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Title アルベエル・カミユの思想と風土について : (ジャン・グルニエとの比較
Title Author Publisher Jtitle Abstract Genre URL Powered by TCPDF (www.tcpdf.org) アルベエル・カミユの思想と風土について : (ジャン・グルニエとの比較による一考察) 片桐, 邦郎(Katagiri, Kunio) 慶應義塾大学藝文学会 藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.6, (1956. 12) ,p.148- 160 Journal Article http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00060001 -0148 E x p l i c a t i o ndeL ’ Etranger : l r : とこL 吊久 E特 Q-;:-\'.'.J ’ lヘミ γH ミ・央 ,,r r j p、会もど H 会・ -Rt1J 吋 QIB~ 思~.lJ[i重村.!.! (、ムド 包’『豆(号令〈墨沼 J 0v ユ tO 。 P . Sartre 一一(ら争入. 10 え l\ H 心 Q ま~i詳 :Iιt l ' ( d 1 肘都)一一 らや入・弔 fマミ・ 1トミムミ J. 尚三qQ1miKC· 遣 bl 0 ムド’会~Q 吋 >-{'\ bl :~1~ とこL 但i A .Camus Q . . . . .Maiss e sv e r i t a b l e sm a i t r e ss o n ta i l l e u r s :l et o u rdes e sr a i s o n n e m e n t s ,l ac l a r t edes e si d e e s ,l acoupede ( S i t u a t i o n ,. 1P .1 0 2 ) 1トミムミ .-4'!22 :翠.....) \--'ム t-0 吋れとよ’ tt-' Q えとロg~」~’ lヘ入 1ムふ・ 1入 7ャ乙 A. Gide C· 『思 Q $ ! ! J iL esNo u r r i t u r e sT e r r e s t r e s AJ 珂~, 直斗~Q 齢制 e 製;国持’尽~Q 匿容~宕 H トャ、ャ『誕製』 Noces 翌モト;患盛斗f Q~主観a:R~ J .P .S a r t r e:E x p l i c a t i o nde“ L ’Et ranger ” tunc e r t a i ngenredes i n i s t r es o l a i r e ,o r d o n n e ,ceremonieuxe td e s o l e ,t o u tannonceun sons t y l ed ’ essayiste, e c l a s s i q u e ,unm e d i t e r r a n e e n . 4そ ff( rj 竺’ 翌 4子よ選斗!宣.....) .;2h えて:入吋=-' h 剖ヰミ Q えと{稲子J~ :;:ト’ ..J'~ ,_)-~語:世保矧斗吋('·ド’ v 昭宏心兵 tO 。 4そ ff( rj はやム V ~’ E 斗ぞれ'V'"Q ;詰稽:会側m.Q~ ドムのも’ ( 1 9 3 8 ) ~’令制下J 斗’ 、 句 h吋 考察されている(例えばピエl ル・アンリ・ジモン ot2仲門 rFZ否 H。な E )。 しかし、この両者を仔細に検討すると、むしろ、相違に於て顕著である。 アルジェリアを始めとする地中海沿岸の豊鏡な自然に対する一種の感覚 司・出・ω一日。ロやロペエル・ド・リュッペ悶 共通するところがある 確かに、この二作品は、共に両作家の青年時代の書であり、 的汎神論を展開している点で 即ち、ジイドの場合には、二十四歳の時にアルジェリアに旅行して、この地の乾燥した強烈な自然から啓一不を受け、それ迄の宗教観、 人生観から解放され、現在の瞬間の躍動に陶酔し、生の喜悦を感じているのであるが、一方、解放されたとは一言え、過去のヨーロッパ 的な神や罪の意識が、屡と姿を現わしており、又、未来に対しても、期待による道を聞いているのである。これに反して、始めからア ルジェリアに生れたカミユは、・解放されるべき神も、過去も持たず、ただ現在の、地上での生の悦びを唱っており、更に、アルジェリ アの自然の強烈さ非情な冷酷さから、人生の不条理性に目覚めて、人生には未来も希望もないと考えているのである。つまり、アルジェ 」の風土にはないヨ 1 ロッ と A 不条理 V 与∞ロEo というこつの対立した観念であるのに対して、 リアという地中海風土からカミユが獲たものが、 A調和 VMHRoE ジイドの場合には、カミユの A調和 V に相当する生の肯定の要素のみであり、 」れと矛盾対立するものは パの神の観念なのである。 