,決して技術が優先しているわけではないのです。その人の持っている考え方や
優しさ,思いやりや,やる気などから良い結果も出てくるのではないかと思います。そこで私
10
若草内外通信
も考えたのですが,家族は患者さんの一番身近にいらして一番患者さんが頼りに思っている人
だと思うのです。
やり方がわからないとか,病院で治してもらえるといったような考え方があると思います
が,精神科ではほとんど家族の支えなしでは良くなっていかないのです。私達の力というもの
はそんなにありません。看護は技術ではなく心だと思うのです。「優しさ」や「思いやり」だ
と思うのです。その患者さんの身になって考えてやることだと思うのですよね。それなら家族
の人たちが治療の第一人者で看護婦はその次ということになりますね。
今後私たちもできる限り家族の人たちとのつながりを深め,一緒に治療していく方向に努力
を増していかなければと考えます。
もう一つ考えさせられた話があります。ある時一人の患者さんがグループで雑談をしている
時に「このグループは人生の敗戦者が集まっているんだよ」と言われたそうなのです。長いこ
と入院されていて,病院の生活に甘んじて,淡々と毎日を過ごしているように見える患者さん
の言葉にドキッとさせられたそうなんです。きっと患者さんなりに苦しい戦いが会った末に,
今こうしていられるのかもしれないと・・・・
私もその時,こんな患者さんが沢山おられることを思いました。幼い頃,人間は希望に燃え
ていて夢もたくさん持っていて・・・。それは誰しも同じですよね。それなのに,病気になっ
て自分の人生が病院の中で流れていってしまう人もいるでしょう。入退院の繰り返しやいつま
でも病院との関係を続けなければならない人もいるでしょう。
そんなことを思うと少しでも自分の思ったとおりに生きてほしいと思ったりもします。常
に,患者さんは悩んでいると思うのです。私たちはその患者さん達をどう理解し,どのように
援助していけば良いかを考えていかなければならないのだと思います。それは私達だけでな
く,家族の人たちと共にやっていかなければならないのだと思います。「手のとどく位置」と
いうのはそんな事だろうと考えています。講演を聞いて開放病棟の病院でも閉鎖病棟をもち病
院でも考え方は同じだと思いました。その中で働いている看護者がどのように考えてどのよう
に接しているかだと思いました。
最後に,今日,退院されてデイケアに通ってくる患者さんに声をかけましたら,病院ではあ
まり話もしないような方だったのですが,明るい笑顔で「家はやっぱりいいですね」という言
葉が返ってきました。やはり,家族に見守られながら通院できるようになるのは理想だと思う
のです。これからも家族と病院とで力を合わせていくことで失っていた希望や夢を少しずつで
も患者さんに返してあげられるのではないかと考えます。
11
若草内外通信
4 『若草病院デイケア日誌・・・精神障害者を家族の中へ 社会の中へ』の出版に就いて
著者 水野昭夫及び松藤君子
このたび昨年の8月くらいから準備してきました本が上記の表題で東京の『日本評論社』か
ら出版していただけることになりました。デイケアは「患者さんを可能な限り家族の中で生活
できるようにしようという試み」ですが,58年から松藤婦長を中心に続けてきたデイケアは
いろいろの模索のすえ精神科医療の今後を見渡させてくれるだけの展望を私たちに与えてくれ
ました。
「デイケア及び訪問看護を充実していくことでわが国の精神病院に収容されている精神障害
者のうち80%の人々を解放することができる」というのがこの本の趣旨です。これはつま
り,5軒の病院のうち4軒は解体される,とうことを示します。しかし,デイケアを行う病院
はなるべく患者さんの居住地に近い場所に作られなければなりません。当院の場合延岡あたり
から通っている人もいますが,交通費が大変なのです。
解体される病院(倒産する病院)は民間病院のほうがいいと考えられるでしょうか。しか
し,実際にはそうではないということをこの本の中に書きました。むしろ400床も600床
もという大型の公立病院が解体されていかなくてはなりません。勿論民間病院も100床から
160床以下に抑えられてデイケアで50人から100人くらいみる,というようになること
は最低限必要なことなのですが。
160床を越す病院ではどうしても病院というよりも収容所という印象のほうが強くなって
しまいます。全国の都道府県が400床から600床の大型精神病院を公立病院として持って
います。これは戦前の精神病院法以来の『精神障害者の収容主義の産物』と見てよいでしょ
う。ここから精神科医療の改革の運動が起こらなければならないと思うのですが,全国50ヶ
所くらいある公立病院の中からその声は大きく聞こえては来ません。
それは何故なのか,私は2つのことを想定します。第一はこれらのほとんどの病院が特定の
大学の医学部精神科医局の支配下にあることです。医師たちはここで研究して博士号を取るこ
とであるとか,早めに大学へ帰って助教授,教授のポストを狙うとかいうことに精出すことに
なるのです。こんな中では患者さんは人間として扱われにくいということは御想像していただ
けるでしょう。あと一つは看護者側からも聞こえてこないということです。日本精神科看護協
会などの組織も公立病院の看護者たちに占められていて“ひとえに精神科看護のことを考える
組織”にはなっていないのです。これも「公立病院内における労働者の意識」がガンになって
いるように思えます。つまり今まで,総評であれ同盟であれ優良な企業や公務員などの大きな
力を有する労働組合は「自分達の労働条件」を良くするための運動ばかりをしてきて他の未組
織の労働者に目を向けずに来ました。「自分達の労働条件が良くなれば他も良くなる。」とい
う言い方をよくされてきましたが,実際には『我身よかれ』であったのです。
公立病院と民間病院では大きな労働条件の格差ができています。「こうして獲得した良い労
働条件を壊されたくない,という考えが底流にあるということ」が「公立の精神科の看護者,
12
若草内外通信
あるいはこの人達を中心とした日本精神科看護協会の人達から収容所のような大型の公立病院
を解体していこうという発想が出てこない」ということの大きな原因なのであろう,と判断し
ます。
以上のことを整理しますと,「我が身だけを守ろうとして,今の良い労働条件が“何かをす
ることによって”侵害されることを恐れる,といった労働者の中の貴族階級意識(民間病院に
比べるとうんと貴族的である)」がこの医局講座制下の無気力で患者さんを立身出世のための
研究材料,あるいは踏み台としてしか見れない医師供と結託している,ということなのでしょ
う。つまり,公立病院の中においては患者さんは医師にとっては研究材料であり,看護者達に
とっては自分達の労働条件を提供してくれるおまんまの提供者ということになるわけです。
こういう理由で,公立病院からの精神科医療改革への運動は起こってこないのだ,と思われ
ます。
早ければ6月末。遅くとも7月上旬にはこの本が店頭に並ぶ予定です。写真も入れて少し分
厚い本になりました。字が小さいのがちょっと残念なのですが,なるべく安い定価にする為と
いうことでこういうことになったのです。全国の精神科医療従事者,患者さんを抱えた家族,
その他大勢の人たちに読んでいただき精神科医療の改革に邁進していきたいと考えています。
どうぞ御期待,応援下さい。
63.5.6
5 教師の学校内暴力を防止するために・・・宮崎小学校での事件の体験から
職員会を活発にすること,PTAを正常化すること
63.3.30
若草病院院長 水野 昭夫
(1) はじめに
私は昭和50年ごろより登校拒否,非行,家庭内暴力などの子供達の治療,研究を続けてい
ます。そして,この度,私自身の子供(4人の子供の中の3番目で3男)の担任教師がクラス全
員の生徒の前で同級生の一人を殴ったり引き摺ったりしたあげく約1週間の入院治療をしなけ
ればならないような傷害を与える,という事件に出くわす事になりました。まさに事件の中の
父兄として内部から「教師の学級内暴力」の実態を体験することができました.
この体験の中で私が感じた一番大きなことは,“学校の中に教育者の生きた組織体としての
活気がない”ということでした。管理者である校長にすべてが任せ切られているようで,校長
は全部を見渡す余裕がないために“結果でしか物事を考えない”ことになってしまう。そし
て,手続き上は『手落ちがなかったのだ』ということを整えるだけの作業に追われてしまって
いるようです.
13
若草内外通信
このことを表裏一体のこととして,一般の教師の相互批判のなさ,職員会議の無気力,教師
の独自性のなさ等をあげることができるでしょう。先輩教師に相談もできない教師が自己の作
った殻の中だけで解決していこうとして自己閉塞に陥ってしまい,教育への余裕を失っている
のです。多分,そのために短絡的に暴力的,威圧的指導に頼ることになってしまっているので
しょう。
この事件に関してのクラス懇談会の中で,校長及び教頭との話し合いの中で,そして,その
周りのいろんな動きの流れの中で体験し観察したことを整理して同じような事件の再発を防止
する方法を考察してみたいと思います。これは決してこの宮崎小学校だけの問題ではなくて今
の学校全体の状況を反映するもののように思われますので。
ここの校長は「今後こんなことのないように襟を正してやっていきたいと思います。」との
べ,宮崎市の教育委員会も「厳しく学校を指導していく」と述べていますが,どうやらこの人
達の言葉は実行力を失っているようです。教育者の相互の関係をもっと非管理的なものに持っ
ていき一人一人がもっとのびのび各自の独自性を発揮することができるようにしなければなら
ないのだろう,と思われます。
昨年末,鹿児島県の救護院では7人の職員が中学生の非行少年を殴打して死亡させていま
す。ここでは非行の指導に関しての知識の乏しい人たちばかりが職員として集められていたよ
うです。新聞によるとこの7人の職員達は検察の追及を受けているようですが,「他にも暴力
を加えた職員がいる。しかし,すべてを検挙するとこの機能が麻痺するので」と検察側は述べ
ているそうです。
私の知る限りではここ宮崎の救護院「宮崎学園」においても非行少年の治療にあたる専門家
が配置されているわけではなく,非行少年の指導に関しては全くの素人の職員が県の一般職の
職員異動の中で回されてきているのです。心理療法士のただの一人配置されているわけではあ
りません。
まさに鹿児島と全く同じ状況がここでもそのままなのです。つまり,鹿児島での事件と同じ
ような事件はいつでもここ宮崎であっておかしくない状況なのです。この状況をここ宮崎の教
育委員会は早速改善する必要があるでしょうが,その動きを私達は今のところ知りません。
つまり,行政的なレベルでは今の教育界の荒廃は救えないところまできている,と言ってよ
さそうです。子供達は,大人の社会を映す鏡のようなものです。教育界の荒廃を正すことはこ
の社会の歪みを改善していくための一番有効な手段となることでしょう。
(2) 昭和 63.2.3 の宮崎小学校での傷害事件,学校側のこの事件への対応,
及びその周辺の事実とその間の考察
事実をまず列記しながら簡単な考察を加えておきましょう。
①
昭和 63 年 2 月 3 日,K教師は担任クラスのA少年を殴打して 1 週間の入院を要する傷
害を与えた。63 年 3 月 8 日現在なお,痛みを訴え足を引き摺っている。
14
若草内外通信
K 教師は「事件の詳細はA君の父親と自分の間の問題だから皆様にはお伝えしません。」
と言って話してくれませんでしたので子供達などの話などを纏めてみると,殴打するに至
る経過は以下のごとくである。
少年Bが教室の中で鼻血を出しているのを見て一人の生徒が「A君がした」と言うのを
そのまま鵜呑みにしたらしい。B君は日ごろから消極的でよく学校を休む子で,K教師は
同級生のC君に家に寄って登校するように誘ってくれ,と頼んでいたらしくて,これはず
っと継続されていたらしい。鼻血を出していたのがその問題のB君であったということも
K教師を短絡的な行動に走らせたのかもしれないが,体育館にいたA君を見つけると本人
に弁明するチャンスも与えずに殴っている。そして首根っこを掴んで引き摺るようにして
クラスに連れて来てクラスの生徒の前で殴る蹴るの暴力をなす。生徒達は掃除中であちこ
ちに散っていたらしいが,部屋にいた数名を廊下のほうに出るように指示して殴ったらし
い。教室と廊下を境する壁の向こう側で何が行われているか子供達には容易に想像ができ
た。
② K教師はそのあとで「鼻血はB君自身が豆撒きの豆を拾おうとして机にぶつかって出た
ものだ」という事実を確認してA君及びクラス全員に謝った,と言っている。そしてお詫
びの手紙を父親に渡すように持たせた,とK教師は言っている。しかし,「この事件の状
況を見ていた 40 人前後の子供達に大変なことをしてしまった」という気持ちは表されて
いないのである。
この事実は
『事実確認もせずに,B君に対して教育者的に対応することも抜きにして,感情的に殴
ってしまったということは実にお粗末なことであるのだが』
もし事実であったとしても
『殴ることはいけないこと,という認識がなかった』
ということを示していると思われる。
『A君が本当にB君に鼻血を出させたのであれば“体罰は当然である”“そのことは父兄
も希望している”と考えていた』ものと判断される。
③ この事件がクラスの父兄に明らかになったのは,ようやく 3 月 5 日前後である。つまり
これは次のような事実を語ってくれる。
a 子供達は学校であった子の恐るべき事件を父兄に伝えていない。
この事実の周辺には次のようなことが考えられる。
ア) 頻繁に暴力がこの教室で使われ
イ)この暴力教師に抑圧されていた。クラス内で
起こったことを家の人に言うと先生からまた仕返しを受ける,と恐れていた。
ウ) 父兄自身が子供から聞いても「このことを先生に抗議しても聞いてくれるような先
生ではないし,かえって子供達が苛められるようなことになってしまうようだから,
あと暫くのこと我慢させておこう。」として行動を起こさなかった。その為に「親に
言っても何もしてくれないし」という気持ちが子供達の中にあったのかもしれない。
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若草内外通信
エ) 苛めにあっても誰にも言わずに一人で我慢する,という子は多い。子供達も自己閉
塞の中に置かれている。これは子供自身の家族関係の病理を推測させる。
b K教師も父兄に対してここに至るまでお詫びをしていない。
この事はこの教師が「感情的に生徒を殴打し続けるのをクラスの生徒に見せつけるこ
とでいかに子供達の心を傷つけ,人間への信頼感を失わせ,怯えた人間にしてしまって
