Comments
Description
Transcript
10月号(No.311)
ていよう 綴葉 '12 10 No.311 あなたが創る生協の書評誌 ▶ 話題の本 伊藤計劃・円城塔著『屍者の帝国』 高野史緒著 『カラマーゾフの妹』 特集/不気味なもの ( ) 「乙女の心と秋の空」 新刊コーナー/新書コーナー/私の本棚 恋愛小説でたどる オウムとはなんだったのか 〒606-8317 京都市左京区吉田本町 Tel:771-6211 / E-mail:[email protected] 綴葉HP: http://www.s-coop.net/about_seikyo/public_relations/ 京大生協綴葉編集委員会 話題の本 ラードに触れながら「テクノロジーは我々の心の中にある」と語っ 雰囲気、と書いたが、伊藤計劃はまさしく僕らの時代の雰囲気の 体現者であったように思える。かつてスターリングは、J・G・バ 死者が遺した最後の「プロジェクト」 屍者の帝国 た。伊藤計劃の魅力は、そうした内面化されたテクノロジー――僕 らを貫き、僕らを内側から織りなすテクノロジー――を、当のテク ノロジーによってまさに解体されつつある〈人間〉の声という形で のようなものがあって、そこに苦手意識を抱いていたのだ。 いてあまり惹かれなかった。日本SFにはいわく言いがたい閉塞感 けていた。手を出すのは海外作家が主で、国内の作家には一部を除 かニューウェーブとサイバーパンクの洗礼を時代錯誤的にくぐり抜 確な地図も持たないまま闇雲に読み進めているうちに、いつの間に のだが)を倦厭して、イーガンやチャンから入門し、ジャンルの明 の古くささ(今思えばそれは僕の浅薄さが見せる幻にすぎなかった 響もあって、SFというジャンルを意識的に読み漁っていた。古典 本書の著者である伊藤計劃と円城塔のデビュー作が刊行されたの は二〇〇七年、僕が大学に入学した年だった。当時、僕は周囲の影 世を去ったともなればなおさらだ。 自分がその作品から多くを受け取った作家について語ることは難 しい。その作家が、自分と同じ時代を生きながら、自分よりも先に がともかく、彼が企てた「悪ふざけ」は円城塔の手で我々のもとに 寄せていた「戦争」も本書では描かれない。読み返すほどに「もし もちろん、苦心のあとが見られないわけではない。伊藤計劃の絡 みつくような叙情的な文体は捨て去られているし、彼が強い関心を 味しても、この作品が傑作であることは疑いえまい。 れ、膨大な情報量が読者を圧倒する。作品の成立事情の複雑さを加 キュレイティブ・フィクション)」。史実と虚構の登場人物が入り乱 人間を巡る壮大な思弁。単なる偽史を描くのではなく、歴史の を If 利用して現代社会の本質を逆照射する、掛け値なしの「SF(スペ そして本書である。ギブスン&スターリング『ディファレンス・ エンジン』が試みたような、歴史を実験場にした、テクノロジーと めの空隙を確保してくれる。彼の作品の切実さはここにある。 らがあまりにもぴったりとはめ込まれた〈今・ここ〉を見据えるた 伊藤計劃・円城塔著 河出書房新社 偏った趣味を持つ人間の、偏ったジャンル認識にすぎない。しか し、僕が感じていた閉塞感はある程度一般的なものであったように 届けられた。その事実だけで十分であるし、その事実だけで読者と 切実に響き渡らせたことだった。彼の作品は、現代の日本という僕 思う。そして、僕と同様の雰囲気のなかにいた読者は、伊藤計劃と 0 0 0 も伊藤計劃だったら」という思いがよぎることは否定できない。だ いう作家のなかに、SFのヴィジョンを更新する新しい可能性を感 しての感謝に足る。本書の二人の著者に最上の感謝を。 (柚木) (四五九頁 税込一八九〇円 月刊) じ取ったのではないだろうか。 8 2 話題の本 兄弟のそ の 後 カラマーゾフの妹 高野史緒著 講談社 テリー小説としてぐっと面白くなるのにといろんなところで残念に 思う。解釈にもやや偏りが目立つように思えて(本編を読み通せて いない私が言える立場ではないけれど)、本格的な続編を読むとい うよりも原作ファンの同人誌を読む気持ちでページをめくった方が 一番楽しめる。そう、「同人誌」つまり原作への作家の愛を感じな がら、本編では見たことのなかったカラマーゾフの兄弟たちの姿を 視る。作者の解釈が本編から派生したもののひとつであって、元の も成功した試がなかった。そして、その悔しい想いを私は今でも引 きなかった。初めてこの本を手にした高校時代から何度再挑戦して うなものである。長たらしい文章がキライな私は読み通すことがで もちろん、私の本棚にも入っている。入ってはいるが、お飾りのよ 計に際立ったのもまだ事実。この危険性を承知した上での挑戦だっ る。しかし、偉大な原作に挑んだからこそ、惜しかったところが余 からである。原作が偉大なだけに、苦戦したことは安易に想像でき ついつい辛口になってしまったが、歴史改変作品で経験豊富の作 者ならもう少しうまく処理できたのではないかという期待があった ﹁同人誌﹂を求む 脱 作品の世界観を左右するものではないということが前提である。 き摺っている。だから、『カラマーゾフの兄弟』の続編に当たる小 たと思うが、課題をクリアできなかったのが実に惜しかった。敢え 「本の虫」と自称する人なら、かならず持っていなければならな い一冊、あの有名なドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』。 説が出たと聞いた時、ワクワクしたものだ。 説に仕立てた時点で、この人以外いないだろうと思いながら読む作 人に関しても、ミステリーの王道をよく踏んでおり、ミステリー小 思う読者が大勢いても不思議なことではない。さらにいえば、真犯 解決の殺人事件が起こっていたのだから、真犯人は誰なのか疑問に 本書がミステリー小説として書かれたことが高く評価されている ようだが、その点に関してあまり新鮮さを感じなかった。何せ、未 い。私のような嬉しい裏切りを求める読者を唸らせてくれ。その時 しいものだ。「歴史改変」と「同人誌」の差をぜひ見せつけてほし ら、これからはより柔軟で斬新な改変を臆することなく駆使してほ られた感じが否めない。発想や着目点に関しては文句なしなんだか ろうか。今のところ、大胆さに対する評価によってかろうじて助け 部分が甘い。