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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
北上山地長坂地域の鱗木類について
Author(s)
橘, 行一
Citation
長崎大学学芸学部自然科学研究報告. vol.4, p.71-81; 1955
Issue Date
1955-02-28
URL
http://hdl.handle.net/10069/33366
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北上山地長坂地域の鱗木頬について
橘
行一
(第19回日本地質学会西南支部例会昭和29年10月17日発表)
1.緒言
日本の古生代陸生植物化石についてlj: 、大変研究が患くれていて現在不明の点が多いし)筆者
は1938年頃朝鮮の平壌炭田附近で植物化石の採集を行い、叉1944-45年にかけても北文の山西
省において炭田調香を行う機会を得て.層準と植物化石の関係について&種々関心を抱く様に
なってきた。たまたま1947年秋に岩手県東磐井郡東山村で古生代植物化石の某片の破片を多数
附着したものを採集したが.以後それらの層準・共存する海棲動物化石の内容・岩相にも注意
し、種々の方面より諏蚕を行ってきているものである。
その中で、 1948年5月に夏山部落の西方の山腹の粘板岩から得た鱗木の樹幹の一部について
は、 1950年学士院紀要にLeptophloeum cf. australe (Me Coy)及びCyclostigw.a sp.を発
表した。次に本地城一帯の「股地質の概要と共に、多数の蛇足類に主として基づい72:ものであ
ったが、その鱗木類の含まれる層準・時代について1952年地質学雑誌に述べて置いた。
勿論この中にTま鱗木類についても述べて置\Jlたが、紙軌て余裕がなかったので、多く触れる
事が出来なかった。そこでこLには鱗木類を中心に述べたいと思r-)。
なお日本の如き海成層に陸生植物の化石が産出する様な地域では、その層準についても海棲
動物化石の研究とあわせて考察する事が望ましいわけである。したがって、いわゆるSpirifer vsrneuili Murchisonの如き主要化石の再検討については.鱗木類の層準・時代考察の上
からも重要なので述べている。
・∴ ∴二告白j"->「∴i.V).、-'fiU'.'-TEU-. ii.:持辛・二二、\ニー∴:-7j一大昌江蝣a#
技に感謝の意を表する。
2.璃本類とこれ等を含む岩層・屠準
此の地域の隣木類は大別すると二つの層準に見出す事が出来るものであるから、 V,ま上位の
層準の鱗木と下位の層準の鱗木とに分けて説明をする。
上位の屠準の鱗本類:この鱗木の時代は明らかに下部石炭紀に属する。即ち日本vz:おいて
は下部石果紀の初期に既に鱗木類の存在していた事がこれで明瞭である。
この層準は筆者が唐梅館層と呼んで置いた主として砂質岩相の優勢な部分にあたるものであ
る。いま此の鱗木類の産出する岩相を見るに、野外では肉眼的に淡灰色一暗青色の砂質岩で、
-71-
粒度は比較的細粒のものから粗粒乃至一部礫質のもの迄ある。鏡下におv・て砂岩を観察する
と、砂粒は主とし七石英より成り、これに長石を少しともなう。石英粒は多少円磨されている
ものもあるが、多くのものは可なり角ばつているのが特徴である。そのほかイラィトと思われ
るものが可なり含まれ、繊維状で高い干渉色を示す。石灰質物は予想外に少い。
鱗木類は腕足類と全く混在して一つの岩塊中に産出し、これは明瞭な海底堆積物である。特
に層理のある部分に多いとか、一つの産出個所において植物化石のみまとまつて産出するとい
ろような事がない。これに対し腕足類の方はある種類のみ可なり纏まつて産出する事がある。
