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1 - 愛媛大学

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1 - 愛媛大学
愛媛大学工学部 電気電子工学科
応用通信工学(都築准教授) 第11回講座
平成24年12月21日
無線通信の礎を築いた
偉大なる先人たち
電信ネットワークから
次世代移動通信まで
この資料において次のマークにはリンク
を張っています。
1
★:インターネット(国、大学又は準ずる団体)
■:インターネット(企業又は団体)
▲:インターネット(個人)
◆:インターネット(Wikipedia)
●:本資料内
株式会社NTTドコモ 四国支社
泉岡 恒世
目次
2
1.
序章・・・「塔」
『IEEE Milestone (マイルストーン)』は、電気・電子・情報関連の
2.
無線前史(古代)
分野において、技術的に優れていると同時に、社会に大きく貢献し
3.
無線前史(明治前期)
た発明や技術開発を讃えるため、IEEE (The Institute of Electrical and
4.
無装荷ケーブル通信方式の発明
Electronics Engineers, Inc.) が1983年に制定した顕彰制度である。現在、
5.
無線通信の夜明け(電波の発見)
世界で90件以上が認定されており、発明・開発から25年以上が経過
6.
電波利用のルール化(国際)
し、世の中の評価に十分耐えてきたものから選ばれています。
7.
電波利用のルール化(国内)
★Innovation Map ■特別寄稿
8.
電波利用のルール化(その後)
9.
波長の違い(電離層の発見)
10.
国際無線通信の移り変り IEEEマイルストーン(■2009 依佐美送信所)
11.
波長は更に短く(八木アンテナの発明) IEEEマイルストーン(★1995 八木・宇田アンテナ)
12.
波長は更に短く(テレビジョンの発明) 、 IEEEマイルストーン(★2009 高柳式テレビジョン・★2011 NHK衛星放送)
13.
波長は更に短く(マイクロ波通信の発達)
14.
波長は更に短く(衛星通信) IEEEマイルストーン(■2009 KDDI茨城宇宙通信実験所)
15.
無線通信の本領「移動通信」
16.
移動通信サービスの変遷(過去)
17.
移動通信サービスの変遷(現在 自動車・携帯電話サービスを除く。)
18.
自動車・携帯電話サービスの変遷
19.
転換期の訪れ(電気通信の自由化)
20.
これからの移動通信
21.
電波は限りある資源
22.
まとめ(その1)
23.
まとめ(その2)
参考資料1~11
参考文献・リンク集・付録1~2
1 序章・・・「塔」
皆さんは、この
「塔」を知ってい
ますか?
送信局舎跡
また、どの様な
目的で作られた
と思いますか?
★佐世保海上保安部ホームページ資料
◆Wikipedia ■YahooMap
▲写真 ★建築記録 (1) (2) (3)
3
★重要文化財
2 無線前史(古代)

*1
テレ・コミュニケーション (tele-communication)*2とは、一般には
「電気通信」と訳されるが、本来は「遠隔地間の通信」をいう。
 人は「五つの感覚(視・聴・触・味・嗅) 」を持っており、主に視聴
覚により通信を行っている。しかし、人間の声が到達し、目視で
きる距離や人間の移動速度は、物理的に限られている。
 人の能力限界を超える距離を通信するためには、視聴覚の補
助、通信媒体を輸送する手段、通信媒体に「情報」を載せる方法
に工夫が必要である。太古の昔から人は、早くかつ多くの情報を
送るため努力を重ねてきた。
 電気通信が発明されるまでの間は、太鼓・半鐘・ほら貝・角笛
*3
*4
(音波)や◆のろし・▲腕木伝信・■旗振り通信(光波)、◆伝書鳩・
◆飛脚(紙)などが利用されていた。 ( ) 内は媒体
う で ぎ で ん し ん
4
*1 tele:prefix (「遠く」の意) 例:tele-vision (光景)、tele-phone (音)、tele-graph[gram] (記録) tele-pathy (感情) *2 通信:人の意
思を他人に表示し、又は事実を通知すること。 *3 ●電信(tele-graph)の原形といわれている。 *4 大阪(堂島)で米取引に利用され
ていた。現在でも、手旗は鉄道駅などで◆合図に利用され、艦船では▲手旗信号として近距離通信に使用される。
【参考】 無線前史(古代)
 電気通信が発明されるまでの間は、のろし・
腕木信号・伝書鳩・飛脚などが利用されていた。
5
総務省ホームページから引用
3 無線前史(明治前期)

明治を支えた「電信・電話」ネットワーク
徳川幕府が朝廷に「大政奉還」した後、政権を引き継いだ明治政府
は、欧米に倣い急速に国家の近代化を進めた。
6

電信は、明治2年「東京-横浜」の回線を開通させて★公衆通信を開
始した後、順次国内電信網を整備し、明治20年ころには主要都市を結ぶ
★ネットワークが完成した。
*
また、国外とは明治4年、デンマーク資本の大北電信会社(GNTC)が
明治政府から陸揚権を取得し、「長崎-上海」及び「長崎-ウラジオス
トック」を開通させ、中国・ロシアや欧州とも結ばれた。

