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8
第一章 鈴歌祭
はちおとこ
夏の気配は失われ、ようやく秋がその姿を現した。
色んなことがあった。
れない。
―
蜂男 事件。
蜂男の再来。
へびがみななみ
ベヒモスと蛇上七海の来襲。
ま がみそうた ろう
僕
真上草太郎に降りかかったそれらの出来事を
めぐ
『マガミ』を巡る物語として語ることはできるかもし
だけど物語なんて、やっぱりろくなものじゃない。
あつれき
革命を夢見た学生は現実と理想との軋轢のただ中で
安易な箱庭的楽園に足を踏み入れ『終わって』しまっ
た。
文学を信じた小説家は現実と理想との軋轢のただ中
で己の孤独に耐えきれなくなり不確定の存在と化して
しまった。
現実的革命の物語も、精神的革命の物語も、どちら
も失敗に終わった。
何かを変えようとしたから、あるいは変わろうとし
たから、損なわれたのだろうか。
ならば変化なんて、季節の移り変わり程度のもので
いい。
ここから動く理由なんて、どこにもない。
僕に変化の物語は必要ない。
そんな物語の主人公になんてなりたくない。
二つの勢力。
えば、ここに二つの名がある。
例
はちおうじ
あ どういん
王寺と鴉堂院。
蜂
二つの家。
革新と保守。
対立の縮図。
だけど僕には関係がない物語。
それは僕の物語ではない。
蜂王寺と鴉堂院の物語だ。
第 一 章 鈴 歌 祭
9
ことだね」
まいぼつ
僕は変化なき日常を望む。
学園祭においてやる気のないクラスが選択する代表
格が休憩所的な出し物ともいえる。うちの学校では同
っけか?」
る。
結して歓喜に包まれるあたりが二年A組らしいといえ
の権利をゲットしたのである。そこでようやく一致団
A組は見事コストと労力を最小限に抑えられる休憩所
たクラスが他にもあったのだが、くじ引きで我が二年
実は休憩所と酷似した出し物と認定された案を提出し
こくじ
学年において出し物が重複することを禁止しており、
日常に埋没できればいい。
それが僕の望んだ世界だ。
*
きっさ
「さすがに、メイド喫茶はもう古いだろうって意見も
「何、それ?」黒姫カノンが、顔に理解不能の色を浮
「で、君んとこのクラスは、メイド喫茶になったんだ
出たんだけどねぇ」
か べ る。
「それって、学園祭に参加してるっていえる
「おっしゃる通り
くろき
秋。
こう中身は充実してるんだよ。漫画とかの読み物も百
の?」
僕の通う鈴歌学園では秋の恒例行事、学園祭が迫っ
ていた。
冊以上用意するし、インターネットができるノートパ
すずか
十月半ば。
「草太郎たちのクラスは何やるの?」
ソコンも設置するんだ。無料のジュースも用意するし
と言いたいところだけど、けっ
「僕らのクラスは、休憩所」
ね」
―
「休憩所?」
「他にも仮眠用の布団を用意するんだが、これはある
つぶ
時とかに、気軽に寄って休める場所を提供しようって
「うん、ちょっと一息つきたい時とか時間を潰したい
10
くじら べ
くぎ お
に鼻の下と顎に生えている髭があまりに似合いすぎて
髪の組み合わせが日本人離れした印象を与える。さら
野性味を残しつつ後ろへ撫でつけられた赤毛混じりの
鯨辺釘男は僕の幼 馴染で、幼い頃から地元の大鴉
し
市で一緒に育ってきた仲である。彫りの深い顔だちと、
入れる。
と教室内に受付とか盗難防止の見張りを交代で置くこ
「基本的にはセルフサービスっぽい感じだけど、入口
まれてる気もするわ」
る気のない出し物の存在意義について、詭弁で丸め込
「うーん」とカノンが考え込むように腕を組む。「や
意味もあるみたい」
学外の人に使ってもらおうってわけだね。各学年にひ
でもらって、学園内に設置されたベンチとか喫茶店は
いて、身長にも体格にも恵まれているから、俳優あた
とになってるから、別に何もしないで放置ってわけじ
意味身内向けのものだな」と鯨 辺釘男が補足説明を
りを目指せばわりと本気で人気が出るんじゃないかと
ゃないんだよ。雰囲気としては、漫画喫茶に近いのか
な
き べん
「そういや、アンタ」カノンがさりげない風にエメラ
とぼ
とつずつ休憩所みたいな出し物があるのは、そういう
僕は思っている。ただ初対面の人などからすると特に
な?」
ルドグリーンの瞳を、僕に向ける。
「蜂 王 寺 セ ラ と 鴉
たい あ
感情表現が乏しく見えるらしく、また釘男も決して愛
「やる気があるんだかないんだか、微妙に分かんない
じみ
想が良い方ではないから、俳優業は難しいかもしれな
のね」
「かといって保健室で休むというわけにもいかない。
堂院十夜、学園祭に誘ったんだって?」
おさな な
い。
そういうやつが軽く休める場所として使ってもらった
ひげ
「学園祭は準備で体力を使い切るやつなんかもいるか
「まあ、ない方だとは思うけどね」と僕は苦笑する。
あご
らな」低く通りの良い声で釘男はさらに説明を続ける。
らいいんじゃないか、という意図もある」
蜂王寺セラと鴉堂院十夜は、この国で古くから対立
とおや
「うちの学校の生徒には身内が用意した休憩所で休ん
第 一 章 鈴 歌 祭
11
する二つの巨大な勢力である蜂王寺家と鴉堂院家の娘
よくば、これをきっかけにセラさんと十夜さんも互い
はくあ
にもっと歩み寄ってくれるといいのだが。
たた
だ。今はいくらか落ち着いているものの、僕は以前、
ねら
間後だっけ?」
せいひつ
「あっちの学園祭は、こっちの学園祭のちょうど一週
あった。
そび
「みたいだね」
に聳える厳めしくも静謐さを湛えた白亜の建
丘の上
まな
や
築物を学び舎に持つレノア女学園。通称、レノ女。蜂
いか
さる事情によりこの二つの家から命を狙われたことが
―
王寺家・鴉堂院家という由緒正しい家柄の娘である蜂
そして今目の前にいる金髪の女の子
黒姫カノン
は、今でこそ学校指定の冬服を着てこんな風に教室で
学園祭について平和に駄弁っているけれど、実は父が
だ べ
派遣した僕の身を守るボディガードである。
月に起きたとある事件を通じてカノンの彼女たちに対
いなかった。しかし不幸中の幸いというか、ここ数ヵ
去年はまだセラさんや十夜さんに対してカノンの警
戒心が強かったこともあり学園祭に呼ぶことは考えて
自分に言い聞かせるように呟く。