勿論椀足類を産出する箇所でも植物化石を産出しない事がある。併し腕足類の様な化石の見出
されない岩層には鱗木類も同様に見出されないようである。このほか海百合の破片を鳶びた買
しく含む黒色粘板岩がこの層準に随伴するが、これには植物化石ぽ殆んど発見されないし、又
海百合を除いては動物化石の産出する事も比較的少い。しかしこの海百合粘板岩が砂岩質の部
分に移過すると海百合の破片も少くなる代りに、腕足類その他の海棲動物化石が多くなり、植
物化石も含まれてくる。この様に細粒の粘板岩質の岩類には化石が少く粗粒な砂質岩の方に化
石が多い。時には礫岩の中の基質の部分にさえSノ吻go吻廓の様な化石を見出す事がある。
この層準の鱗木類ぽ今迄採集した限りでは小型の茎の部分耳かりで・二叉に分岐していた枝
を痔つてV・たと考へられる。この層準かタ)は既報の乙の≠砂hJo6%卿cf・砿5!7α」6(Mc(OY)
とした様な型の鱗木はまだ採集されない。この鱗木は平たく押しつぶされて居らすに、その茎
の部分の断面は円形である。まだ保存の良いものが見出されない。葉枕の部分は見られるが
翫07吻型のものである。これらに伴い往々にして茎の内部の髄の部分と思われるものが採
集され、縦に走つている細かい溝が観察される。
この層準の植物化石は産出個所によつては比較的頻繁に見出されるが一般的に言うと下位の
L6グoρhloθ%卿cf・砿s∫7召」8(Mc COY)を含む層準程多くは産出しな〉’。即’ちこの下部石炭紀
に属する層準の方が植物化石は少い。
下位の層準の鱗木類: 植物化石は細粒緻密な粘板岩中にのみ含まれ、粗粒の砂岩・礫岩或
は赤色岩類には全く見出されない。共存する他の海棲動物化石も同様である。植物化石はこれ
のみ単独で集積して産出する様な箇所はなく、すべて腕足類などの動物化石と混在して見出さ
れる。同じ化石の産出する箇所でも、粘板岩質の部分に化石が含まれ、砂質の部分にはない。
か』る点で上位の層準ゐ化石を含む岩相が砂質岩であるのと著しい対照を示す。
含化石粘板岩は肉眼的に暗黒色・細粒・緻密なものであるが・鏡下においては細かい石英粒
が基質中に可なり多く散在し、方解石の如き石灰質物が可なり含まれていて上位の層準の砂岩
などに比較すると予想外に石灰質である。
植物化石はこれに反し上位の層準よりも普辺的に・化石の産出する岩層には必す見出され、
部分的にそれ等の破片のみ可なり密集している事も稀ではない・特に葉片とか茎等の明らかに
一72一
鱗木類に属さない羊歯植物の破片を筆者は可なり採集している。叉往々にして属種不明の木本
性の樹幹の部分が含まれ、その部分のみ黒色の炭化した物質が附着して残つている事がある。
最も重要な鱗木類の中ではL6ク≠砂hJo昭窺d,側5!7認oとしたものは7箇所より産出した。
この産地には同一岩層中にすべて後述のいわゆるS〆71ル7∂θ7麗%沼M.とされて来たもの
が普通に見出される。従つてこの鱗木とこのSヵ〃がびは同一層準である。
尚筆者は鱗木の、童状・層準と関連して次の2点を先に明らかにしたが重ねて述べておく。
1) この時代の鱗木のみならず植物化石は、赤色岩類の分布している地域に比較的多く見出
される。夏山近傍の赤色岩類は夏山礫岩や砂岩を伴う。この砂岩は鏡下においても多くの石英
粒を含み、赤色物質を混在した時ぽ赤色砂岩と言つても良い様な岩相を示し、珪岩礫を含む礫
岩に移過している事もある。
2)小型のC卿,ro∫oθo伽が植物化石の混在している檬な海成層に多産する傾向がある。長
坂地域ではC伽070’oθ6h如,16〃040ヌ2がこれに相当する。この例はPilton b“,COomhola
grits,Lambin seriesとか北米のOswayO formatio濫等にも見られる。
鱗木について一この鱗木の特徴につきその後判ヨ月した事項を加えてその要点を纏めて見る
と次の様になる。
1.この鱗木ぽ化石としては樹幹の部分が最も多く見出され,長さ20⊃m位ゐものも産出す
