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Page 1 Page 2 Page 3 Page 4 はじめに 乳幼児期に, 母親との共生的
学位論文
青年期の対象関係と分離・個体化に
関する一考察
一家庭内暴力等に悩む母親の面接を通して一
学校教育専攻
学籍番号
生徒指導コース
M921541
木佐貫 正博
目
次
はじめに
1
第1章問題と目的
3
第1節家庭暴力をどうとらえるかをめぐって(先行研究から)
1.家庭内暴力の(現象的)定義
2.家庭内暴力の特徴
3.家庭内暴力の原因
4.家庭内暴力の発現機制
3
第2節問題と研究の目的
7
7
1.家庭内暴力における素朴な疑問
2.問題の整理と研究の目的
第2章家庭内暴力を説明する対象関係理論
第1節 スキゾイド現象と家庭内暴力
1.対象関係論とは
2.分裂的機制について
3.スキゾイド現象とは
4.スキゾイド現象としての家庭内暴力
第2節正常な対象関係の発達論と対象関係障害
1.対象関係の発達段階
1)マーラー等の分離・個体化理論
2)正常な対象関係の発達段階(カーンバーグら)
2.アンビバレンスが活発となる時期の対象関係障害
3.対象関係の障害と「偽りの自己」(ウイニコット)
4. 「誇大自己」の病理一一コフートの自己愛人格構造モデル
第3章母親面接からえた親子の対象関係障害事例
一家庭内暴力,不登校傾向の高校3年J男をめぐって
3
4
5
6
8
10
10
10
11
12
13
14
14
14
15
20
25
29
第1節母親の主訴概要
1.来談者と主訴
2.家庭環境
3.成育史・問題の発端と経緯:
(1拗少期
30
②中1年時の登校拒否
(3)高2年時の問題の発端と経緯(3睨在の親子関係状況
第2節母親面接経過とスーパービジョン
1.治療構造
2.面接経過とスーパービジョンの内容
34
34
第3節事例の分析と対象関係論的考察
1.J男の成育史分析一「偽りの自己」形成史分析
1)葛藤を孕んだ家族内力動
(1)家族内力動
(2)J男にとっての祖父母像
(3)J男にとっての父i親像(4)J男にとっての母親像
2) J男の「偽りの自己」形成史分析
(1)幼年期・児童期
63
63
63
66
(2)中学時代∼高校2年
3) J男の精神内界構造(「偽りの自己」形成)
2.J男の家庭内暴力の分析と考察
1)発端と経過の分析
2) J男の防衛機制からみた家庭内暴力の意味
3)家庭内暴力を持続させる要因トー投影性同一視の過程
3.J男の分離・個体化と母親父親の動きの分析と考察
1) 母親からの離反意識が強烈な時期
2)「稲刈り」「自転車」をとおした個体化の動きが顕著な時期
3)家族関係を回復しっっ安定へ向かう時期
第4章総合考察とまとめ
第1節
1.
2.
3.
4.
J男の成長過程の対象関係論的考察(まとめ)
J男の「偽りの自己」形成について
J男の家庭内暴力の発現について
J男の分離・個体化について
J男に残された課題
第2節 家庭内暴力の対象関係障害と発達促進的要因
1.
2.
家庭内暴力の怒りの非論理性とエラボレイトされた操作性
対象関係の発達促進的要因一二者期の父親の果たすべき役割
第3節家庭内暴力における素朴な疑問への考察
1.何故「ある日突然」か?また何故思春期・青年期か?
2.何故「良い子」としての成育史をもつか?「良い子」とは?
「良い子」「悪い子」の極端な使い分けが出来るのは何故か?
3.何故最も親しい入物(母親)に照準した攻撃性と,同時に
強い依存性とを基調にもっか?
4.家庭内暴力は,自立の試み?周りを操作する手段?目的は?
何をやり直しているのか?
要
旨
69
72
72
76
78
78
79
87
87
87
89
91
93
93
94
97
97
98
99
1OO
102
引用文献参考文献
104
おわりに
110
は じ め に
乳幼児期に,母親との共生的融合から脱出して,一個の独立した個として心
理的に誕生し,個体的な性格とアイデンティティ感覚を確立するまでの精神内
的過程を,Mahler, M. S.(1975)は分離・個体化過程と名づけ,なかでも,自立
と依存の両価的菖藤が激しくなる「再接近期」を,心理的に最も重要な意味を
もつものとして記載した。この両価的葛藤は,人間が依存から独立に向かうと
き,不可量的に付随するものと思われる。
よって,親からの自立が問われる青年期は,従来,第二の分離・個体化期と
して,幼児期の個体化過程との関連で論bられてきた。Blos, P.(1985)は,乳
児は外的対象の内在化によって表象の世界を獲得することで,外的対象からの
相対的な独立をなしとげるが,青年期の個体化過程では,内在化された幼児期
対象からの独立,即ち幼児期依存性を放棄しなければならない,と述べている
が,青年期一般の課題とされる幼児的依存性を放棄して自立し,アイデンティ
ティを確立するための試行錯誤を,最も華々しい臨床像で現しているものが家
庭内暴力であるとも思われる。
本研究は,青年期の対象関係分離・個体化の様相を,それが最も誇張され
た形で現れていると思われる登校拒否に随伴する家庭内暴力の事例において,
対象関係論的に考察したものである。
対象関係論から家庭内暴力現象をみたとき,それはいわゆる「スキゾイド現
象」を呈しており,対象と自己の双方はそれぞれが,良い・悪いに分裂(spli
t)され,良い側面,悪い側面が,それぞれ対となって,二種の部分的対象関係
が起こっていることになる。対象においても自己においても,良い側面と悪い
側面とを一つに統合させ,全体的対象全体的自己としてまとめ,そこに全体
的対象関係を営むためには,それに伴う抑うつ様の両価的葛藤に耐えなければ
ならない。この葛藤に耐えきれず,抑圧もかなわぬとき,それを回避するため
に,例えば家庭内暴力が起こりうる。こういつた状況で活性化される防衛機制
は,境界例が固執するとされる分裂(splitting)を中心とした原始的防衛機制
群であるが,しかしこのことは,家庭内暴力=境界例を意味しない。なぜなら,
精神的障害の程度は,どの程度,どの防衛機制によりかかるかの,量的な依存
度の問題である,と考えるのが,対象関係論の基本的な考え方であると思われ
るからである。つまり,ここでみられる精神力動,分裂を中心とする原始的な
防衛機制は,決して家庭内暴力やその他の精神的障害に固有のものではなく,
「人間一般がかつて体験したもの」(辻悟1984)であり, 「人間心理の内奥で
活動していて,自我状態によってはいつでも表面に出てくる」(牛島定信197
9)ものであるとされる。卑近な例をあげれば,例えば我々が,青少年を相手
1
第1章問題と目的
第1節 家庭内暴力をどうとらえるかをめぐって(先行研究から)
L
家庭内暴力の(現象的)定義,意味
米国社会におけるrViolence in the Family」とはいささか様相を異にする
日本の「家庭内暴力」は,江幡玲子,高橋義人(1977,1982),清水将之(1983)
らによると,昭和30年代の後半あたりから精神科医療機関でない各種相談所に
現れ始め,世俗的な注目をあびだしたのは,1977年10月に起きた「開成高校生
事件」以来であり,最初この用語は,警察関係者によって使用され始め,ジ
ャーナリズムの領域に広がっていったものらしい。疾病であるか否かも定かで
なく,精神医学的用語としての合意も得られていない。独立した疾患や症候群
というより,一症状ないし徴候としてとらえるのが一般のようである。
稲村博(1980)は, 「家庭内暴力は,字義からすれば家庭内で起きる暴力全般
を意味しているが,近年わが国で用いられる場合には,もっぱら子どもがその
家族に向けて行うものを指している。すなわち,子どもがその親またはきょ
うだい,祖父母などに対してふるう暴力のことである」と簡素に定義し,その
内容から4つのタイプに分類しているが,この研究を踏まえ皆川邦直(1991)は,
自らの臨床経験からみて,その病態水準,経過,転帰によって,家庭内暴力を,
(1)反応性障害,(2)神経症,(3)青年期境界例,(4)精神病,(5)その他の精神疾患と
いう5群の疾患にともなう一症状として分類している。
また皆川は,家庭内暴力を,大枠として,子どもから両親家族への「援助
を求める訴え」として捉え,その意味「何故,家庭内暴力か?」を理解するた
めに,①家庭内暴力を用いて,どのような不安を回避し,何を疾病利得として
得ているかという精神力動 ②家族の結束と動的平衡状態を維持するために,
それによってどういう役割を引き受けているのかという家族力動 ③子どもの
パーソナリティの発達水準,即ち超自我,自我,欲動からなる3層構造の発達
水準の充分な評価,という3っの観点をあげている。
若林慎;一郎・本城秀次(1987)らは,稲村(1980),岩井寛(1980),佐藤達彦ら
(1981)の研究を踏まえて,家庭内暴力の表現する意味内容を,①親への抗議
②自立の試み ③周りを操作する手段 ④親との共生関係の再構築の試み,と
4つの局面に整理して述べ,親への復讐,或いは親を巻き込んでの欲求・不安
の処理,更には「分離・個体化」のやり直し,という観点を示唆している。ま
た後に,本城(1992)は,これに ⑤脅威に対する反撃 ⑥衝動のコントロール
を求める救助信号,としての意味を追加している。
3
笠原嘉は,早くもr青年期 精神病理学から』(1977)において家庭内暴力
にふ礼これを, 「本来心のr内側』に『体験として』保持されてしかるべき
不安や緊張がr行動として』 if外へ』発散される」アクティング・アウトの一
つであり,原則としで①家庭内で起こり,家庭という境界を越えてなかなか外
へ出ず,内と外との使い分けは完全②最も親しい人物へ照準した意味あるア
ンビバレントな行為(acting out)であると指摘し,これらは青年期一般にみら
れる能動的退行現象の一つであり,精神病にみられる暴力も基本的には家庭内
暴力で,両親の面前でなされる点で軌を一にし,違いはただ暴力の程度である
と述べ,アンビバレントな葛藤,不安をどう処理するか,その巧拙によって精
神病理現象の種々のパターンが決まると解説し,精神発達水準の広いスペクト
ルのなかで家庭内暴力をとえている。また笠原(1983,1988)は,中・高校生の
登校拒否に随伴する家庭内暴力にふれ,彼らの二重性を記述する概念としての
「分割(分裂,sp1。i tting)」の有用性を示唆し,大人の境界例や自己愛性格に
おけるほどではないが,軽度なスプリッティングがおこる場合を「神経症性家
庭内暴力」とでも呼んで,単なる「ワガママ的家庭内暴力」と区別してはどう
かと述べている。
2. 家庭内暴力の特徴
家庭内暴力の様相は,病態水準により一概には言えないだろうが,清水(198
3)は,それまでの精神科医からの発言の要約として,次のような特徴をあげて
いる。
・
①素直な,親の期待通り一に「良い子」として育ってきた青年が,ある日突然
に,家庭内で暴力をふるいだす。
②暴力行為の対象はもっぱら母親であり,行為が拡大してくると,家具,さ
らに父親に向かう例も若干あり。同胞に対する暴力はほとんどない。
③暴力の程度は,小突ぐなどのいやがらせの程度から,撲る蹴る,器物を用
いて傷を負わせるものまで様々。母親はしばしば外科的治療の対象となる
が,生命の喪失に到ることはほとんどない。
④激しい暴力を加える反面,強い甘えや依存的な態度を示すことが少なくな
い。
「
⑤家庭の中では悲惨な状況が生じているのに,家庭外での当人は「良い子」
としての外面を維持している。
⑥暴力行為の初発は,43歳から17歳の間に多い。知的水準は高い。
3. 家庭内暴力の原因
塚庭内暴力の原因としてはt一社会的背景,本人の性格特性,.家族関係など多
4
くの観点から理解がなされてきている。例えば,稲村(1980)は,家庭内暴力は
「本質的に父性欠如から生じている… それを補完しようとして行われる母
親の密着的な子どもへの対応とも深く関連している。しかし,後者はむしろ二
次的であって,父性欠如こそ一次的ではないかとみられる。… さらに今日
のわが国全体が・・家庭と類似の特徴をおびてきて・・社会のもつ父性が弱ま
り,母性過剰ともいえるような過度な干渉や管理的な状況が進行しているjと
述べ,家庭内暴力における「父性欠如」の一次的要因を強調し,戦後の社会構
造の変化による社会の超自我的役割の希薄化を示唆するとともに,家庭内暴力
を生む「病理的な日本型親子関係」を次のように図式化している。
(1)i
(2)
一貫した父親の心理的不在(父性欠如):一次的要因
母親の欲求不満の代償を基礎とした養育(母子の密着):二次的要因
@
幼児期の過保護
@
学童期以降の勉学面に偏った過干渉
稲村が,どちらかと言えば,エディプス期の幼児と両親との間で展開される
外的葛藤状況の未解決さを示唆しているのに対して,ほぼ同じ文脈でも,精神
分析的,自我心理学的発達論の立場にたっ皆川(1991)は,微妙に強調点をかえ
て, 「父親が家庭から排除され,母子の密着が起こること,すなわち,夫婦関
係の希薄化と母子関係の濃密化に注目する立場」をあげ,以下に述べる木田恵
子の「母親の子どもへの過度の感情的支配」因,福島章の「前エディプス的反
抗」の見解とともに,これらは精神分析的発達論上,生後2∼3年間の早期母
子関係上の不適合と家庭内暴力とが密接に関連することを示唆するものと述べ
ている。
木田(1979)は,カール・メニンガーの「愛こそ妙薬」という言葉を引いて,
「実際には過保護の親は自分の感情本位の自己中心性のために本当に子どもを
愛する力がなく,子どももそれを感じていて,愛情不足の精神的栄養失調に
なっている」と述べ,「過保護」は愛情の名を借りた身勝手な「親の暴力行為
のひとつ」であり, 「赤ん坊のときから,こういう暴力を愛情の名で与えられ
た子どもが,無意識内に怒りと憎悪を蓄積し,一方では過保護の結果としての
依存性も強く,内面の軋礫が高まった極限で,暴力という形の爆発を起こすの
も無理がないと思われる」と,過度の愛情と甘やかしより,感情的支配が問題
とし,家庭内暴力児の本質的な愛情不足,淋しい心情を指摘している。
また木田は,思いつくともう口と手が出てしまうという母親に,口と手を
いっさい慎むように注賊すると自律神経失調症になってしまった事例に触れて
いるが,これは,言わば親のアクティング・アウトとしての育児を示唆してい
5
るようにも思われる。
福島(1979,1981)は,家庭内暴力に見られる攻撃性は,なぜ暴力をふるうの
か,その目標性や論理性がはっきりしない「前エディプス的反抗」だとして,
論理性の見られる「エディプス的反抗」と区別している。
即ち,福島は,ラカン,Jの表現をかりて,エディプス状況を「養い育て,
包み,護るといったエロスの原理が支配していた世界に,社会的規範・文化・
モラルなど,いわばロゴスの原理が参画する」状況として述べ,自立や社会性
の獲得のためには, 「父親」を介して社会的な規範や道徳性などが自我の中に
内在化され「超自我」が形成されるなかで,攻撃的衝動を十全にコントローール
する力が育たなければならないと解説し,「正常の成長過程において青年期に
認められる反抗は,エディプス的反抗の再燃なのであるが,一般にそれは幼児
期におけるようなエロス的・原始本能的な要素をほとんど含まないので一と
いうのは,それらの要素はエディプス期にすでに抑圧されているから一,よ
り精神的な側面に限定される。すなわち,人生観・世界観的葛藤とかイデオロ
ギーをめぐる対立などに限定され,無用な肉体的暴力が発動されることはまず
ないといってよい。」と述べている。それに対して,前エディプス的反抗では,
論理的な要素は認めがたく「甘えと攻撃とが密着」していて,何のために甘え,
反抗しているのか,自分にも親にも分からない状況が続くとしている。
この「甘えと攻撃の密着」という表現は矛盾し,解説を要するが,ここでは
愛と憎しみが表裏の関係にあり,いずれも対象関係を求める行動として,根本
のところでは繋がっているということであろう。
4. 家庭内暴力の発現機制
稲村(1980)は,家庭内暴力が発現するためには,以下のような親の要因,
本人の要因,契機・誘因となるものの三つがそろう必要があるとして,現象記
述的に発現機制を述べている。
①父性が(心理的に)欠如しているうえに,母親の過剰な本人への対応がみ
られ,それらが悪循環的に組み合わさっている。
②小心,過敏,強迫的,柔軟性がなく,耐忍性に乏しい本人の性格特徴。身
体に関する劣等感,過敏さ。成育史上の父親喪失体験や,ほめられて小児
万能感を増大させる条件下で成長していることも多い。
③学業不振などの挫折体験,自信喪失,生活基盤の急変などで,従来から次
第に危機に陥り始めていた小児万能感や自尊心が決定的な危機に陥る。
さらに稲村(1983,1985)は,家庭内暴力の研究を発展させて,次の5つの主
徴候をセットにした「新しい精神障害」として「思春期挫折症候群」を提案し,
これらの主徴候が,以下のようにほぼ一定の順序で発現するとしている。
6
①「神経症様症状(または抑うつ症状)」から始まり,②「逸脱行動(家庭
内暴力等)」が出始めるころから③「思考障害」が目立ち始め逸脱行動はいっ
そう進み,そのあと④「意欲障害」が表面化しっっ,緊張度が減り無気力と
なって,⑤退行現象が目立ってくるというのである。
清水(1983)は,提示した家庭内暴力の事例「勇」を検討して,1歳半から3
歳あたりにかけて起こる第一の「分離・個体化」の時期での成因を予想しなが
らも,もっと巨視的に「勇」の事例を大略以下のようにまとめている。
幼少児期に「手のかからぬ良い子」として反抗期がなかった「勇」は,小学
校高学年から中学にかけての第二反抗期も良い子として過ごす。親に立ち向か
うことによって自己を確立してゆく機会を逸した勇は,青年期の自立という課
題も乗り越えることはできず,言わば,自立を企てる前に「母親に呑み込ま
れ」てしまった状態にあった。これは「心理的に金縛りに逢った」状態で,
「外国からの侵略により内政権を完全に放棄させられた状態である」。従って
勇は自らが如何なる状態に置かれているか,自己の客観視もできず,同一牲拡
散の状態にあった。それは,被支配者が異邦人による不当な干渉や弾圧にさい
なまれて,常時潜在的な不満を内蔵蓄積させ,何らかの契機によって反乱・暴
動を起こす可能性を秘めていることに似ると。
第2節問題と研究の目的
1. 家庭内暴力における素朴な疑問
いわゆる「家庭内暴力」といわれる現象には,素朴に様々な疑問が涌く。順
不同で思いつくままに書き出してみると,次のようなものである。
(1)何故「ある日突然」?また何故,思春期・青年期なのか?
②何故「良い子」としての成育史をもつのか?ここでいう「良い子」とは?
(3)何故,最も親しい人物(母親)に照準した反抗,恨み,攻撃を基調にもつ
のか?
(4)何故外では「良い子」,家では「悪い子」の,極端な使い分けができるの
か?
(5)何故,親に対する反抗,攻撃性と同時に,強い依存が併存しているのか?
(6)家庭内暴力は,親への抗議?恨み?自立の試み?周りを操作する手段?そ
の目的は?
(7)自立の試みだとすれば,発達課題の何をやり直しているのか?
7
これらの矛盾を孕んだ,一見「特異」な家庭内暴力を,論理的に納得できる
ものとして,即ち誰にも共感可能なものとして,統一的に捉えることは出来な
いだろうか?この素朴な疑問に答えてみることが,この研究の一つの目的でも
ある。
2. 問題の整理と研究の目的
青年期の挫折のなかでも,最もはなばなしい臨床像を示す家庭内暴力を中心
に,先行研究を概観したところを筆者なりにまとめ,問題点の整理をしてみた
い。
(1)臨床像としての現象面での特徴は,①「良い子」としての成育史をもち,
②問題は突如として起こり,③攻撃や敵意は,最も親しかるべき(母)親に照
準されるとともに,依然と強い「依存関係」が併存し続け,④家庭内では悲惨
な状況が生じていても,家庭外では「良い子」として適応可能な現実検討能力
は維持されている,といったことが特徴的である。
② その原因としては,日本の特殊な心理社会状況下のもとでの,①父性欠
如と母子の密着をセットとしたエディプス葛藤の未解決を重視する立場と,②
エディプス期以前の分離・個体三期での成因を重視する立場とがある。
(3)その発現機制としては,稲村(1983)の「思春期挫折症候群」に代表され
るように,現象記述的に徴候の経過を静的に述べたものと,清水らのように心
理力動的な解釈を試みたものとがある。
さて,(1)に関して,家庭内暴力は基本的に「スキゾイド現象」として理解が
可能であると思われる。福島(1988)が紹介するように,家庭内暴力の精神力動
は, 「境界例」や「自己愛人格障害」との比較で理解することができるように
も思われる。
②に関して,筆者は,家庭内暴力や重篤な青年期挫折は,前エディプス的な
母子間を中心とする不適切な対象関係の障害まで原因をさかのぼるのが適切で
あると考える(このことはエディプス的問題を相対的に低めはするが,それが
無関与とするものではない。必然的にエディプス的葛藤の未解決も含んでいる。
)。その根拠として,①マーラーの記載した再接近期は,自立すれば分離不
安,依存すれば呑み込まれ不安という,自立と依存をめぐるアンビバレント葛
藤が活発となる時期であり,これは人のライフサイクルにおいて,自立に伴う
葛藤,不安が表面化する第一の起源であると考えられること。② エディプス
期以降の抑圧を中心とした防衛機制とちがって,エディプス期以前に活発に働
くとされる分裂(splitting)を中心とした防衛機制の結果としてのスキゾイド
現象が,自己および対象にはっきり見られること,の二つをあげることが出来
8
る。
また,このことは必ずしも,即,母親自身の原因説を意味するものでない。
「関係」の障害である。さらに,青年期の問題を全て幼児期に還元するもので
もない。従来,青年期は, 「疾風怒濤」,同一性危機の時代として危機的に論
じられてきたが,にもかかわらず多くの統計的研究はこのことを支持していな
い(ウェイナー,LB.,1970,pp. 51−92)。多くの平均的青年は,青年期の混乱を
柔軟にくくりぬけ,臨床的に問題になることはない。臨床的に問題となるレベ
ルの挫折は,幼児期以来形成されてきた奪格構造との間に生じる相互作用の産
物として捉える方が納得がゆく。
(3)に関して,前者は,・何故,どうしてそうなるかに対しては必ずしも説明し
ていない不満が残る。つまり,現在,家庭内暴力が滅少しており(鑛1988),そ
れは周りがいたずらに刺激して追い込まなくなった結果だとすれば,家庭内暴
力は「反応性のもの」であり,徴候の経過は,治療的介入や親の態度といった
周りの対応とセットにして記述しなければ客観的なものとはならない。従って
鰻止と徴候をつなぐ間に力動的な説明なりが必要であると思われる。後者は一
応の納得のゆく説明がなされているがかなり巨視的であり,筆者としては,心
の中でどういうことが起こっていると考えられるかについての,より微視的な
防衛機制に興味が引かれる。
従って,本論文においては,次の3点に関して研究を進めたい。
(1)家庭内暴力の心理力動の理解に応えるべき理論の模索のために, ①家
庭内暴力をスキゾイド現象として論じ, ②その防衛機制の理解の基礎として
の正常な対象関係の発達論(マーラー,M. S.,カーンバーグ, O.ら)を整理し,
③家庭内暴力のスキゾイド現象を説明する理論モデルとして,マスターソン,
J.F.の「自我による防衛同盟」,ウィニコット,D.W.の「偽りの自己」論,
コフート,H.の「自己愛人格」の構造モデルをとりあげ論考する。
(2)高3年J男の家庭内暴力等に悩む母親の面接経過を記載し,親子の対象
関係障害を考察し,(1)の理論モデルの有効性を示す。即ち, ①J男の成育史
を「偽りの自己」の形成という観点から分析し, ②J男の家庭内暴力,一連
の動きを,第二の分離・個体化過程として対象関係論的に考察する。
(3)(1)で論じた理論モデルと事例を振り返り,家庭内暴力の対象関係障害を
総合的に考察し,対象関係の障害的要因,発達促進的要因についても考察する。
また,第1項で羅列した素朴な疑問に答えることを試みる。
9
第2章 家庭内暴力を説明する
対象関係理論
第1節スキゾイド現象と家庭内暴力
1. 対象関係論とは
明確にはクライン(Klein,M)に起源をもち,フェアベーン(Fairbairn, W. R. D.
),ウイニコット(Wi皿icott, D. W.)らに始まるとされる対象関係論は,現在で
は,ガントリップ(Guntrip, H. J. S.)(1971)の言う「対象関係的思考」として,
フロイト以来の精神分析発祥の初期から既に内在していた基本的な視点の発展
として,特定の学派を超えたものと捉えられている。
岩崎徹也(1973)の展望によるとカーンバーグ(Kernberg,0.)は対象関係論を
「それは,対人関係の内在化に対する精神分析的接近であり,対人関係がいか
に,精神内界の諸構造を決定するかに関する学問である。また,これら精神内
界の諸構造が,過去の内在化された他者との関係および現在の対人関係との脈
絡において,いかに保存され,修正され,あるいは再生されるかを研究する学
問である。対象関係論は,精神内界の諸対象の世界(精神内界に内在化された
他者との関係)と,個人のもつ現実の対人諸関係との相互作用をとりあつかう
ものである」(p42)と定義している。
岩崎(1981,1973)は対象関係論の本質は,フェアベーンの「自我は本能の満
足のために対象を求めるのでなく,本来対象希求的object seekingなもので
ある」という言葉に最もよく表現されているという。本能理論に基礎を置いた
伝統的な精神分析では,自我は,エスすなわち本能衝動に促されてエスを満足
させるために対象を求めるとされるが,これに対比して対象関係論は,自我そ
のものに一義的に対象とのかかわりを求める機能があるとの理解に立ち,エス
と自我の二元論を止揚した考え方であり,自我心理学の基礎としての人格をエ
ス・自我・超自我から成るとする人格構造論に対する批判も含んでいる。つま
り自我心理学の自我概念は,体験から離れた精神装置,機能としてのシステム
自我であり,体験に近いものとして,全体的存在としての人間をとらえること
はできないと批判している。
本能論的精神分析においては,人格発達を,口愛期,肛門期,男根期といっ
た生物学的本能の発達段階を基礎として人格発達を考えるのに対して,対象関
係論においては,これらの器官領域は,あくまで対象との関わりを媒介する門
としてとらえ,自我の発達は対象の取り入れや投影などの対象との連続的な関
わりの中で形成される観点を強調する。自我が体験する第一の対象である母親
10
との関係においても,本能としての口愛よりも,対象としての母親との関わり,
自我の体験のあり方が:重視され,フェアベーンは対象と対になった自我を想定
した人格論(1944)を示し,この考え方はカーンバーグ,マスターソン,リンズ
レーらに決定的な影響を与えている(R insl ey, D. B.1977, pp.56−60)。
カーンバーグ(1976)は,対象関係論を「対象関係論はまた,…
二極的な
精神内界表象(自己イメージと対象イメージ)の形成を,最:初の幼児一母親関
係とその後の二者との間,三者との間,さらには多くの他者との間の内的,外
的対人関係の発達の反映として強調し,精神分析的メタ心理学の中のもっと限
定されf研究を意味している」(p46)と述べ,対象関係論における本質的な対
としての自己と対象,およびそれに付随する情緒を,一つの「単位」として重
視する立場を,最も強調している。
従って,対象関係論では,現実に観察される客観的対人関係よりも,それが
内在化され心の中に表象化された内的対象(対象表象そして自己表象)との
関係に重点が置かれる。自我によって内在化される対象表象は,基本的には現
実の対人関係に裏打ちされているが,あくまで内的主観的な産物であり,本能
的衝動の投影によって,客観的現実から幾分歪曲された心的現実として,幻想
的,錯覚的意味合いを持つことは避けがたい。
2. 分裂的機制について
クライン(1946)によれば,生後数カ月以内の乳児は,無意識的な幻想の中で
「満足な状態では,愛の感情が満足を与える乳房に向けられ,欲求不満の状態
では,憎しみと迫害的不安が欲求不満を引き起こす乳房に向けられる」(p10)
とされる。この迫害的不安は,自らの攻撃的衝動の対象への投影であり,従っ
て非現実な妄想的不安であるが,これを防衛し,幻覚的な満足を得るために,
早期幼児心性の本質的な特性である強力な全能感を通して,次の2つの相互に
関連し合う心的過程が生じるとされる。つまり「理想的な対象と状況とを全能
的につくりあげる過程と,悪い迫害する対象と苦痛な状況とを同じように全能
的に絶滅する過程である。これらの過程は,対象,自我双方の分裂にその基礎
をおいている」(p11)。クラインは,こういつた妄想的不安や分裂(splittin
g)を中心とした原始的防衛機制などの精神力動の総称である分裂的機制の優
勢な精神的傾向を「妄想的・分裂的態勢」と呼び,この分裂的な対象関係は,
人生最早期に最も活発に働くものだが,その後の健康な精神発達過程において
も何らかの形で働いており,単なる発達の段階とか時期とは異なるという意味
で, 「態勢(position)」なる言葉を用いている。
ここで用いられる防衛機制は,先にあげた分裂を中心とし,それを強化する
ように働く原始的な理想化,投影の初期の形式とくに投影性同一視,全能感と
11
価値の引き下げといった原始的防衛機制であり(クライン,1946,pp. 11−16,
カーンバーグ1977,pp.107−111),人間に必然的に起こってくる不満足や葛藤,
不安を処理する心的機制として,後年の自我の発達により可能となる「抑圧」’
に代わる適応的役割も果たしている。
3. スキゾイド現象とは
牛島定信(1983)は, 「分裂spiittingをひとつの防衛schizoid mechanismと
して使用し,その結果生じた状況をスキゾイド現象」(p19)と呼びその理論
的モデルとして,クラインの妄想的・分裂的態勢フェアベーンのパーソナリ
ティ3分割モデル,ウィニコットの「偽りの自己」論を解説し,これらのスキ
ゾイド現象が,境界例や分裂病に特徴的なものとしっっも,その後の研究から,
正常ないし神経症的な人格にも等しく認められるとするのが一般的な見方であ
ることを述べている。
また,牛島は臨床的に観察される分裂現象として,精神と身体の分裂(アレ
キシチミア,行動化),一過性の意識の変容(手首自傷家庭内暴力)をあげる
ほか,健康な分裂現象の一例として,思春期の第2次性徴の発達の過程でみら
れる変化した「身体像の所有化」をめぐって展開される身体と精神とを分裂さ
せる防衛機制として,少女に見られる「お転婆性」,少年に見られる「汚いも
の(身体)」に対する特有な態度と関連した自我理想追求的態度をあけ,いず
れも自らの身体性を否認し切り捨てsplit offするものとしている。その他に
牛島は,戦時中の日本人に認められた敵国と同盟国に対する態度をあげている
が,こうしてみると,スキゾイド現象は,我々大人の普通の生活の中にも無意
識的に入り込んでおり,茶の間に流れる勧善懲悪的な時代劇や,子どもに話し
て聞かせるメルヘンの世界の登場人物は,全き悪か,全き善のいずれかであっ
てアンビバレンスは無い(相沢博1969, pp.102−129)。従ってその家族にとって
は良き父,夫であるかもしれない「悪の代官」や「悪い継母」が無残に殺され
ても,我々には葛藤が無いのである。
スキゾイド現象の病理は, 「全て良い」か「全て悪い」のAIl or Nothing
の病理であり,この妥協を排して白黒をハッキリさせたがる心性は,対象を(
従って自己についても)良い側面・悪い側面の混合した全体像として捉える複
雑な精神的能力の不全でもあり,辻悟や笠原の言う形式的明確さに寄り掛かり,
内容的曖昧さ,アンビバレンスに耐えうる能力の不全,つまり自らを支えとす
る主体性の後退である。万能的幻想を放棄して,自己および対象の現実をあり
のままに受け容れ,対象との間に全体的対象関係を形成するためには,自己も
対象もスプリットさせずに,良い・悪いを含んだ全体像として捉え,それに付
随するアンビバレント葛藤に耐えなければならない。その抑うっ様の葛藤に耐
12
えられないときは,いずれかが抑圧されるか,スキゾイド現象が露呈する。牛
島(1983)は,分裂現象は即境界例を意味するものではないが,境界構造を形作
る分裂的機制の重要性を指摘し,クラインの態勢概念をもちいて,「スキゾイ
ド・ポジションは,人生のあらゆるストレスフルな状況で出てもおかしくな
い」(p24)と述べている。
4. スキゾイド現象としての家庭内暴力
家庭内暴力の研究の初期の頃には,多くの場合に家庭内暴力は,精神分裂病
と誤解されるほど普通には考えられないことであったことを,稲村(1980)や
河合隼雄(1982)は述べている。何らかの挫折体験があるにしても,家庭内暴力
は,ある日突然の如くに,しかも最も親しい入物(母親)に照準を合わせた反
抗,恨み,攻撃といったニュアンスを基調にもつ。(母)親対象は,制裁すべ
き全き「悪い対象」であると同時に,依然と全面的に依存する「良い対象」で
もあり,対象は統合されずに分裂したまま,いずれかが抑圧されることもなく
併存している。それが一つの全体像として統合されておれば,攻撃性にも抑制
がかかるし,万能的な対象関係を求あ続けることもない。
母親対象は状況により時間により分裂され,その分裂した母親の部分対象の
それぞれに,攻撃する「悪い子」と甘える「良い子」という二つの分裂した自
己が対応して対になっている。そしてこの二通りの部分的対象関係には,それ
ぞれに対応した否定的,拒否的な情緒と追従的,情愛的な情緒がそれぞれ付随
している。このような同一対象との関係における対象の分裂,自己の分裂とい
う図式がみられるばかりか,家庭内での「暴君」,家庭外での「良い子」とい
う自己分裂も併存する。
笠原(1977,pp.125−163)は,家庭内暴力は,本来心の内側に体験としてキー
プされてしかるべき不安や緊張が,行動として外へ発散されるアクティング・
アウトの一つであることを指摘しているが,この無意識的な衝動の発散という
べき行動化によって,本来体験すべき苦痛なアンビバレント葛藤は,一時的な
り内的な体験から免れる。つまり家庭内暴力は,アンビバレントな葛藤の一方
を切り離して(split off)外在化させたものであり,抑うつ様の葛藤から免れ
る一つの防衛機制としての役割を演じているといえる。
若林,本城(1987pp.74−80)は,家庭内暴力の表現する意味内容として,
「親への抗議」と「周りを操作する手段」を取り出しているが,親への抗議の
中には,復讐的な意味合いとともに,周りを操作する手段としての意味合いが
みられる。つまり本来なら自分で解決すべき葛藤を,無意識的に切り離して相
手に投げ込み,相手を巻き込み操作支配することによって,自らの葛藤を支配
しようとする投影性同一視の機制が働いている。つまり葛藤の処理のための攻
13
撃性であり,相手を攻撃している限りにおいて葛藤からは免れるのである。家
庭内暴力にはたらくこういった原始的防衛機制は,スキゾイド現象のあらわれ
であり,家庭内暴力は,まさにスキゾイド現象を呈していると言わなければな
らない。
第2節 正常な対象関係の発達論と対象関係障害
1. 対象関係の発達段階
1) マーラー等の分離・個体化理論
マーラー(Mahler, M. S.)等(1975)は,回顧的,再構成的研究方法でなく,健
全な乳幼児と母親とを直接観察することによって,対象関係的自我心理学の観
点から,母子関係を中心とした発達論を集大成し,乳幼児が「母親との共生的
融合から脱出」し(分離),一個の独立した個人として心理的に誕生して「個
体的な性格を確立する」(個体化)までの精神内的過程を「分離・個体化過
程」と名付け,対象関係論に客観的な基礎を与えた。そしてこの過程は, 「生
涯を通して反響し,決して終わることはなく,常に活動し,ライフサイクルの
新しい段階には,今なお活動中の非常に初期の過程の新たな派生物がみられ
る」(p10)と述べている。 マーラーは,誕生直後の「正常自閉期」,「正常
共生期」を経て,生後大体4∼5カ月から30∼36カ月ぐらいの期間を「分離・
個体化段階」として,これを4っの下位段階①分化期②練習期③再接近期④個
体性の確立と情緒的対象恒常性の始まる時期に分け,第4下位段階の個体性の
確立は,終わりのない過程であり,生涯を通して完成してゆくものとしている。
このうち,自立と依存のアンビバレンスが顕著に観察される「再接近期」は,
精神病理学上重要視され,カーンバーグ(1976)やマス単一ソン(1972,1980,198
1),リンズレー(1975, 1977,1980)らの境界例理論では,境界例障害の発生の
起源をこの時期の発達的停止ないし固着として論じている。またプロス(Blos,
P.)(1967)は,親からの精神的自立をめぐる葛藤が表面化する青年期を「第2
の個体化過程」と呼び,マスターソン(1972)はドイチュ,H.の見解を引いて,
「青年はすべて自我の急激な成長のために,第2の分離・個体化期を前思春期
に経験する」(p64)とのべている。さらに橋本雅雄(1983)は,早期幼児期,青
年期とともに中年期を対象喪失を経験しやすい時期として,「第3の分離・個
体角材」として論じるなど,正にマーラーの言うように,分離・個体化過程は
螺旋階段を昇るがごとくに,新しい発達的課題とともに一生涯続く過程として
捉えることが出来る。こうしたとき,乳幼児期の分離・個体化理論は,青年期
14
理解のみならず,人間理解の基礎として欠かせない理論モデルであると思われ
る。
マーラーの分離・個体化理論の紹介は,小此木(1980),伊藤洗(1980),皆川
邦直(1980),成田義弘(1986)らによってなされており,既に翻訳(1981)もある。
次項では,自閉期から共生期をへて,自己愛的対象関係から部分的対象関係,
全体的対象関係へと至る対象関係の発達段階を,主としてマーラー(1975),
カーンバーグ(1976)によって概観する。
2) 正常な対象関係の発達段階
マーラー等(1975)によって集大成された正常な子どもの分離・個体化過程の
研究を,さらに対象関係の発達という観点から発展させたのは,カーンバーグ
(1976)やマスターソン(1972)だが,筆者(1985)はかってこれを図式化(第1図
参照)したことがあり,それに基づいて対象関係の発達段階を概説する。各段
階はカーンパーク(1976)の区分に対応するが,第3段階は,理論上,前期の
「練習期」と後期の「再接近期」に分けている。
注).当然のことながら,各段階は互いに重複し,相応する年齢にも個人差
があり,およその時期。最近の乳幼児精神医学の成果(Field, T. M. 1991)によれ
ば,子どもの発達に関しては,マーラーが考えたよりもっと早期から驚くほど
エラボレイトされた心的生活が存在するとされているようだが,人間の共生的
な起源が普遍的なものであり,そこからの脱出である分離・個体化とアイデン
ティティ感覚の獲得も普遍的な課題だとすれば,伊藤(1991)の言うように,分
離・個体化理論は依然と有用性を失っていない。
(1)第1段階 正常な自閉期
自他未分化で,対象関係の成立しないObjectlessの段階。
乳児はまだ生理学的存在で,精神内界と外界の区別も存在しない未分化な時
期として,マーラー(1975)が,「正常な自閉」期と比喩し,「新生児の欲求満
足は,無条件の全能的,自閉的球に属しているように思われる」(p51)と述べ
た時期(誕生∼生後1,2カ月)。マーラーはこの時期の発達障害と児童分裂病
との関連を指摘した。
② 第2段階 分裂した融合的な自己・対象期
快体験と不快体験は分裂(split)され,自己表象と対象表象がまだ未分化で
融合した段階。マーラーの「正常共生期」と「分化期」を含む時期。
カーンバーグ(1976)は, 「正常な共生」期(2カ月頃から6∼8カ月)と名付
け,快的で充足感に満ちた体験と,欲求不満をもたらす苦痛な体験の二つの異
15
対象関係の発達段階
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対 象 関 係 の 発 達 段 階 ㈱
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4.全体的対象関係期 諸際
(欄粘り)
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統合された臼己表象
L一一一…
(〕三
全体対象
o 全燃
臓膿
鵬
S土 蜘己
4.