パラス祭は、学園側の発行した招待状がなければ部
外者は入場できないようになっている。通っている生
らとったものらしい。
パラスというのはギリシャ神話の知恵や芸術の女神か
そんな閉ざされた女の園が他校に開放される奇跡の
日、レノア女学園の学園祭であるパラス祭は鈴歌祭の
王寺セラと鴉堂院十夜は、そこに通う生徒だ。
する警戒心も解けてきたようで、たまに一緒に遊んだ
徒の親が富裕層や地位のある人物が多いこともあって、
つぶや
りするくらいには仲は進展している。僕としてはこの
保護者からの要望もあるのだろう。
噓のような話だが、これは全て本当の話だ。
「あの二人なら信用できるから、大丈夫か」カノンが
学園祭に二人を招待することで、さらにカノンと彼女
対してあくまで一般的な生徒の通う鈴歌学園では、
一週間後に毎年開催されている。ちなみにパラス祭の
たちとの距離を縮められればと思う次第である。あわ
12
るだろうに『本人に教えてもらってないから』という
それと、セラさんらしいといえばそうなのだけれど、
釘男の家の住所くらい調べようと思えばすぐ調べられ
もちろんそんなシステムは存在しない。よほどの不審
者でもない限り誰でも入場可能だ。
理由で僕の家にまとめて送ってくるのは、律儀という
てなかったら、どうしようかと思ったわ」
「そっかぁ」カノンが胸を 撫で下ろす。
「私にだけ来
「うん、カノンのもあったよ」
そういえば、カノンには招待状の件はまだ教えてな
かったっけ。
「えっと草太郎、私には……来てた?」
と同様、僕とは幼馴染同士という間柄である。
うのは今年中学生になったばかりの釘男の妹で、釘男
凜ちゃんの分まで送ってくるあたりに、セラさんの
こま
き づか
細やかな気遣いが感じられる。ちなみに凜ちゃんとい
の分も一緒に」
開催日は十一月の半ばにずれ込むだろうという話だ。
僕らの住む大鴉市における秋の一大イベント大鴉祭
は、先月起きた爆破事件のせいで延期になっていた。
ないか」
念そうに言うカノン。「それじゃ来れなくても、仕方
空かないんだってさ」
に関わってることもあって、なかなかスケジュールが
まだちゃんと返事をもらってないんだ。大鴉祭の運営
「セラさんは来てくれるらしいけど、十夜さんからは
か、なんというか。
りちぎ
「そうそう、セラさんが招待状を送ってくれたんだ。
「セラさんは一人だけハブにするような真似しないだ
りん
住所を教えてもらってないからって、釘男と凜ちゃん
ろ」
ただ、あの事件を経たことでぴりぴりしていたカノ
ンと十夜さんの仲が改善されたのは嬉しい誤算だった。
なか
さい
ほおづえ
「大鴉祭は、学校の学園祭とは規模が違うもんね」残
たいあ
「蜂王寺セラと鴉堂院十夜は、鈴歌祭には来るって?」
「でもほら、もしもってこともあるじゃない?」
「でもメイド服かぁ」カノンが憂いの色を湛え、頰杖
な
「変なとこで気が弱いよな、君って……」
第 一 章 鈴 歌 祭
13
最初は戸惑ってたみたいだけど、楽しそうだったじゃ
と まど
を突く。
「私、正直なところあんまりコスプレには乗
ないか」
つ
り気じゃないのよねぇ」
「ま あ、ね」と カ ノ ン が 照 れ 混 じ り に 苦 笑 す る。
「あ
う づき
んな風にお祭りに参加したのって、初めてだったから」
ゆかた
「そうなの?」
かんちが
「ほら、夏に浴衣着た時さ、あの不良刑事の兎月さん
ろう
『 To Be With You
』を ぎ こ ち な い な が ら も 披 露 し た カ
ノンは、なかなかにかわいらしかった。
ひ
に勘違いしてるガイジンのコスプレイヤーみたいだっ
あの時のトラウマが、今も残
去年カノンのクラスがやったのはカラオケ大会だっ
た。当時唯一の持ち歌であったというMr.BIGの
て言われたじゃない?
ゆううつ
ってるのよね……」
「だったら、今年も楽しんじゃえばいいんだよ」
かす
はぁ、と憂鬱そうにため息をつき「私って、勘違い
してはしゃいでるみたいに見えるのかなぁ」などと、
「うん」カノンの表情が 微かに明る くなる。「そうね、
も
そうするわ」
気落ちした言葉を漏らすカノン。
しかし、夏祭りの時の京介さんの一言をまさかこう
も引きずっていたとは……やっぱりなんやかやでメン
彼女も変わった。良い方向に。
に浴衣姿をこっぴどく茶化され自信を打ち砕かれたと
タルが弱いんだよなぁ、カノンって。
いう、苦い過去を持っていた。
とある縁で僕は大鴉市の警察署の刑事である兎月
きょう す け
京 介さんという人と知り合いなのだけれど、今年の
「そんなことはないと思うけど」と僕はフォローを入
これが裏の世界では『金色の騎士』として恐れられ
ている人物なのだと説明しても、おそらく大半の人に
夏祭りの日、カノンは、ばったり道で会った兎月さん
れる。
「そもそも学園祭ってのはみんな同等にはしゃ
は信じてもらえないだろう。
ちゃか
ぐ権利を持ってるんだし、カノンも難しいこと考えず
例えば、黒姫カノンについて僕がここに並べるべき
こんじき
に、楽しんじゃえばいいんだよ。去年の学園祭だって
14
しかし、これが二つ名である『金色の騎士』として
の彼女となると、途端に語ることのできる内容は激減
は黒姫カノンのことを知っているつもりである。
など、僕としては、語ればきりがないと思えるほどに
最近は減ったが、口と同時に手が出るタイプ……など
の片づけが苦手。料理が得意。フルーツ牛乳が好物。
つまらんギャグにけっこうツボる。寝相が悪い。部屋
それから日曜朝の特撮ヒーロー番組にはまっている。
で有名な二年B組では人気者。近頃少年漫画とラノベ、
運動神経にも恵まれている。変人が集まっていること
アホの子が入っている説がある。学校の成績は良く、
気の弱いところも。おそらく根は素直なのだが、若干
ら、かなり可愛い部類。性格は勝気に見えるが意外と
リーンの瞳。何気にスタイル抜群。実は見た目だけな
黒姫カノンという同い年の女の子についてならそれ
なりに語れる自信はある。金髪ロングにエメラルドグ
情報とはどんなものだろう、と考えてみる。
ちょっと抜けたところがあって、でもすごく一緒にい
なぜならば、僕にとっての黒姫カノンとは、裏の世
界で恐れられる『金色の騎士』ではなく、同い年の、
