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世俗化と宗教

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世俗化と宗教
世俗化 と宗教227
世俗化 と宗教
「
第19回 国際宗教社会学会」 報告
中
昨1987年8月25日
にて
「第19回
丸 徳 善(東
智 大 学),薗
村 泰 次(東
ドイ ツ の古 い 大 学 町 チ ュ ー ビ ンゲ ン
国 際 宗 教 社 会 学 会 」(XIXthCISR)が
日本 か ら は,田
伸(上
か ら29日 に か け て,西
京 大 学)阿
田 稔(国
洋 哲 学 研 究 所),中
野 毅(創
開催 され た。 この会 議 に
部 美 哉(放
学 院 大 学),ヤ
毅
野
送 教 育 開 発 セ ン タ ー),安
ン ・ス ィ ンゲ ドー(南
価 大 学)他
斎
山 大 学),桐
計11名 が 参 加 し た 。 以 下,
今 回 の 総 合 テ ーマ と各 セ ッシ ョ ンで の論 議 の 大 綱,西
ドイ ツ の 宗 教 事 情 等 に つ
いて報告 す る。
【総合 テ ーマ をめ ぐって 】
今 回 の総合 テ ーマ は,「 世 俗 性 と宗教 一 持 続 す る緊張一 」 とい う もの で あ り,
要約 す る と次 の よ うに い える。社 会 や文 化 と宗 教 の関係,ま
た それ らの変化 を
研 究 して い る宗教社 会 学 の分 野 で は,第 一 次 大戦 の終 わ った頃 か ら,宗 教 が 以
前 か ら持 って い た意 義 の多 くを事 実上 失 って しま ってい る こ とに気 が付 き始 め
た。 その後 の研 究 の結 果,社 会 の近代 化,合
理 化 と共 に,「 宗教 的 な信 念,慣
習 及 び制 度が 社 会 的意義,重 要 性 を失 って きた」 と考 え られ る ように な った の
で あ る。 これ がい わ ゆ る 「世俗 化 」 と呼 ばれ る現 象 で あ る。言 い換 えれ ば,特
に欧 米諸 国で は,そ の主要 な制 度領域 一 経 済,政 治,防 衛,法 律,身 分 制 度,
知識 と教 育,医 療 等一 が,広 範 囲 にわた って宗教 とは無 関係 な世 俗 的合 理 的科
学 的原 理 に よって運営 ・発展 す る よ うに な り,宗 教 は もはやか つ て の よ うな社
会 制 度 の 中心 的位 置 を 占め な くな った と考 え られ る よ うにな っ た。必 然 的 に,
宗教 は衰 退 も し くは不 要 にな るだ ろ う とい う予 測 さえ もな され る にい た った の
228
で あ る。
この様 な捉 え方 は,1960年
代 まで は ,さ ほ ど疑 問 な く受 け入 れ られ て きたが,
昨今 多 くの疑 問 が提 起 され る よ うに な って きた。 その きっか け の一つ は戦後 の
日本 で発展 した創 価 学会 な どの大 規模 で社 会 的影響 力 の大 きい宗教 運動 の存 在
で あ り,さ らには1980年 代 に再 び顕 著 にな り出 した世界 的 な宗教 的関心 の高 ま
りであ り,様 々 な新 しい,か つ多 様 な宗 教 運動 の発生 であ った。 この様 な状 況
を宗教 社 会学 者 は 「
社 会 の世俗 化 」 の傾 向 と 「宗教 」 が 未 だ に引 き合 って い る
状況 と捉 らえ,現 代 の社 会 と文化 にお け る宗教 の役 割,並
び に宗 教 それ 自体 の
変化 を再 検 討 してみ よ うと してい るので あ る。 これが この会議 の テ ーマ の意 図
であ った。
この テ ーマ をめ ぐっての 問題 の所 在 をま とめ る と,次 の よ うに整 理 で きる。
(1)世俗 的 な意 味体系 は伝統 的宗教 に代 わ る こ とはで きず ,そ の結 果,現 代社 会
で は宗教 の危 機 と共 に 「世 俗性 の危機 」 も生起 してい るの で はな いか 。(2)伝統
的 な宗教 が異 な った形 態 で,新 た なテ ーマ と結 び付 いて復 活 してい な いか 。(3)
近代 社 会 の経 済 的,政 治的,社 会 的諸 制度 が 宗教 的意 味 を帯 びて きて お り,現
代 の世俗 的 シ ンボ リズ ムが宗 教 的形 態 を利 用 して い る とは言 えな いか。(4噺 宗
教 運 動 はそれ 自体 が現 代社 会 にお け る宗 教 の重 要 性 を証 明 して い るので は ない
か等 で あ った。
これ らの疑 問 を検 討 し,従 来 の世俗 化 論 を批 判 的 に検 討 しよ うとい うのが,
今 回 の テ ーマ で あ る。 この よ うな問題 設定 の も とに全体 討 議 の4セ
ッシ ョンが
設 け られ た。各 セ ッシ ョンのサ ブ ・テ ーマ と報告 者 は以 下 の通 りで あ る。
第1セ
ッシ ョ ン
世 俗 性 の 危 機?一
理 論 的側 面
