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ローザンヌ大学ワルラス文庫について

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ローザンヌ大学ワルラス文庫について
<研 究 ノ ー ト>
1)
ローザ ンヌ大学 ワル ラス 文庫 につ い て
御
山
奇
加 代 子
I は じめに
千J100周年 と,パ レー ト
応用経済学研究』 (1898)公
1998年は,ワ ル ラスの 『
生誕150周年 にあた り,ロ ーザ ンヌ学派 の研究者 に とつて記念すべ き年 で あ っ
の
た。 これ を記念 して,10月 には,ロ ーザ ンヌ大学 でシ ンポジウムが 開かれた。
私 は幸 運 にも,こ のシンポジウム に参加 した後 ,主 催者 である同大学 のワルラ
ス =パ レー ト研究 セ ンターの好意 によ り,同 大学所蔵 の ワル ラス文庫等 を,詳
しく案内 して もらうこ とがで きた。
本稿 の 目的 は,こ のワルラス文庫 か ら垣 間見 ることがで きたワルラス経済学
の形成過程 のい くつ かの側面 に注 目し,昨 年 10月に出版 された拙著 『ワル ラス
の経済 思想 ―一般均衡 理論 の社会 ヴイジ ヨン』 (名古屋大学出版会)の 内容 を
補 うことで あ る。
Ⅱ ロ ーザ ンヌ大学 とワルラスの資料
・
・
現在, ロ ーザ ンヌ大学 にあるワルラス 関係 の資料 は, 「ル フォン ワル ラ
と 「ワル ラス文庫 ( L a b i b l i o tq hu ё
ス (Le Fonds Walras)」
e personelle de
・
・
W a l r a s ) 」と して保存 され て い る。 「ル フ ォ ン ワル ラス」 は, 主 にワル ラ
スの草稿 , 書 簡 な どか ら構 成 されてお り, 州 。大学図書館 ( L a b i b l i oqtuheё
1)本 稿 は,1998年 12月12日に滋賀大学経済学部 で 開 かれた経済学史学会関西部会第 136回
例会 で報告 した ものに,加 筆,訂 正 を行 つた もので ある。報告 当 日とそ の後 に,多 くの方
々か らご教示 をい ただい た。 この場 を借 りて、おネとを申 し上 げ たい と思 う。
2)シ ン ポ ジ ウ ムの タイ トル は 「一 般均 衡 一応 用経 済学 と社 会学 との 間 で (Colloque:
である。なお ここでの報
entre 6conomie appliqu6e et sociologie)」
L'6quilibre nOral
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s 誌 の特集号 と して
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S SOCづ
物物θ αθ
O pttθ
告論文集 は ,今 年秋 に,妃 θυttθθttγ
公刊 される予定 である。
80
彦 根論業 第 3 1 9 号
Cantonale et Universttaire)に
保存 され てい る (ローザ ンヌ大学 は,ヴ オ■州
の管轄下 にある)。
またワル ラス文庫 は,ワ ル ラスの蔵書,雑 誌,新 聞記事 な どの切 り抜 きか ら
ー
ー
d'ё
構成 されてお り,同 大学 のワルラス =パ レ ト研究センタ (Le centre tudes
Pareto)によって管理 されてい る。現在 どち らの資
interdisciplinaires Walras―
ー
ー
ー
料 も,セ ン タ のホ ム ・ベ ジ (http://www.unil.ch/cwp)で 検索可能
であ る。
今回のシンポジウムは,10月 22・23日 (木 ・金)に 行 われたが,そ の後24日
(土)に は,「ル ・フォン ・ワルラス」 を含 むワル ラス関係 の資料 の閲覧 と,
旧市街のワルラスゆか りの地を見てまわるエクスカーシヨンが,主 催者側 によっ
て計画 されていた。ところが,そ の参加希望者が,シ ンポジウム参加者の うち
ル ・フォン ・ワルラス」 は,
私一人だけであつたために,計 画が変更 された。「
シンポジウムの主催者であるワルラス=パ レー ト研究センターではなく,州 ・
大学図書館 の管轄下 にあ り,通 常土曜 日の閲覧 は,許 可されていない。閲覧希
望者の数が多ければ,例 外 も認められたらしいが,今 回の場合 は,閲 覧の許可
はお りなかった。
おかげでその分,「ワル ラス文庫」 を見 る時間を,た っぶ りとることができ
た。ワルラス文庫 は,小 さな地下室にあ り,机 と照明も置いてあるので,セ ン
