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いました。…そう、「ちゃがまる」が、走り出すまでは。

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いました。…そう、「ちゃがまる」が、走り出すまでは。
愛媛県喜多郡内子町。私が生まれ育ったこのまちには、明治大正時代の繁栄を偲ばせる「町並
み保存地区」や、芝居小屋「内子座」があり、今や年間 100 万人を超える観光客が訪れています。
しかし、その間にある我々の商店街は、変化を恐れ、多くの町と同様に衰退の一途をたどって
いました。…そう、「ちゃがまる」が、走り出すまでは。
内子が好き、青年部が大好き、大西啓介です。どうぞよろしくお願いいたします。
今から 10 年ほど前の話です、商工会長から青年部に指令が出ました。
「観光地として有名になってきた内子町じゃが、観光客がお金を落とす時間もお店もまだま
だ少ない。せっかくの観光客をもっともっと増やして、取り込んでいかなぁいけん。そんな
【まちづくり事業】を青年部で何か出来まいか?」
直ぐに部長を中心にチームが立ち上がります。
何日も話し合い、ようやくまとまった意見は、
「駅から町並みまで徒歩 30 分、この移動の
時間と労力を少しでも減らして、飲食や買い物の時間に充ててもらえるように、商店街を通
る 2 次交通を立ち上げてはどうか。シャトルバスは大変そうだから、古い町並に似合う人力
車にしよう!」
ガゼン盛り上がってまいりますが、値段を調べてみると中古で 150 万円。考えていた予算
では全然足りません、どうする?となったところで、誰かが言いました。
「今はラーメンブームじゃけん、内子ラーメンを作って売り出そうや!名物グルメにもな
って、よーけお客さん来て、儲かったお金で人力車も買って、一石三鳥じゃろ!」
捕らぬ狸のナントカですが、当時の僕らは至って真剣です。
早速、小遣いを出し合い中古の軽トラックを青年部員の車屋から買います。屋台に改造する
工務店も、鍋やどんぶり、調味料、鶏ガラや豚骨・チャーシュー、全て青年部員のお店。味
付けも青年部員の飲食店によるコンペ形式で決定され、何もかも青年部のラーメン屋台です。
余談ですが、ウチの【奥さん】とはこのころからのお付き合いで、デートのたびにラーメ
ンばっかり食べさせて、よく振られなかったと思います。
ま、ラーメンだけに…熱々でズルズルと延びたんです。
さあ素晴らしく美味しいラーメンが出来上がり、いよいよ営業開始です。
「・・・で、誰がやる?」
「え?みんなで交代でやるんじゃないん?」
「いや、専任で誰か雇うんじゃろ?」
「人件費で赤字が出たら誰がかぶるんぞ?」
「みんな仕事もあるし…。」
「じゃあどうするんぞ!?」
結局、人力車どころか「ラーメン計画」はそれっきり、召集されることはありませんでした。
それから数年、結婚して子供も出来て、平穏な日々を過ごしていたある日、私はネットオ
ークションの画面にクギ付けになります。レトロバスとの運命の出会いでした。
シックなカラーリングをまとった、その流麗でノスタルジックな美しい車体、内装も木製部
品が多く、古めかしい感じですがクタビレ感はありません。
気が付けば出品者にメールを送っていました。
「この車はなんですか?最低価格は?実は【まちづくり】の事業でシャトルバスとして使い
たい、古い町並みを持つ内子町にはピッタリなんです。お譲りいただけませんか?」
すぐ返信がありました。
「この車はイギリス製で、日本に現存するのは数台ではないでしょうか。そういうことなら
お安くしますよ。300 万円です。
」
「わかりました。買います。」
即答です。もちろんそんなお金持っていません。完全に勇み足でしたが、
「これであの計画
がまた動き出す!」とワクワクして、どうしようもありませんでした。
そうして、1 人 10 万円、30 人を目指して会員集めを始めるのですが、思うように進みま
せん。「やっぱり 10 万は大金よな、こりゃあ無理かな」と考え始めたときに、ある先輩から
こう言われたのです。
「お前がバカになってヤリ倒して、シャトルバスとしてちゃんと走らすと言うなら 10 万
出してやる。その気持ちが見えんから、みんな迷うとるんじゃないか?」
私はハッとします。
そうか、
「この車カッコイイ!」だけでは誰も納得してくれない。事業として絶対に成功さ
せたい、という「情熱」と「覚悟」を持って挑まなければ、お金も集まらないし、お客さん
を乗せて走らせることなど絶対に無理なんだ、そう気づかされたのです。
1 からやり直し、です。真剣に考えて「企画書」を作り、それを手に、ひとりひとり、一
