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Title Author(s) Citation Issue Date URL スワヒリ世界の歴史と展開 - 東アフリカにおけるスワヒ リ化の地域的展開とその機能 日野, 舜也; 高谷, 好一 重点領域研究総合的地域研究成果報告書シリーズ : 総合 的地域研究の手法確立 : 世界と地域の共存のパラダイム を求めて (1996), 22: 2-21 1996-10-31 http://hdl.handle.net/2433/187613 Right Type Textversion Journal Article publisher Kyoto University ス ワ ヒ リ世 界 の 歴 史 と 展 開 一束 ア フ リカ にお け る ス ワ ヒ リ 化 の地 域 的展 開 とそ の機 能 日 野 舜 也 ア フ リカ の 主 要 作 物 に はバ ナ ナ 、 ヤ ム イ モ 、 タ ロ イモ 、 ヤ シ類 が あ る。 こ れ は い ま か ら2千 年 前 く らい の 古 い 時 代 に 東 南 ア ジ ア か ら伝 来 した もの だ 。 ソ ル ガ ム の よ うな 貧 しい主 食 しか な か った ア フ リカ が 、 東 南 ア ジア と の 接 触 に よ って 非 常 に 豊 か に な っ た 経 緯 が あ る 。 東 南 ア ジ ア とア フ リ カ は 昔 か ら様 々 な深 い関 係 が あ っ た 。 今 日 は東 ア フ リカ の 植 民 地 時 代 以 前 にで きた 都 市 的 文 化 で あ る 「ス ワ ヒ リ文 化 」 を 中心 に話 を 進 め る が 、 ス ワ ヒ リ文 化 自体 が 汎 イ ン ド洋 交 易 の 展 開 の 中 で 成 立 して き た点 で は 、 東 南 ア ジ ア と も色 々 な 形 で 関 係 が あ っ た と思 わ れ る 。 ス ワ ヒ リ文 化 の 「ス ワ ヒ リ」 と は、 ア ラ ビ ア語 の 「サ ーヘ ル 」 の 複 数 形 「ス ワ ヒル 」 を 語 源 と して い る 。 古 い 時 代 か ら東 ア フ リカ の 海 岸 部 を ア ラ ビ ア語 で 指 した 外 か らの 呼 称 で 、 ア フ リ カ か ら 自称 と して 出 て き た もの で は な い 。 紀 元 前 後 か ら、 東 ア フ リ カ海 岸 部 に交 易 の 港 町 が 形 成 さ れ て きた 記 録 が あ る 。 イ ン ド洋 を通 して の 、 ア ラ ブ、 イ ン ド、 東 南 ア ジ ア、 中 国 ま で 含 め た 交 易 の 発 達 が 始 ま った 頃 と時 期 を 共 に して い る。 そ れ 以 前 に も、 ヤ ム イ モ 等 の 作 物 が ア フ リ カ に取 り込 まれ て い る よ う に、 マ ダ ガ ス カ ル へ 東 南 ア ジ ア 系 の 人 々 が 来 て い た こ と は推 察 さ れ るが 、 ス ワ ヒ リの 形 成 と い う意 味 か ら言 え ば 、 この 記 録 の 頃 か ら15世 紀 末 の ポ ル トガ ル 進 出 ま で が 「ス ワ ヒ リ形 成 期 」 と考 え られ るだ ろ う。 この 時 期 、 汎 イ ン ド洋 交 易 の 展 開 に 伴 い 、 多 くの ア ジ ア 人 移 住 民 や 来 住 商 人 達 が この 地 域 に 来 て い る 。 イ ン ド洋 に は 北 か らの モ ン ス ー ン と南 か らの モ ンス ー ンが 交 互 に 吹 く。 これ を 利 用 して 、 東 ア フ リカ に オ マ ー ン、 イ エ メ ン、 イ ラ ンの シラ ジ等 か ら多 くの 船 が 訪 れ 、 風 が 変 わ る ま で の 数 カ月 間 は こ こに 滞 在 し商 売 をす る。 船 乗 り達 は 現 地 妻 を 手 に入 れ 、 そ の 間 に生 ま れ た 混 血 民 を 中心 に 新 しい 社 会 が 展 開 す る こ と とな った 。 そ れ は 東 ア フ リカ の 海 岸 部 に 限 られ た 、 交 易 港 中 心 の 社 会 で あ る。 そ こ に ス ワ ヒ リ文 化 が 形 成 され 、7世 紀 の イ ス ラ ー ム の 進 展 と共 に 、 あ る い は イ ス ラ ー ム の 異 端 と さ れ た 人 々 の 亡 命 に よ って イ ス ラ ー ム 化 が 伴 って く る。 基 本 的 に は ア フ リカ 原 住 民 で あ るバ ン トゥの 母 な る文 化 と、 父 親 が 持 ち込 ん だ ア ラ ブ や ア ジ ア 系 の 文 化 が 結 び っ き、 ア フ ロ ・ア ジア 的 な 混 合 文 化 が こ こ に成 立 した 。 そ れ は ス ワ ヒ リ語 と い う言 葉 に 端 的 に 示 され て い る 。 バ ン トゥの 語 彙 や 文 法 の上 に 、 ア ラ ビ ア を 中 心 に した ア ジア 文 化 が 乗 る 形 で 成 立 し た 言 葉 で あ る。 基 礎 語 彙 で あ る天 然 現 象 、 親 族 名 称 、 動 物 の 名 前 、 身 体 名 称 の 外 側 に見 え る 部 分 等 は、 バ ン ト ゥ起 源 の 言 葉 が 中 心 に な る。 そ れ に 対 して 抽 象 名 詞 や 、 2 物 質 文 化 の 言 葉 、 挨 拶 の 言 葉 、 宗 教 語 の 中 に ア ラ ブ起 源 の 言 葉 が 多 い。 自然 の 中 で 作 られ て き た バ ン トゥの 語 彙 や 文 法 を 母 親 か ら習 い 、 父 親 が 持 ち 込 ん で き た様 々 な事 物 の 語 彙 が 乗 る形 で 形 成 さ れ て た の だ ろ う。 この 言 葉 の 面 に端 的 に 示 され る よ う に 、 様 々 な 事 象 も母 な るバ ン トゥ の 文 化 と父 な る ア ジ ア の 文 化 の 結 合 に よ っ て ス ワ ヒ リ文 化 が 成 立 して い る。 イ ブ ン ・バ ッ トゥー タ の 旅 行 記 の 記 述 か ら も窺 え る よ うに 、 キ ル ワ や モ ガ デ ィ シオ な ど 、15 世 紀 末 頃 に は既 に 都 市 的 な 港 町 が 発 達 して い た 。12、13世 紀 が そ の 最 盛 期 で 、 と くに キ ル ワ は、 ジ ンバ ブ ウ ェ ・モ ノモ タ パ 王 朝 か ら出 て きた 金 の 交 易 の 独 占権 を 握 り、 非 常 に 大 き な 経 済 力 を 持 ち始 め る。 と こ ろ が15世 紀 末 、 バ ス コ ・ダ ・ガ マ が 希 望 峰 を 廻 って 東 イ ン ドへ の 航 路 を 開 き、 こ の 地 域 は ポ ル トガ ル の 制 海 権 の 下 に 置 か れ 、 従 来 の よ うな 頻 繁 な ア ラ ブ との 文 化 接 触 は 制 限 さ れ る こ と に な っ た 。 ポ ル トガ ル 勢 力 下 に あ っ た 約300年 間 は 、 ス ワ ヒ リ文 化 が 土 着 化 し、 よ り強 くバ ン トゥ的 な 要 素 を 深 め て い く こ と に な る。 私 は この 時 期 を 「ス ワ ヒ リ文 化 の 定 着 期 」 と呼ん で いる。 そ の 後 、 ヨー ロ ッパ に お け る ポ ル トガ ル の 勢 力 が 相 対 的 に弱 ま り、18世 紀 の 後 半 か らオ ス マ ン トル コ軍 、 ア ラ ビ ア半 島 か らの 反 攻 、 モ ンバ サ の レ ジ ス タ ン ス等 が 起 こ り始 め る と同 時 に、 ポ ル トガ ル の勢 力 は 相 対 的 に 弱 ま り、 逆 に イ ギ リス や ア メ リカ が 勢 力 を 強 め て く る。 イ ン ドの 商 業 資 本 と結 び っ い た マ ス カ ッ ト ・オ マ ー ンの ブ サ イ デ ィ王 朝 が 、 イ ギ リ スの 後 ろ だ て を 受 け て 東 ア フ リカ 海 岸 部 に下 りて くる 。19世 紀 初 頭 に は ポ ル トガ ル を 南 の モ ザ ン ビー クに 追 い 払 い、 現 在 の ザ ン ジバ ル を 首 都 に した ブ サ イ デ ィ王 朝 が 東 ア フ リカ の 沿 岸 部 を 支 配 した 。 背 後 か ら イ ギ リ ス が 糸 を 引 く形 で 、 ブ サ イ デ ィ 王 朝 の 支 配 は70∼80年 間続 き、 その 後 の植 民 地化 につ な が って い く。 この 時 期 を 私 は 「ス ワ ヒ リの 拡 大 期 」 と名 付 け て い る。 そ の 前 期 が オ マ ー ン時 代 、 後 期 が 植 民 地 時 代 に な る。 海 岸 部 に 局 限 さ れ て い た ス ワ ヒ リ文 化 は 内 陸 に拡 大 して い った 。 そ れ ま で の 交 易 は 、 内 陸 の ニ ャ ム ウ ェ ジ、 カ ンパ 、 ヤ オ 等 の グ ル ー プ が 運 ぶ 交 易 品(象 牙 、 奴 隷 、 金 な ど)を 海 岸 で 待 ち受 け て 買 い 取 って い た 。 だ が 、 この 頃 か ら ア ラ ブ 商 人 や ス ワ ヒ リ商 人 達 が 、 自 分 で キ ャ ラバ ンを 組 み 内 陸 へ 入 って い く よ う に な る。 ザ ン ジバ ル の ク ロ ー ブ ・プ ラ ンテ ー シ ョ ン の 発 達 で 、 集 中 的 な 労 働 力 を必 要 と し た こ と や 、 ヨー ロ ッパ の 産 業 革 命 後 の 経 済 的 な富 裕 化 の 中 で 、 象 牙 等 の 奢{多品 の 需 要 が 急 増 して き た。 い ま ま で の よ う に 商 品 を 待 ち 受 け て い る だ け で は 足 りず 、 自 ら内 陸 に入 って 集 め て く る よ う に な る。 