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愛と哀しみの観光客 レーモン・クノーの小説中の観光客たち

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愛と哀しみの観光客 レーモン・クノーの小説中の観光客たち
愛と哀しみの観光客
─レーモン・クノーの小説中の観光客たち─
中島 万紀子
『地下鉄のザジ』(1959年)に登場する観光客の団体は、映画のおかげもあって、
多くの人の記憶に残っているのではないかと考える。言葉の壁がうむ理解力のなさ
という幼児的な愛らしさと滑稽さを、クノーは存分に描いた。ストで混雑するパリ
を苦労して移動しながら、外国人旅行客を引率してまわるフェドール・バラノ
ヴィッチのところへガブリエル叔父さんが行きあたる。例によって熱弁を振るうガ
ブリエルを、旅行者たちはガイドと思いこんで自分たちの観光バスに引きずり込ん
でしまう。というくだりがあるが、まずはそこから見てみることにする。
「窓をかっ開きな、シロウトさんどもよ」フェドール・バラノヴィッチは言っ
た。「右に見えるのがドルセー駅だ。建物としちゃてえしたもんだし、サン
ト・シャペル寺院の代わりのおなぐさみにもなるだろうよ。ろくでもねえス
トのおかげのひでえ渋滞で、この調子じゃもう間に合いそうにねえからな」
満場一致かつ完璧な理解不能を同じうして、旅行者たちは唖然呆然の体であっ
た。そのうえ中でもとりわけ熱心な連中は拡声器のうなり声にはまったく注
意を払わなかった。後ろ向きに座席に這いあがり、大ガイドガブリエルを感
動をこめて見つめている。彼は彼らにほほえみかけた。すると、彼らの期待
は膨らんだ。
「サント・シャペル寺院」彼らは口々に言おうとした。「サント・シャペル
寺院…」
「そう、そう」彼は愛想よく言う。「サント・シャペル寺院(沈黙)(身振
り)。ゴチック芸術の至宝(身振り)(沈黙)。」
「またバカはじめないでよ」ザジが鋭く言う。
「続けろ、続けろ」女の子の声をさえぎって旅行者たちは叫んだ。「聴くの
したい、聴くのしたい」ベルリッツスクール的な努力をふりしぼってつけ加
えた。(1)
観光客たちと地元民のあいだには、埋められない溝がある。言葉や文化といった
ものも確かに両者をへだててはいるが、決定的な溝ではない。というのも、同じ国
の、同じ言葉を話し同じ文化をもつ人たちでも、観光に来たのならば、やはり外国
人旅行客と同じように地元民との距離を埋めることはできないのだ。なにしろそれ
はイメージという大きな溝であるから。(2)
観光客は、観光地のつくられたイメージを信じて夢見がちにさまよい歩く(クノー
の小説中の観光客たちが、ステレオタイプ的にひとかたまりで描かれているのは、
このつくられたイメージの探求という同じ目的を持っているからだと指摘でき
る)。しかし地元民は、そんな観光地像は観光業の便宜のためにつくられたもので、
自分らの住む町にそんなイメージに沿うようなものを見いだすことができない。こ
れが両者をへだてる溝である。今はなき、あるいは最初から存在しなかったかもし
れないパリを、郷愁にも似た気持ちで追い求める「よそもの」たちを、地元民は嘲
弄、あるいは憐憫をもってむかえるのである。
フェドール・バラノヴィッチはといえば、ガブリエラ(=ガブリエルの芸名)
の去来についてはまったく無関心であり、唯一の心配事は、博物館の守衛が
飲みに出かける時間までに、自分の子羊たちを希望の場所に連れていくこと
だけであって、このようなスケジュールの欠落は修復不能だったのである、
というのは翌日旅行者たちは古い胸壁のあるジブラルタルへ向けて出発する
ことになっていたからだ。それが彼らの旅程だった。(3)
このくだりからは観光客と地元民のへだたりがよく見える。「ゴチック芸術の至
宝」「古い胸壁のあるジブラルタル」といった謳い文句で眩惑された旅行者たちを、
旅程というシビアな現実性とたたかいながら引率していくフェドール・バラノ
ヴィッチ、彼がロシア系の名をもつのも示唆的である。つまり「よそもの」か否か
ということは、人種的な問題ではなくて、溝のどちら側にいるかということなので
ある。
しかし哀しいことに、クノーの小説に登場する観光客たちは決して追い求めてい
るものにたどりつくことはできない。
「そろそろやっこさんたち退屈しだしたみたいだ」フェドール・バラノ
