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ラ・キ・ネットに関わってみませんか? - 「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット

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ラ・キ・ネットに関わってみませんか? - 「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット
ぽーぼ
民
衆
Povo
「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット 会報
No. 11
2012年 5 月 30 日
ラ・キ・ネットに関わってみませんか?・・・・・・・・・・・岩井健作・・・・1
ブラジルとの交流活動の報告
発行人: 大倉一郎
連絡先: ラ・キ・ネット事務局
〒250-0117 神奈川県南足柄市
塚原4919-141
電話/FAX:0465-73-0531
http://www.latinamerica-ch.net/
郵便振替:00240-5-80379
現代を生きるキリスト者の霊性・・・・・・・・・・・・・・・・・大倉一郎・・・・4
2009―2011 年・・小井沼眞樹子・・・・2
ラ・キ・ネットに関わってみませんか?
則に違反するという事で「免職処分」にしました。
その手続きが余りにも杜撰であったので今、
「手続
きの人権侵害の不備を問う裁判」が起こされてい
が多いと思います。
「ラテンアメリカ・キリスト教」 ます。これは、もともと貧しい者と共に生きる事
を根本に据えていない理念的福音理解が災いして
ネットの略称です。発端は、ブラジルのサンパウ
ロ福音教会(1967年宗像基牧師の創立による) います。
ラ・キ・ネットはそのような「日本の教会」の
の牧師を務められた小井沼國光牧師、小井沼眞樹
歴史や現状に警鐘を発してゆく役割を担っていこ
子牧師夫妻が帰国、國光牧師の逝去(2006 年)の
うという運動です。それをただ、観念的に主張す
後、その遺志をついで、広くラテン・アメリカ、
るのではなく、ブラジル(広くはラテンアメリカ)
特にブラジルの教会と日本の教会との交わりを願
の教会に実際に学びながら展開してゆこうとして
って有志が立ち上げた運動(今の代表は大倉一郎
います。
牧師)です。その交流で何を学ぶのでしょうか。
3.では、どうやってそれを実践するのでしょ
2.まず第一に「貧しさということ」です。世
うか。まず、①人の交流です。日本基督教団から
界で最も貧富格差が激しい国(7 割が貧困層)で
南米へは二人の宣教師が派遣されています。小井
のキリスト教は貧しい者たちの味方になっていま
沼眞樹子牧師はそのうちの最も歴史的関わりの長
す。それはイエスの姿に近いのです。
いお一人です。これは「教会対教会」の交わりを
日本のキリスト教は明治以来、知識人、また中
意味します。今年3年の任期が終わり、次の3年
産階級が中心です。イエスから遠いとは申しませ
間の派遣が決まっています。こちらは「日本基督
んが、やはりどこか観念的になり勝ちです。
でも、
教団」という教会(経済的には小井沼眞樹子牧師
最近は日本でも新自由主義経済の国是によって格
を支える運動や個人の支えに依っています)。あち
差がひどくなりました。だからこそ、貧困層の多
らは「ブラジルのメソジスト教会」です。
い「貧困の先進国」ブラジルに学んで「福音」の
ブラジルは大部分がカトリックの国ですが、カ
抽象化に歯止めをかける教会になろうとしていま
トリック教会とは大きな運動でつながっています。
す。それは一方で、資本(お金)優先の競争主義
また、日本からは訪問者という形の交流で学びを
が社会のあり方(教育、福祉、司法、政治、経済、
深めています。②聖書の学び方の問題です。
文化など)で支配的にならないように、社会の事
日本の教会はどちらかというと神学者、牧師な
に関心をもってゆく運動として展開されています。
どの専門家から聖書を講義の形で学びますが、ブ
日本の教会も、教会は「心の問題」の救いだけに
ラジルでは、大きな改革が行われ(普通「解放の
とどまらず人間全体の「救い」を求めて、その運
神学」の運動と言われています)、貧しい民衆が、
動の一翼を担う事が「福音(イエスの出来事)」の
生活の中からみんなで心の感受性を交わして学ぶ
実現に大切だ、という理解に立ち始めました。