「同人誌」の印象もその処理の甘さ所以ではないのだ ていうならば、タイトル選択に関しては大胆なのに、肝心の改変の 品である。キャラクター作りは非常に興味深いが、重要な謎に関し 3 ミステリーとしての﹃カラマーゾフの兄弟﹄ てはすべて登場人物のもつ心理的病気によって済まされたせいか、 こそ高野史緒という作家が輝くだろう。 (あずき) (三三二頁 税込一五七五円 月刊) 人間ドラマの味わいが薄く感じてしまう。もう一捻りがあればミス 8 2012. 10. 10 綴 葉 〈特集〉 不気味なもの 読者の皆様にとっての不気味なものとは何でしょう? 幼い頃に耳にした恐怖物語、 目を覆いたくなるほど醜い怪物、はたまた作り物の生命がもつ無機質さ――今宵ご覧に 入れますは、そうした〈不気味な〉イメージの数々。異形どもが跋扈し、人形たちが踊 り狂い、現実と非現実のあいだで目眩する、不気味なものの世界へようこそ。 (柚木) 文学・批評︱︱﹁わたし﹂を脅かす不気味なもの マ ン の 代 表 作「 砂 転」では女家庭教師が子ども達を誘惑する幽 ンリー・ジェイムズの『ねじの回転 デイジ ー・ ミ ラ ー』( 岩 波 文 庫 ) の 中 編「 ね じ の 回 ウスに住む不気味な住人が描かれる。文豪ヘ る『 ラヴ ク ラ フ ト 全 集 1』( 創 元 推 理 文 庫 ) 収録の「インスマウスの影」では、インスマ 文学で不気味なものと言えば、ホラー・幻 想小説は外せない。クトゥルー神話で知られ もたれた向きは是非図書館で。 男」が収録された『 ホフマン短篇集 』(岩波 文庫)は残念ながら現在絶版である。興味を の『黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデ リ 』( 光 文 社 古 典 新 訳 文 庫 ) で あ ろ う。「 砂 店で気軽に手に入るホフマンの著作は短編集 を指摘している。書 彼の作品に不気味な 男」を主に分析し、 霊と対決する。本当に邪悪な幽霊が現れてい ﹁ 不気味﹂な小説 るのか、全てが家庭教師である「わたし」の また、この『ドストエフスキーと父親殺し /不気味なもの』の訳者である中山元は解説 ものが横溢すること 妄想なのか――解釈は読者に委ねられている ようだが、どちらも不気味さを感じさせる。 で、フロイトの示唆を推し進め、アニミズム 文社古典新訳文庫)に収録されたその論考で なもの」という有名な研究がある。『 ドスト エフスキーと父親殺し/不気味なもの』(光 そうした文学を念頭に置きつつ、「不気味」 を分析したものとして、フロイトの「不気味 快感原則に逆らう反復強迫と死の欲動の理論 と関連付けて、「不気味なもの」の背後には 同時期のフロイトの論文「快感原則の彼岸」 ックスの二つに再分類している。その上で、 のコンプレックスも、エディプス・コンプレ を抑圧されたものの回帰として捉え、幼年期 フロイトは「不気味な」という語のニュアン があると位置付けている。 ロイトの﹁不気味なもの﹂ フ スから筆を起こし、「不気味なもの」の源泉 ックスに伴う去勢不安と、母胎回帰コンプレ をアニミズム的な信念と、抑圧された幼児期 ウンハイムリッヒ のコンプレックスの二種類に分類している。 東浩紀の﹁不気味なもの﹂ こ う し た フ ロ イ ト の 論 考 を 念 頭 に 置 き、 フロイトは論の中でドイツの幻想作家ホフ 4 「不気味なもの」を独自の視点で語った批評 の――電気動物に共感を抱き、眠りに就くと いう結末を迎える。 家が東浩紀だ。東の『サイバースペースはな ぜそう呼ばれるか+』(河出文庫)によると、 東はディックのモチーフを様々な批評家を 論じながら、シュミラークルというコピーに と感情の 負荷を反転させた 形で、『 動物化す るポストモダン』(講談社現代新書)の中で、 路の複数性が強く自覚されるときに「不気味 と無意識など)により処理しており、その経 東はこの「不気味なものへの感情移入」とい 味なものに感情移入せざるをえない。更に、 いる。シュミラークルが乱立する中では不気 覆われたポストモダンの世界像と結びつけて を感じる時、わたし達の主体は確かに脅かさ ホラー小説やフロイトの論も「わたし」の 主体性を撹乱させる内容だった。「不気味さ」 ポストモダン的主体に他ならない。 化した主体とは、東が解離的人間像と呼んだ 「萌え要素」として論じることになる。多重 さ」を感じるという。東はそれを主体の統一 れているのかもしれない。 人は心の中で一つの情報を複数の経路(意識 性と一貫性が脅かされる経験と位置付ける。 うモチーフを「不気味」から「かわいい」へ 怖いものと言えば、小学校時代、怪談話が 大 の 苦 手 で し た。 当 時 は「 ト イ レ の 花 子 さ がするように思えます。 不気味なものは怖いものに似ています。少 なくとも、不気味なものは何となく怖い感じ 供だけに楽しませるにはもったいない出来で 画一枚一枚も、末尾に添えられた解説も、子 というのはそれなりに多いですが、本書は絵 絵本ですが、擬音語との組み合わせは相当に とした日本画に描かれた妖怪・幽霊を集めた 絵画・イメージ︱︱怖いものから不気味なものへ (黄金虫) そして、東はそこでSF作家P・K・ディ ックを分析する。テーマとしての「不気味な もの」を指摘しつつ、更に何が現実かを決定 ん」を筆頭に「学校の怪談」が流行中(年齢 す。 が多重化されるのだ。『ユービック』(ハヤカ ワ文庫SF)では、世界全体が退行していく 怖い反面、ちょっと安心できます。名作絵本 ぞぞ』(フレーベル社)は、江戸時代を中心 中、「不気味なもの」がその世界に穴を穿ち、 がばれそうですが)。休み時間は「怪談もの」 できない作品世界の不確定性(無限交替)と 主人公を脱出に誘うものとして導入されてい の回し読み。怖い、でも聞きたい、と思って 不気味なものの関係を東は重視する。不気味 る。その上で、結末では外部にあるはずの世 なものによって語り手の世界認識や自己認識 界も別の不気味なものによって蝕まれている 怖さを漫画にしたらたぶんこうなる、とい こういう後悔を繰り返すうちに、具体的に 怖いものの姿かたちを想像したら、逆にそれ と、コマの隅々まで満ちている湿気と緊張感 ではありません。神経質な線で書かれた絵柄 くように、人形の話です。話の筋が怖いだけ うのが山岸涼子『わたしの人形はよい人形』 (潮出版社)です。