緒にやってくれないかと本気で声をかけて廻りました。
嬉しいことに、青年部員を中心に十数名の有志が集まり「実行委員会」を立ち上げること
が出来ました。それからは毎晩のように集まり、議論し、具体的な【事業計画書】を練り上
げていきます。更に分かり易い「パンフレット」も作成したことで、最終的には 50 名近い会
員が集まりました。
「僕らの町にレトロバスを走らせたい!」その思いは、私一人だけのものではなく、メン
バーみんなのものになったのです。
そんな時です、
【えひめ町並博 2004】という地域活性化イベントを愛媛県が計画します。
その内容は、各地域の様々なおもてなし活動をしている又はしようとしているグループを募
集、その「おもてなし」を商品化し、観光資源にしていきましょう、というものです。
絶妙のタイミング、まさに「渡りに船」でした。一番厄介な運行申請においても県や町の
職員さんにいろいろとお手伝いいただいた上に補助金も獲得、全国に向けて PR もしてくれ
て、本当に幅広いサポートを頂きました。
さて、肝心のレトロバス、見た目は綺麗なのですが、中身はやっぱりオンボロクラッシッ
クカ―です。すぐ故障して動かなくなるし、整備担当メンバーの車屋さん、もちろん青年部
員ですが、営業ナンバー取得までは本当にご苦労をおかけしました。
「そろそろ、レトロバスの名前を決めないけんな?公募する?」
「これだけ壊れるんじゃけん。ちゃがまるじゃ!」
「ちゃがまる」とは南四国で使われる方言で「壊れる」という意味です。ほんと~によくち
ゃがまったので、一発で決定です。
膨大な準備作業を皆でこなし、様々な事件・ドラマを乗り越え、2004 年 4 月、晴れてレト
ロバス「ちゃがまる」が走り出します。
【JR 内子駅】から【内子座】そして我らの【商店街】を通り、
【町並み保存地区駐車場】
へ。途中、子供達や観光客が目を丸くして「ちゃがまる」を見送ります。シルバー人材セン
ターから来てくれた運転手さんも気さくな方で、子供達が手を振ると、いつも笑顔で手を振
り返してくれて、タチマチ街の人気者です。
ピーク時には日に 100 名を超えるお客様を運び、運休日には「ちゃがまるが走ってないと
寂しいのー。
」と言われるまでになりました。
2007 年には NPO 法人化、「ちゃがまる」は 3 台になり、NPO 法人として全国で初めて
「貸切バス事業者免許」を取得します。また、駅前観光案内所「旅里庵」も設立、2本柱で
本格的な観光事業の運営が始まります。
しかし良いことばかりではありません。その後、リーマンショックや高速道路無料化実験
などで利用者数が激減、大変厳しい運営が続いたのですが、2010 年に「ちゃがまらない」新
車のレトロバスを導入、インバウンドツアーの開発などスタッフ一丸となった経営努力で収
支バランスも改善、現在も内子の魅力を次々と発信しながら元気に運行しています。
そんな「ちゃがまる」の姿を見てなのか、商店街でも「変化」が見られるようになりました。
観光のお客様にも立ち寄ってもらえる品揃えや雰囲気を出すお店、新しい飲食店・サービス
業が少しずつ増えています。なによりも跡取りが多く帰ってきていて、若い世代を中心に販
売促進イベントや空き店舗対策など、様々な新しい取り組みも始まっています。
かくいう私もボランティアばかりでは食っていけません。喫茶店と1組限定の町家民宿を
営んでおりますが、経営革新計画を取得、昨年 4 月には新しく 2 組限定のホテルも始めまし
た。自分で言うのも何ですが、これがまた内子らしい、雰囲気のある素晴らしい宿なんです。
みなさん、内子にお越しの際には、ちゃがまる共々、是非ご利用ください。
あの時の、先輩からのヒトコトがなければ、今の自分はありません。
青年部に入り、仲間たちに出会い、この場所を何とかしなければならないと気付かされ、
バカになってやり切ってやるという「覚悟」を持った時から、
「まちづくり」に対しても、
「自分の商売」に対しても、本当の意味で「面白さ」を感じるようになりました。
そんな私も、卒業まであと1年です。もう今から寂しくてしょうがありません。
共に【夢】を描き、共に【汗】をかき、時には共に【涙】を流し、そしていつも、共に「旨
い酒」を飲める、そんなカケガエのない【青年部の仲間達】に、本当に心から、感謝してい
ます。
これからも私は、生涯を掛けて、内子の「まちづくり」に取り組む「バカ」でいるつもり
です。いつまでも、内子町商工会青年部の一員だという「誇り」を、胸に抱いて。
ご清聴、ありがとうございました。
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