いるか」ということにまったく気づいていない人間である,ということを示している。
この事は②の事実を補強する。
④ クラスの父兄がこの事件を知るに至ったのはK教師が日曜日も返上して熱を入れてい
るサッカー少年団の父兄を通してであった。
⑤
父兄懇談会が 63 年 3 月 7 日に教室でもたれた。この席でK教師は以下のようなことを
述べている。
ア) 「大変なことになったので親しくしているサッカー少年団の父兄に『どう対処したら
よいか』相談したのです。」
「大変なこと」というのは“A君の父親が学校に抗議したこと”であったらしい。
イ) 「今まで何回か暴力を使ってきましたが,こんなに大変なことになったことはありま
せんでした。今まではどんな結果になってもそれは自分の責任で受けとめればいいと思
っていました。しかし,校長にも迷惑をかけるし,父兄の方々にも御心配をかける。こ
んなに大変なこととは知りませんでした。今後はもう絶対に暴力は使いません。」K教
師は暴力を使うことで子供の教育上大変な誤りをしているからではなくて「A君のお父
さんから抗議を受け,大騒ぎになったから」「もう暴力は使わない」と言うのである。
そうであるから,相談する相手が同僚の教師ではなくてサッカー少年団の父兄,とい
うことになったのであろう。
K教師の自己閉塞状況の中でサッカー少年団は唯一の自己の開放の場だったのであろ
う。右翼の集団が一つのファミリィを作りたがるように少年団の父兄はまさに同僚教師
に勝る相談相手だったのであろう。
⑥ 管理者である校長は
「この教師の暴力に対してはそのつど注意してきた」と言う。過去から頻回の暴力を起
こし,生徒達はこの教師のことを「キチガイ教師」「サッカー少年団だけを可愛がるエ
コヒイキ教師」と言って恐れ,忌み嫌っており,この教師が威圧的で暴力を背景にした
教師であることは生徒や父兄をはじめ学校の関係者すべてに周知のことであった。昨年も
大きな傷害を残す暴力事件を起こしているのであるが,事件があったことは知っている
が,事件の詳細を校長は調べていない,と言う。これでは「そのつど注意してきた」とい
う校長の言葉が効果無かったのも当然のことと思われる。
暴力(体罰)がたいへんな教育上の犯罪行為なのだ,という認識があれば『その動機』
『状況』『その事の与えた被害者の被害程度及び他の子供達の反応』『その後の対処の仕
方』くらいは記録に残すのが当然の仕事である。
16
若草内外通信
“これらが無かった”ということはこの問題が“お座なりにされていた”ということを
明白に物語るのではなかろうか。
⑦
「異常な暴力を振るい生徒達を怯えさせている教師を『自分達の先生』と呼ばせ続ける
ことは子供達への冒涜ではないか」
「自宅謹慎を命じることが絶対に必要だ」と筆者が
要求することに対して校長は,
「K先生も十分反省していますのでそれだけは・・・・。先生も未だ若いし,これから
が在られる方ですし・・・。それに卒業式まではこのまま勤務を続けていただくことが生
徒達のためにもいいと思います。」
「教育委員会に全てはお任せしてありますし,私に決定権は在りません。」と言う。この
ことを私が「教育委員会に自宅謹慎を命ずる判断を下させるような報告書を何故書かない
のですか」と質問していることを判っていて言う,ということは明らかに“物事を本音で
語ろうとする誠実さ”の無い人間である,と判定していいだろう。
いわば,校長の目は子供達の方に向いていない。管理者として抜かりのない管理をす
る。ということにのみ目が向いていて『教育の為に管理がある』ということを忘れてしま
ってその場しのぎの自己弁護の道をなりふり構わず捜していると判断してよいだろう。
⑧
この事件のために職員会が開かれたのは 63 年 2 月 22 日(月曜)だという。A君のお父さ
んが学校を訪問したのは 2 月 5 日。その抗議が強くなっていってやむなく職員貝に掛け
た,という印象である。
つまり,ここでも『暴力が教室で使われること』がテーマではなくて抗議へどう答える
かがテーマだったのであろう。
職員会でこの問題を話し合い,意見を戦わせることは,この学校の教育的空気を活性化
するのに大いに役立ったはずである。ところがこの管理者の中には事を大きくせずに校長
と当の加害者と被害者の間で片付け,「自分の管理ミスではなかったのだ」ということで
お終にしたいという欲動しか見当たらない。その為に職員会に掛けて公にするなんて持っ
ての他ということであったのだろう。
“そんな形で今までが来ていたのだ”と思われる。
⑨ 大体,職員会は職員の側からもその機能を完全に失っているようである。職員が一つの
教育の在り方を巡って意見を戦わせるというようなことはなくなってしまっているようで
ある。職員会はまるで,校長の単なる伝達機関に成り下がってしまっているようである。
63 年 3 月 9 日(水)同校の校長室で校長と教頭を相手に話し合った。これは前日の 3 月 8
日(火)に提出した「この事件に関する校長と職員会宛ての質問状」に対する返答をいただ
くということが目的であった。ところが校長は
「職員貝へはこの質問状を読み上げはしましたが,渡してはいません。」と言う。
17
若草内外通信
「職員会へ渡しても無意味ですよ。答えは私と同じですから。」と言う。
まさにこの言葉は「朕は国家なり」ということで“校長は職員会を無視している”とい
うことを示している。
⑩ 同席した教頭も
「職員会では教育方針をめぐって批判したり討議したりしあうという雰囲気は正直言っ
て無くなっている。」
「K教師の教育態度をめぐって職員会で討議するなどということは一回もなかった」と
述べている。
⑪ 「じゃ,隣の教室で暴力事件があっても生徒達が震え上がっていても『私達は知らない
よ』と言って見て見ぬ振りをする先生ばかりだ,ということですね。それはまた,6年
3組(K教師のクラス)の生徒の恐るべき事を親にも話さないと言うこととそっくりで
すね。」
と私が述べると校長も教頭もただ「そうですね」と沈黙している。
⑫ 「職員会で発言が少ないというのはどうしてでしょうね。」とい筆者の質問に
「発言を禁止するとか,自由な発言はさせない,とかいうようなことはしていないの
ですが…」との答え。
この答えも「私達の子供は学校で起こったことを家に帰っても私たちに話せなかったん
ですよ。(それほど先生は私達の子供を小さく縮み上がらせているのですよ。)」という
激しい父兄の抗議に対して答えたK教師の
「私は子供に『親に言ってくれるな』とは言っていません」と即座に返ってきた返答と
そっくりそのまま同じである。
“なぜ発言できないような状況が出来上がってしまったのか”ということへの認識が欠
如している。
⑬ 日教組の執行委員だと名乗る人から63年3月8日(火)の朝に電話
「実はK先生は仲間なんですが,会って話してみてくれませんか」と言う。多分これ
は,事を穏便に進めて貰えまいか,という依頼だったのであろう。面談して話し合う目
的を問い質しても明確でないので先に述べた「校長及び職員会への質問状作成で忙し
い」との理由で会わないことにしたが,この日の夕方この質問状を渡すために校長室を
訪問してみるとK教師と当の日教組の執行委員の3人でなにやら話している。筆者は電
話もせずに訪れたのであったが何故かこの3人は照れくさそう。この執行委員氏も私の
質問状に目を通していただいたのであるが,この場では適切なコメントはない。そして
今日 63 年 3 月 30 日現在何も連絡はない。
18
若草内外通信
⑭ 63.3.10 の新聞によると,教育委員会は「暴力事件を二度と起こさないように指導を
強化する」と述べている。しかし,この火の報道の日まで,いかなる行動も起こしては
いない。
校長の教育委員会への報告が十分でなかったのか,教育委員会の暴力事件への認識が
深くないのかどちらかであろう。
少なくとも「新聞」が書くという事態が起こるまで教育委員会はなんの行動も起こし
ていない,という事実が厳然と在るのであるから。
⑮ PTAが学校運営のための従属物に成り下がっている。丁度職員会と校長の関係と同じ
である。「相互が意見を交わし議論をしあい,お互いの誤りを訂正しあう」という相互の
調整の能力を失っている。
それは勿論私達父兄がPTAを役員任せにしてしまった責任である。しかし,それを
「これ幸いとばかりに利用してきた学校側の権威的お役所的姿勢の責任」も大きい。学校
はPTAを育てることをしなくて「腐らした」と言える。
⑯ K教師はサッカー少年団の指導者として一部の父兄からは尊敬されていた。市内リーグ
で優勝することができて,ますますこの教師のリーダーシップは頼もしく思われていたよ
うである。事件が明らかとなり,新聞で報道され,K教師が自宅謹慎という事態になる
と,これらの父兄が中心となって嘆願運動を起こし始めたという事実は実に特筆されるべ
きことである。
「釈明する時間も与えられずにひどい殴打を受けたA君の心」
「自分達の倍もある体格の先生が自分達のクラスメイトを感情的に殴り続けるのを目の前
に見せ付けられ,しかも当のその教師を『私達の先生』と呼ばせられ続ける子供達の心」
それらが“サッカー少年団が優勝することができたのだ”“その力はこの先生のおかげ
だったのだ”というだけのことで償われ忘れ去られるなんて,なんと悲しい人たちか。ち
ょうどそれは「御国のために死んでいけ」という発想と同じである。あるいは薄汚い右翼
のデモ隊の中の獣のような顔とダブッて見えてくる。これらの人達は“自己の生存のため
に他の人の苦しみに目を閉じようとする卑怯な集団”なのだと思うが一握りとは言えそう
いう人達がおり,学校管理者は事を大きくしないためにこの人達を利用しようとしていた
節がある。
⑰ 「クラス担任が父兄と夜の街で飲む」という行為はこの宮崎小に限らず頻繁であるらし
い。職員会の中で発言しない先生,PTAの中で発言できない父兄がアルコールの力を借
りて“たむろする姿”はそれほどに「一人一人が狭い個人の殻の中に閉じ込められて自己
閉塞させられている」という事実を示しているのであろう。つまり,“息詰まる閉塞状況
の中”からアルコールの力を借りて一時の脱出を試みているのであろう。しかし,そんな
19
若草内外通信
もので解消はされないから暴力とか性的逸脱の中に堕落して行くことになってしまう。
(3) 学級内暴力が生まれる過程の考察
まず「学級内暴力はその暴力の結果で語られてはならない。」ということを明確にした上
で,現在の学校の状況と暴力が生まれる過程を考えてみましょう。
刑事事件では,その結果で罪の重さが測られます。暴力を使っても怪我だけですんだか,
殺してしまったかによって罪の重さは全然異なることになります。
ところが例えば「一週間の傷害」か「死亡」かということは単に偶然の結果でしかないので
す。
布団のうえでひっくり返して死ぬ人もいますし,ビルの屋上から落ちて運良く植え込みの
中に落ちたりして助かる人もいるのです。するとビルの屋上から突き落としてしまった人は
無罪で,布団の上でひっくり返してしまった人は有罪ということだってあるのです。
しかし,教師の使う学級内暴力は『それそのもの』が大変なことなのです。
考えないといけないことは,“いつでも暴力は殺してしまうかもしれない危険”をもって
いるということです。そして,その事は暴力を受ける側にとっては“殺されるかもしれない
恐怖心”をいつも引き起こすのだ,ということです。子供を教育していく教師が「その教室
の中で感情的な暴力を使うことによって子供たちの中に恐怖心を植え付けているというこ
と」はまさにそれだけで教育者としての大きな犯罪なのです。
いかに暴力を受けた子供の傷害が小さかろうが,クラスメイトが殴られるのを見せつけら
れた子供達の心の中に強い暴力への恐怖心が作られていきます。そして威圧的に臨む教師へ
服従させられる心ばかりが強化されていくこととなり,それに対して抵抗できない自分の無
力さへの惨めな思いを繰り返されることになるのです。それを克服して克己心の強い子にな
っていく子も中にはいるでしょうが,多分それはごく希な選ばれた子供でしょう。大方の子
供は押し潰され,「自発性のない,命令でしか動けない子供達」になってしまいます。そし
てまた,特に弱い子供達の場合,将来の登校拒否,非行,性格傷害などの遠因となっていく
でしょう。
一つのことに従わせる,という効果は『威圧的』に臨むほど効果的でしょう。軍隊や警察
国家の中ではもっぱらこの手段が使われます。しかし『威圧的に臨む』ほど“一人の独立し
た社会人として自発的に判断して,自発的に行動する能力を育てる”芽を殺ぐことになるの
です。まさに軍隊や警察国家の中ではこんな能力があっては困るのですが,私達は私達の子
供を命令に従うだけの人間にしてくれなんて教師に頼んではいないのです。
勉強させること,スポーツさせること,犯罪をおこさせぬこと等の教育のために暴力的,
威圧的に臨むことは決して今の教育界で珍しいことではないようです。成績順位を廊下に張
り出して競争心を煽るというやり方も,スパルタ識のスポーツ指導も,悪いことをしたとき
の罰則も多くの学校で広く見られるようです。しかし,多くの先生が「こんな侭でいいのだ
ろうか」「もっといいやり方があるのではなかろうか」という疑問を持ちながら教壇に立っ
ておられるのではないか,と思うのです。ところがどうも学校現場においてはその事を相談
20
若草内外通信
しあい,討議しあうという雰囲気がないようです。(⑨⑫で述べたように)しかし,教師は
判らないからといってそこに止まることはできずに,生徒に「勉強するように仕向けないと
いけない」「スポーツさせないといけない」「暴力はいけない,と教えないといけない」。
そこで一人一人の教師は自分だけで行詰ってこと無かれ主義に陥るか,K教師のようにドグ
マ的な世界の中で冷静な目を失ってしまう事になるのではないでしょうか。そこで教育委員
会では『初任者研修』なるものをしよう,ということになるようですが,そんな小手先のこ
とで解決できるものではなさそうです。
では,なぜこういうことになるのでしょうか。
“教育という行為そのものが権威的なものである”とも言えるでしょう。権威の無い先生
なんて全然人を指導する事なんてできないでしょう。まさに大人が子供を教育していくわけ
ですから教育はまさに一段だけ上の教壇に立って(上から下を見下ろして)進められている
のです。しかし,必ずやその権威は打ち破られなければならないのです。古い世界で育てら
れた私達の中に“打ち破られなければならない誤り”を必ず宿しているからです。そこで
“子供の側から跳ね返ってくるものに注意を払う”“子供の側の息遣いに聞き耳を立ててみ
る”という教壇から時々降りてみる姿勢をなくしては決して子供達と心を結ぶ事はできない
のです。つまり大人からのメッセージも伝えることができない事になるのです。