タイトルからご想像の付 ほど怖くなくなることに気づきました。怖い 怖いものたち、いろいろ やっぱり聞くんじゃなかったと。 (無限交替)という構成をとっている。また、 聞いてしまって、寝る前に後悔するのです。 『 アン ド ロ イ ド は 電 気 羊 の 夢 を 見 る か?』 (ハヤカワ文庫SF) アンドロイドの破壊 が怖いのです。 では主人公リックは の果て、オリジナル も の た ち は は っ き り と 怖 い。『 ぞく ぞ く ぞ ではない不気味なも 5 綴 葉 No.311 2012. 10. 10 綴 葉 として描かれました。自分たちの内面という 見知らぬ世界からの人々は、怖い悪魔や怪物 とが、この本の肉と内臓です。病気や戦争や いものについて書かれた古今のアンソロジー 骨や悪魔や怪獣たちの図と、悪い・醜い・汚 コによる解説がこの本の骨格なら、魔女や骸 のを描いた絵画や文章でいっぱいです。エー よ る『 醜の 歴 史 』( 東 洋 書 林 ) は、 文 字 通 り、 汚いものや醜いもの、怖いものや不気味なも 怖いものというのは、時に汚かったり醜か ったりするものです。ウンベルト・エーコに や根拠がありません。不吉な人形や人に害を りします。それに対して、不気味さには理由 はっきりと形があったり、怖い理由があった しかし、怖いものと不気味なものは違いま す。境界は曖昧ではありますが、怖いものは 不気味なものの力 は簡便な一冊です。 統な美術史には登場しない怪物たちを知るに る点で物足りなさを感じますが、いわゆる正 考証する内容がヨーロッパ中世に留まってい 妙な生き物たちとその由来を追う作品です。 馬杉宗夫『 黒い聖母と悪魔の謎 』(講談社学 術文庫)は、主にフランス各地の教会で、奇 とらずに彷徨っています。彼らの力は、だか 姿形をもつ怖いものたちと違って、不気味 なものたちは私たちの近くで、ほとんど形を の世界でも関係ないかも知れないと。 しまっては、もう、こっちの世界でもあっち と思いました。この世界がこんな風に見えて う不気味さは何でしょう。作者はこの写真集 だけなのに、この白と黒の写真一枚一枚に漂 のに出会わない人たちが写っています。それ るはずの世界に、私たちが知っているはずな 私たちがよく知ってい に出来ない写真集です。 )は、 / Mosel Verlag Gm タイトルどおり、言葉 Schirmer ものや、社会というものが発見された後は、 もたらす悪魔は怖い。慣れ親しんだ風景が突 』( 『 Untitled その中にある見知らぬものが不気味なものと 然に見知らぬ世界に見えるとき、不気味なも れたり外壁から飛び出したりしているのか。 して描かれました。ほとんど西ヨーロッパ世 らこそ強力。ふとした拍子に連れて行かれな っているけど知らない世界 知 界についての話だけなのが不満と言えば不満 のがこちらを向きます。 いようご注意ください。 (投稿 ・一福) を最後に自殺したそうです。そうだろうな、 ですが、教養として挑戦する価値は十分にあ アメリカの写真家 人形︱︱非人間的なものと不気味なもの Dian Arbusに よ る ります。 ヨーロッパに旅行すると、各地の教会に不 思議な生き物を見つけることがあります。あ の不気味な形をした生き物たちは、これまで 理を形にしたはずの てきました。神の摂 の 他 に、「 似 た も の 」 や「 形 」 と い っ た 意 味 が、この言葉には「像」や「姿」という意味 ージの語源であるということは周知の事実だ )であると 人間は「神の似姿」( imago dei かつて言われた。イマーゴという言葉がイメ 「不気味の谷」という現象があるように、 人に似たものでありながら、人から決定的に 人に似たもの ぶことができるかもしれない。 教会に、なぜあんな 隔たった存在を前にしたとき、私たちはしば 「人の形」たる人形を、「人のイマーゴ」と呼 奇妙な生き物が、ス もある。だとすれば、人に似せて造られた、 何度も研究されたりエッセイに描かれたりし テンドグラスに描か 6 は私たちが思ってい し、この感情の内実 情に襲われる。しか ら、その影をフランケンシュタインの怪物や かでどのように変遷していったかを辿りなが いう「人間未満の人間」の表象が、虚構のな してみることも有益だろう。金森修『ゴー レ ムの生命論 』(平凡社新書)は、ゴーレムと 体の迷宮 肉 に興味深い。 う表象が文化的に形成されていくさまは非常 る。声という表象を核にして、人造美女とい がどのように結びあわされていったかを論じ ながら、人はしばしばそれにどうしようもな を読者に予感させる。不気味なものを忌避し 生気のない虚ろな眼へと転移し、物語の破局 「眼」にまつわる彼の不安は、オリンピアの つけるという不気味なものの両義性が、ここ 的アイコンなのだ。人を忌避させつつも惹き 間」を巡る想像力によって生み出された文化 る。 し か し 両 者 は い ず れ も「 人 間 未 満 の 人 一見すると共通点は存在しないように思われ 家の生き生きとした対話のなかで、人間が人 で行なった連続講演の記録。分析家と人形作 形シーンの一線で活躍する人形作家たちの前 博 史『 人形 愛 の 精 神 分 析 』( 青 土 社 ) は、 ラ カン派の精神分析家である著者が、現代の人 人形とは、0想0像0さ0れ0る0よりも前に、一つの しい女性の姿をしたオリンピアとのあいだに、 物質としてまなざされるものでもある。藤田 スで女性と声と人造性という三つの文化的項 る 以 上 に 複 雑 だ。 自動人形オリンピアのなかに見出す。想像を しば不気味という感 「砂男」のなかで、魂のない不気味な自動人 く惹かれてしまう。強い嫌悪は対象に強い感 形オリンピアにナターナエルは恋い焦がれる。 絶した醜い姿の怪物と、不気味ではあるが美 情が向けられていることの証であり、執着と 古今の歴史的エピソードを渉猟しながら、人 エジソンのお喋り人形など、人形にまつわる ンソンのアヒル、ケンペレンのチェス棋士、 娘フランシーヌの逸話から始まって、ヴォカ きている人形 』(青土社)では、デカルトの ないように思われる。ゲイビー・ウッド『生 ダー批評の観点から 洋書林)は、ジェン 仕 掛 け の 歌 姫 』( 東 ろう。