まり興味がない。
には余る。そもそも『金色の騎士』について、僕はあ
する。それこそ『
(笑)
』でもつけない限りは、僕の手
『金色の騎士』としての黒
こ う し て 考 え て み る と、
ふ ずい
姫カノンに付随する情報は、どこか無味乾燥な感じが
ている)
。
ーを手配するため一時的にボディガードの任から離れ
その灰羽イスカは今、カノン用の新型パイル・バンカ
いう二人目のボディガードの使用していたものである。
り頃に僕のところへ父から送り込まれた灰羽イスカと
るパイル・バンカーは、さる理由から今年の夏の終わ
形する(ちなみに、現在カノンの右腕に内蔵されてい
もない技術で右腕がパイル・バンカーという武器に変
僕と一緒に暮らしている。初めて会った時はとても冷
かちき
はいばね
たい感じがした。とにかくべらぼうに強い。見たこと
する。父が真上草太郎を守るために送り込んだボディ
て楽な、そんな女の子なのだから。
ばつぐん
ガード。真上家にやって来た日から今日に至るまで、
第 一 章 鈴 歌 祭
15
ートするのは十時からだ。だが時刻は、まだ九時半で
とき
ある。何をそんなに盛り上がることがあるのだろう。
遅くまで残っていたようだが、担任の判断により、女
さすがはB組、気合が入っている。カノンもけっこう
らすかに頭脳をフル回転させた僕らのクラスとは違い、
逆に隣の二年B組は一部の生徒が泊まり込みまでし
て準備をしていたようだ。いかに合理的に作業量を減
学園祭の前日、僕らのクラスは二年生のクラスの中
で最も早く準備を終えた。
へと注がれる。
教室にいるクラスメイトたちの視線が、一斉に入り口
が、ちょこんと顔だけ出して教室を覗き込んでいた。
と教室の入り口あたりからカノンの声がした。見る
と、頭にフリルつきのカチューシャを載っけたカノン
そんなことを考えていると、
「草太郎、いる?」
だろうか。
本番に備えて鬨の声でも上げて、士気を高めているん
子たちは適当なところで切り上げて帰宅させられたら
申し訳程度の地味な開会式を終えると、生徒たちは
おのおの
各々教室に戻って最終チェック(といっても僕らのク
んをA組の低血圧どもに見せつけてやってください」
びっくりしたカノンが、顔を引っ込める。
あで すがた
「そ の 艶 姿 を だ ー り ん に
す る と「ほ ら、行 き な よ」
見 せ つ け て や る 絶 好 の 機 会 よ」
「わ た し た ち の 黒 姫 さ
のぞ
しい。
ラスはあんまりやることはないのだけれど)を始める。
黒姫さんにアタックするぞ」「ていうか真上は死刑だ!」
「きゃー黒姫さん真っ赤になってる! かーわいーっ」
「もう彼氏持ちでもいい、おれは学園祭が終わったら
「え? な、何?」
しかし、隣のクラスから断続的に大歓声が聞こえて
くるのは、どうにかならないのだろうか。
そして興奮冷めやらぬ祭りの準備期間が終わり、鈴
歌祭当日。
一般客に開放されるのと合わせ学園祭が正式にスタ
18
てっつい
僕はメイド姿のカノンを改めて観察した。自分の顔
お
が急速に、熱を帯びていくのが分かった。
「死刑だ!」
「鉄槌だ、鉄槌!」
「正義の鉄槌だ!」
「こ
のまま鈴歌学園祭殺人事件にしてやれ!」
「絶対に未
「ごめん」僕は照れ隠しのために顔を手で押さえた。
そうぞう
半変なの混じってたぞ)が聞こえてきた。
ふ
思いがけない攻撃力に、さすがの僕も動揺している
らしい。心臓がどきどきしている。僕はカノンをさら
「へ?」口は半笑いのまま、カノンが目を丸くする。
「普通に、可愛い」
解決にしてやる!」などという騒々しい声(なんか後
ふ きん
受付の机を布巾で拭いていた僕は、持ち寄った本の
リストとスチール棚に並べた本を照らし合わせる再チ
の中に足を踏み入れる。
「あ」
これだ。僕の求める『女の子』はこれなんだ。照れ
じ あん
方が引っ込み思案っていうか、つつましやかな感じが
うん、これはやばい。なんていうか
の子っぽい。
にじっくりと眺めた。
耳まで真っ赤になったカノンが、こっちを見て硬直
か
する。そしてなぜか照れくさそうに頭を搔き、
するっていうか。惜しむらくは先月まで二年B組にい
って、ちょっと
ェックの作業を行っていた釘男と一度、視線を交わす。
―
「あははは」
場にいないことだが……しかし、とにもかくにも今日
「ちょっ、ちょっと押さないでよ
と不器用な笑顔を作ると、それから腹を決めたよう
い ず
に居住まいを正し、こちらに身体を向けた。
のカノンは、素晴らしいクオリティだった。
せりふ
は
「どう思う、釘男」と釘男に振ってみる。
たキング・オブ・オンナノコ、灰羽イスカが現在この
すごく、女
「ど、どうっしょか?」
「いいじゃないか。とてもよく似合ってる」てらいも
―
多分、今のはあがってるせいで『どうっすか?』と
『どうでしょうか?』が混ざっちゃったんだろうな。
なくさらりとイケメンな台詞を吐いた釘男が、カノン
ぉ!」ととっ、とカノンが半ば押し出される形で教室
……。いや、それよりもだ。
第 一 章 鈴 歌 祭
19
「い、いや、なんか予想外の反応だったっていうか、
カノンは両頰を手で包み、湯気でも出そうなほど顔
を真っ赤にしていた。
姫?」
にややいぶかしそうな視線を向ける。
「どうした、黒
真上のシフトだけ増やしてやれ!」「どうせB組の喫
「訴 訟 も 辞 さ な い!」「法 廷 で 決 着 だ!」「そ う だ! ド 喫 茶 行 こ う か な ……」「て い う か、真 上 は 火 刑 だ! 組に入りたい……」「自由時間になったらB組のメイ
も お れ は や っ ぱ り 灰 羽 さ ん が 好 き だ ぁ っ」
「お れ も B
……世論が間違った方向に傾いている。しかも途中
せんどう
からA組の男子まで混じってたぞ。これが煽動による
「フルタイムシフトで押し潰せ!」
火刑!」「火刑法廷だ!」
「裁判だ!」「訴えてやる!」
想像してたのと違ったっていうか……うん、褒められ
茶店でいちゃつくに決まってるんだ!」
「潰せ潰せ!」
ほ
て嬉しいには嬉しいんだけどね」カノンがおずおずと
こちらを見た。
「ほ、本当に、似合ってる?」
動員というものなのか。
「うん、似合ってるよ」
「ほ、ほんとに?」
く、釘男っ!