電話は、明治22年に「東京-熱海」の回線を開通させた。しかし、当時
は伝送距離が短く近・中距離(100km程度まで)通話が主であった。後に
●装荷ケーブル通信方式(大正11年)が採用されるまで、長距離通信は
中継の容易な電信の独壇場であった。
* GNTC:Great Northern Telegraph Company
【参考】 初期のモールス電信のしくみ
〈伝送路〉
〈電鍵〉
スイッチ
陸上線
陸揚庫
陸揚局
海底線
〈印字機〉
〈陸上線〉
【明治33(1900)年ころの電信柱】
300条以上の裸線路が掛けられ
ている。
印字機
【大正10(1921)年ころの送受信器】
送信用の電鍵と受信用の記録器
を配置している。
〈海底線〉
【国際通信史料館所蔵】
電鍵
7
【電気通信大学歴史料館所蔵】
【明治4(1871)年に敷設さ
れた海底線】
心線1条の鎧装ケーブル
【参考】海外電信の記録符号の一例
出典:日米海底線小史
【英文】
【和文】
8
【参考 明治20年末の電信線路図】
明治20年12月の電信線路図
(出典:国立公文書館デジタルアーカイブ)
明治10年ころの主な出来事
★9年7月 京都・大阪間鉄道開通
★10年9月 西郷隆盛が自刃する
(西南戦争終結)
★11年3月 電信中央局を東京に
置き、開所式を行う
★11年3月 最初の電灯(アーク灯)
が東京に灯る
【明治 9年 3月】
備讃瀬戸に海底ケーブ
ルが敷設される。
9
「松山電信発祥の地」石碑
(松山電信分局跡地)
場所:東堀端(松山役所西側)
③【明治11年
③【明治11年9月】
9月】
【明治10年3月】
①【明治10年 3月】
松山・今治・高知で
松山で電報の取扱
高松・丸亀で電報の
電報の取扱いが始まる。
いが始まる。
取扱いが始まる。
②【明治10年12月】
徳島で電報の取扱
いが始まる。
【参考】 電報用紙(送達紙)の変遷
明治11年(工部省時代)
三 島 【四
菱に 国
会発内
社せ初
の ら期
船れ
に たの
荷も電
をの 報
積 (郵 】神
ん便戸
だ汽か
?船ら
) ■徳
明治33年(逓信省時代)
容 え 【暗
がて 号
書い
か る電
報
れ。
電】
て 文株
い
式
るの の
。 左売
に
翻買
訳情
し報
たを
内伝
昭和39年(電信電話公社時代)
【慶
弔
電
報
】御
祝
電
報
【電報(国際電報を除く。)発信通数の推移】
 電報の発信通数は、明治4年には年間約1万9千通(東京-横浜・大阪-神戸間)
 ピークは昭和38年、年間9,461万通(慶弔比率14%)。明治4年の約5千倍。
 平成21年は、1,420万通(慶弔比率96%)。一般電報は昭和28年の僅か0.6%。
 今日、一般通信媒体としての「電報サービス」は既に役目を終えている。
10
【参考】 電話機のしくみ
アメリカ人「グラハム・ベル」
が発明した電話機(複製品)
電話事業開業(明治23年)
当時 の電話交換の様子
★電話のしくみ
日本における電話機の変遷
明治10年
明治23年
国産1号電話機
(輸入した電話
機を模造した)
11
電話創業当時に使用した
ガワーベル電話機
明治30年
明治42年
手回し式
電話機(ハ
ンドルを回
すことによ
り交換手
を呼出し、
相手先を
告げてつ
ないでもら
う。)
共電式電話機
(受話器を取上げ
るだけで交換手
につながる。)
大正15年
ダイヤル自動式電
話機(相手先の電
話番号によりダイ
ヤル盤を回転させ、
自動交換機により
つながる。)
昭和8年
ダイヤル自動式電
話機(送受話器が
始めて一体となっ
た。現在の電話機
の原型)
昭和44年
押しボタン式電話機
(プッシュホン:押しボ
タンの数や配置は、
万国共通)
【逓信総合博物館館所蔵】
【参考 初期の電話中継のしくみ】
■装荷線輪(コイル)用やぐら
■豊川電話中継所
初期の電話中継装置
のほとんどは外国製
であった。
〈架空線路〉
〈架空線路〉
装荷コイル
電話局
12
装荷コイル
電話
中継所
電話局
4 無装荷ケーブル通信方式の発明
 ◆松前 重義(まつまえ しげよし 1901-1991)は、熊本県に生まれ、東北帝国大学
に進んだ後、逓信省に技官として入省した。
当初、電話の中継は、「■装荷ケーブル通信方式」を用いた主に外国の技術に頼っ
ており、通話距離にも限界があった。そこで松前は、新しい発想により国産技術による
*1
「★無装荷ケーブル通信方式」を昭和7年に発明した。この技術は、広く利用されるよ
うになり、その後同軸ケーブルを経て、現在では光ケーブル通信方式に発展している。
 松前は、世界や社会の動向に無関心になりがちな技術者の意識改革と地位の向上
を訴える「技術者運動」を展開した。
また、当時の日本の科学技術が外国の技術に多くを依存していることに対し、国産
技術開発の重要性を説き、自らも無装荷ケーブル通信方式を発明するなど、その研
究に努めた。
 松前は、思想家「内村 鑑三」と出会って深い感銘を受け、数人の同志とともに「教
育研究会」という小さな集まりを持った。その後、現在の「私立東海大学」の母体となる
「望星学塾(ぼうせいがくじゅく)」を開設し、教育事業を開始した。
13
*1 ケーブルの伝送損失を補償するための「装荷(インダクタンス増加用)コイル」を挿入した 装荷ケーブル通信方式の欠点
を克服したもの。長距離の伝送が可能であり、多チャネルの搬送(多重)通信に使用できる画期的な ものであった。
【参考 F-6方式(6CH)無装荷搬送中継装置の概要】
出典:電気通信自主技術開発史
四国搬送史、東京搬送のあゆみ
ケーブルの伝送特性
装荷ケーブル
減
衰
量
無装荷ケーブル
0
1000
2000
3000
周波数(Hz)
しゃ断周波数
14
4000
【参考 昭和31年の無装荷ケーブル区間】
昭和31年9月の無装荷搬送ケーブル区間図
(出典:電話局の写真館)
この先、朝鮮半島を縦断し、
旧満州(新京)に至る。
15
15
5 無線通信の夜明け~電波の発見~
 1864 (元治1)年 マクスウェル(英)が電磁波の存在を予言
 1886 (明治19)年 志田 林三郎(逓信省)が河水を導体とした導電式無線通信を試
みる。




1888
1890
1895
1897
(明治21)年ヘルツ(独)が電磁波の存在を実証(★情報のカタチ【電波実験の成功】)
(明治23)年ブランリー(仏)が◆コヒーラ現象を発表
(明治28)年マルコー ニ(伊)が無線電信機を発明
*
(明治30)年松代 松之助(逓信省電気試験所)が国産無線電信機を開発し、
★通信実験に成功(★日本における無線通信の黎明 2.1~2.5)
 1899 (明治32)年日本海軍が無線電信の研究に着手し、1902年(明治35)に★三六
式無線電信機を完成し、日露戦争において歴史的な成果を挙
げた。 (▲日本における無線通信の黎明、■本日天気晴朗なれども浪高し)
 1901 (明治34)年マルコーニ(伊)が大西洋横断無線電信実験に成功
 1908 (明治41)年逓信省が★ 国内に始めて無線局(陸上4局、船舶10局)を設置
し、国際航路の船舶と無線通信を開始
16
* 逓信省電気試験所:逓信省の付属研究機関。現存する以下の3研究機関の前身 ①★(独)情報通信研究機構 (旧郵政省電波研究所)、
②■日本電信電話株式会社情報ネットワーク総合研究所 (旧逓信省(日本電信電話公社)電気通信研究所)、③★(独)産業技術総合研
究所 (旧★国立研究所電子技術総合研究所)
6 電波利用のルール化(国際)

船舶は世界の隅々まで
航空機が実用化されるまで海外に渡航する手段は船舶のみであった。
船舶は陸上との通信手段を無線通信に頼っており、世界中を往来すること
から国際的な取り決め(周波数・通信方法の統一など)が必要であった。

電波はどこまでも
空間に輻射された電波は、通信相手に届くもの以外は他の通信にとって
妨げであることから、混信を防止するための国際的な取り決め(電波の質な
ど)が必要であった。

17
国際無線電信連合の創設
1906(明治39)年、「国際無線電信連合」が、ベルリン(独)において創設さ
れた。その後、万国電信連合(1865 (元治1)年創設)と統合し、1932(昭和7)
年 「国際電気通信連合(★ITU)」が、ジュネーブ(ス)において発足した。
この国際機関は、現在も無線通信を含む電気通信の国際的な調整や標
準化を行っている。
7 電波利用のルール化(国内)

電信法の制定
(有線)電信について、日本は1879(明治12)年、セント・ピータースブルグ(露)
で締結された「万国電信条約」に加盟し、1900(明治33)年3月、国際規格に準
拠したに「電信法」を制定した。

無線電信を「電信法」に準用
*1
明治33年10月、無線電信に「電信法」を準用し、政府が管掌する(私設を認
めない。)と定めた。

国内法を制定
1906(明治39)年、「国際無線電信連合」がベルリン(独)で創設され、同時に
「国際無線電信条約」が発効し、日本もこれに併せて「無線電報規則」などの
国内法令を制定した。明治41年、国内初となる無線局(陸上4局、船舶10局)を
*2
設置し、国際航路の船舶との電報通信を開始した。(同時に無線従事者の養
成も開始した。)
18
*1 政府管掌の経緯:海軍が無線電信機を兵器として開発中であり、混信を恐れたことから逓信省に申入れたと言われている。
*2 無線電信従事者の養成機関:明治40~逓信官吏練習所 (後の郵政大学校)など
8 電波利用のルール化(その後)

「タイタニック号」の悲劇
1912(明治45)年に起きた「◆ タイタニック号遭難事故」を教訓とし、1914(大
正3)年「★海上における人命の安全のための国際条約 (ロンドン条約)」が採
択され、乗客全員分の救命艇の設置、無線電信の義務付けと国際遭難周波
数500kHzの24時間聴取などが決められた。

一部私設を認める「無線電信法」の制定
1915(大正4)年、日本ではロンドン条約の採択を受け無線局の開設を船主
に認めるなど一部私設を容認した「無線電信法」を制定した。(政府管掌は変
わらず)