T・ ル ック マ ン 「超 越 の 社 会 的 再 構 成 」
F・ イ ザ ム ベ ー ル 「倫 理 へ の 回 帰 一 ポ ス ト ・世 俗 化 の事 実?」
第2セ
ッシ ョ ン
宗 教 的 価 値 と世 俗 的 価 値 一 第1次
及 び 第2次
社 会化 の 問の 緊
張
P・ ク ー ザ ン 「フ ラ ンス ・カ ト リ ッ ク系 高 等 中 学 生 の 宗 派 的 ア イ デ ン テ
イテ イ」
世俗化 と宗教229
F・ ガ レ リ 「分 化 した社 会 にお ける青 年 と信仰 」
L・ ヴ ォワイエ 「青年 と宗教 的結婚一 聖 な る もの の解 放?一
」
S・ ヴ ル カ ン 「脱 ・世俗 化 の記 録一 社 会 主 義社 会 にお け る宗 教 変動 の3
シナ リオー 」
第3セ
ッシ ョン
社 会 の世俗 化 また は聖化 の道具 と して の社 会運 動
R・ ウ ォ リス 「新 宗教 と世界 の再 呪術 化 へ の力 」
M・ マ クガ イア「個 人 主義 と自己救済 一 カ リス マ運動 と擬似 宗教 運動一 」
M・ マ キ オ ッテ ィ 「カ トリ ック国 にお け る新 宗教 運 動 」
D・ ハ ー ビ ュー レガ ー 「社 会 運動 にお ける宗教 の働 き」
第4セ
ッシ ョン
世俗 化概 念 の 非西 洋社 会 へ の適 用 可能性
田丸 徳 善 「世俗 化概 念 と東洋 にお ける妥 当性 」
J・ ヴ ォル 「イス ラム社 会 にお け る世 俗 化 」
Y・ イザ ー ル 「ヒン ドゥー社 会一 世俗 化 は物 語 の一 部 」
B・ ウ ィル ソ ン 「非西 洋 世界 にお ける世俗 化:一 つ の応 答 」
第 一 セ ッシ ョンは,現 代社 会 の変 動 とそ れ に伴 って問 われ て い る宗 教社 会 学
的 問題 に理 論 的 に取 り組 む もので あ った。従 来,発 展 した社 会 におい て は世俗
的 な世 界観,世 俗 倫理,世 俗 的象徴 が伝 統 的宗教 に取 って代 わ る と考 え られ て
い たが,宗 教 が果 た して い た機 能 をそ れ らが必 ず し も代 替 して い る とは言 えな
い こ とが明 らか に な った。 とす る と,伝 統 的 には宗教 に よって充 足 され てい た
諸機 能 を保持 す る こ とな しに,社 会 は どの様 に存 続 し得 るの か,ま
たは如何 な
る社 会 的構造 物 が,如 何 な る方 法 で これ らの機 能 を代替 して い るの かが 問 われ
な けれ ば な らない 。 この よ うな問いへ の理論 的検 討 が この セ ッシ ョンの問題 で
あ った。
ル ックマ ンは彼 の現 象 学社 会 学 の基 本 テ ーゼ に沿 って,議 論 を展 開 した。 宗
教 の普 遍 的 な人 間学 的機 能 は 自然 的 有機体 と して の人 間 を人格 へ と形 成 し,歴
史 的社 会 的秩 序(社 会 的現 実)へ 社 会化 す る こ とで あ り,こ の社 会 的現 実 の核
とな る もの は社 会 的 に構 成 され た超 越 的現 実(transcendentreality>で
あ る。
この超 越 的現 実 は人 間の超 越 的経 験 の具体 的形 態 を決 定 す るが,同 時 に この社
会 的構 成 物 は,原 初 の人 間 の原型 的超越 的経 験 の再構成 体 で あ る とい う弁証 法
230
関係 を為 して再生 産 され て行 く。 この よ うな観 点 か ら,超 越 的経験 とそ のサ イ
ンや シ ンボル にお け る再構 成 ,儀 礼 の機 能 を論 じ,如 何 な る社 会 に あ って も超
越 の社 会 的構 成 は存在 す るこ とを示 した後,問 題 は現 代 の加 速 度 的 に進 行 して
い る社 会 的文化 的変動 にお いて如何 な る形態 でそ れ が表 出 して い るかで あ る と
考 察 した。
それ は 「古 い」宗教 の変 容 と 「新 しい」 宗教 の 出現 と して特 徴 づ け られ る 。
前者 は特 に新 興 国家 にお いて顕 著 で あ るが,政 治 と宗教 の相 互 影響 の増 大 ,さ
らに,人 間生活 の深 い次 元 に再 び関 わ りだ して い る とい う意 味 にお け る 「制 度
宗 教 の宗教 化 」 と要 約 で きる。他 方,宗 教 の 「私 化 」 は依 然 と して 欧米 を中毛、
に進 展 して お り,私 化 され ,制 度化 され ない意 味体 系 と しての 「見 え ない」 新
しい宗教 形 態 が,伝 統 宗教 に取 って代 わ って い る。 但 し,こ の 意味体 系 にお い
て は個 人 の主 観 的 意 図 に応 じた宗教 的主 題 の 恣 意 的組 合 せ(bricolage)が
増大
して お り,ま た超 越 の スパ ンが現 世志 向 にな って きて い る とい う意 味 にお い て
「超 越 の萎縮 」 「主観 主義 の膨 張 」 「ブ リコラ ー ジ ュの 増大 」 と して現代 は特徴
