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科学と宗教 -仏教とマルクス主義の対話

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科学と宗教 -仏教とマルクス主義の対話
科学 と宗教(樋 口)47
科 学 と宗 教
一 仏教 とマルクス主義の対話
樋 口
一
は じめに
二
漏契 の宗教観 と転識成 智
三
牧 口常 三郎 に見 る宗教 観
四
科学 と宗教
五
お わ りに
一
勝
は じめ に
科 学 と宗 教 の 関 係 は 、16世 紀 以 降 の ル ネ サ ン スや 産 業 革 命 を経 て 、 近 代 工
業 の 発 展 に 伴 っ て 大 き く変 化 した。 それ ま で 宗 教 の 従 属 的 な 立 場 に あ っ た 科
学 は 、 宗 教 の 栓 楷 か ら次 第 に独 立 し、 自然 や 社 会 現 象 を実 証 的 な 立 場 か ら認
識 し解 明 して い った 。 そ れ に伴 い 、 科 学 と宗 教 は世 界 観 や 真 理 問 題 で 衝 突 す
る こ とに な る。19世 紀 末 に はニ ー チ ェが 「
神 の 死 」 を宣 告 し、 神 を代 表 とす
る 絶 対 的 な も の へ の 信 仰 が 急 速 に 衰 え た こ とを 指 摘 した 。 一 方 、 マ ル ク ス
も、 当 時 の 社 会 状 況 の 中 で 宗 教 が 果 た す 社 会 的 役 割 を 批 判 し、 「宗 教 は ア ヘ
ン で あ る」 と主 張 した 。 周 知 の如 く、 そ れ 以 降 、 マ ル ク ス 主 義 は宗 教 を非 科
学 的 だ と して 否 定 す る 立場 に あ っ た 。
私 は こ こ数 年 、 牧 口 常 三 郎 と凋 契 の 価 値 哲 学 に見 る価 値 相 対 主 義 と絶 対 主
48
り
義 の 相 克 の 問 題 を め ぐる論 考 を執 筆 して きた 。 牧 口 は 大 乗 仏 教 の 信 奉 者 で あ
り、f,..,契
は マ ル ク ス 主 義 哲 学 者 で あ る。 その 中 で、 両 者 共 に 、 相 対 的 な有 限
の 人 間 生 命 の 中 に 、 絶 対 的 な 無 限 の 生 命 を顕 現 す る とい う考 え方 に共 通 点 を
認 め る こ とが で き た 。 そ の 意 味 で は、 キ リス ト教や 他 の 宗 教 で 見 られ る神 学
的 な 絶 対 主 義 とは 異 な る もの で あ っ た。 しか し、f,,,契と牧 口の 考 え で 大 き な
相 違 は、 無 限 や 絶 対 な どの 超 越 の 内 実 に あ る。 それ は 、 法 を 基 に した 宗 教 と
無 神 論 との相 違 で もあ る。 こ の 問 題 は マ ル ク ス 主義 者 のf,..契と仏 教 徒 の 牧 口
の 宗 教 観 に よ る と こ ろが 大 き い 。 マ ル クス は社 会 に お け る疎 外 さ れ た 労 働 を
発 見 し、 そ の 克 服 の 方 途 を 見 出 した が 、 疎 外 さ れた 精 紳 と して の 有 限性 に 自
(2)
己安 住 的 で あ る精 紳 を 自覚 す る こ とが で き なか った と言 わ れ る。 マ ル ク ス が
指 摘 す る よ う に経 済 的 に発 展 し労 働 の 自己 疎 外 が解 決 され た と して も、 人 間
が存 在 す る限 り生 の 意 味 を 問 う精 神 性 の 問 題 は解 決 で き な い 。
{,,,,契
の宗 教 批 判 に よれ ば 、 宗 教 は彼 岸 世 界 を説 き、 非 科 学 的 な 独 断 論 で あ
るゆ え に、 宗 教 の信 仰 に よ って 人 間 は依 頼 心 を増 幅 し、 人 間 の 本 質 的 な 力 を
引 き出 せ な くな る。 そ して 、 彼 岸 に望 み を託 す ゆ え に 、 社 会 改 革 を行 わ な く
(3)
な る、 とい う も の で あ る。 しか し、 牧 口が 信 奉 した 大 乗 仏 教 に よ る と、 人 間
自身 の 変 革 に よ っ て 、 現 実 の 生 活 や 社 会 の 変 革 を推 進 す る こ とを 強 調 す る 。
つ ま り、 彼 岸 世 界 を説 くの で は な く、 神 や 仏 な どの 外 在 的 他 者 へ の 依 頼 心 を
説 くの で もな い。 あ くま で 、 人 間 自身 に備 わ る絶 対 的価 値 で あ る 仏 性 を顕 現
す る こ とを 目指 し、 そ の た め に 人 格 完 成 や 社 会 実 践 を促 す もの で あ っ た 。
そ うで あ れ ば、 残 る 問 題 は 「
非 科 学 的 な独 断論 」 か 否 か に あ る。 す な わ
ち 、 科 学 と宗 教 の 問題 で あ り、 特 に近 代 以 降 の人 類 の大 き な 課 題 で あ っ た 。
本 稿 で は、 牧 口 と凋 契 の 見 解 を基 に科 学 と宗 教 の関 係 に つ い て の 考 え 方 を 示
し、 マル クス 主 義(唯
物 弁 証 法)と
大 乗 仏 教 との対 話 の 可 能 性 を 探 っ て い き
た い と思 う。 尚 、 牧 口 に は 、 大 乗 仏 教 の現 代 的 解釈 及 び 哲 学 的 議 論 の 資 料 が
欠 けて い る場 合 が あ るの で 、 そ の 際 は池 田 大 作 の 日蓮 仏 法 に基 づ く現 代 的 解
科 学 と宗教(樋 口)49
釈 を参 考 に した い 。
二{,,,,契
最 初 に 、Z契
の 宗 教 観 と転 識 成 智
が 主 張 す る以 下 の 問 題 を 取 り上 げた い。 一 つ は、 物 質 の 究 極
原 因 は 、 物 質 の 自己 運 動 で あ り、 体 用 不 二 で あ る こ と。 そ して 、 体 用 不 二 は
(4)
自因 と相 互 作 用 で あ り、 事 物 は 因 と縁 が 合 わ さ って 生 じ る こ とで あ る。 二 っ
(5)
目 は、 人 間 の本 質 は 自 由 を 求 め る こ とに あ る とい う点 で あ る。 三 つ 目 は 、 理
想 人 格 実 現 の実 践 面 に お け る評 価 で あ る。 なぜ 、 これ らを 問 題 と して 取 り上
げ る の か 。 まず 、 一 点 目 に つ い て は 、 そ れ が 仏 教 の 説 く と こ ろ と類 似 して い
るか らで あ る。 もち ろ ん、{,,,契は 唯 物 主 義 に基 づ く、 物 質 存 在 の 根 本 原 理 を
言 うの だ が 、 そ こに は宗 教 で も説 く理 論 が あ る。 二 点 目 は 、 人 間 の本 質 が 自
由 を求 め る こ とに あ り、 自 由 は精 神 的 価 値 の 獲 得 で あ り、 理 想 人 格 の実 現 で
あ る と捉 え て い るか らで あ る。 そ れ は人 間 、 人 生 の 目的 で もあ り、 功 利 原 則
に 基 づ い て 言 うな らば 、 自 由 を幸 福 と言 い 換 え る こ とが で き る。 も し、 人 間
の 目 的 が 精 神 的 充 実 とい う幸 福 感 の こ とを 指 す な ら ば、 そ れ は 宗 教 の幸 福 感
と ど う異 な る の で あ ろ うか 。 三 点 目 は、{,,,契が 説 く理 想 人 格 実 現 の 方 法 論 の
評 価 で あ る。 そ の 方 法 は合 理 的 な よ うに 思 え る が 、 向 上 を 求 め る積 極 的 な人
間 に の み 適 用 が 可 能 な の で は な い だ ろ うか 。 そ れ に よ っ て マ ル クス 主 義 で 言
う人 間 の 異 化 を 防 ぐ こ とが で き る の で あ ろ うか 。 ま た 、 人 生 に 消 極 的 な 人
間 、 あ る い は生 活 環 境 が 劣 悪 な人 間 の場 合 に、 どの よ うな精 神 的 な救 済 が 考
え られ るの だ ろ うか 。 そ の 意 味 で 、 こ こで もや は り宗 教 で説 く救 済 との 関 係
が 出 て くる。 そ こで 、 本 章 で は凋 契 の宗 教 観 と転 識 成 智 の理 論 を取 り上 げ、
こ れ らの 問 題 との 比 較 を検 討 した い 。
で は、 漏 契 は 宗 教 を どの よ うに 評 価 して い るの で あ ろ うか 。 大 別 す る と認
識 論 と価 値 論 の 観 点 か ら評 価 し、批 判 を 加 え て い る。 ま ず 、 認 識 論 の 角 度 か
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ら見 る と、 原 始 人 は 自我 と外 界 を 区 別 せ ず 、 自然 も人 間 と同 じ よ う に 生 命 、
願 望 、 情 欲 を備 え た 実 体 で あ る と考 え て い た。 また 、 原 始 思 惟 は 想 像 と真 実
が 混 在 し、 神 話 は 超 現 実 の想 像 で 、 想 像 の 中 で 自然 を支 配 して い た 。 更 に 、
原 始 思 惟 は具 体 的 で 感 性 の 直 観 の形 象 思 惟 で あ るの で 、 時 に は形 象 と技 術 を
結 び つ け 、 事 物 の 発 展 や 全 体 を把 握 す る こ とが で き た 、 と宗 教 の 起 源 と して
考 え られ る神 話 や原 始 思 惟 つ いて 述 べ 、 神 話 の特 色 は 想 像 力 で あ る と強 調 し
(6)
て い る。 そ の 上 で 、 神 話 と科 学 との 関 係 と して 、科 学 に も こ の想 像 力 の 必 要
性 を 説 い て い る。 つ ま り、 科 学 は仮 説 を設 け、 論 証 と実 践 の 検 証 を経 て 、 そ
の 仮 説 が 証 明 さ れ れ ば 定 理 に な る が 、 仮 説 の 設 定 に は 想 像 力 が 必 要 で あ る。
想 像 の 中 で 、 人 間 の 需 要 と現 実 の 可 能 性 が 結 合 し、 形 象 を も っ て そ の想 像 を
構 想 化 し、 それ に よ って 実 践 を指 導 す る こ とが で き る。 そ の 意 味 で 、 科 学 の
仮 説 と神 話 に は 、 共 通 の 属 性 が あ る 。 しか し、 神 話 は 、 幻 想 と真 実 が 交 錯
し、 合 理 的 な 部 分 と迷 信 との境 界 が 不 明 確 で あ る。 そ れ ゆ え 、 神 話 は そ の 境
界 を 実 証 的 に解 決 しな けれ ば な ら な い 。 しか し、 科 学 の 発 明 や 発 見 に は 想 像
が 必 要 で あ り、 どん な に科 学 が 発 達 して も、 神 話 と絶 縁 す る こ とは で き な い
(7)
と言 う。L...契が こ こで 言 う想 像 とは 、 恐 ら く直 観 知 の こ とを 指 して い る と思
わ れ る。 科 学 は理 性 を重 視 し、 神 話 あ る い は宗 教 は直 観 知 を 重 視 す る が 、 漏
契 は こ こで その 双 方 を統 一 す る必 要 性 を説 い て い る こ とは興 味 深 い 。
一 方 、 価 値 論 の角 度 か ら見 る と、 科 学 と宗 教 が分 化 して、 宗 教 が 形 成 させ
た 価 値 体 系 は権 威 主 義 に陥 り、独 断 論 に な った と批 判 す る。 例 え ば 、 キ リス
ト教 の 場 合 、 天 国 と地 獄 の 神 話 を虚 構 し、 世 間 と出 世 間 を対 立 させ 、 神 へ の
信 仰 とキ リス トへ の 帰 依 、 そ して 善 行 と禁 欲 に よ っ て彼 岸 世 界 に到 達 で き る
と した 。 そ れ ゆ え 、 理 想 の 楽 土 は天 上 に あ り、 人 類 は 天 上 の 神 に依 拠 して 始
め て 世 俗 か ら天 国 に行 く こ とが で き る。 こ の よ うな宗 教 は、 俗 世 間 に お け る
人 間 の 依 頼 心 を反 映 した もの で あ る。 そ れ が 西 洋 に お い て 文 明 の 原 動 力 に
な っ た こ とは 確 か で あ るが 、 唯物 弁 証 法 か ら言 え ば、 そ れ は神 の 力 とい う外
科学 と宗教(樋 口)51
か らの も の で は な く、 人 間 の 本 質 の 異 化 、 す な わ ち 労 働 の 異 化 に よ って 形 成
した もの で あ る。 つ ま り、 生 産 力 が 低 い段 階 で は、 人 間 が 権 威 に 依 存 す る こ
とは避 け られ な い 。 人 間 が 無 知 で あ れ ば、 上 の 権 威 に よ っ て しか 解 脱 で きな
い と考 え て し ま う もの で あ る。 そ れ ゆ え、 中 世 で は キ リス ト教 へ の 信 仰 が 、
唯 一 の 最 高 の 価 値 原 則 で あ り、 天 国 が 真 善 美 の 理 想 世 界 で あ り、 神 が 真 善 美
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の統 一 した 本 体 で あ っ た 、 と言 う。
中 国 で言 え ば 、 儒 教 が それ に 相 当 す る。 儒 教 は漢 代 以 降 、 統 治 思 想 で あ り
続 け た が 、 儒 教 の 祖 先 や 天 の 祭 りは、 鬼 神 を利 用 して 道 徳 秩 序 を保 ち 、 鬼 神
の 守 りを 期 待 す る功 利 的 な性 格 が 濃 厚 で あ っ た 。 そ の意 味 で 、 自然 や 天 との
帰 一 を 志 向 す る原 始 宗 教 の宗 教 観 の破 壊 で あ っ た が 、 そ れ ゆ え に こそ 、 人 為
的 な宗 教 が 中 国 で 優 勢 に な る こ とは容 易 で は な か っ た 。 儒 教 の 天 命 説 は変 形
し た神 学 と言 え る が 、 キ リス ト教 と異 な り、 人 間 の 原 罪 説 を 唱 え るの で は な
く、 「
復性 」や
「
成 性 」 を説 い た 。 つ ま り、 人 間 は 現 実 の 世 界 で 三 綱 五 常 や
名 教 を 実 践 す る こ と に よ っ て 、 人 間 の 理 想 や 価 値 を実 現 で き る と した 。 そ の
意 味 で 、 中 国 人 は 此 岸 す な わ ち実 社 会 を重 視 し、 彼 岸 世 界 を 求 め るの で は な
か っ た 。 しか し、 儒 教 が説 く三 綱 五 常 や 名 教 は 、 君 権 、 父 権 、 神 権 な ど の維
持 を 目的 と し、 権 威 主 義 で あ っ た 。 それ ゆ え 、 キ リス ト教 と同 様 に 、 幸 福 は
上 の 者 に頼 る こ と に よ っ て も た ら され る とい う、 人 間 の依 頼 心 を反 映 す る も
の で あ っ た 。 この よ うに 、 キ リス ト教 と儒 教 は理 想 を彼 岸 と此 岸 に求 め、 自
由 意 志 と 自覚 原 則 の違 い は あ る もの の 、 そ の 価 値 観 は共 に 権 威 主 義 で あ り、
(9)
人 間 の依 頼 心 に よ っ て もた ら され た と して い る。
で は、 仏 教 に 対 して は、 どの よ うな評 価 をす るの で あ ろ うか 。 教 義 の 哲 学
的 な評 価 につ い て は後 に述 べ る こ とに して 、 こ こで は価 値 論 的 な 評 価 に 限 る
こ とに す る。L..・
契 に よれ ば 、 仏 教 は 中 国 に伝 道 され た後 、 因 果 応 報 、 輪 廻 転
生 とい う迷 信 が 生 まれ た と言 う。 しか し、 仏 教 も儒 教 と同 じ よ う に、 キ リス
ト教 と異 な り原 罪 説 は 採 らず 、 「
仏 性 」 とい う性 善 説 で あ る。 仏 教 は本 来 、
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西 方 極 楽 世 界 を説 き、 彼 岸 世 界 を説 い た 。 しか し、 中 国 に 入 り、 例 え ば 、 禅
宗 な どは 「
西 方 は た だ 眼 前 に あ り」 と説 き、 浄 土 とは 現 実 世 界 で あ り、 人 間
は 迷 い を悟 りに転 換 す れ ば、 そ こ に浄 土 が あ り、凡 夫 も聖 人 に な れ る と説 い
た 。 そ の 意 味 で 、 中 国 化 した仏 教 は、 彼 岸 で は な く此 岸 に 重 点 を置 き、 現 実
の 人 間 の 心 に 仏 性 が 備 わ る ゆ え に 、 仏 性 を顕 現 す る こ とに 最 大 の 価 値 を 置 い
た。 しか し、 従 来 の 仏 教 各 宗 派 で は、 長 期 間 の 修 行 を 積 み 、 財 物 を布 施 し、
煩 項 な哲 学 を 研 鑓 しな け れ ば な らず 、 門 閥 貴 族 にの み 可 能 で あ っ た 。 そ れ に