ターの人に鍵 さえ貸 してもらえば,い つ までもそ こで閲覧す ることができた。
結局,私 は3日 間そ こに通 うことができた。
皿 ル ・フ ォン ・ワルラス訪問
土曜 日のエ クスカー シ ヨンでは,閲 覧 が許可 されなか ったル ・フォン ・ワル
ラス には,月 曜 日の午前 中 に訪 れる ことがで きた。 ここでは,あ らか じめ カタ
ログで資料番号 をさが し,司 書 に申 し込めば,書 庫 か ら持 って きて もらえる。
資料 の保管上 の理 由か ら,書 庫 には直接入 れない ことにな っているのであ る。
閲覧 は,決 め られた場所 でのみ許 される。
関 わる
経済学 と正義』 (1860)に
私 はそ こで ,ワ ル ラスの経済学上 の処女作 『
< 研 究ノー ト> ロ ーザ ンヌ大学ワルラス文庫について
81
手稿 を閲覧 させ て もらい ,ワ ル ラス 自身 が 書 い た この本 の 表紙 と 目次 を見 る こ
とが で きたが ,興 味深 か ったの は ,次 の 3点 で あ る。
'初
1861年
に公干J される 『ヴォエ州 の租税 について のθι
(1)翌
響めけ】a t t sθι
∝陶け
0%】 θk挽減, Imprirnerie de Louis Vincent, Lausanne, 1861)』
の タイ
一
トルが,表 紙 にも日次にも含 まれていた。両者 は,同 の書物 として公刊 され
る予定 だったのだろ うか。1860年7月,ワ ル ラスはローザ ンヌで開かれた国際
租税会議 に出席 した。 この とき,ヴ ォー州で開かれた租税問題 についての コン
クール に提出 したのが,こ の論文 であると この論文では,『経済学 と正義』で
は十分に述べ られていなかった土地国有化論が展開されていると,後 にワルラ
スは「自伝 ノー ト」に書 いてい る (御崎1998,p.151)。
そ こか ら判断すれば,こ
れら二つの著作 を合わせて初めて,ワ ル ラスの初期の経済思想 はよ り完全 なも
のとして提示で きると考 えられていたのかもしれない。
(2)目
次 の冒頭 に 「自伝 ノー ト (Notice Autoblographique)」
とあった。「自
ー
伝 ノ ト」 の作成 に取 りかかったのは,1890年代 だとワルラスは説明 していた
(御崎1998,pp.148-149)が
,26才 であったこの頃,す でに構想 していたのだろ
うか。そ うであるとすれば,ワ ルラス とい う人は,か なり自意識の強い人であっ
たのか もしれない。
(3)同じく目次 の 2番 目に 「
経済学文献 目録 (Bibliographie 6conomique)」
とあ った。ワル ラスが自らの著作 の整理に取 りかか ったのは,「自伝 ノー ト」
か ら判断すれば,晩 年 の1905年頃だと思 われたが (御崎1998,p.166)が
,こ れ
もこの時 にすでに構想 されていたのだろ うか。
IV ワ ル ラス文 庫 とMorn対 氏 によ る解 説
ワル ラス 文庫 は ,ワ ル ラス =パ レー ト研 究 セ ン ター の あ る ロ ー ザ ンヌ大学 の
Ho E.C(高
等 商業学校 )の 建物 の 地下 にあ る。 そ の うち ワル ラス の蔵書 は ,
ー
5段 のス チ ル本棚 10個分 ほ ど,製 本 された雑誌 が 同 じ本棚 3個 分 ほ ど,そ の
3)ち なみにこのローザ ンヌ訪間を機 に知 り合ったルイ ・リュショネが後に,ヴ ォー州の公
にワルラスをローザ ンヌ ・アカデミー(後のローザ ンヌ大学)に招聘
教育部長になり1870年
ことに
なるのである。
する
彦根論叢 第 319号
他新聞や雑誌記事 の切 り抜 きが ,某 子箱 ほ どの段 ボール箱70個ほ どに収 め られ
ていた。
4)
同 じ書庫 には,「パ レー ト文庫」 として,パ レー トの経済学関係 の蔵書 も収
め られてい た。 これは同 じ本棚 3個 分 ほ どであつた。案内 して くれ たセ ンター
の話 によれば,パ レー トの蔵書 の整理 は,彼 の死後 , 2
のFlorenzo Mornati氏
番 目の妻 がそ うい うことにあ ま り熱心 ではなかったせ い もあ って,ま だ完全 に
は終 わってい ない との ことで あ った。 それに対 してワルラスの蔵書 は,ほ ぼ完
全 に保存 ,整 理 で きてい ると考 えて もらって よい とのことであ った。た しかに
「自伝 ノー ト」 にも晩年 ワル ラスが ,自 分 の蔵書 につい ての指示 を書 い たノー
166)し,娘 の ア リー ヌが 父
トを作成 した こ とが触 れ られてい る (御崎 1998,p。
親 の資料 の保存 に熱心 であった こ とを考 えれば,不 思議 ではない。