づ け られ る と指摘 した。
ル ックマ ンの この よ うな理 論 的展 開 に対 して ,フ ラ ンス の イザ ムベ ール は今
日 「世俗 化 」 が 最 も微 妙 な問 題 とな って い る領 域 と して 「倫 理 」,特 に 「現代
医学 の倫 理 」 の領 域 を取 り上 げ た。 そ の問 題提 起 の要 旨は次 の よ うな もの で あ
った 。倫 理 の世俗 化 は,特 に公 的権 力 がそ れ を管 理 しよう とす る ときに顕 著 に
な る。今 日,フ ラ ンス や アメ リカで は堕胎,避 妊 ,安 楽死,臓 器 移植 と人 体 実
験,そ
れ と関連 した 「死 」 の判定 な どの生 命倫 理 の問題 を巡 って ,政 府 が リ0
ダー シ ップ を と りなが ら世俗 道 徳 の基 準 を作 ろ う とい う論 議が 盛 ん で あ り
,そ
の委員 会 には神 学 者 も組 み 込 まれて い る。 しか し,フ ラ ンス に限 って言 え ば,
カ トリック教会 の努力 は,性 的 関係 と生殖 の秩 序 の問 題 に おい て倫 理 の世 俗化
を防止 す る な ど一 定 の成 果 を生 ん だが ,基 本 的 に は 「被 造物 と しての人 間の尊
厳性 」を訴 え る こ と ぐらい しか 出来ず,教 会 は倫 理 問題 に係 わ る こ とで全 くマ ー
ジナ ル な立 場 にた た され た。具体 的 な倫 理 問題 に対 す る公 式 の カ トリ ック教 会
の立場 の不 適合性 が,明
らか に な った とい え よ う。 しか し,生 と死 の境 界 に関
わ る 「どの段 階 か ら人 間 と言 え るか 」 「どの段 階 を死 と認 め るか 」等 の存 在 論
世俗化 と宗教231
的問題 につ いて は,フ
ラ ンス に おい て もア メ リカ におい て も神 学 者 の意 見 が尊
重 され て い る。 この こ とは多 元主 義 的社 会 にお い て は倫 理 問題 も,寛 容 の原則
か ら哲学 的宗教 的信 念 の尊重 とい う原則 が逆 に有 効 にな ってい る とい う こ とを
意 味 して い る。但 し,存 在論 的 関心 が宗教 的告 白の主 要 問題 で あ るか ど うか は
疑 問 で あ る,と い う もの で あ った。
第 ニ セ ッ シ ョ ン の 中 心 テ ー マ は,青
少 年 の 社 会 化 に お け る ア イ デ ンテ ィ テ
ィ ー形 成 に 関 す る 問 題 で あ っ た 。 こ れ まで は家 族 が 若 者 の 社 会 化 の 機 関 で あ っ
た が,今
日,そ
の 家 族 も崩 壊 しつ つ あ る。 そ の よ う な状 況 に あ っ て,若
値 観 及 び ア イ デ ン テ ィテ ィー は ど う変 化 し,何
彼 らの 宗 教 的 ア イ デ ンテ ィテ ィー は,果
な 機 関 で あ っ た 家 族,学
校,教
者 の価
に よ って 形 成 さ れ て い る の か ・
して 衰 退 して い る の か 。 社 会 化 の 正 当
会 は 現 在 どの 様 な位 置 に い る か 。 個 人 的 及 び社
会 的 ア イ デ ンテ ィテ ィ ー 問 に,緊
張 が 生 じて い る の で は な い か,と
い う問題 で
あ った。
ク ーザ ン は フ ラ ン ス西 部 の カ トリ ッ ク系 高 等 中 学 校(リ
対 象 に,彼
セ)の
生 徒5千
人 を
ら の ア イ デ ンテ ィ テ ィー が どの 程 度 宗 派 的 ア イ デ ン テ ィテ ィー か ら
規 定 され て い る か,す
な わ ち 宗 派 へ の 所 属 か ら規 定 され る信 仰 内 容 と規 範 を内
面 化 して い る か を調 査 した 。 そ の結 果,「 堅 固 な 信 者 に して 規 則 正 しい 実 践 者 」
「信 仰 心 の 無 い者 」 「実 践 を欠 く者 」 「並 の信 者 か つ 実 践 者 」 の4グ
別 され るが,第0の
グ ル ー プ は全 体 の10%で
と一 致 して い る とい え る 。 しか し,道
結 婚 前 の 同 棲 に51%が
で きず,15%が
賛 成 し,信
派 的 ア イ デ ンテ ィテ ィ ー
徳 的 価 値 の 面 で カ トリ ックが 禁 じて い る
仰 の 内容 に お い て も26%が
復 活 祭 の 意 味 を知 らず,実
な い と答 え る な ど,信
あ り,宗
ル ー プが 区
践 の 面 で も26%が
死 後 の永 生 を断言
ミサ に い く必 要 は
仰 の 風 化 と実 践 の 個 人 化 が 認 め ら れ こ と を示 した ・ 他 の
デ ー タ もふ ま えつ つ 結 論 と して,カ
トリ ッ ク に お け る イ ニ シ エ ー シ ョ ンの 構 造,
即 ち家 族,儀
区 等 が す べ て 危 機 に さ ら され て お り,個
礼,青
少 年 の 運 動,教
人