例えば、聖餐式(福音の恵みの分かち合い)を、 運動が定着しています。この運動の中心には「ベ
ルボ聖書センター」
(主宰者 中ノ瀬重之神父)が
「洗礼を受けていない方たち」を含めて守ろうと
あります。日本からの訪問者は実際に参加して学
いう理解もその一つです。貧困層に属し廃品回収
びを深めてきました。
を生業としている貧しい人と共に生きる教会を目
③本の出版。この運動の聖書の学びのテキスト
指して、よくよく考えて「未受洗者」への配餐を
を翻訳・出版する働きを「ラキネット出版」を立
決断した教会の牧師を、日本基督教団は教団の規
岩井健作
「ラテンアメリカ・キリスト教」ネット
会報
No. 5
2008年11月?日
1. ラ・キ・ネットって何だ、と思われる方
1
ち上げて、もう3冊も出しました。『母なる地球
今、創世記に聞く』
(カルロス・メステレス、フラ
ンシスコ・オウロフィーノ著、佐々木治夫訳、渡
辺英俊解説2007)
、
『喜んであなたのパンを食
べなさい ともに学ぶ「コヘレトの言葉」』
(マリ
ア・アントニア・メルケス、中ノ瀬重之神父、大
久保徹夫、小井沼眞樹子訳2009)
、
『虹を追っ
て-ある牧師の五十年』
(渡辺英俊著 2011)。
そこには、聖書を現代の聖書学が提唱している聖
書の歴史批判的解釈の方法がきちんと取られてい
ますし、貧しい者の視点が踏まえられています。
共に日本の教会が学ぶべき視点です。④「研修会」
と「会報」。以上のような観点から、折りに従っ
て毎年2回、研修会を行い、また運動の推進のた
め「会報」を発行しています。今回が11号にな
ります。
4.皆さまが、会員になって会費を払って下さ
ると、会報が送られ、研修会の案内がされます。
関連して運動が組まれている「小井沼眞樹子宣教
師と共に歩む会」会報の『オリンダ通信』
(7号ま
で出ています)も紹介されます。
現在世話人は大倉一郎(フェリス女学院大学准
教授)(代表)岩井健作(明治学院教会牧師)、大
久保徹夫 (日本基督教団大井伝道所会員)(事
務局・会計)、沖田忠子(日本基督教団横浜港南
台教会会員)、小井沼眞樹子(ブラジル アルト・
ダ・ボンダージ教会 宣教師)、中尾貢三子(日本
聖公会京都聖三一教会信徒)、久松英二(龍谷大
学国際文化部教授)、松本敏之(日本基督教団経
堂緑岡教会牧師、元ブラジル宣教師)、渡辺英俊
(日本基督教団なか伝道所牧師)です。
5.日本の教会は欧米の教会とは交流の古い歴
史があります。また、アジアの教会とは、アジア
キリスト教協議会などがあり交流をもっています。
しかし、南米の教会とは交わりは少ないのが現状
です。特に、南米は歴史的由来からカトリックの
教会が主流です。その意味でもラ・キ・ネットは
「第二バチカン公会議」
(カトリック教会が大きく
変革を成し遂げた歴史的な会議)以後のカトリッ
ク教会との交わりの実践的意味をも持っています。
皆さま、是非参加してください。
ブラジルとの交流活動の報告
容の豊かさに驚嘆し、豊富な賛歌やダンスを盛り
込んだいのちのダイナミズムに終始圧倒されなが
ら過ごした。
- 2009―2011 年 小井沼眞樹子
教団の宣教師としてペルナンブコ州オリンダ市
のアルト・ダ・ボンダージ・メソジスト教会に遣
わされて、第1期3年を終えて3月に一時帰国し
ました。
アルト教会での宣教奉仕については、
「オリンダ
通信」に書いてきましたが、この紙面では、ラキネ
ットの目的のひとつである「ブラジルと日本のキ
リスト者間の具体的な交流活動」
を担う者として、
この3年間に実施した活動をまとめてご報告した
いと思います。
【2009年】「ぽーぼ」7号参照。
★第12回キリスト教基礎共同体全国大会に、松本
敏之さんと小井沼が参加。
日程:7月21-25日
場所:ホーライマ州、ポルト・ベーリョ市
テーマ:大地の底(子宮)、アマゾンからの叫び
熱気あふれる会場
外からは衰退をささやかれている基礎共同体だ
が、現場では地に足を着けて不正と闘い、信仰の
喜び、希望をもって歩み続けていることが伝わっ
てきて、心燃やされる思いだった。エキュメニカ
ルな姿勢と他宗教との友好を明確にしていること
にも、風通しの良さを感じた。
4年に一度開かれるというこの全国大会に、キ
リスト教基礎共同体(CEBs)の信徒代表者、聖職
者、オブザーバーを合わせて3000人が集まり、
2000人の現地ボランティアが奉仕した。多様
なグループが全国各地から参加。祭典の規模と内
2
からルーシア(光の子として人々を照らすように)
というブラジル名を授けられ、ノルデスチのポー
ボとの出会いと交わりのなかで、新たないのちを