またMornati氏によれ ば,パ レー トは 自分 の蔵書 には一切書 き込 み をせ ず,
ほかにノー トをとっていたのに対 して,ワ ルラスは,多 くの書 き込みやア ンダー
ライ ンを残 してい る。 こ うい う ところにもワルラス とパ レー トの方法論 上の違
いがあ らわれてい るのだ と,氏 は冗談 ま じ りに話 して くれ た。 ワル ラスのこの
よ うな習慣 は,研 究者 にとっては,た いへ んあ りがたいこ とだった。
ほかにもMornati氏は,興 味深 い ことを教 えて くれ た。た とえば一般的 には,
ワル ラス とパ レー トでは,パ レー トの方 が政 治 に深 くかか わつてい たよ うに思
われてい るが ,実 際 には,ワ ル ラスの方 が現実 の社会問題 に対 して生涯 ,非 常
な熱意 をもってい た とい うこと。それ はワル ラスが残 した膨大 な新聞,雑 誌記
事 の切 り抜 きか らも, うかが うことがで きる。実際,私 が見 た一部 の切 り抜 き
だけで も,労 働運動,協 同組合運動 ,フ ェ ミニズム運動 など,晩 年 に至 るまで
多岐 にわた つていた。
V ワ ル ラス経済学がフランスで拒否された理由
ワルラス文庫 における経済学関係 の雑誌の多 くが,ワ ルラスの晩年 まですべ
ジュルナル ・デ ・ゼ コノミス ト徹朔物aιttθ
s
てそろっているのに対 し,雑 誌 『
4)パ レー ト文庫 を取 り巻 く状況 につい ては、Bruttin(1995)が 詳 しい。
<研 究 ノー ト>ロ ーザ ンヌ大学 ワル ラス文庫 につい て
よ,1880年 以降の巻が,ま った く見あたらなかった。同誌 は,
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物ぢ
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娩θ
θ
s)』ヤ
ワルラスが若い頃(1859-60年
頃)編 集者 としてつ とめていたフランスの有力な
経済学雑誌である。
Mornati氏によれば,こ れはワルラスが この1880年に,パ リの経済学者 たち
と縁 を切 つたことを示 しているとい う。なるほど,「自伝 ノー ト」 の中にも,
ワル ラスが ローザ ンヌで 『
純粋経済学要論』 (初版 1874-77)を
公刊 したあと,
それをフランスで普及 させようとしたとき,正 統派の経済学者たちから大 きな
圧力がかかった状況が書かれている。特 に1879年に,フ ランスの法学部での経
済学 の講義を文部大臣に申 し出たところ,結 局,拒 否 されたこと,そ して1880
年 には, レオ ン ・セイが,フ ランス生命保険数理士協会の会長 に就任 した途端,
ワル ラスは同協会から追い出されたことについては,か なり恨 みをこめて書か
れてい る (御崎1998,pp。
158-159)。『フランス保険数理士雑誌 (拘物物 例 】θ
s
Acttaづ
s)』も1880年でス トップしていることに,後 で気づいたが,
解sF陶 %。aぢ
それも以上の理由によるものであろう。
ワル ラスの純粋経済学が,フ ランスではなかなか受け入れられず,ワ ルラス
はついに母国で教職を得 ることができなかったのは,彼 の青年時代 からの社会
主義的な主張が原因だと,私 は拙著で説明した (御崎1998,p.5)。
しかしMornati
一
氏 によれば,そ れもまた つの理由ではあるが,も っと大 きな理由は,数 学 を
使用 した純粋経済学 とい う発想その ものが,当 時はまった く受け入れられなかっ
たとい うことである。正統派の経済学者 たちは,ワ ルラスの純粋経済学 を,反
自由主義的 と見なしたとい う。それは,経 済モデル (特に消費者行動のモデル)
に数学を使用す るためには,人 間の行動 をある一定の厳密 な仮定 にはめ こむ必
要が生 じ,そ うい う手続 きが,現 実の 自由な人間行動を否定す る思想 として見
5)
なされたとい うことである。
ただしパ レー トの時代 になると,フ ランスの経済学者の一般均衡理論 に対す
る態度 は和 らいでお り,パ レー トはワルラスのような問題 には苦 しまなかった
5)数 理経済学 と反 自由主義 につい ての 問題 は,Zylberberg(1990)に
お い て も論 じられて い
る (pp.59-64)
84
彦
根論叢 第 319号
とい う説明 であ つた。パ レー トが ローザ ンヌ大学 で講義 を したのは, 1 8 9 3 年 か
ら1 9 0 9 年で あるが , た しかに 「自伝 ノー ト」 の 中で も, 1 9 0 4 年頃か らフラ ンス
での ワル ラスの評判 が少 しず つ好転 した ことが述 べ られてい る ( 御崎 1 9 9 8 , p .