は 制 度 とい う構造 化 され た 場 で は な く,類 似 性 を保 て る種 々 の 下 位 集 団 との 交
流 の 中 か ら,即
ち 非 構 造 的 な社 交 の 場 か ら得 られ る 諸 要 素 の 組 合 せ に よ って ア
イ デ ンテ ィテ ィー を作 り上 げ よ う と して い る と主 張 した 。
232
ヴ ォワイエ はベ ル ギ ーの ル ーバ ン ・カ トリ ック大 学生 た ちの 「宗教 的結 婚 」
へ の好 意 的 な態度 を分 折 し
,こ の よ うな態度 は教 会 の諸 規則 や信仰 を尊 重 す る
か らで はな く,何 よ り もそ れが 家族 とい うプ ライマ リー ・グ ル ー プへ の所 属 の
記 号 で あ り,伝 統 的 な社会 的登 録 の指標 で あ るか らで あ る。 つ ま り,両 親 を安
心 させ,家 族 の伝 統 を尊 重 す る こ とに よって両 親 との結 合 を確 か な もの にす る
が故 で あ った 。 さ らに,彼
らな りの合 理 的思 考 か ら夫婦 関係 の形成 とい う通 過
儀 礼 を聖 化 し,道 徳 的 な意 味 を付 与 した い とい う欲 求 の表現 で あ る とい う二重
の意 味 をあ き らか に した。
ガ レ リは宗 教 に対 す る若者 の アム ビヴ ァレ ン トな態度 は イ タ リア にお い て も
同様 で,世 俗化 の過 程 が かつ て よ り微 妙 で柔 軟 に な って い る と主 張 す る 。 一方
で カ トリ ックの公 式教 義 へ の信奉 や宗教 的実 践 ,宗 教 的価 値 か らの離 反 は明 白
で あ るが,多
くが宗 教 は世俗 文化 が 与 えて くれ な い究極 的 問題 へ の解答 を与 え
,
ア イデ ンテ ィテ ィー形成 のモ メ ン トを与 えて くれ る と考 えて い る
。 そ して宗 教
を よ り拡 大 され た一般 的 な概 念 で捉 え る主 観化 の傾 向 と
,宗 教 に対 して寛 大 で
選 択 的 な,そ の意 味で 世俗 化 され た態 度が 認 め られ る。 イ タ リア社 会 に お け る
宗教 へ の執着 は,ま さ に本 源 的 ア イデ ンテ ィテ ィ0と 日常 的方 向 づ け との 間 の
分裂 の うち に巣 食 って い るので あ るが ,こ の よ うな文化 的多 元状 況 の 中で若 者
はア イデ ンテ ィテ ィー形成 に困難 を感 じて はい るが
,そ の 多様 性 と対 立 の 間 を
しなやか に生 きて い る とい う。
以 上 の西 欧 カ トリ ック社会 にお け る制度 宗教 の機 能 の弱 化 と宗 教 意 識 の変 容
とい う,そ の意 味 で の世俗 化 の過 程 に対 して ,ヴ ル カ ンは東 欧社 会 主義 の危機
と 「脱 世俗 化 」(desecularization)を
論 じた。今 日,社 会 主 義 国 に おい て は,
宗教 復 興 と宗教 の政 治化 とが ダイ レク トに結 びつ い た ポー ラ ン ド型 ,宗 教 復 興
が社 会 生活 の脱 世俗 化 を もた ら したが,直
ち に宗 教 の 政治 化 に結 び付 か な いハ
ンガ リー型,外 圧 に対抗 す るナ シ ョナ リズ ム を高揚 させ るた め
,独 裁 的世俗 国
家 が伝 統 宗教 と連 合 して新 た な市 民宗 教 を構 成 し,独 裁 国家 の シス テ ムの安 定
と正 当性 の増大 を図 るブル ガ リア型 の三 つ の シナ リオが見 い だせ る とい う
。彼
は,こ れ らは 「世俗 性 の危機 」 にお け る 「
宗 教 的制 度 ,行 為,意
識 に よる近代
社 会 と近代 文化 の再征 服 」 と しての 反世俗 化 現 象 にほ か な らな い と考 察 した 。
世俗化 と宗教233
第 三セ ッシ ョンは,社 会運 動 と世俗 化 また は再 聖化 との 関係 をテ ーマ と した。
今 日展 開 され てい る社 会運 動 は,間 接 的 に聖 な る もの を追 求 して い る もの もあ
り,ま た宗教 が 世界 の再聖 化 を促 進 す るのみ な らず,世 俗化 を推 進 す る場 合 も
あ る。 この事実 は何 を意 味 してい るのか 。社 会 の価 値 の危 機 の表現 か,そ れ と
もグ ローバ ル な社 会 の新 た な規 範 の必 要 を意 味 して い るの か 。
ハ ー ビ ュー レガ ーはエ コロ ジー運動,平 和 運 動,女 性 解 放運 動,市 民 権 運動
な どをデ ュル ケ ー ム的 な集合 的 意味 の生産 運 動 と見 て,世 俗化 や聖 化 との 関係
を検 討 した。 な かで もエ コ ロジ ー運 動 の よ うな 「自然 へ の 回帰 」 を呼 びか け る
運動 には,共 同体 と外 的世界,秩
序 と無秩 序 の よ うな二 分法 的世 界観 が 見 られ,
そ れが聖 な る もの と俗 な る もの との シ ンボ リ ックな対 立 を構 成 してい る。 この