フェリシア・ミラー・フランク『機械 アイコンの最も豊かな元型の一つと言えるだ ン『未來のイヴ 』(創元ライブラリ)に登場 する人造美女ハダリーは、このような文化的 られるようになった。ヴィリエ・ド・リラダ に収められている。人形に関する彼の覚書も 真の数点がポール・エリュアールの詩ととも 誘 い、 そ の な か で 迷 わ せ る。『 イマ ー ジ ュ の 解剖学 』(河出書 房新社)には、彼の 人形写 メージは、見るものの視線を肉体の迷宮へと 形という姿を得て現実化した身体の原初的イ バラに寸断してつなぎ合わせた人形作品。人 最後に、人形を語るにあたって外すことの できない人物を紹介しよう。ハンス・ベルメ 派精神分析の雰囲気を掴むのにも役立つ。 正体が分析される。語り口も平易で、ラカン では醜さと美しさという形で変奏されている。 形に対して注ぐフェティッシュなまなざしの 機械仕掛けの花嫁 表裏一体なのだ。 こうした執着の存在は、人形制作から人造 生命研究にまで至る、己の分身を創造せんと 間と非人間の境界が探求される。該博な歴史 この作品を読解しつ オリンピアに見られるように、人形という 存在はいつの頃からか女性性と強く結びつけ 叙述によって浮き彫りにされるのは、人間が 独自の美意識に満ちて刺激的だ。 (柚木 ) する人間の飽くなき欲望を考えれば否定しえ 人形制作に注いできた奇妙な情熱である。 つ、一九世紀フラン ールである。人体を歪に変形し、ときにバラ こうした欲望を史実とは別の角度から考察 7 綴 葉 No.311 宗教国家としてアメリカの姿。そして、人種 語っていることである。本質が何かが分から か、分からない」ことだと、あるライターが が、彼らが本当にコミックスを読んだかどう 印象に残るのは、コミックス撲滅運動の問 題が「多くの人がコミックスについて語った に関わっていたことが指摘されている。 しないという自論や、最近の萌え漫画に対す とされていた起承転結のセオリー自体が存在 地を開いたとされる作者だが、そもそも基本 されている。それまでの四コマを破壊し新境 は、二二頁にわたって制作の秘訣が語りつく ろしの「でっちあげロングインタビュー」で 作品の知名度に比して本人はメディアにま ったくと言っていいほど出てこないので、そ ビュー四〇周年を記念したムックが本書。 ず、十分な議論がされないまま事態は進んで る意見など作家の知られざる声が展開されて 新刊コーナー いったという面もあるのだろう。そう考えて や階級、世代間の対立がコミックス撲滅運動 いくと、これを昔、外国で起きた漫画に関す いる。実は本人は漫画を読む習慣がなく、ベ ―アメリカを変えた 年代「悪書」狩り デヴィッド・ハジュー著 小野耕世、中山ゆかり訳 岩波書店 「 マ ン ガ は 青 少 年に悪影響」。「少 年 犯 罪 の 原 因 」。 このような言説が 仁義なきお笑い 夢ムック KAWADE 河出書房新社 スト映画が「仁義なき戦い」であるなど意外 な側面も明らかになり驚かされる。 巻 頭 特 集 は、「 の の ち ゃ ん 」 の 舞 台「 た ま のの市」のモデル岡山県玉野市や実質的デビ ュー作『バイトくん』の舞台・大阪市東淀川 区下新庄の聖地巡礼。イシイワールドにおけ るトキワ荘である「仲野荘」がいまだその威 スに詳しくなくても読みやすい。 も多く載せられており、アメリカのコミック いひさいち。漫画を読まない人でも同原作の ャグ漫画家のいし 画「 の の ち ゃ ん 」 朝日新聞朝刊で 連載中の四コマ漫 ァン必読のもの。空前絶後前代未聞の永久保 文藝別冊 の素顔は謎に包まれていた。だが本人描き下 る過激な現象だと済ませていいのか、とも考 有害コミック撲滅 コミックスを徹底 リカである。コミックスは焼かれ、仕事を追 われたコミックスのライターは九〇〇人にの ぼるという。 本書はコミックスのライターをはじめ、追 放運動側の人々、読者など、様々な人へのイ コミックス撲滅運動は知識人や教育者によ るコミックスのバッシングから始まり、次第 スタジオジブリ映画「となりの山田くん」な 容(異様?)を誇っていて唖然。 に規制が強くなっていくのだが、アメリカの 存版といえる。ぜひ一読一笑を。 ( 夏太郎) (二一六頁 税込一二六〇円 月刊) ャグ青春抒情作品「ゲームセット」などはフ の哲学者・思想家たちをパロった『現代 思想 の遭難者たち 』(講談社 )の誕生秘話、非ギ 詳細な年譜や著者一覧に加えて、古今東西 社会情勢が背景にはあった。テレビという新 ら観たことがある人はいるかもしれない。デ 6 をはじめとしたギ しいメディアが家庭に普及していったこと。 的に排除していったのが一九五〇年代のアメ ! ンタビューと資料を通して撲滅運動を詳細に いしいひさいち えさせられた。 (投稿・鉛筆) (四二二頁 税込五〇四〇円 月刊) 50 追ったものである。当時のコミックスの表紙 5 2012. 10. 10 綴 葉 8 踊ってはいけない国、 日本 刻 も 早 く 異 議 申 し 立 て を し な け れ ば、 唯 々 ことがにじみ出ている箇所もある。しかし一 い。ところによってはかなり急いで編集した インタビューによって大部分が構成される ため、深い議論に立ち入っていないものも多 に居た栄一から見るに、朝廷の臣として自ら こに表れるのは、幕府の臣として慶喜の傍ら ぞれの動きを追いながら説明してくれる。そ か。本書はそれらについて、慶喜と栄一それ きながら、なぜ慶喜に忠義を尽くし続けたの 栄一はどのように政界から実業界へと渡り歩 関係にあった。 諾々と浄化作戦のブルドーザーに轢き殺され 野に下った慶喜こそが維新最大の功労者だと 菓子を捧げて政治家にお伺いを立てなければ 評者はクラブと いうものに行った るのみだ。クラブなんて自分には関係ない、 いう、敗者の歴史観である。 慶喜はどのように幕末の政治を主導し、な ぜ大政奉還という道を選んだのか。一方で、 ことがないので、 と考えることは、次の瞬間にあらゆる理由に ならないことには暗澹たる思いを覚える。 ここでクラブとは おいて自分が取り締まられることに同意する 風営法問題と過剰規制される社会 何かという聞きか 磯辺涼編著 河出書房新社 じりの説明をすることは差し控える。今起こ 更に、そこから踏み込んで主張されている のが、旧勢力であるはずの幕臣が新政府を支 府首脳は薩摩と長州を中心とする藩閥で占め える力となったという説である。