この姿勢は「子供から学ぶ姿勢」と言ってもいいし,「子供たちの中に育ってくるものを
待つ余裕」と言ってもいいでしょう。
しかし多くの先生がその余裕をもてない状況におかされているように思えます。
勿論それは先生達だけに限って言われる事ではありません。
新聞記者などでもそうかもしれません。新聞社の経営優先主義から記者達の人数はずいぶ
んと少なくなっています。その為に「ともかくも紙面を埋める」という行為に追われてしま
って社会現象の現場の中まで入っていく余裕ができない,その為に県庁や市役所の記者クラ
ブ発表,警察の記者クラブ発表,あとは毒にも薬にもならない手頃な記事ばかりで埋められ
る,ということになります。
市や県の職員だってそうで,お巡りさんだってそうで,お百姓さんだって政治家だってそ
うなのかもしれません。
それは多分にこの時代の中の窮屈さなのでしょう。自然科学の発達で私達の物質文明は高
度に開発されました。社会科学の発達は曲がりなりにも社会の改革を果たし,幾度かの戦争
で挫折しながらも民主主義は世界中に拡大し,悲惨な政治的抑圧の中の民衆を解放してきま
した。
衣食住が良くなり,より広い地域を歩き回る事ができるようになり,多くの伝染病を克服
し,今やガンさえ治療できるようになろうとしています。ところが,そういう高度の文明化
社会を維持し,発展させていこうとすればするほど,その社会は高度に管理されていく結果
になってきたのです。
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若草内外通信
誰もが「こんな生き方は窮屈だ」「どうにかしなければ」と思いつつも無力のままいつも
『時代の責任』にして,
「今や管理社会の行き詰まりの窒息状況の中にあるのだ」
「俺の責任じゃないよ」
とうそぶいて,ニヒルなスタイルを取って自己の周りだけで生きていて,
『今この社会に生きている上でしなければいけないことの責任から逃げてしまう』
という狡く汚い世渡り術がまさに流行しているように思われます。
そうやって“自分のことだけ考えている”わけだから人に相談できないのです。だから
「隣の教室の事を議論するなんてもってのほか」と考えてしまう事になるのでしょう。
そうした同じような論法で,先生も生徒も父兄もスムーズに言葉が通わなくなってしまっ
たのがこの宮崎小学校をはじめとした多くの学校の現状なのだと判断してよいのでしょう。
「自己の責任から逃げ回っている」ということは自分が一番よく知っていますから逃げ回
る人間は警察に追われた犯罪者のごとく必死です。ですから「子供から学ぶ」とか「子供の
中に育ってくるものを待つ」とか,そんな悠長な事など言っておれないのです。そこで,言
わば自暴自棄の感情的な行為に至ることになるのでしょう。そして威圧が,むちゃくちゃな
犯罪的な暴力が,始まるのでしょう。
以上が暴力が生まれる過程の私の考察です。この仮説を検証するために前項に挙げた事実
を整理してみましょう。
①②のことからK教師の行動が「K教師自身の感情統制ができずに引き起こされたもので
ある」ということは明らかでしょう。そしてその事実を「自分で訂正しなければならない欠
点である」とは思っていないということが③④⑤等から明らかです。
③のa「子供達が事件の事実を父兄に伝えていない」ということを考えてみましょう。こ
れは「子供と両親との関係の中に問題があるのではないか」という疑問があるでしょう。多
分この仮設も考慮されなければなりません。40家族前後の子供達が殆どだれも家族に事件
の事実を伝えていなかったのですが,この事は恐るべき事だと思います。
親子が話し合う時間が少なくなっている。ということだけではなさそうです。これほどの
恐ろしいことであれば時間を探して話されていいはずです。どうもこれは子供達自身が変化
している,と考えたほうがよさそうです。
それは勿論親が子供を変化させる原因を作っているという事です。言わばこの子供達の親
もこの管理された社会の窮屈さという病毒に多かれ少なかれ毒されていると言っていいでし
ょう。つまりこちら親の側も子供達から学校でのことを聞き出せなかった。という事実がこ
の事を示してくれています。
⑮で記したようにまさに私達自身がPTAの役員選挙においてすら真剣ではなかったので
す。子供達の教育ということを「学校という組織」「PTAという組織」に任せてしまうこ
22
若草内外通信
とで自分の都合の中に逃げていたのだと思います。そういう生き方が習い性になってしまっ
た私達は知らず知らずのうちに子供達を「伝えない子」にしてしまっていたのだろうと思い
ます。
⑥で記したように私達はこの教師が常習的に暴力を使う先生である事は知っていたので
す。その事を管理者である校長が「そのつど呼んで注意するだけ」に任せてしまっていたの
です。
「そんな事を個人的に先生に持っていったり,PTAに出したりするのはK教師との間がま
ずいことになってしまうから」
「ちゃんと校長が管理するという組織があるのだから,その組織に任せればいい」
といった具合に自分達の感情を公にすることをせずにきていたのです。つまり,私達自身が
管理主義の毒にここまで侵食されている,ということを示しています。実に狡いことですが
自分達が手を下して汚れる事を避ける方法として管理主義は悪用されていく事になるので
す。そうして私達自身が生き生きとした感情を子供たちに向かって発揮することができなく
なってしまうのです。
それは⑦⑧⑨⑩⑪⑫に記したように教師たちの間で同じ状況であったのです。
私達は決して自分で意識できるほど私達自身をコントロールしてはいません。意識の積み
重ねで生きれるほど知的な有機体ではなくて,むしろ幾ら意識的に排除しようとしても排除
仕切れない面のほうを余計にもっていて「時代の空気の汚染を自分だけ受けずに生きるこ
と」は不可能な事なのです。
教育という営みは時代を一番写しやすいのでしょう。一つの世代が次の世代へ何かを伝え
ようという行為が教育であることを思えばこの事は当然のことなのでしょう。白紙のような
子供の心に私達は伝えたいことをワープロに打ち込んでいくときのように叩き込んでいこう
とする。ところがこの子供達の心はまるで吸い取り紙のように私たちの中の伝えたくない汚
い部分までぐいぐいと吸収してしまうのです。この子供たちにもっと目を注ぐと丁度「鏡で
自分の顔を見ることができるように」今まで気付かないで来た自分の中の嫌悪すべき面を覗
く事ができるのです。
昭和 30 年代から「教育の反動化」ということが言われてきました。アメリカ軍に押し付
けられた民主主義からの反動という意味で日本教職員組合の側から言われた言葉なのでしょ
うが,「教育の管理統制の進行」ということと同一語と考えていいでしょう。経済の高度成
長の中で優れた工業技術者を育てていくこと,及び従順な労働者を大量育成することは国家
としての急務でした。その要請の下で教育の管理統制が進められていったのです。教育委員
の公選制廃止,勤務評定の実施,教科書検定の統制強化,主任制等まさに国家の管理統制の
象徴が教育の世界にあったのだと言っていいでしょう。
管理統制を進める作業を執行していこうというシステムとそれに対して抵抗しようとする
23
若草内外通信
サブシステムとの間に抗争が起こるのは当然のことです。執行システムは教育委員会,執行
サブシステムは職員会を中心として纏まるべき教師達なのですが,この人達の大多数は日教
組という組織を作って教育委員会側と対決して昭和 50 年代の後半まで団結していましたの
で日教組と呼んでおくことに致しましょう。
この教育界という“一つのシステム”を構成する執行システムと執行サブシステムとは昭
和 30 年代から 50 年代に掛けて実に熾烈な戦いを続けてきました。ストライキが頻発し
て,PTAが日教組の職員を「アカ」と呼んで攻撃し,日教組の教師の乗った車をひっくり
かえすなどの事件も頻発していました。この対立のありかたは少しも改善されず,新規採用
とか,人事異動などに際して「この人物は敵か味方か」といった感覚で進められるていたら
くで,その対立は深刻化していきました。
実はこの2者対決という構図こそ“今の教育界の荒廃を作った元凶”と私は判断します。
日教組は今や崩壊していると言ってもよいでしょう。しかしまた同じく,教育委員会の造り
あげた教育状況も先に述べたように既に「お手上げ」と言っていいでしょう。完全な管理機
構が出来上がり校長は絶対君主のように命令を下す事の出来る位置に座れたのに,一人一人
の教師は教育の事を相互の教師間で話題にする事も出来ないくらいに孤立しており,職員会
は機能せず,この学校という機構を有効に動かす事ができないのです。
なんとまあ,マンガチックな悲劇でしょうか。
実はこの状況は非行や登校拒否を生む家族の構図にそっくりなのです。私が先に執行シス
テム,執行サブシステムと呼んだものは実は「家族精神療法」の言葉です。普通の家族の中
では父母が執行システム,子供達が執行サブシステムということになります。この2つのシ
ステムの間には必ず争いがあります。争いのないシステムは成長しない,変化のないシステ
ムであり,このようにこのように2つのシステムに分化していない,と考えてよいでしょ
う。ただ健康的な争いと不健康な争いとがあるのです。健康な争いをして成長して行くシス
テムではこの2つのシステムの間の境界線は弱すぎてもいけませんが『適度の疎通性』を持
っていなければいけません。例えば,私はこの前の項で“子供の側から跳ね返ってくるもの
に注意を払う”“子供の側の息遣いに聞き耳を立ててみる”という姿勢と述べましたが,教
師がこの姿勢を持っているクラスの中の教師と生徒という2つのシステムの境界は健康であ
る,ということができるのです。ところが非行や登校拒否を生む家族の中ではこの『境界の
疎通性』は相当に悪いのです。
この境界幕は執行システム側からとサブシステム側の双方から作られていきます。どちら
が先というのは鶏と卵のようなものですが,要するに作用が在って反作用が生まれるように
一方が一方によって作られていくのだと考えていただけばいいでしょう。「よかれ」と思っ
て掛けた言葉が相手には「皮肉」に聞こえてしまい,反発で返ってくると相手を悪いほうに
悪いほうにと考えて言葉なんか掛けてやるものか,という気持ちになってしまう,と言った
ような形の悪循環が始まります。こうして不健康なシステムではこの幕がますます厚くなっ
24
若草内外通信
て,やがてこのシステムは機能しなくなっていくのです。そしてこの家族の中で会話は沸き
上がる力を持てなくなってしまいます。
まさに発信しなくなった先生達,学校での事を親に伝えなくなってしまった生徒達の事態
と一緒でしょう。校長は「私は先生たちに発言しないようにと頼んだ覚えはありません」担
任教師は「私は生徒達に親に言ってくれるな,といった覚えはありません。」とそっくりそ
のまま同じメロディーを繰り返したのでしたが,非行や登校拒否を生む家庭の親も「なるべ
く子供と会話するように心掛けているのですが,子供達のほうから話を避けているのです
よ」と言うのです。
この段階に至りシステムは「そのままではあり続ける事のできない事態となり」解体して
行くこと,或いは新しいシステムに生まれ変わることが求められ始めることになるのです。
この「そのままではあり続ける事のできない事態」というのが家族で言えば『子供が非行
に走る』であり『登校拒否をおこす』といった症状なのです。
学校ではこれが『教師が暴力をおこす』であり,『教師たちの無気力』である,と考えて
よいでしょう。
20年以上に亘る教育委員会と日教組の対立は全く生産性のない闘争,お互いに理解でき
る部分を積み上げていくという努力のない闘争であったと言うことができるでしょう。お互
いに違う部分を見つけて非難しあうことだけに精力を使ってしまって“教育を語る”という
ところからは程遠いところへ飛んでしまってお互いを疲弊させてしまったと言えるでしょ
う。この過程はまったく上記の親子関係と同じことなのです。
いまや形骸だけ残している日教組執行委員氏の⑬のごとき振舞いはまさにこの両者の腐敗
の深さを物語るものと思われます。まさに「敵か」「身内か」で事が進められているのです
から。
(4) 教師の学級内暴力を防止するための具体的な方法
校長はこの日常的に暴力を行使していた教師に対して「日頃からそのつど注意していた」
「今回の事態に対しては教育委員会の裁断に従う」と述べているのですが,今まで述べてき
たことからその辺りには防止する力がないことがお判りでしょう。管理主義から言うと「暴
力を使った先生は即刻懲戒免職ということにすればいい」ということになるでしょう。しか
し,そんな管理主義の強化だけでは今度は“無気力なことなかれ主義の先生”しか残らない
ことになってしまうでしょう。
一番大切なことは「職員会の活性化」であろうと思います。「暴力がいかに悪いことか」
ということを話し合えるようにすることです。お互いの教育の理念を巡って校内で起こった
具体的な事象をもとに議論し討論することができるようにすることです。しかし,このこと
は言葉でいうほど簡単には実現していかないでしょう。
ちょうどそれは登校拒否の子供を抱えた家族に「家庭で会話を持つようにして下さい。」
と言っているのと同じ事なのですが,その事が簡単に実行に移せるようであればそこまで進
25
若草内外通信
行しないうちに自力で改善することができたはずなのです。いわば一方的に悪循環の輪を回
りながら症状を作ってしまった家族の治療は少しずつその輪を反対方向へ,つまり改善の方
向へ辿り直さなければならないのです。私達は登校拒否を家族精神療法と言う手段で治すの
ですが,まずこの子供達は始めのうちその家族精神療法のための面接の場にさえ出掛けて来
てくれません。一寸長くなりますが,登校拒否の治療の順序を箇条書きにしてみましょう。
①
家族に対して子供に干渉しない(学校になぜ行かないのか,寝てばかりでは身体に悪
いよとかの言葉を掛けない)ということを指示する。
②
「子供の症状は子供だけに責任があるのではない。あなたたちがそこへ追い込んだの
かもしれない」という仮説を呈して夫婦の治療を始める。
(始めのうちは抵抗を示す。もし私達のせいであればどうして兄のほうはあんなに優
秀なんでしょうか,といった具合に。しかし,家族面接を続けていくうちに必ず夫婦間
の何等かの問題が明らかにされるようになる。夫婦の悩みは子供の問題ばかりに向いて
いたのに,少しずつ自分達の問題のほうに焦点が移行されていく)
③
子供は親の自分を見る目や態度が変わっていくのに気付く。(今までは『この困った
子』という目付きだったものが,こんな思いをさせてしまって悪かった,という目付き
に変わる)そこでこの子供は親を憎み遠ざける作業をしないで済むようになり,その分
だけ“自分の問題を考える余裕”をもてるようになっていく。