この両者に共通な生命への讃歌については、地中海の風土が、 ギリシャ文化を培った地であることを考える時、 至極当然のことと思 われるのであるが、両者の相違点であり、カミユの思想の特性でもあるA 不条理V については、ジイドとの比較に於ては、 その特性の 強調に停まるだけであって、それ自体の解明には、少しも役立たないように思われる。 私は、以上のような、風土の影響の強いカミユの思想の特性は、彼とジヤン・グルニエ』ぬ きRの とを比較することによって、 BE 一層明らかになると思う。私の考えではカミユの初期の思想形成に、特にその風土観には、グルニエの影響が明らかに認め 更に、この両者の比較によって、カミユの思想の発展過程に於ける、ある不動性についても、一解釈が成立すると考えるからである。 カミユの作品については、その殆どが紹介されているので、以下グルニエについて説明しながら、比較検討して行こう。 ら令入.、ミ 1 Il 1 I 4て ff( 司 Qtヘえら H Q~くか世乞 Q 童子)~.!:\' l rはめ吋ど首造事担当’題 J ム ...,GJQ :長崎 t-Q 。 1 eanG r e n i e r (1898-) :!;±’ み1.utラぱ \-1::. t Q~’ ~1」手話 Q 早起宕~也 ~rn軍:~dそ ff( B r a q u e .P e i n t u r e s . al i b e r t e . E n t r e t i e n ss u rl ebon usa 只 e del Les l i e s ,s u i v ideI n s p i r a t i o n sM e d i t e r r a n e e n n e s . Del ’ Indifference. ( e t u d ep u b l i e ec l a n s ''L'Existence ”) Lec h o i x . I n s p i r a t i o n sM e d i t e r r a n e e n n e s .( e c r i ten 1 9 3 9 ) SagessedeLourmarin. E s s a is u r! ' e s p r i td ’orthodoxie. S a n t a C r u z ,e ta u t r e s paysagesa f r i c a i n s . Lap h i l o s o p h i edeJ u l e sL e q u i e r . Lal i b e r t e( t e x t e si n e d i t sdeJ u l e sL e q u i e r Lesi l e s 1 9 5 1 1 9 4 8 1 9 4 8 1 9 4 7 1 9 4 5 1 9 4 1 1 9 4 1 1 9 3 9 1 9 3 8 1 9 3 7 1 9 3 6 1 9 3 6 1 9 3 3 、え 1\ l 1Q 抑制ill ! 1:!;±’ぐト巴制千;' ~く是認 Q 吋 U"'\~...,GJQ ~~t-Q 。 L ’esprit del ap e i n t u r ec o n t e m p o r a i n e . 刊E叶世ギ Q1之内f l rQs今思議tぎは組ム画定跡 円。一関0山 ・ 門戸己 ]m - 印 v印 5日一山 ] 山口g 仏x 出色Zι63 ロ(呂 ω ゆ)等 ω22 (EDh 常ユ同 gSω @)等は、カミユの初期の風土に関するエッセイ『裏と表』円開口 2 円 片足 ω 匂ミ∞凶 mgωESEω(呂ω 吋)、『地中海の霊H 感5 』13・ 呂町江口・ 〉宮.。。。印仏F めCで ロ2 )、『サンタ・クルズ』g ∞ghEN ・22 この中で、『諸島』円2 口 2 (忌ωω toロ ω 冨注 X2 円gbg Z』 02印(呂ω∞一めの門戸件。ロ 250ZE ωいかのユ同 BHCω 印ll白 ω∞ 巴 ω 吋)、『ミノトオル』円、E 。2冨 (HU吋 ω)、『結婚 (呂ωω一円。 zxbBHC む)であるが、 グルニエの初期のエッセイ集であり、彼の思想の出発点を示すものであ と相前後して発表されており、グルニエの自然観、地中海風土観を示す絶好なエッセイである。 先ず『諸島』円 222 ci 常に描かれた彼の幼い頃の回想は、彼の自然観を知るために興 ω23 一円己 る。特に、この中の一つのエッセイ、『空虚への魅惑』円 味深いものである。 六、七歳の頃、樹蔭に横たわって、雲一つない大空を眺めながら、彼は、ふと.この大空がA空虚 vi含の中へ呑込まれてしまうよう に思う。それは、彼の A虚無 V忠告同に対する最初の印象であり、彼の一一一一口葉によれば、すべてを決定する瞬間であったのである。それ -b - 片山門弘己H 門252円雪巳=。・に至った 以来、彼は自然に対する空しさに魅せられてしまう。この空虚感、喪失感は、彼にとって、決して苦々しいものでなく、喜悦をともな うものであった。その結果、彼は、 50AZSJRE円z - EEtS2wgo 毛主 Eomoz一ロoli と言っている。 - wOHSωm包 に於ては、動物に対して、『インド・イマジ、ネエルH 』A E E円。に於ては、インド思想へと、対象は変るが常に持続 、 グルニエが自然に対して感じた A空虚 V A無関心 Vな状態は、『諸島』の他のエッセイでは、例えば、『ル・シヤ・ムウルウ』円ゅの}百件 ョ。己oE され、追求されている。結局、彼は自然に対する A空虚 V から出発して、常に非人間的なものに関心を一不し、遂にA 絶対 V 与 gE に は 絶対V に到達す 到達しようとするのである。インドへの彼の関心は、インドの哲学思想がA非人間的 vzrzBt ロであるからなのだ。 A るためには、自己自身から、或いはス、すべてのユマニテから、自己を引離さなければならない、と彼は言っている。 、 己円- otoロ 5ω O凶 E -Z -ユか(忌お)の中の第二篇ZOZ・〉 2 同(無為) に一不されてい 問。【 このように自然の A空虚 v A無関心 V から A絶対 V に至ろうとするグルニエは、キリスト教的な神への道を辿らず、後年に至って、例 えば『自由の有用性への対話』開口可agωω るように、戸山0・叶N2 (老子)や、g 叶uEO (道教)に於けるA無V や A絶対 V に近づき、一種の無神論的神秘主義に至っているのである。 、 、 『諸島』に於ては、自然に対しての A空虚 v A無関心 V A非人間的 V 等、 A絶対 V に主るべき一連の感覚、観念と対立して、A人間的V FZBmHの E 観念があることにも注目しなければならない。グルニエの関心は、勿論、前者に強いのであるが、彼は A 、人間的 Vな思想 非 をインドに見出したように、これと対立する観念、 A人間的Vで A節度 V5225 のある思想を、ギリシャの中に見出しているのである。 さて、このような自然観、風土観に於ける二つの対立観念は、地中海風土に於ては、特に重要視されねばならない。何故ならば、彼 、 ギリシャの四地域に は、地中、海の風土を、プロヴァンス、北アフリカ、イタリヤ、 - Eロ Z 同ロ岳町山片山。 ∞口 冨gboロロめ ω一司『骨片0山 ・の 片w 山bm 己m ゆ門出 H門 o--σ 〉ωoz mgロのめ門左。巳件。 )吉ω15円EHOEE3F3ECODE山g かめロロ 2 ロ2 によれば、地中海風土には、 A空虚 v A無関心 V な A非人間的 V な観念と、ギリシャ的 A節度 V のある A人間的 Vな観念が、共に見出さ 品。円〉丘一。ロ RED 寸巳-o (戸山宮注目2門 日間O) C 5 ロω れるからである。 -K - 己門 EnEZ 『地中海の霊感』Fm15Z)A ロω 冨怠芹 分けて描いているが、同じ頃に書かれたカミユの「ミノトオル』と比べると、後者が風物詩的であって、観察も自然や風習の描写に停 っているのに対して、前者は、歴史的であり、一層分折的であると一角一一日えよう。 15 o Ew-- 仏OE カミユの初期の風土に関するエッセイ集は、その詩情豊かな文体からも、 彼の並ならぬ才能を知りうるものであるが、思想的には、 まだ充分な形成をみるに主らず、むしろ、青春の情熱と感動とにみちあふれたものである。 2的 pz一戸川凶門 n戸 ygω何回。ロ∞ 立。ロ門目。ロω 円5己 -cogg 神宮 - zo 円四ぬの 円ρ son -o 門z ωめ gロ ロztzgE立内目。 ωom件旬OC円〈F ロロゲ印仲間)包件。 古川弓 -OBBOD- ニロoz口一昨PZFugm ω ov -Y 吉岡己目。円 匂 DE 色。ロロ E 函u mw ロロ}55gomgm 一- Fi ?一一 。M丹芯 50 ・ sι2 ここに一不された A偉大さV3 - 、 円と Z 。のAw一 日・ 仏 m 一司 h A悲惨 V52宵ゆとは、彼の別の一一一一口葉によれば、A 前 生者 のは 喜び V〕。 o一 aoi20wA調和 V MwngE であり、後者は A沈黙 V A無関心 V つまり、 A不条理 V になるのであるが、このようにカミユが地中海風土から感じた二つの対 立した感情は、グルニエが同じ風土の中で認めていた前述の対立観念の感覚的な把握であると考えられよう。 不条理 V については、『シジフの神 A不条理 V の感覚が、思想的体系をみるためには、A 7A 5 9d カミユには、グルニエのような東洋的な神秘主義への噌好は全くないのであり、地中海的な明断性、厳密な精神を持っているのだが、 と そのヨーロッパ的な神から隔絶した汎神論的風土観には、『諸島』以来のグル-一エの自然観に拠るところが大であったと思われる。いず れにせよ、カミユが風土の中に感じたA調和 V 。- Hub )を、 A調和 V については、これがギリシャ的 A節度 V による A反抗 Vに完成するためには『反抗的 話』 FOE - FO門目ω M} O( mよ u】 人間』 Fd 。550 尽き】広 28むを待たねばならない。 カミユは、『シジフの神話』に於て、従来結論と考えられてきた A不条理 V を出発点とすることを明らかにし、彼独特の A 不条理 V の 理論を展開した。