そ の ル ー トは 、 ザ ン ジバ ル の 対 岸 の バ ガ モ ヨ か ら、 ゴ ゴ ラ ン ド、 タ ボ ラ、 タ ンガ ニ イ カ 湖 畔 の ウ ジ ジ を 通 り、 そ こか ら船 で対 岸 に 渡 り、 現 在 の ザ イ ー ル 東部 の 森 林 部 マ ニ エ マ 地 方 に 入 っ 3 マ レ ー系 海 洋 民 東 ア フ リ カ沿 岸 ・マ ダ ガ ス カ ル に 到 達 (ヤ マ イ モ 、 バ ナ ナ 、 コ コ ヤ シ 、 マ ン ゴ ー な ど東 南 ア ジア 栽 培 植 物 の 伝 来) BC 東 ア フ リ カ 沿 岸 都 市 の 成 立(PehplusofErythreanSea) Ptolemios<90-165AD) AD ム ハ ン マ ド イ ス ラ ム 教 お こ す(622) 700ス 東 ア フ リ カ沿 岸 部 に イ ス ラ ム 教 到 達 パ テ 、 ラ ム 、 モ ンバ サ 、 キ ル ワの 建 設(PateChronicle) ペ ル シ ャ シ ュ ラ ー ジ移 民 の 到 達 ジ ンバ ブ ウ ェ、 モ ノモ バ タ 王 朝 お こ る AI襯SU田 の記 録 ワ iooo ヒ こ の ころ キ ル ワ な ど 沿 岸 交 易 都 市 の 最 盛 期 1200リ lbnBATTUTA旅 行記 明 の 鄭 和 、 東 ア フ リカ に到 達(1407) マ リ ンデ ィ、 明 朝 永 楽 亭 に キ リ ン献 上(1405) 形 1400 成 期 バ ス コ ダ ガ マ 東 ア フ リカ の 到 達 、 イ ン ドに む か う(1498) 1500 東 ア フ リカ 沿 岸 部 の ポ ル トガ ル 支 配 に は じ ま る キ ル ワ の 衰 亡(1587) モ ノモ バ タ の 衰 亡 1600ス ワ ヒ 1700リ YusufBin-HASSANの 定 着 期 AI-MAZRUiモ 反 乱(モ ンバ サ奪 回 0 0 Qu l ス ワヒ リ拡 大 期 0 0 8 l ポ ル トガ ル 勢 力 、 南 へ し り ぞ く Sa頸dSAYYmに よ る ザ ン ジバ ル スル タ ン国 成 立 ア ラ ブ ー ス ワ ヒ リ交 易 の 内 陸 進 出(ス ワ ヒ リ文 化 の 内 陸 浸 透) 植 民 地 化 に は じま る(ス 図1ス ンバ サ 、163D ワ ヒ リ文 化 の 内 陸 拡 大) ワ ヒ リ化 関 連 年 表 歴 スワ ヒリ形成期 史 東 アフ リカ沿岸 交易 は じまる バ ンツー民沿岸 部 に到達 一622一 ヘ ジ ラ トポ ロ ジ ィ 沿岸 セッルメン ト 住 民 アラブシュラー ジ とバ ンツ ー の 混血 は じまる 社 会 文 化 ジ混血民 バ ンツー文化のアラブ化による スワ ヒリ文化の形成 バ ンツ ー 民 の 混 バ ンツ ー の 農 耕,文 住 コ ミュ ニ テ ィ ア ラ ブ の イ ス ラ ー ム,物 質 文 化, アラブシュラー 法,母 系制 語彙 沿岸民の イスラ (1^一15C) 一 ム 化 は じま る 沿岸都市の シュ ラージ体制確立 ポル トガル支配 ス ワヒリ定着期 ニ ヤムウェジ ・ ヤオ の交 易 ル ー トひ らけ る (16一 一17C) オ ー マ ン ポル トガル勢 力 の駆逐 マズルイ支配 時 オ ー マ ンザ ン ジ ス ワ 代 沿岸 セ ツルメン ト 交易ルー ト に の った地 域的拡大 バル王国 内陸のセツ (18^一19C) ア ラ ブ ・ス ワ ヒ ルメ ン ト 拡 ヨ ー ロ ツパ 植民地体制の確 大 植 民地 時代 期 (20C) ヒ リの内陸進出 リ 立 図2東 非イスラー ム地域への 拡大 混血 バ ンツー民 と して の ス ワ ヒ リ住 民 人種集団 と して のスワ ヒリ集団 磁 スワ ヒリ文化の土着化によるス ワ ヒリ的文化複合 イスラーム教 スワ ヒリ語 {都 市的生活 脱 部族的バ ンツ 内陸セツル メン 内 陸 バ ン ツー 民 の ス ワ ヒ リ化 ・ 一 の ス ワ ヒ リ化 ス ワヒリ語の拡大 ト集落の成立 ・ポ ー タ ー 交易のセ ッル メン ト周辺の .バ ン ツ ー民 ド kレ イ 脱部族的バ ンツ 一 の ス ワ ヒ リ化 開拓農民 職人 {商人 内陸ス ワヒリ民 の定住によ る集 落の都市化 資本主義体制下 スワヒ リ語 の普及 における地域社 脱部族現象 会 内のサ ービス センター 開拓社会 ア フ リカ に お ける ス ワ ヒ リ化 の 歴 史 的 展 開 概 念 図 4 て 行 く。 そ こ で 奴 隷 を 捕 ま え 、 買 い 集 め た 象 牙 を 奴 隷 に担 が せ て 海 岸 ま で 運 び 出 す 。 象 牙 は ヨー ロ ッパ へ 運 ば れ 、 奴 隷 は 、 ザ ン ジバ ル の プ ラ ンテ ー シ ョ ンで 使 い 後 は 売 り払 う。 こ の よ う な ル ー トの 他 に も、 タ ボ ラ か ら北 上 し、 ウ ガ ン ダ 王 朝 へ と向 か う ル ー ト、 あ る い はバ ガ モ ヨ よ り も南 の キ ル ワ か ら マ ラ ウ イ 湖 、 ザ ン ビア を 通 り、 ザ イ ー ル 南 部 の カ タ ン ガ 州 に入 っ て 行 く ル ー トも開 け て くる 。 私 が1964年 か ら フ ィー ル ドワー ク を した タ ンガ ニ イ カ 湖 畔 の 町 ウ ジ ジ は 、 交 易 ル ー トの の 大 きな 拠 点 で あ る。 こ こは1972年 に 、 行 方 不 明 に な っ て い た リ ビ ン グ ス トー ン を ス タ ン レー が 発 見 した こ とで 有 名 だ が 、 拡 大 期 に は ア ラ ブ の セ ツ ル メ ン トが で き 、 そ の 近 辺 に 市 場 が 開 か れ 始 め た 。 周 辺 の 人 達 が 色 々 な 作 物 や 漁 獲 物 を 売 り に 来 る 。1770年 の 後 半 に再 び ウ ジ ジ を 訪 ね た ス タ ン レー の 記 録 は 、 現 在 の ウ ジ ジの 市 場 の 基 本 的 な 構 成 と あ ま り変 わ らな い 。 ウ ジ ジ の 市 場 周 辺 に も い くつ か の グル ー プ が 集 ま って き た 。 奴 隷 と して 連 れ られ この 地 域 に 住 み 着 い た マ ニ エ マ 人 、 コ ンゴ 系 の 漁 業 民 達 、 以 前 か ら住 ん で い た 牛 を 持 っ た ジ ジ農 耕 民 、 そ の 中 か ら ウ ジ ジ と い う都 市 に色 々 な 形 で 結 び っ く人 々 が 出 て くる 。 彼 ら は海 岸 か ら き た ア ラ ブ 人 よ り も、 む しろ 自分 達 とあ ま り色 の 違 わ な い ス ワ ヒ リの 洗 練 さ れ た 商 人 達 を 眺 め 、 一 種 の 憧 れ を持 っ た に 違 い な い 。 特 に奴 隷 民 で あ った マ ニ エ マ 系 の 人 々 は 、 イ ス ラ ー ム に 改 宗 す れ ば 早 く解 放 さ れ る こ と もあ っ た 。 海 岸 の ス ワ ヒ リ商 人 達 を 真 似 し、 イ ス ラ ー ム教 徒 に 改 宗 して い く。 異 な る部 族 か ら出 て きた 人 達 が 、 ウ ジ ジ の 市 民 と して 「我 々 ス ワ ヒ リ」 と い う意 識 を 持 っ よ う に な っ た 。 現 在 で も、 ウ ジ ジは80ぐ ら い の 異 な る部 族 の 出 身 者 か ら構 成 され て い るが 、 そ の 中 核 に あ る イ ス ラ ー ム 教 徒 達 は 基 本 的 に 「我 々 ス ワ ヒ リ」 とい う意 識 を共 有 して い る。 た だ 、 そ の 意 識 が そ れ ぞ れ の 部 族 帰 属 意 識 を 超 え るか ど うか は わ か ら な い 。 少 な くと も東 ア フ リ カで は、 異 な る 部 族 の 出 身 者 が 集 ま っ た 集 落 で イ ス ラ ー ム 教 徒 と な っ た 人 々 の 間 に は 、 「我 々 ス ワ ヒ リ」 と い う共 通 意 識 が 持 た れ て い る と言 え る だ ろ う。 東 ア フ リカ に お け る ア ラ ブ の 内 陸 交 易 ル ー トと イ ス ラ ー ム 分 布 は 、 基 本 的 にか な り一 致 して い る 。 さ ら に ス ワ ヒ リの 都 市 が 、 植 民 地 時 代 以 前 に 既 に 内 陸 の ア ラ ブ交 易 ル ー トに 沿 っ た形 で 発 達 を始 め て い た。 これ が 東 ア フ リカ の 都 市 文 化 の 一 っ の 基 本 と考 え られ るだ ろ う。 ア ラ ブ 商 人 、 ス ワ ヒ リ商 人 の 内 陸 浸 透 に よ り、 ス ワ ヒ リ文 化 が 内 陸 に拡 大 した が 、 この 時 期 は ア ラ ブ の 交 易 ル ー トに 沿 っ た 線 的 な 展 開 だ った 。 と こ ろ が 植 民 地 時 代 に な って さ らに 、 ス ワ ヒ リ文 化 が 内 陸 の も っ と 広 い地 域 に 拡 大 して い く。 皮 肉 に も植 民 地 政 策 が ス ワ ヒ リ文 化 を 拡 大 させ る要 因 と な って い る 。 植 民 地 政 府 が 最 初 に この 植 民 地 を 経 営 す る場 合 、 現 地 の イ ス ラ ム 教 徒 達 を 臼分 の 手 先 と して 雇 っ た 。 道 先 案 内 人 、 あ る い は農 園 で の 通 訳 、 労 働 監 督 者 、 徴 税 請 負 人 、 こ の 他 5 に 労 働 力 を集 め に い く こ と も、 ス ワ ヒ リ商 人 や ア ラ ブ 商 人 を 起 用 して い る。 植 民 地 の 進 展 と 共 に 発 達 して き た都 市 に は、 大 勢 の イ ス ラ ム教 徒 達 が 住 み 着 き 、 植 民 地 地 域 全 体 に わ た って ス ワ ヒ リ文 化 が 拡 大 して い く こ と に な る。 特 に タ ンザ ニ ア は 、 ザ ン ジバ ル と 内 陸 の タ ン ガ ニ イ カ が 併 合 す る 形 で1964年 に 発 足 した 国 で 、 タ ン ガ ニ イ カ の 部 分 は か っ て は ドイ ツ の 植 民 地 だ っ た。 他 の フ ラ ンス や イギ リス の 植 民 地 で は 、 フ ラ ンス 語 や 英 語 の 使 用 を 強 制 した が 、 こ こで は む しろ ス ワ ヒ リ語 を 広 げ る こ と を 奨 励 し、 あ る時 期 か ら は辞 書 や 教 科 書 も 出 て くる。 ス ワ ヒ リ文 化 の 基 本 的 な構 成 要 素 で あ る ス ワ ヒ リ語 を 通 じて 、 ス ワ ヒ リ文 化 は植 民 地 時 代 に 内 陸 に 広 が って い っ た 。 さ らに 内 陸 の ス ワ ヒ リ都 市 が 植 民 地 に お け る貨 幣 経 済 に よ って 発 展 して い く。 例 え ば ウ ジ ジ で 捕 れ る ダ ガ ー と い う魚 が 、 ザ ン ビア の 鉱 山 地 帯 や 、 タ ンザ ニ ア 、 ケ ニ ア の 内 陸 の 多 くの プ ラ ンテ ー シ ョ ンで 、 非 常 に安 い蛋 白 源 と して 使 わ れ る よ う に な る。 も ち ろ ん そ の 背 景 に は1914年 に 鉄 道 が 敷 か れ 、 輸 送 力 が 増 した こ と も 関 係 す るだ ろ う。 この よ う に して 内 陸 の ス ワ ヒ リ都 市 が 発 達 す る と 同 時 に 、 植 民 地 時 代 に は ヨ ー ロ ッパ 植 民 地 文 化 が 内 陸 に も拡 大 して い く こ と に な る。 東 ア フ リカ の 場 合 、 ス ワ ヒ リ文 化 が 沿 岸 部 か ら 内 陸 に拡 大 し、 そ れ を 追 い か け る形 で 植 民 地 文 化 が 再 度 海 岸 部 か ら広 が って い く。 ザ ン ジバ ル は ス ワ ヒ リ文 化 の 最 初 の 先 進 的 な 地 域 で あ る と共 に、 植 民 地 文 化 の 先 進 的 な 地 域 で もあ る 。 西 ア フ リカ で は 、 イ ス ラ ー ム 化 は北 か ら起 こ り、 ヨ ー ロ ッパ 化 は 南 の 海 岸 部 か ら起 きた と い う、 文 化 接 触 の 特 性 に 違 い が 見 られ る。 東 ア フ リカ の 内 陸 部 に 拡 大 した ス ワ ヒ リ文 化 は、 そ の 結 果 と して4っ の社 会の類型 を形 成 し た 。 沿 岸 部 ス ワ ヒ リマ ジ ョ リテ ィ地 域 。 タ ボ ラ 、 ウ ジ ジ の よ うな 内 陸 部 ス ワ ヒ リマ ジ ョ リテ ィ 地 域 。 そ して ス ク マ や ニ ャ ム ウ ェ ジ、 そ の 他 の 早 い 時 期 か ら 内 陸 か らの 交 易 を 担 って い た グ ル ー プか ら成 立 した 、 伝 統 的 な 部 族 社 会 の イ ス ラ ー ム化 に よ る ス ワ ヒ リマ イ ノ リテ ィ地 域 。 