④ そして自分も家族精神療法に参加してみたいといい始める。
⑤
今まで言うのが怖くて言えなかったこと,言っても無駄だと思っていて言わなかった
ことが言えるようになる。
⑥
お互いが誤解したまま,我慢し心のうちに閉じ込め鬱々としていた多々不満などが解
決され,伸び伸びと発言し合う家族関係が再生されていく。
これらにいろいろの具体的なことが付け加えられていくのですが,④まで持ってこられる
と,もう成功といってよいでしょう。
この登校拒否の治療の進め方を下敷きにして考えてみると
① 職員会での決定を重視する。校長が職員会の進行に干渉しない。
② 厳密な管理統制は軍隊や警察では効果的であるが,教育という仕事の中ではむしろ非
効果的である。個人個人の自主性が必要なので,今までの画一的な管理の在り方を改め
る。教育委員会も公選制に戻す。校長だけを教育委員会の任命制にして教頭以下の役職
は廃止して職員会の機能を拡大する。
③ 教師たちも,学校外の日教組などの組織よりも現に自分の属する学校の中での問題を
大切にしていこう,と考え始める。特に教育問題を政治問題に摩り替えてしまっていた
間違いを正す。教育の場は完全な中立の場でなければならない。もちろん教師は政治的
活動を自由にして良いが,それは学校の中に持ち込まれてはならない。という至極当然
の認識が一般化されてくる。
④ そこで職員室の中での発言が始まっていく。
26
若草内外通信
ここまでくると自ずと⑤⑥の状況は生まれてくるでしょう。
あと一つは,PTAを職員会と同じく活性化することでしょう。教育は学校に任せきりに
する,というのではなくてお互いに発言し合い協力し合っていかなければならないでしょ
う。
今までのように,学校に利用されるものではなく,お互いに教育の在り方を議論して要求
を突きつけることができるようなものにしなければなりません。この事を子供達の前に見せ
ることは“子供達をも活発にし,自分の心を私達の前に開いて見せてくれるようにする”の
に役立つはずです。
学校を教師だけに任せるのではなくて家族もその運営に参加する,というのがPTAの本
来の目的であったはずです。それが学校への協力機関になってしまったのは多分これも学校
の管理統制の流れの中の一貫であったのでしょう。
PTAの活性化と職員会の活性化は,おそらく同時に進展していかなければ実を結ばない
でしょう。
(5) おわりに
長い文章に付き合ってくださってありがとうございました。この文章は,子供達の置かれ
たみじめな状況を可能な限り早く解決しなければならないという気持ちで書きました。
よく読んでくだされば判るかと思いますが,K教師一人,校長一人,宮崎小職員会だけを
攻撃するものでは決してありません。くどくなるのを恐れずに言わせていただけば,K教師
の悲劇もA君の一ヶ月間に亘る痛みも『この学校状況を作った私達皆の責任』なのです。こ
の事実を決して忘れないことが,この人達への私達の償いというものでしょう。
そう簡単に変えることができるとは思いませんが,教育の世界を改革していくことは,私
達自身と私達の世界を変えていくことなのです。手を取り合ってこの世界の改革に向けて進
んでいきましょう。
『子供は正に私達を写す鏡』なのです。
先に述べたように,社会の管理統制はますます進行していかざるを得ないでしょう。地球
の資源には限界があり,人口は増加し,人々の生活は贅沢になっていくのですから。
しかし,もっと人間的な管理のあり方を巡って話し合いが進められていかなければならな
いのでしょう。多分,高度経済成長の慌しさの中で,私達はその余裕が持てなかったのだと
思われます。今こそ心の豊かさに向かって知恵が絞られなければなりません。教育という分
野はそのための体力を作る運動場のようなものでしょう。
※ これは宮崎市内の小中学校の校長並びに職員会議,及び教育委員会に配付しました。
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若草内外通信
6 新聞記事作成上の責任に関しての朝日新聞宮崎支局長宛ての質問状
「登校拒否児に自由学校制」の記事に関して
昭和 63 年 2 月 21 日投函
私は2月 18 日の貴誌(22)面「登校拒否児に自由学校制」を見て怒りが込み上げてきまし
た。
怒りの方向は2つ。
一つは
a 宮崎市教育委員会の登校拒否に関する認識のいい加減さ
あと一つは
b 新聞記事制作者の節度のない市教委への馴れ合いの姿勢
です。
まず(a)のことから整理しておきましょう。このことはこの質問状と直接には係わりな
いのですが,まず報道されたことの事実を整理しておくことが必要だからです。
記事によると,
①
昨年8月から生徒指導主事等が戸別に家庭訪問などを繰り返してきた。しかし,復
学にこぎつけるケースは殆ど無かった。そこで,これ等の子供達の心を何とか開かせ
ようと市民会館の一室を借りて「自由学校」を設け,17日からスタートした。
② 午後1:30~午後4:30まで開放する。
③
堅い規則は設けず,私服で通っても良いし,勉強してもしなくても良い。指導主事
等7人が大淀川べりを散歩したり釣りをしたり,ドライブしたりして話し合いの時間
を設けながら「学校や友人間の悩みなどを打ち明ける場にして」「心を開かせ」復学
の手助けをする。
④ 勉強の遅れを取り戻すのに学習指導もする。
⑤ 進級・卒業への単位認定に関しては,これから検討する。
⑥ 市教委の教育長の弁「何等かの援助をしなければ,と自由学校を思いついた」
⑦
スタッフは指導主事のみ(で心理療法士などの治療の専門家は入っていない…こう
記事にされているのではなくて書いていないのでそうなのであろうと推測するのみで
あるが)
などのことごとが報道されています。全て良さそうな事に聞こえるかもしれません。しか
し,
実は登校拒否がどんなものかということを少しでも知っている人々にはとんでもない認識の
浅さと誰の心にも怒りが込み上げてくるでしょう。
まず,市教委の教育長たる立場の人が,「思い付きでした」ということを公然と発される
勇気を誉めたたえておきましょう。このこと自体が登校拒否の問題を学校教育の重責にある
ものが真剣に捉えていない,ということを歴然と示しているわけです。
「制服で通わないといけないから登校できないのかもしれない」
28
若草内外通信
「勉強を意識させられ続けるから行けないのかもしれない」
と発想するのであれば,その問題をその生徒の登校している学校の問題として考えるのでなけ
ればなりません。それを「自由学校」という特別な温室のような保護学校を作ったからといっ
て,それが子供たちにとって教育的に意味のあるものになるはずがありません。
「この自由学校では勉強もしなくていいし,私服でもいい,ドライブにもいけるよ」なんて呼
び屋のように呼び掛けてみてもこの子供達は
“そんな子供騙し”
には決して乗らないでしょう。
多分「卒業や進級のための単位を与える」という褒美を付け加えたにしても駄目でしょう。
それには『登校しないこと』を恥だと思っている親が飛び付くだけのことで,さらに親子の関
係を悪いものにしてしまうだけのことでしょう。
言わばこの学校は,只,登校しない子に困った市教委が「登校させること」だけを考えて思
いついただけの事にすぎないといっていいでしょう。ここでは言わば「児童」「生徒」達がな
ぜ学校にこないのか,という考慮は成されていなくて言わば子供達は蔑視されている,としか
言い様がありません。
この子達が「学校に来ないということで先生や親を始めとした大人たちに投げ掛けているメ
ッセージ」には注意が払われずに,まるで幼稚園生でも相手にしないであろうような餌をぶら
下げていて「自由学校」という聞こえのよい名前はつけているものの,正に彼らが行きたくな
い「学校」に寸分違わぬものを指差して「いらっしゃい」と言っているだけなのですから。
これ以上の子供蔑視はないと言っていいでしょう。
私達は登校拒否や家庭内暴力,非行等の子供をここ 12 年ばかりみつづけてきて,この子供
達の訴えているものは学校の小手先のことで解決できるようなものではないと考えています。
「勉強」であれ「魚釣り」であれ「ドライブ」であれ,彼等は集団の中に入っていくことがで
きないのです。
私達はこの子供達を「思春期自己確立葛藤症」と呼んでいますが,「大人になるのにまよっ
ている子供達」と呼んでもいいでしょう。
父母の援助を振り払って,自分の力で独り立ちできるようになるには,先ずは同年齢集団と
裸で渡り合わなくてはなりません。言わば,自己を確立して行く上で,この“何が待ち伏せて
いるか判らない原野”に飛び込むか,“暖かい安全な家の中”に止まるか,葛藤することにな
るのです。
「登校拒否や家庭内暴力のように自己の中(家庭の中)に閉じ篭るか」
「非行として反社会的な行動に出るか」
はその子供の基本パーソナリティー及び家族の対社会的パターンによるものですが,子供の精
神発育を阻害する一番大きなものは家族関係,なかんずく父母の関係です。父母の信頼関係の
隙間風は幾ら演技して子供に悟られないようにしようと気を使っても防ぐことは出来ないので
す。
29
若草内外通信
言わば子供の心は生まれたときから父母の醸し出す家庭の風の中で育まれてくるのですか
ら,「ちょっとした講演」や「警察に呼び付けられたり」「校長室に呼びつけての指導」で
“改善”されるような代物ではないのです。
まして教育指導主事という肩書きの教育の経験を積んだ“小父さま”達では歯は立たないこ
とでしょう。
言わば,学校に行かなくなった子供達は親に対して“あいつ”とか“伯母さん”とか“ばば
あ”とか“親のうちの一方の方”などと言いながら,
『こんなままの僕の心では,とうてい人中に出ていって対等に太刀打ちすることは出来ない
よ』
『どうにかしてよ』
『責任をとってよ。こんな僕にしたのはあなた達なんだよ』と言っているのです。
私達はいろんな形で心理療法を試みてきましたが,今この子供達への治療の手段として一番
有効な心理療法は家族精神療法だと考えています。
この考えは思春期葛藤症の症状は決して
「学校や社会が悪いから」
ではなくて家庭の中に何等かの問題があるからであって,この子供が家族の中の問題を一人で
背負って立っているのだ,と考えます。そして,“家族皆で考えて解決していこう”という方
法をとる治療法です。
「この子供一人の問題だ」と言って家族の中から「困った子供」と見られていた立場から「父
母の問題だ」ということが明らかになってきて,少しでも変化が現れてくるとこの子供は随分
と楽になってきます。
家族の関係はそう簡単に改善されるものではありません。
父母が「自分達の問題だったのだ」と気付くのにはかなりの時間がかかるのですが,
「少しでも家族が変われば,そのことは子供達の心をかなり大きく変えることが出来る」
ということが判りました。
私達は 59 年に出版した『思春期病棟』の中で「親は簡単には変わらないのだから家族と子
供を暫く切り離して治療しようと考える」と書きましたが,家族精神療法を始めた今,このこ
とを少し訂正しておきます。この治療法を始めた今,入院させずに治療が進むケースがかなり
増えていますし,入院せざるを得ないケースでも入院期間が大いに短縮されています。
私達はこの特殊な心理療法を施した上で,普通の学校に復帰させる,と言う手段を取らない
と本当の意味での解決はないと考えています。
つまり,この子供達の症状はこの子供達だけを相手にしても決してよくならない。むしろそ
うすることはこの子供達をさらに悪い所へ追い込んでいく危険があると言ってよいでしょう。
まあ,暫くやってみられると先ずはこの子供達はやっては来ない,ということが判ってくる
30
若草内外通信
でしょう。そういう意味ではこの子供達は「自分が有害と見ることからはうまく避ける」とい
う感覚と技術はたっぷり持ち合わせていますから。
ついで,今日の質問の本題(b)の問題に移りましょう。
新聞記者は専門家ではありませんから,決して私が(a)の中で述べたような事実を知らなか
ったからと言って責められるわけには行かないでしょう。教育の専門家達ですら驚くべき認識
状況なのですから。
しかし,当然のことですが,知識があればある程度良い記事が書けるということです。そし
て,ここではっきり言っておきますが,
「良い記事を書かない,いい加減な記事を書く,ということは読者に対して罪を成したことに
なる」
のですよ。
多分その為に新聞のチェック機構が有るのでしょう。この記事の場合,ほんの少しの知識さ
えあれば少しくらいの疑問は出てきて良かったはずです。
西部本社にまで上がった記事なのにそこまで「取材した記者への記事を補足すべき指導」が
なくて,このまま無着先生のコメントだけで記事を飾った姿勢はまるで
「お役所のすること」への批判精神
が無くて馴れ合いの記事に思われます。これではまるでお役所の回覧版でしかありません。
私は昨年4月「三股町長の逮捕事件の報道」に関して質問状を提出しました。支局長は川原
君と一緒に出掛けてきて下さいましたが,私は納得のいく回答はいただけなかったのでした。
ただ「今後の姿勢を見ましょう」と言うことで終わったのでしたが,まったくこの事件と軌
は一つのように思われます。
この事件も検察庁発表を鵜呑みにした報道でした。
あの時は,検察庁発表が事実か否かを捜査する能力は新聞には無いのだから「三股町長に掛
けた報道陣としての責任を問われても困る」
との回答をいただいたのでした。私は,
“検察庁のミスがなぜ起こったのかを,その後追いかけて報道する義務”が
『あのような報道を流した結果になったことで三股町長に与えた精神的被害を償う』
意味で,報道陣にはある,と考えて質問したのでした。
ところが,その後も検察庁の杜撰極まり無き裁判の経緯を追及する姿勢をあなた方新聞人は
見せてくれませんでした。
私には「体制を支配するものには逆らうまい」という新聞人にあるまじき姿勢がはびこってい
るように思えてなりません。今日質問している記事も,同じような脈絡の中で書かれたもののよ
うに思われます。
31
若草内外通信
そこで再び下記のような質問を求めることに致しました。
質
問
1
お役所のする仕事を余りに無批判に記事にした,と思いませんか。
2
この記事が,登校拒否の子供達,及びその家族,真剣に取り組んでいる先生や治療者等の
人々に失望を持って迎えられた,という事実があるか否かを取材してみる気持ちはないので
すか。
もしその気があればなるべく早いうちにお詫びのための登校拒否に関する連載記事を書く
3
必要がありますが,一緒にしてみませんか。
それもできないようであれば,なるべく早いうちに転職する準備をした方がいいでしょ
4
う。広報係りかスーパーの宣伝書きのほうで我慢していただけませんか。
以上。
なるべく早く文書で御回答ください。
明治以降日本国政府と共に成長してきた大新聞の名誉のために!