対 して 、 禅 宗 は 「
易 行 」 を 強 調 し、 簡 易 直 裁 な成 仏 へ の 路 と平 民 化 した 教 義
を展 開 した 。 そ れ は 、 地 主 の 要 求 に合 致 し、 ま た戦 乱 期 に お け る一 般 庶 民 の
精神 的 な 「
避 難 所 」 に もな っ た。 それ に よっ て 、 仏 教 は 人 々 を現 状 に 満 足 さ
せ 、 現 実 世 界 の 不 合 理 か ら 目 を逸 ら させ る こ とにな る。 そ れ ゆ え 、 階 級 的 な
矛 盾 を 緩 和 させ る 効 果 も あ り、 封 建 統 治 階級 の維 持 に 奉 仕 す る こ と に な っ
た。 実 際 、 禅 宗 も後 に は朝 廷 や 官 僚 集 団 と結 び つ い て ゆ くの で あ る。 この よ
うに 、 仏 教 は一 旦 頓 悟 す れ ば 、 苦 難 を 安 楽 に転 換 し成 仏 で き る と説 く故 に、
此 岸 世 界 を説 く とは言 え、 現 実 世 界 か ら目 を逸 ら し、 精 神 世 界 の み を重 視 す
po)
る唯 心 論 で あ り、 欺 隔 性 を 有 す る と批 判 して い る。
以 上 の こ とか ら、f,..契の 宗 教 観 を批 判 と評 価 に分 けて 整 理 す る と、 次 の よ
うに な る。 ま ず 、 批 判 は 、 ① 宗 教 は合 理 的 部 分 と迷 信 が 混 在 して い る の で 、
その 境 界 を実 証 的 に証 明 す る必 要 が あ る。 ② 科 学 と宗 教 が 分 化 した後 の 宗 教
は、 権 威 主 義 に 陥 り、 独 断 論 に な っ た 。 それ は 、人 間 の 物 や 人 に対 す る依 頼
心 に よっ て も た ら され た 。 つ ま り、 人 間 の 本 質 の疎 外 を もた ら した 。 ③ 多 く
の 宗 教 が彼 岸 世 界 に価 値 を置 き、 現 実 逃 避 を も た ら した 。 此 岸 世 界 を 説 く宗
教 で あ っ て も、 心 の 平 安 の み を 強 調 す るゆ え に、 実 社 会 を軽 視 した 。 ④ そ れ
に よ っ て 、 封 建 体 制 の 維 持 の た め に奉 仕 す るか 利用 さ れ た 、 とい う こ とに な
ろ う。 宗 教 を評 価 す る面 と して は 、 ① 宗 教 の 特 色 は 想 像 性 で あ る。 科 学 は理
性 を 尊 ぶ が 、 科 学 の 発 展 に は宗 教 の 想 像 性 が 必 要 で あ る。 ② 異 化 の 問 題 は あ
科学 と宗教(樋 口)53
るが 、 宗 教 は文 明 の 原 動 力 に な っ た 。 ③ 自然 や 天 との 合 一 を 志 向 し、 人 間 の
有 限性 の 中 で無 限 性 を 顕 現 し、 人 格 の 向 上 を 目指 した 。 ④ 意 識 主 体 の 能 動 性
を志 向 した 、 とい う点 が 挙 げ られ よ う。
こ う して見 る と、 宗 教 に対 す る批 判 は、 基 本 的 に 従 来 の マ ル ク ス主 義 に見
られ る も の と同 様 で あ る。 マ ル ク ス主 義 に よれ ば 、 資 本 主 義 社 会 で は 、 物 質
を媒 介 と して 人 と人 との 関 係 の 正 しい あ り方 が 、 労 働 の 自己 疎 外 に よ って 階
級 とい う対 立 関 係 を 生 じ させ るの で 、 こ れ を 正 しい 関 係 に 回 復 させ るた め に
社 会 の 改 造 を 主 張 す る。 つ ま り、 人 間 精 神 の 外 に あ る物 質 を起 点 と して 、 疎
外 の 自覚 とそ の 回復 へ の 運 動 を 通 して 、 真 の 人 間性 を取 り戻 す こ と を 目指 し
た の で あ る。 そ うで あれ ば 、 資 本 主 義 社 会 で な く とも、 封 建 時 代 に お け る生
産 力 の 低 い状 況 で は、 階 級 分 化 に よ る 労 働 疎 外 が 存 在 す る こ とは 当 然 で あ
る。 そ れ ゆ え、 凋 契 は、 人 間 は必 然 的 に 神 や 天 あ る い は 精 神 に救 い を求 め 、
現 実 逃 避 して い く と考 え る こ と に な る。 ま た 、 マ ル ク ス は 、 「フ ォ イ エ ル
バ ッハ は 宗 教 の本 質 を人 間 の 本 質 へ と解 消 す る。 しか し、 人 間 の本 質 とは 、
個 々 の個 人 の 内 部 に宿 る抽 象 物 な の で は な い。 それ は 、 そ の現 実 の 在 り方 に
(u)
お い て は 、 社 会 的 諸 関係 の 総 体 な の で あ る」、 「あ らゆ る社 会 的 生 活 は本 質 的
に実 践 的 で あ る。 理 論 を神 秘 主 義 へ と誘 い込 む あ らゆ る神 秘 は 、 人 間 の実 践
(iz)
お よ び こ の実 践 の 概 念 的 把 握 に お い て合 理 的 に解 き 明 か され る」 と言 う。 っ
ま り、 逆 に言 え ば、 人 間 の 本 質 は、 宗 教 の 本 質 とい う神 秘 的 な 理 論 で 解 き明
か さ れ る もの で は な く、 社 会 的諸 関 係 の 総 体 で あ るか ら、 人 間 の 実 践 の把 握
に よ って 合 理 的 に理 解 が 可 能 で あ る 。 そ して 、 人 間 の 宗 教 的 心 情 は、 そ れ 自
体 が 一 つ の社 会 的産 物 で あ る と い う こ とに な る。f,,,契も、 基 本 的 に この考 え
に 沿 っ た批 判 を して い る こ とは 明 らか で あ る。 しか し、 個 別 の 宗 教 の特 徴 で
は あ る が 、 批 判 だ け で は な く、 前 述 した よ う な宗 教 へ の 評 価 を して い る点 は
見 逃 せ な い。
で は 、 なぜL..・
契 は こ う した 評 価 を す るの で あ ろ うか 。 マ ル ク ス が批 判 した
54
宗 教 は、 当 時 の 西 洋 に 盛 行 して い た キ リス ト教 や人 格 神 を 中 心 とす る 宗 教 で
あ る。 当 時 の 宗 教 界 は 確 か に 統 治 者 に利 用 され 、統 治 者 に服 従 す る よ う に 人
民 に 促 し、 また 人 民 の 現 世 意 欲 を失 わ せ る こ と にな っ た 。 そ れ に よ っ て 、 労
働 の 疎 外 を促 進 した こ とは否 定 で き な い。 しか し、 人 間 の あ り方 は 、 単 に物
質 的 側 面 や 精 神 的側 面 に偏 して は全 体 を把 握 す るこ と はで きな い。 人 間 は物
質 的 な 満 足 の み で 充 足 す る の で は な く、 人 生 の 意 義 や 価 値 を模 索 す る よ う
に 、 生 の 究 極 的 根 拠 を 求 め る存 在 で あ る。 そ れ ゆ え、 絶 対 的価 値 、 相 対 的 価
値 と言 っ て も、 こ の人 間 の あ り方 を 離 れ て価 値 を論 じて も無 意 味 で あ る よ う
に思 う。{,,,契は も ち ろ ん マ ル クス の宗 教 論 に 従 うわ け で あ る が 、 しか し{,,,契
は人 格 の 養 成 、 す な わ ち 人 間 の精 神 的 な 問 題 を 重 視 す る。 そ れ ゆ え 、 人 間 の
信 仰 の 分 野(そ
れ が 宗 教 で あ れ 、 主 義 で あ れ)で は 、 従 来 の マ ル ク ス 主 義 と
違 い 、 この 物 質 と精 紳 の統 一 を 強 く意 識 して い る。 ま た 、 そ れ は 、 自身 の 文
革 の体 験 に基 づ く、 理 論 的 結 論 で あ るの か も しれ な い。 つ ま り、 マ ル ク ス 主
義 と言 え ど も、 物 質 や 社 会 的 側 面 に偏 す れ ば 、 人道 主 義 に よ る 人 間 の 尊 重 も
社 会 の発 展 もな く、 人 間 の 本 質 の疎 外 を もた ら して しま う。 そ れ ゆ え に、 精
神 と物 質 の 統 一 を 図 り、 個 人 の 幸 福 と社 会 の 発 展 を 考 え た 。 そ の た め に 、 理
想 人 格 の 実 現 を 志 向 し た の で は な い だ ろ うか 。
で は、 マ ル ク ス は 人 間 の実 践 概 念 は神 秘 的 で はな く、 合 理 的 に 把 握 が 可 能
で あ る と言 うが 、 そ の 点 に つ い て 凋 契 は どの よ うに考 え た の で あ ろ うか 。 こ
れ につ い て は、f,..,契
の 「
転 識 成 智 」 の 理 論 に端 的 に表 れ て い る。 この 場 合 、
「
識」 は知識、 「
智 」 は 智 慧 を 指 して い る 。 薦 契 に よ れ ば 、 この 用 語 は仏 教 の
唯 識 か ら借 用 した もの で 、 唯識 で は物 事 の分 別 、我 執 や 法 執 と い う意 識 活 動
か ら、 あ りの ま ま の 理 解 と して の 無 分 別 、 無 執 着 の 智 慧 に 転 換 し、 そ れ に
よ っ て 迷 い か ら悟 りへ と転 換 す る と説 く。 これ は唯 心 論 で あ り、 賛 成 で き な
い が 、 人 間 の 認 識 過 程 は確 か に 知 識 か ら智 慧 へ と転 化 す る も の で あ る と言
(13)
う。 この 知 識 か ら智 慧 へ の 転 換 は 、 漏 契 の広 義 の認 識 論 の 特 色 で あ り、 そ れ
科学 と宗教(樋 口)55
は 「名言 の 域 」 か ら 「
超 名 言 の域 」 へ の 飛 躍 で も あ っ た 。L..・
契 が 言 う智 慧 と
は、 性 と天 道 の相 互 作 用 を 把 握 す る こ と、 す な わ ち宇 宙 と人 生 の根 本 原 理 を
認 識 す る こ とで あ る。 更 に 言 え ば、 ① 宇 宙 万 物 の 根 源 は 何 か 、 宇 宙 の 変 転 や
人 類 の 進 化 に お け る最 高 到 達 点 は ど こか 、 な どの 究 極 的 問 題 、② 自然 界 、 人
類 社 会 、 人 生 の 秩 序 を認 識 し、 そ こに 貫 か れ る道 を把 握 す る こ とで あ る。 人
間 は ① と② を 把 握 し、 天 と人 、 物 と我 が 天 地 の 徳 と一 体 に な り、 そ れ に よ っ
て真 の 自 由 を獲 得 す るの を 求 め て い る。 これ は、 金 岳 森 の 「求 窮 通 」 をL..・
契
が解 釈 した もの だ が 、f,.,.契
に よ れ ば 、 この 天 道 を認 識 し徳 性 を 養 成 す る こ と
UQ)
が 哲 学 に お け る智 慧 の 目標 で あ る と言 う。
しか し、 問 題 は 、超 名 言 の 域 で あ る、 この よ うな 智 慧 を如 何 に把 握 す るの
か に あ る。 なぜ な ら、 宗 教 で も 同 様 の 究 極 の 問 題 関 心 が あ り、 そ の解 決 を 求
め て 議 論 して き た か らで あ る。 そ の 点 は 凋 契 も認 め て い る。 先 に も触 れ た こ
とだ が 、 焉 契 に よれ ば、 西 洋 の 宗 教 は 、 人 間 世 界 と天 国 、 此 岸 と彼 岸 を 対 立
させ 、 この 汚 れ た 俗 世 間 を去 っ て 永 遠 で 神 聖 な 天 国 に至 る道 を説 い た 。 っ ま
り、 究極 の 目標 が 彼 岸 や 天 国 に あ っ た 。 しか し、 中 国 の儒 家 や 道 家 は そ の 方
法 論 は 異 な る が 、 此 岸 と彼 岸 は 分 裂 さ せ ず 、 人 生 の 究 極 の 目標 を 此 岸 に 置
き、 現 実 世 界 の 中 で 理 想 を実 現 す る こ とを 目指 した 。 また 、 中 国化 した 仏 教
も、 現 実 の 中 で の 成 仏 を 目指 し た。 そ の 説 に 問 題 は あ るが 、 中 国 人 の 宗 教 に
は 、 少 な くと も人 々 に 現 実 の 関 心 を 持 た せ 、 現 実 を改 善 す る こ と を促 した 点
は 評 価 で き る。 それ を 理 論 的 に言 え ば 、 相 対 の 中 に絶 対 が あ る こ と、 また 相
(15)
対 と絶 対 を 分 割 しな い 弁 証 法 の 精 神 を体 現 して い る と、f,.,,契
は評 価 す るの で
あ る。
で は、 薦 契 が こ こで 言 う弁 証 法 の 精 神 と は どの よ うな もの で あ ろ うか 。 宗
教 で は よ く、 人 間 の 行 為 や 現 象 と天 意 を 結 び つ け 、 人 間 の 目的 は天 意 に従 う
こ と とす る 目的 論 を有 す るが 、 人 間 を離 れ て 、 自然 界 に意 識 的 な 目 的 は存 在
しな い 。 しか し、 人 間 の 意 識 活 動 は、 確 か に 目 的 因 が 原 動 力 に な る もの で あ
56
る。 ま た 、 金 岳 森 は本 体 論 で 、 「
無 極 に して太 極 、 これ 道 と為 す 」 を挙 げ て、
太 極 は絶 対 完 全 の 価 値 領 域 で あ り、人 間 は そ の領 域 に到 達 で きな い と言 う。
そ れ に対 して 凋 契 は、 そ れ は 現 実 の 目標 を超 越 して お り、 弁 証 法 の 精 神 が 欠
如 して い る と批 判 す る。f,..契は次 の よ うに考 え た。 人 間 化 した 自然 の領 域 で
は、 目 的 因 は動 力 因 で あ り、 真 と偽 、 善 と悪 、 美 と醜 は相 対 立 す る もの で あ
る。 こ の対 立 は闘 争 を通 して 発 展 し、 意 識 の 選 別 、 比 較 、 選 択 を 経 て 、 人 間
は真 善 美 の価 値 を も って 偽 悪 醜 を克 服 で き る 。 そ して 、 よ り多 くの 価 値 を創
造 す る こ とに よ っ て 、 よ り多 くの 自 由 を獲 得 で き る の で あ る。 もち ろ ん 、 価
値 創 造 して 自由 を獲 得 す る と言 っ て も 、 条 件 的 で あ り、 相 対 的 で あ る。 しか
し、 弁 証 法 の 観 点 か ら言 え ば、 相 対 の 中 に絶 対 を有 し、 相 対 的 な もの の 中 に
内 在 的 に超 越 した 、 絶 対 的 な もの が 含 まれ て い る。 ま た 、 絶 対 的 な 真 善 美 や
自由 は 、 相 対 的 な 精 神 が 創 造 す る過 程 の 中 で 次 第 に 展 開 され る。 そ れ ゆ え 、
人 間 の 究 極 目標 は 、 永 遠 に到 達 で きな い もの で は な く、 現 実 と究 極 目標 を 分
エ
割 す る と こ ろ に 問 題 が あ る、 と考 え た の で あ る 。
{,,,契は ま た 、 知 識 か ら智 慧 の 転 換 に は 飛 躍 が 必 要 で あ る と考 え た 。 そ れ
は、禅 宗 の 「
頓 悟 」 に 相 当 す る。 し か し、禅 宗 や そ の 他 の 宗 教 で 言 う 「頓
悟 」 は、 霊 妙 さ を 強 調 す るあ ま り、神 秘 主 義 に 陥 っ て し ま っ た。 しか し、 知
識 か ら智 慧 へ の飛 躍 は、 否 定 で き な い 事 実 で あ る と し、 以 下 の三 点 に集 約 し
て説 明 して い る。 一 点 目 は 、 智 慧 の認 識 過 程 で あ る。 智 慧 は 天 道 と人 道 に 関
す る根 本 原 理 の 認 識 で あ り、全 体 に関 す る認 識 で あ る。 この よ うな 認 識 は具
体 的 な もの で あ る が 、 全 体 を把 握 す る に は、 部 分 を集 め て 全 体 を把 握 す る の
で は な く、 飛 躍 を通 して い きな り全 面 的 か つ 具 体 的 に 、 全 体 に関 す る認 識 を
得 る こ とが で き る もの で あ る。 も ち ろ ん 、 段 階 的 に認 識 を積 み 上 げ て い くこ
と も必 要 で あ るが 、 そ れ は全 体 や 過 程 の 認 識 に 至 る準 備 で あ って 、 部 分 的 認
識 か ら全 面 的 、 具 体 的 な 全 体 を認 識 す る に は、 その 間 に 飛 躍 が あ り、 諮 然 と
貫 通 す る感 覚 が 必 要 な の で あ る。 二 点 目は 、 智 慧 は 自 ら得 る もの で 、 徳 性 の
科学 と宗教(樋 口)57
自 由 の 表 現 で あ り、 人 間 の 本 質 的 な 力 と個 性 の 自 由 表 現 で あ る点 で あ る 。 人
間 の 本 質 的 な 力 に は、 人 間 の 共 通 性 が あ る が 、 しか し個 別 的 で あ り自得 の徳
で もあ る。 つ ま り、 自得 の 道 が 、 徳 性 で あ る。 三 点 目 は 、 感 性 の 活 動 を通 し