第1図 対象関係の発達段階
16
なった情緒状態のもとで,未分化な, 「よい」自己一一対象表象と, 「悪い」自
己一対象表象とが,切り離(split)されて組織化されることを強調している(p
50)。カーンバーグが,第2段階に分化期を含ませるのは,分化期ではまだ
「自己表象と対象表象のお互いからの分化が比較的不十分なためであり,・・
『よいs自己イメージとrよい』対象イメージの防衛的な退行的融合が持続す
る傾向があるため」。このことは「自己イメージと対象イメー・一ジの間の境界が
安定した状態で分裂機制が働く後期の防衛組織(境界パーソナリティ構造)と
は対照的である」(p50)と述べている。つまりこの第2段階への固着,退行は,
臨床的には自我境界の喪失によって特徴づけられる精神分裂病などとの関連が
考えられている。
マーラー(1975)の幼児観察では, 「自分と母親が一つの全能の組織
つ
の共通した境界をもつ二者単一体一であるかのように行動し機能する」(p5
3)共生段階から,やがて,子どもは「比較吟味を開始」し, 「『母親』に興
味を持つようになり,母親と『他入』,見慣れたものと見慣れないもの」とを
区別しはじめ,人見知りstranger anxietyが生じる。共生期の母子二者ユニッ
トの中で,母親と子どもは分化し始めるが,まだ乳児は母親の側にいることを
好む(pp67−68)。この分化の過程は,母親にしっかり包まれていた子どもにお
いて順調に始まり,正常な自閉と,正常な共生は,正常な分離・個体化過程に
欠くことができない前提条件とされる。
(3)第3段階前期 自己と対象の分化,再融合の不安定期(練習期)
「よい」自己・対象表象と, 「悪い」自己・対象表象のそれぞれの内部にお
ける自己表象が対象表象から分化するが,容易に再融合を繰り返す時期。従っ
て「自我境界は,・・不安定で,・・自己表象と対象表象との融合が,・・不
安を招くような悪い状況に対する早期の防衛として容易に起こりうる」(カー
ンバーグ1976,p56)。
この時期はマーラー(1975)の「練習期」に相当し,子どもの世界は,直立歩
行によって劇的に広がり,母親から離れ,その存在を忘れているかのように,
自分自身の活動に夢中になる。 「子どもは自分自身の技能や自律的な・・能力
を練習し修得することに集中する。彼は自分の持つ能力に元気づけられ,広が
りっっある世界での発見に絶えず歓喜し,世界と自分の威光と全能感に半ば
酔ってしまう」(p84)。いわゆる「世界との情事10ve affair with the worl
d」(Greenacre,1957)が始まるが,時々は,「情緒的補給emotional refuelin
g」のために, 「基地」である母親のもとにもどって身体的接触を必要として
いる。この時期は分離・個体化への動きが強く,欲求不満に対する耐性が高ま
り,転んでも余り気にせず,母親代理なども比較的簡単に受け容れる。
(4):第3段階後期 部分的対象関係期(再接近期)
17
自己表象と対象表象が明確に分化し,自我境界がはっきりするが,自己にお
いても対象においても, 「よい」表象と「悪い」表象の統合された「全体的」
表象は形成されず,部分的対象関係にとどまっている段階。
カーンバーグ(1976)は,「自己要素と対象要素との分化は,・・確固とした
自我境界の確立を決定的なものにする。しかし,そこではまだ統合された自己
や他者についての統合的な概念というものは成立していない(したがって,こ
の段階は“部分対象関係”の段階である)。・・この段階への病的な固着か退
行は,境界パーソナリティ構造を決定的なものにする」と述べ,この時期,
「母親との理想的なよい関係を悪い自己表象と悪い母親表象から保護するため
に働く」主要な防衛操作として,分裂あるいは原始的解離と,それと関連する
投影性同一視,万能感,否認原始的な理想化,価値の切下げなどの防衛をあ
げ,これらの分裂を中心とする原始的防衛機制が,第4段階でみられる抑圧を
中心とした高次の防衛構造と対照をなす,と述べている(pp54−57)。
マーラーの再接近期に相当するこの時期では,子どもは,自分と母親との
「身体的分離を認識し」,分離意識が発達するにつれて, 「母親の存在に対し
て比較的無頓着でなくなるばかりでなく,フラストレーションに対する以前の
鈍感さも減少する。そして分離不安の増大が観察される」。練習期とちがって,
「母親の居所に対する・・絶え間のない関心と積極的接近行動」が起こる。不
安の質的変化が見られ, 「対象の愛を失うことの恐怖が,対象喪失の恐怖に代
わって次第に明白になる」。「母親はもはや単なる『基地』ではなく・・共に
世界についての絶えず広がる諸発見を分かち合いたいと願う人間になりつつあ
る」。しかし,同時に「母親の願望が必ずしも自分の願望とは同一のものでは
ない」ことに気づきだす。幼児が自律機能と外界への冒険に喜びを感じうる程
度は,母親の情緒的対応と関心の程度にかかっている。
また, 「母親を押しのけたい欲望と母親にしがみつきたい欲望が急速に交互
するのがこの時期の特徴である」。後追い(shadowing)と飛び出し(darting a
way)が見られ,これは, 「愛情対象との再結合への願望と愛情対象に再び呑み
込まれることの恐怖を示す」。こうしたアンビバレントな葛藤は,行動化され,
しがみつきと拒絶的行動が急激に交替する。母親を強制的に動かし,自分の全
能性の延長として機能させようとしたり,しがみついたりが交互する。「これ
らの交替する行動(両機傾向)は,・・対象世界をr良い』とr悪い』に分裂
させてしまった事実の反映であるかもしれない。この分裂によってr良い』対
象は攻撃衝動の派生物から保護される」(マーラー一1975,pp90−127)。
自立と依存をめぐって,母親と自分の距離を調整し,呑み込まれるでもなく
見放されるでもない適当な距離を見出すことが,母子双方の課題となる。
18
注). カーンバーグの第3段階を二つに分けたのは,自己愛人格障害の固着,
退行段階を,マスターソンに従って,再接近期より早期の前期(練習期)に置
けばよいと思われるからである。自己愛人格障害が,融合した自己・対象表象
をもちながら,境界例人格障害より見かけ上は高い自我機能をもち,社会適応
もよいのは,発達理論上の矛盾とされ,論争が起きているという(マスターソ
ン1981,p10)。リンズレー(1980, p243))の図式や,カーンバーグ(1976)を整理
したという前田重治(1983)の図式でも,自己愛人格障害の固着点は,境界例人
格障害より後に置いているが,マスターソンは, 「自己愛パーソナリティ障害
患者には再接近危機が訪れないようである」と述べ,固着点を再接近期より前
の段階に置く理由として, 「臨床的には,(自己愛人格)患者は対象表象があ
たかも自己表象の構成部分(万能な一対の単位)であるかのように行動するか
らである」(p11)と述べている。
練習期の子どもの, 「世界と自分の威光と全能感に半ば酔って」(マーラー
1975,p84)自分自身の技能や能力を修得することに集中する様は,再接近期の
平価的葛藤に巻き込まれてアクティング・アウトする子どもより,表面的には
適応が良いように見える。自己愛規格の良好な社会的適応も,誇大自己が維持
できている限りにおいてであり,それが破綻すると一気に危機的になると考え
れば,マスターソンの見解が理に適うと思われる。
⑤ 第4段階 全体的対象関係期
自己表象対象表象のそれぞれにおいて, 「良い」部分と「悪い」部分とが
統合され,一つの全体的表象となり,初めて本当の自我境界が確立し,現実的
な全体的対象関係が可能となる。
マーラー(1975)は,分離・個体化の最終段階を対象恒常性の「始まり」と表
現し, 「対象恒常性は,愛情対象が不在のときに,その表象を保持すること以
上のものを意味している。それはr良い』対象と『悪い』対象を一つの全体と
しての表象に統合することをも意味している。そしてこのことが… 攻撃性
が高まったときには対象に対する憎悪を和らげる。… たとえ愛情対象がも
はや満足を与えられない時でも拒否されたり他の対象と取り替えられたりする
ことはない」(pp. 128−i29)と述べ,この対象恒常性が確立して初めて可能とな
る全体的対象関係は,対象関係の発達における終わりなき過程であり生涯を通
して完成していくものとしている。
この段階での防衛操作は,カーンバーグは,「これらのすべての統合過程に
よって,分裂機制の使用が減少し,…
抑圧が(分離,取り消し,反動形成
といった関連する機制によって強化されながら)自我の主要な防衛操作にな
る」(p59)と述べている。
19
2. アンビバレンスが活発な時期における対象関係障害一一一部分対象関係
への固執
アンビバレンスが活発な状況において,自我がどういう防衛操作を用いるか
は,自我の強さ,統合の程度による。クライン(1946)が明らかにした分裂を中
心とした原始的防衛機制を発動させて,容易に対象と自己を,部分対象と部分
自己に解体し,部分的対象関係の操作により,斯うつ的葛藤を回避するか,あ
るいは,全体的対象,全体的自己を保持したままで現実に直面し, 「抑うつ的
態勢」に入っていくかである。クラインは,「抑うつ的感情の正にその体験が,
自我をより統合するのに役立つ。なぜならばその体験によって,内的状況と外
的状況との間がより統合されるだけでなく,心的現実に対する理解が増し,外
的世界に対する優れた認識が生じるからである」(p19)と述べているが,この
語うつ的不安に対応しきれないとき,自我は抑うっ的態勢を通過できずに,妄
想的・分裂的態勢へ退行せざるをえなくなり,両者の態勢の間を行ったり来た
りすることになる(pp20−21)。
マスターソン(1980)は,全体的対象関係に付随する克服されなければならな
い「見捨てられ窺うつ」を回避する防衛操作としての意味を持つ,部分的対象
関係に固執して,二つの対立する部分的対象関係を交互に繰り返す人格構造を
「境界例」と呼び,境界例の示す臨床像を,二つの防衛的自我同盟で上手く説
明している(pp24−28)。ここでは,マスターソンのモデルを借りて,部分的対
象関係のメカニズムを見てみたい。
第2図は,マスターソンの「境界例』に見られる部分的対象関係を,マス
ターソン(1980,p.25)に従って図式化したものである。
マスターソンは「境界例」をつくりだす母親自身の境界例的要因を重視し,
この母親の対象関係の特質を,子どもが自己主張等の分離・個体化を試みる際
には承認や愛情的供給を手控え(撤去型),受け身退行的な振る舞いには承認
支持的な愛情報酬を与え続ける(報酬型)とする。撤去型母親には,それとの
関係によってもたらされる見捨てられ抑うっ,怒り,恐れ,罪悪感,絶望,無
力感空虚といったネガティブな情緒が自己像を彩り,それに対応した不適切
で,悪い,無力な,罪ある,空虚な自己像が形成され一つの関係セットとなる。
報酬型母親には,それとの関係によってもたらされる再融合した愛されている
良い気分といった情緒が自己像を彩り,それに対応した受け身的で素直な良い
子としての自己像が形成されひとつの関係ゼットになる。この二つの部分関係
単位からなる分裂的部分対象関係(撤去型部分対象関係,報酬型部分対象関
係)が,分裂機制によって意識には残っていても互いに影響し合うことなく持
20
山撤退型・・一一・…
酬型一tttt
・・
対象関係単位
対象関係単位
餓翻ものとして島
自我異和的なものとして体験
。
。
(+)
(一)
i欝ゆ
i慌堵的に甚し東
i
1切り蔭されていてi
i影響し合うことが{
iない i
i
見捨てられ擁うa怒り i
駄顯勧感i
三三i
繭_1漏グ嬢臨 S I
iS 嘉応,
i(+)
情絡構冠腰素i
鼠
(一) 11
∼i一部批
第2図 境界例の部分的対象関係(マスターソン1980)
続すると,全体的対象関係の発達を妨げる。二つの分離した部分対象関係の持
続は病的であり,報酬型部分対象関係単位がますます自我親和的なものとして
経験される。撤去型部分対象関係単位に伴う見捨てられ感情を軽減し,充足し
た「良い気分」をもたらすからである。こういつた現実の否認,従って結局は
芽生えてくる自己に対する信頼の欠如は,この「良い気分」を手に入れるため
のわずかな代価に過ぎないかに見える,とマスターソンは述べている(1980,p2
6)o
マスターソンは,部分対象関係が持続する要因として,基本的には境界例的
な母親の対象関係要因を強調し,その影響を見事に受けて観察される相反する
二種類の臨床像,一つは対象への過度の理想化ともいうべきしがみつきや盲従
的行為,もう一つは価値の引き下げともいうべき非難がましく敵意に富んだ
様々な行為を,次のような二つの防衛的同盟として説明する。いずれも自らの
21
全体からある属性が切り離され(split off),理想化ないし否認されて投げ込ま
れることに基礎を置く防衛である。
対象を全休として認識する全体的対象関係が保持できない状況下では,自己
も全体像として把握できず,いずれか一方が自己となる。このことを念頭にお
くと,この自我の防衛同盟は理解しやすいであろう。
①報酬型部分単位一病的自我の同盟
報酬型部分単位と病的自我の結びついた防衛操作であり,撤去型部分単位が
内在化されて, 「悪い自己」が活性化されると,その結果見捨てられ抑うつが
活性化する,これに対して,環境への報酬型部分単位の外在化(行動化)とし
て,対象を過度に理想化した対象関係をとることによって防衛するもの。つま
り,報酬型部分単位の部分対象表象を周囲の人物に投影し,自らは従順な態度
で振る舞い,その人物が自己愛的な投影に共鳴と承認,支持を与えてくれるこ
とを期待する。これは分離や誇大な自己の喪失といった現実の否認を持続させ,
見捨てられ抑うっを軽減するのに役立つ。
②撤去型部分単位一病的自我の同盟
撤去型部分.単位と病的自我の同盟。報酬型部分単位が内在化され,誇大な
「良い自己」を維持するために,撤去型部分単位は,投影と行動化によって外
在化される。このことは臨床的には,従順な行動としてでなく,非難がましく,
敵意に富んだ態度として観察され,これは撤去型部分単位の部分対象表象を周
囲の人物に投影したものである。
前者の防衛同盟は,結局は相手に裏切られたり,あるいは失望(脱錯覚)し
たり,破綻する必然性を持っている。また,悪いのは周りであって自分ではな
いとする後者の防衛同盟は,決して他者から受け入れられることはない。いず
れの場合も,自己の解体という犠牲を強いた上での防衛であるが故に,自我の
成長は阻止されざるを得ない。
3. 対象関係の障害と「偽りの自己」(ウィニコット)
ウィニコット(1954,1960)は,子どもの心身を抱える環境(holding environ
ment)や母親の側の失敗による対象関係の障害によって発現する「偽りの自
己ゴの発生起源を,次のように記述している。
「人間の早期発達においては,ほど良く振舞う(つまりほど良い積極的適応
を行う)環境が,私的な成長が生じるのを可能にする・・そうすれば,自己過
22
程は中断のない生きた成長の流れの中で活動的であり続けることができる・・
・もし環境がほど良く振舞わなければ,・・個体は侵襲に対する反応に携わる
ことになり,自己過程は中断してしまう。もしこの状態が量的に限界に達すれ
ば,自己の核は保護され・・停止してしまう・・本当の自己は保護されたまま,
防衛としての迎合の基盤のうえに,すなわち侵襲に反応することを受けいれる
ことのうえに,偽りの自己がそこに発達する。偽りの自己の発達は,本当の自
己の核を保護するために工夫された最も有効な防衛組織の1っであり,・・個
体の活動の中心が偽りの自己にあるうちは不毛感が存在する・・活動の中心が
偽りの自己から本当の自己へ移行する瞬間に,人生は生きる価値のあるものだ
という感覚への変化が生じる」(1954,pp192−193)。
ほど良い母親(good eRough mother)1ま,幼児の身振りのなかに現れた幼児の
万能感と交流して,幼児がその万能感を表現できるように手助けして,幼児の
万能感を満たしてやる。それによって,幼児の弱い自我に強さが与えられ,真
の自己が活動し始める。一方,ほど良い母親でない場合は,幼児の身振りに応
じることに繰り返し失敗し,そのため幼児の万能感を働かせることができず,
逆に,自分の身振り(万能感)を幼児に押しつけ,従わせることになる。幼児
の側のこの服従が偽りの自己の出発点であって,これは母親が幼児の欲求を感
知できないことに基づく(1960,pp177−178)。
人生最:早期の段階では,真の自己は,自発的な身振りや独自の気持ちがそれ
から生じてくると考えられるような理論的概念であって,ウイニコットは「自
発的な身振りは,行動に現れた真の自己を表している。真の自己だけが創造的
であり,実在感,現実感をもてるのに対して,偽りの自己の存在は,非現実感
や空虚感という結果に終わる」(1960,p181−182)と述べている。偽りの自己の
発生は,真の自己(ないしは幼児の内的現実)の暴露が,想像を絶する不安を
招くときに,真の自己を隠蔽し保護するための防衛機能として,環境からの要
求に服従するという形をとって発生する。従って,ほど良くない母親のもとで
の幼児は,環境からの要求に服従する関わり方で, 「偽りの自己を通して,一
連の偽りの関係をつくりあげる」(1960,p179)と言う。
ウィニコットは,偽りの自己,真の自己の概念は,フロイトが自己を,中心
にあって本能に圧迫される部分と,外界に向かって世界と関係を持つ部分に分
けたのと関連することを述べており(1960,p171),本能によって動かされる部分
が真の自己で,外界と関連をもつ部分が偽りの自己であることを示唆している。
また,偽りの自己の防衛の程度を,最も極端な場合は,真の自己が完全に隠蔽
されて,偽りの自己が真の姿と見誤ってしまうほど実在のものとして確立して
いる場合をあげ,最も軽度な場合は,健康な幼児における服従する能力,妥協
23
する能力をあげて,正常な情緒発達のなかでも,子どもの社交術といった適応
的なものも偽りの自己に相当すると考えている(1960,p184)。
これらのウィニコットの考えに対して,マス七一ソン(1980,1981)は,偽り
の自己,真の自己の発生を,彼の理論的文脈のなかで,
「真の自己は分離・個体化に向かう歩みに報酬と承認を与えられることで,
活動を開始する。このことは,個体化に拍車をかけ,子どもが母親から分離を
始めるにつれて真の自己の感覚を与える」。「分離・個体化に対して承認を撤
去する母親は,見捨てられ抑うっをつくり出す。しかし,母親が退行的なしが
みつきに報酬を与えるので,子どもは,母親の投影に退行的に従うことで抑う
つから自らを防衛し,退行的・病的防衛機制 回避1否認 しがみつき,行
動化,分裂,投影等一一の体系を作り出す」(1980,pp38−39)。
と,読み替えたうえで,ウィニコットとは違う幾つかの見解を述べている。
そのウィニコット批判の第一は,偽りの自己の防衛機能が,真の自己を隠し
たり守ったりするという点に関して,マスターソンは,「子どもは,真の自己
を隠すために偽りの自己を発達させるのではない」。なぜなら,真の自己はこ
のような時点では全く存在せず,活動しない状態にあるもの,ただの潜在能力
であり,「偽りの自己の防衛機能は,(分離不安や見捨てられ抑うつを防衛する
ための)退行的で強迫的な行動を合理化し,偽りの同一性感覚を与えることに
ある」(1981,p126)と述べている。ここの「退行的で強迫的な行動」とは,見
捨てられ抑うっを防衛するための「報酬型部分単位と病的自我の同盟」によっ
てとられる行動をいい,マスターソンは,この同盟を, 「偽りの自己の基盤」
と考えている(1981,p127)。
第二は,本能によって動かされる部分が真の自己という点を批判して,マス
ターソンは, 「真の自己とは,個体化される過程を反映する実体として出現す
るのであり,本能とともに,内在化される外界部分をも,おそらく含んでい
る」(p125)。真の自己は,「良いものも悪いものも含む全体で,現実に根づい
ている自己表象である」(P129)と述べている。しかし,この批判はウイニコッ
トを正しくとらえていないかもしれない。何故ならウイニコットは,他の論文
(1955−56)では, 「偽りの自己は,本当の自己の一側面」であり, 「それ(偽
りの自己)がそれ(本当の自己)を自分で隠して護るのである・・この隠され
た本当の自己は,経験のないことに由来する貧困化を被る」(p199)と,述べて
いるからである。
ヒ
第三は,〈正常な人々において,偽りの自己に相当するものは何か〉と
いうウィニコットの設問に,マスターソンは,「何もない」。「子どもに体質
24
的欠陥がなく,母親が分離・個体化への適切な鏡像化(mirrorinfg)と承認を与
えるならば,偽りの自己システムを発展させる必要はない」(1981,p129)と言
い切っている。その上で,マスターソンは,偽りの自己の発生を,次のように
まとめている。
「発達過程での重要な時期に分離・個体化の方向へ向かう子どもの努力を無効
にするように母親のリビドー一が作用すると,見捨てられ抑うっが生じる。その
ため子どもは母親の投影に従うことで,見捨てられ抑うっを防衛する。従順で
あることが… 母親にしがみつき続けることを可能にする。こうした退行的
で病的なメカニズムから発達停止が生じるが,同時に見捨てられ抑うつや分離
不安からは解放され,子どもは何か供給されているかのように「快い」と感じ
ることができる。このような防衛メカニズム(報酬型一単位と病的自我の結びつ
き)は子どもの自己として合理化されるが,実際は偽りの自己なのである」(p
P128”129) o
4.
「誇大自己」の病理
コフートの自己愛人格構造モデル
家庭内暴力の事例にみられる未熟な自己中心性や誇大な自己イメージは,
「自己愛人格障害」(DSM一皿)との関係が注目されつつあることを,福島
(1988,p882)は紹介しているが,誇大な自己の病理と自己愛人格の構造との関
連を検討する。
自己愛人格障害の重要な臨床的特徴として,マスターソン(1981)は,自己の
誇大性,過度な自己関与,他者からの賞賛や承認の追求,他者への共感性欠如
などをあげ, 「自己の行為のすべてに完壁さを求め,…
誇大な自己を鏡の
ように写してくれ,自己の誇大性を賞賛してくれる他者を見出したいという衝
動に絶えずかられているように見える。この防衛的な外見の根底には,激しい
羨望を伴った空虚感と怒りの感情が潜んでいる」(p5)と述べているが,自己愛
人格の障害は,外見上は誇大な自己を有しているように見えても,他者からの
賞賛や承認を追求することによってしか心理的安定を得られない,自己評価の
不安定性が,最も基本的な力動的特徴であるように思われる。これは,同じ一
個年自己が,他者からの賞賛の有無といった外的な条件に依存して,有能に
なったり無能になったりする自己感覚の障害であり,融和した誇大な自己が,
他者からの賞賛を得ないだけで,たちまち断片化する様を,伊藤洗(1990)は,
「泉に小さなさざ波がたっただけでナルキッソスの姿はたちまち醜男に変形し
てしまう」(p175)と,巧みに表現している。家庭内暴力事例のもつ脆い小児万
能感(稲村1980)とも一脈相通じるものがある。
25
自己の障害一自己統制や自己評価,自己表現の障害として観察される臨床
的現象は,臨床家のあいだでもほぼ意見は一致するが,これらの障害を理論化
する段階になると,論者相互に混乱や矛盾が生じていることをマスターソンは
指摘している(1981,p119)。特に,次に取り上げるコフートの理論(自己心理
学)は,いわゆる対象関係論とは理論的背景が異なるためにその感が強い。マ
スターソンは,コフートの描いた自己愛人格障害には境界例が含まれていると
批判(1981,p3, pp16−17)しているし,カーンバーグは自己愛人格は境界例人格
のサブタイプとしている(1977p88,1976 p58)。ただ,自己愛人格障害の原因
を,コフートは,断片化した自己が一つのまとまりをもった自己となる「融和
した自己期」(18∼30カ月頃)における固着ないし発達停止としており,いず
れの障害も, 「幼児期の同一の発達段階(注再三三期のあたり)で発生する,
自我発達の逸脱を反映」(カーンバーグ,1982, p291)することで意見の一致を
見ている。
さて,コフートは,外的な存在でありながら自己の一部として経験される対
象を「自己対象」(注.乳幼児期においては,通常,母親ないし父親)として
概念化し,自己が,自己表象との対象関係(厳密には,自己一自己対象関係)
を通して,つまり共感的な自己対象による自己の映し出し(自己対象の鏡映機
能)と,自己による自己対象の理想化(自己対象の被理想化機能)を通して,
発達する自己心理学を展開したが,自己愛人格障害の原因としては,先述の
「融和した自己期」において,共感的対応を示す自己対象(母親ないし父親)
に恵まれなかったために,自己対象の鏡映機能と被理想化機能によって可能と
なる自己対象の内在化の過程(変容性内在化)が進まず,そのために,生涯,
飽くことなく,理想化された親のイメージと,誇大自己を映し出してくれる自
己対象を希求しつづけるという(丸田俊彦1982a, b,1986,1992に負う)。
ここでは,コフートの自己愛人格の構造モデル(第3図)が,本研究のキー
ワードの一つである「偽りの自己」との関係で興味がもたれるためこれを取り
上げる。
第3図のコフートの自己愛人格構i造(1971,p185)の縦に分裂(いわゆるspli
t)された左側の垂直分裂領域には,母親が子どもの身振りをナルシスティクに
利用したことと関連してもたらされた,公然と顕示された幼児的誇大性があり,
右の現実自我の領域には低い自己評価,蓋恥傾向,心気症状が表面に在り,子
どもの独立した自己愛が母親によって拒否されたことと関連してもたらされた,
満たされない太古的自己愛の要求が背後に抑圧されている。
コフートはこの様な図式化をあちこちで試みており,通常,左の領域は公然
たる誇大性と「優越した」孤立が顕在化した人格部分であり,母親との固着的
融合が保たれている限りにおいて機能している部分である。また,右の水平分
26
現実自我
垂直分裂区域
子供の振る舞いが母親の自己愛に用
いられたことに関係して起きた小児
的誇大性の開放的表出
垂
直
低い自己評価,恥,心気傾向
分
裂
水平分裂(抑圧)
子供の自己愛が母によって拒否され
たことと関係して起きた抑圧された
満足されない太古的自己愛要求
第3図 コフート(1971)の自己愛人格構造(西園1987)
裂(抑圧と同義)で抑圧された部分は, 「自我の‘満たされない太古的自己愛
の要求’」という表現から,後には, 「‘構造化が不完全な中核自己’の自己
対象を求める要求」と修正(1977)されている(Baca1,H. A. 1987, p93)。
コフート(1977)は,症例X氏の分析をするなかで, 「分析の第一段階は,
パーソナリティにおける縦分裂を維持している障壁を破ることに集中する。こ
の障壁が取り除かれると,その結果患者は徐々に,パーソナリティの横分裂
領域の自己体験 つまり,目立たなかったけれども常に存在し,意識されて
いた空虚で剥奪された自己体験一が本物の自己を構成しており,そして今ま
で優勢だった自己体験一つまり公然たる誇大性と尊大さの自己体験 は,
独立した自己から生じたのではなく,母親の自己の付属物であった自己から生
じたのだということを自覚するようになる」(1977,pp210−211)と述べているが,
この説明で,コフートの自己愛人格構造の左の領域がウィニコットの偽りの自
己,右の領域が真の自己とほぼ重なることが読み取れる。
実際,Baca1,H. A.(1987)は, 「いわゆる幼児的ないし太古的誇大感を伴った
縦分裂(で分裂された部分)は,偽りの自己構造としてみることができる。横
分裂は,・・真の自己ないし現実の自己の抑圧として描写できる。偽りの自己
が真の自己を防衛するというウィニコットの考えと,コフートの次の認識つ
まり,分析は,最初,縦分裂のレベルで(そこでは偽りの自己が優勢である)
27
起こり,次に横分裂のレベルで(そこではパーソナリティの真の自己の要素が
自己対象転移を形成し始める)起こるという認識との間には,重要な一致があ
る」(p93)と述べ,ウィニコットとコフートの人格障害の構造モデルの類似点
を指摘している。
リンズレー(1980)は,臨床経験から,自己愛人格をカーンバーグの見解どお
り,境界例人格のサブタイプとしてとらえ,「境界例人格を生む原因となる母
子間の相互作用の基本的な病原的パターン,すなわち二重拘束のパターン(注.