カノンが勝ち誇った顔で僕を見おろしていた。
さ、さっきまで不安そうにもじもじしていたくせに、
ちょっと褒めるとすぐこれだ!
親友だと思ってたのに!
あ、あいつ逃げやがった
「ふっふ〜ん、人望がないと辛いわねぇ、草太郎」
―
だが振り向くと、先ほどまでいたはずの釘男の姿は
こつぜん
忽然と消えていた。
「ほんとに」
ひか
と、僕の視界の外に控えていたらしいB組の生徒た
ちがカノンに詰め寄ってくる。
「だから似合ってるって、みんな言ったじゃんっ」
「自
信持ちなよ」
「彼の誕生日にそれ着てあげれば?」
「な
ぞうてい
じん
んならその衣装、黒姫さんに贈呈しますけど?」
「くっ、
ふ
これでイスカさんがいれば完璧な布陣だったのにっ」
たい!」
「黒姫さん、ぼくとつき合ってくれぇっ」
「で
「ああ、イスカさんのメイド姿、一度でいいから拝み
20
ひね
ラが濃い生徒ばかりだから、やけに印象に残りやすい
全体的にキャラが薄い我らがA組と比べてB組はキャ
B組の女子がカノンに呼びかけた。あの三つ編みに
めがね
眼鏡の女子は確か、B組のクラス委員長だったはずだ。
「というわけで、黒姫さん」
だから!」
ったら兎月さんに今日撮った写真、見せつけてやるん
ことが今まさに証明されたというわけね。今度もし会
「これで、私が勘違いしてるコスプレ女じゃなかった
たらミスコンに出てくれる?』って訊いたら『いいわ
ゃあもし真上君がそのメイド姿を見て可愛いって言っ
に可愛いなんて言わないわ』って。そこであたしが『じ
も甲斐性もてんで期待できない鈍感バカだから、絶対
員長。「黒姫さん言ったじゃない」B組委員長が演技
「とぼけてもだめ」逃がすかと言わんばかりにB組委
るカノン。
「そんな約束、したかしら?」
「あ、あっれぇ?」わざとらしさ抜群の顔で空とぼけ
ん ん? ど う い う こ と だ? こ の 展 開 は 一 体 な ん
だ?
「あ」カノンの笑顔が固まる。
のである。
よ、ま、ありえないけどね』って言ったよね?」
り、自信に満ち
カノンが腰に手を当ててくいっと捻
た笑みを浮かべる。
「ん?」カノンがにこにこしたままB組委員長の方へ
「ちゃんと録音もしてあります」後ろに控えていたも
しょう
たいに示す。最近の携帯電話はICレコーダーにもな
か い
たちの勝ちだよね?」
るのか。いや、もしかして僕の二つ折り携帯電話にも
いんろう
ぶった仕草で掌と肩を上げる。「『あいつはデリカシー
し ぐさ てのひら
振り向く。
「何?」
う一人のB組女子がスマートフォンを黄門様の印籠み
「え?」
か
「真上君が可愛いって感想だったから、賭けはあたし
「もし真上君が黒姫さんのことを可愛いって言ったら、
同じ機能がついてるのか? ……。にしてもカノン、
本人がいないところで散々なこと言ってくれてるな。
ミスコン出てくれるって約束だったでしょ?」
第 一 章 鈴 歌 祭
21
触りのいいフレーズをサプリっぽく持ち出すやつに限
ざわ
誰が鈍感バカだ、誰が。
って、実は自分が見たいものしか目に入っていないと
あや
ノン。
」笑顔にさりげなく拒否感を漂わせ身体を引くカ
「なんで今日に限って気の利いたこと言ってんのよ!?」
しっと両手で肩を摑む。
―
「で も ほ ら、私、そ う い う の 向 い て な い っ て い う か
いう真理を。
「あ、あれはその、なんていうか……言葉の、綾?」
つか
口の形こそ笑っているが顔面蒼白になったカノンが、
にら
一歩後じさる。そしてなぜか僕をキッと睨みつけると、
むなぐら
「その流れは明らかにおかしいだろ!? 話を聞く限り
ぼ けつ
どう考えてもこれは君が勝手に墓穴掘ったっていうお
「は、はひっ!」
突然胸倉を摑んできた。
間抜けエピソードじゃんか!」
き
「黒姫さん」慈しみの表情でB組委員長がカノンの肩
きらり、とB組委員長のレンズが光る。
ただ
「元を糾せば、ライトノベル? だっけ? の文化祭
定番イベントになってるメイド喫茶をやってみたいっ
にとん、と手を置いた。
「観念しなさい。それにこれは、
「黒姫さん!」B組委員長がカノンを向き直らせ、が
B組の総意。大丈夫、あなたほどの素材とその衣装が
て最初に言い出したのは、あなただったわよね?」
いつく
合わされば、優勝はほぼ間違いないわ」
「う」と痛いところを突かれた顔になるカノン。
個人的には少女漫画の定番でもあることを忘れない
でほしいところだが、この場は沈黙を守るとしよう。
「え? この衣装で出るの!?」
「あなたは学園内におけるステータスを得、そしてあ
たしたちは食堂の食券を大量にゲットする。ちょっと
もし少女漫画好きだった三男の兄が聞いたら『むしろ
をとったであろう。……。どうでもよすぎる話である。
かま
古い言葉だけど、これがいわゆるウインウインの関係
源流は少女漫画の方が先ですから』と徹底抗戦の構え
僕は知っている。ウインウインとか真理とかいう耳
みみ
ってやつなのよ。つまり、これが世界の真理なの」
22
つる
ないのよねぇ』とか憂鬱そうに言ってたよな?