た 人 性 と天 道 の 相 互 作 用 か ら言 え ば 、 転 識 成 智 は理 性 の 直 覚 で あ る とい う点
で あ る。 理 性 の 直 覚 は 会 得 で あ り、 科 学 、 芸 術 、 徳 行 な どの 領 域 で も会 得 は
あ る。 人 間 は理 性 の 下 に あ っ て 、 翻 然 と貫 通 す る感 覚 を 持 つ 直 観 の 経 験 を有
す る も の で あ る。 知 識 か ら智 慧 の 飛 躍 も同様 に、 理 論 思 惟 の 領 域 の 中 で諮 然
と貫 通 し、 無 限 性 や 絶 対 性 を体 験 す る こ とが あ る。 こ の 体 験 は 具 体 的 で 直 感
的 で あ るが 、 これ を 飛 躍 と言 う。 た だ 、 この 飛 躍 は知 識 経 験 との 連 関 の 中 で
体 験 す る こ とで あ り、 知 識 と智 慧 を分 割 して い るわ け で は な い 。 哲 学 の 智 慧
は 科 学 の 知 識 を超 越 して い るが 、 理 論 思惟 が 世 界 を把 握 す る方 法 と して 、 哲
くロの
学 は科 学 を離 れ る こ とが で きな い、 と説 明 して い る。
こ の よ うに 見 る と、 理 性 の 直 覚 に は 神 秘 的 要 素 が 認 め られ る よ う に見 え
る。 しか し、f,,.,契
は 、 理 性 の 直 覚 は言 語 で 伝 え る こ とは 困 難 だ が 、 日常 生 活
で も随所 に見 られ る と して 、 そ の神 秘 性 を否 定 し て い る。f,..契に よ れ ば 、 通
常 、 人 々 は 直 覚 、 霊 感 、 頓 悟 な どは神 秘 的 で あ る と考 え て い る。 そ れ は 、 直
覚 や 会 得 の 方 法 が 言 語 と して 明 確 に 表 現 で き な い の で 、 人 に 神 秘 感 を 与 え る
か らで あ る。 ま た 、 そ れ に よ っ て 、 神 の 啓 示 や 超 自 然 の 力 な ど の神 秘 主 義 的
な解 釈 を 引 き起 こす こ と も あ る が 、 理 性 の直 覚 は そ の よ うな 神 秘 的 な も の で
は な く、 日常 生 活 で も よ く見 られ る も の で あ る。 例 え ば、 芸 術 の創 作 活 動 で
は 霊 感 が 必 要 だ が 、 そ の 霊 感 は 芸 術 の 形 象 に 対 す る直 覚 で あ り、 直 ち に声 や
顔 色 や 線 形 や 形 体 な どの 組 み合 わ せ を把 握 す る こ とが で き る。 そ の 組 み 合 わ
せ は 、 芸 術 の 想 像 の 産 物 で あ り、 情 感 の 生 き生 き と した 個 別 化 の 形 象 で あ
り、 審 美 理 性 の 表 現 で あ る 。 芸 術 家 は よ くこ の よ う な体 験 を持 っ て い る。 同
様 に 、 科 学 や 徳 行 や 宗 教 の精 神 活 動 の分 野 で も、 理 性 の 直 覚 は あ る。 理 性 の
直 覚 と は感 性 と理 性 の 統 一 で あ り、 直 ち に主 客 の 統 一 を 把 握 し、 人 に頓 悟 や
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諮 然 と貫 通 す る感 覚 を 与 え る もの で あ る と考 え た。
この 現 象 は 、 人 類 が 動 物 界 か ら離 れ 、 理 性 思 惟 を有 す る よ うに な っ た 時 、
当 初 は 理 性 と感 性 の 直 観 が 互 い に 連 携 して い た こ と に よ るの で あ ろ う と言
う。 つ ま り、原 始 思 惟 は真 実 と想 像 、 天 人 の 交 感 、 人 間 と自 然 、 主 観 と客 観
が互 い に感 応 して お り、 そ れ が 特 色 で もあ った 。 その 後 、 人 類 が 進 歩 して 、
人 間 の 精 神 活 動 の 分 野 が 分 化 す る こ とに よ っ て 、実 践 精 神 、 理 論 思 惟 、 審 美
活 動 、 宗 教 信 仰 な ど も分 化 した 。 しか し、 そ れ ぞれ の 特 色 を 有 し、 原 始 思 惟
に見 られ た 感 性 と理 性 の 統 一 や 人 間 と自然 の 相 互作 用 な ど の特 色 は 、 まだ 遺
留 し維 持 され て い る。 それ ゆ え、 薦 契 は、 理性 の直 覚 は神 秘 的 な もの で は な
い と考 え た 。 しか し、f,.,,契
は 、 真 善 美 と宗 教 に 見 られ る精 神 活 動 の 中 で 、 宗
教 以 外 の 理 性 の 直 覚 は証 明 で き、 宗 教 は証 明 で きな い と言 う。 芸 術 家 の 霊 感
は、 芸術 作 品 や 鑑 賞 者 の 判 断 を通 して 検 証 で き る。 道 徳 は 、 自 己 の 心 を 自証
で き る し、 徳 行 とな っ て 現 れ れ ば客 観 的 に判 断 で き る。 科 学 は 、 仮 説 を実 験
や 論 理 で 検 証 で き る。 しか し、 宗 教 の 神 秘 体 験 は、 信 仰 して い な い 人 間 は 幻
覚 と見 るが 、 信 者 は真 実 だ と信 じ る。 強 固 な信 仰 に は 、 論 証 も検 証 も必 要 が
(18)
な い故 に 、 武 断 的 要 素 を 免 れ ず 、 科 学 と違 背 す る。 この よ う に 、f,,.,契
は、 理
性 の 直 覚 は 肯 定 す るが 、 宗 教 の よ うに検 証 不 可 能 な もの に 対 して は幻 覚 で あ
る と否 定 す る。 つ ま り、 漏 契 は 、 科 学 的 に論 証 あ る い は 検 証 で き る か 否 か を
判 断 基 準 に す る の で あ る。
す る と、 哲 学 の領 域 に お い て 理 性 の直 覚 は、 何 故 に検 証 可 能 な の で あ ろ う
か 。 凋 契 に よれ ば 、前 述 した よ う に、 哲 学 の 任 務 は、 真 だ け で な く、 「
窮通 」
す な わ ち天 道 と人 道 の 把 握 、 そ して 天 道 と合 致 した 自 由 の 徳 性 の 養 成 も求 め
られ る。 換 言 す れ ば、 真 理 と共 に 宇 宙 万 物 の根 本原 因 を 究 め 、 人 生 の 最 高 境
地 を 示 す 必 要 が あ る。 そ の 際 、 哲 学 は理 性 に よ る認 識 と共 に 、 理 性 の 直 覚 に
よ る認 識 が 必 要 で あ る 。 この 理 性 の 直 覚 は 、 知 識経 験 に よ る相 対 的 で 有 限 な
認 識 か ら、 絶 対 的 で 無 限 な認 識 へ の 飛 躍 を もた らす 。 しか し、 哲 学 は一 つ の
科学 と宗 教(樋 口)59
学 問 と して 、 理 論 思 惟 の 方 式 を 用 い る。 そ れ ゆ え 、 理 性 の直 覚 も常 に 思 弁 方
式 と徳 性 の養 成 と結 合 して い る。 つ ま り、 有 限 の 中 で 無 限 を 、 相 対 の 中 で 絶
対 を会 得 す る に は 、 思 弁 と徳 性 の養 成 の 中 で 、 知 識 を智 慧 へ 飛 躍 させ る こ と
が 必 要 な の で あ る。 この 飛 躍 は、 思 弁 の結 晶 で もあ る か ら思 弁 の 総 合 を もっ
て 論 証 し、 ま た徳 性 の 自 由 の 表 現 で も あ るか ら言 行 の 中 で 自証 す る こ とが で
き る。 そ れ ゆ え 、 理 性 の直 覚 は 、 思 弁 の総 合 と徳 性 の 自証 と不 可 分 な の で あ
ps)
る と説 明 して い る。
で は、 こ こ で 凋 契 の 宗 教 観 を 振 り返 っ て み よ う。 宗 教 に対 す る主 な 批 判
は 、 人 間 の依 頼 心 を増 幅 した。 現 実 社 会 を軽 視 し、 彼 岸 世 界 を説 い た 。 非 科
学 的 な 迷 信 を 説 い た。 それ に よ って 、 人 間 の 本 質 的 な 力 の 発 揮 を 疎 外 した 。
人 々 に彼 岸 世 界 で の幸 福 を 求 め させ 、 現 実 逃 避 を も ら し、 社 会 改 革 を 阻害 し
た 。 封 建 制 の 統 治 に 利 用 さ れ た 。 権 威 主 義 を 助 長 し、 独 断 論 に な っ た、 とい
う点 が 挙 げ られ よ う。 も ち ろん 、 これ らは 相 互 に 関 連 して い るわ け だ が 、 価
値 論 的 に 見 て 最 大 の 問 題 は 、 人 間 の 本 質 的 な 力 の 発 揮 と社 会 改 革 の 阻害 が 指
摘 で き るで あ ろ う。 ま た 、/,..契の価 値 論 の 性 と天 道 の 相 互 作 用 の 観 点 か ら言
え ば 、 非 科 学 的 な 迷 信 を説 き、 権 威 主 義 で 独 断 論 で あ る こ とは、 必 然 的 に真
理 を認 識 で き ず 、 徳 行 も酒 養 す る こ とは で き な い こ とを 意 味 す る。 つ ま り、
宗 教 で は、 理 想 人 格 の養 成 も、 真 理 の 探 究 もで き な い こ とに な る。 一 方 、 爲
契 は 、 自然 との 合 一 を 志 向 し、 人 間 の 有 限 性 の 中 で 無 限 性 を顕 現 し人 格 の 向
上 を 目指 した 宗 教 、 意 識 主 体 の 能 動 性 を説 い た 宗 教 の 存 在 も認 め て い る。 た
だ 、 そ れ は 科 学 的 検 証 に堪 え な い 故 に 、 唯 心 論 に 陥 っ た と して い る。 す る
と、 単 純 化 して言 え ば 、 ① 人格 の 向 上 を 目 指 し、 ② 社 会 改 革 を進 め、 ③ 科 学
的 に検 証 で き る、 三 つ の 条 件 を備 え た 宗 教 は存 在 しな い と考 え て いた こ と に
な る。 中 で も 問題 は 、 ③ の 科 学 と宗 教 の 問題 で あ る。 漏 契 は 、 科 学 の理 性 と
宗 教 の 想 像 性 あ るい は直 観 知 との 関 係 を指 摘 し、 双 方 を統 一 す る必 要 性 を説
い て い るが 、 そ も そ も科 学 と宗 教 の 役 割 は 、 異 な る次 元 の もの で は な い だ ろ
so
うか 。f,..契も言 う よ うに 、 究 極 の 絶 対 的 真 理 は 検証 で き な い故 に 、 宗 教 の 説
く本 体 論 を証 明 す る こ とが で き な い の は 言 う まで も な い が 、 科 学 に して も全
て が 解 明 で き る わ けで は な い 。 そ うで あ る な らば、 科 学 で検 証 され た原 理 は
認 め な け れ ば な らな い が 、 ③ の 科 学 的 に検 証 で きる と い う条 件 は 、 少 な く と
も科 学 と矛 盾 しな い、 とい う レベ ル まで 緩 和 す る必 要 が あ るの で は な い だ ろ
うか 。
ま た 、 漏 契 は 、 科 学 主 義 と人 文 主 義 、 あ るい は知 識 と智 慧 の 矛 盾 を克 服 し
よ う と して 、広 義 の認 識 論 、 転 識 成 智 を 提 起 した。 そ の 意 味 で は 、 科 学 と宗
教 の 矛 盾 を克 服 しよ う と した と も言 え る。 つ ま り、 こ れ まで の 科 学 は 知 識 論
偏 重 で 、 人 間 の あ り方 に無 関 心 で あ っ た 。 一 方 、宗 教 は人 間 の あ り方 を説 く
こ とに偏 重 した 。 しか し、 その 際 、 究 極 の 問 題 には 回 答 で き な い 故 に 、 科 学
的 な実 証 を無 視 して 、 カ ン トの 実 践 理 性 批 判 で 言 う よ うに 、 究 極 的 な存 在 と
して の神 や 天 を想 定 あ る い は 要 請 せ ざ る を得 な か っ た 。 もち ろ ん 、 様 々 な歴
史 的 背 景 は あ る が 、 単 純 化 して 言 え ば 、 そ う い う構 図 が あ っ た の で は な い だ
ろ うか 。
そ こで 、 本 章 の始 め の 問 題 に 戻 っ て考 え て み る と、 第 一 の 問題 で 一 点 指 摘
して お き た い こ とは、 唯 物 論 で は物 質 の 存 在 根 拠 を ど こ に置 くの か とい う点
で あ る。 物 質 の 自 己運 動 と体 用 不 二 の説 明 で は 、事 物 生 成 の 過 程 に つ い て の
説 明 で は あ っ て も、 因 に つ い て の 説 明 に は な ら ない の で は な い だ ろ うか 。 第
二 の幸 福 感 に つ い て 。f,..契は、 真 善 美 は 人 間 の 本質 的 な 力 の 自 由 表 現 で あ る
と言 う。 そ れ ゆ え、 人 性 に 備 わ る こ う した 真 善 美 とい う精 神 的 価 値 を 求 め る
力 を 引 き出 し、 発 展 させ る こ とに よ って 、 人 間 は自 由 を獲 得 し、 理 想 人 格 を
実 現 で き る と した 。 も ち ろ ん 、 理 想 人 格 の 実 現 と言 っ て も、 完 成 され た 人 格
を指 す の で は な く、 そ の 過 程 で 実 現 され る こ とを意 味 し、 螺 旋 式 に無 限 に 前
進 運 動 を 続 け る。 そ して 、 そ こ で は人 間 は永 遠 に 人 格 完 成 を 目 指 し て 努 力
し、 そ の過 程 の 中 で 自由 を獲 得 で き るゆ え に 、 人 間 の 能 動 性 が 求 め られ る と
科学 と宗教(樋 口)61
言 う。 一 方 、 漏 契 の 観 点 か ら す れ ば 、 宗 教 は彼 岸 世 界 や 心 の 平 安 の み を 求 め
る ゆ え に、 人 間 に依 頼 心 を起 させ 、 それ に よ っ て現 実 逃 避 や 現 実 社 会 へ の 無
力 感 を も た らす と見 る。 そ こ に は 、 人 間 の 自主 性 や 能 動 性 を 引 き出 す 可 能 性
は な い。 そ うで あ れ ば 、 確 か に 人 間 の 精 神 的 な充 実 感 もな く、 個 人 と社 会 の
価 値 を 創 造 し よ う とす る意 欲 は 失 わ れ る。 そ の 点 は否 定 で き な い 面 も あ る
が 、 逆 に宗 教 に よ っ て 人 間 の 能 動 性 を 引 き出 す 場 合 も考 え られ るで あ ろ う。
第 三 の 問 題 と も関 連 す るが 、 人 間 疎 外 の 問 題 は 、 労 働 の 疎 外 や 人 間 の依 頼
心 だ け か ら起 こ る もの で あ ろ うか 。 人 間 の 能 動 性 や 主 体 性 あ るい は生 き る意
欲 とい う も の は 、 物 質 条 件 は 当 然 で あ るが 、 精 神 的 な側 面 か らの 方 が よ り大
き な影 響 が あ る の で は な い だ ろ うか 。 薦 契 の転 識 成 智 の 理 論 は 、 理 想 人 格 の
養 成 を説 くゆ え に積 極 面 に 注 目す る。 そ して、 漏 契 も精 神 的価 値 の創 造 を強
調 し、 人 性 の 可 能 性 を 引 き 出 し天 道 との 合 一 を 目 指 して い るが 、 そ こに は
「
宗 教 」 で は な い に し ろ、 少 な く と も 「宗 教 性 」 とい う も の が あ る よ う に 思
う。{,,,,契
は 、 理 性 の 直 覚 は 神 秘 的 で は な い と言 う。 そ れ は 、 日常 の 中 で も よ
く見 られ る現 象 だ か らで あ る とす るが 、 日常 の 現 象 で あ っ て も人 間 の 知 識 経
験 で 思 議 しが た い こ とは 多 い。 現 代 科 学 で も生 命 現 象 、 精 神 現 象 な ど は、 ま
だ ほ とん ど解 明 され て い な い。 自然 現 象 に して も、 「ど の よ う に」 とい う過
程 は説 明 で きて も、 「な ぜ 」 とい う 問題 に答 え られ な い こ とが 多 い の で は な
い だ ろ うか 。 そ うで あ る な らば 、 も し 「宗 教 性 」 と い う言 葉 の意 味 を、 思 議
しが た い 天 道 あ る い は 自然 との 合 一 とい う こ と と解 す る な らば 、 ど うで あ ろ
うか。相 対真 理 の総 合 によ って、天道 の絶 対真 理 は解 明 で き るので あ ろ う
か。
人 間 は生 き る上 で 、 何 らか の 永 遠 性 を 求 め る存 在 で あ る。 特 に、 死 を 意 識
した場 合 は 、 生 が 永 遠 で あ って 欲 しい と望 む。 も ち ろ ん 、 逆 も あ り得 るが 、
そ の場 合 は 生 へ の 絶 望 に起 因 す る の で は な い だ ろ うか 。 つ ま り、 人 間 は 幸 福