受けた旅となった。
【2010年】「ぽーぼ」9号参照。
★ホベルト神父の日本訪問旅行。
日程:9 月 18 日―10 月 12 日
講演:
Ⅰ「キリスト教基礎共同体と解放の神学―教会の
新しいあり方を求めて」ラキ研修会、上智大学
Ⅱ「神学生養成と宣教-現代世界におけるイエズ
ス会の後継者教育」農村伝道神学校
訪問地:
東京、横浜、鎌倉、京都、広島、鹿児島、長崎
殉教者を記念する行進
★ブラジル研修旅行実施。
参加者―下郷亜紀さん、松本敏之さん(部分参加)、
小井沼眞樹子
日程:7月27日―8月20日
訪問先:
①サンパウロ(サンパウロ福音教会、ベルボ聖書
センター)
②パラナ州サンジェロニモ・ダ・セーハ(佐々木治
夫神父の現場)
③バイーア州サルバドール
④ペルナンブコ州レシーフェ/オリンダ(アルト・ダ・
ボンダージ教会)
⑤パライバ州ジョァンペソア(イエズス会神学院、
基礎共同体)
ジュニオラード
ジョアン・ペソアのイエズス会神 学 院 で、10
年間、教育主任を務めたホベルト神父には、日本
からの多くの訪問客がお世話になり、彼の英語に
よる通訳によって、いくつもの意義深い交流が実
現した。
参加者が下郷さん一人だったので、彼女の希望
を全面的に取り入れ、内容豊かな研修旅行が実現
した。サルバドールでは、念願のカポエィラのメ
ストレ(師匠)の道場に体験参加。
京都にて(右から 2 番目がホベルト神父)
彼がジュニオラードを離任するに当たり、感謝の
しるしとして日本へ招待した。3回の講演会、参
禅体験、各地への訪問旅行のすべてが順調に運び、
神父は行く先々で出会いと交わりを楽しまれ、日
本文化や歴史にも触れる大変有意義な旅となった。
【2011年】
3月11日に東日本大震災が、続いて福島原発
事故が起こり、ブラジル研修旅行への参加予定者
がキャンセルせざるを得なくなったため、研修旅
行も中止。ブラジル国内で日本の被災地のために
祈るときを持った。
佐々木神父の現場で(左から下郷さん、松本牧師、佐々木神父)
ジョアン・ペソアではミサのときホベルト神父
3
題が自明ではないということである。
イエスの霊性
19 世紀ロシアに生きた画家クラムスコイは荒
野のキリストを描いた。クラムスコイは帝政ロシ
大倉一郎
ア末期社会の疲弊の中、困窮する民衆を描き続け
た。そのヒューマンな精神がナザレのイエスを生
現代世界でキリスト者であること
き生きと描いた。イエスは貧しく困窮する人々に
現代という時代をどのように理解するだろう
心を痛めていた。彼の生きた時代をカタストロフ
か。自分の生活体験だけで見直すのではなく、世
ィーとして真剣に受けとめていた。貧しい人々は
界中の大半の人々が有形無形に影響を被っている
崩壊の時代の最大の犠牲者である。神は貧しい者
出来事に照らして、現代を理解しよう。三つの点
にとってどのようなお方なのか、自分に何を望ん
を挙げたい。第一は格差のグローバル化、第二は
でおられるか、自分は何をしなければならないの
貧困の拡大と深化、第三は生命環境の危機である。 か、自分はどう生きるのか、それをイエスは沈黙
第一に今日の全地球規模での格差の拡大である。
の祈りの中に求められた。
近年の自由市場経済体制の過酷な経済競争は世界
イエスの問い、
中の人々の生活を巻き込んだ。地球大の経済格差
自分の生き方は
は「先進国」対「途上国」間の国家間格差のみな
神の前にどうな
らず、双方の各国内部においても大半の諸国で拡
のか、その問い
大している。
が霊性を問うこ
第二は格差による貧困の質的かつ量的な拡大で
とである。
ある。先進国・途上国を問わず絶対的及び相対的
私たちは現代
貧困層が出現している。とくに貧困は人々の潜在
という時代の荒
的可能性を奪っている(アマルティア・セン)。い
野の顔を知っている。さてそのただ中で私はどう
わば構造的暴力である点を見逃してはならない。
生きるのか。イエスに倣い私のキリスト者として
日本も例外ではなく、とくにワーキング・プア層
の霊性を問うてみよう。
は日本社会に広く存在している。格差の中で貧困
霊性(スピリチュアリティ―)とはどういう意
が世界大で拡大と深化の一途をたどっている。
味だろうか。もっとも簡潔な一般的説明は、
「人間
第三に生命環境の悪化である。経済利益優先の
の生き方」と言われている。この意味ではあらゆ
開発と工業化は地球規模の自然環境の破壊をもた
る人間が霊性を持っているといえる。宗教や信仰
らした。乱開発は自然と人間生活を破壊してきた。 に拘わらず人間であるかぎりは霊性を宿している
温暖化も進行している。核兵器・核エネルギーに