ヴィッチが言った。「お前さんのビリヤード場へ連れてって、ちょっぴり楽
しませるとするか。かわいそうに知らぬが仏で、これがパリだと思いこむよ」
「おれがサント・シャペル寺院を見せてやったじゃないか」ガブリエルは鼻
高々で言う。
「まぬけ」ボワ・コロンブ生まれでフランス語に精通しているフェドール・
バラノヴィッチが言う。「ありゃ商事裁判所だよ、お前があいつらを案内し
たのは」
「かつごうったってだめだ」いぶかしげにガブリエルは言う。「確かか?」
「シャルルがいなくて助かった」とザジ。「またこんぐらがるから」(4)
「ナントカ寺院でなかろうと、とにかく、実に美しかった」
「ナントカ寺院??ナントカ寺院??」旅行者たちの中でいちばんフランス
語のできる連中が、不安になって尋ねた。
「サント・シャペル寺院ですよ」フェドール・バラノヴィッチが答えた。「ゴ
チック芸術の至宝」
「そのとおり(身振り)」ガブリエルがつけ加えた。
胸をなでおろし、旅行者たちはほほえんだ。(5)
閉館ぎりぎりにやっとかけ込めたと思った「ゴチック芸術の至宝」サント・シャ
ペル寺院は実は商事裁判所だったし、しまいに彼らはナイト・クラブでガブリエル
叔父さんがスペイン女のなりをして踊るのを見物し、これがパリだと思いこまされ
る羽目になるのである。
にせのサント・シャペル寺院を見せるというような、確信犯的なインチキガイドぶ
りを発揮するガブリエルのおかげで、観光地の恣意性というものがあらわになって
くる。年若い姪の前でもガブリエルはインチキ案内を繰り広げる。
「それにほら!」怒号する。「ごらん!!パンテオンだよ!!!」
「聞いちゃいられねえや」シャルルが後ろを振り返らずに言う。
少女が名所旧跡を眺め、さらには勉強になるようにとゆっくり運転していた
のだ。
「あれはパンテオンじゃないとでも?」ガブリエルが尋ねる。
この質問になんとなく嘲笑的なところがある。
「いや」シャルルは力強く言った。「いや、いやいや、ありゃパンテオンじゃ
ない」
「じゃ、何だというんだ、あんたの見解によれば?」
嘲笑的調子は対話者に対してほとんど侮蔑的になる、もっとも、対話者は急
いで敗北を認める。
「知らないよ」
「それ、みろ」
「でもパンテオンじゃないね」
(中略)
「わかった」後者(=シャルル)はがなる。「さっき見たやつは、たしかにパ
ンテオンじゃない、ありゃリヨン駅だよ」
「かもしれんね」ガブリエルは投げやりに言う。「だけど今となりゃもう過
去の話さ、その話はよそう。それはそうと、お嬢ちゃん、ごらん、どうだい
あのかっこいい建物、アンヴァリッドだよ」
「頭でも打ったか」シャルルが言う。「アンヴァリッドとはまったく関係な
いさ」
「それなら」ガブリエルは言う。「アンヴァリッドでなきゃ何なのか、教え
てもらおうじゃないの」
「大して知りゃしないが」とシャルル、「まあせいぜいルイイの兵舎てなと
ころだろう」(6)
じっさい、観光客にとって大事なのは観光地の名前と、その名のもつイメージを
損なわない景観といった程度であるのかもしれない、ということに思い至らされる。
パンテオンと名指されたものが本物のパンテオンでなければならない理由もなく、
アンヴァリッドという名が本物のアンヴァリッドと結びつかねばならない必然性も
ない。観光客にとっての「みどころ」が恣意的につくられているということ、つま
り、有名な「みどころ」とそうでない場所とがパリの中にあるけれども、シャルル
が即座に名前を思い出せないような忘れられた建物が、名のある観光名所にとって
かわってもいいはずなのになぜそうなっていないのか、というような不条理が、ガ
ブリエルとシャルルのやりとりから透けて見える。ガブリエルはこうした恣意性を
はっきりと認識している人物で、わざと上のようなやりとりをしかけるのに加え、
「ああ!パリ!」元気づけるような調子で声高に言う。「なんて美しい街な
のだろうか。ごらん、美しいだろう」(7)
などとぶちあげているが、これまたわざとらしい調子に彩られていて、かえって
「花の都パリ」といったような既成イメージを揶揄していることがあきらかになる。
ガブリエルはこのように観光客と地元民のギャップの仕組みまで含めて意識してい
る少し特別な存在であるのだが、先ほどから述べているこの、観光客と地元民との
距離とは、換言すれば歴史と日常との距離ということになる。
なにかしら「由緒」あるものを、つまりは歴史の「痕跡」をさがして歩く観光と