る事が稀でない。
2。樹幹上にぽ比較的大型の葉枕が螺施状に排列し、形は菱形で、浅い溝によつて各々が境
●
されている。
3.葉兜は縦長ではなく、横の径の方が長い事がこの鱗木の特徴の一つである。
4.葉痕は葉枕の中央乃至それよりも一般的に上部に位置する。
5。葉痕の中央部には更にpit状のものが認められる事がある。
6・葉枕には上部の方に、葉枕を境する溝とは別にそれよりも深い明瞭な横に走る溝があ
り、この溝の中央部に浅い凹みが認められる。
7.樹幹の尖端に近い部分は二叉に分岐して細く極めて長い枝となり、葉枕は極めて細かく
不明瞭であるQ
8。樹幹の部分には葉が一般に脱落しているため、その葉がどのようなものであつたかは不
明であるが植物化石の中には長さ 2・5−3cm程の針状の葉の破片が可なり混在している事実
がある。
9・樹幹の部分との関係は不明であるが、いわゆるSρケがびび67泥μ薦M.を含む同じ岩層
中より、針状の葉の附着した若い枝の尖端の部分が採集されている。
]0・繁殖器官であると考えられるものが採集された。しかしこれについては今少し検討を要
する。
一73一
上部デボン系・下部石炭系から知られている鱗木類の他の諸属との比較
L6ρ」4066n470%について一L砂づ40吻”470%は上部デボン系に殆んど知られていない鱗木で・
あるが、稀には報告されている事がある。(ヂボγ一石炭両系の移過層には報告されている)。
しかし本属は下部石淡紀に入つてから急激に繁栄を始め、石炭紀にその頂点に達したもので・
あるか身)、大きく言えばこれは明らかに石炭紀を指示する属であると言える。そういう点で長
坂のこの鱗木が乙ゆ擢04齪47伽に属するものかどうかは時代考察上から見ても今後古植物学
的に検討を要する重要問題である。只筆者の現在の考から述ぺると、いわゆる通常のL6が4ナ
磁n47伽として知られている下部石淡紀型の鱗木とは大きく区別されるべき特徴を樹幹に関し
てぽ持つている様に思われる。前述の諸特徴の中で、特にL砿躍o漉雇〆伽型でない点を挙げ
れば、葉枕の部分である。ARNOLDも 乙ゆ40吻n47伽の特徴として先づ次の様に述べてい・
るo The vertical dimension d the low pyramidal leaf cushion is greater than惚e cross
diameter.これぽ他の下部石炭紀の鱗木である.乙θρ」404朋47砂sJsやS%616痺40吻毎70nにつ
いても知られてv・る。但し長坂産の他の化石類特に腕足類について見ると可なり変形をしてい
るので、地殼変動による葉枕の形のユガミと言うものも考慮に入れなければならない。しかし筆
者の調査した結果によると、V・かに変形されていても多数の標本を採集して見るとその本来の
形を大体推定する事が出来る。特に筆者は変形の度合の少い産地から長時日に亘つて採集を行
つた。すなわちこの地域ではN20。Eの走向で垂直に立つている岩層中の化石が最も変形の度
の小さいものである。この事は中生代未期の本地域で褄曲した地層に多数の節理をあたえた地
殼変動が最も変形に関係しているらしいことを示している。この結果このような岩層中から採
集したものの中には第1図に示したような型のものさえ発見さ
れている。即’ちLoヵづ4046η470κとい弓よりも 五6∫ノ40∫〃擁oε
型の部分がこの鱗木には存在している事がわかる。(元来鱗木
類は樹幹の根元の古い部分と尖端の若い部分とでは葉枕の形が
往々にして異なつているものであるから樹幹の種々の部分を必
要とする。)特にこの鱗木は前述のように樹幹の表面の部分が
印象として保存されているものが多く、変形が凹凸のある腕足
介の場合と比較して少いので、例え若干の変形は考慮に入れた
としても前述の特徴はこの鱗木の特徴として認めても良いと思
第1図Lθがoψh!o膨甥cf.
側s加!θ(Mc Coy).