のである。その霊性が特定の宗教に基づいている
よる半永久的破滅の脅威は何も終わってはいない。 とき、
「○○的霊性」という表現がなされる。仏教
全崩壊(カタストロフィー)が現実に起こり得る。
的霊性、神道的霊性、ユダヤ教的霊性、イスラー
以上、三つの状況が示していることは、全生命
ム的霊性、キリスト教的霊性、プロテスタント的
の危機という事態に結果して行くのである。キリ
霊性などなど。
スト教の言説でいえば、私たちは神の創造世界の
キリスト教的霊性について考えてみよう。様々
破壊の危機の時代に生きている。それが現代であ
なキリスト教伝統が生じた後世の時代を論じるよ
る。私たちはこのような現実認識を共有している
りも、根源に遡ることが大切だろう。最も根源と
だろうか。
なるのはイエスの霊性である。イエスは古代イス
現在のキリスト教は人類の20億人を擁するグ
ラエルの預言者の霊性をバプテスマのヨハネを通
ローバル・コミュニティの一つであるとも言える
じて継承した方であると見るのが適切である。そ
が、決して一枚岩ではない。様々な立場や分裂を
の預言者的霊性を簡潔に語っている言葉がある。
抱えている。戦争や抑圧や差別に加担しているキ
「人よ、何が善であり、主が何をお前に求めて
リスト教徒もいる。現代世界に関わるキリスト教
おられるかは、お前に告げられている。正義を行
徒は個人としてもグループとしても普遍的な共通
い、慈しみを愛し、へりくだって神と共に歩むこ
の信仰とその生活に生きているとは言い難い。そ
と、これである。」(ミカ書6:8)
れが現代の課題に関わるキリスト者を混乱させ、
イエスはこの生き方、つまり預言者的霊性を受
行動を鈍くしている。最も深刻な問題は「キリス
け継いで生きようとされたのである。ガリラヤで
ト者とはどのような人間のことなのか」という問
イエスはご自分の生き方を人々に公然と語ったが、
現代を生きるキリスト者の霊性
4
その言葉は預言者イザヤの言葉に託して語られて
いる。
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に
福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注
がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、
捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視
力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、
主の恵みの年を告げるためである。」
(ルカ4:1
8-19)
イエスの後に従う者の霊性
この生き方を生きたイエスに人々は出会い、あ
る者たちは彼の弟子になったのである。それはイ
エスの中に新しい信じ方で神を信じ神に応える生
き方を見出したからである。もっとも弟子たちの
生き方はピントはずれのままで、イエスの死を迎
えてしまう。イエスの生き方を弟子たちが理解し
行動したのはイエス復活の体験後だった。ともあ
れ最初にあったのは信仰告白文ではなかった。教
理問答集でも礼拝儀式でもなかった。それらは後
代の伝統である。最初にあったのはイエスの存在
と彼の生き方であり、その生き方に倣って信じて
生きた行動であった。イエスの霊性と彼に従う霊
性がそこにあったと言ってもいいだろう。
ここでキリスト者の霊性の意味をまとめてみよ
う。
「霊性とは、イエス・キリストを介して働きか
ける神の霊に応答し、人間の身体的・精神的・社
会的領域をダイナミックに根底的に支える次元
(スピリチュアリティ)に即して形成される生の
あり方」
(荒井献)という理解が最も相応しいと思
われる。
ローマ帝国時代にキリスト教徒は数世紀に及ぶ
迫害をくぐったがそれに耐え抜いた。迫害者の一
人となったローマ皇帝フラウィウス・ユリアヌス
(361-363)の故事はキリスト者の真の力
の源について大切なことを教えている。ユリアヌ
スはギリシャ・ローマの古典を重んじ、その宗教
の伝統を復興しようと望み、キリスト教を嫌い迫
害した。そこで彼は国家政策として帝国内の主要
都市に病院施設を建設して人々をひきつけること
にした。なぜそれがキリスト教への圧力になるの
か。当時の教会が人々の信頼と高い評価を得てい
たのは、まさに病院施設と病者への慈しみの実践
によっていたからである。ユリアヌスはそれを皇
帝の手に奪い取ろうと考えたのである。
しかし彼の政策は失敗に終わった。国立施設の