よ うな二 分 法 は 「宗教 的 に」構 成 された世 界観 で あ り,運 動 が宗 教 的性 格 を帯
びて きて い る こ とを示 して い る と主張 した。マ ク ガイ ア も中流 階級 に受 容 され
てい る新 しい宗教 的治療 運 動 を検 討 しなが ら同様 の問題 に迫 ってお り,多
信 仰 治 療 運 動 の世 界 像 と信 仰儀 礼 にお い て,「 全 体 論 的」(horistic)個
くの
人表 現
の新 しい形 態が 見 い だせ る と主 張 す る。信 仰 治療 は全体 論 的理念 にいた る一 つ
の道 で あ り,そ れ の広 範 な受 容 は社 会構造 と個 人 との関係 の変化 を もた らす と
示 唆す る。
一方
,マ キ オ ッテ ィはカ トリ ック国 イ タ リアに お け る新 宗教 運動 と世俗 化 と
の 関係 につ い て考 察 し,ハ レ ・ク リシ ュナ,サ
東洋 的神 秘 主義 運動 に は,カ
イ ン トロジ ー,統0教
会 な どの
トリ ックが提 供 せ ず満 足 も与 え ない深 い精 神 性 と,
自己 と世界 につ いて の統 合 的理 解,共
同体 感 覚 が あ る。 そ の よ うな新 しい霊 性
の表現 に はイ タ リアの支 配 的 な宗教 的伝統 との不 連続 性 ばか りで な く連 続性 も
あ るた め に人 々 に受 け入 れ られ るので はあ るが,い ず れ に して もそれ は西 洋 の
資 本 主義 社会 と伝 統 的宗教 体系 へ の挑戦 であ る と論 じた。
以 上 の三 人 が,そ れ らの運 動 に社 会 の 「再 聖化 」 を もた らす可 能 性 を見 てい
るの に対 し,ウ ォリスは,今
日の新 宗教 運動 の信徒 は多 くがマ ー ジナ ル な人 々
であ って,既 存 社 会 へ の敵 意 が加 入 の動 機 を為 して お り,運 動 それ 自体 も極 め
て近代 化 して い る。従 って,か つ て宗教 が 担 って い た 「生 活 の方 法 」 と しての
234
地位 を獲 得 す る こ とはあ りえず,世 俗 化 へ の部 分 的挑戦 ,な い し不 毛 な挑 戦 的
態 度 を装 って い る もの にす ぎな い と論 じ,そ こに は世俗 化 の過 程 を逆 転 させ る
力 は ない と強調 した。
第 四セ ッシ ョンの テ ーマ は,こ れ までの世 俗化 論議 が主 と して欧米 のキ リス
ト教 社 会 を対 象 に行 わ れて い た傾 向 を反省 し,世 俗化 理 論 が 非 キ リス ト教 社 会
に も適用 可 能 なの か,イ ス ラム,ヒ
ン ドゥ,仏 教 の社 会 で は世俗化 が起 こって
い る のか否 か を正 面 か ら問 う もので あ った 。 田丸 は,「 世俗 化 」 の概 念 自体 が
西欧 キ リス ト教 社 会 を背 景 と した文 化 的制 約 を受 け た もので あ り,直 ち に他 の
歴 史 的分 脈 に適用 は 出来 な い。従 っ て,日 本 に は確 か に伝 統 的 な宗教 の変 容 と
い う意 味 で の世俗 化 は認 め られ るが ,そ れ は西 洋 キ リス ト教 の場合 と同 じ仕 方
で の世俗 化 とは認 め られ ない と主張 し,世 俗 化 の総 合 的 な研 究 の ため には比 較
史 的 な視 野 が必要 で あ り,ま た 人類 の宗教 史全 体 の 中 で捉 え直 す こ とが必要 と
強調 した。
田丸 が主 と して概 念 の限定性 と研 究 方法 上 の 問題 を指摘 した の に対 し
,ヴ ォ
ル とイザ ール はそ れ ぞ れ イス ラム社 会 とイ ン ド ・ヒ ン ドゥ社 会 の実体 的分析 か
ら世俗 化概 念 はそ こで は意 味 を為 さず,そ の よ うな過 程 は生 起 して い な い と主
張 した。 ヴ ォル に よれ ば,イ ス ラム とは単 な る宗 教 で はな く,政 治 的秩 序 で あ
り,経 済 シス テ ムで あ り,生 活 方法 その もの で あ る。 そ こで は聖 と俗 とが 分 か
ちが た く結 び付 い て い る。 従 って,世 俗 化 を例 え ば 「国家 」 と 「
教 会 」 の 分離
と見 なす な ら,「 教 会 」 の存 在 しない イス ラム社 会 に は適用 で きな い し
,聖
と
俗 の分化 が進 み,俗 へ の志 向性 が 強 くなる過 程 を言 うな ら,そ れ も当て は ま ら
な い。但 し,イ ス ラム社会 にお い て も政 治 制度 と宗教 制 度 との シ ス テム の分 化
は進行 して お り,世 俗 化 を全 て の社 会 にお ける社 会一 歴 史 的 な変 動過 程 と広 い
概 念 で捉 える な ら,有 効 性 は見 い だせ ない もので もな い とい う見解 が あ った。
一方
,イ ザ ー ル に よれ ば,ヒ
cialorder),な
ン ドゥイズ ム は全 体 的 な社 会 秩 序(horisticso.