165)。
Ⅵ フ ランス経済学史 とワル ラス
ワル ラス文庫 につい て さらに驚 い たのは, 学 生 の 自由な閲覧 ・貸 し出 しが
許可 されてい ることで あ った。それ は,ワ ル ラス文庫 が,ワ ル ラスの蔵書 であ
るとい う点 にお いてだ けでな く,そ れが 当時 の フランスの主要 な経済学文献 の
コ レクシ ョンであるとい う点 で,貴 重 だか らだ とい う説明 をうけた。
た しかに,ワ ル ラス文庫 の大部分 は,18世 紀 か ら19世紀 にお け るフラ ンスの
社会科学 の文献 で 占め られてい た。それ らと比較す る と,イ ギ リスや ドイツの
経済学文献 (原書 または仏訳本)が ,か な り少 ない印象 を うけた。
ワル ラスの経済学 の形成過程 が ,フ ラ ンスの経 済学 の影響下 にあ り,イ ギ リ
スの経済学 か らはほ とん ど影響 を うけてい ない ことについ て,シ ュンペ ー ター
は次 の よ うに表現 してい る。
「マ リー ・エ ス プリ ・レオ ン ・ワル ラス は,単 にその生誕 の場所 の関係 のみ
な らず ,本 来 の フランス人 で あ った。彼 の推理 のス タイルだ とか彼 の業績 の性
質 だ とかは,ラ シーヌの戯 出 とか,ア ン リ ・ポワ ンカ レの数学 とかが,特 徴的
にフラ ンス的で あ ったの と同 じ意味 で,特 徴 的 にフランス的で ある。 また彼 の
業績 の あ らゆる根源 も然 りで ある。彼 自 らは,彼 の父 オーギ ュス ト ・ワル ラス
お よびクルノーの影響 を強調 してい た。 しか し以前 に強調 したように,わ れわ
れは,彼 の真 の先駆者 たるセイの影響 をも付加す る必要があ る。 そ してセ イの
姿 の背後 には,ワ ル ラスが多 かれ少 なかれ意識 的 に吸収 してい たであろ うフラ
ンスの全伝統 一 コンデ ィヤ ック,チ ュル ゴー,ケ ネー,ボ ワギルベ ール ーが浮
0
かび出てい る。彼 はアダム ・ス ミス には, 慣 例 的な敬意 を払 ったが , そ の他 の
6 ) ち なみにワル ラスは、ス ミスの 「
国富論』については、ガルニエ編の仏訳第 2 版
a ttaけ切竹 θιι
θs cattsθ s αθ ι
aれ cんθssθ αθs物 のけ
づOtts,par Adam Smith,/
像 θcんθ竹 んθs sttγ ↓
< 研 究ノー ト> ロ ーザ ンヌ大学ワルラス文庫について
85
偉 大 なイギ リス経 済学者 は,彼 に とってほ とん ど意味 が なか った。
」 (Schumpe―
.A.1954,東 畑訳 ,p。1742)
ter,」
ワル ラス 文庫 は ,ま さに この シュ ンペ ー ター の言葉 を実証す る もので あ った。
また フラ ンス経 済学者 か ら受 け た影響 に加 えて,ワ ル ラスが ル ソー全集 (∽ι
ι
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け
あ
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」ac?切θs ttο
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a tt s.e。,Genёve, 1782)
に多 くの ア ン ダ ー ライ ン を残 して い る こ とが , 印 象 的 だ つた。
WIl ジ
ェヴォンズからの献呈本
ワル ラス文庫 の 中 に見 つ け た,ジ ェ ヴ ォ ンズの 『
evons,w.
経済学 の理論 』 (」
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S. 助 θ η佐夕
7, A/1acmlllan, London and New York,
“
1 8 7 1 ) は , ジ ェ ヴ ォ ンズ か ら献呈 され た もの ら し く, 扉 に M . L 6 o n W a l r a s
w i t h t h e . …( ? ) c o h p l i m e n t s o M a n c h e s t e r M a y 2 6 t h 1と
が
8ぃ
7 4ぅ献辞
ル
添 え られてい た。
ワル ラスは, 1 8 7 4 年 5 月 1 日 に, 自 分 の論文 「
交換 の数学 的理論 の原理」
添 えて, ジ ェヴォンズ に手紙 を書 い た告 ワル ラスは, こ の論文 の 中で
(1873)を
展 開 した限界効用 理論 が, す でにイギ リスでジ ェヴォンズ によって発表 されて
い ることを知 りす ジェ ヴォンズ に直接, 自 分 の理論 を知 らせ たのであ る。 そ し
て実際 ジ ェ ヴ ォ ンズは, こ の後 , 5 月 3 0 日付 の ワル ラス宛 の手紙 ( W a l r a s , L .