母親の愛情を維持するためには自己主張などの個体化を犠牲にし,個体化すれ
ばそれを失うという意味での二重拘束)は,自己愛人格を生む原因ともなって
いると仮定してもよいだろう。… 自己愛患者においては,母親は,分離・
個体化に向かう子供の成長に対して報酬を与え,これを強化し,是認するのだ
が,それも結局は母親自身と関係を有する場合に限られており,そのため,発
達途上にある子供の幼児的誇大性は固定され,部分的に融合したままの自己と
対象のイメージを中心とした諸活動に関する誇大感が持続してしまう」(p241)
と述べている。
また,マスターソン(1981)も,自己愛人格障害の形成における母親要因とし
て,母親の自己愛的要因をあげ, 「そういう母親は自分自身の完全主義的な情
緒的欲求を正当化するためのちょうどよい対象となるように子どもたちを型に
はめ込み,子どもの分離・個体化欲求を無視する。子どもの真の個体化欲求は,
母親の理想化投影(idealizing projection)に子どもが共鳴するにつれて損な
われていく。母親の子どもに対する理想化に子どもが同一化すると,子どもの
誇大自己は保存されるようになり,この誇大自己により子どもは母親の機能不
全とそれに伴う自分の抑うつを知覚しないように防衛する」(p12)と述べてお
り,境界例人格障害と自己愛人格障害の表面的な臨床像の違いは,彼の言う二
つの部分対象関係単位(RORUとWORU)のうち二つが交互に活性化するか,一方
だけの活性化によることを示唆し,自己愛人格障害の基底にあるもう一つの関
係一単位は,治療によりはじめて姿を現すと述べている(p14)。
さて,以上,第2節では,正常な対象関係の発達論を概説し,その発達段階
のなかの,部分対象関係期(再接近期)あたりの対象関係の障害に根をもつ人
格障害として,マスターソンの境界例,ウイニコットの偽りの自己,コフート
の自己愛人格障害を取り上げてきた。これらの人格障害モデルは,真の個体化
が妨げられ, 「偽りの自己」としての防衛的適応をつづけ,心的挫折を契機に,
第1節3.4.でみたようなスキゾイド現象を呈する家庭内暴力の心理力動を理解
するうえで,最も有効であると思われる。
28
第3章
母親面接からえた親子の対象関係障害事例
家庭内暴力,不登校傾向の高校3年J男をめぐって
第1節 母親の主訴概要 (主としてインテーク2回,第1回面接より)
1, 来談者と主訴
長男J男(高3)に関しての母親面接。家庭内暴力,登校拒否の長男J男に
どう対応して良いか分からない。建て替え中の新しい家から祖父,両親が追い
出されている。
2. 家庭環境
家族構戒は複雑で,問題のJ男(私立高校3年)から見て,父(教師),母
(昨年まで教師45歳現主婦),弟(私立中学2年)の他,父方祖父(元教師
80歳を超える)は所帯主であったが4月にJ男に追い出され,伯母Aのもとで
世話を受けている。J男出生時には,祖母(元教師)も健在の他, J男3歳ご
ろには,離婚した伯母Aが従姉Aを連れて出戻り,7人が同居,1年後に弟が
生まれている。伯母らは4,5年同居し,その後近くに住む。祖母は小学4年
時に死亡。父親は末子でもう一人の姉(教師)がいる。母方には祖父母が健在,
伯母Cがおりその子達,従兄(大学院)従姉B(大学4年)がいる。
〔家族構成〕
掴
ロ
祖母
(元教諭
J、4時死)
伯_羅、
∴∴
父一=〒一一母
(教諭)i離婚)
(教諭) 45歳元教諭
従姉A J男
弟
従姉B 従兄
(22歳) (高3) (中2)
一…一・
(大学4年)(大学院)
ゥって同居………
29
3. 成育史・問題の発端と経緯
(1) 幼少期
J男出生時,父方祖父母と両親の5人家族。初孫。元教師の祖父,教師の祖
母は,家の実権を握っており, 「教育に自信を持ち」,J男は, 「祖父母に育
てられたような子だった」。母親も教諭職にあって,朝と帰宅してからは,努
めてJ男の相手をしたようだが,忙しい朝と,帰宅してから「先ず祖父母のこ
とを済ませて子に向かう」対応では,「十分に子どもの欲求に応えられなかっ
たのでないか」と反省をしている。祖父母との教育学の違いもあり, 「子を挙
るにも,祖父母のしていることを吐るみたいで」遠慮があったと,子どもを取
りあげられた気持ちと「それに乗っかってしまった」気持ちとを振り返ってい
る。当時父親は,土日も学校でのクラブ指導で不在がち。帰宅も遅く,家では
ぐったり。 J男の3歳頃,伯母Aが従姉A(7歳)を連れて出戻り,家も暗
くなりがち,祖父母の関心も不潤な従姉Aに向く。弟も生まれJ男は「淋しい
思いをしたのでないか」と言う。 幼稚園の時も小学校の時も,グループの中
に入れなかったり,集団行動がとれないことがあったが,田舎で祖父母の影響
力から「周りの先生方の遠慮もあって,仕方無いと通ってきた」。一方「周り
から賢いと褒められ,チヤホヤされ」, 「気儘にさせていた」。私立中学(中
高一貫)へは, 「親は何も言わないのに,J男は当然そこへ行くものと思って
いた」という。
(2) 中学時代の最初の登校拒否
中学1年の11月以降,不登校を繰り返す。頭痛,腹痛を訴え朝が大変だっ
た。 「学校への不適応と,テニス部の先輩との人間関係がもと。先生方も男の
先生ばかりで厳しく,体罰もあったみたい。友達の定期をかりてクラブのボー
ルを買いに行かされるのが嫌だった」。母親はカウンセリングを受け,クラブ
を辞めてよいと言うと,3学期頃には登校し出した。 「枠組みの中できちんと
して行かないといけない,ということがなかった。気儘な子なので」。プライ
ドが高く, 「気儘な子」という表現が母親の口からよく出る。中2から高2ま
では,学校行事に参加しないことはあったが「本当に順調にいってくれた」と
言う。高等部に進んで空手部に入る。
(3) 高校2年時からの問題の発端と経緯
母親は,問題の起こりは家の建て替えが発端と言う。祖母の生きてた頃から,
祖父は周りが全部反対するのに,家の建て替えを願っており,長年一人で大工
と話を進めていた。80歳も越え,身体も精神もおかしくなってきたので,祖
30
父の希望を酌んで高2年8月から建て替え工事始める。建て方も祖父は「入母
屋でないと,死んでも盆によう帰ってこん1」と怒り,祖父のみの思いを通す。
暮れに入居の予定が遅れ,J男は苛々しだし,3月春休みは,工事の音が気に
なるので伯母Bの家で寝起きし,そこから予備校に通う。
高3年になって始業式に出たあと,単身赴任の伯父が戻ってくるまで1週間
不登校。J男の意向を酌んで5月完成の工事をストップさせ,家に戻っての登
校が始まる。
4月下旬,父親出張中,伯母の家で母親に, 「家を触られたことによってリ
ズムが狂った。人生を台無しにされた。皆が反対してたのにどうして建て替え
たのか!おじいちゃんを追い出すか,僕が死ぬかどっちかだ,どっちを取るの
だ1」と詰め寄る。返答出来ずにいると,「自分の子が大事でないのか1」と
怒り,家をとびだす。夜中連れ戻される。後日,J男は「親にとって子の方が
大事なのは決まってるのに,あの時,お前は返答出来ずに考え込んだ。それに
不信感を持った」と母親を攻撃している。以来,祖父の顔を見ると荒れるので,
祖父は「あれの言うとおりしてやってくれ」と自分から伯母Aの家に身を引い
ている。
5月下旬中間考査2日目まで登校。3日目は得意な数学,物理でそれにかけ
ていた様子で,前日,家人にわざわざ,音を立てないように言っている。その
日たまたま建築業者が来て家の中を触った事に怒り,母親に「業者に文句を言
え,電話を入れろ!」と詰め寄り,暴力的に新居から追い出す。父親は出張中,
翌日帰宅し, 「荒れてるときだから仕方ない」と黙認(追い出されている祖父
に気兼ねして,両親の生活の場は古い納屋2階だったから,親にとっては余り
実害がない様子)。前後して,J男は祖父が家に来たのを見つけ怒り,20日
未明プレハブに火をつける。父親が気付き消し止め大事に到らず。以来,不登
校が続き(9月18日まで)家から余り出ない日々が続く。
母親はカウンセリングを受け,神経内科を一度受診し,J男のために薬を
貰ってきて,御飯や飲み物にいれたりしている。J男は「わしの人生台無しに
して,保証をどうしたらいいか,お前らの責任だから,お前らが考えろ」乏カ
ウンセリングには見向きもしない。 6月頃,機嫌のよい時には,父親と野良
仕事(耕うん機が好き)をしたり,ゴルフの打ちつぱなしに行く。母親の車に
乗せてもらって大都市の大型書店まで物理,数学,コンピューターの本を買い
に行く。かと思うと,母親を呼びつけ「保障をどうしてくれる!子どもがこん
な状態なのに,父親は仕事に行けるのか,呼び戻せ!」と詰め寄る。
7月上旬2週間ほど母親は家に入れたが,23日,再度暴力的に追い出され
た。理由は,:夏休み前友達にマウンテンバイクの競技に誘われ,「そこまで車
で送ってくれ,グランドでの車の運転は自分に任せろ」というので,事情を聞
31
くと, 「信用してないのか1」と怒ったらしい。帰宅した父親が怒り,取っ組
み合うが,既に体力は子が勝る。25日,J男は怒って,納屋,プレハブの電
線を切り,ガスコンロ,風呂も使えなくする。ローソクで明かりをとると,そ
のu一ソクも捨てられる。さらに下旬には,親の生活の場である納屋,プレハ
ブに鍵をかけ締め出す。
8月12日,母方祖母が来て仲介,母親も交えて話。母親はJ男に「謝って
家に入れてもらう」が, 「お前は母親として言う権利はない」「自分を怒らす
ようなことをするな」と言われている。父親とは取っ組み合い以来話がない。
この夏休み中,9,16,23日の3回,母親はJ男をモトクロスに連れてい
く。一度,バイクのエンジンが掛からず怒りを母親にぶつけ,バイクを潰して
帰るとごねているのを,周りの人が見兼ねて修理してくれたことがある。機嫌
が治ると「人が困った時には,僕も助けてやらないといけない」などと殊勝な
事をいう。母親から依頼を受けた担任から声を懸けてもらって,下旬から1週
間の補習に5日出ている。29日夜から苛々,30日のモトクロス競技に参加
したがってる様子なので,母親が,行くのなら連れていくと言うと「そんなん
で怒ってるのと違うわ」と相手にされず。翌日,昼過ぎに起きてきたので,も
う行かないものと思って,外出しようとすると,「(連れていくと言っておき
ながら)いい加減なこと言いやがって1」と怒り,その日から母親が同じ食卓
につくと席を立つ。同日,かなり遠方まで散髪に出かけている。出かけに父親
と1か月ぶりに言葉を交わしている。31日,慕っている元校長のE先生(在
職中J男に古典を教えた)の家に,友達と出かけ,一緒に勉強を見てもらって
いる。同夜,従姉Aに翌日の登校のモーニングコールを頼んでいる。
9月1日登校できず。2,3日は模擬テストだから行っても仕方無いと,結
局登校できず。4日,前触れもなく新居に鍵をかけ母親も締め出し(弟には鍵
を渡している),以来現在まで,母親の用意した食事は一切受けっけず自炊し
だす。昼夜逆転,晩に自転車で外出。J男は9月の始めが駄目なら,運動会明
けの17日から登校しようとしていたらしい。しかしこの日行けずに,午前1
0時頃,外へ出て来てプレハブ,納屋にブロックを投げつけ壊し,納屋に入り
込んでテーブルや家財をひつくり返して荒れる。18日夜,母親の依頼を受け
て担任と学年主任が来て,卒業の可能性を示唆する。19日,雨だったが知ら
ぬ間に登校。4時頃帰宅した父親に「今日学校に行ったこと,知ってるか」と
登校したことを知らせている。
(4) 現在の親子関係状況
依然と両親は新居を締め出されている。母親は,時々合鍵で家に侵入して梼
子を窺い, 「自分は黒幕になって」,食料の調達等を祖母や伯母らに頼んでし
32
る。母親は睨みつけるようなJ男の顔を受けとめる余裕はなく「ビクビクして
いる」。第1回インテークの後,登校し出したので,何とか弁当を渡そうと待
機して機会を伺うが,無視される。母親の不安は強く, 「どう対応したらいい
のか,こうしている間にも日が経っていく」と性急に対応策を欲しがる。J男
は難関国立大(理系)一を志望しているが,母親は「普通になってくれたら,大
学へは行かなくて良い」と述べる。本心ですか?と2度確かめると, 「本人が
行きたがっているので,それなら願いは叶えさせてやりたい」と返答している。
そういう母親に対してJ男は「めし以外のことよう言わんのか。他に迷惑かけ
てきたこと,謝ることあるやろ,そんなこと分からんのか」「お前たちは教育
する資格がない。人の人生台無しにしたお前らには人権もない」rわしの気分
が悪くならないように,気持ちを酌んでやれ」「お前らはわしの言うことを聞
いて当たり前なんだ」と責める。従姉Aが諭すと「腹が立つから,親の作った
ものは食べない」「存在そのものが腹が立つ」と言い,親が可愛そうじゃない
のと諭すと, 「僕の方がもっと可愛そうだ。僕は人生台無しにされて,可愛そ
うな楽なんや」と応えるらしい。一方で「あれだけ(無茶を)やったのに,お
前らの馬鹿さ加減には,ほとほと呆れたわ,何をやっても知らん顔や」「 ニ母親
に述べている。 「振り上げた拳の降ろし方を探っているのかな」と父親は言っ
ている。父親は, 「好きで自炊したり洗濯してるのだからほっておけ」という
態度らしいが, 「何時も忙しく帰りも遅い」ので,母親の不満と不安は募る様
子。J男は父親にはコンピューターを教えてもらったりしている。
また母親は,重大な情報としては述べなかったが,この3月に学校を退職し
ている。祖父も病気がち,J男も高2の頃から苛々している,退職して家族の
世話をすることは夫もJ男も望み,J男は「帰ってきていつ御飯が食べられる
か分からないのは困るな,高3になったら,食べたいときに食べたいな」と
言っていたらしい。「今まで淋しい思いしただろうから,辞めて大事なときぐ
らい家にいてやって,子どもの面倒を見て,お帰り,言うてやろうと思ってい
たが,もう,それどころでなくなった」(第2回面接)と,全く予期せぬ展開
になったことを述べている。
33
第2節母親面接経過とスーパービジョン
1. 治療構造
U教授による第1回インテーク面接(Co.も記録者として立ち会う)のあと,
再度,Co.だけのインテーク面接を実施し,取り敢えず3か月,週1回60分
で12回に限った面接を提案し,カレンダーで各面接日,時間を確認しあいな
がら12回を決めた。ただし,12回終わった段階で,ぜひ必要であるならば,
引き続き継続する用意があることは示唆した。
面接場所は,H大学相談室。面接期間は,某年9月28日から12月15日
まで。料金は無料。原則的に毎回,U教授からスーパーバイズを受けて,次の
面接に望んだ。インテーク時に,録音の許可を受け(快諾される),第1回面
接から録音した。
2. 面接経過とスーパービジョンの内容
(1)第1回面接 9月28日
J男は自炊しながら休まず登校している。父親とは日曜にゴルフの打ちつぱ
なしに行くが,母親は「声を懸けても睨み返される」。23日彼岸の日に伯母
らが来て,パンを差し入れる。「これはあいっからの差し入れ」で無いことを
確かめて,受け取ったという。母親は,i登校するJ男を玄関で待ち受け,弁当
を渡そうと試みるが無視されている。〈何に対して怒っている?〉 「8月
30日モトクロスに行けなかったこと。それから一緒に食卓につくと席を立つ
ようになり,9月4日鍵で締め出されてからは,用意した食事は一切無視する。
それまでは関係が良く」,夏休みの日曜に3度モトク白スに連れていったこと
を述べる。<お母さんに対する接触欲とか,かまって欲しい欲求を感じる
か?〉 「あの子にばかり,かまけてしまったという思いがある。手を掛け
過ぎた事がこうなっている。病気や怪我も,人とのトラブルも多かった。何を
するかという心配があった。働いていることで,愛情不足になるといけないの
で,出来るだけ手を掛けるようにしたのが,逆に構いすぎになったと主人に言
われる。」「服や鞄の世話とかでなく,何か物事に対して,こうしてたらこう
なったらイカンから,こうしてとか。こうこうなのよ,そういうてても,こう
こうなるからね,だからそうせんほうがいいのよとか。だから失敗させないよ
うに,対応の仕方を,大人4人5人が,それぞれにレールを敷いた」と言う。
母親が帰宅すると,いつも祖母から,こんな事で困ったからちゃんと怒ってお
いてよと言われる。 「聞き流せばいいものを,私も律儀に言われるとおりにし
34
てしまう」と笑う。〈J男に対する対応は変わりましたか?〉「中学1年
の不登校で,カウンセリング受けてから,出来るだけ手も口も出さず,本人の
思うようにと努めたが,主人に言わせると,口で言わなくても気持ちが何時も
J男の方に向いてると言われた。」〈弟より愛着ある?〉 「あれこれする
ので何か心配。真っ直ぐ育てないといけないという思いが強いので」<例え
ば?〉 「私達の考えと違って,脇道へはみ出そうとするところがある。それ
を中へ中へ入れようとして,レールを敷いてばかりが多かった」<お母さん
の心配や不安に応える形で色々してくれたのですね?〉 「そう,だからそう
いう思いで見ていること自体が問題あるのだと思う」と返答が返る。<信頼
されてないという思いが,そういう行動を誘発するという事ですか?〉 「そ
れだけ私の眼が,周波数(電波)のようにあの子に向いているということ。今
は特にそう」と認めている。これは常日頃から主人に指摘されている事らしい。
〈母親にだけ攻撃が向いてるのは何故?〉 「私だけでなく,感情が爆発す
ると自制できないところがある。最初は祖父にだけ怒りが向いていた。祖父が
家を出て目の前から消えると,だんだん思いがけたら,親が建て替えを進めた
ということになって,親に向いてきた。」「主人といさかいしている間は私と
上手くいき,私とこうなってからは主人と上手くいっている。交代交代。」
「私が8月30日連れて行っておればこうはならなかったでしょうが」と述べ
る。J男は「わしを怒らすようなことが腹立たしい,,わしを怒らさないように
しろ」と言うらしい。結局追い出された3回はすべて,「あの子を怒らせてし
まったから,追い出された」と母親は言う。 「9月17日,荒れたのも卒業の
危険性を感じたのだと思う。」担任に依頼して,18日夜来てもらって,卒業
の可能性を言ってもらってからJ男は登校しだす。先日伯母に「大学院に行く
めどがついた」とJ男は語っている。
昨日(日曜)J男は母親に五千円もらって自転車で外出。出先から「従姉か
ら電話ないか?」と電話が入り,無いと応えると,「お父さん居るか?」。仕
事に出たことを伝え,用事:は「お母さんやったらいかんの?」と聞くと,その
まま切られる。すぐにまた電話が入り,「お父さん,何時ごろ帰ってくる?」
と聞くので, 「夕方。困ったことあるんやったら,お母さんするけど」と言う
と,ガチャンと切られる。「もうお前には用が無い,というようです」と母親
は笑う。母親の不安,焦りが強く,時間が多少オーバー。 「帰ってからもテレ
ビを見て寝るだけで,ただ学校行ってるだけです。大学受けようと思っても受
からない状態だと思う」と,対応策を切迫して求める。Co.はく親がこうす
るからちゃんと成りなさいという操作的な要求は無理ではないか。今までのや
り方が構いすぎと反省するなら,言葉を10掛けたいところを3つに控えるな
りされては。子供と繋がっているなら,気持ちは通じると思う。〉と返して
35
いる。
●スーパービジョン
事実を明らかにしていく。母親の過去認知は,教師故に厳しく見ているかも
分からない。理解することに徹する。母親自身が考えないといけない,事実を
明らかにしてからアドバイス。
母親を巻き込んで,支配することでエディプス的関心を示している。電話を
切られたとき,どういう気持ちか,ということを明確化していくとよい。父親
はエリート指向的,それが息子の自尊感情と結びついているか。
(2)第2回面接 10月 5日
J男が今日一日休んでることにガックりしt様子,どんな思いで家の中にい
るのか,苛々してるのでないかと,いつもJ男の気持ちを考え,無視される淋
しさを述べる。食料は伯母達が差し入れしている。日曜は伯母Bらと8月23
日以来のモトクロスに行く。「主人は,洗濯や朝起き食事など,今まで構って
もらってしか出来なかったことを自分でしているのだから,自立する過程だと
言う」〈それを聞いてお母さんは?〉「親のする食事もとらず,形が変な
感じだから」耐えられない様子。攻撃が母親に向くのは「怒るものをつくるこ
とで,あの子なりの平衡が保たれている」のだと,自分を慰めている。木曜朝,
弁当を渡そうとするとJ男から「そんな無神経なことが,何で出来るのだ」と
言われ,帰って来てから再度渡すと「いつまでそんな無責任なことを言うてお
れるのだ」と言われる。その意味が分からないので,夜出かけるところをつか
まえて聞くと, 「聞くこと自体が無神経や」と言われる。 「まつわりつくな,
うっとおしいからあっちへ行け,離れようとして,構っていらんと思っている
のに,いつまでそんなことしてるのか,という意味なのかと思ったり」しかし
「親として食事の用意をしないのなら無責任と言われて分かるが,用意をして
そう言われることが分からない」ので「お母さんのしたらいい事教えて欲し
い」と食い下がると,「死ね,死んだらいいのだ」と。 「死なれないこと分
かってるでしょう」と返すと,J男の気分が昂って来たので,謝って行こうと
すると, 「横向いて謝るとは何事や1」と怒る。 「以前J男は伯母に,人の気
持ちが分かるように,親の教育をしてくれと頼んだことがある。だから自分の
思っていることを分かれと,分からんでお弁当やとかまとわりつくことが無神
経ということなのか,自分から遠ざかれと言うてるのに,近づいていくからそ
れが無神経ということなのか」〈そのように受けとめられますか?〉と確
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かめると, 「弁当と言われたらさっと渡せるように,子のためにするのが当た
り前だと思う」と言葉が返る。<親離れの中でも,特に母親からの離れを感
じる。目の前にお母さんがいなくても,心の中にベッタリと大きな存在として
いる〉と返すと; 「仰ることよく分かります。心の中にちらついているんで
しょうね」〈だから余計〉 「うっとおしいんでしょうね。だから,うっと
おしいとか,まとわりつくなという言葉が出るんでしょうかね・・」と心が揺
れる。<心の仕事としては,今, (J男もお母さんも)同じことをしている
と思う。うっとおしい思いと,ある種の満足感もあるかも分からない〉と述
べると,後者に飛びついて「自分のことを気にしてくれているという意味では
安心したりね,だから関わりを止めてしまうのも何か,と思って」, 「いつ言
われてもパッと適応できるように」弁当の用意をしてしまうことを述べる。母
親はJ男に対して「ひけめを感じてから」弱くなったと述べる。<ひけめと
は?〉「忙しさに流されて要求を受け入れてやれなかったこと」<弟より
J男の方にかまけたのでは?弟にはひけめを感じていない〉と矛盾を突くと,
それを認めて, 「色々問題を起こすので,周りから愛情が足らないのでないか
と言われた。一所懸命してたのに,今から思えば,子によって愛情の要求度が
違う,あの子には満たされてない部分があったのだろうと思うjr人に迷惑か
けてはいけないと言って来た積もりなのに,その反面色々わるいことしてるか
ら,褒めたりしたことが少なかったのかなと思う」と述べている。
今年4月に退職した経緯を聞く。母親は全く「予期せぬ展開」を語り,「中
1の不登校のときは仕事を持っていたので,気持ちの切替えも出来た」と述べ
る。〈お母さんにとっても専業主婦という初めての体験。母親の生活と子供
の生活との新しい折り合い,バランスの組みかえが必要かも〉と指摘すると,
「私が自分のことで,揚々と動き回っていたら,子にとって腹が立つのでない
かと思う。苛々したとき,何でお前ら飯が食えるのだ,子がこんな状態なのに,
何で仕事に行けるのだとJ男は言うので」<子がそんな気持ちになる時,親
も当然そうなって然るべき,という気持ちがありますね〉と言うと, 「親が
家を建て替えた事が原因で自分が崩れた。親が原因をつくっておきながらよく
平気でおれるなということ」〈をれを認めてしまうと,返す言葉がない〉
と非合理を突くが, 「結局,私達は今まで年寄りの方に目が向いていた。祖父
母は自分の考えをしっかり持って,パッと押し出してくる人だったので,どう
してもそちらを尊重し,子供の方はまだ人生長いのだし,分かってくれるわと
私達の甘さがあった。それで家の中も平和だと」J男から, 「死ぬ,どっちを
取るのだ!と詰め寄られたとき,そこを突かれた思いがした」そして結局,私
達はJ男より「祖父のわがままを聞き容れた」と,J男の心に身を置いている。
時間が来ると,この1週間どうしたらよいかの示唆を要求する。<何かして
37
いかないと不安ですか?〉と返すと「子の思いが遂げられるように,親とし
て援助をしてやりたい」と受験の不安に触れる。<J男の態度が,独立した
い意思表示だとすると,あれこれ手を差し延べることが,プラスになるか疑問
です。また実際受験で親のする事は何もない,金の支払いぐらい〉と言う
が,なお「親としては,多少犠牲になっても,子供のためになるんだったら何
かしてやりたい」と言葉が返る。
●スーパービジョン
根本的に家族関係が不安定。登校出来ていること自体が不自然だ,いつ休ん
でも不思議でない。よく行けている。母親に,いい叫ぶって来たことの悔恨が
ある,波風立てないようにしたことが息子にしわ寄せがきた。父親は情け無い,
子が二の次になっている。夫婦が主導権握れず,子育てを逃げてきたのではな
いか。知的な母親で,よく洞察しているが,知的なレベルに留まっている。家
族が一緒に住めるよう考えていくべし。
(3):第3回面接 10月12日
J男は遅刻,早退をしながらでも登校を続けている。水曜は下校してから往
復4時間以上かけて自転車で,大型書店に専門書『ファイマンの物理学』第2,
3巻を購入(金の請求はせず)。 そういうJ男に,才先週はまともに一日
行った日はない」「好きな教科だけ受けて勝手な子」「大学に入ってからする
ようなことをして,今の自分に本当に必要なこと,本分から逃げている」と不
全感を述べている。Co.はく丸々ゼロにしないことは大切。そういう意味で
は,不完全ながらでも行っていることは凄いことです〉と返している。
10日土曜はJ男が「反感を持っている祭りの神楽」が来るので,伯母に頼
んでモトクロスに連れていってもらっている。そのときJ男は伯母に,日曜か
ら「家で稲刈りをする,僕がしないと誰がするのや」と述べている。<偉い
ですね〉と感想を述べると, 「ただコンバインに乗りたいだけなんですわ」
と応え,後ほど〈一応,そのときは3人で仕事出来ますよ〉と述べても,
「ええ,でもそうすると学校へは行けない」と,田のことは親に任せて本分を
してほしい気持ちが勝っている。 今日の昼,J男の方から母親の所に来たの
で,何事かと身構えたと言う。稲刈りするには天候が心配父親はどう思って
いるのか連絡とれるかと言うので,父親も雨を心配してたわと言うと, 「わし
は手伝わなくていいんだな」と。 「手伝ってもらわないといけない事もある」
と言うと,黙って下りて行く。<必要なときには向こうから言ってくる事が,
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これで分かりましたね〉と述べると,それは認める。
母親は相変わらず,食事の用意に余念がない。結局は温あ直して,自分たち
で食べていると笑う。 「用意はしていること,分かってもらう方がいい。主人
は,しなくて良いと思うが,お前がして気が済むのならしろと言う」<的確
な判断ですね。しないと義務を果たしてない気がされるのかな?〉と言うと
「あの子にしてやれることは何もない・・」「食べる,寝る,運動の3つは,
黒幕になってでも確保できいる方法を考えた方が良いと思う」と述べ,合鍵で
部屋に入り食料状態を確かあ,自分は「黒幕になって」,伯母らを通して食料
の補給をしている。そして,伯母らに食料を入れてもらうことどう思うかとC
o.に聞く。<+一あり。しかし少なくとも,こういう状態の持続の要因には
なっている。結局,世話していらんといいながら,かえって世話してもらって
いることになっている。本人がそれをどう受け取っているのか?〉と返すと,
「私にはしていらなくても,他の人の行為を嫌がらないで受け入れるのであれ
ば,せっかく学校に行こうとしているとき,気持ちを充実させようとしてもお
腹が空いていたら,気持ちも崩れる。私の過保護という形になってもよいから,
今一時の事でいずれ分かるのだから・・」と現在の母親の最優先事項を示唆し
ている。C o.はくそれは,(自立を)先延ばししてでも,今はその方がいい
というお考えですか?〉と返しているが,明確な返答は得られず。Co.はさ
らにくご主人が言うように,本人が自分でそうしているのだから,困るのは
自分自身なのだから,それでやらせてみるというように,Do Nothing何もしな
い手を打つというのはどうでしょう?〉と示唆すると, 「何もしないことが,
していることになるのですね」と認知しく何もしない選択をする。やる方が
気が紛れるので,お母さんにとっては,辛い仕事になる〉と指摘すると,
「そうです,何もしないと色々思いますから。何もしてない,これで大丈夫だ
ろうかと思いますから」と述べ, 「だから自己満足でしてることかもしれませ
ん,これしかしてやれないから… でもひょっとして,いっかお腹が空いて
食べに来るかも分からないという思いがあるから,何かテーブルの上に置いて
てやろうという思いがあるんです」と揺れる母心を述べる。幼子に対するよう
な母心が印象に残る。
㊤スーパービジョン
会話が互いに進んで,もっと焦点化が欲しい。終わりには,今回話題になっ
たことのまとめ的なものが必要。神楽に対する反感は,古い伝統,つながりへ
の反発,本人のエリート指向と関連ありそう。生活感のないレジャーとしての
マウンテンバイク。合鍵で部屋に入っていることは,本人知っているのではな
いか。現状では,卒業までは時間をかけて成長を待つ方針で,彼のやりたいよ
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うにやらせながら待つ。本人がパニックに陥ったとき,親として抱え込む心の
準備は必要。そのとき時間制限の枠を外すことは,やむをえないだろう。
(4)第4回面接 10月20日
.毎回待合で手帳を見ている。〈どんな具合ですか?〉 「一週間ではそん
なに変わらないですけど・・」と言いつつ,大きな動きを述べる。12,13
日の模試を休み,13日火,稲刈りの手伝いをする。コンバインの調子が悪く,
父親が注意をするが,いい恰好を見せるように,一度に上手く刈り取ろうとし
て詰まらせ,その都度父親が修理。かえって手間どつたなと夫婦でこぼしてい
る間,J男は一人で米袋25袋ほどをトラックに積み込み,搬出の準備を完了
させていたらしい。
16日(金),学校は休日。父親不在の時,残っている稲刈りを一人でやり
だす。放っておけなく母親も田に出る。コイパイン調子が悪く,業者に2度来
てもらう。再度詰まらせ,「また電話しろ,今度はさっきとは別の者に来ても
らうように言え」と言う。渋っていると,「ぐずぐずするな1」と怒り出し,
大きな石を投げつけてくる。「電話はするけど向こうの都合で誰が来るかは分
からないよ」と言うと,「わしに口答え出来るのか!」と怒り出し,電話口ま
で来て「お前は動作が遅い,対応が遅いんじゃ!だから怒つとるんじゃ!今日
のことだけと違う,反省が出来てない。責任をどう取るのだ!」と蒸し返し,
服を引っ張り,机椅子をひつくり返す。「責任どう取る!と言うので,どうし
たらいいのか,あなたに言うて欲しい]と言うと,一言「死ね,言うとるや
ろ1」と言い捨てて,母親の座っている椅子を蹴って出でいく。3度目に来た
修理の人が,故障の原因を指摘し,買い換えるかしないと駄目なことを母親に
説明する。J男は家の中から母親を手招きして,どんな具合か様子を聞く。
「そんな時は,ケロッと(怒りを忘れたように)普通に言い,説明をうんうん
と聞き入れる」らしい。
18日(日曜),新しいコンバインで,夫婦で稲刈りしていると,J男が様
子を見に来て「わしに用はないな」と言う。 「また手伝ってもらわんといか
ん」と応えると, 「1時まではお前らで頑張とけや,1時になったら行ったる
から」と。〈親方ですね〉 「そう,呆れるわ」と笑う。2時間ほど手伝う。
<本人なりに,稲刈りは手伝わないといけないという自覚もあるんでしょう
ね〉と言うと, 「機械に触りたい気持ちの方が強いのだと思う」と応えてい
る。
同日4時頃,リュックを背負って自転車で出かける様子。食費,小遣いを含
40
めて一万円渡す。何処かへ出かけるのかと聞くと,何時もなら無視するが,首
でうんと頷いて行く。夜になっても帰ってこないので弟に聞くと,名所Yまで
行くと言っていたとのこと。心配でやきもき寝れずにいると,主人に「一人で
それだけのこと出来ると思えば,大したものやと思ったらいい。はよ寝ろ」と
言われる。
19日(月)学校は休日。J男は片道100㌔程の日本海名所Y行きを果た
し,駅で野宿して,帰りに母方祖母の家に立ち寄って,食事をしている。祖母
は驚き,お母さんが心配してるだろうから電話するよう言うが, 「僕が出て
行ってからおばあちゃん電話しておいて」と言い,そのまま元校長E先生の家
に,友達と行っている。J男の慕うE先生は,古典の先生で,補習の源氏を読
む会には,理系から彼一人が参加していたらしい。
同日夜8時頃帰宅する。「あんたの顔見て,ホッとしたわ」と言うと「顔見
ていらん」と言いっっも,いつものように「さっと家に入らずに」,今日稲刈
りが済んだことなどを話す母親の話に, 「親父今日休んだのか」と気づかう様
子。そう,その代わり,今から仕事してくると出かけたわ,と話す母親の話を
黙って聞き,家の周りを回って,その間母親と時間を共有している。<学校
行くという観点から見ると,必ずしもお母さんにとって満足な状態でないかも
知れないが,何か遣り取りの中にしっかりしたようなものが出てきたような感
じを受けましたが,いかがですか?〉と述べると, 「そうですが・・これだ
け自転車で走れるエネルギーがあるのだということは」分かった,と応える。
Co.がく名所Yまで行って日の出を見るのは,単なるエネルギー発散という
より,もっと精神的なもの,自分を試すとか,男性性の確認のような気がする。
父親不在の間に稲刈りを一人で遣り出したのも, (褒めてもらいたいとか)自
分の存在価値を示すもの〉だと述べると, 「凄いことをすると自転車屋で名
前を掲示されるから,人の出来ないことをして,自分の存在感を示したいのだ
ろう」と指摘する。
J男は,申し込んでいた25日のマウンテンバイク競技の参加を,考査期間
に引っ掛かるのでキャンセルしている。母親は,依然と弁当を作り,待機して
渡すことは控えているが,目につくところに置き続けている。自分が「何もし
ていない」ことを心許なく思い, 「言い過ぎてもだめ,言わな過ぎてもだめ,
私は言わな過ぎてるんじゃないかと思う」と,何かしてやらないと不安な心の
内をのぞかせている。
母親は,毎回立ち去り難い様子で,Co.に対する依存心を強く感ずる。60
分テープが毎回切れて,延長してしまう。今回は,残り時間を何度も気にされ
ながら話をされる。
41
●スーパービジョン
くどんな具合ですか?〉の聞き方は,息子の症状を聞く医者の聞き方に
なっているのでは。もっと白紙に「始めましょうか,どうぞ」というのが良い
だろう。
父親よりいい恰好をする,父親不在のとき男性性を強調するのは,未解消の
エディプスコンプレックスかも。父親への対抗,母親への男性性の誇示,父親
へのライバル意識が根底にあるだろう。
機械,父,母を自分の思い通りに動かそうとする,幼児的万能感,自己中心
的な心理状態がある。自分本位に物事が動かないということを,親の課題とし
て,子に教える必要がある。どうしてそれが根づいていないのだろう。
名所Y行きは,優等生が挫折して,その名誉挽回の戦いという感あり。心の
支えとして,自尊感情が高まることは良い。
大学受験,卒業をめぐって現実の厳しさに直面することになるだろう。
(5)第5回面接 10月26日
半J男は中間考査も受けているが,母親は,「試験終わって早く帰ってきても
自転車で出かけてる。テレビが終わると寝ている」と勉強をしていないことに
不満気。<外に出ることは現実に直面する。現実を受け入れないと外に出れ
ない。考査は生徒にとってまさに現実。良いこと〉と,出来ている部分の評
価を促す。
母親は,合鍵で家の中に入り,伯母達に食料を入れてもらったり,J男が飲
み出したウィスキーをこっそり量を減らしたりしている。 「伯母達の差し入れ
ば,有り難うと抵抗無く受け取っている」のでくとことん反抗しているわけ
でない。(親の差しがねに)気付きそうなものなのに,子供っぽい〉と述べ
ると, 「自分は悪くない,親が悪いんだという気持ちがあるから受け取れるの
だと思う」〈親が悪いことの意思表示を周りにしている?〉「伯母たちに
も,親を教育してくれと言っているので・・」しかし,里の祖母が説諭すると,
話が途絶えるらしい。「いつまでも責任をどうとると言うのも,結局あの子に
とって,そこへ帰るしかない。何をして欲しいのか,どう責任とって欲しいの
か,あの子自身も分かってないのと違うか,でも,そこから出発しているから,
そこへ戻って,こちらに腹を立てるしかない。振り上げた手を下ろされないよ
うなものと主人は言う」。
食料の心配を色々主人に持ちかけると,もういい加減にせよとばかりに「
放つといたらいい,自分が好きでそうしているのだから。それがあいつの人生