※ 63.5.20 現在まだ返事はありません。これが黙殺すべき質問状か,否か御判断下さい。
7 若草祭り(63 年3月 16 日)の院長講演から
『若草病院のこれからの運営と展望』
これは原稿に少し加筆したものです。原稿通りには行きませんでしたし,実際喋った内容と
は幾らか違いますので御諒承ください。
(1)
はじめに
先ずは『若草祭り』おめでとうございます。昭和 55 年の 2 月にこのホテルの跡を改造し
て広島通りから移転してきたのでした。この年の 3 月に第 1 回の『若草祭り』が行われたの
でした。
そのときは今だ2階までしか出来上がっていなくて,確か今の1階の厨房の横の食堂が主
な舞台で催されたのではなかったか,と記憶しています。雛祭りにかこつけて始められたの
でしたが,その後紆余曲折を経てこんな形に発展してきました。
企画の旨い年もあり,しょうもない年もありでしたが,今年はこうして初めて講演会を開
こうということになったようです。今 63 年ですから 9 回目の『若草祭り』でこの記念すべ
き講演会の講師を引き受けることになりました。少しこの祭りにふさわしく,華やかな話し
ができるといいがなあ,と思っていますが,一方的に僕が喋るのではなくていつでも質問や
疑問や反論を投げ掛けていただきながら進めていくような話し合いみたいな講演会というこ
32
若草内外通信
とで進めて行きたいと思っていますので,どうぞ僕のほうから質問するときには,
“はきはきとちゃんと”答えていただいて,楽しい講演会に出来るように是非ご協力くださ
い。
僕のほうには全く相談もなく「演題」も「時間」も勝手に決められてしまったのですが,
30 分では多分足りないでしょう。しかし,一番皆様が知りたいことでしょうし,もし希望
があれば,後の日にでも延長戦をすることにする,ぐらいのつもりで余り時間に制約されず
にやってみたいと考えています。
(2)
これまでのこと
ここの院長はいろいろと気が変わり易くて病院がどんな方向に進んでいくのか良くわから
ない。将来が不安である。だから,今日こうして講演会に院長を引き出して先ず確認してお
こう。というのがこの講演会の企画者の意図ではなかったのか,と考えています。
実は,まさに僕自身がはっきりとした最終的な目標を持って進んできてはいませんでし
た。あるいは,決して皆様のご協力がなければどんな目標でも旨く進んでいけるわけはあり
ませんので,今日この時間に少しばかりでも“これからの目標”を明確にできれば「また幸
いかな」と考えています。
したいことが一杯有って,あれもしたいこれもしたいという感じで進んできました。
「したいこと」と表現してきましたが,僕はむしろ「すべき事」と「できる事」との間で
進んできたような気がします。
記憶していただいておられる方もあるかもしれませんが,大体このホテルの跡を改造して
病院を作り始めるときが救急医療ができるようにしよう,というふれこみでした。しかし,
医師を集めてそうしようと,いう段階で医師会病院ができて,そうする必要がなくなってき
ました。
広島通りで 19 床の診療所をしていて夜間に急患から起こされる度に,
「救急医療ができるようにすることは急務だ」
「今しなければならないことだ」と考えると
「よしそうしよう」と考えてしまっていたのです。
僕は 50 年にこの広島通りで 19 床の若草病院を始めたわけですが,この翌年から機関紙
「若草」という小冊子を出しています。この中でこの病院を開いたのは「必要もないのに閉
鎖病院の中に閉じ込められて,ただ薬だけを飲まされ,来る日も来る日も同じような日々を
おくらされている精神障害の患者さんを解放することを目指すのだ」と書いています。
救急の患者さんを見ていたのは決してこの事を忘れていたからではないのです。
町中で開業していると,そして
「どこの病院も居留守を使って夜中に起きてくれない」
といって泣きついてこられると少しはないか疾患を診る技術を持った医師としては診療しな
33
若草内外通信
いわけにはいかない。すると,
「あそこは夜中でも診療してもらえる」
という評判を取って段々夜間の患者が増えて救急車もしょっちゅう来るようになる, とい
うことになったのです。
僕も生身の人間ですから,毎晩毎晩起こされるとひどく疲れて時には
「今晩は助けてくれ」
と叫びたくなるような日も度々というようになってしまいました。
すると心ない患者は
「なーんだ,いつでも診てくれると言ったのに,看板に偽りありだ」
と言って怒られる,というようなことも出るようになってしまいました。
そこで,病院を大きくして医師の数を増やせば,この問題から解放されるのではないか,
と考えるに至ったのです。
いわば精神科医療の改革を始めようとしていた僕の力はそちらのほうに随分ととられてし
まいそうになっていたのです。
ところがそこへ医師会病院ができることになった。そこで僕は最初からの計画に専念する
ことができるようになったのだと思います。
(3)
それから
「精神障害者を営利主義の病院から解放する」ということを大きな目標にして進んできた
のでした。
ここでも丁度不足している救急医療に囚われてしまったように,今まで精神科医療の中で
不足していて,誰も手掛けようとしないものに追われていたように思います。
それは思春期病棟の子供達であり,痴呆老人病棟の老人達でした。これらの病院では保険
医療で規定された人員以上の治療者が必要なのです。
一般の精神科病棟でも早期の退院を目指し,薬物をなるべく使わず,可能な限り解放病棟
でやっていくことを目指していました。そのためには医師や看護婦,心理療法士,作業療法
士,ケースワーカーなどの治療者の数が多ければ多いだけよいということになるのです。
つまりよい医療をやっていくためにはかなりの人件費がかかる,ということなのですが,
それでもやってこられたのは職員の皆様が安い賃金で我慢していただいたという事の御蔭で
す。
すると
「じゃあ,これから賃金がずいぶんあげてもらえるんだな」
と思われた方が在られると思いますが,実はそういうわけにも直ぐというわけにはいかない
のです。一寸まあ苦しい言い方にはなりますが,まあ,今年は 5 千円から 1 万円は上げるこ
とになりましたが,それ以上は無理なのです。
34
若草内外通信
誰でもいい生活を送りたいと思うから給料は多ければ多いほどいいわけです。しかし,い
い医療をしていこうと思えば治療者の数が余計必要である,ということははっきりしている
わけですよね。そして医療費としての収入は殆どが保険で規定されていますから国家によっ
て決められているわけです。
「これだけの費用の範囲でやりなさい」
という具合に,ところがその範囲ではとうてい出来ないのです。その医療費は今年も実質的
には 1%も上がりません。
入浴だって毎日出来るようにしたい,御飯も温かくて美味しいものにしたい,運動場もな
るべく近いところにほしい,そして職員の給料もうんと上げさせていただきたい,いろいろ
の欲求があるわけです。しかし,全てにお金が制約をかけて来るわけですね。
(4)
大きな目標とさし当りの目標
精神科の医療の改革のためにモデルになるような理想的な病院を作るということが大きな
目標ですが,それはとうてい僕の目の黒いうちに完成させることは出来ないでしょう。そこ
で,いずれこの目標を誰かに引き継いでもらわなければならなくなるのですが,これを僕自
身の私的なものにする考えは全く無くて『精神科医療研究所』なる機関を作ってこの研究所
の運営にする,そして精神科の医療改革のために志を一つにする者はだれでもさんかできる
ようなものにしていきたいと考えています。
しかし,そこまでもっていくのにはもっと基盤の整備が必要でしょう。
そこで“当面の目標”ということにようやく話が入ることになります。
今大雑把に当院およびその周辺の概観を述べると,
ア 宮崎市宮田町 7-37 の若草病院が 164床
一般の精神科
痴呆性老人病棟
思春期病棟の一部
青年期病棟(境界域性格障害など)
イ 宮崎市内海の野島診療所が19床
思春期病棟
青年期あるいは一般精神科の社会復帰段階
ウ 高岡の運動場および作業場
エ 訪問介護とデイケアー
宮崎市内が中心であるが,田野,佐土原あたりまで足を伸ばしている。
オ 社会復帰施設
ミドリ荘
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若草内外通信
一般の精神科の中に10人近くの精神薄弱者が含まれています。この人達は本来であれば
精神薄弱者の施設の中で処遇されてよい人たちです。ところが今の精神薄弱者の施設の量
的,質的不足からやむなく当院に長期の入院となっています。こういう人達は近い将来適切
な施設が整備され次第退院させることができるでしょう。
その他の入院患者さん達については今後とも大きな変化はないことでしょう。
ただ,エで訪問看護とデイケアーと書きましたが,この二つのシステムを充実させていく
ことで入院患者をうんと減らすことは出来るでしょう。
痴呆老人にしても訪問看護と老人デイケアーを充実することで,在宅で診ていくことが出
来る御老人を増やすことができるようになるかもしれません。
僕は今まで『理想的な病院を作っていくこと』と考えたとき『理想的な入院のための病
院』と考えてしまっていましたが,今やなるべく入院させずに在宅で診ていく病院が良い病
院なのだと考えるようになりました。
そこで今後増設していく病院は老人性痴呆のための病院だけとなりそうです。勿論この老
人達にも在宅で診ていく努力はしますが,短時日にしろ入院させなければ対処の仕様のない
時期というのは必ずあるし,今後この老人達は増えていき,その老人達を看護する家族側の
力は乏しくなっていくことは確実だからです。
そのために今県のほうに痴呆性老人のための病院の新設を申請して交渉中です。場所は内
海の野島のほうになる予定です。
※ 患者さん達からのいろいろの意見が出されました。貴重なものも多かったのですが,こ
こでは割愛します。
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若草内外通信
8 病院各部所からの連絡版
① 1病棟
「ねむのき通信4号」が出ました。看護婦達のおむつとの格闘など目を通して下さい。
② 2病棟
この病棟まで痴呆老人で占めることになってしまいました。何人かの女性精神患者が混在
しています。早く整理されなければなりません。
③ 3病棟
保護室のクーラーは効くけど職員の詰所のクーラーは効き目がない。
長期閉鎖病棟内生活者へのOT活動への取組を検討中
④ 青年期混合病棟
思春期病棟が野島へ移転して神経症を中心とした男女の混合病棟に生まれ変わりました。
広い閉鎖空間はありませんので,長期の閉鎖病棟が必要な場合,ほかの病棟に依頼すること
になりますがよろしく。
⑤ 野島から
思春期病棟として登校拒否,非行の子供達を中心にみていきます。社会復帰段階の一般患
者さんも現在6~7人おりますが,今後ともこの前後の数は引き受けていくことになりそう
です。経営上は超赤字なのだそうです。今年中には黒字にと思っていますが…駄目なら魚を
釣って食べれるようになろうと近くの磯で時間を見付けては釣糸を垂らしています。潮が引
いた後の鬼の洗濯岩の間にはイセエビやらサザエやらが昼寝をしていますよ。ニワトリが
20 羽,犬が3匹。田んぼが 1 枚。あとテニスコートとバレーコートがあります。周りの海
山にはトンビやイソシギなどの野鳥が飛び交っています。非番のおりは遊びにお出掛け下さ
い。どうぞ,私達をお忘れなく。
⑥ デイケアから
5.11 現在の患者さんは 26 名です。男子 14,女子 12。患者さんは増えているのに,看護
婦の常勤者が一人になっててんてこ舞いです。お手伝いに木村さん,OTaの柏木さんが加
わってくれています。早く看護婦さんやーい。
⑦ 作業療法
a OT 堀木から
これからのおもな病院外レクレーション予定
6月上旬
サツマイモの植付け
6月 16 日
都城新生病院とのソフトボール親善試合
7月7日
(七夕)
7月8日前後
白浜で海水浴
7月 29 日前後
川遊び
8月 12 日
盆踊り大会
8月 13~15 日
(盆休み)
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若草内外通信
8月 26 日前後
プール
普段のレクは高岡か平和ヶ丘でしていますが,特別に上記の場所を予定しています。何
回か都城行きを試みましたが,毎回のように雨で流されてきました。今度こそ天気に邪魔
されずにソフトボール試合を戦ってきたいと思います。遅くとも一週間前には弁当の申し
込みをして下さい。
梅雨も近づき,日も高くなってきています。レクレーションで屋外に出る時は,帽子や
日傘を持参するように患者さんに促すことも忘れたくないことです。夏が近づくと水分も
欲しくなります。特に日に照らされたり,スポーツで汗を流したあとは,軽い脱水症状に
陥りがちです。私達全員が気をつけたいことですね。
ところでレク会議では,レクの場所までは行きながらゲームには参加できないグループ
に対してどんな試みをすればよいか,まず運動療法の側面から考えていこうと思っていま
す。
雨降りが続くと,院内でのレクレーションの機会が増えてきます。レク委員となってい
る職員はもとより,参加しているスタッフも楽しみながらの参加をしましょう。
b OT 古木から(老人昼食会の紹介及び今後の予定のお知らせ)
表題の「老人昼食会」なるものが,初耳だ,或いは聞いたことはあるが内容については
よく知らない,という方が恐らく多いでしょうから,今回はまず,精神科デイケアの老人
グループのプログラムとして定期的に行われているところの老人昼食会に関して,その概
要や目的について,一担当スタッフとして,私見をも交えて紹介しておきたいと思いま
す。
まず,この会は先に書いたように,医療の部門としては,精神科デイケアに正式に属し
ているという事。精神科デイケアにおいて若年の通院者のグループは,週4回,午前9時
半から午後4時まで,レクレーションや音楽,陶芸やその他の手工芸,創作活動,料理屋
グループワークといった多彩な変化に富んだプログラムに活発に取り組んでいますが,同
じデイケアのメンバーでありながら,高齢者である老人達には,高齢者が故の特異な心身
の状況があり,疾患があり,したがって,自ずからニードも異なるということで,別枠で
プログラムを組んでいるわけです。
現在,会の回数は月に2回,活動内容も時間も心身に負担のないものである事,日常外
出する機会が極めて少ないことを考慮して院外活動を主体とすること,などを骨子として
います。
…午前10時を過ぎた頃,全員のメンバーの顔が病院に集まります。天気が良ければ早
速,マイクロバス2台を連ねて,おもに郊外の行楽地に繰り出します。雨天であれば院内
での昼食会に切り換えます。
行き先は、目的地までの所要時間、身体的負担の程度、目的地の老人昼食会の場として
適性等を考慮して、参加者によって、前回の昼食会で予め決定されています。現在まで、
行った所は、市民の森、天ヶ城公園、垂水公園、総合運動公園(日本庭園など)生駒高
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若草内外通信
原、綾川方面などなどですが、それは、季節に応じた桜や梅やつつじ等の花見であった
り、明るい陽射しの下、山や川や海の景色を楽しむものであったり、清々しい空気を満喫
する一時であったりもします。昼食を挟んでそこで数時間過ごしますが、その間にほとん
ど談話や散歩や昼寝が中心になります。ごく最近から、目的地で簡単なボール遊びや合唱
といった活動も取り入れるようにしていますが、特にその辺の内容については、今後も大
いに検討してゆく必要があります。
参加者は現在まで少なく、常時ほぼ10名程ですが、ホームヘルパーさんや当方のスタ
ッフ等まで含めると15名以上の集団になる事もあります。(私個人としては、もう少し
参加者が増えても良いような気がしていますが)
参加している老人達の心身の状況や家庭、地域社会における状況は様々ですが、ここで
は詳述しませんが、一人一人の老人が種々雑多な問題を沢山抱え込んでいます。
老人昼食会の目的とするところは、そういった多くの問題の中で特に、老人が社会的に孤
立化した状態におかれている点に着目して、一つの新たな受容的な「小社会」を形成する
ことにあるように思われます。地域社会において阻害され萎縮していた一人一人の老人の
個性を、グループの暖かい雰囲気や気のおけない対人交流を通して発揮してもらえればそ
の目的の大半は達成出来たことになるのではないかと思ってます。