つまり、政 っている問題は、個人的にどれほど関わりが (二三七頁 税込一六八〇円 徳川慶喜と渋沢栄一 られていたものの、国政に従事してきた経験 豊富な幕臣を官僚として政府に組み込むこと が欠かせなかったのである。栄一の「慶喜= るのか。本書では風営法の歴史的経緯や現在 見すると、この二 引者渋沢栄一。一 明治の実業界の牽 江戸幕府最後の 将軍徳川慶喜と、 維新を逆サイドから捉えた物語として、大い の日本史を少しでも知っている方であれば、 しく、伝記のような心地で読める。維新前後 最後の将軍に仕えた最後の幕臣 安藤優一郎著 日本経済新聞出版社 の法解釈についても触れられるが、納得のい 人は滅びゆく近世と台頭する近代を象徴する 維新の柱」論と対になるかのように、著者の く根拠を見いだすことは難しい。 ような対極的な存在である。しかし、実のと 誓約書にサインしているのと等しい。 ( 峰) 月刊) 薄くとも意識せざるを得ない類いのものだ。 踊らせた」として風営法違反の疑いで二〇一 本書が編まれることになった直接の発端は、 「無許可で客を踊らせた」「深夜を過ぎて客を 〇年以降、大阪ミナミのアメリカ村において クラブの摘発が相次いでいることである。深 論者の多くが、業界団体を結成し、政治家 への働きかけをするとともに、経済効果を内 ころ、二人は明治維新を幕府側で共に迎え、 歴史についての一般書として、人名など予 備知識を多少要する点はあるが、文体はやさ 「幕臣=明治の柱」論が明らかになる。 外にアピールすることを説く。権利団体によ に楽しめるだろう。 (雲) (二八八頁 税込一九九五円 月刊) 夜に踊ることのどこに根拠のある違法性があ って営業権が保障されていない状況は解決さ その後大正期に至るまで互いに尊び合う主従 9 8 れるべきだが、一方で経済効果という黄金の 5 綴 葉 No.311 第三弾。とは言っ 出ました!「ト ッカン」シリーズ くさんです。「シリーズ二作目」らしい本作 現など、この先が楽しみになる要素が盛りだ 女の感情の微妙な変化や新たな恋愛候補の出 としての成長はもちろん、気になる鏡への彼 うに読めます。伏線としてはぐー子の社会人 ーを育てて、話を展開させようとしているよ 手さはないものの、長い目で見てキャラクタ のであるでしょう。このようなことから、派 これからの物語のために伏線を多く含んだも ていく上で必要な要素であり、今回の作品は 筆者がアルゼンチン国籍ながら、生涯の半分 ひんやりとした夢の世界においていかれる。 あっても、読者はそれらと一体化できずに、 本書に収録されている作品はみな、何とも 言えず寂しい。狂気や熱気が描かれることは 同じ話もいくつか収録されている。 になる。前作に続き、本書も短編集。前作と 日本語に訳されたものとしては『悪魔の涎・ 追い求める男』(岩波書店)に続いて二冊目 小説家フリオ・コルタサルによる作品集だ。 と並んで二〇世紀のアルゼンチンを代表する トッカン ても、シリーズ化 がでてきたところで、更に長く楽しめる「ト 高殿円著 早川書房 お ばけなんてないさ は二冊目に当たる 前作から始まりますので、本書はシリーズ二 かも知れない。この感覚を幻想的、とは呼ぶ 以上をパリで過ごしたことも影響しているの 作目になります。 まい。切れ目のない文章も、たった三頁足ら 成長の過程がドラマチックに描かれており、 川 書 房 ) と 前 回 作 の『 トッ カ ン 勤 労 商 工 会』( 同 上 ) で は、 主 人 公・ ぐ ー 子 の 悩 み や を覚ましたことに そういう時は、目 覚ますときがある。 悪い夢を見たよ うな気がして目を り読み通すも好し、枕もとにおいて一日一話 が別の場所に見えてくる。秋の夜長にゆっく か飽きずに楽しめる。たった数分でこの世界 ずの間に展開されるあっと驚く結末も、むし ろこの現実の脆さと危うさとを描く道具に過 ぎないのではあるまいか。 若造な私にはとても共感できる内容になって 安心する反面、いま自分のいる世界が夢の中 フリオ・コルタサル著 木村榮一訳 岩波文庫 遊戯の終わり ッカン」を期待したいです。 (ねこ た) (三九四頁 税込一六八〇円 月刊) 「トッカン」といえば、二〇一〇年に第一 作目が発表され、それが話題を読んでシリー ズ化が決定しました。その人気を受けて、今 年七月には連続ドラマも始まり、世間ではさ らに「トッカン」ブームが過熱しています。 いました。しかし今回は、ぐー子の成長物語 でないのか不安になる。 何とも言えない不気味さで時々あたりを見 回してしまったり、無邪気とは程遠い子供の という軸は少し遠のき、彼女の直属の上司で るような漢の世界を垣間見られたり、なかな 「ハードボイルド」という言葉がぴったりく 世 界 を 思 い 出 し た り、 か と 思 え ば と き ど き ある鏡、そして彼の過去にスポットライトが ずつ味わうも好し。 (投稿・一福) (二六〇頁 税込六九三円 月刊) 当てられているのです。 読後にはそんな夢を見た後のような気持ち になる。本書は、ホルヘ・ルイス・ボルヘス 初 回 作『 トッ カ ン 特 別 国 税 徴 収 官 』( 早 6 the 3 rd それは初回作には薄かったシリーズを続け 6 vs 2012. 10. 10 綴 葉 10 ください。本書は セリフを言わせて な歯の浮くような 本は世界を変え る力がある。そん 韓国、というと日本人旅行者も多いし、良 くも悪くも日々のニュースで話題になってい 思います。 したことも含め、直視していただければ、と かれた背景、そして本が韓国社会に巻き起こ つ力を如実に表しているでしょう。本書が描 社会を動かした、という事実はこの小説の持 するのも否めません。にもかかわらず、韓国 め込みすぎて本筋が霞んでいる感があったり うが、説明不足の箇所があったり、ネタを詰 としてエンターテイメントに徹したのでしょ た理論が後世の数学に大きな影響を与えたこ 一五歳から二〇歳までの短い期間に作り上げ たうえ、決闘の末にわずか二〇歳で命を落と 文が陽の目をみないといった不運に見舞われ いう挫折を経験し、査読者の死去によって論 二度のエコール・ポリテクニク入試不合格と 一九世紀フランスの数学者エヴァリスト・ ガロアについて語るべきことは多い。留年や 書のテーマは、ガロア理論である。 ドな数学読み物だ。