な生 を求 め 、 幸 福 で あ れ ば そ の生 が 続 いて 欲 しい と願 うの が本 性 で は な い だ
62
ろ うか 。 しか し、 こ の 肉 体 は有 限 で あ り、 い つ か 死 を 迎 え る。 そ う で あ れ
ば 、 何 らか の 永 遠 性 を 求 め て も不 思 議 で は な い。 そ れ ゆ え 、 人 間 は 、 宗 教 の
永 遠 性 に価 値 を 見 出 して き た の で は な い だ ろ うか。 当 然 、L.,契が 指 摘 す る よ
う に、 科 学 と違 背 す る宗 教 、人 間 の 能 動 性 を減 退 させ る宗 教 、 社 会 に 害 を 及
ぼ す 宗 教 は 論 外 で あ る が 、 逆 に 、 科 学 と違 背 しな い宗 教 、 人 間 の 能 動 性 を 引
き出 す 宗 教 、 社 会 に 利 益 や 善 を もた らす宗 教 が 存在 す る な ら ば 、 凋 契 の 宗 教
観 か ら考 え る と、 承 認 さ れ る の で はな い だ ろ うか 。 な ぜ な ら、 凋 契 の転 識 成
智 の 理 論 に も、 「宗 教 性 」 が認 め られ る と思 うか らで あ る 。
三
牧 口常三郎 に見 る宗教観
牧 口の 利 的価 値 す な わ ち生 命 価 値 を 解 釈 す る と、 宗 教 的 な 要 素 が 色 濃 く表
れ て い る こ とが わ か る。 ま た 、 美 や 善 に つ い て も生 命 との 関 連 で 説 か れ 、 別
(20>
稿 で 利 善 美 が 同 時 に創 造 さ れ る必 要 が あ る こ とを見 た 。 更 に、 牧 口 は 宗 教 に
対 して肯 定 的 な見 解 を持 っ て お り、 宗 教 に 拠 らな け れ ば絶 対 善 と い う絶 対 価
値 は得 られ な い と主 張 した こ と も見 た 。 しか し、 牧 口 は、 ヴ ィ ン デ ル バ ン ト
が 真 善 美 の 外 に 「聖 」 の価 値 を 立 て 、 価 値 の 分 類 に 「
聖 」 と い う宗 教 的 価 値
を 導 入 す る こ とに反 対 して い る。 牧 口 は 、 「
人 生究 寛 の 悩 み か ら人 を 救 うて 、
そ して 安 心 立 命 の境 地 に至 ら しめ ん と す る 、其 の安 心 立 命 の 境 地 を価 値 即 ち
聖 な る価 値 とす る な ら ば、 結 局 は社 会 的 に吾 等 が考 察 して 来 た 道 徳 的 価 値 と
一 致 しな い で あ ろ うか 。 又 個 人 的 考 察 よ りす るな らば 、 利 的 価 値 と呼 ぶ こ と
が 出来 な いで あ ろ うか 。 人 を 救 い世 を 救 うこ とを 除 い て 宗 教 の 社 会 的 存 立 の
意 義 が あ ろ うか 。 人 を 救 う こ とは利 的価 値 で は な い か 。 世 を救 う こ と は道 徳
(zi)
的 価 値 で は な い か 」 と言 う。 つ ま り、 牧 口か らすれ ば 、 人 間 に と っ て安 心 立
命 の 境 地 に至 ら し め る対 象 に は 価 値 が あ る と言 え る が 、 そ れ は個 人 に と っ て
見 れ ば 利 的価 値 で あ り、 社 会 に とっ て 見 れ ば 善 で あ る。 「聖 」 と言 わ れ る状
科学 と宗教(樋 口)63
態 も利 や 善 に 解 消 さ れ る と主 張 す る。 ま た 、 「
聖 」 は カ ン トが 言 う美 の 一 種
である 「
崇 高 」 感 を 想 起 させ るが 、 これ も牧 口価 値 論 か ら言 え ば 、 美 は生 命
の 慰 安 を感 じ る対 象 に対 す る評 価 で あ っ て、 カ ン トが 言 う よ うに 、 そ の 対 象
に 「
威 圧 」 を 感 じ圧 迫 を感 じ れ ば 害 、 「
威 圧 」 か ら尊 敬 の 念 が 起 これ ば 利 と
い う価 値 範 疇 に収 ま る こ とに な ろ う。 牧 口 は 、 「
聖 」 と い う価 値 を定 立 す る
た め に は 、 「聖 」 の反 対 概 念 が 定 立 され な け れ ば な らな い が 、 害 や 悪 以 外 に
言 い よ うが な い と言 っ て 、 「
聖 」 の 価 値 を 導 入 す る こ と に反 対 す る の で あ
(zz)
る。
で は 、 牧 口 は 、 宗 教 につ い て どの よ うな 見 解 を持 っ て い た の で あ ろ うか 。
経 験 主 義 、 実 証 主 義 を 旨 とす る牧 口 で あ って も、 彼 は 青 年 時 代 か ら宗 教 的 関
心 は抱 い て い た 。 『人 生 地 理 学 』 に お い て も、 自然 界 の 事 物 や 現 象 に 見 られ
る法 則 性 を 見 る に つ け、 「
吾 人 の 勢 力 は 、 非 常 に微 弱 な り と感 じ、 知 らず 識
らず 、 畏 催 と敬 慶 とは胸 中 に溢 れ 集 ま る に 至 る 。 これ らの 交 渉 に よ りて 、 吾
(23)
人 の 宗 教 心 は 喚 起 せ ら る る な り」 と述 べ て い る 。 牧 口 は 、 禅 宗 の 家 に生 まれ
法 華 の 家 で 育 ち 、 後 に キ リス ト教 や 日蓮 主 義 の 国 柱 会 に 出 入 り した 。 ま た 、
神 道 の 襖 会 に も十 数 年 参 加 して い た と言 う。 しか し、57歳 の と き三 谷 素 啓 に
出 会 っ て 日蓮 正 宗 を知 る まで 、 特 定 の 宗 派 に属 す こ とは な く、 心 か ら信 仰 に
至 る こ と は な か った 。 で は、 なぜ 日蓮 正 宗 の 仏 教 を信 仰 す る よ う にな っ た の
で あ ろ うか 。 『創 価 教 育 学 体 系 梗 概 』 の 結 語 で 次 の よ う に言 う。 「(これ ま で
信 仰 しな か っ た 理 由 は)何 れ も科 学 及 び哲 学 の 趣 味 を転 ぜ しめ、 又 は そ れ と
調 和 す る ほ ど の 力 あ る もの と感 ず る能 は な か っ た か ら で あ る。 と こ ろが 法 華
経 に 逢 い奉 る に 至 っ て は 、 吾 々 の 日常 生 活 の 基 礎 を な す 科 学 、 哲 学 の 原 理 に
して 何 等 の 矛 盾 が な い こ と、 今 ま で 教 は っ た 宗 教 道 徳 とは 全 く異 るに 驚 き、
心 が 動 き初 め た 矢 先 き、 生 活 上 に不 思 議 な る現 象 が 数 種 現 は れ 、 そ れ が 悉 く
法 華 経 の 文 証 に 合 致 して ゐ る の に は 驚 嘆 の 外 な か っ た 。 そ こで 一 大 決 心 を 以
て 愈 々 信 仰 に 入 っ て 見 る と、 『天 晴 れ ぬ れ ば 地 明 らか な り、 法 華 を 知 る も の
64
は 世 法 を得 べ き乎 』 との 日蓮 大 聖 人 の仰 が 、 私 の生 活 中 に な る程 と肯 か れ る
こ と とな り、 言 語 に 絶 す る歓 喜 を 以 て殆 ど六 十 年 の 生 活 法 を 一 新 す る に至 っ
(24)
た 」 と。 つ ま り、 これ ま で の 牧 口の 宗 教 遍 歴 の 中 で は 、 科 学 や 哲 学 と矛 盾 し
な い、 あ るい は調 和 す る宗 教 に 出 会 う こ とは な か っ た が 、 日蓮 の 法 華 経 は そ
れ ら と調 和 す る だ け で な く、 日常 生 活 の 中 で法 華経 に 説 か れ る通 りの 現 象 が
現 れ た か らだ と して い る 。
こ こに 牧 口 の宗 教 観 の 一 端 が 現 れ て い る よ うに思 う。 そ れ は 、 ① 科 学 ・哲
学 と矛 盾 せ ず 調 和 で き る こ と、② 生 活 上 に現 象 が現 れ る こ と、 ③ 現 象 が 経 文
の 説 く教 理 と一 致 す る こ と で あ る。 こ の 点 は 、 「
価値 論」 で牧 口が指摘 して
い る こ と と同 じで あ る。 「
吾 々 の 為 して 居 る 科 学 は事 実 の 総 合 統 観 に よ っ て
真 理 を 明 らか に し、 之 を 更 に現 実 の証 拠 に 当 はめ て 見 て 、 然 る上 に信 用 す る
の で あ るが 、 法 華 経 に於 て は これ 等 の 道 理 と現 証 との 外 に 文 証 とい う経 文 明
記 の教 詔 を加 え 、 此 の三 事 具 有 を以 て 、 法 文 上 の所 論 の必 須 条 件 と さ れ て あ
る。 即 ち 道 理 と文 証 と理 証 との 具 有 に あ らざ れ ば、 仏 法 論 述 の 自 由 を禁 ぜ ら
(25)
れ て あ る」 と言 う。 つ ま り、 ① が 理 証 、 ② が 現 証 、 ③ が 文 証 に 相 当 す る。 こ
の 内 、② と③ に つ い て は 、 入 信 しな けれ ば 立 証 で き る か ど うか 、 あ る い は実
感 で き るか ど うか 分 か ら な い わ け で あ る か ら、 牧 口が 入 信 した 大 き な動 機 は
や は り① と考 え られ る。 入 信 動 機 の 問 題 は 、 この 他 、 牧 口 の 家 庭 の 不 幸 も指
摘 され て い るが 、 先 に見 た よ う に、 不 幸 に 見 舞 わ れ て も、 科 学 と矛 盾 す る宗
教 に 心 か ら信 仰 す る こ とは な か っ た 点 は見 逃 して は な らな い で あ ろ う。
また 、 『牧 口常 三 郎 全 集 』 第 八 巻 の 「
解 題 」 で 、 ① に つ い て 牧 口 の 心 を動
か した 理 由 を 二 つ に集 約 して い る。 そ の一 つ が 、 釈 迦 が 説 い た 釈 迦 滅 後 の 予
言 が 日蓮 に よっ て 実 証 さ れ 、 日蓮 が 仏 法 と生 活 との 関 係 を証 明 した こ と。 牧
口 は 、 常 に人 間 の 幸 福 や 生 命 を基 準 に思 考 して きた 。 価 値 論 に お い て も、 生
命 の 伸 長 を価 値 基 準 に採 用 した わ けだ が 、 日蓮 が 説 く教 義 に 生 命 の 伸 長 に 対
す る根 源 的 な 方 途 を 見 出 した 。 二 つ 目 は 、 日蓮 の 「
立 正 安 国 」 の原 理 。 つ ま
科 学 と宗 教(樋 口)65
り、 正 法 に基 づ く人 間 の 変 革 を基 調 に、 社 会 自体 の変 革 、 国 土 の 繁 栄 を実 現
して い く と い う変 革 の 在 り方 に、 牧 口 が 求 め て い た 本 源 的 な もの を 発 見 し
た。 牧 口 は、 この 「
個 人 の幸福」 と 「
社 会 の 繁 栄 」 を願 う仏 法 を持 った 人 間
(2s)
の生 き る姿 勢 に共 感 した の だ と言 う。
牧 口 は、 「
三 世 常 住 、 永 久 不 滅 の 霊 魂 の 生 活 を対 象 と して 、 そ こ に一 貫 す
る 因果 の 法 則 」 で あ る 「
法 」 を説 く仏 法 に 、 科 学 と違 背 しな い 宗 教 を認 め た
の で あ る。 そ して 、 そ の 法 に 基 づ く生 活 に 生命 の 伸 長 を促 す 方 途 が あ る と考
え た 。 この よ う に見 る と、 牧 口 は 当初 、 ① 価 値 感 情 を 中 心 に価 値 を捉 え た 相
対 主 義 的 価 値 観 で あ っ た が 、② 次 第 に 「
生 命 の 伸 長 」 とい う客 観 的 な基 準 を
採 用 し、 ③ 仏 法 に め ぐ り合 っ て 「
法 」 を基 準 に した絶 対 的価 値 観 に移 行 して
い っ た と言 う こ とが で き よ う。 ① と② は真 理 と価 値 の 区別 を説 明 す る際 の 、
便 宜 上 の 相 違 で あ る と思 わ れ る。 しか し、 ③ へ の 移 行 は 、 相 対 か ら絶 対 へ の
(27)
飛 躍 で あ る。 も っ と も、 松 岡 幹 夫 氏 が 指 摘 す る よ うに 、② の 段 階 で も相 対 的
価 値 に 満 足 せ ず 、 社 会 とい う評 価 主 体 を導 入 し、 社 会 生 活 を 円 満 に送 る こ と
が で き る人 格 を養 成 す る こ と に努 め た こ とは 忘 れ て は な ら な い 。 つ ま り、 ②
の価 値 定 義 を 媒 介 す る こ とに よ っ て 、 牧 口 は③ へ の飛 躍 が 可 能 で あ っ た 。 そ
れ ゆ え、 牧 口 は仏 法 へ 帰 依 した 後 も、 ① や ② の 価 値 定 義 を放 棄 す る わ け で は
な い 。 む し ろ、 ③ の価 値 定 義 に基 づ き、 そ れ まで の価 値 論 を再 構 成 す る こ と
に な るの で あ る。
そ の 間 の こ と に つ い て 、 牧 口 は 次 の よ うに 告 白 して い る。 「
創 価 教育 学 の
思 想 体 系 の根 底 が、 法 華 経 の 肝 心 に あ る と断 言 し得 るに 至 っ た 事 は余 の 無 上
幸 栄 とす る所 で 、 … … 勿 論 最 初 か ら経 文 を 演 繹 した の で は な い 。 中 途 か ら と
い ふ よ りは 、 最 後 の 粗 ぼ完 成 期 に 至 り、 第 一 巻 発 表 以後 で あ るが 、 端 な く法
華 経 を信 解 す る に よ り今 ま で 無 意 識 の 進 行 が 期 せ ず して 一 致 し、 … …法 華 経
の 中 の 肝 心 が 吾 々 の 生 活 法 の 総 体 的 根 本 的 の もの で あ る に対 し、 創 価 教 育 学
の 唱 導 す る合 理 的 教 育 法 は、 そ の 部 分 的 末 梢 的 の もの で あ る とい ふ こ とが
66
解 っ た、 … … 価 値 判 定 の 標 準 等 に 重 大 な る欠 陥 が あ っ た こ とに 気 付 き、 善 悪
の判 定 が初 め て 正 確 とな る に至 り、 それ か ら多 くの追 加 補 充 を し な け れ ば な
(28)
らぬ 所 が生 じ」 た と述 べ て い る。 これ に よれ ば、 法 華 経 に 対 す る信 仰 が 深 化
し、 理 解 が 深 ま る こ とに よ っ て 、 これ ま で の 創 価 教 育 学 及 び 価 値 論 との 一 致
に 驚 き、 そ の 関 係 は全 体 と部 分 の 関 係 に あ っ た と言 う。 牧 口 は 、 そ の 総 体 的
根 源 的 な生 活 法 を 「
法 華 経 の 肝 心 」 と呼 ぶ 。 これ に つ い て 『体 系 』 第 八 巻 の
補 注 に よれ ば、 牧 口 は信 仰 が 深 ま る につ れ 、 これ ま で の牧 口 の発 想 の 基 盤 が
仏 法 法 理 に よ っ て 裏 付 け られ 、 仏 法 を基 盤 に した新 た な生 命 観 を も と に した
創 価 教 育 学 の 思 想 体 系 が 展 開 さ れ て い く。 つ ま り、 日蓮 仏 法 の 生 命 観 が 、 こ
れ まで 「生 命 の 伸 縮 」 との 関 係 性 と した相 対 的 な価 値 概 念 を、 日蓮 仏 法 の信
仰 す な わ ち 「南 無 妙 法 蓮 華 経 」 とい う 「法 」 との合 一 に よ る絶 対 的 な 価 値 概
(29)
念 へ と飛 躍 させ た と解 釈 して い る。 ま た 、 そ れ に よ っ て価 値 判 定 の基 準 を 変
更 す るが 、 利 善 美 の価 値 内 容 は変 更 して い な い。 あ くま で 、 絶 対 的 価 値 観 か
ら利 善 美 を再 構 成 して い く こ とに な る の で あ る。
牧 口 が 『創 価 教 育 学 体 系 』 第 二 巻 の 「
価 値 論 」 で 、 そ れ ま で述 べ た 善 的価
値 は相 対 善 で あ り、 三 世 の 因 果 の 法 則 に則 っ た仏 法 に よ っ て こそ 絶 対 善 の 生
活 が あ る、 と主 張 した こ とは これ まで も見 て き た。 つ ま り、 仏 法 の 宗 教 的 善
と道 徳 的 善 は全 体 と部 分 の 関 係 に あ り、 絶 対 善 に基 づ い て こ そ 、 相 対 善 が 生
か さ れ る こ とに な る。 しか し、 「
価値 論」 で は、それ 以上踏 み込 んだ議 論 は
して い な い 。 宮 田 幸 一 氏 が 指 摘 す る よ うに 、 この絶 対 善 と相 対 善 の 問 題 を 証
明 す るた め に は 、 三 世 の 生 命 の在 り方 や 法 が 真 理 か 否 か を 証 明 し な け れ ば な
(30)
らな い 。 こ の 点 につ い て は後 述 す る と して 、 こ こで は 絶 対 善 に基 づ く価 値 基
準 とは 如 何 な る も の か に つ い て 見 て お くこ とに した い 。
牧 口 は 、 自 らが 創 立 した 宗 教 団 体 ・創 価 教 育 学 会 の 機 関 紙 「