特徴ある樹幹の一部を
示すo鳶ケ森習.Xl・
う。従つて今後の研究によつて大局的に見て房頁の磁n4プ伽に
属せしめる事が、樹幹以外の植物体の部分の調査から言える様
になつたとしても、少くも現在知られているLθμ404伽47伽
∂8〃履雁,L.∂oo配耀伽綴卿を始めとする下部石淡紀に特有
一74一
な鱗木類とは、現在の研究の段階に壽いても筆者は区別すべきものであると考える。
Loρ∫40カhJoづ05と長坂産の鱗木との関係を見ると葉痕の位置・葉枕の配列状態におV・て差異
がある。前者は葉痕が中央よりも下位にあり、葉枕も覆瓦状にならんでいる。但し葉枕の形状
についてほ共に横長である点で似ている。
又L6ρ毎0露%470カ5」5やS幼」6がdo46%47伽については前述の通りであるが、デボン紀の代
表的鱗な類である・470肋θ03づgJ〃α7∫αやP70!oJθ〆4040%47碗につV・ても、それらの葉枕や長
坂産の鱗木の樹幹が針状の葉を持つていたらしいと推定される点から明らかに区別される。
加ρ!砂hJo躍吻について一樹幹に関してだけ述べると、最も関係があると思われるのは
L6ρずoρhJo%別である。本属は北米のMaine州のPerry formationから報告され、その時代
は上部デボγ紀でDAwsoNが記載・発表をした。この鱗木はその後WHITE(1905)及び
KRAusELとWEYAND(1941)によつて詳細な検討が行われた。一方濠州の東部Queensland
から報告された鱗栢愈Loカ64046π470ηαπ3’7σJo(Mc(oY)であつて、CARRuTHERs(1872)
が詳細に記載して昆ρずoρhJo6%卿と関係のある事を述べている。この鱗木はWALToN(1927)
によつて明らかにL6ρ∫oρ〃o餌卿に属する事が確められている。この鱗木の時代はKR蓋USEL
とWEYLANDによると上部デボγ紀∼下部石表紀γである。本属にはL.7ho励¢6%吻DAwsoN
及びL.倣ε∫7α’6(Mc COY)の2種のみ・が知られているが、この両者の区別は葉痕の位置の
異なつている所にある。
長坂産の鱗木はこの両者の中でも最も近いものとして比較出来るのは樹幹に関する限り
L8カ!oρ〃oθ%溺砿s加」θ(Mc CoY)であつて、これについては1950年の発表以来、現在にお
いても変りがない。葉痕の位置や、葉枕の形状更に葉枕の上方部に横に走る溝の存在する事等
は良く一致して居り、他の鱗木類には見られない特徴である。只問題は樹幹以外の植物体の部
分、例えば葉について言えば、L.7ho〃窺伽卿にしてもL.砿3加」6にしても葉がどの様なも
のであるかは良く判つてV・ない点である。(尤もDAwsONは針状の葉の附着している図を示
’したがK麟US班及びWEYLANDにより疑問視されている。)そのために現在葉については
長坂産の鱗木との直接の比較をなし得ない。一方長坂産の鱗木については、そのsporophy11の
部分のいわゆる丁字型の小葉片の存在について筆者は問題が残されていると思う。この様に
樹幹以外の部分についてはまだ直接の比較左なし得ないが、多くの鱗木類は長坂産の鱗木の場
合と同じく、樹幹の部分が最も多く採集され、樹幹によつて識別・記載されているのであるか
ら、現在の段階では樹幹の特徴に先づ重きを置くべきであると思う。この点で筆者は 琵μo一
ρhlo躍吻cL側s!〆αJo(Mc COY)と一応して置く次第である。
3・いはゆるLoμoρhJo6耀cf、鰯!7α」θ(Mc COY)の時代
上部デボγ系及び下部石淡系の植物化石には鱗木類を始めとして汎世界的に共通な種や厘が
世界各地から報告されている例は少くない。L6灘046掘7伽∂6”h86溺6、L.α‘躍6召加n、 L.