いう行為は、できるだけ、各自がお国で繰り広げている日常から遠ざかろうという
性質を、いきおい帯びるものであると同時に、訪れている観光地の地元民の日常と
も距離をちぢめることのできないものである。観光地できちんと観光行為をまっと
うするためには、ご当地の歴史的建造物を、名所旧跡を、実際に見て、写真を撮っ
て、それらに関する知識を仕入れなければならないけれども、観光地で暮らすとな
れば、街の歴史や観光スポットなどについてまるっきり知らなくても、生活上何の
不都合も生じないということである。
ところで、先ほどから指摘しているように、そしてガブリエルが暴露しているよ
うに、観光地のイメージとはつくられたもので、相対化しうるものであり、要する
にかなり恣意的なものであるということがわかる。そしてこの観光地の恣意性とい
うものは、歴史の恣意性でもあるということを指摘せずばなるまい。
『聖グラングラン祭』(1948年)には、まさしく「観光客たち」と名づけられた
章がある。しかし『地下鉄のザジ』に登場したような、かたまりでとらえて描いた
ような観光客はほとんどかげをひそめ、ふたりの「観光客」が中心に描かれている。
そのうちのひとりはアリス・フェイ(8)といって有名な聖林(サクレ・ボワ=ハリ
ウッド)女優であるけれども、観光客としてその町を訪れていて当初はそう大きな
特異性はもたないのであるが(9)、もうひとりのほうは実はまったく「観光客」だ
とは言えない。というのは、後者は、民俗誌学者だからである。
「ふるさとの町」でおこなわれる伝統ある「聖グラングラン祭」を見物しにやっ
てきた民俗誌学者のデュスーシェル(10)は、前市長の長男である新市長ピエール・
ナボニードが、伝統的な祭をすっかり変えてしまおうとしているという噂を耳にす
る。実際に市長をたずねたデュスーシェルは、この土地に今まで晴天をもたらして
いた「雲追い石」を祭の当日にごみ捨て場に投げ捨て、うちつづく雨をまねくとい
う計画を市長がいだいていることを知って驚く。その夜、祭をあすにひかえてわき
かえる町なかで、デュスーシェルは「ふるさとの町」の市民たちから、会う人ごと
に「今日の昼市長に会ったことは知っているぞ」と指摘される。しかし彼が市長に
会ったのは昼食後だったのである。
「そうさ」とケファスが言う。「知ってるんだからな、あんたが市長に会っ
たってこと、昼にな」
「いや、ちがう!」とデュスーシェルが爆発した。「いや、ちがう!14時前
じゃない!14時前じゃない!そんな伝説ができあがってしまうなんてお断り
だ」
「それでももうできあがっちゃうのさ」とケファスが言い返した。
「そうだ、そうだ」とパラコールとカトガンが言った。「もうできあがっちゃ
うのさ!もうできあがっちゃうのさ!」
二人は彼らを取り巻いている人々のほうを向いた。
「できあがっていくんじゃないかね?」
「そうだ、そうだ」とほかの者たちが答えた。
そこでデュスーシェルのほうへ歩いてきて、二人は彼の鼻先に息を吹きかけ
た。
「昼市長に会ったこと知ってるぞ!」
マシューとマルクーとマンダスがそれぞれ女細君を連れて通りかかった。パ
ラコールとカトガンが声をかけて彼らの賛成を求めた。最初のうち、文句屋
の巻き添えを食うとしか思っていなかった三人も、結局のところひとつの伝
説、できあがった伝説が問題になっているにすぎないとわかった。彼らは肯
定的に見解を表明した。
デュスーシェルは、貿易商のマンダスを選択的に目にとめた。異国の人の考
えをいちばんわかってくれそうに見えたからである。親しげにこう言った。
「まったく彼らにうんざりさせられているんですよ!わたしはずっと口を酸っ
ぱくして言っているんですがね。わたしがピエール・ナボニード氏に会った
のは午後になってから以外のなにものでもないって。ところがみんな、それ
が昼だったことにしようって言うんです」
「伝説だからですよ」とマンダスが答えた。
「伝説なんかどうだっていい」とデュスーシェルが言い返した。「じゃあ、
真実はどうなるんです?」
「昼に市長にお会いになったことは知っておりますよ」とマンダスが言った。
(11)
ここには、伝説ができあがっていく瞬間に立ち会うデュスーシェルがいる。さら
にこの騒動のあと、ごみ捨て場の付近でふたたび市長に会ったデュスーシェルは、
次のように言われる。
「今あなたは、ともかくここで歴史的瞬間に立ち会っておられるわけですよ。
あす、雲追い石はあそこに放りこまれるんです」(12)