役人はその事業への意欲が高まらず、その奉仕に
も人々は不親切だと感じ、事業資金は役人たちに
横領されてしまったからだった。
ユリアヌスは「ガ
リラヤ人よ、汝は勝てり」と言ったという。この
故事が教えるのは、キリスト教徒の本当の力は、
数の力や政治勢力として相手を圧倒するとか、権
力に迎合して保身に努めるとかいうのではなく、
身をもって愛の奉仕に従う生き方にあったという
ことである。その霊性に思いを巡らせてみよう。
皇帝テオドシウス一世のキリスト教国教化(3
80)のあと、教会はヨーロッパ地中海世界を中
心に権威と権力を手にしていった。いつしか教会
は世俗権力そのものになって堕落を繰り返す。
しかし、イエスに結びつこうとするキリスト者
の試みは地下水脈となって古代から中世教会へと
失われることはなかった。アシジのフランチェス
コはその最も知られた一人である。彼はアシジの
貧者とも呼ばれ、清貧のうちに貧しい人々に仕え
た。臨終の間際にはただ一枚着の外套さえも脱ぎ
去り、地面に裸のまま横たえてもらい息を引き取
った。人々はフランチェスコを最もキリストに似
た人と呼んだ。
ルターやカルヴァンのように知られていないが、
プロテスタント宗教改革者の一人にトーマス・ミ
ュンツァーがいる。彼は封建領主の権力に頼った
ルターに批判的になり、領主の過酷な農民支配に
対してそれを恐れず糾弾した。また搾取の下で苦
しむドイツ農民や鉱山労働者を軛から解放し地上
の神の国の実現を願った。ルターが一揆を起こし
た農民を非難して、領主たちに農民の生命を奪っ
ても構わないと進言したのと対照的である。ミュ
ンツァーはついにミュールハウゼンの町での蜂起
の指導者となり、捕らえられて殺され生涯を終わ
っている。多くの神学者はルターやカルヴァンを
賞讃し、ミュンツァーを語ることは少ない。イエ
スに繋がる霊性を重んじる視点から見ると、その
ような「神学」は何か大切な点を見過ごしている
のではないだろうか。
キリスト者の解放の霊性
メリダの十字架のイエス像を見つめてみよう。
大きな厳つい農民的な顔。大きな働く者の手と足。
作者エディルベルト・メリダはペルーのクスコに
暮らす。彼の先祖はかつてインカ帝国を築いた
5
人々である。メリダは今日インディオと呼ばれる
インカの血をひく芸術家である。およそ500年
前インカの民はスペイン人によって殺戮され征服
され、搾取と差別の長い歴史が始まった。その気
がくなるような長い時間、カトリック教会はごく
小数の人々を除けば、支配者の仲間としてインデ
ィオの苦悩も、それをつくりだす社会の構造的罪
も本気で考えようとはしなかった。メリダの苦し
むイエスは、インディオの苦しみと憤りを知り、
その苦難を身に負い生命を奪う罪を告発するイン
ディオのキリストである。
メリダのイエスに心を捕らえられたキリスト者
い人々と、それをつくりだす社会の現実(構造的
が現れた。その人グスタボ・グティエレス神父は
出会いである。いのちの神とはイエスが出会って
『解放の神学』
(1971)というその著書のカバ
おられた神に他ならない。
(マタイ5:45、6:
ーにメリダのこの十字架像を用いた。神父もイン
30)
罪)から眼を逸らさずに、人間として心を開いて
みると、イエスに倣う生き方から自分がどれだけ
隔たっているかに気づいて愕然とする。そこで生
き方を方向転換したいと願う。それは人との出会
いを通じてイエスと共に生きる道を再発見する方
向転換(回心)を経験することなのである。
(マタ
イ6:33、)
第三にこのような回心を通じて、キリスト者は
がどのようなお方であるかを新たに発見する。
それはすべての生命を慈しむ神、いのちの神との
ディオの血を引く人で、ペルーの首都リマの貧し
解放の神学は霊性の刷新を大切にしている。神
い人々の町に今も暮らしながら、神学の先生も務
学は先頭を切って走るものではない。それは愛の
めている。
実践の後にくるものだという(グティエレス)。そ
グティエレス神父は遠く16世紀、スペインの
のようなキリスト者の生き方を佐々木治夫神父に
南米征服時代に生きたラス・カサス司教に注目し
見ることができる。佐々木神父は26歳で日本か
ている。ラス・カサス司教はインディオの生命を
らブラジルに渡った。パラナ州サン・ジェロニモ・
奪ったキリスト教徒の罪を弾劾し、生涯インディ
ダ・セーハの町でハンセン病者治療施設フマニタ
オとの平和を求めてスペイン人キリスト教徒に悔
スの働きをシスターたちと共に担ってきた。パウ
い改めを迫った。グティエレスは権力と富に道を
ロさんというハンセン病に苦しんでいた貧しい青