があるんだ。君、この前なんて言ってたっけ? 確か
『私、正直なところあんまりコスプレには乗り気じゃ
「みんなあなたの提案に乗った。さらに勝負にも乗っ
を押
B組委員長は威圧感を従え、くいっと眼鏡の蔓
し上げる。
た。それも互いに同じ条件下でのフェアな勝負。不正
た
ここまで言えば、
メイド喫茶をやってみたいって最初に言い出したの
が君って、どういうことだよ。
―
もなし。そして勝負の結果が出た
分かるわね?」口元から一瞬よだれが垂れそうになっ
う
たが、B組委員長は即座にじゅるりと音を立てて引っ
抵抗は無駄と悟ったのか、カノンは、
封じる圧力があった。その一糸乱れぬ統一感にもはや
B組委員長の放つ迫力、そしてその後ろに控えてい
るB組生徒たちの放つオーラたるや、いかなる反論も
つまりね、食券を乱用したいのよ」
たのではあるまいか
質を取るための策をすでに縦横無尽に張り巡らせてい
だした時点で、彼女が拒否権を発動できないような言
部たち(?)はメイド喫茶をやりたいとカノンが言い
このたびの一件を振り返ってみると、メイド服着用
時における黒姫カノンの爆発力がものすごいであろう
込めた。
「あたしたちは飢えているの。飢えた獣なの。
「分かった……出るわよ」と観念したように視線を逸
開しながら、僕は釘男と校門に向かっていた。
ち
げん
などという陰謀論を脳内で展
空は予報通りの快晴。まさに学園祭にふさわしい空
学園祭を回ることができる。
―
とあらかじめ予測していたB組委員長を始めとする幹
ら し た。
「だ け ど、も し 優 勝 で き な く て も、そ の ……
いっし
がっかりしないでよね?」
なぜ校門へ行くかというと、ある人を迎えに行くた
めだ。僕のシフトは午後からなので、午前中は自由に
わ
歓声が沸きあがる。
相変わらずB組は楽しそうで何よりだ。
しかしカノン、ひとつだけどうしても気になること
第 一 章 鈴 歌 祭
23
模様。秋の空は夏の瑞々しい空と違って強い透明感が
「お祭りは友だち同士で行く方が楽しいもんね」
誘った方の都合で昼過ぎからになったらしい」
みずみず
あった。吹く風も夏の生命力に満ちたものとは違い、
「本人としては不本意だったようだがな」
さわ
どこかすっと胸のすくような爽やかさを含んでいる。
ほほえ
「さあな」釘男がふっと微笑む。「なんでだろうな」
すでに一般開放の十時を回っている。ふと目を向け
るとぽつぽつと一般客の姿が確認できた。
げたくなる気持ちも分かるけどさ」
ろしいものだからね」僕は校舎の時計を見上げた。
「逃
「ま、一致団結した世論の力ってのはいつの時代も恐
「悪い」釘男は弁解もせず素直に謝った。
はなんで逃げたんだ?」
「で、釘 男」僕 は 恨 み が ま し く 釘 男 を 見 た。
「さ っ き
代わり立ち代わりに漂ってくる。
和な雰囲気を纏った小柄でかわいらしい子だったとい
得られなかったが、当日目撃した生徒の話によると柔
ともあって、残念ながら僕は一ノ瀬さんに会う機会は
足を運んでくれていたのだとか。去年は初めて体験す
いうらしい。レノ女の二年生で、実は去年も鈴歌祭に
あいつはあいつで待ち合わせをしている人がいる。
いち
せ
なんでも知人の妹にあたる人で、名前は一ノ瀬さんと
校門に向かう途中で、僕は釘男と別れた。
たいのだろう。
るし。そんな子からしたら、昼まで待つなんてじれっ
多分、凜ちゃんはお祭りが好きなんだろうな。現に
いつも色んなお祭りに一緒に行くと嬉しそうにしてい
「なんで?」
この日は中庭や昇降口前が普段とは違った活気で満
あふ
ち溢れる。部活動主体で行われる模擬店のほとんどは
校舎外に設営されており、今年も目に楽しい屋台が道
にお
「凜ちゃんは昼過ぎから来るんだっけ?」
う。
の両脇に並んでいた。少し歩けば食べ物の匂いが入れ
「上のきょうだいが鈴歌に通っている同級生が何人か
まと
る学園祭に戸惑い気味なカノンにかかりきりだったこ
いて、せっかくだから一緒にと誘われたみたいだな。
24
いや、でもあの人なら
ありえなくも、ないのか?
に置けないよな。
釘男のやつ、ああ見えてけっこう隅
そう思わせてしまうのが彼女の恐ろしいところだが
……。見つけられなかったことにして、このまま引き
―
ただ釘男は恋愛面においては鈍感なところがあるか
ら、もし彼に好意を持った女の子がいたとしたら苦労
返すべきだろうか。校門周辺を半ば占拠している生徒
すみ
しそうだ。今後彼に想いを寄せるかもしれない女の子
たちの中にはクラスメイトや二年B組の生徒の姿も窺
うかが
のためにも今度そのあたり、やんわり指摘しておくと
える。ここのところつまらない誤解ばかり受けている
って、なんだあれ?」
身としては彼女があの人だかりの中心にいるのだとす
せんきょ
しよう。
「
―
嫌な予感しかしない。よし……引き返そう。
きびす
―
決意を固めてこの場を離れようと踵を返し
「おい草太郎! こっちだ、こっち!」
―
、
れば、新たな誤解を生じさせる未来しか予測できない。
校門前に人だかりができていた。芸能人でも来てい
るのだろうか。うちの学園祭、芸能人なんかは招いて
ないはずだけど。
周囲を一度、確認してみる。
待ち合わせは校門前の約束だった。
かけて、結局踏みとどまらざるをえなくなった。
見つ、かってしまった、か。
鈴歌学園の制服で作られた人垣の向こうでぴょんぴ
ょんと手をあげて飛び跳ねる物体が視界に飛び込んで
僕の視線は、再び人だかりの方へ。
うーん。まったくありえない話じゃないとは思うけ
れど。あの人だかり……まさかな……。
「すまん、通してくれっ」
発色の良いハニーブロンド。宝石のような空色の瞳。
奇跡の均整という美を深く人々に刻みつけつつ周囲を
くる。
芸能人のように世間で顔が売れている人物は周囲に
人を集めても特に不思議はない。けれど単に美人だと
か綺麗だとかいう理由で、人は吸い寄せられるものだ
ろうか。
第 一 章 鈴 歌 祭
25
ートを揺らしながら、黒のタイツに脚を包んだ美少女
取り囲む人々をかき分け、チェック柄の赤いミニスカ
類の損失だと僕は常々、わりと本気で思っている。
「つ
る彼女にはいつか誰かが適切な教育を施さなければ人
めたくなる笑顔で己の価値を自ら損なう言葉を口にす
「なんつーアンケートを取ってんだ!」思わず抱きし
ーか鈴歌の純朴な男子生徒たちを、毒牙にかけんでく
ほどこ
がとことことこちらに迫ってくる。
あみあ
僕は一歩、身を引いた。
ださい」
姿は奇跡の業によって生み出された美の人間国宝と呼
だろう。歩く目の保養と呼んでもいいくらいだ。その
美少女という言葉をそのまま具現化した存在がこの
世にいるとしたら、彼女のような人間のことをいうの
セラさんが両こぶしを脇の前にあげ、くるりとその
場で回転して見せる。スカートと黒のリボンで結んだ
「さて、真上草太郎クン」
フェクトだ。
にするだけならば問題はない。観賞用としてならパー
出会えたことは嬉しい。姿を拝めただけでも得した
気分だ。ていうか僕の好みど真ん中のルックスだ。目
んでも過言ではない。精巧なお人形さんと見紛うほど
髪が、ふわりと流れた。
茶色の編上げブーツが、僕の前で動きを止める。
もうなんとなく予想はできてたけど、予想的中。
蜂王寺セラ。
の端麗な美少女は後頭部に手をやって、からりと笑っ
「今日のセラさん、何点でしょうか?」ぱちんとウイ
わざ
た。
かるという自覚があるからです。ましてや今のセラさ
ひる
わき
「暇だったのでさっき女子小学生だと身分を偽って『お
ンクを飛ばすセラさん。
「当然、性的な意味で」
まご
にいさんたちは私から告白されたら恋人としてつき合
「十点そこそこです」怯 まず言っ てやった。
「僕 は あ
み
えますか?』というアンケートを男子諸君から取った
ざといのは嫌いです。なぜならば自分が簡単に引っか
この国の男子諸
らほぼ十割がYESと回答したぞ!