も う一 っ は 全 くイ ス ラ ー ム 教 が 入 らな か った マ サ イ の よ うな 内 陸 の ノ ン イ ス ラ ー ム地 域 で あ る。 東 ア フ リカ 沿 岸 部 で 形 成 され た ス ワ ヒ リ文 化 に は 、5っ の 構成要 素 を挙 げ ることがで きる。 一 っ に は 人 種 的 特 性 が あ る。 ス ワ ヒ リ文 化 を 形 成 し、 拡 大 さ せ て い く担 い手 と して の ア フ ロ ・ ア ジ ア 的 な混 血 民 で あ る。 海 岸 に 住 む 混 血 民 達 も、19世 紀 か ら は ア ラ ブ 商 人 と と も に、 キ ャ ラ バ ン ル ー トに 沿 って 内 陸 に 出 か け る よ う に な っ た 。 二 番 目 は 都 市 性 が 考 え られ る 。 海 岸 で ス ワ ヒ リ文 化 が 発 達 した 場 所 は 基 本 的 に港 の 都 市 で あ り 、 ス ワ ヒ リ文 化 の 形 成 、 拡 大 の 場 の 社 会 的 特 性 に な る 。 三 番 目 に は イ ス ラ ー ム 教 が あ る。7世 紀 に で きた イ ス ラ ー ム 教 に 加 わ る 形 で は あ っ た が 、 ス ワ ヒ リ文 化 を 規 定 す る 内 面 的 な 要 素 と な る。 宗 教 、 信 仰 、 法 の 体 系 、 価 値 体 系 が 6 こ の 中 に 入 る。 四 番 目 に ス ワ ヒ リ的 生 活 様 式 が あ る。 こ れ は ス ワ ヒ リ文 化 を 規 定 す る 外 面 的 要 素 で あ り、 例 え ば 挨 拶 の 仕 方 や 衣 食 住 、 技 術 な どの 特 性 とい う こ と に な る。 衣 は も ち ろ ん イ ス ラ ー ム 帽 に カ ンズ と い う 白 い 服 で 、 女 性 は カ ンガ を 巻 く。 食 は 、 伝 統 的 な ウ ガ リ と い う練 り粥 に 対 して 、 米 も食 べ る よ う に な る。 住 で は ア フ リカ の 伝 統 的 な 丸 い家 に 対 し、 四 角 い 長 方 形 の. 家 が 建 て られ て い く。 そ して 最 後 に 、 言 葉 の 特 性 と して ス ワ ヒ リ語 が あ る。 ス ワ ヒ リ語 は海 岸 部 で 発 達 し、 内 陸 部 に交 易 の 言 葉 と して 広 が って い った 。 ス ワ ヒ リ文 化 を保 持 し伝 達 す る手 段 的 装 置 で あ る。 こ の 五 っ が ス ワ ヒ リ文 化 の 基 本 的 な構 成 要 素 と して 考 え られ 、 最 も内 面 的 な 人 種 的 特 性 か ら、 外 に 広 く拡 大 す る可 能 性 の あ る ス ワ ヒ リ語 まで の レベ ル が 考 え られ る 。 1968年 に書 い た 私 の 論 文 で は 、 この 五 っ の 構 成 要 素 が ス ワ ヒ リ文 化 の 拡 大 に よ って 一 っ 一 っ 落 ち て い くこ とを 提 言 した 。 東 ア フ リカ の 海 岸 部 で は こ の 五 っ が 揃 わ な い と ス ワ ヒ リで は な い。 だ が ウ ジ ジの 人 々 は 「我 々 ス ワ ヒ リ」 と い う共 通 意 識 を 持 ち な が ら、 混 血 民 で は な く様 々 な 内 陸 部 の 部 族 出 身 者 達 で 構 成 さ れ て い る。 た だ 、 都 市 に 住 む イ ス ラ ー ム 教 徒 で 、 ス ワ ヒ リ的 な 生 活 様 式 を 営 み 、 ス ワ ヒ リ語 を 自分 の 母 語 の よ う に して い る。 も っ と内 陸 の マ ン ゴ ー ラ は 、 植 民 地 時 代 に計 画 的 に 農 地 化 され 、 公 募 に よ って 人 を 集 め る形 で 成 立 し た 開 拓 社 会 で あ る。 様 々 に 異 な る部 族 出 身 者 達 が 集 ま り 、一 つ の 開 拓 社 会 を 形 成 して い る。 そ の 多 く は 都 市 経 験 の あ る イ ス ラ ー ム マ イ ノ リテ ィ地 域 か らの 出 身 で あ る 。 彼 らが 持 っ た 共 通 意 識 も 「我 々 ス ワ ヒ リ」 だ が 、 この ス ワ ヒ リに は 二 っ の レベ ル が あ る。 周 辺 の 牧 畜 民 、 半 農 半 牧 民 、 狩 猟 採 集 民 と の 関 わ りの 中 で は 、 農 耕 開 拓 民 と して の 「ス ワ ヒ リ」 と い う意 識 で あ り、 そ の 中 に は キ リス ト教 徒 も含 まれ て い る。 と こ ろ が 、 特 に 彼 らの 中 の イ ス ラ ー ム 教 徒 が 「我 々 ス ワ ヒ リ」 と い う時 に は、 ク リス チ ャ ンを 除 い た イ ス ラ ー ム教 徒 だ け の 「ス ワ ヒ リ」 と い う意 識 と して 持 た れ て い る。 っ ま り、 包 括 的 な ス ワ ヒ リ意 識 と限 定 的 な ス ワ ヒ リ意 識 と い う 二 重 性 が あ る 。 マ ン ゴ ー ラ に お い て は人 種 的 特 性 だ け で な く、 都 市 性 と い う構 成 要 素 も抜 け 落 ち る。 イ ス ラ ー ム 教 徒 、 ス ワ ヒ リ的 生 活 様 式 、 ス ワ ヒ リ語 を 喋 る こ とが ス ワ ヒ リの 条 件 と な る が 、 更 に そ の 中 の 特 定 の 人 々 は キ リス ト教 徒 も ス ワ ヒ リ に含 ま れ 、 イ ス ラ ー ム教 の 要 素 も落 ち て しま う。 で は ノ ンイ ス ラ ー ム地 域 で は ど う だ ろ う。 マ サ イ の 集 落 で タ ンザ ニ ア 政 府 の役 人 達 が 演 説 す る時 は 、 マ サ イ語 で は な くス ワ ヒ リ語 で 喋 る の だ が 、 多 くは ネ ク タ イを 締 め て 、 背 広 を 着 て い る人 達 だ 。 マ サ イ か ら見 れ ば 、 彼 ら は ス ワ ヒ リ語 を 喋 る 「ス ワ ヒ リ」 で あ る。 ス ワ ヒ リ語 さえ 話 せ れ ば 「ス ワ ヒ リ」 と い う こ とに な って し ま う。 ス ワ ヒ リ文 化 の 歴 史 的 に 作 られ た 構 成 要 素 が 、 地 域 的 拡 大 、 時 代 的 な 移 行 の 中 で 、 一 っ 一 っ が 欠 落 して い く こ と に な る。 7 西 欧 植 民 地 化 に つ い て も、 ス ワ ヒ リ化 と 同 じよ う な現 象 が あ る。 ス ワ ヒ リ化 の過 程 、 植 民 地 化 の 過 程 を 考 え た 時 に 、 文 化 の 五 つ の 構 成 要 素 は 、 文 化 接 触 の 過 程 で は あ る 種 の方 法 論 的 な意 味 を持 っ の で は な い か 。 文 化 接 触 に お け る セ オ リ ー を 考 え て み た。 まず 、 個 々 の エ ス ニ ッ ク集 団 が あ る 。 そ の 集 団 の 血 縁 意 識 で 基 礎 的 に 作 られ る 人 種 的 特 性 が あ る。 地 域 的 な 特 性 と して の 地 縁 性 、 つ ま り彼 らの 集 団 が お か れ た 自然 的 文 化 的環 境 特 性 に 規 定 され っ っ 、 歴 史 的 に 作 られ て き た諸 特 性 、 特 に 牧 畜 民 、 農 耕 民 と い う生 産 特 性 が 関 わ って く る。 エ ス ニ ッ ク集 団 文 化 を 規 定 す る 内 面 的 要 素 と して は、 個 々 の 部 族 が 持 る宗 教 、 価 値 体 系 、 信 念 体 系 、 法 とい う も の が あ る 。 エ ス ニ ッ ク な 集 団 文 化 を 規 定 す る外 面 的 な 要 素 と して は 、 彼 らの 生 活 様 式 、 衣 食 住 、 行 動 様 式 、 技 術 、 物 質 文 化 等 が あ る。 そ して 最 後 に 集 団 文 化 を 保 持 し 伝 達 す る 手 段 的 装 置 と して の 言 語 が 考 え られ る 。 この よ う な伝 統 的 な 社 会 が 異 な る 文 化 と接 触 した場 合 を 、 私 の 経 験 か ら述 べ て お き た い。 一 つ の 伝 統 的 な 社 会 に 支 え られ て き た トン グ ウ ェを 例 に 紹 介 して み よ う。 ス ワ ヒ リ文 化 との 接 触 に よ っ て 最 初 に 起 こ る の は、 ス ワ ヒ リ語 と トン グ ウ ェ語 を バ イ リ ンガ ル に 話 す よ うに な る こ と だ 。 家 で は トン グ ウ ェ語 を 喋 り、 町 に 出 れ ば ス ワ ヒ リ語 を 喋 る と い う使 い 分 け が な さ れ る 。 そ の 次 に 、 ス ワ ヒ リ的 な 服 装 が を 取 り入 れ られ 、 祝 日 に は米 を 食 べ る よ う な 食 習 慣 の 使 い 分 け が 出 て く る 。 更 に ス ワ ヒ リ化 が 進 む と、 そ の 中 か ら特 に 都 市 と関 わ り を 持 っ 人 々 の 多 くが イ ス ラ ー ム 教 に 改 宗 す る こ と に な る。 ス ワ ヒ リ文 化 を身 に つ け イ ス ラ ー ム 教 徒 に 改 宗 した 人 は 、 都 市 に 移 り住 ん で も、 そ れ ほ ど 大 き な 違 和 感 が な い 。 た だ し人 種 的 特 性 だ け は消 す こ と はで きな い と い う状 況 で あ る。 植 民 地 文 化 と の 接 触 で も同 じよ う に考 え られ る 。 東 ア フ リカ で は ス ワ ヒ リ文 化 の 内 陸 拡 大 と ほ ぼ 同 じル ー トを 通 って 、 そ の 後 の 植 民 地 文 化 も拡 大 して い っ た 。 植 民 地(西 欧)文 化 で も五 っ の 構 成 要 素 か ら考 え れ ば 、 植 民 地 文 化 を 保 持 し伝 達 す る手 段 的 要 素 、 植 民 地 共 通 語 と して は、 東 ア フ リカ の 場 合 に は 英 語 とな る 。 植 民 地 文 化 を 規 定 す る外 面 的 要 素 は 西 欧 的 な 生 活 様 式 、 行 動 様 式 、 衣 食 住 、 技 術 、 物 質 文 化 で 、 内 面 的 要 素 と して は 、 キ リス ト教 、 西 欧 的 価 値 体 系 、 植 民 地 法 な ど が 入 る6そ して 植 民 地 文 化 は都 市 づ た い に 拡 大 して お り、 や は り都 市 性 と い う要 素 が 入 り、 最 後 に は 人 種 的 特 性 と して の ヨ ー ロ ッパ 人 が 挙 げ られ る が 、 これ もや は り接 触 しえ な い要素 「 と して 残 る こ と に な る。 現 実 に 東 ア フ リカ の 地 域 で は 、 まず 外 側 の 三 要 素 が 重 な って き た 。 多 くの 人 が 部 族 語 、 ス ワ ヒ リ語 、 英 語 を トラ イ リ ンガ ル に 話 し、 ウガ リ、 米 の 他 に もパ ンや ドー ナ ツ を 食 べ る よ う に な る。 服 装 も腰 巻 き か ら カ ン ガ 、 更 に そ こ に 靴 下 や 靴 を 履 い た り、 カ ンズ の 上 に背 広 の コ ー ト 8 図3東 ア フ リカ に お け る文 化 接 触 の概 念 的 構 造 を 着 るの が 正 式 の 服 装 に な る 。 