42
や。親が言うても聞かんのだから,あれが選んでしてる道だから」と怒る。
「まあそういう風に割り切らないと駄目なのかも・・」と述べるが。
<J男さんがお母さんを追い出したのは,一一vaに生活したくないということ
ですか?〉と聞くと,9月3日までは家に入って普通にしていた。祖父が追
い出されているのに気兼ねあり,夫婦の生活は納屋の2階。4日朝行くと鍵が
掛かって締め出されていた。〈関与してくれるなということ?〉と聞くと
「8月30日のモトクロス行き都合つけよかと言うと,そんなんで怒ってるの
と違うわ,と言ってたが,9月上旬学校へ行けない状態を私がつくった,とい
うことで怒っているのでしょうね」と述べている。
〈名所Yから帰宅して,さっと部屋に入らずお母さんと時間を共有した〉
ことに触れると, 「そう,本当は名所Yに行った話をしたがったのだと思う,
伯母や弟にはしているので。今度は,文化祭の休みを利用してZ県行きを計画
しているらしい。勉強ははする斜ないと里の祖母に言っている。卒業はした
がってるが」と,冒険を素朴に喜べない,不安が先立つ母心を覗かせる印象を
受ける。そして「結局,精神的に不安定だから,身体を動かすことによってバ
ランスを保っているのでないか。だから勉強出来なくても仕方がない」と自分
を納得させている。<勉強が不完全でも,学校行ってることは,大きな実際
的意味あり。そこは評価しておかないと〉と返すと,通信添削を申し込んだ
ことを述べ, 「勉強する気はあっても,・それに乗っていけないところが,あの
子にとってしんどいんと違うかなと思う」<毎日,J男さんの気持ち考えま
すか?〉 「どうしてるかな・・とかね,気持ちはどうしてもそっちに行って
しまう」母親は,J男の行動を外から子細にうかがい「何もしないというのは,
本当にいいことなのか」と不安がっている。 「兄から,自分を見失うなと吐ら
れたが,自分が今何をしたらいいのか分からないから,見失うも何もないんだ
けどな,なんて」と哀しそうに笑われる。<もしお母さんが,こういう事で
悩んでおられなかったら,今何されてます?〉と聞くと, 「学校辞める時点
では,こういうことになるとは,思っても見なかった。ただ受験期だから,今
まであの子に対して何もしてやってないから,受験になったら食事したいとき
に食事したいと言ってたので,ちゃんと準備してやろうと。今まで出来て無
かった家の整理とかもきちっとしていきたいと思ってたが,今はそれ所でなく
(笑)何をどこへ片付けたらいいかも分からない(笑)」<一番してあげた
かった食事が,相手に取り上げられてしまった恰好〉「「そう,それは徹底し
ている。絶対持っていかない。もうすぐ差し入れがあること期待している様
子」「食事はこのまま同じように続けていきましょうかと,先生仰って下すっ
たから(Co.は意外な気がした)一応同じようなじょうたいはしているんです
けど」〈お母さんの安定のためにも食事は必要か分からんですね(笑)〉
43
「本当そうですね,どうしてるかなと思う分だけね。でもそれが良いことでな
かったら止める,私もそれぐらい強くならないといけないと思いますから。で
もプラスマイナスならばと思ってしている」
祖父の話題。 「もうあれは死んだと思っているからどうでもええけど,今度
はお前らやと(怒りが親に)出てきた」「祖父母に育ててもらったけれど,祖
父には大きくなってからでもよく怒られもしてた。祖父は厳しさと甘さとが両
極端でした」。J男は祖父宛の郵便物を怒って投げ捨てている。
母親は「何もしなくて本当にこれでよいのか,親子関係を建て直していこう
と思ったら,こちら側から働き掛けが必要じゃないかという思いはどうしても
ぬぐい去れない」ことを再び述べ,「でも,この時期は,こうしかないなと
思っては,自分で納得させている。兄にも自分をしっかりもっとかんといかん
と言われましたから。でも,しっかり持つといっても,何もない(笑)」と,
やるべきことを取り上げられた空虚感を述べる。<今まで仕事をして来て,
それがなくなった頼りなさを埋めることも並行しているのかも分からないです
わ〉と言うと,それを認め,「今は家の整理をしていくことしかないので,
できることでもしておこうと思う」と述べる。
壊された家財のうち,電気は修理したがガスコンロや風呂はまだ。あまり変
えて,刺激しない方がいいと思って様子を見ている。<コンロも風呂もつけ
たらどうですか,それでガタついても,どうせ乗り越えていかないといけない
こと。お母さん自身のことをやっていく必要ありますね〉と返す。
●スーパービジョン
今回は子どもの日常生活の同じ繰り返しという印象。母親面接だからCo.の
誘導が必要。「親が悪いからこういう状態になっている」にたいして「親にし
てみればたまらんですね」では,親に反省の余地がなくなり深められない。
「どう責任取って欲しいのか,あの子自身も分かってないのと違うか」と親は
よく分かっている。その突破口をどう打開するか聞きたくて来ていると思う。
子自身がこの苦しみからどう抜けるのか,親を通してどう救い出すのか。彼は
何故無理難題を押しつけるのでしょうね,ずっと,お前らが俺をこうしたとい
う形でしょ。親の毅然とした態度,枠が必要。親が壁になって,子どもの無茶
をどう跳ね返すか,それがないと子は何をしても虚しい。親はスポンジみたい,
目覚めさせるには今やってることに対して,親の毅然とした主張あるべし。
ウィスキーも放っている。C o.の解釈調では,お母さん気付かず進展がないの
では。
44
(6)第6回面接 11月 2日
J男は,金の請求,稲刈りの用意,Z会の申込みなど自分が必要なときには
母親に近づく。母親は「何もしないことがあの子にとって本当に良いことと確
信できるなら止められる」と,無視される食事の用意を依然と続け,してやっ
ているということで,心の虚しさを補充し,安心している自分を認めている。
「しなければしないで,どう思うかと思って,変えずに続けている。受験が
迫っているので」と,受験心配を述べ,現状を何もしないでキープすることに
絶えきれない印象。<現実にぶち当たることは,彼が一番学ぶチャンス。親
に感情の処理を突きつけて来ることも考えられる。親が一緒に恐がっていると,
導入がそれをコントロール出来なくなる。〉 「親の責任をね」<親の責任
として納得してしまうと,向こうの論理についていく恰好,そういう気持ちを
温存させる。不合理な感情に振り回されると,向こうも落ち着くにも落ち着き
ようがなくなる。ある程度は跳ね返してゆくことが必要。小出しにするか,付
き合わないかして>
J男は,中間考査を全部受け,今日から文化祭の期間休みを利用して,野宿
2泊の予定でZ県へ自転車旅行へ出た。〈一つの現実的な山を乗り越えたと
いうことですね〉と評価すると,それを認めながらも, 「5日からは模試も
あり,受験前の高3がすることでないが」という思いもある。土曜日,弟とZ
県行きの話をしており,隣で仕事をしていた父親にもZ県の地図を借りている。
今朝,旅支度もして2万円貰いにきた。今日の文化祭初日に参加して,一旦
帰ってから出るものと思っていたので母親は驚く。それまでに色々と注意書を
メモして渡そうと思っていたと。中学部のとき世話になった養護教諭から,Z
県行きのこと知らせる電話があり, rJ男君が,母親は最近何も言わなくなっ
たと言ってた。何か物足りなさを感じているのかも。痛いことでも何か言って
欲しいのでは」と言うことだった。それを聞いて,母親はrあの時,止めた方
が良かったのかな」と考え込む。「寒くて冷え込むから気をつけて行きよと
言ったきりです」と。
Z県行きを,友達数人とコースの検討をしたり,E先生や養護教諭を訪ねた
りして, 「家ではこんな状態だが,外ではいろんな方と話はしているみたい」
〈どうしてだと?〉「お前たちの責任で人生狂わされたと,親を追い出した
こだわりがあるのかも。結局,K大行きたかったが,春休み予備校に行って,
しんどさを感じたのかなと思う。大事な時期に家を建てたことによって,落ち
着いて勉強できなくなったと怒っている。」4月下旬,自分と祖父のどっちを
取ると詰め寄られたとき,「親の愛情を確かあられているような感じがした」。
「今まで波風立たないように,子より祖父母の方を向いていた」。返事が出来
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ずにいると「子どもや,さっと何で出て来ないのだ」と言われ,「何か突かれ
たような思いがした」。主人は「祖父と子どもを比べること自体が間違ってい
る。息子に対して謝ることはない」と通している。<感情の処理が出来ない
だけで,おかしい理屈を分からない子でもないと思うが,その論理に付き合う
ことは,やはりその気持ちを温存させる〉と述べると, 「こちらが言えば言
うほど,反省が出来てないと返ってくるので」という返答。そして「どうずれ
ばいいのか?分からない」<聞き流すとか。要求や気持ちの先取りをするの
を止めるとか。責任のとりょうがない。放っておく,言ってきたときに無茶で
ないかぎり対応する。痛いところを突いてきているが,それがすべて原因で今
の状態があるわけでない〉 親は先刻承知といった風。<無茶な論理に
従って反省することが,プラスになるか分からない。負い目があっても,ある
程度,小出しに跳ね返していく。多少ガタガタしても,親が腹がすわっておれ
ば,子も心の据え方学ぷ。預けられた感情の処理,子どもと一緒にあたふたす
れば,子は落ち着きようがなくなる。〉
●スーパーバイズ
Co.はクライエントの内面,気付いていないことをリードする必要あり。 C
o.の言うことに感心したりといった気付きがまだ出ていないのではないか。親
が壁になる話は良い,上手くやっている。養護教諭のはなし,母親から無視さ
れるのが本人は辛いのだろう。最初に親を追い出したときの,父親の対決がど
うなっていたのか問題。父親はその場の心理的現象の勢いに負け,譲ってはい
けないところで譲ってしまったのだろう。父親が一番苦しいだろう。深刻な話
の中で,母親が笑うこと理解できない。 (しんどさを笑って軽く防衛かも)
だったらCo.はそれに付き合わないこと。「子どもが大事に決まっている」と
いうJ男の言葉,今までの子育てに問題あったということ,憎い立ちに対する
不満にどう対応するか。過去のことは謝ってよい,今精一杯やっている,とい
うことで迫る方が良いだろう。いい嫁,いい教師が,いい母より優先した。親
としての自己主張をハッキリさせるほうが,息子の方も安心するだろう。その
点については,C o.は随分ちゃんとしているので良い。
(7)第7回面接 11月 9日
Z県行き野宿3泊4日の自転車旅行から,5日,直接学校で模試を受け夕方
帰宅。6日も母親の知らぬ間に登校し模試を受験し,E先生の家に行っている。
同日夜,弟にZ県旅行を意気揚々と話する。怒るかなと思いながらも母親はそ
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の話の中に入っていく。無視して顔を見ないがJ男は怒らず。警察に行って,
旅行情報を聞いたり,世話になっている自転車屋にうどんを送り,E先生,養
護教諭に土産を買ってきている。旅先で人の人情にも触れたらしい。外食店で,
「すぐに食べるものが一人で決められないから,店員と接するのが嫌で,外食
も嫌ってたような子」の成長を母親は認めながらも,従姉には「孤独だった」
と述べていることを紹介している。母親自身の淋しさかもしれない。マウンテ
ンバイクは,友達に誘われ夏休み前頃からやりだす。それまではバイクバイク
だった。 Z県の話が終わったあと,祖母が来て待ちきれず帰ったことを伝え
ると, 「何でE先生とこ行く日に来さすのだ」と会えなかったことを残念がっ
て母親に怒る。母親は初めて,金曜に行くことになっていた事を知る。<密
着しているから,自分の思っていることは母親も〉「知っているだろうと,
思っているのでしょうね1ということだった。
8日(日)従姉Aと,スーパーモトクロス観戦。従姉が,J男が出かける前,
母親を無視したことを早めると「ものを言うと腹が立つから,無視するのが一
番怒らんで済むのだ」と答えたと言う。部屋も片付けてもらいよと言うと,
「わしの人生台無しにしたから,あいつらは入れない」と。親の話をすると,
口を燦むので話題を避ける。
〈子どもの理屈が,筋が通ってないことは明らか〉「工事遅れて,迷惑
かけた責任はある。忙しく任せっきりで私達の見通し甘かった」<だから人
生台無しは,行き過ぎ〉「行き過ぎだが,今でも私らにでも出ていって欲し
い気持ちでおるらしく,ものを言うとそういうことになるから,無視している
というようなことを言ってた」<腹立たしい思いに付き合うと,気持ちの中
ではそういうこと起こっても不自然でないが,J男さんはそれを実際に実行し
ている〉 「それをしなければもう気が収まらないというところで,精神的に
おかしくなっているのかも」〈そういう捉え方より,駄々のこね方の処理を
誤っている〉ことを示唆すると,大略「主人にもっと強く出て欲しかったが,
そういう駄々のこね方を認めてしまった。主人は出張中だったし,本当にいつ
も忙しい。家の実権は祖父母が握っていたし,子もそれを見ていた。その祖父
が自分から身を引いた。祖父も歳をとり,ある時期から段々J男が一番わがま
まを通しているところがあった。主人もそれなりにJ男に言っていたが,抑え
は効かないところがあった。父親の権威があるところなら,腹が立っても言う
ことをきくのでしょうけれど」と述べる。<子の不合理な理屈に全面降伏す
れば,本人も収まるべきところに収まらないのでは?〉と返すと, 「部分的
には親の拙さがあったとしても,全面的に自分の人生台無しにしたのは,親だ
けでなくて自分の方にも責任があるのだということが分からないと,正常には
なっていかないと思う。そういう精神面での成長がないかぎり」と述べ,子の
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論理の不合理性はきっちり認めている。<丸々そういう精神的成長が得られ
てからそれが出来る,というより,遣り取りを通してそうなっていく。小出し
にでも親の自己主張は必要。怖いですか?〉と促すと, 「今のあの子は,学
校を卒業したいという思いがある。卒業までは,何とか波風立てずに,それを
叶えさせてやりたい」と,自身の気持ちを投入した返答をしている。
Co.は,大略,<親の話を出されてJ男が口を喋んでしまうのは,具合が悪
いから喋むのであって,ある部分の自分の論理的な非を受け入れていること。
また,親に文句を言ってしまいそうになるのを,無視することで,自分を抑え
ているのは,彼なりの気の遣いようである〉ことを指摘する。「あの子がそ
れだけの思いをしてるのなら,余り声かけない方がいいんでしょうか?」と,
現状の淋しさを述べる。<親の手を離れて,本人が一人でやろうとしている
とき,あれこれお母さんが淋しがって手を出すことはプラスにならないのでは
〉と返している。
話が,祖父母や主人の批判めいた部分になると,多少録音を気になさるよう
な良い嫁,妻としての顔が伺えた。J男への心理的没頭が印象に残る。
●スーパービジョン
前半の報告でJ男は,意外に母親を受け入れている,決して憎んでいない。
Co.のrJ男を育てる中で,一番の反省点はどんな風に受け取っているわけで
すか?」は,せっかく上手く明確化しているのに,Co.は喋りすぎて待てな
かった。祖父母支配を,母親がどう思っていたのか,その不満を聞くチャンス
も逃がしている。改めて,ファミリーダイナミックスの課題がどこにあるのか,
明確になっているところ,不明確なところをハッキリさせておくべし。母親は,
良い嫁ぶっていたことを「エゴ」と言っている。母親の深層における「エゴ」
が何なのか,母親はもっと自己開示してよい。良い方,良い方に取り繕って,
自分を抑えてきた結果が爆発している。育ちが良いのだろう。洞察力も凄い。
Co.との知的な勝負かも分からないね。父親としては,体力的に勝てなくなる
まで引き延ばしてきたことは辛いところ。思春期のある時期が山場,父親の強
さを試す息子に,引いてはいけない。
(8)第8回面接 11月17日
10分目遅れ,慌てて来られる。部屋に入って,Z県で世話になった人への
礼状の下書きを見つける。前から「人様に対しては,きちっとしないといけな
いというところがあって,すぐ気の廻る子だったが,今までだと親にしてもら
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わないと面倒臭くて,何も出来なかった子が,自分で電話かけたり,服を買っ
てきたりしている。」〈成長の過程と評価出来る?〉 「一面では,自立し
ていく方向だと,反面依沽地になっているのではないかと。これだけ日が延び
てくると,本当にこれでいいのかなという思いあります」<焦って来まし
た?〉 「言葉を掛けることによって,こじれているのをほぐす事が出来ない
かと思う。」〈今すぐにでもそれを話題にしても良いと思う〉と意見を述
べると, 「しかし親が面と向かってやると,学校行くことが崩れそう。それは
親がする方がいいのでしょうか」と聞く。<親はそれを避けられないでしょ
う〉と返すと,それを認めて, 「学校行くことより,その前にしなければな
らないことがあるように思う」と述べる。<ガタついても根本的な問題を
ハッキリ向かい合って話をして,乗り越えていくやり方と,今の学校生活を続
けさせながら,徐々にやっていくやり方と,2通りあると思う〉と明確化す
ると, 「卒業まではこのままで」という気持ちと, 「卒業しても,この根本が
解決しないかぎりは」という気持ちの揺れを述べる。<親が,無理な要求に
向かい合うことは避けられない。今,家に入れないという無理な要求をしてい
るのですよ〉と迫ると,「それはこの間も言いましたように,人生を台無し
にしたからだと」と,子の論理を認めてしまう。
祖母が差し入れに来て,J男を諭すと, 「あいつらは僕の受験の邪魔をした
から親でない」と怒ったらしい。さらに論ずと,黙って聞いていたらしい。
ウィスキーも取り上げている。〈現状が,受験を邪魔したということだけに
原因がある訳でないのに,そこを親として強く言えないのは,どういうところ
に?お祖母さんはスパッと言われますね。お母さんは仰らない。どうして?〉
「今は言えない。言うと,反省が出来てないと来ます」<何の反省?と切
り返せないのは?〉 「そうすると元のように崩れてしまう。折角ここまで外
へ出れるようになったのに,逆戻りしてしまう」<正しい論理で親が迫ると,
相手が暴れる,崩れるから止あておこうということなのか?それともそれを言
えない何かがあるのですか?〉と突っ込むと,大略次のような話をされる。
「親として躾を十分にしてこれなかった反省がある」。 「物凄い忙しさの中
に追われ,子の要求に適切に対応出来なかったのでないか」。 「祖父母は教育
に自信を持っていて,わしらがJ男をみる」と言われると任せるほかない。
「また,ある部分ではそれに乗っかかってしまった反省もある」。 「帰宅して,
先ず祖父母の用事を済ませてから,次に子に向かった。自分なりに一生懸命し
たが,短い時間の中で子どもとの対応のやりくりをした」。rJ男は昼間は祖
父母に押さえつけられて,夜はまた親達からで,満たされない部分が,外で悪
さになったのでないか」。弟の方は,保育所の送り迎えをして基本的な安心感
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がある。自分の楽しみは余りしていない。祖父母に親の権利を主張しなかった
反省がある。 r喧嘩になろうと,言うべきことは言っておけばよかった。言い
ながらでも修復はしていけるものじゃなかったかと,今になったら思う」
祖父は何年にも渡って,周りは反対したが,一人で大工と建て替えの話を進
めていた。建てるとなっても,子や私達にすれば,もっと新しい建て方が良い
と思ったが, 「わしは入り母屋でないと,死んでも盆によう帰って来ん!」な
どど怒って,自分を通した。子や主人や姉達にも,上から押さえつける姿勢が
強く,今だに姉たちは反発している面がある。家を追い出されたのも,無理し
て建てたからだと言われ,余り同情されていない様子。 母親は「学校では,
グッと張って来ましたけど,一変に弱くなってしまいました。」と言う。 「面
と向かって話し合いたいというよりも,弱いんですね,結局私,本当にイザコ
ザが嫌いで,成長して分かってほしいな」と思ってしまう。何か言うとき「そ
れよりも先に,可愛そうだなという思いの方が強いものですから」<可愛そ
うは余りプラスにならない。皆駄目が前提。相手を惨めな思いに追いやる。そ
れは今までのお母さんの人生を否定することでもある〉と述べると, 「怒っ
て正論説いてというよりも,先に,何か哀れだな,不慨だなという思いが,
ふっと出で来るものですから,あの子に対して弱くなってしまうんです。それ
が駄目なんです」と泣き笑い。Co.は初めて,母親の気持ちが分かったような
気がした。C o.はく今のままのお母さんでやっていきましょう。全否定しな
いで下さいよ。お母さんが焦るということは,相手に対しても,今のあなた駄
目,今のままでは駄目1という風に迫ることになります。むしろ,今の良いと
ころを評価していきましょう。〉と励ましている。
●スーパービジョン
、
量,内容共に豊富,読むのに時間がかかる。クライエントなかなか手強い。
10分遅刻,治療への抵抗を一応考えてみる必要あり。母親はJ男の自立心の
芽生えを認めている。 「これだけ日が延びてきたら,本当にこれでいいのかと
思う」という母親の気持ちを共感的に受けとめる。過去に対するクライエント
の問題点の明確化,上手く対応している。子育てに対する責任逃れ,乗っか
かってしまった罪悪感を引き出せた。クライエントのこのまま放っておいて良
いのかという緊迫した態度に対して,教示的な対応より共感的に対応する方が
よい。正論を言いたいのに言えないお母さんにとって,正論的な対応では,カ
ウンセリング場面でのCo.の態度を学んで,そのコミュニケーションパターン
を息子との問に生かすことは出来ない。お母さんはCo.から何を学んでいるの
か。10数年の親子関係の歪みの結果としての現れであり,解決に時間がかか
ることを指摘するとよい。J男自身は随分良くなっている。
50
(9)第9回面接 ll月24日
J男は学校に行っており,卒業の可能性もある。前期テス}・まで100日と
ノートにメモしているのを母親は盗み聡している。
毎日,淋しいのか,納屋の方に弟の名を呼んで上がってくる。その遣り取り
の中で,色々情報が入る。一一人で眼医者に行き,コンタクトレンズを買い,7
万円の請求があった。 J男から,ロードレース用の自転車を買うので,今年
中に15万円用意しておくように言われる。注文は未だの様子。あれこれ聞く
とまた苛立たせるので気をつかう。卒業したら40万円のマウンテンバイクも
買うからそのつもりでおれとも。今のマウンテンバイクあるでしょと言うと,
「嫌か!」と怒る。母親が結論だすのも拙いだろうと,お父さんに言っておく,
とその場をごまかす。一緒に居た弟が,H県で走るのか?と聞く。何でや,と
兄。兄ちゃんH大行くって言ってたやん,と弟はストレート。 rY(友達)と
一緒のこと言いやがる,K大じゃ」と怒って出ていく。弟に,バイクのことで
「ちょっとひつこく聞きすぎたかな?」と感想を聞くと, 「そうでもない。し
かし,最後の一言は余分だった」と言われる。兄弟で柿取りの打合せ,J男が
明日8時半に起こしに来いと,弟は9時にしょうと言ってたらしい。その確認
に,出て行くJ男に母親が, 「起こしに行くのは8時半でいいのかな?」と聞
いたらしい。弟は, 「それは僕とお兄ちゃんとのことやから,お母さん聞かな
くていいこと」と言われる。
弟と一緒に家の鞘取りをする。J男は木の近くの洗面所でコンタクトを入れ
るのに手間取り苛々。その間,弟が先に出て木に登り,母親と一緒にワイワイ
言っていると,中から「うるさい!」と怒鳴ってくる。30分即してようやく
出て来て,何食わぬ顔で弟を呼び,柿取りやるぞと誘うので二人は呆れながら
付き合っている。
J男は,元々無駄遣いしない子。買う決断も鈍く=苦手なところがある。今使
うのは,食事代,自転車用具,本等。11月29日の自転車レースに出場する
のに,親の承諾書を父親の方に見せて印を貰っているが,自転車等の購入の話
はしていない。
15万円の自転車の件,父親は「仕方がないかな」と出すつもり。母親は
「何もなしにハイと言うより,パンフレットを見せてとか,話し合う中で出す
ことを決めて欲しい」と父親に言う。「機会があれば言っておく」と父親は言
うが,本人から言われるまで,自分からは声を掛けない。
母親は「卒業させるのを第一に考えていくことが本当にいいことか,それと
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も今していることのおかしさを話し合う方がいいのか」と揺れる。<焦ると
いうことは,今のままでは駄目だということを相手に突きつける恰好になる,
相手のやり場が無くなるかも。弟さんとの接触は頻繁,お母さんとも疎遠でな
い〉とプラス面にも眼を向けることを促すと,「私とはお金を介してだけ・
・今あの子は,気持ちが外に出て,外との関係で満たされている」と述べ,
「自分の行動を弟に言うと,私達にも伝わる。ある意味で,私達にそういう事
を知らせているのかな?それとも,私を無視して平気で言っているのか?」と
言う。〈無視することは,もの凄く意識が向いている行為〉と返すと,
「分かります」と受け容れ, 「今までだったら,そういうこと(納屋に頻繁に
上がってくる事:など)無かったのに,そういうこと出て来たことは良いことと
思っていいんでしょうかね。」「主人とも話をするし」,「私の方は,出来る
ことは食事とか健康的なこと聞くぐらいしか・・コンピューターのこと聞かれ
ても分かりません」と声を落とす。
母親は, 「勉強だけに集中しておればいい時期なのに,自炊,洗濯,風呂も
自分でして,可愛そうやなと思う。それが気分転換になっているのだからと姉
に言われるが,でもそればっかりしてるのよ」と返して,勉強だけに向かえな
い部分を心配している。周りからは,もっと声を掛けてやったらと言われたり,
逆に,自立しているのだからと言われたりしているらしい。「自立していきよ
るのだから,こちらもじっと辛抱して,良くなって行きよるという思いで,見
守るしかない」と淋しさを述べる。<最終的には,お母さんも自立と判断さ
れているわけですね?〉と確かめると,「ええ,そう思っていくしか仕方が
ないと」でも, 「意地もあるのでしょうけれどもね」と揺れる。Co.はく意
地は,自立の一つの大きな現れ。自分に犠牲を強いて,敢えて自分の意思を通
すのが意地。その意味では大きな自立。それも駄目ということになると,本人
のすることは皆駄目という恰好になる〉と返している。母親は,それを認め
ているが, 「でも何か見ているだけということは,向こうが変わることばっか
りを待っているような気がして」と言う。<お母さんの方だって,見守るこ
とは,結果的には変わったということになるのですが〉と述べるが,理解さ
れず。今までは見守るより構っていたことを示唆すると,ようやく変化に気付
く6C o.は,それが実際面でのお母さんの大きな変化であることを指摘し,<
基本的には,お母さんの中で反省すべき点は反省されて良いが,性格とかそ
ういうものまで変える必要はないと思う〉と述べると,「変わるのは難しい
ですね」と声を深める。
ちょっと立ち去り難く延長(いつものこと)
●スーパービジョン
52
今回は表面的な出来事の状況報告,後半でCo.らしい突っ込みあり。カウン
セリングでは, 「絶対」という言葉は使わぬ方がよい。①自信の現れか,逆に
②強調しないと相手が受け入れないという自信のなさの現れかもしれない。1
5万,40万円の金の要求に関して,どう対応するか以前に,その要求の意味
を検討すべし。実際使わないかもしれない。①親へのダメージ②親の愛情を試
す,の2っの意味を検討すべし。何処かへ行くたびに金の請求がある(親は自
炊代も含ませている)。背景を分かって出すか出さないか判断。そういう事を
通して,子どもの要求を理解していくべし。Co.が「お母さんそのままでいい
ですよ」と自信をもって言っているがどういうつもり?(性格を変えること難,
またCIの全否定になる。逆説的だが,対応の仕方,態度を変えれば,結果的に
変わったことになる。)態度も含めて性格というのでないか,C1は自分は変わ
らなくて良いと思ってしまうのでないか?(Clは一貫して自身は変わらないと
いけない気持ち強い。むしろそう言われ続けて来て,知的防衛の感あり。今の
ままのお母さんの性格で,考え方,受けとめ方,対応の仕方,態度の変化を示
唆し続けている。)それであれば, 「変えなきゃならないことに気付いておら
れるのですね,具体的にはどういう面を変えたらいいんでしょうね」と,どこ
まで気付いているかを検討し,その内容の中で, 「そういう事であればそれは
変える必要無いですね」と,何処をどう変えようとしているのかを話題にする
方がベターである。(よく分かります!)事例の独自性,事実を第一にすべし。
(10)第10回面接 12月 1日
〈もう,かなりお話続けて来ましたね〉と言うと, 「私,変わったんやろ
うかな」と笑う。 「やっぱり,こういう状態をつくって来たので」変わらない
といけない思いが強い様子。前回の,今のお母さんでいい,という言葉,どの
様に受け取ったかを聞く。「ありがとうございました。元気付けていただいた
なあと思って」〈支えになりましたか?〉 「はい,ええ」と笑う。<性
格を変えるというのは全面的自己否定の感あり。でも態度は変えれる。Do Not
hingの立場をとられたことは,結果的に現れ方は,気持ちがどうであれ,大き
く変わったことになっている。意識的に変えようとする部分があって良いと思
うが,全部自己否定となると入間歩いて行けない〉と述べると, 「そう1で
す」と大きく頷き,「今,私が持ってる,ガンになっている何かを変えていく
ことによって,子どもとの繋がりが上手くいけばいいと思うが,言葉掛けも,
その辺が上手でない」と笑う。最近,J男の話をする母親の言い方の中に,そ
れを楽しんでいるようなJ男への愛情,余裕が見られることを指摘すると,
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「もう,どうしょうもないと思って,開き直りでもないですけど」と笑い,
「短い期間で解決すると思うこと自体がいけないと思う」と述べる。
J男は三者懇談の案内用紙を母親に渡している。父親に行ってもらうつもり
とのこと。 29日(日)の自転車のデビューレースは,結局,父親が,J男
の友達も連れて引率している。帰ってきて父親が,車から荷の自転車を下ろす
と,J男は父親に「ありがとうございました」と言ったという。父親も驚いた
らしい。かつて稲刈りのとき,父親がそこの物を取ってくれと頼むと,「お前
もわしを使えるようなったんかい」と口答えしていたJ男であるが。母親は弁
当の横に,レースで汚れた洗濯物を出しておくようメモ書きしているが,J男
は無視して,自分で洗っている。
30日(月),J男は15万円の自転車をやめて,36万のにすると言って
来る。今年中に用意しておくようにと。パンフレット見せてくれと言うと,見
ても分からん買えば分かると。前から欲しいとは言っていたが,金額が高すぎ
る。これだと未だ15万の方だったら,という気になる。<駆け引きで負け
てますね〉と笑うと,「向こうが一枚上手ですね」と笑う。すんなり通れば,
歯止めが掛からなくなる。お父さんに言っておくと,その場を逃れるが,買い
与えて良いものやら。主人は「買うんやったらゴチャゴチャ言わずに買ってや
ればよい」と言っている。〈何でこの時期に?〉と聞くと,プロも混じっ
たレース予選には落ちたが,手応えを感じたみたいで,もっといいものが欲し
くなったのだろうと。<受験のストレスを相殺するような法外な突きつけ方。
多少我慢とか先延ばしするコントロールは,親が肩代わりする必要もある〉
と示唆する。J男は,今までは,必ず買い物はレシート見せたり,高い物買う
ときには,後で返すから記録しておいてということをして来た子。先日も一万
幾らを要求したとき,余り詮索せずに金を渡す。弟から,何に使うか聞いてか
ら渡した方がいいのと違うと言われる。こういう状態になってからはレシート
とか領収書をみること出来ず。主人も「今の状態のあれには,それが出来な
い」と言う。 「本来はそうすべきこと,あの子も分かっていると思う。その普
通のことが出来てない関係になってしまっていることが問題なんですけどね」
と母親は洞察しつつも, 「家を建てることによって,人生台無しに迷惑をかけ
たから,当然親は自分の言うことを聞くべきだという思いがあの子にあるので,
親が反論すれば,何でお前らにそんなことが言えるのだという態度を示すの
で」と「そういう状態の子ども」の論理を受け入れてしまう。Cαがく腹を
割った話し合いのチャンスかも。入試前というリスクも伴うが,克服すれば成
果は大きい。家を追い出されたときそのチャンスを逃しているので〉と述べ
ると, 「家を追い出されたとき,やはり一つのチャンスだったのでしょうか」
と聞くので,一つの岐路だった,避けたという歴史を残したことを指摘。母親
54
は「姉なんかも言います。あの時もうちょっと主人が動いてくれてたら,違っ
ていたのでないかと。うちの夫だったらやってるよって」と述べている。
〈今回はその岐路ですね〉と突っ込むと, 「あの子がもうちょっと考えて
くれないかなという思いが,今また」〈神頼みですか〉 「そう(笑),ま
た逃れようとする悪い心が起こってきます,ああ1駄目ですね」<今日は大
きなお話出来ましたね〉と言うと, 「もう主人の方に任せていこうかと思っ
ています。高校生になったら,母親に言われると荒れそうですがら」。Co.は
くいくら荒れても,基本的には,息子さんなんですから〉と返す。「そう
なんです。そう思って,子を信じて生きていかなきゃいけないと思うんです」
と述べ, 「思うんですではいけないですけど」と付け加えている。時間が過ぎ
ているので,〈今度どうなったか聞かせて下さい〉と言うと,大きな声で
明るく笑われて, 「あと2回ですわね,その後どう?」と聞く。一応区切るが,
要望が強い場合は会う用意があることを伝える。この後,C o.はくJ男さん
に同情しないで下さい。同情は一見暖かい行為に思えるが,相手の現在の存在
の全面否定に繋がります。全てが駄目になると人は勇気をもって歩いていけな
い〉と言い,母親は「いつまでも,人に聞いてばかり,頼ってばかりではい
けませんね,自分でやっていかないとね」と述べる。C o.はくお母さんの洞
察力は凄いと思う。基本的には正しい判断をされていると思う。あとは勇気を
もってなさっていくことだけだと思う〉と返した。
今回の面談は,Co.に, J男に対する母親の愛情を信ずる気持ち,母親を受
け容れる気持ちが強く,身を乗り出した近接した雰囲気で話がすすんだ。母親
は,最初の頃は鼻をすすっておられたが,快活な感じになり,今までの立ち去
り難い印象とは違って,元気良く退室されるのが印象に残った。
●スーパービジョン
母親の「本当に私変わったんやろか」と言う意図は,素直に,カウンセリン
グに対する疑問,挑戦と受け取らないといけない。私は変わると思って来てい
るが,一向に変わらないと。母親が変わる事によって,息子が変わっていくと
いうのが,母親面接である。母親は自分では変わってないと自覚している。面
接の焦点が分からない。(後半は山場の一つと思う。)息子は36万円は大し
た金でないと読んでおり,本当に使うかどうかも分からない。親の愛情を試し
ている。自分も大学受験で試されている,自分だけ苦しむ事はないと。母親自
身が明確になったこと何か,Co.の意図とずれてないか, Co.なりに,この面
接でやって来たこと,残されたことを整理して望むべし。
55
(11)第11回面接 12月 8日
いつも地味な母親の服装が,黄色いネッカチーフを巻いて,明彩の鮮やかさ
が,入室するなり目につく。
3日(木)の三者面談,J男は当日休んでおり,父親が外から声を掛けて誘
うが返事がなく,父親だけが行く。面談内容は,卒業の可能性のあること,H
大,K大の合格の可能性もあること。夫婦は,勉強してなかったみたいなのに,
それなりに頑張ってたのかなと評価。担任からの伝言のメモ(翌日からの模試
の件)書きを本人のところに入れておくと,J男はそれを持って,これは何だ
と父親のもとに来る。仕事中だったから模試の要領の伝言だけ伝えたと言うが,
母親はそれを不満に思っている。金牛の模試受けず。 「近づいてきたのは,面
談内容が気になったからだと思うのに,主人はそういう話もしてない。もっと
励まして欲しい。そうしたら模試も受けたかもしれないのに」と言う。結局,
母親が面談の内容を本人に伝える。成績表見せると, 「こんなもん知ってる」
と。 「成績も良い,精神的にも成長しよると,お父さんも喜んでたわ」と言う
と, 「何偉そうなこといいやがる」と。土曜日,父親は,月曜からの期末考査
だけはちゃんと行け,と言ったらしい。それは受けている。
自転車購入の件,J男は母親の値引き交渉に応じ,知り合いの自転車屋だと
安くなるかも分からないから値段を聞いてくれと母親にいう。父親は,そんな
こと自分でやらせうと言うが,母親は動いている。父親は,黙って金だけ渡す
つもりでいたらしく,黙って渡してエスカレートする不安を述べると, 「ゴ
チャゴチャ話をするのだったら,始めから一千万円渡してしまったらええ。そ.