…勿論、現段階は極めて不十分であり、まだまだ山のような努力を要するのですが、と
もかくも、根本的な考え方だけは見失われないようにしたいと思っております。以上、私
見を交えながら、簡単に、老人昼食会についてのあらましを述べましたが、会の進行や企
画や考え方などの関して、ご意見などがありましたらどしどしお聞かせ下さい。
なお、5月は1回目(10日)が、総合運動公園を目的地としていたのですが、あいに
くの小雨で、予定を変更して、午前中は院内にて談話、午後は、一ッ葉有料道路からの帰
路「こんだ、晴るるが」と一人のろうじんが私の目を覗き込み、半ば慰める様に、言って
おられましたから、今度は必ず晴れることでしょう。
〈各月の2回目に次回の予定を立てることになっております。ご意見ご指導をどうぞ、古
木まで〉
⑧ 心理から
堀切峠の山桜が満開の頃の水曜日、宮田町で定例の医局勉強会が開かれた。討議の1つは、
若草病院と野島診療所の心理スタッフ(以下CPと略して)の固定制だった。昨年の9月、
夏にもうんざりした頃、思春期病棟は蚊の多い宮田町からイルカ岬手前、3kmの野島に引
っ越した。動揺が職員・患者双方にあった当初、私達は泊まり込み体制で〝野島〝に取り組
んだ。水平線から顔を出した太陽が眠っていたCPまぶたと対角線上にくると、〝野島〝の
1日が始まったものだ。以来、4名のCPは、他のスタッフに支えられて、若草・野島を交
替で勤務した。
思春期病棟は、思春期特有の葛藤がその症状・問題行動の背景にあるため、とりわけ心理
的援助が求められる部門である。そのため若草でも、野島でも、医師、ケースワーカー、心
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若草内外通信
理療法士、そして看護士、看護婦などのスタッフとの連携によって、心理療法士は内にも外
にも働きかけて行く。
ところが、若草・野島という2足の草鞋を使い分けているうちにどうもこれでは機能的で
ない、若草での外来治療と入院患者のための治療のための心理療法士を固定するほうが望ま
しいのではないかという意見が医師側からでた。固定性の中にも機動性と協力をバネに動こ
うということでこの固定制に同意になった。そうして、この4月から若草に1名、野島に3
名の心理療法士が常勤で勤めることになった。まずは、6ヶ月の予定で、若草に
曽原
が、野島に岡本、矢島、柳田が勤務することとした。野島のケースワーカー池田も若草転属
となったため、野島は、看護婦4名と看護学生1名、心理3名で運営され、医師は従来通り
の体制である。
新体制発足は新学期の始まりの時でもあった。早速、若草外来には、学校に行けない生徒
達が親と共に訪れ出した。病院外来、心理相談所の2つの窓口を通じてかれらはCPと面接
し治療の必要性を説明される。〝野島〝の話をすると、現在までのところ彼らも親も関心を
示し、その日のうちに見学に行き、入院を決心しているようである。
野島は、この3月まで入院していた子供達が退院して行き、ガランとしていた。初夏の陽
射しに近い光線を浴びた新緑と、キラキラ燃える海は、新しい野島の少年達を受け入れて、
動き出している。(そはら記)
⑨ 医局から
大阪から来ていただく予定の先生は延期ということになりました。水野、中江、桜井の3
人体制が暫く続きそうです。夜の当直は泌尿器科が専門ですが、積極的に利用して下さい。
精神科のほうは3人の主治医のほうを呼び出して下さい。
⑩ 生活相談室から
精神科家族会について
59.6.に精神科家族会の準備会を開いたのでした。以来59.7.より2ヶ月に1回
の家族会を開いてきて63.4.までで24回開いてきたことになります。
そもそも会の発足の背景には長期の入院生活の後せっかく退院しても、また直ぐに入
院といったことを繰り返すことの多い慢性の患者さんが多いといった実態を目の当たりにし
て、患者さんの家族にも病気に対する理解を深めてもらい、患者さんの治療の中に家族も積
極的に参加して協力してもらいたいという治療者側の意図があったのでした。
さらに、患者家族にしても、家族に精神障害者を抱えるといった、なかなか誰にでも話せな
い悩み絵を、自分だけでなく同じ土俵で分かち合える仲間に出会うことで、互いに支えら
れ、あるいは教えられることも多いのでは、といった期待もありました。
これまでに家族会で取り上げた主な内容は、家族が患者を抱えることにともなっておきた
悩みの経験交流、患者の症状理解のための医師の講演、結婚問題、社会復帰問題、経済問題
などなど多岐に渡っています。
これらの話し合いを通して、一部の患者家族の間に、連携して互いを支えあう雰囲気がで
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若草内外通信
きあがり、患者の症状を客観的に理解し、患者を取り巻く社会の動きを冷静に判断できるよ
うになるといった、一定の成果を上げてきているように思います。
しかし、その一方で、出席者の固定化(文集作成や施設見学といった形で内容にバラエテ
ィを持たせても、なかなか新しい家族を結集できない)、社会復帰問題など、今後の方向性
について一定の議論を重ねるところまでいくが、具体的な行動提起ということになると、な
かなか前進できずにいる実態、等など数多くの問題を抱えていることも事実です。
なかでも家族会に輪が広がりきれない最大の原因は、家族会に参加することのメリット、
即ち何か得るものがあったという実感を起こさせるだけの内容を継続的に、提供しきれない
ということに、尽きるのではないかと考えます。(無論、家族会そのものは、決して病院ス
タッフが、一方的に引っ張っていく性格のものではないのですが、会を支えるという意見に
おいても適切なアドバイスを提供できてきたか、反省させられることが多々あります。)こ
うした実態を踏まえたうえで、今後家族会にこれまで以上に様々なスタッフに、積極的に関
与してもらうことを通して、会の運営に新たな視点から発言をしてもらい、家族会の活性化
に協力していただけるようお願い致します。
次の家族会の予定は6月18日(土)、2F会議室にて、14:00~16:00です。
なお、内科家族会については、次号にて紹介致します。
⑪ 薬局から
薬剤師さんは新婚さんです。或る朝のこと、二人で味噌汁をすすっていて聞こえてきた
「ホパテの儀薬が見つかりました」というテレビのニュースを聞いて、「あ、あの薬高いも
んね」と呟きながらよからぬことを考えたようです。普通の薬は製薬メーカーから問屋を通
して病院などの現場へ流れてきます。病院と問屋の間で価格の交渉がなされた後に病院へ流
れ着くのですが、この価格というのが摩訶不思議なのです。この価格は購入量、メーカーと
の力関係など様々な要因で決まります。ここでホパテで話題になった現金問屋が登場するの
です。現金問屋は様々な方法を使って安く薬を購入しそれを完全な現金取り引きで売りま
す。この方法には2年分3年分の薬を大量に仕入れた病院から引き取ったり(これはつまり
税金対策、完全な脱税)酷いところでは大量に薬を貰ってくる老人から買い入れて包装し直
して販売する場合もあります。この辺に儀薬の入り込みやすいスキがあるのです。そこで新
妻は考えました。「私もやってみようかしら」と。この病院の給料ではとてもやっていけな
いような何かをたくらんでいるからです。しかし「でも組織的にやらないと駄目だから無理
ね」と簡単に諦めた様子。諦めが早いようでは二世の誕生大丈夫かな?
⑫ 管理から
この3ヶ月間の職務動向
結婚
堀木周作(作業療法士)
: 3月19日
柳田哲宏(心理療法士)東 昌子(薬剤師) : 4月24日
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若草内外通信
出産
大元義明 (看護士)
: 3月30日 美幸(次女)
坂田初代 (看護士)
: 2月21日 美樹(長女)
矢島美枝子(看護婦)
: 6月予定
絶対オトコ
新入
石崎秀男(医療事務)
: 3月16日
柏木一久(OTA)
: 4月 1日
太田利克(看護学生)
: 4月 2日
矢島幸樹(看護士)
: 5月 9日
退職
前原加津代(看護婦)
: 3月20日
上原さおり(看護婦)
: 4月20日
横山三良 (管理)
: 4月20日
滝本信幸 (看護助手)
: 5月20日
土屋重信 (医療事務)
: 5月20日
看護婦さんが不足気味です。産休、ご主人の転勤、結婚などで辞めていく人がいるので常
時2~3人余計入れておく方針できていました。そして今までは募集広告を出すと直ぐ集ま
っていたのですが、この数ヵ月非常に応募が少なくなってきました。病院があちこちに増え
たことが一番の原因かと思うのですが、このままでは看護婦さんの夜勤の回数などかなりの
無理をかけているところも出かけているようです。この4月より給料も看護部門は特別に上
げました。皆様の同僚などできるだけ呼びかけてみて下さい。民間の病院で特一類看護を維
持しているところはごく少ないのですが、これは患者サービスと職員の健康管理の為に是非
とも死守されなければなりません。
⑬ 給食から
給食メンバーは、栄養士2名、調理師9名(内男性2名)計11名です。私達は170名
あまりの食事を作っています。その中には常食約80食、全粥食40食、特食約40食に大
別されます。さらに詳しく分けると膳粥食軟菜、きざみ、つぶし食、特食には肝臓、減塩、
糖尿、特別流動食とあります。
当院は内科と精神科が一緒なので献立作成に苦労します。つまり一つの食種でも年齢の幅
が広いのです。病棟からも老人だから食べられないとよく耳にします。各個人に合わせて食
事を作る事が望ましいのですが、現状のスタッフでは少し無理なのです。
今はどこの病院もサービス競争で、食事についてもそれが言えます。病院や給食も今は以
前と違ってサマータイムを設けている所や、季節に合わせて食器を変えている所もありま
す。冬場は暖かく、夏場は冷たいものは冷たく配慮できることが理想だと考えています。
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若草内外通信
又、衛生面でも配膳、下膳車と分離することが望ましいと思います。
特に食中毒には最善の注意を払う必要があります。
以上のように病院給食も非常に進んできています。当院の現状では配膳時間の問題、経済
面などの壁がありますが、一つずつ改善してより良い給食を目指して努力していきたいと思
います。
*******************************************
池田 守ケースワーカーの紹介
今日は、当院の分院野島診療所から転任して参りましたケースワーカーの池田 守です。今度
内科病棟に配属されることになりました。採用されたのは61年9月で、約1年半、野島診療所
に勤務しました。小規模でのんびりした雰囲気に慣れていたためか、本院若草病院の大勢の患者
さん、スタッフの方々の数に圧倒される毎日を送っています。
出身は宮崎県延岡市、育ちはおおむね東北と関東、その後名古屋、大阪を経て宮崎に帰ってき
て3年目です。趣味はオートバイと献血。特技は時間と交通費を使って遠くのパチンコ屋へ行っ
て負けて帰ってくることです。転任してから半年ほどになりますが、未だに院内で迷って目的の
詰所の辿り着けなかったり、患者さんに「あっ、運転手さんが白衣を着てる」と言われてみたり
(時々バスを運転しています)の日々ですが、1 日も早く患者さんのニーズに答えられるよう、
元気者のケースワーカーになりたいと思います。
若草病院の諸先輩方、患者さんの皆さん、どうぞ宜しくお願いします。
63.5.9
*******************************************
9 サークル掲示板
① サッカー部より
昨年より発足したサッカー部は20名余りのエネルギッシュなフレッシュマン(と言って
も平均年齢28.1歳)。初年度を9チーム中7位で終わりました。トロフィーこそ貰えま
せんでしたが、この年齢と経験者が数名しかいないことを考えればまずまずの成績と言わせ
ていただけるでしょう。昨年は理事・佐藤、監督・吉野、主将・束野で運営してきました
が、本年は理事・吉野、監督・束野、主将・森(喜)でがんばっていますので皆様の応援を
何卒宜しくお願い致します。わが部には60分間ボールを追い続けるだけの原動力がありま
す。それは3人のマネージャーの存在です。三浦さん、楠田さん、柿野さんの黄色い声は千
人力の底力。退部された土屋さん、佐藤くん(康)お疲れ様でした。新メンバー柏木くん、
矢野さん楽しく頑張りましょう。
② バレー部より
6Fの甲斐和則さんを監督に引き入れ、バレー部とは名ばかりで少人数で練習していま
す。病院全体の職員数は多いのですが、部員を増やそうと声はかけているものの、なかなか
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若草内外通信
の現状です。今後、男子バレー部を結成しようという案も出ているみたいです。もしそれが
実現したら交流を深めるためにも、私達女子バレー部の為にも合同練習をやりたいな…?と
思っています。バレーの好きな方、初心者の方も大歓迎です。どしどしと入部して下さるよ
うお願いします。最後にこれからも皆様方の良き指導、ご支援よろしくお願い致します。
監督:甲斐和則、コーチ:斧廣志、中屋敷勝、主将:四位淳子 マネージャー:瀬戸山洋子
です。部員一同は矢野悦子、鎌倉麻由美、二木美子、宮城徳子、甲斐恵子、川越朋子、後藤
富士子、池田美代子、宝田加代子、坂元千穂子、藤崎まひる、富永由紀子の13人です。
③ 山岳部復活の呼び掛け
現在自然消滅しています。自然に親しみ、スタッフの親睦を図り、体力の向上(或いは老
化防止)をかねて再興しましょう。
呼び掛け人:中屋敷、渡部。
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勉強会報告
① 63.2.24 提起:三病棟(主治医:水野 心理:柳田) 司会:秦看護婦
「器質性脳障害のKr」の症例検討
就床していることが多い。多患との交流も旨くいかない。前のめりに走り込むパーキンの
ような症状があり、レクにも時に失禁があるなど、一人付き添わなければ出せないような状
態。…どこまでの治療目標を持ってどのようにやっていけばいいか、がテーマ。
62.4より担当しているCP柳田及び訪問看護してきたNs甲斐よりこれまでの経過報
告。知的能力の低下、性格のくどさ、それからくるKrの訴えに対する家族の対応への疲
れ、要求が通らないと外へ向かって大声で怒鳴り散らす、そこで、父親は怒って殴る、紐で
括る、ということをせざるを得なくなる。そこで訪問看護では対応できなかった。等のこと
が報告される。
Ns黒木:目標として身の回りのことはやらせているがそれ以外に活動に出すとか言うようなこ
とは出来ない状況にある。
CP柳田:身の回りのことができないという以外に自分自身のとらえ方に問題がある、と思う。
父親より自然にしておけば病気が治る、と言われたことがあるらしく時間が経てば何と
か成る、というような考えがある。
Dr水野:あちこちでくどくど言う、廊下に寝る、「神を馬鹿にしている」と言って詰所のスト
ーブを転倒させる、そしてズボンに火がつくというようなことになって保護室にいれ
た。なかなか開放に出せない、それならもっと広い空間のほうが良かろう、ということ
になって6階へ上がることになった。
治療目標をどこへ置くかとなると、クドさ、動作の鋭さはなかなか改善されないと思
う。母親は家に連れて帰ると父が怒り、縛り付けると大声で「脳性麻痺を治せ」と叫
ぶ、すると近くの民青員の人がやってきて本患の味方をする、ということになってしま
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若草内外通信
う。あれやこれやで連れて帰れない。
CW坂元:施設に就いては?Dr水野:K君、S君、Tさん、と施設におくって送りかえされて
きたわけですよね。いい施設があれば施設がいいと思う。家族指導をしながら訪問看護
というのも良いのであろうけど難しいかな。病院と家族の間を往復するようなことにな
るのかな…。
Dr中江:サツキ園ならあの程度は居ますよ。1~2ヶ月したら慣れていくのでは。
Ns黒木:今のままでは就床がちで、背中も赤くなっている。もうちょっと動かしたいのだが。
担当ナースを付けたらどうかとも思うが。
Ns四位:自分が青年期病棟では担当だったんですが、自分で出来ることはさせ、プラモデルを
作らせたりしていた。しかし、こちらにさせてしまう状態だった。担当を決めるとベタ
ッとなってその人に自分で気のあう人を決めて、頼りきりになるのでは。