しかし、この理論は、これに数カ月先立って刊行された『異邦人』円宮ω門 ロm2 に於て、主人公の性格や行動の中に、 見事に肉附けされているのである。 gag -件の特異な性格、行為や、至るところでわ巳 ω5 . え芯巴・とかわ己 ω 0 ロ〆gxm555 母親が死んだ翌日に、海水浴に行き、女と遊び、喜劇映画を観たり、恋人に対して、愛などは無意味であると一一一一口い、太陽のため m52 ・などと考える、すべてのものに対する極度の A無関心さ V は、その特異性の故に、わが国でもグ異邦人論争’を起したく 人をする、この小説の主人公ムルソオ冨 日 suo- らいであった。事実、ムルソオの行為は非常に現実的でありながら、しかも純粋に抽象化されているのであり、彼がしばしば示 の無関心は、人生の不条理性を証明するためのものであり 従、 って、 すべてに異邦人であった彼が、獄中に於て死と対決して、実存の 意識に目覚める過程が大事なのであるが、 それだからと一一一一日って、その無関心が、小説構成のために創造された性格態度であると考える ことは、その心理をあまりに現代的に解釈して共感を抱くのと同様に、当を得ないことと思われる。何故ならば、ムルソオの無関心さ は、この小説の舞台であるアルジェリアの風土の巾に育まれた性格であり、アルジェリア生れのカミユは、この小説を書く以前に、こ 5( 8 )の中に、これを証明すべき次の描写がある。カミ の地の人々の示す不思議な無関心さにい正日しているからである。『ミノトオル」 オラン ユはアルジェリアのオランの町の映両の広伶丈にす円かれた驚くべま♂川町が、単にい川フランスに特有な芯張叫によるのではなく、 NEE 〈巳-2 -M 官。印匂025 〈め含- 門目。ロロ巾三E 宮C匂 2 門店ロ∞ 円同色。〈釦山口の円。 3vHFozm・ Z巴 Em 0dm - - wけ-n-rm 。。丹H ロ吉区一-何Mmの ユ円山ong - 。22mocrBmロ 門 o-m HHO 合ODY]2 g戸 凶ωmb門 O口同)円 O匂円。 ω w沖B EACmm .M っている。 の人述が心す選択への烈関心によるのだ、と JI 。ロ 2ZZ 円切己0252 吋印 mY 印OC2 三 gm50 ・門m- EB2 C内 M 向。 ・ . .由 -民 -凶 円山口門A 同円 店。内 。門 口同 ロ仲H1A- m ゅの仲o卸 仲n 仏F。{回 同凶 町問 一) 。O同 問) 。円 ロ門目 。 戸mめmoロ円ιω ロ切のめ円】何b 回m 日s刊 c m m 閃円o AnWCM匂 nm ω H目 10 w ロnom-円円相 z. mの w- 円2 四xgEF 円。豆一ロ M ogcg 一回 ・NH われわれは、この例によって、この地に無数のムルソオを見出すことが出来る。しかし彼 、等は、 その自然のもたらす官が豊鏡なた めに、反ってその不条理性に気がつかないのである。カミユは、 一人のムルソオに A不条珂 V を匝視させ、死と対決することによって、 その極端にまで押進めて行けば、巾いいん存への道が聞かれるの、だということを.礼明したのである。 とミるで、このような風土の中に広じる肘関心さは、グルニエが、門川川日」一以来、追求しているものである。次に、地中海風土に於け る二、一一一の例を挙げよ-入 一作 CE山一口戸一一円円。円。ロ(リa 化 。山 ロコ o〕 r作 -- 』の∞ロω一ロbmE ロニ一Z F閉 め 内-【 一- 円山由℃。同 w 。t ロ∞ロ見込止めm 凶 コロ -かめロロ V。〈めロw 門同 。 ) ωめ 勺一m円 (H円 Dm 01」色無 J V 常時...) \-J.S,~ 。 ( l t a l i e ) ,i d . ( A f r i q u edun o r d ) ,i d . l’lndiff e r e n c e 1」名 V ’{~員~:E--2 }ゐ!去~Q fく ....… Maisl ev i d equej es e n t a i ss is o u v e n te nm o i ,al aK a s b a h ,i lmesu 日 isait del e v e rl e syeuxv e r sl ec i e lp o u rl e s c n t i rc o m b l e . キ. . . . 1 ・呉国同社 Q 『単 :E--2 はやムド」 De L ' I t a l i er e a l i s ed emaniereu n i q u el ev i d ea u t o u rd el’homme h え I\ rj~ ’協(以’ 1 .) L’Indifference p a ra p a t h i e 2 . ) L ’lndiff e r e n c ep a regoisme 3 .) L ’lndiff e r e n c ep a rl’impartialite 4 .) L ’lndiffe r e n c ep a re s p o i r r e n c ep a rd e s e s p o i r 5 .) L ’lndiff e 6 . ) L ’Indifference p a rd e s i n t e r e t 手話:A ’ t\J Q~星 ,.Gl ?