価 値創 造」 で
次 の よ うに 言 う。 「
損 よ りは 得 を 、 害 よ りは利 を、 悪 よ り は 善 を 、 醜 よ り は
美 を 、而 して何 れ も近 小 よ りは遠 大 を と希 望 し、遂 に 無 上 最 大 の 幸 福 を達 せ
科 学 と宗教(樋 口)67
ざ れ ばや ま な い の が 人 情 で あ り理 想 で あ る。 謂 ふ所 の価 値 創 造 の 生 活 とは 之
を 意 味 す る。 この 希 望 に応 じて 、 最 大 の価 値 の生 活 法 を 証 明 さ れ た の が 仏 教
の極 意 で 、 妙 法 と称 し奉 り、 他 の あ ら ゆ る生 活 法 と区別 され た。 吾 々 は大 善
(31)
生 活 法 と仮 称 して 世 間 在 来 の 小 善 生 活 法 と区 別 せ ん とす る」 と。 これ に よ れ
ば 、 価 値 内 容 は 従 来 の利 善 美 を踏 襲 し て い る こ とが わ か る。 但 し、 従 来 の相
対 善 は小 善 、 仏 法 に基 づ く生 活 が 大 善 と位 置 づ け て い る点 が 異 な る。 牧 口
は 、 この 大 善 生 活 が 「
無 上 最 大 の幸 福 」 を も た らす と考 え て い た。 で は、 大
善 生 活 と は何 か 。 それ は 、 「多 少 で も余 裕 の あ る生 活 力 」 で あ り、 「自他 共 に
(32)
共 栄 す る こ とに よ っ て 初 め て 、 完 全 円 満 な る幸 福 に 達 し得 る」 生 活 だ と言
う。 更 に、 牧 口 に よれ ば 、 「吾 等 各 個 の 生 活 力 は 悉 く大 宇 宙 に具 備 して ゐ る
大 生 活 力 の 示 顕 で あ り、 従 って そ の 生 活 力 発 動 の機 関 と して 出現 して ゐ る 宇
宙 の森 羅 万象 一
これ に よ っ て 生 活 す る 吾 吾 人 類 も 一 に 具 は る生 活 力 の 大
(33)
本 た る大 法 が 即 ち妙 法 と して 一 切 の 生 活 法 を摂 す る根 源 で あ り本 体 」 で あ る
と結 論 す る。 つ ま り、 宇 宙 の 本 体 で あ る妙 法 に基 づ い て誕 生 した人 間 は、 自
身 に宇 宙 の本 体 で あ る妙 法 とい う生 活 力(生
命 力)を 備 え て い る。 この 妙 法
を 信 仰 す る こ と に よ っ て 、 宇 宙 の 根 源 の 法 で あ る生 命 力 を 顕 現 で き、 そ の
「
余 裕 あ る生 活 力(生 命 力)」 を 以 て 、 他 人 に も この 信 仰 を 教 え実 践 させ 、 そ
れ に よ っ て 自他 共 の 幸 福 を 実 現 で き る とい う こ と に な ろ う。 す る と、 牧 口
は 、 この 妙 法 に よ る 生 命 力 の 顕 現 を利 的価 値 、他 人 に 生 命 力 を顕 現 させ る こ
とを 善 的 価 値 、 そ して 双 方 の 行 為 を通 して こ そ真 実 の幸 福 で あ る大 善 生 活 が
で き る と考 え て い た こ とに な る。
牧 口 は そ の 上 で、 価 値 判 定 の基 準 を次 の よ う に設 定 した 。 ① 美 醜:好
き嫌
い に と らわ れ て 、 利 害 を忘 れ るの は愚 で あ る。 い わ ん や 善 悪 を忘 れ る をや 。
② 利 害:目
悪:損
前 の 小 利 害 に 迷 っ て 遠 大 の 大 利 害 を 忘 れ る の は 愚 で あ る。③ 善
得 に と らわ れ て 善 悪 を無 視 す る の は悪 で あ る。 ④ 善 悪:不
善 は悪 で あ
り、 不 悪 は 善 で あ る。 何 れ もそ の 最 小 限 で は あ るが 結 果 は こ うな る。 ⑤ 大 善
68
悪:小
善 に安 ん じて 大 善 に 背 け ば 大 悪 とな り、 小悪 で も大 悪 に反 対 す れ ば 大
善 とな る。 ⑥ 極 善 悪:同
じ小 悪 で も地 位 の 上 る に従 って 次 第 に大 悪 とな る。
況 や 大 悪 に於 て を や 、 極 悪 とな りそ の報 と して 大罰 を 受 け ね ば な ら な い 。 善
は そ の反 対 で あ る。⑦ 空 善 悪:利
害 損 得 を無 視 した 善 悪 は 空 虚 で あ り、 云 う
べ く して行 わ れ な い もの で あ る。 ⑧ 真 偽:真
偽 は実 在 を意 味 し、 価 値 は 人 生
との 関 係 を 意 味 す る。 故 に 真 理 は 幸 福 の 要 素 で は な い 。⑨ 正 邪:正
邪 は善悪
と全 く内容 が 違 う。 悪 人 の仲 間 で は悪 が 正 で 善 が邪 で あ り、 曲 っ た 根 性 の 人
に は正 直 が か え っ て邪 悪 と して 嫌 わ れ る。 ⑩ 半 狂 人 格:以
上 の よ う な簡 単 な
(3a)
道 理 が わ か ら な い者 は 狂 で あ り、 わ か っ て 従 わ な い者 は 怯 で あ る 、 と。
こ の判 定 基 準 で 、 ① ② ③ ④ ⑦ ⑧ ⑨ は ほ ぼ 従 来 の価 値 論 の 概 念 を 踏 襲 して い
る。 もち ろん 、 そ の基 本 に は 仏 法 に よ る価 値 基 準 は予 想 で き るが 、 従 来 の 価
値 基 準 と較 べ て も 同趣 旨 の結 果 を導 く こ と はで きる。 問題 は 、 や は り⑤ ⑥ の
大 善 、 極 善 の 導 入 で あ る。 ⑩ は これ ら の基 準 が 承 認 で きて 初 め て 成 り立 っ も
の で あ る。 牧 口が こ こで 言 う大 善 、 極 善 は 、 先 に も見 た 仏 法 に よ る生 命 力 を
伴 っ た 大 善 生 活 を指 す こ とは 明 らか で あ る。 す る と、 大 善 で あ る仏 法 に 背 く
小 善 は大 悪 で あ る とい う こ とに な る。 ま た 、 小 悪 で も大 悪 に反 対 す れ ば 大 善
に な る と言 うが 、 これ は、 社 会 的 な 悪 で あ って も大 善 の敵(大
悪)を
攻 めれ
ば 、 大 善 に通 ず る こ と を言 うの で あ ろ う。 大 善 であ る仏 法 を擁 護 す る か らで
あ ろ うか 。 更 に、 大 悪 で あ っ て 、 しか も地 位 の 高 い 人 間 は 極 悪 で あ る と裁 断
して い る。 しか し、 これ らの判 定 基 準 は 、独 断 論 に な る可 能 性 が あ る。 ⑤ ⑥
の よ うな基 準 は、 多 くの 宗 教 に も適 用 で き るか らで あ る。 こ の 問 題 に 対 し、
牧 口 は、 日 蓮 の 仏 法 は科 学 的 検 討 に堪 え る も ので あ り、 現 在 未 来 の 二 世 に
(35)
亘 っ て 安 全 生 活 を保 証 す る力 を 有 し、 従 来 の 宗 教 と は違 う 「
超 宗教 」で あ る
(36)
と言 う。 そ の証 拠 に 、 「
法 罰 論 」 を 挙 げ て い る。 つ ま り、 日蓮 仏 法 を信 仰 す
れ ば 功 徳 が あ り、 反 対 す れ ば罰 が あ る とい う わ けで あ る。 「
功 徳 論 」 と言 い
換 え て もい い か も しれ な い。 しか し、 こ の功 徳 と罰 に して も、 どの 宗 教 で も
科 学 と宗 教(樋 口)69
言 う こ とで あ る。 また 、 実 際 に 多 くの 宗 教 で も、 信 仰 を通 して 功 徳 が あ っ た
と報 告 さ れ て も い る。 そ うで あ る な ら ば 、 牧 口 の こ の 「
法罰 論 」あ るい は
「
功 徳 論 」 だ け で は、 日蓮 仏 法 だ け が 大 善 で あ る と実 証 す る こ とは 困 難 で あ
る。
そ こで 、 牧 口 は 「
科 学 的 検 討 に堪 え る」 か ど うか を 問 題 に す る の で あ る。
つ ま り、 宗 教 と科 学 の 問 題 で あ る。 牧 口 は、 純 正 科 学 と応 用 科 学 を 区 別 し、
(37)
創 価 教 育 学 は応 用 科 学 で あ る と した 。 後 期 価 値 論 で は 、 この応 用 科 学 に替 え
て 「
価 値 科 学 」 を主 張 す る こ とに な る。 牧 口 は 「
如 何 に して 宗 教 の本 質 の 科
学 的 把 握 を な す か 」 と問 い 、 そ れ に は 「
技 術 芸 術 の 本 質 を 把 握 す る方 法 を 以
(38)
て宗 教 に対 す る」 以 外 に 、 「宗 教 の 内 容 を把 握 す る方 法 は あ る ま い」 と言 う。
そ して 、 そ の 方 法 とは 、 「自然 科 学 者 が な す ご とき 観 察 、 思 考 な どの 認 識 法
で は な くて 、(弟 子 に)単
刀 直 入 師 匠 の為 す こ とを 見 習 は せ 、 説 明 な どは 抜
き に して 実 行 せ しめ て 、 後 か ら そ の説 明 を な す 」 の で あ り、 科 学 に は 「
有り
の ま まの 自然 現 象 を対 象 とす る 自然 科 学 と、 芸 術 生 産 な どの価 値 現 象 を対 象
とす る価 値 科 学 との 二 種 の 区 別 」 が 必 要 で あ る と主 張 す る 。 そ れ は 、 自然 科
学 が 研 究 対 象 で あ る 自然 現 象 の観 察 を通 して 真 偽 を検 討 す るの に対 し、 価 値
科 学 の 対 象 で あ る価 値 は 主 観 と対 象 との 関 係 に関 す る真 理 で あ り、体 験 の 結
(39)
果 に属 す る もの だ か らで あ る と して い る。
それ ゆ え 、 技 術 家 芸 術 家 の経 験 の 蓄 積 を研 究 対 象 と し、 それ を比 較 総 合 し
て 最 良 の 方 法 を 見 出 す の と同 じ よ うに 、 宗 教 も、 同一 の 結 果 を得 る た め の 同
一 の原 因 、 す な わ ち 因 果 の 法 則 を原 理 と して 、 最 高 の幸 福 生 活 に達 す る指 導
原 理 を 探 求 す る価 値 科 学 に よ っ て の み 、 そ の 本 質 の 把 握 が 可 能 に な る と考 え
た。 この よ う に見 る と、 牧 口 は 「応 用 科 学 」 の 考 え 方 か ら変 化 して い る こ と
が わ か る。 応 用 科 学 と純 正 科 学 の 違 い は そ の研 究 対 象 の 違 い だ け で あ っ た
が 、 価 値 科 学 に 至 って は研 究 対 象 と研 究 方 法 の違 い も主 張 す る よ う に な る 。
これ にっ い て 、 牧 口 は 卑 近 な例 を挙 げ て 説 明 す る。 水 泳 、 絵 画 、 手 工 、 武 術
70
な どの 技 術 ・芸 術 は 、 見 聞 き した だ け で は 習 得 で き な い。 実 際 に実 践 し経 験
して み て 、 初 め て 習 得 で き る もの で あ る。 そ れ と同 じ よ う に、 宗 教 の 本 質 の
把 握 は、 信 行 の 体 験 とそ の 評 価 とい う価 値 科 学 的 方 法 に よ っ て の み 実 現 で
き、 客 観 的 認 識 の 自 然 科 学 的 方 法 で は 宗 教 は 理 解 で き な い と し、 宗 教 の 真 理
の 把 握 の た め に は価 値 科 学 が 必 要 で あ る こ と を提 唱 す る の で あ る。 な ぜ な
ら、 「
幸 福 生 活 の 祈 願 に応 ず る価 値 の 供 給 に よ って の み 宗 教 の 存 在 が あ り、
(40)
無 益 の 宗 教 は 人 の信 を 繋 ぐに足 らぬ も の だ か らで あ る」 と主 張 して い る 。
牧 口 は、 この よ う な価 値 科 学 の 宗 教 研 究 法 を 日蓮 仏 法 に も適 用 す る。 宮 田
氏 に よ れ ば 、 牧 口 は 日蓮 仏 法 の 有 益 性 を次 の よ うに 説 明 す る と言 う。 第 一
に、 人 生 に お け る幸 福 、 不 幸 に関 す る因 果 の 法 則 を説 く。 第 二 に 、 そ の 仏 法
の 信 仰 実 践 に よ り、 生 活 上 に 種 々 の現 世 利 益 が 現 れ る。 第 三 に、 実 践 が 深 ま
る と過 去 世 の 諦 法 の罪 に よ っ て 種 々 の 難 を受 け るが 、 そ れ を乗 り越 え る と成
(aU
仏 とい う最 高 の 幸 福 を得 る こ とが で き る、 と。 そ して 、 牧 口 は こ の 日蓮 仏 法
の真 理 性 は 、 そ れ を信 仰 実 践 す るか 誹 諦 す る こ とに よ り、 現 実 に 「
功 徳(利
益)」 か 「
法 罰 」 と い う現 象 と な っ て 現 れ る か ら、 実 際 に 実 践 す る こ と に
よ っ て 真 理 性 が 証 明 され る、 す な わ ち 実 験 証 明 とい う価 値 科 学 の 宗 教 研 究 法
を提 唱 す る。 そ れ ゆ え 、 牧 口 は 、 「
大 善 生 活 実 験 証 明 座 談 会 」 と称 す る 布 教
活 動 を 推 進 して い くこ とに な る の で あ る。
しか し、 こ こで 一 点 検 討 しな け れ ば な ら な い 問題 が 生 じ る。 そ れ は、 牧 口
が幸 福 の概 念 を現 世 利 益 と成 仏 と い う二 つ の 概 念 で 説 明 して い る点 で あ る。
宮 田 氏 も この 問 題 に対 して 、 現 世 利 益 と成 仏 の 二 つ を 分 け て 考 察 して い る。
ま ず 、 現 世 利 益 の 問 題 は 、 こ の仏 法 を実 践 す れ ば現 世 に 必 ず 現 象 が 現 れ る の
で あ れ ば 、 そ こ に 因 果 関 係 を認 め て も い い。 しか し、 牧 口 は 「
過 去世 の諦法
の 程 度 に よ っ て 、 現 証 が 起 こ る こ とに 関 して遅 速 の 差 が あ り、 現 世 に お い て
法 罰 の な い者 も あ る」 と言 うが 、 これ は事 実 命 題 か ら宗 教 的 命 題 に 変 化 させ
科学 と宗教(樋 口)71
る もの で 、 弁 神 論 的 機 能 を果 た す も の だ と指 摘 す る。 第 二 に 、 宗 教 に よ って
は 世 俗 の 価 値 を 超 越 した 宗 教 的価 値 の み を重 視 す る宗 教 もあ り、 ま た幸 福 観
も社 会 的 文 化 的 相 対 性 の 問 題 が あ る ゆ え に、 宗 教 的功 徳 の理 論 負 荷 性 が解 決
で き な けれ ば 、 幸 福 の 実 験 証 明 は困 難 で あ る とす る。 第 三 に、 宗 教 社 会 学 的
調 査 か ら見 る と、 新 宗 教 の 信 者 の 受 益 感 は熱 心 な 信 者 ほ ど功 徳 の 体 験 を 有 し
て い る と の報 告 が あ り、 こ の 点 か ら言 え ば 牧 口の 基 本 命 題 の一 般 的 証 明 は 困
難 で あ る と指 摘 す る。 一 方 、 成 仏 につ い て は 、 牧 口 は成 仏 を最 高 の 幸 福 境 涯
と規 定 す るが 、 成 仏 の 概 念 は 仏 教 の 各 宗 派 で も一 定 し な い 概 念 で あ る。 も
し、 牧 口が 言 う よ うに 、 人 格 的 に完 成 され た 人 間 が 仏 で 、 成 仏 は この 理 想 人
格 に な る こ とで あ る とす れ ば 、 宗 教 の社 会 的 有 益 性 に 果 た す役 割 を宗 教 の 一
(42)
っ の 選 択 基 準 と して承 認 す る こ とが で き るの で は な い か 、 と宮 田 氏 は言 う。
牧 口 は、 日蓮 仏 法 を信 仰 して い て も、 大 善 生 活 と小 善 生 活 の 区別 が あ る と言
い 、 大 善 生 活 す な わ ち 日蓮 仏 法 に よ る 自他 共 の 幸 福 生 活 を す る こ とを強 調 す
る。 その 意 味 で 言 え ば 、 牧 口 も 日蓮 仏 法 に よ る社 会 的価 値 の創 造 を主 張 し、
社 会 的 有 益 性 を強 調 して い る。 しか し、 こ こで も 日蓮 仏 法 だ け が 社 会 的 に 有
益 で あ る とい う基 本 命 題 の一 般 的 証 明 は 困 難 で あ る。
この 問 題 は 、 や は り生 命 とい う問 題 に まで 立 ち 入 らな けれ ば 、 解 決 の糸 口
を見 つ け る こ とは 困 難 な の で は な い だ ろ うか 。 つ ま り、 日蓮 仏 法 にお け る生
命 の 因 果 の 法 則 を 見 な け れ ば な らな い よ う に 思 う。 牧 口 は こ れ に関 して 、
「
無 限 な る 時 間 空 間 及 び 精 神 、物 質 両 界 に 亘 る大 宇 宙 の 因 果 の 法 則 に 従 っ た