Dr水野:その人が大変だということ。紐で縛りたくなる気持ちも解る。坂元CWのほうから施
設指導の方向で検討していただきますか。
② 63.3.2 提起:社会復帰部門より。
司会:堀木
「みどり荘での一男性患者の処遇をめぐって」
CW有馬より報告
Dr水野:幻覚妄想に深刻さがない。症状を利用して行動している。自分はなんでもできる能力
を持っているけど、病気のせいで適応できないのだ、と自己弁護している。分裂病では
ないのではないか。
Dr中江:私は分裂だと診断している。母が毒をいれるとか被害妄想が出るが、環境を変えると
良くなっていく。人格は崩壊していないが神経症レベルの葛藤とか緊迫感がない。入院
中緊迫感を持たせるための工夫が必要だと思う。薬物の効果はない。Dr水野:今回み
どり荘で5ヶ月間過ごしているがこの中でも何度も入院しようとした。
CW坂元:ミーティング内でも彼なりに取り仕切ろうとする。冗談を言ったりするが乗ってくる
人がいないので、うまくやっていけない。
酒についてもコントロール出来ない。毎日仕事をしている人に対する劣等感がある。そ
こを突いて半日の仕事でもできるようにと考えている。
*その他飲酒は夜間だけに限る、規則に適応できるように指導する、等が話される。
③ 63.3.9 提起:二病棟より報告
司会:後藤(徳)
見当議障害の著名な痴呆老人
*
コントミンなどの薬物が一時的に有効なことがある。低血圧、頻脈などの副作用が強く
出ることがあるがさほど怖がらなくて良い。対症療法で回復し2度目からは副作用は弱く
なっていく。家族との密接な関係をとること、野外には可能な限り出すことなどが検討さ
れる。
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若草内外通信
(63.3.16 若草祭りのためにお休み)
④ 63.3.23 提起:青年期混合病棟(主治医:水野昭夫、 心理:矢島)
司会:高山看護婦
境界域の症例
*
昨年の9月同年齢集団が野島診療所に転院。年上の患者さん、職員との間で比較的安定
していたが、同年齢集団の中にいれるべきではないか。家族と会うことをかたくなに拒否
していること。少し無理をしてでも会わせてみる試みが必要か。もう少し時間をかけたほ
うが良いのか。セラピストは二人とも迷っています。
⑤ 63.3.30 提起:デイケア(主治医:水野昭夫) 司会:福田婦長
無為閉居、電気が当たる、と言って他の患者さんが見ているテレビのスイッチを切ってし
まう。レクなどに引き出しても突っ立っているだけ
*
家族療法、デイケアなどで試みてきてうまく行っていない経過が話され、さらに長期的
に模索されなければならない。『頑張れ』という父親の言葉が彼を症状のままに止まらせて
しまっている。結核という病名を突き付けられて突然治っていった長年当院の患者名主であ
ったがK氏が話題に出される。家族療法などの技術が研究されればもっと方法があるのかも
しれない。先週に続いて私達の非力を感じさせられる症例。
⑥ 63.4.6 提起:デイケア(主治医:中江)司会:森(え)
娘さんとの父子関係を軸とした家族調整をしてきたが娘が拒否的になっている。
デイケアの中で女性にちょっかいを出す、イライラ、やる気がない。
*
家族調節を巡って娘に負担をかけ過ぎたのではないか、離婚して娘は患者の母親に育て
られている。離婚した元の妻と患者との夫婦関係(父と母)の話題に変えることで娘も近づ
き易くなるのでは、などが話される。高齢者結婚の話題も出るが具体的にはならない。
⑦ 63.4.13 提起:二病棟(主治医:桜井、心理:曽原) 司会:坂元俊彦
(症例)
36歳女性、慢性化したSchizo。極度の母子密着があって長期間家庭内のみの生活
を送ってきたために集団参加ができない。
(経過)
中学時代まで友達も多く成績も優秀なほうであった。高校2年で発病。「水にはバイキン
が入っている」「母の料理には毒が入っている」などと訴えA精神病院に入院する。1年3
ヶ月の入院後復学したが再発して再入院となる。
46
若草内外通信
ところが
このときの症状、
入院のさせ方、
入院させたために悪くなったという思い、
などがあって病院に対する恐怖心(実際にこの病院は電気ショックなどをよく使用する病院
であった)から一方的に自己退院して自宅で見ていた。
投薬だけは受けていたようであるが服薬は母親の自己診断に基づいていたようである。2
3歳のとき(昭和50年)からDr水野が往診したりしてみてきている。質問と応答の形の
幻聴、妄想、空笑があり、理不尽な要求をする、そして要求に従わない家族への暴力があ
る。
家族が手に負えないときには往診の依頼があり、精神安定剤の注射を使用する、という
形。家族に入院の必要性を説得しても「私の目の黒いうちは自分が見ます」と頑固。
57年頃より、お祈りで病気を治すという、ある新興宗教に母親が入信。服薬を止めるよ
うにと指導され一時投薬が中断。そのため症状が一時悪化し投薬をやがて再開する。
62.4より訪問看護を開始、症状は変わらなかったが、62.9 1週間ほどの便秘。
腹痛を訴えるが、浣腸もさせないという状態になったため看護婦の説得に応じて入院とな
る。
(質疑応答)
水野Dr:外来でみていたPtである。入院させられなかったPt。母が入院を拒否。病院に対
してかなり被害妄想的であった。入院当初は面会を禁止したが、ここでも被害妄想的に
解釈して、興奮することもあった。「看護婦が何か隠し事をしている。酷い暴力にあっ
て娘は会わせることができないくらいの大怪我をしているのではないか」と考えられた
らしい。「そんなこに私達が信用にならないのなら治療にならん、会ってみて大変だと
思うなら連れて帰りなさい」と言って半分怒って本人にあわせると納得され治療の継続
となったものです。訪問看護は入院をさせる為のものとして役立ったというところです
ね。
Dr桜井:入院当初は顔をみる程度だったが、最近やっとラボールがとれ、心の中に入っていけ
るかなぁという感じである。破瓜型なので将来的に社会復帰は無理でも、自宅で過ごす
ことか、デイケア参加などが考えられる。
CW坂元:青年期病棟に移さないというには特別な理由は?
Ns渡部:二病棟は老人病棟のため青年期病棟に移して他患との交流をはかることが必要だと思
われる。しかし、(あとでこの事は詳しく討議される)
Dr水野:友達関係が悪くなって症状が始まったのではなくて、症状の為に友達関係が悪くなっ
たと思われる。A病院に勤めていた時、往診に行っていたので、僕自身の初診はS49
年頃なのかな。
その頃よりベッドに寝たきりで表情が乏しく時々叫ぶという状態だった。このときも説
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若草内外通信
得したと思うが、母は入院を拒否していた。宗教の指導により服薬を中止した時もあっ
たが、症状が悪くなり服薬、注射を往診でしたと思う。当時は親の気持ちを組んで入院
させなかった。
Ns甲斐:訪問看護時、母と話しながら時々Ptと話をするようになり、少しずつ話してくれる
ようになった。母が溺愛しており、病院には任せられないというような感じであった。
入院はたまたま大便がでないということで母の希望で入院となった母の溺愛はもう少し
改善が必要だと思われる。
Dr水野:母は長男を何度も6Fに入院させているので病院が怖くないところと知っているはず
だが、次女に対してはあんな反応をするというのはどうも「母の症状」とも思われる。
CW坂元:桜井Drからみて母親はどうですか?
Dr水野:以前の勉強会で出たように家族療法はあまり期待できないので青年期に移して長期的
にみていったほうがいいかと思われる。
CW坂元:ADLで改善されてないところは何ですか?
Ns渡部:洗濯、掃除はまったくしない状態である。
Ns甲斐:そのことについて病棟で話し合ったが、Nsが声かけをするより他患との関係で指導
していくのがいいのか意見が分かれている。OTも参加しておらずOTの意見を伺いた
い。
OT堀木:スタッフとPtの 1 対1の関係が必要と思われる。集団場面、他患との関係はその後
と思われる。
Dr水野:自分としては横の広がりをひろめていく必要があると思われるが、OTとしてはまだ
早すぎて移行期だと言うのですか。
OT堀木:集団場面をもちいる時、病棟サイドの導入は、Nsサイドで必要だと思われる。
Dr桜井:Ptとのラポールがとれつつある。Nsが集団場面へ連れて行き、のちにOTとのコ
ンタクトをつけていったらいいと思われる、というOTの意見だと思われる。
OT堀木:集団治療は必要だが、促しはNsサイドでないとうまくいかないと思う。
Ns添田:Ns側で働きかけはしているが、レクの時間になるとイヤという現状である。
Ns甲斐:患者のGさんの声かけは限界があるのでKさんなど活発な人だとNsの声かけよりい
いのではないかと思われる。
Ns渡部:まだADLができないのに青年期に移すと周りの人がなんでもできるのでショックを
受けると思うので、ADLができるようになって青年期に移すほうがいいと思う。
Dr水野:その慎重な姿勢も大事だと思う。OTに介入してもらい、今は移すのは早いので機会
をみつけるのがいいのでは。
OT堀木:OTの場面で見ていこうと言うのなら、青年期がいいと思われる。青年期に移すと動
揺があるのではOTの場面はまだ難しいと思われる。
Dr水野:OTは難しいのではなく、4FにいながらOTに行ってもいいのでは…。
Dr中江:動揺はあっても青年期に移したほうがいいと思われる。動揺はNsがバックアップす
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若草内外通信
ればいいと思う。
CW坂元:意見は2つに分かれているが、この場面で結論を出すのではなく病棟で話し合って下
さい。
Dr水野:ここは検討する場であって結論を出す場ではないと思う。この検討会に出す前のOT
とNsでの話し合いがどうしてなかったのかなあ。
⑧ 63.4.20 青年期混合病棟提出(主治医:桜井、心理担当:曽原)
司会:甲斐恵子
(症例)
25歳女性、テレビで自分の事を言っている、探偵に付き纏われている、等の訴えがあり
Shizophrenieの診断をしていたが本年3月よりChracterNeuros
eに病名変更した患者。
(経過)
62.9に入院。開放病棟で見ていたが、無断外出して「眠りたい、死にたい」と繰り返
し電話してくる、等の症状があり、ホリゾンの静注をして閉鎖病棟に収容したりしていた
が、ホリゾンへの病的依存ができてしまう。落ち着きたいから注射を射ってくれ、と要求す
るのを否定すると「自殺する」と言って走り出す始末。
そこで63.3.6保護室に収容して甘えの言動に対してナースを中心としたスタッフが
一貫して厳しく対応する。徐々に注射要求はなくなり3.29より内服薬も中止する。
3.31よりOT活動に参加することを条件に開放。自折自分勝手な言動がみられ活動も
気分次第で参加する状態ではあるが何とか自分をコントロールできる様になった。2週間に
1回の家族面接を平行して行う。
(検討事項)
薬物依存がなくなり自分をコントロールできるようになったこの患者を社会復帰へ向けて
導くには職員は今後どう有るべきか。
(発言抄録)
桜井Dr:S62年主治医である。その時「自分で生きている気がしない」「監視されているよ
うな気がする」ということで抗精神薬を使ったがあまりきかず、疾病逃避のような感じ
を受け、減量した。その中で甘え(母親へ依存傾向、スタッフへの甘え)が目立つ。父
の転勤による転校への不適切、その中で自閉的となり不登校となり母を振り回すように
なり、それが現在まで続いているという感じ。CPと家族療法に入った。そして現在に
至っているという状況です。
曽原CP:前回退院後はA病院に入院していたが、退院後家での不適切により当院に逃げてきた
ような状況である。家族療法の際少し極端な戦略を使った。「病院には治す力はない。
家族の力を貸して頂ければ治せるのでは」という姿勢を示し、2週間に 1 回の家族療法
を始めました。最初はPtが日記をつけそれを両親に見せ、検討してもらうことにし
49
若草内外通信
た。
それと同時に、本人の行動がおとなしくなり、両親の力が強くなり、両親も面接を望む
ようになった。本人もピアノなどを弾き、病人という気がしなくなってきていますが、
そのスピードが早すぎて不安もあり、今後のことも難しいと思われる。
水野Dr:10年診てきたPtである。以前A病院に転院するというときに「A病院は厳しい、
若草病院は甘いので、厳しいところに行く」と言って転院した。このことと今度の症状
改善はホリゾン注射の要求に応じることを中止するために保健室を使用した、というこ
とでよくなったと思われる。家族面接の様子を聞かせて下さい。
曽原CP:1回目は父親は来院せず、母親は困っていた状況で、本人を治したいのなら一緒に来
てほしいと依頼する。以降、父は子に対する情感が感じられず終始腕を組んでいるよう
な状態であった。
最終的に良くなったのは、ホリゾン中止の頃より。本人がおとなしくなった、来院する
度に良くなっていくので両親も治療にのっかったのだと思う。
水野Dr:父母のすれちがいに夫婦で、父は仕事で帰りはいつも深夜。休みの日は殆どゴルフに
行くような父親が家庭の中に存在しないような夫婦であった様です。
曽原CP:面接の際、父が新しいネクタイをつけており、母が自慢げに自分がプレゼントしたの
だと言う。それについてもPtも「もっと派手なのにしたらいいのに」と言ったりした
が、母はプレゼントしたことの方が嬉しかったそうであった。随分照れ臭そうでしたけ
ど。
甲斐Ns:友達関係はどうですか?
福田Ns:あまりないようである。小遣い管理も自分できちんと出来ている。
甲斐Ns:OTの方はどうですか?
堀木OT:活動に出てこないPtである。彼女はニードとしての社会復帰のないPtである。そ
の以前の問題なのだと思う。出てこないし、誘ってもこない状況である。自分を高めて
いこうという気持ち、積極性がない。
水野Dr:ちょっと理解できない。その「ニードとしての社会復帰がない」という表現が僕には
理解できない。もっと具体的な表現してみてよ。
<ということで堀木OTとの間のやりとりがあり、「プログラムを組んだOT活動に参加しよう
という意欲がない」ということである、ということが確認される。>
計画されたプログラムへの参加意欲はなくとも、十分社会復帰は希望していると思われる。
堀木OT:詩を作るとかピアノを弾くとか認めて欲しいという希望はあるが、計画されたOTに
はのってこれない現状である。計画された活動への動機づけができないと思う。
水野Dr:そういうPtは十分多いと思う。活動への参加するように動機づけることがOTだと
思われる。4~5人でグループをつくってピアノを弾くというのは十分人の中へ入って
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若草内外通信
いく意欲があるのだと思われる。
古木OT:Pt自身の自発性を目覚めさせるのは、CP、家族などのほうが適当と思われる。
水野Dr:確かにCPの家族療法は大切だが、OT活動を進めていきながらすることが是非とも
必要と思われる。
堀木OT:4~5人のグループでピアノを弾いているという。それで十分いいと思う。そういう
自己表現の場があるのでいいと思う。
水野Dr:ニードとしての社会復帰がないという言葉は不適切だと思う。
堀木OT:プログラムされたOTの中に入ってこれないという表現に変えます。
曽原CP:以前入院時、喫茶で働いていたことがある。最近、社会人になれるだろうかと考える
ようになってきている。その中で病院内での生活に焦って、腹筋、自転車、ピアノと日
記の中に羅列してくる。その中で両親は「いくつもはできないから、レクなどに参加で
きるか」のどと質問され、その中で、両親は「いくつもはできないから、レクなどに参
加できるのか」などと質問され、その中で、ピアノとか絞ってきていると思われる。そ
ういうPtなので、今後の問題が出てきていると思う。
桜井Dr:薬を使い過ぎてきたので、副作用が出てる。薬をきってしまって、病人であるという
意識を捨てさせたいと思う、父はPtに「おまえは完全主義だ」などと言う。~しなけ
ればならないという部分が大きく甘え、大人になり切っていない部分が大きい。OTに
参加して自分の嫌いな人との関係も作って大人にしていきたいと思う。
水野Dr:この程度の段階のPtができる程度のプログラムが必要だと思う。
堀木OT:仲間内のグループか、STレベルの違うスタッフの設定したグループですか?