1 9 6 5 , l e t t e r 2 7 8中
)の
で, 自 分 の 『
経済学 の理論』 を 1 冊 送 ったので, そ れ を
読 んで意見 を聞かせ てほ しい とい うことを書 い てい るので, お そ ら くそれが こ
の本 で あ ろ う。
ワル ラス文庫 の 『
経済学 の理論 』 を見 る と, I n t r O d u c t i o n に
多 くの書 き込み
が されてい たが, そ の多 くは英単語 の意味 をフラ ンス語 で書 いた ものであ った。
しか も, そ の後 のベ ー ジにはまった く書 き込みが なか った。 ワル ラスが辞書 を
\E d i t e u r s c i e n t i f i q u e , G e r r n a i n G a r n i e r , s e c o n d e d i t i o n , A開
g, a蔵s s e , P a r
して い るが , 書 き込 みは見 あ た らなか った。
7 ) こ の 書簡そ の もの は, ジ ャ ッフェ編 の 「
1 9 6 5 ) に 収 め られては い
書簡集J ( W a l r a s , L 。
ない が , そ の状況 は , 5 月 1 2 日の ジ ェ ヴ ォンズか らワル ラス宛 の手紙 ( I b i d . , l e t t e r 2 7 2 )
や 5 月 2 3 日の ワル ラス か らジ ェ ヴ ォンズ 宛 の手紙 ( I b i d . , l e t t e r 2 7う
5 )かが
で い知 る こ と
がで きる。
86
彦 根論叢 第 319号
けでやめて しまっ
片手 に, 苦 労 して読 んだ こ とが うかが えるが , I n t r o d u c t i o n だ
たの は , 内 容 に興 味 が なか ったか らか , あ る い はそれ以上 英語 を読 むのが 苦痛
働
だったか らなのか定 かではない。
ワル ラスは,す で に 5月 23日付 のジェヴ ォンズ宛 の手紙 (Ibid.,letter 275)
の 中で,ジ ェヴォンズの理論 と自分 の理論 との類似性 を主張 しつつ,そ の優先
権 をジ ェ ヴ ォ ンズ に認 めてい たので ,F経 済学 の理論 』 をあ らためて読 む必要
はなかったのか もしれない。
ワル ラス は,同 年 7月 29日の ジ ェ ヴ ォ ンズ宛 の返信 (Ibid.,letter 286)で
,
一
自分 は本 の 出版 (『
純粋経済学要論』 の初版第 分冊)で たいへ ん忙 しい こと,
一
本 を 度読 んだだ けでは意見 を述べ るのに不十分 で ある こと,フ ラ ンス語訳 が
あれ ばあ りがたい ことな どを書 い てい る。
ワル ラス文庫 には,ジ ェヴォンズ 『
版 ,1878
経済学 の理論』 の他 の版 (1879年
年 の伊訳 ,1909年 の仏訳)も 所蔵 されてい るはず であるが,残 念 なが ら今 回は,
1909年のイ
ム訳 しか確認できなかった。そ してそれにはまったく書 き込みがなかった。
WHl イギリス古典派経済学 からの影響
今回のワルラス文庫訪間で,私 が もっとも知 りたかつたのは,ワ ルラスがイ
ギリス古典派,特 にリカー ドや」.S.ミルからどの くらい影響 を受けたのかとい
うことであつた。
シュンペーターが指摘 したように,ワ ルラスの経済学形成過程 に本質的な影
響 を与 えたのは,フ ランスの経済学であ り,イ ギリスからはほとんど影響 をう
けていない とい う仮定の もとに,こ れまで私 は研究 を進めてきたが,こ のよう
な問題 に興味 を持つ ようになったのは,1995年 から96年にかけて 『
経済セミナー』
(no.490-496)に おいて 「ワル ラスの経済思想 (全6回 )」 を連載 してい る時
に,森 嶋通夫氏からいただいた手紙が きつかけである。
それはワルラスの 「
進歩す る社会 における価格変動 の法則」 の起源について
8)ち なみにワルラスは,ジ ェヴォンズ宛の手紙 をフラ ンス語 で書 き,ジ ェヴォンズからは
英語 で返信 を受け取 っている。
< 研 究ノー ト> ロ ーザンヌ大学ワルラス文庫について
87
の質問 であ った。 この法則 は,F純 粋経済学要論』 の第36章に収 め られてお り,
a髄 =森 嶋論争 の焦点 にもなった。 この法
その位置づ けをめ ぐっては,有 名 な」
則 は,資 本蓄積 と人口増加が進 むにつ れ,地 代 は上昇,賃 金 は一定,利 子 と利
潤率 は低下す る とい う分配法則 で ある。
「
進歩す る社会 にお いては,労 働 の価格すなわち賃金 は 日立 って変化 せず,
土地用役 の価格す なわち地代 は 日立 って上昇 し,資 本用役 の価格 すなつち利子
・
・
は 目立 つて下落する。・
i・
i進歩 す る社会 と
こおぃて は,純 収入率 は,目 立 って下