さ らに そ の 次 に は、 キ リス ト教 と イ ス ラ ー ム 教 の 衝 突 が あ る。 東 ア フ リカ で 特 徴 的 な こ との 一 つ に 、 イ ス ラ ー ム 教 徒 か らキ リス ト教 徒 へ 、 あ る い は キ リス ト 教 徒 か らイ ス ラ ー ム教 徒 へ の 改 宗 が 、 我 々 が 考 え る よ り もず っ と容 易 に 起 こ る。 現 在 で も宗 教 運 動 は非常 に盛 んで 、 それ ぞ れ勧 誘 の演 説 会 を開 け ば、改 宗 す る者 が 出て くる。 ま た、 イ ス ラ ー ム 教 徒 で あ って も、 普 段 の 日常 生 活 は 西 欧 的 な価 値 体 系 の 中 に身 を 置 い て い る。 モ ス ク に 行 く時 に は イ ス ラ ー ム の 服 を 着 て 行 って も、 役 所 へ 行 く と き に は 背 広 に ネ ク タ イ で 出 か け て い く。 イ ス ラ ー ム 教 徒 で あ る と 共 に 、 ヨ ー ロ ッパ 的 な生 活 様 式 が ご く普 通 に行 わ れ て い る 。 都 市 文 化 と して の 観 点 か ら言 え ば 、 植 民 地 の 都 市 文 化 とス ワ ヒ リ的 な 都 市 文 化 は、 多 くの 都 市 で 新 市 街 と 旧 市 街 と い う形 で 現 れ て い る。 例 え ば植 民 地 都 市 の 典 型 で あ るケ ニ アの ナ イ ロ ビ で も、 南 の 方 に は イ ス ラ ー ム 教 徒 達 の コ ロニ ー が で きて くる。 ダ ル ・エ ス ・サ ラ ー ム で も中 心 地 域 の 非 常 に 近 代 的 な 所 が あ る と 同 時 に 、 マ ゴ メ ニ と い うイ ス ラ ー ム 教 徒 達 が 住 む 地 域 も広 が って くる。 文 化 接 触 の 過 程 は 、 ま ず ス ワ ヒ リ文 化 と部 族 文 化 が 接 触 す る。 文 化 要 素 の 周 辺 部 か ら変 化 し、 最 初 は部 族 語 と ス ワ ヒ リ語 の バ イ リ ンガ ル か ら始 ま る。 植 民 地 文 化 との 接 触 も同 じよ う に 考 え られ る。 東 ア フ リカ の 異 な る 部 族 が 集 ま った 都 市 的 文 化 の 、 一 番 の 基 礎 的 部 分 は ス ワ ヒ リで あ る 。 さ ら に植 民 地 以 後 に は 国 民 社 会 の 時 代 が 到 来 し、 ア フ リカ の 国 の 殆 ど が 植 民 地 時 代 の 領 土 に よ って 国 境 を 規 定 さ れ 、 そ の 中 で の 国 家 形 成 、 国 民 社 会 形 成 が 行 わ れ て きて お り、 非 常 に ア ー テ ィ フ ィ シ ャ ル な要 素 を 持 つ こ と に な る 。 ア フ リカ の 伝 統 的 な社 会 の 特 徴 は 、 部 族 本 位 制 社 会 で あ る。 ア フ リカ の 多 くの 人 々 は 、 基 本 的 に そ れ ぞ れ が 属 す る部 族 を 一 っ の イ ンデ ッ ク ス に して 、 多 部 族 共 生 の 広 域 社 会 を 作 って い る。 一 っ の地域 の中 に多種多 様 な部族 が いて、様 々な接 触 はあ るが、 ある特定 の グル ープを皆 殺 し 9 にす る こ と は考 え も しな い 。 個 々 の 集 団 と して 共 生 す る社 会 で あ る。 私 は さ らに 部 族 際 社 会 と い う こ と を 考 え て い る。 多 くの 部 族 が 個 々 の 特 性 を 持 ち 、 略 奪 や 亡 命 あ る い は 平 和 理 に メ ン バ ー の 交 換 を し、 あ る い は そ れ ぞ れ の グ ル ー プ の 生 産 特 性 を 通 じて の 交 易 や 情 報 交 換 等 で 、 彼 らの 部 族 際 社 会 が 成 立 して き た 。 そ こ に ス ワ ヒ リ化 、 植 民 地 化 が 起 こ っ た の で はな い か 。 一 方 、 植 民 地 を 基 礎 に して 成 立 した 国 民 社 会 は、 全 く伝 統 的 な 社 会 と は 関 係 が な く形 成 され る。 マ ー ドッ クの 部 族 の 分 布 地 図 と、 現 在 の 国 民 社 会 の 地 図 を 重 ね て み て も 、 非 常 に 多 くの グ ル ー プが 二 っ 以 上 の 植 民 地 に 分 割 さ れ て い た り、 ナ イ ジ ェ リア の よ う に約200も の 異 な る部 族 文 化 を 抱 え て い る国 も あ る。 この 国 民 社 会 は あ る意 味 で は植 民 地 と 同 じよ う に 、 ア ー テ ィ フ ィ シ ャル な 後 か ら作 り上 げ た 社 会 で あ る。 多 くの 国 が 一 党 独 裁 制 で 、 ア フ リカ 的社 会 主 義 や マ ル ク ス 主 義 的 な 社 会 主 義 ま で 含 め て 、 国 民 の 自 由 な 言 動 は許 さ な い 。 特 に 個 々 の 伝 統 的 な 部 族 社 会 が 自分 達 の 独 自性 を 言 い 出 せ ば 、 これ は 遅 れ た トラ イバ リズ ム で あ る とい う形 で 弾 圧 の 対 象 にす る。 これ は 植 民 地 時 代 か ら起 こ って きた こ とで あ り 、 そ れ は 国 民 社 会 の 中 に も引 き継 が れ て い く こ と に な る。 そ こで 各 国 は そ れ ぞ れ に強 い ス ロー ガ ン を 持 っ こ と に な る。 東 ア フ リカ で も例 外 で は な く、 特 に タ ンザ ニ ア に お い て は、 ザ ン ジバ ル と い う ス ワ ヒ リ文 化 発 祥 の 中 心 地 と 、 内 陸 の ス ワ ヒ リ 文 化 が 拡 大 され た地 域 とで 国 を 作 った こ と もあ り、 国 民 文 化 の 基 礎 的 な 部 分 に ス ワ ヒ リ文 化 が 置 か れ て い る。 タ ンザ ニ ア の 国 民 文 化 を 先 程 の 五 っ の 要 素 で 考 え て み る と、 人 種 的 な 特 性 は基 本 的 に は ア フ リカ 人 で あ る。 だ が 、 タ ンザ ニ ア 国 民 社 会 形 成 に 貢 献 す る ア ジ ア 人 や ヨ ー ロ ッパ 人 との 協 調 が 言 わ れ 、 国 民 社 会 形 成 に協 力 す る者 な らば 、 ヨ ー ロ ッパ 人 で もア ジ ア 人 で も い い。 社 会 的 特 性 と して はCCM(革 命 党)に よ る一 党 制 の 政 治 体 制 で 、 貨 幣 経 済 体 制 を 基 礎 に した 自立 的 国 民 社 会 で あ る。 これ に は トラ イ バ リズ ム の 排 斥 も含 まれ て くる 。 国 民 社 会 を 規 定 す る 内 面 的 な 要 素 と して は 、 タ ンザ ニ ア 的 価 値 体 系 と い う こ と に な る 。1978年 の ア ル ー シ ャ 宣 言 で 、 ニ エ レ レが 示 した ウ ジ ャ マ ー と い う思 想 が あ る 。 こ れ は ア フ リカ 的 社 会 主 義 で 、 ア フ リ カ に は 伝 統 的 に 元 々社 会 主 義 的 な 考 え 方 、 コ ミュ ナ リズ ム が あ っ た と して 、 これ を 「ウ ジ ャマ ー 」 と した。 そ の ウ ジ ャ マ ー 思 想 に基 づ く国 民 文 化 、 あ る い は 国 法 や 信 仰 等 が 考 え られ る。 国 民 文 化 を 規 定 す る 外 面 的 要 素 と して の タ ンザ ニ ア 的 行 動 様 式 は 、 衣 食 住 の 習 慣 、 技 術 、 物 質 文 化 で あ る。 例 え ば 人 々 が 仲 間 を ン ドゥ グ(同 志)と い う呼 び 方 で 挨 拶 を し た り、 背 広 に 代 え て 、 エ リー ト達 は 詰 め 襟 の 服 を 採 用 す る 。 そ し て 国 の 基 本 的 な 教 育 語(国 語)を ス ワ ヒ リ語 と し、 国 民 文 化 を 保 持 し、 伝 達 す る手 段 装 置 で あ る。 同 時 に 国 際 語 、 第 二 の 公 用 語 と して 英 語 も使 用 さ れ るが 、 基 本 的 に は ス ワ ヒ リ語 を基 礎 と した 国 民 文 化 が こ こ に 起 こ って くる。 io タ ンザ ニ ア の 国 民 文 化 の ス ロ ー ガ ンを 見 る と 、 非 常 に ス ワ ヒ リ的 な 要 素 との 関 わ りが 深 い 。 例 え ば トラ イ バ リズ ム を 超 え た 一 つ の 全 体 的 な 国 民 像 も、 か っ て の 「ス ワ ヒ リ」 と い う共 通 意 識 を モ デ ル に して き た と考 え られ る。AA研 で 「ア フ リ カ に お け る 都 市 化 の 比 較 研 究 」 と い う プ ロ ジ ェ ク トが あ り、 そ こ で1989年 に 「ス ワ ヒ リ化 に っ い て 」 とい う シ ンポ ジ ウム を 開 い た こ とが あ る。 この 時 の 報 告 者 に 一 致 し た こ と は 、 国 民 教 育 が 住 民 に と って の 「ス ワ ヒ リ化 」 と し て 捉 え られ る こ と だ った 。 行 政 活 動 の 全 て が ス ワ ヒ リ語 を 基 本 と して い る。 役 所 の 掲 示 、 ラ ジ オ 広 報 、 選 挙 演 説 は 全 て ス ワ ヒ リ語 で 行 わ れ 、 成 人 に対 す る識 字 教 育 は も ち ろ ん 、 小 学 校 か ら 中 学 ま で の 学 校 教 育 もス ワ ヒ リ語 で あ る。 ス ワ ヒ リ語 に よ る小 説 や劇 画 もゲ リ ラ的 と言 え る ほ ど数 多 く出版 され る よ う に な り、 ス ワ ヒ リ語 の 普 及 の バ ッ ク グ ラ ン ドに あ る ス ワ ヒ リ文 化 が め ざ ま し く拡 大 して きて い る 。 そ こで 面 白 い 現 象 が 起 こ って きて い る。 タ ンザ ニ ア を 始 め 、 東 ア フ リカ の 地 域 の ス ワ ヒ リ語 に は い くつ か の 方 言 が あ る が 、 ザ ン ジバ ル の 方 言 を ス タ ン ダ ー ドに す る こ とが 植 民 地 時 代 に決 め られ た 。 基 本 的 に は ス ワ ヒ リ語 の 文 法 や語 彙 の 基 礎 と して 、 ザ ン ジバ ル の 方 言 が 使 わ れ 、 タ ンザ ニ ア で もケ ニ ア で も教 育 語 の ス ワ ヒ リ語 と して 規 定 さ れ た 。 と こ ろ が 同 時 に、 タ ンザ ニ ア や ケ ニ ア と い う国 が 発 達 す る 中 で 、 ヨー ロ ッパ 的 な 概 念 や 科 学 用 語 を ス ワ ヒ リ語 に 変 換 す る必 要 が 生 じて くる 。 教 育 で 使 う タ ー ム の ス ワ ヒ リ語 化 で あ る。 そ れ が 教 育 語 の 中 に取 り入 れ られ る と 、 元 々 ス ワ ヒ リの 標 準 語 で あ っ た ザ ン ジバ ル で 、教 育 語 と して の ス ワ ヒ リ語 が 理 解 で き な い と い う現 象 が 起 き て き た 。 