...

発熱の昼下がり

by user

on
Category: Documents
16

views

Report

Comments

Transcript

発熱の昼下がり
せずには帰れない
電脳版
1
双葉社
せずには帰れない
島村洋子
Illustration /メグ・ホソキ
発熱の昼下がり
﹁やっぱり風邪ひくとコーラなのか?﹂
と男が言 っ た 。
彼は隣で生ビールを飲んでいる。うらやましい。
私は風邪薬と熱で、ぽやんとしていて、このままアルコールを飲んだ
ら倒れてしまうので、コーラなんか飲んでいる。
私たちはたまに業務連絡のように会っている。
去年の今頃のあるパーティに出かけたとき、少し遅れた。
ネイルサロンに行ったのだが、なかなか爪が乾かなくて、六時半に始
2
まるところ、七時十五分になっていた。
入り口近くで、知っているホステスに会い、
﹁いらしゃ っ て ま す よ ﹂
と聞いた 。
主語なしに﹁いらっしゃってますよ﹂と私に報告される男はこの世に
ひとりしか い な い 。
あら、このパーティに来るのか、と思った。
女代議士のようなオレンジ色のジャケットを着た女性と話していた。
着物の私を見るなり、女代議士は男に何かを言った。
聞こえなかったけれど、﹁おもてになるのね﹂というせりふに違いな
い。
彼は、
﹁この人は 違 う ん だ ﹂
と私のこ と を 言 う 。
せずには帰れない
3
ホステスとは違うんだ、オレの女と違うんだ、有名作家とは違うんだ、
さてどれで し ょ う 。
百万円あげるから女代議士よ、ここから一瞬、去ってくれ、と私は思
う。
半年、ぎっくり腰になるほど苦しんできたんだから。
﹁もう出なくちゃいけないんだ。七時に出ないと間に合わないのに、も
う十五分も 過 ぎ て ﹂
男は自分 の 時 計 を 見 た 。
顔を見たとたん、去りたいくらい嫌われてるのか、私もなかなかに悲
しい女じゃ わ い 、 と 思 っ た 。
彼が去ったあと、女代議士は私をにらみつけた。
すまんの う 、 な ん だ か 。
その夜は女友達と飲みに行き、ひとり酔った頭で帯揚げをほどいてい
るとき、あ っ 、 と 思 っ た 。
4
七時に出なくてはならない男が七時十五分までいた理由は、もしかし
たら一目私を見たかったのではないか、と。
しかしそれは自惚れすぎだなあ、と思い直して、くるくると帯揚げを
まるめた。
憎んだり殴ったり、泣いたりつねったり、いろいろしたけれど、彼は
理由が全部 わ か っ て い る 。
彼がわかっているということを私はわかっている。
月日が無駄にはならないということはそういうことだ。
﹁またたま に は 飲 も う よ ﹂
とその翌々日の昼下がり、帝国ホテルのランデブーラウンジで私がそ
ういう前に 彼 は 言 っ た 。
タイミングというのは恐ろしいもので、その日は有名作家の結婚式&
忘年会で、そんな話をしている横を北方謙三が通り大沢在昌が通り、い
ちいち、
せずには帰れない
5
﹁あれれ、オマエ何してんの?﹂
という。
何してんのたって、一瞬は永遠という時間の確認をしているのだが、
私は恥ずかしくてしょうがない。
泣いてな く て よ か っ た 。
私が女のように振舞っているなんて気持ち悪くてやってられないだろ
う、すまん の う 。
私はいきなり、電気カミソリで髭を剃りたいくらいの気持ちである。
まあ、そんなことがあってたまに会ったりしているのだ。
﹁私たち、 友 達 ? ﹂
と尋ねる と 、
﹁友達じゃ な い で し ょ う ﹂
という。
でも恋人 で も な い 。
6
私は自分に新しく恋人が出来ると良いなと思うけど、この人に出来る
といやだな あ 、 と 思 う 。
この人はあるとき﹁役割﹂というのをうまく身に付けて生きてきたの
だと思う。
社会にあっても家庭にあっても。
私には﹁役割﹂で接さずに、彼自身であってほしいと思っていた。
今でもそ う 思 っ て い る 。
﹁そんなあふれる愛情に応えられないよ﹂
と男は言 う 。
﹁時間が?
お金が?
気持ちが?﹂
何が応えられないの?と私は訊く。
﹁気持ちが ﹂
という返事にそうか、私はやはり愛されない女だなあ、と思った。
その瞬間 、
せずには帰れない
7
﹁応えたいと思ったんだけど﹂
と言葉が 続 い た 。
﹁ばかだね ぇ ﹂
私は言う 。
応えたいと思った瞬間、それは応えたことと同じじゃないか。
﹁あれっ! ﹂
私の言葉に男は声をあげた。
﹁なんとなく今、俺、それに納得した﹂
応えているから続いたんじゃないか。
金が欲しいとか時間が欲しいとか戸籍が欲しいとか、そんなくだらな
いこと、他の女にくれてやってくれ。
私は目に見えないものが欲しい。
というわけで私には残念ながらいわゆる恋人はいない。
私の人生において大切な人はいる。
8
︻著者略歴︼
島村洋子︵しまむら
ようこ︶
1964年、大阪市生まれ。帝塚山学院短期大学を卒業後、証券会社勤務などを経て、
1985年にコバルト・ノベル大賞を受賞し、小説家としてデビュー。
﹃せずには帰れない﹄﹃家ではしたくない﹄
﹃へるもんじゃなし﹄等のエッセイの他、
﹃王
子様、いただきっ!﹄﹃ポルノ﹄﹃てなもんやシェークスピア﹄﹃色ざんげ﹄など多数。
また﹃恋愛のすべて。﹄﹃メロメロ﹄﹃ブスの壁﹄
﹃ザ・ピルグリム﹄が絶賛発売中。
せずには帰れない
9
Fly UP