れでバイク買うなり,何なり,大学行くのも全部これでやれ,これで知らん」
という風に渡せばいいと。 「百万程度じゃ渡しても値打ちはない」「腹が立
つ」と言う。母親が「突き放すような,何か冷たく感じるのと違う?乗り越え
ていかなきゃいけないのと違う?」と言うと, 「わしはお好みたいに冷静に考
えられない!腹が立つのは腹が立つ]と怒る。<自分自身に対する腹立ちも
ある?〉 「そう1それがあると思う。腹が立つと言うた時に,受けとめてあ
げたら良かったのに,分かったようなこと言うた事がよけい怒らせた。1r
黙って渡すと,次には単車,自動車とエスカレートするかも知れない」と言う
と,「わしがそんな風に(黙って渡す)考えていたのに,また反対する。何や
分からんようなった」と言う。「本当に主人は,ぐしゃぐじゃ話をする事が嫌
いなので」〈その辺息子さんと〉「よく似てるんです1だからもう,一千
万円渡してしまったらいいなどと言う」〈迫力有りますね〉と言うと,母
親は,ドキッとしたこと,一度は反対したが,やはり主人の考えた方針に賛成
してみようかと思うと述べる。主人に気分悪くさせて,今まで以上に動いてく
56
れなくなったら困るし,子どものこと信頼して買ってあげて,春になったらま
たそのときに考えたらいいと。Co.は,〈値引き交渉もしたことだし,押し
切られて嫌々渡す形でないので一つの手かも〉と感想を述べている。
母親は,前回から気になっている事として,「同情は駄目と仰ったでしょう,
じゃあどんな思いでいることが,私にとっていいことなのか,今日はそれを教
えてもらおうと,帰るときから心に引っ掛かっていた」と述べる。「成長しき
れなかったあの子をつくって来たのは私達だから,あの子は被害者。そのこと
考えたら,責めるばかりは出来ない。可愛そうに,哀れになる。」「主人は,
『阿呆が!腹が立つばかりだ』と言うが,それは違う,と私はすぐに言ってし
まうんです」と言う。Co.はくお母さんは, J男さんの言うことに切り返す
前に,可愛そうという思いが先立って,言えなくなると仰った。その言葉に,
私はお母さんの辛さとかが初めて分かったような気がした。もう素朴に,お母
さんの愛情を信じている。ただ,お母さんは,丸々同情はされていない,プラ
ス面はちゃんと見ておられると思う〉と返している。母親は「親を追い出し
て,こういう状態をつくっていても,私は怒りとか,腹立たしい思いは飛んで
いる。あの子を取り戻してやりたい思いの方が強い。祖父には気の毒だが。
やっぱり同情の方が多いのかなと思って」と述べたあと, 「いや,やっぱり違
うかな,自分でも分からない」と打ち消す。〈何か違うように思う〉「違い
ますよね(笑)」<決して丸々同情だけの対応ではない。もっと健全な部分
があると思う〉 「健全とは?」<丸々暗くなってない部分がある。憐れは
マイナス指向,取り返しがっかない,再起不能だから可愛そう,憐れになる。
厳しい状況が続いているが,決してそれだけでない,J男さんの話をされてる
とき,結構楽しそうに話しておられる>rそうですが(笑)」<失礼な言
い方かもしれないが,心暖まるものを私は感じる。それはお母さんが決して
丸々可愛そうに,なってない証拠だと思う〉と言うと, 「私自身が一時ほど
の緊張感が無くなった」ことを認めている。J男が弟と話しているとき,嫌が
るかなと思いつつも,おやつを持っていく。 「いらんわい,アホか!」と言わ
れても,ショボつとならず平気で受けとめられている。 「わりと大きい気持ち
になってきたなと,自分なりには思います」<私との10回の面接にどんな
意味があったのかなあと私も〉 「そらやっぱり,話することで自分なりにゴ
チャゴチャ思ってることが納得できたり,これで良かったのかとか,こういう
風に捉えればいいのだと思ったり,一人では不安で支え切れない。主人とは余
り話ができないし」と笑う。
<お母さんの反省なさるお気持ち,素朴に私は好感を持っている。と言うこ
とは,今のままのお母さんでいて欲しいということ。しかし,同時に,ひょっ
としてその自信のなさ,優柔不断なところが,お母さんの仰る「ガン」という
57
部分なのかもわからない〉と述べると,「人間って矛盾だらけですね」と言
葉がかえり,お互いに共感し合って笑った。「主人に対して,変われ変われと
言っておいて,自分も変わらないのに無理ですわね。私ばかりが動くことどう
かと思うが,今から自転車屋に行こうと思う」と言い,迷いのさなかにあって
も,どこかサバサバした明快さ,動きの力強さを残して部屋を出る。いつもの
ねちつこさと違った去り難さを残さない退出が印象的。ネッカチーフの黄色の
明彩さを思い出す。
●スーパービジョン
腹が立って仕方がないという父親の怒り,子の甘えを目覚めさせる父親の覚
悟が注目される。これは共感できる。このエネルギーを利用したい。母親も,
自身ではそういうこと言わないが,何処かで主人のそういう気持ちを評価して
いるところがあると思う。「同情は駄目で,どういう思いでいることが良いこ
とか」はCo.にとってもしんどい質問だ。この事例では,この子に対してどう
対応したら良いか,明確に示せない難しさがある。母親に,「健全な部分があ
る」という言い方は,社交辞令的になってないか。もっと底辺レベルで支える
必要あり。母親はカウンセリングの効用述べている,最終的には,人に頼らず
自分でやっていかなければならないと悟る事は,カウンセリングの一つの目的
でもある。
(12)第12回面接 12月15日
〈12回目ですね〉「そうですね,お終いの日ですね」と礼。J男は期
末テストを全部受け,成績は40点取れれば良いと全然眼中にない様子。3学
期はほとんど登校しなくてよいらしく, 「これから一日中家に居られたら,乱
言って来られるか分からない。大変だなあ」と笑う。
自転車の件,J男と母親との間に値引き交渉が進む。 J男は何とか安くなる
工夫を考え,今戸っている部品を代用したり,考える方向を出している。<
そういう話が出来るようになったのですね〉と言うと, 「こんなんで驚いた
らかなわんな,あとロード用自転車,バイク,自動車と続いている」とJ男に
言われたようで,それに対して「アルバイトしてもらわないといけない」と返
答したことを述べる。J男は「気に食わないことだったら,追っ掛けて来てで
も言う」が,その言葉に荒立てて怒ることもなかった様子。rJ男の欲しいと
いう思いは変えられないみたいで,何とか安くなる方法を考えたり,親に無断
で買うこともないみたいだから」,また「どうせ出さざるをえないだろうけれ
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ど,主人が言わないので,何か言っておかないと」と思って,対応している様
子。主人には「自分で勝手にしているのでなく,一応申し込んで良いかと父親
の返事を待っているのだから,思っていることを言って欲しい」と言うが,
「何でこっちから声掛けてまでせんならん,向こうが聞きに来たらいいのだ」
と機ねつけられる。母親は「買ってやろうという気持ちあるなら,意地の張り
合いせずに,これで頑張れよとか励まし的な言葉を掛けて,気持ち良く買って
やった方がよい」と言う。先日とうとう話をしたらしいが,内容は,どんな
話?私が知っておかないといけないこと?と聞いても「聞かんでもかまわん,
ややこしいこと言ってない」と,それっきり。「父親の思いが伝わっただけで
も良し」と思う。ややこしい嫌事はいつも私, 「うちの家柄がそういう感じで,
祖父と主人は余り話をしない」「祖父達は頑として上から押しつけるところが
あって,対話がなかったこと姉達も言っている。お互い,祖父も主人には,何
となくよう言わない。祖母がいたときから,記事は私が主人に言わないといけ
ないような立場になっていた」と言う。〈祖父と父,父とJ男の関係は似て
いる?〉 「主人は,祖父のように押しつけて抑えるという面はない。どちら
かというと子どもの方が頑としている。息子の方が祖父に似ているような感じ
がする」と言う。
母親は,自転車屋からも諭してもらおうと,弟の自転車の修理を口実に,自
転車屋に行く。たまたまJ男がおり弱ったと思うが,若い人がJ男に「お前が
直してやれ」と言い,J男は素直に従っていたという。
先日,飼っている鯉が一匹死んだものと思って,埋めてやらないといけない
と夫婦で話していると,未だ息があって,何を思ったかJ男が出てきて,親子
3人一緒に容れ物に入れて面倒を見た。鯉は元気になり池に戻す。J男は,ニ
クロム線買って水を温めてやれとか酸素装置付けうとか色々と言うので,父親
は怒り出して「そしたらお前の好きなようにしろ」と手を引く。〈腫れ物に
触る感じでなく,自然とそういう言葉が出るのはいい〉と言うと,「そうで
すね,主人はそういう感じ。だから私の方はまだまだ駄目かも」と応える。鯉
の世話を通して話が出来た。昨日の夕方,買ってきた弁当を渡すと,「まだそ
んなこと言うとるのか,甘いのう」と言われるが,母親は「そう,食べる気に
なったら食べね」とさつと引っ込あている。 「反抗は今の状態を保っていくた
めの一つだろう」し, 「納得してくれるのを信じていくしかない。ただ待って
おくだけでは能なし,という思いはあるが,時期が時期だけに,今(対応を)
変えるのは恐い」と言う。
J男は冬休み,母親を介して従姉Bに英語の家庭教師を頼んでいる。夏休み
にも見てもらったらしく,そのときJ男は宿題をしてないので, 「してないや
ないの1もうよう見ん!」と単刀直入に吐られたらしい。J男も従姉Bには反
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論できない様子。従姉Aと違って,Bは思ったことをストレートに言う。姉は
それでJ男が崩れると困るから行かすのが恐いと言っている。夏休みの事,従
姉Bが「あんたのしていることおかしい」と言うと,J男はrB子ちゃんもそ
う思うか?」と応えたと言う。
母親は,J男を「親に対して怒っているのなら,本当なら家を飛び出すんだ
ろうけれど,精神的に幼いのだと思う。今の付き合いも自分の気にいった人達
との繋がりばかり」と言う。<見つけようと思えばプラス面はある。自転車
の件,勝手に注文せずに手順を踏んでいる。鯉の話〉を示唆。母親は,受験
に失敗するとまた親を責めてくるかもしれないと述べたあと, 「でもそれが良
いのかもjrこういう状態で,すんなり合格するのも,後々のこと考えると恐
い」と言う。しかし一方では,「心が満たされ余裕が出てきて,自分のしてい
ることが分かってくることも考えられる」と希望を繋いで,揺れる。<事前
にあれこれ考えていても,その場にならないと出ない真実もある。出たとこ勝
負〉を示唆すると, 「私はうろたえるばかり。でも一からではないという思
いもある。怒らせて気持ちの収まるのを待つほかない」と応えている。こうい
う覚悟を述べた後でも,「試験受けるとき,どういう状態で送り出してやれば
いいのか」といった些細なことで揺れ動く。<不安なら直接本人にお聞きに
なれば?試験前だし,すること無いか?と〉 「私には無いと思う。だから姉
とか祖母を通して何かないかと。本人が言うまで放っておけばいいのか。寝過
ごすと大変だし,困ったなあ」と言う。<そういう点,本人にお任せ出来そ
うもないですか?〉と返すと,「こういう風に思ってする事が過保護なんで
しょうね,そういう事がこういう結果を招いていると,主人はきっと言うと思
う(笑)。先々心配して,手順良く何かをしょうとするから,それがいかんの
だと,言われそうに思う。そうかも分からんですけれどね。同情でなく,自立
していってるのだという信頼というか,希望をもって,流れにまかせないと
しょうがない」と応える。〈任せることは,信頼に結びつく〉と支持を示
唆すると,「でも逆に言えば,放ったらかしにしている,ともとれる」と返っ
て来る。そして「ただ待つのでなく,あの子がそういう気持ちになるような働
きかけ,工夫がないといけないと思う。」「勉強しない子に,勉強しなさいと
単刀直入に言葉で言うのでなく,勉強したくなるなるような,そういう気持ち
になっていくような働きかけがないのか」と言う。<今まで,そういう操作
をされて自分が出せなかった,環境を整えられてレールの上を乗って来たとい
う意識があったのなら,余りプラスにならない。如何ですか?〉と返すと,
「そういう意識はあるでしょうね,やはり安全なレールの上に乗せて来てます
ね。大人が皆で寄ってね。」と述べる。<自己を出しているように見えても,
結局そうでなかったという意識持ったときの,自己主張のありかたとしての反
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抗でないか。反抗,意地はみな自己:主張です〉と言うと, 「そうですね,
やっぱり私の考え甘いのかな」と認め,にれからが大変だと思う。卒業,受
験がネック。小難で済まそうとすることが,やっぱり焦ってるんかな,焦った
らいかんと思いながら。うん」と一人納得し, 「変わらんといかんいかんと言
いながら,お前一つも変わってないと主人に言われた。J男のことを気にして
一つ一つ見ている,電気が点いたの消えたのと,一つも変わってないと。」と
弱気。そして「今日は終わりですので,これからどういう風にしていけばよい
か先生にお教えていただいて,それを持って帰って耐えていこうと思う」と言
う。Co.はく今までこっちが意見を述べたときは,必ず理由を付け,判断材
料を渡して言ってきたつもり〉と述べ,前回,36万円を巡って,母親が
「開き直って話をするときかも分からない」と述べたことに触れ,<本当に
親が働きかけをするのは,そういった場面だと思う。対決的な様相が出るかも
分からないが,そういった真実を通してしか感情の目覚めはないと思う〉と
言うと,「36万円は対決もなく,うやむやになってしまった」と言う。<
向かい合って、結果的に対立が避けられた。むしろ好ましい展開かも。押し切
られて,後悔を残して出さされたというのではない〉と言うと, 「そう,力
関係で負けて,出すということはしたくなかったj
Co.が受験を失敗したときのことに触れると, 「また暴れるかもしれない」
〈しかし暴れないかも知れない〉 「そうなんです!だから今から心配して
も仕方がないこと。結局私は,先々心配して思うからいけない。ここまでなっ
たことを感謝しなきゃいけないですけど,すぐ心配の方が勝ってしまう。だか
ら変わってないと言われるんだと思います。」と言う。Co.は,<前に私が,
今のお母さんでやっていこう,と言ったのをどう思っている?〉と聞く。
「励ましていただいてと思ったんですけれどね」と応えるので,
<でもお母さんの仰り方は,変わらんといけない,だから自分は駄目だ,と
いう恰好ですね〉と言うと,笑う。〈支えられたと言う言葉を私は素朴に
信じた。お母さんも,今のままでと言われて,どこかでホッとされた〉「そ
うです,そうですね。ホッとしながらも,こういう状態をつくってきたのだか
ら・・」<だから駄目,になってますね。そこどうですか,どちらがどうな
んでしょう?〉と聞くと, 「全部変えることは出来ないが,あの子にとって
のマイナス面は変えていかないといけないと思う。それが何なのか,分かって
いると思うが,実際になるとなかなか,あの子を一人の人間として見ないで,
幼い子として見てしまって心配する方が,結局自立を妨げているという面が,
やっぱりあるんでしょうね」と洞察しっっも, 「長引いたことは,主人も私も
言葉掛けが拙くて,幼い駄々っ子みたいなものなのだから,ちょっとした言葉
のきっかけで,上手くいったのと違うかな,その辺の拙さが何かあるような気
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がしましてね。」と揺れる。「親も一度に変われないのだから,子もすぐに変
われないんだと思って。ああ,可愛そうなことです・・と思ったらいけないん
ですよね(笑)自分で言いながら,矛盾を感じながら」過ごしていると笑う。
〈家でも,ここで話されているようなお母さんですか?〉と聞くと, 「主
人と居るときは,あの子のことが頭に出てくるので,難しくなってしまう。主
人は動いてくれないし,帰りが遅いのと。子どももこんな大事なときにわしを
放ったらかして仕事ばかりしてると,もうちょっとは子のことも,と思うが」
と笑う。
母親は,終わりに当たって謝辞を述べる。大略, 「こういう子に接している
と,おかしなことが通り,こっちもおかしくなっていく部分があると思う。何
もしないこどがよいと納得してても,親の責任として何かしなきやという思い
が強いときだけに,そう言ってもらったことが,これも教育なんだと思ったり,
しかしそれが難しい。子の様子を話す中で教えていただいて今までやって来れ
たような気がする。」と。<ほとんどお母さんの考えておられたような事を,
意見交換しました〉と述べると,「じゃ時間ですので,これだけは気をつけ
てくださいということございませんか,いつまでたっても頼り無く,自信がな
くて。それをもって帰りますので」と言われる。<大事なことはもうきっと
出たと思うんです〉と述べると, 「ああ今までの中にね,分かりました。
じゃ,仰っていただいたことをまた反翻して」と言われて,終わる。時間10
分程延長。
見送る間,立ち話。Co.は,大略く第何回かのお母さんに素朴に好感を
持った。そういうお母さんで居てほしい,というのはおこがましいけど私のな
かの真実。反省は大事だが,丸々それでは歩けない,生き生きしない。自分に
厳しいという事は,それだけ相手にも厳しく見るということ,プラスの面にも
気付かない。今のお母さんを大事にしていただいて。どうこうんでも息子さん
なのですから〉といった事を述べてしまう。Co.の方が分離悲哀を感じてい
たのか,とも思われる。録音テープを何度も聞いたことを述べると,それを
「いただけるか」と言われるので,ダビングしてお送りする事を約して,送る
と,すぐに上質の和紙の便箋で丁重なお礼の手紙をもらう。
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第3節事例の分析と対象関係論的考察
1. J男の成育史分析一一「偽りの自己」形成史分析
J男の家庭内暴・力という挫折体験の在り方は,青年期におけるJ男の発達的
課題と成育史の中で培われてきた彼の精神内界構造との相互作用の産物として,
危機的状況を呈したものである。何故J男にとっては,受験勉強が,家庭内暴
力という形をとってまでして,心的危機とならざるを得なかったのか。それを
納得するには,前提として,成育史を「偽りの自己」形成期,あるいは「偽り
の適応」形成期として見直すことをせざるを得ない。J男の中で,何が育ち,
何が育っていないか,どういう適応の仕方で, 「偽りの自己」を形成して来た
かを以下に母親の発言を踏まえて分析し,考察する。
1) 葛藤を孕んだ家族内力動一実権を握る祖父母,波風を立てない両親
しだいに家の実質的調整役になっていく母親
(1)家族内力動
家庭的背景は,家族構成図のとおり,祖父母両親ともに教諭職であり,農
村地域社会にあって祖父も祖母も,村の名士である。
家庭内の対人関係は, 「教育に自信を持ち」 「自分達の考えを押し出して来
る」(#2,8)祖父達に対して,若夫婦はそれぞれの思いで「波風立てず,平
和に」過ごしていたようである。 「祖父達は頑として上から押しつけてくると
ころがあって,対話がなく」,家族間に緊張があったことが伺え,伯母達は,
家を追い出された祖父にも,反対を押し切って家を建てたからだとあまり同情
していない。祖父と父親にも緊張関係が伺え,母親は「祖父も主人には何とな
くよう言わないから,祖母が居たときから,嫌事は私が主人に言わないといけ
ない」立場にあり(#12)祖母が無くなってからは,益々祖父は自分に頼って
来た,と述べている。頑としていても,息子との直接的な対決を回避する祖父
の気の弱さが伺える。一方,母親は,夫がJ男と直接的に話し合わず, 「やや
こしい嫌な事がいつも私というのは,うちの家柄」(#12)だと言い,次第に,
家庭内の実質的調整役になっていった母親の重要性が伺える。
しかし,母親は,良い嫁として,「波風の立たないように」,祖父母に従う
ことが「家庭の平和を守ること」だと心得(#6),自らも職に就いているこ
ともあり,J男の世話を「わしらが育てる」という祖父母に委ねたと言う。た
だ,それに乗っかってしまったという思いと,祖父母に親の権利を主張しな
63
かった反省がある。 「喧嘩になろうと,言うべきことは言っておけば良かった。
言いながらでも修復はしていける… と,今になったら思う」(#8)と述
べている。
また,J男がトラブルを起こすたびに,周りからは親の愛情が足りないと言
われ(#2),祖母からは吐り役を負わされている。 「真っ直ぐ育てないとい
けないという思いが強いので・・レールを敷いてばかりが多かった」(#1)
が, 「子を叱るにも,祖父母のしていることを叱るみたいで」遠慮もあり(#
インテーク),ストレートに自分を出せなかった母親の置かれた立場の不安定
さが伺え,それは, 「弟よりもかまけた」はずのJ男に,基本的な母子関係の
安心感を持てていない(#1,2)ことにも如実に反映されている。
J男の3歳時,伯母Aが離婚して,7歳の従姉Aを連れて出戻って同居,家
族内力動はさらに複雑化する。家の中は暗くなり,祖父母の目も,不欄な従姉
Aに向き,1年後には弟も生まれ,」男も淋しい思いをしたのでないか,と母
親は言う。しかも,J男にとっては「大人4人5人が・・レールを敷いた」
(#1)という伯母の母親的対象としての影響力が見逃せない。
(2)J男にとっての祖父母像
祖父は,J男を「わしらが育てたようなもんだ」と述べている。 J男は,
「厳しさと甘さが両極端な」祖父には大きくなってからでもよく怒られており
(#5),現在のJ男にとっての祖父像は, 「お祖父ちゃんを追い出すか,僕
が死ぬかどっちかだ」(#インテーク)「もうあれ(祖父)は死んだと思って
いる」(#5)と述べられるような全き悪の対象であり,実際J男は祖父を視
界から追放し,祖父宛の郵便物を投げ捨て(#5),家の周りに姿をみせると,
怒ってプレハブに火をつけている(#インテーク)。しかし,J男は, 「父親
よりも頑としていて,祖父に似ている」(#12)というように,J男の誇大な
自己像は,明らかに祖父を取り入れているであろう。
小学4年時に亡くなった祖母は,J男にとっては,色んな所に連れて行って
もらって,良い思い出しかないのではないか,と母親は言う。祖母は,母親が
帰宅すると,今日はこんな事で困ったから,ちゃんと怒っておいてよと,逐一
報告し(#1),ロ七り役を母親に振っている。
(3)J男にとっての父親像
父親について,母親は「家の実権は祖父母が握っていたし,子もそれを見て
いた。・・祖父も歳を取り,ある時期から段々J男が一番わがままを通してい
るところがあった。主人もそれなりにJ男に言っていたが,抑えは効かないと
ころがあった。父親の権威があるところなら,腹が立っても言うことをきくの
64
でしょうけれども」(#7)と述べている。父親は,J男に対して「祖父のよ
うに押しつけて抑えるという面はない」(坦2)が,J男にとっての父親像は,
価値の引き下げが起こっているであろう。J男のわがままを押さえ込む権威が
家の中に不在であり, 「いつも忙しく,帰りの遅い」父親の存在感は希薄であ
る。
(4)J男にとっての母親像
母親は,J男を祖父母に取り上げられた気持ちと, 「それに乗っかかってし
まった」気持ちを振り返り,「物凄い忙しさの中に追われ,子の要求に適切に
対応出来なかった」(ti 8)ことを反省しているが,当時は, J男が色々トラ
ブルを起こすたびに,愛情不足でないかと言われるので(#2), 咄勤前と
帰宅してからは,本を読んでやったり,出来るかぎりの接触に努めた」「帰宅
して,先ず祖父母の用事を済ませてから,次に子に向かい… 短い時間の中
で,子どもとの対応の遣り繰りをした」(#8)と言う。帰宅して最初に聞く
ことは,祖母からのJ男のいたずらの報告であり, 「聞き流せばいいものを,
私も律儀に言われるとおりに」したと言う(#1)。 「人に迷惑かけてはいけ
ないと言って来た積もりなのに,その反面色々わるいことしてるから,褒めた
りしたことが少なかったのか」(#2)とも述べ,短い時間の中で要領よく
言って聞かせた対応が伺える。
Co.の<J男の現在の行動は,母親に対する接触欲とか,構って欲しい欲
求と感じるか?〉という問いに対して,母親は「あの子にばかり,かまけて
しまったという思いがある。手を掛け過ぎた事がこうなっている。病気や怪我
も,人とのトラブルも多かった。何をするかという心配があった。働いている
ことで,愛情不足になるといけないので,出来るだけ手を掛けるようにしたの
が,逆に構いすぎになったと主人に言われる。」「失敗させないように,対応
の仕方を,大人4人5人(祖父母両親伯母)が,それぞれにレールを敷い
た」(#1)と答えている。これらから伺える,親たちの操作性は,J男の
「偽りの自己」形成に根本的な影響力をもっているものと思われる。なかでも
母親のもつ操作性は,J男の心理面に細かく踏み込んだ強迫性をもっている。
例えば,母親は, 「働いていることで愛情不足になるといけないので,朝や帰
宅してから出来るだけJ男に手を掛けるようにした」と述べ,手を掛ける内容
というのが, 「服や鞄の世話とかでなく,何か物事に対して,こうしてたら,
こうなったらイカンからこうしてとか。こうこうなのよ,そう言うてても,こ
うこうなるからね。だからそうせん方がいいのよとか」(#1)という表現を
している。身の回りの世話といったストレートで素朴な保護(それは恐らく母
親にとっては,過保護というべきものであったと思われる)でなく,間接的だ
65
が J男の頭の中に嵐のように吹き込み,拘束する論理性が伺える。小学校5
年頃のJ男は,担任の自己主張をしょうという指導を受けて,すこぶる理屈つ
ぼくなったというが,これは母親の細やかな論理性を取り入れたものと思われ
る。
2) J男の「偽りの自己」形成史分析
(1)幼年期・児童期・・… エラボレイトされた母親の操作性
「J男は昼間は祖父母に押さえつけられ,夜はまた親たちからで,満たされ
ない部分が外で悪さになったのでないか」(#7)と,母親が述べるように,
幼年期のJ男は,結構トラブルを起こしては,祖父母や母親から叱られ,軌道
修正されている。愛情不足にならないようにと,母親は出勤前と帰宅してから,
出来るかぎりの接触に努めたと言うが,帰宅して「先ず階下の祖父母の用事を
済ませ,ホッとして2階の自分たちのことに向かう」母親の対応は,時間の遣
り繰りという点からは理に適うが,時として直情的な子の要求には必ずしも適
応出来ない。短い時間の中で,要領よく遣り繰りして,子に言って聞かせるこ
とになってしまった母親の働きかけが伺える。また同様に,出勤前の朝の慌た
だしい時間帯では,能率のよい一方向的な働きかけが起こっていたことも,容
易に想像できる。
多忙な中での子育てでは,子どもの自己を表出した直情的な欲求より,効率
のよい親の価値観によるレール敷きが優先され,結果的には子どもの自己の自
然な個体化は封殺されざるを得ない。職業をもつ女性の子育ての難しいところ
かもしれない。
結果的にJ男は,主訴概要の項でも記載したとおり,幼稚園のときも小学校
のときも,自分からグループの中に入れなかったり,集団行動が取れない子と
して育ち,そのことは,祖父母の影響力から周りの教師の遠慮もあり,大目に
見られ,気儘にさせてもらうことになる。一方,知的な側面は親の期待に応え
て優位に発達し,周りから賢いと褒められチヤホヤされたアンバランスを持っ
た子として育つ。
J男は,グループに参加したり,周りに合わせる事を免責される代わりとし
て,学力的に秀でることを自負させていたかも知れない。その中でJ男は,親
が特に何も言わないのに,親の価値観を自分のものとして取り入れ,私立校に
行くことを希望している。母親は「親は普通の公立へ行けばよいと言っていた
が,本人は,自分も当然そこへ行くものと思っていて,本人が希望した」と述
べている。母親のこの発言は,現在の母親の受験成就への強いこだわりを考え
合わせると,面接過程の中でも明らかになって来た母親のエラボレイトされた
66
無意識的な自己愛的操作として,気にかかる表現である。恐らく祖父であれば,
ストレートに私立校を勧めた可能性がある。母親は,ストレートにはそれをし
ない。
面接の中で明らかになった,母親のエラボレイトされた操作性を裏付ける例
を二つ挙げ,後の総合考察のなかで,家庭内暴力における「エラボレイトされ
た操作性」のもつ意味について考察する。
①母親は新居を締め出されて以降も,合鍵を使って時々部屋に侵入し,学
習や食料状態を確かめ,祖母や伯母達を通して,食料の補給を頼んでいるが,
「(私が)あの子に出来ることは何もない・・食べる,寝る,運動の三つは,
(私が)黒幕になってでも確保できいる方法を考えた方が良いと思う」(以下
#3)と述べている。C o.がくそれは持続因子になるし,結局,(J男が)
世話していらんといいながら,かえって(親から)世話してもらっていること
になっている。本人がそれをどう受け取るか?〉と返すと, r私にはしてい
らなくても,他の人の行為を嫌がらないで受け入れるのであれば… 私の過
保護という形になってもよいから」そうしたいと。その一番の理由が,「せっ
かく学校に行こうとしているとき,気持ちを充実させようとしてもお腹が空い
ていたら,気持ちも崩れる」と言うのである。Co.がさらにくそれは,(自
立を)先延ばししてでも,今はその方がいいというお考えですか?〉と突っ
込むと,明確な返答は返さなかったが,〈何もしないと,やる方が気が紛れ
るので,お母さんにとっては,辛い仕事になる〉と明確化すると, 「そうで
す,何もしないと色々思いますから。何もしてない,これで大丈夫だろうかと
思いますから」と述べ, 「だから自己満足でしてることかもしれません」と認
あている。
「自分が黒幕になってでも」「私の過保護という形になってもよいから」
「自己満足でしていることかもしれないが」,自立を先延ばししてでも,周り
を動かして,当面の母親自身の最優先事項である「学校に行くこと」を成就し
ようとする,間接的だが強い操作性が伺える。
②J男の大学受験日に,どういう状態で送り出してやればいいのか,「本
人が言うまで放っておけばいいのか。寝過ごすと大変だし,困ったなあ」(以
下#12)と不安を述べるので,<そういう点,本人にお任せ出来そうもない
ですか?〉と返すと, 「こういう風に思ってする事が過保護なんでしょうね,
そういう事がこういう結果を招いていると,主人はきっと言うと思う(笑)。
先々心配して,手順良く何かをしょうとするから,それがいかんのだと,言わ
れそうに思う。・… 同情でなく,自立していってるのだという信頼という
か,希望をもって,流れにまかせないとしょうがない」と応えるので,<任
せることは,信頼に結びつく〉とそれを支持すると,すぐに「でも逆に言え
67
ば,放ったらかしにしている,ともとれる」と反論が返って来る。そして「た
だ待つのでなく,あの子がそういう気持ちになるような働きかけ,工夫がない
といけないと思う。」 「勉強しない子に,勉強しなさいと単刀直入に言葉で言
うのでなく,勉強したくなるなるような,そういう気持ちになっていくような
働きかけがないのか」と言うのである。
C o.がく今まで,そういう操作をされて,(J男に)自分が出せなかった,環
境を整えられてレールの上を乗って来たという意識があるなら,余りプラスに
ならない。如何ですか?〉と返すと, 「そういう意識はあるでしょうね,や
はり安全なレールの上に乗せて来てますね。大人が皆で寄ってね。」とはっき
り述べる。<(J男の反抗は)自己を出しているように見えても,結局そう
でなかったという意識を持ったときの,自己主張のありかたとしての反抗でな
いか。反抗,意地はみんな自己主張です〉と言うと, 「そうですね,やっぱ
り私の考え甘いのかな」と認め,卒業,受験への親の不安,焦りを自分の中に
認める。
このように,母親のエラボレイトされた操作性には,子の為によかれと思っ
てする親心ではあるが,そこには,子ども本人の個体化の意思とはズレた,無
意識的な親の自己愛的投影を見ないわけにはいかない。
(2)中学時代∼高校2年…
育たなかった男性性,現実原則
主訴概要で記載した通り,J男は中学1年の11月以降,最初の不登校を繰
り返している。母親はその原因を「学校への不適応と,テニス部の先輩との人
間関係がもと。先生方も男の先生ばかりで厳しく,体罰もあったみたい。(ク
ラブでは)友達の定期をかりてクラブのボールを買いに行かされるのが嫌だっ
た。」「枠組みの中できちんとして行かないといけない,ということがなかっ
た。気儘な具なので」(#インテーク1)と説明している。J男はクラブを辞
めることで3学期頃から登校し,以後中2から高2までは,学校行事に参加し
ないことはあっても,「本当に順調に行ってくれた」と言う。高等部に進んで
は空手部に入っている。
このJ男の不登校の原因は,もはや祖父の威光が届かない中学で,厳しい男
子教師やクラブでの先輩との関係にあることが見て取れる。それに耐えるだけ
の自我がJ男の中に育っていなかったと見るべきだろう。全能感を放棄して自
分を社会に適応させる現実原則を,何故,J男は内在化できなかったのか?