ザ ン ジバ ル で は ス ワ ヒ リ文 化 の 再 ス ワ ヒ リ化 が 起 こ って い る。 この よ う に ス ワ ヒ リ文 化 が 東 ア フ リカ 内 陸 部 を ス ワ ヒ リ化 して い く過 程 、 さ らに植 民 地 化 、 国 民 社 会 の 形 成 の 中 で 、 内 陸 ま で 含 ん だ 部 族 を 超 え た 共 通 文 化 が 、 ス ワ ヒ リ語 と い う共 通 言 語 の 機 能 も含 め た 形 で 東 ア フ リカ 全 体 を 覆 って い る。 個 々 の部 族 の帰 属 意 識 も本 音 と して あ りな が ら、 同 時 に建 て 前 と して の 国 民 意 識 に は 、 ス ワ ヒ リ文 化 を 基 礎 に した 共 通 性 が 見 られ るの で は な いか 。 そ こ に ス ワ ヒ リ化 の 歴 史 的 機 能 、 地 域 的 機 能 、 社 会 的 機 能 が 見 られ る の で は な い だ ろ うか 。 参 考 文 献 日 野 舜 也.1969.「 HINO.S 東 ア フ リ カ に お け る ス ワ ヒ リ に つ い て 」 ・rア ジ ア 経 済 』10-2,pp.4-28. ,1974."SwahiliinEastAfrica"SeminorPaper,InstituteofAfricanStud- ies,UniversityofNairobi 日 野 舜 也.1980.「 . 東 ア フ リ カ に お け る ス ワ ヒ リ 認 識 の 地 域 的 構 造 」 ・rア 11 フ リカ 社 会 の 形 成 と 展 開:地 域 ・都 市 ・言 語 』(冨 川 盛 道 編)・173-226頁 ・同 胞 舎 HINO,S,1980.`TerritorialStructureoftheSwahiliConceptandSocialFunctionof SwahiliCulture'"SenriEthnologicalStudies"6,pp,93-124 日 野 舜 也.1984.「 亘 ア フ リ カ で ム ス リ ム に な る こ と 」 ・rイ ・日野 舜 也 日 野 舜 也.1987.「 ・上 岡 弘 二 ・ 中 野 暁 雄 編)・117-147頁 日 野 舜 也.1988.「 ・1・ 総 論 』(三 木 ・東 洋 経 済 新 報 社 ス ワ ヒ リ 文 化 の 形 成 と 拡 大 」 ・r民 (川 田 順 造 編)・250-273頁 ス ラ ム世 界 の 人 々 族 の 世 界 史 ・黒 人 ア フ リ カ の 歴 史 世 界 』 ・山 川 出 版 社 部 族 本 位 制 社 会 か ら 国 民 社 会 へ:文 r民 族 と は 何 か 』(川 田 順 造 ・福 井 勝 義 編)・281-302頁 化 接 触 と ア イ デ ンテ ィ テ ィ の 考 察 」・ ・岩 波 書 店 HINO,S.1990,"Re-SwahilizationofSwahiliCulture:ACaseStudyofZanzibar", SeminorPaper,TaasisiyaKiswahilinaLughazaKigeni,Zanzibar. HINO ,S,1990,"Swahilization,WesternizationandNationalizationinTanzaniaー, SeminorPaper,InstituteofKiswahiliResearch,UniversityofDaresSallaam, 日 野 舜 也.1990.「 ア フ リカ に お け る イ ス ラ ー ム と キ リス く っ か の 事 件 か ら 」 ・rイ HINO ト教:タ ンザ ニ ア 国 民 社 会 を め ぐる い ス ラ ム の 都 市 性 研 究 報 告 』 ・80,1-27頁 ,S,1990,'Swahilization,WesternizationandNationalizationinTanzania', "Af ricanUrbanStudies"Vol.1,pp_1-26 HINO,S,1992,`SwahiliStudiesinJapan'"AfricanUrbanStudies"Vol.2,pp, 77-158 日 野 舜 也.1993.「 人 ・こ と ば ス ワ ヒ リ 社 会 調 査 法:日 ・ 文 化 』(宮 本 正 興 石 毛 直 道.1968.「 6-222頁 ・赤 坂 賢 本 に お け る ス ワ ヒ リ 社 会 研 究 」 ・rア ・ 日 野 舜 也 編)・238-251頁 フ リ カ 研 究: ・世 界 思 想 社 ス ワ ヒ リ 化 に っ い て 」・rア フ リ カ 社 会 の 研 究 』(今 西 錦 司r梅 樟 忠 夫 編)・21 ・西 村 書 店 和 崎 洋 一.1977.rス 和 崎 洋 一.1988.「 ワ ヒ リ の 世 界 に て 』 ・NHKブ ス ワ ヒ リ 化:サ ッ ク バ ン ナ の 自 己 運 動 」 ・r中 部 大 学 国 際 関 係 学 部 紀 要 』 ・4・ 1-13頁. 和 崎 洋 一.1989。 rア 文 化(特 に ア ラ ブ 文 化)に 対 す るバ ン ト ゥ の 対 応 に っ い て 」・ フ リ カ 研 究 』 ・35・65-100頁 和 崎 洋 一.1990.「 `6 「ス ワ ヒ リ 化:異 ス ワ ヒ リ化:バ ン ト ゥ の ア ラ ブ 化 に つ い て 」 ・r中 部 大 学 国 際 関 係 学 部 紀 要 』 ・1-39頁 12 コメ ン ト 高 谷 好 一 「ス ワ ヒ リ」 と い うの は 、 東 南 ア ジア で 言 え ば 、 「マ レ ー 」 の よ うな 印 象 を持 って い た が 、 話 を 伺 って ず い ぶ ん 違 う と い う 印 象 を受 け た 。 マ レー は ス ワ ヒ リに比 べ る とバ ラ エ テ ィが 少 な く、 文 化 の 幅 が 狭 く収 ま っ て い る。 ス ワ ヒ リは 海 か ら来 た イ ス ラ ー ム の 商 人 が 最 初 の 契 機 に な るが 、 内 陸 との 距 離 が 遠 くそ の 到 来 は時 間 的 に も長 引 い て い る 。 そ れ 故 に 、 結 果 的 に は 文 化 的 な 幅 が 生 じて き た の だ ろ う。 東 南 ア ジア は 山 が 近 く、 港 に着 け ば 瞬 く内 に 同 質 化 して しま う。 「ア フ リカ の 巨大 な 大 陸 」 、 「東 南 ア ジ アの 島 」 と い う違 い を 強 烈 に 感 じた 。 そ して 、 ス ワ ヒ リは 「い ま 生 き て い る 」 と 感 じ る。 と りわ け 国 民 国 家 を 形 成 す る際 に も、 そ の 混 合 性 そ の もの が 機 能 して い る。 マ レー は 接 触 ・混 合 と い う傾 向 は も う死 ん で しま って い る の で は な い か 。 あ る い は と うの 昔 に マ レ ー と い う もの が 形 作 られ て し ま って い て 、 い ま は も う固 着 して い る。 大 陸 で い ま動 い て い る ス ワ ヒ リ と、 多 島 海 で16、7世 紀 ぐらい に完成 され、 落 ち着 いて い るマ レー と い う違 い も強 烈 に感 じさ せ られ た 。 この 後 に 続 くサ ヘ ル や 内 陸 と の 比 較 材 料 の た め に も、 こ こで 東 南 ア ジ ア の 構 造 に っ い て 簡 単 に触 れ て お きた い 。 我 々 は 東 南 ア ジ ア を 大 陸 部 と島 娯 部 に分 け て い る。 大 陸 部 は南 方 上 座 部 仏 教 に よ って 覆 わ れ 、 島 填 部 は イ ス ラ ー ム が 覆 っ て い る 。 東 南 ア ジア を ア フ リカ と対 比 した 場 合 、 強 引 に言 って し まえ ば 大 陸 部 は サ ハ ラや サ ヘ ル に 近 い 。 も っ と も東 南 ア ジ ア の 大 陸 部 は砂 漠 で は な い。 気 候 も生 業 も全 く違 うの だ が 、 そ れ 以 外 に 歴 史 と い う観 点 か ら して も、 島 填 部 と比 べ る と、 そ れ よ り も早 く落 ち 着 い た と い う 印 象 が あ る。 島 喚 部 に は 「山 の 民 」 と 「 海 の 民 」 が い る。r山 の 民 」 は 山 の上 の 焼 き畑 民 で 、 や や 隔 絶 さ れ た 生 活 を して い る 。 そ れ に対 して 「海 の民 」 は 、 船 が 着 く と ころ に い る。 両 者 は 実 際 に は 関 係 して い るの だ が 、 普 段 は 接 触 の 少 な い もの と考 え て い い。 ス ワ ヒ リに 対 す る とす れ ば 、 そ れ は 「海 の 民 」 で あ ろ う し、 そ れ が 我 々の 言 う 「マ レー 」 で あ る。 と こ ろ で マ レー 世 界 は 、 ス ワ ヒ リと 同 様 に 交 易 の 場 で あ る が 、 そ れ と 同 時 に 生 活 の 場 で もあ る。 我 々が 言 う 「マ レー 」 は 、 マ レー 語 を話 しイ ス ラ ー ム を信 仰 す る と い う二 つ の 要 素 を 持 っ て い る。 元 々 は港 に あ って 、 混 血 的 な もの で あ っ た だ ろ うが 、 マ レー 語 が 育 っ て くる 背 景 の 中 で、 生 活 者 と して の マ レー に 落 ち着 いて い っ た 。 そ こ に は よ ほ ど の 長 い 歴 史 が あ った と考 え て い い。 マ レー も8世 紀 以 前 を 考 え れ ば 、 い まの 話 の ス ワ ヒ リ と 同 様 の 状 況 だ った だ ろ う。 そ の 頃 の 遺 13 跡 の 出 土 品 を 見 る と、 サ ン ス ク リ ッ トの 碑 文 が 出 て お り、 明 らか に イ ン ド人 が 来 て い た の が わ か る。 そ れ が8世 紀 頃 に な る と、 文 字 自 体 は サ ン ス ク リ ッ トだ が ロ ー カ ル な 言 葉 が 出 現 し、 島 喚部 で は 古 マ レー語 と な る。 そ れ らが 育 って 、 島 懊 部 で は マ レー 語 に な る。 元 は と言 え ば イ ン ドの 影 響 が あ っ た の が 、 古 マ レ ー 語 か ら マ レ ー 語 が 生 ま れ て くる よ う な 在 地 化 が あ る。 イ ス ラ ー ム化 は そ れ よ りず っ と遅 れ て 起 こ っ て くる 。 東 南 ア ジ ア で の イ ス ラ ー ム の 拡 大 は 、 ア ラ ブ に 近 い ス マ トラ 付 近 が13世 紀 の 終 わ り頃 に 始 ま っ た 。 そ れ 以 外 の 島 撰 部 の イ ス ラ ー ム 化 は16世 紀 頃 で あ ろ う。 永 き に わ た って 培 わ れ た マ レー 語 圏 に イ ス ラ ー ム が 乗 って い ま の マ レー 世 界 が 形 成 され た が 、 そ れ もか な りの 長 期 に わ た る過 程 で あ る 。 ス ワ ヒ リの 内 陸 へ の 拡 大 に は 時 間 的 な ズ レが 起 こ っ て い る ら し いが 、 マ レー で は 周 辺 へ の 波 及 は早 か っ た。 