落す る。
」 (Walras,L.1988,p.597。
久武訳p.412)
ワル ラスの興味 が静的な経済や分析 にあった とい う通説 とは逆 に,森 嶋氏 は,
この法則 の存在 によって,ワ ル ラスの動態へ の関心 を指摘 し,ワ ル ラスモ デル
の動学化 へ の可能性 を示 した。一方,Ja縫 は,こ の法則 を 『
純粋経済学要論 』
の単 なる 「コー ダ」 と見 な し,あ くまで もワル ラス経済学 の静学的な枠組 み と
そ のユ ー トピア としての性質 を主 張 してい た。
私 は,こ の法則 が ,父 オーギ ュス トか ら レオ ン ・ワル ラス に受 け継がれた も
ので あ って,父 子 の主張す る土地 国有化 の根拠 となる もので あ ったこと,そ の
法則 の厳密 な定式化 こそが,ワ ル ラス に純粋経済学 の設立 を決意 させた ことを,
9)
同連載 の 中で明 らか に してい た。
一方,
森 嶋氏 は, こ れをリカー ド的な結論 と見 な し, リ カー ドとワル ラス と
の理論 的な連続性 を強調す ると同時 に, ワ ル ラス を 「
古典派」 と位置づ けてい
た。そ こで実際 に, ワ ル ラス父子 は, こ の法貝J についてのイ ンス ピレー シ ョン
を, リカー ドか らどの くらい影響 を受 けてい るのか とい うのが, 森 嶋氏 の私 に
対す る質問 で あ った。
私 はす でに同連載 の 中 にお いて も, こ の法則 が, リ カー ドの主張 と表面的 に
は似 てい て も, 両 者 は異 なる論理構造 をもつ こと, そ れはワルラス とイギ リ
・ス
古典派 の社会 ヴイジ ョンとの違 い に も関連す る ことをすでに主張 してい たと
ワル ラスは, 後 に 『
純粋経済学要論 』 の第3 9 章で 「
地代 につい てのイギ リス学
御崎 ( 1 9 9 8 ) の
第 1 章 を参照 されたい 。
御崎 ( 1 9 9 8 ) の
第 3 章 を参照 された い。
88
彦
根論叢 第 319号
派 の理論 の解説 と批判」 におい て リカー ドの差額地代論 を紹介 し, そ れ を批判
してい る。その主 な批判点 は, 限 界 地 に地代 が生 じない とい うこと, 地 代 , 賃
金 , 利 子 の決定 が独 立 に論 じられ, 価 格決定理論 を構成 してい ない とい うこと
に集約 で きる。ワルラスが このような批判 をした背景 には, こ れ もまた社会ヴイ
ジ ョンにお けるイギ リス古典派 との断絶 があるか らだ とい うことが私 の主張 で
あ る。
そ こで今 回の ワル ラス文庫訪間 は, ワ ル ラスが どの くらい リカー ドの著作 を
読 んでい たか を調べ , そ の直接 的な影響 を知 る良 い機会 だ と考 えたのである。
IX リ カー ド 『
経済学および課税の原理』
そ こ で ま ず リ カ ー ドに つ い て 調 べ て み る と , 『 経 済 学 お よ び 課 税 の 原 理 』 の
'沈
'筋
物づ
θ p οι
づけ
を
仏 語 版 ( 1 8 1 9 ) の θs p 克物C の θs a θ ″ οt t ο
? 物θ θ渉】θ ι 轡 めけp a r
David Ricard:trad. de l'anglais par Fo S.Constancio:avec des notes
.一
B.Say, J.P.Ailland, Paris, 1819)が見 つか っ
explicatives et critiques par」
た。 しか もこれが ワル ラス文庫 に所蔵 されてい る唯一 の リカー ドの著作 で あ っ
た。 中 を見 る と,意 外 なほ ど美 しく保 たれてい た。書 き込みやア ンダー ライ ン
は,価 値論 の部分 にわず かあるだ けで あ る。 この本 の発行年 (1819)から判断 し
て, も ともとは父 のオー ギ ュス ト(1801-1866)の
蔵書 だったのか もしれない。
オーギ ュス トが書 き込み をす る人だったのか どうかはわか らないが,わ ず かな
書 き込 みは,そ の くせ か ら判断 して,レ オ ン ・ワル ラスの ものの よ うだ。 (た
とえば,パ ラグラフの横 の ×印)。「
進歩す る社会 にお け る価格変動 の法則」 の
ー
形成過程 が , リカ ドか ら受 けた影響 につい ては,こ の本 を見 る限 りでは,謎
で あ る。
X J.Sロ ミル 『
経済学原理』
次 に」,S,ミル につい て確認す る ことにす る と,『経済学原理』仏語版第 2版
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う
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S.Mill,trad.par MM.H.