水野Dr:4~5人で作った談話会みたいな集団。
堀木OT:彼女たちが動きやすい場面設定ですか?
水野Dr:同年齢集団との交わりができないので同年齢グループを設定して治療していくという
試みである。
桜井Dr:ピアノを弾きながらも淋しさを話しており、やはりグループへは必要と思われる。
甲斐Ns:他の病棟スタッフは何かありませんか。
矢島Ns:他患と二人で花壇の水やりとかから導入していくとかはどうですか?
桜井Dr:このPtなりのプログラムが必要と思われる。ただピアノを弾いてるだけなら子供の
ままだと思われる。
水野Dr:Sさん、Oさん、Jさんなどと同じ部屋にしてみてピアノクラブというか音楽クラブ
というかそんなものを作らせて、発表させるなど目標を作らせ、人間関係を作らせる練
習をセットする、というようなことがOT的な行いと思われる。部屋までおんなじにす
るという事がくっつき過ぎになって旨く行かないとすれば、そのクラブのときだけの方
がいいかもしれないけど。
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若草内外通信
⑨ 63.4.27 提起:三病棟後藤主任(主治医:水野、心理:曽原)
司会:池田Ns
入院1ヵ月目で未だ信頼関係の出来ていないKr。幻聴が激しく暴言、ドアを蹴る、逃
げ出す、拒薬など。拒薬のため注射を使っている。
提起された問題:①保護者と本人に関係がどこまで信頼できるか。
②対人関係が保てず、終日詰所の前に立ち訴える。
③宗教的訴えに対する受け答え。
④服薬につついて認識させるのは無理なのか。
Dr水野:CPへの依頼をしたのが4月5日ですかね?今の症状はSである。子供の時からひき
づった心理的問題がある。幼い時期の離婚、母は再婚するがその夫は暴力的で怯えて育
つ。妹も非行があり、昨日、児相保護になっている。宗教者達の指示で動いており、危
ないからどこどこへ逃げろと言われ、その通りにする。その間にヤクザが逮捕されるの
だが、別件逮捕だが、自分達の事で逮捕されたと思いこんでいる。母も一緒に妄想の中
に入ってしまった部分がある。初めはH病院。病院との間のトラブルがあり、退院。そ
の後、家で暴れE病院へ入退院を繰り返し、その後、某宗教に入り薬を使わずに治療す
るというA病院へ通院する。A病院の紹介で当院を受診する。母の兄は事業に失敗し、
無一文、妹も非行、母は住み込みの付き添い看護婦で借金を返す。と家族バラバラとな
る。Ptには「母は自分を救ってくれなかった」という強い恨みがある。その背景があ
るのでCPへ依頼をした。
CP曽原:自分が道具的に利用された人生を送ってきていると思い込んでいる。最初は面接とい
う感じではなかった。最近は、自分は母から離れなければならないと言っている。母と
の関係は健康に自立していく育ち方をしていないと思われる。中学の頃より誇大妄想気
分があったと思われる。
CW坂元:母の兄と同居の理由を聞くと、兄はアル中で見捨てきらなかったとのことで、本人の
兄と妹はおじともうまく適応できたが、本人はうまくいかず、義父ともうまくいかず、
新しい男の人との接し方には彼なりの反応があったと思われる。
Ns池田:問題点が3つ挙げられてますが。
Dr水野:彼も宗教には80パーセント入っていると思われる。本人が暴れると手をあわせると
おさまる。暗示に強化されて行く訳で本人も母も8割方宗教にのめり込んでいる。
(1)についてはどういう意味ですか?
Ns後藤:本人が母親から誰かに保護者をかえてくれかえてくれと言うので、(1)を出しまし
た。
Dr水野:信頼関係がないと思う。それを作っていくのがこれからの治療なのだと思う。随分と
難しいことだと思うけど。
Ns池田:(2)について
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若草内外通信
OT堀木:一度グループ活動に参加しているが他患に威圧的だった。談話会、レクなど積極的に
話し合っていいと思われる。
Dr水野:今日のレクはどうでしたか。
CW坂元:レクの間中話しかけてきて多弁であった。
Dr水野:自分を誇大に表現してしまう。スタッフが多い時に出した方がいいと思われる。
Ns黒木:母の住所が変わっていて、TELもわからず、自分の行き場がないという気持ちもあ
ると思う。もし逃げたとしても行き場がないとわかっていると思う。
Dr水野:母をインランと思っており、相手に妄想的になるので、これからも母は居所を教えな
いと思われる。
OT堀木:ラージグループに出して様子を見てみようと思います。
Ns矢島:(4)について病識はありますか?
Dr水野:Sだが本人にはSだと言えないし、病気ではないと思っている。薬は飲んだほうが落
ち着くでしょう、と言うように説明しており、薬物は、Ns側より威圧的にやりながら
でも飲ませる必要があると思う。
Ns池田:(3)について
CP曽原:彼が宗教の話をしてきた時は、自分は宗教がわからないから他のことを聞かしてくれ
というようにかわしている。
Dr水野:外来Ptで宗教の話をする人がいるが、適当にかわし、「宗教には入っていないが、
1つのことを信念をもっているのはいいと思いますよ」「でもどんな宗教がいいのかは
わかりません」と言う。一応宗教についても解釈し、それでいいことでね、と言い話を
変えていく。本人がよしと思っていることは肯定してもいいと思っている。宗教は受け
入れるしかないんではないか、と思う。
Ns添田:児玉さんはC教ですが、C教により服薬を禁止され症状が悪くなるが…。
Dr水野:それでもやむをえない、と思う。押しつけるわけにはいかないと思われる。やってみ
なさい、としか言えないのではないか?
Dr中江:3分の1の患者は何かを信仰していると思う。自分は否定はしていない。やはりやっ
てみさせてその中で本人も気づき、家族の中で話し合わせていくと思う。そのときは説
得しやすいと思う。
⑩
63.5.10
長期閉鎖内看護患者に対するチーム医療の中でのOT的アプローチを
考える。
:長期間閉鎖病棟(保健室)内にあって慢性化傾向にあるPtに対して、精神面への賦活を
主目的としたOTR(作業療法士)側からのアプローチを検討したいと考える。
担当:OT堀木
司会:束野看護士
53
若草内外通信
Dr水野:長期閉鎖内看護患者とは?
OT堀木:イメージが文章になった。管理医療と言われるNs、Dr、サイド中心の治療の中の
患者に対してOTの作業の活動に載せられないかと考えて使った。
Dr水野:Nsサイド、Drサイドという言葉を使うのがおかしい。もう少しOTが中に入って
もいいと思う。図式的に個別療法云々と言う前に、その図式化される前の段階を考える
必要がある、と思われる。
Dr中江:OTはどんなケースでも係わりたいということだと思うのですよね。看護婦が生活指
導を重点、その段階でOTが係われると思うのですよ。生活指導をしていく上で作業療
法として一つの工夫する。Nsの指導と重なる部分もあると思うけど、OTがこんなと
ころを工夫したらどうかとかで係われると思う。(1)の患者に関してOTはこんなふ
うに係わりたいと、そうしているうちに具体的ないい方法が見つかるかも知れません
ね。そのときNsとOTの比重の問題が出るかもしれないけど、OTはいつも係わる。
Drも同じである。患者に対してDrが一つの解釈をするとそれにNsとかCPとかO
Tの助けを借りて一緒にやっていくという形だと思う。患者(1)(2)(3)にして
も集団療法は難しい。
OT古木:個別療法だと現在のシステムでは先走るので、そのシステムを改善して欲しいという
ことだと思います。例えばDr、Ns等の意見交換の場を持ってほしいとか。
Dr水野:すでにそれはあると思います。朝夕の申し送り、病棟での検討会、作業部会、今日の
この勉強会。いくらでも今のシステムを生かせると思う。コミュニュケを作る時間は随
分ある。他に必要?これ以上会議の時間を増やしていたら患者さんに実際に計画したこ
とを実行する時間はなくなってしまいますよ。それでは何のための会議か判らない。
OT堀木:実際はいらないけど、実動していると検討部会と作業部会とかあるけどうまく行かな
いことがある。例えばこういうふうにやります、とある方針を立てたときに能率的じゃ
ない。
Dr水野:それは工夫して下さい。それは方法の問題でしょう。
OT堀木:中江Drの意見に関しては、こっちに積極性がなかったと思う。
Dr水野:OTが積極的にNsに働きかける、OTのアイデアでNsを動かす。例えば午前と午
後に一回ずつ屋上に連れ出して10分くらいでも付き合ってみてくれませんか、と特定
のNsに依頼、或いは指導すればOTは十分作業療法的に働いている事になると思う。
集団的な療法の中に参加できずに閉じ篭っている患者にOT療法が必要じゃないかと思
う。例えばOTが2人いてそれぞれ担当を決めているわけでしょう。朝の申し送りも交
替で出てるでしょう。そこで当然見にいって声を掛けるとか、Nsに聞いてみるとか。
チームが出来てるから、そうすることでチームを壊すなんて心配する必要はないと思い
ます。それにチームが壊されるという不安はないと思う。
OT堀木:チームのスクラムを崩してしまうのではないかと思った時に、DrやNsに意見を聞
かなかったのが原因、例えばM君の印刷場面を見て外で何か生かされないかと思ったと
54
若草内外通信
き、「基本的な生活ができてない今は外は無理」と言われて相反する発想が出たとき
に、主治医に考えを聞く場が必要だと思う。
Dr水野:それが勉強会であり検討会であると思う。Kさんの時も早く青年期に移した方がいい
という意見が出たけど、ダメだとかいろんな意見が出たよね。「今活発な集団の中に移
すとショックを受けてしまうのではないか、慎重のしたい」という渡辺君の意見は凄く
貴重だったと思うんですよ。あれは直接接していない僕には出てこない発想だった。そ
ういう時にOTが話し合いに入っていくというのがあったのだよね。
OT堀木:やはり答えや方針を急いでやろうという心持ちがあってこういう方針をしたいけど、
持ってくるのです。もうちょっと前の段階の情報交換が必要だと思う。勝手に方針が決
まっていることがある。
Dr水野:OTが除外されたのだろうが、やっぱりOTが積極的に入っていないということでは
ないの。
OT堀木:両方がそうだと思います。
Dr水野:作業部の構成は?
OT堀木:CWとOTと病棟婦長、或いはその代理Dr中江。
Dr水野:作業部会では十分話されてないということですね。Dr中江どうですか?
Dr中江:欠点はありますけどアレはアレで必要だと思いますね。
Dr水野:病棟検討会にOTRが出れば。
OT堀木:6階に前出てましたが…。
黒木婦長:是非それは必要だと思います。
Dr水野:昔は参加、今は?
OT堀木:OTは要らないのだという意識があった。お膳立てをしているだけだからOTが後か
ら近づいていってゴチャゴチャすればいいという感覚だった。あの頃は。
Dr水野:もう少し積極的にやりましょうか。治療するときには頂点を高くしないほうがいいで
すよね。もうちょっとCP、CW、OTにしても意見を述べてもらうといいと思う。
OT堀木:チーム治療を行うときは全員がオーダーするという事ですね。
Dr水野:ピラミッドじゃなくて円環思考だと思う。全てが平等に責任がある。ここがDrの仕
事、Nsの仕事というのはないと思う。あまり境を厳密にすることは出来ないと思う。
福田婦長:病棟としても実際には入ってもらったほうがいいと思うのがたくさんあります。お膳
立てする段階の前を先生に持っていくようにします。
OT堀木:これで胸のつかえがすっきり致しました。
束野
:お疲れ様でした。
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若草内外通信
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
あ と が き
試みとしての復刊第一号が出来上がりました。特に勉強会記録など編集者自身が発言者の一人一
人は不満であろう、とよく理解します。ばたばたと時間に間に合わせたために発言者の確認を取
る余裕がありませんでした。これからはこの記録に関しては翌週の月曜日までにコピーして各病
棟に配布できるようにして完全なものにしていきたいと考えています。Dr中江、OT堀木、と
Dr水野の3人でフリートークした際に「チーム治療の中でのドクターとしての考え方の変換」
という話題になり、Dr中江が実に的確な発言をしてくれたのでした。この話題で文章にしてい
ただく予定でしたが、締切期間に間に合いませんので次号で皆様御期待下さい。次は8月31日
の発行ですので、締切は8月15日ということになります。ご批判、ご要望、ご援助、なんでも
この生き物の成長の為には役立てていきたいと考えています。よろしく。
若草内外通信編集委員会 63.5.20
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
募集
(1)看護婦、看護士
訪問看護…老人の訪問看護、及び精神科訪問看護のため3人いずれも正看
病棟の看護婦…夜勤の出来る人、準看でも可2人
デイケア…2グループに分けるため2人増員、正看
(2)住込みの出来る看護婦1人
夫婦者でも可、準看でも可
勤務場所:宮崎市大字内海・野島診療所
(3)医師
精神科:薬物療法は可能な限り排除して家族精神療法などを中心とした心理療法で対
処していき、病院の中でではなくて家族の中で治療していくという姿勢を基本に持つ
医師2人
内科:老人訪問看護の推進に情熱を注げる医師2人
(4)臨床検査も兼務できるレントゲン技師1人
(5)薬剤師1人
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木工室の案内
患者さんの作業療法の一貫として木工作業をしていますが、腕のいい大工さんが1人いて結構い
い作品ができています。机、食テーブルなど院内に実際出来ている作品をご覧いただいてご希望
の方はご注文をお引き受け致します。実費+日当が費用。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
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若草内外通信
売店のご案内
入院の必要な最低限のもののほか、寝たきり老人の家庭内介護のためのベッド、ポータブルトイ
レ、介護衣料、おむつカバー、車椅子などを販売しています。また患者さんがお世話になってい
る三重野牧場で出来た家庭園芸用の堆肥なども販売しています。どうぞご利用下さい。
★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
57
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