遠 隔 地 の 山 の 民 に ま で は到 達 しな か っ た が 、 大 部 分 の と こ ろ は ほ ぼ 同 時 的 に広 が った と 思 わ れ る。 ス ワ ヒ リ文 化 で は、 形 成 期 、 定 着 期 、 拡 大 期 と 分 け られ て い るが 、 東 南 ア ジ アで はそ れ らが 同 時 的 に 起 こ っ て い る 。 ス ワ ヒ リで は拡 大 期 の 植 民 地 時 代 に ヨ ー ロ ッパ が 入 って きて い るが 、 この 時 、 東 南 ア ジア の 場 合 は ヨ ー ロ ッパ 人 よ り も中 国 人 が 入 って き て い る。 ま た異 文 化 接 触 の 模 式 図 で 、 バ ー ム ク ーヘ ン の よ うな 図 を 描 か れ て い た が 、 これ を 東 南 ア ジ ア で 考 え る と、 少 し違 う。 東 南 ア ジ ア の 場 合 だ と、 プ ロ ト東 南 ア ジア の 輪 が あ り、 イ ン ドの 輪 、 そ の 上 に イ ス ラ ー ム の 輪 が 重 な って く る。 イ ン ドの 輪 が プ ロ ト東 南 ア ジ ァ に 重 な るの が 、5、 6世 紀 頃 で 、 イ ス ラ ー ム は16世 紀 頃 に 重 な って くる。 そ して か な り遅 れ て 近 代 ヨー ロ ッパ 、 あ るい は 中 国 が 入 って く る。 そ れ は あ ま り重 要 な もの に な っ て い な い 。 プ ロ ト東 南 ア ジ ア+イ ン ド+イ ス ラ ー ム と い う重 な りが 、16∼17世 紀 に は 既 に形 成 さ れ 、 時 間 が 経 っ に した が って 、 次 第 に熟 成 して い って い る 。 これ が 島 填 部 で あ る。 「い ま生 きて い る ス ワ ヒ リ文 化 」 が 、 現 在 の 地 域 統 合 で 効 いて い る と言 って お られ る 。 そ の 部 分 は 東 南 ア ジア で は何 に な る の だ ろ う か 。 こ こ に は海 民 と して の マ レー 人 の 世 界 が あ る。 そ して そ れ は 、 現 代 社 会 の 中 で 極 め て 上 手 に ア レ ン ジ され 、ASEANと ASEANは はASEANに い う形 で 生 きて い る 。 マ レー 世 界 の 延 長 線 上 に あ る もの と考 え て 良 い 。 とす れ ば 、 ア フ リカ の ス ワ ヒ リ 相 当 す る の だ ろ うか 。 14 質疑応 答 日野 私 も違 い が二 っ ば か りあ る よ うに思 う。 だ 島 撰 部全 体 を指 して お り、 マ レー 半 島 、 マ 一 つ は 東 ア フ リカ の 場 合 に は伝 統 的 な ア フ リ レー シア は そ の一 部 に す ぎな い 。 マ レー半 島 カ 文化 と イ ス ラ ー ム 、 そ して 西 欧 と い う、 そ だ け を考 え た場 合 は 、小 数 民 族 も少 な いが 、 の三 つ に単 純 化 で き る。 イ ン ドも入 って きた 東 南 ア ジア で も言 語 を200や300は 簡 単 に数 え が 、東 ア フ リカ に来 た イ ン ド人 は イ ス ラ ー ム られ るよ うな構 造 を持 って い る。 そ こ はむ し 教 徒 が 多 か った こ と と、 容 易 に文 化 が 融 合 し ろ 共 通 項 で 考 え た方 が い い。 な か った こ とが あ る。 東 南 ア ジアの 場 合 に は、 日野 イ ン ドや 中 国 の 文 化 な ど 、 様 々 な もの が 重 で起 こ って きた と考 え て い い の だ ろ うか 。 な って きて い る。 坪内 ア フ リカ は全 体 で 千 以 上 もの 異 な る部 族 に そ れ を 超 え た共 通 意 識 が イ ス ラ ー ム化 イ ス ラー ム で あ れ 、 マ レー 語 で あ れ 、 そ れ が 共通 化 して い った 。 そ の 意 味 で も ス ワ よ って 形 成 さ れ、 東 ア フ リカ だ け で も300か ヒ リは似 て い る。 ら400の 異 な る 部 族 が 共 生 して い る。 都 市 、 高谷 あ るい は 国 民 とい う別 の レベ ルで ま と ま る必 ンの 南 も含 め て 考 え て い る。 要 が 出 て きた 時 に 、 ス ワ ヒ リが 格 好 の モ デ ル 坪内 に な った 。 マ レー シア で の 異 文 化 接 触 は、 マ い だ ろ う。 私 が 興味 を持 った の は、 ス ワ ヒ リ レー とい う一 っ の 文 化 集 団 との 接 触 で あ り、 の基 本 構造 が都 市 だ とい う点 で 、 東 南 ア ジ ア 拡 大期 と定 着 期 が 一 緒 にな って 起 こ る よ うな と対 比 す る時 に一 つ の大 きな 要 素 に な る と思 同 質性 が あ った の で はな いか 。 う。 都 市 が相 当 に昔 か らあ った とい う話 だ っ 場所 と して は 島 撰 部 全 体 で 、 フ ィ リ ピ そ うい う意識 で議 論 を 展 開 した 方 が い 一 昨 年 、 「世 界 青 年 の 船 」 に乗 って 初 め て た が、そ の事 実を 確か め てお きたい。 イ ス マ ラ ッカ海 峡 を 通 った が 、 マ ラ ッカ海 峡 か ら ラー ム 化 以 前 に も、 都 市 が 伝 統 的 にあ っ たの ス リラ ン カ に行 き、 モ ル デ ィブ の そ ば を通 っ だ ろ うか 。 東 南 ア ジア を 考 え る時 、 確 か に マ て ケ ニ ア まで 行 った 。 広 い とい う思 い と同 時 ラ ッ カの よ うな 都 市 はあ る。 あ る時 期 に は人 に、 人 間 が 往 き来 で き な い こ と もな い とい う 口が10万 人 程 度 あ る し、 大 陸 部 の 方 に は10万 印 象 を 持 った 。 初 め て 東 南 ア ジア を そ うい う ク ラ スの 都 市 が い くっ か あ る。 だ が 、 基 本 的 形 で 見 る こ とが で きて 、 ス ワ ヒ リ世 界 との 関 に 東 南 ア ジ ア は都 市 が な い と考 え た 方 が い い。 わ りが 構 造 的 に掴 め た よ うに 思 う。 高 谷 さん の 言 う港 も、 人 口が1万 あ れ ば十 分 坪内 マ レー と言 え ば、 マ レー シア と想 像 す だ ろ う。 そ れ を 都 市 と考 え るか ど うか は別 と るの が 当 た り前 か も しれ な い が 、 高 谷 さん の して 、 日野 さん の 言 う伝 統 的 な都 市 の 大 き さ 言 う 「マ レー」 は、 イ ン ドネ シア を 含 み込 ん を まず 把 握 して お きた い。 15 東 南 ア ジア の場 合 、 都 市 は港 とい う概 念 で か考 え られ な い。 都 市 的 で はな いよ うな 、 例 基 本 的 に理 解 して い い と思 う。 日野 さん の 話 え ば ア フ リカ の伝 統 的 な 部 族 本 位 制 の 多 部 族 で は都 市 性 とい う要 素 は、 交 わ りに くい よ う 共 生 社 会 の 中で セ ン トラ リゼ ー シ ョンが 起 こ な本 質 要 素 と して 円 の 中 心 部 近 くに 位 置 して るとす れ ば 、征 服 に よ る中 心 化 現 象 や 、 あ る い る。 そ の 位 置 づ けを も う少 し理 解 して お き い は 交 易 に よ る中 心 化 現 象 で 、 並 列 的 な と こ た い。 っ ま り 日野 さん は都 市 を 本 質 と して 中 ろ に初 め て 一種 の 重 層 化 が 起 こ って くる。 そ 心 部 に お か れ た と思 うが 、 その 本 質 部 分 が 植 の 段 階 で はそ こに 都 市 、 あ る い は都 市 的 機 能 民 地 文 化 との 接 触 で は、 新 市 街 と 旧市 街 の よ を 想 定 しな け れ ば 議 論 で き な いの で はな いか 。 うに分 け られ 、 分 か れ た ま まで 合 体 す る と い ス ワ ヒ リ文 化 に して も植 民 地 文 化 に して も、 うよ うな 説 明 が あ った 。 東 南 ア ジ アで は少 し 基 本 的 に 周 辺 へ と拡 大 す る その 中 心 的 な もの 違 う扱 い が で き るの で は な いか と思 う。 は都 市 だ った 。 都 市 を 通 さ な けれ ば 広 が って 日野 いか な い と考 え て い る。 東 ア フ リカ に伝 統 的 に あ った港 は、 私 は都 市 と考 え て い る。 そ れ を都 市 と考 え る場 坪内 合 に は二 っ の 意 識 が あ る。 一 つ は相 対 的 な も 南 ア ジア で も全 く同 じだ 。 例 え ば東 南 ア ジア の で 、 他 に そ うい う形 の社 会 が 全 くな い と こ の 人 口1000と い う小 さ な集 落 で も、 基 本 的 に ろで 、 交 易 を主 と した 町 が で きた場 合 は都 市 は港 は都 市 だ とい う理 解 が あ る。 も う一 つ、 にな らざ る をえ な い。 も う一 つ は 、私 の 師 と 都 市 か ら始 ま る と い う こと だが 、都 市 と混 血 す る鈴 木 榮 太 郎 先 生 の説 で は 、多 くの社 会 的 と い う並 べ 方 を す れ ば 話 は よ く合 うが、 日野 交 流 の 結 節 的 機 関 がで きて くれ ば 都 市 に な る。 さん が 書 い た図 で は人 種 的 特性 と都 市 が コァ その 意 味 で は人 口 的 な 問 題 で はな く、 む しろ に な って い る。 こ れ は 混血 を お い て い るの で フ ァ ンク シ ョ ン と して 社 会 的 な 様 々 な 接 触 の は な い。 都 市 をむ しろ ス ワ ヒ リ語 よ り も下 方 機 関 が 成 立 す れ ば 、 そ れ を 都 市 と して 考 え て にお き、 変 化 の フ ロ ンテ ィア で あ る とい う捉 い る。 ス ワ ヒ リの港 町 も、 そ の 意 味 で は都 市 え方 を した い よ うに も思 う。 で あ っ た と考 え て い る。 「ア フ リカ ン ・シ ビ 日野 ラ イゼ ー シ ョ ン」 とい う本 で も、12世 紀 頃 の を考 え る と、 対 極 的 に あ る もの の一 っ は 都 市 ア フ リカ に お け る都 市 文 化 の 発 祥 の 場 所 と し か ど う か と い う こ と だ と思 う。 た だ 、 エ ス て ス ワ ヒ リの 地 域 を 考 え て い る。 私 もそれ は ニ ッ ク文 化 の 中心 に 都 市 的 な要 素 が 全 くな い そ う間違 って はい な いだ ろ う と思 う。 とは言 え な い 。例 え ば チ ー フが で きて 、 チ ー ス ワ ヒ リ化 も植 民 地 化 も、 その 展 開 は都 市 都 市 の 機 能 、 都 市 と い う考 え 方 は、 東 エ スニ ック の部 族 文 化 とス ワ ヒ リ文 化 フの 周 りに伝 統 的 な オ フ ィ スが で き、 ヘ ッ ド か ら都 市 、都 市 か ら周 辺 へ と い うル ー トで し ク ォー タ ー が で きれ ば 、 も う都 市 的 な要 素 が is 加 わ った と考 え られ な い こ と もな い。 