(1861)(P克物cのθsが あσ
竹物θpar」。
D u s s a r d e t C o u r c e l lSense―
uil, seconde edition, Gulllaumin, Paris, 186
< 研 究 ノー ト> ロ ーザ ンヌ大学 ワル ラス文庫 につい て
89
1 1 )
が見つかつた。意外 な ことに,こ ちらの方 は,お びただ しい書 き込み とア ンダー
ライ ンがあった。 しか も書 き込み のあ る部分 とまった くない部分 との区別 が ,
たいへ んはっき りしてい るので,何 か手 がか りがつ かめそ うだった。
生産」 の第 1章 か ら第 7章 まで
最初 に気 づい たのは,ワ ル ラスが,第 1篇 「
(特に第 5章 の資本 につい ての根本命題),第 10章 「
労働増加 の法則 につい て」
土地か らの生 産増加 の法則 につい
第 11章 「
資本増加 の法則 について」第 12章 「
て」 など,「進歩」にかかわる議論に,た いへ ん興味 をもっていたことである。
この中の 「
すべての資本 は貯蓄の結果である。
」 とい う文 には,「正 しい (Vral)」
などと書 き添 えてあったが,こ れは,後 にワルラスがアソシアシオン運動 (労
働者が貯蓄 によ り資本家 になることを推進,1865年 から69年まで従事)時 代 に
おいて,繰 り返 した文句である。
第 2編 「
分配」では,冒 頭 の 「
そもそも富の生産に関す る法則や条件 は,物
理的真理の性格 を持ち,そ こには人間の意の ままに動 か しうるものは何 もない
のである。
」 とい う部分で,「物理的真理の」 とい うところにアンダーラインを
引 き,「その通 り (Oui)]と付け加 えてい る。これは,ワ ル ラスが 『
経済学 と
一
正義』 (1860)の中で強調 した経済学の分類法 自然科学 としての交換価値お
1 2 )
よび生 産理論 と,道 徳科学 としての所有 ,分 配理論 一が ,こ こで述べ られてい
るの と一致 したか らであろ う。ただ しミルが ここで強調 したのは,生 産が収穫
逓減法則 な どによ り人間の意 の ままにな らない とい うことであ り,ワ ル ラスの
主張す る物理学的 アナ ロジー による純粋経済学 とは,意 味 が違 う。
また,第 11章 「
職業 の差異 による賃金 の相違 について」
賃金 について」 14章 「
15章 「
利潤 について」 16章 「
地代 につい て」 に も多 くの書 き込みやア ンダー ラ
イ ンが集 中 してい る。お そ らくこれ らは,後 に 『
純粋経済学要論 』 で展 開され
一
るイギ リス古典派批判 第38章 「
生産物 の価格 についてのイギ リス学派 の理論
1 1 ) ワ ル ラス文庫 に所蔵 されて い る」. S . ミルの著作 には , 他 に, 「自由論』 の仏語訳 ( あ
α
Lづbθ句ど, Guillamin, Paris, 1860)が ある。
12)自 然科学 と しての交換価 値 の理論 は,後 の純粋経済学 にあたる。 また,生 産 の理論 は,
後 に応用 経済学 に分類 される ことになるが ,当 時 この二つの理論 は未分化 で あ った。一方,
所有 と分配 の理論 は,社 会経済学 となる。
90
彦 根論叢 第 319号
の解 説 と批 判」 第3 9 章 「
地代 につ い ての イギ リス学 派 の 理論 の解 説 と批判」 第
40章 「
賃 金 お よび利 子 につ い ての イギ リス 学派 の理論 の解 説 と批判」 ― を書 く
土台 となった部分であろう。ワルラスはこれらの批判 を,ロ ーザ ンヌ大学の正
教授就任演説 (1871)で,は じめて披露 してお り 時期的にも,つ じつまがあ う。
生産お よび
さてこの本 の中で, もっとも書 き込みが多かったのは,第 4篇 「
分配 に及ぼす社会の進歩の影響」である。特 に第 1章 「
富の増進 しつつある状
一
態の 般的特性」 の冒頭で,静 態論から動態論へ と議論を移す ことが述べ られ
ている部分では,「静態 (stadque)→
と書 き加 えがあった。
変化 (changement)」
この部分 は,後 の 『
純粋経済学要論』の中での,一 般均衡から経済進歩へのワ
ル ラスの議論 の進 め方 を紡彿 とさせるものである。また進歩が,自 由 と安全
もたらす とい うミルの主張 にもア ンダーライ ンがあった。また
(s6curit6)を
産業の資本および人口の増加
第 4篇 でもっとも書 き込みの多かった,第 3章 「
が地代 ,利 潤,お よび賃金に及ぼす影響」 の ミルの結論 は,社 会が進歩す るに
したがって,地 主は富裕化 し,労 働者の生活資料 の費用 は増大 し,利 潤 は下落
進歩す る社会に
す る傾向にあるとい うものである。確 かにこれはワルラスの 「
おける価格変動の法則」 と類似点 を持つが,こ の本が1861年に公刊 されたこと
を考 えると,直 接的な影響 は考 えにくい。
それは,オ ーギュス トが,こ の法則 の原型 と考 えられる法則 を述べ たのは,
おいてであ り,こ れをワル ラスは,『経済学 と正
『
社会的富 の理論』 (1849)に
義』 (1860)の
中でそのまま引用 しているからである。つ まリワルラスが,こ の
ミルの 『
経済学原理』 を読 んだときには,進 歩す る社会の法則 も,土 地国有化
のアイデアもすでにオーギュス トから受け継いでいたのであ り,そ の後,父 と
自分の主張 と, ミルとの間に共通点を見いだしたと考 える方が,自 然であろう。
ただしこれは,こ の仏訳 (1861)が
経済学
,ワ ルラスの読 んだ,は じめての 『
ー
進歩する社会の
原理』であったとすればの話であ り,ま た父オ ギュス トが 「
法則」 を述べ た際 に, リカー ドや ミルの主張 に影響 を受けていたかどうかにつ
いては,ま った く不明である。
<研 究 ノー ト>ロ ーザ ンヌ大学 ワルラス文庫 につい て
91
X l サン ・シモン, マ ル クス
ワルラスの父が,サ ン士シモン主義者の集会 にたびたび出席 し,ワ ルラスの
経済学形成過程 もサ ン主シモン主義からの少 なからぬ影響 を受けているに違い
いうも
いうことは, し
のだっ
ばし
ば
とし
れる
かし
ないと
実際にそれがどう
指摘さ