-習 E~さ絵巨斗宕鎖倒~...) V 前、吋ドム i-0 ~(怜コ Q desinteret 斗吋~ {単里会} ~’協(は’ 110 ムLGミ士 t工' ..t二~~::nc "'"。 L ’ lndiff e r e n c ep a rd e s i n t e r e t -. . . . .キ d e u xforme sd ec e t t ei n d i f f e r e n c e:l ' u n ed ’ apres l a q u e l l et o u t e sc h o s e so n tun Ap r o p o sd el ’ humain: P .1 0 8 e q u i v a l e n c e Q {事 :E--2 }千J4B 心’持 1]Q 割当’〈寝吹宰〉必〈単 :E--2} ~r#li]llIT4' ''(冷t;r#'Q ' P r e sl a qu e l l eaucunec h o s en ’a d ’ interet. e g a li n t e r e t ,I ' a u t r ed ’ap リ Q 線 JQ 割当’部 1iil日←与~~ {却!?還記} 望号j書~刊ムl~:t~ {串: ~~。巡叩~’ f咲赴 i」草w~ ’ t\JQ 吋ム達三:R~ヨヨれJ 兵 ~!R ’待=トふ← 1!~ ’ ~J Q 吋"' ~-OR-411~さ串j 盟K--2~ 必ム’~央、ミ ii rJ 芝府吋ドム~。 ~~潤 Q 『吋\ムすてミ J Q 窓辺 1時守'() 兵ぷ’ F型車三ぐ Q 壊~-~t: ’ ~J Q 掠 JQ 副 AJ1]11IT吋 ~Q~~~-Rt.C\ ’ 紹子い’ 匂3 l t ) " ' ! 関心 V も 不条理 V の A条価性V でささえられ 、 A 等価性 V であると言えよう。実際に、カミユの初期の作品には、主人公の価値判断がA ている場合が多い。一例を『カリギュラ』わ巳広三 ω に挙げよう。 - - 内同 】C か門 戸H0・ ハリ -c-凶 丹 ロ仏 の円山口ゆ門戸o』 《A リZ円 。 一 vom H OC m砂 ω-m m 一巴同町凶己O o AZ O山h 片 日 門目ω。 ωロ σozmw nym円w 円 ∞岡 ・・ ロ門匂】 ω の門戸。 mwm一 w 】ゅのC 心m 己mw円四〆ロ0 ωDc.巳て mw ωロ Dc- ωO 円〈山O] ハい山 xw 一 )A 口一ω 行ω角。 川ロ件。AZ ∞- D- m口 c-ω一】めの円ω。 門 山0 口4h nu 凶m ロ 一日 ι ・]{吋。 mz-mw ロッハとを対立させ、自らは地中、海風土に属する者として、これらの地を歴 -156- 以上の比較検討で、カミユの初期の忠恕、特に、その地中海風土観に、グルニエの影響が大きかったことが認められたと思う。 芯 ω が指摘したように、幾つかの時期に分けて考えられるのであるが ロ仏(531 主)であり、ナチスドイツの占領下に苦かれたこの四つの書簡集は、大戦の貴重な体験によって、カミユ ω百円巳-05ω l 史的風土として把握しようとする傾向を深めているのである。このような歴史的把握の傾向は、 地中海の風土に属してはいるものの、 はなく、反って戦争を契機として、伎は地中海風土とヨ バえ、それは、伎が地中海風土への関心を失ったことを意味するので このように、カミユが、思忽的にグル一一エから離れ始めたとは J 一方、グルニエは、この問、既に述べたように、A 絶対 V への近を歩み続けたと考えられる。 から A 選択 V への発展をなし、社会的連帯感のモラルを加え、やがて戦後に於て『ベスト』ω 戸HMgZ(忌む)に開花するのであるが、 A 不条理 V の A等価性 V から A正義 V の価値の発見へ、 A無関心 V が思想的に発展したことを示すものである。この時期に、カミユは、 MWC ロ Zの 可手 その発展の著しかった時期は、一九四三|四四年頃、つまり、第二次大戦の凶別であった。作品で言えば、『ドイツ人Fへ 2 紙』 ところで、カミユの思想には段階的発展があり、アルペレスKZ 四 1j無盟主震剖:時 1"' 闘也~ i}-1話語~~:f宍← i-0 1l国 e 照明 ~~1-0AJ ..,@制下. . ~心ヰミト0~~ ,.('~。 『弘、でト〈ぐ e 仲寝』'.!;!’キ~Q m ーロト。く Q~ 科会J.ijそ i-0 ~」づ~H」 4’創出杓~~''.!;!必心必 ::, 。矢印f r j'.!;!’ r j Q m ーロト。く戸当 b 翌モト史 ~+l(Q E置付ム」やム \-J~や吋 \-Jr{~イ l.f:'\。 今~h ! " ¥ : : ".fそ Qh ミら t-l =-hAJ ムれ闘也~Q~ ム叫翌 i」羽E 0-t-」 -j::zt1( r jQ ’ i V~J P ’長以 4そ 11( 4宅内f 刊 Q mq 王QQ ·~J Q 制ill~~Q-fト千) , m ーロト。く Q~ 《鳴る’ .l.