シリーズ五作目となる本 て少々鼻につかなくもないが、そこそこハー トガニ 韓国で実際に起こった事件をもとにした小説 ますが、私たちのまだ知らない姿、そして力 幼き瞳の告発 孔枝泳著 蓮池薫訳 新潮社 です。それは、聴覚障害者特殊学校において、 尤もだ。本書は、あみだくじの分析からはじ と。しばしば悲劇の天才として語られるのも すという波乱に満ちた生涯をおくったこと。 校長・教職員が長期にわたり生徒に性的暴行 めて、群論に関連するトピックの概観に九章 を割いたうえで、最終章でガロアの第一論文 を読み解いていく。 方程式を代数的に解くこと(加減乗除と冪 根だけをつかって方程式の解を示すこと)は、 の事件を知った著者が筆をとり、著者の怒り リーズは、主人公 リエイティブ)シ 『 数学 ガ ー ル 』 (ソフトバンクク 宙が広がっていることを教えてくれる。 な機械的作業の背後に萌えの沃野と数学の宇 数学ガール ガロア理論 結城浩著 ソフトバンククリエイティブ が俳優コン・ユを動かし映画となり、映画を の高校生「僕」が、 初中等教育の中で「作業」として学ぶことだ。 見た人々によって世論が動かされ、それが国 同級生ミルカ(美少女)や後輩テトラ(美少 を秘めている国なようです。 (縹) (二八六頁 税込一六八〇円 月刊) を加えていた、というショッキングな事件。 さらにその土地の権力者であった校長らと警 察・司法の金権癒着により、彼らに下された 刑が驚くほど軽く、執行猶予を明けた教師が 同じ学校で復職したことに打ちのめされます。 これは、障碍者に対する性犯罪の法整備が整 家をも動 かし、「トガニ法」という本の題名 女)らと数学の世界を旅する青春数学小説で (四五四頁 税込一九九五円 (菊次郎) 月刊) の主人公たちの歩みは、一見すると無味乾燥 の必要十分条件を与える。放課後の図書室で し か し、 ガ ロ ア の 第 一 論 文 は、 そ の「 作 業 」 を冠した、性暴力とその処罰に関する特例法 っていなかったことも原因の一つでした。こ の制定にまで繋がったのです。 ある。安直なハーレム設定が萌えを通り越し 11 5 あくまで実話をもとにしたフィクション、 5 綴 葉 No.311 解説の大阪大学の仲野徹氏による人体実験 学特論も一読の価値あり。本書の内容をきれ など、考えさせられるものは多い。 ではあるものの、人体実験の意義や生命倫理 ません。面白い実験を集めました、という体 りもその旺盛な探究心と実行力に頭が上がり 学者としてのプライドを感じられるし、何よ は自分でしか行わないという人もいたりと科 に対して特許を申請しなかったり、人体実験 恐らく多くの読者が意外に感じるエピソード たちは脳について多くを知らない。本書には た事実が最新の研究結果を元に語られる。私 フル稼働している、脳は自分がとった行動を 行為が減る、眠っている間こそニューロンは が変わる、栄養サプリを摂取し続けると暴力 ここで語られる知見は実にヴァラエティー に富んでいる。恋愛をすると、脳の処理速度 いる学者の一般向け科学エッセイ集だ。 されつつある。本書はその脳科学の最前線に 世にも奇妙な人体実験の歴史 いに整理してくれた上で、私たちの実生活へ の」と テンマに 「 人 の 命 は 平 等 じゃないんだも トレヴァー・ノートン著 赤根洋子訳 文藝春秋 言い放ったのは彼 の橋渡しをしてくれています。 面、全体を貫く主題は散漫にも感じられる。 認めるとおり、多くの研究を紹介している反 が含まれていることだろう。ただし、著者も 正当化するために「感情」を変える、といっ の婚約者のエヴァ (縹) 月刊) 吐瀉物を煮詰めて飲んだり。ちょっと変わっ 布したり、黄熱病の解明のために患者の黒い 梅毒の正体を知るために患者の膿を自分に塗 神 経 活 動 は 変 化 し、「 楽 し く な る 」 と い う。 表情を作るだけで、 実際に笑顔 に似た ことわざがあるが、 「 笑 う 門 に は 福 来る」――こんな 脳と身体・環境の関係を知ることから始めて に生きる」という目標を達成するのに、まず 見を著者は最後に述べる。「楽しくごきげん そんな中、著者は「自分の脳観」を込めた という章で、本人の意志が生じる前に、思考 癖や環境因子によって潜在意識が人の行動を 決定しているということを強調する。そして、 たところではハリネズミやモグラなどのゲテ 逆に恐怖の表情を作ると、それだけで外部へ 心は脳にあるのではなく、周囲の環境と身体 モノ食いも取り上げられている。書かれた話 のアンテナが敏感になる。こうした私たちの 池谷裕二著 扶桑社 脳には妙なクセがある (三七九頁 税込一八九〇円 ですが、人体実験、と聞くと遠藤周作の『海 と毒薬』のように、医者や科学者が捕虜や貧 困者を使って実験する、というイメージが浮 かびます。イヤ、恐ろしい! と思いつつ、 怖いもの見たさでついページをペラリ。 と書きつつも、本書で取り上げられている 実験は、冒頭のようなものは少なく、多くは 科学者が自分の体を被験体とした自己犠牲の 題の多くは医療にかかわるちょっと地味なも はどうだろうか。 (黄金虫) (三四九頁 税込一六八〇円 月刊) ことはできない――そんなある意味素朴な意 肉体に宿る、精神と身体は切り離して考える に散在すると語る。健全なる精神は健全なる のだけど、深海へもぐったり成層圏まで飛ん 無意識の反応が脳科学によって少しずつ明か 精神満載のもの。しかもその実験がすごい。 7 Dr. でみたりといった派手なものも。自分の発見 8 2012. 10. 10 綴 葉 12 ブラジル 跳躍の軌跡 北斎 カラー版 生物から生命へ 共進化で読みとく モノカルチャー経済からマルチカルチャーへ そして二一世紀になってからの躍進を支える、 成功によって経済大国としての始動を始める。 フレを抑えるために実施したレアルプランの 態を彷徨っていたブラジルは、ハイパーイン 同様に、経済的にも不安定で、発展途上国状 跳躍の実相に迫る。他のラテンアメリカ諸国 歴史的背景を踏まえつつ、ブラジルの変化 を、政治、経済、社会、対外関係の側面から を解説するタイムリーな一冊だ。 筆頭のブラジル。本書はこの国の発展の歴史 二〇一四年のワールドカップ、二〇一六年 の南米初のオリンピックを控えるBRICS 水や空の面積が大きい名所図を一新した。読 中国の花鳥画やオランダ由来のエッチン グ・透視図法といった技術を習得しながら、 に絵を描き続けた。 