一75一
001た〃2醐η6伽%別等は著名なものであり、梢々特珠な例としては、S麗61の」4046綴〆0η痴7θ乙∫」6
はSpitzbergenのUrsa Stufeからも隣邦中国の烏桐砂岩(最下部石炭系)からも知られ、
L6餌4046%470ρs♂5(!)E♂7アn67づもドイソ及びアメリカからも共通種として報告されている・
・躯o肋ooク!67おの場合も同様である。こ.の様に遠隔の地域の間に共通な種・属の産出している
事実がある以上、長坂地域の植物群のみによる対比も今後不可能とは言えないであろう。只現
在の段階では、上部デボン紀一下部石炭紀植物群の報告が動物化石に比較して少く、例えばクル
ム植物群と言つても大半はViseanのもので、それより古期のToumaisian以前になると益々
報告の少くなつて行く傾向がある。そのために長坂地域と植物群による比較をし得るような材
料がまだアジア地域全体を通じて見ても多くない・
そういう点で華南地域の烏桐砂岩の植物群は極めて重要である。この砂岩層は上部デボン紀
に属するものと従来考えられていたが、この中に含まれる植物化石は石表紀型であつて、現在
最下部石炭紀(Etroeungtian)のものとされている。この中の鱗木で注意すべきものとしては
Lθ〆4040屈70%吻励〃6NATHoRsT、L.」66伽%n2GoTRANandSzEが含まれているが、長
坂の鱗木はこれと全く異なつている。かように近接した地域にありながら、最下部石淡系の烏
桐砂岩のものより古期の上部デボン紀型の鱗木を長坂で産出している事はその時代を考察する
上に重要なものである。
〆
第2図
凸
長坂のLεヵ’oφ〃oεπ翅cf.
《:2.
母
απSケo如型の鱗木の分布、
ノ
)く乳
何れも最上部デボン紀層か
’
φも
9
ら産出する。
鞠
o げ
次に既述のオーストラリア地域を除いて、アジアにおいて長坂のL.cf.砿ε加16に関係が
あると思われる鱗…木はシベリア地域から若干報告されている。OBRUTSHEWの著書に述べられ
ているKirgis地方の上部デボγ系からの加が4046綴70κ昭o1加卿UNGERやNEIBURGが
註1。JoNGMANs(1954)は、下部石炭紀の初期1こ世界的:こ著しく繁兼したの隊Lgρ’404飢伽oφsfs
植物群であると述べている。
一76一
加汐!o動loθ%吻伽5!7召16(Mc CoY)としてBalkhash地域の上部デボン系から報告したもの
等がこれ,であるが残念にも図版及び記載を示していないので、検討して比較する事が出来な
い。只それ等の鱗木が何れも海成層に産出し、その岩相とか層位的位置が長坂の場合と非常に
良く似てv・る点で興味がある。しかもこれ等は種名から見ると石炭紀型のLoグ40磁屈70nで
はないと思われる。少くも、か』るL.微s惚16型の鱗木が長坂以外の地域でも見出されてい
る事は明らかであるが、又その様な鱗木を含む地層が何れもデボγ紀終末期頃の時代を示して
いる事は長坂のL.cf磁s加陀の時代考察上一つの材料になると思われる。
かくして、未だ比較すべき報告が多くないが,それにもか』わらす・長塚の鱗木の時代は古
植物学的方面のみから考えても、矢張リデボγ紀末期か下部石淡紀の初期あたりにその時代は
落’ちつく様である。
尚SEwARDは、Spitsbergenの上部デボγ系か彦)のB酩867伽sp。アフリカの下部石炭系
からのL6が40磁舷70κ倣s∫7認6McCoY、Thurillgenの下部石炭系からの五〇∫i4046磁70η郷一
≠伽卿UNG盤,KRASsERが支那から報告した乙6翅046屈7痂sp。等の鱗木を何れも五6が404一
齪470%α%5≠7α」θMc CoYとした。しかし、これらはK硲us肌及びWEYLANDによつて否
定されている。筆者もそれ等の樹幹ぽ長坂のLの≠o抑lo昭%2cf側5∫7α16とも可なり異なつて
V・るものと考えている。
4・鱗木類に共存するいわゆるSカ〃碗7∂卿o%漉MURCHISONについて
鱗木類の時代と更に marine fauna より検討する場合に問題となつてくるのは S力師ノ67
∂θ7n召%”6MURCHlsONであり、これと関連しているデボン系の上限に関する問題であるQ長
坂のこのS汐〃が酬にはMississipPianにも知られる型の種左伴なつていることは既報の通り
である。筆昔は先に主としてヨー・ツパと対比・時代考察を試みたが、日本と古地理的にも無
関係でないアメリカ西部の・ツキー山脈地域のヂボγ系上限に関する智識も近年著しく加えら
れて来て居るので、問題のある長坂のS鋤漉プσ67吻π漉M.と共に、これらの諸点に関し述