伝説がこれほど不条理に生成し、歴史がこれほど恣意的につくられる現場を、「真
実」をよりどころとしてきた「科学者」たるデュスーシェルが体験するというわけ
である。彼は狼狽を隠せない。翌日、ピエールは予告通り雨を降らせ、伝統の祭は
台無しになる。町の名士たちが、今まで雨が降ったことのない土地であるにもかか
わらず、「雨が降ったときに市長は交代するならわしだ」と言い切ってピエールを
追放する。そのやりとりの一部始終をデュスーシェルは手帳にすごい勢いで書き付
けていく。政権交代の場面が終わり、町の名士が民俗誌学者に退場をうながす、そ
して彼が手帳をポケットにしまいこむところでこの「観光客たち」という章は終わっ
ているのである。
デュスーシェルがこの手帳に書き付けたことがらが、この「ふるさとの町」の歴
史となって残っていくだろう。このきわめて不確かな根拠にしか拠っていないしき
たりや伝説が、歴史となって残っていくだろう。そのようにあやふやな歴史、恣意
的な伝統というもののうえに成り立っていた観光という行為の恣意性もまたふたた
びここで思い出される。
「ともかく観光客のかたがたにご説明する権利ぐらいあるんだからな。新し
い市長がなにもかもめちゃくちゃにしようとしてることだとか、聖グラング
ラン祭にしたところで、そうです、観光客の人たちが本来の美しさそのまま
に見られるかどうか怪しいものだってことだとか」
「だとしたら残念だわ」とアリス・フェイが言った。(13)
伝統が守られることをのぞみ、変化をきらい、その土地固有の由緒ある歴史的な
ものを見聞したいとする観光客の欲求は、歴史、伝統といった、一見絶対性や正統
性をもつように見えるものに裏打ちされている。しかしそれらがまるで不条理で偶
発的で不確かなものだということがあらわになったとき、観光も、それら歴史、伝
統と共倒れという状態に陥ってしまうのである。しかし、『聖グラングラン祭』に
登場する観光客たちはそのからくりについぞ気づかずにしまう。さらに、デュスー
シェルの関心はもっぱら歴史の恣意性のほうに向いているので、この観光行為の恣
意性というものがもっとはっきりとしたかたちでとりあげられるには、『地下鉄の
ザジ』のガブリエルのでたらめなガイドぶりを待たねばならなかった。
歴史の恣意性という、この『聖グラングラン祭』から垣間みえるものから、さら
にクノーが没頭した「不正確科学」の研究が思い起こされる。
1929年にシュルレアリスムのグループを離れてからしばらく、クノーは国立図書館
にこもって「文学狂人」という人々の研究に没頭する。文学狂人たちとは、世間に
完全に黙殺され、弟子も後続研究ももたず、かろうじて残した著作のなかで自分た
ちの突飛な学説を大まじめに繰り広げた人々のことである。彼らの研究は「地球は
ひとつの卵である」とする地学や、「人間の祖先はカエルである」とする言語学な
ど多岐に渡っているが、いずれも科学的言説によってうちたてられた科学学説であ
る。クノーはこの研究の成果を『不正確科学百科事典』と銘打ってまとめあげるま
でにいたる。(14)ここまでするクノーの入れあげようは、単なる物好きというだ
けでは説明できなくなってくる。これは、そうは言っても物好き的な側面の否めな
いクノーの貪婪な知識欲のなせるわざであったことは認められるけれども、文学狂
人に関しては、そこにもうひとつの魅惑があった。文学狂人たちのもつ、全体性や
絶対性への欲望である。
クノーの取り上げた狂人たちに共通しているのは、ひとつの絶対的な真理を発見
し、というよりもむしろつくりあげて、その真理を規準として、はたから見れば無
理矢理に、世界を包括的に捉えていくという傾向である。ごく早い時期から全体性
や絶対性への野望をいだき、こうした文学狂人の言説に強くひかれたクノーではあっ
たが、同時に冷徹な懐疑をももち合わせていた。熱心に研究された文学狂人たちも、
クノーの容赦のない相対化の視線をまぬかれることはできなかった。クノーによっ
て研究対象とされた時点で文学狂人たちの研究は相対化され、その荒唐無稽さをあ
らわにするのである。
その相対化の視線は、対象たる文学狂人たちから、クノー自身にも当然のことな
がらはねかえってくる。網羅的な傾向をもつ「文学狂人」たちをさらに網羅的にま
とめあげ、ついには『不正確科学百科事典』を編んでしまった自分自身は、外側か
ら見れば、まさに文学狂人的な資質を十二分にそなえていたと、クノーははっきり