[I活性 Q 将~斗手当士時’ ~Q~手間千J~0.{2 ’ AJl]llIT ゃいム i-0 。 Pendantt o u tc etempsou nousn ’ avons s e r v io b s t i n e m e n t ,s i l e n c i e u s e m e n t ,quen o t r ep a y s ,nousn ’avons j a m a i s perdudevueunei d e ee tun e s p o i r ,t o u j o u r sp r e s e n t senn o u s ,e tq u ie t a i e n tceuxdel ’Europe. o む depuis v i n g ts i e c l e ss ep o u r s u i tl ap l u se t o n n a n t e A .Camus:L e t t r e saunamia l l e m a n d:P .5 8 s tpournous c e t t et e r r edel ’ esprit キ キ M a i se l l e (1 ’Europe) e r n~ロト i d .P .6 2 l re 再認 Q -)« 吋 i」 4王子ドム i-OQ\'.J~i-0 。 iV 兵者は’~'.!;!’ demesure AJ 者~::1...J ドヤ吋心 n e 起訴iム eκγ 守入~官;:'6 兵士 i-0 世’揺さ~,ヤミ b h 入 lト代 Cervantes }j o~ : ! ; ! . . @ l . f : ' ¥1 昔話や a v e n t u r edel ’ esprit humain.E l l ee s tc e t t ea r e n ep r i v i l e g i e eoul al u t t edel ’ homme d ’Occident c o n t r el emonde, ff( ep l u sb o u l e v e r s e . c o n t r el i : sd i e u x ,c o n t r el u i m e m e ,a t t e i n t aujourd ’ hui sonmomentl .R_ le モトは ~i-0ι~l.f:'\ 斗’れ If\ 入 AJ 柄、吋 i-OQ\'.J~i-0 。 4そ ff( r j ~’、て .tz\ ='十 4ト’ κγ 、マ入はや ::, い市g i-0 世斗 4’ iV Q 回 Q 引ロユ園長< t<i<\学制同兵 i-0 問ーロト。く Q ’韓 ~...J ム辰吉 ~$> Q 闘面、込’ V 心倒れ1-tミ':!;!~心~ム’ .-\)~必ム。『世1時’立』 Actuelles 4ト 4てミ{トロ入 Calderon Q 明お~’うごいム i-OQ\'.J~i-00 翌 4トj史~÷!とよ 0::, \-J1:n1 吋苦’ ~J Q 翌 i」咲吋」」’冷=トふ← Q {活J魁} Q 両日:己’や :::::r Q rn ーロトーく Q {噌注目} 兵 V ム i-0 。 J ’ai d i tseulementq u e ,d e p u i sc e n tc i n q u a n t ea n s ,l ' i d e o l o g i eeuropeennes ’ etait c o n s t i t u e ec o n t r el e sn o t i o n sde n a t u r ee tdeb e a u t e( p a rc o n s e q u e n tdel i m i t e ) ,q u io n te t e ,auc o n t r a i r e ,auc e n t r edel ap e n s e em e d i t e r r a n e e n n e . 町3 r、 h吋 J ' a id i tquedumemecoupune q u i l i b r es百tait rompu,quel ’Europe n ’ avait j a m a i se t equedansc e t t el u t t ee n t r e OU j es u i sn e ,l ad i s t a n c e i v i l i s a t i o nv i v a n t enep o u r r a i tp a ss ec o n s t i t u e re nd e h o r sdec e t t et e n s i o n , c’ est-a-dire m i d ie tm i n u i te tqu ’ une c s a n sc e t t et r a d i t i o nmediterraneennen e g l i g e ed e p u i ss ilongtemps. . .