しか し あ る。 こ うい う こ とを 捉 え る こ と に意 味 が あ 基 本 的 に対 比 を 考 え た 時 に は、 ス ワ ヒ リ文 化 る の で は な い か と認 識 して い る 。 は 都 市 文 化 だ と言 え る。 坪 内 坪内 BantupeopleswithArabicorPersian 混 血 的 な ス ワ ヒ リ文 化 が 都 市 文 化 だ と 東 南 ア ジ ア と の 対 比 か ら い え ば、 理 解 して い い の か 。 bloodをPortugalpeopleswith… 日野 混 血 が 起 こ る シ チ ュ エ ー シ ョ ンは、 そ 換 え た ら 、 全 く同 じ構 造 に な っ て く る 。 構 造 こが 都 市 的 で 、 ア フ リカ人 も船 に乗 った人 も 的 に は 基 本 的 に 共 通 す る も の が あ る と い う認 寄 り集 ま って くる。 その こ と 自体 が都 市 的 と 識 で 理 解 で き る。 言 え るだ ろ う。 逆 に言 え ば集 中 的 に文 化 を作 日野 り上 げ る よ うな 混 血 民 が で き るの は 、伝 統 的 な 形 で 共 通 性 を 持 っ と認 あ て 頂 けれ ば うれ し な 部 族 社 会 の 中 で はで きて こな い こ とで あ り、 く思 う。 や は り都 市 の 場 だ か ら こそ成 立 した。 立本 坪内 比 較 の 単 位 だ が 、 今 回 の テ ー マ は 、 ス ワ ヒ リ、 人 種 的 特 性 のBantupeopleswith ArabicorPersianbloodと Bantupeoplesを と置 き ア フ リ カ の 文 脈 で 考 え た もの が 、 色 々 今 日 と 明 日 と の デ ィ ス カ ッ シ ョ ンで の い う の は、 サ ヘ ル 、 バ ン トゥ と あ る 。 そ の 時 に バ ン ト ゥ あ ま り強 く読 ん で はい け な はマ レー にあ た るの か 、 サ ヘ ル は ジ ャ ワ に あ い。 む しろ 混血 的民 族 と読 む べ きな の だ ろ う。 た るの か 、 マ ラ ッカ海 峡 に あ た るの か 、 あ る 日野 そ うい う形 で 海 岸 部 が 全 て混 血 か ど う い はそ の 時 に ス ワ ヒ リは何 か と い う よ う な捉 か は 実 は わ か らな い 。 定 着 期 は と うに 過 ぎ え 方 で 議 論 され るの だ ろ うか 。 ス ワ ヒ リだ け 去 って お り、 彼 らは外 見 的 に は色 も黒 く、毛 で も東 南 ア ジ ア と 十 分 比 較 で き る だ ろ う。 だ も縮 れ て いて 、 混 血 民 と い う言 い方 は で きな が 、 ア フ リカ と東 南 ア ジ アを 比 べ る と き に は、 い か も しれ な い 。 た だ 海 岸 部 の 人 達 に は、 ス ワ ヒ リはむ しろ メ ス テ ィ ー ソ文 化 、 マ レー 元 々 自分 達 が ア ラ ブ世 界 と結 び つ きが あ り、 語 で い え ば プ ラ ナ カ ン 文 化 と い う レベ ル で 比 イ ス ラ ー ム教 徒 に な6た とい う誇 りが あ る。 べ るべ きで はな いか 。 マ レー と比 べ る の で は 東 ア フ リカ の海 岸 に は 、 「海 岸 の 愚 者 は内 陸 非 常 に具 合 が 悪 い。 マ レー はバ ン トゥと い う の賢 者 に勝 る 」 と い う諺 が あ り、 内 陸 を 徹底 レベ ル だ ろ う 。 的 にバ カ に して い た。 内 陸 で イ ス ラー ム化 が 文 化 と して ス ワ ヒ リ を 捉 え た 時 に 、 な ぜ ス 起 こ りス ワ ヒ リ意 識 を持 つ 人 々が 海 岸 の 都 市 ワ ヒ リ文 化 が ア フ リ カ に 形 成 さ れ た の か 、 な に 出て 来 る と、 非 常 に昔 の 淡 い血 筋 を 優 越 感 ぜ 東 南 ア ジ ア で は ス ワ ヒ リ文 化 の よ う な 確 固 の拠 り所 と し 「 我 々 は ア ラ ブだ 」 と言 い出 す 。 た る混 血 文 化 が 形 成 され な か ったの か が 大 き そん な ソー シ ャル ダ イ ナ ミク ス も海 岸 部 に は な 違 い と な る。 そ の 違 い の 一 っ が、 バ ー ム 17 クー ヘ ンで 表 せ る ア フ リカ と タ マ ネ ギ で しか ス ワ ヒ リ文 化 の 形 成 の歴 史 を 見 た 時 に 、最 な い 東 南 ア ジア だ ろ う。 部 族 本 位 制 社 会 、 あ 初 の 混 血 を 前 提 に して 形 成 され た文 化 の ミキ るい は 部 族 差 異 化 社 会 と関 わ って くる のか 。 シ ン グが 特 性 にな って い る。 た だ こ れが 一 番 あ るい はス ワ ヒ リ自体 が 部 族 化 さ れて い る の 重 要 だ とか 、 重 要 で な い と い う意 味 で構 造 的 だ ろ うか 。 に考 え た わ けで は な く、 文 化 接 触 を考 え た場 図 の 中 で 、 人 種 的 特 性 で あ るべ き混 血 を核 合 に は、 この 順 序 が 一 番 ス ム ー ズ で は な い か に 持 って くる意 味 が 、 も う一 っ は っき りわ か とい う もの だ 。 らな い 。 本 当 に そ うなの か とい う疑 問 と共 に、 立本 な ぜ 核 に持 って こ られ る の か 。歴 史 的 に は ス いが 、 初 め は人 種 的 な混 血 か ら始 ま って い る ワ ヒ リ化 は混 血 が 核 に な った 時 か ら始 ま って ので はな いか 。 い る。 形 成 期 、 定 着 期 は エ クスパ ン シ ョン と 日野 言 わ れ たが 、 人 種 的 特 性 が表 皮 か ら コアへ と 題だ。 転 換 す るの は、 果 た して い っ 頃起 こ って い る 立本 のか。 に は、 人 種 的 な ミ ッ クスが 一 番 コア な の だ ろ 東 南 ア ジア、 例 え ば マ レー シア で は憲法 で 現 在 の 接 触 の あ り方 は そ うか も しれ な そ れ は本 当 に局 限 さ れ た海 岸 部 で の 問 言 い換 え れ ば、 ス ワ ヒ リ文化 形 成 の 時 うか 。 マ レ ー 人 の 定 義 が あ る。 「言 語 、 慣 習 、 宗 日野 教 」 が 、 「イ ス ラ ー ム教 徒 で 、 マ レー 習慣 を 話 で 、 それ が 例 え ば人 種 的 な特 性 が 起 きた か 身 につ け、 マ レー語 を話 す 」 そ れ が マ レー 人 ら、 ス ワ ヒ リが 起 こ って きた とい う こ とで は だ 。 血 縁 は 問題 に して い な い 。 「都 市 性 」 を な く、 ほ とん ど 同 時発 生 的 に あ る。 他 の 文 化 「 地 縁 」 と 置 き換 え る と、地 縁 は 「マ レー 国 との 接 触 で考 え た場 合 は 、 接触 し易 い と ころ 家 」 と い う大 き な枠 組 み で は あ る。 ア フ ロ ア か ら、接 触 し難 い と ころ ま で とい う こ とが 考 ジ ア的 ス ワ ヒ リ人 とい う新 し く形 成 され た も え られ る ので は な い か とい う こ とだ 。 の が 、 ス ワ ヒ リ文化 の 核 にな る と い うの は、 松原 正 毅 や は りア フ リカ 的 な の だ ろ うか 。 ア ラ ブ イ ス ラ ー ム とバ ン トゥ系 との 接 触 を 初 日野 これ を 中 核 的 と言 え るか は難 しい。 人 期段 階 と して お く と、 他 の 所 で もア ラ ブ イ ス 種 的特 性 は一 番 接触 しに くい とい う意 味 で 図 ラ ー ム とバ ン トゥ系 の 人 々の 接 触 はあ っ た は の 中心 に お い て い る。 ア フ リカの 伝 統 的 な 人 ず だ 。 西 ア フ リカ で も接 触 は あ った が 、 そ こ 達 が これ に な るわ け に は いか な い。 都 市 的 な はス ワ ヒ リ化 現 象 が 出て こ な い。 東 ア フ リカ と ころ ま で は重 な り合 う。 中 核 と言 う こ と に で ス ワ ヒ リ化 現 象 が 出 て き た とい うの は 、 ど は 問題 が あ る。 う説 明 され るの か 。 18 た だ この 構 造 は逆 に言 え ば、 操 作 的 な ス ワ ヒ リの 形 成 の 始 ま り と して 、 日野 あ る局 面 が 中 心 にな るの で は な いか 。 と もか く こ こ に 来 た ら数 カ 月 は 帰 れ な い。 船 で 来 る と い うこ と は 男 しか こな い。 こ 立本 の こ と が 大 き い だ ろ う。 ト リ ミ ン ガ ー は 、 東 え るの は問 題 が あ る。 マ レー は厳 然 と して紀 は男 だ けが 来 た が 西 は家 族 で 来 て い る とい う 元 前 か ら リン ガ フ ラ ン カ と して あ っ た言 葉 だ。 説 明 を して い る 。 そ れ を ア ラ ブ人 が きて 新 し く作 られ た ス ワ ヒ 嶋 田 リ文 化 と一 緒 にす るべ きで は な い。 イ ス ラ ー 西 の 方 で も似 た よ う な 現 象 が 起 き て い だ が マ レー と ス ワ ヒ リを一 緒 に して考 る 。 む し ろ 西 の 方 が 顕 著 か も しれ な い 。 ム 化 の 現 象 を 色 々な 側 面 か ら取 り上 げて 議 論 日野 西 の 方 は、 ハ ウ サ、 マ ンデ ィ ン ゴ、 カ す べ きで 、 イ ス ラー ム と い う要 素 を 別 にす れ ヌ リ等 の 社 会 が そ れ ぞ れ に イ ス ラ ー ム と接 触 ば 、 日野 さん の 提 示 され た ス ワ ヒ リは あ くま して い る 。 そ れ が 東 ア フ リ カ の 場 合 は 海 岸 に で も プ ラナ カ ン、 メ ステ ィ ー ソだ と思 う。 局 所 的 に 起 き て い る と い う違 い が あ る と 思 う。 田中 耕 司 嶋 由 な ど、 伝 統 的 な生 業 が 色 々 あ るが 、 東 南 ア ジ 先 ほ ど の 議 論 で 、 日野 さ ん は 人 種 的 特 ア フ リカの 場 合 は農 耕 民 や 牧 畜 民 性 の と こ ろ でBantupeopleswithArabic ア と対 比 す る た め に農 業 を主 体 と した社 会 を orpersianbloodと と りあ げて み た い。 マ レー に は農 業 や 漁 携 を され て い る が 、 む し ろ ArabicpersianpeopleswithBantublood す る生 活 が あ り、 この マ レー的 な生 活 の 中 に が 正 し い だ ろ う。 ザ ン ジ バ ル で は い ま で も大 イ ス ラ ー ム化 が 起 って 「マ レー世 界 」 が形 成 勢 の ペ ル シ ャ人 が 来 て い る 。 