19
現行憲法下における「電波法」の制定
無線電信法は、第二次世界大戦の敗戦後の1950(昭和25)年5月31日をもっ
て廃止され、日本国憲法下において1950(昭和25)年6月1日、「★電波法」が
施行され、現在に至っている。(電波を広く国民に開放した。)
適用除外:自衛隊と在日アメリカ軍が日本国内において運用する無線局(「★
自衛隊法第112条」、「★電波法の特例に関する法律」、「★日米地位協定」)
9 波長の違い~電離層の発見~



ヘルツの実験 6m(50MHz)~0.7m(430MHz)程度
マルコーニの実験 7.5m(40MHz)~6000m(50kHz)程度
国内最初の公衆通信用無線局
300m(1MHz)・600m(500kHz)・1600m (187.5kHz)
 マルコーニが最初に通信実験を成功させた距離は、わずか2.4km(40MHz)だ
った。1901年、大西洋横断(3000km程度)通信実験(夜間)に成功したときに使用
した波長は366m (820kHz)とされているが、実際には高調波(短波帯)だったので
はないか、と言われている。
 幾多の研究から超長波(VLF)が長距離通信に適している(Austin-Cohen
formula)ことが分かり、その後は超長波通信が主流となった。
*
 しかし、アマチュア無線家の貢献もあり、短波が小電力でも電離層反射によ
り長距離通信が可能であることが分かり、その後は短波通信の時代が訪れた
のである。
(★無線通信と電離層)
20
* 電波伝搬は、★地表から近い順にD,E(Es),F層が存在し、D層は夜間に消滅し、Es層は突発的に発生する。周波数が低
いほど影響を受け易く、電波を吸収したり、反射したりする。
10 国際無線通信の移り変り
 続々と建設された(超)長波による対海外通信用の無線通信施設(■日本の国際通信事始)
明治時代、対外通信は●大北電信会社など外国の海底ケーブルに依存するところが大き
かった。そこで逓信省は日本独自の通信手段を確保するため、また日本軍も海外に進駐し
た部隊と連絡を取るため、大正初期から昭和初期にかけて日本各地にモールス電信による
●無線通信施設を建設した。
 長波から短波へ
当初、無線による長距離通信には「長波」が有効であることが知られていたが、大きな電
力とアンテナが必要であり、建設費用や敷地の確保に苦心した。大正末期、電波を反射する
●電離層の存在が明らかになり、短波を利用することにより小電力でも長距離通信が可能で
あることが分かった。その後、昭和初期から長距離通信の主流は短波へと移った。
 無線電話などの登場
欧米では、昭和になって「短波」による長距離無線電話が実用化されたことから、日本でも
1934(昭和9)年にはマニラ(フィリピン)との間で国際電話が開始された。その後1938(昭和13)
年ころには世界11ヵ国との国際通話が可能になった。また、●印刷電信(テレックス)や模写
電信(ファクシミリ)も登場した。
 短波通信の終焉
21
国際短波通信は1965(昭和40)年ころには極限に近い約300回線に達した。しかし、電波状
況が不安定な上、需要にも追い付けなくなったことから、対船舶・航空機通信を除いて新しい
技術の●海底通信ケーブルや●通信衛星に役目を譲り、国際通信媒体から姿を消した。
11 波長は更に短く~八木アンテナの発明~
 敵が利用した数奇な歴史・・・★八木・宇田アンテナの発明(★情報のカタチ)

1924 (大正13)年、東北帝国大学の「◆八木 秀次(やぎ ひでつぐ 1886-1976)」教授は、
学生から卒業実験「単巻コイルの固有波長の測定」の最中に測定用メータの振れがおか
しい、と相談を受けたことに着目し、「指向性アンテナ」を発明した。その後同大学の宇田
新太郎講師とともに実用化研究を進め、このアンテナを用いて1929(昭和4)年、仙台と大
鷹森の間、約20kmの通信(周波数約660MHz)に成功した。

しかし、この発明は日本国内ではあまり注目されず、後に第2次大戦最中の1942(昭和
17)年、日本軍がシンガポールを占領した際、ごみ焼却場からレーダに関する技術資料
(▲ニューマン・ノートと呼ばれる。)を発見したことにより、再び注目を集めた。日本軍の技
術将校は、このノートに「YAGI array」という単語を見つけたが、その意味がわからず
ニューマンに尋ねたところ、「YAGIは、このアンテナを発明した日本人だ」と聞き、絶句し
たと言われている。