·… Des r i v e sd ’ Afrique tons a i tqu ’il n ’ est pasb e a u . a i d a n t ,onv o i tmieuxl ev i s a g edel ’Europe e A c t u e l l e s2:P .6 2 ~~giミ心2車道告は兵士 V Q~ --\」i 斗~← i-0 t-1 トヂマ斗足U~i<\0 制~~設 '{..J~.c、, 4ミ It( r j Q i 制,_) -i-1 {需生当} 011φ0 {史料,...) -i-1\ii《骨子J 1-'包 c’誕得制 1111m'{..J111m 吋E ’ 2伝子ぶ←宕#〈居世話〉ム」吋 i-0 {出~} ~Ji-\-' ’ f時 r e v o l t e( 1 9 5 1 ) ~’ f\ It( r j :R ’〈ト手駅間} ~f宍← i{tl {五 i三} 04オ聴会j 擢i吋,...) ~」 H トギ守子J~l'Q:R ’決J 0 H 2 L ’ete: P .1 0 8 . . .NotreE u r o p e ,auc o n t r a i r e ,l a n c e e al aconqueted el at o t a l i t e ,e s tf i l l edel ademesure. 『五~宕-< 2』 L ’ homme A) L’ete ~’ A) l ] i l J ) , ( " " ¥; JA)' { . J~ i-0 。 +H盟~’主~IT.@: ’〈告さ出} 0~~'{..J~i-O ’ 1-K 同 11i 社斗百三に杓兵ぷ『~』 E s p r i t s ) ~’ 4そ It ( 「i G 罷 1思’罷~~」吋 i-0 . f fQ' { . J~ C'- ’ 斗J 兵士;!' 湿潤 QffiQ 寝~Q~~ :長崎 i-0 11く・ .;:i 担耳~Q-l丑剖(択がど Qiそ州司 Q E宝 i-\J けは’ 1-Rfil111 国ーは『賦来-<~拠出会純 ....J .;_」令ミムミ:み’同 『誕壊』 Jミ心’ E耳目 Q 『同』制千J ヨ 0\-'i{i-OAJ ’ 同署QQ !止提去にl 昭宏 i-0 リ A) :長ヨヨ県吋 !-('"、。 l rQ さと司会j 尽蜜 Q II\ ::::--. γγLarivey Q くLes e v o t i o nal a K f i l :-\-rn軍みJ1 時← .ffQ'{.J~i-0 。 p\ ’ Eυ 討す Q~ く~~’娼悪現時~~か黒斗部杓ヰミ -i-111 \'Q 醤宅E’ 4ミミトロ入 Calderon Q くLa D C r o i x ) Al ’ 也知 1 時← .ffQ'{.J~ 切れ。 同 仰い’ Jミ与~~.-l之宮’ ム制’ -R_11( ム~-ffiミム ~& ト’ 4母 i-0 健 Q i÷ 宿主社’ l C ) oO h司 11 年十 Q ~ft/ l r. ¥ )e 得点h 斗名い’ 4そりr rj ヤ』出 :ffj(宕~崎蛍斗名士!'CHくと·Ji様子) 4-€ t 0.-\) 穏舟必:良心 4’ 4 ミトサマ士±~.g史ぐ iと 0.}20iミ’ .-\) 告書長← t-0 ~」附(\ .}2-#l0~4-€ε、, 々へ入. '~ n 入 Gaetan Picon も’ 部ム~’ ~J 兵吋心 ifiii は’目付与HJ ・R I { Onp e u tr e g r e t t e rqueCamusn ' a i l l ep a sjusqu ’au b o u tdes ar e v o l t ee tdes e sp a s s i o n s .NousavonsI’impression d ’ une e n e r g i ecηsuspens, d ' u n ef o r c ea r r e t e ea m i c h e m i n .Leg o C t tc l a s s i q u edeI am a i t r i s edes o i ,deI as o b r i e t e , del ’ardeur contenuer e n c o n t r el av o l o n t emoraled ’ un e q u i l i b r e ,d ’ une s a g e s s e . D’ou I ap e r f e c t i o n m a i sa u s s iI a u imenacentCamuss o n ti m p l i q u e sdanss e sq u a l i t e smemes:i lr i s q u ede d e m i m e s u r e ,I’eclectisme. Lesdangersq P i c o n:Panorama deI an o u v e l l eI i t t e r a t u r ef r a r n ; a i s eP .1 0 1 p a s s e rdud e p o u i l l e m e n t aI ap a u v r e t e ,deI as e r e n i t eaI af r o i d e u r ,del ’ equilibre aI ' i m m o b i l i t e . Gaるtan ~ft/ l rQtHQ 題~’ E .Mounier Q H 4-€ t-0 。 