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発表要旨
先住民族「聖地」開発をめぐる攻防-米国ニューメキシコ州テーラー山におけるウラン鉱山開発の事例考察
総合研究大学院大学
文化科学研究科
玉山
比較文化学専攻
ともよ
天然資源エネルギー開発において、その開発対象となる地域が、先住民族の居住地であり、かつその
先住民族自身が文化的・宗教的に「聖地」であると認識している場所が、開発のターゲットとなるケー
スが地球上で相次いでいる。本発表では、アメリカ合衆国南西部ニューメキシコ州内のテーラー山とい
う、地元先住民族が聖地とみなしている山における、ウラン鉱山再開発を取り上げる。同地では、ラグ
ナ、アコマ、ズニ、ホピの 4 プエブロ系先住民族と、アサバスカン系のナヴァホによる5先住民族政府
が共同で、同山を州の「文化遺産」として認定させることによって再開発を阻止しようとした。
本発表の目的は、聖地の文化遺産認定を開発阻止の手段とする試みについて考察することである。開
発を行う際に今日ではほとんど必ず環境影響評価というのが先に行われるが、社会影響評価というもの
も同時にあるいは付随的に行われる。しかしこの社会影響評価は、必ずしも環境影響評価ほどの開発の
必要条件となっていないことが多い。文化遺産認定ということが、どれほどのインパクトを当該地域の
社会に与えるか、社会影響評価の中でそれがどれほど評価され、法的拘束力を生むほどのものと成りえ
るのか、現在も攻防が続いている状況を分析する。
まず、この地域におけるウラン鉱山開発の歴史や社会的背景について述べる。1940 年代以来冷戦期
まで、ウラン鉱山は原爆をはじめとする核兵器開発の目的のみのために開発されてきた。ウランの買い
手も 71 年までアメリカ政府が唯一であったが、1960 年代に原子力発電の燃料用に用途が拡大し、民間
の商業用の原子炉に利用され始めた。しかし 1980 年代に入るとウランの国際価格が暴落したので、ア
メリカ国内のほとんどのウラン鉱山は、90 年代初めまでには閉山となった。しかし近年、地球温暖化の
問題が顕著となると、2007 年に価格が急上昇したために、再び同地域においてウラン鉱山開発申請ラ
ッシュが起こった。
次に、地元先住民族とのかかわりについて言及する。ウラン鉱山開発に伴い、最も深刻な環境汚染と
健康被害を被ってきたのは、有色でかつ貧しい人々であった。人種や民族の違いによって享受できる環
境に格差が生ずることを「環境不正義」あるいは「環境レイシズム」と言い、そのような問題全体を総
称して「環境正義問題」と言う。この地域の先住民族労働者は、鉱山開山当初から劣悪な労働環境にお
かれ、放射能汚染の危険を知らされずに働き被曝した。同時に、労働者だけでなくその家族も、ウラン
の粉塵が付着した衣服に触れたりすることで被曝した。また鉱山の周辺に住んでいた者も、隔離されて
いないウラン残土置き場に自由に行き来でき、例えばホーガンと呼ばれる土を使った伝統的家屋の資材
なども、そこから容易に調達することが可能だったため被曝がより拡大した。地理的に先住民居住地付
近での開発が多数行われた結果、多くの健康被害が先住民保留地に集中した。
第三に、放射能廃棄物の杜撰な後処理とそれによる健康被害について述べる。ほとんどのウラン鉱山
が閉山となったときに、それまでの重金属を含む放射能廃棄物の処理がきちんとなされておらず、低レ
ベル放射能廃棄物を放置・遺棄した場合が多かった。現在でもナヴァホ保留地内だけで、約 1000 箇所
以上の未処理のウラン鉱山跡や精錬所跡が存在する。その適切な処理には膨大な費用がかかる。しかし
操業していた会社の多くが、会社自体を他社に転売した後など、その責任の所在が明確ではない。会社
が去った今、先住民族政府にとってこの後処理問題は、非常に経済負担の大きい問題であり進んでいな
い。
第四に、被曝による健康被害補償について述べる。現在に至るまで、健康被害と被曝の関連を調べる
疫学的調査が南西部で行われていない。加えて健康被害を被った労働者の補償申請に対しては様々な制
限が存在した。特に先住民労働者にとっては、出生証明や労務記録の保持、高度な英語能力が申請の際
に要求されたことで、被曝が原因であると疑われる病気になっても補償を受けることができないまま、
多くが亡くなっていった。合衆国で初めて被曝者補償法が制定されたのが 1990 年。ウラン鉱山採掘開
始から 50 年近い歳月がすでに流れている。数度の改正が行われ改善もなされたが、未だに 71 年以降の
労働者は申請から除外されるなどの問題が残っている。
よって、過去の負の遺産が解決されないうちに、再開発が進められようとしていることに、先住民族
政府は危機感を抱いた。2005 年にナヴァホが保留地内の一切のウラン産業の操業を禁止する先住民法
を制定し、他の 19 のプエブロ先住民族政府も同様の決議を翌年発表した。
結果として 2009 年、州の文化委員会はテーラー山を文化遺産として認定した。しかし既に何年も前
に試掘が連邦政府土地管理局と森林局から認定された域内で認められているケースもあり、これでウラ
ン開発計画を中止させることはできなかった。認定後、開発会社側から訴訟が起こされ、州の認定決定
が連邦の開発許認可権と、どのような位置関係にあるのか明らかにすること等が問われている。このよ
うに、国家のエネルギー政策が原子力エネルギー開発の推進とされている状況では、文化遺産としての
聖地が、開発から逃れられることのほうが困難な状況となっている。
先住民族聖地を文化遺産として登録し、それを最大の開発阻止の手法とすることには、依然として
様々な制約・困難が伴っていると考えられる。しかしテーラー山のケースを通じ、聖地の文化遺産認定
が、通常開発することを前提とした上で行われる社会影響評価にどれほどのインパクトをもち、開発阻
止の要件に引き上げることができるのか否か、聖地の重要性が開発のカウンターパートして取り上げら
れるか否かの可能性を、揺れ動く州ならびに連邦の政府決定、そして地元の環境正義運動の動向と共に
検討する。
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