誤ったキリスト教徒のただ中でラス・カサス司教
年との出会いが、その奉仕の道を開くことに佐々
が預言者的な生き方を求め続けられたのは、イエ
木神父を決心させたという。その後佐々木神父の
スに従う生き方にあったと考えた。そしてキリス
働きは、土地を持たない貧しい農業労働者の農民
ト者の霊性とは何かを考えて、もっとも簡潔な説
としての自立の活動を支えたり、農業学校を建て
明を与えた。「イエスに従う」ことだという。
たり、地域の貧しい家庭の子どもたちの教育と給
その「イエスに従う」道をグティエレス神父自
食事業にまで及んだ。80歳を越えて働き続ける
身がキリスト者の一人として長年の間たどってき
神父を人々は敬愛をこめてパードレ佐々木と呼ぶ。
た。その信従の生き方の中で知った霊性の体験を
パードレ佐々木はイエスの生き方から直接にキリ
詳しく記している。グティエレスはキリスト者の
スト者の生き方を学んできましたと言う。イエス
霊性は、三つの経験をたどる道であるという。
に倣って人々の心身まるごとの救いに奉仕したい
第一は貧しい人々の沈黙と祈りの意味に気づく
と願っている。イエスに従い倣うという意味での
ことである。貧しくされている人々はあまりに深
キリスト者の霊性を生きる姿がそこにある。
い苦悩ゆえに沈黙している。しかしその沈黙は神
パードレ佐々木の言葉を紹介したい。
「「神の国」、
の救いを求める切なる祈りに他ならない。それは
それは頭で考えだされたものではなく、実践のな
イエス自身の沈黙であり祈りであった。貧しい人
かに生まれてくる、イエスがあのナザレの貧しい
のなかにイエスが苦しみを負い沈黙し生きて語り
人たちの中に見たものです。」「人間的弱さは誰に
かけておられる。
(マタイ5:3~12、25:4
でもあるものです。これは神の恵みです。私たち
0)
に必要なもの、それは貧しく、自分自身や他のも
第二はそのような貧しい人々との出会いを通じ
のに捕らわれない自由な素朴な心で、マリアのよ
て体験するキリスト者としての回心である。貧し
うに神の言葉を聞き、聖霊の働きに身を任せてい
6
くこと、そうしてこそ、始めて、私たちはイエス
の弟子になれるのではないでしょうか。
」(
『今日、
救いがこの家を訪れた-ルカによる福音書解説』)
イエスの霊性は開かれた霊性である。それは神に
開かれ、人に開かれ、世界に開かれている。そし
て、その意味で社会性を帯びているということが
できる。霊性の定義はすでにそのことを語ってい
た。
「人間の身体的・精神的・社会的領域をダイナ
ミックに根底的に支える次元に即して形成される
生のあり方」。
あらゆる存在、あらゆる次元がこの意味での
霊性の視野の中にある。教会と社会、聖なる領域
世界の全人口を20%毎の5グループに区分し
と俗なる領域、信仰と行為など、二つに分けて一
て富の所有(所得)の階級分布を調べた結果を図
方だけを重視する(あるいは軽視する)という二
示している。この図によって、全人類の20%の
元論の考え方は宗教にままある発想である。しか
人々が世界の富の80%を所有していることが分
し、イエスに倣う霊性の視点からみれば、キリス
かる。それが杯の膨らみある上部の姿である。こ
ト者の信仰も、意識と行動の二元論で成立すると
れと対称的なか細い下部の姿は全人類の80%の
いう考えは的外れである。この点についてボンヘ
人々がわずか20%の富に与っている事実を示し
ッファーの説明は適切な表現をしている。
「信じる
ている。この図では表せないが、さらに各国内に
者が従い、従う者が信じる。
」つまり「信」と「従」
も富の偏在があることは想像できるだろう。格差
とは間を置かず一気に言われなければならない事
と貧困の底に押し込められた人々は死に晒され、
柄である。それは切り離せない一つの生き方であ
生き残る者も辛うじて生きているというべきかも
る。こう考えるとキリスト者の霊性は本来から社
しれない。この杯には現代世界の格差と貧困とい
会的な霊性に他ならないことがわかる。イエスに
う構造的な不公正と貧しい人々の深刻な苦しみが
信従することを願うキリスト者の前には世界が開
手に取るように表されている。
かれている。キリスト者はその様々な課題へと招
あらためて考えたい。イエス・キリストの聖餐
かれている。
の杯と現代世界の杯。二つの杯はまったく関わり
のないものなのだろうか。 私は聖餐に与る時、い
現代を生きる
つも「富と貧困の杯」を思い起こさないではいら
教会は21世紀を迎えた。最初に触れたように
れない。私が与るキリストの血の象徴は、貧しい