君、いい具合に終わってるな!」
26
んからは、僕をからかってやろうという悪意しか感じ
んなリアルハーレムみたいなことって、マジであるの
の金髪美 少女って、あれとはまた別の子なの?」
「あ
ね
かな
か」「しかもご多分に漏れず、やはり冴えない感じの
さ
ません」
男がモテてるのか」
「セオリー通りなのか」
とろ
セラさんが緩い握りこぶしを作り、前方に上半身を
屈め、くにっと手首を曲げた。そして首を傾げて覗き
込み、甘えるような蕩けた顔をした。
いう感想は心から余計なお世話だった。……。ていう
いつの間にか捻じ曲げられ誇張されていく哀しき事
うんぬん
実誤認も見過ごせないが、それ以上に冴えない云々と
かこの流れをあらかじめなんとなく予感していた僕の
「あざといってこういうことか、にゃ?」
愛いなぁちくしょう!」
勘はむしろ、冴えわたっていたわけだが。
「そういうことですよ……ああでもくそ、やっぱり可
「ん〜? 可愛い? 誰が? 聞こえないですにゃ?」
「う、うぅ……」
「ふむ、つまり草太郎は私とにゃんにゃんしたいわけ
あいさつ
しお
」入店直後にぱぁ
「おかえりなさいませご主人さ
―
か、よく分かった」
っと花開いた笑顔は出迎えの挨拶を終える頃には萎れ
「ふーん、蜂王寺セラさんとご一緒に来店とは、これ
僕に向けた。
接客態度としてはレッドカード寸前の無愛想金髪メ
イドがだらりと両腕を垂らし、死んだ魚のような目を
「やあ、カノン」
てしまっていた。
「ま」
頼むから黙っててほしい。本っ当に、黙っていてほ
しい。
そしてセラさん、このタイミングはまずい。これで
は再び世論が……。
「あの美人さん……まさか真上の恋人なのか?」
「え? ―
真上ってあれだろ? 金髪の美少女と銀髪の美少女を
どう せい
はべらせて同棲までしてたっていう
」
「は? 例
第 一 章 鈴 歌 祭
27
「ほほぅ!」感嘆の声を上げ、セラさんがぐぐっとカ
また仲の良いことで」
「使うって、何に?」
「使う?」カノンが頭上にはてなマークを浮かべる。
いになってしまう。
」
「決まっているだろう」セラさんが言う。「夜の
目を輝かせるセラさん。
「これは女の私でも、本気
で襲いたくなるぞ!」
「黒姫さん」こちらもメイド服に身を包んだB組委員
―
ノンに近寄る。
「最高に似合ってるじゃないか、カノ
「少し黙ってろ!」僕はセラさんの口を咄嗟に封じた。
「いっつもひと言余計なのよアンタは!」
長 が、セ ラ さ ん を 手 で 示 し た。「そ ち ら ど な た? ど
とっさ
ン!」
「一言も二言も余計だとしても、心から賛辞を贈るべ
っかの国のお姫様が、お忍び旅行中?」
かし
「え?」急 に カ ノ ン が 照 れ 顔 に な る。
「そ、そ う か し
きハイクオリティであることに疑いの余地はあるまい。
セラさんが膝のあたりに両手の先を添えて、慇懃に
じ ぎ
お辞儀をした。
ら?」
不思議そうにカノンが小首を傾げる。「?」
この世には知らなくてもいいことがあるんだよ、カ
ノン。そして知りすぎると、ここにいる残念な人みた
そ う か、黒 姫 カ ノ ン に メ イ ド 服 と い う 手 が あ っ た か
「草太郎の義姉で、真上セラと申します」
しの
……ふむ、このすらりとしつつも肉感的なスタイルと
「ふざけんな」
いんぎん
メイド服との組み合わせには、実にけしからんものが
「血が繫がっていないから、あんなことやこんなこと
ができてしまうのです」
ね
ある。凶器だな」
「あえてツッコむと、姉弟という設定を持ち込んだこ
あ
「思考が、完っ璧におっさんだ」と僕。
とで、むしろあんなことやこんなことはしづらくなる
つな
感心した顔で唸りを上げるセラさん。
「写真でも使
えるレベルだな」
うな
「おい」
28
ゆず
でしょうに」
にら
一歩も譲る気のないガチな顔で、セラさんが僕に睨
みを飛ばしてきた。
「キミは馬鹿か。近親相姦的シチ
席に案内され、僕らは紅茶を二つ注文した。
、まだ開店して三十分くらいしか経
店内を見る限り
かか
っていないにも拘わらず客の入りは上々のようである。
ュエーションだからこそ、燃えるんじゃないか」
「こんな義姉、絶対に欲しくない……」
れたボードが載っかっている。
メイド姿の女生徒が銀の盆で運んできたカップをレ
ース柄のクロスの上に丁寧に置いて、お辞儀をして戻
ぼん
入り口に設置された椅子には『写真撮影禁止』と書か
結局セラさんと僕の関係は、カノンがぼかしてB組
委員長に伝えてくれた。こういうところは気が利く金
髪メイドであった。
あき
っていく。
手前に置かれたカップを手に取って一口飲み、セラ
さんが言った。
カノンが呆れて、吐息混じりに仕切り直す。
「とりあえず草太郎が、血の繫がってない義姉が好き
から」
「そういえば、今日は鴉の娘も来ているのか?」
なヘンタイだってことが明らかになったのは分かった
「思考を放棄せず、真実をとらえようとする努力をし
「それなん ですが」と僕は微かに口ご もる。
「今 日 来
からす
ようぜ」
セラさんは基本、十夜さんのことを『鴉の娘』と呼
ぶ。
適当な態度で僕という存在を適当に歪曲したカノン
たた
が、ぺしぺしとメニューで僕の頭頂部を叩いた。Mっ
ぶ べつ
「十夜さんの携帯電話の番号知らないんです、僕」
「今携帯電話で訊くことはできないのか?」
るか来ないかの返事、当日までにもらえなくて」
ご注文は何かしら、ご主人様?」
表情で、カノンが言った。
気のある人ならば文句なしにおすすめできる侮蔑的な
―
「で
第 一 章 鈴 歌 祭
29
「会うたびに訊こうとは思ってるんですが、なんかい
う?」
「だ が、最 近 は た ま に 直 接 会 っ た り し て い る ん だ ろ
ることはできないって言われましたし」
よね。携帯電話の番号も、本人が教えない限りは伝え
「本人が在宅してないと取り次いでもらえないんです
かけるとは思っていなかった」