J男は,父親よりも「頑として,祖父に似ている」(#12)と母親が言うよ
うに,父親より祖父が同一視の対象となったことは頷ける。幼少年期,家の中
ばかりでなく,社会的にも一番権威を持っていた祖父に適応することが,J男
にとっては自己を最も誇大化するのに役立っからである。一般の子どもにとつ
68
て,親たちより権威を持つ小学校の先生たちが,祖父達への多少の遠慮から,
児童J男を気儘にさせていたとすれば,幼少のJ男にとっては「権威ある祖
父」と対になった「誇大な自己表象S+」を体験できた可能性は十分考えられ
る。このことは,現実原則が育つにはマイナスとなる。また,「厳しさと甘さ
が両極端」な祖父では,本当に恐い存在にはなり得なかったであろうし,家の
実権を祖父に握られたうえ,土日も部活動の指導で不在がちな父親も,少年J
男には,価値の引き下げが起こっていたに違いない。取り入れるべき男性性モ
デルが希薄な中で,J男にとって,最も精神的影響力を持っていたのは,祖母,
母親,伯母という3重の母親的対象であったと思われる。母親が「枠組みの中
でやっていくことをしなかった」「気儘な子なので」と言う通り,3重の母親
的対象に囲まれて,細やかな心配りで放任しない,失敗させない保護的配慮が,
全能感を持続させ現実原則を内在門出来ない環境になっていたものと思われる。
(注祖父と両親を新居から追い出した現在でも,依然とJ男は,伯母A,B,
C,従姉A,B,母方祖母達と,保護者,姉弟のような関係を持続している。
J男の内的世界は,依然と母親的対象との二者関係が濃厚であり,これは家庭
内暴力の素地になっているように思われる。なお,J男が高校で空手部を選ん
でいるのは,母性優位な環境のなかにあって,男性性を希求する現れであろう。
)そして,この環境に適応することが,J男には,一方では全能感が育ち,他
方では,男性性の取り入れを阻むとともに,消極性を育て,自己の自然な個体
化の封殺がおこり,次項でみるとおり「偽りの自己」が形成されたものと思わ
れる。
3) J男の精神内界構造(「偽りの自己」形成)
子どもが自己を形成する過程は,発達早期からの親たちとの対象関係の影響
力からは免れ得ない。子は親たちの期待や承認に適応してゆく過程で,親対象
を取り入れ自己の一部とし,承認されない自己の側面を抑圧ないし吐き出し,
かっ,支援される自己の側面を個体化させては,多かれ少なかれ親たちに適応
する「自己」を形成してゆく。しかし,子どもの自然な個体化が封殺される犠
牲のうえに,親たちに過度に適応する条件がそろうと,その「偽りの適応」の
もとで,分裂して対となった「偽りの自己」が形成さる。それが子にとっては,
当面の,見捨てられずに生き延びる道であろう。
第4図に,これまでの考察で明らかにしてきたJ男の精神内界構造を,マス
ターソンらのモデルを借りて図式化している。
J男は,本来の全体的な自己を個体化する方向性を歩んだのではなく,親た
69
ちの価値観,無意識的な自己愛に基づくレールを敷かれ,親の自己愛的,理想
化投影に基づく支援と対になった誇大な自己表象S+を肥大化させることで,
それに適応してきた。それは同時に,自己の自然な個体化を封殺されることで
もあり,この「偽りの適応」を維持するために,封殺された自己表象S一は分
裂ないし抑圧されている。
報酬型対象関係単位(RORU)
エリート指向で個体化した側面
i 無意識的で自己愛的な理想’
撤去型対象関係単位(WORU)
i化支援でチヤホヤする親たち
分裂ないし抑圧されてきた側面
i表象
i 全能感・誇大感を満たしてi
親の価値観に見合うレーi
;ルを敷き,安全指向的で要i
くれる全能的対象表象
1/ o+
i領よく言って聞かせ,禁圧i
的,矯正的な親たち表象 i
o−
i(全能一誇大感)i
i見捨てられ不安・被害感情i
学力が高く,褒められ承認i
\i 個体化を封殺された自己i
の側面。結果的に,自発的i
に集団の中に入っていけなi
iされ親の価値観を受け入れ,、
それに応えて個体化した評価i
iV ・,外食も出来ない無力なi
、の高眼風な配表象 l
i自己表象
l s+ l
1, s 一
L…全体的自己表象 (真の自己表象)
第4図 J男の精神内界構造(「偽りの自己」構造)
70
J男にとっての適応感は,恐らく,「適応」=「誇大感を維持すること」で
あり,誇大感を維持するのに何らかの全能的対象表象0+が不可欠であるとい
う脆い精神構造になっているであろう。なぜなら,彼の「適応」が,自己の自
発的な個体化の封殺という犠牲の上にたっているため,全能的対象表象0+と
いう彼の適応感を支える「対」が外されると,一気に無力な封殺された自己表
象S一が活性化し,見捨てられ不安にさいなまれるからである。
図中,自己表象S,対象表象0ともに,J男の内的世界における表象であり,
付随している+,一も,客観的に見た+,一を示すものではない。J男に誇大
感を満たすという意味での+であり,無力感を引き起こすという意味での一で
ある。
「大人4,5人に囲まれ,レールを敷かれ」,エラボレイトな操作で,親た
ちの無意識的な自己愛的支援,愛情報酬のもとで,J男の自己の部分的な個体
化が進んだのが,左側の報酬型対象関係単位(RORU)である。親たちのエリート
指向的価値観を受け容れ,それに応えうる高い学力を示し,褒められ承認され
た,評価の高い誇大な自己表象をS+で示している。S+を育てたチヤホヤす
る親たち表象0+は,成育したJ男の現段階にあっては,自分の誇大感,全能
感を鏡映し,満たしてくれる全能的な対象表象であり,J男の「適応」は,こ
の全能的対象表象に支えられた「対としての適応」である。
一方,右側の撤去型対象関係単位(WORU)は, J男の自己の自然な個体化(自
発性)が,親たちに承認されずに愛情を撤去されて,得たちの価値観に見合う
安全なレールに引き戻され矯正されたために個体化が封殺され, 「偽りの適
応」を維持するたあには分裂ないし抑圧されねばならなかった部分である。封
殺された自己表象S一の「マイナス」は,本来のJ男にとっての一ではなく,
親に受け入れられず,育たなかったために,結果的に一になってしまった自己
の無力感に彩られた側面である。よって撤去型対象関係単位(WORU)には,親た
ちから「悪い子」として見捨てられた「見捨てられ不安」とともに,親たちに
自己を封殺された憤り,被害感情が充満している。自らを「悪い子」として受
け入れるときには,見捨てられ不安が活性化しており,誇大感が活性化してい
るときには,被害感情が前景に現れる関係になっている。
なお,報酬型対象関係単位の枠を大きくとっているのは,J男にとっては,
こちらの個体化が偏って進んでいるのを表している。
71
2. J男の家庭内暴力の分析と考察
1) 発端と経過の分析
J男の一連の家庭内暴力については,第3章第1節第3項で,その発端と
経緯を詳しく記載したが,J男と親たちとの対象関係に焦点をあてて,順にそ
の跡をたどって分析,考察をくわえたい。
(1)勉強のリズムを狂わせた家の建て替えを進めた祖父の追い出し
問題の発端は,高2年8月,周りの反対を押し切る祖父の家の建て替えであ
る,と母親は言う。暮れの入居が遅れ,J男は苛々しだし,3月の春休み以降,
伯母Bの家で寝起きし,予備校に通う。高3年4月始め,一週間不登校をして
いる。予備校で焚きつけられた「受験への焦り」が伺える。5月完成予定の工
事をストップさせて家に戻り,登校を始めるが,4月下旬突如,父親出張中,
母親に「家を触られたことでリズムが狂い,人生を台無しにされた」「お祖父
ちゃんを追い出すか,僕が死ぬかどっちかだ1」と詰め寄り,返答出来ずにい
ると, 「自分の子が大事でないのか1」と怒り,夜中に家をとびだす。以来,
祖父の顔を見ると荒れるので,祖父は自分から伯母Aの家に身を引く。
J男の「家を触られたことで(勉強の)リズムが狂い,人生を台無しにされ
た」は,論理の飛躍があり,客観的には説得力を欠く。J男の論理は, 「勉強
の邪魔をする奴は親でない」とも述べているとおり, 「勉強」こそ正義であり,
「勉強の邪魔」は自分の「人生を台無しに」する,その正義の前では,邪魔す
る者は追放されて然るべき,というものである。これは親たちが意図した子育
てではないにしろ,J男が受け取った「親の価値観」であるに違いない。この
論理の飛躍を納得するには,J男の精神構造に「偽りの自己」を想定し,親た
ちが無意識的に要求してきた「偽りの適応」「封殺された自己」への怒りを仮
定することが必要であると思われる。
また,J男の祖父にとる態度は, 「全き悪」として徹底をきわめ,それは,
かってJ男の「誇大な自己」と対になった「権威ある祖父像」と対照をなし,
見事に分裂されて葛藤がない。 rもうあれ(祖父)は死んだと思っているから
どうでもええ」(#5)とまで言い,この「心理的な祖父殺し」には,エディ
プス的状況でみられる葛藤や罪悪感(去勢不安)が,全くといってよいほど見
られない。追い出してからでも,家の周りに姿を見ただけで怒り,プレハブに
火をつけたり,祖父宛の郵便物を投げ捨てている。この祖父への態度は,J男
の精神内界構造が,第4図に示したように,分裂した「偽りの自己」構造を
72
とっていることを示唆するものである。
② 不登校の持続に並行する一母親への無茶な要求と父親の静観
5月下旬考査中,建築業者が来て家を触ったことに怒り, 「業者に文句を言
え1」と母親に詰め寄り,暴力的に新居から追い出す。出張中の父親は,翌日,
「荒れてるときだから仕方ない」と黙認。前後して,祖父が家に来たのを見つ
けて怒り,未明,プレハブに火をつける。 以来,9月18日まで不登校,閉居
は続き,機嫌のよい時には,父親と野良仕事,ゴルフの打ちつぱなしに行き,
母親の車で大都市まで本を買いに行く。かと思うと,母親を呼びつけ「保証を
どうしてくれる1子どもがこんな状態なのに,父親は仕事に行けるのか,呼び
戻せ1jと詰あ寄る。その後,7月上旬,一時的に母親は家に入り,下旬,再
び追い出される。
業者に試験勉強を邪魔されたJ男の怒りに,母親も祖父もとばっちりを受け
る恰好で,暴力が起こっている。母親は,最初は祖父への怒りが,次に「今度
はお前らや」と親に向いてきたことを述べている(#5)が,J男の一連の家
庭内暴力には,母親の退職という要因が,陰に影響していることを見逃すわけ
にはいかない。二度にわたる母親の追い出しは,職をもっことでバランスを
保っていた母親の関与が,さらに強化することを恐れてのJ男の無意識的な
「母親の関与の締め出し」であると思われる。親にとっては,追い出された祖
父に気兼ねして,親の生活の場は古い納屋の2階であるたあ,追い出されても
生活にはあまり実害がないのである。特に,いつも帰りの遅い父親には影響が
少ない。
(3)父親との対立と家財の破壊,母親の心理的隷属・追従
J男が再度母親を追い出したことに父親は怒り,取っ組み合うが,既に体力
は子が勝り,翌日,J男は怒って,納屋,プレハブの電線を切り,ガスコンロ,
風呂も使えなくする。さらに親の生活の場である納屋,プレハブに鍵をかける。
お盆に,祖母が仲介,母親を交えて話。母親はJ男に「謝って新居に入れても
らう」。父親とは取っ組み合い以来話がない。夏休み中,母親は,J男を3回,
モトクロスに連れていくが, 「お前は母親として言う権利はない」「自分を怒
らすようなことをするな.1という態度をとられている。
ここでの暴力は,父親との取っ組み合いの反応として,生活家財の破壊がお
こるが,J男は後に「あれだけ(無茶を)やったのに,お前らの馬鹿さかげん
には,ほとほと呆れたわ,何をやっても知らん顔や」と,半ば(父)親を評価
73
するような発言をしている。母親には,J男に隷属し追従する姿勢がみえ,こ
の心理については後の(3)で考察する。
(4)母親の関与の締め出しと,父親への接近
夏休みの終わり,補習に5日出たJ男は,2学期の始まりに備えて,月末,
散髪に行き,出かけに父親と1か月振りの言葉を交わす。始業式前夜,従姉A
にモーニングコールを頼むが,結局,9月始めは登校できず。4日,何の前触
れもなく新居に鍵をかけ母親を締め出し(弟には鍵を渡している),前日まで
とっていた母親の食事や,身の回りの世話の一切を受け付けず,以来ずっと,
自炊生活を開始する。J男は9月始めが駄目なら,運動会明けの17日からの
登校を狙っていた様子。しかしこの日も行けずに,プレハブや納屋にブロック
を投げつけ,テーブルや家財をひつくり返して荒れる。翌日,母親の依頼を受
けて担任と学年主任が来て,卒業の可能性を示唆する。19日,雨だが知らぬ
間に登校,帰宅した父親に「今日学校に行ったこと,知ってるか」と,登校を
知らせている。(注.以後の経過については,聖節で,J男の分離・個体化過
程としてとりあげ分析,考察するが,基本的には母親の関与を締め出し,父親
とはコンピューター等をとおした接近が持続していく。)
17日の家財の破壊は,登校できなかった「苛々を晴らすもの」であろうが,
何の前触れもない4日以降の母親締め出しは,9月始め登校できなかったこと
と並行して起こっており,4月から専業主婦となってJ男に関わりを強める恰
好になっている母親の関与を,完全に断ち切る行為である。実際,母親は,退
職前にはJ男自身も望んだはずの,退職の大きな理由の一つである「受験期の
万全の食事の用意」(#5)さえ取り上げられるのである。
ここで,J男が,追従してくる母親を締め出し,取っ組み合いをしたはずの
父親に,自分から接近していることは注目される。後にも考察するが,J男に
とっての「母親」は,追従しながらでも,エラボレイトされた操作(無論,こ
のことはJ男には明確には意識化できていないかもしれない)で,受験をとお
して,無意識的に,今までの「偽りの適応」の完成を「べったりと」(#2)
推進してくる脅威の存在であるかもしれない。従って,身を守るためにも母親
を締め出す必要があったものと思われる。
一方,J男にとっての「父親」は,かつては「祖父に従属し,権威のない」
価値の引き下げがおこった対象であったかもしれないが,決してJ男の家庭内
暴力という操縦に巻き込まれず,追従しない強さを持ち,しかも,J男を縛る
この拘束的な「偽りの適応」の外にあり,むしろJ男は父親の中に,この拘束
を解いてくれる可能性をみているのかもしれない。
74
2) J男の防衛機制からみた家庭内暴力の意味
ここまでの全般をとおしたJ男の親に対する態度としては,J男は,母親に
「人の人生台無しにしたお前らには人権もない」「お前らはわしの言うことを
聞いて当たり前なんだ」「わしの気分が悪くならないように,気持ちを酌んで
やれ」等と言い,従姉Aが,親が可愛そうだと諭すと, 「僕の方がもっと可愛
そう。僕は人生台無しにされて,可愛そうな奴なんや」(#インテーク)と,
注目すべき発言をしている。一方,外ではE先生をはじめ,伯母達,祖母,従
姉達と親密な関係を保っている。
J男のとっている心理的な防衛機制をとおして,J男の家庭内暴力の意味を
考察するが,マスターソン(1980)の示した二種類の自我防衛同盟の交代(撤去
型対象関係単位WORUの外在化と,報酬型対象関係単位RORUの外在化)は, J男
の家庭内暴力のメカニズムをすっきり説明する理論モデルとして有効であり,
以下にそれを試み,考察する(第4図を参照)。
J男が「僕の人生台無しにした,保障をどうする」と攻撃するとき,J男の
精神内界の撤去型対象関係単位が外在化されており, 「お前たちはわしを怒ら
さないようにしろ」と誇大な自己表象S+は活性化し,無能な自己表象S一は
影をひそめている。祖父,母,(それを阻止できず彼を守れなかった)父は,
「全き悪」として,ネガティブな対象表象0一が親たちに投:影されている。悪
いのは自分ではなく,親たちであり,親たちは伯母たちに「子の気持ちが分か
るように教育」されるべき対象であるとする攻撃性は,幼児的で,誇大な自己
表象S−Fを維持し,無力な自己表象S一を活性化させないための防衛として役
立っているのである。親たちのエリート指向的価値観を取り込み,学力の高い
子として親に受け入れられることが,J男の存在感を支えてきた「適応」で
あったとすれば,J男の「子どもの受験を邪魔する奴は親でない」(#8)と
いう考え方は,J男にとっては自然な論理である。
しかし,現実に誇大な自己表象S+を維持することに危機感を持ったとき,
この「適応」感自体が,一気に破綻する脅威に晒され,撤去型対象関係単位が
活性化する。 r僕は可愛そうな奴なんや」と従姉に述べる時のJ男には誇大な
思いはなく, 「適応」を維持できない無能力で抑うっ的な自己表象S一の活性
化がみられる。この時,報酬型対象関係単位は外在化されており,誇大な自己
表象S+とそれを支える対象表象0+は対象に投影され,E先生や従姉,伯母,
祖母らが「全き善」きものとされ,彼らは,彼らとの対象関係をもつことで抑
うっ感を軽減させるJ男の依存対象となっている。しかし,この対象の理想化
75
が進めば進むほど,J男自身の中の誇大な自己表象S+は失われ,自己はます
ます虚しいものとなる。あとに残る自己は,自発的な個体化を阻止されて,親
たちの価値観に適応せずに見捨てられた無価値な自己表象S一でしかない。そ
れ故, 呵愛そうな奴」となる。この耐えがたい見捨てられ抑うつを処理する,
もう一つの方法が,それ自体を否認し外在化することであり,つまり,最初に
述べたように,撤去型対象関係単位を外在化することなのである。つまり,撤
去型対象関係単位を外在化して,親たちに攻撃性を向けている限りにおいて,
J男の誇大な自己表象S+は守られ,無力な自己表象S一は後退し,見捨てら
れ抑うつは回避されるのである。
従って,危機に際してJ男の無力な自己表象S一が前景に立ったとき,J男
のとっている防衛機制は,次の2つであろう。
①無力な自己表象S一自体を否認し,撤去型対象関係単位を外在化して,親
に攻撃を向けること(つまり家庭内暴力)で,見捨てられ想うつを回避するか,
或いは,
②報酬型対象関係単位をE先生らに投影し,その依存対象との対象関係を持
ち続けること(外での良い関係)によって,活性化する見捨てられ揮うつを緩
和させる。
全く異なるように見える二つの現象,「家庭内暴力」と「外での良い関係」
(これはJ男の行動のほぼ全てであると思われる)は,J男の心理的防衛機制
という観点から見たとき,実は,全く同じ防衛一見捨てられ抑うっの防衛を
していることになる。よって,本来ならば,誇大な部分自己表象と無力な部分
自己表象とを,全体的自己表象として統合し,それにともなう抑うっ様の両価
的葛藤を,内的体験として自ら引き受けなければならないのだが,家庭内暴力
は,その葛藤を回避するために, 「封殺された自己」の怒りを,無意識的に外
在化(アクティング・アウト)させたもの,と言える。
3) 家庭内暴力を持続させる要因一投影性同一視の過程
家庭内暴力が成立し,それが持続するためには,攻撃を甘んじて受け,むし
ろ隷属するような存在(多くは母親の存在)が必要であると思われる。家庭内
暴力は,基本的に, 「対象関係を求める」現象であり,この「関係」なくして,
家庭内暴力も何もない。家庭内暴力は,自分一人では処理しきれない:葛藤,怒
りを,人を巻き込み支配することで解消しようとするような形をとっている。
つまり,それに巻き込まれて,それに応えてくれる人を必要とするかに思える。
J男の「家を建て替えたことによって,僕の人生台無しにされた」という論
76
理は,現実離れした,言わば客観性を欠くJ男の内的現実,言わば幻想とでも
言うべきものであるが,母親の心を「突く」一面の真実を含んでいる。その言
葉に象徴されることは,祖父母を第一にし,子を第二にして来た今までの親の
子育てに対する抗議であり,母親はそこを突かれた思いがしたと述べている
(#6)。また,忙しさから業者に任せっきりで,工事は予想外に遅れ,親た
ちの見通しの甘さから,実際的にもJ男に迷惑をかけたと母親は述べている
(#7)o
しかし,だからといって「人生台無しにされた」は,母親自身が, 「部分的
には親の拙さがあったとしても,全面的に自分の人生台無しにしたのは,親だ
けでなくて自分の方にも責任があるのだということが分からないと,正常には
なっていかないと思う」 (#7)と認めるように,依然と,客観的な真実とは
なり難い。にもかかわらず,母親は, 「お祖父ちゃんが出ていくか,僕が死ぬ
かどっちかだ」という言葉に,胸を突かれたために,一連のJ男の論理を撫ね
つけて「怒って正論を説いてというよりも,先に,何か哀れだな,不欄だなと
いう思いが出てきてあの子に対して弱くなり」(#8)何も言えなくなって,
心情的にJ男の論理を受け容れ,彼の側に身を置くことでJ男との一体感を体
験し,J男の無理難題に対しても, 「親を追い出して,こういう状態をつくっ
ていても,私は怒りとか,腹立たしい思いは飛んでいる。あの子を取り戻して
やりたい思いの方が強い。祖父には気の毒だが」(#11)と述べるように,怒
りを忘れて従属する姿勢を見せている。J男の投げつけた不合理な論理を,心
情的に受け容れざるを得ない母親の存在は,単にJ男の論理,全能的な幻想の
温存に寄与するばかりでない。J男の投げつける幻想が,母親の隷属的な実際
的対応を得ることで, 「現実のもの」になってしまっているのである。これは
まさしくJ男の側から見れば,幻想を投入し,自分一人では処理しきれない葛
藤を,相手を巻き込み相手を支配することで解消を図ろうとする,クライン(1
946)が明らかにした投影性同一視の過程であり,投影性同一視の概念は家庭内
暴力の心理現象を上手く説明するものである。このことは,家庭内暴力が基本
的に前エディプス的問題であることを証左するものでり,この防衛機制の成立
・持続は,J男の全能感・誇大感を持続させる大きな要因となる。
77
3. J男の分離・個体化過程と母親父親の動きの分析と考察
子どもが「偽りの自己」を形成する過程は,子どもの自発的な自己表現,自
分自身の喜びのための行為が親によって承認されないために,親に心理的に見
捨てられないよう自発的な個体化を殺し,親の気持ちを満たすよう親の価値観
に適応していく「偽りの適応」の過程でもある。J男の家庭内暴力が, 「偽り
の適応」への怒りであるとすれば,その後の彼の軌跡に,その「適応」を破棄
し,押し殺してきた自己の側面の個体化をすすめる過程がみられるであろう。
実際J男が母親からの関与を締め出し,親達の価値観を今や自分のものと
した「受験」を気にしながらでも,自らの喜びのためである「自転車」や「稲
刈り」を通して,自らを個体化してゆく動きがみられる。母親は,J男のこの
一連の動きを,当初, 「本分でない」と必ずしも喜べないばかりか,「依沽地
になっている」と述べ,むしろJ男を自分の中に取り込めない分離不安,J男
の自立を淋しがる心を明らかにしていくが,それに耐え,退職によって喪失し
た自らの空虚感にも向かいっっ,J男の成長に理解を示していく。父親は, J
男のやることを「放つといたらいい,自分で好きでそうしているのだから。そ
れがあいつの人生や。親が言うても聞かんのだから」(#5)と言う態度で静
観する。
登校を開始しだした9月19日以降のJ男の一連の動きに焦点をあて,親との
関係からみて,〈1)母親からの離反意思が強烈な時期,(2)「稲刈り」「自転車」
をとおした個体化の動きが顕著な時期,(3)安定へ向かい家族との関係を回復し
つつある時期,として分析整理し,それに対する母親父親の動きも合わせて
考察する。
1) 母親からの離反意思が強烈な時期(9月中旬∼10月上旬 #1,2)
J男が母親の関与を完全に締め出し,父親とは関係を保ちながら登校を開始
し,母親が何としても弁当を取らせようと執着するする時期である。
J男は新居に鍵をかけ母親の関与を完全に締め出して,自炊しながら休まず
に登校を続け,父親とは,コンピュータを教えてもらったり,日曜にゴルフの
打ちつ放しに行くなどの接近を保ちながら,何とか弁当を受け取らせようと執
着する母親を拒否し続ける。一度,外出先から電話を入れ,父親と連絡を取り
たがるが,不在なので早ったことがあれば,お母さんがするけど」という母
親の申し出を,ガチャンと切り, 「もうお前には用が無い,というようです」
と母親に言わしめている(#1)。母親は「(J男は)帰ってからもテレビを
78
みて寝るだけで,ただ学校行ってるだけです。大学受けようと思っても受から
ない状態だと思う」(#1)と不安,焦りを述べ,気持ちが,いつも「周波数
(電波)のようにあの子に向いて」おり,それを父親に指摘されている(#
1)。また,J男が一日休めばがっくりし,この一週間をどう過ごせばよいか,
対応策を切迫してCo.に求めてくる不安,焦燥状態にある(#2)。
このJ男の自炊生活の動きに対して,母親,父親の対応と.心理的動きは対
照的である。父親が, 「洗濯や朝起き食事など,今まで構ってもらってしか出
来なかったことを自分でしているのだから,自立する過程だ」(#2)と様子
を伺う姿勢をとるのに対して,母親は,現状のような用意した食事をとらない
ことに耐えきれない様子をみせ,執拗に何としても弁当を渡そうと試みる。
朝,弁当を渡そうとして「無神経」と言われ,帰宅してから渡そうとして「無
責任」と言われ,その意味が分からないので,さらに夜,J男が出かけるのを
捕まえて聞き, 「聞くこと自体が無神経や」と言われる。なおも「お母さんの
したらいいこと教えて」と食い下がって,「死ね,死んだらいいのだ」とまで
言わせている。そして「死なれないこと分かっているでしょう」と返し,J男
の気分を昂らせ,結局,逃げるように謝って行こうとして, 「横向いて謝ると
は何事や!」とJ男の怒りを爆発させている(#2)。
何としてでも食事を受け取ってもらおうとする,母親の食事に対する執着は,
明らかにJ男の気持ちを逆撫でし,挑発するものである。しかしその背景には,
後に考察するように,母親の退職にともなう空虚感, 「弁当と言われたら,
さっと渡せるように子のためにするのが当たり前だと思う」(#2)と述べて
いるような, 「幼子J男」を取り込もうとする分離不安や, 「ひけめ」から追
従してしまう心理があり,これを理解しないと不当に母親を責める恰好になっ
てしまう。父親も,母親の食事づくりの執着に関しては, 「しなくて良いと思
うが,お前がして気が済むのならしろ」(#3)と,一定の理解を示している。
2) 「稲刈り」 「自転車」をとおした個体化の動きが顕著な時期
(10月中旬∼11月下旬,#3∼#8)
J男に「稲刈り」をとおして自発性,積極性が顕著にみられ, 「自転車」を
とおして,外での現実的な対人関係の広がり,人格的成長が顕著にみられる時
期である。しかも,登校は持続し,現実的な山であった中間考査を受験し,受
験勉強もそれなりに取り組んでいた時期である。しかし,母親は,一連のJ男
の個体化の動きに, 「自立と思っていくしか仕方ない」と表現し, 「本分でな
79
い」と必ずしも喜べないばかりか,「幼子J男」を取り込めない母親の分離不
安,J男の自立を淋しがる心を明らかにしていくが,それに耐え, J男に「最
近,母親が何も言わなくなった」と言わしめる変化を示しっっ,退職と,締め
出しで,やるべきことを取り上げられた自らの喪失感,空虚感にも向かい合う
時期である。
J男は,遅刻や早退をしながらでも登校を続け,自転車で往復4時間以上か
けて物理の専門書2巻を購入したり,伯母に,家の稲刈りを「僕がしないと誰
がするのや」と述べ,忙しい父親の休みと稲刈りの日程を気に掛け,自分の方
から母親のもとにやって来て,母親を驚かせる(#3)。10月中旬,J男の
稲刈りの手伝いは, 「機械が好きな」彼自身の楽しみでもあり,機械を故障さ
せがちになって有難迷惑な面もみられたが,自分一人で米袋をトラックに積み
込む作業を完了させていたり,父親不在の日に,学校の休みを利用して,一人
で稲刈りをやりだすといった,自発性,積極性が顕著にみられる(#4)。
さらに,休みを利用して,自転車で,片道100キロ程の名所Yへの野宿一泊
旅行を果たし,帰りは祖母宅で食事をし,家への無事の連絡は「僕が出てから
おばあちゃんが言っておいて」と母親への電話を拒否せず,その足でE先生宅
へ向かい,勉強をして夜帰宅する。いつもならそのまま部屋に入ってしまうが,
出迎えた母親が,今日やっと稲刈りを済ませたことなど話をするのを黙って聞
き,しばらく母親と時間を共有し,稲刈りのため「親父,今日休んだのか」と,
多忙な父親の仕事を気づかう様子をみせている(#4)。
また,J男にとっては,最も現実的な山であった中間考査は,申し込んでい
たマウンテンバイク競技をキャンセルして,全て受験し,次には,学校の連休
を利用してのZ県行きの計画をたて,受験対策としての通信添削の申込みもす
る(#5)。
Z県行きにあたっては,J男は,友達数人とコースの検討をしたり, E先生
や養護教論を訪ねたり,伯母や弟に話をし,隣の部屋で仕事をしていた父親に
もZ県の地図を借りている(#6)。11月上旬,野宿3泊4日のZ県行きを
果たしたJ男は,そのまま登校して模試を受け,翌日の模試も受けてE先生を
訪ね,同夜,弟にZ県旅行での冒険談を意気揚々と語って聞かせる。警察で旅
の情報を聞き,未知の人から弁当をもらい,世話になっている自転車屋に土産
を送り,E先生,養護教諭に土産を買っている。その話の中に母親が入ってく
るが,J男は怒りもせず,ただ顔は合わせず話を続けたという(#7)。これ
らのJ男の母親に対する拒否の姿勢の緩和は,母親の実際的な変化とも対応し
ているものと思われる。J男は, Z県行きの直前,養護教諭に「最近母親は何
も言わなくなった(干渉しなくなった)」(#6)と述べている。
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旅行期間中「孤独だった」と,J男が従姉Aに述べていることを,母親は紹
介している(#7)。これは母親自身の淋しさでもあろう。旅先で人情にも触
れたが,現実的な社会の中では通用しない誇大な自己表象を放棄する「喪の体
験」であろう。旅の中で,現実の対人関係に自分を適応させ,それが出来たと
いう実感的な体験を積んだものと思われる。J男はZ県で世話になった人へ礼
状を書き,そういう姿に,母親は, 「今までだと親にしてもらわないと何も出
来なかった子が,自分で電話を掛けたり,服を買って来たりしている」(#
8)と,外食店で, 「すぐに食べるものが一人で決められないから,店員と接
するのが嫌で,外食も嫌ってたような子」(#7)の成長を認めている。
また,J男は,従姉Aと外出した折,出かける前母親を無視したことを従姉
に搾められ, 「ものを言うと腹が立つから,無視するのが一一一igS怒らんですむの
だ」と応えている。これは,親子関係をさらに悪い関係にしないための,一時
的なJ男なりの防衛であると思われる。親の話をするとJ男が口を喋む(#
7)のも,J男が自らの論理的おかしさを知的には受け容れているものとも思
われる。11月中旬,祖母が差し入れに来て,J男を諭すと, 「あいつらは僕
の受験の邪魔をしたから親でない」と応えているが,さらに諭すと,黙って聞
いていたという。ウイスキーも取り上げられている(#8)。既に夏休み,従
姉Bから「あんたのしていることおかしい」と言われて, rB子ちゃんもそう
思うか?」と応えて(#12)いるように,J男の論理的な成長は,徐々にだが
確実に進んでいるものと思われる。
これらのJ男の一連の個体化の動きに対して,当初,母親は,心からは喜ん
でおれず, 「本分」からはずれるものとして焦り, 「本分(勉強)に集中しな
い」もの足りなさ,不全感を述べ続ける。遅刻しながらでも登校するJ男に
「先週は,まともに行った日はない」「好きな教科だけ受けて勝手な子」「大
学に入ってからするようなこと(コンピューターや専門書への関心)をして,
今の自分に本当に必要なこと,本分から逃げている」(#3)と手厳しい。
J男の自発的な申し出である稲刈りの手伝いにしても, 「ただコンバインに
乗りたいだけなんですわ」と冷やかで,〈でも3人で仕事:できますよ〉と
コミュニケーションの絶好の機会を指摘しても, 「ええ,でもそうすると学校
へは行けない」と, 「田のことは親に任せて本分をして欲しい」(#3)気持ち
の方が勝っている。だから,J男の自発的な行為である米袋の搬出作業や,父
親不在のとき稲刈りを一人でやりだす行為も,母親には重大ではなく, 「一週
間ではそんなに変わらないですけど」(#4)という発言になっている。
J男の名所Y行きについても,父親が「一人でそれだけのこと出来ると思え
ば,たいしたものやと思ったらいい。(心配せずに)はよ寝ろ」という態度に
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対して,母親は,J男が帰宅しても「あんたの顔をみて,ホッとしたわ」と,
どこまでも心配や不安が先立ち(#4),「本当は,名所Yに行った話をした
がったのだと思う,伯母や弟にはしているので」(#5)とJ男の気持ちを察
していても,冒険談を聞くことをしていない。Co.がく名所Yへ行き,日の
出を見ることは,.単なるエネルギーの発散というよりも,もっと精神的なもの,
男性性の確認のような気がする〉と述べても, 「凄いことすると自転:車屋で
名前を掲示されるから,人の出来ないことをして,自分の存在感を示したいん
だろう」(#4)と冷やかで,J男のこの冒険を素朴に喜べない。 「結局,精
神的に不安定だから,身体を動かすことによってバランスを保っているのでな