22
当時、奇襲攻撃を得意とする日本海軍では、「敵前で電波を出すなど闇夜に提灯を灯
すに等しく、レーダは必要ない」との考え根強かったが、気付いた時には既に遅く、このア
ンテナを使った▲起爆装置を搭載した◆原子爆弾が広島・長崎に投下され、日本を敗戦
へと追い込んだ。しかし、今日ではテレビアンテナをはじめ、広く利用されている。
*
 八木は戦後、「独創」を重視し、多くの研究者や学者を世に送り出した。
* 湯川 秀樹(理論物理学・中性子論)、江崎 玲於奈(半導体の研究・トンネルダイオード)、西澤 潤一(半導体の研究)など
【参考】 八木・宇田アンテナ発明の発端
となった実験の想像図
八
木
教
授
小
関
助
手
西
村
学
生
アンテナ
単巻コイル
鉱石検波器
ホルボーン式平行発振器
波長:1m
~10m
~
異常な現象が起き
た際の波長は2.5m
M
波長計
1m
30㎝
50㎝
10m
21
マイクロ・
アンメータ
12 波長は更に短く~テレビジョンの発明~
 将来、必ずや人々に幸せをもたらす夢の機械を創り出す・・・「テレビ
ジョンの発明」 (★高柳教授と静大卒業生、★高柳健次郎の最初のテレビ実験、★IEEEマイルストーン)
22
 ◆高柳 健次郎(たかやなぎ けんじろう 1899-1990)は、1924(大正13)年に浜松高
等工業学校(現静岡大学工学部)の助教授に就任してテレビジョンの研究を開始し、
1926 (大正15)年に世界で初めて 「イ」の文字の送受像に成功した。(★情報のカタチ
【日本発のテレビ実験成功】)この仕組みは、送像側に機械式の「◆ニプコー円板(★情報の
カタチ)」、受像側に電子式のブラウン管(★情報のカタチ【CRTの発明】)を用いたものだった。
 1935(昭和10)年、高柳は予てから全電子式が必須であると唱え、撮像管「アイコ
ノスコープ(★情報のカタチ)」が発明されたことにより、その原形が完成した。
 1953(昭和28)年、実用テレビ放送は日本放送協会(NHK)が東京において開始し、
続いて民間放送会社もできた。
また、1960(昭和35)年にカラー放送を開始した。その後、テレビは発展を続け、
1984(昭和59)年に衛星放送、1989(平成元)年に世界で始めて衛星によるアナロ
グ・ハイビジョンの定時実験放送を開始した。
 2000(平成12)年、衛星放送はアナログからデジタルに移行を開始し、2003(平成
15)年からは「地上デジタル放送」が開始された。なお、地上アナログ放送は、
2012(平成24)年3月31日に終了した。
13 波長は更に短く~マイクロ波通信の発達~
 無線多重(搬送)方式の開発
昭和に入ってから加入電話の増加により通信量が伸びるにつれ、より多くの情
報を送れる超短波(VHF)帯を利用した方式が研究された。1940 (昭和15)年、逓信
省は本州と北海道の間(61km)で日本最初の超短波多重電話通信回線(75MHz,6
チャネル)を開通させ、その後全国で60/200MHz帯を使用した回線を整備し、昭和
30年前半ころまで使用された。
 日本を覆うマイクロ波通信網の完成
1953(昭和28)年、日本放送協会(NHK)は東京-名古屋-大阪間の国内初の長距
離テレビ中継回線を開通させた。続いて翌昭和29年、日本電信電話公社も同区
間の電話中継回線を開通させ、1964(昭和39)年、北は北海道稚内から南は沖縄
県那覇に及ぶ日本縦断のマイクロ波通信網が完成させた。
 離島を結ぶマイクロ波回線
23
マイクロ波は、障害物により電波が著しく減衰して通信が途絶するが、日本本土
*
から見通しのない奄美大島や沖縄本島との通信は、山岳回折波を利用した見通
し外通信技術が使われた。国際通信の例もある。(▲写真★地図)
* ★見通し外通信技術:電波が山岳尾根により回折、また対流圏により散乱する際の再放射波により通信する技術。
14 波長は更に短く~衛星通信の発達~
 通信衛星の誕生
1960(昭和35)年、アメリカが初めて「受動型」通信衛星(エコー1号)を打上げ、通信実験
を行った。その後、同国から打ち上げられた「能動型」通信衛星(リレー1号)により、
1963(昭和38)年、茨城宇宙通信実験所とアメリカの間で、初の日米間太平洋横断テレビ
中継を成功させた。(「●茨城宇宙通信実験所」はKDDI (旧KDD)が設置した施設、現在は地元自治体が所有)
 商業衛星の登場
24
*
(★静止衛星及び周回衛星)
 INTELSAT(インテルサット)【国際固定通信】
1965(昭和40)年からサービスが提供され、現在は国際機関である「国際電気通信衛
星機構(★ITSO)」の監督のもと、民間会社の「インテルサット社(米)」が運用を行っている。
(■随時映像伝送サービス)
 INMARSAT(インマルサット)【国際移動通信】
1979(昭和54)年からサービスが提供され、現在は国際機関である「国際移動通信衛
星機構(★IMSO)」の監督のもと、民間会社の「インマルサット社(英)」が運用を行っている。
(■インマルサット・サービス)
 その他の衛星通信サービス(代表的なもの)
国内衛星を使うもの:JCSAT(■スカパーJSAT)、SUPERBIRD (■スカパーJSAT) 、
N-STAR(■NTTドコモ)」、国外衛星を使うもの:「イリジウム(■KDDI)」( )内は運用会社
* 通信に使用する周波数帯:C帯(6GHz帯(アップリンク)/4GHz帯(ダウンリンク))、Ku帯(14GHz帯(アップリンク)/12GHz帯(ダウンリンク))、
Ka帯(30GHz帯(アップリンク)/20GHz帯(ダウンリンク)
15 無線通信の本領「移動通信」
 移動通信のはじまり
陸地から遠く離れた船舶が、航行の安全や陸地との連絡を確保するため、1908(明治
41)年、無線電信(電報)からは始まった。
 技術の発展
真空管(★情報のカタチ)の発明(1906年)により装置が小型化され、自動車や航空機
にも搭載が可能になった。しかし、第2次大戦前は、電波を国民に開放していなかったこ
とから、主として兵器として使用されていた。また、無線電話も実用化され、技能を要す
るモールス電信操作が不要になった。(▲旧日本軍無線通信資料館 ★戦闘機の通信設備)
戦後、国民に電波が開放され、広く社会において利用され始め、半導体の発明により、
更に●小型化・省電力化が進んだ。また、電池の高容量化により、人が携帯できる無線
機も登場しが、一般国民が日常的に使えるようになったのは、携帯電話が普及したここ
十数年前からである。
 高い周波数の開発とデジタル化
28
◆航海練習船「日本丸」 ■日本航空旅客機「JA8264」
★無線局免許
★無線局免許
長距離通信(衛星経由を除く。)の必要がある船舶や航空機は、短波など波長の長い
電波を使用する必要があるが、比較的短距離の通信は、●波長の短い電波を使用する
ことにより多くの人が、多くの情報を送れるようになった。
また、デジタル化技術も周波数の有効利用に貢献し、さらに大容量化の道をたどって
いる。
16 移動通信サービスの変遷①
 船舶無線電報
■無線電報の仕組み ▲長崎無線電報局(JOS) ▲外航船舶無線局(東北丸)
1908(明治41)年に逓信省が、世界中を航行する船舶を対象に開始した。(周波数は中波、後
に短波帯も使用) 当初は、銚子(JCS)・長崎(JOS)など海岸局5局と船舶局10局から始めた。最
後は日本電信電話株式会社(NTT)に引き継がれ、1999(平成11)年、長崎無線(JOS)を最後に
サービスを終了した。
 遠洋船舶無線電話
▲東京レイディオ(JBO)
1936(昭和11)年に逓信省が、世界中を航行する船舶を対象に開始した。(周波数は短波帯
を使用) 当初は「名崎無線送信所」から始め、「小山送信所」に移転した。最後はKDDIに引き
継がれ、2003(平成15)年にサービスを終了した。(■最後に使用された送信機)
 無線呼出(ポケット・ベル/ページャ)