歳。九〇歳で没するまで、取りつかれたよう 「冨嶽三十六景」が完結したのはなんと七三 ちしてから名を知られるようになり、代表作 た青年時代は中堅画家。三〇代半ばに独り立 天才的な絵師というイメージとは裏腹に、 北斎は意外にも晩成型だ。勝川春朗を名乗っ 化・絵画史と関連付けて紹介している。 浮世絵師の中で、葛飾北斎ほど知られた人 はいない。本書は彼の生涯を、江戸の出版文 生命研究」においても、基本的な定義は変わ 出される過程である。本書の依拠する「人工 印刷に用い、目の覚めるような青色によって、 が少しずつ変化し、やがて別種の生物が作り 化学染料プルシアンブルーを初めて浮世絵の らない。しかし、進化のメカニズムを文化や などという、眉に唾をしたたるほどつけても 進化心理学、進化言語学、果ては進化政治学 は近隣の分野からの引く手が増え、進化医学、 されるようになった感が強い。ことに近年で 的成果はこの四半世紀ほどでにわかに再注目 されつつある。なかでも進化についての学術 し、実現された関連技術も数知れない。ヒト 生命科学の発展は二〇世紀から二一世紀に かけて人類の至宝ともいうべき成果をもたら 有田隆也著 ちくま新書 の輸出の転換、貧困層の所得底上げ、労働市 本・黄表紙・名所図・画帖といった出版文化 大久保純一著 岩波新書 場への女性の進出、地方中堅都市の隆盛など の隆盛と軌を一にして、北斎は江戸時代後半 堀坂浩太郎著 岩波新書 に刺激された内需拡大といった要因が詳しく アートに拡張していくとき、そうしたリジッ 破壊する危険と、抜本的な進歩の可能性は表 ドな前提を踏み越え、メタファーの世界に突 「進化」はあくまでも幾多の世代交代のな かで、変異と環境との相互作用によって形質 足りないような代物まで出現した。 ゲノムは解読され、万能細胞が技術的に確立 説明される。 の絵画界を一変させていく。 入してしまう危うさをはらむ。旧来の前提を 文化的・思想的な側面にあまり触れられて いないのは残念だが、政治経済的な跳躍がな 引っ越し魔だったり金や服装に無頓着だっ たり、変わり者としても有名。人間北斎に興 13 ぜ可能だったのかという点については充実し (二〇六頁 税込七七七円 裏のもの、ということかもしれない。 ( 峰) 月刊) 4 味を持つ方は杉浦日向子『 百日紅 』(ちくま 文庫)をご覧あれ。 (投稿・一福) (一九四頁 税込一〇五〇円 月刊) 5 ており、サンバだけではないブラジルを知る 格好の入門書と言えるだろう。 (夏太郎) (二五六頁 税込八四〇円 月刊) 8 綴 葉 No.311 新書コーナー 私の本棚 恋愛小説でたどる「乙女の心と秋の空」 いんだよな~。あの店員さんも主人公のリョウくんみたいに、女性 を癒すお仕事とかやってのかな……きゃーーー 落ち着け、落ち着け私。私の好きな人は先輩でしょ! いや…… でも、先輩ももう来年には卒業しちゃうし、私もそろそろ就職活動 あ ~ ぁ、 夏 休 み 終 わ っ ち ゃ っ た ……気になるあの人とも特に進展が しなきゃいけないしなぁ。もし就職が決まっても、次は卒業論文書 ないまま新学期に入っちゃったよ~。 サークルでは会えるんだけど、授業 かなきゃだし、そしたらもう就職するまで恋愛どころじゃないかも は思えないし、何より職場で失恋とかしたらたまったもんじゃない はっ! 何か私マイナスな方向にイメージトレーニングしちゃっ し……サークルならやめればいいけど、職場だとそうはいかないも 上司がいれば話は別だけど、そう都合よくカッコいい先輩がいると 『今夜も残業エキストラ』( 学芸文庫)に出てくる大賀センパ イみたいな感じで、いつも前向きで一所懸命で頼りがいのある太陽 公がセンパイと同じ役職になったみたいに、私も への出店準備 んね。くわばら、くわばら。 ってるけど、三浦しをん著『舟を編む』(光文社)みたいに職場以 外の場所で恋人を探す方がいいのかもな~。大賀センパイみたいな ……。就職も華やかな感じだから出版社がいいなぁなんて漠然と思 も あ る し、 イ ベ ン ト も 減 る し な ぁ ……次の接近するチャンスは く !! てない こんなときは、野浪まこと著『彼女になったら読む本』 で先輩と同じ役職になったら何か進展が見込める、かもな♪ と 言えば、森見登美彦著『夜は短し歩けよ乙女』(角川文庫) (大和書房)を読んで、彼女になれた時のことを妄想しよう。あ~ もよかったな~。私もあんなふうに男の子に追いかけられたいな~。 そっか、でも願い叶って彼女になれても、それからが大変なんだよ N F みたいな人で、本当に憧れの存在って感じ! だから、私みたいな 地味子がお近づきになれるなんて思えないけど……この小説で主人 あ ~ 先 輩 っ て い つ 見 て も カ ッ コ い い ん だ よ な ~。 吉 野 万 里 子 著 らいかな。よし! それまでに恋愛小説読んで、イメージトレーニ ングでもしよっと! N F P H P 主人公みたいにぐだぐだ考える男の子はタイプじゃないけど、読ん なぁ。気遣って嫌われないようにして……そんなに努力してても瀧 それだったら、まだいつも行 かしてるより、勉強してた方がマシ (ねこ た) 考えると、とりあえず今は恋愛なん く バ ー の 店 員 さ ん の 方 が 断 然 あ り だ も ん ね。 石 田 衣 良 著『 娼年 』 (集英社文庫)に出てくる主人公みたいに顔はキレイなんだけど、 されちゃう可能性も高いし……そう !! なのかもね。 !! どこか陰のある感じで、そこがまたミステリアスな感じでカッコい いやいや! ない、ない、ない の子、この主人公に何だか似てるなぁ……。 でるうちに可愛く思えてきちゃったし。そういえば、ゼミにいるあ ?! 波 ユ カ リ 作『 臨死 江古田ちゃ ん 』( 講 談 社 ) み た い に、 二 番 手 に N F 14 私の本棚 オウムと は な ん だ っ た の か だが、容疑者の処罰だけで全てを終りにしてはならない。若者を魅 ったが、これで一連の事件の手配犯全員が逮捕されたことになる。 ことを明らかにする。ただし、分析が些か大雑把なため、後者も読 本社会においていくつかの思想潮流がオウム的精神の下地となった それらが近代化への必然的な反動として生じてきたこと、戦後の日 『終わりなき日常を生きろ』(ちくま文庫)が一読に値する。