最 大 価 値 の 生 活 法 を証 明 さ れ た の が 仏 教 の 極 意 で あ る」、 「
因 果 法 則 とい ふ て
も、 自然 科 学 の 研 究 対 象 た る物 質 的 の もの だ けで な くて 、 心 と物 との 相 互 関
係 に よ り、価 値 と して 現 は れ る因 果 倶 時 の 法 則 で あ る。 即 ち因 果 一 念 、 又 は
一 念 三 千 と謂 は れ る仏 教 の極 意 こ そ、 吾 等 の 生 活 と離 るべ か らざ る此 の法 則
(43)
の 本 体 と して 何 人 も尊 崇 し奉 ら ざ る能 は ざ る 目的 で あ る」 等 と述 べ て い る。
こ の 引用 文 は 「
創 価 教 育 法 の 科 学 的 超 科 学 的 実験 証 明 」 に あ るが 、 こ の論 文
72
が 書 か れ た の は 牧 口が 入信 して 十 年 目で あ るか ら、 日蓮 仏 法 に 対 す る理 解 は
相 当 深 化 して い た も の と思 わ れ る。 しか し、 牧 口は 入 信 七 年 目 に書 い た 「
創
価 教 育 体 系 梗 概 」 に し ろ、 全 集 に見 られ る そ の 他 の 論 文 に しろ 、 日蓮 仏 法 の
宗 教 教 義 に 関 す る説 明 は あ っ て も、 哲 学 的議 論 はあ ま り見 られ な い 。 後 藤 隆
一 に よれば、 「
実 験 証 明 」 以 後 の 著 作 の 大 半 が 失 わ れ て しま っ た と言 う。 そ
こ で 、 牧 口 の 日蓮 仏 法 理 解 か ら離 れ て 、 日蓮 仏 法 の 教 義 と そ の 哲 学 議 論 を 見
な け れ ば な らな い わ け だ が 、 こ こで は 、 後 藤 の 論 文 か ら牧 口 が 理 解 した で あ
ろ う 日蓮 仏 法 の 教 義 を数 点 拾 っ て お くこ とに した い 。
(44)
後 藤 は次 の よ う に ま とめ て い る。 ① 三 世 の 生 命 の 因 果 概 念 は 業 思 想 で あ る
が 、 法 華 経 は宿 命 論 で は な く、 業 を転 換 し、業 か ら 自 由 に な るた め の 転 換 論
で あ る。 ② 過 去 世 も未 来 世 も知 る こ とが で きな いの で 、 三 世 の 因 果 論 で 重 要
な の は現 在 で あ る。 三 世 に亘 る永 遠 は 、 現 在 に凝縮 され る。 一 念 三 千 とは 、
現 在 の 世 界 全 体 が 一 念 に凝 縮 さ れ て い る こ と を言 う。 ③ 仏 界 の 顕 現 で あ る本
尊 へ の信 仰 実 践 を通 して 、 自 己 に 内 在 す る仏 界 を顕 現 し(一 念 の 変 革)、 そ
れ に よ って 生 活 を大 善 生 活 に変 え る こ とが で き る。 つ ま り、 現 在 の 一 瞬 の 生
命 の 一 念 の変 革 に よ っ て 、 一 念 を因 とす る生 活 の 変 化 が 実 現 さ れ る。 こ れ を
因果 倶 時 の生 命 の 法 則 と言 う。 ④ 因 果 倶 時 とは 、一 瞬 の 生 命 の 中 に 、 主 体 と
対 象 が 相 互 因果 関 係 に よ っ て統 一 さ れ 、 幸 不 幸 、喜 怒 哀 楽 の 生 活 空 間 を現 じ
て い る こ と。 ⑤ 一 念 三 千 の 因 果 の 法 則 は、 生 活 の 中 で 確 か め られ る。 牧 口 が
言う 「
実 験 証 明 」 で あ る。 つ ま り、 実 験 証 明 の 対象 は、 生 活 の 中 の 自 己 自 身
で あ る。 後 藤 は これ ら を総 括 して 、 「この よ う な仏 法 の 受 容 は 、 仏 法 を 一 人
一 人 の 主 体 の 方 に 引 寄 せ た 。 ま た 生 活 そ の もの に結 び つ け た 。 そ して 、 生 活
す る人 間 の 願 望 と苦 悩 に結 び つ けた 。 そ して 、 反省 的 自覚 に結 び つ け た 」 と
言 う。
熊 谷 一 乗 は 、 この 日蓮 仏 法 の 「
一念三 千」 の法門を 「
生 命 の弁 証 法 」 と形
容 す る。 確 か に 、 生 命 感 情 は対 象(縁)に
触 れ て%;瞬
変 化 して ゆ くも の
科学 と宗 教(樋 口)73
で あ る。 今 喜 ん で い た か と思 う と、 次 の 瞬 間 に は 悲 しみ に 沈 む こ と も あ る。
しか し、 ま た何 らか の 縁 に 触 れ て 変 化 す る。 生 命 は相 矛 盾 し合 う もの を 内 に
含 み な が ら、 一 瞬 一 瞬 変 化 しつ つ も統 一 を保 っ て い る も の で あ る。 牧 口 は こ
の 生 命 の 法 に 合 致 す る こ と に よ っ て 一 念 を 仏 界 へ と変 革 し、 それ に よ っ て 物
心 両 面 に亘 る変 革(幸
福)を
目指 した の で あ る。 また 、 弁 証 法 に つ い て言 え
ば 、 先 に 挙 げ た① ② ③ ④ に も、 弁 証 法 的 な 思 考 方 法 が 現 れ て い る よ う に 思
う。 つ ま り、 それ ぞ れ に弁 証 法 の 特 色 で あ る 「
運 動 ・変 化 ・発 展 」、 「
全面 的
連 関 」、 「
対 立 物 の統 一 」、 「
本 質 と現 象 」、 「
現 実 性 と可 能 性 」、 「
普 遍 ・特 殊 ・
個 別 」 な どの 論 理 が 展 開 され て い る。 具 体 的 な牧 口の 弁 証 法 的 思 考 に っ い て
は 別 稿 に譲 る と して 、 牧 口 は この よ うな 日蓮 仏 法 に 出 会 う こ とに よ っ て 、 前
期 価 値 論 に お け る主 観 的相 対 的価 値 論 か ら、 絶 対 的価 値 の 中 に相 対 的 価 値 を
含 む 価 値 論 へ と転 換 して い っ た。 後 藤 は これ を 「
超 越 的 客 観 的 法 と主 体 的価
(45)
値 が 統 合 され た 」 と表 現 して い る。
四
科学 と宗教
これ まで 、L..・
契 と牧 口 の 宗 教 観 、 特 に 科 学 的 真 理 と違 背 しな い宗 教 に っ い
て の論 点 を検 討 して き た 。 こ こで は、 まず 凋 契 の 科 学 観 を 簡 単 に見 て お きた
い。VI¥契 は、 科 学 知 識 に つ い て 静 態 的解 釈 と動 態 的 解 釈 に 区 分 して 考 察 して
い る。 静 態 的 に 言 え ば 、 科 学 は 、 一 定 の 科 学 的方 法 に よ っ て 事 実 を 分 析 し理
論 を概 括 す る。 この 事 実 の 特 殊 命 題 と理 論 の 普 遍 命 題 の相 互 関 連 に よ っ て 、
有 機 的 な 全 体 を 構 成 さ せ 、 事 実 間 の法 則 や 秩 序 を 示 し、 人 に普 遍 有 効 な規 律
的 知 識 を提 供 す る と言 う。 また 、 動 態 的 に は、 科 学 概 念 や構 造 は 、 知 識 経 験
の 内容 及 び成 果 で あ り、 動 態 的 な プ ロ セ ス で あ る と見 な す こ とが で き る。 っ
ま り、 知 識 経 験 の 不 断 の 深 化 に よ っ て 、 人 間 は大 量 の 事 実 の 中 か ら法 則 や 規
律 的 な 知 識 を概 括 し、 また そ の 理 論 を 武 器 に して 新 た な 事 実 を発 見 す る。 科
74
学 は 、 この よ うに 発 展 しな が ら質 量 共 に高 ま っ て い く と言 う。 そ して 、 静 態
的、 動 態 的 解 釈 に 関 わ らず 、 科 学 知 識 の 特 徴 は、 人 間 に普 遍 的 で 有 効 な規 律
(as)
的 知 識 を提 供 す る こ とに あ る と して い る。 この よ うに 見 る と、G...契が 言 う科
学 と は、 知 識 経 験 の 範 疇 で あ り、 理 性 に よ っ て 把 握 で き る領 域 の こ と を指 し
て い る。 また 、 そ れ に よっ て 、 人 間 に 普 遍 有 効 な規 律 的 知 識 を提 供 す る の を
目 的 に して い る こ とが 分 か る。 そ れ ゆ え、 科 学 の 意 義 は、 理 性 に よ る知 識 経
験 の 分 析 と総 合 を 通 して 、 人 間 の本 質 的 な 力 を顕 現 す る た め に貢 献 す る こ と
に あ る と した 。
また 、f,..,契
は 、 知 識 経 験 の 領 域 は 名 言 や 概 念 に よ っ て 区別 す る世 界 で あ る
と し、 知 識 が 重 視 す る の は彼 我 の分 別 が あ る領 域 で あ り、 そ れ ぞ れ の 命 題 に
対 す る陳 述 を加 え る名 言 の域 の 問 題 で あ る。 そ して 、 普 遍 命 題 か 特 殊 命 題 か
に関 わ らず 、 命 題 の 真 は 、 常 に条 件 的 、 有 限 的 、 相 対 的 で あ る と言 う。 そ れ
ゆ え 、f,,,,契
は一 定 の 条 件 下 で 獲 得 した真 理 は 、 常 に 相 対 的 だ と考 え た 。 そ う
で あ れ ば、 絶 対 真 理 は あ り得 な い こ とに な る 。 確 か に経 験 論 か ら見 た場 合 、
科 学 は経 験 的 に識 別 で き る もの に 限定 され る の で 、 そ の 条 件 の 下 に 観 察 され
た 事 実 や 法 則 は、 そ の 条 件 下 で 真 理 で あ っ て も、 時 空 を 越 え た 絶 対 的 真 理 と
は言 えな い 。 なぜ な ら、 そ の 条 件 外 、 す な わ ち 経験 的 に 識 別 で き な い状 態 を
考 え る場 合 、 経 験 論 が 言 う科 学 で は判 定 が で きな い 問 題 で あ るか らで あ る。
しか し、f,..,契
は、 弁 証 法 で は 相 対 真 理 と絶 対 真 理 を 戴 然 と区 分 す る こ とは で
き な い と言 う。 例 え ば 、 客 観 規 律 は、 時 間 や 場 所 や 条 件 に よ っ て 変 化 す る も
の で あ り、 同 じ規 律 で あ っ て も異 な る条 件 の 下 で は そ の 作 用 も異 な る もの で
あ る 。 この 規 律 の歴 史 性 は真 理 の 具 体 性 の 一 つ の特 色 で あ る が 、 この 歴 史 性
あ る い は相 対 性 は 、 相 対 と絶 対 の 統 一 に よ っ て 解 消 さ れ る。 つ ま り、 絶 対 真
理 は 相 対 真 理 の 中 に含 ま れ て お り、 人 類 が 不 断 に相 対 真 理 を獲 得 す る歴 史 的
過 程 の 中 で 次 第 に展 開 され る と見 て い る。 科 学 的真 理 の場 合 、 相 対 の 中 に 絶
対 が あ り、 有 限 の 中 に 無 限 が あ り、 条 件 を 有 す る物 の 中 に無 条 件 の物 が あ る
科 学 と宗 教(樋 口)75
とす る。 つ ま り、 い つ 、 ど こに あ っ て も、 条 件 さ え整 え ば規 律 は作 用 す るの
で 、 規 律 は特 殊 な時 空 の 制 限 を 受 けず に 、 一 定 の 条 件 の 範 囲 内 で は 、 そ の 絶
対 性 を有 す る と解 釈 して い る。 それ ゆ え 、 客 観 規 律 は 時 空 が 異 なれ ば そ の 作
用 は変 化 す るが 、 同 じ条 件 で あ れ ば、 人 間 に普 遍 有 効 な 規 律 的 知 識 を提 供 で
(47)
き る。 そ れ が 具 体 真 理 で あ り、 具 体 的普 遍 性 で あ る とす る の で あ る。
で は 、 池 田 や 牧 口 は、 科 学 と宗 教 の観 点 を どの よ うに 見 るの だ ろ うか 。 先
に 、 牧 口の 科 学 に対 す る見 解 を 述 べ た の で 、 こ こで は 池 田 の 見 解 を見 て い く
こ と に す る。 池 田 は 、 「
物 事 を帰 納 法 的 に 探 求 して い く科 学 的 理 性 と、 演 繹
(48)
的 に把 握 す る直 観 は 、 互 い に補 完 関 係 に あ る」 と言 い 、 理 性 と直 観 の考 察 を
通 して 科 学 と宗 教 の 観 点 を検 討 して い る。 そ れ に よ れ ば 、 まず 理 性 は そ の 前
提 と して 必 ず 直 観 が 働 き、 直 観 が 把 握 した もの は理 性 に よ っ て 正 さ れ 、 あ る
い は 明 らか に され る。 ま た 理 性 の 鍛 錬 が 積 み 重 な っ て 直 観 智 を啓 発 す る と し
て 、 理 性 と直 観 は人 間 の英 知 の 二 つ の側 面 で あ り、 対 立 す るの で は な く補 完
関 係 に あ る と言 う。 それ に 対 し、 ア ー ノル ド ・ トイ ン ビ ー は 、 池 田 の 見 解 を
承 認 した 上 で 理 性 と直 観 の 関 係 に言 及 す る。 トイ ン ビー に よれ ば、 科 学 は 知
覚 に よ っ て 得 た デ ー タ を基 に仮 説 を提 起 し、 そ の 仮 説 を検 証 す る こ とに よ っ
て 成 り立 つ 。 そ の 際 、 理 性 の 役 割 は 、 仮 説 を検 討 した り批 判 した りす る こ と
で 、 仮 説 を 提 起 す る根 源 に は な らな い 。 理 性 と知 覚 は、 精 神 の 意 識 レベ ル で
作 用 す る も のだ か らで あ る。 仮 説 を提 起 す る もの は 直 観 で あ っ て、 そ れ は潜
在 意 識 の深 層 か ら湧 き 出 る もの で あ る。 人 間 精 神 の 創 造 的 活 動 は、 直 観 に よ
(49)
る も の で あ り、 そ の 根 源 は 潜 在 意 識 で あ る と結 論 す る。 池 田 は この トイ ン
ビ ー の 見 解 を受 け て 、 理 性 と直 観 の 関 係 性 を 一 歩 進 め て 次 の よ う に言 う。
「
直 観 は 多 分 に 主 観 的 で あ る た め 、 一 歩 誤 れ ば独 善 に な りが ち な も の で す 。
した が っ て 、 直 観 が 覚 知 し た もの が はた して 正 しい か ど うか は 、理 性 的 認 識
に よ っ て 検 証 され な け れ ば な り ませ ん 。 しか し、 そ こか ら さ らに進 ん で 、 理
性 と直 観 とが互 い に 補 い合 うよ うな認 識 の 規 範 、 い うな れ ば"直 観 的 理 性"
76
"理 性 的 直 観"と
い
っ た も の が 、 求 め られ て しか る べ き で は な い で し ょ う
(50)
か 」 と。 池 田 に よれ ば 、 直 観 に よ っ て 得 られ た 真理 は、 第 三 者 に とっ て は ま
だ 検 証 され る べ き仮 説 で あ る。 しか し、 理 性 を駆使 して得 られ た 直 観 智 に よ
る発 見 は 、 単 な る仮 説 で も、 単 な る偶 然 的 な 直 観 で も な く、 理 性 的 直 観 で あ
る と説 明 して い る。
この よ うに見 る と、 池 田 の 考 え は 、{,,,契の 智 慧説 に類 似 して い る こ とが 分
か る。 漏 契 の 智 慧 説 は 、 「
理 性 の 直 覚 」 に よ る飛 躍 に よ っ て 、 世 界 を 認 識 し
自 己 を認 識 す る 「
超 名 言 の 域 」 の もの で あ っ た 。 そ れ に よれ ば 、 科 学 研 究 は
主 に 抽 象 的 な 思 惟 に依 拠 す るが 、 本 当 の 発 見 や 創造 は常 に 「
理 性 の直覚 」 か
ら離 れ な い。 つ ま り、 思 惟 を駆 使 し、 様 々 な機 会 や 現 象 を 通 して 、 突 然 に覚
知 す る こ とが あ る。 漏 契 は 、 こ う した 直 観 智 を 「
理 性 の 直 覚 」 と呼 ぶ が 、 そ
れ は 理 性 の光 に 照 ら さ れ た 人 間 の 舘 然 と貫 通 す る直 観 で あ り、 科 学 、 芸 術 、
徳 行 、 宗 教 経 験 な どの 分 野 で も存 在 して い る と言 う。 しか し、 理 性 の 直 覚
は、 それ 自 身 で 幻 覚 か 否 か を 直 接 判 断 で きな い ので 、 論 証 と検 証 が 重 要 に な
(51)
る と も言 う。 こ う して 見 る と、 理 性 と直 観 と の関 係 に つ い て の 両 者 の 考 え
は、 少 な く と も近 似 して い る と言 え よ う。
相 違 は宗 教 に 対 す る観 点 に あ る 。 漏 契 は 、 宗 教 の 神 秘 体 験 は 、 信 仰 して い
な い 人 間 か らす れ ば幻 覚 で あ り、 信 仰 者 は そ れ を真 実 で あ る と信 じ る。 敬 慶