いか,だから勉強出来なくても仕方がない」(#5)と,自分の焦りを納得さ
せている。
母親にとっては,J男の冒険は,あくまで,本分である受験勉強を回避する
ものであり,冒険を通して得られる喜び(J男の個体化の一部)については,
あまり価値をみいだしていないかに思える。それより,J男が中間考査を受け
ていても, 「試験終わって早く帰ってきても自転車で出かけている。テレビが
終わると寝ている」(#5)と,どこまでも,勉強をしてないことに不満であ
り,中間考査という現実的な山を乗り越えたのちのZ県行きについても, 「5,
6日は模試もあるし,受験前の高3のすることでない」(#6)と焦りと不安
をのぞかせている。
上記のような母親の焦りと不安は,退職によって失われた母親のアイデン
ティティ喪失と並行している。「中一の不登校のときは仕事を持っていたので,
気持ちの切替えもできた」(#2)が,今はそれもない上に,退職によって母
親が一番してあげたかったはずの「食事の準備」と「家の整理」の二つとも取
り上げられた恰好になっている。兄から「自分をしっかり持てと言われても,
(自分には)何もない」(#5)と母親は空虚感を述べ,無視される食事の用
意を依然と続けては, 「してやっている」ということで,心の虚しさを補充し,
安心している自分を認めている(#6)。父親の「放つといたらいい,自分が
好きでそうしているのだから。それがあいつの人生や。親が言うても聞かんの
だから,あれが選んでしてる道だから」(#5)という態度とは対照的だが,
そこには母親の「いっかお腹が空いて食べに来るかも分からないという思いが
あるから,何かテーブルの上に置いててやろうという思いがあるんです」(#
3)という,幼子に対する未分化な近心が根底にあり,逆に,素朴に胸を打つ。
母親の「何もしなくて本当にこれでよいのか」という不安,焦り,そして操
作性は相当に強く,面接でもDo Nothigの効用を話題にとりあげたが(#3),
最終回においても,Co.のく (相手に)任せることは,信頼に結びつく〉
という言葉に対して, 「でも逆から言えば,放ったらかしにしている,ともと
82
れる」 「ただ待つのでなく… 働きかけ,工夫がないといけないと思う」
(#12)と言葉が返るとおり,これは母親の性格のなかでも中核的なものだと
思われる。しかし,この時期の母親の実際面での動きは,J男に「母親は最近
何も言わなくなった」(#6)と言わしめるとおり,心の内面レベルとは違っ
た態度変容があったものと思われる。Z県行きの冒険談をJ男が弟に話するな
かに, 「怒るかな」と思いながらも入っていけたのは,ある意味で,母親の心
理的安定を示すものであるとともに,名所Y行きの話を聞いてやらなかった反
省(#5)であろう。この母親の微妙な変化は,J男の個体化を一部受け容れ
るものであり, 「家ではこんな状態だが,(Z県行きについて)外ではいろんな
方と話はしているみたいです」(#6)という母親の言葉と符合する。
3) 家族関係を回復しつつ安定へ向かう時期
(11月下旬∼12月中旬, #9∼#12)
J男が,占拠している新居から家族の生活の場である納屋に,毎日のように
頻繁に出入りし,家族との関係を回復しつつある時期である。自転車購入の要
求を突きつけているが,手順を踏み,母親との「値引き交渉」にも応じている。
父親への「ありがとうございました」発言があり,J男の内的世界に「新しい
父親像」がみられる。鯉の世話を介して親子で話もできている。期末考査を受
験し,卒業,大学合格の可能性さえ見えっっあり,しかも母親は,受験に失敗
しても,むしろ「それが良いのかも」 「怒らせて気持ちの収まるのを待つほか
ない」(#12)と,その覚悟さえ灰めかす。父親の怒りが,夫婦関係に微妙な
影響をあたえ,母親に,父親への信頼らしきものが芽生えるかにみえる。
11月下旬,J男の登校は続き,卒業の可能性は現実味をおびだす。 J男は,
毎日,納屋の方へ,弟の名を呼んでは上がってくる「今までにない」変化をみ
せ,弟との裾取りにも,母親を拒否せず3人でしている。 「自分の行動を弟に
言うと,私達にも伝わる。ある意味で,私達にそういうことを知らせているの
か」(#9)と母親は,J男の拒否的態度の緩和を感じ出し, J男の変化を
「淋しいのか」と捕らえている。
「買う決断も鈍く苦手な子が」,一人で眼科医に行きコンタクトレンズを買い,
,また,レース用の自転車を買うので,今年中に15万円,さらに卒業すれば40
万円のバイクが欲しいと母親に要求を突きつける。J男は自転車レースに出場
するために,父親に承諾の印をもらっているが,自転車の購入の件については,
直接,話をしていない(#9)。避けているのであろう。
83
下旬のJ男のデビュー・レースは,父親が,J男の友達も連れて引率する。
帰ってきて,自転車屋で荷物を下ろす父親に,J男は「ありがとうございまし
た」と言ったらしく,父親も驚いたという。かって稲刈りのとき,父親が物を
取ってくれと頼むと,「お前もわしを使えるようになったんかい。偉くなった
もんやの」と口答えしたJ男がである。母親は,弁当の横に,レースで汚れた
ものを出しておくようメモ書きしているが,J男は無視して,自分で洗濯して
いる(# 10)。翌日, 「レースの手応え」から,15万円の自転車をやめ,3
6万円のにすると母親に言ってくる。金額が高すぎるので,母親は,すんなり
通れば歯止めが掛からなくなることを恐れ,父親は, 「買うんやったらゴチャ
ゴチャ言わずに買ってやればよい」という態度を母親にとる。母親は,J男と
話をする中で値引き交渉を試み(# 10),そういう話し合いが母子間で成立す
るようになっていく。
12月上旬,学校の三者面談に父親だけが行く。当日学校も休んだJ男は,
外から父親に声を掛けられても返事をせず。面談内容は,卒業の可能性がある
こと,H大, K大ともに合格の可能性があること。「それなりに頑張ってたの
かな」と両親は評価。父親は,帰宅して担任からの伝言のメモを入れる。J男
がメモをもってやって来るが,仕事中の父親は,伝言だけ伝える。母親は,
「近づいてきたのは,面談内容が気になったから・・もっと励まして欲しい」
(tt 11)と父親に不満。結局,母親は面談内容を伝えJ男を励ます。
中旬,J男は,期末考査を全部受け,成績には40点あればよいとこだわら
ず。自転車購入の件,J男と母親との間に,値引き交渉の話がすすみ, J男は
「何とか安くなる方法を考えたり,親に無断で買うこともなく」(#12)手順
を踏み,母親の交渉に,荒立てて怒ることもない。母親は,自転車屋からも,
J男を説得してもらおうと弟の自転車の修理を口実に,自転車屋に行く。たま
たまJ男がおり,若い店員に「お前が直してやれ」と言われ,それに素直に従
うJ男の姿があったという。(# 12)
飼っている鯉が死にかけて,夫婦で世話していると,何を思ったかJ男が出
てきて,親子三人で一緒に面倒をみる。鯉は元気になり池にもどす。J男は,
ニクロム線を買ってきて水を温めてやれとか,酸素装置を付けうとか色々言う。
父親は怒りだして「そしたらお前の好きなようにしろ」と手を引く。鯉の世話
を通して親子間で話ができる(#12)。夕方,母親が買ってきた弁当を渡すと,
J男は「まだそんなこと言うとるのか,甘いのう」と言っている。母親は「そ
う,食べる気になったら食べね」と,さっと引っ込めている。(#12)
J男は,母親を介して,冬休み,従姉Bに家庭教師を頼んでいる。夏休みに
もみてもらっており,そのとき「あんたのしてることおかしい」と単刀直入に
吐つた従姉である。
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J男の動きには,明らかに,家族関係を回復していく兆しがみられる。 「自
転車購入」の突きつけがあるにしても,一応の手順を踏んでおり,母親とは値
引き交渉にも応じて話し合いが成立している。このJ男の変化は,母親の微妙
な気持ちの変化とも対応している。J男の話をする母親の言い方のなかに,そ
れを楽しんでいるような余裕が見受けられるので,Co.がそれを指摘すると,
「もう,どうしょうもないと思って,開き直りでもないですけど」と笑い,
「短い期間で解決すると思うこと自体がいけないと思う」(# 10)とか,「私
自身が一時ほどの緊張感がなくなった」ことを認め,J男が弟と話している所
へ,嫌がるかなと思いっっも,おやつを持っていき「いらんわい,アホか1」
と言われても,ショボつとならず平気で受けとめられて, 「わりと大きい気持
ちになってきたなと,自分なりには思います」(#11)と述べている。弁当へ
の固執もずいぶんと軽くなっている(# 12)。また,「卒業しても,この根本
が解決しないかぎりは」(#8), 「卒業させるのをng一一一一に考えていくことが
本当にいいことか」(#9),受験に失敗しても,むしろ「それが良いのか
も」「こういう状態で,すんなり合格するのも,後々のこと考えると恐い」と
いった表現は,母親の変化の微妙な心の揺れを示すものであり,J男が受験に
失敗して親を責めてきたとしても, 「でも一からではないという思いもある。
怒らせて気持ちの収まるのを待つほかない」と覚悟を憎めかしている(#12)。
J男の変化で,レース後に父親にみせたJ男の態度は特筆される。J男に
「ありがとうございました」を言わしめる「父親」は,かつてのJ男の内的世
界に属する「祖父に従属する権威のない父親」ではなく,直接,自転車の要求
を突きつけるには躊躇う父親であり,面接の誘いを無視したJ男に,面接内容
を敢えて知らせないという現実的制裁を加えた父親でもある。それは,J男の
家庭内暴力に, 「腹が立つj(#11)と思いながらも抱え込み(hoIding),そ
の全能的な操縦にも乗らず,破壊されずに生き残った「環境としての父親」
(ウィニコット)であり,若い店員に命令されてJ男がそれに従う新しい現実
世界の系列に属する「父親」でもある。J男のこの「新たな父親像」の出現は,
J男が全能感を放棄し,現実原則を受け容れる方向に歩んでいることを示唆す
るものであろう。
J男の動きに対して,対照的な両親の反応が二つみられる。一つは,面談内
容を知らせて励ます母親と,そうしない父親の違いである。母親は, 「励まし
てやってたら,翌日の模試も受けたかも分からない」(#11)と述べ,父親の
態度に不満であるが,励ましが,相手を自分に引きつけると同時に,相手を拘
束することにもなる,ということを考慮すれば,制裁であったにしろ結果的に
は,父親の距離を置いた態度こそ,現在のJ男には必要なことであったかと思
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われる。
もう一つは,J男の自転車購入の要求に関して,両親のとった態度の違いで
ある。父親は黙って金だけ渡すつもりでおり,母親は,パンフレットを請求し
たり,値引き交渉で歯止めをかけようとする。黙って渡してエスカレートする
不安を母親が述べると,父親は「ゴチャゴチャ話をするぐらいなら,始めから
一千万円渡してしまったらええ」と母親に怒る。 「それでバイク買うなり,何
なり,大学行くのも全部これでやれ,これで知らん」と渡せばいい, 「百万程
度じゃ渡しても値打ちない」と言う。母親が「突き放すような,何か冷たく感
じるのと違う?」と言うと,「わしはお前みたいに冷静に考えられない!腹が
立つのは腹が立つ」と怒り,「わしがそんな風に(黙って渡すこと)考えてい
たのに,また反対する。何や分からんようなった」と怒る。父親のこの怒りは
複雑である。直接には,J男への歯止めを要求してくる操作的な妻に向けられ
たものだが,根底にはJ男に対する怒りがあり,現状に甘んじる自分自身に対
する怒りもあるかもしれない。この怒りは,J男に伝わることはなかったが,
母親を変えるだけの十分なインパクトをもっていたものと思われる。母親は,
「一千万円と聞いてドキッとした」こと,「一度は反対したが,やはり主人の
考えた方針に賛成してみようと思う」こと,「主人に気分悪くさせて今まで以
上に動いてくれなくなったら困る」し,「子どものことは信頼して買ってあげ
て,エスカレートするかどうかは,春になったらまたそのとき考えたらいい」
(#11)と,気持ちの変化を述べている。ただ,母親は「(J男が)一応申し
込んでよいかと父親の返事を待っているのだから,思っていることを言って欲
しい」と父親に迫り, 「何でこっちから声掛けてまでしてせんならん,向こう
が聞きに来たらいいのだ」と簸ねつけられて,こういつた遣り取りの中に,祖
父と主人の間を仲介した役割を思い出し,「うちの家柄がそういう感じ」で
「好事はいつも私」(#12)という不満は述べているが,恐らく,夫の「一千
万円の怒り」のなかに,夫に任せてみようかという今までにない信頼をもった
ものと思われる。
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第4章 総合考察とまとめ
第1節
J男の成長過程の対象関係論的考察(まとめ)
第3章第3節,第1項では,J男が,如何に「偽りの自己」を形成してきた
かを母親の発言を踏まえて分析,考察し,その精神内構造をマスターソンら
の理論モデルを参考に図式化(第4図)した。第2項では,母親の主訴概要で
述べられたJ男の家庭内暴力を発端からたどり,J男のとる防衛機制から, J
男の家庭内暴力の無意識的な意図と,その成立・持続要因について考察した。
第3項では,母親の面接過程からえられる情報をもとに,J男の動きを,母親
からの分離と, 「自転車」をとおした個体化としてとらえ,J男の精神内界に
現れた「新たな父親像」を指摘し,母親父親の動きと合わせて分析,考察し
た。この節では,これまでの整理を兼ねて,J男の成長過程を,より対象関係
論的に考察してまとめとする。
1. J男の「偽りの自己」形成について
J男は,親たちの3重4重の安全指向的,エリート指向的なレールを敷かれ,
自発的な自己の個体化が妨げられるという犠牲の上に,潤たちの価値観を取り
入れ,それに適応(偽りの適応)することで,親たちの価値観に見合う個体化
をすすめ,誇大な自己表象を肥大化させてきた。一方,親たちに承認されず個
体化が妨げられた自己の自発的な側面も,無力な自己表象として形成されてい
るが, 「偽りの適応」を維持するためには,それはスプリッティングないし抑
圧され(第4図参照), 「体験のないことに由来する貧困化を被っている」
(ウイニコット1955−56,p199)。そして,結果的には,高い学力と,外食も出
来ないような無力を合わせ持つ,アンバランスな自己を形成している。
J男の「適応感」は,多かれ少なかれ,誇大な自己表象を鏡映してくれる
「対」としての全能的対象表象の支えによって満たされる全能的・誇大的情緒
に彩られたものであり,全能的対象表象の支えが外されると,一気に「不適応
感」に陥るような脆いものである。何故なら,一方のスプリッティングないし
抑圧された無力な自己表象は,親によって見捨てられた「価値のない」自己表
象であり,J男を支えきるまでには育っていないからである。
J男のこの「偽りの自己」「偽りの適応」を生んだマイナス的要因として,
次のようなことが関係していよう。
第一に, 「弟よりかまけた」はずのJ男に,基本的な安心感をもてていない
不確かな母子関係。これは, 「実権を握る」祖父母と「波風を立てない」父母
87
の葛藤を孕んだ三世代家族内力動のなかでの,初孫J男の養育をめぐって,
「わしらが育てる」という祖父母に対して,J男を取り上げられた思いととも
に,それに乗っかってしまった「ひけめ」をもつ職業婦人としての母親の,子
育てにおける精神的不安定さが背景にある。
第二に,エリート指向的な家庭環境で, 「大人4人,5人でレールを敷い
た」といわれるような,J男の自発的な個体化を妨げることになった親たちの
無意識的,自己愛的な投影的操作性。マスターソン(1981p12)の言葉を借りる
と,干たちのJ男に対する理想化投影。これにJ男が共鳴するにつれて,J男
の真の個体化欲求は損なわれていったが,誇大自己は保存され,この誇大自己
によりJ男は親たちの機能不全とそれにともなう自分の抑うっも知覚しないで
済んでいた。また,母親が, 「物凄い忙しさの中に追われ,子の要求に適切に
対応できなかったのでないか」(#8)と反省するように,J男は心理的に満
たされない上に,短い時間に能率のよい操作的子育てを受けざるを得なかった
ことや,不安の強い母親自身のエラボレイトされた操作性も見逃すことができ
ないように思われる。
第三に,理想化の対象として取り入れるべき男性性モデルが希薄ななかで,
3重の母親的対象に囲まれ,細やかな保護的,安全指向的配慮が優先され,現
実原則が内在化しにくい環境にあったこと。父親は多忙で不在がちなうえ,
「祖父に従属する」ものとして価値の引き下げが起こっていたであろうし,
「甘さと厳しさが両極端な」祖父は,最初は, 「権威のある祖父」であっても,
やがて「家を追い出されても同情されない」ような祖父として価値の引き下げ
が起こっていたであろう。コフートの重視する父親の被理想化機能の不全は,
J男の個体化を「導く機能」の不全でもあり,一方,母親祖母にくわえて,
離婚した伯母がJ男を囲み,保護者的な関わりを現在も続けているというよう
な母性性過剰な環境にあったことは,誇大自己の「駆り立てる機能」ばかりが
過剰で, 「統合不全の誇大な自己概念と強い顕示的・自己愛的緊蒙をかかえた,
野心家で成功にとりつかれた」(コフート,1966,p149)精神状況を形成する土
壌になったものと思われる。
2. J男の家庭内暴力の発現について
大学受験という,もはや親たちの援助の届かない現実的課題に,J男は,誇
大な自己表象を脅かされる体験をし,「適応感」が崩壊する不安を一人で処理
しきれず,今まで誇大な自己表象を「対」として支えてくれていた全能的対象
表象の外的モデル(即ち,最もJ男にとって親密な人物)を巻き込んで,それ
を処理しようとする。J男が, 「家を触られて,人生台無しにされた」「お祖
父ちゃんを追い出すか,僕が死ぬかどっちかだ1」と母親に迫ったのが,父親
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不在のとき,伯母の家でなされたのは示唆的である、,J男を操作し矯正する母
親については,既に考察し,それはJ男にとっては,締め出されるべき「悪
い」母親像であった。しかし,J男が危機に際して,親しい伯母を援軍に,最
も混乱に巻き込んだのは,無論父親ではなく,母親その人である。これはJ男
にとって, 「最も親密な人」が母親であり,全能的対象表象の外的モデルが第
一に母親であることを示唆するものである。よって,J男の母親像も,祖父像
と同様, 「悪い母親」と「良い母親」とに分裂しており,現在は「悪い」母親
像が前:景に立っていると言える。これを,穿った見方をすれば,母親の締め出
しは,内的な「良い母親像」を守るための無意識的な防衛として,見るこ.とが
できるかもしれない。
J男の攻撃性は,ある意味で,自発的な個体化を封殺された被害感情に根ざ
す正当性をもつものとも考えられるが,怒りの理由が彼自身明確に意識化でき
ていないために,言うことに明らかな論理的矛盾をもち,社会的に容認される
形になっていない。ただ直観的な「怒り」をJ男は親たちに向け,父親一人が
「祖父と子どもを比べること自体が間違っている。息子に対して(わしは)謝
ることはない」(#6)と通すのに対して,祖父は「あれの言うとおりして
やってくれ」(#インテーク)と自ら家を出,母親は, 「何か突かれたような
思いがして」その「ひけめ」から「あの子に対して弱くなり」何も言えなくな
る(#8)。このことは,J男を縛る「偽りの適応」に,祖父と母親が,父親
より強く関与していたことを示唆するもののようにも思われる。実際,J男の
見る父親像には,祖父と母親におけるような分裂したものが見られない。
母親の「ひけめ」は,怒りを忘れて,J男に隷属する心理を生み,それが,
むしろ家庭内暴力の成立・持続因子になりうることは,既に考察した。また,
J男のとっている全く異なる二種類の動き,即ち「家庭内での攻撃性」と,E
先生との関係に象徴されるような「外での良い関係」が,実は統一的には,個
体化を妨げられた無力な自己表象に付随する見捨てられ抑うっを回避ないし緩
和するものとして,とらえることができることも,既に考察した。
3. J男の分離・個体化について
J男の母親締め出しは,退職によって,職をもつことでバランスを保ってい
た母親の関与が,さらに強化することを恐れてのものと思われ,J男は母親の
身の回り一切の関与を退け,自炊,洗濯の生活に入り,文字通り母親からの分
離をして,i登校を開始する。一方で,友達から誘われた「自転車」 今まで
の親の価値観とは無縁のものをとおして,J男自身の喜び(自発的な個体化)
を確かなものにしていく。友人関係は広がり,基本的生活習慣にみられた無力
さが消え,J男の積極性,能動性の高まりを,母親は, 「今までだと親にして
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もらわないと面倒臭くて,何も出来なかった子が,自分で電話をかけたり,服
を買ってきたりしている」(#8)と認める一方, 「勉強だけに集中しておれ
ばいい時期なのに,自炊,洗濯,風呂も自分でして,可愛そう」と,J男の分
離を淋しがり,J男の行為を「意地」になっていると述べる。ここには, J男
の自立を無意識的に引き止めようとする心理がみられ,Co.にく意地こそ自
立。自分に犠牲を強いて,敢えて意思をとおすのが意地。それも駄目というこ
とになると,本人のすることは皆駄目という恰好になる〉と言わしめている
(#9)。自立を無意識的に引き止める母親の心理には,「今まで淋しい思い
しただろうから,辞めて大事なときぐらい家にいてやって,子どもの面倒を見
て,お帰り言うてやろう」(#2)と述べるように,幼子に対する親心が残っ
ており,これらには,母親の無意識的な自己愛の投影に加えて,退職によって
何も無くなった自らの空虚感を充足させる無意識的な子に対するしがみつき分
離不安がみられる。マスターソンは,分離・個体化の再接近期において, 「個
体化が高まると,それにつれて母親からのより強い支持が必要となるが,実際
には,この個体化の高まりが母親の支持の撤去をまねいてしまう」(1981,p16
3)ことの障害を指摘しているが,母親は,当初,J男の個体化への動きに上
手く対応できずに,r食事」をとおして執拗な関わりを強め,再接近期の母親
の課題であるべき見守ることができず,これは必然的に,J男が母親の関与の
締め出しを強化することと並行している(#1,2)。
J男は,母親の関与を断ち,「自転車」をとおした個体化の動きのなかでは,
見捨てられ抑うつに(従って,無力な自己表象にも)積極的に向き合っていた
ものと思われる。
例えば,Z県旅行のあと従姉に, 「(旅行中)孤独だった」 (#7)と述べ
ているが,これは現実的な社会の中では通用しない誇大な自己表象を放棄する
「喪の体験」でもあろう。また,自転車屋の若い店員に「お前が直してやれ」
と言われて,素直に従う(# 12)J男の姿には誇大感はなく,現実の対人関係
の中で,自らをそれに適応させて誇大な自己表象を放棄し,無力な自己表象を
修復していくプロセスが伺える。
また,この頃並行して,J男の論理の成長が伺える。従姉や祖母に諭され,
口を喋んだり,黙って聞く(#7,8)のは,自らの全能的な論理のおかしさを,
知的には受け容れつつある証であり,従姉に母親を無視するのは,「ものを言
うと腹が立つから,無視するのが一一as怒らんですむのだ」(#7)と,親子関係
がこれ以上悪化するのを回避する,J男なりの方略であろう。
J男が,母親への拒否的態度をゆるめ,頻繁に納屋の方へ姿をみせる(#9
)のは, 「最近何も言わなくなった」(#6)母親の変化や,J男の冒険談を
喜んで聞く母親(#7)の変化とも対応し,その様ななかで,デビューレース
ge
のあと,父親に「ありがとうございました」と礼を述べた(坦0)ことは,J
男の内的世界に「新たな父親像」が育ちっっあることを示唆し,それについて
は第3章第3節でも少し触れた。
マスターソン(1981)は,偽りの自己が放棄されて真の自己が出現する過程を,
「分離・個体化が始まり,(真の)自己が徐々に現れ機能し始めると,患者は新
しい思考や願望,感情(個体化されたもの,すなわち自己表現)を広げていき,
それを同一化して現実の中で積極的に実行するようになる。そして新しい行動
を用いるために,以前の報酬型単位と病的自我の結びつきに背を向けるように
なる。その過程をたどることで,結果的に自己は強化されていく」(p124)と述
べているが,この「新たな父親像」は, 「自転車」をとおしたJ男の自発的な
個体化の過程のなかで生まれた「父親像」であり,J男の誇大な自己に応える
全能的対象ではない。J男の個体化を認め,無力な自己表象を修復してくれる
可能性をもつ「父親像」であろう。そしてそれは架空のものでなく,J男の家
庭内暴力という全能的な親操縦にも乗らず,破壊されず生き残った現実の父親
に裏打ちされている。このことは,J男が,全能感を放棄し,現実原則を受け
容れる方向に歩んでいることを,明らかに示唆するものと思われる。
4. J男に残された課題
J男に残された精神的課題は多い。なかでも,かつては自分の「誇大自己」
を支えたはずの「権威ある祖父」が,いまや「全き悪」として追放されたまま
になっている。心理的な祖父殺しは,祖父の脱理想化であることは疑いを入れ
ないが,これが対としての誇大自己も放棄し, 「自己の脱理想化を開始させる
ことによって息子(J男自身)を解放する」(プロス1985,p40)ことになり,
個体化の過程に入っていけていることにつながっているのか?あるいは, 「全
き悪」を祖父に負わせて,単に家族(恐らく「良い母親表象」と自分と)を
護っているのか?いずれにせよ,J男にとって一時的な適応的側面はあるにし
ても,祖父との部分的対象関係がどのように全体的対象関係になっていくかが
問われるであろう。
第二に,母親との関係。恐らく,かつてはJ男を「良い子」として評価し支
えてきた母親表象が,逆に現在では「べったりと情緒的接近をせまってくる脅
威の母親表象jとして,母親は締め出されている。母親との現実的な対人関係
の距離のとりかたを試行錯誤するなかで,両者が,呑み込まず呑み込まれない
心理的距離を見い出し,互いの内的対象表象を修正,統合し,対象関係をどう
修復していくかが問われる。
第三に,父親との関係。かつて父親は,関わりも少ない上に, 「祖父に従属
し,権威のない」対象であったかもしれないが,J男を縛る「偽りの適応」の
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外にあり,J男は父親の中に,母親の拘束を解いてくれて,封殺されていた自
然な個体化に応えてくれる可能性を期待しているかもしれない。実際現在の
父親は,J男の家庭内暴力の操縦にも巻き込まれず,追従しない強さを持ち,
「腹が立つ」と怒りながらも(#11),破壊されずに生き残り,抱え込む(ho
lding)「環境としての父親」(ウィニコット)の役割を果たしているかに見え
る。J男に「ありがとうございました」と言わしめた「新しい父親像」は, J
男の自発的な個体化の過程のなかで生まれた,恐らく自己対象としての理想的
な「父親像」であり,若い店員に命令されてJ男がそれに従う現実世界の系列
に属する「父親」につながり,やがて現実原則そのものを体現するエディプス
的父親となるべき父親であろう。J男が現実的な父親との関係で,現実原則を
どう内在化していくかが課題となる。
第四に,J男は現在,家庭内と家庭外とで違った自分を使い分けている。家
庭内に「悪」を押しつけている分,外の世界は理想化される。J男が,自らの
理想化投影によって,過度に依存的になっている外の人達との関係のなかで,
現実に根ざした失望と欲求不満を繰り返し,現実に調和した全体的対象表象を
形成すること。これは同時に自らの全体的自己表象の形成とも並行するもので
ある。
第2節 家庭内暴力の対象関係障害と発達促進的要因
1. 家庭内暴力の怒りの非論理性とエラボレイトされた操作性について
家庭内暴力の怒りや攻撃性が,かつての青年期の攻撃性にはみられた建設的
・創造的な性格,方向性,目標といった論理性がみられない「無能な攻撃性」
で, 「論理や言語によってコントロールされることが少ない」(福島1979,198
8)と言われたり,初期のころは精神分裂病と間違われるほど理解しがたい(稲
村1980,河合1982)ものとされたのは,一見したところの非論理性,不可解性
のためであろう。
例えば,J男の家庭内暴力においても,親は, 「何に対して怒っているのか,
J男自身も分かってないのでないか」,「いつまでも,責任をどうとる,と言
うのも・・どう責任とって欲しいのか,あの子自身も分かってないのとちがう
か,でもそこから出発しているから,そこへ戻ってこちらに腹を立てるしかな
い」(#5)と,捉えている。というのも,J男自身が,怒りの理由を,論理
的に納得できる形で,転たちに提示しない(出来ない)からである。J男は,
ただ, 「めし以外のことよう言わんのか。他に迷惑かけてきたこと,謝ること
あるやろ,そんなこと分からんのか」(#インテーク)と母親に突きつけ,伯
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母たちには「人の気持ちが分かるように,親たちの教育をしてくれ」(#2,5)
と述べるだけで,怒りの理由を論理的に説明しない。著たちにとっては不可解
なことでも,J男にとっては,怒りは,恐らく説明するまでもなく自明のこと
として,彼自身のなかに現’前として存在しているからであろう。親にとっても
子にとっても,まるで「始めに怒りありき」のごとくに,その怒りの源につい
ては,両者とも明確に意識化できていないかに思われる。このような怒りの不
明確さを生む理由として二つのことが考えられる。
第一に,家庭内暴力の怒りが,論理的な言語体系が形成される以前の怒りに
根を持つこと。従って,無意識的な衝動の発散としてのアクティング・アウト
という形にならざるを得ない。フロイト(1914b)は,「幼児時代のごく初期に
起こったもので,その当時は(幼児の自我に)理解されることもなしにただ体
験されただけであったが,その後になって(正長した自我が)それを理解し解
釈することができるようになった体験を(言語的な)記憶として呼び醒まさせ
ることはほとんど不可能である」,「彼はそれを(言語的な)記憶として再生
するのでなく,行為として再現する」(pp52−53)と述べ,幼児期以来の葛藤は,
言語化されず行動化される傾向があることを洞察したが,家庭内暴力の怒りに
ついても同様のことが考えられる。エディプス期以前の分離・個体半期での個
体化を封殺された怒りは,フロイトの見解どおり,言語的なものとはなりえな
いであろう。
第二に,個体化を封殺するやり方が,親自身もそれと気付かない,無意識的
で自己愛的だが,子どもを理想化した親自身の投影に基づく,しかもそれと気
付かないエラボレイトされた巧妙な馬下性をもっていたとすれば,操作を受け
た子どもも,やはりそのことに気付かないままに,封殺された自己の怒りは明
確な向け場を見失ったまま抑圧ないし分裂され,親に適応する形をとって「偽
りの自己」を形成していかざるをえない。つまり,抑圧ないし分裂された怒り
は,現前たる事実であるにもかかわらず,その怒りの動機にははっきり気付か
ず,論理的説明もかなわない精神状況に追い込まれる。なぜなら,情緒的混乱
を示す人達の常として, 「彼らが自分の動機を現実にr捉える』ことは非常に
むずかしい。・・(その)能力が彼らにあったなら,多分,患者にはならな
かっただろう。、・・彼らは自分の行為が自分にとってほとんど合理的なものに
思えるから,自分たちのいわゆる行動化は,探究する必要はないとさえ思って
いることもある」 (シンガー,E.,1970,p174)からである。
西園(1983)は, 「子供の病理に困りながら・■eしかも子供が自立すること
を無意識的に拘束している」家族内力動の病理性を指摘しているが,子どもを
拘束する「偽りの適応」の網の目を打ち破るたあには,上記の理由で論理的な
言語を使えない子どもにとっては,勢い暴力といった非常手段に訴えざるをえ
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ないことなのかもしれない。暴力の発動に寄ってしか,子を縛る親の拘束は解
けない,それほど親の拘束が強いと考えるべきであろう。なぜなら,親にとっ
ては, 「偽りの適応」は,多かれ少なかれ,子のために良かれと思っての結果
であるから,非常事態を目の前にしないと子の怒りの強さ,今までの適応の偽
り性に気付かないほどの「正当な論理性」をもっているものであろうから。
2. 対象関係の発達促進的要因について一二者期における父親の果たす
べき役割
J男にとって,「新しい父親像」が,「偽りの適応」や母親拘束を解き放つ
指針をもつものであるとすれば,牛島ら(1980,1987,1991a, b)の言う「前エ
ディプス的父親」の概念に近く,これを逆から言えば,何故その時期まで,父
親のそういう機能が働かず,母親拘束を延期させてきたかという,二者期(注.