と認識していたようである。(15)
注目すべきなのは、この文学狂人の研究と時期を同じくして、クノーが高等研究
院におけるアレクサンドル・コジェーヴによるヘーゲルの『精神現象学』講義に熱
心に出席していたことである。認知度では文学狂人たちとは比べものにならないほ
ど大きいヘーゲルであるが、文学狂人たちとの共通点はある。それは、となえた学
説の絶対性、全体性である。この同じ性質によって、ヘーゲルも文学狂人もひとし
くクノーをひきつけたと考えられる。そしてクノーは講義録『ヘーゲル読解入門』
(16)の編集までかってでることになるのだが、その編纂作業は、どうも『不正確
科学百科事典』を編む身振りと重なりあってくる。クノーは文学狂人を見る目で、
つまり同じように相対化の視線でヘーゲルの歴史哲学を捉えていなかったとは言い
切れないのである。
1942年の『わが友ピエロ』(17)、および1952年の『人生の日曜日』(18)で、
クノーはそれらの小説の他愛ない見かけの下に、ヘーゲル-コジェーヴの歴史理論の
要素をひそかに盛り込むということをやってのけた。しかし、先に触れたコジェー
ヴの講義に触発されたことは確かだが、その目的はヘーゲルの理論を称揚すること
ではなかった。というのもヘーゲル的要素は不完全なかたちでしか小説中にあらわ
されておらず、まったくその説明などといった機能などは果たしていないばかりか、
逆に歴史理論に懐疑を差し挟むような役割をになっているのである。要するに、つ
つましい人々の生活をこまごまと描くという見てくれの中に、哲学的な歴史理論を
置いてしまうという手続きを通して、学問の土壌においてはまことしやかに語られ
る歴史哲学の言説が、いざ日常的な次元に引き下ろされてみるとたちまち荒唐無稽
な様相を呈してくることがわかってくる。(19) このあたりにも、歴史理論の信憑
性に対するクノーの懐疑が色濃くにじんでいる。ヘーゲルからもたらされた全体性
や絶対性への魅惑と懐疑が、文学狂人のそれと同じであったかぎりにおいて、クノー
の裡ではヘーゲルは変種の文学狂人だったのである。
そしてクノー自身にも、文学狂人的な素質はあった(20)ということは先ほど『不
正確科学百科事典』の編纂作業について述べたが、その素質は『模範的歴史』(
1942年執筆、1966年出版)(21)という歴史に関する試論でいよいよ花開く。これ
は『わが友ピエロ』と執筆時期が同じで、やはりコジェーヴの講義が契機となって
書かれたものである。『わが友ピエロ』が、小説というかたちをとったヘーゲル理
論の「実践編」とするならば、こちらはさしずめ「理論編」であり、数学と、コ
ジェーヴ講義によるヘーゲル史観とを結びつけようという意図のもとに着手された
ものである。(22)
「しかし歴史はひとつの科学だろうか? 否。」(23)という自問自答についでさ
らに、「歴史はひとつの科学になりうるだろうか? なる。」という問答があり、「歴
史を科学にすること、それがこの本の目的である」(24)という文言が続く。そし
て「歴史を科学にする」ためのさまざまな数学モデルが展開されていくわけだが、
おかしなことに、これらのモデルは単純な先史時代においてしか機能せず、より複
雑な要素を加味しはじめればたちまち破綻することはあきらかである。この本から
うかびあがってくるのは文学狂人としてのクノーの姿と、「不正確な科学」として
の歴史の姿である。ヘーゲルに文学狂人を認めたクノーはさらに、みずからによる
文学狂人の「まねび」を通じて「不正確な科学」としての歴史をあらわしたのであ
る。
『聖グラングラン祭』に見られる歴史の恣意性、『地下鉄のザジ』における観光
地の恣意性は、クノーが歴史を「不正確な科学」と考えていたことのあらわれとと
ることができる。これらの作品における観光客のあり方は、そこからクノーのいだ
いていた歴史に対する懐疑が見えるもうひとつの切り口なのである。
先ほど、ヘーゲルの歴史理論の突飛さをあらわすために、クノーがことさらに歴史
哲学と日常生活を並置し、かえってその距離感をきわだたせたことを述べたが、歴
史と日常との距離は、思いおこせば観光客と地元民との距離でもあった。溝の両側
にいる人々の大多数には、この埋められない溝の存在自体知られずにいるのである
が、クノーの小説中にはこの越えられない距離を確かに意識しているという人物が
散見される。それはガブリエルであり、デュスーシェルであり、そして『人生の日