べたい。
北アメリカのデボンー石炭両系の境界として古くより問題があるのはColoradoのOuray
石灰岩である・この石灰岩の下半部は、KINDLEによると、⇔7ごos〆7師67磁伽の」(HALの
を含む上部デボン紀型のフォーナーを有し、上半部の方はMississipPian型のオォーナーを含ん
で》丁度長坂の鳶ケ森層群に比較され得るようである。そしてこの下半部の時代が特に問題と
なつて来たのであるが、従来はCノ〆io3ρ’7加7励伽6ンづを含むたダ)に一般にKINDLEに従V・、
上部デぎン系の最上部に置かれていた・しかるにSTAINBROOKはこのフォーナーと同一のフォ
註2CooPER(1954)は最近Perchaフオーナーの時代について言及し、CRIGKMAYの見解と同じ
くクリメニア、腕足類よりデボン紀に属するものであると述べているっ
一77一
一ナー左有するPercha shale(New Mexico州)の腕足類を古生物学的に再検討して、この
デボソー石炭両紀の混交フォーナーを有するものは最下部石炭紀に属すると結論した。(2)そ
の際C”03力師彦7ωh伽砂」(HALL)とされてv・たものをC論歪泥」6∫・STAINBRooKに変更
し、C.ωh∫∫紹y∫がMississipPian迄存続しない事を明らかにした。しかしCフ7≠03汐〃加7と
いう属は古生物学的に調らべてMississipPianにも存在する事を述べ、この上に立つてPerc−
ha shaleの時代を論じたのである。C”os/」7旅7に対するこのような見解は従来広く承認さ
れて来たものであるが、その一つの原因は本属を創設したNalivkinの挙げた特徴が梢々厳密
さを欠いていた事にもよる様である。筆者も既報の論文中で、長坂のいわゆる助ケ施7
∂θ7紹%耀M.につ〉・てその特徴を簡単ながら述べた際に、このSが7が67はC鍔オosρ67が07に
属するものであると述べたが、これはNalivkinの見解に従つたものであつた。
しかるに1952年に、カナダのAlberta州を中心としてデボン系を調査していたCRlcKMA
はこのCツ7ず03ρ切ル7を古生物学的に層位学的にくわしく調らべて重要な研究を発表した。即
ちこれによるとSTAINBRooKがMississipPianに及ぶとしたC銘Jo3汐27舵7は古生物学的に
本属に属すeるものでなく、“The long,thin,curved,subparallel deユtal lamellae o歪C。々魏4」6∫
are typical of Cy71∫oρεづ5.”であると述べた。そして従来C鍔∫03が7がθ7に入れられて、時代
を考察する場合の根拠となつていた多くのもの、例えばC.甥o廊60彪(HAYNES)、C.απ紘一
α3θ勉3♂3(GIRTY)、C.汐07惚MERRIAM等の上部デボγ系の上部に存在してV・たものの多く
はCッ7ガ砂sおに属が変更された。
CoOPER も Cy7∫03ρ57が67漉sブ㈱oずπεという種名が厳密さを欠いてこれ迄用いられて来た
事を認め、更1〔“the name probably should not be used for many post−Chemung types
now plac配here”と述べている。叉Cツ7∫05カ67が67の摸式種である所のChemung産の
Sρかが674∫3ブ観6!郷の図示せられたものを見ても、5TAINBROOKのCy7103グ7漉7としたも
のと異なり、細くて長〉・dental lamellaeを持つていなV・。
CRICKMAYは古生物学的にC鐸∫osρ師ル7を区別したのみならす、層位学的にも本属は
Frasnianを指示するもので、従来言われて来たようにMississipPianに及ぶとしたものは誤
である事を明らかにした。従つてMississipPianの地層からのいわゆるC,曜os戸∫7∫ル74∫s勿一
7zo伽5と言うのは、再検討の必要がありこのCRICKMAYの研究は鳶ケ森のV・わゆるSρ∫7旋7
∂6薙6痂」6MURCHlsONにも関係があるものである。
鳶ケ森のS汐ケ舵7∂o耀%漉M.とされて来たS汐か漉7には少くも2種類のS鋤塘7が吟
る事は既報の鳶ケ森層群についての論文の中に述べて置いた所である。この中で問題のSμ〆一
が67∂67惚%漉M.と筆者がしたものは、比較的大型になるSが7旋7で、腹殼の内部には、長
く且略々平行したdental lamellaeが良く発達し、殼表面には微細な条線が極めて明瞭に発達
一78一