マ レー の 方 で は され て き た。 今 日の ス ワ ヒ リ世 界 の 話 を 聞 く ア ラ ビア人 等 が都 市 形 成 の コ ア にな った とい と、 バ ウ ム ク ーヘ ンの よ う な図 式 で もわ か る う こ とは な い の か。 よ うに、 農 耕 民 の ま まで は ス ワ ヒ リ化 で きな 立本 い よ うな構 成 に な って い る。 と ころが 、 ス ワ ア ラ ブ人 は来 て い るが 、 混 血 よ り、 ア ラ ブ 人 は ア ラ ブ 人 と して 尊 敬 さ れ る 。 ヒ リ化 を仮 に イ ス ラ ー ム化 と い う形 で 対 比 し 嶋田 混 血 は あ りえ な い の か 。 た時 、 マ レー シアや イ ン ドネ シ アで は農 耕 民 立本 混 血 は あ る が 、 ア ラ ブ 人 の 子 孫 と して の ま まで い く らで もイ ス ラ ー ム に な り う る。 尊 敬 さ れ て い る。 イ ス ラ ー ム を信 仰 す れ ば、 そ の大 き な共 通 世 坪 内 界 に入 って い け る。 ス ワ ヒ リ化 と イ ス ラ ー ム マ レー が 混 血 か ど う か で 、 意 見 の 対 立 が あ る よ う に 見 え る が 、 歴 史 の ス パ ンを ど こ 化 は別 の もの と して 考 え た方 が い い。 ま で と るか で解 決 で き る。 マ レー 自身 の 形 成 ア フ リカ の 場 合 、 ど の よ うな 構 成 要 素 に が長 い 時 間 を か け て 行 わ れ て い る こ とを 考 え よ って農 耕 民 の ス ワ ヒ リ化 が 起 きる の か 。 日 れ ば い い 。 立 本 さ ん の 言 わ れ た プ ラ ナ カ ンの 野 さ ん の 出 さ れ た モ デ ル で は 、東 南 ア ジア の よ うな 問 題 は、 ス ワ ヒ リよ り も もっ と新 しい 場 合 に は イ ス ラ ー ムが 一 番 外 側 で もい い 。 生 19 業 を変 え な くて も イ ス ラ ー ム の世 界 を共 有 で して い る。 確 か に、 そ の 社 会 の 中 で は イ ス き る。 逆 に 言 え ば 、 生 業 自体 が 東 南 ア ジ ア の ラー ム は外 側 な の だ ろ う。 た だ そ れ が もっ と 海 域 世 界 で 蓄積 され て い く。 ア フ リカの 伝 統 進 み 、例 え ば ニ ャム ウ ェ ジや ス クマ の よ う に、 的 な 農 業社 会 は、 ス ワ ヒ リ化 の波 と は 関係 な か な りの 人 が ポ ー タ ー等 で 出て 行 くよ うに な く、境 界 が は っ き りとあ る の か、 あ る い は全 る と、 住 民 の 大 半 が イ ス ラ ー ム にな って くる。 く関係 の な い世 界 と して あ る のか 。 東 南 ア ジ 和 崎 洋一 氏 が書 い て いた が 、 マ ンゴ ー ラで ア の場 合 は、 農 業 や 漁 業 と い う色 々 な生 業 が、 はみ ん な 「自分 は ス ワ ヒ リだ 」 と認 識 して い 外 か らの 影 響 に よ りダ イ ナ ミッ クに変 化 して る。 マ ンゴ ー ラ は様 々 に異 る グ ル ー プで 形 成 い く。 農 耕 民 も、 ず っと 同 じ農 耕 民 とは言 え され た 農 耕 開 拓 社 会 で 、 そ こで の 帰 属 意 識 は な い。 外 の 世 界 の様 々 な イ ンパ ク トで 、農 業 基 本 的 に ス ワ ヒ リだ 。 だ が 例 え ば ス ク マ と い の 方 法 、 生 業 の あ り方 自体 が 変 わ って い く。 う出 身 地 に 帰 った 時 、 帰 属 意 識 は 「ス クマ 」 ス ワ ヒ リで は外 の ものが 来 て い る とい う印 象 と な る。 イ ス ラ ー ム教 徒 で は あ って も、 出身 だ けだ が 、 東 南 ア ジアで は外 か ら来 た もの を 地 に帰 れ ば ス ワ ヒ リで は な くな る ら しい。 こ 次 々に 内 在 化 して い く印 象 が 強 い 。 の 村 落 にお いて は、 ス ワ ヒ リと は マ デ ュ カ ー 日野 メ ス テ ィー ソ の話 か ら言 え ば 、 「ス ワ 二 に住 む 人 、 す な わ ち、 バ ス停 留 所 等 の周 辺 ヒ リ文 化 の 形 成 」 は彼 ら 自身 が言 って い る こ に あ る何 軒 か の 商 店 が あ る市 街 地 に住 む人 々 と で は な く、 彼 らは 「ア ラ ブ に な っ た」 と を指 す 。 この 場 合 、 東 ア フ リカ にお け る イ ス 思 って い る。 「 文 明 化す る」 とい うの は 、 ス ラ ー ム化 は、 ス ワ ヒ リ化 の ル ー トを通 して起 ワ ヒ リ語 で 「ウス タ ラー ブ」 と言 い 、 ア ラ ビ こ って い る。 東 ア フ リカで ス ワ ヒ リ語 を 話 せ ア語 で 「ア ラ ブ 化す る」 と い う意 味 だ 。 そ し な い者 が イ ス ラ ー ム教 徒 に な る こ とは 、極 め て 千 年 以 上 前 の記 録 に 、 既 に ス ワ ヒ リ語 ら し て 例 外 的 な もの を除 い て は ば あ りえ な い こ と き言 葉 が 出 て きて い る。 ス ワ ヒ リ語 の 成 立 か だ。 らは既 に千 年以 上経 って い る と考 え られ 、 最 た だ し植 民 地 化 で は ア フ リカ の 文 化 へ の す 近 に な って 突然 出 て きた もの で はな い。 り寄 りが あ った。 聖 書 を ス ワ ヒ リ語 や 部 族 語 ア フ リカ の農 耕社 会 の イ ス ラー ム 化 を 見 て に訳 した り、説 教 す るよ うに な った。 英語 を み る と 、例 え ば トン グ ウ ェで も、 ス クマ で も、 喋 れ な くて もキ リス ト教 徒 に な れ る。 イ ス 都 市 に 出 た 若者 達 が イ ス ラ ーム にな る。 ブ ソ ラ ー ム教 は ア ラ ビア語 が で きな くて も、 ス ワ ン ドと い う トン グ ウ ェの 町 で も、 都 市 に出 た ヒ リ語 が で きな け れ ば な れ な い。 牟 だ 、 農 耕 若 者 は イ ス ラ ー ム教 徒 だ 。 チ ー フだ け は出 て 民 の 中 に もイ ス ラ ー ム 教 徒 は い る。 そ こで は 行 か な い か ら、 い まで も伝 統 的 な 呪 術 を信 仰 必 ず しもス ワ ヒ リ と は言 え な いが 、 都 市 へ 出 ao て い け ば都 市 民 と な ん ら変 わ り はな い。 都 市 と思 わ れ るが 、 西 ア フ リカ と東 ア フ リカ の イ 民 と して の準 備 が で きて い る。 ス ラ ー ム化 の過 程 を考 え て み て も大 きな 違 い 家 島彦 一 束 ア フ リカ の ス ワ ヒ リ ・タ ウ ンの が あ った。 西 ア フ リカ の 場 合 、 サ ハ ラ砂 漠 の 社 会 的 ・文 化 的構 成 を 見 る と、 そ れ を 全 て 一 オ ア シス ・ル ー トを 通 じて 、 北 ア フ リカの マ 括 して イ ス ラ ー ム ・ス ワ ヒ リと は言 え な いの グ リブ地 方 か ら直 接 的 に大 軍 隊 で イ ス ラ ー ム で は な い か 。 もち ろん 、 そ こで は イ ス ラ ー ム ・ が 入 り、 イス ラー ム の 大 帝 国 を 作 られ た。 軍 ア ラ ブ意 識 が 非 常 に強 い。 しか し、 ペ ル シ ャ、 事 征 服 、 そ して 王 権 が 中 心 とな って イ ス ラ ー イ ン ド的 要 素 も入 って きて い る し、 宗 教 で は ム を 広 げ た こ とか ら、 面 的 に大 きな 広 が りを ヒン ドゥー教 、 ユ ダヤ 教 や キ リス ト教 もあ る 持 った 。 これ に対 して 、 東 ア フ リカ は海 を通 と い う よ うに、 非 常 に多 元 的複 合 的要 素 が含 じて 外 世 界 とっ な が りを 持 ち、 しか も島 や港 まれ て い る。 また 、 東 ア フ リカ海 岸 の都 市 が を コ ア と して イス ラー ムが 入 って い く。 イ ス 「ス ワ ヒ リ」 と して 呼 ばれ るの は 、 す で に13 ラ ー ム 化 の 担 い 手 は 、 商 人 で あ り、 ス ー フ ィ ーた ちで あ った 。 従 って 、 その 広 が りは 、 世 紀 末 か ら14世 紀 の 頃 で あ る。 東 ア フ リカ にお いて 、 ム ス リム農 耕 民 が急 点 と点 を 線 で 結 ぶ ネ ッ トワ ー クで あ って 、 そ 増 す るの は、19∼20世 紀 に入 って か らで あ ろ こ に ス ワ ヒ リ的 な 要 素 が 強 く出て き た と思 わ う。 この 時 に は、 ヨー ロ ッパ 人 に よ るプ ラ ン れ る。 東 南 ア ジア と東 ア フ リカ との 共 通 性 も テ ー シ ョ ン農 場 の 経 営 と、 キ リス ト教 布 教 と そ う した 「海 域 」 の 共 通 性 に求 めて もい いの に よ って 、 キ リス ト教 も増 え るが 、 同 時 に ム で は な いか 。 ス リム人 口 も急 に増 え る。 プ ラ ンテ ー シ ョン 日野 農 場 に働 く農 民 の 中 や 開拓 農 民 の 間 に 、 都市 で も、 東 ア フ リカの 話 は東 南 ア ジア や イ ン ド の 農 業 指 導 者 や 宗 教 的 ・政 治 的 な リー ダー た の 人 に も共 感 して も らえ た 。 と ころが 西 ア フ ち を通 じて イ ス ラ ー ム が入 って い く。 そ の 力 リカ の話 は違 う。 嶋 田 さん の 話 が 出て きた ら、 が 非 常 に大 きか った と思 う。 これ はお そ ら く また ア フ リカ観 が 変 わ って くる か も しれ な い。 東 南 ア ジア、 あ る い は ベ ンガ ル な どの 開 拓 地 私 は西 と東 と両 方 を研 究 対 象 に して い る 。東 農 民 の 間 で も同 じよ うな現 象 が み られ た 。 ア フ リカの イ ス ラ ー ム化 は基 本 的 に個 人 改宗 ア フ リカ プ ロ ジ ェ ク トの 最 後 の研 究 会 も う一 っ の大 き な 問題 は 、 東 ア フ リカ と東 だ 。 個 人 が 都 市 へ 出て きて イ ス ラ ー ム教 徒 に 南 ア ジア との共 通 点 と して 、 歴 史 的 にみ る と、 な っ て帰 って くる。 と ころが 西 の方 は集 団 改 いず れ も大 きな政 治 版 図 を 持 った 王 朝 や 領 域 宗 で 、 王 や そ の周 辺 が 改 宗 し、 民 衆 に も命令 国 家 が 成 立 しな か った こ とが あ る。 イ ス ラー す る。 イ ス ラ ー ム化 の 展 開 の 違 い も大 き く影 ム化 に つ いて は、 様 々 な 問 題 が 関 わ って い る 響 して い るだ ろ う。 21