曜日』のヴァランタン・ブリュである。
女性誌「マリ・クレール」で、パリに住む読者のパリについての無知を指摘し啓
蒙する特集を目にしたヴァランタンは、自分の身の回りの場所についてすらほとん
ど知らなかったことに気づき、知ろうと努力するのである。いわば、歴史理論が日
常の側へと溝を飛び越えようとしたのと逆方向に、つまり日常の側から歴史の側へ
と、ヴァランタンは溝を越えようとこころみるわけである。しかしそのこころみは
ほかの誰をもひきこむことはついになかったし、身近なものの知識をたくわえるこ
ともどうやら失敗に終わったらしい。というのも、彼が興味をもったラ・バールの
騎士像については「マリ・クレール」にもひとことも説明がなく、ヴァランタンは
真相を知らぬまま、それを軍神マルスの像と思うことに決めたのである。(25)
歴史と日常をへだてる距離に気づいているこの少数派の人物たちは、そのはっき
りとした認識について言えば、クノーの分身たちであると言えよう。ヴァランタン
は明晰さという点については、デュスーシェルとガブリエルには及ばないが、とも
かくも彼が随所で見せる歴史に関する思惟は、ヘーゲルを思わせるけれども実はそ
れを相対化してみせるというきわめてクノー的な機能を果たしている。デュスーシェ
ルに関してはさらにクノー色がはっきり出ている。歴史や伝説ができあがっていく
場に直面した際に彼がおぼえた動揺は、とりもなおさず、絶対的な科学だと信じて
きた歴史が、「不正確な科学」であることをさとった動揺なのである。うその観光
案内で観光地の恣意性をさらけだすガブリエルにいたっては、その意識の明敏さは
極限にまで達し「この物語も夢のまた夢、夢想の夢想(26)、たかだか愚かな小説
家が(おっと、失礼!)タイプで打ったうわごとにすぎぬ」(27)とまで言ってい
るのだ。自分が小説の作中人物であるということまでわかっている、この哀しいま
での明敏な認識で、ガブリエルはさらに、歴史と日常のあいだの溝のほかに、もう
ひとつの越えがたい溝、つまり現実世界と小説世界のあいだの溝も認めているのだ。
ガブリエルが垣間みせるこのもの哀しさこそが、クノーのいだいていたペシミスム
である。
全体性や絶対性にひかれ、現実世界を網羅的に、まるごと捉えたいと欲していた
クノーの野望は、現実世界をそのまま小説の中に描くということだった。しかし、
捨てることのできない懐疑と客観視のおかげで、世界の絶対的な把握が不可能であ
ることを認識していたクノーは、やはり現実を小説に書くことも不可能であると悟
る。しかし現実を描きたいという欲望も捨てきれなかったクノーは、欲望と懐疑を
統合することなしに、そのどちらとも折り合っていくという活路を開いたのである。
それがクノー固有のさまざまな手法となってあらわれてくるのだが、この、不条理
なまでの不可能性もそのまま小説の中に盛り込むというのも、クノー流の手法、つ
まり懐疑と欲望の鍔迫り合いが原動力となって生み出された手法のひとつであると
考えられる。
ついにラ・バールの騎士像の正体を知らずにしまうヴァランタン、絶対的な真実
を拠りどころとしていると信じていた歴史が崩壊するのを目の当たりにするデュスー
シェル、自分が現実世界の人物にはなりえないと知っているガブリエル、彼らに反
映されている色濃い不可能性は、彼らの明晰な意識とあいまって、彼らがクノーの
分身であることをよりはっきり示すものである。
そして、この不可能性という点においては、観光客も、そして変種の観光客であ
るザジも、クノーの分身であると言うことができる。ザジは、あれほど熱望した地
下鉄にはついぞ乗れず、やっと念願かなったときには熟睡していて何も覚えてはい
ない。事前にいだいていたイメージはすべて裏切られ、予想していたパリにはたど
りつけないのだ。観光客に関しても事態は似たり寄ったりである。ただし、行くは
ずだった場所に行けずじまいであるうえに、にせの名所に連れて行かれて気づかず
じまいというおまけもつく。このように、クノーはみずからのかかえている不可能
性を体現しているような観光客たちを、滑稽に揶揄しながら、しかし愛らしく描き
出した。まさにクノーの小説における観光客たちの姿には、クノーが自分の分身た
る彼らにこめた愛と、不可能性の哀しみがにじんでいるのであった。
注
(1)Zazie dans le métro, Gallimard, 1959, folio no.103, p.96.