しているものを称した。これに対して他の一つは、比較的小型のSμ7がげで腹殼の内部構造
も殼表面の特徴も前種と異なつているもので、一応こ」ではSが〆づ∫67∫06づ8畝07伽3ずs NODA
et TAcHIBANA(MS)として区別して置く。扱筆者のSρ∫7施7767紹%〃歪M・として来たも
のについて再検討するに、これがC鍔’03館漉7に属するものであるか否かは上述の点から
疑問であつて、寧ろ鳶ヶ森のこのS汐27が67がC鍔’03グ7が67よりもCRICKMAYのC鋼ず20一
ρsおの方に属し、特に短かいpalintropeを持つたC鍔!づo’sづsακ紘θ56郷∫3のgroupの中
に入るように考えられるものである。この点については既に前記論交中にPerぐha sh2・1eのあ
るもの(C.々歪n416歪STAINBROOKを指す)に似ている事を筆者は述べて置いた事がある。筆
者ぽ矢張り、CRlcKMAYが詳細に研究して検討した如く,C”ず03が7」膨74づsブ観6∫%s(SowE−
RBY)(イギリスの一部やアメリカでは本種名を普通用V・て居り、C。∂θ嬬6%∫1’。(MuRcHIsoN)
と同じものである)は層位的にも古生物学的にも今后もつと厳密に区別して用いらるべきであ
ると思う。
これらについては、筆者が野田光雄博士に協力して調らべたものであつて、この結果より見
て鳶ケ森のS〃〃が67∂67%6%〃づM.とされて来たものはCy7ず03が短幽7に入れすに、S〆〆2喪7
(Cy漉oρ3づs)”66歪NoDA et TAcHIBANA、IMS)(3)として区別して置きたいと考えている
次第である。
次にこのSが7漉7の層準、即宰)前述の昆グoρ〃06%溺cf。昭3!7α」6(Mc COY)の層準が、
今度はヨー・ツパ方面でなく、アメリカ西部地域のデボンーミシシツピー系の大体どの層準あ
たりのものと比較されるものかと言う事を考えて見ると、Montana州のThree Forks shale,
前述のOuray lime3toneの下半部、Nevada州のこれ迄Devils’Gate Cy7ガ03が7が67zoneと
されて來たもの等の層準に略々相當するものであらうと思われる。これらの層準には何れも長
いdental lamellaeを持つたC鍔蜘ρ3づ3が豊富に産出している。
時代については先の鳶ケ森層群について報告した際に、この層準は上部デボγ系の最上部に
置かれる事を一応結論として筆者は出して置V・た。CRICKMAYはC鐸ずfoρsJ3απ加αε6n3お
zoneが上部デボン系の最上部を指示すると述べて居り、層位的にもMississipPianを特徴づ
けるKinderhookian faunaはこのC”ずJo♪3∫3zoneの上位から始めて著しくなつてくる事が
明らかにされているから、この様な点でも鳶ケ森層群についての筆者の場合と大略一致してい
る様な結果を示しているのである。これ等はしかし今后更に層位的にフォーナーの上からくわ
しく検討して確めて見る必要があると思われる。
註3 本踵1よ‘‘Tachibana K l953.On the Occuτrence of P〆04πo伽sπ%吻翅%Zαバs(WINσH肌L)
from the Late Upper Devonian of JaPan”のPlateのFig・11及び12に図示してある・
巻末文献参照。
一79一
要
約
1。岩手県東磐井群長坂近傍から筆者が今迄採集して来た鱗木類について述べた。
2。一本地域の鱗木類は2層準から発見され、上位のものは疑もなく下部石炭紀の鱗木であつ
て、日本近傍にも下部石炭紀の始め頃鱗木の生育している所があつた。
3・本論文で主として取り扱つたのは下位の層準の鱗木で、欧米の下部石炭紀以降に主とし
て繁栄した馳翅04卿47伽とは異なつた特徴を持つている。
4。この鱗木に比較出来る様な型の鱗木ぽ大体最上部デボγ紀か最下部石炭紀と考えられて
いる地層から知られている。
5・樹幹に関する限り、現在知られている鱗木類の諸属の中で一番近い属は五の1oρhJo6襯
である。
6・この鱗木と共存するS〆7旅7∂67紹%沼M.を検討し、動物群の方からこの鱗木の層準
及び時代について考察した。
7.鳶ヶ森のいわゆるSρ加ル7∂6耀%漉M・は多数の標本によると吻螂認1α耀〃磁が長
くこれらのSμガル7については野田光雄博士と発表の予定である。
8.鳶ケ森層群ぽCoJo7040州の0躍砂石灰岩に相当する。この様に下半部に上部デボン
紀型、上半部に下部石炭紀型のフオーりを含む例は.醒”0κ6645にも知られているQ E!706一