な信 仰 に は 、 論 証 も検 証 も必 要 な い の で 、 武 断 を免 れ ず 科 学 と違 背 す る と見
(52)
て い る。 そ れ に 対 し、 池 田 は 、 科 学 も宗 教 も直 観 に よ る精 神 の 飛 躍 を必 要 と
して い る。 しか し、 宗 教 は 多 分 に 直 観 の 世 界 で あ る ゆ え に、 直 観 だ け を 強 調
す る と ドグ マ に 陥 っ て し ま う。 そ れ ゆ え、 宗 教 の直 観 智 も、 理 性 の 光 に 照 ら
さ れ て 初 め て 現 実 に生 きた もの に な る と して 、 理性 的 直 観 を提 唱 した 。 そ し
て、 直 観 を 中 心 とす る宗 教 と理 性 を 中 心 とす る科学 の 、 そ れ ぞ れ の 独 自性 を
認 め た上で、 「
科 学 の 基 盤 に 宗 教 が お か れ 、 宗 教 も また 科 学 性 を 内 包 す る、
そ して 科 学 と宗 教 が と も に相 ま っ て 高 揚 され て い く、 そ れ が 人 類 の 眼 を 一 段
科 学 と宗教(樋 口)77
(53)
と開 くこ とに な る」 と主 張 す る。 そ れ は、 宗 教 と科 学 は 、 と くに人 類 の 歴 史
の 現 段 階 に お い て 、 人 間 の 生 活 に必 要 不 可 欠 で あ り、 宗 教 と宗 教 の もつ 直 観
が 人 類 全 体 に価 値 を もた ら す と考 え るか らで あ る。 そ れ を、 トイ ン ビー の言
葉 で 言 え ば 、 宗 教 は宇 宙 の 本 質 や 人 生 の意 味 な どの検 証 不 可 能 な根 本 的 疑 問
に答 え る が 、 人 間 は 常 に そ の 根 本 的 な 疑 問 の 解 答 を 求 め る か らだ とい う こ と
に な る。 す る と、 こ こか ら言 え る こ とは 、 囑 契 は 宗 教 を科 学 と違 背 す る とみ
るが 、 池 田 は 科 学 と違 背 しな い宗 教 、 少 な く と も理 性 に照 ら され た 直 観 智 を
もっ 宗 教 、 科 学 性 を 内 包 す る宗 教 を提 唱 して い る こ とが 分 か る。 もち ろ ん 、
直 観 智 の 全 て を論 証 や 検 証 す る こ とは不 可 能 で あ るが 、 池 田 が 言 う よ うに 、
科 学 と違 背 しな い 、 「人 類 全 体 に 価 値 を も た らす 」 と い う基 準 を 満 た す 宗 教
で あ れ ば 、L...契が 批 判 す る宗 教 観 とは 異 な っ て い る こ とは 明 らか で あ る 。
で は こ こで 、 生 命 と幸 福 の 問題 を取 り上 げ 、①
「
人 類 全 体 に価 値 を もた ら
す 」、 ② 科 学 と違 背 しな い 、 とい う二 つ の 視 点 か ら少 々 考 え て み た い 。 まず 、
①の 「
人 類 全 体 に価 値 を も た らす 」 と は、 人 類 全 体 に 対 す る有 益 性 を意 味 す
る こ とは言 う まで もな い 。 ま た 、 人 類 全 体 の 利 益 とは 、 功 利 原 則 か ら言 え ば
全 体 の幸 福 を 指 す。 こ こで は 、 「生 命 」 の 観 点 か ら検 討 して い く こ とに した
い 。 まず 、価 値 の概 念 につ い て 、G契
も牧 口 も、 価 値 は人 間 の 幸 福 に 対 す る
有 用 性 で あ る点 は承 認 す る 。 つ ま り、 対 象 と主 体 の 関 係 性 の 中 に あ っ て 、 価
値 を創 造 す るの は主 体 の側 の 努 力 にか か っ て い る。 凋 契 は真 善 美 の価 値 の全
面 的 な創 造 を主 張 し、 牧 口 は利 善 美 の 価 値 創 造 を提 唱 した。 そ れ ゆ え 、 主 体
の 変 革 に よ っ て価 値 も変 化 す る わ けで あ るか ら、 人 間 の幸 福 とい う価 値 を 実
現 す るた め に は 、 主 体 の変 革 が 重 要 に な って くるわ け で あ る。 問 題 は 、 この
主 体 の 捉 え方 に あ る。Z契
は人 間 存 在 を 前 提 に して 、 人 間 の 理 性 と非 理 性 の
精 神 的 統 一 を説 き、 この精 神 性 の 向上 に よ る価 値 実 現 を 目指 した。 っ ま り、
漏 契 は、 人 間 の 一 切 の物 質 生 産 や 精 神 活 動 は 、 人 間 の本 質 的 な力 を 発 揮 す る
た め で あ り、 そ れ は 自 由 と真 善 美 の理 想 的 境 涯 を求 め る とい う 目標 の 実 践 過
78
程 で 実 現 さ れ る と考 え た 。 そ れ ゆ え、f,,.,契
の 考 え る主 体 で あ る 「我 」 は 、 物
質 的 で も あ り精 神 的 な もの で もあ るが 、 価 値 領 域 で は 精 神 的 な もの と して 捉
く
え た の で あ る。
一 方 、 池 田 や 牧 口 は 、 主 体 を仏 法 で い う生 命 と捉 え 、 こ の 空 仮 中 を具 備 し
た 生 命 全 体 の 変 革 に よ っ て 、 十 界 の 生 命 境 涯 を 変 革 し主 体 の 幸 福 実 現 を 目指
した 。 そ れ ゆ え 、 池 田 の 生 命 の捉 え方 に よれ ば 、 そ の幸 福 感 は 対 象 に影 響 は
受 け るが 、 生 命 的 境 涯 が 向 上 す る こ とに よ っ て 、 対 象 に 左 右 され るの で は な
く、 対 象 を一 つ の 契 機 と して 捉 え 、 対 象 の 影 響 を乗 り越 え て 自己 を確 立 す る
こ とが で き る と説 い た。 自己 を確 立 す る こ とに よっ て 、 対 象 の 改 変 を 目指 す
こ とは 当 然 で あ るが 、 重 要 な 点 は十 界 互 具 の 理 論 で も示 され る よ うに 、 対 象
の 変 革 を 目指 す行 為 の 過 程 で 自 己 が確 立 さ れ る とい う点 で あ る。 こ の よ う に
見 る と、 池 田 が 言 う主 体 と して の 生 命 は、 存 在 論 と価 値 論 を 区別 して 説 く必
要 が な く、 人 間 存 在 自体 に価 値 が あ る とい う論 理 が 導 か れ る。 また 、 人 間 の
異 化 の 問 題 も、 外 的 な 条 件 で あ る縁 に 左 右 さ れ る の で は な く、 人 間 の 主 体
性 、 能 動 性 に よ っ て 外 的 条 件 を 克 服 し、 幸 福 が 実 現 で き る と い う こ とに な
る。 それ ゆ え 、 価 値 と事 実 の 問題 も、 「全 て の 人 間 は幸 福 を 求 め る存 在 で あ
る」 とい う究 極 的 な 前 提 の も とで 、 「
幸 福 に な りた い と思 う な ら ば 、 価 値 を
実 現 せ よ 」 と い う仮 言 命 題 が 成 立 可 能 に な る の で は な い だ ろ うか 。 な ぜ な
ら、 人 間 生 命 に は 十 界 が 互 具 して い る ゆ え に 、 対 象 に 左 右 され ず に生 命 の 変
革 に よ っ て 幸 福 を実 現 で き る と説 くか らで あ る。
更 に、 社 会 の 角 度 か ら見 る と、 主 体 を社 会 生 命 と捉 え た場 合 、 価 値(倫
理
的 価 値)は 社 会 生 命 と対 象 との 関 係 力 に な る 。 この 場 合 、 社 会 生 命 を三 諦 論
で 考 え る と、 「
仮 」 が 社 会 集 団 で あ り、 「
空 」 が 社 会 の傾 向性 あ る い は社 会 主
観 、 「中」 が 社 会 生 命 自 身 とい う こ と に な ろ う か。 しか し、 社 会 主 観 と言 っ
て も 、 それ を形 成 す るの は個 人 の 集 積 で あ る か ら、 社 会 主 観 を 変 革 し、 社 会
集 団 の 状 況 に変 化 を もた らす の は個 人 生 命 の 変 革 に か か っ て い る。 そ れ ゆ
科学 と宗教(樋 口)79
え、 社 会 の 変 革 と言 っ て も、 究 極 の 問 題 は 人 間 に 帰 着 す る こ と に な る。 ま
た 、 宇 宙 生 命 に っ い て 見 れ ば 、 個 人 生 命 は 宇 宙 生 命 の 顕 現 で あ る と説 く。 し
か し、 宇 宙 生命 あ る い は 「法 」 に は 意 志 は な い 。 池 田 は 、 宇 宙 生 命 に も十 界
が あ る と説 くが 、 そ れ は宇 宙 の 働 き、 作 用 の こ とを 指 して い る。 つ ま り、 条
件 さ え 整 え ば 、 生 命 を誕 生 させ よ う とす る働 きで あ り、 宇 宙 の 運 行 や 人 間 の
身 体 の 調 和 を も た ら す 働 き な どの 自 然 の働 きで あ る。 そ れ が 宇 宙 生 命 で あ
り、 「
法 」 で あ る と言 う。 そ れ ゆ え 、 個 と普 遍 の 関 係 で は 、個 で あ る個 人 生
命 の 主 体 的 働 き(意 志)が
重 要 に な る。 しか し、 人 間 生 命 に は業 エ ネ ル ギ ー
が 具 備 して 匝 る と説 くゆ え に 、 唯 意 志 論 の よ う に人 間 の 意 志 の 完 全 な 自 由 を
説 くわ け で は な い 。 ま た 、 神 の よ う な絶 対 者 を説 くわ け で も な く、 「
法」 の
下 の 自律 に よ る 自 由 意 志 、 す なわ ち 自己 変 革 を 重 視 す る。 そ こ に は 、 自覚 原
(55)
則 と共 に 自願 原 則 も含 ま れ て い る。 この よ うに 見 る と、 人 間 生 命 の 一 念 の 変
革 に よ っ て 、 個 と して の主 体 の み で な く、 社 会 や 宇 宙 を も視 野 に 入 れ た変 革
を 目指 す こ とが 可 能 に な る。 これ は 、 唯 心 論 で も唯 物 論 で もな い 、 双 方 の 統
合 を 目 指 す 理 論 と言 え る の で は な い だ ろ うか 。
で は 、 こ れ ら の理 論 が 、 ② の 科 学 と違 背 しな い とい う条 件 を ク リア で き る
で あ ろ うか 。 つ ま り、 仏 教 で 説 く生 命 の 問 題 は 科 学 で証 明 す る こ とは 不 可 能
で あ る が 、 少 な く と も非 科 学 的 で あ っ て は な らな い。 な ぜ な ら、 先 に も見 た
よ う に 、 検 証 の 必 要 の な い非 科 学 的 な もの で あ れ ば ドグ マ に 陥 り、 独 断 論 と
して 人 間 に害 を も た ら さ な い とい う保 障 が 担 保 で き な くな るか らで あ る。 池
田 は仏 教 理 論 と現 代 科 学 の接 点 を求 め て 、 様 々 な 識 者 との 対 談 を行 っ て き た
が 、 そ の 中 の数 例 を紹 介 した い 。
一 点 目 は、 天 文 学 との 対 話 で あ る。 現 在 、 天 文 学 で は 宇 宙 の 誕 生 に つ い て
は ビ ッ クバ ン説 が 有 力 で あ るが 、 イ ギ リス の 天 文 学 者 で あ る ウ ィ ック ラマ シ
ンゲ に よれ ば、 宇 宙 に は始 め も終 わ り もな い とす る 「
定 常 宇 宙 論 」 を提 唱 し
て い る。 そ して 、 宇 宙 に は生 命 を 誕 生 させ よ う とす る傾 向 が あ る と説 き、 銀
80
河 系 だ け を見 て も太 陽 の よ うな恒 星 が50億 個 以 上 存 在 す る の で 、 そ の 中 で 地
球 の よ うな条 件 が 整 え ば生 命 は存 在 す る こ とが で き る。 そ れ ゆ え、 人 間 の よ
(56)
うな 知 的 生 物 は必 ず 存 在 す る と言 う。 この 定 常 宇 宙 論 の 見 解 は 、 仏 教 の 「
成
住 壊 空 」 の 宇 宙 論 、 す な わ ち 宇 宙 の 生 成 期(成)、
(壊)、 非 存 在 期(空)の
安 定 期(住)、
崩壊 期
四 段 階 の サ イ ク ル を 繰 り返 す 宇 宙 観 と合 致 し て い
る。 因 み に 、 こ の 宇 宙 の 定 常 性 につ い て は 、 ウ ィ ッ ク ラ マ シ ンゲ の 師 匠 で あ
るオ ック ス フ ォ ー ド大 学 の ホ イ ル や 、 モ ス ク ワ大 学 前 総 長 で 物 理 学 者 で あ る
ロ グ ノ フ も同 様 の 見 解 を 持 っ て い る。 また 、 天 文 学 で は、 地 球 は50億 年 後 に
は 太 陽 の膨 張 に よっ て 滅 亡 す る と言 うが 、 そ うで あ る な らば 、 地 球 の み で 考
え た 場 合 、 仏 教 で 説 く永 遠 の生 命 の論 理 は成 り立 た な くな る。 しか し、 地 球
外 の 知 的 生 物 の存 在 が 想 定 さ れ る の で あ れ ば、 そ の論 理 の 整 合 性 は 保 た れ る
と言 え よ う。
二 点 目 は、 心(精
神)と
身 体 の 関係 で あ る。20世 紀 に 入 り、 脳 科 学 の 発 達
に よ っ て 、 心 も脳 作 用 の メ カ ニ ズ ム に 還 元 で き るの で は な い か とい う唯 物 論
的 還 元 論 が 主 流 に な っ た 。 と こ ろ が 、 心 身 医 学 や深 層 心 理 学 な ど で は心 の 存
在 を重 要 視 して 、 心 と脳 との相 互 作 用 、 す な わ ち脳 か ら心 へ の 作 用 だ け で な
く、 心 か ら脳 へ の 影 響 性 も実 証 さ れ る よ うに な った と言 う。 そ して 、 神 経 生
理 学 や 脳 医 学 な どの 分 野 の 学 者 に よっ て 、 心 は 脳 の働 き に 還 元 で き る とす る
物 質 的一 元 論 か ら、 人 間 は 二 つ の基 本 的 な要 素 、 す な わ ち 脳 と心 か ら成 る と
す る説 に 真 実 性 が な い とは言 え な い 、 と主 張 され る よ う に な る。 っ ま り、 人
(57)
間 生 命 は 脳 と心 か ら成 立 して い る とす る考 え 方 に傾 い て い っ た と言 う。 換 言
す れ ば 、 心 が 脳 の 物 質 的 構造 とは別 個 の 実 在 として 顕 現 す る も の で あ る こ と
を示 唆 し て い る と解 釈 で き る。 そ の 意 味 で 、 この観 点 は 仏 教 で 言 う三 諦 論 と
矛 盾 す る もの で は な く、 む しろ 三 諦 論 の 考 え 方 に 近 づ い て い る と さ え 思 え
る。
三 点 目 は、 ア イ ン シ ュ タ イ ン等 に 見 られ る 「
場の理論 」で ある。 それ に よ
科学 と宗教(樋 口)81
れ ば 、 物 体 の存 在 しな い 空 間 に も、 新 し い物 質 を誕 生 させ た りす る働 き と性
質 が存 在 す る。 質 量 とエ ネ ル ギ ー は等 し く、 互 い に 変 換 さ れ るが 、 そ の エ ネ
ル ギ ー が 多 量 に 集 中 して い る場 所 が 物 体 で あ り、 エ ネ ル ギ ー の 集 中が 少 な い
と こ ろ が 場 とな る。 ゆ え に 、 物 質 と 「
場 の 空 間 」 は ま っ た く異 質 で は な く、
同 じ ものが 別 の形 態 を とっ て顕 現 した もの にす ぎな い。 この 「
場 の空 間」
は 、 た ん な る広 が りを もつ だ け の 空 虚 で は な く、 そ れ 自体 の性 質 が 、 そ の 中
に 存 在 す る物 体 に影 響 を 与 え た り、 あ る条 件 が整 え ば 、 物 質 を 生 み 出 す 可 能
(58)
性 を も含 ん で い る、 と言 う。 そ うで あ れ ば 、 仏 教 で 説 く 「
空 」 の概 念 と極 め
て 近 似 した 考 え 方 で あ る。
四 点 目 は、 量 子 力 学 に お け る 「不 確 定 性 原 理 」 で あ る。 ミク ロ の 世 界 で
は 、 物 理 的 に い う と、 観 測 者 は電 子 の 位 置 と運 動 の 様 子 を同 時 に知 る こ とは
で き な い とされ て い る。 そ れ は、 観 測 者 が 、 電 子 の 位 置 を 測 ろ う と して 光 子
(光 の 粒)を
ぶ つ け る と、 電 子 は 光 子 に は じ き 飛 ば され 、 前 とは別 の 運 動 状
態 に な る こ とで あ り、 電 子 その もの に ま っ た く影 響 を与 え ず 、 観 測 す る こ と
は 不 可 能 で あ る こ と を意 味 して い る。 そ れ ゆ え、 量 子 力 学 で は、 そ の 実 体 が