(2)パリ見物に来たザジと同郷のサン・モントロンの男も、つぎのように言ってい
る「ちょっと、お巡りさん、いちばん近道を教えてくれませんか、サント・シャペ
ル寺院へ行きたいんで、例のゴチック芸術の至宝ってやつに」。ibid., p.110. また、
パリ市民にとっては同じ地下鉄である高架線も、一種の観光客であるザジにとって
は地下鉄ではない。いだいてきたイメージに反するからである。ibid., p.14.
(3)ibid., p.99.
(4)この少しあとに引用してあるガブリエルとシャルルのやりとりを参照すれば、
ザジの安堵の理由がわかるはずである。
(5)Zazie dans le métro, p.122-123.
(6)ibid., pp.14-15.
(7)ibid., p.14.
(8)実在の女優。1998年死去。
(9)のち、次の代の市長、ポール・ナボニードの妻となり、雨の時代の聖グラング
ラン祭で重要な役割を果たすことになる。
(10)アンドレ・ブラヴィエは、クノーの愛読書フローベールの『ブヴァールとペ
キュシェ』に登場する学者デュムーシェルにちなんでいると指摘する。Pierre David,
Dictionnaire des personnage de Raymond Queneau, PULIM, Limoges, 1994, p.147.
(11)Saint glinglin, Gallimard, 1948, p.180.
(12)ibid., p.185.
(13)ibid., p.152.
(14)この百科事典はのちに『リモン家の子どもたち』Les enfants du Limon, Gallimard, 1938.という小説の中に入れ子状態になって出版されることになる。
(15)前注で述べたような入れ子状態、小説の作中人物が文学狂人の百科事典を編
纂するという形式を選んだことも、その編纂作業の奇矯さをきわだたせ、みずから
への客観視をさらに深める効果を生み出している。
(16)Alexandre Kojève, Introduction à la lecture de Hegel : Leçons sur la Phénoménologie de l'Esprit professées de 1933 à 1939 à l'École pratique des Hautes Études réunies et
publiées par Raymond Queneau, Gallimard, 1947.
(17)Pierrot mon ami, Gallimard, 1942, folio no.226.
(18)Le dimanche de la vie, Gallimard, 1952, folio no.442.
(19)この点に関しては以下の論考を参考にした。 Pierre Macherey, « Divagations
hégéliennes de Raymond Queneau » in Ⅳ quoi pense la littérature ? : Exercices de philosophie littéraire, Presses Universitaires de France, 1990, pp.53-73.
(20)「本物」の文学狂人と決定的に異なる点は、クノーはみずからの「狂人ぶり」
に自覚的であったということである。
(21)Une histoire modèle, Gallimard, 1966.
(22)Pierre Macherey, op. cit., p.71.
(23)Une histoire modèle, Chapitre II, p.10.
(24)ibid., Chapitre III, p.11.
(25)Le dimanche de la vie, p.216.
(26)「この物語も夢のまた夢」の「物語」は histoire であり、それを「歴史」とと
れば、こののちの小説『青い花』Les fleurs bleues, Gallimard, 1965, folio no.1000. への
示唆に富む一節であると言うことができる。
(27)Zazie dans le métro, p.90.
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