瑚9!6副の如き移過層の存在と関連して、鳶ケ森層群の如き地層が他にも知られている事実
は、両系の境界に関する問題を考察する上に注意を要する点である。
9・現在の一応の結論として下位の層準の鱗木の時代はデボγ紀末期のものと考えて置V・て
良い様であるが・その確実な根拠として,今后更に古生物学的に層位的に多数の採集した化石
について研究を必要とする。
一80一
On the Lepidodendroid Plants from the Nagasaka District,
Kitakami Mountainland.
(Abstract)
K. Tachibana.
In 1947, the writer first collected a Lepidodendroid stem from the slaty rocks char
acterized by the so-called Spirifer verneuili MURCHISON, and described two species.
namely Leptophloeum cf. australe (MC COY) and Cyclostigma sp. in 1950. In 1952,
he published the paper on the stratigraphy of the uppermost Devonian and lowest
Carboniferous of this district.
In this paper, he, based on the material hitherto gathered, dealted with the Lepid
odendroid plants and their horizons, and discussed the morphology and age of the
so-called Spirifer verneuili M. of Tobigamori found accompanied with Leptophloeum
cf. australe (MCCOY). As aresult of this, it is concluded that for the present, at least,
the age of Leptophloeum cf. australe is latest Devonian.
引用文献
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Acad., vol. 9, No. 9.
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Merriam, C. W., 1940 : Devonian Stratigraphy and Paleontology of the Roberts Mountains
Region, Nevada, Geol. Soc. America Spec. Paper 25.
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Jour. Paleontology, Vol. 21, No. 4.
Tachibana, K., 1950 : Devonian Plants first discovered in Japan. Proc. Jap. Acad., Vol 26,
No.9.
Crickmay, C. H., 1952 : Discrimination of Late Upper Devonian. Jour. Paleontology, Vol. 26,
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橘行一、 1952:北上山地長坂地域の鳶ケ森層群について(其の--其の二)地質学雑誌58巻.
683-684号
Holland, F. D., 1952 : Stratigraphic Details of Lower Mississippian Rocks of Northeastern
utahand Southwestern Montana. Bull. Amer. Assoc. Petrol. Geol, Vol. 36,.
No.9
Tachibana K., 1953 : On the Occurrence of Prodiictus Nummulans (Winchell) from the Late
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