「それはそうだが、まさか日常的な用事であの番号に
ゃないですか」
「鴉堂院の家の番号を教えてくれたのは、セラさんじ
「え? 何がですか?」
「相手は仮にも、鴉堂院だぞ!?」
セラさんが紅茶を吹きそうになる。
「す、すごいな、それは!」
ます」
「十夜さんに電話する時は、鴉堂院の家に直接かけて
「そうなのか? え? なら普段どうやって連絡を取
っているんだ?」
があるからなぁ。なんとかぎりぎりまでスケジュール
に視線を落とす。「あの娘、あれで生真面目なところ
「それはそうかもしれんが」セラさんがカップの中身
すよ」
てわけでもないですし。こればっかりは、仕方ないで
すから。鈴歌祭には誘ってみただけでもちろん強制っ
からずじまいなんです。それに今、彼女は忙しい身で
「まあそういうわけで、十夜さんが来るかどうかは分
紅茶を一口飲み、僕は花の模様をあしらった受け皿
の上にカップを置いた。
ずよく分からん男だな」
した。「キミは強気なんだか奥手なんだか、相変わら
「お義姉さんは、そう思います」厳めしくひとつ頷い
アドの交換は難しいんじゃないか?」
引にでも草太郎の方から切り出さないと、番号やメル
ぁ」ぼ や く よ う に 言 っ て、セ ラ さ ん が 唸 る。
「少 々 強
え
いか
き
ま
じ
め
てから、セラさんは打つ手なしといった風に肩を落と
ね
「そうですかね」
「鴉の娘はそういうところ、奥手な感じがするからな
つも訊きそびれちゃって」
30
スマートフォンを手に取って操作した後、セラさん
の表情が曇った。口元に手を当て、その表情がさらに
セラさんの手元に置いてある黄色いスマートフォン
が鳴った。
「
っと、すまん」
なるくらい、真面目な人ですから」
「そんな気はしますね」僕は苦笑した。
「少し心配に
を調整しようとはしたと思うぞ?」
れません」
「そういうお義姉ちゃんだったら、少し欲しいかもし
「ここはひとつ、お義姉ちゃんに甘えておきなさい」
「僕とひとつしか違わないのにすごく大人ですよね、
い詫びの気持ちだ」
「何、軽
し よ う」諭 す よ う な 微 笑 み を 作 る セ ラ さ ん。
「せっかくの学園祭だし、つまらん譲り合いはやめに
た。
セラさんって」
さと
深刻めいたものへと変貌していく。そして、
セラさんはにっと笑いかけると、スカートの裾を軽
ひも
く直して、バッグの紐を肩にかけた。
わ
「すまん草太郎……少し、出てくる」
「さてと」セラ さんが申し訳なさげに 言った。「すま
―
と言った。
「分かりました」セラさんのスマートフォンを見やる。
んな、用事が済んだらメールか電話をするから。それ
へんぼう
「急用か何かですか?」
で、どこかで落ち合おう」
すそ
「いや、学校からは出ない……と思う」歯切れ悪く言
」セラさ
い、セラさんの目が再びディスプレイをとらえる。
「だ
―
がこれは個人的に動かなくてはならない
セラさんが僕の肩にそっと手をかけた。そして、
「それとカノンのことだがな、学園祭が終わったらし
いたわ
んの目が細く据わった。
「だろう、な」
っかり労ってやれよ? 本人は隠しているつもりかも
しれんが、あれは慣れないことで相当気を張っている。
す
セラさんは椅子を引いて席を立つと、伝票の上にお
金を置いた。二人分の金額だった。
今はまだ元気そうだが、学園祭が終わる頃にはへとへ
い
「セラさん」僕は拒否の響きを持たせて名前を口にし
第 一 章 鈴 歌 祭
31
いちず
とになっているだろう。手を抜くということを知らん
一途さは、個人的には好印象だがね」
ら漂わせ始めた
すっかり定着しやや時代遅れな感す
ひ
メイド喫茶とはいえ、やはり興味を惹く出し物ではあ
「あなたはいつも、本当にずるい」
ですけど」
るらしく、客の数はさらに増えてきていた。回転率の
と耳打ちした。
「分 か っ て は い る つ も り で す」と 僕 は 返 す。
「一 応、
「ん、ならいい。ふふっ、余計なお世話だったかな?」
を出ることにした。
―
会計を済ませ、廊下に出る。
こともあるので、僕は紅茶を飲み終えると、すぐに店
ぽんぽんと去り際に僕の肩を叩き、セラさんは教室
を後にした。
運びながら、僕は忙しなく動き回っているカノンを眺
せわ
どうしたものか。
さて
カノンの休憩はまだ先だし、女の子と二人きりでい
る釘男のお邪魔虫になるわけにはいかない。凜ちゃん
視線を一身に集めるセラさんの背中が見えなくなっ
た後、湯気のすっかり薄くなってしまった紅茶を口に
めた。
まい、再び合流するのはもう少し後になりそうだ。
、
「あ、真上君」
事に埋まっていた。みんな暇なんだろうか。
―
居場所を求めて隣の休憩所を覗いてみたが、これが
思いのほか
というかまあ例年通り盛況で、席は見
一緒に回ろうと思っていたセラさんは急用が入ってし
は昼過ぎにならないと来ないし、学園祭を案内しつつ
セラさんの後ろ姿を思い出す。
ぬ
多忙な中スケジュールの合間を縫って足を運んでく
れたのも、気にかかることがあるのにそれを隠して気
―
楽な風を装う気遣いも
あなただって、同じじゃないか。
いらだ
どう表現したらいいのか分からない不可解な苛立ち
を覚えつつ、僕は呟いた。
32
「さっき真上君を探してるって人が来たよ?」
「何?」
と、今後の行動を思案中だった僕に、クラスの女子
が声をかけてきた。
「?」受付の女子二人は三度、納得のいかないような
はないよ」
「あ は は、違 う 違 う」と 僕 は 笑 っ て 否 定 す る。「そ れ
わけじゃないの?」
顔で視線を交差させ、そして僕を見上げた。
「じ ゃ あ
にいたのさっき見たんだけど、あの人はカノジョって
「僕を探してる人?」
あの人たちって、真上君にとってどういう人?」
」左の女子が側
受付の女子二人が顔を見合わせる。左の女子が気を
回すような表情で言った。
―
「うん? 友だちだけど?」
「どういうレベルの?」
「レノ女の制服を着てて、それで