現代は生命の全体的崩壊の危機を潜ませている。
人のためにイエスが献げつくした生命の象徴であ
その世界のただ中で私たちは礼拝に列し聖餐に与
る。私は貧しい人のためのその生命に無償で与っ
っている。聖餐の度にキリスト者はイエス・キリ
ている。そして生きる息吹きを与えられるのであ
ストを思い起こす。彼が今も共にあってあらゆる
る。
人に生命を与えてくださると信じるからである。
それでは私たちは、そして生命の杯を託された
世は全崩壊の危機を秘めている。イエスはその
教会は、与えられたこの無償の命をどのように生
ことを彼の時代に悟り、神に信頼して力を尽くし
きればよいのだろうか。キリスト者であること、
て奉仕を生きられた。その慈しみが聖餐のワイン
その生き方が、自らの霊性のあり方から考え直さ
の中に象徴され恵みとして私たちに残された。
れなければならないのではないだろうか
他方、現代世界を表すといわれる「富と貧困の
杯」を見てみよう。「世界の富の偏在」と題する
「国連開発計画」(1992)の調査の図である。
7
会計報告
【ラキネット会計】2011.4.1 ~ 2012.3.31
収 入
前年度繰越金
会費・寄付
利子
支 出
\66,528 会報印刷費
\47,477
\232,000 郵送・通信費
\31,736
\12 ホームページ費
印刷料収入
集会収入
\41,800 イベント費補助等
\5,725
\69,830
\5,500
合計
\345,840
合計
\154,768
次年度繰越金
\191,072
年会費献金・寄付者名(敬称略、順不同)
石井祥子、林芙美子、井田泉、小畑太作、
関田寛雄、石井望、岩井健作、米山雅枝、
中尾貢三子、宮坂和子、渡辺英俊、エア
ド田口やよい、山鹿文子、依田康子、小
高利根子、石原道子、吉田恭子、赤川祥
夫、山崎康生、大澤秀夫、小島光嗣、小
宮山林也、松本綾子、賈晶淳、松本敏之
沖田忠子、大倉一郎、小井沼眞樹子、大木清子、中村みどり、加藤夕子、大久保文、久松英二、
永野茂洋、斉藤圭美、和田信男、宮タズ、羽田洋子、田中義宣、伊東永子、山本尚子、松原安宏、
小島光嗣、米山雅枝、石井望、大村幸生、武公子、関田寛雄、外谷悦夫(49件)
【ラキネット出版会計】2011.4.1 ~ 2012.3.31
収 入
支 出
前年度繰越金
本の販売
利息等
合計
\239,618
郵送・通信費
\3,770
\270,010
試作印刷費
\0
\26
製本印刷費
\262,920
\509,654
合計
\266,690
次年度繰越金
\242,964
「母なる地球」
残部 169冊 (第1刷 500部)
「喜んであなたのパンを食べなさい」
残部 100冊 (第1刷 400部)
「ドン・エルデル –生誕100年 その追憶と預言-」
オンデマンド印刷(注文印刷)
「虹を追って」
残部
61冊 (第1刷 400部)
なお、両会計とも、5月28日に会員の久保寺奈津子さんによる会計監査を受け、「適正に行
われていることを確認した」との評価を頂きました。
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<編集後記>
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ラキネット出版から
1)虹を追って出版 (2011 年 8 月
渡辺英俊著)
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方
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き
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き
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出
し
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自
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き
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道
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迷
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中