トヤャ Q-B-- は’ 4そ u QE 叩 Q 珂1毎常時~’ 'J 兵会<lj時制E収J← t-0 吋 >(「#’;出血←”ぐ布J去三 Q1]11日韓R :長崎 t-0 。 ~r- 巴制下) , 去三 Q 吋 A!"\l」 -#l1]11IT 吋 1'00~4-€1'0 。 §il:~ ’ 時 J ド ~J Q 世主君主J 去~Q~ 型ど .-\) 釈 [ft\ 必1~,..j.}2Q~4-€ の AJW! 轄 J ド~ t 0.-\) リテC Q-#lQ\'.-J4-€~Q 。 A J~J 心 V ’ ~J Q ~ ・ド与面記} im 事obilite f三’ fil111 ・固と半 Q 訳直~犯は総舟心兵トQQ\'.J4-€1'0iミ心’ 4 リリム」’去三 Q ム~A!"'\bd. 与や吋 t-0,J .-\!;$垣根 1'00~4-€1'0 。 ~ 1H l rQ tHQ 馬県世喪主l~ ’~え 11 HQ~再ム国主駒込穏迫心 ~t-00~4-€ ト。:ゐ’ ~ ~J 兵士i ’尽蜜 Q 世とムJ ’ 4そ ft( 刊誌、え 1l He 思~話通知ヤ射さごど' J .-\) 去に!や吋 ~o~ミキJ t 0.-\) ’ 兵 Jミ兵~’ , , "R ""・ 4ミ ft/ 附け~’ t\-JQ 尽喪主Lw同士記、ミ 11 He 首奇襲担 4ミ心温J 思t\:.}2-R "-・ n r u :+llil 去にj 謀舟《j ,_jt-1 ’ rt! .-\)ヘミ切に」ミ兵ドム必 ~o .}l':j_:'. ’ Unes o r t ed eq u i e t i s m esembiee t r eI at e n t a t i o n permanentedeI as p i r i t u a l i t edeCamus.La v i o l e n c ea f r i c a i n e ,q u i o u r q u o is a n sd o u t enousavonst r o u v edanss e s demarchesunt o u r aimec o n t r a s t ee tJ u t t e ,combat a v e cl u i .C’est p s iv o l o n t a i r e , une t e l l ep a s s i o nded i s c i p l i n e:i lf a u tf o u e t t e rl ’heureux sommeil m e d i t e r r a n e e ndel ' i n d i f fe r e n c eou del ’indulgence. Memequandi ld i a i o g u e ,Camus sembiet o u j o u r sI u t t e rc o n t r euna b a n d o n .Nes e r a i t c ep a sune d e f e n s e contr~ c i ; t t enonchalanceo n t o l o g i q u eq u ' i la c c u e i l l i tp e u t e t r et r o pcomplaisammental ' a g ed e sf o r t e s lgN l ! EECOHMSmnr N円 g。百円めR ロの円。ロ目。吋吋 ロo唱 円o 吉T 包ω 明言吉川凶ロロ己冨 〉2 けの ω55 ・ oc -- 目EB -- z- ℃w句。】 OCH山 M内町一5 m 2仏 】m ロ 〈円 店 (な回目印 J日 】 戸。 ぺ門 v( m)) w門 現存作家については、今後の成長発展もあるので、軽々しい判断は慎まねばならないのである 私が の、 考えでは、グルニエの影響か 」、 の両者の比較は、カミユの思想形成を知る上 ら抜け出た時に、カミユの新しい発展の道が開かれるように思われる。いずれにせよ にも、又、今後の発展を計るためにも、もっと検討されるべきであると思う。 -g 勺ユmOD〉 m (呂町凸)には、『諸島』がカミユに影響を与えた、と簡単 -160- 日本フランス文学会に於て発表したものでい 、くらか加筆訂正し (設1) 以上は、昭和三十一年六月、学習院大学で開催された てある。 (註2)この後に入手した問。m2ρ巳=一三の〈FmgRZ であるが明記してある。 書いている。 =σF四日・ ・7 トι 同町吋凶}ぬ 山 伶一門 日 ω 戸 A口 叶 2HOユ mBOE . 0〈OH しいことはわからな・ぃ 説m 〈nVEG-を発表したとのことであるが、まだ入手していないので、くわ (註4 ) 今年の五月頃に、カミユは、久しぶりに小F F 同32mm口 Z一。・』巳z-w-日・ 、年七月の円\何 印紙に、 カミユは二度にわたって時事評論を (註3) 現今のアルジェリアに於ける政治的紛争については昨 MGBm ’