前者は、 オウム的精神の特徴をロマン主義、全体主義、原理主義に見出し、 求められた時代背景を理解する上では、前述の大田本と、宮台真司 了したオウムとは何だったのか、一連の事件はなぜ起きたのか。こ まれたい。後者は、高度経済成長期以後に出現した「終わりなき日 今年六月、オウム真理教・元信者の菊池直子と高橋克也が相次い で逮捕された。日本を震撼させた地下鉄サリン事件から十七年が経 の点が究明されなければ、第二のオウムは再び現れるだろう。 常」とその中での二つの生存戦略に注目しながら、オウムに邁進し オウム真理教事件とオウム的精神 ミはその原因を薬物や電極による「マインド・コントロール」に求 有の無差別殺人として社会に大きなショックを与えた。当時マスコ る。一連の事件は、一流大学出の高学歴エリート信者らによる未曾 拉致監禁、坂本弁護士一家殺人、松本・地下鉄サリン事件等が起き への絶対帰依と慈悲殺人としての「ポア」の必要性を説き、信者の にも依拠しながら、来るべき世界の終末と救済に向けたグル(師) に教団の閉鎖化と武装化が進む。麻原は、当時流行していた終末論 して始まった。ところが、八八年の信者の死とその隠蔽をきっかけ 仏教やヨガの教義に基づき、修行による解脱を目指した信者集団と 真理教は、麻原彰晃によって八七年に設立された宗教団体で、原始 介しており、全体をつかむ上で非常に有益な手引きとなる。オウム 書だが、オウムの変遷と事件の全容、関連書籍等をコンパクトに紹 事件を後押しした事実が忘れられれば、同じ過ちは再び起こる。後 めた村上春樹『アンダーグラウンド』(講談社文庫)が描いた通り だ。ただ事件前、信者のみならず識者や世間すらもオウムに騙され い。事件の凄惨さは、地下鉄サリン事件被害者のインタビューを収 の不気味さを感じた。とはいえ、一連の事件が許されるわけではな たオウムに魅かれたかもしれない。そんな紙一重さ、冷や汗まじり 信した。もし私があの時代に生き、もう少し素直だったら、私もま 盾に疑問を抱き、人間の心を変え良き社会を築くためにオウムに入 るようになった。多くの信者が物質欲と不平等にまみれた社会の矛 オウムやそれに魅かれる心性は私達のずっと近くにあるのだと感じ 者らを取材した村上春樹『約束された場所で』(文春文庫) 、森達也 監督の映画を見る中で、「狂ったカルト集団」という印象は薄れ、 ところで、実行犯・林郁夫の手記『オウムと私』(文春文庫)、信 オウムの近さと不気味さ た信者世代の世代的な雰囲気とその背景を鋭く明らかにする。 めた。しかしその後、実行犯の多くが麻原の説法に魅了され、自ら オウムに関しては多くの書籍があるが、まずは大田俊寛『オウム 真理教の精神史』(春秋社)をお奨めしたい。貴重な宗教学的研究 の良心に基づきあの犯行を起こしたことも明らかになった。 (投稿 ・れくた) 続団体 には今も入信者が絶えない。 ALEPH なぜ信者はオウムに魅かれたのか。オウム的精神の特徴とそれが 15 綴 葉 2012. 10. 10 当てよう!図書カード 編集後記 『綴葉』読者の皆様、いつも『綴葉』をご愛 読いただきありがとうございます。初めまして、 (雲)と申します。 私は、『綴葉』の編集委員として 7 月号から 活動しています。記事の執筆については、以前 商用ウェブサイトにて記事の作成をしていまし たので、僅かばかりの自信をもって書評に挑み ました。しかし、この数ヶ月を経て、書評の執 筆が単純にこれまでと同じ、または延長線上に あるものではないと感じます。 これだ、と思う本を読んだ上で、ただの紹介 にとどまらずに、読み易く評するところまで至 るのは、想像以上に骨が折れます。知識を問わ れ、考察力を問われ、表現力を問われる、とい 夕方早く日が落ち、涼しい風が抜ける瞬間 はもの寂しくもあり。過ぎた夏を未練がまし く惜しむように、今月はみなさまのお好きな 夏の花を募集したいと思います。以下の中か らもっとも好きなものを選んでください。 1. 向日葵 2. 露草 3. 胡瓜 4. 月下美人 (峰) 《応募方法》読者カードに番号をお書きの 上、生協のひとことポストにお入れ下さい。 または [email protected] まで。最も少ないも のを選んだ人の中から抽選で 5 名の方に図書 カードを進呈いたします。〆切は11月15日で す。 う具合ですので、執筆の段階では自分がまな板 6月号の解答 の上に置かれているような気分になります。こ れは何を措いても書評だからこその難しさでし 6 月号の「最も効果があると思う眠気覚ま しの方法は?」で最も多かった回答は、 「1.コ ーヒーを飲む」でした。応募者16人中 8 名が この回答を選びました。厳正なる抽選の結果、 図書カードの当選者は、Blueberryさん、く るまさん、リュサックさん、鉄釘さん、総角 さんとなりました。おめでとうございます。 (菊次郎) ょう。ただ、それゆえにやりがいのある作業だ とも感じます。 読むに値する書評となるよう尽力していきま すので、今後ともよろしくお願いします。私も 読書を楽しみ、書評の執筆を楽しみますので、 読者の皆様も読書を楽しみ、『綴葉』を楽しん でください。 (雲) 読者からひとこと ○私にとって勉強とは「論文を読むこと」な んですが…勉強も趣味も「読むこと」だとだ んだん趣味の時間が削られていきます。本当 (文・ぜんざい) は小説も読みたいんだけどなー。 ――すごくわかります! 私自身も院生にな ってから論文や専門書しか読まない時期があ りました。娯楽の本が読みたいのに、時間が もったいないと思って……しかし、綴葉に入 ってから考えが変わりました。自分の専門分 野とは関係ないもの、娯楽の小説などを読む ことも必要だと思うようになりました。とい うより、そもそも本を読むことは単なる「勉 強 」 で は な く、「 自 分 の 思 考 を 豊 か に す る 」 ためのものだと再発見しました。だから、小 説を読みたい時は読んでいいのではないでし ょうか? 論文とは違った形ですが、それも 自 分 の た め に な る と 思 い ま す。 微 力 で す が で充実したものになるよう、小説・ライトノ 『綴葉』編集部も皆様の読書生活がより豊か (あずき) ベルなど幅広い書籍紹介にも力を入れていき たいと思います。これからも何卒よろしくお 願いいたします。 16