い しイ ン ド文化 その もの で もあ るの で ,西 洋 的 な意 味 で宗教 を
分離 して捉 え る こ とは出来 ない。 世俗 化 を宗 教 の 衰退 と捉 える な ら ,イ ン ドに
お い て は宗教 的 に規定 された諸価 値 は ,政 治 を は じめ,様
々 な近代 的領 域 にお
世俗化 と宗教235
い て も末 だ力 の源 と して強力 に機 能 して い る と強調 した 。
この よ うな諸報 告 に対 し,ウ ィル ソ ンは世 俗 化概 念 の混乱 を指摘 し,彼 の言
う世俗 化 過程 とは社 会 シス テ ム とその運 営 にお け る宗 教 の重要 性 の喪失 で あ る。
そ の過 程 の最 も重 要 な源 泉 は,何
よ りも科 学技 術 の発 展 とそれ に伴 う生 活 諸 領
域 の合理 化 で あ り,そ れ は必 然 的 に宗教 の変 容 を伴 うの で あ って,同 様 の過 程
は多 くの社 会 に起 こ り得 る と主 張 した。 そ の様 な観 点か ら言 え ば,た
とえ イス
ラム社 会 で あ ろ う と,ヒ ン ドゥ社 会 で あ ろ うと,例 えば テ レビの普 及 とそ れ に
伴 う生活 様式 や文化 の変容 は起 こ ってお り,社 会 諸 制度 の運営 が宗 教 的原 理 に
よ って為 され て い る とは言 えな い。 日本 にお いて も同様 で あ ろ う と反 論 した。
【西 ドイ ツの宗教 と社 会 】
総 合 テ ーマ の下 で の各 セ ッシ ョンの報告 と議論 の大綱 は以 上 の通 りで あ った・
質疑 も含 めた各 セ ッシ ョンの討 議 を通 して全 体 と して最 も強 く感 じた こ とは,
西洋 社 会 と言 って も,そ れ 自体 が社 会 制 度 の面 で も宗教 制 度及 び歴 史 的文化 的
な面 で も,極 め て多 様 で多 元 的 で あ る こ とが 浮 き彫 りに な った こ とで あ る。従
って 「世 俗化 」 理 論 もその立 論 の前 提 は多 様 で あ って,西 洋 の長 期 的 な社 会 文
化 史 のあ る局面 を理解 す る上 で の概 念 と して意 義 はあ る と して も,今 日の大 き
な社 会 変動,宗 教 変容 の多様 性 を総体 的 に説 明す るため の概 念 と して は必 ず し
も適 当で はな い こ とが 明確 にな った ように思 わ れ る。
それ を示す 典 型 的 な事例 と して,今 回 の主催 国 であ る西 ドイ ッの宗教 社 会 学
者 た ちが報告 した 「ドイ ッにお け る宗教 事 情 」 が あ げ られ る。報 告 の 詳細 は省
かせ てい ただ くが,そ
れ に よれ ば,ド イ ツで は プ ロテス タ ン トとカ トリ ック と
い うキ リス ト教 の二教 派 が 政府 と契約(コ
ン コル ダー ト)を 結 び,完 全 な 自治
権 を認 め られ,か つ 政府 の収税 機 関 の助 け を借 りて信 徒 か ら教 会 税 を徴 収 して
お り,政 治 的 に も経 済 的 に も未 だ安 定 した大 勢力 と して存 続 して い る。 そ の ほ
か,青 少年 及 び老 人 の社 会教 育 や福 祉 活動 に も大 き く貢 献 してお り,決 して一
概 にキ リス ト教 会 の衰 退 とは言 え ない状 況 で あ った。 国教 制 が維 持 され て い る
国 々や カ トリ ック教 会 の存 在 な どの例 を考 え る と,ヨ ー ロ ッパ で は未 だ に種 々
の制 度宗 教 の存 在 が大 き く,そ れ を無視 して は宗 教社 会 学 は語 れ ない とい う印
236
象 を強 く した の で あ る 。
但 しそ の 一 方 で,今
の も明 らか で あ り,そ
日の ドイ ツ に お い て も宗 教 文 化 の 地 殻 変 動 が 起 き て い る
れ を理 解 す る に は ,制
度 化 され な い 民 衆 文 化 や民 衆 宗 教
を捉 え な くて は な らな い と主 張 す る意 見 も,マ
ー ル ブ ル グ 大 学 のM・
な どか ら多 く述 べ られ て い た 。 彼 や ブ リス トル の ベ イ リ0教
パ イ教授
授 ら は ,そ
のよう
な 側 面 か ら の 研 究 の 重 要 性 を ふ ま え て,"NetworkfortheStudyofImpricit
Religion"を
組 織 し研 究 を進 め て い る こ と は注 目 に 値 す る 。 こ の様 な指 摘 が 的
を得 て い る こ と は,筆
者 が何 度 か 目 に した次 の よ う な情 景 か ら も理 解 で き る 。
ドイ ツ の み で な く ヨ ー ロ ッパ の 街 並 み が ,教
に構 成 され て お り,街
道 もそ の 町 の 中 心 広 場 へ 向 い ,そ
と は 良 く知 られ て い る 通 りで あ る が,そ
並 び,人
会 と市 庁 舎 を挟 ん だ広 場 を 中心
の広 場 に ,週
こ か ら 出発 して い る こ
末 に な る と屋 台 や 出 店 が
々 が 集 ま っ て くる。 住 民 の み で な く観 光 客 も集 ま り,広
た カ フ ェ で ビ ー ル を飲 み,食
ッ プ ス や ニ ュ0ミ
場 に張 り出 し
事 を して 一 日 を過 ご す 。 教 会 の 階 段 で は若 者 が ポ