■システム構成
1968(昭和43)年に日本電信電話公社が、国内を対象にサービスを開始した。(周波数は150
MHz、後に250MHz帯を使用) 最後はNTTドコモに引き継がれ、2007(平成19)年にサービスを
終了した。昭和62年からNTT以外も参入したが、現在では「■東京テレメッセージ」のみがサ
ービスを継続している。)
 航空機(公衆)無線電話
29
★システム構成
1986(昭和61)年に日本電信電話(NTT)が、日本上空を飛行する大手3航空会社の国内線大
型ジェット旅客機を対象に開始し、自家用機にも拡大された。 (周波数は900MHz帯を使用) 20
01年(平成13) には「N-STAR衛星」を利用するサービスに移行した。最後はNTTドコモに引き
継がれ、2004(平成16)年にすべてのサービスを終了した。
17 移動通信サービスの変遷②
(自動車・携帯電話を除く。)
 船舶無線電話
■250MHz帯のシステム構成
1953(昭和28)年に日本電信電話公社が、東京湾及び大阪湾を航行する船舶を対象に開始
し、日本沿岸にサービスを拡大した。(周波数は150MHz帯、後に250MHz帯を使用) NTTドコモ
に引き継がれ、1996(平成8)年には「N-STAR衛星」を利用するサービスも開始した。VHF(250
MHz)帯を利用するサービスは、1999(平成11)年に終了した。
 列車公衆電話
■システム構成
1957(昭和32)年に日本電信電話公社が、近鉄電車(大阪-名古屋間)、1960(昭和35)年からは
国鉄東海道線の特急電車において開始した。 (周波数は近鉄が◆長波帯誘導方式、国鉄が
400MHz帯空間波方式を使用) 現在ではNTTコミュニケーションズとソフトバンクテレコムが、
JR新幹線において専用システム(◆400MHz帯漏洩方式、秋田・山形新幹線の在来線区間は
NTTドコモの携帯電話網)により提供しており、その他は携帯電話システムを流用している。
 衛星電話(国内衛星) ■システム構成
1996(平成8)年にNTTドコモが、日本の国内・近海・上空を対象に静止衛星「N-STAR」を利
用した衛星電話サービスを開始した。当初は250MHz帯を使用する船舶電話の代替システム
として始まったが、その後、小型化が進み、車載や携帯利用も可能になった。衛星からの電波
が届く場所であれば、どこでも利用できる。
 その他の公衆移動通信サービス
30
地上系には■簡易携帯電話(PHS)(NTTドコモは2008(平成20)年にサービスを終了、■ウィ
ルコム(音声+データ)はサービス中。 その他、衛星系には●インマルサットや●イリジウムな
どがある。
【参考】 移動通信サービスの種類①
 船舶を対象とした電報・電話サービス(終了したもの)
アンテナ
船舶内の大型無線機
(遠距離通信用)
電波
アンテナ
電報
電話
海上・陸上との間で通話・通信ができる
日本国土
30
船舶内の小型無線機
(近距離通信用)
【参考】 移動通信サービスの種類②
 航空機・列車・自動車などを対象とした電話・呼出サービ
ス(終了したものを含む。)
初期のポケットベル(昭和47年)
初期のアナログ式自動車電
話(昭和54年)
航空機内の公衆電話
自動車電話無線機
高(H) : 約880mm
縦(D) : 約350mm
横(W) : 約228mm
重量 : 約7Kg
31 数字表示式ポケットベル(昭和62年)
JR新幹線車内の公衆電話(サービス中)
【参考】 移動無線電話(電報)サービスの変遷
1908年
(明治41年)
1930年
(昭和5年)
1940年
(昭和15年)
1950年
(昭和25年)
1960年
(昭和35年)
1970年
(昭和45年)
1990年
(平成2年)
旧来のサービスが終了したこと
により衛星系の新規サービス
により、衛星系の新規サービス
に移行した。
船舶無線電報 (逓信省→NTT )
1908
1980年
(昭和55年)
2000年
(平成12年)
1999
2003
国際船舶無線電話 (逓信省→KDDI )
1936
沿岸船舶無線電話 (NTT→ドコモ)
1953
1957
地上系システム
2012年
(平成24年)
1999
列車(JR新幹線)無線電話 (NTT・ドコモ・ソフトバンク)
1968
無線呼出 (NTT→ドコモ・東京テレメッセージ)
ドコモは2007年に終了
自動車/携帯無線電話(NTT→ドコモ・KDDI・SBM・EM )
凡例:
サービス提供中 (提供会社)
1979
1995
PHS(ドコモ・ウィルコム)
開始年
ドコモは2008年に終了
サービス終了済 (提供会社)
開始年
国内航空機無線電話(NTT→ドコモ)
終了年
1986
2001年からは「ワイド
スター」に移行した。
衛星系システム
33
1979
2004
ワイドスター (ドコモ)
1996
インマルサット (KDDI など)
イリジウム(KDDI )
1998
18 自動車・携帯電話サービスの変遷
 自動車電話の研究
■実験システムの構成
1961(昭和36)年、日本電信電話公社が400MHz帯を使用する自動車電話方式の研究を開始
し、1967(昭和42)年から東京において実験を行った。通話容量など問題により実用化には至ら
なかったが、都市災害対策用可搬無線電話として使われた。
 実用システムのサービス開始
■最初の自動車電話 ■ショルダー・ホン、■初期の携帯電話
その後、研究を進め1979(昭和54)年、800MHz帯の周波数を使用するアナログ方式の自動
車電話サービスを開始した。当初の加入者数は約1,600、料金は保証金20万円、基本料金3万
円、通話料金昼間4.5秒/10円(160km超)であり、現在と比較して高額だった。
 携帯電話の登場・普及
■携帯電話ムーバ ★基本料金の変遷 ★加入者数の推移
1987(昭和62)年には「携帯電話」が誕生し、1988(昭和63)年からはNTT以外の事業者が参
入し、事業者間の競争が始まった。1994(平成6)年には電話機の「買取制度」を開始し、料金
の低廉化に伴って急速に普及が進んだ。(★2012年11月末時点の契約数:約1億2千8百万)
 携帯電話通信方式と周波数の変遷
音声のみ
34
9k~144kbps
384k~2.4Mbps
7.2M~42Mbps
37.5M~(300)Mbps
第1世代
第2(2.5)世代
第3世代
第3.5世代
第3.9世代
アナログ方式
デジタル方式
(800M/1.5GHz)
DC-HSDPA方式
MC-EVDO方式
LTE方式 (2010~)
(800MHz)
W-CDMA方式
CDMA2000方式
(800M/1.7G
/2.0GHz)
(800M/1.7G/
2.0GHz)
データ通信速度
(800M/1.5G/
1.7G/2.0GHz)
【参考】携帯電話等の進化
34
35
出典:電波有効利用の促進に関する検討会報告書
【参考】携帯電話の伝送速度の変遷
出典:総務省電波政策懇談会 報告書
36
■OFDMA(MIMO)
方式の概要
【参考】移動通信サービスの伝送速度の変遷
出典:総務省情報通信審議会「携帯電話等周波数有効利用委員会報告」 (平成20年12月11日)
42M
DC-HSPA
(WiMAX)
37
37.5M
【参考】移動通信トラフィックの推移
38
出典:電波有効利用の促進に関する検討会報告書
【参考】ドコモのLTEサービスの概要
(■2010年12月24日、東名阪でサービス開始
四国地区では2012年11月 4県庁所在地ほか主要都市
でサービス中)
下り速度37.5M~100Mbps
39
【参考】ドコモのLTEサービスの概要
9月開始
9月開始
40
15
14
100Mbps
110Mbps
41
42
43
【参考】ドコモのネットワーク高度化戦略
サービス開始時点
DL:75(37.5)M/UL:25(12.5)M
M
44
19 転換期の訪れ (電気通信の自由化)