プロス(1985, p3−7)にならって,二者期とはエディプス期以’前のことをいう。
従って「前エディプス的」と称されることは, 「二者期の」と同義である)に
おける父親の在り方が,一般的問題として取り上げられなければ,母親に対し
て公平を欠くものと思われる。
従来,発達心理学において父親の役割は,母親のそれとくらべると比較的軽
視されてきた。心理的障害の研究は,多くは,幼少期の環境や子どもが経験す
る母性性の質に原因を見つけようとしてきた。非行や家庭内暴力,不登校の研
究で, 「父親の(心理的)不在」が措摘されることはあっても,多くは,子ど
もの現実原則が育ってないこととの関連で,エディプス期(三者期)における
処罰的な父親の内在化の不全を問題にしている。つまり,三者期になって,初
めて理論の中に父親が登場する。このことは,障害における母親的要因を不当
に強調することになるばかりか,日常的に体験される事実と照らしてもおかし
なことである。何故なら,普通の父i親が,エディプス期以前の二者期において
も,子どもとの関わりを持っていることは明らかなことであるから。
マスターソン(1980)は, 「現代の精神分析研究者は,母子の共生的軌道から,
現実の事物や人物からなる現実世界に子どもを引き出し,引きつけるのが,父
親の最初の役割とみなしている」と述べ,二者期におけるマーラーやアベリン
(Abelin, E.)の父親の研究を重視し,紹介している(pplO−13)。要約すると,
母親像は,本来的にアンビバレントを伴う共生的二者結合体の内部から最初の
分離として発生し,一方,父親像は,まさに幼児が探索活動を体験しはじめる
ときに外部空間からやってくる葛藤のない対象である(マーラー一1965)。母親
との関係は,再接近期の間中,アンビバレンスで充満するが,父親は, 「非母
親的」空間を代表する存在となり,豊富な体験が父親とむすびつき,むしろア
ンビバレンスに「汚れない」親愛的対象となる。この父親像は,アンビバレン
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トな再接近期局面を十分に解決するために必要欠くべからざるものである(ア
ベリン,1971)。そして,マスターソンは,分離・個体無期における父親の役割
を,①等価性に汚されない対象として,母子共生関係から子どもを現実の世界
に引き出し,引きつけておく役割をする,②再接近期においては,母親の方向
へいく退行的力に対抗して,現実と個体化への力を伴う親愛的対象として働く,
③自己,母親対象父親対象の三者心像の形成に関与する,と総括して,これ
を自らの理論的基礎にしている。このことを逆から言えば,父親の果たしてい
る障害的役割も自ずから明らかになる。つまり,母子関係に本来的に付随する
共生関係の渦の中から,子どもを現実の中に橋渡しする機能は,二者期におい
て既に必要なものであり,この機能の不全は障害的要因になりうるということ
である。
アンダーソン(Anderson, R.,1978)は,二者期における父親が,処罰的で欲求
不満の対象でなく,むしろ両価的葛藤の伴う母親像より理想化され,母性的な
呑み込みの脅威に対抗して,子どもに力強い支持を与えてくれることを,早く
から明確に仮説したリーワルド(Loewald, H,1951)の説を紹介し,この仮説は
アベリン(1971)の観察とも一致し, 「(分離・個体化にあたっての)子どもの
必須課題が,精神内界において共生的な母親からの分離のプロセスをとおして,
個体化を達成することであるという事実から,これはまさに母親と子どもの間
の問題である,ということには必ずしもならない。それとは全く反対に,その
課題は,母子いずれにとっても,父親に頼ることなしには,達成不可能であろ
う」というアベリンの言葉を引いて,二者期における父親の果たすべき責任を
強調している(p385)。またアンダーソンは,青年期境界例や男女の非行青年の
治療経験から,彼らの家族布置の特徴として,父親の関わりの無さ(unavailab
ility of a father)と,母親との結合を保ったまま青年期に突入したこととを
臨床的に確認しており,家族関係が,三者関係のなかで成立せず,他者とは,
自己の延長かまたは反映(自己対象)といった「投影と投影性同一視を常に使
用することを基盤とした1関係であるとする。この母子共生関係は,幼児期の
最初の数カ月では正常で適応範囲内のものだが,この時期を過ぎて延長される
と,共生から寄生に移り,患者は「自分自身を偽装的とみなし,寄生虫のよう
に感じ,そのために自分自身を嫌悪するが,宿主から自由になることはできな
い。そうすることは,飢餓と死を意味するから」(p383)といった二重拘束状況
に置かれる。この共生的拘束を断つために,父親を治療計画に含めると,患者
の治療経過に著しい安定化をもたらすと述べている(p378)。
またプロス(1985)は, 「専門家としての生涯の大半を青年期過程の研究に捧
げてきた」と自ら述べ,二者期における父親と息子の関係を,一冊の書物r息
子と父親
エディプス・コンプレックス論をこえて』で検討し,従来のエ
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ディプス・コンプレックスのみに力点を置く発達論に意義を唱えている。プロ
スのこの研究は,リーワルドやマーラー,アベリンの考えと軌を一にしており,
「二者期の父親は実際促進者であり,彼は,母親とともに個体化の過程を活
発化し,最終的には息子にとり,ラプロシュマント期(再接近期)のあいだ,
(共生的母親の)さしまねく退行とせまりくる再呑み込みからの救済者となる
… この早期の父親経験は,(個体化のなされない状態への)退行の危機にた
いする・・生涯の保護者として役立っ運命:にある⊥(pp36−37),「異1生問題が青
年の関心の前景を占めるがゆえに,ともすればわたしたちは,彼あるいは彼女
の異性愛的な行動や思考や心像に,要するに性的な欲動やその昇華された表象
に焦点を当てがちである。けれども,こうしたおもてにあらわれた問題は,青
年の心において絶対的に優勢なものではない。まったく反対に,エディプス問
題以外のものが・・成熟しつつある子どもをかくも大きく占有している事実が,
わたしたちに・・重要なことを語っている」(p198)などと述べ,二者期におけ
る父親の役割と責任を強調しているのである。
第3節 家庭内暴力における素朴な疑問への考察
第一章2節で羅列した家庭内暴力における素朴な疑問を,以下の4つに整理
し,まとめとして,対象関係論的に考察してみたい。
1. 何故「ある日突然」か?まtc何故,思春期・青年期か?
鑓(1980)は,家庭内暴力の発現を, 「この子達をみていると『問題のない
ことこそ問題だ』ということを地で行くように思われる。家庭内の暴力はある
日突然起こるものである。・・家庭内に病理はあるのだが,気付かれないまま
なのに過ぎない。それが顕在化するには,思春期になるのを待たねばならない
のだろう」(p198)と述べている。
突然の挫折は,幼児期に内在化された全能的な依存対象からの独立がなされ
ていない証であり,幼児期の対象関係を,もはや社会的にも家庭内でも許され
ない時期まで引きずってきた結果である。福島(1981,1988)は,登校拒否も家
庭内暴力も「巣立ちの病」として一括し,これを別の言葉で言えば,発達課題
における挫折,親からの自立の失敗,学校・仲間集団などへの関与・参加の挫
折,社会化の失敗として,その原因を前エディプス的な葛藤と解している。思
春期の発達的課題に対応しきれず,巣立てない原因は,巣立っための準備性が,
これまでの成育史の中で培われておらずエディプス期以前の精神状態に固着し
ているということであろう。これをより鮮明に,青年期の重篤な挫折は,客観
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的に特定できる偶発的なアクシデントでもないかぎり,挫折すべく準備されて
きた「偽りの適応」の結果である,と考えるのは皮肉な見方だろうか。聞き分
けの「良い子」として育ってきた子が,何かの契機となる内的外的な挫折体験
があるにしても, 「突如」として具合の「悪い子」に変じるのは,成育史の中
で「良い子として適応」してきた「適応」のあり方の挫折であり,挫折という
事実を踏まえる以上,それはもはや適応とは言えず「偽りの適応」と言うべき
ものであったと言わざるを得ない。そしてこの「偽りの適応ゴには,それを
「適応」として支えてきた親子間の「関係の障害」と, 「偽りの自己」とを仮
定せざるを得ない。そしてこの「偽りの適応」「偽りの自己」こそ,年齢にふ
さわしい失望と欲求不満によって,放棄すべき誇大な自己表象と万能的対象表
象とをいつまでも存続させて,自己を現実に調和させていくことを妨げてきた
ものなのである。
では何故,然るべき眼で見れば,由々しき事態「偽りの適応」が起こってい
たにも関わらず,それに気付かれず持続したのであろうか?
子育てを悪意でする親は,普通,いない。善意と思って手を掛けたことが,
結果として行き違ってしまう。これは多かれ少なかれ,どの親子関係にも普遍
的に起こっていることかもしれない。フロイト(1914a)は,普遍的とも言うべ
き親の子どもへの理想化投影について,次のように述べている。「物優しい両
親が子供達に対してとっている態度を注意して見ると,その態度たるや,まさ
しく,つとに放棄された自己のナルチシズムの復活であり,再生にほかならぬ
ことが,必ずや,認められるのである。… 到底あり得ないような非常な完
全さが子供に備わっているとしたり,・・つとに放棄していた(ナルチシズム
の)特権を子供において復活しようとする傾向も生じる。・・子供こそまさに,
万有の中心であり核心であらねばならぬというのである。つまりr王なる赤ん
坊』というわけで,それはかって人(親)が空想していたところのものである。
子供らは,両親の叶えられなかった夢のような希望を実現せねばならず,・・
・(親のナルチシステックな)自我の不滅性は,現実からひどく痛めつけられ
るが,子供へ逃避することによって保全される。感動的な,しかし,根本にお
いては,極あて子供っぽい両親の愛情は,両親の復活したナルチシズム以外の
何物でもなく,このナルチシズムは対象愛に変ずることによって嘗ての本質を
紛うことなく暴露している」(p199)と。子どもの幸せを願う素朴な親心が,親
自身の不安から限度を越えると,子どもの成長のテンポを無視した操作性を帯
び,結果的に子どもの自然な個体化を損なう。親の理想化投影に,子どもが共
鳴し同一化することで,母子はユニットとして適応すると,それはお互いに防
衛としての意味を持っているため,気付かれずに持続する。親にとっては,子
どもを通しての,失われた親自身のナルチシズムの復活であり,自分自身の未
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解決の問題の解消としての子育てとなり,子にとっては,自己を個体化させれ
ば親の不承認や罰を得るので,見捨てられないように親の承認と関心を得るた
めの「偽りの自己」の形成となる。この「偽りの適応」は,この拘束の外にい
る者によって敢えて解かれない限り持続する傾向をもつ。そして,この「偽り
の適応」を対として支える全能的対象表象が,もはや誇大な自己を支えるに足
りない現実的事態(思春期ないし青年期の自立課題)に遭遇したとき,初めて
「適応」は一気に挫折せざるを得ない。なぜなら, 「偽りの適応」を維持する
たあに,個体化を犠牲にしたもう一方の自己が,事態を支えきるまでに育って
いないからである。‘
2. 何故「良い子」としての成育史をもつのか?「良い子」とは?「良い
子」 「悪い子」の極端な使い分けが出来るのは何故か?
何故, 「良い子」としての成育史をもっているのか?恐らくこの問いは逆で
あろう。 「良い子」としての成育史をもつが故に問題が起こる,と考えるのが
自然である。ここでいういわゆる「良い子」について考察する。
「良い子」は, 「偽りの適応」の結果としての「偽りの自己」であるとは,
単純に言えない側面をもっている。何故なら,以下に考察するように,「偽り
の自己(良い子)」の誇大性は,やがて危機に際しては,対象を支配し拘束す
る「悪い子」に変ずる可能性を持つからである。
即ち,発達的に言えば,親が子どもに向けた無意識的で,自己愛的な理想化
投影にたいして,子どもは,親に適応しないと見捨てられるため,自発的な個
体化を犠牲にして,それに共鳴し同一化することで偽りの部分的自己を形成さ
せる。これは親に承認され評価される誇大な「良い子」である。この適応を維
持するためには,必然的に,体験の希薄さから貧困化を被っている自発性や自
己主張は,さらに抑圧ないし分裂され,個体化を封殺された怒りと無力感に彩
られたもう一つの部分的自己が形成されている。後者の部分的自己は,親に
よって無視され拒否された無力な「悪い子」である。ところが,この「偽りの
適応」が破綻する危機に際しては,無能な部分的自己(抑うっ)が活性化しだ
すと,子どもは,既に考察したように,二つの防衛機制をとりうる。第一には,
この抑うっを軽減させるために,一方の誇大な自己表象を映し出す全能的対象
を追い求める,従順な「良い子」としてのしがみつき行動であるが,第二には,
無力な部分的自己(耳うつ)そのものを否認し,外在化させて,誇大な部分的
自己を護り活性化させて,対象を支配し拘束する「悪い子」になるのであるか
ら。
つまり,「偽りの自己」は,発達的には,先ずr良い子」として形成される
が,危機に際しては, 「悪い子」に変ずる両面性をもつものと言えるかもしれ
98
ない。結局,親子の対象関係における相互性が,親の子ども拘束を,逆に子ど
もの親拘束となって跳ね返していると言えよう。従って, 「良い子」「悪い
子」は子どもの使う防衛的機能にたいして名付けられるべきものであろう。そ
して,状況に応じての「良い子」「悪い子」の極端な防衛的使い分けは,全体
的対象関係のない分裂した「偽りの自己」の精神構造の下では,比較的容易な
ことであると思われる。
3. 何故,最:も親しい人物(母親)に照準した攻撃性と,同時に強い依存
性とを基調にもっか?
家庭内暴力が,本来なら,自分自身で取り組んで解消すべき課題を,家庭内
の最も親しい人物(通常は母親)を巻き込んで,激しい恨みや攻撃性と,暗黙
の強い依存的欲求を顕示していることは,よく知られた現象的な事実である。
他者への攻撃性は, 「無力な自己表象」を後景に, 「誇大な自己表象」を前景
にさせている。少なくとも,攻撃しているかぎり「無力な自己表象」とそれに
付随している抑うつは否認されている。また,他者への依存的行動も, 「無力
な自己表象」を彩る抑うっ感を軽減するのに役立つ。この異なる二種類の動き
が,抑うつを否認ないし軽減させるという共通の防衛的目的をもっということ
は,第3章3節2項でも示したが,このように,家庭内暴力を,「偽りの適
応」,誇大な自己表象が維持できない危機に瀕したときに, 「無力な自己表
象」や抑うっを否認ないし軽減させる防衛的活動としてとらえると,攻撃性も
依存性も統一的にとらえることができる。
危機を予知して, 「偽りの適応」,誇大な自己表象をなんとか維持しょうと
するとき,これまでの「適応」を対として支えていた最も親しい全能的対象
(母親)を援軍として巻き込むことは,自然の理である。だから極当初は,暴
力という形式よりも,苛々であったり,今までよりちょっと度を越したわがま
まであったり,まだ全能的母親対象によってなだめることのできるような出来
事が,それも「適応の範囲内」として起こっているであろう。J男の場合だと,
工事の音が気になるからという理由で,わざわざ伯母の家で寝起きを続けたり,
完成まじかの工事を敢えてストップさせたりといったことである。暴力が起
こっていなければ,これらの無理はとりたてて問題ともされず忘れられ,依然
と「適応」の範囲内で収まっていたはずのものであったにちがいない。
全能的対象表象は,誇大な自己表象と同様,いずれ, 「全能」で有り得ない
現実の到来に調和させて,徐々に放棄,修正すべき必然性をもつものである。
ところが家庭内暴力を呈する事例では,暴力によって「適応」が破綻する事実
を明らかにするぎりぎりまで,幼児的対象関係が持続するので,誇大な自己表
象がいよいよ保持できない限界の心的危機状況においては,巻き込んだ全能的
99
(母親)対象の共感不全にたいする欲求不満反応という形で暴力が発動される
ように思われる。つまり,もはや母親が,誇大な自己表象を支える全能的対象
になりえない現実的事態を目の当たりにして,自らの葛藤を当然の如くに対象
に押しつけることで母親を巻き込み,対象を支配することで自らの葛藤を支配
しようとする投影性同一視の過程がそれである。従って,巻き込む対象は,誇
大な自己表象を対として支えてきた最も親しい全能的対象である必要があり,
その攻撃性も,個体化を封じられた無意識的な怒りも含めて,共感不全にたい
するフラストレーション反応であって依存欲求と裏表をなす関係にあるのであ
る。
4. 家庭内暴力は自立の試み?周りを操作する手段?その目的は?何をや
り直している?
西園(1979)は, 「家庭内暴力には,■■両親の接近を停止させ,しかも,両
親を支配する無意識的目論みが存在するように思える」と述べ,この中に,家
庭内暴力の適応的側面をみようとしている。つまり,家庭内暴力が,暴力とい
う形で,特に「(不安をひきおこす)母親の情緒的接近」を釘づけにし,「自
己に関する感情の確認」を図り,自己を取り戻す試みである,ということを示
唆している。皆川(1991)は,提示した5症例の「どの子どもも家庭内暴力とい
う行動を通して両親へ,そして社会へ援助信号を出していることが理解され
る」と述べている。家庭内暴力が,たとえ,対象を巻き込み操作して,無力な
自己表象や抑うつ的葛藤を回避するためのアクティング・アウトであったとし
ても,その根底に,自立へ向かう試みや,援助を求める信号を読み取らない限
り,治療的な視点に立ったとはいえない。何故,家庭内暴力という非常手段に
訴えてまでして,無力な自己表象や早うつを回避しなければならないのか?そ
してそれは,自立にどうつながっているのか?を考察する。
既に見たとおり,無力な自己表象や抑うつの活性化は,誇大な自己表象とそ
れを支える全能的対象表象の破綻,即ち,個体化を犠牲にして今まで「適応」
してきた共生的な適応関係の破綻を意味するが故に,この破綻はアイデンティ
ティを根底から揺るがすものとなるであろう。よってこれを立て直すための非
常手段,家庭内暴力が,自立と依存をめぐる両価性に彩られることは避けがた
い。何故なら,たとえ「偽りの適応」であるにしろ,一旦手にした「適応」を
放棄することは恐ろしいことであるから,なお一層のしがみつきと離反との試
行錯誤が,交互に起こりうるであろうから。しかも「偽りの適応」の分裂した
部分的対象関係は,分裂と否認,投影性同一視といった原始的防衛機制を,容
易に働かせる。まさにこれは,分離・個体化過程における再接近期の再来であ
り,遷延されてきた真の個体化の入口に,初めて立ったと見るべきであろう。
100
プロス(1985)は, 「わたしが幼児期の個体化過程に明確に注意をむけたのは,
それが青年期の個体化を理解するうえで重要なものだからである」と述べ,幼
児期における個体化段階では,幼児は外的対象の内在化によって,表象の世界
を獲得することで「外的対象からの相対的な独立をなしとげる」が,青年期の
第二の個体化過程では,青年は, 「幼児期依存性を自ら脱ぎすてること」,つ
まり「内在化された幼児期対象(表象)からの独立」を達成しなければならな
いとしている(pp208−209)。これは青年一般に適用される発達的課題であるが,
その中でも特に,華々しく対象を巻き込み,操作的な非常手段を用いてしかそ
の発達的課題を試みることの出来ない,両価的共生的な拘束状況に身を置く子
供たちがいるということであり,その非常手段が家庭内暴力という現象である
と思われる。
IOI
旨
要
青年期の挫折といわれるもののなかでも,最も華々しい臨床像をしめし家中
を巻き込む,いわゆる「家庭内暴力」の先行研究を,第1章で概観したが,ど
の論者も,現象的な臨床的特徴としてはほぼ共通のものをあげ,それを理論化
する段階で相違が生じてきて,大きくは二つの立場,発現機制を,あくまで現
象記述的に経過観察的に捉えようとする立場と,現象を精神力動的に解釈する
立場とがあり,その原因論も,日本的な社会,家族状況を背景とした父性性の
欠如を重視する立場と,より早期の母子二者期にまで原因の根をさかのぼる立
場とがある。筆者はいずれも後者の立場をとり,この研究で論じたことの第一
は,家庭内暴力現象,即ち,①「良い子」としての成育史をもち,②問題は
「突如として」起こり,③攻撃が最も親しかるべき(母)親に照準され,しか
も依然と強い依存関係が併存し,④家庭外では「良い子」として適応可能な現
実検討能力は維持されている,といった臨床像が, 「スキゾイド現象」と呼ば
れるものに他ならないこと,つまり,対象と自己の双方にみられる分裂(spli
tting)を基礎とした部分的対象関係を呈しているということである。これは発
達的に言って,マーラーの観察記載した分離・個体化過程の「再接近期」の再
演であり,一般に,思春期・青年期が,第二の分離・個体化期と呼ばれる所以
でもある。
第二に,家庭内暴力が「反応性のもの」であるとしたとき,徴候の経過観察
は,治療的介入や親の態度といった周りの対応とセットに記述しないと意味が
なく,必然的に,現象を納得できるものとして論理的に説明することが要求さ
れるが,それを可能とするのが対象関係論であると思われるため,家庭内暴力
現象(その現実的な対人関係)を,内的対象(対象表象)との関係の反映とし
てとらえ,家庭内暴力の精神力動を,対象関係上的に微視的な防衛機制として
論じた。そして,なかでも,最もパラドキシカルで,初期には分裂病と紛う不
可解さをもっとされた,最も親しい(母)親を巻き込んでの攻撃性と依存性の
両価的な対人関係が,実は,理論的な必然性をもつ防衛的操作にほかならない
ことを,次の二つに分けて論じた。
つまり,危機に際しては,これまでの「適応jを「対」として支えてきた内
的対象のモデルとしての親しい(母)親を巻き込む必然性があり,全体的対象
関係の育っていない「偽りの自己」構造のもとでは,その巻き込み方は,分裂
を基礎としてはたらく投影性同一視等の原始的防衛機制のプロセスとして理解
が可能であることを微視的に示した。次に,家庭内暴力の子どものとる「良い
子」としての従順な依存的行動と, 「悪い子」として対象を攻撃支配する暴君
的態度とが,一見不可解で理解しがたい矛盾現象にみえるが,実はいずれもア
102
クティング・アウト(無意識的な衝動の発散)としての意味を持ち,いずれも
抑うつ様の両価的葛藤を回避するための防衛的(適応的)操作として,統一的
に理解が可能であることを論じた。これらの理解可能性は,クライエントとそ
の家族にのみ特異なこと(即ち,主体的な営みではどうしょうもないこと)が
起こっているという考えを排除し,現象を人間一般が体験しうる,従って共感
可能なものとして捉えることを可能にするが故に,治丁寧である関わり方の前
提となるべきものと思われる。
さて,章をおっての要点を記すと,第1章では,先行研究のまとめと,整理
した家庭内暴力現象についての素朴な疑問を提示した。第2章では,まず,対
象関係論的な考え方の基礎を概説し,分裂を中心とした原始的防衛機制にふれ,
家庭内暴力をスキゾイド現象として論じ,次に,正常な対象関係の発達段階を,
マーラーとカーンバーグを援用して,筆者なりの図式化と説明を試みた。そし
て,両価的葛藤に対する防衛操作のモデルとして,マスターソンの「境界例」
にみられる部分的対象関係を図式化した上で,防衛操作の基本となる二種類の
「自我の防衛同盟」に説明を加えた。また,子に対する親の自己愛的な理想化
投影によって,子が「偽りの適応」を余儀無くされ, 「偽りの自己」を形成す
るモデルとして,ウィニコットの偽りの自己,コフートの自己愛人格障害をと
あげ論考した。第3章では,登校拒否に随伴する家庭内暴力に悩む母親面接自
験事例の面接経過を記載し,前章で論じた理論モデルによって,J男(高3)
の成育史を, 「偽りの適応」による「偽りの自己」の形成史として分析し,J
男の精神内界構造の図式化を試みた。また,J男のとる「家庭内暴力」と「外
での良い関係」とが,いずれも抑うっ様の両価的葛藤を回避する防衛操作とし
て,統一的に理解が可能なことを論じ,母親の罪悪感,ひけめによる追従が,
投影性同一視としての家庭内暴力を成立,持続させる要因であることを指摘し
た。』そして,J男の家庭内暴力にみられる一連の行動を,大枠として, 「偽り
の適応」から脱出するために,母親の関与を遮断し(分離),個体化へ向かう
過程,として理解が可能であることを示し,その過程のなかで,個体化を促進
させるものとして注目される「新しい父親像」の出現を指摘した。第4章では,
まとめとして,J男の成長過程と残された課題を対象関係論的に総合考察した。
また,親の側の要因として,家庭内暴力の怒りの非論理性が,親のエラボレイ
トされた操作性と関連をもつこと,また,二者期の正常な母子共生から脱出し
て,子が個体化へ歩むためには,その発達促進要因として父親の果たすべき役
割があること,についてそれぞれ考察した。最後に,第1章で提示した家庭内
暴力に関する素朴な疑問に対して,筆者なりに,それぞれ答:えることを試みた。
103
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大野 裕(1990) カーンバーグ的な境界例治療の技法.季刊精神療法 第16巻
1, 2−8
小此木啓吾(1977)精神分析からみたうつ癒宮本忠雄編 躁うつ病の精神病
理弘文堂,249−279
小此木啓吾編(1979)現代のエスプリNα148精神分析・フロイト以後一対象
関係論至文堂
小此木啓吾(1980) シゾイド人間.朝日出版社
サンドラー,J.ら(1973)(前田重治監訳ユ980)患者と分析者.誠信書房
スィーガル,H.(1973) (岩崎徹也訳1977)メラニー・クライン入門.岩崎学術
出版
清水将之ら編(1983)青年の精神病理3.弘文堂
杉山信作編著(1990)登校拒否と家庭内暴力.新興医学出版
舘 哲朗(1990) 自己対象機能の提供とは一一自己心理学的立場からの降神
療法過程の理解について.精神分析研究,第34巻3,30−42
高橋義人(1979)思春期の家庭内暴力.臨床精神医学,第8巻8,47−52
氏原 寛ら編(1992) 心理臨床大事典野風館
山口泰司(1985) フェアベーンの「発達的」対象関係論理想Na625,173−188
山ロ泰司(1986) フェアベーン(1952)『人格の対象関係論』のあとがきと解説
文化書房博文社,380−402
山口泰司(1987) フェアベーン(1952)r臨床的対象関係論』のあとがきと解説
文化書房博文社,219−241
山中康裕ら編(1982) 現代のエスプリNa 175境界例の精神病理.至文堂
吉野啓子ら(1979)家庭内暴力.社会精神医学Vo 1. 2−4,553−560
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お わ り に
この論文をまとめるにあたって,J男君やお母さん,お父さんを,非情な眼
で客体化することの躊躇いを,何度か感じたことを述べておきたい。もとより
事例には,どんな理論や文章にも乗らない不可知な部分があり,ましてや筆者
の勝手な切り口では,とうてい窺い知ることのできないような複雑なものがあ
るのに違いない。理論的であればあるほど,理論に乗らない心理現象の機微は,
無意識的に削ぎ落とされているかもしれない。というより,センサーそのもの
にひっかかってこなかったかもしれない。だとすれば,筆者がここで述べた事
例は,恐らくは,筆者の中に表象化され創作された内的対象としてのJ男,母
親,父親の事例であったかと思う。
ともあれ,この事例からは,非常に多くのことを学びえた。大学へ通う往復
の車のなかには,いつも済んだセッションの母親との面接テープが流れていた。
どのセッションも10回は聞き直して,次のセッションに臨んだことになる。そ
れに,逐語録を起こしての,文字通りハードなスーパーバイズも得難い体験と
なった。
私の中にはすっかり身近になったものの,一度も出会わないJ男君のその後
の成長がどうなったのか,未だ追跡はしていない。イニシャチブはクライエン
トがとる,という原則からすれば,その必要もないのかもしれないが。そうい
う意味では,12回時間制限面接は,面接者にとっても,複雑な思い,何か淡
い悲哀感に似た感情を後に残すようにも思える。
最後になりましたが,他の事例も含めて,お忙しいなか,貴重なスーパービ
ジョンを戴いた指導教官,上地安昭教授に心からお礼を申し上げます。先生の
お宅にまで押し掛けて逐語録を届けたのは,確か一度ではなかったと記憶して
います。夏野良司助教授には,研究を進めるうえで,大きな示唆と励ましをい
ただきました。また,3回にもわたる中間発表では,内藤勇次教授,佐々木正
昭教授,渡邉満助教授,古川雅文助教授,安原一樹講師の諸先生方から適切な
指摘をいただきました。なかでも,佐々木先生に,研究室で研究テーマに関心
を示していただいたことは支えになりました。渡辺先生とは,教育と心理臨床
をめぐって楽しいお話の時間がもてました。また西出隆紀先生には,一方なら
ぬ支援と指導をいただいたことをここに記してお礼を申し上げます。
平成5年12月15日
木佐貫正博
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