ュ ー ジ ック を 演 奏 し,時
に は 学 校 の オ ー ケ ス トラ や バ ン ドが
野 外 演 奏 会 を行 っ て い る 。 正 規 の 礼 拝 に 出席 す る人 は 少 な い が ,そ
か は 参 加 し,観
光 客 も教 会 に必 ず 入 っ て そ の 町 の 歴 史 や 文 化 を学 ん で 行 く。
教 会 前 の 広 場 が,依
然 と して 町 の 人 々 の コ ミ ュニ テ ィ ー ・セ ン タ0で
レ ク リエ ー シ ョ ン の場 で あ り,新
伝 え られ,共
れ で も何 人
あ り,
しい 音 楽 も フ ァ ッシ ョ ン もそ こ で 演 じ ら れ
有 され て 行 く。 人 々 は そ こ に 集 い,遊
動 向 を伝 え 会 う。 そ して そ こ に,い
こ の 情 景 が 意 味 す る と こ ろ は,何
び,交
わ り ,情
,
報 や社 会 の
つ も教 会 の 尖 塔 が 立 っ て い る 。
で あ ろ う か 。 制 度 と して の教 会 ,す
な わ ち,
特 定 の教 義 を厳 格 に 定 め た信 仰 とそ の 施 設 は 依 然 と して そ び え 立 っ て い る が ,
そ れ 自体 は人 々 に さほ ど の魅 力 を与 え な くな っ て し ま った 。 しか し,文
化 と し
て の キ リス ト教,す
ら え 方,
な わ ち人 々 の 生 活 様 式 を 決 定 し,も
思 考 様 式 に大 きな 影 響 を与 え,価
値 観,世
界 観,人
の の考 え 方 ,と
生 観 を形 成 す る上 で ,キ
ス ト教 文 化 一 般 が 未 だ 果 た して い る大 き な役 割 を ,何
リ
よ り も物 語 っ て い る よ う
に思 わ れ た の で あ る 。
教 会 前 広 場 の 光 景 が 次 に物 語 っ て い る こ と は,文
化 と して の 宗 教 が 社 会 制 度
と して 固 定 化 した 教 会 宗 教 よ り も強 くそ して 長 期 に わ た っ て 影 響 力 を発 揮 して
世俗化 と宗教237
い くで あ ろ うが,ヨ
ー ロ ッパ にお いて もそれ 自体 も徐 々 に変化 しつ つ あ る とい
う事 実 で あ る。前 述 の第 ニ セ ッシ ョンの論議 にそ れ は表 わ れて い る。 ほか の調
査 に お いて も,神 の存 在 を認 め る人 は75%に
な って い るが,「 人格 神 」 の概 念
は次 第 に薄 れ,「 精 霊 の一 種 」 あ る い は 「
生 命 力 」 と して の曖 昧 な神 概 念 へ と
変化 しつつ あ る と述 べ られ てい る。 同時 に,キ リス ト教 の伝 統 的 な信 仰 対 象 で
あ る,天 国,地 獄,悪 魔 な ど と言 った具体 的 な存 在 物へ の信仰 は きわめ て薄 く
な ってい る。 ヨー ロ ッパ にお い て も,こ の よ うに今 や宗教 性 の新 た な表現 様 式
が求 め られ始 め て お り,そ れ は極 端 に言 え ば,長 い 間 の圧 倒 的 な キ リス ト教 文
化 や その表現 様 式 か ら解 放 され て,よ
り個 人 的 な 自分 の好 み にあ った表 現 を求
め て い る と言 うこ とで あ ろ う。 ヨー ロ ッパ の個 人主 義 的伝 統 はキ リス ト教 文化
の 中か ら生 まれ て きたが,そ れが故 郷 を離 れて新 た な歩 み を始 め た ので あ る。
非 キ リス ト教 的 な宗教 へ の関心 の高 ま りはそ の あ らわ れで あ り,日 蓮 正 宗 の メ
ンバ ー が ヨ0ロ ッパ 各 地 で増 えつつ あ る とい う事 実 は,そ の変 化 を象徴 的 に物
語 る一 つ の事例 で あ る。 キ リス ト教 会 の 長 い 間の独 占の歴 史 を考 え る と,そ の
底 流 の動 きの大 き さを予 想 させ る とい え よ う。
この よ うに,ヨ ーロ ッパ の各 社 会 は制 度宗 教 の形 態 や現 実 の機 能 におい て も
多 様 で あ り,そ れ は また底 流 の変 化 の様 態 に多様 性 を生 む原 因 とな って い る。
確 か に今 日,西 洋 世界 は文 化 的社 会 的変動期 にあ り,宗 教 との 関係 にお け るそ
の大 筋 はル ックマ ンが描 い た線 に沿 って い る ように思 われ るが,変 動 の多様 性
を見 失 って は な らない と強 く感 じた次 第 で あ る。
【総括 と展 望 】
総 合 テ ーマ をめ ぐる論議 で 明 らか に な った こ とは,ま ず 第 一 に,今
日,西 洋
世界 は大 きな文 化 的社 会 的変 動期 にあ り,宗 教 との 関係 にお け る変 動 の シ ナ リ
オ は,総 論 的 には ル ックマ ンが 描 い た方 向 に沿 って い る よ うに思 わ れ るが,既
に述べ た よ うに,西 洋社 会 自体 の多 元性,多 様 性 を理 解 す る上 で,世 俗 化 理 論
の みで は不 十分 で あ る こ と。 第二 に,新 宗教 運 動 や 宗教 集 団 の行 う社 会 運動 に
お いて は,宗 教 的要 素 と世俗 的要 素 との相 互浸 透 が 起 こ って お り,ホ リステ ィ