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五
年
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葉
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実
年
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き
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き
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に
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本
は
渡
辺
英
俊
さ
ん
が
正
に
牧
師
と
し
て
五
十
ISBN978-4-86211-273-6 四六判 178 ページ
定価(本体 1,000 円+税)
2)私の信仰 Q&A (近日発売
渡辺英俊著)
ハイデルベルグ信仰問答という信仰を「教え込む」テキストがあります。いわゆるキリスト教の
神学を「教える」ものです。
この本は形式的にはそれを踏襲しているので、
「古くさい」イメージに取られがちですが、そうで
はなく、一信仰者として渡辺英俊牧師が感じたことを「聖書・キリスト」、
「神・人間」、
「罪・解放」、
「教会・神の国」に分けて Q&A の形で書いてあります。
どうぞ、お買い求めください。
ご注文はFAX:0465-73-0531 大久保徹夫
E-mail:[email protected] までお願いします。
第6回ラキネット聖書研修会のお知らせ
今年は、講師に大嶋果織さんをお招きして研修をしたいと思います。ご存じのように、
大嶋果織さんは男性/女性の問題について深い洞察の上で、発言をされています。研修会を
以下のように計画していますので、どうぞ予定しておいてください。
詳細が詰まった段階でご案内の連絡をいたします。
・日時:2012年9月17日(月)午後 ~ 19日(水)午後 (2泊3日)
・会場:なか伝道所(横浜市中区寿町 根岸線石川町下車 徒歩5分)
・費用:一般 約 1 万円(学割、勤労青年割引あり、別途相談)
・募集人数:約20~30名
・研修会について、大嶋果織さんから以下のようなコメントがあります。
「ヨセフ」とは誰か?-「女・子ども」の視点から、マタイ 1 章~2 章を読む マリアは「聖母」と
呼ばれても、ヨセフは「聖父」とは呼ばれません。
「天父」(神)に失礼だからでしょうか? それと
も「養父」にすぎないから? マリアとヨセフ、それぞれをテーマにした絵画の数は-もちろん本の
数も-比べものにならないし、クリスマス降誕劇でもヨセフは完全に脇役です。
けれども、環境が整わなければ産むことも、生まれてくることもできない「女・子ども」の立場か
ら言えば、ヨセフはまさに「男・大人の鑑」
。自分の遺伝子に関係なく、 弱い立場にある「女・子ど
も」を守り通したのですから。
それなのに、なぜ、ヨセフは軽んじられるのでしょう。婚約者を寝取られた情けない男だから?「父
なし子」を身ごもった女を引き受けて、家父長制社会の秩序を乱したから? あるいは-「母の日」
に比べて「父の日」の影が薄いように-「父」には存在感がないから?
マリアのことは放っておいて、このあたりで、謎の男・ヨセフに迫ってみませんか。
今回も昨年と同じなか伝道所になりました。そしてこの機会に貧しい者/虐げられた者の視点を大
切にするラキの立場から、簡易宿泊所(畳3畳、エアコン/TV/冷蔵庫付き、トイレは共同、風呂は
銭湯・・2600 円程度/泊)の宿泊体験をすることが研修会参加者にとって大切なことと考え、なか伝道
所周辺の簡宿に分散宿泊することとしました。
【大嶋果織さん紹介】
大阪生まれ。聖和女子大学でキリスト教教育を、関西学院大学神学部大
学院で聖書学を学び、米国留学。ルイビル長老派神学校や女性神学セミナ
リーなどで、解放教育、フェミニズム神学などを学ぶ。
日本キリスト教団龍野教会伝道師を経て、日本キリスト教協議会教育部総主事。
<ブラジル研修旅行について>
ラキネット主催のブラジル研修旅行を来年度から再開したいと考えています。希望者は早めに
事務局あてにご相談ください。日程、訪問先、旅費負担について、応募者の希望によりご相談に
応じます。
(担当:小井沼)
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