頭 部 に 両 手 で ツ イ ン・テ ー ル を 作 る。
「こ う、つ や つ
」友だちにレベ
ルと言われても。「そうだね、あえて言うなら釘男と
―
「どういうレベルって言われても
ゆ
やな黒髪を、リボンで二つに結ってた」
「もしかして真上君ってさ、私たちが思ってるよりも、
に当てた。
せ身を乗り出し、内緒話でもするかのように手を口元
「え?」僕は驚いて言った。「なんで?」
引き取るようにして、左の女子が続いた。
「そんなんだと、いつかばち当たるよ?」
「真上君、それは罪作りってもんだよ」
右の女子が額に手を当て「あちゃ〜」と眉根を寄せ
る。
同じくらい大事な友だち、かな?」
ずっとモテる人?」
……心当たりがある。
受付の女子二人が再び互いの目を合わせた。それか
ら右の女子が「あのさ」と探るような表情で腰を浮か
「あはは」と僕は笑う。
「だったら、いいんだけどね」
「二度見するくらい宝石ちっくな子と隣のメイド喫茶
第 一 章 鈴 歌 祭
33
―
いや、やめておこう。
これでいいんだ。……。僕は、これでいい。
つらつらと思考しながら、僕は今昇降口からちょう
ど体育館裏の近くまで歩いてきたところだった。この
鯨辺釘男が、鯨辺凜が、灰羽イスカが、蜂
僕は
王寺セラが、鴉堂院十夜が好きだ。黒姫カノンが好き
だ。
ひま
僕を訪ねてきたという人物を探すため校舎の内外を
探し回っていたのだが、未だ発見には至っていない(正
分かりやすく人の賑わいが減っていった。
にぎ
あたりだと、少し戻ったところにチョコバナナの屋台
がぽつんとあるだけだ。昇降口からここに来るまでに、
―
じゃああの人たちって、真上君にとってどうい
う人?
さかのぼって考えてみればいい。僕が彼女たちと巡
り合えたのは、幸運に恵まれただけのことだ。努力の
結果ではなく環境の結果だ。それ以外には何もない。
もない』ことくらいおのずと浮かび上がってくるはず
かといって髪を二つに結っている女の子なんてたくさ
の生徒も来ているため制服での判断はあてにならない。
地元ではプレミア視されてるあのレノ女の黒い制服
なら遠目からでもけっこう目立つのだが、他のレノ女
直に告白すると暇つぶしの意味もあった)。
だ。……。自分自身を知っているということは不幸へ
んいるし、何よりあの人出である。人探しなんてまと
彼女たちが僕にとってどういう人かだって? 僕とい
しぼ
う存在に注意深くフォーカスを絞ってみれば僕には『何
なんて、自分の構成要
―
と反転する不安定さと常に隣り合わせなのだというこ
答しているわけだけれど、ただ、実際はそんな理由で
身が生み出している、みたいなことを偉そうに自問自
素が今の僕を形作っているのだから原因と結果は僕自
相手の番号を知らないことが、こんなところで地味に
特に確信もなくここまで歩いて来てしまったが……
こういう時こそ、まさに携帯電話の出番だというのに。
もにできやしないわけで。
とを嫌でも痛感させられる
はなく、ひょっとすると僕は……。
34
効いてくるとは。
腕時計で時間を確認しつつ、ふとセラさんのことを
思い出す。
さく
そういえば急用とはなんだったのだろう? 学内に
せん
は残っているみたいな口ぶりだったけど……いや、詮
索はよくないな。自分のためにも。
えり
「そこの男子生徒ちゃん、ちょっとお尋ねしてもいい
かしら?」
姿の女の人がいた。
振り向くと、僕の後ろに抜き襟
右手にビニール袋を持っている。
「このあたりでこの子ぉ、見なかったぁ?」
彼女はタブレット型の黒い小型端末(スマートフォ
ンとは少し違う感じがする)のディスプレイを、左手
にしてもメイド喫茶か。もしいたら灰羽さんはメイ
「あれ?」
で僕に示した。
ド服を着てくれただろうか? 僕が女の子に抱く願望
をほぼ百パーセントに近い形で体現してくれる灰羽さ
ここに映ってるの、十夜さんじゃないか?
まつげ
「あら? あらあらあらあらぁ?」女の人が睫毛をぱ
しばたた
ち ぱ ち と 瞬 か せ た。
「あなたもしかして、真上草太郎
まだ時間は、カノンの休憩にはほど遠い。僕は校舎
の方を見やる。
んならば、きっと僕の期待に応えてくれたに違いない。
ちゃん?」
こた
灰羽さんの不在は悔やんでも悔やみきれない。もし断
「え? ええ、そうですけど」
「ひょっとして十夜さんの身内の方、ですか?」
「半分、正解」
十夜
られても僕はプライドをかなぐり捨てて着てくれと頼
はっ!?
―
み込んだだろう。そのくらいの価値はある。この世に
灰羽さんの愛らしさに敵う女子がどれだけいるのだろ
かな
なんで僕の名前を知っているんだろう?
……待てよ。この人の顔立ち、どことなく
さんに似ている気がする。
―
」
うか。膨らむ妄想。メイド姿の灰羽さん。恥じらいと
献身。さ、最高じゃないか……、
―
「な、何を考えているんだ僕は! 灰羽さんは男
第 一 章 鈴 歌 祭
35
女の人はそう言って大きな胸の谷間の中へ小型端末
をしまうと(そんなところにものをしまう人に生まれ
て初めて出会った)
、ビニール袋から模擬店で買った
らしいクレープを取り出し、むしゃりとかぶりついた。
な
そして口の回りに付着したクリームを、長い舌でれろ
りと舐めあげた。
「わたくしはこの世界の、唯一にして絶対なる正常者」
さんぱくがん
はだけ気味の黒い着物に身を包んだ女は、宣戦布告
か
でもするかのように、半分嚙み切られたクレープを僕
し
こう
や え ば
む
し
こう
む
し
こう
せん かん や ま と
に突きつけてきた。そして三白眼をかっと見開くと、
む
その凶悪な八重歯を光らせ、笑った。
「無試行にして無施行なる無思考の『戦艦大和』
、マ
―
」
サニ絶『対』絶命ナルコノ欲望ノ大海原ヲ直進セリ、
かじ
そうしてこの世界を救う者、それがこのわたくし
ひるがお
はむりっ、と彼女はさらにクレープを齧り取った。
「鴉
堂院、昼顔よ?」
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