たかは ,十 分 に明 らか には され て い な い 。 ワル ラス文庫 に もサ ンシモ ンの 著作
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S初切句.Pttcじ能 es】 れ 泳 sat sttγ
集め
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,Van Meenen,Bruxelles,1859)が
あ った。 書 き込 み は ,ま ば らで ,
ア ソシア シオ ン,組 織化 ,進 歩 な どの概念 に注 目 して い る こ とはわか った もの
の ,ど う も体系 的 に把 握 で きなか った。
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ちなみに,マ ルクス については,『資本論』の仏語版 (Lθc(η
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あつたが,書 き込みはまった
?物θ,Paris,1900-1902)が
くなかった。ワル ラスのマルクス批判 (あるいは賛同)に 関 しては,主 に論文
社会
「
財産の理論」 におけるものが重要だと思 われる小 ,こ れは,1896年の 『
も収
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り物θSο
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け
θ)』に掲載 され,『社会経済学研究』 (1896)に
主義雑誌 (貴
められている。すなわちワル ラス文庫 の F資本論』が公刊 される前に,ワ ルラ
スはすでにマルクス論 を発表 していたのである。
1 5 )
『
社会主義雑誌』 は,ワ ルラスの終生の親友 ジ ョルジュ ・ルナールが編集長
をつ とめていた雑誌 で,ワ ル ラス文庫 にも,1894-1898年の分がおさめられて
いる。ワル ラスが同時代 の社会主義思想からどのような影響 をうけたのかとい
うことについては,単 に書物からの影響 だけでな く,交 友関係からの影響 も詳
細 に調べ る必要があるようだ。
そ そ
1 3 ) 例 えば, J o l i n k ( 1 9 9 6 ),は
ワ ルラスがサ ン= シ モンの歴史観か らいかに影響 を受け,
れを乗 り越えることによって, 自 らの経済学 の方法 に到達 したかについて論 じてい る。
の点については, 御 崎 ( 1 9 9 7 ) を
参照 されたい。
1 4 ) 詳 しくは, 御 崎 ( 1 9 9 8 ) p . 5 2参照
を されたい。
1 5 ) G e o r g e R e n a r d ( 1 8 7 4 - 1 9 3 0 )等高師範 の学 生であ った ときに, パ リ ・コ ミュ ー ン ( 1 8 7 1 )
で活躍 。 そ の後 ス イス に亡 命 し, ロ ーザ ンヌ大学 の仏文学 の教授 になった。
92
彦 根論議 第 319号
Xll 終わ りに代 えて
今 回 の ワル ラス文庫 訪 間 は ,前 もっての準備 や計 画 もな く,限 られ た時 間内
で の こ とだ つたので ,断 片 的 な調査 に終 わ って しまい ,反 省 して い る。 また ワ
ル ラスの書 き込 みの 内容 が ほ とん ど読 め なか った こ とも,致 命 的 だ つた。 また
書 き込 みが な い か らとい って ,ワ ル ラス が 読 んで い な い と結論 づ け るわ け には
行 か ず ,ま た文庫 には な い書物 か ら,ワ ル ラス が 大 きな影響 を受 け て い る可能
性 もあ る。
これ らの調査 には ,書 簡 や他 の 資料 との綿密 な比較 検証 が 必 要 で ,そ の よ う
な手続 きな しに断定 的 な こ とを言 うの は ,危 険 で あ る。 しか し,ワ ル ラス 文庫
が彼 の経 済学形成過程 を理 解 す る上 で ,た いへ んお も しろ い 素材 を提 供 し うる
こ とは ,明 らかであ る。
引用文献
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1.Bruttin, F。
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que Pareto de l'Universit6 de Lausanne, θ
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s, 333(100).
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偲 , Routledge, London.
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2.」
olink, A.(1996).T/bθ βυοι
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(石橋春男訳 『レオ ン ワル ラス 段 階的発展論者 の経済学」多賀 出版 1998.)
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( 書評)Albert」
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一訳 『
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(東畑精
竹 θずpο “滅 効 cθ げ との 物 '7初 街循
6.Walras, L.(1965).∽
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ag6,North― Holland,Amsterdam.
」
7。
Walras, L.(1988).助
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et al,t.Ⅷ ,Economica,Paris,(久
8.Zylberberg,A。
Parls.
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