電気通信を自由化
電信電話事業は、全国を均一に普及させること目的として
明治初期から国(官)営とされてきた。しかし、事業開始から
116年目の1985(昭和60)年、政府は「料金の低減」・「サービス
の質向上と多様化」を目指して、電気通信事業の国家独占を
止め、自由化した。それに伴い日本電信電話公社を民営化し
、新規参入する事業者を認めた。(★通信料金の変遷)

競争原理の導入
電気通信の自由化前後から「第二電電」「日本テレコム」や
「日本高速通信」などの新規参入事業者が現れ、低料金を武
器に次々と経営成果を上げた一方、熾烈な競争に巻き込まれ
、廃業や吸収合併されるなど、淘汰された事業者も多かった。
45
*主たる出資者 第二電電:京セラ・三菱商事など 日本テレコム:日本国有鉄道など
なお、いずれの会社も合併などにより会社名は存在していない。
日本高速通信:日本道路公団・トヨタ自動車など
20 これからの移動通信
 移動通信サービスの需要は大容量へ
地上系の移動通信は、波長の長い電波を利用したモールス電信から始まった。その
後、多くの情報を送ることができる●高い周波数に移行しており、今後は新たに3.6GHz
帯の使用が予定されている。
併せてデバイスやデジタル技術の進歩により、携帯端末に対し文字・音声はもちろん、
動画を送れるようになっており、近い将来は移動しながらハイビジョン動画が見られるだ
ろう。
 その他の移動通信サービス
広帯域移動無線アクセス(周波数2.5GHz帯)・・・通信速度:20M~100Mbps)
 全国系:■UQコミュニケーションズ(WiMAX)、■Wireless City Planning:旧ウィルコム(XGP)
 地域系:■愛媛CATV、■株式会社 ハートネットワーク
 これからの移動通信サービス
2011年以降、第4世代移動通信(IMT-Advance:3.6GHz帯の予定)の開発が見込まれており、
今後は固定通信との融合が進み、利用者が「移動」と「固定」を意識しない、シームレスなIP
ネットワーク (FMC) を形成していくであろう。
46
FMC: Fixed Mobile Convergence
21 電波は限りある資源
 電波は限りある資源
(●「電波の木」)
電波資源は無尽蔵ではない。日増しに需要が高まる中、効率的に使わなけれ
ば、いつかは尽きてしまう。
そのため、電波の監理を行っている国(総務省)は、その使用状況を見ながら、
利用者に周波数の移行を促したり、新しい周波数帯や利用技術を開発し、周波
数の再編成及び再割当を行っている。
 「電波」と「土地」は似ている?
財産の
所有者
財産の
限界
再利用の方法
(技術)
資源開発の方法
国・法人・
個人(私有)
有限
再開発
(高層化など)
造成・埋立
(広い面積)
国民の共有
(管理者:国)
有限
再編成
(デジタル化など)
技術開発
(高い周波数)
土地
電波
47
*
* 特定の個人、法人や団体、ましてや国のものではなく、あくまで「日本国民の共有財産」である。
22 まとめ(その1)
 電波は誰のもの??
日本において電波が通信に利用され始めたのは明治後期である
が、それから第二次大戦が終わるまでの約50年間は、一部を除き国
が電波の使用を独占してきた。
*
戦後、日本国憲法が施行された後、「電波法」が制定され、電波が
広く国民に解放された。 すなわち、「電波は国民のものである。」
 電波資源は無尽蔵か??
48
電波は広く空間に輻射されることから、基本的に電波が届く範囲に
おいて同じ周波数の共用ができない。
したがって、電波を効率的に利用するためには、周波数の再編成
や電波利用の技術開発を行っている。
すなわち、「電波は限りある資源である。」
* 電波法第1条 この法律は、電波の公平且つ能率的な利用を確保することによって、公共の福祉を増進することを目的とする。
23 まとめ(その2)
 無線通信の礎を築いた先人たち
49
現在日本の科学技術や無線通信の発展は、日本国が外国に門戸を開いた明治維新
以降における、日本人の多くの研究者や技術者の弛まぬ「努力」と「研鑽」の積重ねによ
り実現しています。
明治初期は、外国の技術を貪欲に取り入れながらも、次第に日本独自の技術を開発
する機運や人材が育ったことにより、今日の「科学技術立国」としての日本があります。
いま通信工学を学んでいる学生の方は、勉学のほか、先人が築いた「実物」を積極的
に見聞きし、また触れてください。そして、行き詰ったり迷ったりしたときは、少し立ち止
まって、その歩みを振り返ってみてください。そこには、現在の難局を打開するヒントが
発見できるのではないでしょうか。 いや、私はそう信じています。・・・
 志田 林三郎・・・工学の発展は、理論と実験の親和による。
 八木 秀次・・・予想しなかった結果が出る実験こそ重要、理論より実験が大事だ。
 松前 重義・・・技術者は世界や社会の動向に目を向け、事務系など他の考えを
持っている人との相互理解が必要である。
 高柳 健次郎・・・ 一つの目的に結集した多人数の知恵は、天才的な力を発揮する。
・・・ご清聴をありがとうございました。
参考1 「電信」

電信とは・・・
人の意思を表す文字、数字、記号又は画の系列を、電気的手段によって遠隔地に伝送し、
そこに記録として再現させ、宛先へ届ける仕組み。













50
使用符号
( )内は符号の特徴
モールス符号(短点符号・長点符号の組合せ)
+
現波符号(極性ありの等長符号の組合せ) 、
-
印刷電信符号(複数単位の等長符号の組合せ)などがある。
方式
[ ]内は欧文の通信速度
1 1 0 1 0 1
*
◆モールス(Morse)電信[手送18ボー、機械送13-250ボー]
★現波電信(Cable Telegraph System) [手送9ボー 、機械送9ボー]
■印刷電信(Printing Telegraph System) [45.5ボー]【サービス名:◆テレックス】
写真電信・模写電信(Photograph System, facsimile)[ー]
受信方法
音響受信・・・人が聴覚により受信し、受信者の記憶から文字などに復号する。
機械受信・・・機械により紙に印字又はさん孔し、人の記憶若しくは機械により文字に復号する。
通信路
★初期は裸電線の架空敷設 ■明治初期の電信線の敷設模様
* ボー (Baud):単位パルス長(秒)の逆数。 仏電信公社の技術者 Baudot にちなむ。
参考2 明治期の「工部省」という官庁
 「工部省(こうぶしょう)」とは・・・
(
)
工
工部
学大
寮学
校
)
製
鉄
寮工
・造 作
局
船
寮
(
鉱
山
寮
局
( )
灯
台
寮
局
( )
電
信
寮
局
( )
明治18年に工部省を廃止し、
逓信省を新設した。
明鉄
治道
25 庁
年を
か経
らて
(
逓
信
省
へ 農
移商
管務
省
帝文
国部
大省
学
工へ
科移
大管
学
農
商
務
省
か
ら
移
管
)
51
鉄
道
寮
局
( )
明治政府は明治3年、欧米の産業技術を日
本へ導入すること目的とし、鉄道・電信・灯台の
建設など、「官業の経営」を主たる業務とする行
政官庁「工部省」を設置した。また、工部大学校
を置き、業務に従事する技術者の養成を併せ
て行ったことも特筆される。
*
明治10年代に入ると、近代化政策の変遷に
伴う「★官業の民間への払下げ」が進み、また
内務省・農商務省が管轄する郵便(駅逓)事業と
の一体経営が論じられた。
その結果、明治18年に民間への払い下げを
行わなかった「鉄道・電信・郵便」事業を、新しく
設立した逓信省に引き継ぐ形により工部省は廃
」の名称は、 「志田 林三郎」が「駅逓」と「電信」から
止された。 (「逓信省
一文字ずつ採って名づけたと伝えられている。)
工
部
省
鉄
道
局
電
信
局
灯
台
局
管
船
局
駅
逓
局
* 明治初期の「殖産興業」政策を担った官庁は、工部省のほか、明治7年に
設立された内務省、明治14年に設立された農商務省があり、社会情勢の変遷
のなか、時代に即した政策を展開していった。
逓信省は、昭和 24年まで電信・電話及び郵便行政及び事業を担った。
参考3 「志田 林三郎」と電気学会
 *1◆志田 林三郎(しだ りんざぶろう)は、1885年(安政2年)に現在の佐賀県に
生まれた。彼の非凡な才能は幼いころから頭角を現し、明治5年、工部省工学
寮(明治10年から工部大学校)に入学した。明治12年に電信科を首席で卒業し
た後、スコットランドのグラスゴー大学に留学して優秀な成績を修め、明治16年
に帰国した。
その後は工部省、明治18年からは逓信省の電信局に勤務した。また、工部
大学や帝国大学の教授も兼ね、明治20年には日本で始めて工学博士の学位
を授与された。
明治21年、志田は電気工学の発展を予見して「★電気学会」の必要性を説き、
800人を超える賛同者を得て、これを実現させた。
なお、初代の会長には当時の逓信大臣◆榎本 武揚を迎え、志田は幹事に
就いた。また、志田は同年の創立総会に際し、将来の電気工学発展を予測し
*2
た名演説を行った。(★演説の原文、■演説の現代語訳)
その内容は、①多重高速電信②無線通信③テレビ・ラジオ④音声記録再生
装置⑤電気鉄道船舶⑥電気飛行船⑦長距離送電⑧宇宙地磁気による地震気
象予測など、当時としては独創的なものであった。
え の も と
52
た け あ き
*1 志田は明治25年、わずか満36歳の若さで死去した。 *2 志田の演説は、電気学会の組織と事業に始まり、電気、電気通信、
電灯及び電気エネルギー利用の沿革並びにそれを基にした未来予測や今後解決すべき課題と電気学会の役割に及んでいる。
参考4 明治初期の工学教育
)
土
木
科
機
械
科
電
電気
信工
科学
科
)
53
工
工部
学大
寮学
校
(
明治政府は、欧米の技術を導入する
*1
ため、技術を習得した外国人を招聘し、
その指導の下に国家の近代化を進めた
一方で、明治初期から日本人の技術者
も養成していた。特に高級技術者を養成
するため明治4年、工部省内に▲工学寮
(明治10年から工部大学校) を置いて外
国人教授から技術を習得し、工部省廃
止までの14年間に211名の卒業生を送り
出している。また、工部大学校以外でも
官立又は私立による技術者や実業者を
*2
養成するための学校が創立された。
(
工部大学校とは・・・
造
家
科
明治4年から明治
18年まで存在し、帝
国大学工科大学 (後
の東京大学工学部)
に移管された。
実
地
化
学
科
鉱
山
科
冶
金
科
造
船
科
◎主な卒業生
 機械科・・・安永 義章:ダイハツ工業の創立者
 電信科・・・志田 林三郎:■日本人初の工学博士、
電気学会 の創立者
・・・藤岡 市助:電灯(アーク灯)の父
■㈱東芝の創業者の一人
・・・浅野 応輔:逓信省電気試験所を創設、
★無線通信の研究に貢献
 造家科・・・辰野 金吾:■日本銀行本店や東京駅
の設計者
 化学科・・・高峰 譲吉:消化酵素「タカジアスターゼ」
の発見者
*1 「お雇い外国人」と呼ばれていた。 *2 官立 東京職工学校 (明治14)→ ★国立 東京工業大学、 社団法人電信協会 無線電信講
習所(大正7)→★国立 電気通信大学、 私立 工手学校 (明治20) → ★私立 工学院大学、 国立 新居浜工業専門学校 (昭和14)→
★国立 愛媛大学工学部
参考5 「海底通信ケーブル」
 ◆海底ケーブル
電信線
1871 (明治4)年、デンマークの大北電信会社( Great Northern Telegraph
Company )によって「長崎~上海」及び「長崎~ウラジオストック」間の海底電信
ケーブルが敷設され、日本の国際通信がスタートした。(鎧装された1本の銅線)
 同軸ケーブル
1964(昭和39)年、神奈川県二宮~グアム~ハワイを経て米国本土へ続く、日
本最初の国際同軸海底ケーブル「TPC-1(Trans Pacific Cable-1)【第1太平洋横
断ケーブル】」が開通した。 (容量:電話128回線相当)
 光ケーブル
1989(平成元)年、千葉県千倉~グアム~ハワイを経て米国本土を結ぶ日本最
初の光海底ケーブル「TPC-3(Trans Pacific Cable-3) 【第3太平洋横断ケーブ
ル】」が完成した。 (容量: 560Mb/s)
 さらなる大容量化に向けて
光ファイバの敷設には多くの資金が必要であることから、限られた芯線を有効
に活用するための新しい技術が開発されている。 波長多重技術(WDM:Wave
length Division Multiplexing)もその一つであり、現在はGb/sからTb/sへと、更な
る大容量化が進んでいる。(■日米間、■日本・中国大陸・韓国・台湾・米国間)