何 で あ るか は問 題 に せ ず 、 そ れ に代 わ っ て 「
状 態 」 の 概 念 が 持 ち込 ま れ た 。
つ ま り、 実 際 の現 象 とは直 接 的 に関 係 の な い 「
抽 象 的 な 状 態 」 とい う概 念 を
導 入 す る こ とに よっ て 、 ミ ク ロの 世 界 の 因果 律 が 正 確 に表 現 で き る と言 う。
池 田 は、 これ らの量 子 力 学 の 観 点 は 、 ミク ロ の 世 界 に お け る実 在 性 へ の 疑 問
で あ り、 素 朴 な客 観 的 実 在 観 へ の反 省 を 促 す と し、 仏 教 の 三 諦 論 の 「三 観 」
に 見 る認 識 方 法 との 類 似 性 を 指 摘 して い る。 それ に よれ ば、 観 測 の 方 法 に 応
じて 出現 す る現 象 は 「
仮 観 」、 抽 象 的 な状 態 は 「空 観 」、 そ して 現 象 とそ の 状
態 の 双 方 を 統 合 し、 物 事 の本 質 に迫 る探 求 の 姿 勢 を 「
中 観 」 と し、 こ の 「
三
観 」 「三 諦 」 は 、 存 在 と認 識 の一 体 性 を 的 確 に 捉 え 、 宇 宙 万 法 の 当 体 を把 握
(59)
す る哲 学 だ と主 張 して い る 。
以 上 は 自然 科 学 との 対 話 の 一 例 で あ るが 、 池 田 は 自然 科 学 か ら社 会 科 学 、
82
人 文 科 学 に 至 る ま で 、 様 々 な 学 問 と の 対 話 を 推 進 して い る。 し か も、 そ れ
は、 様 々 な学 問 の 成 果 を 吸 収 しな が ら、 池 田 が 信 奉 す る 日蓮 仏 法 の 現 代 的 な
解 釈 を展 開 して い る。 そ して 、 その 多 くが 現 代 科 学 の成 果 と一 致 あ る い は 近
似 、 さ も な くば 科 学 発 展 の 方 向性 を示 唆 す る も の に な っ て い る。 もち ろ ん 、
生 命 の あ り方 に つ い て 言 え ば、 科 学 的 に検 証 され 、 証 明 さ れ た わ け で は な
い 。 しか し、 そ れ は科 学 自体 も まだ 模 索 段 階 に あ り、 現 代 科 学 で も解 明 さて
て い な い 問 題 で あ る。 そ れ ゆ え 、 池 田 が 言 う生 命 の 概 念 は、 現 段 階 で は科 学
に よ る直 接 的 な 証 明 に は な らな い が 、 少 な く とも傍 証 に は な っ て い る。 そ の
意 味 で 、 先 に挙 げ た 「科 学 と違 背 しな い 」 と い う条 件 は ク リア して い る。
しか し、 直 観 に よ る宗 教 上 の 「
仮説 」 は、科学的 な理性で全 て検 証す る こ
とは 不 可 能 で あ る。 そ れ は、 人 間 の 知 的 能 力 に 限界 が あ り、 そ の 範 囲 を超 え
た 宇 宙 の 究 極 に あ る もの や 、 人 間 の 生 命 の本 質 に関 す る定 義 は 、 す べ て 「
仮
説 」 に な ら ざ る を得 な い か らで あ る。 池 田 は この 点 に 関 し て 、 「
科学上のぞ
(60)
れ と宗 教 上 の それ とは 、 区 別 して 考 え な け れ ば な ら な い 」 と言 い、 科 学 上 の
「仮 説 」 は 理 論 的 ・
実 験 的 に そ の 真 偽 が 確 認 され な け れ ば な らな い が 、 宗 教 上
の 「
仮 説 」 は 人 生 の納 得 で き な い現 象 を ど う説 明 し、 また そ れ に基 づ く判 断
や 行 動 に 有 効 性 を 持 つ か に よ っ て 評 価 さ れ る べ き で あ る と主 張 す る。 っ ま
り、 科 学 は真 偽 を 問 わ れ 、 宗 教 は人 間 的 資 質 の 向上 の た め に 役 立 っ か 否 か の
価 値 が 問 わ れ な け れ ば な らな い とい う こ とで あ る。 牧 口の 価 値 論 は 、 池 田 の
こ う した 考 え を 先 取 り した も の で あ っ た。 つ ま り、 牧 口 は 、 後 期 価 値 論 に
至 っ て 価 値 科 学 を提 唱 した が 、 それ に よ れ ば、 宗 教 の 本 質 の 把 握 は 信 行 の 体
験 とその 評 価 に よ っ て の み 検 証 が 可 能 と した の で あ る。 なぜ な ら、 価 値 は 主
観 と対 象 との 関 係 に 関 す る真 理 で あ り、 体 験 の結 果 に 属 す る もの だ か らで あ
る。 つ ま り、 宗 教 で説 く生 命 の 因 果 の 法 則 の 検 証 は 、 自然 科 学 的 な 検 証 で は
な く、 自 らの 体 験 に よ る実 感 と、 体 験 事 例 の 集 積 の分 析 に よ って の み 検 証 可
能 で あ る と して い る。 こ の体 験 とは 主 に信 仰 の功 徳 を 言 うが 、 牧 口 は幸 福 と
科学 と宗教(樋 口)83
共 に人 格 価 値 の 向 上 を価 値 創 造 の 目 的 に す る わ け で あ るか ら、 池 田 が 言 う人
間 的 資 質 の 向 上 と同 趣 旨で あ る と考 え られ る の で あ る。
五
おわ りに
以上 、 凋 契 、 牧 口 、 池 田 の 見 解 を 基 に、 宗 教 と科 学 の 関 係 を 中心 に 仏 教 と
マ ル クス 主 義 の 対 話 の 可 能 性 を検 討 して き た 。{,,,契は 、 哲 学 の 任 務 は 「
転識
成 智 」 す な わ ち 性 と天 道 の 相 互 作 用 を把 握 し、 宇 宙 と人 生 の 根 本 原 理 を認 識
す る こ と で あ り、 そ れ に は 「
名 言 の 域 」(知 識)か
ら 「
超 名 言 の 域 」(智 恵)
へ の 飛 躍 が必 要 で あ る と考 え た。 つ ま り、智 慧 の 獲 得 に は 、 人 間 の本 質 的 な
力 で あ る徳 性 を 自 ら得 る こ と、 理 論 思 惟 の領 域 の 中 で 無 限性 や 絶 対 性 を会 得
する 「
理 性 の 直 覚 」 に よ る認 識 が 必 要 で あ る と主 張 した 。 そ れ ゆ え、 宗 教 に
対 して 批 判 す る だ けで は な く、 「
転 識 成 智 」 との 共 通 項 で あ る宗 教 の 想 像 性 、
文 明 の 原 動 力 、 有 限 性 の 中 で無 限 性 を 顕 現 す る こ と、 意 識 主 体 の 能 動 性 な ど
の 点 は評 価 に値 す る と した の で あ る。 しか し、 宗 教 は、 ① 人 格 の 向 上 、② 社
会 改 革 、 ③ 科 学 的 な検 証 が で き な い故 に 、 唯 心 論 で あ る と批 判 す る。
一 方 、 牧 口 は 、 ① 科 学 ・哲 学 と矛 盾 せ ず 調 和 で き る こ と、 ② 生 活 上 に 現 象
が 現 れ る こ と、 ③ 現 象 が 経 文 の 説 く教 理 と一 致 す る宗 教 を 探 求 し た。 そ し
て 、 宗 教 の本 質 の 科 学 的 把 握 を 目 指 し、 信 行 の体 験 とそ の 評 価 とい う 「
価値
科 学 」 を提 唱 した 。 更 に、 池 田 は 、 理 性 を 中心 とす る 科 学 は 、 対 象 の 中 か ら
一 定 普 遍 の 法 則 を見 出 し、 普 遍 化 、 抽 象 化 、 定 量 化 を 行 うが 、 対 象 に 備 わ る
独 自性 、 た と え ば定 量 化 や 普 遍 化 で き な い面 を捨 象 して し ま う ゆ え に 、 人 間
を 対 象 とす る場 合 、 精 神 の 独 自 の 働 き、 感 情 、 意 識 とい っ た 微 妙 な 性 質 が 排
除 され て し ま い 、 それ が 人 間 性 の 喪 失 に つ な が る と見 た 。 そ れ ゆ え 、 科 学 自
体 は善 で も悪 で もな い が 、 そ れ を使 用 す る段 階 で 善悪 が 現 れ る の で 、 人 間 性
や 主 体 性 の確 立 こ そ 重 要 で あ り、 そ の 役 割 が 宗 教 の 担 う任 務 で あ る と考 え
84
(61)_(62)
た。 それ が 、 「科 学 の 基 盤 に 宗 教 を お く」 とい う池 田 の 主 旨 で あ っ た 。
しか し、 宗 教 が 、 凋 契 の 言 うよ うな 非 科 学 的 な独 断 論 で あ れ ば 、 人 間 の 幸
福 や 全 体 の幸 福 に 反 す る存 在 に な る可 能 性 が あ る こ と も確 か で あ る。 それ ゆ
え、 人 間 的 資 質 の 向 上 に役 立 ち 、 全 体 の 幸 福 に貢 献 す る可 能 性 を 有 す る 宗
教 、 科 学 に違 背 しな い 宗 教 が 求 め られ る。f,..契は そ の 存 在 を 否 定 し、 牧 口 や
池 田 は そ う した 条 件 を備 え た 宗 教 の存 在 を主 張 した 。 本 稿 は 、 両 者 の 対 話 の
可 能 性 を 探 るの が 目的 の一 つ で あ っ た が 、 以 上 の 論 考 か ら、 マ ル ク ス 主 義 の
観 点 で あ っ て も、 科 学 と宗 教 は対 立 で は な く補 完 関 係 と して 人 類 に貢 献 で き
る との見 解 を導 く こ とが で きた の で は な いだ ろ うか 。 少 な く と も、 宗 教 と科
学 の 関係 につ い て の 対 話 の可 能 性 は十 分 に あ り得 る と言 え る よ うに 思 う。 科
学 を標 榜 す る 唯 物 弁 証 法 と宗 教 と して の 大 乗 仏 教 との 対 話 は 、 今 後 ま す ます
必 要 に な って くる の で は な い だ ろ うか 。
注
(1)「 相 対 主 義 と絶 対 主 義 の 相 克 」(『創 大 中 国 論 集 』 第8号
所 収 、2005)、
「
牧 口
価 値 論 と凋 契 哲 学 に 見 る 弁 証 法 的 展 開 」(『創 大 中 国 論 集 』 第ll号 所 収 、
2008)、 「
創 価 教 育 学 に 見 る教 育 目的 論 一f契
国 論 集 』 第12号 所 収 、2009)、
と の 比 較 を 通 して 」(『創 大 中
「
創 価 教 育 学 に 見 る 人 間 の 価 値 一L.,契
較 を 通 し て 」(『創 大 中 国 論 集 』 第13号 、2010)、
「池 田 思 想 に 見 る 生 命 観 の
特 色 一 漏 契 との 比 較 を 通 し て 」(『創 大 中 国 論 集 』 第14号 、2011)な
(2)鈴
木 亨著
(3)L..契
『宗 教 と社 会 主 義 』(第 三 文 明 社 、1978)p.27.参
契著
照。
『濯 輯 思 惟 的 弁 証 法 』(『凋 契 文 集 』 第 二 巻 、 華 東 師 範 大 学 出 版 社 、
1996)pp.357-358.
(5)『
ど。
照。
著 『人 的 自 由 和 真 善 美 』(『凋 契 文 集 』 第 三 巻 、 華 東 師 範 大 学 出 版 社 、
1996)pp.139-150.参
(4)凋
との 比
薦 契 文 集 』 第 三 巻pp.46-48.
(6)同
上pp.133-134.参
照。
(7)同
上pp.140-142.参
照。
(8)同
上pp.144-145.参
照。
科学 と宗 教(樋 口)85
(9)同
上pp.146-148.参
(10)『
照。
凋 契 文 集 』 第 二 巻pp.303-304.参
(ll)マ
ル ク ス/エ
ン ゲル ス著
照 。
『ド イ ツ ・イ デ オ ロ ギ ー 』(廣
松 渉 編 訳 、岩 波 文
庫 、2002)p.237.
(12)同
上p.239.
(13)漏
契著
『認 識 世 界 和 認 識 自 己 』(『 漏 契 文 集 』 第 一 巻 、 華 東 師 範 大 学 出 版 社 、
1996)pp.411-413.参
(14)同
照。
上pp.414-416.参
照 。
(15)『
凋 契 文 集 』 第 三 巻pp.144-155.参
照 。
(16)『
凋 契 文 集 』 第 一 巻pp.346-353.参
照 。
(17)同
上pp418-420.参
照 。
(18)同
上pp.420-423.参
照。
(19)同
上pp.423-425.参
照。
(20)拙
稿
「創 価 教 育 学 に 見 る 教 育 目 的 論 一L,.契
と の 比 較 を 通 し て 」(前
掲 論 文)
参照 。
(21)牧
口常 三 郎著
『創 価 教 育 学 体 系II』(第
三 編
「
価 値 論 」、 聖 教 新 聞 社 、1972)
pp.186-187.
(22)同
上p.187.
(23)牧
口常 三 郎 著
『人 生 地 理 学1』(聖
(24)『
牧 口 常 三 郎 全 集 』 第 八 巻(第
(25)『
創 価 教 育 学 体 系II』(前
(26)『
牧 口 常 三 郎 全 集 』 第 八 巻(前
(27)松
岡 幹 夫 著
223-225.参
教 新 聞 社 、1971)p.57.
三 文 明 社 、1984)pp.405-406.
掲 書)p.189.
掲 書)pp.513-518.参
『日 蓮 仏 教 の 社 会 思 想 的 展 開 』(東
照。
京 大 学 出 版 会 、2005)pp.
照 。
(28)「
創 価 教 育 学 体 系 梗 概 」(『 牧 口 常 三 郎 全 集 』 第 八 巻 所 収)pp410-411.
(29)『
牧 口 常 三 郎 全 集 』 第 八 巻(同
(30)宮
田 幸 一 著
pp.64-66.参
(31)『
上)pp467-468.参
『牧 口 常 三 郎 は カ ン
照 。
ト を 超 え た か 』(第
照。
牧 口 常 三 郎 全 集 』 第 十 巻(第
(32)同
上p.14.
(33)同
上p.20.
(34)同
上pp.28-39.参
(35)同
上p.44.
照。
三 文 明 社 、1987)p.5.
三 文 明 社 、1997)
86
(36)同
上p.45.
(37)牧
口 常 三 郎 著 『創 価 教 育 学 体 系1』(聖
(38)「 科 学 と宗 教 との 関 係 を論 ず(下)」(『
教 新 聞社 、1972)p.70.
(39)同
上pp.82-83,
(40)同
上p.88.
(41)前
掲 書p.138.参 照 。
(42)同
上pp.138-153.参
牧 口 常 三 郎 全 集 』 第 九 巻 所 収)p.82.
照。
(43)「 創 価 教 育 法 の 科 学 的 超 宗 教 的 実 験 証 明 」(『牧 口 常 三 郎 全 集 』 第 八 巻 所 収)
p.61.
(44)後
藤隆一著
「
牧 口価 値 論 と 法 華 経 」(『東 洋 学 術 研 究 』 第25巻 第2号
所収、
東 洋 哲 学 研 究 所 、1980)
(45)同
上p.ll6.
(46)『 凋 契 文 集 』 第 一 巻pp.180-183.参
照。
(47)同
上pp.257-263.参
(48)池
田 大 作 、 ア ー ノ ル ド ・ トイ ン ビ ー 著 『二 十 一 世 紀 へ の 対 話(上)』(聖
照。
教
ワ イ ド文 庫 、 聖 教 新 聞 社 、2002)p.58.
(49)同
上pp.59-61.参
(50)同
上p.61.
照。
(51)『 凋 契 文 集 』 第 一 巻pp.420-425.参
(52)同
照。
上p.423.
(53)『 二 十 一 世 紀 へ の 対 話(上)』(前
(54)拙
稿
掲 書)p.67.
「
創価 教育 学 に見 る人間 の価 値 一
凋 契 との 比 較 を通 して 」(前 掲 論 文)
参 照。
(55)拙
稿
「
池 田 思 想 に見 る 生 命 観 の 特 色 一
凋 契 との 比 較 を通 して 」(前 掲 論 文)
参 照。
(56)池
田 大 作 、 チ ャ ン ド ラ ・ウ ィ ッ ク ラ マ シ ン ケ著
る 』(毎 日新 聞 社 、1992)参
照。
(57)『 二 十 一 世 紀 へ の 対 話(上)』(前
(58)『 二 十 一 世 紀 へ の 対 話(下)』(聖
59-66.そ の 他 、 池 田 大 作 著
pp.346-358.池
『宇 宙 と人 間 の ロ マ ン を 語
掲 書)pp.41-45.参
照。
教 ワ イ ド 文 庫 、 聖 教 新 聞 社 、2003)pp.
『
法 華 経 の 智 慧 』 第 四 巻(聖
教 新 聞 社 、1998)
田 大 作 、 ル ネ ・ユ イ グ 著 『闇 は 暁 を 求 め て 』(講 談 社 、1981)
参照 。
(59)ア
ナ トー リ ・A.ロ グ ノ フ 、 池 田 大 作 著 『科 学 と 宗 教 』(潮 出 版 社 、1994)参
科学 と宗教(樋 口)87
照。
(60)『
二 十 一 世 紀 へ の 対 話(下)』(前
掲 書)p.24.
(61)『
二 十 一 世 紀 へ の 対 話(上)』(前
掲 書)pp.187-195.参
(62)同
上p.67.
照 。
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