ックな世界 観 に基 づ く共 同体 志 向 型 の運動 が 多 くみ られ る。 それ らが 単 な る反
238
抗 に留 まるか,世 界 の再 聖化 を可 能 にす る運 動 に展 開 す るか は評価 の 分 か れ る
ところで あ る。第 三 に,非 キ リス ト教社 会 の 「世 俗化 」 につ い て正 面 か ら取 り
組 んだ こ とは評価 で きるが,そ の議 論 で は世俗 化概 念 の多義 性 ,不 統 一 が 浮 き
彫 りに され,む
しろ研 究者 の 国際 交 流 をさ らに進 め,実 証 的研 究 の成 果 を踏 ま
えて討 議 を深 め る こ との必 要 性 を痛 感 した。 また ,西 洋社 会 と非 西 洋社 会 の宗
教 文 化 との比 較 ・文化 史 的研 究 の精緻 化,発 展 の重要 性 が痛 感 され た。 これ ら
はCISRの
今後 の課題 と言 え よ う。
今 回の大 会 の特徴 は,非 西 洋社 会 の問題 が これ まで にな く注 目され た点 にあ
り,そ れ に伴 って,こ れ まで にな く日本 か らの積 極 的参加 が 目だ った大 会 で あ
った とい え よ う。総 合 テ ーマ に関す る第 四 セ ッシ ョンで東 大 の 田丸教 授 が報 告
した こ とは既 に述 べ たが,そ
の他 個 人発 表 の部 で も上智 大 学 の宗 像教 授 が 「非
有 神 論 的宗教 文 化 にお け る世俗 化 」 と題 して,ま
た 中野 も 「占領 と 日本 宗教 制
度 の改革一 戦 後 日本 社 会 の世俗 化 過程 の一考 察一 」 と題 して それ ぞ れ発 表 した
(田 丸,中 野 論文 は後述 の 『東 洋 学術研 究 』 に収 録)。
さ らに今 回 の テ ーマ と関連 させ て,働 東 洋 哲学 研 究所 が 『東洋 学術 研 究 』26
-一
号 で特 集 「世俗 社 会 と宗教 一 対 立 を越 えて一 」 を くみ
,英 語 版 も発刊 した。
今 回の テ ーマが 「世 俗性 と宗教 」 とい う西 洋 的二 元論 か らの発 想 を脱却 して い
な い こ とか ら,柳 川 先 生 の 「BEYONDの
思想 」 を基調 に,論 陣 を張 った もの
で あ る。会場 で も広 く配付 され,宗 教 社 会 学 へ の 日本 か らの積 極 的体 系 的 な貢
献 と して高 く評価 され た。 また,1979年
以 来,同 研 究所 の後 援 で 日本 か らの参
加 者 が主催 す る 「ジ ャパ ン ・デ ィナ0」
も盛 会 で あ った。 欧米 の研 究 者 の 問 に
も歴 史 や言 語 の違 いか ら くる微 妙 な違和 感 が 存在 す るが,こ
のデ ィナ ーの極 め
て友 好 的雰 囲気 は,そ の様 な文化 的民族 的 な壁 を取 り払 い ,共 同研 究者 集 団 と
しての あ る種 の連帯 感 を醸 成 す るの に大 き く貢献 して い る とい え よ う。
また,非 西 洋社 会 へ の 関心 はCISRが
ヨー ロ ッパ 中心 の学 会 か ら本格 的 に
脱皮 し始 め た こ と を物 語 って い る。 そ の積 極 的 な努 力 は,事 務 局 が ロ ーザ ンヌ
に置 かれ カム ピ ッシ ュ事務 局 長 が就 任 して以 来特 に 目だ って きた と言 え る。今
回 は その成果 が 出始 め た大 会 で あ った。 具体 的 に は,彼 の努力 に よって イ ン ド
な ど南半 球 か らの新 た な参加 者 が 増 え始 め た こ と,IAHR(国
際宗教 学宗 教
世俗化 と宗教239
史学 会)や 米 国 のSSSR(宗
され,1990年
教 社 会学 会)と
ローマ で 開催 され る次 回IAHRの
の連携 を強 め て い く方 向が確 認
宗教 社 会 学部 会 に積 極 的 に参
加 して行 くこ とな どが 事務 局 長 パ イ教 授 ら との 間 で話 し合 われ た こ と,さ らに
会員 数 の増 加が み られ た こ とな どに それ は表 わ れ てい る とい え る。
しか しそれ だ け に,CISRは
真 の意 味で の 国際 学 会 と して発 展 し得 るの か
そ の可 能性 と存 在 意義 が今 問 われ て い る とい え,開 催 地 につ い て も南米 の研 究
者 か ら もっ と参 加 し易 い南半 球 で も行 うべ きだ との意 見 な どに どの様 に対 応 で
きるか が課 題 で あ る。 この 点 を考慮 して と思 わ れ るが,終 了後 の理 事会 にお い
て,ロ
ン ドン大 学 のパ ー カー理事 よ り,1989年
の フ ィ ンラ ン ド大 会 の次 か次 々
回 の大 会 を,日 本 で や って は ど うか との積 極 的推 挙 が あ った。遠 方 で あ る こ と
や経 費 の点 で多 くの 問題 が あ るが,条 件 さえ整 えば不 可能 で は な く,実 現 で き
れ ば,CISRお
よび宗教 社 会 学 の発展 に とって望 ま しい こ とで あ り,ま た,
日本 の宗 教研 究 を国 際 的 な研 究協 力 の場 で発展 させ る上で の良 い機 会 にな る と
考 える もので あ る。
(創 価 大学 文 学 部助教 授 ・宗教 社 会 学)
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