54
■世界の主要な光海底ケーブル ■海底ケーブルの豆知識
参考6 大正から昭和時代に建設された
国内の主要な無線通信施設

船橋【対外との軍需通信】 (大正4・海軍省~第2次世界大戦終了まで)
国外に進軍した部隊や艦船に対する通信を行った。周回道路は現存する。◆解説、■地図

磐城(原ノ町) 【対米通信の発祥】 (大正10年・逓信省~昭和2・逓信省)
アメリカ向けの公衆通信を行った無線局、大正12年に発生した関東大震災の惨劇を最初に国外へ伝え
たことが知られている。昭和2年に閉局後、無線塔は昭和57年に解体された。▲解説

佐世保(針尾) 【対外との軍需通信】 (大正11・海軍省~第2次世界大戦終了まで
主に南太平洋方面に進軍した部隊や艦船に対する通信を行った。無線塔・建物は現存する。●詳細

検見川 【実験研究を目的】 (大正15年・逓信省~昭和54・NTT)
逓信省東京無線局の送信所として開設され、昭和2年に日本で最初に▲標準電波(JJY)を発射した。ま
た、昭和5年にはロンドン軍縮会議に出席した濱口首相の演説を世界に放送したことでも知られる。建物は
現存する。▲解説1、▲解説2、■地図

依佐美【対欧通信の発祥】 (昭和4・逓信省~平成6・電気興業)
ヨーロッパ向けの公衆通信を行った無線局、第2次世界大戦中は日本軍、戦後は駐留アメリカ軍が対潜
水艦通信に使用した。送信機は静態保存され、IEEEマイルストーンに認定(2009年)された。■公式ホーム
ページ、■高周波発電機、■地図 (送信所の概要は次ページ参照)

八俣【国際放送】 (昭和15・逓信省~KDDIがNHK短波国際放送所として運用中)
主に国際放送に使用されている。・・・▲解説、■NHK国際放送、■地図

茨城宇宙通信実験所【衛星通信の発祥】 (昭和38・KDD~平成19・KDDI)
アメリカの通信衛星(リレー1号)を経由し、日米間初のテレビ中継を成功させた。建物・アンテナ(開所当
時のアンテナは撤去)は現存し、■IEEEマイルストーンに認定(2009年)された。▲解説、■地図
55
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対馬オメガ局【電波標識】 (昭和50~平成9・海上保安庁)
航行する船舶が自船の位置を測定するための電波標識。無線塔は平成10年に解体。◆解説、解説▲
参考7-1 (旧)依佐美送信所の概要
通信速度:電信符号により毎分500字以上
通信(可能)範囲:ヨーロッパ各地 (9,000km以上、世界中のほとんどの地域と通信可能)
送信周波数:17.442kHz(波長:約17,200m) ただし、15,600m~19,000mの間で調整可能
送信出力:約500kW
給電点アンテナ電流:600A以上(120,000メータアンペア以上)
アンテナ形式:逆L型 (断面積31.5mm²燐青銅撚線16条)
アンテナ定数:静電容量0.054μ F/固有波長(周波数)8,700m(34.48kHz)/実効高198m/全抵抗1.19Ω
接地(アース)法:多重接地網
アンテナ素子(16条)
その他の長波利用:
標準電波JJY ★概要、
★受信音
360m
コイル舎
56
250m
460m
接地(アース)網
1,440m
ア
ン
テ
ナ
支
持
鉄
塔
給電点
送信所
現存する同規模の送信所:
えびの送信所 コールサインJJI
(22.2kHz) 地図■、写真▲
参考7-2 (旧)依佐美送信所の高周波
発生装置の概要
「ワード・レオナード方式」
によりDC.Mの回転数を
一定にすることにより安
定した高周波出力を得た。
3,300V-3φ
(60Hz)
AC
M
回転軸
183A
(920kW)
DC
G
DC
M
約1,600V
(5,814Hz)
回転軸
800V-1,075A 800V-970A
(730kW)
(860kW)
HF
G
428A
(600kW)
この技術を「○ン○ータ」という。
◆応用技術①
57
■応用技術② (直流機に電池を使用)
参考8 周波数帯別の使用状況
58
総務省資料(携帯電話用周波数の利用拡大に関する検討会)から抜粋
出典:電波有効利用の促進に関する検討会報告書
参考9 利用系別の使用周波数の移り変り
総務省資料(電波政策懇談会報告書)から抜粋
59
参考10 移動無線機の変遷
XTAL OSC:水晶発振器
MOD:位相変調器
IDC:
周波数偏移制御器 MULT:周波数逓倍器 PA:電力
増幅器 ANT SW:アンテナ切替器 MG:電動発電機
送信周波数:12657.5 (kHz)×12 = 151.89 (MHz)
60
移動無線-理論と設計- (編著者:電子通信学会 1972年) から抜粋
参考11 「電波」の木
61
【解説】 電波は有限稀少な資源である。人類がこの電波を利用し通信を始めたのはわずか100年余り前であるが、現在では、社会の幅広い用途に利用されている。
上図は、電波の利用を一本の樹木に例えたものであるが、ここに示しているとおり、電波は、通信、放送のみならず、測位やエネルギー利用にも用いられ、国民生活
の様々な分野において大きな役割を果たし、社会に必要不可欠な存在となっている。
総務省資料(電波資源の有効活用方策に関する懇談会報告1997.2.4)から抜粋
参考文献

★「無線百話」 編者:無線百話編集委員会 (クリエイト・クルーズ 1997年)
★「電子立国日本を育てた男-八木秀次と独創者たち-」 著者:松尾 博志
(文藝春秋 1992年)
★「無線工学ハンドブック」 編者:無線工学ハンドブック編纂委員会
(オーム社 1976年)
「空中線系・電波伝搬の研究」 著者:狩原 真彦(財団法人無線従事者教育協会
1977年)
「通信工学講座 電信機械Ⅰ」 著者:梶 正明(共立出版 1955年)
「無線通信1」 編者:新しい電波技術編集委員会(丸善 1980年)
「移動無線-理論と設計-」 編著者:社団法人電子通信学会 1972年
「私たちのマイクロ波通信50年(黎明編)」 編者:桑原情報研究所 2004年

★「工部省とその時代」 史学会シンポジウム叢書 編者:鈴木 淳(山川出版社 2002年)

「雑録 明治の情報通信」 著者:鎌田 幸蔵(近代文芸社 2008年)
「依佐美送信所調査報告書」 編者:石田 正治(依佐美送信所調査団) 1999年
★印の書籍は、愛媛大学図書館に蔵書があります。
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62
リンク集
★総務省の情報通信政策に関するポータルサイト
 電波利用ホームページ
無線局情報検索 周波数の割当て・公開
 情報通信白書
 ★電気通信大学歴史資料館
 ★国立科学博物館 産業技術史資料情報センタ
 移動通信技術
通信機械技術 重要科学技術史資料
 ★電波博物館
 ★機械遺産(日本機械学会)
 ■逓信総合博物館
郵政資料館 NTT情報通信館
 ■ドコモ歴史展示スクエア
 ▲横浜旧軍無線通信資料館
 ▲太平洋戦争レーダー史
 ▲日本無線史の落穂拾い的考察
 ■電気の礎
 ■NTT技術史料館
 ■国際通信史料館

63
付録2
凡例
M:明治 T:大正
S:昭和 H:平成
近代日本における通信事業の歩み
明治
電信・電話
事業
M18
民
部 工部省
省
国(官 )営 (明治 2年~)
横浜間で電信
事業を開始
M23年 東京~
S60年 民営化
電気通信の自由化
S24
S60
通 逓 逓
電気 日本電信電話公社
信 信 信 通信省
(国内通信専業)
S18 院 院 省
S27
M41年 国内初の
無線電信機を用い、東京湾におい
て通信実験に成功
(注) ここには、電気通信の自由化(昭和60年)
前から存在した機関・会社を中心に主な電気通
信事業者を記載しています。
したがって、過去及び現在において電気通信
事業を経営していた、又はいる会社はこれ以外
に多数が存在しています。
【凡例】
「黒字」の会社名:「固定」通信事業者
「赤字」の会社名:「移動」通信事業者
「斜字」の会社名:固定・移動「兼業」通信事業者
国
際
通
信
営
日本電信電話株式会社 (持株会社)
H11
東日本電信電話株式会社
日本電信電話
株式会社
H 11年
NTT
グループ
の再編
S27年 公社化
実用無線局を開局
M30年 逓信省電気試験所が国産
横浜間で電話事
業を開始
民
公営(国際は民営)
S24年
郵便事業の分離
逓信省
M02 M03
M02年 東京~
平成
昭和
大正
西日本電信電話株式会社
NTTコミュニケーションズ株式会社
株式会社 N T T ドコモ (H4年~)
NTTデータ株式会社 (S63年~)
国際電信電話(KDD)株式会社
H12 合併
(S28年~H 9年は国際通信専業)
S28
S28年
民営化
日本高速通信株式会社
KDDI 株式会社
第二電電株式会社
H13 合併
日本移動通信株式会社
平成24年
12月現在
DDIセルラー(au)・グループ
鉄道通信
株式会社
日本テレコム株式会社
日本テレコム
H 01 合併
ソフトバンク テレコム(モバイル)株式会社
H18
H19年民営化
M01
M04
民
部
省
大蔵省→
内務省→
農商務省
公営
国(官 )営 (明治 4年~)
郵便事業
H13
S24
M18
逓信省
S18
通 逓
信 信
院 院
逓
信
省
郵政省 (特別会計)
H19
郵政 日本郵政
事業庁 公社
H15
M01年 東京に
駅逓司を設置
64
M04年 新式郵便事業を開始。国内初の郵便
切手を発行
M08年 郵便役所・郵便取扱所を郵便局に改称
この資料は、泉岡 恒世 (株式会社NTTドコモ所属) が作成した資料です。 記載に誤りがある場合、その他のご意見はe-mail:[email protected]までお寄せください。(平成21年12月作成)
民 営
日本郵政株式会社(持株会社)
郵便事業
株式会社
日本郵便
株式会社
郵便局株式会社
H 24.10 統合
株式会社ゆうちょ銀行
株式会社かんぽ生命保険
付録1
日本における自動車/携帯電話事業の歩み
昭和
S54
平成
第一世代(アナログ)
日本電信電話公社(全国)
NTTドコモ四国
NTTドコモ
NTTドコモ・グループ(全国) (全国)
NTT四国移動通信網
日本電信電話(全国)
四国地区はS59~
第二世代(デジタル)
H4,H5
NTT移動通信網(全国)
S60
第三世代
(IMT-2000)
NTT移動通信網グループ(全国)
H 12
四国セルラー電話 (H 2~)
H 01
凡例
サービス提供会社
○○○㈱又は
グループ(全国 )
電気通信
が自由化
H 13 合併
DDIセルラー・グループ(関東・東海を除く
S63
全国 ),H12に合併してエーユー(au)となる。
サービス地域
au (KDDI)
日本移動通信(関東・東海 )
注)赤字の会社は四国内の地域会社
(沖縄県を除く全国)
・沖縄セルラー(沖縄県)
H 12 合併
H 17 合併
H6
ツーカー・グループ
(関東・東海・関西)
携帯電話会社への主な出資者及び合併状況等
旧DDIセルラー・グループ: 旧第二電電(DDI)、電力会社(KDDI の全国一社制に伴い撤退)
デジタルホン
・グループ
旧日本移動通信 : トヨタ自動車
旧ツーカー・グループ: 旧第二電電(DDI)、日産自動車(途中撤退)
KDDI : 旧 KDD、旧第二電電(DDI)、旧日本移動通信(IDO) の3社が合併
旧デジタルホン・グループ: ソフトバンクテレコム(旧日本テレコム)
旧デジタルツーカー・グループ: ソフトバンクテレコム(旧日本テレコム)、日産自動車
平成24年
12月現在
H6
H 15
(関東・関西・東海 )
H8
H 11
デジタルツーカー
・グループ
(関東・関西・東海を除く全国)
旧ジェイフォン・グループ: ソフトバンクテレコム(旧日本テレコム) (日産自動車は撤退)
旧ボーダフォン:英国Vodafone(ソフトバンクテレコム(旧日本テレコム)が Vodafone傘下)
ソフトバンクモバイル: ソフトバンク (英国Vodafone がソフトバンクに譲渡)
イー・モバイル: イー・アクセス、米ゴールドマン ・サックスグループ
65
デジタルツーカー四国 (H 9~)
ジェイフォン
・グループ
(全国 )
H 18
ボーダフォン
(全国)
ソフトバンク
モバイル
(全国)
ジェイフォン四国 (H12 ジェイフォン
西日本に合併、H13~全国一社体制)
H 19
2013年1月1日付け イー・アクセス
経営統合(SBの子会社) (全国)
この資料は、泉岡 恒世 (株式会社NTTドコモ所属) が作成した資料です。記載に誤りがある場合、その他ご意見はe-mail:[email protected]までお寄せください。(平成21年12月作成)
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